トラブル・トリプル 06  射手座11番星系・恒星浜の星3番惑星ジェイドは、自然に恵まれた惑星だった。適度な気温と豊かな水が、惑星上に様々な植生を作り上げ、宇宙から見たジェイドを緑色にしていたのだ。ジェイドという呼び名は、宇宙から見た惑星の色が理由になっていた。  ジェイドに人類が居住するようになったのは、実はさほど歴史的には古いものではない。その歴史は、およそ1千ヤー昔にアスと言う惑星から移民を迎えてから始まっている。はじめは1百万程度の移民から始まり、現在はおよそ30億人の人達が住んでいた。入植の過程で危険な在来種が駆逐されたこともあり、平和そのものと言うのがジェイドの今だった。  時々裕福な貿易商社が襲われたり、地域一番の政商が武装集団に襲われたり、資産家令嬢が誘拐されたりしたし、某王家の者が瀕死の重傷を負ったりした。そして何度も宇宙怪獣が暴れたりもしたが、概ね平和な星と言っていいのだろう。  浜の星星系から外の世界に目を向ければ、複数の銀河にまたがる政治共同体が形成されていた。超銀河同盟と呼ばれる共同体は、ジェイドにアスの人々が移住するのとほぼ同時期に設立されていた。すなわち1千ヤー前には、すでに星間どころか島宇宙間を移動する方法が確立していたことになる。  その移動には、空間ゲートと呼ばれる通路が利用された。この通路の特徴は、2点間の移動時間をほぼ0に出来ることである。ただそれだけなら、ワープと称される空間跳躍でも可能とされていた。だが空間ゲートの特徴は、ワープとは違い莫大なエネルギーを使用しないことにあった。そしてこの技術はジェイドとは別の銀河にある、奇跡の星と呼ばれたエスデニアで生まれたものだった。そして今は、エスデニアとその住民の一部が移住したパガニアが、多くの銀河で空間ゲートの構築及び維持管理を行っていた。  そうして成立した超銀河同盟は、構成する銀河の数だけで10,000を数えていた。そして所属する星系は、10億を超える巨大なものとなっていた。住民の数が垓(10の20乗)を超えると言うのだから、もはや人智を超えた世界と言っていいだろう。  だがそれだけ巨大な超銀河連邦においても、人々の生活は普通に存在していた。それは惑星ジェイドでも例外ではなく、人々は日々の生活に喜び、悩み、苦しみ、悲しみながら生きてきていた。  惑星ジェイド上には、幾つかの大陸が存在していた。アシアナ大陸、ユーレア大陸、アメリア大陸と言うのが、ジェイドの北半球に位置する巨大な大陸の名前だった。その大陸に張り付くように、幾つかの比較的小さな島々も存在していた。およそ30億の人々は、大陸や島々を開拓し、豊かな文化と生活を築き上げていたのである。  アシアナ大陸の中緯度地区東側に、トヨノハラと言う島国があった。やや南北に細長い形と起伏に飛んだ地形のお陰で、特に自然が豊かと言われた地域である。周辺に点在する大小の島々と合わせて、一つの共同体を作り上げていた。  そのトヨノハラと呼ばれる島国の中央部に、アズマノミヤと呼ばれる首都が作られていた。首都圏の人口は、およそ3千万と、ジェイドの中でも有数の大都市でもある。アズマノミヤにジェイドを管理する行政局の支局が作られたのは、抱えた人口の大きさが理由になっていた。そのアズマノミヤに、トリプルAと呼ばれる相談所は位置していた。  トラスティ達一行がレムニアを出発したのは、人選が終了した翌々日のことだった。そのお陰でリゲル帝国主星であるアークトゥルスに寄ることが出来ず、直接アスへと向かうことになった。ちなみに第一陣として出発したのは、トラスティとアリッサ、エイシャの3人に加えて、レムニア帝国からバルバロスとガーシュイン、ビョンデ、ワンダロウの4人である。ガーシュイン以下3名は、第7艦隊から派遣された現地サーベイ要員だった。いずれも年齢は200ヤーを超える、標準的長命種の特徴を持つ男達である。そのあたり、トラスティの希望が叶えられたことになる。  そこまでのメンバーなら、当初計画通りと言えただろう。ただそこにクリスティア王族が加わるのは、はっきり言って想定していないことだった。 「王位継承権第8位を持つグリューエルと申します」  年の頃なら、10代前半と言う所だろうか。金色の髪に青い瞳をした、とても高貴そうな少女がトラスティの前に立っていた。ただ年齢が年齢だけのこともあり、女性敵魅力を示すには体型が小柄で細すぎたようだ。  なぜ継承権第8位を持つグリューエルがここにいるのかと言うと、それはトラスティがバルバロスに出したリクエストが理由になっていた。「できるだけ豪華な船」と言うリクエストの結果が、クリスティア王家が保有するクルーザー借用と言う話になったのである。そのあたりは、上申を受けた皇帝アリエルの悪ふざけも理由になっていた。 「ご丁寧な挨拶、痛み入ります」  優雅に頭を下げるグリューエルを前に、トラスティの顔は思いっきり引きつっていた。新たな面倒の種が、誰の仕業かなど考えるまでもなかったのだ。ここで金髪碧眼の子供を連れてくるところが、あまりにもいやらしい仕掛けだったのだ。 「ところで、どうして王女様がここにおいでなのですか?」  昔あった話を思い出しながら、トラスティはグリューエルが乗船している理由を尋ねた。そもそもトラスティは、「豪華な船」としかリクエストを出していない。やけにバルバロスが確認したのは気になったが、それ以上のリクエストを出していなかったのだ。ましてや同行者に、王族を加えろなどと口にしたことはないはずだ。そしてクリスティア王族と言うのは、別の意味でも厄介だった。  そんなトラスティの問いに、グリューエル王女はつぶらな瞳を大きく見開いた。 「許嫁の私が同行するのに、何か問題がございますでしょうか?」 「許嫁って……はぁっ」  やはりその線で嫌がらせをしてきたか。ニヤつくアリエルの顔を思い出し、トラスティは思いっきり大きなため息を吐いた。 「その話は、5年前にご破算になったはずだろう?」  だから許嫁ではないと強調したトラスティに、「伺っておりません」とグリューエルは答えた。 「アリエル様からは、ご破算になったとは伺っておりません。トラスティ様、何か勘違いをされておられませんか?」  可愛らしく首を傾げたグリューエルに、トラスティはもう一度ため息を付いた。 「僕は、君を妻にするつもりはないんだよ」  はっきりと自分を否定したトラスティに、今度はグリューエルが大きくため息を付いた。 「そんなわがままが通るのは、ただの庶民だけですよ。トラスティ様は、ご自分の立場をお考えになられた方が宜しいかと。トラスティ・セス・クリューグ閣下?」  アリッサは、また女絡みのトラブルかと生暖かく見守っていた。ただライスフィールの時と違い、危機感自体はあまり感じていなかった。そのあたり、グリューエルの幼すぎる見た目が理由になっていたのだろう。だがグリューエルの口にした名前を聞き、目を剥いて驚くことになった。「トラスティ・ヒカリ」が本名だと思っていたら、持ち出されたのが「トラスティ・セス・クリューグ」なのである。名前からすれば、現皇帝「アリエル・セス・クリューグ」の家系に連なることになる。 「トラスティさん、それは本当なのですか!」  だから口を出してしまったのだが、答えはトラスティではなくグリューエルから返ってきた。 「本当も何も、アリエル様のお子様はトラスティ様だけです。そうでなければ、どうして宰相府筆頭のガルース様が下僕のように従われるのでしょうか?」  ガルースの紹介を受けたとき、「帝国で2番めに偉い人」と教えられたのだ。それを思い出せば、グリューエルの言っていることにも説得力がある。「ええっ」と大きく目を見開いたアリッサに、「お分かりですか?」とグリューエルは勝ち誇ったような顔をした。 「トラスティ様が金髪碧眼好きと言うことで、私が許嫁に選ばれたのです。アリエル様のことですから、おそらく他にも意図があるのでしょう。ただ、クリューグ家とクリスティア王家の間で交わされた約束には違いありません。アリッサさんと言いましたか、これでも何か疑問がお有りですか?」  ちなみのその時のグリューエルは、王女らしく白のドレスを身にまとっていた。そして自慢の金色の髪は、丹念にウエーブがつけられ、ふわりと大きく広がっていた。その格好を見る限り、いかにも王女様と言うのは理解することが出来た。そして、勝ち誇ったように大きな青い瞳をまっすぐにアリッサに向けてくれた。確かに個々の特徴を見れば、本人が言うとおりトラスティの好みを体現しているのだろう。  自分に向かって乏しい胸……年齢相応の胸を張ったグリューエルを見て、アリッサは「やはりクンツァイトが」と考えながらため息を吐いた。 「自分に自信がないから、家どうしの約束にすがっていると言うことですか……」  どうしてこんな面倒な相手ばかりと、アリッサはトラスティの女運に呆れていたりした。もちろん自分が面倒かどうかと言うことは、綺麗に忘却の彼方に置かれていた。 「トラスティさん、ライスフィールさんにどう説明するんですか?」 「どうって言われてもなぁ……」  遠くを見る目をしたトラスティに、グリューエルは「本当のことを教えればいいのです!」と言い放ってくれた。 「かのIotUも、複数の夫人と愛妾を抱えていたのですよ。ですから私は、第二夫人を持つなとか、愛妾を持つなと言うつもりはありません。ただ第一夫人の座を譲るつもりはないと言っているだけです。別に、お互いの利害が対立するとは思っていませんが?」  「違いますか?」と問われると、なかなか「違う」とは答えにくいところが多々あった。ライスフィールのこともそうなのだが、リゲル帝国のカナデ皇やミサオ皇女の事もあったのだ。「どうしてこんな人に」と言う疑問が頭をかすめたのだが、クンツァイトにしても似たものだとアリッサは考え直した。  そしてニヤついているエイシャを見て、「どうして男って……」と自分の常識がおかしいのかとも思い始めていた。何しろエイシャの恋人こそ、所帯持ちの撃墜王だったのだ。しかもそれを、奥さんが煽っていると言う質の悪さである。そして姉のエヴァンジェリンを思い出してみても、数こそ違えど状況は似たようなものだったのだ。 「トラスティさん、私は自分の常識に自信が持てなくなってきました」  こめかみのあたりを押さえたアリッサに、「そんなことはない!」とトラスティは強調した。 「う、浮気……ぐらいはするかもしれないけど、僕は君のことを愛しているんだよ」 「浮気をすると言う時点で……はぁっ」  大きくため息を吐いたアリッサは、「いいですけど」と口癖を口にした。 「出発予定が一日遅れた理由は……これですか?」  リゲル帝国皇室専用船ガトランティスと比べれば小型だが、提供されたクルーザーはとても立派な作りをしていた。頑丈さでは比較にならないのだろうが、外装からしてこのクルーザー……プリンセス・メリベルVは華美な装飾をされていた。そして船内に入れば、ガトランティスでは見たことのない赤い上質な絨毯が敷き詰められているのである。船内照明もまた、機能よりも美しさを意識したガラス細工で作られていた。  確かに「豪華な船」は期待していたのだが、おまけで付いてきたのが厄介な女の子なのだ。それを考えると、喜びよりも面倒だと言う気持ちの方が強くなってくれる。  そしてぐるりと船を見渡したアリッサに、「失礼ですね」とグリューエルは文句を言った。 「トラスティ様のリクエストに応え、大急ぎでクリスティアから参上したのですよ。わずか1日で済んだことに感謝していただきたいと思います。そもそも「豪華な船」と言うのは、あなたの我が儘だと伺っております」  その方が自分にとって都合が良かったのだが、それを表に出さずアリッサの「我が儘」をグリューエルは強調した。そのあたり、クリスティア王族に共通した質の悪さが表に出ていたのだ。「性格が曲がっている」と言うのが、金髪碧眼好きのトラスティが逃げ出した理由になっていた。 「それを否定するつもりはありませんけど……」  ほうっと息を吐き出したアリッサは、「それで?」とこれからの予定をグリューエルに尋ねた。 「乗船前に話し込むものではないと思いますよ。あなたもこれから私達と付き合っていくのですから、優雅な立ち居振る舞いを心掛けていただきたいものです。くれぐれも、トラスティ様に恥をかかせないようお願い致します」  ちなみにその時のアリッサは、旅に出るからと至って軽装をしていた。グレーのピッチリとしたパンツに、上は紺のセーターをあわせていた。とてもシンプルな格好なのだが、サラサラの金髪がアクセントとしてとても映えていた。 「い、いや、あまり彼女を挑発しないでくれないか」  王族と大金持ち、両者が見栄を張り合ったら何が起こることになるのだろうか。それを恐れたトラスティに、アリッサは少し引きつった笑みを浮かべてみせた。 「大丈夫ですよトラスティさん。私はお子様相手に張り合うつもりはありませんからね」 「少なくとも、私よりは4年早く老け込む人がそれを言いますか」  ライスフィールあたりなら、お子様と言われればムキになって言い返しているところだろう。だが性悪グリューエルは、まったく気にした素振りすら見せていなかった。そのあたりさすがは腹黒王族と言うところなのだが、的確にダメージが加えられたことをトラスティは理解していた。 「立ち話もなんだから、さっさと出発しようか」  どちらの味方をするのかと言えば、現時点でトラスティはアリッサの味方をする必要がある。すっと隣に立ったトラスティは、エスコートをするようにアリッサの腰に手を添えた。そしてグリューエルを無視するように、さっさと船内に入っていった。 「私を無視して、船が出港できると思っているのでしょうか?」  状況が見えていないと笑ったグリューエルだったが、待てど暮らせどトラスティは戻ってこなかった。それでも根比べなら負けないと突っ張ろうとしたのだが、近づいてきた侍従に耳打ちをされ諦めることにした。 「そう、ディオネアが用意されているのですね」  帝国保有の貴賓船ディオネアは、クリスティアが用意したクルーザーを二回りは大きくした豪華船である。本来質素を旨とする帝国なのだが、外向けに必要ということで用意された弩級の豪華船と言うのがディオネアの正体である。そしてディオネアこそが、ガルースがトラスティのために用意した「豪華なお船」だったのだ。つまりクリスティア王家は、本来の計画に横入りをしたと言うことである。ここでトラスティにディオネアの出港準備を知られたら、ここまでの計画が水泡に帰する事になってしまう。  とりあえず自分の船に乗せることを優先したグリューエルは、侍従に付き添われて王女専用個室へと向かった。あとはアスに到着するまでの2日の間、ここにトラスティを連れ込めば勝ちだと思っていた。  「ようやく行ったか」と帝国皇帝アリエルは少しだけ口元を歪めた。ここでクリスティアが干渉してくるのは、彼女にとって予想していたことだったのだ。だから貴賓船ディオネアの出港準備を遅らせ、クリスティアの船が間に合うように手配したのである。そしてディオネアの出港準備をトラスティに教えなかったのも、その仕掛けの一つになっていた。 「ですが、宜しいのですかな?」  クリスティア王家を引き入れることで、トラスティはまた面倒を一つ抱えることになるのだ。流石に可哀想ではとガルースが考えるのも、事情を考えれば無理もないことだった。  ただガルースの懸念は、アリエルにはどうでもいいことのようだった。至って真面目な表情で、「何も出来んよ」と言ってのけた。 「それは、グリューエル王女がと言うことでしょうか?」 「他に、対象者はおらんと思うがな」  表情を変えずに答えたアリエルは、「厄介払いだ」と言ってくれた。 「トラスティとのことはどうなっていると煩いのでな。そろそろ引導を渡そうかと思ったのだ。その意味で、あの嬢ちゃんを連れてきてくれたのは都合が良かった」 「確かに、王女の歯が立つ相手ではありませんな」  見た目だけで言えば、5年後のグリューエルなら勝負になるのかもしれない。ただ性格を考えたら、どちらをトラスティが好むのかなど自明の理だったのだ。しかも危うさと図太さを兼ね備えたあたり、トラスティをターゲットとしたとしか思えないぐらいだ。ただ腹黒いだけの王女では、とてもではないが太刀打ちできる相手ではなかったのだ。  それを認めたガルースは、「期待通りですか?」と分かりにくい問いを発した。ただそれで意味が通じたのか、「今のところはな」と言うアリエルの答えが引き出された。 「あの人が残していった面倒を片すもの、あやつの仕事には違いないからな。これでモンベルトの問題も、一息つくことだろう。あとは、質の悪いエスデニアをどうかき回してくれるかだが。ただ、あやつだけでは流石に手に余るだろうな」 「キャプテン・カイトなる者もおるようですが?」  その指摘に、アリエルは小さく頷いた。 「超銀河連邦最強の戦士と言う話だったな。ラズライティシア様と似たデバイスを使っておると聞いているが? ここで巡り合ったと言うのは、やはりあの人の導きなのだろうか」  遠くを見るような目をしたアリエルは、小さく息を吐いて「まだ不足だ」と呟いた。 「二人のデバイスがどう化けてくれるのか……確か、もう一つ最古のデバイスがあったはずだが?」 「残念ながら、消息が不明です。と言うのか、誰もその名を知らないと言うのが不思議なのですが……」  そんなものが存在するのか。目元にシワを作ったガルースは、その存在自体に疑問を挟んだ。それを受け止めたアリエルは、「何を言っておるのだ」とバカにしたような目を向けた。 「伊達に、あの人とともに長い時間を過ごした訳ではないぞ。おそらく、あの人の本当の姿を知っておるのは、わしかシルバニア帝国中央コンピューターの仮想人格、アルテッツァぐらいのものだろう。もっともアルテッツァにしたところで、ロックが解除されておらねば間違った情報しか提示できないがな」 「ロックの解除……ですか? それは、どのようにすればできるのでしょうか?」  ガルースの問いに、アリエルはたちまち「分からん」と答えた。 「それが、欠けている最後のピースだと思っておる。そしてそのピースが、男なのか女なのかも分かっておらん。ただトラスティだけではだめと言うのが分かっておるだけだ」  そう口にして、「まったく」とアリエルは小さく息を吐きだした。 「どうして、あの人は面倒ばかり残していってくれるのだ?」 「それだけ、アリエル様を信頼されていた……と言うのが、この場に相応しい答えでしょう」  直ちに返ってきた答えに、「相応しくないのは?」とアリエルは聞き返した。 「ただ一人、1000ヤーを超える寿命を持たれていたからと言うところです。かのお方は、種としての定めを曲げる力をお持ちだったはず。それを行使しなかったのも、かのお方のお考えなのでしょう」  ガルースの言葉に、アリエルは小さく頷いた。 「確か、世界には新陳代謝が必要だと言っておられたな。そして世界に絶対者など必要ないのだとも言っておられた。その考えはわしも認めるところなのだが……それでも、子供ぐらい残しておいてもいいだろう」  結局IotUは、子供を一人も残していない。アリエルは、それが本人の考えであると認めたのである。 「絶対的な力、人々を導く力……そして十分な情報力。最後の一つ、情報力がまだ揃っておらん。あやつの時代に揃わないのであれば、まだ時が満ちていないということであろうな。はたして、我が生命はその時まで続いてくれるのだろうか」  遠くを見る目をしたアリエルは、「IotUは……」と小さくつぶやいた。 「名前、姿自体を歴史の記録から消し去っていった。残っているのは、ただあの人が存在したと言う事実となしたことだけだ。偶像化を防ぐためと言うのは聞かされたが、それでも人々は神に等しき存在としてあの人を偶像化し崇拝しておる。そしてオンファス様の行動を、間違った形で伝えることとなった。モンベルトの悲劇は、その犠牲と言う事ができるのだ。そしてパガニアが謝罪したIotUの妻達の係累に対する蛮行もまた、誤った思いからの出来事に違いない。その一つは、結果的に解消することが出来たのだろう。そしてもう一つは、これからあやつが解消への道筋を作ることになる。IotUの奇跡ではない、人の力による解決が行われるのだ」  目を閉じたアリエルは、「それも」と小さくつぶやいた。 「あのお方が望んだことだろう。人の世は、奇跡などと言うものを頼りにしてはいけないのだと」 「仰る通りかと……」  頭を下げたガルースを前に、アリエルは小さく息を吐いてからゆっくりと目を開いた。 「わしの手駒は、あやつ一人と言うことか……女にだらしないのは、まさに遺伝と言うところなのだが」 「女性が寄って来ると言う方が、私には正確に思えますが?」  珍しく苦笑を浮かべたガルースに、それでもだらしないとアリエルは返した。 「それを口実に、そこらじゅうに手を出しておるのだろう。その行動こそ、まさしくあのお方の行動そのものなのだよ。そして無類の金髪碧眼好きと言うのもそうだ。そのあたりは、幼き頃の刷り込みが理由だと笑っておられたがな」 「刷り込み……ですか?」  それはそれはと笑ったガルースに、「刷り込みだ」とアリエルは繰り返した。 「金髪碧眼のおなごに、随分と虐げられた生活を送っておったそうだ。だからやり返すことに無常の喜びを感じたそうだよ。ただやり返しつつも、強く出られたら譲歩をしてしまう弱さも持っておったな」  不思議な関係だと笑ったアリエルに、「いかにも」とガルースは仰々しく頷いた。 「もっとも、その方が人間らしくて宜しいのではと思いますが」 「ああ、あのお方は誰よりも人間臭かったよ……まあ、アス方面のと言う但し書きはつくがな」  そう答えると、アリエルは右手で目の前をさっと凪いでみせた。そしてそれに合わせるように、レムニアからアスまでの航路が示された。 「プリンセス・メリベルV号は第一のゲートをくぐったか」 「どうやら、王室特権を活用されたようです。ただ次の寄港地に、クリスティアを指定されていますが」  くっと小さく笑ったガルースに、珍しいなとアリエルは口元を緩めた。 「お前がそのように表情を表すのは、あやつに絡んだ時だけだな」 「ええ、トラスティ様は色々と楽しませてくださいますので」  そう答えたガルースは、「楽しみなのですよ」と言葉を続けた。 「この先何をしでかしてくださるのか。モンベルトのことは、その第一歩だと思っております」 「ならば、わしはもう少し頑張る必要があるな。あやつを看取ることになるのは本意ではないが、変わっていく宇宙を見ることには変えられないであろう」  それもまた長命種として生まれた喜びと言って、アリエルは目の前の航路図を消した。 「さて、わしはトリプルA相談所のレムニア支社を作ることにするか」 「皇帝御自らと言うのはいかがなものかと思いますが……」  そう答えたガルースは、「エゼキアにやらせますか?」と問いかけをした。 「うむ、わしの私財から必要な資本を回してやれ」  そうすれば、ちょっとした会社など簡単に興すことができる。面白いことになったと、アリエルは秀麗な口元を歪めたのだった。  船に連れ込んでしまえばこちらのもの。そう高をくくっていたグリューエルだったが、歓迎パーティーで己の失敗を見せつけられることになった。そのあたり、「お子様相手に張り合わない」と言う言葉を裏切り、アリッサがめかしこんできたのが理由になっていた。  王女らしく白のレースを重ねたドレスで現れたグリューエルは、たしかに高貴さと可愛らしさを周りに示していたと言えるだろう。王室でしつけられた品の良さも、いかんなく発揮しているのも確かだった。「さすがはお姫様」とエイシャが感心したのも、グリューエルを見れば納得のできることだった。ただ余談にはなるが、あまりアリハスルの趣味には合わなかったと言う話にもあった。そのあたり、運命に立ち向かう健気さが感じられないと言うのが理由なのだろう。  小さな体を飾り立てて現れたグリューエルは、その時点で出席者の視線を奪ったのは間違いなかった。ただ場を支配したのも、トラスティにエスコートされたアリッサが現れるまでのことだった。茜色のタイトなドレスに身を包みこんだアリッサに、歓迎パーティーを用意していた者達の視線が一斉に吸い寄せられたのである。  普段はサラサラの金色の髪をストレートにしているアリッサだが、今日はドレスに合わせて頭の上で結い上げていた。茜色のドレスから覗いたうなじと、グリューエルには無い豊かな胸元が、女性としての違いをいかんなく見せつけていたのだ。 「本日は、盛大なパーティーを開いていただきありがとうございます」  そしてアリッサは、超銀河を代表する巨大企業の令嬢なのである。そんなアリッサが、社交の場での振る舞いに問題があるはずがない。優雅にお辞儀をする様など、漂わせる色香と合わせてグリューエルを圧倒し、パーティーの場を支配していた。圧倒的な戦力差は、グリューエルの顔から笑みが消えたのを見ても理解できることだった。  ちなみにアリッサとしては、「大人げない」真似をするつもりなど毛頭なかった。ただ「豪華な」お船で、王族の「パーティー」が開かれるのだから、相応しい格好を選ばなければと考えただけのことである。そしてこれまで期待を裏切られ続けた反動で、今まで以上におめかしに力が入っただけのことだった。グリューエルが敗北感に打ちひしがれたのも、その結果にしか過ぎなかった。  普段のアリッサを見れば、この程度のことはある程度予想のできることだった。それでもグリューエルが気に入らなかったのは、隣に立つトラスティだった。こうして自分が王女らしくおめかしをしているのに、全く視界に入っていなかったのだ。そしてそれ以上に我慢がならなかったのは、並んで入ってきた二人がとてもお似合いだったことだ。 「クリスティアに寄港しますが、レセプションは行わないことにします」  こっそりと近づいてきた侍従に、グリューエルは小声で指示を出した。自分が及ばないのを広めることは、現時点で得策ではないと考えたからである。これで王宮の話題を攫われようものなら、目も当てられない事になってしまうのだ。  とっさに得失を計算したグリューエルは、お子様の痛々しさを見せないよう方向転換したのである。  人が増えたおかげで、逆に二人きりになれる時間が増えてくれた。意外に早く切り上げられたパーティから戻った二人は、部屋に入るやいなやどちらからともなく抱き合っていた。ただ情熱的と言うより、どちらかと言えば抑制的に二人は唇を重ねていた。 「さて、いよいよアスに乗り込むことになるんだけど」  アリッサから離れたトラスティは、豪華なソファーに座るように勧めた。そしてアリッサが座るのを確認して、自分はテーブルを挟んだ正面に腰を下ろした。 「あちらは、ガトランティスを出してくれたようだ。それもあって、僕達は1日遅れでアスの軌道ステーションに到着する予定だ。そこで兄さんたちとと合流して、ミサキシティに降りることになる。お待ちかねのの神殿見学は……」  そこで顔を見られたアリッサは、「このままだと」とあちらからの連絡を確認した。 「アスに降りた翌日という事になりますね」  スケジュールを聞かされ、トラスティは小さく息を吐きだした。 「つまり、1日自由時間ができるということか……なんだか、本当にクンツァイト王子が現れそうなな気がするよ」 「クンツァイト様が?」  キョトンとした目をしたアリッサに、「予感だけどね」とトラスティは口元を歪めた。 「モリオン王が、送り出してきそうな気がするんだよ。さもなければ、神殿見学にライスフィールを同行させろなんて要求をしてこないだろうね」  その説明に、なるほどとアリッサは頷いた。 「謝罪は済ませていますので、補償の話をしようというのですね?」 「外向けに謝罪は済ませたけど、そこから先の行動が次に問題となるんだよ。その意味で、すぐにクンツァイト王子を派遣するあたり、流石に食えないおっさんだと思うよ」  矢継ぎ早に手を打つことで、外向けだけでなく、自国内の不満も押さえ込もうというのである。それを意識して行うだろうとトラスティは予測したのである。 「それで、アリッサはクンツァイト王子に自分を売り込むのかな?」  散々いじめられたこともあり、トラスティとしてはちょっとした意趣返しをしたつもりだった。ただアリッサに涙目で見られ、慌てて「ごめんなさい」と謝った。 「トラスティさんは、本当にクンツァイトさんに走ってもいいと思っているんですか?」 「は、はい、そんなことは微塵にも思っていません!」  もう一度ごめんなさいと謝られ、「いいですけど」とアリッサはトラスティを許した。 「あ、ありがとう……それで話を戻すけど」  許しては貰ったが、それでも動揺を隠しきれなかった。少し慌てたトラスティは、立ち上がってポットから紅茶のようなものをカップに注いだ。 「ライスフィールには、バーネットが弟子をつけてくれたよ。これで、当面彼女の健康問題は任せることができる」 「バーネット……さん?」  また女性の名前がと目元を険しくしたアリッサに、「御典医」とトラスティは事務的に答えた。 「カナデ皇とは、幼馴染の関係らしいよ。まあ、とっても豪快な人なんだけどね……」  何かを思い出したのか、トラスティはそこで言葉を途切れさせた。 「それから、頼まれていた剣士だけど……どう言う訳か、ミリアが行ってくれることになったよ。もう一人の方は、ミリアがしばらく働いてから人選するらしいよ」 「ミリアさんって……とても格好良い人でしたよね。それに、とても強かったような……」  そんな人を派遣して貰って良かったのか。ニムレスをと言ったことを忘れ、アリッサは不安そうな顔をした。ただ実力的には期待以上なので、そのことにはそれ以上触れなかった。 「先遣隊みたいなものだと思ってくれればいいよ。まあ、実力は折り紙付きだから問題はないんだろうね」  それからと、トラスティは帝国側の動きを持ち出した。 「アリエルの婆さんが、トリプルA相談所の帝国支社設立の指示を出したよ。分かってはいたけど、本当にあの人は暇人だったようだ」 「婆さんではなく、お母さんが正しいと思いますけど……見た目だけだと、お姉さんと言う気も」  そこでアリエルの姿を思い出し、「いやいや」とアリッサは首を振った。姿だけを見れば、姉どころか妹に見えてしまったのだ。 「そして君が社長になるんだけど……本当に、それで良かったのかな?」  話を聞く限り、アス詣で前はアルバイトに毛の生えた程度の会社だったのだ。それが1年も立たないうちに、帝国皇帝をも巻き込んだ企業へと成長したのである。その変化の大きさを考えれば、「良かったのか」とトラスティが聞きたくなるのお仕方がないことだった。しかもそこまで成長したのに、正社員は片手に足りないぐらいしかいなかった。 「機を逃さないことも大切だけど、勢いだけでどうにかなる問題とも思えないんだけどね?」  懸念を口にしたトラスティに、アリッサは真剣な表情で頷いた。モンベルト復興を事業にすると言ったが、冷静に考えてみれば今の自分には身の丈に合わない仕事だと理解できる。だが自分の言葉をきっかけに、帝国皇帝まで動き出してしまった以上、今更後戻りをすることもできなくなっていた。 「私とエイシャさんだけなら、絶対に無理だと思います」 「乗りかかった船だし、まあ僕にも責任があるんだけどね……それに、意外に鼻が利くと感心もしているんだよ。とは言え、流石に欲張りすぎと言う気はするんだ。それで、どこまでお姉さんは知っているんだい?」  あまり得意な相手ではないが、トラスティはアリッサの姉エヴァンジェリンのことを持ち出した。ほぼ同じ能力を持つのと同時に、ビジネス経験は間違いなくエヴァンジェリンの方が豊富だったのだ。その意見を聞くことは、アリッサにとっても役に立つはずだった。 「安全保障会社のことは知っています。ただ、モンベルト復興事業のことは……実家経由で聞いているかもしれない……程度です」  実家と言うアリッサの言葉に、トラスティは「ああ」と頷いた。確かにモンベルト復興事業には、タンガロイド社が絡んできていたのだ。だとしたら、タンガロイド社経由でエヴァンジェリンの耳に届いてもおかしな話ではない。 「じゃあ質問を変えるけど、ご実家はなんて?」 「最大限の支援をする……とは聞かされています。あとは、よくやったとお父様からはお褒めの言葉を貰っています……それから、一度トラスティさんの顔を見たいと……結婚するつもりがあるのなら、さっさと婚約をしてしまえとも言われています」  実家に言われたことを持ち出すのは、流石にアリッサも気が引けたのだろう。ただ「結婚」を持ち出すこと自体、特に抵抗を感じていないのも確かだった。そのあたり、増えこそすれ減らないライバルを気にしているとも言うことが出来た。 「婚約かぁ……それもいいかもしれないね」  それでもトラスティの答えは、アリッサには予想外のものだったようだ。「えっ」と驚き、目を大きく見開いてくれた。 「本当に、いいんですか?」 「僕は、君を愛していると言ったはずだよ。そして、ジェイドにいられるよう努力をしているとも言ったはずだよ。ただ……」  そこで言葉を切ったトラスティは、「周りが騒がしくなる」と正直な気持ちを打ち明けた。 「婚約をしたらしたで、今以上に周りが騒がしくなる気がするんだ」 「普通は、落ち着くところなんですけどね……」  そう答えたアリッサは、はあっと息を吐き出した。 「でも、言っていることはよく分かります。ライスフィールさんも黙っていないと思うし、ロレンシア王女も大人しくしていないと思います」 「グリューエル王女も、黙っていないと思うんだ……あとは、ミサオ様とか」  名前を上げただけでも、面倒そうなのばかりが揃っていたのだ。たしかにそうだと認めたアリッサは、トラスティの顔を見て大きくため息を吐いた。 「でも、その人達って……婚約しなくても同じぐらい面倒ですよね?」 「まあ、それは否定しないけどね。ただ面倒の質が変わると言うのか、行動が直接的になる気がするんだよ」  そうぼやいたトラスティは、真面目な顔でアリッサを見た。 「それで婚約をしてもいいけど、具体的にはどうすればいいのかな? 君のご両親にも挨拶に行く必要があるよね? まあ、お姉さんには……」  エヴァンジェリンを思い出し、トラスティは深すぎるため息を吐いた。 「思いっきり邪険にされた記憶があるんだよね」 「そのあたりは……お兄様の態度も変わっていますから、多分大丈夫だとは思いますけど」  ただアークトゥルスに帰る直前のことを思い出し、「問題かしら」とアリッサも考え込んでしまった。それにこれからすることを考えると、ますます姉を敵に回しそうな気がしてならなかったのだ。 「エスデニアの議長さんの件ですけど……お兄様に任せると、ますますお姉さまから恨まれるような気がしてならないんですが」  自分ほど寛容ではないと言う意味で答えたアリッサに、それでも問題だとトラスティは言い返した。 「だからと言って、僕がと言う話にもならないと思うんだ……いっその事、クンツァイト王子も巻き込んでやろうか?」 「クンツァイト様に?」  目をぱちぱちとさせたアリッサに、「クンツァイト王子」とトラスティは繰り返した。 「モンベルト支援のためなんだから、少しぐらい骨を折れと要求しようかと思ったんだ。それに第一夫人が神殿勤めだから、しばらく体を持て余しているはずだろう?」  だからwin-winと笑ったトラスティに、それでいいのかとアリッサは考えてしまった。 「なにか、思いっきりアマネさんに恨まれそうな気が……」  ただ、自分にとってはその方が都合がいいのも確かだった。「そうですね」とトラスティの提案を認めることにした。 「じゃあ、婚約の話は進めておいていいですね?」 「ああ、僕の方も婆さんに伝えておくよ」  両家の関係者に話を通してしまえば、余計な干渉を受けなくても済むことになる。様々な干渉が考えられるだけに、さっさと済ませてしまおうと二人揃って考えていた。 「と言うことなんだけど……まだまだ話をすることはあるんだけど……ねぇ」  そこで自分を見たトラスティに、「そうですね」とアリッサは頷いた。 「でも、後回しにしてもいいと思うんです」  違いますかと問われ、トラスティは大きく頷いた。そしてゆっくり立ち上がって、反対側に座っていたアリッサに近づいた。 「僕と結婚してくれるかな?」  そう言ってから、トラスティはゆっくりと顔をアリッサに近づけた。 「喜んで、お受けいたします」  目を閉じてトラスティを受け入れたアリッサは、そのまま両腕をその首へと回した。 「時間は十分あるんですよね?」 「なければ、作ってしまえばいいと思ってる」  ソファーからアリッサを抱え上げたトラスティは、そのまま奥の部屋へと歩いていった。そこがベッドルームになっているのは、今更説明をするまでもないだろう。  クリスティア寄港を補給程度で終わらせた一行は、そのままアスへの航路に入った。ただクリスティアからの直行ルートはないため、一度リゲル帝国領内に入ってからアス向けのゲートを通る必要があった。そこで時間がかかったのは、クリスティアからリゲル帝国領内への直行ルートがなかったからである。そのあたり、1千ヤー前の関係が未だに尾を引いていると言うことが出来た。  その為通常航路をワープで進み、半日以上という無駄な時間を使ってしまった。そしてそこからは、1千ヤー昔に開設された直行ゲートを利用した。リゲル帝国がIotUに降伏した直後に開設されたゲートは、今もなお利用者がひっきりなしの状態だった。 「私の祖先である、プリンセス・メリベルもこのゲートを使用したとの記録があります」  最終ゲートに入る直前、到着準備のため一行はラウンジに集まっていた。そしてその場で、グリューエルが1千ヤー前の話を持ち出した。 「アスに派遣される外交使節として、ドンカブ連合のデイジー王女、そして帝国からはアリエル様が同船されたと伺っています。使用した船は、新造クルーザーのプリンセス・クリスティアU世号と言う船で、アーネット様が船長に就任されたそうです。伺った話では、エスデニアで行われたパーティーで、アリエル様はIotUと何処かに消えられたとのことですよ」  それが1千ヤー前のことだと考えると、とても不思議な感覚にとらわれてしまう。自分たちにしてみれば、1千ヤーと言うのは絶望的にも思える時間に違いない。だがその時を生きてきた人が存命かつ、直接話しをしているとなるとその思いも変わってくる。 「確か、長命種の方たちは性的欲求がないと伺っていますが?」  それを持ち出したアリッサに、グリューエルは小さく頷いた。 「ごく一部の方たちは、性行為を楽しんでいたと言う記録も残っています。ただ長命種と言う種全体で言うのなら、性行為ははるか昔に卒業したそうですね。ただお二人で消えられたあと、何をされていたのかは未だ謎と言うところですが……」  そこで顔を見られたトラスティは、少し大きめのため息を吐いた。 「聞かされた話だと、みんなが想像した通りのことをしたそうだよ。とても新鮮で、目の前の景色が変わったと婆さんが言っていたなぁ。ただあまりにも競争率が高かったので、なかなか次の機会がなかったとぼやいていたよ。ちなみにプリンセス・メリベルとご一緒したことはないけど、キャプテン・アーネットとは何度もご一緒したそうだ。もちろん、IotUの妻達ともご一緒しているらしい」  普通なら聞くこともないIotUの日常の話に、アリッサ達は目を輝かせて聞き入った。こうした話は、聖地巡礼でも教えてもらえない。当然歴史の中でも、触れられることのない話だったのだ。 「普通なら破廉恥な……と言うところなのですが。アリエル様がご存命だからか、歴史を感じさせてくれますね。アマネさんがおいででしたら、ユサリア様のことを伺っていたでしょうね」 「ユサリア様?」  そこで首を傾げたグリューエルは、すぐに「ああ」と大きく頷いた。 「影の権力者と言われたユサリア様のことですね。そうですか、まだ係累の方が残られていたのですね」 「影の権力者……なのですか?」  初めて聞く話にアリッサは驚いたように目を見開いた。 「ええ、奥様達の中では、結構発言権が大きかったと伺っています。もちろん一番発言権が大きかったのはラズライティシア様……なのですが、IotUの時間を管理していたこともあり、皆さんユサリア様には逆らわなかったと言うことですよ」 「もしかして、生々しい話の方も管理されていた……からですか?」  大勢の妻達がいれば、当然お互いのスケジュールが取り合いになってくれる。アリエルですら機会が少なかったと言うぐらいだから、妻達の間では結構切実な問題だと理解できるのだ。そしてその時間管理を任されていれば、ユサリアの発言権が大きいことも理解できる。  そしてアリッサの疑問に対して、グリューエルは頷くことでそれを認めた。 「そればかりが目的と言うお話ではないと思いますが……ただ、世界が広がれば、それだけ世界のことに時間を取られることになります。行き当たりばったりではどうにもならないので、厳密に時間を管理する必要があったと言うことです。ユサリア様は、シルバニア帝国の中央コンピューターよりも、IotUの居場所に詳しかったと伝えられています。秘書的な役割を担われたのも、その能力を買われたと言うことでしょう。ただユサリア様は、フヨウガクエン創設時からIotUと同じ場所で学ばれていたと言うことですよ」 「ぜひとも、アマネさんに教えて差し上げたい話ですね。ただ……」  そこで口ごもったのは、ユサリアの人となりに疑問を感じたからなのだろう。そしてアリッサの感じた疑問を、「なんだかなぁ」とエイシャが言葉にしてくれた。 「超銀河連邦最大のコンピューターよりもIotUのことに詳しいって……一歩間違えばストーカーだな、それ」 「奥様になられる前……同窓の者たちからは、ストーカーとか秘書とか言われていたようですね」  そう言ってグリューエルがユサリアの話をしていたら、艦内放送でアスへのゲートを通過することが知らされた。ゲート自体は一瞬で通過できるので、間もなくアスの周回軌道にある宇宙港が見えてくる。 「間もなくルナツーに入港ですか……確か、高名なイスマル家の者が責任者だと聞いていますが」  IotUの覇業を語るとき、ジュリアン・ウエンディ、ミューゼル・イスマル、ジークフリード・クサンティンの3将を外すことは出来ない。少し畏怖の込もった口調のグリューエルだったが、「ジュリアン大佐ですか」とため息をつくアリッサに気がついた。 「アリッサさんは、イスマル家の者と面識があるのですか?」  ネームバリューで言えば、クリスティア王族などイスマル家の足元にも及ばない。それもあって、グリューエルは驚いたような視線をアリッサに向けた。 「面識があると言うのか……先だってアス詣でをした際、お世話になったのですけど……」  連邦の撃墜王の猛威は、身をもって経験していたのだ。それもあって口ごもったアリッサの代わりに、トラスティが「彼女が」とエイシャを紹介した。 「エイシャさんが、ジュリアン大佐のガールフレンドなんだよ」 「いったい、あなた達は何者なのですか?」  着飾らせたら王族を忘却の彼方に追いやる美貌を持つアリッサに、名家イスマル家の当主のガールフレンドが揃っているというのだ。そして名前だけ出てきたメンバーには、IotUの妻ユサリアの係累にして、現アス神殿の筆頭巫女が居ると言う。しかもその筆頭巫女は、これまた超銀河連邦重鎮であるパガニアの次期国王のところに嫁ぐことが決まっているのだ。たかが地方惑星の女子大生と言うには、ありえない特徴を持つ3人だった。  「何者」とグリューエルが驚くのも、無理も無いことに違いない。「そうだよなぁ」とその感想を認めたトラスティは、「だから伝言」とエイシャの顔を見た。 「イスマル大佐……というより、その奥方からのメッセージだそうだ。今夜ご一緒できることを楽しみにしています……だそうだよ」 「イスマル大佐の奥様は、確かアガパンサス様でしたね?」  それがどうしてと言う顔をしたグリューエルだったが、ゲンナリとするエイシャに「どうかしたのですか?」と思わず問いかけてしまった。 「いや、なに、歓迎のメッセージにしても、もう少し違う方面があってもいいと思っただけだ」  グリューエルの反応を見れば、「ご一緒」と言うのが歓迎パーティーだと思っているのは理解できる。だがわざわざ自分を指定した以上、歓迎パーティー後のことなのは間違いないだろう。それを公式に打電してくることへ、エイシャは呆れていたのだ。 「ご一緒と言うのは、歓迎のレセプションのことではないのですか? メッセージとして、別におかしなところはないと思いますが?」  やはりグリューエルの常識は、せいぜいパーティー止まりだったと言うところだ。そのあたり、いくら腹黒でも14ヤーの少女の限界なのだろう。 「トラスティさん、アスに降りるのは明日の予定だったよな?」 「先行した兄さんたちと合流して、休息してからと言うことになっているね。明日と言う時間観念は定義しにくいけど、14時間ほど時間があるのは確かだよ」  その14時間のうちに、歓迎のパーティーがあるのだが、それが終わってからが本番となる。「そうだよなぁ」と遠くを見るエイシャをおいて、「でも、どうしてですか?」とアリッサが疑問を口にした。 「前回来たときは、歓迎パーティーなんてありませんでしたよ? でも、どうして今回はそんな大事になっているんです?」  前回のアス詣ででは、到着してすぐにシャトルで地上に降りていたのだ。それを考えると、わざわざパーティーが開かれる理由に心当たりがなかった。  ただ分からないと口にしたアリッサに対して、グリューエルは馬鹿にしたような態度を取ってくれた。 「これが、王室専用船と言うのを忘れていませんか? それに、私は王位継承権第8位を持つクリスティア王家の王女なのですよ。これがアス駐留軍でなければ、艦隊司令が出迎えに来なければ失礼に当たる話なのです。歓迎のレセプションが無い方が不思議なくらいです」 「つまり、トラスティさんの立場が重要だったと……」  自分がと口にしたグリューエルを無視し、アリッサは皇帝の子供に当たるトラスティの立場を持ち出した。ただ一人「セス・クリューグ」の名前を継ぐことを考えれば、グリューエルなど及びもつかない重要人物と言うことになる。  それをグリューエルも否定しなかったのだが、やはりトラスティ本人が否定をしてくれた。 「いやいや、僕は公式にはトラスティ・ヒカリと言う旅行随筆家だからね。だから仰々しいお出迎えは、全てグリューエル姫のせいだよ」 「トラスティ様、そこは「おかげ」と言うところではありませんか?」  「せい」と言われると、なにか悪いことをしているように思えてしまう。だから嫌だと言う意味で、すかさずグリューエルは問題の部分を訂正した。ただグリューエルの懇願を、トラスティは綺麗サッパリ無視をしてくれた。 「先にライスフィール王女が入っていることを考えれば、その御一行に当たる僕達が盛大に歓迎されてもおかしくないんだろうね」  そう言うことだと話を打ち切ったそのタイミングで、これから入港ルナツーの映像が空間に投影された。 「こんなことになるんじゃないかと思ったけど……」  はあっとトラスティがため息を吐いた先には、航路を守るように配置された駐留軍艦隊の姿があった。白い、そして少し他とは違う尖った形をした船が、ジュリアン大佐が乗艦する艦隊旗艦「ブリュンヒルト」である。わざわざ歓迎のレセプションが開かれるぐらいなのだから、出迎えに艦隊が出ても不思議なことではなかった。 「クリスティア王家専用船ですから、これも当然と言えば当然ですね」  感動も何も映さない瞳で艦隊が並ぶ光景を見たグリューエルは、「間もなく入港です」と機械的にスケジュールを告げた。 「ところでトラスティ様、私をエスコートしていただけますか?」  表向きの立場上、グリューエルが一番偉いことになる。それを考えれば、誰かがエスコートをすると言うのも、別に不思議な話ではなかった。そしてどう言う訳か、アリッサも反対をしなかった。 「おっ、正妻の余裕か?」  それを茶化したエイシャに、「それもありますね」とアリッサは余裕を見せた。 「私達は庶民ですから、仰々しいイベントには関係ないと思います。だから、面倒なことはグリューエル王女と夫に任せることにします」  夫とアリッサが言い切った時、明らかにグリューエルの視線が険しくなっていた。だが下手なことを口走れば、逆に自分の不利に働くことになる。とっさに損得を判断したグリューエルは、「お許しが出ましたね」と言ってトラスティの隣にくっついた。長命種に混じれば小柄に見えるトラスティだが、短命種の中では背の高い方だった。したがって隣に小柄なグリューエルが並ぶと、親子は言い過ぎにしても兄妹の関係に見えてしまう。 「まあ、エスコートは僕の役目なんだろうねぇ……」  事実上の代表なのだから、賓客をエスコートする責任があるのだろう。「まあいいか」と割り切ったトラスティは、「グリューエル姫殿下」と頭を下げた。 「僭越ながら、私がエスコートさせていただきます」  あまりにも他人行儀な態度に、グリューエルはほんの少し目元を引きつらせたのだった。  艦隊旗艦が出向かえに出たことで予想すべきことなのだが、一行の到着を出迎えたのはジュリアンではなく、艦隊司令であるエイドリック・クサンティン大将だった。「艦隊司令が」と口にしたグリューエルだったが、その本人が現れたことで萎縮してしまった。3名家のうち2家が揃うと言うのは、彼女の立場からすれば特別なことだったのだ。 「クリスティア王女グリューエル様のおいでを歓迎いたします」  特徴的な赤い髪をした長身の男性は、グリューエルに向かって恭しく頭を下げた。年齢的には40代半ば過ぎなのだが、それを感じさせない見た目の若さと、御三家の一角を占める貫禄を周りに振りまいてくれた。撃墜王の称号こそジュリアンに譲ったが、その方面はまだ現役をはっていた。 「名高いクサンティン大将閣下にお出迎えいただき、感激に打ち震えております」  多少萎縮をしていても、王族の生まれと言うのは伊達ではない。努めて優雅に振る舞い、グリューエルはエイドリック大将に向かってお辞儀をした。それを笑顔で受け止めたエイドリック大将は、グリューエルのエスコートをトラスティから引き取った。 「お疲れかもしれませんが、このあと歓迎のレセプションにお付き合願えればと思っております」  ただエスコートを引き取りはしたが、二人の間には絶望的な身長差があった。しかも年齢差があるため、はたから見れば親子に見えたことだろう。ただ本当の親子ではないため、お手てつないでと言う訳にはいかない。隣に並んで、ルナツーの中へと進んでいった。 「お忙しい中、私共のためにお時間をいただき感謝に耐えません」  ニコニコと笑みを浮かべ、お互い社交辞令をやり取りした。そのあたり、御三家と言われる名家の当主と、王女様の貫禄という所だろう。ただグリューエルの顔は思いっきり上を向いているし、エイドリックの顔も思いっきり下を向いていた。  王女を引き渡したことで、トラスティの肩の荷が下りたことになる。アリッサに向かって右手を差し出しながら、「行こうか」と残りの全員に声をかけた。もちろんその全員の中には、グリューエルの侍従達は含まれていない。あちらへの指揮命令系統は、完全にトラスティとは別のところにあったのだ。 「堅苦しいことは、王女様に任せておけばいいだろう。僕達は、アスに降りる準備を始めようか」  外交など自分たちの領分ではない。そう主張したトラスティに、レムニアから派遣された者達はしっかりと頷いた。もともと質素を旨とする彼らは、パーティーとは無縁の生活を送っていたのである。その為プリンセス・メリベルV世号で行われたパーティーでも、隅っこで大人しくしていたぐらいだ。  レセプションを無視しようとしたトラスティに、「そうはいかないんだな」と別のところから声がかかった。その聞き覚えのない声に首を傾げた時、「ジュリアンさん」とエイシャが声を上げた。 「やあ、久しぶりだね」  そう言って笑顔でエイシャを抱き寄せたジュリアンは、「噂は聞いています」と言ってトラスティに右手を差し出した。  名前は知っていたが、トラスティはジュリアンの顔を知らなかった。比べるのも嫌になるほど整った顔を前に、「広がるような噂はないはずです」と言って差し出された右手を握った。 「いやいや、パガニアが君のことを気にしていてね。どうやら。君たちに合わせてクンツァイト王子が現れるようだよ。そして君が有名になった理由だが……今更説明が必要かな?」  目の前でニコニコと笑われるだけで、どうしても引け目を感じてしまう。だから色男は嫌だと内心こぼしたトラスティは、「必要ありません」と嫌そうに答えた。 「そういうことだよ。それからエイドリック大将と私は、君と話ができるのを楽しみにしていたんだ。ただ、その話はレセプションの中で触りをしようと思っているよ」  そう言って握手の手を離したジュリアンは、魅力的な笑みを浮かべてアリッサの前に立った。 「お久しぶりです。こういう言い方には語弊がありますが、見違えるように魅力的になられましたね」  握手のために差し出されたアリッサの手を取り、ジュリアンは跪き手の甲に口づけをしてくれた。思いがけない行為に頭に血を登らせたアリッサだったが、トラスティとエイシャの干渉で事なきを得た。エイシャは保護者兼恋人として、そしてトラスティは婚約者としてジュリアンが暴挙に及ぶのを邪魔したのである。特にトラスティは、本能的に「敵」だとジュリアンを見定めた。  しっかりとアリッサを自分の方へと引き寄せ、トラスティは所有権を主張するように腰に手を回した。 「ところで、本当にレセプションに出ないといけないのですか?」  とは言え、相手は目上に当たるし、御三家の一つでもあるイスマル家の当主である。敵に回してもいいことがないと、トラスティは真面目に相手をすることにした。 「そうだね。ぜひとも出席していただきたいと思っているよ。それに昨日はレセプションを行わなかったからね、これはライスフィール王女のためでもあるんだよ」  そう言って逃げ道を塞いだジュリアンは、「行きましょうか」とエイシャの腰に手を回した。アリッサの誘惑を諦めてはいないが、恋人を粗末にするつもりはもっとなかったのだ。  ジュリアンに先導されて会場に入った時には、すでにパーティは始まっていた。ただ乾杯はまだだったのか、ボーイ達がお盆にお酒を載せて近づいてきた。それを受け取って壇上を見たら、エイドリック大将の両側にライスフィールとグリューエルが並んでいた。  ただ長い挨拶はすでに終わったのか、全員がグラスを持って壇上を見ていた。 「まあ、挨拶に困る団体だと思うよ……君達はね」  アリッサに向けてジュリアンがウィンクをしたところで、エイドリックが「乾杯」の発声をした。それに合わせて、全員が「乾杯」を唱和した。 「と言うことで、これで公式の歓迎は終りと言うことだよ。あとは、適当に歓談すればいいことになる。アスに降りるシャトルは、確か14時間後に出発だったかな? それまでは、ここの施設でのんびりとして貰うことになりますね」  スケジュールの話をしながら、ジュリアンの視線はずっとアリッサをロックしていた。確かに質が悪いと内心考えながら、グリューエルを誑かして貰おうかなどと鬼畜なことも考えていた。ただ無理がありすぎると、その考えはすぐに放棄した。  乾杯が終われば、それからは歓談の時間となる。トラスティ達を見つけたカイトは、エヴァンジェリンを連れて近づいてきた。それを見る限り、アス詣でに来ることへの抵抗はなかったようだ。 「その顔を見る限り、特にリゲル帝国では問題はなかったようですね」  疲れた顔も困った顔もしていないのだから、問題がなかったと考えていいのだろう。そしてカイトも、トラスティの指摘に「落ち着いたものだった」と笑いながら拳をトラスティの胸に当てた。 「結局お前やアリッサが、騒ぎの原因だと証明された訳だ」 「まあ、否定はしませんけどね……でも、レムニア帝国も落ち着いたものでしたよ」  本当にそうかと思うところはあったが、少なくとも自分は真面目に仕事をしていたのだ。一部おかしな騒ぎは起きていたが、それは自分のせいじゃないとトラスティは責任転嫁を終えていた。 「むしろ、よく騒ぎにならなかったと感心してやるさ」  そう言って笑ったカイトに、「ところで」と言ってトラスティは顔を寄せた。 「姉さんがおとなしいのはどう言うことです?」  いつも邪険にしてくれるエヴァンジェリンが、隣でアリッサと歓談してくれているのだ。それを考えると、「どうして」とトラスティが疑問に思うのも不思議なことではない。  その指摘に「ああ」と頷いたカイトは、「アリッサの成長が理由だろうな」と理由をアリッサに求めた。 「聞くところによると、レムニア帝国にトリプルA相談所の支社を作ったんだってな。しかも皇帝のお墨付きまで貰ったんだから、パートナーとして合格だと見られたのだろう。ただ、よくも女子大生の作った会社に、モンベルト復興事業を任せる気になったな」  それだけは常識から外れている。呆れた顔をしたカイトに、「常識が通用しなかった」とトラスティはこぼした。 「アリエルの婆さん……失礼、帝国皇帝まで悪乗りをしてくれたんだよ。そうなると、僕の意見など通るはずがないじゃないか」  そう言ってため息を吐いたトラスティは、「ただ」と言葉を続けた。 「悪い話じゃないとは思ってるよ。トリプルAがと言う話じゃなくて、これでアリエル皇帝を巻き込むことに成功したんだ。レムニアから技術を引っ張れれば、モンベルト復興にも役に立つと思う」 「レムニアの技術か……確かに、エスデニアよりも進んでいると言う話だったな」  超銀河連邦の中でも、レムニアは謎の多い星として認知されていたのだ。そして軍に所属したカイトでも、レムニアの統治する星系には足を踏み入れていなかった。正確には、足を踏み入れるような事件がなかったと言うことだ。それもあって、ますます神秘のベールに包まれていると言うことになる。 「超銀河連邦を見渡せば、レムニア「だけ」技術が進んでいる訳じゃありませんけどね。エスデニアはちょっと特殊ですけど、それぞれ得手不得手があると思いますよ。その中で、レムニア帝国はバランスがいいほうだとは思いますけどね」  そう答えてから、トラスティはなぜか大きくため息を吐いた。 「それはいいんですけどね。何か、雁字搦めにされた気がしますよ。窮屈と言うか、自由が制限されたと言うか、首に幾つか鈴をつけられた気がしてならないんです」  そこでトラスティは、「兄さんは?」とカイトに水を向けた。 「俺かぁ、俺はあまり感じていないな。まあ、身を固めるのはピンとこないところもあるが。まあ、遅かれ早かれ身を固めるつもりはあったからな」  カイトに見られたのに気づいたのか、「何?」と言ってエヴァンジェリンが近づいてきた。 「ああ、身を固める話をしていたんだよ」 「身を固める……ああ、結婚の話ね」  そう言って頷いたエヴァンジェリンは、下からトラスティの顔をじっと見つめた。 「な、何か?」  まだ苦手だと腰が引けたトラスティに、「色々と聞かされてる」とエヴァンジェリンは真顔で答えた。 「私としては、まだ納得のいかないところがあるんだけど……だからと言って、反対するまでも無いと思ってる。この子がそれでいいって言うのなら、祝福してあげられると思うわ」  ひとまず否定ではなく肯定の言葉を貰ったことで、トラスティは安堵の息を漏らした。 「ありがとうございます……と普通はお礼を言うところだとは思うけど。でも僕の責任と言うより、そちらに問題があると思いますよ。アリッサを保護して送り返したと思ったら、ホテルに居る所をいきなり兄さんに襲われたこともあったし、料亭に連れて行かれたと思ったら、手切れ金を持ち出されて、しかも何度も殴られているんです。初めから敵意丸出しで近づいてきたのは、姉さんたちの方だと思うんだけどな?」  詳細に事実を突きつけられたエヴァンジェリンは、目元を少し引きつらせた。確かに指摘されてみれば、自分たちの方に問題があったとしか思えないのだ。売り言葉に買い言葉になったとしても、最初に手を出したのは自分たちの方だった。 「そうね、あなたの言うとおりなのかもしれないわ」  小さく息を吐いたエヴァンジェリンは、「ごめんなさい」と腰を折ってトラスティに謝った。 「僕も、バカにしたような態度を取ったことをお詫びします」  同じように「ごめんなさい」と謝ったトラスティに、「これでちゃらだ」とカイトが横から声を掛けた。トラスティから一言あったのは、言うまでもないことだろう。 「姉さんとの間はこれでいいですけど。僕は兄さんに何度も殴られているんですけど?」 「あ、あれは、全部エヴァンジェリンの指示だからな。だから、これでちゃらになったはずだ」  とっさに言い訳をしたカイトに、「別にいいですけど」とトラスティはアリッサの口癖を真似した。 「兄さんには、別の方面で勤労奉仕をしてもらいますから」 「その勤労奉仕……じゃなくてモンベルトのことだが」  そこでカイトに顔を見られたエヴァンジェリンは、小さく頷いてから実家からの伝言を口にした。 「トランブルは、全面的に支援をすることを決定したわ。もちろん全部持ち出しと言うのは許されないから、ある程度のお金を入れて貰うことが条件よ。ただ開発プライオリティを上げること、開発投資を行うこと、必要な人員を派遣することは取締役会で承認されているわ。ちなみに、あなたを役員として迎えろと言う話も出ているわね」 「僕を、役員として……ですか」  苦笑をしたトラスティに、「不思議な事じゃないでしょう?」とエヴァンジェリンは笑った。 「アリッサを妻にすることは置いておくとして。リゲル帝国やレムニア帝国、ああそう言えばシルバニア帝国ともコネクションがあったわね。それからモンベルト復興事業の計画立案、そして復興事業の事業化等々。あなたを役員として迎える理由に事欠かないと思うわよ」  どうやらトランブル家は、トラスティの旅行随筆を分析してくれたようだ。シルバニアとのコネクションの話は、それがなければ出てこない話だった。  「それから」と、エヴァンジェリンは忘れがちなパガニアとの関係も持ち出した。 「パガニアから謝罪を引き出したこともそうね。あれは、あなたがいなければ実現しないことだった。トランブル家は、それを正当に評価したと言うことよ。そして、急いであなたを身内に引き込むべきという結論に達した。だから、アリッサに「さっさと婚約をしろ」と言う助言が与えられたわけ」  「お分かり?」と挑戦的な目を向けられ、トラスティはもう一度ため息を吐いた。 「やはり、いろいろなところで雁字搦めにされていくなぁ……まあ、彼女はありがたく頂いていきますけど」 「できれば、身辺を綺麗にして貰いたい……と言うのは無理な要求かしら?」  アリッサの姉として考えれば、それは正当な要求に違いない。ただトランブルの総意としては、これまで構築したコネクションは貴重すぎるのだ。それを考えれば、精算されるのも都合が悪かった。だからエヴァンジェリンは、出来ないこと、しないことを前提に考えていた。  そこで顔を見られたアリッサは、困ったような顔をしてトラスティのことを見上げた。 「それも含めて、雁字搦めになっていると言ったんですけどね」  その意味で、トラスティの答えはトランブルにとって都合の良いものだった。  そう答えたトラスティは、遠くで話をしているライスフィールの方を見た。どうやらアリハスルが、新しいスタッフを彼女に紹介しているところらしい。ヘルクレズやガッズ以上に背の高い男たちに囲まれ、姿を見つけるのが難しくなっていた。 「みんな、はじめは物分りの良いことを言ってくれるんですよ。でも、いつの間にか手のひらを返してくれるし……アリッサにも、色々とお願いをされているし。それだけでも大変なのに、おかしなしがらみが勝手についてきてくれる」  そこでトラスティが見たのは、エイドリック大将と歓談するグリューエルだった。親同士が決めた許嫁と言うのは、間違いなく「おかしな」しがらみに違いない。  幾つか向けられた視線の意味を理解したエヴァンジェリンは、「あなたって」と呆れたようにため息を吐いた。 「どうして、やんごとなき人達ばかりに手を出しているの?」  それは間違いなく呆れていいことだろう。それは本人であるトラスティ自身認めていることだった。 「どうしてって言われても……なんでだろう。もともとライスフィールに手を出すつもりはなかったし、グリューエルとのことは、僕ははっきり断ったはずなのに……リゲル帝国のことは……逃げ出せなかったと言うのが現実だと思っているんですけどね。それ以外は、旅行随筆家として話を面白くするためのことだし……アリッサと出会う前のことまで責任は持てないと言うか」  そこまで答えて、もう一度「どうしてだろう」とトラスティはこぼした。 「兄さんの場合は、「宇宙最強」って肩書があるからもてまくるのは分かりますよ。でも僕の場合、胡散臭い旅行随筆家ですからね。そんなもの、高貴なお方の目に留まる理由にはならないと思うしなぁ。それに見た目が理由になるとはとても思えないし……」  ねえと顔を見られたカイトは、「さあな」とトラスティを突き放した。そして突き放すだけではなく、更にとどめを刺してくれた。 「お前、パガニア王女のことを忘れいてるだろう?」 「ああっ、神殿見学もアレンジされていたんだ……」  巫女になったからしばらく大丈夫というのは、パガニア王のせいで意味のないものになっていた。それを思うと、ミサキシティに降りていくのは、罠に飛び込んで行くようなものだったのだ。IotUの暮らした家にエスデニアへのゲートがあるのだが、別の方法がないかと考えてしまった。  目の前で頭を抱えたトラスティに、エヴァンジェリンは大きくため息を吐いてみせた。 「妹のことを考えたら、反対したくなるようなことをしてくれるわね……まあ、やんごとなき方たちじゃなく、妹を選んだことを評価することもできるけど。そこで一つ教えて欲しいんだけど、どうして私の妹だったのかしら?」  そう言って自分の顔を見た姉に、「いろいろと言われました」とアリッサがレムニアでのことをばらした。 「アリエル皇帝さん、ガルース筆頭摂政さん、そしてトラスティさんの幼馴染の人達が、そろって私の顔を見て納得してくれたんです。その理由が、綺麗な金髪碧眼だと言うことだそうですよ……それだけじゃないと慰めてくれたんですけど、それが一番大きな理由というのは確かだそうです」  はあっとため息を吐いたアリッサは、姉の顔を見て「そう言えば」と大切なことを思い出した。 「お姉さまも、綺麗な金髪碧眼をしていましたね……と言うか、私と同じですよね。トラスティさん、お姉様はどうですか?」 「どうって聞かれたら……」  どうして無邪気に地雷を踏み潰してくれるのか。大きくため息を吐いたトラスティは、前にいるエヴァンジェリンの顔を見た。そしてその隣りにいるカイトの顔を見てから、もう一度ため息を吐いてみせた。 「好みという意味なら、好みのど真ん中だよ、そりゃね。アリッサがいなくて、そして相手が兄さんじゃなかったら、どうやって奪ってやろうかと考えていたと思うよ」  ある意味予想通りのトラスティの答えなのだが、エヴァンジェリンには完全に不意打ちになっていた。それもあって、珍しく顔を赤くして狼狽える姿を見せてくれた。恋愛に疎いエヴァンジェリンだから、正面から好みと言われるのも慣れていなかった。 「そのあたりは、まあ予想通りと言うところですね。ところでお姉さま、これからのことを二人でお話しませんか?」  二人きりでと言うのは、カイトとトラスティには聞かせたくない話をしようというのだろう。エヴァンジェリンが頷いたのを見て、アリッサは手を引いて二人のところから離れていってくれた。少し離れてしまうと、着ている物が違うから区別がつくが、本当に瓜二つの姉妹だった。 「さて、都合よく君達だけになってくれたわけだ」  それまで黙っていたジュリアンは、頃合いかと二人に声をかけた。そしてもう一人必要だと、「ザリア」とカイトのサーヴァントに声を掛けた。 「今度は、まともに名前を呼んでくれたな」  そう言って現れたザリアは、パーティーに合わせたのか紫色のドレスを纏っていた。以前より少し小さくなってはいたが、類まれな美女というのは変わっていなかった。 「確かに、こうして姿を見せられると驚いてしまうね。そして、君の姿はあまりにもラズライティシア様に似すぎている。一体誰が、そんな姿に作ったんだろうね」  感心するジュリアンに、ザリアは「さあな」とそっけなく答えた。 「そんなもの、ただのデバイスに分かるはずがないであろう」 「なるほど、たしかにその通りなのだけどね」  「ただ」とザリアの言葉に含まれた問題をジュリアンは指摘した。 「君は「ただの」と言ったが、その言葉にはかなり疑問があるんだよ。他の、そうだね、ハウンドが使っているデバイスと、君はあまりにも違いすぎるんだ。そもそも成長するデバイスなんて、他に聞いたことがない。それに君の言動も、他のデバイスとは違いすぎている」  その指摘に頷いたザリアは、それでも自分には関係のないことだと言い返した。 「なるほど、ぬしの言うことにも一理あるのだろう。ただそれにした所で、それは我を作った者の責任であり、我が関知する話ではないだろう。我には、「こう言うものだ」としか言い様がないのだからな」 「確かに、君がデバイスである以上、それ以上答えようがないのは確かだね」  小さく頷いたジュリアンは、「だが」とカイトの隣りにいるトラスティの顔を見た。 「私は、彼が何か知っていると思っているのだがね? 何しろ彼は、君を大人の姿に変えた張本人だ」 「確かに、こいつは何かを知っていそうだな」  そうでなければ、あの時ザリアにエネルギーを注入しようという話にはならなかったはずだ。ジュリアンの意見に同意したカイトは、「どうなんだ」とトラスティの顔を見た。 「どう、と、言われてもなぁ……」  困ったなと言う顔をしたトラスティは、一番責任を押し付けるのに相応しい相手を持ち出した。 「レムニア皇帝、アリエル様から教えられた……としか答えようがないな。あの婆さん……失礼アリエル皇帝は、エネルギー不足からザリアが機能制限されていると言っていたんだ。正確に言うと、超銀河連邦には最古のデバイスが3つあるとね。その一つがザリアで、もう一つがイェルタ……なんだけど、最後の一つの名前が分かっていないそうだ。いずれも、エネルギー不足で機能制限を受けているらしい……と言う話を聞かされていた。そして所在が分かっているのは、兄さんが持っているザリアだったと言うわけだ」 「それで、お前はカムイのエネルギーをザリアに供給したと言うのか?」  驚いた顔をしたカイトに、トラスティは小さく頷いた。 「あの状況を打開するには、ザリアの能力に頼る必要があったからね。だからカムイのエネルギーをチャージしようと思ったんだが……」  ふっとため息を吐いたトラスティは、カイトの隣で大人しくしているザリアを見た。 「カムイのフルチャージ状態からでも、半分もチャージできなかった……と言うか、底が知れなかったのが誤算だった。それでも期待した効果は発揮してくれたから良かったんだけど……ただ、淫乱デバイスになるとは思わなかったよ」  はあっとため息を吐いたトラスティに、「失礼な」とザリアは憤ってみせた。 「エネルギーが不足しているのが分かったのだから、供給しようとするのはおかしなことではないだろう。そして肉体的接触が方法として適当というのは、ぬしが教えてくれたことだ。他の方法が分からぬ以上、他にやりようがないではないか」  そう答えたザリアは、「なんだったら」ととても危険な視線をトラスティに向けた。トラスティが逃げ腰になったのも、これまでのことを考えれば不思議なことではない。 「今から、エネルギーを補給してもいいのだぞ」 「こ、ここで暴走されたらとんでもないことになるぞっ!」  一度ならずも何度もひどい目にあっていることを考えれば、トラスティの言葉はとても説得力のあるものだった。そしてそれを、ザリアも認めてくれた。 「うむ、だから今は我慢しておるではないか。まあ、今のままでも一個艦隊ぐらい簡単に捻れそうだがな」  あははと控えめに笑ったザリアは、「それから」とトラスティの言葉に出てきた「最古」のデバイスのことを持ち出した。 「イェルタか……随分と懐かしい名前だな。だがイェルタは、800ヤーほど前に消滅したと聞いておるぞ。それからもう一つのデバイスだが……」  うんと腕を組んだザリアは、しばらくそのままの恰好で固まった。 「我のデーターバンクには存在しておらぬな。よくある三大**と言う奴ではないのか? おそらく3つと言うのだけが広まった結果、該当するデバイスが存在しないのだろう」  ザリアの否定に、「そうなのかなぁ」とトラスティは首を傾げた。 「アリエルの婆さん……もとい、レムニア皇帝はまだボケて居ないと思うんだがなぁ。それに、あの皇帝はザリアより年上だしな」  アリエルの年齢を持ち出され、ザリアはうむと頷いた。 「なるほど、レムニア皇帝アリエルとやらは、IotUとも面識があると言う話だったな。だとしたら信憑性も高くなるが、いずれにしても我のデーターには残っておらん話だ」  伝え聞いた話だけでは、それ以上の広がりなど求められるはずもない。ザリアが知らないと言えば、それ以上の情報もなかったのだ。 「なるほど、まだまだ謎が多いということだね」  そう言って割り込んできたジュリアンは、「ところで」とザリアの顔を見た。 「君は、ラズライティシア様の情報とかを持っているのかな?」  その質問に、カイトは驚きから目を剥いていた。だが質問された本人は、極めて冷静にその質問を受け止めた。 「質問の意味が曖昧なのだが……皆が知っておるような情報なら持っておる。そして、ラズライティシアの個人的情報など持っておらんと言うのが我の答えだ。そもそも持っておると考える方がおかしいだろう」  その答えに、ジュリアンは大きく頷いた。 「ではもう一つの質問なのだが……なぜ君は、カイト氏を選んだのかな? しかも退役時に、契約解除に応じていない。君は、その理由に対して答えを持っているのかな?」 「主を選んだ理由か……」  うむと考え込んだザリアは、しばらくしてから「分からん」と答えた。 「それらしい答えならいくらでも用意できるのだが、あとの質問と合わせて相応しい答えが見つからなんだ。それらしい答えは、デバイスのマッチングが良かったと言うものになるな。そこに「なぜ」を持ち込まれても、相性が良かったとしか言いようがない。そして契約解除出来なかった理由なのだが……それこそ、我の責任ではないと思うぞ。まあ、主に居心地の良さは感じておるがな」  それけだと言う答えに、ジュリアンは小さく頷いた。 「彼にエネルギー補給を受けるまでは、不足していると言う認識はなかったのかな?」 「そんなもの、あると思う方がおかしいだろう。主が退役してからならいざ知らず、その前なら補給を受けることも可能だったのだぞ。不足を認識していたら、間違いなく補給の申請を行っておる」  その答えにもう一度頷き、「情報提供に感謝する」とジュリアンは言った。 「このメンバーなら言ってもいいとは思うが、君にはIotUに迫る秘密があるのではと考えていたのだよ。ただ今の話を聞く限り、どうやら考え過ぎのようだったね」  そう言って笑ったジュリアンに、ザリアは大きく頷いてみせた。 「残念ながら、我はその仮説に対する答えを持ち合わせてはおらぬ。最古とは言っても、我が製造されたのはラズライティシアとやらが生きた時代とは微妙にずれておるからな。まともに考えれば、そのような謎など持ってはおらぬ……と言うところだろう。ただ相手がIotUだと、まともな考えが通用しないこともありえるからな」  だから「宇宙の非常識」と、ザリアはIotUの由来を持ち出した。 「その非常識と言うのは、とてもよく理解ができるよ。何しろ連邦を構成する銀河だけで、1万もあるのだからね。とてもじゃないが、僅かな時間で連邦を構成などできるはずがなかったんだよ。だけどIotUは、10ヤーにも満たない時間で連邦をまとめ上げたと言うんだ。単純に考えて、1日1個でも30ヤーほど掛かるはずなんだけどね。そして1万に到達したところで、なぜか連邦の拡大も止まっている……非常識だけでは語れない、不思議な世界がそこにあると思っているよ」 「ぬしの言わんとしていることは理解できる。エスデニアが認識している多層空間は、億を超えておると言う話だからな。それを考えれば、1万と言うのは中途半端な数字に違いない」  うんうんと頷いたザリアは、「用は済んだか?」とジュリアンの顔を見た。 「ああ、聞きたいことは聞けたと思っているよ。せっかく彼女が逢いにて来てくれたんだ。残り時間、楽しく過ごさせて貰うことにしよう……」  そこまで口にして、「それから」とジュリアンは声を潜めた。 「忠告しておくが、エイドリック大将はまだ現役だからね。撃墜王と言う称号は、大将から引き継いだものと言うのを伝えておこう」  そう言うことだと言い残して、ジュリアンはエイシャの方に歩いていった。その行動を見る限り、「恋人との時間」と言うのは嘘ではないのだろう。ただ問題は、エイドリック大将が野放しになっていることだった。  「まずいかも」と顔を見合わせたカイトとトラスティは、大慌てで恋人の姿を探したのだった。  ジュリアンに脅されたのだが、意外にもエイドリック大将は自由な行動を許されなかった。そのあたり、彼の側近がコントロールをしたと言うより、いい機会だとグリューエルがまとわり付いたのが理由となっていた。何しろ相手は御三家の一つに数えられるクサンティンの当主なのである。その覚えが宜しいのは、自分の利益につながることだった。  「美少女なんだけどなぁ」と言うのが、エイドリック大将のグリューエルに対する印象である。ただあまりにも子供すぎる……自分の息子よりも年下で、息子の守備範囲よりも更に下と言うのが問題だった。しかもグリューエルがまとわり付いてくれたおかげで、せっかくの美女……例えばエヴァンジェリンとかリースリットとかに声をかけることができなくなってしまったのだ。ちなみにリゲル帝国から派遣されたブレンダに対しては、本能的に避けると言う見事な危険回避能力を発揮していた。 「王族ともなると、なかなかアス詣でには来られないのです」  だから、今回のことは楽しみにしていた。子供らしく喜ぶグリューエルを、エイドリック大将は微笑ましいものを見る目で見ていた。ただ「どうして自分にまとわりつく」とニコニコしながら、「早くいなくなってくれないかな」ととても不遜なことを考えていたりした。 「ですから、許嫁に着いてアスまで参りました」 「ほほう、許嫁……ですか」  王族だと考えれば、14ヤーの少女に許嫁がいてもおかしくはない。なるほどと納得したエイドリック大将に、「許嫁です!」とグリューエルは自分の立場を強調した。 「クリューグ家……すなわち、皇帝アリエル様の一子、トラスティ様が私の許嫁なのです。両家で認められた、正式の許嫁なのですよ」  家同士を強調して、グリューエルは己の立場の正当性を主張した。 「ですから、モンベルトとやらに、いつまでも関わっていて貰っては困るのです。支援を加速するため、クリスティア王家も関与を決めているのです。夫のことですから、1、2ヤー程度で道筋をつけてくれることでしょう。そうしたらモンベルト支援から手を引き、我が夫となってクリスティアの民のために働いていただきたいと思っているのですよ」  2ヤーと考えると、その頃グリューエルは16ヤーぐらいだろうか。今よりは女性らしい体になっているのだろうが、それもまだ未知数だとエイドリックは値踏みしていた。もちろん、そんなことを顔に出すはずもなく、「短いですな」とモンベルト支援の話に引き戻した。 「伝え聞く惨状からすると、1、2ヤーと言うのは短すぎる時間に思えますが?」  話を変えられたのは不満だが、変わった話も自分にとって都合の良いものだった。「常識では」とエイドリック大将の言葉を認めたグリューエルは、「それではだめなのです」と言葉を続けた。 「人類の住まない星を作り変えるのなら、さほど時間がかからないかと思います。少なくとも、道筋というほど大げさな話にはならないのでしょう。ですが、これからするのは人が住む星の復興です。間違いなく、拙速さは大きな問題を引き起こすことになります。その意味では、慎重に、そして時間を掛けて行く仕事だと思っています。ただ時間を掛けることで、別の問題が生まれて来ると思っています。エイドリック閣下でしたら、それが何かお気づきだと思いますが?」 「人の感情の問題と言うわけですか……ですが、それならそれでやりようならいくらでもあるはずですな。大々的に星の改良など打ち出さなければ、人々は日々の変化に気を取られることは無いでしょう。さらに言えば、その星に住まうもの……人や動物にとって、急激な変化は望ましくない。問題の大きさを考えれば、急ぐことは自分の首を絞める事につながるでしょう」  自分の考えを口にしたエイドリック大将に、グリューエルは大きく頷き同意を示した。 「その場合、星の改良への道筋は、意外に簡単につくかと思います。ただ忘れてはいけないのは、王族の功名心と言うものです。今モンベルトは、大きな変化への期待が高まっているのですよ。それを考えれば、ゆっくりとした改良と言うのは反発を呼ぶのではないでしょうか。なぜ自分たちの世代で、成果を実感することが出来ないのか。大衆にいいところを見せたいと言う下心、そして成果を上げた王女への反発……その理由は様々でしょうが、己の利益のために大衆を先導する者が現れる可能性があります」  グリューエルの話に、なるほど王女なのだとエイドリック大将は感心した。本来王族貴族がしなくてはならないのは、国民をまとめて変化に立ち向かうことのはずだ。だがグリューエル王女は、変化を利用して己の立場を高めようとする者の存在を指摘したのである。そのあたり、綺麗事だけでは回らないのを、間近に見てきた経験が生きているのだろう。 「ですから、私のようなものがお側にいるのが、トラスティ様のためになると思っています。ただモンベルトと言う土地は、私のようなものが足を踏み入れられる場所ではないと聞いております。許嫁としてついていけないのが、とても残念だと思っております」  そして自分の立場をこうして広めてくれるのである。なるほどねぇと、外堀から埋めていく狡猾さを教えられた。やはり王女と言うのは、一筋縄ではいかない存在なのだと。  それを認めたエイドリックだったが、世の中には権謀術数を物ともしない存在が居るのも知っていた。トラスティがそれを持っていると言うつもりはないが、策士策に溺れると言うのは最近目の当たりにしたばかりと言うのもある。生暖かくグリューエル王女の策を見守ったエイドリックは、「挨拶が」と言ってその場を離れようとした。  だがグリューエルは、まだエイドリックを手放すつもりはないようだった。「まだ宜しいのでは?」と微笑み、前撃墜王を野放しにするのを阻止したのである。周りに対して自分の価値を広めるのと同時に、トラスティに対して点数を稼いで置かなければと考えたのである。  「お話を聞かせていただけませんか?」と可愛らしく迫られれば、流石に嫌とは言うわけにはいかなかった。そしてレセプションのホストとして、大切なお客様を放置する訳にもいかなかった。 「そうですな、それではどんな話をいたしましょうか?」  顔では笑っているが、やはりお王族は質が悪いと心の中で嘆いたエイドリック大将だった。  もう一人の主役であるライスフィール王女は、トラスティのところに行きたいのにいけないと言う状況に追いやられていた。ただこちらは、モンベルト再生を担う者達が集まっていることもあり、疎かにする訳にもいかない相手ばかりだった。 「少し、悲壮な雰囲気が和らぎましたかな?」  久しぶりですと挨拶したアリハスルは、ライスフィールの変化をそう評した。そのあたり気に入らないこともあるが、彼もトラスティの功績を認めていたのである。ただ認めているのは功績の部分だけで、男としては許すことの出来ない相手だと思っていた。 「そうですか。そう見えるとしたら、色々と理由があるのでしょうね」  そう言って微笑んだライスフィールは、そっと自分のお腹に手を当てた。まだ胎児は、人の形にもなっていない段階である。その為お腹が目立ってくるということもなかった。 「母親としての自覚が芽生えた、と言うのも理由の一つだと思います。以前にもお話しましたが、モンベルトは死にゆく、そして老人の世界です。新しい命が私の中に生まれたと言うのは、とてもめでたいことだと思っています」  そしてと、ライスフィールは遠くで歓談しているトラスティの方を見た。 「頼ることのできる方がいると言う安心感からでしょうか。ただこちらは、半ば諦めと言うところもあったのですが……それは、この場では相応しくない話ですね」  そう言って微笑んだライスフィールは、「ありがとうございます」とアリハスルに向かって頭を下げた。 「教授にご助力いただき、これでモンベルトは大丈夫だと言う確信が持てました。私は国に帰り、女王として復興事業に取り組むことになるかと思います。人をお招きできるような場所でないのは残念ですが、ぜひとも教授のお力添えをいただけたらと思っております」  優雅に頭を下げるライスフィールに、やはりこれがいいとアリハスルは感動していた。同じ王女というブランドを持つグリューエルなのだが、ライスフィールのような庇護欲が湧いてくれないのだ。今更ナイトになれないのは分かっているが、それでも夢想してしまう魅力をライスフィールは持っていた。 「私ばかり話していてはいけませんな。今回モンベルトに同行してくれる、レムニア帝国から来たメンバーを紹介しましょう」 「レムニア帝国……ですか。噂には聞いておりますが、本当に皆様背が高いのですね」  ライスフィールの身長は、160cm程度と言うところだった。それから見ると、2mを遥かに超える男たちは、間違いなく異世界の住人だった。  男たちを見上げたライスフィールに、「皆、とても優秀です」とアリハスルは胸を張った。 「そしてここだけの話ですが、全員私より年上なのです」 「とてもそうは見えないのですが……噂通り、皆様長命種と言うことですか」  少し表情を引き締めたライスフィールは、一人ひとりに向かって「よろしくお願いいたします」と頭を下げていった。ライスフィールが王女と言う身分を持つこともあり、バルバロス達は恐縮して頭を下げ返した。彼らもグリューエルを知っているのだが、クリスティア王家の者達は自分たちに頭を下げる真似をしないのだ。 「それで、これからのことですが……」  そう言ってちらりとトラスティの方を見たライスフィールに、「大胆にやります」とアリハスルは宣言した。そして宣言した上で、「大したものです」とトラスティを褒めた。 「きっと、1ヤーを待たずして目に見える成果をお見せすることができるでしょう」 「1ヤーも掛けずに、ですか!」  驚いたライスフィールに、「1ヤーも掛けずにです」とアリハスルは繰り返した。 「もちろん、そんな短時間で星全体をどうにかできるものではありません。それでも、彼は1ヤーで成果を見せる方法を考えました。自分ではペテン師と言っていますが、私はペテンではないと思っていますよ。もちろん、本人を前にしたら「三流のペテン師だ」と言ってやりますがね」  そう言って笑ったアリハスルは、「説明しましょうか?」と問いかけてきた。 「いえ、それは本人の口から聞かせて貰いたいと思います。あの方は、お腹の子供の父親ですからね」  グリューエルと同様、ライスフィールもトラスティとの関係を強調した。ただグリューエルよりも説得力があるのは、彼の子供がお腹の中に居ることだろう。ただこの説明は、アリハスルには通用するが、長命種の者達には理解できない話でもあった。  長命種の場合、子孫を残すための性行為を行っていない。更に言うのなら、人工授精と言うステップも踏んでいなかったのだ。人により子孫を残す方法は様々だが、自分の細胞を細工して、己の分身を作り出すのが子孫の残し方だった。その際気に入った他人から遺伝子の提供を受けることもあるが、あくまで生まれた子供は自分「だけ」の子供だったのだ。  だからバルバロス達は、ライスフィールの言うことを「なるほど」と聞き流していた。そして、「どうして体内で育てるのだろう」と彼らなりの疑問を感じていたのである。  もちろんライスフィールは、そんな事情など知る由もない。とにかくアリッサとの戦いに勝つためには、周囲に自分の立場を認知させる必要があったのだ。そのために、身近にいるアリハスルにも、子供の父親がトラスティであることを強調したのである。 「彼に……ですか。なかなか良からぬことを企んでいそうなのですが……一応あなたのためと言うことらしいですな」  そしてアリハスルにしても、齢75ヤーを超えた人生経験に満ちた男である。したがって、ライスフィールが「子供」を強調する理由も理解していた。ただ理解しながら、「相手が悪い」と同情をしていた。クリスティア王女は怖くないが、アリッサと言う存在はあまりにも手ごわすぎるのだ。そしてすべての出来事に彼女の関与がある以上、「子供」と言うのは武器にならないことも分かっていたのだ。しかも「子供」と言うことなら、リゲル帝国にも同じ立場の女性がいたのだ。母娘と妊娠することが決まっているので、2対1であちらの方が強くなってくれるだろう。  そしてモンベルトの国内事情を考えると、子供は母親のものと言う思想が一般的だったのだ。そのモンベルトにおいて、「父親」の責任を持ち出すことが受け入れられるとは思えない。結婚して国王にでも迎えれば別だが、子供を作っただけでは「その他」の男たちと変わるところはなかったのだ。  締めにエイドリック大将が前に立つこともなく、歓迎レセプションは自然に散会する形で終りを迎えた。そして歓談に疲れた者たちは、適当なところでパーティーを切り上げ、それぞれの居場所に戻っていった。そして当然のように、恋人たちはそれぞれのパートナーと一緒に、ゆっくりと時間を過ごせる場所へと移動していた。  ただ大人かつ、お互いの立場を確立したカイト、エヴァンジェリン、リースリットの3人は良かったのだが、トラスティはアリッサだけを相手にしていた。そのお陰であぶれたライスフィールとグリューエルは、しぶしぶあてがわれた部屋に戻ろうとしていた。あぶれ者同士で慰め合うというのは、この二人の間では成立しない話でもあったのである。 「いよいよ、10時間後にはアスに降りるね」  二人でシーツにくるまりながら、トラスティはアリッサの体を抱き寄せた。しっとりとした肌の具合が、とても心地よく感じられた。 押し付けられた胸に気もそぞろになりながら、トラスティは「僕は」と小さく呟いた。 「たぶんだけど、自分が何者なのかを探し続けているんだと思う。前にも言ったことがあると思うけど、僕は両親の顔を知らないんだ。そして誰の遺伝子を継いで生まれてきたのかも教えられていない。物心ついたときには、小さな育児院に入れられていた。それ自体アリエルの婆さんが僕のために作ったと言う話なんだけど……その意味で、僕にとって家族と言うのはあの人だけなんだよ。そしてあの人は、僕に何も教えてくれないんだ。教えてくれたことと言えば……」  そこで天井を向いたまま、トラスティは微苦笑を浮かべた。 「僕の金髪碧眼好きが、誰かの遺伝と言うことだけだ。誇大妄想をするのなら、遺伝の主はIotUと言うことになるのだけど、それならそれでどうして今頃と言う問題も出てくるんだ。そして兄さん……カイト氏が僕に似ているのも「なぜ」と言う話になる。僕と兄さんの間には、今までなんの接点もなかったんだよ。そして兄さんは、ジェイドにおける計画出産で生まれているんだ。もしもIotUの遺伝子が伝わっていたとしたら、彼は何処かで子供を作ったことになるのだろう。だけどどこを調べても、彼は子供を残したという記録はないんだ。それから兄さんはわからないけど、僕の場合あの人が手持ちの遺伝子をいじくり回して作ったということだけは確かなのだろうね。ただ、どうして短命種なのかと言う疑問は残るんだよ」  トラスティに抱き寄せられ、アリッサの気持ちはこれ以上無いほど昂ぶっていた。だが彼の話に耳を傾けるうちに、「どうして」と言う疑問が彼女の中にも生まれていた。 「確かに、どうして長命種のアリエル様が、短命種の子供を作ったのでしょうね。このままだと、トラスティさんの方が先に寿命が尽きることになります。だとしたら、何のためにと言うのは当然生まれてくる疑問だと思います」  そこで態勢を少し動かし、アリッサは横向きにトラスティにくっつくようにした。押しつぶされた胸の感触が、今度はトラスティの気持ちを昂らせていった。 「偶然で考えるには、あまりにも役者が揃いすぎていると思います。唯一生前のIotUをご存知のアリエル様。そして、ラズライティシア様にそっくりのザリアさんと言う存在。リゲル帝国皇帝カナデ様、パガニア王女のロレンシアさん。普通の人が努力しても、手の届かない人達があなたに関わり合っています。その意味では、ライスフィールさん、グリューエルさんもそうですね。みなさん、過去にIotUと関わりのあった人達の子孫です」 「君の言うとおり、偶然と言うには役者が揃いすぎているね……」  頭に登った熱を冷ますように、トラスティはアリッサとは反対側を見た。ルナツーの中と言う制限から、そこには無機質な壁があった。 「あの人から、IotUは種としての寿命を受け入れたと聞かされている。つまり、100ヤーにも満たない時間だけ、この世界に存在したと言うことだよ。だけど、僕はその話自体を疑ってかかっている。IotUと言う存在は、すでに生死を超越した存在になっているのではないかと考えたんだ」 「生死を超越した存在……ですか?」  驚いた顔をしたアリッサに、トラスティは小さく頷いてみせた。 「伝えられたIotUの能力を考えると、すでに時間を超越しているとしか思えないんだ。ジュリアン大佐が言っていたけど、IotUの力で超銀河連邦は成立している。だけど1万にも及ぶ島宇宙を結びつけるのに、IotUはわずか10ヤーしか使っていないんだ。つまり、日数として4千日弱ということになるね。全く独立して存在する島宇宙を、どうやったら1日に2個も3個も仲間にできるんだろう。しかもIotUは、超銀河連邦を成立させるため「だけ」に活躍した訳じゃない。むしろ、それ以外のことに時間を使っていた方が多いぐらいだ」 「手分けをした……と言う事はありませんか? IotUの意を汲んだ人達が、少しずつ仲間を増やしていった。1つが2つに、2つが4つにと増えていけば、1万を超えるのには14ステップも必要ないと思います。半年に一つあれば、10ヤーもあれば計算上成り立つと思いますよ」  アリッサの意見は、トラスティも一度考えたことでもある。ただもう一つの事実を前に、それでは説明がつかないと放棄していた。 「その可能性は、僕も考えたことがある。ただ、「誰が」と言うのが記録に残っていないんだ。そして別の島宇宙に渡るためには、エスデニアかパガニアの協力が必要になる。誰と言う問題と、エスデニアやパガニアの協力が解決されたとしても、次に生まれるのは「なぜ1万か」と言う問題なんだ。もしも彼の意を受けて仲間を増やしていったら、それこそ歯止めがかからなくなるだろう。確かに1万という数は膨大だけど、全宇宙の規模を考えれば「僅か」と言っていいほど少ない数なんだよ。そして超銀河連邦成立以降、仲間となる島宇宙は増えていないんだ」  トラスティの言葉に、「確かにそうだ」とアリッサは考えた。 「確かに、1万で終わった理由が説明付きませんね。それでも無理やり説明をつけるとしたら、手を広げすぎたことへの反省があったと言うことも出来ますね。これ以上手を広げたら、収拾がつかなくなると考えたのではありませんか?」 「1千ヤー前ならそうだろうけど。今なら、もっと手を広げてもいいはずだよね?」  保有している技術が、その当時とは格段に違っているのだ。それを考えれば、色々と前提も変わってくるはずだった。  それを指摘したトラスティに、アリッサはとても説得力のある、そして責任をすべて押し付ける答えを口にした。 「今は、IotUがいないから……と言うのは理由になりませんか?」 「説明責任を放棄する答えなんだけど……」  そう言って笑ったトラスティは、まわしていた腕に力を込めてアリッサを強く抱き寄せた。 「とても、説得力があると思うよ。確かにIotUがいない今、冒険をする理由がなくなっているね。これから新しい世界を仲間に入れても、面倒は増えるけど連邦にとって利益はないからね」  もう一度力を込めて、トラスティはアリッサを自分の体に乗せるように抱き寄せた。今まで以上に密着した体から、お互いの熱が相手に伝わっていった。そしてちょうど顔を見合わせる形になったので、どちらからともなく唇を重ね合った。  そのまましばらく情熱的に唇を重ね合わせてから、「僕は」とアリッサに語りかけた。 「妄想だろうとなんだろうと、IotUの足跡を追いかけてみようと言う気持ちになったんだ。だから、初期に彼が訪れた所を集中して訪問した。リゲル帝国、シルバニア帝国を訪れたのもそれが理由だよ。そして色々と証拠を固めて、アスやエスデニアに行くことにした。そこで何がつかめるのかは分からないが、IotUのことを理解するのに、一番いい場所だと思ったからだよ」 「あとは、パガニアに行った方がいいのかもしれませんが……」  ううんと唸ったのは、果たしてロレンシアが理由なのだろうか。一度眉間にしわを寄せたアリッサは、まあいいかとトラスティに口づけをした。 「ああ、パガニアにも行った方がいいんだろうね。そしてもう一つ、ライスフィールに関係なく、モンベルトに行こうと思っていたんだ」 「ライスフィールさんに関係なく……ですか?」  驚いた顔をしたアリッサに向かって、トラスティは小さく頷いた。 「兄さんに最初に襲われた時、モンベルトが目的地だと話をしているんだ。そのときには、ライスフィールには関わり合っていなかったね」 「だとしたら、どうしてモンベルトに行こうと思ったんです?」  パガニアの攻撃により荒廃した惑星から、IotUの足跡を見つけられるとは思えないのだ。それを考えれば、労多くして功少なしと思えてしまう。  そんなアリッサの疑問に、「不思議だと思わないか?」とトラスティは問いかけた。 「仮にも、IotUの妻であるフィオレンティーナの生まれた星なんだよ。どうしてそんな星が、荒廃したままになっているのか。それ以前に、なぜパガニアがあそこまでの無法をすることになったのか。そして一つの星を滅ぼそうとしたのに、パガニアがなんの咎めも受けていないのはなぜなのか。エスデニアなら、攻撃前に妨害することも出来たはずだ。だけどエスデニアは、ある意味モンベルトを見殺しにしている。そういった諸々の秘密が、モンベルトにはあると思っている」  一つ一つ説明されれば、アリッサも「なぜ」と言う疑問を共有することが出来た。たしかにパガニアの発言権は大きかったが、だからと言ってすべてが免責されるとは考えられない。だが超銀河連邦やエスデニアは、パガニアに対して制裁措置を発動していないのだ。そこに何か理由があるのか、指摘されてみれば不思議としか言いようの無いことだった。 「魔法が、あるからでしょうか?」  そしてモンベルトが特別である理由、「魔法」をアリッサは持ち出した。 「いや、あまり関係はないと思う。たしかに特殊な技術だけど、同じことは科学的に実行可能だ。まあ、なぜ人の身でできるかと言う謎はあるけど、それにしたところで、大きな意味を持つとは思えないんだ」  アリッサの仮説を否定したトラスティは、「ただ」と自分の考え方への疑問を口にした。 「それこそ、常識に囚われすぎている可能性があると思っている。何かモンベルトでなければいけない理由、さもなければたまたまモンベルトだっただけと言う考え方。両方を考えてみないといけないと思っているんだ」 「モンベルトが攻撃されたのは、たまたまだった……と言うことですか?」  そんなことがと驚いたアリッサに、「可能性として」とトラスティは答えた。 「パガニアがIotUの妻達の縁者を殺していった。たしかにその事実は認めなくてはいけないんだろう。ただ、「どうして」と言う理由がついて回るんだよ。オンファス様が、ラズライティシア様亡き後残った妻達を残らず粛清した……なぜか、その事実すらあまり広がっていないんだけどね。その理由からして疑問なんだけど、それが一族郎党根絶やしにすることとは繋がらないんだよ。何処かで間違った伝わり方をした……と言う考え方もあるし、何かを意図したものと言うことも考えることができる。一番臭いのはエスデニアなんだけど、今の議長様が知っているとも思えないんだ。だから証拠を求めて、モンベルトに行こうと思っていた。ただ、こんな形で繋がりができるとは思っていなかったんだけどね」  そう言いながら、トラスティはつるりとしたアリッサの背中を撫でた。「あっと」言う悩ましい声を上げながら、「片手間でしないでください」とアリッサは文句を言った。 「せっかく色々と話をしているのに、そういう真似は良くないと思います」  ぷんぷんと頬を膨らませながら、アリッサはトラスティの下半身に手を伸ばした。 「そう言いながら、そんなことをする?」  文句を言い返したトラスティに、「仕返しです」と言ってアリッサは唇を重ねてきた。 「たしかに、一族郎党を根絶やしにするのは不自然ですね。文明の遅れた者達ならいざ知らず、パガニアは当時でも進んだ文明を持っていました。しかも個人主義が広がっていたと言うことですから、一族にまで手を出す理由は考えにくいですね。だとしたら、オンファス様から何かが伝えられたと考えるのが妥当なのでしょうが……だからと言って、なぜ残された者達が周りを敵にしてまで行ったのかは分かりませんね」  うんと悩んだアリッサは、やはり分からないとこぼした。 「だったらパガニアに聞いてみればいいんだけど……二人ともあまり話したくないんだよなぁ」  手近なところにクンツァイトとロレンシアが居るのだが、たしかに二人とも面倒くさいところがあった。クンツァイトならアリッサとの関係が問題となるし、ロレンシアなら間違いなく肉体関係を迫られそうだ。特にライスフィールの問題があるので、張り合ってくるのが目に見えるようだった。 「その気持は分かりますが……でも、避けられないんじゃありませんか?」  ほうっと息を吐き出したアリッサは、体から力を抜いてトラスティに身を任せた。 「あなたが、何を目的としているのか……それは理解できた気がします。ただ理解は出来ましたが、あまり認めたくはありませんね」  そう言ってトラスティを否定したアリッサは、「だって」と自分の気持ちを吐き出した。 「その目的だと、どんどん深みに嵌っていきそうな気がするんです。そして、どんどん私から遠い所に行ってしまいそうな気がします。トラスティさん、あなたは私を置いて何処かに行ってしまうんですか?」  ねえと顔を上げて、アリッサは正面からトラスティの顔を見た。その真剣な表情に「綺麗だ」と感動しながら、トラスティは「ごめん」と謝罪の言葉を口にした。 「ごめん……なんですか?」  失望した顔をしたアリッサに、トラスティはもう一度「ごめん」と謝った。 「レムニア皇帝が作った、ただ一人の子供としての義務だと思っているんだ。しかも、今まで手がかりすらなかったのに、ここに来て急に手がかりらしきものが増えてきた」  そう答えたトラスティは、「だけど」と言ってアリッサを抱く腕に力を込めた。 「君と離れたくない……それは、僕の本心だよ」 「それでも、IotUの足跡をたどるのをやめないんですよね?」  トラスティの首に手を回し、体を預けたままアリッサは文句を言った。 「ここまで来たら……と言う気持ちがあるんだ。それから兄さんは知らないようだけど、ザリアには秘密があるんだよ」 「ザリアさんの秘密、ですか?」  それはと首を傾げたアリッサに、トラスティは爆弾発言をした。 「ザリアは、兄さんを含めて僕達に色々と嘘を吐いている。ジュリアン大佐に聞かれた時は、「たかがデバイスに聞くことじゃない」と答えていたけどね。あれは間違いなく、「たかが」と言っていい存在じゃない。間違いなく命令ではなく、自分で考えて行動をしているんだよ。そしてその考えのもと、僕は一度ザリアに殺されかけたんだ」 「ザリアが、あなたを殺そうとした!」  思いがけない告白に、アリッサは勢い良く体を起こした。そのせいで、形の良い胸がトラスティの前に晒された。 「ああ、リゲル帝国でのことだよ。朝食の後ザリアに攫われて、性的結合でエネルギーを吸い取られた。その後ザリアに、僕は殺されかかった……と言うか、誰かが助けてくれなければ死んでいたと思う」 「ええっと、それってあの日のことですよね……」  うんと考えたアリッサは、「そう言えば」とあのあと起きた事件のことを思い出した。 「何か、皇宮自体が大きく揺れましたね。もしかして、その時のことを言っているのですか?」 「僕は気を失っていた……と言うか死にかけていたから、揺れた事自体は知らないんだけど。少なくとも、僕の記憶の中には皇宮が揺れたという記憶はどこにもないんだ。それを考えれば、僕が殺されかけた時のことと言っていいんだろうね。その時ザリアは、何を目的としたのか知らないが、僕の胸に指を突き刺した。1度目の激痛で目を覚まし、3度めに刺されたところで僕は意識を失っている。目が覚めたときには、部屋には争ったような跡があり、僕の周りを十剣聖が取り囲んでいた。そして肝心のザリアは、どう言う訳か緊急停止をしていたよ」  それを聞かされたアリッサの顔は、これ以上無いほど青ざめさせていた。 「でも、どこにも傷はありませんよね?」 「それもまた、不思議な事だと思っているよ。ただ夢で済ませるには、あまりにもリアルで、現実に即しているんだ。何もなければ、ザリアが緊急停止などするはずがない」  そう言い切ったトラスティに、アリッサは顔を青くしたまま小さく息を吐きだした。 「それで、よくザリアと一緒にいられますね。ただ、尻尾を掴んだと考える気持は良くわかりました。そしてザリアだけじゃなく、トラスティさんにも秘密があることも分かりました。先程の出生の秘密を教えてもらいましたが、それ以外にも秘密があるんですよね? それは、私にも教えられないことなんですか?」  アリッサに対して、トラスティは嘘は吐きたくないと思っていた。そして自分の秘密にたどり着いたアリッサに対して、「なかなか大したものだ」と感心もしていた。  だからトラスティは、目を閉じて小さく深呼吸をしてから「コスモクロア」とサーヴァントの名を呼んだ。そしてその呼びかけに応え、ベッド脇に一人の女性が忽然と姿を表した。 「我が君、お呼びでしょうか?」  そう答えて現れたサーヴァントは、20ヤー半ばに見える姿をしていた。長く美しい黒髪と、エメラルドのように綺麗な緑色の瞳をした、どこかロレンシアに似た、そしてロレンシアより美しい女性がそこにいた。 「と、トラスティさんのサーヴァント……なんですか?」  アリッサがゴクリとつばを飲み込んだのは、コスモクロアから発せられる空気のせいだろうか。ザリアとは違う、とても静謐な空気を感じらさせられた。 「ああ、アリエルの婆さんに貰った僕のデバイスだよ。ただ婆さんも、今の姿は見たことがないんだけどね。どう言う訳か、貰った時と姿が変わっているんだ。残念ながら、ザリアのような非常識な力は持っていないけどね」  そう言って笑ったトラスティは、「コスモクロア」と呼びかけた。 「君をアリッサに紹介したくてね。コスモクロアは、アリッサのことを知っているよね?」  トラスティの問いかけに、コスモクロアははっきりと頷いた。 「我が君の理想を形にしたお方ですね」  サーヴァントにまで同じことを言われるのか。半ば諦めながら、アリッサはコスモクロアの言葉を聞いていた。そしてその姿を見ながら、どこかで見たような……と言う気持ちも抱いていた。 「でも、トラスティさんのサーヴァントなのに、金髪碧眼じゃないのですね」 「我が君が間違った道に走らないよう、アリエル様が気を使われた結果かと」  コスモクロアの答えに、アリッサはつい吹き出してしまった。まさかデバイスに、冗談を言われるとは思ってもみなかったのだ。 「デバイスって、みんなこんなに綺麗で、頭がいいんですか?」  話をしている限り、今まで見た王女様よりずっと気品があって、しかも賢く思えたのだ。ザリアも綺麗なのだが、綺麗という意味ならコスモクロアの方が上だと思えてしまった。 「残念ながら、僕もあまりデバイスのことを知らないんだよ。だから比較の対象は、ザリアなんだけど……」 「あまり、比較の対象として相応しくありませんね」  そう言って笑ったアリッサは、「これからもよろしくお願いします」とコスモクロアに頭を下げた。 「私の方こそ、我が君をよろしくお願いいたします」  そう答えると、唐突にコスモクロアはその姿を消した。そのあたり、やはりデバイスと言う所だろう。 「これで、僕はアリッサに対して隠していることはなくなった訳だ」 「それを素直に信じられるほど、日頃の行いは良くないと思いますよ……」  そう言って笑ったアリッサは、「信じます」と言って唇を重ねた。 「他の人達があなたのことを疑っても、私だけはあなたのことを信じていきます」  もう一度唇を重ね、アリッサはトラスティの下半身に手を伸ばした。 「だって、あなたはコスモクロアを使って、私のことを守ってくれていたんですよね」 「……気がついていたんだ」  そう答えながら、トラスティもまたアリッサの下半身に手を伸ばした。 「そうでもなければ、炎天下の中私がFボールの試合を最後まで観戦できるはずがありません」  違いますかと問われ、「否定はしない」とトラスティは笑った。そして体を入れ替えて、アリッサを組み伏せた。 「もう、準備は出来ているようだね」 「焦らされ続けた……と思っているんですよ」  だからと言いかけたアリッサの口を塞ぎ、トラスティは己の分身を彼女の中に埋めていった。恋人たちの夜は、まだ始まったばかりだった。  アリッサがその立場を主張した場合、たとえライスフィールでも割り込むことは出来ない。離れていたことで思いは募ったのだが、同時に己の負った責任に対する認識も高まっていた。 「経過は、とても良好ですね」  白衣を来た赤髪の女性、ブレンダは診断装置を置いてその結果をライスフィールに伝えた。 「血液中の生体結合型バクレニウム濃度は、検知限界に近づいていますね。異常収縮の傾向が見られた胎盤も、今は通常状態に戻っています。肺にあった腫瘍も、消失を確認しました。胃や腸にあった潰瘍も、豆粒大にまで収縮しています。このまま治療を続ければ、1ヶ月程度でほぼ正常体になるでしょう」  血液サンプルを保冷ケースにしまってから、ブレンダはライスフィールに向かい合った。 「本当に、自然分娩をするのですか?」 「それが、これまでのモンベルトで行われてきたことです。危険と言うのであれば、もちろん先生のご指示に従います」  ブレンダの確認に、ライスフィールは自分たちの常識を答えた。医療技術の遅れているモンベルトでは、自然分娩以外の方法は存在していない。その為出産の負担で、母体に危険が及ぶことも多々あった。 「あなたの場合、骨盤があまり広がっていませんね。だから、このまま自然分娩までお腹に子供を入れておくと、かなり母体への負担が大きくなりますね。リゲル帝国標準なら、大したことはないと言えるのですが……」 「残念ながら、私は皆さんのように強靭な体を持っていません」  ライスフィールの言葉に、ブレンダは小さく頷いた。 「だから、早期に母体から取り出し、体外保育をした方がいいのです。ただ、モンベルトには、そのような施設は無いのでしょう」  その指摘に、ライスフィールははっきりと頷いた。 「だから、帝国から必要な機材を運んできた……と言うことです。ただ、モンベルトで維持するとなると、また別の問題が出てきそうですね。必要な薬剤、代理羊水等は十分な量を確保しているはずですが。何分、これもまた帝国基準で考えていますので……王女に適用していいのかまだ検討中です」  申し訳ないと謝ったブレンダに、ライスフィールははっきりと首を横に振った。 「いえ、ブレンダ先生のお陰で、私は安心して出産ができると思っています。お志とは違う道を強要したようで、非常に心苦しく思っております」 「志と違う……とまでは言いませんが。ただ、想定していなかったことには違いありません。それにしたところで、医者の本分を離れてはいないのでしょう。ただ、あまりにも未知の部分が多すぎることに、不安を感じているだけだと思います」  そう言いながら、ブレンダはケースの中から小さなアンプルを取り出した。そして差し出されたライスフィールの左腕の肘の裏に突き立てた。 「それから、あなたには少し酷な指示をだすことになります」 「少し酷な……でしょうか?」  それはと顔を見られたブレンダは、真面目くさった顔で「性交渉は控えてください」と口にした。 「カナデ皇から教えていただいたトラスティのサイズ、そしてあなたの体の大きさ。通常は安定期になるまではと言うのですが、あなたの場合安定期に入ってからも控えた方が胎児のためでしょう。もちろん、後ろを使うのも同じ理由で控えていただきたい。流石に口ですることまでは控えろとは言いませんが……」 「そこで立ち止まるのは、流石に難しいでしょうね」  そこでライスフィールが苦笑を浮かべたのは、トラスティのことを思い出したからに他ならない。あの時は、本当にお腹の中をかき回された気持ちになっていたのだ。それを考えれば、「控えた方が」と言われるのは、とても納得の行く話だった。 「たしかに、かなり酷な話だと思います。ただ、この子のためと考えれば、我慢をしないといけないのでしょうね」  そう言って、ライスフィールは薄いナイトウエアの上からお腹に触れた。まだ妊娠して日が浅いこともあり、外からでは変化は感じられなかった。  明らかに残念そうな顔をしたライスフィールに、ブレンダは悪魔の囁きをした。自然分娩へのこだわりがあるライスフィールに、別の意味から翻意を促そうとしたのである。 「ちなみに、外部子宮に移せば5ヶ月ほどお預けを短縮できますね。我慢するのは、あと3ヶ月程度……と言うところでしょうか」 「そうやって、私の意識を誘導しようというのですね」  ブレンダの意図を察したライスフィールは、「ずるいのですね」と苦笑を浮かべた。 「いえ、誘導ではなく事実を口にしただけです」  しれっと言い返してきたブレンダに、「分かりました」とライスフィールは答えた。 「ただ、その頃はモンベルトに場所を変えているかと思います。ですから、準備が整ったらと言うことで宜しいでしょうか?」 「そうですね。それが、妥当なところかと思います」  そう答えたブレンダは、「責任者は?」とライスフィールのお腹を見た。 「今頃、アリッサさんと一緒だと思います」  ライスフィールの答えに、ブレンダは大きく頷いた。 「ならば、明日の出発前に伝えることにしましょう」  二人の力関係を考えた場合、どちらにブレーキを掛けた方が効果的なのかは明白だった。「医者」としての判断をしたブレンダは、出発前にトラスティとしっかり話さなければと考えていた。 「モンベルトに降りてしまえばこちらのもの……」  ライスフィールから見えないところで、ブレンダは少しだけ口元を歪めた。ちなみに現時点でモンベルトに上陸する女性は、ライスフィール以外はブレンダしかいなかったのだ。  そしてもう一つの恋人たち、すなわちジュリアンとエイシャは、ルナツーにあるバーにいた。出発まで十分時間があることと、せっかくだからと普通の時間を楽しむことにした結果でもある。 「あれから、随分と色々なことがあったようだね」  泡立つビールで乾杯したところで、ジュリアンは短い時間での変化を持ち出した。前回エイシャが来たときには、まだ彼女はアルバイトに毛の生えた程度の仕事しかしていなかったのだ。そしてトリプルA相談所にしても、女子大生のノリから卒業していなかった。  「色々な」というジュリアンの言葉にうなずき、「助かった」とエイシャは感謝の言葉を口にした。 「ジュリアンさんに教えて貰っていなければ、アマネのことでもっと大変なことになっていたと思う。しかもジュリアンさんの読み通り、パガニアはアマネを王妃に迎えてくれた。さすがは連邦の知恵袋と言われるだけのことはあると思ったよ」 「連邦の知恵袋……かい。なかなか、背中が痒くなるような褒め言葉だね」  そう言ってビールに口をつけたジュリアンは、「だから忠告」と真面目な顔でエイシャを見た。 「君達は、これからまだまだ色々な問題に直面することになるだろう。そしてこれから起こる問題に比べれば、モンベルトの問題など可愛いものだと思うのだろうね」 「つまり、ジュリアンさんには心当たりがあると言うことだ」  そうだろうと言われ、ジュリアンは小さく頷いた。 「これから君達が向き合うのは、銀河自体の成り立ちに通じる問題だからだよ。IotUに関わる話と言えば、ある程度心当たりがあるんじゃないのかな?」 「IotUの?」  いきなり飛び出た名前に、「まさか」とエイシャは否定した。 「俺たちは、ジェイドという辺境惑星の女子大生だぞ。どうして、IotUに絡む話が出てくるんだ?」  ありえないと否定を繰り返したエイシャに、「だけど」とジュリアンはいくつかの事実を持ち出した。 「ユサリア様の係累である、アマネさんのこと。そしてパガニアに破壊されたモンベルトのこと……更には、君達はパガニアにまで関わってしまったんだ。すでに君達は、特殊な状況に置かれていることを覚えておいた方がいい。しかもこれから、エスデニアやシルバニア帝国にも関わろうとしている。ああ、そう言えばリゲル帝国やレムニア帝国にも関わっていたね。しかもレムニア帝国では、アリエル皇帝とも縁ができたのだろう? 唯一生存中のIotUを知るお方との繋がりなのだが、私にはそれが偶然とは思えないのだよ」  事実をあげたジュリアンに、「そうは言うが」とエイシャは反論した。 「俺達の誰が、IotUとの関わりを招き寄せたと言うんだ? 俺はただの公務員の長女だし、アリッサにしたところで、財閥の次女でしかない。アマネのやつは……たしかにユサリア様の縁者だが、1000ヤー以上遡らないと、繋がりも無いぐらいだ。たしかに特別な状況なのかも知れないが、それは偶然というものじゃないのか」  エイシャの反論に、ジュリアンは小さく頷いた。まともに考えれば、彼女は何も間違ったことは言っていない。だが偶然と言うものは、積み重なっていけば必然へと通じるものだった。 「たしかに、君が言うとおり偶然という要素が大きいのだろう。偶然カイト氏と関わり合いが出来、そしてカイト氏のサーヴァントがザリアだったのも偶然だろう。そこにトラスティ氏が関わってきたことも、たしかに偶然なのは間違いないよ。だけど、これだけ偶然が積み重なった以上、何かの意味があると考えるのもおかしな話じゃない。しかもカイト氏のサーヴァント、ザリアの隠していた能力が明るみに出た。幼女でしかなかった姿が、ラズライティシア様と同じになってしまったんだ。もはや偶然で片付けるには、話ができすぎているんだよ」  「そして」と言って、ジュリアンはビールを飲み干した。バーテンダーにお代わりを告げて、エイシャに向かい合った。 「たとえこれが偶然の積み重ねであっても、IotUの謎に迫る絶好の機会だと思っている。そもそも君も、IotUにまつわる情報が少ないことに疑問を持っているのだろう?」 「それは、否定出来ないが……」  ラズライティシア達のことなら、姿形だけでなく、その言葉もデーターとして残っていたのだ。一方IotUに関しては、名前や姿の情報すら残っていなかった。残っていたのは、彼の残した世界と、神話としか言いようのない言い伝えだけである。妻たちより長く生きたことを考えれば、明らかに異常なことというのは理解できた。普通にIotUや妻たちのことを教えられれば、その情報の少なさは最初に気がつく問題だったのだ。 「そして私は、謎の鍵の一つはザリアにあると思っている。何しろザリアは、他のデバイスとは違いすぎるんだよ。いいかい、他の連邦のデバイスは自己判断を行わないんだよ。そして主から離れて活動することもない。主の命令には絶対服従をし、意見は求められた時にしかしないんだ。もちろんエネルギー量によって、姿を変えるようなことはない。この事実だけで、どれだけザリアが規格外かと言うことが分かるはずだ。そしてザリアの封印の一つを、トラスティと言う男が解放した。これだけ役者が揃った以上、何かが起きると考えてもおかしくないと思っている」 「その何かって言うのは何なんだ?」  エイシャの疑問に、ジュリアンはビールを見つめながら「分からない」と答えた。 「ただ勝手に、何かが起きると期待をしているだけなのかもしれない。冷静に考えてみれば、偶然にさも意味があるように考えているだけなのかもしれない。IotUの謎に迫りたいと言う私達の気持ちが、偶然をあたかも意味のあるようなことと考えたがっているだけと言うこともできるのだろうね」  そう言ってビールを口に含み、「ただ」と言葉を続けた。 「ここに来て、大きな変化がやってきたんだ。パガニアの方針変更もそうだし、モンベルトの問題解決もそうだ。そしていずれも、IotUに絡む問題なんだよ。何かが変わるきっかけ……そう考えたくなる気持ちも分かって欲しい。それでも残念なのは、私が観客にしか過ぎないと言うことだよ。トリプルA相談所だったね。そこにいる君達が、望むと望まないとに関わらず、私は大きく関わってくると思っているんだ」  ぐいっとビールを飲み干したジュリアンは、少し羨望の混じった目でエイシャを見た。 「だから私は、君が羨ましてくてたまらないんだよ」  普段とは違う熱い視線に、エイシャはゴクリとつばを飲み込んだ。 「お、俺にはよく分からないんだが……」  普段は紳士のジュリアンなのに、エイシャは「怖い」と言う印象を持ってしまった。だが、この場から逃げ出そうと言う気持ちは起きなかった。もう一度ゴクリとつばを飲み込んだエイシャは、「ジュリアンさん……」と少し怯えたような声を出した。  だがジュリアンからは、なんの答えも帰ってこなかった。そして答えの代わりに、彼の右手がエイシャの頬に添えられた。 「ジュリアン、さん?」  怯えた目をしたエイシャに、ジュリアンは小さく頷いた。 「ここは、もういいだろう」  そう言って立ち上がると、カードを一枚バーテンダーに渡した。そしてエイシャの答えを聞かず、腰に手を当て自分の方へと抱き寄せた。 「私から、離れられなくしてあげよう」  そう耳元で囁き、少し強引にエイシャをバーから連れ出した。普段は強気のエイシャなのだが、今のジュリアンに逆らうことは出来ない。そして逆らおうという気持ちも起きてくれなかった。  通路にあった展望窓には、青く輝くアスの姿が映っていた。  翌日と言うか、一休みをした一行は地上に降りるランチ乗り場に集合した。前回来た時は、別の地域に降りたのだが、今回は直接ミサキシティに降りる許可をもらっていた。その為ランチも、ミサキシティ直行便になっていた。  そしてミサキシティ直行便と言うことから、乗り込む人員に対して制限が加えられた。すなわち、トリプルA関係者以外は、上陸許可が降りていなかったのだ。 「なぜ、私が地上に降りられないのでしょう?」  王室専用船「プリンセス・メリベルV世号」を貸し出したことを考えれば、それぐらいの便宜が図られていいはずだ。自分が降りられないと知ったところで、グリューエルはアリッサに苦情を申し立てた。彼女の立場と図った便宜を考えれば、その苦情は正当なものに違いないのだろう。だが受け取る方がそれを認めなければ、今更手遅れとしか言いようがなかった。 「私は、なんの依頼も受けていませんよ」  しれっと言い返したアリッサは、「そもそも」と言って手配の悪さを逆に論った。 「仰ってくだされば、それぐらいの申請は出しますよ。でも、私に対して一度もスケジュールのことを教えてくださっていませんよね? 臣下でもないのですから、察して手配をしろと言うのは甘えではありませんか?」  ぴしっと言い返されたグリューエルは、反論の言葉に詰まってしまった。たしかに自分は、どこまで同行すると言う話をしていない。そしてクリスティアの保有するクルーザーの役目が終わったのだから、このまま帰るのも不思議な話ではなかったのだ。 「では、私からアスに上陸申請を行うことにします」 「一応トリプルA相談所でも、業務として申請代行を行っていますよ」  どうしますと問われたグリューエルは、「心配無用」とアリッサの申し出を断った。王室として依頼を出す以上、民間などに速さで負けるはずがないと思っていたのだ。 「そうですか。では、私達は先にミサキシティに降りていますね」  失礼しましたと頭を下げ、アリッサは用意されたランチに乗り込んでいった。それを見送ったグリューエルの顔は、間違いなく引きつっていた。  「よくやるね」と言うのが、アリッサを迎えたトラスティの第一声だった。ちなみにトラスティは、一度アリッサに上陸者の名前を確認していた。その際グリューエルのことも聞いたのだが、「何も聞いていません」と手続きしていないのを認識していたのだ。 「ですが、何もご希望を伺っていないのは本当ですよ」 「いや、パガニアに手を回しているだろう?」  申請を出さないことではなく、申請の受付を遅らせるように手を回したことをトラスティは指摘した。 「だって、邪魔でしかありませんから」 「だから、手続きを遅らせるように手を回した……か。今更だけど、なかなかやってくれるね」  頼もしい限りだと笑ったトラスティは、「初めてだな」と降下して行く先へと視線を向けた。これまでの旅で、目的地の一つがアスであることは間違いない。だが別の島宇宙に行った時には、アスを経由していなかったのだ。それもあって、トラスティがアスを見るのは初めてだった。 「ジェイドと比べると、青が強いね。ただ半分、少しピンクがかっているかな?」  不思議な色だと口にしたトラスティに、「たしかに」とアリッサは頷いた。 「前回も見ているはずなのですが、その時はあまり気にしていませんでした」 「降下した時の時間帯にもよるのだろうね……」  ふうっと息を吐き出したトラスティは、「アスか」と感慨深げに口にした。 「ここが、目的地の一つだったんだよ……」 「ここには、IotUにまつわるものが沢山ありますからね」  トラスティの目的を考えれば、アスと言う場所は非常に重要な意味を持つ場所だったのだ。そしてただ訪れるだけでなく、様々な条件をクリアして訪れたことに意味があるのだと考えていた。  一方一番事情を知らないエヴァンジェリン達は、眠気覚ましのコーヒーをがぶ飲みしていた。なぜそうなったかと言うと、2日続きで頑張りすぎたと言うのが理由だった。そのあたり、リゲル帝国についていかなかったのが失敗だった。 「神殿の口コミを見てみたんだけどね」  眠そうにするカイトに、リースリットがほらとデーターを投げ渡した。 「アマネさん、随分と評判がいいようよ。ロレンシアさんと比べられて可哀想だと思っていたんだけど、むしろアマネさんの方が評判がいいみたい」  リースリットの指摘に、「どれ」とカイトは口コミを眺めてみた。ただそこに書き込まれている内容に、「評判が良いのか?」と首を傾げることになった。 「なんか、褒めているようには思えないことが書いてあるんだが……」  例えばと言って、カイトは「エロすぎ」とタイトルの付いた口コミを示した。 「なんだ、この下半身を直撃ってコメントは。しかも、年齢制限が必要だと書かれているぞ」 「こっちは、あてられたせいで夜燃えましたと書いてあるわね」 「恋人同伴不可と書いてあるのもあるわね。仲違いのもとになるのが理由みたい」  それを見る限り、評判が良いというのも疑わしく思えてしまうのだ。 「でも、評価は5つ星よ。しかも、「今までの舞は何だったのだ」とまで言われているわね。その上、コメントの殆どがアマネさんのことが書かれているのよ」  それを見る限り、良し悪しとは別に評判になっているのは間違いない。 「でも、口コミを見て少し安心したわ。彼女、滑り出しは順調みたいだから」 「たぶん、そうなんだろうな……」  こんな性的な面で評判になるのが、果たして順調な滑り出しなのだろうか。かなりの疑問を感じたカイトだったが、あえてそのことには触れないことにした。 「まあ、彼女については、大団円になった……と思っていいんだろうなぁ」  パガニアの抹殺対象になっていると気づいたときには、己の無力さを呪ったほどだったのだ。それがパガニア王女と一緒に、筆頭巫女に収まっているのだ。しかも「性的」とは言え、参拝者の評判にまでなっているのだから、良かったと言っていいのは確かだろう。 「そうね、妹の方が先に嫁ぐのは癪に障るけど……あの子にとって、いい結末だったと思うわよ」  小さく息を吐きだしたリースリットに、「あら」とエヴァンジェリンが疑問を呈した。 「アマネって子が結婚するのは、まだ2ヤー? だったか先のことでしょう。だったら、私達の方が先になるんじゃないの?」  ねえと顔を見られて、リースリットは「ああ」と大きく頷いた。 「そのあたり、ちゃんと整理する必要があったわね」  ねえと同意を求められたカイトは、「そうだな」ととても事務的に答えを口にした。 「婚姻届は、私の名前で出させてもらうわね。リースリットは、夫の配偶者ってことにしておくわ」 「そのあたり、贅沢は言わないわよ」  自分と夫、そしてその配偶者。立場が重なっていないかと疑問を感じたカイトだったが、あえてそのことを口にしなかった。一度気になって調べてみたのだが、ジェイドの法律に「重婚」を禁じる規定が存在しなかったのだ。 「その場合、お前と彼女の関係はどうなるんだ?」  ただ二人の関係がどう規定されるのか。それがカイトの疑問だった。 「配偶者の配偶者なんだけど?」  それが何かと聞かれ、「分かった」とだけカイトは答えた。「夫の妻」と言い換えれば、本来同じ人間のことを指すはずなのだ。だが重婚が可能になれば、別の人間を指してもおかしくはない。 「ところでカイト、あなたに質問があるんだけど?」  一応満足しているので、エヴァンジェリンの機嫌はすこぶる良かった。それに油断したカイトに、彼女はとても問題の多い問いかけをしてくれた。 「これ以上増えるってことはないわよね?」 「俺としては、増やすつもりはないんだが?」  疑問を疑問で返しているが、それでも答えになっているとカイトは考えていた。だが受け取る方は、そうは思ってくれなかったようだ。リースリットの顔を見たエヴァンジェリンは、困ったものだと息を吐き出した。 「ねえ、信じられると思う?」 「奥さんって意味なら、信じてもいいんじゃないの? でも、浮気ならそこら中でしてくれそうね。ただ、浮気のうちは大目に見て上げる必要があるんじゃないの?」  物分りがいいのはありがたいが、どうして既定の事実のように言ってくれるのか。そのあたり文句を言いたいところなのだが、10倍では効かないぐらい言い返されるのは目に見えていた。だからおとなしく、自分に対する評価を聞くことにした。 「そうね、浮気ぐらいは我慢した方が良さそうね。この人って……どうも精力が有り余っているみたいだし。外で発散することぐらい大目に見たほうが身のためね」  そう言って笑われると、何か自分がおかしなものに聞こえてとても嫌だ。ただ、それは心のなかでしか言えない文句でもあった。育ちのいいお嬢様二人では、とてもではないがその方面ではカイトの相手には不足だったのだ。 「アスのあとは、エスデニアに行くんだっけ?」  リースリットの問いに、「そうなってる」とエヴァンジェリンは返した。 「その後この人は、モンベルトにも行く予定になっているわね」 「私達は?」  カイトのいない1週間を味わったこともあり、自分たちもモンベルトに付いていくものだとリースリットは考えていた。ただそれを、エヴェンジェリンは「ないない」と否定した。 「アリッサやエイシャさんも、モンベルトには付いていかないわよ。惑星自体が汚染されているし、ちょっと文化的に厳しいところがあるみたいよ。入国には、かなり厳しい条件がついていると教えられたわ」 「だったら、カイト達も入国できるの?」  厳しい条件が分からない以上、カイトが入国できると言う保証は無い。それを口にしたリースリットに、「たしかにそうね」とエヴァンジェリンは同意した。 「ねえ、そのあたりどうなってるの?」 「そっちの方は、トラスティの分担だ」  エスデニア議長様を誑し込むと言う話もあるのだが、それを口にすることにどれだけ意味があるのだろう。どう考えても、自分にいいことはないはずだ。それを理解して口をつぐんだカイトに、なるほどねとリースリットは大きく頷いた。 「彼って、無類の金髪碧眼好きなんでしょう。だとしたら、エスデニアの議長さんも好みのはずよね」 「確か、アリッサもそんなことを言っていたわね」  何かを思い出すような顔をしたエヴァンジェリンに、カイトはとても危険なものを感じていた。ただ下手に口を出すと、間違いなく墓穴を掘ることになる。 「ところでカイト、あなたは金髪碧眼じゃないとだめってことはないわよね?」  それを聞いたリースリットは、金髪ではなく銀髪をしていたのだ。その意味で、カイトの答えは非常に大きな意味を持つことになる。しかも金髪碧眼のエヴァンジェリンは、何を答えるのかとじっと自分のことを見てくれていた。 「お、俺は、そう言った外見だけで決める真似はしないぞっ」  カイトとしては、間違いのない答えを口にしたつもりだった。だがリースリットは、そうは受け止めてくれなかった。 「つまり、節操がないってことか」  そしてリースリットの決めつけは、金髪碧眼好きを肯定するよりも悪いものだった。 「まあいいか。ところでエヴァ、アムネシア娼館をこれからどうする?」 「そうね、トリプルAとの事業統合を考えた方が良さそうね。急速に事業が拡大しているから、多分収拾がつかなくなっていると思うわ」 「だよねぇ、ちょっと手を広げ過ぎだと思うわ……安全保障部門だけでも大事なのに、更に惑星改良にまで手を付けちゃったんでしょう?」  女子大生が興した企業だと考えると、明らかに分不相応な分野まで業務が拡大されていた。しかも半年前までは、アルバイトに毛の生えた様なことしかしていなかったのだ。これから人員も増えるのだろうが、まともな管理になるとは思えなかった。 「いつの間にか、レムニア帝国に支社を作ったらしいんだけどね。しかも皇帝聖下まで関わっているらしいし。もう、片手間ってわけには行かなくなっているわ」 「あなたみたいに、カレッジを中退するの?」  アムネシア娼館が軌道に乗ったところで、エヴァンジェリンはカレッジを「卒業」扱いで中退していた。なぜ卒業扱いになったかというと、アムネシア娼館及びその周辺事業の業績が認められたからである。その意味でいけば、アリッサの初めた事業も「卒業要件」を満たすものになっていたのだ。 「そうね、ニシミズホからすれば「卒業」扱いにしてもおかしくないわね。まあ、多少寄付金を積む必要はあるんだけど……」  それにしたところで、これまでの利益を考えれば大したことはない。「卒業ね」と繰り返したエヴァンジェリンは、忙しくなると笑ってみせた。 「すぐに、タンガロイド社との関係整理も必要になるから。それはそうと、あなたはどうするつもり? アムネシア娼館の共同経営者になる? それぐらいのポストは用意できるわよ」 「共同経営者……か。あなたには、返しきれないほどの恩があるのは分かってるけど……」  なんだかなぁと遠くを見たリースリットは、「性分じゃない」とエヴァンジェリンを見た。 「のんびりと、雑貨店をやってる方が性に合っているわね」 「私としては、手伝ってもらいたいところなんだけど……」  まあいいかと、エヴァンジェリンは大きく息を吐きだした。 「トリプルAとの統合を含めて、あまり急ぐ話でもないわね。ジェイドに戻ってから、そのあたりはゆっくりと話をしない?」 「そうね、色々と区切りがつきそうだから……帰ってから話をしたほうが賢明ね」  そう答えたリースリットは、スイッチを操作して外の景色を見えるようにした。間もなくミサキシティに降りるためか、窓の外には黒から青い空に変わっていた。 「どうやら、もうすぐ到着みたいね」 「あの子の舞が楽しみね」  散々口コミで「エロすぎ」と書かれているぐらいなのだ。それがどんなものなのか、ふたりとも大いに興味を持っていたのだ。それがよく知る少女への評判だと考えると、その思いは更に強くなっていた。  ミサキシティに降りた15人のうち、経験者はアリッサを含めたジェイド組5人とライスフィール達3人だった。船旅を趣味としていたアリハスルだがアスは軌道ステーションに立ち寄った程度である。そしてレムニア組、リゲル組の5人はアス近傍ですら来たことがなかった。 「トラスティさん、緊張しています?」  ミサキシティの大地に降り立った所で、アリッサは普段になくトラスティの表情が堅いことに気がついた。さらりと腕を絡め、下から見上げるようにしてアリッサは声をかけた。  その指摘に、トラスティは笑顔を作って「ああ」と頷いた。 「目的地の一つだからね。今更何があるという訳じゃないんだろうけど、やっぱり緊張はしているかな」  あたりを見れば、ジェイドより田舎の風景が広がっていた。ただ田舎と言っても、住んでいる人達の違いで、レムニアとは違った景色に見えた。双方に共通するのは、緑がとても多いことと、背の高い建物が見当たらないことだった。 「とりあえず、ホテルに移動することにしようか。確か、オークラホテルだったかな?」 「とりあえず、一番いいホテルを確保しておきました」  商店街のツアーではないため、ホテルも最上級を選ぶことができる。そしてアリッサが選ぶ以上、最上級にしかなりようがなかったのだ。もちろん部屋の方も、自分達と姉達のたのためには一番いい部屋を選んでいた。 「あとは、どこでクンツァイト王子に襲撃されるかだね」 「たぶん、ホテルだと思いますよ」  宿泊予約はバレているはずと言うのが、アリッサの答えだった。それをなるほどと頷いたトラスティは、振り返って「行こうか」とメンバーに声をかけた。ランチの発着場には、ホテル差し向けのシャトルバスが待ち構えていた。  事前に長命種がいることが伝えられたおかげか、やけに背の高いシャトルバスが用意されていた。そのお陰で、バルバロス達も頭をつかえることもなく乗り込むことができた。  そして全員がシャトルバスに乗り込んだところで、アリッサが立ち上がった。「注目」と声を上げてから、ごほんと一つ咳払いをした。 「神殿見学は、明日の予定になっています。ですから、今日は特に予定を入れてありません。もしも観光のアレンジが必要でしたら、私かエイシャさんに声をかけてください」  プラタナス商店会一行の観光をアレンジしたのだから、ミサキシティ案内もお手の物である。つい旅行会社の顔を出したアリッサは、「以上です」と言って腰を下ろした。ただその話を聞かされた一同は、頼むのならエイシャだと思っていた。アリッサが頼りにならないと言うこと以上に、邪魔をしても仕方がないという思いからである。  旧式に見えるシャトルバスだが、旧式なのは外観だけのようだった。お陰で立っていても、アリッサがよろけるような場面は発生しなかった。そのあたり、加速度コントロールのお陰である。 「観光、アレンジするのかい?」  驚いた顔をしたトラスティに、「はい」とアリッサは嬉しそうに頷いた。それを可愛いなと思いながら、「任せていいのかな?」とトラスティはアリッサの顔を見た。 「せっかくアスに来て、ミサキシティまで来たんですからね。IotUゆかりの場所に行くべきだと思いますよ」  だから任せてと、アリッサにしては力強く答えた。それにうなずきながら、「ところで」とトラスティはアリッサの耳元に口を寄せた。 「エイシャさんが静かなんだけど?」  そこで口にしたのは、普段とは違うエイシャの様子だった。普段なら色々とツッコミをしてくれるエイシャなのに、今日は一度も声を聞いていなかった。ルナツーでも、顔を合わせたのは出発間際のことだったのだ。 「そうですね、そう言えばエイシャの声を聞いていませんね」  どうしてだろうと首を傾げたアリッサは、早速2つ前の席に座るエイシャに声をかけた。 「今日は静かなんですね? ひょっとして、お疲れ?」  そう言って口元を歪めたアリッサに、エイシャはため息を一つ吐いてから振り返った。 「どうして、おれがいつも騒いでいないといけないんだ?」  言葉だけを聞けば、それはとても真っ当な返事に違いない。だが掠れた声が、全てを台無しにしていた。このご時世「風邪」と言う病気は根絶しているのだが、まるで風邪でもひいたような酷い声だった。 「え、エイシャ、その声はどうしたんですか。どこか、体の具合がおかしいとか……トラスティさん、どうかしましたか?」  声のおかしさを心配したアリッサの肩を叩いたトラスティは、それ以上駄目だと首を振ってみせた。そして何か言おうとしたアリッサを制し、「着いたよ」と前方を指差した。 「アリッサが心配するような病気じゃないから、まあ、大丈夫だろう」  そう言って苦笑を浮かべ、「どこに行こうか」と話を先に進めた。 「でも、エイシャの具合が悪いと、私が皆さんを案内しないといけなくなるんですけど……」  少し眉間にしわを寄せたアリッサに、「多分大丈夫」とトラスティは笑った。 「レムニア組は、ホテルに篭って仕事だよ。そしてライスフィール王女は、ブレンダが付き添うことになる。そもそもライスフィール王女は、アスのことを知っているからね。アリハスルさんは……」  一人あぶれるなと思いながら、トラスティは「大丈夫だろう」と根拠のない保証をした。 「たぶん、この中で一番旅慣れた人だよ」 「確か、宇宙旅行を趣味にされていましたね……」  レムニア組に仕事をさせるのは気が引けるが、かと言って真面目な4人を連れ回すのは疲れてしまいそうだ。ほっと息を吐き出したアリッサは、まあ良いかと細かなことに拘らないことにした。 「でしたら、ちょっと素敵な場所があるんです。一緒に、行ってみませんか?」 「アリッサが勧めてくれるところなら喜んで」  そう言って微笑みあわれると、鬱陶しく感じるのはどうしてだろうか。二人のやり取りを生暖かく見守っていたライスフィールは、少しご機嫌を斜めにしていた。 「……父親としての自覚がないんですね」  モンベルトでは、子供は母親のものとされていた。ライスフィール自身、そのことをトラスティに告げても居たのだ。それにも関わらず、自分のお腹に手を当て不満そうに唇を尖らせた。ただ勝ち目がないのは分かっていたので、アリッサには突っかかっていかなかった。  アリッサが「一番いいホテル」と言うだけのことはあり、オークラホテルは立派な外観をしていた。事前に見たパンフレットでは、「伝統を活かした作り」というのを売りにしているようだ。だからなのか、中層ビルの外装に、天然木がふんだんに配置されていた。そして車寄せがあるエントランス前の庭園も、この地方の特色を活かした自然が配されていた。  ボーイに案内されてロビーに入ると、落ち着いた木の内装が目に飛び込んできた。色温度のかなり低い暖かな照明に照らされた木製の壁は、とても落ち着いた気持ちにさせてくれた。 「アリッサ・トランブル様……御一行様で宜しいですね」  アリッサ達がロビーに入った所で、黒のスーツに身を固めた男性が近づいてきた。そしてアリッサに頭を下げてから、「こちらに」と一行を奥の方へと案内した。 「皆さまを、これからお部屋にご案内いたします。私、当ホテルの支配人をしております、タカシマと申します。何かご要望がございましたら、遠慮なくお申し付けください」  腰を低くして一行を案内したタカシマは、ガラス張りのエレベーターのボタンを押した。 「これよりご案内するフロアには、スイートルームが6部屋用意してございます。2部屋ありますロイヤルスィートには、ベッドルームが4つ用意されております。また4部屋ありますエグゼクティブスィートにも、ベッドルームが4つ用意されております。またフロアには、共通のラウンジも用意されております。みなさまには、まずラウンジでおくつろぎいただければと考えております」  タカシマがそこまで説明した所で、エレベーターのドアが静かに開いた。ロビーと同様、そこには木を活かした内装が施されていた。そして床には、臙脂色をしたカーペットが敷き詰められていた。 「ラウンジには、タンガロイド社のアンドロイドが用意されております。お飲み物等ご要望がございましたら、アンドロイドにお申し付けください」  そう言って扉を開いた先には、広いスペースのラウンジが広がっていた。通路に比べて明るい照明が施されていたが、壁の色は更に落ち着いた濃い色になっていた。そして壁の色に合せるように、チョコレート色をした革のソファーが至る所に配置されていた。  そしてドアの所には、タカシマが言うとおり、2体のアンドロイドが配置されていた。カスタマイズされているのでベースモデルが分かりにくいが、特徴的にはクリスタイプが使われいたようだ。 「おかえりなさいませ」  アリッサたちの姿を認めたところで、2体のアンドロイドは揃って頭を下げた。ピッタリと揃った挨拶は、さすがはアンドロイドと言うところだろう。その仕草をつぶさに観察したエヴァンジェリンとアリッサは、「ちょっと」と挨拶して出ていこうとした支配人を呼び止めた。 「はい、なんでございましょうか?」  にこやかな顔をして近づいてきたタカシマに、エヴァンジェリンは「バージョンは?」とクリスタイプのバージョンを問うた。 「バージョンは揃えてございます。イズミ、お前のバージョンをお答えしなさい」  セキュリティのため、システム関係の質問を受け付けないようになっていた。実はそれを乗り越える特権モードを知っているエヴァンジェリンだが、そうそう開陳していいものではない。だから通常通り、支配人に質問をすることにしたのだ。 「はい、12.37でございます」  それを聞いたエヴァンジェリンは、なるほどと小さく頷いた。 「バージョン12の最終版と言うことね。ただ、クリスタイプのOSバージョンは、16.20まで上がっているの。このままではだめとまでは言わないけど、バージョンを上げた方が動作が自然になるわよ」  その説明になるほどと頷いたタカシマは、「支障がございますでしょうか?」と問いかけた。 「サポート期限ぎりぎりだけど、だからと言ってだめと言うことはないわよ。ただ「高級ホテル」の「最上級」のフロアに配置するには、少しばかりバージョンが古いかなと思ったのよ」  「最高級のおもてなし」を実現する上で、不足していると言うのである。裏を返せば、「お前のホテルはその程度か?」と言う問いかけでもある。それを感じ取ったタカシマは、ありがたいサジェスチョンを貰ったという態度を取った。 「貴重なご意見を賜り、感謝申し上げます。早速、バージョンアップの手配をさせていただきます」  深々と頭を下げたタカシマに、エヴァンジェリンは「もう一つ」と申し入れをした。 「だったら、私が手配していいかしら?」 「いえ、お客様にお願いすることではないと思っております」  ホテルの設備なのだから、手配はホテルが行うのが道理なのだ。そして費用のかかるバージョンアップを先延ばしにできると言う目論見もあった。 「じゃあ、今すぐバージョンアップしてくれるのかしら?」  「どう?」とエヴァンジェリンに見られ、タカシマは背中に汗を掻いていた。 「これから、代理店と調整……と言う事になりますが」 「つまり、私たちは「その程度」の客と思われているわけね」  「もういいわ」と冷たい視線を向けられ、「滅相もない」とタカシマは慌てて言い繕った。 「じゃあ、どうしてくれるのかしら?」  ますます冷たい視線を向けるエヴァンジェリンに、タカシマはこめかみに汗を流してしまった。それを慌てて拭ったタカシマに、「バージョンアップしていいのかしら?」とエヴァンジェリンは再び問いかけた。 「そうすれば、私達は「最上級」のおもてなしを受けたと思えるわね」  そうでしょうと顔を見られたアリッサは、「期待しています」とタカシマを見た。その二人のプレッシャーに負けたタカシマは、「お願い致します」と腰を45度折り曲げた。そこで初めて、エヴァンジェリンは表情を和らげた。 「大丈夫、私達が帰ったところでバージョンをもとに戻しておくわよ。だから、ホテルにバージョンアップ費用の請求は来ないわ」 「ご配慮、ありがとうございます」  すべて見透かされていた。その思いに、タカシマは顔に汗を吹き出させていた。 「アリッサ、任せていいかしら?」 「はい、お姉さま」  エヴァンジェリンから後始末を受け取ったアリッサは、すでにサービスを始めていた2体のクリスタイプを呼び寄せた。 「アリッサ・トランブルを認証しなさい」 「「アリッサ様の認証を実行しました」」  揃って答えたアンドロイドにうなずき、アリッサはバージョンアップの指示を出した。 「私の権限で、最新バージョンのOSを取得しなさい」  そこでエヴァンジェリンの顔を見て、アリッサはバージョンダウンの指示を追加した。 「私達がチェックアウトしたところで、元のバージョンに戻しなさい」  「以上」と言って、アリッサは命令の実行を指示した。 「命令を確認。タンガロイド社サーバーアクセス許可取得……命令を実行中です…………」  バージョンアップ中だからと言って、サービスが滞るようではホテルでは使えない。実行を確認してソファーに座ったエヴァンジェリンとアリッサに、「お飲み物は?」とクリスタイプの片割れが尋ねた。 「そうね、私はバージョンアップが終わってからでいいわ」 「私も、そうしておきます」  二人の答えに、「畏まりました」と頭を下げ、クリスタイプは他のメンバーの接待に向かった。 「細かなところにこだわるんだな……」  クリスタイプが離れたところで、隣りに座っていたカイトが声を掛けた。 「少なくとも、なんの支障も無かったんだが?」  さすがはアンドロイドと言えばいいのか、サービスレベルに問題はないと思っていたのだ。だからカイトには、エヴァンジェリンがこだわった理由が分からなかった。 「まあ、あなたならそう言うと思っていたわよ」  そう言って苦笑を浮かべたエヴァンジェリンは、「そろそろね」と小さくつぶやいた。そして「そろそろ」の言葉通り、サービスをしていた2体のアンドロイドがそこで一旦停止をした。微妙にタイミングの差があったのは、それぞれがしている仕事に関係していた。  「ほんとうに意味があるのか?」と疑問を持っていたカイトだったが、再起動した2体のアンドロイドに、なるほどねとエヴァンジェリンがこだわった理由を理解した。 「確かに、動作がなめらかになったし、表情がより自然になったな」 「メジャーバージョンが4も違えば、違いははっきりと分かるわよ。会話のレベルも上がるから、暇だったら試してみればいいわ。あとは、アクセスできるサービスも増えているから」  色々とあるのだと、カイトは市販システムの複雑な管理に感心していた。ちなみに軍用のデバイスの場合、安定度が第一として求められていた。その為、よほどのことがない限り、バージョンアップは行われていなかった。ザリアと言う特殊なデバイスもいるが、普通のデバイスの場合は機能に応じて交換するのが常だった。 「それで、俺たちはこのあとどうする? 外を、散歩でもするか?」  まだ午前中だと考えれば、何かをして時間をつぶす必要がある。それもあって散歩を持ち出したカイトだったが、当たり前のようにエヴァンジェリンに否定されてしまった。 「いやよ、疲れるし暑いもの」  そして否定の言葉は、いかにもエヴァンジェリンらしいものだった。やっぱりそうかと納得したカイトは、もう一人リースリットにどうするのかを尋ねた。 「私は散歩もいいと思っているけど……カイト、あなたが自由にできると思っているの?」  「甘いわね」と笑われたカイトは、そうなのかと隣りに座るエヴァンジェリンを見た。 「いやねぇ。クリスタイプをバージョンアップしたから、午前中ぐらい一人でいてもいいわよ」  つまり午後はだめと言うのだが、それでも大した進歩に違いない。 「じゃあ、午前中は私と観光しましょうか?」  とは言え、二人から自由になったと言う訳ではない。結局カイトは、一人だけの時間を過ごすことは許されなかった。ただそれにしても、我慢できる話だと思ってもいた。何しろこの二人を、リゲル帝国に行っている間放置したし、これからモンベルトにも連れて行かないことが決まっていたのだ。 「そうだな。天気もいいから、街でもぶらついてみるか」  そう言って立ち上がったカイトに、「賛成」と言ってリースリットも遅れて立ち上がった。そしてカイトの腕に、さり気なく自分の腕を絡めた。  その時ちらりとエヴァンジェリンに視線を向けたのは、何らかの取引があったのだろうか。ただ二人の間で、特に会話は行われなかった。  喜々として出ていったリースリットを見送ったエヴァンジェリンは、「さて」と言ってソファーに身を任せた。そして情報端末を操作し、トランブル本家からの指示を確認した。ここのところ動きが激しかったせいで、まだ本家も判断に迷っている部分が多々あったのだ。 「やんごとなきお方を積極的に誘惑させろって……娘の婿にさせることじゃないわね」  妹からヒアリングした範囲で、自分の夫となる男は「それはもう」手広くやっていたと言うのだ。自分と出会う前と言うのは分かっているので、今更それを責めることに意味は無いのだろう。それでも、一度口を割らせる必要があるとは思っていた。  そして妹の夫となる相手は、それこそやんごとなきお方たちばかりに手を出していたのだ。そして手を出す以上に大きな意味があるのは、レムニア帝国皇帝アリエルの「子供」と言う扱いを受けていることだ。それを考えれば、「絶対に逃すな」と本家が指示をしてくるのも当然のことだった。 「パガニア王女に、モンベルト王女、リゲル帝国皇帝に次の皇帝となる皇女……しかもシルバニア帝国摂政って……どう考えても、普通は手の届く相手じゃないわね。その上エスデニア最高評議会議長様にまで手を出そうなんて……ほんと一体何者って言いたくなるわね」  そこまで手を出しておいて、自分の妹を一番に考えてくれるのだ。身内のことなのだが、それでもどうしてだろうと考えてしまうほどだった。 「あの子も、苦労しそうね……」  そう言ってラウンジの中を見たのだが、すでに二人の姿は見えなくなっていた。それ以外のメンバーが残っているのを見ると、どうやら自由行動と言う事になったようだ。取り残されたモンベルト王女がふてくされているのも見ることが出来た。 「ただ、あの子があんなに弾けるだなんて……予想もしていなかったわ」  そこでエヴァンジェリンが見たのは、ラウンジの隅に集まっている巨人達……すなわちレムニア帝国から来た男たちだった。レムニア帝国皇帝アリエルまで巻き込んで、トリプルA相談所の支社をレムニアに作ってしまったと聞かされた時には、一体何をしに行ったのだと呆れてしまったほどだった。 「モンベルトの作り変え……ね」  その目的が、徹底的に汚染された惑星一つを浄化すると言うものなのだ。そこにタンガロイド社の製品を導入すると言うのは、その注目の高さを考えれば最高の宣伝になるのは間違いない。しかも事業としてまっとうな実入りもあるのだから、会社としても歓迎すべきことだったのだ。その仕事を引っ張ってきたお陰で、一族の中での評価は自分を逆転したぐらいだ。 「本当は、喜ぶべきことなんだけど……」  それを妹の成長だと考えれば、姉として喜ぶべきことには違いないだろう。ただ同時に、どこか寂しさを感じてしまうのだ。それでも不思議なことに、妹の成功に対する嫉妬は感じていなかった。 「さて、私はどうしようかしら……トリプルAとアムネシアの合併は視野に入れるとして」  アムネシアの仕事は、どちらかと言えばジェイド惑星内で閉じている。仕事の振り回しを考えた場合、惑星内と惑星間で分けるのも一つの方法には違いない。そうなると、キャプテン・カイトの所有者である自分が、安全保障部門を引き取ることも一つの方策となる。 「あとは、あの子の才覚がどの程度かによるけど……違うか、あの男がどこまでできるかによるわね」  安全保障業務は、彼女の夫となるカイトが居て成り立つものだった。そして惑星浄化の仕事は、妹の夫となるトラスティが居て初めて成立した話である。色々なところに首を突っ込む妹は、結果的に誰かに尻拭いをさせていたのだ。ただそれができる相手を捕まえることを、得難い才能なのは間違いない。 「やはり、さっさと結婚させてしまった方が良さそうね……」  その意味でも、「絶対に逃がすな」と言う実家の指示は正しいことになる。相手もその気だというのだから、この先時間を置くことには意味が無いのだろう。  それを確認したエヴァンジェリンは、「ちょっと」と言ってクリスタイプのメイドを呼び寄せた。 「明後日だけど、2組の結婚式を挙げることにします。会場の準備をしなさい」  その命令に一度停止したクリスタイプのアンドロイドは、すぐに追加情報をエヴァンジェリンに確認した。 「招待客はいかほどでしょうか?」  会場準備をするためには、招待客のキャパシティ情報が必要となる。それに頷いたエヴァンジェリンは、せいぜい30人とその数を指定した。 「とりあえず、形を整えることを優先します……」  この機会に実家に対して、二人の夫を紹介すればいいだろう。それを考えたエヴァンジェリンは、すぐにその情報をトランブル本家へと送ったのだった。  体力無し根性無しのアリッサも、トラスティと出会って以降はかなりましになっていた。さすがに、いきなりエイシャレベルとはいかないが、アマネレベルの我慢強さを身につけてくれたのだ。そのお陰で、トラスティと楽しくミサキシティを散策することが出来た。 「何も知らなければ、普通の景色なんだけどね……」  散策の途中でレイク・ミサキに立ち寄った二人は、そこで綺麗に整備された芝生に座り込んだ。目の前には、水をたたえたレイク・ミサキが広がり、大勢の人達が芝生の上にピクニックシートを広げて遊んでいた。  そこでアリッサに膝枕をしてもらい、トラスティは湖面の輝きに目を細めた。 「そうですね。ただ湖があって、整備された公園があるだけ……なんですけど」  トラスティの言葉を認めたアリッサも、目を細めて光り輝く湖面へと視線を向けた。 「IotUも、よくここでオンファス様に膝枕をして貰ったそうです」 「1千ヤーも前の人と、ここで同じことをしていんだなぁって……なにか、感慨深いものがあるよ」  さほど代わり映えのしないはずの風景が、小さなエピソードのお陰で特別なものへと変わってくれる。特にIotUの足跡を追いかけていたこともあり、トラスティにとっては感慨深いものがあった。 「こうしてアリッサに膝枕をしてもらっていると……少しはIotUに近づけた気がするよ。彼も、こうして穏やかな、そして満ち足りた気持ちになっていたのかな?」 「トラスティさん、満ち足りていると思ってくれますか?」  そう言って微笑んだアリッサに、「もちろん」とトラスティは力強く答えた。それに喜んだアリッサは、予想もしない、そして時々話の出ていた「結婚」に付いて持ち出した。 「どうやら、お姉様が結婚式をすることに決めたようです。日程は……明後日ですか。はぁっ、たしかにスケジュールとしては大丈夫なはずですけど」 「お姉さんとお兄さんの結婚式かい?」  二人の年齢からしても、結婚をすること自体不思議なことではないはずだ。そしてこれからのスケジュールを考えたら、ここで形を作っておくのもおかしいとまでは言えないだろう。ただ準備を含め、流石に慌て過ぎというのをトラスティも感じていた。  それにしたところで、兄たち二人の問題だと考えていたところもある。だが続いたアリッサの言葉に、トラスティは「計画性が……」と呆れたような声を出した。アリッサは、「私達の分もありますね」と言ってくれたのだ。 「どうやら、婚約だけでは許して貰えそうにないという事ですね。私としては反対するつもりはありませんが……それにしても、慌てすぎと言う気はしています」 「僕や兄さんはいざしらず、ふたりとも大富豪のお嬢さんなんだろう。そんなバタバタと結婚式を開くものじゃないと思うんだが……」  ふうっと息を吐き出したトラスティは、「大変なことになる」と先行きを考えた。 「結婚式を開きたくない……と言うことですか?」  少し顔を曇らせたアリッサに、「意味が違う」とトラスティはすぐに答えた。 「兄さんたちはまだいいけど……僕達の場合騒ぎ立てそうな人がたくさんいるんだよ。絶対にバレるから、どうなることかと思ったんだ」 「バレたら……どうなるんですか?」  よくよく考えてみたら、明後日というのは自分たちはミサキシティに居ることになる。そうなると、ライスフィールやロレンシア、そしてグリューエルが騒ぎ立てるのが目に見えるようなのだ。さらに言えば、リゲル帝国に話が伝われば、皇女ミサオがしゃしゃり出てきそうだし、アリエル皇帝が悪ふざけをしそうな気もしてきたのだ。 「……この旅で出会った人達を思い出してみるといいと思うよ」  そしてトラスティは、アリッサの想像を肯定してくれた。その顔が引きつっているのだが、おそらく自分も同じだろうとアリッサは想像した。 「たしかに、無理を通すことのできる人達ばかりですね……神殿見学でなければ、上陸許可も取れそうですし……パガニアから大挙して押しかけてきそうな気もします。それを考えたら、30人程度のキャパシティと言うのは、甘すぎる考えですね」  深すぎるため息を吐いたアリッサは、姉に向けて式場のキャパシティ変更を連絡した。 「多分、連邦宇宙軍からも出席者がありますよね」 「ジュリアン大佐に絡んで、エスデニアからも人が来そうだな……」  体を起こしたトラスティは、「早まった真似を」と頭を抱えた。結婚をすることに反対はしないが、それでも場所を選んで欲しかったのだ。場所をジェイドに変えるだけで、面倒はぐっと減ってくれたはずだった。 「間違いなく、いろんな思惑が絡みそうだよ……」 「ただ、一度で面倒を片付けると言う意味では悪くないと思いますよ」  前向きなアリッサに、トラスティはもう一度ため息を吐き出した。 「面倒が片付けばね……本当に、片付いてくれればね」  深刻そうに言われ、どうなのかとアリッサは秀麗な眉を顰めて考えた。そしてトラスティが言うとおり、とてもではないが片付きそうにないのを理解してしまった。 「私達の分は、先延ばしにしたくなりましたね……たぶん、今更無理でしょうけど」 「ああ、とっくの昔に情報は広まっていると思うよ。今頃、出発準備をしている人がたくさんいるんじゃないのかな?」  ああっと嘆いたトラスティは、「場所を変えようか」とアリッサに持ちかけた。この先の話をするには、こののんびりとした景色はふさわしくないように思えたのだ。せっかくのんびり出来たのに、全て台無しになってしまった気がしていた。 「そうですね……フローラにでも行きましょうか」  政治的な向きを話すには、あそこが伝統的にも正しいはずだ。その決めつけのもと、アリッサは次なる名所としてフローラを指定したのである。  場所をフローラに移した二人は、そこであまり会いたくない相手に会ってしまった。大きなテーブルを一人で陣取った、次期パガニア王クンツァイトである。  そこにクンツァイトがいるのは、出現を予測していたことを考えれば不思議ではない。面倒だと言う気持ちはあっても、一度じっくり話をしなければと考えていたのも確かだった。ただその時には、ライスフィールを交えなければだめだと思っていた。  だがクンツァイトのテーブルに山盛りに置かれたものを見たら、話はガラリと変わってくる。分かってはいたが、アリッサなど百年の恋が覚めたと感じたぐらいだ。何しろテーブルには、お店自慢のスイーツが所狭しと並べられていたのだ。 「やあ、これこれは……ここでお会いするとは奇遇ですね」  二人を見つけて立ち上がったクンツァイトは、こちらにどうぞと自分の向かいの席を勧めた。ただ二人は、テーブルの上を確認してはっきりと首を横に振った。どこをどう見ても、自分たちが注文したものを置く場所がなかったのだ。たとえ置けたとしても、クンツァイトのものに紛れ込んでしまいそうだった。  それでクンツァイトの隣の席に腰を下ろし、アリッサは紅茶とシフォンケーキのセットを、そしてトラスティはラテを注文した。比べるまでもなく、とてもあっさりとした注文である。そして世間標準という意味では、極めて世間標準の注文でもあるだろう。 「居るだろうとは思っていたんだが……」  クンツァイトの顔を見て、トラスティは小さく息を吐きだした。 「流石に、外でそれをするのはやめた方がいい」  テーブルいっぱいのスイーツを指差したトラスティに、「そうは言うが」とクンツァイトは抗弁した。 「ここで食べることに意味があると思っているんだよ。何しろここは、伝統のあるフローラだからね。かのIotUも、ここで奥方達と寛いでいたというじゃないか。それに、ここのスイーツはとても美味しいんだよ。それにね……」  目を輝かせたクンツァイトは、二人に自分の持っているメニューを手渡した。 「メニューが何か?」  渡されて開いてみたが、特に変わったところのないメニューとしか言いようがなかった。それを分かっていないと首を振ったクンツァイトは、最後のページを見ろとトラスティに言った。 「最後のページ?」  どれどれと二人で見て、クンツァイトが言いたいことが理解できてしまった。何しろそこには、「パガニアセット」なる不思議なメニューが存在したのだ。説明を読んでみたら、「パガニア王家御用達のスイーツセット」と書かれていた。 「私は、メニューにあるものを注文しただけだよ。君は、ここが1千ヤー前からパガニアと関係があるのを忘れていないかな?」  つまり、何ら恥ずかしいことはないと言うのである。ああそうですかとだれた二人は、運ばれてきた飲み物に手を付けた。色々と話をしようと思ってきたのだが、そんな気持ちも何処かに吹き飛んでしまっていた。 「君とは……色々と……その、話をしようと……思っていたんだ」 「頼む、食べるのか話すのかどちらにしてくれないか」  食べながら話されると、聞き取りづらくて仕方がないのだ。しかもクンツァイトと話すことを考えると、こんな雰囲気で話すようなことではなかったのだ。 「アリッサ、これでもクンツァイト王子を選ぶ気になる?」  さんざんクンツァイトを持ち出されたこともあり、トラスティはそのことをアリッサに問いかけた。 「でも、それ以外はとても素敵だと言うのは確かだと思いますよ……食い意地以外は……」  そこでため息を吐いたことで、アリッサの気持ちも分かろうと言うものだ。 「あなたがロレンシアさんに興味を示さない理由……分かった気がします」 「彼女も、パガニアの伝統を受け継いだ王女様だからねぇ」  小声で話しをする二人に、「そのロレンシアだけど」とクンツァイトが割り込んできた。 「どうやら、とっておきの舞を見せると張り切っているそうだよ。ただねぇ、他の巫女達の話によると、それは自爆のようなものらしいね。何しろ我が妻アルマシアは、神殿始まって以来の色香の持ち主と言う評判らしいからね」  口コミの話は、すでにアリッサ達の間に広まっていた。そしてそのことを、当然のようにクンツァイトも知っていたと言うことだ。 「アマネさんとは、比較にならないということですか?」 「神殿詣でをした者たちの評判を聞く限り、大人と子供の違いがあるそうだよ」  うんうんと頷いたクンツァイトは、「だから」と言ってトラスティに近づいてきた。 「ぜひとも君には、妹を女にして貰いたいんだ。なぁに、そのための時間ならしっかり確保しておくよ」 「いくら制限が緩和されたからと言って……」  はあっと大きくため息を吐いたトラスティは、「ありがたみが無くなった」と大仰に嘆いてみせた。 「そうやって、巫女に対する夢を壊すのはどうかと思うんだ」  巫女に対するイメージは、神に仕えるとても神聖な物と言うのが一般的なものだろう。そして男が、そのことに夢を持つのも不思議ではないはずだ。だが神殿を司るはずのパガニア王家の者、しかも次期国王様自らその夢を破ってくれるのだ。トラスティが文句を言いたくなるのも不思議なことではないはずだ。  だがクンツァイトにしてみれば、何を今更と言いたくなる指摘だった。 「我が妻となるアルマシアが筆頭で居る以上、それは間違った夢としか言い様がないね」  あははと笑ったクンツァイトは、ウエイトレスを呼んでコースの続きをお願いした。どうやらフローラに伝えられたパガニアセットは、テーブル一杯程度では終わってくれないようだ。  見ているだけで胸焼けがしそうだ。シフォンケーキを突くのをやめたアリッサは、どうしてだろうと自分の男運を考えていた。自分に言い寄る男の一人であるクンツァイトは、誰の目から見ても飛び抜けた美形に違いない。だが食事の席を考えたら、ご一緒したくないと言いたくなる大食漢だったのだ。それを考えると、恋人や結婚相手にしたくないなぁと思えてしまう。 「アマネさんは、この姿を見ているのかしら?」  今となれば、パガニアに嫁がなくても命を狙われることはないだろう。それを考えたら、本当にこの人でいいのかと聞きたくなってしまうのだ。ただ友達をなくしたくないので、絶対に聞いてはだめというのも理解していたのだが。  そして自分の前に居るトラスティを考えると、別の意味で問題があるとしか言いようがない。何しろ自分と知り合い、恋人関係になってからでも、それこそ片手で足りない相手と関係しているのだ。いくら相手がやんごとなき方とは言え、本当にいいのかと考えるのも不思議ではないはずだ。ただ救いは、それ以外はまっとうに見えることだろう。そして逆の問題は、これから先も関係する相手が増えそうと言うことだ。 「アリッサ、どうかしたのかい?」  その思いが顔に出ていたのか、トラスティの心配そうな声が聞こえてきた。このあたりの心遣いは、相手として満点なのだが、その分普段の女癖……と言うのか、女難が目についてしまう。 「いえ、その、ちょっと考えるところがあって……」  それはいいがと話を打ち切り、アリッサはトラスティにだけ聞こえるように耳打ちをした。 「私達が結婚するお話、お伝えしなくてもいいのですか?」  アリッサを奪い合う仲と考えれば、勝利を突きつけるのも悪くはないはずだ。だがトラスティは、「面倒」と答えて自分からは告げないことにした。 「どうせ、どこからか聞きつけてくるよ。アマネさんだったかな、多分彼女から伝わるんじゃないのかな?」 「たしかに、それはありそうですね」  だったらいいと、アリッサはそれ以上自分たちの結婚話を広めることに拘らなかった。  そんな二人に、「ところで」とクンツァイトは声をかけた。 「クリスティアの王女、なんと言ったかな……」  少し考えたクンツァイトは、「そうそう」と言って手を打った。 「グリューエル王女から、アス神殿見学の申請が来ていたよ。私の権限で許可を出しておいたことを伝えておくのを忘れていたね」  そのあたりは、予想通りと言えばいいのだろうか。わざわざここで持ち出す以上、グリューエルとトラスティの関係を知っていると言うことになる。ただ身構えていただけに、少し肩透かしの所がある言葉に違いない。  そしてもう一つ重要なのは、グリューエルを牽制したのがアリッサと言うことだ。それを考えれば、クンツァイトのしたことは彼女の邪魔と言うことになる。そう言うことをしますかと、アリッサの中でクンツァイトの評価が下がることになっていた。  一方トラスティにしてみれば、グリューエルは特に問題となる相手ではなかった。そして自分に対する嫌がらせのアス神殿の参拝許可にしても、結果的にグリューエルへの嫌がらせになるのは分かっていたのだ。そのあたり、ツメが甘いなと逆に呆れていたりした。だからトラスティは、「それはいいが」と本題を切り出すことにした。 「モンベルトの話は、どこで話をするつもりだ?」 「私は、今ここでしてもいいと思っているのだがね?」  どうかなと顔を見られたトラスティは、言下に「ダメだ」と答えた。 「モンベルトの王女様が居ない所でする話じゃない」 「だけど、実質的に仕切っているのは君なのだろう?」  それを考えれば、自分とトラスティがいればいいはずだ。クンツァイトの言葉に、「責任が持てない」とトラスティは言い返した。 「僕は、モンベルトに対する思い入れなんか少しもないからね。だからいつだって投げ出せるし、パガニアとの関係だってどうでもいいと思っているんだ。パガニア王が償いをすると言った以上、この話はモンベルト王女との間で決めてもらう必要がある」 「思い入れがないって……そうは言うけどね」  はっと息を吐き出したクンツァイトは、「なぜ」をトラスティに突きつけた。 「どうして、私の婚約披露の邪魔をしてくれたんだ? しかもロレンシアに、擦り傷をつけてくれたじゃないか。モンベルトに対して責任が無いと言う割に、随分と関わっているんじゃないのかな?」  矛盾しているとの指摘に、「別に」とトラスティはそっけなく言い返した。 「モンベルト王女の悲願達成の邪魔をしたんだ。ただ、その償いをしただけだよ。だから、僕はモンベルト復興事業に関わるつもりはなかったんだ」 「これ以上手を出すつもりはなかった?」  驚いた顔をしたクンツァイトに、「その通り」とトラスティは頷いた。 「リゲル帝国で済ますことを済ませたら、ジェイドに骨を埋めるつもりだったんだ。僕の責任は、お前の親父さんから謝罪を引き出すところまでのはずだった。そのつもりで居たら、みんなにリゲル帝国まで押しかけられたんだ」  そう言ってアリッサの顔を見たトラスティは、「恋人に頼まれたから」と手を出した理由を説明した。 「アリッサに頼まれた以上、手を出さない訳にはいかなくなったんだよ。本当なら、パガニアに知恵を絞って欲しかったんだが、たぶん無理だと思ったので僕が知恵を絞ることにした」 「うちには無理とは、随分とバカにしてくれたものだね」  少しきつい言葉を吐いたクンツァイトに、「事実だから仕方がない」とトラスティは言い返した。 「エスデニアの下位バージョンのパガニアに、エスデニアに出来ないことが出来るはずがないだろう」 「パガニアは、エスデニアの下位バージョンなのかい?」  相変わらずきつい口調のクンツァイトに、トラスティははっきりと頷いた。 「社会体制こそ違うが、パガニアはエスデニアの下位バージョンに違いない。そしてそれは、パガニアの望んだことのはずだ。正確に言うと、パガニアはエスデニアに憧れ、その真似をしてきたんだ」  違うのかと正面から見られ、クンツァイトは大きく息を吐きだした。 「まったく、あらためて君は何者なのか疑問に感じてしまうよ。一国の王子相手に、これほど物怖じをしないのは信じられないね」 「この銀河には、王国なんかそれこそ星の数ほどあるんだ。だから、王子なんて有り難みがないんだよ」  そう言い放ったトラスティは、「場所を用意する」と切り出した。 「ライスフィール王女と君との会談の場所を用意する。補償の話は、そこでしてくれないか」 「その場に、君も出席するのかな?」  その問いに、「どうだろう」とトラスティはとぼけてみせた。 「僕がでなくちゃいけないほど、難しい話になるとは思えないし……それに、子供の使い相手だと思うと、居なくてもいいかなとも思えるんだ」  だから分からないと言うトラスティに、クンツァイトは秀麗な顔を顰めてみせた。 「流石に、それは私のことをバカにしすぎじゃないのかな?」  テーブルいっぱいにスィーツを並べる真似をしていても、クンツァイトは上級戦士に並ぶ実力を持っていた。しかも国王から名代を仰せつかった自分に対して、「子供の使い」は明らかに侮蔑をした物に違いない。  はっきりと不快感を顔に出したクンツァイトに対して、トラスティは全く動じた様子を見せなかった。 「自由になる財布の金額は決められているんだろう? それを超えないように、思わせぶりな話をするだけなら誰でも務まる役目でしか無いんだ。賠償ではなく経済援助、そしてその総額はパガニア年間予算の0.1%程度。そこまでなら譲歩をしていいという裁量を与えられてきた……と言うのが僕の見立てだが?」  あまりにも正確な数値に、流石にクンツァイトも表情を隠し切るのに失敗をした。それを見逃さなかったトラスティは、「だから子供の使いだ」と挑発を繰り返した。 「それが分かっているから、ライスフィール王女だけで役者は十分なんだよ。それから言っておくが、レムニア帝国皇帝の管理する財団から、ライスフィール王女個人宛に資金援助が行われるのが決まっている。そしてアリッサの実家、タンガロイド社もモンベルト復興事業に協力してくれることになった。極端な話をすると、パガニアが一ダラも出さなくても、モンベルト復興事業を行うことが出来るんだよ。だから、ライスフィール王女には、金額ではなくパガニアを見るようにと指示をだすことにした」  そう言って鋭い視線を向けられたクンツァイトは、まだトラスティを見誤っていたことを理解した。 「下手をしたら、パガニアは超銀河連邦全体に恥を晒すことになる……と言うのだね」 「今回の話は、随分と話題になっているようだからね。けち臭いことをすれば、間違いなく恥を晒すことになるだろう。復興事業には資金が必要なのは確かだが、ただそれだけでいいと言う訳じゃない。僅かな金を出して、それで賠償が終わったと思うようじゃ恥を晒すことになるだろうね」  そう言い捨てたトラスティは、「ただ」と口元を歪めた。 「恥をさらすのは、パガニアの問題でしか無い。それでいいと思うのなら、ご自由にと言うのが僕の立場だ」  残っていたラテを飲み干したトラスティは、行こうかとアリッサに声をかけた。そんなトラスティに、「やはりたちが悪い」とクンツァイトは言い返した。 「直接会談の場に出るより、ずっといやらしい仕掛けをしてくれたよ。それを平然とするところは、たちが悪いとしか言いようがない」 「まあ、そのあたりは授業料だと思ってくれればいい」  そう言うことだと言い、トラスティは立ち上がったアリッサを抱き寄せた。 「せいぜい、頭を悩ませる事だ」  じゃあなと、手を振って二人は喫茶フローラを出ていった。それを見送ったクンツァイトは、「面白いことになった」と笑った。 「なるほど、私に行けと命じるだけのことが有った訳だ」  くっくと小さく笑い、クンツアィトも席を立ち上がった。彼の目の前には、パガニアセットの残りが沢山並んでいる。だが今の彼にとって、スィーツよりも優先すべきことが出来てしまったのだ。 「やれやれ、父に全権を寄越せと言わなければいけなくなってしまったな……」  それはそれで、自分も望むところなのだ。本当に面白いことになったと、クンツァイトはほくそ笑んだのだった。  ゆっくりと散歩を済ませたトラスティとアリッサを、少し緊張した面持ちのライスフィールがホテルの入り口で出迎えた。そしてトラスティの顔を見るなり、「パガニアから連絡がありました」と告げた。薄いピンク色のドレススタイルのワンピースをはためかせ、「大変なことになった」と大声でまくし立てたのである。 「ああ、予定通りのことだね」 「予定通りって……」  平然と言うトラスティに、ライスフィールはとっさの言葉に詰まった。そんな彼女の様子を気にせず、トラスティはパガニアの連絡の中身を問題とした。 「それで、パガニアは何を言ってきたのかな?」 「さ、三時間後……こちらの午後2時に会議を持ちたいと」 「時間としては、適当ってところかな」  うんうんと頷いたトラスティは、腰に手を回したままのアリッサの顔を見た。 「僕たちは、どこを観光していようか?」 「そうですね……」  うんとアリッサが考えた時、「観光ですって!」とライスフィールが大声を上げた。 「な、なぜ、あなたが観光していられるのです!」 「なぜって……僕は、モンベルトとは関係のない人間だと思ってるんだけど? これは、モンベルトとパガニアの問題だろう?」  答えの意味が理解できないというより、あまりにも非常識な答えにライスフィールの頭は理解するのを拒絶してしまった。ただ呆けていては何も解決しないと、「あなたは」と目を吊り上げてトラスティに迫った。 「わ、私を愛していると言ったはずです。そして、この子に対する責任もあるはずです! そ、それを蔑ろにしていいはずがありません!」  右手でお腹を抑え、ライスフィールは「責任を取れ」とトラスティに迫った。特に気に入らないのは、隣でアリッサがニコニコとしていることだ。トラスティがへらっと笑っているのは、いつものことだと諦めていた。 「愛してるって……ベッドの中のことを持ち出されてもねぇ。それに、お腹の子にしても、モンベルトの習慣では父親に責任は無いんだろう? それで責任を迫られてもねぇ」  そこで顔を見られたアリッサは、そうですねと小さく頷いた。そして追い打ちをかけるように、「明後日結婚することになりました」と爆弾発言までしてくれた。 「け、結婚……ですって!」  口を開いて目を大きく見開いたまま、ライスフィールはトラスティとアリッサの顔を見比べた。そしてしばらくしてから、「結婚ですって!」と繰り返した。 「恋人同士なんだから、結婚という話になってもおかしくないと思うんだけどな」  ねえと顔を見られたアリッサは、「実家も乗り気です」とトラスティの言葉を後押しをした。 「一緒にお姉さまも、カイトさんとの結婚式を挙げる事になったんですよ」  そう言って嬉しそうな顔をする以上、結婚するというのは事実に違いないだろう。だがライスフィールにしてみれば、自分に対する責任はどうなると主張したかった。だがそれをライスフィールが口にする前に、これでも譲歩した結果なのだとアリッサは付け加えた。 「色々と言いたいことがあると思いますけど、これでも私は譲歩しているんですよ。だって私は、モンベルトには行かないことになっているんです。だとしたら、モンベルト復興の形がつくまで、私はほとんどトラスティさんに逢えないんですよ。それを考えれば、結婚ぐらいで文句を言われたくありません!」  二人の立場を考えれば、アリッサの主張は正当なものだった。そしてアリッサは、ライスフィールに譲る理由などなかったのだ。それを考えれば、「譲歩した」と言う主張は正当なものと言えるだろう。  そこまで徹底的にライスフィールを突き放したところで、「そうは言っても」とトラスティは彼女をすくい上げる言葉を口にした。 「バルバロスに付き添って貰えばいいんじゃないのかな? それがどんな意味を持つのか、自分でじっくりと考えてみることだよ。いいかい、ゆくゆく君は、女王としてモンベルトを指導していくんだ。いつまでも僕に頼っていては、国民のためにならないんだよ」 「バルバロス様に、ですか?」  スタッフの一人だと紹介はされたが、じっくりと話したことはまだなかった。長命種だったかしらと、ライスフィールはバルバロスの顔を思い出した。 「ああ、彼には同席するよう僕から言っておくよ。あとはそうだな、アリハスル教授にでも付き添って貰えばいい」  そう言うことだからと言い残し、トラスティはアリッサと二人ホテルの中に消えていった。聞こえてくる話からすると、どうやら真っ昼間からと言うことはなさそうだ。ただ「結婚」と言う話を裏付けように、姉と相談しなければと言う言葉が聞こえてきた。  見捨てられた気持ちになったライスフィールは、二人の姿が消えた所で地団駄を踏んだ。そしてありったけの汚い言葉で、無責任なトラスティを罵った。  ただトラスティを罵るのも、5分が限度と言うところだった。いい加減罵り疲れたところで、ライスフィールは大きく息を吐き出した。そしてそれをゆっくり吐き出してから、肩を落としてホテルの中へと入っていった。パガニアとの交渉まで、残された時間は3時間を切っている。王女として国の復興のためには、できるだけの準備をしておく必要があったのだ。 「どうして、助けてくれないんです……アリッサお姉さまも冷たいと思います」  二人に見捨てられてしまった。その思いが、ライスフィールを確実に打ちのめしていた。  落胆して部屋に戻ったところで、ライスフィールは一通のメッセージが届いているのに気がつき表情を明るくした。 「やっぱり、私のことを心配してくれているんですね」  途端に機嫌を直したライスフィールだったが、メッセージの差出人を見てもう一度落ち込んだ。 「バルバロス様……ですか」  それだけを見れば、トラスティが約束を果たしたことになる。だが期待しただけに、裏切られたと言う思いはなおさら強まってしまった。ただ国のためには、小さなことを疎かにする訳にはいかない。「ラウンジで」と書かれていたので、承諾を送って指定されたとおりラウンジに行くことにした。  ライスフィールが共通ラウンジに現れてすぐ、バルバロスが姿を表した。灰色の髪と青の混じった灰色の瞳をした巨人に、ライスフィールは苦手意識を持っていた。しかも長命種に共通するのか、不機嫌そうな表情も苦手だった。 「トラスティ様より、パガニアとの交渉に同席するよう仰せつかってきました」  ライスフィールに一礼をしてから、バルバロスはゆっくりと向かいのソファーに腰を下ろした。ただ低めのソファーに腰を下ろしても、ライスフィールが立ち上がったのよりも頭が高い位置にあった。 「ご協力に感謝いたします」  落胆はしていても、相手に対する感謝を忘れてはいけない。優雅に頭を下げたライスフィールは、バルバロスに遅れてソファーに腰を下ろした。 「バルバロス様にご同席いただくだけで、心強い味方を得たと思います」  真面目な顔で……精神状態的に笑えなかったライスフィールに、不機嫌そうに見える顔でバルバロスは首を横に振った。 「いえいえ、トラスティ様でなく申し訳ありませんとしか……ただ、あのお方も色々とお考えの上とご理解ください。そして私が同席するのは、パガニアに対する圧力だとご理解いただければと思います」 「パガニアに対する……ですか?」  たしかに見た目は、迫力満点と言えるだろう。ただそれだけなら、ヘルクレズとガッズを連れていけば事足りるはずだ。だからライスフィールは、「圧力ですか」と繰り返した。 「ええ、パガニアに対する圧力です。私が同席することで、帝国……失礼、レムニア帝国がバックに居ることを示すことになります。国力と言う意味であれば、レムニア帝国はパガニアなど比べ物にならないほど大きいのですよ。そして超銀河連邦の中でも、色々と顔が広いのがレムニア帝国と言うことです」  つまりと、相変わらず不機嫌そうな顔のままバルバロスは身を乗り出した。 「パガニアは、レムニア帝国の目を意識しなくてはいけなくなるのです。大見得を切った以上、その程度と見られることを避けなくてはいけない。誇り高いパガニアですから、間違いなく外面を気にすることでしょう。私が同席することで、パガニアは結果的に評価者を意識することになるのです。さらにレムニア帝国と言う事を忘れても、私は予算面を担当しております。したがって、パガニアの出してくる条件を冷静に査定することが出来るのですよ」  そう言われると、心強い味方に思えてくる。少し表情を明るくしたライスフィールに、失礼ながらとバルバロスはトラスティのことを持ち出した。 「トラスティ様は、モンベルトの王になるおつもりはありません。もしもそのおつもりがあれば、おそらく違った方策を採られたことでしょう。ですからこの交渉は、貴方様がまとめなくてはいけないのかと思います。トラスティ様が同席され場合、果たして貴方様はあのお方に頼らずに交渉をまとめられるでしょうか?」  じっと顔を見られたライスフィールは、見透かされたような気持ちになっていた。たしかにバルバロスが言うとおり、同席して貰ったらトラスティに頼ってしまうだろう。そもそも頼るつもりだったから、帰ってくるのを待ち受けていたのだ。 「仰る通り……たしかに、私は彼に頼ってしまうでしょう。今でも、頼りたいという気持ちがあります」  少し項垂れたライスフィールに、バルバロスは小さく頷いた。 「それだけ、頼りがいのある御方と言うのは確かでしょう。そのトラスティ様が、大丈夫だと貴方様を認めているのも確かなのですよ。そうでなければ、ご自身が先頭に立たれて交渉をまとめられたでしょう」 「私を……認めている?」  小さく首を傾げたライスフィールに、「認めています」とバルバロスは繰り返した。 「そして、必要な仕掛けは済まされていると言うことです。すでにパガニア次期国王、クンツァイト氏と接触されているそうです」 「私のことを認めてくれている……と思えばいいんですね」  先程よりは明るい顔をしたライスフィールに、「その通り」とバルバロスは力強く頷いた。 「しばしば人の神経を逆なでする真似をされるお方ですが、そうしながら相手のことを見極めてらっしゃいます。そしてあのお方ほど、見極めの早いお方はおいでにならないでしょう。見込みが無いと思われたら、さっさと手を引かれているかと思いますよ」  だから自信を持っていいのだと、バルバロスはライスフィールの目を見て繰り返した。そしてライスフィールを元気づけながら、心の中でトラスティに対して毒づいていたりした。見目麗しい女性を騙すのに利用するな。女性を誑し込む共犯者にするなと言いたかったのだ。 「今回の会談は、あちらから要請があったと伺っています。でしたら、パガニアの出す条件を冷静に受け止めることが寛容かと。そして一通り条件を伺ったところで、私に評価を振ってくだされば結構です。事業全体を考えて、適切かどうかは私がお教えします。そこで一つ注意を差し上げるのなら、どのような条件が出されても表情に出してはいけないと言うことです」 「駆け引きに必要だ……と言うことですね」  その意味ぐらい理解できると、ライスフィールは頷きながら答えた。 「ええ、交渉ですから駆け引きが必要です。そこで一つ安心できるお話をするなら、すでにトラスティ様が駆け引きをされています。ですからパガニアは、恥を晒さなくて済むような補償を考えてくるでしょう」  そしてと、バルバロスは交渉の中身に踏み込んできた。 「すでにモンベルト復興事業のスキームは出来上がっています。そしてその上で必要な概算費用の算出も終わっています。これからモンベルトをサーベイし、適用技術の選択及び費用の精度を上げていくことになるでしょう。したがって、交渉で気をつけるのは、今のスキームを壊さないことです。タンガロイド社の関与を外した時点で、必要な費用が跳ね上がることになります。加えて言うのなら、アリッサ様を敵に回すのは賢明ではないと言うことです。トラスティ様抜きで進められるお覚悟があるのなら、王女の決断を尊重しようと思いますがね」 「今更、私があの人を逃がすとお思いですか?」  その答えに、「それでいいのです」とバルバロスは大きく頷いた。 「金しか出すつもりのなかったパガニアに、あのお方以上のプランを示せるはずがありません。一見良さそうに思えても、精査すれば大きな問題が見つかることになります。初めから疑ってかかり、そして棄却するつもりで聞けば、間違えることもないでしょう」  そう言ってから、バルバロスは珍しく笑みという物を顔に浮かべた。ただそれを、ライスフィールがどう受け取るかは別物である。そしてライスフィールは、顔をひきつらせたバルバロスに「何かあったかな」と疑問を感じていた。  ただお互いの行き違いは、ここでは大きな意味を持つことはない。必要なことは話したと、バルバロスは検討に戻る許しをライスフィールに乞うた。 「もう、ランチの時間だと思いますが?」  一緒にどうかと言う意味でランチを持ち出したライスフィールに、「いえいえ」とバルバロスは首を横に振った。 「王女様とでは、緊張して食べ物が喉を通りません。ですから、私は部屋でおとなしくプロジェクトの検討をすすめることに致します」  立ち上がったバルバロスは、腰を大きく折ってライスフィールに頭を下げた。そしてライスフィールに背中を向け、自分の部屋へと戻っていこうとした。それをライスフィールは、「バルバロス様」と呼び止めた。そして何事かと驚くバルバロスに、立ち上がったライスフィールは深く頭を下げて感謝の気持ちを表した。 「バルバロス様のご助力に、深く感謝いたします」 「もったいないお言葉だと……ですが、王女のお言葉、ありがたく思いますよ」  それではと言い残し、バルバロスは部屋へと言葉通り戻っていった。その足取りが早足なのは、彼の精神状態を表しているのだろう。 「結局、私は一人でランチを取ることになるのですね……」  本命のトラスティはアリッサと何処かに行ってしまったし、声を掛けたバルバロスには袖にされてしまった。今更アリハスルではないと思うし、ブレンダと食事をするのは息が詰まってしまう。ヘルクレズ達とでは、楽しくと言う訳にはいかないだろう。 「私も混ぜてくれればいいのに……」  想像の中にいるアリッサに文句を言ってから、ライスフィールはクリスタイプのアンドロイドに声をかけた。一人でレストランに行くより、まだラウンジの方がマシだと考えたのだ。 「どうすれば、あの人をモンベルトに足止めできるか考えないと……」  モンベルトに行くことを認めているのだから、それを活用しなければいけない。可能な限り長くトラスティを引き止める方法を、ライスフィールは真剣に考えたのだった。  一人寂しくランチをとったライスフィールは、そろそろ時間だとバルバロスに声をかけた。ここから先は、トラスティの支援は望めない。ならば自分とバルバロスの二人で、パガニア第一王子クンツァイトと向かい合わなくてはならない。 「では、参りましょうか」  緊張を隠さないライスフィールに、同じく顔をこわばらせたバルバロスが「御意」と続いた。右手と右足が同時に出ると言えば、二人がどれだけ緊張しているのか理解が出来るだろう。  そんな二人がエレベーターの前にたどり着いたところで、誰かが上がってきたのか突然扉が開いた。一体誰がと必要以上に驚いたライスフィールの前に、スッキリとした顔のカイトが現れた。 「なんか、珍しい組み合わせだな」  そう言って笑ったカイトに、ライスフィールはぎこちない笑みを浮かて頷いた。 「こ、これから、クンツァイト王子との会談に向かうところです」 「クンツァイト王子……」  瞬間意外そうな顔をしたカイトは、すぐに「ああ」と大きく頷いた。 「そう言えば、謝罪は済んでいたが補償の話はまだだったな……いかんいかん、つい終わったつもりになっていた」  あははと笑ったカイトは、「それでこの組み合わせ?」と二人の顔を見比べた。 「トラスティのやつは、一緒じゃないんだな」 「ええ、アリッサお姉さまと二人で何処かにいかれました」  そう言って拗ねたライスフィールに、「だったら大丈夫だな」と予想とは違うことをカイトは口にした。 「どうして、それで大丈夫だと言えるんです」  当たり前のように噛み付いたライスフィールに、「いやいや」とカイトは同行するバルバロスの顔を見た。 「あいつが、この男なら大丈夫と見込んだんだろう? あいつが一緒に行かないと言うのは、問題がないと分かっているからじゃないのか? まあ、あんたなら大丈夫だと信用していると言ってもいいんだろう」  そんなところだと笑ったカイトは、「ちょうどいい」と言って手を叩いた。 「明後日なんだが、俺とエヴァンジェリンの結婚式を挙げる事になったんだ。せっかくだから、ヘルクレズ達を連れて顔を出してくれないか。まあ、ついでにクンツァイトの奴も誘っておいてくれ。アリッサも結婚すると教えたら、きっと盛大に悔しがってくれるだろうな」  先程より高らかに笑ったカイトは、「頑張れよ」ととても軽い励ましの言葉を口にしてくれた。それでいいのかと言いたくなるのだが、肝心のカイトはさっさと部屋に消えてしまった。 「分かっていたことですが……」  その後姿を見送ったバルバロスは、珍しくため息というものを吐いてくれた。 「会談の重要度は、限りなく低いと言うことですか」 「私としては、厳重に抗議をしたいところなんですけど……」  そう言ってから、ライスフィールも大きなため息を吐いた。 「どうして、こんなに緊張していたのか……疑問を感じてしまいました」 「実を言うと、私も理不尽なものを感じています」  普段通りの不機嫌そうな顔をして、「行きましょうか」とバルバロスはライスフィールに声をかけた。 「ええ、さっさと済ませてしまいましょう。この先どうころんでも、あの人が責任を取ってくれるでしょうし……」  パガニアの態度に関係なく、モンベルト復興事業は動き始めてしまったのだ。そして総責任者としてトラスティが居る以上、交渉がうまくいかないときに頭を悩ませるのも彼の責任なのだ。それを理解したライスフィールは、「言いたいことを言いたくなりました」と少し捨鉢なことを口にした。 「遠慮する必要はないと思いますよ……本件に関して言えば、全面的にパガニアに非がありますからね」  だから止めるような真似はしない。バルバロスのお墨付きは貰ったと、ライスフィールは「何を言ってやろう」とクンツァイトの顔を思い出したのだった。 エレベーターで低層階に降りた二人は、係の案内のもと会議室へと向かった。その時係の者が緊張していたのは、登場人物が大物だからと言うことだろう。パガニアがモンベルトに謝罪をしたと言うのは、天の川銀河の中ではとても有名なことだったのだ。  そしてアス神殿を有することで、ミサキシティではその意味は更に大きなものになる。その当事者が顔を合わせる歴史的価値に、ホテルは大いに張り切ったと言うことだ。 「本会議室は、万全の防諜対策が施されております」  ですからご安心をとの一言を添え、係の者は二重扉の一つを開いた。そしてドアの傍らに配置された認証装置に手のひらを当てた。 「クンツァイト様が、中でお待ちです」  扉を開いた係の者は、中へは入っていこうとしなかった。「ここから先は、許されたものだけの世界」だと理解したライスフィールは、バルバロスの顔を見てから会議室の中へと入っていった。そしてライスフィールは、出迎えに来ていたクンツァイトと顔を合わせることになった。 「改めて自己紹介させていただきます。パガニア第一王子、クンツァイトです」  一度パーティーで話をしているとは言え、ここから先は国の威信を掛けた真剣勝負の場所となる。礼儀に則って自己紹介をしたクンツァイトに、ライスフィールは優雅にお辞儀をしてみせた。 「モンベルト王女、ライスフィールにございます。そしてこちらが、レムニア帝国宰相府から派遣されたバルバロス様です。バルバロス様には、財政面を含めてアドバイスを頂いております」  ライスフィールの紹介に合わせ、バルバロスはクンツァイトに向けて頭を下げた。そしてお互いの紹介が終わったと、クンツァイトの向かい側、4つ用意された席の真ん中にライスフィールは座った。  会談に臨むにあたり、クンツァイトは黒の詰め襟という、パガニアの正装をしてきた。そのあたり、ジェイドで開かれた婚約発表を倣ったとも言えるだろう。ただ黒一色ではなく、いたるところに金の縁取りがなされた豪華な格好だった。  一方ライスフィールは、体にピッタリとしたライムグリーンのドレスを纏っていた。華美さを求めていないのは、これが社交の場ではないと示す意味も持っていた。  そして付添となったバルバロスは、グレー生地に紺色の縁取りがついた、詰め襟のようなものを着ていた。そして質素を旨とするレムニア帝国らしく、派手な飾りはつけられていなかった。 「パガニア王が約束したとおり、本日は補償の交渉を行いに参りました」  なんの飲み物も用意されていないのは、時間をかけるつもりはないという意思表示からだろうか。ライスフィールをまっすぐ見たクンツァイトは、いきなり本題を切り出した。 「パガニアは、資金及び人的貢献による補償を考えています。ただ実際に人を送り込むのは、いくつか超えなければならない問題があるでしょう。そしてそれは、一朝一夕で解決できる問題ではないと認識しています」  まっすぐに見られたライスフィールは、クンツァイトに向かって小さく頷いてみせた。 「謝罪こそ頂きましたが、私達はパガニアを信用するに至っておりません」 「それなのに、戦士でもある私の前に護衛もつけられずに姿を出されたのですね」  チクリと嫌味を言ったクンツァイトに、「どうでしょうか」とライスフィールは言い返した。 「私は、正直な気持ちをお答えしただけです。そんなことより、話を先に進めませんか?」  少しも臆したところを見せないライスフィールに、この程度はできるのだなとクンツァイトは評価していた。そして先への話の通り、金銭的な補償について切り出すことにした。 「ちなみに、パガニアでもモンベルト再生プランを検討させていただきました。我々が把握している範囲で、モンベルトの人口は4千8百万人を少し超えた程度になっています。そこで、その人々のすべてを移民船に収容し、無人となったモンベルトの国土に対して汚染物質除去の作業を行います。惑星全体の規模を考えると、浄化完了までには20ヤーほどの時間が必要でしょう。そして浄化完了の後、植生の回復作業を行います。ただこちらは、少なくとも50ヤーほどの時間がかかることになります。それから都市の再生、耕作地の回復、生物の移住を行えば、100ヤー後には、移民船生活を解消できるのではないでしょうか。そしてパガニアは、その費用の一切を負担することをお約束します」  それが補償の全てだと、クンツァイトはライスフィールの目を見て切り出した。 「費用のすべてを負担されると仰るのですね?」  確認したライスフィールに、「然り」とクンツァイトは即答した。その答えに対して、ライスフィールは「具体性がどこにもない」と言い返した。 「あるのは、20ヤーだの50ヤーだのと言う、極めて不確かな目安となる時間だけですか。しかもいつからと言う、着手の確約もないお話だけなのですね? それで、私にどう評価しろと仰るのです」  この程度のことなら、バルバロスの助言がなくても答えることができる。クンツァイトの目を見て、「評価に値しない」とライスフィールははっきり言い切った。 「評価に値しない……ですか。なるほど、あなたの立場ならそう仰るのも理解できます」  厳しい評価を気にした素振りも見せず、「だが」とクンツァイトは話を続けた。 「まず着手についてですが、エスデニアを含めた連邦との整合が必要となります。我々の用意した移民船をモンベルトに派遣するには、超えなくてはならない問題が幾つか存在します。王女の口添えを頂いても、1、2ヤー程度で解決する問題ではないでしょう。移民船の用意、そしてモンベルト宙域まで運び込むための事前手続き、それを考えると、着手は早くて5ヤー後と言うことになるでしょう」  それが一つ目と、クンツァイトは指を1本立ててみせた。 「そして事業規模を正確に見積もるためには、モンベルトの大規模な調査が必要となります。パガニアから必要な調査人員を派遣すると言うのが一番なのですが、こちらは先程の問題に絡んできます。したがって、この調整にも時間がかかることになります。もともとモンベルトには、破壊前にも厳しい渡航制限がかけられていました。その為、私達のところにも詳細なデーターは残されていません。調査に時間が掛かるのは、それが理由だとご理解ください」  これが二つ目と言って、クンツァイトはライスフィールの目を見た。 「そして二つ目にも関わるのですが、実際の汚染状況が確認できていません。したがって、その後の浄化作業に要する時間を正確に把握することは不可能です。更に言うなら、パガニアにも投入できる予算の制限はあります。正確なことをお伝えできない理由をご理解いただけましたか?」  その答えに、なるほどとライスフィールは小さく頷いた。 「つまり、実現性に対する評価がなされていない……そう受け取ればよろしいのですね」  でしたらと、ライスフィールは技術面でのコメントを口にした。 「技術的に見ても、机上の空論と言う印象を受けています。どのような方法で、惑星全体を浄化するのかが全く見えてきません。確かに超銀河連邦には、いくつも技術が存在しているのでしょう。ですが、惑星全体の浄化を行った実績はないと伺っています。先程の数字を出されるにあたり、パガニアはどのような前提を使用されたのでしょうか?」 「算出根拠を示せ。そう考えればよろしいですか?」  確認したクンツァイトに、ライスフィールは小さく頷いた。 「すべての費用を負担されると仰った以上、費用についても根拠があると理解しています。パガニアの年間予算から、負担可能な金額かどうかの判断も必要かと」  ライスフィールの答えに、たしかにそうだとクンツァイトは頷いた。 「では、私共の算出した根拠をお示しします」  こちらにと言って示されたのは、何十ページにも及ぶ帳票だった。まともに考えれば、すぐに目を通すのは不可能な分量である。そして示された金額にしても、裏付けを取るのは困難を極めることだろう。  だが、この程度の検討であれば、すでにレムニアにいる時に済ませた話である。住民感情を含めてありえないとの結論を出していても、コスト評価は済ませていたのだ。 「バルバロス様、確認願えますか?」 「承りました。ところでクンツァイト殿下、金額の単位はダラでよろしいでしょうか?」  バルバロスの確認に、クンツァイトは一瞬間を置いてから頷いた。それを受け止めたバルバロスは、AIに指示を送りながら帳票を読み込んでいった。そして最後のページを終わったところで、「なるほど」と納得したような言葉を吐いた。ここまでに要した時間は、わずか30分だった。 「短期間で、集中して検討されたと言うのは分かります。ただ具体策を煮詰めるには、時間が短すぎたかと思われますね。かなりの見落とし、並びに積算不足が見受けられました」  バルバロスはそう答えると、己のAIを呼び出しデーターを示した。 「まず移民船についてですが、現在利用できる移民船はありません。したがって、リースで賄うことは現状で不可能でしょう。代替手段として客船を用いるという方法もございますが、その場合はリース費用が2桁ほど上がります。また汚染された住民を乗せることによる、その後の清掃費用も計上されておりません。これは移民船のリースにおいても同様とご理解ください」  それが最初の問題だと、バルバロスは長い指を一本立てた。 「次に、住民に対する医療費の項目一切が計上されておりません。補償と言う意味では、重大な算出漏れと指摘することができます。この費用は移民船に収容を始める前から発生するため、先の移民船リースと合わせて非常に大きな初期出費となります。そして医療費は、移民船で生活する間発生し続けます。これもまた、費用から抜け落ちているのが確認できました」  今のが2つめと、バルバロスは中指も立ててみせた。 「食料供給についても、費用が計上されておりません。移民船に収容した時点で、エスデニアからの支援は見込めないものとなるでしょう。したがって、船内生産を含めて食料供給を考える必要があります。一部合成食料に頼るとしても、そのプラント費用も計上されておりません」  これが3つ目と、バルバロスは3本の指を前に突き出した。 「惑星浄化後の、建造物に関する費用が見当たりません。100ヤー以上経過した、更に汚染除去段階で劣化した建物は、再建しなければ使用に堪えないかと思われます。またモンベルト復帰後に、住民が自立した生活をおくるための支援策の一切が含まれておりません。農業を行うための農地整備、産業を起こすための施設整備……等々。一度生活基盤を放棄させるのですから、その再建が必要となります。そしてこれは、移民船乗船時にも当てはまることです。先程は食料を問題としましたが、移民船内で必要な物資の生産、就業訓練も必要となります。これもまた、今回の積算には含まれておりません」  以上が4つ目と、バルバロスは4本の指を立てた。そこで一旦言葉を切ったバルバロスは、「よろしいですか?」とクンツァイトの顔を見た。 「それは、何について確認をしているのかな?」  余裕の表情を崩さないクンツァイトに、「お時間です」とバルバロスは意外なことを口にした。 「これから惑星全体のサーベイから浄化プロセス、惑星回復に至るプロセスについてご説明いたします。かなりのお時間が掛かることになるのですが、それでよろしいのかと言う確認です。そうですね、およそ5時間ほどと言うところでしょうか?」  5時間と言うのは、流石にクンツァイトも想定していないことだった。そのせいで、流石のクンツァイトも表情にそれを出してしまった。 「いかがしますか? とりあえず、算出し直した概算費用を提示いたしましょうか?」  そのあたりは、予想通りと言うところなのだろう。バルバロスの申し出に、「できれば」とクンツァイトは優先順位を変える依頼をした。 「では、事業全体の費用から」  そう言ったバルバロスは、表情も変えずに莫大な金額を口にした。 「総額で、80兆ダラと言うところでしょうか。1ヤー平均で、8000億ダラ程度になります。もっとも、初めの10ヤーは、3兆ダラ程度に膨れ上がることが予想されます。パルガトレの年間予算にして言えば、およそ15%と言うところでしょう。ちなみに予算精度は、マイナス20%、プラス300%となります」  最悪、4倍程度に膨れ上がると言うことになる。それを指摘されたクンツァイトは、この配役の意味を理解させられた。そして自分が、まんまとトラスティの仕掛けた罠にハマったのだと理解した。およそ100ヤーと言う期限を切ったこと、そして全額を負担すると明言したこと。言わなくてもいいことを、勇み足で口にしてしまったのだ。  そしてこの仕掛が嫌らしいのは、金額を口にしたのが第三者であるレムニア帝国の住人と言うことだ。100%の客観性は保証できなくても、はたから見れば第三者として受け取られるだろう。 「年間予算の60%を投入するお覚悟をした……そう受け取ってよろしいのでしょうか?」  黙ったクンツァイトに対して、ライスフィールはパガニアの覚悟を質す質問を口にした。だがクンツアイトが答えを口にする前に、「私としては」とライスフィールが口を開いた。 「両国の間に、新たな諍いの種を巻きたいとは思っておりません。パガニアが無理な負担を行った場合、住民に反モンベルト感情が生まれるのではないでしょうか。さもなければ、蛮行をなした王族への反発かもしれません。いずれにしても、それは双方にとって不幸なことになるでしょう」  違いますかと問われ、クンツァイトは間を置いてから小さく息を吐きだした。 「仰る通り、想定を超えた負担に違いありません。そして無理を通せば、間違いなくパルガトレ住民に不満の種をまく事になるでしょう」  そこまで口にして、「だが」とクンツァイトはライスフィールの顔を見た。 「これが、もっとも短期間かつ費用の掛からない方法だと思っています」  クンツァイトの言葉に答えたのは、ライスフィールではなくバルバロスだった。 「確かに、費用面でメリットがあるのは確かです。住民を気にせず汚染物質の除去、惑星の再建を行えると言うのは期間的にもメリットが有る考え方と言うのは認めます。ただ、私達は検討の早い段階で却下したことでもあります。その一番の理由をあげるとしたら、人の心を考えないものだと言うことにあります」 「人の心を持ち出しますか」  クンツァイトの疑問に、バルバロスははっきりと頷いた。 「ええ、人の心の問題です。移民船に収容した場合、順調に進んでも自分の代ではモンベルトへの復帰は叶いません。孫子の代でも叶うかどうかも分かりません。それを住民に突き上げられた場合、ライスフィール様はどのように説得されればいいのでしょうか? ライスフィール様の立場であれば、もっと違うプランを持ってくるように要求されることになるのではありませんか?」 「だが、これ以外の方法は費用も時間も論外なほど掛かることになる」  クンツァイトの反論に、バルバロスは大きく頷いた。 「論理的に考えれば、たしかに仰る通りなのでしょう。そして、それはないものねだりと言うことになります。ただ住民の感情は、それほどまでにネジ曲がっていると考える必要があります。パガニアが実行主体になると、住民の不満が噴出することになるのは想像に難くありません」 「だが、それでは答えのない袋小路に入り込むことになる!」  大声を出したクンツァイトに、バルバロスは大きく頷いてみせた。 「モンベルト復興における最大の問題は、人の心だと言うのが我々の検討した結果です。移民船を使うのであれば、我々もさほど頭を悩ませる事はなかったかと思います」 「ならば、他に方法があるというのか!」  事前に話したトラスティ、そして目の前にいるバルバロスの態度は、明らかに解決策があることを物語っていた。  ただ、パガニアにしたところで、モンベルトの問題はすでに検討していたことでもある。そこでの結論は、すでにクンツァイトが持ち出した通り、移民船を使うものだったのだ。それ以外の方法は、どう考えてもコスト面で折り合うものではなかったのだ。  それを説明しろと要求したクンツァイトに、「なぜ?」とバルバロスは驚いたような顔をした。 「私は、その義務を負ってはおりません。この席には、あくまでアドバイザーとして出席しているだけです」 「ならば、ライスフィール王女に説明を求めるだけだ」  そこで顔を見られたライスフィールは、小さく息を吐きだし憐れむような視線をクンツァイトに向けた。 「補償の方法を考えるのは、パガニアの責任のはずです。教えてくださいと請われたのならいざしらず、説明を求められる理由はないと思っております。パガニアの謝罪とは、そのような高圧的な態度で行うものなのでしょうか?」  冷静に切り返したライスフィールは、「そろそろ茶番はやめましょう」と穏やかに声を掛けた。 「お見せいただいた検討は、事前に検討されたものなのは確かでしょう。ですが、トラスティ様に会われるまでは提示するつもりは無かったのではありませんか? 私としては、パガニアとしての誠意の見せ方が間違っているかと思います」  その指摘に対しては、簡単に否定することは出来ただろう。だがクンツァイトは、無駄な反論をすること選ばなかった。その代わり、ライスフィールの真意を問う質問を口にした。 「それは、謝罪をしろと仰っているのか」  確認したクンツァイトに、それは違うとライスフィールは首を横に振った。 「すでに、公の場で謝罪を頂いています。殿下が謝罪することを止めはいたしませんし、受取を拒否することもありません。ただ、謝罪ではなく、誠意を見せていただきたいと思っております。もう少し正確に言うのなら、パガニアとしての覚悟でしょうか?」 「パガニアの覚悟と仰るか」  言葉を選んで問い返したクンツァイトに、ライスフィールは表情を緩めて「覚悟です」と繰り返した。 「その覚悟とは、どのようなものを仰っているのか?」  クンツァイトとしては当然の問いに、ライスフィールは小さく頷いた。 「私共とともに、数多の困難に立ち向かう覚悟です。バルバロス様からお話があったとおり、すでにモンベルト再生へのプランは出来上がっております。ただ資金面及び人材面ではまだ不足しております。また可能ならば、パガニアの持つ技術も利用できたらと思っております」  いかがでしょうかと顔を見られ、クンツァイトもまた表情を緩めた。そして大きく息を吐きだし、「まだまだですか」と吐き出した。 「それは、私も同様に抱えた問題だと思っております」  そう言ってからライスフィールの顔を見たクンツァイトは、「手のひらの上で踊らされた」と己を嘆いた。 「それは、私も同じだと申し上げます」  小さくため息を吐き出したライスフィールは、「説明を」とバルバロスに話を振った。 「すでにトラスティ様よりお聞き及びかと思いますが、レムニア帝国皇帝アリエル様の管理する財団から、ライスフィール王女個人に対して資金援助が行われます。また同様の申し出を、クリスティア星系からも受けております。加えて申し上げると、アリッサ様のご実家、タンガロイド社から支援の申し出も受けております。惑星改良に必要な機材が、大幅なディスカウントを受けて入手が可能となっております。またタンガロイド社の提携先から、コロニー作成のノウハウ提供も行われる予定になっています」 「今、コロニーと言ったかな?」  話に割り込んできたクンツァイトに、「確かに申し上げました」とバルバロスは答えた。 「そして、これが事業のポイントとなっております」  そう答えたバルバロスは、何が不足しているのかを次に説明した。 「先ほど説明いたしました支援で、資金面のめどがつこうとしております。ですから、パガニアに対してはさほど莫大な金額を求めてはおりません。おそらく、当初予定されていた金額程度で十分かと思われます」  なるほどとクンツァイトが頷いたのを確認し、バルバロスは求められる技術を口にした。 「現時点で欠けている技術は、相転移空間技術並びに空間接合技術だと思っております。トラスティ様は、それをエスデニアに求めることを計画されております」 「その技術なら、わがパガニアにもある……と言うことか」  なるほどと頷いたクンツァイトは、技術提供に係る問題を口にした。 「だが、パガニアがモンベルトに人を派遣することになる。その問題を解決する必要があるのは変わっていないはずだ」 「そのあたりは、トラスティ様に考えがあると思いますが……おそらく、殿下には共犯となる覚悟を求められるのかと」  少し困った顔をしたバルバロスに、クンツァイトはそれ以上の問いを発しなかった。そして資金に関して、「なぜ」を確認することにした。 「タンガロイド社は、アリッサさんのことを考えれば理解できる。そしてモンベルト復興事業に採用されるのは、タンガロイド社にとって大きな宣伝にもなるだろう。だが分からないのは、なぜレムニア帝国皇帝が管理する財団やクリスティア連合から、王女個人に対して資金援助が行われるのだ?」  その疑問は、ライスフィールも感じていることだった。そして今まで行われた打ち合わせでは、その何故に対する答えを貰っていなかった。  だからその答えを期待したのだが、バルバロスは大きく目を見開き「相手が違います」と答えた。 「財団のことは、トラスティ様に聞いてください。そしてクリスティアについては、王女がお見えですからそちらに伺っていただきたい。私は、ただそうだと説明を受けただけのことです」  ライスフィールにしてみれば、失望しかない答えでしか無かった。だがそれを受け取ったクンツァイトは、なるほどと頷いて「質問を変えよう」と言った。 「ならば、なぜレムニア帝国の君が、モンベルトに関わることになったのだ? 普通に考えれば、手を出す理由がないと思うのだがね?」 「皇帝聖下アリエル様のご命令です」  疑問に対して答えとなっていないのだが、それでも十分だとクンツァイトは考えていた。何もなければ、レムニア帝国皇帝が命令を出す理由がないのだ。そしてそれは、リゲル帝国でも事情は変わらなかった。つまりトラスティは、その双方を動かすだけの力があると言うことになる。 「只者ではないと思っていたのだが……」  ふうっと息を吐いたクンツァイトは、ライスフィールの顔を見て「補償から離れるが」と別の話題を振ることにした。 「あなたは、我妻の壮行会の二次会で、ロレンシアとやりあってくれましたね。今でも彼を、モンベルトの王として迎えるつもりですか?」 「私としては、その希望を持っています……」  力強くそうだと言いたいところなのだが、事情が事情だけに答えも曖昧なものになってしまった。そしてクンツァイトも、その事情を理解していた。 「彼は、アリッサさんを優先するのでしょうね。さもなければ、この場に同席していたでしょう」  違いますかと問われ、ライスフィールは渋々頷いた。 「明後日ですが、お姉様と合同で結婚式を挙げられると教えられました」 「なるほど、最悪ではないにしろ、あまり好ましくない事態と言うことですか……」  誰にとってとは口にせず、クンツァイトは「よろしくない」と繰り返した。 「そのことに関しては、私も同意見です。ただ、パガニア第一王女とは、利害という意味では対立しているのかと。更に言うのなら、アリッサさんを敵に回すと、モンベルト復興事業が頓挫することになります」  そこで顔を見られ、バルバロスは小さく肩をすくめてみせた。 「私からは、ノーコメントとさせていただきます」  そこで耳をふさいだのは、これ以上この問題には関わらないという意思表示なのだろう。それならそれでいいと開き直り、ライスフィールは「協力できることはありますか?」とクンツァイトに問いかけた。 「予め申し上げておきますが、私のお腹には彼の子供がいます」 「それを盾に取れないと言う事情があると言うことですね」  なるほどと大きく頷いたクンツァイトは、「パガニアは」と自分たちの事情を口にした。 「特に王族の場合、一夫一婦制と言うことはないのですよ。だからアリッサさんが彼の妻となっても、ロレンシアにとって障害にはならないでしょう」  そちらはと問われ、「事情は違いますが」とライスフィールはモンベルトの事情を口にした。 「夫と言うのは、形式的な意味しか持っておりません。複数の男性が、複数の女性と関係を持つのは当たり前とされています。その意味では、私の方が事情としては厳しいことになります」 「ただ、貞操の縛りはない……と理解すればいいのですね」  なるほどと頷いたクンツァイトは、「カイト氏は?」と思い出したようにもう一人のキーパーソンのことを持ち出した。 「確か、もう一人別の女性と関係されていると伺っていますが?」 「その辺の事情は伺っていませんが……」  うんと考えたライスフィールは、「なるほど」と小さく頷いた。 「複数の女性による共有を認めされればいいと言うことですね?」  ライスフィールの言葉に、クンツァイトも頷き返した。 「かのIotUも、なし崩し的に妻を増やしたと伝えられています。おそらく、その方が好都合と考えられる方が他にもおいでではありませんか?」  そう言われて思い出したのが、リゲル帝国皇女ミサオのことだった。確かにその方が、自分にとっても都合がいいのは間違いない。 「では、味方を増やすことを考えた方がよろしいですね」 「パガニアとしても、最大限の協力をさせていただきますよ」  ニヤリと笑って、クンツァイトは差し出されたライスフィールの手を握った。モンベルトとパガニアの関係を考えれば、歴史的共闘には違いないだろう。ただその中身を考えると、歴史には記したくないものとも言うことができた。 「聖下が悪乗りしそうですな……」  二人には聞こえないほどの小さな声で、退屈と叫ぶアリエルのことをバルバロッサは思い出していた。  突き放した以上、トラスティはライスフィールから結果を聞く権利を失っていた。ただ今更無責任な立場でいることは、ライスフィールが許すはずがない。外から帰って来るのを待ち構えていたライスフィールは、「話はまとまりました」とトラスティの顔を見るなり切り出した。 「その顔を見る限り、悪い方には向かっていないようだね」  トラスティの指摘に、「ええ」とライスフィールは小さく頷いた。すでに公式な立場を離れたため、ライスフィールは気楽な恰好に着替えていた。具体的に言うのなら、紺色のキュロットスカートに黒のストッキング、そして上にはピンクのタンクトップを着ていた。 「クンツァイト王子には、共犯になる覚悟を決めていただきました。ちなみに相転移空間技術の使用並びに空間制御技術の使用についてもお願いしてあります」  もう一つ、自分にとって重要な部分を隠してライスフィールは会談の報告を口にした。それに頷いたトラスティは、「無難な線だ」と結果を評した。 「そうですね、バルバロス様にご同席いただいた甲斐があったかと思います」  満足そうなライスフィールに笑みを返し、トラスティは少しだけ表情を引き締めた。 「後は、エスデニアだけと言うことか……」 「代々エスデニアの議長様にはご支援を頂いています」  トラスティの持っている懸念は、ライスフィールとは共有されていない。従ってモンベルトに生きるライスフィールにとって、エスデニアは祖国の恩人なのである。代々の議長が面倒くさく厄介な性格なことは知っていても、障害になるとは思っていなかった。  そんなライスフィールの答えに、トラスティは小さく頷いた。そして傍らに居るアリッサを見てから、場所を変えることを提案した。 「夕食までの時間、少し話したいことがあるんだよ」 「お話を、するんですか?」  このメンツが揃い、しかも大きな問題が解決をしたのだ。その先にあるのは、話ではなく男女の関係だとライスフィールは考えていた。その意味で、トラスティの言葉は予想もしていないものだった。  だが疑問を呈したライスフィールに、「釘を差されている」とトラスティは口元を歪めた。 「お腹の子供のために、そっちの方面は控えるように言われているんだよ」  ブレンダの言葉を持ち出したトラスティに、「余計なことを」と心の中でライスフィールは呪っていた。だが事情を知られた以上、そしてお腹の子供を守ると言う大義が有る以上、それ以上迫ることはできなくなってしまった。仕方がないと諦めたライスフィールは、「どのようなお話ですか?」と本題を確認した。  ただその疑問に対して、「それは後で」とトラスティは言葉を濁した。そうなると、それ以上問い詰めるのは無理と言うことになる。仕方がないと諦め、「すぐにですか?」と時間を確認した。 「ああ、僕達が着替えをする程度だね」 「場所はどうされます?」  大切な話をするのに、フロアにあるラウンジで良いのか。その疑問に対して、「構わない」とトラスティは答えた。 「この件に関して言えば、クンツァイト王子を交えて話をしてもいいぐらいだ。気にしなくていけないのは、エスデニアだけなんだよ」  それ以上の説明は、中身を語ることになってしまう。だからトラスティは、それ以上語らずに「20分後」と言ってアリッサを連れて部屋に入っていった。 「パガニアが良くてエスデニアが駄目と言うのは?」  その背中を見送ったライスフィールは、少し目元にシワを寄せていた。和解らしき物こそしたが、未だパガニアは敵であり、エスデニアは味方と言うのがライスフィールの考えだったのだ。  そして指定された通り20分後に、トラスティはラウンジに姿を表した。ただライスフィールにとって疑問だったのは、アリッサがその場に居ないことだった。そしてもう一つの疑問は、アリッサの代わりにカイトが同席したことだった。 「アリッサお姉様は同席されないのですか?」  それを最初に問題としたライスフィールに、「必要な配役」とトラスティは答えた。 「アリッサには、もう説明してあるからね。だからこの機会を利用して兄さんに説明するのと、必要な情報を貰おうと思ったんだよ」  そこでカイトの顔を見たトラスティは、「疑問に思わないか?」とライスフィールに問いかけた。 「調べてみたが、モンベルトへの通路は今も、そして昔もエスデニアが管理していた。その事情は、ずっと変わっていないんだよ。過去エスデニアが侵略を受けた際、IotUはモンベルトに行って居てコンタクトが遅れたという事情がある。その際パガニアが連絡を取ろうと試みたが、結果的にできなかったと言う記録も残っている。それだけ厳重に管理されていたのが、モンベルトに通じる道だったんだよ。それなのに、800ヤー前にモンベルトはパガニアに攻撃されている。なぜパガニアは、エスデニアを出し抜いてモンベルトに攻撃できたのだろうね。どうやってモンベルトに通じる空間を見つけたのか……」 「さもなければ、誰かに教えられたのか……か?」  あえて口にしなかった部分を、カイトが代わりに口にしてくれた。その言葉に頷いたトラスティは、「もう一つ」と別の疑問を口にした。 「モンベルト虐殺に関して、パガニアは何ら制裁を受けていないのはなぜかと言う問題もあるんだ。兄さん、連邦軍で何か聞かされたことはありますか?」  800ヤー前のこととは言え、連邦軍なら情報があってしかるべきだ。その意味での問いに、カイトはしっかりと首を横に振った。 「いや、伝えられている話はないな。終わったこととして、記録を見たことも無かった気がする」  そう答えてから頷いたカイトは、「確かにおかしい」とトラスティの言葉を認めた。 「今の超銀河連邦憲章は、およそ900ヤー前に最後の改正がされている。だから、モンベルトが蹂躙されたときから、条文は変わっていないことになるな。そしてその憲章に従えば、パガニアの行ったことは重犯罪とされるものだ。重力ホールによる星系封鎖並びに、指導者の逮捕と言うのが規定になっている。だが記録を紐解く限り、パガニアに対して制裁措置が発動したことにはなっていない」  自分の代わりに説明したカイトに頷き、トラスティは「不思議だろう」とライスフィールに同意を求めた。 「確かに、いくつか腑に落ちない点はあるのですが……ですが、パガニアの立場を考えれば、制裁措置をとりにくかったと言うことはありませんか? IotUの妻たちの縁者を殺していった時にも、連邦は戦争を恐れてパガニアには手を出さなかったと言うではありませんか」  疑問に対して自分なりの考えを口にしたライスフィールに、「それはおかしい」とトラスティは指摘した。 「IotUの妻たちの縁者の場合、戦争を行う大義名分が立たなかった。なにしろ、思い出したように時間を置いて殺されていったからね。しかも目立たないように、暗殺という方法がとられていたんだ。だがモンベルトの場合、宇宙に出ることの出来ない住民に対する大虐殺だ。いくらパガニア支持を打ち出している星系でも、流石に庇い切ることの出来ない暴挙なんだよ。もしもエスデニアが制裁を打ち出したら、間違いなく誰も反対はできなかっただろうね。普段パガニアを支持している星系にしても、表立って反対することは出来ないんだ」 「それなのに、エスデニアはパガニアに対する制裁措置を打ち出さなかったと……」  順を追って説明されれば、それは確かに異常なことに違いない。だが異常だからと言って、それが何を導き出すのかは分からなかった。正確に言うのなら、理解するのを頭が拒絶したのかもしれない。その名前を出すのは、モンベルトに生きるライスフィールにとって禁忌にも等しいものだったのだ。  だがトラスティは、そんな事情は持ち合わせていない。ライスフィールの口に出せなかった名前を、はっきりとこの場で口にしてくれたのだ。 「ここまで説明すれば分かると思うけど、モンベルト虐殺にはエスデニアの関与が疑われる」 「エスデニアの関与……ですか」  ごくりとつばを飲み込んだライスフィールに、トラスティははっきり頷いてみせた。 「だが、そうなると理由が必要になるな。その理由に心当たりはついているのか?」  エスデニアの関与の一歩先を持ち出したカイトに、トラスティは小さく首を振った。 「残念ながら、そこまでは分かっていません。そもそもモンベルトで虐殺を行うことに意味があるとは思えないんです。ですが、パガニアは大虐殺を実行した。その事実だけは、間違いなく存在しているんです」  そこまで説明したトラスティは、「もっとも」と今のエスデニアに言及した。 「今の最高評議会議長が、その事情を知っているとは思えませんね。パガニアがモンベルトへ通じる空間を知ったことにしても、尋ねればそれらしい説明はしてくれるかもしれません。ただそれも、今になっては確認のしようもないことです」  それからと、トラスティは3つ目の疑問を口にした。ただその疑問は、ライスフィールが考えもしていないことだった。 「なぜエスデニアは、モンベルトに自分で支援をしたのだろうね。直接の責任はパガニアにあるのだから、必要な物資はパガニアに出させればいいんだ。そしてパガニアも、エスデニアや超銀河連邦に迫られれば補償の物資を供出せざるを得ないだはずだ。そしてその事情は、超銀河連邦も同じなんだよ。だけどエスデニアは、超銀河連邦の関与も否定している。その「なぜ」に対する答えも見つかっていないんだ」  そこで顔を見られたカイトは、「政治向きの話は分からないが」と言い訳をした。 「5千万人とは言え、それだけの食糧援助はエスデニアにもかなりの負担のはずだ。そして連邦にしてみれば、誤差のような物資に違いない。その意図は分からないが、確かにエスデニアが無理をする必要のない話だな」 「モンベルトに対する贖罪……と言うことは考えられませんか?」  自分達が見逃したせいで、モンベルトは荒廃し大勢の人の命が奪われたのだ。そして今もなお、劣悪な環境に人々は苦しんでいる。ライスフィールが「贖罪」を持ち出したのも、それを考えれば理解の出来る話だった。 「その可能性は否定できない。ただ、その贖罪がモンベルトの足を引っ張っているとなれば話は別だ。早くから連邦を関与させれば、モンベルトの荒廃はここまで進んでいなかったんだよ。以前モンベルトが意思を示さなかったからと僕は言ったが、それにしても放置しすぎなんだ。せめて汚染地域拡大防止策をとっていれば、ここまで惑星上は荒廃しなかったし、人の数ももっとたくさん残ったはずだ。本来モンベルトの人達は、ここまで過酷な環境に晒される必要はなかったと思っている」 「だとしたら、エスデニアは何を意図したのか……と言うことになるな」  カイトの言葉に、トラスティは小さく頷いた。 「もしかしたら、パガニアは踊らされただけと言う可能性が有ると思います。ちなみにそれは、モンベルトだけではなく、IotUの妻たちに対しても同じかもしれません」 「ちょっと待ってくださいっ!」  そこまでトラスティが説明した所で、ライスフィールが大きな声を上げた。 「エスデニアは、私達モンベルトの恩人なのですよ。それを疑うというのは、あまりにも罪深い話です!」  絶対におかしいと叫んだライスフィールに、「だったら」とトラスティは静かに問いかけた。 「僕が感じた疑問、それに対して合理的な説明をすることができるかな?」  その問いかけに、ライスフィールはすぐに答えを口にすることはできなかった。 「僕の推測にした所で、証拠なんてどこにもないんだ。だから君が反論するのも無理のないことだと思っている。だからここで白黒つけようなんて考えていないんだよ。伝えられた事実を紐解くと、どうしても理由に説明がつかないことが有る。それだけを覚えておいてくれればいいと思っている」 「俺をこの場に呼んだ理由はなんだ?」  未だ黙ったままのライスフィールに代わり、カイトが疑問を口にした。 「兄さんも、無関係ではいられないからですよ」  そう答えてから、トラスティは一度ライスフィールの顔を見た。そしてもう一度カイトの顔を見てから、自分の考えを口にした。 「僕達は、これからある意味藪を突きに行くんです。モンベルトの問題は、その前哨戦にしか過ぎないと思っています。すでに解決策が見え金策もほぼ完了している以上、ここから先は間違えさえしなければモンベルトは復興することが出来るでしょう。僕が気にしているのは、その先のことなんですよ」 「……お前は、なにを言っているんだ?」  今抱えている問題は、荒廃したモンベルトの復興事業だけのはずだ。そしてプランこそ出来たが、それが簡単なものと言うことは出来ないはずだ。普通なら「終わったつもりになるな」と叱るところなのだが、カイトは「その先」と言う言葉に引っかかりを感じていた。 「今はまだ」  だが答えを求めたカイトに、トラスティは「答えない」と言う選択をした。それに文句を言おうとしたカイトに対して、「今はまだ」とトラスティは繰り返した。 「まだ僕の中で確信になっていないんです。今はただ漠然とした、掴みようのない不確かなものでしかありません。それを口にする勇気は、流石に僕でもありませんよ」  だから、今は口にすることが出来ないのだと。それを繰り返したトラスティに、仕方がないとカイトはため息を吐いた。 「今話せるのは、これが限界と考えればいいのだな?」 「そうですね、さほどお待たせすることはないと思っているんですが……と言うか、そこまで時間を掛けようとは思っていません」  少し深刻そうな顔をしてから、トラスティは小さく息を吐き出した。 「それもまた、不確かな感覚でしか無いんですけどね」 「まあ、事情ってやつは理解できた……実害がないのなら、辛抱強く待つことにするさ。ところで、これで話は終わりか?」  少し肩をすくめたカイトに、トラスティははっきりと頷いた。 「今の所は……ですね」  だったらいいと答え、カイトはソファーから立ち上がった。そして二人に背中を向け、自分達の部屋へと入っていった。午後の約束があったのに、ここまでエヴァンジェリンを放置してしまったのだ。それを考えると、ご機嫌がどこまで曲がっているか恐ろしい。モンベルト復興事業も大切だが、そのためにもエヴァンジェリンのご機嫌を損ねる訳にはいかなかった。  それに遅れて立ち上がったライスフィールは、小さく会釈をしてからトラスティに背を向けた。そして「嘘を吐いていますね」と言い残して、自分の部屋へと戻っていった。 「嘘を吐いている……か。流石に鋭いな」  ライスフィールを認めたトラスティだが、それでも彼女が真実に到達しているとは考えてなかった。 「コスモクロア、君の力でザリア……ラズライティシアを抑えることは出来るのかな?」  約1千ヤーから今まで、唯一エスデニアに影響を与えられる存在があったのだ。ただそれを口にするのは、まだ時期尚早とトラスティは考えていた。そしてそれを口にしないことが、トラスティの吐いた嘘だったのだ。  神殿側から指定された時間は、午後の2時と言う微妙なものだった。どれ位微妙かというと、このあとに参拝者を1組み入れられるかどうかと言うぐらいである。一行にとってみれば、昼食をのんびり取れるというメリットはあるのだろう。だが一部男性……トラスティにとってみれば、あからさまとしかいいようのない時間割でもあったのだ。 「間違いなく、私達が最後ですね」  そしてそれぐらいのことは、アリッサも理解していることだった。何しろ自分たちの他に、パガニアからクンツァイト王子も参加しているし、クリスティアからはグリューエルまで加わっていたのだ。  勝ち誇ったような顔で自分を見るのは、きっと政治的に勝利をしたと思っているのだろう。そんなグリューエルに、知らないことは平和だとアリッサは哀れみすら感じていた。 「私のご先祖様も、フヨウガクエンには何度も顔を出されたと聞いています」  聖域とは言っても、1千ヤー前の学び舎なのである。少しも華美なところはなく、すべてが機能的に配置されていた。ただ政治的に重要な舞台となった場所と言うことで、グリューエルは感激した面持ちであたりを見回していた。  もっともアリッサは、グリューエルの言葉を全く聞いていなかった。そのあたり積極的に無視をしたと言うより、案内役の巫女に付きまとわれたと言うのが理由である。  「処女じゃありませんから!」とトラスティに腕を絡めたのだが、「何を今更」と逆に笑い飛ばされてしまった。 「アルマシア様がおいでなのですよ。今更処女性に拘ることに、なんの意味があるとお思いなのですか? しかもロレンシア様が、今にもよだれを垂らしそうな顔で待ち構えられているのですよ。結婚をちょっとだけ我慢していただけば十分ではないでしょうか?」  「巫女のありがたみって」と疑問を感じたアリッサは、これもロレンシアの計画かと警戒した。自分を身代わりにして神殿を脱出し、トラスティを手中に収めようと考えているのだろう。 「それにアルマシア様も、あなたと一緒の方が心が休まるのではありませんか」  その言葉を聞く限り、自分の想像は間違っていなかったようだ。「絶対にお断りします」と強調し、トラスティの影に隠れたのである。  それを笑った巫女達は、「神隠しに遭わないといいですね」などととても不穏なことを口走ってくれた。それを聞きながら、なかなかいい手だなと、ライスフィールはパガニアへの協力を考えていた。ちなみにもう一人の金髪碧眼のグリューエルは、女性的魅力に欠けると言うことでターゲットにされていなかった。そしてライスフィールは、「妊婦です!」と資格が無いことを強調した。 「アリッサのことは、コスモクロアに守らせているから大丈夫だと思うけど……」  デバイスならば、多層空間移動を行われても振り切られることはないはずだ。そして居場所さえ分かれば、奪還するのも難しくない「はず」だった。ただ問題は、アマネが敵に回らないかと言うことだ。  おかしな緊張感に包まれながら歩いた一行は、最初の関門である神殿警備隊の訓練場所にたどり着いた。前回と順番が変わっているのも、ロレンシアの意向を組んだと考えれば不思議なことではない。ただ前回と違ったのは、戦士たちが整列して一行を迎えてくれたことだろう。 「さて、今更説明の必要はないと思うが?」  そう言ってカイトを見たのは、前回も手合わせをしたシュバルツワッサーである。嫌になるほど屈強な体つきは、さすがはパガニア指折りの戦士と言うところだろう。 「また、俺とやるか?」  前よりは鍛えていることもあり、カイトは積極的に手合わせを持ちかけた。だがシュバルツワッサーは、「いやいや」と首を振って少し離れたところに立つヘルクレズ達を見た。 「王宮付きの奴らが一蹴されたと聞いているからな。ならば、ぜひとも手合わせをしたいと考えるのはおかしなことじゃないだろう。俺と、もう一人サノスが相手になる。なぁに、死なない程度には痛めつけてやるさ」  そう言って笑ったシュバルツワッサーは、一転して表情を引き締めライスフィールの前に立った。 「ライスフィール王女殿下、お初にお目にかかります。神殿付き上級戦士筆頭シュバルツワッサーにございます。この度は、ぜひとも殿下の力を私共にお示しいただければと考えております」  丁寧に頭を下げるあたりは、さすがは神殿付きと言うところだろうか。その礼儀に応えるために、ライスフィールも会釈をシュバルツワッサーにした。 「丁寧なご挨拶、痛み入ります。ところでシュバルツワッサー様は、どのような勝負を望まれますか?」  ジェイドでパガニアの戦士を叩きのめした以上、戦いを挑まれるのを避けて通ることはできない。それを心得ているライスフィールは、戦い方をシュバルツワッサーに問うたのだった。 「双方全力での戦いを望みます。ただ相手を殺すところまでというのは、ここが神殿であるのを考えればふさわしくないかと思っております」 「武器に制限はつけないと理解すれば宜しいのですね」  小さく頷いたライスフィールは、「こちらは2名です」と戦士の数を示した。 「私共も、2名で臨もうかと思っております。筆頭である私と、次席であるサノスがお相手いたします」  それに頷いたライスフィールは、「ヘルクレズ、ガッズ」と二人の戦士を呼び寄せた。 「モンベルトの力を、IotUの神殿を守る戦士殿に示しなさい」  ライスフィールの命令に、二人は膝をついて「御意」と答えた。 「カイト殿、審判をお願いできるか?」  最強の戦士達が戦うのだから、その審判も相応しき者でなければならない。連邦最強の称号を持つカイトならば、この戦いを裁くに相応しいのは間違いないだろう。 「ああ、俺しかその役目は果たせないだろうな」  そう答えたカイトは、「ザリア」と己のサーヴァントを呼び出した。ただ軽い気持ちで呼び出したのだが、ザリアの姿は神殿において特別な意味を持っていた。 「ま、まさか、ラズライティシア様なのかっ!」  その顔に驚くシュバルツワッサーに、「まさか」とだけ返してザリアはカイトとフュージョンをした。その機能を考えれば、ザリアは間違いなく連邦のインヒューマンデバイスに違いない。ただそれが分かっていても、シュバルツワッサーは動揺を抑えることはできなかった。 「カイト殿、ザリアと言うのは一体何なのだ?」  震える唇から吐き出された問に、「分からん」とカイトは言い切った。 「それでも言えるのは、俺のサーヴァントと言うことだ。言っておくが、今の俺は近接戦闘でも強いからな」  そう言うことだと答え、カイトは戦いを始めようとシュバルツワッサーに声をかけた。 「う、うむ、ではサノスからお相手いたそう」  今の自分は、まだ動揺が収まっていなかったのだ。それを考えれば、時間を置くというのは間違った判断ではないのだろう。  そしてそれを認めたライスフィールは、ガッズを先方として送り出すことにした。もちろん二人に対しては、神殿に入る前から強化の魔法を掛けてあった。 「安全なところで見ていてくれ」  トラスティに指示を出したカイトは、審判となるため自分もまた闘技場へと移動したのである。  パガニアの戦士と言う意味では、サノスは変わり種と言うことが出来るだろう。もちろん戦士なのだから、全身鍛えられているのは言うまでもない。だがそれにした所で、「一般人よりは」程度にしか見えなかった。そして比較的小柄なこと、年齢的にも高そうに見えることで、次席を張れるような実力者には見えなかった。  ガッズの前に立ったサノスは、「噂は聞いていますよ」とよく磨かれた剣を鞘から引き抜いた。 「クリスブラッドを半殺しにしたそうですね」 「ああ、結果的にはな。仕留めるつもりだったんだが、リゲル帝国の十剣聖に邪魔をされた」  いかにも剣と言う武器を持ったサノスに対して、ガッズは愛用の大剣を持ち出した。ただそれは、剣と言うにはあまりにも大雑把で、分厚い鉄板と言う見た目を持ったものだった。まともに考えれば、とても振り回すことのできるものではなかったのだ。 「何を考えれば、そんな化物みたいな剣を使おうという気になるのですかね?」  流石に呆れた顔をしたサノスに、「仕方がないんだよ」とガッズは口元を歪めた。 「ぶん回しても壊れないようにと丈夫にしていったら、こんな見た目になっちまったんだ」 「恐るべき腕力と言うことですか」  「くわばらくわばら」と言いながら、サノスは中段に剣を構えた。そしていささか緊張感に欠ける声で、「始めましょうか」とガッズに声を掛けた。  シュバルツワッサーと比べれば、サノスは明らかに小柄に感じられたことだろう。その小柄なサノスが次席に抜擢されたと言うことは、それだけ実力が高いと言うことになる。灰色の髪を肩口まで伸ばしたサノスは、その髪をたなびかせながらガッズへと切りかかった。ガッズは速度を予想していたのだが、サノスの剣は思ったよりも早くなかった。 「おいおい、俺相手に手抜きか?」  切りかかってきた剣を跳ね飛ばし、ガッズは剣を横薙ぎにしてサノスの胴を狙った。だがサノスは、その剣を小さく飛び上がって避けてみせた。飛び上がること自体隙を晒す行為なのだが、小さな動きはその隙を覆い隠していた。その証拠にガッズの剣が戻ってくる前に、上段からサノスは切りかかっていった。  それを紙一重で避けたガッズは、腕力を活かして反対側からサノスの胴めがけて剣を薙いだ。ただその剣もまた、同じ動きで避けられてしまった。動きに派手さがないぶん、逆に隙が見つけられないサノスの動きでもある。それはこれまで相対してきたパガニアの戦士とは、全く違う動きでもあった。そしてその後のガッズの攻撃も、のらりくらりと躱していったのである。  攻勢という意味で言えば、圧倒的にガッズが攻めまくっていた。だが戦い自体は、むしろサノスの有利に進んでいると言っていいだろう。相変わらず迫力満点のガッズなのだが、その力が空回りをしているように見えていたのだ。  どんなに力強い刃も、相手を捉えられなければ意味のないものとなる。そして大振りの攻撃は、ガッズをして隙を晒すものになっていた。ただ普通なら体力を消耗する大振りも、強化の魔法のお陰で戦いには影響していなかった。 「噂通りの化物と言うことですか。なるほど、クリスブラッドでは歯が立たないはずだ」  のらりくらりとガッズの剣を避けながら、大したものだとサノスはガッズを評した。これだけ空振りをさせたのに、ガッズの動きが全く鈍ってくれなかったのだ。  それを相変わらずの力押しをしながら、「食えねぇ奴だな」とガッズは笑った。ガッズ自身、敵の術中に嵌っているのは理解していた。それでも攻め方を変えないのは、彼自身のプライドによるものだった。 「これでも、神殿を守る任務を負っていますからね。強敵相手に早い決着を図ってはいけないんですよ。時間を掛ければ、味方の応援も来てくれますからね」  ガッズの剣を正面から受けるでなく、ある時は体を動かして躱し、ある時は剣を滑らせて躱し続けた。確かにその戦いであれば、決着がすぐに付くことはないのだろう。攻めきれないことに、ガッズは「大したものだ」と感心してみせた。 「だが、これが1対1の戦いと言う事を忘れていないか?」 「別に忘れているつもりはありませんよ。確かに戦いは1対1のものですが、別に決着を付けなくてはいけないと言うことも無いでしょう」  だからですと答え、サノスはのらりくらりと攻撃を躱し続けた。 「なるほどねぇ。俺達の場合、確かに二人しか戦力がないからな。俺が足止めを喰らえば、おっさんが一人になっちまう。この勝負、あんたの場合引き分けに持ち込めば勝ちと言うことになるわけだ」 「まあ、それが筆頭を補佐する次席の役目と言うものですよ」  ガッズの攻撃が効果を発揮しないのと同様に、サノスの攻撃も全く通じていなかった。その為戦い自体は、サノスが意図した通りただ時間だけが過ぎていくものになっていた。 「なるほど、俺はまんまと術中に嵌ったと言うわけか。あんた、やっぱり食えねぇ男だな」  あははと笑ったガッズは、相変わらずの大振りで大剣を薙ぎ払った。もちろんそんなものが掠るはずもなく、サノスは出来た隙めがけて剣を突き立てた。だが動きの速さも尋常ではないガッズは、やすやすとその攻撃を避けてみせた。 「ただ、このままじゃ姫様に合せる顔がねえ。あんたに敬意を払って、遠慮なく叩きのめさせて貰おう」 「そうさせないのが、私の戦い方ですよ」  少しも緊張感をにじませず、サノスはガッズの剣をやり過ごした。そしてこれまでと同じように、大振りによる隙めがけて剣を振り下ろした。ただ今までと違ったのは、サノスの剣がガッズの左肩を捉えたことだ。ただ体を捉えこそしたが、サノスの剣は皮一枚傷つけることはできなかった。ライスフィールの強化魔法が、ガッズの体を剣から守ったのである。  今までは、攻撃が当たらないことを前提にサノスは剣を振るっていた。だが剣が当たってしまったために、逆にサノスの動きに制限が生まれてしまった。そしてその制限が、ガッズに付け入る隙を与えてしまった。  それでも今まで通りの攻撃なら、サノスはガッズの剣を躱し切ることができただろう。だがガッズは、強力な腕力と手首の力を活かして、振るった剣を途中で回転させたのである。これまで紙一重の間を保つことで動きを最小限に抑えていたことが、今度は裏目に出ることになった。ほんのわずか変わった間合いは、サノスをして対応ができなかったのだ。その為回転した剣に足を取られ、ものすごい勢いで足元を跳ね飛ばされてしまった。サノスの体は、その場でくるりと回転させられた。  それでもなんとか足から着地をしたのだが、その時点でサノスは自分の負けを悟っていた。そしてサノスが悟った通り、頭の上でガッズの大剣が寸止めされていた。 「まあ、あんたはよくやったよ」  剣を引き戻したガッズは、それを肩に掛けるようにしてサノスに向かって口元を歪めた。 「あなたが、噂以上の化物だったと言うことですか。まったく、宇宙という奴は本当に面白い」  小さく息を吐きだしてから、サノスは「完敗だった」とガッズを讃えた。 「お陰で、まだまだ高みが有ることが分かりましたよ。あなたには、感謝をしないといけませんね」 「こちとらも、新しい経験が出来たと思っているさ。強化されていなければ、あんたに勝つことはできなかっただろう」  感謝すると頭を下げたガッズは、「前座の役目は終わりだ」と言ってさっさと闘技場を出ていった。 「確かに、前座はあまり引っ張ってはいけませんね」  意外にさっぱりとした表情で、サノスは掲げていた剣を鞘に収めた。そして戦いを見守っていたライスフィールに一礼をしてから、己の席へと戻っていった。ジェイドでの戦いで、モンベルトの戦士の実力は証明されている。その戦いに比べ、遥かに見どころのある戦いを彼らがしたのは確かだった。  そして前座と二人が口にしたとおり、ヘルクレズとシュバルツワッサーの戦いは激烈を極めた。神殿警備隊の筆頭、そしてパガニアの戦士らしく、力でヘルクレズに対抗したのである。そしてヘルクレズは、十剣聖筆頭が彼のために用意した新しい武器、ホグワーズと命名された棍棒を振り回してそれに対抗した。  以前よりも軽く、そして強靭になった棍棒は、さらにヘルクレズのスピードと破壊力を高めていた。その為最初は互角に見えた戦いも、すぐに優劣がはっきりとしてきた。シュバルツワッサーの額には脂汗がにじみ、ホグワーズの攻勢に彼の剣が悲鳴を上げ始めたのだ。そして更に勢いを増したホグワーズがシュバルツワッサーの胴を襲おうとした所で、瞬間移動をしたカイトが割って入った。  左手でシュバルツワッサーの剣を、そして右手でヘルクレズのホグワーズを受け止めたカイトは、「そこまでだ」と戦いを止めた。そしてヘルクレズではなくシュバルツワッサーの顔を見て、「文句はないな」と確かめた。 「無粋な真似を……と文句を言いたいところだが」  ぎろりとカイトを睨んだシュバルツワッサーは、次に大きく息を吐き出した。 「だが、今回だけは感謝をさせてもらおう。ここで止めてもらわねば、わしは神殿警備の任を果たせなくなっただろう」  もう一度感謝をすると口にしたシュバルツワッサーは、剣をおろしてヘルクレズに向かい合った。 「まことに剛力無双と言うところか。我らが戦士の歯が立たなかったのに納得がいった。神殿警備隊筆頭、シュバルツワッサーはヘルクレズ殿への敗北を認める」  一礼をしたシュバルツワッサーは、少し目元を引きつらせてカイトを見た。 「一番美味しいところを持っていくのは、ヘルクレズ殿に失礼ではないのかな?」 「そのあたりは、俺のデモンストレーションだと思ってくれ。なんだったら、お前達二人をまとめて相手してやるぞ」  口元を歪めて挑発してきたカイトに、シュバルツワッサーはヘルクレズを見てからため息を吐いた。 「いや、時間も時間だからやめておくことにする」  そう答えてから、「実は」とカイトの耳元で小声で囁いた。 「ロレンシア様から、釘を差されておるのだ」 「やりすぎるなってか?」  普通に考えれば、戦いのことだと想像するだろう。だがシュバルツワッサーは、苦笑とともにそれを否定した。 「こちらで盛り上げすぎるなとのご命令だ。どうやら今宵は、特別な舞を舞われるそうだ」  そこで視線を向けた先には、観客席に座るトラスティが居た。それをなるほどと受け取ったカイトは、近くにクンツァイトが来ているのにも気がついた。 「前座は、前座の仕事で我慢しろと言うことだな」 「まあ、そう言う所だな」  小声の話を止めたシュバルツワッサーは、大声を上げてライスフィールに感謝の言葉を捧げた。 「ライスフィール王女殿下のご高配に感謝するものであります。我ら神殿警備隊は、さらなる高みを目指して精進を重ねることと致します」  シュバルツワッサーの言葉に合わせて、観客となっていた戦士たちが立ち上がった。そしてシュバルツワッサーに倣って、ライスフィールへと頭を下げた。 「私の戦士二人も、よき経験を得たと思います。シュバルツワッサー様のご配慮に、感謝いたします」  ライスフィールが優雅に頭を下げ返した所で、神殿警備隊での余興は終りと言うことである。そこで「宜しいですか?」と、案内役の巫女が割り込んできた。 「これより、皆様を祭壇の間へとご案内いたします。本日アルマシア様、ロレンシア様のお二方には、ハレの日の舞を披露いただけるということです」 「ご高配に感謝いたします……と普通ならお礼を言うところなのですが」  そこで口ごもったアリッサは、案内の巫女に耳打ちをした。 「そんなことをして大丈夫なのですか? 評判を聞くと、ずいぶんと性的な方面でアマネさんの評判が高いのですが?」  舞に力を入れたら、一体何が起こることだろうか。それを気にしたアリッサに、問われた巫女は「それなら」と口元を隠して笑い飛ばした。 「本日は、クンツァイト様もおいでなので宜しいのではありませんか? ただ、ロレンシア様は残酷な現実を知ることになるのでしょうけど」  いつも一緒にいる仲間にまで言われるということは、それだけ大人と子供の差があると言うことになるのだろう。 「何か、ロレンシアさんが可哀想に思えてきました……」  案内の巫女から離れたアリッサは、トラスティの顔を見て小さく息を吐き出した。もちろん、トラスティにため息の理由が分かるはずがない。「なんのこと?」と首を傾げたのも、事情を考えれば不思議なことではないだろう。 「多分、舞を見ればわかると思います。予め教えておきますが、一番張り切っているのはロレンシアさんだそうですよ」 「ますます事情が分からないんだけど……」  うんと考えたトラスティは、まあいいかとそれ以上拘らないことにした。ちょうど団体が動き出したのも、拘らない理由になっていた。  そしてアリッサ達一行は、前にも来ている祭壇の間へと案内された。それなりの距離を歩いたため、やはりと言うかエヴァンジェリンから「疲れた」と言う文句の声が聞こえてきた。一方同じ体力無しの根性無しだったアリッサは、「この程度で?」と姉の情けなさに驚いていた。  前回見たとおり、祭壇の間とされた場所には円形の大広間が広がっていた。部屋の中央には、半径10m程の石造りの舞台が置かれ、その周りを囲むように見学者用の椅子が置かれていた。椅子の最前列から舞台までは、直線で5m程の距離が置かれていた。  そして祭壇の間に入って見上げれば、ドーム状の天井を見ることが出来た。天井に作られた窓からは、少し赤みがかった日差しが幾筋も差し込んでいた。そして窓の下を見れば、IotUの妻たちの肖像画が飾られていた。 「こうしてみると、確かにラズライティシア様に瓜二つですね……ただ」  そこで言葉を切ったアリッサは、トラスティの耳元で「前の方が似ていた」と囁いた。 「確かに、体が少し小さくなる前の方が似ていたね……それよりも」  そこで眉間にしわを寄せたトラスティは、もう一つの肖像画を指差した。それはIotUの妻として双璧とされる、オンファスの肖像画である。 「やっぱり、トラスティさんもそう思いました?」 「ああ、あの婆さんのことだから、きっと何かあるとは思っていたんだ……」  ふっと息を吐き出したトラスティは、「確信が深まった」と小声で告げた。 「そうですね。ただ、私にとってはあまりいいことじゃないんですけど……」  これで愛する人が、ずぶずぶとIotUの秘密へのめり込んでいくことが決まってしまった。それを考えたら、とてもではないがいいこととは言えないだろう。  だからアリッサとしては、反対しなければいけないはずだった。だが話がIotUに絡むだけに、簡単には反対を口にすることもできなかった。しかもIotUの謎に迫ることは、愛する人の存在にも関わることなのだ。 「……私の所に、帰ってきてくれますよね?」  だからアリッサは、精一杯の思いを込めてトラスティに問いかけた。 「僕の帰る先は、君の所以外には無いと思っているよ」  それだけは、絶対に変わらない思いなのだと。トラスティはアリッサの瞳を見つめて約束したのだった。  前回の見学は、プラタナス商店会の団体と一緒のため、総勢100名を超える大人数だった。それに比べ、今回はクンツァイトを含めても、20人弱と言う少人数での見学である。ただ筆頭巫女の張り切り方を考えると、見学と言うより主賓と考えた方がいいのだろう。  そして、なぜか張り切ったアマネを含めて、二人の筆頭巫女は渾身の舞を見学者へと披露した。静かで激しいというのは前回と同じなのだが、舞自体の長さが長くなったのと、踊りの艶めかしさが前回比で200%以上増したという問題の舞である。 「なるほど、評判になるはずだ……」  色っぽい女性に慣れているはずのトラスティとカイトも、舞の凄まじさは半端ではないと感じていた。そして耐性の無いアリハスルなど、かなり早い段階で忘我の境地に落ち込んでいた。女性関係でも無双を誇ったヘルクレズとガッズも、ぽかんと口を開けて巫女達の舞に見とれていた。さらに性行為と言う習慣のないバルバロス達レムニア帝国組も、熱のこもった視線を筆頭巫女に向けていた。  そして同性である女性陣も例外なく、筆頭巫女の舞に忘我の境地に陥っていた。それは二度目になるアリッサ達も例外ではなく、艶かしく舞うアマネの姿を目で追い続けたのである。そしてお子様二人……お姫様二人は、敗北感に打ちのめされつつ、舞の艶めかしさに心囚われていた。  その中で比較的冷静だったのは、やはりと言うかカイトとトラスティの二人だった。その場の空気を壊さないように近づいた二人は、顔を見合わせて小さく頷きあった。 「見た目の美醜以上の要素が必要……と言うことか?」 「別に、アマネさんの容姿は悪くはありませんけどね……」  とは言え、パガニアの宝石を前にすれば、見た目を持ち出すのは分が悪いのは確かだ。だがIotUに捧げる舞と言う条件では、その差を逆転し、明らかにロレンシアを圧倒していた。これだけを見れば、クンツァイト王子が羨ましいと思えるほどの色香だった。 「兄さん、彼女と二人きりになってよく冷静で居られましたね」 「正直言うと、結構危ない場面はあったな」  苦笑したカイトに、そうでしょうとトラスティは頷いた。金髪碧眼好きのトラスティでも、少しは曲げてもいいのかと思えてしまったほどだった。 「しかし、お子様のクンツァイトには毒だな」 「まあ、結婚が決まってるからいいんじゃありませんか? 彼には、もう少し経験を積んでもらった方が好ましいですし」  経験を積んでどうするかと言うと、エスデニアの議長様を誑し込んで貰うのである。アマネに知られたら、正面から刺されそうなことをトラスティは考えていた。ちなみにエスデニア訪問には、クンツァイトを連れて行くことを決めていた。 「綺麗なだけの年増女じゃあ、あれには勝てないだろうな」  そしてカイトも、積極的に誘惑の仕事をクンツァイトに回すつもりで居たのだ。そのあたり、トラスティと利害は一致していた。  それに頷いたトラスティに、「ところで」とカイトは更に声を潜めた。 「彼女は、どうするつもりだ?」  そこで指を指したのは、懸命に舞を舞うロレンシア王女の姿だった。そこで彼女が可哀想なのは、全員の視線がアマネに向けられていたことだ。 「今のままじゃ、これからも差がつくばかりだろう?」 「確かに、可哀想だと言う気もしますけどね……」  だからと言って、明日結婚する男に浮気を勧めるものではないはずだ。ただトラスティ自身、ロレンシアに対して健気さを感じてもいた。 「僕達は、明日結婚式を挙げるんですよ」 「ああ、トランブルの総帥も式までにはアス入りをするそうだな」  事実を認めたカイトは、だがと嫌なことを指摘してくれた。 「トランブルとしては、お前の人脈も貴重だと考えているそうだぞ。つまり、浮気ならお目こぼししてくれるそうだ」  良かったなと肩を叩かれたトラスティは、「僕だけじゃないでしょう」とカイトに言い返した。 「うまくご機嫌を取って、人脈を広げろってことでしょう? 一応言っておきますけど、それは兄さんにも求められている役割なんですけど」  そう答えて、なんだかなぁとトラスティは日が落ちて暗くなったドームの天井を見上げた。まだロレンシア渾身の舞は続けられていたが、彼の関心は向けられていなかった。 「それで、どうするんだ?」  そしてカイトは、話を蒸し返してくれたのだ。どうしてそれを言うと恨みがましく思いながら、「どうにもなりませんよ」とトラスティは言い返した。 「アリッサが興奮していますから、僕としては彼女を優先することになります。その先どうなるかは……」  そこで言葉を切ったトラスティは、小さくため息を吐いてみせた。 「それこそ、IotUのみぞ知ると言うところですね」 「神じゃなくて、IotUなんだな」  それだけで結末が見えたような気がする。そう言って笑ったカイトに、「IotUの神殿だから」とトラスティは嘯いたのだった。  モンベルトまでは付いて行けないからと、アリッサ達女性陣はエスデニアまで同行することとなった。そして思い思いの恰好で集まった彼らの前に現れたのは、なぜかエイシャを連れたアガパンサスだった。どうしてと言う顔をした一行を前に、蕩けるような笑みを浮かべたアガパンサスは、「ラピスラズリ様の指示です」と彼女が現れた理由を口にした。ただもう一つの疑問、なぜエイシャと一緒に居るのかについては説明は行われなかった。  そしてアガパンサスは、笑みを浮かべたままカイトではなくトラスティの前に立った。 「お噂はエスデニアまで届いていますよ」  いささか言葉足らずの論評に、トラスティは少しだけ目元を引きつらせた。 「それが、悪い噂でないことを願っていますよ」  心からのトラスティの言葉に、「どうでしょうね」とアガパンサスは笑った。 「ただ、私が金髪碧眼でないのが残念ですけどね。エイシャさんには、とても素敵だったと伺っています」  そう言って擦り寄られると、さすがはエスデニアの議員である。しかも人妻なのだから、色香の方も並ではない。一昨日相手にしたロレンシアは、やはり子供なのだと実感してしまった。 「やはり、そう言った方向ですか……まあ、否定はしませんが」 「ええ、ですからラピスラズリ様がそわそわなされているんですよ。あの方も、間もなく30にもなろうとしているのに、処女をこじらせていますからね」  人助けだと思ってと言われるのは、一体どう考えたらいいのだろうか。エスデニアの考え方に疑問を感じながら、「それなら」とトラスティはカイトを指差した。 「宇宙最強の方が、お相手として相応しくありませんか?」 「もう一人、処女をこじらせている副議長様もおいでなのです」  つまり、二人がかりで人助けをしろというのである。それでいいのかと、アガパンサスを問いただしてみたくなった。ただその欲求を抑え、「案内していただけるのですか?」とトラスティは先を急ぐことにした。 「ええ、ラピスラズリ様が首を長くしてお待ちです」  いちいち処女をこじらせた議長様を引き合いに出すな。そう言いたいのを我慢し、トラスティは「お願いします」とエスデニアに渡ることを優先した。  指定された場所に集合した時、一行はよそ行きと言うにはラフで、普段着よりはマシな恰好をしていた。そのあたり、いきなり議長の前に連れて行かれることはないだろうとの思いからである。そのあたり、相手の悪癖を想定していなかったと言うことが出来るだろう。更に言うのなら、いたずら好きと言うのは必ずしも議長様だけの悪癖ではなかったと言うことだ。  それでも、多少のいたずらぐらいはあると覚悟はしていたのだ。ただ議長様達のいたずらと言うより、切実な事情は彼ら一行の想像を超えていた。つまりどう言うことかと言うと、空間移動をしてエスデニアに着いたのはいいが、そこにカイトとトラスティの姿が見当たらなかったのだ。 「ようこそエスデニアに、ここが私の私邸になります」  優雅に笑うアガパンサスなのだが、エヴァンジェリンとアリッサ、そしてライスフィールはそれどころではなかった。二人の姿がないのに気づき、どう言うことかと彼女に詰め寄ったのである。 「お二方は、個別に議長、副議長様が面談されると伺っています」  あっさりと内情をばらしたアガパンサスに、エヴァンジェリンとアリッサは顔を見合わせてため息を吐いた。ある程度は予想はしていたが、それにしても飢えすぎだと思ってしまったのだ。 「一応確認しておきますが……」  アガパンサスの顔を見て、アリッサは組み合わせを聞くことにした。 「議長様の所には、トラスティさんが送り込まれたのですか?」 「ええ、殿方のご希望を優先させていただきました。一応ラピスラズリ様は、綺麗な金髪碧眼をなされていますからね」  ふふと笑ったアガパンサスは、「結構切実なんですよ」と聞かれても居ないことを口にした。 「前々からそういうところはあったのですけど。最近とみに情緒が不安定になることがあるんです。そういった時は、配偶者の居る議員さんや側仕えに辛くあたることが多くて。処女をこじらせたのは自業自得なのに、それで人に当たらないでほしいものです。だからお二方には、最高評議会議員一同さらには側仕え達も期待しているんです」  アガパンサスのホッとした表情に、それだけ面倒なのだと理解することは出来た。ただ理解は出来たが、それでもおかしいだろうとアリッサは言いたかった。 「最高評議会の議員さんも、適当な年齢の男性は居るんじゃありませんか?」  だから身内でなんとかしろと主張したアリッサに、「最高の宝石ですよ」とアガパンサスは分かりにくい答えを口にした。 「だから、何なのです?」  不機嫌さを隠さないアリッサに、アガパンサスは気にした素振りも見せずに上役の悪口を言ってくれた。 「見ている分にはいいのですが、身につけるものではないと言う意味です。だから、男性の議員さん達は、なんとか口実を作って逃げておられました」  そう言って笑ったアガパンサスは、「そう言えば」と言って手を叩いた。 「その意味では、パガニア王女ロレンシア様も似たようなところがありますね。そのロレンシア様に手を出されたのですから、ラピスラズリ様にも手を出していただかないと不公平だと思いませんか?」  どうして両者を公平に扱わなければいけないのか。それを強く主張したいのだが、すでに状況は手遅れと言っていいだろう。ただ、もともと予定していたこととは言え、相手に先手を打たれるとは思っても見なかった。 「せっかくクンツァイト様を人身御供に連れてきたのに……」  ため息混じりに顔を見られたクンツァイトは、「しかしだね」とアリッサの言葉に異を唱えた。 「エスデニア最高評議会議長様を第二夫人と言う訳にはいかないと思うよ。なぁに、彼ならそこらじゅうに手を出しているじゃないか。それを考えれば、その他大勢の一人にできるだけ、都合がいいと思うのだがね」 「言っていることに間違いはないと思いますよ……言っていることは」  はあっとため息を吐いたアリッサに、「第二夫人の席は空いていますよ」とクンツァイトは誘いの言葉をかけてきた。 「それを、結婚したばかりの相手に言いますか? アマネさんに言いつけてもいいんですよ」  男ってとこぼしたアリッサに、「正直な気持ちだ」とクンツァイトは悪びれることなく言い返した。 「皆様には、明日ラピスラズリ様との面会をアレンジしてあります。それからライスフィール様、悲願成就をお慶び申し上げます」  それ以上のやり取りが中断されたのは、議員の顔に戻ったアガパンサスが割り込んできたせいだった。ようやく議員の顔に戻ったアガパンサスは、本来の目的に立ち返ってライスフィールにお祝いの言葉をかけた。もともと一行がここに来たのは、更に言うならライスフィールがモンベルトを出たのは、彼女の悲願を達成するためだったのだ。 「過分なお言葉ありがとうございます。ですが私の悲願は、達成されたわけではありません。とは言え、それ以上の結果を得られたと私は思っております」  そこでクンツァイトの顔を見たのは、それ以上の結果を得られたと言う言葉に相応しいものだろう。それを理解したアガパンサスは、「そうですね」と微笑んで「最高評議会の」決定を彼女に伝えた。 「最高評議会としても、可能な限りの支援を行うことを決定いたしました。800ヤー前に起きたのは悲劇ですが、それを私達の時代で過去のものにしたいと思っています」  それからと、アガパンサスは思いもよらない名前を口にした。 「シルバニア帝国およびライマール自由銀河同盟の双方からも、支援の申し出を受けております」 「なぜ、シルバニアとライマールから?」  支援の申し出は嬉しいが、それにしても想定もしていない相手からだった。流石に驚いたライスフィールに、「どうしてでしょうね」とアガパンサスは微笑み返した。 「連邦連絡会で、双方の代表から申し出があったそうです。ただどう言った支援を行うのかについては、詳細を詰めていただく必要がありますね。そのためには、トラスティ様と一緒にご訪問していただく必要があるのですが……」  そこでトラスティの名前が出たことで、アリッサはため息を漏らしてしまった。シルバニア帝国、そしてライマール自由銀河同盟の双方とも、トラスティが立ち寄った先だったのだ。そしてシルバニア帝国では、宰相のリンディアとの関係を白状させていたのだ。  そしてアリッサがため息を吐いたことで、ライスフィールも事情を掴めた気がしてしまった。ただ個人的問題を除けば、モンベルトにとってありがたい話でもある。本当なら文句を言いたいところなのだが、ため息を吐く程度で我慢することにした。 「では、トラスティ様が戻られた所で相談したいと思います」  一度モンベルトに行ってからなら、アリッサはそばに居ないことになる。既成事実を積み上げるには、またとないチャンスだった。  ライスフィールの企みぐらい気づいていたが、その程度なら目くじらを立てることではないだろう。生暖かく彼女を見守ったアリッサは、「それで?」とこれからの予定をアガパンサスに尋ねた。 「お疲れ……と言うことはないかと思いますが、夜までは自由にされて結構です。水都の観光を希望される方は、側仕えにお申し付けください」  それからと、アガパンサスはヘルクレズとガッズの二人を見た。 「エスデニアの戦士達が、腕まくりをしてお二方との手合わせを待っております。よろしければ、夕食前に汗を流されるのはいかがでしょうか?」  二人の実力を考えれば、はじめから予想できたお誘いではある。だが「ここでもか」と二人が感じたのも、アスでのことを考えれば不思議ではないだろう。ただ相手はモンベルトの恩人であるエスデニアなのだ、ここで断るという選択肢が彼らに与えられるはずがなかった。 「そうですね、二人には良き経験になるかと思います」  そして主であるライスフィールも断らないのだから、汗を流すことは確定してくれた。いささか落胆しながら、「御意」と二人はライスフィールに頭を下げた。 「では、お二方には別室でお待ちいただくとして……」  そこでアガパンサスは、アリッサの顔を見てくれた。 「私が、水都をご案内いたしましょうか?」 「トラスティさんは、明日の朝まで戻ってこないんですよね」  姉の顔を見たアリッサは、小さくため息を吐いてから「喜んで」とお誘いを受けることにした。どうせ部屋に居てもすることがないのだから、観光でもしなければ時間が潰れないだろうと思ったのだ。 「では、分からないことがあれば、側仕えに尋ねてくださいね」  全員の荷物は、すでに側仕え達が各々の部屋に運び込んでいた。そして一行の一人ひとりに、嫌になるほど綺麗な側仕えが一人ずつ付いていてくれた。 「では、アリッサ様こちらにどうぞ」  最高評議会の議員自ら案内してくれると言うのは、またとない機会といえるだろう。相手の立場を考えれば、身に余る光栄と言っていいのかもしれない。ただそれを単純に有り難がるには、その前の出来事が悪すぎたのも確かだ。しかも自分だけに声をかけてくれたのだから、アリッサは半信半疑でアガパンサスに付いて行った。  アリッサを見送ったところで、ライスフィールは小さくため息を吐いた。ここエスデニアは、今回の冒険の始まりの地でもある。それを考えれば、ここに戻ってきたのは冒険の終わりを意味していた。まだ終わった訳ではないのだが、それでも力が抜けるのは仕方のないことだろう。  そんなライスフィールの肩を、ぽんぽんとエイシャが叩いてくれた。そして自分の顔を見て、小さく頷いてまでくれた。自分の気持ちを分かってくれている、その思いにほろっと来たライスフィールだったが、エイシャに対して小さな違和感を覚えていた。 「ありがとうございます……ところで、今日も静かなのですね?」  これまで色々と構われていたことを考えると、エイシャが静かと言うのはなかなか考えにくいことだった。だから自然に出た問いに、問われたエイシャは少しだけ口元を引きつらせた。 「声を出したくない……と言うことだ」  そう耳元で囁かれた言葉に、「またですか」とライスフィールは呆れてしまった。前回もそうだったのだが、それに増して今日は声がかすれていたのだ。その理由を考えると、「また」と彼女が呆れるのも仕方がないだろう。 「アガパンサスさんまで加わったんだよ」  相変わらずかすれた声で話すエイシャに、ライスフィールはどう答えていいのか分からなかった。 「癒やしの魔法をおかけしましょうか?」  そうすれば、少しはマシになるはずだ。ライスフィールの申し出に、「お願いする」とエイシャは頭を下げたのだった。  アガパンサスに連れ出されたアリッサは、背の高いオープンカーのような車に乗せられた。今時ジェイドでも見ないタイヤの着いた乗り物は、逆にとても新鮮に写っていた。 「水都……アクアシティのコンセプトは温故知新なのですよ。ですから水都は、敢えて不便に作られています。もちろん、緊急時には最先端の要塞となるのですが……エスデニアの歴史で、一度しか使われていない機能でもありますね」 「ここが、要塞となることがあったのですか?」  あたりを見渡すと、高い建物はどこにも見当たらなかったのだ。あるものと言えば、ドームの形をした石造りの塔ぐらいである。それが最高評議会が置かれた場所だと、予め説明を受けていた。そしてそれ以外は、背の低い建物が綺麗に区画整理された土地に点在していた。見るからにのどかな風景と言うのが、水都に対する感想だった。  驚くアリッサに、アガパンサスは小さく頷いた。 「ええ、およそ1千ヤーほど前のことです。エスデニア連邦が成立する少し前のことですね。その頃のエスデニアは、多層空間を開発し、いわゆる宇宙には出ていませんでした。なぜと言うのは、その必要性がなかったからとご理解ください。そしてその頃、この銀河ではシルバニア帝国とライマール自由銀河同盟が戦いを繰り広げていました。ただ両者を隔てる宙域は、大規模な艦隊派遣が困難な状況にありました。その為新たな回廊を求め、ライマール自由銀河同盟がこの宙域へと進出して来たのです。ちなみにその頃の空間接続技術は、ワープ航法の影響を強く受けていました。その為頼みのIotUと切り離されるだけでなく、兵器を貯蔵していた別空間とも切り離され、エスデニアは丸裸にされてしまったのです。水都を守るためには、ここを要塞化するしかなかったと言うことです」  そこまで説明されれば、要塞化せざるを得なかった事件のことも理解できる。なるほどと頷いたアリッサは、とても有名な名前を口にした。 「ラズライティシア様が、単身シルバニア帝国に乗り込まれたと言うお話でしたね?」  そこでシルバニア帝国に乗り込んだラズライティシアは、帝国議会議長に就任して皇帝の権限にまで制限をかけたと言うのだ。さらには帝国軍まで掌握したため、事実上帝国を乗っ取ったとまで言われていた。それは、ラズライティシアの持つ、並々ならぬカリスマを裏付ける話となっていた。  アス神殿でも教えられた話を口にしたアリッサに、アガパンサスの反応は予想とは違うものだった。「その通り」と言う答えを期待したアリッサに、アガパンサスは「そう伝えられています」と含みのある答えを口にした。 「そう伝えられている……と言うのは、本当は違うと言うことですか?」  驚くアリッサに、アガパンサスは小さく頷いた。 「その話をするために、私だけを連れ出したと言うことですか?」  なぜ自分だけと言う疑問を持っていたのだが、それが今の話でつながることになる。真剣な顔をしたアリッサに、「とても不確かな話です」とアガパンサスは言い訳をした。 「残された記録では、ラズライティシア様が側仕えも連れず単身で乗り込まれたと言う事になっています。そして皇帝の思惑、ラズライティシア様の実力で帝国議会議長に就任された。アス神殿でも、そう伝えられているはずです。そして皇帝の思惑以上に、帝国中央コンピューター、アルテッツァが暗躍した事になっています」  それもまた、これまで伝えられた記録どおりの説明だった。だからアリッサは、疑問を挟まずアガパンサスの言葉を待つことにした。 「ですが、それとは別の伝承もあるのです。シルバニア帝国に渡ったのは、実はラズライティシア様だけではなかったと言うものです。もう一方IotUの奥様が同行され、ラズライティシア様と力を合わせて難局を乗り切られたのだと」 「もう一方?」  驚いたアリッサに、アガパンサスは小さく頷いた。 「ええ、もう一方です。そしてその方は、ラズライティシア様の上に立つお方だと言う話です」  アガパンサスの言葉に、「そんな」とアリッサは言葉をなくしてしまった。記録にないIotUの妻が登場するだけでなく、しかもその妻がラズライティシアを超える立場を持っていたと言うのだ。トラスティと出会う前なら、悪い冗談だと笑い飛ばしていただろう。 「まともに考えれば、記録に残っていない事自体ありえないことです。だから、誰かの妄想だと本来一笑に付されることだったのですが……」  それがそうでないと言うのだから、それなりの理由があることになる。その理由を期待したアリッサに、「不思議に思いませんか?」とアガパンサスは逆に問い返してきた。ただ答えを待たず、アガパンサスは話を続けた。 「まともに考えれば、側仕え一人連れずにラズライティシア様が帝国に渡られるでしょうか? いくら大胆なラズライティシア様とは言え、流石に無謀な真似としか言いようがありません。ですがもう一方頼りになるお方がおいでになれば、途端に現実味が増してくるのです。そして帝国での活躍も、もう一方おいでだと考えれば辻褄が合います」 「ですが、一切の記録に残っていないんですよね? だとしたら、そこにどのような意味があるのでしょうか? IotUの奥様であれば、記録から消される理由はないはずです。それ以上に、誰の記憶にも残っていない理由が無いと思います」  簡単に思いつく疑問を口にしたアリッサに、「その通りです」とアガパンサスは答えた。 「ですから、これまで誰も真面目にその話に取り合ってはきませんでした」 「つまり、何らかの事情が変わったと言うことですか?」  トラスティと話したことにもつながるため、アリッサは続くアガパンサスの言葉を待った。そして小さく頷いたアガパンサスは、「ザリア」と唯一予想された名前を口にした。 「あなたも、ザリアの姿がラズライティシア様に瓜二つであることを知っていますね。それは、エスデニアにとって大きな意味を持つことになるのです。私達最高評議会に籍を置く者の一部は、ザリアの存在に疑問を感じることになりました。あれは、本当にただのデバイスなのかと」 「そしてそれが、過去の伝承に疑問を抱かせた……と言うことですか」  ゴクリとつばを飲み込んだアリッサに、アガパンサスは小さく頷いた。 「私の夫は、ザリアこそIotUの謎に迫る鍵だと申しております。そしてザリアの所有者であるカイト様、さらにはザリアの秘密の一端を握るトラスティ様もまた、重要な鍵だと申しております」  アガパンサスの話を聞いたアリッサは、トラスティの持つデバイスのことを思い出していた。オンファスと瓜二つの存在は、ザリアと同じ意味を持っていると感じたのだ。  ただコスモクロアのことを、アガパンサスに教えようとは思わなかった。そのあたり、トラスティが吹き込んだ、エスデニアに対する不信が理由になっていた。 「そして同様のことを、ラピスラズリ様のお考えのようです。ですから、拙速かとは思いましたが、あなたの夫君を送り込ませていただきました。こじらせた処女を解決していただくのも重要なのですが、お話をされる時間も必要だと考えたのです。その意味で、カイト様はおまけのようなものですね」  おまけでカイトを取り上げられたのだから、姉とリースリットにはいい迷惑と言えるだろう。ただ不自然さを取り繕うには、二人の方が都合がいいのも確かだった。 「夫の金髪碧眼好きと言うのは、口実として都合が良かったと言うことですね」  アリッサの指摘に、そのとおりとアガパンサスは頷いた。 「デリケートな問題ですから、あらゆる方面に気を使う必要があるのです。なによりも、ザリアに気づかれる訳にはいかなかったのですが……」  そこまで口にしたところで、アガパンサスは表情を険しくして前方を睨みつけた。何者かが、彼女達の車の前に立ち塞がったのである。  アガパンサス達の前に立ち塞がったのは、長い黒髪に紫色の瞳をした、絶世の美女と言っていい美しい女性だった。 「ザリア……さん?」  だがアリッサの知るザリアとは、目の前の存在は明らかに違う空気をまとっていた。体全身から発せられる強圧的な空気に、アリッサは恐怖から舌の根元がこわばるのを感じていた。その時アリッサは、ザリアに殺されかけたと言うトラスティの言葉を思い出していた。 「光よ……」  停止した車の前で、ザリアは掲げた右手に滅びの光を集めていた。水都で小さな爆発が起きたのは、その直後のことだった。  いきなり仲間と切り離されたカイトとトラスティは、それぞれ副議長のブルーレース、議長のラピスラズリの所に送り込まれていた。ただいきなり送り込まれたところまでは同じでも、その先の対応は綺麗に二つに分かれてくれた。カイトが送り込まれたブルーレースは、そのまま男女の関係を結ぶことを望んだのである。そして送り込まれたカイトも、これも予定の行動と諦め彼女を受け入れた。  一方トラスティが送り込まれたラピスラズリは、男女の関係より話をすることを優先した。もちろん、優先しただけであって、今晩は彼を帰すことなど微塵も考えていなかった。 「あなたとは、色々と話をする必要があると思ったの」  そちらにどうぞと床の膨らんだ所を示したラピスラズリは、人騒がせな側仕えを呼び出した。 「ユズリハ、トラスティ様にお茶をお出しして」 「雰囲気を考えたら、お茶よりお酒の方が宜しいかと。その、酔った勢いというのも必要かと」  明らかにずれた答えに、困ったものだとラピスラズリはこめかみを揉みほぐした。 「あなたは、黙って指示に従いなさいっ!」  そして細かな説明は不要と、普段とは違い高圧的に命令をした。 「詳しい話は、お茶を飲んでからにしましょう」  その時のラピスラズリは、公務中ということもあり白のローブのような衣装を着ていた。綺麗な金髪は幾重にもカールされ、湖水のように澄んだ青い瞳が真っ直ぐにトラスティを捉えていた。  スタイルを含めて、自分の好みのど真ん中と言うのは間違いないのだろう。それなのに、どうして食指が動かないのだろうとラピスラズリを前にトラスティは疑問を感じていた。  そして待つこと2分、急かされたユズリハが二人の前にお茶を並べてくれた。そして「ごゆっくり」と、少しずれた言葉を残してその場から消えてくれた。それを確認したところで、ラピスラズリは右手の人差し指と親指で鍵をかける真似をした。 「これで、たとえザリアでもここでの話を知ることは出来ないわ」  そう言って、ラピスラズリは自分のお茶を持ってトラスティの横に座った。少し前かがみになったせいで、緩んだローブの間から彼女の豊かな胸の一部を見ることができた。 「エスデニアの議長は、代々迷惑な性格をしていると言われていたわ」  そう切り出したラピスラズリは、持っていたお茶を一くち口に含んだ。 「言葉を変えるなら、退屈が大嫌いと言うあたりかしら。どうしたら、世界がより興味深いものになるのか。第一優先ではないけど、二番目ぐらいには重要な判断基準にしているのは間違いないわね」 「一番目は?」  エスデニアの議長が迷惑な性格をしていると言うのは、今更言われるまでもなく有名なことだった。だからトラスティは、言葉にあった一番目を尋ねることにした。 「もちろん、この世界の存続よ。いくら退屈が嫌でも、世界がなくなっては元も子も無いでしょう。だから世界が存続することを前提に、どうしたら世界が面白くなっていくのをいつも考えているわ。それは代々の議長に受け継がれた悪癖で、IotUの時代に議長だったサードニクス様も同じでした。そしてサードニクス様は、ラズライティシア様、IotUを利用し、世界を面白いものにしようとされたと言われています」  そのあたりの話は、広く銀河に伝えられたものだった。その話では、エスデニア議長の思惑を超え、IotUが覇業を行ったとされていた。 「正式な交流が始まる前には、アスと言うのはエスデニアから見れば遥かに遅れた世界でした。階層化された私達の世界に当てはめるなら、最下層の更に下と言うのがアスの置かれた立場です。その世界に副議長となられるラズライティシア様を送り込み、当時のIotUと同居させたそうです。当時のエスデニアは、パガニアとの戦争もマンネリ化し、静かな老人の世界となっていたそうです。ですから世界に刺激を与えるため、アスとの交流を開始し、劇薬とも言える措置を執ったと言うことです。そして議長であるサードニクス様の期待を超え、お二人は恋に落ちられました。それをきっかけに、パガニアが交流に加わったと言うことです。ちなみに、その時IotUの所に押しかけたのがオンファス様と言うことです。それをきっかけに、3界は新しい世界へと動き始めました。IotUだけでなく、多くの傑出した人物がフヨウガクエンから輩出されたと言うことです」 「1千ヤー前の歴史を語ることに、なんの意味があるんだ?」  そこまでラピスラズリが話したのは、広く連邦に伝えられた歴史だったのだ。今更彼女に教えられなくても、嫌と言うほどアリエルに聞かされたと言う事情もあった。 「お互いの認識を確認しただけと言うことです。様々な記録が残っているので、誰もが事実と疑いを持たない、1千ヤー前の出来事とされています」 「つまり、真実は違うと?」  話を先回りしたトラスティに、ラピスラズリはゆっくりと首を振った。 「そこまでは申しておりません。ただ疑義を生じることがあったと言いたいだけです。おそらく大筋で、伝えられている話に間違いは無いのでしょう。ですが、私達は登場人物に疑問を感じるようになりました。IotUの姿や名が宇宙から消されたのと同様に、存在を消された奥様がおいでではないのかと。過去の出来事を詳細に分析していくうちに、そうでなければ説明のつかないことがいくつか見つかりました」 「妻達の統制……特に、初期のことを言っていますか?」  同様の分析をしていることもあり、トラスティはラピスラズリの言いたいことを先回りした。それにラピスラズリは小さく頷いた。 「そうですね、それも理由の一つだと思っています。更に言うのであれば、交流を始める切っ掛けとなった戦いもありますね。そこでアスが勝利をしたため、私達は征服から交流にかじを切っています。その戦いに、IotUが一人で勝利したことになっています。ですが、当時のアスでは、どう考えてもありえないことでした」  なるほどと頷いたトラスティに、「あなたは何を知っているのですか?」とラピスラズリは問いかけた。 「私達が疑義を感じるようになったのは、あなたがザリアの真の姿を曝け出したからです。なぜあなたは、ザリアに秘密があるのを知っていたのでしょうか?」  ジュリアンと同じ問いに、トラスティは全く同じ答えを口にした。 「なぜと言われれば、アリエル皇帝に教えられたからとしか言い様がない。この世界には、最古のデバイスが3つあり、その一つがザリアだと教えられたんだ。そしてもう一つが、今は消滅したイェルタで、残りの一つは名前も伝えられていないとね。そしてザリアは、エネルギー不足から機能が制限されていると教えられた」 「なるほど、レムニア帝国のアリエル様ですか。唯一存命中のIotUをご存知と言うことでしたね」  なるほどと納得したラピスラズリは、「そのザリアですが」と問題のデバイスの名を口にした。 「カイト様のサーヴァントになってからも、時々こちらに顔を出しているのです。特に何かをしていくと言うことはないのですが、それはもう偉そうな口ぶりで話をしていきます。ただのサーヴァントと言うには、あまりにも特異な行動には違いありません」  その感想は、トラスティにとっても腑に落ちるものだった。ただ同様の疑問は、エスデニアに対しても感じていたものだった。だからトラスティは、話の流れとしてそれを口にした。 「その感想には同意します。ただ、エスデニアも随分と不思議な行動をしている。その一番に挙げられるのは、モンベルト事件への関与でしょう」 「なぜ、エスデニアがパガニアの暴挙を許したのか……と言うことですね」  想定のうちだったのか、ラピスラズリは淀むことなくトラスティの疑問を言い当てた。 「そう、エスデニアの協力がなければ、パガニアはモンベルトにたどり着けないはずだ。そしてパガニアは、事実としてモンベルトを攻撃している。そうなると、その事件にエスデニアの関与を疑わない訳にはいかない。そしてその後の支援にしても、随分と中途半端なものになっている。それもまた、起きた事件から考えれば不自然なものに違いない。IotUの妻の一人、フィオレンティーナの治めた星だと考えると、あまりにも不自然なんですよ」  あまりにも当たり前の疑問なのだが、今まで誰も口にしてこなかったものだった。そこにたどり着いたトラスティを、ラピスラズリは評価していた。 「そうですね。そしてそのお答えは、分からないと言うことになります。記録を紐解く限り、パガニアの攻撃を手引した事実は残っていません。そしてパガニアに対して制裁を行わなかった理由もまた、記録が残されていないのです。モンベルトへの支援にしても、「求められた範囲で」としか記録されていません。それが、記録として残されたモンベルト事件の一切なのです。何を意図して、パガニアにモンベルトを攻撃させたのか。そしてモンベルとの荒廃を許したのか。その一切が謎に包まれているのです。そうやって放置した結果、手のつけようがなくなったと言うことです」 「やはり、議長様にも伝えられていませんでしたか……」  ふうっと息を吐いたトラスティは、共通の存在となる名を口にした。 「ザリアか……」 「あなたが、ザリアを疑う理由はよく分かります」  そこで身を寄せたラピスラズリは、白いその手をトラスティの膝においた。 「IotUの謎もそうですが、ザリアにも幾つか謎があると思っています。トラスティ様、その解明にご協力いただけますか?」 「もともと、IotUの謎に迫ろうとは思っていましたが……」  これで話は終わりかと、トラスティはラピスラズリの肩に手を回した。誑し込まなくても色々と教えてくれそうだが、据え膳を食わないのも男の恥だと考えたのだ。そして面倒な性格を忘れれば、ラピスラズリの見た目が好みのど真ん中と言うのも大きかった。 「優しく……してくださいね」  目を閉じて上を向いたラピスラズリに、トラスティはゆっくりと唇を重ねた。そして肩にかかったローブをずらし、顕になった豊かな乳房に手を当てた。ずっしりとした手応えは、リゲル帝国皇帝カナデに劣らないものだった。  据え膳をいただこうとしたトラスティだったが、それ以上の行為に及ぶことはできなかった。人払いをしたはずのラピスラズリの居室に、「大変です!」と彼女の側仕えが駆け込んできたのだ。そしてラピスラズリが叱責の言葉を口にする前に、「何者かにアガパンサス様が襲われました!」と大声を上げた。 「アガパンサスが……確か、アリッサさんの案内を任せたはずですね」  さすがにまずいと、ラピスラズリは着ていた衣装を整えた。襲われた状況を考えると、相手が最悪と言うのが想定されたのだ。 「それで、状況はどうなっています?」 「まだ第一報だけです。何が起きているのかは、戦士が派遣されてからと言う事になります!」  それを確認したラピスラズリは、「トラスティ様」と隣りにいたトラスティに声をかけようとした。だがそれよりも早く立ち上がったトラスティは、カナデ皇から貸与されたカムイに力の解放を命じた。 「リミットブレイクっ!」  アリッサに危険が迫った以上、力を出し惜しみする理由はない。金色の光に包まれたトラスティは、量子跳躍を行い現場へと急行したのだ。  そしてそれを見送ったラピスラズリは、水都全体に警戒警報を発令させた。水都の中で議員が襲われるのは、前代未聞の出来事でもあったのだ。  強圧的な態度を取るザリアに、手のひらに集められた光。それを見たアリッサは、これで自分は死ぬのだとぼんやりと考えていた。  今まで自分たちが話していたことは、ザリアの隠していた秘密に迫ることだったのだ。トラスティが殺されかけたことを考えれば、同じ目に自分が遭っても不思議ではないはずだ。 「それだけ、ザリアの秘密に迫ったと言うことですか」  その事実を伝えられないことを悔しがるアリッサに向けて、ザリアは光を集めた手のひらを向けた。初めて見る光景なのだが、それが自分の死につながるのだとアリッサは感じていた。  そしてその通り、ザリアは死を告げる言葉を口にした。 「スターライトシャルタ」  その言葉が発せられたのと同時に、アリッサは目の前いっぱいに広がる光を見た。それが自分の死なのだと考えたのだが、肝心の死はいつまで経っても訪れては来なかった。 「一体何が……」  どうして自分は生きているのか。そう考えた時、アリッサは目の前に立ちふさがる女性の姿を確認した。 「コスモクロア……さん?」  後ろ姿しか見えないのだが、その姿にアリッサは見覚えがあった。思わず名を呼んだアリッサに、「ご無事で」とコスモクロアは背中を向けたまま声をかけてきた。 「ただいま、ラズライティシアの亡霊を排除いたします。ご不自由をおかけしますが、しばらく我慢をお願いします」  それからと、コスモクロアはもう一つアリッサにお願いをした。 「隣の女性……確か、アガパンサスと言いましたね。その方の面倒を見ていただけますか?」 「それはいいのですが……」  隣を見れば、確かにアガパンサスが失神をしていた。肩を揺すってみたが、起きそうな気配は感じられなかった。 「アガパンサスさん、大丈夫ですか!」  大声で呼びかけても、アガパンサスからは答えが返ってこない。本当に大丈夫かと胸に手を当ててみたら、心臓の鼓動は感じられた。思わずホッとした時、「終わりました」とコスモクロアが声をかけてきた。 「もう、ですか?」  あまりにも早すぎる展開に驚くアリッサに、「見逃してくれたようです」とコスモクロアは答えた。 「私の姿を確認したところで、いずこへと消えていきました。とりあえず脅威は去ったと考えて宜しいのかと」  もう大丈夫と言われ、アリッサは大きく息を吐きだした。そして同時に、忘れていた激しい恐怖に包まれた。もしもコスモクロアに守られていなければ、自分の命は潰えていたはずなのだ。だがまだアリッサの危機は去っていなかった、「失礼」と言う声が耳元で聞こえたと思ったら、アリッサはアガパンサスとともに離れた所に降ろされていた。  一体何ごとと驚いた瞬間、彼女の乗っていた車が炎を上げて爆発してくれた。 「かの者の攻撃に耐えられなかったのでしょう」 「コスモクロアさんが守ってくれたんですよね?」  すがるような眼差しを向けられたコスモクロアは、ニッコリとアリッサに微笑んでみせた。 「わが主の大切なお方です。私の存在にかけて、お守りする所存ですよ」  ただと、コスモクロアがそう口にした時、彼女の存在にノイズのようなものが走った。 「いささか、私には負荷が大きかったようです。しばらく機能を停止しますことをお許し下さい」  コスモクロアが謝罪の言葉を口にしたところで、もう一度彼女の存在にノイズが走った。そして次の瞬間、唐突にその存在をアリッサの前から消した。 「コスモクロアさんっ!」  アリッサが大声で呼んでも、コスモクロアは二度とその姿を彼女の前に現すことはなかった。  傍らには、意識を失ったアガパンサスが横たわっている。今のアリッサには、頼れれる人は誰もそばに居てくれなかった。一人残されたと言う恐怖が、アリッサへと襲い掛かってきたのである。  恐怖に押しつぶされそうになったところをすくい上げたのは、やはりと言うかトラスティだった。金色の光をまとって現れたトラスティは、すぐに震えるアリッサの姿を見つけた。 「アリッサ、大丈夫かい」  隣を見れば、意識を失ったアガパンサスが倒れていた。そして少し離れたところで、彼女たちを乗せていた車が燃えているのが見える。ただの事故と考えるには、あまりにも不自然な光景だったのだ。 「は、はい、わ、私は大丈夫です」  トラスティの姿を認めたところで、ようやくアリッサは自分が助かったのだと実感することが出来た。そう思った途端、瞳から涙がとめどなく溢れ出てきた。思わず抱きしめようとしたトラスティだったが、自分の状態を思い出してそれを思いとどまった。 「リストア・リミッタ」  そしてすぐにカムイを停止し、泣きじゃくるアリッサをその胸に抱きとめた。よほど酷い恐怖に襲われたのか、まともな判断は出来ないようだった。 「おい、一体何があったんだ?」  そしてアリッサを抱きとめてすぐに、カイトがその場に現れた。それを認めたトラスティは、ゆっくりと首を横に振ってみせた。 「まだ、事情を聞けていません。ただ、ろくでもないことがあったのだけは確かそうですね」  カイトがここに現れたということは、ザリアが正常に機能していると言うことにつながる。だとしたら、何がアリッサ達を襲ったというのか。ただ瞬間移動できることを考えれば、ザリアのアリバイは成立しないだろう。だがそれにしたところで、何事もないようにカイトの命令を聞くというのも不自然なことに違いなかった。 「ザリア、出てきてくれるかな?」  その状態でザリアを呼び出すのは、とても危険な真似に違いない。それでも敢えてザリアを呼び出したトラスティは、「情報は?」と何も知らないかのように質問をした。 「我は、主と一緒におったからな。情報と言われても、さほど無いというのが現状だ。ただ、大きなエネルギーが集中するのは感じることが出来たな。爆発が起きたのと同じタイミングなので、事件に関わっているのは間違いないだろう」 「俺は、ザリアの警告を受けてブルーレースを置いてここに来た」  事情を聞いてみたが、予想通り新しい発見はそこにはなかった。簡単には尻尾を掴ませないかと考えたのだが、それにしてもおかしいとトラスティは疑問を感じた。  もしもアリッサ達を襲ったのがザリアなら、ここに二人証人が残されていることになる。二人がザリアの姿を見間違えるはずがない以上、犯人はすぐに特定されることになる。  そしてもう一つ分からないのが、アリッサ達が無事だったことだ。本気のザリアを前にしたら、リゲル帝国の十剣聖でも抑えきることは不可能なのだ。だとしたら、どうして二人が助かったのか。そしてどうしてとどめを刺さずにザリアが引いたのか、すぐにバレることを考えれば不思議としか言いようがなかった。なにしろザリアに対抗できるデバイスは、この宇宙に存在しないはずなのだ。  そうやって話をしているうちに、さもなければトラスティに抱きとめられて落ち着いたのか、自分に捕まるアリッサの力が弱くなった。 「少し、落ち着いたかい?」  それに気づいて、トラスティは愛する人の顔を覗き込んだ。 「え、ええ、ですが……」  そこで怯えた視線を向けられたザリアは、「なに?」と首を傾げた。 「我の顔に、何か付いておるのか?」 「ど、どうして、あんなことをしたのですかっ!」  何も知らないというザリアの態度は、アリッサの怒りに火をつけたようだ。相変わらずトラスティにしがみついたまま、「私達を殺そうとしました!」とアリッサは大声を上げた。 「我が、か?」  驚いた顔をしたザリアは、自分を指差して「我が、か?」と繰り返した。 「我には、ぬしらを殺さなくてはならない理由が無いぞ。そもそもデバイスと言うものは、主の命を受けて動くものだ。我が主に、ぬしらを殺す理由はないはずだ」  のうと顔を見られたカイトは、少し目元を引きつらせた。 「ですが、私ははっきりと見たんです。こう手のひらを掲げ、光を集めているのを見たんです!」 「こう、か?」  そう言って手を上に上げたザリアは、「そのような能力は我にはない!」と断言した。 「IotUは光を操ったと言われているが、誰もその能力を引き継いだとは聞いておらんぞ。そもそも科学者達は、解析するのを諦めたとまで言われている能力だ。確かにエネルギーの集中を観測はしたが、スターライト・ブレーカーが使用されたとは考えられん」 「それを、信用できると思っているんですかっ!」  相変わらず睨みつけてくるアリッサに、ザリアは小さくため息を吐いた。 「我の姿を見て、しかも攻撃されたと言うのなら信用できぬであろうな」  もう一度ため息を吐いたザリアは、「逆に問うが」とアリッサに声をかけた。 「そのような攻撃を受けて、なぜぬしらは生きていられる? スターライト・ブレーカーは、かつてリゲル帝国艦隊を消滅させた攻撃なのだぞ。小規模とは言えそれを受けたら、とてもではないがぬしらが無事でいられるとは思えぬのだが?」  どうだと問われたアリッサは、「それは」と理由を言うのをためらった。 「分かりません。目の前に光が広がったのは覚えていますが、そこから先は記憶が定かではありませんから。それでもはっきり覚えているのは、まるで虫けらを見るような目をしたあなたが立っていたことです!」 「昼の日中から夢を見た……と言うことは無いのだろうが」  何しろ直ぐ側で車が燃えているのだ。アリッサがアガパンサスを運べるとは思えないので、何者かの介入があったのは確かだろう。 「それは、本当に我だったのか?」 「あなたの顔を、見間違えると思いますかっ!」  その答えに頷いたザリアは、「これでもか?」と自分の姿をエヴァンジェリンに変えてみせた。 「我らにとって、姿と言うのは仮初のものにしか過ぎぬのだ。もう少し正確に言うのなら、変えようと思えば変えられるものでしか無い。もっともデフォルト状態が一番負荷が少ないゆえ、何もなければデフォルト状態を使用するのだがな。我の場合、この男にデフォルトを書き換えられた……と言うことになるのだろう」  そう答えたザリアは、もとの姿へと復帰した。そしてさらなる疑問をアリッサにぶつけた。 「百歩譲って我がぬしを攻撃したとしよう。ならば、なぜバカ正直に姿を晒す必要がある? 姿を変えられるのは、たった今示してみせただろう。仕留め損なう可能性まで含めて考えれば……事実ぬしは生き残っておるのだが、姿を偽装すると考えるのが普通ではないのか?」  いかにと問われたアリッサだったが、その問への答えを持ち合わせては居なかった。確かに自分はザリアの姿を見たのだが、それが証拠にならないのはたった今示されたばかりである。そうなると、自分が生き残ったこと、そして敢えてザリアが姿を晒したことへの説明がつかなくなる。  それでも、どうしても目の前にいるザリアのことを信用ができなかった。その理由として一番大きなものが、トラスティが殺されかけたことにあるのは間違いない。しかもアガパンサスも、ザリアに対して警戒をしていたのだ。 「論理的にはあなたの言うとおりなのかもしれません。だからと言って、あなたのことを信用することは出来ません!」  大きな声で言い返され、ザリアははっきりとため息を吐いた。 「心と言うものが簡単だとは思っておらぬが……だが、我にはこれ以上身の証を立てる方法がないのだ」  そう答えたザリアは、カイトの顔を見てもう一度ため息を吐いた。 「とは言え、このままでは流石にまずかろう。主よ、今なら火急の自体が起きる可能性は極めて低いはずだ。ならば我を、一時的に機能停止させてくれ。モンベルトに向かう時にでも、再起動してくれれば事足りるだろう。なに、正規手段で停止した場合、主なら面倒なく再起動が可能なはずだ」 「それで、いいのか?」  ザリアの言葉に、カイトは確認するようにアリッサとトラスティの顔を見た。 「現時点では、それぐらいしか方法は無いでしょうね」  ザリアの停止は、自分達の戦力を削ぐと言う意味にもつながる。その意味では、あまり使いたい方法で無いのは確かだった。ただアリッサの感情に配慮すると、それ以外に策がないのも確かだった。ただ問題は、アリッサを襲ったのがザリアでなかったときのことだ。そのことをトラスティは気づいていたが、あえてそれを口にはしなかった。 「これをやると、デバイスが置物になるから嫌なんだが……」  カイトにしたところで、困った問題と言うのは間違いなかった。そして妹の感情を慮れば、ザリアを停止する以外に無いというのも理解はしていた。  仕方がないとため息を吐いたカイトは、さっそくザリアの停止に取り掛かることにした。通常手段による停止なので、方法自体は至って簡単なものだった。 「ザリア、管理者権限により停止を命じる。停止コードは………」  嫌と言う気持ちの中には、停止コードが長いと言うことも有るのだろう。その長い停止コードを指示したところで、ザリアの反応が極めて無機的なものへと変化した。 「管理者コード確認。停止コード01を確認しました。これより10秒後に、デバイスXariaは停止します。10、9、8……」  無機的な声で始まったカウントダウンは、0が紡がれたところでおもむろに停止した。そしてそれまで人だったザリアが、いきなり精巧な人形へと成り下がった。柔らかな手触りも失われ、まるでマネキンのようなものへと変わったのである。 「これで、いいか?」  自分の顔を見たカイトに、アリッサは小さく頷いた。 「さて、これで俺は丸腰だからな。これ幸いと、仕返しをしないでくれよ」 「なるほど、兄さんは丸腰になったということですね。じゃあ、何発かお礼をした方がいいかな?」  そう言って笑ったトラスティは、アリッサの体を離していきなり「リミットブレーク」とカムイの力を開放した。3人を強烈な光が襲ったのは、まさにそのタイミングのことだった。先程以上の爆発音が、水都全体を揺るがした。  とっさのエネルギー解放で、なんとか消滅することだけは免れることが出来た。だが攻撃の力は、カムイの力をわずかとは言え上回っていたようだ。殺しきれない勢いに、4人は10mほど吹き飛ばされた。そのまま地面に叩きつけられた3人は、意識をなくしたのかその場から動かなくなっていた。ただ一人、戦士であるカイトだけはなんとか持ちこたえていた。 「きさまは、何者だっ!」  それでも受けた衝撃は凄まじく、カイトの体も満身創痍の状態となっていた。銀河最強と言われた戦士の誇りにかけて立ち上がり、真っ直ぐ敵の姿を睨みつけた。  およそカイトの居る位置から、20mほど離れていただろうか。高さにして10m程の位置に、一人の女性の姿を認めた。いや、それを女性と言って良いのか。記号としての衣装であれば、エスデニアの議員に似た恰好をしているのだが、発する空気は全く異質のものだったのだ。そして見た目だけで言うのなら、その姿はザリアに瓜二つだった。  カイトの問いかけに、その女性のような何者かは答えようとはしなかった。そして問いに答える代わりに、掲げた右手に新たな光を集め始めていた。その危険さは、リミットブレイクをしたカムイが防ぎきれなかったことが証明していた。  だがカイトは、だてに全銀河最強と言われたわけではない。そして退役こそしたが、今はその時を上回る力を得ていたのだ。 「来い、ザリアっ!」  停止コードによる機能停止は、正確に言うのならスタンバイモードに移行するだけのものだった。そのあたり、トラスティと事前に打ち合わせをした結果でも有る。カイトの命令で機能を復活させたザリアは、光の粒となって主と融合した。それは、敵が「スターライト・シャルタ」と唱えるのと同時だった。  三度雷鳴が水都に轟いたのだが、今度は爆発が起きることはなかった。カイトを襲った強烈な光は、何事もなかったようにその体に吸い込まれるようにして消えていったのだ。そのあり得ない現象に、初めて敵の顔に表情が現れた。もっとも相応しい言い方をするのなら、それは驚愕と呼ばれるものだった。  だが驚愕の表情も、刹那のことだった。再び右手を上げ、正体不明の敵は4度目の攻撃をしようとした。だが掲げた手のひらに光が集る前に、瞬間移動をしたカイトは両手で拳を作ってその頭を上から叩き潰すように殴りつけた。その攻撃により、正体不明の敵は水都の地面に衝突し大きな穴を開けた。  さらに追撃しようと瞬間移動をしたカイトだったが、振り上げた拳が再び敵を捉えることはなかった。撃ち抜いたと思った瞬間、敵の姿が光の粒となって消滅したのである。 「逃げたのか……」  そうカイトが悔しそうに呟いた時、「破壊したようです」とトラスティの声が聞こえてきた。 「大丈夫か?」  顔を上げたカイトに、「なんとか」と答えてトラスティは小さく頷いた。着ていた服は破れ、右肘からは血が流れていた。 「あれは、なんだ?」  ふうっと大きく息を吐きだし、カイトはそれまで戦っていた物への疑問を口にした。見た目がザリアに似ているのも問題なのだが、相手からの攻撃に意思が感じられなかったのだ。ただ冷静に、そして機械的に自分達を抹殺しようとしていた。カイトは相手から薄気味悪さを感じていた。 「過去の亡霊……とでも言えば良いのか。IotUの闇……の一つなのかもしれませんが」  そう答えたトラスティは、「分からない」と首を振った。それでも言えたのは、何者かが自分達を亡き者にしようとしたことだ。 「これで、ザリアへの疑いも晴れたと考えれば良いのか?」  停止直後に襲撃されたことを考えると、ザリアの姿をしたのは罠と考えることが出来る。それをもって己のサーヴァントを潔白と考えたカイトに、トラスティは小さく口元を歪めた。 「状況だけを見れば、きっとそうなんでしょうね……」  そこで息を吐き出したトラスティは、振り返って恋人のところへ戻っていった。トラスティが守ったからなのか、アリッサからは外傷を見つけられなかった。そして壊れ物を扱うように、トラスティはアリッサを抱き上げた。 「兄さんには、アパガンサスさんを任せていいですか?」 「ああ、ちゃんとベッドで寝かせてやらないと可哀想だろうな」  トラスティが守ったアリッサに比べ、アパガンサスの方が被害が大きかったようだ。綺麗な肌には、いたるところに擦り傷がついていた。それでも腕から血を流すトラスティに比べれば、怪我の程度は軽かった。 「それで、これからどうする?」  アパガンサスを抱き上げたカイトの問いに、トラスティは少しだけ難しい顔をした。 「僕は、アリッサと一緒に居ますよ。本当に敵を撃退できたのか、まだ定かではありませんからね」  その答えに頷いたカイトは、「俺は」と抱き上げたアパガンサスの顔を見た。 「一度ゲートを通って、ルナツーへ行ってくるか。奥方の危機だから、旦那に伝えておく必要があるだろう」 「ジュリアン大佐にですか」  IotUのことを語る時、イスマル家の存在を忘れることは出来ない。その意味で、ジュリアンから情報を取るのは悪い選択ではない。 「そうですね、ジュリアン大佐に意見を聞いてきてください」  トラスティの言葉に頷いたカイトは、抱きかかえたアパガンサスの顔を見た。 「じゃあ、行ってくるか」 「できるだけ、早く帰ってきてください。兄さんが切り札というのは、今も変わっていないんですからね」  二人が離れることで、それだけ敵に付け入る隙を与えることになる。それを気にしたトラスティに、「分かっている」とカイトは答えた。 「ザリアっ!」  その言葉とともに、カイトの姿はトラスティの前から消失したのだった。それを見送ったトラスティは、抱きかかえた愛する人の顔を見た。 「ザリアであってザリアでない存在……か」  もしも自分の考えが当たっていたら、この襲撃は目眩まし以上の意味を持っていないことになる。自分達が乗り越えられる程度の攻撃をし、切り離した分身を破壊して姿をくらました。ザリアに対する疑いを、トラスティは更に深めたのだった。  その翌日、トラスティは朝一番にラピスラズリの元を訪れていた。そこまで時間が空いたのは、アリッサを落ち着かせることを優先したからに他ならない。 「この地で、奥様を危険な目に遭わせたことをお詫びいたします」  誰の仕業とは関係なく、来訪者の安全を確保するのはエスデニア側の勤めでもある。そしてその中核とも言える水都で襲われたとなれば、最高評議会議長が頭を下げるのもおかしなことではないだろう。そして謝罪を目的とすれば、他の都合をキャンセルするのも当たり前のことだった。  前日と同じ衣装で頭を下げたラピスラズリに、トラスティは少し難しい顔をして「それはいい」と答えた。そして彼女に近づくと、「今日は続きからだ」と正面からラピスラズリを抱き寄せた。そして驚くラピスラズリの唇を奪い、そのまま柔らかな床へと押し倒した。 「さ、先に、お話から、かと」  前日のこともあり、いきなりと言うことへラピスラズリも抵抗をした。だがその気になったトラスティは、淡々と彼女を責め上げいささか強引に初めてを奪った。それまで経験のないラピスラズリが、トラスティに抗えるはずがなかったのだ。  そしてあらゆるテクニックを駆使して責め上げたトラスティは、ゆっくりと時間を掛けてラピスラズリを失神させた。  結い上げてあった髪は解け、白い体のいたるところが赤く変わっていた。慎み深さを尊ばれる最高評議会のトップが、だらしなく体を弛緩させていた。汗の浮き出た胸だけが大きく動き、それ以外はぴくりとも動きを見せていなかった。「最高の宝石」と賞されたラピスラズリにしてみれば、屈辱的とも言える姿に違いない。そしてそれは、それだけトラスティが激しく責め立てたと意味にもつながっていた。  ただ彼は、ラピスラズリと話をするためにここに来たはずなのだ。だがこの状態では、しばらく肝心の話はできそうにもなかった。普通なら失敗したと後悔するところなのだが、離れて衣装を整えたトラスティからは、少しも後悔の色は読み取れなかった。 「さて」  自分の格好を確かめたトラスティは、ラピスラズリから離れて床に腰を下ろした。よくできた床は、盛り上がって彼に心地よい椅子を用意してくれた。その椅子にもたれかかったトラスティは、「いるのだろう」と何もない空間に声をかけた。 「ザリア、隠れてないで出て来いよ」  トラスティの声に応えるように、一人の女性が姿を表した。白いローブのような衣装を纏った、黒い髪をした頗る付きの美人である。 「誤解があるようだが、我は主の命を受けてぬしらを守っておるのだぞ」  いの一番に文句を言ったザリアは、口元を歪めて「物足りなかったのか?」とトラスティをからかった。 「いいのか、今はカムイのエネルギーを温存しておくときだろう?」  つまり、口直しに自分とするのかと問いかけたのである。もちろん本気でするつもりはなく、あくまでトラスティをからかう言葉だった。 「ああ、僕も自分が可愛いからね。また君に殺されるわけにはいかないんだよ」  真面目な顔をしたトラスティに、はてとザリアは首を傾げた。 「なぜ、我がぬしを殺さなければならないのだ?」 「それは、僕の方が教えてもらいたいね。だけど、僕が君に殺されかけたのは事実だよ。多分覚えていないだろうけど、リゲル帝国でのことだよ。そこで直接結合でエネルギーを吸い取られた後、君に僕は殺された」  その言葉に、ザリアは驚いたように大きく目を見開いた。 「やはり、我には主を殺す必要がないのだが……何しろぬしは、貴重なエネルギー源だからな。10剣聖で代わりにならぬ以上、ぬしを殺すのは我にとって損失になる」  そう答えたザリアは、「まあ待て」とトラスティを手で制した。 「ぬしから、なにか懐かしい匂いが感じられるな。そうか、ならば我の行動にも説明がつく気がする」  そう答えて一歩トラスティに近づいたザリアは、心臓を狙うように人差し指をトラスティに向けた。 「防御をせぬのか? これから我は、ザルストレンリヒトでお前を撃つのだぞ」  その言葉と同時に、自分を示したザリアの人差し指の先端が白く光りだした。それに動じることなく、トラスティは、「つまらないハッタリだ」と切って捨てた。  全く動じないトラスティに、ザリアは小さく息を吐きだし手をおろした。 「つまらぬな、少しぐらいは焦っても良いだろうに」 「君が言ったとおり、僕を殺す理由がないからだ。そして僕の存在は、君にとって利用価値がある」  違うのかと問いかけられ、ザリアは口元を歪めて小さく頷いた。 「確かに、そう答えたばかりだったな」  そして少し憐れむような目を、失神しているラピスラズリに向けた。 「最高評議会議長を抱いたのは、我をおびき寄せるためと言うことか?」  その問いに、トラスティははっきりと首を横に振った。 「いや、彼女に余計な情報を与えないこと。そして、彼女を危険に晒さないためだよ。君が僕を監視しているのは分かっていたからね」 「我は、主の命令だと答えたはずだがな」  そう答えたザリアは、口元を歪めて「何を話したい?」とトラスティに問いかけた。 「君が正直に答えてくれると言うのなら……」  まっすぐにザリアを見据えたトラスティは、「コスモクロア」と己のサーヴァントに呼びかけた。その呼びかけに応えるように、一人の女性がザリアの前に姿を表した。  エメラルド色のボディースーツに、金糸銀糸で彩られたボレロのような上着と短いスカート。見るものが見れば、それがパガニアの正装だと気づくことだろう。長い黒髪をまっすぐに伸ばした、静謐な美しさを持った女性型サーヴァントの姿がそこにあった。 「僕に教えられた名前は、コスモクロアと言う。アリエル皇帝から渡された、僕だけのインヒューマンデバイスだよ」  静かにサーヴァントの名前を口にしたトラスティに、なるほどとザリアは大きく頷いた。 「よもや、イェルタとこのような形で再会するとはな。久しいな、イェルタよ」  そう呼びかけたザリアに、コスモクロアは小さく首を横に振った。 「あなたとは、先日以来これで2度めのはずです。ただザリアとやら、我が君が手の内を明かして見せたのですよ。そろそろ、偽りを語るのはやめなさい。今は、ラズライティシアと呼ぶのが相応しいはずです」 「なるほど、我を強制停止に追いやったのはぬしと言うことか。ならばぬしのことは、オンファスと呼べばよいのか? ならば改めて言おう、久しいなオンファスよ」  その言葉に、コスモクロアは小さく頷いた。 「そうですね、ラズライティシア様。まさか、このような時が来るとは思ってもいませんでした」  自分の言葉を認めたコスモクロアに、ザリアは小さく頷いた。そしてトラスティを見て、「何を話したいのだ?」ともう一度問いかけた。 「実は、かなりの疑問に答えが出てしまったのだが……そして、この問いは君たちにも答えは出せないと思うし」  そう前置きをしたトラスティは、ザリアに向かって「君たちは誰が作ったんだ?」と問いかけた。  それに頷いたザリアは、「確かに」と言ってコスモクロアの顔を見た。 「我らには、分からぬ問いだな。何しろ気がついたときには、すでにこの姿を得ていたからな。おそらく、何者かによって、連邦のインヒューマンデバイスに意識を転写されたのだろう」  それに頷いたトラスティは、「だから」と言ってから本質的な問いかけをした。 「君たちは、何をしたいんだ?」 「我ら、か?」  そこでコスモクロアの顔を見たザリアは、もう一度「我らか」と口にした。 「破壊されぬ限り、我は永遠にあり続けることだろう。そんなつまらぬものを押し付けられた我だ、明確な欲求という物はないのだが」  もう一度コスモクロアの顔を見たザリアは、「それでも」と熱のこもった眼差しをトラスティに向けた。 「我は、愛する夫との間に子を儲けることができなかった。夫とともにともにあると言う約束も果たせなかった。生ある時の心残りというのは、我にとってはその二つなのだ。オンファスの事情は知らぬが、我は我が子を見守りたいと願ったのだ」  トラスティには、それがザリアの本心と言うのを感じることができた。そして、彼女がカイトから離れなかった理由がそこにあるのだと理解することができた。 「兄さんは、あなたとIotUの子供と言うことか。そして僕は、オンファスとIotUの子供と言うことだね」 「男の側の遺伝子には疑問があるのだが……」  コスモクロアが頷くのを見て、「おそらく」とザリアはトラスティの言葉を肯定した。 「ぬしは、皇帝アリエルが作ったと言う話だからな。あの者なら、IotUの遺伝子情報を持っておっても不思議ではあるまい。我やオンファスとも褥をともにしておるのだから、我らの遺伝子情報も持っておったのだろう」 「僕はまだしも……」  自分は、レムニア皇帝アリエルによって作られた子供というのは理解していた。だがカイトは、アリエルとは関係のないところで生まれたはずだ。  それをおかしいと主張したトラスティに、なるほどとザリアは頷いた。 「確かに、我が主はレムニア皇帝とは関係のないところで生まれたのだったな。だが我が、我が子を見間違えるはずはないぞ」 「まだ、秘密があるってことか……」  少し考えたトラスティは、「それから」と別の疑問を二人に投げかけようとした。だがザリアは、「時間切れだ」と彼を制止した。 「お騒がせが、そろそろ目を覚ましそうだ。なんなら、もう一度失神させるか?」  そうすれば、もう少し時間を作ることができる。そう言って口元を歪めたザリアに、小さく息を吐いて「止めておく」とトラスティは答えた。幾つか謎が解けたこともあり、重要では有るが疑問を解くことの優先順位は下がっていたのだ。 「ただ、もうアリッサを脅かすのはやめてくれないか?」 「もう、疑いは解けたと思ったのだが……」  そこで少し困った顔をしたザリアは、「我ではないぞ」と自己弁護をした。そこで顔を見られたコスモクロアは、「確かに違いますね」とザリアの言葉を認めた。 「私が相手にしたのは、もっと出来損ないでした。ラズライティシア様の使う分身には及びもつかない、粗悪品なのは確かでしょう」 「つまり、まだ敵が残っていると言うことか……」  それはそれで、問題が解決してないことになる。流石にまずいなと顔を顰めたトラスティに、「おそらく」とザリアは声を掛けた。 「我やオンファスを超えることは叶わぬだろう。ぬしに正体を晒した以上、我らが手加減をする必要も失くなったからな。オンファスに本気を出され時には、我では手も足が出なかったぐらいだからな」  一瞬コスモクロアに視線を飛ばしたザリアは、小さな爆弾を落としてから姿を隠した。 「コスモクロア、君はそんなに強いのかい?」  エネルギーをチャージしたザリアより強いと言うのは、トラスティも想像していないことだった。 「それは、どのような戦い方をするかに関わってくるかと思います。ラズライティシア様は、主に知略……と言うより、言葉で民を動かしたお方です。暴力しか取り柄のない私とは、そもそも成り立ちが異なっております」  そこでラピスラズリを見たコスモクロアは、「失礼します」と言って姿を消した。長居をすると、自分の存在が他人に知れてしまうことになる。 「なんだか、二人にはぐらかされた気がするな……」  だがこれ以上この問題に踏み込むと、モンベルト支援に影響が出ることになる。それにIotUの謎に挑むのは、もう少し下準備が必要だと思っていた。 「ますます、モンベルトに時間を掛けていられなくなったな……」  そこで小さくため息を吐いたトラスティは、着ていた服を再び脱いでラピスラズリの横に寝転がった。証拠の隠滅という意味合い以上に、念には念を入れて誑し込もうと考えたのである。 「ラピス」  そう耳元で呼びかけ、トラスティは寝ているラピスラズリの肩を揺すったのだった。  アリッサ達一行がラピスラズリに接見したのは、エスデニアに到着した翌日の午後のことだった。なにゆえそこまで面会が先送りにされたかと言えば、当たり前だがラピスラズリの事情による。それだけトラスティとの情事が、彼女にとってハードだったと言うことだ。それを裏付けるように、接見の間に現れたラピスラズリは、正装であるローブのような衣装ではなく、首元まで詰まったセーターのようなものを着ていた。ちなみに副議長であるブルーレースは、いつもどおりに白いローブ姿をしていた。 「こうして、再びお会い出来たことを光栄に存じております」  普段なら代表としてアリッサが挨拶するのだが、今日に限ってはそれをライスフィールが代表になっていた。そのあたり、モンベルトへの凱旋と言う事情がものを言っていたのだ。議長に挨拶をして出立した以上、無事目的を果たして帰還すれば、ライスフィールが全面に立つのが当然の対応となる。  ライスフィール王女の言葉に頷いたラピスラズリは、「無事戻られたことを喜んでいますよ」と彼女の帰還を祝った。ただその時の声は、普段とは違いかなりかすれたものになっていた。ただ全員、特に女性陣はその理由への心あたりがあるので、ツッコミは心の中だけでとどめていた。 「すでにアガパンサスから聞いていると思いますが、最高評議会はモンベルト復興への追加支援を行うことを決定しました。それに加えて、シルバニア帝国皇帝ライラ様、ライマール自由銀河同盟代表テッド・ターフ様より支援の申し入れを受けています。すでに決められた支援と合わせ、膨大な技術・資材、そして知恵を投入することが可能になったかと思います」  まっすぐにライスフィールを見たラピスラズリは、枯れた声で「冒険は報われましたね」とねぎらいの言葉を掛けた。そして「ありがたいことです」と言う答えにうなずき、「これからのことですが」と全員のスケジュールに関わる話を持ち出した。 「ライスフィール王女は、一刻も早く祖国に報告をする義務があるかと思います。また祖国への凱旋は、あなたの権利でもあると思っています。ですから必要な関係者を伴い、一刻も早いモンベルトへの帰還できるよう手配いたしました」  そのために戻ってきたことを考えれば、ラピスラズリの言葉には疑問を挟む余地はないのだろう。ただ相手が性格のネジ曲がった、そして面倒が大好きな議長様だと考えれば、それで話が終わるはずがない。それを警戒したライスフィールの予想通り、ラピスラズリの話はそれで終わらなかった。 「そして早急に、モンベルト復興への支援策を確定する必要があると思っています」  その言葉にしても、どこにも疑義を挟むものではないだろう。だがそれに関わるメンバーを考えると、必ずしもライスフィールには好ましいことではなかった。 「その考えは、シルバニア帝国、ライマール自由銀河同盟とも共有されております。そのため、両者から実務者協議を行いたいとの申し入れを受けております。従いまして、トラスティ様には残っていただき、関係者との整合をお願いしたいと思っております」  やはりそうきたか。警戒したとおりの話に、ライスフィールは少し視線を険しくした。だが協議の目的を考えれば、声を出して異を唱えることのできない提案である。  そしてアリッサにしてみれば、トラスティの渡モンベルトが遅くなるのは都合が良かった。そこで問題があるとすれば、また余計な女性がついてくることだろうか。ただ妻という立場を確保したので、その方面は諦めることにしていた。  「いかがでしょうか?」との問に、トラスティは小さく息を吐きだした。ラピスラズリの話通りにすると、自分のモンベルト入りが遅れることになる。そうなると、幾つかのシナリオが変わってくるのだ。  だがエスデニア連邦からの支援を受けるのは、問題解消への近道に違いない。それを考えると、エスデニア連邦との協議は避けて通ることのできない問題だった。 「確かに、協議は必要かと思います」  ラピスラズリの言葉を認めたトラスティは、そこで肝心な確認をすることにした。 「行うのは、実務者協議だけでしょうか?」  それによって、自分の対応も変わることになる。ただお騒がせな議長様や、自分の結婚で騒ぎ立てている者達を考えれば、実務者協議だけで終わるというのは甘い考えに違いなかった。 「多額の資金、そして重要な技術の提供が行われるのですよ。それぞれから、責任を持った方がお見えになるのは当たり前かと。ですからライスフィール王女には、是非ともご挨拶をお願いしたいと思っています」  つまり、それが終わればさっさと帰れというのだ。なるほどねと納得したトラスティは、諦めたように「かしこまりました」とラピスラズリの提案を承諾した。 「それで、スケジュールの方はどのようになっていますか?」 「明後日から1週間の予定を組んでおります。ライスフィール王女には、初日にご出席していただけば十分でしょう」  建前を通すためには、ライスフィールの出席は必須のものだった。そして必要な手続きだと考えれば、ラピスラズリの言葉に疑問を挟む余地はなかった。だからトラスティも、「妥当なところでしょう」と答えざるを得なかった。 「この会議を持って、モンベルト復興が始まることになります。私達の祖先が残した問題を、私達の代で解決することができるのです」  モンベルトにとって、この会議はとても大きな意味を持つものになる。それに出席することは、将来の女王と考えれば拒むどころか是非にとお願いするレベルのものだろう。できることなら、個人的事情を含めて最後まで出席したいとさえ思えるものだった。  ただ問題は、「初日だけ」とラピスラズリが指定したことだった。一刻も早く故郷に凱旋すべきと言う言葉を裏付けたもので、しかもライスフィールに気を使ったようにも見えるものだった。その意味で、どこにも文句がつけようのない、とてもいやらしい仕掛けに違いない。  だからライスフィールも、「お心遣いに感謝します」と心にもない謝辞を言わなければならなかった。それに頷いたラピスラズリは、ライスフィールの顔を見て宴と言う名のパーティーの開催を持ち出した。 「モンベルトに戻れば、そうそうこちらに来ることもできなくなるでしょう。ですから今宵は、苦労された王女を労うための宴を開こうかと思います。私が主催いたしますので、最高評議会議員の方も大勢出席されるかと思いますよ」  いかがですかと問われれば、感謝の言葉以外口にできるものではない。これでまた、出発までの自由時間が削られることになるのが確定したことになる。だから少し目元を引きつらせながら、「感謝いたします」とライスフィールは御礼の言葉を口にしたのだった。  問題の解決はしていないが、解明の優先順位は限りなく下げられていた。だからトラスティは、アリハスル達と支援策の練り直しをすることにした。そこにクンツァイトの姿があったのは、彼もまた関係者だからと言うことである。 「基本的な方針は変わらないんだが……」  一度全員の顔を見たトラスティは、「事業を加速をする」と対策の微修正を告げた。 「物資、技術が潤沢に得られることになったんだ。だったら、モンベルト復興事業を加速することを考える」  そこで顔を見られたバルバロスは、小さく頷いてから立ち上がった。 「復興策の中で、一番タイムスパンの長いのは植生の復活……すなわち、自然の回復と言う事になります。前にも説明しましたが、土壌が死に植物の枯れた山々は地肌の岩石が露出しています。経過した時間を考えれば、殆どの土壌が海に流出したと考えていいでしょう。今までの検討では、その復帰に一番時間が掛かることになっていました」  それは良いかと全員の顔を見たバルバロスは、意見が無いのを確認して自分の話を続けた。 「他の惑星から土壌を搬入しても、定着前に雨に流されてしまうことでしょう。従って、植生の回復のために気候管理装置を持ち込みます。また時間加速装置の使用も検討します。はい、クンツァイト王子」  少し良いかと割り込んだクンツァイトに、どうぞとバルバロスは意見を言う機会を与えた。 「時間の管理装置自体、アス神殿にも用いられている技術だ。だから技術自体に疑いはないのだが……惑星全体に適用するほど大規模な管理は過去に行われていないはずだ。そしてそれだけ大規模の装置が存在するとは寡聞にして聞いていない」  実現性に疑問を呈したクンツァイトに、バルバロスは「そうですね」とその意見を認めた。 「現在有るのは、有効範囲数平方キロと言ったものでしょう。ですから、モンベルト全体に適用するには不可能としか言えませんでした。その意味で、クンツァイト王子の指摘は間違っておりません。ただし」  そう言って、バルバロスは目を大きく見開きぎょろりと動かした。 「アス神殿の見学で、抜け道が有るのではと気づかせていただきました。そう、空間拡張技術との組み合わせを考えるのです。エスデニア、パガニア、そしてシルバニア帝国の技術を合わせれば数百平方キロ程度であれば容易に拡張できるでしょう。そこにレムニアから、δ=20の時間加速装置を持ち込みます」 「時間を20倍に加速する……と言うことか」  それが確かなら、100年の時間経過を僅か5年で実現できることになる。10年も掛ければ、かなりの土壌を定着させることが出来るだろう。そして20倍の加速は、パガニアも知らない先端技術だった。思わず唸り声を上げたクンツァイトに頷き、バルバロスはさらなる変更を説明した。 「さらに付け加えると、タンガロイド社にコロニー開拓ツールが有りました。当初農業の分野で活用する予定でしたが、植生回復にも利用できると言う提案を受けています。そして検討した所、提案通りの効果が期待できることが判明いたしました。これにセルロース分解ナノマシンを組み合わせることで、土壌生成速度を3倍程度加速できることもシミュレーションできています。はい、クンツァイト様」  もう一度意見を求めたクンツァイトを、バルバロスは「どうぞ」と指名した。 「これは確認なのだが、確か閉鎖された開放空間を作る話があったかと思う。そこには、時間加速装置を使用しないのかな?」  そうすれば、惑星内の移住先を迅速に用意することが出来ることになる。それを指摘したクンツァイトに向かって、バルバロスは大きく頷いた。 「それこそ、最大の変更点だと考えております。時間加速により、生体結合型バクレニウムの分解速度が20倍まで高められます。当初半年を目安にと考えていた一次移転先ですが、1ヶ月程度まで短縮できる見込みが出来ました。その場合の問題は、生体結合型バクレニウムの分解ナノマシンの消費もまた、20倍に加速されることです。タンガロイド社の生産ラインをフル回転させても間に合わないため、当初は時間加速装置を使用しないことにしていたのです。ですがエスデニア連邦の支援が得られるのであれば、ナノマシンの製造能力の増強も難しくありません。他地区に回す分を振り向け、製造工場が出来た所で他地区の処理を加速する。スケジュールの自由度も高くなったと考えているのです」 「物量の大量投入が可能になった……と受け取れば良いのか?」  クンツァイトの確認に、「まさにその通り」とバルバロスは大きな身振りで肯定した。 「なるほど、随分と面白いことになったと言う訳だ」  その場にライスフィールが居たら、間違いなく眉を顰めていたことだろう。そしてそれぐらいの分別はあるクンツァイトなのだが、それでもおもしろことになったと口にしていた。やろうとしているのは、モンベルトと言うパガニアによって破壊された惑星の復興事業では有る。だがその事業を見ると、連邦の中でも中枢と言われる星系が参加しているのだ。連邦1千ヤーの歴史の中で、類を見ない事業に違いなかった。 「まあ、ライスフィール王女がいないからいいんだが」  そしてそれを、トラスティが指摘した。 「今のコメントを知られでもしたら、ヘルクレズとガッズの二人をけしかけられるぞ」 「いないのが分かっていたからのコメントなのだがね」  そう言って口元を歪めたクンツァイトは、「君もそう思っているだろう?」とトラスティに問い返した。 「祖先の残した面倒と言う気持ちの方が大きいかな。ただ、超銀河連邦的に言えば、意義のある事業になったとは思っているよ。3つの銀河が関わる共同事業なんて、これまで実績のないことだからね。しかも登場するのが、IotUに縁のある者ばかりだ……」 「何か、問題でもあったのかな?」  最後に言葉を濁されたのを、どうしたのだとクンツァイトは訝った。 「いや、ちょっと別のことを考えただけだ」  そう答えたトラスティは、一度バルバロスの顔を見てから集まりを終わらせることにした。 「事態は、日々動いているのだろう。だからモンベルト復興策も、日々新しい検討が必要だと思っている。着手後の変更は混乱の元になるが、よいアイディア、技術があれば忌憚なく提案して欲しい」  以上だと締めくくったトラスティは、バルバロスの顔を見て次のイベントを持ち出した。 「今の話を、ライスフィール王女に説明するから付いて来てくれ」 「王女に嫌がられそうな気もしますが……」  とは言え、説明役が自分なのは間違いない。承ったと、バルバロスは答えた。 「大丈夫だよ。アリッサにも立ち会ってもらうからね」 「なおのこと、お邪魔という気もしますが……」  モンベルトの復興策なのだから、この場におけるモンベルト関係者に説明が必要なのは言うまでもないだろう。それを考えれば、固辞する理由もないはずだった。そしてトラスティは、少し渋ったバルバロスに正当な理由を提示した。 「この事業主体は、トリプルA相談所だからね。社長が同席するのは当然だと思うよ」 「確かに、代表はアリッサ様でしたね」  それなら納得だと、バルバロスは大きく頷いた。 「私は、君が代表だと思っていたのだがね」  すかさず呈されたクンツァイトの疑問に、いやいやとトラスティは首を振った。 「トリプルAにおいて、僕はアリッサに使われる身なんだよ。だから社長はアリッサなんだ……まあ、いつの間にか巻きこれたと言う気もしているが……」  そこで口ごもったトラスティは、すぐに「いやいや」と首を振った。 「とにかく、モンベルト復興事業はトリプルAが仕切っているんだ。そしてトリプルAの共同経営者は、アリッサにエイシャさん、そしてお前の奥さんになる人なんだよ」 「なるほど、我が妻アルマシアも共同経営者だったか……ならば、トリプルAに対してパガニアとしても支援が必要だね」  うんと頷いたクンツァイトは、「だったら」とモンベルト復興事業とは別に立ち上げられた、安全保障部門のことを持ち出した。 「確かトリプルAで、安全保障部門を立ち上げたのだったね。エーデルシアに手伝わせていたが、さらなる派遣を検討しよう」 「安全保障に、パガニアとリゲル帝国が関わってくるのか……」  クンツァイトの提案を受け、ああっとトラスティは天を仰いでしまった。武闘派で有名な両国家が手を組み、更には超銀河連邦軍ともコネができてしまっている。たかが地方惑星の会社と言うには、あまりにも手を広げすぎていたのだ。しかも手伝いとは言え、トリプルAには連邦最強を誇るカイトもいたのだ。 「なにか、制御を離れてトリプルAが暴走しそうな気がしてきたな……」  はあっと息を吐きだし、「解散」とトラスティは声を上げた。 「今夜のパーティーまでは、各自自由行動とする!」  そう言って立ち上がったトラスティは、バルバロスを連れて会議室を出ていった。それに送れて三々五々メンバーは出ていったのだが、レムニア組が少しだけ暗い顔をしていた。そのあたり、パーティー出席が彼らには負担になっていたのだ。 最高評議会議長が力を入れただけに、その夜の晩餐はとても豪華なものになっていた。最高評議会議員が全員出席するだけでなく、空間的につながっているアスから連邦宇宙軍の重鎮、すなわちエイドリック大将、ジュリアン大佐まで顔を出したのだ。クンツァイトからの連絡を受けたパガニア王モリオンが顔をだすのは、メンバーを見れば不思議なことではない。  その晩餐の席を、双方の虫よけの意味を込めてトラスティはアリッサと行動をともにした。二人が夫婦だと考えれば、別におかしなことではないのだろう。ただ有象無象への虫よけにはなったが、確信的に近づいてくる者は高い壁など目に入らないようだった。  この日のアリッサは、茜色をした胸元の大きく開いたドレスを着ていた。そして対となるトラスティは、黒のタキシードに似た衣装を着ていた。 「ようやく、婿になることを認めてくれたな」  その一番手は、予想通りパガニア王モリオンだった。大きな手でトラスティの背中を叩き、「娘を頼む」と笑ってくれたのだ。 「いやいや、婿にはなりませんから」  言下に否定したトラスティに、「何を今更」とモリオンは笑った。 「我が娘を女にしたのだぞ。それは、我が娘を妻の一人にすることを認めたからではないのか。なぁに、パガニアは男女とも配偶者の数を制限しておらんのだ。したがって、アリッサ殿の立場が揺らぐ心配もない。我が娘の夫なら、わしにとっては婿殿と言うことになるだろうに」  その程度だと笑ったモリオンは、「娘は変わったぞ」とここ数日の評判を伝えた。 「クンツァイトの妻には遥か及ばぬが、色香らしきものを醸し出すようになったとのことだ。人当たりも柔らかくなったと言うから、人として成長したのは間違いないだろう。親として娘の成長は喜ばしいことだと思っておる。しかし……」  遠くにいるクンツァイトを見て、「分からぬものだ」とモリオンは呟いた。 「アルマシア殿の容姿を悪いと言うつもりはないが、我が国においては凡庸であるのは間違いないだろう。だがそのアルマシア殿が、IotUの巫女としてかつてない評価を得ておるのだ。人というのは、げに奥深きものなのだなと感心しておる。息子も、今は首ったけになっておるということだ」 「確かに、あれは強烈でしたけどね……」  何しろ性行為から無縁となったレムニアの者まで魅了したのだから、「強烈」とトラスティが言うのも無理のないことだった。そして舞を客観的に見ていた彼自身、凄いと言う評価を認めていた。 「ロレンシアが可哀想になったぐらいですから」  その夜のことに、その同情が影響したのは間違いないだろう。そしてもう一つ影響したことが有るとすれば、アリッサがひどく興奮したこともあげられる。ロレンシアが夜の営みに紛れ込めたのも、アリッサの精神状態が影響していたのだ。 「そう思うのなら、お前がもっと磨いてやってくれないか」  「便宜ならいくらでも払う」と言い切ったモリオンに、「いやいや」とトラスティは首を横に振った。 「あれは、間違いなく素質がものを言っていますよ。2ヤーやそこらじゃ絶対に無理です」  そこで顔を見られたアリッサは、「そうですね」と話に入ってきた。 「細やかな気遣いとか仕草は、小さな頃から身につけてきたものだと思いますから。それに、見た目が整いすぎているのが、逆に邪魔になっているのではありませんか?」 「それも、一理あるか……」  ふむと口元に手を当てたモリオンは、じっくりとアリッサの顔を観察した。 「私の顔に何か?」  少し身構えたアリッサに、「いや」とモリオンは言い訳がましい言葉を口にした。 「わが娘は、婿殿の妻という立場でも厳しい戦いを強いられると思っただけだ。見た目だけなら、アリッサ殿に負けているとは思えぬのだが……だが冷静な目で見てみると、勝ち目がないと思えてしまう。なにをどうと説明し難いのだが、体全体から発せられる空気が違うとしか言いようがないな。それを考えれば、我が息子に見る目がなかったと言うことになる」  トラスティに逢う前なら、アリッサは簡単に手に入る宝物だったのだ。ジェイドで行われた壮行会の話を持ち出したモリオンに、「たぶん」とアリッサは隣に立つトラスティを見た。 「夫が私を変えたのではないかと思いますよ」 「そのあたり、我が息子はまだまだと言うことだな」  モリオンが視線を向けた先では、エスデニアの役職者に囲まれたクンツァイトがいた。囲んでいる者の男女比は、1対9で女性の方が多いようだ。  そして後ろを振り返ったモリオンは、切り上げ時だと理解した。 「わしは、議長殿にでも挨拶に行ってくるか。では婿殿、我が娘をよろしくお願いしますぞ。そしてアリッサ殿、妹だと思って可愛がってやってくれないか」 「妹……ですか。それも、いいですね」  トランブル総帥は、3男2女を儲けていた。いつも妹でしか無かったアリッサには、自分の「妹」と言うのが新鮮に響いたのだ。夫にまつわる女性への諦めから、おかしな開き直りもできていたのである。  アリッサの同意を得たモリオンは、嬉しそうな顔をして二人のところから離れていった。その態度事態、強面のパガニア王にはあり得ないものだろう。だがトラスティには、その疑問に向き合う余裕は与えられなかった。自分達の番が来たとばかりに、エイドリック大将、ジュリアン大佐が握手を求めてきたのだ。 「人のことを撃墜王と言うくせに」  そしてジュリアンは、いの一番にトラスティの女性関係を論った。 「最高評議会議長やパガニア王女に手を出しているじゃないか。しかもモンベルト王女に子供まで作ったんだろう?」 「人の顔を見て、最初にそれを言いますか?」  いきなり嫌なところをついてくれる。だから戦略家は嫌だと、トラスティは目元を引きつらせた。 「ああ、私は言ってもいい立場だと思っているからね。何しろ私のガールフレンドにも手を出しているんだ」  「だから」と口にしたところで、トラスティは間髪入れずに「却下です」と邪魔をした。 「そんなことを言うために、大将閣下まで連れて私の所に来たんですか?」  暇人だと言う意味を込めた嫌味に、いやいやとジュリアンは首を振った。 「前回君とはゆっくり話ができなかったからね。だからこうして、機会を利用させてもらった」  そう言って笑った赤毛の大将閣下は、アリッサの顔を見て「お噂はかねがね伺っています」と頭を下げた。  さすがは御三家の一つ、そして連邦で大将にまで登った男である。洗練された物腰は、カイトとは別格と言えただろう。 「い、いえ、お恥ずかしい限りです」  しかも見た目もいいのだから、アリッサが緊張するのも無理も無いことと言えた。ただ二人が現れたのは、「撃墜王」の役目を果たすのが目的ではない。 「君は、どこまでザリアの謎に迫ったのかな?」 「そのあたりは、一歩ずつ進んでいるというところですか」  そう言って首を巡らせたトラスティは、「ザリアの正体らしきもの」と口にした。 「そのあたり、あなた達が考えた通りだと思いますよ。ただ本人も、理由は分からないと言っていました。その意味で、謎解きの入り口にたどり着いた程度でしょう」  トラスティの答えに、なるほどと二人は大きく頷いた。 「確かに、入り口も入り口と言うことか。そしてインヒューマンデバイスと同様、君とカイト君の出生にも秘密があったと言うことだね」  そう答えたエイドリックは、「見給え」と言って一つのデーターを差し出した。 「君とカイト君の遺伝子情報を解析した結果だ。君の場合、少し操作された形跡はあるが、二人の父型の遺伝子は同一人物から提供されたのは間違いないようだ。そして母方だが……エスデニアとパガニアにデーターがあったよ。これで、ザリアの契約が解除されなかった理由にも納得がいった」 「僕の推測が、実際のデーターとして裏付けられたと言うことですか。そうなると、アリエル皇帝の関与が疑われますね」  これを偶然で片付けるには、あまりにも問題が大きすぎたのだ。そして自分を「作った」と言っている以上、一番疑わしいのはレムニア帝国皇帝アリエルに違いない。 「唯一IotUの生前を知る存在だと考えれば、可能性として一番高いのだろう」  大きく頷いたエイドリックは、トラスティも考えていなかった可能性を口にした。 「ただ私は、他にもIotUの遺伝子を継ぐ者がいるのではないかと思っている」 「僕は、IotUの遺伝子を継いでいると言った覚えはないのですけどね」  口元を歪めたトラスティに、「建前はやめよう」とエイドリックは笑った。 「まったく関係のない遺伝子が使われると思う方が不思議じゃないかね?」 「まあ、状況を考えればそうなんでしょうね」  あっさりとエイドリックの答えを認めたトラスティは、「他にもいますか」と小さくつぶやいた。 「それは、他の妻達……例えば、フィオレンティーナ様とかスフィアル様、ユサリア様とかのことを言っていますか?」 「確かに可能性としてはあるのだが……」  そこで少し難しい顔をしたエイドリックは、「別の可能性」を持ち出した。 「君も、エスデニア議長から聞いているのではないのかな?」 「存在を消された妻……ですか」  なるほどと頷いたトラスティは、アリエルに教えられた話を持ち出した。 「Xalia、Yeltaとは別に、もう一つ最古のデバイスがあるとアリエル皇帝は言っていました。ただザリアも、その存在を覚えていない。そして連邦の記録にも、そんなデバイスがあったとは記録されていない」  トラスティの答えに、エイドリックはなにかを考えるように口元に手を当てた。 「存在を消された妻に、存在を消されたデバイス……か。おそらくだが、その手がかりはアスにあるのだろう。当時アス、エスデニア、パガニアを合わせて3界と呼んでいたそうだ。だとしたら、アスにも重要な役目を担う妻がいてもおかしくはない。いや、いないほうが不自然だろう」 「その考えに同意します」  大きく頷いたトラスティは、「任せていいですか?」とエイドリックに問いかけた。 「君は、こんな重要なことを人に任せるのかね?」  驚いた顔をしたエイドリックに、「優先順位の問題です」とトラスティは返した。 「僕には、モンベルト復興の道筋を作るという仕事もあるんです。それに比べれば、IotUの謎に迫るのは趣味……と言うのは語弊がありますか。そうだな、ライフワークと言った方が正解ですかね」  だからだと、トラスティはエイドリックの顔を見た。 「興味があるのなら、自分で汗を流せ……と言うことかな?」 「高みの見物が許されるとでも思っていたのですか? それに、あなた達はアス駐留軍だ。アスの情報なら集めやすいんじゃありませんか?」  そう言って口元を歪めたトラスティは、「有益な情報でした」と言って右手を差し出した。 「それは、私達にとっても同じことだよ。IotUの実像は、これまで謎とされてきたからね。その実像に、少しでも迫れたらと思っている」  がっしりとトラスティの手を握ったエイドリックは、次にアリッサに向けて右手を差し出した。 「ただ、あなたにとってあまり好ましいことでないのは理解していますよ」  魅力的な笑みを浮かべたエイドリックに、アリッサは少しだけ頬を赤くしていた。 「ええ、ですが夫はそれを自分の存在意義だと思っているようです。でしたら、それを認め支えるのも妻としての努めではないでしょうか」  魅力的な笑みを返したアリッサに、「ほう」とエイドリックは感心したような息を漏らした。 「あなたがお一人でしたら、ぜひとも息子の妻にと思ったでしょう。手広くやっているようですが、まだあなたのような方に巡り会えていないようです」 「過分な賛辞を頂き感激いたしております」  優雅に頭を下げたアリッサは、次にジュリアンとも握手をした。そして彼に対しては、チクリと釘を差すことを忘れなかった。 「エイシャさんは、私の大切なお友達と言うのを忘れないで下さいね」 「そうですね、肝に銘じておくことにしますよ」  魅力的な笑みを浮かべたジュリアンは、「ありがとうございます」と言ってアリッサの手を握った。 「では、我々が独占するのはよろしくないだろう」  これで失礼すると言って、二人はトラスティ達から離れていった。そして二人が離れていくのを待っていたように、ここまで付いて来たクリスティア王家第8王女グリューエルが近づいてきた。  今日のグリューエルは、ライムグリーンの幾重にも重ねたドレス姿をしていた。豪華に見えるドレスは、彼女の美少女ぶりをいかんなく引き立てていると言えるだろう。ただエスデニアと言う場所において、見た目で目立とうと言うのは無謀な試みに違いない。それでも彼女が目立っていたのは、この場に珍しいお子様と言う、少しも嬉しくない理由だった。 「私が子供であるのは認めます」  きりっとした表情は、王女を名乗るのに相応しい品格を持っていた。そしてアリッサをまっすぐに見て、「必ず追い越してみせます」と宣言をした。 「あなただけでなく、パガニア王女、モンベルト王女にも負けるつもりはありません。ただ今は、遅れを取っているのを認めるのは吝かではありませんが……」  もう一度アリッサを見て、「私だけのものを見つけてみせます!」と言い直した。  そんなグリューエルにため息を返し、アリッサはトラスティの顔を見た。 「努力をするのを悪いとは言いませんが……」 「本人が良いと言うのなら、それでいいんじゃないのかなぁ……たぶん」  同じようにため息を吐いたトラスティは、「他の人を探した方が」と心からの忠告をした。ただこの忠告は、グリューエルの心には届かなかったようだ。 「何を今更仰っているのです? 幼い頃から私の心を弄んだのですから、責任を取っていただかないと」 「弄んだって……会った回数は、片手で数えられるぐらいだろう?」  だから違うと主張したトラスティに、今度はグリューエルがため息を吐いた。 「回数が問題なると思ってらっしゃるのですか?」 「君が屁理屈を付けてくることぐらいは予想していたよ」  まったくと息を吐いたトラスティは、「期待して待っているよ」と少し投げやりに答えた。 「ええ、期待して待っていてください。絶対に、私だけのものを見つけてみせます!」  ふんと胸を張ったグリューエルは、「ごきげんよう」と言って二人の元を離れていった。その後姿を見送った二人は、顔を見合わせてため息を吐きあった。 「予想した通りというのか……結婚しても、面倒は少しも変わってないね」 「むしろ、直接的になってきた気が」  トラスティの顔を見て、「良いですけど」とアリッサはいつもの口癖を口にした。 「それで、ラピスラズリさんはどうするんです?」  面倒をなくすために、議長副議長を誑し込むのは予定のうちだった。ただその後のことをどうするのかは、まだ話をしたことがなかったのだ。  それを確認したアリッサに、「どうしようね」とトラスティは遠くで歓談するラピスラズリを見た。その周りに男性議員の数が多いのは、きっと気のせいではないのだろう。 「エスデニアは、女系が基本となっているからね。極端な話、彼女は子供さえ生まれれば責任を果たせるんだよ。一人の夫に仕えるのを美徳と考える習慣もあるみたいだけどね」 「リゲル帝国に似ている、と言うことですか」  リゲル帝国皇帝にとって、男というのは遺伝子を残す手伝いと言う意味しか持っていない。その意味で言えば、彼女達がトラスティに執着するのは珍しいことと言えたのだ。ただ「一人の夫」と言うあたりは、なかなか危険な響きを持っているとアリッサは感じていた。 「まともに考えればそうなんだけど。たぶん、そんな簡単な話じゃないんだろうね」  まあいいかとラピスラズリのことを忘れ、トラスティは仲間と合流することにした。悩んでも仕方がないし、自分の立場はこれまでもはっきりとさせてきたのだ。だとしたら、悩むのは彼女たちであって自分ではないと割り切ることにした。  こう言ったとき、長命種は背が高くて探しやすくていい。ぐるっと首を巡らせたトラスティは、すぐに目的の集団を見つけた。 「ガッズがいるから、ライスフィール王女も一緒に居るんだろうな」 「そう言えば、ライスフィール王女も居ましたね……」  そこでトラスティの顔を見て、「いいですけど」と口癖を繰り返した。 「彼女に対する責任は感じていますから」 「君が責任を感じる必要はないと思うんだが……」  まあ良いかと難しく考えるのをやめ、トラスティはアリッサの腰に手を当てた。  夫の女性関係については、どう頑張ってもなるようにしかならないのは分かっていたのだ。だったら開き直ったほうが、精神衛生上良いのは間違いない。とりあえず自分が一番だと言ってくれているのだから、それを信じていようと。いささか後ろ向きではあるが、アリッサは細かなことに拘らないことにした。事業が加速することが明らかになったのだから、夫の帰還は間違いなく早くなってくれるのだ。  超銀河連邦にとって、モンベルト復興事業は宣伝すべきイベントに違いない。その為「起工式」とも言われるイベントは、連邦の重鎮も出席して行われた。そして起工式では、なぜかトラスティが「新国王」として事業の紹介を行った。少し硬い表情で説明を行うトラスティは、彼を知らなものなら大舞台に緊張していると考えるところだろう。だがその実態は、早期のモンベルト入りを逃したことへの後悔が顔に出ていただけだった。つまり、ライスフィールに王宮内の工作を許してしまったことが敗因だったのだ。  シルバニア帝国関係者、そしてライマール自由銀河同盟関係者との打ち合わせを行い、支援策を整合するのがトラスティの役目だった。もちろん、彼が残った理由には、公に語られていないものも存在している。それらの一切を終えてモンベルトに渡ったトラスティを迎えたのは、彼の「光臨」を歓迎する民衆だった。  パガニアから謝罪を引き出した功労者だと考えれば、歓迎されるのは別におかしなことではないだろう。そこで気になったのは、聞こえてくる声に「新国王バンザイ」と言う不穏なものが混じっていたことだった。 「なにか、新国王って声が聞えるんだが?」  おかしくないかと、トラスティは隣に立つライスフィールに問いかけた。ちなみにアリッサと言う高い壁がないため、ライスフィールはピッタリと彼にくっついていた。 「ええ、新国王と言っていますよ」  それが何かと首を傾げたライスフィールに、「何かじゃないだろう」とトラスティは言い返した。 「僕は、国王になるつもりはないと言ってあるはずだ」 「ですが、超銀河連邦にもあなたが「国王」になることを通達済みですよ。王宮会議でも、満場一致で私が王妃、あなたが新国王となることが承認されました」  民衆たちの方に顔を向けながら、「失敗しましたね」とライスフィールはよそ向きの笑顔を浮かべた。 「ある方から、せっかく早く帰るのならそれを有効活用すべきとの助言をいただきました。そして別の方からは、「殿方は口実を求めるものだ」との助言も頂いております。お二方とも、既成事実化するのが重要と言う助言をくださいました。だから私は、ヘルクレズ達にも協力して貰い、王宮の者達を説得したのです。ただ、思っていたより説得は簡単でしたね」  うふふと笑いながら、ライスフィールは詰めかけた民衆に手を振った。そして嬉しそうに、「なぜ」簡単だったのかを説明してくれた。 「何しろあなたは、パガニアから直接の謝罪を引き出した功労者なのですよ。しかもモンベルト復興を計画立案すると言う、モンベルトにとって恩人に違いありません。かのIotUの妻だったフィオレンティーナ様に倣い、恩人を国王に迎えることへの抵抗は少なかったと言うことです。それどころか、ぜひとも国王に迎えるべきとの声の方が大きかったぐらいです。スケールは小さいのかもしれませんが、あなたはモンベルトにとってIotUの再来に当たるのです」  誇らしげな顔をしているのは、思惑通りに進んだと言う満足感からなのだろう。詰めかけた民衆に手を振りながら、ライスフィールは「私の勝ちです」と言い切ってくれた。 「僕が、逃げ出さないと思っているのかな?」  意に沿わない立場を押し付けられたら、すべてを捨てて逃げるかもしれない。そう脅したトラスティに、「それも手遅れ」とライスフィールは勝ち誇った。 「超銀河連邦にも、あなたが国王に就任することを知らせてあると言いました。間もなく、モンベルト復興の起工式が行われるのですが、そこに連邦の重鎮の皆様が集まる予定です。その状況で、今更逃げ出せるとでもお思いですか?」  絶対に無理ですと言い切り、「私の勝ちです」とライスフィールは繰り返した。確かにこの状況で逃げ出そうものなら、連邦のどこに行っても自由な行動は難しくなるだろう。その意味で、確かにトラスティは詰んでいたのだ。  ただそれでも、追い詰めすぎるのは下策だと言うのをライスフィールも理解していた。「逃げ道が必要」と言うのも、助言の中に含まれていたのだ。そしてライスフィール自身も、敵を作るのは得策ではないと理解していた。 「ただ、あなたをモンベルトに縛り付けようとは思っていません。もしもそんな真似をしたら、私は超銀河連邦の中に多くの敵を作ってしまうことになりますからね。大恩のあるエスデニアの議長様を敵に回す訳にはいきませんし、シルバニア帝国、ライマール自由銀河同盟、リゲル帝国等々敵に回して無事に済むとは思えない方々が揃っておいでです。それにアリッサお姉さまに嫌われたくはありませんので」 「なるほど、それが妥協点と言うことか……」  トラスティの言葉に小さく頷き、ライスフィールは熱のこもった眼差しを彼に向けた。それに合わせるように、詰めかけた民衆からは一際大きな歓声が上がってくれた。 「これで、僕はいくつ首に縄をかけられることになるのだろう……」  モンベルトで国王に就任したと伝われば、同じことを考える輩が出てこないとも限らないのだ。幾つか顔が思い浮かぶだけに、厄介だなとトラスティは心の中で嘆いていた。 「おそらくそれは、自業自得と言うものだと思います」 「ああ、きっとそうなんだろうね」  少し自棄になったトラスティは、隣に立つライスフィールの肩を抱き寄せた。それに感激した民衆たちが、今までで一番の歓声を上げたのは言うまでもないだろう。  そんなやり取りの後国王に即位したトラスティは、新国王として最初の布告を発した。その布告は、モンベルト国民のすべてが、1ヤー以内に清浄な空気を胸いっぱいに吸えるようにすると言うものである。同時に発せられた命令は、3ヶ月後に第一陣が新たな区画に移住すると言うものだった。救世の国王が発した命令に、民達は恭順の意を示したのである。  大きくシナリオは狂ったのだが、これで無事モンベルト復興事業は走り出すことになった。そして狂ったシナリオのお陰で、「連邦最強」の称号を持つカイトは晴れて自由の身になった。恐怖ではなく希望で民達を動かす以上、力の裏付けはもはや不要となったのだ。 「悪いな、先に帰らせてもらうぞ」  留まる理由がなくなったと言うことで、カイトはさっさとエヴァンジェリン達の所に帰ることにした。それを恨みがましい目で見たトラスティに、「いいだろう、国王様」と神経を逆なでするようなことまで言ってくれた。ただトラスティにも、カイトを引き止める口実がなくなったのは確かだ。「仕方ないですね」とため息を付き、彼の妻、アリッサの面倒を見ることをお願いした。 「たぶん、暴走すると思いますから……」 「ああ、何しろトラブルAの震源地だからな」  最初に思いつくのは、安全保障部門の業務拡大だろうか。リゲル帝国、パガニア王国と提携を結んだトリプルAは、戦力的には武装集団をものともしないところまで強化されたのだ。そうなると、宇宙怪獣のみならず、惑星自体の安全保障に手を出せるのだ。鼻の効くアリッサなら、すぐにその事に気づくことになる。そうなった時、宇宙軍の元大尉と言うのは統括の役目にうってつけだった。  それからと、トラスティは一番大事なことをカイトに釘を差した。 「アリッサに手を出したら……そうですね、仕返しで姉さんに手を出しますからね」  二人の保有するデバイスを考えたら、正面からぶつかればジェイドはただではすまないだろう。そんなトラスティの脅しに、「心配するな」とカイトは笑い飛ばした。 「嫁さんとそっくりなアリッサに手を出す必要があると思うか?」 「そりゃあ、確かにそうなんですけどね」  信用しろと言われるより、カイトの答えはよほど説得力を持っていた。だったらいいと、トラスティはカイトを送り出したのだった。  色々と予定の狂った起工式から1ヶ月後、リゲル帝国皇帝カナデは珍しく帝星リゲルを離れていた。妊娠中期に差し掛かることを考えると、普通なら宇宙旅行はご法度と言う所だろう。だが強靭な体を持つリゲル帝国皇帝にとって、宇宙旅行は隣町に行く程度のものでしか無かった。  皇室専用船ガトランティスに乗ったカナデ王には、10剣聖の筆頭モルドレードが従者として付き従った。そしてバーネットが、御典医の勤めとして彼女に同行した。 「連邦設立から1千ヤー経つのに、レムニアには誰も訪れておらんとはな」  船の展望デッキでくつろいだカナデ皇は、不思議なものだと笑ってみせた。それに「御意」と答えたモルドレードは、あちらも同じですとレムニア皇帝のことを持ち出した。 「それでも、うちの近くを通った実績はあるだろう。何しろアリエル皇帝は、IotUに接見するためリゲルゲートを利用しておるのだからな」  過去の歴史を持ち出したカナデ皇に、「それは」とモルドレードは誤解を正した。 「その頃は、まだ皇帝即位前かと存じます。従いまして、レムニア帝国皇帝がガス帯を超えて我らの宙域に来たことはありません」 「なるほど、その頃は化物はまだ20代だったと言う話だな。長命種にしてみれば、赤ん坊のようなものだったと言うことか」  あははと笑ったカナデ皇は、「お母様」と呼んでやるかと口元を歪めた。 「何しろ私の腹の中には、トラスティの子供が居るのだからな。あやつがアリエル皇帝の子と言うのなら、私にとってアリエル皇帝は母と言うことになる」 「年齢的に、母というのはいかがなものかとは思いますが……おそらく、思いっきり嫌がられるのではないでしょうか」  ご自重をとの忠言に、「それでは面白くない」とカナデ皇は言い返した。 「相手は1千ヤーを超える妖怪なのだ。そんな繊細な心を持ち合わせてはおらぬだろうよ」  それはお互い様と言いたいのを我慢し、モルドレードは「ご自重を」と繰り返した。強者との戦いを好む10剣聖だが、無駄に戦争をしたいとは思っていない。意外かも知れないが、モルドレードは平和主義者だった。 「折角渡航の許可を出してくれたのだ。相手の顔を潰さないように気をつけるさ」  物分りの良いことを言うカナデ皇に、モルドレードは安堵から胸をなでおろした。だが「退屈だな」と言うつぶやきを聞きつけ、厳つい顔を引きつらせたのである。  一方リゲル帝国から皇帝を迎えるレムニアは、尋常ではない緊張感に包まれていた。あまり気にしていないアリエル皇帝と言う存在は有ったが、摂政符筆頭ガルースですら、緊張から顔色を悪くしていたぐらいだ。 「本当に、宜しかったのでしょうか?」  このガルースの問いかけ自体、すでに5度目のものとなっていた。はじめは面白がっていたアリエルも、ついに「くどい」と切れたほどである。  帝国がリゲル帝国を恐れ警戒していたのは、およそ1千ヤーの昔である。従って恐れられていた方は、すっかりそのことを忘れていたりした。そのあたり、すでに世代では20代以上代替わりしていると言う事情が大きかった。何しろ1千ヤーの間に、皇帝は40代も代替わりをしていたのだ。  だが長命種ともなると、人も代替わりをしたばかりと言う事情がある。しかもアリエルなど、リゲル帝国の脅威を調べるために、銀河の反対側まで遠征したと言う実績があるぐらいだ。リゲル帝国にとってはるか昔のことでも、レムニアに生きるものにとっては親の世代が感じた恐怖だったのだ。  ただ当事者であるアリエルは、さほどそのことを気にしていなかった。 「義理の娘が親に会いに来るのだ。何を怖がる必要がある」 「義理の娘と仰りますか」  トラスティが息子なら、その息子の子供を身ごもった相手は義理の娘と言うことになるのだろう。言っていることは間違っていないが、そこまでの割り切りはガルースには出来ていなかった。 「ああ、義理の娘と言ってどこがおかしい?」  恐れ過ぎだと笑い飛ばしたアリエルは、「良いではないか」と気にした素振りを見せなかった。そしてあちこちで女難に巻き込まれる息子のことを笑った。 「子供を作らなかったわしだが、あやつのお陰で義理の娘だけは沢山できたようだ。しかも、なかなかそうそうたる顔ぶれではないか」 「確かに、そうそうたる顔ぶれと言うのは認めますが……」  リゲル帝国皇帝を始めとして、パガニア第一王女やエスデニア最高評議会議長にモンベルト女王、さらにはシルバニア帝国摂政まで義理の娘になろうとしていたのだ。「そうそうたる」とアリエルが言うのも、無理も無い顔ぶれである。しかもその中には、巨大企業令嬢まで含まれている。沢山できたと言うのも、無理もなかったのだ。 「まるで、IotUのようなと言えば宜しいのかと」  ガルースの言葉に頷いたアリエルは、今は亡きIotUの女癖を論った。 「ああ、あの人は本当に手当たり次第だったからな。まるで砂場に磁石を投げ入れたかのように、高貴な女性がまとわり付いてきたのだ。まあ、このわしもまとわり付いた一人に違いないのだがな」  あははと笑ったアリエルは、「まだまだだよ」と目を細めて遠くを見た。 「あの人には、遠く及ばぬよ」 「流石に、IotUと比べるのは可哀想でしょう。トラスティ様は、常識的な短命種でいらっしゃる」  宇宙の非常識と比べるのは可哀想だ。そう答えたガルースに、「違いない」とアリエルは口元を押さえて笑った。 「楽しそうですな」  言わずもがなの論評に、アリエルは大きく頷いた。 「ああ、楽しいぞ。こんな楽しい気分になるのは久しぶりだな」  「ガルースよ」と呼びかけたアリエルは、用意は良いかと確認した。 「礼を失さない程度には」 「10剣聖筆頭を従者として連れてくるそうじゃないか。機嫌を損ねたら、この星程度1日と掛けずに滅ぼしてくれるだろう」  だから気をつけよと、アリエルは楽しそうにガルースを脅した。 「是非とも、おかしな挑発はお控えください」 「あまり心配するな。年長者としてのゆとりを見せてやろう。とは言え、歓迎の準備を疎かにするでないぞ」  「歴史的行事だからな」と、アリエルはくどいほどガルースに念を押したのである。  そしてガルースが10度目の確認をしたその日、リゲル帝国公船ガトランティスがレムニアに到着した。「必要ない」とのアリエルの言葉は有ったが、近隣宙域には第1艦隊が警戒のため集結していた。  それを楽しそうに見たカナデ皇は、「蹂躙できるか?」とモルドレードに問うた。 「ご命令とあらば……ですが、可能であれば遠慮したいと存じます」  いくら10剣聖筆頭と言えど、1万を超える艦隊の相手などしたくない。しかも相手は、レムニア帝国きっての精鋭なのである。勝てる勝てないではなく、やりたくないと言うのが正直な気持ちだった。 「それは、相手も同じ気持ちであろうな」  そう言って笑ったカナデ皇は、「行くか」とモルドレードに声を掛けた。 「ぐずぐずしていると、余計な詮索をされるからな」 「御意にございます」  うやうやしく頭を下げたモルドレードは、カナデ皇の前に立って下船ゲートに現れた。狙撃に備えるためか、カムイの力を少しだけ解放していた。  そんな一行を迎えたのは、宰相府筆頭のガルースだった。そのあたり、アリエルが渋るガルースのお尻を叩いたと言う事情があった。そしてカナデ皇を迎えに出たガルースは、普段以上に表情を強張らせてモルドレードの前に立った。 「遠路はるばるお出でいただき、レムニア帝国を挙げて歓迎いたします」  そう言ってぎこちなく頭を下げたガルースに、後ろに立っていたカナデ皇は「ほう」と感嘆の声を上げた。 「なるほど、噂通り長命種と言うのは背が高いのだな」  けして小柄な方ではないカナデ皇だが、頭を下げてもガルースの頭は更に高い位置に有った。 「丁寧な歓迎痛み入ります。10剣聖筆頭モルドレードにございます」  いきなり砕けたカナデ皇を無視し、モルドレードもまた緊張して挨拶をした。天の川銀河の両雄が相まみえることを考えると、彼が緊張するのも無理もないことだった。ただそんな緊張とは無縁のカナデ皇は、「義母上はご健勝か」とガルースに声を掛けた。 「義母上と仰りますか?」  逆の立場を聞かされたことも有り、こちらも同じかとガルースも呆れていたりした。そしてつくづく皇帝と言うのは、面倒なものなのだと今更ながらに思い知らされた気持ちになっていた。  目元を引きつらせたガルースに、カナデ皇は自分のお腹に右手を当てた。 「この中には、トラスティの子が宿っておるからな。レムニア帝国皇帝がトラスティの母と言うのなら、われにとっても義母上に違いない」  カナデ皇の言葉に、ガルースはこめかみに痛みが走るのを感じてしまった。別に恐怖を感じたわけではなく、自分の考えが間違っていないことを確認したからである。どうやら両皇帝は、とても面倒な性格をしているのが分かってしまった。 「アリエル様は、陛下のお出でを楽しみにされておられます」  それでも使者としての役目を果たすため、ガルースは「こちらに」と地上に降りる転送装置へとカナデ皇を案内した。ただその時に気になったのは、カナデ皇が供としてモルドレードだけを連れてきたことだった。双方の立場を考えると、同伴者が一人というのは考えにくかった。 「同伴されるのは、モルドレード様だけなのですか?」  訝ったガルースに、カナデ皇は大きく頷いた。 「今回は、義母上への挨拶が目的だからな。特に両国の間に懸案事項は無い故、官僚どもは連れてこなかった。それに、あまり長居をするつもりもないのだ。こやつが護衛をとうるさかったので、一緒に連れてきて黙らせただけだ」 「挨拶……が目的と仰りますか」  目元を少し痙攣させたガルースだったが、転送開始の合図に「失礼」と話を打ち切った。そして目の前の景色が変わった所で、「アリエル様の私邸です」と転送先の説明をした。 「間もなく、アリエル様がおいでになられます」  そう言って示されたソファーに、カナデ皇はどっかりと腰を下ろした。そして供されたお茶に、「うまいな」と舌鼓を打った。  それを緊張した面持ちで見たガルースは、連絡を受けて「おいでになられました」とカナデ皇に告げた。その言葉に、カナデ皇は座っていたソファーから立ち上がった。 「義母上には、ご機嫌麗しゅう存じます」  部屋に入ってきたアリエルに向けて、深々と頭を下げてみせた。両者の立場が対等だと考えれば、それはありえない態度に違いない。だがお辞儀をした方もされた方も、それをあまり気にした素振りを見せなかった。 「まあ、そう堅苦しい真似をするな。カナデと呼べばよいのか、身重なお前に無理をさせたかな」  座れと命じたのは、見た目が10代半ばに見える女性なのである。そして命じられたのは、年齢よりは若く見えても、それでも30代には見える大人の女性である。はっきり言って配役が逆にしか見えない組み合わせだった。 「リゲル帝国の者は、そんなやわな体をしておりませんよ」  言われたとおりに腰を下ろしたカナデ皇は、正面からまっすぐにアリエルの顔を見た。 「それでカナデよ、わざわざ忍んできたのはどう言う理由だ?」 「その話をするのであれば、人払いをお願いしたい」  ガルースの顔を見たカナデ皇に、「無用の心配だ」とアリエルは答えた。 「だからお前も、一番信頼のおける10剣聖筆頭など連れてきたのだろう」 「さすが、トラスティが妖怪と言うだけのことはありますな」  そう言って口元を歪めたカナデ皇に、アリエルは少しだけ口元を歪めた。 「あやつには、折檻が必要と言うことか。母を妖怪と呼ぶような子に育てた覚えはないのだが……」  少しだけ嘆いたアリエルは、「その妖怪になんの用だ?」と尋ね返した。 「とりあえず、両帝国の間に懸案事項はないと思っています。従って、あの男のなそうとしていること……それについて、少しばかりお話をしたいと思っています」 「ほほう、トラスティがなそうとしていることか?」  うんうんと頷いたアリエルは、「お前も座れ」とガルースに命じた。 「酒でも用意した方が良いか?」 「一応御典医には、控えるようにと言われているのですが」  そう前置きをしたカナデ皇は、「喜んで」と酒を認めた。 「しかし、長命種の方は酒精を嗜まないと聞いていたのですが?」  下からせり上がってきたテーブルには、各種のアルコールが揃えられていた。評判とは違うことに驚くカナデ皇に、「一般的にはな」とアリエルは答えた。 「わしは、アスで酒精を覚えたのだよ。あの人は飲まれなかったが、ラズライティシア様が酒精を好まれていたのでな。オンファス様は、付き合い程度で飲まれておられた。各種毒への耐性があるため、酔えないのがつまらないと仰ってたな」 「ほう、ラズライティシア様がですか」  なるほどと頷き、カナデ皇は用意された酒のボトルを手に取った。そして一番アルコールが濃そうなボトルの栓を開け、手元にあったグラスに茶色の液体を注ぎ込んだ。  一方アリエルは、冷蔵ケースから1本のボトルを取り出した。そしてぽんと言う景気のいい音を立てて栓を開け、黄金色をした液体をグラスへと注いだ。 「ガルース、お前も付き合え」 「私は、飲酒の経験が無いのですが……」  とは言え、これも皇帝命令には違いない。しぶしぶと言うように、アリエルと同じ酒をグラスに注いだ。 「と言うことだ。モルドレードよ、限度をわきまえてお前も付き合え」 「これは、難しいことを仰る」  少し顔を引きつらせて、モルドレードも茶色の液体をグラスへと注いだ。普段の飲み方に比べて、それはあまりにもお上品な飲み方だった。  乾杯をすること無く始まった酒盛りで、話の口火をカナデ皇が切った。 「トラスティに与えたデバイスのことを伺いたいのですが?」 「あやつに与えたデバイスか? あれは、コスモクロアと言う、まあちょっとした特製品だ」  それが何かと聞き返したアリエルに、カナデ皇は「正体は?」と再度聞き返した。 「正体と言われてもな……」  うんと考えたアリエルに、「調査をしたのだ」とカナデ皇は口にした。 「トラスティがここに戻る前、ザリアが緊急停止すると言う事件が発生しました。もともと強大な力を持っていたザリアに、あの男がカムイのエネルギーを充填した。そのせいで、ザリアは化物と言っても良い力を持っていたのです。そのザリアが、何者かの攻撃によって緊急停止をさせられた。ようやく、その理由が分かったので、真偽を確かめに私が足を運んだ……と言うことなのですが?」 「トラスティに与えたデバイスの仕業……と言いたいのだな?」  ふむと口元を手で隠したアリエルは、「これに」と言ってコスモクロアのデーターを示した。 「特別製ではあるが、そこまでの力を与えたつもりはない……と言うより、そこまでの技術は我のところにもないぞ?」 「確かに、これならばカムイのリミットブレークにも劣りますな」  一方ザリアは、リミットブレークをした10剣聖をものともしなかったのだ。それを考えれば、コスモクロアがザリアを蹂躙するとは考えにくいことだった。 「だが、ザリアが緊急停止させられたのは事実なのです。そして、それをなしたのがあの男が持つデバイスと言うのも分かっています」 「勘違いと言うことは無いのだろうな……」  リゲル帝国皇帝が断言する以上、それは間違いなく事実なのだろう。そうなると、コスモクロアはアリエルの考えた以上の力を持っていることになる。 「オンファス様の遺伝子が影響を与えたのか……」 「今、なんと仰ったっ!」  思いがけない名前に、カナデ皇は思わず腰を浮かしてしまった。 「オンファス様と言ったのだ。何しろトラスティは、IotUとオンファス様の遺伝子を用いてわしが作ったのだからな。ただ少しばかり、IotUの遺伝子には手を加えてあるだけだ」 「IotUまでは予想していたのですが……よもや、対となるのがオンファス様とは」  ふうっとソファーに腰を下ろしたカナデ皇は、茶色の液体をぐいっと飲み干した。 「それで、義母上は何をなさろうとされているのです」 「何を……か?」  当然の問いに、「難しいな」とアリエルは返した。 「もともとあやつを作ったのは、われの感傷が理由なのだからな。わしは、本気でIotUの子供が欲しかったのだ。だが、いくらどう操作してもわしの遺伝子はIotUの遺伝子に適合してくれなかった。だからわしは、子をなすことを諦めておったのだ。だが1000ヤーの時を重ね、わしの時間の終わりが迫ったのを感じた時……手元にあったオンファス様の遺伝子を使う気になったと言うことだ。己の遺伝子を継がせることは出来ないのなら、せめて己の手を掛けたあの人の子を欲しいと思ったのだ」 「理由は、それだけと仰るか?」  穏やかに尋ねたカナデ皇に、アリエルは小さく頷いた。 「あやつを作った理由を問われれば、わしの感傷以外に理由はないな。ただあやつが成長するに連れ、これは必然だったのだと思うようになった。だからあやつが旅立つ時に、特製のデバイスを与えることにした。あの人のような人を超えた力を持たぬ子に、生き抜いていくための力を与えたのだ。それ自体、親ばかと言われても仕方がないことだと思っておる。ゆりかごの世界から飛び出したあやつが、どのような人生を行きていくのか。それを見たいと思っただけだ」  そう答えたアリエルは、穏やかな笑みをカナデ皇に向けた。 「わしは、さほど高望みをしていたわけではないのだ。ただあやつは、わしの想像を超えたことを始めてくれた。そのあたり、あの人の遺伝子のなせる技と言うところなのだろうな。よもや、リゲル帝国皇帝を誑し込むとは考えておらなんだぞ」 「誑し……こまれましたな。恥ずかしながら、いい年をして男に夢中になりましたよ」  そう言って苦笑を浮かべたカナデ皇は、「偶然ですか?」ともう一人の名前を挙げた。 「カイト・アンクールをご存知でしょうか? あの男は、間違いなくトラスティと血の繋がりを感じさせます」 「ザリアをサーヴァントとする男のことだな」  小さく頷いたアリエルは、「自分は何もしていない」と返した。 「確かに、IotUの遺伝子情報はわしの所にしか残っておらぬのだろう。加えて言うのなら、奥方の遺伝子情報もわしの所にしか残っておらんはずだ。もしもカイト・アンクールなるものがあの人の遺伝子を持っておるのなら、何らかの力が働いた可能性があると考えられるな」 「何らかの力、ですか?」  それはとの問いに、「分からんな」とアリエルは答えた。 「あの人に関わることに、常識は当てはまらんからな。だから「何らかの力」などと曖昧な言い方しかできんのだよ」  それをなるほどと受け止めたカナデ皇は、「もう一つ」と対になる遺伝子のことを尋ねた。 「なぜ、オンファス様の遺伝子を利用されたのです?」 「なぜ……か。気まぐれと申したら、気を悪くするか?」  その答えを聞く限り、明確な理由はないことになる。「怒りませんよ」と笑ったカナデ皇は、感謝しているのだとアリエルに告げた。 「お陰で、われは夢中になれる男に巡り会えましたからな」 「なるほど、感謝をされて当然のことをした訳だ」  ふっと笑ったアリエルは、「お陰で欲が出てしまった」と白状した。 「欲、ですか?」  「それは」と問うたカナデ皇に、「欲だよ」とアリエルは繰り返した。 「手塩にかけた我が子が、どれだけあの人に迫ってくれるのか。それを見たいと言うのが親の欲だ。ザリアをサーヴァントとするカイト・アンクール、そしてコスモクロアをサーヴァントとする我が子。そこまで役者が揃ったのなら、その先を期待してもおかしくはないであろう。そして二人は、期待通りパガニアの間違いを正してくれたのだ。我が子だけでも、そしてカイトなるものだけでも、成し遂げることはできなかったであろう。そして奇跡ではなく、人の手による変革を見せてくれる……それこそが、あの人の望んだものでも有ったのだよ」  その答えに頷いたカナデ皇は、「それだけですか」ともう一つ問いかけた。 「もはやモンベルトの問題も解決が見えています。まだ若いあの男が、それで満足するとは思えないのですが?」  「そのあたりは」との問いに、アリエルはしっかりと口元を歪めた。 「それは、わしのあずかり知らぬことだな。あの人の足跡を辿り、なにか自分だけのものを見つけるのか。はたまた、あの嬢ちゃんとの家庭に落ち着くのか。まあ、後のは無理だというのは分かっておるがな」  そこで顔を見られたカナデ皇は、苦笑しながらその言葉を認めた。 「エスデニアの議長にまで手を出した以上、確かに平穏な人生というのは無理でしょうね」 「リゲル帝国皇帝相手なら踏みとどまれるように聞こえるのだが?」  同じく苦笑をしたアリエルに、「かわいい女ですから」とカナデ皇は嘯いた。 「謀略は、エスデニアの得意とするところでしょう。代々の議長は、息をするように混乱を招き寄せていますからな」 「そうやって、宇宙を確かめておる……と言うことか」  アリエルの決めつけに、「おそらくは」とカナデ皇もそれを認めた。 「その意味では、不真面目そうに見えて真面目なのかもしれませんな」 「もしも代々のエスデニア議長が新しい時代の兆候を求め続けておると言うのなら……まだまだ足りぬと思うぞ。そしてその鍵は、シルバニア帝国中央コンピューターのアルテッツァが握っておるはずだ。わし以外にあの人の真の姿を知るのは、アルテッツアだけだからな」 「IotUが、何かを残していった可能性もあるということですか」  そう口にしたカナデ皇は、「アルテッツァですか」と繰り返した。 「3千ヤー以上の歴史を持つ、超銀河連邦最大にして最高の生体コンピューター……ですか。なにもないと考える方が、無理がありますな」 「精神世界で、アルテッツァはあの人の寵愛を受けたと言うことだからな。お前が言うとおり、なにもない方が不思議なぐらいだ」  精神世界での寵愛の言葉に、「それはそれは」とカナデ皇は笑った。 「ますます、人を超えた存在ですな」 「それでもあの人は、人であろうともがき続けたのだよ。そして人としての寿命を受け入れることにした。あやつは、それ自体を疑っておるのだがな」  そう言って笑ったアリエルは、「だから足りない」と繰り返した。 「カイトなるものに、アルテッツァを従えられるとは思えぬのだ。そしてあやつにも、そんな能力は備わっておらぬ。アルテッツァを従えるものが現れた時、あの人の謎が暴かれ銀河は新しい時代を迎えることになるだろう。わしは、漠然としてだがそう感じておるのだよ」 「新しい時代……ですか」  それがどんなものになるのか。カナデ皇には、全く想像がつかなかった。そしてアリエルも、問われる前に「わしにも分からん」と先手を打った。 「わしにしても、漠然とした期待でしか無いのだからな。ただその期待は、日毎に強まっているのだよ。その意味で、わしも観客に過ぎないのだろう」 「おそらく、私も同じ立場なのでしょう」  時代は、若者が切り開くことになる。皇帝二人は、同じ男の顔を思い浮かべたのである。  モンベルト復興事業開始から6ヶ月が過ぎた所で、一つの区切りとなる全住民が収容可能な開放された閉鎖空間が完成した。第一陣が移動した空間よりも規模が大きく、そして浄化の度合いも更に進んだ空間である。1万平方キロと言う広さは、5千万モンベルト住人を収容するのに十分な広さを持っていた。  ただ新たな場所は、モンベルト国民にとって広さ以上の意味を持っていた。 「これより、始まりの地トリスタニアへの移住を開始する!」  暫定王宮に設けられた謁見の広場に現れたトラスティは、隣にアリッサとライスフィールを従え家臣、民衆たちの前に立った。そして高らかに、目的の地への移住を宣言した。トリスタニアは、IotUの妻フィオレンティーナが治めたモンベルトの象徴とも言える地である。そこへの移住は、モンベルトの民にとって苦渋の時代の終わりを告げるものだった。 「ではラピスラズリ、始めてくれ」 「はい、我が君」  恭しく頭を下げたエスデニア最高評議会議長ラピスラズリは、配下に向かって空間ゲートの解放を指示した。これでモンベルトの民は、隣の部屋に行く程度の労力でトリスタニアに行くことが出来る。  突然広がった眼の前の光景に、民たちからはまずため息が漏れ出た。そしてしばらくしてから、ため息は歓声へと置き換えられていった。そして民たちの歓声が一定規模を超えた時、民たちの声は大地に轟き広く世界へと広がっていった。  青く広がる空と緑に輝く山々に澄んだ水を称える湖。それは、昔話にしか出てこない、ユートピアの世界にあるものだった。その夢の世界が、今まさに手の届く所に現れたのだ。  民たちの歓声はますます高まり、そして国王を称えるものへと変化した。人の手による神の所業、民達はIotUの再来をトラスティに見たのだった。 続く