星の海の物語 Episode 8 The story of the Chapter 0  宇宙が人類に残された最後の未開地と言うのは、古い映画で見たセリフだっただろうか。アルタイル号の展望デッキで、そんなヨシヒコはどうでもいいことを考えながら寛いでいた。23世紀を舞台にしていたその映画は、円盤型のデッキを持つ宇宙船で銀河を飛び回っていた。  だが現実の世界は、時計を200年ほど時間を早回しして動いている。そして銀河情勢に関して言えば、さらに多くの時間を早回ししていた。何しろ帝国の探査は、すでに全銀河のおよそ90%に及んでいたのだ。人類にとって未開地は、この銀河にはほとんど残っていなかった。  特別に合成したカプチーノを啜ったヨシヒコは、状況確認のため彼のアバターを呼びだした。グリゴンまではあと3日すれば到着する。到着してからのことを考えると、色々と確認しておくことが有ったのだ。 「セラ、アズライトは大人しくしているか?」  その第一と言えるのは、皇妃となるアズライトのご機嫌だろう。テラノからの帰りは別行動になるため、アズライトは自分の船で移動していた。最初の中継地で顔を合わせたのだが、そこでは顔を合わせた程度で、すぐに目的地へ向けて出発したのである。その時アルタイル号に乗ると散々駄々をこねたのだが、それをアリアシアがあっさりと撃退してくれた。ただアズライトを撃退したアリアシアも、身の安全のためと言って自分の船に避難していた。  ヨシヒコの問いに、セラは極めて的確な答えを返した。それは、あまりにも予想通りのものだった。 「はい、予想通りやさぐれてらっしゃいます」 「そのあたりは、血筋と言うことか……」  様子に想像つくだけに、ヨシヒコの顔にははっきりと苦笑が浮かんでいた。そんなヨシヒコに、追加の情報ですとキグナス号の動きをセラが報告してきた。 「主砲の照準がこちらに向けられていますね。どうやら、アズライト様のストレスにマリーカ艦長が巻き込まれたようです」 「早くご機嫌を取りに来いと言うことか」  まったくとため息を吐いたヨシヒコは、敢えて無視をすると言う選択をすることにした。 「アリアシアも似たようなものか?」 「アリアシア様の方が大人しいようですね。そのあたり、性格が影響しているのではないでしょうか?」  アリアシアを評価したセラに、それも違っているとヨシヒコは指摘した。 「アリアシアは、アリアシアなりに計算をしていると言うことだ。理解のあるところを見せて、アズライトに差を付けようと思っているのだろう」 「確かに、そう言う考え方もありますね」  あっさりと認めたセラは、機械的に最終中継地までの時間を報告した。 「ザゲ中継地まで、残すところ35時間と30分になりました。そこを出れば、グリゴンまでは33時間で到着します。ザゲには、およそ2時間ほど滞在することになります」 「2時間か……その2時間が怖い気もするが」  まあいいかと頭を切り替えたヨシヒコは、目的地の様子を確認することにした。出発間際にアルハザーの決定が公布されたため、その影響を気にしたのだ。 「ドワーブ様から、何か連絡は入っていないのか?」 「来訪をお待ちしているとの連絡以外はこれと言って……ただグリゴンに、全ザイゲル連邦から総領主が集まっているようです。艦隊も集結中で、現時点で100万を超えているようです。最終的には、300万を超える艦艇が集結することでしょう」  凄いことでと感心するセラに、ヨシヒコは「そうだな」と口元を引き攣らせた。 「たった1日の訪問に、随分大げさな真似をしてくれたのだな」 「次期皇帝とその皇妃、そして前皇太子、さらには現皇女が訪問しますからね。おそらく、グリゴンの歴史でも初めてのことではないでしょうか?」  グリゴンのとセラは答えたが、全帝国に広げても前例のないことだろう。それを考えれば、ザイゲル連邦の全総領主が集結するのも不思議なことではない。 「しかし、総領主が3千名も集まるのか……」  その数を考えると、銀河と言うのが改めて広大だと思い知らされてしまう。そしてそれを理解することが、帝国統治の第一歩に繋がってくる。その広大な宇宙でヨシヒコが何を打ち出すのか、それもまたこれからの帝国の進む道を示すことになるのは間違いない。そしてそれは、ヨシヒコ自身の評価にも繋がってくるものとなっている。 「しかし……グリゴンでこれなら、地球はどうなっているんだ?」 「統合司令本部が、センテニアルのやり直しを計画しているようですね」  すかさず出された答えに、あり得るなとヨシヒコは頷いてしまった。  地球にとって、センテニアルは惨劇の代名詞となっていた。2万の上級爵位保有者と3万の一般人が死んだことを考えれば、それも無理のないことに違いない。その過去をぬぐい去るためには、恐怖を上回る熱狂を用意する必要がある。地球出身者が皇帝に着くというのは、熱狂するのに足る出来事のはずだ。 「必要性は認めるが……面倒だな」  いっその事抜け出してやろうか。左薬指に嵌めたラルクを触りながら、ヨシヒコはとんでもないことを考えていた。それが口にでいたのか、たまたま顔を出したアンハイドライトは「いかがなものか」と苦言を呈した。 「アズライトでも、式典だけは真面目に務めていたのだよ。地球出身の君が、地球の式典をなおざりにしてはいけないだろう」  そもそもと、アンハイドライトはヨシヒコに説教を始めてくれた。この辺りは、教育係の面目躍如と言う所だろうか。真面目なだけに性質が悪い。使命に燃えたアンハイドライトに、どうした物かとヨシヒコは意識を発散させた。  そんなヨシヒコに構わず、アンハイドライトはヒートアップしてくれた。 「テラノの人々にとって、おそらくこれ以上の慶事は無い筈だ。それを、肝心の君が蔑にしていいわけがないだろう。それこそ、君が統合司令本部に乗り込んで、全体の指揮を執らなくてはいけないはずだ」  しかも、さらりと問題発言まで混ぜ込んでくれる。違うだろうとヨシヒコがツッコミを入れるのも、ある意味当然のことだった。 「それは、アセイリアの仕事だと思うのだがな」  どうしてその責任まで持ってこられるのだ。ヨシヒコとしては正当な抗議に、アンハイドライトは開き直ったかのような個人的問題を口にしてくれた。 「私とアセイリアさんのために、少しぐらい骨を折ってくれていいと思うのだがね。何しろ私達は、まともに手も繋いでいないのだよ。それに君が関わるのが問題と言うのなら、君がアセイリアになって指揮をとればいいだけのことだ」 「いやっ、それは明らかにおかしいだろう!?」  なぜ個人的事情を斟酌しなくてはいけないのか。しかもそれを、次期皇帝に求めるのは明らかにお門違いのはずだ。だが文句を言ったアンハイドライトは、ヨシヒコの正論をはねつけてくれた。 「君はいいよ。アリアシアやアズライトとお盛んだったからね。そう言えば、シオリ嬢にも手を出したのだったね。確かに、君に後宮を構えろといったのは私だよ。それを認めるのは吝かではないが、私にだって感情というものがあるんだ。ずっとそんなものを見せつけられてきたんだ。そろそろ、私が良い目に遭ってもいいと思わないかい? 嘘を教えられたくなければ、そろそろごまをすっておいても良いんじゃないのかな?」  それにと、アンハイドライトは周りの期待を口にした。 「統合司令本部の彼らも、君が現れれば喜ぶのではないのかな? 将軍たちも、きっと君の元気な姿を見て見たいと思っているはずだ」 「それなのに、どうしてアセイリアの格好をしなくてはいけないんだ?」  それがおかしいと文句を言ったヨシヒコに、アンハイドライトは我が意を得たように胸を張った。 「君がその姿で動くのより、騒ぎが小さくなるからだよ。次期皇帝が、そうそううろついている訳にはいかないだろう? 君は、ただでさえ目立つ容姿をしていることを忘れてはいけないんだよ」 「だったら、最初の話に戻ることになるのだが……」  なぜ嬉々として自説を開陳してくれるのか。やけに乗りのいいアンハイドライトを訝りながら、ヨシヒコはどうした物かと現実逃避をしていた。 「とは言え、この格好で出歩くのが難しいと言うのは確かか……」  時の人ともなれば、間違いなく周りの注目を集めることになる。まだ見られるだけなら許せるが、馬鹿なことを考える者も出てくることだろう。自分の身を守ることはできるようになったが、巻き込まれる人たちのことを考えれば迂闊な真似をすることもできない。 「そう、だからアセイリアの格好をするのが一番いいと思うんだよ!」  ヨシヒコのつぶやきを聞きつけたアンハイドライトは、だからだと自説を繰り返した。  一度冷たい視線を向けただけで無視をしたヨシヒコは、どうしたものかとこれからの対応を考えることにした。公式行事が目白押しと言うのは理解できるが、それ以上にヨシヒコには大切にしておきたいものがあったのだ。その第一は、親友達との時間を作ることだろう。 「マリアナにも会っておかないといけないか……」  セラムのことでは、色々と迷惑を掛けたのは間違いない。それを考えれば、謝罪をしてもおかしくないのだろう。それに立場は違うが、ずっと幼馴染として仲良くしてきたのは真実だと思っていた。 「あいつのことだ。間違いなく座学で苦しんでいるのだろうな……少し手助けをしてやるか」  暇つぶしにちょうど良いと、ヨシヒコはセラを呼び出した。時期的に考えれば、課題の一つも出ているだろうと予想したのだ。 Chapter 1  アズライトの話を聞かされた4人は、自分達が重大な秘密に触れたことに気がついた。皇位継承の話は、帝国にとっておよそ30年に1度の最重要案件となっていたのだ。  しかも一番の驚きは、アズライトの皇帝就任が白紙に戻されたことだった。それだけでも驚きなのに、別の男性を皇帝にし、あまつさえその皇妃としてアズライトに連れ添えと言うのである。それまでのことを知っているだけに、とてもまとまる話とは思えなかったのだ。それなのに、アズライトは願いがかなったかのような顔をしてくれている。だからこそ、余計に事情が分からなくなっていた。 「アズライト様……」  事情を聞こうとしたカニエだったが、「慌ててはいけませんよ」とアズライトに窘められてしまった。そうなると、黙って相手が現れるのを待つことしかできなくなる。そしてカニエ以外の3人、すなわちシオリ以外のメンバーもまた、何が起こるのだと固唾を飲んで待つ以外にできることは無かった。  だが何もないところに現れた扉が開いた時、カニエは想像力の及ばない世界があることを思い知らされた。これ以上驚くことはないと思っていたのに、目の前に突き付けられた事実はそれの覚悟すら凌駕してくれたのだ。  あろうことか、自分に瓜二つの男が皇太子と皇女を引き連れ現れてくれたのだ。そして自分と同じ顔をしたその男は、嬉しそうにするアズライトの隣に座ってくれた。  公式の場ではないと言うことで、その男を含め全員が普段着と呼ばれるものを着用していた。カニエ達が正装をしていることを考えれば、いかにもアンバランスな光景に違いない。だがそれを失礼と考える余裕は、カニエ達から奪い去られていた。そして唖然とするカニエ達に、アズライトは誇らしげに隣りに座った男を紹介した。 「私の夫、そして次期皇帝に指名されたヨシヒコです」  女性の格好をさせた方が似合いそうな男は、とてもカニエに似た顔をしていた。それだけで十分驚いたところに、聞かされた名前はまともに考えればあり得ないものだった。 「し、しかし、ヨシヒコと言う男性は……」  何とか自分を取り戻したカニエは、これまでの常識を口にしようとした。だが皆まで語る前に、「本物ですよ」とアズライトが答えの先取りをした。 「ようやく治療が終わり、こうして私の前に帰ってきてくれました。すでにお父様と話をされ、その結果が先ほどの話に繋がってきます。カニエ、それでいいのかと言う答え、これで理解してくれましたか?」  愛した男が帰ってきたのなら、今さらアズライトの気持ちなど問う必要はない。子供のことを考えても、収まるところに収まったと言う所だ。これを見せられれば、「良いのか」と言うのは愚問に違いなかった。 「私達をお呼びになられたのは、これを教えてくださるためですか?」  なんとか気を落ち着けたカニエは、自分達が呼ばれた理由をアズライトに求めた。皇族の話であれば、ただ通達を回すだけで済む話でもある。確かに重要な話ではあるが、わざわざ呼び出されるような話ではなかったのだ。  そんなカニエの問いに、アズライトではなくヨシヒコが答えを口にした。 「分かっているとは思うが、それだけなら呼び出す必要はなかった。この後夕食に招待しようと思っているのだが、これはわざわざ地球まで行ってくれたクレスティノス三等子爵への労いと、お前たちの集まりに新しい指示を出すためでもある。後は、そうだな、スカウトと言う目的もあるな」 「スカウト、でしょうか?」  自分と同じ顔、同じ声で喋られるのは、分かっていても違和感を覚えるものだった。ただ、それを口にするわけにもいかず、カニエはヨシヒコの言葉に含まれた部分を質問した。 「そうだ。俺は、新しい人材を求めるつもりだ。その候補として、初めにお前たちに声を掛けることにした。まあ礼儀のようなものだが、簡単な査定をした結果だと思ってくれればいい」  いつの間にと思いはしたが、相手が皇帝になる人物である以上疑義を口にするわけにはいかない。そして疑義の代わりに、ヨシヒコ言葉にあった「人材」についてカニエは伺いを立てた。 「私達に、どのような役目を求められるのでしょうか?」  一口に人材と言われても、皇帝がどのような人材を求めるのか分かっていない。しかも過去の例では、皇帝が官僚機構以外に人材を求めた事実は残っていない。実際今の皇帝も、ブレーンを近くにおいていなかった。  その意味での質問に、「便利屋のようなものだな」とヨシヒコは答えた。 「俺が皇帝を継ぐことで、これから各星系で小さくない混乱が起きることになるだろう。俺が求める人材は、それを未然に防ぐ役目を担うことになる。従って、ザイゲルやシレナからも人材を求めることを考えている。今まで通りのことをしていくのなら、必要のない人材でもあるな」  アズライトが皇帝になるのなら、必要がない人材と言うのも理解できる。だがヨシヒコが皇帝になる以上、混乱は避けて通れないことだった。そしてシリウス家以外の者が皇帝になる以上、過去を踏襲することに意味は無い。これまでと同じことを求めるのなら、アズライトが皇帝になればいいだけの事だったのだ。 「便利屋のようなもの……でしょうか」  アズライトではなく、アルハザーと敵対したヨシヒコを皇帝につけるというのだ。それを、皇帝を無視する勢力は勝利と考えることだろう。そうなると、穏やかに進んでいた流れが加速されるのは間違いない。そして今の動きが気に入らない者が、過激な反応を示す可能性も生まれてくる。便利屋と簡単に言ってくれたが、その役目は非常に大きなものと言っていいだろう。 「ああ、便利屋だ。もしも役に立つ提言をしてくれるのなら、統治の参考ぐらいにはしてやる。それでも使って欲しいというのであれば、優先的に取り立ててやることも吝かではないな」  アズライトに取り立てられたとは言え、自分はしがない三等子爵にすぎなかった。その自分が帝国統治に関われると言うのだから、まともに考えれば非常に魅力的な誘いには違いないはずだ。  だがカニエは、どうしてもヨシヒコに対して引っ掛かるものを感じていた。すぐに名乗り出られなかったのは、その引っ掛かりが影響したのは言うまでもない。 「なんだ、すぐにお願いされるのかと思ったのだがな」  カニエの葛藤は、ヨシヒコにはお見通しのようだった。少し口元を歪めたヨシヒコは、カニエではなく他の3人にどうだと問いかけた。 「皇帝直属の身分を得られるのだぞ。これで名乗り出ないようでは、お前らの見識を疑うのだがな」  そこでお互いの顔を見あわせれば、不適格だと自分から示すことになる。それぐらいは理解できたのか、アイオリアとカスピは黙って俯いた。ただヴィルヘルミナは、どうするのかとカニエの方を見た。  その中で例外は、相変わらず俯いたままのシオリだった。まるで話が聞こえていないように、何の反応も見せずに顔色を悪くしていただけだった。冷静に観察すれば、小さく震えているのを見つけることができるだろう。  そんな5人の反応に、ヨシヒコは「アズライト」と隣に座る恋人の名を呼んだ。 「お前が取り立てた者は、この程度なのか?」  明らかに失望した顔をしたヨシヒコに、アズライトはころころと笑ってみせた。 「そうそう、あなたのような人はいないと言うことです。あなたはただの庶民のくせに、皇女と知りながら私を弄んだ人ですからね。くれぐれも爵位を持つ者ほど、発言に責任を求められることを忘れないように。クレスティノス三等子爵以外は、守るものがあまりにも多すぎるのですよ」  それを考えれば、冒険にも許される限度が生じてしまう。ここでヨシヒコの誘いに乗るのは、その限度を飛び越えることと言うのだ。 「なるほど、それがこいつらの限界と言うことか」  つまらないなと吐き出したヨシヒコは、黙ってしまったカニエに声を掛けた。 「クレスティノス三等子爵。これからお前に、一つ指示をだすことにしよう。ただその前に、顔を上げて俺の顔を見ろ」  可愛らしい女の子としか見えない顔をしているくせに、しかもつい最近まで庶民だったくせに、ヨシヒコは迫力だけは十分以上にあった。命令通り顔を上げたカニエは、嫌になるぐらい自分と同じ顔をそこに見つけてしまった。 「4人を統括し、俺に仕えろ。何をすべきかは、追って指示をだすことにする。それまでは、帝国はどこに向かうべきか、お前たちなりに検討を進めておけ」  それからと、ヨシヒコは反対側に座るアリアシアを見た。 「倒れる前に、オデッセア三等侯爵を休ませてやれ」 「どうも、そうした方が良さそうですね」  身軽に立ち上がったアリアシアは、アバターに命じて使用人を呼び寄せた。すぐに現れた使用人は、頭を下げてからシオリを立ち上がらせた。それを確認したアリアシアは、ヨシヒコに一礼をしてからシオリを連れ奥の部屋へと消えていった。意識がはっきりしていないのか、シオリの足取りはしっかりふらついていた。 「これからの予定をお前たちに教えておく。俺たちは3日後に出発して、グリゴンを経由して地球に戻る。グリゴンでは、ドワーブ総領主と話をする予定だ。地球……テラノに戻るのは、俺にはいくつかやり残したことがあるのが理由だ。それに、俺の両親は地球にいるからな。いきなりリルケに篭もるわけにはいかないのだ」  それを教えられたカニエ達は、なぜ自分達が教えられたのかを理解できていなかった。あまりにも予想外の出来事に、明らかに思考能力が低下していたのだ。そんな4人に向かって、ヨシヒコは強い口調で命令をした。 「なにを他人事のような顔をしている。お前たちも、俺に同行して地球まで行くのだぞ。新しい流れの中心地に、それを主導した俺と一緒に行くのだ。お前たちも、実家からテラノに行かなかったことを責められたのだろう?」  ヨシヒコの決めつけに、ヴィルヘルミナははっきりと驚きを顔に出した。どうしてそんなことが分かるのか、俯きながら得体のしれない恐怖にヴィルヘルミナは慄いた。  カニエと同じ顔をしているくせに、明らかにカニエよりも格が上なのだ。とてもではないが、辺境惑星の庶民とは思えなかったのだ。カニエには男としての魅力を感じることができたが、ヨシヒコに対しては恐れの方が上回っていた。  4人を襲ったのは、戸惑いと恐れ、特に強かったのは理解できないものへの恐怖なのだろう。アズライトを通して皇帝を見ていた4人には、明らかに未知の世界が目の前に広がっていたのだ。そして彼らにとっての問題は、これがアズライトから申し付けられたことではないと言うことだ。アズライトからの命令ならば、彼らとしても望むところだったのである。  完全に臆した4人を前に、ヨシヒコは呆れたように小さくため息を吐いた。ある程度予想のできたことなのだが、あまりにも予想通りの反応を示してくれたのだ。特にカニエの反応は、本当に自分の分身なのかと呆れてしまったほどだ。 「この後食事でもと思ったのだが。どうやら、今の状況では無理そうだな。呼び立てておいて悪いのだが、今日はこれで帰ってくれ」  そう全員に告げたところで、ヨシヒコは立ち上がってさっさとその場を後にした。庶民だと考えれば万死に値する無礼な態度なのだが、次期皇帝だと考えれば当たり前の態度でもある。そしてこの時責められるのは、ヨシヒコの不興を買った4人と言うことになる。  そしてヨシヒコに遅れて、アンハイドライトも無言のままその場を立ち去った。その結果、その場に残ったのはアズライトとカニエ達4人だけと言うことになった。 「本当なら、私の顔を潰してくれましたねと叱るところなのですが」  項垂れたままの4人を見たアズライトは、仕方がないと小さくため息を吐いた。 「あなた達が、この程度でないのは私が一番知っていますよ。だから、一度の失敗で挫けないでください。夫には、私からとりなしておきます」  アズライトが怒っていないことは、この場において安心できることに違いなかった。しかもヨシヒコにとりなしてくれると言う言葉に、安堵する気持ちが起きたのも確かだ。それでも解消しないのは、彼らが感じたヨシヒコへの恐れの感情だった。 「アズライト様」  そこで声が上がったのは、状況を考えれば不思議なことではないのだろう。ただそれが、アイオリアと言うのがいつもと役割が違っていた。そしてそれだけ、カニエの受けたダメージが大きかった意味にもなる。 「ヨシヒコ様は、本当に辺境惑星の庶民だったのでしょうか?」  初めてアズライトの御前を許された時より、今の方がずっと恐れを抱いてしまった。その理由がヨシヒコにあるのだから、アイオリアの疑問も正当なものだろう。そしてアズライトも、その疑問が発せられた理由を理解していた。 「ええ、そうですよ。私は、夫の両親とも会っていますからね。少し特別なところはありましたが、テラノの庶民に違いありませんでした」  あっさり答えたアズライトだったが、それが求める答えでないのは理解していた。だから「分かっていますよ」と質問の先回りをした。 「初めて会った時の夫は、ただの可愛らしい男の子でしたね。恋人と特別な施設に行くのに、恥をかかないように下見をしに行くような男の子です。でも恥ずかしくて、結局下見を諦めるような男の子でした。もちろん、それが夫の一面を見ただけと言うのは否定しません。その頃から、頭の方は物凄く良かったのは確かでしょうね。でも、私と関わらなければそれだけで終わっていたと思います。きっと今頃は三等男爵家に仕え、主の爵位を上げることに励んでいたことでしょう。そしてテラノは、グリゴンによって壊滅的な被害を受けていたかと思います。帝国に新しい動きが生まれることもなく、あなた達がここに集まることもなかったでしょう」  その時のことを思いだすのは、アズライトにとって特別なことに違いない。その証拠に、ぞくっとするほどの色香がアズライトから漂って来ていた。普段なら、4人はアズライトの色香に魅せられていたことだろう。だがそんな余裕は、今の4人からは完全に失われていた。 「あなた達は、私が訪問した星系でどのような行動をしていたのか知っていますね」  アズライトの問いに、4人は小さく頷いた。宇宙を飛び回る天災と言うのは、あまりにも有名すぎる話だったのだ。 「お父様からは、遠慮なくやっていいとのお許しを貰っていました。ですからテラノでは、今まで以上に遊ぶつもりだったんですよ。特殊な施設に行ったのも、そのうちの一つだと言うことです。そして私は、そこで施設を利用するパートナーとしてヨシヒコを選びました。理由は、そうですね、可愛らしいところが気に入ったのだと思ってください」  でもと、アズライトは口元を隠して小さく笑った。 「お兄様とも意見が一致したのですが、それは私のような女性に対する巧妙な罠だったと言うことです。もちろん、それは夫の意図したことではないのでしょう。そこで可愛らしい見た目に騙された私は、遊んでやるどころか逆に夫に翻弄されてしまいました。おかげで、その特殊な施設では自分が女であることを散々思い知らされました。そして翌日は、騙し合いをしているつもりだったのに、いつのまにか夫の虜にされていましたからね。しかも夫は、私を騙して姿を消すことまでしてくれました。少なくとも、ただの庶民にできることではありませんよね」  センテニアル前のアズライトのことは、噂レベルでは話は伝わってきていた。だがどこまで行っても噂に過ぎず、聞く相手によって話がまちまちとなっていたのだ。本当にそんなことがあったのかすら、定かではないと思ったぐらいだ。  だがアズライトは、それが本当のことだと教えてくれた。それをなしたのが辺境惑星の一庶民だと言うのは、本人を目にしても信じられることでは無かった。 「結局私は、何もすることはできずに抑え込まれてしまったわけです。皆も知っているように、グリゴンのテロで私は殺され掛けました。そして私を助けようとした夫は、瀕死の重傷を負うことになりました。ただその時は、女の格好をしてアセイリアと名乗っていましたね。それからのアセイリアの活躍については、有名ですから説明の必要はありませんね?」  グリゴンとテラノの間で友好条約を結ばせたことは、広く帝国で語り草となっていたのだ。そして「ヨシヒコ」を皇帝が謀殺したことで、逆に時計が早回しされたのも知られていた。皇帝に謀殺されたことで、逆にヨシヒコの名は有名になったぐらいだ。  そこまで話をした所で、アズライトは身を固くしたまま黙っているカニエに声を掛けた。 「カニエ、あなたが何を気にしているのか理解しているつもりです。ですが、そのことについて私は何も言うつもりはありません。ただあなたに、一つだけ聞いておきたいことがあります。今の帝国は、悪い方向に向かっていると思いますか?」  アズライトに聞かれた以上、何も答えないと言うのは許されないことに違いない。大きく深呼吸をしたカニエは、ようやく顔を上げてアズライトの顔を見た。まだ確固たる意志は戻っていないが、少しはましになったようにアズライトからは見えていた。 「それは、立場によって評価が異なると思います。変化を望まない者にとっては、間違いなく悪い方向に向かっています。ただ、それは帝国の中では圧倒的に少数派で、私を含め今の動きを歓迎する者の方が多いかと思います。そして私の所に残った4人にとっても、良い方向に向かっていると信じています」  その答えに頷いたアズライトは、それでいいのだと微笑んで見せた。 「だとしたら、あなた達がどうすべきか。答えは出ていますね?」  アズライトにここまで言われて、出ていないなどと答えられるはずがない。小さく深呼吸をしたカニエは、少しましな顔をして「はい」と答えた。 「是非、お供をさせていただきたいと思っています」  その答えに満足げに頷いたアズライトは、まだ答えのないアイオリアとカスピに答えを求めた。 「セイレーン一等伯爵、そしてマリエル二等伯爵、あなた達はどうですか?」 「私も、是非ともお供をさせていただければと」 「私も同じように考えています」  もう一度頷いたアズライトは、ご苦労さまと4人を労った。 「いきなりのことで、さぞかし混乱をした事でしょうね。夫には、あなた達の答えを伝えておきます。本当なら夕食をと考えたのですが、今日はこのまま帰した方が良さそうですね」  もう一度自分達を労ったアズライトに、「申し訳ありませんが」とヴィルヘルミナが伺いを立てた。 「どうして、私には何も聞いてくださらないのですか?」 「あら、クレスティノス三等子爵から答えを貰いましよ。それ以上何かありますか?」  二人の関係を理由にしたアズライトに、ヴィルヘルミナは恐縮して「申し訳ありませんでした」と謝った。そんなヴィルヘルミナに、アズライトは悪戯心から意地悪な質問をした。 「少し意地悪な質問となるのを先に謝っておきますね。ティアマト三等侯爵に尋ねます。あなただったら、クレスティノス三等子爵とヨシヒコ、どちらを夫に選びますか? 女として、正直な気持ちを教えてくれませんか?」  とても微妙な質問を、とてもアズライトは気楽に口にしてくれた。だがアズライトに問われた以上、答えないと言う選択肢はヴィルヘルミナには許されていなかった。 「私には、とてもではありませんが夫君に付いてはいけません。今でも、理解できない恐れが私の中にあります」 「正直に答えてくれてありがとう」  そう言って笑ったアズライトは、もう一度引き留めたことを謝罪した。 「では、誰かに案内をさせましょう。それから気持ちが落ち着いたのなら、明日も顔を出してもいいのですよ。3日後には出発しますからね。それまでに、もう一度夫と話をした方が良いと思いますよ。ここに来る気になったのなら、私に連絡をくれれば迎えを出します」  ご苦労様と労ったアズライトに、カニエは「お待ちください」と声を上げた。ようやく落ち着けたこともあり、シオリのことを思いだしたのだ。 「オデッセア三等侯爵はどうなさるおつもりですか? 私には、かなり深刻な様子に見えました。彼女も、テラノに同行させるおつもりですか?」 「夫は、そのつもりでいるようですよ」  しかしと言い募ろうとしたカニエに、「分かっています」とアズライトは制止した。 「オデッセア三等侯爵の問題は把握しています。出発を3日後にしたのは、それも理由になっているのですよ。それは、あなた達5人を等しく扱うためと思ってください」  アズライトにここまで言われれば、それ以上質問することはできなくなる。出過ぎた真似をしたことを謝罪し、カニエは他の3人に立ち上がるように目配せをした。 「明日は、私達だけで方針を話し合おうと思います。ですから、お時間をいただくのは明後日を考えております」  アズライトは小さく頷き、カニエに許しを与えた。 「確かに、あなた達にも考える時間は必要ですね。分かりました。夫には、そう伝えておきます」 「ありがとうございます」  これで、ここに残る理由は消失したことになる。ただ安堵を顔に出すわけにもいかず、厳しい表情のままカニエは3人に合図をした。側仕えが現れたのも、退出するのにいいタイミングとなってくれた。 「アズライト様。私達のためにお時間を割いていただきありがとうございました」  カニエに合わせ、残りの3人も腰を折ってアズライトに頭を下げた。あのまま帰っていたなら、自分達は正常な精神を保つことはできなかっただろう。アズライトのおかげで落ち着くことができたし、これからの目処をつけることもできたのだ。アズライトに気を使わせた負い目は感じていたが、それ以上に自分達への気遣いに感謝をしていた。 「あなた達には期待をしていますよ」  去っていくカニエ達に、アズライトは心からの言葉で見送ったのだった。  本当なら、すぐにでも4人で話し合いをする必要があったのだろう。だがそれをするには、4人はあまりにも疲れすぎていた。その証拠に、アズライトの館を出た所で、4人は顔を見合わせ大きなため息を吐いた。 「本来なら、すぐにでも意見の調整をすべきところなのだが……」  立場に似合わぬ態度を取るカニエでも、さすがに今日の出来事はハード過ぎた。それほどまでに、ヨシヒコとの対面は強いストレスとして彼を襲っていたのだ。そしてそれから解放されたことで、全身から力が抜けてしまうのを感じていた。 「そうだな、今日は何しないで眠りたい気持ちだ……」  その事情は、アイオリアも同じだった。大きく息を吐き出し、寿命が縮んだと嘆いたぐらいだ。 「私も同じ気持なのですが……オデッセア三等侯爵はどうしたのでしょうか?」 「アズライト様も、事情をご存知のようだったわね」  ただ単に具合が悪いぐらいなら、問題を知っているとは言わないだろう。それを指摘したカスピに、確かにおかしいとカニエも同調した。 「確か、そのために出発を3日後にしたと仰ってたな」  ふむと口元を手で隠し、カニエは得られた情報を分析しようとした。だがすぐに、今は無理だと考えることを放棄した。 「だめだ、今日は頭がまわらない」 「アズライト様が心配してくださっているのだ。一日を争うことはないだろう」  きっとそうだと自分を慰めたアイオリアに、自分もそう思うとカスピも同調した。あまりにも精神的に疲れすぎて、難しいことを考えられなくなっていたのだ。 「では、今日はおとなしく帰って疲れを取ることに専念しよう。明日は、いつも通りに俺の屋敷に来てくれ」  それではと背を向けて歩き出したカニエの後を、ヴィルヘルミナが小走りに追いかけていった。そしてすぐにカニエに追いつき、左腕を抱え込むようにして横に並んだ。ただヴィルヘルミナの方が背が高いので、カニエが引きずられているように見えていた。普段以上にくっついているのは、アズライトの質問が影響しているのかもしれない。  それを見送ったカスピは、全くとため息を吐いてアイオリアにくっついた。 「本当に隠さなくなったわね。でも、気持ちも分かるかな。カニエと同じ顔で、あんな凄い人を見てしまったからね。一人で居るのが怖いって気持ちも分かるわ」 「確かに、あれは凄すぎるな……辺境惑星の庶民だったとはとても思えない」  未だに、思い出すだけでも震えが来てしまうのだ。思わず身を震わしたアイオリアだったが、カスピの行動は予想外のものだった。なぜかカスピが、自分の腕を捕まえてくれたのだ。 「マリエル二等伯爵?」  驚くアイオリアに、カスピは捕まえた腕に力を込めた。 「言ったでしょう。一人で居るのが怖いって……」  そう言って腕に力を込めたカスピを、アイオリアは不覚にも可愛いと思ってしまった。何を考えているのか分からない普段とは違い、今は次の皇帝となる男に恐怖を感じているのだ。自分も同じとは言え、新鮮な気持ちになったのも確かだった。  だからアイオリアも、普段ならあり得ないことを口走ってしまった。 「だったら、俺の屋敷に来るか?」 「アイオリアがいいって言うんだったら……」  そう言って俯くカスピに、もしかして可愛いのだろうかとアイオリアは考えてしまった。そしてまじまじとカスピの顔を見て、「可愛いのだな」と考えを新たにしていた。 「駄目と言うはずがないだろう」  自分は今、雰囲気に流されているのではないか。そんな疑問は感じていたが、それのどこが悪いと同時に開き直りに似た気持ちも感じていた。カスピなら家柄も問題ないのだから、誰に憚る必要も無いはずだ。きっとそうだと、アイオリアは前向きに考えることにした。  ヴィルヘルミナを連れて屋敷に戻ったカニエは、驚くバルボアに食事の用意をするように申し付けた。 「本日は、アズライト様の所で食べられると思っておりました」  呼び出された時間を考えれば、そうしてくるのが自然なことのはずだった。当たり前の常識を持ちだした執事に、カニエは予定が変わったのだと不機嫌そうに答えた。  主の機嫌を損ねるわけにもいかず、バルボアはそれ以上事情を尋ねる真似はしなかった。そして畏まりましたと奥に戻り、妻のマルガレッタに夕食の用意をさせることにした。ただ、主達の様子に、あまり慌てる必要は無いだろうと考えていた。  バルボアに食事を命じたカニエだったが、それは彼にとって大したことではなかったようだ。そしてその事情は、ヴィルヘルミナも同じだった。着替えのためふらふらと寝室に入った所で、いきなりヴィルヘルミナの方からカニエを求めてきたのだ。ずっと崩れそうな精神に耐えてきたのだが、それも限界に達していたと言うことだ。そしてその事情は、カニエも変わらなかった。カニエ自身、精神の安定を著しく欠いていたのだ。  お互い荒々しく唇を重ね、そのままベッドに倒れこみ互いを激しく求め合った。確かなものを求める気持ちは、今日に限ってカニエの方が強かったと言えるだろう。 「さすがのご主人様も、本物には勝てませんでしたか……」  主達の様子を窺ったバルボアは、中の様子に小さく息を吐き出した。そして妻に向かって、食事の準備は不要と告げ、代わりに飲み物の用意をするように命じた。自分の考え違いでなければ、すぐに客が現れるはずなのだ。  バルボアが来客を予想した10分後、カニエの館の前に人影が一つ現れた。シルエットだけを見ると、それは小柄な女性に見えたことだろう。そしてその来客がドアの前に立った所で、静かに木製のドアが開かれた。 「どうやら、俺が来るのは予想の範囲だったようだな」  目の前に現れた老人に、館の来客、ヨシヒコは予想通りだと小さく笑った。 「はい、そろそろお出でになる頃だと思っておりました。申し訳ありません、当家の執事をしておりますバルボアと申します。ヨシヒコ様、本日はようこそクレスティノス家にお越しくださいました」  こちらにどうぞと案内され、ヨシヒコは大人しくバルボアの後に続いた。そして最近新調したソファーに座ったところで、マルガレッタがカプチーノを持って現れた。 「お前たちは、皇帝聖下が遣わした者と言うことか」  自分の正体だけでなく、好みまで承知しているのだ。その辺り、たかが三等子爵の執事にできることではない。カニエの成り立ちから考えれば、アルハザーが関わっているのは明白だったのだ。 「はい、ご想像の通り私達は聖下の命を受けてカニエ様にお仕えしております」  夫婦揃って頭を下げられたヨシヒコは、小さく頷き「三等子爵は?」とカニエの所在を尋ねた。追い返した時間を考えれば、そろそろ食事を済ませている頃だと考えたのだ。  だがヨシヒコの問いに、バルボアは少し困ったような顔をした。それに感じるところのあったヨシヒコは、そのものズバリの指摘をした。 「ティアマト三等公爵家令嬢と真っ最中と言うことか。やはり、まだまだ精神的にひ弱だな」 「ご主人様の場合、己の存在に関わることですから」  つまり、バルボアはカニエの正体を知っていると言うことになる。遣わしたのがアルハザーだと考えれば、それは特段不思議なことではない。 「それで、安定をしているのか?」 「これまで、特に問題となることはありませんでした」  なるほどと頷いたヨシヒコは、舞台装置のことをバルボアに問うた。 「ところで、クレスティノス家と言うのは実在していたのか?」 「実在はしておりました。ただ、10年ほど前に子爵家としては断絶しております。たまたまこの地にあったので、聖下がご利用なさりました」  もう一度頷いたヨシヒコは、もういいとバルボアを下がらせることにした。もともと自分の存在はイレギュラーなのは分かっていたのだ。それを考えれば、この屋敷と身分は自分向けに用意されたものではないは疑う余地はないだろう。それにカニエが安定しているのなら、それ以上確かめておくこともなかったのだ。 「腹が減れば出てくるだろう」  それぐらいなら待つことに問題はない。そう考えたヨシヒコに、「宜しいのでしょうか?」とバルボアは心配そうな顔をした。 「ああ、食事は済ませてきたからな」  だから腹の具合も問題はない。待つ時間のことだと考えたヨシヒコに、バルボアはゆっくりと首を横に振った。 「いえ、ヨシヒコ様をお待たせすることがです。次の皇帝となられるヨシヒコ様をお待たせしたと知れば、間違いなく心の平穏はかき乱されることになるでしょう。特にお待たせする理由が理由ですから、お二人ともまともな精神状態ではいられないかと存じます」 「そんなものは、約束もなく訪ねてくる方が悪いのだがな」  相手の都合も考えずに来たのだから、多少のことなら目をつぶるつもりでいた。ただバルボアが告げた通り、ヨシヒコの立場がそれを許さなくなっていたのだ。 「とは言え、お前の言う通りなのだろう。ならば、時間を改めて出直すことにするか。その代わり、俺が来たことを教えることは罷りならんからな」 「そのあたりは、重々承知しております。ヨシヒコ様を追い返したとなれば、お待たせした以上の問題となることでしょう」  バルボアの答えに頷いたヨシヒコは、ならばとカニエの館を出ることにした。長居をすると、それだけ自分のいた痕跡を残すことになってしまう。証拠隠滅のためには、さっさと引き払うべきなのだ。 「ならば、落ち着いた辺りで連絡を寄越せ」 「畏まりました」  立ち上がったヨシヒコに頭を下げ、バルボアは「こちらです」と先に立った。その手にカップがあるのは、一刻も早く証拠を隠滅する必要からである。 「次に来た時は、ちゃんと演技をするのだぞ」  自分の存在は、まだ公にされた物ではなかったのだ。それを考えれば、易々と屋敷に入れていいものではない。押し問答をするぐらいで、今の立場はちょうど良かったのだ。 「畏まりました。失礼なことを申し上げるかもしれませんが、平にご容赦願います」  ありがとうございますと頭を下げ、バルボアは玄関の扉を開いたのである。  ヨシヒコがバルボアから連絡を受けたのは、それから5時間ほど過ぎた時のことだった。すでに日付は変わり、普通ならば寝ている時間となっていた。  「明日でもいいのでは?」と引き留めるアズライトを残し、ヨシヒコは夜の世界へと出て行った。時間帯を考えれば、不用心な行動にも見えるところなのだが、厳重に管理された区画の為、不審者どころか人一人見つけることはできなかった。  空間歪曲で近道を作ったヨシヒコは、アズライトの館を出て5分後にカニエの所に辿り着いていた。ここから先にすることは、バルボアとの仕掛けをうまく発動させることだった。 「これはこれで、問題のある行動なのだがな……」  アバター経由で来訪を告げれば、三文芝居をする必要もないはずなのだ。だが、それではおもしろくないと、ヨシヒコは扉のノッカーに手を伸ばしたのだった。  激しく求め合うことで、カニエはようやく精神の安定を得ることに成功した。その代償は、二人揃って足腰が立たなくなると言う、ある意味微笑ましい状態と言うことである。少し荒い息遣いが聞こえるだけで、ベッドルームに動くものはいなかった。  しばらくベッドに突っ伏したカニエは、しばらくしてからのろのろとベッドから起き上がった。心の方は満たされたのだが、忘れていた空腹が自己主張を開始したのである。 「もう1時か……」  このまま朝まで眠ると言うのも、一つの選択肢に違いない。だが、腹が空きすぎて辛くなってしまったのだ。そしてその事情は恋人も同じらしく、起き上がったカニエに「お腹がすきました」とヴィルヘルミナも声を掛けてくれた。 「仕方がない。バルボアに夜食を用意させるか」  時間を考えれば、執事とは言えたたき起こすのは可哀想な気もする。だが何か手を打たなければ、このまま朝まで空腹に耐えることになってしまう。それに夕食の用意を命じておいたのだから、何か残っていても不思議ではないはずだ。この際冷えた肉でも構わないと、ガウンを纏ってカニエは寝室から出て行った。  寝室を出たところで、カニエは自分の想像が間違っていないことを理解した。もともと人のいない屋敷なのだが、いつも以上に人の気配を感じさせてくれなかったのだ。やはり人を増やさねばと考えながら、カニエは足音を忍ばせ調理場目指して歩いて行った。普段足を踏み入れない場所なのだが、何か食べる物ぐらいあるだろうと言う見込みからである。  確かに甘い見込みに違いないし、結果を見ればカニエの期待は見事に裏切られたことになる。そのあたり、マルガレッタが職務を疎かにしていない証明と言うことだろう。見事に片づけられた調理場には、残り物はどこにも見つけることができなかった。 「あるのは、調理前の材料だけ……と言うことか」  三等とは言え、子爵ともなれば自分で料理するようなことはない。ピクニックに行くにしても、料理の準備は使用人の役目なのだ。主人のすることは、出来上がったものを食べ、同行者と楽しく会話を弾ませるだけでしかない。それが、一般的な爵位保有者の行動なのである。  ただカニエは、子爵になってまだ半年しか過ぎていなかった。それまでの生活では、自分の食べる物は自分で用意をしていたのだ。その意味で、カニエには人並みの生活能力が備わっていると言うことになる。つまり、材料さえあれば、自分で作ることができたのだ。  貯蔵庫から肉と野菜を引っ張り出したカニエは、素材を前に何を作るかから考えることになった。とりあえずの目的は、うるさく自己主張をする腹の虫を退治することにある。明日の朝まで乗り切れば、まともな朝食にありつけるのは分かっていたのだ。 「だとしたら、あまり重いものは避けた方が良いか……」  それを考えれば、塊の肉など論外だろう。とは言え、簡単に食べられるものは、探した限りでは見つかっていない。パンの一片すら残っていないのだから、マルガレッタは見事な節約をしていると言うことになる。  とりあえず塊の肉を貯蔵庫に戻し、他の素材が無いかを探すことにした。極端な話、お茶とクッキー程度でも短時間なら凌ぐことができるのだ。それぐらいのストックが無いかと捜索したのだが、カニエにとって調理場は未知の秘境となっていた。  そのせいで、食材探しは困難を極めることになった。しかも手当たり次第に扉を開くものだから、騒がしいことこの上ない状況になってしまった。そして調理場で騒げば、責任者が気付くのも自然の流れと言うことになる。「何者っ!」と警戒されるのは、この状況では極めて自然なことに違いない。 「すまんマルガレッタ。俺だっ!」  警戒されるのも仕方がないと、カニエは謝罪から入ることにした。そんなカニエに、マルガレッタは大きく安堵の息を漏らすと、彼女の立場として正当なことを口にした。 「起こしてくだされば、すぐに夜食をご用意いたしましたのに」  事情を考えれば、主が腹を空かせて目を覚ますのは予想の範囲だったのだ。それを考えれば、マルガレッタの苦情も正当なものに違いない。マルガレッタにしてみれば、主が自分を気遣ってくれたのは理解することできる。それにしても、これではどう考えても割に合わないのだ。物音に目を覚ました以上に、散らばった調理場が彼女にとっては大きな問題だったのだ。 「それで、いかほど用意いたしましょう?」  それでも、主が腹を空かせているのだから、侍女としてそれに応える必要がある。散らばった食材を元の場所に戻しながら、マルガレッタはカニエの希望を尋ねてきた。 「そうだな、時間も時間だから小腹を満たせる程度で良いだろう」 「お二人分で宜しいのですね? 出来上がりましたら、お部屋にお持ちした方が宜しいですか?」  「任せる」と口にしたころで、それが色々と問題があることにカニエは気付いた。直前までしていたことを考えれば、侍女はと言え部屋に入れるのが憚られてしまう。 「い、いや、食堂に用意をしてくれればいい。シャワーを浴びるから、さほど急ぐ必要はないぞ」 「では、食堂に簡単な物を用意いたします」  それでいいと言い残し、カニエはシャワーを浴びるため部屋へと戻って行った。さっさと済まさないと、腹の虫が今以上に騒ぎ立てそうだった。  慌ててシャワーを浴びたところで、カニエはしかめっ面をしたバルボアと顔を合わせた。さすがにたたき起こされれば不機嫌にもなると考えたカニエに、「不審者です」とバルボアは予想もしないことを報告してきた。 「不審者……だと? この時間にか?」 「この時間だからこそ、不審者と申し上げました」  言われてみれば、時計はすでに1時30分を過ぎていた。深夜だと考えれば、来客のあるような時間では無いだろう。この時間に約束もなく現れれば、確かに不審者と言って差し支えは無い。 「それで、その不審者はどうした?」 「時間も時間ですから、力づくで追い返そうと思ったのですが……」  そこで口ごもられると、どうしたのかと疑問に感じてしまう。力づくと言う目の前の老人の過激さも疑問だったが、口ごもったのは相手が強そうだと言う理由ではないように見えたのだ。 「何か、力づくを躊躇う理由があったと言うのか?」  それが可能かどうか以前に、腕力の行使を思いとどまったと言うのだ。カニエには、その理由が気になった。 「はい、相手が可愛らしい見た目をしておりましたので。しかも、顔つきは旦那様にとてもよく似てらっしゃいました。ですから、腕力の行使に躊躇ってしまったと申しますか……やはり、力づくでも追い返した方が宜しいでしょうか?」 「俺に似ていた……」  そんなことがと一瞬考えたカニエだったが、それが大きな意味を持つことにすぐに気が付いた。 「あ、相手は、名を名乗っていたのか?」  事と次第によっては、自分は大きな失態を犯したことになる。それに慌てた主に、バルボアは極めて平静に「はい」と事実を認めた。 「ヨシヒコ・マツモトと名乗っておりました。やはり、痛い目に遭わせた方が宜しいでしょうか?」  名前からすれば、相手はただの庶民にしか過ぎないのだ。その庶民が、深夜に子爵家を訪れるような理由は無い筈だ。見た目に騙されてはいけないと言うのは、よろず銀河で共通した認識でもある。  だが名前を聞かされたカニエにしてみれば、時間などどうでもいい相手だった。そしてバルボアが腕力に物を言わせなかったことに、首が繋がったと安堵をしたぐらいだ。勝てる勝てないではなく、次期皇帝に暴力を振るおうものなら、今頃館ごと自分達は抹殺されていたはずなのだ。 「ば、ばか、そんなことをしたら俺達は明日の太陽を拝めなくなる。俺が確認するから、お前たちはお客様を迎える用意をしろ!」 「この時間にお出でになるのですか。つくづく常識のないお方ですな」  ある意味正論なのだが、それを言って良い相手ではない。バルボアの暴言に、カニエは強い調子で「口を慎め」と命令した。すでに手遅れの所はあるのだが、無礼な振る舞いをしていたらそれだけで自分の責任問題になってくれる。  バルボアを叱責したその足で、カニエは玄関へと急いだ。そして彼のアバターメルを呼び出し、ヴィルヘルミナに大至急着替えをするように言づけた。何事も無ければそれでいいのだが、まかり間違えば自分達はこの時点で未来を無くすことになりかねなかったのだ。  ぼろ屋のくせに広さだけはあるため、玄関までは走って行く必要があった。疲れることをした後、なおかつ空腹で走るのは結構体にきついところがある。何とか玄関に辿り着いた時には、カニエは空腹からの眩暈を感じたほどだった。 「メル、来客の確認はできたか?」  いくら相手が予想通りだとしても、それを確認せずに玄関を開ける物ではない。アバターに相手を確認させるのは、少なくとも必要な手順に違いないだろう。 「はい、ご主人様より可愛らしい男の子ですね」  緊張感のない、そして必要な情報の含まれていない答えに、カニエは真剣にアバターの初期化を考えてしまった。だが今優先すべきは、問題の多いアバターへの対処ではない。自分にそっくりな男と言うのが確認できたのなら、相手は次期皇帝ヨシヒコに間違いはないだろう。  そこで大きく深呼吸をして気を落ち着かせたカニエは、両手の汗を拭ってから扉に手を掛けた。これから顔を合わす相手を考えたら、余程不審者の方がありがたいと思ったほどだ。だが相手が不審者であると言うのは、今さら期待できないことだった。そしてここに来ての現実逃避は、自分の立場をなおさら悪くするものになってくれる。覚悟を決めたカニエは、ゆっくりと玄関の扉を押し開いた。 「本日は、拙宅までお越しいただき、恐悦至極にございます」  どうか間違いであって欲しいと願ったのだが、目の前にいたのは自分に生き写しの存在。次期皇帝のヨシヒコに違いなかった。そして相手がヨシヒコである以上、自分は臣下として最大限の礼を尽くす必要がある。腰を90度折り曲げたカニエは、ヨシヒコに深夜の訪問理由を尋ねることにした。 「ところでこのような夜分に……申し訳ありません。お席に案内させていただきます」  目的を尋ねる以前に、客を玄関に立たせておく訳にはいかない。もう一度頭を下げたカニエは、自分の分身のようなヨシヒコに、こちらですと言って客間へ通すことにした。 「と、ところで、なぜこのような夜分に……いえ、その前にどうして私の所にお出でくださったのでしょうか?」  まだ上がってしまった鼓動は収まらないが、それでも必要な確認をしておかなければならない。先に立って歩きながら、カニエは来訪の目的を尋ねた。 「地球に連れて行く前に、お前とは腹を割って話をしたかったからだ。それに、お前も色々と思う所があるのだろう?」  思う所については確かに色々とあるのだが、それにしても深夜の訪問には結びついてくれなかった。だからカニエは、「この時間にでしょうか?」と次に時間を問題とした。 「お前が落ち着くのを待った。そう答えれば、この時間になった理由も分かるだろう」  振り返らなくても、ヨシヒコの表情が想像できそうな気がした。何のことを言っているのか分かるだけに、カニエは押し黙る以外にできることが無かった。  ヴィルヘルミナの支援を受けたおかげで、以前に比べればカニエの館も立派になっていた。ただそれにしても、多少ましになったレベルを超えてはいない。少なくとも、次の皇帝を迎えるにはみすぼらしすぎる入れ物に違いないだろう。  それを気にしながら歩くカニエに、ヨシヒコは「これが三等子爵の館か」と感心したように声を掛けた。 「手入れの行き届いておりませんことをお詫びいたします。間違っても、御身をお迎えできるような建物ではございません」 「なに、なかなか立派な物だと感心をしたのだ。何しろ俺は、地球と言う辺境惑星生まれの庶民だからな。今歩いた距離だけで、俺の実家が2、3軒入るぐらいだ」  どうみても可愛らしい女の子なのに、言葉遣いは男のように荒っぽいのだ。自分も同じなのだが、どうしても見た目と言葉づかいのバランスがとれていない。ただ、それを指摘するのは不遜な行為に違いなかった。  ただ単に相槌を打ったカニエは、塗り直して見た目だけはまともになった客間の前に立った。そしてこっそりと、ヴィルヘルミナはいるのかとアバターに確認した。だがカニエのアバターは、主が小声で話した理由を理解していないようだった。 「ヴィルヘルミナ様は、ただいまお化粧直しの真っ最中です!」  大きな声で答えてくれれば、すべてがヨシヒコの耳に届くことになる。頭を抱えたい気持ちなのだが、ヨシヒコの前でそんな真似をすることもできない。絶対に初期化してやると心に誓いながら、カニエは誰もいない客間の扉を押し開いた。 「粗末な部屋でございますが、おくつろぎいただければ幸いです」  頭を下げてヨシヒコを案内したカニエは、飲み物を用意するため執事を呼び出した。 「バルボア、ヨシヒコ様にお飲物を用意しろ」 「ただいま……」  いつの間に着替えたのか、バルボアは黒の執事服を着ていた。少なくとも、形だけは整えるのに成功したことになる。安堵の息を漏らすわけにはいかないが、カニエは心の中で胸をなでおろしていた。ただ奥の間に消えたバルボアは、驚くほど短い時間で客間に戻ってきた。 「気を遣わせて悪かったな」  香りの高いお茶を口に含み、ヨシヒコは正面からカニエの顔を見据えた。当たり前だが、一つ一つのパーツは自分そのものだったのだ。ただ心が顔に出るためか、全体の印象が自分とは違って見えていた。髪型の違いは、心の違いに比べれば大きなものではなかったのだ。  次期皇帝にじろじろと見られれば、居心地の悪さは最上級の物となる。しかも文句を言う訳にもいかないので、カニエは黙って苦痛を受け入れる以外にできることは無い。ヴィルヘルミナが現れれば、空気を変えることもできるのだが、待てど暮らせど援軍は現れてくれなかった。 「アズライトから、地球同行に志願したと聞いたが?」 「アズライト様に、教導していただきました」  その報告は、すでにアズライトから聞かされていた。小さく頷いたヨシヒコは、「クレスティノス三等子爵」と改まった呼び方をした。 「なんでございましょうか」 「お前は、色々と納得のいかないことがあるのだろう。今ならば、すべての疑問に答えてやる。いいか、その特権は夜が明けるまでだ。聞きたいことがあるのなら、今のうちに聞いておくことだ」  すべて見透かされていると言う思いに、カニエは改めて格の違いを思い知らされた気持ちになっていた。そして同時に、やはり自分には秘密があるのだと考えていた。そうでなければ、こうして次期皇帝自ら自分の前に現れるはずがないのだ。  そしてその考えが確かならば、質問することは決まっていた。 「私は、何者なのでしょうか?」  アズライトに取り立てられたこと。そして目の前にいる男が、自分と生き写しなこと。それを偶然と考えるには、あまりにもできすぎていたのだ。しかも死んだとされた男が、自分がテラノに行った直後にこうして現れている。無関係だと考えたいのだが、どうしてもそれを否定しきれない自分がそこにあったのだ。 「愚問だな。お前は、カニエ・オム・リルケ、クレスティノス三等子爵だ。何者かと尋ねられれば、それ以外の答えは存在しない」  そう答えたところで、ヨシヒコは「ティアマト三等侯爵」とここにいないヴィルヘルミナの名前を呼んだ。 「俺達の話を盗み聞きをするのは、三等侯爵家令嬢として行儀が悪いのではないか?」  目の前のヨシヒコのことで頭がいっぱいになっていたカニエは、ヴィルヘルミナの不在を忘れていた。ましてや、聞き耳を立てているとは少しも考えていなかった。だからヨシヒコの言葉に、驚かされることになったのだ。  だがそれにしても、ヴィルヘルミナに比べればマシなことには違いない。入るには入れず扉の前で立っていたところに、いきなり次期皇帝から叱責を受けたのだ。それだけのことで、音を立てて顔から血の気が引いたぐらいだ。そこで倒れなかったのは、「入って来い」と命令を受けたからに他ならない。  自分の命令に従ったヴィルヘルミナを一瞥し、ヨシヒコはもう一度カニエと正面から向き合った。そして、もう少し質問に頭を使えと忠告をした。 「お前が何を聞きたいのか、何を不安に思っているのかぐらいは分かっているつもりだ。だがそれは、お前の口から出て初めて意味を持つものとなる。察して欲しいと考えるのは、間違いなく甘えだと知ることだな」  それでと、ヨシヒコはカニエに迫った。 「何でも教えてやると俺は保証した。それでも聞くことが出来なければ、その程度の問題だと言うことにもなる。ならば余計なことを考えず、これからのことだけを考えろ。お前には、大きな責任と応分の役割が待っているのだからな」  そう宣言したヨシヒコは、縮こまっているヴィルヘルミナを見た。 「そんなに緊張しなくてもいいのだぞ。俺は、本気でお前たちを取り立てるつもりでいるんだからな」  そんなことで、気持ちが楽にならないのはヨシヒコも理解していることだった。かなり甘やかしてるとは思いはしたが、ここまで来たら最後まで面倒を見なくてはと、ヨシヒコは自分のことを話すことにした。 「アズライトから聞いていると思うが、半年前の俺はただの庶民だったんだ。地球、テラノで言う大学入学前の学校に通い、仲間と馬鹿をやったりするだけの普通の生活をしていた。知り合いに陸軍士官学校に通う三等男爵家令嬢が居たから、戦略立案やシミュレーションを手伝ってやったりもしていた。将来の夢は、爵位を買い取ることだった。その資金を貯めるために、株に手を出してそれなりの資産を作り上げたな。もっとも、そんなことをしても、爵位など手に入らないのは分かっていたのだがな」  少し苦笑を浮かべたヨシヒコは、相変わらず緊張したままの二人を見た。 「この年になれば、現実も見えて来るし、現実を考えなくてはいけなくなる。だから、知り合いの三等男爵家令嬢に仕えてもいいのかなと言う気持ちにもなっていた。そしてその令嬢は、俺を捕まえるため配下の女性をあてがってきた。セラムと言う名の、俺より一つ年下の可愛らしい女性だ。これは余談だが、アズライトもセラムには会っているんだ。もしもセンテニアルが無ければ、俺はセラムを嫁にして三等男爵家の家臣になっていた」  苦笑交じりに過去を話すヨシヒコに、ようやくカニエが口を開いた。それは、アズライトに聞かされたことの裏付けを取るようなものだった。 「特殊な施設に行かれたと伺っていますが……」 「特殊な施設か……アズライトの奴、随分と控えめな言い方をしたのだな」  小さく噴き出したヨシヒコは、かなり下品なものだと二人に教えた。 「仮想現実を利用して、利用者に疑似的な性行為を体験させる施設だ。一応俺の年齢ぐらいから使用できる、建前上「健全な」施設らしい。セラムとVX、ああ、その施設はVXと言われるのだがな。恋人と行く前に、どんなところか調べておこうと考えたんだよ。なぜかと言われれば、恥をかかないためだ。だが冷静に考えてみれば、一人で行くことも十分に恥ずかしいことだったんだよ。だから、施設の前まで来たのはいいが、結局勇気はしぼんでしまったんだ。諦めてそのまま帰ろうとした時、そこでアズライトに捕まった。もっともその時には、セラフィムなどと紛らわしい名前を名乗ってくれていたな。そして俺は、訳の分からないうちにVXに連れ込まれてしまったんだ。しかもアズライトは、用意された衣装の中で、一番何も隠さない……裸同然の衣装を選んでくれたんだ。少なくとも、皇女殿下がしていいことではないだろう?」 「それは、確かに仰る通りで……」  少なくとも、その常識に違いは存在していない。自分の言葉を肯定され、ヨシヒコはさらに話を続けることにした。 「お前たちなら赤裸々な話をしても問題はないだろう。だから教えてやるが、そこでアズライトは皇族に用意された緊急措置も役に立たないほど我を忘れてくれたんだ。よほど俺との相性が良かったのか、さもなければ耐性が無かったのかは分からないがな。もしも施設の制限が無ければ、俺はその場でアズライトを抱いていただろうな。それでも抱かなかったのは、お互い冷静になるだけの時間があっただけのことだ。それでも俺が踏み込めば、その先に進むことも難しくは無かっただろう。たまたま冷静になった俺は、恋人のことを思いだして踏みとどまったと言うことだ。そしてその日は、楽しく観光をした後夕食を一緒に食べてさようならをした。たぶん、そこで終わっていれば、今俺がここにいることは無かったのだろう」  改めて考えてみれば、本当にふざけた関係から始まっていたのだ。そもそも辺境惑星の庶民が皇女と関わりになると考える方がおかしいだろう。自分で話しておいて、酷い話だとヨシヒコは呆れていたりした。 「だが家に帰った俺には、二つのイベントが待ち構えていた。そのうちの一つは、知り合いの三等男爵家令嬢からの依頼だ。テラノ総領主ジェノダイト様から皇女殿下の世話役を仰せつかったので、俺に知恵を貸せと言って来たんだ。依頼の理由は、皇女殿下の問題行動への対処が手に余ると言うことだ。そこで皇女殿下のデーターを受け取った俺は、皇女殿下の行動パターンを分析させてもらった。だがデーターを読み進めていくうちに、その行動に既視感を覚えるようになっていた。ただその時は、ただの勘違いだと思っていたんだ。それが勘違いでないと知ったのは、皇女殿下がテラノに忍び込むときの偽名を見つけたからだ。それでセラフィム・メルキュールの正体を知った俺は、正直粛清されるのだと覚悟をした。何しろ俺は、皇女殿下の裸を見ただけではなく、かなりいかがわしい真似をしてしまったのだからな。そして死を覚悟した俺に、もう一つのイベントが発生した。それが、ジェノダイト様からの呼び出しだった。呼び出しを受けた時、俺は秘密の内に始末されるのだと覚悟をした」  しでかしたことを考えれば、処刑を考えるのはおかしなことではないだろう。その考え自体は、カニエ達も頷けるものだった。 「だがそこで、話がまた一つおかしな方向にねじまがったんだ。ジェノダイト様は、皇女殿下の行動を押さえるため俺を利用なさると仰った。その目的は、なにはなくともセンテニアルを無事終わらせることにある。その命令を受けた俺は、アズライト様を完封することを考えた。ラルクと言う物質変換装置が厄介と言うのなら、使えなくしてしまう方法を考えたんだ。そしてセンテニアルを成功させるためには、それだけでは駄目なことも分かっていた。確かに皇女殿下も問題だが、もう一つの脅威にも対応する必要があったんだ。それこそが、H種に対するザイゲルの怨念だ。そしてザイゲルに専念するためにも、皇女殿下には大人しくしていてもらう必要があった。だから俺は、自分を殺させることで、皇女殿下の心を縛ることにした。そして俺は姿を隠し、アセイリアとしてグリゴン対策に専念することにした。ただ、その結果は不本意なものでしかなかったな。皇女殿下にけがをさせたし、大勢の人達を死なせてしまった。あれは、俺の失敗が招いた結果だ」 「ですが、結果的にザイゲルと友好条約を結ぶことになりました。亡くなられた方達には申し訳ありませんが、テラノにとって良い結果だったのではないでしょうか?」  結果を肯定したヴィルヘルミナに、ヨシヒコは小さく首を振った。 「完璧にグリゴンを抑え込んでも、同じ結果に導くことは可能だった。なにしろ、皇女殿下暗殺の証拠固めはしっかりしてあったのだからな。贅沢を言えばきりがないのだろうが、俺は失敗だったと思っている。言っておくが、俺は大きな混乱を前提とした変化を望んではいないのだ。だからこそ、二人に期待をしているんだ」 「私たちに、でしょうか。ですがカニエはいざ知らず、私は期待していただくようなものを持っているとは思えないのですが……」  自分を否定するのは、ヨシヒコの想定の内だった。それでもカニエを持ち上げたあたりは、自分語りが無駄ではなかった証拠だろう。こわばって固まってしまった表情も、今はそれなりにほぐれてきていた。 「二人が評価する今のアセイリアにした所で、初めは酷いものだったんだがな。俺が手取り足取り教えたのと、意識の改革が進んだこと、そして場数を踏んだことで今のアセイリアが作られたんだ。同じこと……いや、それ以上をティアマト三等侯爵に期待してもおかしくないと思うのだが? それにあなたがクレスティノス三等子爵の側に残ったのは、男女の関係だけが理由ではないのだろう?」 「仰る通りでございます」  小さく頷いたヨシヒコは、それならばいいのだとヴィルヘルミナに告げた。 「これから帝国を変えて行く障害は、同じH種にあると思っている。リルケとテラノを押さえるのは難しくはない。そしてクレスタ学校に参加したサジタリウス、カプリノス、アクアノス、フェルゴー、セレスタ星系も問題はないと思っている。だがバルゴール、クラビノビア、チェンバレン星系には注意が必要だろう。ただ難しくはないと言ったテラノだが、それでも解決すべき問題が残っている」  それはと、ヨシヒコはアンハイドライトの名前を挙げた。 「今の総領主はジェノダイト様だ。アンハイドライト様を養子に迎えた以上、あと数年で引退されることになる。何もなければ、アンハイドライト様にテラノ総領主をしてもらえばよかった。だがアンハイドライト様は、俺に仕えることを命じられた。その結果、テラノには相応しい人材を総領主として送り込む必要が生じたのだ。しかもテラノは、俺の生まれ故郷と言うことで特別な意味を持ってしまった。人選が難しいと言う意味、理解して貰えるだろう?」  次の皇帝を生み出したこと。帝国に新しい流れを生み出したこと。そしてジェノダイトが総領主を務めたことで、テラノの価値は並ぶもののないほど高まったのは確かだろう。そしてテラノの住人も、そのことを意識しているはずなのだ。そうなると、確かに次の総領主選びは非常に難しいものとなってくれる。まともに考えれば、誰からも文句の出ない人材は存在しないだろう。 「同じH種の中だけでも、解決すべき問題を多く抱えていると仰るのですね」  抱えている課題を提示することで、二人の目つきが変わってきてくれた。カニエもそうなのだが、ヴィルヘルミナの目つきも、真剣なものに変わっていた。それを良い傾向だと喜んだヨシヒコは、「だからだ」と二人に期待していると繰り返した。 「そのお話のためだけに、こんな夜分においでくださったのですか?」  重大な話だが、わざわざこんな深夜に足を運んでするような話ではない。明後日には顔を出すことになっているのだから、そこで5人に話せば済むとヴィルヘルミナは考えた。  その考え自体に間違いはないが、人の気持ちを考えていないものでもある。ヴィルヘルミナに頷いたヨシヒコは、次にカニエの方を向いた。 「誰に対して一番フォローが必要か。それを考えた結果でもあるな」  少し口元を歪めたヨシヒコは、言葉の無くなったカニエを見た。難しい顔をしているのは相変わらずだが、少しは前向きのところも出てきたようだ。  そしてカニエの顔を見ながら、「俺は」と話を再開した。 「結果的に、大きな失敗をしたと言えるだろう。皇女殿下を抑えこむのはいい。そうしないと、テラノはグリゴンの対策に人を割けなかったからな。もちろん俺が掛り切りになれば、皇女殿下を抑えることは難しいことじゃない。だがそうなると、統合司令本部に割く時間がなくなってしまうのだ。その場合の問題は、グリゴンの潜入工作員を自由にさせることだ。事実俺が助言するまで、工作員を見つけることが出来なかったぐらいだ。しかも、ツヴァイドライグの偽物を無効化することは出来なかっただろう。結果的にテラノの受ける被害を最小化することには成功したが、皇女殿下の足を引っ張ることになってしまったんだ」 「皇女殿下、のでしょうか?」  その意味を理解できないヴィルヘルミナに、ヨシヒコはもう一度「皇女殿下だ」と繰り返した。 「重症を負って入院をしている間、俺は現皇帝聖下と皇妃殿下のことを分析した。ジェノダイト様のデーターを利用したのだが、お陰で色々と理解することができるようになった。今の皇太子、皇女殿下の中で、一番ザイゲル連邦に行っているのはアズライト様だった。そして現皇帝聖下も、即位される前にはザイゲルを頻繁に訪れていた。その理由を考えれば、アズライト様が次期皇帝であることは推測できる。だが俺が、そのアズライト様に汚点をつけてしまった。それが、何か理解できるか?」  目を見て問いかけられたヴィルヘルミナは、なぜかヨシヒコを意識してしまった。アズライトには恐れがあると言ったのだが、話しているうちにその気持が薄れてきたのだ。そうなると、カニエ以上に綺麗な見た目と、切れすぎる頭の方が気になってしまうのだ。  もっとも、それを理由にヨシヒコに特別な気持ちを持つと言うのは早計だった。綺麗な女の子にしか見えないのだが、その実態は皇帝聖下にすら認められるほどの男なのだ。 「申し訳ありません。私には、ヨシヒコ様の仰ることのすべてを理解することは出来ません」  小さく頭を下げたヴィルヘルミナに、それは必要ないとヨシヒコは笑った。 「まあ、まじめに聖下のこと分析するような者は居ないだろうからな。俺にした所で、他にすることがなかったのと、少しでも受ける被害を小さくするために分析したところがある」  そう前置きをしたヨシヒコは、自分なりの分析を口にした。 「グリゴンがテラノを攻撃したのは、代々続く皇帝聖下の仕掛けが理由となっているのだ。その仕掛けとザイゲルの考えを理解しなければ、テラノは再びセンテニアルの悲劇を迎えることになるからな」  分析の理由を説明したヨシヒコは、話をアズライトのことに戻した。 「もしも皇女殿下と俺が関係したとしても、それは瑕疵にもならないものだった。恐らく、面白いことになったと逆に喜ばれたことだろう。だが、俺は完璧に皇女殿下を抑え込んでしまった。しかも、その方法に恋人を失う失意を利用したんだ。聖下にしてみれば、皇女殿下の反応は期待はずれのものでしか無いはずだ」 「だから、足を引っ張ることになったと仰ったのですね」  なるほどと頷いたヴィルヘルミナに、「分かりやすいだろう」とヨシヒコは笑った。 「一応立ち直りはしたが、それだけでは不足しているのだ。そのままなら、アズライト様は次の皇帝候補から外されていただろう。一度評判を落としてしまうと、這い上がるのは極めて難しいからな。そして聖下も、無駄な時間を使おうとは考えられなかっただろう」  今の話が正しければ、アズライトが次の皇帝に内定していたと言う事実と反することになる。そうなると、どこかで逆転するような事件がなければおかしいだろう。当然その説明がなされるのだと、二人は黙ってヨシヒコの言葉を待った。 「そのままなら、アズライト様は上のお二人同様、身の振り方を考えなければならなくなっていた。恐らくだが、グリゴンとの戦いが聖下が猶予を考える理由になったのだろう。グリゴンの潜入工作員を捕え、大きな被害こそ出したが地上でのテロを制圧した。さらには、ツヴァイドライグに偽装したグリゴンの戦艦を無力化し、メインベルトの戦いではグリゴン軍を敗走させたのだ。最後の戦い以外に、共通するキーワードがあるのだが、それが何か分かるか?」  ヨシヒコの質問に、ヴィルヘルミナは一度カニエを見た。そしてカニエが頷くのを確認して、ヨシヒコに向かい合った。 「それが、アセイリアと言う女性なのですね」 「正解だ。まあ、外すほうが難しい質問でもあるな」  そう言って笑ったヨシヒコは、自分の説明を続けることにした。 「テラノが注目を集めたこともあり、それを利用することを考えられたのだろう。そのために、聖下はアセイリアと言う女性を利用することを考えたと推測できる。聖下の性格ならば、より面白くなる方法を考えるからな。そして皇女殿下は、聖下の期待通りアセイリアを連れてグリゴンに乗り込んでくれた。そこで聖下の期待以上、いや、想像もしていなかった展開を皇女殿下とアセイリア、つまり俺が導き出した。お陰で皇女殿下の名誉は回復どころか、以前よりも高まることになった。そして俺は、アズライト様が皇帝になる時の邪魔者として始末された」  それが何のことを言っているのか、当然ヴィルヘルミナは理解をしていた。皇女と平民の恋物語は、並ぶもののない「悲劇」として貴族たちの間に広まっていたのだ。年頃の女性は、その悲劇に悲しみ、それ以上に悲劇の元となった恋に憧れていた。  話を聞いて、改めてヨシヒコが特別な存在なのだとヴィルヘルミナは理解をさせられた。アズライトが特別なのは当たり前として、ヨシヒコはそのアズライトを凌いでくれたのだ。 「皇帝聖下がどこまで意図したのかは分からないが、俺を始末した理由はアズライト様との関係だろう。そこで俺の失敗は、アセイリアを代わりに演じる女性を作ってしまったことだ。センテニアルから始まった一連の事件で、俺の名前は表に出ていない。グリゴンとの友好条約締結にしても、活躍したのはアセイリアなのだからな。代理を立ててしまったことで、俺を始末しても関係者以外に影響が出ない状況ができていたんだ。そして俺を始末することで、聖下はテラノとグリゴンとの関係にも干渉してきた。そしてその干渉は、聖下の予想とは違う方向に進展した。それが、つい最近までの帝国情勢だ」  質問はと言うヨシヒコに、カニエを見てからヴィルヘルミナは小さく首を振った。ただヴィルヘルミナに見られたカニエには、まだ納得の行かないところが残っていたようだ。 「納得が行かないところがある。顔に書いてあるようだな」  そう言って笑ったヨシヒコは、カニエに向かって残り時間が少ないことを指摘した。 「このまま朝を迎えるつもりならいいが、そうでなければあまり時間は残っていないぞ。それに、お前たちは腹を空かせていたはずだろう?」  時計を見たら、すでに3時近くになろうとしていた。指摘されて思い出したのだが、確かに酷い空腹を感じていたはずだった。だが緊張の前に、それすら忘れていたと言うのが正直な気持ちだった。 「俺は気にしないから、食べながら話をしてもいいんだぞ」  どうすると聞かれたカニエは、少し考えてから小さく首を振った。 「いえ、お時間はさほど取らせないかと」  そこまで口にして、カニエは気を落ち着けるように深呼吸をした。それで覚悟が定まったのか、「教えてください」と厳しい表情をヨシヒコに向けた。 「ああ、なんでも聞いてくれればいい。約束通り、聞かれたことには答えることにする」  それでと促されたカニエは、すぐには口を開かなかった。覚悟を決めたつもりでも、やはりためらう気持ちが強かったのだ。  すぐに質問を口にしないカニエに、それもしかたがないことだとヨシヒコは理解していた。何しろ、それは自分の存在そのものに関わる問題なのだ。だからヨシヒコも、それ以上何も言わずカニエが口を開くのを待った。  それから5分ほど過ぎた所で、ようやくカニエが重い口を開いた。ただそこから出たのは、まだ迷いを振り切れていない質問だった。 「聖下ならば、確実にとどめを刺したのだと思われます。それなのに、どうしてあなたは生きているのでしょうか?」  ただ迷いは振り切れていなくとも、肝心な部分を含んだ質問でもある。答えとしては遠回しのものになるが、それでも良いかと及第点を与えることにした。 「聖下が俺を始末するのに使ったのは、エボイラと言うはるか昔に使われたウイルス兵器の変種だ。そのウイルスに感染すると、細胞が分裂を停止し、結果的に死に至るというものだ。俺には……感染性を除去した上に進行を早くした物が使われたらしい。治療方法が無いため、厳重に管理され、皇帝の許可がなければ研究者もアクセス出来ないものと言うことだ。そしてこのウイルスが凶悪なのは、脳を犯さないという性質を持っていたことだ。だから感染した者は、抵抗することも出来ずに自分が朽ちていくのを感じながら死んでいくことになる」  皇帝がとった方法に、ヴィルヘルミナは「そんな」と言って自分の口元を隠した。言っては悪いが、相手はたかが平民なのだ。その平民を始末するだけなら、そんなたちの悪いウイルスを使う必要もないはずだ。それだけで、皇帝の価値を貶めるものでもあったのだ。特にヴィルヘルミナは、間接的とは言えその恐怖を知る立場だった。過去の亡霊が、最悪の形で復活してきたような気分になってしまった。 「なぜ、聖下はそのような残酷な方法をとられたのですか?」  だからヴィルヘルミナは、つい横から口を挟んでしまった。ただその疑問への答えは、ヨシヒコではなくカニエから発せられた。 「テラノとグリゴンの、聖下に対する憎悪の感情を煽るためだろう。そうすることで、テラノはグリゴンと友好条約ではなく、同盟関係になる可能性があった。それは、テラノがザイゲル連邦の一部になると言う意味でもある。そうすることで、新しい動きを潰そうと考えられたのだろう」  カニエの答えに、ヨシヒコは大きく頷いた。 「さすがだ。一応間違っているところはないな。付け加えるのなら、悪あがきをさせると言う意味もあったのだろう。だから俺は、遺言と言う形で同盟関係にならないよう言い遺した。その結果がどうなったのかは、お前たちも知っていることだ」  それでいいかと顔を見られたヴィルヘルミナは、余計な口出しをしたことを二人に謝った。 「私などが口を挟んだことをお詫び致します」 「まあいい。お陰で、クレスティノス三等子爵の評価が進んだ」  そう言ってヴィルヘルミナを許し、ヨシヒコは説明を続けることにした。 「話はそれるが、俺のおやじは銀河一の強運と噂される程の運の持ち主だ。何しろトランスギャラクシーツアーに、宝くじを引き当てて参加するだけじゃなく、星系を出る許可も二人分引き当てたぐらいだ。そしてそのおやじの強運は、ここでも生きてくれることになった。ひょんなことから、船のカジノで帝国第3大学の医学生を助けたんだ。そしてただ助けるだけじゃなく、賭けで身ぐるみを剥いで俺の嫁にとテラノ迄連れて帰ってきた。グリゴンの支援は貰ったのだが、それだけなら俺は復活すること無く終わっていただろうな。だが、いよいよ駄目という時に、おやじがその学生、シルフィールを連れて帰ってきてくれたんだ。その時の処置が適切だったおかげで、俺はしばらく命を永らえることに成功した。色々と遺言が残せたのも、そのお陰と言うことだ」  それはいいなと言う確認に、二人は揃って頷いてみせた。 「そしてこれが肝心なことなのだが、アセイリアが最後の最後で悪あがきをしてくれた。実際俺の意識が途切れ、そのまま死を迎える所まで病状は進んだんだ。その土壇場で、まだ細胞の死んでいない脳の保存を決断してくれた。だから俺は、体を失い脳だけが眠らされることになったんだ。そして偶然手に入った情報とアンハイドライト様のお陰で、俺の体を復活させることに成功した。その結果、俺は今ここに居ることになる」  そのデーターがどこから入手できたのか。ヨシヒコは、敢えてそれを語らなかった。それはカニエと言うより、ヴィルヘルミナに気を使った結果でもある。  そしてカニエは、今の説明ですべてが繋がったのだと理解した。どうして自分がヨシヒコとそっくりの顔をしているのか。たかが三等子爵を、どうしてアズライトが取り立ててくれたのか。どうしてテラノへの使者として送り出したのか。その全てが、今の説明でつながったと考えたのだ。 「偶然手に入った情報と言うのは、あなたの肉体情報と言うことですか。そしてその情報は、私と言う存在によって運ばれたと言うのですね。アズライト様は、初めからそのつもりで私を作られたのだと……」  意外にもすっきりとした顔をしたカニエに、それが危険な徴候であるのをヨシヒコは理解した。ただ、ここで同情することは、問題を複雑にする事はあっても、解決に導くことはあり得ない。ただ事実のみを正確に伝えることが、この場で必要なことだと考えた。 「アズライトの考えと言う意味なら、俺はそれを否定させてもらう。アズライトは、俺の脳が保存されていることを知らなかったからな。アセイリアにしても、あてなど無く自己満足の結果だと言ったぐらいだ」 「俺の生まれは否定しないのですね……」  念を押す様に確認したカニエに、ヨシヒコは否定の言葉を返さなかった。 「アズライトは、お前のことを自分の子供だと言ったそうだ。俺の遺伝子を持ち、アズライトが作ったのだから、ある意味俺達の子供に違いない。俺の母親などは、産んだ覚えのない双子の片割れだと言っていたな。その意味では、お前は俺の弟と言うことになる。どちらの立場が良いのか、それはお前が選べばいいだろう。もちろん、どちらも選ばないと言う答えがあってもいいと思っている。お前はお前であり、俺達の事など気にする必要はないのだから。それが、お前の中くすぶっているものへの俺の答えだ」  カニエにそう言い放ったヨシヒコは、隣で愕然としているヴィルヘルミナへと視線を向けた。さすがに今の話は、恋人が聞くには酷な話すぎたのだ。それを理解しているからこそ、話し方にも気を使っていた。だから「自分を作った」とカニエが言わなければ、答えはもっと違うものになっていたはずだった。 「そしてお前の公式な身分は、クレスティノス三等子爵様だ。先に答えておくが、クレスティノス家と言うのは実在しているが、10年ほど前に断絶したと言う話だ。この身分は、皇帝聖下が用意した」  そこまで話をして、「どうする」とヨシヒコは問いかけた。 「いや、どうしたいと聞いた方がいいか?」 「それを聞かれても、すぐには答えは出ないのですが……」  それでも、答えをだす必要のある問題もあった。カニエは隣に座るヴィルヘルミナを見て、すまなかったとテーブルにぶつかるほど頭を下げた。そして頭を下げたまま、じっとヴィルへルミアの言葉を待った。  だが謝られた方のヴィルヘルミナにしてみれば、全てが予想もしていないことだったのだ。だから愛しあったカニエが、人工的に作られた存在と言われても、ピンと来ないのも仕方のない事だった。ヨシヒコに話を聞かされた今でも、何かの冗談ではないかと思えたほどだ。ヨシヒコの殺された事情もそうだが、全てが自分の理解が及ばないものばかりだった。 「あなたには、本来アズライトを連れてきて謝罪をさせるべきなのだろう。だが夫と言うことで、俺がかわりに謝罪をさせてもらう。クレスティノス三等子爵に罪はない。罪を負うのは、アズライトでありこの俺なのだ。だから償いのためなら、俺にできることならなんでもするつもりだ」  そう口にして、ヨシヒコもまたカニエと同じように頭を下げた。アズライトの犯した罪と言うのなら、それは夫である自分も一緒に償う必要がある。  ただそれで選択を迫るのは、いかにも無責任なことに違いない。だから頭を下げたまま、ヨシヒコはカニエをかばう言葉を口にした。 「子供は、生まれ方を選ぶことはできない。いくら頑張っても、生まれ方自体を変えることはできないのだ。できるのは、生まれを恨み、それに抗い、そして受け入れることだけだ。だからあなたには、クレスティノス三等子爵の今を見てもらいたいと思っている。もしもあなたの目から見て好ましい男だと言うのなら、それはクレスティノス三等子爵が自分で作り上げたものなのだ。生まれ出てからの時間は短いかもしれないが、クレスティノス三等子爵の生きてきた証に違いない」  ヴィルヘルミナに向けた言葉ではあるが、それは同時に自分に向けたものでもあるとカニエは感じていた。アズライトに出会い、クレスタ学校を作ったのは今の自分なのだ。そこで多くの人と出会い、そして自分の考えを何度も口にしてきた。下地を作って貰いはしたが、そこから先は今の自分が行ったことである。それをどう評価するのかと言うのは、自分にも当てはまることだった。  カニエをかばったヨシヒコの言葉だったが、それでもヴィルヘルミナは答えを口にすることはできなかった。カニエを否定することも、肯定することもできないのは、それだけ彼女の中に迷いがあると言うことだろう。そしてその迷いこそが、これまで積み上げてきた物の結果でもある。 「クレスティノス三等子爵、迷惑を掛けたことをお詫びする」  ヴィルヘルミナからは、いくら待っても答えは出てこなかった。簡単に答えなどでないことは、我が身に置き換えてみても理解できることだったのだ。だからヨシヒコは、顔を上げてカニエにこれまでのことを詫びた。ヴィルヘルミナは確かに被害者なのだが、それ以上にカニエこそが一番の被害者だったのだ。 「どうして欲しいと言う問いかけへの答え。いつでもいいから教えてくれ。これ以上質問が無いのなら、俺から話せることはこれ以上はない」  すまなかった。もう一度謝ったヨシヒコは、館を去るため立ち上がろうとした。だがそこで思いとどまり、もう一度カニエに声を掛けた。 「一方的なことばかりを言ってしまったことを詫びさせて貰う。クレスティノス三等子爵にどうしたいのかを尋ねたが、俺自身どうして欲しいのかを話していなかったのを思い出した。俺の気持ちを言うのなら、お前には手伝ってもらいたいと思っている。大きな混乱を治めるためには、はっきり言って俺だけでは手が足りない」  そこまで話して、ヨシヒコは席を立ちあがった。そして二人に見送りの必要はないと申し付け、さっさと部屋を出て行ってくれた。気持ちの問題は、当事者同士でなければ解決することはできない。必要なことは教えたのだから、そこから先は、自分が関わるべきではないのだと。  それを見送ったヴィルヘルミナは、カニエに向かって「私は」と言葉を掛けた。 「とても、複雑な気分です……」  ヴィルヘルミナの言葉に、カニエはもう一度「すまなかった」と謝った。そんなカニエに、「いえ」とヴィルヘルミナは言葉を探すように天井を見上げた。ヨシヒコが居なくなっただけで、気分はかなり楽になってくれた。そのおかげで、色々と頭も回るようになってくれたのだ。 「ただ、その前に何か食べませんか? ほっとしたら、どうにもお腹が空いて仕方がありません」 「ほっとしたら……か。あまりほっとしてもいないのだが」  それでも、ヴィルヘルミナの言うことは理解できる。確かに、自分も頭に血が回らなくなっている気がしてしまうのだ。 「メル、マルガレッタに食事を持ってくるように伝えろ」 「はいご主人様。ただ今食事が届きます!」  メルの言葉と同時に、客間のドアがノックされた。明らかに、自分達の考えを予見した行動に違いない。誰の考えかは気になったが、今はありがたく受け入れておくことにした。  カニエの許しを得たマルガレッタは、お茶とサンドイッチのようなものを持って来た。 「パンなどなかったと思ったのだが?」  それを気にしたカニエに、「焼きました」とマルガレッタは言い切ってくれた。 「つまり、簡単には終わらないと思っていたと言うことか……」  そしてその読みは、結果的に正しかったことになる。ハムのようなものの入ったサンドイッチを摘まんだカニエは、うまいなと柔らかな歯触りに感動をしていた。大げさな言い方をするのなら、生きていると言うのを実感していたのだ。トマトのスープを啜った時には、胃を通してお腹全体が温まったような気がしていた。  その事情は、ヴィルヘルミナも同じだったようだ。明らかに、それまでに比べて表情が柔らかなものに変わってくれていた。 「ですが、とても不思議な気持ちです。あなたは、本当にヨシヒコ様と同じなのですか?」 「それは、どういう意味で聞いているのだ? ヨシヒコ様の言葉が正しければ、ただ単に同じ遺伝子を持っていると言うだけではないのだろう」  そうでなければ、肉体の再構成には使えないのだ。その意味で、全く同じでなければおかしい筈だ。そんなカニエの言葉に頷き、ヴィルヘルミナはだからだと自分の気持ちを伝えた。 「同じはずなのに、少しも同じに思えないからです。確かに見た目はとてもよく似ています。でも、似ているのはそこまでで、明らかにあなたの方が出来が悪いと思います」 「遠慮のないことを言ってくれるな」  面と向かって出来が悪いと言われれば、いくらカニエでも苦笑を浮かべる以上のことはできなかった。 「でも、事実だと思います。今のあなたには、あそこまでの迫力はありません。だから私も、こうして普通に話すことができます」 「俺を、気持ち悪いとは思わないのか?」  データーから作り出された、ある意味無から作り出された存在なのだ。気持ち悪いと言われても、仕方がないとカニエ自身感じていたのだ。  そんなカニエに、だから複雑なのだとヴィルヘルミナは繰り返した。 「こればかりは、簡単に割り切れる物ではありません。ただ、あなたは私をしっかり傷物にしてくださいました。その責任をうやむやにするのも、とても気に入らないのです。なにか、オデッセア三等侯爵に嘲笑われそうな気がしますし……」 「あちらはあちらで、何か大変なことになっているようだが……」  謁見の間、ずっと具合が悪そうにしていたのだ。その事情をアリアシアが知っていそうと言うのも、考えてみれば不思議なことだった。 「そうですね、何があったのか想像がつかないのですが……もう明後日ですか、そこまでには解決していると言うお話のようですし……」  ふむと綺麗なあごに手を当てたヴィルヘルミナからは、悲壮感のようなものは伝わってこなかった。 「オデッセア三等侯爵のことより、お前はいいのか?」 「お腹が膨れてきたおかげで、少し気持ちにも余裕が出てきました。あなたを捨てると言う方法もあるのですが……そうすると、私はまた男を探さないといけなくなります。見た目が良くて、将来性があって、見識が高い者などそうそう帝国の中にいる物ではありません。だから、余計に悩ましいと思えてしまいます」  しかもと、ヴィルヘルミナは身を乗り出しカニエを見た。 「それを、私はどこに探しに行けばいいのですか? この私に、今更大学に通えと? あなたのことを、アズライト様は「自分の子供」と仰ったと言うのですよ。そしてこれから先の帝国は、ヨシヒコ様を中心に変わっていきます。その流れに加われない者など、はっきり言って格落ちでしかありません。プライドの高い私が、そんなことを許せるとお思いですか?」 「自分でプライドが高いと言うのか……」  その言い分に苦笑を浮かべたヴィルヘルミナに、「お姫様ですよ」とヴィルヘルミナは言い返した。 「かつてティアマト家は、フェルゴー星系の王族でした。私は、その正統なる跡継ぎなんです。それを考えれば、つまらない男など夫に迎えるわけにはいかないのです。だから、余計に複雑な気持ちになってしまうのです……」  はあっとため息を吐いたヴィルヘルミナは、カニエの顔を見てからもう一度ため息を吐いた。 「ヨシヒコ様と違うことを喜んでいいのか悪いのか……ティアマト家のためには、ヨシヒコ様の方が好ましいことは分かっているのですが……私には、とてもではありませんがヨシヒコ様の妻は務まりません」 「確かに、それは微妙な問題だな」  格落ちと言われるのは、相対してみてはっきりと自覚していた。だから面と向かって言われても、本当のことだから仕方がないと諦めていた。  ヨシヒコの場合、ただの庶民だったからこそ、価値がより一層高くなっていたのだ。 「それはともかく、もう寝ませんか?」  時刻を見て見ると、すでに朝の4時となっていた。緊張が解けたのと、腹が朽ちたおかげで眠気が襲ってきたのだ。それに翌朝は、10時にメンバーが集まることになっている。それを考えると、残された時間は限りなく短かった。 「そうだな。マルガレッタに、寝室を用意させよう」  事情を考えれば、寝る場所は別々にする必要がある。当たり前の配慮だと考えたカニエに、「何を今さら」とヴィルヘルミナは言い返した。 「それに選択権は、私にあることを忘れないように」  だからと、ヴィルヘルミナはカニエに許しの言葉を与えた。 「今は、あなたのことを許します。その代わり、少しでもヨシヒコ様に近づく努力をしてください。手本が目の前にあるのですから、できないとは言わせませんよ。それが、私があなたに求める条件です」  そう言うことですと立ち上がったヴィルヘルミナは、「早く寝ましょう」とカニエの手を取った。 「ヨシヒコ様の仰った、あなたはあなたでしかないと言うお言葉。私も、その通りだと思っています」  もう一度寝ましょうと口にしたヴィルヘルミナは、カニエを寝室まで引きずった。10時まではあまり時間は残っていないが、それでも殿方を奮い立たせるには十分な時間は残っている。本当に朝が辛ければ、集まる時間を昼過ぎにすればいいだけのことなのだ。辛いのは自分達だけではないはずだ。シオリのことは忘れ、ヴィルヘルミナ残った二人のことも考えていた。 Chapter 2  現オデッセア家当主は、ハルバートと言う50がらみの男性だった。娘に正しく引き継がれたように、黒い髪とカイゼルヒゲを持った、気難しさを感じさせる風貌をしていた。その生活は非常に規律正しく、家族に対しても非常に厳格に接していた。そんなハルバートの性格を考えれば、跡取りではないとは言え、長女をクレスタ学校に参加させたのは冒険に違いなかった。クレスタ学校への参加に、それだけ意義を感じていたと言うこともできる。  だが期待して送り込んだクレスタ学校だったが、娘は一向に成果を上げてくれなかった。検討の方向に疑問を感じたのも問題だが、めぼしい男を見つけられないのはそれ以上の問題だった。しかもアズライトのお気に入りは、他の女性に先を越されてしまったと言うのだ。それを聞かされた時、ハルバートは娘に対して深く失望を感じていたのである。このままではダメだと、適当な男をあてがい、さっさと嫁に出そうと考えるようになっていた。  その目的でセッティングしたお見合いだったが、土壇場で手違いが起こったとの連絡を受けてしまった。それもただ会えなかったと言うのなら、やり直しをセッティングすればそれで終わっただろう。だが、ただの庶民を連れ込んだとなれば、話は大きく違ってくる。それを聞かされたハルバートは、大事になる前に叱っておかなければと娘を呼び出そうと考えていた。だが事態はハルバートの予想を超え、遥かに大事へと発展してくれた。  娘が皇族の不興を買ったと言うのは、オデッセア家当主ハルバートにしてみれば由々しき事態なのである。それに比べれば、ただの庶民に入れあげたぐらいは可愛いものでしかなかった。部下から伝えられた娘の行状に腹を立てたハルバートだったが、その後の知らせに全身から血の気が引いて行くのを感じていたのだ。今のままでは、アルケスト家に並ぶどころか、オデッセア家は自分の代で消滅することになりかねなかった。  ただリルケから離れていると、正確な情報を得ることもできない。しかも断片的に伝えられる情報は、要領を得ないばかりか、情報が増えるに従い矛盾ばかり増えて行ったのだ。だからハルバートは、お家の大事を解決するため、自家用クルーザーでリルケへと向かうことにした。  ハルバートの住むセレスタ星系から、帝星リルケまではおよそ2日の時間が必要となる。それに船の出港用意に手続きを行ったため、リルケ到着は知らせを受けた3日後となった。焦る気持ちを押さえて軌道ステーションで検疫処理を受けたハルバートは、終わった所ですぐに娘のいるクレスタへと向かおうとした。とにかく娘に会って、何があったのかを問い質さなくてはいけない。それから始めることしか、今のハルバートに考えることが出来なかった。  だが検疫処理を終わらせたハルバートを、見た目の良い知らない男が出迎えてくれた。その見目のいい男は、あろうことか第一皇女アリアシアの使いと名乗ってくれた。何事と驚くハルバートに、ユースティスと名乗る使いは自分に同行するようと願い出た。 「お嬢様のことは、アリアシア様の預かりとなっています。申し訳ありませんが、私にご同行願います」  三等侯爵と皇女からの使者。立場を考えれば、皇女の使者の方が高くなってくれる。当たり前なのだが、使者の言葉は皇女の言葉なのである。それを考えれば、ハルバートには従う以外の道は残されていなかった。 「畏まりました。大人しく、同行させていただきます」 「ご理解に感謝いたします」  こちらにと、ユースティスは、ハルバートを連れて皇室専用シャトルへと乗り込んだ。振り返った時には、連れてきた従者たちの姿が見えなくなっていた。それに気づいたハルバートだったが、皇女の使者に理由を問う訳にはいかなかった。  それでも会話もないと言うのは、さすがに辛すぎる状況に違いない。豪華な椅子に腰を下ろしたハルバートは、離れたところに座るユースティスに、教えていただけないかと声を掛けた。 「申し訳ありません。私の役目は、オデッセア三等侯爵閣下をお連れすることだけです。説明を口にすることは、許されておりません」  だが返ってきた答えは、ハルバートを落胆させるものでしかなかった。余計なことを口にさせないと言うことは、それだけ深刻な事態であるのを証明している。いったい何をしでかしてくれたのか、ハルバートはこれまでの情報を何とか繋ぎあわせてみようと試みた。  だが衛星軌道からの時間は、難しい整理をするには短すぎた。搭乗してから1時間も掛けずに、専用シャトルは館から少し離れた広場に着陸した。そこで立ち上がったユースティスは、ハルバートに頭を下げ、自分の役目はここまでだと説明した。 「ここより先は、別の者がお迎えに上がります」  恭しく頭を下げたユースティスは、こちらにと言ってハルバートを案内した。そして連れて行かれた先には、年若い、そして美しい女性が迎えに来ていた。 「お待ちしておりましたハルバート三等侯爵閣下。私は、アズライト様にお仕えするサリアと申します。これより閣下を、アリアシア様の所にご案内いたします」 「アズライト様にではなく……でしょうか?」  アズライトに仕える者が、なぜ自分をアリアシアの所に連れて行くのか。疑問を口にしたハルバートに、サリアは綺麗に笑って「説明を許されておりません」と答えた。 「私が命じられたのは、失礼の無いよう閣下をお連れすることだけです」  こちらにと頭を下げられれば、それに従わないわけにはいかない。ここまで来たら開き直るしか無いと覚悟を決め、ハルバートは用意されたカーゴに乗り込んだ。  シャトルの駐機場からアズライトの屋敷までは、カーゴで飛ばして10分ほどの距離となっていた。いかにも田舎の景色を眺めながら、ハルバートは何が起きたのだともう一度考えることにした。自分が知らされたのは、娘が皇族の不興を買ったと言う程度なのである。それが誰なのかすら、正確には分かっていなかったのだ。ありうることとすればアズライトなのだが、何故かアリアシア扱いになっていると言う。  色々と考えては見たが、やはり情報が不正確かつ不足しすぎていた。それに、この程度の事ならば、リルケに来る間ずっと考えていたことでもあった。それでも答えが見つからなかったのだから、この短時間で新しい考えなど浮かぶはずも無かったのだ。  アズライトの屋敷に到着したのは、ハルバートが思考の入り口に立ち戻った時の事だった。約10分の間に、堂々巡りは5回目に入っていた。 「では、私に付いて来ていただけますでしょうか?」  こちらにと言って、サリアが先に立って歩き始めた。色々な思いはあるが、目的地に着いた以上、これ以上思い悩んでもしかたがないのだろう。ままよとサリアの後を吐いて歩いたハルバートは、金の飾りがついた、濃い色をした木製の扉の前に案内された。 「こちらで、少しお待ち願えますか?」  サリアが扉を開けた先には、小洒落た調度のある部屋があった。さしずめ、謁見前の控えの間と言うところだろうか。大人しく部屋に入ったハルバートは、どっかりと椅子に腰を下ろして沙汰を待つことにした。  そして待つこと5分、再び目の前に現れたサリアは、こちらにどうぞとハルバートを先導して歩き始めた。 「お茶もお出ししなくて申し訳ありませんでした。少し屋敷内が立てこんでおりましたので」  本当に申し訳無さそうにしたサリアに、「いえ」とハルバートは恐縮した。ただ、彼自身お茶を飲むような心の余裕はなかった。  すぐに目的地に辿り着いたこともあり、二人の間にそれ以上の会話は無かった。そして先程よりも豪華な扉をノックし、サリアは来客を案内したことをアリアシアに告げた。 「アリアシア様。オデッセア三等侯爵閣下をご案内いたしました」  中から答えがあったようには聞こえなかったが、サリアは自分の役目が終わったのだとハルバートに告げた。 「オデッセア閣下、アリアシア様がお待ちです」  どうぞと促され、ハルバートはごくりとつばを飲み込んでから扉を開けた。果たして、そこにはサリアが告げた通り、淡いグリーンのシンプルなドレス姿をしたアリアシアが大ぶりの椅子に座っていた。 「アリアシア皇女殿下、ハルバート・オム・クレスタ・オデッセア、只今参上いたしました」  右肘をみぞおち辺りで直角に曲げ、ハルバートはアリアシアに深々とお辞儀をした。 「遠路ご苦労様でした。立ち話もよろしくありませんので、そちらに座っていただけますか?」  クレスタで行われた式典では、ハルバートは何度もアリアシアと顔を合わせていた。ここ最近でも、3ヶ月ほど前に春の式典に訪問を賜っていた。その意味で、二人は知らない関係ではなかった。 「アリアシア様、お久しぶりでございます」 「そうですね、これで3ヶ月ぶりになりますか。ところでオデッセア様、飲み物はアービで宜しいですか?」  お好きですよねと微笑んだアリアシアに、「今はまだ」とハルバートは表情を引き締めた。 「娘の問題を解決するまでは水で結構です」 「確かに、オデッセア様には気になることだと思います」  そう言って口元を緩めたアリアシアは、「ライエ」と自分のアバターを呼び出した。 「私とオデッセア様に飲み物の用意をするように申し付けて。オデッセア様には、アービをお出しして」 「アリアシア様っ!」  問題が解決する前から、アルコールなど口にするわけにはいかない。声を上げたハルバートに、いいのですよとアリアシアは小さく笑った。 「難しいですし、なおかつ深刻な話をすることになるかと思います。ただ、飲まなければやっていられない話になるのかもしれません。ですから、ハルバート様にお酒をお出しするのですよ」 「ですからが繋がっていないような気もしますが……」  とは言え、皇女自らお酒を用意させたのだ。ハルバートの立場では、これ以上断ることの出来ない問題でもある。そうしている間に、別の使用人が二人の前に飲み物を持ってきた。 「お酒でも飲んで、少し緊張をほぐされた方が宜しいかと思いますよ」 「では、遠慮なく……」  泡の出る酒を勢い良く呷ったハルバートは、ふうっと大きく息を吐き出した。そしてアリアシアに向かって、本題とは関係のない個人的な話を切り出した。 「3ヶ月前とは見違えるように変わられましたな。失礼な言い方かもしれませんが、以前より女らしくなられたかと思います」  もともと美しいと評判だったアリアシアだが、以前に比べて明らかに当たりが柔らかくなっていた。それを女らしさと評したハルバートに、そうですねとアリアシアは笑った。 「本当に、女になりましたからね。やはり、落ち着き先が決まったのが大きいかと思います」  アリアシアの答えに、ハルバートは目を丸くして驚いた。さらりとさり気なく答えられたが、皇女の婚姻ともなれば間違いなく慶事なのである。自分の娘の問題が解決した訳ではないが、帝国貴族としては慶事を祝う義務があった。 「それは、知らぬこととは言え失礼いたしました。アリアシア殿下、この度はご婚約おめでとうございます」  女になったと言うのだから、殿方と結ばれたことは間違いないだろう。その上身の振り方が決まったというのだから、婚約以外にあり得ないとハルバートは考えた。  だがアリアシアは、「早とちりは感心しませんね」とハルバートを諭した。 「ただ、私の事は本題ではありませんね。それでハルバート様、お嬢様のことはどこまでご存知なのでしょうか?」 「娘のこと、ですか……」  うむと一度唸ってから、ハルバートは整理してきたことをアリアシアに教えた。 「さほど多くないと言うのが現実です。実は、クレスティノス三等子爵の目がなくなったので、娘には息子の友人を引き合わせようと計画しました。爵位は一等伯爵ですから、嫁ぎ先として問題は無い相手です。偶然を装った出会いを仕掛けたのですが、何かの手違いでただの庶民を屋敷に連れて帰ってきたとの連絡を受けています。それから二人で出かけたと教えられたのですが、そこから先がとても不正確な話しか聞こえてきません。娘の様子がおかしくなったこと、そして皇族の不興を買ったと言う話が私の耳に届きました。従って由々しき事態ゆえ、こうしてリルケに迄参上した次第です。残念ながら、私が知っているのは、本当にこの程度でしかありません」  申し訳ないと頭を下げたハルバートに、アリアシアは短く「許します」とだけ答えた。そして自分用の冷たい飲み物を口に含み、「困りましたね」と小さくつぶやいた。 「困った、とは?」 「いえ、お嬢様の事です。正直に申し上げますと、不興を買ったと言うのは事実です。ただ、ハルバート様の想像とは違う方向と言うのが現実なのです」 「想像とは違う?」  とは言え、不興を買ったのは事実なのだ。それを認められたことで、ハルバートは表情を険しくした。 「それで、オデッセア家にはどのような沙汰が下るのでしょうか?」 「それ以前に、何があったのかを聞くべきではありませんか?」  違いますかと笑うアリアシアに、ハルバートは恐縮しながらそれを認めた。 「確かに、仰るとおりです」 「ハルバート様がご心配される気持ちは理解しているつもりですよ」  微笑みを絶やさぬままハルバートを見たアリアシアは、困っているのですと実情を打ち明けた。 「困っていると言うのは?」 「お嬢様の扱いにです。酷く怯えられていて、どうしたものか思案に暮れていると言うところなのです。簡単に解決する方法はあるのですが、それをしていいのかどうか分からないところがあります。何しろ、オデッセア家にとって大切なお嬢様ですからね」  困りましたと息を吐き出したアリアシアに、ハルバートは言われた意味が理解できなかった。娘が酷く怯えると言うは、事情はさておきアリアシアに関係する話とは思えないのだ。思い悩むのは自分であって、皇族の問題では無いはずだ。 「なぜ、アリアシア様が悩まれなければならないのですか?」 「それが、私にも関係するからです」  アリアシアに関係すると言われても、直ちに理解できるものではない。はっきりと困った顔をしたハルバートに、アリアシアは順を追って説明することにした。 「お嬢様が庶民に熱を上げたことはご存知なのですよね。そしてその庶民と出かけたことまでは、お耳に入っていると仰ってましたね?」 「そう、報告を受けています」  なぜそれが問題となるのか、当惑をにじませながらハルバートは聞かれたことに答えた。 「実は、その庶民と言うのが問題なのです。ハルバート様も、アズライトが身籠った話をご存知かと思います。そしてその相手が、テラノの庶民と言うのもご存知かと思います」 「その話は、確かに噂では聞いております。ただ、その相手と言うのは死んだのではなかったですか? 確か、聖下自ら手を下されたのだと?」  それが何かと訝るハルバートに、アリアシアはすぐには受け入れがたいことを口にした。 「いろいろな事情と、人々の執念によってその庶民が復活いたしました。今はお兄様に連れられ、リルケにやってきております。ただやってきたのではなく、自分を殺そうとしたお父様との対決も済ませております。そこでお父様は、重要な決定をいたしました。間もなく発表されるかと思いますので、先にハルバート様にお父様の決定をお教え致します」 「重大な決定と仰りますか」  ゴクリとつばを飲み込んだハルバートに、アリアシアは大きくうなずき「重大な決定です」と繰り返した。 「皇位については、アズライトが受け継ぐと言う噂が流れていたかと思います。その噂自体正鵠を射たものなのですが、お父様はその決定を白紙に戻されました。そしてアズライトの夫となる男を皇帝とし、アズライトを皇妃として連れ添わせることとしました」 「ちょっ」  いくら皇女の口から出たこととは言え、にわかには信じられる話ではない。腰を浮かして驚いたハルバートに、これは真実なのだとアリアシアは断言した。 「私の兄、アンハイドライトが証人となっています」 「それが、事実と仰るのか……」  ううむと唸ったハルバートは、突然浮かんだ考えに「まさか」と目を見開いた。 「娘が入れあげたと言う庶民とはっ!」 「ええ、次の皇帝ヨシヒコ様です」  その答えだけで、ハルバートにはすべてが繋がった気がした。相手をただの庶民として扱ったのなら、間違いなく無礼な振る舞いをしているはずなのだ。そしてその相手が次の皇帝となれば、その行為は不敬と責められてもしかたのないことになる。世間知らずではあるが、公爵家の娘として生まれた以上、それが重大な結果を招くことは理解しているはずだ。 「娘が怯えていると言うのは、それが理由なのですか」  吐き出すようなハルバートの言葉に、そのとおりとアリアシアは小さく頷いた。 「ヨシヒコ様は、少しも気にされておりません。身分を明かす訳にはいかない以上、お嬢様の態度は自然なことだと分かっているからです。明かす訳にはいかないと言うより、正直に教えても信用して貰える話ではないでしょうね。話が公になるまでは、ヨシヒコ様はこの世に居ないことになっていましたからね」  アリアシアの説明に、なるほどとハルバートは頷いた。確かにしでかしたことは不敬に値することだが、それを知れと言うのも無理な相談だったのだ。どこの誰が、死んだはずの人間が現れると考えるだろうか。名乗った方もそれを理解しているとなれば、不敬罪に問われることもないのだろう。 「それで、簡単に解決する方法があると仰りましたが?」  次に気になるのは、アリアシアの言う解決の方法である。事情を理解したハルバートは、次にそれを話題とした。 「ハルバート様。先ほど、私が婚約をしたのかと仰りましたね? 私は、次の皇帝となるヨシヒコ様の後宮に入ることに致しました。ヨシヒコ様は渋られたのですが、強硬手段で既成事実を作りました」 「強行手段……ですか」  それはそれはと苦笑したハルバートに、アリアシアも口元を歪めてみせた。 「渋る殿方を諦めさせるには、既成事実を作るのが一番だと母から教わりましたので」  そう言うことですと笑ったアリアシアは、シオリのことに話を戻した。 「これからのことを考えた場合、ヨシヒコ様には多くの子をなしていただく必要があります。ですから、私以外にも何人か後宮に迎えるべきだと考えています」 「それを私に話したということは、娘をその候補とお考えと言うことですか?」  これで話がつながったと考えたハルバートに、アリアシアはゆっくりと頷いた。 「お母様と同じ星系と言うのは引っかかりますが、オデッセア家であれば立場として不足はありません。ですから私は、手を出せと強くヨシヒコ様に迫ったのですが……こう言うところで、庶民の常識が邪魔をしてくれます。お嬢様から迫っていただければ別なのですが、今の状態ではそれも叶いません」  はあっと息を吐き出したアリアシアは、ハルバートに向かって「いかがですか?」と分かりにくい問を発した。 「いかがと言われても……」 「帝国に於いて、皇帝以上の殿方は存在いたしません。それに、身分を超えてお嬢様はヨシヒコ様に魅力を感じられたのです。本気で自分のものにしようとすら考えられたそうです。でしたら、立場を入れ替えても問題は無いと思いませんか? オデッセア家も、かつては後宮を構えていたと聞いていますが?」  古い話を持ちだされたハルバートは、しっかりと口元を引き攣らせた。確かに後宮を抱えていた歴史はあるが、それにした所で100年以上昔の話である。  ただハルバートは、アリアシアの言う後宮の意味を真面目に考えてみた。ひとまず自分の娘のことを忘れ、シリウス家以外の血筋が皇帝となる意味をである。その時今の公爵家の扱いはどうなってくるのか。爵位剥奪と言う話にはならないにしても、ありがたみが薄れるのは間違いないだろう。そして新しい血筋に、価値を求めることになる。だが本人は別として、親族をいきなり皇族にするのは問題が大きい。  そうなると、解決策はその子から適用と言うことになるのだろう。帝国の枠組み自体を変えない方策では、それが誰もが納得できる方法に違いなかった。 「なるほど、確かに後宮が必要とされますな。新しい聖下には、多くのお子をお作りいただく必要がある」 「私やアズライトの負担を考えると、それぞれ3人程度と言う所でしょうか。もっともアズライトも若いですから、もう少しは増やせるのでしょうが……それにした所で、絶対数が足りませんね」  とにかく帝国は広大で、しかも多くの星系を抱えている。余計な不満を溜めさせないためには、皇族の出席が求められることになるのだろう。 「悩ましい問題と言うことですか……」  うむと唸ったハルバートに、アリアシアは畳み掛けるように必要性を口にした。 「ヨシヒコ様が後宮を持つべしと言うお話。ご理解いただけますか? 特に、各星系に繋がりの深い女性が必要となると思っています」 「しかし、ヨシヒコ様は気が乗られていないと伺いましたが? やはり、我が娘ではお気に召さないのではありませんか?」  一番優先される側の事情に踏み込んだハルバートに、それもまた問題だとアリアシアは答えた。 「繰り返しますが、そのあたりは庶民の考えが抜けていないのだと思います。これから、皇帝として必要なことを、兄と共に教えていきたいと思っています。その中には、子孫繁栄に関わるものもあるとご理解ください」  ただと、アリアシアは困っているのだと打ち明けた。 「ご理解されているように、今のままでは何も解決いたしません。ヨシヒコ様から迫ることは無いかと思いますので、是非お嬢様から迫っていただきたいのです。そのためにもオデッセア閣下からお口添えをいただければと思っています。オデッセア閣下にも、悪い話ではないと思いますが?」  いかがですと問われれば、確かに悪い話でないのは確かだろう。後宮と言うのは聞こえは悪いが、要は皇帝の寵愛を受け、世継ぎを産む役目なのだ。各星系からとアリアシアが拘るところを見ると、他にも重要な役目が期待されているのだろう。もともと嫁に出すことを考えていたのだから、事実婚に拘る必要もない。そしてその相手が、時の皇帝ならば尚更である。 「しかし、娘は怯えていると言うではありませんか。そのような状態で、どう迫らせればよいのでしょう?」  今のままでは、娘のせいで失敗しかねないのだ。そのことを考えれば、自分が認めるだけでは不十分に違いない。どうすれば娘をその気にさせられるのか。その関門を越える必要があったのだ。 「お嬢様を手引きするのは吝かではありませんよ。あとは、閣下から因果を含めてくだされば十分かと思います。家紋に泥を塗るのかとでも叱責すれば、覚悟も決まるのではないでしょうか?」 「それは、かなり強引なやり方ですな……」  ふうっと息を吐き出してから、ハルバートは小さく苦笑を浮かべた。 「そしてその考えの違いが、アルケスト家との違いと言うことですか」  ふんと鼻息を荒くして、ハルバートはカイゼル髭を抓むようにした。そしてそのまましばらく考えてから、分かりましたと大きく頷いた。 「我が娘へのご高配痛み入ります」  そう言って頭を下げたハルバートに、違いますとアリアシアは小さく首を振った。 「これも、ヨシヒコ様への教育の一つと言うことです。皇帝と言う立場は、帝国を動かすことだけが仕事ではありません。ヨシヒコ様は攻める方に問題はありませんが、守ることは何もご存じありませんので。だからこそ、周りを固める者が大きな意味を持ってくるかと思います」 「だからこそ、各星系からと言うことになる訳ですか」  アリアシアの答えに納得したハルバートは、「娘は?」とシオリの居場所を問題とした。明日にもテラノに向けて出発するのであれば、すぐにでも仕掛けを発動させる必要がある。 「お嬢様は、ヨシヒコ様の御前においでです。ただ、そろそろ連れてこようかと思っています。やはりと言えばいいのか、ヨシヒコ様の前で怯えてらっしゃるようですね。クレスティノス三等子爵様達も心配されているようですが、何をしていいのか分からないと言うのが現実です」  そう答えたアリアシアは、「そう言えば」と思いだしたように手を叩いた。 「明日出発いたしますから、必要な準備をお願いします。こちらで用意してもいいのですが、お嬢様の世話係も必要でしょう」 「三等侯爵家の娘を送り出すのです。それに相応しい体裁を整えましょう」  張り切ったハルバートに、「限度を弁えるように」とアリアシアは釘を刺した。 「今度の旅は、1か月程度の物になるかと思います。できるだけ、身の回りの世話だけにしておいてください。そうですね、4、50名程度と言うのが目安でしょうか」  身の回りの世話だけなのに、50名もの人員を連れて行くと言うのだ。さすがは皇族と、ハルバートは娘を後宮に入れる意味を再度確認した。 「でしたら、オデッセアも船を出した方が宜しいのでは?」  ちょうど自分の乗ってきた船が衛星軌道で停泊しているのだ。手配のことを考えれば、好都合に違いない。そしてアリアシアも、それならばとハルバートの提案を認めた。 「宜しければ、クレスティノス三等子爵達も同乗させてくださいませ。おそらくティアマト家は、船の準備が間に合わないと思いますので」 「確かに、必要な手配に違いありません」  ふんと気張ったハルバートは、立ち上がって右手を胸にあてた。そしてアリアシアに向かって、腰を折って頭を下げた。 「我が娘へのご高配、心より感謝いたします」 「私達にとっても必要な手配をした。そうご理解いただければ結構ですよ」  宇宙を飛び回っているアズライトに比べて、自分の方が治世に対しての知識を持っている。ヨシヒコの寵愛を受けるためにも、自分が役に立つのを示す必要があるとアリアシアは考えていた。そのあたり、「恋愛」なるものをしたアズライトとは立場が違っていたのだ。  それを理解しているからこそ、アリアシアは自分のために、様々な差配を考えたのだった。  前に来た時よりまともになったと言うのが、4人を見たヨシヒコの感想だった。ただ一人シオリと言う例外はいたのだが、そちらの問題も分かっているので、特に気にすることは無いと思っていた。ただシオリに関して言うのなら、このまま連れて行って大丈夫かと言うことが気になっていた。役に立たない状態で連れて行くのは、本人を含め誰のためにもならなかったのだ。 「お前たちのやる気は理解した。後は、そのやる気に相応しい見識を見せてくれればいい」  庶民のくせに偉そうにしたヨシヒコは、集まった侯爵、伯爵、子爵達の顔を見た。そして本来なら末席となる三等子爵の顔を見て、「特命だ」と重大な役目を申し付けた。 「クレスティノス三等子爵に命じる。テラノでは、俺の影武者を務めてくれ」 「具体的に、何をすれば宜しいのでしょうか?」  頭を下げたカニエは、影武者の任務について確認した。一言影武者と言っても、果たす役割が多岐に及んでいたのだ。  その質問に、ヨシヒコはにやりと口元を歪めた。 「なに、大したことを求めるわけではない。時々俺が消えるので、その間俺の代わりを務めてくれればいいだけだ。ジェノダイト様やアセイリアには知らせておくので、特に問題になることは無いだろう」 「なぜ消えるのかを伺うのは、出過ぎた真似でしょうか?」  次期皇帝自ら影武者になれと命じたのだから、理由を尋ねるのは問題の多い行動に違いない。それでも理由を尋ねたカニエに、やはりましになったなとヨシヒコは納得をした。 「有り体に言うのなら、友人達に会うためだ。どのタイミングで聖下が発表されるかによるが、俺のことが発表されれば公式行事でがんじがらめになるからな。その対策だと思ってくれればいい。なぁに、ほんの数時間程度我慢してくれればいいだけだ」  そのためだけに影武者になるのかと言う気持ちもあったが、それでも理由自体は納得のできる物だった。あまりにも大きな変化に、周りも含めて付いて行けない可能性があったのだ。その混乱を避けるためと考えれば、影武者を立てるのも必要なことに違いない。何しろ今度の訪問では、自分達は脇役でしかなかったのだ。 「畏まりました。ただ、必要な情報の共有だけはお願いいたします」  入れ替わった前後で矛盾を生じても困ってしまう。そのための手配を口にしたカニエに、任せるとヨシヒコは告げた。 「アバター経由で良いのだな?」 「それが、この場合一番無理のない方法でしょう」  カニエの言葉に、ヨシヒコは小さくうんと頷いた。これで、影武者の手配も終わったことになる。後は、グリゴンに向けて出発するだけとなっていた。 「ところで、お前たちの足はどうする?」  そこでヴィルヘルミナを見たのは、正しく4人の関係を理解しているからに他ならない。個人用クルーザーを持っているのは、公爵家からとなっていたのだ。 「申し訳ありません。明日となると、船の準備が間に合いません。ティアマトからだと、もう1日の猶予が必要となります」  そう言って頭を下げたヴィルヘルミナに、ヨシヒコは「許す」と告げた。 「そうなると、誰かの船に便乗していくことになるな。今回俺達は、3隻船を用意することにした。俺は、アンハイドライト様の特権を引き継ぐので、アルタイル号で出発することになる。アズライトとアリアシアは先に返すので、それぞれキグナス号とアルビレオ号を使うことになる。お前たちは、どの船に乗って行きたい?」 「どの、と申されても……」  いずれの船も、皇族専用船とされていたのだ。どれが良いと希望を言うのは、明らかに図々しいお願いに思えてしまった。 「希望が無ければ、アズライトの船に乗って行くことになるのだが……いや、まあいいか」  そこで何かを考え、何か言うのを思いとどまったように聞こえていた。それが何か気になったが、問いただすのは不遜なことに違いない。そのせいで黙ったカニエ達なのだが、そこにはアズライトとアンハイドライトも同席していた。 「ヨシヒコ、私には何か言いかけて思いとどまったように思えるのですが?」  それが、自分の船に関わるように聞こえるのだから、アズライトが気にするのも自然な成り行きである。 「いや、なに、男と女を分けた方が良いのかと思ったのだが……余計なお世話になりそうだと考えなおしたのだ」 「確かに、それは余計なお世話でしょうね」  いつの間にか、アイオリアとカスピまでくっついてくれたのだ。それを考えると、確かに余計なお世話に違いない。ヨシヒコの言葉を認めたアズライトは、カニエ達に「準備を行いなさい」と命じた。爵位を持つ者として、恥ずかしくない準備をしておけと言うのである。 「アズライト様、何名ほど連れて行ってよろしいでしょうか?」  自分の一番随行員が一番多くなりそうかと、ヴィルヘルミナは定員を確認しようとした。ただそれは、相手を考えれば無謀なことに違いなかった。 「そうですね、身の回りの世話だけでいいですから、せいぜい4、50人と言う所でしょうか?」  自分の常識で答えたアズライトに、ヴィルヘルミナは目元を少し引き攣らせた。アズライトの出した制限いっぱいを連れて行くとなると、仮の館で働く者全員でも不足していたのだ。  一方一番使用人の少ないカニエは、世界が違うのだと悟りの境地に達していた。カニエの場合、全員連れて行っても2人にしかならなかったのだ。そしてその2人を連れて行くと、屋敷の管理もままならなくなってしまう。 「そうなると、私は一人と言うことになります……いまだ、二人しか雇っておりませんので」  さすがに恥ずかしいと思ったのか、カニエの顔はほんのり赤くなっていた。いい加減増やしてもいいはずなのだが、帰ってきてから1週間では手配のしようもなかったのだ。 「それは、ティアマト三等侯爵に任せればいいのでは?」  一人を除き、二組がカップルとして成立していたのだ。だとしたら、立場上強い方に任せればいいことだ。三等子爵と三等侯爵の組み合わせなら、その結果は論ずるまでもないことだった。  そうですよねとアズライトに見られ、ヴィルヘルミナはカニエを見てからその決めつけを肯定した。 「クレスティノス三等子爵の屋敷を改装することも考えています」  その心は、仮に確保した屋敷を引き払い、リルケに居る時はその屋敷で過ごすと言うことにある。ヴィルヘルミナの答えに、乗り越えたのだなとアズライトは二人の関係を想像した。 「では、行きは私の船に乗って行けばいいでしょう。ただし、帰りはアリアシア姉さまの船になりますからね」  自分はテラノに残ると言うアズライトに、ヨシヒコは一度顔を見てから一つ小さく息を吐き出した。 「駄目とは言わないが、それにしても程度問題だぞ。仮にも皇女が、いつまでもリルケを留守にしていていいものじゃない」 「夫となる次期皇帝が居るのですから、少しぐらい長居をしても問題ないと思います」  正論をさらなる正論で論破し、アズライトはだからとカニエ達にアリアシアと帰るのだと繰り返した。ただ途中で何かに気付いたのか、どちらでもいいかと言い直した。 「私が、ヨシヒコと一緒に帰ればいいだけのことですね。それならば、キグナス号を使うことも出来ます」 「俺のスケジュールを、勝手に決めてくれるなっ!」  少し厳しい口調でアズライトを叱ったヨシヒコは、帰り方についてはカニエ達に任せることにした。それなりに滞在期間があるのだから、ティアマト家のクルーザーを使うことも可能なのだ。そのための手続きも、さほど難しいことではなくなっていた。 「明日は、昼には出発することになるな」  ぐるりと4人の顔を見たヨシヒコは、準備ができているのか確認した。事前に同行することは決まっていたのだから、それぐらい出来ているだろうと言うのである。 「そのあたりは、ほぼと言う所です」  身軽なカニエに代わり、一番準備の多そうなヴィルヘルミナがヨシヒコに答えた。その答えに小さく頷き、ヨシヒコは会見の終わりを全員に告げた。 「明日は、指定の時間に迎えを寄越すからな。それまでゆっくりと準備をしてくれ」  そう言うことだと言い残し、ヨシヒコはさっさと奥へと消えて行った。すぐにアンハイドライトも続いたので、今回もまたアズライトが残されることになった。前回との違いは、シオリ一人が悲壮感を漂わせて座っていることだろう。  今日は何かあるのかと言う予想に反し、アズライトはシオリに対して何も口にしなかった。まるでそこにいないかのような態度をとり、カニエとヴィルヘルミナ、そしてアイオリアとカスピの顔を交互に見比べた。 「それぞれ、もう一つの目的も達したようですね」  そこで小さく笑ったアズライトは、報告を待っていると4人をからかった。できたのは見ればわかるが、公式の立場となると面倒なことが多くなる。それが終わったところで報告しろと、4人に対して要求をしたと言うことだ。 「そのためにも、今回のテラノ訪問が大きな意味を持ってきます」  手続きを進めるためには、すべて入念な下準備が必要となる。そのために、次期皇帝一行に同行するのを利用すると言うのである。  それを口にしたカニエに、アズライトは少し口元を緩めると、軽口とも取れる言葉を口にした。 「私の口添えが必要であれば、それぐらいの労は惜しみませんよ」 「おそらく、今のお言葉だけで十分かと」  畏まって頭を下げたカニエ達に、大したことではないとアズライトはもう一度笑った。そして何かを思い出したように、ぱんと手を叩いて見せた。 「そう言えば、セントリア三等侯爵のことはどういたしましょうね? 私は、双方等しく扱うと宣言してしまいました」  皇女の立場で口にしたことだから、それなりの責任も伴ってくる。約束を反故にするのは難しくないが、それなりの口実と言うのも必要なのは確かだった。  そんなアズライトに、簡単なことだとカニエは答えた。 「アズライト様は、夫君の決定に従っただけのことです。そして夫君は、セントリア三等侯爵を斟酌する理由がありません」  それを理由にすれば、約束を破ったことにもならないと言うのだ。その答えに、アズライトは小さく頷いた。 「確かに、あなた達を取り立てると言ったのは夫でしたね」  それならば問題ないと、アズライトはドードリー達のことを頭の中から消し去った。 「でしたら、あまり引き止めてもいけませんね。夫もゆっくりと言いましたが、時間に間に合えば何をしていても構いません。ただグリゴンやテラノを見ると言うのは、非常に貴重な経験となるはずです。十分な準備をして臨んでください」 「はい、取り立てていただいた意味を忘れないように致します」  カニエに合わせて、シオリ以外の3人が立ち上がった。それに気づいたカニエだったが、「捨てておきなさい」と言われて声をかけそびれてしまった。 「野暮なことを言うつもりはありません。明日、また会いましょう」  カニエ達に笑みを向けたアズライトは、すぐにその表情を天災と言われた皇女の顔に変えた。 「オデッセア三等侯爵。あなたはここに残りなさい!」  自分達相手とは違う態度に、何をしでかしたのかとカニエ達は心配をした。だがさっさと帰れと追い立てられ、それを確かめることもできなくなってしまった。後ろ髪を引かれる思いで出て行ったカニエ達を見送ったアズライトは、シオリに向かって冷たい声でそのまま待つようにと命じた。 「すぐに、誰かが迎えに来るでしょう」  そう言い残し、アズライトはさっさと部屋を出て行ってしまった。そこに残されたのは、今にも倒れそうな顔をしたシオリだけだった。  自分以外に誰も居なくなったせいで、部屋の中を完全な静寂が包んでくれた。自分の吐く息、心臓の音ぐらいしか耳に届く音はない。誰かの気配すら感じることが出来なかった。  シオリにとって、待っている時間は永遠にも感じられたものだった。何も変化のない世界に、シオリはまるで死後の世界に居るような錯覚を覚えていた。だがシオリを捕えたその世界は、唐突に終わりを迎えることになった。「シオリ」と自分の名を呼んで、自分の父親がいきなり現れたのである。ただ、その時シオリが感じたのは、安堵ではなく絶望だった。父親まで呼び出された以上、オデッセア家には厳しい処分が下されるのだと。 「……お父、さま」  のろのろと顔を上げたシオリの顔は、僅かな間にしっかりと痩せこけていた。目も落ち窪み、唇から血の気が失せていた。その表情は、まるで今際の際に居る病人のようでもあった。  そんな娘の様子に、ハルバートは叱る言葉は出てこなかった。アリアシアの言葉が正しければ、自分の娘は自爆をしただけなのだ。それを愚かと言うには、あまりにも娘は傷つきすぎていた。今父親としてしなければならないのは、傷ついた娘を抱きしめることだった。 「もう、何も心配はいらないのだぞ。父が来た以上、お前は何も気に病む必要はないのだ」 「ですが、私はとんでもないことをしでかしてしまいました」  一人ではないと言う状況に、シオリの心も少しは落ち着いたのかもしれない。ようやくまともに話せる様になった娘に、ハルバートは抱きしめたまま心配はいらないのだと繰り返した。 「ですがお父様……」  たった今、アズライトに冷たい言葉をかけられたばかりなのだ。それを考えれば、いかに父親でもどうにか出来る問題ではない。落ち着いた途端流れだした涙は、頬を伝ってハルバートの肩を濡らした。 「お前と会う前、私はアリアシア皇女殿下からお話を伺ったのだ」 「アリアシア様、から?」  それまでシオリのことをアリアシアが面倒を見ていたはずだった。だがシオリの頭の中から、アリアシアのことが綺麗に消え失せていた。それほどまでに、ヨシヒコの身分とアズライトとの関係に衝撃を受けたと言う意味にもなる。 「そうだ、アリアシア様だ。アリアシア様は、お前のことを心配されていたのだぞ?」 「なぜ、アリアシア様が?」  分からないと、抱きしめられたままシオリは首を振った。自分のしたことは万死に値するのだから、心配されるのは違うと思っていた。  そんな娘に、ハルバートは心配していただいたのだと繰り返した。そして一度抱き寄せた腕に力を込めてから、ゆっくりと体を離して娘と向かい合った。まだ顔色は悪いままだが、怯えたような所は収まっているように見えた。 「私は、お前に男をあてがうつもりで居た。コヨミに手引をさせ、その男とお前を巡りあわせるつもりだったのだ。だがその目論見は、偶然の出来事によって邪魔をされてしまった」  そこでハルバートは、なあと優しい声を娘に掛けた。 「そこで出会った男に、お前は心を奪われたのだろう?」  どうなのだと問われたシオリは、しばらく躊躇ってから小さく頷いた。 「とても可愛らしくて、とても聡明なお方でした。ですが、それも当たり前の事だったのです……」  娘の答えに、「分かっている」とハルバートは唇をしっかり結んで頷いた。 「何の予備知識もなくそのような殿方に出会ってしまったのだ。お前が虜になるのも不思議なことではないのだろう。ただ、普通に添い遂げることを望めないお相手だったと言うだけのことだ」  分かるなと尋ねられ、シオリはコクリと頷いた。 「だが、お前の思いを叶える方法は存在する。そしてそれを、私はアリアシア様から教えられた」 「私の思いを叶える……でしょうか。ですが、それはとても恐れ多いことだと思います」  相手がただの庶民ならば、問題はオデッセア家だけで収まっていただろう。だが相手が次の皇帝となると、自分のしでかしたことが問題となる。それは、単に思いを叶えるなどと言う話ではないと思っていた。 「確かに、次の皇帝聖下だと考えれば恐れ多いことだろうな」  娘の言葉を認めたハルバートは、ただと言って言葉を続けた。 「それでも、お前になら許される方法がある。違うな、オデッセア家が許されるためには、お前にできることは一つしかないと言えるだろう」 「お父様。私は何をすれば宜しいのでしょう。家のために自害せよと言うのであれば、この生命、見事役に立てる所存です」  覚悟を示した娘に、良い覚悟だとハルバートは褒めた。 「ならば父から命じよう。これからアリアシア様が手引をなさってくれる。お前は身を清め、手引に従いヨシヒコ様の寝所でお待ちしろ」 「……お父様?」  にわかには理解できなかったのか、シオリは目をぱちぱちと瞬かせた。そんなシオリに、「夜伽をしろ」とハルバートは言い直した。 「夜伽……」  それは何かと口にしようとしたところで、シオリはようやくその意味に辿り着いた。 「そんなことが……」 「アリアシア様は、必要なことだと仰ってくださった」  娘の両肩に手をおき、ハルバートは正面からじっとその顔を見た。 「それでも駄目なら、潔く諦めようではないか。私が責任を取れば、オデッセア家が取り潰されることもあるまい。だからお前は、家を気にせず思いを遂げてくればいいのだ」 「そんな、恐れ多い……」  まだ心の決まらないシオリだったが、真剣な父親の顔にそれ以上の抗弁を諦めた。元はと言えば、自分の蒔いた種だったのだ。それを普段は厳しい父が、こうして自分のために無理をしてくれた。その気持を考えれば、出来ないなどとは言ってはいられない。 「ですが、こんな私で宜しいのでしょうか? 私は野暮ったく、そしていまは目も落ち窪んでいます」 「ならば、何をすればいいのか自明ではないのか? なに、それもアリアシア様が手引をなさってくださる」  だから心配いらないと、ハルバートはシオリに断言した。もう一人の皇女の協力が得られるのなら、今より悪くなることは考えられなかったのだ。それに言っては悪いが、どこまで行っても男女の間のことなのだ。冷静になってみれば、騒ぎ立てるほどのことでもないはずだ。 「初めから裸でシーツに包まっておくというのも良いものだぞ」  まるで経験があるかのように、ハルバートは娘に冒険を勧めたのだった。  なにか、自分が誤解されているような気がしてならない。ヨシヒコは、夕食の場でアンハイドライト達に愚痴をこぼしていた。ここ数日、アリアシアのことを含めて、どうにも酷い誤解と決めつけをされている気がしてならなかったのだ。 「誤解ですか。心当たりが無いとは言いませんが、具体的に言っていただかないと分からないのですが?」  普段と変わり映えのしない食事をとりながら、アンハイドライトはヨシヒコの言葉に含まれるあいまいな部分を指摘した。  その食事の場で対照的だったのは、アリアシアとアズライトの表情だろうか。楽しそうにするアリアシアに対して、アズライトはどこか不機嫌そうに見えていた。 「何か、俺は傍若無人なように見られてないか?」 「傍若無人ですか……皇帝となるのですから、別に不思議なことではないかと」  その程度だと言い切ったアンハイドライトに、「いや」と言ってヨシヒコはその決めつけを否定した。 「俺は、そう言ったタイプではないと言いたいのだ。それに、俺はまだ庶民の身分を抜けていないのだぞ。それなのに、あまりにも恐れられすぎだと思うのだがな」  自分の前に出た途端、クレスタ学校の4人は借りてきた猫より酷くなっていたのだ。それを持ち出したヨシヒコに、アンハイドライトは「仕方がない」と切り捨てた。 「庶民であるかどうかに関わらず、過去これほどまでに聖下と敵対し、生き残ってきた者はいませんからね。しかも君の場合、ただ生き残ってきただけでなく、次の皇帝に指名されるほど認められてしまった。その上天災と言われたアズライトを孕ませたのだから、誰もただの庶民とは思ってはくれないのだよ」  言い換えれば、自業自得と言うことになる。それを主張したアンハイドライトに、なるほどと吐き出しヨシヒコは小さくため息を吐いた。 「状況からすれば、確かに言う通りなのだろうな……ただ問題は、現実との間に乖離があることだ」 「現実と言うより、君の意識との間と言った方が良いのではないのかな?」  細かな間違いを指摘され、ヨシヒコはもう一度ため息を吐いた。 「なにか、そう仕向けられているような気がしてならないのだがな。誰か、必要以上に俺の権威を高めようとしていないか?」 「多分、それは被害妄想に類することだと思うのだけどね。必要以上も何も、君はほぼ最高の権威を手に入れたんだよ」  それでと、アンハイドライトはヨシヒコに先を促した。疑問を感じているのなら、早めに潰しておくべきだと考えていたのだ。 「別に、これは誤解のことを言っている訳じゃないのだが……」  そう言って、ヨシヒコは隣に座るアズライトの顔を見た。どう言う訳か、食事が始まってからずっと機嫌が悪そうに見えていたのだ。 「アズライトが、妙に機嫌が悪いように思えるのだが?」 「別に、私は普段通りですよ」  そこでニコリと笑ってくれたのだが、ヨシヒコは目元が微妙に引き攣っているのに気付いてしまった。もしかして、子供を出したことを理由にお預けしているのが原因なのか。こらえ性が無いのに強硬手段に出ないことが、むしろ意外に思えていた。 「……ならばいいのだが」  どうも1対3、しかも普段の生活のこととなると、自分の旗色が悪くなってくれる。やりにくいなと内心零したヨシヒコは、少し真面目な話をすることにした。 「これからのことだが、姿の見えてこないバルゴール、クラビノビア、チェンバレンが気になっている。特に先代皇妃の実家、バルゴールがどう動いてくるのかを注視している」  ヨシヒコの出した名前に、アズライトはうんと考えた。 「お婆様の実家ですか……」 「唯一、今の皇帝に物を言える立場にあると思っているからな」  あるのではなく、あると思っていると言うのがヨシヒコの考えだった。そしてそれを、アンハイドライトが肯定した。 「確かに、先代当主ダイオネアはお婆様の兄ですからね。即位前には、何かと父上に小言を言われていたと聞いています。それにバルゴールは、軍事的には帝国に次ぐ強者でもありますね。ザイゲルも、帝国のルールでは喧嘩を仕掛けることは無いでしょう」  アンハイドライトの説明に、さらにアリアシアが説明を加えた。 「そう言えば、次期当主の嫁に来ないかと言われたことがあったような……」  血の近さは気になるが、6親等も離れていれば特に問題となることは無いのだろう。だがヨシヒコにしてみれば、突っ込みどころ満載のアリアシアの言葉だった。 「おい、貰い手が無いと言う話ではなかったのか?」  その話を、アンハイドライトのいる場所で教えられたはずだ。それなのに、一等侯爵家から縁談の話があったと言うのだ。ヨシヒコでなくとも、おかしいと言いたくなるのも不思議ではないだろう。 「妥協できる相手が誰もいなかったと言うことです。いくら再従兄弟と言われても……」  ねえと顔を見られ、アンハイドライトは苦笑を返し、アズライトはしっかりと同意をしてくれた。どうやら、メリディアニ家の跡取りは、あまり評判が宜しくないようだ。 「さすがに、お姉さまに嫁げとは言えない相手だと思います」 「そこまで言われるほどなのか?」  仮にも再従兄弟なのだから、もう少し遠慮があってもいいのではないか。会ったこともない相手に同情したヨシヒコに、アズライトはそのものズバリ「会ったことが無いから言えるのです」と言い返してくれた。 「まあ、だから父上も勧めてこなかったのだろうね」  アンハイドライトにまで肯定されると、それだけ酷いと言う意味になるのだろう。そこまでなのかと呆れたヨシヒコは、話がわき道にそれたと軌道修正を図った。 「軍事的地位については、確かに言われた通りだろう。しかも近くにあるチェンバレン、フェルゴーと同盟に似た関係を結んでいるな。3つの星系を合わせると、保有する艦艇数は5万を超える……か」 「確かに軍事的に強大ではあるが、それでも帝国には及ばないのだよ。そしてバルゴールからは、テラノはとても遠いからね。ちょっかいを掛けられることもないと思うのだが?」  何を気にしているのか分からないこともあり、アンハイドライトは事実を並べ立てることにした。 「なに、事実を確認したまでのことだ。混乱の火種がどこにあるのかを考えた時、ザイゲルとバルゴールがその候補になっただけだ」  日常のことはやり込めることはできるが、こうした分析はヨシヒコの方が一歩も二歩も先に進んでいた。さすがは皇帝の器だと認めたアンハイドライトは、どうするのだとヨシヒコの考えを質した。 「それを尋ねるのは、立場として出過ぎた真似だと言う気もするがな。まあ、即位前だから固いことを言うのは止めておくか」  お茶を啜ったヨシヒコは、ナプキンで口元を拭った。 「俺が皇帝になる、もしくはその候補になると公布された時、どう言った勢力が騒ぎ出すのかを考えたのだ。それぞれの立場で有力なのが、ザイケルの一部とバルゴールと言うことだ。ザイゲルの方では、俺が皇帝側に取り込まれたことを不満に思う奴らが暴れるだろう。そしてバルゴールは、皇帝の譲歩が気に入らないことが理由だろう。まあザイゲルの方は、グリゴンに適当なのが居るから、そいつに抑え込ませることにする。言ってみれば、俺の片腕になる資格試験のようなものだな。そしてバルゴールは、どう言う動きをしてくるかによるな。最悪、力づくで従えることもあり得るだろう」 「力づくと言うがね……」  大きな混乱を求めないと言うのが、ヨシヒコの方針だったはずだ。そして皇帝の前で、混乱が必要なのは無能の証拠だと啖呵を切ってくれたはずなのだ。それなのに、同じ口から「力づく」と言う言葉を聞かされてしまった。どこかおかしくないかと感じるのは、別に不思議なことではないのだろう。 「確か父上の前で、流れを加速し穏便な物にすると啖呵を切ったのではないかな?」  具体的に指摘してきたアンハイドライトに、「穏便だが?」とヨシヒコは疑問で返した。 「ただ、ちょっとだけ脅しをかける程度だと思っているのだが。それに俺は、大勢の人が死ぬことを前提にはしていない。勝てないと分からせれば、後は大人しくなってくれるだろう。まあ、俺が皇帝に相応しいことを示すと言う意味にもなるのだが……最後のは、嵌められたと言う気持ちは今でもあるがな」  しっかりしろと尻を叩きに行ったら、なぜか責任を押し付けられてしまった。示された選択肢の中で、もっとも刺激的な結果を選んでくれたのだ。そのあたり、ただでは転ばないアルハザーの本領発揮と言うところか。 「アズライトとのことを認めさせるだけにしておけば良かった……」  やはり運が悪いと嘆くヨシヒコに、いやいやとアンハイドライトは大仰に首を振った。 「この上アリアシアまで自由にできるのだよ。私には、運がいいとしか思えないのだがね」 「俺は、アズライトだけいてくれれば良かったのだがな」  それ以上のことなど望んでいないし、考えてもいなかった。正直に気持ちを口にしたはずのヨシヒコに、なぜかアズライトは少しも優しくなかった。 「でしたら、キャンベルやシルフィールのことはどうなのですか?」 「キャンベルさんは、お前に再会する前の話だろう。それに彼女はもう、アンハイドライトの婚約者だ。シルフィールは、まあ、確かにそんなことはあったな」  キャンベルのことは、いくらでも理由を付けることができただろう。だがシルフィールのことになると、さすがに言い訳にも苦しくなってしまう。答えを濁したヨシヒコに、まったくと言ってアズライトは小さく息を吐き出した。 「本当に、女の敵そのものですね。特にその見た目で罠を張るあたり、とてもたちが悪いと思います」 「俺は、罠を張っているつもりはないのだが……」  アズライトの言葉を聞いていると、自分がとても酷い男に聞こえてきてしまう。さすがにそれはないだろうと主張したヨシヒコに、アンハイドライトが「そうだろうか」と疑問を挟んできた。 「直近では、オデッセア家ご令嬢と言う例もあったと思うのだがね?」 「あれは、俺が悪いのか?」  勘弁してくれと零すヨシヒコに、自覚がないのがなおさら悪いと3人に責められてしまった。 「兎に角、君の口から運が悪いなどと聞きたくないのだがね」 「お父様に狙われて、生き残れたことこそ幸運だと思いますよ」 「この状況でも、そんなことが言えるのですか?」  皇族を前に、偉そうにしても罰せられないのだ。ただの庶民がその立場を得たのは、実力以上に運がものを言っているのだろう。それを持ち出されると、さすがのヨシヒコも反論に困ってしまう。言えたとしても、ニッポンの諺を持ち出す程度だった。 「君の不見識を責めるのはここまでにして、いざと言う場合どうやってバルゴールを脅すのかな? 分かっているとは思うが、今の権限では帝国軍を動かすことはできないからね。力づくとは言うけれど、君に使える力はほとんどないと思うのだが?」  バルゴールは、近傍のH種と組んで強大な軍事力を保有している。だからこそ、ザイゲルに襲われることなく存続できたと言えるだろう。そして当人たちも、その力を自覚しているはずなのだ。帝国軍を動かせなければ、力づくで従えるのは不可能に等しい話だった。 「そのあたりは、一応プランぐらいはあるのだがな。まだ煮詰まっていないので、おいおい煮詰めていくつもりだ。やり方さえ間違えなければ、軍事力の差は覆せると思っている」 「あなたがそう言うのなら、きっとそうなのでしょうね」  ヨシヒコを甘く見た結果がどうなったのか。それを考えれば、黙ってお手並みを拝見と言うことになる。特に痛い目に遭ったアズライトだからこそ、ヨシヒコに対する評価は高かった。自分の力に自信があるほど、罠に陥りやすいのは嫌と言うほど思い知らされたのだ。それは、痛い目に遭ったグリゴンが一番理解しているだろう。 「バルゴールの方は、準備を進めておくが、ひとまず相手の出方を待つことにする。ドワーブ様には、一応相談はしておくがな」 「グリゴンを利用すると言うのかい?」  驚くアンハイドライトに、どこかおかしいかと逆にヨシヒコは聞き返した。 「相手がバルゴールならば、喜んで手を貸してくれるのではないのか? それから先に言っておくが、シレナにも声を掛けるつもりだ。そのあたりの動きは、アセイリアにやらせるがな」  そうすれば、帝国の軍事力を使わなくても対処が可能となる。分かりやすい答えには違いないが、だからと言って問題が無いわけではない。そしてアンハイドライトは、個人的問題を持ち出した。 「そうやって、私と彼女の時間を邪魔するのかな?」 「結婚するまでは、アセイリアはテラノの要人だからな。テラノのために働かせて、どこが悪いと言うのだ? 言わせてもらえば、俺もテラノの住人なのだからな」  そう言い返したヨシヒコは、それともと言ってアンハイドライトに脅しを掛けた。 「アセイリアを、俺の後宮に入れてもいいのだぞ?」  各H種の星系から後宮に入る女性を受け入れると言うのなら、アセイリアこそ第一候補に挙げられてもおかしくない。それを指摘したヨシヒコに、アンハイドライトはあっさりと白旗を上げた。 「仕方がない。結婚までは、目をつぶることにしよう。ただ、私達のために骨を折って貰うからね」  手伝えと主張するアンハイドライトに、ヨシヒコはとても素朴な疑問を呈した。 「手伝うのは吝かではないのだが、具体的に何を手伝えばいいのだ? キャンベルさんが幸せになるのなら、それなりの骨を折るつもりはあるんだぞ」  それでと聞き返されたアンハイドライトは、それはと言いかけて言葉に詰まってしまった。改めて問われてみると、さほど手伝ってもらうことが無いことに気が付いたのだ。 「できるだけ、私達の時間を邪魔しない……作って貰うことぐらいか」  従って妥当な要求に落ち着いたのだが、それはヨシヒコにとって筋違いのお願いでもあった。 「それは、俺ではなく統合司令本部の奴らに頼むべきことだな。俺の立場は、頼まれれば手伝う程度でしかないのだぞ。俺は、アセイリアで有ってはいけないのだからな」  引き継いでからの時間を考えれば、ヨシヒコの言うことに間違いはないのだろう。それを認めたアンハイドライトは、邪魔をしない程度だと要求水準を引き下げた。 「ところで、バルゴールはどう動くと考えているんだい?」  備えを考えるのはおかしくないが、そもそもバルゴールがどう絡んでくるのか。そしてなぜ障害となると考えたのか、アンハイドライトはヨシヒコの考え方を質した。 「バルゴールだけなら、大きな話にはならないと思うのだがな。そこに聖下やその両親が絡んでくると、とたんに話がきな臭くなると思っている。何しろ今の皇族は、性悪で問題児というのが帝国の共通認識なのだろう?」 「恐らく、君はそれ以上の悪名を得ることになると思うのだがね。確かに、君の言うことは間違っていないよ。なるほど爺様と婆様か……」  少し遠くを見たアンハイドライトは、小さくため息を吐いてからヨシヒコの顔を見た。 「指摘されてみれば、確かに火を付けて回ってくれそうな気がするよ」  そこで顔を見られたアズライトは、小さく頷き同じように息を吐いた。 「特にお祖母様が問題ですね。父様の決定を、困ったことになったと実家に告げ口に行きそうです」 「間違いなく、そうやって火を点けてくれるでしょうね」  アズライトの言葉を、アリアシアも力強く肯定してくれた。孫の3人の口から肯定の言葉しか出ない所を見ると、それだけ前皇帝とその皇妃も問題が多かったと言うことだろう。 「もっとも、ダイオネアと言う人がそこまで単純だとは思っていない。そして今の当主、キャスバルと言う人も思慮深いと言う評判が立つほどの人だ。否定から入るのではなく、何が起きるのか、それを冷静に判断してくると考えているのだが……」 「だとしたら、何も問題がないように思えるのだが?」  冷静に判断してもらえば、現皇帝の判断が間違っていないことに気づいてくれるだろう。そう考えれば、悪い話は無いように思えるのだ。だがアンハイドライトの疑問に、元皇妃の兄だぞとヨシヒコは不本意な決め付けをしてくれた。 「妹だけが、性格が捻くれていると考えるのは無理がある」 「それは、間接的に私の悪口を言っているのかな?」  ヨシヒコの挙げた理由を考えれば、アンハイドライトの抗議も正当なものとなってくれる。そして養子に出されたことからも分かる通り、アンハイドライトは皇帝になるには不足していると判断された身なのだ。性格が捻くれていると言われるのは、確かに謂れ無き非難に違いない。 「それは、あくまで相対的な問題だな。弟妹と比較するから、性格がいいと思われていただけのことだ。そうでなければ、アリアシアを手引きするような真似はしないはずだ」 「その辺り、強く否定したいところなのだが……今は、本筋ではないから我慢することにしよう」  ふうっと息を吐きだし、「捻くれているのだね」とヨシヒコに確認した。 「ああ、それにメリディアニ家も問題を抱えているのだろう?」 「さすが……と褒めるところなのだろうね。君が指摘する通り、メリディアニ家は後継者に大きな問題を抱えている。先ほどアリアシアが話題に出した次期当主となるキャリバーンは、違う意味で性格が宜しくないとの評判だ。そしてその弟タルキシスは、一等侯爵家の子と言う自覚に欠けて遊びまわっているという話だな。そして一人娘のリーリスは、大人しすぎて公爵家を継ぐ能力がないと言われている」  「つまり」と口にしたアンハイドライトだったが、結局そこで黙りこんでしまった。ヨシヒコの言う問題には心当たりがあったが、それが理由で何が起きるのかが分からなかったのだ。 「総括できないのなら、出来ないと初めから言ってくれ」  まったくと、息を吐き出したヨシヒコは、「利用するのだろう」と自分の考えを口にした。 「このことは、帝国にとって大きな変革になるのは間違いない。それは、テラノとグリゴンで話を進めていた以上の早さと大きさを持つものとなる。その渦中に飛び込むことで、後継者の見極めをしようと考えたのではないか。一族に問題を抱え、しかも捻くれているというのなら、それぐらいのことを考えてもおかしくはない。男二人が駄目なら、娘に優秀な婿を迎えることも考えているのだろうな」 「一等侯爵家と考えれば、それなりのスケールがあるとも言えるのですが……」  そう口にしたアズライトは、気に入らないと切って捨てた。自分達が関わっているのは、帝国全体の大きな変革なのだ。その混乱を、たかが一等侯爵家の問題解決に利用しようとする。関係のない所でやるのなら許せるが、こちらに関わってくるとなれば話は別なのだ。 「メリディアニ家を潰しますか?」  皇帝になる話は無くなっても、そこは宇宙を飛び回る天災の二つ名は健在だった。過激すぎる言葉を口にしたアズライトに、ヨシヒコは「いや」と否定の言葉を口にした。 「俺は、それすら利用しようと思っているんだ。もちろん、バルゴールが何も動かない可能性は残っている。その場合、小さないざこざを押さえ込めば、帝国は新しい姿に生まれ変わることだろう。それぐらいのことは、カニエ達や新しく引っ張ってくる奴らにやらせるつもりだ」 「あなたを見ていると、本当に庶民だったのか疑問に感じるところがあります……」  はあっと大きく息を吐き出したアズライトは、同意を求めるように兄と姉の顔を見た。そして同意を求められた二人、アンハイドライトとアリアシアは力強く頷いてみせた。 「つくづく、自分が力不足と言うことを思い知らされたよ。聖下の判断は、その意味で間違っていないと言えるだろうね」 「それでこそ、私が後宮に入る正当性ができると思います」  ねえとアリアシアに顔を見られ、アズライトはたちまち不機嫌そうな顔をした。だが姉の立場も分かるので、もう一度息を吐きだし話題を変えた。 「ヨシヒコ、寝る前に子どもたちの顔を見て行きませんか? しばらく会えないのですから、話しかけてあげてください」 「それもそうだな……場合によっては、俺が帰ってくる前に人工子宮から出すことになるのか?」  ううむと唸ったヨシヒコに、それは絶対にないとアズライトは断言した。 「その時は、攫ってでもあなたをここまで連れてきます」 「まあ、俺にとっても最初の子供だからな。ただ、すでに顔を見たから、何か感動に欠けるというのか……まあ、その時は俺の両親も連れてくることにするか」  何しろ初孫なのだから、顔を見せてあげるのが親孝行になるのに違いない。四十代で孫を持つと言うのも可哀想な気もするが、出来てしまったものは仕方がないだろう。  そうするかと自分の中で結論を付けたヨシヒコは、早速子供に会うために立ち上がった。遺伝子という意味ではカニエと言う存在も居たが、アズライトとの間で出来たとなると、また感慨も違ったものになっていた。 「じゃあ、子供達に会いに行くか……」 「早く帰ってくると約束してあげてくださいね」  立ち上がったヨシヒコにくっつく形で、アズライトは「こっち」と引っ張っていこうとした。そして一度だけ振り返ったアズライトは、アリアシアに向けて一瞬ウインクをしてみせた。色々と話しをしたのだが、一つだけしていない話があったのだ。すでに仕掛けはできているので、後はその仕掛けが発動するのを待つだけとなっていたのだ。その辺り、兄妹3人がグルになっていたのだった。 Chaper 3  先帝バルクークの訪問を受けたアルハザーは、珍しいことがあるものだと感心していた。何しろ先帝こと彼の父親は、自分に位を譲った後に一歩もノウノ宮に足を踏み入れていなかったのだ。それどころか、ロマニアにすら片手で数えられるほどしか顔を出していないはずだ。それほど避けていた場所に自分から顔を出すと言うのだから、天変地異の前触れとすら思えてしまう。 「父上がノウノ宮に足を踏み入れるのは……20年ぶりとなりますか?」  帝国において最上位となる皇帝と言えど、父親ともなれば敬意を表さなくてはいけない。自ら迎えに出たアルハザーは、珍しいことだと父屋の顔を見て口元を歪めた。ただ敬意は示していても、口が悪いことは相変わらずだった。 「老い先短いのを自覚されましたか? ひ孫の顔が見たければ、ここではなくクレスタに行っていただかないと」  年齢を皮肉った息子に、バルクークは白くなったあごひげを撫でてから、ふんと憤慨したように鼻息を吐き出した。 「相変わらず、父親に対して敬意の足りない奴だ」 「これでも、十分尊敬しているつもりなのですがね」  立ち話も宜しくないと、アルハザーは奥の客間へと父親を案内した。普段は使わない区画に作られた部屋は、他に比べて立派な装飾の施されていた。そこに案内された所で、バルクークはぐるっと辺りを見渡した。 「ところで、嫁はどうした?」  先帝が顔を出したのに、なぜ皇妃が顔を出さない。それを責めた父親に、アルハザーは苦笑交じりに妻の行き先を説明した。 「トリフェーンなら、クレスタまで孫の顔を見に行っています。あらかじめお断りしておきますが、父上を避けての行動ではありませんよ」  息子の言い訳に、バルクークはもう一度鼻から息を吐き出した。 「そんなことを言って、結局は逃げたのだろう?」 「私には、偶然としか言いようがありませんね。もともと、アズライトが出発したら行くと言っていたのです。そもそも、本日父上がお出でになるとは知りませんでしたよ」  そう答え吹き出したアルハザーは、メンツがあったようだと内情をばらした。 「性悪と言われる皇妃なので、孫の顔を見てにやけている訳にはいかないのですよ。だから、アズライトが出発したところで見に行ったと言うことです」 「そのアズライトだが」  眉間にしわを寄せたバルクークは、「どう言うつもりだ」と息子に考えを質した。 「なぜシリウス家による支配を終焉させる?」  アルハザーの発した公布は、新たな皇帝のもとにアズライトを嫁がせると言うものとなっていた。つまり、帝国の主権者たる皇帝に、別の家系が立つと宣言したのである。しかもその家が、辺境星系の庶民と言うのは誰も予想だにしていないことだった。先帝であるバルクークも、我が目と耳を疑ったほどの事だった。  それを問題とした父親に、アルハザーは少しだけ口元を歪めて見せた。 「今更、そして父上が『なぜ』と問われますか?」 「ああ、俺は守りに入った前皇帝だからな。自分が引っ掻き回すのは好きだが、他人がやるのは好まんのだ。だから、なんてことをしてくれると言ってもおかしくない立場だ」  それでと答えを迫った父親に、アルハザーは今度ははっきりと驚いた顔をした。 「すでに、ご自分で答えを仰ってるではありませんか。今さら私が付け加えるようなことはありませんよ」 「ならば質問を変えよう。なぜ、あの男なのだ?」  帝国を掻き回す主体として、バルクークはヨシヒコを選んだことを問題とした。 「まあ、言ってみれば安全装置のようなものでしょう。適度に過激で、そして適度に保守的な考えを持っていますよ。ただ相当に切れる頭と、思わず愛玩したくなる見た目と言うのも理由になっていますね」 「ほほう、愛玩したくなる……か?」  にやりと笑った父親に、アルハザーもまたいやらしく口元を歪めて答えた。 「父上も、是非直接会って見ることをお勧めしますよ。そのまま女にしても極上ですが、男であるからこそまた趣深くなっています。性格はしっかり男ですから、そのギャップもまた趣深いと言えるでしょう。実は、トリフェーンもかなり気に入っているようです。まじめに、味見ができないかを考えているぐらいです」  とんでもないことを、大した事のないように言ってくれる。ただこの親子の場合、常識など初めから持ちあわせてはいなかった。 「ならば、ひ孫の顔を見るのを口実に、シエーラを連れて会いに行ってみるか」  面白いと口元を歪めたバルクークは、「そのシエーラだが」と妻のことを持ち出した。 「どうやら、バルゴールに遊びに行ったようだ」 「ご実家にですか。確か、兄上がご存命でしたね」  メリディアニ家前当主のことを思いだした息子に、はんとバルクークは鼻で笑った。 「あいつが、ちょっとやそっとでくたばるものか。相変わらず、周りに煙たがられているようだ」  それはお互い様と言いたいところを我慢し、「それで」とアルハザーは話を引き戻すことにした。 「母上は、何をしにバルゴールまで行かれたのですかな?」 「多分、お前の考えた通りのことをしに行ったのだろう」  答えになっていないような答えなのだが、それだけでアルハザーには通じてくれたようだ。「そう言うことですか」と息を吐き、こめかみ辺りを指で揉み解した。 「やれやれ、キャスバルも大変だな。年寄二人にいじられることになるのか」  ダイオネアとシエーラの二人を思い出したアルハザーは、もう一度深くため息を吐いた。  メリディアニ家当主を同情した息子に、考えが甘いとバルクークは指摘した。 「間違いなく、ダイオネアはお前の所にも顔を出すのだぞ」  お前も同じ目に遭うと言われたアルハザーは、自分の立場を持ち出した。 「キャスバルとは違って、立場は私の方が強いですからね。鬱陶しければ、門前払いもできますよ」  皇帝である以上、周りの言葉に耳を貸さないのも難しいことではない。そう答えたアルハザーは、「しかし」と言ってにやりと口元を歪めた。 「それではおもしろくはありませんからね。可能な限りの便宜は図るつもりはありますよ」 「なるほど、便宜を図ると言うのか」  うんうんと頷いたバルクークは、良い傾向だと息子の治世を誉めた。 「落第しかけたと思っていたが、なんのなんの、随分と面白いことになりそうじゃないか。さて、ヨシヒコと言うのは、どんな世界を俺達に見せてくれるのかな?」 「最近停滞が目立ってきましたからね。かなりリフレッシュしてくれることでしょう」  それが楽しみだと笑う息子に、それだけかとバルクークは迫った。性悪な息子が、単なるリフレッシュ程度で我慢できるはずがないと確信していたのだ。 「お前の好きな、物語とやらが作られるのではないのか?」 「当然、それを期待していますよ」  何をいまさらと驚いた顔をした息子に、ならばいいのだとバルクークは許しを与えた。 「後は、シエーラがどうダイオネアを炊き付けるかに関わっているか」 「母上ならば、必ずや面白い方向に誘導してくださることでしょう」  それだからこそ、長年皇妃皇太后を務めることができたのだ。息子の決めつけに、バルクークは「必要な資質だ」と嘯いた。帝国の皇妃は、女である以上に皇帝の同士でなければならなかったのだ。それは、何時の時代にも変わることのない役割でもあった。 「それは、お前の嫁も同じなのだろう?」  そしてそれを、バルクークは息子に指摘した。 「おそらく、もっと性質が悪いかと思いますよ」  どう悪いのかは内緒だと。気を持たせる言い方をアルハザーは父親にした。その答えに満足気に頷き、バルクークは孫娘のことを持ちだした。 「ならば、アズライトはどうなのだ?」 「一度は、皇帝にしようとしたぐらいです。私は、必要な資質を持ち合わせていると信じていますよ」  その点について疑ってはいない。そう答えたアルハザーではあったが、「それでも」と対となるヨシヒコを問題とした。 「そのアズライトでも、彼を焚きつけるには不足でしょう。その辺りに不安があったのですが、アリアシアが後宮に入ることになりましたよ。二人がかりならば、うまくやれば誘導できるかもしれませんね」 「アリアシアが、か?」  もう一度驚いた父に、アルハザーは吹き出しながら「アリアシアがです」と答えた。 「アリアシアは、身の振り方に悩んでいましたからね。そこに、可愛らしい彼が現れたのです。もしもアズライトと関係がなければ、彼を夫に迎えて公爵家を作っていたことでしょう。それぐらい、彼のことを気に入ったようですよ。だから、手段を選ばず彼と既成事実を作りました。敢えてラルクを渡さなかったことが、ここで生きてきたと言う事です」 「抗う手段がなければ、皇女に敵うはずがないからな。そうか、アリアシアはその男のことを気に入ったのだな? ならば、何も問題は無いだろう。好いた男に抱かれると言うのなら、儂は何も文句はない。しかし、皇女二人に手を出すとは、中々剛毅な男だな」  なかなか凄いと褒めた父親に、これが肝心だとアルハザーはヨシヒコの見た目を持ちだした。 「先程も言いましたが、見た目はとても可愛らしいのがいいのです。トリフェーンではありませんが、私も味見をしてみたいと思っていますよ」 「お前にそこまで言わせるとは……中々興味深いな」  ふふふと口元を歪めた父親に、だから銀河は面白いとアルハザーは答えた。 「その意味でも、私は自分の決定に満足しているのですよ」 「ならば、後はシエーラに期待をすることにするか」  面白いことになりそうだ。息子の考えに、バルクークは満足そうに頷いたのだった。  リルケからおよそ400光年離れたところに、バルゴール星系は位置していた。帝国の歴史の中では、古参と言われる星系でもある。  開発の進んだ惑星上には、明確な住居区分が設けられ、整った都市計画により多くの建物が建造されていた。人間工学的に配置された各要素は、そこに地域差と言うスパイスを加えて整然と整備されていた。定規とコンパスで設計したような世界と言うのが、惑星バルゴールの居住区の姿だった。  そんな居住区から外れたところには、山や川、湖が広がっていた。ただいかにも自然の景色に見える自然にしても、人の手によって設計された人工的な存在に違いない。自然のままに見える川や湖にしても、そう見えるように作られているだけのものだった。ただ人工的と言うのは、特にバルゴールだけの特徴ではなかった。その辺り、テラノを除く他のH種の惑星にも共通した特徴でも有ったのだ。その中でバルゴールの特徴を際立たせているのは、肉眼でも見える巨大な人工の衛星群だった。  バルゴール星系の総領主には、帝国から一等侯爵が派遣されていた。今の総領主は、10年ほど前に着任したシリング・オム・バルゴール・サープラスと言う御年38歳の男性である。ただ38と言う割に老け顔なのは、明らかにバルゴール統治と言う重責が理由なのだろう。何しろ10年前に着任した時には、バルゴールで評判になったほどの色男だったのだ。 「クレオ、シエーラ皇太后殿下はどうなされているのだ?」  シリングを老けさせた最大の理由は、バルゴールにおける権力基盤の脆弱性だった。総領主と言う立場にありながら、行使できる権力が第一位では無かったのだ。ある意味お飾りの場に置かれ、実権はメリディアニ家に握られていた。そのために掛かってストレスは、シリングの体を責め苛んだのだ。  そんなシリングにとって、皇太后シエーラが何をしに実家に戻ってきたのかと言うことが最大の懸念だった。タイミングからしたら、先の皇帝による布告が影響しているのは疑いようがないだろう。そこまでは確かなのだが、問題は何を吹き込もうとしているのかと言うことだ。ろくでもないことと言う想像はできるのだが、そのレベルが想像できなかった。  主からの問いかけに、アバターのクレオは「はい」と元気よく姿を現した。だが元気が良かったのはそこまでで、質問に対しての答えは芳しいものではなかった。 「そう言う無理を聞かないでください。メリディアニ家は、厳重に情報が管理されていてモニターできません。外に出たと言う情報はありませんので、屋敷にいらっしゃることだけは確かでしょう」  それでは、全く情報が無いのと同義である。小さくため息を吐いたシリングは、ならばと別の情報を求めることにした。 「では、メリディアニ家の三兄弟はどうしている?」  間接的な情報から、皇太后の動きを探ろうと言うのである。だがそれも、無駄な努力でしかないのをすぐに知ることとなった。 「無能は相変わらず領地を荒らしまわっていますし、放蕩息子は相変わらず放蕩の限りを尽くしています。脳内お花畑は相変わらずお花畑に生きています」 「頼むクレオ、ちゃんと名前で呼んでくれないか。そうでないと、メリディアニ一等侯爵に会った時に、間違えて口走ってしまいそうだ」  アバターの論評を否定せず、ただそこから派生する問題だけをシリングは文句を言った。そんな主に、クレオは「宜しいのでは」と、とても問題の多いことを言ってくれた。 「おそらく、メリディアニ一等侯爵様も認められているかと思いますよ。ちなみにゼスからの情報ですが、屋敷では時折そう叫ばれておられると言うことです」  だから大丈夫と保証したクレオに、あのなぁとシリングは小さくため息を吐いた。 「例えそれが事実だとしてもだ。他人から言われれば、言い返せない分腹も立つのだ」  少し忌々しげに言い放ったシリングは、「変わりはないと言うことか」と状況の分析を口にした。 「噂のレベルで宜しければ多少の変化はありましたが……その、アリアシア様のことなのですが」 「アリアシア様の……メリディアニ家とは直接関係が無い気がするが?」  はてと首を傾げたシリングに、クレオは関係してくる理由を説明した。 「ゼスからの情報ですが、アリアシア様を無能の嫁にと申し出ていたそうです。ただ、申し出をしたのに、綺麗さっぱり無視をされていたようです。それでも、騒がなかったのは、最終的には輿入れと言う話になるだろうと高をくくっていたと言うことです。そのあたり、メリディアニ家の立場と、他の男たちの目がアズライト様に向いていたのが理由らしいのですが……」 「その期待が裏切られた……と言うことか。それで、アリアシア様のことが、どう影響したと言うのだ?」  少ないと言っても、求婚者は他にも存在していたのだ。そして選択権がアリアシアにある以上、希望が叶えられると言う保証はない筈だ。そして客観的に見ても、好き好んで嫁いでくる相手ではなかった。 「シリング様は、聖下の布告を受け取られたかと思います。それは、テラノの一庶民を皇帝にし、アズライト様を嫁がせると言うとんでもないものでした」 「確かにとんでもないことは認めるが……ただ、その一庶民と言う奴を認めない訳にはいかないだろう。あのアズライト様を完全に抑え込んだだけでなく、あまつさえ孕ませてくれたのだぞ。同様の試みが余所で行われた時には、2人自殺して1人が再起不能になっている。しかもアズライト様は、宇宙を飛び回る天災とまで言われたお方だ。そのアズライト様を手玉に取り、種付けしただけでも只者ではない証明となる。しかも聖下が謀殺しようとしたにも関わらず、しぶとく生き残ってくれたのだ。グリゴンとのことと合わせ、ただの庶民と考える訳にはいかないだろう。もちろん、この決定には聖下の悪癖が影響しているのは疑いようはないがな」  自分の考えを口にしたシリングは、それでとアリアシアに話を戻した。 「そのことが、アリアシア様にどう関係してくるのだ?」 「これも未確認情報なのですが……その、アリアシア様が後宮に入るとのことです」  その説明に、シリングは話が見えた気がしていた。なるほどと頷いたシリングは、そこから発生する騒動を推測することにした。 「むの、いやいやキャリバーンが荒れていると言うことか。そうなると、なぜその噂を知ったかと言うことになるのだが……そこに、皇太后殿下が登場すると言う訳だな。そして皇太后殿下の口から出れば、それは噂ではなく事実と言うことになる訳だ。なるほど、メリディアニ家は心穏やかではいられないだろうな」  そこまで考えたシリングは、次に現当主キャスバルの動きを考えることにした。 「奴の二面性のどちらが顔を出してくれるのか……瞬間湯沸かし器にならないことを願うのだが」  ううむと唸ったシリングに、彼のアバターは「忘れてはいけません」ともう一人の厄介者の名を挙げた。 「ダイオネア様が、大人しくされているとお思いですか? ダイオネア様は、聖下にまで小言を言いに行かれるようなお方ですよ」 「なるほど、まだ爺さんが生きていたな」  困ったなと、シリングは口元を右手で押さえた。 「はてさて、頑固者の爺さんが何をしでかしてくれるのか。とは言え、聖下の決定に異を唱えるにはタイミングを外しているな。だとしたら、どう言った行動をとってくれる……確か、テラノの総領主はジェノダイト様だったか……乗り込んでいく姿が目に見えるようだな」 「止められますか? 総領主が駄目と言ったら、バルゴールの者はこの星を離れることはできません」  原則を口にしたアバターに、シリングは「やめてくれ」と懇願した。 「今の状況でそれをやったら、俺は生きてこの星を出られなくなる。出国を求められたのなら、手続きに従った粛々と許可を出すことになる。向こうが言いに来ない限り、余計な詮索をしないのが長生きの秘訣だ。なぁに、いざとなったらジェノダイト様に面倒を押し付ければいいだけのことだ」 「聖下のご親友と言うお話でしたね。でしたら、責任をとっていただくのが宜しいのでしょう」  主の言葉を認めたクレオは、そろそろ昼となる時刻を気にした。 「奥様が、ランチの用意をされているようです。そろそろ、居住区に戻られた方が宜しいのでは?」 「もう、そんな時間か……」  窓の外を見ると、かなり遠くの景色まで見通すことができる。そのあたり、地上から500mほどの高さにあるのは伊達ではないと言うことだ。しかも気象管理までされているのだから、空気の透明度も問題は無かった。それでも不満があったのは、目に見えるのは面白くもなんともない景色と言うことだ。 「相変わらず、作った者のセンスが疑われる景色だな」  もう少し景色に色気があってもいいはずだ。四角四面の景色に、シリングは同じような性格の住人たちのことを考えた。 「その元締めだと思えば、むしろ異端は息子達の方か」  困ったものだと吐き出したシリングは、小さく息をついて椅子から立ち上がった。 「メリッサには、すぐに行くと伝えてくれ」 「畏まりました!」  ぴょこんと一礼をして、クレオは目の前から姿を消してくれた。そのタイミングに合わせるように、何もない執務室のから円筒形の物体がせりあがってきた。 「これを機会に、メリディアニ家の力が落ちてくれればありがたいのだが……」  何事においても、メリディアニ家は目の上のたんこぶ過ぎる存在だったのだ。いい加減力を削がないと、バルゴールの統治に影響が出かねなかった。それを考えると、新しい力にぶつけると言うのは悪い考えではないのだろう。うまく利用できないかと、シリングは今回の出来事を利用する方法を考えることにした。  メリディアニ家の本拠は、総領主府から3千キロメートル程離れた、ロセーヌと言われる地方にあった。過去帝国に加わる前に、バルゴールの首都がおかれていた場所でもある。その中央の都市部に作られた広い公園のような場所に、メリディアニ家の館が鎮座していた。  その館は、周りの近代的な建物とは対照的に、およそ3千年ほど前の建物を基調にしていた。5階建ての白亜の館は、周りを囲む広い緑地と合わせ、そこだけが別世界を作り上げているようだった。  その広い館の中、前当主ダイオネアは妹を前に何か苦いものを飲み込んだような顔をしていた。そしてダイオネアの妹であるシエーラもまた、とても深刻そうな顔をして座っていた。ただ双方70を超えているはずなのだが、まるで親子かと言いたくなるほど二人の見た目に差がついていた。ダイオネアは年相応に老けているのだが、シエーラはまるで40代前半かと思える見た目をしていた。 「アリアシア様が、手籠めにされたと言うのか」  皇帝の座を一庶民に譲ると言うのは、驚きこそすれアルハザーらしいと感じるところもあった。だから相手が庶民だからと言うことで、すぐに否定するのは危険だと考えていた。もともと情報が秘匿されたこともあり、テラノのことは噂でしか彼の耳にも届いていなかった事情もある。ただその噂と、帝国の中で起きた流れを考えれば、新しく皇帝に着くと言う一庶民に見どころがあると考えていたのである。  だからこそ、否定するにしても自分の目で確かめてからと考えていたのだ。だが妹から知らされた話は、話をした妹の立場を考えれば、軽々に扱う訳にはいかない話だった。 「いえ、そこまでは申しませんが……」  そこで口ごもったシエーラは、納得がいかないのだと兄に打ち明けた。 「アリアシアが、身の振り方に悩んでいたのは知っています。男たちの目がアズライトに向いたために、アリアシアにはほとんど求婚して来る者がおりませんでした。ですから、私はキャリバーンの所に嫁ぐものだと考えていたのです。キャリバーンは皇帝につながる血筋ですし、由緒ある一等侯爵家の跡取りでもあるのです。不満と言っても、それは贅沢と言われる物でしょう。私としても、アリアシアが実家に嫁いでくれれば安心できると思っていたんです。アリアシアを娶れば、きっとキャリバーンも心を入れ替えてくれると信じていました」  だからこそ、余計に納得がいかないのだとシエーラは訴えた。 「そもそもアリアシアは、アズライトに遠慮をしていたのですよ。そんなアリアシアが、その男に身を任す理由があろうはずがありません。それに後宮では、一生日陰の身ではありませんか。それではあの子が不憫ですし、私はアリアシアにはメリディアニ家を発展させてほしいと願っていたのに……」  よよと泣き崩れる妹に、そこまでにしておけとダイオネアは叱った。皇族をよく知るダイオネアだからこそ、逆におかしな夢を抱いていなかったのだ。そして皇女として生まれた姪孫が、まっとうな考えをしているはずがないと信じてもいた。特に皇位に関係なくなれば、好き勝手にできるのも皇族の特権なのだ。 「少なくとも、アリアシアは無理やりが通じる娘ではないだろう。むしろ、アリアシアの方から無理やりと言う方があり得る話だ。ラルクを持つ皇女に、ただの庶民が敵うはずがない」  正しく状況を分析した兄に、シエーラは見えないところで舌打ちをしていた。それでも、ただ引き下がっては性悪皇太后など務まらない。「そうは言うが」とシエーラは兄に抗弁をした。 「相手は、数年後に皇帝になるのが約束された者なのですよ。その立場を利用すれば、アリアシアを騙すのも難しくないと思います。それに、姉妹揃って手籠めにするのは無理があります。祖母として、私が納得できるはずがないではありませんか」 「必要なのは、お前が納得することではないのだがな」  まったくと溜めていた息を吐き出したダイオネアは、単刀直入に「何がしたいのだ」と切り込んできた。 「儂は、バルクークとお前が、そんな孫思いだとは思ってはおらん。メリディアニ家をけしかけ、何をさせようとしているのだ?」 「私は、実家の繁栄と孫たちの幸せを願っているだけですよ」  それを疑うのは酷いと、シエーラはハンカチで目元を拭って見せた。そのわざとらしさにため息を吐いたダイオネアは、「似合わぬことをするな」と憤慨したように言った。 「可愛い妹にそう言うことを言いますか?」 「兄を利用して遊ぼうとする奴の、一体どこが可愛いと言うのだ? お前とバルクークに、儂がどれだけ苦労させられたと思っておるのだ」  それを数え上げれば、両手両足の指を使っても足りないのは間違いない。兄妹だからこそ危ないと、ダイオネアはシエーラを警戒していた。 「ですがお兄様。メリディアニ家は今のままで良いと思われているのですか? 無能……失礼、キャリバーンは跡継ぎに相応しくないし、かと言って放蕩息子……タルキシスには自覚が足りていません。お花畑のリーリスでは、メリディアニ家を潰してしまうでしょう。アリアシアを嫁にしないと、本当にメリディアニ家は終わってしまいますよ」  遠慮のない妹の言葉に、ダイオネアは思わず答えに詰まってしまった。ただ遠慮のないことに間違いはないが、それを否定することもできなかったのだ。そして一番跡継ぎ問題で頭を痛めているのは、現当主のキャスバルとダイオネアだった。 「今のままキャリバーンが跡を継げば、抱えた軌道騎士達が反乱が起こすことになりますよ。そうでなくとも、総領主がここぞとばかりにメリディアニ家の弱体化を企ててくれるでしょう。お兄様は、それでも宜しいと仰るのですか? 私の目が黒いうちには、そのようなことを認めるわけにはいきません。だからこそ、アリアシアを嫁がせなければと思っているんです!」  どうですと迫られたダイオネアは、腕を組んだまま黙り込んでしまった。妹が不純な動機の上で行動しているにしても、指摘されたことが間違っていないのが問題だったのだ。妹の言う通り、跡取りの問題を解決しないと、メリディアニ家が滅ぶことになるだろう。  それでも気に入らないのは、妹とその配偶者、元皇帝の性癖だった。間違いなく、自分達が楽しむためにメリディアニ家を利用しようと考えているはずだ。下手に誘いに乗ろうものなら、それが理由でメリディアニ家がつぶれる可能性すらあるほどだ。だからこそ、迂闊に話に乗る訳にも行かなかった。  そこまで兄を追い詰めたシエーラは、逆に追及の手を緩めた。その辺り、追い詰めるだけではいけないと言う計算をしたからでもある。 「確かに、お兄様が私達夫婦を疑う理由もわかります。ただ、夫はすでに皇帝の座を退いております。余生を過ごしている今、私の気がかりは実家のメリディアニ家のことなのですよ。はっきり申し上げるのなら、私はお兄様とキャスバルに失望しているのです。せっかく私が皇帝に嫁いでもり立てたのに、どうして足を引っ張るような真似をしてくださるのです」  ある意味に正当な抗議に、ダイオネアはうむ「うむ」と口をへの字にした。 「とは言え、今更手遅れと言うのも理解しております。ですから、今から打てる手を提案しているのですよ。イスマリアでは、まだ幼くて嫁ぐと言う話にはなりません」  だからアリアシアなのだと、シエーラは身を乗り出して強調した。アズライトと比べれば大人しいと言われているだけで、アリアシアも十分に性悪なのだ。そのアリアシアが嫁いでくれば、キャリバーンも今までどおりではいられないと言うのだ。 「確かに、アリアシア様を嫁にと申し出てはいる。その理由は、お前が口にしたとおりなのも認めよう。だが選択権は、アリアシア様が持っているのだ。帝国に仕える一等侯爵家として、それを蔑ろにするわけにいかん」  立場上の正論を持ちだした兄に、シエーラは「甘いことを言っていてはいけません」と叱咤した。 「お家の存亡が掛かっているのですよ。アリアシアを騙してでも嫁にしなくてどうするのです!」 「どうも、お前の言うことは極端……と言うより、動機が不純に思えるのだがな」  はっきりと苦笑を浮かべたダイオネアは、分かっていると先手を打った。 「確かに、家のことを考えればお前の言うとおりなのだろう。聖下の決定に異を唱えるのは不遜な事なのだろうが、その男が皇帝に相応しいかを見極めるのは一等侯爵としての権利に違いない」 「いっその事始末をしてしまったらどうです。多分、喜ばれる方が大勢いらっしゃるのではありませんか?」 「それは、皇太后が口にしていいことではない。それに、聖下が自ら手を下したにも関わらず、しぶとく生き残った男なのだぞ。そんな男に、今更手出しができると思っているのか。それこそ、メリディアニ家の見識が問われることになる」  あり得ないと否定したダイオネアは、「手順を踏む」ことを妹に告げた。 「手順を踏むとは?」  何ですかと首を傾げた妹に、ダイオネアは「そのままの意味だ」と答えた。 「まず聖下お目通りを願うことになる。そこで、お考えを伺うのは儂の立場ならおかしなことではないだろう。そしてそのお話を伺った上で、儂はテラノに出向くことにする」 「テラノに行かれるのですか?」  面白いことになると言う気持ちを押し隠し、シエーラは驚いたような顔を作った。 「その男は、しばらくテラノに戻っておるのだろう。それにテラノに行けば、ジェノダイトの坊主も総領主でいるからな。アルハザーのことなら、ジェノダイトに話を聞くのも良いだろう」  確かにと頷いたシエーラは、それだけでは面白く無いと騒ぎの種を連れて行くことを提案した。 「でしたら、キャリバーンとタルキシスも連れて行ってはどうです? 帝国全土を包んだ新しい動きの中心となる地です。そこで何かが掴めればよし、何も感じないようなら家から放逐してやればいいのです。リーリスはお花畑に生きていますが、しっかりした者を夫に迎えればメリディアニ家も安泰でしょう」  孫の二人に期待できない以上、それもひとつの手には違いない。浮世離れをした考えをしているリーリスなのだが、一部に瑕疵があるとはいえ、見た目だけなら美女で通る顔立ちをしていたのだ。一等侯爵の立場とお飾りとなる妻。それを考えれば、優秀な男を釣る餌としては悪くはないはずだ。  ただ問題があるとすれば、メリディアニ家を任せられるような男が居るのかと言うことだ。そのあたり制度疲労が原因とも言えるのだが、跡継ぎに苦労しているのはメリディアニ家だけの問題ではなかったのだ。跡継ぎに苦労するぐらいなのだから、婿養子に優秀な男児を出せるとは思えない。その意味で、皇帝の判断をダイオネアは認めてもいたのだ。 「問題は、優秀な男なのだが……」  思わず口に出た言葉に、妹はすかさず反応してくれた。 「ハードルを上げるのは好ましくありませんよ。最初にするのは、キャリバーンやタルキシスとの比較であるのを忘れないように」  自分の理想を押し付けることで、結局最悪の選択をすることになりかねない。妹の指摘に、ダイオネアは再び考え込んでしまったのだ。  妹に扇動された訳ではないと、リルケに向かったダイオネアは自己弁護をしていた。家督相続についての不安は、指摘される前から分かっていたことだったのだ。そしてダイオネア自身、ふがいない孫たちに不満も感じていたのである。何よりアズライトの肝いりで始まった勉強会に、孫たちは感心すら示さなかったのだ。  さらにダイオネアが不満に感じたのは、無関心なのが自分の孫たちだけではなかったことだ。他の星系からは参加者が居るのに、バルゴールの若者は誰一人として手を挙げようとはしなかった。H種の中では、いちばん重要な位置に居る。その驕りが、新たしい流れを感じ取ることを拒んだのだろう。 「伯父上、久しぶりですな。見ないうちに、かなり老けられましたか」  一等侯爵家にして伯父ともなれば、余程忙しくない限り面会を断るようなことはしない。それに、相手は騒ぎの種を運んできてくれたのだ。こんな面白いことに付き合わないのは、皇帝としてあってはならないことだった。だから前皇帝とは顔を合せなかった皇妃トリフェーンも、この日のためにとクレスタから帰ってきていた。 「皇帝聖下、そして皇妃殿下にはご機嫌が宜しいようで。まことに重畳かと存じます」  現皇帝と前一等侯爵では、端から立つ位置が違いすぎている。遜って頭を下げたダイオネアに、アルハザーは苦笑にも似た笑みを浮かべた。 「せっかく伯父上が遠路お出でくださったのだ。もう少し楽な雰囲気にしたいのだがね」  楽にと言うアルハザーに、ダイオネアは「失礼」と一度頭を下げた。 「では、お言葉に甘えさせていただきます」  顔を上げたダイオネアの表情は、楽にと言う割には気難しさを発散させていた。 「それで伯父上、今日はどのような用向きなのですか?」  一方アルハザーは、至ってリラックスをしていた。顔には、うっすらと笑みすら浮かんでいるぐらいだ。そんなアルハザーに、実はとダイオネアは切り出した。 「先日発せられた布告のことと言えばご理解いただけるだろう。なぜあのような布告を出されたのか、その真意を教えてはいただけないでしょうか?」  抗議ではなく教えを乞うと言う態度に、ふむとアルハザーは一転真面目な顔をした。 「私が必要だと考えた。本来なら、それ以上の説明は必要ないのですが……」  その答えは、常々アルハザーが口にしている物でもあった。そしてそれを口にされた以上、それ以上質問できないと言う伝家の宝刀とも言える答えでもある。そしてダイオネアも、それ以上の説明はない物だと理解した。だがダイオネアが口を開く前に、「ただ」とアルハザーは例外もあると口にした。 「例外ですか?」  それはと聞き返したダイオネアに、アルハザーは今回のことだとあっさりと告げた。 「伯父上は、テラノとグリゴンで始まった動き。それをどうお考えですか?」  そして答えを口にする代わりに、ダイオネアの見識を問うてくれた。 「どうと問われるか?」 「是非とも、忌憚のない意見を聞かせてもらいたいと思っているよ」  それでと答えを促したアルハザーに、ダイオネアは押し黙ってしまった。 「何を言われても、不敬に問うことは無いと保証するよ。なぁに、話を聞いているのは私達だけだからね。それとも、私の保証では不足なのかな?」  どうかなと問いかけられたダイオネアは、滅相もないとアルハザーの保証で十分であることを認めた。 「ならば伯父上の考えを聞かせていただけないか?」 「儂の考えと言うことですか……」  そこで息を吐き出したダイオネアは、失策だったとアルハザーの対応を評価した。 「グリゴンとテラノが友好条約を結ぶだけならば、いかようにも修正が可能だったでしょう。聖下がその男の謀殺を試みたことで、その変化の価値を高めてしまいました。そして聖下が攻撃したがために、ザイゲルが一致協力すると言うことになってしまった。しかもその動きに対して、シレナまで呼応を始めることになってしまった。H種のテラノが主導した、H種に関係のない同盟関係が動き出したのです。全帝国の7割を占める種が新たな動きに向かえば、帝国として無視をできなくなるのは当たり前のことです。しかも奴らは、帝国法を逆手に取り、聖下を無視する形で新しい枠組みを作り始めた。失策と評価されても仕方がないことかと思いますが?」  自分の判断から始まったことなのだから、その評価を受けるのはアルハザーの義務に違いない。そしてダイオネアは、はっきりとアルハザーの失策だと断言してくれた。 「私の失策であるのは間違いないだろうね。確かに伯父上の言う通り、テラノとグリゴンが友好条約を結ぶだけなら修正は可能だった」  指摘を認めたアルハザーは、ただと別の問題を持ち出した。 「だからと言って、アズライトの夫にその男を据えるわけにはいかなかったのだよ。それは、皇帝と言う立場の根本を揺るがす問題を孕んでいたからね」 「根本を揺るがす……ですか」  それはと問いかけてきたダイオネアに、重大な問題だとアルハザーは答えた。 「皇帝と言うのは、必要な判断はすべて自分で行う必要がある。他人の意見は、たとえそれが配偶者の物であっても、あくまで参考にしかしてはいけないのだ。だがアズライトとその男の場合、完全にその関係が崩れているんだよ。自分で判断を下したように見えていても、その実その男に誘導された結果でしかない。皇帝として、それを認める訳にはいかないんだ」 「皇帝の責任に関わる問題と言うことですか」  なるほどと頷いたダイオネアは、アルハザーがヨシヒコを謀殺しようとした理由を理解した。グリゴンとシレナが結びつくこと以上に、根本となる皇帝の意味が損なわれる方が問題だと理解したのだ。だが、それにしても、結果を見れば失敗としか言いようがなかった。 「それも仕留め損なわなければ……と言う条件が付きますな。そして聖下は、仕留め損なうと言う失態を犯された。そのせいで、権威が失墜するのみでなく、新しい動きを加速させてしまわれた」  ダイオネアの指摘に、アルハザーは大きく頷いた。 「確かに、私は失態を犯したのだろうね。だがね、彼を仕留めるのに、私はエボイラまで使ったのだよ。まともに考えれば、失敗の可能性を考えるまでもないことをしたんだ」 「エボイラをっ、でしょうか!?」  ヨシヒコを殺すために利用した方法を聞き、ダイオネアは驚きから思わず腰を浮かしてしまった。何しろバルゴールこそ、かつてエボイラの脅威にさらされた唯一の星だったのだ。かつてバルゴールにエボイラが散布された時には、およそ人口の9割が死滅すると言う悲惨な状況に追いやられていた。そして幾つもの対策が試みられたのだが、その努力をあざ笑うかのように、死者の数だけが積み上がっていった。  結局軌道上のシェルターに逃げた者だけが生き延び、そこでおよそ100年間辛酸を嘗めることになったのだ。そして軌道城と名前を変えたシェルターは、今も37基がバルゴールの周回軌道上に有った。およそ2千年ほど昔の出来事なのだが、バルゴールに生きる者達にとっては、消し去ることの出来ない恐怖となっていた。 「当たり前だが、伝染性の除去を行って使用したよ。その代わり、オリジナルより進行が早いと言う特徴をもたせたんだ。ただ伝染性の除去を行ったため、逆に解毒が難しくなったと言う極悪な代物だよ。そこまでしたのだから、仕留め損なうとは普通は考えないだろう?」  アルハザーがそこまでしたと言うことに、ダイオネアは思わず言葉を無くしてしまった。ただ単に抹殺するのよりも、エボイラを使う方が残酷と言われたのだ。人はもがき苦しむ時間が長いほど、その分感じる絶望も深くなってくれる。 「だが、彼はエボイラすら乗り越えてくれた。それでも一度は仕留めることに成功したはずなのだよ。だが彼の周りの者達は、執念で彼を生き返らせてくれたんだ。その結果、私は何もしないのよりも悪い結果を突き付けられることになったと言う訳だ。何しろ彼は、皇帝が仕留めようとしたにも関わらず、こうして生き残ってくれたのだからね。それだけで、特別な存在になったと言うことだよ。価値を高めたと伯父上は言ったが、それはまだ生易しい評価でしかないと思っている」  特別と言う評価は、ダイオネアをして認めざるを得ないものだった。帝国において皇帝の権威が高ければ高いほど、生き残った男の持つ意味も高くなってくれる。しかも謀殺される前の業績もまた、その価値を高めるものだった。 「今更アズライト様と引き離す訳にはいかない。だが、皇帝の上に立つ者を作る訳にもいかない……と言うことですか。ただそれだけなら、その男を養子に迎えると言う方法もあったはず。その方が、形の上では好ましいと思われるのですが?」  そうすれば、シリウス家による支配の終焉は起きないはずだ。当たり前の考えを示したダイオネアに、アルハザーは我が意を得たりとばかりに口元を歪めた。 「どちらがより、帝国にとって刺激になるのかを考えた結果だよ。伯父上も、理解のできない閉塞感を持っていると思うのだがね?」  どうかと問われたダイオネアは、さすがは皇帝だとアルハザーのことを認めた。巡ってきた挽回のチャンスを、最大限に活用しようと言うのだ。しかも、小さな、そして穏便な変化では満足しないのだ。 「理解の出来ない閉塞感ですか。確かに、変わらないことへの不安を感じることはありますな」  閉塞感を認めたダイオネアは、だがと、アルハザーの決定に疑問を挟んだ。 「そのための施策と言えば聞こえが良いのですが、面倒をすべて他人に押し付けるのはいかがなものかと思いますが? 皇帝と言う存在は、傍観者であってはならないはずかと思います」 「確かに、傍観者であるのなら皇帝など不要だね」  自分に関係のない所で起こる出来事は、結局何も起きていないのと同じことなのだ。そして世界が変わったとしても、皇帝として何も関与してないことになる。それは、怠慢の誹りを受けても仕方のない事だった。 「ただ、私は変化の蚊帳の外に置かれてしまった身だ。そして彼は、それではダメだと私を叱咤しに来てくれた。変化に関わる気がないのなら、さっさと引退しろとまで言ってくれたよ」 「聖下に向かって、そのような物言いをしたというのですか」  それだけで、不敬ととられて殺されてもおかしくないことなのだ。それを堂々と主張したことに、ただの度胸とは違うものをダイオネアは感じていた。 「それが、辺境星系の一庶民と言うことなのですか」 「勘違いしてはいけないのだが、彼が物を知らないと言う訳ではないのだよ」  無知蒙昧から来る無謀さではないと、アルハザーはヨシヒコの言葉を説明した。 「それこそが、生き残った者の権利と言う訳ですか」  なるほどと、ダイオネアは帝国が変わろうとしているのを理解した。ただ理解しつつも、それに関われない自分の孫達に忸怩たる思いを抱いていた。このまま恙無く家督が相続されても、今のままではメリディアニ家は埋没してしまうことだろう。テラノを辺境と言ったのだが、気がついた時にはバルゴールが辺境となることも考えられた。 「伯父上。少しはましな決定をしたと思ってくれますかな?」 「確かに、取りうる中では相当ましな決定に違いないでしょう。そしてその決定は、我ら主要星系に住まう者のお尻に火をつけてくれました。このままでは、バルゴールは誰にも顧みられない星系に落ちぶれる可能性もありますな」  ふうっとため息を吐いたダイオネアは、「お願いがある」とアルハザーに申し出た。 「お願いですか。残念ながら、アリアシアを嫁に出せませんよ。あれは、彼の後宮に入ると言う決断をしましたからね。いや、嬉々として後宮と言う座を掴み取ったというべきでしょう」  くくっと笑いを漏らしたアルハザーは、そちらも面白いと小声で語り掛けた。 「はて、面白いと仰るか?」  仮にも自分の娘のことなのだから、面白いで済ませていいものではない。少し眉を顰めたダイオネアに、アルハザーは開き直ったように「面白いものは仕方がない」と言い返した。 「1対1の関係では無敵のようなのだが、しきたりを持ちだされた時の反応にはやはり庶民なのだと感じてしまうよ。だからアリアシアのことも認めさせられてしまった。まあ、アズライトが反対しない以上、彼には逃げ場はないのだろうね」 「なんのことを仰ってるのか理解できないのですが?」  突然のことに困惑を表したダイオネアに、アルハザーは笑いながら男女関係だと打ち明けた。 「ところで伯父上、彼の顔をご存知ですかな?」 「いや、確か情報として秘匿されていたのでなかったか。確か先日の布告においても、映像データーは添付されていなかったかと思います」  元々の経緯もあり、ヨシヒコのことは秘密に分類され厳重に管理されていた事情がある。従って、ダイオネアがヨシヒコのことを知らないのも自然なことだった。  それを確認したアルハザーは、アバターを呼び出しダイオネアに情報を与えることにした。 「琥珀、伯父上に彼のデーターを渡してくれ」 「畏まりました!」  主の命に従い、琥珀はダイオネアのアバター、リズリットにデーターを投げ渡した。  興味津々にデーターを閲覧したダイオネアだったが、表示されたデーターに思わず眉を顰めてしまった。予想外のデーターに、馬鹿にされたのではと考えたのである。 「これを、まともに受け取れと?」  不機嫌そうな声を出したダイオネアに、アルハザーは小さく首を振った。 「これは、彼が先日私の所に来た時の映像だよ。従って、その映像にある女性はヨシヒコ・マツモトであるのを保証するよ。ちなみに、彼はその姿の時にはアセイリアと名乗っていたね。グリゴンのテロからアズライトを守り、そしてツヴァイドライグの偽物を見破ったのはまさしく彼なんだよ。アンハイドライトの妻となるアセイリアは、彼が立てた影武者のような存在だよ」  アルハザーの説明に、ダイオネアは思わず唸り声を上げてしまった。何の予備知識も無く見せられたなら、女だと信じて疑わなかっただろう。それどころか、孫の嫁にと思えてしまうほど、美しくて利発そうな顔立ちをしていた。 「ちなみに、男の格好をしても大して変わらないからね」  アルハザーの言葉に答えるように、リズリットは男の格好をしたヨシヒコの姿をダイオネアに示した。その姿を見たダイオネアは、再びううむと唸ってしまった。 「思わず食指が動いてしまう見た目をしておりますな」 「だから、アリアシアはひと目で気に入ったと言うことだよ。そしてオデッセア三等公爵家令嬢も、彼に入れあげたと言う話だ。アズライトの言葉を借りれば、彼は自分の見た目を餌に高貴な女性を罠に嵌めているらしい。確かに起きたことを考えれば、アズライトの言うことにも一理あるのだろう。ただ一応彼の名誉のために断っておくが、彼のモラルは一般庶民の物だからね。見た目に似合わず、かなり保守的な考え方をしているようだよ」  そのアンバランスさが面白いと、アルハザーはもう一度吹き出してみせた。 「見た目においても、特徴を持っていると言うことですか。もっとも、それが通用するのはH種限定でしょうがな。当然、それが大きな意味を持つことは理解しております」  H種の意味合いを考えれば、それだけでも大きな意味を持ってくれる。確かに面白いと、ダイオネアはヨシヒコの存在を認めた。 「確かに、帝国に新しい動きが生まれたのでしょう」  それを認めるのは吝かではない。だが認めはしても、やはり惜しいと思えてしまうのだ。 「先程のお願いに戻るのですが、テラノ行きの許可を頂きたい。聖下の決定を疑うわけではありませんが、私の目で次の皇帝となる男を見ておきたいと思います。そしてよろしければ、孫を連れて行くことの許可も頂きたい。孫には、新しい世界の動きを肌で感じてもらいたいのです」 「それは構わないが、トラブルの種を蒔く事にならないのかな?」  ダイオネアだけならいざ知らず、キャリバーンとタルキシスは物を知らなさすぎたのだ。そのままテラノに連れて行けば、トラブルが起きるのは火を見るより明らかだった。ただ心配したように聞こえるアルハザーの言葉も、その実はただの確認に過ぎなかった。アルハザーとしては、トラブルが起きることを歓迎していたのだ。 「聖下が、トラブルを心配なさりますか?」  驚いたような顔をしたダイオネアに、アルハザーはまさかと肩をすくめた。 「一応、確認のようなものだよ。いいだろう。連れて行きたい者がいれば、好きに連れて行ってくれればいい。私の方から、管理局に指示を出しておく」 「ご配慮に、感謝致します」  立ち上がって頭を下げたダイオネアに、それはいいとアルハザーは笑った。 「利害の一致を見た結果だと思ってくれればいい」  ただと、アルハザーはメリディアニ家当主の名を出した。 「ことがことだけに、ご当主の意向を無視して動いていいのかな?」 「儂は、好きに生きている隠居の身ですからな。何をしても、メリディアニ家には関わりのないことです」  その答えに、なるほどとアルハザーは小さく頷いた。 「確かに、伯父上は引退した身でしたな。だが、キャリバーンとタルキシスはそうはいかないと思いますが?」  その二人が騒ぎを起こせば、必ずメリディアニ家に累が及ぶことになる。事と次第によっては、次の皇帝を敵に回すことにもなりかねないのだ。そして両者が争いにでもなれば、H種を二つに割ることにもなりかねなかった。そうなると、帝国にとっても深刻な事態に発展することになる。そしてその事態こそ、アルハザーの望むものでもあったのだ。 「その時はその時と言うことですな。次の皇帝となる男の力量を知る良い機会だとも言えるでしょう」  別に構わないと答えるダイオネアに、そう言うことかとアルハザーは内心ほくそ笑んでいた。バルゴールを中心としたH種の連合は、帝国軍を除けば帝国内では最強の存在だったのだ。たとえザイゲルと言えど、帝国のルール内では敵ではないと言われていた。 「今の立場では、帝国軍を動かすことは出来ないでしょうからな。どこまで帝国を知っているのか、その試金石になるやも知れません」  ダイオネアの答えは、むしろトラブルが起きるのを望むものだった。その答えに、確かに母の家系だとアルハザーはダイオネアを認めた。ただ認めはしたが、本当に帝国を知るのはどちらになるのか、それはまだ分からないと考えていた。  つくづく予想外のことばかりしてくれる。皇帝の公布を知ったドワーブは、H種標準でも小柄で女のような顔をした少年のことを思い出した。アズライト皇女を手玉に取るどころか、あの性悪皇帝にその存在を認めさせてしまったのだ。つくづく敵にしてはいけない、そして志を同じく出来た幸運を喜んだのである。 「ゲービッヅ、準備の方は整っているか?」  到着を明日に控え、グリゴンの準備も大詰めを迎えていた。そしてその準備の統括を、あろうことか一等子爵のゲービッヅが任されていた。明らかに大抜擢なのだが、それもまた新しい時代の要請なのだとドワーブは考えていた。 「はい、総領主3千名はパレ・クリスタルに集合しております。スタジオン・ナショナレの飾り付けも完了しております。そしてヨシヒコ様をお迎えする専用軌道シャトルも、ダイダロズで待機しております」  ゲービッヅの報告に、ドワーブは満足そうに頷いた。グリゴンの恩人が、帝国最高位に着くというのだ。それを迎えるのだから、最大限の礼をもってする必要がある。総領主が3千名揃うのも、その一つであって全てではないと思っていた。 「宇宙はどうなっている?」  ありったけの歓迎をするためには、数を揃えるのも重要な事に違いない。宇宙の手配を確認したドワーブに、そちらも抜かりないとゲービッヅは答えた。 「ザイゲル連邦主力のうち、約4百万が揃いました。グリゴンに近づいた所で、大艦列で出迎えることができるでしょう。それに加え、機動要塞10も揃っております」  とにかくかき集められるだけかき集めた。その結果を報告したゲービッヅに、ドワーブは満足気に頷いた。 「それで、おかしな動きは無いだろうな?」 「それは、ドワーブ様もよくご存知のことかと……」  少し言葉を濁したゲービッヅに、ドワーブは初めて表情を曇らせた。新しい時代に向けて結束したはずのザイゲルも、残念ながら一枚岩とまではいかなかったのだ。それでも皇帝と対峙している時は良かったのだが、この変化は間違いなく不協和音の理由となるものだった。 「バーバレドズか?」  ドワーブの出した名前に、ゲービッヅは小さく頷いた。 「彼らは彼らで、バルゴールの脅威と接しております。見下されていると言うのが、彼らの偽らざる思いでしょう。ですから、テラノとの友好条約締結も快く思っておりませんでした。ただ皇帝に一泡吹かせると言う思いが、彼らに直接的な行動を取らせなかったと言えるでしょう」 「それなのに、我々が皇帝に迎合したと……そう受け取られたのだな」  ドワーブの言葉に、「然り」とゲービッヅは頷いた。 「怨念が強すぎて、冷静な目で状況が見えなくなっております。ヨシヒコ様が勝利したことで、もはや従来の帝国は存続できません。奴らは、それが理解できていないのです」 「ドワノビッヂは来ているのか?」 「代理を送り込んできています。そして他にも、10ほど代理を送ってきている星系があります」  ゲービッヅの答えに、ドワーブはふんと鼻から息を吐き出した。面従腹背にしておけばいいものを、こうして感情を表に出してくれるのだ。この場合の分かり易さは、愚かさにもつながっていた。 「だから、皇帝にいじられたと言うことか……」  冷静になってみれば、色々なことが見えるようになっていた。それができるようになったのも、アルハザーがヨシヒコを謀殺しようとしたことが理由だった。その前のアズライトの決定を含め、ドワーブにとって大きな意識の転機になっていたのだ。それだけでも、ヨシヒコにはいくら感謝してもし過ぎではないと思えるほどだ。 「そして、冷静にならないよう干渉を続けたと言うことか……」  ドワーブのつぶやきに、ゲービッヅは「御意」と控えめに答えた。帝国のこと、特にH種に関わると冷静になれないのは、それだけ歴代の皇帝に誘導されたと言うことになる。 「それだけ、皇帝にとってザイゲルは重要だったとも言えます」  ゲービッヅの答えに、ドワーブは唇をまっすぐ結んだまま頷いた。 「冷静になって考えてみれば、お前の言うことも理解できる。どの種のところ、ましてやH種のところよりもアルハザーは頻繁に来ていたからな。先代、先々代、そしてその前の皇帝にしても、ザイゲル連邦を頻繁に訪れていた。いや、好んで訪れていたと言うべきか。好かれているのは、まず確かなのだろうな」  好かれていると口にした時、ドワーブの口元は微妙に歪んでいた。その辺りの感情は、非常に微妙と言うのが正直なところだろう。これまで掛けられた迷惑を考えれば、好いてくれなくて結構と言いたかった。  そんなことを考えていたドワーブだったが、今はそれは本質的な問題ではない。いやいやと首を振ってから、不穏分子の話題に話を引き戻した。 「それで、具体的な問題は出そうか?」  ヨシヒコを迎えるのに、一つの手違いもあってはならない。用心に用心を重ねるべきだと、ドワーブは考えていた。 「今のところ、具体的な脅威は無いと言えるでしょう。ここで手を出せば、バーバレドズが宇宙の塵になることぐらい理解はしているようです」  なるほどと頷きはしたが、それで十分だとはドワーブは考えていなかった。そして相手を甘く見ることは、己の首を絞めることだと先の出来事で思い知らされていたのだ。それもあって、神経質なほど慎重に当たらなければと考えていた。 「お前は、我々がテラノに出し抜かれたのを忘れてはいないだろうな?」  それを教訓に、慎重に警備に当たれと言うのである。ドワーブの言葉に、それはとゲービッヅは二度ほど頷いた。 「確かに油断もあったのでしょうが、今は相手の格が上だったと思っています。ヨシヒコ様は、我々だけでなく、皇女殿下まで手玉に取っておられました。それに比べれば、ドワノビッヂ様は分かりやすいと言えるでしょう。もちろん、舐めて掛かっていいことなど無いのは承知しております。従いまして、信頼の置ける部下たちに警備を精査させております。そして私も、これから合流して再度確認を行おうと考えております」  ゲービッヅの言葉に、それでいいとドワーブは頷いた。それで終わりと考えたゲービッヅは、失礼したとドワーブの前を辞そうとした。 「一刻を争う必要があるのか?」  そんなゲービッヅを、珍しくドワーブが呼び止めた。その声に立ち止まったゲービッヅは、驚いたように少し目を見開いた。 「珍しいですね。総領主様が私を呼び止められるとは? 暇ではありませんが、お話を伺う時間は十分にございます」  再びドワーブの前に戻り、ゲービッヅは元の席に腰を下ろした。そしてゆっくり顔を上げてドワーブを見て、ゲービッヅは続く言葉を待つことにした。  そんなゲービッヅに、ドワーブはいかつい顔を少しだけ引き攣らせた。本人の感覚的には、苦笑を浮かべたと言うところだろうか。大したことはないのだと断ってから、ドワーブはおもむろに口を開いた。 「俺は、これまでの帝国が行ってきた治世のことを考えてみたのだ。個人的、そして我々にとっての感情を排除して考えた場合、意外にうまく行っていたのではないかと思っているのだ」  ザイゲル連邦に所属するグリゴンの総領主の言葉として聞けば、それは驚くべきことに違いない。だがゲービッヅは、特に表情を変えること無くドワーブの言葉を受け止めた。そして口を挟むこと無く、続く言葉を待っていた。 「なぜそのようなことを考えたのかと言うと……それは、今回のことが理由となったのは間違いない。なぜ歴代皇帝は、我々を挑発し続けたのか。頭に血が登っている時には分からなかったが、今になってみれば理解できるところも出てきた。そしてそれは、ザイゲルと呼ばれる我々の連邦のためではないかと考えるようになってきた」  ザイゲルは、とドワーブは自分の考えを続けた。 「自分で言うのも何だが、我々が非常に好戦的であるのは間違いないだろう。はるか昔、帝国に加わる前の記録では、惑星内、そして活動領域が宇宙に広がってからは、近傍の星系との抗争を続けていたそうだ。もはや記録にしか残っていない星系も、100を超えているぐらいだ。そのまま抗争が拡大すれば、間違いなくさらに多くの星系が消えていたことだろう」  静かに語るドワーブに、ゲービッヅは口を挟まずただ耳を傾けた。 「今のザイゲル連邦の約3割が巻き込まれた星間戦争が起きたのは、およそ1千8百年ほど前の事だったか。そしてその戦争の最中に、我々は帝国軍の侵攻にあった。それまでは互いに殺しあっていた我々は、強大な帝国軍に対抗するため、歴史上初の共同戦線を張ったとされている。だがその結果は、徹底的な敗北だった。戦いに敗れた我々は帝国に強制的に編入され、今に至ると言う訳だ。帝国に編入されて以降、戦争による我々の損害は数万隻の軍艦とその乗員程度になっている。帝国と言う強者が現れたため、皮肉なことに我々の中での戦いは起きなくなった」  つまり、帝国と言う存在のお陰で、結果的に同族同士の戦争が収まっていると言うのだ。それを理由に、ドワーブは帝国の挑発の意味を説明したのである。  ドワーブの話に耳を傾けていたゲービッヅは、一度だけ参加をした討論のことを持ちだした。それは、自分がお役御免になった後、そしてアズライトの沙汰が出た直後に行われた、アセイリア達との議論のことだった。お役御免になったおかげで、混乱に巻き込まれなかったおかげでもある。 「それはアセイリア様……正確には、ヨシヒコ様と言うべきなのでしょうか。アズライト様の沙汰が出た後に行われた議論の中で、歴代皇帝聖下の政策を議論した中で出てきた話でもあります」  ゲービッヅの言葉に、ドワーブははっきりと驚きを顔に表した。比較的小さな目を大きく見開き、本当なのかとゲービッヅの顔をまじまじと見つめた。 「それが先ほどの話にも繋がるのですが、歴代皇帝は本気で我々のことを好ましいと感じていたと言うことです。水生のシレナが合わないのは仕方が無いのですが、他のH種よりもザイゲルを好んでいたのではないか。ヨシヒコ様は、聖下の行動を分析され、そう結論づけておられます。ヨシヒコ様が仰るには、我儘な聖下が嫌いな所に何度も顔を出すはずがないとのことです。確かに、いくら目的があったとしても、私でも嫌いな所に頻繁に行きたいとは思いません」  それが一つと、ゲービッヅは浅黒い指を一本立ててみせた。 「そして先ほどドワーブ様が仰ったことです。ヨシヒコ様と話を始めた時には、皇帝はザイゲルを利用して帝国内に緊張状態を作り、結果的に争いを最小限に押さえたのではないかと考えていました。ですがヨシヒコ様は、間違ってはいないがそれでは不足していると仰りました。その時にされたのは、ザイゲル内部はそれほど仲が良いのかと言う指摘です。当然だと肯定しようとしたのですが、よくよく考えてみたら説明がつかないことに気づいたのです。そしてその理由が、先ほどドワーブ様が仰ったことです。帝国内の安定以前に、我々の内部が帝国を敵として認識することで一枚岩となっていたのだと気づきました」  そう説明した時、なぜかゲービッヅは自嘲気味に口元を歪めていた。本来感心すべき所だと考えれば、その反応はいささか不自然なものだろう。それに気づいたドワーブは、どうしたのだとその理由を尋ねた。 「いえ、その時のことを思い出しましたので……その時私は、心底聖下のことを見なおしたのです。聖下の存在は、我々に厄介事を運んでくるだけの物だと思っていたのです。ですが、自分が悪者になることで、帝国に安定をもたらしている……自己犠牲がそこにあるのだと考えたのです」 「俺も、そう考えるようになってきたのだが……」  違うのかと目を見張ったドワーブに、今度こそゲービッヅははっきりと苦笑を浮かべた。 「皇帝を善人だと考えたら、間違いなく痛い目に遭うと言われました。帝国の存続を第一に考えているのは間違いないが、それが私達の考えるものと同じと思ってはいけないと言うことです。そしてヨシヒコ様は、聖下が「物語」と言う言葉を好んで使われていることを教えて下さいました。物語では分かりにくいと苦情を言ったら、新陳代謝の様なものだと仰りました。帝国の中で起きる変化、その一つ一つが物語だと言うのです。そして物語が綴られなくなった時に、帝国は終わりを迎えると仰りました。ザイゲルへのちょっかいは、物語を作るための布石と言うことだそうです」  ゲービッヅの言った意味を、ドワーブはどう言うことか考えようとした。アセイリアにも話をしたのだが、皇帝の干渉によって自分達はH種に対して強い敵意を抱くようになっていた。その結果が、先のテラノに対する攻撃だったのだ。 「まさか聖下は、テラノが滅びることをも許容されると言うのか?」  その結論に至ったところで、ドワーブは信じられないと言う顔をした。H種として10番目となるテラノは、その成り立ちからして皇帝にとって特別なはずだったのだ。その特別な星さえ犠牲にすると言うのは、さすがに想像もしていないことだった。 「ヨシヒコ様は、それすら肯定されていました。何も物語のない世界は、死にゆく世界だと仰りました。聖下が悲劇を好むのは、立ち向かう者達の悲壮な覚悟を良しとするからだそうです。全力で滅びに立ち向かう姿こそ、美しい物語を創りだしてくれる。そのためには、一つの星系が消えることすら許容されるだろうと仰りました。そしてその犠牲の中には、リルケが滅びると言うものまであると言う事です」  リルケが滅びると言うゲービッヅに、ドワーブは思わず言葉をなくしてしまった。それは、今まで皇帝を見てきた総領主として考えてもいないことだったのだ。そんなことがあり得るのか。そう考えた時、ドワーブは帝国が干渉してきた理由がふと浮かんだ。 「まさか、聖下の干渉は共通の敵になることではないと言うのか?」  震える唇から吐出された言葉に、ゲービッヅはしっかりと頷き肯定してみせた。 「聖下は、同じ物語が綴られるのをよしとされないと言うのです。ですから、より大きな混乱……壮大な物語を作るために、根気よく仕掛けを続けたとのだろうと仰りました。ドワーブ様は、聖下にとってテラノが特別だとお考えになっておられるかと思います。ですが、その特別の意味が違っていると言うことです。ザイゲル連邦と帝国との関係も、すでにマンネリと化しつつありました。その関係に、新しい刺激を加える存在。それが、テラノに求められるものだったと言うことです。そして我々は、聖下の思惑通りテラノに攻撃を仕掛けました」 「その結果、聖下は予想もしない物語を得ることになったと言うのか……」  それを教えられれば、ドワーブの中に強い怒りが生まれるのも自然なことだろう。だがそれ以上にあったのは、そこまで自分達を踊らせた皇帝と言う存在への恐れである。ゲービッヅの語る目的が真実を示しているのなら、歴代皇帝は根気強く、そして綿密な計画のもとザイゲルに仕掛けを施したと言うのだ。テラノの意味にしても、すっかり騙されてしまっていたのだ。 「だからこそ、聖下は彼を殺さなければならなかった……」  そこから導き出された答えを、ドワーブは震える唇から吐き出した。 「はい、だからこそヨシヒコ様は、自分が助からないことを悟られていたのでしょう。そして聖下の企みを挫くために、遺言としてテラノが我々に飲み込まれないよう残されていかれました。その結果、皇帝は『ストーリーメーカー』の役目を取り上げられることになりました。ヨシヒコ様が次の皇帝となるのは、ある意味復活した時から決められていたのかもしれません」 「彼は、そんな恐ろしい存在と戦い、そして勝利をしたと言うことか……」  時間潰しのつもりが、とんでもない話に発展してしまった。浅黒い顔を青くしたドワーブに、ゲービッヅは「いえ」と首を横に振った。 「今は、イーブンに戻ったと言うところでしょうか。ヨシヒコ様を次の皇帝にするのは、聖下にとって起死回生の策と言う事です。この決定で、今まで押さえつけていた者が動き出すことでしょう。バーバドレズの問題は、その中の一つに過ぎず、そして難易度の低い物に違いありません」 「ならばお前は、何が本当の問題だと考える!」  考えを述べよと命令したドワーブに、ゲービッヅは悔しそうに首を横に振った。 「各種の問題を考えてみましたが、残念ながら私にも分析はできませんでした。言い訳をさせていただくなら、我々にはH種の情報が少なすぎます。他の種に対しても少ないのですが、その中でもH種は特別に少なくなっています。それでも無理やり推測するのなら、最大の問題はH種の中で起こるのかと思います。私は、是非ともこの考えをヨシヒコ様にぶつけてみたいと思っております」  これまでH種を敵視してきたザイゲルだからこそ、H種の情報が制限されてきたとも考えることができる。そしてテラノこそ遅れては居るが、それ以外のH種の住まう星系は強固な守りを持っていたのだ。だからこそ、3百倍もの勢力を持つ自分たちを前にして、滅びること無く繁栄を続けているのだろう。  ゲービッヅの分析に驚きながら、ドワーブは同時に彼を改めて評価していた。ヨシヒコに手玉に取られたことが良かったのか、一皮もニ皮も剥けてくれたのだ。 「うむ、お時間をいただけるよう儂からお願いをしておく。なに、式典の時間などどうにでも調整が着くことだ。テラノへの出立にした所で、一分一秒を争うものではないだろう」 「ご配慮に、深く感謝致します」  立ち上がって頭を下げたゲービッヅに、ドワーブは下がることへの許可を与えた。気まぐれで呼び止めたことから始まった話は、思いがけない大きな意味を自分に与えてくれた。今まで報告が無かったことは気になったが、その機会を与えなかったのは自分だったと思いだしたのである。今の優先事項が分析にないことを考えれば、すぐにでもゲービッヅを元の役割に戻す必要があるはずだ。 「部下が張り切っておりますので、そろそろブレーキを掛けてこようかと思っております」  そう言って頭を下げたゲービッヅは、頭を上げると唇を難く結んだままドワーブの前から去って行った。グリゴンとして過去に例のない、そしてこの先にも無いと思われるほど、重要な式典が待っていたのだ。恙無く終わらせるためには、どんな小さな綻びをも見逃す訳にはいかなかった。  この式典が終わった後には、皇帝の描かなかった、全く新しい未来が開けてくれるはずなのだ。その未来を掴むためにも、ヨシヒコだけは守らなければならなかった。それは、必ずしも身の安全と言う意味だけではない。この先、どのようなことでも汚点を残すわけにはいかないのだ。そのためならば、どんな汚れ仕事でもしてみせる。ゲービッヅは、その覚悟を固めていたのだった。 Chapter 4  どの船で行くのかを迷ったカニエ達だったが、最終的に全員がオデッセア家の用意したクルーザーを選択した。その心は、皇族の船では心が落ち着かないと言うものである。その辺りの考え方は、全員がリルケ以外の星系出身であること、地位が高くても三等侯爵と言うのが理由になっていた。  それでもオデッセア家のクルーザーを選ぶのに当たり、一悶着があったのも確かだった。荷物の積み込み直前に連絡が入り、急遽アズライトの別邸に呼び出されたのだ。そしてそこで、なぜか“垢抜けた”格好をしたシオリに会ったのである。しかも前日までとは違い、妙に元気なところがあった。残念ながら渾身の衣装はあまり似合っていなかったのだが、それ以上に一体何が有ったのかの驚きの方が大きかった。  しかも全員を船内に案内した所で、シオリ自身は奥に引っ込んでくれたのだ。オデッセア家の使用人に聞いても、困ったような顔をされるだけだった。 「多少は、ましになったのかな?」  これからのことを話しあうために集まったはずなのだが、用意された会議室に集まった4人はシオリのことを話題にした。その辺り、どうしてもシオリの変化に目が行ってしまうのだ。野暮ったい格好が、格好だけは垢抜けたものに変わっている。それだけを見れば、男が出来たと考えるところなのだろう。ただその割に、シオリの顔が嬉しそうに見えなかったのだ。それどころか、顔色の悪さを誤魔化しているように見えてしまった。  それを気にしたカスピに、「どうでしょうね」とヴィルヘルミナは疑問を呈した。ちなみにこの集まりでは、お互いがパートナーを隣にして向かい合う格好で座っていた。 「私には、未だ問題を抱えているようにしか見えませんが?」  ねえと顔を見られたカニエは、苦笑混じりに頷いてみせた。ちなみにカニエの所には、アバター経由でヨシヒコの情報が伝えられるようになっていた。ただその経路には、シオリの情報は落ちてきていなかった。 「ヨシヒコ様からの情報にオデッセア三等侯爵のことはないな」 「だが、アズライト様は問題の所在は分かっていると仰ってた」  アイオリアの指摘に、「だよね」と隣でカスピが同調した。 「つまり、皇族に関わることと考えるのが自然ってことか……」  恋人の考えを発展させたカスピに、ヴィルヘルミナも頷き同意を示した。 「私もそう思います……ただ、その場合相手がどなたなのかと言うことになるのですが……」  そこで一度カニエの顔を見てから、「多分」と言って言葉を続けた。 「消去法で行くと、ヨシヒコ様と言うことになるのですけど」 「たしかにね。オデッセア三等侯爵の好みはカニエだったしね」  ヴィルヘルミナの上げた名前に、カスピはなるほどと頷いた。 「カニエって、シオリからペットにならないかって誘われていたのよね?」 「ペットと言うなペットと……確かに、自分に囲われないかとは誘われたが……」  そう言ってヴィルヘルミナを見たカニエは、同じことを言われたのだと白状した。 「結局、ヴィルヘルミナのペットになったってこと?」 「だから、ペットと言うなっ!」  まったくと憤慨したカニエは、ヴィルヘルミナの顔を一度見てからため息を吐いた。 「俺のことはさておいて、どうやらその推測は当たっていそうだな。オデッセア家ご当主が泡を食って飛んでくると言う以上、皇族が関わっているのは間違いないだろう。そして可能性のある相手は、一人しか残っていないからな。すでにアンハイドライト様は、皇太子の座を離れられている。恐らくオデッセア三等侯爵は、ヨシヒコ様を次の皇帝になる方と知らずに誘惑したのだろう」 「誘惑?」  まさかと、カニエの隣でヴィルヘルミナは驚いたような声を出した。 「オデッセア三等侯爵に、そんな器用な真似ができるとお思いですか? きっと、居丈高に命令をしたのに違いありません!」 「確かにね。そんな可愛らしい真似ができるぐらいなら、ヴィルヘルミナに遅れを取っていないか……」  納得できる理由ではあるが、それでも問題は残っている。そしてその問題を、アイオリアが指摘した。 「だが、よくもそんな度胸が有ったものだな。ふたりとも、ヨシヒコ様に命令をする事ができるか?」  アイオリアの指摘に、ヴィルヘルミナとカスピは顔を見合わせてから力強く首を横に振った。絶対に自分では無理だと、体全体を使って主張したのだ。 「だが、可能性としてあり得ることだな……」  うむと考えたカニエは、その時の立場を持ちだした。 「ヨシヒコ様とオデッセア三等侯爵がどこで会ったのか。それが第一の問題となる。ずっとアズライト様の館に居たのなら、会われることはなかっただろう。つまり、どこか別の場所で出会ったと考えるのが自然と言うことだ」  カニエの仮説に、なるほどとアイオリアは頷いた。 「つまり、真っ白な状態で出会ってしまったのだと。そしてお前のようなタイプが好みのオデッセア三等侯爵だから、何らかの理由でヨシヒコ様に声を掛けた」  アイオリアの答えに頷いたカニエは、「多分」と彼の言葉を肯定した。 「そこで身分を確認した場合、ヨシヒコ様は庶民と答えているはずだ。本当のことを言っても、信じてもらえないことは分かっているからな」 「信じてもらうどころか、精神に異常を来していると考えてしまうでしょうね。アズライト様が愛したヨシヒコ様は、死んだことになっていますからね」 「しかも次の皇帝に指名されたなんて言ったら、不敬だと私でも怒ると思うよ」 「つまりヨシヒコ様は、自分が庶民だと名乗るしか無かったと言うことだ」  アイオリアの言葉に、全員が同意を示すように大きく頷いた。 「その後、ヨシヒコ様の正体を知ってしまった……か。次期皇帝に無礼な真似をしたことを考えれば、青い顔をしていたのも納得ができる話か……」  確かにとカニエの言葉にアイオリアとカスピが頷いたのだが、ヴィルヘルミナ一人が不思議そうな顔をした。 「なんだ、何かおかしいことがあるか?」  それに気づいたカニエに、「いえ」とヴィルヘルミナは言葉を濁した。そして全員の視線を集めたのに気付き、しばらくしてから「不思議なんです」と自分の感じた違和感を口にした。 「ヨシヒコ様が、そんなことで怒られるような理不尽な真似をするとは思えないのです」 「確かに、言われてみればそんな気がするわね……」  ヴィルヘルミナの指摘に頷いたカスピは、昨日のヨシヒコのことを思い出していた。色々と言われたし怖がってもいたのだが、理不尽なことを言われた記憶が無かったのだ。しかも、ヨシヒコとアリアシアが気を使っていたぐらいだ。 「だとしたら、あり得ることと言えばシオリの自爆だけど?」 「確かに、それは十分にあり得ますね」  大きく頷いたヴィルヘルミナは、「だから思い込みの強い処女は」と突っ込みどころ満載の言葉を口にした。もちろん、カニエは黙ってヴィルヘルミナの言葉を聞き流した。 「パニックになって、周りが見えなくなったのでしょうね。それで屋敷の者が心配になり、本家の方に連絡が行ってしまった。そして本家は、断片的な情報に慌ててリルケまで飛んできたのでしょう」 「そう考えると、全ての辻褄が合うのか……」  ふんと小さく息を吐き出したカスピは、「羨ましい?」と変化球をヴィルヘルミナに投げ返した。 「なぜ、私がオデッセア三等侯爵を羨む必要があるのです?」  目を大きく見開いたヴィルヘルミナに、「だって」とカスピは口元を歪めた。 「シオリって、ヨシヒコ様の後宮に入ることになったんでしょう? それって、考えてみたらとても名誉なことよ。表向き、アリアシア様と同じ立場になるんだもの。昨日からの変化を考えると、多分抱かれたんじゃないかな?」  羨ましいよねと迫られたヴィルヘルミナは、小さくため息を吐いてから首を横に振った。 「私は、あんな恐ろしい世界に入って行きたいとは思いません。今のままだと、気の休まる時が無いのではありませんか? そう言うマリエル二等伯爵は、ヨシヒコ様の後宮に入りたいと思いますか?」  ヴィルヘルミナの逆襲は、ある意味想定の範囲のことだった。そして想定された質問に、カスピははっきりと「いや」と答えた。 「ヨシヒコ様は、私のタイプじゃないしね。少しぐらい憧れる気持ちはあるけど、やっぱり精神的に辛いと思うわ」  やっぱりいいと繰り返したカスピは、そう言うこととアイオリアの顔を見た。 「お互い、分相応を考えないといけないと思うのよね」 「きっと、言うとおりなのだろうなぁ」  そこでカニエの立場を出さなかったのは、危機回避の本能が働いたからだろう。分相応と言うことを考えると、カニエとヴィルヘルミナの組み合わせはあり得ないことだったのだ。そしてカニエも、事を荒立てても仕方がないと、余計な突っ込みを避けていた。  シオリの問題に曖昧な決着を付けた4人は、ようやく本題の検討へと戻ることにした。明らかに時間の無駄使いをしたのだが、それ以上に潤沢に時間は用意されていたのだ。 「予定通り聖下の公布が有ったのだが……この公布を受けて、何が動き出すことになるのか。俺達なりに、考えをまとめておく必要がある」  いいなと3人の顔を見たカニエは、第一にと最大比率を持つザイゲルのことを持ちだした。 「ザイゲル連邦の中に、裏切られたと言う感情が生まれるのは否定出来ないだろう。ザイゲル連邦にとってみれば、ヨシヒコ様は自分達の側にいると考えていたはずだからな。愚かな者なら、聖下に寝返ったと考えることだろう」 「自分達の勝利ではなくて、か?」  ヨシヒコが皇帝と対立していたことを考えると、勝利と考えてもおかしくないはずだ。アイオリアの指摘に、カニエは小さく頷いた。 「その考えも確かにあるだろう。だが、知らない所で手打ちをしたと受け取ることもできる。まともに考えれば、テラノの一庶民を皇帝につけるとは考えないだろう。だからこそ、何らかの密約を疑う可能性がある」 「愚かな者なら、と条件をつけたのは?」  カニエの説明だけなら、ザイゲル全体が裏切られたと考えてもおかしくないはずだ。だが「愚かな者」とカニエは範囲を限定してくれた。それを疑問に思ったヴィルヘルミナに、カニエは一昨日の話だと答えた。 「歴代の皇帝聖下は、非常に性格が宜しくないと聞いただろう。それを一番骨身にしみて知っているのは、誰でもないザイゲルの者達のはずだ。だとしたら、この状況で聖下が何を意図してヨシヒコ様に皇帝を譲ることにしたのか。まともな者なら、予想がついてしかるべきだろう」 「混乱を意図したものであって、抱き込んだ訳ではないと言うのですね?」  恋人の答えに、カニエはしっかり頷いた。 「何が一番面白いことになるのか。それを考えた結果だと推測することができる。そしてヨシヒコ様の行動理由だが、今の変化を安全に加速することを意図したと考えることができる。お前たちも、実家で聖下を排除すると言う考えが間違っていると指摘されたはずだ。それは、取りも直さず聖下を排除した動きへの素直な感情なのだ。そして影響力が低下したとは言え、聖下の影響力は絶大なものがある。無視して事を進めるれば、必ず行き詰まりを生じるはずだ。それを避けるために、ヨシヒコ様は聖下と会われたのだと俺は考える」 「それで、皇帝を押し付けられた……でいいのかな? アズライト様との立場を入れ替えることになったのね?」  ううむと可愛らしく唸ったカスピに、「恐らく」とカニエは答えた。 「押し付ける方も押し付ける方だと思うけど……」  まいったなぁと、カスピは短めの茶色の髪を弄んだ。皇帝の座を一庶民に押し付ける感覚も理解できないが、それを受け取る方の感覚もおかしいと思えるのだ。そしてそれ以上におかしいと思えるのは、本人を見て納得してしまったことだ。 「ヨシヒコ様を見ていたら、別におかしくないって納得できちゃうのよね」 「その考えは、大いに同意できるな」  力強く頷いたアイオリアは、「格が違う」と素直な感想を口にした。 「うちの総領主様と比べたら、天と地ほど迫力に差がある。まあ、アズライト様を従えられるのだから、たかが総領主と比べるのは間違っているのだが……」  どうだと顔を見られたヴィルヘルミナは、ため息を一つ吐いてからアイオリアの言葉を肯定した。 「あのような方が、フェルゴー星系にいなくて良かったと言うのか……もしも居たら、私は庶民を夫に迎えることになっていましたね」  両腕で体を抱いたヴィルヘルミナは、恐れからかぶるっと体を震わせた。 「だとしたら、俺達は新しい歴史が作られるのを目の当たりにできるわけだ。そして目の当たりにするだけではなく、直接関わると言う幸運を手にしたことになる」 「本当に、俺達で良いのかと言う疑問はあるのだが……むろん、望む所と言う気持ちも大いにある」  カニエの言葉を受けたアイオリアは、恐れと同時に意欲を口にした。そしてそのあたりの気持ちは、集まった4人に共通したものでもあった。 「話が反れたな。ザイゲルのことを持ちだしたが、俺は別のところにも問題があると思っている」  そこでカニエに見られたヴィルヘルミナは、小さく頷いてフェルゴーの事情を口にした。 「フェルゴー星系は、近傍にあるバルゴール星系、チェンバレン星系と同盟関係を結んでいます。そしてその中心となるのは、先代皇妃を送り出しているバルゴール星系です。チェンバレン星系の旧家、マリコシアス家は問題なく代替わりをしていますが、フェルゴール星系のメリディアニ家は後継者に問題を抱えています。噂によると、アリアシア様を跡取りの嫁にと申し出ていたそうです」 「一等侯爵家で、先帝の親族ならば相手に問題はなさそうなのだが……」  アリアシアが後宮に入ったことを考えれば、結果は不成立以外にあり得なかった。そうなると、不成立になった理由が気になってしまう。 「なぜ、その婚姻が成立しなかったのだ?」  そんなカニエの疑問に、ヴィルヘルミナは人づてに聞いた事情を口にした。 「ひとえに、跡取りに問題が有ったからとしか……私の父も、申し入れがなくて良かったと安堵していたぐらいです。今のまま代替わりをしたのなら、同盟関係を見直す必要があるとも言っていました。ちなみに、チェンバレンのマリコシアス家の当主も同様の意見だそうです」  求めた以上の答えに、なるほどとカニエ達は頷いた。だが、それはあくまで一公爵家の問題でしか無いはずだ。帝国全体の問題とは、次元が違うと言えただろう。 「でも、それってあくまでメリディアニ家だけの問題でしょ?」  それを指摘したカスピに、ヴィルヘルミナは小さく頷いた。 「本来なら、マリエル二等伯爵の言うとおりなのですが……皇族が絡んでくれば、そうとばかりは言えないと思います。その辺り、お父様のご意見を伺おうと思っています。ただ、手遅れにならないか……それが気になっているんですけど。すみません、漠然とした話しかできなくて」  そう言って謝ったヴィルヘルミナに、アイオリアとカスピは大いに驚かされてしまった。立場を笠に着て、ヴィルへルミナが高飛車な事を言っていたのはさほど昔のことではない。それを思うと、謝られると言うのは想像の埒外に有ったのだ。 「私が謝ることが不思議ですか?」  そんな態度をとられれば、ヴィルヘルミナでも文句を言いたくなってしまう。ただそれ以上争いにならなかったのは、そのタイミングでカニエが口を挟んだからに他ならなかった。 「もともと、お前たちが実家に帰った時の話に繋がるのだが……」  そうやって話を引き戻したカニエは、問題の所在を自分なりに口にした。 「聖下抜きで改革を進めることに反対をされたはずだ。俺は、その意識はH種が一番強いと考えているのだ。それを考えると、今回の公布はH種にこそ大きな影響を与えるものだと思っている。そしてこれは勘でしか無いが、バルゴールが関係してくると想像している」 「もしもそうだとしたら、フェルゴーが巻き込まれることになりますね」  それも問題だと、ヴィルヘルミナは秀麗な眉を顰めた。次期皇帝のスタッフとなった今、自分達の目的は穏便な枠組みの変更なのである。その障害にバルゴールがなった時、古くからの付き合いがあるだけに対応が難しくなってくれるのだ。もしも正面から戦うことにでもなれば、フェルゴー星系もただではすまないと思えたのだ。 「ああ、そう言う事になるのだろうな」  ヴィルヘルミナの言葉を肯定したカニエに、ちょっと良いかとアイオリアが発言を求めた。 「勘に根拠を求めるのが間違っているのは理解している。だが、ただ勘だけでは、説得力がなさすぎるだろう。何らかの根拠ぐらいは示せないのか?」 「根拠か……」  確かに、勘だけでは説得力にかけるし、上申しても相手にはしてもらえないだろう。それを考えれば、根拠を求められるのはおかしな事でない。 「クレスタ学校のことを考えればいいのだろうか。アズライト様のために始めた検討会に、リルケ以外で参加しているのは……」  そう口にして、カニエは隣に座るヴィルヘルミナの顔を見た。 「フェルゴー星系、セレスタ星系、アクアノス星系、サジタリウス星系、それにカプリノス星系だ。参加していないのは、バルゴール星系、クラビノア星系、チェンバレン星系、テラノ星系と言うことになる。事情から考えれば、テラノは除外しても差し支えないだろう。となると、クレスタ学校に参加していないバルゴール、クラビノア、チェンバレンの3つの星系の様子が見えないことになる。距離的にクラビノアが遠いことを考えると、消去法でバルゴール星系、チェンバレン星系が残ることになる」 「それって、単なる状況を説明しただけだよね? だとしたら、説得力も何もないと思うんだけど?」 「今の動きに文句があるのなら、検討会で主張すればいいのだからな。顔を出さないからと言って、不満を持っていると考えるのは先走りすぎるのではないか?」  カスピとアイオリアに突っ込まれたカニエは、ううむと唸って押し黙ってしまった。自分の勘は、バルゴールが怪しいと盛んに主張してくれている。それは、二人に反対されても、何ら変わりがなかったのだ。だが「なぜ」と説明を求められても、それらしい理由が思い浮かんでくれなかったのだ。  もう一度ううむと唸ったカニエは、しばらくしてから自分の意見を放棄した。 「残念ながら、説得力のある説明に辿りつけなかった。従って、俺の意見は参考程度に止めておいてくれ」 「さすがのカニエでも無理だったか……」  そう言って苦笑を浮かべたアイオリアは、言いたいことは分かるのだとカニエに理解を示した。 「問題の種は、H種にあると言う考えには同意できるのだ。ただ、具体的にどこと言うのは、俺も想像がついていない。その辺り、あまりにも事情を知らなさすぎると言うのが理由なのだろうな」 「ヴィルヘルミナはバルゴールとチェンバレンのことを知っているんだよね? だとしたら、カニエの意見に何か補足はないの?」  カスピに話を向けられたヴィルヘルミナは、もう一度腕を組んでううむと唸った。 「バルゴールが問題を抱えているのは確かですが。それは、あくまでバルゴールの中だけで収まる問題だと思います。カニエの言いたいことは分かりますが、だからと言ってバルゴールが騒動の中心になるかと言われると……やはり、疑問を感じてしまいますね」  やはり分からないと言うヴィルヘルミナに、3人は自分達の限界を見せつけられた気がしていた。クレスタ学校に集まったことで、自分達は意識が高く、帝国の情勢に気を配っていると自惚れていたところがあったのだ。だがこうして情勢を俯瞰し、問題を抽出しようとした時、結局何も見えていないことに気付かされてしまったのだ。これで次期皇帝のスタッフになると言うのだから、つくづく身の程知らずだと思えてしまったほどだ。 「今更だが、各星系の情報を整理して出直すか?」  カニエの提案に、残りの3人は難しい顔をして頷いた。気の遠くなるような話なのだが、とりかかりがそれぐらいしか思い浮かばなかった。 「ならば、各自に分担を送るから分析をお願いする。ある程度纏まった所で、お互いの突き合わせをしよう」 「泥縄な気もするが、今はそれぐらいしか手がないのだろうな」  ふうっと息を吐き出したアイオリアは、よしと言って立ち上がった。 「それぞれ、部屋に戻って検討することにするか」 「そうね、自分達の目的を見失ってはいけないわね」  仕方がないと立ち上がったカスピは、じゃあと手を振って先に部屋を出て行った。 「どうやら、俺達はとんでもないことに首を突っ込んでしまったようだ」  愚痴ともとれる言葉を吐き出したアイオリアは、じゃあなと残して部屋を出て行った。 「確かに、とんでもないことに首を突っ込んだのかもしれないな」 「でも、あなたは逃れられない立場に居るのですよ」  敢えて立場を指摘したヴィルヘルミナに、分かっているとカニエは息を吐き出した。 「恋人なら、こう言う時に元気づけてくれるものではないのか?」 「それを否定するつもりはありませんが、やはりけじめは必要だと思います。それに、あまり甘やかしていてはダメだと思いますから……」  だからと言って、ヴィルヘルミナは自分の部屋に戻るとカニエに告げた。 「夕食が終わるまでは、自分の部屋で頭を悩ませる事にしませんか?」 「整理することは、沢山ありそうだな……」  仕方がないと溜息をひとつ吐いて、カニエは席から立ち上がった。ヴィルヘルミナの言うとおり、今はデーターを整理し、考えをまとめることを優先しなくてはいけない。そうしないと、自分達を抜擢してくれたヨシヒコに、申し訳が立たないことになるのだから。 「いいですか、夕食が終わるまで、ですよ」  少し首筋を赤くして、ヴィルヘルミナはそそくさと会議室を出て行った。 「けじめが必要だと思ったのだが……」  まあいいかと考えなおしたカニエは、ヴィルヘルミナの後を追うように会議室を後にしたのだった。  自分の部屋に戻ったところで、ヴィルヘルミナは早速おめかしを始めていた。夕食までとは言ったが、それを真面目に受け取っているとは思っていなかったのだ。せいぜい一度部屋に戻って出直してくる。その程度のことだと考えていた。  だがおめかしを終えても、いっこうにカニエが現れる様子がなかった。それでも来ないはずがないと、自分でお茶の用意も始めた。そしてお茶の用意をしながら、カニエが来たら何をしようかと考えていた。今更何をも無いと思うのだが、ヴィルヘルミナの秀麗な顔もしっかりと緩んでいたりした。そしてお茶の準備出てきてから待つこと5分、待望のノックをする音が聞こえてきた。  少し期待よりは遅いが、それでも十分許容範囲の時間でもある。踊るようなステップで、ヴィルヘルミナは軽やかにドアの所に駆けて行った。そして相手を確かめることもしないで、開閉ボタンに手を掛けた。 「待っていたわ……オデッセア三等侯爵?」  カニエだと思って開けたのに、目の前にはなぜかシオリが立っていた。にやけていた顔を不機嫌顔に作り変え、「なんの用?」とヴィルヘルミナはシオリに声を掛けた。何しろこれまでの付き合いで、シオリと二人きりで話したことなど一度もなかったのだ。ましてや、二人きりで話したいなどと一度も考えたことはなかった。 「少しお話がしたいと思いましたので……それに、アドバイスをいただけたらと?」 「私が、あなたに!」  大きく目を見開いたヴィルヘルミナは、次に自分の二の腕を抓ってみた。ここの所驚くことばかりなのだが、今のこれもその一つに間違いない。悪い夢でないかと疑ったのだが、抓った二の腕はしっかり痛かった。 「私の目から見ても、あなたは魅力的ですから……」  しかも信じられないことに、シオリが自分のことを褒めてくれるのだ。何かの間違いではないかと、ヴィルヘルミナは太ももを抓ってみた。 「やっぱり、悪い夢ではないみたいですね……」  ひりひりと来る痛みは、これが夢でないことを教えてくれた。だとしたら、本当にシオリが自分を頼って現れたことになる。本当に不思議なことがあるものだと感心しながら、ヴィルヘルミナはシオリを部屋に招き入れた。もっともこの船自体、オデッセア家の用意したものなのだが。 「とりあえず座ってくれるかしら。それから、もうすぐカニエが来ると思うけど……彼に話を聞かせてもいいことかしら?」  夕食までにはまだ十分に時間はあるが、それでもカニエが来ると信じて疑っていなかった。そんなヴィルヘルミナに、シオリは「無理を言っているのは理解しています」と暗にカニエに居てほしくないと仄めかした。 「フィル、カニエにはいいと言うまで来ないよう連絡をしておいて」  アバターに命令をしたヴィルヘルミナに、ありがとうとシオリは感謝の言葉を口にした。まともに考えれば、当たり前のシオリの言葉でもある。だが、これまでのことを考えれば、一番考えにくい言葉でも有った。 「まさか、あなたに感謝されるとはね……」  はっきりと苦笑を浮かべたヴィルヘルミナは、「話って?」とシオリに用件を尋ねた。 「その前に、本当に大丈夫なの? 顔色がいいとは思えないのだけど?」  正面から向かい合ってみたら、顔色が悪いのがはっきり分かってしまったのだ。 「もしかして、話の中身に関わること?」  どうなのと問いかけてきたヴィルヘルミナに、シオリはしっかりと頷いた。 「ただ、何から話したらいいのか……よく分からなくて」 「それで、よく私の所に来る気になったわね」  よりにもよって、一番仲が悪かった自分の所に顔を出したのだ。しかも顔を出したくせに、話を切り出すことができないと言う。ヴィルヘルミナで無くとも、呆れるのはしかたのないことだろう。 「まあ、いいけど。じゃあこっちから聞くけど、あなた、ヨシヒコ様に抱かれたの?」  そのものズバリの指摘に、シオリは大きく目を見開いて驚いた顔をした。その表情に、ヴィルヘルミナは「やっぱり」と小さくため息を吐いた。 「晴れて、後宮入りを果たしたって所ですか。一応おめでとうと言っておきましょう」 「本当に、おめでたいことなのでしょうか?」  ヴィルヘルミナの言葉も祝福に聞こえなかったが、受け取ったシオリも嬉しそうには見えなかった。自分は仕方がないとして、思いが叶ったのだから嬉しそうにしていなければおかしいはずだ。シオリの態度に、どこかおかしいとヴィルヘルミナは考えた。 「後宮に入ることはさておき。ヨシヒコ様との関係は、あなたが望んだことではないのですか?」 「確かに、私が望んだことではあるのですが……」  話をしに来たというのに、シオリからは何も切り出して来ない。これでは、アドバイスのしようも無いと言うものだ。煮え切らない話に業を煮やしたヴィルヘルミナは、いい加減にしなさいとシオリを叱りつけた。 「そうやって周りを心配させるから、お父様が慌ててやってきたのではありませんか? 私の時間を邪魔するのなら、さっさと帰ってくださいません?」  少しキレ気味に声を出したヴィルヘルミナに、シオリは反発ではなく「ごめんなさい」と小さな声で謝った。その反応も予想外……ある意味、今の状況を物語っているようで、ヴィルヘルミナは諦めたようにため息を吐いた。 「不敬を働いてしまった。大方、そんなことを考えているのでしょうね」  違うのと聞かれ、シオリは小さく頷いた。 「およそ、私達の想像通りと言うことですね。あなた、ヨシヒコ様に失礼なことを言ったのでしょう? あなたのことだから、一般庶民だと教えられて高飛車な態度をとったと言う所でしょうね」  もう一度違うのかと聞かれ、シオリは小さく首を振った。 「その通りです。でも、どうして分かるのですか?」 「こちらにはカニエも居るのですよ。この3日ほどの様子を観察すれば、それぐらいの推測をすることが出来ます。でも、どうしていつまでも気にしているのですか? ヨシヒコ様なら、そんなことを気にするとは思えないのですが……もしかして、恐ろしくなってしまったとか?」  自分では無理だと言ったこともあり、もしやとヴィルヘルミナはその可能性を口にした。そしてその指摘は、どうやら正鵠を射ていたようだ。 「正直言って、恐ろしいと思っています」  そう切り出したシオリは、ようやく吹っ切れたのか堰を切ったように事情を話し始めた。 「あなたの言うとおり、私はヨシヒコ様に対して高圧的に接してしまいました。しかもアズライト様に会いに行くと言うヨシヒコ様に、行くなと命令をしてしまいました。あまつさえ、二人揃ってオデッセア家で面倒を見ると大見得まで切ってしまったのです。手切れ金を出してもいいとさえ言ってしまいました」 「あなたが、そこまでとち狂う気持ちも分からないでもないけど……」  三等侯爵家の長女、しかも嫁に出る身と言うのだから、身の振り方が問題になる年齢だったのだ。そしてヴィルヘルミナは、シオリもカニエを狙っていたのは承知していた。承知していたからこそ、先に動いたと言う事情も有ったのだ。その意味で、出遅れたシオリが焦るのも無理もないと思ったぐらいだ。カニエが帰って来た直後にアズライトの御前に参じた時、シオリが悔しそうにしていたのは記憶に新しかったのだ。  そんなシオリの前に、カニエよりも美しく、そして聡明なヨシヒコが現れたのだ。シオリが食いつくのは火を見るより明らかなことだった。 「ヨシヒコ様は、庶民の身で皇女殿下を弄んだようなお方よ。あなたのしたことなど、気にするとは思えないのですけど。余裕で受け流されていたのではありませんか?」  そもそもと、ヴィルヘルミナは肝心なことを確認した。 「ヨシヒコ様のご気分を害したとしたら、オデッセア家が無事でいられるはずがありません。ヨシヒコ様が手を出さなくとも、アズライト様が見逃してくださるはずがないと思います。でも、オデッセア家を取り潰すと言う話になっていないのですよね? だとしたら、考え過ぎなのではありませんか? そもそも、ヨシヒコ様の寵愛を受けたのでしょう?」  だとしたら、何も心配する必要はないはずだ。常識を口にしたヴィルヘルミナに、そのことですがとシオリがにじり寄ってきた。 「寵愛を受けたことが……どうかしたのですか?」  思わず後ろに下がったヴィルヘルミナに、シオリは「よく分からないのです」と予想とは違う答えを口にした。 「よく、分からない?」  この手のことで、よく分からないとはどう言うことなのか。意外な告白に、ヴィルヘルミナは首を傾げることになった。 「私は、その、裸でヨシヒコ様の寝所でお待ちしていました。その、裸でシーツにくるまるのは、父にそうしたらと勧められたからです。おいでになったヨシヒコ様に呆れられたのですが、その、とても優しくしていただいたのは覚えています。でも、覚えているのはそこまでで、目が覚めた時には一人でベッドに寝ていました」  大した冒険だと感心しながら、ヴィルヘルミナは続く言葉を待った。だがいくら待っても、シオリの口からそれ以上の言葉が出てこなかった。 「それで、終わり?」 「終わりと言いますか。これが、よく分からないことに繋がるのですが……寵愛を受けると言うのは、口づけをして愛撫されることを言うのでしょうか?」  シオリの言葉に、ヴィルヘルミナはすぐには言われた意味を理解できなかった。 「ええっと、さすがに男女の営みを知らないはずはないですよね?」 「一応、嗜みとして性教育は受けています。ただ、あまりにも記憶が定かで無いので、分からなくなってしまったのです。もしかしたら、私はとんでもない粗相をしてしまったのではないのかと」  そこまで話を聞いて、ようやく話が見えてきたような気がした。ただ見えては来たが、自分には荷が重い話だと言うのも分かってしまった。男女のことを語れるほどの経験を、自分は持ち合わせていなかったのだ。 「一つ聞いておきますが、その後ヨシヒコ様に何か言われましたか?」  それが肝心だと、ヴィルヘルミナはヨシヒコの反応を探ろうとした。だがそれは、シオリに求めるのは間違っていたようだ。 「私が目を覚ました時には、おいでになりませんでした。それで途方に暮れていたのですが、しばらくしたところでアリアシア様がお出でになられました。そしてそのまま、朝食の場に連れて行かれたのですが……」  そこで言葉を切ったシオリは、一度目を閉じてからかっと大きく見開いた。 「ヨシヒコ様、アンハイドライト様、アズライト様が揃われていました。とてもではありませんが、私には耐えられるような場所ではありませんでした!」 「……まあ、理解できないことは無いのですが」  その中に、自分でも入って行きたくないと思えてしまうのだ。一応は理解を示したヴィルヘルミナは、必要な確認をすることにした。 「それで、その時ヨシヒコ様や皆様はあなたにどう接されたのですか?」  それが分かれば、多少は状況理解に役立ってくれる。そんな質問に、シオリは「どうと?」と聞き返してきた。 「どうとではないと思いますが? もしも粗相をしていたのなら、何らかの叱責があってしかるべきだと思います。ですから、どう接した下さったのか。それをお聞きしたのですが?」  質問を繰り返して貰ったおかげで、ようやくその意味を理解できたのだろう。ヴィルヘルミナの前で、思いだそうとするようにシオリは目を閉じた。 「特に、叱責されたと言うことはありませんでした。それどころか、何もなかったかのように話題にも上らなかったかと。どこかよそよそしいと言うのか、敢えて避けられたと言うのか……グリゴンに向けて出発することしか話題に上りませんでした。その、準備はできているから、お父様の船で付いてくるようにと言われました」  なるほどと納得したヴィルヘルミナは、「フィル」と自分のアバターを呼びだした。 「カニエに、入っていいと伝えて」  ヴィルヘルミナの言葉に、「どうして」とシオリは大きく目を見開いた。 「悪いですけど、どう考えても私の手には余ります。ですから、殿方の立場で教えていただこうと思ったのです」  ヴィルヘルミナがそう答えたところで、船室の入り口のドアが音もなく開いた。そして、少し困ったような顔をしたカニエが姿を現した。 「どうして、俺まで巻き込まれるのだ?」 「私の夫となるのですから、妻を助けるのは当然のことではありませんか?」  カニエの文句を正論で黙らせ、ヴィルヘルミナは「どうですか?」と意見を求めた。シオリの告白は、すでにアバター経由でカニエには伝えられていた。 「どうもこうも、ヨシヒコ様達が気を使われただけだろう」  少しぶっきらぼうに答えたカニエは、当たり前のようにそのままヴィルヘルミナの隣に腰を下ろした。ただシオリに遠慮をしたのか、座った以上の事はしなかった。 「初めてが失敗だったと教えるのは、さすがに可愛そうだと思われたんだろうな?」 「失敗だった……」  肩を落とし俯いたシオリに、カニエは「ああ」と認めた。 「最後までしないうちに気絶したんだからな。普通は、失敗と言うことになるはずだろう。まあその程度なら、可愛らしいと言うこともできるがな」 「それは、あなたも同じですか?」  横から口をはさんだヴィルヘルミナに、カニエは少し口元を引き攣らせた。 「なにか、責められているような気がしてならないのだが……」  やめてくれと目で訴えたカニエだったが、ヴィルヘルミナに跳ね返されてため息を吐いた。 「少なくとも、粗相でないことは確かだな。ヨシヒコ様としては、とんだお預けを食らったことになるのだろうが……その意味で言えば、粗相と言えないこともないのだが。まあ、目くじらを立てるようなことでないのは確かだろう」  その程度だと答えたカニエは、隣に座る恋人の顔を見た。 「どうして、この程度のことで俺を呼び出したのだ? 夕食までは、各自検討を進めることになっていたはずだ。お前も、くどいほど念を押していただろう?」 「検討メンバーが悩みを抱えているのですよ。リーダーたるあなたが面倒を見なくてどうするのです?」  しれっと言い返えされ、カニエはもう一度小さくため息を吐いた。 「女同士の赤裸々な話に巻き込んでくれるなよ。まあ、メンバーの相談に乗るのは、確かにリーダーの務めには違いないのだろうが」  ふっと息を吐き出し、カニエは頭を右手で掻いた。 「俺の保証では心もとないかもしれないが、オデッセア三等侯爵は悪い方に考えすぎだ。お前は不敬を働いたと思っているようだが、ヨシヒコ様は少しも気にされていない。そうでなければ、アリアシア様がお前の面倒を見てくれるはずがないだろう。アズライト様が黙っているのは、お前が後宮に入る資格があると認めたからだと思うことだ」 「私が後宮に?」  驚いた顔をしたシオリに、カニエとヴィルヘルミナは揃って呆れたと言う顔をした。 「アズライト様公認でご寵愛を受けるのですよ。それぐらいのことを、理解していなかったのですか?」  まったくとため息を吐いたヴィルヘルミナは、「死んだらどうです」と、とても過激なことを口にしてくれた。自分が世間を知っていると言うつもりはないが、あまりにもシオリの酷さに切れたのだ。 「いつまでもうじうじと……確かセレスタ星系には、アルケスト二等侯爵家がありましたね。トリフェーン様が皇妃殿下となられたことを考えれば、どうしてあなたが恐れる必要があるのでしょう。それぐらいのことを理解できないのなら、潔く命を絶った方が家の為です!」  立会人になろうかと持ちかけたヴィルヘルミナに、「おい」とカニエが横から割り込んだ。 「そう言う過激な方向に持って行くんじゃない」 「ですが、いい加減にしろと言いたくなりませんか? ヨシヒコ様の価値を考えれば、後宮に入るのは今までとは違った価値を持つはずです。ある意味、星系を代表するとも言えるのですよ。それなのに、この女ときたら……」  自覚も覚悟もないと、ヴィルヘルミナはシオリのことを切って捨てた。 「だとしたら、フェルゴーはどうするのだ? 黙って、セレスタが先行するのを見ているのか?」  どうしてそんなことを聞かれなければいけないのか。ヴィルヘルミナは、その問いにはっきりと驚いた顔をした。ただ、必要があるかとすぐに考えなおした。 「私の妹、もしくは親戚筋に当たってみたいと思います。ただ、こればかりは、名乗り出たからどうにかなると言うものではありませんから……せっかくその幸運を得たと言うのに」  もう一度シオリの所に戻ったヴィルヘルミナは、「死になさい」と先ほどより過激さを増してくれた。 「だから、過激なことを言うなと言っているのだ」  まったくと大きく息を吐いたカニエは、暗い顔をしたシオリを正面から見つめた。 「オデッセア様は、本当はどうしたいと思っているのですか? 私をヨシヒコ様と思って、打ち明けてくださってもいいのですよ」 「私は……」  言われた通りにカニエを見たシオリは、小さく息を飲んでまじまじとその顔を見てしまった。そこには、初めてと言って良いほど、優しい顔をしたカニエが居たのだ。そして「ヨシヒコ様と思って」と言うぐらいに、カニエはとてもよくヨシヒコに似ていた。むしろ、ヨシヒコその人だと思えてしまうほどだった。 「身分とか立場とか関係なく、愛していただきたいと思っています。後宮に入ることは、それに比べれば小さなことだと思います」  だが相手がカニエだと思えば、気持ちはずっと楽なものになる。ようやく本心を吐き出したシオリに、カニエは小さく頷いた。 「ようやく、本心を口にしたか」  ふんと鼻で息を吐き出したカニエは、椅子から立ち上がってシオリの所に移動した。そしてあろうことか、恋人に向かって「席を外せ」と命令をした。 「カニエ、あなたは何を言っているのですか?」  不穏なものを感じたヴィルヘルミナは、きつい視線をカニエへと向けた。その視線を受け止めたカニエは、少し口元を歪めて「有意義だった」と求める物とは違う答えを口にした。 「カニエ、どう言うつもりです!」  急におかしくなった態度に、ヴィルヘルミナはシオリが居ることを忘れて声を荒げた。そんなヴィルヘルミナの態度に、カニエは少し偉そうに答えを返した。 「次期ティアマト三等侯爵家当主の考えを聞くことができたからな。それに、地球に行った時の予行演習もすることができた。恋人を騙せるぐらいなら、他の人間を騙すこともできるだろう」  カニエの言葉に、さっとヴィルヘルミナの顔色が変わった。今の今まで考えもしなかった可能性が、突然頭の中をよぎっったのだ。 「もしかして……」  唇が震えるのは、驚きなのか恐怖なのか、ヴィルヘルミナは唇どころか体全体が震えている気がしていた。そんなヴィルヘルミナに、ヨシヒコは小さく頷いた。 「あいつへの連絡は、すべて横取りさせて貰った。今頃あいつは、部屋で真面目に考え事をしているだろう」  悪かったなと、口だけで謝ったヨシヒコは、「ラルク」と左手に嵌めた指輪に命令をした。すぐにラルクは赤く光り、髪型をヨシヒコの物へと戻してくれた。 「セラ、カニエにすぐに彼女を迎えに来るよう命じてくれ」  浮かび上がったアバターは、どこかで見覚えのある姿をしていた。ただヴィルヘルミナには、それに気づく余裕は残っていなかった。 「すぐに来ないと、彼女も後宮に入れると脅しをかけておけ」  これで、すぐに飛んできてくれることだろう。少しも心のこもらない調子で、「悪かったな」とヨシヒコはもう一度ヴィルヘルミナに謝ったのだった。  帝国に継ぐと言われるバルゴールの戦力だが、それを支えるのは衛星軌道上に存在する軌道城と呼ばれる37の要塞だった。約5百隻の戦艦を収容できること、そして自らの絶大な攻撃力によって、軌道城はバルゴールの守り神とされたのである。ザイゲル連邦と境界を接しているにも関わらず、バルゴールが侵略を受けていないのは、軌道城があるからと言っても過言ではなかった。  軌道城の成り立ちは、2千年前にバルゴールを襲った災厄へのシェルターだった。人類絶滅ウィルスであるエボイラを避けるため、軌道上に作られたシェルターに全人口のおよそ1割が脱出したのだ。  一つのシェルターには、およそ1千万の民が収容されていた。そのシェルターが52基、すなわち5億の人口が衛星軌道に逃れたのである。最盛期には100億を超えたバルゴールの民も、この時点で5億に減ったと言うことである。  だが衛星軌道に脱出した5億の民も、エボイラの脅威からは完全に逃れることはできなかった。完全な清浄状態に保つことを失敗したため、紛れ込んだウィルスによって5基のシェルターが死の世界となったのだ。衛星軌道に逃れた民は、1ヶ月と言う短い時間でさらに5千万の死者を積み上げたのである。  死の恐怖に怯えながら、バルゴールの民はおよそ100年の月日をシェルターで過ごした。そして清浄さを取り戻した地上に、約5億の民が復帰を果たしたのである。  そこで役目を終えたシェルターだったが、バルゴールの守り神として軌道上に残されることになった。その際要塞化され、外敵への守りを担うことになったのである。その後に整理統合が行われた結果、今は軌道上に37の要塞が残されていた。そして要塞は軌道城と呼ばれ、一等伯爵が城主として君臨したのである。そして一等伯爵達を束ねるのが、一等侯爵メリディアニ家である。そしてその絶大な力により、メリディアニ家は総領主よりも強い立場を維持していた。  メリディアニ家の現当主は、キャスバルと言う50近い年齢の男だった。非常に思慮深いと言う評判の一方で、瞬間湯沸かし器と揶揄される熱さも持つ男である。そしてそのキャスバルの統率の元、バルゴールは一見盤石の体制を敷いているように見えていた。 「この一月、特に変わりがないと聞いている」  月に一度の会議の場で、浮かび上がったホログラム達に自分の理解を口にした。眉間に縦皺を寄せてぐるりと顔を巡らせたキャスバルは、少し沈んだ声で「ただ、悪い知らせがある」と切り出した。 「悪い知らせ、ですか?」  全員が一等伯爵と言う立場ではあるが、その中でも序列に似たものは存在していた。そして37軌道騎士の筆頭となる男、レキシア・オム・バルゴール・ザルツバームが、代表して口を開いた。もっとも、口を開いたと言っても、相槌を打つ程度のものでしか無かった。 「うむ、シエーラ皇太后妃が、父ダイオネアと面会している。そしてその後、父がリルケで聖下にお目通りしているのだ」  キャスバルの告げた事実に、騎士たちの間にざわめきが広がった。メリディアニ家が皇室に近いこともあり、皇帝の性格の悪さは騎士たちの間では共通認識となっていたのだ。そして口には出せないが、皇太后妃の面倒臭さと性格の悪さもまた、知らぬ者がないと言われていた。その両者と話をしたとなれば、先代の動きも厄介なことに違いないと思えてしまうのだ。  しかもキャスバルの話は、それだけで終わってくれなかった。そしてキャスバルは、軌道城の存在意義に関わる敵の話を口にした。 「これは、星系守備隊からの情報なのだが……ザイゲル連邦が、グリゴン星系に大規模な艦隊集結を行っている。しかも、各星系総領主クラスがグリゴンに集まっていると言う。ただ、その中でバーバレドズのドワノビッヂとその取り巻きが動いていない」 「艦隊集結ですか……」  おうむ返しにしたレキシアに、キャスバルはうむと頷いた。 「およそ、4百万に上る戦力と言うことだ」  キャスバルのあげた数字に、城主たちの間にさらなるざわめきが広がった。戦いにおいて、数は絶対的な正義となる。バルゴールの保有する戦力、1.8万に比べて、4百万と言う数字は圧倒的な意味を持っていたのだ。 「しかし、何故総領主と大艦隊がグリゴンに集結するのです?」  レキシアの問いに、キャスバルは一瞬視線を険しくした。 「あくまで推測にしか過ぎないのだが、テラノが関係していると思われる。すでに諸兄も知っていると思うが、聖下が次期皇帝の座をテラノの庶民に譲られると公布された。その男が、グリゴンを訪れるとなれば、この動きも不思議ではないと思われる。だから儂は、グリゴンに集まる者達は問題とは思っておらん。むしろ、ドワノビッヂ達の動きが問題ではないかと思っておるのだ」 「とは言え、譲位は帝国にとって一大事違いありません。その庶民とやらが、それだけの能力を持っているのか……さもなければ、聖下の悪癖が顔を出したと考えるべきか」  ううむと唸ったレキシアに、キャスバルは静かに「両方だろう」と答えた。 「諸兄も、テラノとグリゴンを中心に始まった動きのことを知っていると思う。そして聖下が、その庶民を始末したと言ううわさも聞いているだろう。あのアズライト様を従えたことを考え合わせれば、その庶民とやらは野に置くには惜しい才能を持っていると言うことだ。ただ、それだけであれば、アズライト様を皇帝に、その男を皇配とすればよいだけのことだった。さもなければ、養子に迎えると言う方法もあったはずだ。そうしなかったことが、聖下の悪癖が顔を出したのだと想像することができる」  キャスバルの分析に、城主たちの間に小さなざわめきが広がった。その反応は、納得がいかないと言うより、宇宙が大きく動こうと言うことへの驚きが理由となっていた。 「なるほど、帝国は大きく動こうとしていると言うことですか……」  その気持ちを代弁したレキシアに、キャスバルは「然り」と大きく頷いた。 「そして帝国が大きく変化しようとすれば、必ず付いて行けない者、抵抗しようとする者が生まれてくる。ドワノビッヂ達は、間違いなく帝国の変化を歓迎していないのだろう」 「テラノの者が次の皇帝となるのであれば、ザイゲルの勝利と考えるのではありませんか?」  レキシアとは違う城主が、不思議だと言って声を上げた。37城主の一人、クランカンと言うまだ若い城主だった。 「いや、テラノの少年が、皇帝に取り込まれたと考えることもできる。それを裏切りだと考えれば、ドワノビッヂの動きも理解することができるだろう」  そしてクランカンの疑問に、別の城主シジマールが意見を口にした。 「それならば、バーバレドズはグリゴンに反発することになるだろう。そして争いは、ザイゲルの中で起こることになる。ならば我々は、静観していればよいことになる」  事情を考えれば、自分達が動く必要はない。シジマールの主張に、ホログラムで参加した城主たちは同意を示すように頷いた。 「確かに、ザイゲルの問題はザイゲルが解決すればよいだろう。シジマール卿の言う通り、我らに影響は出ないと思われる。ただバーバレドズと境界を接している以上、今まで以上に注意が必要なことに間違いはないだろう。従って、我々が憂慮すべきはわが父と皇太后妃、そして先帝の動きと言うことになる」  キャスバルの言葉に応えるように、城主達はそろって渋い顔をしていた。宿敵ザイゲルより、身内の方が性質が悪いのだ。しかも皇帝まで絡んでくると、必ず話が望まない、そしておかしな方向に捻じ曲げられるのが見えていた。 「しかし、キャスバル様が動かなければ、何も問題は生じないのではありませんか?」  レキシアの指摘に、キャスバルは小さく頷いた。 「確かに、父がいくら騒ごうとも、すでにメリディアニ家は儂に代替わりをしている。聖下にしても、直接の干渉を行うことはできないだろう」  キャスバルの言葉は、何も問題は起きないことを保証するもののはずだった。だがそれを口にしたキャスバル自身、どこか納得がいっていないような顔をしていた。 「キャスバル様、何かご懸念でも?」  それを気にしたレキシアに、キャスバルはもう一度頷いた。 「うむ、儂はバルゴールのことを考えたのだ。我らがバルゴールは、先の皇妃を送り出したこと、そして帝国に次ぐ力を持つことで、常に帝国の中心に位置をしてきたと自負しておる。そしてその事情は、これからも変わらないものだと信じていたところが儂にはあった……」  そこで言葉を切り、キャスバルは城主達の顔を順に見て行った。 「だが、それが錯覚であるのを先日思い知らされたところだ。テラノとグリゴンから始まった変化は、帝国の70%に広がろうとしている。その動きから聖下は弾き出され、そして我々H種も弾き出されていたのだ。もちろん、弾き出されたからと言って、実害は必ずしも起きていない。ただ、帝国の中心にいると言う意識が否定されることになってしまったのだ。そしてそのまま進めば、帝国の存在は有名無実の物となり、新しい枠組みが帝国に取って代わることになっていただろう」  予想とは違う形で、帝国が崩壊することになる。キャスバルの言葉に、城主達は沈黙を持って肯定の意を表した。 「もちろん、それは一朝一夕に進むものではないだろう。とてもではないが、穏便に進むとは考えられない変化だ。帝国の持つ力と我々H種の持つ力は、帝国に生きる者たちにとって無視することのできぬほど大きなものだ。その力を抜きにした枠組みは、間違いなく組織のタガを外すことになることだろう。新しい枠組みは、圧倒的強者が存在しないが為に、不安定さを抱えることになるものだ。そしてそのことは、すでに諸兄と話し合ったことでもある」  そこで言葉を切ったキャスバルは、もう一度城主達の顔を順番に見て行った。 「変革を主導した少年が死に、ますます空中分解の可能性が高まったと考えていた。だがその少年が生き延びたことで、先が見えなくなったと言っていいだろう」  もう一度言葉を切り、キャスバルは城主達に一つの質問を投げかけた。 「此度の公布は、一体誰が仕掛けたものなのだろうか?」 「聖下ではないのですか?」  悪癖が顔を出したとまで口にしたのだから、現皇帝の仕掛けであることに間違いはない。それを口にしたレキシアに、キャスバルは小さく首を横に振った。 「つい先日まで、聖下は何も手出しができないところまで追い込まれていたのだ。何しろ、テラノやザイゲル、そしてシレナに無視をされていたのだからな。それを考えれば、聖下が仕掛けを作ることはできないのだ。テラノの庶民を皇帝にすると言うのは、間違いなく聖下のお考えなのだろう。だが、その前の段階の仕掛けが必要なのだ。そしてその仕掛けは、聖下には作ることができなかった」 「つまり、そのテラノの庶民と言うのが聖下に仕掛けたのだと?」  ごくりとつばを飲み込むのが、至る所から聞こえてきた。キャスバルの推測が正しければ、その庶民は正しく新しい動きの問題を把握していたことになる。中からは問題が見えにくいことを考えれば、それは恐るべき洞察力に違いない。そして自分を抹殺した皇帝と対峙したことを考えると、もはやただの庶民と言うのは大きな間違いだと知ることができる。 「然り。だからこそ、儂はバルゴールを憂うことになったのだ。このままいけば、帝国は一大変革期を迎えることとなるだろう。その変革期に、我がバルゴールはどのような役割を果たすことになるのか。もしも何の働きも示すことが出来なければ、帝国の中心から逆に辺境へと追いやられることになるだろう」 「仰ることは理解できます」  そこで口をはさんだレキシアだったが、その言い方は奥歯に何か挟まったようなものだった。 「よい、意見を言ってみろ」  それを感じたキャスバルは、遠慮をするなとレキシアに命じた。 「聖下が蚊帳の外に置かれたのと同様に、我々も蚊帳の外に置かれています。センテニアルでのことを考えれば、テラノは我々を当てにはしていないでしょう。帝国の実権を掌握できれば、他のH種の助けなど不要と考えている可能性もあります。しかもバルゴールからは、クレスタ学校に誰も参加しておりません。変革に身を置く気のない、むしろ変革への邪魔者と受け取られている可能性すらあるのかと」  失礼しましたと謝るレキシアに、キャスバルはもう一度「よい」と許しを与えた。 「冷静に分析すれば、儂でも同じ意見に到達することになる。父上がおかしな動きをする前に、儂としては次の皇帝聖下とお話をしておきたいのだが……残念ながら、テラノに行くには面倒な手続きが必要となる」  いまだ渡航制限が解けていないことあり、テラノへの爵位保有者の渡航が難しいと言う事情は変わっていなかった。それでも以前よりはかなり緩和されたのは、センテニアルに伴い観光目的の訪問が許されるようになったことだった。その意味で、キャスバルがテラノに行くには、「観光」と言う名目を作る必要がある。ただそれにしても、総領主の許可を得る必要があった。 「フェルゴー星系から、ティアマト三等侯爵家令嬢がクレスタ学校に参加していたと思いますが?」  その筋を頼ってはと言う指摘に、キャスバルは小さく頷いた。 「うむ、ティアマト家に申し入れはしてある。だが、ご令嬢と次期皇帝聖下との関係が見えていないのだ。そして時間が掛かることも問題だと思っている」 「でしたら」  接触方法に頭を悩ませたキャスバルに、クランカンが自分がと言って手を挙げた。 「暇をいただいて、テラノに観光に行くと言うのはいかがでしょうか? そのついでと言うことで、総領主のジェノダイト様にご挨拶をするのであれば、難しい許可も不要かと思います」 「確かに、観光ならば総領主殿の許可を貰えばいいのだが……」  そこでシリングの顔を思い出し、キャスバルは「うむ」と考え込んだ。普通なら、何の問題のない手続きには違いない。だが総領主との確執を思いだすと、ひと騒動起きそうな気がしたのだ。  もっとも、他に適当な方法が無いのも確かだった。それを認めたキャスバルは、クランカンを使者に立てることを決断した。まだ年若く柔軟な考えをした者を送り込まなければ、それこそ時代を見誤ると言う恐れを抱いていたのだ。 「ならばクランカン、テラノへ行ってもらえるか。総領主殿には、儂から話を通しておこう」  それぐらいの手間は掛けると口にしたキャスバルに、「お恐れながら」とクランカンは反論した。 「あくまで、観光が口実となります。従いまして、総領主殿には私から申請を提出いたします」  クランカンの申し出に頷いたキャスバルは、任せるとすべてを託すことを認めた。 「特に異論が無ければ、会議を終了することにする」  キャスバルの宣言に、ホログラムの城主達は「御意」と会議の終わりを認めた。そしてその言葉に合わせ、一人また一人とキャスバルの前から姿を消して行った。  だが最後の一人となったレキシアは、姿を消す代わりにキャスバルに呼びかけた。 「少し、お話を宜しいでしょうか?」 「なんだ、ザルツバーム卿」  敢えて一人残ったことに、キャスバルは重大な意味があるのだと理解した。そんなキャスバルに、「言いにくいことですが」と断り、レキシアは後継問題を口にした。 「キャリバーン様のことです。キャスバル様は、本気でキャリバーン様にメリディアニ家をお任せになられるおつもりでしょうか?」  普通ならば、そのつもりで終わる問いかけに違いない。だがキャスバルは、レキシアの問いにすぐに答えを返すことはできなかった。そしてその沈黙を答えと受け取り、「差し出がましいことですが」とレキシアは言葉を続けた。 「キャリバーン様を当主とすることに、城主たちが納得しておりません。そしてタルキシス様にしても、メリディアニ家の家督に相応しいとは思えないのです」 「お前の言いたいことは理解しているつもりだ。二人のどちらかが跡を継げば、間違いなくメリディアニ家は衰退することとなるだろう。そしてそれは、親としての私の不徳に違いない。唯一の希望はリーリスなのだが、婿として相応しい相手が見つかっていないのだ」  苦渋に満ちた顔をしているのは、それが一族に関わる問題であるのを承知している証拠でもある。だが問題は意識していても、妙案がないと言うのが現実だった。それを改めて持ち出されるのは、キャスバルにしてみれば不本意なことに違いなかった。 「リーリス様の婿についてですが……」  そこで一度口ごもったレキシアは、覚悟を決めたように一人の青年の名を口にした。 「クランカンはどうかと考えております。年齢的に釣り合いが取れること、そしてとても賢く柔軟な考えをしております。さらには、見た目に反して行動的と言うのも評価できるかと。今回テラノ行きを志願したことも、評価できるかと考えております」 「クランカン……か」  金色の巻き毛をした青年を思い出し、キャスバルはううむと唸り声を上げた。何しろこれまで、メリディアニ家は軌道城城主達と縁組をしたことが無かったのだ。特定の城主を取り立てないと言う表向きの理由はあるが、ためらうのは必ずしもきれいな理由ばかりではなかったのである。クランカン自身の資質に疑問は無いが、キャスバルには城主を婿に迎えることへの抵抗が残っていた。  考え込むキャスバルに、レキシアは「失礼した」と謝罪の言葉を口にした。 「今回のテラノ行きを、判断材料にしてみてはいかがでしょうか?」  提案を口にしたレキシアだったが、キャスバルからは何の答えも返ってこなかった。これ以上は無理だと見切り、レキシアはもう一度「失礼した」と自らホログラムの接続を遮断した。城主達の思いを伝えた以上、ここから先はキャスバルが頭を悩ませる番となったのだ。下手に主張しすぎることは、問題をこじらせることになりかねない。帝国の問題以前に、城主達にはバルゴールの抱えた問題の方が重要なものだった。 Last Chapter  ザゲ中継地を出れば、後はまっすぐグリゴンを目指すだけになる。そして主星グリゴンまで残す所5時間となった所で、ヨシヒコ達一行はザイゲル連邦大艦隊の出迎えを受けることとなった。要塞10を含む、総勢4百万の艦艇が列を作ってヨシヒコ達の船を出迎えてくれたのである。集結した艦艇の数は、ザイゲル連邦の歴史の中でも記録にないほどの規模となっていた。 「さすがに、凄いな……」  宇宙に出たことはあっても、こんな大規模な艦隊を見た経験は無かった。そんなヨシヒコにとって、4百万の艦隊は想像を絶するものとなっていた。 「確かに、想像を絶する数ですね……」  そしてその思いは、アンハイドライトにも共通するもののようだった。ヨシヒコ以上に驚いた顔をして、何度も凄いと繰り返してくれた。そしてザイゲルの物量に感心しながら、アンハイドライトは本当に凄いのはヨシヒコだと感心していた。ザイゲル連邦にとっても初となる大動員を実現させたのは、誰でも無くヨシヒコが理由だったのだ。 「しかし、全く派手なことをしてくれる」  いつまでも驚いてばかりはいられない。くっくと小さく笑いを漏らしたヨシヒコは、アバターに連絡がなかったかを確認した。 「ドワーブ様から連絡は入っているか?」 「ザイゲル連邦は、ヨシヒコ次期皇帝聖下のご光臨を歓迎するとのことです」  メッセージを伝えたセラに、ヨシヒコは「繋げ」と命令をした。 「はい、ただいまグリゴン総領主府と接続をしています……ドワーブ一等公爵閣下がお出になられました」  こちらにと、セラが指差した先にドワーブの立体映像が浮かび上がった。なるほど大した技術だと感心したヨシヒコの前に、ドワーブは片膝を突いて恭順の意を示してきた。 「ドワーブ閣下、お立ちになっていただけますか?」  普段は偉そうな態度を取るヨシヒコだが、ドワーブに対しては遜った態度で接した。そして立ち上がったドワーブに対して、「お久しぶりです」と嬉しそうに声を掛けた。 「もったいないお言葉です」  もう一度頭を下げたドワーブに、それは止めましょうとヨシヒコは笑った。 「ドワーブ閣下は、私の恩人です。閣下のお力添えがなければ、私はリルケで命を落としていました。地球に帰ることも出来ず、両親と会うことも出来なかったでしょう」 「聖下は、グリゴンの恩人なのです。その恩を返したまで、そうお考えになっていただければ結構かと」  さらに頭を下げたドワーブに、ヨシヒコはもう一度苦笑を返した。 「それでも、閣下は私にとって恩人には違いありません。私が恩に感じている。そうご記憶いただければ幸いです」  それを繰り返したヨシヒコは、ドワーブに向かって紹介したい人がいると切り出した。そしてその言葉に答えるように、4人の姿がホログラムで浮かび上がった。 「アンハイドライト様、アリアシア様、アズライト様の3人は今更紹介には及びませんね。アンハイドライト様は、ジェノダイト様の養子となられ、アシアナ一等侯爵家を継がれることとなりました。そして私の教育係として、仕えるようにと聖下がご命令なされました。そしてアズライト様は、私の妻として皇妃となることが決まっています。アリアシア様は……地球の一庶民には着いて行けない世界なのですが……私の後宮に入ることとなりました。そしてオデッセア家長女のシオリ様も、アリアシア様同様に私の後宮に入ることとなりました。そして」  ヨシヒコの言葉に合わせて、男女4人の姿が浮かび上がった。 「紹介します。私のスタッフとなる4人です。閣下も、クレスタ学校の名を耳にしたことがあるかと思います。カニエ・オム・リルケ・クレスティノス三等子爵、彼がクレスタ学校の代表を務めていました。そしてこの4人のリーダーとなります。次にヴィルヘルミナ・ホメ・フェルゴー・ティアマト三等公爵を紹介します。彼女は、フェルゴー星系を代表し、クレスタ学校に参加しています。次にアイオリア・ホメ・サジタリウス・セイレーン一等侯爵を紹介します。彼は、サジタリウス星系を代表してクレスタ学校に参加してくれています。そして最後に、カスピ・ホメ・アクアノス・マリエル二等伯爵を紹介します。彼女は、アクアノス星系を代表してクレスタ学校に参加してくれています。クレスタ学校には他にも参加者はいましたが、私の目に止まったのはこの4名ということになります」  ヨシヒコの紹介が終わった所で、カニエ達はホログラムのドワーブに頭を下げた。 「今回の訪問では、アズライトのようなイタズラはしません。その代わり、ドワーブ様のメガネに適った者達と議論を戦わせたいと思っています。これからの帝国をどうしていくのか。忌憚のない意見を交わせればと思っています。一応一日の滞在予定ですが、必要であればスケジュールの調整を行います」  お互いの立場を考えれば、ヨシヒコの申し出は最大限の配慮に違いない。それに感激したドワーブは、「感謝致します」と頭を下げた。 「思し召しに従い、直ちに選抜を行いたいと思います。ただ、少しばかり人数が多くなることをご容赦願います」 「その辺り、お手柔らかにお願いします……と言う所ですか」  そう言って笑ったヨシヒコに、とんでもないとドワーブは恐縮した。 「その言葉は、私達のためにあると思っています。正直に申し上げますと、先日アセイリア様に返り討ちにあったばかりなのです。捲土重来の思いはありますが、まだ途上と言うのが正直な所です」  そう答え、ドワーブは「お手柔らかに」と逆に返した。 「残り、グリゴンまで4時間ですか……」  ふと外の景色に目を転じたヨシヒコは、「楽しみです」とドワーブに打ち明けた。 「前回は、全くゆっくり出来ませんでしたからね。今回は余計な駆け引きもありませんから、存分にグリゴンを楽しませていただこうと思っているんです」 「その辺りは、お手柔らかにとしか申し上げられませんな」  少し口元が歪んでいるのを見ると、どうやらドワーブは苦笑をしているらしい。その辺り、さんざん皇族に遊ばれた被害者なのだから仕方がないことでもあったのだ。 「では、次はグリゴンでお会いできるのを楽しみにしています」  準備で忙しいと考えられる以上、いつまでも付きあわせては迷惑に違いない。そう配慮したヨシヒコは、ドワーブに感謝をして通信を遮断した。そして緊張したカニエ達に、期待をしているぞと声を掛けた。 「ザイゲルは、精鋭を集めてくれるだろう。そこでは、お前たちの見識が問われることとなる。俺のスタッフと紹介した以上、心して掛かってくれ」  恥をかかせるなよと脅したヨシヒコは、以上だと言って通信を遮断した。そして横に並んだアンハイドライトに、「帰ってきたんだ」と感慨深げに呟いた。 「帰ってきた……ですか?」  どうしてグリゴンに帰ってきたことになるのか。そんな疑問を含んだアンハイドライトの答えに、ヨシヒコはもう一度帰ってきたのだと繰り返した。 「アズライトとのことを含め、ここは大切な思い出のある場所なのです。そして俺にとって、初めて出来た地球外の友人がいる場所だと思っています。だから俺は、思い出深いこの場所に帰ってきたのだと思っているんです」  そう答えたヨシヒコは、前方に浮かび上がる黄色がかった惑星を見つめた。生まれて初めて見た、地球外の惑星がそこにある。それまで持っていた自分の常識が壊され、そしてそれ以上の感動をしたのを思い出したのだ。自分を産み育ててくれたのは地球だが、グリゴンは自分に大切な物を与えてくれたのだと思っていた。その意味で、ヨシヒコにとってグリゴンは特別な星となっていたのだ。 「君は、グリゴンが好きなのだね」  アンハイドライトの指摘に、ヨシヒコは少しも迷わずに頷いた。 「ずいぶんと酷い目に遭わされたはずなのですが……それでも、俺は彼らが好ましいと思っていますよ」  だから、ともに栄えていきたいと思っている。まっすぐにグリゴンを見たヨシヒコは、それが自分の考えなのだとアンハイドライトに伝えたのだった。 Episode 8 end...