星の海の物語 Episode 2 The short play of the Centennial Chapter 0  帝星リルケは、主星シリウスを中心として、およそ1億5千万キロの公転軌道をもっていた。その直径はおよそ1万3千キロ、地表の60%を海が覆う惑星である。赤道傾斜角は23度と、データー的に地球によく似た惑星でもある。  ただ視点を主星であるシリウスに向けると、地球と明らかな違いが見えてくる。シリウスの周りには、いくつもの巨大な人口建造物が作られ、そこから伸びるパイプがシリウスを串刺しにしていたのだ。中心部の収縮を制御しシリウスの寿命を延ばすためのプラント、それが周りに作られた巨大建造物の正体だった。建造されておよそ1千年経つが、その時間でさえ星の寿命の前にはわずかな時間でしかない。  リルケの表面に目を向けると、いくつもの大陸を見つけることができる。そしてそのいずれからも離れたところに、巨大な人工島が作られていた。その島は深い緑に覆われ、その中心には象徴とも言える塔がたっていた。そしてその塔こそが、「永遠の都」と言われるロマニアにある皇帝の住まう皇宮である。  その皇宮の一室で、皇妃トリフェーンは夫が現れるのを待っていた。  淡いピンクのナイトドレスの上に、僅かに色の濃い同系色のガウン。ここが彼女の寝所だと考えれば、驚くことのない普通の格好なのだろう。ナイトドレスを着ているだけ、むしろ普段より慎み深い装いと言っても過言ではない。普段の彼女は、何も身に着けずにベッドに入っていたのだ。  夫が訪ねてくるのだから、相応の持て成しをしなくてはいけない。トリフェーンは侍女に命じて寝所に花をあしらい、特別に調合させた香をたかせた。そして軽めのアルコールを用意して、大人しく夫が現れるのをソファーに座って待った。  アルハザーがトリフェーンの寝所を訪ねたのは、帝国標準時で12時を回った時のことだった。待ちくたびれたトリフェーンが、3回目の大欠伸をしてすぐのことである。普段から多忙な夫にしてみれば十分に早い時間、そして自分を退屈させるのにも十分な時間だとトリフェーンは考えた。  「遅くなったね」と入ってきたアルハザーは、執務の時と変わりのない格好だった。少し首元の詰まったベージュの上着に、同色のズボンと言うのが執務時のスタイルである。公務でないため、華美で窮屈な衣装はごめんと言う、アルハザーの性格を表したものでもある。  遅くなったことを詫びた夫に、トリフェーンは笑みを浮かべながら首を横に振った。夫の時間が取れないことは、嫌と言うほど思い知らされていたのだ。若いころはもう少し自由な時間があったが、それにしても「世継ぎを作れ」と周りが配慮した結果に過ぎなかった。  トリフェーンに上着を渡し、アルハザーは首飾りを外してシャツの首元を緩めた。そしてお酒の用意してあるのを見て、ソファーへと腰を下ろした。 「ずいぶんと、待たせたようだね」 「久しぶりでしたので、あなたが忙しいことを忘れていましたの」  上着をラックに掛けたトリフェーンは、ガウン姿のまま夫の隣に腰を下ろした。そしてお酒を用意し、それを夫に手渡した。 「こうするのは、何年振りでしょうか?」  それから自分の分も作って、喉を湿らせるように口を付けた。 「そうだな。ここしばらく記憶がないと言うのか。少なくとも、ここ一、二年は無かったのだろう」 「そうですね。よほど、男の側仕えを置こうかと思ったぐらいです。それで、今日はどう言ったご用向きですか? まさかとは思いますが、アズライトに影響されたと言うことはありませんよね?」  妻の寝所を訪れたのに、用向きを聞かれるのはどう考えたらいいのだろう。とても妻の言葉とは思えない言葉なのだが、あいにく受け取る夫も繊細な神経を持ち合わせていなかった。 「子供ではないのだから、あの程度のことで影響など受けるはずがないな。それよりも、君も知らない最新情報を教えてあげようと思ったんだよ」 「アズライトのこと、でしょうか? 一言忠告させていただきますが、好きにさせた以上放置しておくのがあの子のためですよ。こうしていちいちチェックするのは、暇な一般人のすることです。他の式典にも人を送り出していることをお忘れないように」  そう言って文句を言いながら、トリフェーンは「それで」と言ってお酒を口にした。 「確か、テラノの一般男性と疑似性交をして、その上皇女にあるまじき破廉恥な真似をしたとは聞いていますが? もしかして、その男性と一線を越えてしまったと言う話でしょうか? だとしたら、おもしろくもなんともない、わざわざ夜分に教えて貰うようなことではありませんね。あの子も16、男を知ってもおかしくない年齢ですよ。現に私も、16で男を知りましたからね」  妻の言葉の中には、アルハザーにとって初めて聞く事実が含まれていた。いくら自分と知り合う前のこととは言え、そのまま放置するわけにも行かなかった。 「私達が知り合ったのは、確か君が17の時だと思ったのだがね。しかも初めての時、君は経験がないと私に言わなかったかい?」 「そんな30年近くも前のことは覚えていませんわ。それに、“あなたとは”初めてですから、何も嘘は申していませんよ。ただ、少しだけ説明が不足していただけのことです。そのあたりはお互い様なのですから、今さら騒ぐことでもないでしょう」  おほほと笑ったトリフェーンに、あろうことかアルハザーはあっさりと彼女の主張を認めた。そしてその上で、問題が多いのだと話をアズライトのことに戻した。 「その時の君は、ただのと言うには語弊はあるが、あくまで一般人だったからね。貞操の問題については、ご両親が頭を悩ませれば住むだけのことだったのだよ。だけどアズライトには、継承権を持つ皇女と言う身分がある。私達が親として頭を悩ませるのと同時に、帝国として問題となってくるんだよ」 「そうですね。あの子に男ができて大人しくなってしまったら、帝国にとって大きな損失ですね。それで、アズライトは体を許したのですか?」  わざわざ夜分に聞くことではないと言った割に、トリフェーンは興味津々という顔で夫に迫った。だが、夫の答えは期待とはかなり違ったものだった。 「そのあたりは、相手に常識が残っていたのだろうね。散々アズライトをその気にさせておきながら、最後の一線を越えなかったようだ。緊急プログラムや精密調整が役に立たなかったところを見ると、アズライトは本気でその相手を愛していたのにな」 「なんと常識的でつまらないことでしょう。ですが、アズライトのためには、その相手との将来を考えてあげてもいいですね。私には叶いませんでしたが、初恋の男性と結ばれると言うのは素敵だと思いますよ。いささかスケールが小さいのは残念ですが、一般男性とのラブロマンスと言うのもたまにはよろしいのではないですか?」  いいわと身悶える妻に、アルハザーは今度こそ苦笑を顔に浮かべた。 「君は、時々私を苛めるようなことを言うね。まあ、出会う前のことに文句を言うのは野暮だから、その話はどうでもいいのだが……」  そう言って、アルハザーはつまらない結果に落ち着いたと娘の恋物語の続きを説明した。 「ジェノダイトが、余計なことをしてくれたようだ。せっかくアズライトが皇族を捨てる覚悟をしたのに、不敬罪と言って相手の男をアズライトの目の前で始末してしまったんだよ。しかも、とどめをアズライトに刺させると言う、血も涙もないことをしてくれたんだ。だからテラノのシステムを見ても、その男性の記録はすべて消されている。関係者の記憶まで消すと言う、それはもう、誰を意識したのか分からないほどの徹底ぶりなんだ」  夫の話に、「ああ」とトリフェーンは天を仰いだ。 「どうして、そんな気の利かないことをしてくれるのでしょう。そのまま行くところまで行かせた方が、絶対に面白いことになったのに。でも、アズライトにとどめを刺せたことは、多少評価はできますね。それで、あの子はどうしていますの?」 「今は、あてがわれた部屋で大人しくしているようだ。仕方のないこととは言え、ひどく落ち込んでいるようだね。せっかくのラルクを、ごみ箱に捨てたようだよ」  夫の言葉に、トリフェーンは少しだけ顔を顰めた。 「どうして、そんな普通の娘のような真似をしてくれるのかしら。私たちの娘なら、腹いせに暴れてもおかしくないのに……もしかして、そこまで相手のことを愛してしまったのかしら。だとしたら、私も考え方を変えないといけないのだけど」 「理由は分からないが……いや、理由を求めることに意味はないと思うが、おそらく君の言った通りなのだろう。どうやら、アズライトはイーリ・デポス(別れた半身)に巡り合ってしまったのかもしれない。だとしたら、ジェノダイトは取り返しのつかないことをしてくれたことになる」  珍しくため息を吐いた夫に、あろうことかトリフェーンもため息を返した。 「でも、それは失って初めて分かることでしょう。だとしたら、それでジェノダイト君を責めるのは間違っているわ。ただ残念なのは、これでアズライトに期待が出来なくなってしまったことよ。皇位は、エヴィールかイスマリアに期待するしかないわね」 「だとしたら、これからはイスマリアを派遣することにしよう。まだ少し早いのだが、もうアズライトは使えないだろうからな」  夫の言葉に、トリフェーンは残念そうに頷いた。 「隠していても、今度のことは伝わってしまいますからね。もう、あの子のことを誰も天災だと恐れなくなるでしょう。それに、あの子も今まで通りではいられないでしょうからね。しばらくしたら、適当な男をあてがって公爵家を作らせましょうか」 「ジェノダイトに、お灸をすえたい気持ちになったよ」  はあっと息を吐き出したアルハザーは、つまらないなと妻に愚痴を言った。 「この腹いせは、ザイゲルに向けるしかないのだろうか」 「友人の手柄を横取りするのは、よろしくないと思いますよ」  「でも」と、トリフェーンは言葉を続けた。 「憂さ晴らしをしたいと言うお気持ち、私にもよく分かります。いっそのこと、皇帝が恐ろしいものだと示すために、グリゴンを塵に変えましょうか?」 「テラノを攻撃するのなら、口実と言う意味なら立つのだがな」  そう答えたアルハザーは、「だめだ」と妻の意見を否定した。 「そんな真似をしたら、私は子孫に恨まれることになる」 「そうですね、かさぶたには頑張って暴れて貰わないと」  そこで小さくため息を吐いたトリフェーンは、床に就くと夫に言った。 「興が削がれました。今日は、大人しく一人で寝ることにします」  だから一人で寝てくれ。妻の言葉に、アルハザーは小さく頷き立ち上がった。 「確かに、一人で寝る気分だな」  つくづく残念だ。そう言い残し、アルハザーは妻の寝所を後にした。 Chapter 1  翌朝出頭の呼び出しを受けたマリアナは、意気揚々と領主府に現れた。ようやく皇女殿下の世話役という大任を果たせる。そのことを、マリアナは純粋に喜んでいたのである。  自分の執務室に現れたマリアナに、「待たせたね」とジェノダイトは謝罪の言葉を掛けた。そして彼女に、保護対象者の居場所を教えた。 「アズライト様は、この上にある特別フロアにいらっしゃる。今日から君は、お休みになられる時間を除き、アズライト様のおそばにいて、世話係を務めて貰う」  テラノ総領主直々に、皇女殿下の世話役を仰せつかるのだ。三等男爵家に生まれたマリアナにとって、この上もなく名誉なことに違いない。 「はい、この命に代えましても!」  背筋を伸ばして答えるマリアナに、それでいいとジェノダイトは頷いた。 「では、これからさっそく役目についてもらう。ただその前に注意をしておくが、アズライト様は少し落ち込まれている。だが、絶対に励まそうとしてはいけない。今は、そっとしておいてあげるように」 「皇女殿下に何か……いえ、注意深く対応いたします!」  確か、天災に等しき存在だと聞かされていた。それを考えると、落ち込むと言うのは予想もしないことだった。それもあって質問しようとしたのだが、すぐにマリアナは質問を思いとどまった。  皇族の心に踏み込むのは、臣下として許されないことに違いない。それに気づいたマリアナは、己の任務を忠実に果たすことにした。そばに居て話し相手になり、必要ならば求められたことをする。いささか肩透かしとも言える役割なのだが、相手が皇女殿下と考えれば文句など言いようもなかった。  ジェノダイトの下を辞したマリアナは、まっすぐ特別フロアへと向かった。それはジェノダイトの執務室より100mほど上方に位置する、皇族専用室と言われる場所だった。立ち入りが許されるのは、ごく少数と言う特別の場所でもある。  いくつかの認証を通り超えて部屋に入ったマリアナは、ぼんやりとベッドに座るアズライトに大きな声で挨拶をした。だがアズライトからは、何の言葉も返っては来なかった。マリアナを気にすることなく、アズライトは一人ベッドの上に座っていた。そしてその視線は、広げた手のひらへと向けられていた。微動だにしないさまは、まるで壊れた人形を見ているようだった。  普段のマリアナなら、何も考えずに言葉をかけていたことだろう。だがジェノダイトの言葉を思い出したマリアナは、黙ってアズライトを見守ることにした。ただ気になったのは、天災とまで言われた皇女殿下が、どうしてここまで嘆き悲しんでいるのかということだった。ジェノダイトは「少し」と言ったのだが、マリアナの目からは大切な物を失くしたかのように見えていた。  最初に話を聞かされた時には、第二皇女と言うのは宇宙を飛び回る天災と言う存在だった。だから災厄が通り過ぎるまで、じっと耐え忍ぶ以外にできることはないと言われたのだ。だが目の前で悲嘆にくれる皇女殿下には、天災と言われた面影はどこにもない。そこにあったのは、今にも壊れてしまいそうな危うい少女の姿だった。  そんなことを考えながら、マリアナは声を掛けずにアズライトのことを見守り続けた。動かないアズライトと、それを見守り続けるマリアナ。時折トイレに立つこと以外、その構図が変わることはなかった。そしてマリアナにとっての第一日目は、本当に何事も起こること無く終了した。皇女殿下のためにしたことといえば、その口に水と固形食料を運んだだけだったのだ。その時知ったのは、皇女殿下が見続けていたのは、地球ではIDと呼ばれる金属製の筒だった。  そしてその翌日も、その構図が変わることはなかった。まるで抜け殻のようになったアズライトは、何事もすること無く、ただあてがわれた部屋でじっとしているだけだった。知恵比べが必要と言われたのだが、必要なのは忍耐だとマリアナが感じたほどである。  さすがに可哀想になった。テロ対策の報告に現れたマグダネル大将に、ジェノダイトはアズライトのことをため息混じりに話した。銀河を飛び回る天災と恐れいていた少女が、今は見る陰もなく打ちひしがれている。仕方のないこととは言え、こうして目の当たりにすると哀れという気持ちが強くなってしまうのだ。  そしてマグダネル大将は、哀れと言う以上に問題ではないかと指摘した。 「しかし、これはこれで問題になりませんか?」  自業自得とは言え、継承権を持つ皇女をここまで壊してしまったのだ。皇帝から派遣されたジェノダイトの立場が、危うくなってもおかしくない事態である。  それを気にしたマグダネル大将に、ジェノダイトは小さくため息を返した。そして彼の立場に沿った答えを口にした。 「アズライト様が原因で死んだ若者が、2人から3人になっただけのことだ。それがたまたまお気に入りだったとして、私の感知することではないだろう。しかも原因は我々が作ったにせよ、直接手をくだされたのはアズライト様だ。私の立場としては、責任など無いと突っぱねる以外はない」 「そう、建前を通しますか」  苦いものを飲み込んだような顔をしたマグダネル大将に、仕方のないことだとジェノダイトは答えた。 「これは、建前を通す以外に方法が無いのだよ」  ジェノダイトの答えにため息を吐いたマグダネル大将は、話をアズライトからザイゲルに変えた。残酷なことかもしれないが、これでアズライトの行動を気にする必要が無くなったのだ。その点においては、今の状態はマグダネル大将にも都合が良かった。おかげで、もう一つの懸念事項に専念することができる。 「彼女から進言のあった犬の利用ですが、大きな成果があったことをお知らせに参りました。おかげで10名ほど潜伏していたザイゲルの奴らを一網打尽にしました。奴らは、どうして自分達が見つかったのかを理解できていないようですな」 「機械は騙せても、鋭敏な動物の感覚は騙せなかったということですか」  ジェダイトの言葉に、マグダネル大将は大きく頷いた。そして盲点だったと、自分の不明をマグダネルは恥じた。 「どうやら、我々は機械に頼りすぎていたようです。相手の方が技術レベルが上なら、機械を騙す方策を持っていると考えるべきでした。そのことに気付かなかったのは、迂闊と誹られても仕方がないことでしょう」  そう言って自嘲するマグダネル大将に、いやいやとジェノダイトは首を横に振った。 「そう言う私だって、機械が疑わしいとは少しも思っていませんでしたよ。このことで、マグダネル大将を責めるのは筋違いというものです。現に、ザイゲルにも想定外の事だったでしょう。原始的な方法は、時に最先端技術に優ると言うことです。私達は、それを肝に銘じる必要があるということです」  確かにそうだと頷いたマグダネル大将に、ジェノダイトはさらなる進展はないのかと確認をした。ザイゲルの潜入工作員を捕まえたのなら、新たな情報を引き出せないかと言うのだ。 「そのあたり、彼らにも誇りはあると言うことです。今は自殺を防ぐために、拘束することを主目的としています。のんびりとはしていられないのは分かっていますが、証拠を失っては元も子もないと思っています。現時点での作業は、押収した物品の調査なのですが。あまり芳しくないと言うのがお答えになります。それからお伝えしておきますが、アズライト殿下の行動を彼らは把握していました。ただ、それは何人かの候補の一人としてで、すぐに候補から外したと言うことです」 「九死に一生を得たと言う気持ちになったのだが……」  安堵の息を漏らしたジェノダイトは、ザイゲルが否定した理由に興味を持った。 「なぜ彼らは、セラフィム・メルキュールがアズライト様ではないと判断したのかね」 「まだ尋問が終わっていないのではっきりとしませんが……撮影された映像から推測するのなら」  そこで言葉を切ったマグダネル大将は、予想もしない、そして言われてみれば納得できる理由を口にした。 「一般庶民の男が、好き勝手をしていたことが理由と思われます。人前でキスするどころか、その、かなりいかがわしい真似まで許しています。アズライト殿下の行動を分析した者からすれば、ありえないことに違いないでしょう。その考えに従えば、その映像を見れば直ちにアズライト殿下であることを否定するはずです。何しろ報告書に添付された映像を見た時には、さすがに私も乾いた笑いが出たぐらいです」 「彼は、それを意図したのだろうか」  一つ一つ事実を積み重ねると、ヨシヒコのした事はすべて意味を持ったものとなる。それもあって、アズライトとのことにも「意図」を感じてしまうのだ。  だがマグダネルは、ジェノダイトの疑問に「分かりません」と答えたのだった。 「分かっているのは、結果的に彼の行動がアズライト殿下のお命を守ったと言うことです。それが意図した物かどうかは、もはや知るすべは残されていません。ただ、総領主殿を責めるのは間違っているとは思いますが、早まったことをしてくれたと私は思っています。アセイリア嬢に彼を加えれば、鬼に金棒と言えたでしょう」 「私も、そこまでするつもりはなかったのだがね」  そう抗弁したところで、起きてしまった事実は変えようがない。それぐらいは、非難したマグダネル大将も分かっていることだった。  自分の言い過ぎに気付いたマグダネル大将は、話題を変えるようにジェノダイトの机に置かれた指輪を持ち出した。 「領主殿が指輪とは珍しいですな。ですが、それはいささかサイズが小さくありませんか?」  それと指差されたのは、赤い石のついた小さな指輪だった。よく見るとリングの部分が、何かにぶつけたように少し変形していた。いずれにしても、ジェノダイトが持つような指輪ではなかった。  マグダネル大将に指輪を指摘されたジェノダイトは、ああと頷いてその指輪を拾い上げた。 「これは、アズライト様のものです。いつも身につけられていた、物質変換装置ラルクと言うのが、この指輪の正体です。昨日、特別室のゴミ箱の中から出てきました」 「そんな大切な物を、皇女殿下が捨てられたと?」  驚いたマグダネル大将に、ジェノダイトは捨てた理由を説明した。 「つけているのが辛くなったからでしょう。何しろ、結果的に彼を消滅させた指輪ですからね」  ジェノダイトの説明に、そう言うことかとマグダネル大将は事情を理解した。確かに、辛すぎて指には嵌めていられるはずがないのだ。また地雷を踏んでしまった。己の迂闊さを呪ったマグダネル大将に、ジェノダイトは頼んであった仕事の首尾を確認した。 「ところでマグダネル大将、関係者の処置はどうなっています?」  完全に痕跡を消さなければ、皇帝がうるさく言ってくるのは目に見えていた。それを考えれば、ジェノダイトが気にするのも当然のことだった。 「トランス・ギャラクシー観光に出ている両親以外は完了しています。こちらは、帰国し次第処理を行うことになるでしょう」  両親の扱いについて、仕方がないとジェノダイトは認めた。処理をするにも、地球からは手の出しようもないほど遠く離れてしまっていたのだ。 「確か、彼には宇宙軍に居る姉がいたと思いますが? 彼女は、どうなりましたか?」  イヨのことを気にしたジェノダイトに、そちらも完了していることをマグダネル大将は告げた。 「ジェームズ、失礼ブドワイズ大将が自らこのことを告げたそうです。何が起きたのかの説明を求め、一言残したのち記憶消去の処理を受けたと言うことです」 「彼女は、なんと言い残したのかね?」  興味を示したジェノダイトに、マグダネル大将は「羨ましい」と信じられない答えを返した。 「羨ましい、ですか?」  さすがに信じられないと目を見張るジェノダイトに、自分もそう思ったとマグダネル大将は答えた。 「理由をブドワイズ大将に聞いたのですが、彼も教えて貰えなかったそうです」  ただと、マグダネル大将はブドワイズ大将の言葉を続けた。 「記憶消去を受ける直前、彼女は「ごめん」と謝っていたと言うことです」  仕方がなないこととは言え、やはり辛すぎることには違いない。ごめんと言うイヨの言葉に、謝るのは自分の方だとジェダイトは考えていた。  マリアナの付き添いが始まっても、アズライトの様子に変化はなかった。ずっとベッドの上に腰をおろし、ただ手元のIDを見つめている。生活に必要な最低限、食事や排泄以外は、本当にそれ以外のことをアズライトはしなかった。そして世話役として付いたマリアナの存在ですら、アズライトは意識しているようには見えなかった。  そんな様子を見せられれば、余程の事があったのだと推測することができる。だからマリアナも、心の傷に触れないよう注意深くアズライトに接していた。それでも気になったのが、どう見ても地球のIDに見えるそれが、一体誰のものなのかと言うことだった。  そこに鍵があるのかと、マリアナは無い知恵を絞ることにした。そして取り掛かりとして、IDのチェーンホルダーを手に入れた。じっくりと観察した結果、それが日本の高校生の持つIDだと分かったのだ。 「皇女殿下、差し出がましい真似をすることをお詫びいたします」  セラムに用意させたチェーンホルダを取出し、それをアズライトの首にかけた。突然のことにのろのろと顔を上げたアズライトに、マリアナはにかっと笑って見せた。 「皇女殿下が見つめられているID。これは、それとセットになるものだ。これを使えば、肌身離さずそのIDを身に着けていることができる。立派な物をとも考えたのだが、高校生の持つオリジナルにすることにした。型番が分かったので、セラムに港総合高校にまで買いに行かせたのです」  アズライトにとって、首に掛けられたチェーンホルダなどどうでもよかった。ただマリアナの口にした二つの言葉が、アズライトにとって重要だった。セラムと港総合高校。そのいずれも、ヨシヒコにとってとても大切なものだったのだ。そして何より大切なことは、自分がセラムから恋人を奪ったことだ。 「セラムさんとはどう言う人なのですか?」  5日目にして初めて聞いたアズライトの声に、うまくいったとマリアナは喜んだ。そして話の取り掛かりとなるセラムについて、必要以上に細かな説明した。 「うむ、セラムはミツルギ家に仕えるヒワタリ家の長女だ。たしか、皇女殿下より一つ下だったと思う。F女に通わせている、なかなかの美人だと評判が高い自慢の家臣だ。だから、余計な虫がつかないかを心配しているのだが。今の所、浮いた話一つない身持ちの固い女だぞ。ただ、しっかりしているようで抜けているところもあるな。そう言うところが、私の目から見ても可愛らしいのだが」 「抜けているところ、ですか?」  意外なところに食いついてきたと思いはしたが、皇女殿下の考えは分からないとマリアナは割り切ることにした。 「うむ、4日ほど前、ちょうど私が世話係として着任した日のことだ。朝からバタバタと何か用意をしていたのだが、途中で何のための用意か分からなくなってやめてしまった。下着にまで気を使っていたので、よもや男ができたのではないかと驚いたのだが。結局、理由は分からずじまいだったな」 「そう、ですか……」  セラムと言う名と、4日前、そしてデートと言う答えに、それが自分の見かけた少女だとアズライトは確信した。そうなると、目の前にいる大きな少女は、ヨシヒコが仕える予定だった相手と言うことになる。 「マリアナさん、でしたね。あなたは、ヨシヒコ・マツモトと言う少年をご存知ですか?」 「ヨシヒコ・マツモト、ですか。名前からすると、一般人のようですが……申し訳ありませんが、私の知り合いにそのような者は居りません。必要でしたら、セラムに調べさせますが?」  そこでヨシヒコの友人の名前を出そうとしたアズライトだったが、結局その名前を出すことは無かった。アリエルが教えてくれた通り、ヨシヒコが生きてきた記録がすべて消されてしまったのだ。そして彼を知る関係者からも、その記憶が消去されている。セラムが準備の理由を忘れたことこそ、その証拠ではないか。 「ありがとう。その必要はありません。これは、大切にさせてもらいますね」  そう言って薄く笑ったアズライトは、持っていたIDをホルダーに装着した。そして開いた胸元に差し込み、大切そうに上から手を当てた。 「皇女殿下、しばらく席を外した方が宜しいでしょうか?」 「お心遣いに感謝いたします」  笑みこそ浮かべているが、その目には溢れんばかりに涙が溜まっていた。そんな姿に胸が詰まったマリアナは、それ以上何も言わずにアズライトの部屋から出て行った。本当に大切なものを失ってしまった、本来ありえないことなのだが、それが愛する人なのだとマリアナは感じていた。  アズライトが少しだけ心を開いた翌日、式典のもう一つの主役が地球へと到着した。ドリスデン帝国軍大将旗下の戦艦ツヴァイドライグが、ホプリタイ部隊イェーガージェンヌを運んでやってきたのである。帝国最新鋭艦と最強部隊の到着に、迎えた地球宇宙軍は緊張に包まれていた。  艦籍照合を通り抜けたツヴァイドライグは、ラグランジュポイントに作られた宇宙港へと入港していた。そして彼らを迎えるべく、地球所属の宇宙軍幹部が勢ぞろいしたのである。 「遠路はるばる、我が地球までお出でくださったことに感謝いたします」  艦から現れたカイザルセル大佐に、ブドワイズ大将以下、地球宇宙艦隊の重鎮は揃って頭を下げた。官職、爵位とも上回っていても、帝国直轄軍の立場はそれを超えるものだった。 「カイザルセル・オム・リルケ・エヴィータです。このたびは、盛大なる歓迎に感謝いたします」  にこやかな笑みを浮かべたカイザルセルは、こちらにと言って本命をブドワイズ達に紹介した。 「帝国の誇るホプリタイ部隊。イェーガージェンヌ隊長のジェライド大尉です。彼の駆るアルファケラスは、最強に相応しい存在と言えるでしょう」  カイザルセルの言葉に合わせ、逞しい男が一人前に進み出た。 「ジェライドです。以後お見知りおきのほどよろしくお願いします」 「こちらこそ、高名なイェーガージェンヌの方々とお目にかかれて光栄です」  地球式に握手を交わしたのち、ジェライドは部下を一人一人紹介した。 「ヨルムハッセ少尉です。彼はセコリアスに乗ります。そしてその隣が、カールカッセ少尉です。彼は、トリケラスに乗ります。そしてその隣が、ラルフレン少尉です。彼はクロロリアに乗ります。その隣がモーリアス少尉です。彼は、シストマに乗ります。最後はナノラッセ少尉です。彼は、ジーベンに乗ります。私を含め6名が、御前試合で皆様のお相手をさせていただきます。ぜひとも、お手柔らかにお願いしたいと思っています」  社交辞令の挨拶を交わし、ジェライド一行は地上へのトランスポーターへと案内された。このあとヨコスカに用意された宿舎に入り、地球陸軍との交流会が開かれることになっていた。  ツヴァイドライグの到着は、いよいよ式典本番が迫ったことを意味していた。その意味で、偽物皇女の到着は、領主府にとって重要ではあるが重大なことではなかった。ただホプリタイ部隊の到着にしても、目的はあくまで花試合であり、トラブルの種となるものではないものだった。  とは言え、偽物とは言っても公式には皇族初のテラノ訪問となる。そして偽物を本物に見せるべく、ジェノダイトは必要な儀式を行う必要があった。皇女殿下を迎えるにふさわしい歓迎の式典に、それに必要な関係者の召集。そして必要な警備の手配である。  センテニアル実行委員会に任せていた仕事も、今ではほとんど統合司令本部に移管されていた。正確に言うのなら、統合司令本部の下に実行委員会が入る形となったのである。そのおかげで、ジェノダイトの負担もぐっと軽くなり、息抜きする時間も取れるようになっていた。  そして必要な息抜きと情報交換の意味で、ジェノダイトはアセイリアをホテルに呼び出した。領主府では息抜きにならないと、場所はパシフィックホテル最上階のレストランを選んでいた。 「期待とは違う意味で、統合司令本部が役に立つことになったな」  おかげで楽になったと喜ぶジェノダイトに、アセイリアは表情一つ変えずに水に手を付けた。まだ仕事が残っていること、そして年齢的な問題で酒を口にすることはできなかったのだ。 「どうやら、うまく組織は運営できているようだな。なにやら、君の立場はアセイリア機関のリーダーらしい。いつの間に、センターサークルを掌握したのかね?」  統合司令本部が発足してから、まだ5日しか経っていない。その短い時間で組織を掌握したのだから、考えてみれば恐ろしい才覚だと言えるだろう。能力を見込んで任せたとは言え、あまりにも見事な手際には驚かされてしまうのだ。 「特に、特別なことをしたとは思っていません。ただ、今まで通り、他人を気にせず言いたいことを言った。私がしたのは、その程度のことです。ただ言わせていただければ、そのアセイリア機関と言う言われ方は不本意です。それだと、私が組織を私物化しているように聞こえてしまいます」  その時のアセイリアは、普段司令本部で来ているカーキ色をしたブレザー姿だった。ホテルのレストランで食事をするには、色気も何もない格好だった。それでも、ジェノダイトはアセイリアを綺麗だと感じていた。服装を地味にしたことで、地の良さが余計に引き立っているように見えたのだ。  なるほどともう一つ聞こえてくる評判に納得しながら、ジェノダイトは総領主として必要な確認をした。アズライト皇女のこと、そしてセンテニアルを妨害するザイゲルのことだった。 「アズライト様が、マリアナ嬢と話をされるようになった。これも、君の人選が正しかったことになるな」  ヨシヒコの関係者と言うこともあり、人を代えた方が良いと言う意見が強かったのだ。その反対意見を、アセイリアは「遺言」を利用する形で押し切った。それが、マリアナが世話係に着いた経緯である。そしてアセイリアが主張した通り、マリアナの世話係は良い結果を導いていた。 「私は、彼が残したものを利用したにすぎません。遺言を利用すれば、角が立ちませんから」 「改めて聞くが、なぜマリアナ嬢が良いと考えたのかね?」  押し切った時には、あくまで遺言を前に出していたのだ。それを思い出すと、アセイリアの口から理由を聞いたことが無かった。  理由を求められたアセイリアは、ナイフとフォークを置いてナプキンで口元を拭った。 「大雑把に見えますが、マリアナさんはそれなりに考えて行動をします。ですから、マリアナさんの行動を予測することができました。そしてあれだけあからさまな行動をとられれば、彼女ならばIDに目を付けると思っていました。そして状況を変えるため、IDに着けるチェーンを入手すると考えたのです。そしてその場合、彼女の配下に居るセラムと言う女性を使うと考えました。港総合高校、そしてセラム。その二つのキーワードに、皇女殿下が反応すると予測したのです。そして予測通り、皇女殿下はセラムと言う女性に興味を示されました」 「私には、それはそれで残酷な気もするがね。セラムと言うのは、彼の恋人だったのだろう。アズライト様は、その女性から恋人を奪ったことになる」  そしてその女性は、ヨシヒコに関する記憶を消去されている。それを改めて知らされるのは、どう考えても辛いことに違いない。 「痛みを共有したと言う思いで、勝手にシンパシーを感じられたのでしょう。そして謝罪する相手ができたことで、多少は気が晴れたのかもしれません。それから、総領主様が仰ったことを気にするのなら、初めから彼を相手にしてはいけなかったのです。彼に惹かれ、すべてを欲しいと思った時点で、皇女殿下は罪を背負うことになったのですから。そんな簡単なことも分からなくなるから、“恋は盲目”と言われるのかもしれませんね」 「人に恋をすることは、罪なのかね?」  正面から見据えたジェノダイトに、アセイリアは「罪です」と言い切った。 「皇女殿下の場合、罪としか言いようがありません。絶対に実らないことが分かっているのに、恋人たちの関係を壊してしまったのです。その意味では、セラムと言う女性は忘れてしまえて幸運だったのではないでしょうか。ですからこのことは、皇女殿下が背負う十字架だと私は思っています」 「やはり君はアズライト様に厳しいな」  苦笑したジェノダイトに、それは違うとアセイリアは言い返した。 「人の上に立つ皇族の務め。私はそれを申し上げただけです。数々の罪を背負ってこそ、上に立つ資格があると思っています。その意味で、アズライト様は皇帝となるのにふさわしい経験を積まれているでしょう」 「だが、継承権1位は長男のアンハイドライト様だ。今のままでは、彼女が皇帝になることは無い」  自分の意見を否定したジェノダイトに、アセイリアははっきりと反対の意見を口にした。 「出生順が絶対と言うのであれば、確かにそうなのかもしれません。ですが、過去の皇位継承を調べると、必ずしも継承権の高いものが皇帝の座についていません。継承権1位に目立った瑕疵がないにもかかわらず、下位の者が皇帝の座についているのです。このことを考えれば、アズライト様が皇帝になれないと言う結論は導き出されません」  それが理由の一つ。そう口にして、アセイリアは別の理由、そしてジェノダイトにとって考えさせられる理由を持ち出した。 「皇帝と言うのは、自由で身勝手で、そして残酷でなければならないと思います。伝え聞くアンハイドライト様の評判は、人格者と言う誉め言葉ばかりなのです。人の話に耳を傾け、相手の気持ちを推し量ることができる。とてもお優しいお方だと言うのが私の調べた評判です。ですから、アンハイドライト様では皇帝は務まりません。百歩譲って、人の話に耳を傾けられると言うのは良いでしょう。ですが、それ以外は皇帝には不要な物ばかりです」 「不要と言うのは言い過ぎだと思うがね。皇帝が思慮深く、民に優しいのは悪いことではないはずだ。君は、皇帝は暴虐であるべきだと考えるのかね?」  本気で反論するジェノダイトに、アセイリアはナイフとフォークを置いて正面から向かい合った。 「八方美人では、皇帝は務まりません。大別して10の種が存在する帝国で、すべての民に優しい政策などあり得ないのです。下っ端の統治者になればなるほど、民の多様性が薄れるから可能かもしれません。ですが、大別して10の種、そして細分化すると300を超える種が存在する銀河では、それぞれの民の考え方、要求するものが変わってきます。目につく範囲の民に優しくすることはできますが、その政策は逆に他の民から反発を買います。民の声を聴く、他人の話を聞くと言うのは、知見を広めると言うことでは意味があるのでしょう。ただそれを判断基準にした場合、偏った基準によって判断することとなります。そしてその判断が誤った時、その理由を意見を聞いた範囲が狭かったことに求めるでしょう。そうなったら、次はもっと広い範囲で意見を聞こうとします。その方法には明らかに限界がありますし、聞けば聞くほど多様性に苦しむこととなります」  アセイリアは皇帝と言うのは、一身に憎しみを受ける立場にあると強調した。 「どんな政策をとっても、必ず誰かから恨まれるのです。それを当然と受け止め、むしろ恨まれることが誇りだと考えるような人でなければ皇帝は務まりません。民の話を判断材料にすると言うことは、責任を民から聞いた話に押し付けることになります。極端なことを言えば、誰一人として幸せにならない政策でも、皇帝はそれが最良と考えたなら実行する責任があります。アンハイドライト様には、その覚悟が無いと私は分析いたしました」 「そこまで言うのは言い過ぎだとは思うが……」  テーブルに両肘をつき、ジェノダイトはアセイリアの語った意味を考えた。それは、テラノ総領主と言う自分の立場にも関係することだったのだ。  そしてアセイリアは、熟考するジェノダイトよそに再び料理に手を付けていた。 「確かに、今の皇帝はどうしようもなく身勝手で、そして残酷な男だな。それは現皇妃を得て、さらに磨きがかかっている。周りを固める官僚たちも、曲者ぞろいと言うのが実態だ。人が良くては、官僚たちに舐められることになるだろう」  ほっと息を吐き出したジェノダイトは、改めてアセイリアのことを評価していた。まだ十代の少女が、皇帝の本質に迫ろうとしているのだ。今はその時期ではないが、センテニアルが終わって落ち着いたところで、現皇帝にまつわる情報を与えようと考えたぐらいだ。遠く離れて窺い知れない皇帝の意志を理解することで、テラノの安全につなげようと言うのである。 「宇宙を飛び回る天災と言う二つ名がついたのは、皇帝となるためには都合が良かったと言うことか」 「どこに真意があるのかは分かりませんが、そう考えてもおかしくはないと思います」  料理に視線を落としたまま、アセイリアはジェノダイトの言葉を肯定した。そしてナイフとフォークを置いて、帰っていいかとジェノダイトに問いかけた。 「まだ、良いと思うのだがね。別に慌てなくてもいいだろう」  料理も終わっていないし、まだ話したりないとジェノダイトは感じていた。それもあって引き留めたのだが、アセイリアは優しくない言葉を返した。 「総領主様と違って、息抜きをしている暇はありません。ザイゲルへの対策が進んでいませんから、戻って確認したいと思っています」  つまり、あまり仕事の邪魔をするなと言う意味である。はっきりと言われたジェノダイトは、目元が痙攣するのを抑えきることができなかった。  もっとも、今はアセイリアが統合作戦本部がセンテニアルのすべてを取り仕切っている。さらには、想定されるザイゲルとの衝突の対策まで仕事となっていた。センターサークルがアセイリア機関と揶揄されることを考えれば、彼女をいつまでも息抜きに付き合わせている訳にはいかなかった。 「そう言う事情なら仕方がないな。君の退出を認めることにしよう」  ため息交じりに出された許可に、アセイリアは立ち上がって頭を下げた。そして一度も振り返ることなく、さっさとレストランを後にしたのである。残されたのは、一人で食事をする間抜けな男だった。  急に味気のなくなった食事を終え、ジェノダイトは自分の執務室へと戻った。そこでネイサンを呼び出し、寂しさを紛らわす話し相手とした。本来場所はどこでもいいのだが、アバターしか話し相手の居ない、寂しい男とは思われたくなかったのだ。そのあたり、もう一人の話し相手、マグダネル大将が軍に顔を出していると言う事情も大きかった。 「アセイリア様に振られましたか?」 「結果的には、そう言うことになるのだろうな」  ただ話し相手のネイサンも、ジェノダイトには優しくなかった。 「確かに、彼女はとても優秀だと思います。ですが、彼女が優秀であればあるほど、私は残念に感じてしまいます。彼女にまで評価される彼を、どうして救うことができなかったのかと」  アセイリアと言う人材はいるが、アズライトのことについてはヨシヒコの残した「遺言」が大きな意味を持っていた。そしてその遺言は、アズライトを守るための方策にまで及んでいる。それを一晩でまとめ上げたと言うのだから、恐るべき才覚と言えるだろう。管理システムの公正な目で見れば、ヨシヒコを失うことは地球にとって大きな損失だったのだ。  散々周りから言われたことを、ネイサンは蒸し返してくれた。それが癪に障ったのだが、それでも話をしないよりはましだとジェノダイトは開き直った。 「だが、それも必要な措置と言うことだ。不祥事は、表ざたにするわけにはいかないのだよ」 「ですが、皇女殿下のアバターが、事の仔細を帝国システムに伝えています。隠匿することに意味があるとは思えませんが?」  いくら地球側で隠したとしても、アズライトが経験したことのすべては帝国のシステムに記録されている。情報と言う意味では、ネイサンが指摘した通り隠匿しきれなかった。 「こちらのシステムに残さないことが重要なのだ。たとえ皇帝聖下に伝わったとしても、記録にないと突っぱねることができる。私は、皇女殿下を迎えたテラノの領主として、求められる行動をとっただけなのだからな。彼を利用したことも、こちらの記録には残っていないのだ」  アズライト経由の記録を持ち出されても、知らなかったで通すことができる。そのためには、何一つとして情報を残すわけにはいかなかったのだ。その意味で、ヨシヒコに関わる全ての情報を消すことにも意味があった。そして、処分にまつわる必要な措置と言う名目も立っていた。 「それでも、ジェノダイト様の責任は逃れられないと思います。現に、皇女殿下は深く傷つかれています」 「自業自得。私には、そう言う以上のことはできない。過去2名の若者が死を選び、そして1名の若者が再起不能となっている。それもまた、アズライト様の責任に違いない。ただ関わり方の関係で、その3人には心を痛めず、今回たまたま心を痛めただけのことだ。それが私の責任と言うのなら、責任者として大人しく責任をとるだけのことだ。また、そうしないと彼に対して申し訳が立たないだろう」  そう言うことだと話を打ち切ったジェノダイトは、ネイサンと呼びかけ式典の準備状況を確認した。アセイリアが途中で帰ったので、確認しそこなった部分だった。 「アズライト様以外、問題は生じていないか?」 「その辺り、非常に順調と言う所です。アズライト様に予定していた人員も、式典準備に割り当てることができました。おかげで、予定よりも早く準備が整っています。後は、明日のアズライト様ご到着を待つだけとなりました」 「公式発表は、長旅でお体の具合を悪くさせたと言うことだったな」  今の状態のアズライトを、人前に晒すわけにはいかない。そのためには、もっともらしい口実が必要となる。その口実として用意されたのが、長旅による体調不良である。アズライトをよく知る者にしてみれば、あり得ない理由には違いないだろう。 「はい、体調不良であれば翌日も挨拶を控える口実となります。顔だけお出しいただければ、皆も納得してくれることでしょう」 「これで、センテニアルは成功すると言うことか」  ほっと深く息を吐き出したジェノダイトに、どうかしたのかとネイサンは声を掛けた。 「ジェノダイト様、どうかなされましたか?」  ネイサンの問いかけに、ジェノダイトは小さく首を振った。 「いや、すべて計画通りなのに、私は少しも喜べないのだよ。アズライト様の首に鈴をつけることは求めたが、こんなものは私の求めたものではないのだ。これだったら、アズライト様に掻き乱していただいた方が良いと思えるぐらいだ」 「仰りたいことはよく分かります」  少し暗い声を出したネイサンは、ジェノダイトに休息をとるように進言した。アズライトが地球に現れたのを察知して以来、ジェノダイトはまともな休息をとっていない。外で食事をとることは、求める息抜きにはなっていなかった。準備が順調な今こそ、必要な休息をとるべきなのだと。 「休息か。心配しなくとも、アズライト様がお帰りになれば、嫌と言うほど休息をとることとなるだろう」  だから今は休息は不要だ。そう答えて、ジェノダイトは目の前で握ったこぶしに、頭をもたれかからせたのだった。  ツヴァイドライグが到着した翌日。すなわち影武者の自分が到着する日に、「外に出たい」とアズライトが口にした。気持ちが落ち着いたので、少し外に出て空気を変えてみたいと言うのである。 「畏まりました。外出の許可をとることにいたします」  そう言って頭を下げたマリアナは、重要な確認として、どこに行きたいのかを尋ねた。 「許可を得る際に必要となります。具体的にご希望がありましたら、お教え願えませんか?」  警備のことを考えれば、好き勝手に出歩いて良いものではない。当たり前の確認に、アズライトは小さく頷いた。 「個人的興味は黄金町と言う所にあるのですが……たぶん認めていただけないでしょう。でしたら、山手と言う所の商店街と、野毛と言う所の商店街を歩いてみたいと思います。そして宜しければですが、一般庶民の住宅と言うものも見たいと思っています。それが終わったら、マリアナさんの家を見せていただけませんか?」  初めのルートは、すべてヨシヒコと一緒に行った場所ばかりだった。そして黄金町こそ、ヨシヒコと出会った場所である。思い出の地を見て見たいと考えるのは、残された時間を考えれば不思議なことではないだろう。ただ自分でも口にした通り、黄金町と言うのは皇女を案内するには問題の多い場所でもあった。  ただ頼られたマリアナにしてみれば、そんな事情など知るはずもない。それどころか自宅に招待できると言うことに、すべての願いをかなえてみせると張り切ったぐらいだ。  それもあって、「しばしお待ちを」と言い残して特別室を後にしたのである。  この時期に外出許可を求められるのは、すべて予定通りのことだった。そしてそこに含まれる目的地についても、一つも予定から外れたものは存在しなかった。個人的にどうかと思う所もあったが、行かせるべきと言う遺言に従い、ジェノダイトはすべてのルートを承認した。もちろん同行するマリアナには、アズライトの安全確保を厳重に命じた。  意気揚々と退出したマリアナを見送り、ジェノダイトは小さくため息を吐いた。それを見咎めたマグダネル大将は、「寂しいものですな」と心からの感想を口にした。 「これまでならば、許可などとらず勝手に出歩いていたでしょう」 「それも、ここにラルクがある以上できないことなのですが……仰る通り、寂しいと言う気持ちを私も抱いていますよ」  もう一度ため息を吐いたジェノダイトは、安全についてマグダネル大将に確認した。マリアナに安全確保を明示はしたが、その仕事は陸軍が請け負うものだったのだ。 「ザイケルの工作員はすべて確保しました。ただ残念なのは、なかなか奴らが口を割らないことです。宇宙軍との衝突以外、何かほかに企んでいないかが分からないことです」 「ひとまず、アズライト様が外出されても大丈夫と言うことですか」  テロのことは、また別の所で頭を悩ませばいい。喫緊の課題に問題が無ければ、安心して送り出せると言うものだ。 「世間の目は、間もなく到着される影武者に向いています。ですから、やり方さえ間違えなければ皇女殿下に危険が及ぶことは無いでしょう。もちろん、必要十分な人員は配置してあります」  そしてジェノダイト安心させるよう、特別に組織された「統合司令部」のことを持ちだした。 「統合司令部の分析では、ザイゲルの攻撃は2つに集約されると言うことです」 「2つ、ですか?」  それはと質したジェノダイトは、こちらをと言って分析の抜粋を提示した。  空間投影された報告に、ジェノダイトは関心したように息を漏らした。 「すでに、ここまで分析されているのですか?」 「優秀な人材を集めましたからな。常識に囚われず考えると言う指針に、ここまでやったと言うのが実態です」  大したものだと、マグダネル大将はその成果を評価した。 「その中でも、一番貢献が大きいのは総領主様が推薦された女性でしょう。まだ歳若いのに、軍のエリート達を実力でねじ伏せました。そうなると、可憐な容姿は強力な武器となります。発足して7日しか経っていないのに、彼女を中心として組織がうまく機能しています。なるほど、総領主様の目が確かだったと感心させていただきました」  うんうんと頷いたブドワイズ大将に、ジェノダイトは報告書の中身について確認した。 「ここに式典襲撃と火星襲撃が同期すると書かれています。ですが、ザイゲルからの侵入者を捕えたのではなかったですか? そうなると、式典襲撃はどのような方法で行われるのでしょう?」  ほかにもテロリストが侵入していると言うのは、総領主として看過できる話ではない。 「それについては、現在絞込及び対策を練っているところだと言うことですが……その中には、イェーガージェンヌの裏切りというものまであります。そこまで想定して、現在絞込が行われていると聞かされています」 「裏切り、ですか?」  さすがにと苦笑したジェノダイトに、「それが常識の壁です」とマグダネル大将は答えた。 「我々は、これ以上の失態を犯すわけにはまいりません。本来有り得ないことまで想定して対策を建てる必要があるのではないでしょうか。ただ問題は、イェーガージェンヌが裏切った時、我々の戦力では抑えられないことでしょう。最終的に破壊に成功したとしても、それまでの時間皇女殿下を守りきれる保証はありません。そして裏切りがイェーガージェンヌだけで終わればいいのですが、ツヴァイドライグも加担したとなると、我が宇宙軍は大きな混乱に見舞われることとなります。帝国最新鋭艦に暴れられ、しかもザイゲルの大規模侵攻を受ける。そうなったら、とてもではありませんが持ちこたえることはできないでしょう。これが、可能性として考えうる最悪の事態ということです」  そう答えたマグダネル大将は、ジェノダイトにあるものを要求した。その意外な要求は、さすがにジェノダイトを驚かせた。 「従いまして、対策として物質変換装置ラルクをお貸し願いたい」 「ラルクをどうなさるおつもりですか?」  道具の性格を考えると、持っていても使えるものではなかったのだ。できることは魔術に近いが、それをできるのは皇族に限定されていた。 「想定しうる最悪の場合でも、皇女殿下だけはお守りしなくてはなりません。そのためには、ラルクが必要だとの上申を受けたのです」  ラルクを使えば、誰もアズライトを害することはできなくなる。それを考えれば、最悪への対応となると言うのは理解できる。だが、その対策にしても、アズライトがラルクを使えることが条件だった。とてもではないが、今の精神状態では指に嵌めることも難しいと思えてしまうのだ。 「確かに、アズライト様の身を守るのには必要でしょう。ですが、今のアズライト様がラルクを使えるとは思えませんが」  その懸念を表したジェノダイトに、それでも必要だとマグダネル大将は答えた。 「彼女、アセイリアからの上申です。使えるかどうかより、使おうとした時その場に無いことの方が問題だと言われました」 「確かに、その場になければ使うことも出来ないのは確かですが……」  マグダネル大将の言葉を認め、ジェノダイトはデスクからアズライトの指輪を取り出した。ただ保管してあっただけと言うこともあり、リングの部分は歪んだままだった。  それに感謝したマグダネル大将は、自分の役目を全うするとジェノダイトに宣告した。 「地上部分は陸海空の3軍が責任をもって押さえ込みます。宇宙軍も、ザイゲル迎撃の準備を進めています。我々は、我々の命を懸けて太陽系を守ります。ザイゲルと帝国の確執がどのようなものであろうと、我々は手を拱いているつもりはありません」  はっきり言い切ったマグダネル大将は、ここが正念場なのだとジェノダイトに告げたのだった。  外出許可を得たマリアナは、さっそく安全の方策を考えることにした。皇女殿下がいないことになっているのだから、正体を明かすような恰好は好ましくない。そのためには、一緒に歩いていて不思議でない格好をしてもらう必要がある。 「皇女殿下にお伺いいたします。外出の際のお召し物は、どのようになさいますか。目立たないためには、一般庶民の出で立ちが宜しいかと思います。それであれば、私と黄金町を歩いていても不自然ではありません」  爵位保有者とそのお付。その形にすれば、確かに不自然なことは無いのだろう。そのマリアナの進言に、アズライトはどうした物かと少し考えた。 「私のような年齢の女性は、町をどのような格好で歩いているのですか?」  その参考にと言う質問に、マリアナは月光を頼ることにした。 「月光、そのあたりはどうなっている?」  主に問われたパーソナルアシスタント月光は、即座に求められる答えを返した。 「通常二つのパターンに分かれます。友人同士の場合、学校指定の制服を着用していることが多くなっています。また相手が異性の場合、着飾った服になることが多くなります」 「皇女殿下、そう言うことなのですが。学校の制服であれば、セラムに言えば用意することができます。それとも、皇女殿下に似合いそうな平服になさいますか? いずれも、一度我が屋敷にお立ち寄りいただければと宜しいでしょう」  どうせ一度顔を出すのだから、自分の屋敷と言うのは合理的な考えに違いない。それを認めたアズライトは、その場で選ぶことをマリアナに告げた。 「色々と試してみたいので、その場で決めると言うことで良いですか?」 「もちろん、何も問題はありません。では、お出かけのため、少しだけお召替えをお願いできますか?」  ずっと部屋にこもっていたこともあり、アズライトは寝間着から着替えていなかった。それを認めたアズライトは、待っているようにと言い残し、パウダールームへと歩いて行った。  ラルクを捨ててしまった以上、着替えからシャワーまで、自分でしなくてはいけなくなってしまった。それは、今まで感じたことのない不便さだったが、それでもラルクを手元に置きたいとは思えなかった。ラルクと言う装置に罪はないが、まだ心が受け入れてくれなかった。  そのためアズライトの着替えは、およそ1時間ほどかかってしまった。それを部屋で待ったマリアナは、現れたアズライトに出かけましょうと声を掛けた。 「皇女殿下には、色々と見ていただきたいと思います」 「そうですね、私も楽しみにしていますよ」  心は痛いが、これも自分の責任なのだ。そう自分に言い聞かせ、アズライトはマリアナに連れられ領主府を後にした。  マリアナの屋敷は、ヨシヒコの住んでいた家から少し高台に移動したところにあった。周りに高い建物が無いこともあり、領主府側が見渡せる、眺望にも恵まれた立地となっていた。  専用コミューターで屋敷の敷地に入ったところで、アズライトは10人の使用人の出迎えを受けた。その一つ一つに笑顔で答え、入り口で待っていたミツルギ三等男爵に会釈をした。 「本日は、無理を言ったことをお詫びいたします」  突然の来訪を詫びたアズライトに、とんでもないとフェルナンデスは恐縮した。 「皇女殿下のお出でを賜り、恐悦至極に御座います」  アズライトの差し出した右手を押し頂いてから、フェルナンデスは妻のエミリアを紹介した。 「妻のエミリアです。空軍で少佐を務めております」 「エミリアです。お目に掛かれて光栄です」  直接皇族の尊顔を拝することは、三等男爵程度ではありえない名誉だった。それもあって、二人はアズライトの訪問に感激の極致に達していた。そのため、二人は普段見たこともない緊張状態に置かれていた。  一方マリアナと言えば、何も変わらないと言うのが正直なところだった。それでもいつもに比べれば、若干礼儀正しく、言葉遣いも丁寧になっていた。 「では父上、母上、これから皇女殿下はお召替えをなされる。セラムの用意はできておりますか?」 「ああ、他の仕事はすべて止めさせた。必ずや、皇女殿下にも気に入っていただけるだろう」  そう言って胸を張った父親に、マリアナはうんと大きく頷いた。そして隣に立つアズライトに、「こちらです」と言ってドレスルームへと案内した。  アズライト用のドレスルームは、屋敷の2階に用意されていた。それは、専用のドレスルームと言うより、このために急ごしらえをしたような部屋だった。そしてアズライトは、そこでセラムに引き合わされた。緊張した面持ちで自分を見るセラムに、やはりそうだったのかとアズライトは悲しい気持ちになっていた。 「今日は、よろしくお願いしますね」  そんな気持ちを押し隠し、アズライトはセラムにお世話をお願いした。立場を考えれば、その言葉自体あり得ないものだろう。当然恐縮したセラムは、こめつきバッタのように何度も頭を下げた。 「で、では、どのようなものから始めましょうか?」  緊張したセラムに、アズライトは優しく微笑んで見せた。 「緊張しなくても大丈夫です。そうですね、高校生の制服と言うのを試してみたいと思います」 「で、でしたら、不自然にならないよう、私の通うF女、失礼いたしました。フェデリコ・フェリシア女学園の制服と、港総合高校の制服を用意いたしました。最初に、フェデリコ・フェリシア女学園の制服からお召しになっていただきたいと思います」  その説明を聞くまで、アズライトはセラムと同じ制服を着るつもりでいた。そうすることで、ヨシヒコと歩く自分を夢想できると考えていたのだ。だがヨシヒコと同じ高校の制服もあると言われ、心は港総合高校の制服に傾いていた。  失礼しますと言ってアズライトを下着姿にしたセラムは、真新しいF女の制服を取り出した。間違っても、自分のお古など着せるわけにはいかなかったのだ。  濃紺色をしたブレザー型の制服を着たアズライトは、胸元にしまったIDタグの所に手を置いた。制服が理由と言うこともあるが、落ち着いたと言うより少し暗めの少女が鏡に映っていた。  その暗さが気になったが、それを口にするのは差し出がましい行為に違いない。宜しいですかと声を掛けたセラムは、次にセーラー型の制服を取り出した。 「あらかじめお断りしておきますが、こちらの方が露出が大きくなります」  季節がら、白の制服の下には下着以外着ないことが普通だった。そのため、セーラー服の裾から肌が見えることになってしまう。それを注意したセラムに、構いませんよとアズライトは微笑んで見せた。 「ドレスでも、かなり露出の多いものを着たこともあります。これがこちらの標準でしたら、気にする必要もないと思います」  その言葉に従って、セラムはもう一度アズライトを下着姿にし港高校の制服を着せた。白ということもあり、意外に似合っているというのが正直な感想だった。ただ問題は、最初に指摘した通り露出が多いことだった。少し動いただけでおへそが見えるのは、皇女殿下だと考えれば問題が多いだろう。 「お似合いだと思いますが、やはり露出が多くないでしょうか? 皇女殿下?」  やめた方がと言おうとしたセラムだったが、心ここに非ずと言うアズライトに、訝った声を出した。その言葉で現実に引き戻されたアズライトは、ごめんなさいと言って別のを試すことをセラムに告げた。 「そうですね。やはり皇女殿下には露出が少ない方が良いと思います」  やんごとなきお方の肌を、みだりに見せるものではない。そう考えたセラムは、用意していあった長めのワンピースを取り出した。ただシックな色合いを選んだため、まるで喪服を着ているように見えてしまうと言うのが問題だった。  それを着せたところで、セラムは失敗だったと自分を責めた。本来なら落ち着いた装いとなるはずなのに、これでは葬式に出ているように見えてしまうのだ。ただ選んだ服の責任だけではなく、アズライトの纏う空気が問題だったのだ。  それから何着も試着をしてみたのだが、一着もしっくりくるものは無かった。元が良いこともあり、何を着てもそれなりに似合ってはくれる。それでも、どこか違うと思えてしまったのだ。 「いかがなさいますか?」  セラムとしては、どれ一つとして強く勧められるものは無かった。できることなら、もっと明るい洋服を今からでも準備したいと思ったほどである。だが服装選びは、あくまで街を歩くための準備でしかない。時間が限られている以上、あまり準備ばかりに時間を掛けてはいられなかった。  セラムに聞かれたアズライトは、少し迷ってから港高校の制服を選んだ。F女の制服とどちらにするか最後まで迷ったのだが、やはりヨシヒコの通う学校が良いと思ったのだ。 「では、制服に合わせて御髪を整えさせていただきます」  こちらにお願いしますと、セラムは鏡の前にアズライトを座らせた。  自分の世話をするセラムに、アズライトは遠慮がちに質問をしてもいいかと尋ねた。 「こちらの女性のことを教えていただきたいのです」 「そ、その、私でよろしければっ!」  皇女殿下に興味を持たれるというのは、どんな理由があっても光栄なことに違いない。背筋を伸ばして緊張するセラムに、楽にしてくださいとアズライトは微笑んだ。ただ本人は微笑んだつもりでも、その笑みはどこか引きつったものになっていた。 「マリアナさんが、セラムさんのことを自慢されていました。ただ男の方と付き合われたことがないと聞かされましたが、それは本当のことなのですか? あなたぐらい綺麗な人なら、素敵な人とお付き合いされていると思ったんですよ」 「私が綺麗だなんて……その、とても光栄です!」  皇女殿下に褒められ、セラムはかなり舞い上がってしまった。お陰で声は上ずり、手元も疎かになってしまった。 「で、でも、私は殿方とお付き合いをしたことがないのは本当です。まだ、この人はと思える人に巡り合っていないからだと思います」 「セラムさんに相応しい人は、どんな男性なのでしょうね」  そう言って笑おうとしたアズライトだったが、はっきり言ってそれは成功していなかった。笑おうとして少し引きつった顔は、セラムから見ても痛々しさを感じさせるものとなっていた。  その顔を見せられれば、何か失敗したのでは思えてしまう。だが自分がしたのは、アズライトの質問に答えただけの事だった。男性と付き合ったことがあるかと聞かれ、経験がないと答えただけなのだ。どこに失敗があるのかと考えても、当り障りのないことしか答えていないはずだ。 「アズライト皇女殿下、私が何かお気に触るようなことを申し上げましたでしょうか?」  思わず口にしたセラムに、ごめんなさいとアズライトは謝った。 「少し、悲しいことを思い出してしまっただけです。セラムさんには関係のないことですから、気に病む必要はありませんよ」  そう言って制服の胸元を押さえる姿に、セラムは不確かな予感に囚われていた。常識的に考えればあり得ないのだが、皇女殿下は一度恋をしている。その恋が破れ、まだその痛手から立ち直れないのだと。もしかしたら、その恋人はすでに死んでいるのかもしれない。だから、ちょっとしたことでも悲しい顔をしてしまうのだろうと。  ただその想像は、絶対に口にできるものではない。だからその想像を忘れようと、セラムは自分の仕事に没頭することにした。  マリアナにとって不思議極まりないことなのだが、アズライトに望まれればセラムを連れて行かないわけにはいかない。是非にと頼まれたこともあり、市内めぐりにセラムも同行することとなった。その結果、男性顔負けの体格をしたマリアナの隣に、港総合高校の制服を着たアズライトと、F女の制服を着たセラムが並ぶこととなった。 「街のことなら、私よりセラムの方が詳しいでしょう」  マリアナの言葉に身を縮めたセラムは、「光栄です」とアズライトに何度も頭を下げた。 「このことは、一生の思い出になると思います」  思いがけない大役に、絶対に粗相をしてはいけないとセラムは張り切った。爵位を持っていても、皇族と親しくお話しする機会は巡ってこない。それが自分のような庶民にめぐってきたのだから、一生でも足りないと思ったほどだった。 「とは申しましたが、こちらの方はマリアナ様の方がお詳しいかと思います」  最初の目的地が、こともあろうに黄金町だったのだ。そしてアズライトも見覚えのある建物の前に立ったところで、セラムは申し訳なさそうに主の顔を見た。 「確かセラムは、一度しか利用していなかったな」 「はい、高校に入学してすぐ、上級生の方に連れてきていただきました」 「それは、男の方と来たと言うことですか?」  意外そうな顔をしたアズライトに、セラムは慌てて首を横に振った。 「私は女子高に通っています。ですから、一緒に来たのも上級生の女性です。淑女の嗜みとして、一度経験しておいた方が良いと言われましたので」 「淑女の嗜み……なのですか?」  自分が経験したことを思い出すと、とてもではないが「淑女の嗜み」とは思えない。それに驚いたアズライトに、セラムは恥ずかしそうに頬を染めた。 「はい、殿方とご一緒した時、恥ずかしいことにならないようにとのことでした」 「それで、体験してみてどう思われましたか?」  アズライトの問いかけに、セラムはどう答えたものかと悩んでしまった。興味津々という態度で聞かれたのなら、気楽に感想を口にすることもできただろう。だが目の前のアズライトは、真剣に自分の答えを求めていたのだ。 「その、期待していたのと少し違うと申しましょうか。気持ちいいものと聞かされていたのですが、くすぐったいばかりで気持ちよくはありませんでした。施設の方や上級生の方からは、相性が合わなかったのだろうと言われました」  助けを求めるように見られたマリアナは、そのまま話を引き取った。定期的に利用していることもあり、システムについてはセラムよりずっと詳しいと思っていた。 「初心者の設定では、相性と言うのが重要だと言う話です。それすら問題としない設定もあるのですが、倫理上の問題で使用には制限が掛かっています。私も何度か来ていますが、受け身の状態ではくすぐったいのを脱することはできませんでした。先輩からコツを教えて貰って、ようやく気持ちが良いものだと分かるようになりました。慣れれば頭の中を空っぽにできるので、ストレス解消にはもってこいだと思っています。ですから、使用後はとても気分的にはすっきりとしてくれるのです」  二人の話に少し考えてから、アズライトは「相性」について質問をした。アリエルからも、似たようなことを言われたのを思い出したのだ。 「その相性と言うのは、VXと言うシステムとの間のことを言っているのですか?」  その答えをどちらが口にするのか。セラムの顔を見たマリアナは、お前がと答えるように目で促した。 「利用方法によって違うと言う話です。一人で使用した場合は、利用されるデーターとの相性が大きいと言う話です。二人で利用する場合、個別にボックスに入った時には、システムとの相性と相手との相性が影響してきます。ペアボックスの場合、一番大きいのは一緒に入る人への思いと相性だと聞いています。同じボックスに入って手をつないでシステムを使うことで、相性が良ければ初級設定でも上級設定と同じ感覚を得られると先輩に教えて貰いました」 「ああ、それは私も聞いたことがあるな。だが、それは都市伝説だと言う話だぞ」  実際にはないと笑うマリアナに、そうでしょうかとセラムは俯いた。 「私たちの学校では、運命の人と出会えばそうなると言われているのですが……確かに、都市伝説と言われれば都市伝説だと思います」 「ですが、運命の人と言うのは夢があっていいですね」  アズライトの言葉に、セラムは「はい」と元気よく答えた。恥ずかしい話ではあるが、夢を肯定されるのはやはりうれしかった。 「だとしたら、セラムの婿はVXで選別する必要があると言うことか?」  だがマリアナが口にしたのは、ロマンも何もないものだった。その答えにため息を吐いたセラムは、順番が違うことを説明した。 「それでは、夢が無いと思いませんか? 巡り合った相手が自分にとって最高の人だった。そう思えるから夢があるのだと思います。VXで選別するのでは、女子高生の間で語り継がれることは無いと思いますよ。それに都市伝説ですから、実際にはそんなことはありえないと思います」  セラムの反論に、マリアナは笑いながら分かったと答えた。 「とりあえず、セラムの婿選びには使えないと言うことだな。では皇女殿下、次は山手の商店街に行くことにしましょう」 「そうですね、セラムさんのおかげで、とても面白いお話が聞けたと思います」  ありがとうと言われ、ますますセラムは恐縮してしまった。ただ恐縮しつつも、セラムはアズライトへの疑問を深めていた。 Chapter 2  天に届くと言われる領主府の下層階、地上からはおよそ300mほどの高さに「統合司令部」は作られていた。そこには、地球の保有する陸海空および宇宙の4軍および警察、そして領主府から人員が派遣されていた。総領主直轄と言うこともあり、その決定は地球のすべてを動かす権限を持っていた。  総勢1千名に及ぶ「統合司令部」なのだが、その中心は11名の年若い男女で構成されていた。4軍および警察から各2名、そして領主府から1名と言うのがその構成である。当初センターサークルと呼ばれた彼らは、すぐに「機関」もしくは「アセイリア機関」と呼ばれるようになった。領主府から派遣された年若い女性、アセイリアによって牛耳られらたことを揶揄したものである。  「まるでコンピューターのような」と言うと、多くのアバターから反発を受けることになるだろう。だがアセイリアは、本当に感情が無いのではと言いたくなるほど、すべての場において合理性を前面に出して議論を主導した。そしてその結果がことごとく的中したため、センターサークルのメンバーは、アセイリアの前に屈服することになったのである。そしてアセイリアに屈服した彼ら彼女らは、すぐに彼女の熱烈な信奉者へと変貌したのだ。そのあたりの事情は、可憐な見た目とは無関係ではないだろう。 「ご一緒させていただいて宜しいでしょうか?」  領主府にある幹部食堂の中で、アセイリアは一人離れたところで昼食をとっていた。そのアセイリアの前に、トレーを抱えた男性が腰を下ろした。 「ここは共用スペースです。使用するのに際し、許可が必要と言う規則は無い筈です」  その相手を一瞥することもなく、アセイリアは淡々と「和定食」の焼き魚を口に運んだ。今日の献立は、メロの西京漬けとだし巻き卵、それに白みそを使った味噌汁の組み合わせだった。  予想していた答えとは言え、アセイリアの前に座ったボリス・オム・テラノ・イワセニビッチは顔に苦笑を浮かべてしまった。彼が筋肉だるまではないのは、海軍出身と言うのがその理由だった。 「食事と言うのは、会話があればさらにおいしくなるものです。ですから、ぜひともアセイリアさんとお話をしたいと思ったのです。従って今のは、お話がしたいと言う申し出なのですが?」  美しい容姿をしたアセイリアは、特に若いメンバーから憧れの目で見られていた。ボリスもまた、彼女に憧れる一人と言うことである。 「答える必要があれば答えます。ただ、それも食事が終わるまでのことです」  そう言って器用に箸を使って、アセイリアは西京焼きを解体していった。普通ならめげてしまう態度なのだが、決意を持って来たこともあり、ボリスはその程度ではめげてくれなかった。 「できれば、プライベートなお誘いをしたいと思っているのですが。センテニアルを迎え、街は色とりどりの装飾が施されています。ぜひとも、あなたと一緒に散策をしてみたいと思っているのです」  そう言ってアセイリアに粉を掛けたボリスだったが、一ミリたりとも反応しないのを見て小さくため息を吐いた。そして本題、彼女に対する疑問をぶつけることにした。 「あなたは、アズライト皇女殿下に対して冷淡すぎるのではないでしょうか? 宇宙を飛び回る天災を完璧に抑え込んでいますが、ここまでする必要があったのかと疑問に感じてしまいます。しかもヨシヒコ・マツモトのことで、アズライト皇女殿下に対して同情論が強く残っています。そしてその同情が、あなたに対する反発の理由にもなっているんですよ。ただ、あなたはそのことを全く気にもされていない。その理由を伺いたいと思っているのですが?」  どうですかと問いかけられ、アセイリアはそこでようやく箸をおいた。だが答えを貰えると思ったボリスは期待したが、アセイリアは目の前の醤油さしに手を伸ばしただけだった。  大根おろしに醤油をかけ、アセイリアは再び箸を持って黙々と食事を進めて行った。 「それは、ヨシヒコ・マツモトを奪ったアズライト皇女殿下への嫉妬ですか?」  意表を突いたつもりのボリスだったが、それでもアセイリアから反応を引き出すことはできなかった。 「あなたが、彼の能力を高く評価しているのは知っています。その彼を、結果的にアズライト皇女殿下は殺してしまった。あなたが皇女殿下に冷淡なのは、それが理由だと噂されています」  反発、反論、そうでなくとも、何か反応があるのではないかとボリスは期待した。だが目の前のアセイリアからは、何の変化も見つけられなかった。 「沈黙は、肯定と受け取っても宜しいのですか?」 「お好きなようにどうぞ」  そう答えたアセイリアは、上品に味噌汁を啜った。それが終わったところでお茶を啜り、トレーを持って立ち上がった。 「食事が終わりましたので、私は失礼させていただきます」  そしてボリスに一礼をして、さっさとトレーを持って席から離れて行った。  その姿が消えたところで、ボリスは「玉砕か」と後ろから声を掛けられた。 「ああ、見事討ち死にをした所だ」  ふっとため息を吐いたボリスは、冷めてしまったハンバーガーにナイフを入れた。そのすぐ後に、今までアセイリアの座っていたところに、少し細身の男がトレーを置いて腰を下ろした。 「その顔だと、一ミリも反応を引き出せなかったようだな」  口元を歪めながら声を掛けたのは、マイケル・オム・テラノ・ニシコリ少佐だった。空軍で知恵袋と言われた彼も、玉砕組の一人だった。 「ああ、鋼鉄どころじゃないメンタルだな。本気で、感情をどこかに置き忘れてきたのではないかと思えるぞ。いや、生まれてきたときから感情などないのではないかと思えてしまう」  ため息を吐いたボリスに、マイケルは大きく頷いて「同感だ」と同意した。 「だからこそ、攻略のし甲斐があると思わないか?」 「それを否定するつもりはないし、積極的に肯定したいところだが……」  もう一度ため息を吐いてから、ボリスはハンバーガーにかぶりついた。 「挑戦者が死屍累々となっているのを見せつけられるとな」 「まあ、俺もお前もその一人には違いないだろう」  チャイニーズランチボックスにフォークを突き刺し、マイケルはフライドヌードルを引っ張り上げた。 「だが、アズライト様のことは、現時点でとり得る最善には違いないだろう。おかげで、貴重な人員を割かなくても済んでいる。それに冷淡に見えるかもしれないが、ちゃんとフォローもしているからな」 「そのフォローの方法は、「遺言」と言われる奴のことだろう。まさか、ヨシヒコ・マツモトの関係者に面倒を見させるとは思ってみなかったぞ」  そのあたりの人選には、アセイリア機関は関わっていない。信用とかと言う問題ではなく、単に時間的問題が理由となっていた。統合司令本部の設立は、「遺言実行日」と同じ日だったのだ。 「その意味で、あの男はフォロー方法を考えていたと言うことか。どこか、アセイリア嬢に通じる冷静さでもあるのだが。そんな男を狂わせたアズライト殿下は凄いのだろうな」  素直なボリスの感想に、マイケルはフォークを持ったまま大きく頷いた。 「今は曇られているが、確かにたぐいまれな美女には違いない。ただ、アズライト殿下もまたあの男の虜になったと言う。そう考えると、良く言う運命の出会いをされたのではないか?」  その論評に、ボリスは「最悪のな」と思わず漏らしていた。 「1日半しか許されないと言うのは、どう考えても最悪ではないのか? その結果アズライト殿下は心に深い傷を負われ、あの男は生きた証ごと世界から抹消された。戯曲にすれば、間違いなく悲劇の代名詞になるぐらいだ」 「その考えには同意するのだが……」  ランチボックスをフォークでかき回し、マイケルは釈然としないと呟いた。 「本当に、そこまでしなくてはいけないことだったのか? 俺には、どう考えても存在まで抹消されるような罪とは思えないんだ」 「帝国存続に関わる問題と受け止められたと言うことだろうな。絶大な権力を持つ皇族も、ある意味かごの鳥の存在と言うことだ。だから、かごの鳥に外の世界を夢見させるのも、外に連れ出すのも罪なんだよ」  ふっと息を吐き出したボリスは、巨大なカップからコーラを啜った。 「ただ聞いた話によると、ジェノダイト様も気が進まなかったようだな。噂によると、アセイリア嬢が主導したと言う話だ」 「それを考えると、アズライト殿下を嫌っていると言う噂にも信憑性が出てくるか」  困ったものだと吐き出したマイケルは、気付いているかと周りに注意を向けた。 「アズガパが零していたのだが、陸軍がアセイリア嬢に対して強く反発しているらしい」 「加えて、宇宙の奴も反発しているのだろう。まあ、陸軍の奴らは、ずっとアズライト殿下をガードしていたからな。あれを見せられれば、同情してしまうのも不思議じゃない。ローマの休日だったか、あれの現代版だと思っている奴が多かったと言う話だ」  その答えに頷いたマイケルは、もう一つの問題を持ち出した。 「その上、イェーガージェンヌまで疑っているのが効いているな。宇宙の奴らは、自分たちの仕事を否定された気分になっているのだろう。陸の奴らは、まあ、憧れの存在だからな」 「だからアズガパやユーリー達が頭を抱えているのだろう?」  ボリスの指摘に、それだとマイケルはフォークを向けた。 「だからと言って、犬を使うのすらサボっているのは問題だろう」 「疑うこと自体が不遜だと息巻いているそうだ。まったく、プライドよりもアズライド殿下の安全の方が優先されるのにな。その意味では、アセイリア嬢の方がずっと割り切っているぞ」  一瞬何のことかと考えたマイケルは、すぐにボリスの言いたいことを理解した。 「アズライト殿下のガードに着くことか。ただそれも、どの顔をしてと陰口を言われる理由になっているのだがな」  そう言って苦笑を浮かべたマイケルに、だからだとボリスは続けた。 「アズライト殿下が捨てられた指輪をジェノダイト様から回収されたそうだ。つまり、それを使わせる方策があると言うことだろうな」 「それが使えれば、アズライト殿下の安全だけは守れると言うことか」  ザイゲルの襲撃を想定して検討を進めれば進めるほど、圧倒的に不利な立場と言うのを思い知らされてしまう。何しろ犬を使うまで、敵の潜入すら見つけることができなかったのだ。彼我の技術差を考えれば、それこそ絶望的な見通ししか立ってくれない。その上宇宙での戦力差は、数だけでも1対3000と嫌な笑いしか出てこないほど開いている。さらに技術差があるのだから、帝国の助けが無ければ地球滅亡に1週間もかからないだろう。絶望的と言うのが、彼らの分析から導き出された結果だった。 「アセイリア嬢の分析は、帝国が後手を踏むと言うものだったな。そうなると、ますます我々は厳しい立場に置かれる訳だ」  どこまで宇宙軍が頑張ることができるのか。それを考えると、暗澹たる未来しか見えてこない。その上統合司令本部と宇宙軍の間に溝ができているのだから、さらに気持ちも落ち込むと言うものだ。カップの氷を齧ったボリスは、覚悟しておけと身を乗り出してマイケルの胸を小突いたのだった。  街の視察を続けるうちに、セラムの感じた疑問は確信へと変わっていった。まるで初めて見る街のような顔をしているのだが、間違いなく一度アズライト皇女殿下は同じところを歩いている。そしてまともに考えればあり得ないことだが、VXを男女ペア席で利用しているのだろうと。そう考えることで、感じた疑問が幾つか解決してくれるのだ。  それでも分からないことがあるとすれば、本当にそんなことがあり得るのかと言うことだ。マリアナから聞かされた人となりを考えれば、抜け出して街を出歩くことまでは想像することができる。だがVXを使用するとなると、さすがにあり得ないと思えてしまうのだ。  だがいくつかの事実を突き合わせると、どうしてもVXに行かないと説明がつかなかったのだ。それでも確信が持てない部分は、その相手が一市民と言うことだ。色々なこだわり、そして自分が買いに行かされたチェーンホルダー、そこから導き出される相手は港総合高校の関係者と言うことになる。だがそうなると、皇女殿下との接点が見つからないのだ。  そしてもう一つ気になったのは、皇女殿下が自分を気にしていることだ。初めは気のせいかと思ったのだが、ことあるごとに自分のことを聞いてくれる。その時の反応は、ただ単なる興味と言うには、やけに深刻過ぎたのだ。だがセラムには、どう考えてみても皇女殿下に拘られるような理由に心当たりはなかった。  それでも気になって仕方がなかったセラムは、その夜帰ってきたマリアナに尋ねることにした。皇女殿下のこと、そして翌日のことを考えれば、本来遠慮すべきことだったのかもしれない。 「皇女殿下がセラムのことを気にしていると言うのか?」  相談を持ちかけられたマリアナは、そんなことはと笑い飛ばそうとした。まともに考えればあり得ない話だし、それまでアズライトとセラムの間に何も接点は存在していない。  だが笑い飛ばそうとしたその時、マリアナの心に何かが引っかかってくれた。それが何かを思い出そうと、マリアナは右手で口元を隠し眉間にしわを寄せた。 「いや、冗談で済ませるような話ではないな」  そのまま考え込んだマリアナは、自分の中で引っかかっていた物に辿り着いた。 「アズライト殿下は、一言も言葉を発せず黙り込まれておられた。その殿下が口を開かれるきっかけになったのは、IDのチェーンホルダーをお渡しした時だ。殿下が最初に口にされたのは、お前がどのような者かと言う問いかけだった。確かに、殿下の失意に、セラムと言うものが関係している可能性があるな」  やはりと頷いたセラムは、自分が買いに行ったIDチェーンホルダーのことを問題とした。 「マリアナ様の見間違いでなければ、そのIDは港総合高校で作成されたもののはずです。それなのに、私がチェーンホルダーを買いに行った時、その記録が残っていませんでした。理由をたずねてみたのですが、偶然番号が飛んだのではないかと言うことです」 「だが、そのIDが現実に存在していると言うことか」  うむと唸ったマリアナは、その時のアズライトの言葉を思い出そうとした。 「私は、セラムにこれを買いに行かせたと話したのだ。その時アズライト殿下は、お前はどう言う者かと尋ねられた。それでお前のことを説明したのだが……そういえば、先日お前が寝ぼけていたことを説明したな。どう言う訳か、そのことにも説明を求められた」 「あれは……」  何のことか考えたセラムは、すぐに思い出して顔を赤くした。 「ああ、お前が下着にまで気を遣っておめかししていたことだ。あの時は、てっきりお前がデート、しかも黄金町に行くのだと焦ったのだぞ」 「わ、私には、そんな相手はおりません……」  ますます顔を赤くしたセラムに、マリアナは小さく頷いた。 「お前が身持ちの堅い女と言うことは私が知っている。だから、逆に驚いたと言うか……待てよ」  アズライトとの話を思い出したマリアナは、一人の名前を口にした。 「セラム、お前はヨシヒコ・マツモトという名前を知っているか?」 「男の方のお名前ですよね……」  知り合いにいたかと考えたセラムだったが、いくら考えても知り合いには該当者がいなかった。だがマツモトと言う名前は、どこかで見たような記憶があった。それが一体何だったのか、セラムは必死に思い出そうとした。自分達は、明らかに重要なキーワードに辿り着こうとしているのだと。  だがいくら考えても、それがどこで見たものかを思い出すことは出来ない。どうしようもない気持ち悪さを感じながら、セラムは分からないとマリアナに告白した。 「そうか、セラムも思い出せないのか。確かにマツモトと言うのは、珍しい名前ではないからな。どこかで聞いたような気になるのも仕方がないだろう。ここの近くには、宇宙軍に仕官した者も居るぐらいだからな」  ありふれた名前と言うマリアナに、確かにそうだとセラムは頷いた。だが近くに同じ名字の人がいると言う話に、今日の視察ルートを思い出した。 「そう言えば、今日のルートにその家が入っていましたね。そうです、アズライト殿下が立ち止まられた家、それが確かマツモトさんの家だったかと思います」  答えに辿り着いた。その思いに、セラムはかなり興奮していた。 「だが、あそこのご夫婦はトランス・ギャラクシー旅行中だぞ。そして一人娘は、今は軍艦に乗って火星軌道近くにいるはずだ。姫を案内した時も、確か留守宅のはずだった」  重要な事に気づいたと思ったセラムだったが、マリアナの答えに現実を見ることとなった。偶然をさも理由のあるようなことに考えるのは、明らかに考え過ぎの事だった。 「やはり、偶然なのでしょうか」 「うむ、月光に調べさせてみたが、ヨシヒコ・マツモトと言う者はこの近くに済んでいない。やはり、気のせいとしか言いようが無いのだが。釈然としないのは確かだな」  いくら気になっても、結局答えにたどり着くことは出来ない。とても重要な事があるはずなのに、どうしてもその裏付けを取ることが出来ない。これだけ証拠が残っているのに、最後の答えだけがどうしても見つからないのだ。  ますます悩ましいと唸ったマリアナに、セラムは「笑わないでください」と仮説があることを口にした。 「疑って掛かったのが理由だと思いますが、いくつか腑に落ちないことがあることに気が付きました。まず身近なところからですが、マリアナ様は参謀と契約されていませんよね。それなのに、座学やシミュレーション、戦術演習の成績は士官学校全体でもトップクラスです。マリアナ様は、どなたからか支援を受けられているのでしょうか?」 「それは私の実力……と言いたいところだが。言われてみれば、確かにおかしいな。私は体を動かすことは得意だが、頭を使う方はさほど得意ではない。自分を馬鹿だと言うつもりはないが、かと言って今の成績ができすぎているのは確かだ。セラムが疑問に思ったように、私が誰かに頼っていたと考える方が自然だな」  マリアナの答えに確信が出来たのか、セラムはもう一度笑わないでくださいと繰り返した。 「お前がそこまで言う以上、私に笑えるはずがないだろう。セラムは、この気持ち悪さを解消してくれるのだろう?」 「はい、そのヨシヒコ・マツモトと言う男性が存在していたのではないかと言う仮説です。そしてマリアナ様と顔見知り……正確には、お手伝いされていたのではないかと考えました。マリアナ様の成績を見ると、そのヨシヒコと言う方はとても優秀だったと推測できます。でしたらマリアナ様は、その男性をどうされようと考えますか?」 「どうと言われれば、参謀として手元に置くことを考えるだろうな……」  そう答えたマリアナは、セラムの言いたいことを理解した。 「その場合、餌としてお前を使うことを考えるだろう。普通の男性なら、間違いなくお前に魅力を感じてくれるからな。なるほど、これで私にその名前を尋ねられたことと繋がってくれる。しかもアズライト殿下がお前のことを気にした理由としてもすっきり来る」  なるほどと大きく頷いたマリアナだったが、すぐに大きな問題に気がついた。 「だが、それでも大きな問題があるぞ。そのヨシヒコとアズライト殿下の関係はどうなるのだ? 間違いなく、アズライト殿下は誰かとの恋に破れている。それもただ別れたと言うより、相手を失ったと言うのが私の見立てだ。それが私達に関係するとしたら、なぜ私達がそのことを覚えていない?」 「その点は、私も疑問に感じていました。ですが、アズライト殿下はまだヨシヒコと言う男性を愛されています。それは、肌身離さずIDを身につけていることからも分かると思います。それどころか、事あるごとにIDを確かめられています」  興奮したセラムに、落ち着くようにとマリアナは命じた。そして冷静に、謎解きはここまでだと宣告した。 「どうしてでしょうか?」 「なにか、とても嫌な予感がするのだ。皇女殿下に関わることで、余計な詮索は身を滅ぼすことになる」  だからこれまでだと、マリアナは繰り返した。 「それに、明後日には皇女殿下は帝星リルケにお帰りになる。この事件とも言えない不思議な出来事は、コールドケースに終わるのだ。いや、終わらせなくてはならないのだろう」  それが結果的に身を守ることに繋がる。納得の行かない顔をしたセラムに、くれぐれも口外しないようにとマリアナは注意したのだった。  翌日の式典に備え、統合司令本部は不夜城と化していた。イェーガージェンヌの問題では齟齬があっても、ザイゲルの侵攻自体は誰も疑っていない。そして式典におけるテロ行為も、何か計画されているはずと言う意識は共有されていた。  絶対にセンテニアルを成功させると言う意志で統合司令本部全体が動き、考え落としや新たな事象が無いかのチェックが常に行われていた。 「会場警備ですが、他のイベントと同様、入場者の持ち物チェックおよび身体チェック、体のスキャニングに合わせて、犬による検査も実施します。そのため、周辺地区にも協力を依頼し、警察犬を掻き集めました」  報告に立ったのは、警察から派遣されたカヌカ・キリシマと言う女性だった。黒い髪をおかっぱにした。キツネ目をしたまだ若い女性である。 「観客席の防御スクリーンは、もっと強度のあるものを付けられなかったのですか?」  報告書に目を通したアセイリアは、会場の設備について確認をした。 「残念ながら、スケジュール的にこれが限度です。ただ貴賓室を含む特別棟は、ホプリタイの使用する武器では破れません。さすがに絶対とは言えませんが、かなりの長時間持ちこたえることができるでしょう」 「確かに、強度的には問題がなさそうですね。対レーザー、耐爆破、耐切り裂き性とも最高のものが使われています。普通なら、必要十分と言えるのですが……」  そこでアセイリアに見られたカヌカは、自分の管轄外だと言い返した。 「センチネルタイプの武装なら持ちこたえられますが、アルファケラスの量子防壁には効果がありません。たとえ同じ量子防壁を持たせても、相互干渉で破壊されてしまいます。そちらについては、軍に頑張ってもらうしかありません」  カヌカに責任を丸投げされた陸軍側は、それならばとアズガパが現状の確認を提出した。 「イェーガージェンヌに、検査の協力依頼を行った。犬を使うことへの許諾を得て、実際に犬を持ち込み検査を行った。そして、これがその報告だ」  そこでアズガパが騒がない以上、報告書の中身はイェーガージェンヌの正当性を記載してあることになる。運び込まれた犬の名前および所属が書かれ、検査風景の静止画データーまでそこには添えられていた。 「非常に、友好的な雰囲気で検査は行われたそうだ。そしてその結果、犬は異常を検知しなかった。つまり、これで正真正銘イェーガージェンヌは白と言うことになる」 「その報告書を信じるのであれば、確かにアズガパ少佐の仰るとおりでしょう」  問題ないと言う意味のアズガパの報告に対して、アセイリアは報告書自体の立証性を疑問視した。 「さすがに、ここまでデーターが揃っているんだ。犬を使って検査を行い、異常がなかったことを疑えないだろう」  調査を行ったのが同じ陸軍と言うこともあり、アズガパは擁護の立場をとった。だがアセイリアは、報告書自体の不備を指摘した。 「ですが、実際に検査しているところの映像がありません。それに、本来動画で提供される映像が、なぜ静止画で提供されているのでしょう。これでは、検査場に犬が連れ込まれたと言う状況証拠しか示していないと思います。ゴロンダ少佐には、私の懸念に対して事実に基づいた反証を求めます」  どうですかと冷たい……普段通りの感情に欠けた視線で問いかけられ、アズガパはあっさりと白旗を上げた。彼にしても、情報は報告書以外に持っていない。その報告書の不備を指摘されれば、確認するとしか答えようがないのだ。 「その点については、至急確認することにする」 「では、確認をお願いします。ただ、彼らの言葉を鵜呑みにせず、徹底的に確認をしてください。カヌカ係長の報告通り、使用されている防御スクリーンはアルファケラス以外なら持ちこたえることができます。残る懸念はイェーガージェンヌなのですから、あなたの目で彼らの無実を立証してあげてください」  破壊活動に対する懸念は、アセイリアの言う通りなのだ。だからアズガパも、大人しく指示を受け入れた。統合司令本部と陸軍との関係を考えれば、ねつ造とまではいかなくとも、何らかの手抜きを疑われても仕方がないと諦めていたこともある。  それでも救いは、アセイリアに信頼されていると思えることだ。その証拠に、「明朝一番に」と答えたアズガパに、アセイリアは立ち上がって頭を下げてくれた。 「私のわがままで振り回して申し訳ありません」 「いや、疑わしい点があればそれを明らかにする必要はあるだろう」  “あの”アセイリアに頭まで下げられたのだ。これで仕事をしなければ、他の奴らに刺されることになる。仲間の反発を考えれば憂鬱だが、必要なこととアズガパは諦めることにした。  アズガパの同意を得たアセイリアは、話を警察の管轄に引き戻した。 「ではウルフ係長。報告をお願いします」  アセイリアに指名されたウルフ・ジャクソンは、こちらにと言って全員にデーターを投げた。ウルフと言う割には、七三に分けた髪を、べったりとポマードで固めた、一見まじめそうに見える男だった。 「空港や港には、非常警戒態勢を敷かせている。おかげで苦情の山になっているが、それなりの成果はあった。もっとも、この時期に持ち込まれる武器など、ちんけなものでしかないのだが……むしろ、別目的で持ち込む武器まで押収することができた。まあ、そちらの方は余談になるので、説明からは割愛する」  掴みを説明したウルフは、次にと言って何人かの顔写真を提示した。 「管理システムの手を借りて確保したテロリストだ。皇女殿下襲撃用の武器も押収している。ただ、押収はしたが、武器自体はちゃちなものだ。観客席なら破壊もできるが、特別席のスクリーンには傷一つつけられない。むしろガスの方が厄介なのだが、特別席は別系統の空調になっている。完全閉鎖系になっているから、事前に仕掛けられない限りそちらも問題ない。ちなみに特別席の従業員は、領主府から派遣されることになっている。と言うことで、警察にできる範囲はここまでだ」  話を振られたアセイリアは、こちらも問題が無いことを説明した。 「約100名の従業員を派遣しています。光学迷彩対策には、全員犬を使ったスクリーニングのほか、疫学的検査も受けさせています。すでに閉鎖空間に三日隔離してありますので、体内に仕込んだとしても爆発物を持ち込めないでしょう。搬入される物資については、陸軍のスクリーニングに加え、領主府でのスクリーニングと二重チェックを行います。それから……」  報告書のページをめくろうとしたアセイリアに、ウルフは慌てて「十分だ」と口にした。 「アセイリアが納得できる検査を行った。それでこの場は十分だ」 「全員が確認することで、責任を全員に分散させているのです。ですから、そうやって私だけに責任を押し付けないでください」  だからと言って、アセイリアはさらに検査の内容を続けた。そこまでやるのかと言うのも驚きだが、自分たちがまだまだ甘かったのだと全員は思い知らされた。  それから30分ほど独演会が続いたのだが、当たり前と言えばいいのか誰からも疑義は発せられなかった。 「では、宇宙の方をお願いします」  アセイリアの指名に、俺がと言ってユーリーが立ち上がった。 「ツヴァイドライグの真贋について確認を行った。まず帝国からの出港履歴だが、帝国の管理システム、および中継地のシステムとの照合で、出港の事実、および経由地での照合を通過している。艦の寸法や重量、そして装備についても、提供されたデーターと一致した。当然のことだが、入港時の識別信号もツヴァイドライグの物だ。照合鍵にも、異常は見つかっていない。これらの確認は、通常ルーチンでもあり、今さら疑いようはない物と思われる」  事実を淡々と述べたこともあり、誰からも疑問は上がってこなかった。それを確認したユーリーは、次に乗員についての報告をした。 「乗員については、一つデーターとの違いが見つかっている。出港時および、最終経由地では998名との申告を受けていたのだが、確認したところ996名しか乗船していなかった。本件につき確認したところ、先方からは病欠者をリストから外すのを怠ったとの説明を受けた。診断書が提出されたので、その件はそこで終了した。ちなみに犬を使った検査だが、こちらについては行われていない。理由は単純。宇宙空間で利用可能な訓練を受けた犬が居ないことだ。それ以外の検査については、当たり前だがすべて正常と出ている」 「2名の食い違い、ですか」  それをどう解釈していいのか。さすがにアセイリアの手にも余るようだ。ううむと腕組みをしたアセイリアに、ユーリーは単純な手違いだろうと指摘した。 「出発時のデーターであれば、容易に検索することができる。成りすますのを目的とするのなら、そんな単純なミスは侵さないだろう」  説得力のある説明ではあるが、だからと言って納得できるかと言うのは別物である。だがユーリーの説明に対して、アセイリアも明確な反論をすることはできなかった。 「なぜ、イェーガージェンヌ関係者以外は、地上に降りてこないのですか?」 「上陸をお勧めしたという記録はありますが……」  そこで情報を検索したユーリーは、「任務」と言う明確かつ確認のしにくい答えを口にした。 「待機を命じられている。そのような説明を受けています。周辺状況から推測されるのは、ザイゲルへの対処を考慮していると言うことでしょう」 「話としては、筋が通っていますね」  それでももやもやとするところはあるが、根拠がないためアセイリアはそのことには触れないことにした。 「では、最悪に対する備えですが。チャング少佐、ホプリタイの配置は手配済みでしょうか?」 「300式狙撃銃を用意してあります。狙撃は、私自身が行うつもりでいます」  対応に頷いたアセイリアは、次に空の対応を核にした。 「マイケル少佐、空の方はどうなっていますか?」 「スカイアークの出撃準備を行わせています。ただヨコスカからとなるため、攻撃可能となるまで10分ほど時間が掛かります」  そこでアセイリアに顔を見られ、海軍のボリスは準備はできていると答えた。 「ヨコハマの海に、空母は待機させてある。こちらなら5分以内なのだが、残念ながらセンチネル相手でも破壊力が足りない。牽制にしか使えないと思ってくれ」 「牽制できるだけましですね。ただ、10分と言う時間を稼ぐ必要があると言うことですか。分かりました、こちらの方は学生さんに期待することとしましょう」  時間稼ぎの必要性は理解していたが、それに学生を使うとはだれも考えていなかった。それに驚いた全員に、アセイリアは表情一つ変えずに言葉を続けた。 「陸軍の方は、大人しく言うことを聞いてくれるとは思えません。ですから、士官学校の学生さんを利用します。指示さえうまく出してあげれば、多少の時間稼ぎは可能だと思います」 「学生に支えられると思っているのか!?」  無理だと決めつけたチャングに、アセイリアはあっさりとその指摘を認めた。 「相手が本物のイェーガージェンヌなら、仰るとおり絶対に無理ですね。ですが、偽物ならば可能性は出てきます。それに彼らには、さほど長い時間を期待していません。最悪、アズライト様が避難されるまでの時間が稼げればいいだけです」 「アルファケラス相手には、それすら難しいとしか言いようがないのだが……それで、彼らへの指示は誰が出すのだ?」  指示ひとつで学生を使い物にしようと言うのだ。誰がと言うのは、当然浮かんでくる疑問だった。 「私が行いますけど、それがなにか?」 「いや、専門家に任せるべきだと思うのだが……」  そう答えたチャングだったが、それが難しいことにすぐに気付いた。 「陸軍が大人しく言うことを聞かないか。それに、ホプリタイ部隊の能力を超えているな」 「と言うことなので、私もカンニングさせていただきました。これは、ヨシヒコ・マツモトがマリアナさんに渡すために作ったデーターです。その中から、役に立ちそうな部分を摘まみ食いいたしました」  そう言って示された作戦案を、全員が凝視し理解しようとした。 「なるほど、ブドワイズ大将が興味を示しただけのことはある」  ユーリーの言葉に、こちらも似たようなものだとアズガパも同調した。そしてマイケルも、こちらも同じと同調した。彼らの耳にも、サロンがヨシヒコに注目したことは伝わっていたのだ。 「確かに、アルファケラスの弱点は視界だからな。それを遮られたら、量子障壁を解除するしかないか。もっとも、量子障壁が無くても頑丈な機体をしているがな」 「だが、一点集中すれば倒せないことは無い」 「用心していれば回避できる作戦だけど、私達を甘く見ていたら間違いなく引っかかるわね」  イリーナの指摘に、全員が大きく頷いた。 「ザイゲルは、俺達のことを間違いなく甘く見ているな」  ボリスの言葉に、もう一度全員が頷いた。そのあたり、甘く見られても仕方がないと言う認識があった。 「作戦は分かったわ。だけど、これだけじゃ皇女殿下をお守りできないわよね?」  学生を使うにしても、分単位の時間が必要となる。だがアルファケラスを使えば、防御障壁の突破に時間は掛からない。不意打ちを食らったのなら、学生が出撃する前にアズライトは亡きものにされている。  その指摘に、全員が自分たちの限界を思い知らされた。結局、事前に偽物だと察知できない限り、アズライトを守りきることができないのだ。 「イェーガージェンヌが、白だと願いたいわね」  その空気を読んだイリーナの言葉に、アセイリアも同意した。 「私も、白であって欲しいと願っています。ただ、いざと言う時の備えは必要だと思います。ですから、アズライト皇女殿下には、私が護衛として付き添うことにします」 「皇女殿下に憎まれているあなたが、ですか?」  バロールの指摘に、アセイリアは今まで通りの態度で答えた。 「何も問題はありません。優先すべきは、個人的感情ではなく皇女殿下の安全ですから」 「いやいや、アセイリアではなく、皇女殿下の感情のことを俺は言ったのだが」  呆れたバロールに、同じことだとアセイリアは答えた。 「それに、貴賓室は全体を俯瞰するのに都合が良いと思っています。たぶん追い出されるのでしょうが、見えないところに隠れていれば大丈夫でしょう。後は、対テロ用の防御シートでアズライト皇女殿下を包めば終わりです。直接アルファケラスに攻撃されない限り、多少の時間稼ぎにはなってくれるはずです。それに相手がザイゲルだと考えると、あっさりと皇女殿下を殺すことはないでしょう。アルファケラスでは、あっさりとし過ぎますからね。そこを乗り切り、皇女殿下にラルクをお使いいただけば私の役目は終わりです」 「ラルクを使うのも、難しいと思うんだけど……」  アズライトを襲った悲劇は、知らない者が居ないほど有名なことだった。だからイリーナが無理だと言うのも、全員が理解していることだった。現に、今のアズライトはラルクを左手に嵌めていない。今まで肌身離さずつけていたことを考えれば、それだけ手元に置くことへの拒否反応があることになる。 「皇女殿下は、必ずお使いになられますよ。だから、私はこれを届けようと思っています」  そう言って、アセイリアはポケットからラルクを取り出した。 「必要な時になければ、使うこともできませんからね」 「確かに、それは否定できないけど……」  どうやったら使わせることができるのか。それを聞きたいところなのだが、聞いたところで答えは分かっていると全員が感じていた。間違いなくアセイリアは、皇女としての自覚を持ち出してくれるはずなのだ。そこまで生易しい問題ではないだろうと、全員アセイリアに突っ込みたい気持ちになっていた。 「皇女殿下のことは分かったけど、それ以外の被害はどうする? ホプリタイに暴れられたら、とてもじゃないけど避難は間に合わないわよ」 「それを考えるのは、警察の仕事だと思いますよ」  一応自分の責任は自覚しているが、無理な話を持って来てほしくはない。全員の視線を感じたカヌカは、検討中と答えるのが精一杯だった。 「一番いいのは、入場者数を減らすことです。人数が減れば、それだけ避難は迅速に済ませられます。人数を半分にすれば、理論上半分、実行では3分の1の時間で避難が完了します」 「残念ながら、入場者数を今から減らすわけにはいきません。すでに、私たちの権限外と言うことです。ご存じのとおり、テロについては口外することを許されていません。その状況では、入場者数を減らす口実が立たないのが理由です」  その答え自体、これまで何度も繰り返された物でもある。だからカヌカも、反発ではなく諦めると言う選択をしていた。 「だから、良い手が無いか検討中と言うことになります。グラウンドが使えないので、これと言った妙手が無いのが現状です」 「私からは、最善を尽くしてくださいとしか言えませんね」  よろしくお願いします。そう言って、アセイリアは責任をカヌカに丸投げした。 「全体の確認は終わったと思います。何か、皆さんからご意見はありませんか?」  そう言って、アセイリアは全員の顔をぐるりと眺めた。 「特にご意見はなさそうですね。では明日……ではありませんね。無事今日を乗り切れるよう、皆さんのご尽力をお願いします」  立ち上がって頭を下げたアセイリアに、全員も遅れて立ち上がり頭を下げた。そしてアセイリアは、「お疲れ様」と少しも疲れてない顔でその場を後にした。式典まで、残された時間は4時間を切っていた。 「皇女殿下をお見送りしたら、盛大な打ち上げでも開くか」  ボリスの提案に、その場にいた全員から賛同の声が挙げられた。 「当然、アセイリアも誘うんだろうな?」  そこが重要と確認したマイケルに、ボリスはことさら大きく頷いた。 「いくらアセイリアでも、皇女殿下が帰られたら誘いに乗ってくれるだろう」 「そう言う常識があるといいのだがな」  これまで何度も裏切られたことを考えると、アセイリアの常識も疑わしくなる。チャングの指摘に、全員はもう一度頷いた。 「兎に角だ。この件については、メンバーの総意として主張するしかない!」 「宇宙で、ドンパチが始まってなければいいけどね」  多分無理と言うディータに、忘れていたと全員が肩を落としたのだった。 「この恨みは、ザイゲルにぶつけるしかないのか?」 「返り討ちに遭いそうな気がしてならないが……少なくとも、その気持ちには同意してやる」  マイケルの同意を得たボリスは、任せたぞとユーリーの肩を叩いた。 「どうして、俺の肩を叩く?」 「宇宙のことは、宇宙の奴に任せるのが筋と言うものだろう」  違うのかと指摘され、ユーリーは小さくため息を吐いた。 「だったら、アセイリアに個人的に作戦を相談することにしよう。何しろ、宇宙のことだからな」  任せておけと保証したユーリーに、男たちは「却下」と口を揃えた。 「アセイリアは、俺の嫁になるんだからな。君たちは、節度を持って接して貰いたい」  そう主張したボリスに、男たち全員から非難の声が上がった。そこからああだこうだと言い合いに発展したのだが、はっきり言って本人不在の勝手な主張にしか過ぎなかった。 「どうやら、かなり寝不足が効いているみたいね」  男どもの醜態を評したカヌカに、普段と変わらないとイリーナは醒めた目で切って捨てた。 「だけど、間違いなく普段以上にハイになってるわね。これで、何徹したんだっけ?」  指折り数えるディータに、イリーナは6と指で示した。 「多分今日も完徹だから、都合1週間ってことか。そりゃあ、ハイにもなるわね」  あははと笑ったところは、ディータもかなりハイになっていると言うことだろう。確かにそうかと頷いたカヌカは、居なくなったアセイリアを話題にした。 「その意味で、変わらないのはアセイリアだけね」 「相変わらず綺麗なのって、反則だと思うわ。肌が荒れている様子も見えないし」  ディータの感想に、全くだと二人も同意した。疲れているはずなのに、欠片もそれを見せてくれないのだ。本当に文官かと、三人はアセイリアの正体を疑ったのである。  ハイ状態にともなう馬鹿話は、それからおよそ10分ほど続けられた。そして一人、また一人とそれぞれが自分の仕事へと戻って行った。馬鹿話をしながらも、自分の役目を忘れていなかったのだ。最後まで統合司令本部に残ったのは、海軍出身の二人だけだった。 「出番がないのは辛いものだな」  そう言いながら、ボリスは椅子に座りなおした。 「ああ、俺達は水生種が関係しないと出番はないからな。空母の艦載機では、最新鋭のホプリタイへの対処は難しい。どちらかと言えば、俺達は地球内部の紛争対応が主だと言うことだ」 「その意味で、あいつらには頑張ってもらいたいのだが……さすがに、ザイゲル相手じゃ分が悪いか」  ここで議論を重ねれば重ねるほど、ザイゲルとの戦いは絶望的なものに見えてくる。工作員の発見と言うポイントはあったが、あくまで小手先の勝利でしかなかった。先端技術の部分で劣っているのを、伝統的な手法で挽回したに過ぎなかったのだ。技術の差を見せつけられたと言う意味では、逆に追い詰められた気持ちになっていた。 「俺の嫁、か」 「なんだ、馬鹿話はあれで終わりだろう。あいつらの息抜きに、付き合ってやっただけのことだ」  文句を言ったボリスに、悪いとバロールは謝った。 「ただな、俺達の何人が生き残れるのかと考えたんだ。この戦いは、絶対に俺達の分が悪いんだ。今の状況では、アズライト皇女殿下すら守りきれるのか疑わしい」 「皇女殿下は守って見せる。アセイリアが保証したのだから、俺達は黙って手を貸すだけだ」  ボリスの答えに、バロールは小さく頷いた。 「だとしたら、誰がアセイリアを守るんだ? 敵の狙いが皇女殿下なら、アセイリアは一番危ない所に居ることになるのだぞ。皇女殿下が無事でも、アセイリアが無事と言う保証はどこにもないんだ。本当にアセイリアが誰かの嫁になる未来があるのかと思ってしまったんだよ」 「縁起でもないことを言うなよな」  文句を言いはしたが、ボリスは否定の言葉が見つからなかった。軍人なのだから、必要な時に命を惜しむことは無いと思っていた。だがアセイリアからは、自分達とは種類の違う覚悟を感じていたのだ。もっと個人的な思いを、アセイリアに対して彼らは感じていた。 「恋敵と言う訳ではなさそうだな」 「あの男の恋人は、全く別の普通の女だったらしいからな。横恋慕と言うことならありえるが、あくまで可能性があると言うだけで、実際には無いと言うのが正しいのだろう」  それは、何度も仲間内で確認されたことを追認したに過ぎない。そしてそこから、一歩も先に進んでくれないのだ。しかも領主府のスタッフと言うだけで、アセイリアの過去が全く浮かび上がってこなかった。ジェノダイトの隠し子と言う噂が信憑性を持つのも、情報が無いことへの裏返しとなっていたのだ。  本当に様々な面で興味を持たれていたアセイリアは、自分のスペースに戻って情報の分析およびマリアナ達に授ける作戦の確認をしていた。式典が始まるまで4時間を切り、終了までは10時間を切っている。この10時間をいかに乗り切るのかが、今は最大の問題となっていた。  そんなアセイリアにとって、宇宙軍大将アレクサンデル・オム・テラノ・サンダースからの知らせは朗報の一つに数えられるものだろう。アセイリアの個人的依頼を受けたサンダース大将が、部下を使って秘密の内にツヴァイドライグに細工をしてくれたのだ。これで、いざと言う時効率的に敵の母艦を無効化する方法を確保したことになる。 「後は、地上を抑え込めればいいのですが……」  そのためには、陸軍の協力が必要なのだが、その面ではアセイリアは失敗をしていた。大将レベルを押さえていても、実行部隊に反感を持たれてしまったのだ。しかも軍艦に細工をするのに比べ、ホプリタイへの細工は難しい問題がある。整備ができないだろうと、自前の要員しかアルファケラス以下のホプリタイに触れられなかったのだ。 「ゴロンダ少佐に期待するしかありませんね。できることなら、思い過ごしであってほしいのですが」  搭乗前に確保できなければ、自分たちの負けが確定してしまう。そこからできることは、負けをどこまで小さくできるのかと言う所までだった。 「その時は、大勢の人たちが死ぬことになりますね……ここまで来ると運と言うことになりますが。私の運が良ければ、みなさんを助けられるのに」  頼りの運は、最悪なのをアセイリアは知っていた。それを考えると、アズガパの調査は間に合ってはくれないだろう。 「後は、マリアナさん達にどこまで期待できるかと言うことですね。はっきり言って、絶望的と言うのが現実ですか……」  何度もシミュレーションをしてみたのだが、本気で攻撃されたら1分も支えらなかった。しかもアルファケラスの行動を止められないのだから、状況はさらに悪いことになる。そのための電波妨害なのだが、それが本当に役に立つと言う確信も持てなかった。地球の技術水準を超えた相手が、どのような通信手段をとってくるのか分からなかったのだ。 「それでも、私はできることをするしかない」  ポケットから赤い石の付いた指輪、ラルクを取出しアセイリアはじっとそれを見つめた。もしも自分にも使えたのなら、敵のホプリタイを無効化することもできるだろう。それができれば、発生する被害は格段に小さくなってくれるはずだ。だがいくら願っても、ラルクは自分の思いには答えてくれない。そして唯一ラルクを使えるアズライトは、心に負った傷のためごみ箱に捨ててしまったのだ。 「すべては、私の責任です……」  誰からも、そして何度も他に方法があったのではと責められた。その時はそれが一番いい答えたのだが、今は自分の答えに疑問を感じるようになっていた。アズライトの行動、そして皇女を送り出した皇帝の考え方。皇妃の考え方まで含めて分析をすると、他の方法も見えてきたのだ。どちらもろくなものではないのは確かだが、それでも誰も死なさない分、新しい方法の方が好ましかった。何よりも、アズライトに悲しい思いをさせずに済んだのだ。その意味で、やはりアセイリアには運が無かったことになる。 「運に頼らずアズライト様をお守りするには、すべて私が指示を出す必要があるのですが。さすがに、私にはそこまで能力は無いし……皆さんに頼るしか無いのですが」  そして集まる人材にも、運が絡んでくれるのだ。評価できる能力を持っているのだが、それでもザイゲルと戦うのには自分を含めて不足していた。ここまで来ると、もはや自分が呪われているとしか思えなくなってしまう。 「私が、関与したことが間違いだったと言うことにならなければいいのですが」  作戦の方は、何度練り直してみても敵のホプリタイを押さえることはできない。当たり前のことだが、敵とは機体性能も訓練の度合いも違っていたのだ。多少本物より性能が落ちたところで、その差は絶望的に開いていたのだ。 「心理的な作戦が使えるほど、私はザイゲルそのものを知りません。直接の相手が分かれば、まだやりようもあったのですが……」  そうなると、後は軍に期待するしかなくなるのだ。その意味でも、やはり失敗したとアセイリアは自分の短慮を悔やんだ。 「それでも、私にはアズライト様をお守りする責任があります」  ここで泣き言を言っても、何も解決しないことに変わりはない。ならば少しでも努力をして、どこかに打開策が無いかを探った方が前向きなのだ。そしてそれぐらいしか、アセイリアは自分の責任を果たす方法が見つけられなかった。 「シャワーを浴びて着替えをする時間は残しておかないと」  皇女殿下の前に出るのに、徹夜で薄汚くなった格好と言うのは許されない。アズライトの敵意を自分だけに向けるためにも、自分は綺麗で余裕があって憎らしくなければならないのだ。それが、自分に課せられた責任だとアセイリアは考えていた。  同じ手は二度と通用しない。宿舎となったグランドホテルで、ジェライドは至福の時を味わっていた。アズライト拉致の作戦は失敗したが、それ以外は予定通り進行している。潜入工作員が捕らえられた時には、テラノの意外な実力に恐れを抱きもした。そして何時自分達の正体がばれるのか、戦々恐々としていたのだ。  だがその恐怖も、マヌケなナークドのお陰で解消された。自分達を憧れのこもった目で見るナークドが、検査の意味を事細かく教えてくれたのだ。検査の方法自体、自分達の理解できない、ある意味盲点を突いた方法であったのは確かだ。だがやり方さえ分かれば、対処はさほど難しいことではなかった。犬と呼ばれる動物が重要ならば、その犬を使えなくしてやればいいだけのことなのだ。  鋭敏な嗅覚を持っているのなら、その嗅覚を逆に利用してやればいい。だからジェライトは、部下に命じて揮発性の興奮剤を携行させた。軍に居る以上、興奮剤の所持は身だしなみにもなっていた。 「ナークド(裸の皮膚を持つもの)は愚かだな。予め方法を教えては、対処してくださいと言っているようなものだろう」  そしてジェライトの考え通り、興奮剤は思っていた通り犬を使い物にならなくしてくれた。興奮して吠えまくる犬に、テラノは検査を諦めたのである。今まで通り機械を使った検査だけ行い、それ以上は行わないと宣言してくれた。 「私達は信用しています。とはな。全くお人好しと言うか、危機感が足りていないな」  はんと鼻で笑ったジェライトは、ウイスキーをストレートで煽った。全般に薄すぎるテラノの酒だが、これはなかなか美味だと関心したものである。鼻につくヨードの匂いが、まるで甘露のように身を熱くしてくれる。  ある意味最大の関門を超えたこともあり、気持ちはもはやアズライトを始末した後のことに向いていた。 「宇宙を飛び回る天災も落ちたものだ。だが、失意から立ち直る余地を与えるほど、我々はお人好しではない。いや、惚れた男の所に送ってやるのだから、ある意味親切なのかもしれないな」  はははと腹の底から笑っところで、誰かがドアをノックするのが聞こえてきた。せっかくの良い気分に水を刺すのか、少し気分を害したジェライトは、誰が来たのだとドアのところへ歩いて行った。 「誰かと思えば、ヨルムハッセか。なんだ、全員揃っているのか」  曲がってしまった機嫌も、仲間達の顔を見ればすぐに元通りになってくれる。入って来いと、ジェライトは仲間達を部屋に招き入れた。一人で飲むのも気分はいいが、仲間達と語り合いながらの酒は、更に気分のいいものとなってくれる。作戦の成功が目の前に見えているだけに、その気持ちは尚更のものだった。 「それで、雁首を揃えて何の用だ?」 「前祝いに、酒を飲もうとやってまいりました。ちなみに、こちらに酒とつまみも持ってきました」  そう言ってヨルムハッセが差し出したのは、アルコール度数が70度を超える強烈な酒だった。そしてつまみも、鼻が曲がりそうなほど強烈な匂いを放っていた。 「うまそうな匂いだな。だが、余り目立つ真似はするものではないぞ」 「大丈夫です。これでも、こちらで普通に売っているものを手に入れました」  大丈夫だと保証したヨルムハッセは、仲間に目配せをして買ってきたものをテーブルに並べた。 「我々にはいささか味が薄いですが、慣れてしまえばなかなか美味です。おお、それはアイラですか」  ジェライトの飲んでいたウイスキーを見て、それはいいとヨルムハッセは喜んだ。 「こちらは、ロンと言う酒です。なかなか強烈な味がする、我々好みの逸品です」  そう言って、ヨルムハッセは瓶ごとロンをジェライトの前においた。そして自分もまた、瓶から直接酒を喉に流し込んだ。 「ああっ、うまいっ!」  酒に感動したヨルムハッセは、蛆の湧いたチーズを一欠片口に放り込んだ。 「ところでジェライト殿、上の方もうまく誤魔化したようですな」 「当たり前だ。頭の足りないナークドに、我々の策略を見破れるはずがない。奴らは、あれが本物のツヴァイドライグと信じて疑ってもおらん」 「イーザベルグの改良型は、見事効果を発揮しましたな」  ロンをラッパ飲みをしたラルフレンは、大したものだと笑った。 「うむ、本物は今頃我ら10万の艦隊を前にしてちびっていることだろうて」 「帝国最新鋭艦であれば、演習の的として申し分ないでしょうな」  楽しそうに笑ったヨルムハッセは、たちまち一瓶飲み干してしまった。そしてそれでは足りないと、別の瓶の封を切った。 「それで、明日はどうなさいます?」 「どう、と、聞くか?」  目をぎょろりとさせたジェライトは、すぐに大きな声を上げて笑ってみせた。 「しばし、奴らの間抜けな顔を楽しませてもらおう。“真面目”な学生とやらを指導してやるのも一興だ。テラノ一の精鋭とやらが出てきたところで、あの娘に引導を渡してやる。どんなに守りを固めても、アルファケラスの前には張り子も同然。ラルクが使えなければ、天災皇女もただの小娘にしかすぎんからな」 「そして小娘を始末するのと同時に、上では“ツヴァイドライグ”が大暴れですか。なんと血も涙もない、極悪非道の所業ですな」  そう言って喜ぶモーリアスに、いやいやとジェライトは首を振った。 「ガルガンチュア将軍のドレズドーレズを忘れてはいけないぞ。我らの決起に合わせ、テラノ星系に1万の艦隊で攻め込んでくださる。火の星とやらを、名前の通り劫火で包んでみせるそうだ。最低でも、10億ぐらいは灰にされるだろう。20時間ほど我慢すれば、ナークドの奴らが慌てふためくのを見ることが出来る」 「そしてあの女は、血まみれになると言うことですか」  愉快そうに笑う仲間に、ジェライトは楽しそうに「その通り」と言ってロンを呷った。 「グリゴンでのこと、我らは忘れておらぬからな。因果応報とはどんなことか、小娘に教えてやるのも大人の役目だ。あっさりとアルファケラスで消してやっては、面白くもなんともないからな」 「ナークドが我らザイゲルを支配すると言うのが生意気なのだ」  ここまでくれば、後は作戦を遂行するだけになる。もはや自分達を止めるものはないと、全員が確信していたのだ。よほど気分がいいのか、彼らの飲酒ペースは常識を超えていた。  次々と開いていくボトルに、ジェライトはほどほどになと注意の言葉を吐いた。 「そうしないと、手加減を忘れてしまうからな。せっかくの機会、存分に味あわせてもらおうではないか」 「十分楽しんだところで、ツヴァイドライグに回収してもらいましょう。アルファケラスにセンチネル改、捨てていくには惜しい機体です」  ナノラッセの提案に、それはいいとジェライトは頷いた。 「この様子ならば、脱出のために捨てていく必要もなさそうだ。やはりテラノは、帝国に加わるには千年早かったのだ」 「それで、ドーレズ達はどうします。拾っていきますか?」  潜入部隊を気にしたヨルムハッセに、ジェライトは驚きから目を大きく見張った。 「間抜けを拾ってどうするのだ? ナークドごときに遅れをとるなど、我らグリゴンの恥さらしに違いない。おめおめ生き恥をさらすぐらいなら、始末してやった方が親切というものだ」 「収監場所も分かっていますから、帰りがけに消していきますか」  回収するのは手間が掛ることには違いない。証拠隠滅を考えれば、まとめて消すのが一番確実だろう。どうせ艦隊戦で有耶無耶になるとは言え、少しでも手がかりは消していった方がいい。 「まあ、その程度の手間はかけてやるか」  そう答えたジェライトは、壁を見て時間を確認した。 「明日に備えて、12時とやらまでは酒を飲むことを許す。そこから先は、各自戦争に備え準備を進めろ。良いか、本気を出すのはあの小娘を殺してからだ。ナークドに、身の程というものを教えてやる」  ジェライトの指示に、全員が「承知」と言って頷いた。彼らにとって酒を飲むのは楽しみに違いない。だがそれ以上の楽しみが待っているとなれば、酒ぐらいは我慢することが出来る。その我慢にしたところで、あと6時間近く楽しんだ後のことなのだ。 「ところで、酒が足りませんな」  あたりを見れば、空になった酒瓶が何本も転がっていた。飲み始めて1時間も経っていないと考えれば、恐るべきペースに違いない。 「その程度のことなら、持って来させればいいだけのことだ。支払いはすべてテラノが持ってくれるからな」  大きな口を開き、ジェライトは豪快にテラノ政府の無能ぶりを笑い飛ばした。これから大虐殺を行う自分達を、客として歓待しているのだ。彼からしてみれば、マヌケなことこの上ないことだった。そしてマヌケと笑うこともまた、彼の機嫌を良くしてくれたのだ。 Capter 3  センテニアルを飾る最終日の式典は、領主府前通りのパレードから始まった。そのパレードは、地球の歴史を表すように、各国がそれぞれ歩んできた道を示すものとなっていた。  そして通りを練り歩いたパレードの行列は、最終的にヨコハマパークのメインスタジアムに集められた。そこで、皇位継承権第三位をもつ帝国第二皇女、アズライトへと披露することになっていた。  そのパレードを、アズライトはメインスタジアムに設けられた貴賓席で見ていた。30人ほど収容できるスペースには、帝国から派遣された侯爵や地球では最上位となる伯爵が勢揃いしていた。そして一段高くなったアズライトの隣には、テラノ総領主であるジェノダイトが座り解説役を務めていた。  心配する必要がないとは言え、アズライトが無事出席したことにジェノダイトは安堵をしていた。しかも1週間前に比べ、格段に顔色が良くなっていたのだ。これもまたアセイリアの言うケアの結果かと、ジェノダイトは彼女への評価を高めていた。それでも考えていたのは、もう少し気を使って欲しいと言うアセイリアに対する不満だった。 「今日は、少しお顔の色が宜しいようですな」  天気の話をするように、ジェノダイトはアズライトに声を掛けた。それが罪の無い話のとりかかり、顔色自体に意味が無いことが分かっていても、アズライトは少し顔を引き攣らせていた。そしてジェノダイトが懸念したことを、アズライトに相応しくない顔をして答えた。 「多分、それは気のせいだと思います。私の心は、二度と晴れることはありませんから。それに」  そう答えたアズライトは、彼女に似つかわしくない醜悪な顔をして振り返った。 「なぜ、あの者がこんな所にいるのです!」  アズライトにあの者と敵意を向けられたのは、スーツ姿のアセイリアだった。首の詰まったブラウスに紺のスーツ、少し短めのスカートは、普段以上に彼女を怜悧に見せていた。1週間は寝ていないのだが、その疲れを全く感じさせなかった。 「彼女は、私が任命した責任者だからです」  何故という問いかけに、ジェノダイトは建前の答えを返した。 「でしたら、私の目の届かない所にしまっておいてください。式典でまで、私に不愉快な思いをさせないでください」  アズライトの言葉は、想定の範囲を超えては居ない。憎々しげに言い放つアズライトの言葉を受け、ジェノダイトはアセイリアを呼び寄せた。そして入ってきたアセイリアに、ジェノダイトは予定調和の命令を下した。 「アズライト殿下がお前のことが目障りだそうだ。これから出立までの間、殿下の目の届く所に居ることを控えよ!」 「ご命令とあらば」  ジェノダイトに呼ばれてから、アセイリアは一度もアズライトの方を見なかった。そしてアズライトに一礼することもなく、アセイリアは大人しく命令通り貴賓室を出て行った。自分への敬意も感じさせない態度は、更にアズライトの感情を逆なでした。 「なぜ小父様は、あのような者を重用しているのです!」  自分に噛みつくアズライトに、ジェノダイトは冷静に答えを返した。ただその答えは、ジェノダイトの本意とは違うものだった。 「当てにしていた者が使えなくなりましたからな。ですから、彼女を代理にしたまでです」  それが誰のことを言っているのか、アズライトはジェノダイトの口調に気づいてしまった。悔しそうに唇を噛み締めたアズライトは、ジェノダイトを睨み、口を閉ざした。  貴賓室を追い出されたアセイリアは、そのまま奥の特別室へと場所を変えた。貴賓室は侯爵伯爵用に用意されたが、特別室は子爵用に用意されていた。そしてアセイリアが向かったのは、軍関係者が集まる場所だった。そしてそこには、当然のように多くの大将格が顔を揃えていた。集まった顔ぶれを見れば、貴賓室には劣るとは言え、特別な場所には違いなかった。  黙って戻ってきたアセイリアを見つけ、小さなため息を一つ吐いてマグダネル大将は歩み寄った。 「だから、止めておいた方が良いと忠告したのだ」  アズライトの感情を考えれば、一緒の部屋にいると考えることがおかしかったのだ。はじめに考えを聞いたところで、マグダネル大将はやめておけと忠告していた。そしてその忠告を無視したことに、マグダネル大将は別の理由を求めた。 「それとも、アズライト殿下が気になったのか?」 「そうですね、彼を誑し込んだその顔を見てみたくなりましたから」  普段と変わらぬ感情の篭もらぬ声に、相変わらずだとマグダネル大将はため息を吐いた。いくら揺さぶりをかけてみても、少しも動じてくれないのだ。それが理由とは言えないが、いつもの愚痴が口をついて出てしまった。 「アズライト殿下の事は、もう少しうまくやれなかったのか。君ほどの女性ならば、ご機嫌を取ることも難しくはないだろう?」 「その必要性を認めていませんので」  何度も繰り返された忠告に、アセイリアはいつもと同じ答えを返した。そしてアセイリアは、マグダネル大将を相手にしながら投影スクリーンで警備の状況を確認した。それを横から、マグダネル大将が覗きこんだ。 「不審者……正確に言うのなら、ザイゲルのスパイは潜り込んでいない。さすがに、少し心配し過ぎではないのかね? イェーガージェンヌも、結局は白だったというではないか」  アズライトの安全を確保するためには、神経質なほど警戒する必要があるのは分かっている。だがその役目は、警察機構と陸軍が負うことになっていた。アセイリアの気持ちは分かるが、優先すべきことが違うだろうとマグダネル大将は考えていたのだ。  トップはトップなりの仕事があり、現場の細かなところまで見る必要はないと言いたかった。そしてアセイリアの示した懸念に対して、各パートが誠実に結果を出しているのだ。  だがアセイリアは、マグダネル大将を刺激するような答えを口にした。 「閣下の配下に私は嫌われていますからね。彼らが、私の命令を素直に聞くと思われているのですか?」  その反論に、マグダネル大将は一転して厳しい表情を彼女に向けた。気持ちは理解しているが、世の中には言っていいことと悪いことがある。そしてこれは、マグダネル大将に向かって言っていいことではなかった。 「それは、私に対する侮辱になるのを分かって言っているのか!」  それもあって、マグダネル大将は声を荒らげてアセイリアを糾弾した。だが大将からの糾弾にも、アセイリアは顔色一つ変えずに言い返した。 「私は、ただ単に事実だけを申し上げています。センターサークルのメンバーは違いますが、そこから先は面従腹背になっています。言わせていただけば、自分の目で見ていない物を信じるほど、私は彼らを信用していません。それに結果的に私が間違っていたとしても、私が責任を取れば済むだけのことです。その時は、彼同様に私も存在から抹殺してくださればいいのです。今は、皇女殿下の安全が何よりも優先されると私は考えています」  淡々と覚悟を語るアセイリアに、マグダネル大将はさらに憤りを募らせるのと同時に、彼女に対してそれ以上の畏怖を感じていた。自分の息子よりも年下に見える女性は、息子などとは比べ物にならないほどの覚悟を持っている。そしてその覚悟は、自分さえ圧倒するほどのものだった。 「とは言え、もう少しうまく使って欲しいと言う気持ちはあるがな」  マグダネル大将が圧倒されたところで、今度は別の男性がアセイリアに声を掛けた。ここにいるからには、軍の重鎮なのは間違いない。白い髪に白い髭、顔には深いしわを刻んだ男は、困ったような顔をしてアセイリアに忠告した。ブドワイズ大将が火星近くに移動しているため、もう一人の大将アレクサンデル・オム・テラノ・サンダースが式典に参加していたのだ。 「少しは丸くなったらどうだ。そうすれば、単純な奴らはほいほい君の言うことを聞くことだろう」  統合司令本部を見てみれば、アセイリアに近いものほど彼女のシンパになっている。それを考えれば、サンダース大将の忠告は的を射たものに違いない。だがアセイリアは、それまでと変わらぬ態度でサンダース大将に意に添えないことを答えた。 「申し訳ありません。まだ若輩者なので、丸くなるほど余裕がありません。それに、私はこれ以外のやり方を知りませんので」  少しも悪びれずに答えるアセイリアに、サンダース大将は小さくため息を吐いた。せっかくきれいな顔をしているのに、これでは宝の持ち腐れに見えてしまうのだ。そして角を立てることで、回りに敵を作りまくることになる。それは、アセイリアの行動を邪魔することにもつながっていたのだ。  ただこの忠告も、耳にタコが出来るほど繰り返されたものだった。だからサンダース大将は、深入りせずに話をこの先のことに変えた。 「ああ、それから君の依頼については、私が内緒で作業をさせた。確かに爆発されると面倒なので、全機関停止の上、出入口を完全にロックするように細工したよ。我々が外から開けてやらない限り、中の者は二度と外には出られないだろうな。もちろん、自爆を含め奴らは何もできなくなる」 「それは報告書で見させていただきました。サンダース大将閣下のご協力に深く感謝いたします」  頭を下げたアセイリアに、サンダース大将はいやいやと頭を振った。 「礼ならば、体で払ってもらえばいい。そうだな、今度儂に添い寝をしてくれないか。さもなければ、VXとやらに付き合ってくれるのもいいな」  サンダース大将の軽口に、アセイリアは顔色一つ変えなかった。そしてチクリと蜂の一刺しを返した。 「そのことを奥様に報告してもよろしければ」  すかさず返された答えに、なるほどとサンダース大将は苦笑を浮かべた。自分が恐妻家と言うことを隠していたつもりなのだが、どうやらお見通しだったようだ。 「少しは慌てるとかしてくれたら嬉しいのにな。離婚訴訟が面倒なことになるから、今の条件は忘れてくれればいい。そうだな、今度パーティが開かれた時、一曲踊ってくれれば我慢することにしよう」 「その機会があれば、お誘い願います。そろそろ、ホプリタイの御前試合の時間です。気になることがありますので、しばらく席を外させていただきます」  さっさと頭を下げて出て行ったアセイリアに、サンダース大将は小さくため息を吐いて見送った。軽口には付き合ってくれたが、それ以外は普段と全く変わりがなかったのだ。にこりともせず相手にされると、どうしても自分のちょっかいが空回りしている気がしてならなかった。 「振られたな」  そう言って近づいてきたセルゲイ・オム・テラノ・トロワグロ大将に、「なんのなんの」とアレクサンデルは笑った。 「ここから先は、大人の手練手管という教えてやればいいだけだ」 「しかし、いいのか?」  何をと言わないトロワグロ大将に、「別に」とサンダース大将は事も無げに言い返した。 「それこそ、嬢ちゃんが言った通りのことだ。何事もなければそれで結構。その時は、儂の首を差し出してやればいいだけのことだ。だが嬢ちゃんの懸念が当たっていたら、それこそこの小細工が我々の死命を決することになる。単艦と言えど、喉元を抑えられればそれだけ被害も大きくなる。しかも相手は、帝国の最新鋭艦だからな。ヘタをしたら、宇宙軍が壊滅することになりかねん」  ラグランジュポイントにある基地を破壊されれば、間違いなく地球宇宙軍は大きな痛手を被ることになる。その状態でザイゲルと開戦したなら、敗北は必至となるだろう。  だがサンダース大将の仕掛けが意味を持つということは、地上もまた危険に曝されることに繋がる。アルファケラスを自由にした時点、アズライトの警備が意味を持たないことになる。 「だが、そうなると皇女殿下を守り切ることが出来るのか?」  本来地上でのテロ制圧は陸軍の仕事だが、ホプリタイを会場近くに配置するわけにはいかない。それに地球のホプリタイを配置したところで、イェーガージェンヌに歯が立つとは思えない。疑問を呈したマグダネル大将に、レイア・ホメ・テラノ・バルタン大将が疑問に答えた。ホプリタイの弱点を攻めるには、空から攻撃する以外に手段が残されていないのだ。 「10分だけ持ち堪えてくれれば、アルファケラスでも破壊は不可能ではない。ただ、その10分を稼ぐのは困難を極めることになる」 「うちのやつでは、時間がかかりすぎるからな。それに、あまり威力の大きな攻撃をするわけにもいかない」  マグダネル大将の答えにバルタン大将は、分かっていると答えた。 「だが、被害を気にしていたら逆に被害が拡大する恐れもある」 「本当なら、先に押さえられればよかったのだがな」  細目でトロワグロ大将に睨まれたマグダネル大将は、やれるだけのことはやっていると言い返した。 「そもそも、ツヴァイドライグが偽物である証拠はないはずだ。それに、帝星リルケからは、間違いなくツヴァイドライグが出発している。もしも途中ですり替わったと言うのなら、それだけで騒ぎになっているはずだ。ツヴァイドライグやイェーガージェンヌには、協力を求める立場のはずだ」 「その認識に間違いはないのだがな」 「サンダース大将、何か気になることがありますか?」  それを気にしたマグダネル大将に、少し神経質そうにサンダース大将は口元を歪めた。 「事前の乗員名簿に乗っている数と、到着した人数が2名ずれていたのだ。約1千名の乗員が居ることを考えれば、気にし過ぎと言われればそうなのだがな。カイザルセル大佐には、名簿の手違いだろうとは言われたが……」 「枯れ枝を幽霊と間違えている。その可能性はありませんかな」  恐怖に囚われている。そう言われた気がしたサンダース大将は、否定はしないと渋い顔で答えた。 「その答えも、あと数時間で出ることだろう。私としては、杞憂であることを願っているよ」  自分の名誉と大勢の命。天秤にかけるには、命はあまりにも重すぎたのだ。杞憂ならばと言うサンダース大将の言葉は、居合わせた4軍の大将達に共通する思いでもあった。  宇宙最強のイェーガージェンヌと士官学校の生徒では、戦う前から結果は分かりきったものだった。最強の部隊に学生が胸を貸してもらう。これも指導の一環だと、誰もが戦いではなく指導だと受け取っていた。  イェーガージェンヌ隊長ジェライドが駆るアルファケラスは、特殊な防壁を備えた機体だった。全身漆黒に塗られているのは、宇宙空間で視認されにくいと言う目的以上に、特殊な防壁が理由となっていた。量子防壁と言われる防壁は、越えようとするあらゆる物質を分解し、電磁波や光を通さないと言う特徴を持っていた。光すら透過させないため、自動的に機体が漆黒に見えたのである。  ただあらゆる光や電波を通さないと、外部の状況を確認することができなくなる。その為通常では、アルファケラスの防壁は、攻撃を受ける面にしか展開されていなかった。それでも塞がれる視界は、部下のカメラが目の代わりを務めたのである。  そして部下の乗る機体も、センチネルタイプと呼ばれる量産型のスペシャルバージョンだった。アルファケラスのような特殊防壁こそ持たないが、装甲の強さは通常攻撃での撃破は困難とされていた。そして動きに制限を受けるアルファケラスをカバーし、高い動力性能で相手を追い込んで行ったのである。5機のセンチネルタイプに追い込まれた獲物を、待ち構えたアルファケラスが葬っていく。センチネルタイプ単機でも十分に強いこともあり、イェーガージェンヌは最強と言われたのである。  その最強の部隊相手に、マリアナ達はある種の奇策を採用した。正面からぶつかれば、多少手加減してもらった程度では瞬殺されるのは分かっている。それを避けるために、彼女たちの乗るホプリタイを、徹底的に軽量化し機動性を上げたのである。その辺り、中途半端に装甲などあっても役に立たないと言う割り切りを行った結果でもある。 「誰も、俺達が勝つことを期待していない。だから、気楽にやらせてもらおう」  成り行き上チームリーダーに祭り上げられたマリアナは、メンバー達にそう発破をかけた。すでに開き直りが完了しているのか、全員からは「驚かせてやろう」と言う前向きの応答が返ってきた。 「驚かせるのはいいが、欲を掻いてはいけないぞ。では、5機のセンチネルタイプを翻弄してやろう!」  全高10m程の高さを持つホプリタイ、量産型エウレカ、識別名月影に乗ったマリアナは、楽しもうと全員に号令をかけたのだった。 「ここから先は、お互いの連携とスピードが勝負となる。みなに配布した連動プログラムに従ってくれ」  マリアナがリーダーに祭り上げられたのには、それなりの事情と言うものがあった。ホプリタイの操縦技術では、6人の中では5番目でしかなかったのだ。だが作戦立案及び作戦実行における連携では、高い評価を得ていたのである。その辺りは、ドローンを用いた戦闘で主席に匹敵する成績を収めたことが理由になっていた。そして決定的な理由は、マリアナがアズライトの世話係になったことだった。  ヨコハマパークに作られた特設リングには、およそ10万人の観客が詰めかけていた。その半数が爵位保有者で、半数が一般市民に割り当てられていた。半数とは言え一般市民に割り当てられたのは、これが地球にとって記念すべきイベントであることを示すためである。ちなみに一般市民に対しては、抽選で入場券が配布された。結果2万分の1と言う、まともな幸運では当たらないダイヤモンドチケットとなっていた。  観客のお目当ては、午後から行われる地球正規軍のお披露目だった。地球最強の部隊が、どこまで宇宙最強に食い下がることができるのか。真剣勝負が繰り広げられると言う評判が、観客たちの熱狂を誘ったのである。  その意味で、マリアナ達の戦いは、観客たちからは真剣勝負前のエキジビジョンゲームでしかなかった。 「君が、彼女たちに作戦を授けたと聞いたのだが?」  貴賓室の入り口近く、アズライトから見えないところに位置したアセイリアに、後ろからマグダネル大将が声を掛けた。それに振り返ることなく、アセイリアは簡潔に否定の言葉を口にした。 「違います。あの男が作ったものを、使える形に成形して渡しただけです」 「それを、作戦を授けたと言うのではないのかね」  余計なことを答えないアセイリアに、マグダネル大将は小さくため息を吐いた。 「そんなに、アズライト殿下が気になるのかね? 君は、かなり嫌われているようだが」 「それが私の役目ですから」  簡潔に答えたアセイリアは、今まさに始まろうとしている戦いに注目した。何かが起きるとすれば、開催前の挨拶と閉会間際の挨拶だと想定していたのだ。  御前試合の開催にあたり、テラノ総領主ジェノダイトが挨拶に立った。帝国加盟後の5代目総領主として、記念すべき日を迎えた喜びをジェノダイトは全員に語った。 「帝国からは、継承権第三位を持つアズライト皇女殿下のご光臨を賜った。種として最少種ではあるが、その持つ意味合いは帝国では非常に重要なものとなる。次のセンテニアルまでの100年は、テラノのさらなる発展の100年となるであろう!」  ジェノダイトの紹介に、アズライトは立ち上がり詰めかけた観客たちに手を振った。白の豪華なドレスに身を包んだアズライトの美しさに、観客たちの興奮はいやがおうにも高まった。 「まずは、無事開会を乗り切ったと言う所か」  テロを効果的に演出するためには、挨拶を狙うと言うのは定石の一つである。それを乗り切ったところで、マグダネル大将は小さく安堵の息を漏らした。 「ここで仕掛けてこないのは予想の範囲です。私は、正規部隊が敗れた直後が一番危ないと考えています」 「一番残忍と言われるザイゲルの特徴を考えたらと言うことか」  マグダネル大将の言葉に、アセイリアは前を向いたまま小さく頷いた。 「彼らは、地球人を見下しているはずです。ですから、ここまで来たら急ぐ必要はないと考えているはずです。しっかりと楽しみ、そして自分たちに勝てないと印象付けてから、暴れてくると私は考えています」 「君は、イェーガージェンヌへの疑いを捨てていないのだな」  呆れたとため息を吐いたマグダネル大将に、それが役目だとアセイリアは繰り返した。 「自分の目で確認した物しか信用していません。百歩譲って、信用できるのはセンターサークルのメンバーまででしょう」 「儂は、信用して貰えないのかな?」  どうだと言う問いかけには、幾分憤懣も含まれていた。 「信用はしております。ですが、閣下が直接何かをされることはありません」 「もう少し、答え方があると思うのだが」  お飾りと言われた気になったマグダネル大将に、アセイリアは素直に謝った。 「申し訳ありません。そのあたりは、若輩者で礼儀を知らないもので」 「それは、なおさら悪いと思うのだがね」  正直に言ったまで。そう言われた気になったマグダネル大将は、やれやれと小さくため息を吐いたのだった。  開会のレセプションに引き続き、ホプリタイによる御前試合が開始された。銀河最強のイェーガージェンヌ部隊に、地球から選抜されたホプリタイ部隊が勝負を挑むのである。士官学校選抜チームと言うエキジビジョンゲームの段階から、観客たちは大いに盛り上がっていた。  だがその盛り上がりは、士官学校チームの登場でブーイングに変わった。威容を誇るイェーガージェンヌに対して、士官学校チームのホプリタイは、いかにも貧相に見えたのである。 「なるほど、極限まで軽量化を行ったのか」  見栄えを気にする観客とは違い、マグダネル大将は正しく目的を理解していた。 「はい、多少装甲を厚くしたところで、イェーガージェンヌ相手に役には立ちません。唯一同じ土俵に立てるのが、機動性だけだったと言うことです。それにしても、手加減をしてもらわなければ勝負にならないでしょう。士官学校の持つホプリタイでは、イェーガージェンヌに対して攻撃が通りませんから」  小さく頷いたマグダネル大将は、ちくりとアセイリアに嫌味を言った。 「それが、彼の行った評価と言うことかな?」 「私の評価も同じものでした」  少しは感情が表に出たかな。言下に言い返したアセイリアに、マグダネル大将は少しだけ口元を歪めたのだった。  記念すべきセンテニアルで、地球代表として御前試合に臨む。爵位を持つものとして、これ以上光栄なことは無いとマリアナは考えていた。だからこそ、恥ずかしくない試合をしなくてはいけない。必ず食い下がって見せると言う固い決意をこめて、マリアナはホプリタイの操縦桿を握った。 「チームフジヤマ、全力で行くぞ!」  マリアナの掛け声に、仲間の5人から力強い声が返ってきた。ここから先は、自分たちの技量と作戦に賭けるしかない。とにかくすべてを出し切るのだと、操縦桿を握る手に力を込めた。宇宙最強と言われるイェーガージェンヌとの距離は、およそ100m。10mの高さを持つホプリタイからすると、目と鼻の距離にいるように思えた。 「カウントゼロと同時に高速機動戦に入る。アルファケラスを相手にするな。防壁がある以上、何をやってもこちらの攻撃は通らない! 出撃だっ!」  マリアナの命令と同時に、カウントダウンの数字が0となった。それと同時にファンファーレが鳴り響き、御前試合の開始が告げられた。観客からは期待を込めた歓声が上がり、試合会場を白いハトが飛び立った。  試合開始の合図と同時に、学生の乗る6機のホプリタイは最高戦速でセンチネルタイプに突撃した。徹底した軽量化のお陰で、その速度は帝国競技会への参加チームに劣らないものとなっていた。しかも軽量化は、挙動の早さにも貢献していた。その早さが予想外だったのか、5機のセンチネルの連携が僅かに乱れた。そして少しだけ足並みの揃わない状態で、彼らは学生を迎え撃つ体制に入ってきた。ここまでの速度は予想外だが、軽量化されたペラペラの機体では、自分達の敷いた陣を突破など出来ないと高をくくっていたのだろう。  だがそのまま迎え撃つという作戦は、急制動から散開した学生たちの動きで空振りに終わってしまった。そして空振りをして陣形を乱した5機の側面に回り、ジョイント部分に向けて銃を撃った。かんかんかんと言う金属音を立てた銃弾は、当たり前だが何の効果も発揮しなかった。  それでも一矢を報いたと言う思いが学生たちのあいだにはあった。攻撃が通用しないのは、性能差の時点で分かっていたのだ。ならば作戦と技量で、少しでも差を縮めたいと考えたのである。そして戦いの出だしは、作戦が功を奏してイェーガージェンヌを振り回すのに成功した。そして作戦を遂行した本人たちも知らないことだが、この作戦はもう一つの意味を持っていた。 「初撃はうまく行ったが、さすがに性能差はいかんともしがたいか」  身軽に攻撃を避けながら、マリアナは敵のセンチネルタイプから距離をとった。接近戦になった途端に、攻撃を避けるのに精一杯になってしまうのだ。しかも相手が、まだ手加減しているのが分かってしまう。性能差とは言ったが、経験の差も馬鹿にならなかった。初めはうまく振り回せていたのだが、今は次第に追い詰められ始めていたのだ。 「とは言え、ここまでくれば上等と言えるのだが」  かつて無い高速戦闘をしているのに、6機の連携は少しも乱れていない。もしも武器に威力があれば、対等とまではいかなくとも、1機ぐらい仕留められるのにと思ったほどだ。  それが贅沢を言っていることは理解しているが、それでももう少しと考えるのは不思議なことではない。そしてマリアナにそんなことを感じさせるほど、事前に与えられた作戦はうまく当たっていたのだ。 「アセイリアと言うのはなかなかすごい参謀なのだな。是非とも私の配下に欲しいところなのだが……女では、セラムを餌に使えないか。いやいや、領主府直属ではそもそも私の手出しができる相手ではないな」  それにしても惜しいと考えながら、マリアナは淡々と作戦を遂行した。 「しかし、存外抵抗できたな。それだけ私達が優秀だったと考えるべきか……」  戦っている最中に、あまり余計なことを考えるものではない。急に目の前に現れたセンチネルタイプに、マリアナはしまったと臍を噛んだ。そして急速制動をかけ、センチネルタイプの攻撃をくぐり抜けようとした。ただ頑張っては見たが、これでゲームオーバーだと覚悟していた。  だが間に合わないと思った急速制動だったが、頭を下げたところで相手のセンチネルタイプが空振りをしてくれた。助かったと考える前に、再度加速をしてマリアナは相手から距離をとった。 「余計なことを考えてはいけないな……」  こめかみから流れ落ちた冷や汗を手で拭い、マリアナは再度戦いに集中した。せっかく手抜きをしてくれているのだから、可能な限りの時間で自分の技量を高めたい。試合とは言え、これは指導なのだとマリアナは思い出していた。試合開始からおよそ10分が経過したが、まだ学生たちは1機も数を減らしてはいなかった。  スタジアムに詰めかけた10万の観客は、大きな歓声で意外な健闘を見せる学生たちを讃えることになった。  自分は貧乏くじを引いたと、アズガパ・オム・テラノ・ゴロンダは遠くから聞こえてくる歓声を聞き盛大に悔しがった。最初はアセイリアに特命を与えられて喜んだのだが、今となっては会場に居たいと言う気持ちの方が強かったのだ。陸軍に所属しているだけに、ホプリタイの戦いは必見だと考えていたのだ。  しかも彼に与えられた役目は、陸軍が行った調査結果の精査である。本当に犬まで使ってイェーガージェンヌ乗員の検査を行ったのか。それを担当レベルにまで確認することが目的だった。仲間を疑うのは、必要だと分かっていても気分のらない仕事である。 「記録上、確かに犬が現場に移送されているな」  とは言え、アセイリアに与えられた仕事を疎かにするわけにはいかない。報告書に疑義があるのなら、報告書にない物の動きを追っていけば真実にたどり着けるはずだ。精査の第一段階として、アズガパは必要な手配がなされていたか、それを確認することにしたのだ。こちらは、依頼書の発行、そして検収処理を確認した。 「検査現場に、犬が居たのは間違いないと言うことか」  これで、報告書の信憑性が上がったことになる。ただ、この情報だけでは不足だとアズガパは考えていた。あの美しくて聡明な女性なら、この程度の調査を自分にさせるはずがない。そのことを考えると、自分は汗を掻くことを望まれているはずだ。 「次に、担当者からのヒアリングか」  一番の反発が予想されるだけに、気が重い仕事でもある。ただ分かっていたのは、絶対にアセイリアにはできない仕事だと言うことだ。現場の反発を考えると、アセイリアが行けば頑なになることが予想されたのだ。主計課を後にしたアズガパは、次なる目標へとむかうことにした。  同じころ、警察から派遣された二人は会場警備の陣頭指揮にあたっていた。警備本部に詰めたカヌカ・キリシマとウルフ・ジャクソンの二人は、刻一刻と変わる会場の状況報告を受け取っていた。会場にいる分アズガパに羨ましがられそうな仕事だが、ほとんど端末とにらめっこになると言う少しも嬉しくない仕事である。 「今の所、観客に不穏な動きは無いわね」 「警察犬も、今の所何も見つけていないな」  観客は興奮状態にあるが、問題行動は発生していない。入場時の持ち物検査でも、危険物の持ち込みに類するトラブルは起きていない。それでも小さなトラブルとしては、酒類持込みで少し騒ぎになった程度だった。酔客による混乱回避と、皇女殿下御前と言うのが、酒類禁止の理由とされていた。  そして隠れザイゲルを探すための警察犬も、今のところ疑わしい観客を見つけていなかった。もちろん反応する相手はいるが、正規の観光客で危険物を持っていないことが確認されていた。 「ここまでは、目立った問題は無いと言うことね」  カヌカの言葉に、ウルフは小さく頷いた。 「ただ、まだ始まったばかりだがな。それで、いざと言う時の観客誘導に問題はないのか?」  自分はテロを代表としたトラブルを抑えこむ立場だが、その後はカヌカの受け持ちとなる。どちらも厄介な仕事だが、数が数だけに大変だとウルフは同情などしていた。  そして同情されるだけのことはあり、カヌカは小さくため息を吐いた。 「程度によるとしか言いようがないわ。10万人もの観客がパニックになったら、抑え込むことなど絶対に不可能だもの。しかもグラウンドを避難経路に使えないから、出入り口は間違いなくパニック状態になるわね。事件の規模にもよるけど、ホプリタイが本気で暴れたら半分以上助けられないと思うわ」  小さくため息を吐いたカヌカに、ウルフはアセイリアの指示を確認した。 「氷の女神は、あれからなんか言ってきたか?」  ウルフの問に、カヌカはもう一度ため息を吐いた。 「彼女は、アズライト殿下以外には興味がないわよ。一応食い下がってみたんだけど、常識で考えろと言い返されてしまったわ。そして自分には、警備の常識は分からないって突き放されてしまった……」  不満気にため息を漏らしたカヌカに、ウルフは口元を抑えて忍び笑いを漏らした。 「一番常識から外れた女に、常識を持ち出されたのか」 「だから、余計に癪に障るのよ!」  そう吐き出して、カヌカは目の前の画面をさっと手で薙いだ。それに合わせて、目の前の画面が赤く変わった。 「これは?」  その変化を気にしたウルフに、カヌカは「常識の結果」と不機嫌そうに言った。 「観客が冷静な行動をしてくれたら、全員スタジアム外に出るのに30分で完了するわ。ボトルネックは、退場口の処理能力。グラウンドに出られない分、脱出口が通常出口に限られるのよ」 「通常の災害対策では、ひとまずグラウンドに出すからな。とは言え、女神様の言った常識はこれじゃないだろう」  これまでの常識では、災害時にはグラウンドが一番安全な場所だったのだ。だから対策マニュアルでは、とりあえず観客をグラウンドに下ろすことが前提とされていた。それができれば、広い資材搬入口が利用できたのだ。だがウルフは、裏技などないと言う意味で「常識」を持ち出したのだとカヌカに言った。 「数が多すぎて、妙手なんてないってことでしょう。それぐらいのことは分かっているわよ。それに、あの子だって万能ってことは無いんだから。こう言ったことは、経験がものを言ってくるからね。本人が言うとおり、それをあの子に求めるのは可哀想でしょうね」 「で、裏技は見つかったのか?」  自分に期待したウルフに、カヌカは「さっぱり」と降参した。 「だから、定石通りのことしかしていないわ。誘導員を増員するのと、その訓練を繰り返すこと。後は誘導員がパニックにならないよう、鎮静剤を支給しておいたぐらい。パニックを押さえるための鎮静化のガスも十分以上配備してある」  ほっと息を吐き出したカヌカは、「きついなぁ」と彼女にしては珍しい弱音を吐いた。 「仕方がないとはいえ、今からでも観客はこの半分以下にしたいわね」 「そのあたりの責任は、総領主様にとってもらおう。1週間前に発足するなんざ、泥縄以外の何物でもないからな」  すべての枠組みが決まってからでは、本当にできることなど限られてくる。泥縄をぼやいたウルフに、仕方のないことだとカヌカは達観したように言った。 「すべてが初めてのことだもの。センテニアル実行委員会だけで十分だと思っていたんでしょう。一応警備は、実行委員会マターになっていたんだもの」 「実行委員会じゃ、戦争までは想定できないからな。戦争だったら、大勢の人が死ぬのもこれまでの常識か」  嫌だねと吐き捨てたウルフに、「ほんとにね」とカヌカも陰鬱な顔をして同意を示したのだった。  作戦が良かった。それが、マリアナ達の戦いに対するマグダネル大将の評価だった。当初あっさりと終わると思われた勝負が、意外なほど学生が食い下がって見せたのだ。有効な攻撃こそ繰り出せなかったが、スピードで帝国精鋭に十分対抗していた。おかげで、観客たちも意外な盛り上がりを見せてくれた。  そして作戦のベースを作ったのがまだ少年だと考えると、本気で将来が楽しみだと思ったほどだ。だが将来を期待された少年は、その存在すら記録から抹消されていた。 「ますます、惜しい人材を無くしたと思うのだがね」  そして間接的とはいえ、手を下したのは目の前にいる女性なのだ。遠慮のない論評に、アセイリアは無視をすると言う態度に出た。 「君は、以前から彼のことを知っていたのかね?」 「いえ、彼を知ったのは消滅する前の夜です」  その答えにふんと息を吐き出し、マグダネル大将はさらに質問を続けた。 「その割に、彼に拘っているように見えるのだがね?」  マグダネル大将の指摘に、アセイリアはそれまでしていた作業を止め、マグダネル大将の方へと振り返った。 「彼の能力は認めています。ただ、それ以上の意味は持っていません」  そう答えたアセイリアは、すぐに自分の作業へと復帰した。その真剣な様子に、これ以上は邪魔かとマグダネル大将は質問を控えることにした。  だがマグダネル大将の配慮は、アセイリアにとってあまり意味のあるものではなかった。黙って立ち去ろうとしたマグダネル大将に、「聞きたいことがあるのですか?」と逆に声を掛けてきた。 「お答えできる範囲でお答えします」 「だったら、君が何をしているのか教えて貰いたいのだがね」  すでに賽が投げられた以上、ここから先できることはとても限られてくる。センターサークルのトップに立つアセイリアがすることは、もっと限られているとマグダネル大将は考えていた。式典が動き出した以上、ここから先は各専門家の持ち分だった。  常識的なマグダネル大将の指摘に、アセイリアは予想もしない答えを返した。 「イェーガージェンヌの戦力分析です。チームフジヤマの力は分かっているので、それをベースにおかしなところが無いかと分析をしました。加えてもう一つのチームパシフィックの戦いがどうなるのか、それもまた分析を行いました」 「どう、と、言われてもな……」  意外に善戦したマリアナ達とは違い、上級生のチームは手も足も出ていないように見えたのだ。下級生のようなスピードが無いため、まともに正面からぶつかる以外の方策が取れていない。一つ一つの攻撃は強力なのかもしれないが、通用しなければ意味を持ってくれない。  それでもすぐに試合が終わらないのは、イェーガージェンヌが手加減してくれたからに他ならない。分析をすると言われても、その必要があるのかすら疑わしい戦いだったのだ。  だが意義に疑問を持たれたアセイリアは、十分に意味があったと画面を見ながら口にした。 「視点を変えれば、分析することなど沢山出てきます。その意味で、学生の戦いは非常に意味が有ったかと思います。そして重要なことは、私は抱いていた疑問への答えを得ました」 「抱いていた疑問? イェーガージェンヌが偽物ではないかというやつか?」  まだ疑っていたのかと驚くマグダネル大将に、アセイリアははっきり頷いた。 「はい、やはりあれは偽物だという確信を持ちました。戦い方、攻撃への反撃、スピードのある敵への対処、そしてチームの連携、いずれの要素もレベルが本物より低くなっています。これは、手抜きや手加減とは違う次元の問題です。学生たちが負けることは当然として、その負け方が予想よりましになったのもそれが理由です」  確信を持って偽物と口にしたアセイリアに、マグダネル大将は困ったような顔をした。 「だが、犬まで使って本物であることを確認しているはずだ」  分析と実際の確認では、実際の確認の方が信頼性が高い。報告書の確認をさせているのは知っているが、今だ否定する報告が上がっていないのだ。  マグダネル大将の指摘に、アセイリアは小さく頷いた。 「それぐらいのことは、私にも分かっています。私の行っているのは、あくまで分析からの推測にすぎません。そこで浮かんだ疑問は、検証されてこそ意味を持ってくるのです。ですから、犬を使ったと言う報告を精査させています」 「再度確認するが、報告書を疑うと言うのだな?」  少し強い調子で質問したマグダネル大将に、「はい」とアセイリアは答えた。 「私への反発だけでなく、イェーガージェンヌに対する遠慮もあるでしょう。さもなければ、現場でのトラブルと言う可能性もあります。他には、機械による確認で安心している可能性もあります。報告書を見た限り、私にはその懸念を拭い去ることはできませんでした。調べてみましたが、検査を行った映像記録も不十分です。犬が居たのは確認していますが、犬を使った検査の映像がありませんでした」  そう答えたアセイリアは、「質問です」とマグダネル大将に問い返した。 「閣下は、自分の納得がいかないことを放置できるのでしょうか。時間もない緊急事態では、次善の策をとることも仕方がないのでしょう。ですが、今はまだ確認できる時間が残されているのです。失礼だとか侮辱していると言われようが、私は自分が納得できない限り必要なことは必要と主張します」 「だが、君のやり方はしこりを残すことになる」  このままでは、後々の影響を無視することができない。組織運営の意味で、問題があるのだとマグダネル大将は主張した。このままでは、肝心なときに陸軍の協力を得られなくなると。 「だから、すべて私が悪者になるようにいたしました。煮て食うなり焼いて食うなり、その時はご自由にしてください。ただ気を付けないと、皇女殿下に先を越されることになるでしょうね。どうやら、私は長生きはできないようです」  その時マグダネル大将が驚いたのは、彼をして信じられないものを見たからに他ならない。氷の女とか、感情を持たずに生まれてきたと陰口を叩かれているアセイリアが、かすかとは言え笑みを浮かべていたのだ。それがとても綺麗だと言うこと以上に、まさかと言う思いの方が強かった。 「私が笑ったことが、そんなに不思議ですか?」  アセイリアの言葉に、マグダネル大将は自分が何をしていたのかを気が付いた。それを恥じたマグダネル大将に、アセイリアは「構いません」と言って微笑みながら許しを与えた。その笑みにあてられたマグダネルは、年甲斐もなくアセイリアに見惚れてしまった。 「私だって、人に嫌われたいと思っている訳ではありません。皇女殿下に憎まれたいなどと思っている訳ではないんですよ。ただ、どうしようもなく運が悪かっただけのことです。どうやら、私も彼同様運には恵まれていないようです」  そう言ったアセイリアだったが、すぐに「違いますね」と自分の言葉を訂正した。 「短い間とは言え、彼は皇女殿下と心を通わせることができました。皇女殿下の心に残る栄誉を得たのですから、彼はもしかすると銀河一の幸運を持っていたのかもしれませんね。それに引き替え私は……」  はっとため息を吐いたアセイリアは、いけないと小さく頭を振った。 「できれば、陸軍の方の手に掛かりたいと思っています。それは、何の騒ぎも起きないと言う意味になりますからね。ただとことん運の無い私ですから、別の死に方をすることになるのでしょう」  それだけが残念で仕方がない。そう言って、アセイリアは自分の仕事へと戻って行った。ちょうど昼時なのだが、とてもではないが食事を誘えるような雰囲気ではなかった。だからマグダネル大将は、黙ってアセイリアの下から去って行った。下に行って命じれば、何か手土産ぐらい用意できるだろうと考えたのだ。  アズライトのご機嫌が麗しくないのは、退屈な試合を延々と見せられたことだけが理由ではないだろう。退屈ではあるが、マリアナ達の奮戦にはそれなりに身を乗り出して応援をしていたのだ。それを考えると、朝一に見たくもない顔を見てしまったことが理由と考えるのが自然なことだった。 「まだ、ご機嫌を直してはいただけませんか?」  午前の出し物が終わったところで、貴賓室には料理が運び込まれていた。何を出すべきか喧々囂々の議論の末、有名シェフ総監督の下、各国料理をあしらったコースが考え出されることになった。その渾身の、そしてある意味焦点の呆けた料理が終わったところで、ジェノダイトはご機嫌麗しくないアズライトに声を掛けた。 「これは、機嫌などと言う表層的なものではありません。私の心の問題です」  それでも、塞ぎ込んでいた時に比べて、アズライトの言葉にも力が戻っていた。一応良い傾向だと安堵しながら、ジェノダイトは後少しの辛抱だと告げた。 「明日の午後には、帝星リルケに向けて出発となります。残された時間は、すでに24時間を切っています」 「そうですね、一刻も早くテラノを離れたいと思っています。そして、二度とここには来たくないと思っています。父にも、はっきりと不愉快な星だったと告げるつもりです」  アズライトに起きたことを考えれば、それはむしろ普通の反応に違いない。ジェノダイトの立場からすれば問題の大きなことだが、逆に安堵している部分も持っていた。 「聖下の性格を考えたら、あまり不快だったと言わない方が宜しいかと思います。ここで起きたことは、帝国のシステムには記録されているはずです。それを考えれば、アズライト様がお告げにならなくても、聖下はすべてご存知のことでしょう。もちろん皇妃様も、すでにご存じのことかと思います。おそらく、ご家族全員がアズライト様のご帰還を待ち構えているのではないでしょうか」  それが、慰めることを意味していないのは、アズライト自身が一番知っていることだった。慰めるどころか、おもちゃにされるのが関の山なのだ。自分のことを棚に上げつつ、なんと言う問題多い家族かとアズライトは真剣に頭を悩ませた。もっとも、慰められたところで何の問題解決にはならないのも分かっていた。よほど茶化してくれた方が、反発できるだけ気が楽なのかもしれないと考えたぐらいだ。  いずれにしても言っておかなければならないのは、ただですますつもりはないと言うことだ。ジェノダイトの責任もそうだが、あのいけ好かない女をこのままにしておくわけにはいかない。相応の報いを受けさせてやる。アズライトは、アセイリアに対して暗い感情を抱いていた。 「例えそうでも、小父様の責任を免れるものではありません。それ以上にあの女」  自分で口にしておきながら、余計に気分がささくれ立つのをアズライトは感じていた。それでも言うことは言わなくてはいけないと、あの女ことアセイリアのことをアズライトは糾弾した。 「あの女だけは、絶対に許すわけにはまいりません。しかるべき処分を行わなければ、この私自らの手で始末をつけてあげます。そして小父様の罪も、それだけ重くなるのだと覚えておいてください」  それだけは絶対に譲らない。そう息巻いたアズライトに、ジェノダイトは冷静に対処した。 「ご希望は承りました。ただ、テラノには私憤を晴らすことを正当化する法律はありません。確か、帝国法にも同様の規定はなかったかと思います。今のお話は、法整備をお待ちくださいとしか申し上げようがありません。あらかじめ言わせていただきますが、この件は不敬罪には当たりませんゆえ、お間違いのないように」 「これだけ私を馬鹿にしておいて、不敬罪にあたらないと言うのですか!?」  承服しかねると大声を出したアズライトに、ジェノダイトはあくまで冷静に言い返した。 「彼女がしたことは、実はさほどないと言うのが事実です。現にアズライト様とは、二度しか顔を合わせておりません。そのうち一度が先ほどのことですから、私には不敬罪にあたる行いがあったとは思えません」 「あの女は、ヨシヒコのことを愚かと罵りました!」  感情から吐き出された言葉に、ジェノダイトは冷静に応答した。 「彼は、あくまで一民間人にしかすぎません。したがって、アズライト様へ不敬を働いたことには当たらないでしょう」  厳格に考えれば、ジェノダイトの言葉に少しも間違いはない。それでもアズライトは、一歩も引かなかった。 「彼は、私が愛した男です。その男への侮辱は、すなわち彼を愛した私への侮辱となります!」  あまりにも感情を昂ぶらせたアズライトに、アリエルがすかさず緊急プログラムを発動させた。恋心への対処とは違い、覿面に効果が表れた。  アリエルに無理やり落ち着かされたアズライトは、「ごめんなさい」とジェノダイトに謝った。 「いえ、冷静でいろと言うのは無理な相談だと分かっています。ただ申し上げるなら、彼亡き後彼女まで失うのはあまりにも大きな損失となります。我々はこれから、ザイゲルとの戦いを控えているのです」  個人的事情のせいで、アズライトは今の今までザイゲルのことを忘れていた。ジェノダイトの言葉にそれを思い出したアズライトは、ひとまずアセイリアのことは棚上げすることにした。 「小父様は、どこまでザイゲルのことを掴まれていますか?」 「それは、難しい質問だと言えるでしょう。我々の祭りに合わせて、わざわざ大規模な演習を行っているのは分かっています。そしてそれが、単なる示威行為ではないだろうとも考えてします。更にはセンテニアルに対して、彼らが破壊工作を行おうとしたことも把握しています。潜入した工作員は拘束しましたが、それで終わりだとは思っていません。だからこそ、彼女の力が必要なのです」  どうしてそこでアセイリアの名を出す。そのことに不満は感じていたが、今はそれを問題とする時ではない。だからアズライトは、ジェノダイトの言葉に含まれていた潜入工作員について尋ねた。 「工作員が潜入していたのですか?」  ジェノダイトは、はっきりと首肯した。 「はい、これまでの捜査で、アズライト様を探していたのは分かりました。いまだ口を割らないのですが、どうやら惨たらしく殺した死体を晒して、センテニアルを妨害しようとしていたものと思われます」 「ザイゲルらしい下種な考えですね。奴らに、私を見つけられるはずなどないのに」  ふんと鼻で笑ったアズライトに、ジェノダイトは「違います」とその考えを否定した。 「彼らが追いかけていたリストに、アズライト様がしっかりと載っていました。そして浦安での行動も、彼らはリアルタイムで追いかけていました。尋問過程でそれを教えてやったら、あり得ないと驚いていたぐらいです。帝国皇女たるものが、このような破廉恥なふるまいを許すはずがない。こんな腑抜けた顔を、第二皇女がするはずがないと言い返されました。どうやら、彼らの方がアズライト様への夢を持っていたようですな」  ジェノダイトに当てこすられ、アズライトは苛ついたように「そのことはいい」と言い放った。 「それで小父様は、奴らは次に何をしてくると考えているのですか?」 「式典への襲撃。そしてそれに同期して、艦隊が太陽系に侵入してくるでしょう」  それが確かなら、自分の予想よりもザイゲルの動きが早いことになる。それに驚いたアズライトは、早すぎると小さな声でつぶやいた。 「帝国の対処が間に合いませんか?」  連絡こそ無いが、必ず帝国が介入してくると考えていた。ただ問題は、それがどんなタイミングかということだ。アズライトが考え込んだところを見ると、思ったより状況が悪いのかもしれない。 「ツヴァイドライグが来ているのですから、さすがにそこまで言うつもりはありません。そしてここへの襲撃にしても、イェーガージェンヌが居れば、対処が可能だと思っています。ただツヴァイドライグは最新鋭艦ですけど、補給もなしに艦隊の相手をするのは問題があります」  なるほど常識的だと、ジェノダイトはヨシヒコの下した評価を思い出した。式典前の混乱ばかりが目に付いているが、こうしてみるとヨシヒコの言ったとおりだったのだ。 「式典襲撃への準備のため、我々は混乱を最小限に抑える必要がありました。アズライト様がお部屋にこもられたことは、我々にとって不幸中の幸いでもあったのです」  1万を超える人員が、本来の目的のために使用することが出来る。ジェノダイトの主張は、自分のことでなければ納得できるものだった。 「それも、あの女の考えですか?」  忌々しそうに吐き捨てたアズライトに、ジェノダイトははっきり答えを返さなかった。「ご想像にお任せします」と言うのは、彼女を試すものにもなっていた。  マグダネル大将が気を聞かせてくれたのだが、アセイリアは彼の差し入れに手を付けなかった。彼が知る限りにおいて、アセイリアが口にしたのは小さなタブレットの一つだけである。そしてアズライトの下を離れたのも、トイレに行くほんのわずかな時間だけだった。それにした所で、アズライトがトイレに行く、そのタイミングを見て隠れるようにして行っただけだった。 「まだ、本番ではないと思うのだがね」  時折様子を見に来ていたマグダネル大将は、アセイリアの集中力に舌を巻いて驚いた。 「いえ、アズライト殿下がお見えになった瞬間から本番だと思っています。大丈夫と気を抜いた時にもしものことがあれば、私は一生分の悔いを残すことになります」  だから、一時も目を離すわけにはいかない。ポケットに入れたラルクを確かめながら、アセイリアははっきりと言い切った。 「ところで、報告書の裏付けは終わったのかね?」  指揮系統が違うこともあり、その調査はマグダネル大将を通っていなかった。それもあって確認したマグダネル大将に、アセイリアは小さく首を振って否定した。 「まだ、私の所に届いていません」 「確か、朝から確認作業をしているのだろう。私には、それほど手間取るようなことではないと思えるが?」  不思議だと首を傾げたマグダネル大将に、アセイリアは少しはにかみながら答えた。 「私が無理を言ったからだと思います。まともにやっては、報告書を肯定する調査結果しか出ないと思います」 「それならそれで、私には好ましいと思うのだがね」  苦笑したマグダネル大将に、アセイリアは素直に「そう思います」と答えた。 「私だって、報告書が間違っていないことを願っているんです。ただ、どこかに手抜きや遠慮、そして虚偽があれば、重大な結果を招くと恐れているだけです。とことん不運な私ですから、運を天に任せた時点で敗北が決定してしまいますからね。だから、運を天に任せないよう努力をしています。ですから、こんな私に付き合わせてしまったことには、申し訳ないと思っているんです」  目の前の戦いとは言えない戦いは、正規軍のホプリタイが完全に遊ばれていた。彼らが使うエウレカ3型と言うのは、学生たちより2世代ほど進んだ新鋭機である。だがイェーガージェンヌのセンチネルタイプに比べて、あらゆる面で劣っているのがはっきりしてしまった。最強と言われるアルファケラスが動くまでもなく、5機のセンチネルタイプだけで、正規軍の操る6機のエウレカ3型は翻弄されていた。 「しかし、レベルの差は如何ともし難いな」  どう見ても、イェーガージェンヌが本気を出しているようには見えないのだ。それなのに、地球の正規軍の攻撃は何をやっても通用していない。戦いの見た目だけでいれば、最初に戦った学生が一番善戦していたように見えるぐらいだ。 「そうですね。その意味で、あれが本物であるのを私も願っています。皇女殿下をお守りするという意味でもそうですが、暴れられたら簡単に制圧できないでしょう。もしもそんなことになったら、非常に大勢の犠牲者が出てしまいます。しかも上位爵位保有者が揃っていますから、地球の統治機構に対する影響も甚大です」  今までアズライトことだけを口にしていたアセイリアだったが、ここで初めて観客として参加している爵位保有者のことを問題とした。忘れていたわけではないが、改めて指摘されたことで、マグダネル大佐は問題の大きさを思い知らさせることになった。 「必ずしも代替わりが出来るとは限らないからな。君が指摘した通り、事件があれば間違いなく地球の政治にガタが来ることになる」  マグダネル大佐が口をへの字にした時、会場から一段と大きな歓声が沸いた。手加減によって引き伸ばされた戦いが、ようやくの決着を見ることになったのだ。これで本命中の本命、地球最強の部隊が登場する。プロトタイプファルコン、開発中の最新鋭機が投入されると予告されていたのである。今度こそ手抜きの無い、真剣勝負が繰り広げられると観客たちは期待した。 「残るは、後1試合と言うことか。この調子だと、開始予定が繰り上がりそうだな」 「無事終わってほしいと、私も思っていますよ。そろそろ、最後の試合が始まりそうですね。疑っているからと言われればそれまでなのですが、試合を急ぐのも不自然な部分だと思います」  あまり待たせるものではないと言う配慮が行われたのか、すでに試合会場には双方の機体が揃っていた。時間を見たら、10分ほど繰り上げられているようだ。 「なぜだね?」 「機体から降りたくないから、だと私は考えています。機体から降りてしまうと、私達に身柄を抑えられる恐れも出てきますから」 「全てにおいて正規の競技とは違うからな。だから、これが異常なことかは儂にもわからない。ただ、この勝負も早く付きそうだな」  10分繰り上げられた戦いは、見ている限りにおいて、地球側正規軍の攻撃が効果を上げているようには見えなかった。エウレカ3型より高性能と言う触れ込みのファルコン試作機だが、どう見ても有効な攻撃を繰り出せていないのだ。5機のセンチネルの動きを見ても、明らかに手抜きをしているのが分かってしまう。彼我の差は、予想以上に大きいと改めて思い知らされてしまった。そのことをマグダネル大将が嘆いたちょうどその時、アセイリアの前に突然警告画面がポップアップした。それを見た瞬間、中身を確認することなくアセイリアは貴賓室へと飛び込んでいった。  何事と驚いた次の瞬間、マグダネル大将は襲ってきた爆風に体を壁に叩きつけられていた。  アズガパの調査は、予想通りいくつかの壁に突き当たっていた。当たり前だが、ヒアリングを受ける側がとても非協力的だったのだ。アズガパの依頼に対して、席を外しているとか、警備に出ているとかで、なかなか担当者を捕まえることができなかったのだ。そしてようやく捕まえた関係者も、「報告書の通りだ」と言ってそれ以上何も語ってくれなかった。  しかも上位役職者にまで取り囲まれ、「帰って来られると思うなよ」とまで脅されてしまった。感情的な問題で、現場と統合司令本部との間に決定的な亀裂が生じていた。 「これで帰ったら、無能と蔑まれそうだな」  冷たい視線で睨むアセイリアを想像し、アズガパはそれはそれで素敵な気も感じていた。だがそれは現実逃避だと、すぐに頭を自分の役目に切り替えた。アセイリアの期待に応えるというのは、重要な事ではあるが本質的なことではない。今すべきことは、報告書の正当性の検証だった。もしも誤りがあった時、取り返しの付かないことになる恐れがあったのだ。 「まともに行ったら、同じ答えしか返ってこないだろう」  それは、これまでヒアリングした相手を思い出せば容易に考えらえる結果だった。まだヒアリング対象は残っているが、このままだと同じことに繰り返しになりかねない。ならばどうしたらいいのか、アズガパは立ち止まって策を練り直すことにした。 「スパイを10人捕まえているのだから、犬を使うのは効果として間違いない筈だ。そして捕まえたスパイは、軍の用意した通常の検査機器をすり抜けている。今回に関して、今までの検査機器が役に立たないのは明らかだ。それぐらいのことは、あいつらだって理解しているはずだ。そして調査現場に、犬が連れて行かれたのも確かだ。そうなると、本当に犬を使ったのかが鍵と言うことか。そして担当者は、犬を使ったと主張している……」  そこまで考えたアズガパは、別の切り口として「警察犬」を管理しているセンターに行くことにした。そこで検査の様子を聞けば、報告書の裏付けをとることができる。管轄違いが気にかかったが、ここまでくれば仕方がないと腹をくくった。  だが警察犬管理センターを訪問したところで、アズガパは次の壁に突き当たった。式典当日ということで、すべての警察犬が出払い、それに伴って担当者も出払っていたのだ。残っていたのは、事務担当というまだ若い男女二人組だけだった。 「統合司令本部所属、アズガパ少佐です。伺いたいことがあるのですが、宜しいでしょうか」  身分証を提示したアズガパに、のんびりとお茶を飲んでいた二人は慌てて立ち上がった。軍とは、特に陸軍とは犬猿の仲と言うところのある警察だが、相手が統合司令本部ともなると事情が変わってくる。男の方が慌ててアズガパを事務所に入れ、もう一人の女性がグラスに冷たい麦茶を入れて持ってきた。 「急いでいますのでお構いなく」  それでも出されたお茶を飲んだアズガパは、単刀直入に一昨日に行われた検査のことを切り出した。 「一昨日、陸軍からの依頼で警察犬が派遣されたはずです。検査対象は、帝国から来たイェーガージェンヌ部隊です。その検査を担当された方のお話を伺いたいのですが」 「一昨日の話ですが……」  困ったような顔をした男に、「何か?」とアズガパは聞き返した。 「いえ、休暇を取っていたので調べないと分からないです。記録を確認しますから、しばらくお待ち願えないでしょうか」  そう言って立ち上がった男は、頭を下げてから奥の部屋へと駆けていった。 「ここでは、分からないのですか?」  残った女性に確認したアズガパに、外を見ていた女性は少し椅子から跳ね上がっていた。 「だ、台帳がこちらにはないんです。どう言う訳か、この部分はまだ電子化されていないんです」 「まあ、軍でもそういう所が残っていますからね……」  無理に笑みを作ったアズガパは、楽にしてくださいと女性に告げた。どうやら、統合作戦本部という肩書が、留守番の職員に緊張を強いているらしい。  彼女たちに責任がないことは分かっていても、いちいち時間がかかることにアズガパは焦りを感じていた。もうすぐ式典ではランチタイムが終わり、午後の試合が始まる時間が近づいている。最後の試合が始まった時点で、自分の調査が意味のないものになってしまうのだ。  じりじりするものを感じていたアズガパの所に、ようやく男の職員が戻ってきてくれた。「お待たせしました」と紙の台帳を持って帰ってきた男は、アズガパの目の前で「これですね」と言って記録を指さした。 「6匹の犬を連れて、イソフジさんが検査に行っています」 「イソフジさんから、お話を伺うことは出来ませんか?」  そこまでして、ようやく調査が終わることになる。時間的に見ても、これが最後の確認となるだろう。 「イソフジさんですか……少しお待ちを」  まだ待つのか。男の答えに顔を引き攣らせたアズガパだったが、すぐに小さく安堵の息を漏らすことになった。どうやら勤怠は、電子的に管理してくれているようだ。 「今日はイソフジさんの顔を見ていないので、おそらく休暇だと思うのですが……」  うむとデーターベースを検索し、男は「休暇ですね」とイソフジがいないことをアズガパに告げた。 「携帯機を持っててくれれば、直ぐに連絡がつくと思いますよ」  そう言って画面操作をし、すぐにイソフジを呼びだそうとしてくれた。だが何度コールしても、イソフジが応答してこなかった。 「どうやら、携帯機を置いて外に出ている……もしくは、コールが聞こえない所に居るようですね」 「すぐにイソフジ氏と連絡を取りたいのですがっ!」  のんびりと答える男に、アズガパは顔色を悪くして詰め寄った。 「と言われましても、自宅までは30分以上かかりますし、ほんとうに自宅にいるのかも分かりませんから……協力したいのは山々なのですが」  申し訳無さそうに謝られれば、アズガパもこれ以上無理を言うことは出来ない。それに、連絡が付かないのは彼の責任ではなかったのだ。  万策尽きたかとアズガパが嘆いた時、今まで黙っていた女性が「だったら」と声を出した。 「カミモトさんに連絡したらどうでしょう。あの人、イソフジさんのプライベートの連絡先を知っていますよ」  天からの助けか、女性の言葉に「ああ」と男性職員も頷いた。 「確かに、カミモトさんだったら知っているか。カミモトさんは勤務中ですから、すぐにでも連絡がつくと思いますよ」  しばらくお待ちください。そう言って、男性職員はカミモトを呼び出した。勤務中と言うこともあり、こちらは直ぐに連絡がついた。 「はい、お仕事中申し訳ありません。統合司令本部の方が、イソフジさんとお話がしたいそうなんです。はい、そうなんです。今日は休暇中なんです。だからカミモトさんに連絡をとっていただきたくて。はい、緊急の要件ということです。はい、折り返し連絡をいただけるのですね。はい、よろしくお願いします」  カミモトとの話を終えた男性職員は、ホッとした顔をしてアズガパの所に戻ってきた。 「連絡が取れそうと言うことですね」 「ええ、折り返し連絡を貰えることになりました」  そう答えた時、コールを示すサインが目の前に現れた。それに飛びついた男は、「イソフジさん」と安堵の声を上げた。 「はい、統合司令本部の方がお話を伺いたいそうです。はい? 良く聞こえない? ち、ちょっとイソフジさんっ!」 「どうしました?」 「聞き取りにくいらしくて、いきなり切られてしまいました。どうやら、パブリックビューイングのところにいるようですね。歓声が凄くて、こちらの声が聞こえないようです」  こんな時にと思わないでもないが、相手はただ単に休暇をとっているだけなのだ。そして自分でも、この戦いは直に見てみたいと思ったほどなのだ。その意味で、めぐり合わせが悪かったのに過ぎなかった。  そして通話が切られてから3分後、再度イソフジからの連絡が入った。 「イソフジさんですか。統合司令本部の方が、一昨日の検査のことでお話を伺いたいそうです。はい、いま横においでです」  分かりましたと言って、男性職員は画面をアズガパの方へと指で弾いた。 「イソフジさんですか。統合司令本部所属のアズガパ少尉です。安全に係る話で、あなたに伺いたいことがあります」  画面に身分証を提示し、アズガパは確認事項を切り出した。 「一昨日、あなたは陸軍の依頼で犬を連れてイェーガージェンヌの検査に行きましたね。その時のことを教えていただきたいですが?」 「一昨日?」  そう口にしてから、イソフジは大きく頷いた。 「ああ、あの検査ですか。それで、どんなことを知りたいのですか?」  陸軍と違って、休暇中に呼び出したのにも関わらず協力的だった。それでも後ろが気になるのは、世紀のイベントだから仕方がないだろう。 「はい、その検査で、本当に犬が使われたのかを伺いたいのです」  アズガパの質問に、イソフジはああと頷いた。 「正確な意味では、犬を検査に使っていませんよ。確かに、私は検査現場に犬を連れて行きました。ただ、いきなり犬が興奮してどうしようもなくなってしまったんです。それに困った陸軍の担当に、連れて帰れと命令されてしまいました」  その話が確かなら、報告書には虚偽が書かれていたことになる。それを確かめるため、アズガパは重要な確認を行った。 「私が確認したいことは二つあります。検査担当者は、別の犬を手配しましたか。それから、どうして犬が興奮したのかと言うことです」  その質問に少し考えてから、イソフジは決定的な事実を口にした。 「興奮した理由は分かりませんが、検査現場から引き離したら大人しくなりましたね。何か犬を興奮させるようなものがその場に有ったのではないかと思います。それから別の犬の手配ですが、私どもの管理している犬はすべて出払っていたはずです。ですから、新たに手配されたことは無いかと思います」 「このような技能を持った犬はほかに居ますか?」  質問をしながら、アズガパは喉がひりひりと乾くのを感じていた。非常にまずいことになりつつある。まだ時間があるはずだと時計を見ながら、イソフジの答えをじっと待った。 「嗅覚に優れているのは一般的な犬の特性です。ですが、こうした検査に使うには訓練が必要となります。ですから、他の犬が使用された可能性は否定できますね」  求める答えは貰った。最後の試合が始まるまでには、予定ではまだ10分ほどの猶予が残されていた。何とか間に合ったと安堵しつつ、アズガパはアセイリアにメッセージを付けて非常通報を行った。だがメッセージを送り終わってアズガパが安堵した時、あれはと言って女性職員がメイン会場の方を指さした。 「あれは、なんでしょう。どうやら、ヨコハマパークのようですけど」  女性職員に指さされて見た方向に、黒い煙が立ち上っているのを見つけることができた。一歩違いで間に合わなかった。アズガパは、強い後悔を抱きながら警察犬管理センターを飛び出していった。 Chapter 4  これで退屈な試合も終わってくれる。アズライトは、最後の試合が始まったところで小さく安堵の息を漏らした。マリアナ達の健闘には驚いたが、それ以外はあまりにも順当過ぎる結果だったのだ。最新鋭機を投入したと言うこの試合も、力の差を考えればあっさりけりがついてくれるはずだ。それが終われば、イェーガージェンヌにお褒めの言葉を与え、御前試合のイベントは終了する。後は関係者の晩餐を済ませれば、翌日出発するまで何のイベントも残されていない。後少しだけ我慢すれば、この忌まわしい星に拘束される時間も終わりとなってくれる。  清々すると言うのが、今は正直な気持ちだった。 「やけに、アルファケラスが近くにいますな」  ジェノダイトに指摘され、確かにそうだとアズライトは頷いた。マリアナ達の試合では、もっと離れた所にいたはずなのだ。それが、今では貴賓室を守る防御スクリーンの前まで後退していた。 「手出しをする必要が無いと、センチネルから離れているだけでしょうね。さもなければ、襲撃への対処を考えているのかもしれませんね」  絶対の防壁を持っているアルファケラスなのだから、間違いが起こる心配をする必要が無い。襲撃のおそれがあるのなら、アルファケラスが盾になると言うのも考えられることだった。自分の答えに納得したアズライトは、それ以上アルファケラスのことを気にしなかった。  そして戦いは、アズライトが予想した通り一方的なものになっていた。多少の性能向上は認められたが、試作型ファルコンではセンチネルタイプの敵にはなりえなかったのだ。正面からのぶつかり合いは、単純なパワーでもセンチネルタイプが圧倒した。  一方的な戦いに、これで終わりだとアズライトが気を抜いた。そしてセンチネルが一体の試作型ファルコンを仕留めたところで、突然アルファケラスが彼女の方へと振り返った。何事と驚くアズライトの目の前で、アルファケラスは防御壁を纏った手を振りおろし、貴賓室を守る全ての防御機能を破壊した。アズライトが見たのは、自分に向かって飛んでくる、破壊された試作型ファルコンの首だった。  逃げられないと観念した瞬間、アズライトは誰かに引き倒された。そのタイミングで襲ってきた爆風に、アズライトの意識は途絶えたのだった。  突然牙を向いたイェーガージェンヌに、会場は恐怖のどん底に叩き落された。5機残っていた正規軍の試作型ファルコンだったが、牙を向いたイェーガージェンヌの敵ではなかった。ろくな抵抗をすることも出来ず、次々にセンチネルタイプによって撃破されていった。  試作型ファルコンの首をぶつけられ、貴賓室辺りからは煙が立ち上っていた。そして一般席は、暴れるホプリタイのため酷いパニックに襲われていた。散布型の鎮静剤も使用されたが、目の前の恐怖に大した効果は得られなかった。我先に出口へと殺到する観客たちに、増員された誘導員も役には立たなかった。  そして一部の観客は、逃げ場を失い競技場の中へと降りていった。そんな真似をすれば、イェーガージェンヌの餌食となる。破壊された試作型ファルコンが逃げ惑う観客たちへと投げ込まれ、大勢の観客が下敷きとなって圧死していった。 「おい、これでは一人も助からないぞ!」  会場の状況を知らせるモニタは、すでに真っ赤になって意味を成していなかった。観客が出口に殺到したことで、逆に出口が詰まってしまい、結局誰も外に出られなくなってしまったのだ。用意した鎮静剤も役に立たず、配置した誘導員からは悲鳴のような報告が上がってくるだけだった。 「そんなことは分かってるわっ!」  大声を出したカヌカは、じっと画面を睨みつけた。ウルフが言うとおり、このままでは誰一人として助けることは出来ない。それぐらいならと、大きく深呼吸をして画面上の実行ボタンを押した。その途端、競技場全体で爆発音が鳴り響いた。 「おい、何をやった!」  イェーガージェンヌとは違う、そして競技場外での爆発音に、ウルフはカヌカに詰め寄った。カヌカの動き、そしてそれに続いて起きた爆発音。カヌカが、意図的に何かを爆破したとしか考えられなかったのだ。 「競技場外壁を壊したわ。スタンドを支えている支柱には影響は出ない。これで、全周が出口になったわよ。これで、ボトルネックが解消されたわ」 「ボトルネックが解消されたって……おい、壁際にいた観客はどうなった」  出口が広がったのはいいが、その出口には観客が殺到していたのだ。そこで爆発を起こせば、観客が巻き込まれるのは目に見えていた。 「全滅するよりはましでしょ。これが、アセイリアの宿題への私の答えよ」  画面表示では、明らかに競技場外への人の流れが明確になっていた。それを考えれば、カヌカのとった作戦は間違っていないことになる。カヌカが言うとおり、全滅するよりは遥かにましと言えたのだ。  それを理解したウルフは、どっかりと椅子に腰を下ろしてため息を吐いた。 「命の選別をやっちまったか」 「運がいい人は助かってるわよ……もっとも、このままイェーガージェンヌが暴れたら、焼け石に水でしか無いんだけど」  そう言って吐き捨てたカヌカに、ウルフは掛ける言葉を持たなかった。自分達の常識では、観客全員を助けることが求められていたのだ。だが最悪の事態を前に、その常識を捨てなければならなくなった。その悔しさは、ウルフにも痛いほど理解できたのだ。 「おい、本気かっ!」  言葉を亡くしたウルフだったが、事態は彼の予想を超えて動き出した。どうにもならないと諦めて見た画面に、新たなホプリタイが現れていたのだ。その数は10、カラーリングは士官学校の学生のものだった。 「あれって、最初に善戦した子達のでしょう。確か、アセイリアの作戦には入っていたわね」 「だからと言って、あの時とは状況が違いすぎる!」  時間を掛けさせることは出来たが、結局手も足も出ていないことに変わりはない。相手が本気になった以上、士官学校の学生が出る場面ではないとウルフは考えていた。  だが冷静に考えれば、今は他に方法がないのは確かだった。たとえ正規軍のホプリタイが投入されたところで、結果に何ら変わりがないのは証明されたばかりなのだ。ならば空軍のスカイアークが到着するまでの時間、僅かな時間でも稼がなければならなかったのだ。  午前の試合が終わったところで、マリアナは新しいメッセージを受け取っていた。メッセージの差出人はアセイリア。御前試合の作戦を授けてくれた、領主府スタッフの女性の名前だった。 「それで月光、アセイリアはなんと言ってきたのだ?」 「はい、イェーガージェンヌが本物と言うことに疑義が生じたとのことです」  月光の答えに、なにとマリアナは眉をひそめた。 「イェーガージェンヌが本物ではないと言うのか?」 「偽物との疑いが強まったと言うことです」  さすがにあり得ないと、月光の報告をマリアナは疑った。実際に手合わせをしてもらったし、その時にもおかしな挙動は見られなかったのだ。それでも、相手が相手だけに説明だけは聞いておこうと考えた。 「それで、なにか説明とか指示とかはついてきているのか?」 「はい、イェーガージェンヌを疑うに至った経緯。そして偽物だと確信した理由。そしてマリアナ様への依頼が送られてきています」  それに小さく頷いたマリアナは、月光に評価を依頼した。 「それで月光、イェーガージェンヌが偽物である確率は?」 「これまでの調査結果から、1%以下と言うところでしょうか」  つまり、確率的にはかなり低いということになる。ただそれぐらいのことなら、アセイリアが知らないはずがない。それでも自分に依頼してきたと言うことに、マリアナは自分が頼りにされたのだと考えた。そして自分に頼らざるをえない理由、それを次に考えることにした。 「月光、なぜ陸軍ではなく、私の所に依頼が来たと考える?」 「はい、理由として2つ、そして不確かながらもう一つがあります。まず統合司令本部と陸軍の関係がうまく行っていません。大将閣下とは問題ないのですが、実務部隊との関係がぎくしゃくとしています。ですから、陸軍を動かすことを諦めたのではないでしょうか」  自分に頼った理由としては理解できるが、理解できないのは両者の関係がうまく行っていない理由だった。些事かも知れないが、マリアナはその理由も求めた。 「なぜ、統合司令本部と陸軍の実務がギクシャクしているのだ。統合司令本部には、陸軍からも人を出しているだろう?」 「詳細は分かりかねます。噂レベルであれば、イェーガージェンヌへの対応が理由とされています。遠路はるばる訪れた客を疑うのはけしからんと言うのが表向きの理由です」 「表向き?」  その言葉に首を傾げたマリアナに、月光はもう一度「表向き」と繰り返した。 「統合司令本部が、アセイリアと言う女性に牛耳られたことへの反発が大きいのです。そして事細かく、同じことを何度も言われることに現場が切れた。そしてそれを抑えられない仲間に対して、愛想を尽かしたと言うのが奥底にあります」 「つまり、プライドが傷つけられたと言うことか」  うんと頷き、マリアナはもう一つの理由を確認した。 「それで、もう一つと言うのはなんだ?」 「はい、時間的な問題と言うのがあります。一番近くにいて対処できるのが、マリアナ様達と言うことなのです。空軍、海軍への手配も行われていますが、到着にまで時間がかかります。ただ問題は、マリアナ様達の敵う相手ではないと言うことです」  正直な答えに、思わずマリアナは苦笑を浮かべてしまった。確かに全力で当たったのに、出来たのは善戦と言うお情けの結果でしか無かった。敵わないと言うのは、反論のしようもない決めつけである。 「確かに、正規軍が最新鋭機体を投入するのだからな。それでも歯が立たなければ、私達ごときではどうにもならないだろう。とは言え、私達以外に戦力がないのであれば、出撃するのは義務としか言いようがない。それで、不確かなものとはどう言うものだ?」 「はい、アセイリアと言う女性が、マリアナ様を評価しているのではないかと言うことです。皇女殿下の世話役の件についても、彼女の後押しが有ったと記録されています。そして今日の御前試合でも、マリアナ様のチームにだけ作戦が伝授されました。以上の事実より、特別な理由があるのではないかと推測しました」  月光の説明に、不確かだと前置きされた理由に納得がいった。だがマリアナは、そこに重要な事実を見出していた。統合司令本部を牛耳る女性が、自分を高く評価していると言うことだ。そして、自分が役に立つと信じてくれていることだった。 「私は、アセイリアと言う女性に頼られていると言うことか」 「乱暴に言うのなら、そう言っても差し支えないかと」  月光の答えに、それで十分とマリアナは答えた。貰った作戦は素晴らしかったし、自分のことをとてもよく理解したものだったのだ。しかも宰相府から派遣され、統合司令本部を掌握していると言う。その相手に頼られたのなら、期待に応えたいと考えるのもおかしくはない。 「分かった。イェーガージェンヌが偽物と言う前提で準備を進める。だが、私だけでは焼け石に水とならないか?」  6機がかりで勝負にならなかったのに、単機で出てどうにかなると考える方がおかしい。アセイリアを信用することにしたマリアナは、次の対処の方法を問題とした。 「チームフジヤマとして見ても、勝負にはならないかと思われます。それを考えると、マリアナ様に期待されるのは、第一に僅かな時間を稼ぐことかと。ただ、アルファケラス攻略法もありますので、そればかりかと言うことには疑問が残りますが……」 「アルファケラスの攻略法だと!?」  世の中には無敵の存在などあり得ないとしても、自分達に出来るアルファケラス攻略法があるとは想像もしていなかった。月光の報告に「本当か」とマリアナは色をなした。 「はい、アルファケラス攻略に際してマリアナ様達に求められる役割が書かれています。アルファケラスを無敵としている量子障壁を解除させ、貫通力の大きな銃で狙撃することとなっています。その際マリアナ様達には、アルファケラスから5機のセンチネルタイプを引き離すことが求められています。通常では無理な作戦ですが、こちらを舐めていることが作戦成功のポイントとなっています」 「確かに、舐められても仕方がない戦力でしか無いな。狩りのつもりになったなら、無警戒に私達を追い掛けて来ると言うことか。だが、そのためには追いかける必要性を示さなければならない」 「と言うことなので、センチネルタイプへの攻撃方法も記載されています。実は、午前中の試合に、その布石が打たれていました」  すでに布石が打たれていたと言う話に、マリアナはもう一度「本当か」と聞き直してしまった。 「センチネルタイプへの攻撃で、ジョイント部分を狙い撃ちしています。あれは演習用の銃を使用しているため威力がありませんでしたが、本番ではもっと貫通力の強いものを使用することになっています。一撃程度では効果は出ませんが、連続して攻撃することでジョイント部の破壊が可能です。この場合のデメリットは、こちらの機動性が多少落ちるということです」  一連の説明を聞いたマリアナは、何が自分に求められているのかを理解した。僅かな時間稼ぎと言うのは正しいのだろうが、アルファケラスを止めることも同時に求められていると言うことだ。相手の油断を利用するということは、自分達にしか出来ないことでも有ったのだ。 「偽物である可能性は1%と以下と言ったな」 「はい、常識的に考えて、疑う必要はあり得ない数値だと思います」  常識的にはと月光は答えたが、逆にマリアナは十分に高い数値だと考えた。そもそも帝国から派遣された部隊を、疑う理由など存在しないはずなのだ。可能性がゼロとならない所に、マリアナは危険なものを感じていた。 「では、仲間に話をしてみることにする。できたら、上級生の方々にも相談してみよう」 「一笑に付されることはありませんか? それから上級生の方々は、陸軍への奉職が内定されている方もいらっしゃいます。反発を受ける可能性も高いかと思われますが」  逆効果になりかねないと危惧した月光に、マリアナは大丈夫だと逞しい胸を逸らした。 「それならそれで、やりようはあると言うものだ。学生として許される悪ふざけを利用させて貰おう」 「あまり、詳しくお尋ねしない方が良さそうですね」  質問を遠慮した月光に、マリアナは不敵な笑みを返した。 「まあ、その辺りは任せておいてくれ」  いかにして仲間を騙し、その気にさせるか。覚悟なしに巻き込むことへの罪悪感は、今のところ全く感じていなかった。  マリアナの計画は、正規軍が相手にならないことを前提としたものだった。自分達の時のような手抜きがなければ、想定以上に早く決着がつくと考えたのである。だから余った時間を利用し、再度学生への手ほどきをしてもらう。学生として許される悪ふざけというのは、会場への乱入のことを言っていた。  悪ふざけに賛同したのは、最終的に上級生を含めて10機と言うことになった。欠けた2機は、悪ふざけに対して否定的な意見を口にし、加担しないと宣言した者が抜けたためである。そんな二人に、マリアナは口外しないことを前提にそれ以上の勧誘を行わなかった。 「余興としては、確かにおもしろいことになる……か」  正規軍の最終対戦が始まる前に、志願者全員がホプリタイに乗り込んでいた。そして全員が手はずを確認するところで、士官学校7回生テーラー・オム・テラノ・メイドノが回りのノリとは違う声を上げた。 「そろそろ、俺たち共犯者に本当の目的を教えてくれてもいい頃だろう」 「テーラー、今頃そんなことを言ってるの? あなた、少しばかり情報が遅いんじゃありません?」  同じく7回生のライカ・ホメ・テラノ・バーバリーは、そう言ってテーラーを笑った。 「言い出しっぺに、それを確認しておくのが必要と考えただけだ。そして、覚悟もなしに実戦に臨むのは全員にとって良いことではないだろう。マリアナ・ホメ・テラノ・ミツルギ、お前はイェーガージェンヌが偽物だと言う前提で動いている。俺の考がえに、どこか間違いはあるか?」  真剣なテーラーの問いかけに、マリアナは覚悟を決めて「その通りだ」と認めた。 「システムに分析させたら、その可能性は1%未満と出たがな。統合司令本部のアセイリア様からの依頼に従って、私がみんなを巻き込んだ。そして大事にならないよう、学生の悪ふざけを建前に準備を進めたのだ」 「大方、そんなところだろうとは思ったが……」  ほうっと息を吐きだしたテーラーは、話の持ってき方が間違っているとマリアナを叱った。 「初めからそう言ってくれれば、クルセイド姉弟も仲間に加わっていたはずだ。あいつらの銃の腕は、うちのチームでは貴重なものだったのだぞ」 「でも、説明の手間を考えたら、間違った判断ではないと思うわよ。さすがは、優等生だと感心したもの」  6回生のアンナ・ホメ・テラノ・クリエールは、マリアナの作戦を肯定した。 「緊急時だと考えれば、仕方がないとも言えるのだが。手間を省くことが、のちのち自分に跳ね返ってくることも多々あるのだ。個人的問題ならばそれで構わないが、チーム全体のこととなればそうは言っていられない。さすがにないとは思うが、下級生には騙されたと思っている奴も居るのではないか?」  無いと思うと口にしたのは、ある意味逃げ道を塞ぐ意味も持っていた。そんな意味を込めたテーラーの言葉に、誰からも不平の声は上がってこなかった。全員が使命を感じていたのか、はたまたテーラーの言葉に空気を読んだのかは分からなかった。  そんなテーラーの元に、何故か作戦に参加していないクルセイド姉弟のアズマリアから連絡が入った。もしかして邪魔をされるのかと警戒したテーラーは、慎重に通信機のスイッチをいれた。余計な雑音が入らないよう、プライベートコールへと切り替えたのである。 「なんだアズマリア。今更何か用か?」  警戒したテーラーに、アズマリアは虫の知らせだと口元を歪めた。 「なにか、悪口を言われているような気がしたんです。そして、お伝えしておくことがありましたから、こうして連絡を差し上げました」 「伝えておくことね……」  ますます警戒するテーラーに、アズマリアはほほほと口元を手で隠して笑った。 「そんなに警戒しなくてもよろしくてよ。陸軍に通報するような真似はいたしません。実は、私達姉弟がスカウトされたことをお知らせしようと思いましたの。統合司令本部のチャング少佐に、私達に対して協力依頼が参りました。ですから、微力ながらお手伝いをさせていただくことになったということです。私達は、安全なところから狙撃しますので、皆さんは頑張って足止めしてくださいね。と言うことですので、また後程」  連絡をしてきたのと同様に、アズマリアからの通信はいきなり遮断された。なんだかなぁとは思ったが、悪い話ではないと前向きに考えることにした。 「一応クルセイド姉弟の情報だ。彼女たちは、狙撃兵という形で作戦に加わることとなった」  再び一斉コールに切り替え、テーラーはアズマリアからの情報を展開した。 「さて、そろそろ運命の別れ道ということだな」  最後の試合前に、両チームが貴賓席に挨拶をしている映像が入った。もしも疑惑が本物となったならば、彼らの出番はすぐに訪れるはずだった。 「マリアナ……マリアナ隊長。今回の作戦の最終目標の提示をお願いする」 「わ、私が隊長……でいいのですか」  驚くマリアナに、「責任転嫁だ」とテーラーは笑った。 「俺達を巻き込んだ責任をとれ。その程度のことだと思ってくれればいい。それで隊長。俺たちは、何を目標に戦えばいい?」  それを提示するのは、隊長の役目に違いない。アセイリアからの依頼を受けたことを考えれば、マリアナが務めるのは間違っていなかったのだ。 「では、作戦詳細を皆に転送する」  月光に命じ、マリアナは開示していなかった分の作戦を転送させた。 「我々の目標は、被害を最小限に抑えることだ。そしてアルファケラスを孤立させるため、5機のセンチネルタイプを競技場外に誘導する。孤立させたアルファケラスは、狙撃により撃破するものとする!」  それが簡単なことでないことは、午前中の試合で嫌というほど思い知らされた。だが危機が現実のものとなった時には、不可能を可能にする必要があった。そしてそのための作戦が、全員の所に転送されたのである。 「2対1ならなんとかなるというものではないが……」  思わず漏らしたテーラーに、ジョシュア・オム・テラノ・ゴダイバは「他に手はない」と断言した。 「学生とは言え、我々も軍人の端くれだ。可能性があるのなら、それに賭ける以外は無いだろう」 「まあ、そう言うことね。杞憂であることを願いたいんだけど……」  ライカが杞憂の可能性を口にした丁度その時、突然イェーガージェンヌが正規軍に対して牙を剥いた。それまでは手加減と言うか遠慮がちの攻撃しかしてこなかったセンチネルタイプがが、逆に攻勢に出てきたのだ。しかもこれまで微動だにしていなかったアルファケラスもまた、貴賓席に向かって残虐な手を振り下ろした。恐れていた予測が、今まさに現実となったのである。 「チームドブイタ、出撃するぞ!」  マリアナの号令とともに、10機のホプリタイは選手出口を破壊して戦場へと飛び出していった。ここから先空軍が到着するまで、彼女たちだけが頼みの綱となっていた。  できれば杞憂であって欲しかった。旧県庁庁舎の上に陣取ったチャングは、スコープの映像に臍を噛んで悔しがった。アセイリアの言葉を陸軍が信用していれば、こうなる前にザイゲルの工作員を確保することが出来たのだ。それだけ敵が狡猾だったことになるが、逆転の可能性を自分達で潰したことが悔しかった。 「私達の出番は?」  操縦桿を叩いて悔しがるチャングに、クルセイド姉弟の姉、アズマリアから通信が入った。狙撃手としてスカウトされた姉弟は、チャングとは別の建物の上で狙撃に備えていた。 「アルファケラスへの攻撃が優先される。仲間が殺されても、それまでは支援することを許可しない。アルファケラスの量子障壁が解除された時点で、コックピット及びエネルギー機関を狙撃する。合図は、俺が行うからそれまでは照準をつけた状態で待機しろ!」  チャングの指示に、二人からは「了解」と言う短い応答があった。イェーガージェンヌ6機の内、隊長機となるアルファケラスだけが特殊な機体となっていたのだ。被害の拡大を抑える意味で、アルファケラス排除が優先されることに意味があった。  そしてアルファケラス排除は、心理的な影響も考えられていた。難攻不落の機体を攻略したとなれば、地球側の士気も上がってくれる。最悪の状態を脱するためには、反攻のシンボルが必要となってくる。 「だが、皇女殿下は大丈夫なのか……」  スコープ越しに見える貴賓席は、破壊されて黒煙が立ち上っていた。ホプリタイの頭部が投げ込まれる直前に防爆カーテンが展開されるのが見えたが、その程度で避けられる攻撃ではなかったのだ。 「くそっ、全員銃殺にしてやるぞ」  アセイリアの警告に対して真摯に対応していれば、この事件を避ける事が出来たのだ。予想される事態の一つとして上げられた攻撃に対処できなかった時点で、陸軍は責任を負わなくてはならない。 「……人のことは言えないか」  そしてチャングもまた、責任を負う一人だと自覚していた。統合司令本部と実務部隊の橋渡しは、チャングとアズガパの役目だったのだ。その橋渡しがうまく機能しなかったことが、この事態を招いたと言って過言ではない。「くそったれ」と何度も吐き出しながら、チャングは攻撃のチャンスが訪れるのを待ったのだった。  アズライトが目を覚ましたのは、貴賓室から助け出された直後のことだった。苦痛に悶えながら目を開いたアズライトは、目の前いっぱいに広がるアセイリアの顔を最初に目にした。いきなり見たくない顔を見せつけられて顔をしかめたアズライトだったが、不思議だったのは、アセイリアの顔にどうしようもない安堵が浮かんでいたことだ。あの女が、こんな顔をするはずがない。そう自問したアズライトは、すぐにアセイリアが血まみれなのに気がついた。  どうしたのかとアズライトが聞こうとしたのだが、それよりも早くアセイリアがいつもどおりの声色で「大丈夫ですか」と声を掛けてきた。アズライトが意識を取り戻した以上、自分は仕事に戻らなくてはならない。アズライトを襲った敵は、まだ我が物顔で暴れまわっていた。 「では、私は任務に戻ります。総領主様、皇女殿下をよろしくお願いいたします」  全身に苦痛を感じながら、アズライトは何とか立ち上がることができた。それに手を貸したアセイリアは、彼女の手に何かを残して後をジェノダイトに託した。けして無事でないのは、立ち去る時の足元を見れば一目瞭然だった。壁で体を支えながら歩く姿に、アズライトは余程自分の方がましなように思えたぐらいだ。 「これは、いったい何事なのですか?」  まだ爆発の余韻が残る頭で、アズライトは多くのことを理解することはできなかった。それでも理解できたのは、自分が味方に攻撃されたと言うことだ。 「ザイゲルに襲われました。やはり、イェーガージェンヌは、ザイゲルが化けた姿だったようです」  その時のジェノダイトも、顔は爆発によって煤け、頭からは血が流れた跡が残っていた。顔色も青く苦しそうなところを見ると、どこか骨折していたのかもしれなかった。 「では、どうして私が助かったのです!? 貴賓室にいた他の者はどうなりました!?」  大声で喚くアズライトに、ジェノダイトは簡潔に答えを口にした。ただその答えは、信じたくないものというのが一番相応しいものだった。 「まだ状況は把握できていません。ですが、被害の状況から見て絶望かと思われます。それからアズライト様を助けたのは、危険を察知したアセイリアです」  ジェノダイトの答えに、信じられないとアズライトは大きく目を見張った。 「なぜ、あの女が私を助けるのです!」 「彼女は、初めからあなたのことを第一に行動していますよ」  改めて指摘されれば、アズライトも否定は難しくなる。それで押し黙ったアズライトに、ジェノダイトは手のひらを見てくださいと告げた。 「彼女は、アズライト様に大切なものを残して行きました」 「大切な物?」  なにと首を傾げたアズライトは、手のひらに血がべっとりついているのに気が付いた。そしてその血で、彼女を守るラルクが手のひらに張り付いていた。 「どうしてラルクが。私は、これを捨てたはずなのに!」  怯えた目をしたアズライトに、ジェノダイトはラルクがある理由を説明した。 「それは、私共がごみ箱の中から回収させていただきました。そして彼女が、必ず必要になると言って持って来たのです。アズライト様がラルクを使えば、この混乱をも終息できるはずだと言っていました」  だがアズライトにとって、ラルクは愛する人を手にかけた道具だった。まだその恐怖が抜けず、思わず赤い光から目を逸らしてしまった。そんなアズライトに、ジェノダイトはお願いしますと頭を下げた。 「アセイリアを助けてやってください。彼女は、僅かな時間を稼ぐために前線に出て行きました。ですが、今のままでは、敵に殺される前に失血して命を失うことになるでしょう。彼女は、命をかけて私達をかばったのですよ。どう考えても、無事でいる方が不思議な状況だったのです」 「だけど、私はラルクでヨシヒコを殺してしまったっ!」  いやいやをするアズライトに、ジェノダイトは失意から小さくため息を吐いた。いきなり立ち直れというのは、やはり無理なことだったのだ。 「でしたら、すぐにここから脱出しましょう。士官学校の学生では、あまり長くは支えられないですからな」 「士官学校の学生? もしかして、マリアナさんが戦っているのですか?」  驚いたアズライトに、ジェノダイトは手を貸しながらはっきりと頷いた。 「アセイリアの指示で、緊急時に備えて待機していました。応援が来るまでのわずかな時間を支えるため、決死の覚悟で戦いに出ています」  ジェノダイトがそう答えた時、アズライトは足元が大きく揺れたのに気が付いた。そのせいで、上からぱらぱらと小さな石が振ってきた。 「急がないと、ここも危ないでしょう。後少し行けば、領主府への緊急通路があります。そこに逃げ込めば、ひとまず安心と言う所です」  こちらにと支えられ、アズライトはゆっくりと階段を下りて行った。そして途中から加わった将軍たちとともに、手動でゲートを開け緊急通路へと逃げ込んだ。 「サンダース大将。ツヴァイドライグの偽物はどうなりましたか?」  イェーガージェンヌが偽物なら、自動的にツヴァイドライグも偽物と言うことになる。そして地上で騒ぎを起こした以上、宇宙でも同じように騒ぎを起こしているのは間違いない。  左腕に添え木をしたサンダースは、ジェノダイトに問題は無いと返した。 「仕掛けを発動させる前に、多少は宇宙基地に被害が出たと言う話だ。だが今は、奴らは手も足も出ない状況になっている。まったく、アセイリア嬢ちゃんの言うことを聞いて良かったわい」  なあと話を振られたマグダネル大将は、決まりの悪そうな顔をしてそっぽを向いた。 「ツヴァイドライグ、そしてイェーガージェンヌは偽物だったと言うことだ。まったく、あの嬢ちゃんが居なければどうなっていたことか。とは言え、地上は甚大な被害が出てしまったな」 「そのあたりは、返す言葉が無いとしか言えませんな」  恥じ入るマグダネル大将に、それはいいとサンダース大将は辺りを見渡した。 「ところで、嬢ちゃんの姿がどこにも見えないのだがな。よもや、爆発に巻き込まれて死んだと言う訳ではあるまいな」  アセイリアを心配したサンダース大将に、アセイリアならとジェノダイトが居場所を説明した。 「彼女は、自分の任務に戻って行きました。学生に命を賭けさせているのですから、それをサポートするのが自分の役目だと言い残して行きました」 「だが、ここはもうもたんぞ!」  ありえんと叫ぶサンダース大将に、「承知の上です」とジェノダイトは答えを返した。 「彼女は、アズライト様を守るのにそれが最善だと判断しました」  アセイリアの固い決意に、サンダース大将はそれ以上反論の言葉を持たなかった。 「そうか。あの嬢ちゃんはそれが最善だと考えたのか。ならば、認めてやるしかないのだろう。だが、年寄より先に若い者が死んではいけないだろうに」  残念だと繰り返すサンダースに、他の大将たちも同じように残念だと口にした。 「間もなく、スクランブルしたスカイアークが到着する頃です」 「スカイアークで、アルファケラスが破壊できますか?」  勝算を聞かれたバルタン大将は、難しい顔をして首を振った。 「センチネルタイプなら撃破できますが、アルファケラスとなると条件次第と言う所でしょう。量子障壁を展開されていたら、破壊は困難かと思われます」 「偽物、でもですか」  ジェノダイトの確認に対して、バルタン大将は大きく頷いた。 「もともと装甲が固い上に、さらに量子障壁に守られているのです。せめて量子障壁さえ解除してやれば……スカイアークでも撃破できるのですが……ところで」  状況を説明したバルタン大将は、そう言って首をぐるっとめぐらせた。 「皇女殿下のお姿が見えないのですが?」  まずいのではないかと言うバルタン大将に、他の大将たちも同調した。そんな彼らに、ジェノダイトは小さく息を吐いて「宇宙を飛び回る天災ですよ」とアズライトを評した。その説明に、全員が納得できる説得力を持つものだった。 「これで、皇女殿下のことはひとまず安心と言うことですか……ただ、間に合ってくださればいいのですが」  ラルクを使いこなしたアズライトを、何人たりとも傷つけることはできない。それを考えれば、ここから先は心配する相手は変わってくる。そしてアズライトが向かった先は、今さら考えるまでもないことだった。ただ心配なのは、間に合う可能性がほとんどないことだ。生き延びるには、アセイリアは血を多く流しすぎていたのだ。  アズライトをジェノダイトに任せたアセイリアは、瓦礫に足を取られながら貴賓室へと急いだ。全体を俯瞰し指示を出すには、貴賓室のロケーションが都合が良かったのだ。途中で逃げ遅れた人たちを見つけた時には、必ず助かると励ましてから先へと進んだ。壁で体を支えながら歩いたアセイリアは、何とか2フロアを上り貴賓室へとたどり着いた。今にも崩れそうな貴賓室に、よくも助かったものだと、今更ながらその惨状に慄いた。  貴賓室の中を見渡せば、爆発に巻き込まれて亡くなられた人たちが大勢転がっていた。中には、落ちてきた天井に押しつぶされた人もいる。本当なら救えたはずなのに、自分の力不足で救えなかった。ごめんなさいと謝ったアセイリアは、おぼつかない足取りで貴賓室の窓際へと移動した。そこでまだ使えそうな椅子を引き起こし、腰を下ろして戦場となった外の世界を凝視した。なんとかここまで登っては来たが、目の前が霞み、意識も朦朧としはじめていた。それでも最後の気力を振り絞り、自分はここにいると大きな声を上げた。 「私はアセイリア。アズライト皇女殿下は無事保護をいたしました。みなさん、これから反撃に移ります。カヌカさん、チャングさん、指示通りによろしくお願いします。それからマリアナさん、無理をお願いしたことを謝罪します。まずアルファケラスを撃破します!」  確保した通信機で、アセイリアは仲間達へと作戦の開始を告げた。アズライトを守ったことで、第一ラウンドは被害こそ大きいが自分達の勝利なのだと。そしてこのまま、敵を撃退し勝利を確かなものとする。あと少しだと、アセイリアは全員に檄を飛ばした。  全員を鼓舞したアセイリアだったが、彼女の体はすでに限界を迎えていた。それでも消え入りそうな意識の中、なんとかカヌカの呼びかけには答えることが出来た。 「逃げないと……」  ぱらぱらと落ちてくる欠片に、この場が保たないのをアセイリアは気がついた。だが逃げ出そうにも、すでに体は言うことを聞いてくれない。それでも自分は、こんな所で終わるわけにはいかない。だがいくら気持ちがはやろうとも、限界を超えた体に力が入ってくれなかった。 「これが、私の受ける罰……なのですね」  アズライト様。アセイリアの口が小さく動いた時、握りこぶしより大きな塊が彼女の頭を打った。そのままもんどり打って床に倒れたアセイリアの所に、追い打ちをかけるように先程より大きな塊が降ってきた。痙攣なのか反動なのか、少しだけ持ち上げられたアセイリアの右手だったが、すぐにそのまま力なく床へと落ちていった。  アセイリアの言葉に、カヌカは背中に一本筋が通るのを感じた。絶望的な状況を受け入れかけた彼女だったが、まだ諦めるのは早いことを知らされたのだ。 「本当、大した子ね……」  アセイリアの声を聞いただけで、まだ大丈夫だと言う気持ちになってくれる。男達が、「俺の嫁」と言って取り合う気持ちも理解できるぐらいだ。 「ウルフ、アルファケラスとセンチネルタイプの位置関係は!?」 「うまいぐあいに離れてきているな。センチネルの視界は、アルファケラスをカバーできていない」  それは、作戦の要件が整いつつあることを意味していた。それでいいと頷いたカヌカは、忙しく端末を操作して次の作戦の準備にかかった。 「学生さん達のホプリタイへのレーザー通信確保。チャング達への優先通信路の確保……完了。アセイリアは……近距離通信は生きてる?」 「はい、今のところ明瞭です!」  すかさず返ってきた答えに、カヌカは安堵の息を漏らした。 「あの子も大丈夫そうね」  そう小さく声に出してから、カヌカはジャミングの実行ボタンを押した。第一段階として、アルファケラスの視界を奪う。その条件の一つ、センチネルタイプとの距離は十分に開いていたのだ。 「ジャミング実行。金属チャフ散布。全周波帯の妨害電波送信。空間電離実行!」  何が有効なのかわからないため、ありとあらゆる通信妨害を行った。これだけ徹底すれば、アルファケラスは自前のカメラを頼らなければならないはずだ。 「もっとも、何も出来ないと舐めてくれていると思うけど」  仲間の力を信じていれば、通信回復までじっと待っていれば済むだけのことだ。視界を奪ったとしても、絶対の防御を持つアルファケラスは動く必要がなかったのだ。だから次の段階は、動かなければならない状況を作り出すことだった。 「アルファケラスには踊ってもらうわよ」  カヌカの目の前には、立体表示されたアルファケラスの姿が浮かび上がっていた。そしてその足元には同心円が描かれ、そしてその同心円は中心を通る線でいくつにも分割されていた。 「まず、回ってもらう……」  カヌカが画面に指を滑らせたのに合わせ、アルファケラスの立つ大地がゆっくりと回転を始めた。 「さあ、踊りなさい」  そしてカヌカが別のボタンを押したのに合わせ、アルファケラスの立つ大地がブロックごとに上下動を始めた。そして回転を始めた大地も、円ごとに回転方向と速度を微妙に変化させた。 「バランサーがあっても、いつまでも耐えられないわよ」  カヌカが更に操作することで、大地は今まで以上に不規則に動き出した。それまで自動で追従していたアルファケラスも、追従しきれなくなり大きくバランスを崩しよろめいた。 「これでチェックメイトっ!」  バランスを取ろうとアルファケラスが足を踏み出したところで、カヌカはその足場に穴を開けた。空中浮揚能力を持たないアルファケラスが、この攻撃を避けられるはずがない。大きくバランスを崩し、巨木が倒れるようにゆっくりと前のめりに倒れようとした。  これで終わりとカヌカが確信した時、それまで動かなかったアルファケラスの腕が、体を支えるように突き出された。そしてなんとか体勢を立て直したアルファケラスは、不安定な大地を避けるように前に歩き出した。 「暴徒鎮圧用ゴム弾発射」  そんなものが効かないことは十分承知のうえである。これも予定通りと、カヌカは全周方向からゴム弾でアルファケラスを攻撃した。目的はただひとつ。量子障壁が解除されたかを確認するためである。そして期待通りに、ゴム弾はアルファケラスの表面で跳ね返された。 「量子障壁解除を確認。データーをチャングに送ります!」 「データーを受け取ったぞっ!」  通信機から聞こえてきた声に遅れ、3度重々しい爆音がカヌカの耳に聞こえてきた。そして爆音と同時に、アルファケラスの首ががくっと傾いた。 「攻撃続行っ!」  カヌカの指示に従い、さらに3つ爆音が轟いた。そしてその爆音から少し遅れ、アルファケラスの歩みが止まり、膝から崩れ落ちていった。被弾したと思われる部分から、火花が飛び散るのを目視することができた。 「アルファケラス撃破を確認!」  よしと、カヌカは隣で見守っていたウルフと拳をぶつけあった。相手の油断があったとは言え、自力でアルファケラスの撃破に成功したのである。受けた被害とは割が合わないが、これで借りを一つ返したことになるだろう。まだ5機のセンチネルタイプは健在だが、空軍が到着すれば撃破も難しくない。その辺り、制空権の無い状況でのホプリタイ運用は、特攻でもない限りあり得ないと言われる所以でもある。アルファケラスの様に特殊な障壁を持たない限り、通常兵器での撃破は可能だった。 「ボロボロだけど、なんとか持ちこたえたってところかしら」 「ああ、本当にぼろぼろだな。ただなぁ、宇宙がどうなっているのかが俺には不安なんだが……」  ここまでアセイリアの予想が当たると、宇宙軍港の方でも騒ぎが起こっているはずだ。うまく対処ができればいいなと、カヌカは空を見上げた。 「そっちはそっちでアセイリアが頭を悩ませばいいわよ。あと、ユーリーとディータもね」  それぞれが、自分達のできることで最善を尽くせばいい。観客の半分を助け、アルファケラスを撃破したところで自分達の役目は終わったのだ。カヌカは大きく息を吐きだし、足元の冷蔵庫から炭酸水を取り出した。 「お酒を飲めないのは残念だけど」 「気分は、酒でも飲まないとやっていられないがな」  同感だと頷き、ウルフも冷蔵庫から炭酸水を取り出した。 「ああっ、すっきりする!」 「喉が痛いぐらいだなっ」  顔を見合わせた二人は、笑みを浮かべて缶をぶつけあった。 「アセイリアにも飲ませてあげないとね」 「ああ、アイツが最大の功労者だからな」  なあとウルフは、貴賓室に居るはずのアセイリアに声を掛けた。だがウルフの呼びかけに、アセイリアからの応答はなかった。 「おい、アセイリア。聞こえているのなら返事をしろっ、おい、アセイリア!」  大声で怒鳴ったウルフだったが、それでもアセイリアからの応答はなかった。 「今から、特別棟に行けるかしら?」 「無理とは言わないが、現実的でないのは確かだ。すでに建物全体の崩壊が始まっている」  ウルフの言うとおり、いたるところで天井が崩れ始めているのがモニタに映し出されていた。黒煙が上がっているのは、何かに引火したのが理由だろうか。 「アセイリアは脱出したと思う?」 「なんの連絡もなしにか?」  くそっと、ウルフは中身の入った缶を地面に叩きつけた。かろうじて勝利を得たが、失った代償があまりにも大きすぎた。奇跡でも起きない限り、アセイリアの生還は望めないと分かってしまったのだ。  大将たちの話を聞いているうちに、アズライトはどうしようもない腹立たしさを感じていた。いけ好かない女はいけ好かないままでいればいいのに、どうしてこうも献身的な真似をしてくれるのだ。しかも集まった大将たちは、皇女の自分ではなくあの女のことを心配してくれる。あの女は憎くて仕方がないが、かと言ってザイゲルに始末されるのも気に入らないし、献身的に死なれるのはもっと気に入らなかった。それに天災の二つ名も生かせず、子供のように駄々をこねているだけでは、自分のプライドが許してくれないのだ。  そう自分に言い聞かせ、アズライトは物質変換装置ラルクを指に嵌めた。まだ割り切れないところはあるが、今の自分にはこれ以外に力を示す方法が無かったのだ。 「アリエル、あの女の居場所は分かりますか」  非在化して通路を抜けだしたアズライトは、そのままアリエルを呼び出した。いつ周りが崩れるのか分からない状況で、実体化するわけにはいかなかったのだ。 「建物をスキャンしています。どうやら、脱出経路は先ほどの通路しか残っていないようです。ただ、まだ何人か生存者が取り残されているようです。差し出がましいようですが、生存者に道を示すべきではないでしょうか」 「私はっ!」  そんなことはどうでもいい。そう言いかけたアズライトだったが、すんでの所でその言葉を飲み込んだ。その言葉を口にした時、自分は皇女としての誇りも失ってしまうことになる。いけ好かない女を糾弾することのできない、最低の存在になってしまうのだと。 「分かったわ。まず、生存者の方に案内しなさい」 「はい、直ちにナビゲートいたします」  アズライトの前に浮かび上がったアリエルは、小さな体でこっちだと指さした。 「生存者は固まっているようなので、比較的短時間で済むかと思います」 「何人ぐらい生き残れた?」  ほかに脱出経路が無ければ、すでに脱出した大将達と、これから救出する者達だけが生き残りなのだろう。大きな被害に、アズライトはザイケルに対する怒りの炎を燃やした。 「30人ほど、と言う所でしょうか。脱出された方と合わせ、生存者は100名未満と言う所です」  特別展望室には、千人以上が収容されていたはずだ。それを考えると、1割も生き残っていないことになる。しかも爵位保有者が大半だと考えると、テラノにとって大きな痛手となってくれるだろう。上位がごっそりと消えることは、軍や行政に大きな影響を与えることとなる。  ますます腹立たしいと憤慨しながら、アズライトはアリエルのナビゲートに従って生存者の所へ急いだ。非在化とラルクによる治療のおかげで、けがの方も気にならなくなっていた。 「私はアズライト。皆さんご存知の帝国第二皇女です。ここは間もなく崩れます。脱出口は地下に一つ残っています。そこに逃げ込めば、ひとまず安全です! みんな、助け合ってあと2階だけ下に降りてください」  生存者の集団を見つけたところで、アズライトは一度非在化を解除した。そして大声を上げて、全員に避難するようにと命じた。まだあきらめる必要などなく、意志さえあれば生き残ることができるのだと。  アズライトの言葉に、全員が一斉に項垂れていた顔を上げた。動かなくなった足に鞭を打ち、指示された通り地下の脱出口に向けて歩き始めた。 「アズライト様は脱出されないのですか?」  そのうちの一人、両側を支えられた老人は、逃げないのかとアズライトに尋ねた。 「私は、皇族としての務めを果たします。ラルクがあれば、誰も私を傷つけることはできません。ですから、私のことを気にしないで、みなさん自分の身を守ってください」  アズライトの言葉に、その老人は「ああ」と天を仰いだ。そして思いもよらないことをアズライトに教えた。 「まだ若い女性が、皇女殿下が私たちのことを見捨てないと仰ってくれました。だから、ぜったに諦めてはいけないのだと言われたのです。ですから私達は、動かない足を引きずってここまで何とか辿り着くことができました。あの人の言っていたことは本当でした」 「その女の人は、私が絶対に来ると言っていたのですか!」  それが誰のことかなど、今さら確認する必要もない。ますます気に入らないと憤慨したアズライトは、脱出する生存者たちを見送り先を急いだ。 「それで、あの女の居場所は掴めた?」 「それが、ここから先に生命反応が検出できません。残念ですが、手遅れではないでしょうか」  戻られたらと提言したアリエルに、もっと探せとアズライトは命じた。 「あの女の死体でも確認しない限り、私は戻りませんからね!」 「原形を保っていてくれればいいのですが」  建物の崩れ方を見ると、下敷きになっている可能性が大いにあったのだ。そうなると、正視できるとはとても思えなかった。 「構いません。とにかく探しなさい!」  こうなったら、頑として言うことを聞いてくれない。安全上の問題が無いのは分かっているので、アリエルは仕方がないとアセイリアの居そうな場所を走査した。 「非常に微小ながら、生存者の反応を確認しました。場所は、貴賓室になります」  どうしてと不思議に思ったアズライトだったが、そこが全体を俯瞰するのに都合が良いことを思い出した。作戦指揮を執るのであれば、確かに最適な場所に違いない。  もう一度非在化状態に戻ったアズライトは、重力に逆らって天井を抜けて行った。それが、一番早く目的地に辿り着ける方法だったのだ。  非在化したまま3層をすり抜けたアズライトは、床をすり抜けて貴賓室へとたどり着いた。そしてぐちゃぐちゃになった部屋の様子に、酷いと思わず口もとを押さえてしまった。当たり前だが、押しつぶされた死体がいたるところに転がっていたのだ。この状況で良く自分が助かった。部屋の状況に、奇跡ではとアズライトも恐怖したほどである。 「アリエル、生命反応はどこ?」 「窓際の椅子……あそこです」  アリエルの指さす方向を見たアズライトは、床に転がっているアセイリアを見つけた。ほとんど死体に見えるのだが、アリエルのデーターが正しければ、まだ命を保っているようだ。 「急いでください。天井が崩れます」  示された方向を見ると、確かに今にも崩れそうな天井があった。とっさにアセイリアを非在化させて救おうとしたアズライトだったが、その瞬間ヨシヒコのことが頭によぎってしまった。 「ラルク、天井を素粒子にまで分解しなさい!」  そのため一番安全な方法をとらず、崩れ落ちる天井を消滅させた。ひとまず危機が去ったと安堵して、アズライトは非在化を解いてアセイリアの所に駆け寄った。 「アリエル、どう、助けられそう?」  本当に生きているのかと疑いたくなるほど、アセイリアは血まみれになっていた。美しかった顔もつぶれ、所々で白い骨が顔をのぞかせていた。 「そのあたりは何とも。私のデーターをラルクに送れば、応急措置ができるかと思います。ただ、その間アズライト様が危険に晒されるのでお勧めできません」 「アリエル。ラルクにデーターを送りなさい。ラルク、アセイリアの体を再構成しなさい!」  自分が危ないと言う忠告にも、アズライトは少しも躊躇うことは無かった。忠実にアズライトの命令に従ったラルクは、赤い光でアセイリアを包み込み、その体を再構成していった。顔をのぞかせていた白い骨も再生した皮膚の下に隠れ、流れ出ていた血も今は止まっていた。そして治療開始から5分経ったところで、アリエルはここまでですとストップを掛けた。 「アズライト様、ここではこれ以上は不可能です。ここから運び出さないと、これ以上の治療は行えません」  それからと、アリエルはアズライトに自分の治療をするように進言した。 「頭から血が流れています。天井からの小さな瓦礫にぶつかったのでしょう」  そう言われて初めて、アズライトは頭に鈍い痛みがあるのに気が付いた。いつの間にと手を当ててみたら、べっとりと血ついて慌ててしまった。 「ラルクっ!」  酷使しすぎかと思ったが、さすがにこのままにはしておけないだろう。アセイリアの治療を止めたアズライトは、次の自分のけがを治すことにした。  身体データーのすべてが登録されていることもあり、自分の治療は瞬く間に終わってくれた。そこで落ち着いたアズライトは、ようやく窓の外を見る余裕が生まれた。そして、破壊されたアルファケラスを見つけて驚きの声を上げた。 「凄い、まがい物とは言え、アルファケラスを停止させているわ」  まともな方法で、テラノにアルファケラスが止められるとは思えない。しかも増援が来ていないところを見ると、学生が自力でアルファケラスを仕留めたと言うことになるのだ。それは、彼らが独力でなし得る成果で無いのは明らかだった。 「あなたが、手引きしたわけね」  ここまでくれば、自分もアセイリアを認めないわけにはいかない。大した物だと、アズライトは宇宙の広さに感慨を覚えた。まだ予断を許す状況でないのは確かだが、テラノに対する認識を改めなければと考えたほどである。 「アリエル、ザイゲルの状況はどう?」 「およそ、1万の艦隊が現出しました。位置は、火星軌道外周部小惑星体の外です」  これで、ザイゲルとテラノの衝突が現実のものとなった。そうと小さくつぶやいたアズライトは、「お父様は」と父親の行動を尋ねた。 「まだ、動かれていないようです。聖下のお考えを推測すると、多少の犠牲が出ることは予定されているのではないでしょうか?」 「お父様とお母様ならあり得ることね」  その目的がどこにあるのか、さすがにアズライトでも推測することはできなかった。ただみすみすテラノを破壊させるとは思えないので、何かの目的があるはずだと考えていた。もしかしたら、この戦いでテラノを鍛えようとしているのか。まだ続く戦いを見ながら、アズライトはぼんやりとそんなことを考えていた。遠くを見れば、ザイゲルとの戦いはスタジアムを超え街中へと場所を変えていた。 「ラルク、アセイリアを非在化して」  思索にふけっていたアズライトは、戻らなければと自分の役目を思い出した。最悪のアルファケラスのまがい物が倒された以上、地上での戦いはテラノの勝利に終わるだろう。ただ、その陰では多くの人々が犠牲になったのは確かだった。この後控えている戦いでは、更に多くの人が死ぬことになるのだろう。  非在化させてアセイリアを浮かせたアズライトは、床を通り抜けて地下の脱出路へと急いだのだった。  マリアナ達が出撃した時には、すでに会場全体は酷いパニックに見舞われていた。しかも守るべき相手、アズライトのいた特別棟からは黒煙が立ち上っていた。 「我々は、冷静に役目を遂行する。目標はジーベン。右上腕部関節に攻撃を集中せよ!」  この戦いのために、マリアナ達は武装を換装していた。威力的には御前試合で使用していたものに劣るが、貫通力を重視して高速徹甲弾を使用した。少しでも敵にダメージを与えることで、自分達を排除すべき敵として認めさせなければならなかったのだ。  そしてこの攻撃は、一定の成果を得ることに成功した。マリアナたちを無視していた5機のセンチネルタイプが、一斉にマリアナ達めがけて攻撃を始めてくれたのだ。御前試合とは違い、その攻撃はこれまで以上のスピードを持っていた。 「全員後退しつつ攻撃を続行。まずは、ジーベンを離脱させる。右脚部膝関節に攻撃を集中しろ! 加えてメインカメラに目潰しをかける。タール弾を発射っ」  アセイリアから渡された作戦書に従い、マリアナは次々と指示を出していった。そして指示を出しながら、アセイリアの正体に疑問を感じていた。いくら頭が良くても、実際の作戦立案をしたことがなければ、これだけ有効な攻撃を繰り出すことが出来ないはずなのだ。だがマリアナは、これまでアセイリアと言う女性のことを耳にしたことがなかったのだ。だとしたら、一体どこで作戦指揮の訓練を受けたのか。次々に指示を出しながら、おかしいと言う気持ちを抑えることができなくなっていた。  舐めすぎたと言うのは、ここまでくれば認めざるを得ないことだろう。たかが学生の操るホプリタイに、自分達ははっきりと翻弄されているのだ。苦虫を噛み潰したような顔をして、ヨルムハッセは最後の詰めを誤ったことを悔しがった。  すでに最初の目的、アズライト皇女の暗殺には成功している。その意味で彼らの勝利なのだが、最後に味噌をつければ帰ってから笑いものになってしまう。それもあって、ヨルムハッセはムキになって学生達を追いかけた。アルファケラス一機を残すことになるのだが、そのことについては何の不安も感じていなかった。量子障壁さえ展開すれば、アルファケラスにはあらゆる攻撃は通用しないのだ。  それこそ、この地域全体を吹き飛ばすほどのことをしない限り、アルファケラスが撃破されることはない。そこまでするには、住民の避難を考えればかなりの時間を要することになるし、自分達はそこまで時間を掛けるつもりは毛頭なかったのだ。この馬鹿げた鬼ごっこにしても、間もなく決着がつくとヨルムハッセは信じて疑っていなかった。  その意味で、ジーベンが離脱したのは予定外の事だった。ただ離脱をしたと言っても、脚部関節を破壊されたのが理由である。よく考えたなと、苛立ちながらも関心したほどだった。 「だが、その追いかけっこもこれで終わりだ」  暴れる側と違って、守る側は回りに守るべき者が存在している。それもあって、機動力は彼らの方が上回っていたのだ。だからこの追いかけっこも、間もなく終りが来ると確信していた。  だが余裕のあったヨルムハッセの顔は、すぐに青ざめることとなった。落ちることがないと信じていたアルファケラスの識別信号が突然消えたのだ。あり得ない出来事に、彼らは追撃を止めるという失態を犯してしまった。 「ジェライド、一体何があった!」  学生の追撃をひとまず棚上げにしたヨルムハッセは、現状の確認を優先した。だがいくら呼び出しても、ジェライドからは何の応答もなかった。 「ナノラッセ、アルファケラスの状況を確認できるか!」  脚部関節破損のため、ナノラッセはアルファケラスからさほど離れていないところで待機していた。速度さえ期待しなければ、移動ができる状態にあった。  そしてヨルムハッセの命令から少し経ってから、ナノラッセから確認の報告が上げられた。 「あ、アルファケラス活動停止。被弾箇所を複数確認しています。ジェライド殿との連絡が付きません!」  同時に送られてきたデーターに、ヨルムハッセは顔色を蒼白にした。たかがテラノと侮った結果、自分達は甚大な被害を被ってしまった。なぜアルファケラスが量子障壁を解除したのかは分からないが、受けた攻撃を見る限り、伏兵が潜んでいたことは間違いない。 「各自、遠距離からの狙撃に対処せよ。我々は、いったんジーベンの所まで後退する。鬼ごっこのお遊びはここまでとし、アルファケラスを破壊し、現場からの撤退を行う」  実戦の経験が無いとは言え、ヨルムハッセは長年訓練を続けてきた軍人だった。即座に撤退を判断したのは、妥当なものに違いない。だがヨルムハッセは、地球を舐めすぎていたことをすぐに思い知らされることとなった。合流ポイントとしたジーベンの識別信号が、彼らが到着する前に消滅したのだ。どうやってと言うのは分からないが、破壊されたことは疑いようがないだろう。 「テラノを侮りすぎたか……」  くそっと歯噛みをしても、すでに後の祭りとなっていた。こうなると、自分たちの脱出すら困難となる。 「ツヴァイドライグ、応答してくれ、ツヴァイドライグ!」  そして頼みの綱のツヴァイドライグとも連絡が取れなくなっていた。ここまでかと覚悟を決めたヨルムハッセは、残った全員に最後の作戦を指示した。 「我らに残された時間は短い。残る時間で、この街を可能な限り火の海に変える。各自散開し、徹底した破壊を実行すること。第一優先は、ドーレズの収容された領主府警察本部!」  散れと言う命令と同時に、残された4機のセンチネルタイプが一斉に行動を開始した。だがこの行動も、すでに地球の対応に対して後れを取っていた。ヨコスカから急行したスカイアークが、彼らの機体を照準にとらえたのである。  ヨルムハッセがスカイアークの接近に気付いたのは、仲間の機体が次々と沈黙させられたのと同時だった。敵の破壊力を考えれば、自分達が生き残ることはありえないだろう。 「だが、アズライト皇女は俺達が仕留めた。この戦いは、ザイゲルの勝利に違いない。あばよ、間抜けたナークド達め」  その捨て台詞と同時に、ヨルムハッセの乗るセコリアスは、スカイアークの対地重砲に撃ち抜かれた。いくら強固な装甲を持っていても、それ以上の攻撃の前には無力でしかなかったのだ。  全機破壊と言う報告を、レイア・ホメ・テラノ・バルタン大将は避難通路の中で受け取った。大きな被害こそ出したが、これで地上の脅威は排除したことになる。残るはメインベルト近辺に現れたザイゲルの艦隊だが、それは彼女の責任外のことだった。 「イェーガージェンヌの排除が完了しました。これで、地上の脅威はすべて排除が完了しました」 「学生たちはどうなったのかね?」  すでに受けていた報告で、士官学校の学生が出撃していたのは聞かされていた。相手を考えれば無事では済まない戦いに、ジェノダイトは彼らの安否を気にした。 「出撃した10機、および狙撃に加わった2機とも無事との報告を受けています」  マグダネル大将の報告に、ジェノダイトはほっと胸をなでおろした。最悪の事態の中、ようやく安心できる報告を聞いた気がしたのだ。 「サンダース大将。宇宙の方はどのような状況ですか?」  地上を制圧したのなら、もう一つの懸念は宇宙と言うことになる。そしてこちらの方は、地上に比べてさらに分が悪かった。 「双方の艦艇が、アステロイドベルト近辺に集結しているところです。ザイゲル艦隊は推定1万、そして地球艦隊は8千と言うのが現状です。残りの2千は、地球周辺の防衛にあたっています」  技術の面でも数の面でも、地球はザイゲルに劣ることとなる。それを考えると、大きな損害が予想されるのだ。帝国艦隊の到着が遅れれば遅れるほど、地球の受ける被害は大きなものとなってくれるだろう。  渋い顔をしたジェノダイトに、こちらにあるのは地の利だけだとサンダース大将は答えた。そして地の利を生かすべく、仕掛けを用意しているのだと。 「仕掛け、ですか?」  疑問を顔に出したジェノダイトに、サンダースは小さく頷いた。 「どこまで有効かと言う問題はあるがね。あらかじめ工作船を配し、小惑星にラム推進機関を取り付けた。当たってくれれば御の字、当たらなくても混乱ぐらいはしてくれるだろうて。少しでも敵の精神的余裕を奪ってやれば、判断に狂いが出るし、撤退も早まることだろう。電子戦では圧倒的に不利だが、情報戦ならばこちらには優位に立つための方策があるからな」 「それは?」  ジェノダイトの催促に、サンダース大将はアズライトの名前を挙げた。 「宇宙を飛び回る天災が、やられっぱなしになるとお考えですかな? 皇女殿下を評価しているザイゲルだからこそ、報復を恐れてくれることでしょう。なあに、皇女殿下が切れたと情報を流してやれば、奴らも平静ではいられないでしょうな」 「確かに、アズライト様が大人しくしているとは考えないでしょう。腹いせを考えていると流してやれば、彼らも生きた心地はしないでしょうな。アズライト様は命を狙われたのですから、仕返しをされる正当な権利をお持ちだ」  情報の流し方には注意が必要だが、サンダース大将の指摘は間違ったことを言っていない。この戦いかどうかは別にして、間違いなく報復は実施されることだろう。 「理想的なのは、できるだけ正面からの衝突を避け戦闘を長引かせることです。そうすれば、敵に補給の問題が生じるのと同時に、帝国艦隊の介入を気にしなければならなくなります。そうは言っても、我々には戦い方を選択できる余地はないでしょう」 「それでサンダース大将。戦いはどの程度続くとお考えですか?」  帝国との関係を考えれば、ザイゲルが短期決戦を狙ってくるのは目に見えている。その場合、彼らがどの程度の期限を切っているのか。ジェノダイトは、それを気にした。 「およそ、1ないし2週間と言うところでしょうな。それ以上太陽系にとどまると、間違いなく帝国艦隊が現れることになります。彼らは、帝国艦隊出現の兆候が見える前に撤退を考えるでしょう」 「2週間ですか。なかなか長いですな……」  宇宙規模の艦隊戦と考えれば、2週間と言うのはかなり短い部類となるだろう。だが実力の伴わない地球艦隊にとって、2週間と言うのは気が遠くなるほどの時間でもある。その短い時間の間で、いったいどれだけの戦力を失うことになるのか。その立て直しを考えるのも、テラノ総領主の仕事となってくれる。 「可能な限り、総領主殿を悩ませないように努力いたします。艦隊だけでなく、火星に被害を出せば屋台骨が揺るぎかねませんからな。次のことを言うのは時期尚早だとは分かっていますが、嬢ちゃんを含めて経験を積ませておく必要がありますな」  そのためには、この試練を乗り切る必要がある。その責任が、テラノ宇宙軍に掛かっていたのだ。 「と言うことなので、私もすぐに宇宙に上がります。お見送りできないのは心苦しいのですが、皇女殿下によろしくお伝えください」  左腕に添え木をしたまま、サンダース大将はジェノダイトに向かって敬礼をした。扱いとしてすでに傷病兵となっているのだが、誰もサンダース大将を止めなかった。ここから先は、責任者が責任を全うする必要があるのだ。それを引き留めるのは、サンダース大将に対する侮辱にもなると全員が考えた。  しかも式典会場での戦いで、宇宙軍の指揮系統にも少なからぬ被害が発生している。それを立て直すためにも、サンダースが宇宙に上がる必要があったのだ。  こうして地球は、帝国加入以来初の、そして歴史上でも初となる宇宙戦争へと突入していったのである。  サンダースを見送ってほどなく、アセイリアを救出したアズライトが脱出口へと戻ってきた。天井をすり抜け突然現れた姿は、地球人にとっては天使の降臨に見えたかもしれない。広げた両腕の上にアセイリアを浮かせて現れたアズライトは、光り輝く姿と併せてこの世のものとは思えないほど美しかった。  脱出口に現れたアズライトは、そこにいた全員の顔を見てから非在化を解消した。そしてアセイリアを地面に寝かせて、再度アリエルを呼び出した。 「アセイリアの基礎データーを呼び出して」 「はい、アズライト様。基礎データーをラルクに転送します」  アリエルの答えと同時に、アズライトの左手薬指に嵌められた指輪が赤く光った。登録された基礎データーをもとに、アセイリアの体を再構築しようと言うのである。すでに応急措置が取られているおかげか、外見上の変化はほとんど表れていなかった。 「私と違って、アセイリアには詳細データーは登録されていません。今行っているのは、あくまで応急措置にしかすぎませんからね。至急治療の準備を進めなさい。彼女を死なせたら、小父様にも相応の責任をとってもらいます。良いですか、彼女は私の獲物なのですからね」  そこで小さくため息を吐いてから、アズライトはラルクに停止を命じた。ラルク自体の効果は絶大だが、データーの無い状態での使用を継続すると、再構成された物は本人と違うものになりかねなかったのだ。 「それで、外の様子はどうなっています?」  アズライトの問いかけに、私がと言ってマグダネル大将が進み出た。 「ザイゲルが持ち込んだ6機のホプリタイの破壊に成功しました。迎撃に出た学生たちは、多少の損害はでていますが、全員無事と言うことです。ただ、会場にいた者達にはかなりの死傷者が出ています」  貴賓室で見た惨状を考えれば、死者が相当な数に上るのは予想ができることだった。ぎりっと奥歯を噛みしめたアズライトは、正確な被害状況をマグダネル大将に求めた。 「それで、どの程度の死者が出たの?」 「正確な数値はこれからなのですが……競技場にいた半数以上、すなわち5万以上と言うことです。死者の多くは、敵の攻撃によるものと、パニックによる圧死となっています。市街地については、学生たちのおかげで人的被害は小さくなっています。もちろん、それ相応の被害は出ていますが……」  被害が発生した場所を考えると、数字以上のダメージがテラノを襲ったこととなる。それを理解したアズライトは、他に被害は出ていないのかと確認した。 「それで、テロが発生したのはここだけ?」 「今の所、そのように報告を受けています。ただ、引き続き警戒を行っています」  それでいいと頷き、アズライトは宇宙の状況を確認した。 「偽物を運んできた、ツヴァイドライグの偽物はどうなったの?」  破壊力で行けば、戦艦の方がはるかに大きなものとなっている。懐深くまで入り込まれたことを考えると、そちらの被害の方がさらに大きくなるはずだった。しかもザイゲルとの戦争を控えている以上、致命的なものになりかねない問題でもあったのだ。 「サンダース大将が戦場に出発されましたので、続報は無いのですが。ツヴァイドライグの偽物は、大事になる前に無効化に成功しています。これから武装解除を行うことになるのでしょうが、優先順位としては低いものになっています」  そちらは理解したと、アズライトはさらなる情報を求めた。 「ザイゲル軍との衝突は?」 「現時点で、火星軌道より外側のアステロイドベルト帯に両軍が終結しています。本格的な衝突には、まだ時間が掛かるのではないでしょうか」  ムカつく気持ちを押さえ、アズライトは自分がどのように行動すべきかを考えた。直接の介入は、皇女の立場として好ましくはない。だが、黙って帰っては、どうにも腹の虫が収まらないのだ。そもそもザイゲルの脅威が無ければ、自分が色々と酷い目に遭うことは無かったはずだ。 「私に支援してほしいことはある?」 「お立場上、介入をお願いできないのは理解しています。ですから、少しだけお名前を利用させていただければと考えています」  そう前置きをし、ジェノダイトはサンダース大将に聞かされた話を伝えた。アズライトが激怒しているとの情報を流し、報復情報に信憑性を持たせるのだと。 「生温いですね。私は、グリゴンを焦土に変えてやろうと考えているのですよ。抵抗すれば、あと二つ三つは星系を消してやることを考えています。絶対に、ただで済ますわけにはいかない。私の今の言葉を、ザイゲルにそのまま伝えてあげなさい。天災と言われた皇女を甘く見るな。それぐらいで、十分でしょう」  期待以上の言葉に、ジェノダイトはアズライトに感謝の言葉を口にした。だが、アズライトは、これはテラノのためではないと言い返した。 「そうしないと、腹の虫が収まりません。アセイリアに仕返しができなくなりましたから、その分も合わせてザイゲルに罰を与えることにします」 「アセイリアに仕返しをしない……のですか?」  驚いたジェノダイトに、アズライトは不満そうに頬を膨らませた。 「色々と文句はありますが、今はそのことには触れないことにします。それぐらいの分別は、私にだってあるんですよ。だから小父様には、これを預けておくことにします」  そう言って、アズライトは首から下げていたIDをジェノダイトに手渡した。 「これは?」 「ご存じのとおり、ヨシヒコのIDです。これをあの女に預けておきますから、次に会う時まで大切にするようにと申し付けてください。あの女には、今はこれだけにしておきます」  そう言い放ったアズライトは、もう一度アリエルを呼び出した。 「私の船の出港準備はどうなっています?」 「あと、3時間ほどで整うのかと。すぐに、ご出発なさいますか?」  アリエルの問いかけに、アズライトはジェノダイトの顔を見た。 「私が居ると邪魔になりそうですから、準備が整い次第出発することにします」  センテニアル準備のことを当てこすられ、ジェノダイトは少しだけ口元を歪めた。 「お早い出立ですな」 「小父様には、早くこの星から帰りたいと言ってあると思います。それを言葉通り実行するだけのことです。そのことに、何か疑問でもありますか?」  平然と言い返すアズライトに、完全に復活したのだとジェノダイトは安堵した。まだ地球の危機は去っていないが、皇女訪問と言うイベントは乗り切ることができたのだと。  その安堵が顔に出ていたのか、アズライトは「安心しないでください」とジェノダイトに告げた。 「小父様への処分は、追って連絡をさせていただきます。こう見えても、私はとても執念深くて諦めが悪いのですよ」  美しい顔を邪悪に歪めたアズライトに、見た通りだなとジェノダイトは小さくため息を吐いた。とは言え、皇女相手にあそこまでしたのだ。それを思えば、何事もなく終わらないことは覚悟をしていたことだ。 「そう言うことです。ですから、首を洗って待っていてください。では、軌道上に行くコミューターの準備をお願いしますね。それから、マリアナさんにメッセージを残しておきますので、必ず伝えてくださいね」  そう言うことですと言い残し、アズライトは領主府への道を進んでいった。すでに、1週間前の打ちひしがれた姿はどこにも残っていない。むしろ前以上に凶悪となった、宇宙を飛び回る天災の姿がそこにはあった。 「ますます、アセイリアの言う通りと言うことか」  これで、皇位継承にも影響が出るのか。近い将来の混乱に、ジェノダイトは帝国の未来を夢想した。  アセイリアが目覚めたのは、救出されてから7日後の事だった。全身を襲う苦痛で目を覚ましたら、そこには見覚えのない天井があった。 「どうやら、私は生きているようですね」  自分の存在を示すために声を挙げたのは覚えている。だが残っているのはそこまでで、その直後からの記憶ぷつりと途絶えていた。 「動けないのは、動かないように括りつけられているからですか」  わずかに動く首を動かしてみれば、ここがどこかの病室であるのは推測できる。ただ情報こそ得たが、その代償は全身を襲う激痛だった。涙と脂汗を滲ませたアセイリアは、全身を襲う激痛が過ぎ去るのを待った。漏れ出るうめき声もまた、彼女の激痛の理由となってくれる。それでも声も出さずに耐えられるほど、彼女を襲った激痛は生易しいものではなかった。結局激痛の連鎖から抜け出すのに、それから10分ほどアセイリアは耐え続けなければならなかった。そして気持ちが落ち着くまでに、さらに20分ほど時間を待たなければならなかった。  なんとか気持ちが落ち着いた時には、彼女の美しい顔は脂汗と涙にまみれていた。 「動けないように括りつけられているのはこれが理由ですか……」  顔がベタベタして気持ち悪いのだが、この状況では自分で拭くことも出来ない。看護師でも来てくれないかと、アセイリアは切に願っていた。だが周りからは、何の物音も聞こえてこなかった。 「命が助かったばかりで、贅沢を言っていることは分かるのですが……それにしても、誰か顔を出してくれないのでしょうか」  そうすれば、このどうしようもない気持ち悪い状況から逃げ出すことが出来る。それに、どうして自分が助かったのかを聞くことが出来る。記憶に残る状況では、自分を助けることは不可能に等しかったのだ。もしもこれが奇跡というのなら、その奇跡を起こせる相手には一人しか心当たりはなかった。  もっともその相手にとって、自分は絞め殺したいほど憎い相手に違いない。それを考えると、素直に助けてもらえたとはとても思えなかった。 「そもそも、あれから何日経ったのでしょう」  目に映る範囲には、日付の経過を示すものは何もなかった。ただ有ったのは、花瓶に生けられた花ぐらいのものだった。 「動けない以上、誰かが顔を出すのを待つ以外にありませんね」  早く誰か助けに来てくれないか、天井を見つめながらアセイリアは呟いた。  ジェノダイトが現れたのは、アセイリアが助けてと音を上げた時の事だった。看護師と現れたジェノダイトは、目を覚ましたアセイリアを見つけて顔に笑みを浮かべた。これで、彼にとって肩の荷がようやくひとつ下りてくれたのだ。ただアセイリアから見ても、ジェノダイトの顔には強い疲労がありありと見て取れた。 「どうだね、どこか痛くないところはあるかね?」  普通ならば、痛いところを聞くべきだろう。だがジェノダイトの質問通り、痛くないところを探すほうが難しかった。看護師の世話を受けながら、アセイリアは「心当りがない」と正直な気持ちを口にした。 「それより、あれから何日経ったのですか?」  時間の感覚が欠如したこともあり、それが一番の心配事だった。 「ああ、あれから1週間が経過している。予め言っておくが、すでにアズライト様は帝星リルケに向けて出発されている。予定通りに行けば、そろそろ到着されることだろう」  ジェノダイトが教えてくれたアズライトの情報に、アセイリアは大きく安堵の息を漏らした。そして同時に襲ってきた苦痛に、身動きもできずに身悶えた。 「まだ無理の出来る体ではないのだ。だから、安静にしていなくてはいけない。それからもうひとつ教えておくと、君を救ったのはアズライト様だ。ラルクを使い貴賓室に戻られ、死にかけていた君を連れて戻られた。途中で30名ほど逃げ遅れたものを見つけられたので、地下の避難通路に誘導してくださった」  それが正しければ、アズライトは無事立ち直ったということになる。安堵の息を吐きかけたところで、アセイリアは直前のことを思い出し、なんとか思いとどまった。それでも、全身に苦痛が襲うのを避ける事は出来なかった。 「アズライト殿下は、無事お帰りになられたということですか。しかし、よくも私を助ける気になりましたね。もしかして、自分の手でとどめをと思われたのでしょうか」  アセイリアの記憶に残るのは、恋人の敵を見るアズライトの眼差しだった。それを考えると、他人に獲物を横取りされるのを嫌ったとも言える。 「それを否定するだけの根拠は私にはないよ。確かにアズライト様は、自分の獲物だと君のことを言っていたからね。ああ、それからアズライト様から、君に預け物と伝言だ」 「私に、ですか?」  そうだと認めたジェノダイトは、サイド机から鎖のついたIDを取り出した。 「これを君に預けておくから、次に会う時まで大切にするようにとのことだ」 「それは、ずいぶんと微妙なメッセージですね。正直、私でも解釈に困ります」  声から伝わる困惑に、ジェノダイトは小さく笑いを漏らした。 「君でも、アズライト様のことで分からないことがあるのか」 「なんでも分かるほど、一緒に居た訳ではありませんよ。しかし、また地球にお出でになるつもりでしょうか。ですが、皇女殿下をお招きするような式典はしばらくなかったはずです」  それを考えると、再会することは考えられないと言うのだ。その話を聞いて、ジェノダイトは「甘い考えだ」とアセイリアを笑った。 「アズライト様は、宇宙を飛び回る天災だと言うことを忘れてないかね。その気になったら、一人でテラノまでやってくる行動力を持たれている」 「私は、意外に常識的だとも申し上げたはずです。皇女としての務めを忘れなければ、わざわざ地球までやってくるとは思えません」  だから、地球に来ることはあり得ない。そう分析したアセイリアに、だったらとジェノダイトは別の可能性を指摘した。 「君が、帝星リルケまで呼び寄せられるのではないか? 出頭命令が出されたら、私には引き伸ばしは出来ても拒否することは出来ないのだよ」  ジェノダイトの指摘に、十分にありえることだとアセイリアは理解した。そしてそれなら、いくらでも口実が立ってくれるのだ。 「皇帝聖下と皇女殿下なら、きっとそうされるのでしょうね。やはり、私の運はとことん悪いようです」  そう言って嘆いたアセイリアに、ジェノダイトは「いやいや」と大きく首を振った。 「君は、皇女殿下に強烈な印象を与えたのだ。それを考えれば、類稀なる幸運と言っていいのではないか?」  将来を考えると、ジェノダイトの考えもひとつの可能性に違いない。だがアセイリアは、それでも運が悪いと主張した。 「宇宙を飛び回る天災に目をつけられたのです。どう考えても、まともな未来が待っているとは思えません。それは、普通に考えれば運が悪いというのではないでしょうか」 「皇帝聖下にまで目をつけられたら、更にその下を見ることになるかもしれないな」  口元を抑えて笑いをこらえたジェノダイトは、一転真面目な顔をして「どうするつもりかね」と意図を掴みにくい問いかけをした。それでもアセイリアは、正しく質問の意味を受け取っていた。 「当面、このままでいいと思います」  アセイリアの答えに、そうかとジェノダイトは小さく頷いた。 「君がそれでいいというのなら、私はこれ以上何も言わないことにしておこう」  これで課題は先送りにされた。そう考えたジェノダイトは、残る課題をアセイリアに説明した。 「ザイゲルのテロによる犠牲者だが、確認されただけで5万人を超えた。そのほとんどが、ヨコハマパークの観客だ。しかも爵位保有者も、2万人ほど犠牲になっている。侯爵、伯爵レベルは全滅に等しい被害を受けた。なにしろ貴賓室にいて助かったのは、アズライト様と私だけだったのだからな。君には、どれだけ感謝してもし足りないと思っているよ。その感謝と言う意味ではないが、君さえ良ければ、私の養子になって欲しいと思っている」 「総領主様の養子にですか?」  驚いた顔をしたアセイリアは、すぐに遠慮するとジェノダイトに断った。 「総領主様の隠し子ではないかとの噂も出ていたのですよ。養子にしたら、やはりそうなのだと回りから見られてしまいます。それに、私はアズライト様をお助けしただけで、ジェノダイト様はそのおまけです。ですから、それほど恩に感じていただかなくて結構です。私はただのアセイリアで十分ですよ」  はっきり断られ、ジェノダイトは「そうか」と残念そうな顔した。そして元気を出すように、「統合司令本部だが」と発足して歴史のない組織を持ちだした。 「センターサークルの奴らが、君に会わせろと直訴してきた」 「みんなに、ずいぶんと助けてもらいましたね。アズガパの調査が間に合わなければ、アズライト様をお助けすることが出来ませんでした。チャングが狙撃してくれなければ、アルファケラスを倒すことが出来ませんでした。センターサークルの皆さんと仕事ができたのは、私にとって実りの多いことだと思います。私は、みんなに感謝しているんです」  穏やかに答えるアセイリアに、確かにそうだとジェノダイトも同意した。宇宙の戦いは始まったばかりで行く末が見えないが、地上の戦いは大きな犠牲は出したが地球の勝利で終わっている。その勝利の陰には、アセイリアを中心とした統合司令本部の活躍が有ったのだ。 「ならば、君の様子を見てから彼らには面会の許可を与えよう。それからもう一つ、マグダネル大将も君への面会を求めていたな」 「マグダネル閣下がですか?」  わずかに首を傾げたアセイリアに、ジェノダイトは自分の言葉を訂正した。 「正確には、名だたる大将閣下達が君への面会を求めているよ。どうやら、君は彼らに見初められたらしい。マグダネル大将は謝罪を名目にしているが、目的は君を息子の嫁にすることだろう」 「確か、ザイゲルとの戦争が始まったばかりだと思いますが?」  それを考えると、こんなことにかまけていていいはずがない。困惑を表したアセイリアに、それとこれとは別だとジェノダイトは答えた。 「いや、だからこそかも知れないな。将来のために、君を家族にしようと考えたのだろう。裏を返せば、大将閣下達も君の貢献を認めているのだよ。マグダネル大将など、部下がみんな裏返ったと笑われていた」 「確か、ずいぶんと反感を買っていたかと思います。そう言えば、宇宙軍にも嫌われていたような」  不安そうな声を出したアセイリアに、「今は逆だ」とジェノダイトは笑った。 「全員、君の熱烈なシンパに鞍替えしたそうだ。君の覚悟を前にして、自分が恥ずかしくなったのだろうとマグダネル大将は仰ってたな。そして地上でのザイゲル撃破に身を捧げた君に、彼らは救いを見つけたのかもしれない。何れにしても、4軍には君を敵視する者はいなくなった。別の意味でやりにくくはなったが、前よりはマシな状態になったと言えるだろうな」 「本来、喜ぶべきことなのでしょうね。本来は」  それなのに、なぜかため息ばかりが出てきてしまう。それに、戦いの場が宇宙に移ったため、今の自分に出番があるとは思えない。だが地上にいても、今まで以上に厄介事が降り掛かってくるような気がしてならないのだ。これも運の無さが招いたことか。大きくため息を吐いたアセイリアは、当たり前に襲ってきた苦痛に悶えながら自分の運の無さを嘆いた。 「やはり、私はどうしようもなく運が悪いようです」 「普通の生き方ができなくなったことを考えれば、確かに君は運が悪いのだろう」  だが地球の歴史に名を残すことを考えれば、それを不運で片付けていいものだろうか。それに、本当に運がなければ、テロとの闘いに勝つことは出来なかったはずだ。本人が悪いと思っている運は、当り障りのない部分だけではないのか。ジェノダイトは、そんなことを考えていた。 「宇宙での戦いにも、君の力が必要になるかもしれない。その時に備えて、今はせいぜい体を休めてくれ」 「これを乗り切れば、しばらくはザイゲルも大人しくしてくれるでしょう。もちろん、皇帝聖下が余計なことをなさらなければですが」  アセイリアの答えに、なるほどとジェノダイトは頷いた。そしてその答えこそが、彼女が宇宙に出ることを示すものだった。 「ならば、必ず君が巻き込まれることになるな。聖下が大人しくしていると言うのは、私にはどうしても想像がつかないのだよ」 「ザイゲルが反発する理由がよくわかりました。いっその事、ザイゲルと同盟を組んだ方が銀河は安定するのではありませんか」  そうすれば、銀河から諸悪の根源を駆逐することが出来るだろう。出来ないことをジェノダイトに提案しながら、アセイリアは皇帝の考えを分析してみようという気持ちになっていた。 Last chapter  惑星リルケにある皇宮の一室で、皇妃トリフェーンは夫が現れるのを待っていた。1週間ほど前にも似たことがあったのだが、今度は何が起きたのかと夫の行動理由を考えていた。  今宵のトリフェーンは、淡いライムのナイトドレスの上に僅かに色の濃い同系色のガウンを纏っていた。そして夫を迎えるために、侍女に命じて寝所に花をあしらった。特別に調合させた香をたかせたのは、雰囲気を盛り上げるためである。そして軽めのアルコールを用意して、夫が訪ねてくるのを大人しくソファーに座って待った。  アルハザーがトリフェーンの寝所を訪ねたのは、やはり帝国標準時で12時を回った時のことだった。待ちくたびれたトリフェーンが、これもまた3回目の大欠伸をしてすぐのことである。普段から多忙な夫にしてみれば十分に早い時間、そして自分を退屈させるのにも十分な時間だとトリフェーンは考えた。ザイゲルのこともあり、いつも以上にアルハザーは忙しくなっていたのだ。  「遅くなったね」と入ってきたアルハザーは、執務の時と変わりのない格好だった。今日も少し首元の詰まったベージュの上着に、同色のズボンと言うスタイルである。  遅くなったことを詫びた夫に、トリフェーンは笑みを浮かべながら首を横に振った。夫の時間が取れないことぐらい、嫌と言うほど思い知らされていたのだ。つい先日も、結局こんな時間になっていたのだ。その時よりも忙しいことを考えれば、努力をした事は想像に難くなかった。  トリフェーンに上着を渡し、アルハザーは首飾りを外してシャツの首元を緩めた。そしてお酒の用意してあるのを見て、ソファーへと腰を下ろした。 「ずいぶんと、待たせたようだね」 「それでも、思っていたよりは早かったと思いますよ」  上着をラックに掛けたトリフェーンは、ガウン姿のまま夫の隣に腰を下ろした。そしてお酒を用意し、それを夫に手渡した。 「こうするのは、1週間ぶりですね」  それから自分の分も作って、喉を湿らせるように口を付けた。 「そうだな。その時の話で、新しい情報が入ったから君に教えておこうと思ったのだよ」 「あら、もうアズライトはどうでもいいのではありませんでしたか?」  愛娘のことを「どうでもいい」と言うのは、いかにも可哀想な言葉である。だが帝国の頂点に立つ二人にとって、家族であっても、必要が無ければ切り捨ててしまう存在でしかなかった。使えなくなったと言う意味では、トリフェーンにとってはどうでもいい存在になっていたのだ。 「いや、その判断は少しだけ勇み足だったようだね。テラノの女性が、アズライトをしっかり立ち直らせてくれたようだよ。今は、すぐにでもグリゴンに乗り込むと息巻いているようだ」 「グリゴンに?」  事情が理解できない妻に、アルハザーは彼のアバターに詳細を伝えるように命じた。その命令を忠実に実行したアバター琥珀は、式典での様子をまとめてトリフェーンのアバター瑪瑙に投げつけた。 「あらあら、結構酷いことになっていたのね。そりゃあ、ここまでされて黙っているようじゃ皇女は失格だわ。でも、これぐらいじゃ合格点はあげられないわよ」  厳しいことを言うトリフェーンに、アルハザーは大きく頷いた。 「そうだね。アズライトだけなら、合格点にはほど遠いだろう。一度落ちた評判は、そうそう簡単には回復できないからね。立ち直ったとしても、それだけでは不足なんだよ」  真顔で答えたアルハザーは、妻に向かってもう一人の情報を投げ渡した。髪の長い、アズライトに負けない美貌を持つ女性の情報だった。 「これは?」 「ジェノダイトの隠し玉だよ。ザイゲルの策略を見破り、適切な対処をしてくれた。多少詰めを誤ったところはあるが、それは彼女ではなくテラノの限界が理由なのだろうね。見事宇宙を飛び回る天災を完封したことと併せて、利用してみようかと思っているんだ」  夫の説明に、そう言うことかとトリフェーンは納得した。ザイゲルを意識した場合、効果的に働いてくれることだろう。 「つまり、この娘とセットにしようと言うのね?」 「有能なパートナーと巡り合うことは、皇族にとっても重要なことだからね」  トリフェーンは、大きく頷きながら「それで」と先を促した。 「でも、この子は女でしょう? アズライトに番わせるには、色々と問題があるのではありませんか?」  妻の指摘に、アルハザーはいやいやと首を振った。 「女同士と言うのもなかなかいいものだとは思うけどね。まあ、性別転換を掛けてやればそちらは問題ないだろう。いっそのこと、アンハイドライトの嫁にすると言う手もあるがな。そもそも私は、アンハイドライトの嫁を探して来いと命じたのだからね」 「見た目も良いですから、それでも良いかもしれませんね。でも、取り上げたらジェノダイト君が文句を言いませんか? あの人、私以外に女を知らないはずだから……まあいいか。ジェノダイト君から取り上げても」  予想もしない妻の言葉に、アルハザーは思わず飲んでいた酒を吹き出した。 「いやいや、まてまて、確かに君の最初の相手は私ではないとは教えられた。だが、君がジェノと関係していたことは聞いていないぞ」 「だって、教えていませんもの」  しれっと言い返した妻に、アルハザーは脱力してソファーに身を預けた。 「確認しておくが、それは私と知り合う前のことかな?」 「さあ、それは聞かない方が宜しくありませんか? 教えてあげられるのは、そうね、あなたと結婚する前だと言うことですよ」  非常に微妙な、そして感情的には大きな問題を何事もないように口にしてくれる。妻の非常識さに、アルハザーは大きくため息を吐いた。この毒があるから、誰もが自分の妻に相応しいと考えたのだろう。 「皇妃が、2代続けてジェノダイトのお手付きになるのかね? ジェノが、私を避けていた理由が分かった気がするよ」 「男の方は、いざと言う時に肝が据わっていませんからね」  ほほほと笑ったトリフェーンは、ガウンを脱いで夫に体を寄せた。 「アズライトの件は、ひとまず様子を見ることにしましょうか。二人で暴れてくれれば、もう一度皇帝候補に戻してもいいですわね。相応しい伴侶を見つけることも、皇帝になる大きな条件ですからね」 「ああ、だからこの女性を帝国第9大学に入学させるつもりだ。入学時期に決まりはないから、準備が整い次第入学させることにしよう」  そう答えたアルハザーは、なぜか寄りかかってきた妻から離れた。妻がガウンを脱いだことを考えれば、その先に何を求めているかははっきりしていたはずだ。 「あなた、どこへ行かれるつもりですか? その気になった妻を捨てて行かれるのですか?」 「ああ、私は繊細な男だからね。さすがに、今日は萎えてしまったのだよ」  そう言って立ち上がったアルハザーは、「味見をしてみようかな」などと不穏なことを口にしてくれた。 「アンハイドライトに相応しいかどうか、父親自ら確かめてあげるのもいいか」 「そんなことを言うと。娘たちが男を連れて来た時、私も同じことをしますからね」  すかさず言い返したトリフェーンだったが、アルハザーは特に気にした様子を見せなかった。 「ジェノのことに比べれば、大したことじゃない。さすがに、この私もいたく傷ついたのだと思ってくれないか。結婚前のことじゃ、今さら仕返しもできないしな」  それが残念で仕方がない。そうぼやいて部屋を出て行く夫に、甘いわねとトリフェーンは口元を歪めて見送ったのだった。 Episode 2 ... end