星の海の物語 Episode 11 The story of the New Empire Chapter 0  次の皇帝、すなわちヨシヒコからの命令を受け取ったゲービッヅは、「また面倒な」と思わず頭を抱えてしまった。何しろヨシヒコは、よりにも寄ってザイゲル連邦の宿敵、バルゴールの者を連れて行くと連絡してきたのである。そしてその際に、どの程度なら良いのか連絡を寄越せとまで言ってくれた。一見こちらに気を使ってくれているようにも見える指示なのだが、逆に責任を彼に押し付ける意味も持っていたのだ。  さすがに影響が大きすぎると、ゲービッヅはドワーブの耳にヨシヒコの指示を入れることにした。一歩間違えば、連邦内で内乱が起きるほどの問題だと理解していたのである。 「ヨシヒコ様が、そのような指示を出されたのか」  難しい顔を今まで以上に難しくしたドワーブに、「その通りです」とゲービッヅは頭を下げた。 「それでお前は、どこまでならよいと考えておるのだ?」  判断を示す前に、まずゲービッヅの意見を聞く。一見まともに思える判断だが、ゲービッヅにしてみれば責任を押し付けられたようにしか思えなかった。 「本音を申し上げますと、誰ひとりとして連れてきて欲しくはありません。バーバレドズが殺気立つのもありますが、それ以外にも融和に対して不満を抱くものも出てくるでしょう。これがただの観光客ならいざしらず、前の当主に次期当主候補、それに軌道城城主ともなれば、事情は変わってまいります。いかにヨシヒコ様が同伴されても、反発の声が強くなるのは必然でしょう」  それがゲービッヅの本音と言うのは確かだろう。だが次期皇帝から勅命を受けた以上、何らかの答えを出す義務が彼には生じてしまった。この場合ゼロ回答をするのは、自分の評価を下げることになるのをゲービッヅも理解していたのである。 「実に、厄介と言うことか」  顔を引きつらせたドワーブに、「まさに」とゲービッヅは頭を下げた。 「とは言え、ヨシヒコ様のご命令に逆らう訳には参りません。ですから、少し歓迎の方法を考えることに致しました。バルゴールに反発しているものも、この方法ならば文句は出ないかと思います」 「たかが歓迎の方法一つで、反発を押さえ込めると言うのか?」  ドワーブの問いに、「しかり」とゲービッヅは認めた。 「近辺には、まだ大艦隊が残っているかと思います。従いまして、バルゴールの者に、ザイゲル連邦の強大さを見せつけると言う演出が宜しいかと。そのためには、可能な限りの艦隊を集めるのと、呼び寄せられる総領主様を呼び寄せる必要があります。ヨシヒコ様にも一度しておりますので、「歓迎」と言う名目は立つのかと思います」 「そしてバルゴールの者と、それをよく思わない者は恫喝だと受け取る訳か」  それならば、ヨシヒコの顔を潰さなくても済むことになる。そしてバルゴールに脅しも掛けられるし、内部の反発も押さえることが可能となる。面白いなと口元を歪めたドワーブは、さっそく手配に入るようゲービッヅに命じた。「目にものを見せる」との檄文でも付けてやれば、単純な者たちは喜んで参集してくるだろう。  ドワーブの許可を得たゲービッヅは、早速近隣に居る総領主達と連絡をとった。彼が予想した通り、「連邦の力を見せる」と言う名目は、彼らには好意的に受け取られた。それだけ連邦内の、バルゴールに対するストレスが大きいと言う意味につながる。そんな者達にとって、「大きな顔をできるのは、帝国法のお陰だ」と見せつけるのは、間違いなく溜飲を下げさせるものだったのだ。 「さて、残るはバーバレドズだけなのだが」  こちらについては、更に過激な行動を取らないように気をつける必要があった。示威行為だけでは飽き足らず、直接的な行動にでる可能性も考えられたのだ。 「それにしたところで、グリゴン内であれば難しくはないか。やれやれ、俺のことを評価してのことだと考えて良いのだろうか」  命令としては、間違いなく無茶振りになるものだったのだ。とりあえず答えは見つけられたが、それでも連邦内にある不満の種を育てるものには違いないだろう。そのつけを背負わされると考えると、さすがに勘弁して欲しいと言いたくもなる。  それでもありがたいのは、まだ答えのある無茶振りと言うことだろう。こうして自分達を鍛えようとしてくれるのか、H種標準で可愛らしい顔をした少年の顔を、ゲービッヅは思い出したのだった。  さすがに準備時間が短いため、ヨシヒコの時のように400万と言う数を集めることはできなかった。それでも150万と言う数を集めることができたのは、目にものを見せると言う檄文が効果を発揮したのだろう。そして意外なことは、この呼びかけに対してバーバレドズが真面目に艦隊を送ってきたことだ。しかも総領主であるドワノビッヂまで、グリゴンに現れると連絡をしてきたのだ。さすがに荒れるかと、ゲービッヅが暗澹たる気持ちになったのは言うまでもない。  ただ初めは面倒だけを運んでくるヨシヒコの命令だと思ったが、よくよく考えた所で「何も変わらない」ことに気付かされた。何しろバーバレドズがバルゴールに抱く感情は、連邦の中でも一番過激なものとなっていたのだ。そして一番バルゴールの動向に注意を払っているのも、間違いなくバーバレドズだった。 「バルゴールの者が来る来ないに関わらず、バーバレドズは我々連邦への不信を募らせるのは間違いないだろう。何しろグリゴンは、一番のヨシヒコ様のシンパだからな。そしてヨシヒコ様とバルゴールが結びついたとなれば、我々に対して不信を募らせるのも当然のことか」  ヨシヒコを媒介に、H種のバルゴールとグリゴンを中心としたザイゲル連邦が結びつく。総領主のヨシヒコシンパぶりを考えれば、その疑いが生まれるのも自然なことに違いない。そう考えたゲービッヅは、むしろ連邦内にバルゴールの者、しかもその中心であるメリディアニ家と軌道城主を連れ込み恫喝するのは、ガス抜きに好適だと考えるようになっていた。 「そこまで考えていたとしたら、本当に恐ろしいお方だ」  少しは近づけたのかと思っていたのだが、それが大きな勘違いだと思い知らされたのだ。いよいよもって格が違うのだと、ゲービッヅはヨシヒコのことを再評価した。 「これで、バルゴールは変わらざるを得なくなるだろう。ならばバーバレドズはどうなるのだ。バルゴールは、ヨシヒコ様によって変えられた。バーバレドズも、ヨシヒコ様が変えて下さるのだろうか」  それが叶えば、帝国にとっての火薬庫が一つなくなることになる。そう考えたゲービッヅだったが、すぐにそれが甘い考えだと考え直した。連邦内のことは、連邦の者が片を付けるべきなのだ。そのためにヨシヒコは、自分をスタッフに入れても良いと言ってくれたのだ。 「それにした所で、どうやってと言うのはあるか……たかが一等子爵の私を、ドワノビッヂ様が気にされるはずがない」  舞台に上がるためには、相手にその存在を認められる必要がある。それがまだ自分には欠けているのを理解したゲービッヅは、自分の取るべき道を考えることにした。 Chapter 1  さすがに自分でも引いてしまう。両親との夕食の場で、これは無いだろうとヨシヒコは母親に文句を言った。たかが夕食の場で何が起きたのかと言うと、夕食自体に問題はなく、その場に居たものが問題だったのだ。すなわち、家族の夕食の場に、異分子が混じっていたのである。ちなみにこの異分子の正体は、両親が救ったクロコップ二等男爵夫妻とその妹である。 「我慢しなさい。私とヒトシさんのお客様なんだから」  もしも自分やアズライトが目当てならば、会う必要など無いと追い出すこともできたのだ。だが両親の客と言われれば、子供として拒絶できなくなってしまう。これはこれで問題だと考えながら、ヨシヒコはクロコップ男爵を観察することにした。  首の詰まった礼服を着ている男は、見た目で母親が気に入っただけのことはあると思えた。身長は父親よりも高く、スタイルも欧米人特有の均整の取れたものだった。顔つきも整っているのだから、独り者ならと母親が考えたのも仕方がないだろう。金色の髪に青い瞳をした、頗る付きのいい男と言うのがミルコ・クロコップ二等男爵の素顔である。  その隣で恐縮している妻、カテリナ・クロコップもまた、お似合いの美女と言って良いのだろう。同じく金色の髪に金色の瞳をした、控えめに見ても美しくグラマラスな女性である。  そしてもう一人かしこまって座っていたのは、ミルコの妹エリシアである。その顔を見たヨシヒコは、どこかで見たなと記憶を遡り、マリアナと話をした時だと思いだした。なるほど見た目がA+と評価されるだけのことはあり、ロールに巻いた金色の髪と青い瞳、そして整った顔立ちは美人を見慣れたヨシヒコでも、綺麗だなと感心するものだった。ただスタイルの方は、さすがに義姉と比べるのは可愛そうだった。そのあたりは、まだ17と言う若さも理由なのだろう。  ただエリシアに関してヨシヒコが気になったのは、かしこまって座ってこそ居るが、その美しい顔から一切の表情が抜け落ち、まるで人形のようにしていたことだった。そして兄夫婦についてみれば、明らかに媚を売るような目をしていた。それだけでも問題なのに、さらに奥には卑しい光も灯っていたのだ。 「まさか、次の皇帝となられるヨシヒコ様にお目にかかれるとは思っておりませんでした。このミルコ、感激に打ち震えております」  双方の立場を考えれば、ミルコ二等男爵の言葉に一つの間違いもない。まともに考えれば、辺境の二等男爵風情が、次の皇帝と言葉をかわすこと自体ありえないことなのだ。更に言うのなら、晩餐をともにするなど考えることすら不遜なことだろう。しかもミルコ二等男爵は、不始末をチエコに救われたと言う事情もある。事情を知る者なら「どの面下げて」と白い目で見てくれることだろう。  さすがに白い目でこそ見なかったが、ヨシヒコが辟易としていたのは言うまでもない。そして正当な皇女であるアズライトは、完璧に張り付いたようなよそ行きの顔を作っていた。その意味で言うのなら、クロコップ家の当主はしっかり不興を買ったことになる。宇宙を飛び回る災害が猛威を振るわないのは、ヨシヒコの両親の顔を立てたと言う意味以外は存在しなかった。 「別に、今は私人の立場で来ているから気にする必要はない。それにお前達は、俺の両親の客なのだからな。子供として、両親の顔を立てているだけだ」  そこはかとなく毒を含んだヨシヒコの言葉だが、その程度の毒を気にしていては、ヨーロッパの社交界では生きていけない。しかもクロコップ家にとって、これは千載一遇の好機なのだ。その好機を掴むためには、妹を差すぐらいのことはなんでもない。軍需産業から恐れられるチエコも、そんな闇を招き入れた時点でお人好しと言う事になる。  ただ千載一遇の好機とは言え、がっついてしまえば不興を買うことになる。それぐらいのことは考えたクロコップ男爵は、食事の場では当たり障りのない、どちらかと言えば己の身に関することを話題とした。その中には、妻との馴れ初めも含まれていた。イヨの旦那にとチエコが考えていたことを思うと、これもまた嫌味なことに違いない。  そしてクロコップ男爵は、さり気なく妹を売り込む言葉を散りばめた。それにした所で、直接的な表現を避けて宇宙への憧れを全面に押し出した。その辺り、ヨシヒコがリルケに帰ることを意識してのものである。更に言うなら、欧州社交界での話題も盛り込んだ。そして自慢の妹だが、同時に心配もあると打ち明けたのである。その心配と言うのも、今度の事件に絡めた妹に懸想する男達の問題である。 「早く誰かと付き合えば、そう言った心配もなくなるのですが……残念なことに、未だ妹が誰かと付き合ったと言う話を聞かされておりません」  大げさに嘆く兄に、「嫌ですわ、お兄様」とエリシアは原稿を読むかのように答えた。抑揚と感情に欠けた言葉だからこそ、逆に彼女の感情が見えるような気がした。要はエリシアは、この場にいたいとは思っていないと言うことだ。ましてや次の皇帝に対して、自分を売り込む気など毛頭ないと言うことになる。  それならそれで、ヨシヒコとしては願ったり叶ったりと言えるだろう。頼まれても後宮に入れるつもりはないのだが、いやいやと言う相手を後宮に入れるつもりはもっとなかったのだ。だから退屈極まりない晩餐を、これも訓練だとヨシヒコは受け入れたのである。  モナコ最後の夜の晩餐は、結局クロコップ男爵の一人舞台で終わってしまった。中々話し上手では有るが、自己主張をしすぎと言うのがアズライトの評価だった。 「消し炭にしてやりたくて、左手がうずうずとしました」 「言ってくれれば、止めなかったのにな」  部屋に戻った所で吐き出したアズライトに、その気持は良く理解できるとヨシヒコは笑った。それを「笑い事じゃないのですが」とアズライトは文句を言った。 「あの男、絶対に勘違いをしています」 「まあ、勘違いをしてくださいと言うシチュエーションだからな。もともと欧州の爵位持ちは、古くから特権階級だった奴らが多いんだ。そう言った奴らは、腹に一物持っているものだ。そして相手も、同じ考え方をしていると思っている。だから母さん達がクロコップ二等男爵を助けたのにも、当然目的が有ると考えている。まあ、目的自体があったのは確かだから、その意味では間違っていないのだろうがな」  苦笑を浮かべたヨシヒコに、「お姉様のことですね」とアズライトは指摘した。 「H種標準では、見た目がいいのは認めます。ただ、腹の中は真っ黒と言うのか、信用のおける人物ではないと思います」 「おおよそ、爵位持ちなどそんなものだろう。特にどろどろとした古い家の文官系はな」  そんなものだと気にしないヨシヒコに、「どうするのですか」とアズライトは問いかけた。 「あの様子だと、お母様はエリシアと言う女を連れてきてしまいますよ」 「たとえそうでも、俺は別に困らないのだがな。これからは、たとえ誰を連れてきてもお前達と同じ立場になることはない。それは、お前達にも教えてやっただろう」  立場を得る前とその後、そこには越えられない壁がヨシヒコの中にはあった。その壁を超えるには、よほどの偶然が必要になる。だがこれからリルケに帰るヨシヒコに、その偶然の機会が訪れるとは思えなかった。  それは、ヨシヒコは後宮に入る女性を増やさないと言うことにもつながってくる。気持ち的には嬉しいのだが、それはそれで問題だとアズライトは考えていた。 「私の気持ちは、後宮など持って欲しくないと思っています。ですが、お姉様やシオリを、今更見捨てられないのは確かです。シルフィールは、その、おまけとでも言えばいいのか。私達の恩人でも有るのですから、我慢はできると思います。それが、アズライトと言う一人の女の気持ちです。ですが皇妃と言う立場では、あなたに多くの子を残してもらう必要があると思っています。お姉さまの言う各星系一人ぐらいと言うのも、あながち冗談では無いと思っているんです」 「結局、俺にどうしろと言っているんだ?」  一人の女の立場と、皇妃の立場で言うことが違ってくる。ならば自分は、どちらを優先すればいいのか。  そんな問いかけをしたヨシヒコに、「それを考えるのはあなたです」と突き放されてしまった。 「それが、皇帝になると言うことだと思います。私はあなたの妻であり、同士なのですよ。私の地位が脅かされない限り、後宮に入る女性のことで文句を言うつもりはありません」 「それだと、フリーパスにならないか?」  たとえ誰を連れてきたとしても、アズライトの立場を脅かすことは出来ない。その意味で答えたヨシヒコに、アズライトは嬉しそうに頬を染めた。 「でしたら、妻としてあなたのすることを許しますよ」 「ありがとう、で良いのかな」  ゆっくりと唇を重ねたヨシヒコは、「出かけてくる」と言ってアズライトから離れた。 「危機感の足りないお嬢様が、こんな夜更けにお散歩に出かけてくれた」 「誑し込みに行くのですか。それはそれで、初めてのパターンで面白いですね」  アズライトもまた、エリシアの機嫌が悪いのに気がついていたと言うことだ。自分の夫に言い寄られるのも癪に障るが、相手にされないと言うのはもっと癪に障る思っていたのである。 「別に誑し込みに行く訳ではないのだがな。ちょっと話を聞いてみようと思っただけだ」  だからと答えたヨシヒコは、「ラルク」と左手の指輪に命令を投げかけた。それに遅れて稼働したラルクは、赤い光でヨシヒコの全身を包み込んだ。それまで着ていたセーターとスラックスが、シックな色目のナイトドレスに代わり、ローファーの革靴がエナメルの黒いヒールへと変貌してくれた。  短かった黒髪も、色を茶色に変え背中まで届くぐらいに伸び、無いはずの胸の膨らみが現れ、顔には薄っすらと化粧までされていた。ラルクの物質変換機能を使った女装が完成したのである。 「本当にあなたを見ていると、自信をなくしてしまいます」  もともと造形は女の子と言うこともあり、女装をした時のヨシヒコは、本物の女性よりもより女性らしい雰囲気を漂わせていた。しかも冷たさを感じさせる怜悧な顔が、より完璧な女性に見せてくれたのだ。知っているから騙されないが、いきなり現れたら絶対に女だと思ってしまうだろう。現にアズライトでも、アセイリアに化けたヨシヒコを見抜くことができなかったぐらいだ。 「自慢できることではありませんが、こんなに役に立つとは思ってもいませんでした」  声は変えていないので、女性としては低め、男性としては高めの声と言うのは変わっていない。ただ言葉遣いと話し方のテンポを変えることで、声からも男を感じることはできなくなっていた。 「一応忠告しておきますが、おかしな男に襲われないようにしてくださいね」 「その時は、相手を消し炭して差し上げますよ」  穏やかに笑った顔は、本当に綺麗だと思えてしまう。この格好のヨシヒコとベッドに入りたいと思うのは、倒錯した思いなのだろうか。  「行ってまいります」と部屋を出ていったヨシヒコに、今度お願いしてみようとアズライトは心に決めたのだった。  夜のモナコに繰り出したヨシヒコは、ライトアップされた海岸へとゆっくりと歩いていった。夜の10時を過ぎたと言うのに、外はまだ人通りが多かった。気候が良いお陰か、砂浜ではパーティをしているグループも見つけられた。 「意外に、賑やかなものなのですね」  女装した時は、心まで女性にならなければいけない。その信条のもと、ヨシヒコは誰も見ていない所でも女言葉を使っていた。そして一つひとつの動作にしても、男性の目を意識したものを心がけていた。  クロコップ家令嬢がどこに向かったのかはすでに把握している。人気から離れているため、少し場所的には危ないところなのだが、人目を避けるのと偶然を装うには都合のいい場所でもあった。  ただ急ぐことはないと、散策するようにヨシヒコは夜の海岸を歩いていた。所々でテーブルが用意され、何人かの男女が歓談をしている光景が見受けられた。中には一人歩いているヨシヒコを見つけ、仲間に入らないかと誘ってくる男も居た。下心と親切心が半々と見切ったヨシヒコは、「後ほど」と答えて目的地へと向かった。幸いなことに、しつこく付きまとわれるようなことはなかった。 「砂浜の切れた、石積みの海岸なんて何を考えているのでしょうね」  社交界の花と言われた令嬢が、一人暗がりを歩いているのだ。カジノでのことを考えると、不用心極まりないと言えるだろう。それこそ、襲ってくださいと言っているようなものだった。  流石に問題行動すぎると腹を立てたヨシヒコだったが、よくよく考えれば自分も似たようなものだと気がついた。何しろ自分は、完璧に女性に化けていたのだ。獲物と言う意味で言えば、クロコップ家令嬢と大差が有る訳ではない。もしも違いが有るとすれば、ヨシヒコ場合身を守る方法を持っていることだろう。それにした所で、襲ってみて初めて分かることでも有る。  ゆっくりと歩いていたヨシヒコは、砂浜の切れた所で海に突き出たステップに立つエリシアを見つけた。縦ロールにしていた髪は、今は緩やかなウエーブヘア−になっていた。そして着ていたものも、ピンクのドレスから白のワンピースに着替えたようだ。よほど自分よりは、海辺にふさわしい格好に違いないだろう。 「何か、考え事でもしているのでしょうか?」  後ろの街はこの時間でも光にあふれていた。だがその明るさが、逆に海を暗く感じさせていた。その暗い海に立っていることで、白い服が闇の中に浮かび上がるように見えていた。  何をとヨシヒコが訝った次の瞬間、よろめいたエリシアが暗い海へと落ちていった。どう考えても泳ぐようには見えず、まずいとヨシヒコは現場に向けて駆け出した。 「セラ、あの辺りに水深は!」 「およそ3m程です」  その情報が正しければ、人一人が溺れるには十分な深さが有ることになる。少なくとも、ワンピース姿で水浴びをする場所ではないはずだ。 「それで、彼女は泳いでいるのか?」 「いえ、沈んでいると言うのが正解かと思います。どうやら、意識を失っていると思われます」  つまり、このままだとエリシアは水死の運命が待っていることになる。気づいた以上見捨てる訳にもいかず、ヨシヒコはエリシアの立っていたステップへと急いだ。ただパーティーにでるような格好が、今回ばかりは足を引っ張ったことになる。そのせいで、ヨシヒコがたどり着くのに、短くない時間がかかってしまった。 「セラ、エリシアの居場所を確認しろ」 「この先右前方50mの所を、相当の早さで南に流されています」  早いと言うセラに、ヨシヒコは一瞬泳いでいるのかと勘違いをした。だがそれを察したセラに、その可能性を否定された。 「海岸流が、南の方に流れているだけです。早さは、およそ分速100mです。このままだと、場所の把握も難しくなります」  その報告に、ああっとヨシヒコは天を仰いだ。そしてすぐに、「ラルク」と指輪に着替えを命令した。何をするにしても、ドレス姿は身動きが取りにくかったのだ。  ラルクの働きで元の男の姿に戻ったヨシヒコは、ローファーのスニーカーを履いて海岸べりの歩道を南へと駆けて行った。着替えに時間は要したが、この方がずっと早く走ることが出来た。 「左手前方10mの所を流されています。ラルクで海岸流を一時停止されることをお勧めします。長くは持ちませんので、お気をつけください」  セラの忠告に従い、ヨシヒコは「ラルク」と海岸流を止める命令を発した。そして同時に、エリシアの所までの道を作った。海を割るには深すぎるため、表面を固体化させたのである。  それでエリシアの所までたどり着いたヨシヒコだったが、そのまま拾い上げるには体力不足は否めなかった。だから仕方がないと、その格好のまま海に飛び込んだ。泳ごうと言うのではなく、エリシアを捕まえた所で非在化しようと考えたのだ。 「どうして、こんなことになるんだ」  海の中だからか、捕まえた時のエリシアの体は冷たくなっていた。だが蘇生措置を取るにも、海の中に居てはどうにもならない。「ラルク」と非在化の命令をしたヨシヒコは、エリシアを抱えたまま海の上に浮かび上がった。非在化によって重力からも解放されるため、その気になれば空を飛ぶことも可能だった。  そのまま岸までたどり着いたヨシヒコは、非在化を解かずに近くの日本庭園へと入っていった。介抱だけならどこでも出来るが、人目につかない方が良いと考えたのである。人に任せると言う方法もあったが、事情を聞かなければとも考えていた。  庭園の中の水屋のベンチでエリシアの非在化を解除した。そして自分も実態に戻り、「セラ」とエリシアの状況を確認した。 「現在心肺停止状態です。体温低下、速やかな蘇生措置を推奨します。追加の情報ですが、体内より睡眠薬を検出いたしました」 「つまり自殺の可能性が高いと言うことか」  全くと息を吐き出したヨシヒコは、「ラルク」と蘇生措置の命令を発した。その途端、エリシアの体が大きく反り返った。 「心肺機能が回復しません。再度の実行を推奨します」 「時間がかかりすぎたかっ! ラルクっ」  蘇生までの時間が掛かりすぎると、蘇生率は急激に低下する。シルフィールを連れてくるのだったと後悔しながら、ヨシヒコは知識の中から蘇生法を引っ張り出した。 「心臓の動作再開を確認。ただ、呼吸は回復していません。原始的ですが、人工呼吸の実行を推奨します」 「人工呼吸って……」  そう言われても、ヨシヒコに人工呼吸の経験があるわけではない。だから推奨すると言われても、どうすれば良いのか全く分かっていなかった。 「ガイダンスをしますので、その通りに実行してください」 「だったら、さっさとガイダンスをしろっ」  少し焦ったヨシヒコに、「落ち着いてください」とセラは返した。 「ヨシヒコ様が落ち着かないと、助けられるものも助けられなくなります」  だから落ち着いてくださいと、セラは繰り返しヨシヒコに訴えた。それでなんとか落ち着きを取り戻したヨシヒコに、セラは逐次人工呼吸のやり方を教えた。ただやり方自体は難しくないのだが、体力的にはかなりヨシヒコにはハードだった。  肺に入った水を吐き出させた後、一番ラクな方法と言うことでマウスツーマウスをすることになった。それでも5分も続ければ、流石に体力の限界も近づいてくる。「もうだめ」とヨシヒコが悲鳴を上げかけた所で、「呼吸活動が回復しました」と言うセラの報告が聞こえてきた。 「一応生命の危機は脱したのですが。2つの処置を推奨します。第一は、服用した睡眠薬の中和措置です。そしてもう一つが、下がってしまった体温の回復措置です。過去の例では、体温回復は男女の場合裸になって温め合うのが有効とされています」 「なんで、それが有効なんだ?」  疑問に感じながらも、ヨシヒコは濡れたポロシャツを脱ぎ捨てた。そこから現れたのは、お世辞にも逞しいとは言えない筋肉の感じられない体である。  そして次に、ラルクにエリシアの着ていた服の分解を命じた。しっかりと濡れいていたので、このままでは脱がしにくいと考えたのである。気を利かせてくれたのか、ラルクは下着まで綺麗に分解してくれた。  裸の女性を目の前にするのは、さすがのヨシヒコも緊張してしまう。だが恥ずかしがっている場合ではないと、エリシアを抱き上げしっかりと抱きしめた。体温の回復が必要というだけに、エリシアの体は氷のように冷たかった。 「ラルク、睡眠薬の中和措置を」  自分の体で温めれば、後は服用した睡眠薬の中和措置を行えばいい。その命令を発した所で、ヨシヒコは自分が余計な努力をしていることに気がついた。 「セラ、体温回復措置もラルクで出来るのではないのか?」  ヨシヒコの問いに、確かにそうですがとセラは答えた。 「一般的男女の場合、裸で温め合うものだと言う具体例がありましたので。ですが、それに気づかないヨシヒコ様も悪いと思いますよ」 「どうして、俺の責任になるのだ」  おかしいだろうと文句を言ったヨシヒコは、セラをラルクと連動させることにした。初めからこうすればよかったのだが、これで人工呼吸以外は自動的に実行することが出来たはずだ。  おかしくないかとヨシヒコが考えた所で、抱きしめたエリシアの体が暖かくなってくるのをヨシヒコは感じることが出来た。これで助かったかと安堵したヨシヒコだったが、次第にエリシアの息遣いが荒くなってきているのに気がついた。 「セラ、息が荒くなってきているぞ」 「少しばかり、性的刺激を与えていますので」  たしかにそれなら、息が荒くなっても不思議ではない。そう考えた所で、「待て」とヨシヒコは重要な確認をセラにした。 「それは、救命行為に必要なことなのか?」 「いえ、まったく」  こいつはとため息を吐いたヨシヒコは、「余計なことはするな」とセラを叱った。おかしな刺激をやめたお陰で、荒かった息も次第に落ち着いてくれた。 「意識レベルが上昇してきました。間もなく、目覚めるかと思われます」 「これ以上、余計なことをするんじゃないぞ」  裸で抱き合えとか、エリシアに性的刺激を与えるとか、どうもセラが余計なことをしているとしか思えなかったのだ。だから余計なことと文句を言ったのだが、逆にセラからは「必要なことです」と言い返されてしまった。 「アリアシア様から、ヨシヒコ様はお子を沢山作らなければならないと伺っています。そのためには、必要な措置と考えております」 「あー、それが余計なことだと言っているのだ」  まったくとヨシヒコがため息を吐いた時、エリシアの瞳がゆっくりと開かれた。薄暗い明かりの中、青いはずの瞳は吸い込まれそうな黒に見えていた。 「気がついたか?」  まだ意識がはっきりしないのか、目を開いてもエリシアはぼんやりとしたままだった。その状態はヨシヒコが声を掛けても、すぐには変わることはなかった。 「エリシア、気を確かにもてっ」  名前を呼びながら、ヨシヒコは何度もエリシアの肩を揺すった。何も身に着けていないこともあり、控えめな白い胸がヨシヒコの目の前で揺れていた。それを2分ほど続けた所で、ようやくエリシアの瞳に意志が戻ってきた。 「私は、死んだのではないのですか?」 「残念ながら、俺が海に沈んだお前を助けた」 「あなたが……」  ぼんやりとヨシヒコの顔を見たエリシアは、しばらくして自分を捕まえているのが誰かに気がついた。お陰で意識が急速に覚醒し、「ヨシヒコ様」と現時点であげられる一番の大声を上げた。 「なぜ、ヨシヒコ様が」 「なぜと言うのは、俺が聞きたいぐらいだ。お前は、どうして自殺をしようとしたのだ。エリシア・ホメ・テラノ・クロコップ」  もう大丈夫だと確認し、ヨシヒコはエリシアの肩に置いた手を離した。 「私が、自殺をしようとした……そうです、どうして私を助けたのですかっ!」  先程より大きな声を出したエリシアに、「人を助けるのに理由が必要なのか?」とヨシヒコは聞き返した。 「知っている顔が海に落ちるのを見たのだ。ならば、助けるのは人としておかしなことじゃないだろう」 「ですが、私は死ななければならなかったのです!」  思い詰めたような顔をするエリシアに、「面倒なことになった」とヨシヒコはため息を吐いた。そして立ち上がると、ラルクに自分の着替えを命じた。濡れたズボンは気分の良いものではなかったのだ。 「事情を聞く前に、お前も何か着た方が良いだろう。元と同じ格好でいいか?」 「元と同じ格好……ですか?」  そう言われて初めて、エリシアは自分が何も身に着けていないのに気がついた。途端に襲われた羞恥心に、エリシアは顕になった胸を両手で隠した。 「わ、私はどうして裸なんですっ」  そのまま背中を向けたエリシアに、「救命に必要だったから」とヨシヒコはあっさりと答えた。 「お前は、心肺が停止状態だったんだぞ。だから心臓を動かすのと、人工呼吸を行った。さらには服用した睡眠薬の中和に、体温の回復措置も行った。それが、現在のお前の状況と言うことになる」 「ヨシヒコ様は、本当に余計なことをしてくださったのですね」  忌々しげに吐き出したエリシアに、「そうかもしれないな」とヨシヒコは返した。 「今度自殺する時は、俺の目の届かない所でやってくれ」  そう言い返して、ヨシヒコはラルクにエリシアの着替えを命令した。データー化されているお陰で、ラルクは寸分の違いもなく直前まで着ていた服を復元した。もちろん塩水に濡れた状態ではなく、新品同様の状態に戻っていた。 「それでどうするつもりだ。自殺をやり直すのなら、もう止めないぞ」  冷たく言い放つヨシヒコを、エリシアはきつい眼差しで睨みつけた。だが精神的に不利な状況で、ヨシヒコに敵うはずがない。くっと小さく漏らして、エリシアは視線をそらしてしまった。 「死ねないと思っているんでしょう」 「俺は一度死んで、もう一度は死にかけているからな。死の恐怖は誰よりも知っているつもりだ。その恐怖を知れば、簡単に死のうなんてできないのは分かっているからな」  そう言うことだと言い捨て、「好きにしろ」とヨシヒコはエリシアに背を向けた。 「話を聞いてやろうと出てきたのだが、どうやらその必要もなさそうだ」  だから帰ると歩き出したヨシヒコを、悔しそうにエリシアは睨みつけた。だがヨシヒコの姿が見えなくなる寸前に、「ヨシヒコ様」と呼び止めてきた。 「それでも、私は死ななければいけないのです。そうしないと、お兄様が目を覚ましてくださいません」 「たとえそうでも、俺には関係のない話だ。それに、死ぬのだったら止めないと言っただろう」  それだけだと背を向けて答えたヨシヒコに、「あなたが止めなければ死ねたんです」とエリシアは言い返した。命を救われたため、恐怖を知って死ぬことができなくなってしまった。それは事情も知らずに助けたヨシヒコが悪いと言うのである。 「そんなことは、俺には関係ない」  冷たく言い捨てたヨシヒコの後を、エリシアは水屋に有った置物を抱えて走って追いかけた。すぐに追いついたエリシアは、それをヨシヒコの頭目掛けて振り下ろした。そのままぶつかれば、ヨシヒコは無事ではすまない攻撃である。  だが左手のラルクが赤く光り、陶器製の置物が塵と化した。空振った勢いで自分に抱きついたエリシアに、「自殺の手段に使うな」とヨシヒコは静かに指摘した。 「俺を殺そうとすれば、自衛手段で殺して貰えると思ったのだろう。自分で死ねなくなった奴が取りそうな方法だな」  ヨシヒコに振り払われ、エリシアは地面へと崩れ落ちた。そんな彼女を前に、ヨシヒコは「ラルク」と物質の合成を命じた。主の命に忠実に答えたラルクは、ヨシヒコの手に小ぶりの短剣を作り出した。 「これで自分を刺せば死ぬことができるだろう。今度は、俺が見届けてやる」  エリシアの手を取り、ヨシヒコはシンプルな短剣を握らせた。そして「さあやれ」と少し距離を置いてエリシアの前で屈み込んだ。  ヨシヒコに短剣を手渡されたエリシアは、ガタガタと震えながら手の中で光るものを見た。そして唇まで真っ青になりながら、腰を落としているヨシヒコの顔を見た。 「希望通り、死ぬための道具を渡してやったんだ。喉なり心臓なりを一突きすれば、痛いのかもしれないがすぐに死ぬことができるぞ」  さあやれと繰り返され、エリシアはもう一度手の中で光る短剣を見た。そして何かに取り憑かれたように、ゆっくりと短剣を持ち上げ己の首の所へ持っていった。  だがもう少しで首を刺すことができる所で、その動きは止まってしまった。短剣の切っ先は、喉に近づいたり離れたりを繰り返していた。 「俺を殺そうとした以上、どのみちお前は死ぬことになる。それから言っておくが、一族は一蓮托生と言うことになるな。当然お前の兄や義姉も粛清の対象だ。自分で始末をつけるのなら、お前の兄たちは見逃してやっても良いのだがな」  どうすると問われ、「見逃してくださるのですね」とエリシアは消え入りそうな声で聞き返した。 「まあ、その時の気分ではあるがな。俺の前で見苦しい真似を見せたら、その時は迷わず粛清してやろう。ただ、生き残る可能性だけは残しておいてやる」  その程度だと笑ったヨシヒコに、「でしたら」とエリシアは喉に短剣を突き立てようとした。それでも決心が定まらないのか、剣の切っ先が喉の皮膚に刺さった所で動かなくなった。ただ刺さった場所からは、彼女の血が一筋流れ出していた。一度死の恐怖を知ったために、土壇場で手が動かなくなってしまったのだろう。 「わ、私は死ななくてはいけないんです」  身をかがめて大声を上げたエリシアは、一度短剣を喉から離した後に勢い良く喉へと突き立てた。勢いが付いた以上、今度こそエリシアの喉に短剣は突き刺さるはずだった。  だが短剣の切っ先が彼女の喉に触れた瞬間、鋭い光を放っていた剣が霧のように消滅した。そして勢い余った両手は、エリシアの喉を激しく叩いた。瞬間息が止まったエリシアは、すぐに激しく咳き込むことになった。 「エリシア・ホメ・テラノ・クロコップはたった今死んだ」  咳き込みながらエリシアが見上げた先に、自分を見下ろすヨシヒコの姿があった。 「お前は、たった今からただのエリシアだ」  ヨシヒコの左手でラルクがきらめいた瞬間、エリシアは喉の痛みが消えたのに気がついた。初めにつけた短剣の傷も消えていた。 「せっかく死ねたのに。どうしてまた私を助けるのですかっ!」  涙混じりの顔で見上げたエリシアに、「気に入らないからだ」とヨシヒコは言い返した。そして付いて来いと言って、エリシアの手を掴んで引き起こした。すでに逆らう気力もないエリシアは、大人しくヨシヒコに手を引かれていった。  エリシアの手を引いたヨシヒコは、塀を非在化してすり抜け海の間際まで来た。そしてセラに、「エリシアのデーターはあるな」と確認した。 「非在化の際に、すべてのデーターは取得してあります」 「だったら、肉人形を海の中に作れ」  ヨシヒコの命令に、「畏まりました」とセラは頭を下げた。それに遅れてラルクが光り、海中に白い物体が現れた。 「まさか、あれが私なのでしょうか……」  潮に流されていく白い物を見たエリシアは、震える唇でヨシヒコに問いかけた。 「お前を模した物と言うのが正解だ。命を作り出したわけではないので、帝国法にも触れてはいないな。もっとも、皇族を縛る法など存在はしていないのだがな」  少し口元を歪めたヨシヒコは、「エリシア」と相変わらず厳しい声色で語りかけた。 「兄を諌める書き置きを残したお前は、薬を飲んで投身自殺をした。死体が上がれば、お前の自殺は確認されることになる訳だ」 「なぜ、そのようなことを……」  次の皇帝なら、たかが二等男爵家の問題に踏み込む必要が無いはずだ。そして実際に、「関係ない」と何度も言われていた。 「気に入らないと言ったはずだが?」  その程度だと答えたヨシヒコは、「付いて来い」とエリシアに命じた。だが一歩歩き始めた所で、「このままでは駄目か」と振り返った。 「ホテルに着くまで、見た目を変えさせて貰う」  ラルクと声を出した瞬間、左手の指輪が赤く光り、その光がエリシアの体を包み込んだ。そしてラルクの光が消えた時、ショートの黒い髪に涼し気な水色のサマーセータ姿のエリシアが立っていた。 「お前は投身自殺したはずだからな。そんな奴が彷徨いていたら、幽霊が出たと噂になるだろう」  それはそれで面白いのだが、余計な手間を増やす必要はない。ヨシヒコの説明に納得したエリシアは、大人しく彼の後を付いていった。  エリシアを連れて帰ったヨシヒコに、「やはり誑し込んできましたか」とアズライトは笑った。それに恐縮するエリシアを無視し、ヨシヒコは簡単な顛末を説明した。ただエリシアへのヒアリングは終わってないので、説明は助けてからのものだけとなっていた。 「つまり、クロコップ家のエリシアと言う女性は死んだと言うことですね」 「自分が死ぬことで兄を諌めようとした女性は、今頃海の底に沈んでいるのだろうな。一応、白い服を来た女性が海辺を一人歩いていたと言う噂は流しておいた。あと、履いていたサンダルを岩場に引っ掛けておいた」  女性が海に落ちたことを暗示することで、書き置きの信憑性が増すことになる。特にサンダルは、ミルコの妻が見ればエリシアの物だと分かってくれるだろう。 「それで、あなたはこれからどうなさるおつもりなのですか?」  その質問を、ヨシヒコはエリシアの処遇だろうと受け取った。 「リルケまで連れて行って、ジェノダイト様の所に預けるつもりだ」  そうすることで、地球とは完全に切り離すことができる。妥当な方法だと考えたヨシヒコに、「違います」とアズライトは否定した。 「今晩のことを言っています。具体的に言うと、私は別の部屋で寝た方が良いのかと言うことです」  その質問に、ヨシヒコは「あー」と言って部屋の天井を見上げた。 「そのつもりはないと言っておく」 「でしたら、なぜ助けたのですか?」  そのつもりがないのなら、本来助けなくても良いはずだと言うのである。人としてどうかとは思うのだが、皇族だと思えば別に不思議な事ではないのだろう。そう割り切ったヨシヒコは、「成り行きだ」と求めとは違う答えを口にした。 「眼の前で人が海に落ちれば、俺のようなものは助けようとする。そう言う常識の中、俺は育ってきたんだ。そしてその先のことは、俺が気に入らなかったのと、成り行きとしか言いようがない」 そう言うことだと言い切った夫に、アズライトは小さく息を吐き出した。 「確かに、あなたが気に入らないと言う気持ちは理解できます。これが侯爵家あたりなら潰してあげるのですけど、たかが二等男爵に私達が手を出す理由もありませんね」  皇族の立場は、そこまで面倒を見るものではない。アズライトの言葉に、確かにそうだとヨシヒコも認めた。ただヨシヒコの場合、説明が必要な相手が残っていた。 「ただ母さん達には、経緯を説明しておく必要がある。可哀想だが、もう庶民ではないと釘を差さないといけないだろう」 「今回のように、勘違いを生んでしまう可能性がありますね。その意味では、リルケに移住して貰うのが一番なのですが」  一度誘ってみたのだが、二人揃って否定をしてくれたのだ。今度のことが再考を促す理由にはなるのだが、失敗を責めるようで嫌だとアズライトも思っていた。 「今まで例が無かっただけに、難しい問題だと思います」 「それも含めて、明日だな」  色々と活躍したこともあり、ヨシヒコは強い疲労に襲われていた。そのあたり、マリアナと違い体力系でないのが理由だろう。  疲れたとヨシヒコが大きく伸びをした所で、「宜しいでしょうか」とそれまで沈黙を守っていたエリシアが声を出した。恐る恐ると言うのは、その場にアズライトが居たのも理由だろう。ちなみに外では変装をしていたが、今は元の姿に戻されていた。 「私はどうすればよいのでしょうか」  夫婦が寝ると言うのは、時間を考えれば不思議なことではないだろう。実際問題、すでに時計は1時を過ぎていたのだ。明日のことを考えれば、さっさと寝た方が良いと言うのは確かだった。ただエリシアの場合、どうすればいいのか全くわからないと言うのが問題だった。 「あのソファーででも寝ればいいだろう」  指を指された先には、確かに立派なソファーが置かれていた。だが二等男爵家とは言え爵位持ちの家で、エリシアはぬくぬくとした生活を送っていたのだ。ソファーにもたれてうたた寝をすることはあっても、ソファーで寝るようなことはしたことがなかった。  だから「ソファーで、でしょうか」と首を傾げることになるのだが。残念ながら、ヨシヒコにはその意味が届かなかった。 「遺体安置所で無いだけありがたいと思え」  と言う冷たい言葉を掛けられ、二人は奥の寝室へと消えていった。「疲れているんだぞ」と言う声からすると、アズライトはそのまま寝ると言う気持ちはないようだ。  そして一人残されたエリシアは、親の敵のように広いソファーを睨みつけた。そしてそれから、二人の消えた寝室へと視線を向けた。 「今夜は眠れそうに無い気がします……」  ほうっと小さく息を吐きだして、エリシアはソファーに座って膝を抱えた。 「耳栓があると良いのですけど」  あの声を聞かされるのは、間違いなく拷問なのだ。嫌だなあと呟きながら、膝を抱えたままごろりとエリシアは横になった。  翌朝ヨシヒコが目を覚ました時には、予想通り街は上を下への大騒ぎになっていた。社交界の花として有名な女性が、自殺をほのめかす書き置きをして姿を消したのである。目撃者情報と突き合わせると、自殺と言う線が濃厚になっていた。  それをセラからの情報で確認したヨシヒコは、隣で寝ているアズライトの肩を揺すった。時間的には、そろそろ起きて朝食の支度を始める必要があったのだ。もっとも料理をするのではなく、レストランに顔を出しても恥ずかしくない格好をするための時間である。 「まだいいのではありませんか」  そう言って起き上がったアズライトは、当たり前だが何も身に着けていなかった。それが普段の生活なのだが、その体には昨夜の名残がいくつか残っていた。3時間も妻を放置した以上、ヨシヒコも求めに応じない訳にはいかなかったということだ。 「残念ながら、母さん達は時間に几帳面なんだ」  その躾を受けていたので、ヨシヒコもまた時間は守るように生活していた。そのあたり、母親の折檻が怖かったと言う笑えない事情があった。 「夫に恥をかかせる訳には参りませんね」  普段以上に物分りが良いのは、ヨシヒコの奉仕が理由になっているのだろうか。裸と言うことを気にもとめず、アズライトはゆっくりと備え付けのシャワールームへと消えていった。裸でも堂々とした所は、さすがは皇女様と言うところだろう。  それを見送ったヨシヒコは、起き上がってバスローブを纏った。普段は朝にシャワーを浴びないのだが、ヨシヒコの体にも昨夜の名残がしっかりと残っていたのだ。  さすがに眠いと欠伸をしたヨシヒコは、当たり前だがソファーで寝ているエリシアを見つけた。どうやらあのまま寝たのか、白いワンピース姿のまま膝を抱えて丸くなっていた。寝ている顔は、あどけなさは残るが、なるほどと思うほど可愛らしかった。 「着替えを用意してやらないと可哀想か」  着の身着のままと言うより、エリシアは死ぬつもりで飛び出してきたのだ。着替えなど無いのは、今更のことだった。  ただエリシアのことはシャワーを浴びてからと、ヨシヒコは今を通り抜けてシャワールームへと入っていった。アズライトと違い支度に時間はかからないが、色々と始末をつけることが残っていたのだ。  ゆっくりとシャワーを浴びて出てきたのだが、相変わらずエリシアはソファーで丸くなっていた。狸寝入りかと覆いかぶさってみたのだが、特に体に緊張は見られなかった。それを見る限り、まだ白河夜船にいるようだ。念のためセラに聞いてみたが、「ぐっすりとお休みです」とヨシヒコの推測を肯定してくれた。  それから着替えをして居間に戻ってみたが、相変わらずご令嬢は深い眠りの中に居た。自分達が原因とも知らず、「寝付けなかったのかな」とそのままにしておくことにした。どうせ今日一日、彼女はこの部屋を出ることはできないのだからと。  そのままエリシアを放置したヨシヒコは、母親達を訪ねることにした。昨夜の事情を話し、今後のことを説明しておくためである。だが部屋をノックしてみても、起きているはずの両親から応答は無かった。 「出かけているのかな? 朝早くから散歩とは、年寄りかっ……孫ができるのだから年寄りなのか」  まあ良いと自己完結をしたヨシヒコは、中を確認するため「ラルク」と命令を発した。そしてラルクの光に包まれながら、母親達の部屋へとドアをすり抜けていった。 「さすがは母さんと言うべきか。部屋はすっかり片付いているな」  荷物は残され、靴がなくなってスリッパが置かれている状況を見ると、着替えて外に出たと考えてもおかしくない。だったら外に行くかと、ヨシヒコはそのまま壁を通り抜けて廊下へと出た。 「セラ、母さん達がどこに居るか分かるか?」 「近くの海べりにおいでのようです。どうやら、昨夜流した死体が見つかったようですね」  つまり両親二人は野次馬になって現場に近くにいることになる。なるほどねと納得したヨシヒコは、場所も分かっているのでまっすぐ目的地まで向かった。そして10分ほど歩いた所で、沢山の人集りを見つけることになった。救急車が来ていることを考えると、ここが発見現場に違いないのだろう。  セラの助けで両親を見つけたヨシヒコは、「話がある」と人集りから二人を連れ出した。二人の顔色が良くないのは、見知った少女が溺死体で上がったからだろう。 「ヨシちゃん、エリシアさんが」  真っ青な顔をした母親に、「分かっている」とヨシヒコは頷いた。そして父親の顔を見て、「ホテルに戻ろう」と提案した。地元の警察まで出動している以上、赤の他人に出る幕は無かったのだ。その意味を理解したヒトシは、「チエコ」と声を掛けて妻の体を支えた。 「父さん、何か事情を聞いてる?」  事情聴取から始めた息子に、「書き置きがあったようだ」とヒトシは簡単に知っている事実を説明した。それによると、クロコップ夫妻は、朝になるまで妹が居ないのに気づかなかったらしい。そして起こしに行った時に、ベッドサイドにある書き置きを見つけたと言うことだ。一方遺体の発見は、散歩していた人からの通報があったと言うのが、おおよその事情だった。ただ書き置きに何が書かれていたのかまでは、ヒトシは知らないと答えたのである。「私達のせいよね」と呟く母親に、ヨシヒコは否定も肯定しなかった。  それから20分ほど掛けてホテルに戻ったヨシヒコは、母親を椅子に座らせてセラに部屋の状況を確認した。セラからの報告では、アズライトはまだおめかし中で、エリシアは白河夜船の中に居た。  時間が惜しいこともあり、ヨシヒコはラルクで3人分のコーヒーを用意した。それを母親に渡し、「ゆっくりと飲むんだ」と優しく声を掛けた。顔色が悪いのは、それだけ受けたショックが大きかったと言うことだ。 「なにか、クロコップ男爵から連絡はあったのか?」  あるはずがないと思いながら、ヨシヒコは連絡の有無を確認した。そしてヨシヒコが予想した通り、クロコップからは何も連絡は入っていなかった。それどころではないと言うのが、彼らの置かれた状況なのだろう。 「二人に言っておくが、今晩ここを出てヨコハマに向かうぞ」 「でも、エリシアさんのお葬式に出なくて良いのかしら?」  震える唇から吐き出された言葉に、「立場にない」とヨシヒコは言い切った。 「次の皇帝とその両親が顔をだすような場所ではない。そして俺は、スケジュールを変えるつもりはまったくない」  「でも」と言い返そうとした母親に、「でもじゃない」とヨシヒコは厳しい言葉で答えた。 「父さんや母さんが拘ると、同じように不幸になる人が出てきてしまうんだ。さっき母さんは、「私のせいか」と聞いただろう。最終的に引き金を引いたのは、間違いなく母さん達だ。ただ本質的な問題は、クロコップ二等男爵にある」 「ヨシヒコは、何か知っているの?」  涙を流しながら震える母親に、こんなに弱い人だったのかとヨシヒコは衝撃を受けていた。ヨシヒコにとっての母親は、とても論理的で理不尽で高圧的で自信に溢れる存在だったのだ。それが母親の一面しか見ていないのを、今更ながら思い知らされた気がしていた。 「ああ、全部とは言わないが知っている。ただ、説明は俺達の部屋でしようと思っている」  良いかと顔を見られ、チエコは小さく頷いた。  落ち着いたら来てくれと父親に頼み、ヨシヒコは一人先に自分たちの部屋へと戻っていった。部屋に戻って、お寝坊のご令嬢様の世話が必要だったのだ。  ヨシヒコが部屋に戻った時には、まだエリシアは目を覚ましていなかった。寝顔が幸せそうに見えないのは、昨日の出来事が理由なのだろう。本当なら寝かせておいてやりたいのだが、事情を考えるとそうも言っていられない。「セラ」とアバターを呼び出したヨシヒコは、「起こしてやれ」と命令した。 「眠り姫を起こすのは、王子様の口づけではないのですか?」  軽口を叩いたセラに、ヨシヒコは少しどすを効かせた声で「起こせ」と繰り返した。「はいはい」とセラが答えた次の瞬間、「ひゃっう」と言う可愛い悲鳴とともにエリシアが飛び起きた。 「随分と遅いお目覚めだな」  飛び起きた途端、次の皇帝様に声を掛けられたのだ。エリシアがまともな精神状態でいられるはずがない。もう一度「ひゃうっ」と可愛い悲鳴を上げて、顔を隠すようにヨシヒコに背中を向けた。 「しかも、随分と失礼な態度をしてくれる」 「れ、レディの寝顔を見るのも失礼な行為ですっ」  背中を向けたまま文句を言うエリシアに、「だったら早く起きることだな」とヨシヒコは言い返した。 「と、隣の声が気になって寝付けなかったのです」 「つまり、俺達が悪いと言いたい訳だな。やれやれ、もう一つ死体を用意しなくちゃいけないのか」  ラルクとヨシヒコが命令を発した瞬間、エリシアの体を赤い光が包みこんだ。そして赤い光が消えた時には、エリシアの着ていた服は茶系の柄の入ったシックなアンサンブルに変わっていた。 「俺の両親がこの部屋に来る。いつまでも寝ぼけているんじゃない」  顔ぐらい洗ってこいと、ヨシヒコは本当にお尻を叩いてエリシアを洗面所に追い立てた。それから少し遅れて、部屋のチャイムが押された音が聞こえてきた。 「俺は、本当に皇帝になるのか?」  どう考えても、便利屋に使われている気がしてならない。文句を呟きながら、ヨシヒコは相手を確認してドアを開いた。父親のお陰で少しは落ち着いたのだが、まだ心神喪失状態から母親は回復できていないようだった。そんな両親が入ってきたのに合わせるように、ベッドルームからアズライトが着替えて出てきた。今日の装いは、ピンクの薄手のセーターに、少し広がったベージュのパンツ姿だった。  一応事情は理解しているのか、アズライトはチエコに朝の挨拶以上のことは言わなかった。そして自分の場所だと、ゆったりとした一人用のソファーに腰を下ろした。 「ヨシヒコ、被告人は?」 「今、ドレスルームで顔を洗っている所だ」  その答えに大きく頷き、「死刑ですね」と求刑を飛ばして判決を口にしてくれた。 「まあ、そうしてやっても良い気もしてきたが」  そこで母親を見たヨシヒコは、「後味が悪い」と死刑を否定した。そして「母さん」と顔色の悪いままの母親に声を掛けた。 「実は、昨夜からのことに俺は関わっている。そしてエリシアだが、実のところ死んではいない。睡眠薬を飲んで海に落ちたのを、俺が拾い上げて助けてある」 「それ、本当なの? だとしたら、打ち上げられた死体は何なの?」  信じられないと言う顔をした母親に、「忘れたのか?」とヨシヒコは自分を指差した。 「データーさえあれば、人の体を作ることは難しくない。特に死体なら、倫理的問題も軽くなるだろう。だからエリシアの身代わりを用意し、元通りに海に戻してやった。もしも俺が介入しなければ、あったであろう結果でもある」  そう説明したヨシヒコは、「エリシア」と大きな声で被告人を呼び出した。それに少し遅れて、ドレスルームから萎れた少女が現れた。 「と言うことで、本人は生きている。ただ、戸籍上は死んだことになるな」 「どうして、そんなことをする必要があるの」  事情が理解できないと、チエコは首を振って「分からない」と繰り返した。それを受け取ったヨシヒコは、エリシアに向かって「説明しろ」と命令した。 「私の兄のことですが……」  さすがに観念したのか、エリシアは素直に事情の説明を始めた。 「上昇志向が強いことは悪いこととは思っていません。ただ利用できるものは、なんでも利用しようとするし、家族も道具としか思わないような人なんです。借金は確かに死んだ父が作ったものですが、それを膨らませたのは兄なんです。爵位を上げるために、関係者にお金をばらまいたのがその理由です。そしてお金を借りる時の担保として、私の身柄を差し出しました。何度もやめてとお願いしたのですけど、一度も聞いてくれたことはありませんでした。それどころか、お前にはそれぐらいしか価値が無いと罵られもしました。そんなことでこしらえた借金から、マツモト様が救い出してくださったんです。ですがマツモト様の正体を知った兄は、これは好機だと喜び私をヨシヒコ様の後宮に入れようと画策しました。理由など今更説明する必要は無いと思いますが、妹が後宮に入れば兄の立場も自動的に高くなるからです。結局兄は私の気持ちを考えることなど、一度もしてくれませんでした。今まではまだ我慢できましたが、さすがに今回ばかりは我慢の限度を超えていました。結局私が居る限り、兄は私を利用することをやめようとはしないでしょう。でしたら、私が居なくる以外に兄を止める方法が無いことになります。だから私の気持ちを書き残して、睡眠薬をもって海に行ったんです」  俯いて一気に喋るエリシアに、チエコは掛ける言葉をもたなかった。自分のしたことは善行なのだが、それが逆に少女を追い詰めたのを教えられたのである。困っているからと言って、困っている人が善人とは限らないと言うことだ。そして彼らの常識を考えると、悪人と言うこともできなかった。 「まあ、とても褒められることではないのだが、同時に同情できることでもある。ただ、せっかく命を懸けた諫言も、受け取る相手が悪ければ意味のないことになる」  セラとヨシヒコは自分のアバターを呼び出した。そして「見せてやれ」と言って、クロコップ男爵夫婦の映像を全員に見せた。その映像では、苛ついたミルコが「恩知らずめ」と死んだエリシアを罵っていた。そして苛つく夫を、「話が違う」とカテリナが責めていた。二人ともエリシアの死を悼むのではなく、自分だけのことを考えていたと言うことだ。そんなものを見せられれば、自分は犬死したことになる。自分の気持ちは届かないのだと、悲しくなったエリシアは俯いて顔を押さえて嗚咽を漏らした。 「世の中、こう言う類の人間は珍しくない。ある意味、固定された階級社会の弊害とも言えるだろうな。そんな奴らに対して、自分が死ねば考えを改めると考えるのは、幼稚な子供の浅知恵と言うことだ」 「でもヨシヒコ、私はとってもムカついているんですけど」  口を挟んだアズライトに、「俺もムカついているさ」とヨシヒコは答えた。 「ただ、世の中は綺麗事だけじゃ無いと言うことだ。クレスタ学校でも、ドードリーと言ったか、カニエを追い落とすためにかなり汚いことをしていたのだろう? 欲に駆られた奴らを正当化するつもりはないが、どこにでもある、別に珍しくもないことなんだよ」  クレスタ学校のことを持ち出されると、アズライトも文句を言いにくくなる。大したことにならないと、アズライトも笑って見ていた事情があったのだ。 「こう言った奴は、遅かれ早かれ自滅することになる。まあ、この夫婦の場合は離婚が最初にあるのだろうな。妹に寄生して地位を上げることしか考えない奴は、あっという間に落ちぶれることになるのだろう」  「これで説明は終わる」とヨシヒコは全員の顔を見た。 「今日の夜にヨコハマに向けて移動するのだが。ここに居るのも気分が悪いので、副領主のいるパリに移動するぞ。さもなければ、これからすぐにヨコハマに帰ると言う手もあるが」  どっちが良いと問われたチエコは、「早く帰りたい」と弱音を吐いた。それだけ今度の出来事が、彼女の心を打ちのめしたと言うことになる。 「じゃあ、帰ることにするか」  そう全員に告げたヨシヒコは、「セラ」とアバターを呼び出した。 「ジェノダイト様に、帰りの足を用意するよう伝えろ。可及的速やかにとの条件を忘れるな」  「畏まりました」と頭を下げ、セラは姿を消した。これで必要な手配を終えたと、ヨシヒコは「どうする」とヒトシの顔を見た。 「父さん達も、朝食を食べていないんだろう?」 「確かにそうなんだが。この子を連れ回す訳にもいかないだろう」  死んだはずの人間が、フラフラと出歩いているのは問題が大きすぎる。そう考えた父親に、一応方法はあるとヨシヒコは返した。 「ラルクを使えば、見た目を変えることは難しくないのだが」 「5人で行動するのも、不自然といえば不自然だな」  どうしようかとヨシヒコが考えた時、「調整がつきました」とセラがポップアップしてきた。 「30分以内に、特別機を用意できると言うことです。食事の用意もできるそうですから、そこで朝食をとられてはいかがでしょうか?」 「味気ない気もするが、それが妥当と言うことか」  時計を見れば、すでに朝の8時を過ぎていた。ここからなら、ヨコハマまでは2時間の行程となる。時差を考えると、ヨコハマ着は午後6時ぐらいになるのだろう。 「美味いものは、ヨコハマに帰ってから食べることにするか。と言うことなので、父さん達は出発の準備をしてくれ」 「ああ、すぐにでも帰りたいな」  分かったと頷いたヒトシは、「チエコ」と言ってうなだれた妻に立つように促した。そしてすぐに済ませると言って、息子達の部屋を出ていった。 「さて、俺達は特に準備も必要ないか」  ラルクがあれば、着替えを用意する必要もなかったのだ。支払いはIDで済ませられるため、二人はほとんど手ぶらでモナコまでやってきていた。そしてもう一人のエリシアも、着の身着のままで拾われたと言う事情があった。 「すべての面倒は、ヨコハマで片付けることにするぞ」 「申し訳ありません。私はどうすれば良いのでしょうか?」  彼女の立場からすれば、それは正当な質問に違いない。だがヨシヒコは、「はあっ」と呆れたような顔をした。 「昨日言ったとおりなのだが? それとも、ここで放り出して貰いたいのか?」 「いえ、是非ともご一緒させてください!」  ここに残されたら、一体何が起きるのだろうか。それが怖くて、エリシアはヨシヒコにすがりついた。そしてすぐに自分のしたことに気づき、顔を赤くしてヨシヒコから離れた。 「ヨシヒコ、盛っているようだからお手つきにしてあげてはどうです?」  少し冷たいアズライトの言葉に、「時間がないな」とヨシヒコの答えはあっさりとしたものだった。 「この女は、もはや日の当たる世界に出ることはできないんだ。だから、後宮に入れると言う話にはならないんだよ」  ヨシヒコの後宮に入ることになれば、必ずその出自が詮索されることになる。そうなると自殺を偽装したことや、彼女の兄の問題が再燃することになりかねなかったのだ。日向の世界に出ることで、余計な苦労を背負い込むことにもなるのだろう。だから後宮に入れることはないと言うのが、ヨシヒコの下した結論だった。 「別の顔と名前、身分を用意すると言う方法もありますが。確かに壊してしまうには惜しい見た目をしていますね」  そうエリシアを評したアズライトは、「困ったものだ」と小さくため息を吐いた。 「テラノで、別の女性を探さなくてはならなくなりました」 「俺は、増やすつもりはないと言ったはずだ」  同じことを繰り返した夫に、アズライトもまた同じことを繰り返した。 「皇帝の義務だと教えたはずですよ」  だから同じことを繰り返して言うのだ。誰が来ても自分が一番と言われたアズライトは、後宮に入る女性を増やす方に舵を切ったのだった。  女子会の行われた一夜は、お互いの理解を深めるのに役に立ったようだ。翌朝アリアシア以外に酔覚ましの処方をしたシルフィールからは、前日のような卑屈な影が消え去っていた。それでも立場は理解しているので、私がとしゃしゃり出るような真似はしていない。そのあたり、ようやく自分の居場所を確保したと言うことができるだろう。  打ち解けてしまえば、女4人の集まりは最強となる。朝からハイテンションで過ごした4人は、そのままの勢いで昼も過ごした。だが3時のおやつとイヨが張り切った所で、ヨシヒコからの連絡に目を丸くして驚くことになった。 「ヨシちゃん、予定を切り上げて今日中にヨコハマに着くみたいね」 「何か、予定を切り上げるようなことがあったのでしょうか?」  ヨシヒコとアズライトだけを考えれば、予定を切り上げる理由が思いつかなかった。不思議ですねと首を傾げたアリアシアを見て、イヨは「セラ」と自分のアバターを呼び出した。ヨシヒコと同じ名前だが、イヨのアバターは少しふっくらとした女の子の姿をしていた。 「何か情報はある? 特に、母さん絡みで」  チエコを指定したのは、イヨの勘であり、自分の母親を理解したものでもある。そしてイヨが命じてから5分後、イヨのセラは彼女の予感通りチエコに問題が生じたのを報告してきた。 「なるほど、母さんの弱点が露呈したと言う訳ね」  ヨシヒコと違い、イヨはチエコの弱いところを何度も目の当たりにしていた。だからチエコがショックを受けたと聞いても、驚きはしたが有り得ることだと思っていた。ただ事情を聞いたせいで、「嫌だなぁ」と少し気分は落ち込んでしまった。 「イヨ様、どうかなさいましたか?」  同じ情報を受け取ったアリアシアは、チエコではなくイヨの変化を気にした。 「ちょっとね、自分の置かれた立場が憂鬱になっただけよ。まあ、母さんと違って、嫌な世界もたくさん見てきたつもりなんだけどね……」  軍人の世界も、必ずしもきれいなものだとは限らない。特に戦争のない時代の軍は、昇格するのに戦功が理由にならない。その為尉官級以上の役職者達は、いかに競争相手を蹴り落とすか、いかに上役に取り入るかに血眼になっていた。それを目の当たりにしているだけに、今度のことも不思議な事だとは思っていなかった。自分の娘や妹を、上官に差し出す……と言っても、家族の嫁と言う意味なのだが、差し出すことなど日常茶飯事だったのだ。  そんな環境の中、庶民のイヨが准尉になったのは、明らかに異例なことだった。それだけイヨの強運と実力が、周りを黙らせるだけのものと言うことになる。その分持ち上げられもしたが、陰口も盛んに叩かれたのを知っていた。 「ヨシちゃんが女の子を拾ってきたみたいだけど……こっちも、随分と訳ありと言う事になるわね」 「見た目だけで言えば、十分に後宮に入る資格はありますね」  アズライトからの情報を見たアリアシアに、「見た目はね」とイヨも認めた。そして同じ情報を共有したシオリとシルフィールも、「綺麗な子ね」とエリシアの見た目を褒めたのである。 「ですが、お父様が付いていて、こんなことも起きるのですね?」  宇宙一の強運と言うのが、ヒトシを語る時には必ず持ち出される属性である。だが今度の出来事は、その強運を疑わせるものになっていた。ヒトシの強運を知るシルフィールだからこそ、信じられないと感じるのも不思議なことではない。 「父さんだって万能じゃないわよ。でも、大事にならなかった分、運があったんじゃないの? それにこの子が死ななくてすんだのも、父さんに関わったからだと思うわよ」  最悪の状況の中でも、まともな道が開けてくれる。それもある意味強運には違いないのだろう。 「今日の夜に、ヨシちゃん達はヨコハマに着くわね。私達は……」  そこで少し考えたイヨは、「まあいいか」と予定通りもう一泊していくことにした。 「良いのですか?」  それを心配したアリアシアに、「気にする必要はないわよ」とイヨは笑った。 「夫婦の時間をたっぷりあげれば、母さんもすぐに回復するわよ。ヨシちゃんは知らないけど、結構こう言うことってあったのよ。母さんはね、あれで人の醜い心に弱いところがあるの。父さんがメロメロなのは、そう言う可愛い所を知ってるからじゃないのかな」  それにと、イヨはヨシヒコの存在を上げた。 「ヨシちゃんがついているんだから、心配することなんて無いわよ。だから私達は、予定通り明日の朝ここを出ればいいわ」  「今日も飲むわよ」と全員を見たイヨに、「思うのですが」とアリアシアは声を出した。 「ヨシヒコ様のためには、イヨ様が近くにおられた方が良いのではと思えてきました」  そうですよねと、同意を求めるようにアリアシアはシオリとシルフィールの顔を見た。 「そうかなぁ。私は、一緒に居ない方が良いと思うんだけど。多分だけど、ヨシちゃんは甘えられる人を近くに置いては駄目だと思うのよ。帝国皇帝って、そう言う存在じゃないの?」 「これまでの、と言う意味であれば仰るとおりですね」  敵わないなと、ため息を一つ吐いてアリアシアはイヨの顔を見た。 「私達は、まだまだと言うことなのですね」 「そんなもの、私は小さな頃からヨシちゃんを見ているから当たり前でしょう。あの子のおむつを替えてあげたことも有るのよ」  こんな感じと言って、イヨは赤ん坊の頃のヨシヒコの写真を持ち出した。 「これが、ヨシヒコ様なのですか」  思わず可愛いと漏らしたアリアシアに、本当にとシオリもため息を漏らした。 「この頃だと、本当に女の子にしか見えませんね」  ううむと唸ったシルフィールは、画像データーを分析に回した。 「やっぱり、女の子の特徴の方が多くなっていますね。ヨシヒコ様って、どこかで性転換していませんか?」 「そんな話を教えられたことはないんだけどなぁ」  やっぱり知らないと答えたイヨは、小学校、中学校、高校と立て続けにヨシヒコの写真を取り出した。そのいずれも、なぜか女装をさせられたものだった。 「みなさん、よく分かっていたと言うことですね」 「でも、やっぱり可愛いと思いません?」  そう言って喜ぶシオリに、同感とアリアシアとシルフィールは声を揃えた。 「イヨ様、他にもヨシヒコ様の写真は無いのですか?」 「無いのかって……ありすぎて困るぐらいよ」  伊達にブラコンと言われたわけではない。任せなさいと言って、イヨは巨大なデーターを引っ張り出したのである。そこには静止画だけでなく、大量の動画があったのは言うまでもない。  ヨシヒコ達が総領主府に着いたのは、午後6時を回った時のことだった。モナコから総領主府までおよそ2時間の行程と、そこに時差7時間が加わった結果である。あまりにも移動時間が短かったため、一行はサンドイッチ程度の軽食しか食べていなかった。 「お早いお帰りですな」  総領主府屋上にあるキャリアポートで出迎えたジェノダイトは、事情は承知していると後ろで縮こまっているエリシアを見た。 「とにかく、ここで立ち話をするものではないでしょう」  そう言って、ジェノダイトは彼の部屋へのエレベーターを呼び出した。 「ひとまず、私の部屋で落ち着いてください」  次の皇帝の生母ともなれば、ジェノダイトよりも立場は高いものとなる。まだチエコ達の感情が着いてきていないのは分かっていたが、ジェノダイトは敢えて目下の態度を取った。その辺り、モナコでの出来事の反省が含まれていた。  エレベーターに乗り込めば、総領主室まで1分と掛からない。総領主府に降り立った5分後にソファーに腰を下ろした一行に、お疲れでしょうとジェノダイトはお茶を振る舞った。当然だが、ジェノダイト自らではなく、娘となるアセイリアがホステスとなった。 「お義母様……失礼しました、チエコ様は緑茶がよろしいですか?」 「そうですね、熱い緑茶をお願いします」  またまた迫力を喪失したチエコに、相当堪えたのだとアセイリアは同情した。そして同時に、弱いところもあるのだと感心していた。 「ヒトシ様もお茶でよろしいですか?」 「……お願いします」  自分に緊張したヒトシに、アセイリアは小さく微笑んだ。そしてヨシヒコとアズライトには、何も聞かずにカプチーノとホットアップルティーを置いていった。 「エリシアさんでしたね、何をお飲みになられますか?」 「わぁ、私は……」  声が裏返ったのは、彼女が緊張の極地にあったからに他ならない。何しろ周りを見れば、次の皇帝にその妻となる現皇女、テラノ総領主である一等侯爵に、その息子の妻となる女性なのである。そしてその女性は、地球では誰もが知っているほどの有名人だったのだ。そんな所に来れば、二等男爵家などゴミのようなものでしか無かった。 「できれば、ダージリンティーをいただければと」  しかも自分に給仕してくれるのは、遥か格上のアセイリアなのだ。緊張するなと言うのは、土台無理な相談だった。 「難しいとは思いますが、緊張する必要はありませんからね」  そう言って微笑んだアセリアは、彼女の前に香り高いダージリンティーを置いた。そしてジェノダイトにはコーヒーを、自分にはカプチーノを淹れて端っこに座った。 「イヨ様は、予定通り明日戻られるそうです」 「まあ、姉さんらしいと言えば姉さんらしいな」  そこで父親の顔を見たのは、母親にとって誰が一番なのかを理解しているからに他ならない。さっさと夕食を済ませ、二人きりにすれば応急措置は終わってしまう。そうすれば、明日の朝には少しましになった母親が顔を出すはずだ。 「それで、クロコップ家はどうするのだ?」  チエコが落ち込む原因を持ち出したジェノダイトに、ヨシヒコは「どうもしない」と答えた。 「そもそも、皇帝が気にするような相手ではない。落ちぶれようが首を釣ろうが、誰かに刺されようが俺の知ったことではないだろう。憂さ晴らしにもならない奴を気にしてもしょうがないしな」 「確かに、たかが二等男爵など気にする必要もありませんな」  分かりましたと頷いたジェノダイトは、端っこで縮こまっているエリシアを見た。 「彼女は後宮に入れられるのですか?」 「一応そのつもりはないと言ってやる。俺としては、ジェノダイト様に身柄を預かって貰いたいのだがな。近々引退してアシアナ領にこもることになるのだろうから、一緒に連れて行ってはどうだろうと思っている。確かジェノダイト様は、なぜか独り身でしたよね」  理由を知っているくせにと、ジェノダイトは少しだけ目元を引きつらせた。ただ動揺しては駄目だと、彼女に可哀想でしょうと言ってエリシアの顔を見た。 「私など、彼女にしてみれば父親のような年齢です」 「ときどき、そう言った夫婦を見かけるがな。だから年齢差など、愛があれば問題にはならないだろう」  その愛がなければ、年齢差は大きな問題となって立ちふさがることになる。しかもジェノダイトの場合、皇帝夫婦の横槍、もしくは干渉を受けることになりかねなかったのだ。あの夫婦の質の悪さを考えると、邪魔ではなく遊ばれると言うのがジェノダイトの考えだった。絶対にネタを提供するものか、その時が間近に迫ったこともあり、ジェノダイトは身辺に気をつけていた。 「それは冗談として、アシアナ領で預かって貰いたいと言うのは本当だ」 「女性の一人ぐらい、別に構わないと思っておりますが……バートラッシュがわざと勘違いするのが面倒なだけです」  絶対に悪乗りをして勘違いをしてくれる。アセイリアを連れて行ったときを思い出し、ジェノダイトは少しだけ顔を歪めた。 「ところで、私も同行しないといけませんか?」 「アンハイドライト様はまだしも、アセイリアをこの時期リルケに連れて行く訳にはいかないでしょう。それにジェノダイト様なら、皇帝聖下と皇后殿下のおみやげになります」  やはり自分は人身御供になるのか。分かっていても、ついため息が出てしまう。 「ところで、父さんと母さんを家に帰しても大丈夫そうか?」  それを尋ねる相手は、ジェノダイトではなくアセイリアと言うことになる。そうですねと頷いたアセイリアは、セラを使って報告書を確認した。 「ウルフとカヌカが言うには、随分と落ち着いたようですね。ですから、お帰りいただいても大丈夫だと思います。ただ街を歩かれる時には、護衛が着くのを我慢していただくことになります」 「それでも、今日は家に帰らせた方が良さそうだな」  ここの所ずっと、家に帰っていなかったのだ。気持ちを落ち着けさせる意味でも、両親を一度家に帰らせなければとヨシヒコは考えていた。 「アセイリア、手配をして貰えるか?」 「夕食をご一緒されるのではないのですか? コンチネンタルのレストランなら確保してありますが」  これから夕食を考えるのも、時間を考えれば大変だろうと言うのだ。それがアセイリアの気づかいなのだが、まだ自分の母親のことを理解していないとも言えた。 「いや、食材さえあれば、家に帰った方が落ち着けるだろう」  それを母親の顔を見てヨシヒコは断言した。 「父さん、その方が良いだろう?」 「ああ、それが一番だと思うな」  父親の同意を得て、そう言うことだとヨシヒコはアセイリアを見た。 「でしたら、車の用意をさせます」  セラと、アセイリアは自分のアバターを呼び出し車の用意を申し付けた。当然ウルフ達にも、ヒトシとチエコのことは連絡をしてあった。 「では、私はお二人を案内してきますね」  「ごゆっくり」とエリシアの顔を見てから、アセイリアはゆっくりと立ち上がった。そしてこちらにと言って、車止めフロア直通のエレベーターを呼び出した。  チエコ達を見送った所で、「どうされますか」とジェノダイトはエリシアの顔を見た。 「アセイリアが言ったとおり、レストランの予約は入れてあります。ただ彼女について言えば、宿泊の手当がしてありません。ヨシヒコ様に確認してからと思っていたのですが、いかが致しましょうか?」  ヨシヒコ達は、領主府にいる時には上層階の貴賓室を使っていた。ジェノダイトの問いは、エリシアもそこに泊めるのかと言うものになる。  ヨシヒコは、少しも迷うことなく「ホテルだな」とエリシアの宿を指定した。 「それから彼女に、着替えを用意してやってくれ」 「でしたら、領主府の誰かに世話をさせますか」  男を世話人に選ぶと、間違いなく問題が起きてくれるだろう。それを考えたジェノダイトは、仕方がないと義娘をその任に当てることにした。エリシアに特殊な事情がなければ他の者でも良かったのだが、今は余計な噂が広がることを避けなければならなかった。 「では、アセイリアに案内させましょう」 「逆に、目立つことにならないか?」  逆効果ではと気にしたヨシヒコに、「慣れていますよ」とジェノダイトは笑った。ちょうどそのタイミングで帰ってきたアセイリアに、ジェノダイトは「彼女の面倒を見てくれ」と命じた。  いきなりそれですかとため息を返したアセイリアは、エリシアを見て仕方がないともう一度ため息を吐いた。 「彼女の場合、思いっきり訳ありですからね。確かに、私が面倒を見た方が良さそうですね」  落ち着かないなと零しながら、「エリシアさん」とアセイリアは声を掛けた。  地球に生きる女性にとって、アセイリアと言うのはまさに憧れの存在だった。そのアセイリアが、わざわざ自分の面倒を見てくれると言うのだ。慌てて立ち上がったエリシアは、緊張を隠さず「お願いします」と頭を下げた。それを可愛いなと優しい眼差しで見たアセイリアは、「お預かりしますね」とヨシヒコに言った。 「ああ、面倒をかけるな」 「ヨシヒコ様に気に入っていただけるよう、しっかりと磨き上げておきますね」  おかしそうに口元に手を当て、「それでは」と頭を下げてアセイリアは部屋を出ていった。それを見送った所で、なんだかなぁとヨシヒコは天井を見上げた。 「最近、みんなにおもちゃにされている気がしてきたぞ」 「多分それは、正しい感覚だと思われますな」  にこりともせずに言われると、ジェノダイトにも遊ばれている気がして仕方がない。こう言う時なら構わないかと、ヨシヒコは開き直ることにしたのだった。 Chapter 2  マリアナに求婚した午後、タルキシスは手続きと手配に時間を費やした。厄介者の兄達は、「星系外退去」と言う名分で、出発直前に釈放されることで整合も終わっている。残る大物は、買い取った屋敷の整備になっていた。  メリディアニ家として買い取りはしたが、マリアナが使用することを想定して屋敷の整備を行った。ただマリアナにしても、そのままバルゴールまで連れて帰るつもりなので、ほとんど意味のない買い物には違いないだろう。それを意味のあるものとするため、メリディアニ家のテラノにおける活動拠点とすることを考えた。総領主府に近いことも、拠点とするには都合が良かったのだ。  手早く終わらせるために、残されていた調度品には手を付けないことにした。必要となる寝具関係にしても、使用予定が立っていないため今回は手を付けていない。使用人の雇用にしても、セラムの父トウイチロウを雇っただけである。トウイチロウを雇ったのは、セラムのためでもあるが、後の管理の一切を任せることも目的となっていた。使用頻度を考えれば、随分と贅沢な金の使い方であるのは間違いないだろう。  屋敷というより少し贅沢な宿泊所のつもりで整備をしたタルキシスに、「宜しいのでしょうか」とセラムは尋ねた。明後日にはバルゴールに向けて出発するし、タルキシス達はホテルに泊まっていたのだ。それを考えると、この屋敷を使うのは食事と休憩する時だけとなる。思い出の場所が他人に渡らずにすむのはありがたいが、そのために掛かったお金を考えれば気後れしてしまうのだ。 「まあ、うちの奴らに使わせることも考えているからな。屋敷を、テラノに作ったと思えば安いものだ。ここならば、総領主様の所にも近くて便利が良い」 「メリディアニ家の方々のですか……」  それにした所で、使用頻度は極端に低くなるだろう。それをぽんと買ってしまう所に、一等侯爵家と一等男爵家の懐具合の違いを教えられた気持ちになっていた。 「しかしこんなに働いたのは、久しぶり……と言うより、初めての経験かもしれないな」  勤労は気持ちいいと笑ったタルキシスに、「勤労ですか」とセラムは少し呆れた顔をした。片付けにしても、ほとんど父のトウイチロウと彼女が働いたのだ。初めは手伝おうとしたタルキシスだったが、邪魔にしかならないと隅っこに追いやられていたのが現実である。「これが勤労ですか」と言うのが、セラムの正直な気持ちなのだ。ちなみにタルキシスの評価は、「普通にいい人」から「そこそこ格好いい人」に上昇していた。  勤労をするタルキシスは、白い長袖のワイシャツを腕まくりをし下はグレーのスラックスを穿いていた。もともと造形の良い方だったのだが、今はセラムの目から見て「素敵」と思える空気を作り出せるようになっていた。ただ本人談では、弛んだ体は隠しようもないらしい。  タオルで汗を拭ったタルキシスは、甲斐甲斐しく働いているセラムを見つめていた。まだ目からは、諦めの色は消えていないのだろう。だが初めて会った時に比べ、よほど気をつけていないと分からない程度に収まっていた。そして諦めの代わりに浮かんだ楽しそうな光は、彼女をとても魅力的に見せていると思ったほどである。こんな彼女をメリディアニ家の後見付きで第9大学に入れようものなら、男どもが群れてくるのではないかと不安になってきた。 「たまに、殺虫剤を巻きに行くか」  小さくタルキシスがつぶやいた時、「虫が居ましたか?」とセラムが近づいてきた。 「これから暑くなると、どうしても虫が入ってきてしまうんです」  手に箒とちりとりを持ったセラムは、「どこですか」と床の上を舐めるように見渡した。その様子がおかしくて、ついタルキシスは口元を押さえて吹き出してしまった。 「どうかなさったんですか?」  キョトンとした目をしたセラムに、「いやなに」とタルキシスは言い訳を口にした。 「殺虫剤と言うのは全く別の話だ。ただ、今のセラムの仕草が面白かったなと」  悪かったなと言ってもう一度吹き出したタルキシスに、「もう」とセラムは唇を尖らせた。その顔が、また可愛らしいなとタルキシスは感心をしていた。 「面白いは無いと思います」 「じゃあ、可愛かったと言えば良いのか?」  その途端、セラムの顔は真っ赤に染まった。 「か、からかわないでください。忙しいんですからね」  あたふたと自分の前から逃げていくのを見て、タルキシスは心から「手を出さなくて良かった」と考えた。もしもあの時手を出していたなら、絶対にこんなセラムを見ることはないと思えたのだ。  そしてぐるりと屋敷の中を見渡し、こんなのも良いなと本気で思っていた。一等侯爵家の屋敷としては小さすぎるし、働いている者も少なすぎるのは確かだろう。だがここには、バルゴールにあるメリディアニ家には無い活気と温かみがあった。当主に対してはっきりものを言うような側仕えは、バルゴールには居なかった。 「だからっ、俺を口説いているくせに、セラムまで手を出そうとするなと言っただろう」  入り口の方から聞こえてきた声に、「帰ってきたか」とタルキシスは振り返った。 「しかしなんだ、相変わらず逞しい奴だな」  士官学校へ退学の手続きに行った帰りと言うことも有り、マリアナは制服ではなくスーツ姿になっていた。しかも下はスラックスなので、本当に男と間違えるほどだった。改めて、自分より逞しいなと惚れ直したほどである。 「それで、退学の手続きは終わったのか。お前なら、引き止められたんじゃないのか?」 「まあ、慌てる必要はないとは言われたな。どうやら、マグダネル大将から話が行っていたようだ。アズライト様付きなら、学生の資格を返上する必要はないそうだ」  マリアナの説明に、なるほどとタルキシスは大きく頷いた。 「つまり、俺に嫁になる準備を進めてくれたと言うことか」 「俺は、断ると言ってやったはずだが?」  すかさず言い返したマリアナは、「けじめだ」とタルキシスより先に言葉を紡いた。 「もはや、地球の陸軍に奉職する理由はなくなってしまったのだ。ならば、いつまでも士官学校に居ても仕方があるまい。せっかくバルゴールに行くのなら、そこで別の勉強をしようと思っている。ただ問題は、体を動かすのは得意だが、頭を使う方は苦手と言うことだ」  そんなものだと胸を張ったマリアナに、「威張ることじゃないだろう」とタルキシスは言い返した。 「まあ、お前には勉強することが山ほどあるのは認めてやろう。第一にしなくては行けないのは、軌道城城主達に認められることだな。何しろ、お前は俺の嫁になるのだからな」 「くどいな。俺は断ると言ったはずだ」  同じ答えを繰り返したマリアナに、「すぐに惚れさせてやる」とタルキシスは言い返した。 「面白い事を言うな」 「もう惚れてくれたのか」  ふふふと口元を歪めて睨み合った二人に、「いちゃつくなら場所を変えてください」とセラムが割り込んできた。 「これから掃除ロボットを走らせますから、そこでいちゃつかれると邪魔なんです」 「だそうだ、ベッドルームで愛を語らうことにするか」  そう言って肩を抱こうとしたタルキシスに、マリアナは拳を脇腹にごちそうした。よほど堪えたのか、タルキシスの顔がみるみるうちに青くなってきた。 「お前、少しは手加減をしろよ」 「これが、手加減をした結果なのだが」  そんなものだと笑って、マリアナは着替えのために階段を上がっていった。 「タルキシス様も場所を変えてくださいね。冗談ではなく、そこにいられると本当に邪魔なんです」  本当に忙しいんですよと文句を言うセラムに、印象が変わり過ぎだとタルキシスは心の中で感心したのである。それだけ次の皇帝聖下との問題は、彼女の心を責め苛んだのだろうと。絶対にセラムを後宮に入れてやる。忙しく働くセラムに、「任せておけ」とタルキシスは心の中で呼びかけたのだった。  もともと直前まで使われていた屋敷だから、そのまま使うのであればさほど作業は残っていない。むしろ登記と言った事務手続きの方が多いぐらいだった。だからタルキシスは、セラムの父トウイチロウにテラノにおける面倒な手続きを一任した。  タルキシスは書斎にした部屋で、トウイチロウの報告を聞いていた。 「所有権関係の移転登記は完了しました。どうやら、役所が気を利かせてくれたようです」  伊達眼鏡を掛けたトウイチロウは、ぱっと見では爵位を持っているかのような紳士だった。さすがはセラムの父親と言うだけの事はあり、見た目にしてもとても洗練されていた。 「ああ、ご苦労。ところで、俺たちが居ない間の屋敷の管理だが……必要な手配はすべて任せるがいいか?」 「畏まりました」  そう言って頭を下げたトウイチロウに、タルキシスは小さく頷いた。 「手間をかけるな。セラムには、可能な限り里帰りができるよう取り計らうつもりだ」 「もったいないお言葉です」  もう一度頭を下げたトウイチロウは、「感謝をしているのです」とタルキシスを見た。 「昨年より、ずっと娘の顔は曇ったままでした。そしてつい最近は、本当にどうしていいのか分からなくなってしまっていました。忙しさにかまけて、娘の話を聞いてやれなかったと悔やんでもいました。ですが、私達には娘を助けることはできませんでした。タルキシス様のお陰で、ようやく娘が笑顔を取り戻してくれたと思っています」  だから感謝するのだと、トウイチロウは今まで以上に深々と頭を下げた。 「俺がしたのは、とても感謝されるようなことじゃなかったのだがな。ただトウイチロウ、俺もまたセラムには感謝しているのだぞ。もしもあいつに出会わなければ、俺は未だつまらない男で居たはずだ。メリディアニ家から放逐され、どこかで野垂れ死ぬことになったかもしれないぐらいだ。まだ偉そうなことが言える実績はないが、それでもこの出会いに俺は感謝しているのだ」 「もったいないお言葉です」  恐縮したトウイチロウに、それが事実だとタルキシスは笑った。 「何しろ俺は、放蕩息子と蔑まれていたのだからな。マイナス評価からのスタートだ、ちょっとやそっとじゃ取り返せないだろうよ。それでも、焦らず気長にやっていこうと思っている」 「タルキシス様なら、さほど時間は掛からないかと思っております」  トウイチロウの答えに、「持ち上げるな」とタルキシスは笑った。 「まだ仕事が残っているのだろう。邪魔をして悪かったな、仕事を続けてくれ」 「それでは、力仕事に移ることに致します」  一礼をして去っていったトウイチロウを見送り、「さて」と言ってタルキシスは勉強に入ることにした。これまでさぼっていた付けで、学ばなければいけないことが本当に山のようにあったのだ。 「偉そうなことを言っては見たが……弱音を吐きたくなる分量だぞ、これは」  祖父からは、クランカンと協力しろとは言われていた。だが相手は、仮にも帝国第12大学で学んだ相手なのだ。実家でブラブラとしていた自分とでは、そもそもの土台から違っている。いきなり指導することなどあり得ないのは分かっているが、恥をかかない程度には知識を得なければいけないだろう。ただ、「恥をかかない」レベルが、すでに高すぎるハードルだと思い知らされたのが現状だった。 「それだけ、何もしてこなかったつけ……と言うことだな。リーリスの婿に、あとを継がせたいと考えても不思議ではないぞ、これは」  泣き言を言いながらも、タルキシスは必要な知識を読み進めていった。高度な応用にまでは手が届かないが、簡単な解説ぐらいならついていくことができていた。それにしても、積み上げられたカリキュラムは少しも減っていない。それでもタルキシスは、汗を書きながら資料を読み続けた。  タルキシスが時間の経過を忘れた頃、そして読んでいた資料がただの記号になった時、書斎のドアが控えめにノックされた。そしてノックに遅れて、「タルキシス様」と言うセラムの声が聞こえてきた。ノックには気づかなかったタルキシスだが、セラムの声で現実へと復帰した。  「入れ」と言う命令に遅れて、セラムがドアを開けて書斎に入ってきた。掃除をしている時には、運動着のようなものを着ていたが、今は水色をしたメイド服に着替えていた。なかなか可愛いなと目尻を下げた所で、「昼食のご用意ができました」とセラムが頭を下げた。 「すでにお祖父様もお待ちです」 「爺さんも、すっかりお前のことが気に入ったようだな」  良いことだと笑って、タルキシスはデスクから立ち上がった。 「脳が疲れたから、セラムの作ってくれた飯でリフレッシュするか」 「お勉強は大変なのですね」  自分に続いたセラムに、「サボっていたつけだ」とタルキシスは自嘲した。 「まあ、これも悪くないとは思えているがな。たしかに俺は、マリアナが言うとおりつまらないことしかしていなかったようだ。  大股で歩くタルキシスの後を、セラムは少し早足で追いかけていった。そして階段を降りた所で、昼食の配膳の為に台所へと入っていった。 「今日は、パスタ料理に致しました」  そう言って、セラムはサラダと鎌倉野菜のペペロンチーノ、そして簡単な肉料理を3人の前に並べた。まだ昼だと考えれば、適当な量の食事といえるだろう。もちろんマリアナの分が、3人前に見えるのもいつも通りである。 「お飲み物はどうなさいますか?」  トウイチロウが戻ってきたので、アルコールの買い出しもできるようになっていた。そこでダイオネアを見たタルキシスは、「水だな」とミネラルウォーターを指示した。 「午後には、次の皇帝聖下にお会いすることになっている。酔いはしなくとも、アルコールの匂いをさせていくのは不遜に当たるだろうしな」  それでいいなと聞かれ、ダイオネアは「うむ」と頷いた。それを確認したセラムは、ぱたぱたと台所へと戻っていった。そしてすぐに、水差しを持って戻ってきた。 「それで、俺達のことはどこまで伝わっているんだ?」  次期皇帝にお目通りをする以上、予習をしていく必要がある。その必要性を認めたダイオネアは、孫の問にジェノダイトと話したことを説明した。 「お前がマリアナ嬢に求婚したことはご存知だろう。加えて言うのなら、お前がセラムにしたこともご存知のはずだ。それを考えたら、覚悟は必要なのだろうな。まあ骨は拾ってやるから、心残りは無いようにしておけ」  そんなことが無いのは知りながら、ダイオネアは孫を脅す言葉を口にした。 「なるほど、俺は誤解されようもないことをしているからな。ただラルクで消し炭にされるのなら、セラムに希望が残ることになるだろうよ。それはそれで、俺の責任のとり方には違いないだろう」  大したことがないように言うタルキシスに、水差しを抱えたセラムが声を上げた。 「私には、タルキシス様にとっていただくような責任は無いと思っています」 「どうせ報告書は出ているのだろう。ならば、そうなる可能性が高いと言うことだ」  気にするなと言いながら、タルキシスはペペロンチーノを口に運んだ。 「しかし、お前は料理のレパートリーが広いのだな」 「その、一時期お勉強をしましたので……」  そこで顔を赤くしたのは、その勉強をした理由に意味があるのだろう。それを思うと、セラムは運が悪かったとしかタルキシスには思えなかった。もしも相手がアズライトでなければ、こんな少女が捨てられるはずがないと思えたのだ。 「それで、行くのは俺たち二人か?」 「クランカンは、世話役の女性と共に呼ばれているそうだ」  祖父の答えに、「おいおい」とタルキシスは呆れたような声を上げた。 「あいつは、テラノに女を探しに来た訳ではないのだろう。しかし、それならマリアナを連れて行っても良いはずだな」 「どうして俺までいかなくちゃいけないんだっ!」  巻き込むなと声を上げたマリアナに、「必要だからだ」とタルキシスは言い返した。 「それにクランカンが女連れでお目通りを願うのだ。ならば俺も、見栄をはらんとまずいだろう」 「お前の見栄に突き合わせるなと言っているのだ!」  もう一度巻き込むなと声を上げたマリアナに、「往生際の悪い奴」タルキシスは笑った。 「俺がお前に求婚をしたと言う噂と、今のこの状況を見たら周りはどう受け取ると思うのだ? しかもお前は、バルゴールに行くことは認めただろう」  だから連れて行くと繰り返したタルキシスは、デザートの乗ったワゴンを押して現れたセラムを見た。 「私が、何か?」  首を傾げながら、セラムはガラスの器に入ったデザートを並べていった。筒状のガラス容器に、3層に別れたゼリーのようなものが入っていた。一番下の層は濃い黄色をしていて、その上の層は白い色をしていた。そして最上層には黄色のフルーツを透明なゼリーが包み込んでいた。 「フレッシュマンゴーのヴェリーヌです。すぐにお茶をお持ち致します」  標準サイズのティーカップを並べ、そこに薄紅色をしたお茶を注いでいった。ぶどうの発泡酒のような香りが、ふわりと鼻孔をくすぐってくれた。 「さすがはセラムだ、デザートもお茶もうまいな」  自分を褒めたタルキシスに、セラムはお約束になった答えを口にした。 「デザートは、近くて買ってきたものですけどね」 「相変わらずお前と言う奴は……」  まあいいと拘るのをやめたタルキシスは、「どう思う?」と祖父に意見を求めた。 「人数の制限は聞かされておらぬからな。その意味で、連れて行って問題となることはないだろう」  うむと唸ったダイオネアは、「面白い」と不穏なことを口にしてくれた。 「クランカンに嫁を紹介してくれたのだ。ならば、お礼に後宮にはいるおなごを紹介してもいいだろう」 「ならば、話は決まりだな。それからマリアナ、セラムのためにも、お前は一緒に来ないといけないんだ」 「セラム、なぜ私まで巻き込まれなければいけないのだ」  勘弁してくれと零すマリアナに、「ご支援いただけるのですよね」とセラムは昨日の話を蒸し返した。それを指摘されると弱いマリアナは、仕方がないと同行することを認めた。 「だが勘違いをするなよ。ヨシヒコ様の前で、はっきりとお前に引導を渡してやるからな」 「せいぜい、セラムの足を引っ張らないことだ」  よしよしと頷いたタルキシスは、何時だと時間を確認した。 「猶予時間は2時間と言うことか。マリアナ、セラム、次の皇帝聖下の前に出ても恥ずかしくない格好をしろ」 「俺は、士官学校を退学してきたのだぞっ。そんな格好があるはずがないだろう!」  退学前なら、士官学校の制服と言う方法があったのだ。だが退学後に、士官学校の制服を着る訳にはいかない。これまで必要が無かったことも有り、マリアナは改まった場で着る服を持っていなかった。そしてその事情は、セラムも同じである。そもそもただの使用人が、皇族の前で出ることはなかったのだ。 「なるほど、確かに今まで必要がなかったのだな。だったら、デートにでも行く格好をしてくれればいい」 「さすがにそれは失礼に当たるのではないか。それに俺は、一度ヨシヒコ様に不気味だと呆れられたことがあるぐらいだ。セラムはいざしらず、さすがに俺はまずいだろう」  だから困ると主張したマリアナに、一体どんな格好をしたのだとタルキシスは考えた。だがいくら考えても無駄だと、想像するのをやめることにした。 「お前だって、いつも制服を来て動いていた訳ではないのだろう。だったら、その中で嫌味にならない格好を選んでこい。お前達二人なら、お叱りを受けることもないだろうからな」  それでいいと答えたタルキシスは、「急げよ」と二人を脅かした。 「格好はともかく、汗臭くしていたら幻滅されるぞ」  特にセラムはと、タルキシスは効果的な脅しを口にした。今更指摘されるまでもなく、朝起きた時にシャワーを浴びたきりだった。それから仕事をしたことを考えれば、汗臭くなっていても不思議ではない。 「と言うことで、俺と爺さんはホテルに戻って着替えをしてくる。2時30分には迎えに来るからな」  予定を告げたタルキシスは、「急げよ」と楽しそうに繰り返したのである。  マリアナ達の迎えは、領主府の車を回せば済むことだった。ホテルで合流したタルキシスは、「中々似合っているぞ」とマリアナを褒めた。ちなみにマリアナは、ワイシャツに似た白のブラウスに、少し長めの黒のスカートを合わせていた。いつもは飛び跳ねている短めの髪も、今日はしっかりとセットしたようだ。 「こうして見ると、やはりお前は女だな」  うんうんと頷いたタルキシスに、「男に求婚などしないだろう」とマリアナは言い返した。ただ言い返しながらも、首筋辺りは赤くなっていた。その意味では、タルキシスの指摘は間違っていない。ただマリアナを褒めたタルキシスだったが、隣りに座っていたセラムの格好にはコメントしなかった。  ちなみにセラムは、公式の場と言うことで港総合高校の制服、つまり白のセーラー服姿である。現役高校生なので、これが正装と言うのはおかしくない。ちなみにタルキシスと初めて会った時と、着ている服こそ違うが全く同じ格好である。タルキシスがコメントしなかったのも、このあたりが理由になっていたのかもしれない。  4人を乗せた大型のバンは、ゆっくりと通りを抜けて総領主府へと向かった。約束の時間が3時30分だから、20分前には指定の部屋に着くことが出来るだろう。  6月にもなると、日差しは一日ごとに強くなってくる。公園沿いの道を走ると、両側に並んだ街路樹のイチョウの緑が濃くなっていた。その街路樹越しに公園を見ると、大勢の人たちが楽しそうに歩いているのが見える。陽の光が海にきらめき、昔は工場地帯だった公園には大きな風車が回っていた。夏の始まりを示すように、大きな白い入道雲が遠くに見えていた。 「バルゴールでも似たような景色があるはずなのだが……こっちの方が明るく見えるな」  なあと話を振られたダイオネアは、うむと少し緊張気味に頷いた。お気楽に見えるタルキシスとは違い、やはり緊張を隠すことが出来ないようだ。 「だが、解析画像データーでは、大した差が無いと出ている。だがなぁ、気分だけで片付けられるような違いじゃないと思うのだがな」  まあ良いかと話をやめたのは、車がぐるりと大きくロータリーを回ったからである。ここからスロープを超えれば、そこが総領主府に作られた車止めになる。そこで車から降りた4人は、金色の髪を軽く縦ロールにした、とても美しい女性の出迎えを受けた。その美貌に、緊張してたダイオネアですら思わず感嘆の息をもらしたぐらいだ。 「ダイオネア様、タルキシス様。これより控室にご案内いたします」  優雅に頭を下げた女性は、こちらにと4人をエレベーターシリンダーに案内した。扉が閉まった所で、「クランカン様はすでにお見えです」と状況を説明した。 「そうか、クランカンは来ておるのか。それで、なんと言ったか。世話役の女性も同行しておるのか?」 「フレイア様ですね。もちろん、ご一緒におられます」  柔らかく微笑む所を見せられると、上には上がいるものだと思わない訳にはいかない。セラムも綺麗だと思っていたのだが、目の前の女性はセラムに勝るとも劣らない美しさを見せていた。  直通エレベーターなのだから、開けば目の前に有るのが控室になる。目の前の扉が開いた所で、ダイオネアは一組の男女が頭を下げているのを見つけた。 「大義だったなクランカンよ」  クランカンを労ったダイオネアは、案内の女性に誘われてソファーの上座に座った。そして奥側の席に、タルキシス、マリアナ、セラムの順に腰を下ろした。それを確認した所で、クランカンはタルキシスの前に座り、フレイアはマリアナの正面に腰を下ろした。それを確認した所で、案内してきた女性は用意されていたワゴンからお茶を6人に振る舞った。 「ご紹介が遅くなりました。私は、エリシアと申します。御用がございましたら、遠慮なくお申し付けください」  優雅に頭を下げたエリシアは、ワゴンを押して附室へと入っていった。そこから出てこないところを見ると、声を掛けない限りこちらには来ないと言うことだろう。そのせいなのか、6人の間を奇妙な沈黙が包み込んだ。その空気を壊すように、意を決したタルキシスが「クランカン」と目の前に座る一等伯爵に声を掛けた。 「なんでございましょうかタルキシス様」  丁寧な言葉遣いでは有るが、同時に緊張感が現れたものだった。そしてタルキシスを見る目は、何かを探るようなものになっていた。主家ではあるが、タルキシスがここにいるのに納得がいっていないのだろう。  その気持は分かると、タルキシスは「悪かったな」といきなり謝罪の言葉を口にした。 「悪かったとは、どう言うことでしょうか」  少し面食らったクランカンに、正直な気持ちだとタルキシスは笑った。 「親父の気が利かなかったために、お前に恥をかかせてしまったことだ。親父も親父だ、自分の名代で送り出すなら、せめて足代や宿代ぐらい出してやれば良いのだ。聞く所によると、テラノまでは二等船室での旅だったらしいな。どう考えても、一等伯爵にさせることじゃないだろう。まあ帰りは、俺たちと一緒にディオスクリアスに乗って帰ればいいだろう。もっとも、俺達と同じじゃ居心地が悪いと言うのなら考慮もするがな」  予想もしない話に、クランカンは困惑に襲われていた。そのせいで答えを口に出来なかったのだが、それをタルキシスは正しく勘違いをしてくれた。 「なるほど、ならば帰りの船賃を工面してやらないといけないな。お前も嫁を連れて帰るのなら、流石に二等船室はまずかろう」 「い、いえ、フレイアさんとはそのような関係ではないのですが」  ますます困惑を深めたクランカンに、それは駄目だろうとタルキシスは天を仰いだ。 「軌道城城主は、一人の例外なく嫁取りに苦労をしているのだぞ。だからお前も、積極的にならんといけないはずだ。まあその点では俺も、偉そうに人のことは言える立場じゃないんだがな。紹介しておこう、俺の嫁になる予定のマリアナ嬢だ」  既成事実を作るかのように、タルキシスは「嫁」とマリアナのことを吹聴した。 「何度断ってやれば諦めてくれるんだっ」  まったくとため息を吐いたマリアナに、クランカンは訳が分からない顔をした。この場にいるからには、何らかの関係者でなければおかしいのだ。配偶者になると言うのであれば納得も行くが、そうでないなら眼の前の女性のいる理由がない。 「なんだ、訳が分からないと言う顔をしているな」  そう言って笑ったタルキシスに、「その方が正常だ」とマリアナが噛み付いた。そんなやり取りを始めた二人にため息を吐き、ダイオネアは「クランカンよ」と困惑している軌道城城主に声を掛けた。 「わしは、心を入れ替えなければ、孫二人を家から放り出すつもりでテラノに連れてきた。そしてキャリバーンは、いきなり騒ぎを起こしてこの星で拘束されておる。その一方でタルキシスは、そこにいるセラムに路上でいかがわしい真似をしてくれた。それだけならキャリバーン共々に家から放り出していたのだが……かなりおかしなことになってしまってな。今しばしこ奴に猶予を与えることとした。お前達には気に入らないことかも知れないが、意外にわしはこの決定を気に入っておるのだよ」  どうだと問われたクランカンは、「いえ」と少し言葉を濁した。 「気に入らないと言うことはありませんが。まだ事情が掴めていないといいますか。少し面食らっているのが事実かと。さすがに、予想もしていない事態ですので……」  頭を下げたクランカンに、「よい」とダイオネアは許しを与えた。 「お前が面食らう気持ちも分かるつもりだ。何しろわしも、初めは面食らったのだからな。だがこのタルキシスが、面白みのないバルゴールを面白いものに変えると言い出したのだ。それを聞いたから、猶予を与えても良いかと思うようになった。こ奴なら、お前達との関係を変えられるかも知れぬと期待した所もある」 「私達……軌道城城主との関係をですか」  慎重に言葉を選んだクランカンに、「お前達だ」とダイオネアは認めた。 「それがどう言う物になるのか、わしにはさっぱり想像がつかん。だから今は、そうだろうとしか言いようがないのだ。そこから先は、お前達が切り開いてくれればいい」 「まあ、頭の固い年寄りには無理な話だな」  そうやって戻ってきたタルキシスは、「金を回すぞ」といきなり言い切った。 「総領主殿も巻き込む必要があるが、バルゴール全体のリストラが必要だ。計画経済のせいで、活気が無いのが今のバルゴールの問題だと思ってる。だからどうすれば、バルゴールを活性化出来るか考えるんだよ。とにかく人の気持ちを変えないと、鬱々としけた星のままだからな。その辺り、軌道城城主が最たるものだろう。だから軌道城城主を含め、バルゴールの気分って奴を変えてやろうと思っているんだ」 「気分を変える……のですか」  タルキシスの言葉に、クランカンはため息を一つ吐いてからフレイアの顔を見た。 「なんだ、なにか言いたいことがあるのか? 軌道城城主様の言いたいことなら、可能な限り聞いてやるぞ」  言ってみろと言われ、「いえ」とクランカンは口ごもってもう一度フレイアの顔を見た。そして意を決したように、「同じことを言われました」と白状した。 「軌道城がどんな所か彼女に教えたのです。そして、こんな所に望んでくるものではないと……」 「なんだ、お前は嫁を探していたんじゃないのか? せっかく嫁になってくれると言うのなら、騙してでも連れてきちまえばいいんだよ」  いかにも呆れたと言う顔をしたタルキシスは、「変えてしまえばいいんだよな」とクランカンではなくフレイアの顔を見た。その問いかけに我が意を得たりと、「仰る通りです」とフレイアは答えた。 「変えようと努力をしなければ、いつまで経っても変わることはありませんからね」 「まあ、努力をしても駄目と言うのは往々にしてあるのだろうがな」  同意をされると思っていたのに、タルキシスが口にしたのは後ろ向きの言葉だった。お陰でフレイアの目元が、少しばかり険しくなった。 「さりげなく、酷いことを仰りますね」 「なに、乗りが良いのでからかってみただけだ。そしてよくある、非情な現実ってのを持ち出してみたんだよ。さすがに、その程度で解決できるってのは甘すぎるだろう」  すまんなと、タルキシスは少しも気の篭っていない謝罪を口にした。 「別に、謝られるようなことじゃありませんけど。確かに、仰ることも理解できます」  いいですけどと答えてから、フレイアは時間を確認した。そしてすでに面会の時間が過ぎているのに気がついた。 「ところで、いったいいつまで待っていればいいんでしょうか?」 「そう言えば、すでに約束の時間は過ぎていたな」  今気づいたと、タルキシスは大声でエリシアを呼んだ。そして呼ばれたエリシアは、「区切りがつきましたか?」とまるで気を使っていたかのような言葉を口にしてくれた。 「区切りも何も、時間に遅れるのは失礼に当たらないのか?」  常識を持ち出したタルキシスに、エリシアは笑顔でそれを否定した。 「いえ、ヨシヒコ様からは、話が盛り上がっているようなら、それが終わってから連れこいと命令されましたので。ですから、区切りがついたのかと伺った次第です」  私は悪くないと主張したエリシアに、「緩いところだな」とタルキシスは自分を棚に上げた。 「ヨシヒコ様が仰るには、これもまた人間観察だそうです。好き勝手喋らせた方が、その人の地が出ることになるのだと」 「やれやれ、悪趣味な次期皇帝様だな」  ほうっとため息を吐いたタルキシスに、「その辺りは強く同意いたします」とエリシアは認めた。 「それでは、お部屋に案内させていただきます」  手元で何かを操作し、エリシアは「謁見の間」へのエレベーターを呼び出した。都合7人が乗り込むことになるので、先程よりは大きなシリンダーが目の前に現れた。それにぞろぞろと全員が乗り込んだ所で、静かにドアが閉まったのだがすぐに開いて全員の目の前に明るい世界が広がった。  開いたドアの向こうには、青く広がる海と空があった。それは初めて見る者には、間違いなく圧倒的な景色だっただろう。地球生まれのマリアナやセラムでも、今までに見たことのない景色だった。 「やはり、テラノは違うな」  似たような景色でも、バルゴールでは圧倒されるようなことはない。それが違いだと言われれば、素直に認めざるをえないと思わされてしまった。それが理由なのだろうか、出口が開いたにも関わらず、一行はそこから動けなくなっていた。  そんな金縛り状態になった一行を、こちらにどうぞと言うエリシアの声が解放した。その声で金縛りの解けた一行は、案内されるがままに長テーブルに着席した。真ん中をダイオネア、その両側にタルキシスとクランカン、そしてタルキシスの側にマリアナとセラムが並び、クランカンの隣にフレイアが座った。  そのまま全員が緊張に身を固くしていたら、「ジェノダイト様です」とエリシアが声を掛けた。ダイオネアを先頭に立ち上がった一行の前に、アンハイドライトとアセイリアを連れたジェノダイトが現れた。ジェノダイトとアンハイドライト、そしてアセイリアは総領主府の制服を身に着けていた。そしてジェノダイト達は、ダイオネアとは反対側の、真ん中から左側にずれて腰を下ろした。 「今日は、大人数ですな」 「せっかくだからと、関係者全員でお邪魔をさせて貰った」  テーブル越しに握手をした二人は、椅子に腰を下ろしてヨシヒコの登場を待った。そして二人が落ち着いてすぐに、「お見えになりました」と言うエリシアの声が聞こえてきた。それに合わせて、9人全員が立ち上がって頭を下げた。 「別に、そんなに畏まらなくてもいいぞ」  そう言いながら現れたのは、ポロシャツ姿のヨシヒコだった。そしてヨシヒコに並ぶように、皇妃となるアズライトがペアルックで着いてきていた。それから少し遅れて、後宮に入るアリアシア、シオリ、シルフィールの順に入ってきた。全員が全員ヨシヒコに合わせたのか、デザインは違うが全員がポロシャツ姿だった。  そしてヨシヒコとアズライトはダイオネアの前の位置に。アリアシア達は、ヨシヒコを挟んでジェノダイト達とは反対側に腰を下ろした。  全員が腰を下ろした所で、挨拶のためダイオネアが立ち上がった。 「本日は、私共のために貴重なお時間をいただき、恐悦至極にございます」  礼儀を示す一等侯爵に、大したことではないとヨシヒコは笑った。 「わざわざ、遠い距離を超えてテラノまで来たお前達に応えただけだ」  気にするなと告げたヨシヒコは、前に並んだ6人をゆっくりと見ていった。そしてマリアナに目を留め、「居場所を見つけたか?」と声を掛けた。 「いえ、しつこい男を納得させるための苦肉の措置です」  なるほどと頷いたヨシヒコは、「失望させるなよ」と今度はタルキシスに声を掛けた。 「諦めの悪い女を、必ず諦め……違いますな。その気にさせてみせます」 「バルゴールを変えるのよりは、難易度が低いだろうな」  そこで言葉を切ったヨシヒコは、もう一度全員の顔をゆっくりと見た。 「これだけ人が多くなると、ゆっくりと話しをと言う訳にはいかないだろう。それに、移動中なら嫌と言うほど時間をとることも出来るからな。細かな話は、そこですることにする。だからお前達には、これからの予定を教える」  もう一度全員の顔を見たヨシヒコは、「明日出発する」と全員に告げた。 「クランカン伯爵は、俺の船に乗せてやろうかと思っていた。だが、どうやらメリディアニ家の船に乗ることになったようだな。俺と妻達、そしてジェノダイト様はグリゴン経由でリルケに向かう。お前達も、俺についてグリゴンまで同行しろ。これは次の皇帝としての命令であり、拒否権はお前らには与えられない」  その時ダイオネア、タルキシス、クランカンの瞳に驚愕が浮かんだのは、経由地の意味を理解しているからに他ならない。よりにもよって、ザイゲル連邦の宿敵、バルゴールの民をその中心であるグリゴンに連れて行くと言うのだ。どう考えても、無事にすむとは思えない。  だが次の皇帝命令と言われれば、反論どころか疑問すら許されない。ダイオネアに出来るのは、「畏まりました」と命令に従うことを示すことだけだった。ただ心のなかでは、「どこが穏やかな変化だ」とアルハザーに毒づいていた。 「それから、タルキシス、クランカンに一つ特権を与える。お前達二人は、望む時に地球に来ることを許してやる。これは、俺からロマニアの官僚に通達を回しておく」  名指しされた二人は、立ち上がってヨシヒコに頭を下げた。彼らの事情を考えると、この特権は非常に有り難いものだった。そして特権を与えられた事情も分かるので、二人は大いに恐縮することとなった。 「ただし、往復の足までは面倒を見ないからな」  タルキシスを見て言うのは、直前のやり取りを知っているからだろう。そう理解したタルキシスは、「贅沢はさせませんが」とヨシヒコに答えた。 「二等船室などと言う、バルゴールの恥を広めるような真似は致しません」 「すでに手遅れのような気もするがな。まあ、二等船室で飛び回っていた皇女が居たぐらいだ。それを考えれば、さほど目くじらを立てることでもないのだろう」  そう言って笑ったヨシヒコは、「これで話は終わりだ」と宣言した。 「ただ、ダイオネアとタルキシスはここに残れ。それからアズライト、お前はマリアナと身の振り方の話をしろ。それ以外は、まあ、アセイリア、お前に任せることにする」 「畏まりました」  そう言って頭を下げたアセイリアだが、心の中では「便利屋ではない」と不満をぶちまけていた。ただ次の皇帝としての命令なので、文句を言う訳にもいかなかったのだ。 「アズライト殿下、マリアナ様、これより別室にご案内いたします。申し訳ありませんが、セラムさんも私に付いて来てください。それからフレイアさん、クランカン様を統合司令本部の方までご案内してください」  必要な差配をしたアセイリアは、こちらにとアズライトに頭を下げた。何も言わずに立ち上がったアズライトは、セラムを見ることなくアセイリアの後に続いた。  それを確認してから、フレイアは「クランカン様」と緊張するクランカンに声を掛けた。そして緊張したまま立ち上がったクランカンを、別のエレベーターへと連れ込んだ。 「ジェノダイト小父様。私達は、どこかでお茶でも致しませんか?」  残されたアリアシアは、同じく残されたジェノダイトに声を掛けた。それに頷いたジェノダイトは、「エリシア」と端っこで立っていたエリシアに声を掛けた。 「君も付いてきたまえ」 「畏まりました」  恭しく頭を下げ、エリシアは総領主室直行のエレベーターを呼び出した。 「それではアリアシア様、シオリ様、シルフィール様、お手数をおかけ致しますが、移動をお願い致します」  エリシアの案内で、後宮に入る3人は立ち上がった。そしてアリアシアはジェノダイトのエスコートで、それ以外の二人は勝手にエレベーターシリンダーの中へと歩いていった。最後にエリシアが入った所で、シリンダーは床の中へと消えていった。  これで謁見の間に残るのは、ヨシヒコとダイオネア、そしてタルキシスの3人と言うことになる。それを確認したヨシヒコは、「さて」と話を切り出した。 「ここからは自由に話すことになるのだが」  そう言って二人を見たヨシヒコは、「話したいことがあるか」と問いかけた。 「二人とも、目的は違っても言いたいことがあるのだろう?」  違うのかと問われ、ダイオネアとタルキシスの二人は「その通りです」と声を合わせた。 「ならばダイオネア、お前から話をしろ」  その命令に、「僭越ながら」とダイオネアは答えた。 「まず、なにゆえ我々をグリゴンへの伴にするのですか?」  他にも色々とあるのだが、喫緊の課題として自分達がグリゴンに行くことがある。教えてくれると言うのなら、その意味を尋ねなければと思った次第だ。 「俺が、そうすることが必要だと考えたからだ。ちなみにグリゴンには、先に話を通してある。どうやら、100万を超える艦隊が出迎えてくれるそうだぞ。盛大な歓迎だ、喜んで良いのではないか」  嫌味なヨシヒコの言葉に、ダイオネアははっきりと眉をひそめた。ザイゲルがそれだけ艦隊を集めるのは、間違いなく自分達への威嚇を意図したものなのだ。 「100万を超える艦隊、でしょうか」 「最終的には、150万ぐらいになるだろう。俺の時には400万だったが、どうやら準備が間に合わなかったようだ。ただ俺の時には来なかった、ドワノビッヂも駆けつけてくるらしいぞ」  バルゴールと境界を接するバーバレドズの総領主も駆けつけてくると言うのだ。集められた艦隊の規模と合わせ、ますますザイゲルの目的が明確になる。 「ヨシヒコ様は、騒動の引き金をお引きになるつもりですか?」  それを許すと言うより、そうさせたことにダイオネアはヨシヒコの意思を感じたのだ。だが隣で畏まっていたタルキシスは、祖父とは違う受け取り方をした。 「いや爺さん、俺はむしろ騒ぎにならない方法を考えたように思えるぞ」  意見を自分に言うのは良いが、言葉遣いがなっていないとダイオネアは慌てた。だからタルキシスを叱責しようとしたのだが、「別に構わない」とヨシヒコに釘を差された。 「なぜ、そう考えた?」  そしてヨシヒコは、責めるのではなくタルキシスの考えを質した。 「俺の知ってる範囲では、ザイゲルの奴は単純なやつが多いようだ。それを考えると、俺達を恫喝することで、溜飲を下げるようとしたと考えることができる。バーバレドズの総領主が顔を出すと言うのは、俺達を恫喝することに意義を感じたと言うことだ」  タルキシスの答えに、「それで」と先を促した。ただ、タルキシスは、そこから先の答えを考えていなかった。「それで」とオウム返しにしたまま、応えを口にできずに黙り込んでしまった。 「まだ、そこまでが限界と言うことか。おおまけだが、一応及第点をやることにする。マリアナを嫁にすると言うのなら、もっと精進が必要だな」  そう言って笑ったヨシヒコは、「続きだ」と話を続けることにした。 「お前たちを連れて行くため、グリゴンの奴に「何人、誰を」連れて行っていいかを検討させた。その結果、軌道城城主を含めて全員と言う答えがあった。お前の答えは、その中に含まれているものではあったが、全てと言う訳ではない。反発を呼ばないためと言うのなら、ゼロと回答することもできたのだからな。それを敢えて全員と言う答えをしたことに意味があると言うことだ」  どうだと問われたタルキシスは、目元にシワを寄せてその意味を考えた。人差し指が何かを示しているように動いたのは、条件を色々と変えて考えているのだろう。 「聖下とグリゴン、正確にはドワーブは強く結びついておられます」  しばらくして口をついて出たのは、ヨシヒコとドワーブの関係だった。言葉を探すようにして、「爺さんがここに来たことは知られている」と続けた。 「バーバレドズの奴らは、連邦には属していても、それほど連邦を信用しては居ない。そしてバルゴールに対して、強い敵意を持ち続けている。しかも手を出せないと言う、強いストレスを持ち続けても居る」  口元を手で隠し、「うん」とタルキシスは小さく呟いた。 「聖下が俺達を同伴してリルケに帰った時、バルゴールは聖下に付いたと奴らは考えるだろう。そこでドワーブが異を唱えれば、まだ連邦自体は混乱することはないはずだ。だがドワーブは、聖下に異を唱えるようなことはしない。そうなると、逆にドワーブに対してバーバレドズが疑心暗鬼になる。それを避けるために、グリゴンの奴は、自分達の力を見せつけると言う選択をした。帝国法さえなければ、バルゴールなど怖くはない。それを示す機会を、バーバレドズに与えてやるためだ」  そこまで口にしてから、確認するようにタルキシスは口を閉じた。そしてしばらくしてから、「以上だ」と答えがここまでであることを示した。 「一応間違ってはいる所はないな。少なくとも、ドワノビッヂは、精神的に優位に立ったと考えるだろう」 「しかし、実際に優位に立つのではありませんか?」  事実だと指摘したダイオネアを無視し、「まだ半分だな」とヨシヒコはタルキシスの顔を見た。 「ダイオネアは、俺にお前達を同伴させる理由を尋ねたのだ。今のが答えなら、まだ半分と言うことだ」  ヨシヒコの言葉は、残りの半分が分かるかと言う物だった。ただその問いは、今のタルキシスには難しいものに違いない。いくら頭を悩ませても、答えらしきものが見つかってくれなかったのだ。 「さすがに、分からん」 「諦めの良い奴だな。だがそれでは、マリアナを嫁には迎えられんぞ。お前は、バルゴールを変えると豪語したのだろう?」  男女のことを絡められたタルキシスは、「ザイゲルに関係なく、経済的にバルゴールを変えるつもりだ」と言い返した。 「今のバルゴールは、少し前までの俺と同じだった。何をすれば良いのか分からず、ただ毎日漠然とした日を過ごすだけなのだ。そこに目的を与え、経済を回してやれば、バルゴールにも活気が湧き出てくる。それが俺の考えだ」  だからザイゲルには関係のないことだ。それをタルキシスは、ヨシヒコを見て繰り返した。そんなタルキシスに、「意気込みは買うが」とヨシヒコは苦笑を浮かべた。 「方法論がどこにも見当たらないな。まあ、昨日今日思いついたのだから、具体論までに踏み込めなかったのだろうとは想像できる。だったら少しだけヒントをやろう。ダイオネアは、今回のことでドワノビッヂが精神的に優位に立つことを認めた。だとしたら、バルゴールはどう対応すべきなのだ?」 「どう、と言われても……まだ、そこまで勉強が追いついていないっ!」  つまり、お手上げだと言うのである。それを諦めの良い奴と笑ったヨシヒコは、帰り道の宿題だと継続検討を指示した。そして次の話題に移る前に、親切にもヒントを与えることにした。 「今のバルゴールにとって、軌道城を維持する負担がどの程度になっているのか。それを参考に考えてみることだな」  そこまで教えたヨシヒコは、「他に目的は無いのか」とダイオネアに尋ねた。今のはヨシヒコの沙汰に対する疑問であり、彼が地球に来た理由ではないはずなのだ。だからヨシヒコは、「お前は何をしに地球に来たのだ」と問いかけをしたことになる。 「アルハザー聖下が、御身に次の皇帝の座を譲られると決定された。その意味を見極めるため、わしはテラノに来たつもりだ」 「意味を見極める……か? 正直に、俺を試すつもりだと言えばいいのにな」  ズバリと核心を突かれ、ダイオネアはヨシヒコに対して恐縮をした。 「それで、孫二人の最終試練と合わせて、目的を達成できたのか?」 「それも、ご存知でしたか」  再び恐縮したダイオネアに、「解りやすすぎる」とヨシヒコは笑い飛ばした。 「孫に関して言えば……」  そこでタルキシスを見たダイオネアは、「心残りはありますが、期待以上の結果が得られたかと思います」と答えた。 「残念ながら、キャリバーンは意味を理解してくれませんでした」 「そのあたりは、お前たちの育て方と、奴の立場が理由なのだろうな」  事情を理解したように答えるヨシヒコに、「恐縮です」とダイオネアは頭を下げた。 「それで、俺に対しての評価はどうなった?」  見極めに来たのだろうと、ヨシヒコは可愛らしい顔を邪悪に歪めた。 「私などでは、聖下の真の姿を見極められないことは理解できました」 「当たり障りのない答えだな。期待はずれだとでも言ってくれれば良かったのに」  ふんと鼻で笑ったヨシヒコは、「タルキシス」と目標をタルキシスに変えた。 「お前が地球に来てからのことは、一応報告書では知っている。だからお前がセラムにしたことも知っているし、マリアナに求婚したことも知っている。マリアナに求婚したことは褒めてやろう。ただセラムにしたことで、何か申し開きをすることはあるか?」  そこで視線を鋭くしたヨシヒコに、ダイオネアは危険な徴候を感じ取った。予想はしていたが、セラムの一件でヨシヒコの不興を買ったのだと理解したのである。だからダイオネアは、孫を守る言葉を口にしようとした。だが「黙れ」と、ヨシヒコはダイオネアが口を開く事を許さなかった。 「申し開きも何も、報告書の通りとしか答えようがない」 「なるほど、だったらこの話はもう良い」  何か言いがかり、さもなければ罰を与えられるかと考えたタルキシスだったが、ヨシヒコの答えはあっさりとしたものだった。呆気にとられた顔をしたタルキシスは、「マリアナだが」とヨシヒコが話を変えたのに気づき慌ててしまった。 「待ってくれ、それだけなのかっ」 「それ以上、何か俺が言わなくてはいけないことがあるのか?」  分からんなと本気で分からない顔をしたヨシヒコに、「俺は酷いことをしたのだぞ」とタルキシスは声を荒げた。 「俺は、セラムの弱みに付け込み、追い込み、何も考えられないようにして抱こうとしたのだぞ。それなのに、お前の口からは何もないのかっ!」  どうだと叫んだタルキシスに、ヨシヒコはあくまで冷静だった。 「だが報告書では、セラムは拒まなかったとあったぞ。それどころか、お前を誘うようにスカートを脱ごうとしたとな。それにお前は、俺に向かって報告書の通りだと答えたはずだ。ならば、俺が言ったことに間違いはないはずだ」  感情の起伏もなく言い返したヨシヒコに、「そんな話じゃない」とタルキシスは詰め寄った。 「そもそも、セラムはそんな女じゃないはずだ。その証拠に、俺は今のセラムも知っている。そして俺にキスをされただけで、心が涙と言う血を流したような女だ。そんな女が、自分を諦めて自暴自棄になっていたんだぞ。どこの誰が、あいつをそこまで追い詰めたんだっ」  体格的には、タルキシスの方がヨシヒコより二回りは大きいだろう。そんな男に掴みかからんがばかりに詰め寄られたヨシヒコだったが、特に気にした素振りを見せなかった。 「だからどうしたと言うのだ。確かに俺は、地球ではただの庶民でセラムと付き合っていた。ただ俺が死にかけた時、ミツルギから俺との縁を切ってきたのだぞ。いいか、俺は絶望を抱えたまま一度死んだのだ。そして生き返った俺は、アズライトを妻に迎え次の皇帝になることが決まっている。それが、お前の眼の前に居るヨシヒコと言う男の今だ」  それだけだと言い放ったヨシヒコに、頭に血を上らせたタルキシスが掴みかかろうとした。だがタルキシスがヨシヒコに触れる前に、左手のラルクが赤く光った。それに遅れて、まるで糸が切れたようにタルキシスの体がその場に崩れ落ちた。 「やれやれ、血の気の多い男だな。そのあたりは、メリディアニ家の血筋と言うことだな」  ふんと笑ったヨシヒコに、「聖下」とダイオネアが必死の形相で声を上げた。 「何卒、タルキシスの命をお救いください。そのためなら、わしはどのような責めも負うつもりです」  何卒とテーブルに頭をぶつけたダイオネアに、「馬鹿か」とヨシヒコは言い返した。 「次の皇帝に対して無礼な口を利くだけでなく、あまつさえ暴力まで振るおうとしたのだぞ。どうしてその責めが、タルキシス一人で収まると思ったのだ? すでにお前の命など、交換条件にもならないものだ」  分を弁えろと怒鳴られたダイオネアは、顔を青くしたまま椅子にへたり込んだ。それを冷たい視線で見たヨシヒコは、立ち上がってタルキシスにラルクを向けた。その途端、タルキシスの姿は赤い光に包まれダイオネアの前から消失した。 「まったく、非力な俺に力仕事をさせようとするな」  そう文句を言ったヨシヒコは、次にラルクを誰も座っていない椅子へと向けた。それから少し遅れて、椅子には傷一つ無いタルキシスの姿が浮かび上がった。 「さてダイオネア、当主を退いたことを承知で問わせて貰うが。タルキシスはメリディアニ家を継ぐ資格はあると考えるか?」  己の命を懸けても孫を守ろうとしたのだ。それを考えれば、あるという答えが期待できたのだろう。だが今のダイオネアに、まともな答えを期待するのは無理な相談だった。ただ呆然としたまま、身じろぎ一つしなかった。  それを仕方がないと諦めたヨシヒコは、「起こしてやれ」とセラに命じた。 「ついでに爺さんも落ち着かせてやれ」 「ヨシヒコ様も、面倒なことをなさいますね」  余計な一言を残して、セラは忠実に命令を実行した。お陰でタルキシスは飛び起き、ダイオネアは何が起きたのだとキョロキョロと首を振った。 「セラムのために怒ったお前に免じ、少しだけ俺の話をしてやる」  良いかと問われ、二人は目を大きく見開いたまま頷いた。多少心もとないところがあるのだが、ヨシヒコはそれを同意と受け取ることにした。 「俺はアズライトと知り合い、そして愛し合うことでとても多くの物を得たのは確かだ。その中の一つに、次の皇帝と言う立場があるのは確かだろう。ただ変わりすぎた立場の為、同時に多くの物を失ってしまったんだ。辺境惑星の庶民として俺が大切にしてきた物、そのすべてを置いていかなければならなくなってしまった。セラムのことにしても、その中の一つでしか無いんだ。爵位を持つことを夢としていた俺だが、セラムを嫁にしてマリアナに仕え、親友たちと同じ時間を生きていくのもいいと思っていたんだよ。そしてそれを無くしたと感じた時に、酷い後悔を覚えたのも確かなんだ。それが俺の心に小さな傷を作るのと同時に、俺の大切にしていた人達にの心にも、同じような傷を作ったのも理解している。いや、俺以上の傷を作らせてしまったのかもしれないな。だがな、今の俺の立場は、それを償うこともできないんだよ。セラムのことにしてもそうだ。あまりにも生きていく世界が違いすぎて、今更俺には何もすることはできない。そして、何かをするだけの時間も与えられていない。それぐらいのことは、お前達にも理解できると思うのだがな?」  ヨシヒコの心を聞かされたタルキシスも、全てを理解できてはいなかった。だがセラムのことに関して言えば、ヨシヒコの言うことは一つも間違っては居ないのは分かった。妻としてアズライトを選んだ以上、セラムは過去の女性でしか無かったのだ。後宮を構えていて、そして愛妾を持つことが許されていても、その立場になるには今のセラムでは立場も能力も不足しすぎていた。そして不足した立場や能力を補ってやることは、皇帝自ら行うことではないのだ。それを考えれば、ヨシヒコが「関わらない」と言う態度を取るのも当たり前だった。突き放すのは残酷だが、そうした方が本人のためにもなるものだった。 「と言うことで、何も知らない俺は、だからどうしたとしか答えようがない」  「分かったか単細胞」と、ヨシヒコはタルキシスを馬鹿にした。 「ああ、確かに俺は単細胞だよ。ついかっとしてしまう所なんて、メリディアニ家そのものだと認めてやろう。だがな、俺はお前ほど捻くれてないし、性格も悪くないつもりだ」  顔色が良いとはいえないが、それでもタルキシスはヨシヒコに言い返した。 「性格が悪くて捻くれているのが、皇帝に求められる資質のようだぞ」  そう言って笑ったヨシヒコは、「まあ、合格か」とタルキシスを評した。 「それでダイオネア、俺の問いに対する答えはどうなのだ?」 「お恐れながら、もう一度尋ねては貰えませんでしょうか」  茫然自失となったため、言われたことが耳に入っていなかったと言うのだ。当たり前のように、ヨシヒコはダイオネアに呆れることになった。 「おいおい、それだけで十分に不遜な行為になるぞ」  まったくと息を吐いて、ヨシヒコは同じ問いをダイオネアに発した。 「すでに当主を退いたお前に、タルキシスがメリディアニ家を継ぐ資格はあるかと質したのだ」 「タルキシスは……」  そこで一度孫の顔を見て、ダイオネアは目を閉じ大きく息を吸い込んだ。そしてしばらくそのままで居てから、10を数えたぐらいで大きく息を吐きだした。 「まだまだ、不足するものが多すぎるとは思っております。ですが、任せても良いのではと思えるようになりました。このことは、我が息子キャスバルにも伝えるつもりです」 「だそうだタルキシス。これで、マリアナを嫁に迎えるのに近づいたな」  真面目な顔をしたヨシヒコに、「まだだ」とタルキシスは声を上げた。 「お前は、何もすることはできないと言ったな。確かに、言っていることに間違いはないだろう。皇帝たるもの、余計な私事に囚われていてはいけないからな。それにアズライト様がおわす以上、他の女にうつつを抜かすことができないのも理解できる。今のセラムでは、お前の後宮に入る資格は無いのも確かだ。美しいとか細やかな気配りとかは美徳だが、後宮に入るための条件ではないだろう。何より周りに対して認められるものをセラムは持っていない。だからっ!」  俺はと、タルキシスは声を上げた。 「セラムが後宮に入れるように、お前に欲しいと言われるように、あいつを磨き上げることに決めたんだ。そのために、メリディアニ家はあいつの後ろ盾になるし、あいつに必要な学を付けさせる。第9大学にねじ込み、言いよる男に事欠かないような女にしてやる」  それが俺の覚悟だと言い切るタルキシスに、「化けたのだな」とヨシヒコは彼の変化を認めた。 「やれやれ、アズライトの時はローマの休日だったが、セラムはマイ・フェア・レディと来たか。さて結末で、セラムは誰を選ぶのだろうな」  ヨシヒコは古い映画を持ち出したのだが、タルキシスが地球の映画など知る由もない。だからヨシヒコの言葉に、何を言っていると胡乱なものを見る目をした。そしてこれもタルキシスの知らないことだが、その映画のヒロインは、最後に恩人の元に戻っていた。つまりヨシヒコの知る映画では、セラムはタルキシスを選ぶことになる。ただローマの休日の結末が違ったように、マイ・フェア・レディの結末も、舞台公演の方向に変わる可能性もあった。 「メリディアニ家が後見人になるだけで、本来それ以上の努力は必要が無いのだがな。だがそれでは、セラムも納得はしないだろう。余計な努力と言う気もするが、努力自体は悪いことではない。ならばタルキシス、セラムの身柄をお前に預けることにする。ちゃんとお前の口から、現当主に説明をするのだぞ」 「ほ、本当に、それで良いのか」  自分の耳が信じられないのか、キョトンとした顔でタルキシスは聞いてきた。 「お前は、次の皇帝に同じ説明を二度させるつもりなのか?」  不遜だなと笑われ、タルキシスは自分のしたことに気がついた。ただ「滅相もない」と言うのは、今更手遅れの感は否めなかった。 「だったら、確実に約束を履行することだ。それから教えておくが、俺とアズライトは第9大学に通うつもりでいる。今更と思われる気もするが、俺にした所で知らないことが多すぎるのだ。4年間通うかは分からんが、しばらくは皇帝になる準備をしながら大学に通うことになるだろう」 「アルハザー聖下が、それで納得されますかな?」  ヨシヒコの意思は分かったが、皇位継承がヨシヒコの意思だけで行われる訳ではない。それを指摘したダイオネアに、大したことじゃないとヨシヒコは言い切った。 「だったら、通いながら皇帝になるだけだ」 「それは、前例のない事ですな」  そう答えたダイオネアは、「分かっております」と先回りをした。 「ただの庶民が皇帝になることに比べれば、大したことではないのでしょう」 「まあ、そう言うことだ」  そう言って笑ったヨシヒコは、もう一度タルキシスへと視線を向けた。 「セラムのために、俺に掴みかかろうとしたお前に褒美をやる。俺の前で言葉遣いを改める必要はない……とは言え、さすがに公式の場ではそれはまずいな」  うむと頷いたヨシヒコは、自分の言葉を訂正した。 「親しい者だけがいる場において、言葉を改める必要はない。今日のように、ずけずけとした物言いをすることを許してやる」 「ですが……いえ、ありがたく受け取ってやる」  ふうっと息を吐いたタルキシスは、敵わないとヨシヒコを見た。 「お前は、本当にただの庶民だったのか?」 「今更、それを証明することに意味があるのか?」  逆に問い返されたタルキシスは、「確かにそうだ」と納得した。 「そう言うお前こそ、手の施しようもない放蕩息子だったのだろう?」  有名だぞと言われ、タルキシスは少し肩を落とした。 「その汚名は、返上しようと努力を始めた所だ。一応セラムには、軽蔑した目で見られないようにはなったんだぞ」 「まあ、セラムが認めたのなら大丈夫だろう……」  そこでうんと首を傾げたヨシヒコは、「そう言えば」とタルキシスの顔を見た。 「俺は、セラムとキスしかしたことがないな。しかも、唇を重ねるだけのキスしかしていない」 「それが、どうかしたのか?」  いきなりなんだと首を傾げたタルキシスに、「庶民の感情だ」とヨシヒコは口元を歪めた。 「それなのに、お前は舌を入れたんだな。しかも下着の上からとは言え、スカートの中に手を突っ込んで大事なところを触ったし、胸もしっかり揉んでくれたそうだな」 「そ、そのあたりは、報告書にあった通りだ」  悪い予感に震えながら、タルキシスは「さっきはどうでも良いようなことを言ったじゃないか」と言い返した。 「ああ、つい先程まではセラムは俺にとって過去でしかなかったからな。だがお前は、セラムを俺の未来の前に引きずり出してくれたのだろう。だったら、俺が嫉妬をしてもおかしくないはずだ」  そうだよなと言って、ヨシヒコは左手のラルクを見た。 「さてタルキシス、どんな折檻をお前は希望する?」 「で、できるだけきつくないのにしてくれ」  震えながら自分の処刑基準を口にしたタルキシスに、だったらとヨシヒコは邪悪に笑った。 「だったら、軽く痛覚を刺激してやるか」  ラルクとヨシヒコが口にしてすぐ、「ぎゃぁ」と言う悲鳴がタルキシスの口から発せられることになった。気絶できない強さは、配慮と言うより意地悪をしたと言うのが正しいのだろう。意外に幼い行為とは思ったが、ダイオネアは口を挟むことができなかった。  アセイリアに案内されたアズライト達は、別の小さめの部屋へと連れて行かれた。ただアズライトを案内する以上、粗末な部屋であるはずがない。総領主府には珍しい、綺麗な調度がその部屋には置かれていた。そしてアズライトとマリアナに飲み物を出してから、アセイリアはセラムを連れて部屋から出ていった。  それを見送った所で、アズライトは笑みを浮かべて「マリアナさん」と呼びかけた。 「あなたの身柄は、私の預かりになっていましたね。今日はあなたの希望を聞きたいと思っています」 「お、俺の希望は……」  希望と聞かれても、どんな役目があるのかも分かっていない。だからマリアナは、肝心な所で口ごもってしまった。そしてアズライトは、マリアナが口ごもった理由を敢えて曲解した。 「マリアナさん、私がいる以上メリディアニ家のことを気にする必要はありませんよ。無理をしてタルキシスに嫁ぐ必要などこれっぽっちも無いんですからね。何しろお姉さまも、メリディアニ家だけは絶対に嫌だと断ったぐらいです。私も、マリアナさんを嫌な目に遭わせたくありません」  はっきりと断言したアズライトは、メリディアニ家の放蕩息子の悪口を口にした。 「長男のキャリバーンも酷いのですけど、次男のタルキシスも評判は最悪なんです。無能のキャリバーンに放蕩息子のタルキシス、おまけを言うとですね、お花畑のリーリスとバルゴール内で噂されているぐらいなんです。今のバルゴールは、近傍にあるフェルゴー、チェンバレンと同盟関係にあります。そうやってザイゲル連邦の脅威を退けていたのですが、フェルゴーとチェンバレンの当主は、もしもキャリバーンやタルキシスがあとを継いだら、同盟を見直すと口にするぐらいなんですよ。ですからマリアナさん、遠慮しないで断ってもいいんです。それでもまとわりつくのでしたら、私がこの手で消し炭に変えてあげます。いえ、セラムさんにしたことを考えたら、今すぐ消し炭にした方がいいですね」  うんうんと勝手に頷いたアズライトに、「いや」とマリアナは困ったような顔をした。それを見つけたアズライトは、「心配は必要ありませんよ」と優しく笑った。 「マリアナさんは大切な人ですからね。それに、私が必要だと言ったらヨシヒコ以外の誰も反対できません。メリディアニ家だって……ついでに、メリディアニ家をつぶしてもいいかもしれませんね。そうすれば、マリアナさんは何も心配する必要がなくなります。知ってますか、タルキシスはバルゴールにいる時は、そこらじゅうで女性を誑かしていましたし、危ない薬もやっていたんですよ。ちょっと大人しくしたぐらいで、本質が変わるはずがないんです。すぐに化けの皮が剥がれると思いますが、マリアナさんを酷い目に遭わせる訳にいきませんからね。今すぐにでも、タルキシスを始末してきましょう!」  それがいいですと立ち上がろうとしたアズライトを、「待ってくれ」とマリアナは呼び止めた。 「確かに、あの男はどうしようもない男だったのかも知れない。セラムの弱みに付け込んで、酷いことをしようとしたのも確かだ。だが、変わろうと努力を始めたのは確かだと思う」 「でも、セラムさんに酷いことをしたんですよね。だったら、もう処分は決まってるじゃないですか。テラノに来て退屈だから、マリアナさん達をからかって遊んでいるだけです。だから化けの皮が剥がれる前に、始末してしまうのが一番いいんですよ。大丈夫、マリアナさんが気に病むことはないのですからね」  すぐに済みますからと、アズライトは立ち上がって左手にはめたラルクを見た。 「ここからでも、タルキシスを塵に変えることが出来ますね」  そう言ってアズライトは、左手を天井の方へ向けようとした。それに慌てたマリアナは、飛びつくようにしてアズライトの手を押さえた。 「だから待ってくれ。あの男は、本当に変わろうとしているんだ。それにセラムのことにしても、あいつは本当の気持ちを読み取ってくれたんだぞ。俺を嫁にして、地球に移り住んでもいいと言ったぐらいだ。あいつはあいつなりに、変わりたいと本気で思っているんだよ。そしてセラムに会って、俺に会って、あいつは変わるきっかけを見つけたんだ。だけど人なんて、すぐに変われるものじゃない。だからあいつも、変わろうと努力をしてくれているんだよ。セラムだって、あいつのことを好きになっている……いや、好きと言うのは、男女の仲ではなくて、信頼できる主としてと言うことだ。遠慮がなくて図々しい奴だが、あいつは何も出来なくてもがき続ける苦しさを知っている。そんな奴が、ようやく絶望の中に希望を見つけたんだ。過去のことは仕方がないし、今更消しようが無いのも確かだ。だからアズライト様、あいつの、タルキシスのこれからを見てやってくれ。俺も、バルゴールに行ってあいつのこれからを見届けるつもりなんだっ!」  だからお願いすると頭を下げたマリアナに、「手が痛いです」とアズライトは文句を言った。 「マリアナさんと違って、私は鍛えていないのですからね。そんなに力を込めて掴まれたら、痣が……もう、出来ていますね。困ったものです」  はあっと息を吐き出したアズライトは、「離してくれますか?」とマリアナに頼んだ。そこでようやく、マリアナは自分がとんでもないことをしでかしたのに気がついた。こともあろうに、皇女であるアズライトに暴力を奮ってしまったのだ。左手に青痣が着いてしまった以上、もはやどんな言い逃れも出来はしない。 「あ、アズライト……様」  顔を青くした茫然となったマリアナに、「気持ちは分かりました」とアズライトは笑った。そして左手を見て、「ラルク」と命令を発した。すぐに赤い光が左手を包み、浮かんでいた青痣は綺麗サッパリ消えてくれた。 「では、マリアナさんに免じてタルキシスは許すことにします。ですが、まだまだ監視が必要なのは確かですね。ですからマリアナさんには、私の名代としてタルキシスの監視を命じることにします。バルゴールの総領主、シリングにもそのように通達をしておきます」 「俺が、あの男を監視するのか?」  目をぱちぱちを瞬かせたマリアナに、「見届けると言いませんでしたか?」とアズライトは聞き返した。 「い、いや、確かにそう口にはしたが……」  口ごもったマリアナに、手遅れですとアズライトは笑った。 「皇女に向かって口にしたことは、簡単には取り消せませんよ。取り消すためには、私が納得できる理由を持ってきてください」  「例えば」とアズライトはマリアナの顔を見た。 「タルキシスと結婚をするとか」 「お、俺は断ったんだっ!」  顔を真赤にしたマリアナに、「そう言うことにしておきましょう」とアズライトは笑った。 「それなのに、わざわざバルゴールにまで行って見届けるんですね」 「そ、それが、約束だからな……」  ますます顔を赤くしたマリアナに、「可愛いのですね」とアズライトは笑った。 「これでマリアナさんの処遇は決定しました。私付きの身分ですから、自由に星系間を移動できる権限を与えます。それからマリアナさん、是非ともリルケまで私達の子供を見に来てください。これはヨシヒコを勝ち取った、私からのお願いですからね。本当に可愛い子たちですから、「可愛いでしょう」って自慢してあげます」 「伺ってもよろしいのでしょうか」  少し冷静になったのか、マリアナの言葉遣いも元通りに戻っていた。そんなマリアナに、「セラムさんも連れてきてくださいね」とアズライトは答えた。 「悔しかったら、もっと可愛い子を産んでみせろと言ってあげようと思っているんです」  誰のとは言わなかったが、マリアナはセラムの相手が誰かを知っているようだった。それに気づいたマリアナは、「ひょっとして」と大きく目を見開いてアズライトの顔を見た。 「すべてご存知だったと言うのですか」 「知られていないと考える方が不思議だと思いますよ」  だから全てが出来レースなのだ。アズライトはマリアナに仕掛けをばらしたのである。  セラムを一人引き離したアセイリアは、彼女を別のフロアにある応接へと連れて行った。白い壁には、海の景色が書かれた絵が飾られた部屋には、5人ぐらい座れるソファーが置かれていた。そこでセラムをソファーに座らせ、サーバーのお茶をアセイリア自ら彼女の前に置いた。一等侯爵夫人と爵位も何も持たない女性の関係だと考えると、普通なら逆と言われる行為である。その為セラムも大いに恐縮することになった。  そんなセラムを前に、アセイリアは古い諺を持ち出した。 「こう言うのを、「合縁奇縁」と言うのかしら?」 「「合縁奇縁」でしょうか?」  日本の学校に通っていても、古い諺を知っている訳ではない。高校の白いセーラー服を来たセラムは、意味が分からず小首を傾げた。 「ただ、不思議なめぐり合わせですねと言いたいだけです。今回のことは、さすがに想定していませんでしたからね。私たちにとってメリディアニ家の孫二人は、ただの監視拘束対象でしか無かったんです。どんな微罪であろうと、罪を犯した時点で拘束をして星系外退去をさせる。トラブル対策と、住民に被害を出さないための方針でした。だからセラムさんのことも、監視員が別の人でしたら違う結果になっていたでしょう。だから合縁奇縁と言ったんです」 「ご存知だったと言うことですね……」  俯いて顔を赤くしたセラムに、「そうですね」とアセイリアは微笑んだ。 「本来結果オーライを許してはいけないのですが、今回ばかりはそうも言っていられないのでしょう。これでヨシヒコ様にとって、問題の一つが片付くことになりますからね」 「ヨシヒコ様の問題、でしょうか?」  ヨシヒコ名前が出た途端、セラムは顔を上げてアセイリアの顔を見た。分かりやすいわねと優しい気持ちになりながら、アセイリアは結構意地悪な質問をした。 「セラムさんは、タルキシスさんにスカートを脱いで迫ったんですよね?」  それなのに、ヨシヒコのことを気にするのか。口にしてから、意地悪すぎたかなとアセイリアは反省した。 「す、スカートは脱いでいません!」 「迫ったことは、否定しないのですね」  すべて報告に載っているのだから、否定することに意味があるとは思えない。自分のしたことを思い出したセラムは、顔を赤くしたまま黙り込んでしまった。そんなセラムに、「ヨシヒコ様は」とアセイリアは言葉を続けた。 「港総合高校に行かれた後、少し様子がおかしくなられました。沈んでいると言うのが、傍から見た印象になりますね。ご友人やご学友と会われて、もはやご自身の居場所がそこにないのを理解されたのだと思います」 「ヨシヒコ様は、皇帝になられるのですから……仕方がないことだと思います」  セラムの答えに、アセイリアは小さく頷いた。 「それでも、人は失ってしまった物を嘆いてしまうのですよ。それは、ヨシヒコ様でも、諦めることしかできないものでした。最大の権力を持つ皇帝でも、どうしようもないことがあると言うことです。それでも理由さえ付けば、ヨシヒコ様も切れかけた縁を繋ぐことができるんです。それが、マリアナさんをアズライト様付きにすることでした。一等男爵の地位を失ったため、逆に拾い上げることが可能になったんです。何しろマリアナさんは、センテニアルの英雄ですからね。それで拾い上げる口実が付いてくれました。本当なら、そんな小さなことに関わっているような立場で無いのですけどね」  マリアナに関するアセイリアの説明は、セラムにも理解できるものだった。 「でも、そこまでが拘ることのできる限界でした。ヨシヒコ様には、抱えた沢山の問題が有りますからね。その一つが、バルゴールの問題と言うことです。バルゴールを中心とした3星系連合は、ザイゲル連合の特にバーバレドズを中心とした者達にとって、不倶戴天の敵なんです。ですからバルゴールが不安定になれば、安定に向かっていた帝国が、再び不安定になる可能性もあったんです。目につく問題は、メリディアニ家の後継者問題なのですが、その影に隠れた形でヨシヒコ様が皇帝になられた影響が出てきていたんです。それこそが、バルゴールの抱えた真の問題だったんですよ。それをヨシヒコ様は、軌道城と呼ばれる要塞を守る、一等伯爵の意識を変えることで解決されようとしました。ただヨシヒコ様も理解されていたのですが、問題解決の決め手に欠ける方法でしかありませんでした。いくら軌道城城主の意識が変わっても、メリディアニ家が変わらなければ意味がありませんからね。その問題にめどが付いたので、結果オーライを認めざるを得なくなったと言うことです」 「タルキシス様を、後継者として認めてくださったと言うことでしょうか!」  タルキシスの名を出した時の声色に、「あらっ」とアセイリアは気づくものがあった。 「セラムさん、もしかしてあなた……タルキシスさんのことを好きになった?」  そして感じた物を、アセイリアはとてもダイレクトにセラムへとぶつけた。思いがけない指摘に、一瞬呆けたセラムだったが、言葉の意味を理解した瞬間、そこまでなるかと言う程顔を赤くした。 「い、いえ、そ、それは、アセイリア様の勘違いですっ、ほ、本当ですからっ!」  あまりにもセラムが焦るので、図星を突いたのかとアセイリアは考えた。ただそうなると、色々と話がおかしくなりかねない。もしもセラムを取り合うことになったら、間違いなくヨシヒコの方が不利な状況に置かれることになる。  それをまずいと思いかけたアセイリアだったが、すぐに実害がないことに気がついた。そもそも自分だって、ヨシヒコではなくアンハイドライトを選んでいる。これからの時間の中、セラムが誰を選ぶのか、それは彼女自信の問題でしか無かったのだ。たまには負けるのもいいだろうと、女性問題で勝ち続けるヨシヒコのことを考えた。  それにセラムに輝きが戻ったのを見れば、タルキシスの意味も理解することができる。なるほどねぇと、アセイリアは実害のない勘違いをしたのだった。 Chapter 3  行動の自由を与えられたカニエ達は、結果的にヨシヒコに同行しないと言う選択を行った。帰りの足の問題は、ティアマト家のクルーザーを呼び寄せることで解決できる。総領主府でヨシヒコ達を見送った一行は、場所を近くのホテルに変えて立食のパーティーを開いた。パーティーの理由は、もちろん「お疲れ会」である。ヨシヒコ達皇族が居なくなるだけで、気分はぐっと楽になってくれたのだ。 「しかし、予想外過ぎる展開だな」  喧嘩を売られても困らないと言う分析はしていたが、こんなことになるとは誰も考えていなかったのだ。だがメリディアニ家を知るヴィルヘルミナをして、「奇跡的な変化」と言わしめるほどの結果が得られたのである。予想外過ぎると言うカニエの言葉は、誰もが認めるものになっていた。 「これで、メリディアニ家の後継者問題にケリが着くのか?」  アイオリアの問いに、「多分」とヴィルヘルミナは曖昧な答えを口にした。 「ごめんなさい、私自身まだ頭が追いついていけてないの」  あーっと言って天井を見上げたのに合わせて、彼女の金色の髪がふわりと広がった。 「先入観が強すぎて、結果を受け入れられないのかもしれないわ」 「そんなに、酷かったのですか?」  ヴィルヘルミナに質問をしたのは、興味津々で聞いていたアセイリアだった。ちなみにアセイリアの場合、情報でしか見ていないため、「信じられない」と言うほどタルキシスを否定していなかった。  そしてアセイリアの問いに、「それはもう」とヴィルヘルミナは力強く頷いた。 「3星系連合では、有名すぎるほど有名な話だもの。それに私は、何度もバルゴールに行ったこともあるわ。そこで彼らの愚行を目の当たりにしたのだから、どうしても信じられない気持ちになるのよ」 「それだけ酷かったと言うことですね。実際キャリバーンは、少しも我慢することができませんでしたね。それを考えれば、信じられないと言うのも理解できる気はします」  そこでアセイリアは、「実は」と少しだけ声のトーンを落とした。他人が居る訳ではないのだが、大きな声で言う話でも無いと思ったのである。 「看守からの報告では、一日中煩くて仕方がなかったようです。文句ばかり言って、どうしてこうなったのかを全く分かろうとしなかったそうですよ。反省の色が見えないと言うのが、キャリバーンとその取り巻きの態度でした」 「そのまま死刑にしてやれば良かったのに」  更に酷いことを言ったヴィルヘルミナだったが、誰ひとりとしてそれを咎めなかった。これからのことを考えたら、その方が後腐れなくていいと思っていたぐらいだ。 「だけど、バルゴールの人達を、グリゴンに連れて行って良かったのかなぁ」  ひとまずメリディアニ家の話を離れ、カスピは次の目的地のことを問題とした。 「相手が精神的優位に立てるようにすることで、ザイゲル連邦の不満を押さえ込むってのは分かるわよ。でもそれじゃ、一方的にバルゴールが不利になるんじゃない? メリディアニ家の元当主とか、次の当主候補が行く理由にはならないよね?」  どうと問われたカニエは、「そうだろうか?」と逆にカスピに問い返した。 「俺たちだって、グリゴンに言って意識が変わっただろう。その意味では、バルゴールにも意味があるのではないか?」 「それはそうかも知れないけど、一方だけ変わっても意味が無いでしょ?」  漠然とした意味を否定され、カニエはう〜むと考えた。あのヨシヒコが、不満を和らげる程度の理由でグリゴンに行くはずがないのだ。絶対に何かあると感じているのだが、その何かが思い当たらなかった。 「ヨシヒコ様が、意味のないことをされるとは思えないのだが……」  ううむと唸ってみても、簡単に理由など出てくるものではない。更に言うのなら、そこまで深慮遠謀があるとは限っていなかったのだ。ヨシヒコのことを評価するあまりに、考え過ぎと言うのもあり得ることだった。 「こう言う時は、アセイリア様の意見を伺うのが定石だろう」  そこで全員、ちなみに統合司令本部のメンバーからも顔を見られ、どうしてですかとアセイリアは顔を引きつらせた。そして夫に逃げようとしたのだが、アンハイドライトからまで期待の篭った眼差しを向けられてしまった。どうしてですかと嘆いても、誰も理解してくれそうになかったのだ。  しくしくと泣き真似をしても、結局誰も許してくれない。もう一度全員の顔を見てから、許してくださいとアセイリアは懇願した。 「バルゴールのことは、私の責任範囲外だと思うのですが」 「だけど、クランカン一等伯爵を交えて検討したよね?」  だから無関係ではないと、カスピは追及の手を緩めてくれなかった。 「だったら、みなさんも同じ立場だと思うのですが……と言っても、聞いてくれそうにありませんね」  はあっと深すぎるため息を吐いたアセイリアは、もう一度全員の顔を見てから「やっぱり無理」と答えを放棄した。 「私の中の人は、もうヨシヒコ様じゃないんですから」 「さすがにアセイリアも、お手上げと言うことか」  苦笑したボリスは、「話を変えよう」と全員に持ちかけた。 「さもなければ、全員で知恵を絞ってみるかだな」  どうすると問われたクレスタ学校側は、全員一致で「別の話題」と答えた。どうやら彼らも、ヨシヒコの深慮遠謀らしきものを詮索するのは無理と考えたのだろう。  ちなみにテラノからグリゴンまで、およそ2日の行程となる。結果的に5隻となった船は、相互リンクを確立してグリゴンへと向かっていた。相互リンクを張るメリットは、まるでひとつの船のように自由に移動ができることにあった。その余録として、船長が楽をできると言う物がある。  ちなみに部屋割りならぬ船割りは、アズライトとアリアシア、それにシオリはそれぞれの船に乗り込んでいた。相互の移動が自由と言うことで、そのあたりで不満が出ることはなかった。そしてジェノダイトは、ヨシヒコの船に、クランカンとフレイア、そしてマリアナとセラムは、メリディアニ家の船に乗り込んでいた。そしてエリシアは、ジェノダイト預かりと言う理由でヨシヒコの船に乗り込んでいた。当然シルフィールを含むヨシヒコの家族は、息子の船となったアルタイル号に乗り込んでいた。 「一生分以上に、グリゴンに来た気がするな」  アルタイル号の展望室で、ジェノダイトはヨシヒコとチェアを並べてくつろいでいた。なぜジェノダイトかと言うと、アズライトの所にはマリアナとセラムが遊びに来ているし、イヨの所に後宮組3人が遊びに来ていたのが理由だった。そしてバルゴール組は、ヨシヒコの宿題に机を並べて頭を悩ましていたのである。 「もうしばらくしたら、落ち着くのではないのか。特にジェノダイト様の場合、引退時期が近づいているからな。その時は、アルハザー聖下とトリフェーン殿下の3人で、ただれた生活を送られることになるのだろう」  確定した事実のように言うヨシヒコに、「やめてくれ」とジェノダイトは懇願した。 「逃げ切れるとは思っていないが、せめて「ただれた」と言うのはやめて欲しい。ああ、ありがとう」  チェアの脇のテーブルに、香りの高いコーヒーがコトリと置かれた。地球暮らしが長いことも有り、ジェノダイトもすっかりコーヒーに馴染んでいたのである。そしてジェノダイトの後に、ヨシヒコの所にカプチーノのカップが置かれた。普通立場を考えれば、ヨシヒコの方に先に置くべきだろう。だが置いた後に話をすることを考えると、エリシアにとって意味のある順番だった。 「初めて伺う話なのですが。どこの世界も似たようなものなのですね」  そう言って、お盆を胸に抱いたエリシアが、興味津々と言う顔で立っていた。その時のエリシアは、両方の肩が大きくでたグリーンの半袖セーターに、短すぎる黒のスカートを合わせていた。ジェノダイトに給仕をする時にはしゃがむのだが、ヨシヒコの時には前かがみになると言う、狙いの分かりやすい格好である。ちなみに彼女の金色の髪は、服装に合わないからと縦ロールにはなっていなかった。その代わり、本人曰く結構面倒だという凝った髪型をしていた。三つ編みを二つ作った後、頭の上で纏めて紐で綴じるものである。その時の紐は、見た目重視と言う理由で組紐が使われていた。肩が出ているのと項が全開になっていると言う、涼しそうかつ無防備に見える格好でもある。 「テラノでもそうなのかね?」  ただジェノダイトも、格好を指摘するほど若くはない。それに誰のためかなど、今更指摘するまでもない。ヨシヒコとエリシアの立場を考えれば、まだ控え目だと思ったぐらいだ。いつになったら直接的な行動にでるのか、障害がない以上時間の問題だと考えていたところもある。そしてエリシアを預かった以上、必要な立場を与えることも終えていた。  だからジェノダイトの興味は、「どこの世界も同じ」と言うエリシアの言葉の方にあった。 「そうですね。社交界などに居ると、誰と誰がと言う噂に事欠きません。私は断り続けていたのですが、二人でパーティーの広間から居なくなられるのは珍しくないんです。いまどき拘るのはどうかと思っていますが、男性どうしとか女性どうしと言うのは、ちょっと嫌かなと思っていました」 「その考えには、俺も同意をするな」  軽口に付き合ったヨシヒコに、「ですが」とエリシアは抵抗の少ない胸のところを滑らせ、お盆で口元を隠した。 「ヨシヒコ様の場合、どちらでも違和感が無いと言いますか。むしろ女性との方が、違和感があると言います。ヨシヒコ様の方が、アセイリア様としても綺麗だったと皆さん仰っていました」  またその話かと、ヨシヒコは少しだけ目元を引きつらせた。 「ちなみに、みなさんと言うのはどこまで含んでいるのだ?」  次の機会に仕返しをしてやろう。そのつもりで聞いたヨシヒコに、エリシアは脱力したくなる答えを教えてくれた。 「統合司令本部の全員に、今のアセイリア様とアンハイドライト様です。ジェノダイト様、ジェノダイト様はどうお思いですか?」  そこで自分に話を振るなと思いながら、「ノーコメント」とジェノダイトは返した。 「ちなみにアズライト様も、ヨシヒコ様の方が綺麗だったと仰っておられました」  とどめを刺されたヨシヒコは、チェアに体を預けて部屋の天井を見た。正確に言うと、そこには展望用のスクリーンが作られ、外の景色がヴァーチャルに映し出されていた。ただ普通に見ていると、何も変化の無い黒いだけの景色が映し出されていた。  そんなヨシヒコの態度を喜びながら、エリシアは結構どろどろしているのですと社交界の裏側を話してくれた。 「俗に言う不倫なんて、もう掃いて捨てるほど聞かされました。けっこう高貴な方なのですけど、生まれた子供の父親が全員違うと言う噂も聞いています。名前を言えませんけど、三等伯爵家の奥様が、どう見ても旦那様と血の繋がりがあるとは思えない子供を産んだと言う話もありますね」 「それで、その子はどうなったのだ?」  地球において、三等伯爵家は片手に余るほどしか存在していない。そうなると、名前を隠しても誰と言うのは想像がついてしまう。あそこかとヨシヒコが想像したのも、その事情を考えれば不思議な事ではない。  そして三等伯爵家は、いずれも出自をたどると王族と言う事情があった。そうなると、父親が違う子供の扱いはとても微妙なものとなるのだろう。ちらりとジェノダイトを横目で見て、ヨシヒコは興味津々にその後を尋ねたのである。 「それで、その場合の跡取りの扱いはどうなったのだ?」 「今の技術なら、親子関係を調べることは難しくないですよね。でも、誰も藪をつつこうとは思っていないんです。そんなことをしたら、何が出てくるのか怖いですからね。それでも、流石に跡を継がせるわけにはいかないじゃないですか。だから家の跡は、別の子供が継ぐことになったそうです」  エリシアの説明に、ヨシヒコはわざとらしく「すごいな」と声を上げた。 「ジェノダイト様もそう思わないか?」  しかもジェノダイトに声を掛けるのだから、性格が悪いとしか言いようがない。動揺しては駄目だと心に言い聞かせては見ても、目元が引きつるのは押さえきれないようだ。逆に堪えた分、痙攣したようにまぶたがピクピクと動いていた。 「だが、それでよく問題にならないな」  感心したヨシヒコに、「噂ですけど」とエリシアはヨシヒコに近づいた。 「奥様の浮気相手とされた人にも、奥様がいるんですよ。ですがその奥様との子供も、なぜかその人に似ていなかったそうです。これもまた噂なですけど、奥様の浮気相手は……」 「もとに戻ったと言うことか」  話が読めたと、ヨシヒコは先回りをして答えた。 「まさにその通りなんです。お硬い顔をしていても、皆さん結構自由にしていたようですね。だから今の話も、別に珍しい話ではないんですよ」 「だそうだ、ジェノダイト様」  うんうんと大仰に頷いたヨシヒコに、「皆さん自由なんです」とエリシアはさらに近づいてきた。そしてジェノダイトに背を向けるようにしてから、前かがみになってヨシヒコの顔を覗き込んできた。胸元がゆったりとしすぎたセーターは、当然のように大きく開いていた。 「ヨシヒコ様、教えていただきたいことがあるのですが?」  よろしいですかと顔を覗き込まれ、ヨシヒコは少しだけ顔を遠ざけた。 「何か、聞きたいことがあるのか?」  こう言うときは、おうおうにしてろくなことを聞かれた例がない。少し警戒したヨシヒコだったが、エリシアの問いは意外にも真面目なものだった。 「バルゴールのことなんですけど、タルキシス様の答えはまだ半分だと仰りましたよね。だとしたら、残りの半分は何なのでしょうか?」 「なんだ、そんなことが知りたいのか?」  意外に真面目な問いに驚いたヨシヒコに、「勉強中なんです」とエリシアは答えた。 「これからは、綺麗でも頭が弱くてはやっていけません。ですから、ヨシヒコ様の後宮に入れていただけるように勉強をしているのですよ」 「二等男爵家令嬢のエリシアは死んだと教えたはずだがな?」  だから後宮に入ることはない。その意味で発言したヨシヒコに、「分かっています」とエリシアは答えた。 「ですから、ただのエリシアとして後宮に入れていただこうと思っているんです。セラムさんに権利があるのなら、私にも機会を与えてくださってもいいですよね?」 「セラムの場合、メリディアニ家が後見人になっているのだが?」  条件が違うだろうと答えたヨシヒコに、「それなら大丈夫です」とエリシアは大きな声で答えた。 「ジェノダイト様が、私の後見人になってくださるそうです。ですから、その条件でもセラムさんと同じだと思います」 「ジェノダイト様、これはどう言うことなんだ?」  そんな話は聞いていない。少し不機嫌そうな声を出したヨシヒコに、「聞いてのとおりだ」とジェノダイトは口元を少し歪めた。 「ヨシヒコ様は、私に彼女の身柄を預かるように命じられた。だから預けられた私として、何が一番彼女のためになるのかを考えたのだよ」 「その結果が、彼女の後見人になることか」  ふんと鼻を鳴らしたヨシヒコに、「アズライト様もご承知のことだ」とジェノダイトは爆弾発言をした。 「アズライト様が仰るには、「そのつもりで助けたのだろうから構わない」とのことだ」 「これでは、迂闊にH種の星系にいけなくなるな……」  この調子で後宮に入る女性が増えると、本当に首が回らなくなりそうなのだ。大勢の子供を残せとは言われたが、流石に限度があるだろうと言いたくなってしまった。 「そんなことより、先程の答えを教えて下さいませんか?」 「とても、答えるような気分ではないのだがな」  はあっとヨシヒコがため息を吐いたら、エリシアが強硬手段に出てくれた。どんな強硬手段かと言うと、ヨシヒコの足にまたがるように座って正面から向かい合ってくれたのだ。それだけなら大したことはないのだが、ゆったりとしたセーターの裾を捲り上げて、ヨシヒコの頭からかぶせてくれた。その結果、一枚のセーターを二人で向かい合ってかぶる格好になってしまった。 「これが目的で、そんなセーターを着てきたのか」 「私の体温を感じてくださっていますよね」  エリシアの言う通り、ぴったりくっつくことで彼女の体温を感じることが出来る。だが下着越しでは、誘惑には威力が足りていない。それどころか、ヨシヒコは裸の彼女を抱きしめたこともある。それに比べれば、下着越しの彼女に欲情することはない。  彼女がラルクを持っていなくてよかった。そんなことを真面目に考えたヨシヒコは、「ラルク」と命令を発した。普通ならば逃げられないような状況でも、一度非在化をすれば脱出も難しくはない。するりとセーターとエリシアをすり抜けて、ヨシヒコはジェノダイトの方に移動した。 「努力は認めるが、誘惑としてはまだまだだな。その辺りの手管は、ジェノダイト様に伺ってみるといいだろう」 「ジェノダイト様に、ですか」  つまらないと唇を尖らせたエリシアに、「ジェノダイト様だ」とヨシヒコは繰り返した。 「学生の頃、とても貴重な体験をされたそうだからな」 「ジェノダイト様なら、こんなことをしなくてもよりどりみどりだと思うんですけど」  だから参考になりそうにない。本気で言い返してきたエリシアに、本当のことを教えるべきかとヨシヒコは考えたのだった。  グリゴン星系に入った所で、一行は150万を超える大艦隊の出迎えを受けた。以前の400万に劣るとは言え、列をなした巨大艦の威圧感は想像を絶するものだった。それは展望室で顔を青くしたダイオネア達を見なくても分かるだろう。そしてその事情は、宇宙艦隊に居たイヨも同じだった。顔を青くし、唇を震わせながら「怖い」とヨシヒコの陰に隠れたのである。 「これが、ザイゲル連邦の実力なのか……」  クランカンの口から吐き出された言葉は、間違いなくザイゲル連邦の意図通りのものだろう。バルゴールの者を威圧すると言う目的は、無事達成することが出来たのだ。これで彼らは、軌道城城主にザイゲル連邦に対する恐怖を刷り込むことに成功したのである。  ただヨシヒコは、150万の艦隊を前に少しも怯んだ様子を見せなかった。そして恐怖に顔を引きつらせたダイオネア達に、「分かっていたはずだ」と告げた。 「ザイゲル連邦は、およそ3000の星系で構成されているのだぞ。各々が1万の艦隊をもてば、その総数は3千万を超えることになる。それぐらいのことなら、子供でも計算して分かることだ」  データーと実際に目で見るのとでは、同じ数字でも意味合いが違ってくる。それぐらいのことは理解しているヨシヒコだが、敢えてダイオネア達を突き放すような言葉を口にした。 「これを見れば、地球がグリゴンとの友好に舵を切った理由は分かるだろう。いくら1星系で戦力を整えようとも、圧倒的な物量で攻められれば押しつぶされて終わりだ。バルゴールを中心とした星系連合が無事でいられるのは、奴らが愚直にも帝国法を守っているからだ」  ヨシヒコとしては、重要なヒントを幾つか散りばめたつもりだった。だが目の前の脅威に飽和した頭では、せっかくのヒントを理解することはできなかった。普段は不遜な態度をするタルキシスにしたところで、目の前の光景は受け入れるにはあまりにも絶望的なものだった。 「セラ、ドワーブ様と話は出来るか?」 「すでに待機されているそうです」  その報告に頷いたヨシヒコは、「出せ」とセラに命じた。その命令から少し遅れて、ヨシヒコ達の前に2人の姿が浮かび上がった。一人は良く知るドワーブだったが、もう一人はヨシヒコの知らない顔だった。少しだけドワーブより背が高く、少しだけ体つきはスマートな男だった。その顔には、優越感からだろうか薄っすらと笑みが浮かんでいた。  だが疑問に思った瞬間、セラから相手の情報が伝えられた。 「ドワーブ様、少し帰り道に寄らせていただきました。それからドワノビッヂ、ようやく俺の前に顔を出したか。後から可愛がってやるから、大人しくそこで待っていろ」  H種標準でも可愛らしい女の子に見える男が、A種の強面相手に恫喝まがいのことを言ってくれたのだ。これだけの艦隊に囲まれ平然としているだけでも信じられないのに、どうして相手を挑発できるとダイオネアはヨシヒコの考えが理解できなかった。 「ヨシヒコ様であれば、いつでもグリゴンは歓迎いたします」  普段とは違い、ドワーブの挨拶は微妙にニュアンスが違っていた。その意味を理解したヨシヒコは、「まだまだ課題があるな」とドワーブに返した。 「流石に、バルゴールのものを歓迎できるほど人間が出来ておりませんので」 「ドワノビッヂ、それはお前も同じか?」  威嚇が成功したと確信しているドワノビッヂは、顔に余裕を見せ「私は歓迎できますが」と答えた。 「ただ、その歓迎が手荒なものになるかもしれませんな。何しろバーバレドズは、蛮族の星ですからな」  そうやってダイオネアに当てこすったドワノビッヂに、「嘘つきめ」とヨシヒコは返した。 「本当の蛮族は、自分のことを蛮族などとは言わないものだ。だがお前の言いたいことは理解できた。細かな話は、俺たちがグリゴンに降りてからだ。ドワーブ様、ゲービッヅさんに楽しみにしていると伝えてください」 「ゲービッヅが躍り上がって喜ぶことでしょうな」  珍しくははと笑い、ドワーブが一礼した所で映像が消えた。それを確認したヨシヒコは、リンクを解除するぞと全員に命じた。 「と言うことなので、各自自分の船……まあ、ここでもいいのだが。下船の準備をしておけ」  それだけだと告げて、ヨシヒコはさっさと自分の部屋へと戻っていった。その後ろを、「置いてかないでください」と声を上げてエリシアが追いかけていった。彼女の気分は、すっかり身の回りの世話役になっていた。  エリシアがヨシヒコを追いかけていったのだが、アズライトはそれを少しも気にした素振りを見せなかった。そしてその事情は、アリアシアも同じである。お互い顔を見合わせてから、「私達も」と自分の部屋へと戻っていった。少なくともこの二人は、150万の艦隊を少しも恐れてはいなかった。  そして残る二人の后も、艦隊を恐れてはいなかった。ただそれ以外の全員は、恐怖に足を踏み出すことができなくなっていた。 「お母様、私達も部屋に戻って準備をするのです」  そして臆してない一人、シルフィールがチエコ達に声を掛けた。その言葉が、マツモト家に掛かっていた魔法を問いたのか、ヒトシにチエコ、そしてイヨが大きな息を吐き出した。そしてそれが感染ったように、マリアナとセラム、そしてフレイアが大きく息を吐き出した。現象としてそれだけなのだが、体を縛っていた恐怖が多少は薄らいだようだ。  残るバルゴール組の面倒は、三等とは言え公爵家のシオリが見ることになった。一度グリゴンに降りていることもあり、意味もなく怖がる相手でないことはシオリも理解していたのだ。 「では、私達も用意をいたしませんか?」  そこでシオリは、一番マシそうなタルキシスに声を掛けた。ちなみにシオリは、引き合わされた時にタルキシス本人だと気づかなかった。その事情は同盟関係にあるヴィルヘルミナも同じで、失礼にも「嘘」とタルキシスを指差したぐらいだ。  シオリが予想した通り、3人の中では一番タルキシスが己を保てていた。シオリが声を掛けた程度で、なんとか酷い緊張から解放されることになった。「冷や汗をかいた」と額の汗を拭い、感謝するとシオリに頭を下げた。そして振り返って、ダイオネアとクランカンの肩を少し強めに叩いた。 「いつまでも呆然としているものではない。これだけの数があっても、奴らは俺達の星系にすべてを送り込むことはできん。グリゴンに降りても、威嚇は出来ても手を出すことは出来ないはずだ。そんな真似をすれば、ヨシヒコ様の顔を潰すことになるからな」  だからと行くぞと、タルキシスはもう一度二人の肩を叩いた。そこで何か引っかかりを覚えたのだが、今はその時ではないと二人を連れて行くことを優先した。  ヨシヒコ達だけが来た時に比べ、グリゴンの街は異様とも言える興奮に包まれていた。どこか殺気立っと感じるのは、錯覚ではなく事実に違いない。何しろダイオネア達が乗った車が、一番群衆の注目を集めていたのだ。  車のまま、ヨシヒコ達は星間会議場へと案内された。前回来た時には歓迎一色の雰囲気だったが、今回は歓迎とは示されていたが、空気はとてもピリピリとしたものになっていた。そのぴりぴりとした空気の中、一人平然としてヨシヒコは演壇に立った。どう見てもH種の可愛らしい女の子なのだが、発する迫力は集まった3千の総領主を凌いでいた。  ゆっくりと全員の顔を見渡したヨシヒコは、少し高めの声で「帰ってきたぞ」全員に告げた。 「この短期間で、次の皇帝となる俺が再びグリゴンを訪れることになった。これは、帝国の歴史上例を見ないことに違いない。諸君は、それだけ俺が、ザイゲル連邦を重く見ている証拠だと理解しろ。ただ残念なのは、まだグリゴン以外に降りていないことだ。叶うなら、今回の旅でバーバレドズに降りてみたいと思っている」  どうだと、ヨシヒコは大声でドワノビッヂの名を呼んだ。 「せっかく遠くグリゴンまで来たのだ。俺がその労をねぎらってやろう。次の皇帝と共に旅をすることなど、二度と無いことかも知れんぞ」  「答えは」とヨシヒコはドワノビッヂに即答を迫った。次の皇帝に案内しろと命じられて、それを断ることなど出来るはずがない。ヨシヒコの勢いに押されながら、ドワノビッヂは立ち上がって「光栄にございます」と頭を下げた。 「うむ、感謝するぞ」  本当に偉そうに礼を口にしたヨシヒコは、未だピリピリした空気に会場全体を見渡した。 「前回も挨拶をしたからな。特に俺からは挨拶をすることは……無いこともないか。いやいや、挨拶では無く面白い奴を紹介してやろう。ダイオネア、タルキシス、それにクランカン、すぐに前に出てこい」  3人の名前が出た時、3千人の総領主たちには明らかに動揺が広がった。よりにもよって、宿敵バルゴールの者が星間会議場の演壇に立たせようと言うのだ。腹が立つと言うより、信じられないと言うのが正直な気持ちだったのだ。  だがいくら信じられなくとも、ヨシヒコが3人を呼び出したことに間違いはない。ただ前に出てきた3人のいずれも、まともな精神状態に見えなかった。自分達に臆する姿に、バルゴールの者をあざ笑い同時に溜飲を下げたのである。  こうなることぐらい、ヨシヒコには分かっていたはずだ。さすがのジェノダイトも、ヨシヒコが何をしようとしているのか理解できなかった。もしもこのまま終わってしまったら、3人は屈辱だけをバルゴールに持ち帰ることになる。それは、何もしないよりもさらに悪い事に違いなかった。  だがヨシヒコは、ジェノダイトの心配を他所に3人を自分の前に並べた。当然のように、敵意の固まりが3人に集中した。そんな状態で、いくら肝が座っていても平静でいられるはずがない。3人が顔を青くするのは、事情を考えれば無理も無いことだった。そんな状況の中、「なんだ」とヨシヒコは声を上げた。 「ザイゲルの者達は、客を迎える礼儀もないのか。たとえ相手が宿敵であっても、僅かな数でお前達の前に立ってみせたのだぞ。宿敵だからこそ、歓迎してみせると言う器量は持っていないと言うことなのか」  がっかりだなと大きな声を出したヨシヒコに、待っていたかのように「それは違う」とゲービッヅが舞台の袖から大きな声を上げた。 「われわれザイゲル連邦は、勇気ある者を尊敬する」 「ならば、それを態度で示してみせろっ!」  そう言って、ヨシヒコは手本を見せるように頭の上で手を叩いた。すぐには総領主達から反応がなかったのだが、ゲービッヅがそれを真似、そしてドワーブが手を叩いた所で次第にあちこちで拍手が起きるようになった。 「なんだ、偉そうなことを言ってもザイゲル連邦などこの程度か」  そうヨシヒコが挑発したのに合わせ、ようやく会場全体を拍手が包み込むことになった。いささかやけくそ気味に見えたが、それでも懸命に手を叩いているのは見ることが出来た。 「よぉし、ザイゲル連邦の器量を見せてもらった。ならば次は、バルゴールの器量を見せて貰おうか」  そう言い放ったヨシヒコは、「タルキシス」と顔色の悪い次男坊を呼び寄せた。 「挨拶でも挑発でも構わん。これだけの数を前に、お前の出来ることをしてみせろ」  そう言ってタルキシスに近づき、周りから見えないように股間の一物を右手で握った。やはりというか、それは恐怖から見る影もないほどそれは縮こまっていた。それでもいきなりの暴挙は、タルキシスの意識を引き戻す役には立ってくれたようだ。  何をと言う顔で自分を見たタルキシスに、「マリアナを嫁にするのだろう」とヨシヒコは耳元で囁いた。 「この程度で臆していて、マリアナが惚れてくれると思っているのか?」  情けない奴と口元を歪めてから、ヨシヒコはタルキシスの背中を音が出るほど叩いた。その程度で覚悟が決まれば、誰も苦労などしないだろう。だが少しはましになったタルキシスは、振り返って舞台の袖にいるマリアナを見た。そしてその隣では、セラムが心配そうに自分を見ていた。マリアナに頷かれたタルキシスは、一度大きく息を吸ってから「タルキシス・オム・バルゴール・メリディアニだ」と大声を出した。大声を出せたことで、タルキシスを縛っていた酷い恐怖と緊張は彼を縛り付ける力を弱めた。 「バルゴールを牛耳る、メリディアニ家の次男坊だ。バルゴールとチェンバレン、フェルゴーの同盟の間では、メリディアニ家の放蕩息子で知られているうつけ者だ。だが俺は、テラノに行き、そこで女に惚れどれだけ自分がつまらない人生を送っていたかを知ることになった。そして俺は、自分が変わるように、バルゴールを変えようと思っている。お前達からすれば、それがどうしたと言うところだろう。俺にした所で、バルゴールが変わるのにザイゲル連邦など関係ないと思っていた。だがここに来て、もしかしたらお前達は良い奴なのではないかと思い始めた。それが単なる勘違いなのか、それとも本当に良い奴なのかは、これから確かめてみようと思っている。せっかく近くにバーバレドズがあるのだ、だったらドワノビッヂ総領主殿と話をするのもいいだろう。これから、バルゴールがどう変わっていくのか、是非とも興味を持って見守って貰いたい。俺から話すことは以上だ」  そこで大きく息を吐いたのは、より酷い緊張から解放されたからだろうか。それでも役目は終わったと、タルキシスは元の位置に戻ろうとした。だがヨシヒコは、そんなタルキシスを「待て」と呼び止めた。 「俺は、所信表明演説をしろとは言っていないぞ。バルゴールを変えていくつもりなら、挨拶の一つぐらいちゃんとしてみせろ。それともH種の雄と言われるバルゴールは、挨拶一つ出来ない野蛮人なのか?」  だからやり直しと、ヨシヒコはタルキシスに挨拶のやり直しを命じた。だがタルキシスが演壇に戻り、声を出そうとした所で「もういい」とその挨拶を遮った。 「いつまでも、長々と忙しい総領主達を引き止めておくものではないな。だから挨拶は、これで終わることにする。それからドワノビッヂ、追加で一つ頼みがある。是非とも聞き届けて貰いたいのだが、聞いてくれるか」  バーバレドズへの案内は命令なのに、今度は頼み事と言うのだ。皇帝はすべからく横柄で、頼みごとなどしないと言うのが帝国の常識である。そしてザイゲル連邦のものも、それが真実だと信じて疑っていなかった。だから「頼み」とヨシヒコが口にした時、さすがのドワノビッヂも動揺してしまった。 「な、何なりとお申し付けください」  立ち上がって頭を下げたドワノビッヂに、大したことではないとヨシヒコは言い切った。 「この3人も、俺のついでにバーバレドズを案内してやってくれ。なに、バルゴールの放蕩息子が、お前と話をしたいようだからな」  申し付けろとドワノビッヂが答え、ヨシヒコが「頼み」を口にした時点で、3人のバーバレドズ訪問は決定事項になる。傍目で分かるほど顔を引きつらせたドワノビッヂとバルゴールの3人に、居合わせた総領主たちは「皇帝なのだ」と改めてヨシヒコのことを認めた。意表を付き弄び挑発をし無理を通す。そうやって人を意のままに動かすのは、まさに帝国皇帝の所業に違いなかったのだ。しでかしたことの大胆さで言えば、宇宙の問題児と言われた現皇帝を大きく上回ってくれるだろう。 「これから俺たちは、短時間だがグリゴンを観光してからバーバレドズに向けて出発をする。俺と話をしたい奴は、ゲービッヅに話を通せ。ゲービッヅ、限度を弁えて俺の所に連れてこいよ」  それだけ言い残すと、「行くぞ」とヨシヒコはメリディアニ家の3人に声を掛けた。まだ表情は緊張でこわばってはいるが、3人はなんとかヨシヒコ続いて演壇を降りることが出来たのだった。  そして予告通り行ったグリゴン観光で、ヨシヒコはドワーブ、ドワノビッヂ、そしてタルキシスと同じ車に乗り込んだ。そしてダイオネアとクランカンは、ゲービッヅに案内を任せることにした。 「タルキシス、良くグリゴンの街を見ておくことだ。それからドワノビッヂ、お前がタルキシスに説明をしてやれ」 「私は、グリゴンを良く存じ上げておりません」  つまり、説明など出来ないと言うのである。本当に知らないのかどうかは分からないが、ドワノビッヂはヨシヒコの命令に従わなかったことになる。ただ知らないことへの不明はなじれても、命令に従わない理由にはなるものだった。 「お前は、連邦の中心ぐらい知らないのか?」  情けない奴と挑発をし、「ドワーブ」と横で顔を引きつらせているグリゴン総領主に声を掛けた。 「お前が、ドワノビッヂに教えてやれ」 「つまり、この男には私から説明せよと言うことでしょうか?」  せっかく断ったのにと不満をにじませたドワノビッヂに、「二度も命令に背くのか?」とヨシヒコは質した。  その言葉に目元を引きつらせ、ドワノビッヂは律儀にタルキシスに対して観光案内を始めた。せっかく理由をつけて断ってやったのに、この皇帝様はそれを理解してくれないのだと。いや理解しているからこそ、面白がって遊んでくれるのだと分かったのだ。 「一緒の檻に放り込んでも、仲良くなるとは限りません。それどころか、より険悪な関係になるのではありませんか?」  前後の仕切りを上げ、ドワーブはヨシヒコにいいのですかと聞いてきた。後ろの様子を伺う限り、ドワノビッヂは律儀に説明を続けているようだ。ただ説明する側も受ける側も、はっきりと顔がひきつっていた。 「別に、いきなり仲が良くなるなどと考えていませんよ。ただお互いがどのような相手か、あいつらに理解させようと考えただけです。名前しか知らない相手から、話したことのある相手に関係を変える。そこから先は、これからの時間が答えを出してくれると思っています。それから言っておきますが、タルキシスはバカで腹芸の出来ない正直者です」  どう考えても、それは褒め言葉ではないだろう。ただそれならば、こちらも同じだとドワーブは考えていた。 「ドワノビッヂと、似た者同士と言うことですか」  はあっとため息を吐いたドワーブは、「変化が大きすぎる」と愚痴を漏らした。 「これだけ変化が大きく、そして早くなると、必ず落ちこぼれるものが出てきます。ヨシヒコ様は、それをどうお考えなのですか?」 「落ちこぼれたものが、抵抗勢力になると言いたいのでしょう?」  そのものズバリを指摘され、ドワーブは大きく頷いた。 「それを承知と言うのなら、どう対策されるのでしょうか?」 「なんのために、俺が各種からスタッフと集めると言ったと思ってるのですか?」  ヨシヒコの答えに、そう言うことかとドワーブはため息を吐いた。 「ゲービッヅに押し付けますか?」 「俺は、本人の希望を叶えてあげてるだけです」  そう嘯くヨシヒコに、ドワーブはもう一度ため息を吐いた。 「ならば、ゲービッヅの爵位を上げてやりましょう。一等子爵では、総領主達に話を聞かせるには低すぎますからな」 「それを実力で克服して貰いたいと思っているのですが。まあ、あまりハードルを上げるものではないですね」  「許します」とヨシヒコはドワーブの裁量を認めた。 「しかし、つかみ合いもせずに観光をしておりますな」  振り返って後ろの席を見てみたら、険悪な雰囲気は変わらず観光を続けていた。時々言い合いをしているところを見ると、意外にうまくいっているのかもしれない。ちなみに勃発する二人の言い合いは、次の皇帝がどれだけ酷いことをしているかについてだった。 「似たもの同士、なのではありませんか?」  だからだと答えたヨシヒコに、なるほどとドワーブは今の状況を納得したのだった。 「それでヨシヒコ様、メリディアニ家の者を連れてきた本当の狙いは何なのでしょうか?」  ゲービッヅからは、ザイゲル連邦内の不満を和らげるためとの説明を受けていた。だが目の前にいる女に見える少年が、そんな単純な理由だけで行動するとは思えかったのだ。その考えは、ゲービッヅも認めているものだった。 「本当の狙いですか?」 「我々に敵の姿を見せ、恫喝させて溜飲を下げさせるためだけとは思えませんので」  ドワーブの説明に、「それはそうですね」とヨシヒコは笑った。 「ゲービッヅさんにも、そこまでが限界でしたか。まあ、今まで知らなかったH種のことですから、流石に無理と言うことでしょうね」  とても簡単なことだと、ヨシヒコは一度後ろを伺ってから説明を始めた。 「タルキシス達はまだ気づいていませんが、これがバルゴールの保有する戦力を削減する第一歩だと思っているんですよ。そうすることで、軌道城城主の役割も変わりますし、星系としての成り立ちを変えることになると思います」 「バルゴールの軍縮の理由になると!?」  さすがのドワーブも、「ありえん」と声を上げてしまった。それぐらい、ヨシヒコの話は彼の常識から逸脱していたのである。 「まともな神経を持つ者なら、危機感を強めて防衛に力を入れ、軍備拡大を考えるでしょう。それなのに、軍縮とは……よもや、バーバレドズとの間で友好条約が結べるとでも思っておられるのですか」  絶対にありえないこととして、両者の友好条約をドワーブは持ち出した。 「それも将来の視野には入れていますよ。さすがに俺も、そこまでは期待していませんがね」  もう一度言い合いをしている後ろを見てから、「当分無理でしょう」とヨシヒコは繰り返した。 「私には、絶対にとしか言いようがありませんが……それで、どうしてバルゴールの軍縮に繋がるのでしょうか?」  それが理解できないと零すドワーブに、「とても簡単な理屈です」とヨシヒコは言った。 「どれだけ軍備を拡張しようと、焼け石に水にしかならないからですよ。私は、ザイゲル全体で3千万を超える戦力を持っていると教えてあげました。今のバルゴールは、たかだか2万ぐらいでしかありません。何をどうしても、千倍以上の戦力に対抗できるはずがないんです。裏を返せば、かき集められた150万の戦力ですら対抗する戦力を整備するのに長い時間が掛かるんですよ。軍備拡大に意味が無いと言うのは、少し考えれば簡単に気づくことが出来るものなんです」  感情を排し、冷静に状況を説明させればヨシヒコの言う通りなのだろう。だが敵への備えは、冷静な分析も必要なのだが、恐怖と言う感情を忘れることは出来ない。むしろ軍備に関して言えば、感情が分析に影響をあたえることがあるぐらいだ。 「だが、感情はそれを許してくれないかと」 「相手が信用出来なければ、お互いが軍拡に向かうのは地球の歴史にもありましたね。だから閣下の仰ることは理解できますよ。だからこそ、俺は現実を3人に見せました。この現実を見て、軍備の拡張を主張するようなら、おそらくバルゴールを切り捨てることになるでしょう。メリディアニ家を潰し、俺の息の掛かった総領主の手に治世を渡します」  このような重要な話は、本来観光の片手間で話すようなことではないだろう。ただドワーブと二人きりになれると言うのは、ヨシヒコにとって都合のいい機会には違いなかった。それに、こんな話は知っている者が少ない方が都合が良かったのだ。 「俺がここで話しをしたのは、ドワーブ様に証人になってもらうと言う理由があります。それに加えて言うのなら、ゲービッヅさんへの援護と言う意味もありますね。次の皇帝が、何を考え、どう帝国を誘導しようとしているのか。それを知ることは、これからの彼にも役に立ってくれるでしょう」 「その役目は確かに承りましたが……しかし、バルゴールの者が軍縮に舵を切れるとは思えませんが。私も同じ立場に置かれたら、軍縮など言い出せるとは思えません」  それが本心だと答えたドワーブに、「仕方がありませんね」とヨシヒコは返した。 「今の状況だけからすれば、そう仰る理由も理解できます。ただバルゴールの場合、他にも解決すべき問題があるんです。その問題を解決するためには、過剰な軍備を削減する必要があるんですよ」 「我らに備えるための軍備を、過剰と仰るか……」  驚くドワーブに、ヨシヒコははっきりと頷いた。 「ええ、過剰ですね。ザイゲル連邦が帝国法に従う限り、今の半分でも問題は出ませんよ」  帝国法を持ち出したヨシヒコの意図を、どう言うことなのかとドワーブは考えた。そしてしばらくしてから、「もしかして」と自分の中でまとまった考えを口にした。 「保有する戦力と同数以上の侵攻は許されない。したがって、軌道城を保有するバルゴールは、数を減らしてもバーバレドズの侵攻を跳ね除けることが出来るから……と言うことでしょうか」 「その考えには、実際落とし穴があることは分かっています。ただ、それに気をつけてさえいれば、仰るとおり保有する戦力の数は問題になりません。もちろん、今の状況でゼロには出来ないとは思いますよ。加えて言うのなら、帝国軍の負担が重くなることがありますね。それにした所で、多少と言う程度でしかありませんから」  ヨシヒコの考えに、ドワーブは「ああ」と感嘆の息を漏らした。分析をして分かったこれまでの皇帝の方針と、あまりにも違う、むしろ正反対の方策を取ろうとしているのが分かったのだ。この転換を行うためには、皇帝はシリウス家ではいけないのだと理解が出来てしまった。 「それを、あの若者に教えてはあげないのですか?」 「それでは本人のためになりませんからね。それに、俺の幼馴染を嫁に迎えると張り切っているんですよ。だったら、それぐらいのことは出来るようになってもらいたいと思っています」  期待は分かるが、本当にそれだけの能力があるのだろうか。タルキシスの能力に疑問を持つと同時に、ドワーブは同情も感じていた。ゲービッヅを見ていて分かるのだが、ヨシヒコの期待に応えるのはかなりの困難と努力が要求される。望んで飛び込んだゲービッヅはまだしも、自らを放蕩息子と言った若者は、観察する限り引きずり込まれたように見えたのだ。 「各星系に派遣された総領主も、それだけの要求に応える義務があると言うことですか」  期待されるのは光栄だが、その分負担も大きくなってくれる。どうしたものかと途方にくれながら、ドワーブは自分が興奮するのも感じていた。  この年若い、そしてH種標準でも可愛らしい顔をした若者は、最初にグリゴンとテラノの間で帝国の有り様に一石投じてくれたのだ。その波紋が広がることで、他の種を加えた新しい潮流が起きたのも確かだ。だがその潮流は、無視できないものではあったが、まだまだ完全なものではなかった。少数種ではあるが、H種は帝国の中で大きな力を持っていた。そのH種は、新しい潮流に加わっていなかったからだ。  だがこの若者が次の皇帝となることで、H種も今まで通りではいられなくなる。その功績は、間違いなく現皇帝アルハザーにあるのだろう。それだけでも大きな変化に違いないのだが、この若者はそれだけでは満足していなかったのだ。バルゴールを巻き込むことで、さらに新しい潮流を力強いものに変えようと考えている。それが巨大な潮流となった時、誰も落ちこぼれることは出来ないのだろう。ドワーブが心配した落伍者も、力強い流れからは逃れることは出来ない。 「それにしても、各星系の事情が関係してくるでしょうね。ただザイゲルとH種は、その運命からは逃れられないと思いますよ」  とても重要な話をしていたのだが、後ろの席ではドワノビッヂとタルキシスがまだやりあっていた。  観光の後の晩餐は、とても控えめな規模で行われた。そして恒例になっていた討論会も、カニエ達やアセイリアが来ていないため今回は開催が見送られていた。だがヨシヒコ側の16人に合わせ、ザイゲル側もほぼ同数が晩餐には出席することとなった。ただこの晩餐の問題は、ヨシヒコが主導しない限り、賑やかなものにならないと言うことだ。普段は饒舌なタルキシスにした所で、この場で普段通りの態度を取れるはずがなかった。  その事情は、ザイゲル側にしても変わりはなかった。ドワーブが黙ってしまえば、話題を切り出す度胸のある者は居ない。連邦の方針に逆らうドワノビッヂにしても、晩餐をぶち壊すような度胸はなかった。  そんな味気ない晩餐が終わりを迎えようとした時、突然ヨシヒコが「ドワーブ」とホストに呼びかけた。 「なんでございましょうか」  まともに口が開かれたのは、おそらくこれが最初のことになる。そのお陰で、晩餐に参加した者達に安堵の空気が生まれたのも仕方がないことだろう。だがヨシヒコの口から出たのは、その安堵を吹き飛ばすものだった。 「すぐにとは言わん。だが、お前も引退の時期を考えろ。そして次の総領主を推薦しろ」 「理由を伺っても宜しいでしょうか?」  皇帝が必要だと言えば、それ以上の説明がなされないのはこれまでの常識だった。その意味で言えば、ドワーブはダメ元で理由を尋ねたことになる。そしてドワーブが考えた通り、ヨシヒコは理由を口にしなかった。ただヒントのつもりなのか、一瞬だけ視線をジェノダイトへと向けた。それだけのことなのだが、ドワーブは理由に理解が出来た気がした。 「推薦する相手に、制限はございますでしょうか?」 「それを考えるのも、お前の役目だ。新たなグリゴンの舵取りを、誰に任せればいいかを考えろ」  ヨシヒコの答えに、「なるほど」とドワーブはその意味を理解した。 「畏まりました。ヨシヒコ様が即位される前には、お知らせできるかと思います」 「別に、俺を待つ必要など無いのだがな」  少し口元を歪めたヨシヒコは、テーブルの端にいるドワノビッヂに目をつけた。 「ドワノビッヂ、お前は随分と大人しいのだな」 「聖下の前で、緊張しているとご理解願います」  緊張していると言うのは、その場の方便ではないのだろう。ただ顔つき自体は、憮然としていると言った方がよかった。そんなドワノビッヂに、「楽にしていいぞ」とヨシヒコは答えた。 「何しろ、すぐにでもバーバレドズに向かうのだから。いちいち緊張などしていたら、すぐに疲れてしまうことになる。なに、不遜な真似をしたと叱るようなことはしないから安心しろ」  会議場での話を蒸し返され、ドワノビッヂの顔に引きつりが生じた。だからと言って、皇帝の勅命を断ることなど出来るはずがない。だから「努力します」とだけ返したのである。  それに頷いたヨシヒコは、「晩餐は終わりだな」と全員に告げた。結局ヨシヒコと彼に問われた者以外は誰も言葉を発していない。緊張感だけが際立った、極めて居心地の悪い食事はこれで終了することになる。 「ところでドワノビッヂ、お前達はどれだけ船を持ってきたのだ?」 「バーバレドズは2千ほどです」  その答えになるほどと頷いたヨシヒコは、「すぐに出港出来るのか」と問いかけた。身軽な自分達とは違い、それなりの規模を持った艦隊になると、移動準備だけでも時間が掛かってしまう。 「準備のできている一部の船で、聖下をご案内差し上げようかと思っております」  したがってドワノビッヂも、一部と言うことを説明した。 「うむ、手間をかけるな」  そしてヨシヒコの一言で、早々の出発が決まったことになる。  グリゴンからバーバレドズまで、直行経路で向かえば3日ほどで着くことが出来る。さらには、そこからバルゴールまでは、わずか1日の距離となる。ダイオネアが移動に8日掛けたことを考えると、2日分ザイゲル連邦経由の方が近かったのだ。もちろんそんなルートを使えば、入った途端に敵対行為として船は沈められることになるだろう。巡航している旅客船も、バルゴールからバーバレドズに入るルートは設定されていなかった。その意味で言うのなら、両者の関係は一番近くて遠いと言うことになる。  皇室の船だと考えれば、危険なことになるのは有り得ない。だがバーバレドズが同行する以上、用心している所を見せる必要もある。ザイゲルに対して脅威を抱いていると印象づけるためにも、相応の態度を取る必要があったのだ。その為5隻の船は、強度確保の為にリンク密度を上げて航行していた。 「キャプテンは、この航路を通ったことはあるのか?」  展望デッキにアルタイル号のキャプテンを呼び出したヨシヒコは、これまでの経験を確認した。そんなヨシヒコの問いに、アルタイル号のキャプテンであるルフィール・ホム・リルケ・メリーランド一等子爵は「いえ」とあっさりとした答えを口にした。黒髪に緑色の瞳をした、優男に思える見た目をした男である。 「リルケから見て円周上に移動する形となりますので、通常取ることのないルートかと思います」  アンハイドライトぐらいになると、式典出席のはしごは考えられない。そうなると、確かに円周上を移動することはないのだろう。 「バーバレドズの船だが、あの程度なら蹴散らすことは可能か?」  展望デッキからは、リンクした5隻の船を取り囲むバーバレドズ達の船団を見ることが出来る。ドワノビッヂは「一部なら」と答えたが、周辺星系と合わせて1万を超える船が随行していた。5対1万と言うのは、袋叩きどころではない戦力差である。 「キグナス号のマリーカ船長に任せればなんとか。私は、平和主義者なので戦闘は苦手にしております」 「それを信用できるほど、素直な性格はしていないのでな」  カプチーノを口に含んでから、ヨシヒコはもう一度展望ガラスに映し出された船団を見た。 「それで、分析は?」 「数こそ多いですが、老朽艦が多く含まれているようです。当たり前ですが、大量の艦船を新造するのは財政的負担が大きくなります。それに比べれば、老朽艦を維持する方が楽でしょう。ただ戦力としてみた場合、多少時代遅れなのは否めないのかと」  そこまで説明した所で、ルフィールは「帝国標準としてですが」と注釈を入れた。 「テラノの新造艦で、ようやく老朽艦と同程度と言う所でしょう。ただ船の性能だけで、戦いの帰趨が決まらないのは先の戦いで示されたかと思います」 「バルゴールの船はどうなのだ?」  データーとしては知っていたが、実際の船乗りの意見を聞いてみるべきだ。その考えのもと質問したヨシヒコに、「こちらの新造艦程度でしょうか」と答えた。 「二世代ほど、バルゴールの方が進んでいるかと思われます。船齢としてかなり古くなっているものでも、改修によりザイゲル連邦の新造艦に匹敵する能力は持っています。新規建造艦は技術的に新世代に移っていますが、バルゴールでも導入数が少ないと言うのが実態です」  うんと頷いたヨシヒコは、「もういい」とルフィールを解放した。ヨシヒコに頭を下げたルフィールは、「警戒はしています」と答えてから下がっていった。  その姿が展望デッキから消えた所で、「二人っきりになれましたね」と言う声がヨシヒコの後ろから聞こえてきた。今更振り返るまでもなく、すっかり世話役気取りのエリシアがそこに居た。ちなみに今日の格好は、肩が紐になったドレスタイプのワンピースだった。紺と赤を使ったチェック柄が、中々似合っているように見えた。ただエリシアがその服を選択したのは、紐を解けば簡単に脱げると言う機能性からである。 「何を考えているかは分かるが、それはあまりにも甘すぎる考えだと言ってやろう」 「ですが、アズライト様達はお出でになられていませんよ」  だから大丈夫とエリシアが答えた所で、入り口の方から「ヨシヒコ様」と言う声が聞こえてきた。その途端、エリシアの顔に緊張感が走った。彼女にしてみれば、最大の競争相手が現れてくれたのだ。 「セラムか、今日はタルキシスの面倒を見ていなくていいのか?」  そう言って笑ったヨシヒコに、「タルキシス様は」と言いながらセラムはヨシヒコの前に立った。そこでヨシヒコは、初めてセラムの服装に気がついた。 「なぜ、F女の制服を着ている?」 「女子高生の制服はそそるものだと学校で聞いていましたから」  だからですと言って近づき、セラムはヨシヒコの隣にしゃがみこんだ。そして当然のように、チェアーのアームに置かれた手に、自分の手を重ねた。 「タルキシス様は、疲れてお休みになられました。やはり、グリゴン訪問は精神的に辛かったようですね。その意味では、ダイオネア様、クランカン様も同じですね。皆様疲れたと仰ってお休みになられました。特に体調的な問題が無いのは確認してありますので大丈夫だと思います」  そう答え、「ヨシヒコ様」とセラムはヨシヒコの右手に頬を寄せてきた。 「7ヶ月ぶり……ですよね」 「まあ、確かに7ヶ月ぶりなのだろうな」  確かあの時は、アセイリアとしてセラムに逢っていたはずだ。そしてヨシヒコとして考えると、すでに8ヶ月以上前のことになる。もうそんなに経ったのかと、ヨシヒコは時の流れの早さを感じていた。 「お前には、随分と苦労をかけたようだな」 「そんなことは、もう忘れました。そして、私達には十分時間があると思っています。浦安にはいけませんでしたが、こうして宇宙に一緒に来ることが出来ました」  センテニアル前の約束を持ち出したセラムに、「ああ」とヨシヒコはその時のことを胸の痛みとともに思い出した。あの時はまだ、アズライトへの愛を自覚していない頃だった。その一番の理由が、皇女と結ばれるはずがないと言う諦めである。そしてもう一つが、今隣りにいるセラムと言う存在だった。 「全部、置いてきてしまったと思ったんだがな。まだ、お前が残っていたと言うことか」 「ヨシヒコ様との縁は繋がっていたと言うことだと思います」  「そうだな」とヨシヒコが答えようとした時、後ろからわざとらしい咳払いが聞こえてきた。自分がいることを忘れるな。いつの間にか忘れらたエリシアの、危機感の篭った自己主張である。 「あら、まだいらしたのですか?」  セラムもまた、とてもわざとらしく驚いた顔をした。そんなセラムに、「私はヨシヒコ様のお世話役ですから」と、エリシアは勝手に自分の役割を主張した。 「でしたら、今は必要ありませんので目の届かない所に居てください。世話役の、エリシアさん」  自分の言葉を利用されたのだが、その程度でエリシアが負けるはずがない。その辺りは、社交界の荒波で揉まれたことと無関係ではないだろう。「いえいえ」と首を横に振ったエリシアは、「タルキシス様が心配ではありませんか?」と別の方向から攻めてくれた。 「タルキシス様は、私が後宮入り出来るよう、全力でバックアップしてくださると仰ってくださいました。そのお気持ちを無にしないためにも、私はここに来ているのですよ」  ふふふと可愛く笑いはしたが、ヨシヒコにはどこか邪悪さを感じさせる笑みでもあった。 「そう言うことでしたら、私はジェノダイト様がお手伝いしてくださると仰ってくださいましたよ」  ともに一等侯爵だと考えれば同格だが、候補と当主では当主の方が立場が強くなる。足りない胸を張った辺りは、「私の勝ちですね」と威張っているようにも見えた。  顔の造形はエリシアが、そしてスタイル的にはセラムが、いずれも僅差ではあるが相手に勝っているのだろう。その意味で言うのなら、この戦いは間違いなくハイレベルのものとなっていた。ただヨシヒコの感情的な問題で、今はセラムが優位に立っていると言うのが現実だろう。それにした所で、圧倒的優位を作るところまでは至っていなかった。 「ニホンのジョシコーセーなどと言うあざとい格好をするのが、涙ぐましいですわね」  とエリシアがセラムの格好を笑えば、「自分で紐を解くのは、悲しくなりませんか」とセラムも言い返した。二人の言い合いが始まった時点で、どちらかが勝者となるのはもはやありえないことだろう。何しろヨシヒコそっちのけで、どちらがいいのかを事細かく言い合いを始めてくれたのだ。  セラムの新しい一面を見た気がしたのは、ヨシヒコにとって発見には違いないだろう。だが目の前で競い合う少女二人に、そろそろ止めて欲しいなと思うようになっていた。そんな所に天の助けか、「賑やかですね」とアズライトが入ってきた。セラムからすれば、援軍の到着に見えたことだろう。何しろマリアナと一緒に話をした時には、「お手伝いしますからね」と言われていたのだ。  だが「無駄なことをしていますね」と笑うアズライトに、セラムは自分の聞き違えかと耳を疑った。アズライトならば、自分のためにエリシアを排除してくれるものと思っていたのだ。  そしてヨシヒコにしてみれば、これで目の前の混乱を当たり障りの無い形で収束することが出来る。最愛の妻が現れてくれたのだから、二人を帰すことも問題がないと思っていた。不毛な争いにしても、自分の前でなければ意味が無いと思っていたのだ。  ただ政治的には想像力の働くヨシヒコも、この手の問題に関して言えば常識的だと言わざるをえない。それでも、「何を争っているのか分かりません」と言われた時には、皇妃としての立場を持ち出すのだろうと思っていた。だが続いた言葉は、完全にヨシヒコの期待を裏切るものだったのだ。  二人の顔を呆れたように見たアズライトは、「なぜ、どちらか一方と言う話のなるのでしょうか」と疑問を口にしたのである。それだけなら、まだ「どちらもない」と言う可能性は残っていたのだろう。 「後宮に入る人数に、制限などありませんよ」  そう言って、アズライトはヨシヒコの淡い期待を打ち砕いてくれたのだ。それを聞かされた時、ヨシヒコは誰のせいだと文句を言いたくなっていた。  ザイゲル連邦で最辺境に位置するバーバレドズは、常に宿敵バルゴールと向かい合っていた。そしてその抗争の歴史は古く、1800年前の帝国編入直後から始まっていた。そして何度も行われた戦いで、バーバレドズはバルゴールに破れ続けたのである。その経緯があるため、バルゴールはバーバレドズを脅威として認識しているし、バーバレドズはバルゴールを怨敵として恨み続けていた。 「なるほど、外観的にはグリゴンに似てはいるのだな」  A種が発生した惑星の特徴は、硫黄の濃度が極端に高いと言うことがある。その為体には、一部硫黄が酸素の代わりに取り込まれていた。固くなった皮膚は、その硫黄成分の影響である。そして宇宙から星を見ると、ぼんやりと黄色がかって見えるのがA種の住まう星の特徴となっていた。 「そうですね、多少の違いはあってもA種の惑星は類似点が多くありますね」  アルタイル号の展望デッキには、皇妃となるアズライトが訪れていた。そしてヨシヒコの隣に立ち、簡単な説明をしたのである。当然のように、アズライトはバーバレドズでも天災と言われた振る舞いをしていた。  「それで」とバーバレドズのことを聞きかけたヨシヒコだったが、すぐにその質問を思いとどまった。 「ヨシヒコ、なぜ質問をやめたのですか?」  それを気にしたアズライトに、「なに」とグリゴンで分かった事実をヨシヒコは口にした。 「グリゴンと比べてどうだと聞こうと思ったのだがな。だがお前が、グリゴンのことをよく知らなかったことを思い出したのだ。だとしたら、バーバレドズだけ知っているとは思えないだろう。だから無駄だと思い、質問をやめることにしたのだ」 「否定はできませんが、無駄と言うのは失礼だと思いますよ」  少し頬を膨らませて文句を言ったアズライトは、「人の違いぐらいは分かります」と答えた。 「遠慮した言い方をするのなら、洗練さに欠けるでしょうか。遠慮のない言い方をすると、粗野と言う事になりますね。気性的には、グリゴンより荒いと言っていいでしょう」 「そして保有戦力は、数だけならザイゲル連邦の平均値よりも大きくなっているか」  それだけの事実で、バーバレドズの状況が見えるようだ。なるほどなと頷いたヨシヒコは、隣に立つアズライトの腰を抱き寄せた。 「手出しを控えていて、欲求不満が溜まりましたか?」  ふふふと笑ったアズライトは、「お姉さま達と相談した結果なんです」と可愛らしい顔で言った。 「私達は、せがむだけでは駄目ではないか。そう思ったんですよ」  だからヨシヒコに、欲求不満を溜めさせようと言うのだ。愛する妻の言葉に、「これが欲求不満か」とヨシヒコは驚いたように口にした。 「これがそうなら、大したことはないのだな。うむ、しばらく欲求不満を溜めるのも悪くはないか。色々と考える時間も取ることが出来るからな」  少し嬉しそうに頷く夫に、「それは」とアズライトが慌てた。精神的に優位に立つための策略だったのに、それが逆効果に働いているのを教えられたのだ。そうなると我慢比べなのだが、皇女様に我慢を求めるのは無謀なことに違いない。  途端に目が潤んだアズライトに、「可愛いな」とヨシヒコは改めて感動していた。だから抱き寄せる腕に力を込め、「どうしたいのだ」と耳元で囁きかけた。 「言わないと駄目なのですか?」  耳まで真っ赤にして、「意地悪」とアズライトは文句を言った。 「性格が捻くれているのも、皇帝の条件ではなかったのか?」  普段言っていることを言い返され、アズライトはもう一度「意地悪」と言い返したのだった。  次の皇帝がその皇妃と第一皇女を連れて訪問するのは、バーバレドズの歴史を見ても初めてのことだった。無理難題を押し付けられたと受け止めたドワノビッヂも、このことだけは栄誉だと受け取っていたのである。連邦に属する他の星系に対して、特別扱いを受けたと自慢することも出来たのだ。その代償だと考えれば、バルゴールの者を受け入れるのは大したことではないと言えるだろう。事前に恐怖を刷り込んだことも、受け入れを許容できる口実になっていた。  それもあって、ドワノビッヂは国民全てに威嚇を込めた歓迎を指示していた。バーバレドズの国力を示すことで、さらなる追い打ちを掛けようと考えたのである。 「まあ、地上戦を無意味だと言うつもりはないが」  空には2万にも及ぶ艦隊が低軌道で存在感を示し、地上では大規模な陸軍がその装備を誇示していた。それだけを見れば脅威になるのだろうが、ヨシヒコにしてみれば「何を今更」の示威行動でもある。そもそも制空権が侵された時点で、地上軍の意味は限りなく薄くなってしまう。大規模な地上軍の投入が可能になった時点で、戦いはすでに決着がついているはずだ。 「ドワノビッヂ、随分と盛大な歓迎だな」  ヨシヒコの問いかけに、バーバレドズ総領主ドワノビッヂは「次なる聖下をお迎えする以上当然のことです」と答えてみせた。とても機嫌が良さそうに見えるのは、地上に降りたバルゴールの者の顔色の悪さが理由だろう。ヨシヒコが平然としているのは残念だが、それでも目的は十分に達成できたと考えていたのだ。 「なるほど、これがバーバレドズの誠意と言うことか。うむ、その誠意は確かに受け取らせて貰ったぞ」  ぐるりと見渡したヨシヒコは、「ところで」と話を歓迎方法に向けた。 「俺に見せられるものは、これしかないと言うことか? ドワーブは、数々の芸術を俺達に見せてくれたぞ。アズライト達も、もっと早く見ておくべきだと後悔したぐらいだ」  そう口にしてから、「これだけか?」とヨシヒコは問い直した。もちろん、ドワノビッヂから答えはなかった。 「まあ、余裕がなければ芸術が発展することもないのだろうな。景色を愛でると言う考えも浮かばないのも仕方がないことか。それだけお前達は、バルゴールと言う影を意識していると言うことだな」  そして挑発ではなく理解をすることで、ヨシヒコは逆にドワノビッヂの神経を逆なでした。 「お前達は、帝国法の範囲でバルゴールを打ち破ることは出来るのか?」 「出来ないことはないと考えております」  なるほどと、ヨシヒコは小さく頷いた。 「ならば今は、自重している所と考えればいいのか?」  打ち破れるのに行動に出ていない。その理由を自重に求めたヨシヒコに、「それは違います」とドワノビッヂは答え、取ってつけたような建前を口にした。 「我々も名誉を重んじ、そして平和を愛しております。無意味な殺生を好むような野蛮人ではありません」  その説明に、ヨシヒコは少し目を見開き感激したような態度を取った。 「なるほど、俺は随分と失礼な決めつけをしていたのだな。意味もなく地球が攻められたこともあって、ザイゲル連邦は戦争が好きだと勘違いをしていた。立場上謝罪をする訳にはいかないが、お前の言葉は深く心に刻みつけておくことにしよう」  素晴らしいことだと感激するヨシヒコに、ドワノビッヂは内心「ちょろいな」とヨシヒコのことを笑っていた。ただそれを態度に出すほど愚かではないし、持ち上げておいた方が利益になるのも理解していた。 「我々は、ヨシヒコ様が行う治世のお手伝いをしたいと願っております。今回ご来光頂いたことは、その第一歩になるのかと考えております」 「うむドワノビッヂ、お前の活躍を期待させて貰おう」  ヨシヒコの言葉に、ドワノビッヂはますます優越感を強くしたのだった。  愚か者ばかりが集まっている。皇帝一行を迎えたパレードを見ながら、一人の女性がバカにしたような思いを抱いていた。身の丈は180近く、A種の女性としても背の高い方になるのだろう。A種標準の浅黒いひび割れた肌をし、全体に細身でこけた頬していた。くすんだ茶色のローブは、どこか貧乏臭さを感じさせるものだった。 「次の皇帝に踊らされているのを、誰も理解していない」  バーバレドズ星系に居を構える、三等子爵ザギエブ家の次女に生まれたズルヅガヤは、いらない子として育てられてきた。家に男が生まれてしまえば、娘と言うのは嫁に出すぐらいの意味しか持っていなかった。そして子供をたくさん生むことだけが、嫁に出された娘に期待されたことだった。その意味で、20代後半に差し掛かったズルヅガヤは、義務を果たさない厄介者と言うことになる。すでに父親からは、好きにしろと見捨てられていた。 「聖下に、巧みに誘導されているとどうして気づかないのだ」  愚か者めと、窓から見える群衆に向かって、ズルヅガヤは毒を吐いていた。見た目の悪さと口の悪さが、彼女が嫁いでいない理由になっていた。しかも彼女自信、単細胞の愚か者の所に嫁ごうとも思っていなかったのだ。その結果婚期を逃すことになり、家では厄介者として扱われる事になっていた。 「聖下はっ」  父親から見捨てられたこともあり、ズルヅガヤには有り余る時間があった。そこでバーバレドズの外の世界に目を向けたズルヅガヤは、帝国の新しい動きを知ることになった。バーバレドズでは蛇蝎のごとく嫌われ、そして嫌われるのと同等の畏怖を集めていた現皇帝が、最後に帝国に加わった辺境惑星の庶民に敗北を喫したと言うのである。初めは与太話だと信じもしなかったズルヅガヤだったが、それが事実であることを理解した所で、次に皇帝に勝利した庶民に興味を持った。  それでも初めは、テラノ総領主であるジェノダイトの企みかと考えていた所があった。現皇帝アルハザーの親友なのだから、それぐらいの才覚があってもおかしくないと考えたのである。だがヨシヒコの行動に、その考えも否定されてしまった。バルゴールの者をグリゴンに連れて行くと言う情報を得た時に、ズルヅガヤはヨシヒコこそがすべての中心なのだと理解したのである。だからヨシヒコの考え方を、あまりまくる時間を使って分析をおこなった。そして得た結論は、威嚇を目的とした大歓迎は、次なる皇帝聖下の思惑通りだと言うことだ。 「ドワノビッヂを、気持ちよく誘導している」  グリゴンでの出来事を分析すると、どう考えても手のひらの上で遊ばれているとしか思えない。グリゴンにも切れ者はいるのだろうが、それすら次なる皇帝の意のままになっているように思えたのだ。それを考えて分析をすると、次の皇帝の目的が一つの方向に向かっているのが見えてくるのだ。 「グリゴンの次に、直接バーバレドズを訪問した理由は……間違いなく、ドワノビッヂは勘違いをしているだろう。これは巧妙に張り巡らされた罠なのだ」  紫色をした飲み物を啜ったズルヅガヤは、小さく息を吐いて「恐ろしい人だ」とヨシヒコを評した。 「余計な寄り道をしないことで、グリゴンとの違いを際だたせることが出来る。ドワノビッヂには優越感を、そしてバルゴールの者にはグリゴンとの比較を。そこで問題は、バルゴールに正しく聖下の意図を受け止められる者がいるのかと言うことだな。もしも居たなら、バルゴールは大きな変化を迎えることになるだろう。だがバーバレドズは、なんの変化もなく、連邦の辺境星系と言う立場は変わらない」  そこでズルヅガヤは、違うと小さく首を振った。それに合わせて、彼女の銀色の短めの髪が揺れた。 「その程度で満足される聖下では無いのだろう。聖下の期待には、バーバレドズの変革も含まれているはずなのだ。だがドワノビッヂでは、聖下の意図を汲み取ることは出来ないだろう。それぐらいのことは、聖下も理解されているはずだ。ならば聖下は、どうバーバレドズを変えようと考えられるのか」  そう考えているうちに、ズルヅガヤはヨシヒコと話をしたいと言う気持ちが抑えられなくなっていた。だがいくら望もうとも、彼女が三等子爵家の次女と言う立場に変わりはない。しかも穀潰しと周りから蔑まれるような女でしかなかったのだ。次の皇帝を歓迎するパーティーが開かれても、会場に入る資格が与えられるはずもない。彼女にヨシヒコに接見する機会を与えられることはあり得なかった。 「私には、どうしようもないと言うことか」  次なる皇帝の意図に気づいているのに、それを誰にも教えることが出来ない。親しく話ができる立場にあれば、自分はきっと役に立てるはずなのだ。そう考えながらも、ズルヅガヤは同時に現実も理解していたのである。  ザイゲル連邦に囲まれていると言う意識は、メリディアニ家の3人を押しつぶすプレッシャーになるはずだった。だがバルゴールまで1日と言う事実が、気持ちの上で彼らを助けたのは確かだろう。威嚇と言う名の歓迎を受けながら、タルキシスはグリゴンとの違いを肌で感じていた。 「グリゴンに比べ、しけた星なのだな」  街にある建物は古臭く、目を引くような建物も皆無と言うのがタルキシスの感想である。そして威嚇と言う名目で集まった市民も、グリゴンに比べてどこか疲れたように見えてしまったのだ。惑星全体が無理をしている。バルゴールと変わらないのだと、タルキシスはバーバレドズをそう理解した。 「すべてのリソースを、バーバレドズは軍事に振り向けたと言うことか」  どうだと問われたクランカンは、「確かに」とタルキシスの言葉を認めた。 「数だけで言えば、2万の戦力は脅威となるのでしょう。ですが国全体がこの状態で、いつまでその戦力を維持できるのか。人のことは言えませんが、愚かしいことだと理解できました」  ふうっと息を吐き出したクランカンは、「失礼しました」と今の行動をタルキシスに詫た。 「いや、別に気にする必要はないぞ。俺も、どこか安堵するものを感じているからな」  少し引きつり気味に笑ったタルキシスは、「テラノはすごいな」と誰も予想しないことを口にした。 「なぜ、そうお考えになられたのですか?」  すごいと言うことに異論はないが、今この場で出る感想とは思っていなかった。それをこの場で口にしたことに、クランカンは興味を覚えたのである。 「遅れた辺境の惑星であるテラノが、僅かな人数でザイゲル連邦の中心グリゴンに乗り込んでいったのだぞ。幾らアズライト様が同行されていたとして、平静な気持ちでいられるのだろうか。それなのに、アセイリアと言う女性……いや、聖下と言うべきか。聖下は、ドワーブ閣下にテラノを認めさせる働きをされた。それに引き換え俺たちは、聖下に手取り足取り導かれてもこの体たらくなのだ。それを考えれば、テラノは凄いとしか言いようがない。そしてただの庶民でしかなかった聖下に、すべてを任されたジェノダイト様も凄いとしか言いようがないだろう」 「仰られたことは、確かにその通りなのかと。でしたらタルキシス様、我々バルゴールはどうすべきとお考えですか?」  クランカンの問いに、タルキシスは「よく分からん」と返した。それを責めるような目をしたクランカンに、分からないものは仕方がないだろうと言い返した。 「俺はまだ、勉強の途中なんだぞ。いきなり何もかも出来るようになれと言うのは、無理な要求と言うものだ。その辺りは、暖かく将来を見守って欲しいものだな」 「ですが、我々にもさほど時間が与えられていないように思われます」  誰にと言う所で、二人は可愛らしい顔をした少年を頭に浮かべた。自分達には機会が与えられたが、それにも時間制限があると言うことだ。もしも時間切れとなった時、自分達は一体どうなるのだろうか。酷い目に遭わされることはないと分かっていても、やはり不安が先に立ってしまう。 「やはり俺は、放蕩息子と言われようと、ぬるい世界に生きていた方が良かったか」  苦笑交じりに吐き出された言葉に、クランカンは再び責めるような視線を向けた。そして「手遅れです」と冷酷な事実を告げた。 「そんなことをすれば、今までとは比べ物にならない退屈さを味わうことになるのでしょう」 「つまり俺は、逃げ道を失ってしまったと言うことだ。ならば、少しでもましな方向へと突き進む以外に無い訳だ。なあ、クランカン」  回りくどいなと思いながら、クランカンも「その通りでしょう」と答えた。タルキシスに今更と言ってみたが、それは軌道城城主である自分も変わりはなかったのだ。 「と言うことで、俺達はまだまだ頭を使う必要があると言うことだ。あの親切と言うかお節介な次の皇帝様のことだ。これまでのことに、ヒントが散りばめられているのに違いない」 「そう考えるのが自然かと」  ヨシヒコのお節介さは、クランカンも実感していたことだった。何しろ嫁の来てがない軌道城城主に、美人の嫁候補を紹介してくれたのだ。しかもその嫁候補には、軌道城城主の抱えた問題への解決策の一部を授けている。それをお節介と言わずして、なんと言えばいいのだろうか。  ただお節介ではあるが、同時に質が悪いとも考えていた。自分達が種を蒔いたところもあるが、これでメリディアニ家と軌道城城主は今まで通りでは居られなくなってしまったのだ。自分達の焦りを利用し、いいように誘導されたのだとようやく理解できるようになっていた。 「さて、バルゴールに帰ってからのことだが」  まだバーバレドズに着いて間もないのに、タルキシスの気持ちはすでにバルゴールへと向かっていた。バーバレドズに感じた歪は、バルゴールにも感じることが出来たのだ。そしてバーバレドズには手が出せないが、バルゴールであれば自分達で歪を正すことも可能なはずだと思ったのである。 「まず、御当主様とお話をされるのが重要かと」  今の権力者は、ダイオネアではなく現当主のキャスバルなのである。バルゴールを変えようと考えた時、必ずキャスバルの理解が必要となる。そのためには、じっくり膝を交えて話し合う必要があるのは言うまでもない。そこで挫折しているようでは、バルゴールを変えることなど出来るはずがないのだ。  クランカンの言葉に頷いたタルキシスは、「その後が問題だ」と彼の顔を見た。 「親父と話すことは問題はない。色々と言われるだろうが、それも想定の内だ。だが親父と話した後、お前達軌道城城主と話すことも必要だと思っている。バルゴールを変えると大言壮語するのはいいが、その時にはどう変えると言うビジョンが必要だろう。そしてそのための方策を練る必要がある。「これから考える」では、失望されるのが落ちだからな」 「仰る通りかと、そして加えて言うのなら、総領主殿とお話されることも必要でしょう」  その指摘に、クランカンは「確かに」と頷いた。 「やらなければいけないこと、纏めなければいけない考えが、本当に山のようにあると言うことだ。それを考えるのは、本来俺の仕事なのだろうが……流石に手に余る部分があると思っている。だからクランカン、勝手な言い分で悪いが、お前にも手伝ってもらいたいと思っている」  悪いなと謝るタルキシスに、「いえ」とクランカンは首を横に振った。 「仮にも一等伯爵を名乗る身分なのです。ならば、その身分に相応しい働きをしてみせましょう……と私も偉そうなことを言いましたが、己の力不足を実感している所です。とは言え、お手伝いさせていただくことに、異論はございません」  ご指導願いますと頭を下げたクランカンに、「無理を言うな」と言ってタルキシスは笑った。そして笑いながら、お節介な次の皇帝様を持ち出した。 「今回ヨシヒコ様も、バルゴールにおいでになるのだ。平穏無事で済むとは、俺にはとても思えんのだよ」  その指摘に、「確かに」とクランカンも同意した。バーバレドズを通る経路を使用したことで、ヨシヒコのリルケに向かうルート上にバルゴールが浮上したのだ。それを考えると、ヨシヒコがバルゴールを素通りするとは考えられなかった。そしてヨシヒコが現れれば、小さくない変化が起きるのも必然のことだろう。  もしもそうなった時、自分達の地道な検討は役に立つことになるのか。影響力の大きな次の皇帝様の存在に、格が違うとタルキシスは諦めていた。 「クランカン、どうやら俺達は何が起きても動じない胆力が求められることになりそうだな」 「覚悟はしておきますが、果たしてその程度で役に立ってくれるのか……」  甚だ疑わしいと答えたクランカンに、「同感だ」とタルキシスは返した。 「それでも俺は、良い方向に向かっていると確信をしているのだ」  だから努力を続けていくことも出来るのだと。クランカンを見ながら、タルキシスはそう答えたのである。  時代が動く時には、予想もできないことばかりが起きてくれる。タルキシスのことを教えられた時、キャスバルは最初に自分の耳を疑ったぐらいだ。だがそこで感じた驚きにしても、すぐに生易しかったのだと思い知らされてしまった。事もあろうに、バルゴールの一等公爵家の者が、軌道城城主と共に宿敵であるバーバレドズを訪問したと言うのである。そこで歓迎と言う名の威嚇を受けたと言うのだから、何が起きたのだと言いたくなる。しかも次の皇帝聖下が、予定にないバルゴール訪問が行われる事になったのだ。どうなっているのだと、キャスバルが考えるのも不思議な事ではない。  ただタルキシスが心を入れ替える程度ならば、メリディアニ家内部で収まる問題でしかなかった。だが次の皇帝聖下がバルゴールを訪れるとなると、バルゴール全体の問題となってくれる。そうなると、バルゴール総領主であるシリングと話をしなくてはならなくなる。 「まさか、あなたが総領主府にお出でになられるとは想像もしていませんでしたよ」  38と言う年齢以上に老けた顔をしたシリングは、椅子から立ち上がってキャスバルと握手をした。そして彼をソファーへと案内し、自分もその対面に腰を下ろした。 「次の皇帝聖下がバルゴールにおいでになる件だと考えれば良いのでしょうか?」  いきなり本題を切り出したシリングに、キャスバルは少し神経質そうな顔をして頷いた。 「総領主殿は、何か事情をご存じないか?」 「事情と言われましてもね、いきなり「行くぞ」と指示が来ただけですよ。補足させていただくと、それ以上の説明はどこにもありませんでした」  だから事情に類することは、一切合切不明だとシリングは説明した。父親からの情報と照らし合わせてみても、シリングの言葉に嘘がないのは理解できる。そうなると、次の皇帝となるヨシヒコは、ただ単に通りかかったからバルゴールに寄ると言うことになる。だがそんな話を、キャスバルは当然としてシリングも信じてはいなかった。  だとすると、次の皇帝が何を目的にバルゴールに来ることになるのか。普段から仲が良いとは言えない二人が、顰めっ面をして向かい合うことになった。それだけを取り上げれば、両者の関係は決裂直前に思えたことだろう。しかしその実態は、どうしてこうなったと言う困惑が理由だった。 「ご子息、タルキシス殿のことなのですが?」  そこで話を切り出したシリングは、「どうされるのですか?」とキャスバルに問いかけた。メリディアニ家の次期当主の話となると、総領主としても知らないで済ませる訳にはいかない。だが「どうする」と問われた方にしても、にわかに答えの出せる話ではなかったのだ。 「父の話では、心を入れ替えて努力を始めた……と言う話なのだが。だからと言って、今までが今までだからな。はいそうですかと、頭が切り替えられるはずがない。なにより、わしはタルキシスの今を見ていないのだ」  明らかに困惑を顔に出したキャスバルに、その気持は十分シリングにも理解できた。何しろバルゴールに来て10年も総領主をしていれば、メリディアニ家の跡取り息子の行状など嫌と言うほど耳に届いていたのだ。ただ二人の息子の行状は、微妙に違うことはシリングも理解していた。 「仰ることは理解できますが……次の皇帝聖下が関わられると、話が変わってきませんかね」 「それもまた、悩ましいことだと理解しております」  顔を見合わせて唸ってみても、明日には次の皇帝一行がバルゴールに到着する。正確に言うのなら、14時間後には軌道城の一つ、マズルカに入港する予定になっている。総領主府に現れるまでに、20時間を切っていたのだ。しかも寄港ルートは、戦争以外で使用された実績のないバーバレドズからの最短ルートだった。 「それで、お迎えの方はどう言う手はずなのだ?」  次の皇帝が顔を出すともなると、なんのレセプションも行わないで済ませる訳にはいかない。それを問うたキャスバルに、シリングは少し顔を引きつらせた。 「こう言う時だけ、私に仕事を振りますかね」  何しろ普段の行事では、総領主が蔑ろにされ続けてきたのだ。それを考えれば、今回もメリディアニ家が仕切るのが当たり前に思えていたのだ。 「時代が変わるのだから、役割を変えても良いのではないのか?」  キャスバルの答えに、「ほう」とシリングは感心したような声を出した。 「それが、メリディアニ家としての答えと言うことでしょうかな?」  それが正しければ、バルゴールは大きな変革の時を迎えることになる。そのつもりで確認したシリングに、「そう思い始めた所だ」とキャスバルは躱した。 「本当に任せてよいのか、分からないうちから放り投げるのは無責任の誹りを免れないだろうからな」 「なるほど、お試し期間を儲けようと言うのですか」  分かりますと物分りの良いことを言いながら、どう出し抜くかをシリングは考えることにした。  よほどドワノビッヂを連れてきてやろうかと思ったのだが、それを口にした瞬間に周りから猛烈な反対を受けることになってしまった。それだけなら「次の皇帝」として押し切ることもできるのだが、タルキシスに土下座までされては我慢せざるを得なくなる。覚悟の無い所に混乱の種を連れていくのは、アルハザーよりも情け容赦の無いことになってしまうと考えたのだ。 「まあ、これだけ近ければ神経質になるのも理解はするが」  いつも通りに展望デッキでのんびりするヨシヒコに、これまたいつも通りにエリシアがカプチーノを運んできた。本当にいつも通りのことなのだが、「あれっ」とヨシヒコは少し違和感を覚えた。 「何か、嬉しそうに見えるのだが?」  後宮入りの話はないと突っぱねたのに、それを気にした素振りを見せていなかったのだ。それどころか、バルゴールが近づくに連れて機嫌が良くなているように見えていた。  そして嬉しそうと言うヨシヒコの指摘に、「嬉しいですよ」とエリシアはお盆を胸に抱いて微笑んだ。今日の格好は、首まで詰まった白のブラウスに、膝下までの黒のスカートである。ブラウスの襟に花の刺繍こそされているが、今までになく地味で落ち着いた格好だった。ブラウスのシルエットを見るかぎり、ちゃんと下着もつけているようだ。髪の毛も珍しくストレートにしているのだが、彼女の美少女ぶりは健在だった。 「メリディアニ家の方は、バルゴールでお別れになりますから」  なるほどセラムが居なくなることを喜んでいるのか。アズライトには「一人である必要はない」と言われているのに、それでもセラムは彼女のライバルのようだ。ただ彼女にとってのアドバンテージも、2日ほどしかないのを理解していないようだ。 「それで、あちらはどうしているんだ?」 「セラムさんが仰るには、本家と連絡を盛んに取り合っているそうですよ。とても忙しそうに見えるそうです」  その答えに、今度はヨシヒコが「あれ」と首を傾げた。 「セラムと連絡を取り合っているのか?」 「そうですけど、なにかおかしかったでしょうか。彼女は同い年ですし、この中では一番話しやすいですからね。と言いますか、他の人達は話しにくくて……」  言われて初めて気がつくのもどうかと思うが、確かにエリシアの言う通りだと理解できたのだ。もともと三等男爵家の娘として生まれた彼女に、今の環境はかなり厳しいものなのは間違いない。何しろ皇族二人に、一等侯爵家が二家、そして三等侯爵家に一等伯爵家まで揃っているのだから、身の置き所がないと考えるのも不思議ではない。まだマリアナが居るとは言え、その事情はセラムも同じなのだろう。  「だからなんです」とすべての事情をすっ飛ばしたエリシアは、甘えるようにヨシヒコの膝に座ろうとした。だがその試みは、「少しお邪魔するのです」と入ってきたシルフィールに邪魔をされてしまった。  またですかと肩を落としたエリシアに、「真面目な話なのですよ」とシルフィールは申し訳無さそうな顔をした。 「あなたの邪魔をするつもりはないのですが、バルゴール入をする前に片付けておかないといけない話なのですよ。だからあなたにも、暫くの間遠くに行っていて欲しいのです」  いつの間にか後宮入りすることになったとは言え、入った者と入っていない者との間には、絶対に越えられない壁がある。壁の抜け穴を探している段階のエリシアは、シルフィールを敵に回す訳にはいかないと言う事情があった。だから大人しく、「御用の際にはお呼びください」と名残惜しげに展望デッキを出ていった。 「まだ、手を出してあげてないのですか?」  用があって来たくせに、シルフィールは最初に後宮入居者事情を持ち出した。嫌ってないのなら、手を出してあげればいいと言うのが彼女のスタンスである。その裏には、人数が増えた方が気が楽と言う切実な事情があった。アリアシア達とは打ち解けられたが、まだアズライトを苦手としていたのだ。 「それで、俺に報告があるのだろう?」  後宮の話を無視し、ヨシヒコはめったに寄り付かないシルフィールの事情の方を問題とした。 「そうなのです。エボイラなのですが、ちょっとこちらのデーターを見て欲しいのです」  シルフィールは、エリオに必要なデーターを送らせた。それをセラから受け取ったヨシヒコは、難しい顔をしてデーターの中身を読み進めた。 「仕掛けられた、時限爆弾の爆発まで残り時間が短いと言うことか?」 「ヨシヒコ様に指摘された、開発者の意図と言う所から探ってみたのです。記録が古くて分かりにくかったのですが、このウィルスを作った者はバルゴールの民に強い恨みを持っていたようです。ですから、ウィスルは人類を根絶やしにすることを目的としているのです。脳を犯さないのも、進行が遅いことと合わせて感染に気づくのを遅らせるためと考えることができます。最初に生殖器官を冒すのは、人類絶滅を意図したと思えば不思議なことではないのです」  シルフィールの説明に、ヨシヒコはうんと頷いた。 「そこまで徹底的に人類……正確には、バルゴールの民の絶滅を図ったとすれば、衛星軌道に退避する程度で回避できるのはおかしいのですよ。だから時限爆弾を疑ったのですが、そのからくりがようやく解けたのです」 「ワクチンに頼るより、爆発自体を防いだ方がいいな」  相手の意図を探ることで、拡大ではなく発生そのものを防ぐことができるはずだ。その意味で言えば、ヨシヒコの考えは間違っていなかったことになる。 「そうなのですが、結論から言うと、完全に爆発を防ぎ切ることは不可能と言うことです。仕掛けられた爆弾の数が多すぎて、取りこぼしを防ぐことはできないと思います。ただ手当が早ければ、爆発的な感染拡大は防げますし、ウィルス自体の無効化も可能なのです」 「治療法は無いと聞かされていたのだがな……さすがだな」  僅かな期間で治療法どころか、予防法までたどり着いたと言うのだ。さすがは第3大学の学生と、ヨシヒコはシルフィールの能力に感心した。  えへんと足りない胸を張ったシルフィールは、「もっと褒めて良いのです」と偉そうな顔をした。そして一転して真面目な顔をして、「封印処置の悪影響です」と対策が進まなかった理由を口にした。 「どこまでいっても、2千年前のカビが生えたようなウィルスと言うことなのです。ウィルスの構造さえ特定できれば、対策を考えるのは難しくないのです。しかも凝った作りをしたせいで、構造的脆弱性もたくさん見つかったのですよ」 「それすら、罠と言うことはないのか?」  人が死に物狂いになれば、驚くほどの力を発揮することは珍しくない。それはウィルス兵器に犯された者達にも、同じことが言えたのだ。だから作った方も、正体を知られることも想定しておかしくはない。そして正体が知られたときのために、罠を用意することも考えられたのだ。  罠を指摘したヨシヒコに、「それも考えたのです」とシルフィールは返した。 「と言うか、罠だらけだったと言うのが正解なのです。ヨシヒコ様に使われたウィルスも、その罠に掛かった状態で生成されたものを改良したものなのです。恐らくなのですが、封印されたのは面倒な割に得るものが無かったのが理由だと思うのです。少なくとも、自然発生しないことだけは確かなのですから。もっとも、これが最後の罠だったと言うことになるのですが」 「つまり、自然発生すると言うことか」  さすがに問題だと考えたヨシヒコに、「バルゴール限定なのです」とシルフィールは答えた。 「バルゴールの土着菌の変種が、特定の遺伝子保有者に接触することで、内部でウィルスの組み換えが発生するのですよ。と言うことで、皇帝権限でバルゴールの登録データーを調べてみたのです。絞込みキーワードは、遺伝子障害によるアルビノに見えることなのです。そしてここまで言えばお分かりとかと思いますが、該当者がバルゴールに見つかったのです」 「メリディアニ家長女、リーリスと言いたいのか?」  ため息を吐いたヨシヒコに、「まさにその通りなのです」とシルフィールは答えた。 「もちろん、該当遺伝子があるからと言って、必ずしもエボイラが生成されるとは限りません。確率的には、10のマイナス10乗分の1程度でしょうかね。よほどの土いじりでもしない限り、土着菌に触れることもないと思うのです。そのあたりは、作った側も想定していなかったのでしょう」 「つまり、土いじりが趣味だとまずいと言うことだな」  確認したヨシヒコに、少し考えてから「条件的には」とシルフィールは答えた。 「ですが、メリディアニ家の者が、土をいじって遊ぶことがあるでしょうか?」 「直接の土いじりはないのだろうが、花壇の土を触れることはあるだろう。忘れたのか、リーリスへの悪口はお花畑の住人というものだぞ。これは別に、頭の中だけを言っている訳じゃない。普段の行動と、頭の中を掛けて作られた悪口だ」  ヨシヒコの指摘に、「はははは」とシルフィールは乾いた笑いを浮かべた。 「状況として、最悪と言うことなのですか」  困ったものだと肩を落とし、「プランを進めます」とヨシヒコに告げた。 「リーリスなら、接触する相手はかなり限られているのでしょう。本人を診断してから、ワクチンの散布範囲を考えるのです」 「自己増殖型ワクチンは用意できないのか?」  その方が効率的だと言うヨシヒコに、「あと少し」とシルフィールは返した。 「アンチエボイラウィルスなのですが、ようやく組成にたどり着いた所なのですよ。生体への影響評価を含めると、1週間ほど時間を頂きたいのです。ですから、今のところ通常タイプの方が早く用意ができるのです」 「いずれにしても、リーリスを調べてからと言うことだな。それで自己増殖型をばら撒いておけば、エボイラは気にする必要がなくなるのか?」  その問いに、シルフィールは少しだけ考える素振りを見せた。 「理論的に言うのならそうなのですが。それよりも、土着菌の遺伝子情報を組み替える方が早そうなのです。こちらの方は、寄生型のウィスルがありますから、さほど時間は掛からないのかと」 「そうなると、バルゴールから外に持ち出されていないかの確認が残るのか?」  H種だけに感染すると分かっているのだから、気にするのはH種の住まう星系への拡大だろう。 「その可能性は否定できませんが、苗床となる遺伝子保有者が居ないかと思うのです。アリアシア様とアズライト様、アンハイドライト様を調べてみましたが、苗床になる条件を満たしていませんでした。加えて言うなら、ダイオネア様とタルキシス様も適合していません」 「そうなると、逆にリーリスが適合した理由が知りたいな」  推測ができるかと問うヨシヒコに、「あまりいい話ではないのです」と言うのがシルフィールの答えだった。 「遺伝子提供をした男性方が、どうも今のご当主様ではないようです」  その報告に、ヨシヒコはエリシアの話を思い出していた。 「あまりおおっぴらにできる話ではないな。それで、父方のトレースもできているのか?」 「検索して見つけてあるのですが、こちらは気にする必要はなさそうです。該当遺伝子を持った子供が生まれる前に、対策が完了するのです」  なるほどと頷いたヨシヒコは、「予防措置をとっておけ」とシルフィールに命じた。 「第3大学を通して、各星系の衛生局に通達を回しておくのです」  これで学内の地位も上がると喜ぶシルフィールに、ヨシヒコはどう声を掛けたものかと悩んでしまった。ただ余計なお世話かと、彼女の置かれた地位のことは言わないことにした。せっかくいい気分になっているのなら、そのままにしておいた方が親切だと気がついたのだ。実力で上げた地位の方が、嬉しいのだろうとも考えたのである。 Chapter 4  次期皇帝一行が到着したにも関わらず、バルゴールでの歓迎は静かなものだった。そのあたりは、総領主であるシリングが知恵を絞った結果なのかもしれない。滞在時間が短いことも有り、式典で時間を取られるのを避けた結果と言う事ができる。  クランカンの軌道城に着いた所で、ヨシヒコ達はメリディアニ家組と別行動をすることになった。ただマリアナだけは、アズライト預かりと言う身分がある。そしてバルゴールに居るのにあたり、新たな使命も与えられていた。そのための挨拶と言うことで、一人ヨシヒコ達に同行することになった。そして後宮組は、マツモト家と一緒に観光に出ていた。 「ヨシヒコ様にお出でいただき、恐悦至極にございます」  総領主府の入り口でヨシヒコを迎えたシリングは、こちらにと一行を総領主府の中へと案内した。ジェノダイト達も同行しているのだが、ヨシヒコが居る以上お伴としての意味しか持っていなかった。  テラノにある総領主府に比べ、バルゴールのものは普通の形をしていた。ビルのような飾り気の無い建物に入った所で、一行は総領主の執務室につながるチューブへと乗り込んだ。このあたりの仕組みは、地球でも見られたものである。ただ性能的には、こちらの方が優れていたようだ。ほとんど加速を感じることもなく、僅かな時間で一行はシリングの執務室へとたどり着いた。 「なかなかの景色なのだが……」  窓から広がる景色に感心したヨシヒコだったが、素晴らしい景色のはずなのにどこか違和感を覚えてしまった。そのせいで珍しく言い淀んだヨシヒコに、シリングは「作り物ですからね」とその理由を説明した。 「作った者の顔がすけて見えてしまうんですよ。初めて見る時には良いのですが、すぐに飽きてしまうと言う欠陥品です」  そう説明したシリングは、改めてヨシヒコに対して深くお辞儀をした。 「まあ、あまり堅苦しく考えるな。俺はまだ、帝位に着く前なのだからな」  笑いながらソファーに腰を下ろしたヨシヒコは、「苦労をさせられているようだな」とシリングをいたわった。そのあたり、年齢にふさわしくない顔の皺と白い髪が理由になっていた。 「さすがにバルゴールの総領主は、ストレスに満ちあふれておりますので」 「それを変えるのも、総領主の仕事だと思うのだがな。今回もまた、跳ね返されたと言うことか」  苦笑したヨシヒコに、「恥ずかしい限りで」とシリングは頭を下げた。 「それでも、少しずつは変わって来たのだろう?」  その指摘に、シリングは大きく頷いた。 「聖下の布告以来、話をすることが増えてまいりました。岩のように動かなかったメリディアニ家も、このままでは駄目だと感じるようになったのでしょう」  シリングの言葉を認めたヨシヒコは、「どこまで聞いている?」とタルキシスのことを持ち出した。 「先代が、今しばらく様子を見ると連絡をしてきたところまでです。ただご当主殿は、まだ信用はできていないようですな。そのあたり、過去の行状に悩まされてきたのが理由かと思います」  地球でも対策をしていたことも有り、その説明はジェノダイトには理解できるものだった。ただヨシヒコは、子供だけの責任ではないと指摘した。 「俺には、それこそ教育の問題だと思えるのだがな。俺の生まれた地球では、子は親を写す鏡と言う諺がある。これは、子を見れば親がどのような言動をしているか分かると言う意味だ」  ヨシヒコの言葉に、「至言ですな」とシリングは認めた。 「地球の精神分析医の分析では、キャリバーンとタルキシスに大きな違いはなかったそうだ。ただ抑圧された自我の発露が、キャリバーンは外向けの暴力という形となってしまった。そしてタルキシスは、長男の暴力、両親の無理解からの逃避に走った。いずれにしても、幼少期の育て方に問題があったと言うことだな。その意味で、立ち直れたタルキシスは運が良かったのだろう。キャリバーンにしても、これからケアをすれば手遅れではないのだがな。よほど地球に残してきた方が良かったのではないかと思えたぐらいだ。ただ俺もジェノダイト様も、キャリバーンに対してそこまでしてやる理由がなかったのだ」 「本人には同情しますが、同時にご当主様にも同情しますね」  シリングのコメントに、そうだなとヨシヒコは頷いた。そしてタルキシスだがと、連れて来たマリアナの顔を見た。 「元一等男爵家の令嬢のマリアナと言うのだが、今はその身分がアズライト預かりになっている。そしてアズライトから、タルキシスの「お守役」で良かったか、領主府に席を置きタルキシスを見守る役目を与えられた。その紹介の意味で、今日はこの場に同行させた」 「彼女が、そうなのですか」  タルキシスが心を入れ替えた理由については、キャスバル経由で聞かされていた。その理由を見せられて、この女性がと思ったのは確かだった。 「バルゴールの誰もなし得なかった偉業をなし得たと言うことですか」  立ち上がったシリングは、「よろしく」とマリアナに手を差し出した。シリングの立場を考えれば、普通はありえない態度になるのだろう。そのせいで、マリアナは少し焦りながら「よろしくお願いします」と手を握ってから頭を下げた。 「では、彼女の処遇を考える必要がありますな。最初にあるのは、彼女の住まいなのでしょうが……」  うんと考えてから、「必要ですか」とヨシヒコに尋ねた。タルキシスを監視すると言うのなら、居場所はメリディアニ家本家であるはずなのだ。 「一応用意はしてやってくれ。まあ、ほとんどメリディアニ家に居ることになるのだろうがな」 「では、ここの近くに用意することに致しましょう」  クレオと、シリングは自分のアバターに必要な手配を命じた。それから少し遅れて、紺色の制服を着た年配の女性が部屋に入ってきた。 「ブルセラ、彼女の面倒を見てやれ」  品の良さそうに見える女性は、マリアナに対してゆっくりと頭を下げた。そして「こちらに」と彼女を連れて、執務室から出ていこうとした。それをヨシヒコは、「忘れていた」と呼び止めた。 「セラ、マリアナにアバターを与えてやれ」 「バックアップから、月光を復活させますか?」  もともと保有していたアバターをセラは持ち出した。その方が、マリアナに馴染みがあるだろうと考えたのである。 「とりあえず、月光でいいか?」 「宜しいのでしょうか? 私は、爵位を返上した身なのですが……」  立場を持ち出したマリアナに、ヨシヒコは自分を指差した。 「次の皇帝がやると言ったのだ。お前は素直に受け取っておけばいい」 「失礼いたしました。ありがたく頂戴いたします」  ぺこぺこと頭を下げたマリアナを、「こちらに」とブルセラが連れ出した。その姿がチューブの向こうに消えた所で、「忘れてました」とアズライトが声を上げた。 「もっと早くあげるべきでしたね」 「まあ、期間的には大したことは無いから良いだろう。とりあえず、当座の活動資金も渡しておいたぞ」  その活動資金の額に、マリアナが腰を抜かしたのはまた別の話である。 「さて、これで危ない話もできるかと思いますが……よろしければ、教えていただきたいことが有ります」 「気が向いたら答えてやる」  それでと促されたシリングは、「先代をグリゴンとバーバレドズに連れて行った理由です」と答えた。 「その話なら、自分で考えるのだな。それぐらいのことは、タルキシスでも半分は正解したぞ」  理解できなければ、タルキシス以下だと言われたことになる。なるほど一筋縄でいかないと納得したシリングは、ひとまず質問を取り下げることにした。 「それでは、ヨシヒコ様からみてタルキシスはどう評価されますか?」 「俺の評価か? 本人に教えないことを条件に教えてやろう」  そう前置きをして、「まだまだだな」との評価を口にした。 「これから化けるかどうかは、本人の努力次第だろう」  何も答えになっていないような答えなのだが、そこのシリングは、ヨシヒコの意思を感じ取った。 「つまり、努力によって化ける余地はあると考えられた。そう受け取れば宜しいのですな」 「どう受け取るかは、お前の勝手だとしか言いようがないな」  帝国から派遣された総領主だと考えれば、もう少し親切にしてやっても良いのだろう。ただそれでは面白くないと、ヨシヒコは適当に突き放すことにした。  それを感じ取ったシリングは、なるほど自分は試されているのだとヨシヒコの考えを理解した。そして試されているのだと理解した上で、合格した方が良いのかどうか悩んでしまった。落第は不名誉なのだが、その代わりバルゴールの総領主職から解かれることになるのだ。罰ゲーム感を味わってきた自分にとって、逆にご褒美だと思える話なのだ。  さてどうしたものだと考えた所で、「言っておくが」とヨシヒコに先手を打たれた。 「もしかしたら、楽になれるとか考えていないだろうな。俺が、そんな親切な真似をすると思うか?」  にやりと笑った顔は、それでも可愛らしい女の子なのだ。ただ言葉通りの邪悪さを、シリングは可愛らしい顔から感じ取っていた。 「楽にしていただけませんか?」  少し肩を落としたシリングに、当たり前だとヨシヒコは言い返した。 「そう言う奴は、追い詰めてやれば本気をだすからな」 「これでも、結構本気を出していたのですけどね。聖下の布告があって、ようやくメリディアニ家にすきができたと言う所ですよ」  嘘は言っていないと主張したシリングに、ヨシヒコはにやりと笑って死刑宣告をした。 「ならば、これからが腕の見せ所と言うことだな」 「どうあっても、私はバルゴールから逃れられないと言うことですか」  勘弁してくださいと懇願したシリングに、やり甲斐が有っていいだろうとヨシヒコは笑いながら突き放したのである。  メリディアニ家の本家は、ヨシヒコが訪れた総領主府から3千キロ離れたロセーヌと言う地域にあった。クランカンの軌道城でクルーザーを降りた一行は、そこからシャトルで本家へと降りた。ダイオネアを先頭に、タルキシス、クランカン、フレイア、セラムの5人に加え、なぜかシルフィールがその中に混じっていた。  帰ってきた一行を迎えたのは、メリディアニ家当主であるキャスバルだった。妻のアルティシアはバカンスで不在と言うことで、その場に姿を見せていなかった。ただ次の皇帝たるヨシヒコが訪れるまでには、バカンスを切り上げ帰宅することになっていた。そしてその事情は他の軌道城城主達も同じで、明日の朝までには本家に集合する手はずになっていた。 「父上、長旅お疲れ様でした」  当主とは言え、実の父親には敬意を払う必要がある。自分に頭を下げた息子に、「有意義な旅だった」とダイオネアは答えた。  父との挨拶を終えたキャスバルは、息子を飛ばして二人の女性の顔を見た。女性自体は3人いたのだが、そのうちの金髪の女性はクランカンの隣に立っていた。そして二人を見比べてから、キャスバルはセラムに「あなたがそうなのか」と声を掛けた。 「タルキシスの嫁になってくれると聞いたのだが?」  その言葉にセラムは驚き、「私ではありません」と頭を下げた。その時シルフィールは、キャスバルが落胆したような気がしていた。そして残るは一人と、シルフィールの顔を見てくれた。 「私は、ヨシヒコ様の後宮にはいるシルフィールと申します」 「ヨシヒコ様の後宮に?」  なぜそこで驚く。なぜそこで安堵する。その気持は理解できないとは言わないが、失礼だろうとシルフィールとしては言いたかった。 「では、お前の嫁になる女性はどこにいるのだ?」 「ああ、マリアナならばヨシヒコ様について総領主様の所に挨拶に行っている。一応アズライト様付きで、総領主府に籍を置くことになっているからな。明日には、ヨシヒコ様と一緒にこちらに顔をだすことだろう」  その答えに少し落胆したキャスバルは、息子の顔を見て「変わったな」とその変化を評した。 「以前のお前は、魚の腐ったような目をしていたのだがな」  まっすぐに自分を見る父親に、タルキシスは睨み返してから小さく頷いた。 「実際に腐っていたのは認めるさ。俺が変わったのは、マリアナと言う女に会ったお陰だ」  その言葉に頷いたキャスバルは、「クランカン」とフレイアを連れたクランカンに声をかけた。 「約束通り、お前の話を聞かせてもらおうか。その前に尋ねておくが、隣の美女はお前の嫁になる女性か?」 「フレイアと申します。地球……テラノのアルケスト三等子爵家次女でございます」  優雅に頭を下げるフレイアに、キャスバルは少し嬉しそうに顔をほころばせた。 「このことだけでも、お前にとってのテラノ行きは意味があったな」 「仰る通りかと」  同意こそしたが、クランカンの顔は少し引きつっていた。その辺り、本当に嫁にして良いのかと言う後ろ向きの気持ちがあったのだ。彼女に対して不満はないが、やはり軌道城城主と言う立場が感情的に障害となっていた。着々と外堀を埋めていくフレイアに、捨てられる恐怖を感じていたのだ。 「立ち話もなんだろう。中に入って茶でも飲むことにしよう。シルフィール様、それで宜しいでしょうか?」  一応次の皇帝の後宮に入る以上、立場はキャスバルよりも高くなる。だから頭を下げることになるし、大切な客として迎えることになる。だがシルフィールは、「それよりも」と散策をしたいとキャスバルに申し出た。 「綺麗なお庭が見えましたので、少し散策させていただけないでしょうか?」 「お疲れではないのでしょうか……」  なぜこんな所で散策をと考えたが、したいと言われた以上、それに応える必要がある。 「では、リーリスに案内をさせましょう」  それこそ望む所とシルフィールが考えた時、キャスバルはアバターのゼスにリーリスを呼び出させた。だがゼスの答えに、「またか」とため息を吐き出した。シルフィールにも、「お花畑に行っている」と言う報告が聞こえていた。  ならば他の者をとキャスバルが言いかけた時、「一人で行きますよ」とシルフィールが答えた。 「お庭に行けば、リーリスさんがお出でなのですよね?」 「確かにそうなのだが……」  后となる人を、一人で放り出していいものなのか。少し迷ったキャスバルだったが、反対するのも失礼になると考え直した。 「何かあれば、屋敷の者にお申し付けください」 「我儘を申して申し訳ありません」  キャスバルに頭を下げて、シルフィールはゆっくりと庭へ向かって歩いていった。それを見送った所で、キャスバルは全員を屋敷の中へと連れて行った。 「明日の朝には、軌道城城主も全員揃うことになる」  中広間に連れて行った所で、キャスバルは全員にそう告げた。 「そこで次の皇帝たるヨシヒコ様をお迎えすることになる」  そこまで説明した所で、キャスバルは父に向かって「どのようなお方なのですか」と問いかけた。アリアシアもアズライトも知己があるが、ヨシヒコに関する情報は皆無と言っていい程なかったのだ。それを考えれば、お迎えする前に聞きたいと考えるのも不思議な事ではない。 「わしより、タルキシスの方がよく話をしていたはずだ」  だからお前が説明すべきだ。祖父の決めつけに、タルキシスは頷いた。 「見た目から説明をするが、女の服を着せたらセラムよりも綺麗なのではないか?」  どうだろうと問われたセラムは、気分を害するどころか、「強く肯定いたします」とタルキシスの言葉を認めた。 「私は別の高校に通っていたのですが、ヨシヒコ様は「女性よりも綺麗」と言う評判が伝わってきていました。そして実際にお付き合いさせていただいた時、それを目の当たりにさせていただきました。ですからデートで買い物に行った時には、私の服を選ぶことを口実に、時々ヨシヒコ様に合わせたりしていました」 「なるほど、次の皇帝聖下は、見た目は女性的と言うことか」  うむと頷いた所で、キャスバルはセラムの言葉に引っかかりを覚えた。 「今、お付き合いをされていたと言わなかったか?」 「はい、そう申し上げたつもりです。後から教えられた話では、ヨシヒコ様は私を妻にして、ミツルギ三等男爵家に仕えるつもりだったそうです。ですがアズライト様に出会われ、そこから運命が大きく変わられました」  セラムの説明に、「あなや」とキャスバルは声を上げてしまった。まさか歴史の生き証人を、息子が連れてくるとは思っても見なかったのだ。そして、彼女の後見人にと頼まれた理由も理解できた。 「なるほど、そう言う事情があったと言う訳か。少し話がそれたようだな、タルキシス先を続けろ」  やはり驚くよなと思いながら、タルキシスは説明を続けることにした。 「親父も、アセイリアと言う女性の名を聞いたことがあると思う。テラノのセンテニアルで活躍し、グリゴンに乗り込み平和条約への道筋を作った女性だ。その後実際に平和条約を締結し、帝国にとって無視の出来ない巨大な存在になっていた。そのアセイリアと言うのは、ヨシヒコ様が姿を隠す際に使われた名前なのだ。グリゴンで活躍された後、アズライト様とともにリルケに向かわれた。そこで聖下の策略で、エボイラの亜種で一度命を落とされている。だが先程お出でになられたシルフィール様と、アンハイドライト様が共同して治療に当たられ、見事復活されてすぐリルケに向かい聖下と対決をされた。その結果が、アズライト様を皇妃として皇帝の座に着くという裁定に結びついた。意外に知られていないことだが、8ヶ月前からの大変革はヨシヒコ様が大きく関わっていた」 「よもや、そのようなことがあったとは……」  むむうと腕を組んで唸った父親に、「これだけでも只者でないのは分かる」とタルキシスは繰り返した。 「そしてヨシヒコ様が素晴らしのは、人を育てることができることだ。今のアセイリアは、ヨシヒコ様が己の代わりとして育てられたと聞いている。グリゴンとの和平交渉から現れ、ヨシヒコ様が命を落とされた後は、本物のアセイリアとして条約締結、そしてシレナへの交流拡大と活躍された。彼女が居なければ、帝国にこのような変化は起こらなかったことだろう」  人を育てると言う息子の評価に、なるほどとキャスバルは納得させられた。同じH種同士なのだが、テラノとの繋がりは極めて薄いと言っていいだろう。遠くにある関わりのない、同じ姿の人が住む星と言うのが、バルゴールにとってのテラノの意味だった。それだけ感心の薄いテラノなのだが、キャスバルもアセイリアの名前だけは知っていたのだ。しかもキャスバルが知っているアセイリアは、グリゴンとの友好条約締結後の姿だった。 「クランカン、統合司令本部の奴らと議論をしてみてどう感じた?」  成果として上げるのであれば、アセイリアだけでも十分な成果と言えるだろう。それでもタルキシスは、他の成果として統合司令本部のメンバーのことを尋ねた。 「私は、まず彼らの見識に驚かされました。それを素直に口にした所、ヨシヒコ様の宿題をしていただけだと笑われたのを覚えております。聖下の手にかかったヨシヒコ様は、自分の亡き後彼らが道に迷わないよう、考え方の根幹を残されていきました。それを理解し、そしてそこからどう発展させていくのか。アセイリア様とともに苦労をされた結果だと言うのです。そして彼らは、何より元気がいいと感じました。偶然クレスタ学校のメンバーも同席したのですが、彼らは爵位の有無に関係なく活発な意見交換をしておりました」 「アセイリアと言う形で帝国に名が広まったが、その足元を支えるメンバーも育てていたと言うことだ。それが、ヨシヒコ様のなされたことの一部だろう」  そこでクランカンを見たタルキシスは、彼が頷いたのを確認して説明を続けた。 「そしてヨシヒコ様は、ザイゲル連邦にも人材を育てようとされている。俺たちをグリゴンに連れて行くのにあたり、その方法をグリゴンの一等子爵に検討させたと言うことだ。そしてその一等子爵は、俺達を招かないのではなく、招くことでザイゲル内で発生する不協和音を押し込めることを考えた。それが、俺達を恐怖に叩き込んだ、150万の艦隊による出迎えだ。あれには、俺以上にクランカンの方が怖かったのではないのか?」  どうだと話を振られ、「仰る通りで」とクランカンは答えた。 「150万の数より、それを簡単に集められることを恐ろしく感じました。そのせいで、私は間違いなく我を忘れていたかと思います。そして、タルキシス様が星間会議場で挨拶ができたことに感銘を受けました」  本気で言っているのは、クランカンの顔を見れば理解できる。そして二人のやり取りで、クランカンがタルキシスを認めているのを理解することができるのだ。変わったと感じたのは勘違いではないのだと、キャスバルは息子の変化を確信した。 「あれにした所で、ヨシヒコ様のお節介がなければ無理だったな。あんな可愛らしい顔をして、恐怖に縮こまった俺の一物を掴んで励まして……叱咤の方が正確か。とにかくヨシヒコ様のお陰で、俺はあの場で口を開くことができたんだ」 「お前も、ヨシヒコ様に見込まれたと言いたいのか?」  そうやって自分の立場を主張するのか。少し嫌らしい質問に、「そうならば良いのだが」とタルキシスは苦笑を浮かべた。 「とりあえず合格はしたが、まだまだ足りないものが多すぎると言うのが俺への評価だろうな。そのあたりは、これまでサボっていたつけだと言いたいところだが……学ぶだけではどうにもならないのは分かっている。だから俺は、クランカンにも手伝えと頼んである。ヨシヒコ様の期待のレベルに達するには、どう考えても俺一人では無理としか思えない」  その答えに、「正直な奴だ」とキャスバルは笑った。それに「今更隠してもしょうがない」と言い返したタルキシスは、「バーバレドズに行って良かった」と自分の気持ちを説明した。 「バーバレドズは、ザイゲル連邦で最大級の数を蓄えているのは疑いようが無いだろう。しかも奴らは、地上戦まで考えた戦力を持っている。その意味で言うのなら、バルゴール最大の脅威と言うのは間違っては居ない。ただ奴らの能力を考えた場合、今のままでは軌道城の守りを突破することは叶わないだろう。2万の戦艦に数百万の地上部隊と言うのは、明らかに奴らの経済力を超えた物に違いない。過去の戦闘実績、そして俺達が目の当たりにした配備された軍艦の性能。そこから考えると、奴らは無理に無理を重ねているとしか思えない。お節介なヨシヒコ様は、それを俺達に見せてくれたんだと理解することができた。ここまで詳らかにしてやったのだから、お前たちはバルゴールをどう変えていくのか。それを自分に示してみせろと。ただそこまでは理解できたが、そこから先は俺一人でどう考えても無理だと分かっている。経済を回すと偉そうに言ってみたが、その方法すら思いついていないんだからな。だから俺は、総領主様を巻き込むことを考えている。知恵が足りないのなら、知恵を集めてくるしか方法がない。未熟者の俺が、今できることはその程度だと思っている」  いきなり結論を付けた息子に、キャスバルは盛大な苦笑を浮かべた。 「わしは、ヨシヒコ様のことを聞いたのだぞ。それなのに、いつの間にか決意表明をしよって」  気がはやりすぎだと諌めたキャスバルは、「思いは理解した」と息子に告げた。 「だが、相当難易度の高い話であるのは確かだろう」 「当たり前だ。簡単だったら、親父の代で出来ていただろう」  遠慮のない決めつけなのだが、キャスバルはそれをそのまま認めた。 「一つ言い訳をさせて貰うのなら、半年ほど前であればさほど問題にはなっておらなんだのだ。だがテラノを中心とした新しい潮流が生まれ、ヨシヒコ様が次の皇帝に指名された。その事実が、軌道城城主達の感じていた閉塞感を表に出した。そして一度気づいてしまうと、もう今まで通りでは居られなくなってしまう。リーリスの婿にクランカンを迎え、一時凌ぎをすることも考えたぐらいだ」  レキシアとの話を持ち出した父親に、「クランカンが可哀想だ」とタルキシスは断じた。 「軌道城城主と言うだけで可哀想なのに、面倒ばかりを押し付けられるのだからな。リーリスでは褒美でなく、お荷物でしか無いだろう。現にテラノに行っただけで、こんないい女が付いてきたのだぞ」 「自分の妹を、お荷物と言うものではないぞ」  そう注意をしてみたが、キャスバルも強くは否定できなかった。この状態でメリディアニ家を継ぐのは面倒に違いないし、そしてリーリスはクランカンの助けにはなってくれないのだ。むしろ余計な面倒と言う意味では、お荷物と言われても仕方がないとさえ考えたぐらいだ。 「事実だから仕方がないだろう。加えて言うのなら、さすがにクランカンも丸投げされては迷惑としか言いようがない。本当に、親父の言う一時凌ぎにしかならないし、その後は更に悪くなってくれるのだぞ」  正しい見識を示したタルキシスに、「なるほど」と期待を抱いた父親の考えを理解した。 「ならば、お前ならどうすると言うのだ? 周りを巻き込むにしても、そのままでは責任逃れとしか受け取られないのだぞ」 「だから、無理を言うなと言ったのだが……出来るか出来ないかの検討が出来ていないが、出て行く金の使いみちを変えることを考えている。一番効果的なのは、軌道城の維持に掛かっている金を減らすことだ。ザイゲル連邦を見てきて分かったのは、俺達を守っているのは帝国法とそれを遵守しようと言うザイゲル連邦の考え方と言うことだ。実際には出来ないのだが、奴らが帝国法を無視した時点で、バルゴールは数百万のザイゲル艦隊に蹂躙されることになる。もちろん軌道城による守りは必要なのだが、数について言えばここまで必要かと言うことには疑問を感じている」 「戦力の削減を考えていると言うのかっ!」  勢い良く立ち上がったキャスバルに、さすがに驚くなとタルキシスは考えていた。そしてその思いは、予め教えられていたクランカンも同じだった。最初にその話を聞かされた時には、「あり得ない」と大声を上げたほどなのだ。その事情はダイオネアも同じだったのだが、なぜかその場に居たフレイアが「私もそう思います」と認めたと言う事情があった。 「まあ、そう言う反応があるのは予想をしていた。現にクランカンや爺さんからも、有り得ないと否定されたからな。だがな、戦力を維持することに汲々とすることにどれだけの意味があるのだ? 別に俺は、ゼロにしろと言っている訳じゃない。そしてある程度の戦力の増強は必要だと考えている。ただ、今の物量は必要ないと考えているだけだ。金のかかる老朽艦を減らし、予算自体に余裕をもたせる。余裕が出た予算で、軌道城のあり方を見直す事もできるだろう。バルゴール内の金の回し方も変えられるはずだ。と、そこまでは考えたのだが、今の俺はここまでが限界だった。だから知恵を集め、もっといい方法がないか、俺の考えを実現する方法が無いかを考えたいと思っている」 「防衛の考え方を、根底から変えることになるのだぞ。しかも戦力を減らすと言うのは、心の問題で否定されるだろう。そもそも軌道城城主達の同意を得られるとは思えん話だっ」  言下に自分の案を否定されたタルキシスは、「だそうだ」と頬先をクランカンへと向けた。そのあたり、「言いたいことがあれば言ってみろ」と言うところだろう。 「お恐れながら、意外に反発は少ないのではと思っております」 「ならば、お前は受け入れると言うのかっ!」  それはいかにと問われ、クランカンは逆にタルキシスの顔を見た。 「戦力を削減した上で、何をなされるかによるかと思います。ただ無策に保有艦船の数を減らすだけなら、あり得ないと反発させていただきます」 「俺は、それだけでも十分に意味があると思っているのだがな。とにかく、金食い虫の軌道城をなんとかしないと、今の状況を変えることなどできんぞ」  それだけは確かだと強調した息子に、キャスバルはもう一度「有りえん」と繰り返した。 「ならば親父は、今のままで良いと思っているのか? 俺の考えを否定するのは良いだろう。だったら、他の方策を提示する義務があるはずだ。何しろ親父は、今の当主なのだからな」  それはと問われたキャスバルは、自分に語る方策がないのを自覚させられた。もともとの問題意識はあったのだが、対策に類するものが思い浮かばなかったのだ。しかもクランカンが帰ってきた所で話そうとしていただけに、先送りをしていたと言う事情があった。 「それだけ難しい問題だと言うのは理解しているつもりだ。そして俺も、俺の意見が一番などと言うつもりはない。ただ、頭ごなしに否定をされるほど、酷い考えではないと思っているだけだ」  違うのかと父親の顔を見たタルキシスは、ぐるりと首を巡らせ顔を突き合わせた全員の顔を見た。 「なんだフレイア、言いたいことがありますと顔に出ているぞ」  それならば言ってみろと、タルキシスはフレイアに命じた。そんなタルキシスに対して、フレイアは建前を持ち出して命令に従わなかった。 「クランカン様の嫁になるためここには来ましたが、まだそれを認めて頂いていません。ですから私は、メリディアニ家にとって部外者と言う事になります。そして部外者ですから、タルキシス様に命じられる理由はないと思っています」  フレイアの答えに、「はぁっ」とタルキシスは呆れた顔をした。そして焦っているクランカンを見て、困ったものだとため息を吐いた。 「クランカン、今ここで覚悟を決めろと催促をされたぞ。お前の親父にも、早く嫁の顔を見せてやる必要があるんじゃないのか?」 「クランカン、わしにはお前が答えを渋る理由が分からぬのだな。気に入らないのなら、はっきりとそう教えてやるべきだ」  いかにと現当主と次期当主候補に迫られたクランカンは、「ですが」と二人の顔を見て大きくため息を吐いた。フレイアが魅力的であればあるほど、どうしても後ろ向きになる気持ちが強くなっていた。そんなクランカンに、キャスバルは強い叱責の言葉をぶつけた。 「クランカン、わしは今ほどお前に失望したことはないぞ。遠くテラノから、軌道城城主の嫁になると来てくれたのだ。お前は、彼女のどこに不満があると言うのだ。その煮え切らない態度は、軌道城城主の問題そのものではないか」 「キャスバル様」  そう口を挟んだフレイアは、「クランカン様のプライドの問題かと思います」と助け舟のようなものを出した。 「軌道城がどのような場所なのか、そしてその城主がどのような存在なのか。ヨシヒコ様から、しっかりと教えられております。一等伯爵と言うのは名ばかりで、旅行をするにも二等船室しか使えない財政状況であること。そして二等船室でも、軌道城に比べればましな環境であること。メリディアニ家の召使と同じだとも教えられました。だからおかしな夢を持つなと仰り、考えなすのなら今のうちとも言われました。クランカン様は、私をそのような立場に置くことを躊躇われているのでしょう。タルキシス様が変えようと言う努力をされているのですが、それを無理だと諦めておいでなのかと思います」  名ばかりの一等伯爵とか、召使と言われてキャスバルは顔を引きつらせた。ずけずけと言われたのもそうだが、それが外からの目と言うことに問題が有ったのだ。そのような状況で、果たして軌道城城主達が将来に希望を持てるのだろうか。得も言われぬ閉塞感の理由が、そこにあるのではないかと思えたぐらいだ。 「ですから私は、「後宮に入れてくれないくせに」とヨシヒコ様に文句を言いました。だったら今からでも遅くないから、私を後宮に入れろと迫ったのです。そうしたら、「やりようはある」と仰ってくださいました。ただ細かなことは、考えるのはバルゴールの者がすることだと教えて下さいませんでした。ですからバルゴールの者でない私は、意見を差し控えさせていただいた次第です」  言いたいことを口にしたフレイアは、「ですが」とクランカンの顔を見た。 「待っていても求婚してくれそうもありませんので、こちらから押しかけることに致します。タルキシス様のお考えは、ヨシヒコ様とさほど違っていないと思います。ただ、ヨシヒコ様の方が、より具体的だと言うことです。ザイゲルの戦力を見せて下さったのは、いくら軍拡をしても意味が無いことを教えてくださるためなんです。むしろ軍縮をしても、守りに影響など出ないことをお示しくださったと思っています」 「それが、ヨシヒコ様のご意思だと言うのか?」  キャスバルの問いに、フレイアはゆっくりと首を横に振った。 「ヨシヒコ様は、あくまでアドバイス……ヒントをくださっただけです。先程人を育てると言うお話があった通り、手取り足取り教え込むのは、本人のためにならないとお考えなのです。その代わり比較的分かりやすいヒントを残し、成長するための場を用意してくださいます。タルキシス様がグリゴンの星間会議場で話をさせられたのは、その一つだと私は思っております」  自分の顔を見つめる3人に、フレイアはとても綺麗な笑みを浮かべてみせた。 「実は、地球にはもう一人お節介なお方がおいでです。ジェノダイト様と言うのですが、地球は先の衝突で多くの艦船を失い、その整備がこれから始まるところだと言うのです。ただ戦艦はグリゴンの支援で作れても、人の補充は簡単ではないと言うことでした。当面の脅威は去ったこともあり、再整備の方は先延ばしにされていると言うことです。ちなみに、予算だけはあるとのお話も頂いております。ただお金の出処は、グリゴンのようなのですけど……」  口元を押さえて笑ったフレイアは、「みなさんとてもお節介なんです」と繰り返した。 「突き放したようで、時々現れては色々なことを教えてくださるのですよ」 「つまり、人を付けてバルゴールの戦力をテラノに譲渡する手もあると言うことか!」  タルキシスの言葉に、フレイアはしっかりと頷いた。 「もちろん、際限なく受け入れることは不可能ですよ。整備予定は、せいぜい2000と言う所なのですからね。しかも何年か掛けて整備をする予定でしたから、単年度の予算で言えば大したことはないんです」 「それでも、軌道城4つ分の規模があるのだろう。10%も削減できれば、こちらの財政的にも大いに余裕ができることになる。それを考えれば、ただで送りつけてもいいぐらいだ」  軌道城の戦力維持は、保険と同じで純然たるコストになっていたのだ。それが10%も削減できれば、タルキシスの言う通り、巨額の費用が転用できることになる。地球にとっても、強力な戦力を得ることが出来るのだから、双方にとってWin-Winであるのは確かだろう。しかもありがたいことに、その交渉相手がバルゴールに来ているのだ。 「都合が良すぎる気もするが、ジェノダイト様もバルゴールに来ていたな」 「だが、戦力を減らすことの不安は解消できぬぞ」  良いことばかりではないと釘を差した父親に、どうしたものかとタルキシスは考えた。 「確か、新世代の建造が始まったと伺っていますが?」  これもまた入れ知恵なのだが、フレイアはバルゴールにおける戦力の充足計画を持ち出した。 「地球に送るのは、さほど新しい艦である必要はないと思います。それでも、地球艦隊よりも性能は高いのですからね。これまでザイゲルの侵攻を阻んできた実績があるのですから、戦力的にも十分だと思います。ただ古すぎて、廃艦間近のものは遠慮させていただきたいと思いますが」 「いや、確かに計画はそうなのだが……心の問題とは関係が無いのではないか?」  関係ないのではと困惑したキャスバルに、「そうでしょうか」とフレイアは疑問を呈した。 「戦力的に劣る旧式艦が大幅に減り、その代わりに能力に勝る新造艦が増えるのですよ。帝国法の縛りがある以上、バルゴールの守りは逆に固くなるのではありませんか?」 「そしてザイゲルが帝国法を無視した時点で、俺達の戦力は意味のないものになる……確かに、理論的には守りは固くなってくれるな。ただ、それが実感として感じられるかが心の問題と言うことになるのだが?」  そっちはどうだと問われたフレイアは、「さあ」と微笑みながら白を切ってくれた。 「ここにおいでの皆様が納得されたのなら、そこから先の責任は私には無いと思いますが?」  いかがですと問い返されると、確かにそうだとしか答えようがない。そもそも心と言う不確かなものをもだした以上、その方法を考える必要も有ったのだ。 「軌道城ごと、テラノに送り込む方法もあるな」  そうすれば、整備拠点も同時に充足することが出来る。タルキシスの考えに、「確かにいい考えなのですが」とクランカンは苦笑交じりに問題点を指摘した。 「希望者が殺到するのではありませんか。そう言う私も、希望したいと言う気持ちがあります」 「なるほど、ならばお前はここに残るべきだな。残って、バルゴールを作り変える義務があるはずだ」  そう言い切ったタルキシスに、明らかに顔を引きつらせて「仰る通りなのでしょうが」とクランカンは答えた。 「あまりにも使い古された手法を持ち出されるのは、気持の良いものではありませんね」 「その責任は、お前にあると思うのだがな」  文句を言うのは筋違いだと、タルキシスは言い返したのである。 「では、軌道城城主の招集を早めることにするか」  ことの重大さを考えれば、ヨシヒコが来る前に意見をまとめておく必要がある。そう考えたキャスバルは、軌道城城主37家の招集を直ちに指示した。これで明日の昼までには、十分な議論の時間をとることが出来るはずだ。  これで対策が始まると考えたクランカンは、身の引き締まる思いを感じていた。ここでの合意は、バルゴールが変わっていく第一歩になるものに違いない。そこに貢献できたと言う思いは、彼に達成感を抱かせたのだ。この結果に満足していたクランカンに、「責任を取るのだぞ」とタルキシスは声を掛けた。そしてキャスバルもまた、「逃げられると思うな」と言って追い詰めてくれた。  そしてフレイアは、「今晩お時間をいただければと思っています」と顔を赤くした。未来への展望が開けたのと同時に、クランカンは進退が極まったと言うことだ。 「断るようでは、お前の覚悟も底が見えたことになる」  とどめを刺したダイオネアは、祝宴だなと息子に宴の手配を命じたのだった。  翌朝総領主府から移動したヨシヒコ一行は、メリディアニ家総出の歓迎を受けた。高速移動用のシャトルを降りた所に、キャスバルを筆頭にタルキシスとダイオネア、そして軌道城城主37名が勢揃いをして頭を下げたのである。その仰々しさは、ザイゲル連邦の出迎えに並ぶものだった。  その歓迎の中、珍しくスーツ姿のヨシヒコが、アズライトを連れてゆっくりと歩いていった。そしてそれに遅れて、ジェノダイトとマリアナが並び、最後にお伴のエリシアが緊張しながら少し早足で歩いてきた。 「本日は、メリディアニ家にお出でいただき、恐悦至極にございます」  ドアの所で待ち構えていたキャスバルは、妻のアルティシアと揃ってヨシヒコに頭を下げた。そしてこちらにと、木でできた重々しいドアを開いて中へと案内した。 「わが父と息子がご指導いただいたと伺っております」  歩きながら話しかけてきたキャスバルに、「勝手にやったことだ」とヨシヒコは返した。それから一度立ち止まり、「立派なものだな」と広間に続く廊下を褒めた。2千年を超える歴史がある名家だけのことはあり、館の作りは精緻を極めていたし、置かれた調度も歴史を感じさせるものだった。 「代々作り上げてきたものだと思っております」  褒められたことに恐縮したキャスバルに、「硬くなるな」とヨシヒコは声を掛けた。それからゆっくりと歩き出し、黒光りのする木製の扉の前に立った。 「極光の間と申します。皇帝聖下をお迎えする際に使用しております」  そう前置きをしたキャスバルは、先頭に立ってゆっくりとドアを押し開いた。それに送れて少しかび臭いにおいが鼻につき、くすんだ赤で稠度された部屋が目に飛び込んできた。部屋の中には、同じく黒くくすんだ長テーブルが置かれ、その上座に当たる部分に立派な椅子が4つ置かれていた。そして両側にも、多くの椅子が並べられていた。  キャスバルに導かれて真ん中の椅子にヨシヒコとアズライトが座り、その隣にそれぞれジェノダイトとエリシアが腰を下ろした。マリアナは身内ではあるが、総領主府付きと言うことで、エリシア側の最前列に案内された。その5人が着席した所で、キャスバルがジェノダイト側に、アルティシアがマリアナの隣に腰を下ろした。そしてタルキシスがキャスバルの隣に腰を下ろし、その隣にダイオネアが腰を下ろした。  そこまで序列が終わった所で、馳せ参じた37の城主達が、年齢に従って腰を下ろしていった。そのせいか、クランカンはヨシヒコから一番遠い席に腰を下ろしていた。  全員が着席した所で、キャスバルはゆっくりと立ち上がってヨシヒコとアズライトに頭を下げた。 「次なる皇帝聖下と皇妃殿下のご降臨を賜り、恐悦至極にございます。本日はお出迎えの為バルゴールの守り神たる、軌道城37柱の城主も馳せ参じてまいりました」  キャスバルの紹介に合わせて、少し野暮ったい式服に身を包んだ城主達が一斉に立ち上がって腰を90度折り曲げた挨拶をした。  仰々しい挨拶に、ヨシヒコは小さく頷いてそれに答えた。 「今回は、たまたま近くに来て立ち寄ったのだが、まさかこのような盛大な歓迎を受けるとは思っていなかった。キャスバル一等侯爵、ご厚情に感謝するぞ」 「もったいないお言葉です」  立ち上がって頭を下げてから、キャスバルは椅子に座り直した。 「今回の訪問は、特に目的があって来たわけではない。だから俺からは、特に言うことは無いのだが……だが俺の古くからの友人がお世話になる以上、一言ぐらいは必要だろう」  そこでマリアナを一度見たヨシヒコは、「格別の配慮を申し付ける」と立場に相応しい言い方をした。 「確かに、受け賜りました」  もう一度立ち上がって頭を下げたキャスバルに、「それはいい」とヨシヒコは笑った。 「いちいち立たれると、鬱陶しくて仕方がない」 「では、お申し付けの通り着席にて失礼致します」  座って頭を下げたキャスバルに、「もう一人」と言ってからヨシヒコはセラムの姿を探した。 「セラムは、奥の部屋で聖下をお待ちしております」 「それは、どう受けって良いのか分からないな」  まだ昼間だよなと思いながら、ヨシヒコは隣りに座るアズライトの顔を見た。 「言葉の通りの意味かと。ただ、その前に少しだけ我々の話にお付き合い願えればと思っております」  その言葉を聞く限り、深読みのしすぎと言うことは無いようだ。なるほど積極的だと、ヨシヒコは離れた所に座るエリシアを見た。少し目元が歪んでいるのは、先を越されそうなことへの苛立ちなのだろうか。 「それで、お前たちは何を話したいのだ?」  言ってみろと催促されたキャスバルは、「まず」と言って隣りに座るタルキシスを見た。 「昨夜一族で会議を行い、条件付きながらタルキシスを次の当主とすることとなりました。まずは、それをご報告差し上げねばと思った次第でございます」  座ったまま頭を下げる二人に、なるほどとヨシヒコは頷いた。 「それで、条件と言うのはなんだ?」 「ご存知かと思いますが、タルキシスはマリアナ嬢に求婚しております。ただ、未だ色良い返事を貰えていないとのこと。マリアナ嬢に認められる男になり、嫁として迎えることを条件といたしました」  その条件に、なるほどとヨシヒコは大きく頷いた。 「マリアナ、お前の責任は重大なようだぞ。しかも、簡単に妥協はできなくなってしまったぞ」  そう言って笑ったヨシヒコに、マリアナははっきりと「妥協などするつもりはありません」と答えた。 「だそうだタルキシス、まだまだ道は長いようだな」 「これまで遊んできた付けだと思っております」  座ったまま頭を下げたタルキシスに、「頑張れよ」とヨシヒコは結構真面目に励ましの言葉を掛けた。 「それで、他にも話があるのか?」  その問いに、「然り」とキャスバルは大きく頷いた。 「ですが、その報告はクランカンよりさせようと思っております」  ようやく諦めたのかと苦笑を浮かべたヨシヒコに、クランカンが立ち上がり大きく腰を折って頭を下げた。その隣では、いつの間にか現れたフレイアが揃って頭を下げていた。 「アルケスト三等子爵家令嬢、フレイアに昨日求婚いたしました」 「フレイア、ようやく諦めさせたと言うことだな。随分と、往生際が悪かったな」  フレイアに求婚したと報告したクランカンの言葉に、ヨシヒコは神妙な顔をしたフレイアに声を掛けた。ただフレイアに対しての言葉なのだが、中身はクランカンをからかったものだった。 「誠実さ故のことだと思っています」  立ち上がって頭を下げたフレイアを見て、「責任重大だな」とクランカンに声を掛けた。 「クランカン、お前の危惧が現実のものとならぬよう努力をするのだな」 「軌道城城主の誇りにかけて」  立ち上がって頭を下げたクランカンを優しい目で見てから、「メリディアニ一等侯爵」とヨシヒコはキャスバルを見た。 「これで、俺への話は終わりなのか?」 「バルゴールの問題は、まだ報告には時期尚早と考えております。ただ時期が参りましたら、総領主殿を交えて報告に上がりたいと思っております」  それが何のことを言っているのか。フレイアの顔を見て判断したヨシヒコは、「そうか」とだけ答えた。 「アズライト、俺たちは席を外すことにするか」  そうすることで、ジェノダイトをここに残すことになる。バルゴールの問題解決には、彼の助けが必要なのは間違いなかったのだ。  それぐらいのことはアズライトも理解していたが、それでも「私は一緒に行きませんよ」とヨシヒコの期待とは反対のことを口にした。「何?」と驚くヨシヒコに、「感心しませんね」とセラムのことを持ち出した。 「セラムさんは初めてなのですよ。初めてぐらいは、普通にしてあげた方が良いと思います」  アズライトの決めつけに、「あー」とヨシヒコは高い天井を見上げた。そこにあるのは、古めかしい作りをした木で組まれた天井である。所々に花の模様があしらわれているが、その事自体に特に意味はなかった。 「昼食前の空腹を感じ始めた所で、流石にそれはないと思うのだがな」 「でしたら、一緒に空腹を満たされておいでいになれば良いのです」  いってらっしゃいと突き放され、ヨシヒコはもう一度天井を見上げた。だが天井に答えが書いてあるはずもなく、すぐに諦めたようにため息を吐いた。 「それで、誰が案内してくれるのだ?」 「ようやく、覚悟を決めたか」  ふんと鼻で笑ったタルキシスは、「セラム」と問題の女性を呼び出した。それを待っていたかのように現れたセラムは、襟に花柄の付いた白いブラウスに、淡いピンクの短いスカートを合わせていた。ヨシヒコを見て恥じらう姿は、1年前のセラムの姿そのままだった。 「ヨシヒコ様、私がご案内いたします」  そこで一瞬だけエリシアを見たセラムは、ヨシヒコから分からないようにウインクをした。そしてエリシアも、セラムだけに分かるようにウインクを返した。そして「こちらに」と、ヨシヒコを連れて広間を出ていった。  それを見送った所で、アズライトは「エリシアさん」と取り残されたエリシアに声を掛けた。 「私達は、お花畑でも見に行きませんか?」  そこでジェノダイトを見たエリシアは、小さく頷き立ち上がった。 「アズライト様、喜んでご一緒させていただきます」  それからジェノダイトとキャスバル達に頭を下げて、エリシアはアズライトの後を小走りに追いかけていった。これで会議の場に残されたのは、メリディアニ家ゆかりのものと、ジェノダイトと言うことになる。そしてマリアナは、タルキシスを見届けるために、その場に残る必要があった。  ヨシヒコとアズライト達が部屋から出ていくのを見送った所で、キャスバルは「ジェノダイト様」と上座に座るジェノダイトを見た。 「わが息子、そしてクランカンへのご厚情を改めて感謝させて頂く」  メリディアニ家の抱えていた問題が、完全にではなくとも解決の目処が立ってくれたのだ。テラノ行きがその役に立ったのだから、キャスバルがジェノダイトに礼を言うのは当然のことなのだろう。 「私はほとんど何もしていないのだが……だが、テラノを代表して礼を受け取ることにする」  とりあえず挨拶を終わらせた所で、「相談がある」とキャスバルは切り出した。 「バルゴールは、およそ20%の保有艦船の削減を考えておる。また37軌道城のうち、7つを廃止することも同時に考えておるのだ。そして廃止した軌道城を、改装し居住区として利用することにしようと思っておる。そうすることで、これまで軌道城並びに艦隊の維持に掛けてきた費用の削減を行う。そして削減した費用で、軌道城の居住環境の改善並びにちょっとした産業を起こすことを考えている。合わせて老朽艦の廃艦と新造艦への切り替えを加速するつもりだ」  一方的に計画を口にしたキャスバルは、「ここからが本題だ」とジェノダイトを見た。 「確かテラノは、先の衝突で多くの船と乗員を失ったと聞いてる。ザイゲル連邦との友好条約締結で、艦隊整備の緊急度は下がってはいるのだろう。だが、このまま数を減らしたままと言う訳には行くまい。そこで我々のお古を、そちらに進呈したいと思うのだが、いかがだろうか?」 「進呈……ただで、と言うのか!?」  買ってくれと言われると思っていたジェノダイトは、進呈と言う言葉に驚きを隠せなかった。そんなジェノダイトに、キャスバルは「ドックとしての軌道城も進呈する」と畳み掛けた。 「随分と気前のいい事を言ってくれるが……それで、条件はなんだ?」  それだけの戦力を手に入れれば、維持費こそ掛かるが新規建造を行うのに比べて費用は大幅に削減できる。ただ問題は、ハードウエアだけ提供されても、運用のノウハウがないことだった。 「なに、合わせてテラノに人員を受け入れてもらいたいだけだ。希望者を募る形になるが、軌道城当たりおよそ100万から200万の規模になるな。合わせて軌道城城主も、そちらに転籍と言う形で受け入れてもらいたい」  なるほどと、ジェノダイトはキャスバルの提案意図を理解した。それだけの食い扶持が減るだけでも、大幅な費用削減となってくれるだろう。 「それで、具体的には軌道上をいくつ寄越すつもりだ?」 「4程度と考えておる」  その提案に、どうしたものかとジェノダイトは即答を避けた。一応ヨシヒコから予告はされていたが、まさかこんなに早く持ちかけられるとは思っていなかったのだ。 「なるほど、これがタルキシスに目をかけられた理由か」  この中で、一番しがらみを理解していないのはタルキシスに違いない。だから普通なら持ち出せない提案を、怖気づくことなく持ち出すことが出来るのだろう。確かに帝国は変わるのだと、バルゴールの急速な変化にジェノダイトはそれを強く意識した。  だがテラノ総領主として、簡単に受け入れていい話でも無い。一応予算と監督権限は持っているが、軍の運営は総領主府からは独立して行われていたのである。最終承認こそ行うが、立案機能は軍の方にあったのだ。いくらいい話でも、ほいほいと受けてしまうのは、行政の手順を踏みにじることになる。 「4つの軌道城、そして2000の艦船に最大800万の住人ともなると、二つ返事と言う訳にはいかないだろう。この話はテラノに持ち帰り、宇宙軍関係者に展開させてもらう。それに800万もの移住者の受け入れは、影響を調査する必要もある。流石に全員を軌道城に閉じ込めておく訳にもいかないだろう」  ジェノダイトの答えは、キャスバルにも納得の行くものだった。これだけ規模の大きな話になると、総領主の一存と言う訳にはいかないのだ。自分達が金で困ったのと同様に、テラノでも予算の問題が起きるのは分かっていたことだった。 「うむ、簡単にまとまる話でないのは理解しておるつもりだ」  理解を示したキャスバルに、「それから」とジェノダイトは軌道城城主の立場を問題とした。 「テラノの爵位保有者で、最高位は現在三等伯爵だ。テラノ全体で5家あるのだが、いずれも古くからの王家にあった者達なのだ。そこに一等伯爵家が4家加わるのは、流石にこちらとしては受け入れがたいものがある」  その主張もまた、キャスバルには理解の出来るものだった。そして同時に、予想された問題でもあった。 「そのことだが、転籍する者は同時に爵位を降格させる人事を考えた。そちらとのバランスを考えるなら、一等子爵あたりが適当なのだろう」 「いやいや、流石に一等伯爵から一等子爵への降格は問題が大きすぎるだろう。それでは、どう考えても懲罰になってしまう」  名誉を考えると、3階級の降格はよほどの不始末を犯した時以外に有り得ない。バランス的には確かにその通りなのだが、だからと言って不満を抱いたままテラノに来ても欲しくなかった。  だが懲罰と口にしたジェノダイトに、キャスバルを始めとしたメリディアニ家の者の顔に苦笑が浮かんだ。それを何かと訝ったジェノダイトに、「なに」と苦笑を浮かべたままキャスバルは事情を説明した。 「一等子爵への降格を条件に、無記名でテラノへの転籍希望を取ってみたのだ。そうしたら、無記名であることが意味のないことになってしまった。つまりだ、ほぼ全員が希望を出してきたと言うことだ。逆に人選に困ることになるし、わしは彼らの忠誠心を疑わざるを得なくなった。そしてそこまでして逃げ出したいと思わせたことに、同時に恥を感じているのだ」  情けないと嘆くキャスバルに、ジェノダイトは掛ける言葉をもたなかった。テラノに転籍したからと言って、待遇が改善される保証などどこにもないのだ。それなのに、殆どの城主が転籍を希望したと言う。彼らを統括する側として、嘆きたくなるのも理解が出来るのだ。 「それが、バルゴールの現実と言うことなのだ」  まったくと息を吐き出したキャスバルは、「各城主の事情を鑑みた」と続けた。 「7つ軌道城を減らすと言ったが、テラノに送る4つを除く3つは、こちらで再開発を行うことになる。各家の事情を鑑み、どの家をそこに当てるのか、どの家をそちらに送り込むのかを検討した。最終的にはそちらからの回答を待つことになるが、特に揉めることなく割り振りは終わっておる。そしてそちらとの調整だが、タルキシスとクランカンに任せることとした。そちらの領主府近くに屋敷を用意したのだから、有効活用の面でもちょうどいいだろう」 「勝手に、話を勧めて貰いたくないのだがな」  一応苦情を口にしたジェノダイトは、「よかろう」と調整開始を認めることにした。 「宇宙軍の大将二人と、統合司令本部に指示を出しておく」  まったくと息を吐いたジェノダイトに、「感謝する」とキャスバルは頭を下げた。そして感謝を口にしながら、「もう一つ」と頼みを持ち出した。 「これを機に、テラノとの交流を開始したいのだがな」  どうだろうと問いかけたキャスバルに、「シリングを通せ」とジェノダイトは建前を口にした。 「いい加減バルゴールの総領主に仕事をさせろ」 「それは、まあ、そうだろうな。我々だけで勝手に進めるのは確かに問題があるな」  意外な聞き分けの良さに、ジェノダイトははっきりと驚いた顔をした。それを見たキャスバルは、「予想通りの答えだからだ」と笑った。 「メリディアニ家だけで閉じていては、バルゴールを変えることが出来ないからな。責任を押し付けるためにも、総領主殿を巻き込むことにした」  いけしゃあしゃあと言うキャスバルに、ジェノダイトは口元を歪めて見せた。 「これでシリングも活躍の場が与えられると言うことだな。バルゴールの治世が正常化に向かうと言うのであれば、本来喜ぶべきことだろう、本来はな」  その結果、急に面倒が押し付けられることになるのだ。それを考えれば、シリングの立場では喜んでばかりはいられないだろう。 「それにしても、ジェノダイト殿よりはましに違いない」 「それは、どう受け取ればよいのだ?」  すかさずなされた指摘に、ジェノダイトは思わず聞き返してしまった。その時顔が歪んでいたのは、あまりにも心当たりの有りすぎる指摘だからだろう。 「それを、この場で口にして良いのか?」  いかにも何かありますと言う顔をしたキャスバルに、「遠慮しておく」とジェノダイトは逃げを打つことにした。  少し気後れしながら部屋に連れ込まれたヨシヒコは、予想外の状況に少しだけ驚かされることになった。「まだ片付いていないのです」と言い訳をしたセラムが、ヨシヒコを可愛らしいテーブルへと案内したのである。そして奥のキッチンからティーセットを持ってきて、ヨシヒコの目の前でお茶を入れてくれたのだ。さすがにいきなりは無いだろうと思っていたのだが、これもまた予想外の出来事だったのだ。 「もっと早く、こうしたかったんですよ」  嬉しそうに微笑みながら、セラムはお茶の準備を進めていった。 「アセイリアさんの姿の時にもしているはずなのですけど、やはりヨシヒコ様にしてあげたかったと言うのが分かりました。ヨシヒコさんに恋をして、デートをして将来は結婚をして。ずっと一緒に居て、マリアナ様に奉仕をするのが、1年前の私の夢だったんです」  手際よくカップとお菓子を並べ、ポットから香りの高い紅茶をカップへと注いだ。そして自分もヨシヒコの向かいに座り、「どうぞ」とお茶とお菓子を勧めた。 「いつもカプチーノばかりを飲んでいるのだが……これは、うまいな」  一口紅茶を口に含むだけで、鼻孔を甘くて爽やかな香りが満たしてくれる。その香りを余韻とともにゆっくりと吸い込んだヨシヒコは、もう一度カップに口をつけた。  それを嬉しそうに見ながら、セラムは両手でカップを持った。そしてゆっくりと、赤い液体を唇の奥へと流し込んだ。それを見ながら、綺麗だなとヨシヒコはぼんやりと考えていた。何か落ち着くなとセラムに感じた時、ヨシヒコはどうしてアズライトだったのかを理解することが出来た。 「俺も、バルゴールと同じだったと言うことか」  爵位が欲しくてお金を稼ぐと言う行動をとっていたが、その限界も見えていたのだ。それは同時に、ヨシヒコに強い閉塞感を味あわせていた。セラムの存在は、そんな思いを抱いたヨシヒコへの癒やしと言う意味を持っていたのだろう。だがヨシヒコの求めていたのは、癒やしではなく目の前に新しい世界を開いてくれる存在だったのだ。それを予感させてくれたアズライト、その時はセラフィムに対して惹かれていったのだと理解することが出来た。  その意味では、セラムと言うのは彼が脱出した世界の象徴とも言える存在だろう。そしてその考えが、結果的に彼女の姿をヨシヒコに歪めて見せていた。 「どうかなさいましたか?」  見られていることに気づいたセラムは、顔を赤らめて恥ずかしそうに俯いた。 「いや、あの頃の俺のことを思い出したのだ。多分あの頃の俺だったら、今のような気持ちになれなかっただろうとな」 「それは、伺っても宜しいことですか?」  遠慮がちに尋ねたセラムに、ヨシヒコは小さく頷いた。 「とても穏やかで、落ち着いた気持ちになっているんだ。こんな気持ちになるのは、多分初めてのことだと思う。それで分かったのは、あの頃の俺が求めていたものとは違ったと言うことだ。あの頃の俺は、落ち着くことなど求めていなかったんだなと」 「それは、仕方がないことだと思います。三等男爵家に使われるのは、ヨシヒコ様の実力に相応しくないものだったと言うことです。アセイリア様として活躍されたのが、その証拠だと思っています」  そう答えたセラムは、紅茶を口に含んでから「美味しい」と漏らした。 「ああ、確かにうまいな」  心からの言葉を口にしたヨシヒコは、「だが」と少し表情を厳しくした。 「今の俺は、次の皇帝になることが決まっている。だから、こんな心地の良い世界に留まっている訳にはいかない。俺はこれから、もっと変化の激しい世界に身を置く必要があるんだ」 「ヨシヒコ様の仰ることは分かります」  言葉遣いを改めたセラムは、「ただ」と自分の考えを口にした。 「それでも、時々立ち止まることも必要だと思います」 「今は、立ち止まることを考えてはいないのだがな……ただ、セラムの言うことも確かなのだろうな」  ふうっと息を吐いたヨシヒコは、残っていた紅茶をぐいっと飲み干した。 「時々でいい、俺に美味しい紅茶を振る舞ってくれないか?」  まるでプロポーズのような言葉に、セラムは満面の笑みで「はい」と返した。きな臭い話をしている庭とは、全く切り離された穏やかな空間がそこにはあった。そこに問題があるとしたら、絵的に男女の会話に見えないことだった。 Last Chapter  バルゴールが新しい道を歩み始める時、忘れられた亡霊を思い出させる必要はどこにもない。完全に克服したと思っているのだから、それを蒸し返すことはむしろ不要な混乱を招くことになる。その認識をヨシヒコと共有したアズライトは、エリシアを連れてシルフィールの居る庭へと向かった。余計な詮索を受けないためには、この場にヨシヒコは居ない方がいい。その考えもまた、ヨシヒコとアズライトで共有したものだった。 「ですが、セラムさんのことは宜しいのですか?」  カムフラージュの為連れてこられたエリシアは、ヨシヒコがセラムの部屋に行くことを持ち出した。競争相手であり友人であり、共に同じ目的に努力するセラムだから、別に邪魔をしようとは思っていなかった。それどころかセラムが成功することで、逆にハードルが下がることも期待もしていたのだ。ただこんな感じでなし崩しになることが、本当にいいのか分からなかっただけだ。  そんなエリシアの懸念に、気にするほどのことではないとアズライトは笑った。 「あなたもそうですが、一等侯爵家を後見人にした時点で答えは出ているんですよ。だから、私は別に構わないと思っています。それに私は、セラムさんと言う恋人が居るのを知っていて、ヨシヒコに惹かれていきましたからね。後はセラムさんだけの物を見つけてくだされば、私は特に何も言うことはないと思っています」 「つまり私も、自分だけのものを見つけろと言うことですか……」  考えてみれば、それは結構難しいことに思えてしまう。余計なことを口にしてしまったかと、エリシアは顔に出さずに後悔をしていた。  そんなエリシアに、「難しく考える必要はありませんよ」とアズライトは笑った。 「あなたの場合、少なくとも見た目と言う特徴はありますからね」  真顔で答えたアズライトは、すぐにお腹を抱えて笑いだした。見た目を持ち出した時のエリシアの顔が、意外なツボを付いておかしかったのだ。 「冗談ですよ。ただ、難しく考える必要が無いと言うのは本当のことです。そしてそれは、ヨシヒコと一緒に考えることだと思いますよ。私は、めぐり合わせもまた特別な物だと思っていますけどね」  そこで思い出したのは、クランカンに嫁ぐことの決まったフレイアだった。彼女がヨシヒコに迫ったことを考えれば、エリシアとの違いはめぐり合わせぐらいしか考えられなかったのだ。 「めぐり合わせ……ですか。私の場合、それが良かったのかは疑問がありますね」  ううむとエリシアが顔を顰めた所で、二人は目的地の花壇にたどり着いた。そして花壇の中にあるテラスに、目指すシルフィールとリーリスが座っているのを見つけた。人見知りのリーリスが笑っている所を見ると、うまく関係構築も出来ているのだろう。 「シルフィール姉様、リーリス姉様、お邪魔をしても宜しいでしょうか?」  后組では最年少と言う事もあり、アズライトは個人的に呼びかける時に「姉様」とつけるようにしていた。ただシルフィールには、未だ慣れないと言うか、誰のことかと思えてしまう呼ばれ方だった。しかもアズライトは、後宮組ではなく正妻と言う立場を持っていた。  仲間に入れてと言うアズライトに、二人は「喜んで」と言って立ち上がった。そして傍らに置かれていたポットにお湯を入れ直し、二人分のお茶を用意した。 「ヨシヒコ様は、こちらにおいでではないのですか?」  ヨシヒコが館に来ているのは、シルフィールから教えられていた。だからリーリスは、アズライトと共にヨシヒコがくるものだと期待をしていたのだ。だからアズライトが知らない女性、しかもとびっきりの美人を連れてきたことに、かなり落胆をしていたりした。 「ヨシヒコなら、別の女性の所に送り込みました。リーリス姉様、ヨシヒコに興味がお有りですか?」  少し口元を歪めたアズライトに、「それはもう」とリーリスは力強く肯定した。 「アズライト様、アリアシア様が好きになられた殿方です。興味を持たないはずが無いと思います」  まっとうな答えに、そうですねとアズライトは微笑んだ。 「今宵の晩餐で、リーリス姉様をご紹介差し上げますね」 「その時には、是非ともお礼を申し上げなければと思っています」  お礼を言いたいと言う気持ちは理解できるが、公式の場で持ち出すには問題の多いことでもある。そこで自分の顔を見られたシルフィールは、「宜しいのでは」とアズライトに事情を説明した。 「リーリスさんの健康診断をして、問題のある部分を治療して差し上げました。ですから、体の具合はかなり良くなったと思いますよ。たぶん、それだけで気分も変わったと思いますからね」  重要な部分をぼかした説明に、なるほどとアズライトはその意味を理解した。 「後は、花壇周りの消毒も行いました。これで、リーリスさんは何も心配はいらないと思います。実はアルビノ的特徴も直せたのですが、リーリスさんがこれでいいと言うので直しませんでした」 「お陰で、気持ちがとても楽になったんです。体が軽くなると、こんなにも気持ちも変わるものかと驚いているんです。それにシルフィール様から、タルキシスが心を入れ替えたとも伺っております。父様が私を御前に呼び出さないのが、その証明になっていると思います。ですから、ヨシヒコ様に感謝の気持ちを表したいと思っているんですよ。ただ残念なのは、ヨシヒコ様は私の王子様ではなかったことですね」  その程度ですと笑うリーリスは、付き物が落ちたようなスッキリとした顔をしていた。こうしてみると、銀色の髪に赤い瞳も、なかなかきれいなものだと思えてしまう。しかも病的に白すぎた肌が、シルフィールのお陰で少しだけ改善されたのだ。メリディアニ家が変わったことと合わせて、すぐにでもお相手が見つかりそうな気がしたぐらいだ。 「それでシルフィール姉様、リーリス姉様はバルゴールのどこに行っても大丈夫なのですか?」 「あと半日経てば、それを保証できるのです……保証できますね」  つい出てしまった地に気づき、シルフィールは慌てて言い直した。 「では、もう心配はいらないと思えばいいのですね」  それが肝心と確認したアズライトに、シルフィールは自信に満ちた顔で「その通り」と言い切った。 「だそうです。良かったですね、リーリス姉様」 「これで、私は自由を得たことになるのですね。ただ、今まで自由がありませんでしたから、何が起きるのか怖いと言う気持ちもあります」  それでもと、リーリスは顔を上げて力強く言い切った。 「私も、外に出たいと思います」  そこには、「脳内お花畑」と言われた女性の姿は見つけられなかった。 Episode 11 end...