トラブル・トリプル 05  射手座11番星系・恒星浜の星3番惑星ジェイドは、自然に恵まれた惑星だった。適度な気温と豊かな水が、惑星上に様々な植生を作り上げ、宇宙から見たジェイドを緑色にしていたのだ。ジェイドという呼び名は、宇宙から見た惑星の色が理由になっていた。  ジェイドに人類が居住するようになったのは、実はさほど歴史的には古いものではない。その歴史は、およそ1千ヤー昔にアスと言う惑星から移民を迎えてから始まっている。はじめは1百万程度の移民から始まり、現在はおよそ30億人の人達が住んでいた。入植の過程で危険な在来種が駆逐されたこともあり、平和そのものと言うのがジェイドの今だった。  時々裕福な貿易商社が襲われたり、地域一番の政商が武装集団に襲われたり、資産家令嬢が誘拐されたりしたし、某王家の者が瀕死の重傷を負ったりした。そして宇宙怪獣が暴れたりもしたが、概ね平和な星と言っていいのだろう。  浜の星星系から外の世界に目を向ければ、複数の銀河にまたがる政治共同体が形成されていた。超銀河同盟と呼ばれる共同体は、ジェイドにアスの人々が移住するのとほぼ同時期に設立されていた。すなわち1千ヤー前には、すでに星間どころか島宇宙間を移動する方法が確立していたことになる。  その移動には、空間ゲートと呼ばれる通路が利用された。この通路の特徴は、2点間の移動時間をほぼ0に出来ることである。ただそれだけなら、ワープと称される空間跳躍でも可能とされていた。だが空間ゲートの特徴は、ワープとは違い莫大なエネルギーを使用しないことにあった。そしてこの技術はジェイドとは別の銀河にある、奇跡の星と呼ばれたエスデニアで生まれたものだった。そして今は、エスデニアとその住民の一部が移住したパガニアが、多くの銀河で空間ゲートの構築及び維持管理を行っていた。  そうして成立した超銀河同盟は、構成する銀河の数だけで10,000を数えていた。そして所属する星系は、10億を超える巨大なものとなっていた。住民の数が垓(10の20乗)を超えると言うのだから、もはや人智を超えた世界と言っていいだろう。  だがそれだけ巨大な超銀河連邦においても、人々の生活は普通に存在していた。それは惑星ジェイドでも例外ではなく、人々は日々の生活に喜び、悩み、苦しみ、悲しみながら生きてきていた。  惑星ジェイド上には、幾つかの大陸が存在していた。アシアナ大陸、ユーレア大陸、アメリア大陸と言うのが、ジェイドの北半球に位置する巨大な大陸の名前だった。その大陸に張り付くように、幾つかの比較的小さな島々も存在していた。およそ30億の人々は、大陸や島々を開拓し、豊かな文化と生活を築き上げていたのである。  アシアナ大陸の中緯度地区東側に、トヨノハラと言う島国があった。やや南北に細長い形と起伏に飛んだ地形のお陰で、特に自然が豊かと言われた地域である。周辺に点在する大小の島々と合わせて、一つの共同体を作り上げていた。  そのトヨノハラと呼ばれる島国の中央部に、アズマノミヤと呼ばれる首都が作られていた。首都圏の人口は、およそ3千万と、ジェイドの中でも有数の大都市でもある。アズマノミヤにジェイドを管理する行政局の支局が作られたのは、抱えた人口の大きさが理由になっていた。そのアズマノミヤに、トリプルAと呼ばれる相談所は位置していた。  トリプルA相談所の一行を乗せたコンステレーションU号は、順調にリゲル帝国主星アークトゥルスへの航海を続けていた。豪華客船であり定期船として巡回航路を取るコンステレーションU号は、途中で観光名所を通りながら複数拠点を巡回することになっていた。空間ゲートを活用すれば2時間で到着するアークトゥルスまで20時間も掛かっていたのは、途中で幾つかの中継点に寄ることが理由になっていた。  そして全経路の1割に当たる2時間は、最初のゲートに入る前と最終ゲートを出てからの時間だった。移動距離としては短いのだが、通常航行をするため時間が掛かったのである。その中には、ゲートを通るための待ち時間や、入港待ちの時間も含まれていた。  ちなみに20時間と言うのは、乗っている人間の体感時間を指していた。そして実際の航行時間は、搭乗者の搭乗地によって変動する仕組みとなっていた。したがって最短で15時間、最長で38時間と言うのが移動の実時間と言うことになる。そのあたり、俗に言う「時差」の調整を移動の中でカバーしてしまう仕組みだった。だからある乗客からしてみれば今は朝の8時であり、別の乗客には午後5時と言うことになっていた。  それもあって、船内には別に時計が設けられていた。ただその時計にしても、予約の目安になる以上の意味を持っていない。すなわち船内施設は、24時間変わらぬ営業を続けていたのだ。 「リゲル帝国主星、アークトゥルスへの到着は、明日の朝と言うことになりますね」  船内時間で言っても仕方がないので、アリッサは体内時計を基準に全員に説明をした。 「ですから、寝るまで各自時間をつぶすことになります。レセプションはありますが……まあ、適当にあしらってもいいと思いますよ」  思い思いドレスアップしてきた一行を前に、アリッサは「だったらなんだ」と言いたくなるようなことを言ってくれた。そもそもドレスアップしてきたのは、アリッサがレセプションがあると言ったからである。適当にあしらっていいのなら、初めからそう言って欲しかったというのが総意である。そうしてくれれば、もっと有意義な時間の使い方を考えていたのだ。特にカイトなどは、ゆっくりと休みたいななどと考えていたぐらいだ。 「そう言うことなので、私は遊びに行ってきますけど……ここでの支払いは、すべて船室に付けていただいて結構ですからね」  直前に大儲けをしたのが理由なのか、アリッサはとても太っ腹なことを言ってくれた。まあ、それがなくても彼女の金銭感覚は、エイシャ達とは4ケタぐらい違っていたのだが。 「イベントもいろいろとありますから、タイムテーブルで確認してくださいね」  そう言うことですと言い残し、アリッサはドレスを着たままさっさと集合場所を離れてくれた。それをため息で見送る……訳にはいかないと、エイシャは慌てて後を追いかけた。いくら気が大きくなっていようと、アリッサがスーパーウーマンに変身したわけではない。酒癖の悪さも解消されていないのだから、やはり保護者は必要だったのだ。  バタバタとエイシャが出て行ったのを見送ったライスフィールは、「カイト様はどうされます?」とこれからの行動を質問してくれた。 「俺か? 俺は、別に宇宙は珍しくないからなぁ。それに、豪華客船ってのはどうも性に合わないんだ。だから、部屋に帰って寝転がっているさ。まあ、二人にはザリアを監視に着けるから大丈夫だろう」  なあと声を掛けたのに合わせ、なぜか赤のドレスを着た女性が隣りに現れた。黒い髪に濃い紫の瞳をした、20代半ばに見える美女である。 「何か用か?」  ただ体の大きさは変わっても、態度の大きさは変わらなかった。偉そうにするあたり、いつものザリアと言うことになる。 「いや、アリッサの面倒を見てきて欲しいんだ」  主からの命令に、「ああ」とザリアは大きく頷いた。面倒を見る必要性は、ザリアも納得していることだった。 「糸の切れた風船のように飛んで行ってしまったか……一度痛い目に遭った方が良さそうなのだがな」  人身売買されかけたことを考えれば、十分痛い目に遭っていると言ってもいいはずだ。ただ本人が、それを忘れているのが問題だった。 「あの娘、お前の女より手が掛からぬか?」  ザリアの決めつけに、カイトは頷きかけた所で思いとどまった。何しろ目の前には、まだライスフィール達がいたのだ。悪口のつもりはないが、本人の耳に届けば面倒極まりない。 「ま、まあ、いずれはトラスティ任せればいいだろう」  それを口にしたのはいいが、カイトはそれが失言だと気が付いた。それもあって、そそくさと自分の部屋に逃げて行った。  一方カイトを見送ったライスフィールからすれば、気の使い過ぎと文句を言いたかった。自分の中では吹っ切ったつもりなのに、周りの方が拘ってくれているのだ。おかげでいつまでも引きずらなくてはいけなくなる。  ただ文句を言う相手がいなくなってしまったので、小さくため息をつく程度でとどめていた。 「私は、船内を見学してまいりますが。あなた達はどうしますか?」  コンステレーションU号は、まるで一つの街と言っていい規模を持つ巨大船である。最大旅客数20万、船員数は6千を数え、更にサービス要員として最大1万人と言うのがそのスペックである。それを考えれば、確かに一つの都市に匹敵していた。  ただ都市と違うのは、乗客は日常生活を離れていると言うことである。したがって非日常を演出するための仕掛けが幾つか用意されていた。それを考えれば、ライスフィールの言う見学と言うのも頷けるものだった。そして20万人が暮らす街だから、各種施設も揃っていたのである。 「われらは、交代で姫様をお守りしようと考えております」  ヘルクレズの言葉に、ライスフィールは小さく頷いた。そして館内イベントのタイムテーブルを引っ張り出し、そこに公開市民講座があるのを見つけた。 「泥縄ですが、環境工学の講座に出てみようかと思います」 「では、私は外で待っております」  ガッズに頷き、ヘルクレズはライスフィールの後を歩き始めた。隣に並ばないのは、周りを威嚇しないためである。アズマノミヤでもそうだったのだが、自分たちの姿は周りを威圧しすぎたし、目立ち過ぎてもいたのだ。  それを見送ったガッズは、「さて」と言って船内を眺めた。中央が吹き抜けになっているため、階層ごとの人の賑わいを見ることが出来たのだ。そして表示された船内案内と突き合わせ、どこに行けばいいのかの当たりをつけることにした。ちなみに一つの大きな街なのだから、その中には当然歓楽街も作られている。そして、男性向けの施設も数多く用意されていたのだ。 「羽目を外すのも、これが最後かぁ……」  だとしたら、思い残すことが無いよう遊んで帰らなければ。宣伝の煽り文句を見ながら、どこに行こうかとガッズは歩きながら品定めをすることにした。  前回の大勝で味を占めたアリッサは、その足で船内カジノへと向かった。ちょっと目立つドレスに着替えたのも、そこが大人の社交場と言う意識を持っていたからだ。確かに大人の社交上には違いないが、どことなくアリッサは浮いているように見えていた。 「これが、カジノって奴か?」  一方エイシャは、カジノなど初めての体験だった。初めて見る景色に、凄いなとあたりをきょろきょろと見回してくれた。 「ここでは、大金が動くんですよ」  そう言って中に入ったアリッサだったが、いきなり最初の所で躓いてしまった。前回は有名人と言うこともあり、カジノ側が勝手にチップを用意をしてくれたのだ。だがこの船では、あくまでアリッサは客の一人でしかない。それもあって、チップを買う所から始めなければならなかった。 「ええっと、これってやったことがないんですよね」  それでも、これも勉強だと思ったのだろう。目を輝かせながら、アリッサは換金用のカードに金額をチャージしようとした。そしてここでも、最初の壁にぶつかった。 「すみませんが、思った金額が入金出来ないのですけど。もしかして、不良品ですか?」  窓口に戻ったアリッサは、そう言って係の男性にカードを渡した、綺麗な子だなと見とれていた男は、笑顔を絶やさず「最低レートは100ダラですよ」と答えた。相手の年齢から、小銭を入れようとしたと考えたのだろう。ちなみに「最低レート100ダラ」に、エイシャは二つの意味で頭を抱えていた。  エイシャが頭を抱えた意味のうち一つは、自分が来る場所ではないと言う思いだった。さすがに1カ月のお小遣いとは言わないが、普通に賭けていたら1ヤーのお小遣いぐらい簡単に飛んでしまいそうだったのだ。  そしてもう一つの理由が、相手がアリッサを知らないと言うことだった。アリッサが問題にしたのは、「最大入金額」であって、「最小単位」ではなかったのだ。 「ええ、それぐらいは分かっているつもりです。ただ、1億ダラ入れようと思ったのですけど、入金を拒否されてしまいました」  そうですかと笑った男性だったが、すぐに「1億ダラ?」と顔を引き攣らせた。 「今、1億ダラと仰いませんでしたか?」 「ええ、1億ダラと言いましたけど?」  それが何かと可愛らしく首を傾げたのだが、聞かされた方としてはそれどころの話ではなかった。もう一度「1億ダラ?」と確認した男は、アリッサが微笑みながら頷いたのを見て右手で顔を隠してくれた。 「すみません、ここの上限金額は1000万ダラです。1億ダラって……」  はあっと大きく息を吐いて、「他を当たってください」と真剣な口調で答えてくれた。 「結構、少額の賭けなんですね」  別にいいけどと、アリッサはカードに1000万ダラをチャージした。そしてエイシャを連れ、さっさとチップに交換しに行った。 「本気で1億ダラを入金するつもりだったのか?」  子供の悪ふざけだと馬鹿にしていたのだが、相手はあっさりと1000万ダラを入金してくれたのだ。やはり宇宙は広いと、去っていくアリッサ達を目で追ったのだった。そして何かに気づいたように、緊急連絡を本部に行った。  入金のところでトラブルはあったが、アリッサは特に気にしている様子はなかった。もともと金儲けとかを考えていないので、遊べればそれでいいと思っていたのだ。だから1000万ダラを1万ダラチップに替えて、エイシャと一緒にカジノテーブルを回った。 「これがルーレットなんですけど。どこにボールが入るのかを当てるゲームです」  こんな風にと、アリッサは無造作に10番に10枚のチップを置いた。ちなみに今置いたチップだけで、エイシャの父親が1ヤー働いて得る収入と同じになる。  ここでもアリッサの強運は健在だったようだ。ルーレットの回転が止まった所で、テーブルで小さなざわめきが起きてくれた。最後に転がったボールは、見事10番のホールに落ちてくれたのだ。つまりアリッサは、これだけで360枚のチップを獲得したことになる。エイシャの父親が、一生働いて稼ぐお金が一瞬で生まれたと言うことだ。  そして次のベットで、7に100枚を置いてくれたのだ。それを見たディーラーは、「お客様」とボールを投げずに駆け寄ってきた。外れてくれれば100万ダラの利益になるのだが、間違って当たられたら3600万ダラを支払わなくてはならなくなる。「健全」を謳うカジノとしては、見のがすことの出来ない問題だった。 「申し訳ありません。この台の最大レートは10万です」 「そうですか、知らないこととはいえご迷惑をおかけしましたね」  だそうですと笑って、アリッサはチップを10枚置いてルーレットを離れた。そしてアリッサがテーブルから離れたのを追いかけるように、一人の男が近づいてきた。 「当カジノの支配人をしておりますベネディクトと申します。申し訳ありませんが、是非とも当カジノの利用規定を守っていただきたいと。ほかのお客様も楽しめますよう、是非とも過激な真似はご遠慮願います」  受付から情報が回っていたのだろう、支配人の対応は素早かった。顧客サービスを考えれば、場を乱す者への対処は迅速に行われなければならなかった。加えて言うのなら、上顧客への対応には支配人自ら当たる必要もあったのである。  申し訳なさそうに頭を下げられ、逆にアリッサが慌ててしまった。「こちらこそ」と頭を下げ返したアリッサは、「二度目なので」と言い訳を口にした。 「まだ、カジノには1回しか行ったことがなかったんです。つい、そこと同じにしてしまいました。本当に、ご迷惑をおかけするつもりはなかったんですよ」  もう一度頭を下げたアリッサは、「お返しします」と言ってワゴンで運ばれてきたチップを差し出した。そこには、元手の1000枚と、賭けで勝った中からチップを差し引いた340枚のチップが乗せられていた。都合1340万ダラ、すなわちエイシャの父親が一生掛けてもお目にかかれない金額である。 「い、いえ、こちらはお客様が正当に得られたお金ですので……その、お返しいただかなくても結構です」  それどころか、ここで返されたらカジノの信用にもかかわってしまう。何も知らない第三者からしたら、カジノ側が難癖つけてお金を取り上げようとしているように見えてしまうのだ。 「でも、ご迷惑をおかけしていますし……」  だからどうぞと言われても、おいそれと受け取れるお金ではない。明らかに困った顔をする支配人に、仕方がないとエイシャが助け舟を入れることにした。 「だったらアリッサ、あっちでチャリティーを募集していたぞ。このお金は、チャリティーに寄付したらどうだ?」 「寄付ぐらい、別にここから出さなくてもいいんですけど……」  少し不満そうな顔をしたアリッサは、仕方がないとエイシャの顔を立てることにした。 「支配人さん、そう言うことでいいかな?」 「は、はい、私どもとしては願ってもないことでっ!」  ほっとした顔をして、支配人はエイシャに向かってぺこぺこと頭を下げた。  それを背中にアリッサを連れだしたエイシャは、「やり過ぎ」と言って軽く拳骨を入れた。 「私は、別に悪いことをしていませんよっ!」  唇をとがらせて文句を言うアリッサに、「空気を読め」とエイシャは言い返した。 「お前がやったのは、子供が砂遊びをしているところにブルドーザーを持ち込むことなんだよ。ここは、もっと小銭を賭けて、旅の時間つぶしをするところなんだ」 「ですが、私が掛けたのも小銭ですよ」  だからおかしくないと言い返したアリッサに、エイシャは「ああ」と船の天井を見上げてしまった。見上げた先には、ガラスでできたシャンデリアが煌めいていた。 「じゃあ、言い直してやる。あそこは、アリッサの様な金持ちが賭け事をする場所じゃない」  直接的な、そして強い口調にアリッサは黙り込んでしまった。だがさすがに言い過ぎたかなと思ったエイシャに、アリッサは別の方面から反撃をした。 「来月ですが、口座に振り込まれる金額を楽しみにしてくださいね」 「お、おい、それはどう言う意味だ!?」  エイシャ達の感覚、アルバイトをしている時なら、ちょっと奢った金額が振り込まれていると考えることが出来る。だが相手は、100万ダラを「小銭」と言うアリッサなのだ。それを考えると、振り込まれる金額がまっとうなものであるはずがなかった。 「お、おい、あくまでトリプルAは、起業実習なんだからな」 「でも、エイシャさんは共同経営者ですから。ちゃんと取り分を振り込んであげますよ」  うふふふと笑われると、悪い予感しかしてくれない。利益が上がれば配当があるのは当たり前だが、それにも限度があるとエイシャは思っていた。ただ、そんなにあったかなと考えたエイシャに、「忘れていませんか?」とアリッサは口元を歪めた。 「安全保障プランの加入者が20を超えました。これで、トリプルAは年商5億ダラを超えることになりますからね」 「あーっ、本当にいいのかって気がしてきた」  その100分の1を受け取るだけで、父親の生涯収入を超えてくれるのだ。本当にこんなことでいいのか、エイシャは真剣に悩むことになってしまった。  その頃公開市民講座に出たライスフィールは、内容の高度さに頭を抱えていた。たかが市民講座と思って参加したのに、その中身に初めからついていけなかったのだ。それでも途中退席は失礼と、頭の中を混乱させながら最後まで席に座っていた。  ただ内容が高度すぎると言うのは、何もライスフィールだけの事情ではないようだった。その証拠に、初めは40名ほど居た聴講者が、最後には10名ほどになっていたのだ。ただ壇上に立った老講師は、聴講者の数をあまり気にしていないようだった。 「少し宜しいでしょうか?」  高度すぎてついていけないのだが、それでもライスフィールには聞きたいことは山ほどあった。かなりとっつきにくい印象のある講師なのだが、それでも使命感に駆られたライスフィールは、質問をしようと講座が終わった所で講師席に歩み寄った。 「ああ、別に構わないが?」  環境工学の講師は、アリハスル・タウンドと言う褐色の肌をした禿頭の男性だった。講師を紹介する資料では、年齢は75ヤーで5ヤー前に大学を退官したと記載されていた。 「しかし、その恰好は公開講座を聴講するのに相応しくないと思うのだがね」  どうやら彼には、ライスフィールのしている恰好がお気に召さないようだった。その時のライスフィールは、アリッサ達と待ち合わせをしたままの恰好で講座に出ていたのだ。つまり、薄いピンク色をしたショートドレス姿と言うことである。そのため、公開講座の中でも浮きまくっていた。もちろんアリハスルにとって、印象の良いものではなかったのだ。 「申し訳ありません。船長のレセプションから逃げ出してきましたので」  格好については、ライスフィールも気にしていた部分だった。何しろ公開講座の行われた部屋に入った途端、周りの注目を集めただけでなく、自分でも場違いだと感じたからだ。 「なるほど、レセプションより私の講座を優先してくれたと考えればよい訳だ。それで、私の説明は理解できたのかな?」  少ない人数の前で講演をしていれば、一人一人が何をしているかぐらいは簡単に理解出来る。そしてこれまでの経験で、相手が理解しているのかも分かるようになっていた。そのアリハスルの目には、ライスフィールは「努力だけ」はしているように映っていた。 「申し訳ありません。私の素養では、難しすぎたと言う所です」 「だから、私の所に質問をしに来たと言うことか」  一度ライスフィールを観察したアリハスルは、「いいでしょう」と答えて自分のスケジュールを呼び出した。そしてライスフィールの目の前で、次のコマを取り消してくれた。 「あの、宜しかったのでしょうか?」  いきなりのことに、ライスフィールは大いに恐縮した。それをニコリともせずに受け止め、「構わんよ」とアリハスルはそっけなく答えた。 「こんなものは、私が趣味でやっているだけのことだ。天の川銀河一周旅行の中の、退屈しのぎと言っていいだろう。残り少ない自分の時間をどう使うのか、それを探すためにこの銀河を回ってみようと考えただけのことだ。年寄りゆえに残り少ないとは言え、自由に出来る時間なら山のように残っておる」  もう一度「構わん」と答えたアリハスルに、ライスフィールは深々と頭を下げた。 「では、別に場所を用意した方が宜しいですね」  アリッサには、掛かった費用は部屋に付けていいと言われていた。その厚意に甘え、ライスフィールは小さな集会室を手配した。 「ではタウンド教授、別にお部屋を用意させていただきました」 「別に、ここでも構わんのだが……確かに、二人で話すにはいささか広すぎるな」  ぐるりと周りを見渡したアリハスルは、「宜しい」と言ってライスフィールの提案に従った。そして椅子に掛けてあった草臥れた上着を羽織り、行こうかと言って公開講座をの行われた部屋を出た。そして部屋を出た所で、恐怖に「かちり」と固まってしまった。つまりヘルクレズの洗礼を受けたと言うことである。 「ライスフィール様、この方は?」  なかなか出てこないライスフィールを心配したのは、護衛として正しい行為には違いないだろう。ただヘルクレズは、まだ自分の威圧感への認識が足りなかったようだ。顔をこわばらせたアリハスルに、ようやく自分が何をしたのかを理解した。 「失礼いたしました」  そう謝ったヘルクレズは、そのままライスフィールから離れていこうとした。 「少しお待ちなさい。この機会に、あなたもタウンド教授のお話しをお聞きなさい」 「ライスフィール様の思し召しの通りに」  大きな体を折り曲げ、ヘルクレズはライスフィールに頭を下げた。それを受け取ったライスフィールは、まだ恐怖の抜けきらないアリハスルに、「参りましょう」と告げた。どこかで見た様なと言う印象を持っていたアリハスルは、ヘルクレズを見て相手の正体への確信を得ていた。  それから5分ほど歩いた所で、ライスフィールは指定された集会室を見つけた。ただ小集会室と言うのに、中は20人ほど入れるほどの広さがあった。 「ここでも、広すぎた気はしますが……」  改めて場所を変えるのもおかしいと、これ以上場所にはこだわらないことにした。 「ヘルクレズ、飲み物の手配をお願い」 「畏まりました」  恭しく頭を下げて、ヘルクレズは壁際にある注文端末へと向かっていった。それを横目で見たアリハスルは、ライスフィールに向き合い「それで?」と質問を促した。 「モンベルトの王女様が、この老いぼれにどのような質問があるのですか?」 「お気づき……でしたか」  はっきり驚いた顔をしたライスフィールに、「有名ですよ」とアリハスルは初めて表情を和らげた。 「パガニア王と対決されたあなたのことは、旅行中の私の耳にも届くぐらい有名です。残念ながら、私はニュースで目にしただけですが、船内中継に人だかりができていたのは覚えています」 「そんなことに、なっていたのですね……」  影響の広がりの大きさは、ライスフィールの想像を超えたものだったのだ。それに驚いたライスフィールだったが、すぐに自分の目的を思い出した。 「私の祖国、モンベルトのことで質問をしたいと思いました。これからの祖国のために、是非とも教授の知見を活かせたらと思っております」  そう言って頭を下げたライスフィールは、祖国モンベルトの状況を説明した。 「私の正体をご存じなら、我が祖国モンベルトが置かれた状況もご理解いただけると思います。我が祖国は、800ヤー前のパガニアの攻撃により、甚大な被害を受け、いまだその被害から回復できておりません。もともと人が住んでいた地域は、汚染により未だ植物が生えない原野が広がっております。大気は黄色く濁り、黒い雨が未だ降り続けております。地表に降った雨は、汚染された大地を削り海に流れ込みます。そのせいで、魚の数も次第に減り、そして奇形が目立つようになってきました。海からは異臭が漂い、色も黒く濁っております。狭い土地に集まった民達の数も、今は5千万にも満たないほど減り続けているのが実態です。エスデニアからの支援がなければ、当の昔にモンベルトは死滅していたでしょう」 「噂以上に、状況は悪いと言うことですか」  難しい顔をしたアリハスルは、置かれたコーヒーを一口口に含んだ。 「なぜ、あなたが私の講座に顔を出されたのか。それを理解することができました」  アリハスルの言葉に頷いたライスフィールは、一番聞きたかったことを口にした。 「私の祖国モンベルトは、元の美しい姿を取り戻すことは出来るのでしょうか?」  その問いこそが、ライスフィールにとって一番大切なことを示していた。パガニアへの復讐も終わった今、彼女が生涯を掛けて行う一大目標がモンベルトの再生なのだ。  だがライスフィールの問いに、アリハスルは難しい顔をしたまま沈黙を続けた。 「やはり、元の姿を取り戻すのは不可能と言うことなんですね」  あそこまで壊されてしまったものが、今さらどうにかなると言うのは甘い考えだと言うことだ。それぐらいのことはうすうす気づいていたが、学識者に認められるのはさすがに辛かった。ただ、この場で泣く訳にはいかない。ぐっと感情を押さえて、「ありがとうございます」とライスフィールは頭を下げた。  そんなライスフィールに、「早合点はいけない」とアリハスルはゆっくり口を開いた。 「確かに、元の姿を取り戻すのは不可能だろう。それほどまでに、モンベルトからは多くの物が失われている。だがやりようによっては、新しく作り直すことは出来ると思っておる。そしてそれぐらいの技術は、この銀河の中には沢山蓄積されておるのだ。ただし、そこまで大規模な環境改善が行われた実績はない。当たり前のことだが、費用対効果の意味で割が合わんのだ。惑星ひとつ作り変えるのには、莫大な費用ととても長い時間が掛かるのだからな」  そこでライスフィールの顔を見たアリハスルは、「分かっておる」と言葉を続けた。 「それでも、モンベルトを救わなければならない。姫の気持ちは、この老いぼれにも十分理解は出来るのです。ただ全惑星規模の作り変え、しかも住民を残したまま行うと言うのは、とても難易度が高いのだ。これが生物が住んでいない惑星ならば、必要な機材を送り込み、しばらく待っていればいい。そして改良が終わった所を見計らって入植をすると言う方法を取ることが出来るだろう。それならば、難易度としてはぐっと低くなってくれるのだよ。だが人が住んでいるとなると、小さな手違い……たとえば、気候のパラメーター制御の誤差程度でも、人の生活は大きな影響を受けることになる。人の適応力には素晴らしいものはあるが、それでも耐えられる限界と言うものがあるのだ」 「出来ないことではない……そう受け取れば宜しいのでしょうか?」  すがるように意見を求めたライスフィールに、アリハスルはゆっくりと頷いた。 「出来ないはずはない。と言うのが、学者としてのお答えになる。ただ世の中は、学問通りでは運んで行かないのが問題だ。モンベルトの環境改善を行うと言うコンセンサスが取れたとしても、それをどう計画していくのか、誰が計画出来るのかが壁として立ち塞がることになる。先ほども話した通り、過去行われたことのない大規模事業になるのだ。そしてこれほどの大規模事業となると、掛かる費用も天文学的数字となる。パガニアが全面的に非を認めたとしても、そこまでの財政負担が出来るのかは疑問だ。エスデニアにしても、そこまでの支援が果たして出来るのだろうか。確実に、超銀河連邦レベルでの支援が必要になる規模なのだよ。全体計画の立案から遂行、そしてその管理を含めて誰が主体となって行うのか。しかもモンベルト国民への説明も必要になってくる。果たしてあなたの国民達は、原状回復の困難さを受け入れてくれるのだろうか」  アリハスルが口にしたのが、解決すべき問題と言うのをライスフィールは理解していた。そして語られた部分が、まだ一部でしかないのも分かっていた。言われなくても、やることの規模が大きすぎて、何をしていいのかライスフィールにも想像ができなかったのだ。 「ですが、それでも私はやらなくてはいけないと思っております。そしてそれが、王族である私の務めであると思っております」 「なるほど、それは立派な覚悟と称賛いたします」  小さく頷いたアリハスルは、「ただ」とライスフィールに厳しい注文を付けた。 「覚悟は立派だと申し上げましたが、それだけでは現実は回っていきません。先ほども申し上げた通り、これだけ巨大な事業ともなると、立案・計画から遂行に至るまで、綿密な管理と人材の投入が必要となります。残念ながら、覚悟云々でどうにかなる話ではないのですよ。丸投げをするにしても、パガニアやエスデニアでも非常に困難と言うのが実態かと思われます。そして国民は、すぐにでも目に見える成果を求めることでしょう。私は事業の困難さを説明しましたが、それを理解出来るものはごく少数なのですよ。そしてモンベルトの教育水準では、誰も理解は出来ないでしょう」  それは王族であっても例外でないのは、ライスフィール自身が理解をしていることだった。「出来ないことはない」とアリハスルは言ってくれたが、今のままでは「出来ない」としか思えなかったのだ。そこには技術的問題以上に、政治・文化的問題の方が大きく立ち塞がっていた。 「これほどの大事業を成し遂げるには、それは絶大なるリーダーシップが必要となります。ジェイドでのニュースを見させていただいた感想を申し上げれば、失礼かとは思いますがあなたでも不足でしょう」 「つねづね、私は力不足を感じております」  はっきりと萎れたライスフィールに、「仕方のないことです」とアリハスルは慰めの言葉を掛けた。 「ですが、あなたからはやり遂げることへの強固な意思を感じさせていただきました。指導者として、それもまた大切なことだと思いますよ。あなたがあきらめない限り、道は開けてくるのではありませんか?」  そう口にしたアリハスルは、やれやれと小さく息を吐き出した。 「どうも、専門分野外のことまで口を出してしまいましたな」 「そんなことはありません。教授のお言葉に、どれだけ私が救われた気持ちになれたのか。そして、解決すべき問題が少しだけ明確になったかと思いますこのご恩は、一生忘れることはないと思います」  立ち上がって頭を下げたライスフィールに、「もったいない」とアリハスルは恐縮した。 「あなたは、間違いなく名指導者として歴史に残ることでしょう。ですから、多少とは言えお手伝いできたことに、私は感動を覚えているのですよ。私が長い時間を掛けて研究してきたことが、こうしてあなたのお役にたつことができたのです。これで私は、私の人生を自慢することが出来ると思います」  だから感謝をすると、アリハスルは立ち上がってライスフィールに頭を下げた。 「もしも私の様なロートルに手伝えることがあれば、遠慮なくお声を掛けてください。私は、しばらくこの船で旅を続けておりますので」  コンタクト先を示すデーターをライスフィールに渡し、アリハスルは二度ほどお辞儀をして部屋を出て行った。それを立ったまま見送ったライスフィールは、「強力なリーダーシップですか」と小さく呟いた。 「確かに、今の私では望みえない物ですね」  困難な使命を果たしたとは言え、ライスフィールはまだ17の少女だった。国民は熱狂的に迎えてくれるのだろうが、それにした所で一時的なものに違いないのだ。そしてすぐに、過酷な現実を前にいつもの生活に戻っていく。民達を引っ張っていこうにも、どうやってと言う展望がライスフィールには開けていなかった。 「ですが、モンベルトには姫様以上のお方はおられません」  エスデニアからの援助に頼り、細々と生き延びてきたのが今のモンベルトである。ヘルクレズの言う通り、モンベルトに強力なリーダーシップを持つ者はいなかったし、また必要ともされていなかったのだ。 「それぐらいのことは理解しております。だから私が出国する時も、消極的な反対しかありませんでした。そして私が強く主張しただけで、皆は口を噤んでしまったのです」  それだけ、ライスフィールはモンベルトでは規格を外れた存在と言うことになる。それを認めるのはやぶさかではないのだが、だからと言って強力な指導力を発揮出来ると言うのは別の話だと思っていた。ヘルクレズにしてみれば、国王を含め、周りにいるすべてが彼女の足を引っ張る存在に思えたのだ。  今回あげた大きな功績にしても、パガニアに謝罪をさせた事実に満足するだけで終わってしまう可能性もある。それどころか、新しい変化を拒みこれまで通りを希望するのだろう。パガニアを恨み、恐れ、そしてエスデニアにすがって卑屈になっている。モンベルトのことを、ライスフィールはそう説明していた。だがヘルクレズは、「変化を恐れる」と言うもう一つの感情を無視することが出来ないと思っていた。 「姫様は諦めておられるが……」  変化を恐れる気持ちを笑い飛ばし、そしてそれ以上の世界があることを信用させるだけのペテンが必要なのだ。ヘルクレズには、それが出来る相手は一人しか思い浮かばなかった。そしてその相手のことを、すでにライスフィールが諦めているのも知っていたのだ。 「間違いなく、迷惑がられるのだろうが……」  すべてを話して、是非とも助力を得る必要がある。そのためには、己の命を賭す覚悟もヘルクレズにはできていたのだ。  自由時間を思い思いの方法で済ませた一行は、夕食のためにメインダイニングに集まっていた。これから遅い夕食を取り、ベッドで睡眠をとれば目が覚めた時にはアークトゥルスまであと少しの所に到着する。豪華な船旅の最後を締めるためには、贅沢な晩餐が必要だとアリッサは一人張り切っていた。 「とりあえず、ヘルクレズさん、ガッズさんには10人分ほど用意して貰っていますからね。後はお酒ですけど、これも遠慮なく頼んじゃってください」  12人掛けのテーブルに、4人が端に寄って座っていた。そして残りの8人分のスペースを、ヘルクレズとガッズが二人で使うことになっていた。体の大きな二人は、並べられる皿と併せて食べるスペースも女性陣の数倍が必要だったのだ。そして隔離席となった二人は、周りの雰囲気に緊張しながら10人前の食事に手を伸ばしたのである。  初めはとても穏やかな、そして静かな雰囲気で始まった夕食会だった。また個室と言うこともあり、周りのノイズから隔離されたため、しばらくの間はナイフとフォークが皿に当たる音しか聞こえてこなかった。ただその静寂も、初めのうちはと言う条件が付いていた。そのあたり、食事につきもののお酒が役目を果たしたのである。  細い体に似合わず、「おいしいですね」と言ってアリッサはワインをがぶ飲みしてくれた。そのあたり、旅の解放感と言うのが理由になっていたのだろう。ただ一人で飲んでいるうちは良かったのだが、すぐに退屈になって獲物を探してくれた。そして、つつましやかに水で済ませているライスフィールに目をつけ、因縁をつけてくれたのだ。 「遠慮しないでぇ、ライスフィールさんも飲んでくださいよぉ」  言葉の端々、そして態度からも危険領域が迫っているのは分かっていた。そして酔っ払いを相手にしても、ろくなことにならないのは分かっていた。だからライスフィールは、二人に関わらないようにと無視を決め込んでいた。最初のうちはそれで良かったのだが、アリッサの目つきが怪しくなった時点でその努力も無駄になってしまった。 「ライスフィールさん?」  目が座っているのは、それだけ酔っていると受け取っていいのだろう。少し引き気味で自分を見たライスフィールに、「寂しくなりますよね」とアリッサは同意を求めた。 「それは、まあ、確かにそうですけど……」  寂しくなることは否定出来ないと、ライスフィールは警戒しながら頷いた。それを喜んだアリッサは、「本当に寂しくなるんですよぉ!」と大きな声を出した。 「もう、アリッサお姉さまとも呼んで貰えなくなるし……私、本当に寂しいと思ってるんですよぉ」  と大声を出したアリッサは、「それなのに」と恨みがましい目をライスフィールに向けた。 「ライスフィールさんは、清々したと言う顔をしています」 「そ、それは、大きな誤解です。わ、私だって、その、アリッサさんとお別れするのを寂しいと思っているんですよ」  たとえ相手が酔っ払いでも、それだけははっきりさせておく必要がある。だが「寂しい」と言い返したライスフィールに、「お姉さまでしょう」とアリッサは本筋ではないことを言い返した。 「やっぱり、本当は寂しいと思っていないんだぁ」  とまで管を巻いてくれるのだから、ほとほとライスフィールも困り果ててしまった。そして仕方がないと諦め、「アリッサお姉さま」と保護された時の呼び方をした。 「初めから、素直になればいいんですっ!」  そう言って偉そうにしたアリッサは、「ご褒美です」と言って白ワインをラッパ飲みをした。そして何事と驚くライスフィールに詰め寄り、強引に唇を重ねてきた。その後ライスフィールの喉が何かを飲み込むように動いた所を見ると、どうやら口移しでワインを飲ませたようだ。引き離そうと抵抗はしているのだが、意外な力強さにライスフィールは逃げられなくなっていた。 「いやぁ、なかなかそそる景色だねぇ」  こちらも酔っているのか、エイシャはアリッサの蛮行を止めようとはしなかった。そして蛮行を止める代わりに、自分もワインを口に含んで立ち上がった。もちろん狙いは、アリッサに蹂躙されているライスフィールである。 「もう、人を巻き込むのはやめてくださいませんかっ」  唇が離れた所で文句を言ったライスフィールだったが、今度はエイシャに唇を塞がれてしまった。じたばたと暴れはしたが、アリッサより強いエイシャに敵うはずがない。結局口移しで、今度は赤のワインを飲まされてしまった。 「カイト殿、お止めしないのですか?」  遠慮がちなヘルクレズに、カイトは小さく肩をすくめて見せた。そして相方のガッズは、「いいじゃねぇか」と平手でヘルクレズの背中を叩いた。 「たまにゃあ、羽目を外すのも必要だぞ。おっさん」 「羽目を外すことを否定はせんが……」  エイシャが離れたと思ったら、またアリッサがライスフィールの頭を押さえていた。心なしか、ライスフィールの抵抗も弱くなっているようだった。 「姫様は、ああ言うのに弱いからな」 「誰でもいいって訳じゃないだろう」  カイトの指摘に、そりゃそうだとガッズは肩をすくめた。そしてヘルクレズは、深刻そうな顔で「誰でもいい訳ではないのだがな」と呟いた。普段なら一言ありそうなガッズなのだが、ヘルクレズの言葉に反応を示さなかった。 「なんだ、ずいぶんと深刻そうな顔をしているな」  自分もグビリと酒を呷り、「トラスティか」とカイトはここにいない「弟」の名前を持ち出した。 「それが、関係ないなどと言うつもりはないが……」  口ごもったヘルクレズに、「まあ飲め」とカイトは瓶ごとウイスキーを渡した。ヘルクレズには、ワインのように上品で薄い酒では物足りなかったのだ。そして渡されたウイスキーの瓶を眺めたヘルクレズは、ごくごくと一息に丸ごと飲み干した。 「正直な気持ち……」  はあっと酒臭い息を吐き出し、ヘルクレズは少し俯いた。 「わしは、姫様を国に連れて帰りたくはないのだ。このまま、アリッサ様と同じ時を過ごしていただきたいと思っておるぐらいだ」 「祖国に帰るのが、いいことばかりじゃないのは理解しているつもりだが……」  こともあろうに、お供が連れて帰りたくないと言ってくれたのだ。ヘルクレズが任務に忠実だと考えれば、それは驚くべきことに違いない。もちろんカイトも、モンベルトが生易しい地でないことぐらいは理解しているつもりだった。だが目の前で絡まれている姫様は、そこを変えていく使命に燃えていたはずだ。 「姫様は、民達のために自分の心を殺し、隠し、騙していかれる覚悟をされておられる。そしてモンベルトの復興に、その身を捧げられる覚悟もされておる。その覚悟は、とても高貴でお立場に沿ったものと言えるだろう。そしてそれだけなら、わしも祖国に帰ることを躊躇うことはしない。そんな姫様を、わしはこの身に代えてもお守りする覚悟でいるのだ。だがな、それでもわしは姫様を国に返したくはないのだ」 「おっさん、今さらそれを言っても始まらないだろう。姫様は、全てを覚悟されているんだぞ。だとしたら、俺たちがとやかく言えることじゃない」  すかさず口を挟んだガッズに、「だがな」とヘルクレズは憂いを含んだ眼差しを向けた。 「恋してやまない男を諦め、蟻のように群がる男共に身を任すことが必要なことなのか? 姫様の苦労を助けることも出来ない男共が、慣習を盾に取り姫様の体を貪るのだぞ。それが、本当に我が祖国のためになると思っておるのか? わしには、祖国復興の足を引っ張っておるとしか思えんのだ。もしも姫様の心が病まれたら、祖国は復興出来ると思っておるのか? わしには、とてもそう思えんのだ」  そう言って、ヘルクレズは別の酒瓶を持って一息に呷った。ヘルクレズの言葉に、カイトはぎょっと目を剥いた。 「ちょっと待て。男共ってどう言うことだ? 姫さんは、確か婚約者と結婚するはずだろう?」  アリッサ経由で、ライスフィールに決まった相手がいるのは教えられていた。だからカイトも、仕方がないことだと割り切ることができていたのだ。そのあたり、王族にまつわる責任だと思えば、別に珍しいことではないことだと思っていた。  だが聞かされた話が本当なら、ライスフィールは夫でもない男たちに体を与えることになる。さすがにそれは、カイトが考えてもいない話だった。そんなカイトに、「モンベルト」の慣習だとガッズは吐き出した。 「上層階級様の宴でも、大した食い物は用意出来ないんだよ。だから食うこともそこそこに、気に入った女の体を男達が貪るんだ。それが、ずっとモンベルトで続いてきた宮廷の慣習って奴だ。今の姫様を連れて帰ってみろ。間違いなく、男共が列をなして求めてくることになるな。それが分かっているから、姫様はアリッサ様をモンベルトに連れて行くつもりはないんだよ」  忌々しそうに吐き出したガッズだったが、「だがな」と少し沈んだ声を出した。 「それにしたところで、もともとは確実に子孫を残すことを目的としていたと言う話だ。俺たちの国はなぁ、あまりにも人が減り過ぎちまったんだよ。だから年頃の女には、ちゃんと子供を産んで貰わなくちゃならない。男の方にも問題があるから、相手を選んじゃいられないってことだ。ちなみに俺もおっさんも、母親の顔は知ってるが、父親は誰かは知らねえんだよ」  「それでいいのか」と言う問いは、カイトの喉元まで出かかっていた。だがそれを含めて、ライスフィールは覚悟を決めていると言うのだ。そしてその思いを知っているから、ガッズは「従う」と答えている。それは個人のわがままを許さない程、モンベルトが追い詰められていると言う意味でもある。それでも我慢ならないのは、ヘルクレズの「連れて帰りたくない」と言う言葉に現れていた。 「どうにもならないのか?」  だからカイトの問いも、違うものに変わっていた。 「国が豊かになれば、そして人の体が健康になれば、変わってくるのかもしれんな。だがそうなるには、まだまだ多くの時間が掛かることになる。そして今日会った学者様は、とても長い時間が掛かると仰った。たとえエスデニアでも、これだけの大きな事業はまとめきれないと仰っていたな」  ライスフィールの苦労は、徒労に終わる可能性が高いと言うのだ。それを聞かされれば、「連れて帰りたくない」と言うヘルクレズの気持ちも理解できた。希望を持って祖国に帰っても、周りは助けてくれるどころか、足を引っ張る真似しかしてくれないのだ。しかも、希望の先に絶望が待っているのが見えるのだから、何のために帰るのだと言いたくもなってしまう。 「そしてカイト殿。モンベルトの民には、変化を恐れる気持ちもあるのだ。パガニアを恨み、恐れ、エスデニアに卑屈になるのと同じくらいに、今を変えることへの恐れを持っておる。これでパガニアを恐れなくても良いとなれば、なおさら今を変えようとはしないことだろう。そしてその考えは、民達より貴族達の方が強いのだ。誰でも、先の見えない夜道を歩こうとは思わぬのだ」  そう言ってヘルクレズが視線を向けた先では、ライスフィールがグラスからワインを呷っていた。どうせ飲まされるのなら、グラスから飲んだ方がましと開き直ったのだろう。かなりドレスが着くずれをしているのだが、かろうじて危ない線は守られているようだった。  そして散々甚振られた仕返しなのか、今度はライスフィールがグラス片手に二人を追いかけていた。 「そして、わしらではどうにも出来ないことなのは確かなのだ」 「なんせ、戦うことにしか頭を使ってないからな。俺たちは」  自嘲気味に吐き出したガッズに、それは自分も同じだとカイトは言いたかった。どこにでも不条理はあると口にしたカイトだが、ライスフィールに比べればましとしか言いようがなかったのだ。せっかく一つの不条理が解決されたのに、さらなる不条理を突きつけられた気がしていた。  男達にベッドまで運ばれた翌朝、3人は酷い二日酔いに悩まされることになった。そして一番ひどい目に遭ったのは、無理やり飲まされたライスフィールだった。そのあたり不条理としか言いようがないのだが、一番経験が少ないことが理由になっていた。 「最低の……気分です」  情報妖精のモーニングコールで目は覚めたが、とてもではないが起きたいと言う気持ちにはなれなかった。だがこれから2時間後に、コンステレーションU号はリゲル帝国主星アークトゥルスに到着する。いくら嫌だと思っても、出立の準備をしなくてはならなかった。 「だから、飲みたくなかったのに……」  いつの間にか乗せられてしまった。酷い後悔を感じながら、ライスフィールは枕元に置かれた酔い覚ましの薬を水と一緒に飲みこんだ。 「しかし、自分で着替えたとは思えませんね……」  自分の恰好を見てみたら、一応ナイトウエアを着ていたのだ。自分で着替えた記憶はないのだが、かと言ってヘルクレズが着せてくれるとも思えなかった。  ただいくら考えても分からないので、ナイトウエアを着たままシャワールームへと向かったのである。  そして二日酔いによる頭痛は、アリッサも事情は変わらなかった。金色の長い髪をぼさぼさにして起きたアリッサは、下着姿であたりを見渡した。普段裸で寝ているのだが、さすがのカイトも義妹を裸にする度胸はなかったようだ。 「もう、朝なんですか……」  24時間営業かつ、個人個人で時間の違う船内では、自分の体内時計が時間の基準となる。セットしておいた時計で時間を確認したアリッサは、起き上がった所で「あーっ」と声を上げた。 「どうして、全部脱がしてくれなかったんでしょう。だから、目覚めがすっきりしないんだわ」  下着で体を締め付けると、安眠出来ないと言うのだ。ただ、それをカイトに求めるのは酷としか言えなかった。実際下着姿にするだけでも、かなりの努力が必要だったのだ。 「せっかっく、今日はトラスティさんに逢うのに……」  目覚めが悪いと、一日の気分に影響をしてくる。どうして裸にしてくれなかったのかと文句を言いながら、アリッサは汚れた下着を脱ぎ捨てて裸になった。そしてそのままの何も隠さず、熱いシャワーを浴びにベッドルームを出て行った。酔い覚ましの薬は、シャワーの後に飲むことにした。  そして一番二日酔いが軽かったのは、やはりと言うかエイシャだった。服を着たままベッドに寝ていたエイシャは、「脱がせてくれればいいのに」と文句を言った。同じ服を着る予定はないが、それでも外にいるのと同じ格好で寝たくはなかったのだ。 「まあ、脱がしにくかったんだろうな」  あははと笑って、枕元に有った酔い覚ましの薬を飲み込んだ。さほど必要とは思えなかったが、念のためと考えたのである。 「今日の予定はどうなってたかな?」  細かなスケジュールを確認することを忘れていた。ただ、なるようになるさと考え、それ以上は気にしないことにした。 「さて、熱いシャワーでも浴びてくるか」  着ていたドレスを脱いだエイシャは、下着姿でシャワールームへと向かった。  3人娘が目覚めた1時間後、トリプルA相談所の一向はレストランで朝食を囲んでいた。皇帝謁見の前には着替えが出来るだろうと、3人ともほとんど普段着と言う恰好をしていた。ちなみに一番ラフなのはエイシャで、重ね着したTシャツの上にベージュのジャケットを羽織り、下はデニムのズボンを穿いていた。ただいつもは汚い靴も、今日に関して言えば真新しいスニーカーだった。  そして手間のかかるアリッサは、紺の長そでのワンピースを着ていた。それにアクセサリーとしてプラチナのネックレスを合わせ、靴は黒のパンプスでまとめていた。落ち着いた格好をしているからこそ、金色の髪が映えて普段通りの美しい姿を作り出していた。  最後のライスフィールは、同じくワンピースに身を包んでいた。ただ紺を選んだアリッサとは違い、タータンチェック柄を選んでいた。そこに細身の黒いベルトを合わせ、髪には茜色をしたベルベット製のバラをあしらった。そして足元は、黒く艶やかに光るエナメルの靴を選んでいた。 「これからの予定ですけど」  6人が集まった所で、リーダーであるアリッサがスケジュールを切り出した。リゲル帝国との調整は、すべてアリッサの役目になっていたのだ。だからスケジュールについても、すべてがアリッサ任せになっていた。 「コンステレーションU号から下船したら、あちらが差し向けてくれたランチで皇都に降ります。そこで2時間ほど休憩してから、リゲル帝国皇帝聖下カナデ様に謁見することとなります。カナデ様から晩餐に招かれていますので、夜には皇宮に出直すこととなります。その間5時間ほど時間がありますので、視察と言う名の観光に連れて行ってくださるそうです。もちろん、これは自由参加……ですけど」  そこで顔を赤くしたところを見ると、「自由参加」に大きな意味があることになる。なるほどねと全員その理由を察したのだが、優しい彼ら彼女達はそれを口にはしなかった。 「ちなみに、明日の予定はオープンになっています。ただ、カイトお兄様、ヘルクレズさん、ガッズさんは色々とお呼びが掛かると思いますよ。あちらから、「期待している」と言うメッセージも貰っています」  10剣聖と対等に戦うことの出来る剣士と、その10剣聖を簡単にのしてくれるカイトがいるのだ。強者を求めるリゲル帝国の剣士たちと考えれば、手ぐすねを引いて待っているのは言うまでもないことだろう。そして別の意味でも、その3人を待ち構えている者達もいた。強い男がいるのなら、戦ってみたいと思うのと同時に、抱かれてみたいと思う女たちも大勢いたのだ。 「ちなみに、エイシャさんとライスフィールさんは、希望がありましたら教えてくださいね。あちらの方に調整して貰います」  自分のことを言わないのは、きっと予定を決めているからだろう。そしてその予定ぐらい、確認しなくても分かっていることだった。まあ恋人同士なのだから、改めて言うのも野暮なことには違いなかった。 「あと下船まで20分ほどです。みなさん、下船の準備は宜しいですか?」  敵地ではないが、いよいよリゲル帝国に乗り込むのである。緊張に背筋を伸ばした一行は、アリッサに向けて小さく頷いた。 「それからライスフィールさんには言っておくことがあります。このアークトゥルスは、1千ヤー前は荒れた土地が広がっていたそうです。そして足りない物資は、ほかの星をから略奪してきたと言うことですよ。IotUに戦いを挑んだのは偶然ですが、そこで敗れたことで体制が変わり、惑星全体の開拓と改良に取り掛かったそうです。同じことが出来るかは分かりませんが、モンベルトの参考になるのではありませんか。ですからカナデ皇には、当時の記録を見せてもらうことをお願いしてあります」  アリッサの言葉に、ライスフィールは目を大きく見開いて驚いた顔をした。 「詳しい人を紹介して欲しいとお願いをしたら、今日からでもお話を伺わせてくれるそうですよ」  どうしますと問われ、「ぜひともお願いします」とライスフィールは声を上げた。そのままモンベルトに持ち込めなくても、何をして、どれだけの時間を掛けてきたのかが分かれば、必ず役に立ってくれるはずだ。人の力も借り、一歩一歩進んでいけば、おのずと道が開けてくれる。まだとても弱弱しい光なのだが、暗闇に光明が見えた気がしていた。  星柄と言えばいいのか、アリッサ達の到着に派手なセレモニーは催されなかった。そのあたり、ライスフィールの立場が微妙と言うこともあったのだろう。共にIotUの妻を輩出したと言う歴史はあるが、両国の間で正式な国交が結ばれていなかったのだ。  ただ派手な出迎えこそなかったが、出迎えてくれた顔をみれば気を使ってくれたことは理解出来る。その中でも出色なのは、10剣聖が勢揃いしていたことだろう。そのあたりカイトの名前と、ヘルクレズとガッズの実力を認めてくれた結果なのかもしれない。  ただアリッサが気に入らなかったのは、トラスティにぴったりくっついている女性がいたことだ。少し細身で長い黒髪をした美しい女性は、やけに「私の」トラスティに馴れ馴れしくしてくれていた。 「ようこそ……といつもなら言う所なんだが。せっかくだから、皇女殿下に歓迎の挨拶をして貰おう」  皇女殿下とアリッサ達が驚く前で、「さあ」とトラスティはミサオの背中を押した。  「私がですか」と媚びた声を出したミサオは、トラスティに頷かれて全員の前に立った。だがトラスティに見せた可愛らしい顔は、アリッサを前に敵を見るような顔に変わっていた。 「次の皇帝となる第一皇女ミサオです。今日は、我が夫の愛妾が来ると言うので顔を見に来ました……トラスティ、何かしましたか?」  まともに頭を叩いたはずなのに、ミサオは少しも痛そうな素振りを見せなかった。そのあたり、トラスティが「ゴリラ」と言ったことと無関係ではないのだろう。並の人間の拳骨ぐらいでは、突いた程度でしかなかったようだ。 「人を勝手に夫にするな。そう言うことを言うと、これから相手にしてやらないからな」 「これだけ人質を取られたのに、そんなことを言っていいのですか?」  勝ち誇ったような顔をしたミサオに、トラスティは小さく息を吐き出した。そしてカイトを見て、「ザリア」と彼のサーバントを呼び出した。 「われは、お前のサーヴァントでないと何度言えば分かるのだ?」  まず文句を口にしたザリアは、次に隣にいる黒髪の少女を見た。 「それで、この娘にお仕置きをして欲しいのか?」  不機嫌そうな顔をしたザリアは、「これか」と言ってミサオの顔を見た。そしてあろうことか、「まずそう」と言い切ってくれた。皇女に対する敬意も何も感じられない態度である。  その言いぐさに腹を立てたミサオは、10剣聖に無謀な命令をした。 「誰でもいい、この無礼なデバイスを教育しなさい」  力を尊ぶリゲル王国なのだから、それは死刑宣告にも近い命令だっただろう。だが命令を受けた10剣聖は、誰一人としてその場を動こうとしなかった。そして「お前が行け」とばかりにお互いを肘で突きあったのだが、結局誰一人としてその場を動こうとはしなかった。 「なぜです。あなた達は、私の命令が聞けないのですかっ!」  その叱責は、皇女の立場からなら正当と言えるものだろう。だが10剣聖にしてみれば、誰一人としてザリアに近づきたいとは思っていなかった。カイトと戦えと言うならいざ知らず、ザリアに立ち向かうのは失うものが多すぎた。まだ立ち直っていないニムレスなど、顔を青くして震えていた。  誰も動かないことに癇癪を起したミサオに、ザリアはゆっくりと近づいた。そして綺麗な右手を、ミサオの左ほほにそっとあてがった。慌てて振り払おうとしたのだが、ミサオの力ではびくとも動いてくれなかった。 「さて、覚悟はできておるか?」  嫌になるほど綺麗な顔を邪悪に歪め、ザリアはゆっくりと顔をミサオに近づけた。逃げようとミサオはもがくのだが、皇女の持つカムイを発動させても、ザリアを振り払うことはできなかった。カムイが頼れなくなると、リゲル帝国の者はもろくなる。 「だ、誰か……助けて」  がたがたと震えるのは、ニムレスの事情を知れば不思議なことではない。だが助けようにも、10剣聖の力をもってしても、今のザリアは不可侵だった。  そしてミサオが顔を真っ青にし「許して」と謝った所で、ザリアは彼女を解放した。 「これに懲りたら、ぬしも態度を改めることだ」  ふんと鼻で笑ったザリアは、その場から瞬間移動でトラスティの目の前に現れた。そして抵抗する間も与えず、頭を捕まえ無理やり唇を奪った。じたばたとトラスティは暴れたのだが、カムイをものともしないザリアに通用するはずがない。  そして1分ほど口づけを続けた所で、ザリアはトラスティを解放した。 「われを迎えるのに、なぜエネルギーを充填しておかぬ?」  責めるような言葉に、「だからだ」とトラスティは言い返した。 「まとめて抜かれると、脱力感が酷いんだっ!」 「ならば次は、褥を共にしてやろう。そこならば、そのまま果てて眠っても良いのだぞ」  うふふと艶やかに笑い、ザリアは唐突にその姿を消した。 「なにか、話が思いっきりおかしな方にねじ曲がったな……」  ただ10剣聖とは違い、トラスティは吸い取られることには慣れていた。そのおかげですぐに立ち直り、「挨拶は?」とミサオに促した。そこで大人しく頷いたのは、まだザリアの恐怖が抜けていないからだろう。 「つ、次の皇帝となる……ミサオでございます。本日は、遠路ジェイドからお越しいただいてありがとうございます。そしてライスフィール様には、悲願を達成されたことをお祝い申し上げます。この後母であるリゲル帝国皇帝より改めて歓迎のお言葉を賜ることになっています」  さすがに可哀そうだなと、全員皇女ミサオに同情をしていた。それぐらい、ミサオの態度ががらりと変わっていたのだ。  そしてミサオの挨拶が終わった所で、トラスティが後を引き取った。 「お疲れ……と言うこともないと思いますが、カナデ皇接見までに2時間ほど休息時間を挟みます。それぞれ案内の者が付きますので、希望があったら申し付けてください」  そう説明したトラスティは、アリッサに向けてウインクをした。それまで怯えていたミサオだったが、「ずるい」と頬を膨らませた。 「では、後程お目にかかりましょう」  そう言ってアリッサに近づいたトラスティに、「ちょっといいか?」とカイトが声を掛けた。 「兄さんが、僕に用があるのって珍しいですね。ところで、それは今じゃなくちゃいけないんですか?」  そこでアリッサの顔を見たのは、間違いなく楽しもうと思っているからだろう。それを邪魔するのは野暮と言うのは分かっていたが、どうしても伝えておきたいことがカイトにもあったのだ。 「さほど手間を取らせるつもりはないんだ」 「それは、アリッサに聞かせてもいい話ですか?」  カイトの顔を見ると、結構深刻そうな話に思えたのだ。だから、アリッサを巻き込んでいいかと尋ねたのである。事情によっては、彼女に我慢を強いることにもなりかねなかったのだ。  そしてアリッサの顔を見たカイトは、どうしたものかと少しだけ考えた。だが確実に巻き込まれると、彼女の同席を認めることにした。 「そうだな、彼女にも同席して貰おう」 「だったらアリッサ、一緒についてきてくれないか」  アリッサの腰に手を回し、「こちらです」とカイトを話しの出来る場所に案内をすることにした。ただついて来ようとしたミサオには、「だめ」と言って我慢を命じた。カナデ皇と話が付いていることもあり、ミサオに対しては強い態度をとることができた。  歓迎のドックから5分ほど移動したところで、「ここがいいでしょう」と言ってトラスティは二人を小さな部屋に連れ込んだ。もっとも小さいと言っても、そこそこ広いリビングのついた部屋だった。 「ここが、僕の寝泊りをしている部屋って奴です。まあ、滞在期間の半分も使っていませんけどね」  残りの半分以上は、カナデ皇かミサオの部屋で寝ていることになる。それを口にしないで、トラスティはポットからコーヒーの様な飲み物をカップに入れた。それを不思議な色をしたお菓子とともに、ソファーに座った二人の前に置いた。 「コーヒーみたいなものと、不思議な見た目をしたお菓子です。まあ、見た目とは違って普通の味をしていますよ。毒味済みですから、食べても体を壊すことはない……と思います」  どうぞと進めてから、トラスティは自分の飲み物に口をつけた。 「それで、お話と言うのはなんですか? まさか、この期に及んで僕達の邪魔しようとか?」  アリッサの顔を見たトラスティに、「それはない」とカイトは即答した。 「ただ、結果的にそうなる可能性があるかもしれない……」  言葉を選んだカイトは、飲み物を一口口に含んだ。 「モンベルトのこと、どこまで知っている?」  いきなりの問いに、トラスティは少し答えを考えた。 「データー的なことなら、それなりにと言う所ですね。地表の5割が、パガニアの攻撃により人の住めない土地になり、8割の命が攻撃の際に失われた。そして今は、猫の額ほどの土地に5千万人ほどの人々が暮らしている。魔法と言う特殊技術は残っているが、宇宙に出るような技術開発はできていない。そして生活物資の多くを、エスデニアの援助に頼っている。と言うぐらいですね。それで、モンベルトのことがどうかしましたか?」 「パガニアへの恐怖は無くなるのだろうが、そこから先復興していけると思っているか?」  漠然とした問いなのだが、カイトが言う以上何か意味があるはずだ。トラスティは、その意味を考えてから答えを口にした。 「出来ないことはないと思いますよ。技術と言う問題なら、超銀河連邦にはいくらでも技術はありますからね。ただ、実行するには色々な問題を乗り越える必要があると思いますけど?」 「乗り越えなくちゃいけないのは、人の問題か?」  自分の答えの意味を問い直したカイトに、「回りくどい」とトラスティは苦笑した。 「ライスフィール王女のことを言いたいんでしょう」  アリッサを連れてきたことを思えば、カイトの言いたいことなど想像はついていたのだ。ただトラスティも、ライスフィールのことは終わったことだと思っていた。 「アークトゥルスに戻る前日、僕は彼女にお別れを言われているんです。使命を果たした以上、国に凱旋する必要があるんだそうです。そこで夫を迎え、女王に即位することになる。だから、こんなことをするのもこれが最後だってね。確か、20人位夫候補がいると言う話でしたね。そして今のままなら、筆頭候補のケンジェル侯だったかな、その人を夫にすることになると言っていました。僕とは比較にならない程誠実で、国民からも信頼されていると言われましたよ」  帰国前のデートでの話を持ち出したトラスティを、カイトは真剣なまなざしで見た。 「お前は、それを額面通りに受け取っているのか?」 「僕は、アリッサのことを第一に考えていますよ。だから、ここでの問題にもけりをつけることにした。兄さんへの僕の答えは、それ以上の物はありませんよ。今のままなら、彼女に同行してアスにいけるはずです」  初めて聞かされた話に、アリッサは喜びに顔を輝かせた。 「そのまま、ジェイドに来るってことか?」 「旅行随筆行をやめるつもりはありませんけど……売れてませんけどね……ちょっと、腰を落ち着けてもいいつもりにはなっていますよ」  それがと問い返され、「それでいいのか?」とカイトは問い返した。 「僕が、彼女を一番大切だと思っているのは本当ですよ。そして同時に、守ってあげたいとも思っています」  それを自分の顔を見て言ってくれるのだから、ついアリッサの目元も潤んでしまう。  義妹のことを思えば、ここから先の話は持ち出すべきでないことは分かっていた。だがカイトは、それではだめなのだと思っていた。 「ヘルクレズがな、出来ることなら姫様をモンベルトに連れて帰りたくないと言っていたんだ。このままジェイドに残り、幸せな生活を送ってほしいとな」  だからカイトは、ヘルクレズとガッズに聞かされた話を口にした。 「モンベルトの事情を考えれば、そう思っても不思議じゃないでしょう。ただ、彼女はモンベルトの統治者です。その統治者が、国を逃げ出したら国民はどうすればいいんですか? 責任感の強い彼女のことだ、ジェイドに逃げたら一生罪の意識に苛まれることになる。このままジェイドに残って幸せな生活……と言うのは、どだい無理な話なんです」  それが現実だと、トラスティは突き放すような言葉を口にした。 「それでも、ヘルクレズは連れて帰りたくないと言ったんだよ。それぐらい、祖国に帰れば彼女は酷い目に遭うことになるんだ」 「モンベルトに、解決すべき問題が沢山あるのは仕方ないことだと思いますよ。800ヤーと言う時間こそ過ぎていますが、その間問題は増えこそすれ、なにも解決されていませんでしたからね。確かに彼女は、指導者として多くの問題に直面し、乗り越えようと努力をし、そして挫折をするかもしれない。でもケンジェル侯をパートナーに、一歩ずつ改革を進めていくんじゃありませんか? それが、女王としての彼女の役目だ」  正論で突き放したトラスティに、「だがな」とカイトはガッズに聞かされた話をすることにした。 「ケンジェル侯ってのは、形式的な旦那だそうだ。そして彼女は、国に戻れば多くの男に体を許すことになる。その選択権は、彼女にはないそうだ。もともとは、確実に子孫を残すために始められたことらしい」  カイトの説明に、「ああ」とトラスティが頷いた。 「兄さんがやけに絡んできた理由が分かりましたよ。つまり兄さんは、彼女の置かれた立場に同情をしているんですね。ああ、なんだ、その程度か」  あっさりと言うより薄情な反応に、カイトは思わず顔を顰めてしまった。あれだけ構って、そして手伝いまでしたのだから、それなりの好意をライスフィールに抱いていると思っていたのだ。それなのに、彼女を襲う不幸を、大したことがないように言うとは信じられなかったのだ。 「なんだではないと思うんだがな。それにお前は、彼女の人生に大きく関わっている」 「関わっていた……の間違いですよ。僕が手を貸したのは、パガニアとの関係だけです。それにしたところで、初めは手を貸すつもりはなかった。ただみんな揃って彼女達の邪魔をしたから、罪滅ぼしに手を貸しただけです。アリッサが助けてあげて欲しいと言わなかったら、僕はクンツァイト王子を見殺しにしていましたよ」  それからと、トラスティはモンベルトの王宮のことにも触れた。 「最後に彼女を抱いたとき、今の話も教えてもらいましたよ。ずっとモンベルトで続けられてきたことなので、自分もそれに従うつもりだそうです。彼女は、王女としての責任、そして女王に即位する意味を理解しているんですよ。そして、それがモンベルトでは普通のことなんです。僕たちの価値観で可哀そうだと決めつけるのは、それこそ彼女に対する侮辱になる」 「それが、手を貸さないことの理由になるのかっ!」  今にも飛び掛からんがばかりのカイトに、「冷静になりましょう」とトラスティは返した。 「本人に関係のない所で盛り上がってどうするんです。彼女の立場は、自分がどうしたい、どうして欲しいをはっきりしないといけないんですよ。何をして欲しいのか察して手を差し伸べることは、結果的に彼女の成長を阻むことになる。突き放したように思えるかもしれませんが、それが女王になる彼女に求められることなんです。それを徹底しているから、エスデニアも最低限の援助しかしていない。初めから頼っていたら、今頃モンベルトは昔の姿を取り戻していたでしょうね」 「だからと言って、何もしないことの理由にはならないだろう。それに、彼女が言えない理由もお前は分かっているはずだ。それなのに、お前は彼女を見捨てるのかっ」  理詰めで説明されなくても、カイトにだってライスフィールの事情は分かっていた。だが感情の方は、本当にいいのかとずっと自分を責めていたのだ。何の覚悟もなく手出しを出来るほど、モンベルトの事情は生易しくはない。そしてそこに飛び込むことを、他人に強いることが出来ないのも分かっていた。  有名ではあっても、ただの軍人だった自分に出来ることはないのも分かっていた。理不尽を嫌い、呪い、そして諦めたカイトでも、彼女が立ち向かう理不尽には耐えられなかった。 「見捨てる……ですか」  小さく息を吐いたトラスティは、一度アリッサを見てからカイトと向かい合った。 「それで兄さんは、僕にどうしろと言うんです? 恋人を捨てて、彼女と一緒にモンベルトに行けと言うんですか? それだけじゃ、何の解決にもならないことぐらい分かっているでしょう?」  違いますかと問われても、カイトは何も答えることはできなかった。この男ならとは思っても、だから何が出来ると言うことができなかったのだ。そして義妹のことを思うと、自分のしていることは酷い裏切りになってしまう。愛した男を取り上げ、ほかの女に押し付けようとしているのだ。  別に言い負かすつもりはなかったのだが、結果的にカイトは口を紡ぐことになってしまった。それを確認したトラスティは、涙を浮かべたアリッサの顔を見た。 「アリッサ、何か僕にして欲しいことがあるのかな?」  トラスティの問いに、アリッサは涙に濡れた目を大きく見開いた。そして誘われるまま、トラスティの胸に飛び込んだ。 「わ、私は、あなたのことを愛しています。もう、片時も離れたくないと思っています」  しっかりと抱きついて、アリッサは自分の思いのたけをぶちまけた。その体を抱きしめ、「僕も同じだ」とトラスティは耳元で囁いた。ただトラスティは、アリッサの言葉に続きがあることを理解していた。 「だから、ライスフィールさんの気持ちも分かってしまうんです。そうじゃなきゃ、あの日にデートなんかしていないはずです。あなたに、モンベルトの事情なんて話さないはずです。私は、彼女に幸せになってもらいたいと思っているんです」  予想通りの言葉に、トラスティは小さく息を吐いた。 「誰にも、彼女の幸せの形なんて分からないよ」  そして耳元で、そっと囁いた。 「アリッサ、君は本当はどうして貰いたいんだい?」  それを聞かせて貰わなければ、自分は何もすることは出来ないのだ。だからトラスティは、「君の願いはなんなのだい?」と問いかけた。 「私と同じぐらいに、ライスフィールさんを幸せにしてあげて欲しい」  答えとしては、未だ曖昧なままと言っていいのだろう。ただ、アリッサの気持ちだけは伝わってきた。ぎゅっと彼女を抱きしめたトラスティは、「兄さん」と黙ったままのカイトを見た。 「彼女に頼まれたら、嫌とは言えないでしょう。ただ、人をたきつけた以上、兄さんにも協力してもらいますからね」 「俺は、何をすればいい?」  協力と言うのは、言わずもがなの話だった。このもやもやとした、どうしようもない気持ちが解消出来るのなら、カイトはなんでも協力するつもりだった。 「今時点では、特にないんですけどね。ただ、兄さんは最強の切り札になるんです。後は……」  少し考えたトラスティは、「ザリア」とカイトのサーバントを呼び出した。ちなみに赤のドレスから、なぜか紺のスーツ姿になっていた。 「だから、お前のサーバントではないと言っておるだろう!」  好き勝手に呼び出してくれるな。そう文句を言った美女に、「義務がある」とトラスティは言い返した。 「兄さんの頼みを聞くんだ。だったら、サーバントのお前が手伝うのも当然だろう?」 「それで、われに何をさせようと言うのだ? モンベルトを宇宙から消し去ればいいのか?」  そうすれば、ライスフィールが帰る理由が消失することになる。確かにそれは、一つの解決策にはなるのだろう。ただ、絶対に出来ない方策でもあった。 「そんな真似は、最後の手段だよ。ちょっと、ライスフィールの体のリズムを調べて貰いたいんだ」 「リズムを調べて、どうすると言うのだ?」  首を傾げたザリアに、「辻褄合わせ」とトラスティは笑った。 「彼女に、妊娠して貰おうと思っているんだ。ただ今からだと、それが分かるのがモンベルトに帰ってからになってしまう。嘘を吐き通すのも、簡単じゃないはずなんだよ」 「だから、辻褄を合わせると言うことか。なるほど、妊娠していれば男達を相手にする必要は無くなるな」  うんうんと頷いたザリアは、「なんだったら」ととても過激なことを口にしてくれた。 「排卵時期を調整してやろうか?」 「それが、手っ取り早いのは確かか……ミサオ様にもやって欲しい気がするが」  まあいいやと、トラスティはザリアに頼むことにした。残された時間を考えると、辻褄は出来るだけ早く合わせておいた方がいい。 「うむ、では調整をしてやろう。それからだが、あの女の体調も悪くしておこう」  辻褄を合わせるにしても、その方が信憑性が増すと言うのである。小さく頷いたトラスティは、「任せる」とザリアに言った。 「兄さん。これで、話が終わったと思っていいんですね?」  アリッサを抱きしめたまま、トラスティは視線だけをカイトへと向けた。ようは、話が終わったのならさっさと帰れと言う所だ。特に今夜はライスフィールのために使うので、短い時間だがアリッサと楽しむ必要があったのだ。 「そ、そうだな、話すことは一通り話したからな」  トラスティより、振り返ったアリッサの目の方が怖かった。だからカイトは、そそくさと逃げるようにトラスティの部屋を出て行ったのだ。  もともとカナデ皇が格式ばったことが嫌いなこともあり、その謁見は至極あっさりとしたものとなった。もちろん他星系の客を迎えるのだから、皇帝の前にはリゲル帝国の主だったものは集まった居るし、10剣聖を初めとした1000名の剣士たちも集まっていた。それでも派手にならないのは、リゲル帝国の国柄だろう。  リゲル帝国皇帝カナデ皇は、トラスティに連れられてきた6人を睥睨し、「よく来たわね」と上から目線の言葉を掛けた。王女と言う立場のライスフィールを除けば、全員が「平民」レベルなのだから当たり前と言えば当たり前である。そして唯一の王族であるライスフィールにしたところで、国を継いでいない王女の立場でしかない。そしてリゲル帝国に助力して貰った立場もあり、下手に出る必要があったのだ。  そして皇帝から声を掛けられた以上、それに答える義務が生まれてくる。普段の代表はアリッサなのだが、立場上一番偉く見えるライスフィールが一歩前に進み出た。 「このたびは、私どもに接見の栄誉を与えていただきありがとうございます。皆を代表して、モンベルト王国王女、ライスフィールが御礼させていただきます」  そう言って「優雅」に頭を下げたライスフィールは、カナデ皇の顔をまっすぐ見て言葉を続けた。 「そしてカナデ皇には、先日いただいたご助力に感謝申し上げます。いただいたご助力のお蔭で、パガニア王に非を認めさせることができました。これで800ヤーの長きに渡ってわが民を苦しめてきた重荷を、一つ下ろすことができたと思っております。更には、過去リゲル帝国で行った施策をご開示いただき、感謝の念に堪えません。祖国に帰ってもカナデ皇のご厚情を忘れず、モンベルトの復興に力を尽くしてまいりたいと思っております。民達にも、カナデ皇のご助力を伝えてまいりたいと思います」  ゆっくりと頭を下げたライスフィールは、一歩下がって仲間達の所へと戻った。それを満足げに見たカナデ皇は、「余興がしたい」と持ち出した。 「それは、どのような余興でございましょうか」  大方の想像はつくが、それでもライスフィールはカナデ皇の言葉を待った。そんなライスフィールに、カナデ皇は予想された通りの話を持ち出した。 「パガニア王に、あなたの力を披露したのでしょう。でしたら、私にも見せていただきたいと思っただけです。あまり時間を掛けることでもありませんから。一人選んで出してくれないかしら?」 「確かに承りました。それで、どのような戦いをお望みでしょうか?」 「そうね」  そう言ってライスフィールを見たカナデ皇は、「全力で」ととても彼女らしい条件を持ち出した。 「だから、10剣聖にはカムイのリミットブレークを許すつもりです。ですから、あなたの方も遠慮なく全力を尽くしてください」 「そのお話、とくと承りました。ではヘルクレズ、あなたの力をお見せしなさい」  ライスフィールの命に、「御意」とヘルクレズが頭を下げた。 「ではモルドレード、10剣聖筆頭の力を見せてあげなさい」  カナデ皇の命に、ひげを蓄えた大男が「おうさ」と大きな声を上げて前に進み出た。そしてそれに合わせて、集まっていた者達が後ろへと下がって場を作った。 「カイト殿と言ったな。ぬしが、女子を守ってやってくれるか」  この手のことに慣れているのだろうか、リゲル帝国の者達は当たり前のように皇の命に従っていた。したがって、この場で守るべきはアリッサ達3人だったのだ。  そしてガッズを見たカイトは、小さく頷き「ザリア」と己のサーバントを呼び出した。呼ばれたのと同時に現れた女性に、「ほう」とカナデ皇は感嘆の声を上げた。 「なるほど、評判通りの美しさだな。ところでザリアとやら、ぬしはラズライティシア様と何か関係があるのか?」  初めて出された疑問に、「なに?」とカイトは驚いた顔をした。だが聞かれたザリアは、「さあな」と白を切って見せた。 「ただのデバイスに聞くことではないな。そう言ったことは、われを作った者に聞いてくれ」  不遜な態度を示すザリアに、「なるほど」とカナデ皇は口元を歪めた。 「お前を作った者は、ラズライティシア様の熱烈な信奉者だったと言うことか」 「それにしても、われの与り知ることではないな」  どうでもいいと言うばかりの答えに、もう一度カナデ皇は口元を歪めた。ただそれ以上の問いは、彼女の口からは発せられなかった。そしてザリアの方も、カナデ王を気にせずカイトとフュージョンを行った。 「なかなかいかがわしく思えるのだが、それはカイト殿の趣味なのか?」  超銀河連邦の構成員として、連邦が利用するデバイスのことはカナデ皇も知っていた。ただ彼女が知る限り、主とフュージョンするのに口づけをするデバイスはいなかったのだ。 「い、いや、俺の趣味なんかじゃないぞっ!」  今はまだ妙齢の美女だからましだが、以前は本当に幼女に見えたのだ。その幼女と口づけをしていたことを考えると、やはり趣味は否定しておかなければならなかった。 「そうか、変わった趣向だと思ったのだが。ぬしの趣味と言う訳ではないのだな」  ふんと鼻で笑ったカナデ皇は、ライスフィールを見て「用意はいいか?」と問いかけた。 「すでに、整っています」  相手が本気で来る以上、こちらも出せる力を出さなければならない。ニムレスがガッズと互角と言う実績がある以上、出し惜しみをすることはできなかったのだ。だからライスフィールも、最上級の強化魔法をヘルクレズに掛けていた。すでにヘルクレズのもとには、荷物にあった棘付きの棍棒が届けられていた。  一方ヘルクレズに対峙したモルドレードは、ガッズには及ばぬが巨大な剣を持ち出していた。刀身の分厚さは、切ると言うより叩き潰すと言った趣をしていた。 「では、存分に力を見せてみよ」  カナデ皇の命令で、御前での果し合いが始まったのである。  相手の力は、切り合わなくても理解することは出来る。強敵を前にしたモルドレードは、大きく息を吸い込み「はぁっ」と気を吐き出した。その気はとても凄まじく、ヘルクレズを一歩後ろに下がらせた。 「なるほど、よき気合いだ」  だがヘルクレズも、国の未来を背負った強者である。「面白い」と口元を歪め、持っていた棘付きの棍棒を「ずん」と地面に突き立てた。ただそれだけのことで、皇宮の床が地震のように揺れ、突き立てられた場所を中心に八方へとひびが広がった。  お互いのデモンストレーションが済んだ以上、ここから先は力の限りを尽くして戦う時が来たのだ。獲物を振り上げてにらみ合った二人は、尋常ならざる速度でぶつかり合った。重厚な鉄の塊がぶつかり合う鈍い音の合間に、力強い男達の吐息が聞こえてきた。 「なるほど、パガニアの上級戦士では勝てないはずだ。ニムレスにも、ちと荷が重いだろう」  10剣聖筆頭と打ち合って、力負けをしない戦士を初めて目の当たりにしたのだ。「噂以上だな」とカナデ皇は、ヘルクレズの実力に感心した。そしてこの男にカムイを与えたら、どのような戦士が誕生するのか夢想してしまった。  だが目の前の男は、絶対に自分に対して忠誠を誓うことはないだろう。だからカムイを与えると言うのも、夢想はできても実現しないことだと分かっていた。無理やりやると言っても、名誉にかけて受け取らないと言うのも想像ができた。  しばらくは一進一退、二人は互角の勝負を繰り広げていた。ただ全体の流れからすると、ややヘルクレズが有利と言う所だろうか。ただそれにしても、どちらかと言えばと言う所である。それほどまでに、二人は拮抗した力を見せていた。  二人の戦いは、まさに皇帝の御前を飾るのに相応しいものだろう。そして息を飲んで戦いを見守っているのは、何もライスフィール達ばかりではなかった。10剣聖を初めとした1000の剣士たちも、見事としか言いようのない戦いに見とれていたのだ。 「ヘルクレズさんって、本当に強いんですね!」  そして戦いに熱狂するのは、アリッサ達も同じだった。用意された席に座り、アリッサは手に汗を握って戦いを見守っていた。 「そ、そうですね、へ、ヘルクレズはモンベルト最強の戦士ですから」  興奮しているアリッサとは対照的に、ライスフィールの反応は良くなかった。あれっと首を傾げたアリッサは、「顔色が良くないですね」とライスフィールの顔を覗き込んだ。 「もしかして、二日酔いですか?」  薬を飲んだのにと言う言葉を飲み込み、アリッサは理由を二日酔いに求めた。 「そ、そうかもしれませんね。少し熱っぽい感じがします。後は、生唾が出るようになってきたのですが」  初めての変調に、ライスフィールも理由が分からないようだった。 「でも、ヘルクレズが頑張ってくれているんです。これぐらいのことで、へこたれている訳にはいきません」  少し空元気を出したライスフィールに、「無理はだめですよ」とアリッサは注意をした。 「ライスフィールさんは、今まで無理をし過ぎているんです。たぶん疲れが出ただけだと思いますが、体を休められるときには休めてくださいね。モンベルトに帰ったら、もっと大変なことになるんですよね? こちらのお医者様に見ていただいたらいかがですか?」 「ですが、少し楽になったような気がします。もう少し様子を見てみようと思います」  そう答えながら、ライスフィールは何度もつばを飲み込んだ。  戦いが長引くに従い、戦いは次第にヘルクレズが優勢になってきた。お互い相手の動きになれたことで、実力差が表に出始めていたのだ。ただ実力差と言っても、それは紙一重の違いでしかないものだ。だからほんのわずかな油断、そして予期せぬ出来事次第ではひっくりかえってしまう程度のものだった。 「さすがに強いな……」  デバイスもカムイも使わずに、これほどまでの実力を示している。その事実に、カイトは目を見張ることになった。そしてまだまだ、自分の未熟さを知ったのである。銀河最強と言われていたのも、そのほとんどがデバイスの力だったのだ。そして今でも、自分はパワーアップしたザリアに助けられていたのだ。強化の魔法が掛けられているとは言え、とても信じられることではなかったのだ。 「ああ、おっさんは俺たちの中で最強だ。さすがの俺でも、おっさん相手じゃあそこまでねばれねぇな。その意味で、筆頭さんも並じゃないだろう」  ガッズにしてみれば、あそこまでヘルクレズに食い下がれる相手がいることの方が驚きだった。そしてそれを突きつけられたことで、宇宙は広いと改めて思い知らされたのだ。 「まあ、相手が同じ土俵で戦ってくれてるからだろうがな」  伝え聞くカムイの力は、空を駆け星を砕くとされていたのだ。それに比べれば、自分たちの力などたかが知れている。アズマノミヤに現れた宇宙怪獣にしても、叩きのめすには大きすぎたのだ。 「だが、あれはあれでカムイの全力だぞ。そしてそこから先は、お互いの技量ってことになるんだ。だから、本当にすごいと思えてしまうんだよ」 「俺たちを伸した男が、それを言うのか?」  口元を歪めたガッズに、「ザリアの力だ」とカイトは苦笑した。 「ザリアがいなければ、俺はきちがい帽子屋にも歯が立たないんだよ」 「だけど、誰でもデバイスを使える訳じゃねぇんだろう? だったら、それはあんたの力なんだよ」  そう言うことだと笑い、ガッズは再びヘルクレズの戦いへと視線を向けた。お互い一歩も引かない戦いなのだが、そろそろ決着がつきそうな気配があった。 「この戦い、ヘルクレズの勝ちか?」 「ああ、このままならおっさんの勝ちだろうな」  ガッズがそう答えた時、ヘルクレズの棍棒が高く振り上げられた。ほんの僅かモルドレードの体勢が崩れたのを見逃さなかったのだ。だが振り下ろされた棍棒を、モルドレードは渾身の力で受け止めた。体勢は乱れこそしたが、そこから立て直すのも10剣聖筆頭の力だった。  そして今まで以上の力で両者がぶつかり合ったその時、唐突に戦いの終わりが訪れた。それまでヘルクレズの強力に耐えてきた棍棒が、巨大な力に耐えきれなくなったのだ。まるで発泡スチロールの棒が折れるかのように、あっさりと手元からちぎれ飛んでくれた。 「勝負あった。勝者、モルドレード!」  すかさず上がったカナデ皇の声から少し遅れ、観客達から大きな歓声が上がった。そして枷を切ったかのように押し寄せた剣士たちは、称賛の言葉を口にしながらヘルクレズの所に集まった。 「ふん、誰が勝者なのか皆知っておると言うことだ」  その集まりからはじき出されたモルドレードは、ヘルクレズに頭を下げてその場を離れた。そしてカナデ皇の前に行き、「申し訳ない」と謝った。 それを「許す」の一言で許したカナデ皇は、「凄いな」と心からの勝算を口にした。 「はっ、カムイも持たぬ相手に圧倒されてしまいました。武器さえ対等であれば、敗者は私でしたでしょう」 「モンベルトの低い技術では、あれが精一杯と言うことだ。そこで、われに恥を掻かせたお前に命ずる」  そう言ってモルドレードを見たカナデ皇は、「最高の武器を用意せよ」と命じた。 「あの者に相応しい武器を用意してやれ。死力の限りを尽くしたお前なら、それが可能なことだろう」 「御意、さっそく用意いたしましょうぞ」  深々と頭を下げたモルドレードは、「失礼」と言って自分の居場所へと戻っていった。それを笑みで送ったカナデ皇は、大きく息を吸い込み「皆の者!」と大きな声を上げた。 「ヘルクレズ殿、ガッズ殿は1週間ほどこちらに滞在されると言うことだ。己の技量を磨きたいものは、遠慮はいらぬ、正々堂々と挑んで見せよ。ガッズ殿の実力は、10剣聖が一人ニムレスが保証するであろう」  以上だと声を上げ、カナデ皇はさっさとその場を離れてくれた。もはや皇の面前ではないので、自由にやっていいと言うのである。そしてカナデ皇が下がったのに合わせ、その場に大量の食い物と酒が用意された。強き者達が語り合うには、酒と食い物が必要なのだ。  カナデ皇が下がったのに合わせ、トラスティはアリッサとエイシャ、そしてライスフィールを連れて控えの間へと向かった。ちなみにカイトは、剣士たちの肴としておいてきていた。ザリアが付いている以上、大抵のことなら心配する必要も無かったのだ。  控室を前に、一向は「こちらへ来い」とカナデ皇に奥の間へと招待された。公式の場ではしにくい話を、こうして別席を設けてしようというのである。その場でトラスティに連れられたアリッサを見て、カナデ皇は「なるほどな」と納得した顔をした。 「うちの娘とは少ししか違わんだろう……と言ってやろうと思ったのだが。こうしてみると、うちの娘では歯が立たないな。ひねくれ者が惚れるのも、お前を見れば納得出来る」 「トラスティさんって、やっぱりひねくれ者なんですか?」  そこでため息を吐いたのは、他人から聞かされる評判がろくなものがなかったからだ。どうしてこんな人を好きになってしまったのか。皇帝にまで言われると、つい疑問を感じてしまう。 「ああ、ひねくれ者だし、ペテン師でもあるな。いやいや、これだとけなしているばかりか。そうだな、褒めるとすれば、そうだな、ずる賢いと言う所だろう。ああ、得体が知れないと言うのもあるな」 「どれ一つとして、褒めていないと思います」  はあっと大きく息を吐き出したアリッサに、「半分は冗談だ」とカナデ皇は笑った。つまり、残りの半分は正直な気持ちと言うことになる。 「でも、半分は当たっているんですよね」  もう一度ため息を吐いたアリッサに、気にするなとカナデ皇は笑った。 「悪人と分かっていても、それでも女を惚れさせてしまう極悪人だ。何しろ世間知らずの皇女を惚れさせただけでなく、3人子持ちの皇帝まで惚れさせたのだからな。極悪人も、そこまで突き抜ければ大したものだ」 「おい、人のことを極悪人と決めつけるなっ!」  すかさず入った文句に、「事実だ」とカナデ皇は言い返した。 「ここに来た時、お前、女は初めてじゃなかったよな。ライマール共和国や、シルバニア帝国ではどんな悪さをしてきたんだ? それとも、ジャイアントスターで男にしてもらったのか?」 「全部、時効だ」  トラスティの答えに、おいおいとカナデ皇は呆れて見せた。 「時効かどうか分からぬが、何人女を泣かせてきたのだ。まったく、どうやったらこんな男を惚れさせることが出来るんだ?」  のうと顔を見られたアリッサは、とても複雑な表情をしてカナデ皇の顔を見た。色々と回り道と寄り道をしてくれたが、多分自分のことを褒めてくれているのだろう。ただその前に付いてきたトラスティの悪事に、喜んではいられないと思えてしまったのだ。こんなことなら、クンツァイトの第二夫人の方が良かったのか。真剣に連絡をしようかと思ったほどだ。  そんなアリッサの事情を気にせず、カナデ皇はにやりと口元を歪めトラスティを見た。 「そんなお前に耳寄りな情報だ。エスデニア最高評議会議長のラピスラズリは、金髪碧眼をしたたぐいまれなる美女と言うことだ。ただ性格に問題があるので、いい年をして処女だそうだ。この後アスに行くのなら、人助けだと思って女にしてやれ」 「どうして、それが人助けになるのか疑問だよ……それに、どうして僕が責められなくちゃいけないんだ?」  おかしいだろうとの苦情に、「お前が悪い」とカナデ皇は開き直った。そして傍らにあった肉の塊を手でつかみ、凶悪な歯で噛み切ってくれた。それでも文句を言うトラスティを無視し、「ライスフィール殿」とカナデ皇は具合の悪そうなライスフィールに声を掛けた。 「どうもお疲れの様子に見える。1週間と言わず、もう少し休まれていかれても良いのだぞ」  勝手に1週間と言っておいて、もっと伸ばせと言っているのだ。つくづく我儘なのは、やはり皇帝と言う立場からだろうか。 「いえ、ご配慮には感謝いたします。ただ、祖国は私の戻りを待っていてくれます。一日も早く、良い知らせを持って帰りたいと思っております」  だから期間延長などもってのほか。ライスフィールは、やんわりと断りを入れた。そしてカナデ皇の言葉を利用し、この場を退出することにした。 「ですが、体調がすぐれないのも確かです。まことに心苦しいのですが、退出することをお許しください」 「ああ、安心して疲れが出たのであろう。われに気を使う必要はないぞ。われなら、アリッサ殿、エイシャ殿と楽しく話をさせて貰おう」  皇帝と市井の女性が、どうやったら楽しくお話をすることが出来るのか。疑問しかないカナデ皇の言葉なのだが、ライスフィールはありがたくそのまま受け取ることにした。そして「失礼しました」と頭を下げて、宴の場となった奥の間を出て行った。  それを見送ったカナデ皇は、「さて」と言ってアリッサ達に真面目な顔を向けた。 「医者たちには、口裏を合わせるよう指示してある。それでトラスティよ、これから種付けに行くのか?」 「ザリアの細工が有効なら、そうするところだろうね」  そこでライスフィールが出て行った扉を見て、「急ぐ必要はないよ」とカナデ皇の顔を見た。 「もう少し、気持ちが落ち着いた所がいい。騒がしい所から一人になれば、どうしてもいろいろと考えることになるからね」  トラスティの答えに頷いたカナデ皇は、「言った通りだろう?」とアリッサの顔を見た。 「でも、女たらしとは先ほど言っていませんよ」 「んっ、いろいろあり過ぎて言うのを忘れたか?」  指を折って数えたカナデ皇は、「小さなことだ」と笑い飛ばした。 「そう言うことだ、この女たらし。協力してやるから、ちゃんと奉仕をしていけ」 「奉仕って?」  いきなり何をと訝ったトラスティに、「奉仕は奉仕だ」とカナデ皇は口元をにやけさせた。そして入ってきたミサオを見て、「揃ったな」とアリッサに向けて頷いた。 「さて、われら4人相手に頑張って貰おうか」  4人と言うカナデ皇に、「ちょっと待て」と同時に二か所から声が上がった。ちなみにその一つは、多大なる労力を使うトラスティである。そしてもう一人が、なぜか数に入れられたエイシャだった。 「どうして、俺まで数に入っているんだ? 一応、これでもほかに恋人がいるんだぞ!」  恋人を裏切るのは良くないと、エイシャは正論に聞こえる言葉を口にした。だがその正論は、その恋人の特殊事情を持ち出したアリッサの前に粉砕された。 「アパガンサスさん達を見てそれを言います? 確か夫婦関係に安穏として、他の女性に相手にされないのは問題だと言う話でしたよね。それって、男女を入れ替えても同じことなんですよね? きっとジュリアンさんも、喜んでくれると思いますよ」  だからと、アリッサはミサオに目配せをした。体力無し根性無しの自分では無理だが、「ゴリラ」のミサオならば簡単にエイシャを制圧出来る。そしてアリッサの期待通り、ミサオは片手でエイシャを捕まえてくれた。 「たまには、エイシャさんも襲われる側になるのもいいと思いますよ。しかも皇帝聖下、皇女殿下とご一緒出来るんですよ。光栄なことだと思って喜ばなくては」 「あーっ、僕の意思はどこにあるのかな?」  カナデ皇とミサオがいる限り、この場を逃げ出すことは不可能なのは分かっていた。それでも、恋人のいる女性にまで手を出そうとは思っていなかった。ただそれは、無駄な抵抗でしかなかったようだ。 「私のお願いでも、だめですか?」  そこで目を潤ませたアリッサに、強力なお願い攻撃を受けてしまった。とことんアリッサのお願いに弱いこともあり、トラスティは仕方がないとため息を吐いた。 「まあ、そう言うことだから……」 「な、なんで、簡単に納得するんだ!」  じたばたと暴れても、エイシャを捕まえているのは「ゴリラ」と言われる皇女である。普通の人間であるエイシャに、逃れるすべはなかったのだ。 「大丈夫。悪いようにはしない……つもりだから。お互い、諦めが肝心だと思うよ」  だからと、トラスティは逃げようとしたエイシャに口づけをした。ゆっくりと、そして念入りに口づけをした後、ドレスの胸元からとても控えめな胸に手を伸ばした。もうミサオは捕まえていなかったが、それでもエイシャは逃げられなくなっていた。  「まあ、いいか」とエイシャが思ったのも、その理由だった。  女性4人相手に多大なる努力をしたトラスティは、疲れたと言って大きく伸びをした。部屋の中を見れば、3人の女性が満足げに眠っているのが見える。そしてもう一人の女性は、まだ興奮が冷めやらないように傍らで大きく息をしていた。 「あんた、見た目に似合わず化け物なんだな……」  最後まで残ったのは、なぜかエイシャだった。落ちていた誰かのドレスで胸を隠し、エイシャは上体を起き上がらせた。 「なんか、その言われ方は嫌だなぁ。まあ、何を言いたいのかは理解出来るけど。ただね、君がカナデ皇達よりタフだとは思わなかったよ。しかも最初は嫌がっていたのに、途中からは積極的だったね」 「まあ、そのあたりは開き直りだな。それに、思った以上にあんたが良かったってのもあるかな。ジュリアン大佐は紳士だけど、あんたは意外に野獣だったしな」  あははと笑ったエイシャに、「確かにね」とトラスティは顔を引き攣らせた。 「この人たち相手に紳士にしていたら、物足りないって怒られることになるんだよ。だから体力のないアリッサには、優しくしていただろう?」  つまりエイシャは、リゲル帝国の二人と同じ扱いだったと言うことだ。それでもこうして起きている所を見ると、別の意味で体力があるのかもしれない。 「あんた、アリッサで満足できているのか?」  その質問は、とても無邪気で答えに困るものである。そしてトラスティははっきりと困った顔をした。 「答えに困る質問だね。確かに彼女は、体力無し……なんだけどね。まあ、そっちは少しずつ直している所だよ。満足しているかと言われると、これで意外に満足していたりするんだよ」  優しい顔をしたトラスティに、「なるほど」とエイシャは納得をした。 「あんた、本当にアリッサのことを愛しているんだな」 「それを否定するつもりはないよ。彼女はね、存在自体が愛らしいんだ」  のろけとも言えるトラスティの言葉に、「意外に誠実だな」とエイシャは彼を評していた。そして「誠実」な相手に対して、「ライスフィールは」ともう一人の女性の名を挙げた。 「あんたが帰った後に、もう一度ブケ島に行ったんだよ。ばれていないつもりなんだろうが、俺の隣で何度もお前の名をつぶやいていたよ。それはもう、女の俺でもぐっとくるような顔をしてな」  だからと、エイシャは真剣なまなざしでトラスティを見つめた。 「俺は、アリッサの親友のつもりだ。だから、あいつが悲しむようなことはしたくない。あいつはな、嬉しそうに笑ってるのが一番綺麗なんだよ。あんたと逢って、あいつは前よりも綺麗になったんだ。だから俺はあんたとのことに反対をしていなかった」  自分の気持ちを吐き出したエイシャの言葉を、トラスティは黙って聞いていた。 「ライスフィールもな、アリッサと似たようなところがあるな。初めて見たあいつは、物凄く尖っていたよ。たぶん、アリッサのことも敵だと思っていたんだろうな。まあ、あいつの一言で悲願達成を邪魔されたんだから、そう思っても仕方がないんだろう。だけど、時間とともにいい顔をするようになってきたんだよ。俺たちに対する態度も、ずっと自然なものに変わってきた。年相応って言っていいのかな、可愛らしい顔もするようになったよ。そしてパガニアから謝罪を引き出した日、あいつは恋する乙女になっていたな。アリッサのことがあるのに、応援してやりたい気持ちになったぐらいだ。それぐらいあいつは、あんたに一途になっていた……」  その時のことを思い出したエイシャは、とても優しい顔をしていた。 「あんたとデートに行く時、本当に嬉しそうにしていたのを覚えてる。だがなぁ、あんたが帰った後、あいつから本当の笑顔が消えちまった。それだけあいつに掛かっている責任が重いのは分かってるが、それでも何とかしてやりたいと思うじゃないか。ただ、俺の力じゃあ何も出来ないんだよ。あんたに、期待するしかないんだよ。だから、トラスティさん、ライスフィールのことを助けてやってくれ」 「ずいぶんと、僕のことを買い被ってくれているんだね」  いつものすかしたような態度ではなく、トラスティは真摯にエイシャと向き合った。 「ああ、あんたなら、アリッサとライスフィール、二人を同時に幸せにしてくれると思っているからな。こんなこと、普通の男には無理な相談だ。あんたぐらいのペテン師でもないと、絶対に無理だと思っている」  だから頼むと、エイシャは胸元を隠したまま頭を下げた。 「ペテン師はやめてもらいたいんだけどなぁ……まあ、君の言いたいことは分かるよ。どう考えても、モンベルトに手を出した時点で、泥沼にはまるのは目に見えているからね。正攻法で行ったら、たぶんにっちもさっちもいかないことになるだろうね。と偉そうに言った僕でも、モンベルトをどうしたらいいのかは分かっていないんだ。はったりは得意なんだけど、地道な作業ってのはどうも苦手でね」  そう言って、トラスティはエイシャの隣に座った。 「誰か、ちゃんと学のある人を味方に付けないとどうにもならない。僕のはったり……ペテンでいいかな、それが実現出来るか正しく判断してくれる人が必要なんだよ」  ふうっと息を吐いたトラスティは、胸元を隠していたエイシャの手に触れた。そしてその手をゆっくりと下におろし、彼女の控えめな胸をあらわにした。 「たぶん、これをあっちにするぐらいの難しさはあるはずだ」  そう言って、トラスティは唇でエイシャをを攻め立てた。敏感な部分を触れられ、エイシャ「あっ」と声を漏らした。 「ずいぶんと酷いことを言っているのを分かってるのか?」 「あるがままを受け入れられれば、問題をすり替えることは出来るんだよ」  そう答え、愛撫を続けたままエイシャをゆっくりとソファーに押し倒した。  女性たち4人を残して部屋を出たのは、結局あたりが暗くなってからになってしまった。時間を置くと言う意味では都合は良かったのだが、それでも過ぎたかなとトラスティは反省していた。意外にエイシャが良かったと言うのも、遅くなってしまった理由だった。  そしてシャワーを浴びて着替えたトラスティは、大広間の様子を見てからライスフィールの部屋に向かうことにした。ただ混乱を極めた大広間の様子に、「見るんじゃなかった」と酷い後悔を覚えたのは確かだった。見目麗しい女性を相手にした後、むさくるしい巨漢どもがマグロになっているのを見るのは拷問だったのだ。しかも男同士抱き合っているのもいるから、なおさらトラスティにはおぞましく見えた。 「兄さんは……」  そこでカイトを探したトラスティは、女剣士にサンドイッチになったカイトを見つけた。もちろん、サンドイッチにした方を含め、誰一人として何も身に着けていなかった。 「うわぁ〜、ひくなぁこれは」  酒臭すぎるので、思わずトラスティは鼻のあたりを手で押さえた。そして早々に、その場から逃げ出していた。ちなみにヘルクレズとガッズの二人は、まだ元気に酒を呷っていた。どうやら、そちらの方でも強力無双だったのだろう。何人かの女性剣士が、彼らの周りに裸で転がっていた。  そうして大広間を抜けたトラスティは、勝手知ったる皇宮の中を歩いた。皇帝、皇女の男と言うのは、リゲル帝国の中では非常に立場の強いものになる。そのため彼と顔を合わせた者は、一人の例外もなく深々とお辞儀をした。それに片手をあげて応え、客を泊める区画へと入っていった。そして気配を探り、中を確認もせずに扉を開けて入っていった。 「どうやら、起きてはいるようだな」  次の間から中を窺ってみると、ベッドに寝転がっているライスフィールを見つけることができた。具合が悪いとカナデ皇が言う通り、ちらりと見えた顔色はあまりよろしくないようだった。さすがはザリアと感心しながら、トラスティはライスフィールの寝ている部屋へと入っていった。そこで「近寄らないで!」と言う、ありったけの大声で迎えられたのである。 「おいおい。、愛し合った間柄なのに、ずいぶんな言いようだね!」  口元をにやけさせたトラスティに、ライスフィールは「近寄らないで!」と繰り返した。 「あれは、もう終わったことです。少なくとも、私の中では終わったことです。私は、祖国に帰り結婚することが決まっている身なんです!」  「だから近寄らないで」とライスフィールは必死に訴えた。 「でも、国に帰れば誰にでも体を許すんだろう? だったら、ここで同じことをしてもいいじゃないか」  モンベルトの習慣を持ち出され、ライスフィールはつい言葉に詰まってしまった。これから大勢の男たちが、自分の体を貪ることになるのだろう。そのうちの一人と考えれば、確かに気にする必要などなかったのだ。だがライスフィールには、他の男と同じに見ることはできなかった。 「あ、あなただけはだめです」  理屈も何もなく、ただライスフィールは悲痛な声でトラスティを否定した。 「酷いなぁ、これでも君の恩人のはずなんだけどな」 「それでも、それだから絶対にだめです。だめなんです!」  今にも泣きだしそうな顔をして、「近寄らないで」とライスフィールは叫んだ。だがトラスティは、その言葉に耳を貸さなかった。ゆっくりと近づき、ライスフィールが寝ていたベッドの脇に立った。 「お願いだからそれ以上近寄らないで。お願いだから、私を壊さないで……お願いだから」  「お願い」を繰り返したライスフィールに、トラスティは冷たく「だめだ」と返した。 「君のお願いでも、それだけは聞くことは出来ないよ」  そう言って、トラスティはベッドに腰を下ろした。ベッドから逃げようとしたライスフィールだったが、右手をしっかりと捕まえられてしまった。 「ヘルクレズ、ガッズ、助けて……」  弱弱しい声で助けを求めるライスフィールに、「彼らは来ない」とトラスティは告げた。 「これが、君の為と言うのを彼らは知っているんだ。だから、いくら呼んでも彼らは来ない。ニムレスも、カイト兄さんも君を助けには来ない……違うな、君を助ける邪魔をしに来ない」  力いっぱい抗うライスフィールは、「絶対にだめ」と悲痛な声を上げた。 「あなたに抱かれたら、もう我慢が出来なくなってしまう。せっかくした覚悟が、全部だめになってしまうんです! だから、お願い、この手を放して……」  いやいやをするライスフィールの手を引き、その華奢な体をその胸に抱きしめた。それでもライスフィールは暴れたのだが、そのままベッドに押し倒して強引に唇を重ねた。  必死にトラスティを振り払おうとするのだが、それ以上の力で押さえつけられてしまった。着ていたドレスはすでにはだけ、ささやかな胸が冷たい空気にさらけ出されていた。 「お願い、もう、私を許して……私を壊さないで。あなたに抱かれてしまったら、モンベルトに帰ることができなくなる」  お願いだからと吐き出したその口から、「あっ」と言う甘い声が漏れ出していた。トラスティの唇が、小さな蕾を捕えたのである。そして右手は、レースのショーツの中に忍び込んでいた。 「わ、私を……壊さないで。お願いだから……許して」  必死で拒絶しようとしても、体に刻まれた愛された記憶は消せない。自分を守るように体を丸めようとしたのだが、逆にお尻を持ち上げるような体勢にされてしまった。 「やめて……お願いだから」 「そのお願いを聞く訳にはいかないんだ。君を一人にする訳にはいかないんだ」  「愛してるよ」そう耳元で囁き、トラスティはライスフィールの背中に覆いかぶさっていった。  一方的な形で始まった交わりは、ライスフィールが何度目かの絶頂を迎えたことで終わりとなった。少し肌寒い空気の中、ライスフィールは仰向けにベッドに横たわっていた。彼女を隠すためのシーツは床に落ち、白い光にライスフィールの体は照らし出されていた。その白い体ははっきりと紅潮し、玉のような汗が胸元に浮かんでいた。 「これで、辻褄合わせはできたのかな?」  そう呟き、トラスティは寝ているライスフィールの下腹部に手を当てた。ザリアの言葉が正しければ、これで確実に受胎するはずなのだ。あとは手筈通りに妊娠を告げ、王宮の慣習から守ってやればいい。少なくとも、これで1ヤー近くの時間が稼げるはずだ。  子供の生まれにくいモンベルトだからこそ、胎児の安全は最優先にされなければいけない。通常モンベルトでは、複数の男性と交わるため父親が誰かは分からないようになっていた。だから母親が誰かが大きな意味を占めることになる。その意味で、ライスフィールの子供と言うのは非常に大きな意味を持つことになる。  床に落ちたシーツを掛けるのは可哀そうと、トラスティは女官に新しいシーツを持ってこさせた。もちろん、しどけない恰好のライスフィールを人目にさらすようなまねはしない。入り口でシーツを受け取り、起こさないように気を付けて掛けてあげた。 「明日の朝まで一緒にいてあげないと可哀そうだな」  このまま一人で目を覚ませば、酷い孤独感に苛まれることになるだろう。一度着た服を脱いで、トラスティは、ライスフィールの隣に潜り込んだ。そして彼女を守るように、自分の胸へと抱き寄せたのである。  ここリゲル帝国でも、忠実な情報妖精はその役目をしっかりと果たしてくれた。つまり、日課となったモーニングコールをしてくれたのである。あまりの心地よさに起きたくないと思ったライスフィールだが、恥ずかしい真似は出来ないと誘惑に打ち勝ち目を開いた。そして目を開いた所で、盛大に驚くことになった。  一人で寝た……と言うことは絶対にないのは分かっていたが、まさかトラスティが一緒に寝ているとは思ってもみなかったのだ。それなのに、目覚めた時に彼の顔が目の前にあったのだ。しかも自分は、しっかりと抱きとめられているではないか。せっかく目を覚ましたのに、これ以上ないほど頭に血が上ってしまった。 「あなたは、私を守ってくれるのですか?」  愛していると言ってくれたし、守ってくれると言ってくれたのも覚えている。その言葉を聞かされた時、本当にライスフィールは泣いてしまった。モンベルトの王女など、女として面倒極まりないと分かっていたのだ。とにかく自分についてくるモンベルトは、厄介極まりない土地でしかない。これ以上ない面倒を抱え込むことを考えたら、普通は手を出そうとは思わないだろう。そして自分には、その面倒を超える価値などないと思っていた。  それなのに、この男はすべてを知った上で「愛している」と言ってくれたのだ。それだけで十分だと思えるほど、心は今までになく満ち足りていた。  よほど疲れていたのか、ライスフィールが起きてもトラスティは目を覚まさなかった。それに安堵したライスフィールは、慎重にトラスティの腕の中から抜け出した。そして一糸まとわぬ姿でベッド脇に立つと、テーブルに置いてあった杖を手に持った。これから先、時間を掛けたらトラスティが起きてしまう恐れがあったのだ。 「夜を司るミネリアの女神よ。この者に、安らかなる眠りを与えたまえ」  一度杖を振り上げたライスフィールは、眠りの呪文を口にした。 「ラス、ミネリア、アハト、フリドム……」  くるくると杖の先は円を描き、それに合わせて光の粒がトラスティの頭に降り注いだ。  呪文の長さは、掛ける魔法の強さに関わってくる。呪文が長いと言うことは、それだけライスフィールは強力な魔法を掛けたことになる。そして長い呪文を唱え終われば、後は魔法の仕上げをするだけである。万感の思いを込め、ライスフィールは仕上げに取り掛かった。 「アレ、トラスティ、アレ、アレ、アレッ」  最後に杖を振り上げた所で、眠りの呪文は完成である。そのままの姿で動きを止めたライスフィールは、上を向いて流れ出る涙をこらえた。だが漏れ出る嗚咽までは抑えることはできず、ライスフィールは左手で口元を押さえた。  情事の名残を、朝の光は隠すことなく浮かび上がらせてくれる。太ももに伝う白い液体は、昨夜愛された名残である。普段ならすぐにシャワーで洗い流すところなのだが、ライスフィールは固まったまま動くことはできなかった。光の中に浮かび上がる白い裸体は、淫靡さではなく清冽な美しさを示していた。  それからいったいどれだけの時間が過ぎたことだろうか。時間の感覚がなくなった所で、ライスフィールは上げていた杖を下ろした。そしてその杖をベッドサイドのテーブルに置き、裸のまま備え付けのシャワールームへと入っていった。  ゆっくりとシャワーを浴びたライスフィールは、グリーンのワンピースに着替えてベッドルームに戻ってきた。そしてベッドに寝ているトラスティの様子が変わらないことに安堵した。自分の掛けた魔法は、禁呪以外では最強と言われる強いものだった。これでトラスティは、最低一週間は何をしても目を覚ますことはない。そして目を覚ました時には、自分はアークトゥルスを後にしているはずだ。 「アリッサお姉さまを大切にしてくださいね」  優しい顔で語りかけたライスフィールは、しばらくトラスティの顔を見つめてから、着替えのためにクローゼットへ行った。ここから先は、何をしてもトラスティは目を覚ますことはない。無駄な努力をしないよう、ちゃんとみんなに話をしなければいけないのだと。ここから先、アリッサの為にも彼を巻き込んではいけないと考えていた。 「ですが、この気怠さだけはどうにかしないといけませんね。やはり、一度お医者様に見ていただいた方が良さそうですね」  これから向かうモンベルトの医療技術は、比較をするのが悲しくなるほど遅れているのだ。それを考えれば、ここにいる間に出来るだけのことをしておく必要がある。朝食の後に医者に診て貰おう。そう考えながら、ライスフィールはトラスティを封じた部屋を出て行った。  ライスフィールが出て行ったことで、部屋の中に動くものは無くなった。それはベッドの上のトラスティも例外ではなく、息をしているのかと疑いたくなるほど胸の動きがなかったのである。  ライスフィールの掛けた強力な魔法は、時の流れを遅行させる効果も合わせ持っていた。それを解除しない限り、何をしても効果が出るまでに1週間以上掛かってしまうことになる。だから彼女が出発するまで、トラスティが目覚めることはないはずだった。  だがライスフィールが消えて5分ほど経った所で、トラスティの寝ているベッドサイドに一人の女性が現れた。エメラルド色をしたドレスを纏った女性は、長い黒髪と緑色の瞳をしていた。どこかロレンシアに似ているのだが、受ける印象はさらに女らしく、そして鋭利なものを持っていた。ただ、それ以上に人の目を奪う美しさを持っていた。  突然湧いて現れたとしか思えない女性は、寝ているトラスティに優しい眼差しを向けた。そして流れる黒髪を持ち上げるようにして、ゆっくりと自分の顔をトラスティに近づけた。 「わが君、目を覚ましてくださいな」  そう小さく呟き、少し開かれた唇に自分の唇を重ねた。舌を絡めることもない、ただ触れ合うだけの口づけだった。それを1分ほど続けたところで、ゆっくりと離れて行った。 「名残惜しいのですが、今はまだお目にかかる訳にはまいりませんね」  「愛しています」と囁き、その女性の姿は唐突に消失した。そしてそれに合わせて、トラスティの瞼が痙攣を始めた。動きを見せなかった胸も大きく上下に動き始めていた。  ライスフィールが通りかかった時には、大広間は昨日の名残を残していなかった。すでに片づけも終わったのか、広間の中には人っ子一人見当たらなかった。それを横目に食堂に向かったライスフィールは、偶然アリッサ達と顔を合わすことになった。その時アリッサは、ピンクのニットシャツにグレーのパンツを履いていた。一方エイシャは、同じくピンクのニットシャツに、グレーのパンツを合わせていた。背丈は似ている二人だが、ニットシャツのお蔭で胸元の違いが目立っていた。 「おはようございます、アリッサさん、エイシャさん」  少し落ち着いた、そして明るくなったライスフィールに、二人はうまくいったのだと安堵した。ただそのことを口に出さず、「お体の具合は?」とライスフィールの健康を問題とした。 「やはり、体のだるさを感じます。ですから、朝食の後にお医者様に見ていただこうと思っています」 「そうですね。これからが大変ですから、今のうちにしっかり治しておいた方がいいと思います」  言葉の端々、そして態度から、悲壮な覚悟が伺えなくなっていた。本当に解決したのだと考えた二人だったが、それは歩きながら話すことではないだろう。朝食の時にでもからかってやろう、二人は顔を見合わせて口元をにやけさせたのである。  二人の様子を見れば、何を考えているのかぐらいは理解出来る。だからライスフィールは、二人に調子を合わせることにした。 「今日の予定はどうなっているのでしょうか?」 「特にない……と言うのが、私たちの予定ですね。どちらかと言えば、皆さんお兄さまとヘルクレズさん達に用があるみたいですよ」  昨日の宴会がどうなったのか知らないので、アリッサの様子はお気楽なものだった。ただライスフィールも実態を知らないので、「彼らにはいい経験です」と頷いた。 「一日でも早く出発したい気持ちが強いのですが……私も体調を万全に整えておく必要がありますしね。皇帝聖下のお言葉に甘えて、体を静養しようと思っています」 「その間に、モンベルトをどうするのか考えるのですね」  本当に体の静養になるとは思っていなかったが、アリッサはライスフィールの言葉に合わせた。  そうやって歩いて食堂に入ったら、なぜか疲れた顔をしたカイトに会った。白い半そでシャツに、よれたベージュのズボンを履いたカイトは、テーブルに肘をついて頭を押さえていた。明らかに頬のこけたカイトに、「どうしたのですか?」とアリッサは心配そうに声を掛けた。 「いや、今朝気が付いたら大広間で寝ていたんだ……まだ酒が抜けていないんだが、食っておかないとさらに酷くなりそうでな」  そう言うことだと言って、カイトはこめかみの辺りを指で押さえた。 「酔い覚ましの薬がありますけど、後でお持ちしましょうか?」 「いや、それなら俺も持っている。ただ、薬を飲んでようやくここまで回復した……と言う所だ」  相変わらずこめかみを押さえるカイトに、いったいどれだけ飲んだのだろうとアリッサは呆れていた。 「それで、ヘルクレズさんとガッズさんのお二人は?」 「ああ、あの化け物達か……」  手元にあった水を飲み、「たぶん」と言って遠くを見る目をした。 「今頃、どこかで汗を流しているんじゃないのか? 俺が目を覚ました時には、あの二人の姿は大広間にはなかったな。昨日も、一体どこまで飲んでいたのやら」  凄すぎると小さく呟き、カイトはもう一度水を飲んだ。そして目の前に置かれたスプーンを手に取り、具の入っていないスープを掬った。ただ掬いはしたが、すぐには口に運ぼうとはしなかった。  そしてカイトと同じテーブルに着いた3人は、近づいてきたエプロン姿の側仕えの女性に朝食をオーダーした。3人の線の細さを観察した側仕えは、リゲル帝国標準でおやつにもならない量の朝食を運んできた。ちなみに3人の前には、山盛りになった固そうなパンと、少しだけ野菜の浮いた薄茶色をしたスープ、そして肉らしき物体の塊を置いてくれた。それから少し遅れて、フルーツの山盛りになったワゴンを置いて行ってくれた。 「こんな量……誰が食べるのでしょうね?」  最初にオレンジの様なフルーツに手を伸ばしたアリッサは、「酸っぱい」と言ってごみ箱に捨てた。ただ同じフルーツに手を伸ばしたライスフィールは、「そうですか?」と言って二つ目に手を伸ばした。 「口の中がさっぱりしておいしいと思いますよ?」 「ええっ、私には酸っぱすぎるんだけど……エイシャさんはどうです?」  どうして自分を巻き添えにする。そんな疑問を感じながら、エイシャも同じフルーツを手に取った。ジェイドで食べるオレンジよりは少し小ぶりで、そして色ももっと明るい黄色をしていた。 「うん、これはかなり酸っぱいな。口の中がさっぱりする……と言うより、なんかなぁ、きゅっとしまるような気がしたよ。俺は、こっちの方がいいな」  そう言ったエイシャは、肉の塊にナイフを入れた。そして女性用としては少し大きな塊を切り出した。 「この手の味は、昨日試しているからな。まあ、塩コショウが効いているから、それなりにおいしいぞ」  肉をかじったエイシャは、スプーンでスープを掬った。 「おいおい、いくらおいしいからってフルーツばかりじゃ駄目だろう」  先ほどから同じフルーツに手を伸ばすライスフィールに、エイシャは駄目だろうと注意をした。 「ですが、何か他の物を食べたいと言う気持ちにならなくて……ただ、こればかりでだめなのは確かですね」  そう答え、ライスフィールは具の少ないスープに手を伸ばした。そして塩味の利いたスープを口に含み、「おいしくないです」と苦笑した。 「パンと一緒に食べれば、まだましになると思うぞ」  そう言って、エイシャはパンが山盛りになったバスケットをライスフィールに差し出した。それに頷いたライスフィールは、丸いパンを手に取り一口大に千切った。だがそれを口に入れた所で、慌てて吐き出した。 「何か、変な味がしたのか?」  おかしいなと手に持ったパンの匂いを嗅いだエイシャに、「そう言う訳では」とライスフィールは言い訳をした。 「ただ、ちょっと気分が悪くなりましたので……」  そう答え、ライスフィールは酸っぱいフルーツに手を伸ばした。「さすがはザリア」とエイシャ達は、顔に出さずにザリアの手際を感心していた。本でしか見たことがないのだが、妊娠初期の特徴をライスフィールが示していたのだ。  ただそれは、まだ口に出して言うことじゃない。目で確認をしあった3人は、ここに顔を出していない男の話題を持ち出した。 「それで義弟……トラスティはどうしたんだ? てっきり、一緒に朝食に来ると思っていたぞ」  ようやく薬が効いてきたのか、カイトは肉の塊に手を伸ばしながら問いかけた。 「彼なら、ぐっすりと寝ていたので置いてきました。昨夜も、ずいぶんとお疲れの様でしたよ」  そう言ってライスフィールは、原因となるアリッサを見た。自分の所に現れた時間を考えれば、そこまで何をしていたぐらいは想像がついたのだ。 「そして、ライスフィールはさらに疲れることをした訳だ」  にひひと笑ったエイシャに、ライスフィールははっきりと顔を赤くした。 「そ、それを否定することはできませんが……わ、私は駄目ですと断ったんです。でも、あの人は聞いてくれなくて……」  顔を赤くして俯くライスフィールに、うまくいったのだと3人は顔を見合わせた。 「あ、朝起きた時、もう大変だったんですよ。その、足に伝ってきましたし。乾いた部分はパリパリになっていましたし……」 「あー、朝から生々しい話をしない方がいいぞぉ」  期せずして猥談に進みかけた流れに、エイシャがすかさず割り込みを掛けた。 「そ、それもそうですね。ですがアリッサお姉さま。ちゃんとあの人を捕まえておいてください。べ、別に、嫌だと言うつもりはありませんが……ですが、べ、勉強ができなくなってしまいます。せっかくお貸しいただいた資料なのに、まだほとんど手が付けられていないんですよ!」  そう言って文句を言うライスフィールを、アリッサとエイシャは「可愛いなぁ」と和やかな気持ちで見ていた。本人は精一杯文句を言っているのだろうが、真っ赤になった顔がすべてを台無しにしていたのだ。 「私達としてはそのつもりだったんですよ。でも、気が付いたらトラスティさんがいなくなってしまって」 「アリッサは、結構早めに寝ていたからなぁ……意外なことに、皇帝様、皇女様も早く落ちていたな」  あはははと笑ったエイシャに、きょとんとした目をライスフィールは向けた。「私達」と言ったアリッサの言葉も気になったのだが、やけにエイシャが事情に詳しいことがもっと気になったのだ。 「どうして、エイシャさんがそんなに事情に詳しいのですか?」  それを口に出して問うたライスフィールに、「巻き込まれた」とエイシャはあっけらかんと笑った。 「まあ、俺の恋人があんなだからな。不貞を働いたなんて、絶対に言えないだろう」 「あーっ、イスマル大佐はいざ知らず、あいつのカミさんなら自分も混ぜろと言ってくるだろうな」  同じようにあははと笑うカイトに、ライスフィールは目をぱちぱちと瞬かせた。 「それでいいのかと尋ねるのは、きっと天に唾する行為なのでしょうね」  モンベルトに比べると、関係者が揃って明るすぎるのだ。していることは似たようなことなのに、どうしてこんなに違うのかとライスフィールが疑問に感じたほどだ。 「まあ、そう言うことだな。多少無理やりって所もあったが、まあ、俺も雰囲気に流されたし……」  と言うことでと、エイシャはカイトの方をじっと見た。 「アパガンサスさんに聞いたんだが、カイトさんは凄いらしいな。せっかくだから、今晩遊びに行ってもいいか? ジュリアン大佐が言うには、遠征先の星々にガールフレンドがいたと言う話じゃないか」 「お兄さまは、真面目に職務を果たしていたのでなかったのですか?」  呆れたと言う顔をしたアリッサに、「む、昔の話だ」と焦ってカイトは言い訳をした。ここでアリッサに伝われば、それはすぐにエヴァンジェリンにも伝わることになる。このままだと、帰った時に何をされるのか知れたものではなかったのだ。 「別にいいですけど。ただ、お姉さまにはばれないようにしてくださいね。あの人、リースリットさん以外には譲るつもりはないと思いますから」 「そ、そう言うお前はいいのか!?」  慌てて言い返したカイトに、「トラスティさんは」とアリッサはため息を吐いた。 「拘ったら負けかなと言う気がしています。今は、つまらない人を相手にしていないことで、自己満足することにしています」  だってと頬を染め、アリッサは知っている名前を持ち出した。 「リゲル帝国カナデ皇でしょう。それに次の皇帝になるミサオ様、モンベルト王国王女のライスフィールさんですよ。エイシャさんはお友達枠ですから、それ以外の人は星を代表する人ばかりです。そんな人たちの中で、私を一番だと言ってくれているんです。とりあえず、それに満足しておこうかなって。たぶんこれから手を出す人も、名前を聞けば驚くような人たちばかりだと思いますから」  そう言ってアリッサがあげたのは、確かに「そうそうたる」人たちばかりだった。熱を上げているパガニア王女ロレンシアは言うに及ばず、エスデニア最高評議会議長のラピスラズリまで含まれていた。 「シルバニア帝国とライマール自由銀河同盟にも行っていますから、そこでも有名な人に手を出していそうで……たとえば、ライラ皇帝とか」 「奴の旅行記でも読んでみるか……」  多少ぼかしているとしても、そのあたりのことは書かれているだろう。ザリアにチェックさせようと、カイトは心の中で考えていた。  そんなことをカイトが考えていた時、「ところで」と言ってアリッサは厳しい所を突いてくれた。 「お兄さま。まさかとは思いますが、アマネさんに手を出してはいませんよね?」  いきなりの指摘に、カイトは口にしていたスープを吹き出した。 「な、何を言っているんだっ。か、彼女は、綺麗な体で嫁いでいっただろうっ!」 「そうやって慌てるところが疑わしいですね。ザリアさん、そのあたりはどうなんですか?」  カイトの場合、ザリアと言う証人がいてくれる。そしてザリアは、カイトに遠慮をするほど優しくないのは分かっていた。  ただ今日のザリアは、普段とは違い心ここにあらずと言う様子だった。それでも呼べば出てくるだけ律儀と言うことが出来るだろう。ちなみに今日のザリアは、金属でできた胸当てとパンツ姿……つまり局所だけを隠す鎧姿をしていた。いったい誰の趣味なのだと、小一時間問いただしてみたくなる格好である。  ただそれは、この場においてさらにわき道にそれることに違いない。「それで?」とアリッサはザリアに問いかけた。 「それで? とは?」  首を傾げたザリアに、アリッサは「お兄さまとアマネさんの関係です」と繰り返した。 「お兄さまが、アマネさんに手を出していないかと言うことです。お姉さまは、あれで結構アマネさんを気にしていたんです。お姉さまが警戒するような事実があったのか。それを教えてください」  問いを繰り返されたザリアは、「ああ」と大きく頷いた。 「主がアマネによろめいていたことはあったぞ。一頃優しくしてくれたのは、アマネだけだったからな。自分のお昼を分けてくれたり、部屋まで運んでくれたり、食事を作って持ってきてくれたこともあったぞ。アマネもまんざらではなかったようだから、「さっさと手を出してやれ」とわれも勧めてやったのだがな。意外に頑固なのか、一線を越えるようなことはなかったな」  その説明だけを聞けば、二人の間に何もなかったと言うことになる。ただぎりぎりだったと言うことも出来るのだろう。クンツァイトとの関係がもっと違うものになっていれば、アリッサはアマネを「お姉さま」と呼ぶ可能性もあったのだ。 「お姉さまと違って、とても細やかな気配りができますからね。それに、けっこういやらしい体もしていますから……優しくされていないお兄さまがとち狂っても仕方がないとは思っていましたが……」  「何もしなかったんですね」となぜかアリッサは残念そうに言ってくれた。 「ぬしが残念そうに見えるのは、われの気のせいか?」 「たぶん、気のせいじゃないと思いますよ」  そう答えたアリッサは、「別にいいですけど」といつもの口癖を言った。 「ところで、なにか気になることがあったんですか?」  アリッサの問いに、ザリアは小さく頷いた。 「ああ、ほんのわずかな時間なのだが……どこか懐かしい気配がしたのだ。しかも、われを超える莫大なエネルギーが近くにあるのを感じたのだ。ただその反応は、確かめる前に無くなってしまったがな」 「お前を超えるエネルギーだと?」  カイトがぎょっとするのも無理もないことだった。何しろザリアには、星ひとつ丸ごと吹き飛ばすだけのエネルギーが蓄積されていたのだ。しかもトラスティからは、カムイの力まで供給されている。その上フルパワーのニムレスからも、エネルギーを吸い取っていたのだ。内包するエネルギー量だけで言えば、ハウンドの保有するデバイスが束になっても敵わない位蓄積されているはずだ。  驚くカイトに、「ああ」とザリアは頷いた。 「正面からぶつかったら、今のわれでも敵わぬだろうな。ただな、どこかで知っているような気配を感じたのだが……」  そこで首を傾げたのだが、すぐに「分からん」と諦めてくれた。 「勘違いではないのだろうが、もはや痕跡すら見つけることは出来ん。もう一度現れてくれれば追いかけられるのだろうが、出てこない方が平和な気がしてならんな」  そう言うことだと締めくくられ、仕方がないとカイトは肩をすくめた。そして話を変えるように。「遅いな」と言って食堂の入り口を見た。 「あいつにしては珍しいな」 「そうですね。トラスティさんなら、こう言った時に必ず顔を出しているはずです」  おかしいですねとアリッサが首を傾げた時、「彼なら」とライスフィールは「寝ています」と口を開いた。 「だったら、そろそろ起こしてきましょう」  そう言って立ち上がったアリッサに、ライスフィールはもう一度「寝ているんです」と繰り返した。 「ええ、だから起こしに行こうと思っているんですけど?」 「それで、ミイラ取りがミイラになる訳だ」  いひひとエイシャは笑ったのだが、ライスフィールは「起きませんよ」と冷静にアリッサに告げた。 「私が眠りの魔法を掛けました。誰が何をしても1週間以上目が覚めることはありません。彼が目を覚ますのは、私がモンベルトに向けて旅立った後です」 「どうして、そんな魔法を掛けたのですか?」  目を大きく見開いたアリッサに、「彼の為です」とライスフィールは微笑んだ。 「私は、もう沢山の物を貰いました。ですから、ここから先はアリッサお姉さまとの未来を生きて欲しいと思っているんです。これほど思って貰えて、愛していると言って貰えて……本当に嬉しかったんです。だから、私は絶対に大丈夫です」  だからですと言って笑ったライスフィールからは、少しも翳りの様なものは見られなかった。 「ライスフィールさんが出発するまで起きないのですか?」 「ええ、こちらの科学でも原因は解明出来ないと思います。私の国に伝わる、禁呪と言っていいレベルの魔法を使いましたから」  だから絶対に起きないと繰り返えされ、アリッサはため息を吐いて椅子に座りなおした。そして「無駄なことを」とライスフィールを見て、もう一度ため息を吐いてくれた。 「無駄ではありません。これが、私のけじめなんです」  はっきりと言い切ったライスフィールに、はあっとアリッサは今まで以上のため息を吐いた。 「その程度で、あの人が逃がしてくれると思っているんですか? 自分の恋人を悪く言うつもりはありませんが、その程度で諦めるような人じゃありませんよ。先ほども言いましたけど、エスデニア最高評議会議長様を誑し込んででも、モンベルトまで行くような人だと私は思っています」 「その頃には、私は夫を迎え、女王に即位をしているでしょう。そして多くの男達に、この体を与えていると思います」  そう言ってほほ笑んだライスフィールは、「大丈夫です」とアリッサの目を見て答えた。 「辛いと思っていた気持ちも、今は感じなくなりました。勘違いをして欲しくないのですが、その、やけを起こしたのとは違いますからね。今は、とても満たされた気持ちになっているんです」  ライスフィールの顔を見る限り、満たされていると言うのは嘘ではないのだろう。ただそれでも、まだまだ甘いとアリッサは思っていた。 「寝ている程度だったら、ベッドに括り付けてエスデニアまで連れて行けばいいだけです。議長様を誑し込むのは、お兄さまに変わって貰えばいいでしょう。いい年をしているくせに、処女をこじらせていると言う話ですからね。そこらじゅうで手を出してきたお兄さまなら、きっとうまく誑し込んでくれますよ」  そうですよねと顔を見られ、カイトはこれ以上ないほど顔を引き攣らせてしまった。確かに協力を惜しまないとは言ったが、それがこんな方面だとは思わなかったのだ。そして「任せておけ」と胸を張るには、議長様を誑し込むと言うのは違うと思えてしまう。  だが義妹に頼られた以上、出来ないと答えるわけにはいかない。それでも答えが、「そうだな」と抑え目になったのは、せめてもの抵抗に違いないだろう。 「出発までに目を覚まさなくても、エスデニアまでに目を覚ませばいいんですからね。さもなければ、モンベルトで目を覚ませばそれで問題は解決です」  だからこちらも考えを変えない。ライスフィールの目を見返して、アリッサは豊かな胸を張った。 「でしたら、ここから動かせない魔法を掛ければいいだけのことです」  それでも譲らないライスフィールに、「無理ですよ」とアリッサは言い返した。 「こちらには、不可能を可能にするザリアもいるんです。いざとなったら、寝ている空間ごとエスデニアに運んでやります」 「どうして、お姉さまは私の決意を無にしようとするんですっ!」  いくら言っても聞かないアリッサに、ライスフィールは切れて文句を言い返した。それを余裕で受け止めたアリッサは、「私たちの問題ですから」と言ってのけた。 「そしてトラスティさんは、私のお願いを聞いてくれました」  だからですと胸を張ったアリッサに、「また邪魔をするのですか」とライスフィールはむきになって言い返した。 「ええ、気に入らないことなら、何度でも邪魔をしてあげます」  アリッサがしれっと言い返したことで、明らかにその場に険悪な空気が生まれていた。だがそれも、食堂の入り口が開くまでのことだった。何しろ眠りの魔法を掛けられたはずのトラスティが、頭を掻きながら「寝坊をしちゃった」と言って入ってきたのだ。 「そ、そんなことはあり得ません……」  魔法を失敗をするほど駆け出しではないし、効果が出ているのを確認して部屋を出てきたのだ。自然に目が覚めるにしても、間違いなく1週間以上掛かるようにしてきたはずだ。それなのに、目の前でトラスティはアリッサと抱き合ってくれた。 「でもライスフィールも酷いな。僕を起こしてくれてもいいだろう?」  そう言って自分を抱き寄せようとしたトラスティに、「どうして」とライスフィールは唇を震わせた。 「いやいや、それは僕の質問だと思うよ。どうして、僕を起こしてくれなかったんだい? 寝起きを見られるのが恥ずかしいのは分かるけど、出がけに起こしてくれてもいいと思うんだけどねぇ」  そう言って抱き寄せようとしたトラスティをはねのけ、「あなたは誰なんですっ!」とライスフィールは身構えた。 「あの人は、絶対にしばらく目が覚めるはずがないんです。だとしたら、あなたは誰か別の人じゃないと話が合いません。あなたは、一体誰なんです!」  そう言って自分から距離を取るライスフィールに、トラスティは一度目を見開いてから「はあっ」とため息を吐いた。 「誰って言われても……僕は僕でしかないよ。それを証明しろと言われても……なぁ」  困ったようにアリッサを見て、「何かある?」と問いかけた。 「シルバニアとライマールで、誰を誑かしてきたかを教えてあげればいいと思います」 「それが、答えになると思うのはどうかしていると思うけど……一応、時効だと言わせてもらうよ」  勘弁してと懇願したトラスティに、「だったら」とアリッサはこれからのことを持ち出した。 「エスデニアの議長様も誑し込むのですよね?」 「カナデ皇には、「人助け」とは言われたけど……少なくとも、恋人の口からは言われたくないよ」  それからと、トラスティは「証拠」らしきものを持ち出した。 「汚れている部屋を見せていいのなら、君の部屋を見せてあげればいいと思うよ。そうすれば、寝ているはずの僕がいないことで証明出来るはずだ。ただ、昨日の名残がはっきりと残っているからね……臭いも」 「あ、あなたは、本当にあの人だと言うのですか。そ、そんなことあり得ません。それに、あってはならないことです。あの魔法だけは、絶対に時間を掛けるしか破る方法がないんです! 解呪出来るのは、術をかけた私だけなんです!」  絶叫したライスフィールに、申し訳なさそうに「だけど」とトラスティは答えた。 「僕は、ただ普通に目を覚ましただけだし。君が、魔法を失敗しただけじゃないの?」 「わ、私は、魔法が掛かっているのを見てから部屋を出たんです。だから、絶対に失敗しているはずはありません。失敗なんて、あり得ないんです!」  顔色を悪くしたライスフィールに、もう一度「だけど」とトラスティは言い返した。 「こうして僕がここにいる以上、失敗したとしか言えないんじゃないのかな? もしかしたら、僕と一緒に居たいと言う気持ちが、魔法を失敗させたのかもしれないよ」 「そ、そんなことで、失敗するはずがない魔法なんですっ!」  むきなって言い返しても、目の前にトラスティがいる以上意味のないことに違いない。何が理由かは分からないが、トラスティを置き去りにするのは失敗してしまったのだ。同じ手が二度と使えるとは思えないので、これで彼をアスまで連れて行くことが確定してしまった。そして昨夜の勢いだと、間違いなくモンベルトまで付いてくると言うだろう。そのための障害となるエスデニアにしても、本当に障害となるのかも疑わしかった。 「あなたは、一体なんなのですか。せっかく、あなたのことを振り切ることができたのに。それなのに、何度も何度も私の前に現れて……その度に、私の心を壊して行ってくれる……」  とうとう涙を流したライスフィールを、トラスティは優しく抱き留めた。もう諦めたのか、ライスフィールは彼を拒まなかった。 「君を守ってあげると言わなかったかな? 愛していると言ってあげたよね」 「私と一緒に幸せにしてくれると言いましたよね」  そこで自分を忘れてはいけない。アリッサはすかさず自分の立場を強調した。 「結構難易度が高いんだけど……まあ、そのつもりで頑張ろうと思っているよ」  ライスフィールから離れたトラスティは、アリッサの隣に腰を下ろすと「腹が減った」と大きな声を出してくれた。それまでしていたことを考えると、雰囲気を壊すなと文句を言いたいところだろう。 「おいおい、流石にそれはないだろう」  すかさず文句を言ったエイシャに、「仕方がない」とトラスティは言い返した。 「昨日はあれから何も食べていないんだぞ」  だからと言って、トラスティはおいしくないスープに手を伸ばした。そしてオレンジに似たフルーツにも手を伸ばしていた。  ただそれを直接食べるのではなく、ナイフで切ってから塊の肉に絞って見せた。 「この酸味が、結構味を引き立ててくれるんだ」 「それって、直接食うもんじゃなかったのか?」  驚いたエイシャに、「普通はね」とトラスティは返した。 「ジェイドで言うレモンと同じだよ。そのまま食べると、さすがに酸っぱすぎるんだ」 「だがなぁ、ライスフィールは平気で口にしていたぞ」  そう言って、エイシャはまだ立ち直っていないライスフィールの顔を見た。トラスティのお蔭で顔に朱が差していたのだが、それでも具合の悪さは隠しきれていなかった。 「そういやぁ、パンもダメだったな」 「特においしいってことはないけど、まあ、普通のパンじゃないかな?」  そう答えたトラスティは、おいしくもないスープにパンを浸した。 「パガニアほどは酷くないけど、ここも食べるものはおいしくないからねぇ」 「ライスフィールさんは、具合が悪いから仕方がないのではありませんか?」  すかさず口を挟んだアリッサに、「ああ」とトラスティは頷いた。 「ここは、食べるものはおいしくないけど、医療だけはしっかりとしているからね。死ぬほどの目に遭っても、外科的には綺麗に直してくれるよ。内科の方は……まあ、暴飲暴食の患者は後を絶たないしねぇ」  本来内科的な技術は、暴飲暴食「だけ」に振るわれるものではないだろう。ただトラスティは、それを無視して「大丈夫」とアリッサを見た。 「大切なお客様だから、御殿医に見せればいいんじゃないのかな?」 「だとしたら、さっそくお見せした方がいいですね」  アリッサの言葉に、「ああ」とトラスティは頷いた。そして控えていた側仕えを呼び、「手筈通り」ライスフィールを彼女に任せた。 「こんなものは、早く見て貰った方が安心出来るだろう」  この場から離れられるのは、ライスフィールにも都合がいいことだった。とにかく頭の中を整理……と言うより、気持ちの整理をしなければと言う思いが強かった。  それもあって、とても素直にライスフィールは食堂を出て行った。それを見送った所で、「本当はどうしたんだ?」とカイトが声を掛けた。ライスフィールがあそこまで主張する以上、「眠りの魔法」は確実にかけられたはずなのだ。 「兄さんには悪いけど、僕も本当のことは分からないんだ。昨夜彼女と一緒に寝て、そして今朝一人で起きたと言うのが僕にとっての事実だ。とても疲れていたから、眠りが深かったのは確かだろうけどね」  それだけと言われれば、それ以上聞きようがないのも確かだ。ザリアの様なデバイスとは違い、カムイは勝手に発動したりしないのは分かっていた。  そしてトラスティは、カイトに向かって「ザリア」と呼びかけた。そして白のナイトウエア姿をしたザリアに、思わず目元を引き攣らせた。 「いつも不思議な恰好をしているけど、その恰好にどんな意味があるんだい?」  目を凝らしてみると、いろいろと危ないものが見えてくれるのだ。さわやかな……朝に、朝食の場でするような格好でないのは間違いない。  だが口を開こうとしたザリアを、「まあいい」とトラスティは押しとめた。どうせろくなことを言わないのは分かっているので、呼び出した目的を達成しようと言うのである。 「確認したいのは、僕におかしな仕掛けはされていないよねと言うことだよ」 「ぬしにか?」  ちょっと待てと言って、ザリアは右手をトラスティにかざした。そしてそれをしばらく続けた後、「調べたぞ」と言って手を下ろした。 「相変わらず、しけた量しかエネルギーをチャージしておらぬな。と言うことで、ぬしからはカムイ以外の反応は見つかっておらぬぞ。これはついでだが、もう少し体をいたわった方が良いだろう。あちらの方は問題ないが、疲労物質の蓄積が見受けられる」 「まあ、ここんとこいろいろとあったからなぁ」  はははと笑ったトラスティは、「そう言うことです」とカイトに答えた。ザリアが調べて何も出なかった以上、自分には秘密にするような仕掛けはないことになる。 「だとしたら、本当に彼女が失敗したと言うことか……」  調べた範囲で、トラスティからは特殊な所は見つかっていない。その事実を鑑みると、ライスフィールが土壇場で魔法を失敗したと言う結論にたどり着くことになる。いささか釈然としない所はあるが、それ以外に解釈のしようがないのも確かだった。  そしてカイトが「彼女」と口にしたのを聞いたザリアは、「いけない」と言って頭を掻いた。 「ライスフィールと言ったか、体調の調整をするのを忘れておった。排卵時期の調整もしておらなんだ。悪いなトラスティよ、次はちゃんとやるので、今晩もあの女を可愛がってやれ」  あっけらかんと言われると、文句を言う気力も失せると言うものだ。深すぎるため息を吐いたトラスティは、「分かったよ」と少し捨て鉢な答えを口にした。 「だとしたら、ライスフィールの体調が悪いのは、ザリアのせいじゃないってことか?」  おいおいと割り込んできたエイシャに、「確かにそうです」とアリッサも加わった。 「パンを口にして吐き出したり、酸っぱいフルーツをパクパク食べたり……それって、本当に妊娠しているんじゃないですか?」 「ああ、てっきりザリアがやったのかと思ったぞ」  二人にそう言われて、なるほどととザリアは小さく頷いた。 「では、後からあの女の体を調べてやろう」 「なんで、今からじゃないんだ?」  今からでも問題はないだろうと言うトラスティに、「先にやることがあるからだ」とザリアは言い返した。そして逃げ腰になったトラスティに、「心配するな」と艶やかな笑みを向けてきた。それだけで、何をしようとしているのか全員が理解した。そして、関わり合いを避けるように、食事を終わらせ席を立ってくれた。 「な、なんで、僕を一人にしていくんだ?」  すかさず抗議をしたトラスティに、「仕方がないだろう?」とカイトが代表して言い返した。 「10剣聖が、カムイの力を全開にしても逃げられなかったんだぞ。だとしたら、俺たちが止められるはずがないだろう」  なあと顔を見られ、アリッサとエイシャは大きく頷いた。 「アリッサ達は仕方ないけど、ザリアは兄さんのサーバントだろうっ!」  主として、己のサーバントを制御しなければいけない。正当なはずのトラスティの言葉に、カイトは「無理だな」とあっさり責任を放棄してくれた。 「なあに、ザリアも限度を心得てくれているだろう」 「うむ、主の言う通りだぞ。だからトラスティよ、優しくして欲しければ、もっとエネルギーを充填してくることだ。まあ、今日の所はこの程度で我慢をしておいてやるがな」  そう口にして、ザリアは逃げようとしたトラスティの首根っこを捕まえた。そしてその場から、掻き消えたようにいなくなってくれた。恐らく今頃は、どこかベッドのある部屋へとトラスティを連れて行ったのだろう。  リゲル帝国皇帝カナデは、昼前に彼女の御殿医を呼び出していた。色々と仕掛けと便宜を図ったのだから、その成果を確認しようとしたのである。  彼女の前に姿を現した御殿医の女性は、「聖下」とうやうやしく頭を下げた。リゲル帝国には珍しい、白衣を着た茶髪の女性と言うのが御殿医バーネットの正体である。そして彼女は、幼少の頃から姉のようにカナデ皇の面倒を見てきた女性だった。 「バーネットよ、二人きりの時にはそれは不要だ。それで、モンベルトの王女の所見はどうなのだ?」 「結論から申し上げると、しっかりと妊娠しておりました。なので、小細工を弄する必要はないことになります。断層映像でも確認しましたが、ちゃんと胎児が存在しております。ちなみに私が調べた範囲では、男の子のようですね」  なるほどと、カナデ皇は小さく頷いた。 「慌ててつじつまを合わせる必要はなかったと言うことか」 「結果から見れば、そう言うことになるのかと。ちなみに遺伝子を調べてみましたが、聖下のお子様との相性も良いようです。ただ父親が同じですから、さすがに子種として考えるのはいかがなものかと思いますが」  ともにトラスティの子供だと思えば、腹違いの姉弟と言うことになる。確かに子種と考えると、なかなか問題が多そうだった。 「それにしたところで、トラスティに抱かせるよりはましであろう」 「父親に、実の娘を孕ませろと? 遺伝に伴う弊害は治療できますが、あまりお勧めはできませんね」  と言うことでと、バーネットは「あなたの番」と言って近づいてきた。 「妊娠初期なのですから、あまりお励みにならないよう気を付けてください」  そう言って機械を取出し、バーネットは頭の上からつま先までなぞっていった。 「まあ言っても無駄でしょうし、特に問題は出ていないようですね」 「ああ、それほど軟な体はしておらんからな。母子ともにな」  そう言うことだと笑い飛ばし、「下がってよい」とカナデ皇は命じた。ただその命を受けたバーネットは、「その前に」ともう一つ別の報告をした。 「トラスティについて、少し調べてまいりました。やはりと言うか、遺伝子を操作したような痕跡が見つかりました。そのあたり、帝国が遺伝子操作に優れていることを考えれば、不思議なことではないと思います。そして新しい被験者が手に入りましたので、そちらも一緒に調べてみました。カイト・アンクールですが、トラスティの遺伝子とほぼ一致しております。同一の男性から提供されたとみて良いのかと」 「あの二人が似ておることに理由があったと言うことか。だが、そうなると別の問題が生じるな」  カナデ皇の指摘に、バーネットは小さく頷いた。 「いくら遺伝子情報に上限があるとはいえ、全く別の星で生まれた者に、同じ遺伝子があるのは考えにくいな。しかも、連邦最古のデバイスに、帝国の化け物まで関わっておる」  まったくの無関係と考えるには、登場するものが胡散臭すぎるのだ。そしてカナデ皇の指摘に、「私もそう思います」とバーネットは返した。 「アリエル皇帝が、何らかの意図をもって遺伝子をばらまいた……」 「あの化け物のことを考えると、頷ける推測だな。そしてそうなると、「誰の」と言うのが問題になる。そしてそれを口にすることは、超銀河連邦で大きな問題を引き起こすことにもなる」  だから名前を口にしないと言うのである。それに頷いたバーネットは、「問題が大きすぎますね」とカナデ皇に同意した。 「誰のとは口にはしないが、これだけかと言う疑問もある。そしてトラスティとカイトの二人に使われた、対となる遺伝子情報が誰の者かも気になるな……」  そう口にしたカナデ皇は、「なるほど」とその心当たりに到達した。 「ザリアが拘ったのは、そう言うことなのだな。となると、トラスティのもう一つの遺伝子情報だが……まさかな」  そこでカナデ皇が思い出したのは、ザリアのモデルとなる女性と対になる存在だった。ただその情報が、どうやって帝国に伝わったのか。そこまでは、さすがに想像することができなかった。  だが今考えていることは、たった一つの事実から推測を重ねたものに違いはない。そして確証もない以上、軽々しく口にしていいものではなかったのだ。だからバーネットには、「分かっておるな」ととりあえず念を押しておくことにした。 「私は、秘密を守ってきたつもりですよ」 「ああ、お前がすべてを打ち明けるのは、私以外にはいないからな。そのため、お前は夫を迎えることもなかったな」  悪いなと言う顔をしたカナデ皇に、「いやいや」とバーネットは首を振った。 「別に謝られるようなことでもないのかと。ただ、気が付いたらこの年になっていただけです。適当に男を食っていますので、別に寂しいと思うこともありませんよ」  そこまで言って、「ああ」とバーネットはもう一人の問題児を持ち出した。 「ニムレスですが、多少は快方に向かっていますよ。優しい女性で試して効果がなかったので、逆に強くて攻めに弱い女性をあてがったら、なんとか効果が出てきたようです。どうやら、強気の女性を屈服させることで、男の誇りを取り戻したのでしょう」 「なにか、またすぐに折れてしまいそうな自信だな……」  そう言って苦笑したカナデ皇に、「大丈夫でしょう」とバーネットは頼りのない保証をした。 「その自信をへし折るには、ザリアでもなければ無理でしょうし」 「確かに、ザリアでもなければ絶対に無理だな」  あははとカナデ皇が笑った時、なぜか安定した大地に立つ皇宮が揺れた。ただその揺れは、地震が起きたのは違う、なにか破壊的な力が加わったようなものだった。 「なんだ、今の揺れは?」 「剣士の誰かが、馬鹿をした……にしては、揺れが大きかったですね」  カナデ皇を含め、カムイを持つ者が詰めているのが皇宮なのだ。その意味で、建物の強度はジェイドの比ではない程高められていた。それを考えると、人の力でここまで揺らすのは、まともに考えればありえないことだった。 「すぐに、原因を調べさせろ」  厳しい声で配下に命じたカナデ皇は、「恐らく」と言って10剣聖も越える力の持ち主を持ち出した。 「ザリアあたりが、何かしでかしたのだろう」  困ったものだと、カナデ皇は右手でこめかみあたりを揉みほぐしたのだった。  ちなみにトラスティを連れて消えたザリアは、大方の予想通り皇宮内のベッドルームにしけこんでいた。ただ空間移動をしたため、トラスティにも「どこ」かと言うことは分からなかった。そしてトラスティにとっての問題は、ここがどこであるかではなく、目の前でザリアが舌なめずりをしていることだった。 「次は、褥を共にしてやると予告しておいたよな?」  逃げようと思っても、瞬間移動出来るザリアから逃げるのは不可能である。そして力でも、10剣聖を超えるザリアに勝てるはずがない。その結果、無駄な抵抗をすることもできずに、トラスティはベッドに押し倒されることになった。 「なに、怯える必要はないぞ。これからわれが、優しく搾り取ってやるからな」  うふふと口元を緩めたザリアは、ワンアクションでトラスティを裸にした。そしてトラスティに跨り、自分の着ていた物を原子へと戻した。現れたのは、思わず見惚れてしまうような均整のとれた裸体だった。こんな状況でもなければ、トラスティもオオカミになっていたことだろう。  だが完全に委縮したトラスティは、オオカミどころか標本の蝶状態だった。顔色が悪いのは、この状態を考えれば無理もないことだった。 「な、なんで、デバイスがこんなことをするんだっ! いや、こんなことが出来る方がおかしいだろう?」  デバイスと言うのは、主と融合してその力を発揮することになる。その場合、ナノレベルまで実態を分解し、主の体と融合するのだ。それを考えれば、性的結合など考慮されているはずがなかったのだ。  だが目の前のザリアには、それを目的とした器官があるのが確認できてしまった。あってはならない物を見たトラスティは、精一杯おかしいだろうと主張したのである。 「何を今さら言っておる。ぬしのために用意したに決まっておるだろう」  ルーテシアと同じように男性を刺激し、ザリアは自分の中にトラスティを招き入れた。そして怪しく腰を動かし、「なかなか」と喜んで見せた。 「主との融合も試してみたい気持ちになったぞ」 「あ、明らかに、目的が入れ替わってるだろうっ、くっ!」  いくら異常な状態でも、ザリアが適度に刺激を与えれば、己の意思に反して体は反応してしまう。「やめろ」と叫んでも、トラスティの息は上がり始めていた。そして我慢が限界を迎えた時、吐き出された交わりの証とともに、トラスティの持っていたエネルギーが結合部から吸い取られた。  性の快感も、それが過ぎれば苦痛となる。そしてザリアは、それ以上に強い刺激をトラスティに与えた。あれだけ何人も相手にしてきたトラスティが、たった一度達しただけで意識を失ったのである。 「やはり、お前のエネルギーは特別だな。少量しかないのに、満足感が大違いだぞ。次も、同じ方法でいただくことにするか」  そう言ってトラスティから離れたザリアは、情交の名残を股間からしたたらせていた。ライスフィールとは違い、女の情念を感じさせる淫靡さがそこにあった。 「しかし、こやつには確認しておくことがあるな。なあに、間違っておったら我が直してやるゆえ我慢することだ」  そう言ってもう一度トラスティに跨ったザリアは、トラスティの男を刺激するのではなく、右手の指を一本立てて見せた。そしてその立てた指を、トラスティの右の肺あたり、つまり心臓を避けた所に突き立てた。 「さて、この男に何が隠れておるのかな?」  そう言って指を引き抜いたとき、ぽっかり空いた穴から血が噴き出した。そして肺に穴が開いたせいか、ヒューヒューとトラスティは嫌な音を立てて呼吸をした。 「ふむ、これでも出てこぬか」  ならばと、ザリアはもう一度指を右胸に突き立てた。激痛に意識を取り戻したトラスティが止めようとしたのだが、ザリアの動きは少しも邪魔をされなかった。肺から出た血が気管を逆上ったのか、トラスティはごぼっと口から血を吐き出した。 「なるほど、これでも出てこぬか」  ならばと、ザリアはトラスティの左胸、つまり心臓めがけて指を突きたてた。そして心臓に突き立てられた指が抜かれた時、今まで以上の勢いで血が噴き出した。急速な出血で、すでにトラスティの脳は動きを止めていた。そして心臓を突かれたことで、体への血の供給は止まっていた。すぐにでも手当てをしなければ、いな普通の手当てではトラスティの命を救うことは出来ないだろう。それでもザリアは、手当てを始めようとはしなかった。 「ふむ、われの勘違いと言うことなのか? 確かに、この者に違う「匂い」が感じられたのだが……」  間もなくトラスティの命が消えそうになった所で、仕方がないとザリアは手のひらに光を集めた。これで体を修復し、失われたものを体に戻せばひとまずの治療は完了する。後は、自分がしたことの証拠を消す、つまりトラスティの記憶を消せば、無意味だったお遊びの後片付けは終わってくれる。  そうしてトラスティの治療のために光を置こうとしたとき、体の中から噴き出したエネルギーにザリアは壁に叩き付けられた。10剣聖の全力でもはねのけられなかったザリアを、不意を突いたにせよ壁まで吹き飛ばしたのだ。その力は、想像を絶するものと言っていいだろう。  そしてザリアが壁まで吹き飛ばされた時、瀕死だったトラスティの体は元の姿に戻ろうとしていた。あろうことか、飛び散った血までも意思があるかのように彼の体へと戻っていったのだ。まるで時間を巻き戻すような出来事に、何が起きているのかザリアにも理解できなかったぐらいだ。 「やはり、ぬしの体には何かが潜んでおったか」  貼り付けられた壁から抜け出したザリアは、「出てこい」と命じ、再びトラスティを殺そうとした。  だが今度は、ザリアの手刀がトラスティに届くことはなかった。まさに右の胸に突き刺さろうとしたとき、今まで以上の力でザリアの体が弾き飛ばされたのである。その力の凄まじさは、頑丈な皇宮を揺るがしたほどだった。 「なるほど、お前がトラスティの中に潜んでおったか」  そう言ってザリアが口元を歪めた時、トラスティを守るように一人の女性が立っていた。背丈はザリアより高く、髪の色はザリアと同じ黒色をしていた。魅力的な体に茜色のボディースーツの様なものを身に着け、白い色をした上着と、短いスカートを身に着けていた。ゆっくりと顔を上げた女性は、主を害したザリアの顔を睨みつけた。双眸に宿る緑色の光が、まっすぐザリアの顔を射抜いていた。  ようやく見つけたと口元を歪めたザリアだったが、相手を認めて「まさか」と驚愕の表情を浮かべた。 「まさか、ぬしはオンファスかっ!」  壁から抜け出し襲いかかろうとしたザリアを、オンファスと呼ばれた女性はもう一度壁に張り付けた。そして背後から襲いかかってきたザリアの分身、オッドアイの女性も同じように壁に叩き付けた。 「ラズライティシア様、さすがにオンファス相手は分が悪いのですよ。と言うことで、私は逃げさせてもらうのです」  そう言い残し、オッドアイの女性は姿を消失させた。それを気にすることなく、オンファスと呼ばれた女性は、ザリアの前に瞬間移動してきた。 「ラズライティシア、でしたか。少しおいたが過ぎますよ」  そう微笑むと、オンファスと呼ばれた女性はザリアの胸に手刀を突きつけた。 「主から搾り取ったエネルギーを、少しだけ返していただきます。すべて抜き取ると、あまりにも不自然ですからね」 「われにばれた以上、このまま隠れていられるとでも思っているのか!」  「オンファスよ」と、ザリアはエネルギーを吸われながらも言い返した。 「あなた程度の存在を、この私が恐れるとでも思っているのですか。自分が何者かも思い出せない、中途半端なあなたのことを」  お笑いですねと口元を歪めた女性は、「面倒ですよね」とザリアを見て笑った。 「また主にちょっかいを掛けられては面倒ですから、ここで消えて貰いましょうか」 「簡単に出来ると思ってくれるな」  オンファスと呼んだ女性から逃れ、ザリアは右手を差し上げ滅びの光を召喚しようとした。だが光が集まる前に、差し上げられた右手はオンファスの手によって切り落とされた。 「あなた程度で、私に敵うはずがないでしょう。それぐらいのことが分からない程、ラズライティシアと言うのは愚かな存在なのですか」  右手を復活させようとしたザリアに近づき、女は裏拳でザリアの顔を殴りつけた。ごきっと言う音が首から聞こえ、ザリアはその場に膝をついた。 「お、お前……オンファスではないな。オンファスは確かに強かったが、そこまで圧倒的ではなかったはずだ。お、お前はいったい何者なのだっ!」  なんとか首を元に戻したザリアだったが、今度はお腹に風穴をあけられてしまった。それで死に至ることはないが、受けたダメージの分だけザリアの力は失われることになる。 「私が何者と問う前に、あなたは自分が何者かを思い出してみてはどうですか?」  そう言って、女性はザリアを上からたたきつぶした。緊急回路が働いたのか、そこでザリアは動かなくなった。それを冷たい目で見降ろした女性は、小さな声で自分の名前を口にした。「オンファス」ではない、別の名前を口にしたのである。ただ語られた名前は、緊急停止したザリアには届いていなかった。  そして停止したザリアに近づいた女性は、額をくっつけザリアの後頭部に手を当てた。 「今しばらく、私のことは忘れていただきましょう。……様」  ザリアでも、ラズライティシアでもない名前を呼びかけ、黒髪をした女性は姿を消した。そこに残されたのは、裸のまま緊急停止をしたザリアと、ベッドに寝たまま失神したトラスティだった。  皇宮での非常事態に、すぐさま10剣聖が呼び寄せられた。そして同時に、カイトへの呼び出しも行われた。ザリアを有するカイトが最強である以上、呼び出し自体は正当なことに違いなかった。ただ問題は、いくら呼んでもザリアが現れないことだった。 「なぜ、ザリアが来ない?」  嫌な予感に囚われたカイトは、10剣聖に続いて皇宮内を駆けて行った。 「ここが、騒ぎの中心なのだが……」  10剣聖筆頭モルドレードは、入り口に立った所で全員に目配せをした。ここから先何が起こるのか分からない以上、最善の備えをする必要がある。そのため全員が剣を構え、「リミットブレーク」とカムイの力を解放した。特徴的な光を纏った男達は、一つの扉の前で緊張を高めていた。 「では、参るぞ!」  モルドレードは右手を扉に当て、少しだけ己の気を叩きつけた。手加減がうまくいったのか、扉は吹き飛ぶようなことはなかった。  中から何が現れるか分からない以上、進入にしても慎重して大胆に運ぶ必要がある。扉をけ破ったモルドレードは、前面に防御壁を張って中へと入った。だがすでに嵐が過ぎ去った後なのか、部屋の中は静寂に包まれていた。 「入ってきて良いぞ」  そう仲間を手招きし、モルドレードは次の間に続く寝室へと足を踏み入れた。そしてそこで、あり得ない出来事に驚かされることになった。 「いったい、何が起きたと言うのだ」  部屋の中を見れば、ベッドの上で裸のままトラスティが気を失っていた。そして壁際を見れば、同じく裸のザリアが気を失っている。部屋の中を見渡してみると、誰かが争ったとしか思えない程破壊されていた。そして壁には、何かが叩き付けられた陥没が4か所ほど刻まれていた。 「カイト殿、これに!」  ザリアが気を失うと言う事態に、モルドレードは大声でカイトを呼んだ。10剣聖が敵わないザリアが、停止するような事態が起こりうるとは思えなかった。  モルドレードに呼ばれて寝室に入ったカイトは、目の前の惨状に言葉を失ってしまった。破壊自体はカムイを使えば可能な範囲に収まっているのだが、逆に被害の規模が小さすぎたのだ。ザリアが機能停止に追い込まれるほどの戦闘だと考えれば、逆にこの程度で収まるとは思えなかった。  そしてもう一つ謎だったのは、トラスティが「無事」でいたことだった。ザリアを機能停止させたことを考えれば、彼が無事でいられるとは思えなかったのだ。 「ザリアはどうなったのだ?」  予想もつかない事態に、モルドレードも動揺を隠すことはできなかった。ただカイトにしても、はっきりと言えることは何もない。「分からない」と首を振り、「緊急停止したようだ」とザリアの状態を説明した。 「連邦のインヒューマンデバイスには、いくつかの安全機能が備わっている。緊急停止もその一つで、爆発を避けるために、動力機関ごと停止する措置だ。敵からの攻撃、もしくは自身の暴走が主な緊急停止の理由なんだが……」  そこであたりを見渡して、「やはり分からん」とカイトは難しい顔をした。 「そもそも、ザリアを緊急停止に追い込める敵と言うのが想像が付かん。もしもこの程度の破壊で緊急停止に追い込めるとしたら、間違いなくその相手は化け物だぞ。ザリアがまともな抵抗もできず、一方的に潰されたと言うことになるからな。それぐらいなら、まだ暴走による緊急停止の方が納得できるぐらいだ」 「確かに、部屋の壊れ方は常識的ですな」  ザリアの様な巨大な力がぶつかり合えば、この部屋どころか皇宮ごと消滅しかねなかったのだ。「常識的」とモルドレードが言うのも、ザリアと言う存在を考えれば不思議なことではない。 「では、ザリアの再起動は可能でしょうか?」 「緊急停止の理由が分からない以上、再起動も危険と言うのは確かなのだが……」  だがカイトも、サーバントを失った状態を続けるわけにはいかない。仕方がないとため息を吐き、「頼めるか」とモルドレードに安全な施設の準備をお願いした。 「10m程度の防護壁で宜しいか?」 「この状況を見れば、その程度で済むだろうな……」  ふうっとため息を吐いたカイトは、「エロデバイスが」と吐き出した。 「おかしなエネルギーの吸い方をして、制御回路が狂ったんだろう」 「そう、考えるのが平和でしょうな」  ザリアをも簡単に屠る存在と言うのは、得体が知れないだけに恐怖としか言いようがない。モルドレードが「平和」と言いたくなるのも、ここが皇宮だと考えれば不思議なことではない。  そうやって二人が妥協点に達したところで、「トラスティが目を覚ましました」との報告が上がった。 「そうか、無事だったか……」  安堵の息を漏らし、カイトはトラスティの寝ているベッドに近づいた。そして意外に平気そうな顔をしたトラスティと向かい合った。 「ここで、何が起きたのか覚えているか?」 「何をされたのかは覚えているが、何が起きたのかは知らないんだけどな」  ぐるりとあたりを見回したトラスティは、「何があったんです?」と逆に問い返してきた。 「そこで、ザリアが緊急停止をしていた。ただ本当の理由は分からない。恐らくだが、お前からエネルギーを吸うときおかしなスイッチが入ったんだろうな」 「あのエロサーバントは、本当にろくなことをしないな……それを考えると、目が覚めただけでも儲けものと言う所かな」  ほうっと安堵の息を漏らしたトラスティは、「それで?」とザリアのことを尋ねた。 「まだ、停止状態を継続している。これから再起動の処置を行うが、もう少し安全な場所に移動して行う予定だ」 「暴走してこの程度で済んだのは、きっと幸運だったんでしょうね」  星をも消し飛ばすザリアの力を考えれば、起きた被害はくしゃみをした程度ですらない。それを考えれば、「幸運」とトラスティが言うのも無理もないことだった。 「全部、兄さんが僕を見捨てたのが悪いんですよ」 「そうは言うが、俺じゃザリアを止められないぞ」  すかさず言い返したカイトに、「マニュアル停止があるでしょう」とトラスティは言い返した。 「次からは、おかしなことになる前に停止をしてください」 「これを見せられれば、キス程度で済ませておくように注意はするさ」  止めると言わないのは、無理だと言うのを理解しているからだろう。そしてトラスティも、それを責める言葉を口にしなかった。 「とりあえず、着替えを用意して貰えますか? 一応カナデ皇に説明をしてきます」 「俺は、ザリアを安全な所に運んで再起動をするよ。あれを、このままにしておく訳にはいかないからな」  カイトの言葉に、トラスティは小さく頷いた。 「一応あれでも、僕達の切り札ですからね。兄さんには、しっかり管理をして欲しいものです」  そう文句を言ったトラスティは、用意された着替えに足を通した。ここに来る前に着ていた物は、ザリアのせいで布きれに変わっていた。 「なにか、ジェイドに行ってから酷い目に遭うことが増えた気がする……」 「そのかなりの部分が、自分のせいだと忘れないことだ」  チクリと言い返され、トラスティは不満げにカイトの顔を見た。 「すべてを否定するつもりはないけど、それにしたところで後始末が理由だと思うんだけどな。もしかして、トリプルA相談所って、トラブルAの間違いじゃないの?」 「最近の騒ぎを考えれば、それを否定する言葉を持っていないな」  カイトの前で、シーツを巻かれたザリアが運び出されていた。普段は妙齢の美女をしたザリアだが、停止すると作りのいい人形そのものだった。 「じゃあ、俺はザリアを再起動してくる」  カイトを見送ったトラスティは、ニムレスの手を借りてベッドから起き上がった。 「悪いね、手間をかける」 「お前こそ、よくも平気でいられるな。俺はまだ、ザリアの前には立ちたくないんだぞ」  ぶるっと身を震わせたニムレスに、「君とは違うからね」とトラスティは笑った。 「僕の場合、結構ひ弱だからねぇ。だから、圧倒されてもトラウマにはならないんだよ。違いなんて、その程度でしかないんだよ」  そう言うことだと言い残し、トラスティは惨劇のあった部屋を出て行った。そして通路で一人になった所で、胸に傷がないのを確かめた。 「コスモクロア、君が助けてくれたのかい?」  小さく呟いたトラスティだったが、すぐに「あり得ないか」とその考えを放棄した。帝国皇帝アリエルに渡されたサーバントは、ザリアに対抗できるほど強力なものではなかったのだ。  トラスティがカナデ皇の所を訪れた時、すでにバーネットは皇の前を辞していた。「酷い目に遭った」とぼやくトラスティに、「自業自得だろう」とカナデ皇は笑い飛ばした。 「あんな危ないデバイスに手を出すからだ。大人しくミサオで我慢しておれば、こんな面倒に巻き込まれることもなかったのだぞ」  すべて自分の尻軽さのせいだと、カナデ皇は笑いながらトラスティを責めて見せた。 「一応教えておくが、辻褄合わせの必要性は薄かったようだ。すでにライスフィール王女は、お前の子を孕んでおった。バーネットが言うには、腹におるのは男の子だそうだ。加えて言うのなら、我が子との相性も良いと言うことだ」 「まあ、あっちは辻褄合わせと同時に、彼女に現実を突きつけると言う意味もあったからね。ところで、妊娠のことは彼女に伝えてあるのかな?」  そちらの方が重要だと、トラスティは首尾をカナデ皇に尋ねた。 「それは、明日の診察で教えることになっておる。それで、お前はこれからどうするのだ?」  予定通りライスフィールが妊娠をし、そしてトラスティから逃れられないことを知ったのだ。そこまでが計画通りに進んだ以上、その先を尋ねるのもおかしなことではないはずだ。 「そのことなんだけど、ちょっと帝国本星……レムニアに行ってくるつのりだ。そこでアリエル皇帝に、お願い事をしようと思っている」 「あの化け物にお願い……か?」  顔を顰めたカナデ皇に、トラスティは小さく頷いた。 「あそこには、山のように技術が眠っているからね。ちょっと手伝いを頼もうかと思っているんだよ」  天の川銀河の中で、一番文明的に進んでいるのが「帝国」だったのだ。それを考えれば、トラスティの言うことは間違ってはいないのだろう。ただ帝国には、モンベルトに手を貸す理由が欠けていると言う重大な問題があった。 「それで、手伝いの代償はなんなのだ? いくら暇人とはいえ、なんの代償もなしに手伝ってくれるとは思えぬのだがな?」  そこまで口にして、「まさか」とカナデ皇は目を見張った。 「おまえは、あの化け物にまで手を出しておるのか?」  トラスティとしては不当な、そして彼を知るものなら納得する理由をカナデ皇は口にした。 「いやいや、あの人たちはそう言う欲求からは離れた所にいるよ。まあ、あのロリ婆は、昔IotUに可愛がって貰ったこともあるようだけどね。それにしても、1000ヤー近く前のことだよ」 「だとしたら、本当に手伝ってくれるのか?」  カナデ皇の疑問に、「さあ」とトラスティは肩をすくめて見せた。 「そのあたりは、あっちの要求次第だねぇ。まあ、だめならだめで、他を当たることにするよ。モンベルトなら、エスデニア経由で……いや、シルバニア帝国に頼んでもいいのか」 「モンベルトとの関わりを考えれば、エスデニアと言うのは分かるが……なぜ、シルバニア帝国なのだ?」  モンベルトの問題は、エスデニアだけが代々関わってきていたのだ。それを考えれば、エスデニアに頼むと言うのは、別におかしな話ではない。一方シルバニア帝国は、エスデニアと同じ銀河にあっても、モンベルトとの関係はなかった。それを考えると、いきなり支援と言われても「誰に」と言う所から始めなくてはならないはずだ。  なぜと言うカナデ皇に、「当てがあるから」と言うのがトラスティの答えだった。なるほどと頷いたカナデ皇は、きわめて説得力に富む決めつけをしてくれた。 「よもや、シルバニア帝国皇帝にまで手を出していたとはな」 「あーっ、そう言われるのは予想していたし、日頃否定しにくいことをしているのも認めるけど……」  はっと息を吐いたトラスティは、「手を出してないよ」と身の潔白を主張した。 「あそこは、近衛ががっちりと固めているからね。その代り、宰相のリンディアに頼むんだけどね」 「筆頭宰相のリンディアか……なるほど、確かあの者も金色の髪に青い瞳をしておると言う話だな。なるほどトラスティよ、お前の金髪碧眼好きは相当なものなのだな」  あははと笑い飛ばしたカナデ皇は、それ以上頼む相手のことには拘らなかった。 「それでトラスティよ、モンベルトをどうするつもりだ。あの女を助けるにしても、どう考えても簡単なことではないだろう。わがアークトゥルスにしても、惑星全体の改良に500ヤーの時間を使っておるのだぞ。そしてモンベルトは、アークトゥルスなど比較にならぬほど、荒廃と汚染が進んでおるだろう。バーネットの診察で、ライスフィール殿にも多くの障害が見つかっておる。いずれも治療は可能だし、ジェイドの生活でかなり改善はできておるのは確かだが……推測するに、モンベルトは公衆衛生の面でも最悪の状態にあるはずだ。ヘルクレズとガッズだが、あの体は間違いなく一部ミュータント化しておるだろう」  カナデ皇があげた問題だけでも、一つ一つが厄介極まりないものだった。そしてそれ以上に厄介なのは、モンベルトの民達の意識と言うものだった。ヘルクレズが「変化を望まない」と言う民達が、果たしてこれからの変化を歓迎してくれるだろうか。 「そのあたりは、これからいろいろと考えるつもりなんだけど……まあ、僕が悪者になるしかないんだろうねぇ。本性を隠して国を守る王女を誑かし、その上純潔を奪い子供まで孕ませた。そしてモンベルトの地に来た途端、本性を現して暴虐な真似をする極悪人にね。しかも頼みのヘルクレズやガッズも、キャプテンカイトの力を利用して屈服させられてしまう。民達を人質に取られ、慈愛に満ちた王女は僕の嬲り者にされるんだよ」  自嘲気味に口元を歪めたトラスティに、なるほどとカナデ皇は頷いた。 「つまり、いつものお前と言うことだな」 「……ずいぶんと失礼なことを言ってくれるね」  まあいいけどと、トラスティはアリッサの口癖を真似した。 「そうすることで、モンベルトの民達の憎しみ、不満はすべて僕に向かうことになる。そして王宮の奴らには、「お前らの汚いもので、俺の持ち物を汚すのか!」と恫喝すればそれで終わりだよ。パガニアへの恐怖がある彼らだ、その恐怖の対象を僕に変えてやればいい。そして姿の見えない相手より、姿の見える相手の方が恐怖としてよりリアルだ。人前で彼女を犯すのも、敵意を僕に向けるのには必要なんだろうね」  そこまで言っておきながら、「やりたくないなぁ」とトラスティはぼやいた。 「どう考えても、僕の中の正義に合致しないんだよ。それに、そう言う悪役キャラができるほど悪人じゃないしね」  そう言ってぼやくトラスティに、カナデ皇は手を口元に当てて小さく笑った。 「お前なら、ノリノリでやりそうな気もするが……まあ、らしくないのは認めてやろう。だが、それぐらいの覚悟が必要と言うのは認めてやる。それにその方法だと、お前以外の誰も悪人にならないからな。恐らく人死にと言った犠牲が出ることもないだろう。最低の方法ではあるが、最悪の方法でないのは認めてやる」  そう言って笑ったカナデ皇は、「どうするのだ?」とエスデニアの関与を持ち出した。 「そんな真似を、あの議長様が許すと思っているのか?」 「そのあたりは、取引が必要なんだろうね……」  もう一度嫌だなぁとぼやいたトラスティに、「嘘を吐け」とカナデ皇は言い返した。 「ラピスラズリは、お前の好きな金髪碧眼の美女だぞ」 「なにか、気が乗らないんだよ……いっそのこと、そっちは兄さんに任せるか」  そうすれば、取引として成立することになる。それでいいかと勝手に納得したトラスティに、「もう一人」と言ってカナデ皇は副議長ブルーレースの名も持ち出した。 「そっちも、兄さんに任せればいいと思ってるよ」 「ギブアンドテイクと言う意味なら、別に間違ってはおらんな」  そう言って笑ったカナデ皇は、もう一度「どうするのだ?」と問いかけた。 「あの娘の心を守ると言う意味なら、確かにしばらくは繋ぐことができるだろう。だが本質的な問題を解決したとは思えぬのだがな? お前は、どう言う結末を用意するつもりだ?」  自分の立ち位置の説明はあったが、モンベルトをどうすると言う説明は受けていない。それを質したカナデ皇は、「無茶を言うね」とトラスティは口元を引き攣らせた。 「ここ程度でも、500ヤーも掛かったんだ。だとしたら、僕が生きている間に結末なんて迎えられるはずがないんだよ。僕にできるのは、民達を思う慈悲深い女王の犠牲で未来が明るいことを示すぐらいかな」 「それも、何をすると言う問いへの答えにはなっておらぬが……さすがのお前でも、まだペテンが思いつかぬと言うことか」 「モンベルトの住民を、一時的によその星に移せば数ヤーでかなりのことができるよ。でもそれをやったら、彼らはモンベルトに戻ることはないだろうね。それに、受け入れをしてくれる星があるとも思えない。何しろ彼らは、犠牲者でもあるけど汚染源でもあるんだよ。そもそも、エスデニアとの間を行き来していた彼女とは条件が違うんだ。たった5千万だけど、それだけの数がいると扱いが難しいんだけどなぁ……と泣き言を言ってても仕方がないから、ペテンの方法を考えることにするよ。帝国への移動なら、ゆっくりと時間も取れると思うしね」  ここの所、ゆっくりとすることができていない。そうぼやいたトラスティに、「それも自業自得だ」とカナデ皇は笑った。 「それで、すぐに出発するのか? 専用船の用意なら、6時間ほどでできるぞ」 「6時間か……時間としてなら、適当な所だね。これからのスケジュールを考えたら、1日も早くあっちの帝国に行っておいた方がいい」  「そうか」と小さく呟き、カナデ皇は「皇室専用船ガトランティス」出航の準備を命じた。 「供の者に、何か希望はあるか? なんだったら、ミサオを連れて行ってもいいのだぞ。アリエル皇帝に面通しをしておくのも後々役に立つからな」 「そう言う政治的なのは、別の機会にしてくれないかな。それに、彼女が付いてくると考えをまとめる時間が取れなくなる」  いつもまとわりつかれて、せがまれることは目に見えていたのだ。それでは、ゆっくりと考えをまとめるのには不都合に違いなかった。 「頼めるんだったら、そうだな……取り上げても彼女が困らない人で……」  専門家を引き抜くと、ライスフィールの勉強を邪魔することになる。それを条件に適任者はと考えたトラスティに、「ならば」と言ってカナデ皇は一人の女性の名を挙げた。 「まだ学業の途中だが、アニアを連れて行ってはどうだ? まだ15だから、盛るには早いと言うのも都合が良い。それに、この後アークトゥルスの環境整備の仕事を任せることを考えておる」 「できれば、年頃の女の子から離れて欲しいんだけどね……」  アニアと言うの、カナデ皇の娘の一人である。姉のミサオが皇位を継ぐことが決まっているので、国の仕事に就くことが決まっていた。それが今もなお続けられている、アークトゥルスの環境整備と言うことである。「若い感性!」と言うのが信用できるのなら、確かに連れて行ってもいいのだろう。ただトラスティが求めたのは、若い感性ではなく豊富な知識の方だった。  「求めるものが違う」と言う反論に、カナデ皇は少し残念そうな顔をした。 「ならば、お前の切り札を頼ったらどうなのだ? 知識量から言ったら、デバイス系の方がシステムにアクセスできる分、豊富な知識量を持っておるだろう」 「それにしても、相談相手にはなりにくいんだが……」  まあいいかと諦めたトラスティは、結局一人で行くことにした。移動時間が1日だと考えれば、いくつか候補を考えるだけで終わってくれそうだったのだ。 「そうか、役に立てなくて悪かったな。それで、これから出発までの時間、お前は誰と過ごすつもりだ?」 「誰って聞かれたら、アリッサと答えるよ。普通は」  だからアリッサと答えたトラスティに、「感謝の気持ちが足りない」とカナデ皇は怒って見せた。 「皇室専用船まで用意してやると言うのに、それに対する感謝の気持ちを表すつもりはないのか?」 「やれやれ、厄介な皇帝様だ……」  仕方がないと諦め、トラスティは彼女の要求に従うことにした。 「それで、僕はどこに連れて行かれるんだい?」  その問いに、カナデ皇は嬉しそうに頷いた。 「うむ、これからわれが抱っこで連れて行ってやろう」 「なにか、立場が逆な気がするよ……」  とは言え、腕力ならば間違いなくカナデ皇の方が強かったのだ。だからトラスティも、無駄なあがきはやめて彼女のしたいようにさせることにした。わがままなようで気配りのできる彼女だから、きっとアリッサとの時間も作ってくれるだろうと期待をしたのだ。  ザリアの再起動は、リゲル帝国の力だけでは達成できなかった。そのためリゲル帝国経由で超銀河連邦のサーバーにアクセスを掛け、皇帝の依頼で再起動権限を得ると言う手間をかけていた。そのおかげで、かなり手間取りはしたがザリアの再起動には成功をした。ただその際に請求された連邦からの手数料を見て、カイトは涙が流れそうになってしまった。アリッサなら小銭の世界なのだが、100万ダラと言うのは、カイトにしてみれば気の遠くなるような金額だったのだ。 「また、エヴァンジェリン達への借金が増えることになるのか……」  これで、総額は1千万ダラに届こうとしている。どう頑張って働いたとしても、一生かけても返せそうにはない金額だった。 「しかし、破損領域が多いな……」  正規の再起動処置を行ったおかげで、様々な情報が提供されていた。その中には、ザリアの記憶領域の損傷や、時系列での記録状態の保存状況まで含まれていた。 「そのほとんどが、緊急停止直前のものか……一体全体、何をしでかしてくれたんだ?」  それとは別に、緊急停止の原因に関する推定結果も提示されていた。 「頭部への強い打撃って……ベッドから落ちて頭でもぶったか?」  そんなことがありえないのは分かっていても、ついぼやきたくなる停止理由である。人騒がせなとひとしきりぼやいたカイトは、「ザリア」と問題のサーバントを呼び出した。 「お呼びですか、わが主よ」  普段とは違い、さすがにザリアも殊勝な態度を取った。そのあたり、多大なる迷惑をかけたと言う自覚があるのだろう。それを自覚すること自体、サーバントと考えれば不思議なことに違いない。 「ああ、再起動をしたが具合はどうだ……って、少し縮んでいないか?」  全体的に、体のサイズが縮んだ……と言うか、少し幼くなったように感じられた。少なくとも、再起動で形態が変わったという報告を見たことはない。 「恐らく、エネルギーを消耗したからだと思うのだが……調子自体を言うのなら、特に問題はないと言えるな。頭の方も、変わりなくすっきりとしておるぞ」  うんうんと頷いたザリアに、それならばいいとカイトは拘ることをやめた。 「それで、何があったのか覚えているか?」 「再起動時のログを見たのなら、それが意味のない問いであるのを理解しておるはずだ。あの男からエネルギーを吸い取った後から、ぷっつりと記録が途絶えておる。ただ、それが絶品だったことだけは記憶に残っておるな。われとしては次も同様な方法でエネルギーを補充したい所なのだが……また緊急停止をしては主にも迷惑だろう。だから口づけ程度で我慢をしておくことにする」  まだ吸うつもりかと言う気はしたが、それでも過激な方法はとらないと約束はしてくれた。とりあえずカイトは、その答えに満足することにした。 「ところで、体が縮んだのだが……エネルギーはかなり減ったのか?」 「ちょっと待て、自己診断プログラムを走らせる……」  右手を上げてカイトを制止したザリアは、しばらくその恰好のままで停止をしていた。そして手を下ろしたところで、「不思議だな」と首を傾げた。 「不思議と言うのは、どう言うことだ?」  説明しろとの命令に、ザリアは小さく頷いた。 「総エネルギー量で言えば、減っておるどころか逆に増えておるのだ。まあ、あの男から吸い取ったことを考えれば不思議ではないのだが……」 「だとしたら、どうして体が縮む?」  幼女から大人の女性に変貌したのは、トラスティから大量のエネルギーを吸い取ったことが理由だった。それを考えれば、さらにエネルギーが増えたのであれば、退行するとは考えにくい。だからどういうことかと言う疑問になるのだが、その答えがここにあるはずがなかった。 「主よ、大きくなった理由も分かっておらぬのだぞ。だから縮んだ理由にしても、分かるはずがないであろう。そう言うものだと思って貰うしかないな」  そう答えたザリアは、特徴的な紫色をした目を瞬かせた。 「まあ、今の所不都合は感じておらぬな。実際の所を試してみたいのだが、ヘルクレズとガッズでも相手にしてくるか?」 「あの二人か……」  生身で10剣聖と渡り合う二人を思い出し、カイトは身をぶるっと震わせた。ただ同じことを、あの二人が考えているのは知らないようだ。生まれてこの方、ここまであっさりと伸された経験をあの二人は持っていなかったのだ。  気が進まないとは言え、性能確認をしておく必要があるのは確かだろう。どこにいたかなと考えながら、カイトは皇宮へと空間移動をしたのだった。  2時間でカナデ皇を満足させたトラスティは、昼食を食べようとしていたアリッサ達を捕まえた。ただそのまま寝室に引っ張っていくのは、いくらなんでも飢えているようで嫌だった。 「なにか、大変なことになっていたと聞いたのですが?」  大丈夫ですかと自分を見て心配するアリッサに、「やっぱりこれだよね」とトラスティは感動したりしていた。ただ隣りにエイシャがいるので、抱き寄せてキスをするのは我慢することにした。そしてその代り、女性が一人欠けていることを尋ねた。 「王女様は?」 「やはり具合がすぐれないと、お部屋で休まれていますよ。診察の結果は、明日教えて貰えるそうです」  なるほどねと頷いたトラスティは、食堂に入ってアリッサ達を座らせた。一応皇宮なので、市内よりは食の環境は整っている。ただそれにしても、アークトゥルスの中ならと言う但し書きが付くものだった。そしてリゲル帝国らしく、アリッサ達の目の前には巨大な魚のソテーと、塊の肉が並べられた。ワゴンのフルーツは朝と同じで、これまた同じようなパンとスープが供されていた。朝との違いは、魚料理が加わったことと、全体に量が増えたことだった。 「まあ、これがアークトゥルスの標準だからね。まあ、それなりに食べられる味はしているよ」  そう言って、トラスティは巨大な魚を切って、自分の皿に盛りつけた。そして魚の横に並べられていた野菜を、魚の切り身の横に並べた。 「アリッサ、とってあげようか?」  男として、恋人として面倒を見るのは当然のことだろう。「お願いします」と言う答えに喜び、トラスティはアリッサの分も取り分けた。 「いやぁ、トラスティさんは親切だな」  そう言って皿を差し出したエイシャを無視しようとしたのだが、「他人じゃありませんよね」と恋人に言われてしぶしぶエイシャの分も取り分けた。  そして「かける?」と聞いて、すっぱいフルーツにナイフを入れて二人の皿に置いた。 「ええ、できれば掛けていただければ」  アリッサの頼みに、喜んでとトラスティはフルーツを絞った。 「一応聞いておくけど、掛けた方がいいかな?」 「まあ、アリッサと扱いが違うのは仕方がないか」  ははと笑って、「頼む」とエイシャは答えた。それに頷き、たっぷりと酸っぱい果汁をエイシャの方に掛けた。そして手に残った搾りかすを見たトラスティは、「そう言えば」とここにいないライスフィールのことを持ち出した。 「カナデ皇に教えて貰ったけど、どうやら彼女は妊娠しているようだ。と言うことなので、辻褄合わせをする必要はなかったことになる。まあ、別の目的もあったから、しないと言う選択肢はなかったんだけど」 「ライスフィールさんが妊娠されていたのですか。それって、トラスティさんの子供なんですよね?」  予定通りではあるが、「何か嫌」と言うのがアリッサの感情だった。自分と言う恋人がいるのに、目の前の男はそこらじゅうで子供を作ってくれるのだ。カナデ皇まで孕ませたと聞かされると、本当にいいのかと思えてしまう。  そんなアリッサの気持ちに気づくこともなく、「そりゃあね」とトラスティは口元を歪めた。 「この状況で、僕以外の子どもだったら怖いと思うよ」 「そりゃ、まあそうか。あのライスフィールが、あんた以外に体を許すとは思えないからな」  モンベルトに帰る前と言う前提をつければ、エイシャの言うことは間違っていないだろう。そしてこれまでの状況で、ライスフィールは誰とも寝ていないのは分かっている。  とりあえず話の取り掛かりとしてライスフィールのことを話したトラスティは、これからのことを二人に話すことにした。 「これからだけど、僕は4日ほどの予定で帝国……と言ってもここじゃなくて、ジャイアントスターに行くつもりだ。そこでアリエル皇帝に、助力をお願いしようと思ってる。もしかしたら予定が延びるかもしれないけど、その場合でもアスで落ち合える予定だ」 「トラスティさん、ジャイアントスターに行かれるのですか!」  驚いたアリッサに、そうだよとトラスティは答えた。 「天の川銀河の中で、一番色々な技術を持っているからね。それに規模も大きいから、人材も豊富にいるはずだ。だから、少し手を貸せと言いに行こうと思ってね。まあ、あそこの皇帝は知らない仲じゃないしね」 「知らない仲じゃない……ですか」  はあっと息を吐き出したアリッサは、とても理不尽な決めつけをしてくれた。 「ジャイアントスターの皇帝さんにまで手を出していると言うことですか?」 「いやいや、さすがにそれはないから。それに今の皇帝は、1000ヤーを超えたお年寄りだよ」  1000ヤーと言うトラスティに、「まさか」とアリッサは驚いた。 「そこまで、見境がなかったと言うことですか」  かなりずれたアリッサの言葉に、エイシャは腹を抱えて笑い転げた。 「いやいや、さすがにそんな趣味はないから。それに長命種の人たちは、性行為を習慣にしていないんだよ。それこそ卵子や精子を使わなくても、彼らは子孫を残せるからね。それぐらい、遺伝子工学を含めて技術が進歩しているんだ。ちょっとその技術を拝借しに行こうかなと思っているんだよ」 「技術を……ですか」  はあっと違うため息を吐いたアリッサは、「使えないのかなぁ」とぼやきながらタンガロイド社のカタログを広げた。 「惑星改良だったら、お父様の所でもいろいろと扱っているんですよ。ほら、この蝶々なんて可愛いと思いませんか? これは、作業者たちの精神安定にも役に立つんですよ」 「確かに可愛いとは思うんだけどね……でも、惑星全体の改良は、さすがに想定はしていないだろう?」  カタログをざっと目を通してみて、「コロニー用」との記載が目に付いたのだ。さすがにコロニー用だと、気候変動まで管理しなくてはいけない惑星改良には使えない。 「確かに、惑星規模のは需要がないんですよね。だから、需要が高いコロニー用は沢山製品が揃っているんですけど……閉鎖空間用ですから、モンベルトには使えませんか……」  もともとアリッサが持ち出したのは、「鉱山」惑星とかの労働者用コロニーに使用されるものだった。そのため、適用するには大きなドームで囲われている必要がある。そしてドームで囲うため、外部の環境を気にしなくてもいいと言うメリットがあったのだ。 「まあ、使い方を工夫すればいいんだろうけど。そう言ったことを含めて、相談しに行こうと思っているんだよ。普通のやり方じゃ駄目だから、何か抜け道を探せないかとも思ってるんだ」 「だとしたら、仕方がないですね。それで、いつ出発されるんですか?」  ライスフィールのために骨を折るのは、アリッサも認めていることだった。そしてモンベルトの問題が、一筋縄でいかないどころの問題でないのも分かっていた。それを含めて、トラスティにペテンが求められていたのである。 「あと4時間後って所かな? まあ、できるだけ急いだ方がいいんだけど、そのあたりはどうにでもなるものだよ」  自分だけのために船が用意されるのだから、時間などどうにでも調整がつくものだった。ただ後々のことを考えると、出発を先延ばしにできないだけのことだった。  そして4時間後と言うトラスティの答えに、「えっ」とアリッサは驚いた。 「そんな、準備が間に合わないじゃないですかっ」 「いやいや、僕一人で行くつもりだったから」  足手まといと言うつもりはないが、アリッサがいると行動に制限を受けるのは確かだった。だから一人と答えたトラスティに、「そんなぁ」とアリッサは涙目になった。 「せっかくアークトゥルスにまで来たのに、また置いて行かれるんですか? 昨日だって、泣く泣くライスフィールさんに譲ったのに」  その前は、とてもノリノリだったはずなのだ。ただ可愛い恋人に対して、そんなことを言えるはずがない。 「本当に、付いてくるつもりなのか?」 「絶対にダメって言われたら我慢はしますよ。ただ、クンツァイト様と連絡をるかも知れませんけど」  弱みを突いてきたアリッサに、「勘弁して」とトラスティはさっそく白旗を上げた。それを確認したエイシャは、「よし」と言って拳を叩いた。 「いやいや、よしってなんだよ、よしって」 「アリッサが行くんだったら、保護者が付いて行くのも当たり前だろう? いやぁ、ジャイアントスターにまで行けるとは思ってもみなかったぞ」  なあと自分を見たエイシャに、アリッサは力強く頷いた。 「銀河の反対側になると、なかなか行けませんからね」 「しくしく、遊びに行く訳じゃないんだけど……」  どうしてこうなると天を仰いだトラスティに、アリッサとエイシャは勝手に相談を始めてくれた。 「お兄さまはどうしましょうか?」 「カイトさんか?」  うんと考えたエイシャは、ぽんと手を叩いて見せた。 「ライスフィール達のこともあるから、人質に残して行けばいいんじゃないか?」 「そうですね、ライスフィールさん達を確実に連れて来て貰わないといけませんね」  二人の間で、カイトは置いて行くことに決まったようだ。危ないことはないのだから、まともな判断と言っていいのだろう。 「じゃあ、出発の準備をしてくれるかな? 目標は4時間後の出発だから……一応皇室専用船ガトランティスを使わせてもらうことになっているよ」 「皇室専用船……ですか」  きっと素敵な船だろうと、アリッサは夢見るような顔をしてくれた。ただそれは、リゲル帝国を正しく理解していない行為である。 「いやいや、リゲル帝国の船だからね。ここを見ればわかると思うけど、とても実用的な船だから」 「でも、皇室専用船……なんですよね?」  そう言い返したアリッサに、トラスティは自分たちがいる場所を指差した。 「ここが皇宮と言うことを忘れてない?」  その指摘に、「そうだった」とアリッサは頭を抱えた。 「カレッジに似ていたから、つい馴染んでここがどこだったかを忘れていました。なにか、ちょっと裏切られた気がします」 「まあ、1日程度の我慢だから……」  カナデ皇の耳に届こうものなら、もう一度搾り取られることは確かだろう。もっともここの生活になじんだのなら、専用船の生活も苦にならないはずだ。 「じゃあ、すぐに準備を始めてくれるかな? 僕は、兄さんとライスフィールに事情を説明してくる」  そう言って立ち上がったトラスティに、アリッサは飛びつくようにして首に腕を絡めた。 「ライスフィールさんは、今大変な時期ですからね。ですから、ほどほどにしてあげてくださいね」  するなと言わないあたり、アリッサの優しさなのかもしれない。ただ昨夜のことを考えれば、今さらほどほどにすることにどれだけの意味があることだろう。もっとも残された時間が短いので、結果的に「ほどほど」になるのは目に見えていた。 「確かに、ほどほどになるのだろうね。それから、妊娠のことは先に伝えておいた方がいいかな?」 「そうですね、きっとライスフィールさんも喜ぶと思いますよ」  ここまでくれば、覚悟を決めるとでも言えばいいのだろう。アリッサのお墨付きをもらったので、ライスフィールに妊娠のことを教えることにした。 「じゃあ、急いで準備をしてくれるかな?」 「はい!」  そう答えて、アリッサはしっかりとトラスティに唇を重ねた。 「とりあえず、クンツァイト様には連絡をしないことにしておきます」  ぐさりと痛い所を吐いたアリッサは、トラスティから離れて「行きましょう」とエイシャに声を掛けた。 「ああ、なかなか今度の旅行は盛りだくさんだなっ」  そう言って喜ぶエイシャに、「いつから旅行になったんだ」と文句を言いたい気持ちになっていた。ただ彼女達に言っても無駄だと分かっているので、それ以上拘らずにトラスティはカイトを探すことにした。  どこを探そうかと考えていたトラスティだったが、すぐにカイトの姿を見つけることができた。ザリアが再起動したことに安心したのか、ほっとした表情で食堂に現れてくれたのだ。 「兄さん、ちょうど良いところに来てくれた」  そう言って喜んだトラスティは、それまで自分達が座っていた席にカイトを案内した。 「これからのことを、アリッサ達と話をしていたんです。それを兄さんに伝えようと思って」 「なるほど、これからのことか」  うんうんと頷いたカイトは、それでと続く言葉を待った。 「技術支援を求めるため、僕達はジャイアントスターに行くことにしました。出発は、およそ4時間後ですね。一応往復を含めて4日程度の予定です。もしも延びるようなことがあったら、兄さんとはアスで合流と言うことになります」 「なるほど、あそこは高い技術を持っているからな。それに、人材も豊富に抱えているだろう」  いい考えだと頷いたカイトだったが、何か引っかかりを感じてしまった。そしてすぐにその正体に気づき、「僕達?」と肝心な部分を聞き返した。 「俺と合流するって話だから、その中には俺は含まれていないよな。だとしたら、僕達ってのは誰のことを言っているんだ?」  想像することはできるが、「まさか」と言う思いも同時にあった。そんなカイトに、トラスティは少し口元を引き攣らせた。。 「僕としては、一人で行くつもりだったんですよ。ただ、おねだりをされたら……いやいや、クンツァイト王子に連絡をすると脅されたら、ダメとは言えないでしょう」  その顔を見ると、どうやら同行者を連れて行くのは本意ではなかったようだ。アリッサの顔を思い出し、確かになとカイトは納得した。 「ああ、可哀そうにと言ってやる。それで俺は、予定通り王女様達を連れてアスに行けばいいんだな?」  自分の役割を確認したカイトに、「そう言うことです」とトラスティは彼の役割を認めた。 「カナデ皇にも伝えてありますから、そちらの手続きは問題ないと思います。たぶんライスフィールも我儘は言わないでしょう」 「そうだろうな……ところで、彼女の体は大丈夫なのか?」  それを聞かれたトラスティは、カイトには伝えていなかったことを思い出した。 「ライスフィールですが、無事妊娠が確認できましたよ。と言うことなので、計画の第一段階は完了です」 「あとは、お前が秘策を持って乗り込むだけか」  うんうんと頷いたカイトに、「それが一番難しい」とトラスティは零した。 「僕が悪役になるところまでは考えたんですけどね。ただ、その先がまだ計画できていない。まあ、そのためにジャイアントスターに行く必要があると言うことです」  そう答えたトラスティは、思い出したと言って手を叩いた。 「そう言えば、兄さんにも重要な役目がありました」 「ザリアじゃなく、俺に重要な役目があるんだな!」  目を輝かせたたカイトに、もちろんとトラスティは力強く頷いた。 「今回の問題には、エスデニアの協力が不可欠なんです。後は、あの議長に余計なことをさせないことも考えないといけないんです。そのために、兄さんにはエスデニア最高評議会議長、ラピスラズリ様と副議長ブルーレース様を誑し込んでほしいんですよ」  重要な役目と言われて喜んだところに、言われたのが二人の女性を誑し込めである。すかさずカイトが「パス」と答えたのも無理もないことだろう。 「兄さんなら、そう言うと思っていましたよ。もちろん、断られたからと言って、逃がすつもりもありませんけどね。間違いなく、議長様の好みは兄さんですから」 「お、俺に選択権はないのか!?」  カイトの反論に、「何を今さら」とトラスティは呆れて見せた。 「そんなものが、兄さんに……いやいや、僕達に与えられたことがありましたっけ?」  ないですよねと深刻そうな顔で見られれば、カイトも認めない訳にはいかない。確かになと大きく頷き、「なんでだろうな」と弟の肩を叩いた。 「お前のことを、本当に他人には思えなくなってきたよ」 「そのあたり、僕も同感なんですけどね……たぶんですけど、周りからは贅沢を言っているように思われていると思いますよ」  全く同じ認識に、カイトは力強く頷いて見せた。そしてもう一度トラスティの肩を叩き、「お互い頑張ろうな」と声を掛けたのだった。  カイトと傷をなめ合った後、トラスティは前日と同じくライスフィールの部屋を訪れた。ただ前日と違ったのは、ちゃんとノックをしたことだった。「トラスティだけど」と声を掛けたのだが、ちゃんとライスフィールは扉を開いてくれた。  朝食の後着替えたのか、ライスフィールはゆったりとした生成りのワンピース姿をしていた。 「あなたが、礼儀を守ることもあったのですね」  驚いた顔をしたライスフィールに、「拒否されないのは分かっていたから」とトラスティは嘯いた。そしてライスフィールに誘われるまま、彼女の部屋に入っていった。 「でも、することは同じなのでしょう?」  自分の意志に関わりなく抱くのだろうと。その決めつけに、トラスティは小さく首を振った。 「君と、いろいろと話をしなくちゃいけないと思ったんだよ」 「私と、ですか?」  普段より元気がないのは、体調が理由になっているのだろうか。反発もなく、ライスフィールはトラスティの言葉を受け入れた。 「でしたら、その前に飲み物を用意いたします」  ゆっくりと立ち上がったライスフィールは、備え付けのキッチンに行きポットをお盆に乗せて戻ってきた。そこで目についたのは、山盛りになったレモンの様なフルーツだった。  そしてお盆をテーブルに置くと、優雅な作法でお茶を二人のカップに注いだ。ただ自分のカップには、たくさんの果汁も加えていた。 「それ、酸っぱくない?」  思わず確認したトラスティに、「それは」と少しはにかんだ様な笑みが返ってきた。 「今は、この方が口に合うので……それで、私と話をしたいと言うことですが、何の話をするのですか?」  お盆を脇に避け、ライスフィールはゆっくりとお茶を口に含んだ。その所作の美しさに、さすがは王女様だとトラスティは感心していた。物資に乏しいモンベルトだと考えると、作法を伝えるのも大変な苦労があったことが想像できてしまう。 「そうだね、君には色々と話すことがあるんだ。まず君が感じている体調の悪さなんだけど。カナデ皇から、結果を教えて貰ったよ」  そう言って顔を見られたライスフィールは、少し顔を伏せて「妊娠ですか」と答えた。 「そのあたりは、やはり女性なら分かってしまうんだね。詳しいことは、明日の診察で聞いてほしいんだけど。君が妊娠しているのを確認できた。お腹の中にいるのは、男の子と言うことだよ」 「……やはり、あなたの子、なんですね」  ゆっくり下腹に手を当てたライスフィールは、「あなたの子」と小さく繰り返した。 「気に入らないかもしれないが、僕の子供以外には考えられないだろうね。と言うことで、僕には君と、お腹の子供に対する責任が生まれてしまった」  責任と言う言葉に、ライスフィールはゆっくり顔を上げてから首を振った。 「別に、気に入らないなどとは思っていません。ただ私の国では、生まれてきた子は母親の物です。誰が父親か分からないのが、そうなった理由なのですが。ですから、この子に対して責任があるのは私だけです」  モンベルトの常識を持ち出したライスフィールに、トラスティは小さく首を振った。 「それは、モンベルトの事情があるからだろう。だけど、リゲル帝国でも……ちょっと微妙な所はあるけど。まあ、お腹の子供の父親は分かっているんだ。それに、その父親も責任を取る……違うな、義務を果たす用意があると言っているんだよ。だから君は、それを素直に受け取ればいい。ただ僕が不安に思うのは、父親のせいで君や生まれてくる子供が酷い目に遭わないかということだけだよ」  自分や生まれてくる子供への気遣いに、ライスフィールは嬉しいと言う気持ちを抱いていた。ただそれを顔に出さず、モンベルトの常識を繰り返した。 「生まれてくる子は、母親のものと言いました。ですから、父親のことでこの子が犠牲になることはありません。子供と言うのは、モンベルトにとって宝物なのです」 「一般論では、そうなんだろうね……」  ライスフィールの言葉を認めたトラスティは、「ただ」とこれからする説明に踏み込んだ。 「僕は、モンベルトにとって悪人になろうと思っている。何をと言うのは、君に話す訳にはいかない。ただ君は被害者で、そして国民のための犠牲でなければならないからね」  賢明なライスフィールだから、トラスティが何を言おうとしているのか理解できてしまった。ただ自分が反対するぐらいで、目の前の男が考えを変えないことも理解していた。と言うより、散々思い知らされてきた。 「私に子供を授けたのも、そのため……ですか?」  自分の真意を確認したライスフィールに、トラスティは少しだけ口元を歪めた。 「そのあたりは、昨日話した通りだよ。あの夜は、それを目的に君の部屋に忍び込んだ訳じゃない」 「私を抱きたかった……と思えばいいのですね」  少し頬を染めたライスフィールに、「そう言うことになる」とトラスティは答えをぼかした。 「そしてこれからが本題だ。君の中には、新しい命が芽生えている。こういった時、モンベルトでは女性の義務を求められるのかな?」  その問いに、ライスフィールははっきりと首を横に振った。 「いえ、母体の保護が第一とされます。それほどまでに、モンベルトでは新しい命と言うのは貴重で、そして出産と言うのは危険なものだと理解されています。子供が生まれた後も、しばらくは義務から解放されることになるでしょう」  自分のお腹に手を当てたライスフィールは、「それが狙いなんでしょう?」と問いかけた。 「その問いに対して、否定が難しいことは分かってる。僕としても、そこらじゅうに子供を作っていいものじゃない。だからそれが狙いかと言われれば……そうだとしか答えようがないね。そうすれば、君を他の男に抱かせなくても済む。浮気性だが、これでも独占欲と言うのはあるんだよ」  それが答えだと言うトラスティに、ライスフィールはアリッサのことを持ち出した。 「アリッサお姉さまのことはどうするのですか? モンベルトに関わってしまうと、絶対にとは言いませんが、会うのが難しくなると思います」  行き来が制限され、しかも劣悪な環境に置かれたモンベルトなのである。とてもではないが、アリッサの様な女性が足を踏み入れるような場所ではないはずだ。  それを指摘したライスフィールに、「それも考えているよ」とトラスティは優しく答えた。 「だからこそ、僕は悪者にならないといけないのだけどね。正確に言うと、傲慢極まりない暴君って所かな」 「何をされるのかは、お尋ねしても教えてはもらえないのでしょうね……」  ふうっと息を吐き出したライスフィールは、「でしたら」と言ってトラスティの前に跪いた。 「モンベルトの古い習慣にのっとり、私は永遠の愛をあなたに誓います。たとえあなたが悪魔と謗られることになろうと、私はあなたを信じ、この愛を捧げることでしょう。勝手なお願いとは思いますが、わが愛をお受け取りいただけますでしょうか?」  見上げられたトラスティは、さすがに困ったなと言う顔をした。 「そんなものはいらない……とは、とても言えないね。ただ、僕の愛は君だけにあげる訳にはいかないんだ」  まともに考えれば、不誠実そのものの答えに違いない。そして渾身の求愛を躱されたライスフィールも、予想していたとは言え酷い答えに呆れていた。 「やはり、あなたはどうしようもなく酷い男なのですね。今の答えだけで、私が生涯憎み続ける理由となるでしょう」  そう言って笑ったライスフィールは、小さくためていた息を吐き出した。 「とは言え、私も一度口にしたことを取り下げる訳には参りません。いらないと言われようが、絶対に受け取っていただきます。わが生涯を掛けて、あなたに私だけを愛していると言わせて見せましょう」  それが自分の誓いだと言い切り、ライスフィールは立ち上がって自分の椅子に腰を下ろした。 「私の子のこと、そしてあなたが民達の敵になること……それが、お出でになられた全てでしょうか?」  答えを待つように自分の顔を見たライスフィールに、トラスティは少し口元を歪めた。 「出発前に、君を抱いていこうと思ったのだけど……どうやらその必要も無いことが分かった」  だからしないと言うトラスティに、ライスフィールは大げさに驚いたそぶりを見せた。 「あなたが、自制するとは信じられませんね。ところで、お出かけと仰りましたが、どちらにお出でになるのですか?」 「ちょっと、ジャイアントスターまでね。あちらの皇帝に、頼みごとをしようと思っているんだ」  トラスティの答えに、ライスフィールは心からのため息を返した。 「そのお方にも、手を出されていると言うことですね。今さらのことですが、あなたは女の敵に違いありません」 「う〜ん、みんなに言われたから諦めてはいるけど……長命種の人たちは、そっちの欲望を持っていないんだよ。加えて言うと、今の皇帝は齢1000ヤーを超える婆様だ」  だからないと断言したトラスティに、「信じられませんね」とライスフィールはきっぱり言い返した。 「ああ、信じて貰えるとは思っていないよ」  はあっと息を吐き出したトラスティは、「それだけだ」と言って立ち上がった。それを「もし」とライスフィールが呼び止めた。 「どちらへ行かれるのですか?」 「出発の準備かな。アリッサやエイシャさんも付いて来るって言うから、準備の手伝いをしようかと思ってる」  「その程度」と答えたトラスティに、ライスフィールは何度目かのため息を返した。 「なぜ、私にもついて来いと命じられないのですか?」 「君は、体を休める時だからだよ。そしてこれから子供を産むために、ここで治療をしていく必要がある」  連れて行かない理由を口にしたトラスティに、「それなのに」とライスフィールは食い下がった。 「私を可愛がっては下さらないのですか?」 「なんかなぁ、君の場合嫌がってくれないと燃えないんだ」  さすがにそれは変態だと、ため息を吐いてから「人でなし!」とトラスティを詰った。 「あなたと言う人が、つくづく人でなしと言うのがよく分かりました。どうしてこんな男をっ!」  じろりとトラスティを睨みつけたライスフィールは、諦めたように小さくため息を吐いた。こんな短い時間なのに、自分はため息を吐いてばかりだとライスフィールは呆れていた。 「なにか、先ほどした誓いの言葉がむなしく思えてきました。ただ、このままでは女としての誇りが許しません!」  そう言って立ち上がったライスフィールは、まるで引きちぎるようにしてワンピースのボタンを外した。そして両手を袖から抜いて、するりとワンピースを脱ぎ捨てた。そのあたり、ひっかる所が少ないのが役に立ったのだろう。ただその理由は、少しも嬉しくない物だった。  そうやって下着姿になったライスフィールは、胸を隠していたブラを外そうと後ろに手を回した。 「いやぁ、それって逆効果だと思うよ。やっぱりね、君の場合は恥じらいと言うスパイスが必要なんだよ」  あっけらかんと脱がれると、さらにそそられなくなると言うのである。さすがにここまで言われると、ライスフィールも悲しくなってしまう。「楽しいですか」と謗り、手で顔を隠して涙を流した。 「あなたと言う人は、私をどこまでいじめれば気が済むのです」  下着姿のまましゃがみ込んで泣くライスフィールに、さすがにやり過ぎたかとトラスティは反省をした。話しているのが楽しくて、つい悪乗りをしてしまったのも自覚していたのだ。ただ泣かせるのはやり過ぎと、少し慌ててフォローに入った。 「ご、ごめん、少しやり過ぎたようだね。君を泣かせようとは思っていなかったんだ」  立ち上がったトラスティは、しゃがみ込んで後ろからライスフィールを抱き寄せた。そして少し強引に振り向かせ、淡い桃色をした彼女の唇を奪った。それから何度も口づけを繰り返したところで、ライスフィールは「ばか」と言ってトラスティの胸に頭を預けた。 「早く、帰ってきてくださいね……」  そう言ってしなだれかかりながら、この手は使えると心の中でほくそ笑んだのである。  全員が揃ったのは、予定の4時間を30分ほど過ぎてからのことだった。一番に現れたのは、どう言う訳かアリッサで、その次に少しだけ遅れてエイシャが現れ、カイトとヘルクレズ、ガッズはほぼ定刻に現れた。そして全員を30分ほど待たせ、トラスティがライスフィールを伴って出発ゲートに現れたのだ。  まあ何をしていたのかは分かるし、時間の感覚が適当になるのも理解していた。ただ恋人として、待たされることに文句を言うのは正当なものに違いない。 「よほどお楽しみだったのですね」  と白い目で見られれば、さすがのトラスティも焦りを隠せなくなる。傍から見れば滑稽なほど、平身低頭してアリッサに謝り倒していた。そして恋人同士のじゃれあいから離れた4人は、出発前の挨拶を交わしていた。 「たぶん、お姫様のことは聞いていると思うが……」  二人の顔を見たエイシャは、「頼むぞ」と拳をヘルクレズの胸にぶつけた。ただ軽い気持ちで殴ったのに、拳にはコンクリートの壁を叩いたような衝撃が伝わってきた。少しだけ顔を顰めたエイシャは、「そう言うことだ」とごまかした。 「皆様のご厚意に感謝いたします。そしてエイシャ殿、我々は命を懸けて姫をお守りいたします。それは、モンベルトを出た時から、変わらぬ決意でございます」  そう言って頭を下げたヘルクレズとガッズに、「だがな」とエイシャはライスフィールの顔を見た。 「その割には、トラスティに好き勝手させてないか?」 「そのあたり、誓いだけではどうにもならない現実と言うものがあるのでしょう。なにより姫様が拒まなければ、我々も手出しのしようがございません」  もっともらしい理由に、「だそうだ」と今度はライスフィールにちょっかいを掛けた。 「どうやら、嫌がっていたのは演技だったんだな」 「そそそそんなことはありません。た、確かに、初めてを与えたのは雰囲気に流されたところもありますが……で、ですが、その前はあの男の顔も見たくなかったのです!」  それだけ絶対に譲れないと、ライスフィールは顔を赤くして文句を言った。それをなるほどねと受け取ったエイシャは、ずいぶんと変わったのだとライスフィールの変化を笑った。 「それなのに、今はおねだりをするようになった訳だ。そりゃあ、おっさん達が頑張っても守りきれないわ」  あははと笑ったエイシャに、ライスフィールは顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。 「と言うことでだ。予定では4日後に帰ることになっているが、場合によってはアスで落ち合うことになるかも知れないな。カイトさん、みんなのことをよろしく頼む」  本当ならトラスティの役目なのだが、肝心の二人はいちゃらぶの真っ最中だった。「船に乗ってからやれ」と言う文句を飲みこみ、そう言うことだと無理やり話を打ち切った。 「これでトラブルA相談所は、ジャイアントスターにまで進出することになった訳だ!」  そう言って無い胸を張ったエイシャに、「おいおい」とカイトは突っ込みを入れた。 「トラブルAじゃなくて、トリプルAだろう。自分からトラブルと言ってどうするんだ?」  内心否定しにくいと思いながら、カイトはお約束の突込みを入れた。それをそうだったかと笑ったエイシャは、まだいちゃいちゃしている二人の方をちらりと見た。 「なんか、最近トラブルが多いと思ってな。だからTrouble Alissaかなと思ったんだよ」  あははと笑ったエイシャに、「確かに」とカイトは頷いた。 「ここの所のトラブルは、だいたい彼女がらみだったな」  大いに納得してくれたカイトに、そう言うことだとエイシャは繰り返した。そしていちゃラブを続ける二人に、「そろそろ行くぞ」と声を掛けた。 「そう言うのは、船に乗ってから思う存分やってくれ」  邪魔はしないからと言って、エイシャは二人の背中を押した。 「じゃあなライスフィール、体を大切にするんだぞ!」 「そうですね。エイシャ様にはお二人をお願いいたします」 「それ、僕の役目だと思うんだけど……」  トラスティの抗議を無視して、エイシャは二人の背中を押して船に乗り込んでいった。この先向かうのは、ジェイドから見れば天の川銀河の反対側にある、銀河最大の帝国の本星である。ジェイドから直線距離でも7万光年離れた場所だった。 「騒がしいのが行ったか……」  船のゲートが閉じた所で、カイトはぼそりと小さな声で呟いた。そしてそれを聞きつけたヘルクレズが、「確かに」と大きく頷いてくれた。 「落ち着かないことこの上ないのですが……それで、助けられているところが多々あるかと思いますが」  いかがかなと見られたカイトは、頬の辺りを指で掻いて「確かにな」と苦笑した。 「恐らく、アリッサお姉さまが大らか……とは違う気もしますが、大らかなのが理由でしょうね。そしてエイシャ様も、お姉さまに負けず劣らず大らかでらっしゃいます」 「まあ、あの二人を見れば、「大らか」なのは間違いないだろうなぁ……トラスティの奴も可哀そうに」  心からのカイトの言葉に、「あら」とライスフィールは驚いたような顔をした。 「あの人が、可哀そうなのですか? 私には、とてもそうは思えません。むしろ、あの人が諸悪の根源に思えるのですけど?」  ですよねと同意を求められ、「だがな」とカイトは言い返した。 「面倒なことは全部押し付けられ、そのくせあいつの意見は通っていないと思うんだがな。しかも船の中じゃ、2対1になる。何が起きるのか、予想がつくようだ……」  自分も苦労をしたことがある。それを思い出していたのか、カイトの答えにはとても実感がこもっていた。そしてライスフィールも、3人の力関係を認めた。 「確かに、お姉さまが招きよせたトラブルが、あの人に押し付けられている気もしますね。お姉さまと出会わなければ、パガニアにも私にもあの人は関わり合うことはなかった。ヘルクレズとガッズ、そしてあなたに顔の形が変わるほど殴られることもなかったのでしょう」 「おいおい、そこまでやったのはニムレスだろう。俺は、せいぜい……まあ、数発殴った程度だな。それでも、一応手加減はしていたんだぞ」  自分じゃないと主張したカイトに、「殴ったことには変わりませんよね?」とライスフィールはその反論を封じた。 「それでも、お姉さまと恋人同士になれたのですから小さなことだと思います」 「そのアリッサなんだがな……」  ふうっと息を吐き出したカイトは、「結構手が掛かった」と白状してくれた。 「そのあたりのことは、今日の晩飯の時にでも教えてやろう」 「いない人の悪口を言うのは感心しませんが……」  そう言って苦笑したライスフィールは、「面白いので許します」とお許しを与えた。 「と言うことなので、義妹の恥ずかしい話をばらしてやるか」 「なんか、面白そうだな」  いいぞと同調したガッズに、ああとカイトは力強く頷いたのだった。  その頃アークトゥルスを離れた皇室専用船ガトランティスは、最初のゲートへの進入路に向かっていた。皇室専用船の立場を利用し、待ち行列を飛ばした結果である。  皇室専用船を使うと言うことを期待したアリッサだったが、その期待は綺麗サッパリ裏切られてしまった。皇宮と変わらぬ内装に「やっぱり」と落胆したアリッサに、言った通りだろうとトラスティは笑った。そしてそう言って笑ったところで、二人が揃って大きなくしゃみをした。 「誰かに悪口を言われたのかな?」 「なにか、私もそんな気がしています。ですがトラスティさんはいざ知らず、私は悪口を言われるようなことをしていないのに……」  おかしいですと文句を言うアリッサに、「自覚がないのだな」とエイシャは生暖かい視線を向けた。そして悪口の主を思い出し、言いたくもなるよなと同情していた。ただそれも仕方がないと、これからのことを確認することにした。 「それで、帝星に着くまでは自由時間か?」  ゲートを乗り継ぐ関係で、24時間ほどかかると言われていたのだ。ただ乗り継ぎ作業に自分達は関係ないため、その間はずっと暇と言うことになる。  そのスケジュールを確認したエイシャに、「それが」とトラスティは身を乗り出した。ちなみに堅苦しい恰好は嫌だと、トラスティはベージュのシャツと、グレーのズボン姿だった。一方アリッサはグリーンのワンピース姿で、エイシャは黒のニットシャツに同じく黒のキュロットスカートを合わせていた。 「途中で、一度中継センターによることにしたんだ。目的は、コンステレーションU号を捕まえること。ライスフィールが言うには、環境工学の教授がそこに乗っているらしい。とりあえず、あちらに同行の打診は送ってある」 「そう言えば、ライスフィールさんは公開講座に出られていましたね。それで、その方は何とおっしゃるのですか?」  せっかく寄り道をするのなら、意味のあるものにしなくてはいけない。それに、ライスフィールの伝手と言うのも興味があったのだ。 「「アリハスル・タウンド」と言う人らしいね。ライスフィールが言うには、手伝うことがあれば声を掛けてくれと言ってくれたそうだ」 「彼女が綺麗だったからでしょうかね。まあ、よくある社交辞令の様なものだとは思いますが……」  そう言いながら、アリッサはデーターベースから「アリハスル・タウンド」と言う人物を検索した。ただ同じ名前が山のように出てきたので、「他に情報は?」とトラスティに聞き返した。 「環境工学を教えていたと言うことだな。それから……年齢は結構いっているようだ」 「それだけだと、少し情報が不足しますね……コンステレーションU号のデーターを引っ張ってきましょう」  コンステレーションU号であれば、公開講座の情報も載っているだろうと考えたのだ。そしてもくろみ通り出てきた情報を利用し、アリッサは「アリハスル・タウンド」の経歴にたどり着いた。 「ものすごく有名ってことはなさそうですけど……現役時代は、超銀河連邦の審議会にも招請された程度の実績はあるみたいですね。今年75ヤーで、5ヤー前にリベルタの大学を退官されています」 「いやいやアリッサ、その前の経歴を見た方がいいぞ。リベルタ大に来たのは、帝国第35大学を退官したからだろう。帝国第35大学なら、かなりレベルが高いって話だぞ」  どれどれとデーターの後ろを見たアリッサは、確かにと大きく頷いた。 「第35ぐらいになると、1つの星系ではトップクラスですね。それを考えると、超銀河連邦の審議会に招請されるのも納得できますね。それから専門ですけど、土質、水質改善技術に大気汚染浄化関係ですか……まるで狙ったような人物に当たりましたね」 「まあ、環境の公開講座をする人だから……」  それを考えれば、専門分野が狙ったものになるのは不思議なことではないはずだ。それでも一番の問題は、自分たちの求める知識を有しているのかと言うことだ。それに加えて言うのなら、こちらに協力してくれるかと言うのも問題となる。 「ところでアリッサ、タンガロイド社には専門家はいないのか?」  環境改善シリーズを出しているぐらいだから、契約している専門家がいてもおかしくないはずだ。トラスティの指摘に、「確かにそうですね」とアリッサはタンガロイド社を調べた。 「いくつかの大学に委託研究を出しているのは確かですね。その中には、アシハラ大学も入っています。ただ、先日の事件で大きな被害を負っていますから、アシハラはちょっと期待薄ですね。後は、鉱山開発を行っているデベロッパーとパートナー契約をしています。環境シリーズは、主に鉱山開発用ですから、それも不思議なことではありませんね」 「つまり、タンガロイド社も利用できそうと言うことか……だけど、民間企業を巻き込むには……」  それなりの餌を考えないと、民間企業を巻き込むことは難しい。ただパガニアから補償金を巻き上げれば、資金的には十分に餌を与えるのも可能だろう。だからトラスティは、実現方法としてタンガロイド社を活用することも候補に入れた。 「それで、コンステレーションU号にはいつ追いつくんだ?」 「今からだと……」  時計とスケジュールを確認し、「6時間後」とトラスティは答えを口にした。 「だとしたら、夕食を食べてからも時間がありますね……」  そこでエイシャと目と目で合図を送ったアリッサは、大切なことは食事前に終わらせることにした。 「それで、それ以外の予定はどうなっているんです?」 「あとは、アリハスル・タウンド教授をこの船に乗せて、帝星に向かうだけだよ。もちろん、皇帝にうんと言わせる作戦を練る必要があるけどね。後は、ペテンの……なんか嫌な言い方だな、これ。まあペテンでいいけど、そのネタを考えることをしないといけないんだ。引き受けた以上、やり遂げる責任があるからね。こう見えても、結構忙しいんだよ」  移動中にやることを答えたトラスティは、なぜか背中に冷たいものが流れるのを感じていた。自分はまじめに仕事をすると答えた筈なのに、どうしておかしな緊張感を招いてくれるのか。どうしようもない理不尽さを感じながら、にこにこと笑っている恋人の顔を見た。 「私の顔に、何かついていますか? 別に、見とれていたと言うのなら許しますけど?」  そうやってにっこりと笑われると、ますます違和感が増してくれる。絶対におかしいと思いながら、そう言うことだからと言ってトラスティは立ち上がった。 「少し早いけど、夕食を取らないか? まあ、あるのは皇宮と変わらない料理だけどね」 「それは、帝星で期待しましょう」  短い時間なら、さほど気にしなくてもすむでしょう。そんなアリッサの答えに、トラスティは帝星ことレムニアの食環境を思い出した。そしてまあいいかと、細かなことには拘らないことにした。ジェイドとは別の意味で洗練されているのだが、多くのレストランは長命種の趣向に合わせていたのだ。 「まあ、短命種向けのレストランもあったはずだし……」  そこに連れて行けば、それなりの物も用意できるだろう。たぶん大丈夫だろうと、とても質素な生活を送る帝星のことを思い出したのである。  そして5分ほど歩いて食堂に着いた所で、3人は予想通りのメニューにため息を吐いた。昨夜に比べて魚の種類は変わったようだが、相変わらず巨大な切り身が目の前に並べられたのだ。そしてお約束のように巨大な肉の塊に、おいしそうに見えないパンと具の少ないスープが添えられていた。それに加えて、これでもかと言いたくなるほどのフルーツが並べられていた。 「ケーキとか、期待するのは間違っているんでしょうね……」  見ただけでお腹がいっぱいになると零したアリッサに、「皇宮じゃね」とトラスティは答えた。 「街に出れば、普通のレストランもあるんだよ。でも、皇宮は伝統を重んじるからねぇ。これが、伝統的なリゲル帝国料理なんだよ。ただ昔は、もっと酷かったらしいよ。「食事は栄養を補給する以上の意味はない!」とIotUの奥さんになった人も言っていたぐらいだから」  その後しっかりアスの食事環境に染まっていたのだが、リゲル帝国の食事事情を説明するのに適当なサンプルには違いなかった。  それになるほどと頷き、エイシャは黄色く熟れたマンゴーの様なフルーツに手を伸ばした。 「まあ、ちょっとした思いつきなんだが……」  二人に顔を見られたので、エイシャは言い訳をしながらスライスした黄色い塊を肉の上に乗せた。そして二人が注目する前で、それをぺろりと平らげた。 「まあ、普通に食べるのに飽きてきたときにはいいと思うぞ。この甘酸っぱいのが、肉のうまみを引き出してくれているしな」  そう言いながら、エイシャは酸っぱいフルーツに手を出した。そしてそれもスライスをして、変わり映えのしない魚の切り身の上に載せて口に入れた。 「こうすれば、皮の苦味もアクセントになるしな。ひと手間加えれば、リゲル帝国の料理も悪くはないぞ」 「確かに、ひと手間ふた手間かける前の料理だからね……これは」  塩とか油とかで調理されているのだから、確かに手間をかける前と言うのは正しいのだろう。なるほどと納得したトラスティは、赤い小さな実をパンにはさんで口にくわえた。 「この方が、パンに水気が加わるのと、甘酸っぱさが加わっておいしいかもしれない」 「でしたら、この黒っぽい果物でも試してみましょう」  やけにつやつやとした皮を切ったら、中からは黄緑色をした実が現れた。それをそぎ切りにして、アリッサは薄切りをした肉の上に重ねて見せた。 「肉のパサつきが取れて、濃厚な感じになったと思います。あと一味加えると、おいしくなると思うんですけど……」  そこで「WASABI」と書かれた瓶に目をつけ、アリッサは緑色の練り物を肉の上に置いた。 「少しつけすぎた気もしますが……ずっとましになった気がします」  涙ぐんだところを見ると、かなり辛かったと言うことだろうか。なるほどと頷いたトラスティは、アリッサをまねて少しだけWASABIを肉の上に乗せた。 「確かに、この方がアクセントが付いていいね。なるほど、工夫をすればリゲル帝国の伝統食もおいしくいけるんだなぁ」  エイシャに触発された形で、それぞれが思いついた食べ方を試して行った。その結果は半分が当たり、そして半分がはずれと言う所だろうか。そこで意外だったことは、意外にアリッサの引きが弱かったことだろう。ギャンブルの強運を考えると信じられないのだが、選択した物を見れば、理由にも納得行く言うものだ。何しろアリッサは、どう見てもダメそうなものばかり選んでいた。  半分はずれと言う半ばゲームを楽しんだ3人は、普段以上のお腹に入れたこともあり、しばらくその場を動けなくなっていた。 「面白いのはいいが、少し食べすぎたな」  あははと笑ったエイシャは、同じように動けなくなったアリッサを見た。そして自分に頷き返すのを確認し、「腹ごなしをしようか」とトラスティに声を掛けた。 「確かに、腹ごなしをしないといけない塩梅だねぇ……」  自分のお腹を押さえ、トラスティは確かにと頷いた。そして頷いたころで、何かに気づいたようにエイシャの顔を見た。浮かべられた笑みを見て、慌てて恋人の顔も見た。 「は、腹ごなしって……そう言う意味じゃないんだけど?」  カイトと慰め合ったことなのだが、こういった時に自分に選択肢は与えられない。それでも無理を承知で、普通にしようよと主張した。 「だから、普通にするのだが?」  なにもおかしなことはないはずだ。にやりと笑ったエイシャに、トラスティは逃げ切れないことを覚悟した。ただ文句があるのは、エイシャが積極的なことだろう。勢いで流された前回が例外だと考えれば、エイシャが混じると言う話にはならないはずだった。 「た、確か、君には恋人がいただろう?」 「そう言って断ったのに、昨日は許してもらえなかったよな?」  何をいまさらと笑い、エイシャはがっちりとトラスティの右腕を捕まえた。そしてエイシャに倣うように、アリッサが左腕を捕まえてくれた。柔らかいのとそうじゃないのを感じながら、早死にするなとトラスティは自分の将来を案じたのである。  そんなことがあっても、トラスティはちゃんとアリハスルとの待ち合わせに間に合った。そのあたりは、責任感の表れと言うより、相手が二人と言う幸運に恵まれたからだろう。ただ、それでも顔に疲労の色が浮かぶのは避けられなかった。 「タウンド教授、旅の途中に申し訳ありませんでいた」  固いスーツに着替えたトラスティは、笑みを浮かべながらアリハスルに右手を差し出した。一方のアリハスルは、ストライプのポロシャツに、ベージュのズボンと言う出で立ちである。いささかアンバランス感が隠せない組み合わせである。  そしてアリハスルは、笑顔のトラスティに最初の一撃を加えた。 「世の中、笑顔で近づいてくるのにろくな奴はおらんものだ」  差し出された手を取らず、「ライスフィール姫は?」とトラスティの後ろを見た。だがそこには、誰一人として待っている様子はなかった。 「彼女は今、リゲル帝国の皇宮で保護されています。付いて来たがったのですが、健康上の理由で残してきましたよ」 「そうか、彼女はいないのか」  残念そうにしたアリハスルは、それでと近くにあったベンチを指差した。どうやらそこで、話をしようと言うのである。  それを自分に対する試験だと理解し、トラスティは大人しく彼に従った。 「わしに助力を求めると言う話だと聞いたが?」 「そうですね、あなたは彼女にモンベルトの事情を知らされている。そして、モンベルトを美しい星に戻すのは「非常に」困難だと教えていますね。そこには技術的問題だけでなく、人の問題があると指摘された。まあ、まともに考えれば、こんな巨大事業を行うのは困難なことは分かっています。しかも、モンベルトには住民自体にも問題が多いのも分かっている。そもそも惑星全体のフォーミングは、よほどの事情がない限りコストが見合わなくて行われない。そして過去の例を持ち出すと、人が住んでいる星で行ったことはない。理由は簡単、あまりにも難易度が高すぎるから。そして人が住める環境だから、大規模なフォーミングも必要がない。まあリゲル帝国主星アークトゥルスみたいなのもあるけど、あれはフォーミングではなく、単なる環境改良でしかない」  真剣な表情でトラスティの言葉を聞いたアリハスルは、小さく頷き「それで」と先を促した。今のトラスティの話は、お互いの認識を確認した以上の意味を持っていなかったのだ。それだけでは、何を助力すればいいのか、そして本当に手伝うのかは決められなかった。さらに言うのなら、感覚的にトラスティが気に入らなかったのだ。  それでと促されたトラスティは、一度間を置いてから「いろいろとあるのですよ」と言い訳を口にした。 「ここから先は、場所をガトランティスに変えたいと思うのですが……今のままだと、ご協力いただけるとは思えませんね」  仕方がないと小さく息を吐き、「覚悟はありますか?」と逆に問い返した。 「僕は、これからあなたも知らないモンベルトの事情を話そうと思っています。そしてそれを聞けば、あなたは断ることができなくなる。何しろあなたは、不幸な王女様を救うと言うヒロイックな思いにとらわれていますからね」 「なるほど、君を気に入らないと言う感情の理由がわかったよ」  そう言って、アリハスルは座っていたベンチから立ち上がった。これで決裂かと思ったトラスティに、「中に入ろう」とアリハスルは提案した。 「こんな人目のある場所では話せないことを口にしようと言うのだろう。ならば、姫の為にも中に入った方がいいはずだ」  アリハスルの顔をじっと見て、トラスティは小さく頷いた。 「では、中に入ってお話をしましょう」  そう言って、トラスティはアリハスルをガトランティスの船内へと案内した。アリハスルとの対決は、まだ始まってもいないことを理解していたのである。  そしてトラスティは、アリハスルを10分ほど歩いた場所にある会議室へと案内した。皇室専用船と言うこともあり、その会議室にはなかなか仰々しい装飾がなされていた。 「これはなかなか……と言えばいいのか。ところでガトランティスと言うのは、どこの船なのだ?」  船旅マニアのアリハスルも、ガトランティスと言う客船のことを知らなかった。自分の趣味からは外れるが、しっかりとしたつくりをしていると感心したのである。  だがトラスティの口から出たのは、予想もしない船の格式だった。 「これは、リゲル帝国皇室専用船ですよ。皇帝カナデ様に無理を言って借用してきました。したがって、乗客は僕たち以外には乗っていません」 「皇室専用船だとっ!」  さすがにアリハスルも、船の格式に驚いてしまった。そして皇室専用船を借り出せる目の前の男に、新たな不信感を覚えてしまった。 「それで、この船が向かっている先は?」 「もう一つの「帝国」ジャイアントスター、つまり帝星レムニアです。そこで皇帝アリエル様に、支援をお願いしようと思っています」  何があっても驚かない覚悟でいたアリハスルだが、皇帝アリエルの名はさすがに特別だった。天の川銀河系最大の帝国を、600ヤーの長きにわたり治めてきた皇帝である。その名を口にする者は、例外なく大いなる畏怖を抱いていた。 「あ、アリエル皇帝だとっ」  思わず腰を浮かしたアリハスルに、「アリエルの婆さんですよ」とトラスティは頷いた。 「そこまで巻き込まないと、モンベルトの問題を解決できないと思っているからです」 「それが、君の覚悟と言うことか……ところで君は、何者なのだ? アリエル皇帝を婆さんと呼ぶ命知らずに、私は過去会ったことがない」  出てきた名前は、さすがに大物過ぎたのだ。しかもこの船は、リゲル帝国皇帝から借用していると言う。「何者だ」とアリハスルが考えるのはとても自然なことだった。 「ただの旅行随筆家……ですよ。本当なら、モンベルトの問題になんか関わるつもりはありませんでした」 「旅行随筆家……だと?」  疑問のこもった眼差しに、トラスティは「旅行随筆家ですよ」と繰り返した。 「一応4冊ほど本を出していますよ。ただ、どれもあまり売れていませんけどね。今回の件は、ジェイドで関わりができてしまったんです。だから逃げられなくなったと言うか……普通なら、ばばを引かされたと怒るところだと思います」  それはいいと話を打ち切ったトラスティは、モンベルトに関わる問題をもう一度持ち出した。 「パガニアの攻撃により、陸地の5割が汚染することになりました。そして当然のように、そのいずれもが人が生活するのに適した地でした。つまりパガニアは、多くの人たちが住む場所を優先して狙った訳です。モンベルトの民を抹殺することが目的ですから、攻撃目標としては適切な選択でしょう。そしてその汚染区域は、長年の風雨によって広がっている。その結果、モンベルトの人々およそ5千万人は猫の額の様な狭い場所に身を寄せ合って暮らしています。そして800ヤーの長きにわたり、食糧のほとんどをエスデニアの支援に頼っているんです。衛生状態は最悪で、医者が調べたらライスフィールも病気と障害のオンパレードでした。だから無事に子供を産める体にするために、リゲル帝国で治療をして貰っていますよ」 「伝え聞く環境を考えれば、モンベルトの衛生状態が悪いのは容易に想像がつく。そうか、姫様も無事ではいられなかったと言うことか……」  そこで沈んだ声を出したのは、ライスフィールへの同情からだろう。だが可哀そうにと思ったところで、トラスティの言葉に引っ掛かりを覚えた。 「無事に子供を産める体……と言わなかったか? まずあるのは、子供を作るところからじゃないのか?」  それだけ衛生状態が悪化していると、受胎自体が困難になってくる。無事生まれると言うのは、受胎ができた後に考えることだった。 「その話は、別の問題に関わりますので後から説明します」  そう言ってアリハスルをはぐらかしたトラスティは、モンベルトの環境問題を続けた。 「パガニアの攻撃で汚染されたのは、陸地全体の5割ほどでした。ですがその汚染域は、今はさらに広がっている。モンベルト全体が、今は汚染域と言って差し支えないでしょう。雨や風が、汚染物質を運んできましたからね。つまり、モンベルトには清浄な地と言うのはないことになる。だからエスデニアも、安全のために誰も役人を駐留させていない」 「800ヤー前に手を打ってれば、もっと楽に浄化が可能だった……と言うことだな。だが、今となっては遅すぎる後悔だろう。汚染されたモンベルトがあることを前提に対策を立てなければならないのだ」  アリハスルの言葉に、トラスティははっきりと頷いた。 「教授の仰る通りです。ここまでは、自然環境と言う意味でのモンベルトの問題です。汚染しているのが人工物質と言うことで、少しだけ対策が難しくなっていますが、やることは惑星全体の浄化です。その場合、生態系をどうするのかを考えなくてはいけません。きれいさっぱり諦めると言うのも、一つの方法だと思ってはいるんですが……いずれにしても、ハードルは高くなっています」  そのことに対して、アリハスルも異論は持っていなかった。だから黙って、トラスティの説明を待った。 「そしてモンベルトに関わる問題は、ご存じのとおり人の問題があります。教授もご理解されていると思いますが、こんな問題はまともに考えれば解決策はないんです。星だけを浄化するのなら、今の技術を使えば10ヤーもあればかなりのことができます。ですが、人を含めて生物の問題を加えるだけで途端に難易度が上がる。一つの案として、人と動物を一度他の星に移すと言う方法があります。ただその場合の問題は、人が耐えられても野生の動物が環境変化に耐えられるのかと言うことです。そして人にしても、移住先があれば「ここでいい」と言う気持ちになることでしょう。それでは、モンベルトを復活させる意味がなくなる。これが、モンベルトと言う星の一般的な問題になります。そしてモンベルトの住民たちが抱える、特殊な事情……と言うのも言い過ぎですが、データーからは見えてこない部分も問題となってきます。それが、先ほど教授が疑問に感じられたことへの答えにもつながります」  そこで言葉を切って、トラスティは立ち上がって壁際から飲み物を持って来た。コーヒーの様な香りを漂わせているが、見た目は透明な液体だった。 「すみません、飲み物を用意していませんでしたね。こんな見た目をしていますが、味はコーヒーそのものです。お口に合わなければ、別の飲み物も用意しますよ」  無理をする必要は無いと言われたが、アリハスルは無造作に出された透明の液体に口をつけた。 「旅を長く続ければ、こういった物への耐性も付く」 「さすがと言う所ですか。では、話をモンベルトに戻しましょう」  そう言って、トラスティは自分も透明な飲み物に手を付けた。 「ライスフィールが、パガニアと対決したときに口にした話があります。その時彼女は、モンベルトにある感情を「パガニアに対する恐れ、恨み、そしてエスデニアに対して卑屈になっている」と言いました。だが彼女が口にしていないこととして、変化に対する恐れもあるんですよ。パガニアが譲歩した以上、これで彼らを害するものがいなくなった。だったら、今のままでもいいじゃないかと言う考えです。これは、彼女の従者であるヘルクレズが教えてくれたものです。ずっと支援を受け続けてきた弊害なのですが、自力で解決しようとする意志が彼らにはないんです」 「だが姫様は、自力でパガニアから謝罪を引き出しただろうっ!」  強い調子で反論したアリハスルに、「冷静に」とトラスティはとりなした。 「彼女がモンベルトを出てきたのは、パガニアに対して復讐をするのが目的です。そしてその復讐は、パガニアの王族や上級戦士を殺すことで達成される。パガニアが非を認め、過去の行状に対して謝罪をさせることなんか、初めから考えていなかったんですよ。ただその復讐がめぐりあわせで邪魔をされたことから、目指す方向が変わっただけのことです。それにしたところで、彼女達では手の届く問題じゃなかった。だからお節介かと思いましたが、リゲル帝国皇帝を利用してちょっかいを掛けたんです」 「君が、やったと言うのか?」  驚いた顔をしたアリハスルに、「仕掛けは」とトラスティは答えた。 「そこから先は、彼女が王女としての器量を示す必要があった訳です。まあ危なっかしいことこの上なかったのですが、とりあえずうまくはいきました。それが教授もご存じの、パガニアの謝罪と言うことになります。本当はもう一つの事件もあったのですが、それは本筋に関係ないのでここでは説明しません。ただ彼女の行動は、もともと目的としたものではないことをご理解ください」  いいですねと確認され、アリハスルはこくりと頷いた。 「パガニアが謝罪をした以上、モンベルトの人たちは今を変える理由がなくなるんです。それは貴族と呼ばれる人たちも同じなんですよ。だから彼女が星の再生を目指そうとした時点で、すべての人たちが彼女の敵となるわけです。だが彼女は、王女として生まれた責任がある。そして大きな功績をあげて凱旋するのですから、夫を迎えて女王に即位しなければならない。敵しかいない中で、さらに敵を夫に迎えるのですよ。しかも全体の雰囲気と言う化け物が、彼女の前に立ちふさがってくれるんです。そんなもの、今の彼女にどうにかできるものじゃない。今はパガニアの謝罪を引き出した興奮がありますが、時間とともにそれも薄れて行ってしまう。そして女王となった彼女に対して、周りの者達は一日も早い世継ぎの誕生を求めることになる。それが今まで続けていたことの延長で、貴族を含めた民達は、偉大な女王の後継者を求めるんです。だから彼女は、星の再生に関わっていられなくなる」  理解できるだけの知的水準があるかと口にしたことはあったが、トラスティの話したことは、それ以上に難しい問題を孕むものだった。トラスティの説明に、アリハスルはううむと唸ってしまったほどだ。 「そしてこれも、教授が知らないことだと思います。モンベルトの習慣として、女性は多くの男性を相手にすることになっています。男女とも障害や病気を持っていますから、確実に妊娠するためと言うのがその目的です。子供を作ることを考えると、一人の夫に操を立てるなんてことはあり得ないんですよ。そしてその事情は、彼女も例外ではないんです」  想像以上に過酷な現実に、アリハスルは相応しい言葉を思いつかなかった。ライスフィールに対して「強い意志を持てば」と言いはしたが、そんな生易しい話ではなかったのだ。それどころか、彼女が王女・女王であろうとする限り、破局は逃れられない運命だと分かってしまったのだ。 「なんとも、ならないと言うのか……」  それを聞かされれば、アリハスルには絶望しか湧いてこなかった。可愛らしい姫様を助けると言うヒロイックな気持ちにしても、現実離れをしたものでしかないと思い知らされたのだ。なぜ自分がここにいるのか、その意味さえ分からなくなっていた。 「それを何とかしようと、僕達は考えているんです」  そしてトラスティは、まっすぐにアリハスルを見て言い切って見せた。 「彼女が一人だったら、間違いなくどうにもならないでしょう。たとえ最強と言われる護衛の二人がいても、彼女を助けることはできないと思います。求められるのは、悪人になる覚悟と、不可能を可能にしてしまうペテンですからね。おぼろげながらですが、ようやくその方法が見えてきた気がします」 「正義の味方ではなく、悪人が求められるのか?」  普通とは正反対の答えに、アリハスルははっきりと驚きを顔に出した。 「ええ、正義の味方では八方美人になってしまいます。そうなると、神様……IotUでもなければ、大団円に導くことはできないでしょう。だから世紀の大悪人……まあ、モンベルトの人たちにとってですけどね、大悪人が必要になるんです。彼らの敬愛する王女様を汚し、パガニアに変わって恐怖をふりまき、絶望を与える大悪人が必要になるんです」 「それを、君がやると言うのか?」  話を聞いている限り、その候補は目の前の男と言うことになる。確かに癖のある顔をしているが、大悪人には不足だと思えてしまった。 「他にやってくれる人がいなかったんですよ……まあ、乗りかかった船と言うのもありますけど。恋人に彼女を助けて欲しいと頼まれましたので……」  その告白に、思わずアリハスルは吹き出してしまった。どこの大悪人が、恋人に頼まれたと言って困った顔をするだろうか。それをいけしゃあしゃあと答える男に、アリハスルはもっと話を聞いてみようと言う気持ちになっていた。 「それで、具体的にはどうしようと言うのだ?」 「それを考えるのに、ご協力をいただきたいと思っているんです。まあ彼女の問題については、責任を取らなくちゃいけないことをしましたが……」  はあっと息を吐き出したトラスティに、なるほどとアリハスルは大きく頷いた。 「彼女のお腹の中に子供がいて、その父親が君と言うことか。ところで、君を一発殴ってもいいか?」 「殴られ慣れてはいますけど、できれば我慢していただきたいと思っていますよ。それに教授がそんなことをしたら、逆に手首を痛めることになります」  その答えに、なるほどとアリハスルは握っていた拳をほどいた。 「彼女が望まぬ限り、別の男に体を許す必要がなくなったと言うことだな?」 「モンベルトでは、子供を産むことが最優先されますからね」  小さく頷いたトラスティは、「ここまではいいんです」と続けた。 「ここから先、何をやっていけばいいのか、結果的にどうやったら彼女の望みを叶えることができるのか。それを考えるのにご協力いただきたいのです」 「いい所だけ持って行って、その尻拭いをさせようと言うのか。まったく、見下げ果てた男だな」  憤慨したように息を吐いたアリハスルは、「よかろう」と言って右手をトラスティに差し出した。 「75ヤーのロートルが、若い君と張り合おうと言うのは無謀だろう」 「本人の希望があれば、悪役の交代も考慮しますよ。ただ、本人がここにいないので無理ですけど」  トラスティの答えに、アリハスルは「ふん」と鼻を鳴らした。「交代を考慮する」とは言っているが、その気が毛頭ないのも理解できるのだ。 「それで、これからどうする……いや、レムニア着くまでの時間を言っているのだが」 「これから……ですか。僕の体内時間は夜なので、休息を取ろうと思っていますよ」  その答えに頷き、アリハスルは時間調整を行うことにした。 「なら、私がそちらの時間に合わせることにしよう」 「ご協力に感謝します。後程、係の者を派遣します」  そう言ってあくびをしたトラスティに、「またな」とアリハスルは声を掛けた。それにお辞儀をして出て行ったトラスティを見送り、「面白いことになった」とアリハスルはほくそ笑んだ。正義の味方ではなく、極悪人でなければ達成できないペテンを見せてくれると言うのだ。それを聞かされれば、年甲斐もなく血が騒いでくれるのだ。 「これも、姫様のお導きか」  楽しそうにしたアリハスルだったが、翌朝トラスティに対して本気で殴り掛かっていた。さすがに周りに止められたのだが、「一発殴らせろ」と興奮して譲らなかったのだ。 「い、いや、男としてお前をタコ殴りにさせろ!」  拳を震わせたアリハスルの視線の先で、アリッサがトラスティに抱きついていた。  エスデニアへの中継地としてアスに入るだけなら、その情報がパガニアに伝わることはない。更に言うのなら、神殿に伝わることはないはずだった。ただ「アマネの陣中見舞い」と言う口実をアリッサが作ったため、光の速度を超えて彼女達の来訪はパガニア関係者に伝わっていた。  そしてアリッサからの申請に対して、神殿側から「お願い」と言う形でライスフィール達の同行が求めらた。普通に考えれば裏がありまくるお願いなのだが、職務に忠実なアンドロイドは全く裏を気にすることなく「承諾」の回答を返送していた。これからの長い付き合いを考えたら、理由がない限りは相手のリクエストに応えておくのが好ましい。アンドロイドの処理回路の中で、そのように優先付されていたのだ。  トリプルA相談所からの回答を目にしたパガニア王モリオンは、すぐさま第一王子を呼びつけた。どんなイベントを開くにしても、必要な関係者が揃わないと面白くない。特にモンベルトの王女が顔を出すのであれば、次代を担うクンツァイトの出席も必須となるのだ。同時にクンツァイトには、とても重要な言伝をしておく必要もあった。 「それで父上、お呼びと聞きましたが?」  ノイエ宮にあるモリオンの私室を、クンツァイトは夕食が終わってから訪れた。夕食後と言うこともあり、恰好は至ってカジュアルな藍色の「作務衣」に似た格好である。そして迎えたモリオンも、草色をした作務衣の様なものを着ていた。そこだけを見れば、アスの一部地方で見られる夕涼みの恰好だった。  そして夕涼みと言いたくなるほど、モリオンが寛いでいたのも確かだった。何しろ彼の目の前には、巨大な酒瓶とつまみの干し肉が置かれていたのだ。 「うむ、いよいよあの男が動き出した」 「トラスティ、でしたか?」  もともとモリオンは、さほどライスフィールのことを気にしていなかった。ジェイドでの対決にしても、彼と直接対決したのはトラスティだったのだ。ライスフィールへの譲歩にしても、そのお膳立てがあったからにほかならない。そして賞賛されている挨拶にしても、立場のある者なら出来て当たり前のものだと思っていた。 「すぐにアークトゥルスに戻ったと思ったら、どうやら準備を整えておったようだな。お前のお気に入りを連れて、エスデニアに乗り込むようだ。キャプテン・カイトを連れて行くところを見ると、荒事への対応も考慮しておるのだろう」 「荒事……ですか」  それはそれはと笑ったクンツァイトは、「仕掛けるのですか?」と父親に尋ねた。 「今更仕掛けたところで、こちらにはメリットはないな。もちろん、神殿の奴らが遊ぶことまでは制限せんよ。どちらかと言うなら、やつが何をするのか見守るというのが正しいだろう。エスデニアに行くということは、モンベルトに手を出すと言うことだからな」 「使われた爆弾には、生体結合型バクレニウムが含まれていましたね」  クンツァイトの言葉に、モリオンは小さく頷いた。 「確実に仕留めるための措置だと記録されておる。おそらく、エスデニアの横やりも想定しておったのだろう。直接の破壊で殺すのだけでなく、じわじわと追い詰めていくのも意図したのだろうな」 「生き物が生まれない、死の大地……ですか。今更ながら、血も涙もない事をしたものです。あれがモンベルトでなければ、我がパガニアが報復で抹殺されていたでしょうね」  そこまで口にして、「ん」とクンツァイトは難しい顔をした。 「どうした?」 「いえ、どうしてエスデニアは、攻撃を邪魔しただけなのかと思っただけです。彼らなら、パガニアに対して制裁措置を取ることもできたはずです」  エスデニアの立ち位置を考えれば、クンツァイトの指摘は頷けるものだった。だが現実に、エスデニアはパガニアに対して制裁措置を発動していない。改めて言われれば、不思議としか言いようのない対応だった。 「何らかの裏取引があった……とも考えられるが、記録には残っておらんな」 「たぶん、エスデニアにも無いのでしょうね」  うんと頷いたクンツァイトは、「生体結合型バクレニウムですか」と問題の所在を口にした。 「現在禁止物質に指定されていますね。確か、制定は700ヤーほど前でしたか?」 「いや、モンベルトに使用した直後のことだ。エスデニアの者が調査に降り、その直後禁止指定を提言しておる。実際に禁止指定がされたのが、およそ700ヤー前ということだ。体内残留濃度も規制され、規制値を超えた者は、星間の移動を禁じられておる」  モリオンの言葉を信じる限り、超銀河連邦において、非常に危険な物質として認知されていることになる。 「エスデニアから出られたと言うことは、王女とお付の二人は規制値をクリアしたと言うことですか」 「議長に謁見しているのだから、そう考えるのが自然だろう」  なるほどと頷いたクンツァイトは、「このことは?」と父親の顔を見た。つまり、トラスティに教えてやるのかと言うことだ。 「親切に教えても面白くないからな、だからこちらから教えるような真似はしない。なにしろ我が娘を嫁に出すのだ、この程度のことも分からぬ、つまらぬ男であってはならぬのだ。もっとも、エスデニアの議長様なら知っておるだろうがな」 「2年もあれば、頭に上った血も冷めませんかね?」  置かれた環境を考えると、とてもそうは思えなかった。妹の焦り具合を思い出したクンツァイトは、口元に手を当てて小さく吹き出した。 「なんだ?」  首を傾げた父親に、「大したことはない」とクンツァイトはもう一度笑った。 「いえ、妹が我が妻に迫っている姿が思い浮かんだだけです。何しろ巫女と言うのは、極めて退屈な世界ですからね。知識だけは豊富になるのに、実践はご法度と来ている。そして我が妻は経験者ですから、色々と教えろと迫る姿が目に浮かぶのですよ」  その光景が浮かんだのか、モリオンは少し渋い顔をした。 「あれも、もう少し丸く、大人しければ言いよる男など掃いて捨てるほどいただろうに」  そこでため息を吐いたのは、間違いなく父親としての思いからだろう。そして婚約者さえ作っておけば、あんな男に熱を上げることもなかったはずだ。それを思うと忌々しくて仕方がないのだが、今更言っても始まらないことだった。 「それは否定しませんよ。もう少し我が妻と早く会っていれば、手本にすることができたと思いますがね」  女としてとても多くのものを持っているロレンシアだが、男のクンツァイトからすれば大きなものが欠けていたのだ。そしてロレンシアに欠けているものを、妻となるアマネが持っていたのである。言い方が悪いかも知れないが、ロレンシアが側にいたからこそ、アマネの良さが分かったのかもしれない。 「確かに、お前の妻は見た目だけでは分からぬ魅力があるようだ」  はっと息を吐き出したモリオンは、「クンツァイト」と息子の名を呼んだ。 「お前を呼んだのは、アス行きを命ずるためだ。あの男に合わせてアスに入り、モンベルトへの支援策を決めてこい。直接の金であれば、総予算の0.1%までなら自由にしていい。それ以上を要求された場合は、検討が必要だと先延ばしにしろ。大幅な譲歩にならない限り、常識的な範囲でお前に判断を任せる。ただし、これ以上の謝罪を口にしてはならぬぞ」  釘を差した父親に、「妥当なところですね」と答えた。 「あれだけ大々的に謝罪をしたのですから、これ以上謝罪を重ねる必要はないでしょうね。あまり謝ると、付け上がらせることになる」  息子の答えに、それでいいとモリオンは頷いた。 「それからロレンシアにだが、モンベルト王女に負けるなと伝言しろ」 「おやおや、積極的になるのが見えるようですよ」  面白いと喜んだのは、トラスティがアリッサと一緒にいるからである。これでアリッサを第二夫人、もしくは愛妾に誘いやすくなるのだ。クンツァイトにしてみれば、父親の命令は渡りに船のようなものだった。 「では、神殿への見学日程を押さえることにします」  面白い事になりそうだと、クンツァイトは自分の盃を用意するため席を立った。  トラスティ達が神殿に来ると言うのは、すぐにロレンシアの耳に届くことになった。そして自分の願望を叶えるため、ロレンシアはすぐさまアマネの所を訪ねた。夜の行や朝の行を抜けるためには、アマネの協力が不可欠だったのである。 「そうですか。アリッサさん達が見に来てくれるのですね」  すでに一般公開開始から1週間が過ぎたこともあり、アマネの生活も落ち着いていた。すでに1日の行も終わっていたので、巫女の日常服……なぜか、白のブラウスに茶色のスカート姿で寛いでいた。ちなみにこの格好は、往年のフヨウガクエンの制服を模したものだという。寒いときには、この上に茶色のブレザーを羽織る事になっていた。  そしてお披露目から1週間を過ぎた二人の新しい巫女だが、すこぶる参拝者を含め関係者の評判が良かった。透明な美しさを持ったロレンシアは、その見た目通りに清潔な美しさで参拝者たちを魅了したのである。「蕾が開く前」と言うのが、ロレンシアを見た参拝者たちの評判だった。ただ色香については、評価としては高くなかった。そのあたり、比較の対象が良くなかったと言うことだ。  そしてもう一人のアマネなのだが、「ねっとりとした絡みつくような色香」「呼吸が感じられるようないやらしさ」とか「思わず前屈みになってしまう淫靡さ」と非常に評判が高かった。見た目やスタイルで明らかに劣っているのだが、「ぞくぞくする」見た目とむしろ評価が高かったぐらいだ。ロレンシアと同じ年齢のはずなのに、参拝者には6つほど年上に見られていた。 「はい、トラスティ様がお出でになってくださいます!」  そこで誰の名前を上げるかが、二人にとっての重要度を表す意味になる。嬉しそうにしたロレンシアは、「とっておきの舞を舞いましょう!」とアマネに持ちかけた。どうやら、おまけの王女に対して巫女としての色香で勝負をしようと言うのだろう。気持ちは分かるし、なかなか涙ぐましいとも思えるのだが、それでいいのかとアマネが考えたのも確かだった。  もしも他の巫女達がこの話を聞いていたら、「やめておいた方が」と忠告したに違いない。今の舞をもっと淫靡なものとした場合、殿方の視線がどちらに向くのか予想がついたのだ。いくら綺麗でも、子供では太刀打ちのできない世界がそこにはあった。 「それで、パガニアからは何か連絡はなかったのですか? ライスフィール王女が来る以上、何らかの動きがあってもおかしくないと思います。あとはアリッサさんが来ますからね……何か、クンツァイト様が来そうな気がしてきました……」  そこでアマネは、はあっと息を吐き出した。 「お兄様が、ですか?」  目をぱちぱちとさせたロレンシアは、もう一度「お兄様が?」と繰り返した。 「ええ、先日モンベルトに対して謝罪を行ったじゃないですか。補償も行うとお義父さまも仰りましたので、そのお話をされるのではありませんか?」  「アリッサも来るし」と言う言葉を飲み込み、パガニアとしての動きをアマネは口にした。 「確かに、それは考えられますね。でしたら、お姉様も今まで以上に力を入れて舞う必要がありますね。お姉様の舞を見たら、お兄様でも我慢ができなくなるのではありませんか?」  先日パガニア王が、巫女の資格に関する新たな布告を行っている。「処女性」について煩くなくなったのは、相手のいるアマネにとってはありがたいことだった。今まで問題となっていた男女の交わりにしても、神殿の外なら咎められないとされたのである。ただそれだと巫女のありがたみがなくなるので、新たな規定が追加されることになった。すなわち身を清めるための措置として、1時間を超える水行が求められたのである。流石に1時間の水行は辛いのだが、2ヤーの間お預けされることに比べれば、遥かにマシなことに違いない。ただこのことが世間に知られたため、ますます参拝者が「エロい目」でアマネを見るようになったと言われていた。  そして調子に乗ったロレンシアは、アマネが一番気にしていることを口にしてくれた。 「お姉様のお友達はたしかに綺麗ですけど……巫女の舞を舞うお姉さまの敵ではないと思います。神殿を訪れた参拝者の男達は、いずれもお姉さまの舞に骨抜きになっているんですよ。さすがは、巫女史上最も扇情的と噂されるだけのことはあると思います。その魅力で迫れば、お兄様も骨抜きになることでしょう」  本人は褒めているつもりなのだろうが、少しも褒められた気持ちにならないのはどうしてだろう。「扇情的ですか」と息を吐き出したアマネは、「いいですけど」と誰かのような言葉を吐き出した。 「それで、アリッサさん達はいつおいでになるのですか?」  その予定が重要だと問題にしたアマネに、「未定です」とロレンシアは悔しそうにした。 「ただ神殿管理局は、予定される日のスケジュール調整を行っています。たとえ何日であっても、最優先で受け入れると言っていました。このことは、多分シュバルツワッサーにも伝わっているはずです。力試しができると、喜んでいると思います」 「なにか、ものすごく大事になりそうな気がしてきました……」  そこでアマネが思い浮かべたのは、金髪が素敵なジュリアンのことだった。これだけのイベントになったら、間違いなく顔を出してくれそうだったのだ。 「確かに、大事になりそうですね。こんなことなら、もっと早く予定を教えてくださればいいのに。せめて半年前なら、一日の間完全に参拝客を断ることができました」  たしかに間際の連絡には違いないが、流石に「半年前」はありえないだろうと言いたかった。何しろロレンシアがトラスティに熱を上げるようになって、まだ1ヶ月しか経っていないのだ。だが完全に頭に血が上った勘違い処女には、日付の辻褄などどうでもいいことのようだった。「ほんとうに気が利かない」と、罪のないアリッサに文句をぶつけたのだった。 「そうか、この子にとってアリッサも敵だった……」  それなのに、どうしてライスフィールだけを目の敵にしているのか。「王女」のブランドが理由なのかと、感情の難しさにアマネは呆れていた。  天の川銀河系において、帝国と称される組織は2つ存在していた。その一つが、トラスティが滞在したリゲル帝国である。そしてもう一つが、ただ「帝国」とだけ呼ばれているものだった。だが「帝国」と言う一般名称だけでは、リゲル帝国のみならず、他の銀河の帝国とも紛らわしいことになる。その為「帝国」を他と区別するため、主星の名をとって「レムニア帝国」と呼ぶこともあった。ただレムニア帝国より、巨人揃いの長命種が住むことで、「ジャイアントスター」と呼ばれることの方が多かった。  そして「帝国」が固有名詞の付かない帝国と自らを称していたのは、他に帝国を知らないことと、銀河において唯一無二の存在だと考えていたからに他ならない。「帝国」とは自分たちのことを指し、それ以外は「〜の帝国」と立場を一つ貶めたのである。  それが、帝国に関する基本知識だと、帝国主星レムニアに到着前にトラスティが全員に教えていた。その時のトラスティは、白いとっくりのセーターに、緑色のチェック柄をしたスラックスを身につけていた。そして隣でトラスティの右目を冷やしているアリッサは、茜色をした厚手のワンピースに、プラチナのネックレスをしていた。ちなみにトラスティが右目を冷やしているのは、アリハスルに殴られた場所を冷やすためである。そのあたり、アリッサを見てアリハスルが激怒した結果である。どうやら、男として我慢がならなかったと言うところらしい。 「レムニアは、自然回帰を3000ヤー前に果たしているんだ。だから、人工建造物が少なく、世界全体が多くの緑に包まれている。そのせいで、比較的涼しいと言うのが気候の特徴になっているよ。あとは住んでいる人たちが、いずれも2mを超える巨人というところだね。平均身長で言ったら、2.2mぐらいかな。だから短命種としては背の高い僕も、この世界ではちびっこになってしまうんだ。  いずれも巨人と言う説明に、アリッサ達3人はなるほどと感心していた。 「そしてレムニアの人たち最大の特徴が、その寿命の長さにあると言っていいと思う。平均寿命が1000ヤーを超えているから、僕達の10倍以上長生きをすることになるね。その分社会の新陳代謝が遅いことになるから、文明の発達自体は比較的ゆっくりしている。それでも早くから宇宙に出ていることもあって、こちら側で巨大な帝国を作ることになったんだよ。まあ帝国こそ作ったが、それは安全保障の意味が大きかったんだろうね。基本的に各星系の自治には口を出さないし、特に税金を取り立てることもなかった。唯一制限したのが、各星系が軍備を持つことなんだ。だから、帝国を作ったのも安全保障を目指したと言う意味になる」  そこで「質問が」とエイシャが手を上げた。今日のエイシャは、もっこりとしたトレーナーを着ていた。ただ下は、黒のショートパンツを履いていた。 「確か、クリスティア連合国家は宇宙軍を持っていたはずだが?」  例外かとの問いに、トラスティは小さく頷いた。 「そうだね、一応例外的に認められているんだ。そのあたりは、歴史的経緯と言う奴があってね」  そう答えたトラスティは、1000ヤー前の勢力図を示した。 「クリスティア連合国家は、「帝国」の辺境に位置しているんだ。そしてこのガス帯を挟んでリゲル帝国に接していた。当時のリゲル帝国は今と違い、拡大主義を取っていたからね。ただドンカブ連合と長い戦争の真っ最中だったから、拡大の勢いは止まっていたんだ。それでもリゲル帝国の侵入に備える必要があったんだよ。だからクリスティア連合国家には、独自の軍備が許可された。そして帝国からも技術支援が行われていたんだよ」  その答えに、「うん」とエイシャは首を傾げた。 「その手の防衛は、普通帝国が受け持つものじゃないのか?」  そうすれば、原理原則を曲げなくても済むはずだ。エイシャの指摘は、杓子定規な帝国の考え方を見れば不思議なものではないのだろう。  そしてエイシャに対して、当時の厳しい情勢をトラスティは説明した。 「帝国の憲章を考えれば、そう言うことになるのだけどね。ただ当時の資料を紐解いてみると、結構残酷な決定があったことが記されているんだ。なにしろ当時の戦力分析では、リゲル帝国と戦った場合、勝算は五分五分と出ていたらしい。圧倒的に帝国の方が規模が大きいし、戦力的にも帝国の方が整備が進んでいるんだよ。それでもカムイを使った剣士への対策ができていなかったんだ。10剣聖レベルに暴れられたら、帝国艦隊は壊滅的打撃を受けると言う分析があるぐらいだ。最悪を想定した場合、帝星が落ちることも想定されていた」 「リゲル帝国ってのは、そんなに強かったんだ……」  それが、つい先程まで滞在していた場所なのである。それを思うと信じられないのだが、歴史はその事実を裏付けていた。 「そう、その印象がまだこの銀河には残っているんだよ。だからアマネさんのお披露目でも、パガニア国王への脅しに使えたんだよ」  戦争なら受けて立つと言うセリフを思い出し、なるほどねとエイシャは頷いた。 「そしてクリスティア経由で、ドンカブ連合との戦争が終わった……つまり、リゲル帝国が再膨張を始めると言う知らせがもたらされた時、帝国の上層部にパニックが起きたと言うことだよ。ガス帯の近くでリゲル帝国の艦隊が観測されたこともあり、衝突が不可避だと思われたんだろうね……」 「もしも、リゲル帝国の侵入を許したら……どうするつもりだったんだ?」  ゴクリとつばを飲み込んだエイシャに、「帝国は防衛戦を下げる」とトラスティは答えた。 「辺境地区に配備していた艦隊を、ぐっと帝国側に下げるんだよ。そしてクリスティア連合国家を孤立させる。そうやって、帝国は時間稼ぎすることを考えていたんだ。だから、クリスティア連合国家に軍備が許されていたと言うことだよ」  トラスティの説明に、エイシャは眉をひそめていた。 「なんか、ひどいなそれ」  その感想に、アリッサも頷いていた。 「確かに、感情的にはそうなんだろうね。そこでもう一つ、別の分析があるんだ。それは、帝国がどんな作戦をとってもクリスティアは滅びを避けることは出来ないと言うものだよ。だからクリスティアを目くらましにすることに、比較的反発が少なかったんだ。そしてクリスティアを攻めるリゲル帝国を分析し、その間に対策を立てるということにしたんだ。それが、正攻法では一番マトモな方法だと考えられていたんだよ」 「偶然アスを攻めてくれたおかげで、クリスティア連合国家は助かったと言うことですか」  アリッサの問いに、トラスティは少しだけ口元を歪めた。 「事象だけを見れば、君の言うとおりなんだけどね……」 「まだ、なにかあると言うことか?」  驚くエイシャに、「当たり前だろう?」とトラスティは答えた。 「クリスティア連合国家も、その成立はかなり古いんだよ。そして辺境にあることから、結構虐げられていたりもしたんだ。だからそこに住む人達は、結構したたかでもあったんだ」  いいかいと言って、トラスティは少し身を乗り出した。 「リゲル帝国が来れば、連合国家の破滅は避けられない。だったら、リゲル帝国が来ないようにすればいいと普通は考えるよね?」 「まあ、それが道理であるのは認めるな」  そう答えたエイシャは、その方法の問題点を指摘した。 「どうやってと言うのを考えなければ、と言う条件がつくがな。こちらからちょっかいを出せば、逆にリゲル帝国を引き込むことになってしまうんだろう? だったら、おかしな真似は出来ないじゃないか」 「それが、常識的な答えだと思うよ。だけどクリスティア連合国家は、もう少ししたたかな考えを持っていたんだ。そしてそれを実行するだけの手駒を抱えていた」  「どう言うことだ」と訝ったエイシャに、トラスティは天の川銀河の星系図を示した。 「リゲル帝国の周りには、まだ侵攻していないエリアが大きく広がっている。戦力を分割して幾つものエリアに手を出すという考え方もあるけど、流石にドンカブ連合との戦いで疲弊もしていた。それもあって、さほど多方面に手を出していなかったんだよ。そして、皇位継承権争いの時期にもあったんだ。だから皇子たちは、手っ取り早い実績を求めていた。という事情がリゲル帝国側にはあったんだよ」  それはいいかと、トラスティは二人の顔を見た。 「そして帝国側は、ガス帯のせいでリゲル帝国の情報が限られていたんだよ。ドンカブ連合との戦いにしても、本当に終わったという確信を持てないでいた。だからクリスティアは、その確認のため調査隊を派遣することを提案したんだ。そしてその隊長に抜擢されたのが、後にIotUの愛人として知られることになったキャプテン・アーネットだよ。当時高校生船長として有名だった彼女に白羽を立て、銀河の中心を通り抜けてこちら側からリゲル帝国の調査を行った。そしてその結果を受けて、帝国はリゲル帝国への餌を撒いていったんだ。リゲル帝国がアスを襲ったのは、間接的にその餌が効果を示したと言うことだね」  トラスティの説明に、「それも酷い」とエイシャは苦笑を浮かべた。ジェイドに生きる人達は、出自から行けば圧倒的にアス出身者が多かったのだ。最終的に勝利を収めたとは言え、一つ間違えば星が消滅していた可能性もある暴挙だった。 「結果論で行けば、それが功を奏したことになるんだけど。酷いと言うのは、立場を変えれば正当な抗議なのだろうね。ただクリスティアにしても、生き延びるためには必要なことをしただけなんだ」  そう言って椅子に座り直したトラスティは、ガトランティスの航路を確認した。 「あと少しで、レムニアに到着するね。ちなみに、さっきの話には続きがあるんだ。と言うか、裏話になるんだけど。キャプテン・アーネットは2度調査に出ている。その調査に共通している乗組員は、クリスティア星系の王女プリンセス・メリベルと帝国皇帝アリエル様なんだよ。プリンセス・メリベルはキャプテン・アーネットの愛人として知られているし、アリエル様はIotUの寵愛を受けたと……これは本人申告なんだけど……言う話だね」 「ええっ、IotUを直接ご存じの方が残っているのですか!」  何しろIotUと言うのは、1000ヤー前の伝説の人なのだ。アリッサの常識では、直接知っている人が存命という事はありえないことだった。だからこそ、トラスティの話に大いに驚いていた。 「ああ、本人曰く……その頃は皇帝じゃなかったらしいけど、なかなかレムニアの人にあるまじき経験をしたそうだよ。「妻になりたかった」と言う愚痴なら、何度も聞かされた記憶があるよ。長命種の人達には、そんな習慣がないのにね……」  その時にもっと色々と聞かされているので、ついトラスティの顔にも苦笑が浮かんでしまった。ただその頃のトラスティは子供だったので、「そう言うこともあるのか」程度にしか受け取っていなかったのだ。今にして思えば、かなりきわどい話もされていた。 「ああ、忘れていたけど、アリエル皇帝は長命種としては珍しく小柄な人だ。身長は、アリッサより10cmぐらい低かったかな。そのお陰で、彼女はキャプテン・アーネットの調査隊に加わることが出来たんだ」 「なにか、背が低い必要があったのですか?」  アリエルの身長を理由にしたトラスティに、アリッサはその理由を訪ねた。 「そうだね、話を聞く限り随分と無理をした偵察だったようだ。何しろ使用したのは、長命種の男性2名用に開発された偵察船だったんだよ。リゲル帝国に見つかりにくいことを理由に、その偵察船の利用が提案されたんだ。何しろ戦争をしている可能性があるから、大型船で行けば目立ってしまうからね。だから当時開発中だった最新鋭船の小型偵察船を使用したんだ。それにキャプテン・アーネットの他に、観測要員、動力要員、そして光学迷彩他偽装処理を担当する人が乗り込んだんだよ。ただ使用した船は、本来単独行動を行うものではなかったようだよ。原則として目的地近くまで母船で運ばれ、そこを基地にして内偵を行うのが正規の使い方だったんだ。したがって、超長距離の運用なんて考えられていなかったのだ。だから長時間のかつ超長距離の観測に備えて、ペイロードのかなりの部分を観測機と食料が占めたようだよ。そのため、作業エリアや居住エリアは最小限に押さえられたようだね。だから、乗員は小柄である必要があったんだよ」 「随分と、ドタバタとした偵察だったんだな……」  そんなことがあったのかと驚くエイシャに、トラスティははっきりと頷いた。 「リゲル帝国と言うのは、当時恐怖の代名詞だったんだよ。だから、一日も早く状況を把握する必要があったと言うことだよ。そのための船を作る時間も惜しいほどにね」  そう言うことだと話を締めくくったトラスティは、「用意はいいかい?」と尋ねた。 「ええ、パーティーがあっても困らない用意をしてあります」  目的を取り違えたアリッサに、「それはないから」とトラスティはすかさず否定した。 「僕の知る限り、帝星でパーティーと言う催し物を見たことがない。お祭りといった騒ぎも見たことがないぐらいだよ。良く言えばおとなしくて秩序がある、そして実態は年寄りじみた人達だからね」  そう答え「あと30分」とトラスティは残り時間を二人に告げた。 「衛星軌道上にある軌道ステーションの宇宙船ピアに接岸することになる。そしてそこからは……多分、転送装置を使って地上に移動することになると思う」 「転送装置? 初めて聞く名前ですけど……それは、空間移動するものですか?  アリッサの疑問に、「似たようなもの」とトラスティは答えた。 「こちらは数学理論的に物を移動させるんだよ。移動させたい人や物を情報に変換し、その情報を送りたい先に転送する。それを受け取った側は、その情報からもとの人や物を復元するんだよ」 「なんか、ノイズが入りそうな気がするな……あとは、複製が作れてしまう気がする」  ゾッとしないと口にしたエイシャに、「それは」とトラスティは口元を歪めた。 「過去、本当に色々とあったみたいだねぇ。まあ、様々な犠牲の上に生み出された技術と言うのは確かだね。そのあたり、他の空間移動技術でも似たようなものなんだけどね。ただ動物実験では、複製の成功例は無いそうだ。全く同じものを作ったはずなのに、何度やっても片方は生命活動を行っていなかったようだよ。細胞は生きているのに、なぜか“命”は複製されなかったそうだ」  「聞いた話」とトラスティは話を打ち切った。 「あちらからの連絡では、宿泊施設に下ろしてくれるそうだよ。そこで休息をしてから、皇帝聖下と謁見と言うことになる。予め行っておくけど、相手の見た目に騙されないように。ライスフィールと似た年齢に見えるかもしれないけど、相手は齢1000ヤーを超えた婆さんだからね。あとは、相手の言うことをあまり真面目に受け止めちゃだめだよ。暇を持て余しているから、ろくなことをしないんだよ……あの婆さんは」 「婆さんなんて言っていいのか?」  すかさず口を挟んだエイシャに、「事実だから」とトラスティは言ってのけた。 「もちろん、本人を前にそんなことは言わないよ。言ったが最後、とても面倒なことになるんだ……」  そこでゲンナリとした顔をするところを見ると、過去に経験があるのだろう。どんな経験がと興味を示した二人に、「面倒なんだ」とトラスティは繰り返した。 「激怒して、死刑にされるとか?」 「年寄り扱いすると、ジェイドでも怒り出される方はいらっしゃいますね。それでしたら普通の反応ですから……拗ねて口を聞いてくれなくなるとか?」  アリッサの答えに、「ほとんど正解」とトラスティはこぼした。 「さめざめと泣いてくれるし、その後はしばらく口をきいてくれなくなるんだよ。それこそいい年をしているんだから、いい加減認めればいいのにねぇ」  と言うことだからと、トラスティは注意するように二人に繰り返した。 「そんなことを言っていたら、そろそろ軌道ステーションに接岸する時間になるね。二人とも、部屋で待っていてくれるかな?」 「アリハスルの爺さんは大丈夫なのか?」  朝の出来事を見ていたエイシャは、トラスティの顔を見て口元を歪めてみせた。 「人のことを殴った以上、ここから先逃がすはずがないだろう? いざとなったら、ライスフィールに泣き落としをさせるよ」 「見た目と違って、あのひとも若かったと言うことか。まあ、あんたを殴りたくなる理由は理解できるな」  アリッサを見て、エイシャはウンウンと頷いた。それを有ろうことか、トラスティも認めたのである。 「まあお姫様に手を出して妊娠させたくせに、その上アリッサという恋人がいるんだからねぇ。ナイト気取りだと思えば、殴りたくなるのはよく分かるよ。多分僕も、同じ目にあったら殴りかかっていると思うからねぇ」 「それぐらいのことをしている自覚はある訳だ」  はははと笑ったエイシャに、「それぐらいは」とトラスティは口元を歪めた。 「僕の役目は、せいぜいパガニアの謝罪を引き出すところまでだったんだけどねぇ」  そこから先は踏み込むつもりなどなかった。一見正当に聞こえる言い訳なのだが、あいにくエイシャは許してくれなかった。 「ライスフィールのお腹にいる赤ちゃんだが……一体いつ、仕込んだのだったかな?」  それを言われると、トラスティは言い返すことは出来ない。「さあ準備をしよう!」と話をそらしたのが、その現れでもある。 「逃げたか……まあ、あんたはライスフィールから逃げられない運命にあったんだよ」 「嫌なって言うと、またあの人に殴られそうだな」  そう言うことにしておこう。そう言い残して、トラスティは談話室をあとにした。  一行がガトランティス号を降りたところで、不機嫌そうな顔をした一人の大男が待っていた。アリッサ達からすれば、それは見上げるような大男に違いない。しかも背が高いだけでなく、少し長めの顔に尖った耳という特徴を持っていた。  「お帰りなさいませ」とトラスティに頭を下げたのだが、それでようやく頭の位置が同じなると言う背の高さである。一行の中でも背が高いトラスティよりも、更に50cmぐらい背が高く見えた。 「トラスティ様以外には初めてですね。私は、ガルースと申します」  ガルースと名乗った男は、グレー生地に紺色の縁取りがついた詰め襟のようなものを着ていた。地味目の格好のせいか、顔には表情が乏しいように見えていた。  その丁寧すぎる態度にため息を一つ吐いたトラスティは、「なんであんたが来るんだ?」とガルースに文句を言った。その馴れ馴れしさに、知り合いなのかと全員が考えた。だが続いた言葉は、相手の正体がただの知り合いなどと言う可愛らしいものではないことを教えてくれた。 「皇帝の側近が、こんなところに遊びに来てちゃだめだろう!」  皇帝の側近と言う言葉に驚いた3人に、「そうなんだ」とトラスティは嫌そうな顔をした。 「レムニアの役人、そして各方面軍の提督たちに恐れられているガルースさんだ。職位は……今、なんだっけか?」 「ただいま、宰相府筆頭と言うのが公式の役職ですな」  にこりともせずに答えたガルースに、「それで?」とトラスティは繰り返した? 「なんで、あんたがこんなところにまでやって来るんだ?」 「あなた様を見張るため……と言うのが一番適切なお答えでしょうか。あなた様には、聖下もほとほと手を焼かれていましたからね」  相変わらず顔に表情が無いのだが、アリッサ達はガルースが苦笑いをしているように感じていた。 「ただ、今は積もる話をする時ではないのでしょう。私たちには時間が豊富にあるのですが、残念ながらあなた達の時間は短い。今は、レムニアに降りることを優先しましょう。ところでトラスティ様、いささか当初の予定と異なることになりまして、皆様には聖下の私邸にお泊りいただくことになります」  帝国トップの私邸に招かれると言うのは、事実だけを取り上げればとても名誉なことに違いない。ただそれを額面通りに受け取るかは事情が違う、「勘弁してくれ」とこぼしたところを見ると、本人にとっては少しも面白くない場所と言うことになる。 「どうして、短命種が利用するホテルにしてくれないんだ? レムニアなら、各種取りそろえているだろう」  しっかりと嫌がったトラスティに、「聖下の思し召しです」とガルースは言い切った。ある意味、異論を許さない理由でもある。 「明らかに、僕に対する嫌がらせだな」 「聖下は、最高のおもてなしと考えておられますよ」  そう答えたガルースは、順にアリハスル、エイシャ、アリッサの順に「ようこそ」と頭を下げた。そしてアリッサには、とても納得したような顔をしてくれた。 「あの、私が何か?」  それを訝ったアリッサに、「大したことはありませんが……」とガルース前置きをした。 「あなたのお顔を見て、納得がいったと言うことです。情報と言うものは、想像しているよりも精度を欠くものだと思っております。広く公開された情報から、モンベルトの王女をトラスティ様が見初めたのではないかと噂が飛んでいたのです。ただトラスティ様を良く知る者は、その噂に首を傾げることになりました。そしてアリッサ様を見て、なるほどと深く納得させていただいたわけです」  その説明に、アリッサは小さく息を吐きだした。 「それは、私が金髪碧眼をしているからですか?」  散々聞かされたこともあり、それが理由と言われるとあまり嬉しくないと思えてしまうのだ。そんなアリッサに、ガルースは大きく頷いてみせた。 「それだけではありませんが、一番大きな理由と言うのは確かでしょう。ただ、それ以外の理由は、とても言葉にしにくいものです。失礼、受け入れ側の用意が整ったようです。皆様、その場でしばらく動かないでいただけますでしょうか?」  アリッサが「何が」と口にしようとした瞬間、目の前の景色がガラリと変わってくれた。殺風景な宇宙船ピアの景色から、とても落ち着いた部屋へと周りが変わっていたのだ。  そして一行は、すぐに椅子に座る少女がいることに気がついた。白のブラウスに茶色のブレザーに同じく茶色のプリーツ付きのスカート姿の少女が、アンティークな肘掛けの付いた木製の椅子に座り、まっすぐにこちらを見ていたのである。黒い髪をショートにした。尖った耳が特徴的な少女は、自分たちの基準でも美しいと思えるものだった。ただその少女の発した言葉に、トラスティを除く一同が驚かされることになった。 「この親不孝者めが。ふらりと出ていったと思ったら、どうして面倒を運んでくるのだ?」  どう見ても、相手はトラスティの妹としか思えない見た目をしていた。それなのに、あろうことか「親不孝者」と謗ってくれるのである。見た目からは血の繋がりは見られないが、関係上「親子」と言うことになるのだろうか。 「僕は、あなたと血も何も繋がりも何もないんだがな?」  だから親子じゃないと言い返したトラスティに、その少女は「親不孝者」と繰り返してくれた。 「アスの古いことわざに、生みの親より育ての親と言うものがあるそうだ。わしが育てた以上、「親」と名乗る権利はあるはずだが?」  違うのかとの問に、トラスティは「違う」と断言した。 「俺は、短命種が集められた育児所で育てられたんだ。ただ一度として、あんたに育てられた覚えはない」 「あの育児所は、わしがお前のために作ったものだ。そもそも忙しい皇帝が、子育てをしている暇などあるはずがないだろう!」  勝ち誇ったような顔をした少女に、「暇を持て余しているくせに」とトラスティは言い返した。ただそれ以上は無駄だと諦め、「紹介する」と言って言い合いを無理やり打ち切った。 「「帝国」皇帝アリエル聖下だ。こちらが、今回協力をして下さるアリハスル・タウンド教授。彼女が、僕の恋人のアリッサ・トランブル。そしてその友人のエイシャ・ダウニーだ」  「お会い出来て光栄です」馴れ馴れしい態度のトラスティとは違い、アリッサ達は謙った態度で皇帝に接した。普通なら大いに驚くところなのだが、そのあたりガルースの予告が効いていた。それに頷いたアリエルは、「筋金入りだな」とアリッサの顔を見て納得してくれた。  また同じことを言われるのかと覚悟をしたアリッサに、アリエルは当然のように彼女の見た目のことを口にしてくれた。 「やはりお前の好みは、金髪碧眼と言うことか。なるほど、お前の好みにぴったりだし、客観的に見ても極上と言うのは分かるな。それに、顔にも性格の良さが滲み出ておる。トラスティよ、この娘を泣かすような真似をするのではないぞ。まあ、いくら言っても無理と言うのは分かっておるがな」 「やはり、無理なのでしょうか?」  皇帝にまで言い切られると、それが真実に思えて仕方ない。「やはりクンツァイト様にした方が」と考えながら、アリッサはアリエルに確認をした。 「この男が、そんなに行儀が良いわけがあるまい。なんと言ったか……あの王女達にも手を出しておるのだろう?」  王女達との指摘に、さすがは「育ての親」とアリッサとエイシャは感心していた。 「そしてリゲル帝国でも、間違いなく手広くやっているのだろう?」 「あーっ、否定するつもりはないけど……」  さすがは自分の性格を知り尽くしている。トラスティは、無駄な抵抗をやめ本題を切り出そうとした。 「ところで、頼みたいことがあるんだけど?」 「モンベルトのことか?」  さすがは育ての親と、察しの良さから全員がアリエルの言い分を認めていた。 「技術ならいくらでもあるぞ。ただ、実際に汗をかくのはお前の仕事だろう。わしに頼れば、あとは勝手になんとかなると思ってくれるな。まずどうしたいのか、それをわしに伝えることだな」  それでと問い返したアリエルに、「それで十分」とトラスティは答えた。 「手伝ってくれると言質を貰ったから十分ってところだね。あとは、検討に必要な人材を提供してくれないか? ちょっと、普通じゃないことをしようと思ってるからね」 「お前がそう言う顔をした時、ろくなことがあった試しがなかったな」  少しだけ口元を歪めたアリエルは、「良かろう」とトラスティに許可を出した。 「必要な人材のリストを出せ。それから、この屋敷は自由に使うことを許す」  そう言って椅子から立ち上がったアリエルは、静かにしていたガルースに声を掛けた。 「お前も、暇があったら手伝ってやれ」 「御意……」  そう言い残すと、皇帝アリエルさっさと謁見の場を出ていった。 「相変わらず、落ち着かない婆さんだな」  それを見送ったところで、トラスティはため息混じりにアリエルを評した。 「今のお言葉は、聞かなかったことにいたしましょう。落ち着かないのは……そうですな、普段はとても暇そうにされていますよ。あなたが来たから、仕事をしているふりをしたかったのでしょう」  言っていることは、自分とどっこいと言うレベルの酷さには違いない。ただ、いつものこととトラスティは気にさえしなかった。 「せっかくガルースが手伝ってくれるんだったら、金のことを聞きたいんだが……どれくらいならモンベルト支援につぎ込める?」  何をするにしても、予算という物が必要になる。かなりの部分をパガニアからせしめるにしても、それで足りるとはとても思えなかったのだ。  ただガルースからは、「ゼロです」と言うある意味当たり前の答えが返ってきた。 「やはりゼロか……」 「帝国には、モンベルトを支援する理由がありません。したがって、びた一文たりとも出費が出来ないことになります」  当たり前のことが、当たり前のように口にされただけなのだ。それを聞いていたアリッサ達にしても、特に不思議だとは思っていなかった。 「モンベルト王女のお腹に、僕の子供がいてもか?」  子供と言う話に、少しだけガルースの眉がピクリと動いた。 「アリッサ様と言うお方がおいでなのに、別の女性を孕ませたのですか。やれやれ、少し目を離すととんでもないことをしでかしてくれる」  目元を少し険しくしたガルースは、何かを計算するように目を閉じた。そして目を開いたところで、「年額で1千万と言うところです」と答えた。 「それは、ダラか、それともギルダーか?」  単位によって、金額の絶対値は大きく変動してくれる。ちなみに現在の換算レートで、1ダラは0.1ギルダーになっていた。 「もちろんギルダーです。ただ、帝国の予算からではなく、聖下が作られている基金からの出費となります」  アリッサの感覚では、1億ダラと言うのは「それなり」の金額でしか無い。だがエイシャやアリハスルにしてみれば、莫大な金額には違いなかった。とてもではないが、「子供」と言うキーワードで出てくるようなレベルではなかったのだ。しかもそれが、1回限りではなく毎年と言うのである。何か違っているだろうと言いたくなるのも、二人にしてみればおかしなことではない。 「あとは、パガニアがどこまで出すか……だが」  うんと考えたトラスティは、「どう思う?」とガルースに見解を求めた。 「そうですね、パルガトレの国内事情を考えれば、さほど多くはと言うところでしょう。800ヤー前のことだと考えれば、時効と言う考えも成り立ちます。ですから慰謝料と言うより、経済協力名目の支出となるかと。そしてパルガトレの経済協力関連の枠を調べると……」  そこで目を閉じたガルースは、再度データーからパガニアの予算を確認した。 「多くて国家予算の0.1%程度……と言うところでしょうか。それでも、総枠で20億ぐらいにはなるでしょう。ただ惑星の規模を考えた場合、焼け石に水のレベルでしかないのも確かです」  それでも基金を取り崩すのに比べて、200倍を期待することができる。ただ交渉事なので、計算できる金額でないのも分かっていた。 「エスデニアは、ずっと食糧援助を続けているな……あそこもそれ以上の負担を良しとはしないだろうな」  そこでトラスティに顔を見られたアリハスルは、小さく肩をすくめてみせた。 「どれだけあれば十分かなど、今の状況で分かるはずがない」 「惑星規模だと、あと一桁は必要ですな。どうです、アリエル様の遺産を相続されると言うのは? 各種権利を換金すれば、10兆に届くのではありませんか?」  600ヤーも皇帝をしているのだから、並外れた資産を持っていても不思議ではない。それでも10兆ギルダーと言うのは、桁外れと言っていいだろう。 「間違いなく、あの婆さんの方が僕より長生きするぞ。あと100ヤー以上は生きてくれるだろう」 「ならば、生前贈与と言う形を取られれば」  それでも、かなりの金額を融通することができるはずだ。それを提案したガルースに、「却下だな」とトラスティは答えた。 「個人資産をつぎ込むのはやりすぎだ。それぐらいだったら、超銀河連邦から資金を巻き上げた方がいいだろう。少なくともモンベルトの問題は、個人の問題ではないはずだからな」 「では、超銀河連邦にたかる方法を考えておきましょう」  何をするにしても金が必要なことを考えれば、ガルースの申し出はありがたいことだった。ただたかると言うのは、もう少し言葉を選べと言いたくなるものだった。「任せる」と答えたトラスティは、アリハスルの顔を見て「本題だ」と指を立てた。 「変化を嫌う奴らを黙らせるためには、なにか目に見える成果が必要になる。それを1ヤー以内に用意したい」  できるかと言う問いに、「まさか」とアリハスルは即座に否定した。 「鉱山惑星の開拓とは違うのだぞ。空気が多少浄化されたところで、日々の変化に埋もれて理解できるはずがない。それは海の浄化も同じだ。惑星全体のこととなると、部分的な変化など目につかないのが普通だ。そして目につくような速度で行うと、間違いなく住民に破滅的な影響が出る。また8割の住民を殺すと言うのなら別だが、さもなければ1ヤー以内に変化を見せるのは不可能だ。もちろん、そこには投入される資金のことは含まれていない」  資金の制約があれば、さらに状況は厳しくなると言うのである。きっぱりと言い切られ、そうかとトラスティは考え込んだ。 「ライスフィールの子供のことを考えると、1ヤー以内に何か成果を出す必要があるんだが……」  その成果について、たった今アリハスルから否定されてしまった。やはり常識は捨てなければと、もう一度トラスティはペテンの方法を考えることにした。 「すべての生態系を無視して改良に取り掛かったとき、惑星規模だとどれだけの時間が掛かる?」 「大急ぎで、と考えればいいのだな?」  うんと考えたアリハスルは、「難しいな」と零した。 「利用する方法にもよるが、浄化で数ヤーと言うところだろう。もちろん、汚染物質の種類によっては、更に時間が必要となることがある。そして浄化が終わったところで、新たな生態系を構築することになる。こちらはどれだけ頑張っても、数十ヤーのスパンが必要になるな」  生態系を無視、すなわちその星に住んでいる人達の事を考えなくても、1ヤーで何らかの成果を見せるのは不可能と言うことだ。予想していたことでも有るので、その答え自体にはトラスティは落胆をしていなかった。 「青い空、綺麗な海を見せるには?」 「やはり数ヤーから数十ヤーのスパンになる。見せかけで良ければ、数ヤーと言うところなのだが……」  うんと考えたアリハスルは、「やはり数十ヤー」と答えた。 「汚染されてから、800ヤーと言う時間が過ぎている。その時間が、大地の深いところにまで汚染物質を染み込ませている」  その浄化には、やはり時間が掛かると言うのだ。そうなると、トラスティは他の方法を考えなければならなくなる。どうしたものかと悩んだのだが、それぐらいでいい考えが浮かべば誰も苦労などしないだろう。 「仕方がない、少し頭を冷やすことにしよう。それでガルースに頼みたいんだが、モンベルトの汚染物質についての調査資料を引っ張ってきてくれないか。後は、それを説明してくれる適任者も頼む」  「それから」と言って、トラスティはアリッサとエイシャの顔を見た。 「二人に観光のアレンジを」 「トラスティさん!」  戦力から外され、アリッサはすかさず文句を言った。だがそれを、トラスティは受け入れなかった。 「悪いが、少しだけ一人にさせてくれ」  そう言ってから、トラスティはアリハスルの顔を見た。 「教授はどうされます?」 「そうだな……」  自分は何をすべきかと考えたアリハスルは、「ここに残る」とトラスティに答えた。 「汚染浄化に関する文献を調べてみる。もしかしたら、なにか新しい知見が得られるかもしれないのでな」  小さく頷いたトラスティは、「頼む」とガルースにアリッサ達を任せた。少し不満そうな顔をしたアリッサだったが、ガルースを見て大人しく従うことにした。  二人を連れ出したガルースは、部屋から離れた所で「申し訳ありません」とアリッサに頭を下げた。 「ガルースさんに謝られることではないと思います……ただ、頼って貰えなかったことが残念で」  悔しそうにしたアリッサは、「仕方がありませんね」と小さく漏らした。 「頼って欲しいと言っても、だからと言って自分自身何が出来るのか分かっていません。それに、私程度の知識が役に立つぐらいなら、トラスティさんは苦労していないと思います」 「確かに、とてつもなく難しい問題だと思います。普通に考えれば、まともな答えなど存在しないものでしょう」  その答えは、とても常識に沿ったものに違いない。アリッサやエイシャにしても、それを否定する言葉を持っていなかった。ただ、それでもトラスティに期待する気持ちは持っていた。  そしてその事情は、ガルースも同じだったようだ。落胆した顔を見せる二人に、「ただ」と言って言葉を続けた。 「それをなんとかしようと、トラスティ様は考えられているのでしょう。そのために、普通ではない答えを探されていると私は思っています。しかも」  そう言って、ガルースはアリッサの顔を見た。 「ただ答えを探すだけではなく、自分に都合の良い答えを探されようとしていると思っています。さもなければ、あなた様を連れ回すような真似はしていないでしょう」 「あのぅ、私達は無理やり着いてきたのですが……」  ガルースの考えだと、自分達を連れてきたのはトラスティの意思ということになる。だが実態は、出かけるときに自分達が駄々をこねた結果である。  それを主張したアリッサに、ガルースはほんの少し口元を緩めてみせた。 「あなたを大切に思っているからだと私は思っているんですよ。どうでもいいと思っていたら、駄々をこねられる前に居なくなられていたでしょう」  だからですと答えたガルースは、アリッサ達からは見上げるような高さの、そして彼の背からすれば頭のぶつかりそうな扉を開いた。 「ここは、私のスタッフが働いている部屋です」  さあと誘われて入ってみたら、大勢から一斉に視線を向けられてしまった。ざっと数えた範囲で、30名ぐらいというところだろうか。それぞれが異なった特徴を持っているスタッフだが、全員が好奇の目でアリッサの顔を見てくれた。 「お気づきかと思いますが、ここには短命種のスタッフもおります。帝国の中でも、同じ職場に長命種と短命種が混在するのは珍しいことなんですよ」  どうぞと二人を中央に置かれたテーブルに案内し、ガルースは「フローリア」と一人の女性に声を掛けた。目を輝かせて立ち上がったのは、茶色の髪に茶色の瞳をした、頬にそばかすの残る短命種の女性だった。年齢的には、「年上かな?」と言う見た目をしていた。 「彼女は、トラスティ様と同じ育児施設の出身です。彼のしでかした悪事を、色々と教えてくれることでしょう」  そう言って口元を緩めたガルースは、フローリアに「ご案内しろ」と命じた。 「夕食までの時間、観光を含めてアレンジをしてくれればいい」 「……なんでもあり、でしょうか?」  嬉しそうな顔をしたフローリアに、「程度問題」とガルースは返した。 「彼に喧嘩を売る覚悟があるのなら構わんが?」  どうだと問われ、フローリアはぶるっと身を震わせた。 「け、喧嘩ならいいですけど、一晩中耳元で恨み言を言われるのはごめんです!」 「ならば、常識的な範囲で留めておくことだ」  そう忠告したガルースは、任せたとアリッサ達二人をフローリアに引き渡した。そして「エゼキア」「バルバロス」と別のスタッフに声を掛けた。 「お前達二人は、トラスティ様の手伝いをしてこい」  長命種の年齢は分かりにくいのだが、相当若そうだと言うことだけは理解できた。特にエゼキアと呼ばれた女性は、バルバロスと呼ばれた男性よりは若く感じられた。いずれもアリッサ達からすれば見上げるほど背が高く、長命種標準のスリムな体型をしていた。していた格好は、ここの制服なのか濃いベージュの首の詰まったスーツ姿だった。  そして指名された二人は、特に表情を変えること無く執務室を出ていった。それを見送った所で、フローリアが「行きましょうか」と二人に声を掛けた。二人の格好に合わせたのか、いつの間にか七分丈の白のブラウスにピンクのカーディガン、チェックの入った濃いグリーンのスカート姿になっていた。 「あまり、見て面白い所のない星なんですけど……」  ガルースを見て言い訳をしたのだが、彼からは何の反応はなかった。それを当たり前に受け止めたフローリアは、「こちらに」と言ってアリッサ達が入ってきたドアを開けた。当たり前だが、先程入ってきた場所とは違う所に繋がっていた。 「これって、エスデニアの技術が入っているのですか?」  空間接合かと考えたアリッサに、「少し違います」とフローリアは真面目な顔をして答えた。 「空間を湾曲させて、2点間を繋げています。結果は似ていますが、原理は大違い……だと思います。私達が使っている方法は、エスデニアと違って超長距離の移動には使用できませんから」  さあとアリッサ達を促してドアをくぐったフローリアは、ドアを締めた所でほっと息を吐き出した。そしてアリッサを、頭の天辺からつま先まで舐めるように見てくれた。 「本当に、理想的ね」  ここでも同じことを言われるのかとゲンナリしたアリッサに、フローリアは予想通りの、そしてプラスアルファのことを口にしてくれた。 「たぶん、散々言われたとは思うけどね。あなたって、本当にトスの理想通りなのよ」  こっちと指差してアリッサに並んで、人通りの少ない歩道をフローリアは案内した。 「あいつ、小さな頃から金髪で青い目をした女性の後ばっかりついて行ったのよ」 「トラスティさんを、小さな頃からご存知なのですか?」  同じ育児施設出身とは聞いたが、小さな頃から知っているとは教えられていなかった。これで秘密を握れると目を輝かせたアリッサに、「そりゃあ、もう」とフローリアは笑った。事務所に居たときとは違い、彼女の態度はかなり砕けたものになっていた。 「何回グーで殴ってやったことか。たぶん、10や20じゃきかないぐらいよ」 「喧嘩をされた……と言うことですか?」  グーで殴るのは穏やかではない。だから喧嘩かと想像したアリッサに、「違うわよ」とフローリアはあっさりと答えた。 「失礼なことを言うから、制裁をしてやっただけ」 「例えば、どのような……」  それを聞いたアリッサに、フローリアは少し口元を引きつらせた。 「その質問は、結構残酷だって分かってるかな。まあ、今更だからいいし、現実を突きつけられれば認めないわけにはいけないんだけどね」  はあっと息を吐き出したフローリアは、「彼ってもてたのよ」と予想とは違う答えを口にした。 「だから、結構女の子たちに告白されたりしていたわね。ちなみに、私も一度告白をしたことがあるのよ。あの部屋に居たスタッフには、他にも5人ぐらい振られ組は居るわね」  振られ組と言う以上、フローリアもその一人と言うことになる。 「「金髪碧眼じゃないとねぇ」ってのは、まあ予想した範囲だから腹も立たないんだけどね。でもさぁ、身近にそんな子は居なかったのよ。だから妥協も必要と言い返してやったらさぁ」  そこでエイシャを見たのは、一体どう言う理由なのだろうか。ちなみにフローリアのスタイルは、はっきり言ってエイシャに似たタイプだった。 「人のスタイルのことを、事細かく論ってくれたわね。バストが後何センチ大きくて、ウエストが何センチしまっていてとか……そりゃあもう、なんで知っているんだと言いたくなるぐらいにね。見た目にしてもさぁ、凄くいやみったらしく言ってくれるわけよ。「せめてアイラぐらいだったら」って……アイラってね、ミスコンを総なめするぐらいの美人なのよ。どう考えても「せめて」ってレベルじゃないのよ。だから、もっと現実を見ろって言い返してやったわけ」  言っている内に腹が立ってきたのか、少しフローリアの目元がきつくなってきた。 「そしたらさぁ、「僕が現実を見ても、君の現実が変わるわけじゃない」ってほざいてくれたわ。人が告白してるのに、それってありだと思う? だから腹が立って、顔がボコボコになるまで殴ってやった。そこで腹が立ったのは、トスは翌日何事もなかったような顔をしていたのに、私は手首を痛めて1週間湿布をすることになったのよ。まあ、それからもいろいろな理由で殴ってるけど」  あははと笑ったフローリアに、アリッサは「質問が」と遠慮がちに口を開いた。 「アイラさんと言う方とトラスティさんの関係は?」 「やっぱり、そっちが気になるよね……さすがは、トスの恋人ってことかしら」  感心したように頷いたフローリアは、ちょうどいいと手を叩いた。そしてアリッサ達の前で、人差し指で何かの模様を描いた。 「ちょっと場所を変えるわよ。たぶん、他にも聞きたいことが有ると思うから」  いいでしょうと言って、フローリアはアリッサの手を引いた。そして小さな路地を曲がった所で、全く違う景色が目の前に広がった。どこかのお店のように見えるところを考えると、湾曲空間で繋げてくれたのだろう。 「あら、今は仕事中じゃないの?」  突然現れたフローリアに、黒髪をした落ち着いた感じの女性が声を掛けた。白い服に黒のエプロン姿をしているところを見ると、どうやら何かの飲食店の様だ。セミロングの黒髪に黒い瞳、スッキリと通った鼻筋に形の良い唇と、つい見とれてしまいそうなきれいな女性がそこに立っていた。 「ちょっとね、お客さんを案内中なの」  そう言ってフローリアは、アリッサとエイシャを前に出した。 「こちらがアリッサさん、そしてこちらがエイシャさんよ。二人共、ジェイドから来ているの」 「ジェイドって……」  銀河の反対側の星系ともなると、名前を言われてもピンとくるものではない。うんと考えた女性は、「待っててください」と言ってアリッサ達に背を向けた。 「開店時間を1時間遅らせるから。適当な席に座っててくれるかしら?」 「うん、勝手にさせて貰うわ」  適当な席と言われて周りを見て、アリッサはここが初めて飲食店と言うのに気がついた。天然の木をふんだんに使った内装は、とても落ち着いた雰囲気を作り出していた。 「あの、ここは?」 「そうねぇ、共通言語で言うところのカフェかしら。お茶を飲むのが主で、食べる方が従と言うバランスのお店よ。もっとも、ヘタなレストランより美味しいものが食べられるけどね」  小声で説明したフローリアに、「何も出ませんよ」と言ってその女性は笑った。 「そう言えば、自己紹介がまだでしたね。カフェ・セイレーンのオーナーをしているアイラと言います。もっともオーナーと言っても、一人でほそぼそと営業をしているだけですけどね」  そう言って笑ったアイラは、「待っててください」と言い残して奥へと消えた。 「アイラさんって……」 「そう、引き合いに出されたアイラよ。どう、なかなかの美人でしょう?」  あっけらかんと言ってくれているからいいが、確かに冷静に比較をすれば勝負にならないのは理解できた。ただ「せめて」と言うのが失礼なほど綺麗と言うのは確かだった。 「なかなかと言うか、物凄く綺麗な人だと思います」 「まっ、勝負にならないのは自覚していたんだけどねぇ……」  奥の方を見たフローリアは、ほっと小さく息を吐き出した。 「ちなみに彼女も、同じ育児施設の出身よ」 「その中での出世頭があなたかしら?」  そう言って、アイラは小さなワゴンを押してきた。ワゴンの上には、上質なティーカップとクッキーのようなお菓子が置かれていた。 「出世頭はトスでしょう」  すかさず言い返したフローリアに、アイラは少し目を見開いた。 「彼は、私達とは違うでしょう? だから、出世頭はあなたなのよ」  ティーカップを3人の前に並べ、アイラは紅茶のような液体を注いでいった。立ち上る湯気から、少し甘い香りが漂ってきた。 「それで、いきなりジェイド……でしたか、お客さんを連れてどうしたのですか? わざわざお客さんを案内するようなお店じゃないと思うけど?」  宰相府の勤務時間帯だと考えれば、二人が大切なお客様というのは想像することが出来る。ただ大切なお客様だと考えると、案内する先が違うだろうと言いたくなるのだ。そんなアイラに、「あなたが目的」とフローリアは切り出した。 「アリッサさんは、トスの恋人なのよ」  トスの恋人とフローリアが口にした時、アリッサはカップに伸ばされたアイラの手が小さく震えたのに気がついた。 「アリッサさんが?」  驚いたと言うより、瞳に現れたのは失望の色だろうか。ただそれも、刹那のことでしか無かった。小さく息を吐き出したアイラは、「なるほど」と言ってアリッサの顔を見てくれた。 「ようやく、彼も理想の人に巡り会えたと言うことね。だとしたら、なんて言ったかしら……この前、ニュースで出ていた……」 「ライスフィールさんのことですか? あの、モンベルトの王女様ですけど」  アリッサの言葉に、「そうそう」とアイラは頷いた。 「理想は理想、現実は現実なんだなって……みんなで話していたのよ。まあ、王女様と言うのもブランドだけどね。そう、あなたが彼の恋人なのね」  そう言って微笑んだアイラは、フローリアの顔を見て小さく息を吐いた。 「今日は臨時休業にしないといけない訳ね。大方、彼の悪口で盛り上がろうと言うんでしょう?」 「さすがアイラ、話が早いわね」  その通りと大きく頷いたフローリアに、アイラはもう一度ため息を吐いた。 「ほんと、人の迷惑を考えない人なんだから……」 「あの、突然押しかけて申し訳ありません」  いきなり押しかけてきたせいで、今日は休業にしなくてはいけなくなってしまったのだ。流石に迷惑をかけているのはアリッサも理解していた。 「あなたが謝るようなことじゃないわ。フローリアは、昔からこう言う所があったのよ」  そう答えると、アイラは何もないところを指で2回ほど押した。 「サマンサ達にも声を掛ける?」 「トスが帰ってきていることだけは教えておいてくれるかな? 彼は、取り込み中だけどね」  「取り込み中って?」と言いながら、アイラは何もない所で指をくるりと2度ほど回した。そしてあろうことか、「緊急招集」と口走ってくれた。 「緊急招集……なのですか?」  驚くアリッサに、「それぐらいのこと」とアイラは笑った。 「ところでどうしてトスが、恋人を放り出しているのかしら? 取り込み中って何?」  アリッサを見ながら、アイラはフローリアに問いかけた。 「詳しくは聞かされていないけど……ガルース様がモンベルトの分析をスタッフに指示を出されたのよ。だから、モンベルト関連だと思うんだけどね」  どうなの? と顔を見られたアリッサは、「それは」と事情を説明した。 「私がお願いしたせいで、トラスティさんがモンベルトの問題に関わることになりました。モンベルトは、パガニアの攻撃で惑星全体がひどく汚染されているそうです。時間を掛けて浄化していいのなら、今の技術ならさほど難しくないと言う話だと思います。ただ人の感情や個人的問題を考えたら、長い時間……何百ヤーも掛けるわけにはいかないと言う話です」 「壊すのは一瞬だけど、作り直すのには時間が掛かるからねぇ。しかもモンベルトは、壊れた状態を800ヤーも続けていると……確かに、生半可な方法じゃ作り直すのも難しいわね。そこに住民の感情まで重なってきたら、手を出したくないと普通は思うわね……と言うことで質問なんだけど?」  そう言ってフローリアは、アリッサの言う「個人的問題」を問題とした。 「住民の感情は分かるけど、個人的問題って何? やっぱり、王女様が絡んでくるの?」 「それは……」  どう説明したものかと考えたアリッサは、結局そのまま脚色せずに話をすることにした。 「その王女様、ライスフィールさんなんですけど。彼女がトラスティさんに恋をしました……いえ、愛してしまったと言えばいいのでしょうか。そのあたり、私に責任があるのですけど……それは置いておくとして、ええっと……」  どう説明したものかともう一度悩んだアリッサに、「その前に」とフローリアが質問を加えた。 「あなたとモンベルトの王女様だけど、どっちが先にトスに出会ったのかしら?」 「それは、間違いなく私です。そ、その、ええっと……」  抱かれていたと言うのは、この場では言いにくいことに違いない。だから口ごもったアリッサに、フローリアは拘らなかった。 「なるほど、だからあなたに責任があるということになる訳ね」 「あのぉ、どうして私の方が先に出会ったと言うだけでそう言う結論になるのですか?」  不思議だと言うアリッサに、「とても簡単な理由」とフローリアは答えた。 「あなたと言う人がいたら、他の女の子に手を出す理由はないもの。彼には王女様と言うブランドは通用しないし、頼られない限り勝手に手出しをすることもないわ。だからトスが、モンベルトに関わった事情が分からなかったのよ。なんでも出来る……と言うのは言い過ぎの気もするけど、それぐらいの彼だから、手を出す場合は自分の中で口実が必要なのよ。それに驚くほど冷静だから、いっときの感情では絶対に動かない。まあ5ヤーも前の話だから、今は多少は変わっているのかもしれないけどね」  フローリアの話に納得し、アリッサは初めから事情を説明することにした。そうしないと、トラスティがモンベルトに手を差し伸べる理由に説明がつかなかったのだ。 「もともと、私の友人の問題があったんです。アマネさん……アルマシアさんとパガニアの関係から始まりました」  アマネの話を切っ掛けに、アリッサは長い説明を開始した。そしてその説明の中に、ライスフィール自身の問題も説明した。隠すことに意味はないし、隠してしまうと説明が破綻するため、彼女が妊娠していることも説明をした。  それを一通り説明した所で、フローリアとアイラは顔を見合わせて大きくため息を吐いた。 「トスって、レムニアを出ない方が穏やかな人生を送れたと言うことね。もっとも、彼に穏やかな人生が似合うのかって言うのは別な話だと思うけど」  ねえと顔を見られたアイラは、小さくフローリアに頷いてみせた。 「一番似合わない生き方だと思います。と言いますか、レムニアに居ても穏やかな人生になるとは思えませんけどね。彼の行く所に混乱が待っている……と言う気がします」 「つまり、出会うべき二人が出会ったと言うわけだ」  ようやく口を挟んだエイシャは、「実は」と自分達の関係を説明した。 「俺とアリッサ、それから名前の出たアマネの3人で、会社を設立したんだよ。まあ、カレッジの起業実習が理由なんだが、アリッサの希望で「相談所」なんて訳の分からない会社を作ったんだ。トリプルA相談所と言うのは、3人の名前から頭文字をとったものだ。ただ最近、仲間内では「トラブルA」と言われるようになっている。それぐらい、いろんなトラブルに巻き込まれるようになったんだよ」 「つまり、彼もあなた達を襲ったトラブルの一つってことかしら?」  フローリアの疑問に、「間違いなく」とエイシャは力強く頷いた。 「俺は、アリッサが引き寄せたトラブルだと思ってる。何しろトラスティさんは、アリッサがストーカーしてなけりゃあ、俺達に関係していなかったからな」 「割れ鍋に綴じ蓋……と言うことですね」  大きく頷いたアイラに、「まさしく!」とエイシャは答えた。その明るさに当てられたアイラは、「ちょっと待ってて」と言って奥へと消えた。  それを目で見送ったアリッサは、クッキーのようなお菓子に手を伸ばした。 「これって、美味しいですね」  少し甘めなのだが、その分お茶と合せると味が引き立ってくる。コンステレーションU以来の美味しいものに、アリッサは目を輝かせてお菓子に手を伸ばした。それを見たフローリアは、席を外した幼馴染のことをアリッサに教えた。 「アイラは、あれでとても家庭的なのよ。だからねぇ、とっても男子に人気があったんだけど。惚れた男が悪かったとしか言い様がないわぁ」 「それって、トラスティさんのことですよね?」  自分が恋人と紹介された時の反応を見れば、アイラが誰を思っているのかぐらいは想像がつく。そしてその想像を、フローリアも肯定してくれた。 「まっ、アイラの反応を見ればまるバレよね。アイラってすごく綺麗だし、それにとっても家庭的なのよ。スタイルは……まあ、それなりにいいしね。でも、あなたを見たら、アイラじゃ力不足だって分かるわ」  ふうっと息を吐き出したフローリアに、「とんでもない」とアリッサは答えた。 「わ、私が偶然金髪碧眼だっただけで……だから」  違いと言っても、その程度でしか無いはずだ。そう答えたアリッサに、「違うわよ」とフローリアは返した。 「アイラじゃ物足りないってこと。彼を振り回せるぐらいじゃないと、一緒にいられないなと思っただけよ。トスにとって、家庭的と言うのはポイントにならないなぁってね」 「別に、振り回しているつもりはないんですけど……」  なにか、もの凄く手が掛かる女に思われているようで嫌だ。フローリアの言葉に、アリッサは不満げに唇を尖らせた。ただアリッサの文句も、隣でエイシャが頷いていては意味もなくなる。「何か?」と睨んでみても、今更手遅れとしか言いようがなかった。  そんなことを話していたら、奥からアイラがワゴンを押して現れた。ワゴンの上を見ると、どう見ても酒としか思えないボトルが並んでいた。 「あまり上等なのは無いけど、とりあえず飲みましょうか」 「まだ、昼前だと思いますが……それに、フローリアさんは職務中ですよね?」  だからとアリッサが言っている側で、すでにフローリアが自分のグラスにお酒を注いでいた。少し黄金色をした透明の液体は、まるでリンゴのような甘い匂いがしていた。 「ガルース様からは、何でもありって言われているから」  あははと笑ったフローリアは、「さあさあ」とアリッサとエイシャの二人にグラスを手渡した。 「じゃあ、ここはお約束の乾杯と行きましょう!」  そう言って音頭を取ったフローリアは、「新しい友達に」と言ってグラスを差し上げた。それに合せるように、「新しい友達に」と3人が声を合わせた。4つぐらい年の差が有るはずなのだが、誰もそれを気にしていないようだった。  午前中から始まったパーティーは、途中からサマンサ達が加わり大宴会に様変わりをし、見る見るうちにお酒の空ボトルが積み上げられていった。そして後から加わった者達は、アリッサを見て例外なく「なるほど」と納得をしてくれた。それだけトラスティの嗜好は、友人達に共有されていたと言う事になる。  何人か途中で加わり、そして何人かは「用があるから」と言って途中から抜けていった。そして酒と料理の消費が止まったときには、辺りはすっかり暗くなっていた。最盛期には10名を超えた宴会も、残ったのは初めからいた4人だけになっていた。 「結局、最後まで潰れなかったのは私達二人と言うことね」  そう言ってグラスに口をつけたアイラは、ぞくっと来るほど色っぽかった。 「ああ、これだけ飲めば当たり前なんだが……随分とアリッサも酒癖が良くなったものだ」  くくくと笑いながら、エイシャも琥珀色をした液体を飲み込んだ。 「彼女、酒癖が悪いの?」  驚いた顔をしたアイラに、「そりゃあ、もう」とエイシャは大きく頷いた。 「アス詣でのツアーに同行した時の宴会で、商店会のおっさんたち相手にかなり乱れていたな。穿いていたストッキングは脱ぐし、スカートもずり落ちていたぞ。しかもおっさん達に、足を舐めさせようとしたぐらいだ。他にも色々と危なかったんだが、俺とここには居ないアマネの二人で阻止したんだよ。酒の席で、セクハラされるのが癖になりかけていたぐらいだ」 「商店会の人達って、随分と我慢強かったのね。と言うか、紳士が揃っていたのかしら?」  ふふっと笑ったアイラは、テーブルに突っ伏したアリッサを見た。 「ああ、こんな美人が酔って無防備なところを晒していたんだからな。狼になられたら、俺達二人じゃ止められなかっただろう」  我慢強いと言うのを認めたエイシャは、「アイラさんは……」と呼びかけてから、「悪い」と謝った。 「謝られるようなことはないと思うけど?」  おかしいわねと笑って、アイラはグラスからお酒を呷った。 「でも、なんとなく、あなたの言いたいことは分かるわ。でもね……」  そう言ってアリッサを見たアイラは、「勝てないわよ」と息を吐き出した。 「こんなに綺麗で、可愛らしくて、危なっかしい子……本当にずるいって思えちゃうわね」 「しかも、金髪碧眼で……だろう?」  エイシャの指摘に、「その通り!」と声を上げてからアイラはグラスの酒を飲み干した。 「アリエル様も、「こんなものが遺伝するのか?」と驚かれていたわよ。ただ、誰から遺伝したのかは教えてくださらなかったけど」 「そうか、皇帝様はトラスティさんが誰の遺伝子を継いでいるのか知っているんだな」  小さく呟いたエイシャだったが、すぐに「ダメだ」と言って首を振った。 「俺も、眠くなってきた……」 「ずっと、飲み続けだったからね。今まで、良くもった方じゃないの? 私はほら、料理とお酒を用意していたから飲んでいる暇がなかったしね」  そう言って笑ったアイラは、ボトルから新しい酒を自分のグラスに注いだ。そして「寝ていいわよ」とエイシャに声を掛けた。 「大丈夫、あなた達の貞操は保証するわ。それから、外に転がしておくような真似もしないから」 「だったら、遠慮なく……」  そう言ってふらつきながら立ち上がったエイシャは、長椅子の所に行きごろりと寝転がった。ただ、そこまでが限界だったのか、寝転がってすぐに小さな寝息を立ててくれた。 「さて、一人で飲んでいても仕方がないし……片付けでもしますか」  グラスの酒を飲み干したアイラは、片付けをしようと勢い良く立ち上がった。ただアイラにしても、昼前から飲み続けていたことに変わりはない。酔っていないと言うのは本人がそう思っているだけで、傍から見れば十分に酔っ払いになっていた。  だから勢いよく立ち上がれば、それだけ足元が危なくなってくる。その結果「あ、あらら……」と足を縺れさせ、そのまま後ろへと倒れていった。それが大事にならなかったのは、後ろに居た誰かに抱きとめられたお陰だった。 「もしかして、トラスティ?」  熱の籠もった声を出したアイラに、「ああ」と後ろから落ち着いた声が聞こえてきた。 「どうやら、随分と迷惑をかけたようだね」  全員が酔いつぶれているのを見れば、「迷惑」と言うトラスティの言葉に間違いはないだろう。だがトラスティに体を預けたままで、アイラは小さく首を振ってみせた。 「そんなことはないわ。これで、私も結構楽しめたから……違うわね、思いっきり楽しめたわ。それに……」  そう言って、アイラは肩に置かれたトラスティの手に自分の手を重ねた。 「こうして、あなたに支えてもらってる。こんなにあなたの体温を感じたのって、小さな頃のお遊戯以来かしら? 勇気を奮って告白した時も、結局抱きしめてもくれなかったしね」  ひどい男と笑ったアイラは、当てていた手を離してトラスティから離れた。 「それで、恋人を迎えに来たと言う訳ね」  テーブルに伏せて寝ているアリッサに、アイラは視線を向けていた。 「夜になっても戻ってこなかったからね。まあ、フローリアに任せたら、こうなることは目に見えていたし」  「しかし」とトラスティは、狭い店内をぐるりと見渡した。 「ずいぶんと酒臭いな。もっと早く来るべきだったかな?」 「そうね、あなた抜きの同窓会をしていたわよ。あなたの彼女からは、色々と危ない話も聞かせて貰ったわ。どれぐらい危ないかって言うと、女の子達の目の色が変わったぐらいかしら」  ふふふと口元を緩め、アイラはトラスティに向き合った。そこに居たのは、トラスティの知る少女ではない。5ヤーと言う時間が、アイラを少女から女に変えていた。 「どうして、女の子達の目の色が変わるのかなぁ……」  理解不能だと首を振ったトラスティに、「だって」とアイラは一歩近寄った。 「もの凄く高めばかりだけど、結構手広くやっているんでしょう? この子一筋だったら、流石に敵わないって諦めていたわよ。でもね……」 「僕は、アリッサ一筋だよ」  そう言って、トラスティは一歩後ろに下がった。 「理由はどうあれ、エイシャって子にも手を出したんでしょう?」 「いったい、何を話しているんだ」  呆れたと顔に手を当てたトラスティに、「酒癖が悪いから」とアイラは笑った。 「ちょっと誘導したら、面白いぐらいに色々と話してくれたわよ」 「そうやって、僕の評判を落としてどうするつもりなんだろう……なぁ」  困った顔をしたトラスティに、アイラは小さく吹き出した。 「こう言っちゃなんだけど、あなたは随分と変わったわね。ここに居る時に比べて、ずっと丸くなったと言うのか、雰囲気も随分と砕けていると思うわよ」 「あの時は、立場が立場だったからねぇ……婆さんの顔を潰しちゃだめだと思っていたんだよ」  プレッシャーだったと白状したトラスティに、「今は?」とアイラは聞き返した。 「少し大人になったおかげで、婆さんにつぶれるような顔が無いことが分かった。と言う所かな」  そう答えて、トラスティはエイシャが座っていた椅子に腰を下ろした。そしてまだ綺麗そうなグラスを捜し、残っていた酒をボトルから注いだ。 「飲める程度には落ち着いたのかしら? 確か、モンベルトの支援を引き受けたんでしょう?」  自分も座り直し、アイラは空になったグラスを差し出した。そのグラスに酒を注ぎ、「多少は」とトラスティは答えた。 「まだまだ、超えなくちゃいけない山が沢山あるんだけどね。現在山を越えなくてもいいルートを探している所かな?」 「正攻法で山を越えようとしないのがあなたらしいわね」  注がれた酒をくいっと飲み干してから、アイラは椅子を動かしトラスティの隣に並んだ……と言うよりくっついた。 「わざわざ、離れて飲む必要はないでしょう?」  だからと言って、わざとらしくトラスティに寄りかかって行った。 「だからと言って、これは無いと思うよ」  それを押し返したトラスティは、「今は?」とアイラに聞いた。 「こうして、カフェとか言う物を経営しているわ。おいしい料理と美人の店主のおかげでそこそこ繁盛しているわよ。そう言うあなたは……確か、旅行随筆家だったっけ? でも、売れているって評判は聞いていないわね。レビューも書かれていないぐらいだから、本当に誰も読んでいないんじゃないの?」  鋭い指摘に、「あうっ」とトラスティは胸を押さえた。 「印税もスズメの涙程度なんでしょ?」 「……否定できないことを言ってくれるね」  はあっと息を吐いたトラスティは、「肩書が必要だから」と打ち明けた。 「旅行随筆家なら、各地を訪問する理由が成り立つからね。売れてなくても出版されていれば、立場を説明することもできる。自由を得るための手段……だと思ってくれるかな?」  その程度と言うトラスティに、「この子のことは?」とアイラは寝ているアリッサを見た。 「大切にしたいと思っているよ。だから、少しジェイドに腰を落ち着けようと思っている。それに、ジェイドはジェイドで色々と都合がいいことがあるんだ」  そう答えたトラスティは、「キャプテン・カイト」とも一人のキーパーソンの名前を持ち出した。 「彼は、とても僕に似た見た目をしているよ。そして持っているデバイスは、ラズライティシア様にそっくりの見た目をしている。僕には、それが偶然のこととは思えないんだ」  その説明に、アイラは「なるほどね」と頷いた。 「この子がいて、キャプテン・カイトが居る……あなたにとって、ジェイドは腰を落ち着けるのに最適の場所と言う事なんだ」  もう一度お酒を呷ったアイラは、「暑いわね」と言ってエプロンを脱いだ。 「たぶん、お酒の飲み過ぎじゃないのかな?」 「そりゃあ、久しぶりにこんなに飲んだもの……ただ、前と違って楽しいお酒で良かったわ」  そう吐き出したアイラは、少し不満そうに唇を尖らせた。 「前の話は聞いてくれないの?」 「人のプライバシーには踏み込まないことにしているんだよ」  だから聞かないと答えたトラスティに、「だったら」とアイラは勝手に話し出した。 「あなたに振られた後……もう少し正確に言うのなら、あなたがレムニアを出て行った直後のことよ。やけ酒を、本当に意識がなくなるまで飲みまくったわよ。そして翌朝酷い頭痛で目を覚ましたら、知らないベッドに裸で寝ていたわ」  挑発的な顔をしたアイラに、トラスティは小さく頷いた。 「その落ちは、フローリアが隣に寝ていたでいいのかな?」 「……傷つくなぁ。でも、その通りだけど」  はあっと息を吐いたアイラは、手近な所にあったボトルを手に取った。 「だから、今度はあなたの前で酔いつぶれてあげる」 「また、フローリアの寝起きの顔を見ることになると思うよ。今度は服を着てだけどね」  そう言って笑ったトラスティに、「つまらないなぁ」とアイラは零した。 「せめて、裸にしていってくれないの?」  ほらと言って、アイラはブラウスのボタンを一つ外した。 「残念ながら、そこまで意志が強く無くてね。それに、恋人をそのまま残して行く訳にはいかないよ」  そう言うことだと言って、トラスティは立ち上がった。それを追いかけるように、アイラは立ち上がってトラスティに迫った。 「ここにいるのは、あと3日ぐらいかなぁ。アスで落ち合うにしても、延長して精々2日って所だよ」 「じゃあ、毎日通ってくれる?」  熱い眼差しを向けられたトラスティは、「どうだろうね」と言ってアリッサを見た。 「間違いなく、彼女次第だと思うよ」 「だったら、押し掛けることを考えないといけないか……確か、アリエル様の私邸だったわよね?」  やけに積極的なアイラに、何を吹き込んだのだとトラスティは上を向いた。ただ現実逃避に過ぎないと、「ガルース」と帝国で2番目に偉い人を呼び出した。 「修羅場に呼び出されたくはないのですが?」  明らかに困った顔をして現れたガルースに、「目が悪くなったのか?」とトラスティは聞き返した。 「いえ、いたって正常です。あらかじめ申し上げておきますが、呆けてもおりません」  なにかやりにくくて仕方がない。どうしてこうなると考えながら、「頼めるか?」とソファーで寝ているエイシャの方を見た。 「分担としては、それが適当なのでしょうね」  了解したと答え、ガルースはエイシャを抱き上げた。 「ベッドの上に転がしておけば宜しいでしょうか?」 「そこから先は、目が覚めたら自分でするだろう」  それでいいと言う答えに頷き、ガルースはエイシャを抱えたままアイラの店から消えた。 「狭いベッドならあるけど?」 「もれなく、君もついてくると言う寸法か。確かに、狭すぎるね」  ないないと言って笑い、トラスティは軟体動物になったアリッサを抱き上げた。 「どうせくっついて眠るんだから、3人分のスペースがあれば同じだと思うわよ。私にとって、あなたが横に居る世界がすべてなの。その外がどうなっているかなんで、本当にどうでもいいことなのよ」 「その外が地獄でも、かい?」  流石にないだろうと言うつもりで聞いたトラスティに、「ええ」とアイラはあっさりと肯定してくれた。 「ベッドから出なければ、そこが夢の国であるのは変わらないもの。それに、たとえ地獄だとしても、私に関係なければどうでもいいことだと思うわよ。あなたが目の前にいれば、気にもしないと思うわよ」  「そうねぇ」と少し考えたアイラは、宇宙の旅を例として持ち出した。 「その子と一緒に宇宙を旅していて、壁を隔てた向こう側が人の住めない世界ってことを意識した? そんなことより、その子が一緒に居ることに気が回っていたんじゃないの?」  そうでしょうと言う顔をしたアイラに、確かにそうだとトラスティは頷いた。 「……それが、君の狭いベッドで寝ることと関係するのかな?」 「ベッドが狭いって文句をいうからいけないのよ。くっついて眠れば……」  うんと考えたアイラは、「違うわね」と過激なことを口にした。 「重なって眠れば、別に狭くはないと思うわよ。あなたにとっての世界は、私とその子に挟まれた世界しか無いの。どれだけベッドが広くても、許された世界はほんの僅かでしか無いと言うこと。だったら、無駄に広い世界なんて無い方がいいと思わない? だから、私の狭いベッドで十分ってことよ!」  どうだと普通の胸を張ったアイラは、態とらしくもう一つボタンを外した。 「君のベッドに行くのと同じ手間で帰れるのに、わざわざ問題をややこしくする必要はないと思うよ」 「つまり、私のベッドに来る手間は大したことじゃないって言っている訳でしょう?」  ああ言えばこう言うのアイラに、トラスティは小さく苦笑を浮かべた。そこで何かが引っかかり、ちょっと待てと言ってアリッサをソファーに寝かせた。 「あら、私を抱きしめてくれるの?」  両手が空いたわねと笑うアイラに、「いやいや」とトラスティは右手を前に出した。 「何か、とても大切なことがあった気がするんだ」  そう言ってアリッサを見たトラスティは、「世界は……」と言って店内を見渡した。20人ほど客が入れる店内には、今は自分を含めた3人しか人が居ない。 「今、こうして自分の目に映るのが僕にとっての世界……か? いやいや、扉を開ければ世界が広がっていることを知ることが出来る」  そう口にしてから、トラスティはもう一度首を振った。 「それにした所で、扉を開いた先がどうなっているかは開けてみて初めて分かることか。そして扉を開かない限り、中にいる僕は外がどうなっているのか分からない。いやいや、出ていこうとしない限り雨が降っていても気にはしない……か」  むむむとトラスティは、右手を口元に当てた。 「だとしたら、モンベルトの人達にとっての世界はどうなんだ? 彼らは、行ったこともない反対側がどうなっているのかを気にするのか?」  あああっと上を向いたトラスティは、もう一度口元に手を当ててぶつぶつと呟いた。 「だったら、彼らの生きる世界を制限したら何が起こる? 食料生産は、今でもまともにできていないんだ。だったら、5千万人を収容するのにさほど広い面積は必要がない……」  そこまで考えたトラスティは、「アイラっ!」と大きな声で幼馴染の名前を呼んだ。 「な、いきなり、なに!?」  急に考え込んだと思ったら、いきなり大声で自分の名前を呼んでくれたのだ。しかも直前の色っぽい話からは、遠くはなれているようにしか見えなかった。だがトラスティがとった行動は、アイラの想像とは全く違っていた。ただ違ってはいたが、彼女にしてみれば初めての経験でも有る。なにをトチ狂ったのか、正面から彼女を抱きしめてくれたのだ。嬉しいことには違いないが、ただ冷静でいられるかは全く別の話だった。 「な、ち、と、トスっ!」  お酒の酔いも、あまりのことに何処かに飛んでいってしまった。顔を真赤にして焦るアイラに、「見つかったんだ!」と言ってトラスティは彼女を抱き上げた。そして映画のように、抱き上げたままぐるぐると回ってみせた。 「ペテンの方法が見つかったんだよ。たった5千万人しか居ないんだったら、広い土地は必要が無いんだ。狭いエリアを浄化して、その後空間拡張をしてやればいい!」  あはははと笑ったトラスティは、まるで映画のようにアイラを振り回した。ただ映画と違うのは、アイラがしっかり酔っていることと、そして頭に血が上っていたことだった。 「ち、ちょっと、流石にまずいから……」  抱きしめられた喜びも、振り回された苦しさの前に吹き飛ばされてしまった。「待って」と弱々しく口にしたときには、すでに手遅れになっていた。違う意味でアイラは失神し、振り回されるのに合わせて首がガクガクと傾いた。 「あ、アイラ?」  そこまでくれば、流石に気付かない方がどうかしている。振り回すのをやめたトラスティは、腕の中で動かなくなったアイラに声を掛けた。だが失神したアイラに、彼の声が届くはずもない。流石にまずいと、トラスティは彼女を椅子に座らせた。本来寝かせるべきなのだが、あいにくアリッサが使用中である。 「ええっと……やりすぎたか」  まずいなと指で頬を掻いたトラスティは、「ガルース」と帝国で2番目に偉い人をもう一度呼び出した。 「ついに、アイラさんに手を出されたのですか? しかし、その割に着衣は乱れておりませんな」  いつも以上に不機嫌そうな顔をしたガルースは、椅子に座らされたアイラを見て小さくため息を漏らした。 「私に、証拠隠滅をしろと?」  嫌そうな声を出したガルースに、「ベッドは有ったよな」とトラスティは確認した。 「このままの格好でいいから、ベッドに転がしておいてくれ」 「流石に、それは可哀想な気もしますが……」  かと言って、着替えさせるのはもってのほかに違いない。「仕方ありませんな」とため息を漏らし、ガルースがアイラを抱え上げた。 「聖下の私邸には、使いもしないベッドルームが山のようにありますからな」  そう言い残し、ガルースはアイラを抱えたまま店の中から消失した。それを「頼む」と見送ったトラスティは、ソファーで寝ているアリッサを抱え上げた。 「流石に、今日は無理か……」  それぐらい酒臭いし、ここまでしても目を覚ましてくれないのだ。仕方がないと諦め、トラスティも空間移動でアリエルの私邸へと移動した。誰も居なくなったアイラのカフェで、フローリアのいびきだけが規則的に響いていた。  翌朝アリッサを連れて現れたトラスティを、フローリアの不機嫌そうな顔が迎えてくれた。当たり前だが、誰もフローリアを回収に来てくれなかったのだ。 「どうして、私だけテーブルで寝てなきゃいけないんです!」  あまりにも扱いが違いすぎると言う文句に、アイラを思い出して「嫌がられたから」と嘯いた。 「どうもアイラは、君と一緒のベッドは嫌そうだったからね。それに、気持ちよさそうに寝ていたから、起こすのが憚られたんだよ」 「だったら、抱っこして連れて行ってくれればいいのに」  幼馴染なのにと文句を言ったフローリアに、「別に構わないけど」とトラスティは口ごもった。 「アイラを運んだのは、ガルースなんだけど。フローリアも、ガルースに抱っこして貰いたかったのかな?」 「ガルース様に……」  その光景を思い出したのか、フローリアはぶるっと体を震わせた。 「流石に、遠慮する……かしら」  いやいやと首を振ったフローリアを後にし、トラスティはアリッサを連れて食堂へと入っていった。そこにはアイラやエイシャの他に、アリハスルやエゼキア、バルバロスが顔を揃えていた。流石に2番めに偉いガルースまではこの場には居なかった。 「トス、ちょうどあなたの悪口で盛り上がっていたところよ」 「まあ、褒めてもらえるとは思っていないよ」  そう言って席についたトラスティは、柔らかそうなパンをつまみ上げた。それにバターに似たスプレッドを塗りつけてから、じっとパンを見つめた。 「実は、どうペテンに掛けるのかを思いついたんだ……」  そう口にしてから、パンに齧り付いた。 「それを、話してもらえるのだな?」  視線を鋭くしたアリハスルに、トラスティは小さく頷いた。 「モンベルトの問題は、惑星に5千万人近い人達が住んでいることだ。だから、環境改善に思い切った手を打つことが出来ない。そして目に見える変化を示せないことで、期待が失望に塗り替えられてしまうことにある。僕が悪者になるのはいい。ただそれでは、あまり長い時間を稼ぐことは出来ないんだ。だから僕は、1ヤー以内に何らかの形を示す必要があると思っていた。できれば、王女が世継ぎを生むのに合わせて結果を示せればと考えていたんだ」  昨日話し合ってきた問題を繰り返したトラスティに、アリハスルは「袋小路に入ったはずだ」と昨日の状況を繰り返した。 「そう、そんな都合のいい方法はない。それが、昨日の結論だった……いや、結論と言う訳ではないか。何かブレークスルーが無いか、それを宿題として持って帰って貰ったと言うところだね」  そう答えたトラスティは、大人しくしているアイラの顔を見た。ただ顔を見られたアイラは、全くその理由に心当たりはなかった。 「5千万人と言うと、途方もない数に思えてしまう。でも、“たったの”5千万人と考えることも出来る。大型の移民船を使えば、2隻で収容できてしまう程度の数だ」 「確かにそうだが、移民船の案は採用しないと言う結論だと思ったが?」 「そう、何世代も移民船で生活させる訳にはいかないからね」  その考えは変わっていないと答えたトラスティは、ドアの方を見て「教授」とアリハスルに呼びかけた。 「今、こうして話をしている間、教授はドアの向こうを意識することはありますか? もう少し言うのなら、この部屋の外の世界がどうなっているのか。それを強く意識することはありますか?」 「話をしている間か……少なくともその間、外を意識する必要はないだろう。おそらくだが、部屋を出ようと思わない限り意識することはないだろうな」  それでと促したアリハスルに、「それがペテン」だとトラスティは答えた。 「モンベルト上に、開放された閉鎖空間を作ろうと思っている。そしてその空間だけを、徹底的に浄化処理を行う。5千万人を収容するのだから、それなりの面積は必要になるのだろうね。でも、星全体を考えたら、本当に僅かな面積でしか無い。それだったら、鉱山惑星の居住区を作るのと大差はないはずだ」 「それでも、1ヤーで作りあげるのは困難としか言い様がないのだが……」  うむと唸ったアリハスルに、「だからペテン」だとトラスティは笑った。 「1ヤーで仕上げようと思うから、無理という結論になる。最初の目標は、変化を分かりやすく示すことだ。だから、もう一箇所並行して隔離ゾーンを作ろうと思っている。収容された人達がなれた所で、もう一つのゾーンに移すんだよ」  最初に用意するのは、「見せ金」とでも言えばいいのか。要は民達にモデルルームを見せようと言うのである。 「なるほど、それなら分かりやすく成果を示すことが出来るな。だが、いつまでも続けられるペテンではないだろう?」  それでも、ずっと環境がマシなものになるのは間違いない。ただそれだけでは不足だと、アリハスルは考えていた。彼が知る王女様の願いは、モンベルトが元の姿を取り戻すことだから。 「この部屋を持ち出した理由がそこにあるんだよ。開放された閉鎖空間と言っただろう? その空間は、外部空間の影響を受けないんだよ。だとしたら、外部空間はかなり大胆な真似ができると思わないか?」 「一つの問題を除けば……確かに君の言うとおりなのだろう」  トラスティの案を認めながら、アリハスルは少し難しい顔をした。 「君は、5千万人の住民だけを考えて居る。だが王女様は、元の……と言うのは無理かもしれないが、かつてのモンベルトの姿を取り戻したいと願われているのだぞ。まだ生き残っている植物、そしてモンベルト特有の動物……それを切り捨てることをよしと出来るのか?」  アリハスルの問いに、「それならば」とバルバロスが口を挟んできた。灰色の髪と少し青の混じった灰色の瞳をした、まだ青年に見える男である。長命種にふさわしく背は高いのだが、耳はあまり尖っていなかった。ただ青年に見えるとは言ったが、年齢は200ヤーを超えていた。つまり、アリハスルより長く生きていることになる。 「遺伝子バンクを作れば、かなりの種を保存することが出来ますね。ただ800ヤーも汚染地域で暮らしているので、遺伝子的にはかなり変質しているのではないでしょうか? その場合、なにをオリジナルとするかが難しいと思いますよ」  つまり「元の」世界を定義すると、今の生き物達はすでに違っていると言うのである。汚染の影響を排除した時、現れた動物はライスフィールの期待とは違ったものになる可能性も有ったのだ。ただトラスティも、それぐらいのことは承知していた。そして承知した上で、それもまたペテンだと思っていたのだ。 「たぶんアスやエスデニアに行けば、当時の記録が残っているんじゃないのかな。ただ、あまりオリジナルに拘る必要はないと思っている。800ヤーも昔のことを覚えている人は居ないし、モンベルトに残っている記録だって曖昧なものが多いだろう。新しい環境に適応した、オリジナルからの発展形でいいんじゃないのかな?」 「トラスティの言うことに賛成です。誰も本当のことを知らないのですから、これがそうだと言い切ってあげればいいと思います。それに、住んでいる人達は、そんなことを気にしないと思いますよ。そこまで行き着くには、多分何世代も掛かりますから」  トラスティの意見を指示したのは、エゼキアと言う茶色の髪をした女性だった。茶色の髪に鳶色の瞳をした、長命種を思わせない顔立ちをしたきれいな女性である。ただまだ100ヤーしか生きていないので、長命種の中では「お子様」とされる年齢だった。 「いや、なんでもありなら環境自体は20ヤーも掛けずに整えることは可能だろう」  エゼキアの言葉に含まれる「何世代」の部分を否定しながら、アリハスルはやりにくいなと感じていた。何しろまだひよっこの見た目をしているのに、二人共自分よりも歳上なのだ。 「ですが、惑星全体が落ち着くのには長い時間が掛かると思います。汚染は除去できても、大気を含めた惑星全体の循環系が定常状態になるには100ヤー単位の期間がかかります」  エゼキアの反論に、「大したことじゃない」と今度はトラスティが意見を口にした。 「別に、開放された閉鎖空間は二つと言う制限があるわけじゃない。小規模で良ければ、数ぐらい簡単に増やせるんだよ」  その意見に、エゼキアは「ああ」と手を打った。 「惑星全体を処理しながら、小さな空間を増やしていけばいいんだ。そうすれば、住民の活動空間も増やせるし、固有種の復活も並行して行えますね」  なるほどと大きく頷いたエゼキアは、「ところで」と肝心要の問題を持ち出した。 「開放された閉鎖空間ですけど……どうやって作ります?」 「鉱山惑星に作るコロニーに似たものを作りますか?」  バルバロスの意見に、トラスティは小さく首を振った。 「そこは、エスデニアに協力をさせるつもりだ。相転移空間を利用し、100km四方をモンベルトの中で独立させようと思っているんだ」 「なるほど、エスデニア……ですか。でしたら、量子コピーをして空中に居住空間を作りますか?」 「地殻ごと切り取るのと、どっちが楽なんだろう……」  うんと腕を組んで考えるエゼキアに、「宿題だな」とトラスティは答えた。 「だったらあなたは、エスデニアに協力させる方法を考えるのかしら?」  表情一つ変えずに痛いところを突くエゼキアに、トラスティは小さく息を漏らした。 「言っていることに間違いはないんだが……何か、もの凄く含みの有る言い方をするね」 「だけど、あなたが無類の金髪碧眼好きと言うのは事実です。そしてエスデニア最高評議会議長様は、エスデニアの宝石と言われる程の美女と言うのも事実。もちろん、綺麗な金髪碧眼をしていると言う話です」  何が起こるのか見えていると言うエゼキアに、「エスデニアの宝石ねぇ」とトラスティは漏らした。 「飾っておくにはいいけど、身につけるものじゃないって意味で言われているそうだね。ちなみに副議長様も、とても面倒な性格をしているそうだよ」  だから無いと言うつもりで口にしたトラスティに、エゼキアは表情を変えずに追及の言葉を口にした。 「まるで、あなたが面倒な性格をしていないような言い方ですね。しかも最大の問題、モンベルトに手を出しておいて、今さらエスデニアの議長を避ける理由があるのでしょうか?」  そこで顔を見られたバルバロスは、少しだけ神経質そうな目元を動かした。 「誰も否定できない問いを、今さら発することに意味があるのか? 恋人のアリッサ様ですら、否定の言葉を口にされていないのだぞ」 「アリッサ……君にだけは否定して欲しかったよ」  はっきりと落胆したトラスティは、まあいいと強引に話を打ち切った。 「開放された閉鎖空間を2つ用意するところから始める。1つ目を用意する目途は、そうだな半年としておこう。その際収容する人口の規模は、1千万人程度で十分だろう。そこに王都の人達を移してから、王都とその周辺地域の浄化に取り掛かる。そして半年後に、もう一つの空間と王都を合わせて5千万人を収容できる解放された閉鎖空間を用意する。これが、短期の施策だと考える」  それが一つと言って、トラスティは全員の顔を見渡した。 「そして解放された閉鎖空間の用意と並行して、モンベルトの固有種の生物調査並びに遺伝子採集を行う。隔離スペースが用意できるようなら、生きたまま眠らせて種を保存することも行う」  これが二つ目と言って、トラスティは指を2本立てて見せた。 「そしてここまでの準備が整った時点で、惑星全体の浄化作業を開始する。何も気にする必要が無いので、こちらは大胆に、そして徹底的にやる。当然、地下水レベルの地質まで浄化を行う。そして惑星全体の浄化と並行して、開放された閉鎖空間も増やしていく。以上が、モンベルトを救う道だと僕は考えている」  良いかと顔を見られたエゼキア、バルバロスは表情を変えずに小さく頷いた。そしてアリハスルもまた、ゆっくりと頷いた。そして頷いた上で、「教えてくれ」と遠慮がちに声を出した。 「大人しく住民が言うことを聞くと考えているのか?」  提示されたプランは、現時点でとれる最良の物に近いと言っていいだろう。ただそれは、浄化を行う側の一方的な考えでもある。モンベルトの住民が、住居の移動と言った変化を認めるかと言うのは別の話だった。「現状維持」を住民が選択した場合、抵抗が激しくなることも予想できたのだ。 「どこまでやるかのさじ加減は必要でしょうね。ただ言う事を聞くかではなく、嫌でも言う事を聞かせるんですよ。何しろ、彼らの最後の希望である王女様を人質に取っていますからね。それでも逆らうようだったら、貴族や住民たちの前で痛めつけてあげればいい。彼女が泣きわめけば、言うことを聞きたくもなるでしょう」 「私は、トスが楽しんでいるように見えるんだけど?」  それまで黙って話を聞いていたアイラが、ちくりと嫌味を言った。 「そのあたりは、役作りと言ってほしいなぁ。悪役が慈悲深い顔をしていちゃいけないだろう?」  だからだと胸を張ったトラスティに、アイラは呆れたとばかりにため息を吐いた。 「アリッサさん、トスにおかしな癖をつけていない?」 「……どうして私に聞きますか?」  嫌そうな顔をしたアリッサは、トラスティの顔を見て「育った環境のせいでは?」とアイラ達に責任を投げ返した。 「昔のトスは、優しくは無かったけど、おかしな癖は付いていなかったわよ?」 「だとしたら、おかしな癖を付けたのはライスフィールさんと言う事になります。トラスティさんは、かなりライスフィールさんを苛めていましたから」  アリッサがライスフィールの責任を持ち出したので、「殴っていいか?」とアリハスルが目元を引き攣らせた。すでにアリハスルの中では、トラスティは「可憐な王女を弄ぶ極悪人」と言うイメージが固まっていた。 「いやいや、さすがに今度は応戦しますよ。と言う馬鹿な話は置いておくけど……まだ、コストの面での評価ができていないんだ。後は、どこの技術を使うのかと言う問題もある」  そこでアリッサの顔を見て、「タンガロイド社は?」とトラスティは確認した。 「コストが見合えば、最優先で採用するけど?」 「まず、使えそうなものが何かを考える必要がありますね。それでトラスティさん、この事業の実行主体はどうします?」  これだけの一大事業をなし得るためには、資金の管理、日程の管理等々を厳密に行う必要がある。そのためには、しっかりとした実行主体を作らなければならない。しかも事業自体は、何百ヤーにも渡る息の長い物になる可能性もあった。 「実行主体か……ここから何人か引っ張っていくとしても、かなり大所帯になりそうだね」 「だそうですよ、エイシャさん。トリプルA相談所が、また業務拡大できそうです!」  嬉しそうな顔をしたアリッサに、「ちょっと待て」とトラスティがストップを掛けた。 「さすがに、トリプルA相談所の業務から外れると思うんだけどな……それに、人材をゼロから集めなくちゃいけなくなる」  さすがに無理と主張したトラスティに、「ですが」とアリッサは言い返した。 「トラスティさんは、実質的にトリプルA相談所の一員ですよ。確か、私を手伝ってくれるって言いましたよね? それにカイトさんもそうですし、ライスフィールさんも一員になっていますからね。重要人物は、すべてトリプルA相談所のメンバーなんです。アマネさんを通して、パガニアも巻き込むつもりでいるんですよ」  だからだと豊かな胸を張ったアリッサに、「そうは言うけど」とトラスティは反論を試みた。だがそんなトラスティの肩を、近づいてきたエイシャがぽんぽんと叩いた。そして自分の顔を見たトラスティに向かって、ゆっくりと首を振って見せた。 「諦めた方が良いと思うぞ。これ以上反対をすると、アリッサの奴クンツァイトさんと連絡を取るからな」 「多分、アスでお会いすることになると思います」  それでもいいかと顔を見られ、トラスティはがっくりと肩を落とした。 「どうして、何でもかんでも首を突っ込んでくるんだ……国家規模の事業に、女子大生のスタートアップが主導権をとろうだなんて……間違いなく、正気を疑われるよ」  助けてとアリハスルの顔を見たのだが、「知らん」とばかりにそっぽを向かれてしまった。そしてバルバロスとエゼキアには、「何か問題なのか?」と言う顔をされた。そしてアイラとフローリアは、ただにやにやと笑っているだけだった。 「お前が、正気を持ち出すとは意外だな」  そうしてどう言う訳か、帝国皇帝アリエルまで顔を出してくれたのだ。面白いと笑ったアリエルは、「見どころがあるぞ」とアリッサを誉めてくれた。 「ちなみにわれも、頭文字はAだからな。共同出資者に加えてはくれんか?」 「言っておくけど、私も頭文字はAだから。ただ、出資するほどのお金は無いけどね」  おほほと笑ったアイラに、「どうとでもして」とトラスティはさじを投げた。 「でしたら、レムニアにトリプルA相談所の支社を作ればいいんですね」  そう言って目を輝かせたアリッサに、トラスティはもう一度深いため息を吐いた。 「……何か、とても酷い間違いを犯してしまった気がするよ」  わいわいと話をしだす18ヤーと22ヤー、そして1022ヤーの女性に、トラスティはこの世の不条理を見た気がした。そこで1022ヤーの女性が一番若く見えるのは、不条理の中では可愛らしいものに違いない。 「バルバロス、コスト評価を任せていいか?」  とは言え、レムニアに居る時間も有限なのだ。進めておくことだけは、さっさと進めておく必要があった。 「そうですね。明日までには一応の目途を付けようと思います」  彼だけはまともで良かったと安堵したのも束の間、バルバロスは立ち上がってアリッサの所へ行った。 「報告は、社長にすれば宜しいですか?」  トリプルA支社で働く気満々のバルバロスに、勘弁してくれとトラスティは泣き言を言ったのだった。  お馬鹿なことばかりををしているように見えるが、アリッサはれっきとした経営者である。従って、旅行中もジェイドの事業にも気を配っていた。特に民間安全保障会社みたいなことも始めたので、対応状況を気にする必要もあった。 「それで、相談って?」  朝のゴタゴタを収拾したトラスティは、休憩しようと自分の部屋に向かって歩いていた。そんなトラスティの所に、アリッサが珍しく「相談が有るんです」と言って近づいてきた。その時のアリッサは、プリーツの入った白色のスカートの上にセーラーカラーの付いた茶色のジャケットと言った、どこかで見たような格好をしていた。  それを気にしたトラスティに、アリッサは「可愛いでしょう」とスカートの端を少しつまんでみせた。 「アリエル様が、フヨウガクエンの制服を貸してくれたんです」  聞いていないことを答えてくれたアリッサに、「それで?」とトラスティは繰り返した。大切な恋人に「相談」と言われれば、何がなくとも乗らなくてはならなかった。そんなトラスティに、「実は」とアリッサは新しい事業のことを説明した。 「お兄様とエーデルシアさんを戦力に、安全保障部門を立ち上げたんです。対象顧客は、各地方自治体です。サポート面積に応じて月額百万ダラから5百万ダラで契約をとっているんですけど……ついに契約が30を超えてしまいました。意外に繁盛してしまったと言うのか、契約が増えるのはいいんですけど、明らかに人手が足りなくなってしまったんです。しかもお兄様がジェイドを離れているので、エーデルシアさんが過重労働状態になってしまって……だから、早急に人材を補強する必要があるんです。そこで相談と言うのは……カナデ皇に頼んで、誰かを送り込んで貰えないかなって。形としては、とりあえず業務提携と言うことを考えています」  つまり後先考えずに契約をとったら、あっと言う間に首が回らなくなってしまったと言うのだ。またトラブルかと呆れたトラスティに、言い訳をするようにアリッサは候補者の名前をあげた。 「ほら、ニムレスさんとか強い人が居るじゃないですか。ニムレスさんも、少し空気を変えた方がいいんじゃありませんか?」  トラウマ回復にいいのではと無邪気に言うアリッサに、トラスティは小さくため息を返した。 「10剣聖を軽々しく貸し出せるはずがないだろう」  何しろ10剣聖は、リゲル帝国にとって力の象徴なのである。いくら自分が頼んでも、カナデ皇も首を縦に振れる話ではなかったのだ。 「他の方法を考えてみるけど……それで安全保障部門は分かるけど、具体的脅威は何なんだい?」  それに応じて、派遣するクラスが決まってくる。リゲル帝国に居るより羽が伸ばせるとなれば、希望しそうな跳ねっ返りに沢山心当たりがあったのだ。 「今の所、宇宙怪獣の駆除……かな?」 「宇宙怪獣……なに、それ?」  事もあろうに、「宇宙怪獣」を持ち出してくれたのだ。どうしてそうなると眉間にしわを寄せたトラスティに、アリッサは「これ」と言って先日のデーターを見せた。そのデーターでは、アズマノミヤの沿岸部が2体の宇宙怪獣に蹂躙されていた。 「……なんで、こんなものがジェイドに出るんだ? 確かジェイドって、危険な在来種を排除した上で移民しているよね?」  居るはずのない化物に首を傾げたトラスティに、「さあ」とアリッサも首を傾げてみせた。 「でも、一度出た以上は出ることを前提にする必要があるんです」  正論を口にしたアリッサは、ジェイドの問題を説明した。 「治安が安定しているジェイドでは、強力な地上軍は必要なかったんです。人相手の武器はあったんだけど、こう言った宇宙怪獣には通用しなかったの。だからお兄様を売り込んで、契約を結んだ上でトリプルA相談所で排除したんです。地上軍の力不足が分かったのですから、それを補うために定期契約を作ることにしました。その前にも、ブケ島がカタプルとかの宇宙怪獣に襲われた実績がありますからね。だから誰も、これで終わりだとは思わなかったんです。そして戦力増強のため、エーデルシアさんをスカウトしたんです。そうしたら、スカウトをした翌々日にも、アメリア大陸にも宇宙怪獣が上陸してきました。新しく安全保障契約を結んで、そちらはエーデルシアさんに倒して貰いました。それからも宇宙怪獣が出るから、契約がどんどん増えていったんです」  事情を説明したアリッサに、なるほどとトラスティは頷いた。 「キャプテン・カイトとパガニアの上級戦士の戦力を利用して、安全保証契約を結んだと言うことか……」  遊ばせておくには、惜しい戦力であるのは間違いない。ただ有効活用するには、これまでのジェイドは平和すぎたのだ。だがその平和が破られ、具体的脅威が見えた以上、民間安全保証会社を立ち上げるのは悪い選択ではない。身近な所に、ジェイド守備軍よりも強力な戦力があったのだ。  意外に商才があるのではと、トラスティはアリッサのことを見直していた。ただドンカブ連合の研究施設が暴走した原因の一つが彼女達にあると聞けば、「やはりトラブルA」だと納得したことだろう。 「とりあえず、何人ぐらいいりそう?」  あまりたくさん連れていくと、戦力過剰になりかねなかった。それを考えたトラスティに、アリッサは少し悩んでから「2人」と指を2本立てた。そして二人の間で持ち出すには、とても微妙な名前を口にしてくれた。 「多分、クンツァイト様にもお願いすると思いますから」 「……そうやって、僕を虐めるんだね」  散々脅されたこともあり、クンツァイトの名前を出すのは薬としては効きすぎた。落ち込んだ顔をしたトラスティに、「そんな意味じゃ」とアリッサは慌てた。 「エーデルシアさん一人じゃ可愛そうかなと思っただけです。それに、クリスブラッドさんが左遷されたと伺っていますので……私は、あなただけを愛しているんですよ」  アリッサとしては、本当にトラスティを責めるつもりはなかったのだ。だから慌てて「信じてください」と左腕にしがみついた。愛する人にそんな真似をされれば、つい頬も緩んでしまうというものだ。大好きな甘い香りが鼻孔に広がれば、落ち着いていた男の方も目覚めてしまう。ただ甘い顔を見せては駄目だと、「言葉だけじゃね」とトラスティはいじけてみせた。 「でも、ここでは人目がありますよ……」  いくら屋敷内とは言え、使用人が歩き回る通路にいたのだ。だから恥ずかしいと頬を染めたアリッサに、トラスティの心にあった堤防は決壊していた。それを見る限り、「ベタ惚れ」と周りから揶揄されるのも仕方がないことだろう。  人目があるのなら、人目のない所に行けばいい。空いていた右手で空間に文字を描くと、直後二人の姿は通路から消失した。その行き先がどこであるかなど、今更問題にするまでもないことだろう。そして夕食の時間に現れるまで、二人の姿を見たものは誰も居なかった。  トラブルの原因となる二人が居ないことで、リゲル帝国残留組は「とても」落ち着いた時間を過ごしていた。もちろんカイトやヘルクレズ、ガッズはそれなりに忙しくしているのだが、トレーニングだと思えば悪い話ではなかった。  そしてカイトにしてみれば、ヘルクレズやガッズと拳を交えるのは望むところだった。生身でカムイやデバイスと同等の力を示す二人に、更なる可能性を感じたのが理由である。魔法と言うブーストこそあるが、それは最強のデバイスを持つ自分も同じだと思っていた。 「さすがに、デバイスなしだと歯が立たないな……」  ザリアを使ってしまうと、いきなり自分が最強になってしまう。だからカイトは、二人とやりあうときにはザリアを使わないでいた。それもあってか、はじめは全く勝負にならなかった。「手加減」をしてくれているのに、ヘルクレズの拳を受け止めきれなかったのだ。 「しかし、ザリアを使われたらわれらでは歯が立ちません」  ヘルクレズの手を借りて立ち上がったカイトは、「確かにそうだが……」と首を振った。 「アマネ……がパガニアに狙われていると分かった時。ザリアだけでは歯が立たないと諦めていたんだ。そしてそれを、仕方がないと言い訳もしていた。だがお前ら二人を見て、それが俺の甘えだと思い知らされたんだよ。デバイスに頼って、自分の力を磨くのを怠っていたんだなぁってな。それにお前達、敵わないと分かっていても俺に向かってきたじゃないか。覚悟の違いってのを見せつけられた気がしたんだよ」 「そのあたり、事情が違うとしか言いようがありませんが……」  そこまで持ち上げられるものではないとヘルクレズは照れていた。 「確かに、事情が違っていると言うのは理解しているさ。それでも、俺は何をしてきたのかと疑問を感じてしまったんだよ。ハウンドに居た頃、宇宙最強と言われていい気になっていなかったか。デバイスの力を、自分の力と勘違いしていなかったか……どれだけ自分で考えて行動していたのか。ゼスでも、もっと出来ることが有ったんじゃないかと考えるようになった。まあ、そのあたりはあいつを見ているのが理由かも知れないが」 「トラスティ様……ですか」  遠くを見る顔をしたヘルクレズは、「不思議なお方だ」と呟いた。 「ああ、最初は軽薄で鼻持ちならなかったんだけどな……」  出会い方としては、最悪に近いと言っていいだろう。ただそれは、必ずしもトラスティの責任とばかりは言い切れないものだった。 「おそらく、ライスフィール様にとっても最悪の男だったかと思われます。我らの悲願を邪魔されたのみならず、人前で辱められた訳ですから」 「俺としては、お陰で身内を守ることが出来た訳だが……」  あそこで助けが入らなければ、間違いなくアマネはクンツァイトと運命を共にしていただろう。そして自分は、己の無力さを改めて突きつけられることになったはずだ。 「結果を見れば、我らの悲願は成就できませんでした。ですが得られた結果は、それとは比べ物にならないほど民達のためになる物です。あそこでクンツァイト王子を殺して凱旋しても、わがモンベルトは何も変わることはないでしょう。それどころか、更にパガニアの報復に怯えることになっていたと思われます。我らにはパガニアに報復する正当な権利がありました。ですが、パガニアも王子を殺されれば、我らに報復する権利を得ることになります」 「まあ、前みたいなことは出来ないはずだが……上級戦士が送り込まれてくることぐらいは有るだろう。さもなければ、王女様が暗殺されると言うところか」  その時失うものは、モンベルトとパガニアのどちらが多くなるだろうか。王位継承権第一を持つ王子とは言え、パガニアには代わりとなる王子が他にも居たのだ。それに引き換え、モンベルトはライスフィールを失うことになる。それを考えれば、失うものの大きさはモンベルトの方が大きいことになる。 「それを考えたら、よくもまあ試練に送り出したと言うところか」  そんなカイトの言葉に、ヘルクレズは小さく頷いた。 「王宮の中では、消極的な反対の声は上がっておりました。ただライスフィール様が年頃になられたこと、そして私とガッズと言う戦力が整ったことで、民達に何か形を示す必要が生まれました」  置かれた状態を説明したヘルクレズは、「そして」とライスフィールの働きを口にした。 「想像がつくかと思いますが、モンベルトは静かに滅亡へと向かっておりました。それを恐れたライスフィール様が、強硬に試練を主張されたのです」  そう答えたヘルクレズは、「ただ」と顔を曇らせた。 「試練を主張されたライスフィール様にしても、目算があったと言う訳ではありませんでした。むしろ、座して死を待つよりはと、無謀な試練に出たといえるでしょう。そして無謀な試練の行き着く先は、悲願が達成されたとしてもろくなものではなかったでしょう。もしもトラスティ様、アリッサ様が偶然おいででなければ、おそらく最悪の結果を迎えたことになるかと思います」  クンツァイトと同時にアマネが死に、そしてライスフィールもパガニアによって殺される。それを考えれば、「最悪の結果」とヘルクレズが言うの無理もないことだった。そしてその犠牲の中には、カイト自身が含まれていた可能性もある。  トラスティがそこに居たことが最悪の結果を免れた理由なのだが、それにしてもアリッサが頼まなければ生まれない結果でも有ったのだ。もともとトラスティは、クンツァイトを助けるつもりはなかったのだ。 「それだけ、モンベルトは追い詰められていたと言うことか……」  カイトの指摘に、ヘルクレズははっきりと頷いた。 「将来への展望もなく、生まれる命も減ってきていたのです。そして不毛の大地は次第に広がり、民達が生きている町に迫っていた……モンベルトと言う国が滅亡するのも、時間の問題と言えたでしょう」  そこまでエスデニアが放置するのかと言う疑問はあるが、モンベルトが人の住めない星になるのは時間の問題と言うのは間違いなかったのだ。それを聞いたカイトは、「もしかしたら」と心に湧いた疑問を口にした。 「ライスフィール王女の父親……まあ、今の国王様なんだが。試練と言う口実で、王女様をモンベルトから逃したんじゃないのか? まともに考えれば、達成できる試練じゃないだろう」  アス神殿に攻め込むのは、流石にライスフィールも躊躇していていたのだ。そうなると、パガニア王族の命を奪うのは、よほど幸運に恵まれない限りありえないことだったのだ。それを考えれば、試練が達成されないことを前提にするのも不思議な事ではないはずだ。  それを指摘したカイトに、「確かに」とヘルクレズは頷いた。 「姫様が生き残れば、モンベルトがあった印が残ります。それを考えれば、陛下が試練を課した理由にも納得がいきますな」  そう言って天を仰いだヘルクレズは、しばらくそのままじっと何もない天井を見上げていた。 「今思えば、姫様が試練を主張されたのは褒められたことではないでしょう。ですが、変化を恐れるのがモンベルトだと考えれば、それが恐れていた変化をもたらすきっかけになったのは確かです」 「そう考えると、不思議なめぐり合わせがあったとしか言いようがないか。それは姫様が、引き寄せたものと言ってもいいのかもしれないな」  なるほどなと頷いたカイトは、ここに居ない「弟」のことを思い出した。最初はいけ好かない男と思っていたが、今は結構頼りにしていることに気づいてしまったのだ。何よりも義妹に頼まれただけで、こんなに面倒なことに首を突っ込んでくれている。不条理ばかり押し付けられて腐ってきたことを思えば、カイト自身手伝うことへの喜びを感じていたぐらいだ。これで、これまで押し付けられてきた不条理に仕返しが出来るのだと。 「つき合わせて悪いが、もうちょっと手合わせをしてくれないか?」 「それは構わないのですが……出来たら、一度ザリアを使ってはいただけないでしょうか。私も、敵わない相手に立ち向かってみたいのです」  それもまた、己が高みに登る手段の一つに違いない。なるほどと頷いたカイトは、「ザリア」と自分のサーヴァントを呼び出した。 「仕返しでもするのか?」  さんざん甚振られたのだろうと笑ったザリアは、カイトに口づけをしてから光の粒となった。その途端、今までに無い力がカイトの体から溢れ出してきた。 「これで、攻守が逆転するな」 「では、敵わないにしても、全力で立ち向かってみせましょう」  いざと気合を込めて、ヘルクレズはカイトに殴りかかっていった。モンベルトにいる間、ヘルクレズはずっと後進を指導する立場に置かれていた。全力で立ち向かっても叩きのめされる相手と言うのは、幼いころ以来本当に久しぶりのことだったのだ。  カイトとヘルクレズが拳を交えている頃、ライスフィールは御殿医であるバーネットの診察を受けていた。そのあたり妊婦健診という目的以上に、彼女の抱えた障害が理由となっていた。そしてライスフィールの抱える障害こそが、モンベルトの抱える問題でも有ったのだ。 「私達の……」  そう口にしてから、バーネットはそれで良いのかと少し考えた。 「連邦標準と比較した場合、あなたからはこれだけの問題が見つかっているわ」  リゲル帝国標準から連邦標準に言葉を変え、バーネットは診断で見つけたライスフィールの問題をリストアップした。 「……こんなに、ですか」  覚悟はしていたが、何十項目にも及ぶリストを見せられれば絶望を感じてしまう。個人的な問題に分類されるものを除けば、それがモンベルトの問題であるのは理解できるのだ。そして自分が比較的マシな環境にいたことを考えると、民達の状態を想像することが出来る。 「ええ、こんなに……と言うところね。ちなみに、あなたの従者達はもっと凄いわよ」  そう言うと、バーネットはヘルクレズとガッズの診断結果をライスフィールに示した。もっと凄いの言葉通り、リストの長さはライスフィールの1.5倍はあった。 「医者の立場から言わせてもらえば、モンベルトに帰るのは以ての外と言うところね。その理由は、次の図を見て貰えば分かると思うわよ」  そう言ってバーネットは、原因別に問題点を整理したグラフを見せた。個人差、遺伝、環境、食事等と分類されているが、個人差以外は「モンベルト」と言う環境が作り上げたものに他ならなかったのだ。個人差が全体の1割も無いのだから、「帰国が以ての外」とバーネットが言うのも当たり前のことだった。 「覚悟はしていましたが……ここまで、モンベルトの環境は酷いと言うことですか」  諦めにも似た感情に、バーネットは「その通り」とはっきり言い切った。 「特に問題は、超銀河連邦でも規制物質になっている生体結合型バクレニウムね。あなた達の場合は、体内残留量は規制値以下にとどまっている。それでも、各種障害の原因になっているのよ」 「生体結合型バクレニウム?」  初めて聞く物質名に、ライスフィールは秀麗な眉を顰めた。 「そう、生体結合型バクレニウムよ。パガニアが使用した爆弾に含まれていたのは間違いないでしょうね。とても危険な物質で、超銀河連邦でも厳しく規制されているわ。生殖細胞を犯すため、汚染濃度が高くなると子孫が残せなくなるのよ。さらに残留濃度が高くなると、細胞分裂自体が阻害される。高濃度汚染地域は、完全に死の世界になってしまうわね」 「それが、モンベルトが死の大地となった理由……と言うことですか」  惑星上の惨状を見れば、どれだけ猛威を奮っているかは想像することが出来る。そしてその物質が流れ込んでいる以上、海の生物が死に絶えるのも時間の問題だと分かるのだ。奇形が増えているのも、生殖細胞が壊れていると考えれば不思議な事ではない。 「ええ、研究用以外は、連邦憲章で製造が禁止されている物質よ。もっとも、禁止の提案がされたのは800ヤーぐらい前のことだったかしら。あなた達の事件後、エスデニアが連邦議会に提案しているわ」  それぐらいの危険物質だと説明したバーネットは、「医者としては」とライスフィールに向き合った。 「あなたを、モンベルトに帰す訳にはいかない。あなただけではなく、お腹の子供にも間違いなく悪影響を与えることになる。あと1ヤーでもここで治療をすれば、あなたにある障害の殆どを治療することができるのよ。そしてあなたの赤ちゃんも、無事に生まれることが出来るわ。体内に残留した生体結合型バクレニウムの影響も排除することが出来る。でもこのまま帰せば、母子ともに危険な状態になるのは目に見えているわね」  どうすると問いかけるでもなく、バーネットは事実をありのままライスフィールに告げた。 「それで、先生は私にどうしろと?」  逆に問いを発したライスフィールに、バーネットは小さく首を振った。 「医者としての意見はすでに伝えたわ。だからそこから先は、あなたが決断することだと思っている。それが、王女として生まれたあなたの責任だと思っているから」 「確かに、どうするのかを考えるのは私が負った責任ですね」  小さく頷いたライスフィールは、「先生」と正面からバーネットの顔を見た。 「このまま祖国に帰った時、私とこの子はどうなるのでしょうか?」  そう言って下腹部を押さえたライスフィールに、「分からない」とバーネットは答えた。 「あなたがモンベルトに帰ってから、どんな生活を送るのかすら分からないのよ。だったら、帰ったらどうなるなんて答えられるはずがないでしょう? それでも言えることは、ここに残るのよりはずっと厳しい状況に置かれると言うことよ。あなたの身に何か起きたとき、適切に対処できるような医療技術が有るとは思えない。出生率が低いのと、妊婦死亡率が高いのは簡単に想像ができるの」  バーネットの答えに、「その通りです」とライスフィールは頷いた。 「ですから、モンベルトの人口は減り続けています。女性が二人目の子供を生むのは、かなり難しいのも確かです。今は5千万人と言われている人口も、すぐに4千万人を切ることでしょう。年寄りばかりが増え、子供が少ないのがモンベルトです。そして年寄りと言っても、せいぜい50代と言うのがモンベルトの現実です」  祖国の置かれた厳しい状況を告げたライスフィールは、「それでも」とバーネットに向かい合った。 「私は、王女として祖国に帰る必要があります。あの人にすべてを任せ、安全な所にいるようでは責任を果たしたことにはならないと思います」 「それが、王族の勤めと言うのは理解しているわ。ただ、私には医者としての責任も有る」  そう言ってライスフィールにきつい眼差しを向けたバーネットは、「多分」とここに居ない男のことを持ち出した。 「トラスティのことだ。多分そのあたりも考えているのでしょう。ただ、人任せに出来ない性分なのでね……とは言え、私はカナデ皇に仕える身だ。だから私の弟子に任せることにした」  そう答えたバーネットは、「ブレンダ」と弟子を呼び出した。「お呼びでしょうか?」とすぐに現れたのは、とても医者とは思えないがっしりとした体格の女性だった。茶色の髪を短くしているのは、それだけ身なりに気を使っていない証拠だろうか。黒と言うより灰色の瞳をした、少し粗暴な印象を持った女性だった。もしもバーネットと同じ白衣を着ていなければ、剣士だと勘違いしていたことだろう。 「ああ、お前にライスフィール王女を任せようと思ってな。何しろ王女のお腹にいるのは、カナデ皇のお腹の子供の夫となるお方だ。だからお前は、無事成長するようモンベルトまで付いていけ」 「私に、リゲル帝国を出ろと?」  確認した弟子に、バーネットは「その通り」と大きく頷いた。 「お腹に居るのは、トラスティの子だ。ならば帝国としても、庇護する必要があるだろう」 「繰り返し伺いますが、師匠は私をモンベルトに追いやると仰っておられますか?」  ライスフィールの目から見ても、明らかにブレンダは不服そうな顔をしていた。 「それが不服と言うのなら、別の者に役目を与えるだけだ。ただ、その時はお前を破門にするがな」  どうすると冷たい視線を向けられたブレンダは、それでもしばらくは答えを口にしなかった。 「王女をモンベルトに帰されるのは、医者としての判断でしょうか?」 「医者としての判断は、子供を生むまでここに引き止めることだ。だが王女には、命を賭してでもしなくてはいけない仕事がある。ならば常に付き添い、その生命をお守りするのも医者としての仕事だろう。ただ私は、カナデ皇にお仕えする身だ。だから私の代わりに、お前に任せることにした」  まっすぐに自分を見るバーネットに、ブレンダはようやく小さく息を吐き出した。 「私は、師と違い連れ合いを持とうと思っているのですが……」 「だが、今の所その相手は居ないのだろう?」  だから問題ないと答えるバーネットに、ブレンダはもう一度ため息を吐いた。そんな弟子に追い打ちをかけるよう、「自分も同じだった」とバーネットは笑った。 「私もお前と同じぐらいの時には、連れ合いを持とうと思っていたよ」 「それを聞かされると、ますます行きたくないと思えてしまうのですが……」  眉間にしわを寄せたブレンダは、バーネットを見てもう一度ため息を吐いた。 「不本意ではありますが、その役目を引き受けることに致します」  そう答えたブレンダは、「それから」と条件を持ち出した。 「ライスフィール王女並びのお腹のお子を守ること以外、特に制限は無いと考えてよろしいのですね」 「ああ、必要だと思ったらトラスティに歯向かってもいいぞ」  バーネットのお墨付きを得て、ようやくブレンダは表情を緩めた。 「それで、出発の予定は?」 「このままなら3日後だな。トラスティから連絡が無いところを見ると、あいつとはアスで落ち合うことになるのだろう。ガトランティスが戻ってきているから、それでアスまで行くことになるな」  さらりと言ってくれたが、あまりにも急な派遣に違いない。ただそれを言っても仕方がないと、「分かりました」とブレンダは己の役目を受け入れた。 「王女の治療記録を見た上で、治療計画を相談させていただきます。後は、モンベルトの衛生状態を改善するのに必要な薬剤を手配いたしましょう。少なくとも、王女に接する者からの接触感染には注意が必要かと」 「ああ、そのあたりはお前の裁量に任せることにする」  好きにしろと言われ、「好きにします」とブレンダは言い返した。そして「準備をします」と言い残し、さっさとバーネットの前から去って行った。  それを見送った所で、「よろしいのですか?」とライスフィールは尋ねた。 「医者としての責任だと言ったはずだ。師匠が行けない以上、弟子が後を継ぐのは当たり前だろう」  そう言って笑われ、ライスフィールはブレンダに同情を感じていた。ただ自分としてはありがたいことなので、それ以上は口にしないことにした。  ただそれで終わらないのが、バーネットと言う女性だった。あろうことか、愛弟子を節操なしの毒牙に掛けるようなことまで言ってくれたのだ。 「確かにブレンダは堅物だが、まあトラスティなら誑し込んでくれるだろう」 「同意したいところと、同意したくないところがあるお話ですね……」  そう言ってお腹を押さえたライスフィールは、「本当に良かったのか」と自問し直した。自分がパガニア第一王女ロレンシアに言ったことなのだが、勘違い処女が初めての相手にのぼせ上がっているだけに思えてしまったのだ。ただ自分とロレンシアが違うのは、自分のお腹には鬼畜男の子供が居ることだ。それを考えると、ただ勘違いで済ませるわけにはいかないのも確かだった。 「やはり、お姉さまに遠慮などしてはいけないと言うことですね」  父親の分かる子供を作ってくれた以上、最後まで責任を取らせる必要がある。そのために自分はどうするべきか、ライスフィールは祖国のことよりその謀略に知恵を割くことにした。 「やはり、クンツァイト王子を利用するのが一番でしょうか……」  第二夫人とか愛妾とか言うぐらいだから、クンツァイトも未練を残しているのは確かなのだ。それを利用すれば、自分がトラスティを独占できるとライスフィールは知恵を働かせたのだった。しかもトラスティにブレンダを誘惑させれば、優秀な医師も同時に手にいれることができる。その方法を真剣に考えたのも、ライスフィールの立場を考えればおかしなことではなかったのだ。  経済性の試算は必要ないが、それでも必要コストの試算は避けて通れない。それを指示した翌日、トラスティはバルバロスからコスト試算を受け取った。 「……意外にかからないと思えば良いのか、それとも天文学的数字と思えば良いのか」  生真面目で几帳面な性格そのままに、バルバロスは事細かく数字を列挙してくれたのである。その数字を概観した所で、トラスティは小さく息を吐き出した。現時点での積み上げでは、少し足が出る程度で収まっていたのだ。 「生体結合型バクレニウムの処理費用が、一番不確定要素と言えるでしょう。核系の汚染であれば、抗核バクテリアが広く普及しています。そしてそれよりも、より効率的なナノマシンも実用化に至っていますので」 「確かモンベルトの汚染物質は、生体結合型バクレニウムが大半だったな……」  トラスティの指摘に、バルバロスは小さく頷いた。 「汚染と言う意味ではそうなのですが、生体結合型バクレニウムを取り除いても生命活動には厳しい環境かと思います。長らく植物が生息しなかった関係で、土壌が餓死した状態になっているのがその理由です。さらに山々に保水機能が失くなったため、表層土が削られて岩盤が露出しているものと推測できます。汚染がなくなり生物が繁殖できる環境が整えられたとしても、そのままでは復活までに長い時間が必要となるでしょう」 「なるほど、緑の山々なんてのは夢のまた夢と言うことか……」  流された土砂を浚って戻したとしても、そのままでは元の場所に定着することはありえない。そんな真似をすれば、もう一度流されて周りを削っていくのが目に見えていたのだ。 「流石に、こればかりは時間をかける以外に方法はないでしょう。モンベルトの惑星表面は、瀕死の状態と言ってよいのかと思います」 「だとしたら、生き残っている部分を守ることを考えなくてはいけない訳だ。生体結合型バクレニウムの除去及び範囲拡大阻止の重点地域を決める必要があるな」  報告を聞けば聞くほど、惑星再生は困難だとしか思えない。ううむと考え込んだトラスティに、「それから」とバルバロスは「人」の問題を持ち出した。ただこの場合の「人」と言うのは、人材ではなくモンベルトで生きている人達のことを指していた。 「人体からの、生体結合型バクレニウムの除去を考える必要があります。後は栄養改善と性病並びに遺伝子異常の治療が必要かと思われます」 「ちなみに確認するが、僕は性病に罹っていないよな?」  相手にしたのが「処女」のライスフィールなのだから、性病に侵されている可能性は低くなる。ただ先天的キャリアの可能性もあるため、確認をしておく必要があった。 「リゲル帝国が、性病を見逃すとでも思っているのですか?」 「ああ、確かにな。だとしたら、あの二人も大丈夫だったと言うことか」  もしも自分が性病に罹っていたら、アリッサ達まで巻き込むことになってしまう。それがないと言うだけで、トラスティは安堵を感じていた。 「トラスティ様に関して言えば、どこにも所見がないと言う異常な状態です。尋常ならざる回復力と言うのが、医療局からの見解です」 「なんか、安心できないな、それ。なんだよ、所見がないのが異常って言うのは」  「嫌だなぁ」と零したトラスティに、「事実です」とバルバロスはニコリともせず言い返した。 「伺った範囲で、かなり顔面への打撃を受けておられます。それを考えれば、頭部に何らかの影響があってしかるべきなのですが……医療部が言う所では脳を含め綺麗なものだと言うことです。それがどれだけ異常なことか、トラスティ様ならご理解いただけると思っているのですが?」  そこでどうだと問われれば、確かにおかしいと言って良いのだろう。苦笑しながらそれを認めたトラスティに、バルバロスはニコリともせずに「だから異常なのです」と答えた。  それを「まあ良いと」打ち切ったトラスティは、アス行きのことを確認することにした。とりあえずペテンの方向が決まったのだから、後は必要なスタッフを連れて乗り込む必要がある。その人選も必要だし、アスまでの足を確保するのも必要だった。 「場所を考えると、あまり連れて行かない方がよろしいでしょう。エゼキアには残ってトリプルA相談所レムニア支社の立ち上げを行って貰います。私がお供するのは当然として、現地サーベイ要員を3名ほど連れて行くのがよろしいかと」 「人選にあては有るのかな?」  トラスティの問いに、バルバロスは小さく頷いた。 「第7艦隊より、上陸調査員を派遣して貰えばよろしいかと。ガルース様のお言葉があれば、喜んで適任者を差し出してくださることでしょう」 「できれば、男を選ぶように伝えてくれ」  モンベルトの問題を口にしたトラスティに、「畏まりました」とバルバロスは返した。 「それで、足の方はどうする?」 「ご希望があれば、ガルース様にお伝えしますが?」  早くから宇宙に出ていることもあり、航宙艦を各種取り揃えているのが帝国の実態だった。バルバロスの答えにそれを思い出したトラスティは、アリッサの希望を思い出して「豪華なやつ」と言うリクエストを出した。 「畏まりました。豪華な船と言うことで宜しいのですね。本当に、豪華な船で宜しいのですね」  バルバロスに念を押され、「何かあったかな?」とトラスティは考えた。だがいくら考えても理由など分かるはずもなく、「豪華なので良い」と繰り返すことにした。 「では、ガルース様にはそのようにお伝えします」 「このままだと、出発は明後日になるのかな?」  リゲル帝国側のスケジュールを思い出し、トラスティはこれからのスケジュールを確認した。 「そうですね、豪華な船となると少し用意に時間が掛かります。一番早いのは軍艦なのですが……流石に、他星系に帝国の軍艦で乗りつける訳にはいかないでしょう。人選の完了が明日、出発は明後日と言うのが最短かと思います」  そう答えたバルバロスは、「ところで」と言って身を乗り出してきた。 「モンベルトに到着次第、作業に着手して宜しいのですね」  やけに積極的だなと驚きながら、トラスティは「そうだな」と答えた。 「時間を置くことに意味がなければ、さっさと取り掛かった方が良いだろう」 「となると、モンベルトには船団で乗り込むことになりますな」  目の前で人差し指を回したバルバロスは、トラスティに作業船団の絵を提示した。 「アリッサ様より、タンガロイド社製アンドロイドの提供が提案されました。どうやら新製品の中に、生体結合型バクレニウム吸着分解タイプも揃えられているようです」 「アリッサから?」  驚いた顔をしたトラスティに、「アリッサ様です」とバルバロスは繰り返した。 「タンガロイド社製品のカスタマイズ品と言うことです」 「誰か、タンガロイド社に鼻が効く奴が居たと言うことか……」  こんなにタイミングよく製品が提供されるのだから、とてもではないが偶然で片付けることは出来ないだろう。それに感心したトラスティは、「コスト見合いだな」と今までの言葉を繰り返した。それを予想したかのように、バルバロスは再度積算をトラスティに提示した。 「先ほどお見せした積算の中に、すでに使用した場合の見積もりが含まれています。かなりディスカウントされているので、現時点では最安値と言って宜しいのかと」 「タンガロイド社は、広告効果を期待したのかな?」  今回の事業は、間違いなく連邦全体の注目を集めることになる。それを考えれば、大きな広告効果を期待することが出来るのだ。誰の考えかは分からないが、思い切ったことをするとトラスティは評価した。 「後は、開放された閉鎖空間を作ればいいだけか……」  そのためには、エスデニアの協力を取り付ける必要がある。自分なのかカイトなのか、はたまたその両方が骨を折ることになるのか。こちらでもペテンを考えなければと、トラスティは宿題が増えたような気になっていた。 続く