Stargazers 04  フレッサ恒星系は、7つの太陽で構成された近傍恒星系である。7つの太陽は、連星になるには距離が遠く、なおかつ独立して存在するには距離が近いと言った微妙な位置関係を取っていた。そのため銀河平面に対して、7つの太陽は複雑な公転周期を持って位置関係を変えていた。  分類学的に名前をつけるのなら、さしずめフレッサα〜η(α、β、γ、δ、ε、ζ、η)と言うところだろう。もちろんその命名は、外部から観察するものの勝手な命名であり、その恒星系に住む者達はそれぞれ彼らの文化に合った名前をつけていた。  その7つの太陽のうち、最初に文明が生まれたのはフレッサεでのことだった。フレッサε……恒星ソラリの第3惑星ボルがフレッサ恒星系最初の文明発祥の地となったのである。そして惑星ボルでの文明発症がトリガとなったように、他の星系でも次々と文明が生まれていった。その様子は、まるで何者かが文明と言う種子をばら撒いたかのようでもあった。  その内訳を言うのなら、フレッサα、すなわち恒星シウルの第3惑星クエリ、フレッサβ、すなわち恒星ギグレアの第3惑星ゾフ、フレッサγ、すなわち恒星コルレアの第4惑星モス、フレッサδ、すなわち恒星ダゾーンの第2惑星ハス、フレッサζ、すなわち恒星パイラの第2惑星ボルケ、フレッサη、すなわち恒星トランケッチの第4惑星フリートとなる。  ただ文明が興きたからと言って、すぐに近傍星系との交流が始まるはずがない。それ以前に、彼らが他の惑星のことを知るようになったのは、文明勃興からかなりの時間が経過し、天文学が発達してからのことだった。ただ民間伝承的には、近くの星には異形の者が住むと伝えられていた。そして現実に、その星々に住む者は違った見た目をしていた。  そのことは、はるか昔、惑星ボルで生まれたコレクアトル大王が7星を征服したときに明らかとなった。そして見た目の違った者達は、それぞれ正人、亜人と呼ばれるようになった。つまりコレクアトルと同じ見た目をしたものを正しい人とし、それ以外は亜人と定めたのである。そして亜人は、それぞれ見た目の特徴から竜人、小人、短人、獣人、虫人と呼ばれていた。  ただコレクアトル大王から始まった正人の支配は長くは続かず、200年ほど経ったところで統治機構は崩壊することとなった。そしてそれぞれの惑星で、独立した統治機構が確立されることになったのである。ただ支配機構は崩壊したが、正人と亜人の関係は以外なほど良好で、お互いが特徴を生かしてうまく共存を行っていた。そのせいもあってか、亜人と言う呼び方は廃れ、それぞれの特徴を示す呼び方が定着した。それに合わせて、正人の呼び方も只人と言う形に修正されたのである。  ただバラバラとなった統治機構だったが、文明が更に発達したことを理由に、再統一の話がいたるところから持ち上がるようになっていた。そしてその急先鋒となっていたのが、惑星ボルを手中に収めたシャノンと言う男である。  この人は、自分の立場を理解しているのか。メインキャビンのにどっかりと腰を下ろす男を見て、彼、オハイオ・カスールは小さくため息を吐いた。これから赴こうとしているボルケとは、すでに幾度も政治統合についての話し合いが持たれ、合意も間近に迫っていたのだ。これが調印式と言うのならいざしらず、相手側の代表と直談判のために乗り出したと言うのだ。どれだけ気が短いのかと、オハイオの立場を考えれば呆れるのも無理もなかった。  だがこの船の主シャノン・ラトヒは、我関せずとばかりに傍らに座る銀狼の背中をなでている。しかもその格好は、いたって平服、すなわち首の詰まったセーターに黒い色をしたズボンなのである。立場上虚仮威しが必要との忠言にも、「窮屈は好まん」と耳を貸してくれなかった。 「惑星ボルケまでは、あと3日程となりました」  シャノンの傍らに近づいたオハイオは、耳元で小声で話しかけた。 「しかし、閣下がお出ましになる必要はなかったと思うのですが」  いかがなものかとの小言に、初めてシャノンは反応を示した。ただその反応も、オハイオの期待とは大きくずれたものだった。 「なに、お前が気にするようなことではないぞ」  あははと笑ったシャノンは、オハイオの顔を見てニヤリと笑った。 「お前は、俺がせっかちと言うのを知っているのだろう」 「少し、落ち着いていただければと思っております」  頭を下げたオハイオに、「無理だな」とシャノンは即座に言い返した。 「こんなもの、死ぬまで治らんだろう。バカは死ぬまでバカだからな」  あははと笑ったシャノンに、オハイオははっきりとため息を返した。 「賢明なるシャノン閣下が、何を仰るやら。それでは、ここにおる全ての者が愚か者になってしまいます」 「俺は、お前たちが賢く立ち回ってくれるからやって行けているんだがな。ほら、よく言うだろう「神輿は軽い方がいい」とな。俺ぐらい頭の軽い男の方が、担ぐには都合がいいのではないか?」  あははと笑い飛ばしたシャノンは、「気にするな」と言いながら銀狼の背中をなでた。それが気持ちいいのか、銀狼の喉がグルルとなった。  それを見たオハイオは、「宜しいのですか?」と別の意味でシャノンに尋ねた。  その問いに無言と言う答えを口にしたシャノンに、「あの男は信用なりません」とオハイオは続けた。 「そうか、金に汚い分信用できると思うのだがな」  それにと、シャノンは部下の名前を持ち出した。 「バルゴンを付けてある」 「私には、やりすぎないかが不安になりますな」  龍将バルゴンの評判を思い出し、オハイオはとても渋い顔をした。  何しろバルゴンは、種族の特質を正しく引き継ぎ、血の海をなによりも好むと言うのだ。それだけ頼もしいとも言えるのだが、後始末が大変になると言う問題が合った。 「バルゴンは、あの男が裏切った時の保険なのだがな」  少しだけ苦笑を浮かべたシャノンは、「大したことはない」と言った。 「どこにでもある小さは不幸が、たまたまボルケの小さな村で起きるだけのことだ」 「それは、そうなのでしょうが……そこまでする必要があるのでしょうか?」  そこでシャノンの傍らに居る銀狼、ピュンピュンを見た。 「ああ、用心のようなものだな」  そう言ってピュンピュンの頭を撫でたシャノンは、「大逆転されたら敵わんからな」と笑った。 「人がコツコツと積み上げた成果を、訳の分からん力でひっくり返されては堪らんだろう」 「仰ることは十分理解しているつもりですが」  そこで言葉を濁したオハイオは、思い切って自分の感じた懸念を口にした。 「それが、藪を突くことにならないのかと」 「藪など突くからいけないのだ」  シャノンはあっさりと言い切った 「突くような真似などせず、初めから焼き払ってしまえばいいだけだ」  そしてそれを実行しようとしている。  シャノンの言葉に、「仰せの通りで」とオハイオは頭を下げた。その言葉に納得したと言うより、そろそろ次のジャンプの時間が迫っていたと言うのが理由である。  平均して2光年離れている恒星系を渡るためには、光速を超えるジャンプを複数回繰り返す必要があったのだ。 「再度統一した暁には、移動時間の短縮が課題となるな」  ぼそりとつぶやかれた言葉に、「御意」とオハイオは答えたのだった。  惑星ボルケは、住人属性として獣人の住まう惑星だった。ただコレクアトル大王の統治により、多くの只人……当時は正人と呼ばれたものが移住してきた。そのため現時点での人口比率は、ほぼ半々となっていた。そしてコレクアトル大王の統治下での人的交流で、少数だが竜人や小人、短人、虫人が流入していた。 「3日後に、ボルのうつけ者が参りますが」  どうしますかと確認をしたのは、惑星ボルケ統合政府の代表補佐官をしている男だった。少し浅黒い顔をした只人の男は、代表である獣人パンヤの裁可を仰いでいた。 「フレッサは、再び一つになるべきだっ……か」  ふんと鼻で笑ったパンヤは、顔全体に茶色の短い毛が生え、尖った口をしていた。そして口の上面には、湿った黒い鼻がついていた。ニヤリと笑うと、尖った歯が並んでいるのが見えた。 「サンマルタ、勝算は?」 「4分6で我々の劣勢と言うのが分析になります」  もう一度ふんと鼻で笑ったパンヤは、「配置は?」と確認の言葉を吐いた。 「エストナ他、5隻が展開しております」  その配置図を確認し、パンヤは「待機だ」とサンマルタに命じた。 「危機感の薄い大ボケ共のために、危ない橋を渡る事はあるまい」 「交渉……と言うのが目的であればその通りかと」  含みのある答えに、「なにか?」とパンヤは目を瞬かせた。 「いえ、ちょっとおかしな噂を耳にしましたので」  それだけだと答えたサンマルタに、「それで」とその噂のことを尋ねた。 「代表は、守護獣システムと言うのを耳にされたことはありますか?」 「守護獣システム?」  そこで目元を険しくし、パンヤは記憶の井戸からそのキーワードを探した。 「コレクアトルが使役したという、7聖獣の事を言っているのか?」  そこでもう一度考えたパンヤは、「確か」と伝えられた話を持ち出した。 「コレクアトルの死後、消息が不明と言う話だと聞いたが?」  そこで首を傾げたパンヤは、受け継がれてきた認識を口にした。 「コレクアトルを神格化するための作り話だとも言われていたはずだ」  それが何かと問われ、サンマルタは「実は」と耳にした噂を説明した。 「うつけ者が連れている銀狼が、その守護獣と言う噂が飛んでいるのです」  ふむと代表が反応したので、サンマルタは説明を続けた。 「コレクアトルの死後眠りについた守護獣ですが、うつけ者がその眠りを覚ましたと言う話です」 「荒唐無稽な話だな」  はっきりと口を開けた笑ったパンヤに、「仰せの通りで」とサンマルタは頭を下げた。 「うつけ者の支配を正当化するため、敢えて撒かれた噂と言うのが実体なのかと」 「可能性として考えれば、お前の言うとおりなのだろう」  そこで口を固く閉じたパンヤは、少しだけ首を捻る真似をした。 「だが、噂が広まるのは厄介だな」 「うつけ者の動きを、正当化させてしまいますからな」  同感だと頷くサンマルタに、「手はあるか?」とパンヤは問うた。  その問いに対して、サンマルタは「残念ながら」と首を横に振った。 「うつけ者を謀殺するのは難しくは無いでしょう」  のこのこと乗り込んでくることをサンマルタは持ち出した。 「ただその場合、ボルと我々の全面戦争となります」  相手の盟主を謀殺したとなれば、戦争と言うのは必然的に導き出される結果である。それでも勝てればよいのだが、行動の結果が最悪になるのでは取れる方法ではない。 「他の5星ですが、うつけ者謀殺を理由にボルに着くことが予想されます」 「同盟の約束など、羽のごとく軽さと言うのだろう」  鼻で笑ったパンヤに、「まさしく」とサンマルタは答えた。 「敢えてババを引くまでも無いと言うことだな」  ならばと、パンヤは少し目を閉じて考えた。 「話を引き伸ばすのが最善と言うことになるな」  当たり前の結論を口にしたパンヤは、「やっていられるか」と吐き捨てた。 「こんなこと、我が国だけが責任を負う話しではないだろう」 「それをさせないため、うつけ者が乗り出したとも考えられますが……」  懸念を口にしたサンマルタだったが、かと言って妙案が無いのも確かだった。絶対的強者とまでは言えないが、惑星ボルがフレッサ恒星系での強者であることには間違いなかったのだ。2星系が力を合わせれば負けることはないが、単独星系で挑めば待ち受けているのは己の敗北と言うことになる。  そして運よく勝利を収めたとしても、自分達が大きく疲弊するのは間違いなかったのだ。そうなった時、他の星系から狙われないと誰が保証できるだろうか。それを考えれば、迂闊に戦いを選択することもできなかったのだ。そのことが分かっていたから、逆に惑星ボルの動きに虚を突かれたことになった。 「仰る通り、引き伸ばしの方法を考えるのが一番と言うことになります」  サンマルタの答えに、パンヤはふんと鼻から息を吐き出した。 「ならば、せいぜい歓迎でもしてやるか」 「歓迎のパレードに、三日三晩のパーティーと言う奴ですか」  ニヤリと笑ったサンマルタに、「若い女もだ」とパンヤは口の端を歪めた。 「籠絡できれば儲けもの。そうでなくとも、余計なことを考える暇を与える必要はないだろう」 「では、早速手配をいたします」  頭を下げたサンマルタに、「任せる」とパンヤは一言告げた。面倒は先延ばしをして、自分がババを引かないようにする。正面からぶつかってくるのなら、それを躱すのもまた政治だとパンヤは考えていた。  惑星ボルケ自体、人口がよそ2億と言う小さな星だった。コレクアトル施政化では、人口が10億にまで増えたのだが、その後の混乱と食及び衛生環境の悪化が人口を大きく減らす理由となっていた。ただここのところの安定で、少しずつながら人口は増加へと転じていた。  ただ産業自体の発達は遅れ、宇宙に展開する戦艦もコレクアトル施政化で建造されたものばかりとなっていた。ただその事情に関して言うなら、他の星系にしても大きな差はなかった。このままの状態が続けば、宇宙技術はロストテクノロジーになるとまで言われていたのだ。  そのためボルケでは、旧型の内燃機関が動力の主流となっていた。そして貧しい地方では、人力や家畜が主だった労働力と言うのが実体だった。  時おり危険生物の大量発生と言う事件はあるが、それでも日常の生活に困ることが無いと言うのが社会の実態だった。  惑星ボルケの首都からおよそ1万キロ西に行ったところに、人口およそ1千人ほどの小さな町があった。町の周辺には家畜を飼うための牧場や麦などを育てるための農場が広がり、中心部にはちょっとした商店街が広がると言う、ボルケの中で見ても珍しくもなんともない町でもある。  その小さな町、ボルケノアでの関心事は、接近してくる異星の王ではなく、時おり姿が目撃される「危険生物」に分類される化物の話題だった。MC(Magic Creature)と言われる危険生物は、只人の7歳児ぐらいの大きさで小人と言われる種とほぼ同じ大きさをしていた。ただ小人との違いは、MCが体全体が紫色をしている生き物だと言うことだ。更にはエラの張った顔に釣り上がった目をした、知性の欠片もない生き物と言うのが、大きな違いとなる。  そして子供と同じ体つきと言うこともあり、それ単体を取り上げてみれば貧弱な生き物でしか無かった。ただ単体で行動することは極稀で、10から20の集団で行動していた。そして夜の闇にまみれ、家畜や農作物を荒らすと言う「イタズラ」をしていた。  ただ稀に人……男女に関係なく襲われることがあるため、発見次第行政から「衛生局員」が派遣され駆除される事になっていた。ちなみにMCに分類される危険生物は他にもあるため、分類上その生物は「アコリ」と呼ばれていた。 「あすだけんど、役人さんが駆除に入いるっつう話だで」 「あんの、西の山んとこのことかぁ」  特に被害が出だした西の農場では、農民達の間で危険生物駆除の話が持ちきりとなっていた。今の所の被害は、収穫間際の麦畑が踏み荒らされたぐらいである。ただ数が多いこともあり、人的被害が出る前にと行政が駆除に乗り出したと言うのだ。 「んだぁー、牛飼いがアコリの姿を見たっちゅう話だで」  やりとりがのんびりしているのは、すでに行政が動き始めていると言う安心感からである。危険生物、ある意味害獣であるのだが、対処さえすれば被害が拡大することはなかったのだ。  そして収穫期に現れるのは、もはや年中行事にもなっていた。ここの所ずっと大丈夫だったと言う思いが、今年も大丈夫だろうと言う安心に繋がっていた。 「そんなことより、あと少しで収穫祭やろ」 「だからぁ、役人さんも大忙しっちゅう話や」  ああともうひとりの男は、大きく頷いた。 「なんでかなぁ、この時期になると増えるんやな」 「娘っ子にゃあ、夜道を歩かせんようにさせんとな」  違いねぇと頷きあいながら、只人の農夫達は収穫の準備に勤しんだのである。  宇宙に進出したくせに、フレッサ恒星系では宗教が廃れていなかった。そのため小さな集落、特にボルケノアのような畜産や農業を生業とする町には、必ず「豊穣神」の神殿が作られていた。  もっとも神殿と言っても、小さな建物の中に小さな祭壇があるのと、中央から派遣された司祭が一人と言った小規模なものである。しかも町民からの寄進だけではは神殿が賄えないため、人を雇って農場と牧場を経営していたりする。収穫祭と言うのは、その農場の収穫祝いを町を上げての祭にしたものだった。そこで比較的多くのお金が動くので、町民も喜び神殿経営の足しになると言う恩恵があった。  大地の恵みと言うのは、古来から女性に結び付けられるものなのだろう。それが理由なのか、ボルケノアに派遣された司祭はかなりふくよかな女性だった。ふくよかな女性が選ばれるのは、「痩せていては恵みを感じられない」と言う、それなりにもっともな理由からだった。  回りから「グランマ」と愛称で呼ばれる司祭は、年齢的には40を少し過ぎた穏やかな女性である。豊かな恵みを感謝するのに、「ギスギスした雰囲気はよろしくない」と言う教えを体現した女性でもある。 「グランマ、衛生局の方がお見えになりました」  まだ10代前半なのだろう、グランマを呼びに現れた女の子は、神の教えに逆らうようなスマートな体型をしていた。背中に届くぐらいの髪を両側でおさげにまとめた、ちょっと可愛らしいかなと言う見た目をしていた。神殿の仕事で野良作業があるので、顔はしっかりと小麦色に日焼けをしていた。 「ありがとうハイジア。事務室にご案内差し上げて」 「はい、グランマっ!」  元気よく答えたハイジアは、軽やかな足音を立て……いささか行儀が悪いのだが、表の方へと駆けていった。その元気の良さにほほ笑みを浮かべたグランマは、あれでもう少しふくよかならと無い物ねだりをしていた。 「最近の女の子は、街の流行りに敏感だから」  こんな町でも、中央の情報はいくらでも伝わってくる。毎日が野良作業で刺激に飢えている彼女達には、街の情報はとても魅力的に映ってくれるのだろう。とりわけカラフルな色使いをしたファッションと、それを着る「スマート」なモデルに年若い少女が憧れを持つのも不思議ではなかったのだ。  ただ閉ざされてこそ居なくても、地方の小さな町から都会に出るのは極めて稀なことになっていた。よほど頭が良くて中央の学校に推薦で入学をするか、豊穣神の祭祀としての研修に行くぐらいしかその機会は訪れてくれなかったのだ。 「そう言えば、お役人様に見初められると言うのもあったわね」  だから、中央の役人が来ると、彼女のような年若い女性が色めき立つのも仕方がなかった。 「いけないいけない。お役人様をお待たせしてはいけませんね」  よいしょと立ち上がったグランマは、ゆっくりと事務室の方へと歩いていった。もちろんその前に私室に寄って、外向けの格好に着替えるのを忘れてはいけない。聖職者がだらしない格好をしていたら、それだけで彼女達の奉る神を冒涜してしまうことになってしまう。  薄いグレーの長袖・くるぶしまである木綿のワンピースと白いフードを身につけ、衛生局員に対応するためグランマは事務室へと現れた。ハイジアが気を使ったのか、4人の衛生局員の前にはお茶と、とうもろこしを爆ぜさせたお茶菓子が置かれていた。  グランマの入室と同時に4人は立ち上がり、その中のリーダー格の男が代表して彼女に挨拶をした。4人が4人共、衛生局の制服である小麦色をした上下を身につけていた。その胸元には、身分を示すための認識票が下げられていた。 「ヘルツェ衛生局から派遣されてまいりました。作業に取り掛かる前に、少しだけお時間をいただけないでしょうか?」  礼儀正しく挨拶をした男は、見た限り只人のようだった。  ただ現れた4人の顔を見て、ハイジアには期待はずれだったわねと内心で彼女は同情していた。 「私は、リーダーのボルクと申します。そしてこちらが、補佐のガルフと言います」  大きな体をした局員は、「ガルフです」とフレンドリーに頭を下げた。 「以上の二人は、只人の局員となります」  そしてと、リーダーのボルクは、犬顔をした局員を手で示した。 「彼はジョンと言います」  紹介されたジョンは、首を縦に振って彼女に挨拶をした。  そしてと、ボルクは猫顔をした局員を手で示した。 「彼女は、ミーアと言います」  手で示された局員は、「ミーアよ」と少し色っぽくお辞儀をした。 「私は当豊穣神神殿の司祭をしております、ミランダと申します。ただ周りのものは、私のことをグランマと呼んでおります」  お世話になりますとグランマが頭を下げたところで、取り掛かりの挨拶は終わることになる。ちなみにこの5人は、今回が初の顔合わせと言うことはない。それどころか、ここ数年事あるごとに顔を合わせていた。  勧められたお茶を口に含んだところで、「簡単なヒアリングをさせていただきます」とリーダーのボルクが切り出した。 「1週間前にいただいたい依頼状から、何か変化はありましたでしょうか?」  この辺りのやり取りは、すでに何度も繰り返されたことである。だからグランマは、簡潔に最近の状況を伝えることにした。「依頼状をお出しする前には、アコリの目撃情報は多くて3日に1度程度でした。それが最近は、日に2、3度目撃情報が上がっております」  その説明に頷いてから、「他には」とボルクは尋ねた。 「夜には集団で行動するように、そして年若い者達は出歩かないように徹底しております。そのため、目立った変化と言ってもその程度なのかと」  そこで少し考えたグランマは、「そう言えば」と不確かな噂を持ち出した。 「一昨日の夜ですが、西の山の方で変な悲鳴のような……声がしたとの話がございました」 「その他のエリアで、目的情報のようなものは出ていますか?」  ボルケノアの場合、町の周りを農場と牧場が囲むようになっていた。ある意味緩衝地帯が作られていることになる。そのため危険生物が発生しても、すぐに町の被害につながらないと言う利点はあったが、同時に発見が遅れると言う欠点もあったのである。  他のエリアではとの問いに、グランマは少しだけ目元にシワを寄せて考えた。 「いえ、少なくとも私の耳には届いておりません」  その答えに、「了解しました」と答え、ボルクは1枚の書類を取り出した。 「確認に基づき、西地区の危険生物を駆除いたします。こちらに、サインをお願いいたします」  この手続も、毎年続けられているものだった。だからグランマは、少しも淀まず自分のサインをそこに加えた。 「では、これで作業前の確認を終わります」  そこで一度サイン入りの確認書をバインダーに納め、ボルクは次にと作業の説明へと入った。 「本日及び明日で現地のサーベイを行います。そして明日の夜になりますが、作業概要をお知らせすることになります」  それが第一ステップと、ボルクは言葉を切った。ただこれも毎度同じ繰り返しなので、グランマは特に口を挟まなかった。 「そして明後日より、駆除を開始します。なお駆除に要する日数は、サーベイ結果で見積もりとして提出いたします」  そこでも質問が無いのを確認し、ボルクは最後にと作業完了のことを説明した。 「作業完了の確認方法ですが。現地立会、駆除生物の確認、もしくは記録の照査とあります」  つまりわざわざ現地まで確認に行くのか。さもなければ、駆除された危険生物を運搬途中で確認をするのか。はたまた映像等の記録で、その代行とするかの確認である。そしてこれまでの実績では、ほとんどが記録の照査が選ばれていた。 「記録の照査でお願いいたします」 「では、駆除終了後記録を持って伺うことにいたします」  そこで言葉を切ったボルクは、広げていた荷物をカバンへとしまいこんだ。 「これで、必要な確認は終わったことになります」  では、明日の夜にと言い残し、4人は神殿の事務室を出ていった。扉の回りに子どもたちが集まっているのは、物珍しさと役人への憧れからなのだろう。  その子どもたちを気にすることなく……まるで誰も居ないかのように振る舞った4人は、足早に豊穣神の神殿を後にしたのだった。  その4人を追いかけるように、「格好いい」とか「プロぉ〜」と囃し立てる子どもたちの声が響いていた。  政府機関から派遣されたこともあり、4人はピックアップタイプのトラックを使用していた。ただ不整地を走るため、車高はかなり高く、タイヤもこれでもかと言いたくなるほどごついブロックのついた物が装着されていた。そして荷台も、雨風を避けるための屋根のようなものが取り付けられていた。その辺りは、衛生局員特別仕様と言って良いのだろう。  そのトラックを駆って西の山までたどり着いた4人の内、ジョンがまっさきに車から飛び降りていった。そして鼻をヒクヒクとさせながら、腰まである草むらの中を走り回った。そして手に持った白いポールを、目立つように突き刺していった。  そしてジョンから遅れて猫タイプの獣人ミーアが表に出て、それから少し遅れて只人の二人が車から出てきた。只人二人が遅くなったのは、頭部を守るヘルメットを着用する分時間が掛かったからである。しかも胸部を守るプロテクターと、足を守る深いブーツまで着用していた。 「あれは、避難穴だな」  その様子をつぶさに観察したボルクは、辺りの地形図を取り出した。 「焼きますか?」  確認してきたガルフに、「いや」とボルクは短く答えた。 「まだ気づかれる訳にはいかない」 「結構大規模な巣穴に見えますね」  走り回っているジョンが、次々と白いポールを立てていってくれるのだ。その数からすると、ガルフが言う通りかなり大規模だと言うのが想像できた。 「古い洞窟を見つけたのだろう」 「だとしたら、ガスは使いにくいですな」  いたるところに通気穴があると、ガスの効果が薄れてしまう。自分達の行動も制限されるので、それぐらいならガスを使わない方がマシに思えたのだ。 「沈下型のガスを使えばいいだけのことだ」  それだけだと答え、ボルクは地形図に必要な線を加えていった。  そして地形図をしまうと、ミーアに付いてこいと命じた。 「自然の洞窟なら、どこかに縦穴があるはずだ」 「はいはい、あっしは測量データーを調べてみますよ」  行ってらっしゃいと手を振られ、ボルクは猫タイプの獣人ミーアと山道へと入っていった。 「しかし、ボルクって本当に只人なのか疑問に思うにゃん」  ひょいひょいと獣道を歩きながら、ミーアは時々振り返ってボルクが付いてくるのを確認していた。ただ目的は、先行しすぎるのを警戒するためではない。もしも遅れるようなことがあったら、これを機会にバカにしてやろうと思っていたのだ。  だがこれまでの経験で、ボルクは一度も彼女に遅れを取ったことがない。「本当に只人?」と言う疑問は、その経験からでた疑問だった。 「俺が、獣人に見えるか?」 「見えないから、聞いてるにゃ」  そうやって無駄口をたたきながらも、ミーアは周囲の観察を怠っていなかった。その証拠に、穴を見つけるたびに「そこ」と在り処をボルクに示したのだ。 「奴らの臭いは残っているか?」 「風に乗ってこないから、繋がってないと思うんにゃ」  そうかと小さくうなずき、ボルクはマーカーをその場に突き刺した。  そしてそれを繰り返しながら、山の中腹へと歩みを進めていった。 「この穴は臭うにゃん」  ネズミでもなければ通れない穴を見つけたミーアは、臭い臭いと騒ぎ立ててくれた。  それをくんと鼻で嗅いだボルクは、「確かに」とミーアの言葉を認めた。 「いやぁ、認めてくれるのは嬉しいんだけど。どうしてボルクも分かるのかにゃぁ」  おかしいと文句を言うのを放置し、ボルクは荷物の中から黒い小さな塊を取り出した。そしてそれに火をつけて穴の中に放り込んだ。こうすることで、無味無臭の毒性のないガスが深く沈んでいってくれるのだ。それが穴の中に転がっていくのを確認してから、今度は白い塊を取り出し同じように火をつけて穴へと放り込んだ。こちらも無味無臭で毒性も無いのだが、空気と同じ重さなので上にも広がると言う特性を持っていた。 「ガルフ、匂い袋を投下した」  それだけを無線で伝え、「行くぞ」とボルクは獣道を上に向けて歩き出した。ただ先程までと違うのは、手にガスセンサーを持っていたことだった。すぐには無理でも、ガスを使うことで見落としを防ぐ恐れが少なくなってくれるのだ。 「はいはい。ボルグはせっかちだにゃん!」  楽しそうな声をあげ、ミーアはボルクの後を追いかけていった。  二日間のサーベイで、主となる出入り口が2つを見つけた。そしてその穴に通じる抜け穴らしきものが100程見つかった。そのうち細すぎる抜け穴を除外すると、危険生物が逃げ出せそうな穴は5つまで絞り込むことが出来た。  そこまで調査が終わったところで、衛生局員一行4人は豊穣神の神殿まで報告に戻ってきた。 「調査結果を伝える」  なんの前置きもなく、ボルクは数値の書き込まれた地図をグランマの前に広げた。 「まず巣の規模だが……」  そこでボルクは、地図の2箇所を赤く囲った。 「見張りの数、目撃証言の頻度から20乃至30と思われる」 「そこそこ大きな規模ですねね」  緊張した顔をしたグランマに、ボルクは「うむ」と小さく頷いた。 「眠りガスの使用を考えたが、空気穴が多いので漏れが多く出ると言うのがこれまでの分析だ」  だからと、ボルクは「直接駆除する」とグランマに宣言した。 「方法は催涙ガスを用いることになる」  そして別に取り出した地形図に、投入口を赤で記した。 「この2箇所から催涙ガスを投入し、奴らをあぶり出すことにした。加えて爆竹を使用し、奴らにパニックを起こさせる」  投入口はここと、ボルクは別の穴を示した。 「7箇所の出入り口の内、小さいもの5つにはネズミ捕りを仕掛ける。そして大きい方の2つには、霞網を使う。打ち漏らしへの対処は、ジョンが警邏を行うことで対処する。それを6時間継続した後、ガスマスクを着用して巣穴へ突入する」  以上だと説明を終わらせたボルクに、「シンプルなのですね」とグランマは感想を口にした。 「複雑にすると、ミスを誘発する」  なるほどと頷いたグランマは、差し出された計画書に「承認」のサインを入れた。  それを書類入れにしまい、ボルクは「次は駆除完了後だ」と言って立ち上がった。 「恐らく、明後日の朝には完了しているだろう」 「埋葬用の穴を掘りますか?」  始末した死体を放置する訳にもいかないでしょうと。  そんなグランマに、「必要ない」とボルクは答えた。 「回収車の手配は終わっている」 「でしたら、余計な心配でしたね」  失礼しましたと謝るグランマに、「いやいい」とそっけない答え。  グランマには分からないが、隊員達は「恐縮しているのだ」とその態度を受け取っていた。  「失礼する」と言って出ていった4人を、グランマは頭を下げて見送ったのだった。  ボルケノアの小さな町の酒場に、衛生局員達の働きを見る者が居た。背格好からすると、小人と分類される種族の男なのだろう。 「あたしとしては」  ごつい体をした竜人3人を前に、そのみすぼらしいなりをした小人の男は「複雑なんですよ」と漏らした。 「予定通り、あの男がボルケノアの町に派遣されてくれましたよ。ええ、予定通りなんですけどね」  だけどと、男は粗末なカップから泡の出る酒を呷った。 「そろそろあの男を、痛い目に遭わせてやりたいんですよ」  それが不満だと漏らした小人の男に、「大事の前の小事だ」と竜人の一人が荒い鼻息を吐いた。彼の目の前には、大きな鳥の丸焼きが置かれていた。 「ええ、旦那の仰る通りってのは認めるんですよ。ええ、認めているんです」  それでもと、泡の出る酒を呷りながら小人の男は文句を吐いた。 「旦那達がいれば、一泡吹かせられると思ったんですよ」  そう口にしてから、小人の男は「分かってます。分かってますよ」と答えた。 「絶対に失敗できませんからね。それが分かってるから、あの男をこっちに引きつけたんです」 「それほどの男と言うことか?」  興味を示した竜人の一人に、「それほどの男です」と小人の男は答えを繰り返した。 「どこの星にも、一人ぐらいはいかれた奴がいるんですよ」 「それが、あの男と言うことか」  面白いと笑った竜人の一人に、「天敵ですけどね」と小人の男は渋い顔をした。 「野っ原に出ちまえばこっちのもんなんですけどね。穴倉に居る時だと、100匹用意しても全部潰されちまいます」 「たった、4人なのにかっ!」  それは凄いと驚く竜人に、「だから天敵なんですよ」と小人の男は不満げに漏らした。 「あたしが撒いたチビどもなんですがね、そりゃあまあ、残酷に始末してくれるんでさぁ」 「駆除対象に、情など感じることはないの当然だが?」  違うのかと問われ、「そりゃあそうなんですけどね」と小人の男はふてくされた。 「もちっと、面白みがあってもいいとは思いませんか?」  そう言ってどんとカップを置いた小人の男は、「酷いんですぜ」と竜人のリーダーに迫った。 「せっかく、一度や二度殺されても死なないMCを作ったんですぜ。それなのにあの男ときたら、「死なないなら死に続けさせてやればいい」とばかりに水攻めをしてくれやした。お陰で生き返っては死ぬのを繰り返して、そのうちお陀仏ってすんぽうでさぁ」  他にもと、小人の男はカップを掲げてお代わりを要求した。 「串刺しにして放置するってのもありましたね。これじゃあ、生き返ることもできないんですぜ。しかもここんところなんか、殺してもくれなくなっちまいました。眠らせておいて回収車に回収させてそれで終わりでさぁ。そしてあわれなチビどもは、回収車の中でミンチにされて焼かれるんですぜ。これじゃあ、生き返るどころの話じゃありませんぜ」  酷い酷いと繰り返す小人の男に、なるほど天敵なのだと竜人達は理解した。  そしてその天敵をターゲットから引き離したことで、今回の作戦が無事に終わることを確信したのである。  グランマに報告した翌日、衛生局の4人は再び駆除現場に訪れていた。昨日のうちに呼び寄せられたのか、彼らの乗るピックアップトラックとは別に、ゴミ回収車を更に大きくした車も加わっていた。ゴミ投入口のようなところを後ろから見ると、大きな鉄板がゴミを掻き込むように回っていた。そしてその奥では、何枚もの縦歯が押し込まれたゴミを裁断するようにぐるぐると回っていた。  少し大き目の燃料タンクに太い煙突があるところを見ると、回収車の中は高温の焼却炉になっているのだろう。 「小さな穴から潰していくぞ」  ボルクの指示に従い、ガルフが大きな枠のついた金属製の網を荷台から引きずり出した。それをジョンとミーアに渡すと、次にこれでもかと言いたくなるほど長いアンカーを持ち上げた。 「んじゃあ、ゴミ避けネットを張りますか」  大きな木槌を肩に掛け、ガルフは目印の方へと歩いていった。そして穴の周りを余裕で塞ぐように置かれた金網の留め金を、長いアンカーで地面へと縫い付けていった。非力なアコリでは、この枠を持ち上げて逃げ出すことはできないのだ。  その作業を5箇所続けたところで、次は霞網の設置となる。こちらは細くて丈夫なテグスでできていて、刃物でもなければ切れない言う丈夫なものだった。紐自体はゆるく貼られているので、一度引っかかると自力での脱出は困難と言う厄介なものである。それを見張りのいない方には直接穴に、見張りのいる方には合図と同時に穴に張り付くように配置した。 「次は、催涙ガスだな」  そう言ってボルクは、ピックアップトラックからガスのボンベを取り出した。小人の背丈ほどあるボンベは、只人一人で運ぶには困難を伴う重量物だった。その重量物を、ボルクは背負子を使って背中で持ち上げた。 「ほんと、あの人は只人とは思えないにゃんっ!」 「あの細いなりをしてるくせに、腕相撲は俺よりも強いんだからな」  常識がおかしくなると笑ったガルフは、残った二人に配置につくようにと命じた。夜行性のアコリだが、外が騒がしれければ活動する可能性もあったのだ。 「威力は落ちるが、単射サイレンサーモードを使え」  ピックアップトラックから自動小銃のような銃を3丁取り出し、そのうちの2丁をジョンとミーアに渡した。そして交換用のマガジンを、二人の首からぶら下げてやった。 「遠慮はいらん。ここをぶち抜いてやれ」  そう言って、ガルフは自分の眉間を指差した。  大人一人分の荷物を背負っている割に、山道でもボルクの足取りはしっかりとしたものだった。すでに戦闘モードに入っているため、金属メッシュの入ったインナーに軽量プラスチックの鎧のような装甲服を着ていた。しかも頭を守るためのヘルメットに、ガス対策としてのマスクまで着用しているのだ。その状況で重い荷物を持っての山登りは、整地された山道でも困難を伴うものに違いない。  その困難な装備を背負いながら、ボルクは獣道を一歩一歩確実に登っていった。そして登り始めて30分が経過したところで、ガスを投入する縦穴へと到着した。 「こちらボルク、投入ポイントへ到着した。現場は、昨日から変化はない」  以上と通信を切り、ボルクはボンベを地上に下ろして荷物からガイドダクトを引っ張り出した。その先端を穴の奥深くへと押し込み、反対側をボンベの射出口へとねじ込んだ。  ここまでの作業は、到着してからおよそ10分と言う早業である。 「こちらボルク、ガス投入の準備が完了した。10秒後にガス投入を開始する。スタート」  そこで通信を切り、ボルクは心の中で10を数えた。これまで何度も繰り返してきた作業と言うこともあり、綺麗に1秒毎に数字を数えていった。  そして10を数えたところで、ボンベのバルブを捻って中のガスを放出した。シーと何かが管の中を流れていく音がし、催涙ガスは縦穴からアコリの巣へと送り込まれていった。それを確認したボルクは、仲間のところとは違う罠の方へと移動を始めたのだった。  リーダーの合図を受けたガルフは、心の中で5を数えた。5秒ほど短いのは、入り口にいる見張り2匹を始末するためである。  そして5を数え終えたところで、構えた銃が2度「タンタン」と小さな音を立てた。銃から放たれた銃弾は、狙い過たず2匹のアコリの眉間を撃ち抜いた。その2匹がもんどり打って倒れたところで、ガルフは霞網の罠を発動させた。 「さて、もう一度」  アコリの始末におえないところは、一度や二度殺したところで、すぐに生き返ってくれるところだ。特に銃のように傷口が小さい場合は、殺しても比較的短時間で生き返ってくれる。だからアコリを徹底的に殺すには、刀のような武器の方が都合が良かった。  再び銃を構えたガルフは、予定通り起き上がってきたアコリの眉間を再度撃ち抜いた。 「そろそろか?」  心の中のカウントが100を超えたところで、洞窟の中から「NNNIIIIDDDDAAAAA」となんとも言えない唸り声が聞こえてきた。どうやら催涙ガスが、効果を発揮してくれたらしい。それから少し遅れて、反対側の方から「パンパン」と火薬が破裂する音も聞こえてきた。 「おい、狩りが始まったぞっ!」  ぬかるなよと声を掛け、ガルフは銃を構え直したのだった。  最初の1時間は、慌てて飛び出してくるアコリの狙い撃ちをすればよかった。ただ丈夫な霞網でも、いつまでも死体の重みには耐えらることはできない。10匹程度始末をしたところで網が破れ、その隙間からアコリが這い出してきた。  ただそれにしても、初めから予定したことだった。そのため回収車を穴に近づけ、ガルフは丈夫なグローブを着用して穴へと近づいていった。そして逃げ出してきたアコリの首根っこを捕まえ、そのまま回収車の回転板へと放り投げていった。  ぐちゃっと言う何かが潰れる音と、気味の悪いアコリの断末魔が投げ込むたびに聞こえてきた。そして這い出してくる奴が途絶えたところで、対象は霞網に掛かってもがいるアコリへと変わる。ただこちらは網にかかっているので、一匹一匹網から切り離して回転板へと放り込まなければならなかった。生き返ってジタバタと暴れるのだが、アコリの力程度ではガルフの負担にはならなかった。  その作業が15を数えたところで、ガルフの目の前には廃棄物の姿はなくなっていた。 「おーい、そっちはどうだ?」 「こっちは掛かってないぞ!」 「右に同じにゃん!」  仲間の報告に、これも想定のうちかとガルフは心の中で頷いていた。知恵のないアコリが、酷いパニックに陥ったのだ。罠を用心して細いところに入るにはよほどの偶然が必要だったのだ。 「こちらは一段落つきました」  無線を取り出して報告したガルフに、「こちらは5匹」とボルクから答えがあった。当初見積もりが20〜30だと考えれば、残っていても数匹かとガルフは考えた。 「回収車はいりますか?」 「いや、証拠を残してからこちらで焼却する」  即答である。それにガルフが頷いたタイミングで、3時間後に突入すると言う指示が出された。 「そちらに、ミーアを向かわせます」 「頼む」  いつもの受け答えなのだが、本当に言葉数の少ない人だとガルフは感心していた。本当に必要最低限のことしか、リーダーのボルクは口にしなかったのだ。 「ミーア、リーダーのサポートに行け」 「あいあいよ〜」  こちらはとても軽薄な答えをしてから、跳ねるようにして反対側の出口へと向かっていった。顔の形状が違うため、特性のガスマスクはしっかりと前が尖っていた。 「こっちは、霞網を張り直して3時間の待機だ」 「ゴミ避けネットの監視を続けます」  役割を答えてから、ジョンは「これ、苦手なんですよね」と自分のガスマスクを指でつついた。 「俺だって、得意じゃないぞ」  そう言い返しながらも、ガルフは洞窟の出口から目をそらすことはなかった。  そして連絡をした3時間後、ミーアが合流してからなら2時間と30分後、ボルクは掃討作戦へと取り掛かった。夜目の効くミーアが先導し、その後をゴーグルを赤外モードに切り替えたボルクが続くのである。ただガスを使ったせいで、彼女の鋭敏な嗅覚は利用できなくなっていた。  ゆっくりと洞窟の中を確認しながら進行して5分、先導していたミーアがいきなり立ち止まった。 「空洞か?」 「ちょっと大きめだにゃん。多分だけど、少しぐらい残ってるんじゃにゃいのかな? びんびんと来るんにゃ」  ミーアの報告に、「任せろ」とボルクは彼女と前後を入れ替えた。そして雑嚢の中から、握り拳ほどの塊を取り出した。安全用のピンとレバーが付いているところを見ると、ピンを抜くことで作動する爆薬のようなものだろう。 「閃光弾を使う。まともに見るな」  ミーアに注意をしてから、ボルクはピンを抜いて閃光弾を空洞の方へと転がした。そして心の中で3つ数えたところで、洞窟の中を強烈な白い光が充満した。「AAAAIIIIGGGGGOOOOO」と言う耳障りな悲鳴に続いて、ぼとぼとと何かが落ちてくる音が聞こえてきた。  アコリが只人に対して優れているところは、夜目が効くところだろう。そのあたりは、アコリが夜行性と言うのを考えれば十分に理解できることだった。  ただ十分に準備をしてかかれば、その差など容易に逆転することが可能となる。そして閃光弾のような強い光を利用すれば、夜目が効くことは逆に自分の足を引っ張ることになる。  すでに短銃に換装していたボルクは、広い空洞に飛び込むやいなや、転がり落ちていたアコリの眉間に向けて引き金を引いた。1匹あたり胸と眉間に1発ずつ、それを5回繰り返したところでミーアから刃渡りの大きなナタを受け取った。そしてなんの躊躇いもなく、死んでいるアコリから首を叩き切っていった。こうすることで、簡単には生き返ることができなくなるのが分かっていた。 「洞窟内に、他に熱源はないか?」 「ちょっと、待って、にゃんっ!」  緊張感の感じられない声を出したミーアは、ゴーグルの機能を殺して自分の目で空洞の中をぐるりと見渡した。 「ん〜、熱源はないんだけど。ちょっと怪しいくぼみがあるんにゃ」  あそこと少し高いところを指さされても、さすがのボルクも確認することはできなかった。ゴーグルのモードを赤外に変えてみたのだが、そこからは熱源らしきものは見つからなかった。 「登れるか?」 「おちゃのこさいさいなのにゃぁ!」  その言葉通り、雑嚢を背負ったままミーアは壁をひょいひょいと登っていった。それを短銃を構えたまま見守ったボルクに、「想定外」と言うミーアの声が聞こえてきた。 「何がだ?」  あたりを警戒しながら、ボルクはミーアに報告を求めた。 「ちびちびアコリが4匹と、その母体なのかなにゃぁ。多分只人だと思うけど、食い散らかされた死体が1つあったにゃん」 「ちびちび……」  ミーアに釣られたことに気づき、ボルクはそこで言葉をつまらせた。そこでミーアは、してやったりと口元をニヤけさせた。 「幼体はその場で殺処分後下に落とせ。死体の方は、記録をとりその場に放置」 「了解にゃん!」  その応答から少し遅れて、窪みとなったところから悲鳴のような声が聞こえてきた。そしてその悲鳴から遅れて、小さな頭と胴体が引き千切られて落ちてきた。  それが4回続いたところで、「始末終了! にゃん」との報告が聞こえてきた。 「では現場を撤収。更に先に進む」  念の為と、ボルクは転がっていた頭をナタで叩き割った。ここまですれば、流石に生き返ってくる可能性はほとんどなくなってくれる。  再びミーアが先導する形で、洞窟を反対側の出口へと進む行進が始まった。時おり小さな抜け穴が見つかったが、銃弾を打ち込んでも特に反応は見受けられなかった。 「出口に到着。死骸回収後、交代で待機任務に入る」 「ご苦労さんです。それで、戦果のほどは?」  ここまでの確認が終わったことに安堵したのか、ガルフの声も少し明るくなっていた。 「成体が5、幼体が4だ」  それを足せば、総数で29となる。もともとの見積もりと差は無いのだが、ガルフはそこに幼体が含まれていることに気がついた。 「幼体がいたんですか?」 「うむ、申告にない犠牲者がいた」  犠牲がいたと言う事実だけで、気持ちはずんと落ち込んでしまう。  ただ落ち込んでいても始まらないので、「回収に行きます」とガルフとジョンが交代で洞窟の中へと入っていった。  それを見送ったところで、「質問にゃ」とミーアが元気よく手を上げた。 「この町で行方不明は出てないにゃ。だったら、あの死体はどこから来たんにゃ?」  この洞窟のまわりを考えると、旅人がさらわれると言うのも考えにくい。それが不思議だと頭を悩ませたミーアに、「人は、いきなり湧いては出てこない」とボルクは答えた。 「いやぁ、だから質問なんだにゃ」 「ボルケには、只人は1億人以上住んでいる。それを考えれば、生贄なら選り取り見取りだろう」  手近なところで考えるな。ボルクの答えに、「それって」とミーアは顔を顰めた。 「アコリ以外に、黒幕がいるってことにゃ?」 「可能性は否定できない」  そう言って、ボルクは煙を上げている回収車を見た。 「こんな生き物が、自然発生するとは考えられん」  ただ黒幕を捕まえるのは、自分の仕事ではない。  だからボルクは、「考えるな」とミーアに忠告したのだった。  それから翌朝まで監視を続けたが、外に仕掛けた罠や振動センサーにアコリの形跡は見つけられなかった。それを確証として記録したところで、4人の仕事は終了となる。そして報告書の提出と完了確認のサインを貰えば、彼らのボルケノアでの仕事は終わりである。  昼前に豊穣神神殿まで報告に訪れたボルクは、トラックの中で印刷した資料をグランマへと提示した。 「アコリの成体が25、幼体が4ですか」  そこで顔を顰めたグランマは、「初めてですね」と幼体のことを取り上げた。 「ここではそうでも、よそでは珍しいことではない」 「それは仰るとおりなのでしょうが」  ふうっと息を吐き出したグランマは、身元不明の死体の報告書に目を落とした。 「確かに、ここしばらく行方不明の知らせはありませんね。町に入ってくる旅人や行商人にしても、被害の報告は来ていません」  先程より難しい顔をしたのは、死体の出所が分からないのが理由だった。 「ここから先は、警察の仕事ですね」  それに頷いたボルクは、「他に無いか」とグランマに確認をした。 「ええ、いつもどおり見事な手際だと思います」 「ならば、確認書にサインを頼む」  称賛に照れるでもなく、ボルクは事務的な会話を続けた。  その態度に呆れながら、グランマは確認書にサインを書き込んだ。それを確認し、ボルクは複写式となっている2枚めをグランマに渡した。 「それでは、我々は撤収することにする」 「あら、今日もお茶を飲んでいってくださらないのですね?」  少し拗ねたグランマに、「仕事がある」とボルクは立ち上がった。そして残りの3人も、少し顔を引きつらせながら立ち上がった。3人の心にあるのは、「そこまで急がなくても」と言う思いだった。  だがトラックに戻ったところで、彼らは緊急命令を受け取ることとなった。 「キルクースへ直行せよって」  まじかよと零すガルフに、ボルクは命令書の別のページを指し示した。 「町が壊滅状態って……あそこは、5百名ぐらい住人がいただろう」 「事実を事実として受け止めるところから始めろ」  細かなことはそれからだ。ボルクはアクセルを踏み込むと、100km離れたキルクースへとトラックを走らせたのだった。  いくら緊急事態だからと言って、補給も受けずに突っ込むような新人ではない。移動中に補給部隊と合流したボルク達一行は、そこで短時間の休憩と弾薬やガス、そして手榴弾の補給を受けることにした。加えて、キルクースの状況確認も合わせてそこで行った。 「100を超えるアコリが発生したと言うのか?」  うむと表情を険しくしたボルクは、「これを」とガルフに手渡した。 「大規模襲撃自体珍しいのですが……襲撃パターンが違ってますな」  同じように表情を険しくしたガルフに、どれどれとジョンとミーアもその資料を覗き込んできた。 「だけど、これからどうするにゃん!」  状況は分かったし、やらなければいけないことも理解はしている。だが10や20ならいざしらず、町中に散らばった100を超えるアコリは厄介なことこの上なかったのだ。  だがボルクの答えは、至ってシンプルで、なおかつ予想した範囲のものだった。 「決まってる。生存者の保護とアコリを殲滅する」 「まあ、リーダーだったら、そう言うと思ったにゃん」  だよねと顔を見られたジョンは、諦めたように肩を竦めてくれた。 「だったらあたしとジョンが生存者の捜索。リーダーとガルフが、アコリの殲滅ってことになるのかにゃん?」 「ああ、いつもの通りだ」  短く、そしてあっさりと答えたボルクに、「相変わらずだ」と3人が呆れていたりした。ただいつもと変わらぬ様子に、頼もしいものを感じていたりもした。2対100の戦争は、普通ならば2が押しつぶされて終わってしまうものなのだ。しかも相手は、殺しても簡単には死なないと言う厄介な相手なのだ。実際の数の数倍の敵だと思わないと、手痛いしっぺ返しを受けかねなかった。 「だったらリーダーとガルフは、少し休憩をしていてくれ。目的地近くまでの運転は、俺がすればいいだろう」  ジョンの提案に、「任せる」とボルクは簡潔に答えたのだった。  そしてキルクースが見渡せる丘に陣取った一行は、双眼鏡で町の様子を観察した。すでに蹂躙され尽くしたのか、通りには我が物顔で歩き回る紫色のアコリの姿しか見えなかった。 「アコリの死体の数を考えると、神殿で籠城戦をしたみたいですね」  あそこにと指さされた先には、粗末な漆喰で塗られた建物があった。そしてガルフの指摘どおり、そのまわりにはアコリの死体が転がっていた。  だが壁が崩れているところを見ると、奮戦はしたが力尽きてしまったように思われる「ちっ」とガルフから舌打ちの音がしたのも、この状況への苛立ちからだろう。 「アコリは分散しているな」  小声で状況を口にしたボルクは、「個別撃破だ」とガルフに指示を出した。 「ジョンとミーアは、屋根裏、地下室を重点に生存者の捜索を」 「了解なのにゃ!」  しゅぱっと敬礼をしたミーアに、ジョンは隣で苦笑を浮かべていた。ただ犬型の獣人なので、その表情はとても分かりにくいものだったのだが。  車で移動するとアコリを呼び寄せると言うことから、そこからの移動は己の足と言うことになる。相手の数が数だからと、ボルクとガルフは、ありったけの銃弾を雑嚢へと押し込んだ。アコリを殺すのに、銃の威力はさほど求められていない。それもあって、数を稼げる小口径の銃弾が主となっていた。ただ数で押し寄せられたときのために、散弾も用意していた。  後は質量兵器にもなる、刃渡りの大きななたを二振りずつと言うのが二人の装備となっていた。  一方ジョンとミーアは、至って軽装になっていた。そのあたり、求められるのが機動性だからにほかならない。そのため小ぶりななたと小口径のハンドガンと言うのが、二人の装備だった。ちなみにガスを使う可能性もあるので、ガスマスクも標準装備となっていた。ボルク達の装備運搬を手伝わないのは、一人で持ち運べない武器は却って足を引っ張ることになると言う理由からである。 「町の入口に着いたところで散開する」  簡単な指示を出したボルクは、重装備にも関わらず身軽に坂を下り始めた。 「本当に、リーダーが只人なのか疑問に感じるな」 「そのあたり、同感と言ってやる」  ただ呆れてばかりいると、結果的に置いていかれることになる。身軽な獣人二人はいいとして、只人のガルフは慌ててボルクを追いかけた。  10分ほど丘を駆け下りたところで、町の入口へとたどり着いた。ガルフが両手を膝に当てて大きく息をしているのとは対照的に、すでにボルクは周囲の警戒に入っていた。 「ジョン、ミーア、手はず通りに」  簡単な命令を出し、ボルクは「行け」とばかりに手首で二人に合図をした。それに頷いた二人が屋根へと駆け上ったのを確認し、ボルクは雑嚢から小さな小瓶を取り出しガルフへと渡した。 「息が落ち着いたら戦闘開始だ」 「すみませんね。お手数をおかけして」  小瓶を受け取り、ガルフはその中身をゴクリと飲み干した。体力回復用強壮剤と言うのが、渡された小瓶の中身だった。  「それはいい」と短く答えたボルクは、「俺は陽動だ」と簡単に役割分担を話した。  つまりボルクは、銃を使ってアコリの目を引きつけると言うのである。そしてこの役目には、生存者に救援が来たことを知らせる意味も持っていた。 「二手に分かれ、神殿に向けて進行する」  いいなと声を掛けてから、ボルクは配置につくためガルフから離れていった。  それを見送ったガルフは、腰に下げていたナタを片手に持った。ボルクが陽動で動く以上、自分は目立たないようにアコリを殺していかなければならない。そのためには、獲物は銃でない方が好ましかったのだ。  そしてそれから5分が経過し、少し離れたところで銃声が響いた。それを確認したガルフは、自分は物陰に隠れながら指定の場所へと進軍したのである。  ガルフから離れたボルクは、物陰に一度隠れてから右手にナタ、左手にハンドガンを装備した。そしてゆっくりと表通りに出て、目につくアコリを撃ち殺していった。消音器を付けていないのは、音にアコリが反応するのを利用するためである。 「1……」  驚いた顔をしたアコリの首をはね、ボルクは転がった首を遠くへと転がした。たったこれだけのことで、アコリが生き返ってこなくなる。  そして眉間を撃ち抜いたアコリに近づき、同じように首をはねて行った。 「2、3……」  彼がナタを好むのは、剣ではすぐに刃毀れをしてしまうからだ。だから多少のことでは切れ味が鈍らない……と言うより、叩き切るナタの方が数を相手にするのに都合が良かったのだ。  周囲の警戒を怠ること無く、ボルクは現れたアコリを屠っていった。すでに体は、アコリの返り血で紫色に濡れていた。  派手な殺戮を繰り広げるボルクとは対象的に、ガルフは隠密行動に徹していた。ただやっていることはボルクと大差はなく、見つけたアコリの首を手当たり次第に跳ねていっていた。ボルクが派手に銃声を立ててくれるので、驚いて出てくるアコリは彼の格好の獲物になっていた。 「ここまでで15か」  30分ほど殺戮を続けたが、まだ半数にも達していないようだ。先が長いなと呆れながら、ガルフは不意打ちをしようとしたアコリの首をはねた。接近センサーがあるので、背後からの不意打ちへの備えもできていたのだ。そして跳ねた首を転がし、「16」とここまで仕留めたアコリの数を更新した。  そうやってアコリを殺していくうちに、潜入していたジョンとミーアからの情報が入ってきた。それによると、少ないながら生き残っている者がいるようだ。そして同時に、建物に潜んでいるアコリの情報も教えられた。 「こっちは、遠慮なく」  その一つの建物に押し入り、ガルフは獲物を短銃に持ち替えた。すでにおおよその数は分かっているので、不意打ちに対する対策も万全である。自分の姿に驚くアコリの眉間を打ち抜き、死体を家の広間へと集めていった。銃では簡単に死なないことが分かっているので、まとめて始末をしようと言うのである。 「この家には、最低3と言う情報だったな」  目の前にあるのは、もぞもぞと動き始めたアコリの死体が3つ。情報が正しければ、これでこの家にいる全てと言うことになる。ただ見逃すのも癪に障ると、ガルフは部屋の探索を行うことにした。ただその前にと、生き返り始めたアコリの頭をもう一度銃で撃ち抜いた。  襲撃者の立場が変われば、アコリなど脆いものでしか無い。その結果、ただ一方的にアコリは衛生局局員に狩られていった。  別の小高い丘で、ボルク達の動きを見ているものが居た。竜人の3人と、小人の男1人と言うのが観察者の全てだった。 「確かに天敵だな」  その一人が、ボルク達の戦いに舌を巻いて感心していた。 「洞窟でなければ良いのではなかったのか?」  数日前の話を蒸し返され、小人の男は「そう思っていたんですけどねぇ」と力なくため息を吐いた。 「あれを見せられたら、奇襲以外は無理だと思えてきましたよ」 「うむ、なんと言えばいいのか、容赦の無い戦い方をしているな」  竜人の同意に、「そうなんですよねぇ」と小人の男はため息を吐いた。その様子を見た竜人のリーダーは、「まあ良い」と野太く笑った。 「すでに目的は達成できておるのだ。あの男達を引き離した判断が間違っておらんかったと言うことだろう」 「念の為と思ったのですがねぇ。保険のつもりが役に立ってしまうってのは複雑なんですよ」  いやだいやだと嘆く小人の男に、「はは」と竜人のリーダーは笑った。 「後始末が必要かと思ったが、これならば任せておいてよいだろう。証拠は残しておらんゆえ、我らは撤退することとする」 「次は、どこでしたかね……」  確認した小人の男に、「大君の思し召しを待つことになる」と言うのが竜人のリーダーの答えだった。 「それまでに、天敵対策を考えておきますよ」  いやだいやだとこぼしながら、小人の男は早足で竜人達の後を追いかけていった。  黒幕の小人の男に嘆かれるほど、ボルク達のパーティーは黙々と制圧を続けていった。意外に早い制圧のお陰か、30人ほど生存者が見つかっていた。もともとの住人が500人程度と考えると、かろうじて全滅は免れたと言うレベルの生存者数でしかなかった。 「35だ」  リーダーの言葉に、ガルフは「29」と自分の始末したアコリの数を報告した。そしてジョンからは「3」、ミーアからは「2」と言う数が報告された。 「69か」  小声で確認したボルクは、「神殿か」と次の目的地を示した。 「うち漏らしの確認をしてきます」 「うちもにゃん!」  自分の役割を主張したジョンとミーアに、「任せる」とボルクは答えた。 「合わせて、他に生き残りが居ないかの確認を」  新しい指示に、二人は「了解」と言って離れていった。 「さて、神殿まわりにはアコリの死体が転がっていましたね」 「ああ……」  珍しくはっきりとしない答えに、「なにか?」とガルフは尋ねた。 「ここの者達は、他に比べて信心深いのか?」 「どこも大差はないと思うんですがね。何か、気になることがありましたか?」  もう一度確認をしたガルフに、ボルクは神殿の建物を指し示した。 「なぜ、神殿の前にアコリの死骸が固まっている。迎え撃つには、さほど適した場所とは思えないのだがな」  その指摘に、「確かに」とガルフは頷いた。 「アコリに追い立てられたんだったら、もうちっと違う方に固まりますな」 「なにか、豊穣神神殿に守るべきものがあったと言うことだ」  行くぞと促され、ガルフはボルクの後から神殿へと向かった。もちろん、生き残りのアコリが潜んでいないか、細心の注意を向けていた。 「ここに、20ですか……」  表情を険しくし、二人は神殿の中を伺った。 「かなり残っているか……」 「諦めて、飛び込みますか」  小さく頷いたボルクは、右手にナタ、左手に短銃を構えて歩き出した。そしてその後を、ガルフが後ろを警戒しながら着いていった。 「アコリを確認。これより排除に入る」  小さく呟いたボルクは、スピードを上げてアコリへと襲いかかっていった。先制攻撃は短銃で眉間を打ち抜き、無事だったアコリはナタで首を撥ねていった。手当たり次第に殺していくボルクの傍ら、ガルフは奇襲に備えていた。  だが襲撃しても、襲撃されることは考えていなかったのだろう。あっけないほど簡単に、神殿の中に居たアコリはすべて駆除された。そこで殺した総数は16、合計で襲撃して行きたアコリは105と言うことになる。 「妙だな」  すべてを始末し終わったところで、ボルクは神殿の中を見渡しボソリと呟いた。 「その、妙ってのは?」 「俺達が飛び込んだ時、神殿の中で死んでいるアコリが居なかった」  それがおかしいと口にしたボルクに、「支えきれなかった」とガルフは言いかけたのだが、すぐにその意味を理解した。 「だからと言って、全く居ない理由にはなりませんね」  確かに変だと、ガルフもリーダーの言葉に同調した。 「それから、この死体を見てみろ」  そこでボルクが指差したのは、比較的綺麗に残っていた女性の死体だった。それをじっくりと検分したところで、確かにとガルフは頷いた。 「致命傷は、アコリの持っている武器じゃありませんね」 「その娘も、致命傷はチンケなアコリの武器じゃない」  指さされた先で死んでいた少女には、はっきりと袈裟懸けに切られた後が残っていた。 「アコリなら、剣で突くってのが常識ですね。こんな切り口は、相当な戦士じゃないと作れませんな」  ふーむと考えたガルフは、「そう言えば」と神殿の中を見渡した。 「外に死んでるアコリですが、一体誰が殺したんでしょう。神殿に死んでいる数を考えると、あんなに殺せるとは思えないんですが」 「戦闘に慣れたものなら難しいことじゃない」  そう答えたボルクは、なにか言いたげなガルフを手で制した。 「分かってる。どうして、そんなものが神殿に居たのかと言うことだろう」 「何かを守るためにそこに居た……と考えることができますな」  そう言って、ガルフは袈裟懸けに切られた女を見た。 「そうなると、アコリの襲撃理由が厄介なことになりますな」 「ああ、人為的に引き起こされたと考えられるからな。しかも、何者かを抹殺するため、アコリの襲撃が利用された可能性がある」  そこでボルクは、死んでいる少女の方を見た。 「可能性として考えられるのは、そこで死んでる少女ってことですか?」 「あくまで、可能性と言う意味ではな」  それ以上は分からんと答えた時、探索に行っていたジョンとミーアが戻ってきた。 「追加で、5匹ほど仕留めました。ただ、生き残りは見つかっていませんね」  それでそちらはと問われたボルクは、「処置は終わった」と返した。 「再度生き残りの捜索を行ってから、この場を行政に移管する。すでにアコリの排除は完了しているから、大声を出して生存者の確認を行え」 「じゃあ、マイクを使って呼び掛けますか」  目でミーアに合図をして、ジョンは再び捜索へと戻っていった。それを見送ったところで、「どうします」とガルフはリーダーに尋ねた。 「どうもこうも、報告書に記載するだけのことだ」  それ以上のことは、衛生局員の範疇を外れてくれる。己の分を弁えたボルクに、確かにとガルフも認めたのだった。  退屈な会談だったが、帰路でのシャノンは比較的機嫌が良かった。 「パンヤ代表ですか。まったく予想通りの応答をしてくれましたね」  側近の言葉に、「ああ」とシャノンは少しだけ口元を歪めた。 「統一に対する消極的同意。彼らは、後にその意味を知ることになるでしょう」  くっくっと笑ったオハイオに、シャノンは「遠くない未来にな」との答えた。どうやらシャノンにとって、ボルケ代表との会談はさほど意味を持つものではなかったのだろう。  シャノンは「どうでもいい」と言って、目の前で右掌を広げ上に向けた。その動作に合わせるように、手のひらの上に白い光が浮き上がった。それをよく観察すると、小さな白い蛇がとぐろを巻いている姿がそこにあった。 「水を司る聖獣ですか?」  その輝きに興味を示したオハイオに、「守護獣シムマ」だとシャノンは答えた。 「これで、ボルケの奴らからちゃぶ台返しをする力は失われた」 「バルゴンでも、胸糞が悪くなったと言っておりました」  シムマを手に入れた方法へのコメントに、「小事だ」とシャノンは切り捨てた。 「そして、どこにでもある悲劇にしか過ぎない」 「仰る通りなのでしょうね。あそこまで酷くなくても、結構行方不明者が出てますからね」  「うちでも」と嫌そうな顔をしたオハイオに、「コレクアトルが悪い」とシャノンは決めつけた。 「人を信用して、おかしな技術を広めた結果だ」 「コレクアトルに責任を持っていきますか」  そこでオハイオが苦笑を浮かべたのは、フレッサ恒星系統合の旗印に「コレクアトル」を利用しているからである。 「良い点もあれば、悪い点があってもおかしくないだろう」  ただそれだけだと答え、シャノンは手のひらを閉じてシムマを消した。 「次はクエリか」 「その前に、一度ボルにお戻りいただかないと」  国家君主が、国政を疎かにして飛び回っていていい道理がない。  忠言を口にしたオハイオに、それぐらいは分かっているとシャノンは笑った。 「そうでないと、ラクウェルが怖いからな」  姉さん女房の名を出して笑ったシャノンは、「まだまだ安心できん」と小さく呟いた。 「一刻も早く、光の聖獣を手に入れんとな」  それが叶うまで安心はできない。大きな椅子にもたれかかり、シャノンは小さな声で呟いたのだった。 舗装もなにもない道の、もっと言えば田舎の農道にある木陰でニムレスはへたり込んでいた。頑強を持ってなる10剣聖だと考えれば、非常事態と言っても良いことかも知れなかった。  ただ実態は、極度の空腹で動けなくなっただけだった。その実ニムレスは、ここの所1週間ほど水以外の物を口にしていなかったのだ。  皇の煽りに乗った自分が悪いのは分かっているが、だからと言ってこの扱いは無いだろうと言いたかった。 「皇よ、これは少し違うのではありませんか……」  もうダメだの言葉を残し、ニムレスの首ががっくりと折れた。  話を1週間と少し巻き戻すと、彼は探査船メイプル号の中に居た。  寄り添うように集まった恒星系を見つけ、そのいずれにも文明を育む惑星があると分かった時、トラスティがニムレスに単独潜入を命じたのである。ただそれだけなら、特に問題のある命令ではないだろう。だがその潜入調査に対して、トラスティはカムイの使用を禁じたのである。しかも念には念を入れると言うことで、カムイのエネルギーまでゼロにすると言うのだ。 「しかし、見知らぬ土地に潜入するのに。カムイを使えないようにするのは」  流石に理不尽な命令だとの抗弁に、トラスティはどこかで聞いてきた理由を持ち出した。 「僕が、それを必要だと考えた。それ以上の説明は不要のはずだ」  きっぱりと言い切ったトラスティに、「理不尽な」とニムレスはもう一度こぼした。 「「皇と言うのは、すべからく傲慢で理不尽を押し付ける存在でなければならない」んだそうだよ」  と言うことだからと、トラスティは己のサーヴァントを呼び出した。その呼出しに現れたのは、隠すところのとても少ない、そしていろいろと透けて見える白のドレス姿のコスモクロアだった。  また悪乗りをとは感じたが、突っ込んでも無駄だとトラスティは命令を下した。 「コスモクロア、やっちゃってくれ」 「主様、寝室でも宜しいですか?」  すかさず聞いてきたコスモクロアに、トラスティはニムレスの顔を見た。 「彼をお父さんと呼びたくないから駄目」  身も蓋もない答えに、「そうですよね」とコスモクロアはため息を吐いた。 「キスだけでも良しとしますか」  小さくため息を吐いたコスモクロアは、一転して艶っぽい笑みを浮かべ「ニムレス様」とにじり寄った。  その笑みに背中に電気が走った気がしたが、目的は自分のカムイのエネルギーを吸い取ることである。ザリアに蹂躙された恐怖が蘇り、ニムレスは赤くなった顔を青くすると言う器用な真似をしてコスモクロアから逃げようとした。だが狭い宇宙船の中で、しかも特別なデバイス相手に逃げ切れるはずがない。行く手を塞がれたところで、観念するしかなくなってしまった。 「や、優しくしてください」  そして観念したニムレスは、まるで何も知らない小娘のような言葉を吐いてコスモクロアに身を任せた。 「可愛らしい殿方は好きですよ」  ふふふと口元を歪め、コスモクロアは「濃厚」な口づけをした。カムイのエネルギーが吸い取られているからだろうか、時折ニムレスの体がビクリと痙攣を起こしていた。 「少しイカ臭い気も?」 「マリーカ船長、そこは気づかない振りをするのが優しさなのよ」  茶化すようなリュースの言葉なのだが、恐らくニムレスの耳には届いていないだろう。だらりと両腕は垂れ、その膝もがっくりと折れていた。コスモクロアは、その体を支えながらニムレスとの口づけを続けたのである。加減はするだろうとトラスティは放置したのだが、いい加減危ないかと強制介入を行った。 「流石に、それ以上は危ないから」  ただ強制介入と言っても、肩を軽く叩く程度である。それでも反応したコスモクロアは、「久しぶりでしたので」と悪びれることはなかった。 「ですから、最後の一滴まで吸い尽くして差し上げようかと」 「いや、それはまずいから」  ダメダメとの主の言葉に、コスモクロアはとても残念そうにニムレスを解放した。その途端、ニムレスは膝から崩れ落ちてくれた。  普通なら様子を見るところなのだが、トラスティは優しくなかった。 「とりあえず、アルテルナタの未来視では大丈夫ってことになってるからね」  そう話したトラスティは、さっそくニムレスを送り込むことにした。 「じゃあコスモクロア、彼を捨て……目立たない所に運んでくれないかな?」 「ダメ押しをして宜しいですか?」  まだ物足りないのか、艶っぽい顔でコスモクロアは質問をした。 「流石にそれは駄目」 「久しぶりで体が熱くなったのに……」  生殺しですよねと文句を言って、コスモクロアはニムレスを一番近い所にある惑星へと運んだのである。ちなみにその惑星は、フレッサ恒星系ではフリートと言われる惑星だった。  安全そうな水辺にニムレスを下ろし、コスモクロアは「頑張ってくださいね」と耳元で囁いた。 「帰ってきたら、続きをしてもよろしいのですよ」  ふふふと微笑むさまは、まさに妖艶を体現したようである。ただ今のニムレスは、呆けたまま特段の反応を示さなかった。  それを残念そうに見たコスモクロアは、人差し指に光を集めてからニムレスの額を軽く突いた。 「ニムレス様に、IotUの加護がありますように」  そう囁いて立ち去ろうとしたのだが、何かを思い出したようにコスモクロアはもう一度指に光を集めた。 「言葉はお手伝いした方が良さそうですね」  もう一度額をちょんと突いてから、コスモクロアはニムレスをおいてメイプル号へ戻っていった。これで、ニムレスの受難は始まったことになる。  覚えているのは、空腹で倒れたところまでだった。固いベッドで目を覚ましたニムレスは、体を起こしてぐるりと首を巡らせた。そして受けた第一印象は、「粗末な建物だな」と言うものだった。薄汚れた漆喰の壁に、木枠でできたガラス窓。部屋の中には粗末な丸テーブルと、少し傾いた木の椅子だけだった。 「だが、誰かが助けてくれたことには間違いないだろう」  まだ酷い空腹を覚えていたが、かと言って倒れるほどでもないものだった。テーブルの上に置かれた水差しから水をがぶ飲みをしてから、同じく粗末な作りの扉へと向かった。 「やはり、力が入らないな……」  カムイの具合を確認してみたが、これまで同様最低のレベルでも発動してくれなかった。それどころか、初めからカムイなど無いかのような手応えしか感じられない。「流石に無いでしょう」と心の中で文句を言ってから、保護して貰った礼を言いにニムレスは小さな部屋を出た。 「子供の声が聞こえるか……」  それから考えられるのは、今自分が居るのはどこかの町と言うところだろうか。廊下の作りから、結構広いかなとも当たりをつけた。そして迷った時には勘を頼りにと、左手方向へと進んでいくことにした。 「あら、目を覚まされたのですね?」  誰かに会えばと思って歩いていたら、グレーのワンピースに赤い色の法衣のようなものを着た女性と出くわした。年齢はおよそ40ぐらいだろうか、とてもふっくらとした笑顔の素敵な御婦人である。 「あなたが、私を助けてくださったのですか?」  感謝しますと頭を下げたニムレスに、「礼儀正しいのですね」とその婦人は笑った。 「私は、この神殿の司祭をしております。ヴィエネッタと言う名前があるのですが、皆さん私のことをビッグママと呼ばれていますね」  頭を下げ返してきたビッグママは、「こちらにどうぞ」と彼女の住居スペースへと案内した。そこには質素ではあるが壁には絵がかけられ、白いクロスの掛けられた丸テーブルが置かれていた。  「お座りください」と勧められた椅子に座り、ニムレスは再度助けて貰ったことへの礼を口にした。 「改めてお礼を申し上げます」  座ったまま頭を下げたニムレスに、「良かったですね」とビッグママは微笑んだ。 「それからお礼でしたら、ぜひともアーシアに言ってあげてください。あの子が、木の下で動かなくなったあなたを見つけてくれたんですよ」 「アーシアさん、ですか?」  確認したニムレスに、「ええ」とビッグママは微笑んだ。 「誰にでも優しい、とてもいい子なんですよ」  そう言ってアーシアを褒めたところで、「いけない」とビッグママは口元に手を当てた。 「まだ、あなたのお名前を伺っていませんでしたね。なにさんとお呼びすれば宜しいのですか?」  とても基本的な質問に、ニムレスは「確かに」と頷いた。そして勢いよく立ち上がったのだが、空腹に負けて足元がふらついてしまった。 「し、失礼、私はニムレスと申します」 「ニムレス様ですか。ところで、どこかお具合を悪くされているのですか?」  樹の下で倒れているわ、立ち上がったと思ったらふらついてくれるわ。それを考えたら、ビッグママの疑問は当然のことだろう。 「い、いえ、恥ずかしながらこの7日程水以外を口にしていなかったので」  流石に空腹と言うのは恥ずかしいのか、ニムレスの頬がほんのりと赤くなっていた。 「あら、私としたことが気づかなくて。すぐにお食事を用意いたしますね」  お待ち下さいと言い残し、パタパタと足音を立ててビッグママは部屋を出ていった。  それを引きつった笑みで見送り、ニムレスは小さくため息を吐いた。 「とりあえず、良い人に拾われたと考えればよいのか」  ここに送り込まれる前に、「未来視」の事は聞かされていた。だとすると、この出会いはすでに予定されていたと言うことだろう。  それならそれで気になるのが、予定された出会いの意味である。最悪のペテン師と言われる皇が、ただの出会いで我慢するとは思えなかったのだ。いい人に拾われることなど、考慮してくれるとは絶対に思えなかった。 「俺は、皇に踊らされることになるのか……」  それは嫌だなと考えたところで、「ごめんなさいね」と言ってビッグママがお盆を抱えて戻ってきた。 「見た通りの貧乏神殿ですから。大したものを用意できませんの」  そう言って供されたのは、目の荒い小麦で作られたパンと、じゃがいもと人参が煮込まれたシチューのようなものだった。そして陶器のカップには、血の色をした飲み物が注がれていた。 「薄いですけど、ぶどう酒ですの」  お酒は駄目でしたかと顔を見られ、「いえ」とニムレスは恐縮した。 「その、昼間から飲んで良いのかと思っただけです」 「このあたりは、余り水がよろしくないんです。ですから、あまり発酵させていないぶどう酒が広まっているんですよ。後は、大麦から作った発泡酒ですね。ですから、生水は飲まないようにしてくださいね」  病気になりますと言われ、ニムレスは思わず眉をひそめてしまった。何しろこの星に降ろされて口にしたのは、その生水だけだったのだ。  それをここで持ち出すのは、間違いなく面倒なことになるだろう。だから「気をつけます」と答えて、ぶどう酒を一口口に含んだ。あまり発酵させていないの言葉通り、かなり甘みが残っていた。 「甘い、ですね」  ただ空腹には、この甘味がありがたかった。それだけで生き返った気持ちになったニムレスは、次に湯気を立ててるシチューへと手を伸ばした。こちらはスパイスが足りていないが、それはそれで優しい味をしていると感じていた。 「酒場に行けば、ちゃんと醸造したぶどう酒も置いてあるのですけどね」  自分が食べるでもなく、ビッグママはがっつくニムレスを嬉しそうに眺めていた。まるで息子を見るようなと言うのが、今の彼女に相応しい形容詞なのだろう。  全体的に量は足りないのだが、それでも生き返った気持ちになってくれた。何よりも、食べたものが全て優しい気持ちのこもったものだったのだ。豪快さだけが取り柄のリゲル帝国とは、何から何まで違っていた。だから食べ足り無いところはあっても、意外なほど心は満ち足りていた。 「それでニムレスさん、でしたね。これからどうなさるのですか?」  とりあえず介抱したのだから、ここから先は彼女の責任から外れることになる。ただ神職に付く身として、行き倒れになっていた男のことを心配するのは当然のことだった。 「保護していただいたお礼をしたいのですが……実は、職もなく困っていたところなのです」 「私どもの事はご心配いただかなくてもいいのですが。それはそれは、お困りでしょうね」  困りましたねと腕を組んで考えたビッグママは、しばらくしてから「パン」と手を叩いた。 「では、とりあえず私共のところで寝起きをしてください。そしてお給料は出せませんが、勤労奉仕をしてただければと」 「私としてはありがたいお言葉なのですが……ですが、このような身元の知れない者にそのようなことをされてよろしいのですか?」  とりあえず確認をしたニムレスに、「大したことじゃありません」とビッグママはかんらかんらと笑った。 「貧乏神殿ですから、持っていってお金になるようなものはありませんよ」 「い、いや、不審者と言う意味で伺ったのですが」  なにか調子が狂うと感じながら、ニムレスはもう一度確認をした。 「ニムレスさんは、不審者だとご自身のことをお考えですか?」 「いえ、私がではなく、まわりの目を言っているのですが……」  どう考えても、受け答えの位相がずれているとしか思えなかった。やりにくいなと思いながら、「そのですね」とニムレスは言葉を探した。 「ここにいるのは、私以外には15の娘に12、10、9の男の子だけなんですよ。最近まで手伝ってくれていたおじいさんがいたんですけどね。腰を悪くされて、男手に困っていたんです」 「15のお嬢さんがいるのでしたら、そちらを心配されるのでは?」  若い男が入り込めば、そちらの心配も生まれるはずだ。  常識的な考えを持ち出したニムレスに、「おばちゃんは駄目ですか?」とビッグママはウィンクをした。 「い、いえ、その、言っている意味が違っていましてですね……その」  しどろもどろになったニムレスを、ビッグママはケラケラと笑い飛ばした。 「アーシアも、来月には成人しますからね。身近に若い男がいたほうが、あの子も色気づいてくれるでしょう」 「……そんなことでよろしいのですか?」  本当に調子が狂うと思いながら尋ねたら、「豊穣神の神殿ですよ」とビッグママは胸を張った。 「天からは恵みを地に稔りを、産めよ増やせよ地に満ちよが豊穣神様の教えなのですよ。いい子に育ってくれたのですが、まだまだ女の色香に程遠くて。いつまでも、子供でいる訳にはいかないんです」  そこまで話をしてから、「忘れていました」とビッグママは手を叩いた。 「時々手伝ってくださる、ベアトリクスさんと言う人もいるんですよ。今年23になる、とても綺麗な人なんですけどね……気が強いせいなのか、彼女も縁遠くてねぇ。アーシアを可愛がってくださるのはいいのですが、もう少しご自身のことを心配された方が良いと思うのですよ。いえ、すみませんね。ニムレス様に言うようなことじゃないんですけどね」  おほほと笑うビッグママに、ニムレスは彼女のことが少し理解できた気がした。 「では、お言葉に甘えさせていただきます」  お願いしますと頭を下げたニムレスに、「こちらこそ」とビッグママは笑った。 「さっそく使いだてして悪いんだけど、牧場の柵を点検してもらえないかしら。牛さんが逃げ出すと、バターを作ることができなくなっちゃうのよ。それに、牧場の外側は山になるから、子牛が迷子になると食べられたりすることもあるのよ」 「猛獣……のようなものがいるのですか?」  少し視線を厳しくしたニムレスに、ビッグママは「MC」と言う名前を持ち出した。 「畑を荒らすイノシシとかもいるんだけどね。そうね、子牛とかはMCって変なのが拐っていくこともあるのよ。確かアコリって呼ばれていたかしら。もう少し町の方だと、衛生局が駆除してくれるんだけどねぇ。こんな田舎だと、忙しくて手がまわらないようなの」 「いえ、MCと言うのがいるのは分かりましたが。アコリですか、それは何者なんですか?」  話が長くて脇道にそれるのも個性かと、ニムレスはビッグママのことをもう少しだけ理解できた気がした。 「そうね、子供と同じぐらいの背格好をした生き物ね。パット見は子供なんだけど、からだ全体が紫色をしていて、言葉も通じないらしいのよ。他の星から来た小人とか短人とかも似たような背の高さなんだけど、あの人達は身奇麗だしちゃんと話も通じるのよね。それでね、アコリって言うのは、洞穴に集団で住んでいて、近くの村から穀物や家畜を盗んだりするらしいの」 「だから、柵を直す必要があると言うことですか」  理由にたどり着くまでが長かった。少し安堵をしたニムレスに、「それから」とビッグママは少し怖い顔をした。 「あくまで噂の話なんだけどね。アコリの数が増えると、町を襲ったりすることがあるらしいの。食べ物が足りなくなるからって言われてるけど、男女に関わらず、その性的に襲われるとか、食われるって話があるのよぉ」 「そんなのが、この近くに潜んでいると言うのですか?」  流石に問題だと言う顔をしたニムレスに、「噂よ噂」とビッグママは笑った。 「どう言う訳か、収穫祭が近くなるとこの近くに現れるのよ。だから、収穫祭が近くなると、町の男衆でアコリ駆除をしているわ。まあ、ここのところ毎年4、5匹駆除をしているわね。駆除の数が増えてないみたいだから、いても数匹ってところなんでしょうね」  そう説明して、ビッグママは「そうだった」と手を叩いた。 「収穫祭まであと2ヶ月も無いから、しばらくしたら駆除と言う話になるわね。去年までは男手がなかったんだけど、今年はニムレスさんにもお願いしていいかしら?」 「ええ、構いませんが……」  皇よ、これが試練ですか。早速出てきたきな臭い話に、ニムレスは自分が送り込まれた理由を考えた。 「それから、もう一つお願いしたいことがあるの」  いいかしらと顔を見られたニムレスは、「構いませんよ」と笑った。 「牧場の隣に麦畑があるのよ。もうすぐ収穫なんだけど、いつもお願いしている人のところが忙しそうなの。だから、ニムレスさんが収穫してくださらないかしら?」 「それぐらいなら……と言いたいところなのですが。麦の収穫をしたことがありません」  頼られるのは嬉しいし、それぐらいなら逆にお願いしなければいけないと思っていた。ただやったことの無いものを任されるのは、流石に責任が持てなかった。 「だったら、お手伝いがてら教えて貰いに行くのがいいわね。タゴーさんのところにお願いしてくるわ」  それからそれからと、ビッグママは「もう一つ」と言ってニムレスへの仕事を積み上げてくれた。麦畑の他に野菜畑の手入れや収穫、更には傷んだ神殿の補修までそこには含まれていた。ようは今まで男手がなくてできなかったことを、ニムレスにして貰おうと言うのである。  山のように積み上げられた仕事だが、それでも断ると言う気持ちはニムレスにはなかった。  一通りお願いが終わったところで、ビッグママは安堵の息を漏らした。 「こんな言い方をしてはいけないのですが。アーシアがあなたを見つけてきてくれてよかったと思います」 「そう言っていただけて光栄なのですが……まだ、なにも始めていませんので」  そう言うことは、ちゃんと成果が出てから。浮かれるビッグママに、ニムレスはブレーキを掛けたのだった。  ただニムレスはブレーキを掛けたが、貧乏神殿にとってみればニムレスは神の使徒のようなものだった。人手、特に男手がなくて滞っていたことが、ニムレスのお陰で円滑に回るようになったのだ。お陰で3週間も過ぎた時には、無くてはならない男手となっていた。  何しろボロけていた神殿が見違えるように綺麗になったし、そのお陰で寄進も少しだけ増えていたのだ。そしてニムレスが積極的に手伝いに出たお陰で、町の男達が神殿に顔を出す頻度も増えていた。そして若くて見た目の良いニムレスだから、町の女達の受けも良かった。お陰で届け物の帰りなど、至る所でお茶を誘われるぐらいだった。最初は警戒されていたベアトリクスからも、1週間が経過したところで睨まれなくなっていた。 「……だが、なにか違う気がする」  一日の仕事。牧場では柵の修理や周囲の見回り。朝の放牧、夕方の連れ帰り。唯一一日二度の乳搾りは、アーシアと男の子達がしてくれたが、牧場の仕事はほとんどニムレスがやっていた。当然のように、糞の始末や牛舎の掃除、不足する牧草の刈り出しにもでかけていた。  それに加えて、麦の収穫から野菜の水やりや雑草取り。そして動物が入ってこないようにと、柵を作り変えることまでしたのだ。鍛えているはずなのに、始めは普段とは違う筋肉に痛みを感じたほどだった。  お湯を張ったお風呂など滅多に入ることは無いので、暖かければ水浴び、寒ければ薪でお湯を沸かして体を拭く。それが、寝る前の習慣になっていた。古い習慣をいくつか残しているリゲル帝国だが、ここではそれが「今」生きている習慣となっていた。そしてリゲル帝国が、超文明の地だと改めて思い知らされた。ちなみに、必要な薪を集めるのもニムレスの仕事の一つである。  それでも一つだけ言えることは、食事はこちらの方が美味しいと言うことだ。 「こんな、のんびりとしていていいのだろうか?」  藁で作られたベッドと言うのも、リゲル帝国ではありえないものだった。固くてゴツゴツとし、しかもそこかしこが盛り上がっていると言う、極めて寝づらいベッドである。  そのベッドに寝転がり、ニムレスは自分の生活を振り返った。ビッグママ達に感謝されている仕事にしても、鍛えている彼からすれば苦になるものではなかった。それどころか、色々な人に感謝をされることで、やりがいすら感じ始めていたのだ。ただそれでも、なにか違うと思えてしまった。 「これは、10剣聖として必要なことなのですか?」  この星に来てから、一度も剣を握っていなかったのだ。これまで鍛錬を続けてきたことを思うと、怠けているとしか思えないことだった。農作業で体こそ動かしているが、今までに比べればストレッチ程度のものでしかないのだ。しかも神経は弛緩しっぱなしで、緊張を強いられることなど一度もなかった。  だがトラスティからは、「今の君に必要なこと」と言われてしまった。しかも「剣神、筆頭」の両者も必要と言っていると聞かされている。だとしたら、ここでの経験が自分への糧になるのだと信じたかった。ただ3週間が経過しても、ニムレスにはそれを信じることができなかった。 「いや、今は何も考えまい」  ぐだぐだ考えても、自分程度では理解をすることができないのだ。それならば、もう少し時間を掛けてそれを見つければいいのだ。未来視の結果だと皇が言う以上、必ず自分の役に立ってくれるのだと。 「明日も朝から牛の世話か……早く寝た方がいいな」  最近寝付きが良くなった。そう呟いて目を閉じたニムレスは、すぐに穏やかな寝息を立てていた。  まだ暗いうちに目を覚ましたニムレスは、体の鍛錬から一日を始めた。流石に何もしないでは体がなまってしまうので、短い時間だけでも神経と俊敏性を養うことにしたのだ。  そのため牧場に作った柵を飛び越え、ニムレスは森の方へと入っていった。そこを走るだけで、体力だけでなく集中力を養うのにも役立ってくれるのだ。何しろ森の中は、足元が悪いだけでなく、至るところに障害物が転がっているのだ。薄暗くて視界の悪い中で走り回るには、普段以上の集中力が必要となる。  それを1時間ほど続けると、ようやく日が昇ってくる。ちょうど牛舎の牛が目を覚ますので、2頭の子牛と一緒に牧草地に連れ出せば、仕事も一段落となる。  そこまで終わらせた所で、井戸水を汲み上げて吹き出た汗を流せば朝の支度は完了と言うことだ。流石に食事の用意は任されなかったので、畑に回って柵の状態を確認してから食堂へと向かうことになる。そこで今日がいつもと違ったのは、訓練中に赤く色づいた木の実を見つけたことだった。ただ食べて大丈夫なのか分からなかったので、確認のため数個だけ持ち帰っていた。 「おはようございます」  いつもどおり挨拶をして入っていくと、「おはよう!」とビッグママの元気のいい声が返ってきた。そしてニムレスが席に着くと、金色の長い髪を三角巾で包んだ、アーシアがお盆を持ってやってきてくれる。ただこちらは、「おはようございます」と囁く程度の声が聞こえるだけで、お盆を置いたらいつものように逃げるように奥へと消えてくれた。  ちなみに同居を始めて3週間にもなるのだが、未だに助けて貰ったお礼が言えないでいた。 「まあ、こんな男だから……」  堪えていないと言うと嘘になるが、それでも仕方がないとは思っていた。だからニムレスは、気にした素振りを見せずに出された朝食へと取り掛かった。  豊富とは言えない食材を前に、ビッグママは懸命に工夫してくれているのだろう。肉がないのは相変わらずなのだが、男向けにボリュームを出すため、豆料理がふんだんに用意されていた。そうは言っても、工夫には限界があるので、今日はトマト味の豆煮込みになっていた。そして目の荒い小麦で作られたパンに、牧場で作ったチーズが添えられていた。 「あなたのお陰で、乳の出が良くなってねぇ」  厨房から出てきたビッグママは、そう言って笑うと薄い赤ワインをカップに注いだ。 「私が役に立っているのですね。それは良かった」  小さく安堵をしたニムレスに、「それはもう」と大げさな身振りで応えてくれた。  そんなビッグママに、「ところで」と言ってニムレスは森で見つけてきた木の実を差し出した。 「こんな物がなっているのを見つけました」 「あら、ザクロの実ね」  まあまあと嬉しそうにするビッグママに、これは良いものなのだとニムレスは理解した。 「これは、ザクロと言うのですか。それで、これは食べられるものなのですか?」  首を傾げたニムレスを笑い、ビッグママは大きな実を手で割ってみせた。種のような赤い実が、中にぎっしりと詰まっていた。 「まだ酸っぱいと思うけど、食べてご覧なさい」 「食用と言うのなら……」  半信半疑で小さな実を10粒程口に含み、ままよと噛み潰してみた。その途端口の中に広がる甘……ほとんど酸っぱさがメインの味にニムレスは眉間にシワを寄せた。 「まあ、酸っぱいわよね」  そう言って笑ったビッグママは、「そろそろ食べ頃」と言って自分も数粒口に含んだ。そしてニムレスと同様に眉間にシワを寄せた。 「でも、普通はもうちょっと甘いのよ。ざっくりと割れたのが、甘いのを探す目印になるわね」  そう答えたビッグママは、もう一度ザクロの実を口に含んだ。 「でも、こんな実がどこになっていたの?」 「牧場の向こう側の山の中ですが」  素直に見つけた場所を教えたニムレスに、ビッグママは今度は少し眉を潜めた。 「危ないわよ。色々な獣も出るし」 「それは、気をつけているつもりです。それに、体がなまらないための訓練にもなっています」  悪びれずに答えるニムレスに、ビッグママははっきりとため息を吐いた。 「チビ達に見つからないようにしてね。あの子達の年頃は、そう言うのに憧れがあるから」 「起きている時間は、牧場と農場で作業をしていますが……」  多分大丈夫と言う意味で言うニムレスに、「だったら良いけど」とビッグママはため息を吐いた。 「すみません。ご心配をおかけして」 「いえ、良いのよ。でも、やっぱり男の人が来ると、ここの空気も締まるわね。それに、ニムレスさんのお陰で、牛たちの乳の出も良くなっているのは本当よ。お給金があげられなくて申し訳なく思っているぐらいよ」  本気で申し訳なさそうにするビッグママに、「いえ」と答えてからニムレスは言葉を探した。 「その、命を助けていただきましたし。こうして寝るところや食べるものもご迷惑になっています。こちらの事情も分かりますので、あまりお気遣いいただかないようにお願いします」  それを本気で言っているのが分かるだけに、ビッグママもそれ以上のことは言えなかった。  ただ心の中で、これまでどんな生活を送ってきたのかと疑問を感じていた。年齢もまだ若いし、しかも見た目もとても整っている。逞しいくせに粗暴なところがなく、それどころか所作が洗練されているように思えてしまうのだ。中央に居られなくなったのかしらと、逆にニムレスの身を案じたぐらいだ。 「ところで、獣とかを狩ってきた方が良いでしょうか。男の子達に、たまには肉を食べさせてあげたいなと思いまして」 「確かに、肉ぐらい食べさせてあげたいんだけど……でも、山の命にはバランスと言うものがあるの。むやみに捕獲するのは良くないと思っているわ。せいぜい農園に降りてきたのを駆除するのが限度かしら」  豊穣神の教えは、大地の恵みを受け取ることを否定していない。その恵みの中には、当然のように獣や野鳥も含まれていた。ただビッグママは取り過ぎを、難しく言えば生態系を気にしていたのである。 「仰る通りですね。では、山に行っても木の実程度にしておきます。他にも見つけているので、それも食べられるか見ていただきたいと思います」 「くれぐれも、山には気をつけてね。そろそろ、アコリが出そうって言う話もあるから」  少し表情を曇らせたビッグママは、何かを思い出したのか「ぽん」と手を叩いた。 「こことは反対側になるけど、ヨサクさんの所でイノシシ狩りをされるそうよ。ずいぶんと大きなイノシシが、畑を荒らしていくみたいなのよ。頭数が揃ったら、狩りをするって言っていたわ」 「ヨサクさん……ああ、あの方のところですね」  小さく頷いたニムレスは、「考えておきます」と答えた。狩りに出るのを否定しないが、日頃の作業を疎かにしてはいけないと考えていたのだ。 「では、そろそろ野良作業に行くことにします」  お盆を持って立ち上がったニムレスに、「置いていって」とビッグママは声を掛けた。 「それぐらいのことは、アーシアにやらせるから」 「宜しいのでしょうか?」  アーシアを気にしたニムレスに、「ええ」とビッグママは少しだけ口元を歪めた。 「気にしないでね。色々と難しい年頃なのよ」 「その辺りは……仕方がないことだと思っています」  頭を下げて出ていったニムレスを、ビッグママはため息で送り出した。  そして厨房の方を見て、「だから年頃の女の子は」と呆れても居た。 「張り切ってアピールしないと、ベアトリクスさんに勝てないのに」  小さく呟いてから、「それでも無理か」とビッグママはもう一度呟いた。特に胸あたりが顕著なのだが、あまりにも女としての戦力差が大きすぎたのだ。 「ニムレスさんの趣味が変わっていれば……それはそれで嫌ね」  ニムレスが居なくなったのを見計らって出てくるアーシアに、ビッグママははっきりとため息を吐いたのだった。  一度部屋に戻ったニムレスは、少しだけ休憩をしてから野良作業に出た。 「今日はトマトとピーマンの収穫だな」  朝の時間帯に収穫すると、皮が固くならないと教えられたのだ。なるほどそう言う違いがあるのかと、初めて教えられた時には目から鱗が落ちた気がしたぐらいだ。日頃気にせず食べている野菜にも、小さな気遣いがされているのだと気付かされた。 「さて、今日はあいつが取りに来るのか」  だったら、美味しそうなのを選んでやらないとと。ニムレスは嬉しそうに籠を下げてくるベアトリクスのことを思い出していた。初めて会った時には思いっきり不審者を見る目で見られたのだが、今は警戒していますと言う顔をしながら、野菜を渡せば嬉しそうな顔をしてくれるようになっていた。  ちなみにベアトリクスは、年齢は自分よりは若いぐらいで、リゲル帝国の女剣士よりは小柄な体型をしていた。ただビッグママがアーシアとの比較で嘆く通り、出る所がとても出た、メリハリのある体つきをしていた。しかも金色の髪をショートにまとめ、緑色の瞳とすっきりと通った鼻筋と言う、明らかに町の女性とは一線を画した美しい見た目をしていた。 「しかし、あいつは何者なのだ?」  ニムレスがそう考えるのは、ベアトリクスがいつも男っぽい格好で現れるのが理由になっていた。そして足の運びを含め、そこそこに訓練されているのを見て取れたのだ。それだけで、ただの町娘でないのは一目瞭然だった。  ビッグママからは、時々手伝いに来てくれるとしか教えられていない。そして本人も、自分に対して身分のようなものを口にしたことがなかったのだ。詮索するのも野暮だが、ニムレスは彼女に対して少しだけ違和感を覚えていたのだ。  ただどうでもいいかと割り切り、ニムレスは赤く熟れたトマトから収穫を始めた。最初は戸惑った収穫も、今は手慣れたものになっていた。 「この辺りは、明日でも大丈夫か……」  まとめて取りすぎると、受け取った側の後始末が大変になる。神殿用ととりわけ、熟れたトマトを籠に詰め込んだ。そしてトマトの収穫が終われば、次はピーマンの収穫となる。こちらは、大きなものから順番に撮っていけばいいので楽だった。 「午後は、堆肥づくりも必要そうだな」  汗を拭って空を見上げると、どこまでも青い空が彼を見守っていた。カムイが使えれば、その空に近づくこともできるのだが、エネルギー切れの今ではそれも叶わない。「これが試練ですか?」と疑問に感じては居たが、「あの人だから」とニムレスは諦めることにしていた。 「そろそろか?」  太陽の傾きから考えると、そろそろベアトリクスが現れる頃なのだろう。取り分けたトマトとピーマンを見ながら、誰が食べるのだろうとなどとニムレスはぼんやりと考えていた。いくら大食らいだとしても、一人住まいの女性には多すぎるように見えたのだ。しかもここには、野菜を保存しておく保存庫のようなものは無い。 「まあ、それは俺の考えることじゃないか……」  小さく呟いた所で、畑の道を誰かが歩いてくるのが目に入った。遠目でも分かる金色の髪と体型から、「ようやくか」とニムレスは小さく笑みを浮かべた。  ニムレスの前に現れたベアトリクスは、ベージュのズボンに白のブラウス、そして革のベストを纏っていた。しかも靴も、動きやすさを目的とした紐で縛り上げるものを履いていた。 「よう、今日は少し遅かったな」 「うむ、手土産を見繕っていたからな」  一応警戒していますと言う顔をしたベアトリクスは、そう言って小さな籠をニムレスに手渡した。その時感じた匂いに、今日は化粧をしているのかとニムレスは内心驚いていた。 「ぶどう……のように見えるが?」 「うむ、山葡萄の実だ。街道沿いになっているのを見つけたから、土産にともいできた」  食べてみろと差し出された実を受け取り、ニムレスは少しだけ用心してから口に放り込んだ。 「結構甘いな」  ニムレスの感想に、ベアトリクスは嬉しそうに頷いた。 「当たり前だ。お前のために甘そうなのを見繕ってきたんだからな」 「俺のため?」  聞き間違えかと思ったニムレスだったが、目の前で言い訳をするベアトリクスに、まあ良いかとそれ以上確認するのをやめることにした。何しろ眼の前では、真っ赤な顔をしたベアトリクスが、「褒美だ」とか「別にお前だけのためじゃない」とか「勘違いするな」とか支離滅裂な言い訳を口にしてくれていたのだ。 「とりあえず感謝しておくが……今日はトマトとピーマンでいいか。人参とかが必要だったら、向こうから抜いてくるぞ」 「い、いや、今日はこれだけでいい。代金は、あとでビッグママに渡しておく」  まだ動揺が収まらないのか、ちょっとだけ滑舌が悪くなっていた。  それをそうかと受け取ったニムレスに、「ちょっといいか」とベアトリクスが問いかけた。 「ああ、なんだ?」 「いや、この後少しだけ時間を貰えればと思ったのだが」  言いにくそうにするベアトリクスに、「今はだめだな」とニムレスは即答した。 「この後は、牛舎の掃除がある。それが終わった後は……」  少し考えたニムレスは、幾つかしなければいけない仕事を並べあげた。 「水車の点検に、堆肥作りの準備を始めなくちゃいけないな。青菜の種まきと、鳥よけの網を張るのと……日が暮れるまでは、やることが目白押しだ」  それでと顔を見たら、なぜかベアトリクスが呆れた顔をしてくれていた。 「どうした、何かおかしなことを言ったか?」 「いや、何人分の仕事をしているのだと思っただけだ」  はあっと一つため息を吐いたベアトリクスは、「若い男の恨みを買ってる」と予想もしていないことを口にしてくれた。 「いや、そう言われても俺には心当たりが無いのだが」  本気で心当たりがなそうなニムレスに、「そりゃそうだ」とベアトリクスは笑った。 「お前は、何一つとして特別なことをしていないからな。誰の目から見ても働き者だし、それに人当たりもとても良い。お前、町に行くと女達からお茶を誘われているんだろう?」 「仕事があるから断っているのだが……もしかして、それで恨まれているのか」  うむと考えたニムレスは、「そう言われても困るな」と眉をへの字にした。 「いやいや、そんなことで……確かに、残念がる声は聞こえてくるのだが。逆にストイックで良いと言う評判もあるな」  うんうんと頷いてから、「ではなくてだな」とずいっと話を引き戻した。  それを面白いやつと上から目線で見たニムレスに、「働き者すぎるからだ」と訳の分からない理由をベアトリクスは教えてくれた。 「なんで、働き者だと若い男達から恨まれるんだ?」  おかしくないかと目元を険しくしたニムレスに、「口実がなくなったのだろう」とこれまた分かりにくい理由を口にしてくれた。 「なんだ、それは?」 「まあ、自分で考えてみることだ。何しろ今の所、実害など出そうもないからな」  けらけらと笑ったベアトリクスに、面倒な奴とニムレスは評価を付け加えた。 「ところでさっきの話だが。日が暮れたら、時間を作って貰えるか?」 「急ぎの仕事は無いはずだが……一応ビッグママに話を通しておいて貰えるか。俺は、まだ神殿に戻れないからな」  ニムレスの答えに、ベアトリクスはぱっと顔を明るくした。そこまでのことかとは思いもしたが、深く考えても分からないと拘ることはやめにした。 「うむ、ならば代金を払いに行くついでに聞いてみることにする」 「だったら、これも一緒に持っていってくれないか?」  そこで差し出された山葡萄の籠に、「お安い御用だ」とベアトリクスは上機嫌で受け取った。  そして「許可をとってくるからな」と力強く口にしてから、じゃあなとばかりに来た道を戻っていった。 「何を力んでいるんだ?」  分からんなと小さく呟いてから、ニムレスは残った仕事へと戻っていった。  機嫌よくニムレスの元を辞したベアトリクスは、そのままのご機嫌で神殿の入口をくぐった。 「ヴィエネッタ、ベアトリクスが参上したぞ」  その大きな声に呼ばれるように、ヴィエネッタことビッグママは奥から顔を出した。ビッグママは、ベアトリクスに向かって深々と頭を下げた。 「守護騎士様。本日はようこそおいでくださいました」  そして顔を上げて、「嬉しそうですね」とお約束のツッコミを入れた。 「べ、別に、嬉しそうな顔などしておらんぞ!」  顔を赤くして勘違いだとまくしたてられ、ビッグママは手の甲を口元に当てククと笑いを漏らした。 「ニムレスに会ってきましたか」  手に持っているものを見れば、それまでどこにいたのかなど一目瞭然だった。それを見なくても、彼女のご機嫌なのを見れば質問するまでもないことだった。 「うむ、相変わらず働き者だな。アーシアも、よき男を拾ってきたな」 「……少し良すぎたと言うのは贅沢なのでしょうね」  苦笑を浮かべたビッグママに、「なにか?」とベアトリクスは無邪気に尋ねた。 「あれから3週間も経つのに、まだまともに挨拶もできないんですよ。奥手だとは思っていましたが、いくらなんでも奥手すぎるでしょう」  そこでベアトリクスの顔を見て、「ここにももう一人」と余計な言葉を付け足してくれた。 「ここにもとは……ビッグママは奥手だったのか?」  そんなと驚くベアトリクスに、「あなたのこと」とビッグママは言い返した。 「ちょっとお話をしただけで、すっかり上機嫌になるんですからね。奥手というより、安いと言ったほうがいいのかしら?」 「わ、わ、私は違うぞっ! それに、ちょっと話をしたのとは関係ないからなっ!」  大きな誤解だと喚いたベアトリクスを、「はいはい」とビッグママは適当にあしらった。 「それで、他に御用があるのかしら、守護騎士様?」  見透かしたような視線に、ベアトリクスはビッグママから視線をそらした。  そしてごもごもと口ごもりながら、「そのなんだ」と切り出した。 「ニムレスなのだが、今日の夜に借りていっていいか?」 「今日の夜って……床に連れ込むのですか?」  素直に受け取ったビッグママに、ベアトリクスは顔を真赤にして「違うっ!」と即座に言い返した。 「今日の仕事が引けた後のことだっ。と、と、と、床になどっ……」  そこでベッドでくんずほぐれつ。それを想像したのか、ベアトリクスは顔を真赤にして少しよろめいた。どうやら刺激的な想像に、頭に血が上りすぎたようだ。 「せ、せいぜい、酒場で話をしながらうまいものを食わしてやる程度だ」 「初めての夜が、泥酔した殿方相手と言うのは感心しませんよ」  困ったものですと吐き出したビッグママに、ベアトリクスはもう一度「違うっ!」と叫んだ。 「そ、そそそ、その話から少し離れてくれ」 「行き遅れになっているから、焦っているのかと思ったわ」  違うのねと言われ、ベアトリクスはもう一度「違うっ!」と言い返した。 「わ、私は、行き遅れてなぞおらんぞっっっ!」 「いま、お幾つでしたっけ?」  しかも相手がいないしと。行き遅れていると強調され、「それはそれとして」とベアトリクスは逃げを打った。 「ニムレスからは、ビッグママの許可をとってくれと言われたのだ」 「別に、その程度のことは構いませんけど……仕事にしても、進みすぎてるぐらい進んでいますし」  はあっとため息を吐いてから、「それもいいか」と小さく呟いた。 「3週間ずっと働き詰めでしたからね。町の空気を吸いに行くのもいいでしょう」 「つまり、許可を貰ったと思っていいのだな」  確認してきたベアトリクスに、「ええ」とビッグママは頷いた。 「お化粧までしてきたあなたの努力を無にする訳には参りませんので」 「べべべ別に、あいつの気を引くために化粧をしてきた訳じゃないからなっ!」  勘違いするなと喚いたベアトリクスを、ビッグママは「はいはい」と言ってあしらった。  ただ笑っていたビッグママの顔が、ほんの少しだけピクリと引きつった。帰ってきたアーシアが、逃げるように中に入っていくのに気がついたのだ。 「ど、どうかなされたか?」  まだ動悸が収まっていなかったが、それでもビッグママの変化には気づいていた。 「いえ、アーシアが帰ってきたのですけど……あの子が守護騎士様を避けるとは思えないのですが?」  そこで首を傾げたビッグママだったが、だからと言って理由が分かるはずもない。 「何か、あったのかしら?」  不思議ねと首を傾げたビッグママに、「確かに」とベアトリクスも同じように首を傾げたのだった。  ベアトリクスに挨拶もしないで部屋に逃げ込んだアーシアは、そのまま硬いベッドにうつ伏せになった。その勢いで彼女の長い金髪はふわりと広がり、法衣の下に着ていたドロワーズが丸見えになった。  豊穣神の神官服は、神職と言う割に際どい作りをしている。とりあえず長めの法衣を着るのだが、横を見ると腰のあたりまでのスリットが両側に入っていたのだ。そして袖を通すところも、腰のあたりまでスリットが入っていた。極端な話、一枚の布をかぶって、腰のあたりで止めたのと同じと言うことになる。  それだけだと裸同然なので、上には白の下着とブラウスのようなものを着るのだが、下は黒のドロワースだけとなっていた。何を目的としたのかと言いたくなる、非常に刺激的な格好と言って差し支えがないだろう。  ただ男の目から見ても無防備に思えるそれは、豊穣神の教えを忠実に実現したものだった。「年頃の女性たるもの、常に男の目を引きつけなければならない」と言うのが、この格好を正当化させていた。  その格好でベッドに勢いよくうつ伏せになれば、法衣は下着を隠す役に立ってくれない。いささか細すぎる足が顕になり、それを上にたどっていけば、腰まである綿でできた色気のない黒のドロワーズが目についた。 「ベアトリクス様、嬉しそうにニムレス様と話をされていました」  ずるいと枕に頭を押し付けたのは、彼女の気持ちを現していたのだろう。「ずるいです」と繰り返した声が、枕のせいでくぐもって聞こえていた。  時間を少し遡ると、アーシアは朝の散歩で畑の方へと歩いていた。別にニムレスがいるからと言う理由ではなく、たまたま足が向いたと言うのが彼女の言い訳である。ちなみに、ほぼ毎日「たまたま」畑の方に足が向いていたのは彼女だけの秘密である。  そこでおめかししたベアトリクスを見つけ、悪いと思ったが後をこっそりとつけたのである。そしてニムレスと楽しそうに話す彼女を目撃してしまったと言うことだ。しかも風に乗って聞こえてくる話し声では、ニムレスをデートに誘うと言うではないか。「許可をとってくる」と言うベアトリクスの声が聞こえた時には、いたたまれなくなってその場を逃げ出してしまった。そして神殿でベアトリクスを見つけ、今に至ると言うことだ。  ただ人手不足の神殿で、いつまでもそんな事をしていられるはずがない。弟分その1のカールがアーシアを呼びに来た。 「姉ちゃんにはない乳を絞る時間だぞぉ〜」  体的に気にしている事を言えば、普通なら罵声が返ってくるはずだった。それが、義姉弟の間の挨拶のようなものだった。  だが今日に限って、アーシアからの反撃がなかった。それを訝って部屋の中を覗いたら、下着を丸出しにしてうつ伏せになっている姉を見つけてしまった。 「ねーちゃん、流石にそれは女としてどうかと思うぞ」 「うるさいっ、子供はあっちに行けっ!」  ようやく返ってきた怒鳴り声なのだが、その声もいつもと違って力のないものだった。  流石におかしいと気づいたカールは、「大変だぁ」と慌ててビッグママのところへと向かった。おおよそ姉が不機嫌になるのは、あの日が来たときと決まっていたのだ。ただそう言った時には、ベッドが汚れるからと気を使っていたはずなのだ。  それなのに、今日はベッドにうつ伏せになっている。何かとんでもないことが起きたのだと、カールは姉の様子から察したと言うことだ。  ドタドタと弟分が走っていく音に、アーシアはのろりと起き上がった。目が腫れぼったくなっているのは、泣いていたからなのだろうか。  そこで鼻をすすったアーシアは、窓の外から自分を見る目に気がついた。 「桃色の……リス、かしら?」  その不思議な生き物に興味を引きつけられ、アーシアは鎧窓の方へと近づいた。窓ガラスで安心しているのか、そのリスのような生き物は逃げようとはしなかった。それどころか、窓を開けてくれとばかりに前足でカリカリと窓を引っ掻いていた。 「中に、入りたいのかしら?」  小首をかしげたアーシアは、鍵代わりのカンヌキを引き抜いた。そして少し力を込めて、木枠の窓を上へと持ち上げた。それを待っていたかのように、桃色のリスはアーシアの部屋に入ってきた。 「不思議な生き物……」  眼の前では、桃色のリスのような生き物がおじぎをするようにコクコクと頭を上下に振ってくれていた。その仕草が可愛らしくて、アーシアはつい笑い声を漏らしてしまった。それが嬉しかったのか、桃色のリスのような生き物は、とっとと駆けてアーシアの法衣にしがみついた。そしてそのまま法衣を駆け上がり、彼女の肩にちょこんと座った。  自分に顔を擦り付けてくるリスのような生き物のお陰で、アーシアの顔に愛らしい笑顔が戻ってきた。 「あなたには、名前が必要ですね」  肩に居るリスのような生き物を両掌の上に乗せ。アーシアはその生き物と正面から向かい合った。 「そうですね。あなたの名前はピッツ……と言うのはどうでしょう?」  ピッツで良いかと尋ねられたリスのような生き物は、まるで言葉が分かっているかのようにコクコクと頭を上下に動かした。 「でしたら、あなたはピッツです。よろしくピッツ、私のお友達になってね」  ちゅっとキスをされたピッツは、それに答えるようにアーシアの肩に飛び乗った。そして愛おしそうに、顔をこすりつけてきてくれた。  それが楽しくて、アーシアから「うふふ」と言う笑い声が漏れ出てきた。そして両手を広げて「ピッツ、ピッツ」と言いながらぐるぐると踊るように回ったのだった。落ち込んで居た気持ちも、ピッツのお陰で今は気にならなくなっていた。  そんな小さな出会いを、扉の影からベアトリクスが厳しい顔で見つめていた。  その夕刻、日が落ちたのを見計らってベアトリクスは豊穣神の神殿を訪れた。夕刻と言うこともあり、朝に比べてずっと「女らしい」装いをしていたのは、彼女なりに思うところがあったのだろう。ただ薄いブルーの花柄のスカートに白のブラウス、そして細かな柄の入った茜色のベストと言うのは、ほんの少しだけ外していたのかも知れない。そして当然のように、顔には薄っすらと化粧もしていた。 「ちょっと待っててね。ニムレスさんは水浴びをしているから」  うふっと笑ったビッグママは、ベアトリクスの回りを回って彼女の格好を確かめた。そこで「ふ〜ん」と意味ありげな声を出され、「何か」とベアトリクスは身構えた。 「ちゃんと、お洒落をした来たんだなって思ったのよ。でも、よくそんな服を持っていたわね」 「べ、別に、私も女なのだから不思議ではないだろうっ!」  顔を赤くして主張したのだが、この逢瀬のために買ったのは秘密である。  そしてもう一つ、ニムレスと会うのは「女」としての自分だと答えたことになる。 「それで、今日は部屋に連れ込む……あら、ニムレスさんの用意が出来たようね」  もう少しからかおうと思ったのだが、思いのほか早くニムレスが出てきてしまった。それを残念と思ったのだが、ニムレスのしている格好にビッグママはため息を吐いてしまった。3週間前に拾ってきた格好、すなわち体にピッタリとしたシャツと、どこか薄汚れたズボンと言う組み合わせだったのだ。  そこでニムレスに文句を言おうとしたのだが、すぐに他に選択肢がなかったことを思い出した。ここに来て3週間になるのに、びた一文たりともニムレスに渡したことがなかったのだ。 (やっぱり、お手当を考えないといけないわね)  後悔先に立たずの言葉通り、今更間に合わないのは明白だった。そしてもう一つ気になったのは、服もそうだがニムレスが一文無しと言うことだ。仕方がないとお小遣いを渡そうと思ったのだが、部屋に連れ込むにはその方が都合が良いかと考え直した。  もっとも当のベアトリクスには、ニムレスの格好はどうでもいいようだった。そこまで緊張するかと言いたくなるほど緊張して、「い、行くぞ」となぜか早足で歩きだしてくれた。 「遅くならないように帰ってきます」  一方のニムレスは、普段とは全く変化はなかった。ただビッグママ的に言わせて貰うなら、「今日は帰りません」じゃないとおかしいと思っていた。  ビッグママに挨拶をしたニムレスは、少し早足でベアトリクスのあとを追いかけていった。 「オボコと朴念仁……どう言うことになるのやら」  はあっとため息を吐いたビッグママは、振り返った所で誰かが階段のところにいるのに気がついた。ただ声をかけようとした所で、逃げるように階段の上に消えてしまった。 「まったく、困った子ね」  小さく呟いたビッグママは、諦めたようにため息を吐いたのだった。  早足で歩き出したベアトリクスだったが、すぐにその速度はいつもと同じ程度にまで落ちていた。そのお陰と言う訳ではないが、大股で歩いてきたニムレスはすぐに彼女に追いついた。 「何を考えているのか知らんが、金なら無いぞ」  そして追いついてすぐに言う言葉がこれなのだ。ビッグママが聞いていたら、恐らく頭を抱えたことだろう。言っていることに間違いはないが、だからと言って言い方があるはずなのだ。  そして言われた方も、とっさにはどう答えて良いのか分からなかった。と言うのか、頭が理解することを拒んでくれたのだ。  ただ言われてみれば、それもそうかとすぐにベアトリクスも納得した。 「なるほど良いことを聞いたな。ならば私が、お前のことを買ってやろうか」 「お前が、俺を買うのか?」  本気かと顔を見られたベアトリクスは、慌ててブンブンと頭を振った。 「い、いや、本気にするな。まあ、多少は貢いでやっても良いとは思っている」 「貢がれる理由は分からんが……まあ、奢って貰うと考えれば良いのか」  ひとまず納得したニムレスは、「どこに行くのだ?」と目的地を尋ねた。 「うむ、お前に美味いものを食わせてやろうかと思ったのだ。あとは、そうだな、旨い酒と言うのもあるな」 「美味いものか……神殿での食事も、そこそこうまいと思っているのだが」  これはお世辞でも何でもなく、比較がリゲル帝国だからと言うのが理由になっていた。ただそんな事情を知るはずもないので、ベアトリクスは自慢げに「もっと美味いものだ」胸を張った。 「繰り返して言うが、俺は一銭も持っていないぞ」 「大丈夫だ。お前に奢る程度の金には困っていない」  だから任せろと気張り、ベアトリクスは町の外れにある酒場にニムレスを連れ込んだ。威張って連れてきはしたが、リーズナブルな値段が特徴の店だった。  そして値段のお陰か、店の中は大勢の人達で賑わっていた。  ちなみに古くから居るベアトリクスは有名人だったが、ニムレスもそこそこ顔を知られていた。そしてベアトリクスがおしゃれをして現れれば、知った顔から声を掛けられるのも不思議な事ではない。ただ「行き遅れ卒業か?」との冷やかしに対しては、しっかりとベアトリクスが鉄拳制裁をお見舞いしていた。  そうやって、人混みを縫って歩いた二人は、なんとか空いていた席にたどり着いた。 「とりあえずビールだな。後は……」  楽しそうに黒板を見たベアトリクスは、神殿で食べられなさそうな料理を攻めることにした。 「骨付き肉を炙ったのと、チーズソーセージあたりでよかろう」  どうせ分からないだろうと、ベアトリクスは勝手に注文を済ませた。そしてニムレスも、代金を持たない以上それが当たり前のことだと割り切っていた。 「理由は何でもいい。とにかく乾杯だっ!」  大きなジョッキで運ばれてきたビールを、さあとばかりにベアトリクスは掲げあげた。そしてニムレスのジョッキにぶつけてから、ぐびっと豪快に呷ってくれた。そこで「ぷはぁ」と息を吐き出すのは、女でなくても下品な振る舞いだろう。 「なんだ、酒が珍しいのか?」  飲め飲めと煽られたニムレスは、仕方がないとばかりにジョッキを飲み干した。リゲル帝国で行われている宴を考えると、この程度は喉を湿らせた程度にしかならなかった。 「……なかなかの飲みっぷりだな」  少し驚いてから、ベアトリクスも残っていたビールを飲み干した。  もう一度「ぷはぁっ」と息を吐き出したベアトリクスは、獣人の女給を呼びお代わりを頼んだ。 「それで、俺をこんなところに連れてきてどうするのだ?」 「言っただろう。旨い酒を飲ませてやるんだとな」  細かなことに拘るな。そう言って笑ったベアトリクスは、運ばれてきたジョッキの半分ほどを飲み干した。 「だからお前も、遠慮しないで飲めっ!」 「それは良いのだが……」  ジョッキを持ったニムレスは、スコット音が出そうな勢いでジョッキを空にした。それに対抗心を燃やしたベアトリクスは、自分の分を飲み干しまたお代わりを注文した。 「なんだ、いける口じゃないか」 「まあ、こんなものは日常だったからな」  酒の強さも量も、こことは比較にならなかったのだ。  ニムレスの言葉に「そうか」と頷き、「なあ」とベアトリクスは語りかけた。 「言いにくいのなら言わなくても良いのだが……お前はどこから来たのだ?」 「俺が、どこから来たか……か?」  確認したニムレスに、「そうだ」とベアトリクスは新しいビールを呷った。 「どう見ても、お前の体は鍛え込まれているからな。そして仕事ぶりを見ると、頭が良いのも分かるのだ。だとしたら、そんなお前がどうして行き倒れなんかになっていたんだ? 私は、王都から来たんじゃないのかと想像している」  暗に位の高い兵士と匂わせたベアトリクスに、「いや」とニムレスは軽く否定をした。 「説明しても理解してもらえないほど、遠くの世界なのは確かだな」 「そんな遠くの奴が、どうしてこんな辺鄙な田舎に居るんだぁ」  はぐらかされたと思ったのか、ベアトリクスの言葉遣いは乱暴なものになっていた。 「そうやって、私をはぐらかしているのだろう」 「いや、そんなつもりはないのだが……」  困った顔をしたニムレスに、「だったら飲め」とベアトリクスは酒を押し付けた。どうやら、そこそこベアトリクスには酒が回ってきたようだ。こうなると、理性的な会話など望めるはずがない。「大体だ」とすぐに酔っぱらいらしく、クダを巻き始めてくれた。ここまで来るのに、ジョッキが5回ほどお代わりされていた。 「人の顔を見ると、行き遅れだ行き遅れだと煩いったらありゃしない。私だって、さっさと嫁ぎたいんだっ」  そこでギロリとニムレスを睨み、「努力はしているんだっ!」と叫んだ。 「それなのに、みんな口を揃えて「凛々しい騎士様」としか言ってくれないのだぞ。どうやれば可愛い女になれるんだ? そんな方法があるんだったら、誰か教えてくれっ!」  そう叫んでから、「お代わり」と大声で注文をしてくれる。「良いんですか?」と小声で尋ねてくる獣人の女給に、「俺には止められない」とニムレスは苦笑を返した。ちなみにニムレスも同じペースで飲んでいるのだが、全く変化が現れていなかった。 「良いじゃないか。せっかくいい男が眼の前に現れたんだぞ。それなのにうちの奴らは、人の顔を見てため息なんか吐いてくれるんだ。「気持ちは分かりますけど」と言うのは、どう言う意味なんだぁ。無理なら無理と、はっきり言ってくれれば良いんだよっ!」  がーっと騒いだベアトリクスは、ジョッキを持ったままばったりと突っ伏した。どうやら喚くだけ喚いて、酔いつぶれてくれたらしい。  ベアトリクスが潰れた以上、このささやかな飲み会もお開きとなる。ただその時の問題は、支払いはベアトリクス頼りと言うことだった。だが酔いつぶれて寝ているベアトリクスに、支払いを期待するのは無理と言うものだ。  はたと困ったニムレスは、仕方がないと忙しく動き回っていた獣人の女給を捕まえた。 「支払いをすると言った女が酔い潰れてしまった。勘定を払いたいのだが、俺は手持ちがないんだ。悪いが、ご主人を呼んでは貰えないだろうか?」  困った顔をしたニムレスに、「あららら」と獣人の女給は苦笑を浮かべた。 「多分ツケってことになると思いますけど。一応マスターを呼んできますね」  お待ちをと言って、軽やかな足取りでテーブルを縫って行ってくれた。それを見送った所で、ニムレスは小さく息を吐いた。支払いも問題なのだが、この後の方が更に問題だったのだ。 「さて、酔ったこの女はどうすれば良いのだ?」  家でも知っていれば、背負って送っていくことも出来たのだ。だがニムレスは、彼女がどこに住んでいるのかすら知らなかった。だからと言って、このまま置いていくのは酒場には迷惑だろう。そしていくら行き遅れと言っても、酔い潰れた年若い娘を置いていくのはモラルに問題があった。  困ったなと悩んでいたら、獣人の女給が店の主人を連れてきた。そして酔い潰れたベアトリクスを見て、「お代は心配いりません」と言ってくれた。どうやら、この店とは馴染みのようだ。 「ならば良いのだが。どこかに寝かせておく場所はあるか?」 「連れ込み宿ならありますけどね」  ニコリともしないで答えた主人に、「金が無い」とニムレスは答えた。 「だったら、若い男と女が泊まるような宿はありませんねぇ」  小さな町だしと。主人の答えに、「そうか」とニムレスは答えた。ここのポイントは、主人がナニをすることを前提に話をしていることだ。 「すまんが、少し手伝ってくれ」 「良いですけど、どうなさるんで?」  そんな主人に、「神殿に連れて行く」とニムレスは答えた。 「だから、背負っていくことにする」 「神殿、ですかい」  なぜか「可哀想に」とベアトリクスの顔を見て、主人は小さく息を吐いた。せっかく男の前で酔い潰れたのに、味気ない朝を迎えることが決まってしまったのだ。  ただそれを言っても始まらないので、主人はベアトリクスを背負うのを手伝った。同じぐらい飲んでいるはずなのに、ニムレスの足元は少しも危ないところはなかった。 「では、失礼することにする。それから、酒もつまみもうまかった」  ペコリと頭を下げたニムレスに、「丁寧な人なのだと」主人と獣人の女給は感心していた。 「騎士様が入れ込むのも、無理もないですね」 「そうなんだがなぁ。ありゃあ、手強そうだ」  可哀想にともう一度呟き、主人と獣人の女給は仕事へと戻っていった。  夜の町を疾走したニムレスは、すぐに神殿にたどり着いた。ただたどり着いたのは良いのだが、ベアトリクスを寝かせる場所に困ってしまった。ただこんなことで寝ているビッグママを起こす訳にはいかないと、自分のベッドで寝かせることにした。 「俺ならば、その辺りで転がって寝ても問題ないしな」  とりあえず扱いを決めたニムレスは、ビッグママを起こさないように静かに階段を登ろうとした。そこで一つだけ想定外だったのは、「どうしたのですか?」と言う冷たい声を掛けられたことだった。声を聞けば分かることだが、階段の上にはガウンらしきものを羽織ったアーシアが立っていた。 「ベアトリクスが酔い潰れてくれたので、俺のベッドに寝かせることにしたのだが」 「そこで、嫌らしいことをするのですね」  明らかに軽蔑した眼差しを向けてくるアーシアに、「いや」とニムレスは簡潔に答えた。 「俺は、牧場ででも寝てくるつもりだ」 「見え透いた嘘をつかなくても良いんですよ。ベアトリクスさんも大人なんですから、別に嫌らしいことをしてもおかしくありませんから」 「俺は、酔い潰れた女を抱く趣味はないのだがな」  そこまで言い訳をしたニムレスは、階段を上がってアーシアの隣をすり抜けた。 「お酒臭いっ」  そう言って鼻を摘んだアーシアに、「だろうな」とニムレスは答えた。 「なにか、飲まなければやっていられなかったようだ」  それだけだと通り過ぎかけた所で、「すまん」とニムレスは謝った。 「子供の私に、何か謝るようなことがあるんですか?」 「いや、寝ていたのを起こしてしまったのだろう。だから、こうして謝らせて貰う」  そう言って頭を下げたニムレスに、「たまたまです」とアーシアはそっけなく返した。  そんなアーシアに、「そう言えば」とニムレスは思い出したように立ち止まった。 「まだお前に、お礼を言っていなかったな」 「お礼なんて、言われるようなことがありました?」  相変わらず感情のこもらない声をしたアーシアに、「助けてくれたことだ」とニムレスは答えた。 「お前が助けてくれなければ、俺は野垂れ死にしていたかもしれない。だからお前のことを、命の恩人だと思っているんだ。そのお礼を言いたかったのだが、なかなか話す機会がなかったからな」  それだけだと言い残して、ニムレスはベアトリクスを連れて部屋へと入っていった。それを見たアーシアは、ドアに近づいてそっと中の様子を覗き込んだ。  そしてすぐに出てこようとするニムレスに慌て、アーシアは自分の部屋に飛び込んだ。ドアをそっと開いて、ニムレスの様子を伺ったのである。  ニムレスがそのままの格好で出てくるのを見て、慌ててクローゼットから予備の毛布を持ち出した。 「風邪を引いたら大変ですから」  そう自分に言い聞かせ、アーシアはニムレスの後を追いかけていった。ただすぐに追いつくのは恥ずかしいので、ニムレスが何をするのか見守ることにした。 「本当に、外で寝るつもりなんだ」  少しご機嫌を直したアーシアは、薪に火をつけたニムレスに静かに近づいていった。  そしてニムレスが自分に気づいた所で、「風邪をひくから」と言って持ってきた毛布を手渡した。 「渡したから」  そう言い残すと、アーシアはその場から走って逃げ出した。真っ赤になった顔を見られるのが、恥ずかしくて仕方がなかったのだ。 「やはり、優しい子なのだな」  手渡された毛布を見て、ニムレスは大人しく好意に甘えることにした。焚き火をしていても、牧場の空気は冷たくなってきていたのだ。  部屋まで駆けて戻ったアーシアは、そのままの勢いでベッドにダイブした。冷たい空気に当たったのに、顔が熱くて仕方がなかったのだ。 「沢山お話ができました」  それが嬉しくて、ベッドの上をアーシアはゴロゴロと転がったのである。  アーシアの部屋にいついた桃色のリスのような生き物ピッピは、窓の所でニムレスの方をじっと見つめていた。  ニムレスを送り出すと、残りは自分と関係した女性だけになる。ただ公私のけじめはつけようと、トラスティはここまでの整理をすることにした。 「この恒星系なんだけど、明らかに不自然な発達の仕方をしているね」 「コレクアトルでしたっけ? 明らかに、外から来た人に思えますよね」  リュースの意見に、「そう思う」とマリーカも同調した。 「でも不思議なんだけど、その人は一体何をしたかったんだろう?」  調べた範囲で分かっているのは、コレクアトルと彼の仲間達は、フレッサ恒星群の統一をしただけだったのだ。そのためモンベルトなみの文明の地に航宙技術を持ち込み、複数太陽系間での超光速移動の技術を移転していた。そして調べた範囲で言えば、コレクアトルは統一した星系の間の交流を活発にし、文化的にも豊かな世界を作っていたのだ。それだけを見れば、遅れた世界を指導しに来たと考えることができるだろう。 「そうなのよねぇ」  マリーカの意見に同意したリュースは、「中途半端だし」と7つの星系のデーターを持ち出した。 「支援が刹那的なのよね。コレクアトルとその直径子孫が生き残っている間は良かったんだけど。結局技術が衰退して、今はロストテクノロジーになってるわよね。今の宇宙船が壊れたら、もう星系間の結びつきはなくなってしまうんじゃないの」 「そうなんですよ。だから、何をしたかったのか分からなくて」  そこで顔を見られたトラスティは、「発想の転換」と二人に持ちかけた。 「コレクアトルが、文明が進んだ他の星から来たのは間違いないのだろうね。ただ、なぜここに来たのかを考えてみた良いんじゃないのかな? 果たして、技術を伝えるなんて高尚な目的だったのだろうかとね」 「でも、結果的にそうなってますよね」  そこで眉間にシワを寄せたマリーカは、「どう思う?」とリュースに話を振った。 「自分達だったらと考えたら……う〜む」  そこで腕を組んで考えたリュースは、すぐに「ヒント!」と声を上げた。 「組織的なのか、只の個人的な思いつきなのかとか考えてみると良いと思うよ。後は、個人的だと考えた場合は、どうしてそんな事を考えたとかも想像してみると良い」 「なんか、先生みたいなことを言ってる」  そう言って笑ったマリーカは、組織的かどうかから考えることにした。 「組織的にやってるとしたら、今も続いてないとおかしいよね?」  そこで顔を見られたリュースは、「でも」と進んだ文明が続いた長さを考えた。 「200ヤー近く続いたんだよね。たったら、組織の支援があったと考えても良いんじゃないのかな?」 「だとしたら、物凄く中途半端な支援って気がします」  うーむと考えたマリーカは、一度トラスティの顔を見た。 「組織的と言う可能性が低いと考えたら、個人的な理由が持ち上がってくるんだけど」  そこで難しい顔をして、「動機が不明」と口にした。 「ここで、王様みたいなことがしたかったとかあるんじゃないかな。RPGでしたっけ? この星系なら、自分が英雄になって星々を統一なんて事ができるでしょう?」 「でも、それって結構モラルに厳しいことをしてるわよね。超銀河連邦だったら、間違いなくIGPO案件になるわよ」  宇宙に出られない星との接触は、厳格に禁止されたものだったのだ。その中で例外として扱われているのは、IotUの時代から受け継がれたモンベルトとの関係だけだった。 「コレクアトルって人が犯罪者で、故郷の星から逃げ出した場合は?」 「ありえるけど。でも、こんなことをしたら、逆に目立っちゃうんじゃないのかなぁ」  リュースの答えに、「ですよねぇ」とマリーカもそれを認めた。 「元いた星が、こう言ったことを禁じてなかったと言うことかしら?」 「そうじゃないと、この状況の説明がつかないわね」  リュースの同意を得たが、それでも何かしっくりと来てくれなかった。それがなんだろうと考えた所で、「次のヒント」と言ってトラスティが笑った。 「彼らが、この星系に残らざるを得なくなったと考えたらどうかな?」 「そうなったら、確かにこの星での生き方を考えると思いますけど……」  うーむと考えたマリーカは、「でも」と出された前提に対して疑問を呈した。 「宇宙船もあるのに、残らざるを得なくなることってあるのかしら?」  「帰れますよね」と顔を見られ、リュースも同感だとばかりに頷いた。 「さて、今使われている宇宙船なんだけど。船長の目から見て、性能はどうかな?」 「あっ、それだったら簡単です。本当に、光の距離を超えたばかりって感じですね。だから、たった1光年移動するのにも、何日も掛かってしまうんです」  それぐらいなら簡単と胸を張ったマリーカに、「次の質問」とトラスティは笑いながら言った。 「だとしたら、彼らはどれぐらいの距離を超えてここにたどり着いたんだろうね」  その質問に、マリーカはここで使われている船の機能を思い出していた。 「リサイクルシステムがどうなってるか分からないけど……あんまり長い時間は掛けていないんじゃないかな? 多分、食料とかに問題が出ると思うから」  多分そうと答えたマリーカに、「きっとそうだろうね」とトラスティも認めた。 「だとしたら、彼らの元いた星がこの近くになければいけないことになるね。コレクアトルの活躍した年代を考えると、今なら結構科学が発展しているはずなんだけど?」  そこまで誘導されて、マリーカは「そうか」と手を叩いた。 「だったら、この近くにあるはずの母星を探せばいいんだ」 「やり方なら、ノブハル君が見つけてくれたね」  よくできましたと褒められ、「えへへ」とマリーカは頭を掻いた。 「でも、いくら近くだって言っても、広い宇宙をあてもなく探します? ノブハル様の方法が当てはまらなかったらどうするんです?」  リュースの指摘に、トラスティは小さく頷いた。 「確かに、その可能性はあるね。とりあえず、1ヶ月をめどに探査をしてみないか? それで駄目なら、ここの船をハッキングしてみればいい」 「なにか、記録が残っているはずだと言うんですね。だったら最初からハッキングしたほうが手っ取り早い気もしますが……それじゃあ、面白くありませんね」  了解とリュースが納得したので、トラスティは「メイプルさん」とメイプル号のAIを呼び出した。 「お腹が空きましたか?」  いつものエプロン姿で現れたメイプルに、「いや」とトラスティは口元を歪めた。 「ノブハル君が、重力波や亜空間バースをの観測を行っただろう? あれと同じことをここでもやってみようと思ってね」  その説明に、メイプルは「ああ」と大きく頷いた。 「前のデーターが残っていますから、準備なら直ぐにできますよ。ただ、重力波の観測にはここから少し離れた方がいいですね」 「だったら、適当な座標を計算してくれるかな?」  任せるからと言われ、「はい」とメイプルは豊かな胸を張った。そしてリュースとマリーカを見てから、とても微妙な提案をしてくれた。 「今からなら、準備に2時間ほどいただければと思います。その間何もすることはありませんので、お休みなられたらいかがでしょう」 「2時間ぐらいなら、ここでぼうっとしていればいいと思うけど?」  なんでと首を傾げたら、やはりというのかマリーカとリュースが近づいてきた。 「トラスティ様、ここから先はあまり急ぐ必要はないと思うんです」  軽く腕を掴まれただけで、トラスティは身動き一つ取れなくなってしまった。さすがはシルバニア帝国近衛の元精鋭。トリプルAで磨かれて、その実力は更に増しているようだ。 「そうですね。ニムレスさんがいる時には、遠慮していたんですよ」  ねえとお互いが顔を見合わせ、「行きましょう」と二人はトラスティをベッドルームへと引っ張っていった。  やはりリュースは置いてくるべきだった。連れてきたことを悔やんだトラスティだが、人はそれを後の祭りと呼んでいた。  フレッサ恒星系から10光年離れた場所に移動したところで、メイプル号は空間移動の探査を始めた。ただこの探査は、思ったような成果は得られなかった。  時おり重力波を検出できるのだが、場所を調べるといずれもフレッサ恒星系から発せられたものだった。そしてそれをフィルターにかけると、ワープによる重力波が全く捕まらないのだ。そして同様に、亜空間バーストの反応も見つからなかった。 「近くにあるって言う仮説が間違っていたのかしら?」  目元にシワを寄せたマリーカに、「可能性はあるね」とトラスティは答えた。 「ただ彼らの宇宙船が、長距離移動に適していないのは確かなんだよ」 「そうなんですよねぇ。リサイクルシステムとか、食糧生産を考えたら、遠距離の移動には無理があるんですよね……」  ううむと考えたマリーカに、「だったら」とリュースは別の観点を持ち出した。 「エスデニアみたいに、空間移動の方法を持ってる可能性があるんじゃないの?」 「可能性と言う意味なら、否定はできないと思っているよ。ただね」  とトラスティは、エスデニアのような空間移動方法に疑問を呈した。 「観察した範囲で、フレッサ恒星系にそんな技術が使われた形跡がないんだよ。確かに、多層空間移動みたいな事ができれば、宇宙船の足が遅くても長距離の移動は可能になるんだけどね」  極めて疑わしいと否定されると、それを覆すだけの根拠が必要となってくる。だが思いつきで出された考えに、簡単に根拠が見つけられるはずがない。少しだけ唸ってから、リュースは「降参」と白旗を上げた。 「でもトラスティさん、だとしたら彼らの母星はどこにあるんでしょう。空間湾曲とか亜空間とか使わない移動方法を持っているとしたら、あの星々が見捨てられると言うのも考えにくいんですよね?」  そこでうーんと考えたマリーカは、浮かんだ不吉な考えにぶるっと震えた。 「なんか、凄く嫌なことを思いついてしまいました」 「彼らの母星が、すでに滅びていると言うことだろう?」  違うのかなと問われ、「それです」とマリーカは浮かない顔で答えた。 「だとすると、後が続かなかったことの説明がついてしまうんです。そしてコレクアトルですか、彼らがあの星系で生きていかなければならなくなった理由にも説明が付きますよね。今でもずいぶんと遅れた文明ですから、コレクアトルは自分達が生きていく環境を作ろうと思ったんじゃありませんか?」 「それも、一つの仮説であるのは確かだね」  トラスティが頷いたのを見て、「だったら」と今度はリュースが声を上げた。 「コレクアトルがいた星は、もともとここのことを知っていたんじゃないのかな。ただ宇宙に出る技術もなかったから、観察対象にしていたと言うのが考えられるよね。そして命からがら逃げ出したコレクアトル達は、当て所ない旅に出る代わりにここに来ることにしたと」  きっとそうだと声を上げたリュースに、「可能性としては」とトラスティは笑った。 「ストーリーとしてはありだと思うけど、証拠を見つけないと単なる妄想になってしまうね」 「でも、証拠って……滅びた星を探します?」  この広い銀河からと。流石に対象が多すぎて、うんとは言えない探査に違いなかった。 「それも、一つの手であるのは確かだね。例えば半径10光年に限定すれば、近くにある星なんて10個ぐらいしか無いんだよ。流石に20光年迄広げると100個ぐらいになるんだけどね」 「10個ぐらいならいいんですけど……総当たりなんて策のないことをします?」  流石に嫌と答えたリュースに、「対象はもっと絞られるよ」とトラスティは笑った。 「主系列星に限定すれば、20光年まで広げても10個ちょっとにしかならないんだ」 「でも、星が滅びるようなことがあったとすると、恒星自体が消えている可能性もありますよね?」  そっちは問われたトラスティは、「僕はノブハル君じゃない」と笑った。 「ただ星の変化に比べると、コレクアトルがいたのは本当につい最近のことなんだよ。だとしたら、星が爆発していたりしたら、ここに来るまでに変化を見つけていたはずだよ」 「確かに、新星とかの爆発した痕跡はありませんでしたね」  そっちの方になると、マリーカの経験が物を言ってくる。  なるほどと頷いたリュースは、「真面目に調べる必要ってあるんですか?」と聞き方を変えた。 「正確に言うと、無いって言えるかな」  あっさりと答えたトラスティに、「それで」とリュースは更に突っ込んだ。 「まさか、謎解きを途中でやめたりしませんよね?」  IotUのときのようにと、ちょっとだけ論ったりした。  そこで少しだけ顔を引きつらせたトラスティは、「最初に言ったはずだ」とリュースを見た。 「彼らの宇宙船をハッキングすればいいってね」 「そこから、古い航路情報を探ろうっていうんですね」  ああと大きく頷いたリュースに、「でもぉ」とマリーカは不服そうな声を出した。 「それって、カンニングって気がします」 「確かにカンニングだね」  マリーカの意見を認めたトラスティに、リュースははっきりとため息を吐いた。 「つまり、候補を絞って探してみようと言う訳ですね」 「それで、駄目だったらカンニングってことになるのかな。その方が、冒険って気がするだろう?」  そう確認をされ、リュースも渋々頷いた。 「ところで、ニムレスさんのことを確認しておかなくていいんですか?」 「一応、モニタ用プローブは置いてきたんだけどねぇ」  そしてサラから異常の報告がない以上、ニムレスは未来視通り活動していることになるはずだ。 「でも、興味がありません?」  ですよねと同意を求められたリュースは、「とっても」と大きく頷いた。 「きっと、トラスティ様のことを盛大に恨んでいると思うわ」 「恨まれてはいないけど、疑問には感じていると思うよ」  苦笑を浮かべたトラスティは、「メイプルさん」とメイプル号のAIを呼び出した。 「ニムレスの経過観察の報告を頼めるかな?」 「畏まりましたトラスティ様!」  相変わらずエプロン姿で現れたメイプルは、元気良く答えると食堂へと戻っていった。それをなんでとリュースは首を傾げたが、トラスティとマリーカは特に気にした素振りを見せなかった。  それから待つことおよそ10分、メイプルがワゴンを押してブリッジに戻ってきた。ワゴンの上には、当然のようにお菓子とつまみが置かれていた。 「トラスティ様はお酒でよろしいのですよね。リュース様はどちらになさいます?」  そう言うことかと、リュースは「あー」と天井を見上げた。そしてそれから、「お酒」と答えた。 「だって、お酒のつまみになりそうだから」 「それは、趣味が悪いと思いますよ……ただ、否定はできませんが」  そう言って笑ったメイプルは、トラスティとリュースの前にグラスを置いた。そしてワゴンから、合成した上等なワインをそれに注いだ。そしてマリーカには、イチゴのケーキと薫り高い紅茶をサーブした。 「では、トラスティ様に地上に放り出されてからのことをお教えしますね」  そこで右手を上げると、木陰でへたりこんだニムレスの姿が映し出された。 「コスモクロアさんにエネルギーを吸われたショックが抜けていないようですね。これから10分ほどしてから、ようやく立ち上がられます」  その言葉通り、早送りの画面でニムレスが立ち上がった。そして何を思ったのか、近くにあった川の方へと歩き出した。 「喉でも乾いたのかな?」  首を傾げたマリーカだったが、次のシーンで思わず顔を隠してしまった。何が起きたかと言うと、いきなりニムレスがズボンとパンツを脱いでくれたのだ。 「あー、洗濯してるわ」  一方リュースは、恥ずかしがること無くじっくりと観察をしてくれた。 「やっぱり、気持ち悪いものなんですか?」 「僕の顔を見られても困るんだけど……だから、多分と答えておくよ」  トラスティが苦笑しているうちに、シーンは別のところにスキップされた。 「ここからしばらくは、何も起きない退屈な時間が過ぎていきます。ただ補足させていただくと、この間にニムレス様は、水以外のものを口にされていません」 「意外に生活力が無いってこと?」 「リゲル帝国の剣士ほど、サバイバルが似合わない人はいないからねぇ……」  しみじみと語られ、二人は可哀想にとニムレスに同情した。そうしているうちに、樹の下にうずくまって動かなくなってくれた。 「流石に、これはまずいんじゃないですか?」  貴重な10剣聖だと考えると、ここで失うのはまずすぎることになる。少し焦ったマリーカに、「未来視で確認しているのに?」とトラスティは切り替えした。 「ああ、アルテルナタさんが確認していましたね」  だったらいいやと、マリーカはニムレスへの同情を棚上げした。  そしてどうなるのか観察していたら、近くに荷馬車がとまり、そこから可愛らしい女の子がおりてきた。そこでニムレスのことをじっくりと観察した女の子は、慌てて荷馬車に戻って若い女性を連れてきた。 「なるほど、ここで拾われた訳だ」  女の子の力ではどうにもならないが、もう一人の方はそこそこの力があるようだ。お陰で苦労しながらも、二人がかりでニムレスを荷台へと押し上げてくれた。 「かくして、ニムレス様は保護されることになった訳です」  芝居がかった説明をしたメイプルは、「さて」と場面を切り替えた。そこには、とても質素な漆喰塗りの建物が映し出されていた。 「この星には、まだ宗教と言う概念が残っています。そしてこの建物は、豊穣神と言う神様の信者が立てた神殿と言われるものです。ちなみに豊穣と言うのは、豊かな実りと言うことで、作物とかの生育が天からの恵みが豊かな事を神様にあやかっているものです。まあ、子宝に恵まれることの意味もありますけどね。そしてこの神殿では、40を超えた司祭が中央から派遣されて切り盛りしています。本名はヴィエネッタと言うのですが、皆さんビッグママと親しみを込めて呼んでいるようです」  それがこの方と、メイプルはふっくらとした女性の映像を映し出した。 「豊穣神に祈りを捧げるのとは別に、神殿は福祉施設にもなっていますね。この神殿の場合、身寄りのない子供を引き取って成人になるまで育ててもいます。ちなみにこの星では、成人年齢は16ヤーと言うことです。そして今現在で、1人の女の子と、3人の男の子が養われています」  ずらりと映像を並べたメイプルは、「お気付きの通り」と女の子の映像を拡大した。 「ニムレス様を見つけたのはこの子です。名前はアーシアと言います。もうすぐ16歳になるので、この神殿から旅立つことになりますね。ですから、38日後に行われる収穫祭が、この子にとっての最後の舞台になるようです」 「可愛い子だとは思うけど……ちょっと、幼すぎるかな?」  どう思うと聞かれたマリーカは、じっくりとアーシアの映像を見つめた。映像には金色の髪を長くした、顔立ちの整った少女が映し出されていた。ただリュースの言う通り、体全体の肉付きが薄くなっていた。そのあたり、特に胸のあたりが顕著になっていた。 「そうですね、でも年齢相応だと思いますよ。ただ、ちょっと肉付きが悪いかなぁって気はしますね」  そこでコメントが止まったので、メイプルは他の子供の説明を始めた。 「次はカールと言う12ヤーの男の子です。まあ、不幸な身の上の割に元気いっぱいですね。本当の姉弟のように、アーシアと仲良くしています。そして次が、ピーターと言う10ヤーの男の子です。次の9ヤーのビッケ同様、アーシアになついていますね。以上が、豊穣神神殿の住人になります。ちなみに神殿ですから、町の人達の寄付を頼りにしています。ただそれだけだと生活ができないので、20頭ほどの牛を飼っているのと、麦や野菜の畑も持っています」 「それって、ここに出てきた人だけじゃ無理に思えるんですけど……て言うか、絶対に無理だと思う」  マリーカの指摘に、「その通りです」とメイプルは力強く答えた。 「一応は町の人にも手伝っては貰っているようですね。ただ、それでも手が足りないので、色々と問題が出ていたようです」  それが神殿の現状。そう説明したメイプルは、次に20ヤーを超えたぐらいの女性を映し出した。金色の髪をショートにした、スタイルを含めてなかなかの美人がそこにいた。 「名前はベアトリクスさんです。年齢は23ヤーですね。ちなみにこの星では、23ヤーは行き遅れを心配される年齢だそうですよ。まあ、リュースさんには関係のないことですが……と言うのは置いておきますが、この女性は神殿を支援しているうちの一人になります。先程ニムレス様が保護されたのですが、その時に運んでくださったのがこの女性です。ちなみに町の貴族、豪商? の3女で、口減らしのために守護騎士団とか言うところに所属されています。登場人物は、このあたりを覚えていただけば結構かと」  なるほどねぇと頷きながら、マリーカはプリッツに手を伸ばした。一方リュースは、お酒をウィスキーに代え、ツマミは乾き物に代えていた。 「結果を言うのなら、神殿にとってニムレス様は貴重な男手になっています。真面目なニムレス様ですから、手抜きをすること無く牧場や畑仕事をされています。お陰で牛は乳がよく出るようになったし、畑の収穫量も目に見えて改善されたようですよ」 「トラスティ様だったら、こうはいかなかったわね」  リュースの決めつけに、「お坊ちゃまですから」とマリーカも賛同した。 「その代り、ペテンを使ってもり立てている可能性はありますけどね。ただ得意のカジノは無いから、どうするのかは不明ですけど」  そこで顔を見られたトラスティは、一言「ノーコメント」と返した。 「ちなみに、人間関係は極めて良好ですね。まあ真面目なニムレス様ですから、すぐに司祭のビッグママから信用されたようです」 「それで、女性関係は?」  そっちが重要と強調するリュースに、マリーカも大きく頷いて同調した。 「はい、次はお待ちかねの男女関係ですっ!」  そう言って、メイプルはニムレスの両側にアーシアとベアトリクスの姿を置いた。 「簡単なのはアーシアさんですね。もうすぐ成人と言うこともあり、しっかりとニムレス様を意識されています。ただおとなしいと言うのか、奥手と言うのか、話しかけるのも恥ずかしいみたいですね」 「うわぁ、なんか分かるわぁ……私もそうだったし」  大きな声で自分もと言ったマリーカに、「えっ」とリュースが驚いたような声を出した。 「マリーカ、誰が大人しくて奥手だって?」 「そこって、疑問に思うことかなぁ」  少し頬を膨らませたマリーカは、「誑し込まれたんですよ」とトラスティの顔を見た。 「ほら、ライラ様をペテンに掛けに行ったじゃないですか。その時に、いきなりぎゅっと抱きしめられちゃって……耳元で「大丈夫だ」って言われたら、初心な私がのぼせても仕方がないと思いませんか?」 「本当に、それだけで転んじゃったの?」  嘘でしょと驚くリュースに、それだけですよとマリーカは言い返した。 「それって、そんなにおかしな事ですか? それに、私の初めての相手ってトラスティさんですよ。他の人のことなんか、考えられなくなると思いません?」 「あー、後ろのは同感って言ってあげるわ」 「じゃあ、話を先に勧めますね」  脱線した話を、メイプルは元のレールへと引き戻した。 「そしてこちらが、ベアトリクスさんです。先程説明したとおり、年齢的にしっかりと焦られておいでです。見た目はいいのですが、ただ騎士団に入ったのが失敗でしたね。そのお陰で男性に縁がなくて、まわりから「行き遅れ」と散々からかわれておいでです。ご両親からも、誰でもいいから男を捕まえてこいと顔を見る度に言われているようです」 「あー、それだったらニムレスに飛びつくわぁ」  ものすごく納得したリュースに、「切実ですものね」とマリーカはリュースの顔を見た。 「でもリュースさんは、愛人2号でしたか。それに収まったから大丈夫ですよね」 「なんか、その言い方って棘がない?」  少し目元を厳しくしたリュースに、「別に」とマリーカはしれっと答えた。 「普通に、見たまんまのことを言っただけですけど」  少し険悪なムードが漂い始めたところで、「以上ですね」とメイプルが割って入った。 「ちなみにニムレス様は、とてもストイックなのか、どちらにも手を出されていませんね」 「それは分かる気がするけど……結構面白いことになっているんですね」  もう一度女性二人の映像を見たマリーカに、「賭けをしない?」とリュースが持ちかけた。 「賭けですか? でもどんな?」 「この二人の、どっちが勝者になるかって賭けよ」  面白いでしょうと笑うリュースに、「茶化すようなことじゃ」とマリーカは眉をひそめた。 「でも、その方が楽しめると思わない。ちなみに私は、スタイルのいいベアトリクスって女性だと思ってる。一応理由を言うと、彼女の方がリゲル帝国の女性に近いから。しかも、リゲル帝国の女性と違って、恥じらいも持ってるでしょ」  それが理由と断言したリュースに、「本当に賭けるんですか?」とマリーカは聞き返した。 「だったら、アーシアって子かな。ほら、この子はリゲル帝国には居ないタイプだから。それに、最近カイトさんが、ジークリンデ王女に落ちたって例もありますから」  だからアーシアとマリーカは答えた。  そして自分がベットしたからと、二人は揃ってトラスティの顔を見た。 「その手のことに、僕を巻き込んで欲しくないんだけどなぁ……」  苦笑を浮かべたトラスティは、「二人共考え違いをしている」と指摘した。 「それって、二人共選ばれないってことですか。ニムレスさんの目的が、弱点克服だからですか?」  質問してきたマリーカに、「だから大きな誤解」とトラスティは答えた。 「リゲル帝国には、一夫一婦制の概念は無いんだ。もっとも、剣士には婚姻と言う概念も薄いんだけどね。そこで付け加えるのなら、ニムレスはライスフィールに惚れていた時期もあるんだ。それだけだとアーシアって子になるんだけど、話はそんなに簡単じゃないのだろうね。だから僕の答えは、二人に押し切られて両方って言うことになる」  実は皇帝としての必殺技もあるのだが、敢えてそれを口にはしなかった。  ただトラスティの答えは、それなりに説得力があったようだ。「確かに盲点だった」と二人して頷きあってくれたのだ。 「トラスティさんを見てたら、別に一人に絞る理由って無いものね」 「タイプが違ってるから、両方でも困らないか……」  うんうんと頷きあう二人に、「僕を引き合いに出さないように」とトラスティは苦笑を返した。ただそれ以上は無駄と、トラスティは口を噤むことにした。  一通り楽しんだところで、「さて」とマリーカは軽く自分の頬を叩いた。 「ちゃちゃっと調査に向かいますかっ! 20光年なんて、この船だと1分も掛かりませんから」  それを考えれば、1つの候補に1日もあれば十分だったのだ。そして候補が10程度と考えれば、さほど時間が取られないのも確かだった。 「いやぁ、こう言った超高速艇って時間の概念が変わっていいわね」  技術の進歩は凄いものだ。とても最高レベルの星から来たとは思えない事を、リュースはしゃあしゃあと口にしてくれたのだった。  探査する恒星のタイプを絞ったのは、超銀河連邦のデーターが理由になっていた。1億を超える有人星系があるのだが、一つの例外もなく主系列星に分類された恒星の惑星だったのだ。  そして探査する星系が決まれば、次は主星からの距離が決め手となる。具体的に言うのなら、水が水として存在できることと、気温がタンパク質が変性しない範囲で収まっているのを条件とするのである。それもまた、超銀河連邦に属する星系を参考にしていた。  手近な恒星系に移動した一行は、場所を移動しながら惑星の配置を観測した。 「ここだと、3番惑星と4番惑星が候補になりますか」  データーを確認したマリーカは、「これからは?」とトラスティに確認をした。 「とりあえず、電波観測をして文明が興きているかの確認だね。そして文明が興きているのなら、その文明レベルの確認を。興きていなければ、該当惑星の状況の確認ということになるね」  それに頷いたマリーカは、「メイプルさん」とメイプル号のAIを呼び出した。  それに答えて現れたのは、いつものエプロン姿のメイプルである。ちなみに茶色の髪を肩口に届くかどうかの辺りで切りそろえた、ちょっと可愛らしい女の子の形態をとっていた。 「電波観測は先程から行っています。ただ、波長を変えても通信波、放送波は捉まりません」 「つまり、この星系では文明が興きていないってことか」  うんと小さく頷いたマリーカは、第4惑星から調査することにした。 「低速で……光速の10000倍程度でいいかな第4惑星に接近してください。そこで光学観測を行います」 「畏まりました」  メイプルが頭を下げたところで、船内のメーターだけが変化した。完璧な重力・振動対策をされた船内では、移動していても計器の情報が変わるだけだった。  そして0.5光年の距離を30分も掛けずに移動し、第4惑星の近傍へとメイプル号は現れた。 「大気は微量ながら存在していますね。地上の温度は最高で0度、最低でマイナス100度ですか。地下なら可能性はありますけど、地上だと生物の生息は難しそうですね」  高速で衛星軌道を周回しながら、メイプル号は惑星上のデーターを集めていった。ただ調べた範囲では、文明が存在した痕跡は見つかっていない。更に言うと、何者かが訪れた形跡も見つけられなかった。 「第3惑星に文明があっても、ここまで到達していないってことになりますね」 「宇宙に出ていたら、最初に開拓するのは近傍惑星だからね。それを考えると、第3惑星のレベルも想像できるかな」  自分の意見に同調したトラスティに頷き、マリーカは「メイプルさん」と次の移動を指示した。 「第3惑星まで移動してください。そうですね、速度は光速の10%でいいかな」 「亜空間航行の方が楽なんですが……それに、距離が1億キロを超えてますから、それだと5時間ぐらい掛かってしまいますよ」  だから亜空間がと提案したメイプルに、マリーカはニカッと笑ってリュースの顔を見た。そして口元を歪めるリュースを確認し、「休憩も必要ですよ」とメイプルに告げた。  それで納得したメイプルは、トラスティの顔をちら見してから「5時間で足りますか?」と聞いてきた。 「んー、あまり長くとると体が持たないから」  休息なのに何故と考えるのは、この場合野暮なことなのだろう。性生活を完全にコントロールされたトラスティは、マリーカ達の会話に関わってこなかった。 「では、適当なところでお知らせしますね。同じことを繰り返すのなら、ご指示がなくてもできると思いますから」  外の変化自体、計器でしか知ることができないのだ。だとしたら、今自分達がどこにいるのかは、すべてメイプルからの情報頼りと言うことになる。だからメイプルは、亜空間移動を行い、適当なところで声をかけることにした。  メイプルの答えに、「任せる」とマリーカは指示した。そして嬉しそうな顔をして、「旦那様」とトラスティに迫った。そしてリュースは、「ご主人様ぁ」と甘えてみせた。 「続きは、ベッドルームでお願いしますよ」  それだけを告げて、メイプルは自分の作業に戻ったのである。  后のご機嫌をとったシャノンは、次の目的地へと宇宙船を差し向けた。シウル恒星系にある、クエリと言う惑星が目的地として選ばれていた。 「それで、あちらはなんと言ってきている?」 「閣下のお出ましを歓迎すると」  シャノンの側近オハイオは、相変わらず感情のこもっていない声で答えた。 「バルゴンは、例の男とクエリへの潜入を果たしています」 「次は、冷や汗ものにならないのだろうな」  2週間前のことを論ったシャノンに、オハイオは「用心して掛かっている」と答えた。 「惑星クエリにも、厄介な衛生局員がいるそうです。したがって、陽動はしっかりと行うとのことです」  その報告に、シャノンはフンと鼻を鳴らした。 「例の伝承は、どこまで広まっているのだ?」  もしも伝承が広まっていたら、巫女の守りが固められることになる。  それを気にしたシャノンに、「ごく一部です」とオハイオは答えた。 「コレクアトルの7聖獣の伝承は、あくまで権威付けのものとされています」 「まあ、眉に唾を付けたくなる話ではあるな」  はっはと笑ったシャノンは、「なあ」と傍らで大人しくしている銀狼に声をかけた。その銀狼こそ、7聖獣の一つ、闇を司るピュンピュンだった。 「嘘か真か分かりませんが、聖獣を使役するには男女の番が必要になると言うことです。ラクエル様が、聖獣の巫女、そしてシャノン様が聖獣の主と存じ上げております」 「ボルケでは、巫女は居たが主が居なかった……と聞いている」  シャノンの答えに、「さようで」とオハイオは答えた。 「ちょうど成人になる直前でしたので、番う男が決められておりませんでした」 「成人になったからと言って、簡単に番う相手が見つかるは思えんがな」  もう一度笑ったシャノンは、クエリはと巫女の状況を確認した。 「まだ14の少女と言うことです。たいそう美しいそうですから、早めに手を打った方が宜しいのでしょう」 「こちらに闇があり、更に水を手に入れたのだ。光でなければ、あまり気にする必要はないのだがな」  そうは言っても、使役する者の力で聖獣の力は引き上げられる。一方で、シャノンがピュンピュンを使いこなしているかと言うと、まだ途中と言うのが現実だったのだ。それを考えれば、後顧の憂いは断っておくべきなのは間違いない。 「それで、クエリにいるのがなにか分かっているか?」 「その少女には、茶色の犬がなついていると言う話です。それが正しければ、土の聖獣なのかと」  その答えに頷き、「つまり外れだな」とシャノンは口にした。 「桃色のリスの姿をした守護獣を押さえれば、意味の無い殺戮をする必要もないのだがな」 「確かにそうなのでしょうが。おおっぴらにできない以上、今のやり方を続けるしか無いかと」  オハイオの答えに、「それはそうなんだがな」とシャノンにしては珍しいため息を吐いた。 「仕方がないとは言え、まだ年端も行かぬ少女を殺めるのは流石に心が痛むのだ。美しい少女ならば、この手で花を咲かせてやるのが男の努めのはずだ」  男としてと強調したシャノンに、オハイオは小さくため息を吐いた。確かに積極的に同意したいところなのだが、立場上彼を諌める必要があったのだ。 「今のお話は、ラクエル様には内緒にしておきます」  チクリと弱点を突いたオハイオに、虚勢を張るように「俺には権利がある」とシャノンは言い返した。 「何しろ、ラクエルは俺よりも2つ上だからな」 「それを大声で言いふらすのは、普通は命知らずと言われる行為となります」  くれぐれもご自重をと忠告され、「それぐらい分かっている」とシャノンは言い返した。 「何しろ俺は、数々の身の危険を乗り越えてきたのだからな」 「しかし、最大の身の危険に捕まっておられますよね」  オハイオの答えは、意外なほどのクリティカルヒットになったようだ。お陰でシャノンの顔は、これ以上無いほど引きつってしまった。 「今の話、ラクエルに告げ口をしていいか?」 「閣下が無事でいられるとお思いでしたら」  すかさず言い返したオハイオに、シャノンは話を変えると言う逃げを打ったのだった。  該当惑星の調査は、予想通り空振りの連続となった。該当恒星系11のうち、9までの調査が終わっている。だがそれだけ調査をしても、文明が発生した痕跡を見つけられなかった。 「9個の恒星系で17個の惑星を調査したんだけど……」  はあっとため息を吐いたリュースは、「空振りばっか」と嘆いた。 「6個が爬虫類止まりだし、2個はその前段階だし、1個は焼けただれた世界が広がっていたわ。残りの8個は、生物自体発生していない……」  めげるわと声を上げたリュースに、「正解は一つですから」とマリーカは慰めた。 「だとしても、もう少しニアピンがあってもいいと思わない? これまでのところは、かすっても居なかったのよ。せっかく環境が整っているんだから、文明の欠片ぐらい育っていてもいいと思わない?」 「とは言いますけど。フレッサ恒星系には7つも文明が生まれているんですよ。コレクアトルが訪れる前からあったんですから、それを考えれば16分の7になって、かなり高確率で文明が生まれていることになるんです」 「あー、フレッサ恒星系があったかぁ」  それを指摘されると、流石に文句ばかりを言っていられない。7つの恒星が1光年程度の距離で並んでいるのは、超銀河連邦でも見られない光景だったのだ。それだけで宇宙の神秘と言えるのに、しかもそこには独立発達した文明が生まれていたのだ。それだけを見れば、どれだけ偶然を積み上げたのだと言いたくなる。 「でも、リュースさんの気持ちも分かるんですけど。これで残りの2つに文明が生まれていなかったら、トラスティさんの仮説が間違っていたことになりますからね」  ふうっと息を吐いたマリーカは、「メイプルさん」とメイプル号のAIを呼び出した。 「次の恒星に向かってくれます?」 「5分ほどお待ちいただければ」  そう言ってなぜかキッチンに消えていったメイプルは、予想通りおやつを持って戻ってきた。 「ですが、苛ついた時には甘いもので解消された方が良いと思いますよ」 「どうして、すぐに食べ物に持っていってくれるかなぁ……」  そう言いながら、マリーカは自分の脇腹をつまんでみた。気の所為でなければ、この冒険に来てからお腹の皮が弛んできた気がするのだ。そしてリュースを見ると、始めの頃の鋭さがなくなってきていた。 「余計なお世話かもしれませんけど、リュースさん、体がなまってきていません?」  マリーカがそう口にしたとき、「ギクッ」と言う音が聞こえるのかと錯覚するぐらいリュースが慌ててくれた。それを見て、図星だったのだとマリーカは事情が理解できた気がした。 「た、体重は、さほど変化がないのよ」  慌てて言い訳をしたリュースに、「訓練していませんもんね」とマリーカは言った。 「帰った時、トリプルAの訓練で置いていかれる可能性もありますね」  自分には関係ないと、マリーカは可哀想にとリュースの顔を見た。 「……流石に、まずいかも」  焦ったリュースは、「訓練をするから」とトラスティに告げた。 「次の恒星系に着いたら、機人装備を使って訓練するから」 「別に構わないけど……それで訓練になるのかな?」  どうかなと考えてみたが、自分の世界とは全く異なる世界だとすぐに思い出した。だからトラスティは、「いいんじゃないのかな?」と軽く答えたのである。  だが期待を込めて探査を行った2つも、結果的に文明が見つけられないと言う空振りに終わった。それを大げさに嘆いたリュースだったが、トラスティは特に堪えた様子を見せなかった。 「全部駄目だったのに、どうして気にしてないんですか?」  それがおかしいと詰め寄ったリュースに、「空振っていないからね」とトラスティは返した。 「でも、文明も、その痕跡も見つかっていませんよね?」  だから空振りと繰り返したリュースは、「ひょっとして」と疑問のこもった眼差しをトラスティに向けてきた。 「近くにないのが成果とか、そんなふざけたことはいいませんよね?」  しかもそこはかとなく脅しまで掛けてくれるのだ。流石にストレスが溜まってるかなと、トラスティはリュースの顔を見てそんな事を考えた。 「だったらヒントを出すけど。僕達は、コレクアトルに関してどんな仮説を立てたかな?」 「それがヒントなんですか?」  水色の髪を振りながら、リュースは「う〜む」と天井を見上げた。 「確か、コレクアトルがこの星に残らざるを得なくなった……だったっけ?」  記憶の井戸を掘り起こしたリュースに、「それって」と横からマリーカが声を上げた。 「帰る場所がなくなったって意味も持っていますよね」 「物理的になくなったってことを言ってる?」  リュースが首を傾げたのは、もともと「帰れなくなる」事情を別の方面に求めていたからだった。例えば犯罪とか追放とか、社会的な理由を考えていたのだ。 「ええ、物理的になくなったことを言っています。だとしたら、命からがら逃げ出してきて、贅沢を言えなくなるんじゃないですか。倫理的なことにしても、目をつぶる理由にはなると思いますよ」 「でもさぁ、ごく少数だけ逃げ出せるようなことって……考えられる?」  リュースの疑問に、「それは」とマリーカはその理由を考えた。何らかの理由で惑星が壊滅的な破壊を受けると言うのは、戦争でもなければ考えにくいと思っていたのだ。ただ戦争ならば、もっと多くの人達が逃げ出していてもおかしくないと思えたのだ。 「突発的な自然現象とか?」 「惑星壊滅レベルの自然現象って……宇宙に出ているぐらいだから、火山とか地震の予知ぐらいはできるでしょう。しかも惑星レベルの天災だったら、その予兆だって半端ないと思うわよ」  考えにくいとリュースが答えたところで、「結論がでたんですけど」とマリーカはトラスティを見た。 「確かに考えにくいと思うよ。でも、僕達が観測した中に、該当しそうな惑星が一つあっただろう?」 「あの、焼け焦げた奴ですか?」  光学観測をして、すぐにだめだと見切りをつけた惑星である。それを思い出したマリーカに、リュースも同調して「無いでしょう」と意見を言った。 「確かに、可能性としてはとても低いけどね。どうせ暇なんだから調べてみてもいいんじゃないのかな? 後は、あの星系の場合第4惑星は距離的に調査対象外だったよね。だったら、そこも調べてみてもいいんじゃないのかな?」 「暇なのは否定しませんけど……そろそろ、カンニングをしてもいいんじゃないかと思えてきました」  小さくため息を吐いたマリーカは、「メイプルさん」とメイプル号のAIを呼び出した。 「分類番号G2だったっけ、もう一度行ってくれるかな?」 「10分ほどお時間をいただければ」  そう言って食堂に消えたのは、何時も通りおやつを用意するためなのだろう。思わずリュースのお腹を見たマリーカに、失礼なとリュースは頬を膨らませた。 「とりあえず、私はトレーニングを始めたんだからね。今一番運動不足なのは、あれしかしてないマリーカなんだから」 「だったらトラスティさんも同じ……まあ、一番体を使ってるか」  けけと笑ったマリーカは、「回数を増やすか」と不穏なことを口走ってくれた。 「それだけ、僕の負担が増えるんだけどね」 「さらっと、自分の欲望を正当化してるわね」  すけべねと、リュースはマリーカに指摘したのだった。  そして分類番号G2の恒星系にたどり着いた一行は、手始めに第4惑星の調査から始めた。気象データー的には、表面温度は最高で−20℃、最低では−100℃と言う極寒の世界である。一応大気は認められるが、保温効果が期待できるほどの濃度には達していなかった。大きさ的には、半径で4000km程度と、ジェイドよりは小ぶりな大きさをしていた。 「これじゃ、生き物は生息できませんね」  データーを眺めたマリーカは、寒そうと体を抱えて身震いをした。 「でも、手近な研究対象って意味なら、なにか装置があってもおかしくないレベルね。もちろん、第3惑星に文明があったらと言う前提だけど」  惑星表面を凝視したリュースは、「メイプル」とAIを呼び出した。 「探査プローブをばらまいてくれる?」 「目的は、惑星上のエネルギー及び金属構造物の探査でよろしいですね」  畏まりましたと答えて頭を下げ、メイプルは姿を消した。 「これでなにか出てきたら、色々と仮説が確認できますね」 「でも、また1日ぐらい時間が空いちゃうわね」  すかさずスケジュールのことを持ち出したリュースに、「それは」とマリーカは少し口元を歪めた。 「リュースさんには、トレーニングにちょうどいいんじゃありませんか?」 「あー、そっちに持ってきたかぁ」  とは言え、強く否定出来ないのも確かだった。「む〜」と難しい顔をしたリュースは、仕方がないと立ち上がった。 「ちょっくらお外でトレーニングしてくるわ。足場も悪いみたいだから、鈍った体にはちょうどいいでしょう」  思い立ったら即実行、「じゃあ」と軽く手を振ったと思ったらリュースの姿がメイプル号から消えた。モニタ表示を確認すると、第4惑星に降下していくリュースの姿が映っていた。 「さすが行動が早いと言うのか……でも、結構切実と言うことですよね」 「まあ、シルバニア帝国近衛のエリートってのが、彼女の売りだからねぇ〜怠けて体が動かなくなりましたじゃ、流石に格好が付かないんだと思うよ」  そう言って笑ったトラスティは、マリーカの顔を見て「する?」と確認をした。 「そりゃあ、したくないって言えば嘘になりますよ。だって、最近は二人きりってのがなくなりましたから」  でもと。マリーカは、興味の方を優先することにした。 「このことって、どこまでアルテルナタさんは見ているんですか?」 「かなりの部分って言うのがその答えかな。ただ、アルテルナタが見るのは、あくまで僕達がすることの未来だからね。いくら頑張っても、無駄でしたとしか分からないこともあるんだ」  今の延長が未来視で見える結果なのだ。トラスティの言葉に、「そりゃそうだ」とマリーカは笑った。 「そうじゃないと、神様みたいな能力になってしまいますよね」 「そう言うことだね。だから僕は、様々なパターンを考えるようにしているんだ。中には、流石にこれはないだろうと言う可能性まで考えているんだよ」  そこまで口にして、ただねぇとトラスティは微苦笑を浮かべた。 「おうおうにして、その方が結果が良くなったりするんだ。常識的な僕としては、それは無いだろうと言いたくなるんだよ」 「あなたが常識的かどうかはこの際忘れるとして」  そこでマリーカは、ニムレスを監視するモニターへ視線を向けた。 「今回の冒険は、どんな結末が待っているんですか?」 「それは、何を求めるかによって変わってくるね」  答えをはぐらかせたトラスティに、「だったら」とマリーカはニムレスの女性関係に興味を絞った。 「ニムレスさんが、お嫁さんを連れて帰るのかどうかってのはどうです?」 「それを教えたら、賭けが面白くなくなると思わないかい? それからリゲル帝国皇帝の僕としては、彼が殻を破るのかどうかの方が重要なんだ」  賭けの下りを持ち出されたマリーカは、「じゃあそっちは?」とニムレスの成長の方を確認した。 「なんのために、カムイを使えない状況で放り出したと思っているんだい?」 「つまり、そっちの方は成果があるってことですね」  うんうんと頷いたマリーカは、「忘れてると思いますけど」と微妙な問題を持ち出した。 「ニムレスさんの実力が向上するのは問題ないと思いますよ。ですが、嫁を連れて帰ったりしたら、他の剣士さん達に羨ましがられますからね」 「10剣聖レベルになると、嫁は決まって無くてもだいたいは子持ちなんだけどね。その意味で言えば、ニムレスがちょっと変わっているんだよ。まあ、ザリアのせいってのは確かにあるんだけどね」  その答えからすると、嫁を連れて帰っても困らないと言うのだろう。そしてそこまでニムレスを壊したことに、マリーカはザリアに対して疑問を感じてしまった。 「そう言えば、コスモクロアさんにも似たようなことをされたんですよね?」  「大丈夫なのかなぁ」と心配したマリーカに、「多分」とトラスティは笑った。 「イッたぐらいだから、トラウマにはならないと思うよ」 「そう言えば、イカ臭かったですね。だったら、おかしな癖の方を心配した方がいいのかしら」  ねえと言って、マリーカはコスモクロアを呼び出した。 「マリーカさん、なにか用ですか?」  リュースがいないからか、コスモクロアはあまり丁寧でない言葉遣いでマリーカに接してきた。そんな彼女に、マリーカはニヤリと口元を歪めた。 「いえ、お義母様も消化不良じゃないのかなって」  いくら濃厚とは言え、キスだけで終わらせてしまったのだ。だから消化不良ではと聞いてきたマリーカに、「そうですね」とコスモクロアはそっけなく答えた。 「ですが、もう慣れてしまったと言えばいいのか。ニムレス様も、次に戻られる時には女性が側においでになると思いますから」 「そのへんトラスティさんが教えてくれないんだけど……でも、どっちだったとしても連れてきちゃっていいのかな?」  進んだ文明による誘拐事件にならないか。それを心配したマリーカに、「多分大丈夫」とトラスティは笑った。 「本人が希望したら、誘拐にはならないからね」 「でも、未成年だったら……ああ成人していればいいんですね」  だったら勝者はベアトリクスかと、そう考えたマリーカは小さく舌打ちをしたのだった。  それから10時間が経過しても、リュースはメイプル号に帰ってこなかった。それを心配したマリーカに、メイプルは「リュースさんなら」と地上のモニタ映像を映してくれた。そこには、元気に雪原を飛び回るリュースが居た。 「多分ですけど、雪の上を1000kmぐらい移動しているんじゃありませんか?」 「時速100kmと言うだけでおかしいんだけど。それを10時間続けるって……どんだけ体力があるんですか!」  嘘でしょと驚くマリーカに、「元近衛だからねぇ」とトラスティは答えた。 「しかも機人装備を使ってるから、普通の人と同じに考えちゃいけないと思うよ」 「だとしてもですよ。ただまっすぐに走ってるだけじゃありませんよね。しかも下は雪だから、平地を走っているのとは訳が違うし……喧嘩をしたら、瞬殺されちゃいますね」  そんなマリーカに、「元帝国近衛だから」と繰り返した。 「まだまだ続けてくれるんじゃないのかな?」 「なんか、そんな勢いですね……って、ちょっと待ってくださいっ!」  大きな声を上げたマリーカは、「メイプルさん」とメイプル号のAIを呼んだ。 「はい、なんでしょうか?」 「たった今、リュースさんが通ったところになにか変なものがあったのよ」  そこを映してと言われ、「どこでしょう」と映像を逆回しにしていった。そこでの問題は、上から映しているので下が白一色だと言うことだ。  それでも目を凝らしたマリーカは、「そこっ!」と少しだけ赤く変色した場所を見つけ出した。 「確かに、何かありますね。でしたら、映像を拡大いたします」 「リュースさんにも伝えてくれるかな?」  現場で確認するのが一番だからと。マリーカの指示に、「伝えました」とメイプルは即答した。 「確かに、なにか人工物があるようにに見えるね」 「ここからだと、それが限界ですかね。メイプルさん、探査プローブになにか引っかかってる?」  映像で見えたのだから、プローブなら更に情報が取れすはずだ。それを期待したマリーカに、メイプルは「スキャンされていません」と答えた。 「該当箇所のスキャンは、あと3時間後の予定です」 「予定を繰り上げる……いや、そのまま続けた方がいいか」  少し考えてから、マリーカは「現状維持」をメイプルに指示をした。  そうしているうちに、リュースが現場に到着してくれた。 「リュースさん、マリーカです。上から見ると、左足の下辺りがぼんやりと赤くなっています。何かが埋まっている可能性がありますから、確認してもらえますか?」 「こちらリュース、左下あたりね」  了解と答えたリュースは、足元を掘るのではなく少し上空に飛び上がった。 「ちまちまと掘ってられないから、周辺を吹き飛ばしてみるわ」 「埋まってるものごと壊さないでくださいね」  心配したマリーカに、リュースは多分大丈夫と心許ない保証をしてくれた。  そして機人装備の攻撃機能を使用し、表面の雪が吹き飛ぶぐらいの爆発を起こした。 「メイプルさん、現地の雪の深さは?」 「およそ30mと言うところですか」  すぐに返ってきた答えに、「もう一度お願いできますか」とマリーカはリュースに伝えた。 「了解。もう少しだけ威力を上げるわ」  すぐにリュースは、先程よりは広範囲で、しかも威力を上げた攻撃をした。 「トラスティさん、当たりでしたね」 「ああ、何者かがここに基地を作ったみたいだね」  吹き飛ばされた雪の下から、丸いドーム状の屋根が現れてくれたのだ。これで、何者かがここに訪れたことが証明されたことになる。 「リュースさん、潜入できますか?」  そうすることで、更に詳細な情報が取れることになる。 「おちゃのこさいさいって言ってあげたいところなんだけど……メイプル、内部探査用のセンサーってある?」  いきなり踏み込むのは、流石に不用心としか言いようがない。対人防御機能が働いていたりしたら、機人装備は大丈夫でも、建物を壊してしまう可能性もあった。 「だったら、コスモクロアにも降りてもらおう」  コスモクロアと呼ばれて現れたコスモクロアに、「頼めるかな」とトラスティは声を掛けた。 「それはよろしいのですが……寒そうですね」  そこでぶるっと震えたのは、彼女がとても涼し気な格好をしているのとは無関係ではないだろう。チューブトップの上とマイクロミニと言うのは、一体何をしたいのだと聞きたくなるものだったのだ。 「デバイスが寒そうって……極限状態でも活動できるのがデバイスじゃありませんでしたっけ?」  おかしいですよねと口にしたマリーカに、「特別なデバイスだから」とトラスティは毎度同じ答えを口にした。特別なデバイスだから敏感と言う意味ではなく、突っ込んでも無駄と言う意味である。  そしてコスモクロアは、「これでいいですね」と言って、まるでスキーにでも行くような格好に着替えてくれた。流石にゴーグルまではしていないが、暖かそうな手袋と耳あてがチャームポイントになっていた。 「では主様。行ってまいります」  軽く会釈をしたコスモクロアは、すぐにその姿を消失させた。 「さすがデバイス、行動が素早いですね」  リュースを映すモニタには、すでにコスモクロアの姿が映しだされていた。 「もしもコレクアトルがこの星系から来たとしたら、仮説自体は成立したことになりますけど……」 「第3惑星の事を言いたいんだろう?」  焼けただれた惑星の事を持ち出され、マリーカははっきりと頷いた。 「どうやったら、あんなにこんがりと焼かれるものなんでしょう?」 「そちらの方は知見が無いからなぁ……」  ううむと考えたトラスティは、「サラ」とインペレーターのAIを呼び出した。そして呼ばれてから少しタイミングを置いて、黒髪をショートにした可愛らしい女の子のアバターが現れた。 「今回は、出番が無いと思っていたんですけどね」  それでと問い掛けてきたサラに、トラスティは第3惑星のデーターを見せた。 「惑星一つがこうなる可能性は何があるかな?」 「人為的なものと自然現象に分けられますね。更には自然現象が引き金となった、人災と言うものもありますが……」  そこでうんと考えたサラは、「まず」と言って分かりやすい人為的なものを持ち出した。 「トラスティ様ならご存知かと思いますが、戦争等で使用される兵器で似たようなことが可能となります。方法はいくつかありますが、惑星表面を焼き払うことができますね。その場合海は干上がりますが、大気はかろうじて残る……でしょうか。そして天災が引き金になるものですが……その場合でも、とどめを刺すのは破壊兵器になるかと思います。したがって、結果は先程の人為的なものと同じになります」  それが一つと説明したサラは、「考えにくいのですが」と自然現象の方を説明した。 「太陽フレアというものがあるのですが。通常の太陽フレアだと、せいぜい電波障害を引き起こすぐらいの被害となります。ですが、その太陽フレアの規模が想定以上に大きかった場合……最悪数百万度で炙られることになります。もしもそうなったら、地上の水はすべて蒸発し、大気も吹き飛ばされてしまうのでしょうね。ちなみに太陽フレアが到着するまでの時間は、発生から100時間も掛からないかと思います」 「発生後4日強ってところか。突発的に起きたら、逃げ出す暇も無いのだろうね」  う〜むと考えたトラスティに、「そもそも」とマリーカは別の問題を持ち出した。 「逃げ出すのにも宇宙船が必要ですからね。惑星の全住民が逃げ出せるほど、通常は船を持っていませんよ」 「確かに、持っている船の数にも制限があるんだね」  なるほどとトラスティが納得したところで、リュースから報告が上がってきた。 「こっちは中に入りました。どうやら、第4惑星上に作られた観測所のようですね。すでに機械は死んでますが、中は綺麗に保たれていますよ」  リュースの言う通り、広いスペースには整然と色々なものが置かれていた。その中には、お茶とかを飲むためのカップまで含まれていた。何百年も前のものだと思うと、少し不思議な感じのする光景だった。 「冷凍カプセルとかは無いのかな?」 「コスモクロアが探知していますが、生きている動力が無いんです。もしも冷凍カプセルがあっても、蘇生できる確率はかなり低くなりますね。外が極低温と言うのが、唯一の救いには思えますけど。雪の下に埋もれてますから、気温自体は安定していると思いますよ……寒いですけどね。ちなみにこの中は、マイナス80℃になってます」  温度だけを取り上げれば、冷凍睡眠が成立する条件は満たしていた。そうなると、後はその技術を彼らが持っていたかと言うことが問題となる。 「結構広いですね、これ」  そう言いながら、リュースは観測所の中を移動していった。 「これは通路ですね。そして両側が居室になっているようです」  ドアを見ると、電子錠になっていた。蹴破ろうと足を上げたリュースだったが、すぐに思いとどまって空間移動で中に入ることにした。マリーカは、リュースが足を上げた時にトラスティが咳払いをするのに気づいていた。 「中なんだけど、なんか代わり映えがしないっていうか。狭いベッドにデスクとクローゼットとテーブルがあるわ。ただクローゼットとかの中身は、持ち出されたのか空になってるわね」  ぐるりと中を見渡すと、リュースが説明したものだけが置かれた寂しい部屋があった。 「一応他の部屋も見てみるわ」  壁抜けの要領で隣の部屋にも行ってみたが、そこにも全く変わらぬ景色があった。エリアを変えて同じことを繰り返したが、結果は全く変わってくれなかった。 「トラスティさん、報告よろしいですか?」  地上の情報に注目していたら、分析を行っていたメイプルが声を掛けてきた。 「プローブによる探知が終わりました。その結果、地上には5箇所ほどドーム状の基地がありますね。一つの基地あたり、4つのドームが存在しています。ドームの規模は、直径で100mぐらいです。恐らくですけど、リュースさんがいらっしゃるのは、その中の居住区画だと思われます」  そう言って、メイプルは惑星上に基地の位置を示してくれた。 「ただ観測した範囲では、いずれの基地からもエネルギー反応は見られません」 「基地を放棄したのか……さもなければ、冷凍睡眠状態にしてシャットダウンを掛けたか、か」  トラスティが遠くを見る目をした時、「見つけました」と言うリュースの声が聞こえてきた。 「冷凍睡眠カプセルですね。ざっと数えて、400ぐらいありますね。ただすべてが使用されているのかと言うと、確認してみないと分かりません。ちなみにここの気温は、マイナス90℃です」 「蓋を開けないで、中を確認できるかな?」  トラスティの質問に、やってみますと言う答えが返ってきた。 「カプセル表面はガラス状の物質なんですけど。しっかりと霜がついていて中が確認できませんね」  映像上では、確かにガラスのようなものはあるが、表面も中も真っ白になっていた。 「コスモクロアは?」 「ただいままいりました。他のブロックも確認いたしましたが、手がかりになりそうなものはありませんでしたね。一応食糧生産のプラントらしきものもありました」  簡単な報告をしてから、コスモクロアはカプセルの一つに近づいた。そしてカプセルの表面に手を当て、中の様子を探知した。 「このカプセルは使用中になっています。体の特徴が私達と同じと言う前提で、小さな女の子が収容されています」  その隣に移ったコスモクロアは、「成人の女性」と報告した。 「どうやら、結構な数のカプセルが使用中と言うのは分かったね。ただ、蘇生の可能性については、流石に僕達じゃ調べられないか……メイプルさん。取れる限りのデーターを取ってくれないか」 「畏まりましたトラスティ様」  メイプルに指示を出したトラスティは、「エネルギー源は?」と調査を終えたコスモクロアに尋ねた。 「核電池のようなものを使用していますね。ただ冷え切っていましたので、燃料を使い切ったのかと思われます」 「フレッサ恒星系の宇宙船と技術レベルは一致するのか……」  そうなると、コレクアトルはこの星系出身と言う可能性が高くなってくる。だが今ある情報では、それは推測のレベルを超えるものではなかった。 「リュースとコスモクロア、そこが終わったら別の基地も調査してくれないかな。冷凍睡眠のカプセル総数を把握しておきたいんだ」 「了解っ!」  すちゃっと敬礼をしたリュースは、コスモクロアに「あっち」と手で合図をしてその場から空間移動で消失した。一度内部構造を確認すれば、次からは流れ作業になってくれるのだ。 「でもトラスティさん、どうして冷凍睡眠なんか使ったんでしょうね? あと、フレッサ恒星系ですか、どうしてあそこに行ったんだろう」  しばらく待ちになるので、その時間を利用してマリーカは疑問を解消することにした。  その質問に頷いたトラスティは、「フレッサ恒星系だけど」と二番目の質問から答えることにした。 「前にも話をしたけど、フレッサ恒星系のことを知っていたからだろうね。ただ文明のレベルを調べて、観察だけにしていたと思うんだ。次のことと合わせて、そうすると結構辻褄が合ってくれるんだ」 「次のことって、冷凍睡眠を使ったことですか?」  マリーカの言葉に、「それ」とトラスティは同意した。 「フレッサ恒星系で使われている船を分析しただろう。あの船は、10光年近くの移動を目的としたものだったかな?」 「未だにリサイクルシステムのことがよく分からないけど……今の基地を見たら、あまり高度なことはできていないと思う。だとしたら、せいぜい数光年程度の移動を目的としているんじゃないのかなぁ……たぶんだけど。それが、冷凍睡眠を使った理由になるんですか?」  よく分からないと言ったマリーカに、「補給の問題だと思う」とトラスティは答えた。 「その状況で10光年以上移動しようと思ったら、食料をありったけ積み込んでも人を減らすしか無いよね。単純計算で、人数を10分の1にすれば、10倍の時間持ちこたえることができるだろう?」 「つまり、フレッサ恒星系を目的地とした時、人数を絞らざるを得なかったと言うことですか。そしてここに残された人達は、乗り切れないから冷凍睡眠で迎えを待っていると……でも、迎えは来なかったんですよね」  「なにか可哀想」と沈んだ声を出したマリーカに、「そうだね」とトラスティは彼女の肩を抱いた。こうして分析をしていくと、その時の人々の苦悩が見えてくるのだ。 「フレッサ恒星系に到着しても、すぐに上陸って話にはならなかったと思うよ。そして時間を掛けて上陸して、フレッサ恒星系を手中にして迎えに行く準備を整える。多分だけど、かなりの時間が必要だったと思うんだ」  コレクアトルの神話を聞かされれば、かなりの時間と言う説明も納得できる。 「そして次の問題として、ここの文明レベルの低さがあるんだ。彼らの宇宙船の改良はできないから、往復するには非常なリスクを負わなければならなくなる。しかも食料の制限があるから、冷凍睡眠を解除すると乗組員を減らさないと元の星系にたどり着いても連れて返っては来られないんだ。冷凍睡眠状態で運ぶと言う方法もあるんだけど、そのための設備があの船にあるとは思えない」 「結局、技術開発ができなかった……と言うのですね」  今の船を見れば、自動的に導き出される答えでしか無い。 「やっぱり、とても可哀想だと思います……冷凍睡眠をしている人達を、助けてあげることはできないんですか?」  当然出てくるマリーカのお願いに、「自分達では無理」とトラスティは答えた。 「ここから先は、連邦に任せるしか無いと思っているよ。一応人道的措置だから、連邦も見捨てるとは思えないしね。後は、第3惑星が滅びた理由も気になるんだ。もしも自然現象で滅びたのだったら、同じことが連邦内で起きてもおかしくないだろう。そのためには、ここで何が起きたのかを調べる必要があると思っているよ。だから、できるだけの記録をとっておこうと思っているんだよ。後は、彼らの船のデーターバンクを調べることぐらいだね」  証拠として集められるのは、考えられるだけではその程度までだったのだ。ここで氷漬けになっている機器を調べれば、さらなる情報を持ち出すことができるのだろう。ただそれにしても、トラスティ達の装備ではできない相談だったのだ。  そこまで説明したトラスティは、マリーカの体をぐっと抱き寄せた。自分達に関係がなくても、滅びた世界を目の当たりにするのは、心細くなるものだったのだ。  トラスティに抱き寄せられたマリーカは、ぐすんと鼻をすすってから両手で抱きついてきた。そしてそのまま、トラスティの暖かさを確かめ続けたのだった。  牧場にある木陰で目覚めたニムレスは、その日もいつものメニューから始めることにした。ただその前の儀式として、アーシアが貸してくれた毛布は埃や草を払ってから木に掛けて干した。 「雨が降らなくて良かったと考えるべきなのだろうな」  ちらりと神殿の方を見てから、ニムレスは尋常ならざる速度で山の方へと駆け出した。その疾走する姿を見たら、恐らく殆どの者が自分の目を疑うことだろう。そして少し滑る足元を気にすることなく、牧場を囲むように作った木の柵を飛び越えて山へと走ったのである。食べられる木の実の情報は貰ったので、ザクロをそれなりの数を収穫するのと、別の木の実はサンプルとして持ち帰ることにした。 「そう言えば、山葡萄と言う物もあったのだな」  その見た目を思い出し、探してみようと別のエリアへと踏み込んでいった。途中でなにか動くものを何度も見かけたのだが、手を出すことでもないと無視して山の中を走っていった。  ニムレスが走り去ってしばらくしてから、物陰から4つの影が現れた。そのうち3つは、尖った顔と尻尾を持つ、只人よりは大きな姿をしたものだった。そしてもう一つが、シルエットは人なのだが、身長は1m程と只人に比べて明らかに小さな体をしたものだった。 「……あれは、何者なのだ? いや、あれは本当に只人なのか?」  ありえんだろうと零したのは、大きな影の中の一人だった。明らかに只人とは違う顔の作りは、竜人と呼ばれる姿をしていた。 「獣人でも、この中をあのスピードで走り抜けることはできんぞ」  同感だと答えたのは、別の竜人の一人だった。 「ひょっとして、あれが天敵の一人なのか?」 「フリートには、天敵は居ないはずなんですけどねぇ〜」  明らかに困ったと言う顔をした小人の男は、「厄介ですね」と牧場の方を指さした。 「あんなしっかりとした柵を作られると、攻め込むのもちょっと手間になりますぜ」  侵攻経路がと天を仰いだ小人の男は、「別を当たりましょう」と竜人達に提案をした。 「陽動をするのでしたら、別のルートを選んだ方が良さそうです。ここからだと、町を攻めるにはちっとばかし手こずりそうです」 「ならば、別の場所を当たってみるか」  陽動である以上、効果的な場所を選ぶ必要がある。無理に守りの固い場所を選ぶことに、あまり意味があるとは思えなかったのだ。 「後は、目くらましを撒いていくのですが……それも、場所を変えた方が良さそうですね」  厄介だなぁと、小人の男は頑丈な作りをした柵を忌々しげに見た。 「面倒は避けた方が良いと言うのが、世の常ですからねぇ」  はあっとため息を吐いた所で、小人の男は竜人の小脇に抱えられた。もともと体重が軽いので、竜人にとって小人一人を抱えるのは苦にならなかった。そして移動速度を考えたら、小人の男に移動させない方が好ましかったのだ。 「ならば、場所を指定してくれ」 「目くらましを撒いたら、一度この星から撤退する。目標がもう少し明確になったら、その時はお前の出番となるぞ」  もう一人の竜人の言葉に、「分かってますよ」と小人の男は答えた。そして竜人3人と、その小脇に抱えられた小人1人は牧場の裏手から去っていった。  4人の姿が消えた所で、突然その場にニムレスが現れた。辺りの気配に気を配っているニムレスだからこそ、異質な気配を見逃すはずがない。立ち去ったふりをして、気配を隠して4人の様子をうかがっていた。 「何者だ、何をしていたんだ?」  夜が明けかけた所で、こんな場所に居る理由など考えられない。しかも4人は、神殿の様子を伺ってくれていたのだ。ただこっそりとあとを追いかけようとしたのだが、4人が神殿の敷地を出たのでそこで追跡は断念した。彼らが気になったが、ニムレスには日課としてやらなければならないことが沢山残されていたのだ。  仕方がないとため息を吐き、ニムレスは見つけた木の実を収穫して牧場へと戻ることにした。目を覚ました牛達を放してやらないと、神殿に迷惑をかける事になってしまうのだ。  袋いっぱいのザクロとサンプルの木の実を持って帰ったニムレスは、次に牛舎に行って牛を連れ出した。ニムレスの顔を覚えてくれたのか、牛達はとても素直に牧草地へと出ていった。  それを見送った所で、次は掻いた汗を洗い流す晩である。牛舎の脇にある井戸に行って、手押しポンプで井戸の水を汲み上げた。そこで着ていたものを脱いで、井戸の水を浴びるのである。流石に冷えてきたが、火照った体には水の冷たさがちょうどよかった。 「今日のザクロは甘いと良いのだがな」  数粒口に含んでみたが、一応は昨日よりは甘く感じられた。ただそれが、期待された甘さなのかはニムレスには判断できなかった。  仕方がないともう一度服を着たニムレスは、そのまま食堂へと向かったのである。  食堂に着いたニムレスは、そこでどんよりとした顔をしたベアトリクスに会った。 「飲みすぎたようだが大丈夫か?」 「いや、確かに頭が痛い気がするが……」  そこでもう一度どんよりとした顔をされ、ニムレスは訳が分からんと首を傾げた。そしてお盆を持って現れたアーシアに、「後から毛布を返す」と声を掛けた。 「お陰で、風を引くこともなかったようだ」 「面倒ですから、体に気を付けてください」  普段よりはちょっとだけ機嫌良く、そして普段以上のつっけんどんさでアーシアはニムレスの前にお盆を置いた。そしてお盆を置くやいなや、いつもどおりに逃げるようにキッチンへと逃げ込んだ。 「アーシアは、いつもああなのか?」 「ああ、3週間以上になるが、違っても気の所為程度だな」  特に感情を込めずに答えるニムレスに、ベアトリクスは深すぎるため息を吐いた。 「なんだ、何かあったか?」 「いや、別に構わないのだが……」  まあ良いと、ベアトリクスは具沢山のスープを啜った。今日のスープは、トマトとクズ野菜がブイヨンで煮込まれたものだった。 「そう言えば、ヨサクの所でイノシシ狩りをすることになっていたな。もしも時間があれば、お前も参加したらどうだ? そうすれば、イノシシの肉を分けて貰えるぞ。チビ達も、たまには肉を食べたいだろう」  以前ビッグママに教えられた話を持ち出され、「時間があればな」とニムレスは返した。 「もっとも、夜の時間帯ならば比較的時間はあるな」 「ならば日取りが決まったら声を掛けてやる」  そこで朝食を終えたベアトリクスは、「もう一つ」と男の仕事を持ち出した。 「収穫祭までもう3週間だからな。そろそろアコリ駆除をしようってことになっている。今年は、お前にも加わって貰っていいか?」 「ああ、その話ならビッグママに聞いている。日取りが決まったら、教えてくれればいい」  スープとは別に供された煮豆をスプーンで掬い、荒い目の小麦のパンと一緒に口に放り込む。そしてスープを掬って赤い色をした液体を喉に流し込んだ。 「俺の顔に、何か着いているか?」  その時感じた視線を追っていったら、自分を見ているベアトリクスと目があってしまった。途端に慌てたベアトリクスは、「なんでもない」と慌てて手を振った。豊かな胸が揺れたところを見ると、今は下着をつけていないのかも知れない。  慌てて否定したベアトリクスは、椅子を倒さんがばかりの勢いで立ち上がった。 「私は、これで戻るからな。昨夜は迷惑を掛けたことを謝らせて貰う」  そこで頭を下げたついでに、ゆったりとした胸元から大きな胸の谷間が見えてしまった。なるほど下着をつけていないのだと、ニムレスはただデーターとしてそれを受け取った。 「いや、うまいものを食わせて貰ったからな。昨夜のことは、気にしなくて良いんだ」 「そ、そうか、所で、また誘ったら付き合ってくれるか?」  顔を赤くして、しかも早口のベアトリクスに、「構わないぞ」とニムレスはそっけなく答えた。 「日が暮れてからなら、特に仕事はないからな」 「あ、ありがとう」  顔を赤くしたまま、「世話になった」とビッグママに声を掛けてからベアトリクスは食堂を出ていった。  それを見計らって食堂に入ってきたビッグママに、ニムレスは「土産だ」と言って赤く熟れたザクロの実を取り出した。 「それは良いんだけどね……」  はあっと息を吐いたビッグママは、「抱いてあげれば良かったのに」とニムレスに告げた。 「もちろん、あなたに決まった人が居なければだけどね」 「決まった人は居ないのだが……だが、酔い潰れた女性を抱くのは卑怯なことではないのか? あの女が、そう言ったことに慣れていれば話は別なのだが、どう見ても慣れているようには見えなかった」  ニムレスの率直な感想に、「そうなんだけどね」とビッグママはため息を吐いた。 「世の中には、恥ずかしくてお酒の力を借りないと口に出来ないこともあるのよ。あの子、ずいぶんと落ち込んでいたんだからね」 「そうなのか。それは悪いことをした……いやいや少し違う気がするのだがな」  そこで少し考えたニムレスは、「教えて欲しい」とビッグママに声を掛けた。 「女をってことじゃないわよね?」 「そっちの方は良いのだが。その、考え方と言えば良いのか。それを教えて欲しいのだ」  「考え方」と首を傾げたビッグママに、「考え方だ」とニムレスは繰り返した。 「今更だが、俺はここの人間じゃない。何時と言うのは分からないが、いつかここを出ていくことになるのだろう。多分遠い所に行くことになるのだが、その時ここの女性は着いてこられるのか? もう一つ、貞操の話と添い遂げると言う話は、切り離して考えられるものなのか?」  どうだろうと聞かれ、ビッグママはとても難しい顔をした。 「全部本人次第なんだけど……それじゃあ、答えになっていないわね。例えばで悪いけど、アーシアの場合は16になったらここを出ることになっているわ。成人するまで……してからでも多少は猶予はあるんだけど、原則としてはそうなっているの。だから、あなたに付いていくのはさほど難しい話じゃないわね。そしてベアトリクスさんの場合、嫁にいけとうるさく言われているみたいだから、ついていく問題は少ないと思うわ。そして貞操の問題だけど、特にベアトリクスさんの場合、責任を絡めてくるのは間違いないわね」 「そこで、アーシアを出した理由はよくわからないが……」  少しだけ苦笑を浮かべたニムレスは、「本人しか分からないと言うことか」とまとめた。 「だから、最初にそう断ったでしょう」  少し偉そうな顔をしたビッグママは、「気持ちが動いたの?」とニムレスに尋ねた。 「どちらかと言えば、付き合い方に気をつけねばと思っただけだ。おかしな期待を抱かせるのは、特にベアトリクスの場合は残酷だろう」  応えないことを前提にしたニムレスに、「そう」と少しだけビッグママはトーンを落とした。 「そうね、その気がないのなら優しくするのは残酷なことになるわね」  勘違いをすることで、ますます婚期が遅くなってしまう。行き遅れと回りから揶揄されているベアトリクスには、とても残酷なことに違いなかった。そして叶わないと言う意味なら、アーシアも同じだと思っていた。 「今日は比較的仕事が少ないので、何か手伝えることがあれば手伝いますが」 「だとしたら、カール達に仕事を教えてやってくれないかしら。最初は役に立たないと思うけど、あの子達にも仕事を覚えて貰わないといけないから」  いつまでもここにいられないことを考えれば、それは必要なことに違いない。ビッグママのお願いに、「分かりました」とニムレスは答えたのだった。  木に干しておいた毛布を回収し、ニムレスはアーシアの部屋を訪ねた。その前にキッチンに行ったのだが、「多分部屋」とビッグママに言われたからである。  そこで部屋のドアをノックし、「ニムレスだ」と中に声を掛けた。その途端、中からバタバタする気配が感じられ、それに少し遅れてドアが勢いよく開いてくれた。現れたのは、少し頬を上気させた普段着のアーシアだった。 「な、なんですかっ!」  少し息が切れているのは、よほど慌てたからだろうか。そんなアーシアに、そっけなくならないように気をつけて「ありがとう」とニムレスは貸してもらった毛布を手渡した。 「干しておいたから、湿っぽくはなっていないはずだ」  言い訳を口にしたニムレスに、「大丈夫です」とアーシアはいつもどおりの素っ気なさで答えた。 「すぐに、洗濯をしますから」 「だったら構わないのだが……」  何かを言いかけた所で、「まあいいか」とニムレスはアーシアとの用を終わらせることにした。 「ビッグママに、カール達に仕事を覚えさせてやってくれと頼まれた」 「どうして、今頃?」  まだ小さいのにと思ったアーシアに、「さあ」とニムレスは簡単に答えた。ただ少しそっけなかったかと反省し、「俺のことを気遣ってくれたのだろう」と付け足した。 「しばらくは足手まといになるが。次を育てるのは必要なことだからな」  それだけだと言い残して、ニムレスはアーシアの所を辞した。それをドアを開けて見ていたアーシアは、姿が見えなくなった所で勢いよくドアを締めてベッドへと転がった。もちろん返してもらった毛布は、しっかりと顔に当てられていた。 「ニムレスさんの匂いがする……」  うふふと喜びながら、アーシアはベッドの上で転がったのだった。  ビッグママに言われたのか、下に降りた時にはカール達3人がすでに揃っていた。ただそこで分からないのは、3人が揃ってキラキラとした目を自分に向けてくれたことだ。  ただいくら考えても分からないと、ニムレスは3人を連れて最初の仕事をするため、畑へと向かったのである。今日の仕事は、前日に引き続いてトマトとピーマン、そして人参の収穫だった。 「さほど残っていないから、今日はトマトは全部収穫する。柔らかいから、丁寧に扱うんだぞ」  良いかと声を掛けたら、「分かったぁ」と言う元気の良い声が聞こえてきた。それに頷いたニムレスは、「掛かれ」と3人に号令をかけた。ハサミを持った3人は、思い思いの株に走っていって、おっかなびっくりトマトのヘタのところを切り落としていった。たまに失敗して地面に落ちるのだが、それもまた勉強とニムレスは叱ることはしなかった。  少し大きめのカゴいっぱいにトマトを収穫したら、次は大きく育ったピーマンの収穫である。こちらは大きなかごいっぱいになりそうなぐらい、大粒の実が鈴なりになっていた。  こちらもワイワイキャアキャアと収穫をしたため、ニムレス一人よりは時間が掛かってしまっていた。 「次は人参の収穫だからな」  あっちだとニムレスが指さした所で、「人参嫌い」とビッケが騒いだ。 「好き嫌いを言っていると、大きくなれないからな」  以上と答えたニムレスに、「兄ちゃんみたいになれる?」とビッケは聞いてきた。 「ああ、努力をすれば俺以上なれてもおかしくないからな」  だから好き嫌いを言うなと、ニムレスはビッケの頭を撫でた。それをずるいとピーターが騒いだので、仕方のない奴と笑いながら頭を撫でてやった。 「カール、お前は良いのか?」 「お、俺は、頭を撫でられて喜ぶような子供じゃないっ!」  そう言って気張ったカールに、「そうか」とニムレスは腰をかがめて目線を合わせた。 「ならば俺は、お前を対等の男として扱わないといけないな」  だろうと言われて、カールは嬉しそうに「そうだよ」と答えた。少し誇らしげに見えるのは、ニムレスに言われたのが嬉しかったのだろう。 「だったらカール、お前が二人に人参の抜き方を教えてやってくれ!」 「そんな簡単なことでいいのかっ!」  分かったと頷き、カールは「こうやるんだ」と言って人参の葉っぱの部分を引っ張った。ただ少し上すぎたのが、手を滑らせてそのまま後ろに倒れてくれた。その様子が面白かったのか、ピーターとビッケが指を指しながら笑い転げてくれた。 「惜しいな、地面に出ているすぐのところを引っ張るんだ」  こんな感じでと、ニムレスは軽々と人参を引っこ抜いた。  やってみろと言われた3人は、ニムレスを真似て人参へと挑みかかった。時折尻もちをつくことは有ったが、とりあえず植えてあった人参の収穫は無事終了した。 「よおし、これから3人に命令をする。井戸に行って、バケツに水を入れてここまで運んでこい」 「兄ちゃんは?」  すかさず聞いてきたカールに、「俺か?」とニムレスは少し偉そうに胸をそらした。 「お前達を指導しているからな……とは言え、お前達だけだと時間が掛かりすぎるか」  俺も行くと答え、ニムレスは大きな籠を3つ軽々と持ち上げた。頑張って収穫したので、総重量は40kgを超えているはずだった。 「兄ちゃんって、ものすごく力が強くない?」 「そうかもしれないな」  そう言って笑ったニムレスは、3人を連れて井戸へと歩いていった。そしてそこに野菜を残し、3人には小さなバケツに一杯の水を渡し、自分は大きな樽に水を詰め込んだ。ざっと200リットル入る樽を軽々と抱えあげ、水撒きをするぞと3人に声を掛けた。 「なあ、兄ちゃんって少しおかしいと思わないか?」  6リットルぐらい入ったバケツを抱えながら、カールは前を歩くニムレスを見た。 「なんで、あんな重たいものを持てるんだ?」 「僕達だったら、3人がかりでもびくとも動かないと思う」  声を潜めて話し合った結果、3人が3人共「ニムレスはおかしい」と言う結論に達した。今まで手伝いに来ている農家でも、あんな力持ちは一人も居なかったのだ。しかも自分達以上に軽々と重いものを持っているのだから、「変」と言う感想は少しも不思議なことじゃなかった。 「さっきのことだけど、多分姉ちゃんは毛布を顔に当ててベッドの上で転げ回ってるぞ」  パンツ丸出しでと笑ったカールは、「素直になればいいのに」と前を歩くニムレスを見た。 「すぐに洗いますって聞こえてきたけど、絶対にあれは洗わないぞ」 「姉ちゃんがおかしくなった?」  首を傾げたビッケに、「色気づいた」とカールは答えた。 「姉ちゃんも、もうすぐ成人するからな。早く相手を探さないとと思っているんだよ。そうしないと、ベアトリクスさんみたいに行き遅れになっちゃうんだ」 「ベアトリクスさんかぁ、絶対に詰めが甘いよなぁ」  どうやら昨夜の醜態は、子供達の間にまで伝わっているようだ。ませているのか、3人は「詰めが甘い」と繰り返してくれた。 「でも、兄ちゃんって格好いいから」 「それはそうなんだけどなぁ……それに、優しいし働き者だし」 「これで強かったら完璧超人になっちゃうね」  ビッケの言葉に、「たぶんそう」とカールは答えた。 「もの凄く強いと思う」 「だったら、都から来たのかなぁ……」  遠くを見たピーターに、「かも知れない」とカールは頷いた。 「姉ちゃん、ニムレスさんに付いていくのかな?」 「恋人になれたら付いていくんじゃないのか」  カールの答えに、「そっか」とピーターは寂しそうに答えた。 「でも、成人したらホームを出ていっちゃんだもんね」 「神殿勤めを続けるには、一度都の神殿で修行……だったかをしないといけないからな。姉ちゃんがホームに残るって言うのはないんだよ、たぶん」 「だったら、兄ちゃんの嫁になるのが一番いいんだね」  そう言ったビッケに、「たぶん」とカールは曖昧な肯定をした。 「そんなもの、俺達には分からねえよ」  少し投げやりなカールの答えに、「そっか」とビッケはニムレスの背中を見たのだった。  それから畑の水巻きをし、牛舎の清掃、糞尿の搬出をしてとりあえずの仕事は終わったことになる。堆肥を作っている所に連れて行ったら、子供達は「臭い臭い」と大声で騒いでくれた。  たしかに臭いなと笑いながら、次にしたのは動物避けの柵の確認だった。ゆっくりと山側を歩いたニムレスは、柵の外に見慣れない足跡があるのに気がついた。小さな足跡1人分と、只人よりはるかに大きな足跡が3人分。人数構成を考えたら、今朝見かけた奴らだろうとニムレスは当たりをつけた。 「柵を調べていった……のか」  その行動にきな臭さを感じ、ニムレスは柵の補強を考えた。  それからゆっくりと全周を回ったが、そこ以外に足跡は見つからなかった。そして特に、柵にも異常は無いように見えた。 (考えすぎか……いや、初めて見る奴らが、なんの目的もなくこんな所に来るはずがない)  そこまで考えるのは難しくないが、物事には必ず目的と言うものが存在する。そしてこんな田舎の山に来る目的など、流石に想像打にすることは出来なかった。 「それとなく、ベアトリクスには教えておくか」  昨夜の話では、「騎士」と言う名前が何度も繰り返されていたのだ。だったら治安の話をしても、無意味になることはないだろうと踏んだのである。  そんな事を考えながら神殿に戻ってきたら、パリッとした格好のベアトリクスが待っていた。赤を基調としたダブルのジャケットとパンツ姿に、結構似合っているなとニムレスは失礼なことを考えていた。そして今日が普段と違ったのは、同じ格好をした年配の男性がついてきていることだった。  ビスマルクと名乗った男は、「噂はかねがね伺っています」とニムレスの顔を見て笑った。物腰は柔らかいし、目の前で笑っていてはくれるが、ニムレスは自分が観察されていることに気づいていた。 「あまり良い噂とは思えないのだが……やけに大げさに見えるのだが、何かあったのか?」 「うむ、ここから東の山でアコリが目撃されたのだ。収穫祭も近いから、近々山狩りをすることになったのだ。したがって、そこもとにも声を掛けに来たと言うことだ」  東の山と教えられたニムレスは、「俺が必要なのか?」とビスマルクに尋ねた。 「人手は足りているが、まあ義務のようなものだと思ってくれ。それに加えて言うと、若い者には経験を積んで貰った方が良いと言うところがある」 「それならば仕方がないな。よほどのことがない限り、参加させて貰うことにする」  ニムレスが同意したことで、二人の間にホッとした空気が広がった。  そこまで意識することかと疑問に感じながら、「話は終わりか?」とニムレスは尋ねた。 「イノシシ狩りの話は覚えているな。それなんだが、アコリの件もあるので、早めに片付けておこうと言う話になった。いきなりで悪いのだが、明日の夜に狩りをすることになった」 「夜なのか? 俺には、危ないように思えるのだが?」  暗くなるだけで、それだけ視界という点で不利になってしまう。それを気にしたニムレスに、仕方がないのだとベアトリクスは説明を続けた。 「奴らは、夜にならないと畑に降りてこないんだ」 「足跡を調べたら、かなり大きなイノシシと言うのは分かっている。300kgクラスだから、気をつけないと只人なら一撃で殺されてしまう」  300kgと言う話に、ニムレスはヘラクレズのことを思い出していた。彼よりも重いと言う話に、厄介だなと狩りが総出になる理由を理解した。 「それに、長く生きていると知恵をつけてくれるからな。俺達の弱点も知り尽くしているだろうよ」  だから人を集める必要がある。ビスマルクの説明に、「構わないぞ」とニムレスは答えた。昼だと他の仕事に影響するが、夜ならば仕事を気にする必要がなかったのだ。そして近隣の助け合いは、自分達のためにもなるのが分かっていたのだ。 「そうか、ならば明日の夜12時にヨサクの家の前に集合だ。少し冷え込みそうだから、ちゃんと暖かい格好をしてくるのだぞ」  そう言われても、ほとんど着たきり雀と言うのが今のニムレスだった。ただそれを言っても始まらないので、「分かった」とだけ二人に答えた。 「では、明日は夜に備えて休んでくれよ」  珍しく仕事の話だけをして、ベアトリクスとビスマルクは神殿を出ていった。それを見送った所で、「大丈夫なの?」とビッグママが不安そうに声を掛けてきた。 「その辺りは、多分としか。体の方は人一倍丈夫なので、問題はないと思います」 「でも、ちっちゃなイノシシでも、結構けが人が出てるのよ。2人がピリピリしていたのは、今度のがかなり大物だからだと思うわ」  だから心配と口にしたビッグママに、「ありがとうございます」とニムレスは頭を下げた。 「野生の獣なら、うまく罠に追い込めば大丈夫でしょう」 「だったら、いいんだけど……」  ほうっと息を吐いたビッグママに、「お疲れですか?」とニムレスは声を掛けた。 「もうすぐ収穫祭でしょう。結構、そのね、いろいろとあるのよ。特に今年は、アーシアの成人が同時にあるから。身の振り方を考えてあげるのも私の仕事なのよ。貰ってくれる人がいるのなら、嫁に出すと言うもの一つの方法なんだけどね」 「嫁、ですか……」  子供子供したアーシアに、ニムレスはもう一度「嫁ですか」と繰り返した。 「まだ早いように思えるのは、こちらの習慣を知らないからなのでしょうね」 「体つきを見れば、あなたがそう言うのも分かるつもりよ」  ほっと息を吐いたビッグママは、「子供達は真面目にしていた?」と今日の手伝いのことを尋ねた。 「そこそこ、と言うところでしょう。最初は楽しみながら覚えていけばいいと思っています」  その言葉に、ビッグママは小さく頷いた。 「あなたには、ずっと居て貰いたいと思っているのだけど。それは、贅沢な望みなのでしょうね」  ニムレスのような若者が、いつまでもこんなところで無給で働いていいはずがない。それを考えれば、今が普通でないことはビッグママも分かっていたのだ。それこそ豊穣神様の贈り物に思えてしまったぐらいだ。  そしてニムレスも、ビッグママの言葉に答えなかった。違うと言えば嘘になるし、だからと言って面と向かって出ていくつもりだと言うのも言いにくかった。 「収穫祭と仰られましたが?」  だからニムレスは、話題を変えることにした。特にリゲル帝国の住人であるニムレスには、「収穫祭」と言う風習自体が耳新しかったのだ。 「収穫祭は収穫祭なんだけど?」  そこで首を傾げたビッグママは、「知らないの?」と驚いたように尋ねてきた。 「恥ずかしながら、私の居たところにはそのような習慣がなくて」 「そうなの!」  一体どれだけ都会に住んでいたのか。そう思いながら、「収穫祭と言うのは」とビッグママは説明を始めてくれた。 「だいたいこの季節になると、畑や野山で色々なものが食べごろになるの。畑だったら小麦の収穫とかあるし、山だったら色々なキノコとか木の実とかがあるでしょう。豊穣神様の恵みに感謝するため、この季節になると盛大なお祭りをするの。もっとも、神事はちょっとだけで、後はみんなが楽しむためのお祭りね。だから、その日は町に色々なお店が屋台を出すし、きれいな着物とかも売りに来るのよ。お祭りを利用して、好きな人に告白するのも珍しくないわ」  そう説明したビッグママは、「それから」と豊穣神の恵みと教えを説明した。 「そう言った作物は、豊穣神様の恵みと言うのが教えなの。それから、豊穣神様の教えには、産めよ増やせよ地に満ちよと言うのもあるの。だから、その日にアーシアにはちょっと刺激的な格好で踊ってもらうわ」  見てあげてねとウィンクをされ、「日が暮れたのなら」とニムレスは答えた。それを聞く限り、収穫祭の日も仕事三昧にしてくれるようだ。  それ自体はとてもありがたいのだけど。そこまで甘えていいのか疑問に感じてしまう。 「その日ぐらいは、少し休んでもいいんじゃないの。もっとも、牛たちの世話は必要なんだけど……乳搾りも必要ね」  仕事から逃れられないと、ビッグママは少し表情を曇らせた。  ただそんなことではいけないと、から元気を出して「お小遣いをあげるから」と声を上げた。 「だから、あなたもお祭りを楽しんでらっしゃい。特に初めてっていうのなら、楽しんでこないと損よ」  そう大声を出してから、「たいして渡せないけど」と急に小声になった。 「それはともかく、仕事の手抜きを覚えなさい。違うわね、要領よく仕事をすることを覚えなさい。1日とは言わないけど、半日ぐらい遊べるぐらいじゃないと長続きしないわよ」 「でしたら、お言葉に甘えることにしますが……」  ただお祭りを楽しむと言われても、どうやったら楽しめるのか分からなかった。もっともそれを口にすると、話が複雑になるのは確かだった。だから「楽しんでみます」とだけ答えて、ビッグママの剣幕から逃げ切った。 「では、牛を牛舎に戻してきます」  あまり油を売っていてはいけない。ビッグママに頭を下げて、ニムレスは牧場の方へと向かったのだった。  その翌日は、イノシシ狩りを誘われた日だった。集合が深夜と言うこともあり、ビッグママからは「今日ぐらいは休んだら」と散々言われてしまった。それでも毎日の日課をこなし、子供達に農作業を教えるところまでニムレスはこなした。最後に放牧していた牛を、子供たちと一緒に牛舎に戻せば一日の仕事も終わりである。牛が落ち着いた時には、太陽は西の山にしっかり沈んでいた。  そこで仕事を終われば、まだ休息を取ることもできたのだろう。だが「汗を掻いただろう?」と子供達に声を掛け、大きなお風呂にお湯まで張ったのである。薪でお湯を沸かすだけでも、1時間近い重労働になっていた。お湯の用意ができたら、3人をお風呂に入れるところまでしたのだ。そこで大はしゃぎをしたため、一番年下のビッケなどは夕食時にうつらうつらと船をこぐぐらいだった。 「兄ちゃん、今日はイノシシ狩りに行くんだろう?」 「ああ、この後に行くな」  もっともカールは、イノシシ狩りに興味津々だったようだ。食事の間中、ずっとその事をニムレスを質問攻めにしたぐらいだ。ただニムレスにしても、イノシシ狩りなど初めての経験なのだ。だから「どうやって」と聞かれても、「専門家任せだ」と苦笑を返すだけだった。  ただ頑張っていたカールも、食事が終わるまでが限界だった。朝から仕事をして、お風呂では大はしゃぎをしていたのだ。それを考えれば、ここまでよくもったと言えるだろう。 「わざと興奮させたのね?」 「疲れれば、早く寝てくれると思いましたので」  ビッケを抱えながら、ニムレスは「計画通りです」とビッグママに答えた。 「お願いだから、怪我だけはしないで帰ってきてね」 「慣れた方達が集まっていますから、新米に出番はないと思います」  だから大丈夫でしょうと答え、ニムレスはビッケから順に子供たちをベッドへと運んでいった。  最後にカールを運んだところで、「あなたも休んだら?」とビッグママが声を掛けてくれた。 「時間になったら起こしてあげるわよ」  徹夜になるかもしれないと考えると、休める時には休んでおいた方がいい。  慣れていると答えかけたニムレスだったが、キッチンの方から自分を見るアーシアに気づいてしまった。その瞳が心配そうだったので、「お言葉に甘えさせていただきます」と椅子に座って目を閉じた。 「いえ、ベッドでって……もう落ちちゃったの?」  凄いわねと驚いたビッグママは、隠れていたアーシアに声を掛けた。 「あなたのお気に入りを持ってらっしゃい。ニムレスさんに匂いをつけてもらうんでしょう?」 「わ、私は、そんな変な趣味を持っていません!」  慌てて、そして顔を赤くして文句を言ったアーシアを、ビッグママは「はいはい」と軽くあしらった。 「つべこべ言うと、私の毛布を掛けてあげるわよ」  それでいいのと問われ、アーシアは慌てて自分の部屋へと駆けていった。そしてすぐに、可愛らしい毛布を持って戻ってきた。 「そうよ、初めから素直になればいいの」  それを満足気に見たビッグママは、アーシアから毛布を受け取ろうとした。ただそこで思いとどまって、「あなたが掛けてあげて」とアーシアにその役目を譲った。そしてそれだけでなく、「仕事があるから」と言って居なくなってくれた。アーシアはしっかり慌てたのだが、気がついた時にはビッグママの姿は見えなくなっていた。 「え、ええっと……」  毛布を持ったまま呆然としたアーシアだったが、ニムレスがもぞりと動いた時に、「ひゃん」とおかしな声を上げてしまった。そこで慌ててニムレスを見たのだが、目を覚ました様子がなくて大きく安堵の息を漏らした。 「い、今だけ、ですから」  ゆっくりと毛布を掛けたアーシアは、誰にも見られていないのを確かめるため、キョロキョロと首を忙しく動かした。そして顔を真赤にして、ゆっくりと唇をニムレスの頬に近づけた。  本当に触れたかどうか分からないほどの口づけだったが、今のアーシアにはそれが限界だったようだ。今まで以上に赤くなった頬を両手で抑え、バタバタと慌てて自分の部屋へと走っていった。そしてベッドにダイブをすると、「キスしちゃった」とベッドの上をゴロゴロと転がった。  そしてアーシアが居なくなって少ししてから、毛布の中から右手が出てきてキスされた場所をぽりっと掻いた。 「皇よ、まさかこれが試練とは言わないでしょうね」  自分が苦労しているのは、こんな事をするためではないはずだ。意外なアーシアの行動に動揺し、ニムレスは「皇よ」とトラスティに問いを投げかけたのだった。  集合時間が12時と言うことで、ニムレスは神殿を11時30分に出ることになった。仮眠時間が中途半端なこともあり、逆に体に少し錘が付いたように感じてしまった。ただそれを言うとビッグママを責めることになるので、顔を見られた時には「頭がスッキリしました」と感謝の言葉を告げた。  もともと出かけることを前提にしてたので、特に着替える必要はなかった。それに加えて、わざわざするような装備も持っていなかった。「それで良いの?」と尋ねたビッグママにしても、ニムレスに何を渡せば良いのか分かっていなかったのだ。 「多分ですが、後ろで見学していることになります」  だから心配はいらない。そう告げて、ニムレスは神殿を出て待ち合わせの場となったヨサクの家へと向かったのである。  神殿から待ち合わせの場所までは、普通に歩けば20分ぐらいの距離があった。その程度の距離なら、ニムレスが急げば5分と掛かることはないだろう。ただニムレスは、体をしゃっきりさせるために、敢えて回り道……と言うより、軽い運動から始めることにした。なんのことかと言うと、日課のトレーニングを前倒しにしたのである。加えて言うのなら、悪い足場に慣れておこうと言うのだ。  牧場の外の原っぱを走り、ニムレスはかなりの遠回りをしてヨサクのところへと向かった。時折町の方を見ると、ランタンのような光が揺れているのを見つけることが出来た。 「そろそろ人が集まりだしたか……」  集落を維持していくため、1軒では対応できない問題をこうして町ぐるみで対応しているのだろう。それをすることで仲間意識が高まると言うメリットはあるが、同時に参加できない者を阻害していく仕組みにもなっている。女所帯の神殿とは言え、男が加わった今なら参加しないと言う選択肢はありえないことになっていた。  たとえ害獣駆除とは言え、これから戦いに臨むことになる。そのお陰で、ニムレスの中では久しぶりに闘争本能が目覚めていた。「後ろで見学」とビッグママには告げたが、イノシシぐらいなら殴り殺してやると猛り始めていたのだ。  途中で野生動物用の罠がいくつか有ったが、神経を研ぎ澄ませたニムレスはそれを容易に避けていった。そして野生動物でも無理な速さで、ヨサクの家を目指したのだった。 「うむ、ちゃんと出てきたな」  ヨサクの家についたニムレスを、ベアトリクスが出迎えてくれた。神殿に来たときとは違い、ベアトリクスは髪を結い上げ、ゴワゴワとした黒っぽい上下を着ていた。夜に目立たないようにするためか、顔には炭が塗られていた。 「肌が白いと、イノシシに見つかるからな」  だからこれと。ベアトリクスは炭を水で練ったものをニムレスに渡した。 「なるほど、そう言う配慮も必要なのだな」  一つ新しい知識が増えた。そう考えながら炭を受け取り、ベアトリクスを真似て頬やおでこ、鼻の頭に塗っていった。そして出来上がった顔を見て、ベアトリクスが「ぷっ」と小さく吹き出してくれた。 「すまんな、何か面白く思えてしまったのだ。うむ、何も間違っては居ないぞ」  そう言いながらもう一度吹き出してくれたので、「自分も鏡を見てみることだ」とニムレスは言い返した。 「心配するな。これを塗っている時、鏡の前で大いに笑わせてもらった」  それだけだと話をまとめたベアトリクスは、「こっちだ」と人だかりの方へとニムレスを連れて行った。  「よう来たな」とか「後ろで見てりゃあいい」とかの声で迎えられたのだが、中には「どこかでしっぽりと行ってこい」とベアトリクスとの関係をからかう者も居た。それを見る限り、当てにされていないのと、仲間としてみて貰えているのは理解できた。  イノシシ狩りと言っても、メインとなるのは何箇所かに仕掛けられた罠だった。集まった者たちの仕事は、イノシシを罠に追い込むことや、罠にかかったイノシシを仕留めることである。イノシシを仕留めるために、めったに使われない猟銃も持ち出されていた。  そして罠に追い立てる役の者は、大きな音の出るホイッスルを手にしていた。これでイノシシにパニックを起こさせ、罠へと追い立てようと言うのである。 「しっぽりとはこの後にして貰えばええんだが、兄ちゃんと騎士さんは今日は見学だなぁ。こっちゃ……罠の反対側で見ていてくれれば今日はええわ」  リーダーらしき男の指示に、「感謝する」とニムレスは頭を下げた。そしてベアトリクスを連れて、指定された場所へと移動した。 「なぜ、私まで見学なのだっ!」  少し憤っているベアトリクスに、「俺の世話だろう」とニムレスはニコリともせずに答えた。 「悪いな。俺が足手まといになったようだ」  そうやって頭を下げられると、いつまでも怒ってはいられない。小さくため息を吐いたベアトリクスは、「腹が立たないのか?」とニムレスを正した。 「数のうちに入れて貰えてないのだぞ」 「俺が、イノシシ狩りの素人と言うのは間違いないからな。勉強する機会だと考えれば、別に不思議なことじゃない。それに結構みんなピリピリしているからな。それだけ、今回は厄介だと考えているのだろう。素人の面倒を見ている暇は無いと言うことだ」  聞き分けるんだなと頭を叩かれ、ベアトリクスは顔を赤くして黙り込んだ。冷静に考えてみれば、ニムレスの言っていることが全面的に正しいことぐらい理解できるのだ。  そうやってベアトリクスをなだめている間に、イノシシ狩りの用意は着々と進められていった。観察した範囲で分かったのは、ハサミ型の罠や、ロープ型の罠が張られているようだ。何人かが足元をならしているのは、罠の位置を悟られないようにするためだろう。  それを念入りに1時間ほど続けた所で、どうやらイノシシ狩りの用意は整ったようだ。「隠れろ」と言って、各々の持ち場へと戻っていった。そして全員の姿が見えなくなった所で、山の中に仕掛けてあった爆竹が一斉に火を吹いた。連続して上がる破裂音に追い立てられたのか、山からは黒い煙のように鳥が飛び上がり、下草もざわざわとざわめきたった。そしてニムレスは、下草の中を猛スピードで走る黒い影を捉えていた。 「想像以上に大きいな」 「お前には見えるのかっ!」  驚いたベアトリクスだったが、ニムレスに指さされても真っ暗なだけで何も見えなかった。それでも分かったのは、何か大きな物が近づいてくると言う気配だった。  そしてニムレスがその姿を見つけた少し後、その影を追い立てるようにもう一度爆竹が破裂した。その爆発で追い立てられた黒い影は、仕掛けられた罠の方へと一直線に向かってきた。ただこのまま真っすぐ行けば罠に掛かると全員が考えたとき、その黒い影は突如方向を左側に曲げた。その方向には罠は張られておらず、4、5人の男達が物陰に潜んでいるだけだった。  ただそのことにしても、想定の範囲だったのだろう。巨大イノシシの方向が変わったのと同時に男達は立ち上がり、爆竹や鳴り物で大きな音を立てた。その音に驚いたのか、イノシシは慌てて反対側へと方向を変えた。そして反対側に隠れていた男達も、同じように爆竹と鳴り物でイノシシを追い立てた。しかも後ろからも追い立てられたので、イノシシは罠の方へと向かうはずだった。  だが一二度鼻を蠢かせたイノシシは、追い立てられているにも関わらず、突然後ろの方へと走り出した。ただまっすぐ逃げるのではなく、爆竹の音から逃げるように隠れていたニムレス達の方へと走り出したのである。 「おい、爆竹はないのか?」 「見学なのに、そんな物があるはず無かろう!」  大声で騒いだベアトリクスは、慌ててその場から逃げ出そうとした。相手の巨大さを考えれば、怖がるなと言うのが無理な相談と言うのは分かりきっていたことだった。  だがこの場合は、逃げると言うのは最悪の選択に違いない。追い立てられて興奮したイノシシが、ベアトリクスを敵として認識したのだ。そして不届きな只人を排除すべく、300kgを超える巨体で突進してきた。  最初の突進だけは、なんとかとっさに避けることが出来た。だがベアトリクスに出来たのは、そこまでが限界だった。体中泥だらけになって立ち上がった時に、狂気に赤くなったイノシシの目を見てしまった。その瞬間、恐怖に体が金縛りになってしまった。威嚇するため爆竹や鳴り物がけたたましい音を立てていたが、獲物を認識したイノシシはまっすぐベアトリクスをめがけて突進してきた。  引き伸ばされた時間の中、突進してくるイノシシに、「自分は死ぬのだ」とベアトリクスは分離した心で死ぬ瞬間を眺めていた。  だがベアトリクスが恐れた死は、彼女の元を訪れることはなかった。なにかに腰を抱かれたと思ったら、次の瞬間ふわりとした浮揚感を感じたのである。 「ここから先は、俺に任せろ」  茂みにベアトリクスをおろし、ニムレスは両手を広げてイノシシの前に立ちふさがった。 「ば、ばか、やめろ……」  打ちひしがれたベアトリクスの声や、他の男達の逃げろと言う声が聞こえてきた。だが誇り高き10剣聖には、敵に後ろを見せることは許されていない。 「ヘルクレズ殿より大きいのだな」  そして怒りに狂ったイノシシの迫力は、ヘルクレズに勝るとも劣らぬものだった。体重で4倍にもなる相手の突進は、屈強な体を持つリゲルの民でも抗えるものではないはずだった。 「リミット、ブレイク」  だがニムレスには、カムイと言うとっておきがある。ここが使い所とカムイの発動を命じたのだが、エネルギーが根こそぎ奪われていてはそれも叶わない。 「やはり駄目か……」  こんな所で都合よく発動するぐらいなら、皇が使用を禁ずるはずがない。最初の突撃を余裕で躱したニムレスは、次にどうするかを考えることにした。 「流石に、正面から受け止めるには体重が違いすぎるな」  しかも相手は四足と、こちらに比べて力が伝わりやすくなっている。正面からの力比べは、さしもの10剣聖でも無謀としか言いようがなかった。そこですれ違いざまに拳を頭に叩き込んだのだが、泥をまとった分厚い皮と頑丈な首のお陰で、逃げながら放った拳では通用してくれなかった。  こんなときにカムイがあればと考えるのは、手詰まりとなった証拠なのだろう。だが「カムイを」とニムレスがトラスティを呪った所で、唐突に皇の意図が理解できた気がした。 (お前は、カムイがなければ何も出来ないのか?)  イノシシの向こうで、トラスティが笑っている気がしたのだ。 「なるほど、試練を課される訳だ」  トラスティの意図を理解したニムレスは、自分がなにをすべきかを考えた。武器を使うことも考えたが、あれだけ分厚い泥を纏った皮に、生半可な武器が通用するはずがない。そして見るからに獰猛な牙は、一つ間違えば自分は串刺しにされてしまうだろう。そこまでしなくても、牙がかするだけでも致命傷を負うのは明らかだった。  少し足元を滑らせながら突進してくるイノシシを、ニムレスはもう一度横に躱して胴を蹴飛ばした。こちらは多少効果があったのか、足を滑らせながら少しだけたたらを踏んでくれた。 「やはり、四足でも足元は良くないようだ」  これが攻め手かと考えた所で、「なるほど」とニムレスはイノシシの足元を見た。胴の巨大さに比べれば、4本の足は遥かに貧弱に見えたのだ。 「今度は足を攻めて見るか」  突進してくるイノシシの動きを観察し、ギリギリの所でニムレスは牙を躱した。そして躱した刹那左足を押し出すようにして、地面につこうとしたイノシシの足を蹴りぬいた。  さしもの巨体も、それを支える足を失えば耐えられるものではない。突進した勢いそのまま、イノシシは前のめりになるように頭から地面に突っ込んでいった。しかもニムレスの一撃で折れたのか、立ち上がろうにも立ち上がることはできなくなっていた。  そこまでくれば、後は多勢に無勢となる。ロープを持った男達が群がり、跳ね飛ばされながらもなんとか両足をロープで縛り付けた。そうやって動けなくしてから、最後は固い頭を斧で殴ってトドメが差された。その途端歓声が上がったのは、それだけ危ない橋を渡ったのが理由だろう。  そしてこの大捕物の立役者は、ニムレスなのは誰も異論を挟むことの出来ないものだった。その証拠に、その場に居た男達は、ニムレスの肩をたたいて「凄いな」と褒めてくれたのだ。 「後から、神殿には一番いい肉を持っていってやるでな」 「次も、よろしく頼むわ」  口々に凄い凄いと言いながら、男達は丸太を持ってきてイノシシを運ぼうとした。だがあまりにも重すぎるので、持ち上げたは良いがその足取りはとても危なかしかった。 「疲れたやろう、肉は届けたるで今日は帰ってええで……」  ニムレスに声を掛けたのは、最初に全体に指図をした男だった。山で狩りをしているから、リーダーに祭り上げられたのだと教えて貰っていた。 「しかし、兄ちゃんは強えなぁ」  しげしげと体を触られ、ニムレスはくすぐったいなと感じていた。 「えろう鍛えとるんだが、一体どこで鍛えてきたんだぁ」  凄い凄いと笑っていた男だったが、「まあええか」と急にニムレスから離れてくれた。そしていささか不自然に、「ありがとな」と言って去っていった。 「急にどうしたのだ?」  ニムレスからも不自然に見えたのだが、だからと言って理由が分かるはずもない。まあ良いかと帰ろうと考えた所で、ベアトリクスを忘れていたことを思い出した。そして背後から感じた気配に、つい横に躱してしまった。その瞬間、何かがニムレスの隣を通り過ぎ、つんのめるようにしてぬかるんだ地面へと突っ込んでいった。  一体何がと一瞬呆けたニムレスだったが、すぐに正体に気づいて「あー」と天を見上げた。 「すまん、とっさのことでいつもの癖が出た」  流石に悪いと思ったのか、ニムレスは転んだままのベアトリクスを抱き起こした。その時偶然触れた胸の感触に、少しだけニムレスの中の男が刺激された。ただそれ以上何もなかったのは、お互いが泥塗れと言うのが理由だった。自分はまだしも、ベアトリクスは泥をかぶったようになっていたのだ。そのため結い上げられた金色の髪も、今はすっかり泥で型取りされていた。そして顔も、美容で言う泥パック状態になっていた。  もっとも自分の状態など、今のベアトリクスにはどうでもいいようだった。抱き起こされた所で、思いっきりニムレスに抱きついて泣いてくれたのだ。「怖かった」と言うのは、彼女の偽らざる気持ちなのだろう。ニムレスに抱きついたまま、ひたすら「怖かった」と繰り返して泣き続けてくれたのだ。  そんなベアトリクスを、ニムレスは子供をあやすように優しく抱きしめた。そしてその背中を、ポンポンと叩いたのである。ただ泥塗れになっていたので、叩くたびに「びちゃびちゃ」と気持ちの良くない音が聞こえてきた。だったら撫でてあげようかと思ったのだが、ヌルヌルとした感触に思いとどまってしまった。  ひたすら泣き続けたベアトリクスだったが、10分もすればその声も聞こえなくなった。そこで小声で話しかけたのだが、ベアトリクスからはなんの反応も返ってこなかった。 「寝てしまったのか?」  しっかりと抱きついていた力も弱まったので、乱暴にならないように体を離した。そして正面から顔を覗き込んだのだが、泥塗れの顔は瞳が閉じられていた。  時間が深夜になっていること。これまでの酷い緊張が解けたことを考えれば、おかしなことではないのだろう。 「いつまでも、こうしている訳にはいかないだろう」  2日連続かと思いながら、ニムレスはベアトリクスを抱き上げた。昨夜は背負ったが、今日は俗に言うお姫様抱っこと言う奴である。その分不安定になるのだが、並外れた肉体能力の持ち主であるニムレスには、大したことのない重さでもある。  流石に野を走っていく訳にいかないので、集合地点だったヨサクの家を通っていくことにした。全員帰ったのかと思ったら、少し離れたところで盛大な焚き火がたかれていた。そして集まった者達が、酒を飲んで騒いでいるのを見ることができた。並外れて巨大獲物と、狩りの成功に興奮しているのだろう。  そのまま混じれば、きっと歓迎してくれることだろう。だが二人共泥まみれだと考えると、流石に合流は遠慮してしまう。 「いずれにしても、この女を連れて行く場所が問題だな」  似たようなシチュエーションで、昨夜は神殿に連れて帰ったのだ。ただ昨夜は酔いつぶれていただけなのだが、今日は全身泥まみれになっている。このまま神殿のベッドに寝かせておくのは、流石に駄目だろうとニムレスでも考えたぐらいだ。 「だとすれば、俺はどうすればいいのだ?」 「二人で、一緒にお風呂に入ると言うのはどうかな?」  いきなり聞こえてきた、そして聞き覚えのある声に、ニムレスは慌てて振り向いた。  果たしてそこには、にこやかな表情を浮かべたトラスティが立っていた。 「お、皇よ、なぜここにっ!」  慌てて膝まづこうとしたのだが、「そのままでいいよ」と先に言われてしまった。  そしてトラスティは、泥だらけになったニムレスをじっくりと上から下まで眺めた。 「一応きっかけぐらいは掴めたようだからね。だから君に、希望を聞こうと思ってきたんだよ」 「私の希望、でしょうか?」  聞き直してきたニムレスに、「これからどうするのか」とトラスティは告げた。 「あのイノシシとか言う動物との戦いで、君はカムイに頼りすぎていたことに気づいたのだろう? そしてどうすれば敵に勝てるか、それを考えて戦ったんじゃないのかな?」  どうだろうとの問いに、「確かに」とニムレスは頭を下げた。 「私の足りないところが分かった気がします」 「それが、兄さんとモルドレートが見つけた欠点だよ。そこに気づけた時点で、これ以上君に試練を与える必要はなくなったんだ。だから、これからどうするのかと尋ねたんだけどね。もっとはっきり言えば、ここでの生活を終わらせても良いと言う許可を出すことができるんだ」  「帰るかい?」と問われたニムレスは、すぐに答えを口にすることができなかった。この星に降ろされたのは、確かに欠点を克服するための試練が目的となっていた。そしてその目的が達せられたのなら、ここを引き払って帰るのが10剣聖としての努めでもある。その意味で言えば、答えに悩む必要はなかったはずだ。 「皇よ、教えていただきたいことがあります」 「この結果が、未来視で見たものなのかと言うことかな?」  質問を先取りしたトラスティに、「その通りです」とニムレスは認めた。そしてそれが、トラスティの答えになっているのだと気がついた。 「ならば、この後の私の答えもご存知かと思います」  未来視で見たのだろうと言うニムレスに、「普通はそう思うね」とトラスティは笑った。 「アルテルナタに見させた未来では、ちょうどここに分岐点があるんだ。つまり、この先の会話によって、君は選択を変えることになる」 「私が選択を変えるようなことがあるのだと?」  驚くニムレスに、「選択を変えるね」とトラスティは繰り返した。 「そして僕が、次の言葉を口にすれば君はメイプル号に戻ることになるんだ。それは……」  その言葉を言う前に、「お待ち下さい」とニムレスが声を上げた。 「命令がなくとも、私は戻ることを考えていました。そんな私が、残ることを選択するのです。私が考えを変えるようなことが、この先あることになります」  違いますかとの問いに、トラスティは小さく頷いた。 「実は、今の会話はアルテルナタの見た未来にはなかったんだ。僕は、君が僕との会話に含まれた機微を感じ取れるかどうかを確かめたんだよ。比較的、易しい試験なんだけどね」  だから合格と笑い、さほど遠くない話だとトラスティは切り出した。 「選ばれなくなった未来だけど、この町はアコリ……だったかな? その襲撃を受けて、ほぼ壊滅状態になるんだ。そして君が抱きかかえている女性やアーシアだったかな、彼女やビッグママや男の子達も死ぬことになるね。ちなみに、君が残っても多くの犠牲が出ることは避けられない。そして襲撃が起こった根本原因までは、未来視で見ることはできないんだ。何しろ未来視は、僕達がすることをカンニングするだけなんだよ。僕達が知りえないことは、未来視でも見ることはできないんだよ。どっちから攻めてくるのか、そして数がどれくらいかは教えてあげられるけどね。ただそれにしても、不確かな未来でしか無いんだ」 「私が残れば、この女やアーシア、神殿の人達を助けることができるのですか?」  震える声で聞いてきたニムレスに、「それは君の選択次第だ」とトラスティは答えた。 「君が気にしている人達を助けるだけなら、実はさほど難しいことじゃないんだ。もう分かっていると思うけど、君が片時も離れず彼女達を守ってあげればいい。さもなければ、僕に土下座をして「守って欲しい」とお願いをする方法もあるね。そうすれば、彼女達「だけ」なら助けることができるよ」  町の人は助からない。トラスティの言葉に、「皇よ」とニムレスは声を荒げた。 「なぜ、むざむざと人の命が奪われるのを肯定されるのですっ!」 「僕は、この世界に於いて傍観者でしか無いからだよ。その点は、深く関わってしまった君とは違うんだ。それからもう一つ教えておくけど、これは自然現象などと言うものではないからね。何者かが、意図を持ってアコリとか言う生き物を使って襲撃してくるんだ。実は、似たような事件は他の星系でも起きているんだ」  だから手を出さないと答えたトラスティに、「皇よ」とニムレスは繰り返した。 「それでは、あまりにも慈悲がないのではありませんか」 「言ったはずだ。僕は、この世界の人間じゃない。だから、傍観者としてだけ存在している」  ニムレスを突き放したトラスティは、「いいかい」と言葉を続けた。 「この世界でも毎日大勢の人が亡くなっているんだ。ある人は事故で、ある人は殺されて、そしてある人は病気で……寿命で死んだ人もいるね。その多くの人を、僕達なら助けることができるんだ。それぐらいの技術なら、今すぐ提供できるからね。ただ、それはこの星に対しての干渉と言うことになる。したがって、超銀河連邦憲章でも禁じられていることなんだ。いいかいニムレス。君の言っていることは、そう言った人達をすべて助けろと言うことと同じなんだよ」  理詰めで、ある意味屁理屈を並べたら、ニムレスがトラスティに敵うはずがない。ぎりっと奥歯を噛み締めたニムレスに、「理解できたかな?」とトラスティは問い掛けた。 「そして分からないのなら、僕は皇として君をメイプル号に連れ帰る。そしてこの星を離れれば、君も二度と関わることはないだろう」  どうだろうと問われたニムレスは、「ならば」と声を張り上げた。 「私は、この星に関わってしまいました。多くの恩を受け、一緒に暮らしてまいりました。今日でも、仲間として受け入れて貰えました。その私ならば、この町の者を救っても問題はない……いえ、救うのが義務だと考えます!」 「それが、君の答えと言うのかな?」  確かめてきたトラスティに、「私の答えです」とニムレスは断言した。  それに頷いたトラスティは、皇帝らしく「許す」の一言をニムレスに与えた。 「君達を身奇麗にしてあげられるのだが……」  どうすると問われ、ニムレスは抱きかかえたベアトリクスを見た。 「いえ、これで泥一つ無い綺麗な体になるのは不自然すぎます」 「君だけならいいのだろうけど。流石にその女性を綺麗にするのは不自然だね」  小さく頷いたトラスティは、軽く右手を振って一枚の紙切れをどこからか取り出した。 「その代り、彼女の住まいを教えてあげよう」 「皇の御慈悲に感謝いたします」  頭を下げたニムレスに、「それはやめよう」とトラスティは笑った。 「嫌がらせと受け取られても仕方がないことをしているんだよ」 「ですが皇が言う通り、私は自分の周り、しかも極狭い範囲のことしか見ておりませんでした」  つまりニムレスにしてみれば、自分は教えを受けたことになるのだと。 「まあ、そのあたりは自由に解釈してくれ。それからもう一つ忠告をしておくと、襲撃の日時と侵入経路は、とても不確定なものになっている。それもまた、自然発生ではないことの裏付けになっているんだ。ここを襲おうと考えている者は、こちらをじっくりと観察していると言うことだ」 「こちらの隙きをついてくる。そして弱いところを攻めてくると言うことですか」  そう説明されると、なるほどと納得させられる。そして同時に、対処が難しいことも理解することができた。  町の人にアコリの襲撃を伝えたとしても、まともに考えれば信じて貰えるとは思えなかったのだ。そして何時襲ってくるのか分からなければ、備えをしていても緊張をいつまでも続けることはできない。 「とりあえず、僕から伝えられることはこれぐらいかな?」 「ご足労頂き、感謝いたします」  頭を下げたニムレスに、「それから」とトラスティは一つ注意をした。 「彼女の首に針が刺さっているからね。引き渡す時には、軽くでいいから首の後を撫でてあげてくれないかな?」  いつの間にと思ったニムレスだったが、すぐにそれがパガニアで伝わる針の技術だと思いだした。コスモクロアをデバイスとして使役する皇なら、針が使えてもおかしくはないはずだった。  そしてもう一つ分かったのは、これだけ騒いでいたのに、ベアトリクスが起きてこない理由だった。自分の前に現れたときから、彼女が気づかないように皇は配慮をしていたのだと気付かされた。  「失礼します」と教えられた方向にニムレスが走っていった時、トラスティの隣に一つの影が現れた。彼に比べるとずっと小柄で、水色の髪をショートにしたそこそこ美しい女性である。 「どうして、彼女達を殺すのがアコリじゃないと教えてあげなかったんですか?」 「彼のためには、ヒントを出しすぎるのは良くないと思うんだ」  理由はそれだけと答えるトラスティに、リュースは小さくため息を吐いた。 「ニムレスさんに恨まれても知りませんよ」 「まあ、その時はその時と言うことだね」  多分大丈夫と笑ったトラスティは、隣に立ったリュースの肩を抱いた。 「ここでしていくかい?」 「マリーカがいないのは魅力的だけど……」  少し考えてから、ベッドがいいとリュースは笑った。 「ほら、サバイバルってガラじゃないから」 「ここは、ちゃんと人が住んでいるんだけどね」  微苦笑を浮かべたトラスティは、「サラ」とメイプル号への移動を命じた。その次の瞬間、二人の姿は消え失せたのだった。  トラスティから教えられた道を走ったニムレスは、石造りの頑丈な建物にたどり着いた。そこで門を見上げると、「守護騎士団詰所」と言う物々しい看板が掛けられていた。灯りがついているところを見ると、不寝番をしている者がいるようだ。  そこで門をじっくり見たら、「御用の方は」と言う張り紙を見つけた。そして張り紙の下には、小さな木槌がぶら下げられていた。どうやら、用がある時はこれで門を叩けと言うのだろう。 「時間指定がない以上、今叩いても問題はないはずだ」  そう勝手に折り合いをつけたニムレスは、木槌をとって「軽く」門を叩いた。金属の補強が入っているのか、木槌に合わせて硬質な音が響いてくれた。  そしてニムレスが門を叩いてしばらく、横にある小さな木戸が開かれた。 「今、何時だと思っておるのだっ!」  時間にしてみれば、深夜4時ぐらいになるのだろう。それを考えれば、文句を言われても仕方のない時間でもある。ただニムレスにも、この時間になった言い訳はあった。 「ベアトリクスを送ってきたのだ。申し訳ないが、引き取っては貰えないか?」 「お嬢を? つまりお前は、ニムレスと言うことかっ」  どうやら、自分の名前は守護騎士団の中では有名なようだ。ただその理由を考えると、余り嬉しいこととは思えなかった。 「ああ、そのニムレスだ。別に怪我をしている訳ではないが、ちょっと泥まみれになって気を失って……多分、寝ているのだろうな。だからこうやって、俺が抱えて連れてきた」 「確か、今日はイノシシ狩りに行ったはずだが……それで、泥だらけになったと言うことか」  あい分かったと、その男は「ご苦労」と言ってベアトリクスを受け取った。 「しかし、どうすればここまで泥だらけになれるのだ?」 「そのあたりは、色々と事情があったのだと思ってくれ」  それだけだと言い残して、ニムレスは守護騎士団詰め所を後にした。後ろの方でなにか声が聞こえた気がしたが、気のせいだと忘れることにした。 「帰ったら、水浴びをしてから訓練か……牛達を、牛舎から出してやらないといけないな」  とてもハードな一日になりそうだ。そんな事を考えながら、ニムレスは人通りの絶えた道を疾走していった。街灯もないので、足元を照らすのは星明りだけと言う暗さである。そんな暗闇の中を、いつもどおりの速度で駆け抜けたのだった。  そしていつもどおり朝食に現れた彼に、ビッグママは「呆れた」とこめかみあたりを抑えたのである。 「いくら若いからって……」  はあっと大きくため息を吐いたビッグママは、「帰ってきて寝たの?」と質問をした。 「昨夜仮眠をとったので、特に問題は無いと思っています。それに、今夜は普通に寝られると思いますので」 「そりゃあ、そうだけど……」  もう一度ため息を吐いてから、「無理しちゃ駄目よ」とビッグママは続けた。 「それで、イノシシ狩りはどうだった?」 「誰も、けが人は出なかったかと思いますが? 終わった後、ヨサクさんのところでは、宴が始まっていましたね。こう言ってはなんですが、皆さんタフだと思いました。それから、神殿に肉を届けてくれるそうです」  あなたが言うかと言う言葉を飲み込み、「そうね」とビッグママはそっけなく答えた。 「多分、みんなまだ寝てるわよ」 「寝ていられない私は、参加しないで帰ってきた訳です」  それからと、ニムレスは収穫してきたあけびの実をビッグママに渡した。 「次は、山葡萄を探してみます」 「ありがたいとは思うけど……あまり無理をしないでね」  なにか、どんどんニムレスの仕事量が非常識な世界に入っていく気がしてならない。仕事を毎日こなしてくれること、木の実とかをとってきてくれることは嬉しいが、それにしても限度を超えているように思えてしまったのだ。これでニムレスが居なくなったら、自分はどれだけの男手を雇わないといけないのだろう。 「では、畑仕事に行ってきます」  徹夜をしたくせに、普段と全く変わった様子が見えないのだ。「若いっていいわね」と、ビッグママは年寄りじみたことを考えていた。  一国の代表ともなると、外を飛び回っていることばかりは許されない。それに加えて足元が揺るぐようなことがあれば、やっていることが水泡に帰することにもなりかねない。他の聖獣を3体確保した所で、シャノンはボル中央行政府に軟禁されることになった。  ちなみに代表を軟禁すると言うのは、かなりの強権が発動されたことになる。したがって、そんな真似ができるのは限られた者だけだった。 「あなたは、自分の立場を弁えているのかしら?」  なぜか代表を床の上で正座させ、長い黒髪をした女性が歩きながら文句を言っていた。シャノンに対して唯一強く出られる立場を持つ女性、彼の2つ年上の妻、ラクエル・ラヒトと言うのは彼女のことだった。 「私に全部仕事を押し付けて、それで許されると思っているのかしら? かしら?」  最後のあたりを強調したラクエルは、「どうなの?」と見下ろすようにして夫の答えを求めた。 「い、いや、俺としても必要なことをしているつもり……なのだが」  最後の辺りで尻すぼみになったのは、自分を睨む妻の視線が怖かったからだ。 「それが、あなたの言い訳と言うこと?」  それで良いのねと凄まれたシャノンは、「必要なことだと思っている……」と小さな声で答えた。 「足元を疎かにしてまで、必要なことだと思っているのかしら?」  どうなのかしらと凄まれ、「いえ」とシャノンはついに自分のしていることの価値を下げてしまった。 「ボルの安定がいちばん大切なことだと思っています……」  シャノンの答えに、それでいいのよとラクエルは勝ち誇ったような顔をした。 「あなたは、しばらくボルの外に出るのを禁止します」 「だが、フレッサの統一の仕事がっ」  反論を仕掛けたシャノンだったが、ラクエルに睨まれ思わず首をすくめてしまった。 「そちらは、私が代わりにやります。そもそもあなたのやり方は、生ぬるすぎます。聖獣を押さえれば勝ちなんて、甘っちょろすぎるとしか言いようがないわ。私達には、あまり時間が残されてないのを忘れてない?」 「い、いえ、そんなことは」  抗弁した夫に、ラクエルは冷たい視線を向けた。 「時間に対する危機感に欠けていると思っているから、こんな厳しいことを言っているんだけど?」  「違って?」と問われ、「急いでいるつもりです」とシャノンは素直にさせられた。そして心の中で、「だから姉さん女房は嫌だったんだ」と盛大に零したミルクを嘆いていた。  そこまで夫をやり込めたラクエルは、「座りなさい」と代表の椅子を指さした。  それに素直に従った夫に、「今の状況」と彼女が進めてきたことを話しだした。 「工房の方だけど、再起動にはまだまだ時間が掛るわ。文献は残っているんだけど、必要な部品……正確に言うと、必要な材料が欠けているのよ。聖獣捜索も重要だけど、資材の調査も急ぐ必要はあるわ。そちらも文献は残っているんだけど、精製を含めてやることが目白押しなの。このままだと、近い将来船を一隻部品取りに使わないといけなくなるわ」  それからと、ラクエルは国内問題を持ち出した。 「工場の方だけど、こちらも設備の老朽化が目立ってきたわ。補修部品も、かなり枯渇してきているのよ。早急に手当をしないと、操業停止か大事故の二択になってしまうわね。それは、燃料関係もそう。石油精製プラントにしても、かなりの老朽化が進んでいるのよ。後は、石油資源に関しては消費に供給が追いついていないわ。そして掘削機器も老朽化している」  「これでも氷山の一角」とラクエルはシャノンの顔を見た。 「あなたが、遊び歩いていられないと言う理由。分かってくれたかしら?」  実データーをあげて迫られると、流石に反論は難しくなる。お陰で黙り込んだ夫に、「事情は理解するけどね」と一転してラクエルは優しい顔をした。 「時間を掛ければ掛けるほど、リカバリが難しくなってくるからね。各星系の持っている船と技術者を集めていかないと、宇宙にでる技術も失われてしまうわ。そしてそこに使われているコンピューター技術もそう。ただ問題は、あなたの持っている問題意識が共有されていないことよ。各星系とも、時間切れが迫っていることなんて理解していないわ」 「それを、教えてやると言う方法もあるのだがな」  ようやく紡ぎ出された言葉に、「無駄よ」とラクエルは切って捨てた。 「そんな事を言って、信用して貰えると思っているの? それが分かっているから、色々と切り崩しているし、逆転の目を潰しているんでしょう。だから、私も可愛い女の子を殺すことに文句を言っていないの。可愛らしい女の子と言うのはね、本当なら愛でてとことん可愛がってあげるものなのよ」  辛いでしょうと夫を慰めたラクエルは、「私が背負うわ」と優しく告げた。 「あなたは、もう汚れ仕事をしなくても良いの」 「だがっ」  声を上げた夫に、「良いのよ」とラクエルは繰り返した。 「私は、血も涙もない悪女として歴史に名を残してもいいと思っている」  ラクエルは、「あなたのためなら」と言ってシャノンに唇を重ねたのだった。  恒星分類G2の調査結果は、トリプルAを経て超銀河連邦へと展開された。原因不明の惑星壊滅や第4惑星に冷凍睡眠状態で取り残された人々と言う事実に、連邦理事会は重い腰を上げることになったのである。特に惑星壊滅は、その原因を探ることが重視されたのだ。  そこで代表幹事のサラサーテは、連邦軍元帥のクサンティン元帥に、救助並びに調査の指示を出すことにした。ちなみにこの命令に対して、連邦軍内部の受け止め方は極めて良好だったと言う。お陰でクサンティン元帥の指示を受けた事務方は、派遣艦隊の選定と言う難題を背負い込むこととなった。  そしてこの情報は、当然のようにノブハルのところにも届いていた。ちなみに連邦には報告されなかった、フレッサ恒星系の情報も同時に伝えられていた。 「今回のは、ずいぶんと冒険色が強くなっているんだな」  滅んだ惑星を見つけ、その生き残りが冷凍睡眠状態にあると言うのだ。その蘇生に成功した時、その口から何が語られることになるのか。それを想像するだけで、自分が興奮してくるのが分かるのだ。やはり未知への挑戦は刺激的だと、ノブハルの中で押さえられていた好奇心と言う虫が、またぞろ騒ぎ始めていた。 「有人惑星を持つ7連恒星系と言うのも初めてのことなのだな」  近くに入るとわからないが、少し離れたところから観測すると、7つの恒星の間に星間物質が移動しているのを見ることができる。それを見ると、7つの星が雲の中に浮かんでいるようにも見えるのだ。その光景もまた、とても神秘的に思えるものだった。 「なに、もうウタハさんに飽きたの?」  楽しそうに報告を見るノブハルに、セントリアはとてもフラットな表情で指摘してきた。 「なぜ、そう言う話になる?」 「今度のシルバニア行きで、ウタハさんに付いて行かなかったから。しかも、また冒険に出たいって言う顔をしているわ」  違うのと顔を見られたノブハルは、「誤解がある」と抗弁した。 「し、シルバニアにウタハを迎えに行って、そのままクリプトサイトにしばらく逗留する予定だっ」 「クリプトサイトの研究所だけど……本当に、研究所として機能しているのかしら? あなたの別宅なっていない?」  それこそがフリーセア女王の狙いなのだが、セントリアはそのことには触れなかった。 「け、研究ならしているぞっ! レムニアに依頼した遺伝子解析も、そろそろ結果が出るだろうからな。その遺伝子情報と女性王族の持つ特殊な器官との関連が分かれば、能力者の伝承が確実になるんだ。そしてξ粒子の変調が可能になれば、情報を過去に送ることも可能になる。過去改変の可能性も見えてきたんだ」  だから進んでいると主張したノブハルに、「はいはい」とセントリアはお座なりな態度をとった。 「ξ粒子をどうやったら検出できるのか。それができないうちは、単にクリプトサイトに協力しているだけだと言うのを忘れないように」  たまには業績に貢献して。痛いところを突いたセントリアに、ノブハルの顔は少しひきつったのだった。  同じ頃、アリッサは更に詳細な報告をトラスティから受け取っていた。それに加えて、アルテルナタからこの先のことまで教えて貰っていた。そのあたり、未来視最強と言うところだろう。 「ですが、アリッサ様とご主人様には敵わないと思っています」 「私は、未来を書き換えているつもりは無いんだけど……」  ふむと少し考えたアリッサは、「あの人は?」と敵わない相手としての夫の事を尋ねた。 「私が未来視で見るようなことなら、かなりの部分を推測されているんです。そしてその推測に基づいて、分岐を違う方に曲げてくれます。アリッサ様と似たことを、ご主人様は理詰めで行われているんです」  そこでふっと息を吐いたアルテルナタは、「未来視の限界をご存知ですか?」とアリッサに尋ねた。 「時間的な話を言っているのではありませんよね?」  改めて聞く以上、言い古されたことを持ち出すとは思えない。だからアリッサは、アルテルナタの言う限界を考えてみた。ただ考えてみたが、具体的な限界が思い当たらなかった。 「そう聞かれても分かりませんね。それで、その限界ってなんなのですか?」  諦めて尋ねたアリッサに、「簡単なことです」とアルテルナタは笑った。 「私達が見ることができるのは、「結果」でしか無いと言うことです」 「……それは、分かっているつもりなんだけど」  少し目元にシワを寄せたアリッサに、「結果だけですよ」とアルテルナタは繰り返した。 「なにが最善かと言うのは、あくまで示された選択肢の中だけのことなんです。本当はもっといい選択があるのかもしれないのに、未来視の能力だけではそれを導き出すことができないんです。それが、未来視の限界なんです。そんな限界があるから、以前の私は追い詰められてしまったんですよ」  それがなんのことを言っているのかを考え、アリッサは「ああ」と大きく頷いた。もしも未来視が万能ならば、クリプトサイトの女王はアルテルナタが続けているはずだった。 「ご主人様が凄いのは、常人で思いつかないことを簡単に思いつくことなんです。ご主人様は、それをペテンと卑下されていますけどね」  口元を押さえて笑うアルテルナタに、なるほどとアリッサは頷いた。  未来視を真に利用するは、発想力が必要になってくれる。ペテン師と夫が言われるのは、考えもしない抜け穴や奇策を用意することが理由だったのだ。 「ですから私は、ご主人様の行うペテンの道具の一つなんです」 「あの人にとって、あなたを手に入れるのは必要なことだったと言うことですね」  うんうんと頷いたアリッサは、「冷凍睡眠している人達ですが」と夫達の発見のことを持ち出した。 「助けることができるのですか?」 「全員と言うのは流石に無理ですが……かなり多くの人を助けられるのは確かですね。具体的にどれくらいかと言うのは……少しお待ち下さい」  そこで目を閉じたアルテルナタは、しばらくして目を開いて「522人です」と答えた。 「5つの観測所で、合計で1151人が冷凍睡眠していました。ただ保存状態……と言えばいいと思いますが。その状態が、蘇生の分かれ目になったようです。ただ522名助かるのですが、そのうち119名に障害が残ります。障害のうち52が記憶障害で、43が視覚の障害です。運動機能の障害は31で、部位欠損が29と言うことになります」  ふうっと息を吐き出したのは、細かな未来を見たことの負荷が理由なのだろう。それを理解したアリッサは、「無理をさせてしまいましたね」とアルテルナタに謝った。 「いえ、ちょっと憂鬱になっただけです。その障害を負った達の姿を見てしまったので」  もう一度「いえ」と答えたアルテルナタは、「皆さん、回復はされますよ」と答えた。 「ただ記憶の障害だけはどうにもならないみたいですね」 「情報の欠損だけは、今の技術でもどうにもならないと言うことですか」  仕方がないですねと小さく息を吐いたアリッサは、「目的を捻じ曲げてしまいましたね」と夫達の冒険のことを持ち出した。 「連邦安全保障局の目的は変わっていないのでしょうが。皆さんの興味が、新しい世界の方へと移ってしまいました。もともとは、アリスカンダル事件の再発防止が叫ばれていたのにです」 「そのあたりは、餌と言うのは語弊がありますが、新しい餌を与えてしまったからでしょうね」  アルテルナタの答えに、「状況は変わっていないんですけどね」とアリッサは苦笑した。 「パイク局長の邪魔をしてしまってる気がしてきました。もっともあの方も、派手な外銀河探索をしたかったそうなのですけどね」 「ですが、今はとても堅実な調査をされていますね。すでに、200近い近傍銀河の調査が進んでいて、継続観察と言う事になっていたはずです」  アルテルナタの答えに、「普通はそうです」とアリッサは答えた。 「それが、政府としての対応と個人の冒険の違いだと思いますよ。ただ誰の引きが強いのか分かりませんが、今回の件を含めて興味深い事象に行き当たりすぎていますね」  いいですけどと答えたアリッサは、「フリーセア女王は?」とガラリと話題を変えた。 「そろそろ、お子さんを作られても宜しいのではありませんか?」 「年齢的にはそろそろいいのですが……問題は、まだ成婚の儀をしていないことです。流石に女王として、いきなり愛人の子を生むわけにはいかないんです」 「ええっと、まだ結婚していないんでしたっけ!?」  驚いたアリッサに、「まだなんです」とアルテルナタは苦笑をした。 「予定通りノブハル様を籠絡したのですが、少し予定が狂うことがありましたので」 「予定が狂ったって……もしかして、ウタハさんのことですか?」  比重がフリーセアから移ったと言う話を聞かされていたので、アリッサはその事を持ち出した。 「それが無いとは言いませんし……一番大きなことには違いないとは思います。ただ、母との関係も問題になっていて」  そこでため息を吐かれると、アリッサも乾いた笑いが漏れ出てしまう。ドラセナ公に会った時には、40には見えない若さと美しさに驚いた記憶があったのだ。 「でも、リゲル帝国でも似たことがありましたね」  あちらでも、母子ともども妻にしていたのだ。それを考えれば、クリプトサイトでも同じことがあっても不思議ではないのだろう。ただ本当に同じかと言うと、色々と疑問を感じるのも確かだった。何しろ母娘揃って、隷属の首輪を付けたままだったのだ。 「妹はまだ若いからいいのですが……」 「未来視で、見ないのですか?」  そうすれば、このまま行ったらどうなるかを知ることができるはずだ。その指摘に、「怖くて見られません」とアルテルナタが即答してくれた。 「あの人が刺されるようなことはありませんよね?」 「コスモクロアさんを超えられるとは思えませんし……アクサさんにしても、絶対に反対すると思いますよ」  刺す相手を思い浮かべたアルテルナタは、「大丈夫でしょう」と保証した。 「それで、あの人はいつ帰ってくるんですか?」 「確か、ニムレスさんでしたか、その方を回収されたら戻られるようですね……」  そこで少し考えたアルテルナタは、「忘れてました」とトラスティ達のもう一つの動きのことを持ち出した。 「フレッサ恒星系ですか、そこに少しだけ干渉されるようですね。ですから、ゴースロスが呼び寄せられることになりそうです」 「インペレーターよりは、運用コストが掛からないからいいけど」  羨ましがられるはずだと。アリッサは、最近の風当たりの強さを考えたのだった。  収穫祭が近づいてくると、町の安全対策を行う必要が出てくる。どう言う訳か、この時期になると町の周囲にアコリが姿を見せるようになってくれるのだ。そして定例行事のように、東の野原での目撃証言が出るようになった。ただ今年の場合、目撃証言の出た場所が問題とされた。なんのことはない、子供が多く集まるエリアがすぐ近くにあったのだ。 「そこで、例年よりは大規模な山狩りが行われることになったと言うことだ」  守護騎士団の制服を着て現れたベアトリクスは、ニムレスを前にどんとテーブルを叩いた。 「それはいいのだが、なぜ俺を前に力説してくれるんだ?」  訝ったニムレスに、ベアトリクスは「はぁっ」と呆れたような顔をした。 「お前も参加するからに決まっているだろう。今年の豊穣祭は、アーシアの晴れ舞台なのだぞ。ならば危険が無いよう、お前が骨を折るのは当たり前のことじゃないのか?」 「当たり前と言われるようなことなのかは疑問はあるが……」  まあ良いとため息を吐いたニムレスは、「仕事が優先だぞ」とベアトリクスに言い返した。 「畑の方はまだ良いが、牛の世話をサボる訳にはいかん」 「それは理解しているが、町の付き合いを疎かにするのは賛成できんぞ」  そこで顔を見られたビッグママは、「仕方がないわね」と小さくため息を吐いた。 「私と子供たちでなんとかします」 「お手数をおかけして申し訳ありません」  頭を下げたニムレスに、ビッグママは苦笑を浮かべながら「仕方がないことですよ」と返した。 「小さな町ですから、みなさんが助け合って暮らしているんです」 「それは、そうなのでしょうが……」  ふうっと息を吐いたニムレスは、「日程は?」とベアトリクスに尋ねた。 「3日後と言うことだ。収穫祭の10日前とも言えるな。それより遅くなると、収穫祭の準備が手が足りなくなる。アーシアの晴れ舞台のために、神殿も舞台を用意するのだろう?」 「そうなの、ですか?」  初めて聞いたと言う顔をしたニムレスに、「ええ」とビッグママは答えた。 「毎年、町の人達に手伝ってもらって作っていますね」 「なるほど、その予定も入れておかなくてはいけない訳だ」  うんうんと頷いたニムレスに、「そちらは文句を言わないのだな」とベアトリクスは不満そうな声を出した。 「なぜ、神殿の仕事に文句を言わなければいけないのだ?」  ありえんと断言され、「ああそうか」とベアトリクスはため息を吐いた。  そしてもう良いと立ち上がり、「明日また来る」と言って神殿を出ていった。 「なぜ、明日も来る必要があるのだ?」  考えるまでもなく、ここのところ毎日ベアトリクスが顔を出していたのだ。そしていかにも重要そうな顔をして、同じようなことを繰り返し話して帰っていっていた。よほど暇なのだなと言うのが、毎日顔を出すベアトリクスに対するニムレスの感想だった。 「守護騎士団と言うのは、よほど暇なのだな」  ぼそりと呟かれた言葉に、「可哀想に」とビッグママはベアトリクスに同情していた。  ニムレスは気づいていない、知らないことだが、以前に比べてベアトリクスはちゃんとお化粧をするようになったし、髪の手入れもこまめに行うようになっていたのだ。守護騎士団の制服にしても、以前よりもパリッとしていたのだ。その理由など、いまさら考えるまでもないことだった。 (ひょっとして、ものすごく鈍いとか……)  だとしたら、ベアトリクスが可哀想過ぎる。アーシアのこともあるのだが、ビッグママはどうしたものかとニムレスの朴念仁さを考えたのだった。  アコリ駆除の方法は、どこの惑星でも似たような方法をとっていた。そのあたり、衛生局の横つながりが理由になっているのだろう。発生する被害の前には、星系の違いなど小さなことと言う意識があるのかもしれなかった。  そしてフリートの小さな町でも、アコリ駆除方法は伝えられていた。十分に生息場所を調査した後、原っぱに追い出してそこで個別に駆除を行うと言うのである。そのため、事前の調査が一番重要と言われていたぐらいだ。  ちなみに、その調査は町の守護騎士団が請け負っていた。子供や家畜を襲うアコリは、町にとっての驚異と言う位置付けからである。  昼の時間より十分に早い時間に招集をかけた守護騎士団は、集まった町民たちにこれからの手順を伝達した。そのための説明に立ったのは、今時珍しい鋼製の鎧と兜を付けた比較的年配の男だった。 「東の丘に、アコリが生息する洞窟を発見した。洞窟の規模を考えると、生息数はさほど多くはないと推測される。おそらく、多くても10は超えないのではないか」  そこで集まった町民の顔を見た男は、地面に大きな地図を広げた。 「洞窟は、2箇所の出入り口が存在している。アコリを迎え撃つにはこちら側が都合が良いので、反対側から追い立てていくことにする。そして追い立てられたアコリに対して、罠として網を使い掛かったやつから叩き殺してやればいい。人数を十分にかけ、準備を怠らなければさほど難しい仕事でないのは確かだ」  アコリ駆除に集まったのは、いずれも20代から40代前半の男達である。総勢にして40人ほどと言うのが、今回の駆除の実行部隊だった。その中には、ひときわ背の高いニムレスも加わっていた。  良いかとニムレスの顔を見ながら男が確認したのは、彼に期待をしたと言うのではなく、この中で一人だけ初参加と言う事情からである。  そこで頷いたニムレスに、「宜しい」と男は大きな声で答えた。 「みんなそろそろ腹が空いてくる頃だと思うが。毎度のこと、アコリ駆除は臭くて胸糞の悪いものだ。胃の中に物を入れないのは、嘔吐対策だと思ってくれればいい。なに、無事駆除が終われば、腹いっぱい飯が食えるだろうよ」  これもまた、ニムレスの顔を見ていってくれた。ただ今回少しだけ違っていたのは、「食えねぇよ」と言う声が上がったことだった。 「流石に、あれはきついぜよ」 「まあ、あんなものは慣れでしか無いな」  小さく口元を歪めた男は、配置を全員に伝えることにした。 「私と、以下の4名は追い立てる役目になる。そしてカロンと残りの者たちは、出口の前で罠を張って待っていてくれればいい。アコリ相手に、高級な武器はいらないからな。棍棒で何度か頭をかち割ってやって、最後に仕留めたアコリを積み上げて焚き上げをしてやれば今日の仕事は終わりになる。まあ、5時間仕事ってところだろうな」  「質問は」と言う男の問いに、誰からも質問が発せられることはなかった。それに頷いた男は、「これよりアコリ駆除を開始する」と大声で宣言した。 「それぞれのリーダーの指示に従って行動してくれ」  以上だと宣言したところで、少し離れたところから「こっちだ」と言う声が聞こえてきた。それを見る限り、手を上げているのはカロンと言う男なのだろう。待受組に割り振られたニムレスは、大人しく声のする方へと向かっていった。  もう一方のリーダーを指名されたカロンは、ニムレスよりは少し年上の男だった。体つきだけなら、ニムレスよりも大きいぐらいだろう。体格だけなら剣士になれると、カロンを見てニムレスは値踏みしていた。 「よう、噂は色々と聞いているぞ」  ニムレスを見たカロンは、「期待している」と肩を叩きながら笑ってくれた。  そんなカロンに対して、「噂?」とニムレスは不思議そうな顔をした。 「なにか、俺に噂されるようなことがあったか?」  少し考えたニムレスは、「心当たりがない」とカロンに答えた。そんなニムレスの反応に、「おいおい」とカロンはしっかりと呆れてくれた。 「神殿で働いている美丈夫は、礼儀正しくて働き者で、誘惑しても乗ってこない真面目な男だとな」  そう言って褒めたカロンに、「誘惑?」とニムレスは最後のキーワードに反応した。 「俺は、誘惑をされた記憶が無いのだがな?」 「いやいや、流石にそれは無いだろう。町の女達はまだしも、ベアトリクスの気持ちに気づいていないと言うのか?」  あからさまに誘惑してきているだろうと言うカロンに、「そうなのか?」とニムレスはしっかりと驚いた顔をした。 「初めて会った時にはしっかりと不審者を見る目で見られた記憶ならある。最近は不審者には見られなくなったが……先日飲みに連れて行かれる前には、野菜を買ってくれるお客さんでしかなかったのだが……飲みに連れて行ってくれたときにしても、さんざん愚痴られ、さっさと酔いつぶれてくれたぐらいだ」  そこで少し記憶を辿ったニムレスは、「それぐらいだ」と話を締めた。  その答えにしっかりと呆れながら、「何をやっている」とベアトリクスの不甲斐なさにも呆れていた。そして「だから行き遅れるのか」とも納得していた。あまりにもまわりから「行く遅れ」とからかわれるものだから、目の前に現れた好みの男への接し方が分からなくなっているのだろう。 「それはいいが、準備に向かわなくていいのか?」 「ニューフェースの緊張を解いてやるのも準備の一つ……だったのだがな。ただ、あんたには必要ないことは理解できた」  微苦笑を浮かべたカロンは、「行くぞ」と集まった男達に声を掛けた。その声に応える形で、残りの33人が「おう」と威勢のいい返事をしてきた。 「ところであんた、武器は持ってないのか?」 「豊穣神の神殿に、武器なんかあると思うのか?」  疑問を疑問で返されたカロンは、「確かに」と大きく頷いた。そして後に居た男に、「棍棒でも貸してやれ」と声を掛けてくれた。 「あんたの力なら、棍棒でも無双できそうだなぁ」  あははと笑いながら、手垢のしっかりと付いた赤樫の棍棒を貸してくれた。ヘルクレズのホグワーツには及ぶべきも無いが、それでもずっしりとした重みのある、なかなか凶悪な見た目をしていた。  それを二三度素振りをしてから、なるほどとニムレスは小さく頷いた。とても原始的な武器ではあるが、同時に「撲殺」と言うのは合理的だと思えたのだ。  なぜか和気あいあいと目的地に向かう途中、話題となったのは間近に迫った収穫祭のことだった。そしてその話題でも、ニムレスがやり玉に挙がってくれた。 「ことしは、アーシアちゃんが成人するんだろう?」 「ビッグママからは、そう聞いているが」  別におかしな話ではないので、ニムレスは知っていることを答えた。  そんなニムレスに、聞いてきた男は「アーシアちゃんはどうするんだ?」と分かりにくいことを聞いてくれた。 「どうする。と言うのは?」  なんだと首を傾げたニムレスに、「成人したらだよ」と男は質問の意味を説明した。 「成人をすると、神殿で養ってもらえなくなるんだろう。だとしたら、身の振り方を考えないといけないじゃないか。神官になるため中央に出るとか、そのまま使用人としていつくのか、それとも誰かの所に嫁ぐのかと言うことだよ」  その質問に、「ああ」とニムレスは頷いた。確か似たようなことを聞かされた覚えがあったのだ。 「確か、ビッグママが頭を悩ませていたな。それを考えると、まだ決まってないのではないか?」 「あんたが嫁に貰ってやれば、丸く収まるんじゃないのか?」  笑いながら言うところを見ると、ニムレスをからかって居るのだろう。それぐらいは分かるのだが、かと言って面白い反応がどう言うものかも分からなかった。 「俺自身、神殿に養われているようなものなのだがな?」 「子供をこさえて……まで考えると、あんたが稼がないと駄目なんだな」  流石に今のままでは駄目と言うのは分かるし、かと言ってニムレスに仕事を斡旋することも出来なかった。だったらと、男は噂となっているもう一人の名前を持ち出した。 「行き遅れ……の守護騎士様はどうなんだ? イノシシ狩りの後なんざ、燃えたんじゃないのか?」  ほら話せとばかりに絡まれたが、「詰所に送っていったぞ」と言われれば、その話題も尻すぼみになってしまう。「それはないだろう」と呆れてくれたのだが、ニムレスにも彼なりの言い分はあったのだ。 「あそこまで泥塗れになった俺達にどうしろと言うのだ?」 「洗いっこって方法もあるだろう」  にひひと笑われたが、「風呂が泥だらけになる」とニムレスは言い返した。 「神殿に帰って井戸水で洗ったのだが、服の洗濯とかでえらく時間がかかってしまったのだ。神殿の男手が、今の所俺だけと言うのを忘れてくれるなよ」  時間切れだと言い返した所で、「着いたぞ」と言うカロンの声が聞こえてきた。 「それからニムレス、ベアトリクスなら収穫祭で捲土重来を期していたぞ。まあ押し付けるようで心苦しいが、ちゃんと相手をしてやってくれ」 「自然相手に、休日はないのだがな……」  とは言え、ビッグママにもきつく言われていたのだ。ただ牛の世話を除けば、手抜きができるのも確かだった。そして牛の世話だけなら、さほど時間がかからないのだろう。 「それで、俺はどうすればいい?」  棍棒こそ手渡されたが、それ以上の説明を受けていなかった。それを気にしたニムレスに、「見学だな」とカロンは笑った。 「こんだけ男手があれば十分のハズだからな。もしも取り逃がした奴がいたら、あんたが殴り殺してくれればいい。ただ殺したつもりでも、あいつら生き返ってくるから気をつけてくれよ。傷が小さいほど早く生き返るから、銃がとどめに使えないんだよ」 「生き返るのか?」  そう言う話は聞かされていたが、話半分に受け取っていたところがあった。だがこうして注意を受ける以上、生き返ると言うのは本当のことと言うことになる。  流石に驚いた顔をしたニムレスに、「生き返るんだ」とカロンは嫌そうな顔をした。 「だからまっとうな生き物じゃないってことになるんだよ。ちびっこいのが居ても、情けなんか必要ないからな。あいつらは恩なんか感じないし、情けをかけた奴を馬鹿にしているぐらいだからな。エラが張った、目のつり上がった嫌らしい奴らだよ」  本気で嫌そうにするカロンに、それほどなのだとニムレスは想像した。 「まあ、事情は理解した。ただ、俺が手を出すまでもないんだろう?」  掛けられた人数を考えれば、10匹程度なら多すぎると言っていいぐらいだろう。だからニムレスの問に、「だな」とカロンは認めてくれた。  カロンと無駄話をしている間にも、男達は黙々と準備を進めていた。アコリが逃げ出してくる予定の穴の前には、腰の高さまで網が張られ、少し離れた所には焚き上げ……焼却用の薪が積み上げられていた。 「動かなくなったアコリは、生き返る前に炎の中に投げ込んでやるんだよ」 「……残酷に思えるのだが……始末を考えると仕方がないことなのだろうな」  いつ生き返ってくるのか分からないのも問題だが、死体を放置すると伝染病の原因にもなりかねなかったのだ。穴を掘って埋める方法もあるが、手がかからないのは燃やしてしまう方だろう。 「だから臭くて胸糞の悪いものになるってことだ」  そう言って笑ったカロンは、「準備はできたか」と男達に声を掛けた。「おー」と言う答えに、カロンは「火ぃ点けろ」と指示を出した。 「焚き上げの準備と、駆除開始の狼煙のようなもんだな」  カロンの言葉通り、焚き上げように積み上げられた木からは盛大な煙が立ち上っていた。  なるほど合理的な方法だとニムレスが感心した所で、反対側から何かが破裂するような音が聞こえてきた。 「爆竹を使うのだな」  同じことをイノシシ狩りでもしたので、何を使っているのかは聞かなくても分かっていた。 「大きな音で追い立ててやれば、反対側に逃げ出したくなるのは道理だろう?」  こちらもまた合理的だなと、色々と考えられたやり方にニムレスは感心したのである。文明こそ進んでいないが、よほど知恵を使っているように思えてしまった。  そして爆竹の音が鳴り響いてから5分ほどして、最初のアコリが穴から飛び出してきた。そして腰ほどの高さの罠を飛び越えようとして、無様に足を取られて転がってくれた。 「ほい、まず1つ」  そこで年配の男が、首のあたりを鎌で貫いてくれた。普通ならば、これでトドメが差される攻撃である。 「まあ、お勉強用って奴だな」  そう言って笑ったカロンは、痙攣すらしなくなったアコリの腰紐のようなものを掴んだ。 「どうだ、完全に死んでいるように見えるだろう?」  傷口を見たニムレスは、確かにと頷いた。 「これでも、生き返ると言うのか?」  驚いたニムレスに、「百聞は一見にしかずだ」とカロンは答えた。  そしてニムレスの前に置かれて5分ほど経過した所で、死んでいたはずのアコリが痙攣を始めてくれた。そして更に5分が経過したところで、痙攣が収まりむっくりと起き上がってくれたのだ。いくら教えられていても、これは異様な光景に違いなかった。しかも貫かれたはずの首も、傷がいびつな形で塞がっていた。  起き上がったアコリをすぐさま殴り殺したカロンは、「分かったか」とニムレスの顔を見た。 「この目で見るまで信じられなかったのだが……」 「世の中ってのは、そう言うもんなんだよ」  そう言って笑ってから、カロンはもう一度アコリの腰紐を掴んでその体を持ち上げた。そしていい具合に炎の立ったところに、その体を投げ込んだ。「NNNNIIII」と悲鳴のようなものが聞こえてきたところを見ると、また生き返ろうとしていたのだろう。 「……常識を疑うな」  肉の焼けるような臭いに、ニムレスは気分が悪くなるのを感じていた。なるほど腹をすかせていた方が良いのだと、この時間帯が選ばれた理由にも納得がいった。  最初は遠くから聞こえてきた爆竹の音も、次第に近づいてくるのが聞いて取れた。そして近づいてくるに連れて、穴から飛び出してくるアコリの数も増えてきた。そして飛び出してきたアコリは、ことごとく張られた罠に足を取られてくれた。  それを寄ってたかって撲殺し、死骸が復活する前に焚き上げの火の中に放り込まれていった。その都度聞こえてくる悲鳴は、夢に出てきそうな醜悪なものだった。戦士であるはずのニムレスなのに、気分悪さが酷くなったぐらいだ。  反対側から追い立ててきた男達が現れた所で、アコリ駆除は一区切り着いたことになる。リーダーの男が抱えたアコリが投げ捨てられ、それを別の男が焚き上げの火の中に放り込めば駆除は完了と言うことになる。今までに比べて数が多く、今回は12匹のアコリが駆除された。 「どうだ。腹は減っているか?」  リーダーの男に聞かれ、ニムレスは苦笑と共に「減ってるはずなのだがな」と答えた。 「しばらく、肉は食いたくないな」  そう答えたニムレスに、リーダーは大きく頷いた。 「あんたが、まっとうな人間と言うのが分かったな。どうだ、アコリの悲鳴が耳にこびりついていないか?」  その問いに、ニムレスは小さく頷いた。 「誰もが通った道ってことなのだな」  なるほどと頷いたニムレスは、経験者に「どうすればいい」と尋ねることにした。誰もが一度は経験しているのなら、対処方法もあるはずだと考えたのだ。 「まあ、酒をかっくらうってのが手っ取り早いな。酔って寝ちまえば、嫌な声を思い出してる余裕もなくなっちまう。後はだなぁ、女を抱くってのも一つの手だな。多分だが、この後ベアトリクスが気を使ってくれるんじゃないのか?」  にやぁと笑われたニムレスは、「参考にする」とだけ答えた。 「ああ、大いに参考にしてくれ」  それでいいと笑ったリーダーは、火勢が衰えてきた焚き上げの方を見た。肉の焼ける臭いがしなくなったことを考えると、放り込まれたアコリは燃え尽きてくれたようだ。 「後は、火の始末をして終わりだな」  そこでご苦労だったとニムレスの背中を叩き、「帰って良いぞ」とリーダーは言ってくれた。 「神殿で仕事が残ってるんだろう?」 「それはそうなのだが……途中で仕事を投げ出しても良いのか?」  それを心配したニムレスに、「気にすんな」ともう一度リーダーはニムレスの背中を叩いた。 「さっき教えてやっただろう? これから俺たちは、火の始末をしてから酒場で管を巻くんだよ」  慣れていても、やはりあの声は耳に残ると言うことだ。リーダーの言葉に納得したニムレスは、「感謝する」と頭を下げてから神殿へと向かった。 「ありゃあ、只者じゃねぇな」  ニムレスを見送った所で、リーダーの所にカロンが近づいてきて言った。 「ちっとも、怖がっていなかったぞ」 「研ぎ澄まされた刃ってところか?」  リーダーの言葉に、「ああ」とカロンは頷いた。 「とんでもない奴が町に来たってことは、とんでもないことが起こる前触れとも言えるな」 「ボルケとかの事を言っているのか?」  アコリのせいで、3つの星で町が一つ滅んでしまったのだ。そのことを思い出したリーダーに、「そんな気がするだけだ」とカロンは答えたのだった。  G2恒星系は連邦に移管したこともあり、トラスティ達は惑星フレッサに戻ってきていた。とりあえず探検らしきものはしたので、残すはニムレスの問題……と言うより、趣味の悪い覗きをするだけだった。 「冷凍睡眠していた人達だけどね。アルテルナタの見立てでは、半数程度しか助からないそうだ」  サラから報告を受け取ったトラスティは、リュースとマリーカにその中身を告げた。 「半分しか助からないんですか……」  そこで落ち込んだ様子を見せたのは、過酷な現実と言うのを突きつけられたからだろう。  そして落ち込むマリーカの一方で、リュースは「どうにもならないんですか?」と聞いてきた。 「アルテルナタさんが未来視で見たんですよね?」  そのリュースの質問に、「情報は連邦に伝えてある」とトラスティは答えた。 「今の所、助けられなかった人達に対しては、すぐには解凍処置を取らないそうだよ。作業した時の所見をアルテルナタに教えることにして、死因の除去を行うそうだ。かなりのカットアンドトライになるから、時間が掛かりそうだね」  未来視の使い方として、その方法は非常に有効なものに違いない。ただその話を聞かされ、「大丈夫かしら」とリュースはアルテルナタのことを心配した。 「未来視って、結構負担だって聞いたから。それから、見なければいけない結果が結構アレでしょ。精神的には、かなり辛いと思うのよね」 「王女様として未来を見てきたから、結構辛いものも見てきたとは言っていたけどね。多分だけど、アリッサが心配してくれていると思うよ。後は、アセイラムも彼女の支えになっているしね」  大丈夫と言う意味で答えたトラスティに、「早く帰った方がいいわね」とリュースは口元をニヤけさせた。 「やっぱり、ご主人様がご褒美を上げないといけないと思うわよ」 「そっちに話を持っていって、一体何がしたいんだろうね」  苦笑を返したトラスティは、「帰るんじゃなくて、呼び寄せる」と答えた。 「帰りはお客さんが増えそうだからね。だから、もう少し広い船を用意するつもりだよ」 「お客さん……ああ、ニムレスさんの彼女ね」  なあると頷いたリュースは、「何人?」と賭けの答えをさり気なく聞いた。もっとも、そんな引っ掛けが通用するような相手ではない。 「大勢って言ったらどうする?」 「流石に、それはないかなって思っているわよ」  ちぇっと舌打ちをしたトラスティに、「ゴースロスですか」とマリーカは息を吐いた。 「目的が違うから仕方がないんですけどね。なにか、インペレーターがお荷物になってきた気がして……」  自分が船長をしているだけに、こうした時に使われないと気になってしまうのだ。 「まあ、インペレーターは軍艦だし……ちょっと大げさすぎるからねぇ。ただ虚仮威しをするには、あれほど適した船はないと思うよ。だけど今回は虚仮威しは必要ないから……そろそろ、レムニアで点検して貰った方がいいのかなぁ……」  ううむと考えたトラスティに、「悪い予感が」とマリーカは自分を抱きしめるような真似をした。 「アリエル皇帝が、また悪乗りしそうな気がするわ」 「それを否定する言葉を持っていないけど……ゴースロス以上のことができるかな?」  最新鋭技術を惜しみなく使った船を思い出し、「どうかなぁ」とトラスティは遠くを見る目をした。  そんなトラスティに、「アリエル皇帝ですよ」とマリーカは失礼な決めつけをした。 「絶対に悪乗りをしてくれるのに決まっています!」 「その決めつけは、帝国臣民としてどうかと思うよ」  不敬罪ってあったかなと考えていたトラスティに、「妻として同格です!」とマリーカは胸を張った。 「ああ、そっちの立場もあったか」  変に感心をしたトラスティに、「その通り」とマリーカは偉そうに答えた。 「なにか、マリーカを虐めたくなってきた」 「それって、洒落にならないからやめてくれません?」  鈍っていた体も、ここのところのハードトレーニングで、元通りとはいかないまでも、かなり復活しているのは確かだろ。そんなリュースに構われたら、本気で体の心配をしなくてはいけなくなってしまう。  「やめてくれる」と繰り返したマリーカに、「可愛がってあげるだけよ」とリュースは口元をニヤけさせた。 「ジークリンデ王女みたいに、ちょっと新しい世界を見せてあげようかなって」  壊れたジークリンデを思い出し、「お断りします」とマリーカは強い口調で拒絶した。 「一応僕のものだから、僕以外が壊すのはちょっとね」  遠慮してと言われ、「壊してあげます?」とリュースは聞き返した。 「それはいいけど、その時は君も一緒に壊すけどいい?」  そこで楽しそうな顔をされ、リュースは背中に冷たいものが流れるのを感じてしまった。トラスティが、カイトとは違う意味の化物だったのを思い出したのだ。 「い、今は遠慮しておくかな?」  急に尻込みをしたリュースに、トラスティは「ちぇっ」と舌打ちをしたのだった。  アコリ駆除を終えたニムレスは、神殿に顔を出す前に牛の世話を先に済ませた。ただそれは、ビッグママには不評で、「どうしてすぐに顔を出さないの」と文句を言われてしまった。 「怪我でもしたんじゃないかって心配したのよ」  本気で心配されると、流石に申し訳ない気持ちになってしまう。 「すみませんでした。先に牛の面倒を見た方がゆっくりとお話ができるのかと思いましたので」  素直に頭を下げたニムレスに、「そこまででいいわ」とビッグママは許した。 「特に、危ないことはなかったのね?」 「今日は、本当に見学だけでしたから」  その分物足りなかったのだが、一方で色々と勉強が出来たとも思っていた。その意味では、ここに降りてきてよかったと思えたぐらいだ。 「そう、だったら良いんだけど」  そう答えてから、ビッグママはポンと手を叩いた。 「今日は、あなたの夕食は用意していないからね」 「いえ、流石に食事抜きは……」  これはバツですかと困った顔をしたニムレスに、ビッグママは口元に手を当て小さく吹き出した。 「ベアトリクスさんが、夕食を奢ってくれるそうよ。前と同じお店で待ってるからって。結構思い詰めた顔をしていたからねぇ、どうなることやら」 「思い詰めた顔……ですか?」  困った顔を続けたニムレスに、「そっ」とビッグママは笑った。 「だから、無理をして帰ってこなくていいから。それから、これはお小遣いよ。宿泊代ぐらいにはなるでしょう」  そう言ってお金を手渡され、ニムレスは困った顔をしたまま目元を引きつらせた。 「なぜ、そう言う話になります?」 「女の子に恥をかかせちゃ駄目でしょ。それから、行き遅れの執念を甘く見ないように」  とても楽しそうに語るビッグママに、ニムレスは小さく息を吐きだした。 「ビッグママは、私に何をさせたいのですか?」 「引き止め工作だと思ってくれればいいわ。彼女を奥さんにしたら、ここに残る理由にはなってくれるでしょう?」  だからよと言われると、ため息しか出てくれない。 「私を送り出した……私が仕えるお方なのですが、帰還の許可をくださりました。私を送り込んだ目的が達せられた……と言うのが、そのお方の言葉です」  突然の告白に、ビッグママは慌てて立ち上がった。その拍子に椅子が倒れ、結構大きな音が部屋の中に響いた。ニムレスの言葉は、まさに青天の霹靂のようなものだったのだろう。 「そんな大切なことをっ!」 「なかなか切り出すことが出来ませんでした。それほどここでの暮らしは、私にとって心休まるものだったのです。あなたと居て、家族とはこう言うものなのかと教えて貰った気がするんです。だから「今すぐにでも」と言われても、私はそれを認めることが出来ませんでした」  本当は別の理由があるのだが、ニムレスはそのことを口にしなかった。 「そう、あなたがどこか遠くから来たと言うことは分かっていたわ。そしていつまでも、一緒にいられないと言うのも分かっていたのよ」  そこで小さく息を吐き出したビッグママは、「夢のような生活だった」とその気持を吐露した。 「あなたのような礼儀正しくて働き者で格好が良くて……そんな息子が出来た気がしていたのよ。子供達も、あなたに懐いてくれたしね。そう、あなたは元の場所に帰らなくちゃいけないのね」  倒れた椅子を引き起こし、ビッグママはゆっくりと腰を下ろした。 「こんな所に、いつまでも居て良いわ訳じゃないのは分かっているのよ」  そう口にしてから、「ごめんなさい」とビッグママは謝った。 「私達は、あなたに甘えていたのね」 「いえ、私こそビッグママ達を利用してしまったと思います。それにビッグママ達が、私の命の恩人と言うのは変わりません。その御恩に報いるのは、命令と同じぐらい私には大切なことだと思っています」  慌てて言い返したニムレスに、やはり誠実なのだとビッグママはニムレスのことを見直していた。  ただ誠実なだけに、命令と自分達との柵で苦しむことになってしまう。ニムレスが大きな使命を帯びているのなら、いつまでもこんな所で埋もれていてはいけないはずだ。 「すぐに居なくなられると流石に困るけど……もうすぐ冬だから、畑仕事は殆どなくなってくれるわ。牛の世話だけならなんとかなるから、後少しだけ帰るのを待ってくれないかしら。そうね、収穫祭が終わるまで……我儘言っているのは分かっているの。収穫祭は見ていって欲しいのよ」 「いえ、ご迷惑をかけているのは私だと思っています」  そこで息を一つ吐いたニムレスは、「楽しみにしているんです」と気持ちを吐露した。 「ぜひとも、収穫祭は見ていきたいと思っていました。アーシアの晴れ舞台と言うのなら、なおさら見ていかないとと思っています。それまでご厄介になることをお許しいただければと」  立ち上がって頭を下げたニムレスに、ビッグママも慌てて立ち上がって「こちらこそ」と頭を下げた。 「あなたが来てからの毎日、本当に夢のように楽しかったと思っているのよ」 「そう言っていただけて、心から感謝申し上げます」  もう一度頭を下げたニムレスに、こちらこそとビッグママも頭を下げ返したのだった。  アコリ駆除で残した仕事を終わらせたため、ニムレスが神殿を出るのは遅くなってしまった。当然「今日ぐらいはいいのに」とビッグママは呆れたのだが、仕事を疎かにする訳にはとニムレスが拘ったのが理由である。滞在のリミットが近いと言うのも、ニムレスが仕事を疎かにしない理由になっていた。  指定された酒場は、相変わらず人で賑わっていた。ただ獣人の女給は慣れたもので、「あちらですよ」と店の奥の方を指さしてくれた。なるほどと小さく頷いたニムレスだったが、ベアトリクスの姿を認めた所で、盛大にのけぞってしまった。別にベアトリクスが酔い潰れていたとか、格好が際どかったと言う訳ではない。偶然なのか、相席している相手が問題だったのだ。 「な、なぜ、皇が……」  そう、ベアトリクスと意気投合していたのが、どう言う訳かトラスティだったのだ。しかも彼の横には、茶髪をしたマリーカと、ちょっと目立つ水色の髪をスカーフで隠したリュースまで笑っていた。たったと言うには大事なのだが、思わず回れ右をして帰りたくなったぐらいだ。  ただ一つだけ分かっていたのは、ここで帰ることが更に問題を複雑にしてくれることだ。ゴクリとつばを一つ飲み込み、ニムレスは緊張した面持ちでベアトリクスの待つテーブルへと向かったのである。 「いつまで人を待たせるんだっ!」  すでに酔っているのか、ベアトリクスの言葉遣いはぞんざいなものになっていた。そこでの問題は、3人が彼女から見えない所で口元を歪めていたことだ。いまさら言うまでもなく、この状況を楽しんでくれている。 「い、いや、仕事を投げ出す訳にはいかんからな」  緊張しまくって答えたニムレスに、「ビッグママに聞いたぞぉ」とベアトリクスは更に管を巻いた。 「今日は、早くいかせるとな」  だから仕事と言うのは理由にならない。そう絡んできたベアトリクスに、どうしたものかとニムレスは悩んでしまった。  これでトラスティ達が居なければ、さほど悩まずに答えることが出来ただろう。だがどう見ても、混ぜっ返す気でいるのが分かってしまう。  さてどう答えたものかと詰まった所で、なぜかトラスティが仲裁に入ってくれた。 「まあまあ、あなたは真面目な彼が良いと思っているんでしょう? 責任感が強いから、中途半端にしておけなかっただけのことですよ」  その代りと、トラスティは悪魔の囁きをした。 「今晩は、帰さなければ良いんですよ」 「かかかか、帰さないってっ!」  途端に顔を真赤にしたベアトリクスに、「そのままの意味ですよ」とトラスティは囁いた。  お陰で頭から湯気を出したのだが、とりあえず沈没までには至らなかった。ただとても冷静ではいられないのは確かだろう。恥ずかしさを誤魔化すように、「飲め」とニムレスに酒を勧めてくれた。  その勧めで酒を口につけた所で、「僕たちはこれで」と言ってトラスティ達は立ち上がった。そして近づいてきた獣人の女給に、多めの金貨を渡していた。一体どこで手に入れたのか、そんな物があるなら欲しかったと言うのがニムレスの正直な気持ちだった。 「とりあえず、多めに渡しておきましたからね。余ったら、この後に使ってください」  そこで獣人の女給にウィンクをしたのは、話がついていると言う意味なのだろう。  勘弁してくださいと目元を寄せたニムレスに、トラスティは「お邪魔したね」と軽く肩を叩いてくれた。 「2、3人ぐらいなら連れて帰っていいからね」  しかも、こんなことを耳元で囁いてくれるのだ。ただ彼の立場で、皇に向かって文句を言う訳にもいかない。できることと言えば、盛大に顔をひきつらせることだけだった。  しかも近づいてきた獣人の女給は、「宿は取っておきました」と余計なことまで言ってくれた。  一方目の前では、すでにベアトリクスがテーブルに突っ伏していた。進退窮まったかと天を仰いだニムレスは、とりあえず腹の虫を黙らせることにした。 「酒とつまみ……肉だな。適当に見繕って持ってきてくれ」 「デザートはいりませんよね」  意味深な笑みを浮かべる獣人の女給に、「そうだな」とニムレスは投げやりな答えを口にしたのだった。  翌朝暗いうちに目覚めたニムレスは、左側にある柔らかな感触に盛大なため息を吐いた。結果的に流されたことになるのだが、意外に自分がスッキリとしているのに気づいてしまったのだ。しかも今までの性行為では感じたことのない、相手に対する愛しさも感じている。そのお陰で、トラスティに文句を言えなくなってしまった。  しかも毎日の仕事をしようとベッドを出たら、脇のテーブルにメモ書きを見つけてしまった。そこには見慣れたビッグママの筆跡で、「お昼までに帰ってくればいい」と書かれていた。そしてそれ以上の大きさで、「仕事の心配はいらないよ」とトラスティの筆跡で書かれていた。 「皇よ、あなたは何がしたいのです……」  大仰にニムレスが嘆いた所で、ベッドの中でベアトリクスが寝返りを打ってくれた。その際覗いた豊かな胸に、ムラムラとする気持ちまで湧いてきてくれた。一線を越えたと言うのが、心理的なブレーキを外してくれたのだろう。だからニムレスは、素直に感情に従うことにした。 「……こんなことで、本当に良いのだろうか?」  そう自問をしながら、ニムレスはベッドへと戻っていった。  その頃神殿の農場では、なぜかトラスティが牛の世話をしていた。ただトラスティ一人と言う訳にはいかず、隣にはアーシアが付き添いで居てくれた。そのあたり、昨夜訪れた時に話が付けられていたのだ。  昨夜ニムレスと別れたトラスティは、その足で神殿を訪問した。そして「お礼」と言う名目で、袋いっぱいの金貨を神殿への寄進として差し出した。 「……こんなに?」  驚くビッグママに、「お礼の気持ですよ」とトラスティは笑った。 「彼は強いことは強いのですが、色々と問題を抱えていたんです。だから試練と言うことでこの町に置き去りにしたのですが……思ったより、生活力がなかったようです。ですから、あなた達に助けていただいて感謝をしているのですよ」  その気持だと繰り返したトラスティに、ビッグママは大いに恐縮した。 「ニムレスさんには、私達も助けていただいています。ご覧の通り貧乏神殿ですから、毎日の生活にも汲々としていました。農場とかもあるのですが、周りの人たちに助けていただいているのですが、それにも限界がありました。ですがニムレスさんのお陰で、牛達も元気になりましたし、作物もしっかりと収穫できたんです。それに子供達も、いいお兄さんができたと喜んでいるんですよ」  ビッグママの賛辞に、トラスティは大きく頷いた。 「彼にも、いい経験になったのかと思います。それを考えたら、この程度のお礼では足りないと言う気がしてきました」  「ただ」とトラスティは、少しだけ厳し顔をした。 「すでに彼の口からお聞き及びかと思いますが、彼はここの人間ではありません。かのコレクアトルと同じように、星の世界からやってきた者なんです。残念ながら、さほど長居をすることができないんです」  トラスティの言葉に、ビッグママは唇をぎゅっと噛んで頷いた。 「そのお話は、ニムレスさんから伺っています。ただ、アーシアの晴れ舞台を見ていって欲しい。あと9日後のことなのですが、それをお願いさせていただきました」 「9日後ですか。それぐらいなら問題はありませんが……」  そこで首を巡らせたトラスティは、「出ておいで」と二階へと声を掛けた。 「今から、君にとって大切な話をすることになる。そうだね、成人してからの身の振り方と言えばいいかな」  そこまで口にしてから、もう一度「出ておいで」とトラスティは優しく声を掛けた。  そして声を掛けてからしばらくして、アーシアが薄い上着を羽織って現れた。その時のアーシアは、イタズラを叱られたかのようにしっかりと萎れていた。 「ビッグママに伺いますが、成人後彼女はどうされる予定ですか?」  9日後に成人のお披露目をすることを考えたら、その質問は避けては通れないものだった。  そこでアーシアの顔を見てから、「まだ決まっていません」とビッグママは答えた。 「この子の希望が第一なのですが……何もなければ司祭見習いとして働いて貰ってから、中央の神殿に修行に出すことも考えています」  ビッグママの話に、アーシアはぎゅっと体を小さくした。  そんなアーシアに、「君はどうしたい?」とトラスティは尋ねた。ただその問い掛けに、アーシアから答えはなかった。 「君のニムレスに対する気持ちは理解しているつもりだよ。ただ、その気持を表に出さない限り、けして叶うことはないものなんだよ」  それぐらいは分かるかなと問われたのだが、それでもアーシアから答えはなかった。 「ニムレスは、今夜ベアトリクスさんだったかな、彼女を抱くことになるのだろうね。ちなみに、ここに連れてくる前のニムレスは、相手の女性に困ることはなかったんだ。何しろとても高い地位に居たから、本当に選り取り見取りの状況だったんだよ。その女性達と同じになるのか、それとも特別な存在になるのかは、ベアトリクスさん次第だと僕は思っているんだ。そしてその事情は、君も同じだと思っているんだよ」  それでも顔を上げないアーシアに、「一つ提案」とトラスティはビッグママの顔を見た。 「彼女が成人をしたら、身柄を僕に預けてもらえませんか? 彼女には、もっと広い世界で多くのことを見て貰いたいと思っているんです」 「あなたに、アーシアを預けろと!?」  驚くビッグママに、「ええ」とトラスティは頷いた。 「その気になれば、あなたや男の子達も保護できますよ。それぐらいの権力と財力ぐらいはありますからね。ただその時は、僕達と一緒に遠く星の世界に来て貰いますけどね」  いかがですと問われたビッグママは、すぐに答えを口にすることはできなかった。 「まあ、いきなりこんな事を言われて、すぐに答えられないことぐらいは理解していますよ。だから答えを急かすつもりはありません。そうですね、収穫祭……でしたか。その時に答えを聞かせてくだされば結構です。収穫祭が終わったら、僕はニムレスを連れてこの星を離れるつもりですからね」 「そこまでに、答えを決めろと言うのですね?」  噛みしめるように口にしたビッグママに、そうですねとトラスティは返した。 「もちろん、付いてこないと言う答えがあってもいいと思っています。自分が生まれ育った場所を離れたくないと言う気持ちは十分理解できますからね。その時は、これからの身の振り方について相談に乗れるかと思いますよ」 「そこまでしていただいて宜しいのでしょうか?」  ニムレスを助けたことは確かだが、そこから先は彼の好意に甘えてタダ働きをさせていたのだ。それを考えれば、面倒を見てくれると言うのは過分なお礼に違いない。  それを気にしたビッグママに、当然のことですよとトラスティは答えた。 「それは、彼の命を救ってくれたからと言うことではありません。あなた達は、もう彼の家族なんですよ。その家族の面倒を見ると言うのは、彼の主として当然のことだと思っています」  いかがですかと問われ、ビッグママは「考えさせてください」と繰り返すことになった。 「確かに、とてもありがたいお話だと思っています。私はともかく、身寄りのないアーシアやあの子達にとって、とてもいいお話と言うのは分かっているんです。ただ、もう少しだけ考える時間をいただけないでしょうか?」 「先程、収穫祭までお待ちしますと言いましたよね。ですから、そこまでにお答えいただければ結構です」  そこまで話をしてから、「一つお願いがあります」と言ってトラスティは1枚の。紙を取り出した。 「ベアトリクスさんのためにも、彼には少しだけ時間を上げたいと思っているんです。彼に、「お昼までに返ってくればいい」と言うメッセージを書いて貰えますか?」 「それは構いませんが……どなたが届けていただけるのでしょうか?」  どこからか取り出された紙にメッセージを書いたビッグママは、配達方法を質問した。  そして受け取ったメッセージに、それ以上の大きさで「仕事の心配はいらないよ」と書き込み、ご心配なくとトラスティは笑った。そして取り出したときと同じように、まるで魔法のように持っていた紙はどこかに消えていた。 「さて、男の子達を仲間外れにするのは可愛そうだね」  そう言って笑ったトラスティは、「出ておいで」ともう一度階段の方へ声を掛けた。 「出てくれば、美味しいお菓子を食べさせてあげるし、とてもおもしろい話を聞かせてあげるよ」  それからと、トラスティはとても大切な条件を付け加えた。 「ビッグママには、僕から謝っておいてあげるからね」  だから出ておいでと呼ばれ、男の子3人はきまり悪そうにダイニングに現れてくれた。 「さて、約束通り美味しいお菓子を食べさせてあげよう」  メイプルさんとのトラスティの声に、「ただいま」とキッチンの方から声が聞こえてきた。そしてビッグママとアーシアが「いつの間に」と驚く中、メイプルがかごいっぱいの焼き菓子とゼリーを持って出てきた。もちろんメイプルは、いつものエプロン姿をしての登場である。  見たこともない、そしていい匂いのするお菓子に、男の子だけでなくアーシアも歓声を上げたのだった。  そしてペテン師の呼び名通り、トラスティは巧みな話術で男の子達だけでなく、アーシアも誑し込んだのである。  その結果が、翌朝のお仕事と言うことになる。作業に不慣れなトラスティを、アーシアが手伝ってくれたのだ。 「ニムレスは、毎日こんなことをしていたのだね」  ふうっと汗を拭ったトラスティに、アーシアは頬を染めながら頷いた。軽く息が弾んでいるのは、彼女にしても慣れない仕事と言うのが理由なのだろう。 「それで、君は収穫祭の準備は進んでいるのかな?」 「その、今練習しているところなんです。ただ、心が込められていないって……」  恥ずかしそうにするアーシアに、なるほどとカイトが転んだ理由が分かった気がした。一度ライスフィールで経験しているのだが、成熟した女性とは違う魅力が感じられたのだ。 「そう言えば、アーコやフリーセアもそう言うところがあったかな?」  それはいいと妄想を振り払ったトラスティは、どんな踊りなんだいとアーシアに尋ねた。 「その、秋の実りを豊穣神様にお礼を捧げる踊りなんです……ただ、ちょっとエッチな踊りになっているんです。その、格好は下着の上に、切れ込みの大きな衣装を着るだけで」  顔を真っ赤にしたアーシアは、「少しも隠していないんです」と答えた。 「豊穣神様の教えは、「産めよ増やせよ地に満ちよ」ですから、殿方をその気にさせないといけなくて」  「ですので」と視線を宙に彷徨わせながら、「よく分からないんです」とアーシアは答えた。  その話を聞きながら、似たような話を聞いたなとアスの神殿のことを思い出していた。あちらは明確にIotUを対象としているが、こちらはそのあたりどうなっているのかと考えてしまった。 「恋をしたことはあるのかな?」 「その、恋と言うのも、よく分からないんです。あまり、周りに男の方はいらっしゃいませんでしたし……」  消え入りそうな声で答えたアーシアに、トラスティの中でむくむくと嗜虐心が育ってきた。ただそれ以上の理性を働かせ、トラスティは分かりやすい例を挙げた。 「その人のことを考えたら、胸が熱くなるとか、ほかのことが考えられなくなるとか……まあ、ほかにもあるんだけどね。そんな経験はしたことがないのかな?」  どうかなとトワレアーシアは恥ずかしそうに「あります」と答えた。それが誰のことか分かっていたが、あえて尋ねることはせずに、「だったら」と新たなアドバイスをすることにした。 「踊る時に、その人のことを考えながら踊ってごらん。その人に自分をどう見てもらいたいのか、その人とどう言うことがしたいのか。それを強く思うだけで、踊りは全然違ったものになるんだよ。「心を込めて」と言っても分かりにくいけど、踊りで自分の気持ちを表すことなんだよ」 「自分の気持ち……ですけど」  そこで口ごもったのは、ニムレスが誰といるのかを理解しているからなのだろう。そしてベアトリクスと自分を比べ、比較にならないと理解をしているというのも理由に違いない。  ただそんなアーシアに、「他人のことは関係ないと思うよ」とトラスティはアドバイスをした。 「大切なのは、君がどんな思いを抱いているのかということだよ」 「私が……ですか?」  顔を上げたアーシアに、「君がだよ」とトラスティは断言した。 「ニムレスのことが好きなんだろう? ずっと一緒にいたいと思っているんじゃないのかな?」  そうだよねと問われ、アーシアはしっかりと頷いた。それを「いい子だ」と褒めてあげようとしたのだが、泥だらけの手にトラスティは直前で思いとどまった。そして持ち上げた右手をさりげなく隠し、「その気持ちを込めればいい」とアドバイスを与えた。 「でも、迷惑に思われるのでは……」  ニムレスの気持ちを考えたアーシアに、「どうして?」とトラスティは聞き返した。 「その、私みたいな女の子が勝手に舞い上がって……」 「ニムレスは、君に迷惑だと言ったことがあったかな?」  違うだろうと問われ、アーシアは少しだけ考えた。 「いえ、そんなことはありません」 「だったら、少しも心配する必要はないと思うよ」  にっこりと笑ったトラスティは、「君は可愛いと思うよ」と教えた。 「スタイルとかは、まだまだこれからのものなんだよ。そして努力をすれば、もっと魅力的になることができるんだ。だから君は、今の君を、今だけの君をニムレスに見てもらえばいいんだよ」 「今だけの、私……ですか?」  自分に言い聞かせるようにしたアーシアに、「今だけの君だよ」とトラスティは繰り返した。 「こんなに可愛らしいんだから、それを教えてあげないとニムレスが可哀想だ」 「私が、可愛いんですか?」  自分の目を見たアーシアに、「ああ、君は可愛らしいよ」とトラスティは繰り返した。まるで言霊が紡がれたように、トラスティの前でアーシアは本当に可愛らしく変貌を始めていた。 「君は、自分がどうすればいいのか分かったんだろう?」  違うのかと問われたアーシアは、「まだ自信はありませんが」とトラスティの顔を見た。 「お祭りの日までには、間に合わせて見せます」  はっきりと答えたアーシアに、それでいいんだとトラスティは頷いたのである。  朝帰りと言うよりお昼帰りとなったニムレスは、恐る恐る神殿へと入っていった。ただビビって帰った割に、あまりにも神殿の様子は普通すぎた。  しかも帰ってきたニムレスを見て、ビッグママは「早かったのね」とまで言ってくれたのだ。目をパチパチと瞬かせたニムレスは、「いや」と神殿の仕事のことを持ち出した。 「牛舎の清掃や堆肥の作業がありますから」  だからだと答えたニムレスに、ビッグママはあっさりと「終わってるわよ」と答えた。 「終わっている……のですか?」 「ええ、確かトラスティさんって言ったかしら。そのトラスティさんと子供達が一緒になって、午前中に終わらせてくれたわ。あなたほど丁寧では無いのかもしれないけど、形になっているからいいんじゃないの?」  その程度とビッグママは笑ってくれたが、ニムレスにしてみればそれどころの話ではなかった。よりにもよって、自分が仕える皇に野良仕事をさせてしまったのだ。しかもその間、自分は女との情事を楽しんでいたのである。臣下としては、万死に値する行為とも言えた。 「と、トラスティ様が、お出でになられたのですかっ!」  ひっくり返るほど驚いたニムレスに、「楽しい人ね」とビッグママは笑った。 「子供達が懐いちゃってね。そう言えばアーシアも懐いていたような……だから今は、一緒にお買い物に行ってるわ。収穫祭で使う、アーシアの衣装を探しに行っているのよ」 「トラスティ様がお出でになられたのですか……」  そこでこめかみを押さえたニムレスに、「どうしたの?」とビッグママは顔を覗き込んできた。 「あの方こそ、私がお仕えする主なのです」  それなのにとため息を吐いたニムレスに、「知っているわよ」とビッグママはあっさりとしたものだった。 「あなたが、もうすぐ帰らなくちゃいけないことも教えて貰ったわ。その時はどうするのかって聞かれているし。それにね、もの凄く沢山の寄付を頂いてしまったのよ」  凄いんだからと喜ぶビッグママに、「どうするのか?」の部分にニムレスは食いついた。 「どうするのかと言うのはどう言うことなのですか?」 「分かりにくい質問ね」  そう言って笑ったビッグママは、「私達の身の振り方よ」と答えた。 「私達も、一緒に付いていくのかを決めて欲しいって」 「皇がそのようなことを仰られたのですかっ!」  驚いたニムレスに、「ええ」とビッグママは笑った。 「ところで王って言ったけど、それって王様のこと?」 「い、いえ、確かにあの方は王様もされているのですが……私が言ったのは、皇帝と言う意味なのです」  ニムレスの答えに、「ふ〜ん」とビッグママの反応は軽いものだった。 「そんなに偉そうな人には見えなかったんだけど。子供達と一緒に、牛の糞に塗れていたわよ」  偉そうに見えないと繰り返すビッグママに、ニムレスは右手で顔のあたりを覆った。 「どうしたの?」  ちょっと心配になったビッグママに、「いえ」とニムレスは小さく首を振った。 「あの方が、どう言うお方か忘れていたのを思い出したのです。そうしたら、なにか頭が痛くなってきて」  ああっと声を出したニムレスに、「ところで」とビッグママは口元を歪めた。 「ベアトリクスさんはどうだった?」  「白状しろ色男」と迫ったビッグママに、「それどころでないのに」とニムレスは考えていた。ただ逃がして貰えそうもないと諦め、「可愛らしかった」とニムレスは素直に答えた。 「とても新鮮な気持ちになれた……ような気がします」 「今までの女性と比べたら?」  そんなことまで話していたのか。どうしてくれると文句を言いたいところなのだが、たとえ文句を言ったとしても、それ以上の屁理屈を返されるのは分かりきったことだった。 「新鮮な気持ちになれた……と言うのが答えだと思います」 「じゃあ、ちゃんとできたってことね。良かったわ。ちょっと心配していたのよね……あなたじゃなくて、ベアトリクスさんのことなんだけどね」  もう一度良かったと口にしたビッグママは、「優しくしてあげて」とニムレスにお願いをした。 「あの子は、ものすごく不器用だから……でも、本当に心が綺麗で優しい子なのよ。それに、結構辛い立場にもある子だから……」 「辛い立場……行き遅れと言われること、ですか?」  まわりから散々聞かされた話を持ち出したニムレスに、「違うわよ」とビッグママは返した。 「貰い手の無い3女なんて、実家にしてみれば厄介者なのよ。そして嫁がせるなら嫁がせるで、持参金とかが必要になるのよ。2人までならまだしも、3人になると持参金だけでも大変な負担になるわ。だから守護騎士団とかで遊ばせておいた方が、負担ならよほど軽いのよ。しかも守護騎士とか言っているけど、そう言った方面はからっきし駄目なのよ」 「よく、ご存知なのですね……」  ニムレスの問に、「ええ」とビッグママは頷いた。 「小さい頃から、しょっちゅう神殿に顔を出していたもの。何度帰りたくないって聞かされたことか……」  だからと教えられ、ニムレスは思わず難しい顔をしてしまった。 「みんな、それぞれの事情を抱えて、それでも頑張って生きてきたの」  だから幸せにしてあげて欲しい。ビッグママは、ニムレスにベアトリクスのことをお願いしたのである。  シャノンに内政を押し付けたラクエルは、トランケッチ星系の惑星フリートへと向かっていた。表向きの目的は、フリート政府との政治的統合の相談である。そして真の目的は、コレクアトルが遺した守護獣システムの光の聖獣ピッツを確保することだった  ただ表向きとは言え、フリート政府との話し合いを「なあなあ」で済ませるつもりはなかった。1星系あたり6隻保有している宇宙船の扱いを、今後どうしていくつもりなのか。その考えを質すつもりだったのだ。 「オハイオ、あちらはなんと言ってきているのかしら?」  公式の場では、彼女の長い黒髪は、結い上げられて頭の上で団子にされていた。そのお団子を宝石で飾ることで、代表夫人らしい格式を出していたのである。  ただ、普段は「面倒」の一言で、ストレートにまとめられていた。ちなみに綺麗なストレートヘアーも、維持するのが面倒だから、隙を窺って切ってやろうと思っていたりした。ただいまだに切れずにいるのは、夫のシャノンが黒髪ロングフェチと言うのが理由だった 「いずこも同じで、おいでをお待ちしておりますと言うものです」  そして歓迎の式典を行い、細かな話は総論賛成で終わるのがこれまでの常だった。  ただ真の目的が他にあったので、シャノンは会談内容には拘っていないだけのことだった。ただラクエルは、そのままで済ませるつもりはなかった。 「では、どうやって追い詰めてあげましょうかね?」  ふふと楽しそうにしたラクエルに、「お手柔らかに」とオハイオは釘を刺した。 「あら、私としては決裂しても困らないのだけど?」 「せめて、光の聖獣が手に入るまではご自重いただければと」  これまでの方針を持ち出したオハイオに、「つまらないわね」とラクエルは零した。 「指揮系統をつぶしてあげれば、フリートぐらい簡単に制圧できるでしょう?」 「さほど難しくないのは確かですが、それなりに時間が掛かることも確かなのです。その場合、様子見をしている奴らが何をするのか。これを好機とボルを攻撃してくる可能性が出てきます」  ご自重をと繰り返されたラクエルは、「分かっているわ」と頬を膨らませて頬杖をついた。 「今回は、おとなしくピッツだけで我慢しておくわよ」  ふうっと息を吐いたラクエルは、ピッツの保有者の顔写真を投影した。 「結構幼いけど、将来性のある可愛い子なのにね。星人の血を受け継いだがために、面倒を抱え込むことになってしまったのね。まあ、人のことは言えないんだけど……せめて、苦しむ時間が短くなるようにしてあげて」 「バルゴンが、配下の4人とともに潜入しております。奴ならば、痛みを感じる間もなく命を絶ってくれるでしょう」  オハイオの言葉に頷いたラクエルは、物憂げに頬杖をついて前方を見つめた。 「もしかしたら、宇宙に出る技術なんかない方が平穏だったのかしらねぇ」 「我々が、いつまでも同じところに留まっていられるのならそうなのでしょう」  オハイオの答えに、「そうよね」とラクエルはため息を返した。 「そして宇宙に出なければ出ないで、別の悩みを持つだけではないでしょうか」  その決めつけもまた、否定のできないことだったのだ。もう一度ため息をついたラクエルは、「損な役割だ」とぼやいた。 「普通の女の子に生まれていたら、違った道があったのに」 「その時は、ラクエル様が狙われる立場になられていたのかと」  オハイオの答えに、ラクエルはもう一度不満げに頬を膨らませた。 「つまり、やるしかないと言うことね」  いくらぼやいても、結局今を変えることなどできないのだ。そんなことは、シャノンと旗揚げをした時から分かっていたことだった。  警戒のために出てきたフリートの船に、「おんぼろ」とラクエルは悪態を吐いたのだった。  関係を持った翌日……正確には、ニムレスが昼帰りをした日には、ベアトリクスは神殿に顔を出さなかった。それに安堵したニムレスだったが、帰ってきたアーシアにそれが甘かったことをすぐに思い知らされた。 「トラスティ様と一緒ではなかったのか?」  夕食の時に出てきたアーシアに、ニムレスは要注意人物のことを確認した。いくら守られているとは言え、皇帝がのこのこ出歩いていていいものではない。  ただ「あの人なら」と頬を染めたアーシアは、今までとは違う艶っぽい視線をニムレスに向けてくれた。その視線に、ニムレスは少しだけ電気が背筋に走った気がした。 「ニムレス様に顔を合わせる訳にはいかないと。神殿の入り口でお別れしました」  そう答えたアーシアは、ニムレスの前に肉の入ったシチューを置いて行った。その中身を見て、ニムレスは首を傾げることになった。 「肉など、どうやって手に入れたのだ?」  貧乏所帯の神殿なのだから、先日イノシシ肉を貰ったのが、本当に久しぶりの肉だったのだ。収穫祭前の物入りの時期だと考えれば、こんな贅沢をできるとは思えなかった。  ただ誰も、ニムレスの疑問には答えてくれなかった。どう言う訳か、ニムレスが食事をする間、誰一人として食堂に姿を現さなかったのである。そのせいで一人黙々と夕食をとったニムレスは、「御馳走様」と声を掛けて自分の部屋に戻ることになった 「……なんなのだ、これは?」  ただいくら疑問に感じても、答えてくれる人がいなければ意味のないことになる。そしてよくよく考えてみたら、夕食が一人になるのは、特に珍しいことでないのに気づいてしまった。たまにビッグママが話し相手になってはくれるが、それも忙しくなければと言う条件があった時だけのことだった。  解けない問題を抱えたまま、ニムレスは明日の準備をしてベッドに入ったのである。  そして翌朝、いつものように夜が明ける前に目覚めたニムレスは、前日さぼった肉体の鍛錬から始めることにした。軽く体を慣らしてから、まだ薄暗い山の中を全力で疾走するのである。こうして体を動かしていると、いつもの日常が戻ってきた気がして気持ちも楽になった。  ただこの日がいつもと違ったのは、枝に何度か顔をぶつけたことだった。しかも足をとられてつんのめったところに、なぜか太めの枝が垂れていると言う偶然まで重なってしまった。そこでしこたま鼻を打ったニムレスは、「どうしたのだ」と自分を叱咤することになった。たった一日さぼっただけで、ここまで集中力が落ちるのは不甲斐ないとしか言いようがなかったのだ。  だがいくら自分を叱っても、今日に限っては枝の攻撃から逃げ切ることはできなかった。その後も何度か枝に顔をぶつけたので、走り終わったときには顔が傷だらけになっていた。 「やはり、女にうつつを抜かしていたのがだめだったのだ」  精進が足りないと総括をしてから、ニムレスは水浴びをするため牛舎の方へと向かった。さすがに空気が冷たくなってきていていたのだが、たるんだ気持ちを引き締めるには冷たい水を浴びるべきだと考えたのである。  そこで冷たい水を普段の倍程かぶったニムレスは、牛達を牧場に放してから一度部屋に戻って身支度を整えた。午前の予定は、残っている野菜の収穫と収穫が終わった畑の手入れである。日々増えていく堆肥を撒くのも、仕事の一つになっていた。 「そう言えば、柵を見直さないといけないな……」  トラスティからは、この町がアコリに襲撃されることを聞かされていた。しかも神殿の人達も、そのアコリに殺される未来があると言う。自分が残ることで未来は変えられるが、大虐殺までは防げないと言われたのだ。ならば自分にできるのは、少しでも被害を減らすことだと考えたのである。  神殿に関して言えば、侵入経路を遮断してやることだろう。アコリ駆除で相手の実体も見えたので、より具体的な対策が行えるはずだと考えたのである。農場や牧場を囲む柵にしても、隙間を埋めることとよじ登れない対策をしてやる必要があった。 「……結構、やることがあるな」  少しだけ思索に耽ったニムレスだったが、それで作業を遅らせていいわけではない。ぱんと軽く頬を叩いてから、畑仕事から始めることにした。一つ一つの仕事を疎かにせず、その上で自分にできることをしていかなければいけない。  頭の中でいくつかスケジュールを立ててから、ニムレスは部屋を出ていったのだった。  そんなニムレスの行動は、全てトラスティ達に観察されていた。楽しくちょっかいを掛けたリュースは、「真面目なんですね」とニムレスを評した。 「ああ、10剣聖は全員愚直なまでに真面目な者達だよ」  それを肯定したトラスティに、「肉欲に満ちてくれると思ったのに」とリュースは口元を歪めた。 「でも、それってニムレスさんらしくないと思いませんか? あとベアトリクスさんでしたっけ、あの人もそんなタイプに見えませんね。多分ですけど、恥ずかしくてニムレスさんの顔が見られないんじゃありませんか?」  分かるわぁと声を上げたマリーカに、「えっ」とリュースは信じられないものを見る顔をした。そんなリュースに、マリーカはすぐさま文句を言った。 「前も言いましたけど、それって驚かれることですか……どうして、トラスティさんまで驚くんです?」  ぷんぷんと頬を膨らませたマリーカに、「本当にそうだったかと疑問に感じたんだよ」とトラスティは言い返した。 「すっごく恥ずかしかったのは本当ですよ!」  酷いなぁと文句を言ったマリーカに、「誰も信じちゃいないよ」とリュースは笑った。 「そんなことより、この町の人を見殺しにするんですか?」  そう言いましたよねとのリュースに、「その時なんて言ったかな?」とトラスティは聞き返した。 「その時って、ニムレスとの話ですよね……」  ううむとリュースが考えた時、「それって」とマリーカが声を上げた。 「ニムレスさんが、トラスティさんに町の人が殺されることに文句を言ったときのこと?」 「あの時って、確か傍観者だって言っていたような……」  ううむと考えたリュースは、「ああ」と声を上げて手を叩いた。 「もう、傍観者じゃなくなったってことですね」  なるほどと頷いたリュースは、「で、どうするんです?」と対策を質問した。 「君に働いて貰うことになるんだけどね。やっぱり主役はニムレスだと思っているよ。彼には、もう少し頭を使って貰いたいんだ。今のままだと、10剣聖の下っ端止まりだからね」 「10剣聖の下っ端って……」  面白い表現だと笑ったリュースは、「でも分かるかな」とトラスティ答えに理解を示した。 「筆頭になるには、力だけじゃだめだと言うんでしょ?」 「10剣聖筆頭は、皇を補佐する役目も負うからね。ただの脳筋じゃ困るんだよ」  その程度と笑ったトラスティは、「あの町はいい」と一先ずニムレスのことから離れることにした。 「この騒動の黒幕が誰なのか。そして何を目的にしているかを調べる必要があるんだ」  それからと、トラスティはライスフィールを呼び寄せることを二人に伝えた。 「そのあたりはトラスティさんの裁量だと思うんですけど……でも、どうしてライスフィールさんを? それに、王妃様まで連れてきて大丈夫なんですか」 「ヘルクレズとガッズも考えているんだけどね。ライスフィールには、この恒星群についてちょっと調べて貰いたいことがあるんだよ」 「なんで、ライスフィールさんに?」  首を傾げたマリーカに、「ちょっと変なんだ」とトラスティは理由を口にした。 「あのアコリだったかな。明らかに、普通の生物とは違っているんだよ。それに、発生の仕方がどう見てもおかしい。感覚の鋭敏なライスフィールなら、その手の分析に打って付けなんだ」 「ヘルクレズさんとガッズさんは?」  いかにも強そうな二人を思い浮かべたマリーカに、「ご褒美」とトラスティは笑った。 「たまには、外の世界に連れ出してあげないとね。後はそうだなぁ、この世界に連れてきても違和感が無いってところかな。リュースに機人装備で出てもらっても良かったんだけど、彼らの方が分かりやすいかなって考えたんだ」 「やっぱりトラスティさんって、世話焼きだったんですね」  そう言って笑ったマリーカに、「ペテン師だから」とトラスティは笑った。 「後は、気を使うところが増えすぎたってとこかなぁ」  ううむと考えたトラスティに、「やっぱり世話焼きだ」とマリーカは笑った。 「でも、ライスフィールさんはミラクルブラッドの供給源でしたね。だとしたら、私達ももっと大切にしてあげないといけないんですよね」 「なにか、私もミラクルブラッドが欲しくなったわ」  「くれます?」と顔を見られたトラスティは、「どうだろうね」と答えをはぐらかせた。 「素材さえあれば、作ることはさほど難しくないんだ。ただちょっと、調整が必要になるんだけどね。それにしても、普段していることと大差は無いからねぇ。ただその素材が、ライスフィールの魔法頼りになっているんだ。とりあえず一通り配ったから、もう予備は無いと思うしね」 「なるほど、ライスフィール王妃にお願いをする必要があるわけだ……」  そこで指を鳴らしたリュースに、「脅しはしないように」とトラスティは真剣に注意をした。 「さもないと、ヘルクレズとガッズの二人を相手にすることになるからね」  庇いきれないからと言われ、「それは嫌かも」とリュースは作戦を考えることにした。  効果的に町を滅ぼすためには、事前の確認が重要となってくる。小人の男を連れた竜人達は、収穫祭の5日前に再度町へとやってきた。そして時間をずらして、山から神殿の様子を伺った。 「柵が、前よりも頑丈になっていますね」  自分よりも背の高いを柵を見上げ、小人の男は「嫌だねぇ」と呟いた。 「これじゃあ、チビ達じゃ超えることはできませんぜ」 「だから、別ルートを使うと前回聞いた気がするが?」  バルゴンの問いに、「そのつもりですがね」と小人の男は答えた。 「なんで、こんな頑丈な柵を作る気になったのか。それが気になっただけですよ。こんな頑丈な柵は、牛やイノシシ相手にゃあ必要ありませんぜ」  その疑問に、なるほどなとバルゴンは頷いた。 「だが神殿の正面の柵は、素通しと言っていいものになっているぞ。それを考えれば、頑丈になってしまった程度と考えれば良いのではないか?」 「なんかねぇ、気になりだすといろんなことが気になっちまうんですよ」  心配性なんでと、小人の男は竜人5人に向かって笑ってみせた。 「この町の奴らは、アコリ駆除をして安心してるでしょうからね。同じところから、大群が押し寄せてくるとは考えても居ないでしょうな」  そう言って笑った小人の男は、「とっておきもあるんですぜ」と声を潜めた。 「旦那達とやりあえるぐらいの化物も用意させていただきやした」 「ほほう、我らとか!」  驚いたバルゴンに、「とっておきですから」と小人の男は自慢げに答えた。 「背の丈は2mを超える化物ですよ。しかもチビどもと同じで、一回や二回殺したぐらいじゃ死にゃしませんし、そもそも殺すのも大変って代物でさぁ。いつか天敵にやり返してやろうと思って、用意を始めていたんですよ」 「なるほど、それは心強いな」  ぎりぎりと口元で音を立てたバルゴンは、「我らとどちらが強い」と小人の男に問うた。 「いい勝負になるとわたしゃ思っているんですけどね」 「ふん、我らに気を使ったか」  まあ良いと笑ったバルゴンは、配下の4人に引き上げることを告げた。殺戮は宴の後と決めているので、それまでは収穫祭の盛り上がりを楽しもうと言うのである。本祭まで5日あるのだが、町には幾つもの屋台が店を広げていたのだ。 「胸糞の悪い仕事も、これで終いになるのだろうからな」  だから今は、気持ちよく騒ぐことにする。バルゴンの言葉に、残りの4人も「おう」と嬉しそうに答えたのだった。  収穫祭が間近になったので、町の有志が集まり神殿の横に舞台が作られた。6m四方程度の小さな舞台には、4隅に篝火を炊くための台が置かれていた。  この舞台を使って、収穫祭の日には楽団が軽快な音楽を流すことになっていた。そして祭りの締めに、神殿の巫女が豊穣神に捧げる踊りを行う。例年は中央から舞手を招いていたのだが、今年は成人をするアーシアが舞手になることになっていた。 「アーシアちゃんが、おとなになるんだねぇ」  とか 「どんな踊りになるのか楽しみだねぇ」  と言うのが、小さな頃からアーシアを知っている町の人々の評判となっていた。ただ一部の男性からは、アーシアでは色気に欠けると、中央から派遣されないことを惜しむ声も出ていたりした。  そして祭りを締めくくる大役を担ったアーシアは、ビッグママの指導の元練習に勤しんでいた。 「ずいぶんと良くなったわね。うんうん、気持ちが籠もるようになったわ」  何度も頷いたビッグママは、「自信がついた?」とアーシアに尋ねた。 「自信は、付いていませんけど……」  小さな声で答えたアーシアは、「トラスティさんに言われました」と続けた。 「今の自分を見て貰なさいって……自分がどうしたいのか、どう思って欲しいのか、それを考えながら踊りなさいって」  だからですと答えたアーシアに、ビッグママはなるほどと頷いた。 「それはとてもいいアドバイスね。だったら、もっとニムレスさんのことを思って踊らないとね」 「その、一度もニムレスさんのことなんて言っていないんですけど……」  そこまでするかと言いたくなるほど顔を赤くしたアーシアに、ビッグママは「はいはい」と笑った。 「私が、何も知らないとでも思っているの? アーシアが普段何をしているのか、ここで口に出して良いのかしら?」  どうなのと問われ、アーシアは「だ、だめです」と言って狼狽えた。  それを優しい表情で見たビッグママは、「頑張りなさい」とアーシアを励ました。 「一人の男の人を、二人の女の子が好きになるのは珍しいことじゃないわ。豊穣神様の教えにも背いていないのだから、あなたが気にすることじゃないのよ。トラスティさんも、それが普通のことみたいに言っていたでしょう?」  だから大丈夫と繰り返されたアーシアは、顔を赤くしたままビッグママに向かって小さく頷いた。 「だったら、もう一度練習しましょうか。そうねぇ、今度はニムレスに可愛がって貰う事を思い浮かべてみると良いわね」 「可愛がって貰う……のですか」  その時は裸になって、ベッドの上で……それを想像したアーシアは、頭を沸騰させてその場で卒倒してしまった。慌ててアーシアの体を支えたビッグママは、「刺激が強すぎたかしら」と舌を出した。 「でも、もうじき大人になるんだから良いわよね」  もうちょっと煽ってみよう。そんな迷惑なことを、腕の中で卒倒しているアーシアを見て考えたのだった。  流石に5日も頭を冷やせば、普通……には程遠くても顔を出すぐらいはできるようになる。ニムレスが仕事をしている時間を狙ったベアトリクスは、神殿に顔を出してビッグママにお願いをすることにした。 「今晩……別に構わないわよ」  ニムレスを連れ出していいかとのお願いに、ビッグママはあっさりと許しを与えた。 「でも、そう言うことって彼にお願いをすることじゃないの? 仕事さえして貰えば、私はそれ以上彼を束縛したりしていないんだからね。それに、ニムレスさんが仕事をサボるとも思えないしね」  話をする相手が間違っていると言われ、ベアトリクスは顔を赤くして狼狽えた。 「恥ずかしくて顔が見られないってところかしら」  まあ良いけどと追求を止めたビッグママは、「今からでも構わないのに」と口にした。ただそう口にしたところで、「まだ時間が早いか」と自分の言葉を否定した。 「それから、今度は酔いつぶれるのは止めたほうが良いわよ。確かに恥ずかしいのかもしれないけど、二度目ぐらいはちゃんと抱いて貰なさい」 「よよよよ、酔いつぶれるつもりは……ない、のだが」  ベアトリクスが頭から湯気を出しそうになったところで、どう言う訳かニムレスが神殿に戻ってきた。「あらっ」と驚いたビッグママに、ニムレスは「カール達に仕事を取られた」と苦笑を浮かべた。 「牛舎に牛を戻すぐらいなら、自分達でもできると言ってくれたからな。とりあえず自主性を尊重しようと思ったのだが……なるほど、あいつらは気を利かせてくれたと言うことか」  そう言って頭を掻いたニムレスは、「これから時間は取れるか?」とベアトリクスに聞いた。思いがけない問いに大きく目を見開いたベアトリクスは、すぐに何度も大きく頷いた。  ならばいいと首肯したニムレスは、「出かけてきます」とビッグママに告げた。 「そう、ちょっと待っててくれる?」  奥へパタパタと入っていったビッグママは、すぐに小さな袋を持って現れた。  「はいこれ」と手渡された袋は、ずっしりとした重みを持っていた。 「これは?」 「トラスティさんが、沢山寄進してくださったからね。いつもいつもベアトリクスさんに払わせてちゃ駄目でしょ?」  だからと笑ったビッグママは、「帰ってこなくていいから」とニムレスの耳元で囁いた。 「それに、神殿だと子供達に刺激が強いでしょ。そう言うことは、もうちょっと大人になってから教えたいの」  だからよと笑って、ビッグママはニムレスの背中を押した。漏れ聞こえてきた声に、隣ではベアトリクスが顔を赤くしていた。 「では、ありがたく」  一方ニムレスと言えば、少しもてれた様子が見られなかった。それをなるほどと理解し、「いってらっしゃい」とビッグママは手を振った。  そして頭を下げて出ていくニムレスに、肩ぐらい抱いてあげればいいのになどと思っていた。 「さて、ニムレスさんは追い出したから……アーシアの仕上げに入らないとね」  4日後の晴れ舞台を考えれば、今は少しでも時間が欲しいところだった。その意味で、ニムレスが出かけてくれるのは都合が良かったのだ。そして晴れ着の着付けをするにも、ニムレスは居ない方が都合が良かった。 「アーシア、とりあえず踊りの練習をしましょうか?」  夕食の準備はそれが終わってから。ビッグママの言葉に、階段のところに現れたアーシアは小さく頷いた。  急かされて神殿を出たところで、「散々からかわれた」とベアトリクスは口にした。 「それから、絶対に逃すなとも周りから言われたな……」 「逃がすな、か?」  なるほどと小さく頷いたニムレスは、「そのつもりなのか?」とベアトリクスに尋ねた。 「わ、私は、そのつもりなのだが……だが、お前は私ほど……違うな、お前は少しも頭に血が上っていないのだろう。だから私は、独り相撲をしている気がしているのだ。お前にしてみれば、抱いた女がひとり増えただけのことなのだろう?」  それぐらいは分かっていると答えたベアトリクスに、「そこまでは酷くない」とニムレスは少し口元を歪めた。 「ただ、俺には俺の事情と言うのもあるのだ」 「それは、お前がこの星の者ではないと言うことか?」  そう尋ねてきたベアトリクスに、「そうだ」と答えてからニムレスは少し言葉を途切れさせた。 「ビッグママには話したが、お前に話したことがあったか?」  少し目元に皺を寄せたニムレスに、「トラスティと言ったか」と情報の出所をベアトリクスは答えた。 「酒場で教えてくれた。ところで、あの男は何者なのだ?」  そこまでは教えてくれなかったのだろう。自分を真似たように目元に皺を寄せたベアトリクスに、「我が主だ」とニムレスは答えた。 「俺は、主の命に従いこの星に降りてきた。その目的は、足りないところを探すために己を見つめ直せと言うことだった。お陰ですべての力を取り上げられ、無一文で放り出されてしまったのだ。その後空腹で倒れた事を考えれば、俺には生き残るために必要な能力がなかった事になる」  ニムレスの答えに、「あの時のことか」とベアトリクスは笑った。 「ならば、アーシアに感謝することだな。普通ならば、胡散臭い男の行き倒れなど捨て置かれるものなのだ」 「ああ、だからアーシアには礼を言ったつもりだ。その意味では、お前も恩人の一人なのだがな」 「恩人、だけなのか?」  それ以上の意味は無いのか。それを問うたベアトリクスに、「それ以上の意味か……」とニムレスは虚空を見上げた。 「お前は、俺に付いてこられるのか?」  生まれた地を捨てることができるのか。それを問うたニムレスに、「大したことじゃない」とベアトリクスは笑った。 「好いた男に付いていくのだ。それがどこであろうと大したことじゃないと思うがな」  きっぱりと言い切ったベアトリクスに、ニムレスの答えは「そうか」と言うあっさりとしたものだった。 「そう言うお前こそ、私などでいいのか?」 「……それは、考えたことがなかったな。そもそも俺のいる立場には、妻を持つと言う概念がないのでな」  そこで少し考えたニムレスは、「まあいいか」と軽く答えた。 「皇を見ていると、拘っても仕方がないと思えるからな」 「王と言うのは、トラスティと言う人のことか?」  確か女性を二人連れていたなと。酒場のことを思い出したベアトリクスに、「その人だ」とニムレスは肯定した。 「妻と愛人を合わせたら、一体どれだけ女性がいることか……しかも、その一人ひとりが錚々たる立場をお持ちなのだ」 「あの人が、ハーレムとやらを築いているのか……」  ううむと考えたベアトリクスだが、それ以上話が続くはずがない。何しろトラスティとは、酒場で顔を合わせただけだったのだ。 「それで、これから私をどこに連れて行ってくれるのだ?」 「それだがな」  そこで少しだけ視線を宙に彷徨わせたニムレスは、付き合ってもらいたいところがあると切り出した。 「それは構わないが……どこのことだ?」 「少し相談に乗ってもらいたいことがあってだ」  言葉を濁したニムレスは、「こっちだ」と言ってベアトリクスの手をとった。途端に顔を赤くしたベアトリクスだったが、向かった方向に「なぜ牧場?」と疑問を感じてしまった。 「まさか、外でしようと言うのかっ!」  大声を出されたニムレスは、「違う!」と即答した。 「相談があると言ったはずだ」 「外でしてもいいかと言う相談なのではないのか? お、お前がどうしてもと言うのなら、わ、私は構わんのだが……」  そう言って短い髪を弄ぶベアトリクスに、ニムレスはもう一度「違う」と声を上げた。 「人に聞かせたくない話をしようと思っただけだ」 「人に聞かせたくない話、だと?」  ううむと考えたベアトリクスだったが、ニムレスにお姫様抱っこをされて頭の中が沸騰してしまった。ただニムレスにしてみれば、お姫様抱っこに大きな意味があった訳ではない。ただ時間が掛かりすぎるので、それを短縮しようとしただけのことだった。  そのお陰で、ベアトリクスは飛ぶような速さを体験することになった。だから最初は恥ずかしさに頭を沸騰させていたのだが、次第に怖くてニムレスにしがみつくようになってしまった。 「少し前のことだ……ところで、大丈夫か?」  牧場の作のところまで連れていき、ベアトリクスを下ろして話を切り出した。ただそこでベアトリクスの腰が砕けたため、ニムレスは彼女に手を貸した。  それでなんとか立ち上がったベアトリクスは、「ここがどうかしたのか?」と尋ねた。 「トカゲみたいな見た目をした奴が4人と、これぐらいの背格好の奴を山の中で見かけたのだ」  これぐらいのと自分のへそのあたりをニムレスは手で示した。 「小人か。それと竜人が、そんなところに居たと言うのか?」  変だなと難しい顔をしたベアトリクスに、「このあたりにも足跡があった」とニムレスは伝えた。 「しかも見かけたのは、朝日が上る前のことだ。まともに考えれば、人が彷徨くような時間帯じゃない」 「迷い込んだと考えられる場所でもないか……」  確かにおかしいと答えたベアトリクスに、「主に教えて貰った話だ」とニムレスは切り出した。 「この町が、アコリだったか。それに襲われると言うのだ」 「それは確かなのか!」  驚いたベアトリクスに、「主の予言は当たる」とニムレスは答えた。ただ町が壊滅することや、それが予言ではなく未来視の結果と言うのは黙っていた。  そんなニムレスに、「これは噂なのだが」とベアトリクスは切り出した。 「ほかの星で、アコリに襲われて町が壊滅したと言うのだ。確か、ボルケ、クエリ、ハスでの事件だったか。しかも、ここに来て連続して発生しているらしい。それまでは、町が壊滅するほどの被害は耳にしたことはなかったのにだ。壊滅したとしても、せいぜい数十人程度の小さな集落の話だけだった」 「つまり、ありえない話ではないと言うことか……」  表情を険しくしたニムレスに、ベアトリクスはコクリと頷いた。 「守護騎士団に、警戒するようにとの指示が来ているから本当のことなのだろう」 「警戒しているのか?」  だとしたら、少しは安心することができる。  そう考えたニムレスに、「団長からそう聞かされた」と言うのがベアトリクスの答えである。 「だから町の周囲に対して、アコリの目撃情報がないかを調べている。先日の駆除も、その調査の結果とも言えるのだが……」 「あの程度の巣穴では、町が壊滅するほどではないと言うのだろう」  人口が1000名を超える町だと考えると、10やそこらのアコリでは小さな事件にしかなりはしない。壊滅的打撃を受けるには、その数が一桁以上少ないと言えただろう。  ニムレスの指摘に、ベアトリクスはしっかりと頷いた。 「団長もそう言っていた。だから、この町は大丈夫だと思っていたのだが……」  そこで言葉を濁したベアトリクスに、「他になにかあるのか?」とニムレスは尋ねた。漠然とした勘なのだが、自分の言葉以外にもなにか不安があるように思えたのだ。  そんなニムレスに、「気になることはある」とベアトリクスは答えた。 「お前は、アーシアのところに不思議な動物が入り込んでいるのを見たことがあるか?」 「不思議な動物?」  はてと首を傾げたニムレスに、「桃色をしたリスのような動物だ」とベアトリクスが答えた。 「そのリスのような動物がどうかしたのか?」 「この星に、あんな動物は住んでいないのだ。少なくとも、この近くの山に住んでいると言う話を聞いたことはない。それからもう一つ気になるのは、とても野生の動物とは思えないことだ。野生の動物が、家に入り込んできて人に慣れるとは考えられん」  ベアトリクスが不思議に思う気持ちは理解できたが、だからと言ってそれがどんな問題となるのかニムレスには理解ができなかった。 「それで、その桃色をしたリスのような動物とやらが、なにか問題があるのか?」 「ちょっとしたおとぎ話のようなものを思い出したのだ」  そこまで口にして、「笑うなよ」とベアトリクスは釘を差した 「笑わないが……」  「だったら良い」と答えたベアトリクスは、「コレクアトルについての伝承だ」と話を続けた。 「7つの星々を統一したと言う男のことだな」  うんと頷いたニムレスに、「その伝承があるのだ」とベアトリクスは答えた。 「7つの星々を統一する時、コレクアトルは7つの守護獣……聖獣を連れていたと言われているのだ。茶色いをした大きな犬、鷹に似た鳥、鮮やかな赤色をした巨鳥、白い蛇、大亀、リスのような小動物、銀色の毛皮を持つ狼と言うのが伝えられた聖獣の姿だ」 「アーシアのところにいるのが、そのリスのような小動物ではないかと言うのだな」  ふむと考えたニムレスに、「信用してくれるか?」とベアトリクスは不安げに尋ねた。 「あっても不思議なことではないと思っている。何しろ俺のいた世界では、人型をしたデバイスと言う物がある。それが動物形態をとっていると考えれば、筋が通ってくれるからな」  そこでもう一度考えたニムレスは、「俺の前には姿を表さないのだ」と付け加えた。 「だから俺には、確かめようがないとしか言いようがない。野生動物だと考えれば、警戒をしても不思議ではないからな」 「そうか、お前の前には姿を見せないのだな。まあ、そう言う私も物陰から見ただけなのだが……」  そこで難しい顔をしたベアトリクスは、「襲われるのか?」ともう一度ニムレスに尋ねた。 「俺の主の予言では……だがな。ただ、時期と侵入経路は、分からないと言われた。人為的に行われる襲撃のため、こちらの備えを見ているのだと」 「だから、さっきの竜人と小人の男の話につながるのだな」  小さく頷いたベアトリクスは、その情報を守護騎士団内に展開することを告げた。 「そうすれば、そいつらが現れたら知らせが来るだろう。だが、竜人か……」  ううむと唸ったベアトリクスに、「なにか問題が?」とに無レスは尋ねた。 「なに、敵だとしたらかなり手強いと言うのが問題なのだ。なにしろ硬い皮膚をしているから、威力の小さな銃では皮膚を貫通することができないのだ。そして剣を使っても、硬い皮膚に跳ね返されることが考えられる。しかも動きが早くて力が強いから、正面からぶつかった時には只人では敵わないと言われているぐらいだ。もしもそいつらが戦士として鍛えられていたら、たった5人とは言え守護騎士団では抑えることはできんだろう」  その説明に、厄介な敵だと言う事をニムレスも理解した。カムイが使える状態ならば、さほど気にする必要の無い相手なのだろう。だが今の状態では、鎧をまとった早い相手と言うのは、厄介なこと極まりなかった。 (皇よ、それでもカムイを使わせてはくれないのですか?)  心の中のトラスティに文句を言っても、何時も通りニヤニヤと笑っているだけだった。そして心の中で文句を言っているだけでは、何も問題は解決することはない。 (ならば、己のできることをするだけか)  ニムレスが覚悟を決めたところで、「これからのことだ」とベアトリクスが切り出した。 「酒場に行く前に、詰め所に顔を出してもいいか?」  それに頷いたニムレスは、その時の問題点をすかさず指摘した。 「それは構わんが……俺が付いていっても良いのか?」  間違いなく、周りの者達からからかわれることになるだろう。それを指摘され、ベアトリクスは「うっ」と詰まってしまった。ただどうせ避けては通れないことと諦め、「構わん!」と虚勢を張ってくれた。 「その時は、お前も同じ目に遭うのだからな」  その指摘は、あまりにもニムレスにも心当たりのありすぎるものだった。 「俺が、先に酒場で待っていると言うのはどうだ?」  すかさず逃げを打ったニムレスに、「それが許されると思うのか?」とベアトリクスはすかさず言い返した。  その言葉にうむと唸ったニムレスに、ベアトリクスは「すぐに冗談だ」と言って笑った。その顔が以外に可愛かったので、ニムレスは少しだけムラっとするものを感じてしまった。 「お前は酒場で待っていてくれればいい。私が、団長にそれとなくお願いをすればいいだけのことだからな。その方が、話がややこしくならなくていいだろう。無駄なことに、時間を使うことも無いからな」 「そう言う事なら任せるのだが……」  本当に良いのかと聞きかけたところで、ニムレスは「いや」と首を振った。ここで口出しをすることで、ベアトリクスを信用していないことになるのに気がついたのだ。 「だったら任せるのだが……余り俺を待たせるなよ」 「ああ、お前が酔いつぶれたら、運ぶのに難儀しそうだからな」  だからないと答えたベアトリクスに、それなら良いとニムレスは返したのである。  ベアトリクスの話を聞いた団長は「竜人か」と表情を険しくした。 「なにか、あったのか?」  訝ったベアトリクスに、「実は」と団長は事情を口にした。 「そいつらなら、すでにこの町に入り込んでいる。一昨日ぐらいか。祭りを見に来たと言って、宿をとっているそうだ」  うむと唸った団長は、「厄介だ」と小さく呟いた。 「収穫祭になると、周辺の村から人が入ってくるからな。その一部だと考えれば、別におかしなことではないのだ。しかも、そいつらがお前の男の言った奴らと同じである確証がない。アコリ駆除も済ませたから、襲われると言っても信頼性が低いのが現実なんだ」  当たり前の答えを口にした団長に、ベアトリクスは口をへの字にした。 「何しろ、あれからアコリの姿は目撃されていないからな。この町を襲撃する規模ともなれば、完全に隠れることはほぼ不可能だろう。それに今でも、別に巣がないか見回りをしているのだからな」  そうやって一つ一つ説明されると、ベアトリクスも反論はできなくなる。何しろニムレスは、「予言」を持ち出しただけなのだ。その予言が当たるなどとは、誰が考えることができるだろう。それぐらいなら、豊穣神の神託と言ってくれた方がましなぐらいだ。  ただ町の安全を与る守護騎士団として、不審者情報を捨ておく訳にはいかない。ただ大規模に人を動かすことができない事情に変わりはないので、「警戒をする」と言うのが今の限界だった。 「収穫祭で人手が足りなくなっているからな。今は、警戒程度が限界と言うことになる。酒場の奴らにも、それとなく注意をして貰うよう伝えておく」  収穫祭が近づくことで、町全体が浮ついてきていたのだ。そのため、守護騎士団も治安維持のために警邏の頻度を上げなければいけなくなる。揉め事自体も増えてるため、今でも人手が足りない状態だったのだ。 「ああ、それから人手のことをお前が気にする必要はないぞ。休める時には休むと言うのが、守護騎士団のモットーだからな。特にデートを邪魔するような真似は、これからの奴らのためにもしないのが決まりなんだ。だから楽しんで……せいぜい可愛がって貰ってこい」 「可愛がってって……」  顔を真赤にしたベアトリクスに、団長はうんうんと嬉しそうに頷いた。周りから散々「行き遅れ」とからかわれていた彼女が、ようやく相手に巡り会えたのだ。これまで一緒に過ごしてきた仲間として、手伝うのが当然だと思っていた。 「まあ、そんなところだ。今日ぐらいは、仕事を忘れて楽しむことだな」 「そのつもりではいるのだが……」  なにかはぐらかされたような気がする。少し表情を険しくしたベアトリクスに、「気にしすぎだ」と団長は笑った。 「もうちょっと、仲間を頼りにしていいんだぞ。それとも、俺達じゃあてにならないか?」  どうだと言われれば、そんなことは絶対に口にすることはできない。まだ納得のいかないところはあったが、ベアトリクスはおとなしく好意に甘えることにした。  その後姿を見送ったところで、別の団員が団長のところに近づいてきた。 「流石に、ニムレスも対象だとは言えませんからね」 「ああ、あの男は不可解すぎるからな。いい男と言うのも、俺達を騙す演技と言う線も捨てられん」  嫌な仕事だと吐き捨てた団長に、「守護騎士団ですからね」とその団員は苦笑で答えたのだった。 トラスティならば、自分も疑われていることは気づいていただろう。そのあたりの客観視ができないのが、ニムレスの限界でもあった。だから不満を顕にしたベアトリクスを前にしても、ビッグママに教えられたことを理由にしていたぐらいだ。つまり、ベアトリクスは「当てにされていない」と考えたのである。  それでも竜人が入り込んでいると言う情報を得られただけでも、成果はあると考えることにした。 「さて、これからなのだが……」  飲みすぎるなと注意はしてあるので、今日の酒は控えめになっていた。それもあって、ベアトリクスも少し赤くなっている程度で収まっていたのだ。逆に適度な酔いのおかげで、艷やかな印象が生まれていたぐらいだ。 「そ、それなのだが、わ、私の部屋に来ないか?」  そして羞恥から更に顔を赤くし、ニムレスを部屋へと誘ったのである。ただニムレスの受け取り方は、使える部屋があるのならそれで構わないと言う程度のものだった。  ビッグママに貰ったお金で酒場の勘定を済ませた後、ベアトリクスはニムレスに腕を絡めるようにして「あっちだ」と引っ張っていった。その時感じた胸の膨らみに、現金なものだとニムレスは自分で自分を笑っていた。なんのことはない。自分もまた、その気になっていたのだ。  ベアトリクスの部屋は、守護騎士団の詰め所からさほど離れていない所にあった。小奇麗なレンガ造りの建物の2階と言うのは、親に財力があるからだろう。神殿での自分の部屋より広い部屋に通されたニムレスは、そのままベアトリクスの腕を捕まえ自分の方へと引き寄せた。  そして「シャワーを」との抵抗を押さえつけ、こぶりなベッドへと彼女を押し倒したのである。初めはジタバタと抵抗したベアトリクスだったが、すぐに体から力が抜け甘い声を出すようになった。  「警戒されている」と、酒場でバルゴンが小声で漏らした。相手はさり気なく探っているつもりなのだろうが、自分達を見る目があからさまな物となっていたのだ。 「だが、少しばかり遅すぎたと言うところだろう」  バルゴンに顔を見られた小人の男は、「さようで」と卑屈な態度をとった。 「仕掛けは、とうの昔に済ませてありますからね。後は、必要な呪文を唱えれば終わりでさぁ」 「アコリが200に、ニダアが10か」  バルゴンの言葉に、小人の男は小さく頷いた。 「収穫祭が終わって、眠りについたところが襲撃時と言うことでさぁ」 「騒ぎが起きたところで、我々は正面から神殿に入れば良い訳だ」  すでに、これまで3度成功した手順でもある。大量のアコリによる襲撃があれば、他に襲撃者がいるとは普通は考えない。それ以上に、神殿が狙われるなどと、誰も考えてないのがポイントとなる。 「その時の懸念は、あのニムレスと言う男と言うことか」 「いくら強くても、只人が旦那達に敵いますかね」  勇猛を持って鳴るのが、竜人兵なのである。7つ星で語られる常識では、只人では強力な銃を使わない限り歯が立たないと言うものだった。1対1でそれなのだから、その竜人兵が5人も揃えば恐れることなどないと言えるだろう。  その評判を持ち出した小人の男に、「慢心は敵だ」とバルゴンは諌める言葉を口にした。 「我らが主のためには、どんな小さなことでも見逃す訳にはいかぬのだ。慢心していいことがあるのなら、いくらでも慢心してやるのだがな」  ギザギザの歯が並んだ口を少し開いたバルゴンは、「くっく」と喉を鳴らすように笑った。 「叶うならば、あの男を娘から引き離しておきたい」 「だとしたら、守護騎士団の娘ですかい。その娘としっぽりいっている時を狙いやすか?」  その時には注意力は散漫になるし、神殿から離れていると言うのだ。小人の男の提案に、「それも一つの手だ」とバルゴンは真顔で答えた。 「それならば、神殿は女子供だけになるからな」 「あっしには、警戒し過ぎな気もしますがね」  ヒヒヒと笑いながら、小人の男は泡の出る酒を呷った。 「ちなみに、守護騎士団はあの男にも警戒しているようですぜ」 「あの男がよそ者と言うのは確かだからな。まあ、警戒の一つぐらいされてもおかしくあるまい」  あてにはならんと答えたバルゴンは、「見た目は重要だ」と小人の男を見て答えた。 「あの男に比べれば、我らの方がよほど胡散臭く見えるからな」  特にお前はと指さされ、「旦那達程じゃ」と小人の男は言い返した。 「竜人が5人も揃えば、普通は警戒されますぜ」 「それぐらいのことは、我らも承知しているつもりだ」  大ぶりの肉にかぶりついたバルゴンは、「手遅れだがな」と最初の言葉へと戻った。 「そして胡散臭い程度では、手を出すこともできないからな。何しろ我らは、酒場で管を巻いているだけだ」  それ以上は何も出てくるはずがない。手配がすでに済んでいることを、バルゴンは繰り返したのだった。  祭りと言うものは、クライマックスの日だけが祭りではないものだ。その証拠に3日前から石造りの道には、各種屋台が立ち並び始め、神殿前のステージでは楽団が賑やかな曲を奏でていたのだ。しかも町の周辺から人が集まったため、普段なら1千人程度の町が大きな賑わいを見せていた。しかも祭りの本番には、町の人口が倍以上になるとも言われていた。  そして祭りに浮かれるのはどこでも同じで、いよいよ明日が本番と言うところでニムレスはビッグママに相談を持ちかけた。 「今日は、子供達は遊びに行かせてくれませんか」  そのあたり、一昨日気を使ってもらったお礼と言う意味がある。その提案に、ビッグママもそれが良いとお小遣いを子供達に出してくれた。 「だけどニムレスさん、手は足りるのかしら?」  そう口にしたところで、別に問題がないことをビッグママは気がついた。男の子達が手伝いに入る前には、殆どの作業をニムレスは一人でしていたのだ。 「だとしたら、問題は搾乳だけね」  んーと考えたビッグママは、まあ良いかと自分がやることにした。もう一人アーシアと言う人手が居たのだが、遊びに行かせてあげないと可愛そうだと思ったのだ。さもないと、今年の祭りは踊りだけになってしまう。それはそれで意味があるのだが、最後のお祭りがそれだけでは寂しいだろうと思ったのだ。 「それでニムレスさんは、今日は何をするのかしら?」 「実は、さほどすることは残っていないのです。牛舎の掃除と、堆肥の面倒を見るぐらいで……後は秋蒔きの野菜に、水を撒くぐらいでしょうか」  それぐらいだと答えたニムレスに、ビッグママは右手で軽くこめかみを押さえた。 「それを、さほどと言う感覚が信じられないわね……あら、ベアトリクス、いらっしゃい」  神殿の入口から顔を見せたベアトリクスに気づき、ビッグママは大きな声で「こっち」と手招きをした。今日のベアトリクスは、守護騎士団の制服を着ているので、仕事で見回りをしているのだろう。赤のタータンチェック柄の上着とズボンが、金色の髪にとても映えていた。 「ニムレスさんと、一緒にお茶を飲んでいく?」  それぐらいの時間はあるでしょうと。とてもお節介な提案をしたビッグママに、「いや」とベアトリクスは顔を赤くした。 「今日は、見回りをしているからな。ここで油を売っていると、後から皆にからかわれてしまう」 「あらあら、それは残念ね」  にやっと笑ったビッグママは、ニムレスを見てから「今夜は?」とベアトリクスに問い掛けた。 「ひ、昼番なので、夜は空いているのだが……」  そこで自分の顔色を伺ったベアトリクスに、「夜なら暇だ」とニムレスは答えた。 「ただ、お前の部屋に今日は泊まる訳にはいかないな」 「べ、別に、泊まってくれと言っている訳じゃないぞっ!」  あたふたとしたベアトリクスは、「後から顔を出す」と言って逃げるように神殿を出ていった。恥ずかしいと言うのもあるが、油を売っていると本当に何を言われるのか分かったものじゃなかったのだ。  それをかわいいわねと見送ったビッグママは、「大事にしてあげてね」とニムレスにお願いをした。 「大事にしているつもりなのだが……ただ、どうして良いのか俺にも分かっていない」  ふうっと息を吐いたニムレスは、「仕事に戻ります」と告げて裏手の畑の方へと歩いていった。  それを見送ったビッグママは、「不器用なのね」ととても優しい顔をして見送ったのである。  確かに故郷と似たような空気がある。それが惑星フリートに降りたライスフィールの感想だった。 「ただ、ちょっと違和感があると言うのか……それは、もう少し調べてみないと分かりませんね」  そう言いながら、キョロキョロと祭りで賑わう景色を見ていた。すでに文明の進んだジェイドと違い、フリートは文化的にもモンベルトに近いところがあったのだ。だから町の人々が楽しむ祭りを見て、モンベルトに持って帰らねばなどとも考えていた。 「モンベルトに、祭りを持って帰ろうと思ってるのかな?」  夫に問われたライスフィールは、「そうですね」と忙しく視線を動かしながら答えた。 「古い記録では、モンベルトでも祭りがあったことは分かっています。ただ長い苦しみのせいで、人々から楽しむと言う感情が失われてしまいました。あなたのお陰で民達に笑みは戻ってきたのですが、まだまだ足りないものが沢山あると思っているんです。ここに来て、その答えを見つけた気がするんですよ」  町に溶け込むためと言うことで、ライスフィールは質素なワンピース姿をしていた。しかも上質な絹ではなく、少し厚手の木綿のワンピースを選んでいた。そして足元は、皮で作られた靴のようなものを履いていた。ただこれまでの生活で洗練されたこともあり、その美貌は町の人達の視線を集めていた。 「ここの文化なら、モンベルトに導入しても問題は少ないのだろうね。ただ惑星フリートには、宇宙に出る技術もあるんだよ。ただ広く一般には、その恩恵は及んでいないのだけどね」 「でも、連邦でも多くの人達は宇宙に出ないで生活をしていると思います。生きていくのに苦痛がないのなら、無理に技術を進めなくても良いのではないでしょうか……とは言え、医療の進歩は間違いなくあった方が良いのですけどね」  バランスが難しいと口にしたライスフィールに、トラスティは小さく頷いた。 「外から技術を持ってこられるようになると、とてもいびつな発展の仕方をするからね。ただすべてを自前で賄ったとしても、技術が進歩する過程での問題に直面するのだけどね」  そのあたりの問題は、ほとんど歴史の勉強となってしまう。工業が発展する過程で、いずれの星系も例外なく環境汚染の問題が生じていたのだ。それに加えて、資源不足と言う問題も解決しなければならなかった。 「あなたの言うことも理解できるつもりで居ます。物事には、必ず陰と陽があるのだと思っています」  そこまで口にして、「ただ」とライスフィールは首を巡らせた。 「だからと言って、今の場所に立ち止まるのは為政者の怠慢だと思っています。そして立ち止まると言うのは、現実には後退しているのではと思っているんです」 「それは、とても難しい問題だね……」  ライスフィールの言葉を認めたトラスティは、その肩を抱いて「場所を変えよう」と告げた。 「あっちの方に、ニムレスがお世話になっている神殿があるんだ」 「神殿……でしょうか?」  目をパチパチと瞬かせたライスフィールに、「宗教が残っているんだ」とトラスティは告げた。 「恵みをもたらす神……豊穣神と言うのだけどね。その神を祀った神殿があるんだ。ニムレスは、そこでお世話になっているんだよ」 「ニムレス様は、苦労されているのですね」  そこで少し口元を歪めたのは、自分の夫の人となりを知っているからに他ならない。詳しい経緯を知らされていなくても、ろくでもないことだと言うことだけは理解できたのだ。 「まあ、苦労はしたんだろうね。もっとも、苦労をさせることが目的じゃないんだ」  少し人混みを掻き分けるようにして進んだ時、「トラスティさん?」と言う女の子の声が聞こえてきた。その聞き覚えのある声に振り向いたら、セーター姿のアーシアが息を切らせて近づいてきた。 「やあ、今日は練習は良いのかな?」 「ビッグママが、お祭りを見てきた方が良いと勧めてくださいました」  嬉しそうに話すアーシアに、「紹介するよ」とトラスティはライスフィールを手で示した。 「僕の妃のライスフィールだ。君より、7歳年上になるのかな?」 「お妃様……王妃様と言うことですかっ!」  目を輝かせたアーシアは、「アーシアです」と丁寧にお辞儀をしてくれた。 「丁寧にありがとうございます。トラスティ王の后、ライスフィールと申します」  丁寧な挨拶をされたのだから、自分もまた礼儀に則る必要がある。  優雅に頭を下げたライスフィールに、アーシアは見惚れてくれた。 「アーシアさん、どうかなさいましたか?」  そう言って微笑みを与えたライスフィールに、アーシアは恥ずかしそうに頬を染めた。 「その、ライスフィール様がお綺麗なので、その、見惚れてしまいました」  正直に答えたアーシアに、「ありがとう」とライスフィールはもう一度微笑んだ。 「それで、トラスティさん達はどこに行かれるのですか?」  少し息を弾ませたアーシアに、トラスティも微笑みながら目的を説明した。 「ちょっと、ビッグママに挨拶をしに神殿に顔を出そうと思ってね」 「でしたら、私がご案内いたしますっ!」  跳ねるようにして前に出たアーシアを、「可愛いわね」とライスフィールは微笑ましいものを見た目をした。そして夫の耳に唇を寄せ、「手を出していませんよね」と重要な確認をした。 「彼女の身柄を預かる相談はしているけどね。一応彼女は、ニムレスに憧れているんだ」 「ニムレス様……あの方なら、誠実ですから大丈夫ですね」  少し安堵をしたのは、一体どのような理由からなのだろうか。それが気になったが、拘っては負けだとトラスティは確認するのを思いとどまった。 「ただ、あの子から不思議な物を感じますね。何かに守られている……と言うほど強い力ではないのですが、何者かと繋がっているような印象を受けます」  少しだけ目元を険しくしたライスフィールだったが、アーシアが振り返ってくれたので表情をガラリと作り変えた。 「ライスフィール様、後からお話を伺っても宜しいですか?」 「私に、ですか?」  少し驚いたライスフィールに、アーシアは「はい」と元気よく頷いた。 「その、外の世界のことを教えていただきたくて……」  とても少女らしい理由なのだが、そこにはニムレスに付いていくためと言うものが含まれていた。ただそんな事は、ライスフィールの知るところではない。ニッコリと微笑んで、「楽しそうですね」とアーシアのお願いを叶えることにした。 「もしも私に妹が居たら、こんな感じなのかと思ってしまいました」 「アリッサも、似たようなことを言っていたね」  気持ちは分かると。トラスティもライスフィールの言葉を認めた。 「神殿の男の子達も、みんなとってもいい子達ばかりだからね。本気で、面倒を見てもいいと思っているぐらいだ」  そこでライスフィールの顔を見て、「任せてもいいかな?」と尋ねた。 「あなたは、モンベルトの王なのですよ。たとえ私相手でも、命じてくだされば良いのです」  ふふと笑ったライスフィールは、「考えておきます」と答えを留保した。 「ただ、ここからだとジェイドでは厳しいのでしょうね……」  あまりも文明レベルが違いすぎるし、しかも文化的にも違いが大きすぎたのだ。そして預ける相手がアリッサだと考えたら、違いが大きすぎるとしか言いようがなかった。 「そのためには、ちゃんと守ってあげないといけませんね」 「そのための、ヘルクレズとガッズだと思っているんだ」  二人の名を出した夫に、ライスフィールは小さく頷いた。 「今夜あたりが危ないのでしたね」 「もう少ししたら、アルテルナタから確定した未来情報の連絡が入ると思うよ」  ただと、トラスティは少しだけ厳しい表情をした。 「流石に、無傷で乗り切るのは難しいのだろうね。もしもガチガチに守りを固めたら、敵は攻撃を思いとどまることになる」 「それならそれで好ましいと思えるのですが……」  それがそうでないのは、夫の顔を見れば理解できる。 「ああ、いつまでも攻撃されないのなら。それが一番だと思うよ」 「つまり、守りが薄くなるのを粘り強く待たれると言うことですか」  確かに厄介だと、ライスフィールはため息を吐いた。 「いっその事、こちらから逆襲すると言うのはどうですか?」 「それも一つの手だとは思っているんだけどね。ただ、アルテルナタの未来視が、この恒星系だと精度が悪くなるんだ。見えることは見えるのだけど、見えた結果がすぐに違うものに置き換えられてしまうそうなんだ」  だから厄介と答えた夫に、ライスフィールは自分が呼ばれた意味を理解した。 「確かに、この恒星系は変な印象を受けますね。モンベルトと似たところがあるので、魔法を使う者がいるのではないでしょうか。アルテルナタ様の未来視が定まらないのは、未来が魔法によって書き換えられている可能性もありますね」 「そんなことが可能なのかな?」  少し驚いた夫に、「できないことはありません」と言うのがライスフィールの答えだった。 「ただ、私にもできると言う自信はありませんが……それに繰り返しますが、この星からは少しおかしな物を感じていますので」  そこでニコリと笑って手を振ったのは、アーシアが嬉しそうに振り返ったからだった。 「ですが、私もあの子が好きになりました。なんとしてでも、守ってあげなければと思えるようになりましたよ」  だから任せてください。口元で何かを唱えながら、ライスフィールは跳ねるように歩くアーシアの後ろ姿を見守ったのだった。  ニムレスが神殿に戻るのと、トラスティ達が神殿に現れるのはほとんど同じタイミングだった。そこで「よっ」と手を挙げるトラスティはまだしも、ニムレスはライスフィールが居ることに驚かされた。 「ああ、モンベルト復興の参考になるかと思ってね」  とりあえずの口実を口にしたトラスティに、なるほどとニムレスは大きく頷いた。そして大きく膝を折って、ライスフィールに挨拶をした。 「ご無沙汰をしております。お元気そうで何よりです」  そう挨拶をしたニムレスに、ライスフィールは微笑みと言う褒美を与えた。 「私もモンベルトも、ニムレス様には大きな恩があると思っているんですよ。ですからこの人にいじめられていないのか。それが気になってしまいました」  そこでニムレスの顔をもう一度見て、「大丈夫そうですね」と笑ってみせた。 「恋人もできたと伺っています」  口元を押さえて笑うライスフィールに、「お聞き及びでしたか」とニムレスは恐縮した。ただ仕事の合間に戻ってきただけなので、「仕事がありますので」と牧場に戻ろうとした。  そんなニムレスを、「待ってくれるかな?」とトラスティは呼び止めた。 「この時間だと、牛を牛舎に戻すだけなんだろう。だったら、それぐらいは僕達がやっておくよ」  そこで顔を見られたライスフィールは、「楽しそうですね」と夫に笑ってみせた。 「い、いえ、このようなことを皇にさせる訳には参りません」  慌てたニムレスに、「気が利かないね」とトラスティは文句を言った。 「ライスフィールに、牛と言う動物を見せてあげようと思ったんだよ。後はそうだね、外と言うのも気分が変わっていいと思わないか?」  ニヤリと口元を歪めたトラスティに、「それはいかがなものか」とニムレスは眉を顰めた。 「夫婦の問題に口をだすなと言っておこう」  だから、今日は上がっていい。皇としての命令に、ニムレスは「承知いたしました」と頭を下げた。 「それから、これはお小遣いのようなものだね。二人で、美味しいものを食べてくるといい」  ずっしりと重い革袋を手渡され、「どこで手に入れたのですか……」とニムレスは呆れてみせた。 「少なくとも、偽物でないことだけは保証するよ」  そんな事はいいとニムレスを追い出し、トラスティはビッグママに「答えは出ましたか?」と問いかけた。 「彼女は、モンベルトと言う国の王妃をしています。一応僕も国王などと言うものをしていますが、そこでみなさんの身柄を与ろうと思っているんですよ。とりあえず与えられる身分は、国王付きと言うところですね」  どうですと問われ、「まだ決まっていません」とビッグママは申し訳無さそうな顔をした。 「別に、謝られるようなことじゃないと思っていますよ。僕は僕で、勝手なことを言っている自覚はありますからね」 「この人には、はっきりと言ってあげないとだめだと思っています……言ってもだめな時が、往々にしてあるのですけど……」  ふっとため息を吐いたライスフィールは、「遠慮は要りませんよ」とビッグママに告げた。 「ご自身が、一番いいと考えることが大切だと思っています」 「明日の夜までに聞かせてくだされば結構ですよ」  「催促です」と笑ったトラスティは、「面白いものをお見せします」とビッグママを見た。 「僕達が、違う世界から来たと言う証拠のようなものですね」  そこでライスフィールを見たトラスティは、パチンと指を鳴らした。するどどうだろう、ライスフィールの格好が、綿のワンピースからつなぎのような上下に変わってくれたのだ。そしてもう一度パチンと指を鳴らしたら、今度はトラスティの格好もお揃いのものになっていた。 「……魔法、のようなものですか?」  驚いたビッグママに、「似たようなものですね」とトラスティは笑った。 「ノブハル君と言う仲間がいるのですが、その彼が作った衣装チェンジシステムと言うものです。衣装のデーターさえ入力しておけば、好きな格好が出来ると言う優れものなんですよ。ちなみにバージョンアップしていて、シャワーを浴びた効果も出せるんです」 「本当に、神の奇跡のようなものなのですね……」  ふうっと息を吐いたビッグママは、「お任せしていいのですか?」とライスフィールの顔を見た。 「はい。ただ、初めてのことなので、上手にはできないと思いますが……」  申し訳無さそうな顔をしたライスフィールに、「多分大丈夫」とビッグママは返した。 「トラスティさんは、前回経験されています。子供達が言うには、とても巧みに誘導されていたそうです」  だから心配していないと言われ、ライスフィールは夫の顔を見た。 「どこかで、牧場の娘を誑かしてきたのですか?」  まったくこの人はと、ため息を吐かれ、「酷い誤解だ」とトラスティは文句を言った。 「これからと言うことなら否定はしないと思うけどね」 「なるほど、アーシアさんに目を付けましたか」  ほうっと息を吐いたライスフィールは、「可愛らしいですからね」と認めた。 「ただ、優先権はニムレスさんにあるのを忘れないように!」  しっかりと釘を差したライスフィールに、「それぐらいは」とトラスティも笑いながら答えたのだった。  よく躾けをされたと言うか、飼い主のことをいたわってくれる牛達は、とても従順なものだった。お陰でトラスティの顔を見た途端、自発的に牛舎の方へと歩き出してくれたのである。大きな牛の後ろに子牛がついていく様子に、「可愛い」とライスフィールは声を上げて喜んだ。  そして牛追い……見守りを始めて30分ほどで、すべての牛達が牛舎へと戻ってくれた。途中で数えているので、迷子になった牛が居ないのも確認済みである。 「こう言った動物を、間近に見たことはないんだろう?」  牛の背中を撫でていたライスフィールは、「初めてです」と声を弾ませた。 「モンベルトでは、動物はまだ回復の途中にありますからね。今はまだ、鶏が限界と言うところです。ただ、卵が取れるようになったので、料理にもバラエティが生まれてきました。まだまだ生産量が少ないのが問題なんですけどね……」  そこで良いなぁと口にしたのは、こうした大型の家畜への憧れがあるからだろう。「連れて帰りたい」と言うのは、かなり本気の願いでも有ったのだ。 「こう言った生き物は、まだまだ時間が掛るのだろうね。それを考えれば、親牛を輸入するのも悪くはないと思うよ」 「でしたら、復興計画の中に組み込んで貰いましょう!」  バルバロスにお願いすることが一つできたと。ライスフィールは情報妖精にその事を記録させた。そして牛舎から、外の景色に目を転じた。 「晩秋だからでしょうか。日が暮れるのが早くなっていますね」  西……の空を見ると、太陽がかなり低くなっているのを見ることができた。日が暮れるにはまだ時間が掛かりそうだが、山の陰が牧場の中に長く伸びていた。 「ですけど、ニムレス様のことは良かったのですか?」 「これでも、色々と考えた結果なんだよ」  そう答えたトラスティは、「未来視は」とアルテルナタの能力のことを持ち出した。 「相手の手を読み合うような場合、確定した未来を見ることができないんだ。何しろこちらの打ち手に従って、相手の手も変わってくるからね。それが顕著に現れたのが、今回の襲撃のタイミングなんだ。「見ていて嫌になった」と言うのが、アルテルナタの答えだったよ」 「それで、あなたはどうしようと言うのです? それが、ニムレス様のことと関係してくるのですか?」  妻の問いに、「罠を張った」とトラスティは答えた。 「彼らが襲撃のタイミングを決める一番の要素がなんなのか。それがニムレスとベアトリクスさんの関係だったんだよ……まあ、正確に言えば彼らがニムレスのことを警戒しているのが分かったんだ。だからニムレスを神殿から遠ざけ、しかもすぐには戻れない状況を作ってやることにした。彼らにとってお誂え向けの状況を作ってあげたと言うことだよ」 「ニムレス様が可愛そうな気がします……きっと、落ち込むことでしょうね」  何しろ、肝心な時に守るべき者から離れ、しかも役に立たない事になってしまったのだ。その理由が恋人との情事なのだから、10剣聖ならば責任を感じても不思議な事ではないだろう。  それを持ち出したライスフィールに、「未来視の欠点は」とトラスティが顔を見てきた。 「未来視で見たことが絶対だと思ってしまうことなんだよ。そしてその油断による不注意が、未来を変えるきっかけになるんだ。ニムレスは、「祭りの日」と言う未来視に囚われ、今日は安全だと思い込んでいる。僕は、あくまで可能性として話をしていたのにだよ」 「襲撃のタイミングが、納得の行くものだったからではないですか?」  未来視だけじゃないだろうと言うライスフィールに、「思い込み補正だね」とトラスティはその言葉を認めた。 「可能性の一つとして提示されたことが、自分の常識……さもなければ、考えた結果と一致したんだ。だから、それを確実な未来だと思いこんでしまう。ニムレスも、その罠に囚われてしまったと言うことだろうね」  だからそれを利用した。夫の答えに、「ペテン師ですね」とライスフィールは今更の評判を口にした。 「そして、誘いに乗った者たちを一網打尽にするのですよね?」 「とっ捕まえて、黒幕を吐かせるぐらいのことはするかな。そこから先は、この星の問題だと思っているからね」  夫の答えに、ライスフィールは少し目元を引きつらせた。 「最後まで面倒を見ていかないのですか?」  ここまで関わったのにと。その思いを口にした妻に、「部外者だから」とトラスティは返した。 「むしろ、こんな事をした理由に興味があるんだよ。だから黒幕を見つけたら、乗り込んでいって話をしようと思っているんだ」 「私が止めても止まらないあなたですから……何を言っても無駄なのでしょうね」  はあっと息を吐いたライスフィールは、「散歩しませんか?」と牛達の居なくなった牧場を指差した。 「こう言った場所を、歩いた経験がありませんから」 「そうだね。たまには、こう言った場所でも良いのかもしれないね」  微妙にずれた答えを口にしたトラスティは、ライスフィールに向かってパチンと指を鳴らした。その音をきっかけにして、ライスフィールはツナギ姿から少し裾の短いワンピース姿へと衣装替えしていた。  そして自分に向かって指を鳴らし、トラスティはデニムのジーンズと長袖のポロシャツ姿へと衣装を変えた。 「仕事着より、こっちの方が良いだろう?」 「あなたが、服装を気にするとは思ってもいませんでした」  そう言って笑ったライスフィールは、「はい」と言って右手を夫へと差し出した。 「手を繋ぐのかな?」 「足元が、あまり良くなさそうですから」  転ばないようにと答えたライスフィールは、夫の体に自分の体を寄せた。 「確かに、足元はあまり良くないようだ……」  あっちと指差した先は、まだ牧草が青々と茂った場所だった。そして比較的、境界の柵に近い場所でもある。  その道を足元を確かめながら歩いた二人は、「空気が美味しいね」とお互いの顔を見合わせた。 「ただ、少し牛の糞の匂いがしますが……」  そう言って口元を歪めた妻に、トラスティは少しだけ肩を落とした。 「多分だけど、それは言ってはいけないことだと思うよ」  苦笑を返したトラスティは、しっかりと作られた柵にもたれ掛かった。 「でも、自然の香りと言えば良いのかな。それをしっかりと感じるよ。こうやって見ると、自然回帰を果たしたレムニアも、まだまだ人工的だと思えてしまう」 「多分ですけど、野原と花壇の違いではありませんか」  人の手が入った花壇と、人の手が入らない野原は違うと言うのだ。それを確かにと頷いたトラスティは、妻の肩を抱いて自分の方へと引き寄せた。そして期待するように瞳を閉じた妻に、ゆっくりと唇を重ねた。 「今夜は、あなたを独り占めできるのですね」  楽しみですと微笑んだライスフィールに、「多分無理」とトラスティは返した。 「この後、しっかりと暗くなってから襲撃が行われるからね」  だからと、トラスティはもう一度妻と唇を重ねた。 「初めて逢った時の続きをしよう」 「初めて逢った時……?」  何だったかとライスフィールが考えたのと同時に、トラスティはワンピースの上から「まだ」小さめな胸を鷲掴みにした。  いきなりのことに、「きゃあ」とライスフィールは可愛い悲鳴を上げてしまった。 「あの時は、結構消化不良だったんだ」  だからと、短いワンピースの裾から手を潜り込ませ、大切な部分を隠していた下着の中に侵入させた。 「さ、流石に、ここでは駄目だと思いっ……くっ」  未だに夫に翻弄されるライスフィールは、甘い痺れに体をくの字に折り曲げた。そんな僅かな抵抗を物ともせず、トラスティは初めての出会いでのやり残しを終わらせることにした。  夕焼けの中、広い牧場にライスフィールの甘い声だけが響いていた。  「遠見の奇跡だ」と、酒場の中でバルゴンは笑った。 「別名、出歯亀ツールとも言うのだがな。ただ、印をつけた相手しか見ることができない欠陥品でもある。その意味では、ストーキングツールとも言うことができるな」  あははと笑ったバルゴンは、チーズの乗せられた鶏の丸焼きにかぶりついた。ただ肉につきものの酒は、大事の前だからとぶどうジュースに取って代わられていた。 「それで、守護騎士様はどうされているんですか?」  テーブルの小さな隙間に小さな人形を置いた小人の男は、ベアトリクスの様子をバルゴンに尋ねた。 「どうやら、ニムレスとか言う男に手料理を振る舞うようだな。男を椅子に座らせ、忙しく動き回っているぞ」 「大事のためとは言いますが……やはり、趣味の悪い覗きですな」  ケラケラと笑った小人の男は、最初に並べた人形より、二回り大きな人形をテーブルに置いた。 「そろそろ、始めますかい?」  予定通り、男は女としっぽりといっている。仕掛け時だと思った小人の男に、「まだまだだな」とバルゴンは返した。 「まだ町の奴らの気が抜けておらん。もう少し夜が更けてからの方が、楽に蹂躙することができるはずだ。それにこちらの方も、お預けにするのは可愛そうではないか?」  くっくと笑い声を漏らしたバルゴンに、「お好きですね」と小人の男は嫌らしく口元を歪めた。 「わしは、親切なだけだと思っているのだがな」  そう嘯きながら、バルゴンは鶏の肉に齧り付いた。そして「美味!」とものすごく嬉しそうな顔をしてくれた。 「つくづく、酒が飲めないのが残念でならんな」 「でしたら、襲撃は明日に延ばしやすか?」  順延自体さほど難しくないと口にした小人の男に、バルゴンは「いや」と首を振って否定した。 「明日もまた、しっぽりと行くとは限らんからな。好機だと思った時には、一気呵成に行くものだ」  そこでバルゴンは、小さな声で「おおっ」と声を上げた。 「どうやら、食事は後回しになりそうな雰囲気だぞ。口づけとかいうものをして、お互いの体を弄り合っておる」 「でしたら、そろそろチビ達を起こしますか?」  顔を見られたバルゴンは、「いま少し待て」と小人の男に命じた。 「裸になって、男のものが入れられた時に合図をする」 「やれやれ、出歯亀の竜人様だ」  ははっと笑った小人の男は、豆のスープをスプーンで掬った。そして口に運んで、わしゃわしゃと豆を咀嚼した。 「あっしにも、その遠見の奇跡があれば楽しめたんですけどねぇ。あの行き遅れの女守護騎士様は、見た目は結構整ってましたからねぇ」  残念だと零す小人の男に、バルゴンはギザギザの歯をむき出しにして笑った。 「お前の物では、只人の女には届かないのではないか?」  体の小ささを論ったバルゴンに、小人の男はいえいえと首を振った。 「旦那、そりゃあ小人に対する間違った知識ですぜ。あっしらは、あっちの方は只人と変わりがないんですからね。ちなみに小人の女も、只人のアレをくわえ込むことができるんですぜ。大きな街に行けば、小人の娼婦ってのはかなりの需要があるんでさぁ。ちっこくて可愛いってのが、需要がある理由らしいんですがね」  小人の男の話に、「歪んでるな」とバルゴンは笑いながら返した。 「人の嗜好ってのは、千差万別ですからねぇ」 「納得はいかんが、理解のできる話だな」  そう言って笑いながら、「そろそろだ」とバルゴンは小人の男に告げた。 「では、早速準備をば」  ごそごそとポケットから袋を取り出した小人の男は、その袋の中に手を突っ込んだ。そして一掴みの白い粉を取り出し、テーブルに並べた人形の上に振りかけた。 「やれきたそれきた、ほほほのほい。今日は楽しく狩りをしよう」  そう呪文のようなものを唱えてから、小人の男はもう一度白い粉を振りかけた。 「夜の闇をもっと黒く染め、赤と白で彩ってやりましょうや。闇の宴をさあ始めよう」  そこまで唱えて、もう一度白い粉を人形たちに振りかけた。一通りの作業を終えたのか、小人の男は目を閉じて身じろぎ一つしなくなった。  そして時間を静止させた5分後、「ちびっこたちが目覚めやした」とおもむろに口を開いた。 「総勢200のアコリと10のニダアが10分後に町へとなだれ込みます」 「ならば我らは、神殿に向かうこととするか……正面からな」  ニヤリと笑ったバルゴンは、獣人の給仕に「勘定だ」と声を掛けて立ち上がった。 「旦那達、まだ祭りの夜は熱いですよ」  テーブルに置かれた金貨を数えながら、獣人の女給仕は「まだ早いのでは」と6人に声を掛けた。 「ああ、この後は外で騒ぐつもりだ」 「うちの売上に貢献していただきたかったんですけどねぇ」  少しだけ口元を歪めた獣人の女給仕は、「分かりますよ」と彼らに理解を示した。 「外の空気も気持ちいいですからね。それに暗い町って、なにか楽しくなってきませんか?」 「身の内に眠っている野生が呼び起こされる……か?」  軽口を叩いたバルゴンは、「釣りは良い」と酒場を出ていった。腹がくちた今、後は使命を果たすだけとなったのだ。 「苦しむことの無いよう、一思いにとどめを刺してしんぜよう」  小さく呟いて、バルゴン達は神殿に向かってゆっくりと歩き始めたのだった。  予定より早く神殿を追い出されたニムレスは、とりあえずと言うことで守護騎士団詰所に顔をだすことにした。ここでメッセージを伝えておけば、ベアトリクスに伝わるだろうと考えたのである。  ただそのまま酒場にいこうとしたニムレスを、守護騎士団の団長は「まあ待て」と呼び止めてくれた。 「お嬢が帰ってくるまで、さほど時間は掛からんだろうて」  茶でも飲んでけと誘われ、「でしたら」とニムレスはその誘いを受けることにした。  そして質素な応接に通されたところで、守護騎士団長はどっかりとニムレスの前に腰を下ろした。 「噂には聞いていたが、なかなか良い面構えをしているな」  ふんと鼻息を吐き出した団長は、「飲むか」と脇の棚から酒瓶を取り出した。 「私は良いのですが、あなたは仕事中ではないのですか?」  遠慮がちに酒盃を受け取ったニムレスに、「この程度では問題にならん」と団長は笑った。 「そしてそこもとも、この程度で立たなくなることはないのだろう?」  早速ベアトリクスとの関係を論った団長に、「飲み慣れてはいますが」とニムレスは口元を歪めた。 「口づけの時、酒臭いとは言われたくありません」 「なるほど、お嬢は酒に強くないからな」  あははと笑いながら、団長はぐいと酒を呷った。 「お嬢は、親から預かった大切な娘だ。だから身元引受人として、そこもとにはいくつか聞いておきたいことがある」  ぎろりとニムレスをにらみ、「何をしに来た」と詰問してきた。 「ベアトリクスに暇ができたことを伝えに来たのだが?」  それが何かと首を傾げたニムレスに、「違う」と団長は少し声を荒げた。 「お前が、この町に来た理由だっ!」 「なんだ、そのことか」  小さく頷いたニムレスは、正直にこの町に来た理由を口にした。 「主から、修行に出された……と言うのが答えになるな。武器も取り上げられ、着の身着のままこの町に放り出された」 「その主と言うのは、何者なのだ?」  当然出る疑問に、「信じて貰えないだろう」とニムレスは弁解から口にした。 「遠く別の星から来た者だ。主は、その星で皇をしている」 「遠くの星で王をしている者が、どうしてこんなところに来たのだ?」  明らかに懐疑的な視線を向けた団長に、「遊びらしい」とニムレスは答えた。 「暇つぶしの遊びなのだろうが、皇である以上護衛が必要となるのだ。だから俺が選ばれたのだが……」  そこで苦笑を浮かべたニムレスは、団長の立場では受け入れがたい答えを口にした。 「「伸び悩んでいるから修行してこい」と放り出されてしまった」 「真面目に答えているとは思えない答えだな」  ふんと鼻を鳴らした団長は、自分の酒盃に酒を注いだ。 「それで、いつまでここに居るつもりだ?」 「ビッグママには、収穫祭を見てから帰ると伝えてある」  そこでぐびっと酒を呷り、「お嬢はどうする」と質してくれた。 「ベアトリクスには、俺についてくるかと聞いてある。故郷を捨てることになるが、それでも構わないかと。「好いた男についていくのだからどこでも構わない」と言うのがあいつの答えだ」 「ふん、言ってくれるな」  鼻で笑った団長は、空になったニムレスの酒盃に酒を注いだ。 「それでお前は、ここで何をしようとしている?」 「修行と言ったはずだが……」  少し首を傾げたニムレスに、「これからのことだ」と団長は語気を強めた。 「すでに、他の星ではアコリのせいで町が3つ滅んでいる。お前が、それを企てた者達の仲間でないと言う保証がどこにもないのでな」  単刀直入に切り込んできた団長に、ニムレスはようやく自分の置かれた立場に気がついた。 「なるほど、俺は疑われていると言うことか」  それでも腹が立たなかったのは、立場を変えてみれば当たり前の疑問と言うのが分かったからである。 「残念ながら、俺には身の潔白を晴らす方法がないな。そもそも、異星から来たと言うのも、なかなか証拠を示しにくい。皇の許可がない限り、俺は船に戻るどころか連絡すらつけられないからな」  そこまで答えたニムレスは、「俺をどうするつもりだ?」と団長に問うた。 「俺を、拘束するのか?」 「疑わしいだけで拘束していたら、ここの牢屋はすぐに満杯になっちまう。まあ、忠告のようなものだと思ってくれればいい」  それだけだと団長が答えたタイミングで、部屋の外が騒がしくなってくれた。 「どうやら、お嬢が帰ってきたようだな」  話はここまでだと立ち上がった団長は、「忘れるな」と酒盃を持った手をニムレスの方へ差し出した。 「俺達は、この町を守るためになんでも疑ってかかっているということをな」 「それを、わざわざ俺に教えてくれたわけだ」  にやりと口元を歪め、「感謝する」とニムレスは団長に向かって頭を下げた。 「なにか、面倒を押し付けられた気もするがな」 「まあ面倒なのだろうが……可愛い女だと俺は思うぞ」  だから大切にしてやってくれ。そう言って笑いながら、団長は応接室の扉を開いたのだった。  周りが失礼すぎると腹を立てながら、ベアトリクスはニムレスを自分の部屋へと連れ込んだ。そして食卓の椅子に座らせ、「手料理を振る舞ってやる」と首筋を赤くしながら台所に立った。  その様子に、「料理ができるのだな」などと、ニムレスは結構失礼なことを考えていた。  前がいきなりしたこともあり、ベアトリクスの部屋をあまりじっくりとは見ていなかった。「これが女の部屋なのか」と考えながら、比較的色の少ない部屋をぐるりとニムレスは眺めた。そしてただ一点、色の少ない部屋に、唯一鮮明な赤を主張したバラのような花を見つけた。 (確か、女は花を好むと言うのを聞いたことがあるな)  だからなのかと、ニムレスは花のことを忘れることにした。 「とりあえず、水でも飲んでいてくれ」 「このあたり、水はあまり良くなかったのではないのか?」  ビッグママに教えられた話を思い出したニムレスに、「金次第だな」とベアトリクスは笑った。 「どこでもそうだが、金さえ払えば綺麗な水も手に入る」  そこでちらりと部屋の奥を見たベアトリクスは、赤いバラのような花に目を留めた。 「あの赤い花は、お前が持ってきてくれたのか?」 「あれは、お前が買ったものではないのか?」  知らんぞと言うニムレスに、「買った覚えはないのだがな」と言いながらベアトリクスは花に近づいた。 「それに、こんな綺麗な花は見たことがないぞ」  花を手にとったベアトリクスは、「いい香りだな」とその匂いを嗅いだ。それを花瓶に戻し、「お前が持ってきたのではないのだな?」と繰り返した。 「そんなことを言われても、俺は花を持ってくるような習慣はないぞ」 「そうなのか。てっきりお前が持ってきてくれたのだと思ったのだがな」  そこで少し顔を赤くしたベアトリクスは、「嬉しかったのだぞ」と熱のこもった眼差しでニムレスを見た。  そして息を荒くしながら、自分からニムレスに唇を重ねた。 「だから、体が熱くなってしまったのだ」  お前は違うのかと問われ、「多少は」とニムレスは返した 「お前の熱にあてられたのだろう」  そう返して、今度はニムレスから唇を重ねてきた。くちゅくちゅと言う音が部屋の中に響き、二人は何度も息継ぎをしながら唇を重ねた。そしてそれが一段落ついたところで、ベアトリクスはニムレスにしなだれかかった。しかも彼女の右手は、しっかりとニムレスの股間を弄ってくれた。 「我慢できなくなってしまった……こんなはしたない女は嫌いか?」  媚びたベアトリクスに、「いや」と答えニムレスはもう一度唇を重ねた。ニムレスの手は、服の上から豊かな胸を揉みしだくようにしていた。 「俺も、お前が欲しくなった」  そう答え、ニムレスはもう一度ベアトリクスと唇を重ねた。タータンチェックのワンピースの前ははだけ、ニムレスは下着の中に手を入れ豊かな胸を直接愛撫した。  そしてベアトリクスが「お願い」と囁いたところで、彼女を抱き上げベッドへと運んだ。 「もう、しっかり準備ができているのだな」 「お、お前が、私をこんなにしたのだっ」  責任を取れと叫んだベアトリクスに覆いかぶさり、ニムレスは熱くなった自分のものを彼女の中へと埋めていった。熱いものを受け入れた刹那は、「あっ」と鋭い声を上げたベアトリクスだったが、すぐに抱きつくと貪欲に自分からもニムレスを貪るように腰を動かした。  女に困っていなかったニムレスだが、同じ女とくり返し寝ると言うのは初めての経験だった。そしてリゲル帝国以外の女性と言うのも、これが初めての経験となっていた。女と言う意味では同じはずなのだが、何から何まで別物だとニムレスはベアトリクスを抱きながら感じていた。 (こんなに華奢で柔らかいとは……)  抱き心地の柔らかさは、リゲル帝国の女性には求め得ないものだった。そして壊れてしまいそうな精巧さもまた、リゲル帝国の女性にはないものだった。そんな特別な女性を組み敷き、自分のものに夢中にさせる。その行為に、ニムレスは今までになく気持ちが高揚するのを感じていた。  そしてどこまでも柔らかく、そして暖かな体に、どれだけ貪っても貪り足りないと言う気持ちを持つようになっていた。そして何度も果てながらも、ニムレスの求めに応えようとするベアトリクスに、どうしようもない愛おしさを感じるようになっていた。  お互いを貪り合う2頭の獣となった二人は、外の騒ぎに気づくことはなかったのである。  ニムレスと言う罠を張った以上、それを利用する配置をするのは当然のことだった。そしてトラスティは、その配置として東の丘近くに、リュースとマリーカを配置した。ただ彼女達の役割は、アコリの迎撃ではなく第一発見者として騒ぎ立てることだった。発見が早ければ早いほど、町の被害は小さくなってくれる。 「私も、お祭りに行きたかったなぁ」  そうぼやいたマリーカに、「明日に期待」とリュースは返した。ここで無事アコリを撃退すれば、明日の祭りは予定通り開かれるはずだと言うのである。それがアルテルナタの未来視で見た結果なのだが、それでもマリーカは信じられないと言う気がしていた。 「そこそこの被害が出たら、祭りなんて開いていられるのかしら?」 「でも、アルテルナタさんは祭りが開かれると言っていたわよ。なんでも、騒がないとやっていられないからとか言っていた気がするわ」  だからよと言われても、はいそうですかと納得できるものではない。「お祭りぃ」とマリーカが恨めしそうにするのも、トラスティ達が楽しんでいるからに他ならない。 「ところで、どうして私の肩を抱きます?」  さり気なく腕を回され、マリーカは胡乱なものを見る目でリュースを見た。 「ちょっとした舞台設定。私達は、とても仲の良い女の子二人って設定なの。こんな人気の少ない所に来たのは、その仲をさらに深めるためって設定なのよ」  だからと言って腕に力を込めたリュースに、「遠慮します!」とマリーカはピシャリと言い返した。 「ほら、ニムレス達も、今頃くんずほぐれつをしてるはずだから」  だから私達もと言うリュースに、マリーカは「遠慮します!」と繰り返した。 「別に、私に対して遠慮なんていらないわよ」  ささっと胸に触れようとしたその手を、マリーカはピシャリと叩いた。 「私には、そっちの趣味は綺麗サッパリありませんから!」 「だったら、初めての経験ってことで」  ねっと同意を求めてきたリュースに、「ねっじゃありません!」とマリーカは拒絶をした。 「そろそろ、真面目にしないと危ないんですけどっ!」 「真面目に、マリーカを新しい世界に連れて行ってあげようと思ってるのよ」  ふふと笑うリュースに恐怖を感じたが、実力は圧倒的に負けていたのだ。そのリュースに肩を抱かれていては、逃げ出すことも簡単なことではない。流石にまずいと体を緊張させたところで、「来るわ」とリュースが厳しい声を出した。 「でかいのが10に、ちっこいのが200ぐらい……未来視で見たとおりになったわね」 「そろそろ、悲鳴を上げますかっ」  そうねとリュースが同意したのにあわせ、マリーカは「きゃあっ!」と闇を引き裂く悲鳴を上げた。そしてそれに遅れて、リュースもまた「いやぁ」とそれ以上の大声で悲鳴を上げた。この声が町に届けば、町民たちも警戒することだろう。 「あの変なのに、目を付けられたみたいですけど」 「大丈夫。あなたは、私が守ってあげるわ」  ふっと耳元に息を吹きかけられ、「そっちは勘弁」とすかさずマリーカは返した。 「じゃあ、手はず通り明るい所に誘導しましょうか」  「助けてぇ」と金切り声を上げ、リュースはマリーカを引っ張るように町の表通りを目指して逃げ始めた。もちろん、アコリ達を振り切らないよう、彼女にしてみれば歩くような速さでの逃避である。 「化物が襲ってくるのよぉ!」 「みんな、逃げてぇっ!」  町の外れにたどり着いた時には、すでに家の中から男達が飛び出していた。しかもその手には、斧に似た武器まで握られていた。 「嬢ちゃん達。なんか出たんかっ!」 「紫色をしたちっちゃいのと。なにか大きなのがこっちに来るんですっ!」 「しかも、たくさんっ!」  その知らせを聞いた男は、「大変だ」とばかりに家の中に駆け込んでいった。そして慌てた家族を引き連れ、「あっちに逃げろ」とリュース達を案内してくれた。 「すぐに、守護騎士団が動き出すっ! それまでは、みんなで固まっていた方が安全だぁ」  だからだと答え、男は家族を連れて町の反対側へと全員を誘導した。奇しくも、その方向は豊穣神の神殿がある方向だった。  期待とは違うと言うのが、町の騒ぎを見たバルゴンの感想だった。もともと騒ぎ自体は予定したことなのだが、少しばかり騒ぎが起こるのが早すぎたのだ。 「やはり、何事も思い通りにはいかぬものだ。賽の目が、いささか悪い方に出たと言うところだろうか」  かっかと笑ったバルゴンは、「問題にもならん」と言った。 「ニダアは、町の守護騎士団程度では抑えられんのだろう?」 「へい、それだけは保証できますぜ」  ニタニタと笑った小人の男は、「地獄絵図ができます」と嫌らしく口にした。 「ニダアに撲殺されるのは、まだ幸せな死に方じゃありませんかね。これだけ数が多くなると、女は犯されおもちゃにされて殺されますからねぇ。男はなぶり殺され、チビ達の餌になるんですぜ」 「相変わらず、胸糞の悪い話だ……」  ふんと鼻息を一つ吐いて、「そろそろか」とバルゴンは人の流れを観察した。 「あの男は、外の騒ぎに気づいておらんようだ」 「ニダアに踏み込ませやすか?」  ニタニタと笑った男に、「親切なのだな」とバルゴンは驚いた顔をした。 「わざわざ、襲撃を教えてやることもあるまい。それにニダアに殴り殺されるのは、まだ幸せな死に方じゃなかったのか?」 「ですね。でしたら、アコリを20ばかり、扉の外で待たせておきますか」  そして扉を開いたところで、アコリが中になだれ込むことになる。いくら強い男でも、武装したアコリ20を制圧するのは、武器無しでは不可能に等しいと思っていた。 「あの男を神殿から引き離しておけばそれでいい。我らが狙うのは、アーシアと言うおなごだけだからな」  手出しは無用と断じたバルゴンは、人の流れに乗るようにして神殿への道を歩きだした。  町民からの通報で、守護騎士団は即座にアコリ対策に乗り出した。ただ予定外だったのは、襲ってくる数とその中に巨大なMCが含まれていることだった。アコリ用に特化した武器は、巨大なクリーチャー相手には貧弱すぎたのだ。 「予備役にも声をかけて守りを固めるぞっ!」 「お嬢はどうします?」  団員の一人に聞かれ、団長は少しだけ答えに迷ってしまった。 「放っておけ。どうせ戦力にはならん!」  そして団長は、迎撃を優先すると言う判断を行った。ベアトリクスのことを「可哀想に」と思った男も、仕方のないことだと団長の指示を受け入れた。一刻を争う今、戦力にならない者に時間を割いている余裕はどこにもなかったのだ。  団長の指示に従い、男たちは猟銃と大きなナタを持って東の方へと詰所を飛び出していった。  ニムレスが外の騒ぎに気づいたのは、団長達が出撃したのと同じタイミングだった。ベアトリクスに打ち付けていた腰の動きを止め、ニムレスは「なんだ」と辺りの気配に注意を向けた。  ただベアトリクスにしてみれば、達する直前にお預けを食らったことになる。「何よ」と文句を言うのは、彼女の立場としては正当なことに違いなかった。 「なにか、外の気配がおかしいんだ」  「もっと」と言うベアトリクスの懇願を無視し、ニムレスはベッドから降りて窓辺へと近づいた。そして鎧戸を開けて、外から聞こえてくる声に注意を向けた。そしてすぐに、自分達が油断していたことを思い知らされたのである。 「アコリが襲ってきたぞっ!」  慌てて脱ぎ捨てた服を手にとったニムレスに、「何も連絡がない」とベアトリクスは顔を青くした。 「もしもそうだったら、守護騎士団から呼び出しが入るはずなのよ!」  ニムレスの言っていることが確かなら、自分が仲間外れにされたことになる。それを気にしたベアトリクスに、「急げ」とニムレスは強い言葉で命令をした。 「今すべきことは、襲ってきたアコリを撃退することだっ」 「でも」  そう言い返そうとしたベアトリクスだったが、ニムレスの厳しい表情にそれを口にすることはできなかった。そして言われたとおり、脱がされた下着を手にとって身につけていった。何かが股を伝った気がしたが、後から拭けばいいと今は忘れることにした。 「すぐ支度をするから、待っててよっ!」  追い詰められたベアトリクスの声に、ニムレスは彼女をおいて出ていくのを思いとどまった。彼女もまた、守るべき一人であることを思い出したのだ。  バスルームに駆け込んだベアトリクスは、手早く下の始末をした。それを済ませてすぐにバスルームを飛び出し、下着のままニムレスの前で守護騎士団の制服を纏った。慌てたため、少しだけ着付けがおかしくなっていたが、火急の事態だと考えれば今は細かなことを気にしてはいられなかった。 「武器はあるか?」 「詰所に行けば予備はあると思うっ」  息を切らせたベアトリクスに、「行くぞ」とニムレスは声をかけた。そして彼女がついてくるのを確認せず、ニムレスとしては遅い速度で表に出ていった。 「まだ、ここまで来ていないみたいね」  反対側に逃げる町の人達を避けながら、ベアトリクスは必死になってニムレスを追いかけた。そしてニムレスに少し遅れて詰所に飛び込み、「こっち」と言って武器庫へとニムレスを案内した。 「剣はないのだな?」 「鉈や斧の方が役に立つからって……切れなきゃ撲殺できるでしょ」  確かにと認め、ニムレスは大振りな柄の長い斧を手にとった。ずっしりと重い感触に、これならばとその威力を確信したのである。  その一方で、ベアトリクスは猟銃と手斧を手にとった。彼女の体力では、軽い武器が限界だったのだ。 「それで、これからどうする?」  それぞれの武器を確認したところで、ベアトリクスはこれからの行動を確認した。 「俺は、神殿に戻ってアーシア達を護るつもりだ。だからお前も、俺と一緒に来て欲しい。バラバラになられると、俺でも護ることができないからな」 「わ、私だって、自分のことぐらい守れるぞっ!」  顔を赤くして文句を言うベアトリクスだったが、いきなり現れた斧の刃にその場にへたりこんでしまった。 「お前の力では不足だと言っている。俺の女になったのだから、俺に守らせてくれっ」  そう言いながらベアトリクスを抱き上げたのだが、抱き上げた手が湿っぽいのに気づいてしまった。 「湿っぽいな……」 「お、お前が私を驚かせるからだっ!」  別の意味で顔を赤くしたベアトリクスは、「だから責任を取れ」とニムレスの首に両手を巻き付けた。 「お前は、俺の女だと言ったはずだ」  そう告げたニムレスは、ベアトリクスを抱えたまま詰所を飛び出し神殿へと疾走した。その速さは、ここまで来るのとは比較にならないほど速かった。ただ悲鳴をあげる訳にはいかないと、ベアトリクスは懸命にしがみついて恐怖を抑え込むことにした。  前回の駆除は、12匹のアコリに40人を超える男達が集まっていた。そこで数的優位を作ったのだが、残念なことに今回はその立場が逆転をしてしまった。襲ってくるアコリの数が200で、それに加えて体の大きなクリーチャーまで10いたのだ。それに引き換え、迎え撃つ男達は守護騎士団に予備役を加えた50名と言うのが現実だった。しかも今度は、自分達が襲われることになってしまったのだ。 「アコリは抑えられるとしても、でかい奴が問題だな」  大きな棍棒を抱える姿に、厄介だと団長はこぼした。だがここで抑え込まないと、アコリの集団が町に攻め込むことになる。そうなった時、この町が無事でいられる保証はどこにもなかったのだ。そもそも自分達が超えられた時が、この町が死ぬ時と言うのは分かっていたのだ。 「迷っている暇はない。撃ち方構えっ!」  押し寄せてくるアコリの群れは、恐怖そのものとしか言いようがなかった。だがこれを抑えない限り、町に未来は訪れてくれない。悲壮な覚悟を示した守護騎士団の団員たちは、猟銃を構えてアコリに狙いをつけた。  そして「撃て」との命令に従い、構えた猟銃が一斉に火を吹いた。その結果を確認せず、団長は「撃ち方構え」と再度命令し、「撃て」次の攻撃を命じた。  その銃撃を4度繰り返したところで、団長は「各自武器を持て」と命令を変えた。4度の銃撃で数こそ減らしたが、アコリの進撃速度は少しも緩んでくれなかった。そして巨大なMCは、一体も数を減らしていなかったのだ。そして数を減らしたはずのアコリも、時間とともに戻ってくるのが分かっていた。相手が近づきすぎた以上、ここから先は、取り回しの悪い猟銃では相手に付け入られる隙きを作ることになる。 「支えきる自信が湧いてくれませんね」  隣の男の言葉を無視し、団長は全員に突撃を命じたのだった。今更そんなことを言われなくても、この戦いの分が悪いことなど分かりきったことだったのだ。  守護騎士団の男達の絶望的な戦いを、少し離れたところでマリーカ達が眺めていた。必要な警告が終わったからと、最前線の様子を見に戻ってきたのである。 「手伝ってあげなくていいんですか?」  仲間が殺されようと、アコリの進撃速度は少しも緩むことはなかった。そして巨大MCに挑んでいった男達は、一人の例外もなく巨大な棍棒で殴り飛ばされてしまった。そこにアコリに集られれば、とうてい無事で済むとは思えなかった。  だからこそのマリーカの言葉に、「様子見」とリュースは前を見たまま答えた。 「それから、倒れた人達は個別に保護してるから安心して」 「適当なタイミングで退場してもらって、治療はゴースロスでするんでしたっけ」  ううむと唸っていたら、一人また一人と巨大MCに殴り飛ばされていった。このまま数を減らせば、5分もしないうちにこちら側が壊滅するのは目に見えていた。 「ニムレスも神殿に向かったようだから、そろそろ出番かな」  守護騎士団が半数ぐらいになったところで、リュースは「よいしょ」と立ち上がった。 「危ないから、ここで待っててね」  そしてパチリとウインクを一つ決め、リュースは空間移動で乱戦の場に飛び込んでいった。カムイを止められたニムレスとは違い、リュースは機人装備をしての出撃のようだ。 「なんか、盛大な仕込みになっているような……」  トラスティの顔を思い出し、マリーカはぶるっと身を震わせたのだった。  アコリの襲撃で騒ぎになった町の中を、5人の竜人と1人の小人の男は流れに乗るように神殿へと向かった。そして神殿の入口にたどり着いたところで、「見張れ」と一人の竜人にバルゴンが命令をした。ここから先は、無駄な殺生は必要はない。神殿に住まう者を皆殺しにすれば、それだけで彼らの目的は達せられるのだ。 「おい、ニダアだったか、それを出す準備もしておけ」 「アコリだけでなく、ニダアも出すんですか?」  良いですけどと笑った小人の男は、懐から小さな人形を一掴み取り出した。そしてバルゴンの指示に従い、神殿の横を抜けて牧場の方へと回った。  そこまでの配置を確認してから、「お邪魔をする」とバルゴンは神殿の中に声を掛けた。その声に呼ばれて現れたのは、神職の衣装を着たビッグママだった。 「あら、これは珍しいお客様ね」  小さく会釈をしてから、こちらにどうぞとバルゴン達を招き入れた。 「竜人の皆様が、どのようなご用件でしょうか?」 「アコリが襲撃してきたと言うのはお聞き及びか?」  礼儀正しく質問をしたバルゴンに、「はい」とビッグママははっきりと答えた。 「ボルケ、クエリ、ハスでも同じことがあったと伺っています」  そこで正面からバルゴンを見たビッグママは、「次はフリートですか?」と質問をした。 「このままだと、そうなるのであろうな」  その答えに小さく頷き、「あなた達が招き寄せたのですね」と問うた。 「そして、あなた達が私達の命を奪いに来たと言うことですか」 「そこまで、理解されていると言うことですか」  少し驚いた顔……と言っても、つぶらな瞳に変化があった程度なのだが、バルゴンは驚きを顔に出していた。それはビッグママが知っていたことでなく、死を前にしても少しも動じたところを見せなかったことだ。 「それなのに少しも動じておられない。このバルゴン、感服させていただきました」  ビッグママに向かって頭を下げたバルゴンは、「すぐに終わります」と凶悪な見た目をした曲刀を取り出した。 「できるだけ、苦しむことの無いようにいたします」  曲刀を振りかぶったバルゴンだったが、飛んできた大きな塊にとっさにその身を躱した。バルゴンの横を通り過ぎた塊は、壁にぶつかって大きな音を立てて壊れた。それを見ると、どうやら飛んできたのは木でできた椅子のようだった。 「何奴!」  とっさに構えたバルゴン達の前に、ぬっと巨大な影が2つ現れた。身の丈にして優に2メートルを超えた巨漢二人、モンベルトの戦士であるヘルクレズとガッズである。見るからに凶悪そうな棍棒・ホグワーツを肩に担いだヘルクレズと分厚く、そして大雑把な剣を担いだガッズは、「初めて見るな」とバルゴン達の姿に驚いていた。いろいろな生き物の居るモンベルトでも、竜人と呼ばれる者は住んでいなかった。 「狼藉者に名乗るような名はないのだがな」  ふんと鼻を鳴らしたヘルクレズは、「こちらに」とビッグママを呼び寄せた。その脇では、ガッズが大剣で竜人達を牽制していた。 「かなりの腕前とお見受けした。ただ、わずか二人で我らに挑むとはいささか無謀ではないのか?」  「如何に」と問うてから、バルゴンは部下たちに構えることを命じた。それに従い、他の3人の竜人も曲刀を抜いて身構えた。いずれもヘルクレズ達に劣らぬ巨大な体躯をした竜人ばかりである。バルゴンの言う通り、無謀な戦いに思えるものだった。  ただヘルクレズとガッズは、数多の戦いをくぐり抜けた武人である。強大な相手であればあるほど、臆すのではなく喜ぶぐらいだった。 「そちらこそ、我らに敵うと思っておるのか?」  笑止と言ってのけ、ヘルクレズはホグワーツを突き出した。 「ただ、ぬしらの相手は我らではない。我らは、ただ時間稼ぎをしているだけだからな」  ふんとヘルクレズが鼻で笑った時、何かが扉を破って神殿の中に飛び込んできた。その姿を見たバルゴンが、「よもや」と驚きに目を見張った。 「パララケスっ!」  パララケスと呼ばれた竜人は、「不覚を取りました」とすぐに立ち上がった。一方壊れた扉から、ベアトリクスを連れたニムレスが現れた。大きく息を吐いたニムレスを見て、「来たか」とヘルクレズは満足そうに頷いた。  ヘルクレズ達の姿を認めたニムレスは、これが予定されたことなのだと理解をした。そしてベアトリクスに、「アーシア達を見ていてくれ」と子供達を託した。  小さく頷いたベアトリクスは、急いで階段を駆け上っていった。 「俺の家族に手を出す者を許すと思っているのか?」 「お前の許しなど必要としていないのだがな」  ふんとバルゴンが笑ったところで、何者かが神殿の壁を破って現れた。ヘルクレズより大きな体をしたその生き物は、紫色の体とエラの張った顔、釣り上がった瞳の嫌らしい顔をしていた。その巨大な生物が5匹と、多くのアコリが壁を乗り越えて神殿の中へと入ってきた。 「どうやら、少し先走ってくれたようだ」  乗り込んできたニダアとアコリを見たバルゴンは、「どうする?」とニムレス達を見た。 「早速遊んでみることだ」  くいっとバルゴンが指で合図をしたのに合わせ、ニダアとアコリがニムレス達のところへ殺到してきた。力感満々の棍棒による攻撃を、ヘルクレズとガッズの剛力が易々と受け止めた。そして脇をすり抜けていこうとするアコリを、ガッズが大剣で薙ぎ払った。 「ニムレス殿は、おなご達を守ってくだされ」 「しかし、俺はっ!」  ここで敵に背中を見せる訳にはいかない。反発の言葉を口にしたニムレスに、「王のご命令だ」とヘルクレズは声を張り上げた。 「貴殿は、王の命令に背くと言うのか!」 「まあ、ここは俺達に任せることだな」  ほら行けとガッズに手で追い払われ、ニムレスは屈辱に唇を噛み締めた。だが皇の命令に背く訳にも行かず、「任せたぞ」と言い残して階段を上がっていった。 「こいつらは、潰しても良いんだったな」 「そう言う命令だったが、急ぐなと言うのが王のご命令だ」  ニダアの相手をしながら、バルゴン達にも注意を払わなくてはならない。相手の実力が並々ならぬこともあり、さすがの二人もさほど余裕があるわけではなかった。しかも足元でアコリがウロウロするのも、戦う上で鬱陶しいことこの上ないものだった。  アコリを蹴散らしながら階段を上がったニムレスは、「こっちだ」と呼ばれて一番奥の部屋へと入った。空き部屋となったその部屋に、ビッグママを始めとした6人が身を寄せ合っていた。 「武器、と言っても斧はさっき折れてしまったな……」  アコリは驚異ではないとは言え、素手で戦うのは荷が重かった。少し考えたニムレスは、「貸してくれ」とベアトリクスから手斧を受け取った。明らかに小ぶりで頼りがないのだが、アコリ相手ならこれで十分と思えるものだった。  何かが扉を叩いているのは、アコリが前に殺到しているからだろう。このまま放置すれば、扉を破って入ってくるのは想像に難くない。「固まっていろ」と命じたニムレスは、扉のノブに手をかけ勢い良く手前に引いた。そして勢い余って転がって来たアコリを、手加減することなく外へと蹴り出した。そして後ろ手でドアを締めて向かい合った先には、10匹ほどのアコリがニダニダと嫌らしい笑いを浮かべていた。  そのアコリを前に、ニムレスはニヤァと口元を残忍に歪めた。 「俺は今、ものすごく機嫌が悪いんだっ」  仕方がないこととは言え、強敵との戦いから外され、今は雑魚だけを相手にしている。戦っている二人の実力に疑いを持っていないが、その立場に甘んじるのは10剣聖の誇りが許してくれない。だが皇の命令を持ち出された以上、10剣聖だからこそ従わなければならなかった。  その憂さを晴らすには、アコリでは不足そのものでしか無い。だが何も無いよりマシと、ニムレスは喜々として殺戮に手を染めた。  ニムレスが軽く手斧を振るだけで、目の前にいたアコリの首が跳ね飛ばされる。一瞬遅れて吹き出した血が、神殿の廊下をどす黒い色に染めていった。 「こいつらは、放っておくと生き返ってくるんだったな」  厄介な性質だが、知っていれば足を救われることはない。続いて襲いかかってきたアコリの首を跳ね、胴体を離れた所に蹴飛ばした。そして続いて襲ってきた2匹も、同じように首を跳ねて殺してやった。  その圧倒的な力に、アコリの目に怯えたような色が浮かんだ。それでも襲いかかってくるのは、自分は死なないと思っているからだろうか。ニムレスは、そんなアコリを殺し続けた。  この程度の生き物なら、束になってかかってきても物の数ではない。だが「初めて」の殺しに、ニムレスの気持ちは大いに昂ぶっていた。皇の命令に対する不満も、アコリを殺す快感の前にどこかに忘れ去られていた。だがヘルクレズ達をすり抜けてくるアコリには限界がある、ニムレスが少し暴れただけであっというまに殺し尽くされてしまった。  そしてニムレスの暴虐が過ぎ去った後には、どす黒い血の海が広がっていた。そのむせ返るような血の匂いと、殺されたアコリが排泄したものの異臭が2階に漂っていた。ぴちゃぴちゃと血の海の上を歩いたニムレスは、6人が隠れる扉の前で仁王立ちをしたのである。 「ベアトリクス、中は大丈夫か?」 「あ、ああ、窓からは何も見えないぞ」  声色が硬いのは、襲われたと言う気持ちからなのだろう。ただ気持ちの高揚したニムレスは、そんな些細な変化には気づいていなかった。 「ビッグママ達は?」 「こ、怖がっているが、全員怪我もしていないぞ」  それならばいいと頷いたニムレスは、「おとなしく待っていろ」とベアトリクスに命じた。 「下の様子を確認してくる。すぐに戻るから、絶対に扉を開けるな」  強い口調で命じたニムレスは、ヘルクレズ達の様子を見るため階段の方へと向かった。だが階段に辿り着く前に、2体の竜人と出くわすこととなった。ニムレスの望んだ、強敵との回合である。 「俺の家族に手を出そうとしたんだ。生きて帰れるとは思うなよ」  血糊に濡れた手斧をかざしたニムレスに、「舐められたものだ」と竜人はぎりぎりと口から音を立てた。だが言葉とは裏腹に、とても用心深くニムレスとの間合いを詰めた。 「獲物は、一番奥の部屋と言うことだな」  散らばっている死体を見れば、何を守っていたかを知ることができる。そして目的はアーシアの殺害なのだから、別に目の前の壁を壊す必要もなかった。一人がニムレスを抑え、もう一人がアーシア達を殺害すれば、目的は達せられる。  そこで眼と眼で会話を交わしたのは、己達の意図をニムレスに悟られないためである。都合が良いことに、殺されたアコリの中の1匹が、生き返って後ろから襲いかかろうとしていた。その攻撃を隠すため、竜人二人は殺意を膨れ上がらせニムレスへと一歩近づいた。 「自分が強者と言うのが思い上がりと言う事を教えてやろう」  ニヤリと笑って曲刀を振り上げたタイミングで、アコリがニムレスの背中を短剣で突き刺した。刺し傷自体は大したことの無いものだったが、虚を疲れた驚きと痛みに、敵への注意がそれてしまった。  それを狙い済ませた竜人二人は、曲刀で切るのではなく体重を生かして体当たりをしてきた。さしものニムレスも、体勢が崩れたままでは竜人二人の突進を支えきれず、弾き飛ばされるように一番奥の扉まで交代させられた。そして竜人二人は、そのままの勢いでニムレスごと最後の扉を突き破った。 「家族を守るのではなかったのかな?」  ニヤリと笑った竜人二人は、用心深くニムレスとの間合いを計った。下で仲間が強敵二人を押さえ込んでいる以上、邪魔が入る恐れはない。10体配したニダアで、町の蹂躙も進んでいるはずだった。ならば後は、焦ることなく確実に目的を達成すればいい。  竜人二人の獲物である曲刀に比べ、ニムレスの獲物は貧弱な手斧が一つである。強靭な肉体を持つ竜人相手だと考えると、さすがのニムレスにも分が悪いことは確かだった。特に守るべきものを背中に抱えた戦いは、ニムレスの戦いを大きく縛っていたのである。  ジリジリと間合いを詰められたニムレスは、相手を牽制しながら後ろに下がるしかなかった。自分一人なら打開も可能なのだが、それをした時には後ろの6人の命は刈り取られることになってしまう。  ピンと空気が張り詰めた中、突然アーシアに天啓が降りた。それが本当に天啓なのかは疑わしいが、何かが「そうするんだ」とアーシアの心に命じたのだ。「あの人を助けたいんだったら、僕の言うことを聞くんだ」と。  その天啓に従ったアーシアは、「ニムレスさん!」と大きな声を上げて後ろから飛び出した。そして虚を突かれた竜人二人の前で、同じように虚を突かれたニムレスに抱きつき唇を重ねた。 「よもや!」 「しまった!」  と竜人二人が声を上げたその時、ニムレスの目の前に光り輝く桃色をしたリスのような動物が現れた。 「ピッツが、主を決めたかっ!」  それまでの慎重さをかなぐり捨て、竜人二人はニムレスに切りかかった。だがその刃は、ニムレスの目の前で見えない壁に遮られた。 「光の聖獣の力かっ!」  竜人の一人がそう叫んだのだが、すぐに状況がおかしいことに彼らは気づいた。自分達の刃が遮られたのと同様に、ピッツもまたなにか見えない檻のようなものに閉じ込められていたのだ。見えない壁をカリカリと前足で壊そうとするピッツに、竜人達は一歩下がって「何が起きている!」と声を張り上げた。  理解を超えた事態にニムレス達が呆然とした時、「聖獣捕獲だね」とよく知る、そしてどうしてと言いたくなる声が聞こえてきた。 「皇よ、これはどう言うことなのかっ!」  竜人達の背後に現れたトラスティに、ニムレスは怒鳴るような大声を上げた。 「コレクアトルの後始末……かな。守護獣システム……まあ、連邦で使っているデバイスに似たものなんだけどね。名前だけが伝説として残った、カビの生えたような肉体強化システムだよ。なかなか用心深くてね、簡単には出てきてくれなかったんだ」  それがこれと。トラスティの手のひらの上には、いつの間にか見えない檻に入ったピッツが居た。 「君達の狙いは、これなんだろう?」 「それを知るお前は何者なのだっ!」  自分を警戒した竜人二人に、「星人(ほしびと)」で良かったのかな?」とトラスティは返した。 「こんなお粗末なものでよければ、君達の主に進呈するよ。その代り、ここは大人しく退いてくれるかな?」 「光の聖獣をお粗末なものと言うか」  ふんと鼻から荒い息を吐き出した竜人の一人は、「証を見せろ!」と要求してきた。 「我らは、主の命を受けてきたのだ。ただの言葉で、その命に背くことはできぬ!」 「なるほど、命令に忠実な良い部下なのだね」  小さく頷いたトラスティは、「ニムレス」とアーシアを抱き寄せたニムレスに声を掛けた。 「君に掛けた封印をこれから解く。僕に代わって、証を見せてやってくれ……それから、責任を忘れないように」 「はっ、只今っ……責任ですか?」  はてと首を傾げたら、なぜか目の前でアーシアが目を閉じて唇を突き出していた。 「君を助けるため、自分の身の危険を顧みずに飛び出したんだ。しかも、未成年の女の子の初めてのキスを貰ったんだよ。ちゃんと応えるのが、僕の言う責任なんだけどね」  だから責任と繰り返されて、「そんな場合では」とニムレスは言い返した。 「君は、僕の命令を聞けないと言うのかな? 今度こそ、二度と解けない封印をしてもいいんだよ」 「なるほど、生娘の唇にはそれだけの価値がある!」  どう言う訳か竜人の二人まで同意したため、ニムレスは逃げ道を塞がれてしまった。しかも目の前では、アーシアが目を閉じて背伸びをしてくれていた。 「あっ、封印はキスをしたら解けるからね」  だから早くと急かされ、「皇よ」と情けない顔をしてからニムレスはアーシアに唇を重ねた。すぐに唇を離そうとしたのだが、なぜかアーシアがしっかりとしがみついてくれた。 「やはり、責任を取る必要があると思わないか?」 「それを認めるのは吝かではないのだが……証を見せて貰わない限り、認める訳には参らんな」  にやにやと笑った竜人に、「賛成だね」とトラスティは悪乗りをした。そしてアーシアが疲れて離れるまで、全員がじっと見守っていた。 「皇よ、あなたは普通の仕掛けをしようとは思わないのですか」  ようやくアーシアが離れてくれたところで、ニムレスは心からの苦情を主へと口にした。 「失礼な。これが、一番丸く収まる仕掛けなんだよ」  さっさと証を見せろと急かされたニムレスは、「ベアトリクス」と恋人の名を呼んだ。 「アーシアを見ていてくれ」  そしてベアトリクスにアーシアを任せ、「待たせたな」と竜人達の方へと一歩進み出た。本来気持ちの高揚するところなのだが、残念ながらその前の出来事が悪すぎた。それでも久しぶりのカムイと、ニムレスは腹に力を入れて力の解放を命じた。 「リミットブレイク!」  力の解放の言葉と同時に、ニムレスの体は赤銅色に輝いた。そして今まで抑圧されていた力の奔流が、広い部屋の中を渦巻いた。そこに途方もない力を感じ、竜人二人は「おお」と感嘆の声を漏らした。 「確かめてみたければ確かめてもいいけど。その代り、身の安全は保証しないよ」  どうすると問われた竜人二人は、「これ以上の証は不要なり」とトラスティに答えた。 「なるほど、お前達が星人と言うのは認めよう」  顔を見合わせた竜人は、小さく頷くとトラスティにそう告げた。 「だが我らも、主から名を受けた身。手ぶらで帰る訳に参らぬのだ」 「この子を殺さないのなら、こんなものぐらいあげても構わないのだけどね」  その答えにもう一度顔を見合わせ、「ご同行願えるか」と竜人の一人が尋ねた。 「それぐらいは構わないんだけどね……ただ、ここの後始末をしていく必要があるんだ。あのアコリとでかいのだけど、お引取り願えないかな?」  その依頼に頷いた竜人は、「申し訳ない」とトラスティに謝った。 「あれは、一度解き放たれてしまうと、殺す以外に始末のつけようがないのだ」 「そう言う面倒なものを使うのかねぇ……」  小さく肩を落としたトラスティに、「皇よ」とニムレスが一歩進み出た。そんなニムレスに、「呆れただけだ」とトラスティは答えた。 「ヘルクレズとガッズに、遠慮はいらないと言えばいいだけなんだけどね……」  そこでもう一度息を吐いたトラスティは、「人の迷惑を考えようよ」と竜人二人に文句を言った。  そんなトラスティに、「主の命令に従っただけだ」と竜人二人は言い返した。 「したがって、その苦情は我らが主にお願いする」 「そうなんだろうけどね……」  もう一度ため息を吐いたトラスティは、「見ていてくれ」とニムレスに命じた。そして竜人二人に、「付いてくるように」と依頼をした。 「とりあえず、この場を収める必要があるだろう」 「その時は、光の聖獣を携えていってはいただけないか?」  それもまた、自分達を偽っていない証となるのだと。竜人の申し出に、確かにそうかとトラスティは認めた。 「しかし皇よ、それはいかにも不用心ではないのか?」  襲ってきた者と、護衛もつけずに行動すると言うのだ。護衛として付いてきたニムレスにしてみれば、受け入れがたい指示に違いない。  そんなニムレスに、「コスモクロアがいるのにかい?」とトラスティは聞き返した。 「この二人ぐらいなら、あっと言う間に塵に変えることができるんだけどね?」  そこでコスモクロアを持ち出されれば、ニムレスもそれ以上抗弁することはできない。「失礼しました」と頭を下げるのも、コスモクロアの実力を知っていればおかしな事ではなかった。 「ところでニムレス、廊下の掃除は君に任せればいいのかな?」 「あれを掃除するのですか……」  いかにも嫌そうな顔をしたニムレスに、「気持ちは分かるけどね」とトラスティは笑った。 「早く片さないと、臭くて手に負えなくなるよ」 「消し飛ばす……と言うのは、この中では無理と言うことですか」  大きくため息を吐いたニムレスに、「そう言うことだ」とトラスティはもう一度笑った。 「さて、1階の騒ぎを収めに行こうか? それから、これは君達に渡しておくよ」  無造作にピッツの入った透明の檻を渡され、竜人二人は大きく目を剥いてしまった。檻の仕掛けが分からないとは言え、こんなに簡単に光の聖獣を渡す考えに面食らってしまったのだ。 「とにかく、早めにケリを付けることにしよう」  そう言って扉を開けたトラスティは、目の前に広がる血の海に一歩後ろに下がってしまった。 「流石に、これは酷すぎるか……」  手で口元を押さえたトラスティは、パチンを音を立てて右手の指を鳴らした。その音を合図にノブハル謹製の物質変換システムが起動し、目の前に広がった血と汚物の海が綺麗さっぱり消滅してくれた。 「これは、浄化の奇跡なのかっ!?」  もう一度驚いた竜人に、「元素変換と言う科学だよ」と説明をした。そしてズカズカと1階に降りていき、ヘルクレズとガッズに、アコリとニダアの始末を命じた。 「ようやく、お許しが出ましたか」  そこでため息を吐いたのは、ヘルクレズ達なりにストレスが溜まっていたのだろう。「御意」と答えたと思ったら、ホグワーツの一振りでニダアの首がどこかに消し飛んだ。そして次の一振りで、別のニダアが頭から叩き潰された。  一方でガッズは、大剣を振り回してニダアとアコリを蹴散らしていった。あまりにも容赦の無いやり方に、逆にアコリに同情するぐらいだった。そして高みの見物をしていた竜人たちも、その力に戦慄を覚えていた。  そしてトラスティが指示を出した5分後、沢山いたニダアとアコリは血の海に沈んでいた。その凄まじさを見せつけられたバルゴンは、「手加減をされていたと言うことかっ」と少し忌々しそうに吐き出した。 「君の立場から見れば、そう言うことになるのだろうね」  そこでパチンを指を鳴らすと、アコリの血反吐や死体が綺麗サッパリ消滅してくれた。そしてその奇跡に、バルゴンもまた「浄化の奇跡か!?」と目を丸くして驚いた。 「こんなものは、元素変換と言う立派な科学だよ」  これで神殿への襲撃は決着がついたことになる。それを確認したトラスティは、「ヒナギク」とゴースロスのAIを呼び出した。その呼出に答え、茶色の髪をセミロングにした、10代に見える可愛らしい少女が現れた。 「リュースの方はどうなってる?」 「リュース様なら、遊ばれていますね」  あまりにも予想通りの答えに、「ああ」とトラスティは高い天井を見上げた。 「そろそろ家に帰る時間だと伝えてくれないか?」 「さっさと終わらせてこっちに来いでいいんですね」  了解と軽く答えたヒナギクは、「じゃあ」と言ってトラスティの前から姿を消した。  それに驚いた竜人5人に、「納得は行ったかな?」とトラスティは問い掛けた。 「うむ、あなたが星人と言うのは確かなのだろう」  トラスティの立場を認めたバルゴンは、「ご同行いただけるのか?」と尋ねてきた。  そこで少し考えてから、「いや」とトラスティは小さく首を振った。 「こちらにお出で願うことにしよう。なに、お連れするだけならさほど時間は必要ないからね」 「我らは、一度主のもとに戻っても宜しいか?」  ピッツを確保した以上、主に引き渡すのが彼らの使命となっていた。それを持ち出したバルゴンに、「構わないよ」とトラスティは軽く答えた。 「おまけに言うのなら、僕達を無視してくれても構わない。そして無視されたからと言って、君達の主の乗った船を攻撃しようとは考えていないよ」  好きにすればいいと口にしたトラスティは、「ヒナギク」ともう一度ゴースロスのAIに声を掛けた。 「彼らを送り込む先の座標は分かっているかな?」 「庭にいるちっこい人はどうします?」  小人の男を持ち出したヒナギクに、「一緒に送ってくれ」とトラスティは命じた。 「君達の主が、賢明な判断をすることを期待しているよ」  じゃあとトラスティが声を掛けたのと同時に、バルゴン達5人の姿が神殿の広間から消失した。もちろん彼らに渡したピッツも、透明な檻ごと姿を消した。  楽しかったとリュースが現れたのは、そのすぐ後のことだった。リュースに連れられたマリーカは、「少しのけが人だけでした」と町の状況を報告した。 「守護騎士団……でしたっけ? その人達は、多分首を傾げていると思いますけどね」  「リュースさんは楽しんでましたけど」と苦笑を浮かべたマリーカは、「一件落着ですか?」とトラスティに尋ねた。 「とりあえず、終わったかなってところだね」 「それで、賭けの方は?」  どうですと問われ、ああとトラスティは頷いた。 「それは、明日分かると思うよ」 「つまり、今の状況が変化すると言うことですか」  なるほどなるほどと頷いたリュースは、「これからどうします?」と尋ねた。 「ビッグママに挨拶をしてから、ここを引き上げるってところかな?」  もちろんニムレスを残してと言うトラスティに、「それナイス」とリュースは笑ったのだった。  大量のアコリによる襲撃も、終わってみれば特段の被害は発生しなかった。それ自体は喜ばしいことに違いないのだが、最前線で戦った守護騎士団にしてみれば、めでたしめでたしだけでは終わらせることはできない。ただ問題は、怪我の治療を受けた者達にも、何が起きたのかが理解できないことだった。  何しろ死んだなと意識がなくなったと思ったら、いきなり明るいところで目覚めたのだ。しかも銀髪に濃い藍色の瞳をした美しい女性に出会い、「大丈夫ですよ」と微笑まれてしまった。そして次の瞬間、元いた場所に送り返されたのだ。なんの説明も受けていないのだから、事情を理解しろと言うのは無理な相談に違いない。だから同じ目に遭った者達は、口を揃えて「豊穣神様の奇跡だ」と主張したのである。 「俺も、その豊穣神様にお会いしてみたかったが……」  声を揃えて奇跡を主張する者達に、団長は少し羨ましそうにそう口にした。ただその前の出来事……ニダアに殴り飛ばされ、アコリに寄って集って襲われたことを考えると、やはりいいかと思えてしまった。 「しかし、よく撃退できましたね。やはり、これも豊穣神様のご加護ですか?」  帰ってきた一人に問われ、「かもしれんが」と団長は言葉を濁した。 「俺達だけでは、支えきることすらできなかったからな」  そこで介入してきた女性を思い出し、「勇者が現れた」と団長は答えた。 「水色の髪をした年若い女性なのだが。いきなり現れたと思ったら、でかいやつを素手で殴り殺していったんだ」 「素手で、ですか?」  一体どんな猛女なのか。話を聞かされたものは、筋骨隆々の巨女の姿を思い浮かべていた。 「本当に、女だったのですかい?」  それを疑問に感じたとの質問に、「年若い美しい女性だった」と団長は答えた。 「体など、そこらの町娘よりも華奢なぐらいだ。少し不思議な格好をしていたが、頗る付きの美人には違いなかったな」 「おう、その美女が、でかいやつの棍棒を素手で受け止め、次々に殴り殺していったんだ。アコリ共も一斉に襲いかかったんだが、次の瞬間まとめて跳ね飛ばされていたな」  凄いものを見たと言う別の男に、「俺も見たかった」と帰ってきた男は羨ましそうに言った。 「お前は、豊穣神様にお会いしたのだろう?」  どっこいどっこいだと言い返され、「そうなんですけどね」と男は不満そうな顔をした。 「どっちか一方ってのは、なんか悔しいじゃないですか」 「そりゃ、そうだが……」  少しだけ別の男が口元を歪めたところで、「無駄話はここまでだ」と団長が介入した。 「後始末をしないと、祭りが湿気たものになっちまうからな」 「そりゃあ、そうなんですけどね……」  あえて触れないようにしていたのか、団長の言葉に男達はげんなりとしかおをした。ちょっと首を動かしてみれば、辺り一面にアコリとニダアの死骸が転がっていたのだ。しかも生き返らないようにと徹底的に殺されたので、ちぎれ飛んだ肉片と血の海が広がっていた。 「豊穣神様が手を貸してくださったのだ。ならば、俺達は感謝の気持ちを祭りに込めないといけないんだ」 「きっと、そうなんでしょうね……」  それが分かっていても、気持ちが萎えてしまうのは仕方がない。「気が進まない」とぼやきながら、男達は後始末に取り掛かったのである。  そんな守護騎士団の努力が実り、明るくなった頃にはアコリとでかいのの死骸は綺麗に片された。血と汚物の匂いが多少残ったぐらいが、昨夜の痕跡と言うことになる。  そして「豊穣神様のご加護」があったと広まり、収穫祭本祭は例年にまして盛大なものになった。そして「豊穣神様のご加護」があったのだから、多くの者達が神殿に参拝しに来ていた。そのお陰で、ビッグママとアーシアは、朝からてんてこ舞いの大忙しとなっていた。そしてそのバックヤードで、ニムレスとベアトリクスもまた忙しく働く事になったのである。  当たり前のことだが、牛達動物の世話には祭りと言うのは何も関係がなかったのだ。作業着を来たベアトリクスは、まるで女房のように甲斐甲斐しくニムレスの手伝いをしていた。  そんなてんてこ舞いの神殿をよそに、トラスティは「豊穣神」と「勇者」を引き連れて祭りを楽しんでいた。そして王妃のライスフィールは、トラスティと離れて助さん格さん……役のヘルクレズとガッズをお供にして同じように祭りで賑わう町を歩いた。迫力と存在感が半端ないお供なのだが、祭りに浮き立つ町の人々はちらりと視線を向ける程度だった。 「これが、祭りと言うものですか……」  凄い賑わいだと感心するヘルクレズに、「いいねぇ」とガッズはキョロキョロとあたりを見渡した。ちなみにこの二人、騒ぎのもとになるからと武器の携行をトラスティに止められていた。 「この町を見ていると、文化レベルは比較的モンベルトに近いと思います。ただモンベルトでは、宗教と言うものは廃れてしまいました。そのことに善し悪しを語るつもりはありませんが、ただこう言った催しが無いのは寂しいと感じました」  真面目な話を、ライスフィールは屋台をキョロキョロと眺めながら話すのである。しかも彼女の手には、砂糖がしっかりとまぶされたドーナッツのようなものが棒に刺されていた。その意味では、しっかりとお祭りを楽しんでいることになる。  そして供の二人も、串に刺した肉を頬張っていたのだ。 「ジェイドを悪いとは言いませんが。なにか、こちらの方が馴染みますな」 「あっちは、俺達には少しばかり上品すぎるんだろうな」  小遣いなら王に貰っていると言うこともあるが、祭りの屋台程度でお金に困ることはない。護衛の仕事をそっちのけにして、二人は屋台グルメに走っていた。ただそれを咎めるはずのライスフィールも、きゃあきゃあ言いながら露店に足を止めている体たらくである。しかも手にとるのが、いかにも安物……下手をしたら偽物の銀細工の指輪だった。 「しかし、王と歩かれなくてよろしかったのですか?」  色々と疑問を挟まれることはあっても、ライスフィールはトラスティにベタぼれだったのだ。それを考えれば、祭りを一緒に歩きたいと考えてもおかしくないはずだ。  それを持ち出したヘルクレズに、「昨日歩きましたよ」とライスフィールは笑った。 「私達の共有財産なのですから、独り占めするのは諍いのもとになります。それに、一人で歩くのも面白いものだと思いますよ。あの人と歩いていると、祭り以外にも気持ちが行ってしまいますしね」  だからですと言いながら、粗末な銀の指輪を自分の指に嵌めてみた。とても粗雑な作りなのだが、逆にそれが味わい深く見せていた。 「ただ、羽目を外せないあなた達には申し訳ないと思っていますよ」  少し口元を歪めたライスフィールに、「それは」とヘルクレズは意味ありげにガッズを見た。 「夜のお楽しみと考えております」  獣人もなかなかと笑う二人に、「程々に」とライスフィールは注意をした。そこで止めようと思わないのは、モンベルトの習慣が理由になっていた。しかも相手がそれを生業としているのなら、止めるのは営業妨害と言うことになる。それに妻を娶っていない二人なのだから、干渉するのは野暮に違いないのだろう。  物分りの良い主に感謝しながら、二人は「祭りですか」ともう一度辺りを見渡した。 「この習慣を持って帰るのは良いのですが。祭りの口実が必要となりますな」 「口実なんてものは、立ててしまえばいいんじゃねぇか」  例えばと、ガッズはトリスタニアへの帰還の日を持ち出した。 「その日を、新建国記念の日として祝日にして祭りを開けばいいんだよ」 「後は、ここと同じように収穫を喜ぶ日とかか?」  ヘルクレズの答えに、「そうそう」とガッズは頷いた。 「騒いでいるうちに、そのうち理由なんてものは付いてくるんだよ」 「いささか乱暴な考えにも思えるが……だが、お前の言うとおりなのだろうな」  二人の話を聞いていたライスフィールは、「そうですね」と小さく頷いた。 「800ヤー以上前なら、モンベルトにも祭りがあったはずです。それを調べてみるのも良いかもしれませんね」 「殿下のご成婚記念日と言うのもその候補になるのかと」  モンベルト復興には、トラスティと言う存在は欠かせないものとなっていた。そしてトラスティは、IotUの再臨とまで讃えられたのだ。それを考えれば、そこに嫁いだ日は、モンベルトにとって記念すべき日と言うのは間違いないことになる。  成婚記念日ですかと考えたライスフィールに、ガッズはその耳元でとても魅力的な理由を口にした。 「成婚記念の式典ともなれば、国王陛下の出席も必須となります」  つまりは、トラスティをモンベルトにつれてくる口実になると言うのである。確かにそれはいいとライスフィールが考えるのも、トラスティのスケジュールを考えれば不思議な事ではない。  一方女性を3人連れたトラスティは、特に本人は目立つことなく祭りを楽しんでいた。そのあたり、リュースが特徴的な水色の髪を隠していたのも役に立ったのだろう。せいぜいどこかの貴族様のお忍び程度に考えてもらえたのである。 「結構、楽しめた気がするかな」  跳ねるように歩きながら、リュースは「面白い」と言いながら屋台を冷やかして歩いていた。そしてそれに付き合いながら、「いいですよね、こう言うの」とマリーカも楽しそうにしていた。 「トラスティさんは、こう言ったお祭りの経験ってあるんですか?」 「レムニアの実体は知ってるだろう?」  質問を質問で返したトラスティに、マリーカは「あー」と少し天を仰いだ。 「あそこって、こう言うことをしそうにもありませんね」 「短命種の集まりでは、似たようなことはしていたけどね。ただ、こんな大掛かりなことはなかったね。やっぱり、個人主義が浸透しているからかな。ちなみに、シルバニア帝国でもお祭りなんて無いんだろう?」  話を振られたリュースは、「私に聞きますか?」と少し口元を歪めた。 「小さな頃から、近衛になるための訓練を受けていたんですよ。俗世のことなんか、耳には入ってきませんよ。ただ、あまりないんだろうなと言うのは想像できますけどね。何しろ神様は皇帝様だし、恵みに感謝するって言っても、全ての作物はアルテッツァの目が届いているんです。今更恵みにって言っても、ねえ」 「シルバニア帝国で、一番神様に近いのは実はアルテッツァと言うことか」  なるほどとトラスティは頷いたのだが、「ポンコツなのに」とマリーカが余計なことを口にした。ただここまでアルテッツァのネットワークは伸びていないので、彼女の耳には届くことがないだけだった。 「アルテルナタさんはどうですか?」 「クリプトサイトに、ですか……」  少し考えたアルテルナタは、「似たようなものはありますよ」と答えた。 「割と集落と言う考え方が残っていますからね。ですから、集落の行事と言う形でお祭りは残っているはずです。記録を遡れば、かなり変な祭りもあったはずなのですが……時代とともに、毒が抜けていったようですね」 「つまり、文明レベルの違いが現れてくると言うことか」  うんと小さく頷いたマリーカは、そこでライスフィールの名前を出した。 「だったら、ライスフィールさんはこのお祭りにかなり興味を持ってるってことかな」 「昨日は、確かそんなことを言っていたね」  その後に大きな事件があったので、その記憶もつい薄れがちになっていた。ただ祭りを導入すると言うのは、彼がモンベルト国王なのだから重要な課題となる。 「神への信仰は薄れたけど、天の恵みを喜ぶことぐらいはしてもいいのだろうね」 「モンベルト自体の復興を喜ぶのも大切だと思いますよ」  特に今の世代は、長い苦しみを経験してきている。それを考えれば、今ならば祭りを開くことに大きな意味があることになる。そしてそれが続けられることで、モンベルトの中で伝統となっていくのだろう。  そんな事を考えていたら、「失礼します」とヒナギクが現れた。目立たないことを考えたのか、白いブラウスに長めのくさ色のスカート姿をしていた。ただ肉付きの薄い体のせいか、胸元は悲しいほどフラットになっていた。 「どうかしたのかな?」  胸元を見ながら問いかけてきたトラスティに、ヒナギクは少しこめかみを引きつらせた。 「惑星ボル……昨日の竜人達の母星なのですが。そこの代表夫人が、トラスティ様とお話をされたいそうです」 「なぜ、代表ではなく代表夫人なんだ?」  首を傾げたトラスティに、ヒナギクは「さあ」とだけ答えた。 「あちらからの依頼はそれだけです」  「どうします」と問われたトラスティは、少し考えてから「構わないよ」と答えた。 「それで、相手は時間を指定してきたのかな?」 「こちらの都合に合わせるとのことです」  その答えになるほどと頷き、4時間後とトラスティは指定した。 「場所は、ビッグママにお願いをすることになるのだろうね」 「昨日の神殿と言うことですね」  了解しましたと答え、ヒナギクは一同の前から姿を消した。 「ようやく、トラスティさんにも女性の匂いがしてきましたね」  すかさずツッコミを入れたマリーカに、「人妻だよ」とトラスティも言い返した。 「カナデ皇とかドラセナさん、アルマシアさん、リンさんって前例があるのに? ああ、アガパンサスさんもいましたよね」  相手が人妻だろうと関係ないだろうと指摘され、「事情が違うと思うよ」とトラスティは肩を落とした。 「とりあえず、遅いランチをとってから神殿に行くことにしよう」 「あの獣人の女給仕の子がいる酒場に行きますか」  結構美味しかったしと笑うリュースに、マリーカも「賛成」と手を上げた。「構わないけど」とトラスティが認めたことで、今日のランチは決まったことになる。  すでに騒動の素は解決したので、後は残された時間をどう楽しむかにトラスティの気持ちは向いていた。その中には、ニムレスの女性関係が含まれいるのは当然のことだった。  ラクエルが神殿を訪れたのは、日の暮れてすぐの時間だった。お陰で神殿の中は大忙しで、来客の対応どころではなくなっていた。  神殿に現れた時のラクエルは、体にピッタリとして黒の服に、同じく黒のマント姿をしていた。シャノンが好きな長い黒髪も、編み上げずにサラリと背中に流されていた。そしてお供として、側近のオハイオと竜将バルゴンを連れていた。  一方のトラスティは、后のライスフィールを隣に置き、護衛としてリュースを配すると言う陣容である。リュースの実力を知らなければ、無防備にも見える配役でもある。 「光の聖獣、ピッツの引き渡しに感謝いたします」  自分に向かって頭を下げたラクエルに、「大したことはしていません」とトラスティは笑った。 「あんなもののために、可愛らしい女の子の命が狙われる。そんな理不尽が許せなかっただけですよ。可愛い女の子と言うのは、愛でて可愛がってあげるものだと思っているんです」  それが行動理由だと語るトラスティに、ラクエルはしっかりと頷いて同意を示した。 「そのお考えには、深く賛同させていただきます」  「ただ」と、ラクエルは少しだけ表情を険しくした。 「私の夫は、平和的に7星の連合を進めていこうと考えております。理由は幾つかありますが、その一番大きなものは、コレクアトルの遺した技術が失われるのを防ぐためです。このまま放置すれば、宇宙に出る技術だけでなく、各地で生産を続けている工場の稼働も危うくなるのです。可能な限り戦争を避けているのは、戦争で失われる技術を惜しんだからとお考えください。そして聖獣を確保していたのは、こつこつと積み上げたものをいきなりひっくり返される事を避けるためです。あなたは「あんなもの」と仰りましたが、私達にとっては無視し得ないものだったとご理解ください」  自分達の立場を説明したラクエルに、トラスティは「理解できます」と頷いた。 「大局を見た場合、あなたと夫君のお考えは間違っていないでしょう。大っぴらに動けば、それだけ争いの理由になるのも分かっています。それを避けるため、アコリでしたか。その襲撃に紛れる形で保有者である少女を暗殺する。そして証拠を消すため、関係者も合わせて抹殺する。効率の面でも、否定することはできないと思いますよ。あなた方に残された時間は、さほど多くないのは分かっていますからね」  「為政者として」とトラスティは自分の意見に注釈をつけた。 「そして個人的な感情として、家族同様の者が殺されるのを見過ごす訳にはいきません。ビッグママとアーシアさんには、私の配下が命を救われていますからね。その後もお世話になっていますから、彼にとって家族同様の人達なんですよ。だから命を救うだけでなく、彼女達の生活している環境を守ることにしました」  そこでバルゴンの顔を見たトラスティは、「彼らの活躍もありますね」と竜人を持ち上げた。 「竜人でしたか。彼らが無法者なら、相応の対処をしたでしょう。ですが彼らは、命令に従い、とても冷静な対処をしてくれました。ですからこちらも、双方が納得できる条件を考えることにしたと言うことです」 「私達の対処次第では、あなた方が敵に回ったと言うことですか?」  ラクエルの問いに、「そうですね」とトラスティはあっさりと認めた。 「ここに侵入した竜人の方達5人と、そしてあなたの乗った船を沈めていたでしょうね。そしてボルでしたか、あなたの夫君に対して攻撃を仕掛けていたと思いますよ」  あり得たかもしれない未来に、ラクエルははっきりと顔を青くした。ここまでの移動を考えても、相手の持っている科学力は桁が違っていたのだ。そんな相手と敵対したなら、惑星ボルの壊滅は避けられるはずがない。  もっともトラスティの言っていることは、かなりのハッタリと言うのも確かだった。事情がどうあれ、自分が攻撃を受けて居ない以上、現地人への攻撃は連邦憲章への重大な違反とされていた。 「とまあ脅かしはしましたが、あなた達はとても冷静で合理的な対処をされていました。ですから、これ以上聖獣……でしたか、それを集める動機を消滅させることにします」  そこでトラスティが持ち出したのは、ある意味の「契約」だった。 「提供する技術はかなり絞らせていただきますが、こちらから宇宙技術と工業維持のための技術を提供します。そしてあなた方からは、何らかの対価をいただく……と言うのがこの場での提案と言うことになります」 「私達から提供できるものがあると?」  少し驚いたラクエルに、「いろいろと」とトラスティは答えた。 「私達は、非常に多くの星々を知っています。そしてその中でも、7つ星でしたか。かなり変わっていると言うのは確かなんです。観光資源という意味では、文化的なものを含めて有望なのでは無いでしょうか。ただ最終的に何を見返りにするかは、詳しい者と話していただくことになります」 「私達が搾取の対象となるのであれば、受け入れられないのですが……」  そこで悩んだラクエルに、「そこまで阿漕ではありませんよ」とトラスティは笑った。 「そしてこの話は、先行してあなたの星、ボルでしたか。ボルだけと契約を結べばいいと思っています」 「そうすれば、他の星々も慌てて契約を結びたがると言うことですね」  悪どいですねと笑うラクエルに、「合理的な判断だ」とトラスティは胸を張った。  そして「合理的判断」との答えに、ラクエルは「確かにそうですね」とそれを認めた。 「私達に不都合がないのですから、欲を掻いてはいけないのでしょうね」 「現実的な判断だと思いますよ」  そこでトラスティは右手を差し出したのだが、その行為に対してラクエルが身を固くして頬を赤くした。そしてその隣で、今にも飛びかからんがばかりにバルゴンが腰を浮かした。 「……なにか誤解がある、と言うのか。文化が違うのはよく理解できました。僕達の星では、話し合いが合意に達したときに、「握手」と言ってお互いの手を握ると言う事をするんです。まあ挨拶のときにも、握手はするのですけどね」  そう言って右手を収めたトラスティに、ラクエルは「ほっ」と息を吐いて体から力を抜いた。 「こちらこそ。私達のところでは、こう言った場で女性に右手を差し出すことには別の意味があるのです」  それ以上の説明はなかったが、ラクエルとバルゴンの態度で言われなくても理解はできた気がした。特にバルゴンの態度を見れば、女性に対して屈辱的な意味を持つことが想像できたのだ。  そう答えたラクエルは、「お立ち願えますか?」とトラスティに声を掛けた。 「私達流のやり方をお見せしたいと思います」 「立てば宜しいのですね」  そう言って立ち上がったトラスティに、「お話ができてよかったと思います」と言いながら、ラクエルは抱きついてきた。そこで軽く手を回したラクエルだったが、ちらりと見たバルゴンは特に問題とした様子を見せなかった。 「この挨拶は、男女の区別はございませんよ」  だからそちらもと言われ、トラスティは軽くラクエルの背中に手を回した。 「先程のものは、二人きりの時にお願いします」  トラスティの耳元で小声で囁いたラクエルは、「セレモニーは終わりですね」と離れてくれた。 「これからは?」 「アーシアさんの豊穣神への踊りが披露されるはずです」  それを見ようと言うトラスティに、「それはいい」とラクエルは嬉しそうに頷いた。 「確か、番う殿方を決めたと伺っています。でしたら、とても美しい踊りになるのでしょうね」 「思いを込めるよう、アドバイスをしてありますよ」  行きましょうとラクエルの背中に手を当てようとしたら、「トラスティ殿」とバルゴンから厳しい声が発せられた。そこで顔を見たら、ゆっくりと首を振ってくれた。  抱きつくのが良くてどうしてこれが駄目なのか。解けない疑問を感じながら、トラスティは舞台の袖にラクエルを案内したのだった。  豊穣神に奉納する踊りは、日もとっぷりと暮れたところから始められた。明るい内は楽団が使っていた踊りの舞台も、今はアーシアただ一人のためのものとなる。すでに食事を終わらせた人々が、祭りのフィナーレとなる舞台を見に集まっていた。前評判で色気が足りないと言われていた割に、舞台まわりには例年よりも大勢の人達の姿を見ることができた。  そして舞台が一番見やすい場所に、ベアトリクスを連れたニムレスが陣取っていた。ただ積極的にニムレスが場所をとったと言うより、ベアトリクスが「今更逃げらると思っているのか」とニムレスを引っ張って行ったと言う事情があった。  祭りのフィナーレにして、自分の成人を記念する踊りの前に、アーシアは楽屋とも言える神殿の部屋で最後の難問に直面していた。トラスティと買いに行ったとっておきの下着(上下セット)を着たところまでは、ちょっと恥ずかしいが問題はなかったのだ。ただその上に、黒のドロワと言うインナーに黒のシャツを纏ったところで考え込んでしまったのだ。実際にはこの上に隙間の多すぎると言うか、帯のようなもので作られた法衣を着ることになる。ただこの法衣は、隠しているようで何も隠していないと言う代物だった。このままでは、黒のインナーを晒しながら踊ることになってしまうのだ。 「ビッグママには、これでも着すぎと言われましたが……」  そんなはしたない格好で人前に出ていいのか。流石にこれはと臆したのだが、様子を見に現れたビッグママは少しも優しくなかった。 「ほら、やっぱり重装備すぎるでしょ」  と、はしたないと思っていたアーシアの考えを否定してくれたのだ。しかも言うに事欠いて、「女性的魅力が足りてないんだから」ととても失礼なことまで口にしてくれた。 「トラスティさんと、勝負下着を買いに行ったんでしょう? 今が、勝負をする時じゃないのかしら? 覚悟を見せないと、ニムレスさんも最後の一歩を踏み出してくれないわよ」 「私の、覚悟……ですか」  はっと顔を上げたアーシアに、「あなたの覚悟」とビッグママは繰り返した。 「周りにいる人達なんて、畑に生えている雑草だとでも思えばいいのよ。それが酷いと思うのなら、牛達だと思ってもいいのよ。そう考えたら、少しも恥ずかしいことじゃないでしょ?」  とても失礼な決めつけをしたビッグママは、「ニムレスさんも期待してるんじゃないの?」と悪魔の囁きをした。 「ここで重装備なんてしていったら、「やっぱりお子様なんだ」と思われるわよ」 「ですが、中央からお出でになられた方達は、そんなはしたない格好をされていませんでした」  なんとか反論の緒を見つけたアーシアに、ビッグママは彼女の胸元を見ると言う攻撃に出た。ちなみにそこに有ったのは、とても肉付きの薄い胸である。同様にお尻の方も、とても肉付きが薄かった。 「まさか、大人のあの人達と比べるつもり?」  違うわよねと決めつけられたアーシアは、ぐっと唇を噛んでビッグママの顔を見た。ただその程度のことでひるむほど、ビッグママも長く女をしていない。「その程度の気持なのね」と逆にアーシアを煽ってくれたのだ。 「つまり、この勝負はベアトリクスさんの一人勝ちってところなのね」  なあんだと落胆した振りをしたビッグママに、「違います!」とアーシアは言い返した。 「ニムレスさんは、私に口づけをしてくださいました」 「キスだけで満足するなんて……未成年の女の子じゃないんだから。豊穣神様の教えを忘れたのかしら?」  なってないわとため息を吐かれ、「満足していません」とアーシアはムキになって言い返した。 「だったら、もっと自己主張しないといけないんじゃないの?」 「ですが、下着だけと言うのは……」  それでも胸を隠す下着とショーツだけでは、流石に恥ずかしいと言うのである。そんなアーシアに、暗くてよく見えないわよとビッグママは言ってのけた。だったら中に着ていてもいいとも思えるのだが、「気持ちの問題」と続けてくれた。 「言ったでしょう。踊りでニムレスさんを誘惑するんだって。だったら、あなたがしなくちゃいけないことは分かっているんじゃないの?」  どうかしらと詰め寄られ、アーシアはビッグママをじっと睨みつけた。ただこの勝負、子供のアーシアが勝てるはずがない。ついっと顔を逸したアーシアは、黒のドロワーに手をかけた。 「あら、なかなか素敵なのを穿いてるわね」  上質なレースの飾りがついた、とても隠すところの少ない絹の下着がそこにはあった。そして上に着ていた黒のシャツを脱ぐと、薄い胸を隠す下着が現れた。こちらも絹でできているのか、艷やかな光沢を放っていた。それを見たビッグママは、うんうんと嬉しそうに頷いた。 「そんな素敵なのを着ているんだったら、隠していちゃ駄目でしょ」 「で、ですけど、ものすごく恥ずかしいんだけど……」  両手で胸と股間を押さえたアーシアに、ビッグママは「はい」と言って一応全身が隠れる法衣を渡した。ただ隠れはするが、帯状にひらひらとしているため、踊りを踊れば中身はしっかりと開帳される衣装だった。 「ニムレスさんに、あなたを見てもらうのよ。その後には、その下着も脱がせてもらうんですからね」 「この下着を、脱がせてもらうんですか……」  その光景を想像したのか、アーシアの顔は真っ赤に茹だっていた。 「そうよ、あなたの体をくまなくニムレスさんに見てもらうの。それに比べたら、その程度のことは大したことじゃないでしょ?」 「どっちも、もの凄く恥ずかしいんですけど……」  本当にと言う顔をしたアーシアに、「本当に」とビッグママは答えた。 「それができないと、ニムレスさんに可愛がって貰えないわよ」  それは嫌よねと、ビッグママはアーシアを追い詰めたのである。  そしてそれから20分ほど経過したところで、大勢の人が集まったステージで「シャン」と鈴の音がなった。いよいよクライマックスだと、集まった観衆達は大きな歓声を上げた。  その歓声から少し遅れて、舞台の袖からアーシアがしずしずと進み出てきた。長い金色の髪はまっすぐに整えられ、少し緊張気味の顔は凛々しく美しい造形をしていた。そこから下に目を転じると、白を基調にした法衣を見ることができる。金色の縁取りをした帯でできた法衣は、くるぶしまで届く長さをしていた。そして足元には、革紐を編み上げた白のサンダルを履いていた。  ゆっくりと中央に進み出たアーシアは、両手に持った鈴を掲げて「シャンシャン」と二度鳴らした。そして両手を大きく広げると、ゆっくりとその場で回転を始めた。  その動きに合わせて広がる法衣に、観客達は「おおっ」とため息にも似た声を上げた。綺麗な足が法衣から見えるのはいいが、その付け根を見るとあるのは白い小さな布だけだったのだ。 「攻めてるわね、あの子」  それを見たラクエルは、「若いっていいわね」ととても年寄りじみた感想を口にしてくれた。 「私にも、あんな時代があったんだけどね」 「いまでも、十分に若くみえるのだけどね」  苦笑を浮かべたトラスティに、「おばちゃんよ」とラクエルは自嘲気味に吐き出した。 「だから私を貰ってくれたシャノンが可愛いいし、それ以上に大切にしてあげたいのよ」 「だったら、誘惑するのは遠慮した方が良さそうですね」  そう言って笑ったトラスティに、「それとこれは別」とラクエルは言い返した。 「あなたの妻は、他の星から来た男にも誘惑されるような魅力的な女だって言ってあげたいのよ」 「誘惑だけで終わるのなら、いくらでも誘惑をしてあげるんですけどね」  小さく笑ったトラスティは、「今は彼女の踊りを見ましょう」とブレーキを踏んだ。「シャンシャン」と鈴の音を鳴らしながら、アーシアの踊りは少しずつ勢いを増していた。そしてその分、彼女の素肌が法衣の間から開帳されていったのだ。アーシアの頬が紅潮しているのは、果たして羞恥だけが理由なのだろうか。  そして踊りの激しさが増すに連れ、アーシアの姿はほのかな光りに包まれるようになっていた。 「それで、お前はどうするつもりだ?」 「どうするとは?」  思わず聞き返したニムレスに、「アーシアのことだ」とベアトリクスは答えた。 「お前も、この踊りがおまえにだけ向けられたものだと理解しているのだろう。アーシアにあそこまでさせておいて、それに答えてやろうとは思わないのか?」  どうだと改めて聞き直されたニムレスは、「幾つか質問がある」と返した。 「アーシアを受け入れたとして、お前はそれで構わないのか?」 「私も可愛がってくれれば、別に構わないと思っている」  それだけだとあっさり言われ、ニムレスは次の言葉に詰まってしまった。ただ言っておくことは大切だと、もう一つの疑問を口にした。 「どうして、俺が受け入れなくてはならんのだ?」 「つまり、お前はアーシアなどどうでもいいと言うことか?」  疑問を疑問で返されたニムレスは、「そこまで言っていない」とすぐさま言い返した。 「だが、俺である必要があるとは思えないだけだ」 「だがアーシアは、お前が良いと思っているのだ。だったら、答えなどすでに出ているではないか」  だからだと言い返されたニムレスは、人差し指を眉間に当てて少し考えた。 「なにか、もの凄く前提条件がおかしくなっている気がしてならんのだ」 「アーシアは、お前の恩人なのだぞ。ならば、その思いに応えるのも恩返しになるのではないか? それよりも、アーシア渾身の踊りなのだ。よそ見をしないで、ちゃんと見てやることだ!」  この話は終わりと。ベアトリクスは強引にニムレスの疑問を打ち切ったのである。  光りに包まれたアーシアの踊りは、時間とともに激しさを増し、それと同時に今まで以上に肌を晒すようになっていた。しかも激しい動きをすることで、体からは汗が吹き出してくれるのだ。下着で隠されていたはずのものが、そのお陰で布越しに浮かび上がってきていた。しかも興奮をしているせいか、しっかりと乳首が立っているのも分かってしまう。どこかで「ごくり」とつばを飲む音が聞こえたのは、アーシアの踊りに当てられたからだろう。  半ばトランス状態になったアーシアだったが、ビッグママの叩く銅鑼の音で正気を取り戻した。そして彼女を包んでいた光も、踊りが止まるのと同時にどこかへと消失していた。  初めは身を隠す役目を果たして居た法衣も、今は千々に乱れてその役目を果たしきれていなかった。その状態で舞台の最前列に進んだアーシアは、小さく会釈をしてから両手を前に差し出した。その動作につられ、会場に居た全員が両手を差し出された方向に視線を向けた。当たり前のことなのだが、そこにはニムレスが立っていた。 「ほら、アーシアが呼んでいるぞ」  さっさと行けと背中を叩かれたニムレスだったが、「どうしてだ?」と最後の抵抗をした。ただその場にいたのは、ベアトリクスだけではない。「ヒューヒュー」と冷やかす声が会場を包み、「どうした色男」とニムレスを揶揄する声が聞こえてきた。 「お前は、アーシアに恥をかかせるつもりなのか? それにあんな姿を、いつまでも他人の目に晒していて良いのか?」  観念しろともう一度背中を叩かれたニムレスは、いきなり誰かに背中を突き飛ばされてしまった。その強い力によろめいたニムレスは、誰だと後ろを振り返った。 「なぜヘルクレズとガッズまで……」  にやにやと笑う二人を見て、ニムレスは恨めしそうに肩を落とした。そして二人は、あっちを見てみろとばかりにトラスティの方を指差してくれた。当たり前だが、「さっさと前に行け」とトラスティは身振りでニムレスを煽ってくれた。  皇の命令にヘルクレズ達の圧力、そして観客からの冷やかしの声に、ニムレスはいつまでも抗うことはできなかった。ようやく覚悟を決めたのか、ずかずかと舞台の下へと進んでいった。  そしてニムレスが真下に来たところで、アーシアは舞台から身を投げた……と言うより、ニムレスの方へと倒れ込んでいった。当たり前だが、ニムレスはその肉付きの薄い体をしっかりと抱きとめた。その途端、会場の全員から大きな拍手と冷やかしの声が上がった。  流石にこれはないだろうとニムレスは途方に暮れたのだが、次の瞬間目の前の景色がガラリと変わってくれた。薄暗い神殿前の広場に居たはずの自分たちが、いつの間にか光の溢れるベッドルームに居たのだ。  ここはと狼狽えたニムレスに、アーシアは耳元で「可愛がってください」と可愛くお願いをしたのである。  突然二人が消えれば、人々に騒ぎが起きても不思議ではない。だが二人が消えてざわめきが起こったところで、「豊穣神様の奇跡だ!」とトラスティが大声を上げた。そして守護騎士団の男達からも、「そうだ奇跡だ」と賛同する声が上がった。その結果、二人が消えたのはめでたく「豊穣神の奇跡」で落ち着くことになった。そして奇跡を目の当たりにしたことで、更に祭りは盛り上がることとなった。 「空間移動でしたか。それを使ったと言うことですね」  素晴らしい演出だと感激したラクエルは、「感激しました」と言ってトラスティに右手を差し出した。 「い、いや、それはまずいんじゃなかったのか?」  そこで護衛のバルゴンを見たら、なぜか自分達に背中を向けてくれていた。しかも側近のオハイオまで、わざとらしく明後日の方向を見てくれる始末である。 「私にも、豊穣神様の奇跡をみせてほしいのですが? それとも、私には恥をかかせると言うのですか?」  そうなのですかと更に右手を差し出され、トラスティは助けを求めるようにライスフィールの方を見た。だが隣りにいたはずのライスフィールが、いつの間にかリュース達と話しながら離れていくではないか。しかももう一度バルゴン達を見たら、同じように楽しそうに話しながら離れていってくれた。  どうしてこうなるとトラスティが嘆いた次の瞬間、命令もしていないのに二人はゴースロスへと飛ばされていた。そこで「ヒナギク!」とAIを呼び出そうとしたのだが、どう言う訳か目の前に現れてくれなかった。 「一体全体、どう言う事になっているんだ?」  小さくため息を吐いたトラスティは、「コスモクロア」と己のサーヴァントを呼び出した。だがいくら呼んでも、なぜかコスモクロアまで姿を見せてくれない。流石におかしいだろうと首を傾げたトラスティの横で、ラクエルは着ていた上下を脱ぎ始めていた。 「妊娠の心配はありませんから大丈夫ですよ。お互いをよく知るためには、こうするのが一番いいと思いませんか?」  だからと言いながら下着姿になったラクエルは、「あなたも」とトラスティに裸になることを求めた。 「き、君には、旦那さんがいるんじゃないのか?」  一歩下がったトラスティに、「居ますけど?」とラクエルは首を傾げてくれた。そして下着を脱いで、一糸纏わぬ姿になってくれた。 「あなたは、女性に恥をかかせると言うのですか?」  ゆっくりと近づいてきたラクエルは、「キキーモラー、相応しい衣装を見繕って」と呪文のようなものを口にした。その呪文が発せられた次の瞬間、トラスティの着ていたものが消えてくれた。  「な、なんで」と慌てたトラスティに、「圧縮魔法なんです」と言いながらラクエルは抱きついてきた。そしてその勢いのまま、ラクエルはトラスティをベッドに押し倒したのだった。  女性が逞しかったと言うのが、今回の冒険におけるトラスティの総括である。しっかりとニムレスで遊んだはずなのに、最後は自分まで巻き込まれてしまったのだ。割と簡単に屈服をさせることはできたが、そこまで押し切る勢いが凄いと思ったのだ。そしてそれは、まだ幼いはずのアーシアも同じだった。 「皇よ、私はあなたに仕えていくのに疑問を感じるようになりました」  ゴースロスの展望キャビンで寛ぐトラスティに、隣に立ったニムレスはとても深刻そうな顔をしてくれた。 「そう言われても仕方がないとは思うけど。ただ、今更なのかな?」  前から変わってないよねと言い返した主に、「それはそうですが」とニムレスは認めた。 「では言い換えさせていただきます。疑問を深めた……のだと」 「別にそう思われても構わないんだが……それならそれで、カムイを取り上げて放り出すだけなんだけどね」  そうするかいと問われ、「それは」とニムレスは尻込みをした。 「その時は、彼女達と一緒にモンベルトに住むことになるんだけどね。少なくとも、食べ物はモンベルトの方が美味しいと思うよ」  なかなか良いだろうと笑う皇に、ニムレスは目元に皺を寄せた。 「……意外に魅力的な沙汰に思えてしまいました。モンベルトならば、ヘルクレズ殿、ガッズ殿もおられます。腕を磨くのには、悪くない環境なのは確かでしょう」 「言っておくけど、ライスフィールは僕のだからね。お腹の中には、4人目の子供もいるんだよ」  昔のことを論ったトラスティに、ニムレスはいきなり「ああ」と頭を抱えた。 「なんだい、そんなにライスフィールのことが残念だったのかな?」  ニヤリと口元を歪めてくれたのだが、ニムレスは「重要なことを思い出しました」と返した。 「モンベルトに行っても、そこの王はあなたではありませんか。ならばアークトゥルスにいるのと、何も変わりがないように思えてしまいます」 「心配しなくても、国政はお妃様に任せっきりだよ」  めったに顔を合わせることはない。そのつもりで口にしたトラスティに、「お恐れながら」とニムレスは言い返した。 「その事情は、リゲル帝国においても同じではありませんか?」 「確かに、カナデに任せっきりだったね」  あははと笑われ、ニムレスははっきりとため息を吐いた。 「事情は分かっておりますが、どうしても理不尽さを感じてしまいます」 「世の中には、そんなものだと諦めることが必要なことがたくさんあると言うことだよ」  そこで「座れ」とニムレスに命じたトラスティは、クリスタイプのアンドロイドを手招きをした。 「飲み物を持ってきてくれ」  「畏まりました」と用意に入ったアンドロイドを横目に、「どうかされましたか?」とニムレスは問うてきた。  そんなニムレスに、この旅の総括だとトラスティは答えた。 「君も、コレクアトルの名前ぐらいは聞いているだろう。彼らの星は、原因不明……現在調査中なのだけどね。原因不明の大災害に見舞われている。惑星すべてがこんがりと焼かれ、本当の一握りの人達が第4惑星に逃れていたんだ。そしてそのまた一握りの人々が、この恒星群に逃れてきて支配を確立した。第4惑星に残された人達は、冷凍睡眠状態で何時来るかわからない迎えを待っていたんだ」  その説明に、ニムレスは少しだけ驚いたような顔をした。 「私がフリートにいる間に、そのような調査をなされたのですか?」 「ああ、コレクアトルに興味を持ったのが理由だよ。そしてこのことは、すでに超銀河連邦に伝えてある。超銀河連邦から調査団が派遣され、冷凍睡眠状態の人達は医療船に回収されることになる。ただ未来視の結果、通常の解凍措置では約半数の人しか助からないことも分かっている。少しでも多くの人を救うため、アルテルナタに協力させることになっているんだ。蘇生された人達からのヒアリングと基地に残された情報を調べれば、焼かれた惑星で何が起きたのかを知ることができるのだろうね。そうすることで、突発的な災害に対する対処方法を考えることもできるんだ」  「それが、この冒険における真の成果」と言われると、感心するのと同時に理不尽さも感じてしまう。 「つまり、私のことはお遊びだった……と言うことですか?」  少し声を低くしたニムレスに、「どうだろうね」とトラスティは水色をした飲み物を口に含んだ。 「フリートの生活で、君が何も掴んでいないのなら……お遊びになってしまうのだろうね」  価値はお前が決めるとほのめかされ、ニムレスはううむと考えた。 「フリートで皇に言われた通り、私がカムイの力に頼り切っていたことは認めます。その力が失われた時、強敵にどのように臨むのか……普段使わない知恵を使ったのは確かなことでしょう」  その答えに頷いたトラスティは、モルドレードの助言だと言った。 「肉体の鍛錬において、君にはどこにも問題がないと言うことだよ。ただ己の後継者として考えた時、いかにも思慮が浅いと言うのが気になっていたそうだ。そして戦いにおいても、力任せになりすぎているとのことだ。だから君には、カムイに頼らない戦いを経験させたかったんだ」  とりあえず成果があったことになる。トラスティの言葉に、「仰る通りで」とニムレスは恐縮した。 「兄さん……剣神をいつまでも僕の都合で引っ張り回すことはできないからね。君には、その代わりを努めて貰いたいと思っていたんだ……ただ、そっちの方は少しだけ思惑が外れたと言うところかな」  少し口の端を吊り上げたトラスティに、「ご命令とあれば」とニムレスは同行を認めた。 「いやいや、君は良くてもベアトリクスさんとアーシアがどう思うのかな? 僕としては、あの二人に睨まれたくはないんだよ」  そこで「ヒナギク」とゴースロスのAIを呼び出したトラスティは、「二人はどうしてる?」と尋ねた。 「まだ、状況に適合できていない……と言うところですね」 「まあ、いきなりこれじゃ仕方がないのだろうねぇ」  くっくとこらえた笑いを漏らすトラスティに、「男の子達は違いますよ」とヒナギクは楽しそうに答えた。 「部屋の中を飛び回って、ビッグママに叱られています。その意味では、ビッグママは気が動転する暇もないようですね」  口元を押さえて笑うヒナギクに、「なるほど」とトラスティは頷いた。 「だったら、二人をここに連れてきてくれるかな?」 「少しだけお待ち下さい」  頭を下げてヒナギクが消えたところで、トラスティは口元を歪めて「二人はどうだった?」とニムレスを突いた。 「その、人は見かけによらないと言うのか……」  そこで天井のスクリーンを見上げ、「アーシアが積極的だった」とニムレスは答えた。 「昼間の性格と、綺麗に入れ替わっていたと言うのか……ベアトリクスは、まあ昼間と大差は無いのですが」  ううむと目元に皺を寄せ、「奥が深い」とニムレスは吐き出した。 「多分だけど、君は彼女達からもっといろいろなことを学ぶと思うよ。ただ、それが「必要なこと」などと言うつもりはないけどね」  そんなものだと笑ったところで、ベアトリクスとアーシアの二人が運ばれてきた。ベアトリクスは首元に飾りのついた白のブラウスにベストのようなものを合わせ、下は紺のパンツを履いていた。そしてアーシアは、ブルーと白の、少し深めのスリットが入ったワンピース姿をしていた。  二人の姿が現れたところで立ち上がったトラスティは、「こちらにどうぞ」と二人をニムレスの両側に座らせた。 「あと少しで、リゲル帝国主星アークトゥルスに到着する。そこで、みんなに君達を紹介することになるね」 「わ、私達を、ですかっ!」  緊張したベアトリクスに、「心配はいらない」とトラスティは笑った。 「一番偉い人が、大丈夫だと保証してくれるからね」 「で、でしたら、その御方への挨拶が必要なのかとっ。ど、どうかしたのか?」  緊張して居たところに、隣からニムレスに突かれてしまった。いきなりなんだと訝ったら、ニムレスは「もう終わっている」と口にしてくれた。 「そこにおわすお方が、リゲル帝国皇帝トラスティ皇だ」 「そんな偉いお方が、こんなところをほっつき歩いているとは……」  笑おうとしたベアトリクスだったが、あまりにも真剣なニムレスの表情にゴクリとつばを飲み込んだ。 「ほ、本当と言うことか……いや、ですか?」  恐る恐る顔を見られたトラスティは、「結構そそるな」ととんでもないことを考えていた。そして次は、このパターンを探してみようなどと、とても鬼畜なことも考えていた。  ただそんな事をおくびにも出さず、「緊張する必要はないよ」と笑ってみせた。 「昔、顔の形が変わるほど彼には殴られたことがあるぐらいだ」  その程度の男と、ニムレスの古傷をえぐってから、「気を楽にしていい」とトラスティは保証した。 「あそこは、とてもおおらかな人達が揃っているからね。多分だけど、ニムレスは盛大に羨ましがられるんじゃないいのかな?」 「……お披露目をしろと、まわりからせっつかれるのは目に見えております」  それを考えると、結構憂鬱に感じてしまう。ただそれにしても、自分の選択だと……考えることにした。 「これからのことは、ニムレスとよく話し合ってみるといい。それでも決まらないのなら、遠慮なく僕を頼ってくれていいんだ。なあに、君達の受け入れ先ぐらい、本当に星の数ほどあるんだからね」  それが、君達がデビューした世界なのだと、トラスティは、二人の女性に向かって笑ってみせたのだった。 続く