星の海の物語 Episode 7 The story of the Chapter 0  アセイリアがグリゴンに向けて出発したのは、カニエを見送った3日後のことだった。その際ジェノダイトの個人用クルーザーを利用したのは、彼女がアンハイドライトの嫁になることを考えれば正統なことに違いない。もっとも公表前と言うこともあり、他に利用できる船がないことが理由とされた。  今回急いでグリゴンに行くのは、第一にヨシヒコ復活を報告することだった。皇帝との関係を考えれば、ヨシヒコの復活は新たな火種となりかねなかったのだ。そして同時にドワーブに対して、ヨシヒコの打ち立てた新しい方針を伝えておかなければならない。  遠ざかっていく地球を眺めていたアセイリアに、随伴者の一人が声を掛けてきた。ヨシヒコの姉、イヨが今回は特別に一行に加えられていた。 「以前に比べて、すっかり貫録が付きましたね」  随伴員にイヨが加えられたのは、本人の希望と家族の強い希望があったからに他ならない。一説には、退職を盾に上司に許可を迫ったと言う話もあったぐらいだ。  貫録が付いたと言うイヨの言葉に、「そうでしょうか」とアセイリアは小首を傾げた。 「5カ月も経ちましたから、落ち着いたことは落ち着きましたけど……貫録なんて付くとはとても思えませんよ。堂々と振る舞うようには気を付けていますが……」  ううむと唸ったアセイリアは、「多分」と言って二人の名を挙げた。 「お義母様の指導のおかげだと思います。後は、ヨシヒコさんが復活したので、気分的に楽になったのと」 「まだ、「お義母様」なんだ?」  アンハイドライトの求婚を受け入れたことは、イヨもチエコ経由で聞かされていた。それを考えれば、今さら「お義母様」は無いだろうと言うのである。そのことを指摘されたアセイリアは、「そうでしたね」と舌を出した。 「もう、くせになってしまったと言うのか……それこそ、5カ月近く続けてきましたからね。そうかぁ、もうお義姉様とも呼べなくなっちゃったんだ……」  それを思うと、どこか寂しい気持ちもしてしまう。小さく息を吐き出したアセイリアに、「良かったの」とイヨは問いかけた。 「良かったのと言うのは?」 「アンハイドライト様の求婚を受け入れたこと。条件から行けば、背が高くてイケメンで一等侯爵様って三拍子揃っているんだけどね。しかも性格まで良いと来ているから、非の打ちようもないんだけど。ただ恋愛って、そう言うものじゃないでしょ?」  本当に弟のことを諦めていいのか。それを尋ねたイヨに、ああとアセイリアは頷いた。 「恋愛はそうなんでしょうけど、結婚となるとまた変わってきますよね。さすがに、日陰の愛人枠は嫌だなあって思いますよ。それに一等侯爵夫人って響き、とっても素敵だと思いませんか? しかもアンハイドライト様は、お義母様も認める好青年ですよ」 「まあ、羨ましいって気はするけど……」  冷静になって考えれば、アセイリアの言う通りなのは間違いない。このまま弟に拘っても、競争相手は次の皇帝となるアズライトなのだ。相手が弟の子供を身籠っていることからも、勝ち目がないのは明白だった。 「やっぱり、物凄く羨ましいか……」  どちらに転んでも、羨ましいことに変わりがないのに気が付いたのだ。ひょっとして、物凄い強運の持ち主でないかと、イヨはアセイリアのことを見直した。 「ねえ、あなたってとっても運が強いと思わない?」 「私が、ですか?」  幸運の女神とまで言われるイヨに言われると、本当にそうかと思えてしまう。ううむと考え込んだアセイリアに、「だって」とイヨは事実を並べ挙げた。 「たまたまヨシちゃんと同じ背格好で、似た見た目をしていたのががきっかけでしょ? それまで目立っていないことを考えれば、能力が飛びぬけていたってこともないと思うし……それに、有名になった業績って、全部ヨシちゃんが作ったものでしょう。それを引き継いだのって、やっぱり運がものを言っていると思うわよ。アズライト様に覚えられて、最後は元皇太子様の奥様じゃない。ただの一般庶民だと考えたら、玉の輿としか言いようがないわ」  そうやって事実を並べ挙げられると、幸運が重なったことを否定することは出来ない。結果だけを見れば、強運と言われても不思議ではないぐらいだ。ヨシヒコが死んで苦しいときも、結局チエコの助力を得ることができた。自分の力を卑下するつもりはないが、誰かの強力な助けを貰い続けたことだけは確かだった。 「言われてみれば、物凄く運が良かったとしか……でも、今まで運が良かったとは思ったことが無かったのですけどね」  もう一度唸ったアセイリアは、「むしろ酷かった」と打ち明けた。 「これでも、頭はいい方だったんですよ。だから、21で領主府に入ることもできました。でも、人間関係は苦手だったから、うまく溶け込めていなかったし……グリゴン代表団に選ばれた時も、周りからは「誰、それ?」って見られていました。後は、男運も良くなかったから、初体験の相手もろくでもなかったし……」  もう一度ううむと唸ったアセイリアに、「ヨシちゃんって……」とイヨは少し呆れていた。 「よく、あなたを見つけ出したわね。あなたが、ヨシちゃんに頭の上がらない理由が分かったと言うか……やっぱり、人の運って山や谷がある物なのね。父さんにも、谷の時があったのかなぁ?」  今や父親のヒトシは、誰もが知る強運の代名詞となっていた。その父を思いだしたイヨに、「さすがに」とアセイリアは口元を引き攣らせた。 「あると、思いたいですね……でも、あの強運を考えたら、不運の時の落ち込みは想像を絶するようで……それはそれで、怖いような気がします」  アセイリアの意見に、だよねぇとイヨもそれを認めた。そして翻って自分を考えると、取り立てて不幸だと思う出来事は起きていなかった。何しろ最大の不幸だと考えた弟のことにしても、今は無事に復活してくれている。それを考えれば、運が無いのは男運ぐらいだろうか。その男運にしても、悪い男に引っかかったと言う不運ではなかった。運というより、縁と言った方が正しいのだろう。 「父さんは堅実だから……だから、大きな不運は無いのかもしれないわね。もしかしたら、絶妙なところでバランスをとっているのかもしれないし」  トランスギャラクシーに行けたと言う幸運は、息子に訪れた最大規模の波乱でちゃらなのだろう。帰ってくるまでにあった数々の幸運は、一度息子を失うことでちゃらになっているのではないか。 「なんか、父さんに運を使ってもらいたくない気がしてきたわ……」  新たな混乱が導き出されることを考えると、父親の強運も考え物なのだ。それを考えてのイヨの言葉に、同感だとアセイリアも頷いた。 「ただ、今さら手遅れと言う所もあると思います。ヨシヒコさんは、すでに大きな流れに巻き込まれてしまいましたから。もう、お義父様の運とか関係ないところに来てしまっているような」  今の弟を考えれば、確かにアセイリアの言う通りなのだ。それを指摘され、確かにそうだとイヨは不安そうな顔をした。 「アズライト様に逢いに行ったのよね……」 「正確には、皇帝聖下に会いに行きました。今さら殺されることは無いと思いますが、また問題を抱えてこないかが不安で……その目を一つでも潰しておくのが、今回のグリゴン訪問の目的でもあるんですけど」  そこでため息を一つ吐いたアセイリアは、「格が違うからなぁ」と二人のことを思いだした。いくら自分が動いても、問題は遥か上空で起きてくれるのだ。 「ヨシヒコさんと皇帝聖下が結託したら……なにか、とっても凄いことになりそうな気が」 「ヨシちゃんは、限度を弁えていると思うけど……」  改めて指摘されると、なにかとんでもないことが起きそうな気がする。その恐怖に、イヨはぶるっと身を震わせた。 「限度と言っても、聖下を動かした時点で私達の想像を超えると思いますよ」  それを考えれば、覚悟だけはしておく必要があるのだろう。困ったものだと考えながら、逆に期待する気持ちがあるのをアセイリアは気が付いていた。 「いい加減勘弁してほしいと言う気持ちもあるんですけど……ただ、それ以上に期待している気持ちもあるんです。ヨシヒコさんと皇帝聖下、そしてアズライト様が関わるのですよ。私達には想像もつかないことが起きてもおかしくない、と言うか、想像もつかないことが起きてこそ意味があると思えるんです。当たり前の結果だったら、逆にがっかりしそうな気がして……」  期待を口にしたアセイリアに、イヨはため息を吐くことで答えた。 「言いたいことは分かるけど……でも、あなたが今の立場に居られる理由が分かった気がするわ」  そう言ってアセイリアを見たイヨは、自分には無理だと打ち明けた。 「あなたは、自分に降りかかるかもしれない面倒を歓迎しているわ。普通の人なら、もう勘弁して欲しいと考えるところなのにね。それができるから、あなたは今の立場でいられるんだと思うわ」 「これでも、弱音なら両手に余るほど吐いたんですけどね……」  そんな凄いものではないと自嘲し、アセイリアはヨシヒコを理由に持ち出した。 「そのたびに、ヨシヒコさんにおいしそうな餌をぶら下げられました。しかも、挫けそうになった時には手を引いてくれるし。だから、今度はどんなことを見せてくれるのか、それが楽しみに思えるようになったんです」  それを嬉しそうに言われると、姉という立場でも嫉妬してしまう。ただそれを口にするのは、さすがに問題だとイヨは自重した。 「そっか、ヨシちゃんはあなたにとってそう言う男だったんだ……あなたにとって、いい出会いだったのね」 「今になってみれば、本当にそうとしか言えませんね。ただ、初めの頃は、なんて酷い男だと思いましたけど。散々弄ばれたし、責任もとってくれなかったし……でも、一番苦しかったのは置いて行かれたことでしたね。あの時は、ああ、私はこんなに彼のことを愛していたんだと思い知らされましたから」  イヨの言葉に同意をし、アセイリアはもう一度「いい出会いでした」と答えた。 「私も、あなたに肖りたいところね。どこかに、いい男は居ないかなぁ」  どうも、そちらの方の運に恵まれていない。そう言って嘆くイヨに、「難しいですよ」とアセイリアは脅した。 「間違いなく、理想が高くなっていますからね。世の中には、そうそうアンハイドライト様みたいな方はいらっしゃいません。ただ、お義姉様は宇宙軍の中では有名人ですよね。きっと、裏では壮絶な争奪戦が繰り広げられているんじゃありませんか? 何しろ、弟さんは次期皇帝の旦那様になる人ですからね。ヨシヒコさんの復活が公になったら、お誘いが引く手あまたになるんじゃありませんか」 「……何か、余計に縁遠くなりそうな気がしてきたわ」  次期皇帝の夫の姉という立場は、間違いなく大きな壁となって立ち塞がってくれるだろう。それを思うと、必ずしも良いこととは言えないのだ。さすがに困ったなと悩むイヨに、「いえいえ」とアセイリアは首を横に振った。 「世の中には、野心を持った人が大勢居ますからね。そう言った人たちから、山のように求婚されるんじゃありませんか?」 「でも、それって幸せな結婚とは言いがたいんじゃないの?」  下心が不純過ぎると、イヨはアセイリアへの文句を口にした。だが文句を言われた方にしてみれば、認識が甘いとしか思えなかった。 「でも、私は事実を口にしただけですよ。それぐらい、お姉様の立場は魅力的なものになるんですから。一等侯爵どころか、その上の公爵家からも嫁にと言われるんじゃありませんか?」 「それって、皇族って意味だよねぇ……なんか、嫌って気がする」  本気で嫌そうにするイヨを前に、アセイリアは「楽しいな」と内心思っていた。同い年と言うのもあるが、こう言った馬鹿話をした経験がなかったのだ。イヨには申し訳ないが、このままの関係を続けたいと思ったほどだ。  その意味で、ようやく気持ちの平穏が訪れた。無事皇帝との対決を終わらせて欲しい。アセイリアは、ヨシヒコの首尾に期待をしたのだった。 Chapter 1  予定通り皇族専用ドッグに付いたアルタイル号から、ヨシヒコはアンハイドライトと腕を組んで下船した。当たり前のことだが、ヨシヒコではなくアセイリアとして現れたのである。そしてアセイリアなら、アンハイドライトと恋人のように振る舞う必要があったのだ。 「まさか、あなたと腕を組むとは思いませんでしたよ」  見た目は綺麗だが、腕を組んでいる相手は男だった。生まれて初めて女性と腕を組んだのだと考えると、実に複雑な気持ちになってしまう。さすがに苦笑を浮かべたアンハイドライトに、「お互い様です」とアセイリアことヨシヒコも苦笑を返した。そんな二人の後ろを、シルフィールが一見大真面目、その実とても不機嫌そうな顔をして歩いていた。  そうやって皇太子とそのお付一行と言う立場で検疫をすり抜けた一行は、そのままロマニアのノイエ宮へと向かった。もっともいきなりアルハザーと面会するのではなく、ノイエ宮にあるアンハイドライトの館が目的地である。面会の時間まで、アンハイドライトの館で待機することになっていた。  館に着いたところで、「お疲れでしょう」とアンハイドライトは二人をお茶に誘った。そしていい場所があると、バラに似た花の咲く庭園に二人を連れて行った。きれいに手入れされた庭園には、色とりどりのバラに似た花が咲き誇っていた。  その庭園の真ん中あたりに、小さな屋根の付いたテラスが作られていた。そこのテーブルに二人を案内したアンハイドライトは、侍女にお茶とお菓子を命じてから両肘をついてアセイリアの姿をしたヨシヒコと向かい合った。 「聖下からは、夕食でも食べながらと言われています。ですから、時間としては3時間ほど待つことになりますね。それまでは、自由時間となるのですが……」  そう説明したアンハイドライトは、「ただ」と言ってアセイリアの姿をしたヨシヒコを見た。その時のヨシヒコは、だぶっとした白いセーターに、赤いチェックのスカートと言う出で立ちをしていた。そして生足を晒さないよう、黒いストッキングを穿いていた。 「堅苦しい場所ではないのですが、もう少しおしゃれをした方が良いですね」 「おしゃれ……ですか? まさか、私にドレスを着ろと?」  せっかく体型を隠す格好をしているのに、ドレスに着替えたらその意味がなくなってしまう。肌自体は、18歳の男とは思えないほど綺麗なので問題はないのだが、どう頑張ってもドレスでは胸元を隠し切れない。  ドレスの話を持ち出したヨシヒコに、アンハイドライトは「いえいえ」と首を横に振った。 「そこまでは求めませんが……気になさるのであれば、一時的に性別転換をしますか?」  そこでラルクを触られ、アセイリアの格好をしたヨシヒコは、「お断りします!」と男の声で答えた。 「帰ったら、キャンベルさんに言いつけますよ」 「私が求婚したのはアセイリアさんですからね。“キャンベルさん”なら、特に問題は無いと思います」  はははと笑ったアンハイドライトは、すぐに「冗談です」と真顔で答えた。 「そんな真似をしたら、アズライトに殺されますよ。恰好は……そうですね、上を変えれば問題は無いでしょう。それに今でも、十分に似合っていると思います。誉め言葉として受け取っていただけるのかは疑問ですが、とても美しいと思います」 「誉めていただいているのでしょうが……」  ほっと小さく息を吐いたヨシヒコは、「複雑な気分です」と零した。 「身の危険を感じ始めたと言うのか……」  胡乱なものを見る目で見られ、アンハイドライトは苦笑と共にヨシヒコの決めつけを否定した。 「心外ですね。私は、素直な感想を口にしているだけです」  大真面目な顔をしたアンハイドライトは、すぐに口元を押さえて小さく噴き出した。 「あなたが綺麗だと言うのは本当ですよ。その意味で、確かに惜しいと言う気持ちも持っています。何しろ、その格好をされるのも、あと数時間と言うことですからね。聖下への仕掛けが終われば、あなたがアセイリアの姿をする必要も無くなります。だから、この時とばかりにいじらせていただいています」 「まさか、アンハイドライト様が、高校の友人と同じことをするとは思ってもみませんでした……着替えについては、持って来た服から見繕ってみます」  小さくため息を吐いてから、出されたお茶を飲み干しヨシヒコは立ち上がった。そして、相変わらずご機嫌の宜しくないシルフィールに一緒に行こうと声を掛けた。ここまでの治療のおかげで体調的には問題なくなったのだが、念のため最後の確認をしておこうと言うのである。加えて、皇帝の所に連れて行けないので、その間の役目についても指示しておく必要があった。  部屋を出て行ったヨシヒコを見送ったアンハイドライトは、「さて」と言ってアバターを呼び出した。 「リリ、アリアシアは何か言ってきているかい?」  世間的には噂レベルだが、家族にはアズライトが皇帝になることが伝えられていた。時間的猶予がある下の二人はまだしも、自分とアリアシアは身の振り方を考える必要に迫られていたのだ。そして自分の身の振り方が決まった以上、次に問題となるのは妹のアリアシアだった。だから、何か相談があってしかるべきだとアンハイドライトは考えていた。 「はい、一度ご相談に乗っていただきたいと言うことです」  そして予想通り、妹が相談してきたのだ。小さく頷いたアンハイドライトは、大切な妹のため骨を折ることにした。 「だとしたら、すぐに時間を作らないといけないね……」  皇帝に報告を済ませラルクを返上したら、すぐにでもテラノに帰るつもりだった。妹のために時間をとるのは吝かではないが、だからと言って意味もなく予定を遅らせる必要はない。 「アリアシアは、どこにいるのかな?」 「ご自分のお館においでのようです。最近、目に見えて公務が減ってきていますので」  そのあたりの事情は、今の帝国情勢が影響しているのは間違いない。なるほどと小さく頷いたアンハイドライトは、色々と対策が必要なのだと改めて知らされた。 「アリアシアは、大学に通っているのかな?」 「通われてはいるようですが……」  アバターが口ごもったことで、答えは貰ったも同然だった。自分も経験したことなのだが、大学において皇族と言うのは孤独な存在だったのだ。下心のある異性はより取り見取りの所はあったが、一緒に遊ぶ同性の友人には事欠いていた。将来の伴侶と言う意味では、特に女性のアリアシアの方が真剣な付き合いが求められることになる。そのため、さらに孤独を味わうことになるのだろう。 「父上が、ジェノダイト殿を大切にするはずか……」  その意味で、気の置けない親友と言うのはとても貴重な存在だったのだ。心の支えと言って良い親友に見捨てられれば、落胆し、老け込むのも仕方がないことだった。 「問題は、私の友人に適当な男性が居ないことか……」  気楽な立場で接せられる相手が居れば、もう少し気持ちは楽になってくれるだろう。残念なことに、自分の知り合いにそのような男性は見当たらない。そうなると、残された手は売り込みのある男性と言うことになる。だが、それも難しいことをアンハイドライトは理解していた。 「彼の復活が、一つの転機になるのかもしれないな……」  似たような年齢で将来の皇帝が居れば、どうしても目はそちらに向いてしまうのだ。当然売り込みも、妹のアズライトの方に殺到していた。それを考えると、皇帝になれない皇族と言うのはみじめな存在とも言えるだろう。その意味で、アズライトの目がなくなると言うことは、アンハイドライトが考える通り一つの転機に違いなかった。  ただ一つの転機ではあるが、理由を考えればあまりにも本人が可愛そうだった。 「彼の承諾が得られたら、明日の朝にでも話を聞くとするか?」  「リリ」と声を掛けられ、リリはヨシヒコのアバター、セラに予定の確認を伝えた。皇帝との対決を終えたのなら、すぐにでもアズライトの所に行きたいだろうと考えたのだ。その邪魔をしようと言うのだから、少なからぬ反発を予想したのである。  だが、アンハイドライトの予想とは異なり、ヨシヒコからすぐに「応諾」の返事が来た。 「それで、彼はなんと?」 「叱られるかもしれませんが、急ぐ必要はないだろうとのことです」  それが何のことを言っているのか、名前を出さなくてもお互い理解できている。なるほど立場が強いのだと、アンハイドライトは二人の関係を考えた。 「やはり、彼はアズライトに強い立場でいるのだね」 「いえ、セラが言うには、余計な邪魔が入らないようにするためだそうです。そのためには、済ませることは予め済ませておいた方が良いだろうと」  余計な邪魔の下りに、なるほどとアンハイドライトはヨシヒコの考え方を理解した。確かに合理的だし、こちらの考えを読んでいるようでもあったのだ。お陰で、アズライトの所に行かせてから、不必要に声を掛けることができなくなってしまった。 「私は、くぎを刺されたと言うことかな?」 「そうお考えになって宜しいかと」  なるほど抜け目がない。少しだけ口元を歪めたアンハイドライトは、この後に控えている両親との対決を想像した。これが父親にやり直しの機会を与えることになるのか、それとも新たな諍いの種となってくれるのか。できれば前者であって欲しいと、アンハイドライトは期待を口にした。 「悲劇を求めるのは、そろそろやめた方が良いですよ」  確かに悲劇は派手だし、人の心を刺激する物に違いないだろう。だが悲劇を続ければ、それだけ人の心も疲れてしまうのだ。幸せな結末を用意するのも、人の上に立つ者に求められるものに違いない。たまには、皇帝の主導するハッピーエンドがあっても良いと、アンハイドライトはヨシヒコの活躍に期待したのである。  プライベートと言うこともあり、今回の面会には謁見の間は使用されなかった。アンハイドライトに連れられたアセイリアことヨシヒコは、ノウノ宮の奥にある、アルハザーのプライベートスペースへと通された。立場としてはこじんまりとした、そして庶民常識では広大な部屋では、皇帝アルハザーと皇妃トリフェーンが二人の来るのを待っていた。  皇帝、皇妃の普段着など、滅多にお目に掛かれるものではないだろう。敢えてそうしたのかは分からないが、二人は式服とは全く異なる装いでアンハイドライト達を迎えた。アルハザーは、紺のシャツに、チェックの入った黒のスラックス、そしてトリフェーンは、花の模様が織り込まれた萌黄色のワンピース姿だった。  一方のアンハイドライトは、首の詰まったベージュのシャツに、同系色のスラックスと言う出で立ちをしていた。そしてアセイリアことヨシヒコは、胸元に飾りのついた白のブラウスに、緑と黒のチェックが入ったスカートと黒のストッキングと言う出で立ちだった。  「よく来たね」と二人を迎えたアルハザーは、自分達の正面にあつらえた席に二人を座らせた。そして自分は、トリフェーンと並んで向かい側の席へと腰を下ろした。 「早速ディナーと行きたいところだが、その前に少しだけ話をしよう。息子の嫁になってくれる君には、感謝と同時に謝罪をする必要があると思っているんだ」  穏やかな表情で謝罪を持ち出したアルハザーに、先手を打つ形でアセイリアは「必要ありませんよ」と言って微笑んだ。 「聖下が必要だとお考えになられ、そしてその通りに行動されただけのことです。行動に対してすべての責任は聖下が負われるのですから、私への謝罪は不要だと思います。それに私達も、可能性の一つとして覚悟を決めていたことでもありました」 「私がすべての責任を負う……確かに、常日頃私はそう繰り返して来たよ」  まいったねと頭を掻いたアルハザーは、「良い嫁だ」とアンハイドライトを見て誉めた。 「だから、宇宙と言うのは面白いのだろう。なにしろ、こんな女性が市井に埋もれているんだ。さすがは、彼が後を託しただけのことはある。君が付いていてくれるのなら、アンハイドライトを皇帝にしてもいいと思うぐらいだ」 「いえ、やはり皇帝にはアズライト様が相応しいと思います」  そう微笑んだアセイリアは、アンハイドライトが頷くのを確認した。 「ところで、時間の無駄ですから腹の探り合いは止めたいと思うのですが?」 「気付いていたのかな?」  そう言って苦笑を浮かべたアルハザーに、「ええ」とアセイリアははっきり頷いた。 「皇帝聖下は完璧な演技をされていましたが、皇妃殿下は表情に出ていました。それに、何の検査もなく、聖下の御前に出られるとは思っておりません」 「と言うことだよ、トリフェーン。さすがは、アズライトが愛した男と言うべきなのだろうね」 「まったく、油断も隙もあったものではありませんね」  小さくため息を吐いたトリフェーンは、「ありがとう」とヨシヒコにお礼の言葉を口にした。 「それは、何についてのお言葉なのでしょうか?」  まさか性悪皇妃の口から、ありがとうなどと言われるとは思ってみなかった。そしてヨシヒコには、お礼を言われる心当たりもなかったのだ。 「この人と、ジェノダイト君の関係を修復してくれたことよ。ところで、そろそろ女の振りは止めてくれないかしら? とても良く似合っているのは認めるけど、アズライトの男の顔をちゃんと見て見たいの」 「ウィッグを外す程度でよろしいですか?」  ここに着替えを持って来ていない以上、できることはそれぐらいが限界だった。だがヨシヒコは、今いるのが皇族の集まりだと言うのを失念していた。 「アンハイドライト、一度中座して彼に着替えを用意してくれないか。私がやってもいいのだが、多分信用して貰えないだろうからね」 「今更、父上が彼を害するとは考えていませんよ」  穏やかな笑みを浮かべたまま、アンハイドライトは「こちらに」とヨシヒコを案内した。いくらラルクを使えるからと言って、そしてプライベートな場だからと言っても、皇帝の目の前で着替えるのは不遜なことに違いない。さほど時間が掛からないのだから、場所を変えるべきなのだ。  そして中座してから5分ほど経過してから、ヨシヒコはアルハザーの前に戻ってきた。ここまでに5分と言う時間が経過したのは、ほとんどが移動するための時間だった。隣の部屋に行くにしても、それだけ時間を掛けなければいけないほど皇帝のプライベートスペースは広かった。  紺のスラックスにクリーム色のシャツ姿で現れたヨシヒコに、なるほどとトリフェーンは大きく頷いた。 「確かに、女の子の格好が似合うはずだわ。男の格好をしていても、とても可愛らしいと思えるもの」 「そうだね。ただ、それは彼にとって誉め言葉ではないようだよ」  ヨシヒコの気持ちを推し量ったアルハザーは、改めて「よく来たね」と歓迎の言葉を口にした。 「まさか、君が復活するとは思ってもいなかったよ。私としては、完璧にとどめを刺したつもりだったんだ」  表情を見る限り、もはや危険は無いのだろう。それを感じ取ったヨシヒコは、「偶然が重なりました」とアルハザーに答えた。 「聖下の使われたウィルスの特性、そして両親が帝国第三大学の学生を連れて来たこと。アズライト様に頂いた指輪に、私の生体情報が記録されていたこと。クレスティノス三等子爵がテラノに派遣されてきたこと。そしてアンハイドライト様が、その時テラノに居合わせたこと。何よりも、私が素晴らしい仲間に恵まれたこと。どのひとつが欠けたとしても、私は復活することは無かったでしょう」 「確かに、恐ろしいほど偶然が重なったようだね」  なるほどと頷いたアルハザーは、「すまなかったね」とヨシヒコに向かって謝罪の言葉を発した。そして何かを言おうとしたヨシヒコを、良いんだとばかりに手で押しとどめた。 「皇帝と言うのは、常に帝国のことを考え行動をする必要がある。そこで必要な犠牲ならば、何ら躊躇うこともなく命を奪うこともする。残された者に対して説明の必要は感じていないが、犠牲になった者には説明や謝罪が必要だろう。だから、私の考えで犠牲にされた君には、謝罪が必要だと考えたのだよ。なぜ謝罪かと言うと、今さら君には説明など必要が無いと考えたからに他ならない」 「でしたら、素直に謝罪を受け入れることにします」  小さく頭を下げたヨシヒコに、アルハザーは相好を崩して「これからのことだが」と話を進めた。 「君とアズィとのことには口を挟まないことにした。だから、君達は好きにしていいことを私が保証する。それから、次の皇帝はアズライトに譲ることを決めた。ただ、今すぐにと言うことではなく、数年、多分7年程度後のことなのだろうね。アズィが25になったぐらいで、即位して貰うことになるだろう」  初めのこと。すなわち自分とアズライトの関係を除けば、すでに知っていることの繰り返しでしかなかった。ただ、明確に時期が示されたのは、一歩前進と言うことができるだろう。7年先と考えれば長いとも言えるが、その時アズライトが25だと考えれば、別におかしくない時期でもあった。 「いつ退かれるのかは、それこそ聖下がご自分でお決めになることだと思います。ですから、私にはそうですかとしか言いようがありません」  ただと、ヨシヒコはそれまでのことを問題とした。 「地球、すなわちテラノは、グリゴンとの友好条約締結を足がかりに、ザイゲル連邦との友好関係を構築しました。そしてシレナとも、友好条約締結に向けて交渉をしています。ゆくゆくは、帝国に住まうすべての種との間で友好的関係を構築することを考えています」 「ああ、君たちが、私の存在を無視して新しい共同体を作ろうとしているのは知っているよ。見事と言えばいいのか、今の所順調に進んでいるようだね。君のおかげで、私はいてもいなくてもいい存在になってしまったよ。いや、どうでもいい存在と言う方が適切なのだろうね」  自嘲して口元を歪めたアルハザーに、ヨシヒコははっきりと「違います」と答えた。 「違うも何も、君の功績であるのは間違いないだろう?」  グリゴンでの出来事が、新しい世界構築の始まりとなったのだ。それを主導したのがヨシヒコなのだから、自分の考えに間違いない筈だとアルハザーは考えた。そして謀殺後の展開もまた、ヨシヒコが主導したものだったのだ。 「いえ、私はそう言う意味で否定したわけではありません。勘違いをしていただきたくないのですが、私は皇帝聖下を無視する必要があると思っていません。むしろ、無視をすることで新たな体制に歪みが出ると思っています。将来のリスクを軽減するためにも、皇帝聖下に関わっていただきたいと考えています」 「今更、そしてこの私にかい?」  驚きから目を見開いたアルハザーに、ヨシヒコは「聖下にです」と繰り返した。 「だが、たとえ軍を動かしたところで、今さら誰も私の言葉に耳を傾けないだろう。現に、アズライトの所の検討でも、私の影響を除外して進められているぐらいだ」 「それが、不遜だと言う意見があると伺っていますが?」  セントリア三等侯爵のことを持ち出したヨシヒコに、アルハザーははっきりと口元を歪めた。 「君は、この上恥の上塗りをしろと言うのかね?」 「いえ、試すようなことを口にして申し訳ありませんでした」  謝罪して頭を下げたヨシヒコに、「それはいい」とアルハザーは返した。 「時間の無駄だ。腹の探り合いは止めようじゃないか」  アルハザーの言葉に「そうですね」と同意し、ヨシヒコは地球での検討のことを持ち出した。 「アセイリア達には、今の動きに聖下に加わっていただくことを説明してきました。今頃アセイリアが、グリゴンに行ってドワーブ様に私の考えを説明していると思います。私は、帝国が変わっていくためには、聖下のお力が必要だと考えています」 「聖下と言うのが皇帝と言う機能を指すのなら、私である必要もないと思うのだがね? アズライトが皇帝になれば、私を無視している勢力とも手を組めるのではないのかな?」  自分の理解を口にしたアルハザーに、ヨシヒコは否定の言葉を口にしなかった。 「確かにドワーブ様も、アズライト様とならば手を取り合うことができるでしょう」  アルハザーの言葉を認めた上で、ヨシヒコは問題があることを口にした。 「クレスタ学校ですか、今はその程度で収まっているのでしょう。ですが、この先愚かしいことを考える者が増えて来るのは間違いありません。その動きとは別に、聖下を無視して進めることに疑問を持つ者も大勢いるでしょう。その者達は、変わっていくことを是としつつ、あるべき姿として聖下が影響力を及ぼすことを期待しています。時間の経過と共に、様々な考え方を持つ者達が生まれることになります」  まっすぐにアルハザーを見据えたヨシヒコは、帝国内に緊張が高まることを説明した。 「そのような状況を考えると、些細なボタンのかけ違いが大きな混乱の理由となることが予想できます。その時には、聖下の好まれる物語が幾つも生まれるのでしょう。ですが、はっきり言って迷惑なことだと私は思っています。大きな変化に、必ずしも大きな混乱は必要ありません。逆に、大きな混乱が無ければ変えることができないと言うのは、自分が無能だと周りに喧伝することだと思います」 「君には迷惑かも知れないが、私は物語が必要だと思っているのだよ」  混乱を受容すると言うアルハザーに、ヨシヒコはもう一度「迷惑です」と言い切った。 「変化や刺激が不要だとは言いません。ただ、帝国レベルのリセットは必要ないと思っています」 「それは、間違いなく机上の空論だろうな。ここまで巨大な帝国ともなると、小さな変化は飲み込まれ消えてしまうし、大きな変化は放っておくと膨れ上がって制御できなくなってしまう。今はアズィを意識しているのかも知れないが、このまま進めばアズィですら無視される可能性もあるのだよ。その時には、君の言う通り巨大な混乱が生じることになるのだろう。その引き金を引いたのは、間違いなく君……いや、私も含まれるのだろうね。私達であることに違いないのだよ」  アルハザーは、ヨシヒコの意見を机上の空論と切って捨て、そして一つ間違えば制御不能になる可能性があると言い切った。口調からすると、その方向に向かっていることを理解しているとも言えた。 「もしもそうお考えなら、7年後と言わず今すぐ退位してください。私がアズライト様を補佐し、変化を好ましい方に収束させます」  「傍観するのなら、皇帝など不要」厳しい言葉で言い切ったヨシヒコに、アルハザーは静かに首を振った。 「それもまた、机上の空論と思うのだがね。一部の勢力はアズライトの方を見るのだろうが、急進的な勢力は皇帝の影響排除を考えるだろう。結局、両者の間に対立が生まれることになる」  動き出した巨大な流れは、もはや止めることは叶わない。それが今の帝国だと、アルハザーは説明した。 「そうお考えなら、なおのことすぐに退位してください。失礼ながら、聖下はご自分の立場を低く見られています。持たれている力を正しく使えば、聖下はいくらでも人々に話を聞かせることは出来るのです。一番反発をしていたグリゴンのドワーブ様でも、私達以上に聖下に対して夢を持たれていました。その夢を裏切ったからこそ、今の流れが生まれたと言えます。でしたら、聖下とではなく、彼らが考える以上の世界をアズライト様と用意してみせます。それが、流れを加速し、さらに穏便なものとするための唯一の方法です」 「君は、皇帝の手によって今の流れを加速させようというのかな?」  その問いかけに、ヨシヒコははっきりと頷いた。 「はい、それが出来るのは皇帝聖下だけだと思っています」  自信に満ちたヨシヒコの答えに、アルハザーは小さく息を吐き出した。 「若さゆえの無謀さ……違うか。君の場合は、確信を持って答えているのだろうね」  もう一度小さくため息を吐いたアルハザーは、隣に座る皇妃トリフェーンを見た。 「君は、どう思った?」  その問いかけに、トリフェーンはすぐには答えを口にしなかった。そして答えを口にする代わりに、まっすぐヨシヒコの顔を見つめた。 「あなたは、私達の前に来るのは怖くなかったの? 前回あなたは、口をきく機会され与えられずに抹殺されたのよ」  そしてトリフェーンは、夫への答えではなくヨシヒコの気持ちを確かめた。 「怖いと言う気持ちは感じましたが、それはここに来ることが理由ではありません。私は、センテニアルの時に一度死にかけ、そして先回は一度死んでいます。二度も経験した死と言うものが、私の魂に恐怖を摺りこんでくれました。だから、私としては今の動きにも関わりたいと思いませんでした。ただ、ジェノダイト様やアンハイドライト様、アセイリアに私の母……誰もが、私が逃げることを許してくれませんでした。結局無理やり開き直らされたと言うのか、本当に回りにいる人たちに恵まれたと思っています」  それが本当に恵まれたことになるのか。疑問の残るヨシヒコの答えなのだが、トリフェーンはそのことに拘りはしなかった。 「アンハイドライトを加えてくれてありがとう。もうひとつ教えて。あなたは、私達を恨んでいないの?」 「天災を恨んだ所で、どうにかなるものではありません。逆に伺いますが、皇帝聖下、皇妃殿下は私が憎らしくはありませんか? アズライト様を傷物にしたこと。そして、皇帝聖下をのけものにした流れを作ったこと。私は、憎まれても仕方がないと思っていますが?」  質問に答え、新たな質問を返したヨシヒコに、アルハザーとトリフェーンはお互いの顔を見合わせた。そして自分がと、アルハザーがその問いかけに答えた。 「いや、自分が情けないと感じはしたが、君に対する恨みはなかったね。何しろ、私は君を謀殺した首謀者だ。君には、私に対して仕返しをする権利がある。それに君には、ジェノとの仲を取り持ってくれた恩がある」 「ジェノダイト様は、聖下にやり直しの機会を与えてあげて欲しいと仰っていました。ですから、私は怠けるなと叱咤しに来たのです」  自分を叱咤すると言うヨシヒコに、思わずアルハザーは苦笑を浮かべてしまった。 「トリフェーン、どうやらアズィはイーリ・デポスと結ばれることになりそうだね」 「問題は、今のアズライトが彼を受け入れるのかと言うことね。気持ちの問題は、そんなに簡単なものではないと思うわ。もっとも、それすら乗り越えるのがイーリ・デポスなのでしょうけど」  妻の答えに頷いたアルハザーは、「冒険をする」とヨシヒコに宣言した。 「どうしたらいいと聞くのは、皇帝として私の挟持が許さない。だから私は、私の意思で冒険をしようと思う。それが、親友ジェノへの答えであり、再び私の前に立った君への答えでもある」  そこで自分を見た夫に、トリフェーンは小さく頷いた。 「君とアズライトの関係を認める。そしてその上で、アズライトに皇帝の座を譲ることを白紙撤回する。アズライトには、皇妃として新しい皇帝となる君に連れ添ってもらうことにする。そして次の皇帝は、即位までの間、見習いとして私の側で補佐をしてもらう。以上が、私が行う冒険の中身だ」  真剣な顔で宣言したアルハザーは、「どうかな」と立会人になったアンハイドライトに意見を求めた。 「夫と妻の立場を入れ替えただけと言えばそれまでなのですが……試みとしては面白いと思います。血筋の継承の問題は出ませんし、間違いなく帝国内で騒ぎになるでしょう」  アンハイドライトの答えに頷き、アルハザーは正面からヨシヒコの顔を見据えた。 「どうだい。これが、私の冒険だよ。私の答えは、君の想定の中にあるものだったかな?」  少しだけ口元を歪めたアルハザーに、ヨシヒコは小さく息を吐き出した。 「一応想定の中にはありました……ただ、いくらなんでもありえないだろうと思っていました。確かに、私とアズライト様の立場を入れ替えただけと言えばそれだけなのですが……」 「その辺り、君が余計なことを言うからいけないんだよ。私の裁定は、娘とのことを認める程度だったのだからね」  つまり、ヨシヒコの意見がアルハザーの考えを変えたと言うことになる。ただ、それにしても冒険のし過ぎだろうとヨシヒコは言いたかった。  「全く」ともう一度ため息を吐いたヨシヒコは、「やはり運が悪い」と自分の不運を嘆いた。 「何かをすればするほど、身動きの取れない状況に追い込まれていく気がします」  ヨシヒコの言葉に、「いやいや」とアルハザーは首を横に振った。 「辺境惑星の一庶民が皇帝にまで上り詰めるんだ。しかも、アズライトを妻に出来るのだよ。銀河一の強運と言って貰いたいね」  強運と主張したアルハザーに、ヨシヒコははっきりと首を横に振り返した。 「私は、一度も皇帝になることを望んだことはありません。小さなころからの夢は、せいぜい三等子爵になる程度のことでした。掛かる責任の重さ、そして我が身に圧し掛かる不自由さ、それを考えれば不幸だと言って良いかと思います」  理由を挙げて不幸だと主張したヨシヒコに、アルハザーは「なるほど」と頷いた。 「ならば、なおのこと君には引き受ける義務が生じると言うものだよ。君の言った皇帝の問題に、さらに影響力の低下を付け加えてくれたのだからね。この銀河の為を考えたら、君には重い責任が生じてしまったのだよ」 「全力で抵抗したいところ……ですが」  はあっと息を吐き出したヨシヒコは、その抵抗が無駄に終わることを理解していた。 「断りでもしたら、今の味方も敵にまわりそうな気がします」  味方が敵になると言うヨシヒコに、アルハザーは力強く頷いた。 「ああ、私を引き摺り下ろすことで、君達は勝利したことになるからね。その勝利を捨てるのだから、味方からは刺されることになるだろう」  楽しそうに言い切ったアルハザーは、ヨシヒコの隣で苦笑を浮かべているアンハイドライトを見た。 「アンハイドライト。今、この時をもって君はジェノダイトの息子となる。アシアナ一等侯爵家の跡取りとなった君に、皇帝から最初の仕事を与えることにしよう」  穏やかな表情を浮かべたアルハザーは、養子に行く息子とヨシヒコの顔を見比べた。 「私の決定の証人と言うのもそうだが、次期皇帝の後見人になってもらう。そして彼が、一日も早くリルケに来られるよう環境の整備をやってくれ」 「その役目、謹んで受け賜ります」  立ち上がったアンハイドライトは、そう言ってアルハザーに頭を下げた。 「ではアンハイドライト、後は手続きを粛々と進めてくれればいい。それから、ジェノの子となる君に言っておきたいことがある。養子には出すが、君が私達の子供であることに変わりは無いのだよ。良い親ではなかったのかも知れないが、子供への愛情ぐらいは持っているつもりだ。ジェノならば、君を安心して送り出すことができるだろう」  そう言って微笑むアルハザーに、アンハイドライトは「ありがとうございます」ともう一度頭を下げた。 「さて、ここから先はけじめが必要となるね……」  アンハイドライトを見たアルハザーは、彼にまつわる特権について口にした。 「現時点をもって、君に与えられた皇太子特権は剥奪される。そして、新たに一等侯爵の特権が与えられることになる。制限されるものと、逆に自由になる物とがあるだろう。公務に縛られない分、得られる自由は多くなる物だと思っている。ただ、ノウノ宮にある君の館からは引き払ってもらうことになるし、専用船アルタイル号は返納して貰う。そして、ラルクも返納して貰うことになる」 「アシアナ一等侯爵家の跡取りとして、当然のことかと思います」  そう答えたアンハイドライトは、左手薬指からラルクを外した。そして席から立ち上がり、アルハザーの元へと持って行った。 「では、確かにお返しいたします」 「最後の最後に役に立ってくれたようだね」  それをポケットにしまい込んだアルハザーは、次にヨシヒコの方を見た。 「君に与える特権なのだが……アンハイドライトの物を引き継ぐのが一番簡単なのだろうね」  そう口にしてから、アルハザーは「分かりにくいな」と苦笑を浮かべた。 「アシアナ一等侯爵にもう一つ仕事を与えよう。これから彼に与えられる特権、それを管理してくれたまえ。ラルクは……用意でき次第渡すことにする。なに、さほど時間は掛からないことだろう。彼がリルケを出発するまでには、君の元に届けさせることにする」  以上だと言って両手を広げたアルハザーは、「堅苦しい話は終わりだ」と宣言した。 「ここから先は、食事を楽しむことにしよう。そこで私の後を継いで、次の皇帝となる君に質問だ。私は、久しぶりに飲み明かしたい気分なのだが……娘の夫として、最後まで付き合ってくれるだろうね?」  地球では、未成年と言うことでお酒を口にすることは無かった。そして帝国法でも、飲酒に年齢制限は掛けられていた。それを盾に取れば断っても角は立たないはずなのだが、どう考えても断れるような雰囲気ではなかった。 「二人の酒量はどんなものですか?」  こっそりと確かめたヨシヒコに、アンハイドライトは「それなりに」と微妙な答えを口にした。 「生まれてこの方、お酒を飲んだことは無いのですが……断れる雰囲気ではありませんね」  セラに見せられたデーターを思い出し、ヨシヒコは最悪の事態を覚悟した。酔い潰されるのは間違いないだろうし、“多少”の悪戯は覚悟しておく必要があるのだろう。今は、その悪戯が穏便な方向であるのを願うしかない。 「大丈夫だ。今さら君をどうにかしようなどと考えていないよ。そんなことをしたら、なおのこと皇帝の権威は地に落ちてしまう。せいぜい、目が覚めた時にアズィ以外の女性が隣で寝ているぐらいだ」  アルハザーは笑って言っているが、それが何を指すのかヨシヒコは十分に承知していた。何しろ目の前にいる皇妃、トリフェーンがジェノダイトに使った手なのだ。後々のことを考えると、もっとも恐れなくてはいけないことかもしれなかった。 「アズライト様を怒らせると、本当に命が幾つあっても足りないと思いますが?」  だから勘弁してください。無理だろうと半ばあきらめながら、飲まれてなる物かとヨシヒコは強い決意をしたのだった。そしてその夜の宴会は、ヨシヒコが予想した以上にカオスを体現してくれた。  強い決意で臨んだヨシヒコだったが、体質の問題は決意ぐらいでどうにかなる物ではなかった。初めて口にした酒が、意外に飲みやすかったのも敗因の一つかもしれない。アズライトとのことを話していた記憶はあるのだが、いつの間にか記憶は途切れ、気付いた時には柔らかなベッドの上で眠っていたのだ。誰に脱がされたのか考えたくないところもあるが、下着一枚身に着けていなかった。  それでも安心すべきところは、一人でベッドに寝ていたことだろう。どうやら、アルハザーも限度を弁えてくれていたようだ。 「セラ、状況を教えてくれないか?」  あれから何が起きたのか。目が覚めた以上、第一にそれを確認しておく必要がある。アバターのセラを呼び出したヨシヒコは、夕食の様子を尋ねることにした。 「昨夜酔いつぶれたヨシヒコ様が、アンハイドライト様の館のベッドで目を覚まされました」  ヨシヒコの問いかけに対して、セラの答えは途中経過のすべてを省略したものだった。深読みをすると、省略した方が良いと判断したとも考えられる。 「……途中が抜け落ちているのだが。聞かない方が良いと言うことか?」 「酔っ払っての行状など、知らない方が心の平穏を得られると思います。もっとも昨夜は、皆様意識を無くすまで飲まれていましたから大丈夫です」  両親が飲んだくれるところを見たことは無いが、街に出ればいくらでも酔っぱらいを見ることができた。それを思い出したヨシヒコは、細かなことに拘るのは止めることにした。酔っぱらいには、論理的な行動など求められない。それぐらいの知識は、経験上身に着けていたのだ。 「特に、問題は起こしていないと言うことか?」 「ヨシヒコ様の貞操は守られていますよ」  それは、一体どの方面のことを言っているのか。それが気になったが、拘っては負けだとすぐに考えなおした。全員が酔いつぶれていたのなら、酷いことにはなっていないと高をくくったところもある。  そうなると、危険人物はただ一人と言うことになる。当然ヨシヒコは、その人物を確認することにした。 「シルフィールは?」 「酔い覚ましの処置をされて、早々に退散されました」  シルフィールが逃げ出すぐらいなのだから、余程酷い状況だったのだろう。やはり酒は怖いと実感したヨシヒコは、これからは誘われても飲まないようにしようと心に決めた。 「ところで、俺を脱がせたのは誰だ?」 「シルフィール様です。下心はあったようですが、酒臭くてそれ以上は断念されたようです。まあ、立ちませんからそれ以上はありませんけどね」  そうかと小さく頷いたヨシヒコは、昨夜のことを思いだし、つい苦笑を浮かべてしまった。 「まさか、俺が皇帝聖下と酒を酌み交わすことになるとは……」  辺境惑星の一庶民が、帝国皇帝と対等に酒を酌み交わす。それが、どれだけ非現実的なことかは、目が覚めてみるとはっきり分かるのだ。しかも、次の皇帝にはお前がなれとまで言われてしまった。 「まったく……」  つい漏れ出る苦笑を押さえ、ヨシヒコはもう一度セラに問いかけた。 「昨日のことは、どこまでジェノダイト様に伝わっている?」  次期皇帝の話ともなれば、すぐにでも伝えなければいけないことに違いない。その後のことを考えれば、相談することも沢山あったのだ。  そんなヨシヒコの問いかけに、セラはある意味当たり前の答えを示した。 「情報開示レベルが最高機密にされています。したがって、たとえジェノダイト様でもお伝えすることができません。伝わっているのは、ヨシヒコ様が無事酔い潰されたことぐらいでしょう」 「無事酔い潰された……不思議な表現だな」  とは言え、酒を酌み交わし、無事で済んだというのは吉報には違いない。それが伝わっているのなら、慌てて次期皇帝のことを伝える必要はないだろう。そしてヨシヒコにとってもう一つ重要なことは、もうアセイリアにならなくても済むことだった。 「よほどのことが無い限り、女の格好をしなくても済むと言うことか」 「これからは、ヨシヒコ様として活躍する必要がありますからね」  確かにそうだとセラの言葉を認め、ヨシヒコはこれからのことを考えることにした。その第一は、アンハイドライトに相談されていることだろう。 「確か、アリアシア様がお出でになると言う話だったな。ところで、今は何時なのだ?」 「こちらの時間で、10時になったところです。すでに、アリアシア様はアンハイドライト様とお話になられています」 「いきなり寝過ごしたのか、俺は!?」  来て早々の失態に、思わずヨシヒコは頭を抱えてしまった。だがそんなことをしても、何の解決にもならないのは分かっている。仕方がないと諦め、汗とアルコールの匂いを流すことを優先することにした。面会する相手が皇女様なのだから、失礼な真似などできるはずがなかったのだ。  ヨシヒコが盛大に焦っている頃、アンハイドライトとアリアシアはしかめっ面をして向かい合っていた。皇帝になれない皇太子、皇女にとって、身の振り方と言うのはいつの時代でも大きな問題として立ち塞がってくる。その意味で、養子に出るアンハイドライトは運がいいと言うことができた。  自分を磨くことを忘れなかったおかげで、アリアシアは輝くような美しさを誇っていた。華やかさを持ったところは、アズライトとは違った意味での美女に違いない。付け加えるなら、スタイルの上ではアズライトよりは上と言うのが周りの見方となっていた。そしてそのスタイルを強調するように、薄手の、そして体にフィットしたボートネックをしたピンクのセーターに身を包んでいた。下は、何を意識したのかと聞きたくなる、短いインディゴブルーのスカートスタイルだった。生足を晒しているのは、今さら説明の必要はないだろう。  そのアリアシアは、秀麗な眉目を歪めてこの日何度目かのため息を吐いた。 「ため息を吐いても何も解決しないのですが……」  そう零してはみても、妙案がどこにもないのが問題だった。別に高望みをした覚えもないのに、どう言う訳かとんと男性とは縁がなかったのだ。それに、生まれてこの方男性相手にときめいた記憶もない。当たり前だが、女性にときめいたことなど一度もない。それならば親の選んだ相手と言う方法もあるのだが、残念ながら売り込みもないと言うのが現実だった。 「確かに、こうして睨めっこをしていても解決に至ることは無いのだろうね……」  同じように何度目かのため息を吐いたアンハイドライトは、アリアシアの通っている大学のことを持ちだした。 「第9大学で、出会いのようなものは無かったのかい?」 「その辺りは、お兄様もご存知だと思いますが……」  ふっと息を吐き出したアリアシアは、「全く」と情けなさそうに答えた。 「どこかに、素敵な方がいらっしゃらないか。これでも、結構まめに探したつもりなのですよ。それなのに、これまで大学でお話をしたのは、教室がどこにあるのかぐらいしかありません」 「アリアシアは、女友達も居なかったね……」  そうなると、本当に寂しい大学生活となってしまうのだ。ご先祖様を見てみても、女性皇族はいずれも配偶者探しに苦労をしていた。どうやら、いつの世でも皇室の配偶者探しは困難を極めるのが常識のようだ。身籠ったアズライトにしても、偶然が積み重なった結果でしか無かったのだ。 「それで、アリアシアはどんな希望を持っているのだい? 婿を迎えて公爵家を作るのか。さもなければ、私のように養子に出るのか……」  ひとまず本人の希望確認が必要と、アンハイドライトは妹の気持ちを確認することにした。 「このままだと、一生独り身でいそうな気がして……現に、そう言うご先祖も沢山いますから」  ほっとため息を吐いたアリアシアは、「贅沢は言わない」と兄に答えた。 「頭が良くて、見た目が良くて、性格は良い方が好ましいのですが、それ以上に私を惹きつけてくれる方。そんな殿方に娶られればと思っています」 「い、いや、それはかなり贅沢な望みの気がするが……」  そんな条件を備えた男など、帝国を探してもそうそう居るものではない。さすがに高望みだと呆れた兄に、アリアシアは「そうでしょうか?」とこれでも遠慮しているのだと答えた。 「身分には拘っていませんよ。だから、これでも遠慮したつもりなのですが。一等侯爵でなくとも、そのような方がおいでになれば嫁ぎたいと思っています」  身分に拘っていないと言う意味なら、確かに贅沢を言っていないのだろう。ただ現実問題として、よほど身分だけに拘ってくれた方が条件としては優しかった。侯爵ならデーターでふるいに掛けられるが、アリアシアの上げた条件を満足するとなると、相手のことをよく知らなければならないのだ。今でも出会いが無いというのに、それは絶望的な条件に違いない。 「大学に通っている今ですら出会いがないと言うのに、そこから外れた条件で相手が見つかると思っているのかい?」 「ですが、お兄様でも見つかったではありませんか?」  だから自分も諦めていない。痛いところを突かれたこともあり、アンハイドライトは言葉に詰まってしまった。 「ところで、殿方を私に紹介してくださるのではありませんでしたか?」  言葉に詰まった兄に、アリアシアはここに居ない男性のことを持ちだした。わざわざ自分に会わせるのだから、紹介してくれるものだと受け止めていたのだ。 「確かに紹介するつもりなのだが……それは、お前のお相手と言う意味ではないのだがな」  誤解をされても仕方のない状況に、アンハイドライトは苦笑を浮かべてアバターを呼び出した。 「リリ、彼は起きたかな?」 「今、シャワーを浴びて着替えをされた所です。間もなく、こちらにおいでになられるかと」  昨夜の乱痴気騒ぎを考えれば、意外に早く復活したと考えていいのだろう。その辺りは、優秀な主治医が付いているお陰だろうか。そっちも騒ぎの種かと、アンハイドライトは丸顔の女性を思い出していた。 「間もなく、ここに現れるだろう」 「でしたら、私をよく見ていただかないといけませんね」  緊張してすまし顔をした妹に、大変なのだなとアンハイドライトは同情した。つくづく自分は運が良かったのだと、養子に出たことを喜んだ。 「い、いや、彼は……」  詳しく説明しようとした所で、部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。そしてリリからは、「ヨシヒコ様です」と来客を教えられた。  そこで迎えに行こうとしたアンハイドライトだったが、妹の方が行動が早かった。彼が立ち上がろうとした時には、すでにアリアシアはドアの所に駆け寄っていた。 「そこまで飢えているのか?」  唖然とするアンハイドライトの前で、アリアシアは猫を被って感激をする真似をしていた。 「第一皇女アリアシアでございます。失礼ですが、お名前は何と仰るのですか?」  普段とは違う態度の妹に、よくやるねとアンハイドライトは呆れていた。そんな兄をよそに、アリアシアはヨシヒコを前に積極的に迫っていた。 「ヨシヒコ様と仰るのですね。是非とも、色々とお話を伺わせてください」  名前まで聞き出したのに、どうしてアズライトの相手だと考えが及ばないのか。どうしようもない疑問を感じていたアンハイドライトに、彼のアバターリリが、「死んだことになっていますから」と理由を明かした。 「確かに、アズライトの恋人はこの世にいないことになっていたな」  しかも、ヨシヒコに関する情報は皇帝によって隠されていた。だとしたら、目の前にいるのがアズライトの恋人だと考えるはずもない。  アリアシアの方が背が高いため、ヨシヒコはなすすべもなく部屋の中へと引きずり込まれることになった。そして抵抗することもできずに、立派なソファーに座らされた。当然隣には、アリアシアが権利を主張するように腰を下ろしている。しかも3人掛けのソファーなのに、アリアシアはしっかりと密着して座ってくれた。 「アンハイドライト様、これは一体どういうことでしょうか?」  遅刻して現れていきなりこれでは、事情を理解しろと言うのも無理な相談だった。ヨシヒコにしては珍しく戸惑いの表情を浮かべ、自分を巻き込んだアンハイドライトに説明を求めた。 「……複雑な事情と説明不足が原因なのだが」  小さくため息を吐いたアンハイドライトは、「アリアシア」と妹に呼びかけた。 「彼が気に入ったのかな?」  兄からの問いかけに、アリアシアは「はい」と大きく頷いた。 「とても可愛らしいですし、それにとても聡明そうに思えます。可愛がって差し上げたい。心からそう思っていますよ。一目で気に入ってしまいました!」  答えとしては、何一つとして間違ったことは言っていない。なるほどと頷いたアンハイドライトは、「だそうだ」とヨシヒコに水を向けた。 「いっそのこと、君の後宮に入れたらどうだ?」 「後宮って……いったい私は、どんな男に見られているのですか?」  はあっと大きく息を吐き出したヨシヒコに、アンハイドライトは「悪かったね」と言って謝った。 「お兄様。後宮と言うことは、ヨシヒコ様はどこかの王族の出なのですか? ただ、マツモトと言う家名に心当たりが無いのですが?」  おかしいですねと首を傾げた妹に、アンハイドライトはそろそろ種明かしをすることにした。 「ヨシヒコ・マツモト。彼は、辺境惑星テラノの庶民だよ。そして、アズライトのお腹にいる子供の父親でもある」  そう言うことだと笑う兄に、アリアシアはハトが豆鉄砲を食らったような顔をした。 「ですが、アズライトの恋人は死んだと聞かされていますよ?」  今まで聞かされていたことを持ち出した妹に、違うのだとアンハイドライトは事情を説明した。 「かつてない治療を行った結果、こうして無事ここにいると言うのが私の答えだ」  種明かしを受けたアリアシアは、ヨシヒコの顔を見てから、次に兄の顔を見た。そしてもう一度ヨシヒコの顔を見てから、大きくため息を吐いてお尻をずらして体を離した。 「やはり、私は生涯清い体で過ごすことになりそうですね……」  はあっと大きくため息を吐いたアリアシアは、もう一度ヨシヒコの顔を見てからため息を吐いた。 「次期皇帝に喧嘩は売れませんね……」  がっくりと肩を落とし、アリアシアはもう一度お尻をずらしてヨシヒコから距離を取った。そんな妹に、「そのことだが……」とアンハイドライトは昨夜の話を持ち出した。 「皇帝聖下が新たな決定をなされたのだよ。その結果、アズライトが皇帝になる話は白紙に戻された。そしてアズライトを皇妃として、彼を次期皇帝に据えることとなったのだよ。私は、アシアナ一等侯爵として、当面彼に仕えサポートを行うこととなる。まあ彼とアズライト、世間的な立場を入れ替えるだけとも受け取ることができるね」 「辺境惑星の一庶民が、帝国の皇帝になるのですか?」  目をぱちぱちと瞬かせたアリアシアは、目を大きく見開いてヨシヒコの顔を見た。そして「ヨシヒコ様が?」と口にしてからもう一度お尻をずらした。ただ、今度は離れるのではなく逆にぴったりと密着してきた。 「お父様も、随分思い切った決定をされたのですね」  まるで獲物を前にした猫のような顔をして、アリアシアはヨシヒコの顔を見つめた。確かに立場を入れ替えただけに見えるが、その立場と言うのが大きな意味を持ってくる。一生清い体でいることに比べれば、好みの男性の後宮に入るのは悪い話ではないのだ。半ばあきらめかけていたことを思えば、夢のような話でもある。  妹の態度と視線は気になったが、自分のことではないと気にしないことにした。ヨシヒコが他に女を作る問題も、アズライトが皇帝にならないのなら問題にはならないのだ。むしろ皇帝の立場は、優れた子を作ることが求められる。他の女性ならば軋轢も生じるが、現皇帝の血を残すことを考えれば、アリアシアならば都合が良かったのだ。それに、自分の為にもヨシヒコをアセイリアから引き離す必要がある。 「そうだね、ただ聖下としてはぎりぎりの決断であるのは確かだと思うよ。ただ、ぎりぎりではあるが、結構気に入っているのではないのかな? これで、聖下好みの混乱を引き起こすことができるし、自分を無視した流れに干渉することができるんだ」  そう言ってヨシヒコを見たアンハイドライトは、「彼のおかげだよ」と評価した。 「ただ、本気で押し付けられるとまでは想定していなかったのだろうね」 「いくつか考えたプランの中にはありましたよ。ただ、少しだけ聖下の性格を見誤ったと言うのか……」  もう一度ため息を吐いたヨシヒコは、「それで」と言ってしなだれかかってきたアリアシアを見た。 「どうして、こういうことになるのですか?」  身長差ほど座高に差が無いため、ちょっと窮屈かなと言う体勢になっていた。ただ本当の問題は、しなだれかかられたため、胸元が大きく開いていることだった。おかげで、体のごく一部が素直な反応をしてくれた。  ヨシヒコの疑問に、「ああ」とアンハイドライトは頷いた。 「皇位の継承が現実になると、あぶれた皇太子、皇女の身の振り方が問題になるんだよ。下の二人はまだ小さいから良いのだけどね、年上の私達二人にとって切実な問題として降りかかってくるんだ。私は、新しい父の所、アシアナ一等侯爵を継ぐことになったから良いのだけどね。アリアシアの場合、身の振り方が難しくなっているんだ。その場合一番の問題となるのが、配偶者と言うことだよ」  それを聞かされれば、皇族も大変なのだと理解することはできる。ただ、理解はできても、現状の説明にはなっていないと思っていた。 「それで、この状況の説明は?」  だから肝心の部分を説明してほしい。ヨシヒコの要請に、アンハイドライトは「ああ」ともう一度頷いた。 「過去皇女の身の振り方を考えると、養子に出ると言うのはあまりないんだ。何しろ養子先から嫁ぐのでは、直接嫁いでも同じことだからね。そこで婿を迎えると言う方法もあるのだが、あいにく跡取りのいない上級侯爵家がないんだよ。新しい父の所は、私が養子に入ってしまったからねぇ。となると、他の道を探さなければいけなくなるんだ」  いいかいと確認を求められ、ヨシヒコは小さく頷き先を促した。疑問を挟むような説明でもないし、今の状況を説明するものでもなかったのだ。 「別の道として、婿を迎えて公爵家を作ると言うものがある。そして逆に、相応しい相手の所に嫁いでいくと言う方法もある。その場合の問題は、当たり前だが相手が必要と言うことだ」 「アリアシア様なら、いくらでもお相手が見つかると思いますが?」  血筋は最高。そして見た目にしても、アズライトと比べて劣っていることは無い。スタイルのことを言うのなら、背が高い分アリアシアの方が見栄えがするだろう。少なくとも、データー上では相手が見つからないことは無いと思えたのだ。  だが「いくらでも」と言うヨシヒコの言葉を、アンハイドライトは首を横に振って否定した。 「相応しい年齢、そして家柄の男性の目はアズライトに向かっているんだ。君ならば、その理由ぐらいは理解できるだろう?」  アズライトの愛した男、つまり自分は死んだことになっている。その上アズライトが妊娠しているのだから、父親が必要だろうと考えられたと言うことだ。 「目ぼしい男性は、アズライト様を目指したと言うことですか……」 「残っているのは、変わり者か、決まった相手がいる者と言うことだね」  その意味では、自分の復活は状況を変えるきっかけになるはずだ。だがヨシヒコは、そのことを口にはしなかった。アズライトが駄目になったからと言うのでは、あまりにもアリアシアを馬鹿にした話に思えたのだ。  ただ、その気遣いはあまり意味が無いようだった。ヨシヒコが考えたことを、アンハイドライトが口にしてくれた。 「多分君も気付いていると思うが、君の復活で皇帝の夫と言う目は無くなった。これで、多分アリアシアを妻にと言う者が出てくるだろう。ただ、仕方がないこととは言え、アリアシアには可哀想なことに違いないのだよ。その中から選べと言うのは、自分の意志があるようで、その実ただ単にカードを引いた以上の意味が無いことなんだ。しかもアズライトが駄目になったからでは、選ぶ気力も沸かないと思わないか?」  だからと、アンハイドライトは別の道を説明した。 「結婚しないで、一人公爵家を作ると言う方法もある。そのまま一生独り身で過ごした人もいれば、後に良い人と巡り合って嫁いだ人もいる。ちなみに、この方法は男女問わず該当者が沢山いるんだ。意に沿わない相手と連れ添うぐらいなら、一生独身でもいいと考えたのだろうね。その立場を楽しみ、結構自由に遊びまわっている者も大勢いる。血筋を残す義務から解放されたからの選択肢とも言えるんだ」 「それを聞かされると、皇族と言うのも大変だと言うのは理解できますが……」  そう答えたヨシヒコは、体に手を回してきたアリアシアを見た。肘の辺りに感じる柔らかなものは、きっと気のせいだと現実逃避をした。 「この状況の説明にはなっていませんよね?」  それでと説明を求めたヨシヒコに、「昔の話だ」とアンハイドライトは説明を続けた。 「少し話は飛ぶが、皇帝の責任には後継者を残すと言うものがある。これまで世襲を続けてきたことを思えば、今さらその理由を説明する必要はないだろう。だから後宮と言う話にも通じるのだが、皇妃が必ずしも次の皇帝の母である必要はないんだよ。そして皇帝の責任として、相応しい後継者を選ぶと言うものもあるんだ。昔は不妊が理由で後宮が作られたが、今は資質の問題で後宮が作られることが多くなっている。ちなみに現皇帝聖下は、後宮を作っていないよ。ただ、僕たち以外に兄妹が居るのは間違いない……と言うか、宮内庁が把握しているはずだ」  庶民の生まれのヨシヒコにとって、アンハイドライトの説明はとても現実感に薄いものだった。ただ、理屈の上では理解できることもあり、なるほどねと説明には納得していた。歴史の授業で教えられた範囲では、帝国皇帝は相続によって継承されていた。 「それで、この状況の説明は?」  再度確認したヨシヒコに、アンハイドライトは少し意外そうな眼差しを向けた。 「君ならば、ここまでの説明で……いや、説明されなくても理解していると思うのだがね。君が皇帝になることで、アリアシアにはもう一つの選択肢が用意されたと言うことだよ」 「……仮にも、アリアシア様は皇女殿下なのですよ。それが、後宮などに入っていいのですか!?」  絶対におかしいと言う意味で反論したヨシヒコに、アンハイドライトは「どうして」と驚いたような眼をしてくれた。 「君とアリアシアの間に、血の繋がりは無いのだよ。そしてこの帝国に於いて、皇帝以上の立場の男性は存在しないんだ。どこかの侯爵家に嫁ぐのより、余程後宮に入る方が立場が良いんだ。事と次第によっては、皇帝の生母となれるのかもしれないんだよ」  しかもと、アンハイドライトはヨシヒコの方へと身を乗り出した。 「アリアシアならば、今の皇族の血を引き継ぐことになるんだ。だから、官僚たちの反発も起きないと言うものだよ。間違いなく皇帝聖下と皇妃殿下は、アリアシアの身の振り方に悩まれていたと思うんだ」  さすがにこちらの方は予想もしていなかった。問題を知っていれば予想もできたが、問題自身の存在を知らなくてはどうしようもない。  ただでは転ばぬ夫婦に、さすがだとヨシヒコは感心したぐらいだ。ただ感心はしたが、それを受け入れるのは全く別物だと思っていた。 「アズライト様のお腹には、俺の子供がいるんですけど?」  だから無いと言い切ったヨシヒコに、「それがどうしたのかな?」とアンハイドライトは言い返した。 「皇帝の子供は、多い方が好ましいんだよ。だから成婚が決まると、すぐに子供を作れと急かされることになるんだ。大勢の子供の中から、相応しい子供を次の皇帝にする。それが、帝国を続けていく上で必要なことと考えられているんだ。だから皇妃となるアズライトのお腹に子供が居ても、それが障害となることはありえない。官僚たちに聞いても、不思議な顔をされるだけだろうね」  そう言うことだと言い切られたヨシヒコは、つくづく常識が違うのだと説明に呆れていた。もっとも、どう説明されようと、自分は庶民としての常識を持っている。その常識から行けば、アリアシアを後宮に入れると言うのはあり得ないことだったのだ。 「なら、私の気持ちを言わせていただきます。アリアシア様を後宮に入れることなど考えていません」  きっぱりと言い切るヨシヒコに、「甘いね」と言ってアンハイドライトは口元を歪めた。 「君は、皇帝聖下、皇妃殿下、そして新しい父の過去を教えられたのだろう。そんな君に言っておかなければならないのは、アリアシアはトリフェーン母様の血を受け継いでいると言うことだ」  アンハイドライトの言葉に、思わずヨシヒコはぶるっと体を震わせた。背中を何か得体のしれないものが団体で這っていく錯覚を覚えたのだ。そのおぞましさに震えたヨシヒコは、「まさか」と言って密着するアリアシアの顔を見た。上気した顔はとても色っぽくて綺麗なのだが、なぜか邪悪なものを感じてしまったのだ。 「皇妃殿下は、目的のためなら手段を選ばない人だからね。自分の欲望に素直なところは、アリアシアも受け継いでいるんだ。なあに大丈夫。アズライトには、私から説明しておくよ。それに、アズライトもトリフェーン母様の娘だからね」  「ちょっと!」と叫ぼうとしたヨシヒコだったが、そこで唐突に意識が途切れてしまった。記憶にあるのは、意識が途切れる直前、「ラルク」とアリアシアが口にしたことだった。  そして次の朝、ヨシヒコは左腕の痺れで目を覚ました。何かずっしりと重いもの、そして柔らかくて暖かいものが左腕の上に乗っているようだ。正確に言えば、何かが自分にぴったりとくっついている。ここまでくれば、予想は外れないだろうとヨシヒコは首を横に向けた。 「セラ……俺は、ジェノダイト様と同じ目に遭ったと言うことか?」  はたして、そこには気持ちよさそうに眠るアリアシアの顔があった。この状況で、添い寝しているだけだと誰が考えるだろう。それでも確認が必要と、ヨシヒコはセラを呼び出そうとした。だがいくら呼んでも、セラはヨシヒコの前に姿を現さなかった。 「これも、ジェノダイト様と同じと言うことか……」  よほど深い眠りについているのか、アリアシアは全く反応を示さなかった。それをいいことに、ヨシヒコは掛かっていたシーツを捲ってアリアシアの体を確認した。  さすがは第一皇女と言うべきか、光に晒された裸身は掛け値なしに美しいものだった。そしてその美しい肌には、いくつか赤いしみのようなものが付いている。そして下の方を確かめると、間違いなく情交の名残が残っていた。どうやら、添い寝だけでないのは確定したようだ。 「……こんなことでいいのか?」  もう一度「セラ」とアバターを呼んでみたが、やはりセラは姿を現さななかった。これもデーターで見た通りと感心したヨシヒコは、まさかと悪い予感に震えた。 「本当に、ジェノダイト様と同じ目に遭っていないだろうな……」  慌てて左手を引き抜き、ヨシヒコはベッドから降りて明り取りの窓に近づいた。リルケにある屋敷なら、窓からノウノ宮の建物が見えるはずなのだ。  だがヨシヒコの目に飛び込んできたのは、建物一つない原野だった。「正気か?」と呟いたヨシヒコは、タオルを腰に巻き付け唯一の入口へと向かった。そしてごくりとつばを飲み込んでから、覚悟を決めて扉を開け放った。 「冗談だろう、おい」  ここまでくれば外さないとは思ったが、それでも現実として突きつけられるのは別だった。だがいくら正気を疑っても、目の前に荒野が広がっているのは疑いようがない。いったい自分はどこに運ばれたのか。こんなことで良いのかと、叫びたい気持ちになっていた。  だが、たとえ叫んだとしても、何一つとして問題が解決するわけではない。しかも見知らぬ惑星上で、アバターまで取り上げられてしまったのだ。こうなった以上、自分には他の誰かに連絡する手段は残されていない。できることと言えば、アリアシアに帰してもらえるように頼み込むことだけだった。  そして荒野を前に呆然とするヨシヒコに、後ろからアリアシアが抱きついてきた。近づかれたことに気付かないのは迂闊だが、それも仕方がないと思える状況にヨシヒコは置かれていた。 「どうすれば良いのか、もう理解されていますよね? 私の初めてを荒々しく奪ったのですから、責任をとっていただかないと」  背中に当たる感触は、アリアシアが何も身に着けていないのを教えてくれた。やはり性悪皇妃の娘なのだと、ヨシヒコは改めてアリアシアと言う女性を認めた。呆れる以上に、ここまでした事に感心さえしていたのだ。  ただ認めはしたが、ジェノダイトのように言いなりになるつもりはなかった。いくら大胆な真似をしても、相手は世間知らずの皇女様なのだ。同じく世間知らずの一等侯爵様と同じと考えて貰っては困るのだ。 「責任……か」  ふっと口元を緩めたヨシヒコは、もう一度「責任か」と繰り返した。 「その言葉の意味を、じっくりと教え込んでやろう」  なすがままになるのか、こちらから攻勢を仕掛けるのか。ここから抜け出すには、その二つ以外に道は残されていない。ならば攻勢を仕掛けるべきだと、ヨシヒコは積極的に攻撃に出ることにした。キャンベルとシルフィール、二人を狂わせたのは伊達ではない。その成果を今こそ試すべきだと、闘志を燃やしたのだった。  もっとも、どんな方法でここから抜け出しても、結果が変わらないことをヨシヒコは理解していた。こうなった以上、後宮を作らない訳にはいかなくなってしまったのだ。アズライトのことは、アンハイドライトに期待するしかない。ベッドにアリアシアを押し倒しながら、性格が良いと言われた元皇太子のことを思いだしたのである。 Chapter 2  突然の訪問ではあったが、ドワーブはアセイリアの歓迎を優先した。おかげで公式行事が幾つか中止となったのだが、周りを含めてそれを当然のことだと受け止めた。アセイリアの名は、グリゴンでは恩人として絶大な意味を持っていたのだ。  非公式の訪問と言うことで、アセイリアは領主府で使用されている制服で現れた。味気のないスーツ姿とも言えるが、逆にドワーブには見慣れた姿でもあった。そして他の随行員も、アセイリアと同じく領主府の制服を着用していた。  その中で、ただ一人イヨだけが宇宙軍の制服を着用していた。 「確か、彼女は……」  記憶を遡ったドワーブは、それがテラノに行った時に紹介された女性だと思いした。 「確か、彼の姉だと記憶しているのだが?」  アセイリアと握手をしながら、ドワーブはイヨが居ることを話題とした。それを受け止めたアセイリアは、「はい」と嬉しそうに返事をした。 「これからお話しすることに、大きく関わってきますから」  それをなるほどと受け止めたドワーブは、アセイリアを案内しながら旅の疲れを尋ねた。 「星間旅行には慣れていないと思うが、本当にこのまま会談を開いてもいいのかな?」  テラノの中では一番経験が多いのだろうが、それにした所で自分達の標準では駆け出しにしか過ぎなかった。それを考えれば、近いとはいえグリゴンまで来るのに疲れただろうと慮ったのだ。  だがアセイリアは、「ありがとうございます」と感謝の言葉を口にし、配慮は必要ないと言い切った。 「ジェノダイト様のクルーザーは、とても快適でした。仕事が無いだけ、逆にリフレッシュできたと思います。ですから、お気遣いしていただかなくとも大丈夫だと思います」  にっこりと笑ったアセイリアは、「それに」と休息を入れない理由を口にした。 「少しでも早く、お伝えしたいことがありますので」  そこまで言われれば、無理に休めとも言えなくなる。分かったとアセイリアの言葉を認め、ドワーブは会談の場へと彼女を案内することにした。  ホテルに連れ込まれるのかと予想していたアセイリアだったが、ドワーブは一行を総領主府へと案内した。ザビジェブの中心の公園のような場所に作られた建物は、テラノにある総領主府とは違いとてもこじんまりとした、趣深い白亜の館となっていた。しかも全体が黄色く感じられるグリゴンにあるくせに、総領主府の建物は濁りのない白色をしていた。 「素敵な建物ですね」  まずその外観に感激したアセイリアに、ドワーブは「分かるのか?」と言って嬉しそうに目を細めた。 「はい、地球でも似たような建物を見たことがあります。ヨーロッパに置かれた地方領主府に似ているのですが、こちらの方がはるかに洗練されていて美しいと思います」  お世辞ではなく、本気でアセイリアはグリゴン総領主府を誉めた。それに気をよくしたドワーブは、「最近改装したのだ」と機嫌よく説明をしてくれた。 「なかなか信じて貰えないのだが、グリゴンは芸術を尊ぶ文化を持っているのだ。硫黄のせいで惑星全体が黄色がかっているからこそ、こうした濁りの無い白は珍重されている。その白をキャンバスに、天然の石を用いて装飾をしているのだよ」  どうかなと顔を覗きこまれ、「素晴らしいです」とアセイリアは答えた。最初は怖かったドワーブの顔も、慣れてしまえば特に気にならなくなっていた。 「ただ、私には芸術の素養が無いので、それ以上の論評ができないのが残念です。それでも分かったのは、グリゴンにはとても豊かな文化があると言うことです」 「テラノにも、豊かな文化があると聞いているぞ」  お礼のように持ち出された賛辞に、アセイリアは力強く頷いた。 「技術レベルでは劣りますが、地球も多くの積み重ねを持っています。もっと交流が活発になれば、新しい芸術が生まれてくるのではないでしょうか」 「確かに、それは遠くない未来なのだろう」  アセイリアの言葉を認めたドワーブは、装飾された廊下の中にある扉の前に立ち止まった。白い壁に合わせたように、そこには重厚な木製の扉が待っていた。 「群青の間と言う。ここは、青系の天然石で装飾されている」  さあと言ってドワーブが扉を開いた先には、白い壁と落ち着いた木の家具、そしてラピスラズリの青が待っていた。一瞬息をのんだアセイリアは、次の瞬間「素晴らしいですね」と感嘆の息を漏らした。 「こうしてみると、地球の総領主府が無味乾燥なものに思えてしまいます」 「ジェノダイトの奴は、意外にこういうことには拘らないからな」  ますます機嫌をよくしたドワーブは、強面の顔に笑みを浮かべ、「どうぞ」とアセイリアに席を勧めた。そして飲み物が出されたところで、他の者達に退出を命じた。 「これで、この場には私とあなたの二人だけと言うことになる。ここでの話は、誰にも聞かれないことを保証しよう」  お茶のようなものに口を付けたドワーブは、「良いことがありましたかな?」と話の取り掛かりを作った。ドワーブにそう言わせるほど、久しぶりに会ったアセイリアは明るい顔をしていた。 「そうですね。私自身、とてもいいことが沢山起きました。まず私自身に関わることですが、アンハイドライト様に求婚していただきました。アンハイドライト様が正式にジェノダイト様の養子になられ、落ち着いたところで婚約を発表しようと思っています」 「彼のことを、ようやく過去にできたと言うことですか」  なるほどと頷いたドワーブは、「おめでとう」と祝福の言葉を口にした。 「直接面識はないのだが、アンハイドライト様には悪い噂を聞いたことが無い。皇帝となる資質に欠けると言うのは、夫に迎えるには誉め言葉になるだろう。気が早いかもしれないが、正式発表の折には、ザイゲル連邦としてお祝いをさせて貰おう」 「ドワーブ様のご厚情に感謝いたします」  椅子から立ち上がったアセイリアは、ドワーブに向かって腰を折って頭を下げた。 「それを、私に最初に知らせてくれたと言うことか?」  アセイリアの立場を考えれば、嫁ぐこと自体に大きな意味が生まれてくる。その意味で、相手がアンハイドライトと言うのは、一点を除き文句のつけようの無い相手である。その一点にした所で、養子に出るのであれば目くじらを立てることでもないものだった。  ただ、慶事ではあるが、急いで報告に来るほどのことでもない。この婚姻で、今の動きが変わるとも思えなかったのだ。だからこそ、ドワーブは他に何かあるのかとアセイリアに期待した。 「そうですね、報告をするのなら、ドワーブ様が最初だと思っていましたから。ただ、私が結婚するのは、本題の前振りにしかすぎません」  自分の結婚を前振りと言うアセイリアに、何を教えてくれるのだとドワーブは期待した。ヨシヒコ亡き今、彼女に以前ほどの切れ味は望めないのだろう。それでも、驚くような手を打ってくれるのが「アセイリア」と言う存在だったのだ。 「いくつかの偶然、幸運、そして私達のが執念実った結果ですが」  そこでアセイリアは、お茶のようなもので喉を湿らせた。そうやって一息吐いたところで、アセイリアは公表されていない事実をドワーブに告げた。 「ヨシヒコ・マツモトの復活に成功いたしました。およそ4か月前、彼が息を引き取る時にシルフィールの手によって脳が保存されました。ご存じのとおり、皇帝の使用したウィルスが脳を犯していないのが分かっていたからです。そして先日必要な情報が揃い、アンハイドライト様の手により肉体を復活させました。シルフィールの診察では、どこにも異常は見つかっていません。記憶の方も、ヨシヒコさんであることが確認できています」 「それは、おめでとうと言って良いのだろう……」  それが何も考えずに口に出されたのは、ドワーブの反応がきわめて薄いことから想像することができた。そして「おめでとう」と口にしてしばらくして、ドワーブは椅子を倒して立ち上がった。 「そ、それは、本当のことなのか!」  信じられない、驚いたと言うのが期待される反応だった。そしてドワーブは、まさにその通りの反応を示してくれた。その反応に気をよくしたアセイリアは、「はい」と大きな身振りで頷いた。 「し、しかし、よく生体データーが手に入ったと言うのか……」  いまだに信じられないと言う顔をしたドワーブに、アセイリアは大きく頷き理由を口にした。 「偶然と執念、それに愛が理由でしょうね。アズライト様がヨシヒコさんにあげた指輪に、生体情報が記録されていたんです」  座ってくださいと促され、ドワーブは椅子を戻して座りなおした。 「脳を残したのも、半分自己満足の所がありました。残しておいたからと言って、体を手当てする見込みなんてなかったんですからね。でも、アズライト様のおかげで、ヨシヒコさんの体を手に入れることができたんです。本人の生体データーさえ手に入れば、後は治療と言うことで何とでもなるんです」 「確かに、器官の再生は治療には違いないが……」  難しい顔をしたドワーブは、アズライトの行為を問題としていた。アズライトがリルケを出ていないのは分かっていたのだ。その間の事情を考えれば、生体データーが提供される話にはならないはずだ。 「アズライト様は、一体何をなさったのだ?」 「アズライト様は……」  ここまで話したくせに、アセイリアは説明を躊躇ってしまった。だがこの話を聞く者がドワーブだけだと考え直し、ここまでの推測を口にした。 「物質変換装置ラルクと言うものがあるのですが。指輪に記録されたデーターと、ラルクを使ってヨシヒコさんを復活させようとした。状況から推測すると、それがアズライト様のなさったことだと思います」 「データーから命を創造したと言うのか……」  もう一度難しい顔をしたドワーブは、総領主としての言葉を口にした。 「確かに、皇族を縛る法は存在していない。だが、それは間違いなく帝国法における大罪を犯したことになる。無から人一人を作り上げたと言うのは……」  ううむと唸ったドワーブに、アセイリアは小さく頷きながら「罪ですね」と事実を認めた。 「ただ、仰る通り皇族を縛る法が存在していません。人としてどうかと思いますが、女としてアズライト様のお気持ちも理解できます。そして私達にしてみれば、おかげでヨシヒコさんを復活させることができました。だから、アズライト様を責めることはできません」 「私としても、彼が復活することは素直に喜びたい……ところなのだが」  少し口ごもったドワーブは、皇帝との関係を問題とした。帝国法や倫理より、その方が大きな問題として立ち塞がってくる。 「皇帝を無視する形で改革を進めているが、やはり帝国の存在は非常に大きなものだと言わざるを得ない。ここで皇帝とさらに対立するのは、いくら俺でも好ましいとは思っていないのだ。彼の復活は、間違いなく皇帝との火種になるだろう」 「仰る通り、皇帝聖下との関係は難しい問題だと思います」  それを認めたアセイリアは、「だから」と言ってヨシヒコの行動を説明することにした。 「ドワーブ閣下が危惧した通り、ヨシヒコさんも皇帝を無視することに危惧を持っていました。それは、間違いなく帝国内に反発する勢力を生むことになるからです。ですから、ヨシヒコさんは改革に皇帝を巻き込むべきだと考えています」 「だが、どうやって巻き込むと言うのだ?」  言っていることは理解できるし、その意義も分かっている。だが実際に巻き込むためには、いくつかの問題が横たわっていたのだ。そしてその問題は、必ずしも皇帝の側にだけ無いのが難しかった。ここまで順調だっただけに、皇帝など不要と言いだす空気も生まれ始めていたのだ。 「そのことですが、ヨシヒコさんは皇帝聖下に会いに行っています。そこで、今の考えを伝えるそうです」 「行動の早さ、迷いの無さはさすがと言う所だな……」  一度は自分を殺した相手の所に、こりもせずにもう一度乗り込んでいこうと言うのだ。「迷いの無さ」と言うより、「くそ度胸」と言う方が正解と言う気もしていた。 「さすがに、二度も死にかけた……一度は死んでますけどね。二度も死にかけた恐怖は残っていたみたいです。ですが、逃げ道が無いと諦めて、だったら攻撃に出ることにしたようです」 「何と言うか、彼に同情する気持ちが出てきたな。ただ、我々としてはありがたいことに違いないが」  苦笑を浮かべたドワーブは、「感謝する」とアセイリアに向けて頭を下げた。 「なによりも、あなたはそのことを最初に私に知らせてくれた。その厚情に重ねて感謝をさせてもらう。ただ、会見が穏便なものとなる保証が無い以上、我々なりに危機への用意をさせて貰う」  ヨシヒコの復活により、帝国内に過激な動きが出ないとも限らないのだ。それを考えれば、備えをとっておく必要がある。  そのドワーブの答えに、アセイリアは小さく頷いた。 「今更何も起きないと思いますが、必要性は理解しております。ただ、そのような面白みのない結果にはならないと思っています。聖下の性格も問題ですが、ヨシヒコさんは思いもよらない答えを出してくれますからね」 「双方が、同じ方向を向いた方が怖そうだな……」  難しい顔をしていたドワーブは、しばらくしてからふうっと大きく息を吐き出した。 「ますますかじ取りが難しくなると言うのか。H種の奴らも慌てざるを得なくなると言うのか。開き直るしかないのは分かっているが……」  ううむと一度唸ったドワーブは、ヨシヒコの行動を問題とした。 「それで、彼はグリゴンに顔を出さないのか?」 「リルケで仕事を片付けたら、こちらに直接来ると言っていました。もしかしたら、アズライト様を伴って来るかもしれませんよ」  それが実現したなら、間違いなくおもしろいことになってくれることだろう。なるほどと頷いたドワーブは、もう一度息を吐き出しアセイリアの顔を見た。 「センテニアルからこのかた、一生分以上の苦労があった気がするな。帝国の変化に立ち会うと言う名誉を得たと考えれば、文句を言うようなことではないのだろうな」  まるで被害者のように言うドワーブに、「酷いですね」とアセイリアは文句を言った。 「ドワーブ閣下の場合、巻き込まれたわけではありませんからね。センテニアルでのテロや、地球進攻も大きな理由になっていることをお忘れなく。あれが無ければ、ヨシヒコさんはただ単に皇女殿下を抑え込んで終わっていたんです。私が巻き込まれることもなかったんですからね」 「ならば、我々は君に感謝をされることになるのか? なにしろ、目立つことのなかった君が、今や帝国内では知らぬ者のいない存在となり、元皇太子の妻となるのだからな」  すかさず言い返したドワーブに、「だから」とアセイリアは少しムキになって言い返した。 「そのことを否定するつもりはありません。ただ、ドワーブ閣下が被害者のように仰るからいけないだけです!」  ムキになったアセイリアを可愛いなと思いながら、ドワーブは少しだけ意地悪な答えを口にした。 「だとしたら、君はアルハザーに感謝しないといけないことになる。今の君の幸せは、奴がアズライト様をテラノに送り込んだこと。そして、歴代皇帝の仕掛けによって我々が行動を起こした結果なのだからな」  その決めつけに言葉に詰まったアセイリアは、「でも」と唇をとがらせて言い返した。 「確かに、結果的にはそうなんですけど……あの人にだけは、お礼を言いたいとは思えません」 「我々にした所で、引き金を引いたのではなく引かされたと言うことだ。今さらどうだと言うつもりはないが、そう言うことがあったのだと思ってくれればいい。辺境星系でちょっとした騒ぎを起こすつもりが、いつの間にか帝国全体の騒ぎになってしまったんだよ。だから、どうしても巻き込まれたと言う意識が生まれてしまう」  記念式典でのテロや、大艦隊を率いての進攻を「ちょっとした」と言って良いものなのだろうか。その言葉に不満を感じたアセイリアに、ドワーブは「ちょっとした」だと繰り返した。 「帝国には1万の有人星系があり、そこには200兆の人々が住んでいる。帝国全体で見れば、ちょっとしたと言うレベルでしかないのだよ。もちろん、「ふざけるな」と当事者が抗議をする気持ちは分かっている」  悪かったなとと謝ったドワーブは、ひとまず会見を切り上げることにした。必要な話は聞かせてもらったし、これ以上は話が脱線するばかりなのだ。しかもお互い暇ではないのだから、無駄話にあまり時間を使っていても仕方がないだろう。 「それで、あなたはこれからどうするつもりだ? 我々の間で懸案事項もない今、うちで遊んでいる訳にはいかないだろう。彼が復活したとは言え、いや、復活したからこそ忙しくなるのではないのか?」  鋭い指摘に、アセイリアはため息交じりに「そうなんです」と認めた。 「今日ぐらいはのんびりとさせてもらいたいのですけど……多分、駄目なのでしょうね」  懸案事項は無いが、アセイリアが久しぶりにグリゴンを訪れたのだ。手ぐすねを引いて待っている者は、それこそ両手で足りないぐらいに居たのだ。 「ああ、この後立食パーティーを開けと突き上げが来ているな。君と話をしたい者は、私の周りには掃いて捨てるほどいるのだよ。君が結婚すると聞かされたら、きっと残念に思う者もいることだろう」  はっはと笑ったドワーブは、「以上だ」と言って立ち上がった。そしてアセイリアに右手を差し出し、「いい知らせを貰った」と感謝の言葉を口にした。 「後は、うちの若い者達と話をしてやってくれ。これからホテルに移動し、そこで休憩しながら待っていてくれればいい」 「お手柔らかに……と、ここで言っても意味が無いのでしょうね。私は、ヨシヒコさんじゃないんですけど」  自分の実力では、グリゴンの若手に圧倒されてしまう。それが見えるだけに、どうしても後ろ向きになってしまうのだ。  そんなアセイリアに、ドワーブは「大丈夫だ」と保証してくれた。 「君は、それだけの実績を上げているのだよ。大丈夫、うちの若い奴らも、そのことをよく分かっている」  それにと、ドワーブはこの後のことを持ち出した。 「すぐに、彼が顔を出してくれるのだろう。ならば、本番はその時と言うことだ。リルケからなら、それなりに時間が掛かるからな。若手を集める時間は十分あるだろう」  楽しみだと笑ったドワーブに、アセイリアは心の中でヨシヒコに謝っていた。もっとも謝ったのは、余計な手間を掛けさせることだけで、きっと圧倒するのだろうなとその方面は心配していなかった。 「そうですね。もしかしたら、アズライト様と二人がかりで迎え撃ってくれるるでしょう……」  そう答えたアセイリアだったが、もう一人忘れていることを思いだした。 「その時には、アンハイドライト様も一緒だと思いますよ。3人いれば、たいていのことは大丈夫じゃないですか?」  アセイリアの言葉に一瞬驚いたドワーブだったが、すぐに事情を思いだした。そしてその上で、実は画期的なことなのかとヨシヒコの訪問のことを考えた。 「近場の総領主にも声を掛けておくか……何気に、皇太子、皇女が揃って訪問するのは画期的なことだからな。しかも皇帝就任が決まった皇女が訪問するのは、間違いなく記録にないことだからな」  うんうんと頷いたドワーブは、「大変だ」と自分のアバターを呼びだした。事の重大さを考えたら、すぐにでも準備を始める必要があるのだ。今の所目立つわけにはいかないが、内々に準備だけは進めておく必要がある。皇族が来るとなると、今回のような控えめな対応で済ませるわけにはいかなかったのだ。 「さて、なかなか忙しくなりそうだな」  そして面白いことになるのは間違いない。面白い時代に生まれたことを、ドワーブは自分の幸運を喜んだのだった。  ヨシヒコがアルハザーから皇帝を押し付けられた翌日、そしてアセイリアがドワーブ配下に根を上げた翌日、テラノを旅だったカニエはリルケに帰還していた。行きと同じく特等船室の快適さを味わったカニエは、周回軌道上位ある旅客ターミナルでヴィルヘルミナに捕まった。  ヴィルヘルミナ配下の出迎えを予想していたこともあり、本人の出迎えはカニエにとって最初のサプライズとなった。そしてヴィルヘルミナは、開口一番カニエ不在時のことを口にした。 「あなたが不在の間、実家に戻っていました」  どちらかと言うと不機嫌そうな、少なくとも恋人と再会した時の顔をしていないヴィルヘルミナに、カニエは実家での話を想像した。何しろ自分は、しがない三等子爵でしかない。三等侯爵様とは、どう考えても釣り合いが取れるはずもなかったのだ。きっと、色々と反対されたのに違いない。ヴィルヘルミナの難しい顔が、その事実を突き付けてくれた気がしていた。 「それで、実家で何か言われたのか?」  逢えない時間が長ければ、それだけ熱が冷めるのは仕方のないことだ。しかも実家から反対……むしろ叱られれば、ヴィルヘルミナの立場を考えれば自分との関係を清算しようと考えるだろう。  そのつもりで質問したカニエに、「色々」とヴィルヘルミナは答えた。 「つまり、俺との関係を叱られたと言うことか」  そこで常識を持ち出すのは、カニエの立場として少しもおかしくないだろう。何しろ相手は、ティアマト星系のお姫様にして、三等侯爵様なのだ。歴史があるからこそ、釣り合いにも気を使う必要があったのだ。  だが「叱られた」と言うカニエの言葉に、ヴィルヘルミナは少し驚いたような顔をした。 「カニエ、あなたは何か勘違いしていませんか?」 「勘違いも何も、俺は爵位を持つ者の常識を口にしたつもりなのだが?」  おかしいのかと聞き返したカニエに、ヴィルヘルミナは小さくため息を返した。つまり、それが答えと言うことだ。 「番う相手の身分など、いざとなったらどうにでも取り繕うことができるものです。人として相応しいかどうかが問題であって、爵位の問題など養子にでもなればどうとでもできます。実家が問題としているのは、あなたの恋人としてテラノに付いて行かなかったことです。帝国に始まった大きな流れ、その流れの大本に行く機会を無駄にしたこと。その不見識を責められたのです!」  専用シャトルに移動しながら、ヴィルヘルミナは叱られたことへの不満を口にした。そんなヴィルヘルミナに、「だが」とカニエは疑問を呈した。 「だとしたら、恋人に対して少しよそよそしくないか?」  それを示すように、カニエは両掌で二人の距離を示して見せた。 「連れて行ってくれなかったことに拗ねている。そう思うのが恋人として正しいことです!」  さすがに恥ずかしいことを言っている自覚があるらしく、ヴィルヘルミナは首元まで顔を赤くしていた。それでも恋人であることを主張するように、右腕でカニエの左腕を抱え込んだ。  テラノでは意図せず禁欲的に過ごしたこともあり、ヴィルヘルミナの柔らかさにカニエの体は素直な反応をしめした。そして心の方も、ヴィルヘルミナを可愛いなと考えるようになっていた。そうなると現金なもので、どこかで発散したいと言う欲求が高まってくる。シャトルの座席に座ったところでヴィルヘルミナを抱き寄せ、カニエは「抱きたい」と耳元で囁いた。 「それは、その、いきなり……」  突然のことにさらに顔を赤くしたヴィルヘルミナだったが、小さくため息を吐いて「今は駄目です」と答えた。そしてカニエに責められるのに先んじて、待ち構えている者達が居ることを説明した。 「あなたの帰りを、手ぐすねを引いて待ち構えている者達が居るんです」 「待ち構えている……ドードリー達のことか?」  いよいよ引導を渡しに来るのか。そう考えたカニエに、ヴィルヘルミナは「まさか」と答えた。 「彼らは、すでに勝手に動き始めています。待っているのは、セイレーン一等伯爵達です。結局、残ったのはあなたを含めて5人と言うことになります」 「セイレーン一等伯爵、オデッセア三等侯爵、マリエル二等伯爵と言うことか。随分と、曲者ばかり残ったのだな」  クレスタ学校のことになれば、カニエの背筋にも一本筋が通ってくれる。それにヴィルヘルミナとの関係が清算されていないのなら、夜を待てばいいだけのことだ。実家に否定されていないと言うことは、逆に大手を振って関係を続けられる意味にもなる。それをすぐに計算したカニエは、3人が待ち構えていることの意味を考えた。 「お前は、実家で色々と言われたと言ったな? それは、この集りのことについてか?」  隣に尋ねる相手がいるのだから、まずそれを聞いてみればいい。その答え次第で、この先の対応を考えれば済むことなのだ。 「はい、検討の方向がおかしくないかと言われました。どうして聖下を無視して検討するのか。根本から間違っていると叱られました」  どこでも同じことを考えるものだ。ヴィルヘルミナの答えに納得したカニエは、少し早いがテラノでの成果を説明することにした。 「全員が居るところでと思ったのだが。お前には、先に教えておくことにしよう。テラノは、皇帝聖下を無視することから、巻き込むことに方針を転換した。今頃、アンハイドライト様がそのことを聖下に伝えているはずだ。そしてその考えには、俺も賛同している。この銀河において、もっとも影響力のあるお方は聖下をおいてほかにいらっしゃらない。そして、それを示すのは力ではなく、新しい、そして時代に沿った方針を打ち出すことだと思っている」  実家と同じことをカニエが口にしたことに、ヴィルヘルミナは驚くのと同時に、さすがだと自分の目が確かなことが誇らしくなった。今までのように何もなく、悪く言えば代わり映えのしない帝国はもはや存在していないのだ。その時代を乗り切るためには、家のためにはカニエのような男を取り込む必要があると思っていた。シオリも同じことを考えているのは知っている。そのシオリの先手を打てたことにもヴィルヘルミナは満足していた。 「残った4人は、似たことを実家に言われています。ですから、あなたがいない間、自分達に何ができるのかを検討しました。ただ、検討こそしましたが、なかなか妙手が無いのも事実です」  それが簡単にできるのであれば、すでにアルハザーが手を打っているはずなのだ。それができないと言うことは、それだけ打つ手が無いと言う意味にも繋がってくる。ヴィルヘルミナ達に妙案が無いのは、考えてみれば不思議なことではない。  だが打つ手が無いところに、自分は新しい情報を持って来た。新しい流れの中心にいるテラノの方針転換は、うまく利用すれば自分達の検討に大きく役立ってくれるはずだ。 「だとしたら、テラノの方針転換は好都合と言うことだ。アズライト様を利用すれば、聖下が関わる方法も見つかるだろう。それに、テラノを俺達の検討に巻き込むこともできる」  カニエの意見に、ヴィルヘルミナは少し考えてから小さく頷いた。具体的にどうするのかは浮かばないが、間違いなくテラノの方針転換は利用できるのだ。相手から歩み寄ってくるのであれば、色々と道も開けるはずだ。カニエがテラノに行ったからこそ、彼らを巻き込むと言うのも現実味を帯びることになる。  明るい展望が見えたことで、ヴィルヘルミナの気持ちもかなり楽になっていた。そして問題が軽くなると、女としての自分が顔を出してくる。着陸するまでの残りは1時間と短いが、短いなりにできることはあるだろうと考えた。 「その、今は駄目と言いましたが……」  駄目と言った時に、カニエは彼女を抱き寄せるのをやめていた。だが報告が終わった今、ヴィルヘルミナにはカニエを拒む理由は存在していない。だとしたら、少しでも触れていたいと考えるのが女心だった。  顔を赤くしてもたれ掛ってきたヴィルヘルミナに答えるよう、カニエは肩に手を回して強く抱き寄せた。そして耳元に口を当て、「今夜は泊まって行け」と命令した。 「実家は反対していないのだろう?」  耳元で囁かれ、ヴィルヘルミナは息を飲んでから小さく頷いた。お姫様としては、男の家に泊まるのは冒険以外の何物でもない。もっとも、すでに体を許しているのだから、今さら何をと言う所もある。  これで今夜の予定も決まったことになる。それに気をよくしたカニエは、急ぐことは無いとそれ以上の行為には及ばなかった。そしてヴィルヘルミナを抱き寄せたまま、今日のことを考えることにした。自分以外に4人残ったのは、4人はまともな奴がいると言う意味に繋がる。ならば残った4人に、ご褒美も必要となるだろう。  そのご褒美に、カニエは自分の立場を利用することを考えた。アズライトの名代としてテラノに行ったのだから、その結果を報告する義務を持っている。その際に連れて行くのなら、角が立つこともないだろう。こういう時には、人数が少ないのも役に立ってくれる。 (ならば、残った奴らと何を考えるかだな……)  ダイナミックに動いてこそ、自分がテラノに行った価値が出てくる。彼らの隠し事は気になるが、テラノとの関係自体は問題はないとカニエは考えていた。テラノとの連携も視野に入れる。それがアズライトへの答えとなるかと、カニエはこれからの議論を考えていた。  カニエから出た面会の求めに、アズライトは特に注文を付けずに許しを与えた。特別扱いはしないと宣言はしたが、名代が報告に来ることはむしろ当たり前の事だった。人数が5人になったことにしても、名代のおまけならば気にすることもなかったのだ。 「時間的にも、夕食を振る舞ってもいいでしょうね」  どうですかと尋ねられ、彼女のアバターアリエルは小さく頷き、主の考えを認めた。 「土産話を聞かせて貰うのもいいと思いますよ。ここにいると、なかなかテラノの情報も入ってきませんからね。アンハイドライト様がお出でになる前に、話を聞くのも良いかと思います」  アリエルの答えに、そう言えばとアズライトは兄のことを思いだした。 「お父様とのお話が終わったはずなのに、どうしてお出でになるスケジュールが決まらなくなったのでしょうね。養子に出る手続きなど、今さら時間のかかることは無い筈なのに……」  元々の予定は、明日にはアンハイドライトが来ることになっていたのだ。だがアンハイドライトからは、ずれることになったとだけ連絡が来ただけだった。 「今日は、アリアシア様とお話をされているはずです。そのお話が長引いた……もしくは、解決すべき問題が生じたと考えれると思います」 「アリアシア姉様……確かに、大変だと思いますが」  すでに、アリアシアが皇帝になることは無いと知らされていた。それを考えると、姉が身の振り方に悩まなければならないのも確かだ。それが簡単でないのは、アズライトも理解していることだった。我が身に置き換えてみれば、余計に難しい事情も理解できる。宇宙を飛び回る天災と言うのはいくらでも言われたが、逆に浮いた話一つなかったのだ。相手を探そうにも、どうすれば良いのか全く分からなかった。そのあたりが、女性皇族につきものの問題となっていたのだ。  もっとも、予定がずれること自体大したことは無いとアズライトは思っていた。毎日がゆったりと過ぎるのだから、数日のことに目くじらを立てても仕方がないのだ。もしも問題があるとすれば、子供を外部に出すスケジュールが決まらないぐらいだろう。 「そう言えばアリエル。この子達を人工子宮に移すスケジュールはどうなりました?」  愛おしそうにお腹を撫でたアズライトに、アリエルは調整結果を報告した。 「準備の方は整っていますので、いつでも大丈夫と言う見解が医療部から来ています」  お腹の外に出せば、愛する我が子と対面することができる。それを思うと、一日でも早くと言う思いが押さえられなくなる。  ただ、アンハイドライトだけでなく、カニエも帰ってきてしまった。そうなると、ここ数日は身の回りが忙しくなることが予想できるのだ。気持ちは急くが、必要な仕事を済ませておくことも大切だった。 「そうですね。ここ数日は我慢した方が良さそうですね。お兄様にも妊娠している私を見ていただきたいですから、お兄様がお出でになった後と言うことにしましょう」  養子に出ると、今までのように気軽に会うこともできなくなる。それを考えれば、今の自分を見て貰う必要があると思っていた。 「確かに、アンハイドライト様の後が宜しいですね。では、医療部にはそのように連絡しておきます」  そうアズライトに答えたアリエルは、館にカニエ達が到着したのに気が付いた。 「アズライト様、カニエ様たちが到着なされました」 「では、ここに案内するように命じてください」  そう言って立ち上がったアズライトは、侍女の手を借り立ち上がった。そして両側に侍女が付き添い、上着を着るために控えの間に歩いて行った。カニエだけならまだしも、他にも4人が付いてきているのだ。薄着のまま顔を出すのは、さすがに宜しくないと考えた。  アズライトがガウンのような上着を着てしばらくして、侍女がカニエ達を案内してきた。さすがにアズライトの前と言うこともあり、全員の顔には緊張が浮かんでいた。  「よく来ましたね」と一行を迎えたアズライトは、そこにと自分の前にあるテーブルを示した。5人で来ると言うことなので、少し広めのテーブルが用意されていた。 「今日は、大勢で顔を出したのですね?」  一同を座らせてから、アズライトは正面に座ったカニエに声を掛けた。名代となったのだから、グループの代表はカニエと言うことになる。 「はい、せっかくの機会ですから、テラノのことを聞かせたいと考えました」 「それぐらいなら、私が居ないところでも構わない気もしますが……」  残った4人の顔を見たアズライトは、「それで」とカニエに報告を求めようとした。だがすぐに、忘れ物をしていたことを思いだした。 「ごめんなさい。その前に、皆さんに聞いておくことがありました。時間も時間ですから、迷惑でなければこの後夕食をご馳走したいと思っています」  いかがですかと言われて、断れるはずがないと言うものだ。全員の顔を見たカニエは、「喜んで」とアズライトの招待を受けると答えた。 「では、さっそく準備に掛からせましょう。それでカニエ、テラノはどうでしたか?」  訪問の主題を持ち出したアズライトに、カニエは「はい」と答えて報告を口にした。 「とても、有意義な話ができたかと思います。アセイリア機関のメンバーと議論しましたが、彼らからは勢いを感じさせられました。非常に活発に意見が述べられ、その意見に対して肯定・否定の考えも忌憚なく述べられています。総じて言えることは、彼らは自分達を取り巻く世界がどうあるべきか。それを真剣に考え、自分なりの方法で実現手段を示そうとしたことです。比較してはいけないのですが、クレスタ学校の議論がとても眠たく感じられました」 「いまだ、改革の熱は衰えていないと言うことですね。それを聞いて、少し安心いたしました」  燃え盛った改革への熱も、時間と共に冷めてしまうものだ。いまだ熱心に取り組んでいると言う報告に、アズライトは嬉しそうな笑みを浮かべた。 「それでアセイリアとチエコはどうしていましたか?」 「それなりに、苦労されていると言うところでしょう。やはり、ヨシヒコ・マツモトの残した宿題は難しいようです。それでも言えることは、アセイリアと言う女性が遺言にだけ囚われていないと言うことでしょうか。帰りがけに、彼女から方針の転換を聞かされました」  方針の転換と言う報告に、アズライトは少しだけ驚いた表情を浮かべた。 「どう言った転換ですか?」  それを気にしたアズライトに、カニエは一度集まった全員の顔を見た。 「その転換こそ、本日全員を連れて来た理由でもあります。私が居ない間、残ったメンバーは議論の方向をどうすべきかを考えてくれました。そして彼らの実家もまた、これからの帝国のありように頭を悩ませてくれています。そこで彼らが得た結論は、今までの検討からさらに一歩足を踏み出すべきと言うものです。そしてその結論は、奇しくもテラノの方針転換と一致する物でした」  それはと、答えを口にする前にカニエはもう一度全員の顔を見た。 「テラノとグリゴンの関係をきっかけに始まった今の流れに、皇帝聖下を巻き込むべきと言うものです。それこそが、帝国が生まれ変わるのにもっとも良い方法と言うことです」  皇帝を巻き込むと言うカニエの報告に、アズライトの顔に一瞬厳しい表情が宿った。だがその表情もすぐに消え、元通りの笑顔に取って代わられた。 「なぜ、お父様を巻き込む必要があると考えたのですか? あなた達は、私とお父様の確執を知っているはずですよね?」  笑みこそ浮かんでいるが、アズライトの言葉には毒が籠っていた。それを感じたメンバーは、機嫌を損ねたのかと恐れを抱いた。ただカニエ一人、何も変わらぬ態度でアズライトと相対した。 「もちろん、承知しています」  はっきりと言い切ったカニエは、アズライトの言葉を待たずに自分の意見を口にした。 「私達の集まりは、帝国はどう進むべきかを考えることが目的です。どのような将来の姿を描き、そしてその姿に向かってどう進んでいくのか。それを考える集まりだと考えています。アズライト様、私の考えにどこか間違いはありますでしょうか?」  カニエの答えに、アズライトは表情も変えずに「そうですね」とだけ答えた。 「であれば、今の答えがアズライト様の問いかけへの答えになります」  帝国全体のことに比べれば、親子の確執などどうでもいいことだ。カニエは、アズライトの答えを利用してそう突きつけた。ある意味正論ではあるが、アズライトに喧嘩を売る行為でもある。アズライトから感じる不機嫌さに慄いた4人は、どうするのだとカニエの顔を見た。  だが4人の視線も、カニエは気にしたそぶりすら見せなかった。その代わり、まっすぐにアズライト見て、何かおかしいのかと言う顔をした。 「どうやら、テラノに行かせたのは正解だったようですね」  ふっと口元を緩めたアズライトは、それまで纏っていた空気を霧散させた。 「今すぐ、皇帝に即位しろと言われたらどうしようかと思いました。せっかく子供が生まれるのですから、少しぐらいは母子の時間を作りたいと思っているんです」  にっこりとほほ笑むさまは、やはり特別なのだと思わせる美しさを持っていた。それはカニエだけでなく、他の4人にも同じ印象を与えたようだ。中でもアイオリアなど、呆けたようにアズライトの顔を見つめていた。 「それで、テラノはどうお父様を巻き込むつもりか教えてくれましたか?」 「それは……」  自分の問いにカニエが苦笑を浮かべたことで、アズライトはアセイリアの答えが分かった気がした。 「どうやら、教えてくれなかったようですね」 「いえ、それを考えるのは私の役目です。ですから、テラノのやり方を質問しませんでした」  はっきりと言い切ったカニエに、アズライトは成長したのだなと嬉しくなってしまった。アセイリアやチエコ、そしてアセイリア機関の人達。その人達と話をすることが、我が子の成長に役立ってくれたのだと。 「でしたら、これまでの枠にとらわれず活動してください。あなた達に、私から自由にしてよい許可を与えます。必要ならば、テラノに渡航することも許可します」  大盤振る舞いの沙汰に、カニエを含めて全員が驚いていた。ただ驚いてはいたが、カニエには聞いておくことが一つ残っていた。 「セントリア三等侯爵のグループと対等に扱うと聞いた気がします。これは、私達に対する優遇措置にならないのでしょうか?」  テラノに行く前には、特別扱いしないとしっかり釘を刺されていたのだ。ありがたいことにはありがたいのだが、そのことだけははっきりさせておく必要があった。 「これは、優遇措置などではありませんよ。あなた達の検討には、テラノと意見交換する必要があるはずです。テラノがお父様を巻き込むのであれば、あなた達は逆にテラノを巻き込もうと考えたのでしょう?」  違いますかと聞かれれば、その通りとしか答えようがない。さすがは次の皇帝になる女性だと、全員がアズライトの資質を認めた。 「その通りです。まさか、見抜かれているとは思いませんでした」  素直に認めたカニエに、アズライトは柔らかく微笑んで見せた。 「ヨシヒコの薫陶を先に受けたのは私ですよ。これぐらいのことが分からなくては、あの人に顔向けできません。先ほどのやり方も、グリゴンでのことを真似たのですよね?」 「レベルとしては低いですが……その通りです」  頭を下げたカニエに、アズライトは嬉しそうな表情を浮かべた。 「ほかに、何かしてきましたか?」 「その、申し上げにくいのですが……実は、大いに遊んできました」  きつい視線を向けてきたアズライトに、カニエは慌てて言い訳をした。アズライトの視線の意味を察知したカニエは、すぐさま身の潔白を申し立てた。 「いえ、決して疾しい方面ではなく……ジェノダイト様のご厚意で、観光地を案内していただきました。技術的には遅れていますが、文化の面で面白いところだと感激させていただきました」 「私は、領主府周りしか観光していないのに……」  不満と言うより拗ねたような顔をしたアズライトに、カニエを含め全員が驚いていた。彼らの知るアズライトは、もっと落ち着いた、18歳とは思えない女性だったのだ。 「どうやら、彼らはとても慎重だったようです。私に、必要以上の情報を与えないよう、気をつけていたのではないでしょうか?」  拗ねたアズライトと言うのは驚きだが、拘ってもろくなことはないとカニエは話を進めた。 「あなたが、私の意を受けて動いていてもですか?」  自分に対して隠し事をする必要がない。その意味で問いかけたアズライトに、カニエはその甘い考えを否定した。 「アズライト様に知れれば、聖下の耳に届くと考えたのでしょう。それに、私を送り込むアズライト様に、何か別の意図があるのではないかと考えたとも言えます。アセイリアと言う女性は、私がヨシヒコ・マツモトと瓜二つであることを否定しませんでした。お陰で、初めて会った時にはしっかりと品定めをされ、がっかりとされたのを自覚しています」  まさか正体を明かさず、お茶汲みをしてくるとは予想もしていなかった。その時の振る舞いを観察されれば、自分に対して失望するのも予想ができたのである。だからカニエは、リルケに帰る際にはアセイリアに対して謝罪をしたと言う事情もある。 「そうですね、ヨシヒコはとても誠実……誠実……」  誠実な男性と言おうとしたアズライトだったが、本当にそうなのかと考えなおしてしまった。そして思い出してみると、結構誠実さからは程遠いことを何度もしていたのを思い出した。自分が居るのを気づいているくせに、セラムとは何度もキスをしているのもそうだし、キャンベルとはしっかり関係してくれていたのだ。 「誠実な人でしたと言おうと思ったのですが……結構浮気をしていましたね」  小さく息を吐き出したアズライトは、「他には?」とカニエにみやげ話を要求した。  もっと教えろと催促されたカニエは、何を話そうかと腕を組んで考えた。議論の中身をいちいち話すのは無駄が多いし、観光で何を見たのか話すのも無駄に思える。そうやって考えると、あまり話すことがないと言うのが現実だったのだ。 「アセイリア機関のメンバーとの話は、もう少し整理してからと思っています。それに、方針転換を聞かされたのは、私がお別れの挨拶をする時でした……」  ううむと考えたカニエは、「そう言えば」とアセイリア達が落ち着かなかったことを口にした。 「私が総領主府に到着した翌日、アセイリア様、チエコ様がとてもそわそわなさっていましたね。最後にご挨拶するときには普通でしたので、何か良いことが有ったのではないでしょうか?」 「アセイリアとチエコが?」  いったい何が有ったのかと、アズライトは二人の事情を想像した。ヨシヒコが死んで4ヶ月近く立つのだから、生活が普通に戻ってもおかしくはない。だとしたら、偶然いいことがあるのも不思議ではないのだろう。それに伝え聞いた話では、兄がアセイリアを口説き落としていた。 「恐らく、お兄様とのことではありませんか? チエコにとって、アセイリアは娘のようなものでしたからね。そのアセイリアがお兄さまに求婚されたのですから、そのことを喜んでいたのではないでしょうか?」  アズライトの答えに、カニエは「なるほど」と大きく頷いた。婚約の話は直接聞かされていないが、噂ぐらいでは耳にしていたのだ。一等侯爵の跡取りとの縁談ともなれば、間違いなく慶事と言っていいはずだ。ともにアセイリア機関の舵取りで苦労してきたことを考えれば、チエコが喜ぶのも不思議なことではないだろう。 「そう言えば、アンハイドライト様がリルケに戻られているはずですが?」  テラノとの関係を考えれば、間違いなくアズライトの所に顔を出すはずだ。それを気にしたカニエに、「お兄様は」とアズライトは少しだけ拗ねたような顔をした。 「アリアシア姉様の相談に乗っているということです。姉様も今年で二十歳になりますから、身の振り方を真剣に考える時期になってしまったんです」  アズライトの答えは、噂をまた一つ肯定するものになっていた。長男のアンハイドライトが養子に出て、そして長女のアリアシアが身の振り方に悩んでいる。それは、二人が皇帝にならないのだと示していたのだ。 「アリアシア様ですか……」 「誰も、求婚してきていないみたいですね。その責任の一部は私にあるのですが……」  ほっと息を吐き出したアズライトは、ポップアップしたアリエルに晩餐の準備ができたことを伝えられた。 「ここから先の話は、夕食でも食べながら話すことに致しましょう。皆さんには、少し歩いてもらうのを謝罪致します」  アズライトの言葉と同時に、侍女達が部屋に入ってきた。そしてテーブルに付いた5人を、「こちらにどうぞ」と案内して行った。そして別の二人がアズライトの所に近寄り、両側から支えるようにして立ち上がらせた。そんな真似をしなくても一人で立てるのだが、安全のためと2日前から始まった習慣だった。  二人の手を借りて立ち上がったアズライトは、右手の手のひらを自分のお腹に当てた。こうして手を当てることで、子供が元気にしているのが伝わってくるのだ。 「あなた達のお父様は、帝国に新しい流れを作ってくれましたよ。これから、多くの者達が帝国はどうあるべきか、そしてどこに進んでいくのか、各々の立場で考えることでしょう。その中には、私達が考えもつかなかったアイディアがあるのかもしれません」  父親が好む物語は、何も悲劇を作らなくても綴られていく。人一人の悲劇に比べて、帝国の変革が創りだす物語は、間違いなく壮大なものとなってくれるだろう。その分舵取りが難しいのだが、アズライトは少しも不安を感じていなかった。 「その時には、あなた達が助けて下さいね」  だから早く生まれてきて。お腹に手を当て、アズライトはまだ見ぬ子に語りかけたのだった。  アリアシアの行動を知らされた時、アルハザーは「さすが」と妻の遺伝に感心をした。自分のためとなれば、本当に手段を選ばないところが凄いのだ。そしてアリアシアに感心する以上に、たった1日で監禁から脱出したヨシヒコをもっと凄いと感心していた。 「やはり、庶民と言うのは逞しいと言うことかな?」  その言葉の裏を返せば、ジェノダイトは何も知らないおぼっちゃまだったと言うことになる。自分の顔を見て言う夫に、「温室育ちですから」とトリフェーンは自分の娘のことを評した。 「アズライトもそうですけど、殿方に免疫がないですね」  自分の娘に理由を求めたトリフェーンに、違うだろうとアルハザーは珍しく言い返した。 「娘たちが、温室育ちであることを否定するつもりはないがね。だが、それは君も同じだったのではないかな?」 「確かに、三等侯爵の娘と言うのは温室育ちなのでしょうね」  自分も同じと認めたトリフェーンは、「分からなくなった」と少し困ったような顔をした。 「あの子は、アズライトのイーリ・デポスだと思っていたわ。でも、アリアシアにとっても特別なようだし……一体何なのでしょうね?」  はっと小さく息を吐き出した妻に、アルハザーは口元を隠して小さく吹き出した。 「そもそも、イーリ・デポスと言うのが少女趣味の考え方なのだよ。女にしか見えない彼なのだが、その本質は強烈なオスと言うことなのだろう。だから、多くの女達が彼の虜になっているんだ。アリアシアもアズライトも、そのうちの一人と言うことなのだろうね」 「だとしたら、とんでもない後宮を作ることになるのかしら?」  皇帝にする以上、血筋のことを縛ることはできなくなる。皇帝になる前ならいざ知らず、皇帝を縛ることのできる者はこの銀河には存在しないのだ。自分の子でないものを皇帝につけた時点で、シリウス家は全く違ったものに変質してしまうのが確定していた。その後継者にシリウス家の血を求めるのは、もはや不可能と言うことは分かっていた。 「ですが、本当に良かったのですか?」  なにをと言う部分を省略した問いに、アルハザーははっきりと頷いて見せた。 「私達の子の誰よりも優れいているのははっきりしているんだ。だとしたら、アズライトではなく彼を皇帝にすべきなのだよ。それに彼は運がないと言っているが、彼ほどの強運の持ち主はこの銀河にはいないだろう。優れた頭脳を持っているということ以上に、素晴らしい人達との出会いを果たしているのだからね」  だからと、アルハザーは自分の決定を肯定して見せた。 「一日でも早く、彼に皇帝の座を譲ることを考えているんだ。そうすることで、この世界はますます興味深いものになっていくことだろう」 「その時には、ジェノダイト君も引退させないとね」  新しい動きが生まれたのなら、古い船頭は引退すべきなのだ。その方が個人的にも楽しめるのだから、トリフェーンにとっては一石二鳥とも言えるだろう。 「私を捨てて、ジェノのところに走るつもりかい?」  困ったような顔をした夫に向って、トリフェーンは気を持たせるようなそぶりをして見せた。 「それもいいと思いますよ。あなたの妻として、十分仕えてきたと思いますからね。ここから先は、女としての夢を果たしてもいいのかなと思っています。ただ、ことを荒立ててもいいことはないと思いますから、あなたも一緒に楽しむことになるのでしょうね。私達の子供の未来を、3人で見守るのもいいと思います」  どうですかと、トリフェーンは立ち上がって夫の隣に腰を下ろした。そしてゆっくりと体を倒し、甘えるように夫の胸に顔をうずめた。 「たまには、私からおねだりをしてもいいですか?」 「私から誘おうと思ったのだが……」  先手を打たれはしたが、だからと言って拒む理由もない。妻を抱き寄せたアルハザーは、彼のアバター琥珀に人払いを命じた。 「あなたが積極的になるのは、何年ぶりのことでしょう?」  うっとりとした顔をする妻に、アルハザーは覚えていないと苦笑を浮かべた。 「それもまた、私の不徳の致すところだろう。どうやら、その方面でも彼を見習うべきのようだ」  だからと、アルハザーは軽口をやめ、いまだ容姿に衰えを見せない妻の唇に自分の唇を重ねた。 「もう一度、君に夢中になってみよう」  今度は、男女として。そう口にしたアルハザーは、ゆっくりと妻をその場に押し倒したのだった。  シオリ・ホメ・セレスタ・オデッセアと言う名前から分かるとおり、シオリはトリフェーンと同じセレスタ星系の出身である。そして三等侯爵家と言うのは、セレスタ星系では最高位に次ぐ家柄でもあった。セレスタ星系ではオデッセア家の上には、トリフェーンの実家であるアルケスト家があるだけだった。もともと両家は同格だったのだが、皇妃を輩出したことでアルケスト家の立場が上がっていた。  家督の相続に関して言えば、兄がいるシオリは比較的自由にすることができた。おかげで将来は、適当な、そして自分の好みに合う相手を見つけて嫁げばいいことになっていた。ただ自己顕示欲の強いシオリは、相手に家柄以上に高い能力を求めたのである。クレスタ学校に加わったのも、自分の見識を高めるのと同時に、優れた男を探すと言う目的もあったのだ。  そこでカニエに目を付けたのは、可愛らしい見た目を気に入ったのが最初の理由だった。そして議論を深めていくうちに、見た目とは裏腹の鋭い知性に感心させられたのだ。ただ、それだけでは、とても実家を納得させることが出来ないだろう。だがカニエには、アズライト皇女殿下のお気に入りと言う立場があった。次期皇帝のお気に入りというのは、立場を超えた意味を持ってくれる。  そしてたくましい男より可愛めの男と言うのが、シオリの好みに合っていたのだ。なんとか口説き落とそうと考えたシオリだったが、行動に出る前にヴィルヘルミナに先を越されてしまった。出遅れに気づいた時には、二人は既に関係を結んでいた。  逃がした魚は大きかった。アズライトの晩餐に招かれたことで、さらにその気持ちは強くなっていた。実家に否定されなかったため、ヴィルヘルミナがの態度がとても露骨なものとなっていたのだ。家として同格、そして出遅れた自分には、カニエを奪い取る決め手となるものはない。わずかな出遅れが、回復不能な出遅れとなったことを思い知らされたのだ。  しかもアズライトの招待から一夜明けた昨日の会議では、始終ヴィルヘルミナがカニエの隣に座っていた。そして議論の合間合間に、所有権を主張するかのように甲斐甲斐しく世話まで焼く始末だ。どこまで本当か分からないが、カニエの館に泊まったことを匂わせてくれた。 「癪に障るったらありゃしない!」  毎日顔を突き合わせても仕方がないと、今日一日は自己検討に充てられていた。カニエがそれを口にした時のことを思い出すと、今でも腸が煮えくり返ってきてしまう。カニエの隣に座ったヴィルヘルミナが、勝ち誇ったような顔を自分に向けてくれたのだ。 「カニエは、このままいけばアズライト様の側近に収まるわ……」  カニエへの特別扱いを見れば、アズライトが彼に目を掛けているのは一目瞭然なのだ。食事中の会話にしても、自分達とは明らかにアズライトの態度が違っている。その事情を考えれば、カニエは間違いなくアズライトに取り込まれることになるだろう。そうなると、爵位の低さなどどうでもいいものになる。次期皇帝のお気に入りともなれば、その力は一等侯爵を超えてくれるのだ。そのカニエを誑し込んだのだから、ヴィルヘルミナが勝ち誇るのも当たり前のことだった。 「かと言って、アイオリアは好みではありませんし……」  一等伯爵と言うのは、格として落ちることになるのだろう。だがこの辺りの違いは、星系が異なれば誤差としか言いようのないものだった。その意味で、カニエ側に残った見識は褒められるものに違いない。ただ男としてみた場合、シオリの好みからは外れていたのだ。 「……考えが纏まらない」  朝食を済ませてから宿に籠って宿題をこなそうとしたのだが、どうしても考えが余計な方向に向いてしまう。本来なら皇帝を巻き込んだ新しい帝国像を考えるところなのだが、どうしても個人的問題が気になってしまった。  腰まで伸びた少し明るめの茶色の髪は、窓から入ってくる風にさらさらとなびいている。気の強さを表したように、ピンクの唇はしっかりと結ばれていた。その唇が時折開いたと思えば、出てくるのは物憂げなため息ばかりなのだ。それが、今のシオリの精神状態をよく表していた。豪華な椅子に腰を下ろし、立派な木製のデスクに両肘をついたまま、シオリは無為な時間をただ過ごしていた。  そんなシオリを心配したのか、彼女の側仕えの一人が声を掛けた。10時のお茶の準備をしながら、少し年配の女性はシオリに気分転換を勧めた。 「お茶がすみましたら、外を散策されてはいかがでしょうか。本日は天気もよろしいですから、少しは気分が変わるかと思います」 「外、ですか……」  ありきたりの提案なのだが、それもいいかとシオリは明るい世界に目を向けた。公邸代わりに確保した宿にいても、気持ちが鬱屈としてくるだけなのだ。その意味で、日の光を浴びて散策すると言うのは、間違いなく気分転換にはなってくれるだろう。 「そうですね、ありきたりですが、今はコヨミの勧めに従うことにいたしましょう」 「ありきたりと言うのは、それだけ効果が確認されていると言う意味かと思います」  表情を出さずに、コヨミは黙々とお茶の準備を進めた。今日は紅茶とスコーンに似た菓子が供されていた。 「ねえコヨミ?」  カップからお茶を一口すすったところで、シオリは気になっていたことを口にした。 「なんでしょう、お嬢様」 「私は、女としての魅力に欠けるのでしょうか?」  なぜそんな疑問が出てきたのか、普段の主を見ていれば教えられなくても分かることだった。そしてどう答えるべきかも、悩むほどのことではないものだった。 「いえ、お嬢様はとても魅力的でいらっしゃいます」  最初に主を肯定したコヨミは、「ただ」と言って本題を続けた。 「だからと言って、必ずしも意中の方と結ばれるとは限りません。人と人との関係には、縁と呼ばれる不思議なものが存在しています。結ばれる時には、どのような障害があろうと結ばれるものだと聞いています」  つまり、カニエとは縁がなかったと言うのだ。その決めつけには腹が立ったが、一方でそう言われても仕方がないとも感じていた。彼女の言うように「縁」があったのなら、自分は出遅れることはなかったはずだ。そしてカニエも、ヴィルヘルミナに手を出すこともなかったのだろう。 「確かに、縁と言うものは大切ですね」  それを認めてしまうと、自分とカニエの縁は繋がっていないことになる。惜しいとは思ったが、引きずったとしてもろくなことはないだろう。ただ割り切るには、逃がした獲物は大きかった。 「確かに、気分を変える必要がありそうですね」  天気の良い今日のような日には外に出て、日差しの下を歩いてみるのもいいかもしれない。館に籠っていては、いつまでも同じところをぐるぐると回ってしまいそうな気がしてしまう。どこかで気持ちを晴らさないと、ぐるぐる回りながら落ち込んでしまいそうだった。 「では、お召し物を用意してまいります」  頭を下げて戻ろうとしたコヨミを、「そのことですが」とシオリは呼び止めた。 「気分を変えたいので、普段とは違う装いを選んでくれませんか?」 「普段とは違うと言うのは……」  普段のシオリは、薄い色の丈の長いワンピースを好んで着ていた。割と生地が厚めと言うこともあり、野暮ったさ以上にガードの固さを感じさせる格好だった。しかも美人だがきつめの顔をしていることで、余計に殿方を遠ざけてもいた。 「そうですね、殿方の目を引くような装いが良いかと思います」  そう答えたシオリは、「あくまで気持ちの問題です」と言葉を付け足した。 「少し無防備な装いをすることで、気分を変えようと言うだけですよ。有象無象を相手にするつもりはこれっぽちもありませんから」 「でしたら、かなり露出の多い衣装を用意いたします。ただ、少しだけお時間をいただければと」  普段とは違う格好と言うこともあり、すぐに出るところには用意されていなかった。しかも主の確認も必要なのだから、普段よりは時間がかかることになる。 「ところで、このような格好でよろしいでしょうか?」  そして準備をするのであれば、主の意向を確認する必要がある。自分の端末から衣装を投影したコヨミは、主のアバターにいくつかの案を提示した。 「……確かに、普段に比べて露出が多くなっていますね」  スカートの丈が20cmほど短くなり、袖の方も少し丈が短くなっていた。ただ首元はしっかりと詰まっているし、服地にしてもさほど薄くなっていないのが現実だった。カニエを誘惑したヴィルヘルミナに比べて、明らかにガードの固い格好でもある。  それでも普段のシオリからすれば、思い切った格好には違いない。気分を変えると言う意味なら、これはこれで十分なものなのだろう。しかも色目は、普段は選ばない薄いパステルピンクだった。 「では、この衣装を用意してください」 「はい、お嬢様」  直ちにと下がっていったコヨミを見送ったシオリは、少し胸が躍るような気持ちを感じていた。自分にしてみれば、普段にない冒険をしようとしているのだ。出だしとしては、上々だと言えるだろう。  それから30分ほど待ったところで、少し冒険をした装いの準備が整った。さっそく新しい服に袖を通したシオリは、自分としては大胆な格好を何度も鏡の前で確かめた。 「なかなか、良いと思いますよ」  ぐるりと鏡の前で回ったシオリは、自分の姿に満足げに頷いた。それに頷いた側仕えのコヨミは、失礼いたしますとシオリの後ろに回った。 「もう少し、冒険なさるのはいかがでしょうか?」  そう提案し、シオリの長い髪を持ち上げた。そうすると、今までパーティーでしか見せたことのない項が露わになってくれた。 「こうした方が、殿方の目を引くのではないでしょうか?」 「少し、大胆ではありませんか?」  目を引くと言うのは好ましいが、かと言ってやりすぎるのもよろしくない。少し顔を赤くしたシオリに、コヨミは小さく首を振って見せた。 「とてもよくお似合いかと」 「そう、ですか……」  似合うと言うのなら、もう少し冒険してみるのもいいだろう。コヨミの用意した椅子に腰を下ろして、「任せます」とシオリはお勧めを受け入れることにした。せっかく冒険するのなら、中途半端にするのは後悔することになる。 「ドレスでしたら、アップにするのですが……」  少し考えてから、コヨミは長い髪を束ね、高いところで結んで見せた。とてもシンプルな髪形なのだが、シオリの普段からは考えらえない活発さを感じさせるものだった。 「お嬢様、いかがでございましょう?」 「少し、首筋が涼しい気もしますが……」  鏡の前で、シオリは何度も首を振って自分の姿を確かめた。側仕えが言うとおり、確かに普段の自分とは全く違う印象となっていた。 「たまには、こう言うのもいいかもしれませんね」  笑い顔を鏡の前で確かめたシオリは、出かけてきますと言って立ち上がった。 「多分、1時間ほどしたら戻ると思います」 「でしたら、ランチを用意してお待ちしております」  いってらっしゃいませと、コヨミは玄関までシオリを見送った。そしてシオリの姿が塀の外に消えたところで、自分の端末画面を呼び出した。 「お嬢様がお出かけになりました。はい、感づかれてはおりません。お嬢様は、ただの気分転換に出かけたおつもりです」  シオリに対している以上に真剣な顔をしたコヨミは、ここまでは順調であることを繰り返した。 「はい、男と女には縁が大切だと意識をさせました。ですから、“偶然”の出会いに、縁を感じてくださるかと思います。はい、先方は既にお待ちと言うことですね。でしたら、お二人分の昼食をご用意いたします。お館様」  主に頭を下げて、コヨミは端末の画面を目の前から消した。そして控えの間に戻りながら、うまくいったと安堵の息を漏らした。気位が高く、しかも選り好みの激しいシオリに男をあてがう。それが主から命じられた命題となっていた。本命が無理目となった以上、セカンドベストが候補に上がった。  いくら家督に影響はなくとも、三等侯爵家の長女ともなれば体面は必要となってくる。適齢期に近づいたのだから、浮いた話の一つもないのは体裁が悪かったのだ。 「一等伯爵家。しかもお兄様のご友人であれば、シオリ様の嫁ぎ先として相応しいことでしょう」  20を過ぎれば、身の振り方は深刻な問題となってくる。結婚は先だとしても、相応しい相手を捕まえておくのは三等侯爵家令嬢としての義務だったのだ。  その第一歩の手引きがすんだことに、コヨミは大きく安堵をしたのだった。  そんな策略が進んでいるとは露知らず、シオリは館近くの散策路を歩いていた。高く上った日の光は強く辺りを照らしているが、日の光に緑が映えなかなかの景色を作り出していた。  明るい陽射しの中を歩くのだから、普通ならば日焼けが気になることだろう。ただ技術が進んだおかげで、個人用の遮光空間が用意されていた。その空間で弱められ、柔らかな陽射しとなってシオリのもとに届けられていた。 「少し気温が高い気もしますが……確かに、気分は変わってくれますね」  ねえと、シオリは自分のアバター「カナリヤ」に声を掛けた。呼びかけに答えて目の前に現れたカナリヤは、仰る通りですと主の言葉を肯定した。そして肯定しながら、必要な注意を主に与えた。 「お気を付けください。コヨミは、お館様から何やら命を受けているようです」 「お父様からですか……」  心当たりのある話に、シオリは小さく息を吐き出した。 「私も20歳を過ぎましたからね。誰か相手はいないのかと……里帰りをした時に聞かれましたね」  もう一度息を吐き出したシオリは、失敗したかとクレスタ学校への参加を後悔した。もっとも後悔と言うのは、あくまで男探しの面であり、集まり自体は大学より有意義なものだと思っていた。実際第9大学に通うのより、知的な刺激に溢れていたのだ。それに、第9大学にいた時にも、出会いには恵まれていなかった。第一皇子も在籍していたのだが、知り合うきかっけすら作ることが出来なかった。 「そうすると、偶然の出会いが計画されていると言うことですか。お父様のメガネに適ったお方なら、嫁ぎ先として相応しいのでしょうね」  意中の相手が横取りされた以上、現実的な選択をすべきなのだろう。家族の問題が無いのであれば、選択としてさほど悪いことではないはずだ。 「そこまでご理解されているのなら、私から申し上げることはございません」  頭を下げたアバターに、シオリははにかんだような笑みを返した。 「三等侯爵家に生まれた以上、立場と言うものを弁えていますよ」  ふうっと小さく息を吐き出し、シオリは曲がりくねった散策路へと視線を向けた。アズライトが籠るぐらいなのだから、周辺は保養地として整備されていたのだ。綺麗に植林された木々や、公園のように整備された野原、そして色とりどりに咲き誇る草花と、人工的に作り出された景色がそこにはあった。それはシオリのような立場の者にとって、それは馴染みの深い景色ともなっていた。 「だとしたら、そろそろお出ましになるのかしら?」  仕組まれた分かっていても、殿方との出会いは胸が弾むものに違いない。その相手が、将来を共にするのだと考えれば、期待も膨らもうと言うものだ。どんなお方かしらと期待に胸を膨らませ、シオリはゆっくりと散策路を森の方へと歩いて行った。野原の方に人影が見えないのだから、出会いの場は森の中に用意されていると考えたのだ。 Chapter 3  種明かしをされてみれば、開放された密室の謎も大したことではなかった。自分達の居る建物の周りを光学処理で荒野に見せ、アバターへのアクセスを妨害しただけの事なのである。アリアシアを屈服させる前に、ヨシヒコもその事実にたどり着いていたのだ。  ただからくりは分かっても、ヨシヒコにとってアウエイである事実に変わりはなかった。だから偽装の解除をさせなければ、ヨシヒコには手も足も出なかったのである。そのためには、アリアシアを従順にさせる必要があったのだ。 「アンハイドライト様が性格がいいと言うのも、何か疑わしくなった気がするな……」  直接の実行はアリアシアだが、ある意味アンハイドライトも共犯だったのだ。自分相手にそれをしたことで、性格がいいと言う噂にも疑問が生じていた。 「セラ、それでここはどこなのだ?」  光学処理を解除させたのだが、周りの景色はノウノ宮のものではなかった。さらなる偽装は無いと考えたヨシヒコは、セラに自分の所在を確認した。 「はい、どうやらクレスタ近郊のようです。アズライト様の別邸までは、およそ3kmほどと言うところでしょうか?」  アバターの報告に、ヨシヒコは小さく頷いた。 「アズライトに会わせてはくれると言うことか」 「恐らく、アリアシア様もご自分の立場を理解されているのでしょう。ですから、あまりヨシヒコ様の不興を買うことは出来ないのだと思います」  セラの説明に、なるほどねとヨシヒコはベッドの方を見た。そこには、気持ちよさそうにシーツに包まったアリアシアが眠っていた。薄いシルクに似たシーツは、その魅力的な体を浮かび上がらせていた。 「後宮か……まったく、皇族の考えには着いて行けないところがあるな」  そう言って苦笑を浮かべたヨシヒコに、セラは言葉を変えて「そうでしょうか」と疑問を口にした。 「男性には、ハーレム願望があると伺っていますが?」 「それは、女性をどう考えるかに関わってくる問題だな。本気で相手を愛していれば、他の女のことなど考えられなくなるものだ」  そう答えたヨシヒコは、分かっているとセラの反論を封じた。 「だからと言って、複数の女性相手を否定するつもりはない……そうじゃないと、キャンベルさんとのことを否定することになるからな」  色々な仕掛けを解除させたことで、身の回りのものにアクセスできるようになっていた。その中で一番ありがたかったのは、ちゃんと着替えが用意されていたことだ。空調的に問題がないとは言え、いつまでも裸と言うのは落ち着かないことこの上なかった。  幾つか用意されていた中から、ヨシヒコはざっくりとした白のセーターとベージュ色のズボンを身につけた。これで、心置きなく建物の外にでることが出来る。アズライトの別邸まで3kmしか離れていないのなら、歩いて行くのも悪く無いと考えた。 「喜ばれるのか泣かれるのか……まさか、怒られることはないと思うのだが……確か、妊娠中期に入っていたな」  ヨシヒコの独り言に、セラは反応してアズライトの情報を提示した。後継者に指名されたお陰なのか、アクセスできる情報が格段に増えていた。  そして提供された情報の中に、ヨシヒコは見慣れない用語があるのに気がついた。 「胎児の体外移動と言うのがあるが……これは、何をするものなのだ?」  現在の地球では、無痛分娩による自然分娩が圧倒的多数となっていた。帝王切開と言う用語はあっても、体外移動と言うのは聞いたことがなかったのだ。  その問いに、セラはデーターベースから「胎児の体外移動」に関するデーターを呼び出した。 「はい、リルケではテラノにおける自然分娩は行われていません。妊娠後安定期に入った所で、胎児は外部子宮に移され、そこで成長することになります。記録上は、およそ1000年前に始まった出産方法です。妊娠後期の母体に係る負担を軽減するためだとされています。なぜ妊娠直後でないかと言うと、母子のつながりを求めるためと説明されています」 「リルケの標準に従ったと言うことか……」  星が違えば、出産に関する常識も異なってくる。なるほどと感心したヨシヒコは、次に時期未定と言う記載に気がついた。 「なぜ、時期未定なのか分かるか?」 「推測程度であれば」  そう断ったセラは、周辺の人間関係を理由として持ちだした。 「アンハイドライト様の訪問予定がずれています。また、テラノからクレスティノス三等子爵が戻ってきています。クレスティノス三等子爵はアズライト様の名代なので、その報告を聞こうと思ったのではないでしょうか? イベントが幾つもあったため、そのイベント後とお考えになったものと思われます」  確かにそういうこともあるかと、ヨシヒコはその説明に納得した。 「ならば、アズライトと逢う時は気をつけておく必要があるな」  身重の女性に無理をさせてはいけない。いいことにしても、驚かせるのも控えたほうがいいだろう。それを考えると、アンハイドライトが説明するまでアズライトに逢うのは待ったほうがいいだろう。 「アンハイドライト様は?」 「そろそろ、ご自身の館を出発されるところのようです。どうやら、こんなに早く解放されるとは予想していなかったようですね」  セラの答えに、確かにと過去の事例を思い出した。ジェノダイトは、トリフェーンが飽きるまで開放してもらえなかったのだ。 「ならば、どこかで時間を潰したほうがいいのか……」  天気もいいのだから、時間潰しがてらに散策するのもいいだろう。時間を考えたら、一度戻って昼食を取るのもありかも知れなかった。その頃には、きっとアリアシアも目を覚ましているだろう。  これからの予定を決めたヨシヒコは、お出かけ前に鏡の前で自分の格好を確かめた。そこで鏡を見たヨシヒコは、自分の姿に苦笑を浮かべてしまった。頭の中はしっかり男なのに、自分から見ても可愛らしい女の子にしか見えなかったのだ。 「まったく、相変わらずアンバランスなものだ……」  小さく息を吐きだしてから、ヨシヒコは館を出て明るい世界へと足を踏み出した。そして足を踏み出した瞬間に、「暑いな」と手で日陰を作って空を見上げた。見上げた先には、雲ひとつ無い青空が広がっていた。 「さすがに、このまま日向を歩きたくないな」  気温自体はさほど高くないのだが、容赦なく照りつける日差しが強烈だった。そこまでひ弱ではないと思いたいところだが、見知らぬ土地で無理をするのも好ましくない。 「セラ、適当な散策路はあるか?」 「屋敷の反対側に、整備された森が広がっています」  セラに提示された方向を見ると、確かに綺麗な森が広がっていた。よくよく見ると、森のなかには遊歩道のようなものも整備されているようだ。 「この森を通って、アズライトの所まで行けるのか?」 「少し遠回りになりますが可能です。その場合、20分ほど余計に歩くことになります」  そこでヨシヒコは、時間と自分の腹具合を確認した。 「やはり、一度戻ってきて昼食をとった方が良さそうだな」  食事もとらずに頑張ったこともあり、かなり空腹を感じていたのだ。このまま無理をしたら、空腹で倒れてしまいそうな気がしてきた。 「少し考えをまとめたら、一度ここに戻ってくるか……」  そのための散策と考えれば、日陰となる森と言うのは都合がいい。復活して以来バタバタとしていたことを考えれば、一度ゆっくり考える時間を取るのも必要なことに違いない。  もう一度雲ひとつ無い青空を見上げてから、ヨシヒコはゆっくりと森へ向けて歩き出した。  森に入るまでは暑かったのだが、森に入った所でひんやりとした空気が出迎えてくれた。汗が冷えるかなとも思ったが、歩いているから大丈夫だろうと考えることにした。 「セラ、後宮の制度について情報はあるか?」  喫緊の課題と言えば、アリアシアの扱いがその一つに違いない。最初の関係は言い逃れが出来ても、二度目以降は自分の意志で彼女を抱いていたのだ。その理由を監禁だけに求めるのは、男として卑怯なことに違いないだろう。 「はいヨシヒコ様。まず法的な問題ですが、帝国法には後宮に関する規定はありません。当たり前ですが、皇帝を縛る法と言うものは存在していないからです。そこまで言わなくとも、婚姻に関する規定は帝国共通法には記載されていません。その辺りは、各星系毎の規定に委ねられています。歴史的に見れば、皇帝が後宮を設けたのは200年ほど遡ることになります」 「その時、後宮に入った女性たちは一箇所に集められたのか?」  ヨシヒコの生まれた日本では、3百年ほど前にショーグンが後宮を持っていた。その時には、一箇所の後宮に女性が集められていたと歴史の授業で習っていた。  それを念頭に置いた質問に、セラは「いえ」と簡潔に答えた。そしていくつかの実例を、データーとしてヨシヒコに差し出した。 「妻問婚に近い形と言うことか」 「ニホンと呼ばれる地区の歴史をなぞればそう言う事になります。皇妃はノウノ宮に住まわれていますが、後宮の女性は実家で皇帝のお出でを待たれていたようです。若しくは、呼び出されて伽を申し付けられたと言う事例もあります」  なるほどと納得したヨシヒコは、それを利用できないかと将来のことを考えた。 「セラ、皇帝を縛る法は無いといったな」 「はい、帝国法は皇帝および皇族には適用されません」  それがと、セラは質問の真意を聞き返した。 「いや、俺が皇帝になった場合、俺の行動を縛ることが出来る者が居るのかと気になったのだ」 「それは、その時のヨシヒコ様のお気持ち次第と言うことになります。ただ言えるのは、アズライト様でもヨシヒコ様を縛ることができないと言うことです。それほどまでに、皇帝と皇妃の間には立場の違いがあります」  つまり、ヨシヒコは完全なフリーハンドを得ると言うことになる。なるほどと納得したヨシヒコは、アルハザーが冒険と言った意味を理解した。ただ単に立場を入れ替えただけではない、大きな意味がそこに込められていたのだ。 「しかし、こんなに簡単に皇帝の座を空け渡していいのか。アズライトを皇妃にしたとしても、事実上シリウス皇家の終焉じゃないか。普通、婿養子ぐらいの条件をつけるものだろう」  婿養子と言うだけでも、かなりの冒険と言って差支えがないのだ。それをしなかった所に、ヨシヒコはアルハザーの意地の悪さを感じていた。シリウス家支配の終焉と言うイベントを設けることで、帝国に大きな変革をもたらそうというのだ。まっとうに考えれば、穏便に運ぶとは思えない政権移譲だろう。 「俺のハードルを物凄く高くしてくれたな」 「まっとうに考えれば、穏便に進むとは思えませんね」  ヨシヒコの危惧を認めたセラは、アバターにしては珍しくため息と言うものを吐いてくれた。 「アバターもため息を吐くのか」  それを気にしたヨシヒコに、何をいまさらとセラは言い返した。 「アズライト様のアリエルに教わりました。つまりですね、グリゴンの一夜……と言うより、真っ昼間のお二人の行為に、ため息の意味を理解することが出来ました」 「グリゴンの……」  何のことかと考えたヨシヒコは、すぐに該当する出来事に辿り着いた。 「俺は、ため息を吐かれる心当たりは無いのだがな?」 「ヨシヒコ様。自覚がないのは罪ですよ」  そう言うことですと反論を封じたセラは、「ご注意ください」と警告を発した。 「前方200mほどの所に、他者の反応を検出いたしました。データーベース照合完了。セレスタ星系三等侯爵家令嬢、シオリ様のようです」 「なぜ、セレスタ星系の三等侯爵家令嬢がこんな所にいるのだ?」  今いるのがセレスタ星系ならいざしらず、クレスタは帝星リルケの片田舎なのだ。他星系の三等侯爵令嬢が居るような場所ではない。 「もしかして、クレスタ学校の関係者か?」  その問に、セラははいと頷いた。 「データー照合完了。ご推測の通り、クレスタ学校の関係者です」 「つまり、この顔を知っていると言うことか……」  ヨシヒコのことを知らなくても、カニエのことなら知っているはずだ。そうなると、この顔で出くわすのはトラブルの種になりかねない。どうしたものかと少しだけ迷ったヨシヒコだったが、仕方がないとそのまま先に進むことにした。たとえ声を掛けられたとしても、人違いで押し通せばいいだろうと考えたのだ。  そうして2分ほど歩いた所で、かなり野暮ったい格好をした女性に出会うことになった。パステルピンクの色使いはおかしくないのだが、やけに厚ぼったい服装は地味と言うより田舎っぽかったのだ。顔立ちはいいのだろうが、服装と髪型のバランスも良くなかった。例えて言うのなら、おしゃれをしたつもりの田舎のお嬢さんというところだろうか。  もっとも、相手とはそれを指摘するような間柄ではない。自分を見た時相手が驚いたのには気づいたが、ヨシヒコは何事もなかったかのようにシオリの横を通り過ぎていった。  だがシオリから10mほど離れた所で、後ろから「もし」と声を掛けられた。少し緊張した、そして少し震えた声に、ヨシヒコは仕方がないと立ち止まった。そしてヨシヒコが立ち止まったのに合わせて、「教えて下さいますか」と蚊の鳴くような声が聞こえてきた。 「私の何がいけなかったのでしょうか?」  どう言うことだと振り返ったヨシヒコは、そこでシオリが涙を浮かべているのに気づいてしまった。どうしてこうなるのか。突然のことに、さすがのヨシヒコも理解が追いつかなかった。  期待して森に入ったシオリは、ゆっくりと歩きながらこれから巡りあう男性のことを考えた。理想は男っぽいと言うより可愛らしいタイプの男性である。そしてただ可愛らしいだけでなく、自分をしっかりと持った、賢い男性がいいと思っていた。具体的にはカニエなのだが、似たタイプがいいなとシオリは夢想した。  そして森に入って5分ほど歩いた所で、反対側から誰かが近づいてくるのに気がついた。いよいよと期待したシオリは、立ち止まって物音がする方を凝視した。そして相手の顔がはっきりと見えた所で、そんなことがと大きく胸が弾んだ気がした。 「ど、どうして、こんな所にカニエが?」  カナリヤと、シオリはアバターを呼び出し事情を確認した。そんなシオリに、彼女のアバターは冷静に事実を伝達した。 「カニエ様は、お屋敷から出られていないようです。従って、近づいてこられる方はカニエ様ではございません」 「他人の空似と言うこと?」  でもと、シオリは近づいてくる男性……の顔をじっと見つめた。そして、アバターの言うことが正しいことを理解した。カニエに似てはいるのだが、じっくり見ると違いがわかってくる。そしてどちらが好みかと言うと、目の前に現れた男性の方だった。 「素敵なお方ですね……」  少しずつ距離が詰まるに従い、シオリは鼓動が激しくなるのを感じていた。女の子のように見えるのだが、利発そうな面持ちをしたところが好みにピッタリとあっていたのだ。カニエに似てはいるが、体全体から発せられる空気が違っていた。  どう声をかけよう、そしてどう声を掛けてくれるのか。次第に近づいてくる相手に、シオリはそれだけが頭の中をぐるぐると回ってくれた。だがもう少しで手が触れられる距離になったにも関わらず、目の前の相手は自分を無視して通り過ぎて行ってくれた。それまでの期待が大きかったこともあり、感じた失望はシオリを打ちのめしてくれた。せっかく両親が紹介してくれたのに、相手は自分のことを気に入らなかったのだと考えた。  そこでヨシヒコを呼び止めたのは、シオリの諦めきれないという気持ちからに違いない。無視された事実に打ちのめされながらも、シオリはなんとか声を出しヨシヒコを呼び止めた。 「もし……教えて下さいますか」  自分でも情けないとは思ったが、どうしても呼び止めずに入られなかった。だが呼び止めはしたが、今度は相手の反応が怖くなってしまった。これで手酷く拒絶されようものなら、死にたくなってしまうのだ。それでも呼び止めてしまった以上、もう後には引けなかった。 「私の、何がいけなかったのでしょうか?」  教えてくれれば、どんなことでも直してみせる。気に入ってくれるのなら、どんな女にでも変わってみせる。震える心で、シオリは振り返った男性の顔を見つめた。きっと自分は情けない顔をしているのだろう、驚く相手にシオリはますます泣きたくなっていた。  シオリの反応に、ヨシヒコは何かおかしなことになっている事に気がついた。もしかしたら、自分はクレスティノス三等子爵と間違えられたのか。だとしたら、誤解を解いておく必要があるのだと。 「失礼ですが、どちら様でしょうか?」  情報としては知っているが、少なくともシオリとは初対面なのだ。きつくならないように気をつけ、ヨシヒコは自分達は初対面なのだと主張した。 「シオリ・ホメ・セレスタ・オデッセアと申します。セレスタ星系オデッセア三等公爵家の長女でございます」  その挨拶を聞く限り、自分をカニエと間違えたのではなさそうだ。だとしたら、いったい自分にどんな用があるというのか。どうして泣かれなければいけないのか、余計に理解が追いつかなかった。 「ヨシヒコ・マツモトと言います。申し訳ありませんが、質問の意味が理解できないのですが?」 「ヨシヒコ様……でございますか?」  言葉をかわしたことで、少し落ち着いたのだろう。相手の女性は、ヨシヒコの顔をまじまじと見つめてくれた。 「失礼ですが、他にご兄弟はいらっしゃいますか? お兄様とか、弟様とか?」  ますます訳が分からないとは思ったが、様子を見るためにも大人しく答えておくことにした。 「いえ、5歳年上の姉が一人いるだけです。それで、私に何かご用でしょうか?」 「どうして、私に声を掛けてくださらなかったのでしょうか?」  やはり意味が分からないと首を傾げたヨシヒコは、目を赤くしたシオリの顔を見た。 「私には、あなたが何か勘違いされているとしか思えないのですが?」 「ヨシヒコ様は、私の父に勧められてここにおいでになられたのではありませんか?」  その問いかけに、ヨシヒコはようやく事情らしきものが見えた気がした。どうやらシオリと言う女性は、偶然を装った出会いを仕掛けられているようだ。そしてその事情を、本人も承知していたと言うことだ。  そして自分は、偶然を装った出会いの相手と間違えられている。その相手に無視をされたことで、いたく傷ついたと言うことなのだろう。 「三等侯爵家ご令嬢と一般庶民の私が、一体どのような関係があると言うのですか?」 「ヨシヒコ様が一般庶民……」  まさかと驚いた顔をしたシオリは、次の瞬間小さく首を振った。それに合わせて、後ろでしばった髪がゆらゆらと揺れた。 「ご冗談を。ここは、一般庶民が出歩けるような場所ではありませんよ。アズライト様のお屋敷が近いため、厳しく立ち入りに制限が掛けられているのです」  だから、一般庶民であるはずがない。シオリは、ヨシヒコの顔を見てそう言い切った。 「それに、私の知り合いより高貴な顔をしています。ヨシヒコ様が、一般庶民であるはずがありません」  話しているうちに落ち着いたのか、さもなければ父親の差し向けた相手と違うことが理解できたのか。シオリは積極的にヨシヒコに話しかけてきた。その現れか、話しているうちにシオリの方からヨシヒコに近づいてきた。 「ヨシヒコ様は、私の父が差し向けたお方ではないのですよね?」 「私はオデッセア家とは縁もゆかりもありませんが……」  そう答えたヨシヒコの横に、セラがステルスモードで現れた。そして目の前のシオリの生体情報について報告してきた。 「体温上昇、顔面の血管が拡張。心拍上昇。発汗が激しくなっています。身も蓋もない言い方をすると、発情されているようです」  冗談だろうと、ヨシヒコはセラに文句を言いたかった。ただ、それは明らかに現実逃避に違いなかった。セラが報告するまでもなく、目の前のシオリは明らかに上気した顔をしていたのだ。  ヨシヒコの答えに喜んだシオリは、「でしたら」と誘いの言葉を口にした。 「よろしければ、少しお時間をいただけないでしょうか。私と昼食をご一緒いただければと……」  打ちひしがれ涙を流していた顔はすでに無く、期待に目をキラキラと輝かせた女性がそこに居た。言い方は悪いが、傍から見れば田舎娘が都会の男に言い寄っているようでもある。 「繰り返しますけど、私はただの庶民なのですが……」  アリアシアやアンハイドライトが聞いていたら、嘘をつけと言ってくれるだろう。現皇帝自ら、ヨシヒコを次の皇帝に指名したのだ。その時点で、ヨシヒコはもはやダダの庶民であるはずがない。それでも面倒を避けようと庶民で押し通そうとしたのだが、残念なことにシオリは信じてくれなかった。そして信用する代わりに、ヨシヒコの言葉尻を捕まえてくれた。 「本当に庶民と言うのであれば、私が命令して差し上げます。これから私を、屋敷まで送り届けなさい!」  三等侯爵対一般庶民、例えて言えば国王対庶民と言えばいいのか。それだけの立場の違いがあれば、命令に服従しなくてはいけないのだろう。 「……私が、庶民であることをお認めいただけるのなら」  それぐらいの所が妥協点だろうか。事を荒立てないためには、多少の我慢が必要だろうとヨシヒコは諦めることにした。 「仕方がありませんね。それでは、お伴させていただきます」  時間ならまだ十分に残っている。むしろまだまだ時間を潰さなければいけないぐらいだ。お嬢様の気まぐれに付き合っておくかと、ヨシヒコはシオリの命令に従いその横に並んだ。 「では、まいりましょうか」  素直に従うヨシヒコに、すっかりシオリの機嫌は良くなっていた。シオリにしてみれば、ヨシヒコが爵位を持っていようと居まいとどうでも良くなっていたのだ。それに本当に庶民だとしたら、掘り出し物を見つけたことになる。しばらく手元において、自分に相応しい男にすればいいと考えていたぐらいだ。  こちらにと言って、シオリは半ば強引にヨシヒコを引きずっていった。出掛けに言われた「縁」を、シオリはしみじみと感じていたのだった。  ヨシヒコがアリアシアの問題を解決したのを確認し、アンハイドライトはアズライトの所を訪れていた。その辺り、この先のスケジュールが確定したからに他ならない。どうなることかと思ったのだが、結局当初の約束から1日遅れで済んでいた。  淡いグリーンのセーターに、濃いグリーンのスラックス姿のアンハイドライトに対し、迎えに出たアズライトは、少し厚手の紺のマタニティドレス姿をしていた。兄といえど、相手は男であることに変わりはないのだ。  ニコニコと笑みを浮かべたアズライトは、「ようこそ」兄を屋敷に招き入れた。 「アリアシア姉さまとのお話は終わられたのですか?」  予定が狂ったのは、アリアシアの相談が理由だと考えていた。それを口にした妹に、アンハイドライトは「ああ」と少し苦笑を浮かべた。 「それで、お姉様とは……申し訳ありません。先に、アセイリアとの婚約をお祝いしないといけませんでしたね」  こちらにどうぞと椅子をすすめたアズライトは、侍女に命じて二人分のお茶を用意させた。そしてお茶が出るまでの待ち時間に、兄の婚約の話を持ちだした。  おめでとうございますと微笑む妹に、素直に「ありがとう」とアンハイドライトは答えた。 「ですが、お兄様もずいぶん思い切った決断をされましたね」 「それは、彼女が爵位を持っていないことを言っているのかな?」  尋ね返してきた兄に、アズライトははっきりと頷いた。 「それを悪いと言うつもりはありません。それに、これからの帝国は、爵位は有名無実の物になるのかもしれませんからね。帝国を導いていくのは、彼女のような者達ではないかと思っているぐらいです」  それにと、アズライトは少しだけ口元を歪めた。 「アセイリアがお兄さまを受け入れたことで、私の思いの方が強いことがはっきりとしましたからね。ですから、アセイリアを口説き落としたお兄様に感謝をしているんです」 「それは、私には分からない世界だね」  少しだけ口元を歪めたアンハイドライトは、少し視線を落として妹のお腹を見た。妊娠中期に入ったこともあり、お腹がはっきりと目立つようになっていた。 「確か、妊娠してからは初めてだったね。それで、そろそろお腹から出すのかな?」  リルケにおける常識を口にした兄に、アズライトは嬉しそうに小さく頷いた。 「ええ、お兄様にお会いしてからと思っていました。カニエもテラノから帰ってきましたから、これで落ち着いてこの子たちと向き合う時間を作ることが出来ます」  そう答えたアズライトは、はにかんだような笑みを浮かべながらお腹に手を当てた。その顔がとても幸せそうに見えたことに、アンハイドライトは子が授かったことは妹にとって幸せなことだと理解した。 「そう言えば、アリアシアお姉様のお話はどうなったのですか?」 「ああ、アリアシアなりに納得できる答えが見つかったようだよ。私がここに来たのは、そのことを伝えるためでもあるんだよ」  そう言って微笑んだアンハイドライトは、少し妹の方へと身を乗り出した。 「それ以上に、アズライトには良い知らせを持ってきたつもりだ」 「良い知らせ、でしょうか?」  それは何かと首を傾げた妹に、アンハイドライトは答える代わりに先に質問を口にした。 「その前に聞いておきたいのだが、アズライト、お前は禁忌を犯したね。君がテラノに送り込んだカニエと言うのは、君の愛したヨシヒコのデーターから創りだされた存在なのだろう?」  どうかなと答えを迫る兄に、アズライトの顔がはっきりとこわばった。そしてそれが、自分への答えになっていた。 「やはりそう言うことか。帝国法では大罪だが、皇族を縛る法が存在しない以上、罪に問われることは無いのだろうね」 「お兄様は、そのことで私を責めようと言うのですか?」  明らかに警戒をした妹に、「まさか」とアンハイドライトは首を振った。 「言っただろう。皇族を縛る法は無いと。アセイリアも、その気持は理解できると言っていたよ。ただ、一つだけ聞いておきたいことがあるんだ。なぜカニエをテラノに送り込んだのだい?」 「カニエは……」  兄の顔をじっと見てから、アズライトは小さく息を吐き出した。 「仰るとおり、ヨシヒコのデーターから私が作り上げた存在です。ただ、データーから作り上げたカニエは、ただの人形でしかありませんでした。それをお父様が、私への贖罪と言って命を吹き込んでくださったのです。初めはヨシヒコの身代わりにするつもりでしたが……当たり前ですがカニエはヨシヒコではありませんでした」  愚かなことをしました。アズライトは、兄の顔を見てはっきりと言い切った。 「ですが、カニエはこの世界に生まれ落ちてしまったのです。それを、今さら無かったことにはできないでしょう。それに、カニエはヨシヒコの遺伝子を持ち、私が作り上げた存在です。いわば、私とヨシヒコの子供のようなものだと思っています。ですから、カニエの成長のためにもテラノに送り込んだ……そう言うことです」 「テラノに送り込んだのは、カニエの成長のためと言うことなのだね」  確認してきた兄に、アズライトは「ええ」と肯定をした。それを確認したアンハイドライトは、妹の目を見て「落ち着いて聞いて欲しい」と切り出した。 「父上が彼を殺すために使ったのは、大昔に使われ封印されたウィルスだった。種の絶滅を目的とした、治療方法のない最悪の存在と言うのがその正体だ。そしてこのウィルスの凶悪なことは、最後まで脳を犯さないことだ。そのせいで、感染した者は自分が朽ちていくのを意識しながら死を迎えることになる」  ヨシヒコの死の経緯を持ちだした兄に、アズライトは一転して鋭い視線を向けた。 「そのことを、今更持ちだしてどうなさるのです。お兄様は、私を虐めて楽しむおつもりですか?」  明らかに敵意のこもった顔をした妹に、アンハイドライトは顔色一つ変えずに「確認だよ」と返した。 「これから説明することに必要と考えたからだ。いいかい、彼の体は死んだのだが、脳はウィルスに侵されていなかった。だからアセイリアは、彼の主治医シルフィールに頼んで無事だった脳を取り出し保管してもらった。もっとも、はっきりとしたあてがあって保管したわけではない。彼女自身、自己満足のようなものだと言っていたからね」  そこでお茶で喉を湿らしたアンハイドライトは、いくつかの偶然が重なったのだと説明した。 「ウィルスに侵されず保管された脳。そして、彼の生体情報を持ったカニエ。彼がテラノに現れたことで、アセイリア達は、喉から手が出るほど欲しかった生体情報を手に入れたんだよ。これで、一つの問題さえクリアできれば、彼を復活できると考えたんだ。ただ、技術的な問題以外にも問題があったんだ。父上に知られるわけにはいかないため、一桁大学の設備を使えないと言う問題がね。そして最後の偶然として、ラルクを持った私がテラノに居たんだよ」  兄の話に、アズライトは両手で口元を隠し大きく目を見開いた。そこまで言われれば、兄が言いたいことへの想像がついてしまう。 「ま、まさか、ヨシヒコが……」  信じられないと言う顔をした妹に、アンハイドライトは大きく頷いた。 「カニエのデーターを使い、私がラルクで彼の体を再構成した」 「ヨシヒコが復活した……」  そう口にした時、アズライトの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。 「ああ、無事彼を復活させることが出来たよ。ただ、それですべてがめでたしという訳ではない。まだ、彼を殺した父上がいるからね」 「だったら、私がっ!」  父親を始末する。その勢いで立ち上がった妹に、「落ち着くように」とアンハイドライトは諭した。 「すでに、その必要性は消滅しているのだよ。実を言うと、すでに父上との対決は終わらせているんだ。私がリルケに連れてきたアセイリアと言うのは、実はカムフラージュのため彼が扮したものなのだよ。そして父上との間で、すでに和解が成立したんだ。正確には、もう少し厄介なことになったのだが……とにかく、彼の身に危険が及ぶことはなくなったと言うことだ。そして父上は、お前との関係を認めると明言している」  もうヨシヒコとの関係を邪魔されない。兄の言葉に、アズライトは大ぶりの椅子にへたり込んだ。緊張した分だけ、安堵した時に力が抜けてしまったのだ。 「それで、厄介なこととは何があったのですか? お父様が、何か面倒な条件を付けられたとか」  自分の言葉に含まれた問題を気にした妹に、アンハイドライトは「落ち着いて」ともう一度口にした。 「とても落ち着いていられるような話では無いのですが……」  少し大きく息を吸い込んだアズライトは、それをゆっくりと吐き出した。 「それで、何があったのですか?」 「彼は、父上と帝国のあり方について話をした。正確には、テラノとグリゴンで始まった動き。その動きにを確かなものとするため、皇帝が関与すべきと提言したのだよ。ある意味、父上のお尻を叩いたと言っていいのだろうね」  兄の話に、ヨシヒコらしいとアズライトは愛する人のことを思い浮かべた。グリゴンの時でもそうなのだが、相手が誰だろうと理詰めで追い詰めてくれる。そして、誰にとっても最良の答えを導き出してくれるのだ。  少し表情を和らげた妹に、「これからが本題だ」とアンハイドライトは表情を引き締めた。 「二人が話をした結果、いくつかこれまでの決定が覆されることになった。中でも一番大きなことは、アズライト、お前が皇帝になる話が白紙に戻されたことだ。そして、お前は皇妃として新しい皇帝となる彼に連れ添うこととされた。もちろん、皇妃と言う立場をお前が望めばと言う前提がつくがね」 「お父様は、そんな決定をなされたのですか……」  ほっと息を吐き出したアズライトは、「まったく」と言いながら自分のお腹に手を当てた。 「あなた達のお父様は、本当に予想もできないことをしてくれますね」 「お前は、皇妃と言う立場を受け入れるのかい?」  それを確かめてきた兄に、アズライトははっきりと頷いた。 「私は、ヨシヒコといられるのなら、それ以上は望みません。皇帝という立場など、本当にどうでもいいと思っていました」  だから少しも構わないのだと、アズライトは兄の目を見てはっきりと言い切った。  それに頷いたアンハイドライトは、「私の役目だが」と話を進めた。 「父上から、彼が一日でも早くリルケに来られるよう環境を整えろと命じられたよ。アシアナ一等侯爵として、私は彼に仕えることになる。それはいい、彼が皇帝になるためには、まだまだ知らないことが沢山あるからね。誰かが、それを教えないといけないのは確かだ」 「お兄様なら、安心してお任せできると思っています」  妹の言葉に、アンハイドライトは小さく頷いた。 「そしてアリアシアだが、彼の後宮に入ることを望んだ」 「アリアシアお姉様がっ!」  さすがに意外だったのか、アズライトは驚きから大きく目を見開いた。 「で、でも、ヨシヒコが……」  受け入れるはずがない。そう言おうとしたアズライトだったが、過去の行状を思い出してしまった。 「お兄様だけ現れたのは、それが理由と言うことですか……」  つまり、ヨシヒコがアリアシアを受け入れたと言うことになる。そんなアズライトに頷いたアンハイドライトは、ヨシヒコの名誉のために経緯を説明した。 「一応彼も、お前を理由に後宮を否定したのだがね。母上の真似をして、アリアシアが既成事実を作ることに成功したんだよ。当たり前だが、ラルクを持っていない彼には、アリアシアに抵抗するすべはないんだ。そして第一皇女を傷物にした以上、彼には責任が生じてしまった。私の予定が決まらなかったのは、実はそのことが理由になっていたんだ」  そう言うことだと苦笑をしたアンハイドライトは、「アズライト」と妹の名を呼んだ。 「お前も皇帝の娘として生まれたんだ。後宮を作る意味ぐらい、理解しているはずだな」 「理解はしていますが……理解はしていますが、納得がいかないのはしかたがないと思います。ただ、反対できないのも理解しています」  そう答えたアズライトは、諦めたように小さくため息を吐いた。 「ヨシヒコを連れて来なかったのは、その説明をするためですか?」 「お前に、心の準備をさせるためでもあったのだがね。確かに、アリアシアの問題を説明するのも理由の一つだったよ」  少し口元を歪めたアンハイドライトは、「ありがとう」と妹に礼を言った。 「アリアシアのことを許してくれてありがとう」 「本当は許したくなど無いのですけど……諦めるしか無いと思っています。確かに今のヨシヒコでは、本気になったお姉さまに抵抗できるとは思えません」  ほっと息を吐き出したアズライトは、これで終わりかと兄に確かめた。 「心の準備はできています。早く、ヨシヒコに逢わせてくれますか?」 「いつまでも、お預けにするものではないのだろうね」  それはそれでいじめになってしまう。アバターを呼び出したアンハイドライトは、妹のアリアシアにヨシヒコを連れてくるよう伝えることを申し付けた。だが彼のアバターは、手違いがあったようですと報告をした。そして重大な出来事を、さらりと報告してくれた。 「ヨシヒコ様が攫われました」  その報告に、「何?」とアンハイドライトは表情を険しくした。 「いえ、言葉足らずで申し訳ありません。ヨシヒコ様の身に、危険が及ぶことはありません。それに、今の居場所もはっきりしています。ヨシヒコ様を攫ったのは、オデッセア三等侯爵令嬢シオリ様です。攫ったと言うより、どちらかと言えばかなり強引なご招待と言う方が正解でしょうか」 「全く、彼は……」  はあっとこめかみに手を当てたアンハイドライトは、とても可愛らしい男の顔を思い浮かべた。 「これからは、一人で出歩かせない方が良さそうだ。飢えた狼達の前に、無防備に可愛らしい子羊を歩かせるものではないな」 「可愛らしい子羊……ですか。確かに、見た目だけならお兄様の仰るとおりですね」  ですがと、アズライトはため息を吐いた。 「見た目と裏腹に、その実態は獰猛な虎だと思います。餌食にしようとした狼を、ことごとく返り討ちにしていますから……多分、私もその一人なのでしょうね」  まったくともう一度ため息を付き、アズライトは自分のお腹に手を当てた。 「あなた達のお父様は女の敵ですね」 「彼は、罠を仕掛けたとは思っていないのだろうが……」  それでも、ヨシヒコの可愛らしい容姿はしっかりと餌として機能している。その餌につられて罠に掛かった顔を思い浮かべると、女の敵と妹が言いたくなるのも無理もないことだと思えてしまう。 「どうやら、アリアシアが彼に呼ばれたようだ。ならば、食事でもしながら待つことにしようか」  オデッセア三等侯爵令嬢の館の位置を考えると、1時間ほど待つことになる。お昼時と言うこともあり、アンハイドライトは昼食を提案したのだった。  シオリが帰ってくる少し前、侍女のコヨミは手違いに慌てていた。世間知らずで辛抱の出来ないお嬢様なのだから、間違いなく近くのカフェに逃げ込むと思っていたのだ。だからオデッセア三等侯爵の送り込んだ男性を、20分ほど歩いたところにあるカフェに待たせたのである。だが30分以上経過したにも関わらず、シオリがカフェに現れたと言う知らせが届かなかった。 「森に入ったのなら、目的地は目と鼻の先なのに……」  経過時間を確認すると、もうすぐ館を出て40分が経とうとしている。途中で倒れてでも居ない限り、目的地についていてもおかしくないはずだ。 「もしかしたら、私はお嬢様を見誤っていたのでしょうか……」  予想以上にヘタれていて、途中で音を上げて帰ってくるのではないか。そんなことをコヨミが考えた時、遠くから「お嬢様のお帰りです」と言う声が聞こえてきた。 「予想以上の根性なしと言うことですか……」  はあっと深い溜息を吐いて、コヨミは主を迎えるため小走りに玄関へと向かった。どこへ行けと明確に示さなかったことは、明らかに自分の失敗だと後悔していたのである。  だが落胆しつつ玄関にやってきたコヨミは、シオリが客を連れて来たことに目を丸くして驚いた。一瞬クレスティノス三等子爵かと思ったが、すぐに別人であることを理解した。クレスティノス三等子爵とは髪型が違うし、シオリが連れてきた「男性?」の方が見た目が良かったのだ。ただ男の格好をしているが、本当に男なのか自信は持てなかった。 「お嬢様お帰りなさいませ。所で、そちらの殿方……は、どちら様でしょうか?」  目の前でじっくりと見てみると、やはり男と言うより可愛らしい女性なのだ。格好で判断したコヨミは、自信なさげにシオリに尋ねた。 「彼はヨシヒコと言うの。ねえコヨミ、彼が一般庶民と言われて信じられますか?」 「庶民を連れてきたのですかっ!」  シオリが男を連れてきたのも驚きだが、その男が庶民と言うのはさらなる驚きだった。目を丸くして驚いたコヨミに、シオリは自慢気に頷いた。 「私は、彼のことが気に入りました。コヨミ、これから彼とランチを取ることにします」 「お嬢様が、ただの庶民と食事をされるのですか……」  三等公爵家令嬢と考えれば、そんなことがあっていいはずがない。さすがに問題だと渋るコヨミに、シオリは少し苛立ち「命令です」と強い調子で告げた。 「それとも、あなたは私の顔を潰すつもりですか!」 「いえ、けしてそのようなことを考えておりません」  主に強く言われれば、それ以上逆らうわけにはいかない。失礼しましたと頭を下げ、コヨミは食事の準備のため厨房へと下がっていった。  それを当たり前に受け取ったシオリは、次にヨシヒコの顔を見て命令を口にした。 「ヨシヒコ、あなたは今日私の所に泊まって行きなさい!」  本人が庶民と主張するのだから、シオリは少し高圧的に出ていた。本当に庶民ならば、三等侯爵令嬢に逆らうことは出来ないはずだと。 「申し訳ありません。私は、この後人に会う約束があるのですが……」  ヨシヒコの答えは、何一つとして間違っていないのだろう。ヨシヒコが庶民であるのは間違いないし、これからアズライトに逢うのだから、人に会うと言うのも嘘ではない。ただ、その説明が言葉足らずであるのは間違いない。そこでの問題は、本当のことを話すことにも問題があることだった。  アズライトの愛した男は、すでに抹殺されたことが知れ渡っていたのだ。だからヨシヒコ・マツモトと名乗っても、それがアズライトの愛した男とは誰も受け取ってはくれない。そして自分の立場、例えば次の皇帝に指名されたことにしても、まだ公にはされていないことだった。従って、そのことを主張しても、まともに考えれば信用してもらえないだろう。むしろ不遜なことを口にしたと、話が厄介な方向に向ってしまうのだ。それもあって、ヨシヒコも迂闊に正体を明かすことが出来なかった。そして正体を明かせないため、答えも歯切れの悪いものになってしまった。 「私の命令以上に大切なことはありません。約束があると言うのなら、私の名前を出してキャンセルしなさい!」  もう一度命令ですと繰り返し、シオリはヨシヒコの答えを聞かずに小広間へと向かった。その後姿に、ヨシヒコはどうしたものかと小さくため息を吐いた。今のままでは、本当に帰して貰えそうになかったのだ。そんなヨシヒコに、セラはステルスモードのまま情報を伝えた。 「先程、アリアシア様がお目覚めになられました。しばらく我慢すれば、迎えに来てくれるでしょう」 「それは、それで問題が大きい気もするが……」  とにかく、今はご機嫌を取っておくほかはない。諦めたようにもう一度ため息を吐き、ヨシヒコはシオリに従って小広間へと向かった。興味の方向は分かっているので、火傷をしても大したことはないと高をくくっていたのだ。  仮の住まいと言う事情からか、ランチの場所として供された部屋は、ヨシヒコの常識に照らしあわせてもこじんまりとしていた。ただこじんまりとはしていたが、二人が食事をするには十分以上の広さを備えていた。そして小さいなら小さいなりに、落ち着いた装飾が施された部屋になっていた。その辺り、痩せても枯れても三等侯爵令嬢と言うことだろう。 「お酒が良ければ、お酒を用意させますよ」  何故か隣りに座ったシオリは、高圧的にヨシヒコの希望を聞いてきた。継続して知らされるセラからの情報が正しければ、隣りに座ったシオリは発情状態から脱していないらしい。それどころか、森であった時より酷くなっているようだ。自分に酒を飲ませてどうするつもりか。その先が想像出来るだけに、ヨシヒコはつい口元を歪めてしまった。  もっとも、シオリにとってヨシヒコの反応はさほど問題では無いようだ。そして答えを待たずに、ヨシヒコのグラスに血の赤をした酒を注ぎ込んだ。そのくせ自分のグラスには、何の変哲もない水を注いでくれる。目的があからさま過ぎて、ヨシヒコは怒るのも忘れてしまったほどだ。現皇妃トリフェーンと比べる前でもなく、幼さを感じさせる行為だったのだ。アリアシアもそうだが、トリフェーンならば酒など使わず一服盛っていただろう。  仕方がないと酒を口にしたヨシヒコを、シオリは隣からチラチラと伺ってきた。下心を隠さないその態度も、ヨシヒコにしてみれば可愛らしい行為に思えてしまった。確かに性悪だと、トリフェーン皇妃のことを見なおしたぐらいだ。  ただヨシヒコは、このままズルズルとベッドに引きずり込まれるつもりはなかった。手を出したとしても火傷を負うことは無いのだが、さすがにそこら中に手を出すものではないと自重したのだ。そして、アズライトと比べて、目の前のシオリが野暮ったかったのも幸いした。アリアシアも自由にできるのだから、今更シオリに手を出す理由もなかったのである。 「シオリ様は、クレスタ学校に参加されているのですか?」  それもあって、ヨシヒコは食事の話題としてクレスタ学校を持ちだした。ある意味、それはシオリに対するテストになるものだった。 「いきなり、どうしたのですか?」  どうしてクレスタ学校が出てくるのだ。明らかに驚いた顔をしたシオリに、有名ですからとヨシヒコは曖昧な答えを口にした。 「そうでなければ、セレスタ星系のシオリ様がこんな片田舎に居るとは思えません」  理由を明かされれば、それは納得できる物に違いない。確かにそうだと頷いたシオリは、ヨシヒコの疑問を肯定した。 「そうですね、あなたが考えた通り、私はクレスタ学校に参加しています」  自分の言葉を認めたシオリに、ヨシヒコは次の質問を口にした。その答え次第で、色気づいた三等侯爵令嬢の扱いを考えようと思っていた。 「それで、どちらのグループに属されているのですか?」 「クレスティノス三等子爵のグループですよ。それが、どうかしたのですか?」  庶民と言うくせに、クレスタ学校の事情に通じているのだ。クレスタ学校が分裂してからの時間を考えると、庶民の知るような話ではないはずだった。  内心驚きながら、シオリはそっけない答えを口にした。  そんなシオリに、「いえ」と言ってヨシヒコは少し口元を緩めた。 「せっかくですから、シオリ様がどのようなお方なのかを知りたいと思ったのです」  物凄く広く受け取れば、自分を口説いていると言うことになる。拡大解釈をさらに拡大して受け止めたシオリは、酒も飲んでいないのに顔を赤くした。 「そ、それで、クレスティノス三等子爵のグループに居ることで、私をどのように評価したのかしら?」  聞かせて見せなさいと、顔を赤くしながらシオリは高圧的に命令した。  その命令に、ヨシヒコは間を保たせるように少し考えた振りをした。そして庶民のくせに、偉そうな評価を口にした。 「そうですね、シオリ様に見識があると言うのは分かりました。セントリア三等侯爵のグループでしたら、間違いなく失望したと思います」 「あなた……」  ヨシヒコの答えに、シオリは少し表情を険しくした。偉そうな言い方以上に、下した評価の方が気になってしまったのだ。 「本当にただの庶民なの? 誰かに仕えていると言うことはないの?」  リルケの爵位保有者でクレスタ学校に加わったものは、一人の例外もなくドードリー側に付いていたのだ。それを考えれば、リルケに居るただの庶民がドードリーを批判的に見るとは思えない。  そうなると、ヨシヒコはリルケ外の者に仕えていると考えた方がしっくりと来る。制限エリアを歩いていたことも含め、誰の家臣なのかとシオリは考えた。 「調べていただければわかると思いますが、私は誰にも仕えていませんよ」 「では、それを信用することに致しましょう」  シオリ程度の経験では、ヨシヒコが嘘を言っているかどうかを見極めることは出来ない。それでも見栄から、シオリはヨシヒコを信用すると口にした。そしてヨシヒコの正体ではなく、口にしたドードリーの評価を質すことにした。 「なぜ、セントリア三等侯爵グループだと失望することになるのかしら?」  答えなさいと高圧的に命じたシオリに、ヨシヒコは素直に自分の考えを口にした。 「クレスティノス三等子爵様は、アズライト様の名代でテラノを訪れていたかと思います。確か、クレスタ学校が分裂したのは、クレスティノス三等子爵様が不在となった時でした。三等侯爵様が三等子爵様の留守を狙ったように見られるのは、どう考えても自分が無能であると周りに喧伝することになります。理由はどうあれ、周りからどう受け取られるのか考えていない行動に違いないでしょう」  それが一つと、ヨシヒコは隣に居るシオリの顔を見た。可愛らしい女の子の顔に現れた鋭い男の顔に、シオリは鼓動が激しくなるのを感じていた。 「次に、セントリア三等侯爵の主張に問題があります。クレスタ学校の目的は、テラノとグリゴンから始まった動きに対して、帝国はどうしていけばいいのか。それを検討するものだったと伺っています。そしてその結果を、アズライト皇女殿下に献上するのだと伺っています。アズライト皇女殿下が設立に係わったのですから、目的自体はおかしくはないのでしょう。ただ、いささか視野狭窄に陥ってはいないか。それが気になった程度と言うぐらいです。その意味では、皇帝聖下の事を考えたセントリア三等侯爵様の方が視野を広く保たれていたとも言えるのですが……時計を巻き戻す主張は、何も見えていないのと等しいかと思います。力を示し、新しい動きを抑圧しようとした時……その時が、この帝国の終焉となることでしょう」  初めは掘り出し物だと喜んだシオリだったが、ヨシヒコの話を聞くうちに疑問が膨れ上がってきた。ただの庶民と言うのが本当ならば、どうやって今の帝国情勢を正確に掴んでいるのか。クレスタ学校の分裂以上に、双方の主張を正確に理解できるはずがなかったのだ。 「あなた、何者なの? 嘘偽りのない答えを返しなさい!」 「庶民であるのは、嘘偽りのない答えですよ」  明らかに警戒をしたシオリに、ヨシヒコは何の変化も示さなかった。そして供された料理に手を伸ばし、赤い色をした酒で喉を潤しながら食事を進めた。 「そんなことより、もう少し話をしませんか? クレスティノス三等子爵様のグループも、検討方針を修正されたのでしょう?」 「なぜ、そのことを知っているのです!?」  自分がそれを聞いたのは、たった2日前のことなのだ。そのことを話した相手を考えれば、一庶民にまで広まっているはずがない。 「知っているのではなく、そうなるだろうと推測しました。だから私は、シオリ様には見識があると評価したのですよ」 「つまり、修正した方針にも推測が付いていると言うことですか?」  ドードリーを否定したのだから、単なる方針変更では評価されるはずがない。そうなると、この可愛い顔をした男は、自分達の変更した方針も分かっていなくてはおかしくなる。 「そうですね、蚊帳の外に置かれた皇帝聖下を、再び主役に置くことを考えた。と言う辺りでしょうか。そしてその方法を、テラノを巻き込み検討しようと言うのでしょう」 「……どうして」  そのことを知っているのは、カニエ側に居る5人とアズライト以外に居ないはずだ。それを、庶民と自称するこの男は、正確に自分達の方針を口にしてくれた。誰かの家臣と考えれば不思議ではないのだろうが、ここまでカニエに似た家臣が居るとは聞かされていなかった。そんな家臣がいれば、話題になっていないはずがなかったのだ。 「これぐらいのことなら、推測はさほど難しくはありませんよ。新しい流れの中心にいるからこそ、テラノもグリゴンも不安定さを感じているはずです。その原因を考えれば、自ずとその理由に行き当たるでしょう。皇帝聖下の存在と言うのは、それほどまでに巨大だという事です。そしてテラノで意見交換をしてきたのなら、クレスティノス三等子爵様が影響を受けるのも不思議ではないでしょう。変わっていくことを是としても、多くの方が今の流れに不安を感じていたはずです。皇帝聖下主役に置くと言う考えは、その不安への答えになるものだと思いますよ」 「あなたは、誰にも仕えていないと言いましたね……」  じっと自分の目を見て確認してきたシオリに、ヨシヒコは小さく頷いた。 「繰り返しますけど、私はただの庶民です。どなたかにお仕えしていると言うことはありません。過去そう言う話もありましたが、その話もご破産になっています」 「その者に見識がなかったことを今は感謝することにします」  ほっと小さく息を吐き出したシオリは、椅子を動かしヨシヒコに近づいた。 「オデッセア家は、かつてセレスタ星系の筆頭となる家柄でした。しかしアルケスト家が現皇妃殿下を輩出したため、今はその後塵を拝しています。だからヨシヒコ、あなたを私のものにしたい。あなたを迎えれば、オデッセア家は筆頭に返り咲くことでしょう」  ねえと言って、シオリはさらにヨシヒコに近づいた。セラから警告を受けるまでもなく、シオリは明らかに危険境域に達していた。 「私とともに、オデッセア家を盛り立ててくださいませんか?」  それでも、シオリが真剣に自分を夫に迎えようとしているのは理解できる。それを理解しながら、ヨシヒコはシオリの求愛をはっきり断った。 「申し訳ありません。私には、将来を約束した女性が居ます。彼女のお腹の中には、私の子供がいるんです」  駄目と言う意味での答えなのだが、シオリは聞き入れようとはしなかった。 「ならば、その女性ごとオデッセア家で面倒を見ますっ! 手切れ金が必要と言うのなら、私がいくらでも用立て致します。あなたは爵位を持てませんが、生まれてくる子には継承権が与えられます。もしも爵位を望むのであれば、オデッセア家が面倒を見ます!」  「だからっ」とシオリは大きな声を出し、私のものになってと声を張り上げた。そんなシオリに、ヨシヒコは静かに問いかけた。 「私を手に入れるのは、オデッセア家のためですか?」  自分の見た目には自信があるし、それに公爵家に仕えるのは魅力的な条件のはずだ。そんな条件を出したのに、目の前の男は驚きも喜びもしていない。それどころか、冷静に問いただしてくれるのだ。けして冷たい言葉を掛けられた訳ではないのに、シオリは自分を包んでいた激情が吹き飛ばされたような気がしていた。  そして「家のためか?」と言う問いかけに、ブンブンと頭を振って精一杯の否定をした。 「ち、違います。私が、あなたを欲しいと思ったからです。い、家のことを持ちだしたのは、それが私の持っている全てだからです」  だからと、泣きそうな顔をして「私を愛して」とシオリは懇願した。 「三等侯爵家ご令嬢がただの庶民に口にしていい言葉ではないのですが……」  ふうっと息を吐いたヨシヒコは、「出掛けましょうか」とシオリに声を掛けた。  否定でも肯定でもない言葉に、どう言うことかとシオリはヨシヒコの顔を見た。そしてそこに、今までに無い優しい笑みを見つけた。 「私がこれから逢う人に、あなたを紹介したいと思います。それは間違いなく、あなたのためになることですから」 「あなたは、誰と会おうと言うのですっ!」  なぜ三等侯爵令嬢の自分が、ただの庶民に気圧されているのか。そんなことはありえないと思っていても、現実には自分は目の前の可愛らしい男性に圧倒されている。 「あ、あなたと一緒に出かけるの……ですか」 「それは、シオリ様次第だと思います。私との縁をどう考えるのか。切れても構わないと思うのであれば、私は一人で逢いに行くことにします」  あくまでも穏やかに話すヨシヒコに、シオリははっきりと恐れを抱いていた。静かに話すからこそ、恫喝してくる以上の迫力がある。その迫力は、世間を知らないシオリが敵うものではなかった。  そしてそれ以上にシオリを縛ったのは、縁が切れると言われたことだった。部屋に入る前は約束をキャンセルしろと言ったシオリだったが、今はそれも口にできなくなっていた。 「つ、付いて行けば、あなたとの縁は切れないのですね」 「将来の保証は出来ませんが。今、この場で切れることはないと思います」  どうしますかとまっすぐに見られたシオリは、ぎゅっと唇を結んでから小さく頷いた。 「あなたと、一緒に行きます」  その答えに頷いたヨシヒコは、笑みを浮かべたままシオリに提案をした。 「では、食事を済ませましょうか。シオリ様は、先程からあまり手を付けられていませんよね?」 「そ、そうですね……」  胸が一杯で食事どころではなかったのだが、ヨシヒコに促されてシオリは白身魚を固めた料理を口に入れた。緊張が理由なのか、全く味は分からなかった。それに、美味しいはずの料理も喉を通って行かなかった。  シオリの食が進まないのを見たヨシヒコは、そこで自分も食事を切り上げた。まだ食べ足りないのだが、その分はアズライトの所で補うことにした。 「どうも食事どころではないようですね。では、落ち着いた所で出掛けましょうか?」 「そ、それで、どこに出かけるのですか?」  黙って食事をすることに耐えられなくなったこともあり、ヨシヒコの言葉は天の助けでもあった。ただ、どこに連れて行かれるのか、それもまた怖かった。 「ここからなら、歩いて20分も掛からないと思います。私がこの格好ですから、シオリ様なら特に着替える必要はない所です」 「どこと言うのを教えてくれないのですか?」  少し恨めしそうな顔をしたシオリに、ヨシヒコは微笑みながら「その方が面白いでしょう?」と聞き返した。 「大丈夫です。シオリ様に害を加えるようなことはしません」 「……あなたを信用することに致します」  それではと立ち上がったシオリは、待っているようにと言って広間を出て行った。着替える必要は無いと言われたが、このまま外出するのは三等公爵家令嬢としてあり得ないことだった。これから誰かに会うのなら、無防備な真似など出来るはずがない。  出て行くシオリを見送ったヨシヒコは、扉が閉まった所でセラを呼び出した。ステルスモードで情報だけなら聞けるが、状況を確認するためには実体化してくれた方がやりやすかった。 「アリアシア様はどうしている?」 「お出かけになれるまで、あと30分と言うところでしょうか」  微妙な時間だなと、ヨシヒコはどうしたものかとセラの報告を受け取った。 「皇女殿下と考えれば、意外に早いと言っていいのか……」  アズライトとは例外かと思ったが、すぐにその考えを否定した。アズライトにしてもグリゴン行きの時はグダグダになっていたのだ。それを考えれば、アリアシアは努力した方なのかもしれない。  ただ、これからの時間を考えると、ここまで迎えにこさせるのは時間的に厳しいだろう。それを考えたヨシヒコは、アズライトの屋敷で待ち合わせることにした。シオリの方が時間が掛からないだろうから、タイミング的にもちょうどよくなるはずだと。  果たして、シオリはおよそ10分後に戻ってきた。待たせてはいけないと考えてくれたのか、ヨシヒコの期待よりも早い時間だった。ただ問題は、その時のシオリがしていた格好だった。  もともと野暮ったい田舎娘然とした格好をしていたのだが、着替えてきたシオリはさらに田舎っぽさをましてくれたのだ。くるぶしまで隠れた白のスカートなど、今どき誰が選ぶと言うのだ。しかも袖の方も、しっかりと手首まで隠れていた。 「用意ができたのなら、出発しましょうか」  ただ、今更格好を指摘した所でどうにかなるものではない。これ以上は時間の無駄だと、ヨシヒコは予定を進めることにした。三等公爵家の箱入り娘にとって初めての冒険なのだから、暖かく見守らなければと考えたのも確かだった。  オデッセア家が使っている館から、アズライトの逗留する館まではおよそ20分の距離だった。その道をゆっくり歩きながら、ヨシヒコはシオリの緊張を解くべく話しかけた。ただ共通する話題が無いため、持ちだしたのはクレスタ学校のことだった。 「なぜシオリ様は、クレスタ学校に参加されたのですか?」 「わ、私自身の見識を深めるためです」  男女の仲など、惚れた方が弱い立場になってくれる。初めは三等侯爵令嬢としての立場で接していたシオリだったが、今は完全に立場が逆転していた。 「男漁りではなくてですか?」 「そ、それは、あまりにも失礼な言い方です。もちろん、素敵な殿方との出会いを期待していたことを否定しません。帝国の未来を考える会なのですから、集まった殿方も高い見識を持っていると期待しましたから」  顔を赤くして文句を言うシオリに、「申し訳ありません」とヨシヒコは謝った。 「そこでは、期待したような男性は居なかったと言うことですか?」 「クレスティノス三等子爵側に残ったのは、私を含めて5人です。そのうち男性は、クレスティノス三等子爵を含めて2名でしかありません。それ以外は、あなたが失望すると言ったセントリア三等侯爵のグループに残っています」  なるほどと頷いたヨシヒコは、もう一つのどうしてをシオリに投げかけた。 「私に目をつけたのなら、なぜクレスティノス三等子爵に求愛されなかったのですか?」 「なぜっ、私がカニエにっ!」  ヨシヒコの言葉に反発しかけたシオリだったが、全てを洞察するような眼差しに反発の言葉を飲み込んだ。 「ティアマト三等侯爵家令嬢ヴィルヘルミナに先を越されました」 「もう一人のセイレーン一等伯爵は、あなたの好みから外れていた訳ですか」  なるほどと頷き、ヨシヒコは「クレスタ学校は」と続けた。 「すぐに、その目的を変えることになるのでしょうね。時代と言うのは、予想以上に早く変化していくものです。テラノとグリゴンで始まった動きに皇帝聖下を加えたものにする。それは、すでに意味のない検討になってしまいました。今重要なのは、この先帝国が向かうべき姿を示すことです。示された姿の中に皇帝聖下がいらっしゃれば、目的のほとんどは達成できたといえるでしょう」 「あなたは、本当に何者なの!?」  どうしてただの庶民が、自分達の検討の先を行ってくれるのか。しかも言われたことは、シオリ達が考えても居ないことだった。  そしてもう一つ気になったのは、ヨシヒコの歩いて行く方向だった。このまま先に進んだ時、そこにはアズライトの公邸しか存在しないのだ。三等侯爵家令嬢の自分でも難しいのに、庶民と主張するヨシヒコが足を踏み入れられる場所ではないはずだ。 「それに、あなたはどこに行こうとしているの? この前にあるのは、アズライト様が静養されている館しか無いのよ」 「その、アズライト様の所ですよ」  事も無げに言うヨシヒコに、あり得ないとシオリは声を上げた。 「三等公爵家の私でも、普通では面会の許可が出ないのですよ! それをあなたはっ」  もう一度あり得ないとシオリが声を上げた時、二人の後ろから女性の声が聞こえてきた。一体誰がと振り返ったシオリは、そこに居た女性の姿に驚き凍りついてしまった。  だが言葉が出なくなったシオリとは対照的に、ヨシヒコは少しも驚いていなかった。それどころか、庶民にあるまじき態度をとってくれた。 「意外に早かったな」 「私を置いて出かけるのは、少し薄情だと思います」  少し頬をふくらませ、追い付いてきた女性、第一皇女アリアシアはヨシヒコに並んで腕を絡めてきた。シオリと違い、アリアシアは薄手の淡いグリーンをしたミニドレスを身につけていた。お陰で、肌が直接密着し、薄い布越しにアリアシアの胸の感触が伝わってきた。 「お兄様が、アズライトに話をつけてくれました。これで、私は安心してあなたの後宮に入ることが出来ます」 「意外に聞き分けが良かったと言うことか?」  少し驚いた顔をしたヨシヒコに、「小さな頃からの教育の賜物です」とアリアシアは答えた。 「皇帝の義務をあの子も理解していると言うことです。多分気に入らないのでしょうけど、それを押し通す力はあの子にはありませんから」  だからですと、アリアシアはヨシヒコに笑ってみせた。そして反対側でフリーズしたシオリを見て、二人目ですかと聞いてきた。 「今のところ、そのつもりはないのだが」 「オデッセア三等公爵家の長女ですね。お母様と同じ星系と言うのは気になりますが、家柄としては問題無いと思いますよ」  アリアシアの答えに、つくづく常識が違うのだとヨシヒコは改めて思い知らされた気がした。そして未だフリーズしたまま復帰しないシオリを見て、小さくため息を吐いた。 「シオリ様、大丈夫ですか? シオリ様」  大きな声で呼びかけられたシオリは、ようやく自失状態から復帰してくれた。ただ、置かれた状況は、とても冷静でいられるものではなかった。それでも気を取り直したシオリは、アリアシアに向けて腰をかがめて頭を下げた。三等公爵家令嬢と言えど、皇族から見れば遥かに格下だった。 「セレスタ星系オデッセア三等公爵家長女、シオリでございます」 「丁寧な挨拶をありがとう。帝国第一皇女アリアシアです。このような場所ですから、あまり堅苦しく考えることはありませんよ。頭を上げてくださいませんか?」  そう言われれば、いつまでも頭を下げている訳にはいかない。覚悟を決めて頭を上げたシオリは、アリアシアに連れられたヨシヒコの顔を見た。 「失礼ですが、彼は皇女殿下に仕えているのでしょうか?」  それならば、制限エリアに居ること、そしてクレスタ学校のことを知っていることへの説明がつく。そのつもりで質問したシオリに、アリアシアは「違いますよ」と返した。 「ただ、いつまでも立ち話をしている訳にいきませんね。話の続きは、アズライトの所で致しましょう」  そう答えたアリアシアは、彼女のアバターを呼び出した。 「ライエ、通路を開きなさい」 「はい、アリアシア様っ!」  小さな少女がお辞儀をしたと思ったら、シオリの前に違った景色が広がった。見間違えでなければ、それはアズライトの逗留する館の入り口だった。それだけでも驚きなのに、入口の前にアズライトが泣きそうな顔をして立っているのを見つけてしまった。  それを認めたアリアシアは、抱えていたヨシヒコの手をそっと放した。 「ヨシヒコ様、アズライトを安心させてあげてください」 「そうだな、感謝するぞ」  アリアシアに向かって小さく頷いてから、ヨシヒコはゆっくりとアズライトの方へと歩き出した。実際の距離は数百メートル離れているのだが、空間制御によって数mに縮められていた。  そしてゆっくりと近づいてくるヨシヒコを見たアズライトは、大きなお腹を気にすること無く駆け出してきた。そして驚くヨシヒコに抱きつき、大きな声で愛する人の名前を呼んだ。 「ヨシヒコ、ヨシヒコ、ヨシヒコ……」  他にも、もっと言いたいことが有ったのだろう。だが今のアズライトは、愛する人の名を呼ぶのが精一杯だった。そんなアズライトの体に手を回し、ヨシヒコはこわれものを扱うようにそっと体を抱き寄せた。 「アズライト、心配をかけたな」  耳元で囁くヨシヒコに、それは違うとアズライトは首を振った。 「あなたを守れなかった私が悪いのです。あなたをリルケに連れてきた私が悪かったんです。私の能力が足りなかったのがいけなかったのです」  すべて自分の責任だと、アズライトはヨシヒコに自分が悪いのだと繰り返した。 「それも、もう終わったことだ。俺は、再びこうしてお前のことを抱きしめることが出来た」  だからもういい。ヨシヒコは、心を込めて愛する人へ語り掛けた。「逢いたかった」と。 「色々と話をすることがあるだろう。中に入って座らないか?」  涙で顔をくしゃくしゃにしたアズライトの頭をなで、ヨシヒコは優しく語りかけた。それだけ悲しい思いをさせたのだと、今更ながらに思い知らされた気持ちになっていた。 「アリアシア、アンハイドライト様は中にいるのか?」  そして顔をアリアシアの方に向け、ここにいるはずの元皇太子の居場所を確認した。 「どうやら、兄は気を利かせたようですね。そろそろ、ここに呼び出すことに致しましょう」  「ライエ」と、アリアシアは自分のアバターを呼び出した。 「兄様に迎えに来るよう伝えてください」 「畏まりました。アリアシア様!」  お辞儀をした小さな女の子は、すぐに連絡がつきましたと主に報告した。 「どうやら、物陰で出番を待っていたようです」 「アズライトがこんなに泣くのなんて、初めてのことですからね」  分かりますと頷いたアリアシアは、借りてきた猫のようになっていたシオリの方を見た。 「彼が誰なのか、あなたにも分かりましたね?」 「はい。ですが、ヨシヒコ・マツモトは死んだのではなかったのですか?」  アズライトの様子を見れば、目の前に居るヨシヒコが本物だと言うのは理解できる。だがテラノとグリゴンで始まった変革は、彼の死をきっかけにしていたはずなのだ。そのきっかけを作ったヨシヒコが生きていたことに、シオリは納得出来ないものを感じていた。 「いくつかの幸運と人の執念が彼を助けたのです。そしてお父様も、彼に敗北を認めました」 「皇帝聖下がっ、でしょうか!」  ヨシヒコが生きていたと言うのも驚きだが、皇帝が敗北を認めたと言うのはそれ以上の驚きだった。  大きく目を見開いて驚くシオリに、見たままですよとアリアシアは告げた。一度は抹殺されたはずのヨシヒコが、こうして大手を振ってアズライトに会いに来ている。皇帝が折れない限り、それは絶対にありえないことだったのだ。 「アリアシア、話をするのは後にしろ。いつまでもアズライトを、外に立たせておくものじゃない」  中に入れとアリアシアに命じたヨシヒコは、「シオリ様」とまだ復活できないシオリに声を掛けた。 「一緒に、昼食の続きをしませんか? 実は、まだ食べ足りないんです」  どうですかと声を掛けられたシオリは、言葉を発することも出来ずに、ただ壊れた人形のように頷いたのだった。 Chapter 4  ドワーブへの報告を終えたアセイリアは、ヨシヒコを待たずに地球に帰還していた。彼女の立場は、秘密のまま長期間外を出歩くことを許さなかった。 「ドワーブとの話は無事済んだようだな」  総領主府でアセイリアを迎えたジェノダイトは、いつもどおりの顔で首尾を尋ねた。ただじっくりと観察すると、少し口元が緩んでいるのを見つけることが出来た。 「そうですね。ドワーブ様も、ヨシヒコさんの復活を喜んでくださいました」 「君の婚約は祝ってくれなかったのかね?」 「そちらの方は……」  アセイリアは、「忘れられた」と苦笑を浮かべた。 「先に報告した時には、お祝いを言ってくれたのですけど。ただ、その後のインパクトが大きすぎて、それから一度も話題に登りませんでした」 「確かに、インパクトは大きいな」  表向きの恩人はアセイリアなのだが、ほんとうの意味のグリゴンの恩人はヨシヒコだった。そして両星系で始まった変革の仕掛け人もまたヨシヒコなのである。そのヨシヒコの復活ともなれば、多少の慶事など忘れられても仕方がないことだった。  ジェノダイトの言葉に頷いたアセイリアは、逆にヨシヒコの状況を質問した。出発した時間を考えれば、すでに皇帝との対決は終わっているはずだった。 「あまり情報が出てこないのだが……」  そう前置きをしたジェノダイトは、少ないながら伝わってきた情報をアセイリアに教えた。 「アズライト様と再会したことは伝わってきた。それを考えれば、聖下との対決も無事終えたと考えていいはずだ。未確認情報には、アルハザーと酒を酌み交わしたと言うものもある」 「アズライト様と再会出来たのですね……」  その知らせだけで十分だ。これでセンテニアル前から始まった物語も、無事大団円を迎えることができる。どうしようもない安堵を感じ、アセイリアは大きく息を吐き出した。 「何か、どっと疲れが出たような気がします。この事は、お義母様には伝わっているのですか?」 「まだチエコのことをお義母様と呼ぶのだな」  そう言って口元を歪めたジェノダイトに、アセイリアは悪びれもせずに「癖です」と言い切った。 「お義父様と言うのはジェノダイト様の事なのですが……どうも、お義母様と言うとチエコさんになってしまいます。多分、それだけ厳しく指導してもらったからではないでしょうか」 「チエコは、君のことをよく出来た嫁だと公言していたよ」  皮肉を言ったジェノダイトだったが、彼の目から見ても二人は仲の良い嫁姑に見えていたのだ。 「グリゴンからとんぼ返りしたのだ。今日は、帰って休むといい」 「はい、ではお言葉に甘えて休ませていただきます」  ありがとうございますと頭を下げ、アセイリアはジェノダイトの執務室を出て行った。途中統合作戦本部に顔を出そうかと思ったのだが、それをすると帰れなくなるからと我慢することにした。  警備員のお辞儀で送り出されたアセイリアは、背伸びをして久しぶりの青空を見上げた。グリゴンではこんな綺麗な青空を見ることは出来ないし、クルーザーの中は息の詰まる空間だったのだ。空を見上げて大きく深呼吸をしたアセイリアは、しばらく帰っていなかった自宅へと帰ることにした。この場合の自宅は、キャンベルとして借りたアパートメントではなく、ジェノダイトが提供してくれたみなとみらいにあるマンションだった。  歩いて行くには少し遠いのだが、気分がいいことを理由にアセイリアは歩くことにした。  総領主府を出て海沿いに歩いて行くと、赤レンガで出来た建物を右手に見ることができる。かつては海運の倉庫だった建物は、今は立派に歴史的商業施設になっていた。結構美味しいレストランが入っているので、時々キャンベルに戻って食事に来ていた場所でもある。  赤レンガの倉庫を見た所で、散歩道は海から少し離れることになる。広場のようになった場所を通り過ぎ、小さな橋をわたって一番の商業施設街へと入っていった。そこでガラスに映る自分の姿を見ながら、アセイリアはおやつと夕食の買い物を兼ねて、その先にあるデリカテッセンに行くことにした。しばらく留守にしたこともあり、不足しているものを買っておく必要があったのだ。 「もう、この顔にも慣れたわね……」  キャンベルとして総領主府に居た時には、もっと野暮ったい顔をしていた。それが今では、すっかり見違えるように垢抜けたと思っている。アセイリアの顔は、自分の顔をベースにヨシヒコが作り上げてくれたものだ。そしてヨシヒコが作り上げたアセイリアに、今度は自分が染まっていった。アセイリアで居るため、短かった髪も今はすっかり長くなっていた。 「アンハイドライト様が帰ってきたら、手料理をご馳走しないと……」  本当に良かったのかとイヨに言われたが、これで良かったのだとアセイリアは納得していた。ヨシヒコにとって、自分は恋人ではなく姉のようなものだったのだ。そしてヨシヒコには、アズライトという人が側にいるのだ。二人の結びつきを考えれば、もはや自分の出番は終わったのだと考えていた。さすがに熱烈な恋をすることは出来ないが、アンハイドライトとはゆっくり愛を育んでいけばいい。  ホテルのある商業施設を通りぬけ、アセイリアは目指すデリカテッセンに辿り着いた。ここで今日の夕食と明日の朝食、それにいくばくかのデザートと日用品を買えば、今日の買い物は完了する。後は家に帰って、ゆっくりお風呂に入れば疲れも取れるだろう。  店内に入ったアセイリアは、小ぶりのカートに買い物かごを乗せ飲み物のコーナーから回ることにした。お気に入りのガス入りミネラルウォーターとインスタントカプチーノを買えば、このコーナーの目的を達することができる。後はベーカリーやデリカコーナーに行けば、食事の買い物も終わってくれるだろう。 「そう言えば、アンハイドライト様は、どんな食べ物が好みなのかしら?」  結婚するのだから、愛する人には手料理を食べてもらいたい。そしてせっかく作るのなら、好物を作ってあげたいと思っていた。 「その前に私の得意料理か……ううむ、困った」  乙女チックなことを考えて盛り上がっていたアセイリアだったが、すぐに厳しい現実を思い出してしまった。よくよく考えてるまでもなく、料理はあまり得意ではなかったのだ。キャンベルとして働いていた時も、ほとんどが出来合いで済ませていたぐらいだ。お陰で、料理道具もあまり揃っていなかった。 「やっぱり、お義母様に指導して貰わないといけないのかしら」  チエコが家庭的な所は、一緒に仕事をしてきて何度も見せられていた。それに急遽開いたヨシヒコの復活パーティーでは、見事な手料理を開陳してくれたのだ。あそこまでとは言わないまでも、教えてもらった方が身のために思えてきた。  ヨシヒコが復帰すれば、自分の負担も軽くなってくれるだろう。ゆっくりとした時間がとれるようになったのなら、チエコに料理を教えてもらえばいいのだ。 「そんなことより、今日の晩御飯を考えないと……」  バラ色の未来もいいが、それ以前に足元をしっかりと見つめないといけない。妄想に浸るのは、帰ってからにしておけばいい。今求められるのは、今日明日の食事を買い込むことだった。  いけないと気を取り直したアセイリアは、カートを押して出来合いの並ぶショーケースの方へと移動した。和洋中と取り揃えられたケースを前に、何にしようかとアセイリアは腕を組んだ。 「サッパリ系に行くか、それともこってりとソース系に行くか……」  どちらも捨てがたいと悩んでいたら、「アセイリア様」と聞き覚えのある女性の声が聞こえてきた。  その声に振り返ったアセイリアは、近づいてくるセラムの顔を見つけた。こんな場所に制服で来るのはどうかとは思ったが、平日だと考えればおかしくはないと思い直した。 「あら、セラムさん。ごきげんよう」 「アセイリア様、ごきげんよう」  ニッコリと笑うアセイリアに、セラムはお久しぶりですと頭を下げた。そしてアセイリアの押していたカートを見て、「買い出しですか?」と聞いてきた。 「ええ、少し遠出をしていましたので、家に何も残っていないんです。ですから、足りないものと夕食の買い物をしようかなと。そう言うセラムさんも、お買い物ですか?」 「私は……ちょっと人に言えない理由で……」  少し口ごもったセラムに、アセイリアは「そう言うことですか」と早合点をした。あれから時間もずいぶん経ったのだから、セラムにもいい人ができたのだろうと想像したのだ。ただ制服でデートと言うのは、目立ちすぎるのではないかと人ごとながら心配した。 「でしたら、お邪魔をしてはいけませんね」  もう一度ごきげんようと言って、アセイリアはセラムと別れようとした。そんなアセイリアを、「違いますから」とセラムは呼び止めた。 「その、アセイリア様の想像されているようなことではありませんから」 「違うのですか? 別に、隠すようなことでもないと思いますが……」  でしたらと、アセイリアは光の溢れるテラスの方を指さした。陽気もいいので、テラスでお茶をしないかと言うお誘いである。 「その、お時間は宜しいのですか? アセイリア様はお忙しいと伺っていますが?」 「最近は、ずいぶんと落ち着いたんですよ。それに、今日は何も予定がありませんからね。だからセラムさん、遠慮などする必要はありませんよ」  少し待っていてください。そう言い残し、アセイリアはカートを押してレジの方へと向かった。  少ないとは言え買い物をした自分とは違い、セラムは学校帰りの格好をしていた。持っていた荷物は、学生鞄に紺色のサブバッグだけだった。白のブラウス姿は、可愛らしいと言うのがピッタリだと思えた。  席についたアセイリアは、すっかり習慣となったカプチーノを注文した。一方セラムは、遠慮がちにアイスのオレンジティーを注文した。 「でも、誘ってよかったのかしら?」  注文が終わった所で、アセイリアは迷惑でなかったかとセラムに聞いた。人に言えない理由があるのだから、無理強いして良かったのかと思ったのだ。  自分の都合を心配してくれたアセイリアに、「実は」とセラムは「人に言えない理由」を口にした。 「あそこに行けば、アセイリア様に会えるのではないかと思っていました。ですから、お誘いいただいて感謝しているんです」 「私に会うために?」  目を丸くして驚くアセイリアに、セラムは少し恥ずかしそうに「はい」と答えた。 「その、アセイリア様には聞いていただきたいことがありましたから」  そのと、口ごもったセラムに、「いいですよ」とアセイリアは笑ってみせた。 「今なら、大抵のことを教えて差し上げられますよ。セラムさん、話したいことではなく、聞きたいことがあるんですよね?」  アセイリアの言葉に、セラムは一瞬驚いた顔をした。そしてすぐに顔を伏せ、「お気づきでしたか」と小さな声でつぶやいた。 「セラムさんのことは、ヨシヒコさんから聞いていましたからね。たぶん、関係者以外では一番真実に近いところにいるのではありませんか?」 「真実に近い所……ですか」  真剣と言うより思いつめた顔をしたセラムに、アセイリアは小さく頷いた。 「あなたは、アセイリアの姿をしたヨシヒコさんとも会っていますよね。だから、一番真実に近いところにいる事になるんです。それでセラムさん、あなたは何を聞きたいのですか?」 「その、色々と疑問に思ったんです……」  それはとセラムが口を開こうとした時、ウエイトレスが二人の注文した飲み物を持ってきた。仕方が無いこととは言え、セラムは覚悟がしぼんでしまったような気がしてしまった。 「それは? 何でしょうか?」  そんな事情を知る由もなく、アセイリアは穏やかに微笑み続く言葉を待った。だがセラムからは、続きの言葉が発せられなかった。  出鼻を挫かれたのかなと推測したアセイリアは、飲みましょうかと言って自分のカプチーノを取り上げた。それを一口飲んで、ほっと息を吐き出した。 「私は、本当はコーヒーを飲めなかったんですよ。でも、いつの間にかカプチーノを飲むようになってしまいました。多分、ヨシヒコさんの真似をしたかったんでしょうね」  そしてアセイリアは、言葉を失ったセラムの代わりに自分の話を始めた。 「あなたには申し訳ないのですけど、一度だけヨシヒコさんに抱かれました。それ以来、彼は私にとって一番大切な人になったのだと思います」 「アセイリア様……のですか?」  意外そうな顔をしたセラムに、「はい」とアセイリアははっきり答えた。 「でも、それは叶わない恋だったのですけどね。ヨシヒコさんには、アズライト様と言う方がいらっしゃいましたから」 「やっぱり、皇女殿下が恋をされたのはヨシヒコさんだったのですね」  それを教えられれば、街を案内した時の態度も理解することができる。ただ分からないのは、なぜあの時アズライトが打ちひしがれていたのかと言うことだ。その時は愛する人が死んだからかと思ったのだが、ヨシヒコが死んだのはもっと後のことだったのだ。だとすると、あの時のアズライトの様子に説明がつかなかった。 「どうして、皇女殿下がヨシヒコさんに恋をされたのでしょうか?」  だがセラムが口にしたのは、二人が結びついた理由だった。ただ、それが気になるのは、アセイリアにも痛いほど理解できた。もしもあの日二人が出会っていなければ、ヨシヒコと結ばれていたのは目の前の少女だったのだ。  セラムに同情したアセイリアは、「私の知っている範囲でですが」と断り二人の出会いを説明した。 「きっかけは、ヨシヒコさんが一人でVXに行ったからだと聞いています。なぜ一人で行ったのかと言うと、あなたと行く時恥をかかないためと聞いています。そこでヨシヒコさんは、変装された皇女殿下と出会いました。その時の皇女殿下は、セラフィム・メルキュールと言う偽名を使っていたそうです。あなたも、セラフィム・メルキュール姿の皇女殿下を見ていますよね?」 「あの人が……そうだったんですか」  ホテルで見かけた時には、とてもきれいな人と言う印象を持っていた。それがアズライトが変装した姿だと教えられ、セラムはなぜか納得してしまった。 「その時に、皇女殿下は恋に落ちられたのですね」 「意識していなかったのでしょうけど、ヨシヒコさんも皇女殿下に惹かれていたのだと思いますよ」  事実を告げられるのは辛いことだが、それも仕方がないとセラムは諦めていた。アズライトが美しくて魅力的なのは、彼女の世話をした時に分かっていたことだ。そしてアズライトにあそこまで思われていたら、それに応えない方がおかしく思えてしまう。 「私は、ヨシヒコさんと縁がなかったと言うことですね」 「そうね、今となったらそうとしか言えないわね」  ここで違うと言っても、少しも慰めにならないのは分かっていた。だからアセイリアも、はっきりとセラムの言葉を肯定した。 「そうだとしたら、皇女殿下も可愛そうだと思います。結局ヨシヒコさんは、原因不明の病で亡くなられてしまいましたから」  ミツルギ家から会ってはならぬとのお達しを受けたが、ヨシヒコが死んだことぐらいは友達から伝わってきた。そんなことはないと思いたかったが、役所のデーターを見せられれば信用するしか無かった。 「そうね。あの時は、本当にみんな苦しんでいたわね」  それももう、5ヶ月ほど前のことになる。あの時はどうしようもない無力感を覚えたはずなのだが、そのことももう忘れてしまっていた。 「そう言えば、マリアナさんはどうされているのですか? お手伝いしていないので、結構苦労されているのではありませんか?」  座学とシミュレーションは、完全にヨシヒコに頼りきっていたのだ。その支援がなくなれば、マリアナが苦労するのは目に見えていたのだ。  それを指摘したアセイリアに、「それはもう」とセラムは頷いた。自分で口にしたことなのだが、ヨシヒコの話題から離れたことはありがたかった。 「座学系が並みの成績になってしまったそうです。相変わらず体を動かすことは優秀なのですけど、周りの期待に応えられていないと嘆かれています」 「ヨシヒコさんの支援がなくなればそうなりますね……」  戦略立案では、ヨシヒコは4軍の大将達からも高い評価を受けていた。その支援がなくなれば、今までのように行かないの当たり前の事だった。  「大変ですね」とマリアナに同情したアセイリアは、「セラムさん」と真剣な顔でセラムを見つめた。 「な、なんでしょうか?」  その視線に気圧されたセラムに、アセイリアは残酷な質問をした。 「あなたは、ヨシヒコさんのことを忘れることが出来ましたか?」  何時現れるのかわからない自分に会うため、デリカテッセンに通いつめていたのだ。その理由を考えれば、質問の答えも自ずと想像がつこうものだ。それを敢えて口にしたアセイリアに、「私は」と言ってセラムは俯いた。 「未練がましいことは分かっているんです。そして、二度と会えないことも分かっているんです。それでも……」  震えながら吐き出すセラムに、アセイリアは「ごめんなさい」と謝った。 「あなたの、ヨシヒコさんへの気持ちは分かりました。ですから、とても大切なことを教えてあげます。ただ、この事はあなたの胸にとどめておいてください。それができるのなら、本当に大切なことを教えてあげます」 「マリアナ様にも教えてはいけないと言うことですか?」  顔を上げたセラムは、目を赤く充血させていた。それだけ辛かったのだと理解したアセイリアは、「ずっととはいいません」と答えた。 「そうですね。黙っていていただきたいのは、せいぜい2週間という所です」 「それぐらいでしたら……」  それでも、主に隠し事をすることへの罪悪感はある。ただ約束をしないと、アセイリアは大切なことを教えてはくれないだろう。そう自分の中での折り合いをつけたセラムに、「実は」とアセイリアは身を乗り出した。 「ヨシヒコさの治療に成功しました。ですから、抹消された戸籍は復活しています」 「ヨシヒコさんの戸籍が復活した?」  それがどんな意味を持っているのか。あまりにも突拍子もない話に、セラムはすぐには事情を理解できなかった。そんなセラムに、アセイリアは勘違いのしようのない答えを口にした。 「ヨシヒコさんを生きかえらせることに成功しました。正確には、治療に成功したことになるのですけど。まあ、生き返ったと言ってもいいのでしょうね」  そこまで繰り返されれば、セラムにも意味が理解できる。それでも「本当ですか」と聞いてしまうのは、条件反射のようなものだろう。本当ですかと聞きながら、セラムは両手で口元を隠していた。 「こんなことで嘘をついても仕方がありませんよ。ヨシヒコさんは、今アンハイドライト様とリルケに行っています。その後グリゴンに寄ってから、地球に帰ってきてくれます。だから、あと2週間ほど黙っていてくださいとお願いをしたのですよ」 「ヨシヒコさんが……」  両手で口元を押さえたセラムの目からは、大粒の涙が流れ落ちていた。自分も似た経験をしたこともあり、アセイリアはそんなセラムを優しく見守った。悲しい涙ではないのだから、おもいっきり泣かせてあげればいい。おもいっきり泣けば、きっと気持ちも落ち着いてくれるだろうと。  それから5分ほど経った所で、「すみませんでした」とセラムはアセイリアに頭を下げた。おもいっきり泣いたのが良かったのか、少し表情も柔らかくなっていた。 「お陰で、胸につかえていたものが無くなった気がします」 「あなたにもずいぶん心配をかけていたのね。ヨシヒコさんが帰ってきたら、謝っておくように伝えておきますよ」  そう言って自分を見たアセイリアに、「遠慮します」とセラムは答えた。少し意外な答えに、アセイリアは驚いたように目を見開いた。 「そんなことをしていただくと、ヨシヒコさんにご迷惑をかける事になります。ヨシヒコさんとの縁は、ミツルギ家の方から切ってしまったんです。そして私は、ミツルギに仕える者なのです」 「私は、ミツルギはヨシヒコさんに詫びを入れたほうが身のためだと思いますよ。そうでないと、恩を仇で返すことになりますし、それ以上の不利益がミツルギに振りかかることになります。難しいことは分かっていますが、私が間を取り持って差し上げてもいいと思っています」  和解を勧めたアセイリアだが、今はその時ではないと続けた。それは、まだヨシヒコの復活が公式にされていないことも理由となっていた。こっそりと戸籍は復活させたが、変わったことと言えばそれだけだったのだ。 「たぶん、ヨシヒコさんは怒っていないと思いますよ」 「それでも、私はミツルギに仕える者ですから……」  だから勝手な真似をする訳にはいかない。ありがとうございますと頭を下げたセラムは、これで十分だとアセイリアに答えた。 「ヨシヒコさんのことを教えてくださったことに感謝致します。お陰で、ヨシヒコさんのことを忘れることが出来ます。死にそうなヨシヒコさんに、ミツルギが追い打ちをかけたことがずっと気がかりでしたので」  だからもう十分なのだとセラムは笑ってみせた。ただその笑みは、どう見てもうまく微笑んでいないように見えていた。 「それに、今のヨシヒコさんにとって、ミツルギも私も、もう大きな意味がありませんから」  ヨシヒコの前に広がった世界を考えれば、一等男爵家との関わりなどとても小さなものに違いない。その家臣との関わりなど、さらに小さなものになってしまうのだ。 「あなたは、それでいいのですか?」 「分を弁えるのは、次は私達と言うことです」  ありがとうございました。セラムはアセイリアに頭を下げると、サブバッグを持って立ち上がった。 「先程のお話は、私は何も知らなかったことにします。恐らく、アセイリア様にも二度とお目に掛かることもないと思います。私のようなものにお時間を割いていただき、本当にありがとうございました」  もう一度頭を下げたセラムは、「失礼しました」と言ってアセイリアに背中を向けた。そして、本当に何もなかったようにまっすぐ通りの方へと歩き始めた。少し早足に見えたのは、必ずしもアセイリアの勘違いではないだろう。  その姿が見えなくなったところで、アセイリアはほっと小さく息を吐き出した。 「ケジメは確かに必要だけど……」  まったくと、もう一度息を吐き出したアセイリアは、セラムのために少しだけ骨を折ることを考えた。あんなに愛らしい顔から、綺麗に表情が無くなるのを見せつけられたのだ。叶わない恋なのは確かだろうが、こんな終わり方は哀れすぎると思ったのだ。  ずっと胸の中にあるモヤモヤとしたものが消えてくれなかった。それをセラムは行動に移すことで解消したが、士官学校に通う身ではイレギュラーな真似をするわけにもいかない。そして自分には、一等男爵家跡継ぎという立場も有った。だからマリアナは、訓練に打ち込むことで忘れようと努力をした。  そのお陰でホプリタイの技量はさらに向上したが、当たり前のように座学系の成績は急降下した。知恵袋を失った以上、当然考えられる結果でもある。お陰でトータルの成績優秀者から、戦略系では中庸の成績にまで落ちぶれてしまった。そして逆に、体を動かす方ではトップ3に迄上り詰めていた。ここから先は、新たな知恵袋を探さなければならないのだが、残念なことにその当てはどこにもなかった。  訓練にかこつけて自宅に帰っていなかったマリアナは、その週末に久しぶりの帰宅を果たした。結局訓練に逃げても、胸のモヤモヤはどうにもならないと諦めたのだ。 「お嬢様、お帰りなさいませ」  屋敷の者の出迎えを受けたマリアナは、そこにセラムの姿が無いことに気がついた。まだ引きずっているのかと心配し、セラムの父トウイチロウを呼び出した。伊達眼鏡を掛けた、ダンディな紳士と言うのが家臣筆頭トウイチロウ・ヒワタリと言う男だった。 「セラムは、まだ出歩いているのか?」  会えるかどうか分からないアセイリアを求めて、セラムがみなとみらい地区を彷徨っているのは知っていた。マリアナは、顔を出さない理由をそこに求めたのである。  だがマリアナの問いに、トウイチロウは整った顔を曇らせ首を横に振った。 「それよりも、さらに悪くなっております。先日帰ってきてから、ほとんど部屋から出てきておりません。何かが有ったのでしょうが、問い詰めても何も答えてはくれませんでした。予め申し上げておきますが、暴行等の暴力の被害を受けたわけではありません」 「つまり、日課を変えるような出来事があったと言うことか」  ふむと腕を組んだマリアナは、唯一のあり得る可能性を口にした。 「アセイリア様と何かあった……と考えるのが自然か?」  主の指摘に、トウイチロウはゆっくりと頷いた。 「それが、一番考えられる可能性でしょう。ただ、本人は頑として理由を口にしません。そして私共では、アセイリア様に伺うことも出来ません」 「手詰まりと言うことだな」  だからこそ、セラムの行動の理由が想像できてしまう。なるほどそう言うことかと納得したマリアナは、トウイチロウを通じてセラムに命令することにした。 「ならば、今宵食事が終わった後、私の所に顔を出すように申し伝えておけ」 「畏まりました。セラムには、マリアナ様がお呼びだと申し付けておきます」  それでいいと小さく頷いたマリアナは、夕食までの時間、自分なりの調べ事をすることにした。現実逃避のため訓練に逃げていたので、領主府周りの事情にも疎くなっていたのだ。領主府、特にアセイリアとチエコの周りに何か変化が起きていないか。そこに手がかりを求めようとしたのである。  そしてその夜、誰かがマリアナの部屋のドアをノックした。控えめなノックの音に、ようやく来たかとマリアナは大ぶりのチェアから立ち上がった。すでに入浴も終わっているので、パジャマ代わりの臙脂色のジャージと言うのがその時の格好だった。  果たして、ドアを開けた所には普段着のセラムが立っていた。膝下までの黒のスカートに白のブラウスと言うのは、主に奉仕するときの制服でも有った。そこでマリアナは、「待っていたぞ」と驚くセラムに声を掛けた。  普通なら、主自らドアを開けるようなことは無い。それが、マリアナ達爵位を持つ者にとっての常識だった。そしてその家臣であるセラムも、その常識の中で生きてきた。その意味で、主自らドアを開けたことに、セラムは少し狼狽え謝罪の言葉を繰り返した。  「申し訳ありません」と繰り返すセラムに、それはいいとマリアナは笑った。そして周りを見渡してから、部屋に入るようにと命令した。 「その、何かお飲み物でも用意した方が……」  ただ呼び出されたため、セラムは何も用意して来ていなかった。それを気にしたマリアナは、ニカッと笑って「必要ない」と言ってのけた。そして部屋備え付けの冷蔵庫から、自分の分と合わせてセラムの飲み物も取り出した。 「口にあわないかもしれないが、今はこれで我慢をしてくれ」  そう言ってから、マリアナはグラスを持って小ぶり……世間標準では十分な大きさのカウチソファーに腰を下ろした。そして自ら、用意したコップにスポーツドリンクを注ぎ分けた。 「細かなことはいい。とりあえずセラム、そこに座って私と話をしようか」  主から言われたのだから、それは絶対の命令となる。緊張した面持ちで頷いたセラムは、言われたとおりにマリアナの正面のソファーに腰を下ろした。ただ腰を下ろしはしたが、マリアナの用意をした飲み物には手を付けようとはしなかった。しかもセラムの顔は、主を恐れるようにマリアナから逸らされていた。  なるほど重症だと理解したマリアナは、駆け引きをすること無く「セラム」と少し強い調子で呼びかけた。そして明らかに緊張を強くしたセラムに、単刀直入に自分の考えを切り出した。 「お前、アセイリア様に会ったのだな」  主直々の問いかけだと考えれば、父親に対するのとは違い、嘘を言うことは大きな罪となる。だからセラムは、何も答えないと言う答えを返した。そして無言と言うのは、マリアナにとってみれば答えを貰ったようなものだった。 「そうか、何も答えることは出来ないのか。だとしたら、少し質問を変えさせて貰おう。セラム、私はお前にとって仕える意味のない主人か?」  その質問の意味する所に、セラムは顔を上げてマリアナを見た。そしてニカっと笑われ、もう一度顔を伏せてアリアナの視線から逃げた。 「私は、マリアナ様をお慕いしております」  セラムの答えに、嘘は含まれていないのだろう。それを理解したマリアナは、「ならばいい」とセラムを許すことにした。 「夜分呼び出して悪かったな。何があったのかは分からないが、今はそれを聞かないことにしておこう。それからセラム、私からお前に一つお願いがある」 「マリアナ様……からでしょうか?」  顔を上げないセラムに、「ああ」とマリアナは小さく頷いてみせた。 「話せる時が来たら、その時はお前の口から私に教えてくれないか。その時まで、私は何も聞かないことにする。それから……」  優しい顔をしたマリアナは、セラムに「命令だ」と声を掛けた。 「お前の両親に、いつまでも心配かけたままにするな。理由を話す必要はないし、無理をして笑えと言うつもりはない。ただ、部屋から出て、いつものお前に戻るように努力をしろ」 「……ご命令に従います」  それでいいと頷いたマリアナは、「悪かったな」とセラムに詫た。 「ヨシヒコのことでは、私以上にお前には辛かっただろう。私には、主としてお前に気を使ってやれなかった」 「……もったいないお言葉です」  ありがとうございます。セラムは立ち上がり、大きく腰を折ってマリアナに頭を下げた。遅れて立ち上がったマリアナは、軽い身のこなしでセラムに近づきその胸に抱きしめた。男性の中に混じっても大柄なこともあり、セラムの体はすっぽりとマリアナの腕の中に収まっていた。 「私は、ヨシヒコを誰にも渡したくなかった。どんな形でも、自分のものにしたかったのだ。だがヨシヒコは、私には魅力を感じてくれなかった。セラム、私は本気でヨシヒコを婿にしようと思っていたんだぞ。本当は、他の女などヨシヒコに近づけたくはなかった。それでもセラム、お前にならヨシヒコを任せてもいいと思ったのも本心だ。お前は、私にとって大切な妹のようなものなのだからな」  マリアナにそこまで言われ、セラムは何も言わないことへの罪悪感に押しつぶされそうになった。 「マリアナ様。私は……」 「いい、今は何も言わなくてもいいんだ。お前が、何の理由もなく私に黙っているはずがないだろう。だから、話せる時に話をしてくれればいいんだ」  だからと、マリアナはセラムを抱く腕に力を込めた。 「二人でいる時は、もう少し私に甘えてくれ」 「もったいないお言葉です……」  それでもマリアナの言葉が嬉しくて、セラムは両腕をその逞しい体に回した。そしてセラムの頬には、綺麗な涙が伝わり落ちていた。  二人が酒を酌み交わしたと言う知らせは、間違いなく吉報と言っていいものだろう。それをネイサンから受け取ったジェノダイトは、早速マツモト夫妻を執務室へと呼び出した。ヨシヒコとアズライトの関係が認められた以上、家族を含め形を整えておく必要があったのだ。  緊張して執務室に現れた二人に、ジェノダイトは笑みを浮かべて「楽にしなさい」と命じた。そして用意されたソファーに二人を座らせ、自分もその反対側に腰を下ろした。その時の二人の格好は、ヒトシはグレーのスーツで、チエコは紺の制服姿だった。チエコの方は、統合司令本部から直接顔を出していた。 「まず嬉しい知らせだ。君たちのご子息は、無事皇帝聖下との対決を終わらせた。断片的に入ってきた情報だが、双方潰れるまで酒を酌み交わしたと言うことだ」  状況が見えないと言う問題はあるが、それでも安心できる情報に違いない。ほっと胸をなでおろして顔を見合わせた二人は、「ありがとうございます」とジェノダイトに頭を下げた。最低最悪、一族揃っての粛清まで覚悟したことを考えれば、ジェノダイトは間違いなく恩人だったのだ。  そして自分に礼を言うマツモト夫妻に、ジェノダイトもまた「感謝する」と言って頭を下げた。それに驚くマツモト夫妻に、ジェノダイトは真面目な顔でマツモト家の貢献の大きさを口にした。 「センテニアルからここまで、あなた方家族はテラノに大きく貢献してくれた。私個人も命を救われたし、ドワーブもまた命を救われている。そしてご子息を失った後の混乱は、あなたが居なければ乗り切ることは出来なかっただろう。だから私は、あなた達夫妻にお礼を言わせていただくのです」  もう一度ありがとうと頭を下げたジェノダイトに、「総領主様」とヒトシは静かに声を発した。 「以前にもお話させていただいた通り、妻も息子も、与えられた使命を果たしただけです。ですから、お礼ではなく「よくやった」と褒めていただければ結構です。それが、爵位を持たれる方と庶民とのケジメだと思っています」  なあと夫に顔を見られ、チエコは大きく頷いてみせた。 「私は、このような重要な役目に着かせて頂いて感謝をしています。そしてジェノダイト様のお陰で、息子の命を救うことが出来ました」 「それが、私達夫婦にとっての真実なのです」  だからこそ感謝をするし、感謝をされるものではないとヒトシは繰り返した。 「それでも、私は人としてあなた達親子に感謝をしている」  そう答えたジェノダイトは、「待ってくれ」と何か言いかけたヒトシを止めた。 「気に入らないところはあるだろうが、私の気持ちを受け入れてはいただけないか?」  総領主にそこまで言われれば、いつまでも固辞すると言う訳にもいかない。顔を見合わせた二人は、「もったいないお言葉です」とジェノダイトに返した。  それを承諾と受け取ったジェノダイトは、次の懸案事項にとりかかることにした。アルハザーとヨシヒコの和解が成立した以上、決めておかなければいけない問題があったのだ。 「潰れるまで酒を酌み交わしたと言うことは、ご子息は皇帝聖下に認められたのだろう。そうなると、次の問題が浮上してくることになる」 「アズライト様とのことですね……」  何しろアズライトのお腹の中には、息子との子供が育っているのだ。それを考えれば、二人の関係が問題となってくる。だが問題の所在は理解できても、どう解決していいのかチエコにも分からなかった。 「アズライト様は、次の皇帝になられるお方だ。そしてご子息は、アズライト様の夫となることだろう。それは、私の知る限り、過去に例の無いことでもある」 「息子が庶民であることが問題となりませんか?」  剛毅なことだと言っては見たが、冷静に考えてみればあまりにも問題が大きすぎたのだ。この決着をどうつけたらいいのか、ただの庶民に解決できる問題ではない。そしてジェノダイトにとっても、解決が困難な問題に違いなかった。 「一番の問題は、過去に例がないと言うことだ。なぜなら、そんな不遜なことを誰も考えもしなかったからでもある。だから、どうすべきと言う指針すら存在していない。これが爵位だけの問題なら、私の養子にすれば事足りただろう。ただ、それをするには、彼はあまりにも有名になりすぎてしまった」  皇帝にすら恐れられた庶民、そしてアズライトとの悲恋は帝国内にあまねく広まってしまったのだ。しかもテラノとグリゴンから始まった新しい動きの立役者ともなれば、帝国内で知らない者はいないと言われるほどになっていた。その事実があるから、ヘタに形を整えることは、逆にヨシヒコの価値を貶めることになってしまう。庶民であるからこそ、ヨシヒコの価値は高くなっていたのだ。  ただ有名になりすぎたと言われても、マツモト夫妻には実感の沸かないことだった。それもそのはずで、庶民にまで落ちてくる話ではなかったのだ。それどころか、上位の伯爵及び侯爵ぐらいしか知らない情報でもあった。だからマツモト夫妻が知らないことも、事情を考えれば不思議なことではなかった。 「ヨシヒコは、そんなに有名になってしまったのですか……」  だからこそ、このヒトシの言葉に繋がることになる。その問いかけに、ジェノダイトはしっかり頷いた。 「アズライト様がご懐妊されたことは、侯爵、伯爵であれば知らない者は居ないだろう。そしてご子息との関係は、悲恋の物語として広まっているのです。帝国皇女と辺境惑星の庶民との恋愛は、悲恋であるからこそ人々の心に深く刻まれた。そして不死鳥のごとく復活したことで、物語は新たな展開を迎えることになったと言う事です。私の養子にすると言う事は、その物語をつまらないものに書き換えてしまうことになる」  ヨシヒコが、庶民だからこそ価値が出てくる。ジェノダイトは、だからこそ難しいと口にした。 「とは言え、皇帝の夫となる彼の家族が、辺境惑星の一庶民のままで居るのも問題なのだ」 「息子は息子、私達は私達だと思っているのですが……」  そう答えたヒトシも、ジェノダイトの言いたいことは理解していた。爵位を持ちたいなどと一度も考えたことはないのだが、それが許されない状況になろうとしていたのだ。息子の立場を考えれば、気楽な庶民で居るわけにもいかないのだろう。  だが息子が皇帝の夫となった場合、その親はどのような立場になればいいのか。前例がないと言うことは、この決定がその前例を作ることにもなる。 「子供が皇帝の配偶者となった場合、爵位が上がるのがこれまでの通例だ。今の皇妃殿下のご実家は、三等侯爵から二等侯爵に昇格されている。過去の例を持ち出すのなら、皇配の実家はいずれも侯爵の位を持っていた。それに照らし合わせるのなら、最低でも三等侯爵の位を用意しなくてはならなくなる。だが子爵程度ならいざしらず、侯爵に叙するのは私の権限でも出来ないのです」  それが悩ましいとこぼすジェノダイトに、マツモト夫妻はしっかりと顔を引き攣らせた。形を整える必要性は認めはしても、自分達が侯爵になるのは違うと思えてしまうのだ。 「ジェノダイト様、それは本当に必要なことなのでしょうか?」  チエコの不安そうな顔など、滅多に見られるものではないだろう。だが本来めでたい話にもかかわらず、チエコ達の顔は少しも喜んではいなかった。ここに来て恐ろしくなったと言うのが、一番気持ちを正確に表すものだった。 「正直に言うと、それすら分からないと言うことになる」  だから困ったのだと、ジェノダイトはもう一度吐き出した。マツモト夫妻を呼び出しては見たが、結局どうしたら良いのかはっきりしなかったのだ。色々と問題が起き、それがようやく片付いたと思ったのだが、最後に残された問題もまた、厄介極まりなかった。 「ご子息が戻られたら、相談してみることにしましょうか」 「息子も、こんなことは想定していなかったでしょう」  すべてが初めてづくしであり、そして想定すらしていなかったことなのだ。しかもしきたりに近いこととなると、息子の能力も期待できないだろうとヒトシは考えた。  そして想定していないと言うヒトシの言葉を、ジェノダイトも肯定した。そもそも、こんなことを想定できる方がどうかしているのだ。ただそうなると、この先どうしていいのか分からないと言う問題が残ることになる。「どうしますか」と質問を投げかけるのは、ある意味責任放棄に違いないのだろう。 「どうすると言われても」  明らかに困った顔をして、ヒトシは助けを求めるように横に座る妻の顔を見た。だがチエコにしても、どうしようもないことは存在していたのだ。 「なるようにしかならない……今は、そう申し上げるしか無いと思います」  結局、具体策など出てくるはずがないのだ。本当にどうしたらいいのか、それが分からず3人は途方にくれることになってしまった。 「ならば、今は問題の提起のみ行い、後は官僚に任せるしか無いと言うことか……」  しきたりのことなら、彼らが一番頭を悩ませる事だろう。婚約の儀から婚姻の儀まで、全てを取り仕切るのは皇帝付きの官僚たちなのである。どうしたいと言う希望がないのであれば、彼らに頭を悩ませてもらうしかない。  明らかに責任の放棄なのだが、今はそれぐらいしか出来ないとジェノダイトは開き直ることにした。  足りない部分を食べようと考えていたヨシヒコだったが、残念なことにそれをすぐに断念することになった。自分に縋り付くアズライトに、何を優先すべきかを考えなおしたと言うことだ。そして自分自身もまた、アズライトと一緒に居たいと言う気持ちを押さえられなくなっていた。  そんな事情もあり、ヨシヒコはアンハイドライトに後を任せアズライトと共に奥の間に消えて行った。1時間後には戻ってくると聞かされたのだが、多分無理だろうとアンハイドライトはこれからの予定を考えることにした。加えて言うのなら、この場におけるイレギュラーへの対応を考える必要があったのだ。 「彼は食事と言ったのだが、時間も時間だからお茶を楽しむことにしようか」  皇族の中に一人残され、シオリが心穏やかでいられるはずがない。しかもシオリには、ヨシヒコに言い寄ったと言う負い目もあった。知らないこととはいえ、次期皇帝アズライトの夫となる相手に、散々高圧的に命令をしてしまったのだ。彼女の立場を考えれば、大きな問題になるのは目に見えていた。  それもあって、シオリははっきり言って生きた心地がしなかった。ここで卒倒しなかったのは、それをしたら終わりだと言う強迫観念が理由となっていた。そんな事情を抱えるシオリとは裏腹に、兄妹の二人は至ってのんびりとしていた。 「私としては、軽く摘まめる方が良いのですが?」  お茶と言う兄に、アリアシアは「空腹ですから」と言って笑った。 「実は、目が覚めてからまだ何も口にしていませんの」 「もう、昼過ぎなのだが……」  ヨシヒコに呼び出されたとは言え、それまで一体何をしていたのか。一体目覚めたのは何時なのか。はあっと息を吐き出したアンハイドライトは、「リリ」と自分のアバターを呼びだした。今更小言を言っても仕方がないと、現実的な対応をすることにしたのだ。 「軽食を用意するよう申し付けてくれ」  そうやってアバターに命じたアンハイドライトは、「さて」と口にしてシオリの方を見た。環境整備が終わったので、次はこの場におけるイレギュラーへの対応である。  すでに皇帝と話をしているので、ヨシヒコの復活を隠す必要性は消滅している。だが彼が次の皇帝に決定したことは、まだ明かすことのできないものだった。ただこの状況を説明するのに、避けて通ることのできない問題でもある。アズライトとの関係だけなら誤魔化すことも可能なのだが、その場合アリアシアとの関係に説明がつかないのだ。もっとも、そこまで頭が回る状態かというのは極めて疑わしかった。 「オデッセア三等侯爵、君は彼から何か聞かされているのかな?」  それもあって、アンハイドライトはシオリの理解を質すことから始めた。余計なことを話さない、そして矛盾したことを話さないために、必要な手順を踏もうと言うのである。  だがシオリが口を開こうとした時、「いや」と言ってアンハイドライトは手で遮った。 「その前に、なぜ君が彼と一緒にいたのか。その理由から教えてくれないか?」  まともに考えれば、あり得ない組み合わせなのは間違いない。だが偶然とは言え、シオリはヨシヒコと行動を共にしたのだ。まずその偶然から確認しておく必要があると、アンハイドライトは考えなおしたのである。  相手が皇族だと考えれば、正直に話していいのか疑問に感じてしまう。だが虚偽を口にした場合、それが発覚した時オデッセア家は存続の危機を迎えることになるだろう。どちらも問題なのだが、よりどちらの問題が軽くなるのか。働かなくなった頭を懸命に使い、シオリはアンハイドライトへの答えを考えた。 「今日は、クレスタ学校の集まりは休みと言うことになっていました。それは、毎日顔を合わせるのではなく、自分の考えをまとめる必要があると言うクレスティノス三等子爵の意見からです」  頭を悩ませた結果、シオリは本当に初めから事情を説明することにした。 「私達の検討は、帝国の新しい動きにどう対処をしていくのか。初めは、アズライト様との関係だけに絞っていました。その時には、皇帝聖下との関わりを誰も考えていませんでした」  皇帝を蔑にすると口にするのは、アズライトにならいざ知らず、他の皇太子、皇女の前でするものではない。当然シオリもその意味は理解していたが、今の精神状態は隠し事ができる物ではなかった。隠し事をした途端、説明に矛盾が生じてしまいそうだったのだ。 「クレスティノス三等子爵がアズライト様の名代となりテラノを訪問した際、私たち検討メンバーはそれぞれ実家に戻っていました。そしていずれの実家からも、皇帝聖下を蔑にした不明を責められました。そしてテラノから帰ってきたクレスティノス三等子爵も、方針の変更として皇帝聖下を検討に加えることを打ち出しました。それが、一昨日のことでございます。それをアズライト様にお伝えした後、昨日はどう検討を進めるべきか、5人で話し合いを行いました」  シオリがそこまで話をした時、アズライトの側仕えがお茶とサンドイッチのような軽食を持って部屋に入ってきた。だがシオリは、それにも気づかず話を進めた。 「それが、現時点でのクレスタ学校の検討状況です。そして人間関係を申し上げると、私たちのグループは殿方が2名、そして女性が3名の5名で構成されています。そのうちの女性2名は、伴侶の候補としてクレスティノス三等子爵に思いを寄せていました。そのうちの一人が、この私でございます」  二人の顔を見ることもできず、シオリは俯いたまま言葉を続けた。相変わらず顔色は悪いし、恐怖からか唇も小刻みに震えていた。 「ですがクレスティノス三等子爵は、私ではなくティアマト三等侯爵を選びました。私は、思いを口にする機会すら与えられず、身を引かざるを得なくなったのです。そのせいで、今日は朝から何も考えることができませんでした。自分の何が悪かったのか、殿方にとって私には魅力がないのか、一人になった途端、そればかりが頭の中でぐるぐると回っていました。本来自ら検討を進めるための時間が、全く意味のないものになっていました」  相変わらず顔を上げないシオリの前で、アンハイドライトとアリアシアは盛大に苦笑を浮かべていた。特にアリアシアには、他人事とは思えない悩みだったのだ。おかげで、シオリに対して強い同情を感じたぐらいだ。 「朝から塞ぎ込んでいた私に、側仕えの一人が気分転換に散歩をしたらどうかと勧めてきました。そのまま家に籠っていても仕方がないと、その勧めに従い私は散歩に出ることにいたしました。その際アバターから忠告を受けたので、私は出会いが仕掛けられているのだと予想をしました。殿方とほとんど話をしたこともない私ですから、失意もあってその出会いに期待する気持ちが生まれていたのです。そして期待を胸に森に入ったところで、ヨシヒコ様に私は出会いました」  ヨシヒコとカニエの関係を知る二人にしてみれば、それがどのような結果は考えるまでもないことだった。そして続くシオリの言葉は、二人が推測した通りのものだった。 「そこで私は、一目でヨシヒコ様の虜になりました。ですが、最初に出会った時、ヨシヒコ様は私を無視して通り過ぎて行かれました。両親が仕組んだ出会いなのに、どうして無視をされるのか。私の何が悪いのか、それが分からなくて、そして悲しくてヨシヒコ様を呼び止めてしまいました。そしてヨシヒコ様が庶民だと聞かされた私は、それを幸いと思い、三等侯爵家の立場を利用し自分のものにしようと考えたのです。誰にも仕えていないと言う答えに、私は神の思召しに感謝をしたぐらいです」  あまりにも予想通りの説明に、アンハイドライトは質問を口にしなかった。ただ「続けるように」と命じ、シオリの説明に耳を傾けた。 「屋敷に連れ帰った私は、無理やり食事に誘い、酒を飲ませてベッドに連れ込もうと考えました」 「彼の見た目が、気に入ったと言うことかな?」  初めて口を開いたアンハイドライトに、シオリは正直に「その通りです」と答えた。 「それが理由であることを否定は致しません。ですがヨシヒコ様と話をしていて、見た目以上の価値があることに気が付きました。ただの庶民と言う立場とは裏腹に、私達など比べものにならないほど帝国の情勢に通じられていました。そして私達が考えたこと、それを帝国の情勢から正しく推測され、さらに先に進んだ意見を口にされました。それを伺った時、私はヨシヒコ様が庶民であると言うのを忘れました。クレスティノス三等子爵と比べても、すべてにおいてヨシヒコ様が勝っているのだと気付いたのです。ですから私は、三等侯爵家の娘と言う立場も忘れ、ヨシヒコ様を真剣に欲したのです。そんな私を、ヨシヒコ様は会わせたいお方が居ると外に連れ出してくださいました」 「そして、今に至ると言うことだね」  アンハイドライトの問いに、「その通りです」とシオリは俯いたまま答えた。結局説明を続ける間、シオリは一度も顔を上げなかった。それを見たアンハイドライトは、隣で苦笑を浮かべたままの妹に意見を求めた。 「アリアシア、君も共感するところがあったのではないのかな?」 「そうですね、とても他人事とは思えないお話でした」  そこで一つ息を吐き出したアリアシアは、「顔を上げなさい」とシオリに命じた。その命令で顔を上げたシオリだったが、目を伏せたまま視線をアリアシアに向けなかった。 「オデッセア三等子爵に問います。あなたは、彼が何者かを理解しましたね。そしてその上で、どうしたいと思っていますか?」 「どうと、言われましても……」  問いかけの意味を理解できなかったのか、シオリの言葉には戸惑いが含まれていた。 「それを口にすること自体、不遜なことだと思っています。私がどうしたいのではなく、ヨシヒコ様がどのようにお考えになるのか。私の立場では、それ以上のことを申し上げる訳にはまいりません」  皇族と三等侯爵家の関係を考えれば、シオリの答えは何一つとして間違っていないと言えるだろう。ただシオリは忘れているのだが、この時点においてヨシヒコは皇族ではなかったのだ。そしてその事実を、アンハイドライトが口にした。 「オデッセア三等侯爵。君は、一つ大きな勘違いをしてるんだよ。確かにアズライトのお腹には、彼の子供が育っている。そして聖下が許した以上、アズライトは彼を夫にすることだろう。だがその手続きが始まるまでは、彼はテラノの一庶民であることに変わりがないのだ。もちろん、責任を考えれば彼がアズライトを妻にしないと言うのは許されることではないのだろうね。ただそれにした所で、聖下が彼の命を奪おうとしたことを理由にすれば、アズライトも強く主張できないことなのだよ。何しろ彼の身分は、帝国法で守られているからね」  それが建前であることは、アンハイドライトも承知して口にしていた。そしてシオリは、建前であるのを指摘する代わりに、二人の気持ちを答えとして持ち出した。 「アズライト様とヨシヒコ様を見ていれば、それが意味の無い仮定だと私にも理解できます」 「そうだね、確かに二人は愛し合っているのだろう」  それを認めたアンハイドライトは、「オデッセア三等侯爵」ともう一度シオリに呼びかけた。 「君は、一人の女性として何を願うのかな?」 「それを口にすることは、私には許されておりません」  あくまで立場を持ち出すシオリに、アンハイドライトは小さく息を吐き出した。ただそれを指摘しても仕方がないと、別の質問をすることにした。 「では、君はこれからどうするつもりかな。ここに残るのも、ここから帰るのも自由にしていいのだが?」  ヨシヒコに連れてこられはしたが、もはや自分のことを気にしているとは思えない。それを考えれば、ここに残ると言う答えはあり得ないものだった。そしてここに残ったとしても、もはや立場から外れたことをできるはずがなかったのだ。 「お許しいただければ、屋敷に戻りたいと思います」  その答えに頷いたアンハイドライトは、「リリ」と彼のアバターを呼びだした。 「彼に、オデッセア三等侯爵を帰していいか確認してくれ」  「それは」と言いかけたシオリを制止し、アンハイドライトは必要な確認であることを説明した。 「君を招いたのは彼だからね。だから、一応確認をしておく必要があるんだよ」  その程度だとアンハイドライトが答えた時、アバターが目の前にポップアップしてきた。 「ヨシヒコ様からです。すぐにおいでになるので、それまで待たせておいて欲しいと言うことです」 「意外に早かったな……」  時間を確認したら、本当に1時間しか経っていなかったのだ。部屋に消えるときの様子を見たら、今日は顔を出さないのかと思ったほどだ。 「よくアズライトが満足しましたね」  アリアシアの疑問に、彼女のアバター、ライエが答えを示した。 「どうやら、アズライト様はお休みになられたようです」 「泣き疲れた……もしくは、気が抜けたと言う所かしら?」  どちらもあり得ることだけに、アンハイドライトは「多分」と肯定だけをした。そしてシオリに、もう少し残るようにと指示を出した。 「聞いての通り、すぐに彼が戻ってくる。申し訳ないが、それまで大人しく待っていてくれないかな」  それを命令だと理解し、シオリは「仰せの通りに」と大人しく従うことにした。アズライトが次の皇帝だと考えれば、ヨシヒコの立場は誰よりも高くなっている。今は一庶民だとしても、もはや自分の命令できるような相手ではなくなったのだ。だからシオリは、自分の責任の取り方を考えていた。知らないこととは言え、自分のした事は十分に不敬罪に当たると理解していたのだ。  ヨシヒコが戻ってきたのは、それから10分ほど過ぎてからの事だった。濃紺のポロシャツに着替えて現れたヨシヒコは、シオリに失礼をしたと謝った。ただヨシヒコとしては、当たり前の謝罪のつもりだったが、受け取る方からしてみればとんでもない話しである。 「ヨシヒコ様っ。もったいないお言葉をっ!」  申し訳ありませんと頭を下げたシオリに、ヨシヒコは小さく息を吐きだし「シオリ様」と呼びかけた。 「シオリ様は、私が招待したお客様ですよ。そのお客様に失礼をしたのですから、謝罪をするのは当たり前ではありませんか? ああアリアシア、ありがとう」  お茶を持ってきたアリアシアに礼を言い、ヨシヒコはもう一度シオリに視線を向けた。その視線から避けるように顔を伏せ、シオリは立場が違うのだと答えた。 「ヨシヒコ様は、アズライト様の夫となられるお方です。すなわち、皇帝聖下の夫となられるお方なのです。帝国に於いて聖下は唯一無二の存在。従ってその夫君も、唯一無二の存在と言うことができます。私のような、地方星系の三等侯爵家の娘とでは、立場と言うものが違います」 「なるほど、立場ですか」  シオリの言葉に頷いてから、ヨシヒコはもう一度「シオリ様」と呼びかけた。それでも顔を上げないシオリに、ヨシヒコはあの時の言葉を持ちだした。 「あなたは三等公爵家の令嬢としてではなく、あなたの気持ちで私を欲しいと仰った。そして私との縁を切らないため、こうしてここまで一緒にやってきた。それは言葉だけで、やはり三等公爵家と言う家のためと言うことですか?」  改めて聞き直されたシオリは、消え入りそうな声で「それは違います」と答えた。 「私はあなたに心を奪われ、本気であなたを欲しいと願いました」 「だとしたら、俺はあなたを許しますよ。そもそも、俺はシオリ様に自分がただの庶民であるとしか教えていません。シオリ様は、三等公爵家令嬢として当たり前のことをしただけです」  そう口にした所で、ヨシヒコは違うかと自分の言葉を訂正した。 「とても、三等公爵家の令嬢とは思えないことを仰りましたね」 「それは、もう、言わないでください……」  顔を伏せたまま答えるシオリに、これ以上は無理かとヨシヒコは見切りをつけた。そしてその代わり、黙って聞いていたアンハイドライトに、これからの予定を伝えることにした。 「オデッセア三等侯爵家ご令嬢には、明日また出なおして貰うことにする。その時には、クレスティノス三等子爵達にも顔を出して貰う。時間は、そうだな、夕食前がいいだろう。少し話をしてから、彼らを夕食に招待しよう。シオリ様、明日もご足労いただけますか?」  直々のご招待だと考えれば、断ることなどあり得ないだろう。シオリは顔を伏せたまま、「仰せのとおりに」と答えた。結局最後まで、シオリはヨシヒコの顔をまともに見てくれなかった。 「では、申し訳ありませんが今日はお帰りいただけませんか?」 「はい、いつまでも居座りましたことをお詫び致します」  立ち上がりはしたが、相変わらずシオリは顔を伏せたままだった。さすがに問題のある態度なのだが、それを指摘しても仕方がないとヨシヒコは諦めていた。 「アンハイドライト様、誰かに送らせてください」 「早速手配致しましょう」  ヨシヒコの指示に、アンハイドライトはリリを呼び出しシオリを案内する者を手配した。 「ではシオリ様。また明日お会いしましょう」 「本日は、失礼いたしました……」  すぐに現れた側仕えは、こちらにと言ってシオリを案内していった。結局シオリは、まともにヨシヒコの顔を見ないで出て行ってしまった。  困ったものだとため息を吐いたヨシヒコは、拘っていても仕方がないと明日からのことをアンハイドライト達に説明した。 「アズライトだが、明日の午前に子供を外部子宮に移すことにした。その時には、シルフィールを立ち会わせることにする」 「彼女を呼び寄せますか?」  それはと苦笑を浮かべたアンハイドライトに、同じようにヨシヒコは苦笑を返した。 「俺の恩人には違いないからな。このまま置き去りにしたら、さすがに恩知らずと言われるだろう」  だからだとシルフィールのことを終わらせたヨシヒコは、明日以降のことに話を進めた。 「アズライトの体調を見てから、一度地球に連れて行く。ただ、その前にグリゴンのドワーブ様に挨拶をしていこうと思っている。俺が今こうしていられるのも、ドワーブ様が助けてくださったからだからな」 「ならば、アルタイル号の準備をいたしましょう」  それでいいと頷いたヨシヒコは、次にアリアシアの顔を見た。 「アリアシア、お前はどうするつもりだ?」  アンハイドライトは、ジェノダイトの所に養子に出ている。すでに手続きは済ませてあるので、地球に行くことはおかしなことではなかった。地球を出るときには、すぐに帰ってくると言い残していったぐらいなのだ。だがアリアシアの場合、立場的に難しいところがあった。何しろアルハザーの決定は、まだ公にされたものではなかったのだ。  だがそんな事情は、アリアシアにはどうでもいいことのようだ。そして他人行儀な言い方をするヨシヒコに、冷たいのではないかと文句を言った。 「なぜ、一緒に来いと仰ってくださらないのですか?」 「まだ、立場が微妙だからな」  そう答えてから、まあいいかとヨシヒコは開き直ることにした。 「アリアシア、お前も地球まで付いて来い。ただし、そのまま居つくことは許可しないからな」 「アズライトはどうするのですか?」  自分を追い返すのなら、アズライトはどうするのか。アリアシアの問いに、ヨシヒコは「同じだ」と答えた。 「お前たち皇女は、そうそう地球にいていいはずがないだろう。お前とアズライトは、挨拶をした所でリルケに帰れ」 「筋から行けばそうなのでしょうが……」  不服そうにしたアリアシアだったが、すぐに仕方がないと溜息を吐いた。 「その代わり、いつまでも待たせないでください。そうでないと、すぐに押しかけていきますからね」 「多分、さほど待たせないとは思うが……」  そう答えてみたが、何をどうすればいいのかヨシヒコにも分かっていなかった。それでも、地球にいてできることは限りなく少ないことは分かっている。 「たぶん、地球に残ることは自己満足がほとんどなのだろうな」  ヨシヒコに顔を見られたアンハイドライトは、「恐らく」と言ってその言葉を認めた。 「聖下は、一日も早くリルケに来ることを望まれているでしょう」 「それもどうかと思うが……」  求めるのが物語だと考えると、すんなり事が運ぶのを喜びはしないだろう。それを考えると、トラブルがあった方が喜ぶに違いない。 「それなりの対処が必要ということか……」  うむと考えたヨシヒコは、アルハザー好みの方策を探った。そのまま準備を終え、リルケに来るのは当たり前過ぎたのだ。その必要性は認めるが、それだけでは変わっていくことを帝国内に示すことは出来ない。 「それは、おいおい考えていくことにするか……」  帝国内で芽生えた新しい動きを、どう軌道修正をしていくのか。自分の身の振り方は、その修正にも関わってくるはずだ。それを考えれば、ありきたりのことだけをしていてはいけないのだろう。そして拙速に決めることは、不必要に歪を大きくすることにも繋がってくる。  それを考えると、さすがだと思えてしまうのだ。やはり皇帝というのは一筋縄でいかない相手だと、改めてアルハザーをヨシヒコは評価した。 「1万の星系に1万の領主が居ると言うことか……」  種として10種しかいなくても、多様性は10種では収まってくれない。自分の落とした小さな水滴の波紋の広がりがどうなったのか、それを確かめておく必要が有るのだろう。そしてその波紋が広がった先には、予想もしないことが起きているのかもしれない。 「スタッフを集めるか……」  帝国の全てに責任を持つのが皇帝の役割だが、かと言ってすべてに直接手を下せるはずもない。大きく動き出した帝国を制御するためには、優秀な手足が必要になるのは間違いないだろう。それをこれから求めることになるのだが、役割を考えたら困難を極めるのは想像に難くなかった。そもそも誰を集めればいいのか、そのあてすらヨシヒコは持っていなかったのだ。今の官僚を利用する方法もあるのだが、それでは何も変わらないと考えていたのだ。  そして翌日、ヨシヒコは朝早くからアズライトの処置に立ち会っていた。そしてヨシヒコの隣には、夜のうちに呼び寄せられたシルフィールが立っていた。処置自体皇族づきの医師が行うため、特にシルフィールに出番があると言うことはない。その場にいて何かをすることもないので、リルケにおける常識をヨシヒコに説明していた。 「元々は、母体への負担を減らすことが目的だと聞いています」  ヨシヒコに説明をするシルフィールは、今までに無く緊張をしていた。処置を受けているのがアズライトと言うのも理由の一つだが、それ以上に大きかったのは皇帝の決定を教えられたことだ。ヨシヒコに聞かされた時には悪い冗談だと思ったのだが、アンハイドライトとアリアシアの二人に肯定されればそうも言っていられない。どうしてそうなると思いはしたが、受け入れるほかは無いと開き直ったのである。 「明確にいつ始まったと言う記録は残っていません。ただ民間にまで広がったのは、この500年ほどのことでしょう。切開をして胎児を取り出すのですが、その方法自体は年を追って進歩しています」 「地球とは比較にならないと言うことか……」  処置自体は見ることが出来ないのだが、使われている機械があまりにもシンプルなものだったのだ。馬鹿でかく、そして複雑な機械を使わないことで、逆に技術力の差を教えられた気持ちになっていた。 「そうですね。ただ、皇族の場合民間と比べても進んだ技術が用いられています。具体的に言うと、取り出すのではなく、人工子宮に転送するようです」 「……どう、違うのだ?」  結果は同じに聞こえるのだが、シルフィールはそれを敢えて別のものとして口にした。それを気にしたヨシヒコに、「存在の確率場を操作した」ものだと説明した。 「それはですね、もともと胎児が人工子宮に居たと言う状態を作り出すと言うことです。だから切開する必要もないので、アズライト様の体に負担は掛かりません。ただ胎児が居たと言う事実までは消せませんので、ホルモンバランスを含め元に戻るのには時間がかかります。多めに見積もって、およそ1ヶ月程度と言うところでしょうか」 「具体的に、何が問題となるのだ?」  それが分かれば、何に気をつければいいのか理解できる。アズライトを気遣ったヨシヒコに、「そうですね」とシルフィールは少し説明を考えた。 「一番大きいのは精神的なものでしょうか。今までお腹に子供が居たのですから、それがいなくなればどうしても不自然さを感じてしまいます。それ以外は、次の子供を作る準備が整うまでの時間と考えていただけばいいでしょう」  今までとは違い、シルフィールの言葉遣いは丁寧なものになっていた。ただそれも、ヨシヒコの立場を考えれば不思議なことではないはずだ。 「ところでヨシヒコ様。これから私は、どうしたら……痛いんだけど!」  自分の身の振り方を聞こうと思ったら、いきなりげんこつの洗礼を受けてしまった。油断していたこともあり、シルフィールは地を出してヨシヒコに文句を言った。 「なに、急に態度が余所余所しくなったからな。ちょっとそれを注意しただけのことだ」 「そう仰りますが、ヨシヒコ様は皇帝になられる……やめていただけませんか?」  再び手を振り上げたヨシヒコに、頭を抑えてシルフィールは文句を言った。 「お前の言っている立場が正しいのなら、まず殴られるところから始めなくてはいけないはずだ。そしてその上で、お願いと言う形をとらないといけないだろう」  上げた足をしっかりとったヨシヒコは、「堅苦しくする必要はない」とシルフィールに命じた。 「お前は、皇帝の話が出る前から一緒に居る。これから俺の前に来る奴らとは、そもそもの立場が違っているんだ。だからシルフィール、お前には今まで通りの態度を取ることを許してやる。いや、命令してやると言った方がいいか?」 「二人の時はいいのですが、周りの目が怖そうで……」  そう答えたシルフィールは、仕方がないと一つため息を吐いた。そして半歩ヨシヒコに近づき、左腕を抱え込んだ。いつも誘惑するときのように、胸の膨らみをしっかりと押し付けた。 「それで、私の立場はどうなるのですか? 私も、後宮に繋がれることになるのですか?」 「その辺り、いくつか誤解があるとしか思えないのだが……」  何をやっているのか分からない作業を横目に、ヨシヒコは自由になる右手で口元を隠した。 「あれから調べてみたのだが、後宮と言うのは状態のことを言うのであって、必ずしも女性を集める場所のことは指していない。だから、お前を繋いでおくと言う話にはならないだろう」  それが一つと、ヨシヒコは右手の人差し指を立ててみせた。 「それ以前に、どうしてお前を後宮に繋がなくてはいけないのだ? そこの所を、俺に教えてくれないか?」 「なぜと言われれば……一応傷物にされたからですけど。その、傷物にしてくれましたよね」  だからですと、シルフィールは抱えた腕に力を入れた。女性的魅力を強調しようとしたのだが、はっきり言ってそれは無駄な努力にしか過ぎなかった。 「シルフィール、そのまま顔を左の方に向けてみろ」 「左、ですか?」  言われたとおりに左を見たら、笑っているアリアシアと目が合ってしまった。それだけでも気持ちが萎えるところに、何故かアリアシアは腕を組んで胸元を強調してくれたのだ。立場を持ちだされるのより、シルフィールにはその攻撃の方がよほどダメージが大きかった。 「これが、残酷な現実と言うものですか……」  はあっとため息を一つ吐いて、シルフィールは抱えていた腕を放した。そして一歩分、ヨシヒコから遠ざかった。それを待っていたかのように、アリアシアが二人の間に割り込んできた。 「お邪魔をしましたでしょうか?」 「別に、そんなことはないのだがな」  特に表情も変えず、ヨシヒコはシルフィールに声を掛けた。 「これは、まだ終わらないのか?」 「え、ええと、その、あの……エリオ!」  肝心の部分が見えていないので、シルフィールはエリオに情報を求めた。そして主の呼びかけに応え、シルフィールのアバターが姿を表した。 「すでに処置は完了しています。5分ほどすれば、お子様の姿を見せていただけるそうです」  エリオの答えに、「だそうです」とシルフィールは報告を省略した。 「それで、アズライトは?」 「着替えてからご一緒されるそうです。10分ほどお待ちいただければと言うことです」  「だそうです」と、もう一度シルフィールは報告を省略した。それを手抜きとは思ったが、影響はないかとヨシヒコは気にしないことにした。 「ならば、アズライトを待って子供と面会しよう。それからシルフィール、お前も付いてくるんだぞ」  どうしてと言いたい所だが、ここで逆らうことに意味があるとは思えなかった。見えないようにため息を吐いたシルフィールは、「分かりました」と命令に従うことをヨシヒコに示した。 「アリアシアには、一つ用事を申し付けていいか?」 「なんなりと」  その答えに小さく頷き、ヨシヒコはオデッセア三等侯爵家令嬢シオリのことを持ちだした。 「恐らく、今日の会合に顔を出していないはずだ。屋敷にこもりきりになってるだろうから、先にここに連れてきてくれ」 「そう言うことですか」  なるほどとヨシヒコの腕を放したアリアシアは、「ライエ」と自分のアバターを呼び出した。 「オデッセア三等侯爵家令嬢がどうしているのか報告しなさい」 「しばしお待ちを」  呼び出されたアバターは、くるりと一度円を描くように顔を動かした。 「どうやら、部屋にこもりきりになっているようです。加えて、オデッセア侯がセレスタを出発されたようです」 「なるほど、大事になっていると言うことですね」  報告に頷いたアリアシアは、確かに自分が行った方いいことを理解した。皇女自ら動くことで話は更に大きくなるのだが、手間を掛けないという意味なら一番いい方法でも有ったのだ。 「それでヨシヒコ様。彼女を後宮に加えるのですか?」 「どうして、二言目には後宮と言う話になるのだ?」  なんだかなぁと嘆くヨシヒコに、アリアシアは帝国における常識を持ち出した。 「皇帝となる者が特定の女性の面倒を見ると言うことは、そのような意味を持つと言うことです。ヨシヒコ様にそのおつもりが無いのは理解していますが、周りの受け取り方は違ってきます。私が行くことで、オデッセア侯もそう受け取られることでしょう」  なるほどと頷きかけたところで、ヨシヒコは説明の前提に間違いがあることに気が付いた。アリアシアの説明には、まだ公にされていない部分が含まれていたのだ。 「おい、俺が皇帝になることは公にされていないはずだろう」 「そう言えばそうでしたね。ですが、間もなく公布されるのではありませんか? お父様のことですから、さほど時間を置くとは思えません」  ヨシヒコの抗議を認めた上で、意味がないとアリアシアは答えを変えた。次期皇帝の話が明確になった時点で、過去に遡って事件が検証されることになると言うのだ。それを指摘されれば、確かにそうだとしか答えようがなくなってしまう。 「俺は、後宮を持つつもりなどなかったのだがな。お前には、無理やり押し切られてしまったと言うか。罠に嵌められてしまったのだが……これ以上、増やす必要はないと思うのだが?」  一般庶民として生きてきたヨシヒコにしてみれば、夢はあっても現実的なものではなかったのだ。責任上アリアシアを受け入れることになったのだが、それにしても自分の望んだことではなかったはずだ。 「無理やり私を奪っておきながら、そう言うことを仰いますか?」  事象だけを指摘したアリアシアは、おほほと口元を手で隠して笑って見せた。 「お父様でもそうなのですが、皇帝にとって一番の弱点は後継者の問題なのですよ。ですから、子供は多い方が、そして血の多様性がある方が好ましいのです。各星系の公式行事のことを考えれば、一族の数も求められることになります。1万もの星系があれば、年に1度の行事にしても1日平均で30カ所と言うことになります。実際にはもっと行事はありますし、移動の時間も考えれば、少数では対応することは不可能なのですよ。しばらくはシリウス家の係属で賄うことができますが、すぐにマツモト家で対応しなくてはならなくなります。ですから、ヨシヒコ様にはとても多くの子が望まれているのですよ」 「そんなものは、シリウス家を活用すればいいことだろう」  反発したヨシヒコに、アリアシアは「甘いですね」と口元を隠して笑った。 「帝国200兆の人民を管理する行政機構を甘く見ないことです。彼らを蔑にすると、ヨシヒコ様の望まぬ混乱を生むことになるでしょうね」  アリアシアの言葉が正しければ、行政機構からも「後宮」を強いられると言うことになる。やめてくれと嘆いたヨシヒコに、手遅れですとアリアシアは言い放った。 「なぜアズライトが反対できなかったのか、これでその意味がお分かりいただけたでしょうか? これは、夫婦の問題ではなく、統治に必要な皇帝の義務と言うことなのですよ。バランスをとるためにも、各星系から最低一人は後宮に入れる必要が出てくるのでしょうね」  そこでしきたりを変えると主張できなかったのは、ヨシヒコが帝国のすべてを理解できていないことも理由にあった。理解できていれば、着地点を探り出す可能性も残されていたのである。そしてもう一つヨシヒコが強く出られない理由は、しきたりを変えることによる混乱は予定外と言うこともある。ただでさえ混乱が見込まれているのに、不必要に混乱を拡大させるわけにはいかなかったのだ。 「なるほど、机上の空論と言われるはずだ……」  一辺境惑星の庶民と皇帝では、初めから見ている世界が違い過ぎたと言うことだ。ただ単に立場を入れ替えた以上の意味が、ヨシヒコが皇帝になることで生まれてしまった。それを意図したアルハザーは、伊達に問題児と言われていないと言うことだ。 「それで、お前は俺にどうしろと言うのだ?」 「私の答えは、すでに申し上げた通りです。子供を産む負担を考えたら、さすがに何十人も産もうとは思えません。後宮を持たないと言うことは、私やアズライトにそれだけの負担を強いると言うことなのですよ」 「ものすごく前提からおかしい気がするのだが……」  アリアシアの言うことを真に受けていいのかと言う疑問はあるが、話半分に受け取っても大変なことに違いない。ただ全部でまかせと言いきれないとヨシヒコ自身感じていることだった。後宮の人員を増やしても、アリアシアには良いことは無い筈なのだ。 「ま、まあ、急ぐことは無いのだろう……たぶん」 「それで、オデッセア三等侯爵家令嬢はどうします? 家柄からすれば、問題の起きにくい相手だと思いますよ。世間知らずであるのは侯爵家令嬢に共通することですし、田舎っぽいのはこれから磨けばいいだけのことです。それとも、不遜を働いたと言うことで消し炭にしてきますか?」  これでと言って、アリアシアは薬指のラルクを差し出して見せた。確かにラルクを使えば、人一人ぐらい消し炭にするのは難しくないだろう。 「頼む、そう言う寝覚めの悪いことは止めてくれ」 「アズライトにしたことを考えれば、大したことではないと思いますよ」  ほほほと笑ったアリアシアは、「一任ですね」とヨシヒコの顔を覗き込んだ。 「大丈夫です。ヨシヒコ様のためにならないことは致しませんから」  やはり皇族と言うのは性質が悪い者なのだ。アリアシアを見て、つくづく問題が大きいとヨシヒコは思い知らされた気持ちになっていた。ただ救われるのは、問題が自分の下半身にまつわることに絞られていると言うことだろうか。普通の家庭に生まれてきたヨシヒコには、まだまだ経験が不足しているのは間違いなかったのだ。 Last Chapter  先日押し掛けたこともあり、アズライトからの召集は寝耳に水の物となっていた。一番事情に通じていると自負するカニエにしてみても、緊急招集を受ける心当たりが無かったのだ。それでもアズライトに呼ばれた以上、予定を変えてでも馳せ参じる義務が生じる。その事情は、他の4人にしても変わりのない物だった。  そこで一つだけ問題があるとすれば、メンバーの一人オデッセア家令嬢シオリが体調不良の連絡を受けていたことだった。こちらもまた、普段のシオリを見れば信じられないことでもあった。 「カニエ、何か事情を聞いているのか?」  メンバー全員に呼び出しがかかったのだから、出席できる4人揃って顔を出す必要がある。カニエの屋敷に集まったところで、アイオリアは呼び出された事情をカニエに問いただしてきた。そしてその気持ちは他の二人にも共通するようで、ヴィルヘルミナとカスピも不安そうな視線をカニエに向けていた。 「いくらなんでも、私がすべて分かるとは思っていただきたくないのですが……ロマニアで何か動きが無かったかを調べたのですが、特に何も動きは出ていません。アンハイドライト様のことにしても、私が帰ってくる前の話です。唯一可能性があるとすれば、アンハイドライト様が妻となる女性、すなわちアセイリア様を連れて来たことでしょうか。テラノとの関係から、私達に紹介してくれると言うのが唯一あり得ることなのですが……」  ううむと唸ったカニエは、「その程度だ」と白旗を上げた。3日前に謁見した時には、その気配すらなかったのだ。常に情報に気を配っているカニエだからこそ、逆に情報が無ければ何もできることは無かった。 「確かに、これからの検討を考えれば、アセイリアと言う女性と会うのは優先順位が高いと言えるだろうな」  集まりの方針として、テラノを巻き込むことをアズライトの前で宣言しているのだ。その意味では、テラノのキーパーソンと会うことへの重要度は限りなく高くなってくる。それを考えれば、急な呼び出しも確かに不思議ではないのだろう。 「オデッセア三等侯爵のことは、偶然と考えればいいのか?」 「それなんだけどね」  アイオリアの疑問に、ちょっとと言ってカスピが割り込んできた。 「あくまで噂のレベルだけど、オデッセア家で騒ぎが起きていると言う話よ。どこまで本当か分からないけど、ご当主自らリルケに向かっているらしいわ。カニエ、あなたが何かしたんじゃないの?」 「何かと言われても……」  そこで顔を見られたヴィルヘルミナは、「あり得ませんね」と自慢気にカスピの推測を否定した。 「一昨昨日から、私はカニエと一緒に居ましたから」 「まあ、隠すことじゃないと言うのは分かるけどねぇ。でも、自慢気に言うことでもないと思うよ」  二人の関係は、この際考慮の対象から外していいのだろう。ただそうなると、シオリの変調理由に予想がつかなくなってしまう。 「ひょっとして、本当に体調を壊した?」 「それこそ、伝言以上の情報が無いのだがな」  カニエが苦笑を浮かべたタイミングで、彼のアバターメルがポップアップして現れた。 「お迎えがお見えになったようです」  なるほどとカニエが頷いたのに少し遅れ、執事のバルボアが部屋のドアを叩いた。 「アズライト様の使いの方がお見えになりました」 「すぐに出かけると伝えてくれ」  結局人員の補充もしてないので、家臣はバルボア夫妻の二人から増えていなかった。それでも回っているのは、仕事が少ないのが理由となっていた。 「では、出かけることにいたしましょう」  他の3人の顔を見たカニエは、その表情から自分の表情を想像することができた。記憶にない緊急呼び出しは、それだけ重大な事態だと自分を含め全員が意識していたのだ。  これまでの経験で、カニエの所に迎えが来るのも初めてのことだった。それだけ特別なのだと緊張が高まる中、一行を乗せたカーゴはアズライトの休息する別邸に到着した。こちらにどうぞと案内する使用人に臆しながら、カニエ達一行は緊張を隠せないまま謁見の間へと案内された。  そこで最初のイレギュラーとして、カニエ達は垢抜けた格好をしたシオリに出会うことになった。ただ見た目は磨かれたシオリなのだが、唇は紫色になり、顔色はこれ以上ないほど青ざめていた。シオリの顔色に全員が体調が悪いと言う欠席理由に納得した。  そして次のイレギュラーは、反対側に並べられた椅子の数だった。そこに並べられた椅子の数は4。その数が正しければ、アズライト以外にも3人がこの場に加わることになる。椅子の並びを考えると、いずれもアズライトに並ぶ立場を持っていることになる。 「アズライト様とアンハイドライト様、それにアセイリア様と言うことか?」  だとしても、椅子が一つ余ることになる。だが初めに予想した理由からすれば、加わる二人はアンハイドライト達でなければおかしい筈だ。  カニエの呟きに、「おそらく」とヴィルヘルミナは小さな声で相槌を打った。その言葉に少し遅れ、「待たせましたね」とアズライトが入ってきた。3日ぶりのアズライトの変化に、ひょっとしてと4人はそのお腹の膨らみを見た。その視線に気づいたアズライトは、まず自分の変化から説明をした。 「今朝、子供達との対面を済ませましたよ。身軽になりましたので、私も公務に戻ろうかと思っています」  そう言って微笑みながら、アズライトは用意された真ん中にある席に座った。そして今まで以上に曇りのない顔を、集まった5人に向けてくれた。今まででもアズライトは別格の美しさを持っていたが、それ以上があることを4人は思い知らされた気がしていた。 「それはおめでとうございます」  三等子爵と格は下でも、この集りにおいてはカニエが代表となる。5人を代表してお祝いの言葉を口にしたカニエは、「それで」と緊急に呼び出された理由を口にした。 「アンハイドライト様から、何かお話があると言うことでしょうか?」 「そうですね。あなた達にとっては、とても大切なことだと思っていますよ。もう少し正確に言うのでしたら、帝国にとって重大な話と言うことになりますね」  アズライトの言葉に、全員がごくりとつばを飲み込んだ。元とは言え、継承権第一位を持つ皇太子と、次の皇帝になると噂されるアズライトが揃うのである。その場で話される話ともなれば、確かに帝国に影響する話であってもおかしくはない。 「帝国にとって重要な話……ですか」  緊張するカニエ達に、アズライトは曇りのない笑みを浮かべて頷いた。そして、自分にとって一番大切なことを付け加えた。 「それ以上に、私にとって大切なことをお知らせしようと思います」 「アズライト様にとって、でしょうか?」  子供の顔を見たこと以上に重要なことがあるのか。驚いた顔をしたカニエ達に、アズライトは「はい」と元気よく答えた。その態度自体、今までにない物に違いない。ただその理由となると、カニエ達には全く想像がつかなかった。  普段にない子供っぽい表情を浮かべたアズライトは、その口からさらりと重大な決定を口にした。 「そうですね、取り掛かりとして私の身分についてお話をします。たぶん噂で聞いていたと思いますが、聖下からは次の皇帝として私が指名されていました」  これまでは噂でしか語られていないことを教えられ、カニエ達ははっきりと驚いた顔をした。だが続いたアズライトの言葉は、その驚きすら意味の無いものに変えるものだった。 「そして先日、その決定が白紙に戻されました。そして私には、皇妃として新しい皇帝に連れ添うようにと指示されました」 「ちょっ!」  アズライトの御前とは言え、さすがにその知らせはインパクトが大きすぎた。思わず腰を浮かしたカニエ達に、アズライトは「落ち着きなさい」と笑いながら声を掛けた。 「しかし、これは落ち着いていられる話ではないのですが……アズライト様は、それで宜しいのですか?」  アズライトの顔を見れば、何も問題が無いようにも見える。だが、皇帝との確執を考えれば、笑いながら話せるような話ではないはずなのだ。しかも、皇帝になる話を白紙に戻され、意に沿わぬ相手と夫婦になれと言うのだ。今までのアズライトを知っているだけに、とてもではないが受け入れられる話ではなかった。 「ええ、私はお父様の決定に感謝をしていますよ。それから言い忘れていましたけど、まだ公布前のことを教えています。ですから、ここで聞いた話を外でしてはなりませんよ」  いいですねと念押しをした時、アズライトの隣にアバターがポップアップしてきた。 「準備ができたようですね。それでは、私の夫となる人を紹介します」  つまり、次の皇帝となる人物が現れると言うのだ。予想もしない展開に、カニエ達4人は緊張からつばを飲み込んでいた。そしてただ一人シオリだけが、顔を伏せたままさらに顔色を悪くしていた。 Episode 7 end...