星の海の物語 Episode 4 A tale of the way to tragic love Chapter 0  いつもの朝食の場で、アルハザーはアズライトを利用することを妻に伝えた。突然の話に驚く妻に、アルハザーは楽しそうに「利用するんだよ」と繰り返した。 「確か、アズライトはこっそりとテラノに向けて出発しましたね。その足でテラノの者を連れてグリゴンに行くはずですが、それがどうかなさいましたか?」  もともと予定通りの行動なのだから、今さら教えて貰うようなことは無い。そのつもりで答えたトリフェーンに、アルハザーは「ちょっとした演出だよ」と種を明かした。 「僕の一存で、その中にジェノダイトを加えておいたんだ」 「相変わらず、ジェノダイト君はあなたにいじられるのね」  可哀想にと同情した妻に、アルハザーは偉そうに胸を張って見せた。 「まだまだ、楽にさせてはいけないからね。それに、彼には色々と言っておかなければいけないこともある」 「結構、根に持っているのですね」  まったくと小さくため息を吐いた妻に、アルハザーは「知らなかったのかい」ととぼけて見せた。 「彼は、僕の大事な友達だからね。僕たちのせいで嫁を迎えていないのなら、ちゃんと責任をとる必要があるだろう? 何しろ僕は、彼から君を取り上げてしまったんだ。まったく、自分の迂闊さが嫌になってしまったよ。教えられるまで気付かなかった自分が、本気で情けなくなってしまったんだ」 「それで、どこまでご理解できたのですか?」  平然と受け止める妻に、さすがだなとアルハザーは感心していた。そして、だからこそ自分に相応しいのだと、改めて惚れ直していた。 「ジェノダイトがセレスタに行った時、彼を監禁したのは君だったと言うことだ。そして君は、帝国第9大学入学のため、ロマニアにあるプリスクールに入学している。そこから僕に出会うまでの間、君たちの間に何もないと考える方が不思議と言うものだよ」 「そうですわね。あの頃は、本気でジェノダイト君の妻になるつもりでしたよ」  素直に白状した妻に、アルハザーは大きく頷いた。 「だから、アズライトには彼をリルケに連れて来て貰おうと思っているんだ。なに、どうせアセイリアとか言う娘を連れて来るのだろうから、そのついでと言うことだよ。久しぶりに3人で語り明かすと言うのもいいと思ったんだよ。そこでジェノをいじめるのは、とても楽しそうだからね。それに、彼には提案したいこともあるんだ」 「提案と言って、また何かを押し付けるおつもりですか」  呆れた顔をしたトリフェーンは、普通なら疑問を感じる決めつけをした。 「本当に、あなたはジェノダイト君が大好きなんですね。それで、何を提案されるおつもりですか?」  それがろくなことでないのは、普段の夫を見ていれば分かる。ただそれが何であれ、大したことは無いとトリフェーンは高をくくっていた。 「彼がひとり身でいるのは、僕たちの責任だと言っただろう。アシアナ一等侯爵家のために、少しばかりお節介をしようと考えているんだよ」  ああと小さく首肯したトリフェーンは、そのものズバリの答えを口にした。 「うちの子供を、ジェノダイト君の所に養子に出すの?」 「それが、考えたお節介の一つであるのは確かだね。僕と彼の関係なら、別におかしなことではないと誰もが考えることだろう。なにしろ、皇帝の座は一つしかないからね。残る4人には、身の振り方を考えてもらうことになるんだ。だったら、ジェノの所に行ってもいいとは思わないか?」  とても乱暴、かつ本人の希望もへったくれもない決めつけなのは違いない。ただそれを受け取ったトリフェーンも、この手のことの常識に欠けた女性だった。 「そうね、今から子供を作って成長を待つのは時間が掛かりすぎるわね」  あっさりと認めたトリフェーンは、それでと先を促した。 「うちには5人子供がいるのだけど、あなたは誰を考えているの?」 「アンハイドライト、アリアシア、それにアズライトだよ。上の二人は、どうも皇帝になるには毒が無さすぎる。アズライトは、そうだな、意外にテラノに行くことに抵抗を持っていないことかな」  論評を含めた候補の名前に、トリフェーンは納得したように頷いた。 「ただ、アズライトはまだ保留した方が良さそうね。エヴィールとイスマリアがどう化けるか分からないし」 「ああ、今度のグリゴン行きを評価に加えようかと思っているよ」  テラノと言う素材をどう生かすのか。アズライトへの評価は、それを見極めてからでも遅くはない。その説明は、トリフェーンにも納得のいくものだった。 「思った以上に、テラノが効果的に働いてくれるわね。やっぱり、ジェノダイト君を行かせたのは正解だったと言うことね」 「ああ、君が考えた通りになってきたと言うことだ。やはりジェノは特別だったよ」  ますますテラノから目が離せなくなった。朝食に手も付けず、性悪夫婦はお互い含むもののありすぎる笑みを浮かべたのだった。 Chapter 1  ジェノダイトの所を出たその足で、アセイリアは新しい住まいへと向かった。距離的には目と鼻の先と言うこともあり、リハビリ兼散歩を目的にアパートメントまでは歩くことにした。 「本当に、太陽が久しぶりだわ……」  空を見上げれば、雲一つない透き通った青空が広がっている。季節は冬になろうとしているので、時折吹く風は結構冷たかった。その空気の冷たさもまた、アセイリアは心地よいと感じていた。 「確か、途中にショッピングモールが有ったわね」  退院して初めて食べる食事なのだから、それなりに奢ったものにしてみたい。モールにあるデリカテッセンを思い浮かべ、アセイリアは何にしようかと歩きながら考えた。視線の先にある通りは、並んだ銀杏の木は葉を落とし、歩道は黄色の絨毯を敷き詰めたようになっていた。その絨毯の上を、アセイリアは綺麗だなと感動しながら歩いていた。  海沿いの遊歩道を通り、古いレンガで出来た倉庫跡を覗きながら通り過ぎる。そこから少し海から離れると、昔からある小さな遊園地が目に飛び込んできた。この辺りにはホテルやショッピングモールが集まった、ちょっとした観光地になっていた。ただ目的のデリカテッセンは、もう少し歩く必要があった。楽しげに行き交う人達の姿を横目に、アセイリアはまっすぐ都市型ホテル街を抜けていった。 「こちらには被害が及んでいないのですね……」  YOKOHAMAパークの戦いは、多くの周辺のビルを破壊していた。避難が間に合わなければ、さらに多くの犠牲者を積み重ねていたことだろう。今は瓦礫処理の真っ最中と聞かされていたが、みなとみらい地区は平常営業をしているようだ。 「この景色を守れただけでもよしとしないといけないのですね……」  ぐるりと辺りを見渡すと、青い空に白いビルが綺麗なコントラストを作っていた。この辺りの銀杏は、まだ枝に黄色い葉っぱを残していた。青い空に白い壁、そして黄色い葉っぱが綺麗な景色を作り出している。そして視線を横に向けると、ビルのガラスに自分の姿が写っている。その姿を、アセイリアはじっと見つめた。  体の大きさは、女性として中庸というところだろうか。白いとっくりのセーターにこげ茶色のミニスカート、黒のストッキングが足元をシャープに見せていた。そして長い黒髪が、緩やかな風にサラサラと揺れていた。入院生活のせいで顔のシャープさが増した気がするが、十分に魅力的な女性がそこに立っていた。アズライトのおかげか、顔のどこにも傷は見つけられなかった。  しばらく窓に写った自分の姿を見つめたアセイリアは、小さくため息を吐いてから歩き始めた。色々と思うところはあるのだが、今は無事退院できたことを喜ぶしかない。一人飯は寂しい気もするが、それも自分の選んだ道なのだと。  そうやってビル街を抜けたところで、アセイリアは目的のショッピングモールへと到着した。今まで利用したことはなかったのだが、美味しいと評判のデリカテッセンがここに入っていたのだ。 「多分、家にはなにもないだろうから……」  すぐに旅に出るとは言え、多少は買い揃えないと生活が出来ない。着替えも買わなければいけないのは、はっきり言って面倒なことだった。通販で済ませるにしても、当座の分が無いと困ってしまう。仕方がないと、アセイリアは身の回りのものを買うことから始めることにした。お金は、ジェノダイトに用意させたIDを使えば困ることは無い筈だ。  ザイゲルに行くときは、領主府の制服を着れば事足りるだろう。船の中は、ラフな格好をしておけばいい。ただセンターサークルのメンバーも一緒なのだから、不用心な真似は避けなければならないだろう。  色々と考えながら買い集めたため、さすがに荷物を持ちきれなくなってしまった。カートで運ぶという手もあるのだが、それも面倒だと即配を頼むことにした。お陰で、両手いっぱいの荷物もすっきりと片付いてくれた。残った問題は、帰ってからの整理だろうか。 「あとは、お昼のごちそうを買っていけばいいわね……」  これで、出発までの生活はどうにかすることが出来る。ひとまず肩の荷をおろした気持ちになったアセイリアは、1階のフードフロアへと降りていった。 「やっぱり、買うものが沢山ありそうね……」  食品のストックなど、当然あるはずもないのだ。ただ1週間もしないうちに出発することを考えると、買いだめをしておく必要もないだろう。短期間なら、三食を外食で済ませてもいいぐらいだ。そう頭を切り替えて、最低限の買い物に絞ることにした。今日のランチと飲み物を少々、それで足りなければ、あとから買い物に出ればいいのだと。  何を買おうかカートを押しながら歩いたアセイリアは、少し前を歩く女性に目を留めた。背格好は自分と同じぐらいで、肩口で揃えられた綺麗な茶色の髪に見覚えが有ったのだ。ひょっとしてと後を追いかけたアセイリアは、それが勘違いでないのを確認して、目の前の女性、少女に声を掛けた。 「失礼ですが、セラムさんではありませんか?」  アセイリアに声を掛けられた女性、セラムは、いきなりのことに少しビクリと背筋を伸ばした。そして振り返った先に居た女性に、少し困ったような顔をした。 「あの、どちら様でしょうか?」  そのセラムの反応に、アセイリアは自分達が初対面だったことを思い出した。注意力が落ちていることを反省したアセイリアは、ひとまず名乗ることにした。 「いきなり声を掛けてすみませんでした。私は、アセイリアと申します。センテニアルの時に、マリアナ様に助けて頂いた者です」 「アセイリア……さん?」  主を知っていると言うのだが、それでもセラムにはアセイリアと言う女性に心当たりがなかった。綺麗な人には違いないが、だからと言って信用すると言うのは別のことだった。 「申し訳ありません。私は、アセイリアさんを存じ上げておりません」  セラムの様子に、アセイリアは失敗したかなと反省をした。自分が知っているからといって、相手が自分を知っているとは限らない。しかもセラムにとってマリアナは主なのだ。その名前を出すことで、余計に警戒されてしまったのだと。 「そうですか。それは失礼なことをしましたね。では、マリアナ様にお言付けをお願い致します。近々、先日お世話になったお礼に伺いますと。アセイリアで分かりにくければ、統合司令本部付きのアセイリアと言っていただければお分かりになると思います」 「統合司令本部のアセイリアさん……ですね」  胡乱なものを見る目をされ、アセイリアは少し落胆を感じていた。分かっていても、セラムの視線が堪えてしまったのだ。 「はい、そうお伝え頂けば結構です。こんな所でお呼び止めしたことをお詫びいたします」  ごめんなさい。頭を一つ下げて、アセイリアはセラムから離れた。そして棚の陰に入ったところで、小さく肩を落とすことになった。 「セラムさんが私のことを知らないのは分かっていたことなのに。声を掛けて、何をしたかったのでしょう」  まったくと小さくため息を吐いて、アセイリアは商品の置かれた棚に目をやった。水とかコーヒーとかを買っておけば、家に帰って困ることはないだろう。あとは、出来合いを買って帰れば、昼食の準備もそれで終わってくれる。 「何か、気分が滅入ってきました……」  勝手に落ち込んでいるのだから、誰のせいと言うこともない。いやだなと呟いたアセイリアは、デリカテッセンの方へカートを押した。キッシュとかミートパイとか、ハーブたっぷりのサラダとか、その手のものを買っていけば、それなりに豪華なお昼になってくれるに違いない。ただ、選びながらも寂しいなと思うようになっていた。  どれにしようかとガラスケースを覗きこんだところで、「アセイリア様」と焦ったような声が後ろから聞こえてきた。何事と顔を上げて振り返ったら、そこには息を切らせたセラムが立っていた。 「セラムさん、どうかなさいましたか?」  態度が変わったのは、間違いなくマリアナと話をしたのが理由だろう。もしかしたら、マリアナに叱られたのかもしれない。そう思うと、セラムに申し訳ない気持ちになってしまう。 「先程は失礼いたしました。知らぬこととは言え、マリアナ様の恩人に大変失礼な真似をしてしまいました。本当に、申し訳ありませんでした」  よほどきつく言われたのか、セラムは泣きそうな顔していた。こうなると、本当に自分が悪いことをした気持ちになってしまう。 「いえ、気にしないでください。セラムさんが私のことを知らないのは当たり前のことですからね」  いいんですよと笑って、アセイリアはガラスケースへ視線を戻した。そんなアセイリアに、セラムは遠慮がちに声を掛けてきた。 「その、少しお時間を頂いて宜しいでしょうか?」 「急いでいませんから、別に構いませんよ」  やらなければいけないことと言えば、即配した荷物を受け取ることぐらいなのだ。それを考えると、本当に急ぐ必要はどこにもなかった。お昼にしても、外で済ませても問題は無かったのだ。 「でしたら、マリアナ様からアセイリア様をご招待するようにと言付かっています。お礼も兼ねて、お昼をご一緒いただけないでしょうか?」  なるほど急ぐはずだと、アセイリアはセラムの行動を理解した。そしてアセイリアには、招待を断る理由は無かった。 「ミツルギ男爵のご招待ですか。喜んでお受けいたしますとお伝え下さい」  ありがとうございますと頭を下げたアセイリアに、ようやくセラムの顔に笑みが戻ってくれた。 「で、でしたら、すぐに車を用意しますのでお待ちください」  安堵の表情を浮かべ、セラムはアセイリアを残して駆けて行った。お陰で、周りの人達の注目を集めるという罰ゲームがアセイリアを襲ってくれた。周りから向けられた視線に臆しはしたが、すぐに仕方がないかと忘れることにした。 「セラムさんって、ああ言う性格だったのですか……」  ふっと口元を緩めたアセイリアは、カートにいれた品物を棚に戻すことにした。これからご招待を受けるのなら、荷物と言ってもペットボトルの水がせいぜいだろう。 「でも、これで一人の食事からは解放されますね……」  それを嬉しいと感じるのは、人恋しくなっているからだろうか。カートを戻しながら、アセイリアはセラムが戻ってくるのを待つことにした。  ミツルギ家にとって、アセイリアはまさに恩人そのものだった。何しろセンテニアルでの功績を理由に、二等男爵への昇進が決まったのだ。そして、更には一等男爵への推薦状も出ていたぐらいだ。その意味で、ミツルギ家にとってアセイリアと言うのは三顧の礼を持って迎えてもおかしくない相手である。すべては、アセイリアがマリアナを重用してくれたことが始まりだったのだ。  ただ、二階級特進の裏には、上位の爵位保有者が全滅したと言う事情も大きかった。センテニアルの悲劇は、軍の再編に大きな影響を与えたのである。  どこから聞きつけてきたのか、昼食会にはマグダネル大将まで押しかけてきた。お陰で、昼食だけで終わるはずのパーティーが夕食時間にまでなし崩しのまま続いてしまった。それだけマグダネル大将の訪問は、ミツルギ家にとって張り切る理由になったのである。そしてマグダネル大将と懇意と言う事実が、さらにアセイリアの価値を高くしてくれた。  パーティー自体は悪くは無かったが、アセイリアには体力的な問題があった。やはり退院直後と言うのは、無理をするには問題が多かったのだ。連夜の徹夜に慣れたアセイリアだったが、夕食時間にはかなりぐったりとしていた。泊まって行ってはと言うお誘いは、色々と準備があることを理由にお断りをした。  ただ帰ろうとしたアセイリアに、マリアナはセラムを付き添いにすると申し出た。家事全般に精通したセラムなら、きっと役に立つと押し付けてくれたのだ。さすがに断ることではないと、アセイリアもマリアナに感謝をしてから、セラムと一緒に新居へと帰ってきた。そして片づけのほとんどを、セラムに任せてソファーに横になっていた。 「セラムさんに任せてしまって申し訳ありません」  家事全般に精通していると言うのは伊達ではなく、セラムは手際よく荷物を片づけて行ってくれた。それをソファーで見たアセイリアは、心からセラムに感謝の言葉を口にした。 「いえ、アセイリア様はマリアナ様の恩人ですから。それに、私もお手伝い出来て、その、嬉しいと思っているんです」  そうやって頬を染めるセラムは、アセイリアから見ても十分に可愛らしかった。そうやって見ると、二人きりと言うのはまずくないかと考え始めてもいた。 「でも、本当にアセイリア様は凄いんですね。爵位をお持ちでないのに、マグダネル大将閣下と懇意にされていました。アズライト皇女殿下のお命もお守りしたとか……そんなお方に名前を覚えて頂いて、私は本当に感激しているんです」  両手を胸元で握りしめたセラムは、きらきらと輝く目でアセイリアのことを見た。なるほど、自分は憧れられる存在なのだとアセイリアは理解した。 「そう言えば、セラムさんは皇女殿下の散策をご案内されたのでしたね」 「ご、ご存知でしたかっ!」  驚いた顔をしたセラムに、アセイリアは体を起こして「ええ」とにっこりほほ笑んだ。 「皇女殿下のお世話係に、マリアナ様を推薦したのは私ですからね。酷く落ち込まれていたので、心配していたのですよ」  落ち込ませた張本人は自分なのだが、そんなことを教えられるはずがない。ただ事実だけを、アセイリアは口にしたのだ。 「その、皇女殿下は……」 「元気にお帰りになられたと伺っています。ただ、私は入院していてお会いしていませんけどね。ジェノダイト様に教えていただきましたよ」  出てくる名前が、すべて庶民からは雲の上の相手ばかりなのである。爵位も持たない女性が、そう言った人達と親しく話をしていると言うのだ。その意味で、アセイリアはセラムにとって尊敬すべき相手になっていた。 「お元気になられたのですね……」  ほっと息を吐き出したセラムに、ありがとうございますとアセイリアはお礼を言った。 「マリアナ様やセラムさんのおかげだと思っています」 「い、いえ、私は大したことはしていませんから……」  そう言って持ち上げられると、どうしても恐縮してしまう。自分のしたことなど本当に大したことではなく、ただ居ただけと言うのがセラムの認識だった。 「いえ、お心の問題は、小さなことこそ大切なんですよ」  柔らかく微笑まれ、恥ずかしくてセラムはアセイリアから顔を逸らしてしまった。そして照れ隠しから、自分の整理している荷物のことを口にした。 「アセイリア様は、本当に体一つで投げ出されてしまったのですね。でも、YOKOHAMAパーク近くにお住まいとは存じませんでした」  新居に移ること。そして何一つとして身の回りのものが無いことを、先の事件を利用して説明していた。住んでいたところが戦闘に巻き込まれて瓦礫になった。身の回りのものが何もないことへの説明としては、色々と苦しいところはあるが、周りを納得させやすいものになっていた。 「身軽な独り身ですからね。利便性のいい所に住んでいただけです。ただ、今回はそれが徒になっただけですよ。おかげで、一から買いそろえなくてはいけなくなってしまいました」  ためしに食器棚を覗いてみたら、本当に何一つとして中身が入っていなかったのだ。当たり前だが、お風呂には石鹸の類も揃っていない。トイレットペーパーすらないのだから、本気で家具以外は何も揃っていなかったのだ。ベッドこそあったが、シーツや毛布もなかったぐらいだ。  だからセラムも、最初にそのことを気にした。このままだと、一晩生活するにも困ってしまうのは間違いない。 「本当に、今晩ここでお休みになられるのですか?」  色々と買い揃えてはあったが、一晩過ごすにはまだ不足しているように思えたのだ。いくら寒くはないと言っても、シーツもないベッドで寝るのは問題だと思ってしまった。 「そのつもりでしたが……いざとなったら、どこかのホテルに逃げ込みますよ。それに、徹夜も慣れていますから大丈夫です」  センテニアル前には、1週間ほど徹夜をした経験もある。それに入院中はずっと寝ていたのだから、睡眠だけは十分足りていた。 「でしたら、ホテルに泊まられた方が良いと思います。お部屋のことなら、明日も私がお手伝いいたしますから大丈夫です」 「お手伝いしていただくのはありがたいのですけど。そこまで甘えてしまってよろしいのですか?」 「はい、マリアナ様からはしばらく帰ってこなくてもいいと申し付かっています!」  ああ、またマリアナの策略か。セラムの言葉に、必死なのだなとマリアナのことを考えた。これからマリアナが地位を確保、そしてさらに向上させていくためには優秀な参謀が必要となる。自分を抱え込むことはできなくても、手伝わせることぐらいを考えているのだろう。何より自分との関係を強化しておけば、これから有利に運ぶことは目に見えていたのだ。  それにしても手駒が少なすぎる。何かと利用されるセラムに、アセイリアは同情もしていた。以前のことを覚えていないとは言え、毎度これでは可哀想としか言いようがなかった。 「帰らないと言うのは、ここに泊まると言うことを言っていますか?」 「退院されたばかりで、何かとご不自由されているのではありませんか。ですから、その、お世話ができればと……」  不自由をするのは間違いないし、誰かに世話をして貰えた方が楽なのも確かだ。そうは言っても、セラムをそばに置くのは、色々と問題が多すぎるのだ。 「色々と言いたいことは沢山あるのですが……セラムさん、あなたは気付いているんですよね?」  何をとは言わない問いかけだったが、セラムははっきりと頷いた。 「どうしてと言う理由までは分かりませんが、さすがに一緒に居れば分かってしまいます。もちろん、このことはマリアナ様にも教えてありません。他の人に口外するつもりはありませんので、ご安心ください」  セラムの答えも肝心なところをぼかしてたものだった。それに用心したアセイリアに、セラムは普段とは違う女の顔をしてみせた。 「あなたが、アズライト様が恋をされたヨシヒコ様なのですよね」  来るべきものが来たのか。まずいことになったと思いつつも、アセイリアはどこか安堵している自分に気づいていた。  アズライトがテラノからの連絡を受け取ったのは、最終ゲートを出てすぐのことだった。ここから先は、テラノまでは1日の距離が残されていた。 「それでマリーカ、小父様はなんと?」 「それは、こちらに」  アバターにデーターを投げられたアズライトは、すぐにアリエルにそれを表示させた。 「私達が近くにいることはばれているのね」  小さくため息を吐いたアズライトに、マリーカは申し訳なさそうに謝った。 「偽装は入念に行ったのですが。やはり、リルケからテラノに来る便が少なすぎたのが理由かと」 「多分、アセイリアが感づいたのだと思うわ。まったく、癪に障るほどこっちの動きを読んでくれるわね」  癪に障るが、ばれてしまった以上これ以上隠れておく意味はない。悔しそうな顔をしたアズライトは、マリーカに連絡を取るように命じた。 「テラノに、こちらの到着予定を伝えておきなさい」 「必要性が薄そうですが、公式には伝えておかないとまずそうですね」  さっそくと答えたマリーカは、一礼をしてアズライトの元を出て行った。それを見送ったアズライトは、さっそく選抜された人員を確認した。 「やっぱり、ヨシヒコの名前は無い……」  悔しそうにしたアズライトに、アリエルは「公式にはいないことになっています」とコメントした。その口調が同情的なのは、アズライトの心情を思いやったからだろう。 「私にばれているんだから、今さら隠す必要はないのに……」  そう悔しがって見ても、名簿にヨシヒコの名前が記載されていない事実に変わりはない。ジェノダイトを含めて総勢16名に及ぶメンバーの中には、どう見てもヨシヒコに該当しそうな男はいなかった。 「地上に降りられますか? 軌道ステーションからなら、単独で降りることも可能ですけど」  そうすれば、ヨシヒコを探しに行くことも可能となる。アリエルの提案に、アズライトは「絶対に無理」と答えた。 「降りてからヨコハマに行くだけでも、2、3日掛かることになるわ。それに、あのアセイリアが、それぐらいの対策をしないと思ってるの?」 「まさしく、アズライト様の天敵ですね」  時間の問題より、アセイリアを超えられないと言う説明の方に、アリエルは説得力を感じていた。センテニアルの時には、本当に何もできずに完封されてしまったのだ。しかも物理的拘束でなく、思いもよらない精神的に拘束を掛けてくれたのだ。それを考えると、今回もどんな対策をとるのか分かったものではない。天災皇女としては、あってはならない天敵を作ってしまったのだ。 「お楽しみは別にあるから、今回は我慢することにするわ。その代わり、アセイリアにはしっかり償いをしてもらうから……」  宇宙船に連れ込んでしまえば、あとは好きに料理することができる。グリゴンで苛めるか、さもなければリルケに連れ込むか。兄がリルケに居るのは確認してあるので、お手付きにしてやるのも面白いだろう。  絶対にただでは済まさないと、アズライトは仕返しの方法を真剣に考えた。アセイリアを認めているからこそ、何もしないと言うのは我慢が出来なかったのだ。 「ヨシヒコ……」  ドクの話に間違いなどあるはずがないから、自分はヨシヒコを非在化させていない。ましてや、砂袋に変えてなどいない。だから、あの時ヨシヒコは兵士に変装していなければ話が合わないのだ。人数的にも辻褄が合うのだから、これ以外の可能性は排除することができるはずだ。だとしたら、なぜ命令したのにヨシヒコを連れてこないのか。さらに言うのなら、どうして存在を抹消したままにしておくのか。その理由が、どうしてもアズライトには理解ができなかった。 「あなたは、私に逢いたくないの? アセイリアを性別転換させて、私の夫にしてもいいと思っているの?」  ねえと、アズライトは記憶の中に居るヨシヒコに呼びかけた。思い出に居るヨシヒコは、いつも予想外のことをしてくれるのだが、それ以上に自分には優しくしてくれたのだ。命がけで助けてくれたことは認めるが、アセイリアでは満たされないのだとアズライトは思っていた。そして何より、両親が自分とペアにさせようとしているのに気付いていたのだ。 「テラノに着いたら……」  今回のスケジュールは、軌道ステーションでメンバーを収容し、その足でグリゴンに向かうことにしている。ステーションまで上がってきてくれなければ、ヨシヒコに会うこともできないのだ。 「小父様を締め上げてでも、ヨシヒコのことを吐かせてやるんだ」  ドクの講義を聞いたのだから、ラルクの新しい使い方も問題はない。どんな拷問をしてやろうか。アズライトはジェノダイトの責め方を考えたのだった。  退院した翌日、アセイリアはホテルからジェノダイトの所に出勤していた。アズライトが来るのが分かった以上、統合司令本部に顔出しするより、そちらを先に片づけておく必要があったのだ。 「とりあえず、メンバーの選出は済ませたのだが……何かあったのかね?」  必要なことを伝えたその口で、ジェノダイトはアセイリアの変化に理由を求めた。前日に比べて、やけに表情がすっきりとしていたのだ。 「何かとは、どう言うことですか?」  ただいきなり何かと聞かれて、ピンと来いと言うのが無理な相談に違いない。なんですかと首を傾げたアセイリアに、ジェノダイトは真面目な顔で疑問の理由を説明した。 「昨日に比べて、何かを吹っ切った顔をしているからね。だから、何かあったのかと想像したのだが……確か、昨日はミツルギ家で御呼ばれをしたのだったな?」 「ええ、マグダネル大将も参加されましたよ。随分、マリアナさんのご両親には感謝されてしまいました。そのお礼なのでしょうが、セラムさんが泊まり込みで手伝いに来てくれています」 「セラム……」  はてと考えたジェノダイトは、すぐに誰だったかを思い出した。 「いいのか、彼女は……」  よりにもよって、一番アズライトと因縁の深い相手だったのだ。それを気にしたジェノダイトに、「ええ」とアセイリアはしれっと言い返した。 「彼女にはばれてしまいましたよ。まあ、私も安堵しているところがあるのでいいんですけどね。とりあえず、口止めをしておきましたから他の人にばれることは無いでしょう」 「そのあたりのことは、あまり詳しく聞かない方が良さそうだな」  間違いなく逆襲されるし、その時のダメージは自分の方が大きいのは分かっている。それを恐れたジェノダイトに、賢明な判断ですとアセイリアは笑った。 「おかげで、新居の鍵を渡すことになってしまいました。片づけを任せることができるので、その点では楽になったんですけどね。ただマリアナさんには、仁義を切っておかないといけませんね」  そのあたりは軽いジャブと、アセイリアは本題に移ることにした。 「皇女殿下がグリゴンに行くのは良いです。ですが、私達はグリゴンに行って何をするのですか? 皇女殿下は、私達に何をさせようと思っているのでしょうか?」 「帝国法は理解しているな?」  それぐらいならと、アセイリアは頷いて見せた。 「相手の保有戦力と同数での侵攻は、帝国法では違法とされていない。したがって、メインベルトへの侵攻については、グリゴンに責任を問うことはできないのだ。ただ、センテニアルにおける不特定多数への破壊活動は、帝国法にも禁止された物だ。したがって、この件については我々はグリゴンの責任を問うことができる」  当たり前の解釈に、アセイリアは小さく頷いた。そして頷いた上で、面白くない役目だと文句を言った。 「皇女様をバックにして、その責任をグリゴンに迫るのですか。必要性は認めますが、面白くない仕事だと思います。そしてこれが、テラノに対する聖下の出したテストだと考えると、間違いなく落第点になってしまう行動でしょうね」  アルハザーを落胆させると言う分析に、ジェノダイトははっきりと頷いた。 「ただ、彼を喜ばせてもあまりいいことが無いのも確かだ。期待に応えないこともまた、身を守るためには必要なことなのだよ。それにテラノの住人にしてみれば、グリゴンに言うことを言わなければ収まりがつかないだろう」  艦隊戦で圧倒したことで、多少溜飲が下がったと言うのは確かだろう。ただ艦隊戦で勝利したため、何らかの賠償をと言う意見も強くなっていた。その辺りをうまくガス抜きしないと、テラノ統治に影響が出かねない問題となっていた。 「人のお祝いをぶち壊した上に、5万人も死者を出してくれましたからね。私も、その責任ぐらいはとらせたいと思っていますよ。ただ、普通にしては、聖下が新たな手を打ってくる可能性があります。もう一つ言うのなら、グリゴンを味方にした方が都合がいいと思います」 「彼らを味方にする?」  予想外の言葉に、ジェノダイトは大きく目を見開いた。H種に対して、彼らは一方的に敵愾心を持っていたのだ。その相手を味方にすると言うのだから、ジェノダイトが信じられないのも仕方がないことだった。 「別に、驚くほどのことじゃないと思いますよ。種こそ違いますが、聖下にいじられる立場では同じですからね。センターサークルのメンバーには、ザイゲルとの好ましい関係を考えるよう指示を出すつもりです」 「彼らが、それを受け入れると思っているのかね?」  こちらに敵意は無くとも、相手はしっかり敵意を持っているのだ。長年にわたる敵意は、そう簡単に克服できるものではない。そしてザイゲルには、克服しなければならない理由もなかった。 「そのあたりは、いくらでもやりようがあると思いますよ。入院している間、分析する時間だけは沢山ありましたからね。もっとも、受け入れないのなら、皇女殿下をけしかけるまでです。あのお方には、報復をするだけの正当な理由と、それだけの権力がありますからね。何かの餌でも差し出さなければ、間違いなく天災以上の猛威を振るってくれるでしょう」  小さく噴き出し笑いをしたアセイリアに、ジェノダイトは「グリゴンに同情する」と吐き出した。 「同情する気持ちは理解しますが。地球の住人からすれば、八つ当たりをするなと言うのが正直な気持ちです。なにしろ100年前までは、地球は帝国になんら関わりが無かったんですからね。それなのに、皇帝とザイゲルの関係のせいで、地球が繰り上げで帝国に加えられてしまった。それだけなら文句をいう理由もないのですけど、必要のない脅威に晒されてしまうことになりました。一番同情されるべきは、この地球であることをお忘れなく」 「確かに、君の言う通りテラノは巻き込まれた側だな」  誰に一番迷惑が掛かっているかと言われれば、間違いなく地球だったのだ。それを認めたジェノダイトは、アセイリアの方針を認めることにした。住民に求められることを理解し、戦略的に何が有効かを考えているのなら、新しい枠組みに任せていいと考えたのだ。 「それで、君はどんな餌を皇女殿下に差し出すつもりだ?」  先ほどまでの話を聞いている限り、アセイリアはアズライトを止めるつもりでいることになる。その時の問題は、たとえヨシヒコを差し出しても、アズライトの行動を止めることができないことだ。 「皇女殿下は、間違いなく君への対策を練ってくるだろう。君に対する嫌がらせも考えているのは疑いようもない筈だ。前のような手が使えない以上、抑え込むのは難しいのではないか?」  同じ手が使えないことを考えると、対策も難しくなってくる。しかも今度は、相手のテリトリー入り込んでしまう。それを考えれば、ジェノダイトが不利だと言うのは間違いではないはずだ。 「今度は、正攻法で行くつもりでいます。どうするのかは、顔を見てから決めると言うのが正直なところです。そうですね、ジェノダイト様を参考にさせていただきたいと思っています」 「私に参考になるようなものは無いと思っているのだがね……いや、いい、説明は必要ない」  にやりと笑ったアセイリアに、ジェノダイトは慌てて説明を否定した。ジェノダイトは、これほど後の祭りと言う言葉を思い知らされたことはなかった。 「それで、いつまで君はそのままで居るのだね」  その質問に、アセイリアは少しも悩まず答えを口にした。 「ドッキリの種明かしは、殿下にお会いした時にするつもりです」 「なるほど、3日後には殿下が到着されるからな。時間的には、適当と言っていいのだろうな」  そう言うことですと頷き、アセイリアはジェノダイトの所を出て統合司令本部に行くことにした。センテニアルの朝以来顔を合わせていないので、余計な時間を使うことが予想できたのだ。だとしたら、できるだけ早いうちに顔を出しておいた方がいい。 「では、以前の無表情モードに戻りますのでよろしくお願いします」 「……器用だな」  顔の作りというか、人が変わったように見えるから不思議だ。顔から表情を消したアセイリアは、まるで精巧なドールの様に見えた。 「この辺りは、慣れというのが大きいと思います」  しかも声色も、硬質なものになるから不思議だ。これなら騙されてもおかしくはない。ジェノダイトは、センターサークルの男たちを哀れんだのだった。  総領主室から下に降りれば、統合司令本部の領域となる。総領主秘書として顔を出したこともあり、アセイリアの格好は上下紺のブレザー姿だった。ただ下は、スカートではなくズボンを着用していた。ブレザーの下は、スカーフをネクタイのようにしてブラウスの首もとを隠していた。  ここに来るのは1ヶ月半振りになる。懐かしいような気持ちでドアを開いたところで、アセイリアはクラッカーの洗礼を浴びることになった。あまりにも大勢がクラッカーを鳴らしたため、まるで一個大隊に斉射されたかのような派手な爆発音が部屋の中を包むことになった。  歓迎してくれるのは嬉しいが、それにしたところで限度というものがある。こめかみを指で押さえて、アセイリアは「お久しぶりですね」と頭を下げた。 「久しぶりも何も、ずいぶんと水臭いんじゃないのか?」  ボリスの文句に、アセイリアは普段通りに「そうでしょうか」と表情も変えずに答えた。 「昨日退院したばかりですから、これでも早く顔を出したつもりです」 「いや、俺達に面会の許可を出してくれなかったことだ」  そっちはいいと、マイケルがボリスの前にしゃしゃり出てきた。 「ああ、そうですね。ジェノダイト様に一任していましたので、忘れていました。やはり、頭を強く打ったことが良くなかったんでしょうね」  困ったものですと嘆いたアセイリアを、全員が狐につままれたような顔をして見た。 「皆さん、どうかなさいましたか?」  それを気にしたアセイリアに、アズガパはまだ信じられないような顔をして言った。 「いや、アセイリアが冗談を言うとは想像していなかったんだ」 「私は、一体どんな女に見られているのでしょうね……」  はっとわざとらしく息を吐きだしたアセイリアは、「頭を打ったのは事実ですよ」と答えた。 「本当なら、私は貴賓室で死んでいたはずですからね。私がここにこうしていられるのは、皇女殿下のおかげということです」  本当なら死んでいたと言うのは、カヌカとウルフが一番良く知っていることだった。確かにあの時は、勝利の喜びも消えてしまうほど悔しくて仕方がなかったのだ。 「でも、よくアズライト様が助けに来てくれたわね。ラルクだっけ、それを使ったと言うのはあなたが言ったとおりなんだけど」  アズライトとアセイリアの確執。正確に言うのなら、アセイリアに対するアズライトの一方的な敵意は彼らの中では知らないものの居ない話だったのだ。殺意さえ抱いていたアズライトが、事もあろうにアセイリアを助けたのだ。よほど自分で止めを刺すためかと、全員が想像したほどである。 「そのあたりのことは、そうですね3日後にははっきりすると思いますよ。もうみなさんは、グリゴン行きの話は聞かれているのですよね?」  グリゴンの名に、その場に居た者達の間に緊張が走るのが見えたようだ。アセイリアはそれを気にせず、「責任重大ですよ」と脅しをかけた。 「何しろ、宇宙を飛び回る天災が本領を発揮しますからね。グリゴンには抑えるすべがありませんから、どうなるかを見ておくのは重要な事だと思います。そして、なぜグリゴンがH種を敵視しているのか、その理由の一端に触れることが出来ると思いますよ」  にこりともしないで言われると、それが冗談を言っているのかどうか判断することが出来ない。困った顔をしたメンバーのうちの一人、イリーナは、「違うのでは?」とアセイリアに意見をした。 「センテニアルでテロを起こし、1万の艦隊で攻めてきた本丸に乗り込むんですよ。私には、その方がよほど重大なことだと思えます。それに、ここにいる者のほとんどは、この星ですら出て事がないのです。他の有人星系に行くのは、初めての経験なんです……それが、よりによってグリゴンだなんて……」  イリーナの意見は、他の全員の意見を代弁したものなのだろう。全員が、硬い表情で彼女の言葉に頷いていた。 「そうですか? 私は、グリゴンで良かったと思っていますよ」  それを大まじめに言うアセイリアに、全員が信じられないものを見る目をした。 「ところで、皆さんに質問があります。グリゴン行きに選抜されたことは、みなさんにとって迷惑なことですか? もしもそうなら、ジェノダイト様に上申してメンバーから外していただきます」  それは、地球を代表する意思があるのかという問いかけにも繋がる。アセイリアに視線を向けられた全員は、緊張からゴクリとつばを飲み込んだ。そして全員が顔を見合わせ、答えを相手に押し付けあった。  そしてそのせめぎあいに負けたマイケルが、仕方がないと一歩前に進み出た。 「正直言って、まだ頭が付いてきていない。いきなりグリゴンに乗り込んで、何をすればいいのか分かっていないんだ。そもそも、皇女殿下の話がなければ、俺達はグリゴンに行くと言うことはなかったはずだ」  マイケルの答えに、アセイリアは何もコメントを返さなかった。まだ他にも言いたいことがあるのだろう。マイケルは、そう突きつけられた気持ちになっていた。 「あとは、俺達で良いのかと言う気持ちもある。確かに各所から選抜されてきたが、俺達の役職はさほど高いものではない。その俺達が、皇女殿下のお供として付いて行っていいのか。それを不思議に思ってもおかしくはないはずだ」 「それを、皆さんが気にされているということですね」  全員の顔を見て、アセイリアは確認するように声にした。そして全員が頷くのを見てから、何か間違っていませんかと全員に問いかけた。 「そもそも、私に答えを求めるようなことではないはずです。皆さん忘れてらっしゃるかもしれませんが、私はまだ未成年なんですよ。年長者としても、もう少し自覚を持っていただきたいと思っています」  全員に向かって叱るようなことを口にしたアセイリアは、自分の方が問題だと更に続けた。 「私など、皇女殿下に名指しにされたのですよ。そもそもセンテニアルが終わったのだから、統合司令本部からも抜けるつもりで居たんです。私がジェノダイト様と約束をしたのは、皇女殿下を抑えこむことだけだったんですよ。それが、いつの間にかセンターサークルの仕切りまでさせられてしまった……」  ふっと小さく息を吐きだしたアセイリアは、もう一度全員の顔をゆっくり見渡した。 「愚痴を言っても何の解決にもならないのは確かです。そして、引き受けてしまった以上、最後まで責任をもってやり遂げないといけないのでしょう。ですから、ニシコリ少佐の疑問にお答えしたいと思います。まず悪い方のお話しからですが、みなさんの訪問先はグリゴンだけではありません。その辺りは巻き込まれたとしか言い様がないのですが、グリゴン訪問の後に、帝星リルケに連れて行かれることになります」  リルケに行くというのは、寝耳に水の話だったようだ。アセイリアがリルケ行きを持ちだした時、10人の間にはっきりと動揺が走った。 「どうして、俺達がリルケに行くことになるのだ?」 「私とジェノダイト様の巻き添えですね。ジェノダイト様は、皇帝聖下、皇妃殿下と親友でいらっしゃいます。これをきっかけに、お二方がジェノダイト様を呼び寄せようと考えたのでしょう」  それが一つと、アセイリアは言葉を切って全員の顔を見た。 「そしてもう一つが、アズライト様が私に仕返しを考えたのでしょう。そして話すと長くなるのですが、聖下が私とアズライト様を組み合わせようとお考えになったかと思います。だから、私までリルケに呼び寄せられることになった。そう言うことです。はい、カヌカさん質問ですか?」  全員が困惑の表情を浮かべる中、カヌカが小さく手を上げていた。 「どうして、アセイリアと殿下を組み合わせると言う話になるのですか?」  ジェノダイトの話は、言われてみればあり得ることだと理解できた。各領主は、皇帝から任命を受けて送り込まれる。その中でもH種の一等侯爵ともなれば、皇帝と繋がりが深いのも不思議ではないのだ。  だがアセイリアとアズライトの関係となると、どうしてという疑問が先に立ってしまう。その辺りは、皇帝の考えを分析しないと理解できないことでも有ったのだ。 「だから、話すと長くなると言って省略したのですが……そうですね、皆さんは皇女殿下を見て、「宇宙を飛び回る天災」だと思われましたか? 結果的に、名前倒れだと思われませんでしたか?」  振り回されたのは、結局香港とヨコハマの初日だけだったのだ。それ以外は、天災どころかどこにでも居る少女にしか見えなかった。ただ、それがアセイリアとどう関係してくるのか。それがまだ理解できなかった。 「アセイリアが抑えこんだから、聖下が興味を持たれたと言うこと?」 「答えとしては10点ぐらいですね。間違いではありませんが、本質からは遠い答えです」  とりあえず落第点を出したアセイリアは、自分の考える正答を口にした。 「入院している間に分析させていただいたのですが、今の聖下が皇太子の時にも、同じようなことをされていました。特にザイゲルに好んで行かれ、散々振り回して遊んでらっしゃったようです。宇宙の問題児と言うのが、その頃聖下が影で言われていたことです。そして皇妃殿下は、宇宙一の性悪と言われていたようですね。過去の皇帝を調べてみても、どなたも振る舞いに問題のある御方ばかりでした。さて、これで皇位を継承するための資格のようなものが見えてきませんか?」  アセイリアの問いかけに、言い出しっぺとしてカヌカが答えを口にした。 「問題児ってこと?」 「それも、とびっきりのです。その意味で、皇女殿下はご両親に期待されていたということです」  アセイリアの説明に、全員がなるほどと頷いた。 「つまり、今回のことは、皇女殿下の評判を下げたということか?」 「そうですね。誰も、天災と恐れなくなるのではありませんか? 立ち直られたようですが、それだけでは不足だと聖下はお考えになったのでしょう。だから、殿下を押さえ込んだ私に白羽の矢が立ってしまった。私からしてみれば、迷惑この上ないことなんですけどね」  皇女殿下のパートナーに選ばれたと考えれば、常識的に言えばとても名誉なことだろう。だが期待される役目を考えれば、アセイリアの言う「迷惑」と言うのはとても納得できることだった。  説明に納得しながら、全員が考えていたのは、結構適材だと言うことだ。正確なプロフィールは分からないが、どう見ても皇女殿下と同い年ぐらいに見えるのだ。今までこんな女性が埋もれていたことが、彼らにとって不思議でならなかった。ジェノダイトのとっておきと言うのも、実績が証明してくれていた。 「地球が自力でグリゴンに行くのではなく、皇女殿下の専用船が使われること。私達を帰さないためと考えれば、納得がいくと思いませんか?」 「それで、他の答えは?」  「まず悪い方から」と言われたのだから、良い方の話もあってしかるべきだ。カヌカの疑問に、アセイリアは少し考えてから「良い方」の理由を説明することにした。 「そうですね。地球を取り巻く環境を考えてみてください。今の私たちにとって、外的脅威はなんなのでしょうか?」  そう言って、アセイリアは宇宙軍所属のマイケルを指名した。 「ザイゲルと言うことになるだろうな……」  センテニアルでテロを起こし、さらには1万の軍艦を派遣してきたのだ。他の種とトラブルを起こしていないことを考えれば、ザイゲルを挙げるのは間違いではないはずだ。 「そうですね。真っ先にザイゲルが上がるのは間違いではないと思います。ただ、潜在的にはシレナと呼称されるC種、D種も脅威になるかと思います……正確に言うと、聖下がシレナを利用して私達にちょっかいを掛けようとしています」 「シレナ……特にトラブルを起こして居ないし、比較的友好的な関係を構築していると思うのだが?」 「そうね。シレナからはかなりの数の観光客が来ているわよ。特にトラブルが起きていると言う報告もないわね」  マイケルとカヌカの否定に、アセイリアは大きく頷いた。 「今は、と言う意味ならその通りだと思います。ただ、どうしてシレナからの観光客が多いのか考えたことがありますか? そもそも、観光客ならザイゲルからでも来ています。これまで、観光客がトラブルを起こしたと言う話はあまりありませんよね?」  なぜを突き付けられ、全員はもう一度その意味を自分に問いかけた。 「ただ単純に、構成比が大きいからじゃないの? C種とD種を合わせると、全体の37%に達するんでしょう?」  カヌカの意見に、アセイリアは小さく頷いた。 「一番合理的な説明だと思います。ただ、訪れる観光客の50%超がシレナからです。そして彼らは、訪れた時には必ず南の海に行っているんです。セラ、皆さんにシレナの環境条件をお送りして」  突然浮かび上がったアバターに、居合わせた全員が「えっ」と驚きの声を漏らした。 「分析のため、ジェノダイト様に貸与していただきました。皆さんにシレナの環境条件を送りましたが、それが聖下の考えた彼らへの餌の解答です」 「結構濁っているのね……そのあたり、少し意外と言うことかしら」  ディータの感想に、イリーナも同調した。 「自分たちの住環境だから、もっと気を付けているのかと思ったわ……」 「だが地球でも、大気汚染がひどかった時期があっただろう。それを思うと、あってもおかしくない環境ではある。なるほど、彼らには地球の海は魅力的に見えると言うことか」  そう言ったボリスに、「だが」とユーリーは疑問を呈した。 「ザイゲルのような真似をしたら、かえって損することにならないか? 環境管理を俺達にさせておいた方が、彼らにとって有益なはずだ」 「だが、地球に対してザイゲルがちょっかいを掛けてきている。相手は帝国の30%を占める多数種だ。そうなると、構成比では上回るシレナの動静が意味を持つことになる」  チャングの指摘に、なるほどと全員が頷いた。 「驚異の方向が違うと言うことか」  アズガパの言葉に、そう言うことになるとバロールは肯定した。 「俺達は、うまくやらないとザイゲルとシレナに振り回されることになると言うことだ」 「だけど、これが良い方の話になるの?」  カヌカの疑問に、アセイリアではなくマイケルが答えを口にした。 「今まで話をしたこともない相手と、直接話をする機会を得るんだ。それを考えれば、確かに悪い話ではないな。ただ、話の持って行き方が難しいと思っている」 「確かに、得体のしれない相手から、話のできる相手に変わるのは大きな意味があるな」  ボリスが肯定したところで、アセイリアが議論に割って入った。 「それもあって、皆さんに検討していただきたいことがあります。グリゴンとはどういう関係を築くのが好ましいのか。それを、今回の事件を忘れて考えていただきたいのです。そして事件のことは、私が利用させていただきます」 「確かに、これからどう付き合っていくのかを考えることは必要か……」  うむと考えたマイケルは、並んだ仲間たちの顔をぐるりと見渡した。 「それで、聖下への対策はどうするのだ? アセイリアの話を聞いていると、どうやら諸悪の根源は皇帝聖下と言うことになるだろう」  ちゃんと理解してくれたことを喜んだアセイリアは、にっこりと笑って自分も考えていることを口にした。その時の笑みが綺麗だった以上に、アセイリアが笑ったことに全員が驚いた。 「私が笑うことが不思議ですか?」  すかさず文句を言ったアセイリアにに、引き続きマイケルが全員の思いを代弁した。 「今の今まで、アセイリアが微笑んだのを見たことが無かったからな。綺麗だと見惚れる以上に、驚きが先に立ってしまったんだ」 「センテニアル前とは、状況が違っていますからね。その程度の違いだと思ってください」  それからと、アセイリアは忘れられているアズライトのことを問題とした。 「皇女殿下の対策は、私が考えておきますので心配はいりませんよ。色々とサプライズを用意してありますので、その時まで楽しみにしておいてください」  これで、統合司令本部に顔を出した目的を達することができた。ぐるりと全員の顔を見たアセイリアは、自宅に戻ることを告げた。 「まだ、新居の整理ができていないんです。出発までには形にしておきたいので、今日は帰らせていただきたいと思います。仕事を残して行って申し訳ありませんが、皇女殿下がお見えになるまでには、先ほどの宿題の答えをいただけませんか?」  退院して二日目と考えれば、アセイリアに無理をさせるわけにはいかない。しかも明後日には、軌道ステーションに移動している必要がある。しかも新居に引っ越したとなると、余計に拘束するのはまずいと思えてしまった。 「良いのか、退院早々無理をして。人手が必要なら、俺達が手伝いに行くが?」  それを心配したボリスに、アセイリアは「ありがとうございます」と頭を下げた。 「マリアナ様から、お手伝いの人手をお借りしました。ですから、出発まではお手伝いいただく必要はないかと思います。そうですね、無事帰ってこられたら、ホームパーティでも開きましょうか。その時はみなさんをご招待しますので、嫌がらずに出席してくださいね。その時の注意事項があるとすれば、私はお酒を買えませんので、飲まれる方は各自お持ちくださいと言うことです」  パーティーのお誘いもまた、これまでのアセイリアからは考えられないことだった。そのおかげで、唖然とするセンターサークルのメンバーと言うものを見ることができた。ただ、アセイリアはそれを指摘せずに、そそくさと統合司令本部を出て行った。 「やはり、アセイリアはいいのだが……」  言葉を濁したボリスに、同感だとマイケルは頷いた。 「例え男であっても、俺はウエルカムだぞ」 「私としては、男であってほしいと思っているわよ」  イリーナの論評に、ディータとカヌカは同感と追随した。 「だからと言って、女だからダメと言うつもりはないけどね」  そう付け加えたディータに、アズガパとチャングも同調した。 「性別なんて、このご時世どうにでもなるからな」 「男同士でも、別に問題はないだろう?」  むしろ好物だと主張したバロールに、一緒にするなとウルフは反対した。 「アセイリアがヨシヒコ・マツモトとするのが、一番腑に落ちる仮説だからな」  ユーリーのコメントに、ボリスは真剣に頷いた。 「あんなのが、そうそう埋もれていて堪るか。まあ、俺にはどちらでも構わないのだがな。しいて言えば、女の方がありがたいと言う程度だ」 「私は、男の方が良いんだけどな」  そう答えたイリーナに、3日待てとマイケルは口にした。 「サプライズがあると言った以上、俺達の推測はほぼ確定と言うことだろう。やれやれ、俺が男を真剣に口説くことになるとは思ってもみなかったな」 「だけど、皇女殿下がライバルになるわよ?」  さすがに強力だと、ディータはアズライトのことを持ち出した。 「それを考えると、帰国パーティーの開催も難しくなるのか……」  それはそれで問題だ。バロールの指摘に、全員がどうした物かと頭を悩ませた。その様子を見る限り、グリゴンに行くことへの不安は、すでに解消されたと考えていいのだろう。アセイリアがリーダーであるのは、すでにメンバーから認められたものだったのだ。  総領主府を出ようとしたところで、アセイリアは一人の女性に捕まってしまった。年齢が分かりにくいところがあるのだが、黒髪をショートにした怜悧な印象を受ける綺麗な女性である。アセイリアと同じ格好……ただし下はタイトなスカートなのだが……をしているところを見ると、領主府の職員なのは間違いない。 「待っていたわよ、アセイリア!」  顔つきが厳しいところを見ると、どうやらかなりご機嫌は斜めの様子だ。ただ受け取った側は、あまり相手のご機嫌は気にならないようだった。 「あら、キャンベルさん。わざわざ、待っていてくださったんですか?」  これはこれはとほほ笑みながら頭を下げられ、キャンベルと呼ばれた女性はさらに顔を不機嫌そうに歪めた。そしてここでは話しにくいと、付いてこいとアセイリアを手招きした。 「別に構いませんが、どこに行けばいいのですか?」 「とりあえず、黙ってついてきなさい!」  肩を怒らせたキャンベルに、アセイリアは面白いことになったと、ひとまず大人しく従うことにした。  そのまま総領主府を出た二人は、居合わせたタクシーに乗り込んだ。そこでキャンベルはIDをかざして、目的地を自宅に設定した。昼の時間帯は自動運転が多いため、運転手は乗りあわせていなかった。 「いいんですか? まだお仕事中だったと思いますけど?」 「出発準備と言えば、いくらでも理由が付くわよ。とにかく、黙って付いてらっしゃい!」  苛ついたところを見ると、本気で腹を立てているらしい。その理由が分かるだけに、アセイリアは大人しく従うことにした。  領主府からタクシーに乗って約10分。山手の丘を越えたところに、キャンベルの住むアパートがあった。女性の一人住まいに相応しく、可愛らしい造りの集合住宅が建っていた。自分なんか連れ込んでいいのか、他人事ながらアセイリアは心配してしまった。 「とりあえず上がりなさい。お茶を出してあげるから、そこに大人しく座ってなさい!」  玄関から見えるところに、小さなキッチンテーブルが置かれていた。そこと指差されたところには、クッションの置かれた椅子があった。  大人しく言われた通りにしたアセイリアは、椅子に腰を下ろしてキャンベルを待った。そしてポットでお茶を用意するのを見ながら、真面目なのだなと感心していた。 「とりあえずお茶でも飲みなさい」  アセイリアの前にはお客様用のティーカップが置かれていた。自分用のマグカップから紅茶を飲んだキャンベルは、気を落ち着けるように二度三度深呼吸をしてから猫の絵が付いたマグカップをテーブルに置いた。 「どうして、私が巻き込まれるのよ! あの時だけって、約束だったはずでしょ!?」  どんとテーブルに手を突き、キャンベルはアセイリアの方へと身を乗り出した。声が震えているところを見ると、どうやら怒り心頭に発しているようだ。 「これが最後だからですよ。これ以降は、キャンベルさんにはご迷惑をおかけしないつもりです」 「もう、十分迷惑が掛かってるって言ってるの!」  激怒している自分の前で、アセイリアはのんびりとお茶を飲んでくれているのだ。それだけでも、キャンベルの神経を逆なでするものだった。 「でも、皇女殿下に同行するのは名誉のはずですよ。しかも、殿下専用機で宇宙旅行までできるんです」 「行き先がグリゴンじゃ、少しも嬉しくないわよ!」  噛みつきそうな勢いのキャンベルに、まあお待ちなさいとアセイリアは手で制止して見せた。 「グリゴンだけじゃなく、リルケにも行けますよ。もっとも、キャンベルさんが怒っているのは、行先の問題ではないのは分かっていますけどね」 「分かっててやられるのは、さらに苛つくんだけど?」  睨まれたアセイリアは、困りましたねと、少しも困っていない顔をした。 「今回、皇女殿下に種明かしをするつもりでいるんです。だから、キャンベルさんにも同行していただかないと困るんです」 「そんなものは、私が居なくでもできるでしょう!」  どんとテーブルを叩いたのに合わせて、ソーサーがその上で飛び跳ねた。 「役者と言うのは、揃った方が面白い物なんです。それに、グリゴンはいざ知らず、リルケに行くのも嫌なんですか? 地球人でリルケまで行った人は、本当に片手で足りるぐらいなんですよ。しかも今回は、皇女殿下のご招待が付いてくるんです。この機会を逃すようでは、キャンベルさんの資質に疑問を感じるのですけど?」  皇族の招待を避けると言うのは、確かに問題の多い行為には違いないだろう。ただ普通に考えれば、一般人の自分など気に止められるはずはない筈だ。だが目の前の女性を考えれば、告げ口される可能性を否定することはできない。ジェノダイトへの影響力と統合司令本部での立場を考えると、敵に回していい相手ではないのも確かだった。 「リルケにに行きたくないとは言ってないわ。ただ、同行させられる理由が気に入らないだけよ」 「でも、それ以外にキャンベルさんをメンバーに入れる理由がありませんよ。お世話になったお礼として、キャンベルさんをリルケまで連れて行ってあげようと思ったんですけど? やっぱり、リルケには行きたくありませんか?」  行きたくないのですかと聞かれれば、正直行きたいと思っていた。ただその前にグリゴン行きと、皇女殿下との顔合わせが気に入らなかっただけだ。だが冷静に考えてみると、この機会を逃せば、自分は二度と地球の外に出ることは無いだろう。ましてや、リルケに行くことなど絶対にありえないのだ。  それを考えると、不満はあってもメンバーに入ったのは悪いことではない。それにジェノダイトのスタッフと言っても、自分はこれまで目立ったこともなかったのだ。そしてこれからも、目立つことは無いと思っていた。だから周りも、同行スタッフに選ばれた自分を、信じられないものを見る目で見てくれたのだ。 「確かに、二度とない機会だとは認めるけど……」  このまま埋もれていいとはキャンベルも考えていなかった。それでも、どうしても尻込みしてしまう気持ちもあったのだ。真剣に悩むキャンベルに、アセイリアは少し口元を歪めて立ち上がった。そして頬杖をついて悩むキャンベルの後ろに回った。少しでも悩んだ時点で、キャンベルは逃げ場のないところに追い詰められていたのだ。 「大丈夫ですよ。キャンベルさんは私が守りますから」  両手を彼女の肩に置き、アセイリアは耳元で囁いた。ここまで来たら、もう堕ちたも同然だった。 「ただ、隙が多いから少し心配なんです」  両肩に置いた手を前に回し、アセイリアは後ろからキャンベルに体を預けた。左耳を甘噛みされたキャンベルは、突然のことに体を硬直させた。 「あ、アセイリア、じ、冗談よね?」  ことここに至って、自分取り返しのつかない失敗をしたことに気が付いたのだ。相手の見た目に、肝心な問題を忘れたと言う失敗に。 「不用意に、自宅に連れ込んだキャンベルさんが悪いと思いますよ。実は、キャンベルさんのことは色々と調べてあるんです。大丈夫です。けして悪いようにはしませんから」  ふふふと耳元で笑われ、キャンベルは金縛りにあったように動けなくなってしまった。けして同意をしたわけではないのだが、アセイリアを拒むことが出来なくなっていたのだ。そしてアセイリアは、キャンベルの事情など全く気にかけていない。慣れた手つきで、アセイリアはゆっくりとブラウスのボタンを外していった。 「色々と教えてくださいね」  耳元でささやかれた時には、ブラウスは肩からずり降ろされていた。あまり色気のないブラに、小さめの胸が隠されていた。そしてアセイリアは、ゆっくりと肩紐をずらして小ぶりな胸を露わにしてくれた。  目を付けられた時点で、自分の運命は決まっていたのだ。きれいな顔をしていても、これは間違いなく女の敵なのだ。なすがままになりながら、キャンベルはすべての責任をアセイリアに押し付けたのだった。 Chapter 2  地球における軌道ステーションは、静止軌道上に3箇所設置されていた。その内の一つが、シンガポール上空に作られたASIA1と呼ばれる軌道ステーションだった。その軌道ステーションまで行く方法は、軌道エレベーターと宇宙船の二通りが用意されていた。今回アズライトを迎えるに当たり、ジェノダイトをトップとした一行は、シンガポールに移動してから軌道エレベーターを利用した。 「噂には聞いていましたが、ここは世界が違いますね」  高度約39000kmまでは、秒速10kmのエレベーターでも1時間近くかかる。正確には加減速があるため、搭乗してから降りるまでは、およそ1時間30分見ておく必要があった。  資材も運べる大型エレベーターに乗り込んだ16人は、2重に与圧された空間でソファーに座りくつろぐことになった。シースルー構造となっていたため、外を見れば猛烈な勢いで上昇してくのを見ることが出来た。 「この景色を見たことがあるのは、ジェノダイト様以外はシェフチェンコ少佐とタカマチ少佐だけなのですね」 「残念ながら、軍は軌道エレベーターを使わないわ。だから、私達もこの景色を見るのは初めてなの」 「ああ、宇宙船で上がるより、ずっと快適な環境だな」  なるほどと頷いたアセイリアは、答えを求めるようにジェノダイトを見た。 「私にしても、さほどこれを使っている訳ではないのだがね。テラノに赴任してから、この星を出たのは両手で足る程度だ。リルケ時代は、小型のプライベートシャトルを使っていたな」  プライベートシャトルと言う答えに、さすがは一等侯爵と全員が感心した。普段接していると気づかないのだが、ジェノダイトは地球で生まれた地球人ではなかったのだ。 「そうすると、里帰りは久しぶりということになるのですね?」 「里帰りをしても、縁者はほとんど残っていないがな」  にこりともしないのは、公的な顔を作っているからだろうか。それを気にせず、アセイリアはジェノダイトにとって痛いところを付いて来た。 「ですが、お友達が待ち構えているのではありませんか?」 「多分、そう言うことなのだろう……」  その時居合わせた者達は、ジェノダイトの顔が少しひきつったことに気づいていた。そして総領主への態度に、やはりアセイリアは特別なのだと理解した。これだけを見せられると、隠し子と言う噂も真実味を持つほどだった。 「軌道エレベーターについてからの予定ですが、ジェノダイト様、シェフチェンコ少佐、タカマチ少佐以外は宇宙空間の経験がありません。したがって、無重力状態対応のため医務室で投薬を受けることになります。こちらに、およそ1時間ほど時間がかかります。それが終わったところで、ジェノダイト様のスタッフと、統合司令本部のスタッフに分かれてミーティングを行います。その後合流して、簡易パーティーと言う決起大会を開催します。飲酒を制限しませんが、初めて宇宙に出た方は止めておいた方が無難だそうです。決起大会終了後、各自あてがわれた部屋で休息をし、明日のアズライト様到着に備えます」  ひと通りメンバーの顔を見たアセイリアは、それからと言って説明を続けた。 「アズライト様をお迎えした後、簡単ですがパーティーを開きます。そのパーティー終了後に、いよいよキグナス号でグリゴンに向けて出発します。はい、イワセニビッチ少佐?」  質問と言って、ボリスは小さく手を上げていた。 「ずいぶんと慌ただしい出発なのだが、皇女殿下に休息は必要ないのか?」  休息なしの移動を気にしたボリスに、私がと言ってジェノダイトが答えた。 「設備としては、軌道ステーションよりキグナス号の方が整っている。したがって、休息と言う意味では軌道ステーションに滞在する意味は無い。キグナス号が、皇女殿下専用機だと言うことを忘れないように。更に付け加えるなら、皇女殿下は君達など比べ物にならないほど宇宙旅行に慣れていらっしゃる」  そのあたり、宇宙を飛び回る天災の二つ名は伊達ではないと言うことだ。現に地球に来る時も、民間の定期航路を利用したぐらいなのだ。ひ弱な皇族だと勘違いすると、手痛いしっぺ返しを食うことになる。  なるほどと全員が頷いたところで、減速を告げるアナウンスが聞こえてきた。軌道ステーション到着まで、残りは10分ほどになっていた。 「俺達には、知識でしか知らない世界だな……」  すでに空は闇に包まれ、シースルーのエレベーターからは、満点の星空を見ることが出来た。太陽も視界に入るのだが、大気が無いため眩しい円盤でしか無かったのだ。  闇に溶けそうな肌をしたアズガパは、小さな声で「怖い」と呟いた。今まで確かだった大地が失われ、太陽すらその存在が他の星と同じになってしまった。陸軍に所属するアズガパにとって、一生経験しないはずの光景だったのだ。 「そうね、感動って言うより、怖いって気がしてきたわ……」  その感覚は、警察に居るカヌカも同じなのだろう。両手で肩を抱きながら、星の世界をじっと見つめていた。普段の夜とは違う、吸い込まれそうな闇がそこに広がっていた。 「俺達は、本当に宇宙に出てきたということか……」  この中で一番宇宙に出る機会がないのは、海軍に所属する二人なのだろう。バロールの顔を見たボリスは、遠くを見る眼差しで信じられないと呟いた。 「ですが、これが私達にとっての現実なのです。そして、地球の人類が通過しなければいけない経験だと思っています」  普段から怜悧なところのあるアセイリアなのだが、今日はさらに顔が鋭さを増しているようだった。  そんなやりとりを聞きながら、ジェノダイトはテラノがまだ若い星だと改めて感じていた。宇宙に慣れ親しんだ自分達は、たかが衛星軌道に出るのに緊張などしたことはなかったのだ。だが普段は超然としたアセイリアですら、はっきりと分かる緊張を見せていたのだ。 「帝国行政府と掛け合って、テラノ住民に対する渡航制限を緩和させる必要がありそうだな。君たちには、もっと宇宙というものを身近に感じてもらいたい」 「そうですね。これが当たり前になって初めて、地球は帝国にとって普通の星系になるのでしょう」  今はまだ、よちよち歩きの赤ん坊でしか無い。宇宙を特別と感じる自分に、アセイリアは未熟さを感じていたのだ。  重力制御のお陰で、ほとんど停止に係る加速を感じることはなかった。ゆっくりと軌道ステーションに辿り着いたエレベーターは、警戒音を響かせながらドアを開いた。そして軌道ステーションを管理する、アドルフ・ホメ・テラノ・シンドラーの出迎えを受けた。 「ASIA1へようこそ。私が、ASIA1の管理をしております、三等子爵のシンドラーです。ジェノダイト様ご一行のお越しを歓迎いたします」  年齢は50近いのだろうか、痩せぎすな顔には深いしわが刻み込まれていた。そしてところどころ薄くなった白髪を見せて、シンドラー三等子爵は全員に頭を下げた。 「久しぶりだなアドルフ。以前に比べて、かなり老けたな」 「やはり、大地に足を降ろさない生活はストレスが溜まります。できれば、そろそろ後進に道を譲りたいところですな」  こちらにどうぞと、アドルフは先頭に立って全員を医務室へと案内した。宇宙に慣れた3人は、処置こそ必要ないが、健康状態を確認しておく必要があったのだ。 「キグナス号からは、16時間後に到着するとの連絡を受けています」 「かなり、早く到着するのだな」  これからメディカルチェックを受けた後、グループによるミーティングの実施、そして決起大会と考えると、あまり休息に回す時間が残されていない。グリゴンまでの時間を考えると、どこかの時間を削る必要がありそうだった。 「そうですな。漏れ伝わってきた話では、皇女殿下が急がせたそうです」  なるほどと頷いたところで、一行は別の気密ブロックへと到着した。赤十字マークが付いているのを見ると、どうやらここでメディカルチェックを受けるらしい。 「ではジェノダイト様、後ほどお会いしましょう」 「ああ、案内ご苦労だったな」  そう労って、ジェノダイトはメディカルブロックへと入っていった。これからメディカルチェックを受け、その後領主府スタッフを交えて最終打ち合わせを行う予定になっていた。  慣れたジェノダイトとは違い、残りの15名はお上りさん状態になっていた。きょろきょろと回りを見ていたのだが、慌ててジェノダイトを追いかけメディカルブロックへと入っていった。15名のうち13名は、宇宙病予防の薬剤点滴が待っていた。  メディカルブロックに入って1時間後、チェックと投薬を終えた一行は、それぞれの役目を果たすためにグループごとに集まっていた。そこで普段と違うイレギュラーがあったのは、アセイリアが補佐を連れてきたことだった。 「彼女はキャンベル・アペンディッシュさんです。私と同じくジェノダイト様のスタッフです。今回、私をサポートしてくださいます」  アセイリアに紹介されたキャンベルは、少し緊張しながら「よろしくお願いします」と言って頭を下げた。黒髪をショートにし、そして顔には今時珍しいメガネをしていた。さらに頬には、まだそばかすの後が沢山残っていた。ピンクのメガネと合わせて、どちらかと言えば野暮ったい雰囲気を周りに与えていた。  アセイリアとはかなり違うと、男性陣は少しだけ落胆をしていた。ただそれを顔に出さず、友好的な雰囲気を作って「よろしく」と声を揃えた。 「では、方針の最終確認をしましょう。アズライト様への対応は、ジェノダイト様と私が行います。前回同様、今回も問題を起こすような真似はさせません。もっとも、アズライト様も、ここで問題を起こすようなことはないと私は思っていますけどね」  アセイリアが保証すれば、疑う必要はないと全員は信用していた。それもあって、誰からも疑問は挟まれなかった。 「では、グリゴン、及びザイゲルへの対応を確認します。どなたが説明してくださるのですか?」  アセイリアに見られ、自分がとマイケルが一歩進み出た。 「グリゴンには、各種支援を受けるのが好ましいと言うのが結論です。技術的に、地球は100年ほど遅れているのは確かです。そして資源の面でも、グリゴンの支援を受けた方が好ましい。敵対するより、各種援助を受けた方が好ましいのは確かでしょう。ただ、その場合の問題は、我々が何を彼らに提供できるのかと言うことです。一方的な援助と言うのは、対等な関係ではあり得ないことでしょう。それが、第一の方針です」  そしてと、マイケルはアセイリアのコメントを待たず、第二にと説明を続けた。 「双方の軍事及び人材交流を行うべきかと考えています。人的交流によって、双方にある壁的なものを取り払うのが目的です。こちらの方は、援助を受けるのに比べ、壁はかなり低いことになるでしょう。残念ながら、面白い答えを用意することは出来ませんでした」  以上と言って下がったマイケルに、「ありがとうございます」とアセイリアは頭を下げた。 「私からは、特にコメントをすることはございません。ありきたりと言うのは確かですが、奇をてらっても仕方のない事だと思っています。いっその事軍事同盟を結ぶことも考えましたが、さすがに帝国を仮想敵国にするのは問題ですので、今回は控えたいと思っています」  コメントは無いと言いながら、帝国を仮想敵国とした軍事同盟を持ちだしてくれるのだ。さすがと感心する以上に、大丈夫なのかと不安を感じてしまっていた。 「ただ、支援を受けること、交流を行うことは、まともに考えると難しいのでしょうね。ザイゲル連邦にとって、私達はH種と言うだけで、不倶戴天の敵になっています。ですから、普通に切り出して友好関係を結ぶのは難しいでしょう」  もっとも根本的な条件を持ちだしたアセイリアは、ひと通り全員の顔を見てから説明を続けた。 「と言うことなので、正攻法はとらないことにします。正攻法だと、間違いなくグリゴンに足元を見られることになるでしょう。したがって、色々とペテンを掛けたいと思っています」 「ペテンと言っても、簡単ではないと思うのだが……」  疑問を呈したマイケルに、アセイリアは小さく頷き「そうですね」と肯定した。 「したがって、皆さんに協力していただきたいと思っています。そうですね、皆さんには視察と言う名目で街に出ていただこうかと思います。どこに行くのかは、私から指定させていただきます。仕掛けとしては、その程度で十分だと思います」 「それだけで、グリゴンにペテンが仕掛けられるのか?」  唖然としたマイケル達一同に、アセイリアは「はい」とはっきり肯定した。 「物事には、タイミングと言う物があるんです。今なら、その程度で十分にペテンの材料になってくれます。ところで皆さんに伺いますが、今回の仕事に命をかける覚悟はありますか?」  なぜいきなりそうなると言う疑問はあったが、アセイリアの真剣な眼差しにその疑問を口にする者は居なかった。そしてその問いかけに対して、やはりマイケルが代表をして答えを口にした。 「グリゴンに行く時点で、命を懸けなければと思っている。俺たちは、テロで死んだ5万人。そして戦闘で死んだ200万人の命を背負ってきているつもりだ」  その言葉に嘘偽りがないのは、マイケルの目を見れば理解できる。「ありがとうございます」と頭を下げたアセイリアは、ペテンの筋書きを説明することにした。 「皆さんには、メインベルトの戦いを思い出していただきたいのです。私は、あの戦いを利用してペテンを掛けることを考えています。そして、そのペテンには皇女殿下も利用させていただきます」 「皇女殿下を利用するのか?」  よりにもよって、宇宙を飛び回る天災を利用すると言うのだ。宇宙広しと言えど、こんなことを口にできるのはアセイリアだけだろう。さすがと感心する以上に、さらに質が悪いのではと思えるようになってきた。 「ええ、皇女殿下を利用することで、ペテンがより本物らしくなりますからね」  そう言って笑ったアセイリアは、惚れ惚れするほど綺麗だった。ただ綺麗なだけに、余計に恐ろしいと思えてしまう。 「では、どう言うペテンを行うのか、皆さんにこれから説明したいと思います。それぞれ重要な役目を担うことになりますから、心して聞いてくださいね」  全員の顔をもう一度見てから、アセイリアは予想もしないことを口にした。それを聞かされたセンターサークルのメンバーは、彼女が敵でないことを心から安堵したのだった。  アズライトの到着が早まると言う情報に、決起大会は簡略化されて実施されることとなった。アドルフ三等子爵の差配で料理と酒が用意され、立食形式で懇談の場が設定されたのである。センターサークルの10人とジェノダイトのスタッフの間に、これまでの間交流は行われていない。両者のギャップを埋める意味を、この懇親会は持っていた。 「アセイリアでも緊張するのね。それはなに、皇女殿下に会うことが理由なの?」  補佐という名目を貰ったので、キャンベルはアセイリアとともに行動していた。壁際に用意された椅子に腰を下ろしたアセイリアに、料理と飲物を持ってキャンベルは戻ってきた。そして一人離れて座っているアセイリアに、日頃の恨みを晴らそうとからかってきた。 「私でも、経験したことの無いことには緊張しますよ。だから、キャンベルさんに色々と教えてもらったじゃありませんか」 「私に?」  何がとまじめに考えたキャンベルだったが、先日のことだと気づいて顔を真赤にした。 「あ、あれは、忘れなさい!」 「でも、今日は相部屋ですからね」  アセイリアの言葉に、赤かった顔から血の気が引いてくれた。そんなキャンベルに、大丈夫ですとアセイリアは笑ってみせた。 「私も、限度を弁えていますからね。特に今日は、二人で皇女殿下を迎える準備をしないといけませんから」 「本当に、やるの……」  アズライトを持ちだされ、キャンベルは急に真面目な顔をした。夜のことより、アズライトにすることの方が重要だったのだ。 「あなた、本当に女の敵ね。地球的表現で言えば、悪魔ってところかしら?」 「皇女殿下を抑えるために必要なことだと思ってください。色々と対策をとってきていると思いますから、応えてあげないと可哀想だと思いませんか?」  そう言って小さく口元を歪めたアセイリアは、キャンベルに座るように促した。 「奇策をとらないと、皇女殿下に対抗は出来ません。しかも皇女殿下の後ろには、皇帝聖下も控えているんですよ。少しでも地球への災いを減らすためには、聖下に遊ばせるわけにはいかないんです」 「あなたの言っていた、分析に係ること?」  キャンベルの質問に、アセイリアは小さく頷いた。 「聖下は、帝国内に適度な緊張が必要だと考えられています。緊張と言うのが分かりにくければ、混乱と言い換えてもいいかもしれません。それを聖下は、物語と称されているんです。聖下の望まれる物語は、戦いの物語や恋物語、悲劇や喜劇と様々なものがあります。それがどうしようもない悲劇だとしても、何も物語がないよりずっといいと考えられているのですよ」  自分で考えた訳ではないこともあり、キャンベルにはアセイリアの言いたいことのすべてを理解出来た訳ではない。ただ彼女が警戒するぐらいだから、よほど質が悪いことだけは理解することは出来た。たとえどんな悲劇でも、何もないよりはあった方がいいというのは、巻き込まれる方にとって間違いなく迷惑この上ないことなのだ。 「あなたは、本気で聖下を抑えこむつもりで居るの?」  明らかに無謀という意味を込めたキャンベルに、アセイリアは歓談する仲間を見ながら小さく頷いた。 「蟷螂の斧と言うことわざもありますね。ドン・キホーテと言ってもいいのかもしれません。それが分かっていても、今の地球では、この役目は私にしか出来ないと思います。その私にしたところで、皇女殿下と関わりができたおかげで、舞台に立つ資格を貰っただけの庶民にしか過ぎません。だから、ザイゲル連邦を味方につけようと思っているんです。手を出すのではなく、観察したほうが面白そうだ。聖下にそう思わせられれば、ひとまず勝利といえるでしょうね」 「なるほどね。聖下相手じゃ、私達程度じゃそれが限界か……」  歴史の積み重ねも、そして持っている権力も比較にならないのは分かっている。天災皇女を抑えこんだと言っても、ラスボスの強力さは天災皇女の比ではないのだ。そして仕込みの長さも、自分達の想像を超えていたのだ。 「今回のザイゲル連邦の攻撃も、聖下の仕込みの一つということよね?」 「キャンベルさんも、ちゃんと勉強してくれたんですね」  少し嬉しそうにしたアセイリアに、キャンベルは少し頬を赤くして顔を背けた。 「まあ、我が身に降り掛かってくることだから……」  とんでも無い企みに加担させられたのだから、その理由ぐらいは知っておいて損はないはずだ。そう主張して引き出した情報を、キャンベルは一人になって貪るように勉強したのだ。 「だから、その、教えてくれたことには感謝しているわよ……」  自分より年下のアセイリアが、どんなものを背負おうとしているのか。それを知ったことで、文句を言えなくなったのも確かだ。それでも先日のようなことは、二度とゴメンだと思っていた。  「さて」と言って立ち上がったキャンベルは、ぐるっとパーティー会場を見渡した。ジェノダイト周りの密度が高いのは、センターサークルメンバーが集まっているのが理由だろう。その辺り、アセイリアの指示があったのをキャンベルは知っていた。 「私は、仲間のところに行って話をしてくるわ。あなたも、そろそろジェノダイト様の所に行って来なさい」 「まだ、ちょっと体力的にきついのですけどね」  退院前にリハビリを初めているとはいえ、まだ退院して3日しか経っていなかったのだ。体力的にきついと言うのは、無理もない事だった。 「だから、適当に話をしてから部屋に戻らせていただきます。明日からのために、体力を温存させておく必要もありますからね」  明日にはアズライトと合流をするし、そして5日後にはグリゴンに到着することになっている。アセイリアに掛かる負担を考えれば、今は体力を温存どころか、回復に努めるべきなのだ。確かにそうだと認めたキャンベルは、「無理をしないように」と言い残してアセイリアの下を離れた。ジェノダイトがトップに居るのだが、このグリゴン訪問成功は、アセイリアの肩にかかっていたのだ。 「じゃあ、私も早めに戻るようにするから。あなたが要だと言うのを忘れないようにしなさい」  そう言い残し、キャンベルはアセイリアの下を離れ、ジェノダイトのスタッフの方へと歩いて行った。そして何事か声を掛けてから、4人揃ってセンターサークルのメンバーと合流した。 「目的意識は共有できているようですね」  これで、安心してグリゴンと対決することが出来る。少し安堵をしたところで、アセイリアは軽い目眩に襲われてしまった。 「冗談抜きで、早く休んだ方が良さそうですね……」  キャンベルへにちょっかいを出せないのは残念だが、本気で体力を回復しないとアズライトに圧倒されかねない。仕方がないと溜息を吐いたアセイリアは、セラを呼び出しジェノダイトにメッセージを残すことにした。そして珍しく不確かな足取りで、パーティー会場を離れていった。  その翌日、キャンベルに付き添われて現れたアセイリアに、メンバー達は安堵の息を漏らしていた。前日の顔色の悪さを覚えているだけに、アセイリアの健康状態に不安を感じていたのだ。だがその心配も、今のアセイリアを見れば杞憂だと笑うことが出来た。一晩休息したことが、それだけ役に立ってくれたのだろう。 「1時間後に、皇女殿下が軌道ステーションASIA1に到着されます。最初のお出迎えは、歓迎デッキで行います。その後、簡単な食事の後、私達がキグナス号に乗り込むことになります」  普段通りの硬質な声を出し、アセイリアは確認するように今日の手順を口にした。 「すでにキグナス号は、光学観測距離に到達しているとのことです。予定の繰り上げも想定されますから、すぐに歓迎デッキへと向かうことにします。アドルフ様、引率をお願い致します」  全体の統率をアドルフ三等子爵に引き継ぎ、アセイリアはキャンベルの隣に移動した。緊張からか、心なしかキャンベルの顔色が悪く見えた。 「では、皆様にはキャリアでステーション内を移動していただくことになります。ここからだと、歓迎デッキまでは20分ほど我慢していただくことになります」  こちらにどうぞと、アドルフはジェノダイトを案内した。そしてそれに続いて、15人のメンバーが後を歩いて行った。その時のジェノダイトは、ベージュのスーツに、臙脂色をしたマフラーと言う、普段とは違う格好をしていた。  そして後に続く代表団のメンバーは、それぞれの所属を示す制服を着ていた。軍籍のあるものは、各軍の制服を着用し、警察から派遣された二人は警察の制服を着用していた。そしてアセイリアを含む領主府スタッフは、制服となっている紺のスーツ姿をしていた。 「アセイリア、体の方は大丈夫なのか?」  前日のことを知っているだけに、マイケルの声にも遠慮が感じられた。そして他のメンバーも、心配そうにアセイリアの顔を見てくれた。 「本調子とまではいきませんが、かなりましになったのは確かです。ただ、無理は効きませんので、みなさんにフォローしていただかないといけませんね」  そう言って微笑む顔は、普段とほとんど変わりがなかった。少し顔が丸く見えるのは、低重力の影響で顔にむくみが出たのかもしれない。 「本番はグリゴンに到着してからだからな。言っても無駄かもしれないが、あまり無理をするなよ」  自分で口にしておきながら、無理だと言うことはマイケルも理解をしていた。確かにグリゴンは難ものだが、第一の山が目の前に控えていたのだ。ドッキリを用意しているとは聞かされているが、本当に大丈夫なのかと不安になったほどだ。  自分を心配するマイケルに、「ありがとうございます」とアセイリアはお礼を口にした。 「自分の体と相談しながら、この遠征を乗り切ることにします」 「ああ、これは始まりであって、ゴールではないのだからな」  これから地球は、新しい一歩を記すことになるのは間違いない。そのためには、まだアセイリアに脱落されては困ってしまう。それが分かっているから、くどいほどにマイケルも確認をしてしまったのだ。  アズライト皇女がデッキに現れたのは、全員が移動をしてから40分後の事だった。キグナス号船長マリーカ一等子爵の案内で現れたアズライトは、以前とは違い自信に満ちた顔をしていた。襟の大きな白のドレス姿は、彼女の美しさを引き立たせるものになっていた。 「テラノへの再びのご降臨、テラノを代表して感謝させていただきます」  総領主として、ジェノダイトがアズライトへの感謝の言葉を捧げた。それに頷いたアズライトをエスコートするように、ジェノダイトは横に並んだ。 「これから、簡単な食事会を開催いたします。グリゴン訪問前の、顔合わせだとご理解ください」 「小父様の配慮に感謝いたします」  ジェノダイトに微笑みを与え、アズライトは大人しく案内に従った。こうして大人しくしていると、本当に立派な皇女としての貫禄があった。 「本当は、小父様に言いたいことがあるのですが……それは、食事会の後に致しましょうか」 「ご配慮に感謝いたします」  それが何を意味しているのかぐらい、ジェノダイトも理解していることだった。すでにお互いの読み合いが始まっていると、ジェノダイトは自分の役割を果たすことにした。  それから5分ほど移動したところで、軌道ステーション内の貴賓室に到着した。ジェノダイトは「簡単な」と言ったが、地上で食べるのと同じフルコースの料理が用意されていた。 「我々テラノの者達は、アズライト皇女殿下のご好意に感謝しております。今回若手で固めましたのは、テラノの将来を担う人材を育成することを目的としております」  テラノを代表するため、全てを総領主であるジェノダイトが仕切っていた。そしてジェノダイトは、今回の代表団を一人ひとり立場を含めてアズライトに説明した。 「以上の様に、軍、治安組織、そして行政組織から有望な若者を選抜いたしました。特に軍、治安組織のメンバーは、アセイリアとともに、センテニアルでザイゲルに立ち向かった者たちです」  その結果が、大きな被害こそ出したが、ザイゲル撃退に繋がっている。偽物とはいえアルファケラスの撃退には、アズライトも大いに驚かされたのだ。ツヴァイドライグの制圧まで行ったことは、帝国軍の中でも評価が高かった。  その意味で、選抜メンバーの意味は理解することが出来るし、そのもの自体に不満はない。そして誰を選抜するかは、テラノの問題であり、自分の関わることではないと思っていた。その意味で、ただ一人指定した人が居なかったことだけが、アズライトにとっての問題だった。ただそのことにしても、一つだけ確認しておく必要があると思っていた。 「アセイリアには、ずいぶんとお世話になったと思っています。現実的には、あなたが私の恩人と言うのは疑いようがないと思っています。そのことに感謝をするのは吝かではないのですが、あなたには私の疑問を一つ解消して貰いたいと思っています」 「私に、でしょうか?」  そう言って首を傾げたアセイリアは、すぐに申し訳ありませんと頭を下げた。 「殿下にお救いいただいたことへのお礼がまだでした」  椅子から立ち上がったアセイリアは、アズライトに向かって腰を90度曲げで頭を下げた。そして5秒ほど経ってから、ゆっくりと顔を上げアズライトを見た。 「私は、何を証明すれば宜しいのでしょうか?」 「リルケに戻ってから、あなたのことを調べさせてもらいました。なぜ、あなたのデーターが極端に少ないのか。小父様のスタッフと言う話ですが、名簿に加わったのもずいぶんと最近のことです」 「その理由を説明せよと?」  質問を先回りしたアセイリアに、アズライトは首を振って否定した。 「そんな周りくどいことは求めていません。私は、あなたがヨシヒコかどうか、それを違うと言うのなら、それを証明して見せてくれれば結構です」  ついに来た。ドッキリを先回りされたと、センターサークルのメンバー達は息を呑んで二人を見た。これぐらいの事態を想定できないアセイリアではないと信じてはいるが、ウソを付くことも出来ないはずだと考えていたのだ。だとしたら、どう言う答え方をするのか。それだ彼らには理解できなかった。 「私は、ヨシヒコ・マツモではございません」  その意味で、アセイリアの答えは予想した中では悪い答えの方だった。だとしたら、その答えにどのような意味をもたせているのか。そしてどう、それを証明するのか。先の見えない展開に、アセイリア以外、それこそジェノダイトまで固唾を呑んで成り行きを見守った。 「それを、あなたはどう証明して見せてくれるのですか?」 「私は、見た通りの女性です。過去の記録はどのようにでも改ざんできますから、それを証拠とするのは差し控えたいと思います。裸になれば女としての証明を出来るかと思いますが、殿方もお出でになるので、できれば別室でお調べいただけたらと思います」  ヨシヒコであることを否定したアセイリアに、アズライトは厳しい視線を向けた。そこに一片でも嘘が含まれていないか、まるでそれを見極めようとしているようだった。 「裸になる必要はありません。その代わり、私に調べさせて貰えるかしら?」 「女性としての尊厳をお守りいただければ」  それを同意と受け取り、アズライトは新調したラルクをアセイリアへと向けた。 「アリエル、ラルクのデーターを分析しなさい」  自分の目を誤魔化すため、一時的な性別転換をしている可能性もある。ラルクで組成を抽出し、帝国システムでそれを分析すれば、性別のみならず性別転換の有無も確認することができる。裸にする以上に、相手を調べるには有効な手段だった。  さすがにまずいのではと、全員が不安を感じたところで、アズライトの使っているアバター、アリエルが分析結果を報告した。 「分析の結果、アセイリア様が女性であることを確認しました。性別転換の痕跡は残っていません。補足事項として、最近男性と性的交渉を持ったことも確認できました」 「それが、女性としての尊厳を侵す行為と言うのですが……」  ため息を吐いて、アセイリアはこめかみを右手で押さえた。 「相手が誰かは詮索しないよう、お願い致します」 「気が利かなかったことは謝罪いたします……」  あからさまに落胆するアズライトに、センターサークルのメンバー達は、安堵と同時に疑問も感じていた。アズライトを抑えこむため、ドッキリを用意していると聞かされていたのだ。だがアセイリアが女では、喜びこそすれ、ドッキリではないと思っていた。アセイリアが非処女、かつ最近だれかと寝たことについては、聞かなかったことにすることにした。 「これで、私がヨシヒコと言う男性でないことは証明が出来ましたでしょうか?」  椅子に戻り腰を下ろしたアセイリアに、アズライトは「そうですね」と力なく答えた。 「あなた達が、ヨシヒコに会わせるつもりがないことは分かりました。本当なら地上に降りたいところですが、スケジュールを優先して今回は我慢することにします」  あからさまに落胆しながらも、アズライトは必要なことを口にした。 「ただ、私としてはこのまま済ませることは考えていません」 「私は、これまでと同じことを繰り返すだけです」  その落ち着き、そしてアズライトに対して一歩も引かない態度。それこそアセイリアだと、メンバー達は改めて惚れなおしていた。そして徹底的にヨシヒコを隠すことが、自分達にとっての持ち札なのだと考えた。 「食事が済み次第、場所をキグナス号に移すことに致します。グリゴンまでは、4日程度の航行となります。申し訳ありませんが、ジェノダイト様とアセイリア様には、殿下のお部屋までお出でいただきます」  食事会に顔を出していたマリーカは、キグナス号船長としての務めを果たした。そして全員に通達した後、準備があると食事会の席から出て行った。 「我々は、居室まで手荷物を取りに戻りたいと思います」  ジェノダイトの申し出に、アズライトは「許します」と簡単な許可を与えた。多少立ち直りはしたが、それでも元気が無いことは隠しきれていなかった。  大物の荷物はすでに積み終わっていることもあり、各自が下げていたのは本当に身の回りのものばかりだった。キャンベルと連れ立って現れたアセイリアは、アドルフ子爵に感謝をしてからキグナス号に乗り込んだ。メンバーが多少余所余所しいのは、衝撃の事実が明かされたことが理由だろうか。気にしないようにと思っても、アセイリアに男が居る事実は忘れようがなかったのだ。  そしてアセイリアに男がいると言う暴露が、逆にドッキリなのではと考えるようにもなっていた。その相手がヨシヒコならば、センテニアル前のアズライトへの態度も理解することが出来る。アセイリアの卓越した能力も、もう一人知恵袋がいればあり得ないことではなかったのだ。 「なにか、みなさんが微妙に遠慮されていますね」  傍らを歩くキャンベルに、アセイリアは小声で話しかけた。少し楽しそうにしているのは、間違いなく今の状況を楽しんでいるからだろう。 「アセイリア、やっぱりあんた性格が悪すぎるわ!」  怒鳴りたいところなのだが、ここで大声を上げるわけにはいかない。精一杯毒づいたキャンベルだったが、アセイリアには全く通じてくれなかった。 「皆さんは、私のお相手こそがヨシヒコだと思われているようですね」 「別に、間違っていないんじゃないの。ただ、恋人じゃないことだけは確かだけど」  言葉に刺があるのは、自宅でのことが理由に違いない。そんなキャンベルに、アセイリアは「責任を取りましょうか?」と小声で囁いた。 「いらないから、これ以上私に構わないでくれる」 「お姉様の魅力に夢中になってしまったのですけど」  ふふふと耳元で笑われ、キャンベルはビクリと背筋を伸ばした。からかわれている以上に悪いのは、数日前に思い知らされていた。触らぬ神に祟りなしと、キャンベルはアセイリアから距離をとった。 「じ、冗談でも、そんなことを言わないでっ!」  このまま行くと、自分にはろくな未来が待っていない。できれば、今からでも逃げ出したいと思ったほどだ。  だが逃げ出そうにも、すでにキグナス号の搭乗ゲートは閉じている。そして逃げ出す理由がないのも今更だった。 「では、私はジェノダイト様と殿下のお部屋まで伺うことにします。良かったですね、今夜は個室が用意されていますよ」  わざとらしくお辞儀をしたアセイリアに、キャンベルは「この悪魔」と心の中で毒づいた。あれだけ自分を翻弄したのだから、どう考えても予行演習する必要があるとは思えないのだ。だとしたら、自分と関係したのはこのことを見越していたとか思えない。そこでアセイリアに男がいると言うのは、目隠しとしてはこれ以上ない効果的なものだった。 「しくしく、本当に傷物にされてしまった……」  体以上に、心を傷つけられた気がしてならない。絶対に悪魔だと、キャンベルはこれ以上関わるものかと固く決意したのだった。  キャンベルから離れたアセイリアは、先を行くジェノダイトに追いついた。そこで並んだ彼女を見たジェノダイトは、「怖いな」と評してくれた。 「ここまで、キャンベルを利用するのか?」 「少なくとも、無理矢理ではありませんでしたよ。双方合意の上のことですから、今更とやかく言われるようなことではないと思います。そもそも私を家に連れ込んだのは、キャンベルさん自身ですからね」  「怖くなんか無いですよ」と笑うアセイリアに、どこがだとジェノダイトは言い返した。 「彼女は、君の手のひらの上で踊らされただけだろう」 「手に負えないと分かっているのに、無理に飛び込んでくる方が間違っていると思いませんか?」  その程度ですと言い切ったアセイリアは、そこで自分の後ろを確認した。 「一体、どう言う仕掛けなんでしょうか?」  何のことかと振り返ったジェノダイトは、「ああ」と小さく頷いた。 「この辺りの技術は、まだテラノには導入されていなかったな。空間制御技術による乗員の誘導を行っているのだ。だから我々以外は、オリエンテーションのため会議室へと連れて行かれたことになる」 「つまり、この前にあるのが皇女殿下のお部屋と言うことですか」  人の考え方では対等になれても、技術面では大人と子供以上の差がある。皇女専用機と言うのだから、帝国でも最高の技術が導入されているのだろう。 「それでどうする? マリーカ艦長を私が連れ出せばいいのかな?」  それは、自動的にアズライトと二人きりになることを意味している。皇女殿下の安全を考えたら、本来避けなければならないことだった。特にキグナス号の艦長が、簡単に言うことを聞くとは思えなかった。 「できれば、そうしていただければありがたいですね。ただ、艦長に手を出すと、後から問題になりますから気をつけてください」 「皇女殿下を傷物にすることに比べれば、騒ぎになるようなことではないと思うのだがね」  言い返したつもりのジェノダイトに、「そうですか」とアセイリアは口元を歪めさせた。 「リルケに行った時、何が起こるのか考えた方が良いかと思いますよ。帝国全体ではなく、ジェノダイト様個人にどう言う問題が起きるのでしょう」  トリフェーン皇妃が待ち構えているのだから、間違いなく事情がややこしくなってくれるだろう。なるほどとそう言うことかと、ジェノダイトはアセイリアの指摘を受け入れることにした。 「大人しく、別室で待機する程度にしておくよ」 「今回は、その程度で大丈夫だと思いますよ」  さてと言って、アセイリアはドアの前で呼吸を整えた。ガイドシステムが連れてきたのだから、これがアズライトの部屋に入るドアに違いない。 「では、ジェノダイト様」  立場上、ここはジェノダイトが先に入る必要がある。アセイリアに促され、ジェノダイトはドアをノックした。この会見を持って、センテニアルからの物語はひとまず幕を下ろすことになるのだろう。そして新たな物語の序章が、ここから始まることになるのだと。  アズライトの部屋で待っていたのは、部屋の主であるアズライトと、そしてキグナス号艦長のマリーカだった。ジェノダイトとアセイリアを招き入れたマリーカは、二人を椅子に座らせ自分は飲み物の用意を始めた。そして紅茶に似たお茶の用意ができたところで、「殿下」とアズライトに声を掛けた。 「ありがとうマリーカ。それから小父様、無理を申し上げて申し訳ありませんでした」  小さく会釈をして、アズライトは自分の席に腰を下ろした。軌道ステーション上陸時と違い、長い黒髪をねじりアップにし、着ているものはシンプルなセーターとスカートだった。  一方ジェノダイトとアセイリアは、軌道ステーションに居た時と服装を変えていなかった。 「今更説明の必要はないと思いますが、今回のグリゴン行きの目的は懲罰です。帝国皇女暗殺未遂と言うのは、間違いなく第一級の国家犯罪です。私自ら、グリゴン領主ガガロヅグ一等侯爵の責任を問います。それだけならテラノは関係しないのですが、私の命を守ってくれたお礼に、テラノにも機会を与えることにしました」 「皇女殿下のお気遣いに感謝を申し上げます」  椅子から立ち上がり、ジェノダイトとアセイリアはアズライトに向かって頭を下げた。 「私がガガロヅグを罪に問う前に、あなた達にも時間をさし上げることにします。そこで何をしようとしているのか、そして何か支援が必要かを教えなさい」  それが依頼ではなく命令なのは疑いようはない。それを理解したジェノダイトは、説明をアセイリアに任せることにした。グリゴンとの勝負の前に、アズライトとの勝負を決着させておく必要があったのだ。 「その説明は、統合司令本部を代表してアセイリアから差し上げます」  説明し給えと言う命令に、アセイリアは小さく頷いた。 「ジェノダイト様にもご承認いただいた方針ですが、我々テラノはグリゴン、並びにザイゲルとの友好関係樹立を目指しています。したがって、今回グリゴンに対して補償を要求しないことにします。そしてその代わり、テラノに対して必要な支援を実施すること。そして、各種交流の実施を要求します」  まっすぐ自分を見て語るアセイリアに、やはり並ではないのだとアズライトは評価した。ただ評価こそしたが、今の話だけでは不足し過ぎると考えていた。 「あなたのことだから、何か策があってのことだと思うけど?」  それを説明しろと命令され、アセイリアは小さく頷いた。 「その前に、いくつか無理な要求をしようかと思っています。先のテロで、2万人の爵位保有者と3万1千人の民衆が命を落としています。グリゴンに対して、倍の処刑を要求いたします。倍の数にするのは、懲罰的意味を含んでいるとご理解ください」 「そんなもの、グリゴンが大人しく言うことを聞くはずがありませんね」  テラノと言う立場からの要求であれば、彼らは間違いなく突っぱねてくれるだろう。そして自分を頼るのであれば、興冷め以上に裏切られた気持ちになってしまう。 「そうですね。彼らの犯行であることは証明できますが、だからと言って彼らが大人しく要求を飲むことはないと思っています。ですから、こちらは報復テロを起こすことに致します。皇女殿下にお願いしたいことは、お名前をお借りすることと、グリゴンの関係者を集めていただきたいと言うことです。特に上位爵位保有者の子女を、会談を開催する場所の周辺に呼び寄せていただきたいのです。名目ならば、いかようにも立つと思っています」 「そこでテロを起こすわけですね。でも、それをしたら先ほどの友好と言う説明と食い違うことになりませんか。そして一言テロと言うけど、この程度の数でテロが起こせると思っているのですか? どうやって武器を持ち込むつもりなのかしら? もしかして、私はあなたのことを過大評価していたのかしら?」  少し挑発気味な言葉をかけたアズライトに、アセイリアの表情は少しも変化しなかった。 「友好的な関係を構築したいと言うのは本当のことです。ただ、地球で彼らが好き放題してくれたことも確かなのです。その報復、若しくは償いがなければ、地球の人々は納得してくれないでしょう」  アセイリアの説明に、「それで」とアズライトは先を促した。 「私達は、本気でテロを起こす必要はありません。ただ、それが出来るのだと信用させる必要があるだけです。そのための仕掛けの一つが、有力者の子女を集めることです。そしてもう一つの仕掛けが、皇女殿下のお名前を利用させていただくことです。まだメインベルトでの戦いの記憶が新しいことも、仕掛けを有効にするための要素となります」  淡々と説明するアセイリアに、アズライトは口を挟まなかった。 「センターサークルのメンバー達に、皇女殿下のお力を借りて作成した爆弾を持って、各施設を視察して貰うことにいたしました。そしてそれを本物らしく見せるため、小さな爆発でデモンストレーションしようかと思っています。その上で、ガガロヅグ一等侯爵閣下に、起爆スイッチをお渡ししようかと思っています」 「どのスイッチを押すのか、グリゴン総領主に決めさせようと言うのね?」  アズライトの指摘に、アセイリアはそのとおりと頷いた。 「おおまかな筋書きは、今説明したとおりです。もちろん、状況に応じて対応を変えることを考えています。後は、度胸とはったりが勝負と言う所でしょうね。その辺りは自信があるので大丈夫だと思いますよ」  自分を見てニッコリと笑うアセイリアに、忌々しそうにアズライトは顔を歪めた。彼女の質が悪いのは、アズライトが一番知っていたのだ。筋書き自体はシンプルだが、うまく立ち回れば効果的なのは疑いようがない。 「そこで、ガガロヅグの心を折るつもりですか?」 「溺れている所に、藁を差し出すだけですよ。やり過ぎないようにすることが、今回のペテンで一番重要なポイントですからね」  機嫌の悪い自分に対して、アセイリアの表情は最初から少しも変化をしていない。ただ受ける印象は、自分に対する優越感だろうか。はっきり気に入らないと、アズライトは彼女に対して反感を覚えていた。 「私が、大人しく言うことを聞くとでも思っているのですか? ヨシヒコを人質にすれば、私が要求を飲むとでも思っているのかしら? あまり、私のことを甘く見ないで欲しいものですね」  アセイリアのことは評価しているが、だからと言って好意的になれるとは限らない。むしろ、気に入らないことの方が多かったのだ。しかも直前の分析では、アセイリアが男と寝ているのが分かってしまった。これまでの関係からして、その相手が誰なのかが想像できてしまうのだ。それがまた、アズライトの心をささくれ立たせてくれていた。 「私は、皇女殿下を甘く見たことなどありません。ただ、そうですね、意外に隙が多いとは感じています」  挑発するようなアセイリアの言葉に、とうとうアズライトは感情を押さえられなくなってしまった。どんとテーブルを叩いて立ち上がったアズライトは、「ヨシヒコを返しなさい!」と大声でアセイリアに言った。 「テラノには、ヨシヒコ・マツモトなるものはいません。いてはいけないと言うのが、領主府付きの者としての答えになります。私達としては、涜聖を許すわけにはいかないのです」 「初めから私を騙すことを計画した者の言葉ではありませんね。私が小父様と話をしている時間を利用し、あなた達はヨシヒコと砂袋をすり替えました。そしてそれを誤魔化すため、あなたは敢えて私の前に顔を晒した。ヨシヒコが死んでいないのは、踏み込んできた兵士がいつの間にか一人増えたことが証拠です」  はっきりと興奮して大声を出すアズライトに、マリーカは止めなければと間に入ろうとした。だが彼女の行動を、ジェノダイトが先に牽制をした。 「ジェノダイト侯、なぜ邪魔をされる!」  船の中では、マリーカこそ最高権力者となる。ただでは済まさぬと凄んだマリーカに、ジェノダイトは表情を変えずに後ろのドアを指さした。そして半ば強引に、マリーカをアズライトの部屋から引きずり出した。約束通り、これで部屋にはアズライトとアセイリア二人きりの状況が作られた。 「マリーカを連れ出して、どう言うつもりなのかしら?」 「皇女殿下が好きにできるような環境を作っただけのことです。止めるものがいなければ、殿下は私を好きにできるでしょう。それこそ八つ裂きにするなり、ラルクを使って灰にするなり、お好きになさって頂いても結構なのですよ」  さらに挑発されたアズライトは、切れそうな心を抑えるため、二度ほど大きく深呼吸をした。 「その手の挑発には乗りません。二人きりならはっきり言えますが、あなたはヨシヒコと寝ましたのね。頑なにヨシヒコを隠すのは、私に渡したくないからでしょう。自分に自信のない女は、そうやって立場を利用して男を監禁するのですね」  逆に挑発し返したアズライトに、「それで」とアセイリアは微塵も感情を動かさずに言い返した。 「そうやって答えを誤魔化す事こそ、後ろめたいことがある証拠でしょう!」  椅子を倒して立ち上がったアズライトは、立ちなさいとアセイリアに命令した。そして大人しく従った彼女に、感情的な命令を発した。 「あなたは、誰と寝たのですか。嘘偽りのない答えを私にしなさい!」  大きな身振りで命令を下したアズライトに、アセイリアは初めて顔に表情を表した。ただその表情にしても、アズライトを憐れむようなものだった。 「意味のない命令は、あなたの価値を下げるものだと気づかないのですか?」 「それを考えるのは、私のすることです。あなたは、大人しく命令に従いなさい!」  そう言って詰め寄られたアセイリアは、小さくため息を吐いて表情を厳しくした。 「では、命令にしたがって私が寝た相手をお教えいたします」  一歩アズライトに近づいたアセイリアは、その口からアズライトが想像もしなかった名前を口にした。 「私が寝たのは、キャンベル・アペンディッシュと言う女性です。今回、同行者として彼女も連れてきていますよ」 「女と……私に嘘を吐くとは、命がいらないのですかっ!」  さすがに切れたアズライトは、脅しをかけるためにラルクを使おうとした。だが、アズライトが左手を上げようとするのよりも早くアセイリアが動いた。  いきなり左手を掴んだアセイリアは、左手でアズライトの体を引き寄せ唇を塞いだ。そして掴んだアズライトの左手を自分のスカートの中へと導いた。その時感じた感触に、アズライトは驚いたように大きく目を見開いた。 「これでも分からなければ、あなたのことを見限りますよ」  その一言でアズライトを縛ったアセイリアは、壁際に置かれたソファーに彼女を押し倒した。 「ヨシヒコなの……でも、あなたは女性だったはず」 「ちょっとした魔法を使っただけだ」  聞こえてきた男の声に、これは幻なのかとアズライトは自分の心を疑った。ただ、それならそれでも構わないと、アズライトはアセイリアを求めた。両手をアセイリアの体に回し、何度も何度も唇を求めた。息をするのも忘れ、二人は唇を重ね続けた。 「灰かぶりの姫の物語には続きがある。俺は、あなたとの物語を作っていくつもりだ」  協力してくれるか。プロポーズとも取れる言葉に、アズライトは「はい」と素直に答えたのだった。  あの場から連れ出した以上、事情を説明してもらう必要がある。そして皇女殿下専用船の艦長として、事情説明を受ける権利があるはずだ。マリーカが、ジェノダイトに答えを迫ったのは、立場を考えれば正当なことに違いない。  だが答えを求められたジェノダイトは、場所を変えることをマリーカに提案した。 「関係者が揃っていた方が、説明にも都合がいいのでね。なに、今の皇女殿下を害する事ができないのは、あなたが一番分かっているはずだ」  ラルクだけでなく、キグナス号は彼女のために作られた船なのだ。それを考えれば、ジェノダイトの指摘は一つも間違っていることはない。しぶしぶそれを認めたマリーカは、どこに行くのだと質問を変えた。 「うちのスタッフの集合場所だ。そろそろ、種明かしをする時なのでね」 「種明かし?」  それは何かと聞いてきたマリーカに、後のお楽しみだとジェノダイトは答えを先延ばしにした。  その頃キグナス号の会議室には、センターサークルの10人と、ジェノダイトのスタッフ4人が集合していた。そこでまったりとした空気が流れていたのは、ジェノダイトとアセイリアがいないことが理由だった。二人が皇女殿下と話をつけに行ったのだから、仕事は二人が帰ってきてからでいいと思っていたのだ。乗船にあたってのオリエンテーションも、特に不思議なことは一つもなく終わっていた。 「グリゴンと友好関係を築くか……考えてみれば、ずいぶんとぶっ飛んだ考えだな」  ベースとなるアイディアは、自分達が持ちだしたものだった。ただ、それを考えても、本気で実現しようと考えるのが恐ろしい。ぶっ飛んだと評しはしたが、できたら凄いとマイケルは口にした。 「そうね、あのザイゲルが本気で受け入れてくれるのかしら。それを何とかしようとするのは、さすがはアセイリアだと感心するわ」  マイケルに同意したイリーナだったが、だけどと言って男たちの顔を見た。 「あなた達は、アセイリアに男が居てショックだったんじゃないの? ここ数日ってことは、間違いなく退院してからの事になるのよ。やっぱり、いい女には男が付いてくるものなのね」  残念だったわねと慰めるようで馬鹿にされた男たちは、努めて平然を装い「別に」と言い返した。 「あら、負け惜しみ?」  挑発したイリーナに、ボリスが「別に」と繰り返した。 「男を知っているのなら、逆に攻略の糸口が見えたと言うものだ。取り付く島も無いのとは違うからな」  寝とってしまえばいいと、ボリスは平気で怖いことを口にしてくれた。 「いや、確かに言っていることは間違ってないけど……」  そしてあろうことか、イリーナもそれをあっさりと認めてくれた。「どうしてですか?」とキャンベルが会話に着いて行けないと諦めた時、ジェノダイトがマリーカを連れて現れた。 「ジェノダイト様、もうお話はお済みになられたのですか?」  慌てて立ち上がった中から、一番爵位の高いマイケルが代表してジェノダイトに質問をした。 「ああ、グリゴンへの対処方針についての説明は終わった。今は皇女殿下が、自らアセイリアに問いただされているところだ。極めて私的な話だから、私達は遠慮して戻ってきたのだ」  そこで顔を見られたキャンベルは、諦めたように大きくため息を吐いた。そしてこっそりと、一人化粧室へと入っていった。 「私的な話、でありますか」 「ああ、皇女殿下にとってはとても重要な話だ。まあ、乗船前の話を蒸し返したと言うことなのだがね。そう言うことなので、私達は話が終わるまで待つ必要がある」  つまり、ヨシヒコ・マツモトのことでやりあっていると言うことになる。なるほど重要だと、全員がその話の意味を理解した。 「アセイリアの相手が、ヨシヒコ・マツモトではないかと問い詰められているのですか」 「まあ、そう疑われても不思議ではない状況だろう。すまないが、誰か私と船長に飲み物を用意してくれないか?」 「それならばキャンベルさんに……」  任せようとしたディータだったが、どこにもキャンベルの姿が見当たらなかった。 「キャンベルさんなら、化粧室に入っていたような……」  確かそうだと答えたカヌカは、仕方がないと自分がお茶を淹れることにした。ぐるりと見渡してみると、爵位を持っていないのは、自分とウルフだけだったのだ。  自動急茶器を操作したカヌカは、人数分のコーヒーに似た飲み物を用意した。そして少しなれない手つきで、全員の前にそれを並べた。 「宇宙にいるのに、こうして地上と同じことが出来るのは不思議な感覚ですね。地球の軍艦でも同じことが出来るのかしら?」  カヌカに話を振られたディータは、少し考えてから「多分」と答えた。 「言われてみれば、確かに地上と同じようなことをしているけど。でも、ここまで同じかと言われると、ちょっと自信がないかな? その辺りは、技術の洗練さが違っているのが理由だと思うけど」 「多分、お金の掛け方も違うと思います。この船は、アズライト皇女殿下専用となっていますからね。おそらく、聖下専用船でもないと、この船を超えることは出来ないでしょう。他のご兄弟方より、アズライト皇女殿下は立派な船をお持ちです」  そうやってマリーカに説明されると、ますますアズライトが特別なものに思えてしまう。そしてそれを考えると、一人残され修羅場を繰り広げるアセイリアと言うのは、世界が違うとしか言いようがなかった。 「継承権をお持ちの方の中では、アズライト皇女殿下は特別な存在なのでしょうか?」  アセイリアの説明や、こうしてキグナス号を見せられれば、アズライトは特別なのだと思えてしまう。それをイリーナが気にした時、化粧室から女性が出てきた。長い黒髪にすっきりとした目鼻立ちをした姿の女性に、意外に早かったなと全員が考えた。 「アセイリア、意外に早かったのね。でも、どうして化粧室から?」  アズライトのところから戻ってくるのなら、入り口から入ってこなければおかしいはずだ。だが入ってきたアセイリアは、何も言わずにジェノダイトの横に腰を下ろした。 「アセイリア様、殿下とのお話はお済みになられたのですか?」  あの状況で、こんなに早く戻ってこられるはずがない。驚いた顔をしたマリーカに、「説明を始めようか」とジェノダイトが切り出した。 「皆には、正式な紹介がまだだったな。彼女は、私のスタッフの一人、キャンベル・アペンディッシュだ。そして彼女こそが、アセイリアのモデルとなった女性だよ」  さあと促されたキャンベルは、椅子から立ち上がって頭を下げた。 「初めましてと言うのは少しおかしいとは思いますが、改めて自己紹介させていただきます。キャンベル・アペンディッシュと申します。ちなみにこの髪は、ウイッグですので普段の私はショートヘアーをしています」  怜悧な顔つきも硬質な声の響きも、普段知っているアセイリアと区別がつかなかった。だがキャンベルがウイッグを外したことで、彼女がアセイリアでないことを全員が理解した。なぜ彼女がメンバーに選ばれたのか、その理由を正確に理解することが出来た。 「出発前のアセイリアは、君が扮していたと言うことか……」 「その通りですマイケル少佐」  柔らかに微笑む様は、まさしくアセイリアそのものだった。それを見せられれば、騙されるのも仕方がないと全員が諦めた。アセイリアの能力は望めないのだが、逆にハードルは下がったことになる。それを喜ぶべきかどうか、男たちはしばし頭を悩ませる事になった。 「つまり、今殿下の前にいるのがヨシヒコ・マツモトと言うことですかっ!」  自動的に辿り着く答えに、まずいとマリーカは立ち上がった。今の精神状態で再会させようものなら、間違いなくアズライトは平常心を保てなくなっていまう。  そんなマリーカを、落ち着き給えとジェノダイトは押しとどめた。 「大丈夫だ。彼女……彼は、限度を心得ている。皇女殿下が落ち着かれたら、間もなく二人で現れてくれることだろう。なに、間違いが起きたとしても、合意の上ならいくらでも取り繕うことは出来る。デュカリオット一等子爵殿、私の保証では不足ですかな?」  ジェノダイトの立場を考えれば、それ以上の抗弁はマリーカの首を絞めることになりかねない。そして大丈夫とジェノダイトが保証した以上、此処から先の責任はジェノダイトが持つと保証したことになるのだ。それを理解したマリーカは、仕方がないと溜息をひとつ吐いてから椅子を起こして腰を下ろした。 「ここは、殿下の思いが叶うことで良しと致しましょう」 「我々の方は、後始末が沢山残っているのだがな。以上で種明かしは終わりだが、何か質問はあるかね? ボリス少佐、どんな質問かな?」  ほとんど何も説明をしていないのだから、質問があるのは不思議ではない。すかさず反応があったのは、むしろ当然のことだとジェノダイトは受け止めた。 「キャンベルさんに質問なのだが、アセイリア……ヨシヒコに対してどんな気持ちを抱いているんだ?」  その意味で、ボリスの質問は期待はずれのものと言えただろう。さすがは若い男だなと気持ちを切り替え、ジェノダイトはキャンベルに答えるよう促した。 「そう言うことを私に聞きますか?」  恨めしそうにする顔は、まさしくアセイリアそのものだった。それもいいと感動する男たちに、キャンベルは「二度と関わりたくない」とはっきり言い切った。 「あの男は、絶対に女の敵です、悪魔です! あの男に関わっていたら、私は間違いなく不幸になってしまいます!」  アセイリアの顔をしてまくし立てるキャンベルに、これはこれで新鮮だなどと全員が感じていた。アセイリアで刷り込まれたおかげで、キャンベルがとても魅力的に見えていた。 「それでも奴と寝たと言う事は、それだけ魅力的だと言うことか」 「お姉さんとしては、可愛がってあげたいところね」  口を挟んできたイリーナに、キャンベルは慌てて「馬鹿なことを考えてはいけません!」と窘めた。 「可愛い顔をしていると思って油断をすると、絶対にひどい目に合うことになります。可愛がってなんて甘いことを考えたら、絶対に後悔することになりますからね。可愛い顔をしていますが、あれは間違いなく悪魔です! 人の心と運命を弄ぶ、悪魔に違いありません!」  力説するキャンベルに、「弄ばれたのだな」と全員が事情を理解した気持ちになっていた。そしてマリーカは、大丈夫なのかとアズライトのことを心配していた。キャンベルに指摘されて改めて気づいたのだが、すでにアズライトの心は大いに弄ばれていたのだ。それでも愛してしまう所に、女とは業の深い生き物なのだなとアズライトのことを考えた。 「なるほど、私の縁遠い理由が分かった気がする……」  一度女心を弄ばれてみるか。リルケまでなら、時間を十分に取ることが出来る。皇女殿下を弄ぶ悪魔ならば、きっと違った世界を見せてくれるだろう。堕ちてみるのも悪くはないと、マリーカはアズライトの目をごまかす方法を考えることにした。  アリエルが緊急プログラムの発動を放棄したのは、やっても無駄だと言う諦めからである。おかげでアズライトは、ひたすらヨシヒコだけを求め続けた。直接の性交渉に及ばなかったのは、アズライトが一番求めた物が心の繋がりだと考えれば不思議なことではない。ひたすら唇を重ね合わせ、二度と離さないとヨシヒコの体を抱きしめた。  しばらくヨシヒコを求め続けたアズライトは、1時間ほどしてようやく落ち着くことが出来た。それでもヨシヒコから離れず、膝に座ってその胸元にもたれ掛かるように体を預けた。頭がちょうど胸元にあるので、ヨシヒコの心臓の音が耳に聞こえてきた。はっきりとした、そして少し早い鼓動は、自分と同期しているようで嬉しかったりした。 「少しは落ち着いたか?」  髪を撫でられたアズライトは、ヨシヒコに小さく頷いた。そして体に回した両腕に力を込め、ぎゅっと自分の方へと抱き寄せた。 「いっぱい言いたいことが有ったけど、もうどうでも良くなりました……」 「じゃあ、種明かしは必要ないか」  ヨシヒコの言葉に、「種明かし?」とアズライトは小さく首を傾げた。 「ああ、俺が消えた時のことだ」  耳元で囁かれたアズライトは、「どうでもいい」と小さな声で答えた。 「その代わり、二度とあんなことをしないと約束して。ずっと一緒にいてくれるって約束して」  その可愛らしいお願いに、ヨシヒコは抱き寄せる腕に力を込めた。 「最初のは約束できるが……二つ目は難しいな。努力をしようにも、あまりにも立場が違いすぎるだろう。俺は、爵位も何も持たない一般人に違いないんだからな。その辺りは、デートしている時から変わっていないはずだ。第35大学のセラフィム・メルキュールより、今はもっと遠い所に行ってしまったんだよ」  それを乗り越える方法はあるのだが、ヨシヒコは敢えて口にしなかった。 「でも、その時より私にはできることが増えたんですよ。私の権限で、ヨシヒコを帝国第9大学に入れることも出来ます。私も入学すればいいから、そうすればずっと一緒に居ることが出来ます」  帝国第9大学の意味は、ジェノダイトのデーターでヨシヒコも理解していた。そこに入ることができれば、確かに多くの問題は解決するのだろう。ただそれにしても、すべての問題が解決していないのを知っていた。 「俺は、大学のことを言っているのではないのだがな。第9大学は、爵位も持たない俺が入るところじゃないだろう。周りからみて、俺はアズライト皇女殿下に相応しい男じゃない」  わざと他人行儀な言い方をしたのは、お互いの立場をはっきりさせる意味を持っていた。立場の違う、そして周りから認められない恋人は、幸せにはなることができないのだと。 「だったら、あなたは小父様の養子になりなさい。小父様にも、それぐらいの責任はあるはずです。小父様にはお子さんがいないのだから、いずれ養子をとらないといけないのでしょう? 一等侯爵家なら、私の嫁ぎ先としてもおかしくないはずです」  敢えてヨシヒコが口にしなかった方法を、いい考えだとアズライトは持ちだした。だがその考えを聞いたヨシヒコは、「だめだ」と間違いようのない答えを口にした。 「養子の話自体、一度ジェノダイト様に持ちかけられたのは確かだ。だから、それが一つの方法であるのは否定しない。だが一等侯爵家に嫁ぐと言うのなら、俺は受け入れる訳にはいかないと思っている。俺は、入院中に継承権を持つ5人の皇太子殿下、そして皇女殿下を分析したんだ。そしてアズライト様、あなたが一番次期皇帝に相応しいという結論に達した。他の4人じゃ、アルハザー聖下の跡を継ぐには不足過ぎる」 「あなたにいいように弄ばれた私が、皇帝に相応しいと言うの?」  今度のことで、自分の評価が地に落ちたことをアズライトは意識していた。ただアセイリアがいたお陰で、まだ候補として生き残っているだけなのだ。その意味で、アセイリアの代わりはヨシヒコでも問題はないのだろう。だが自分の評価が落ちたままでは、結局皇帝は弟か妹に引き継がれるとアズライトは考えていた。 「他の4人は、間違いなく小物だ。それが分からないようなら、今の聖下もその程度と言うことだ。だったら、お前は俺の所に嫁いでくればいい。ただのアズライトとして、一生俺が幸せにしてやる」  「それから」とヨシヒコは不遜にも言い切ってみせた。 「弄んだのは俺だからな。ただ、相手が悪かっただけのことだ」 「すごく、偉そうですね……」  不満気に顔を上げたアズライトに、ヨシヒコは黙って口づけをした。そしてもう一度胸の辺りに顔を抱き寄せ、天敵だからなと言ってのけた。 「ただ、お前のためにもそれだけで終わらせるつもりはない。その手始めとして、地球とザイゲルの関係を変えてやろうと思ってる」 「一般人の言うことではないのですけどね……」  それでもヨシヒコは、自分をいいように弄んだ男なのだ。そして誰よりも自分が愛した男でもある。 「私に手伝えることがあるのならなんでも言ってください。あなたは、私のイーリ・デポスなのですから」 「別れた半身か? ずいぶんとロマンチックなことを言うのだな」  からかうようなヨシヒコに、「仕方がない」とアズライトは文句を言った。 「そうでなければ、皇女の私が一般人に恋をしないでしょう」 「なるほど、それも道理か……」  肩を押さえてアズライトの体を起こし、ヨシヒコは体を入れ替えるようにして起き上がった。 「もう、行くのですか?」 「説明を聞きたくてウズウズしている奴らが大勢いるからな。俺には、そいつらを納得させてやる責任があるんだ。なんだったら、一緒に付いてくるか? その時は、ちゃんと身だしなみを整えるんだぞ」  ヨシヒコが着崩れてをしていないのに比べて、自分の格好はかなり酷いことになっている。スカートが床に落ちているのは、全体から見ればまだ可愛い方に違いなかった。髪も乱れているから、身だしなみを整えるのには時間がかかりそうだった。 「今はやめておきます。みなには、夕食の時に顔を合わせるでしょ?」  それまで我慢すると答えたアズライトが可愛くて、ヨシヒコはゆっくりと唇を重ねた。 「ああ、その時に紹介すればいいな」  そう答えたヨシヒコは、口元を引き締め表情を作り替えた。男性的だった顔も、ゆっくりと女性的な顔に変貌していった。その辺りは、メンタルのコントロールが大きく影響していた。 「しばらくは、アセイリアの顔と使い分けないといけないですね」  声の方はどうにもならないので、小型の変声機を利用していた。もともと男としては高めの声をしていたヨシヒコだが、お陰で硬質な女性の声に変わっていた。 「相変わらず、男にしておくのがもったいないぐらい綺麗ですね。でも気をつけてください。軍の男の人って、相手はどっちでも構わないと聞いていますからね」 「アズライト様に喧嘩を売れる者は、この銀河にはそうそう居ないと思いますよ」  失礼しますと頭を下げて、アセイリアはアズライトの部屋を出て行った。それを笑顔で見送ったところで、アズライトは横に倒れてソファーに横たわった。その時の顔は、彼女に似合わずしっかりにやけていた。 「仕返し、しなくても良かったんですか?」  いきなり目の前に現れたアリエルは、少し冷たい視線をアズライトに向けた。だが皮肉を言われても、受け取る方が幸せボケをしていては意味が無い。にへらと顔を緩めたアズライトは、何のことと本気で分からないと言う顔をした。 「いえ、アズライト様がそれで良ければ問題ありません」  もしかして記録更新をしていないか。短期間に連発したため息に、アリエルは「良かったのでしょうね」と現実逃避をすることにした。 Chapter 3  アズライトが乗り込んでくるのは、しでかした事実からすれば当たり前のことだと考えていた。厄介だと思っていたのは、説明の通じる相手ではないと言う天災皇女への評価である。その意味で、1ヶ月以上時間が開いたことは、ドワーブには予想外のことだった。おかげで、自分達も準備を整えることができたのだ。 「天災も地に落ちたと言うことか」  ふっと鼻で笑ったドワーブに、そばにいた男は「然り」と小さく頷いた。ドワーブより若く、体も小柄な男は、「腑抜けたのでしょう」とアズライトを評した。 「天災と言っても、しょせんは女だったと言うことです。ただ、我らにとって都合がいいのは確かでしょう。これで、皇女対策もやりやすくなりました」 「ゲービッヅ、お前には期待しておるのだぞ」 「総領主殿のご期待に沿えるよう努力いたします」  恭しく頭を下げたゲービッヅは、それではと言って資料を展開した。 「皇女が出発を遅らせたのは、間違いなくテラノが理由になっています。正確に言うのなら、アセイリアと言う女が理由となっています」  長い黒髪の女性を表示したゲービッヅは、そのプロフィールをドワーブに示した。 「隠された経歴が多いな」 「はい、それゆえジェノダイトの隠し子ではないかとの噂が出ております。その真偽は分かりませんが、我々がマークすべき相手であるのは確かでしょう。情報が確かなら、我らの工作を見破ったのはこの女と言うことです。仕留めたはずの皇女を救ったのも、この女であるのは間違いありません」  ゲービッヅの説明に、ドワーブは渋い顔をして頷いた。 「この女が居なければ、我々は皇女を仕留めたばかりでなく、3000隻もの損害を出さずに済んだと言うことか……」 「艦隊戦には関わっていないのでしょうが、ツヴァイドライグが自由にできれば、あの戦いは違ったものになっていたのは確かです。我々は、テラノの実力を過小評価したことを反省する必要があります。己の力を過信し、テラノの分析を怠ったことが、今回の敗因となっております」  耳に痛い指摘に、思わずドワーブは顔を顰めてしまった。ゲービッヅ達からは、作戦が稚拙だと言う上申が出ていたのだ。ただその上申は、ドワーブを含む上層部が握りつぶしたと言う事実がある。そして手痛い敗北で、ゲービッヅ達を重用せざるを得なくなってしまった。 「ならばゲービッヅよ、この女は何を仕掛けてくると考える?」 「テラノの内部事情を考えれば、何らかの報復を行ってくるでしょう。上位の爵位保有者2万と、市民に3万の死者を出しております。帝国法に従えば、これは我々に対して責任を問うことのできる事案です。しかも記念すべき式典を妨害したのですから、彼らは我々に対する敵意を滾らせていることでしょう」  ある意味常識的な回答に、ドワーブは「ふん」と鼻で笑って見せた。 「たかが16名で、何ができると言うのだ? よもや、皇女に泣きついて懲罰を与えようとするのか?」  興ざめだと笑ったドワーブに、「いえ」とゲービッヅは否定した。 「皇女に泣きつくのではなく、利用することを考えるでしょう。そしてたかが16名と侮ることは、先の失敗を繰り返すこととなります。テラノの奴らは、己の命すら武器として使ってきます。ガルガンチュア閣下が命からがら逃げてきたことをお忘れなきように」  そのことを思い出すと、いまだにはらわたが煮えくり返ってくれる。命からがら逃げて帰った以上に、罠に嵌めたはずのツヴァイドライグに助けられたと言うのが、この上もない屈辱だったのだ。さらに腹立たしいのは、生還した者達がテラノに対して底知れない恐怖を抱いていたことだった。 「ならばお前はどうするのが良いと言うのだ?」  言ってみろと命じられたゲービッヅは、冷静な声で「こちらに」と新たなデーターを示した。 「帝国法、およびテラノの旧法を調べてみました」  確認をと言われて中身を見たドワーブは、「本気か?」と大きく目を見開いた。 「奴らを、友好的に迎えよと言うのか?」 「奴らに、余計なことをさせないためには必要なことと考えます」  そう言って頭を下げたゲービッヅに、ドワーブは机を蹴って「できるか」と大声を上げた。 「よりにもよってテラノに、媚を売れと言うのか!」 「媚ではありません。相手の攻め手をつぶすのが目的です。そもそも今回の不手際については、誰かに責任を取らせる必要があります。その責任を、処罰と言う形にすれば皇女に対する面目も立つのです。帝国法に則り、犯罪者を迅速かつ適正に処罰する。つけ入るすきを与えないのが、このたびの肝となってくれることでしょう。それともご領主様は、誰にも不手際の責任を取らせないおつもりですか」  アズライトに乗り込まれる理由を作ったのだから、確かに責任を問う必要がある。テラノは問題ないが、アズライトの場合は一つ扱いを間違えれば、最悪の結果になりかねない恐れがあったのだ。仕留めるべきところで仕留められなかった以上、ドワーブの立場は責任者を処断しなければならなかった。 「軍規に違反し、帝国法に反するテロ行為を行った。その罪を処断し、テラノには適当な補償をしてやればいいのです。我らにとってはごみでも、テラノには宝の山に見えることでしょう。そうすれば、テラノは我々に文句は言えても、それ以上の要求をすることはできません。皇女に対しても、テロは我々の意図する物でないことを示すことにもなります」 「あの女が、そんなに甘いと思っているのか?」  これまでの所業を考えれば、アズライトに対しては甘すぎるとしか言いようがないのだ。現皇帝もそうなのだが、アズライトはザイゲル連邦にとって天敵以外の何物でもない。ドワーブからすれば、口実が立つ程度で大人しくしてくれる玉では絶対になかったのだ。 「過小評価するのは宜しくありませんが、過大評価もまた己の立場を危うくします。テラノの男と恋に落ちたぐらいですから、皇女には普通の女の側面もあります。また恋をすることで、人として成長することにもなったのでしょう。人としての成長と言うのは、無邪気な振る舞いを抑制する理由にもなります。甘く見ていいことはありませんが、必要以上に恐れるのも宜しくありません」  その答えでは、ドワーブが納得しないことぐらいゲービッヅも理解していた。だから彼としては、いささか言い過ぎのことも口にしなければならなかった。 「それともご領主様は、他に方法があるとお考えですか。宜しければ、その方法をご教授願いたいのですが」  代案を言ってみろと言うのは、間違いなく立場を考えない言葉に違いない。だが代案を言えと言うのは、いかに取り得る方策が無いかを考えさせる意味も持っていた。  そしてこの反撃は、ドワーブを不機嫌にさせるのに十分だった。「もういい」とドワーブが声を荒げるのは、ゲービッヅも予想していたことだった。 「お前の言いたいことは分かった。もう下がってよいぞ!」 「僭越なことを申し上げたことをお詫びいたします」  ドワーブの怒りなどどこ吹く風と、ゲービッヅは恭しく頭を下げてから部屋を出て行った。出際に何か喚く声が聞こえたのだが、それも想定の内とゲービッヅは気にせずドワーブの下を去って行った。 「そろそろ、見限る時が訪れたのか……」  過去のいきさつを含め、帝国、正確には皇太子や皇女との関わりをゲービッヅは考察していた。そこで得た結論は、帝国はその安定のためザイゲル連邦を利用していると言うことだ。それに気づかず、まんまと皇帝の書いた筋書きの上で踊らされている。今回の事件も、皇帝アルハザーに踊らされた結果だとゲービッヅは考えていた。そのことに気づいていないところに、今のグリゴン、しいてはザイゲル連邦の限界があると思っていた。  それが分かるからこそ、ゲービッヅは様々な場面で上申と言う形で苦言を呈していたのだ。だがたかが一等子爵、しかも跡を継いでいない自分の意見など重用されることは無かった。そして自分の意見を無視した結果、こうしてにっちもさっちもいかない状況に追い込まれている。「見限る」と彼が考えたのも、変化の可能性を考えれば仕方のないことだった。 「ただ、見限ったとしても私には何の後ろ盾もない……」  ここでも、「たかが」一等子爵と言う立場が付いて回るのだ。今から帝国の番号付き大学に入学するにしても、ただ入学するだけでは特別な意味を持ってくれない。帝国の中枢に入り込まない限り、このままグリゴンに残るのと差が無かったのだ。アズライトを頼れればいいのだが、どう考えても可能性のある方法には思えなかった。  だからゲービッヅには、自分が正しいことを証明し続ける以外に出来ることがなかった。ただそのことにしても、上位者の反感を買うと言うリスクが大きすぎた。今回の提言にしても、おそらく採用されることは無いだろう。だとしたら、自分はどう立ち回るべきなのか。今回の出来事は、それを考えるきっかけとなっていたのだ。 「テラノは、若い、そして新しい力を取り入れようとしているのに……」  それが、総領主の度量の違いか。帝国有数の実力者が遣わされたまだ若い星を、羨ましいなとゲービッヅは考えていた。  ゲービッヅが推測した通り、ドワーブは彼のプランを採用しなかった。そしてその代りに採用したのは、徹底的に白を切ると言う状況を理解していないものだった。アズライトが居なければ一つの手段であるのは認めるが、対立を煽るだけの愚策だと彼は考えていたのだ。そしてアズライトが居る以上、白を切ることの効果は期待できない。テラノを突っぱねることはできても、天災皇女に燃料を注ぐことになるのは必定だった。  だがその方針で対処をしろと命じられれば、彼の立場は従う以外の道はない。そもそも事件に関与などしていないと突っ張る以上、相手の策略を阻止する必要があったのだ。 「敵は、アセイリアと言う女か……」  H種としては美形なのだろうと評価したゲービッヅは、再度彼女の考え方を整理することにした。驚くほど情報は少ないのだが、センテニアルへの対処、そしてアズライトを抑え込んだ方法を考えれば、かなりの絞り込みは可能だと考えたのである。 「まだ年若く、そして経歴の一切は不明か……経歴を隠すことに、どのような意味があると言うのだ?」  だからこそ、ジェノダイトの隠し子と言う噂がまことしやかに囁かれたのだろう。だがゲービッヅの考察には、誰と親子関係にあるのかはさほど重要なことではなかった。 「各所に経歴が存在しないと言うことは、さほど経験を積んでいないと推測ができる。ならば彼女の考えは、経験ではなく論理から導き出されたと考えるべきだろう。それがことごとく正解を引き当てるのだから、恐るべき相手と言って差し支えないか」  情報を集め、考察を続ければ続けるほど、相手が並ではないのが分かってしまう。攻略不能と言われた天災皇女と物質変換装置の組み合わせにしても、心理的な攻略策を実行してくれたのだ。その前にテラノの男性と恋仲になると言う偶然はあったが、それを利用したのは見事としか言いようがなかった。しかもツヴァイドライグとイェーガージェンヌの真贋を疑い、軍の協力なしに賛同者だけで適切な対処をして見せた。その思い切りもまた、凄いとしか評価のしようが無かったのだ。 「相手に不足はないと言う所だな」  不敵に笑ったゲービッヅは、考察から再度アセイリアの考えを整理することにした。 「テラノの事情を考えれば、我々から譲歩を引き出す必要があるはずだ。奴らは、艦隊の衝突を含め、一方的被害者と考えるだろうからな。しかも艦隊戦では、勝利したと思っているはずだ。だとしたら、民衆は弱腰の交渉を認めてはくれないだろう」  立場を入れ替えれば、自分達も同じことを代表団に求めるはずなのだ。譲歩どころか、関係者の引渡しを要求し、莫大な賠償金を要求するのは目に見えている。マルス外の戦いで見せた勇猛さを考えれば、似たような機運が盛り上がっているのは間違いないはずだ。 「そして馬鹿でなければ、我々が譲歩しないと言うのは理解しているはずだ。ならば、我々からどう譲歩を引き出すのか。皇女を使って脅しをかけるか、さもなければ別の手をとってくるのか。我々としては、皇女を使ってくれた方がありがたいのだが……」  そうすれば、アセイリアの実力は脅威でないレベルまで落ちてくれる。しかも皇女の報復もまた、テラノの支援に制限を受けることになる。手に負えない敵の誕生を防ぎ、被害のレベルを最小限に抑えることができるのだ。 「皇女を頼らざるを得ない状況を作ることに専念すべきか……だとしたら、アセイリアと言う女に、どのような策があるだろう」  ドワーブが笑ったように、たかが16人でできることなどたかが知れている。しかもそのうちの一人は一等侯爵だし、もう一人はアセイリア本人なのだ。たとえ軍人が8人いるとしても、武器を持ち込ませなければ脅威に数える必要はない。その状況で被害が出たとしても、痛手としては相手の方が大きくなるはずだった。 「だが、乗り込んでくる以上、何らかの策を立てていると考えるべきだろう。何もできないと高をくくるのは、我々にとって自殺行為に違いないのだからな。テラノにとっての勝利条件とは何か、まずそれを整理することにするか……」  いずれにしても、自分に残された時間はほとんどない。その中でどう成果を出していくのか、ゲービッヅは一人でその方法を考えることにした。  これはこれで良いものだ。代表団の男たちは、甘えるアズライトの姿をそう評していた。相手がアセイリアだと思えば、それはなかなか芳しい光景だし、相手がヨシヒコだと考えれば、微笑ましい光景に違いなかったのだ。ただ甘えるアズライトを前に行う話は、とても血なまぐさい計画のことだった。 「アセイリアの提案を検討した結果だが……」  テロ対策は専門家だと、ウルフは検討の結果を披露した。 「その結果、いくらでもテロを起こす手段があるのが判明した。必ずしも皇女殿下のお力を借りなくとも、武器は現地調達が可能だ。一応リストを作ったので、何ができるのか確認して欲しい」  そこでウルフから提示されたのは、ガスから爆発物まで、ありとあらゆるテロ用の武器の一覧だった。こんなにと驚くアセイリアに、ウルフは苦笑交じりに過去からの積み上げだと言ってくれた。 「昔からテロリストと言う奴は、武器を手に入れるため涙ぐましい努力をしてきたんだ。俺が提示したのは、その中で使えそうなごく一部と言うことになる。派手さを求めなければ、大量殺人もさほど難しいことじゃない」  そのリストに驚いたアセイリアは、もう一つの専門組織、陸軍にコメントを求めることにした。 「ゴロンダ少佐、ご意見がありましたら教えていただけませんか?」  アセイリアに指名されたアズガパは、黒い顔を少し赤くし、説明のために椅子から立ち上がった。 「ガスを使用するのは止めた方が良いでしょう。効果があるのはデーターから分かりますが、被害範囲を絞り込みにくくなります。送電網への攻撃は、難易度が高い割に効果が限定的です。したがって、こちらも排除した方が良いかと思います。一番利用しやすいのは、黒色火薬でしょうか。威力はさほどありませんが、使い方を間違わなければ効果を発揮させることができます。後は、多量にある硫黄を利用した、酸化剤の活用も効果的かと思われます」  アズガパの意見を受けて、「私が」とカヌカが発言を求めた。 「はい、カヌカさん」  アセイリアに指名されて立ち上がったカヌカは、地球で起きた過去のテロ事件をデーターとして提示した。 「効果的なテロと言うのは、破壊の大きさではなく、人の心に対する影響を考える必要があります。大きな破壊を行えば、それだけで心理的には大きなダメージを与えることができるでしょう。ただ、強力な爆発物を用意するのは、短時間ではかなり難しいかと思います。でしたら、小さな破壊でも、心理的影響が大きな場所を狙うのが得策かと思います。今回子供が集まると言うのなら、そこを襲うのはもはや定番と言って良いでしょう」  これまでテロを防ぐ立場だったこともあり、やられたら嫌なことは熟知していた。そんなカヌカに、ありがとうございますとアセイリアはお礼を言った。 「私達がテロを起こすためには、いくつか越えなければならないハードルがあります。武器の調達と言うのは、その第一にあるのは間違いないでしょう。ですがウルフさんのおかげで、武器の調達に目途が付きました。では、次の問題は、いかに効果的な破壊活動を行うのかと言うことです。そのためには難易度の割に、効果的な個所を割り出す必要があります。そして、テロなど起きない、起きたとしてもたかが知れていると言う考えを突き崩す必要があります」 「それを否定するつもりはないが、だが実現するとなると、俺達は自由に動けなさすぎる」  種が違うため、自分たちの姿は目立ちすぎるのだ。それを考えると、どこにでも自由に行けるわけではないだろう。その状況でテロを起こすのは、不可能とは言わないが、かなり困難であるのは間違いない。難易度を強調したウルフに、アセイリアは自覚していることを示した。 「最初の壁を乗り越える方法は、私が考えることにします。ですから皆さんには、効果的な場所の選定をお願いします。明後日グリゴンに到着しますから、最終方針は明日決定することにします」  以上と言って、アセイリアは今日の会合を終了させた。残された時間が短いこともあり、作戦の準備に時間を割く必要があったのだ。本気でテロを起こす必要はないのだが、本気にならなければ相手を騙すことはできないだろう。効果的なペテンにするためにも、実際のテロ以上に綿密な作戦と準備が必要だった。  失礼しますと会議室から出て行くアセイリアに、嬉しそうにアズライトが付いて行った。相手が「宇宙を飛び回る天災」と考えると、どうしても頭が付いて行かない光景でもあった。 「しかし、いつまでアセイリアは女の格好をしているんだ?」  アズライトにばらしたのだから、女でいる必要はない筈だ。そんなボリスの疑問に、同席したキャンベルがアセイリアに聞いた話だけどと切り出した。  アセイリアの正体をばらしたのに合わせ、キャンベルも普段の格好に戻していた。野暮ったいメガネをやめ、化粧も普段のものに戻したのである。アセイリアの面影があるためか、黒髪ショートもいいなと、ひそかに男たちが目を付けたと言われていた。 「身も蓋もない言い方をすると、男物を持って来ていないから。そして真面目な言い方をすると、グリゴンに用心をさせないためよ。ヨシヒコが居ると、間違いなく皇女殿下との関係を疑って来るでしょ?」 「皇女殿下とアセイリアがうまくいっていないのは、多分グリゴンにも知られているだろうからなぁ」  その意味では、アセイリアの正体はばらさない方が良い。確かにそうかと、マイケルはキャンベルの説明に頷いた。 「ところでキャンベルさん。この後時間がとれるかな?」 「はあ、一応部屋に戻って勉強するだけですが……」  なぜ自分に声を掛ける。胡乱な目をしたキャンベルだったが、そんな事情は関係がないようだ。それはいいと喜んだマイケルは、「協力して貰いたいことがある」と切り出した。この辺り、仕事に絡めたところがマイケルの作戦だった。  アセイリアに隙が多いと言われたキャンベルは、だったらとマイケルの誘いを受けようと考えた。ただマイケルの誤算は、この場にいたのがキャンベルだけではなかったことだ。 「奇遇だな、俺もキャンベルさんに協力して貰いたいことがある」 「あら、私も彼女に協力して貰いたいことがあるのよ」  ボリスやイリーナだけでなく、他のメンバーからも同じ申し出が殺到したのだ。こうなると、マイケル一人を特別扱いするわけにはいかなくなるし、キャンベルには特別扱いする理由もなかった。 「でしたら、場所をこのまま使えばいいと思いませんか?」  事情を理解できないこともあり、キャンベルはここで協力すると全員に申し出た。仕事の話ならば、ここでしても差し支えが無い筈だと思っていた。  そんなキャンベルの態度に、鈍感なのだと全員が彼女の考えを理解した。だとしたら、直球勝負をすればいいだけなのだが、この状況では結果は同じものにしかならないだろう。仕方がないとひとまず諦めたマイケル達は、真面目に仕事の話をすることにした。明日までに宿題を終わらせなければならない事情に、変わりは無かったのだ。  会議室を後にしたアズライトは、当たり前のように自分の部屋にアセイリアを連れ込んだ。そして部屋に入ってすぐ、アセイリアを抱きしめ唇を重ねた。背格好が似ていることもあり、並んでしまえば結構自由にできたのだ。  ゆっくりとアセイリアを堪能したアズライトは、ぱっと離れて皇女の顔に戻ってくれた。 「とりあえず、座ってくれますか?」 「必ず、キスから入るんですね」  アセイリアのままの答えに、アズライトは少し不満げに頬を膨らませた。 「二人きりの時は、ヨシヒコになってくれないのですか?」 「結構切り替えが面倒なんですけどね……」  そうは言っても、愛する人のお願いなのだ。一度目を閉じて精神を集中したアセイリアは、小さく息を吐いてから目を開いた。たったそれだけの動作なのだが、纏っていた雰囲気ががらりと変わってくれた。 「本当に器用ですね」  そう言って笑ったアズライトに、ヨシヒコは「慣れだ」と不機嫌そうな顔をした。 「学校で散々女の格好をさせられたからな」 「でも、それが役に立ったからいいんじゃないでしょうか」  そう言って笑ったアズライトは、本人に確認もしないで膝の上に腰を下ろした。 「いつ、抱いてくれますか?」  その爆弾発言を、ヨシヒコは冷静に受け止めた。 「リルケに行く途中、もしくはリルケに着いてからだな」 「そうですか、では後少しの我慢なのですね」  ヨシヒコの膝に横座りをしたアズライトは、首に両腕を回して体を預けた。 「ですが、我慢できそうにないのですけど?」  ねえと耳元で囁かれ、ヨシヒコは体に電気が走った気がした。ただグリゴンとの本番を前に、アズライトに溺れている訳にはいかなかったのだ。 「これから圧倒的に不利な戦いに臨むんだからな。お前に溺れている訳にはいかないんだ」 「でしたら、私がつぶしてあげましょうか。そうすれば、ヨシヒコ達も危ない目に遭わなくて済みます」  だからと甘えるアズライトに、ヨシヒコはもう一度「駄目だ」と繰り返した。 「グリゴン相手はそれでいいだろう。だがお前の両親を相手にするのに、それではどうにもならないんだ。グリゴンぐらい何とかできないようなら、俺とお前は不合格の烙印を押されてしまうだろう」 「だったら、私がヨシヒコの所に嫁入りすればいいだけでしょ?」  それで、自分の望むものを手に入れることができる。アズライトの言葉に、ヨシヒコは「駄目だ」と繰り返すことになった。 「言っただろう。次の皇帝は、お前が一番相応しいんだ。そんなお前の足を引っ張ったりしたら、俺は悔やんでも悔やみきれないことになる。お前を皇帝にして、そして俺は正々堂々お前の夫になってやる。グリゴンとのことは、その前哨戦にしか過ぎないんだ」 「ヨシヒコが覚悟を決めてくれたのなら……私は構わないのですけど」  でもと口ごもったアズライトは、顔を上げてヨシヒコの唇を求めた。そしてゆっくり離れてから、相手を甘く見てはいけないと忠告した。 「グリゴンも馬鹿ではありませんよ。アセイリアの情報を知っていますから、必ず対策を立ててくるはずです。隙を突いた私の時とは違いますからね」 「隙を突いた!?」  驚いた顔をするヨシヒコに、違うのとアズライトは下から見上げてきた。 「隙を突いたのではなく、隙を作るように俺が誘導したと言うことだ。その辺り、事実を正確に理解させないのも作戦の一つだったのだ。VXを一緒に経験した時点で、いや、最高の相性を示した時点で、お前は俺のものになるのが決まっていたんだ」  そう答えたヨシヒコは、少し照れたように言葉を続けた。 「俺が、お前に惚れちまったからお相子でもあったんだがな」 「それならば、今の失礼な言葉を許してあげましょう」  機嫌良さそうに顔をこすりつけて来るのは、まるで猫のようだとヨシヒコは考えていた。そして上から見下ろすアズライトに、結構まずいかなとも感じていたりした。たぶん意図してなのだろうが、セーターの首元から中がしっかり見えてしまうのだ。  しかも自分の気持ちを見透かしたように、「我慢は良くないですよ」と小声で囁かれてしまった。 「確かに、我慢は良くないんだが……」  このまま最後までと言う誘惑はあったが、それでもヨシヒコは我慢をすることにした。 「やっぱり、今日は駄目だな。グリゴンを片づけないと落ち着かないのもそうだが、まだ体力が回復してないと言うのもあるんだ。中途半端にしたくないから、もう少し待ってて欲しい」 「分かってたことですけど……」  はあと小さくため息を吐いたアズライトは、「頑固ですね」と耳元で文句を言った。 「悪いな。俺は、納得のいかないことをしたくない性分なんだ。それに、あいつらが努力している以上、俺がサボっていちゃ駄目だろう」  そう答えたヨシヒコは、目を閉じて精神を集中した。 「ですから、私はしばらくアセイリアでいないといけないのです」  がらりと雰囲気を変えたヨシヒコに、アズライトは「ちぇっ」と舌打ちをしたのだった。  実際に目にしてみるのは、ただ知識としてしているのとは大きく意味が違ってくる。ジェノダイトを除くテラノ代表団にとって、惑星グリゴンは初の地球外の有人惑星だったのだ。地球より少し大きく、そして黄色っぽく見える大地、同じく黄色っぽく見える海と言うのは、違った感慨を受ける物だった。 「これを見せられれば、宇宙と言うのが不思議なものだと理解できます」  はあっとため息を吐いたアセイリアに、同感だと隣でキャンベルも感嘆の声を漏らした。 「地球と似てない星を見られて良かったと思うわ。私は、アセイリアに感謝しないといけないわね」  地球に居た時は、どうしてグリゴンに行かなければいけないのかと思っていた。だが惑星グリゴンを目の当たりにして、とりあえず来てよかったと感動をしていたのだ。この後どんな展開があるのかは分からないが、これは大切にしなくてはいけない経験だと思っていた。 「これだけ環境が違えば、考え方が違っても不思議ではありませんね。私達は、違うのが当たり前だと思ってグリゴンとの交渉に臨む必要があります」  すでに戦闘モードに入っていることもあり、アズライトは側にはいなかった。ここから先、グリゴンとの交渉が終わるまでは、自分もまたアズライトの敵でなければいけないのだ。それを改めて心に刻み込んだアセイリアは、振り返って仲間達の顔をゆっくりと見渡した。難題と思われたテロの作戦も、すでに出来上がっている。初日に行われる観光と言う名の調査で、微修正を加えればいいだけの状況にまで追い込んであった。 「じゃあみなさん、準備は宜しいですね?」  気持ちが入り過ぎてはいけないことは分かっていても、やはり戦いを前にすれば気負ってしまうのだ。それを意識したアセイリアは、意識して笑みを作って見せた。 「どうです、私は普通に微笑んでいますか?」 「ごめんアセイリア。私には微笑んでいるようには見えないわ」  やはりそうかと、アセイリアは笑みを作ることを放棄した。その代わり深呼吸を一つしてから、隣に立つキャンベルの手をぎゅっと握った。 「アセイリア……」  突然のことに驚いたキャンベルに、アセイリアは正面を見たまま「申し訳ありません」と謝った。 「しばらく、こうさせていただけませんか?」  アセイリアの手が汗ばんでいるのを感じたキャンベルは、自分たちがどれだけこの女性……に負担を掛けていたのか思い知らされた気がした。ただのと言うのは語弊はあるが、数カ月前までは本当にただの高校生だったのだ。その高校生が、今は地球を代表してこんな所まで来ている。緊張するなと言うのが無理な相談だった。  そんなことを考えて手を握り返した時、キャンベルは胸がきゅんと苦しくなった気がした。 「いやいや、これは間違い、単なる気のせいだから……」  きっと空気が良くないのだと、キャンベルは胸が苦しいのを周りの空気のせいにすることにした。  さすがは帝国第二皇女と言うべきか、アズライトは下船するとき大勢の従者を連れて現れた。今まで一度も顔を合わせてないこともあり、さすがと驚く前に、どこにいたのだとアセイリアは疑問に感じてしまった。  だが受け入れる側のザイゲルは、これが当たり前と普通に接していた。厳つい男たちを前にしても、アズライトは普段と変わらず堂々と振舞っていた。 「久しぶりだな。ジェノダイト。このくたばり損ないめ」 「お前こそ、相変わらず顔色が悪いようにみえるのだがな」  はっはと笑った二人は、驚くアセイリア達の前でガッチリと握手をした。 「しかし、ここは相変わらず硫黄臭いな」  パタパタと手で煽ったジェノダイトに、ドワーブは苦笑を浮かべて「硫化水素だ」と言い返した。 「純粋な硫黄は匂いはしない」 「もっと悪い気がするのだがな。俺は、ここで卵料理を食べる気がしないぞ」  皇女の案内とは別に、ドワーブはジェノダイト達の方について歩いてきた。そのやりとりを見る限り、お互い古くから知っているようだった。 「ところでジェノダイト、お前の所にアセイリアと言う女はいるのか」 「アセイリアか」  ちょっと待てと言ってから、ジェノダイトはアセイリアを手招きした。 「アセイリア、これがグリゴン総領主ドワーブ・アム・グリゴン・ガガロヅグ一等侯爵だ。私との関係は、第9大学時代に飲み屋で殴りあった仲と言うところだな。ドワーブ、彼女がアセイリアだ。誓って言うが、俺の隠し子ではないからな」  やけに砕けた紹介に、アセイリアは驚いたように目をぱちぱちと瞬かせた。そんなアセイリアに向かって、ドワーブは「噂は聞いている」と言って右手を差し出した。 「天災皇女殿下を完璧に抑えこんだそうだな。是非とも、その秘訣を伝授してもらいたい。知っているかどうかは分からんが、ザイゲルにとって皇帝とその一族は天敵なのだ。奴らのせいで、一体どれだけ被害が出たことだろう」 「アセイリアです……あれは、たまたまアズライト皇女殿下だったからです」  恐る恐る差し出した手を、ドワーブはしっかりと握りしめた。 「なるほど、テラノの肌は柔らかいのだな」  にやぁと口元を歪められ、アセイリアは思わず背筋に寒気を感じてしまった。爬虫類的と言えばいいのか、異質さへの恐れが生まれてしまったのだ。しかもドワーブから、本質的な残酷さを感じ取ってしまった。今更だが、ここは敵地なのだと思い知らされた気分だった。 「今日は、ザビジェブを観光させてやればいいのだな」 「ああ、彼らにとって初の異星だからな。グリゴンがどんなところか、ぜひ見せてやってくれ」  ジェノダイトの言葉に頷いたドワーブは、「ゲービッヅ」と大きな声を上げた。その声に応えて現れたのは、ドワーブよりは小柄だが、地球標準では背の高い方に属する男だった。浅黒くひび割れた肌というのは、ザイゲル標準と言っていいのだろう。その浅黒い肌に、銀色の髪が不思議なコントラストを作り上げていた。 「テラノからのお客様だ。お前が案内して差し上げろ」 「御意。私が責任をもって案内致します」  丁寧に頭を下げ、ゲービッヅはこちらにどうぞとアセイリア達を手招きした。3人がジェノダイトの随伴に残ったため、総勢12名の団体となった。  ザイゲル連邦の主星、しかも首都ということで、ザビジェブの情報はシステムから引っ張りだすことが出来る。硫化物が多いと言う地域的特性のため、建築物は特殊ケイ素で作られたものが多くなっていた。感覚的には、ガラスとコンクリートの中間物質と言うところだろう。やけにつやつやとした肌理が特徴の物質だった。 「数値データーはご存知かと思いますので割愛させていただきます。まあ、百の言葉は一目に劣ると言うように、みなさんの目で実際にグリゴンを見ていただきましょう」  観光用の大型車に一行を連れ込んだゲービッヅは、進んでアセイリアの隣に腰を下ろした。 「これから3時間ほど街中を巡回してから、宿泊場所のホテルに案内いたします。皇女殿下とは別になりますが、今夜は簡単な晩餐を用意しております。それでは、皆さんザビジェブの街をお楽しみください」  その言葉が合図となったのか、一行を乗せた大型車がゆっくりと街中を進みだした。そして乗員各自の前に、案内のためのスクリーンが浮かび上がった。 「あなたの評判はこちらにも伝わってきています。あの天災皇女殿下を完璧に抑えこまれたそうですね」  よろしくと差し出された手を、アセイリアはしっかりと握りしめた。 「いえ、あれはたまたまとしか言いようがありません。しかも配慮が不足していたため、皇女殿下にお怪我までさせてしまいました」 「たまたまで、皇女殿下を抑えきることは出来ません。あなたは、それだけの実力をお持ちだと私は考えています」  そう言い切ったゲービッヅは、だからと言って口元を歪めた。 「あなたは、私の敵だと思っています。ここはテラノでは無いことを、しっかりと教えこんで差し上げましょう。皇族と違い、あなた達に遠慮する必要はありませんからね」  いきなりの宣戦布告なのだが、アセイリアは気にしたそぶりも見せなかった。 「私は、敵対したいとは思っていません。そもそも帝国に加わって100年しか経っておらず、その間他の星系との関わりも殆ど無いのがテラノと言う星です。敵を作るほどの存在感があるとは思っていませんよ」  建前を口にしたアセイリアは、「ですが」と表情も変えずに剣呑な言葉を口にした。 「振りかかる火の粉を払う用意はあります。私達をなめてかかると、また痛い目にあうことになりますよ」 「私達の星で、どこまで出来るのかお手並み拝見という所ですか。これで、明日からの会談が楽しみになりました」  表情が分かりにくいのだが、ゲービッヅは本気で楽しみにしているようにアセイリアは感じていた。そしてこの男が障害かと、性格の分析にとりかかることにした。  緊張をはらんだ市内観光は、巨大なホテルに到着したことで終わりを迎えた。グリゴン随一と言われるホテルは、部屋数の多さ、そして施設の面で超一流に分類されたものである。  ホテルに入ると、硫化水素の臭いがぱったりとしなくなった。そして肺に入る空気も、明らかに新鮮なものに変わっていた。それまで見かけなかった生花が飾られ、壁には絵画や彫刻が飾られている。センス的に相容れないところはあるが、それを除けば立派と言って差し支えなかった。 「確かに、超一流とされるだけのことはありますね」  感心したアセイリアに、少し得意気に「ここは特別です」とゲービッヅは答えた。 「ザイゲル連邦の上級爵位保有者のために用意されたホテルです。明日には、皇女殿下をお迎えするため、連邦から大勢の爵位保有者が集まってきます。歓迎の晩餐も、ここの大広間で開催されます」  自慢気に重要情報を教えられ、アセイリアは一瞬罠かとその意図を疑った。だがこれまでの分析で、ゲービッヅは自己顕示欲が強いという結論に達していた。それを考慮すると、本気で自慢したかったのだろう。 「私達が見たこともない規模のホテルだと思います。きっと、素晴らしい晩餐になることでしょうね」 「ええ、その時はあなたを皆に紹介したいと思います。天災皇女殿下を押さえ込んだあなたは、我ら連邦にとっては神のような存在ですからね」  にこりともしないで言われると、本気で言っているのかどうか疑いたくなる。だがそれを指摘しても面白く無いと、アセイリアは変化球をゲービッヅに投げ込んだ。 「あまり天災と繰り返されると、皇女殿下がますます調子に乗られますよ……と言うか、呼ぶより誹れと言うのは真実ですね」  そう言ってアセイリアが頭を下げた先には、黒髪を肩口で揃えた女性が立っていた。いったい何がと驚いたゲービッヅに、アセイリアは「アズライト皇女殿下です」と教えた。 「早速、抜けだされてきたのですか?」  ため息混じりに話しかけたアセイリアに、アズライトは「はぐれたのだ」と嘯いてみせた。 「まったく、皇女を置いて行くとは礼儀がなっていませんね」  困ったものですと猫をかぶったアズライトに、「定義の問題ですね」とアセイリアは答えた。 「敢えてはぐれたのを、置いて行かれたとはいいません」 「だったら、あなたが私を捕まえてみますか? 天災皇女を抑え込んだことで有名なアセイリアさん?」  どうと挑発したアズライトに、アセイリアは表情も変えずに言い返した。 「今回私は、その役目にありません。もちろん、私達の邪魔をするのならその限りではありませんけどね」 「邪魔をして欲しいのですか?」  どう? と問いかけられたアセイリアは、「退屈だから嫌だ」と挑発を返した。 「場所を変えても、殿下は私には勝てませんよ」 「それが本当か試してあげてもよろしいのですが……でも、今日はグリゴンで遊ぶことにいたします」  それではと一言残し、アズライトはその場から遁走してくれた。少し遅れて関係者が現れたのだが、その頃にはアズライトは壁の中に消えてしまっていた。 「お気の毒に……としか言いようがありませんね」  あたふたとする関係者を見て、アセイリアは可哀想にと同情してみせた。そしてアセイリアの横では、ゲービッヅがしっかり顔を引き攣らせていた。 「もっと人員を掛けないと、捕捉することも出来ないのではありませんか?」 「人手をかけたぐらいでどうにかなる相手ではないのですが……」  小さくため息を吐いたゲービッヅは、「失礼します」とアセイリアに謝った。 「人に任せておいたのが失敗でした。私も、殿下の対策班に合流いたします。3時間後に迎えを出しますので、それまでゆっくりとしていてください」  もう一度アセイリアに頭を下げ、ゲービッヅは急いでホテルを出て行った。その後姿を見送ったアセイリアは、仲間達に目配せをして部屋にはいることにした。すでに敵地に入った以上、確認の打ち合わせですらリスクとなってしまう。ここから先は、各自の判断で行動する必要があった。幸いなことに、街中を見た範囲で計画に修正も必要なさそうだった。 「ひとまず、休憩を取りましょう……」  本当にゆっくり休めるのかは疑問だが、ここでおかしな仕掛けはないと割り切ることにした。そしてゲービッヅの態度で、アセイリアはグリゴンの対応方針を推測することができた。 「何もなかったことで突っぱねる。どうやら、その方針で来るようですね」  地球を下に見ているのだから、十分にあり得る方策だと思っていた。アズライトの力を借りない限り、突っぱねられれば地球側にそれを覆すだけの力は無い。帝国法を盾に取るにしても、嫌になるほど時間が掛かることは分かっていたのだ。そして言い逃れの方法なら、それこそ星の数ほど見つけることができた。  それが分かっていても、愚かな選択だとアセイリアは考えていた。何もできないはずの地球側なのだが、その気になれば、いくらでも対処方法があったのだ。こうして首都まで招き入れたことが、彼らにとっての失敗だったのだ。相手にする必要が無いと突っぱねるのなら、相手にしなければいけない状況を作り出してやればいい。皇帝の趣向を考えて、どの方法が一番面白いことになるのかをアセイリアは考え直すことにした。  部屋に入って3時間後、一行は着替えをしてロビーに集まっていた。ただ着替えをしたと言っても、シャワーを浴びて制服を新しいものに変えただけだった。それ以外の時間は、自分の仕事の確認と休息に当てられた。 「意外に快適ってところ?」  カヌカの感想に、全員が小さく頷いた。さすがは超一流と言うだけに、設備そのものが良く出来ていたのだ。技術的にグリゴンの方が進んでいるのだから、意外と言うのは失礼な決めつけに違いない。アセイリアを捕まえたカヌカは、お約束のようにアズライトの行状をあげつらってくれた。 「早速、皇女殿下は天災ぶりを発揮したと言うことね」  案内役が振り回されたのだから、アズライトの本領発揮と言う所だろう。さすがねと感心したカヌカに、アセイリアは少し口元を歪めて微妙なことを口にした。 「普通は、そう見えますよね」  そう言って笑われ、カヌカは違うのかと驚いた。別行動をとったスタッフ達からも、グリゴンが振り回されていると言う情報をもらっていたのだ。これでも控えめなのかと驚いたカヌカに、方向性が違うのだとアセイリアは笑った。 「何のために、皇女殿下を誑かしたと思っているんです?」 「いやぁ、その言い方っておもいっきり差し障りがあるんだけど」  よりにもよって、皇女殿下を「誑かした」と言い切ってくれるのだ。はははと顔を引き攣らせたカヌカに、事実は変わりませんよとアセイリアは答えた。 「皇女殿下には、重要箇所を確認してもらっているんです。私達が行くと目立ちますが、皇女殿下ならいつもの行動ですからね。ついでに、いくつか置き土産をしてきてもらいました」 「アセイリア、私はあんたが恐ろしいわ」  事もあろうに、皇女殿下を顎で使っているのだ。相手が天災皇女だと考えると、恐れいったとしか言いようがない。さすがのグリゴンも、皇女殿下が使われているとは想像もしていないだろう。  だが恐ろしいと言うカヌカの評価は、アセイリアには不服だったようだ。 「手伝いたいとダダをこねられたのは私ですよ。しかたがないので、殿下向けのお仕事を作っただけです」  だから自分は悪くは無い。そう言うかと、カヌカはアセイリアに呆れていた。 「殿下も女ってことかしら。あんたに点数を稼いでおきたいのね」  はあっと息を吐きだしたカヌカは、キャンベルの話を持ちだした。 「あんたの身代わり。あの子が、あんたのことを悪魔って言ってたわ。人の心と運命を弄ぶ悪魔だって力説していたのよ。皇女殿下を見ていると、まんざら嘘じゃないように思えてきたわね」 「キャンベルさんがそんなことを言っていたのですか?」  驚いた顔をしたアセイリアは、それから少し邪悪に口元を歪めた。 「キャンベルさんにはお仕置きが必要ですね」 「浮気は、ほどほどにね」  自分には関係ないと、カヌカは関わらないことにしていた。ヘタに興味を持つと、泥沼に沈み込みそうな予感がしていたのだ。 「そう言ってくださるのはカヌカさんだけですね。どう言う訳か、男の方のアプローチが直接的になってきたんですよ。男同士なんて、絶対に私は嫌なんですけどね」  嫌そうにするアセイリアに、「あいつらか」とカヌカはニヤけた男たちを思い出していた。標的をキャンベルに変えたのかと思ったのだが、裏ではアセイリアを誘惑していたと言うのだ。よくやると、本気で感心してしまっていた。 「可愛い男の子が好物って奴も沢山いるからね。せいぜい、お尻に気をつけることね」 「その辺り、高校の時から変わっていないと言うことですか」  困ったものだと、アセイリアは深い溜息を吐いた。背も低いし顔つきは女だし、女装すれば綺麗なのかもしれいないが、自分はれっきとした男なのだ。今までに、男相手にときめいたことなどただの一度もない。それどころか男相手など、絶対に御免こうむると強く考えていたぐらいだ。付け加えるなら、陸軍系の女性もごめんだと思っていた。 「そちらの方は逃げ切ってみせますけど……」  ふっと小さく息を吐き出したアセイリアは、真面目な顔をしてカヌカの耳元に顔を寄せて囁いた。 「カヌカお姉さま、今度色々と教えて下さいませんか?」  油断していたカヌカは、その瞬間背中に電気が走った気がした。そして、これがそうなのかと、キャンベルが力説する理由が分かった気がした。確かにこれは、自分でも狂いかねない。本能で危険を感じていても、逃げ出せない自分がいるのを理解してしまうのだ。  早く誰か助けてくれないか。自分では脱出不能のトラップに落ちたカヌカは、騎兵隊の登場を強く願ったのだった。  アズライト向けのレセプションは別と言うこともあり、テラノ代表団向けのパーティーはこじんまりとしたものになっていた。それでも人が集まったのは、テラノへの興味とアセイリアへの興味が強かったと言うことだろう。実際立食パーティーでは、アセイリアの周りに人だかりができたほどだった。  上位役職者がアズライトの方に行っていることもあり、こちらのパーティーは男爵級が多数となっていた。軍関係が多いのは、それだけ爵位が与えられやすいと言う事情からである。この辺りは、地球でも似たような事情があった。おかげで、小柄なアセイリアは巨漢の中に埋もれてしまっていた。 「グリゴンは、余程皇室に痛い目に遭わされているのですね」  漏れ聞こえてくる話は、いずれも天災皇女を抑え込んだことに対する称賛なのだ。偏見のあるH種に対して称賛の言葉を贈るぐらいなのだから、それだけ痛い目に遭っている証拠でもある。少し離れたところで料理を摘まんでいたキャンベルは、「アズライト様って」と天災と言われる皇女のことを思い出した。 「綺麗な顔をしているのに、余程えげつないことをしているのね。初心で性悪って、凄くアンバランスだわ」  ほっと息を吐き出し、肉らしきものの塊を口に放り込んだ。アセイリアの周りには人だかりができているが、それ以外の地球人は相手にもされていなかったのだ。その中で例外があるとすれば、宇宙軍所属の二人ぐらいだ。それにしても、「狂ってるだろ、お前らは」と言う、どちらかと言えば批判的なことを言われていた。 「ほんと、涙と鼻水を一緒に垂らしていた人と同じ人とは思えないわ」  その現場を目撃しているだけに、キャンベルには「天災」と言われてもピンとこなかったのだ。だがグリゴンの人達は、アセイリアに対して惜しみない賛辞を送っていた。 「悪かったですね。初心で性悪な女で」  誰も聞いていないと思ったからこそ、安心して悪口を言うこともできる。そして絶対に本人が居ないと分かっているからこそ、皇女殿下を馬鹿にすることもできたのだ。その意味で、キャンベルは大きな勘違いをしていたことになる。アズライトが、大人しく晩餐会に出ていると考えること自体が甘かったのだ。  隣から聞こえてきた声に、キャンベルは油の切れたブリキ細工のようなぎこちなさで声のした方を見た。そしてそこに、居てはいけない人の姿を見つけてしまった。髪をショートに変えてはいるが、綺麗な顔つきはそのままのアズライトがそこに立っていたのだ。 「こ、皇女殿下っ……」 「大きな声を出さないでください。私は、ここに居ないことになっているのですからね」  平然とした顔で、アズライトはアセイリアが呑み込まれた集団の方を見ていた。 「あ、あの、いつこちらにお出でになられたのですか?」 「あなたが、私の悪口を言っている辺りですね」  悪口とはっきり言い切られ、キャンベルの顔色ははっきり悪くなっていた。しかもアズライトは、そんなキャンベルに追い打ちまで掛けてくれた。 「そう言えば、あなたへ仕返しがしてありませんでしたね。ヨシヒコは許しましたけど、あなたを許す理由はありませんからね。しかも、あなたは私のヨシヒコと寝ましたよね。ヨシヒコを誘惑した罪の償いはしてもらいますよ」 「あ、あれは、私が襲われただけで……」  相手が天災皇女と考えると、仕返しも可愛い物であるはずがない。どうしてそう言うことになるのだと、キャンベルは責任者を呼び出したい気持ちになっていた。もっとも、責任者が来たら来たで、状況はもっと悪くなりそうで怖かった。 「ヨシヒコを、無理やり自分の家に連れ込んだと聞いていますが?」 「あ、あれは、目的が違って……ですね」  ああ、これで自分の運命が決まってしまった。お父さん、お母さん、ごめんなさいとキャンベルは心の中で繰り返し謝った。天災皇女殿下の恨みを買ったら、どう考えても未来があるとは思えなかった。 「殿下、あまりキャンベルさんをからかってはいけませんよ」  もうそろそろ恐怖に卒倒すると感じたところで、騎兵隊と言うのか救いの神が現れてくれた。いったいどんな嗅覚なのかと疑問は感じたが、アセイリアの登場にとにかく助かったとキャンベルは安堵した。 「私に、聞こえるように悪口を言うからいけないのです。十分に不敬罪に当たることかと思いますよ。アセイリア、あなたの教育がなっていないのではありませんか?」  頬を膨らませて文句を言うところは、掛け値なしに可愛らしいのだろう。だが不敬罪と言う言葉に、キャンベルは生きた心地がしてくれなかった。 「教育って……キャンベルさんには、色々と教えていただきました。結構、可愛らしかったですよ」  どうしてそう火に油を注いでくれるのだ。可愛らしいと言うのは誉め言葉のはずなのだが、少しも嬉しいとは思えなかった。 「ところで、晩餐会はどうなされたのですか?」  この時間、アズライトは晩餐会に出ているはずなのだ。おそらく今頃は、主賓が消えて大騒ぎになっていることだろう。あっさりと話題が変わったところを見ると、自分のことはどうでもよかったようだ。 「ああ、あまりにも退屈でしたから抜け出してきました」 「きっと、大騒ぎになっているのでしょうね」  ゲービッヅを思い出したアセイリアは、可哀想にと同情していた。ただ自分の仕事ではないと、同情以上のことをしようとは考えていなかった。そしてその代りに、グリゴン側の神経を逆なですることを考えた。そのあたり、遠巻きにして自分達を見るグリゴン側の出席者の目を意識したのである。 「せっかくお出でくださったのですから、グリゴンの若手軍人とお話ししていただけませんか? 彼らの前で、私も少しいいところを見せておこうかと」  お願いしますと背中に手を当てられたアズライトは、当たり前のようにアセイリアに反発した。 「どうして、私があなたの指図を受けないといけないのです?」 「その方が、面白いと思ったからです。それ以上の説明が必要ですか?」  声が大きいのは、グリゴン人たちを意識してのことに違いない。この辺りのやり方もえげつないと、キャンベルはアセイリアのことを評価していた。 「却下です。どうして、面白くもないことを私がしなくてはいけないのです!」  帰ると背中を向けたアズライトに、「少しお待ちを」とアセイリアは後ろから近付いた。そして周りから聞こえないよう、何事かを耳元で囁いた。その時キャンベルは、アズライトの背筋がぴんと伸びたのに気が付いた。 「た、たまには、いいかもしれませんね……」 「しばらくしたら、お迎えが来るかと思います。お時間は、それまでで結構ですよ」  このことは、対策本部に連絡が言っているはずなのだ。それを考えれば、若手の相手もさほど長い時間ではないはずだ。 「私を、引き渡すつもりですか?」 「いえ、拘束するのはそこまでと言う意味です。そこから先は、私の顔もつぶれませんからご自由にどうぞ」  さあとアセイリアは、アズライトの背中を押して巨漢の中に入って行った。  「宇宙を飛び回る天災」と言う二つ名はあるが、相手は皇位継承権第三位を持つ皇女殿下である。ここに居るような下級爵位保有者では、言葉を交わすことなどあり得ないことだった。あまりのことに感激するのと同時に、小さなアズライトに対して全員が畏怖を感じていたのだ。  そんなグリゴンの若手達の間に入り、アセイリアは会話のきっかけを作っていた。初めは自分から話題を振り、そしてアズライトの答えに対して若手達から意見を言わせる。アズライトが真摯に答えたおかげで、次第に話が盛り上がって行った。 「ほんと、策士だわ……」  どこまで示し合わせているのか分からないが、これでアズライトやアセイリアに対する心象はかなり変わったはずだ。特にアズライトについては、単なる天災だけでないことを分かってくれるだろう。 「小さなことだが、グリゴンにとって大きな意味を持つだろうな」  隣に並んだマイケルに、キャンベルは「その通り」と小さく頷いた。 「ここに居ると言うことは、それなりの役目を負っているとも考えられますからね。彼らの意識を変えることは、私たちにとっていいことに違いありません」 「そうだな……」  相手を懐柔するには、硬軟取り混ぜて考えておく必要がある。それを平然とやってのけることを、凄いなと改めてマイケルは評価していた。  そんなことを考えていたら、どう言う訳かアセイリア一人が輪の中から抜け出てきた。本気ですかと驚く二人の前に現れたアセイリアは、「餌を置いてきた」と平然と言ってのけてくれた。 「置いてきちゃっていいの?」 「本人も、貴重な機会だと喜んでいるから宜しいのではありませんか。それに、今の殿下は誰も害することはできませんからね」  キャンベルの飲んでいた飲み物を取り上げ、喉が渇いたとアセイリアはぐいっとそれを飲み干した。 「こうして、有望な若手から意識を変えて行こうと言うのね?」  凄いなぁと感心したキャンベルに、アセイリアは「まさか」と言下に否定した。 「将来を嘱望されるような若手が、私達との懇親会に来ると思いますか? 彼らは、先の見えた下級の爵位保有者ばかりですよ。これは、意識を変えるのではなく、揺さぶりをかけているんです。立場は低くても、彼らは圧倒的多数ですからね」  そう言って笑ったアセイリアは、そろそろかしらと入り口の方を見た。そして示し合わせたのかと言いたくなるタイミングで、会場のドアがいきなり開かれた。先頭に居るのは、どうやらゲービッヅのようだった。  それを確認したアセイリアは、アズライトに向かって「上」を指さした。そんなアセイリアに頷き、アズライトはラルクを使って非在化し、上の階へと移動していった。「しまった」と言う声が聞こえてきたところを見ると、上への移動は想定外のようだった。 「一度見失ってしまうと、私以外では探し出せないでしょうね」  ほほほと笑う所は、まるで悪の首領のようだった。男のくせにどうしてこんなに似合っているのか。そのあたりを、とことん問い詰めてみたい気持ちになっていた。 「それで、揺さぶりってどう言う意味?」 「説明は少し待って貰えますか。どうやら、ゲービッヅさんが苦情を言いたそうなので」  こっそりと指さされた先を見ると、不機嫌そうなゲービッヅが近づいてくるのが見えた。次のおもちゃはあの男かと、キャンベルとマイケルは、可哀想にと同情をしていた。 「なぜ、引き留めておいてくださらないのです!」  息を切らして近づいてきたゲービッヅは、開口一番アセイリアに文句を言った。訪問を意味のあるものにするためには、協力してしかるべきだと考えていたのだろう。 「協力いたしましたよ。ですから、しばらくこちらに引き留めたではありませんか。発見した殿下を取り逃がしたのは、そちらの落ち度だと思いますけど」 「引き留めるのなら、最後まで責任を持っていただきたいっ!」  一応アセイリアの答えは理屈が通っていたが、だからと言って承服できるものではない。自分を責めたゲービッヅに、アセイリアは冷たく言い返した。 「あなたは、私に向かって敵と仰ったのですよ。ここはテラノと違い、グリゴンなのだと。私に協力を期待するのは、さすがに虫が良すぎるとは思いませんか? それとも、敵と言った非礼を詫びて、私に協力を求めますか? 友好的関係を求めるのであれば、協力することは吝かではありませんよ」  自分の言葉を持ち出され、ゲービッヅはそれ以上アセイリアを責めることはできなかった。下級士官の前で恥をかかされたと思ったのか、浅黒い顔が赤黒く変わっていた。 「確かに、あなたに頼るのは間違いでした。皇女殿下は、私達が確保して見せます!」  失礼と捨て台詞を残し、ゲービッヅはパーティー会場を出て行った。踏み込んできてから、5分にも満たない短い時間の出来事だった。 「さて、まだ時間は十分にありますね。皆さんも、まだ話し足りないかと思います」  どうですかと尋ねられたグリゴンの出席者は、口を揃えて同感だと答えた。どうやら無様な上官に対して、遠慮する気持ちはないようだ。 「でしたら、もう一度皇女殿下にご登場願いましょうか」  それが出来たら満点なのだが、その皇女殿下は立った今逃げ出したばかりのはずだ。さすがにそれは無いだろうとグリゴン側が顔を見合わせたところで、アセイリアは仲間の一人に声を掛けた。 「アズガパさん、後ろに隠れている皇女殿下をお連れ願えますか?」 「それはいいのだが……」  嘘だろうと振り返ったアズガパは、そこに居た女性に目を丸くして驚いてしまった。 「皇女殿下、お願いですから心臓に悪いことはお控え願います」 「まったく、アセイリアは目敏いですね。あなたを含めて、裏をかいてやったつもりでしたのに」  こちらはこちらで小さくため息を吐いて、アズライトは仕方がないと真ん中に進み出た。 「私には勝てませんよと、申し上げましたよね?」 「その言葉、いつか後悔させて差し上げます」  悔しそうに言い返したアズライトは、地球側の出席者の方を振り返った。 「あなた達は、私とお話をしたくはないのですか? 今のままだと、グリゴンの若手に後れを取ることになりますよ」  こんなことをアズライトに言われて、見ているだけで済ませるわけにはいかない。「望むところです」と腕まくりをして、マイケルが率先してグリゴンの輪に加わって行った。そしてマイケルに遅れ、他の9人も輪の中に加わった。そしてアズライトを中心に、帝国のありかた、双方の関係について口から泡を飛ばす勢いで議論を始めてくれた。  白熱する議論を見て、輪に加わらなかったキャンベルはアセイリアに近づいてきた。 「本当に、あなたのことが恐ろしく感じるわ」 「せっかくの機会ですからね。私が皇女殿下を独占していてはいけないと思っただけです。そしてこれは、皇女殿下のためでもあるんですよ」  小柄なアズライトは、巨漢に囲まれ姿が見えなくなっていた。そんなアズライトを、アセイリアは人の背中越しに優しい目で見つめていた。 「でも、皇帝って小さなことを気にしてちゃいけないんでしょう? だとしたら、ここでの話はあまり意味がないんじゃないの?」  皇帝が気にするのは、顔の見える個人ではなく、総体として臣民である。アセイリアの説明を聞いていたことあり、キャンベルはアズライトのためと言う説明に疑問を感じていた。 「それは、ここで聞いた話をどう受け取るかによって変わってきます。彼らの夢、希望を政策に反映させるのは、各星系の領主の仕事です。ですが、グリゴンとしての考え方を理解するのは、アズライト様にとって無意味なことではありません。上位の爵位保有者と下位の爵位保有者の考え方の違いを知るのは、これからグリゴンやザイゲル連邦と付き合っていく上で大きな意味を持ってきます。彼らの不満の方向が分かれば、それこそ内乱を起こしてやることも可能なんですよ。聖下の楽しみ方も、幅が広がることになるでしょうね」 「やっぱり、あんたは恐ろしいわ……」  好意に思える配慮が、実はとんでもない悪意に繋がっている。それを平然とやってのけるアセイリアを、キャンベルは本気で怖いと感じていた。自分より5つも年下のくせに、逆立ちしても敵わないと思えるほど色々と考えているのだ。 「残念ながら、この程度ではアズライト様をお助けするには不足ですよ。何しろ相手は、宇宙一の問題児と性悪ですからね。それに比べたら、グリゴンなんて可愛い物です。キャンベルさん。私は、本気でグリゴンと仲良くしたいと思っているんですよ。ただ、そのための手段を選んでないだけのことです」  その考え自体も、自分の想像を超えたものだった。帝国に加わって100年しかたっていない辺境の住民、しかも爵位も持っていない子供が、皇帝を相手に知恵比べをすると言っているのだ。経験も少なく、権力基盤の無い少年が、知恵と言う武器だけで、巨大な相手に挑もうとしている。それを気負いもなく口にするだけで、本当に凄いと思えてしまう。 「キャンベルさんにお願いがあるんです」 「私に? また、変なことをしようって言うんじゃないでしょうね」  教えて欲しいと言われた結果を思い出すと、お願いと言われても用心してかかる必要がある。 「変なこと……ですか? ですが、キャンベルさんは喜んでいたじゃないですか」 「だから、そう言う話だったら聞く前から断るからね!」  大声を出すわけにもいかず、キャンベルはアセイリアだけに聞こえるように文句を言った。 「大丈夫です。その時は、キャンベルさんに断る自由はありませんから」 「それぐらいの自由は残しておいてよ!」  やめてと懇願されたアセイリアは、にっこりと笑って「冗談です」と答えた。 「あんた、本当に女の敵ね」 「私は、キャンベルさんの味方ですよ。だから、将来有望な男性達に引き合わせてあげたじゃないですか。せっかく誘惑してくれるんですから、誰かの誘いに乗ればいいのに」  全部ばれているのか。空恐ろしく感じたキャンベルに、「その方が身のためだ」とアセイリアは告げた。 「私に付いてきたら、幸せな結婚生活は望めませんからね。ジェノダイト様がお一人でいるのは、皇帝聖下と皇妃殿下に魅入られたからなんですよ」 「だから、あなたに付いて行くつもりなんて無いんだって」  前提からおかしいと文句を言ったキャンベルに、アセイリアは自分の思いを口にした。それは、「自分に付いてくる」と言う言葉を説明するものだった。 「あと数日で、アセイリアと言う女性は消滅することになります。ヨシヒコ・マツモトが復帰するのですから、仮初の姿は必要なくなるからです。ですが、アセイリアの名と、担ってきた役割は残ってしまうんですよ。ヨシヒコに戻った私は、地球ではなく皇女殿下のために働こうと思っています。だからキャンベルさんには、私の代わりにアセイリアになっていただきたいと思っているんです」 「絶対に無理!」  言いたいことも分かるし、そのための下地を用意していたのも知っている。アセイリアとヨシヒコの関係を誤解させたままにしたのも、これが理由だと考えれば納得できる。それを理解したうえで、キャンベルは絶対に無理と否定したのだ。形は整えられても、能力を引き続ぐことなど絶対にできない。求められているのは、アセイリアと言う名の人形ではないのだから。 「どうして、無理だと思ったんですか?」 「理由を言うと、一つ一つ否定されるから言いたくない! とにかく、無理な物は絶対に無理!」  頑なに否定するキャンベルに、アセイリアは小さくため息を吐いた。 「どうしても、ですか?」 「私にできると考える方がおかしいの。それをちゃんと分かってる!?」  絶対に駄目と繰り返すキャンベルに、アセイリアは攻め方を変えることにした。ただ拒絶されることは、最初から予定していたことだった。 「アセイリアは、ヨシヒコの支援を受けていると考えられているんですよ」 「そう言う考えがあることは認めるわ……だから、なに?」  嫌な予感に、キャンベルは背中に冷たいものが流れていくのを感じていた。どんなに拒絶しようとも、最後には丸め込まれてしまうのではないか。いや、その気にさせられてしまうのではないかと恐れていた。 「だから、私との関係がばれても誰も疑問に感じないんです。むしろ、周りを納得させることができますね。そして親密な関係なら、私があなたを支援しても少しもおかしくない」  予想通りの答えに、キャンベルは背中に電気が走ったような気がした。理性では否定したいのだが、痺れるような甘い感覚が心を犯そうとしていたのだ。いつの間に調教されてしまったのかと、自分でも不思議に感じるほどだった。 「あ、アズライト様が許すはずがないでしょう!」 「キャンベルさんは、拒まないんですね」  だったら大丈夫。その囁きに、キャンベルは自分が堕ちていくのが分かってしまった。年下のこの男は、とことん自分の弱いところを突いてきてくれる。そして自分の前に、どうしようもなく魅力的な世界を差し出してくれるのだ。その魅力の前に、未熟な自分が抗えるはずがない。 「拒める、はずがないじゃない……」  悪魔に魅入られた時点で、ただの人は堕ちても仕方がない。悪魔との契約書に、キャンベルは自分からサインをしてしまった。 Chapter 4  翌日の朝は、小さな騒ぎから始まった。朝食が終わって集合したところで、ホテル全体がざわめいているのに一同は気づいた。 「なにか、事件が起きたようだな」  代表となるジェノダイトは、確認のためネイサンを呼び出し情報を引き出した。 「警察の前で、車両10台が消滅したそうだ。事故ではないらしいから、何らかの破壊活動が行われたのだろう。今のところ、それ以上の情報は出ていないな」 「破壊活動ですか。グリゴンの中も、一枚岩では無いのですね」  治安関係が襲われると言うのは、事件としてはかなり重大な部類に分類される。それなのに、アセイリアの顔には少しも動揺したところは見られなかった。 「我々を気に入らない者がいてもおかしくはないな」 「まあ、H種は彼らの敵ですからね」  そう思っているのなら、もう少し危機感が有ってしかるべきだろう。だが二人とも、どこか遠いところで起きた事件のような顔をしていた。 「まあ、困ったことといえば、多少迎えが遅くなる程度か……どうやら、破壊されたのは我々の乗る車両だったようだ」  やれやれとため息を吐いたジェノダイトは、会談に出席しない10人に自由行動の許可を出した。会談に出席しないこともあり、少しでもグリゴンの情報を入手しようと言うのである。 「もちろん、安全については自己責任となる。まあ君たちの場合、多少のことなら切り抜けることが出来るだろう。一人にならないことを条件に、各自自由に行動してくれたまえ」 「では、我々は自主的に視察を行わせていただきます!」  ジェノダイトに向かって、マイケルが代表をして敬礼をした。各自制服を着ている所を見れば、公式の活動と言って問題はない。 「ああ、実りある視察にしてくれたまえ」  ジェノダイトは10人に敬礼を返し、気をつけてと言って送り出した。  ジェノダイト達6人に迎えが来たのは、予定より30分ほど過ぎてからの事だった。ネイサンの情報通り、予定していた車両が使えなくなったことが遅れた理由だった。  「申し訳ありません」と謝ったのは、昨日のパーティーで見た男だった。やはりゲービッヅは来ないかと、アセイリアは見えないところで笑っていた。これでこそ、アズライトを利用してからかった甲斐があると言うものだ。 「ゲービッヅ一等子爵様はどうされているのですか?」  それでも確認したアセイリアに、迎えに現れた男は「ご存知なのでしょう」と言って苦笑らしきものを浮かべた。 「失礼いたしました。私はガルーズと申します。一応一等男爵の身分を持っています。昨夜は、アセイリア様のお陰で貴重な経験をさせていただきました」 「こちらこそ、皆様の真摯なご意見を賜われたことに感謝致します」  そうやって挨拶を交わしたところで、「飛び回っています」とガルーズは答えた。 「どうも、朝から行方をくらましてくださったようです」 「それを捕まえようとしているのですか。まったく、無駄な努力をされているのですね」  ふふと笑ったアセイリアに、「全くです」とガルーズは恐縮した。彼の視線の先では、アセイリアが皇女殿下の頭を撫でていたのだ。 「こんな事もあろうかと、捕まえておきました」 「人を、迷子の犬のように言わないでください!」  すかさず文句を言ったアズライトに、アセイリアはニヤリと口元を歪めた。 「確か、迷われたと言っておられませんでしたか?」 「そんなことを言いましたかしら?」  アズライトはそう言って、明後日の方向を向いた。その反応に小さく噴き出したアセイリアは、苦労しているだろうゲービッヅへの助け舟を出すことにした。 「可哀想ですから、ゲービッヅさんに教えておいてください」 「どうやら、その方が賢明なようですね」  グリゴン人にしては柔和な笑みを浮かべて、ガルーズは部下に連絡を入れるようにと命じた。この対応を見ていると、どうやらガルーズには自分たちに対する敵意は無いように見えた。 「迎えが遅くなったようですけど、何か問題があったのですか?」 「申し訳ありません。私には、それを説明する権限が与えられておりません」  つまり、説明できないようなことが起きたと言うのである。警察前で専用車が爆発したのは、確かに説明できないことだろう。 「つまり、説明するとまずいことが起きたと言うことですか」 「その辺りは、察していただきたいと言うところです」  明らかに喧嘩腰のゲービッヅと違い、ガルーズはあくまで友好的に振る舞った。昨夜の会話でも、ガルーズは終始真剣に自分の考えを口にしていた。グリゴン人は真面目だとは聞いていたが、それ以上に誠実だとアセイリアは彼のことを評価していた。当たり前のことだが、全体と個人では考え方が変わってくるのだ。  短い時間のため、特に会話が弾むと言うことは無かった。そして間もなく会議場に到着すると言うところで、ガルーズはいきなり「お願いがあります」と切り出した。 「私にできることでしたら?」  それでと促したアセイリアを、ガルーズはまっすぐ正面から見つめた。 「昨夜の様に、皆さんとお話する機会を頂きたいと思っています。昨日の語らいは、実に実りの多いものでした。できれば、もっと多くの仲間に機会を与えてやりたいのです」  そしてガルーズの依頼は、アセイリアの嗜好にも合致したものだった。積み重ねになるかどうかも分からない小さなことだが、労を惜しまないことにした。 「そう言うお話でしたら、反対する理由はありませんね。あなたの希望は理解しましたので、実現できるよう努力致します。もっとも、上位の方々はテラノの私達などどうでもいいでしょうね」  グリゴンの実態を口にしたアセイリアに、「お恥ずかしい限りです」とガルーズは恥じ入った。 「それ以上は上層部への批判となるので差し控えますが。私は、テラノを遅れた星とは思っておりません」 「それは光栄ですね」  ありがとうございますとお礼を口にしたアセイリアは、到着したゲートへと視線を向けた。やけに大勢出迎えが居るのは、ここにアズライトがいるからに違いない。皇帝が弄りたくなるはずだと、アセイリアは真面目過ぎる対応にそんなことを考えた。  テラノとの会談が優先されたのは、それが重要だと受け止められたからではない。ただアズライトが、後の方が良いと我が儘を言ったと言う事情からだけだった。「おもしろそうだから」との言葉は、アセイリアだけが聞かされたことだった。  100名ほど入れる会議室には、グリゴン側から20名ほど出席していた。総領主のドワーブが居るのは当然として、グリゴン政府の重鎮が顔を揃えていた。末席とは言え、ゲービッヅが加わったのは、能力が評価されたと考えていいのだろう。  一方テラノ側は、ジェノダイトを筆頭とした6人だけだった。その一人がアセイリアでもう一人がキャンベルである。そして残りの3人は、領主府スタッフと言う構成である。3人とも爵位を持っているが、今回の会談にはサポート以上の役目を持っていなかった。一等侯爵のジェノダイトこそいるが、グリゴン側に比べていかにも軽量級の顔ぶれだった。  そしてドワーブも、当たり前のように顔ぶれの軽さを最初に笑った。 「ジェノダイトよ、いかにもみすぼらしい顔ぶれだな」 「先日、上の方がごっそりと死んだからな。今は、立て直しに懸命と言う所だ。まあ、張子の虎を連れてきた所で役に立つとは思えないがな」  グリゴン政府の重鎮を張子の虎と切り捨てたジェノダイトは、「さて」と言ってドワーブに見解を質した。 「我々のセンテニアルを邪魔をし、5万人もの犠牲者を出した責任。グリゴンの誠意ある回答をお願いする」 「ああ、あれか」  もともとの懸案事項を持ち出すジェノダイトを、ドワーブはふんと鼻で笑って見せた。 「亡くなられた方々に、グリゴンとして弔意を表明する」  あっさりとした答えに、ジェノダイトは確認のため「それだけか」と尋ねた。 「それ以上は何もないが? ジェノダイト、あれは我々には関係のないことだ」 「なるほど、お前たちの侵攻と重なったのは、単なる偶然と言うことか。それほどの幸運に恵まれながら、尻尾を巻いて逃げだしたと言うのか。無能な軍を持つと、総領主も苦労をするな」  軽い挑発に、ドワーブの目元が一瞬引き攣ったのをジェノダイトは確認した。この辺り、相変わらずわかりやすいと腹の中で笑った。 「ああ、すまん。一部言葉を間違えた。尻尾を巻いて逃げたのではないな、たった1隻の帝国軍に助けを乞うたのだったな。日頃帝国を敵視してくるくせに、こんなことで頼るとは無様としか言いようがないな。まあ、百年は遅れたテラノに叩きのめされたのだ。帝国内の笑いものになったことに同情する」  ジェノダイトの挑発に、グリゴン側の何人かの顔色がはっきりと変わっていた。なるほど反応が分かりやすいと、アセイリアは皇帝アルハザーが好んだ意味を理解した。 「グリゴンの軍が軍の体をなしていないのは理解した。ところで、我々が捕獲したツヴァイドライグの偽物と、グリゴン人の扱いはどうすれば良い? 欲しければ、返してやってもいいのだが? ホプリタイは、悪いが全部破壊させてもらった。ちなみに乗員もその時に死亡している。遺体も返した方が良いか?」  そう言って口元をにやけさせたジェノダイトは、ドワーブの答えを待った。 「我々には関係が無いと言ったはずだ」  それでも声に変化が無いのは、さすがは総領主と言う所だろう。関係が無いと押し通したドワーブに、ジェノダイトはわざとらしく頷いて見せた。 「無能で無様で規律も緩んだグリゴン軍のことだからな。ああ、申し訳ない、臆病者を付けるのを忘れていたな。だから、我々も多くは期待していなかったのだよ。たかが1隻の船が無くなったことや、5機のホプリタイが無くなったことなど把握しているはずもないか。しかもご丁寧に、帝国軍に偽装までしてくれている。それが分からないのだから、軍の管理などざるでしかなかったのだな」  ある意味罵倒しているのだが、関係ないと言った以上抗弁することはできない。何らかの反論を行った時点で、反証を持ち出されてしまうのだ。 「ああ、偽装ゲートと言うのもあったな。これも帝国法に触れるのだが、それすら見過ごすほどグリゴンと言うのは統治がざると言うことか。まったく、無能な総領主には……失敬、お前の能力に疑問を感じるな」  慇懃無礼なジェノダイトに、ドワーブの顔は赤黒く変わっていた。挑発とは分かっているが、言い返せないことに屈辱を感じていたのである。 「ドワーブ、皇帝聖下に総領主の職を返上した方が良いのではないか? お前では、秩序を作ることはできないだろう」 「ジェノダイト。それは言い過ぎだ! 我が星系は、強固な秩序を保っている!」  侮辱に切れたドワーブは、机を叩いて抗議をした。 「なるほど。ならば秩序の考え方が違っているだけか。まあ、野蛮なグリゴンのことだ。街中でのテロ行為は、秩序を乱したことにはならないのだろうな」 「失敬な! グリゴンは治安は保たれている。街中でのテロ行為など、テラノとは違い起きてはおらん」  大げさな身振りでドワーブが反論した時、末席に居たゲービッヅが彼の元に駆け寄ってきた。そして何かを告げてから、自分の席へと戻って行った。 「どうかなされたのか?」 「いや、別になんでもないが」  白を切ったドワーブに、「そうか」とジェノダイトはそれ以上拘らなかった。 「私としては確認をしておきたいのだが。接収した艦艇と人員、それをどうしたらいいのだ? 無駄飯をくらわすのは、はっきり言って金の無駄だ。ツヴァイドライグの偽物は貰っておくが、人員ははっきり言って邪魔なのだがな。捕虜でもないから、扱いに困っているのだが……大量虐殺のテロ実行犯だから、死刑にしても構わないのだが……1000名もいると、死刑にするにも金がかかる。粗大ごみは、そちらで引き取ってもらいたいのだがな。おい、人が話をしている時に邪魔をするのは失礼ではないのかね?」  再び駆け寄ってきたゲービッヅに、ジェノダイトは厳しい言葉を浴びせた。 「それとも、急いで総領主殿に知らせなければいけないことでもあるのか? ああ、失礼。こちらにも連絡が入ったな」  ジェノダイトの言葉と同時に、ネイサンがポップアップしてきた。そして視察組からの報告を表示し、すぐに姿を隠してくれた。 「やはり、街中のテロ行為は日常茶飯事と言うことか」  はあとわざとらしくため息を吐いたジェノダイトは、視察組からだと言ってテロ情報を提示した。 「ザビジェブ市内を視察している者からの報告だが。市庁舎、図書館、遊技場で爆発事件が起きたとのを目撃している。いずれも死者は出ていないようだが、それなりのけが人が出ているらしいな。まったく、グリゴンの治安はどうなっているんだ?」 「お前たちが居るところでしか爆発は起きていないのだがな……」  暗にお前たちだろうと仄めかしたドワーブに、ジェノダイトは冷たい視線を向けて言い返した。 「ドワーブ、一度口にした事は飲み込めないと分かって言っているのか?」 「俺は、事実を口にしたまでだ」  事実と口にしたドワーブを、ジェノダイトは鼻で笑い飛ばした。 「我々を迎えに来るはずの車はどうなったんだ? 隠しているつもりかもしれんが、その程度の情報ならすぐに入ってくるんだぞ。そこには、うちのスタッフは誰もいなかったはずだ」  たった一つの反証を示せば、ドワーブの言う事実を覆すことができる。口にした途端に覆されるのは、どう考えても失態に違いない。反論に窮したドワーブは、「謝罪を持って訂正する」と頭を下げた。 「朝以外は、お前たちが居るところで爆発が起きている」 「なるほど、それだけなら状況的に間違ったことを言っていないな。ではドワーブよ、その状況から導き出される推測を教えてくれないか? まさかとは思うが、治安の行き届いたグリゴンで、私のスタッフが狙われているとは言わないだろうな」  あくまで被害者の立場を主張したジェノダイトに、ドワーブの顔の引きつりは大きくなった。朝の一件を持ち出されたため、責任をテラノ側に持って行けなくなっていたのだ。しかも普段のテロ発生を否定しているのだから、さらに説明に窮することになってしまう。 「可能性として否定はできないだろう。だから、そちらのスタッフには視察を切り上げて貰いたい」 「不手際だな、ドワーブよ。ネイサンっ」  ドワーブの申し出を認めたジェノダイトは、ネイサンを呼び出し視察の繰り上げを命じることにした。 「彼らは、今どこにいるのだ?」 「はい、歓迎会のリハーサルを見たいと言うことで、公会堂に入ったところです」  ネイサンの示した場所に、グリゴン側の全員が慌てて立ち上がった。明らかに顔色が変わっているところを見ると、間違いなく重要な場所と言うことになる。だがジェノダイトは、グリゴン側の反応を気にせずネイサンに指示を出した。 「そうか、迂闊に動き回るのも危険だからな。しばらくは、その場で待機させておけ。グリゴン側の迎えが来たら、指示に従ってホテルに戻ればいい」 「はい……申し訳ありません。どうも接続状況が安定していません。コンタクトを続けていますが、しばらくお待ちいただけますでしょうか?」  ネイサンの姿にノイズが混じっているのは、報告通り接続状態に問題があるからだろう。その状況に顔を顰めたジェノダイトは、コンタクトを続けるように命じてネイサンを消した。 「視察に出ているスタッフは、いずれも専門家だから大丈夫だろう。退避するときは、あちらの指示に従って退避してくれるからな。ドワーブ、どうかしたのか?」  危機感の無いジェノダイトに、ドワーブは狂相を浮かべて迫った。 「子供を人質に取ったつもりか!?」 「いきなり何を言い出すのかと思ったが……よもや、うちのスタッフが犯人だと言っているのではないだろうな? 答えによっては、ただでは済まさないぞ。マルスでの戦い、よもや忘れた訳ではないだろう」  自分自身を武器とした戦いを持ち出され、その言葉の持つ意味にグリゴン側の全員は震撼した。明言はしていないが、スタッフ自身が武器であることを示唆してくれたのだ。しかもジェノダイトは、彼らが専門家であることも明言していた。大丈夫だと高をくくって自由にさせたつけが、ここで巡ってきたことになる。 「はったりだ。はったりに決まっている!」  そこでゲービッヅが大声を上げたのも、状況を考えれば無理もないことかも知れない。だがゲービッヅの言葉は、グリゴンの立場を悪くする以上の意味を持っていなかった。 「ドワーブ、部下の躾もなっていないのではないか? 私は、覚悟を口にしたまでのことだがな」  ゲービッヅの発言で顔をつぶされたドワーブは、忌々しげに「出て行け」と命令した。 「しかし、我々が恫喝されることではないはずです!」 「出て行けと言っているのが分からないのか。首をねじ切られる前に、さっさと俺の前から消え失せろ!」  おいと命じたのに合わせ、何人かの警備員が会議場に入ってきた。そして両側から抱えて、大声を出すゲービッヅを連れ出して行った。 「躾のなっていない部下のことは謝罪する」  そう言って頭を下げたドワーブに、「構わんよ」とジェノダイトはそっけなく答えた。 「さて、何の話をしていたのだったかな」  そう言って少し考えたジェノダイトは、アセイリアの耳打ちに「そうだった」と手を叩いた。 「粗大ごみの処分方法についてだったな。それで、1000名にも及ぶ粗大ごみをどうしてくれる?」 「その前に、今起きている問題への対処が先決だろう!」  今現在テロが継続して発生しているのだから、ドワーブの言葉はある意味正論に違いない。だがすべてにおいて正論かと言われれば、ジェノダイトは否定することができた。 「ここでの議論には関係が無いだろう。それとも、お前が居ないと治安の維持もできない組織なのか? 失礼、新たな連絡が入ったようだ」  ポップアップしたネイサンに、ジェノダイトは話を中断させた。 「どうやら、周辺道路が爆発で封鎖されたようだな。やれやれ、うちのスタッフも公会堂から動けなくなったらしい。これで、よくもテロなど起きていないと言えたものだ」  ネイサンと言って、ジェノダイトはアバターを呼び出した。 「彼らには、自主判断で脱出するように指示を出せ。子供を助けようなどと考える必要はない。そちらは、グリゴン側の仕事だからな」 「はい、指示を変更しておきます」  ネイサンが消えたのに合わせ、「それで」とジェノダイトは先を促した。 「今さらお前が動いたとしても、時間的に間に合いはしないだろう。指示を出したから、うちの奴らなら5分もあれば脱出することができる」  5分と言う時間に、グリゴン側全員が時計を確認した。それが、答えの期限だと理解したのである。 「何が、要求だ!」  机を叩いたドワーブに、ジェノダイトは驚いたように目を見張った。 「お前は、いったい何を言っているのだ?」 「見え透いた芝居は止めろと言っているのだ! ここまでのテロは、すべてお前たちの仕掛けだろう。だから、要求はなんだと言っているのだ!」  犯人だと決めつけられたジェノダイトは、怒るのではなく困った顔をドワーブへと向けた。 「ドワーブ、気持ちは分かるが冷静になった方が良い。皇女殿下のおわす前で、あまり失言を繰り返すものではないぞ」 「皇女殿下……」  そんなことがと驚いたドワーブは、アセイリアの隣にアズライトが居るのを見つけた。そこでようやく、ドワーブはすべてのからくりが分かった気がした。仲違いしているように見せていたが、最初からアズライトもグルだったと言うことだ。そしてアズライトがグルならば、本気で子供たちを虐殺する可能性がある。アルハザーの娘なら、それぐらいのことは平気でやってのけるはずなのだ。ゲービッヅの言う、はったりなどではないのだと。  それを理解したドワーブは、自分が敗北したことを理解した。噂の通り、テラノの女はアズライトに手綱を付けていたのだ。 「そちらの要求はすべて飲む。だから、子供たちは助けてやってくれ」 「要求をすべて飲むか。これはまた、総領主として無責任なことを言ってくれる」  ため息を一つ吐いたジェノダイトは、アセイリアの隣にいるアズライトの顔を見た。 「皇女殿下。いかがいたしましょうか?」 「私も、未来のある子供が死ぬことは良くないと思いますよ」  なるほどと頷いたジェノダイトは、ネイサンと彼のアバターを呼び出した。 「彼らへの命令を変更する。残り時間は少ないが、可能な限り子供たちを救助させろ」 「そのことですが……」  口ごもったネイサンに、「なんだ」とジェノダイトは詰問した。 「どうやら、彼らは命令違反をしたようです。取り残された子供達を誘導し、公会堂の外に避難させていました。すでに、公会堂が崩れても安全な場所に避難したようです。それから追加の報告ですが、たった今公会堂の方で爆発音がしたようです。あのまま残っていたら、多分誰も助からなかったでしょうね」  ネイサンの報告に、ジェノダイトは小さく頷いた。 「どうやら、私のスタッフ達は人として正義を大切にしているようだ」  結果的に、子供達の安全は守られたことになる。それに安堵したドワーブを見て、ジェノダイトは休息を提案した。 「そちらも確認することがあるだろう。続きは、しばらく時間を置いてからにするか?」 「そうだな……」  ジェノダイトの提案に頷き、ドワーブは時計で時間を確認した。 「4時間後の、2時に再開することにしよう。希望があれば、迎えに行った者に伝えてくれればいい」  ドワーブの提案に、妥当な時間だとジェノダイトは2時からの再開に同意した。そして全員に目配せをし、会議場を後にした。一緒に居たはずのアズライトは、いつの間にか姿を消していた。  4時間も時間があるのだから、一向はひとまずホテルに戻ることにした。会議場のある建物に居ても、暇をつぶせる場所がどこにもなかったのだ。もっともホテルに戻ったとしても、できることが無いのはあまり変わりは無かった。  その中で少し驚くことがあるとすれば、帰りの車での出来事だろう。行きと同じくガルーズが案内してくれるのかと思っていたら、どう言う訳かゲービッヅも同乗していたのだ。 「お役御免になりました」  清々した顔で言われた時、アセイリアを除く全員が顔を見合わせたぐらいだ。ただ一人、アセイリアだけはゲービッヅの真意に気付いていた。 「グリゴンの上層部を見限られたのですか?」  その指摘が意外だったのか、ゲービッヅははっきりと驚いた顔を表に出した。そしてすぐに、敵いませんと頭を掻いてそれを認めた。 「お見通しでしたか」 「あなたの行動パターン、そしてこれまでの実績を見れば容易に想像がつくことです。そしてあの場で、意味もなくはったりだと大声を上げられました。敢えて、外されることを意図したと受け取っても宜しいかと思います」 「やはり、あなたが最大の障壁でしたか……」  小さく息を吐き出したゲービッヅは、「完敗です」とアセイリアに白旗を上げた。 「あなたが、皇女殿下を利用してくることは予測していました。ですが、利用の仕方は私の想像を超えていた。今日爆破されたところは、いずれも皇女殿下が立ち寄られた場所ばかりでした。まさか皇女殿下を工作員に使うとは思ってもいませんでしたよ」  見事だと称賛したゲービッヅに、アセイリアは否定も肯定もしなかった。 「否定も肯定もされないのですね」 「私には、何のことか分かりませんからね」  白を切ったアセイリアに、ゲービッヅは「完敗だ」と繰り返した。 「あなたのような人が、テラノに居た時点で我々の負けだったのでしょう。やれやれ、私は身の振り方を考えなければいけなくなってしまった」 「私は、まだ活躍の場が残されていると思っていますよ」  そうアセイリアに微笑まれ、勝てないはずだとゲービッヅは改めて相手の手強さを実感した。 「まだ、手を緩めては下さいませんか?」 「それを決めるのは、グリゴン側だと私は思っていますから」  なるほどと頷いたゲービッヅは、隣にいたガルーズに顔を向けた。 「後で、お前たちが何を昨夜話したのか教えてくれ」  報告しろではなく教えてくれと言うゲービッヅに、ガルーズは内心しっかり驚いていた。だがそれを顔に出さず、「実は」とアセイリアにお願いしてあることを口にした。 「アセイリア様には、続きの開催をお願いしてあります。ご快諾いただいたので、今日明日には続きができるのではと思っています」 「なるほど、私にも加わったらどうかと言うことか……」  それもいいと認めたゲービッヅは、アセイリアに向かって「お許し願えるか」と参加の可否を尋ねた。 「私達は、より多くの方と意見を交わしたいと思っています」  つまり、参加を希望するのならどうぞと言うのだ。なるほどと頷いたゲービッヅは、喜んで参加することをアセイリアに伝えた。 「20分ほど前にお迎えに上がります。おそらく、どう対処すべきか、今頃ご領主殿は頭を悩ませてらっしゃることでしょう」 「せいぜい、頭を悩ませていただきたいと思っています」  柔らかく微笑んだアセイリアは、ありがとうございますと二人に頭を下げた。ちょうどそのタイミングで、乗っていた車がホテルの車寄せに滑り込んだ。 「ぜひとも、実りある会合になることを期待しております」 「ご期待に沿えるよう、努力いたします」  よろしくと差し出された手を、ゲービッヅはしっかりと握り返した。  そしてきっかり4時間後の午後2時、グリゴンとテラノの会談が再開された。その場でドワーブは、「報告する」と言って、午前中のテロ事件のことを持ち出した。 「確認できた範囲で、被害は建物だけに収まっている。転んでけがをした程度では、被害の内に数えることはできないだろう」 「だが建物だけとは言え、被害が出たことに違いないな。テラノ総領主として、遺憾の意を表明させていただく。我々は、いかなる理由があっても、テロ行為を否定することを表明する」  軽いジャブを交わしたところで、「ところで」とジェノダイトは午前中の話を蒸し返した。 「我々への説明に、何か変更はあるのか?」 「大筋ではない」  つまり説明の細部では、修正することがあることになる。  なるほどと頷いたジェノダイトは、「それで」と先を促した。 「命令に背いた反逆者が居ることが判明した。関係者の処罰と、テラノに対する謝罪、および相応の補償をさせていただく」  上層部は関与せず、ごく一部が先走った結果だと言うのだ。その説明に頷いたジェノダイトは、内心遅すぎる譲歩だと手札の順番を笑っていた。 「今日のテロと言い、ドワーブ、お前は領主に向いていないのではないか?」 「俺への批判は、甘んじて受けることにしよう。そちらに収容された1000名は、軍規を犯した罪人と言うことになる。ザイゲル連邦の軍規に照らし合わせて、処分を行うことにする」 「つまり、送り返せばいいと言うのだな? だったら、偽物とは言え、ツヴァイドライグがこちらにある。それを使って送り返すことにしよう」  接収した艦を返すと言うのだ。それに驚いたドワーブに、ジェノダイトは澄ました顔で不思議かと尋ねた。 「1000名は邪魔だが、あの艦はそちらにとっても貴重だろう?」 「ああ、確かに我々の艦より性能が良いからな。だが、そちらからの補償は、あの程度ではないのだろう?」  ジェノダイトの答えは、もっと良いものを寄越せと言う意味になる。なるほどと頷いたドワーブは、補償交渉の進め方を口にした。 「補償内容については、今後の交渉で行うと言うことで良いか?」 「一朝一夕で決まるものではないだろう。まずは、そちらの誠意を見てからと言うことになるな」  妥当な答えに、ドワーブは二度ほど頷いた。 「ならば、明日にも概略を説明することにする」 「スケジュールとしては、その程度と言うことだな」  宜しいと頷いたジェノダイトに、「ところで」と言ってドワーブは話を変えてきた。 「今朝がたのテロ行為について、そちらの見解を貰っていないのだがな?」  ドワーブの言葉に、なるほどアセイリアの言う通りだとジェノダイトは感心していた。切り返しの意味で、必ず持ちだしてくると予想していたのだ。 「見解も何も、うちは被害者だからな」  当たり前のように白を切ったジェノダイトに、ドワーブは表情を厳しくした。 「そちらの関与は無いと言うのだな? ならば、こちらの譲歩以降、テロ行為が起きないことをどう説明する?」 「どうと言われても困るのだが……」  本気で困った顔をしたジェノダイトは、両者に共通する事実を持ち出した。 「グリゴン入国に当たり、爆発物の持ち込みが無いことはそちらが確認しているのだぞ。そして我々の視察には、必ずそちらの案内が付いている。その状況で、どうやって我々が破壊活動を行えるのだ? 自爆なら可能かもしれないが、爆発物を仕掛けるのは不可能に等しいだろう。この状況で関与を疑うのは、自分たちが無能だと大声で主張することにならないか?」 「爆発物だがな」  ジェノダイトの指摘に、ドワーブは使用された爆発物のことを持ち出した。 「炭素、硫黄、硝酸カリウムが使われたようだ。いずれも、現地調達が容易な物質だ。さらに言うのなら、きわめて原始的な爆薬でもある」 「なるほど、科学の授業だな。それで、爆発物の組成が何か関係してくるのか? 我々には、仕掛けをするような時間は無かったはずだ。そもそも、我々が行っていない場所もあるのだからな」  アズライトの関与を持ち出せば説明できるが、ドワーブの立場でそれを持ち出すことはできない。その結果、追及も中途半端以上に無意味なものとなってしまった。そして中途半端な指摘は、自分の首を絞めるものとなる。 「なるほど、そちらに関係ないことは承知した。失礼な物言いについては謝罪させて貰う」  すまないと頭を下げたドワーブに、ジェノダイトは構わないと許しを与えた。 「我々を疑わなければならない事情は理解している。だが、これで我々の潔白が証明されたと考えていいのかな?」 「ああ、視察に行っている者の身体検査で、爆発物は見つかっていない。重ね重ね、失礼なことをしたことを詫びさせて貰おう」  もう一度頭を下げられたジェノダイトは、「もういい」と少し呆れ気味に答えた。 「今日の話は、これで終わりか?」 「ああ、お前たちとはな……」  ドワーブの表情が硬いのは、この後アズライトが待ち構えているからだろう。命令ではないと主張しようが、軍の一部が皇女暗殺を計画した事実に変わりはない。未遂で終わりはしたが、皇女の体に傷をつけた事実は消しようがなかった。 「アズライト様か。なんだったら、うちが口添えをしてやろうか?」 「いや、これは我々の問題だ……お前に借りを作るつもりはない」  皇室に対するジェノダイトの立場を考えれば、その口添えの効果は大きなものに違いない。だがそれを頼るのは、ドワーブのプライドが許してくれなかった。その意味で、断られるのも予定の内だった。まだ甘いなと、ジェノダイトはドワーブを憐れんだのだった。  ジェノダイト達が帰ったところで、アズライトは自分の出番が来たと喜んだ。色々と遊ばせて貰ったが、まだまだ不足だと思っていたのだ。それに皇女暗殺の計画及び実行に対して、甘い罪では臣民をつけ上がらせることになる。二度と暗殺など考えないよう、見せしめの意味でもとびっきりの恐怖を味あわせる必要があった。  ドワーブの前に出たアズライトは、アセイリアの知る愛らしさは影をひそめ、天災を上回る残虐さを顔に出していた。まるで虫けらでも見るように睥睨したアズライトは、「覚悟はできていますか」とドワーブに問いただした。 「はい、関係者の処刑、および私が責任をとることを考えております」  なるほどと感情のこもらない目で見たアズライトは、処刑の範囲を問い質した。 「それで、処刑はどこまで行うのですか?」 「暗殺を計画した者。およびその関係者です。およそ200名程になるかと」  頭を下げて報告したドワーブに、アズライトは冷たく言い放った。 「ドワーブ侯爵。あなたは、皇女暗殺を甘く見ていますね。私の命は、その程度の価値だと馬鹿にしているのですか?」 「そんなことはありません」  机に頭を付けたドワーブに、アズライトはつまらないものを見るような顔をした。 「私が満足できる措置を出しなさい。さもなければ、私はグリゴン星系にある、すべての有人惑星を消滅させます」 「そ、それは、いくらなんでもっ!」  慌てて顔を上げたドワーブに、アズライトは冷たく言い放った。 「でしたら、私が納得できる処分を下せばいいのです。ドワーブ侯爵、私の言っている意味を理解していますか? グリゴン星系消滅に匹敵するような処分を示して見せなさい」  慈悲も何もないのは、皇帝一族に共通するものだった。これを見せられれば、とても腑抜けたなどと馬鹿にすることはできない。テラノで起きたこと自体、何かの間違いではないかと思ってしまったほどだ。  だがいくら現実を疑っても、アズライトの下した沙汰は変わらない。アズライトを始末できない以上、ドワーブには指示に従う以外の選択肢は残されていなかったのだ。  それだけを申し付けて、アズライトは謁見の場を出て行った。時間にして5分にも満たない、ただアズライトの蹂躙を許すだけの謁見だった。  ジェノダイトの呼び出しをアセイリアが受けたのは、そろそろ寝ようと考えた時のことだった。生徒があくびを始めたので、これ以上は無駄だと見切りをつけたタイミングでもある。 「アセイリア様、ジェノダイト様がお話があるそうです」 「この、時間にですか?」  貞操の危険を理由に、アセイリアは呼び出しを断った。 「夜分に、殿方の部屋に行くような女ではないと返しておいてください」 「あーっ、アセイリア様、かなり深刻な話らしいのですが」  あなたは男よねと言いたいのを我慢し、セラはネイサン経由の話を伝えた。 「なんでも、アズライト様に関わるお話だと」 「だとしたら、人身御供にキャンベルさんを連れて行きましょうか」  キャンベルを見ると、頬杖をついて舟をこいでいた。緊張感に欠けると、ため息を吐いたアセイリアは、寝ているキャンベルの耳元に唇を寄せた。 「犯すぞ」  急に男の声で「犯す」と言われ、キャンベルは慌てて飛び起きた。そして周りを見回し、アセイリアしかいないことに安堵した。 「脅かさないでよ……」  大きく息を吐き出したキャンベルに、責任はそっちとアセイリアは言った。 「のんきに寝ているキャンベルさんがいけないんですよ。それから、ジェノダイト様がお呼びです。これから、私について一緒に行ってもらいます」 「こんな時間にジェノダイト様が?」  なんでと首を傾げたキャンベルは、自分の理解をアセイリアに説明した。 「グリゴンの答えは、想定通りだったはずよ。だったら、今さら呼び出されることは無いと思うけど?」 「そうですね。私たちの事情で呼び出されることは無いですね」  あっさりと認めたアセイリアに、だったらなんでとキャンベルは聞いた。 「アズライト様に関わるお話だそうですよ」 「それにしても、グリゴンからは手出し無用と言われているはずでしょ?」  だからその方面でも関係が無い筈だ。キャンベルの主張に、アセイリアは彼女の甘さを指摘した。 「キャンベルさんは、まだ皇女殿下を過小評価していますよ。さあ細かな話は、ジェノダイト様の所で伺いましょうか?」 「でも、どうして私まで行かないといけないのかしら?」  疑問に感じても、来いと言われればいかない訳にはいかない。仕方がないと、キャンベルはアセイリアに付いてジェノダイトの部屋へと向かったのだった。  さすがは一等侯爵と言えばいいのか、ジェノダイトの部屋は、自分達とは異次元の広さを持っていた。たった一人にもったいないと思いながら部屋の中を見ていたら、ガウン姿のジェノダイトが現れた。悔しいことだが、豪華なガウンがとても似合っていた。 「ジェノダイト様、身の安全のためにキャンベルさんを連れてきました」 「君には、私はどう言う男に見えているのだ……いや、説明は不要だ」  慌てて取り繕ったジェノダイトは、「アズライト皇女殿下だが」といきなり本題に入って行った。それに小さく頷いたアセイリアは、自分の推測を口にした。 「どうせ、処分が生温いと難癖を付けられたのでしょう。グリゴン星系を消すとでも脅されたのですか?」 「君は、この件についてアズライト様から話を聞かされているのか?」  つまり、アセイリアの指摘が正鵠を射ていると言うことになる。さすがは天災皇女、持ち出した条件が半端ないとキャンベルは感心していた。 「いえ、私には内緒にしていましたよ。ただ、お人柄を考えれば、容易に想像できる話だと思います。それで、ドワーブ様から泣き付かれたと言うことですか?」 「当たり前だが、彼の手に余ると言うことだ。もっとも、泣き付かれた私にしても、手に余ると言うのが正直な気持ちだ。殿下が基準を示した以上、それを蔑にすることはできないのだよ」  だから自分が呼び出されたのか。ジェノダイトの話に納得したアセイリアは、難易度が高いことを彼に伝えた。 「皇女殿下が基準を示してしまいましたからね。とりうる策は5つ程度しかありませんね」 「5つもあるのかね!?」  驚くジェノダイトに、大したことではないとアセイリアは言い返した。 「もっとも、最初の一つは言われたとおりにすると言うものです。自らグリゴン星系を廃墟にする。もしくは、それに匹敵するような破壊を行う。万策尽きた場合、言われたとおりにするしか無いでしょう」  他に手がないという意味で出された答えに、ジェノダイトははっきりと落胆の息を吐いた。これでは、グリゴンから譲歩を引き出した意味がなくなってしまう。 「それで、他の4つは?」  難易度の高さに絶望しつつ、ジェノダイト続きを促した。 「アズライト様の暗殺を再度実行する。若しくは、ザイゲル連邦が総力を上げて帝国に戦争を仕掛けるというものです。いずれも、成功する確率は極めて低いと言えるでしょうね」  この二つはグリゴンの嗜好に合致しているが、現実的に成功する確率が存在していない。失敗した時には、星系一つ消える程度では済まない被害が発生する。 「あり得ない選択だな。それで、残りの2つは?」  ここまでは、アセイリアでなくとも出せる案ばかりだった。そして答えとして見ると、どうにもならないと言っているものでしか無い。 「一つは、私としてはとりたくない方法です。不確実ですし、アズライト様を悲しませることになります。ここまで言えばお分かりかと思いますが、ヨシヒコに否定させることです。否定の方法は色々とありますが、見捨てることを脅しにすればいいでしょう」 「確かに、方法として好ましくないな。我々のアドバンテージまでなくなってしまうことになる」  そこまでする義理は、グリゴンに対して持っていない。それどころか、万単位の虐殺を仕返してもいいほどだった。 「それで、最後の一つは?」 「これも、条件としては難しいのですが……」  ジェノダイトとキャンベルの顔を見たアセイリアは、「処刑をしないことだ」と答えた。 「あー、さすがにそれはあり得ないだろう。なにもしないで、アズライト様が納得されるはずがない」  ジェノダイトに見られ、キャンベルも大きく頷いた。いくらなんでも、解決策になっているとは思えなかったのだ。そしてあり得ないと言うジェノダイトに、アセイリアは「そうですね」とその決めつけを肯定した。 「ただ単に処刑をしないだけなら、確かに受け入れられませんね。ただ方向性を変えないと、星系ごとの粛清以外、アズライト様の条件をクリアできません。だから、話の方向を変える以外に方法がないのです。そして私としては、この方法が一番好ましいと思っています」 「具体的に、何をさせようと言うのだ?」  早く言えと急かすジェノダイトに、アセイリアはニッコリと微笑んでみせた。 「ザイゲル連邦全体は無理でも、グリゴンの方針を転換させます。具体的には私達の星、地球との友好関係を結びます。これまでの敵視政策をやめ、人材交流を含めて友好の方向に舵を切るのです。そのためには、先のセンテニアルへのテロ行為への公式の謝罪、必要な処分を行わなければなりません。その上で、補償を含め、私達と共に歩むことを宣言すればいいんです」  アセイリアの説明を、二人はすぐに理解することが出来なかった。言っていることは理解できるのだが、それがどうしてアズライトへの答えになるのか理解できないのだ。皇女殿下への暗殺未遂の償いが、どうしてテラノとの友好関係樹立となるのか。両者の間に関係など無いだろうと言いたかった。  だがそれでいいと言われた以上、その意味を考え無くてはならない。しばらく頭を悩ませた二人だったが、10分ほどしてアセイリアに白旗を上げた。 「やはり、それがアズライト様への答えになる意味が分からない」 「それは、発想に問題があるからです。アズライト様への償いと考えるから、絶対に理解できないのです」  そう言われても、やはり分からないものは分からないとしか言い様がない。降参だとジェノダイトに言われ、アセイリアは難しい顔をしたキャンベルに水を向けた。 「キャンベルさんはどうですか?」 「答えらしきものは見つかったけど……それが正しいと言う自信は無いわ」  相変わらず難しい顔をしている所を見ると、本当に自信がないのだろう。 「笑ったりしませんから、キャンベルさんの考えを教えていただけますか?」 「そう言うレベルじゃないんだけど……」  迷ったキャンベルだったが、仕方がないと諦めて説明することにした。 「H種の私達と仲良くするのって、グリゴンにとっては有史以来の大転換と言うことになるのよね。その意味が分かるのかと、アズライト様を試すことになるのかな……と」 「それだけですか?」  他にはと促され、キャンベルは考えながら説明を口にした。 「グリゴンが方針転換しても、ザイゲル全体は無理でしょう。そうなると、グリゴンは難しい立場に置かれることになるわね。それでも、自らを守るためには方針転換をしなくてはいけなくなる。その覚悟を示すことが、アズライト様への答えになるのかなと……新しい未来への可能性を示すことになるでしょう?」  キャンベルの説明を聞いて、アセイリアはニッコリと微笑んでみせた。 「不足はありますが、一応合格点に達しました。このまま努力を続ければ、私の代わりになれると思いますよ」 「さすがに、道が遠いと思うけどね……」  アセイリアに褒められ、キャンベルは嬉しそうに微笑んでいた。年齢を考えると逆と言いたくなるところだが、ジェノダイトには違う意味を持っていた。 「君の代わりになる?」  どう言うことだと訝るジェノダイトに、アセイリアは笑いながら「順番に」と答えた。 「まずキャンベルさんの答えに不足していた部分です。グリゴン自身ではなく、私達地球にとってのメリットが必要です。アズライト様の言われたとおりにすると、私達は何も取り分がなくなってしまいます。ですが、グリゴンが友好に舵取りをすれば、地球にとって得るものが大きくなります。その邪魔をするのであれば、ヨシヒコはアズライト様を叱ることが出来ます」  それが一つと言って、アセイリアは更に説明を続けた。 「もう一つは、皇帝聖下との関係です。はっきり言って、グリゴンを消すことは聖下のお考えに反しています。それよりも、グリゴン”だけ”が方針転換することで、新しい動きが出ることを喜ばれるでしょう。それにアズライト様としても、聖下の評価が気になるはずです。もちろん、この方針であればヨシヒコも手伝うことが出来ます。いいですか、この回答の一番の肝はアズライト様に選択を迫ることです。アズライト様の個人的鬱憤を晴らすことを優先するのか、帝国の変革を優先することにするのか。賢明なアズライト様なら、帝国の変革を選ばれることでしょう」  なるほどと思えはしたが、それでも納得の行かないところがあった。大きな意義は理解できるが、本当にそれで腹の虫が収まるのかということだ。 「それで、アズライト様の腹の虫が収まるのか?」 「ご機嫌を取る方法なら、幾らでもありますよ。少しヨシヒコが骨を折れば、この程度の事ならすぐに忘れてしまうでしょう」  それが何のことを言っているのか、ジェノダイトはすぐに理解することが出来た。ただそれを口にするのは、倍では効かない逆襲があるので口には出来なかった。 「グリゴンのことは分かった。それで、彼女が君の代わりになるとはどう言うことだ?」 「それはとても簡単な事です。もうすぐ、アセイリアと言う存在が消えてなくなるからです。地球に帰ったら、私はヨシヒコに戻ります」  もうヨシヒコを消しておく理由がないのだから、ある意味当たり前のことに違いない。だからジェノダイトは、だから何だとしか思えなかった。 「いや、そのことは承知しているが……それと、彼女が君の代わりになるのはどう繋がるのだ?」 「分かりませんか? 私が地球に帰ったら、アセイリアと言う名前が消えることになるのですよ」  同じことを繰り返したアセイリアに、ジェノダイトはその意味をもう一度考えた。 「やはり分からないな」  白旗を上げたジェノダイトに、そうですかとアセイリアは少し落胆した。 「センテニアルからグリゴン訪問まで、アセイリアの果たした役割はどうでしたか? いなくてもいい物だと思われますか?」 「それならば、明確に否定できるな。君の名前は、グリゴンの奴らでも知っていた。軍の中でも、君への信奉者は掃いて捨てるほど見つけることが出来る……なるほど、そう言うことか。つまり、君はアセイリアと言う名を残そうというわけか」  ジェノダイトの言葉に、アセイリアははっきりと頷いた。 「せっかくここまで育てた評判です。それを消してしまうのはもったいないと思ったんです。それにアセイリアなら、ヨシヒコが支援する口実が立ちます。アズライト様に冷たくあたった理由として、三角関係が噂されたぐらいですからね。まだまだ不足していますが、手伝いさえすればキャンベルさんならアセイリアを務められると思いますよ」 「君は、それでいいのか?」  有名になると言うことは、それだけ様々な制限を受けることに繋がってくる。しかもアセイリアの名を継ぐのは、尋常ではないプレッシャーに晒されることになる。そのための支援と言えば聞こえはいいが、ヨシヒコとの関係を続けることは女としての幸せを放棄することになりかねない。しかもヨシヒコには、アズライトとの将来が待っているのだ。その意味で、アセイリアの名を継ぐことは、貧乏くじを引くことを意味していた。 「私は……どうも彼に魅入られてしまったようです」  答えとしてそれで十分だと。ジェノダイトはキャンベルの答えに納得をした。そしてその上で、キャンベルに対して十分な支援をすることを約束した。 「アルハザーへの手駒と考えると心もとないがな。だが巻き込んだ君たちに、出来るだけの支援をすることにしよう」  アセイリアは5つのプランを出したが、使えるものは一つしか存在していない。ならば泣きつかれた者として、最良のプランを提示する義務があるだろう。 「明日、会議の前にドワーブを呼び出すことにする。その時には、君たちも出席してくれたまえ」 「明後日には出発予定でしたね。でしたら、明日中に決着を付けましょう」  そして明日から、地球とグリゴンの歴史が変わることになる。その場に当事者として立ち会うことを考えれば、断れるはずがないとキャンベルは考えていた。  翌朝早く姿を現したドワーブは、ジェノダイトに「感謝する」と言って頭を下げた。そしてアセイリアを見て、疑問を一つ口にした。 「なぜ、我々に助け舟を出す?」  前日の会議では、グリゴン側はまだ嘘をついていたのだ。目の前の女なら、それぐらい気づいているとドワーブは考えていた。それなのに、こうして助け舟を出そうとしているのだ。ドワーブとしては、その理由がわからなければ落ち着かないのだ。  そんなドワーブの問いかけに、アセイリアは理由としてはシンプルだと答えた。 「手助けをした方が、私達にとってメリットが大きいからです。グリゴン星系が消えることは、デメリットこそあれメリットはありませんからね」 「なるほど、わかりやすい理由だな」  大きく頷いたドワーブは、感謝するとアセイリアに頭を下げた。そしてそれを合図として、ジェノダイトが皇女殿下対策だがと口にした。 「アセイリア。説明して差し上げなさい」  はいと頷いたアセイリアは、まっすぐドワーブを見て話を切り出した。 「第一段階として、ドワーブ様には、帝国法に則り関係者の処分をしていただきます。そして申し訳ありませんが、ドワーブ様にも、何らかの形で責任をとっていただくことになります。そしてこの場合の処分は、実行者ではなく命令を出したものにするよう気をつけてください。軍である以上、命令に従ったものを罰するのは理に適っていません。それを口実に、処分は最小限に抑える必要があります。そして処分に関するものは、ここまでにする必要があります」 「それでは、皇女殿下に喧嘩を売ることにならないか?」  示された基準を真っ向から否定しているのだ。火に油を注ぐことになりかねないと、ドワーブはアセイリアに疑問を呈した。 「この話には、更に続きがあります。私達テラノに対し、公式に謝罪していただきます。その場合、命令違反を理由にするのではなく、グリゴンしいてはA種がH種に対して持っている敵意を理由にしていただきます。そこに皇室に対する反発を加えても頂いて結構です。今の聖下もそうですが、ザイゲルに対してわざと酷い仕打ちをしているのは事実です。ですから、そのことに対する反発を口にしても問題はありません。それこそが、聖下の狙い通りなのですからね」  アセイリアは、ドワーブのコメントを待たずに説明を続けた。 「これが肝要なのですが、私達テラノとの間に友好関係を構築していただきます。条約まで結ぶ必要はないのですが、何らかの形を示すために条約を結ぶのも有効でしょう。友好関係を結び、各方面での交流開始を宣言していただきます。その中に、テラノに対する各種支援を入れていただければ満点でしょうね。ドワーブ様からご説明いただくのは、ここまでで十分かと思います」 「とてもではないが、ご納得いただけるとは思えない……」  当然予想される反応に、アセイリアは大きく頷いた。 「ここまで説明していただけば、その後は私が引き取ります。そしてここから先は、私が皇女殿下に喧嘩を売ります。ドワーブ様が示された方針の意味が分からなければ、皇女などやめてしまえと」  アセイリアの説明に、ドワーブにしては珍しく頭を抱えると言うことをしてしまった。目の前の年若い女性は、皇女に喧嘩を売る意味を理解しているのか。それをとんとんと説教したくなってしまうのだ。 「ジェノダイト、お前は人選を誤ったのではないか? テラノの総領主として、皇女殿下に喧嘩を売らせては駄目だろう」  本人に言っても無駄だと考えたのか、ドワーブの苦言はジェノダイトへ向けられた。 「グリゴンの総領主とは思えない言葉だな。うちが喧嘩を売ることで、お前たちにデメリットは無い筈だ。どうせ今のままなら、グリゴン星系が消えることになるのだぞ。ドワーブ、お前はうまくいった時のことだけを考えていればいいんだ」 「確かに、うちとしてはありがたいことだが……」  そうは言っても、納得できるかと言うのは別だった。アセイリアはメリットがあると言いはしたが、そのためのリスクが大きすぎるのだ。自分が領主ならば、こんなことを部下に許すことはないだろう。領主としての常識が、ドワーブの判断を縛っていた。 「グリゴンが消滅することは、私たちにとってもデメリットが大きいのです。ザイゲル連邦内の帝国への反発が強まれば、テラノのリスクも高まることになります。同数での進攻ならば、帝国法に触れないことは分かっています。もしもその方法で進攻されたなら、一つ一つの戦いで勝利をしたとしても、テラノには破たんが待っていることになります。1対3千の戦いなど、考えるだけ無謀なことでしかありません。だから、私達としてもグリゴンの消滅は避けなければならないと思っています」  「そもそも」と言ってアセイリアは話を続けた。 「皇帝は横暴でなければならない。歴代皇帝は、その理念に従って行動しています。それは、皇帝がすべての責任を負う覚悟があることを意味しています。だとしたら、私達臣民は皇帝は賢明であることを求めても良いかと思います。それは、継承権を持つ者に対しても同様だと思っています。グリゴンの歴史的転換を理解できない愚か者なら、私がアズライト様を失脚させます」 「意気込みはいいが、お前にそんな力は無いだろう」  こともあろうに、帝国皇女を失脚させると言い切ってくれたのだ。それだけでも、不敬罪に問われてもおかしくない発言だった。皇帝およびその子が不可侵と言うのは、代々受け継がれてきた習わしでもあったのだ。 「これ以上はお話しできませんが、別にむずかしいことではありませんよ。もちろん、その事情はアズライト様に限ってのことです。それでどうなされますか? 私は、グリゴンおよびテラノにとって最善となる方法を提案しました。その決定権は、総領主であるお二方にあるのですよ」  選択を突き付けられたドワーブは、答える前にジェノダイトの顔を見た。 「テラノにとって、負わなくても良いリスクを負うつもりがあるのか?」 「俺は、賭けごとに強いんだよ。散々むしりとられたくせに、まだそのことを理解していないのか?」  求める物とは違うが、答えを貰ったことになる。そうかと小さく呟いたドワーブは、「感謝する」とアセイリアに頭を下げた。 「結果がどうなるかは分からないが、それでも俺はお前に感謝をすることにした。なるほど、ジェノダイトが目を掛けるだけのことはあるのだな」 「感謝の言葉は、アズライト様を納得させてからお願いいたします。私達ジェノダイト様のスタッフは、グリゴンおよびザイゲル連邦との友好的関係を望んでいるのです。テラノの未来のため、命を賭ける覚悟ができているのですよ」  そう言って微笑んだアセイリアは、時計で時間を確認した。 「そろそろ、皇女殿下をお迎えする準備をした方が良さそうですね。ではドワーブ様、後程よろしくお願いいたします」  キャンベルを促し立ち上がったアセイリアは、一度お辞儀をしてから会談の場となった会議室を出て行った。ただジェノダイトだけは、同行せずにその場にとどまった。 「お前は、一緒に行かなくていいのか?」  話は終わったはずだ。そのつもりで問いかけたドワーブに、ジェノダイトは笑いながら言い返した。 「もう少しお前に説明しておく必要があると思ってな。ただし、これからする話はお前の胸にしまっておいてほしい。それができないのなら、俺は何も言わずに帰ることにする」  それぐらい重要な話をする。ジェノダイトは、秘密を守る覚悟はあるのかと言う問いかけだった。 「俺は、約束を守ってきたと思っているのだがな?」  それが保証だと言われ、ジェノダイトは小さく頷いた。そして、いきなりアズライトのことを切り出した。 「お前は、テラノでのアズライト様のことをどこまで知っている?」 「質問が変化球だな。そうだな、報告にある限りのことでいけば……」  うんと考えたドワーブは、「かなり少ない」と答えた。 「うちの潜入工作員が捕まったからな。そこまでの情報しか得ていないのだが……噂レベルであれば、アズライト様がテラノの男に恋をしたとは聞いている。そしてその男を、お前とアセイリアと言う女が始末したとな。うちの暗殺計画が成功しかけたのは、それが理由だと聞いている。結果的には、あのアセイリアと言う女に阻止されたのだが……あくまで噂レベルだ。それ以上の情報は入ってきていない」 「これからの説明には、それだけ知っていれば十分だろう」  そう言って頷いたジェノダイトは、噂の真偽だがと話を続けた。 「アセイリアの策略で、アズライト様がラルクで恋人を始末した。それが、帝国に伝わっている情報だ。そしてその失意から、アズライト様はラルクを捨ててしまわれた。一歩間違えば、お前たちの暗殺計画は成功していたのだよ」 「なるほど、天災皇女殿下にとって、酷い挫折を味わったと言うことか。もう少しで、我々の暗殺がうまくいったと言うことか」  小さく頷いたドワーブに、ジェノダイトはさらに説明を続けた。 「そしてこれが種明かしなのだが、お前が目にしたアセイリア。あれがアズライト様の愛した男が化けた姿だ。そしてアズライト様には、テラノに再訪されるまで秘密にしてあったのだ。そしてこれが重要なことだが、アズライト様の愛した男。名前はヨシヒコ・マツモトと言うのだが、その男はアズライト様を誘導することができる。それは、必ずしも惚れた弱みばかりと言う訳ではないのだ」  ジェノダイトの種明かしに、ドワーブは視線を険しくしていた。それを受け止めたジェノダイトは、「早合点するな」とドワーブを手で制した。 「今回のことは、あくまでアズライト様のお考えだ。アセイリアも、一つの可能性として考えていた物でもある。示し合わせて、お前を嵌めようとした結果ではない」 「それを、信用しろと言うのか?」  まともに考えれば、信用のできる話ではないのだ。さらに視線を険しくしたドワーブに、ジェノダイトは冷たく言い返した。 「信用できないのなら話はこれで終わりだ。どのみち、お前には選択肢は残されていないのだからな。まさかアセイリアの口添えなしで、この危機を乗り切れるとでも思っているのか?」  厳然たる事実として、ジェノダイトはアズライトの突きつけた条件に立ち戻った。そしてそれは、ドワーブを黙らせるのに十分な威力を持っていた。皇女が一度口にした以上、代わりとなる答えが無ければ、それを実行する以外の道は無かったのだ。 「分かった。話を続けてくれ」  ああと頷いたジェノダイトは、アセイリアの考えを説明した。 「アセイリアは、次期皇帝としてアズライト様を考えている。皇帝聖下に必要な資質を考えた時、アズライト様こそ適任だと言うのがその理由だ。お前なら、その理由ぐらい理解できるだろう」  歴代皇帝に一番悩まされたのは、間違いなくザイゲル連邦であろう。その中で一番の被害を受けたグリゴンだから、ジェノダイトの言っていることは理解できた。 「確かに、上の二人は善人過ぎるな。そして下の二人は、いまだ資質が掴めていない」  ただと、ドワーブは当然導き出される疑問を口にした。 「それは、その男が帝国を掌握すると言う野心からの物ではないのか?」  アズライトを皇帝にすると言うことは、自分の女を皇帝にすると言う意味である。それはドワーブの指摘する通り、帝国を掌握することに繋がることだろう。そしてジェノダイトは、その指摘を否定しなかった。 「それを、積極的に否定するための材料を俺は持っていない。ただ、そう言った野心をアルハザーは喜ぶだろうな」  散々悩まされた相手を思い出し、ドワーブはがっくりと肩を落とした。 「ああ、アルハザーなら、面白い物語ができると喜ぶだろうよ」  そうやって忌々しげに吐き出したのは、彼らが一番被害を受け続けたからに他ならない。 「そしてアルハザーは、グリゴンを消すことを良しとはしない。答えは簡単。ただ消すのでは、面白くもなんともないからだ。だからアセイリアは、アルハザー向けの答えを用意した。そしてこれは、アズライト様を試すものにもなっている。これに落第したら、彼は私の養子になってアズライト様を嫁に迎えると言っていたよ」 「テラノとの友好関係樹立が、アルハザー向けの答えか……」  しばらく目を閉じて考えたドワーブは、「なるほど」と小さく呟いた。 「俺達の側で、これまでにない混乱が起きることになるな。どう転ぶか分からない混乱は、間違いなくアルハザーの好むところだろう。だが、お前たちの側でもそれなりの混乱は起きるだろう。それは、構わないのか?」  ドワーブの指摘に、ジェノダイトは「別に」とそっけなく答えた。 「同じH種と言っても、テラノは他のH種との関わりはほとんどないのだ。そして帝国が当てにならないのは、今回の事件ではっきりしている。アルハザーの思惑通りになっていたら、マルスで大勢の犠牲が出るところだったのだ。テラノ領主として、付き合いきれるかと言うのが俺の立場だ」 「おいおい、それをお前が言っていいのか? 仮にも、帝国一等公爵様だろう。それにお前は、たった一人の親友様じゃなかったか?」  逆に心配されたジェノダイトは、問題ないと言い返した。 「俺は、総領主としてテラノのためになることを考えている。それぐらいのことは、アルハザーも承知していることだ。全銀河の最適化など、星系領主の考えることではない!」  はっきりと言い切ったジェノダイトに、ドワーブは「おもしろいな」と笑った。ただ笑いはしたが、「分からん」とジェノダイトが残った意味を問題とした。 「俺にとって重要な意味を持つ話だが、敢えてお前が残る話でもないだろう。なぜお前は残って、この話を俺にしたのだ?」 「騙されたと後から言われないためでもあるのだが、実はもう一つ重要な話が残っている。アズライト様の思い人、その男がアセイリアでいる理由が無くなったのだ。アセイリアと言うのは、もともとアズライト様の目を眩ますために用意された存在だ。目を眩ます必要がなくなった今、もうアセイリアでいる必要はなくなったのだ。本人達のためにも、もとのヨシヒコ・マツモトに戻るのは重要なことだと思っている。それを認めることは吝かではないのだが、その一方で大きな問題が浮上した」 「アセイリアと言う女の存在が、無視できないほど大きいと言うことか」  何しろザイゲルの中にも、アセイリアの名前は有名になっていたのだ。それを考えると、今さらなかったことにするのは確かに問題がある。  ドワーブの指摘に頷いたジェノダイトは、「存在に価値ができてしまったのだ」と答えた。 「そして、テラノではアセイリアに依存する空気も生まれてしまった。それだけなら、正体を明かし、彼が代わりを務めれば終わるだろう。だが彼は、アズライト様のために働くことを希望している。そうなると、誰かを代わりに立てる必要があるのだ」 「それが、一言も発せず固くなっていた女を連れて来た意味か」  なるほどと頷いたドワーブは、ジェノダイトが残った意味も理解した。ただ、あれで代わりになると言うことには疑問を感じていた。 「ジェノダイト。お前はいい部下に巡り合ったな」 「言っただろう。俺は、運だけは強いんだよ」  そう言い返したジェノダイトに、違うだろうとドワーブは口元を歪めた。 「お前は、アルハザー、トリフェーンの二人と知り合いと言う不運があるんだ。他の幸運は、その埋め合わせだと思った方が良い」 「否定できないことを言ってくれるな……」  確かにそうだと認めたジェノダイトは、「以上だ」と言って立ち上がった。 「アズライト様は、我々が責任を持って抑え込む。だからお前は、後のことを心配してくれればいい」 「ああ、なかなか難しい宿題が残ることになるな。だが、同時に楽しみでもあるな。俺も、ヨシヒコと言う男と、アズライト様の将来を見て見たくなったぞ。まだまだ、二人には波乱万丈の人生が待っていることだろう。何しろ、相手はあのアルハザーとトリフェーンだからな」  歴史上最悪の組み合わせを考えると、この程度で終わってくれるはずがないのだ。ドワーブの決めつけに、ジェノダイトはしっかり頷いた。 「だからこそ、お前の助けも必要になってくるんだ」  その意味でも、ここに残って説明する必要があった。ジェノダイトの説明に、ドワーブもその意味を肯定したのだった。  前日はテラノが優先された日程だったが、最終日はアズライトとの話が優先されることになった。星系消滅レベルの沙汰が出たため、それを解決しなければテラノとの話にも意味がなくなると言う理由からである。その方が効率的だと、アズライトも順番の入れ替えに同意した。 「ドワーブ、なぜグリゴンのことにテラノの者がいるのですか?」  議場に案内されて見たら、なぜかジェノダイトとアセイリアが座っていた。話を聞いていないこともあり、アズライトは不機嫌そうにその理由を質した。 「アズライト様へのご説明に必要だと判断したからです」  その説明に、アズライトは泣き付いたのだなとドワーブの事情を推測した。それならそれで構わないと、アセイリア達に拘らないことにした。この問題には、アセイリアでも答えを出しようがないと考えていたのだ。 「ではドワーブ、私の満足できる答えを用意したのでしょうね?」 「はい、皇女殿下」  覚悟はしていても、いざ口にするとなると臆してしまう。水を飲んでから深呼吸をしたドワーブは、事前に話し合ったことの説明を始めた。 「順を追ってご説明差し上げたいと思います。まず帝国法に則り、グリゴンとしての内部処罰を行います。私を含め、関係者が法廷に立ち、皇女殿下暗殺を計画した罪に対して審理を行います。騒乱罪の一種となりますので、最高刑は死刑まである罪状となります。まず、本件に係る法的問題への対処は以上となります」 「まずと言った以上、これで終わりと言う訳ではないのですよね?」  表情を険しくしたアズライトに、「その通りです」とドワーブは肯定した。 「次にテラノに対してですが、H種に対する悪意から発生したテロ行為に対して、全面的に非を認め謝罪および必要な補償を行うことにいたします。ただしテラノ側からは、謝罪が行われれば補償は不要との答えを貰っています。これが、本件に係る第二のお答えです」  大した譲歩だとは思うが、だからと言って自分の求める答えではない。しかも肝心な自分への答えになっていないのだ。そこに苛ついたアズライトは、「話が長い」と切れかけて文句を言った。だがドワーブは、そんな様子に微塵も動揺を見せなかった。 「そして最後ですが、グリゴンとしてテラノに対して正式に友好関係の構築を提案いたします。補償は不要と言う答えを貰ってはいますが、その代わりに友好関係樹立の後には、我々からテラノへの各種支援を考えております。それを手始めに、双方の交流を発展させることを考えております。ゆくゆくは、この取り組みをザイゲル連邦全体に広げていければと思っております。以上が、皇女殿下へのお答えとなります」  ドワーブの答えは、アズライトが求めていた物とは全く方向の違うものだった。そして自分への答えとして、答えになっていないとアズライトは受け取った。何しろ帝国皇女への落とし前が、テラノとグリゴン、二国間の話にすり替えられてしまったのだ。極端な話、舐められたと言って差し支えのない物だ。  だからアズライトの視線は、怒りからかとても危険なものになっていた。 「ドワーブ、あなたは私を舐めていませんか? どうして私への償いが、テラノとの友好条約締結と言う話になるのです! あなたは、帝国皇女暗殺を計画した罪の重さをなんと心得ているのです!」  アズライトの反応は、ドワーブが予想した通りの物となっていた。もともと無理だと思ったところに、思った通りの反応が返ってきたのである。だからドワーブにも、アズライトの叱責に答えを持ち合わせていなかった。後は、引き受けると言ったアセイリアを信用する以外に手立ては残っていなかったのだ。 「皇女殿下、私から宜しいですか?」  その意味で、アセイリアが言葉を発したことは、約束が履行される意味に繋がってくる。まだ先は分からないが、これで望みがつながったとドワーブは安堵した。 「これは、私とグリゴンとの間の問題です! あなたが口出しをするようなことではありません!」  アズライトの答えは、関与を否定するものだった。そして否定の言葉は、誰をも納得させる理由を述べていた。事情を知らないドワーブ以外の者達は、万策が尽きたと絶望を感じたぐらいだ。彼らもまた、答えになっていないと思っていたのだ。 「本気でそうお思いなら、私はあなたに強く失望いたします。私の話を聞く必要が無いと言うのであれば、私は二度と皇女殿下と関わることは致しません。私もグリゴンに残り、愚かな皇女殿下を笑いながら宇宙の塵となりましょう」  アセイリアの態度は、さらにアズライトを苛つかせるものだった。だがアズライトが叫ぼうとする前に、すかさずアリエルが沈静化の緊急プログラムを発動させた。そのおかげで激発は防がれ、アズライトに理性が復帰してくれた。 「わざと、私を挑発しましたね」 「冷静になっていただく、一番いい方法ですからね」  すなわち、いきなりアズライトが手玉に取られたと言うことになる。それが頭にきたが、それでも精神的には少し落ち着いていた。 「分かったわ。話したいことがあれば話してみなさい。ただ、聞いたからと言ってどうにかなる物ではありませんよ」  そう言って椅子にもたれたアズライトに、第一段階は突破したとドワーブは安堵した。そしてこれが本当に仕込みでないのなら、恐るべきことだとアセイリアを評価した。 「はい、では私の方からご説明差し上げます。その前に、アズライト様に私は感謝したいと思っております。アズライト様のおかげで、私達テラノに友人ができることになりました。しかもA種のグリゴンが友人になると言うのは、私達にとって非常に大きな意味を持ってきます。その機会を設けていただいたことに、深く感謝をいたします」  立ち上がって頭を下げたアセイリアは、アズライトの顔を見て「お分かりですか?」と問いかけた。 「ええ、全く分かりません。テラノを消す許可は出ませんが、あなたを消滅させるのは私の一存でできます。グリゴンと運命を共にしなくとも、今すぐ私あなたを消してあげてもいいのですよ」  アズライトはそう言うと、左手を上げアセイリアの方へとラルクを差し出した。 「でしたら、今度こそ私を消してください」  さあどうぞと、アセイリアはアズライトを正面から見て挑発した。しばらくにらみ合ったところで、「もういい」とアズライトはラルクを下ろした。 「それで、私の気が済むような説明をしなさい」 「申し訳ありませんが、それはできません。1か月以上放置できる程度の苛立ちなど、いちいち気にしてはいられませんので」  もう一度立ち上がったアズライトに対し、アリエルがすかさず緊急プログラムを発動させた。 「あなたは、私を挑発して何がしたいのですかっ!」 「挑発ではなく、ただ事実を申し上げただけです。それよりも、ドワーブ様のお答えが、どのような意味を持つのかお考えになっていただきたいのです」  相変わらず挑発的な言葉を口にするアセイリアに、ドワーブだけでなくジェノダイトも生きた心地がしなかった。緊急プログラムなど、そうそう何度も発動していいものではない。しかも緊急プログラムが発動することで、これが仕込みでないとはっきりしてしまったのだ。 「テラノとグリゴンの関係と私の暗殺の間にどのような関係があると言うのです! そんなことで、私の気が済むとでも思っているのですか!」 「殿下の気持ちの問題など、私にとってはどうでもいいと申し上げました。気持ちが晴れなくては気が済まないのなら、今晩にでもしかるべき者を殿下の元に送り込みます」  また激発するのか。そう全員が身構えたのだが、アズライトは何とか自分を抑え込んだ。ただ真っ赤になった顔を見る限りおいて、かなり危険な領域に達しているのははっきりしていた。 「挑発ではなく、それも事実だと言いたいわけね」 「ご理解ただけて感謝いたします」  頭を下げたアセイリアに、「それで」とアズライトは先を促した。その震えた声もまた、限界点が近いことを周りに示していた。 「アズライト様には、次の皇帝として大所に立っていただきたいと思っています。そしてテラノとグリゴンが手を携える意味。ぜひとも、それを考えていただきたいのです。その意味の大きさと、腹立ち紛れにグリゴンを消すこと。そのいずれも、アズライト様が導き出される結果なのです。その両者のどちらが重要なのか、私はそれをご理解いただけると信じております」  アセイリアの答えは、テラノとグリゴンの関係に、アズライトを加えたものになっていた。その上で、グリゴンを消すこととの比較をさせたのだ。ここに至ったことで、ドワーブ以外の出席者も、総領主の答えの意味することを理解できた。これは、ある意味歴史的転換を示している。そしてアズライトに対し、見識を問いかける物になっているのだと。  答えを促すこともせず、アセイリアはじっとアズライトが答えを出すことを待った。時間が掛かったと言うことは、アズライトが自分の言葉を考えていることになる。反発ではなく考えることで、この問題は解決したのだとアセイリアは確信した。  そして10分ほどの沈黙の後、アズライトはアセイリアではなくドワーブに声を掛けた。 「私を暗殺しようと計画したこと。そして暗殺を実行しようとしたことを不問に処します。帝国法に従い、テラノでのテロに関してのみ審理を行いなさい。そして両星系が友好的関係を結ぶことを、私も支援を行うことにいたします。私からの、グリゴンに対する沙汰は以上となります。それを皇位継承権第三位、アズライトの名を持って宣言いたします。何か、今のうちに聞いておきたいことはありますか?」 「殿下のご慈悲に感謝いたします」  グリゴン側全員は、立ち上がってアズライトへと頭を下げた。もともと表情が分かりにくいところがあるのだが、その顔にははっきり安堵が浮かんでいた。 「私への感謝は不要です。私は、何が一番良いかを判断しただけです。感謝をするのであれば、テラノに感謝をしなさい」  それからと、アズライトはアセイリアをまっすぐ見た。 「私の気持ちを晴らしてくれると言う言葉。間違いなく、履行してくれるのですよね?」  直訳をするのなら、さっさと抱いてくれと言う意味になるのだろう。それを受け取ったアセイリアは、少し口元を緩め、アズライトの予想もしていない答えを口にした。 「申し訳ありません。私では殿下のご希望に添いかねます。先ほど申し上げた通り、然るべき者を部屋に待たせております」  アセイリアの答えに、アズライトは大きく目を見開き彼女の顔を見つめた。今の今まで本物のアセイリアだと思っていたのに、目の前にいたのはキャンベルが化けたものだったのだ。言われて初めて、彼女が偽物だと言うことに気がついた。  それを理解したアズライトは、やっぱり敵わないと愛する人のことを思った。自分がどう反応するかまで考え、キャンベルでも大丈夫なように仕込みをしてくれたのだ。そして予定した通りの行動を、自分がしてしまったのだ。 「私は、まんまと踊らされたと言うことですね」 「彼は、アズライト様のことを誰よりも信用されています。それが、私の答えとなります」  踊ったのではなく、アズライトならたどり着ける答えだとアセイリアは答えた。そう言って頭を下げたアセイリアは、「急いだ方が」とアズライトに進言した。 「きっと、待ちくたびれていると思いますよ」 「たまには、私がじらしてもいいと思いませんか?」  そう言って二人は顔を見合わせ、手で口元を抑えて小さく噴き出した。 「でも、これからの会議で彼が居なくても大丈夫なのですか?」 「もう、決めることが無くなってしまいました。その程度なら、私でも大丈夫だろうと言うことです」  グリゴン総領主自ら、テラノに公式に謝罪することを明言したのだ。それをアズライトの前で口にした以上、もはや取り下げることはできなくなったのだ。その意味で、決めることは無いと言うキャンベルの言葉は正鵠を射たものだった。  アセイリアとの話を終わらせたアズライトは、部屋に戻ることを全員に告げた。その時に付け加えたのは、事情を知る者なら吹き出したくなるようなものだった。 「晩餐には遅れずに出席しますから、それまで私の時間を邪魔することは許しません。もしも邪魔をしたのなら、そうですね、一族郎党灰に変えて差し上げます」  そう言うことですと告げて、アズライトはそそくさと会議場を後にした。あまりにも態度が変わったことに、誰もその変化に付いて行けなかった。当たり前のことだが、理由など分かるはずがなかった。 「なにか、もの凄く嬉しそうに見えたのだが?」  言わずもがなのことを口にしたドワーブに、それ以上は駄目だとジェノダイトは忠告した。 「世の中には、触れてはいけない、そして知らない方が良いことがあるのだ。そしてこれは、まさしく触れてはいけないことなのだよ」 「進んで墓穴を掘る必要はないと言うことだな」  それでも、一番の問題は無事決着を見たことになる。大きく安堵の息を漏らしたドワーブは、集まった部下たちに「場所を変える」と大きな声で宣言した。これからの話しは、このような堅苦しい場所でするものではない。もはや議論は必要なく、これからは融和の第一歩に取り掛かるのだと。 「ここから先は、テラノとの話し合いになる。だが、このように顔を突き合わせてやり取りする必要はなくなった。少し早いが、飯でも食いながら歓談することとしよう。ジェノダイト、ここにいないお前の部下も呼び寄せてくれないか」  これまでならあり得ないドワーブの言葉なのだが、部下達からは不満の声は聞こえてこなかった。それほど、お咎めなしと言うアズライトの沙汰は、彼らの予想を超えたものだったのだ。そしてそれを引き出したテラノ側、特にアセイリアに対して感謝の念が強かった。 「分かった、すぐに呼び寄せることにしよう。それからドワーブ、一人出席できないことを先に謝っておく」 「一人?」  どうしてと首を傾げたドワーブは、ジェノダイトの隣にいるアセイリアに視線を向けた。敢えて一人と言われたことに、思い当たる節があったのだ。 「まさかとは思うが、君はどちらなのだ?」  その問いかけに、アセイリアはニッコリと笑ってみせた。 「ドワーブ様のご想像通りだと思います」  アセイリアの答えに、ドワーブはそう言うことかとすべてを理解できた気がした。そしてアズライトが嬉しそうに出て行った理由にも納得がいってしまった。確かに、これは触れない方が良いことに違いない。 「天災とまで言われたアズライト様が、そうか、そうなのか……」  腹の底からこみあげてくる笑いに、ドワーブはお腹を押さえて大声で笑った。これまで散々苦汁を味あわせてくれたアズライトなのだが、急に可愛く思えてしまったのだ。もちろんそれが、大きな勘違いであるのをドワーブは承知している。下手をしたら、天災度合いが激しくなる可能性も残っているのだ。ただ今だけは、可愛らしい皇女の恋の行方を見守りたい気持ちになったのも確かだった。 「こっそりと、俺にアズライト様の恋物語を教えてくれないか」 「成就するには、まだ高い壁が残っているのだが……」  それが何を言っているのか、ドワーブは十分理解をしていた。そして理解した上で、合格しただろうとアズライトの相手のことを評価した。 「よほど、アルハザーより気の利いたことをしてくれている。いや、これまで奴がしてきたこと、すべてを意味の無いことに変えてくれたのだ。奴なら、悔しがるのではなく喜ぶことだろう」 「その考えには同意できるのだが……」  珍しく口ごもったジェノダイトに、どうしたのだとドワーブは眉間にしわを寄せた。もっとも、普段からグリゴン人の眉間にはしわが寄っていたのだが。 「俺には、アルハザーの考えが読めないのだ。確かに彼は、満点の答えを出して見せた。アズライト様の夫となるのに、相応しい能力を示したと言って良いだろう。だが、それをアルハザーとトリフェーン様がどう評価してくるのか、それが俺には読めないのだ。理に適わない横暴を通すのが、アルハザーの考える皇帝の役目なのだからな」  だから自分の常識では判断できない。ジェノダイトは、まだ分からないと二人の行く末を憂いた。 「俺には、考え過ぎのようにも思えるのだが……確かに、アルハザーは迷惑極まりないことを考えるな。遊びがいのあるおもちゃだと思われたら……確かに、まずいことかもしれないな」  ジェノダイトの懸念を理解したドワーブは、視線を厳しくして「どうする」と考えを質した。 「どうしようもない。としか、今の俺には答えようがない。俺が止めたぐらいで、考えを変えるアルハザーではないからな」 「確かに、奴の性格は厄介なものだったな」  しかも性悪皇妃までそばにいるのだから、普通の結末に至るはずがないのだ。おかしな物語、それこそ悲恋を考えはしないか。ジェノダイトは、親友の悪癖を思いやったのだった。 Last Capter  惑星リルケにある皇宮の一室で、皇妃トリフェーンは夫が現れるのを待っていた。アズライトがらみで何度もこう言う機会はあったのだが、いずれも空振りに終わっていたのだ。今宵の逢瀬はどう言うことになるのか。その結末を、トリフェーンは面白いものになることを期待していた。  淡いレモンイエローのナイトドレスの上に、僅かに色の濃い同系色のガウン。夫が寝所を訪れるときには、いつもしている格好だった。普段よりナイトドレスの色が薄いのだが、そこには特別な意味はなく、ただ単なる気まぐれに過ぎなかった。  夫が訪ねてくるのだから、相応の持て成しをしなくてはいけない。トリフェーンは侍女に命じていつものように寝所に花をあしらい、新しい種類の香をたかせた。そして軽めのアルコールを用意して、大人しく夫が訪ねてくるのをソファーに座って待った。多分今宵も、遅くに現れるのだろうと予想をしていた。  だがアルハザーが現れたのは、予想よりも早い30分後の事だった。普段から多忙な夫にしてみれば、予想もしないほどの早い時間。それは、十分何か有ったと思わせる早さだった。  「待たせたかな」と入ってきたアルハザーは、執務の時と変わりのない格好だった。今日も少し首元の詰まったグレーの上着に、同色のズボンと言うスタイルである。  遅くなったことを詫びた夫に、トリフェーンは笑みを浮かべながら首を横に振った。いつもに比べれば、格段に早い時間に現れてくれたのだ。その理由を想像すると、不平など出るものではなかったのだ。  トリフェーンに上着を渡し、アルハザーは首飾りを外してシャツの首元を緩めた。そしてお酒の用意してあるのを見て、ソファーへと腰を下ろした。そこでトリフェーンの飲み物が、少しも減っていないのに目をとめた。 「予想外に、早かったというところかな」 「そうですね、もっと待たされるかと思っていました」  上着をラックに掛けたトリフェーンは、ガウンを脱いで夫の隣に腰を下ろした。そして自分と同じお酒を用意し、それを夫に手渡した。 「こうするのは、いつ以来でしたか」  それから自分の分を手に取り、喉を湿らせるように口を付けた。 「そうだね、アズライトがテラノを発った時以来だね。およそ、2ヶ月前と言うところかな」  妻の作った酒に口をつけ、アルハザーはほっと息を吐きだした。その珍しい様子を目に止めたトリフェーンは、どうかしたのかと夫に尋ねた。 「いや、アズライトが女になったのだよ。父親として、少しばかり思うところがあったと言うところだ」 「アズライトが?」  夫の言葉に、思わずトリフェーンは首を傾げてしまった。 「確か、アズライトは相手を自分の手で殺してしまったのではありませんか? あの子のことですから、意に沿わぬ相手に体を許すとは思えません。と言うことは、前の男を振り切ったと言うことでしょうか? だとしたら、ずいぶんと早く忘れられたと言うところなのですが……」  イーリ・デポスとまで言ったぐらいだから、もっと引きずるものだとトリフェーンは考えていた。振り切ることは悪くはないが、もう少し引きずってくれてもと思ったぐらいだ。  だが夫から返ってきたのは、予想とは違う答えだった。 「いや、その件については私達もジェノダイトに騙されたのだよ。アズライトが惚れた男の名はヨシヒコと言うのだが、見事私達まで欺いてくれたんだ。アズライトを守り、そして立ち直らせた女性、アセイリアと言うのが彼が姿を隠すための仮の姿だったと言うことだ」 「ずいぶんと面白いことになっていたのね」  予想外のことに、さすがのトリフェーンも少し動揺をしていた。そしてその事情は、アルハザーも同じだったようだ。普段とは違い速いペースで酒を開けたアルハザーは、「グリゴンだが」とアズライトの訪問先のことを持ちだした。 「アズライトは、グリゴンに対して星系にある有人惑星3つを死の星に変えろと命じたんだよ。それは、ドワーブが出した軽すぎる処罰に対する、アズライトなりの基準を示したことになる。さすがにやり過ぎだし、これまでの私の方針からも外れた沙汰でもある。だが、暗殺未遂に対して皇女が基準を示した以上、蔑ろには出来ない沙汰でもあるんだ」  速いペースで酒を飲みながら、にこりともしないでアルハザーはグリゴンでのことを説明した。 「あの子なら言い出しかねませんが。それと、アズライトが女になったこととどう関係があるのですか?」  関連が分からないと、トリフェーンは夫の話に首を傾げた。 「今回の顛末を説明しているのだよ。トリフェーン、君がドワーブの立場なら、どう言った答えをだす?」 「私なら……ですか?」  うんと考えたトリフェーンは、すぐに「守るのは苦手」と言って白旗を上げた。 「アズライトが基準を示した以上、それ以下の答えは火に油を注ぐことになるでしょう。だとしたら、とり得る方法と言っても、もう一度暗殺をやり直すか、ザイゲル軍を総動員して反乱を起こすぐらいしかないと思うのよ。でも、そのどちらも火に油を注ぐ結果にしかならないわね。それで、ドワーブはどんな答えをアズライトに示したの?」  わざわざ自分の考えを聞いたぐらいだから、違った答えを持ち出したのだろう。それを確認した妻に、アルハザーは大きく頷いて見せた。その時の夫の表情に、トリフェーンはおかしなことになったのかと訝った。普段の夫ならば、面白いことになっていれば、好物を目の前にした犬のような顔をしてくれるはずだなのだ。  だが夫の顔には、興味深いと言うより、プレゼントの中身が紙切れ一枚だったかのような困惑が浮かんでいた。 「あなたの顔を見ると、おかしなことになってしまったの?」 「いや、そう言う訳ではないのだがね……」  答えを探すように目線を彷徨わせてから、アルハザーは「ジェノダイトに泣きついた」と妻に教えた。 「あり得ることですが、それはアズライトへの答えではありませんよね。それにジェノダイト君がとりなしたとしても、アズライトが考えを曲げるとは思えません。出かけていくときのあの子は、ジェノダイト君にも八つ当たりする勢いでしたからね」  獲物を前にした猫のように、残忍な顔をした娘を見ているのだ。ジェノダイトがとりなしたところで、矛先を収めるとは思えなかった。それに思い人を消した事件には、ジェノダイトも関わっていたはずだ。 「ああ、だからジェノダイトはアセイリア、つまりアズライトの恋人に相談することにした」  夫の答えに、「ああ」とトリフェーンは大きく頷いた。二度と会えないと思っていた恋人との再会、それを餌にご機嫌をとった。姑息で面白くない結末だと、その時はそう考えた。 「それで、アズライトが女になったと言う話につながるのね?」  敢えて誘導したところはあるが、妻はしっかり勘違いをしてくれた。そのあたり同じだなと苦笑を浮かべたアルハザーは、途切れさせた説明を続けることにした。 「それだったら、話はとても分かりやすく、つまらないものになっていたね。そして馬鹿な女に落ちぶれたと、私は腹を立てていたことだろう」 「つまり、誑し込まれたと言う訳ではないと言うことね」  それでと先を促したトリフェーンは、酒を含んで喉を湿らせた。 「そのアセイリアと言うのは、アズライトを完璧に抑え込んで見せたのよね。何か、予想もしない答えを持ち出してくれたって考えればいいの?」  興味に目を輝かせた妻に、アルハザーは「ああ」と頷いた。 「示した答えは3つ。その一つは、帝国法に則り関係者を訴追すると言うものだ。そしてその次が、テロの被害者であるテラノに対して、罪を認め謝罪を行うと言うものだ。通常行われる賠償については、テラノ側が不要と断っている。そして最後は、グリゴンとテラノの間で友好関係を築くと言うものだ。アセイリア、すなわちアズライトの思い人は、処罰とは違う方向に捻じ曲げると言う荒業を提示したんだよ」  妻に説明したアルハザーは、残っていた酒をぐいっと飲み干した。 「どうだい。予想もしなかった展開だろう?」 「予想もしなかったと言うか……それが、アズライトへの答えになると考える方がおかしくない? 帝国皇女暗殺未遂についての罪を問うているのよ。どうして、その答えがテラノとの友好関係樹立なのよ。よくドワーブが、そんな博打に出る気になったわね」  宇宙一の性悪と言われた妻でも、理解できない答えだと言うのだ。自分の尺度を確認したアルハザーは、そこでようやく苦笑を浮かべた。 「だが、アズライトはそれで矛先を収めたよ。それどころか、自分の暗殺未遂について、責任を問わないとドワーブに申し渡したんだ」 「その答えを出したのが、惚れた男だからってこと?」  困惑を顔に出した妻に、アルハザーははっきりと首を振った。 「アセイリアと言う女性の行った説明に納得したと言うのがその理由だよ。少なくとも、アズライトはこのことに私情を持ち込まなかった。まあ、有人惑星3つを滅ぼせと言うのは、私情から出たものなのだが……」 「つまり、あの子を納得させる理由が示されたと言うことね」  随分と面白い話になった。目をキラキラと輝かせた妻に、予想通りの反応だとアルハザーは考えた。 「気に入らないが、私でも納得せざるを得ないものだったよ。アズライトの示した基準への答えと考えると、ドワーブの答えの意味は理解できないんだ。つまりドワーブの答えは、アズライトを試すものとなっていたのだよ。グリゴン星系を滅ぼして鬱憤を晴らすのか、グリゴンとテラノの間に友好関係を結ばせるのか。帝国皇女として、どちらに意味を見出すのかと選択を迫ったんだよ。グリゴンを消したら、テラノと友好関係を結ぶことはできなくなるからね。アズライトは、どちらかを選ばなければならなくなってしまった」  夫の答えに、しばらくトリフェーンは何も答えることはできなかった。貝のように押し黙った妻に、「凄いだろう」とアルハザーはアセイリアを誉めた。 「凄いことは認めるけど……でも、気に入らないわ」  不満げに口元を歪めた妻に、アルハザーは大きく、そしてゆっくりと二度頷いた。 「君と同様、私も気に入らないと思っているよ。なにより気に入らないのは、どこにも文句のつけようがないことだ。同じ選択を突き付けられれば、私もアズライトと同じ答えを選ぶしかないんだよ。どっちが面白いかと言えば、間違いなく友好関係を結ばせた方が面白いことになるからね。そしてアセイリアと言う女性は、明らかにそれを見透かしてくれているんだ」 「そして、あなた達が長年かけて仕込んできた物を、あっさりとつぶしてくれたわけね。そしてその代り、ザイゲルの中に別の形で仕込みを作ってくれた……違うか、帝国のすべての種に対して、新たな仕込みをしてくれた。この動きは、グリゴンとテラノだけの問題で収まらない。他のH種にも大きく影響するし、それ以外の種にとっても宿題を突き付けることになった」  はあっと大きくため息を吐いたトリフェーンは、「やられたわね」と言って不機嫌そうな夫を見た。 「見事としか言いようがないのだが……だから、受け入れる訳にはいかなくなってしまった」 「この子が、私たちの子どもだったら良かったのにね……」  夫の言葉を受け入れたトリフェーンは、どうするのかと尋ね返した。 「どうする、か……」  珍しく迷った夫に、こんなこともあるのかとトリフェーンは大きく目を見張って驚いた。 「彼は、アズライトこそ次期皇帝に相応しいと決めつけてくれたよ。その決めつけもまた、私の考えを読んだような見事なものとしか言いようがない。確かに上の二人は、あらゆる意味で皇帝には相応しくはない。そして下の二人は、あまりにも不確定要素が多すぎるし、アズライトほどはじけていないし、行動力も持っていない。その意味で、アズライトが一番相応しいことには私も異論はないんだ。だがアズライトを皇帝にするのであれば、彼を伴侶にする訳にはいかない」 「アズライトも、イーリ・デポスと引き離されると言うことね」  二人の仲を認めないと受け止めた妻に、「言葉に気を付けろ」とアルハザーは珍しく厳しい顔をした。 「君の不貞について、今後とも咎めだてするつもりはない。だからこそ、君には言葉に気を付けて貰いたい。そうでないと、僕のジェノを縛った罪で君を罰しなくてはいけなくなる。それに君の場合、引き離されたのではなく、自分から選んだ結果だ」 「不貞を働いた罪ではないんですか?」  挑発してきた妻に、「それは無い」とアルハザーは即断した。 「君に不貞を働かせたのは、君だけの罪で収まらないからだよ。僕は、ジェノを罰するつもりはないんだ」  そう言い切ったアルハザーは、この話はいいと強引に話を打ち切った。 「アズライトは、彼を連れてリルケに向かっている。後の影響を考えると、処置は早めに行わなくてはいけない。事実を知る者が少ないうちに片を付けないと、私にも手に負えなくなる可能性が出てくるんだ」  厳しい顔をした夫に、別れさせるだけではないのだとトリフェーンは理解した。 「酷い父親ね。彼をジェノダイト君の養子にして、アズライトを嫁に出せば丸く収まるのに」 「そうなると、私の跡継ぎがいなくなってしまうんだ。一番相応しい者を皇帝に着けるのは、私の責任でもあるのだよ」  だからと言って、アルハザーはとても残酷な決定を口にした。 「アセイリアと言う女性を消すのは、今となっては影響が大きすぎるんだよ。アズライトを抑え込んだこと、そして今回の決定を主導したことで、広く帝国に名前が知れ渡ってしまったからね。そしてテラノでは、彼女の名前は伝説になろうとしている。だが幸いなことに、彼が復帰するのに合わせて、別の女性が身代わりに立てられることになった。私は、それを利用しようと思っているんだ」  その説明だけで、夫が何をしようとしているのかをトリフェーンは理解した。理解をすれば、なぜ処置を急ぐのかも自動的に導き出される。 「アズライトが可哀想ね。こんなことなら、出会わない方が良かったと思うわ」 「悲恋もまた、私の求める物語の一つなのだよ。実らない分、実った恋より強い輝きを放ってくれる」  「ただ」と、アルハザーは少し言葉を濁した。 「もしかしたら、私の考えてもいない結末が待っているかもしれない。私は、その可能性だけは残しておこうと思っている」 「やはり、あなたはとても残酷な人なのですね」  それでこそわが夫と、トリフェーンは夫の考えを肯定したのだった。 Epsode 4 END...