Stargazers 02  グルカ銀河と言う名は、2000年前に実在した大帝グルカ・ヤムントの名前を元に命名されたものである。そして銀河の名前にされるほど、大帝グルカはその銀河の中で権勢を誇っていた。なにしろ直径でおよそ20万光年の銀河のうち、およそ半分を帝国の領土としていたのだ。帝国に所属する星系の数は、およそ10万。そして人口にして、およそ1000兆が彼の帝国の臣民となっていた。  そして大帝グルカが権勢を誇っていた時代から2000年が過ぎ、帝国は姿を立憲君主制の民主的組織に変えていた。その変革は、およそ300年前の大帝ギアナの時代に始まり、それから100年経過し大帝ガイア時代で完了した。権力が移譲されたのをきっかけに帝国はヤムント連邦と名を変え、所属星系20万、人口にして2000兆の巨大連邦が誕生したのである。そして連邦の象徴として、引き続き大帝ガイアが君臨することになった。もっとも大帝の位置付けは、あくまで連邦の象徴とされた。そして連邦実務は、選挙によって選ばれた内閣によって執り行われることになった。それからのヤムント一族は、今に至るまで連邦統合の象徴とされたのである。  それからおよそ200年と言う時間が経過したが、ヤムント連邦は内政に大きな問題を起こすことなく健全に運営されていた。  ただヤムント連邦から目を外に向けると、必ずしも順調とばかりは言っていられなかった。ヤムント連邦から時計回りの方向に位置する、オスラムと言う帝国が急速に勢力を伸ばしていたのだ。ただ新興帝国であるオスラムは、当初はヤムント連邦を避ける形で勢力の拡大を行った。そうやって力を蓄えたところで、彼らはヤムント連邦に対してちょっかいを掛けるようになってきた。今の所境界地域での小競り合いで収まっているが、このまま放置すれば衝突が拡大することが予想されていた。  そのためヤムント連邦の議会では、オスラム帝国対策に必要な立法措置が盛んに議論されていた。 「聖上、間もなく連邦議会が開会されます」  宮内省の役人に促され、大帝ゲンラは小さく頷いてから議場へと向かった。政治的権力のすべてを放棄したヤムント皇室なのだが、連邦憲章には連邦の象徴として存在することが謳われていた。そして幾つかの国事行為として、連邦議会の招集並びに大臣の任命行為を行うことになっていた。  ゆっくりと、そして少し左足を引きずって歩いているのは、最近階段でころんだのが理由である。治療自体は終わっているが、まだ怪我をした感触が残っているので、無意識のうちに足を引きずるようになっていた。  ヤムント連邦議会は、20万の構成星系から代表が送り込まれていた。1星系3代表の原則があったため、議場にはおよそ60万の議員が集まることになった。したがって、議場にはとても広い空間が用意されたのである。それを例えて言うのなら、巨大な競技場と言うところだろう。大帝ゲンラの座る席からだと、端の方にいる議員の顔が判別できない程離れていたぐらいだ。その広大な議場で、大帝ゲンラはゆっくりと自分の席へと歩いていった。  大帝ゲンラが椅子に座ったところで、連邦議会議長が議会の開会を宣言した。それに答えて立ち上がり、右手を上げれば彼の仕事は終わりである。全議員が立ち上がって頭を下げる中、来た時と同じように大帝ゲンラはゆっくりと、そして左足を少し引きずりながら議場を後にしていった。時間にして5分にも満たない、重要ではあるがあっけない役割だった。  大帝ゲンラは、妻セリオとの間に2人の男児をもうけていた。そして長男の皇太子グリラは、身近に居た官僚のマーサと言う女性を娶り、長女を授かっていた。一方次男の皇子ギアラは、サリコと言う女性を娶り、1男1女を授かっていた。それだけを見ると、庶民的とも言える家族構成だろう。  ちなみにかつての大帝は、後宮を構え多くの女性をそこに囲っていた。優れた跡継ぎを残すこと、そして確実に男児をもうけることを目的としていたのである。ただ国家の象徴職に退いてからは、後宮を廃し、連邦国民と同様に一人の妻を迎える形に変わっていた。そのあたりは時の大帝の意向が大きかったと伝えられているが、その一方で、宮内省を筆頭とする官僚たちからの評判は芳しくなかった。そのため宮内省や内閣からは、後宮復活が何度も打診されることになった。そして打診を受けた歴代大帝は、その都度「時流にそぐわない」ことを理由に頑なに拒んだと言う事情がある。  ちなみに宮内省や内閣が後宮を提案したのは、かつてのような後継者が理由とはなっていなかった。そして理由としては、結構切実で実務的なものとなっていた。すなわち、各種国事行為を行うためには、皇族の絶対数が求められたのである。  連邦憲章で規定された国事行為の中には、幾つか皇族の仕事が記載されていた。その中には、各星系で行われる記念式典への出席も含まれていた。各星系で年に平均して4回の記念式典が開かれた場合、年間の総式典数は80万にのぼることになる。それを1年間365日で割ると、1日平均2200の式典が開かれることとなる。各星系の距離を考えると、1日に幾つも掛け持ちをするのは不可能としか言いようがない。それどころか、星系間の移動には短くない時間が必要とされていた。したがって、式典に対応するため手分けをして出席する皇族が求められたのだ。  長い歴史を持つお陰で、とても血の薄くなった皇族なら山のように存在するのは確かだ。ただそれにしたところで、そろそろ限界が見えてきたと言う事情がある。そのため、皇族の数を増やす一番の方法として、大帝及び皇太子……直径の男性皇族に対して、後宮を構えることが持ち出されたのである。ありがたみが薄れようがなんだろうが、どんどん子供を増やして欲しいと言うのが官僚達の正直な気持ちだった。 「いい加減、ヤムント家を象徴にするのをやめたらどうだ?」  後宮の話を持ち出された際、大帝ゲンラは根本的解決方法として皇室の廃止を持ち出した。そうすることで、ヤムント連邦は完全な民主制に移行することができる。そして完全な民主制への移行は、代々の大帝達が願ったことでも有ったのだ。 「連邦憲章の第1条を改正せよと仰るのですか?」  宮内省大臣、バルモは大帝ゲンラの言葉に反射的に眉を潜めた。黒々とした髪をオールバックにし、口元にはカイゼル髭を蓄えた、60と言う年齢の割りに精力的な見た目をした男である。 「何度も申し上げましたが、それでは連邦臣民の支持を得られません。官民併せて各種世論調査が行われているのですが、いずれの調査でも「皇室廃止」は極めて少数意見となっております。むしろかつてのように、帝政に戻すべきとの意見の方が多いぐらいです。大帝の血筋が耐えることなく継承されていくのか。アーコ様、カルア様がどなたのところにお輿入れされるのか。民衆たちの興味は、そちらに向けられております。そして皇位の継承のため、後宮を構えるべきと言う意見が多数を占めております。すなわち聖上に後宮をお勧めするのは、民達の希望を申し上げたことになります」  民達の希望を全面に出された大帝ゲンラは、ため息を吐くわけにもいかず、とても複雑な表情を浮かべた。そしてその場の逃げとも言える、「流石にわしの代ではないだろう」と答えた。 「流石に70近い男が、今更後宮を構えるのはおかしいと思うのだが」  体が保たないしと。肉体的問題を匂わせた大帝ゲンラに、宮内省大臣バルモは別の理由で否定をしてみせた。 「聖上に期待いたしますのは、後宮を設けたと言う実績でございます。その実績があれば、グリラ殿下も後宮設営を拒めないのかと。正攻法が通じない以上、こう言った変化球が必要となります」  伊達に長い時間、大帝と後宮問題でやりあってはいない。正攻法で駄目なら、搦手を利用すればよいのだ。その答えに、大帝ゲンラは、「悪どいな」と顔をひきつらせた。 「グリラのことだ、先代は先代、自分は自分と抵抗するはずだがな」 「でしたら私は、連邦憲章に基づき義務を持ち出させていただきます。皇室は、一般庶民と違って核家族など許されないのです。所属各星系で行われる式典の数を考えれば、賢明なる聖上ならば問題点をご理解いただけるかと思います。あまり血が薄くなると、式典を行う側のありがたみが薄れてきますゆえに」  皇族の出席を取りやめれば、バルモの持ち出した問題も解決されることになる。ただそのためには、連邦憲章の改正が必要となるのだが、各星系から選出された議員たちは、誰一人として現時点の改正の必要性を認めていないと言う事情があった。そして大帝ゲンラも「出る必要など無いであろう」とは言えなかった。 「聖上にもご理解いただけたかと思いますゆえ、早速女性を集めることにいたしましょう。とりあえず出産に適した年代の女性を、100名ほど集めることにいたします」  それではと去っていこうとしたバルモを、「待て」と大帝ゲンラは呼び止めた。 「なぜ出産に適した女性を集めるのだ? そもそもわしは、後宮を認めたつもりはないのだぞ」  勝手なまねをするなと不快感を示したゲンラに、バルモははっきりとため息を返した。 「お恐れながら、聖上は私の説明を聞いておられましたか? 連邦は、血の繋がりの濃い皇族を求めているのです。そしてそれができるのは、聖上とグリラ殿下、ギアラ殿下……ガサラ殿下だけなのです。これからを担うガサラ殿下には、今から手広く女性を孕ませていただきたいと思っております」 「まだ配偶者を保たぬガサラに、後宮は早すぎる……いやいや、誰一人として後宮を認めておらんはずだ」 「聖上っ!」  強い口調で答えたバルモは、「現実を見ていただきたい」と大帝ゲンラに詰め寄った。 「聖上の感情を理解できないとは申しません。ですが皇室には、システムとしての役割もございます。ヤムント連邦を恙無く維持していくために、感情の問題は棚上げしていただきたいと思っております。それが、この時代の皇族の務めとご理解いただきたい!」 「どうしても、と言うのか?」  はっきりと困った顔をした大帝ゲンラに、「どうしてもです」とバルモは詰め寄った。その剣幕に負けた大帝ゲンラは、「少し考えさせて欲しい」と自分を追い詰める逃げを打った。 「では、1週間だけ後宮設営を順延いたします」  与えるのは考える時間ではなく、覚悟を決める時間だけだ。モルバ大臣の剣幕に、大帝ゲンラは首を縦に振ることしかでなかった。  大帝ゲンラを陥落させたバルモは、時を置かずして皇太子グリラの元を訪れていた。普段のゲンラは忙しく加盟星系周りをしているので、帰ってきたタイミングを逃すわけにはいかなかったのだ。そして普段は忙しそうにしているグリラだが、皇居に帰ってきた時は比較的自由な時間を持つことができた。その自由時間を使ってグリラは、皇居内に作られたビオトープに生息する生物の観察に勤しんでいた。政治的な動きが許されない皇族にできるのは、こう言った研究活動に打ち込むことぐらいだったのだ。ただ研究と言っても、理学的研究をしている皇族は存在しない。そのあたり、研究成果が悪用されないようにと言う配慮があるのだろう。 「殿下、こちらにおいででしたか」  可搬型マイクロスコープで水性プランクトンの観察をしていたら、いきなり後ろからバルモに声を掛けられてしまった。少し驚いたせいで、貴重なサンプルが池の中に返っていった。それに小さくため息を吐いたグリラは、可搬型マイクロスコープを格納空間に仕舞い、曲がった腰を延ばすかのように手を腰に当てて反り返った。 「バルモ大臣、私に何か用ですか?」  屋外作業と言うことで、皇太子グリラはざっくりとしたズボンと長袖のシャツ姿をしていた。少し丸顔の顔に穏やかな笑みを浮かべ、泥に汚れた手を軽く振った。たったそれだけのことで、手についていた泥汚れはどこかに吹き飛び、石鹸で洗ったようにツヤツヤの状態となった。 「ただいま、皇室にまつわる問題を聖上とお話をさせていただきました」  うやうやしく頭を下げたバルマに、「問題ですか」とグリラは穏やかに聞き直した。 「私の耳には、あなたの言う問題は聞こえてきていませんよ」 「それは、今現在起きている問題ではないから、と申し上げさせていただきます。ヤムント連邦がこれから存続していく上で、将来顕在化する問題をお話させていただいたと言うことです」  バルマが何を言いたいかぐらい、賢明なグリラはとっくの昔に理解をしていた。ただ自分に累が及ぶため、知らない顔をしていたと言うことである。ただ今まではそれで逃げおおせたのだが、今日はいささか勝手が違っていた。そしてその一番の原因と言うのが、父親である大帝ゲンラが押し切られたことだった。  ただこの時点で、グリアはその事実を知らされていなかった。それもあって、いつも通りのらりくらりと追求をかわそうとしたのである。 「それは、とても重大な話ですね。ですがそれであれば、このような場所で話すのはよろしくないでしょう。後ほど時間を作りますので、大臣には申し訳ありませんが、時間を改めていただけないでしょうか」  とりあえずの逃げを打ったグリラに、「仰るとおりです」とバルマは頭を下げた。これで問題の先延ばしがはかれ、あわよくば有耶無耶にすることができる。バルマの反応に胸をなでおろしたグリラだったが、続く言葉に目をむくことになた。 「であれば、その時までに後宮の概要並びに候補の女性リストを作成いたします」  そこまでは飽くまで冷静に、そして穏やかに答えていたグリラだった。だが規定の事実として後宮を持ち出され、普段の彼からは考えられない「ちょっと待て」と大きな声を出してしまった。  それを「どうかなさいましたか?」と、バルマはわざとらしく驚いた顔をした。 「な、なぜ、後宮と言う話が出るのだ?」 「今更、それを何故と問われますか?」  はあっと大きくため息を吐いたバルマは、「聖上の思し召しです」と責任をグリラの父親に押し付けた。 「そして聖上は、自らも後宮を構え、皇族としての範を示すと仰られました。さすがはヤムント連邦の象徴、臣民達の希望を叶える素晴らしきご決断だと不肖バルモは感激致しております」  そう言いながら、両手を顔の前で握って感激に打ち震える真似をしてくれるのだ。はっきり言って似合っていないし、いささか不気味な所のあるバルモの仕草である。ただグリラにとって、バルモの仕草が不気味に見えることはどうでも良かった。 「父上……聖上が、そのようなご決断をなされたと言うのですかっ」  まだ動揺が収まらないのか、普段は丁寧なグリラの言葉づかいも荒れたものになっていた。ただバルモには、グリラの動揺はどうでもいいと言うより、むしろ都合が良いぐらいだった。 「はい、1週間後に発表と言う手はずになっております。ヤムント連邦の臣民達も、この発表を大いに喜ぶことでしょう!」  もう一度「素晴らしい!」と感動した真似をしたバルモは、「女性の選定が大変だ」と嬉しそうに言った。 「ギアラ殿下は多少注意が必要ですが、聖上、殿下の場合は何も問題はございません。もしも希望がございましたら、遠慮なく申し付けください。100%ご満足いただける女性を連れてまいります」 「ギアラの事情は……とりあえず忘れておくこととして。私は、後宮を持つことを認めた覚えはありませんよ」  抵抗を示したグリラに、「殿下っ!」とバルモは少し大きな声を上げた。 「聖上御自ら範を示されたのです。これで殿下も範を示されれば、ヤムント連邦は安泰と言えるでしょう! よもや聖上のご意思に背かれる。そのようにお考えではないでしょうな」 「いかに」と迫られたグリラは、とっさの言葉に詰まってしまった。いかに親子とは言え、大帝と皇太子の間には天と地ほどの差が存在する。大帝が意思を示した以上、それに逆らうのは皇室内では大罪とされていた。  ただグリラが分からなかったのは、後宮を持つことに否定的な父親が、なぜその考えを曲げたのかと言うことだ。防波堤が防波堤の役目を果たさなくなったことで、グリラとして非常にまずい状態に置かれたのである。  だが大帝の意志と言われれば、息子である自分も従う義務が生じる。「もはやこれまで」と諦めたグリラは、「時間を改めてください」と先ほどと同じ言葉を、違う目的でバルモに告げたのだった。 「ところで、何名ほど女性を集めるのですか?」 「殿下のご希望に沿うだけ……と考えております。とりあえず、100程度から始めれば宜しいのかと」  多くて4、5人と考えていたところに、いきなり100と言う数字を出されてしまった。しかも「とりあえず」なのだから、この先増えることも予定されているのだろう。どうしてそうなると天を仰ぎ、「後ほど」とグリラはフラフラと屋敷の方へと戻っていった。  ここまでくれば、後は勢いに任せるばかり。皇子ギアラが戻っているのを聞きつけたバルモは、その足でアトリエで絵を描いているギアラの元を訪れた。 「ほほう、なかなか見目麗しき御婦人ですな」  アトリエに入った時、ギアラはキャンバスに向かって肖像画のようなものを書いていた。画家の決まりなのか、スモックにベレー帽と言う、いかにもと言う格好をギアラはしていた。兄のグリラに比べて細面なのも、芸術家の風貌を醸し出すスパイスになっていた。  素養のせいかバルモには詳しいことは分からないが、絵の雰囲気から「御婦人」だろうとあたりをつけたのである。 「バルモ大臣、これは少女の姿を描いたものだっ」  なぜ分からんと不機嫌さを表に出したギアラに、「絵の素養がないもので」とバルモは謝罪した。 「私の前に出る時は……絵を描いている時に顔をだすのなら、勉強をしてこいと命じたはずだ」 「普段なら、遠慮させていただいたのですが。事が事ですので、失礼を承知で参上した次第です」  もう一度頭を下げたバルモに、「なんのことだ?」とギアラは訝った。 「聖上が、1週間後に後宮を構えられることを認められました。そして皇太子殿下も、聖上に倣い後宮を構えることをお決めになられたのです。それを、殿下にお伝えに参った次第です」 「そうか、聖上も兄上も大変なのだな」  我関せずとキャンバスに向かったギアラに、「皇族の義務に従ったまでとのお言葉をいただきました」とバルモは続けた。 「ですから私は、ギアラ様のご希望を伺いに参った次第です」  お前が例外のはずがない。バルモの言葉に、ギアラは思わず絵筆を滑らせてしまった。そのお陰で、訳の分からない絵が、更に難解なものへと昇華してくれた。 「わ、私の希望は、後宮を持たないものだと常々言っていたはずです」  なんとか気持ちを落ち着かせ、失敗した部分を上から塗りつぶそうとした。 「つまり、殿下は聖上のご意思に従わないのだと?」  なるほどと大きく、そしてわざとらしく頷くバルモに、「そうは言っていない」とギアラは反論した。 「ですが、後宮を持たれないのですよね? 聖上は、率先して後宮を持たれると言うのに。そして聖上には、皇室に居る者の義務だと言うお言葉まで頂いております」 「どうしても、私に後宮を構えろと言うのですか……」 「皇室の義務とのお言葉を、聖上から頂いております」  大帝の言葉を金科玉条の如く持ち出されれば、皇子の立場で反論することも出来ない。何も答えないと言う答えを返したギアラは、「もういいだろう」と絵筆をとった。 「ご承諾いただけたものとして、用意を進めさせていただきます。集める女性ですが、殿下の趣味にあう巨乳と貧乳を選りすぐらせていただきます」 「ああ、任せるっ!」  少し苛つきながら、ギアラは「もういいだろうと」と絵に向かい合った。 「ちなみに、お嬢様お二方は美しくなられたとのことです」  古い、そして触れられたくない話を持ち出されたギアラは、もう一度キャンバスに虹を描いてしまった。 「流石に、血の繋がった娘はまずいだろうっ!」 「では、母親から親権を取り上げ、殿下のお嬢様として迎えることにいたしましょう」  常識的な解決策を持ち出しながら、バルモは「本当にそれで宜しいのですね?」と意味深な念押しをした。 「な、なぜ、それを確認するのだっ!」 「いえ、このような機会は二度と無いのかと。美しく育たれたお嬢様の初めてを物にする……いやいや、流石にこれは父親として問題のある行為ですな。いくら、お嬢様が知らなくても。そう言えば、ご存知の方はほとんどおいでになりませんね。サリコ様も、確かご存知ではないはずです」  そこまで口にしてから、「いやいや」とギアラは首を横に振った。 「お嬢様お二人には、グリラ殿下の後宮に入っていただきましょう。本当に美しくなられましたので、きっとグリラ様にもご満足いただけるのかと」  失礼しましたと頭を下げて、バルモはアトリエを出ていこうとした。それを「待て」とギアラは呼び止めた。 「なぜ、兄上の後宮と言う話になるのです。私の娘として、夫を迎えさせればそれでいいはずです」 「ですから、殿下のお嬢様としてグリラ殿下の後宮に入っていただくのです」  それが何かと言う顔をされ、ギアラはもう一度「待て」と言って顔をしかめた。 「叔父と姪と言うのは、流石にモラルとしてまずくないか?」 「いえ、全く」  そう答えて出ていこうとするバルモを、ギアラは「待て」と三度呼び止めた。 「とても美しく育ったと言ったな?」 「しかも、まだ清い体でいらっしゃいます」  それでと顔を見られたギアラは、「私は、外で娘を作った覚えはないぞ」と口にした。  その言葉に、バルモは大きく、そしてわざとらしく頷いた。 「なるほど、記録に誤りがあったようですね」  承りましたと答えてから、バルモはアトリエを出ていった。それを見送ったギアラの顔は、どう言う訳かとてもうれしそうに見えていた。  皇太子グリラと、皇子ギアラは、公式に1人ずつ娘をもっていた。細面のアーコとの少し丸顔のカルアは、ヤムント連邦を二分するほどの人気があった。小さな頃から姉妹のように育てられてきた二人は、意外なほどに仲が良かったりした。  そして仲の良い二人は、今日も大学近くにあるカフェで甘いものを楽しんでいた。 「お姉様、最近バルモ大臣がうるさく言ってきませんですか?」  タルトのようなケーキにフォークを突き刺し、カルアは自分にかけられたプレッシャーのことを持ち出した。 「早く相手を決めて、養子に迎えろ、ですか?」 「そうそう、早く結婚してたくさん子供を作れとうるさいんですっ!」  ぷんぷんと腹を立てながら、カルアはケーキにフォークをずぶりと突き刺した。 「カルアさん、流石にそれははしたないと思いますよ」 「どうしても、気持ちがささくれだってしまうのです。あの人は、皇族と言うのはシステムの歯車だと思っていませんか!」  ずずっとお茶を啜ったカルアを笑ったアーコは、「何をいまさら」と答えた。 「立憲君主制に移行し、象徴となった時点で皇族は歯車になったのですよ。そして宮内省は、いかに国事行為を円滑に回していくか。そのことだけに腐心しています。20万もの星系があれば、多くの皇族が求められるのも仕方がないことです」  こちらは優雅に、そうとても優雅にお茶を飲んでいた。そんなアーコに、「お姉様は」とカルアは少し身を乗り出した。 「どうして、お姉様はそんなに落ち着いていられるのですか」 「一応、皇族の義務と言う物を心得ているからです……と言うのもありますが、バルモ大臣に夫となる方の条件をつけさせていただきました。その条件に適う方がおいでになられたら、すぐにでも嫁ぐと答えてあります」  だからですと笑うアーコに、「本気ですか」とカルアは聞き直した。 「ええ、本気ですよ。皇女として、相手に条件をつけるのは許されるわがままだと思っています。それに、つまらない相手では、ヤムント連邦の人々も落胆されるのではありませんか?」  アーコの答えに、なるほどとカルアは大きく頷いた。確かに番う相手に条件をつけるのは、皇女として許される我儘に違いない。そしてその条件が適切なものであれば、臣民達から支持を受けることだろう。 「それでお姉様は、どのような条件をつけられたのですか?」  目をキラキラして迫るカルアに、アーコは「内緒です」と言って笑った。それに落胆するカルアを見てから、「冗談ですよ」とアーコは口元を押さえた。 「英雄タラントっ」  ヤムントに生きる者なら、誰もが知る名前をアーコは口にした。それを「まさか」と驚くカルアに、アーコは笑いながら条件を付け足した。 「に勝てる殿方です」 「それは、いかにも無茶な条件ではありませんか?」  はあっと大きく息を吐き出したカルアは、「いくらなんでも無茶ぶりです」と繰り返した。 「私の気持ちも考えずに輿入れを迫るのなら、それぐらいの条件をつけてもいいと思いませんか?」 「お姉様は、誰とも結婚をなさらないつもりなのですか?」  勇者タラントと言うのは、ヤムント最強とされる戦士だったのだ。現時点でナンバー2は、遥かに実力が劣ると言われていた。この先老いて力を落とす事はあるだろうが、その頃には自分達も年寄りになってしまう。カルアからしてみれば、高すぎるどころではないハードルに見えていた。  だが結婚するつもりは無いのかと言う問いに、「まさか」とアーコは答えた。 「殿方を押し付けられるのを避けるための手段でしかありません。ですから、「この人は」と思える方が現れたら、すぐにでも結婚しようと思っていますよ」 「なるほど、時間稼ぎと言うことですね」  うんうんと頷いたカルアは、自分も同じ手が使えないかと考えることにした。だが「最強」に勝つと言う条件は、すでにアーコが使ってしまった。そうなると、別の方法を考えなければならなくなる。ただいくら考えても、アーコのように無茶ぶりの条件を見つけることが出来なかった。  目元にシワを寄せて悩むカルアに、「同じ条件でもよいのでは?」とアーコは助け舟を出した。 「本当にそのような方が現れたのなら、その方に選んでいただけば良いだけのことです。勇者タラントを超える勇者なら、誰も不思議とは思わないことでしょう。それに、もともと現れないことを前提にした条件ですからね」 「そしてそのようなものは、当分現れるはずがない……と言うことですね」  なるほどそれなら角が立つことはない。さすがはお姉様と喜んだカルアに、「ただ」とアーコは注意することを忘れなかった。 「バルモ大臣は、別に間違ったことを言っていませんよ。私達皇族は、その立場に相応しい行動をしなければいけないのです。それは、結婚という極めて私的なことでも……違いますね。私達の場合、結婚も公的なものとなります。多くの子を産み、連邦のお役に立つことを考える必要があるのですよ」 「仰る通りなのは認めますが……ですが、我儘かも知れませんが好いたお方と結婚したいと思います」  それであれば、子沢山になるのも望む所だ。カルアの意見を、「そうですね」とアーコは認めた。 「ですから、私も時間を稼ぐ方法を考えたと言うことです」 「では私も、バルモ大臣に結婚を迫られた時には、同じ方法を使わせていただくことにします」  そして積極的に男漁りをすることにする。明らかに勘違いをしたカルアだったが、「まあいいか」とアーコは問題にしないことにした。自分もまた、素敵な出会いが必要だと考えていたのだ。  ただ罪のない我儘が、思いもよらない方向に発展するのはまだ二人も知らないことだった。そのあたり、自由過ぎるマスコミと、切実な問題として捉えるバルモ大臣を甘く見ていたと言うことだろう。  どうしてこうなると文句を言ったトラスティだったが、改良型サイレントホーク2があることはありがたかった。自分の目的は、知らない銀河で知らない文明に出会うことであり、知らない銀河でサバイバルをすることなどではなかったのだ。  その意味で言うのなら、カイトが一緒と言うのも心強いところがあった。ヘルクレズ達に鍛えてもらって、付け焼き刃ではどうにもならないことが分かってしまったのだ。連邦最強の男と言うのは、その意味で同行者として申し分ないだろう。しかもカイトは、連邦軍で様々な訓練を受けている。その中には、敵地潜入と言うものもあるのだから、目立たないように移動するにはうってつけの人材である。そこで問題を上げるとすれば、カイトまで連れてきて良かったのかと言うことだ。義姉は理解していると言っているが、連邦的にどうなのだと思えてしまったのだ。 「まあ、俺とザリアが居れば、この程度の宇宙艇なら簡単に運用できるからな」 「兄さんと二人きりはどうかと思ったんですけど……これはこれで、結構問題があるような」  いいのかなぁとトラスティが見たのは、ザリアと打ち合わせをするマリーカだった。心強いと言う意味で言えば、確かに心強い仲間に違いない。ただ10代の女性が、こんな中に混じって良いのか。他人事……ながら、心配になってしまったのだ。  トラスティの視線に気づいたカイトは、「ああ」と大きく頷いた。 「ちなみに、俺が誘ったんじゃないぞ。彼女が売り込んできたんだ」 「どうして、10代の女の子が売り込んでくるんでしょうね……」  少し遠い目をしたトラスティは、「任せました」とカイトの肩を叩こうとした。だが微妙に体を動かされて空振ったと思ったら、「まあ、頑張れ」と逆に肩を叩かれてしまった。 「どうして逃げます……と言うか、どうして僕なんです」 「どうしてって、今更説明が必要か?」  本気かと目で問われたトラスティは、大人しく引き下がることにした。 「それで、これからどうします?」 「これって、目標がないからなぁ」  そこで二人は、揃ってマリーカの方を見た。 「どうかしましたか? 男二人に揃って見られると、ちょっと意識しちゃうんですけど」  そう答えたマリーカは、普段とは違って顔色を悪くしていなかった。しかも右手は、胃のところに当てられていない。どうやらこの旅は、彼女にとってストレスとなるものではないようだった。 「いや、これからどうしようかと考えていたんだ。僕一人だったら、行き当たりばったりでも良かったんだけどね。ただチームとなると、そうとばかりは言っていられないだろう? だから、君の意見を聞いてみようと思ったんだよ」  その言葉に、マリーカはなるほどと頷いた。 「それなんですけど、この銀河を時計回りに回って文明を探してみるのが良いかと思います。通常空間の通信探索、並びに亜空間の通信探索を行いながら進むことになると思います。そのあたりは、1千ヤー前のご先祖様が通った道ですね。ただ、使用する探査船はぐっと立派なものになりましたけど」  ぐるりと船内を見渡したマリーカは、「凄いんです!」と少し興奮気味に語った。 「こんなに小さな船なのに、最高速度は光速の1億倍を超えるんですよ。ですからこの銀河だと、端から端まで移動しても1日も掛からないんです。AIも、エスデニアの技術を利用した、成長型バイオタイプが搭載されているんです。その学習には、アルテッツァも協力してくれたそうですよ。インペレータにはまだ劣りますが、プリンセス・メリベルUぐらいだと置き去りにされていますね。連邦軍旗艦でも、勝てないんじゃありませんか。それからそれから、原料の供給は必要ですけど、食料もバラエティに富んだものが用意できます。その原料にしたところで、そのへんに浮かんでいる石っころで十分なんです!」  目を輝かせて説明する姿に、「好きなんだろうな」と二人は温かい眼差しをマリーカに向けた。 「ただ、武器に類するものは搭載していないんですよね。もっともカイトさんが居ますから、そちらの方は心配していませんけど。後は、各種隠蔽機能も充実しているんです。連邦の技術水準でも、来ると分かっていなければ、見つけるのは困難だと思いますよ」 「つまり、この船を見つけられる相手が居たら、かなりの技術水準にあると言うことだね?」  その場合はレムニアやシルバニアを超える可能性もある。なるほど面白いと、トラスティはこれからのことを考えた。 「そう言うことになりますね。まあ、その時はその時と言うことで。文明レベルが高いのでしたら、いきなり戦闘と言うことにもならないと思いますし」  お気楽に答えるマリーカに、「胃は大丈夫かな?」とトラスティは肝心な問題を尋ねた。 「胃、ですか。もう、快調そのものですよ。いいですよね、こう言ったプレッシャーの無い遊びって」 「あ、遊び……まあ、そう言われても仕方がないとは思うけど」  改めて言われてみれば、「趣味の探検」とか「道楽」と言われても仕方がないように思えてしまった。ただそんな軽いノリだったかと、トラスティは自分の動機に疑問を感じてしまった。 「まあ、連邦の外銀河探査の予行演習だと思えば、立派な仕事に見えるんじゃないのかな」  否定出来ないと思いながら言い返したトラスティに、「予行演習になりませんよ」とマリーカは答えた。 「トラスティさんとカイトさんが居るんですよ。こんな豪華なメンバーは望めませんし、このメンバーが揃って平穏無事ってことはないと思っています。ちなみに私のご先祖様も、ずいぶんと引きが強かったようですよ。たった一度の探索で、レムニア帝国が時間を掛けた探索よりも、重大な発見をしたそうですからね」  つまり、今度の冒険も同じことが起きるはずだ。それを脳天気に語るマリーカに、本当に大丈夫なのかとトラスティは心配になってしまった。面白いことにぶち当たるのは構わないが、その時に彼女の胃が無事でいられるのか。そちらの方が、気になったのだ。 「だとしたらキャプテン、これからどこに向かうのかな?」 「とりあえず、100光年ほど円周方向に時計回りで移動してみましょう!」  とてもお気楽に予定を口にしたマリーカは、「メイプル」と搭載されたAIを呼び出した。その呼出に「はい」と言って現れたのは、明るい茶色の髪をした可愛らしい女の子のアバターだった。ちなみにスタイルは、教育したアルテッツァが可哀想になるほどメリハリが有った。タイプとしては、ちょっと前のアマネに近かった。 「100光年先に座標を設定して。後は、美味しいご飯をお願い」 「なにか、お好みはありますか? 今日は、きのこの味噌スープ仕立てがおすすめですよぉ」  美味しいんですよと微笑む姿は、正真正銘の美少女だろう。ただ疑問があるのは、まるで飲んだことがあるかのように、「美味しい」と勧めてくれることだった。 「お二人とも、お任せでいいですか?」 「何ができるのか分からないから、お任せにしておくしか無いんだろうね」  いいですかと問われ、カイトも「そうだな」とトラスティに同意した。 「と言うことです。美味しいのをお願いね」 「はい、マリーカさん」  お任せくださいと答え、アバターのメイプルは姿を消した。おっとりしているように見えるが、どうやら仕事は確かなようだった。すでに必要な座標が設定され、彼女が消えた時にはいつでも移動できるようになっていた。 「迷彩機能も無事可動していますね。じゃあ、ちゃっちゃと移動しましょうか」  お願いしますの命令を受けたザリアは、「いくか」と答えて船に光速を超えさせた。とりあえず光速の20万倍と言うことで、時間にして4時間程度の移動ということになる。隠密性を重視した機体と言うこともあり、超光速で移動していても振動一つ感じられなかった。 「移動時間は4時間強ですか。食事が終わっても、3時間近く暇な時間を潰す必要がありますね。やっぱり、探索って地味で退屈なことが多いんですね」  そのあたりは、ご先祖さまの手記に残されたとおりだ。ウンウンと頷いたマリーカに、やはり軽いなと男たち二人は感心していた。そして気のせいかもしれないが、マリーカの機嫌が良さそうに見えるのだ。 「なにか、機嫌が良さそうに見えるね」  あえてヤブを突いたトラスティに、「そう見えます?」とマリーカはニパッと笑った。 「兄さんも、船長の機嫌が良さそうに見えますよね?」 「俺としては、程々にしてくれれば別に良いぞ」  意味不明の答えに、「はぁっ?」とトラスティは首を傾げた。どうしてマリーカの機嫌が良いことを話していたのに、「程々」と言うキーワードが出てくるのか。その飛躍しすぎた発想に、さすがのトラスティもついていけなかった。 「たぶん、細かなことに拘ったら負けなんだろうね」  良いけどと、トラスティは息を吐いたとき、鼻腔を食べ物の匂いがくすぐってくれた。 「なにか、美味しそうな匂いがするね」 「多分ですけど、メイプルさんが食事の準備を終えたんじゃありません」  食堂はあちらですと、マリーカは率先して立ち上がった。その身軽な動作に、「若いって良いなぁ」とトラスティはなぜか年寄りじみた感想を持ってしまった。 「じゃあ、僕達も……何食になるのか分かりませんけど、食べに行きますか」 「ああ、なかなかいい匂いをさせてくれているな……と言うのは良いのだが、良いのか、こんなに匂って」  宇宙船と言えば、完璧なシーリングが求められるはずだ。それなのに、どうしてこんなに食事の匂いが漂ってくるのか。軍時代の常識と照らし合わせ、おかしいだろうとカイトは声を上げた。 「それはですね、皆さんを食堂に引き寄せるためです。この船の空調コントロールは、全て私の手に握られていますので」  突然メイプルが現れて、カイトの疑問への答えを口にした。 「そう言うことなので、早く来てくださいね」  少しシナを作ってから、カイトにウィンクをしてメイプルは姿を消した。 「誰の趣味なんでしょうね」 「ああ、作ったやつの趣味を疑うな」  顔を見合わせた二人は、小さくため息を吐いてから食堂へと向かったのだった。  色々と疑問を感じたが、きのこの味噌スープ仕立てを含めて、供された食事はいずれも美味だった。お陰でカイトなどは、貪るように食事を掻き込んだ。それを嬉しそうに見ていたメイプルは、「お茶はいかがですか?」とカイトにすり寄ってきた。もっとも仮想体のため、いくらすり寄られても体温すら感じることはなかったのだが。 「あ、ああ、そうだな。うまいやつを頼む」 「はい、美味しいお茶ですねっ」  メイプルが嬉しそうに頷いたのと同時に、カイトの目の前に筒状のカップにいれられたお茶が出てきた。色が緑色をしているところを見ると、グリーンティーの一種なのだろう。それを一口啜ったカイトは、思わず「うまいっ!」と声を上げた。 「兄さんなら、おいしい食事に慣れていると思ったんですけどね」  確かにうまいと思いながら、トラスティも用意されたお茶を啜った。 「ああ、エヴァンジェリンと居ると、確かにうまい食事を食べられるんだがな。ただ、俺には少し豪華すぎると言うのか。どちらかと言ったら、こっちの方が俺の好みだな」  うんうんと頷くカイトを、メイプルはとてもうれしそうな顔をして見ていた。それに気づいたマリーカは、「ここにも異常な世界が」と小声でトラスティに話しかけた。 「ちなみに、ここでもと言う以上、他にも異常な世界があることになるんだけど?」  それを気にしたトラスティに、「私は気にしていませんから」とマリーカは期待とはずれた答えを口にした。 「いやいや、僕の求める答えは違うから」 「でも、気にしていないのは本当ですよ」  ニパッと笑われると、それ以上の追求も難しくなってしまう。だから誤魔化すように、「夫婦みたいだねぇ」と話を変えた。うまそうに食後のお茶を飲むカイトと、その隣でお盆をもって喜んでいるメイプルの組み合わせは、確かに絵に描いたような夫婦の光景だったのだ。ただ沢山の奥さんを持つトラスティなのだが、似たようなことはアイラとの間でしか成立していなかった。 「いや、アルテルナタも努力中か……」  努力は認めるが、まだ人に供するレベルに達していない。そんなことを考えていたトラスティは、いやいやと首を横に振った。 「少しは時間が潰れたかと思ったけど……まだ、3時間近く残っているんだね」  違う宇宙に来たからと言って、いきなり未知の文明との出会いがあるとは思っていなかった。だからこの程度の時間は、初めから覚悟して掛かる必要があった……と言うより、この程度は待ち時間とも言えないもののはずだった。ただ実際に暇な時間を突きつけられ、トリネア王女の気持ちが理解できた気持ちになった。  沢山時間があるとの言葉を聞きつけたカイトは、「ああ」とマリーカに意味深な視線を向けた。 「だったら、今のうちに休憩をしておいたらどうだ? 待機の仕事なら、俺とザリアだけでなんとかなるだろう……ああ、メイプルも居てくれたな」  ザリアととカイトが答えた時、メイプルは悲しそうな目でじっと見つめてくれたのだ。それを気にしたカイトは、慌ててメイプルの名前を付け足した。途端に機嫌を直すAIのアバターに、本当に大丈夫なのかとトラスティは不安を感じてしまった。 「一体誰をモデルにしたんだろう……」 「多分ですけど、拘ったら負けって奴じゃありませんか」  マリーカの意見に、そうなんだろうねとトラスティは消極的な同意を示した。 「この先どうなるか分かりませんから、休める時に休んでおきますよ。ちょうど、ベッドルームも2つありますからね」  ごちそうさまと言って立ち上がり、トラスティは2つあるうちの1つのベッドルームへと向かった。それを見送ったマリーカは、メイプルに目配せをしてからトラスティの後を追いかけていった。通常手段で施錠をする限り、メイプルの前には戸締まりは意味をなさない。まるで初めから鍵など掛かっていないかのように、マリーカはトラスティと同じベッドルームへと入っていった。 「なるほど、アルテルナタ王女の未来視の通りになったか」  さすがは未来視。カイトは、その威力をまざまざと見せつけられた気がしていた。 「母さん、なんだったら混じってくるか?」  楽しい気分になったカイトは、呼び出したザリアに声を掛けた。当然「喜んで」と言う答えを期待しての提案なのだが、「遠慮しておく」と意外にザリアは乗ってこなかった。 「そんな意外そうな顔をするものではないぞ。マリーカとやらの初めてなのだから、われが乱入するのはよろしくないだろう。もっとも、次からはその限りではないがな」  その程度だと、コハクバージョンの格好でザリアは笑った。 「ところで息子よ、お前の相手が居ないが大丈夫なのか?」 「親父と違って……親父もそうなのかもしれないが、別に女が居なくても困らないぞ」  だから大丈夫と答えたカイトに、なるほどと頷いて「自分で処理するのか」とザリアは捻じ曲げた答えを口にした。 「どうしてそうなる?」  少しムッとした息子に向かって、逆にザリアが驚いた顔をした。 「別に、世間的には珍しいことではあるまい。軍の中には、同性や自分で紛らわす奴が大勢いたであろう」 「俺は、そいつらとは違ったんだがな……とにかく、自分で処理する必要なんか無いんだよ」  一緒にするなと憤慨した息子を見て、「だそうだ」とザリアはメイプルに水を向けた。 「どうやら、ぬしの出番がありそうだな」 「はい、カイト様なら喜んでっ!」  どうしてそこで頬を染める。それに出番とは一体何のことを言っているのか。目元を険しくしたカイトだったが、二人からはなんの答えも与えられなかった。  通常空間に復帰した所で、文明の痕跡を各種方法で探索する。それは1千ヤー程前に、キャプテン・アーネット一行が行った探査方法だった。それと同じ手順を踏んで、トラスティ達一行はまだ名前のつけてられていない銀河を進んでいった。ここまでの探索では、通常空間および亜空間で通信が行われた痕跡を見つけることは出来なかった。 「文明が興きていないと言うことか?」  同じ作業を1ヶ月ほど繰り返したところで、「流石にこれは」とカイトが疑問を呈した。 「メイプル、この銀河が出来てからの時間経過は推測できたか?」 「はい、カイト様。現時点での推定年齢は120億年となります。それだけを取り出せば、超銀河連邦に所属する銀河とほぼ同年齢となります」  メイプルの報告に唸り声を上げたカイトは、「どう思う?」とトラスティに声を掛けた。 「俺には、文明がない方が不思議に思えるんだが」 「そのあたりは同感なんですけどね。ただ通常空間での通信は、到達距離が短くなっていますからね。よほど近寄らない限り、捕まらないんじゃありませんか? 亜空間通信の方は、まだそこまで文明が発達していない可能性があります」  トラスティの常識的な答えに、カイトはもう一度ううむと唸った。そして上機嫌状態を継続するマリーカに、「船長は?」と声を掛けた。 「トラスティさんの言うとおりだと思います。後は、文明が偏在する可能性もありますね。5万光年程先から、恒星系密度が高くなっています。いっその事、そのど真ん中まで移動してみてはどうでしょう」 「極めて乱暴な方法なんだが……文明の存在確率が上がってくれれば、確かに船長の言うとおりだな」  どうすると顔を見られたトラスティは、「どうするって」と困った顔をした。 「明らかに、僕の専門外ですからね。だから、どうしたら良いのかわからないと言うのか……だったら、船長の案を採用するのも一つの手段だと思いますよ」 「お前ら、ほぼ毎日やってるのに、未だにトラスティさんと船長なのか?」  他人行儀だなと笑うカイトに、「公私のけじめ」とトラスティは言い返した。 「で、船長は?」 「とりあえず、ノーコメントでお願いします」  頬をほんのり赤くしながら、マリーカはノーコメントを通した。それを良いけどと笑ったカイトは、「メイプル」と船のAIを呼び出した。 「はい、あなたって、先走りすぎですね」  いけませんねと小さく舌を出したメイプルは、「設定は完了しています」と答えた。 「ここからだと、7万光年ほど先の恒星系外周部をワープアウト地点に設定しました」 「船長が提案した場所か」  うんと頷いたカイトは、今度は「ザリア」と己のサーヴァントを呼び出した。 「なんだ、息子よ」 「公私のけじめをつけるのなら、そこは主と言うところだろう」  おかしなことになっていると頭を悩ませたカイトは、「危険性は?」とワープアウト地点のリスクを確認した。 「われらが来ることを知っていなければ、見つかることはないであろうな。もちろん、その星系に十分な文明が発展していたらの話でもある。小惑星帯の中にワープアウトするゆえ、よほど精密な観測をしておらん限り、我らを見つけることは出来ぬであろう」  と言うことだとの答えに、カイトはもう一度頷いた。 「船長、どうする?」 「場所的には問題ないと思います。ただ、最高速で突入すると、小規模バーストが前方に起きることになります。バーストを観測されていたら、発見される可能性が出てきますね。もちろん、十分に文明の発達した星系ならばと言う条件づきですが」  ううむと考えたマリーカは、「空間接合出来ません?」とザリアに声を掛けた。 「7万光年先との空間接合か?」  出来ないと言わず、ザリアは思案をするように瞳を閉じた。そのまま5分ほど固まった後、「コスモクロア殿」とトラスティのサーヴァントを呼び出した。ただ呼び出したのはいいのだが、なぜかコスモクロアは船室の隅っこで膝を抱えて座り込んでくれた。 「コスモクロア殿、その格好になにか意味があるのか?」  無いよなと問われたコスモクロアは、「暇でしたから」と唇を尖らせて文句を言った。 「こちらの銀河に来てから、1ヶ月が経とうとしているのですよ。それなのに、ただの一度も私を呼び出してくださっていません。ザリア……コハク様は良いですよ、我が主に可愛がっていただいているのですから。女盛りの体を持て余す私は、どうしたら良いのですか?」  だから拗ねていると答えたコスモクロアに、「だそうだ」とザリアはトラスティの顔を見た。 「いっその事、禁を破ってみたらどうだ?」 「それを、どうして兄さんに言わないのかな?」  目元を引くつかせたトラスティに、「教育上よくないからな」とザリアは小さな胸を張った。ラズライティシアモードの時にはある胸も、コハクモードだととても可愛らしいものになっていたのだ。 「実年齢的には、僕より上なんですけどね……」  それなのに、今更教育上も無いだろうと言うのだ。 「それよりも、話が明後日の方向へ飛んでいるぞ」  すかさず方向修正に掛かったのは、自分への飛び火を押さえるためだろう。カイトの言葉に、「だそうだ」とザリアはコスモクロアの顔を見た。 「孫の言うことは聞いてやるものだぞ」 「なにか、無性に腹が立ってきました……」  ふうっと大きな息を吐いてから、「空間接合ですか」と諦めたように答えた。 「船が通れるような接合は、流石に難しいかと」 「やはり、コスモクロア殿にも無理だったか」  うんうんと頷いたザリアは、「だそうだ」とマリーカにボールを投げ返した。 「だったら、速度を少し落としますか。光速の1千万倍程度なら、かなりバーストも押さえられるでしょう。ただ、到着まで62時間ほど掛かりますね……体が持つかな」  最後の言葉は、かなり小さな声で呟かれたものだった。ただ狭い船室、しかも騒音がまったくない場所だから、全員の耳にマリーカの呟きは届いていた。 「親父、なんか期待されているぞ」 「兄さん、代わってくれません?」  それを聞いたカイトは、すかさず「却下」と撥ね付けた。 「10代の女の子の気持ちを大事にしてやるんだな」  あははと笑ったカイトは、「船長」と声を掛けた。 「時間をおいても意味がありませんから、ちゃっちゃと移動しちゃいましょう!」  どうみても嬉しそうな顔をして、マリーカはメイプルに移動指示を出した。 「はい、マリーカ船長。光速の1千万倍で目的地に向けて移動を開始します……うふっ」  振動すら、己の存在を周りに振りまくことになる。そのため改良型サイレントホーク2、AIの名前をとってメイプルと名付けられた機体は、徹底的に振動の発生が抑え込まれていた。だから光速の1千万倍で航行しても、船内に居る限り通常時と全く区別がつかなかった。ただ計器とスクリーンだけが、その移動速度を教えてくれた。速度スケールが1000万を示しているのだから、メイプル号は確実に光速を超えて移動しているのだろう。 「これで、60時間は何も起きません!」  だからと、マリーカはトラスティを捕まえてベッドルームへと引きずっていった。どうやら覚えたての快楽に、マリーカはドハマリしているようだ。 「ザリア……母さんは行かないのか?」 「とりあえず、今は遠慮をしておこう。それから息子よ、ここはわしとばあさまに任せて良いのだぞ……すまぬ、わしとコスモクロア殿に任せて休んでこい」  少し青い顔をしたザリアを笑い、「休めるかな」とカイトはベッドルームの方を見た。 「真っ最中の隣なんて、気まずいことこの上ないだろう」 「とりあえず、防音は完璧だぞ」  だから、何をしていても聞こえるはずがない。そう断言したザリアに、気分の問題だとカイトは笑った。 「とは言え、計器とにらめっこしていても良いことはないわな」  分かったと答え、カイトは立ち上がって隣のベッドルームへと入っていった。それを見送った所で、ザリアは「時は満ちたか」と口元を歪めた。 「ホムンクルスで、メイプルの実体を作ってしまいましたか……」  はあっとため息を吐いたコスモクロアに、「ラピスラズリが悪い」とザリアは責任を転嫁した。 「船のAIを作るのに、細胞型機動兵器など使うからいけないのだ。その意味では、ホムンクルスとも微妙に存在としては違っておるのだがな。流石に我が息子も、人形(ヒトガタ)の機動兵器には敵わぬであろうな」 「カイト様も、体を持て余していたから良いのではありませんか?」  はあっとため息を吐いたコスモクロアは、「皆さんずるいです」と文句を言った。 「ならば、カエデの方に混じってきてはどうだ?」 「カエデさんは、独占欲が思いっきり強くて、しかも怖い女性(ヒト)ですよ」  だから遠慮をすると言って、コスモクロアはもう一度大きなため息を吐いたのだった。  きっちり60時間が経過したところで、トラスティは左腕にマリーカをぶら下げてメインキャビンに戻ってきた。その様子を見る限り、もはや隠すつもりもない……と言うか、すでに隠す相手がいなくなっていたと言うことだ。ただ素肌の上に薄いシャツとショーツだけと言う格好は、年頃の女の子がするにははしたない格好と言ってもいいだろう。 「マリーカさん、少しお話があります」  急に姑モードになったコスモクロアが、怖い顔をして「ここに座りなさい」と命令してきた。殺戮の美姫の二つ名は伊達ではなく、緩んでいたマリーカの表情がぴきっと引きつった。 「な、何でしょうか……お義母様」  神妙な顔をしたマリーカに、コスモクロアは「格好がだらしなさ過ぎます」と小言を口にした。 「メインキャビンと言うのは、お仕事をする場なのです。プライベートを仕事の場に持ち込む嫁を、私が見過ごすとでも思うのですかっ!」 「お言葉ですがお義母様。呼び出してくださらないと、メインキャビンの隅でいじけておられたのはどなたでしょう。それから探査船メイプルの船長として言わせていただきますが、私がこの船の「法」です。いくらお義母様でも、船の規律を守っていただく義務がありますっ!」  なんとか言い返した……割には、しっかりと逆襲したマリーカに、「躾が必要ですね」とコスモクロアは口元を歪めた。 「反逆罪に問いますけど、それでも宜しいですか。お義母様?」  一触即発の状態なのだが、なぜかトラスティは他人を決め込んでいた。それどころか、コハクモードのザリアに向かって、「やってられない」と零す始末である。 「いつの間にか、嫁姑モードになっておるな」  あははとザリアが笑った所で、カイトもベッドルームから出てきた。その時の問題は、一人で寝に行ったはずなのに、隣にメイプルがくっついていたことだった。ちなみにメイプルは、刺繍の付いた白のブラウスに、ふわりとしたスカートを穿いていた。 「ええっと、誰……っていうか、メイプルさんに見えるんだけど。確か、メイプルさんには実体がなかったはずだし……やっぱり誰?」  コスモクロアと舌戦を繰り広げていたマリーカも、見知らぬ……訳ではないが、本来いるはずのない女性に目を丸くして驚いた。  そんなマリーカに、「はじめまして」と実体化したメイプルは頭を下げた。 「マリーカさんのお陰で無事実体化が出来ました。この船に搭載されたAIメイプルの、端末と言いますか、プローブと言いますか、バイオチップを増殖させて人と同じ肉体を作ったんです」  もう一度はじめましてと頭を下げたメイプルは、「そうそう」と手を叩いてからとても物騒なことを口にしてくれた。 「見た目は人ですけど、実態は人間サイズの機動兵器ですからね。ザリアさん達には敵いませんけど、戦艦ぐらいなら沈めることが出来ますよ。握力だって、トン単位で測定できます」  つまり、ちょっかいを掛ける時には注意しろと言うのである。ザリア、コスモクロアと順に顔を見ていったマリーカは、どうしてこうなると大きくため息を吐いた。 「どうして、人外美女が3人も居るんですか?」 「失礼なことを言ってくれる女だな。コスモクロア殿、嫁の教育が間違ってはおらんか?」 「ですから、先程から小言を言っていたのです」  失礼ですよねと顔を見られたメイプルは、「私もそう思います」とザリア達に同調した。 「私達の心は、もともと人のものだったのですよ。ただ、そのための肉体が無いから、こうして代用品を使っているだけなんです」  だから人外ではなく人なのだと。「言葉に気をつけましょう」とメイプルは怖い顔をマリーカへと向けた。 「人間の基準では、戦艦を握りつぶせる存在を人とは言いませんっ!」 「物理的な現象だけを取り出されてもなぁ……」  そう言い返したザリアは、例えばと自分達が人の基準に入る例を持ち出した。 「ちゃんと、人間の子供を身籠ることもできるのだがな」 「アムネシア娼館のイブタイプでも、それは可能ですっ!」  意外に善戦するマリーカに、結構しぶといなと人外美女3人は思っていた。その意味で、3人はマリーカのことを評価していたりする。そして同時に、これぐらいでないと自分達とはやっていけないとも考えていた。その意味で、破れ鍋に綴じ蓋と言うことになるのだろう。  一方トラスティは、隣りに座ったカイトを苦笑で迎えた。精気の抜けた顔をしているのは、それだけ精神的ダメージが大きかったと言うことになる。 「ようこそ、こちらの世界へ……と言うのは流石に可哀想ですね」  くっくと口元を押さえたトラスティに、カイトは一瞬だけ鋭い視線で睨みつけた。だがすぐに視線をそらし、「歯が立たなかった」とボソリとつぶやいてくれた。 「超銀河連邦最強の男でも歯が立ちませんでしたか。まあ、似たようなことはリミットブレイクをした10剣聖でもありましたからねぇ」  ザリアに蹂躙されたニムレスを思い浮かべたトラスティに、「最悪だ」とカイトは両手で顔を覆った。 「何が最悪って、歯が立たなかったことじゃないんだ。嵌ってしまいそうなほど気持ちが良かったことが最悪なんだ……しかも、なんか、その、すごく可愛らしくて、妖艶と言うのか……アマネの上位バージョンと言えば良いのか。なんだあれは、本当にAIのプローブなのかっ!」 「そのあたり、僕も一度通った道なんですけどね……こう言っては悪いですけど、開き直るしか無いと思いますよ。何しろ、ここには「普通の女性」はマリーカ船長しかいませんからね。それに兄さんの場合、ザリアが協力してくれない限り、メイプルには勝てませんしね」  そこで視線を女性陣に向けたトラスティは、小さくため息を吐いてカイトに死刑宣告をした。 「あの様子じゃ、絶対に協力してくれそうもないですね」 「親父は、よく割り切ることが出来たな……」  自分には無理と嘆くカイトに、「時間が解決しますよ」とトラスティは慰めた。そして慰めながら、別のことも考えていたりした。ユウカから1千ヤー前の出来事を教えられたお陰で、トラスティはメイプルの正体にも気づいていたのだ。 「これで、打ち止めなら良いんだけど……」  IotUの妻達と並ぶ位置に居た女性の登場に、トラスティは先行きのきな臭さを思ったのである。  ただこのドタバタも、通常空間に復帰するまでのお遊びでしか無い。通常空間に復帰して停止状態となった探査船メイプルは、ガス噴射を2秒だけ行って近場の小惑星の影に隠れた。 「空間プローブ展開。電波探索開始っ!」 「近くに、亜空間変動並びに重力変動は見られません!」  通常空間に復帰すれば、自分達の周りを確認する必要がある。特に文明の存在確率が高い場所に復帰した以上、自分達が発見される可能性を考えなければならなくなる。いささから乱暴な移動をしたこともあり、不用意な接触がないよう迅速な対応が必要となっていた。 「光学観測開始。近傍1光秒の範囲に、人工物体は観測できていません」  プログラム通りに観測を進めるメイプルに、「こう言うところは優秀なのに」とカイトはどうでも良いことを考えていた。ちなみに実体を得たメイプルは、観測員のポジションへと収まっていた。 「私の勘ですけど」  普通の服、すなわち長袖のジャケットとミニスカートに着替えたマリーカは、「当たりだと思います」と口にした。 「極めて非科学的な……と言ってやりたいところだが。確かにぬしの言うとおりのようだ」  ほらと、ザリアは光学観測のデーターを前面に投影した。そこには、自分達と同じように隠れる宇宙艇のようなものが映し出されていた。四角い板の形状から考えると、人工物であるのは間違いないだろう。 「電波でも、文明の存在が確認できました。どうやら、拡散通信の一種が用いられているようです」 「メイプルさん、解析はできる?」  マリーカの指示に、「時間をください」とメイプルは即答した。 「解読キーの割り出しに時間がかかりそうです。しかも、かなり高速でキー更新がされていますね。プロトコル解析が終わらないと、通信内容の判別は困難だと思います」 「つまり、かなり発達した文明が存在すると言うことになるわけだ」  あそこにとトラスティが指さしたのは、たどり着いた星系にある惑星の一つである。青い色をしているところを見ると、豊富な水が存在しているのだろう。 「船長の引きが良すぎたと言うことか?」  どうせなら、もう少し離れたところが良かった。今更手遅れなのだが、カイトのボヤキはトラスティにも理解できるものだった。 「まあ、手間が省けただけマシだったと思うしかありませんね」  どうにもならないことで悔やんでも仕方がない。すぐに頭を切り替えたトラスティは、「見つかってないか」とメイプルに確認した。 「正体不明の宇宙艇には、なんの動きも見つけられません。どうやら、待機状態になっているようですね。そこから推測されるのは、乗員はすでに艦外に出ていると言うことです。それがこの近傍なのか、それとも第3惑星なのかは現時点では不明です」 「相変わらず、近傍には確率場や重力場の変動はないな。加えて言うのなら、量子場にも異常は無い。探査電波も無いようだから、ここは探査範囲外と推測できるぞ」  ザリアの報告に、トラスティは左手を口元に当てて考えた。この状況で自分達はどうすべきか、すぐに動くのか、それとも正確な分析を待つのか。ここから先は、一つの間違いが取り返しの出来ない事態を引き起こす可能性もあったのだ。 「電波の分析はどうなっている?」 「現在分析中としか申し上げようがありません。あっ、別の電波も捕捉しました。こちらの方が、どうやらセキュリティは軽いようですね」  その言葉に遅れて、艦内に音楽のようなものと、人の声のようなものが聞こえてきた。 「音楽と会話……DJみたいなものかしら?」  該当しそうなものを思い浮かべたマリーカに、「多分」とメイプルは頷いた。 「現在言語解析を掛けていますので、その結果が出次第中身も分かるのかと」 「言語解析に掛かる時間は?」  トラスティの問いに、「それは」とメイプルは一呼吸をおいた。 「今聞こえてくる言語だけなら、さほど時間は掛からないのかと。ただ、文法的なものとなりますし、それがすべてだとは言えないと思います。加えて言うのなら、判明する単語はかなり少なくなるかと思います。そればかりは、時間を掛けて収集するしか方法がありません」 「後は、データーベースのハッキングだが……流石にリスクが大きすぎるな」  目立たない潜入を心がけている以上、情報はどうしても受動的なものとなってしまう。その分一度に得られる情報量が限られ、勢い解析に時間が掛かることになる。ただ始めて1ヶ月とちょっとと考えれば、今更慌てる必要もないのは確かだった。 「まあ、見つかる心配が無いんだったら、じっくりと準備をして掛かろうか」  トラスティの言葉に「だな」と認めたカイトは、次の段取りを確認することにした。 「それで、どうやって3番惑星に乗り込むんだ?」 「それって、結構難問なんですよねぇ」  だからこそ準備が必要になるのだが、その準備にしても相手のレベルで変わってくるのだ。特に住民を識別するIDが整っていたりすると、それを偽装するのも難しくなってしまう。うまく溶け込むためには、それこそ相手の社会情勢を理解する必要があった。 「身バレを避けないといけませんしね。それに、経済活動がどうなっているかの確認も必要だし。その意味では、調べることが山盛りなのは確かですね」  やっぱり時間が掛かると、トラスティは慎重な行動の必要性を強調した。それにカイトが頷いたところで、「ならば」とザリアとコスモクロアが手を上げた。 「我らが、潜入調査と言う物をしてきてやろうか? 実体化さえしなければ、監視の目に掛かることもあるまい」 「二人がまとめていなくなるのか……」  デバイスによる潜入調査は、効果的であるのは間違いないだろう。ただ二人揃っていなくなられると、探査船メイプル号の守りが薄くなってくれるのだ。超銀河連邦最強と言われるカイトにしたところで、生身のままではできることも限られてくる。そしてカムイを持っていても、トラスティはどこまでいっても戦闘の素人だったのだ。 「なに、我が分身を置いていけば問題はないだろう」  そう答えてから、ザリアは右手を振った。それに合わせて指から欠片が剥がれ、質量的に計算の合わない大人の女性が現れた。金髪碧眼で抜群のスタイルを誇る、どこから見ても美しい女性である。ただコスモクロアと同類の危険性を、その女性から感じることが出来た。 「ひょっとして、オクタビア様?」  以前会ったことがあるカイトとは違い、トラスティはオクタビアとは初対面だった。 「はじめまして。オクタビアと申します」  首の詰まった服に、少し広がったスカート姿をした女性は、トラスティに向かって丁寧に頭を下げた。それから椅子に座るメイプルを見つけ、「お久しぶりです」と笑顔で近づいていった。 「メ・イ・プ・ルです。お久しぶりですね、オクタビアさん」  名前を強調したところを見ると、そこになにかの意味があることになる。それを突っ込むのを放棄したトラスティは、「兄さん」とカイトの顔を見た。 「少し戦力は落ちる……ことになるのかなぁ。これで大丈夫だと思っていいですね?」 「俺自身、一度もフュージョンしたことがないのだが……いや、まて、試してみようと言う訳ではないぞ」  経験が無いと口にした瞬間、オクタビアはカイトの前に転移していた。しかも頬を赤くしながら、唇を前に突き出してくれたのだ。明らかに、ザリアの影響を受けた行為に違いなかった。 「主様は、私に恥をかかせると言うのですか?」  しかも目を潤ませてくれるのだから、「一体何なんだ」とカイトは叫びたくなっていた。そして「どうして人外ばかりなのだ」と不条理も感じていた。  ただ現実逃避をしても、現実が変わってくれるはずがない。逃げ道を奪われたカイトは、最後は力づくでオクタビアに唇を奪われた。 「なんか、心が痛いな……」  そう嘆いては見たが、とりあえずフュージョンに問題はないようだ。 「これ以上は本気で試してみないとわからんな。とりあえずだが、フュージョンには問題は出ていないようだ」 「だったら、ザリアとコスモクロアには潜入調査を任せることにしよう」  それで良いかなと問われた二人、すなわちザリアとコスモクロアは「おまかせを」と答えてから姿を消した。 「さて、行ったきりにならないことを願うことにしますか」 「まあ、あの二人なら大丈夫……と言っていいと思うがな」  ふうっとカイトが息を吐き出したところで、フュージョンが解除されてオクタビアが隣に現れた。 「分かっていましたが、また時間が出来てしまいましたね。受動観測だと、後はひたすらデーター解析をするだけですし」  どうですと問われたメイプルは、「データーをひたすら食べています」と答えた。 「このままだと太ってしまいそうなので、カイト様にご協力いただきたいと思っているんです」  そこでねえと顔を見られたオクタビアは、「是非とも!」とメイプルの提案に乗ってきた。 「くれぐれも、解析に影響が出ないようにね」 「負荷として、解析はさほど重くないから大丈夫だと思いますよ。必要なのは、情報量だけですから」  だから大丈夫とトラスティの問いに答え、メイプルもカイトの隣に場所を変えた。これで、ちょうどカイトはデバイスとプローブの2体に挟まれたことになる。 「ち、ちょっと待て、どうしてそう言うことになる。おい、待て、俺は認めていないぞっ……」  やめてくれと言う声を残して、カイトは奥のベッドルームへと連れ込まれていった。それを確認したトラスティは、「ざまあみろ」とカイトに対して同情的ではなかった。 「トラスティさんがそんなことを言うなんて、何かあったんですか?」  驚いた顔をしたマリーカに、「散々からかわれたから」とトラスティは答えた。 「義姉さん達とぐるになって、人のことをさんざん痛いってからかってくれたんだよ」  だからだとと答えたトラスティに、「痛い人ですか」と腕を組んで考えた。 「でも、アムネシア娼館ではアンドロイドが一番人気なんですよね。エヴァンジェリンさんって、自分の商売を否定して良いのかしら?」  人外と言う意味で言えば、どちらも大差がないと言うのである。そのマリーカの考えに、「ようやく理解者を得た」とトラスティは喜んだのだった。  ザリア達に潜入調査を任せたからと言って、残された自分達が何もしないで良いわけではない。だから残された3人は、放送と思われる電波の解析に力を入れた。そのお陰とでも言えば良いのか、1週間後にはかなり相手の事情を理解することが出来た。  流石に裸Tシャツほど砕けた格好はしていないが、マリーカはTシャツにホットパンツと言う、極めてラフな、そしてリゾートかと聞きたくなる格好でくつろいでいた。ちなみに場所は、メインキャビンと言う、仕事の中心ともなる場所である。うるさい姑が居ないので、これ幸いと言うところだろうか。  ただその事情は、トラスティやカイトも大差はなかった。アロハのような格好にバミューダと言うのは、本当に海辺のリゾートに居る時のようだった。そしてメインキャビンに流れているのは、遠く離れたところから送られてくる音楽である。 「メイプルさん、ここまでの情報を整理してくれますか?」  ずずっとストローでソーダを啜ったマリーカは、カイトの隣で寝転がるメイプルに声を掛けた。 「そうですね。そろそろ、これまでの情報をお伝えした方が良さそうですね」  そう言って立ち上がったメイプルは、少しお待ち下さいと言って奥へと消えていった。 「どうして、どこかへ行ったんでしょう?」  準備の必要なことが有ったか。マリーカが首を傾げてから10分後、どう言う訳かメイプルがワゴンを押して現れた。 「カイト様とトラスティ様には、お酒と手作りのおつまみを用意いたしました。マリーカさんには、ケーキと紅茶を用意しましたよ」  とても家庭的なことをしてくれるメイプルに、3人が揃って「あー」と天井を見上げた。ただツッコミをしても無駄だと、黙って出された飲み物に手を付けた。ちなみに相当ずれてはいたが、料理の腕は一級品だと3人はメイプルを認めていた。  3人が手を付けてくれたのを嬉しそうに見てから、「ヤムント連邦ですが」と観察対象となった惑星のことを話しだした。 「偶然と言えば良いのか、どうやら連邦の中心に当たるヤムント星系に来てしまったようです。ちなみにヤムント連邦は、グルカ銀河と呼ばれるこの銀河の、面積的には半分を占める巨大連邦です。もともとは、ヤムント帝国と言う形で皇帝……こちらでは、大帝と呼ばれていますね。その大帝を頭においた帝国制を敷いていました。それがおよそ200ヤー前に、大帝が実権を放棄し連邦制へと移行したようです。ちなみに穏便な形で連邦制へと移行した関係か、大帝は三権から独立した形で連邦元首となっているようです。具体的役割は、連邦議会の招集・開会・閉会と、皇族による加盟星系式典への出席となっています。ちなみにヤムント連邦には、およそ20万の星系が加盟しています。総人口で言うと、およそ2000兆になりますね。単一銀河としては、超銀河連邦のどの銀河よりも巨大な集合体となります」  そこまで説明したところで、メイプルはボトルを持ってカイトのグラスにお代わりを注いだ。ちなみにそのボトルとお酒は、お代わりのために目の前で合成されたものだった。 「ちなみにヤムント連邦20万の星系のうち、30%程が私達のような姿を持つ人類となっています。少数種ではありますが、大帝が人類と言うことと、同一種では最大規模のため、勢力的には大きなものになっていますね。放送から得られる情報では、連邦自体は平和そのものと言うことになります。もちろん、小さな問題は幾つかありますが、それは巨大な組織を運営していく上では仕方がないことと思われます。それから……」  報告はまだ続いたのだが、メイプルはカイトのお代わりを注ぐ方を優先した。その理由を考えると、少しも嬉しくないとカイトは顔をひきつらせた。ちなみにもう一人の男であるトラスティは、手酌かマリーカが気を利かせて注いでいた。 「大きな流れで言うと、対立する帝国らしきものがありますね。ニュースとしてはさほど出てきていないのですが、この反対側にオスラム帝国とか言うものがあるようです。新興の帝国で、構成星系は1万程度とヤムント連邦に比べて小規模なものになっています。ただ拡大意欲が旺盛なのか、ヤムント連邦にも手を出していますね。今の所、小競り合い程度ですが、これから力をつけてきたらどうなるかは分かりません」  それからそれからと言いながら、メイプルはカイトにお代わりを注いだ。 「今のが、放送レベルで分かる大まかな情勢というところですね。そしてヤムント連邦の内部の話になると……そうですね、皇室と言われるヤムント家のことが適当でしょうか。今の大帝は、ゲンラと言う男性です。年齢は69と、結構高齢になっています。皇后に民間人? のセリオと言う女性を娶られ、2男1女を設けられています。女の子の方は、すでに外に嫁がれて皇籍を離れられておいでです。そして男性の方ですが、長男のグリラが皇太子として次の大帝になることが決まっています。その后は、身近に居た官僚から探されたようですね。マーサと言う女性なのですが、その間に女の子が1人生まれています。アーコと言う名前なのですが、年齢は21と年頃の綺麗なお嬢さんと言うのが評判になっています。そして次男の方ですが、ギアラという名前で、長男のグリラの2つ年下になります。大学時代に付き合っていた女性を妻にし、1男1女を設けています。長男はガサラと言うのですが、皇位継承権第2位を持っているようです。その事実を鑑みると、男系で大帝を努めているようですね。ちなみに長男のガサラは、17とそろそろ后候補のリストアップが始まるようです。そして長女のカルアですが、年齢は20とアーコのひとつ下になりますね。少し丸顔をした、こちらもなかなか連邦国民に人気の高い女性です。アーコとカルアですが、どこに嫁がれることになるのか、マスコミの興味はそちらに向かっているようです」  これが皇室の現状と説明したメイプルに、「ちょっといい」とマリーカがストップを掛けた。そしてその口から、とても微妙な質問がなされた。 「こうして顔を並べてみると、両親の組み合わせが違っているように見えるのよね。長男のガサラは良いけど、アーコとカルアの父親って、ひょっとして入れ替わっていない?」  単なる感想だけどと、マリーカは難しい顔をして付け加えた。 「顔の特徴を見たら、マリーカさんの言いたいことは理解できます。ただ、そう言った情報は放送には乗ってきませんね。なので、そう見えるかもしれないとしかお答えようがありません」 「そうね、そんなスキャンダルな話が、公共放送に乗るわけ無いわね」  ごめんごめんとマリーカが謝ったので、メイプルは更に説明を続けることにした。 「兄弟仲は不明ですが、それぞれの家族仲は良好なようですね。そして国民感情ですが、未だに皇室は信仰にも似た尊敬を集めています。ですから、再度帝国に戻すべきと言う意見も、かなりの割合を占めています」 「いずれにしても、治世はうまく行っていると言うことか……それで、推定文明レベルはどれぐらいなんだ?」  それが非常に大きな意味を持つことになる。そのトラスティの質問に、メイプルはゴクリとつばを飲み込んで(?)から、全員の顔をゆっくりと見ていった。 「現時点での推定文明レベルは、8〜9と言うところです。エスデニアのような特殊な技術はありませんが、それ以外はシルバニア帝国と遜色が無いのではありませんか? 構成星系の結びつきも強く、定期船が数多く就航しているようです。これは放送のCM情報ですが、観光船も数多く就航していますね」 「なるほど、超銀河連邦と似たような発展の仕方をしているわけだ」  そこで一度言葉を切ったトラスティは、「信仰の方は?」と宗教的なものを確認することにした。 「宗教のようなものでしょうか。その意味で言えば、今のヤムント家がその対象になっていますね。この銀河の名前ですが、彼らはグルカ銀河と呼んでいるんです。その名前の由来が、2000ヤーほど前に実在した、グルカ・ヤムント大帝の名前から来ています。それが、先程の帝国回帰への根強い支持と言うことに繋がっています」 「つまり、ヤムント家以外に信仰の対象となる存在が居ないと言うことか」  そこでほっと息を吐き出したのは、この銀河にIotUのような存在が居ないことへの安堵に違いない。そして今も続く家柄と言うのなら、文明レベル以上に非常識なことは起きないと言う確信からである。 「ここから先は、半ばゴシップ話に近いのですが……先程申し上げたとおり、アーコとカルアの二人の婿に大衆の興味が行っています。色々とお相手の名前は上がるのですが、いずれも噂の域を超えていませんね」  その説明に頷いたトラスティは、「皇族の義務」に付いてメイプルに質問をした。 「大帝や皇族の役割の中に、構成星系の公式行事への出席と言うものが有ったね。だけど、構成星系が20万もあると、全てに出席するのは不可能なんじゃないかな?」  1人の皇族が公式行事に出席する場合、特別な移動方法がない限り月に1、2度が限度と言うところだろう。その前提で考えると、1人の皇族は年間24回程度が出席の限界となる。そうなると、すべての加盟星系に対応するためには皇族の数は8000人以上必要になってしまう。今の大帝の親子関係を考えると、それだけの数を賄うのは不可能としか思えなかったのだ。 「それはですね、血の繋がりをかなり先祖にまで遡った運用がされていますね。5〜6代遡れば、皇族の数は1万程度になります。そこまで動員して、公式行事へ対応されているようです。そしてその調整の役目は、宮内省と言う役所がしています」 「女の子が、嫁ぐという話になっていたね。男系だけが皇族として残るのだったら、今は非常にまずい状況じゃないのかな?」  現大帝には、2人の息子が居るのだが、その息子達をあわせても男の子供は1人しか生まれていなかったのだ。それを考えれば、トラスティが指摘するとおり、非常にまずいことになる。 「ええっと、そのことですが、民衆からは「後宮」ですか。それを作るべきと言う声も上がっていますね。とにかく子供が沢山居ないと、大帝家の維持も難しくなるからと言うのがその理由のようです」 「多分だけど、今の大帝家の考え方には合っていないのだろうね」  大変だと他人事のように笑ったトラスティは、もう一つ肝心なことを尋ねることにした。 「戸籍制度的なものはどうなっている。具体的に言うのなら、僕達が上陸した場合にうまく紛れ込めるのかってことだけど」 「そのあたりは、まだ情報を集めているところです。ご存知の通り、放送にはその手の話題が殆ど上がってきません。ただオスラム帝国対策と言うことで、住民や旅行者へのチェックが厳しくなるとの通達が出ていますね。遺伝子情報を元に、出身星系の住民データーと照合するようです。ですから、今のまま乗り込んだりすると、外部侵入者として、身柄を確保されるのではないでしょうか」  なるほどと頷きながら、厄介だなとトラスティは回避の方法に頭を悩ませた。そこまで照合が厳しくなければ、偽名等で誤魔化すことも可能だと思っていたのだ。だがバイオメトリクスで照合されると、その誤魔化しも通用しなくなる。 「回避策はあるのかな?」  トラスティの問に、メイプルは小さく首を横に振った。 「おそらく……としかお答えしようがありません。ただ、放送や通信を監視しているだけでは、流石にそこまでは分かりません。綺麗なだけな国とは思えませんので、どこかに裏組織があるとは思うのですが……」 「なるほど、そう言った情報が公共の放送に乗ることはないのだろうね。娯楽映画のようなものなら、都市伝説的なものがあるのかもしれないけど……そちらの方は?」  トラスティの確認に、「現時点では」とメイプルは謝った。 「その手の娯楽作品は、どうやらオンデマンド提供になっているようですね。そのためのアカウントが必要ですし、こちらからインタラクティブに働きかける必要も出てきます。ですから、今の所アクセスできていないと言うのが実体です」  もう一度謝ったメイプルに、「仕方がないよ」とトラスティは慰めた。 「そのあたりは、ザリアやコスモクロアに期待するしかないのだろうね。兄さん、敵地潜入の経験はありますよね?」 「まあ、軍の訓練では基本中の基本だな。と言うことなので、ザリアは経験があるはずだ」  それなら安心だと、トラスティはほっと胸をなでおろした。せっかくここまで来たのだから、遠回りをすると居う考えはなかったのだ。 「ところで、隠れている宇宙艇になにか動きは有ったのかな?」 「今の所、なんの動きもありませんね。外部から観測した所、次第にエネルギー機関が冷えてきているのが分かります。温度の下がり方から、私達よりは1週間以上前にはここに存在していたと思われます。ちなみに、通信に類するものは行われていません」  その意味するところを考えたトラスティは、なるほどと小さく頷いた。 「さっき、オスラム帝国とかがちょっかいを掛けてきていると教えてくれたね。だとすると、あの宇宙艇はオスラム帝国のものと言う可能性が出てくるね。そして侵入者が捕まったと言うニュースがないのであれば、惑星ヤムントに潜入する方法があることになる。だとしたら、不謹慎かもしれないけど、面白いことになりそうな気がするよ」 「確かに不謹慎ですね」  いかがなものかと苦言を呈したメイプルだったが、「そのお気持ちは理解できます」とトラスティの言葉を認めた。 「ただその方法があったとしても、私達が使えるかは分かりませんね。古くから境界を接していれば、ヤムント連邦に協力者が居る可能性もあります。手引きの有無で、潜入の難易度は格段に変わってくると思います。ただ、万全に思えるセキュリティに穴ができるのは確かです」  そこで少し目を閉じたメイプルは、「面白い情報が出てきました」と最新の情報を3人に伝えた。 「先ほど説明いたしました、二人の皇女ですが、結婚相手に対して条件を提示したようです。どうも、ヤムント連邦には英雄らしきものが居るようなのですが。結婚相手は、その英雄よりも強い人が良いと言う条件を持ち出したようです。おそらく、そんな者は居ないことを見越して、結婚しろと言うプレッシャーから逃れようとしたのだと推測されますね」 「ただ、マスコミはその情報に小躍りをして喜んだ。ってところかな」  トラスティの指摘に、「大正解です」とメイプルは笑った。 「マスコミ的には、こんな面白いイベントはありませんからね。どうも宮内省が主催者になって、大々的な武闘大会が開かれることになったようです。ガチで戦いをして、勝ち残ったものが最終的にヤムント連邦の英雄……ええっと、タラントと言う男性のようですね。その英雄と戦うことになるそうです。ちなみに英雄タラントですが、すでにカシオピアと言う女性と結婚していて、アンドロメーデと言うお嬢さんが居るとのことです。したがって、タラントは婿候補にはならないと言うことです」 「ヤムント連邦の軍事力を見るには、ちょうどいい機会と言うことか」  本来軍の力と言うのは、個人の力を基準にするものではない。ただIotUやカイトのような存在が居ると、単純な軍事力だけでその力を測ることができなくなってしまう。その意味で言えば、英雄と言われる男の戦闘力を見られるのはありがたかったのだ。 「それで、ヤムント連邦にも、カムイやデバイスのようなものがあるのかな?」 「現時点では、無いとは言えないとしかお答えできません。まだ武闘大会の要項が発表されていません。その要項を見れば、禁止事項等でデバイスに類するものの情報を得ることができると思います。ただ未確認情報では、強化外骨格系の兵装があることになっています。ゼスで使用されていた、ラプターの上位バージョンのようなものでしょうか」  その説明を受けたトラスティは、カイトの顔を見てから「ここまでかな」と説明会を打ち切った。そろそろ情報精度が落ちてきているし、程よく自分達にも酔いが回ってきていたのだ。まだまだ時間がかかることを考えたら、ここで慌てることに意味がないとも考えていた。 「ちょっと酔ってきたから、今日は休むことにするよ」  そこでふらりと立ち上がったトラスティは、少しおぼつかない足取りでいつものベッドルームへと向かっていった。それを見て慌てて立ち上がったマリーカは、小走りに追いかけてすぐにトラスティを横から支えた。そして二人は、そのまま奥のベッドルームへと消えていった。 「じゃあ、俺も休むことにするか」 「では、お供いたしますっ!」  もの凄く嬉しそうに立ち上がったメイプルに、カイトは「あー」と天井を見上げた。 「来るなと言っても、無駄な抵抗なのだろうな」 「そうですね、私としては手荒なことはしたくありません。それに、私の体ではご満足いただけませんか?」  少し萎れたメイプルに、「逆だ」と言ってカイトは顔を背けた。 「良すぎるから、逆に怖くなっちまったんだ。このまま行くと、俺はエヴァンジェリン達では満足できなくなっちまう」 「だったら、手遅れだと諦めてくださいませんか? 私は、一生カイト様にお使えさせていただきます。それが、私の新しい喜びだと分かりましたので」  だからですと頬を染められれば、それ以上の抵抗も難しくなる。もう一度天井を見上げたカイトは、何も言わずにベッドルームへと向かっていった。この船に居る限り、何をしてもメイプルの手から逃れることは出来ない。しかもザリアが居なければ、カイトでもメイプルには敵わなかったのだ。  だからせめてもの抵抗と、カイトは何も言わずにベッドルームへと入っていったのである。だが否定がないのは肯定の印と喜び、メイプルはとても軽い足取りで同じベッドルームへと入っていった。トラスティのことを「痛い人」と言って笑ったカイトだったが、この旅に関してだけを言えば、自分の方がずっと痛い人になってしまっていた。その認識もまた、カイトを落ち込ませていたのだった。  現地に入ることで、得られる情報量は格段に増えてくれる。探査船メイプルより早く言語情報の解析を終えた二人は、次に文化的な情報の収集にあたった。カイトとトラスティ、場合によってはマリーカも上陸することになるのだから、違和感なく溶け込むことが求められたのだ。そして並行して、連邦における闇、裏社会の情報も集めていた。 「誰かの作為を感じると言えば良いのか、さもなければ神の奇跡と言えば良いのか……」  1週間ほど文化的情報を集めたところで、ザリアは「なんなんだこれは」とコスモクロアに零した。ちなみに現時点のザリアは、ラズライティシアモードで行動していた。そのあたり、子供の格好だと目を引きやすいことを考慮したと言うことである。 「ほとんどライマールと同じに見えるぞ」 「私にも、ライマールと同じように見えますね」  苦笑を浮かべたコスモクロアは、「見た目の問題はなさそうです」との分析を口にした。 「ただ商業行為……レストラン等で食事をしようとすると、こちらの通貨が必要になります。その通貨がIDに紐付けられているので、IDを得る必要が出てきますね」 「生体情報とともに登録されたIDか……」  厄介だなと、潜入に際しての最初の障壁をザリアは問題とした。 「裏でIDを偽造するか、さもなければ移民局を利用するか……と言うことか」 「リスクを考えたら、五分五分と言うことですか。ただ、移民扱いにした方が、文化的に不慣れなことに対しての言い訳が付きますね。それに、生活に対しての補助を貰うこともできます。大手を振って歩けると言うメリットはありますが……」  良いことづく目に見える移民なのだが、当然のように問題も存在した。 「1ヶ月の教育を受ける必要があるな。社会に溶け込む意味ではありがたいが、果たして主達がそれを受け入れてくれるだろうか」 「それであれば、移民情報のデーターベースを書き換えますか?」  そうすることで、まだるっこしい教育を受けなくてもすむことになる。ただ、データーベース書き換えに伴う、リスクを覚悟しなければならなくなる。 「リスクはあるが、その方が確実なのは確かであろうな。ところで、その場合カエデ……ではなく、メイプルはどうする?」 「マリーカさんの護衛と言う意味では良いのですが。流石に、生体認証で引っかかりそうですね。そのあたりの偽装って、可能でしたっけ?」  その可否で、対応方法が変わってくることになる。コスモクロアの疑問に、「程度問題だ」とザリアは答えた。 「調べた範囲の生体認証であれば、誤魔化すことは可能であろう。バイオチップを利用しておるゆえ、肉体構成は人と殆ど変わらぬからな。ただ、細かく調べられれば、隠し通すことは不可能としか言いようがない。余計なリスクを減らすことを考えれば、メイプルは残してきた方が良いな」  ザリアの答えに、コスモクロアは小さく頷いた。 「では、当面のリスクを減らすことを優先いたしましょう。次の問題は、どこから偽装情報を入力するかですが……一度、辺境星系に行ってきますか?」 「タリヤ……か? 確か、移民船が度々寄港しておったな。そこで、過去日で情報を入力してやるか」  そうすることで、情報自体は正規のものとなってくれる。チェックを受けた場合でも、誤魔化しやすくなるのは確かだろう。 「アルテルナタ王女のお陰で、データーだけなら過去に干渉できるようになりましたからね」  計画通りですと笑ったコスモクロアは、ザリアの顔を見て「移動しますか?」と問いかけた。 「うむ、細工は早めにしておいた方が良いだろう。それにタリアで移民登録をしたのであれば、ここまでの移動記録も必要となるからな。そちらの細工も必要になるであろう」  善は急げだと笑ったザリアは、タリアへの空間接続ゲートを開いたのだった。正確な座標さえ分かれば、空間接続もさほど難しくなかったのだ。  そのままタリヤに移動した二人は、とりあえず街の観察から始めることにした。移民局のデーター改ざんができても、パーソナルID受領には、本人がここにいる必要がある。何しろパーソナルIDは、1ヶ月の研修終了後に事務局で渡されることになっていた。そこで本人と照合を行い、物理的なIDが渡されるのである。1ヶ月も研修を受けたことが前提になるのだから、こちらの生活にもそれなりに馴染んでいる必要があった。  ただそれにしても、びっくりするほど超銀河連邦に所属する星系との違いがなかった。流石にヤムント程発達していないが、エルマーレベルは十分に満足していたのである。移民の窓口になると言う意味では、外に向けての開放度はエルマーを上回っているぐらいだ。 「観察した範囲では、日常生活で苦労することはなさそうだな」 「後は、こちらの世界独特の禁忌に類するものがないかですが……受け入れ研修の資料を入手した方が良さそうですね」  そうすれば、日常生活での注意点も分かることだろう。確かにそうだと認めたザリアは、早速移民局のデーターを調べることにした。 「では、今晩にでもデーターを追加することにするか」 「いつでなければならないと言う事はありませんが……主様達を呼びに行くことも考えた方が良さそうですね。探査船ごと移動してもらいますか?」  コスモクロアの問いに、「探査船は残しておく」とザリアは答えた。 「タリアからヤムントには、定期船を利用した方が説明がつくことになる。せいぜい1週間のことだ、3等船室で我慢をして貰おう」  なるほどと頷いたコスモクロアは、「関係はどうします?」と追加する情報について確認した。 「我が主とトラスティは、兄弟と言うことでよかろう。マリーカは、トラスティの嫁にしておけば問題は出まい。登録家族名は、イカリとでもしておけば問題ないしな」 「その名前を、ここで使いますか」  苦笑を浮かべたコスモクロアに、「単なる記号だ」とザリアは言い切った。 「と言うことなので、夜までこの星の生活を調べておくことにしよう」 「明日には、主様のところに戻ることになりますね」  嬉しそうな顔をしたコスモクロアに、「親バカだな」とザリアは笑った。 「それは、あなたにだけは言われたくない言葉ですね」 「別に、われは親バカであることを否定はせんぞ。加えて言うのなら、夫に会うのも楽しみにしておるがな」  そう言うことだと笑ったザリアは、手分けをして夜まで過ごすことを提案した。 「その方が、情報が集まりそうですね」  了解しましたと言って、コスモクロアは姿を消失させたのだった。  そしてヤムント連邦に着いた3週間後、トラスティ達3人は無事タリアの地に降り立つことになった。そこでパーソナルIDも入手したので、生きていくための最低限の保護を受けられるようになったのである。  驚く程何もなかったと言うのが、タリアからヤムントに移動した時の感想だった。移民として保護されているのだから、首都星への移動について、もっと細かく詮索されるのかと思っていたのだ。だが蓋を開けてみれば、拍子抜けするほどあっさりと移住が認められたのである。これでいいのかと、逆に気になったぐらいだった。 「さて、ヤムントに着いたら、移民局に顔を出せと言うことだったな」  惑星ヤムントの静止軌道には、まるでパズルを組み合わせたようなスペースベースが作られていた。ベガス・シティと名付けられた宇宙基地は、小さな大陸ほどある巨大なものである。その端っこにある旅客船ドックに到着したトラスティ達は、出発時に指示をされた行動を取ることにした。 「ここのガイドシステム、結構洗練されていますね」  そう口にしたマリーカは、空間投影した地図で移民局を検索した。現在位置からは、およそ100km程離れているのだが、行き先指定をすることで、最寄りの移動ポイントまでガイドしてくれる。そこなら、歩いても5分と掛からない距離だった。  そして指定された移動ポイントに到着すると、そこにあったのは単なるゲートだった。使い方の説明があったから良いようなものの、現場に有ったのは「ゲート」と言う、情緒もなにもない表示だった。 「そのまま歩いて通り抜ければいい……タンガロイド社で、似たようなものを見たな」  行こうかと言って、トラスティはマリーカの腰を抱き寄せた。そのあたり、夫婦と言う設定を意識した行為でもある。そして二人のあとは、カイトが少し疲れた顔をして付いていった。 「本当に、タンガロイド社で見たのと同じだな」  ゲートを通り抜けると、結構立派な建物が目の前にそびえ立っていた。入口を見ると、「連邦移民局支局」と書かれていた。 「さて、次に行くのは住民登録課……でいいんだな」  小さく呟いて建物の中に入ると、行き先表示が空間投影されていた。そして自分達向けに、進行方向の矢印と、目安となる距離が記載されていた。 「こっちへ行けと言うことだな」  今度は、カイトが先頭に立って歩き始めた。ちなみに目的地までの距離は、400mで、およそ5分と表示されていた。  そしてきっかり5分歩いたところで、「住民課」と書かれたプレートの前にたどり着くことができた。そこでの問題は、申請者でごった返していることだ。 「さて、手続きにどれだけ時間が掛かるのかな?」  IDを当てれば受付が終わるので、3人は順番にIDを当てていった。そこで表示された待ち時間の目安は、およそ2時間と言うものだった。それだけなら時間を見て戻ってくれば良いのだが、「あくまで目安であって、状況によって前後します」との断り書きがされていた。これで、待合室から出られなくなってしまった。 「役所なんて、どこでも同じってことか……」  カイトの場合、連邦軍を退役した後、ジェイドに引っ越す際に同じ目に遭っていた。それを思い出して、「どこでも同じ」と言う批判が口から飛び出したと言うことだ。 「まあ、郷に入れば郷に従えと言いますからね。おとなしく待つ以外に方法は無いと思いますよ」 「まあ、そうなんだろうなぁ」  たまたま3つ揃って空いていた椅子に座り、なんだかなぁとカイトは天井を見上げた。 「ちっとも新鮮味がないと言えば良いのか……なあ」  そこで周りを見たカイトは、「やっぱり新鮮味がない」と繰り返した。 「ジェイドに来た時のことを思い出しちまった」 「カイトさんって、意外に文句が多いんですね」  そう言って笑ったマリーカに、「新婚さんじゃないからな」とカイトは言い返した。 「でしたら、メイプルさんを連れてきます?」  喜びますよと言われ、「それだけは勘弁」とカイトは両手を合わせた。完全勝利と喜んだマリーカは、カイトを真似てぐるりとあたりを見たわした。 「でも、カイトさんの仰ることも理解できますね。なにか、周りにいる人達に新鮮味がないと言うのか」 「お陰で、僕たちも浮かずに済んでいると言うことだよ」  そこでぽんぽんとマリーカの頭を叩いたトラスティは、「観察されていますね」と小声で口にした。 「多分ですが、社会への適合性を見られているんでしょうね」 「彼女は分からないが、俺達ならどこでも生きていけるだろう」  あははと笑ったカイトに、「加えて言うのなら、周りとの協調性」とトラスティは付け足した。 「まあ、その点でも大丈夫でしょうけどね……って言っていたら、どうやら繰り上げが合ったようですね」  最初に表示されたのが2時間だったのに、次に案内と言う表示に更新されたのだ。座って1時間も経ってないことを考えると、トラスティの言う「繰り上げ」と言うのは確かなのだろう。その証拠に、待合室に居る人たちが入れ替わったようには見えなかったのだ。 「さて、異分子と見られたのか、はたまた適合性があると見られたのか。ここから先が勝負と言うことです」 「まあ、なるようにしかならないだろう」  少し大きな声で答えたカイトは、一転声を潜めて「いざと言う時の対応も出来ている」と付け加えた。 「まあ、ここではそんなことはないと思いますよ」  そんなことを言っていたら、わずか5分後に3人への案内が送られてきた。とてもレガシーな方法なのだが、1番の扉を入れと言うことらしい。「行くか」と兄らしい言葉をかけて、カイトは2人を連れて1番の扉を開いたのである。  一体何が出てくるのか。それを期待して扉を開いたのだが、待っていたのは拍子抜けするほど普通の人物だった。「担当のレンガです」と男は、自分のIDを示しながら名乗ってくれた。 「緊張する必要はありませんよ。と言うのは、皆さんには必要なさそうですね。では、これより簡単なヒアリングをしてから、皆さんの居住地を決めましょう。ちなみに、指定居住地ですが、利用期限は1年となっています。その期限が経過する前に、自力で新しい居住地を探してください。もちろん、住宅課に行けば斡旋してもらうことも可能です」  それが前置きと笑ったレンガは、「最初の質問です」と3人の顔を見た。 「皆さんは、ヤムントで何をされることを希望されていますか? 具体的職種があるのであれば、それを教えてください。では、お兄様から伺うことにしましょうか」 「俺か!」  少し驚いたように自分を指さしたカイトは、「肉体系だな」と自分の特徴を口にした。 「これでも、腕っぷしには自信があるんだ。だから、そちらの特徴を生かせる仕事があればと思っている」 「軍とか、警備関係だと思っても宜しいですか?」  それはと問われたカイトは、「軍はちょっと」と尻込みをしてみせた。 「でしたら、警備関係の仕事を希望されると思って宜しいですね。大丈夫です、結構警備関係は求人が多いんですよ」  うんうんと頷いたレンガは、「弟さんは?」とトラスティの希望を確認した。 「企業経営をしていたこともあります。後は、文筆業もしていました」  トラスティの説明に、なるほどなるほどとレンガは頷いた。 「ヤムントは人手不足が顕在化しているのですが……企業経営の場合、前職での実績が必要となりますね。そしてそういった仕事は、職業安定所には降りてこないものです。そして文筆業……ですか。これもまた、公共の職業安定所には降りてきませんね。お兄様と同じ、警備関係と言うのはいかがでしょう。こちらでしたら、引く手数多の状態になっています」 「それは、今、ここで決めないといけませんか?」  トラスティの質問に、「まだ結構です」とレンガは答えた。 「居住区を決めるための、参考情報でしかありませんからね。勤務のことを考えた居住地を斡旋しようと思っているんですよ」  そう説明したレンガは、「最後に」と言ってマリーカの顔を見た。 「マリーカさんですね。何か、希望されるお仕事はありますか……まだお若いようですから、学校に通うと言うのも選択肢ではありますが」 「学校、ですか……」  そこで少しだけ考えたマリーカは、一応の希望らしきものを口にした。 「小型宇宙船なら操縦できるんですけど」 「ですが、連邦での免許をお持ちではありませんね。小型宇宙艇免許をとっていただければ、仕事のバリエーションは広がります。では、免許取得コースを選ばれるのが宜しいかと」  そこで何かを入力したレンガは、「地区の希望はありますか?」と確認してきた。 「武闘大会が開かれると聞いたのですが、その大会会場から近いところを希望します」 「なるほどなるほど、地方星系まで伝わるビッグイベントですからね。近くに住みたいと言う希望は大いに理解できます。ただ忠告ですが、イベント開催地区は、他の地区に対して若干治安が悪くなる傾向があります。派手な行事だけに目をとらわれないようにした方が良いですよ。繰り返し確認しますが、会場近くがいいのですね?」  どうですかと問われ、カイトはトラスティではなくマリーカの方を見た。 「ああ、どうも派手好きな性格をしていてな。それに、腕っぷしには自信があると言っただろう?」  だから希望を変えないと答えたカイトに、「宜しいでしょう」とレンガは大きく頷いた。 「探してみましたら、競技会場から徒歩で30分のところの住居に空きがありました。周りは、繁華街……なので、賑やかなところがお好きなら希望にぴったりでしょう!」  そこで右手を滑らせるようにしたレンガは、「これでヒアリングを終わります」と3人の顔を見た。 「いやぁ、あなた達は本当に運がいい。5ベッドルームの豪邸が空いていました」 「本当に、運が良かったみたいですね」  素直に喜んだトラスティに、「そのとおりです」とレンガは全身で肯定した。 「3時間後に、住居の準備もできます。それまでは、ベガス・シティの観光でもしていてください」 「ご配慮に、感謝いたします」  代表して頭を下げたトラスティに、レンガは「いやいや」と首を振った。 「ヤムントは、常に若い方達を求めているんです」  そう言うことだと笑い、「そちらのドアからどうぞ」と入ってきたのとは違うドアを指さした。 「そこを通れば、観光案内所に行くことが出来ます。色々な娯楽施設もありますから、時間まで楽しんでいてください」  ご苦労さまですと、レンガは3人を送り出した。そして3人が出ていくのを確認してから、「まあ大丈夫でしょう」と手元のデーターを見た。そこには、カイト達3人に割り当てられた部屋の基本データーが表示されていた。部屋の広さ等は、説明したとおりなのだが、周辺環境のところに「5段階でEの表示がされていたのである。そこに付けられたコメントは、「治安状況が著しく悪化」と言うものだった。つまり、周辺環境としては最悪と言うことだ。 「まあ、大丈夫でしょう」  自分に言い聞かせるように、レンガは「大丈夫」を繰り返したのだった。  どこでも同じだなと呆れながら、トラスティは観光ではなく資金稼ぎに専念することにした。使用する小道具は違っていたが、こちらにもカジノと呼ばれる施設があったのだ。ただ小道具こそ違うが、華やかな景色と言うのは超銀河連邦とは違いがなかった。  どうせ二度目は無いからと、トラスティは効率よく稼ぐことに専念した。そのお陰で最低保証で貰ったお金に対して、1000倍ほどの資金を得ることに成功した。半分を税金で持っていかれなければ、2000倍の大勝ちをしたことになる。 「親父、ギャンブルが強すぎだろう」  最初はちまちまと賭けていたカイトだったが、爆勝ちするトラスティを見て虚しくなってしまった。それで見物に切り替えて、爆勝ちにつられて寄ってくる者たちを観察することにした。そこで得た結論は、「ここでも一緒」と言うものである。爆勝ちを羨む者や、おこぼれに与ろうとする者、場が乱されたと憤慨する者等々である。  そして目安の3時間後に住民課に戻った3人は、別の係員から新居の登録を受け取った。特別な鍵などなく、持っているIDが鍵代わりに使用できると言うことだった。 「それで、ここから住居までは?」  空間移動で行けるのかと期待したのだが、係員は「地上へのシャトルがあります」と説明してくれた。 「一度シャトルで地上に降りていただき、そこから先は公共交通機関で移動していただくことになります。一応あなた方は、半年間の費用免除の特権があります。ですからIDはかざしてもらいますが、料金を引き落とされることはありません。それに加えて、フードクーポンも支給されます。アルコール等の嗜好品には使えませんが、食べていくのに困ることはないと思いますよ」 「こちらは、ずいぶんと至れり尽くせりなんですね」  驚いた顔をしたトラスティに、「ヤムントは特別です」と係員は答えた。 「首都星なのでお金はあるのですが、そのくせ住人は増えないんです。企業のビルが並ぶ景色は、殺風景と言うのか、人が閑散としていて寂しいところもありますね。その意味で言うのなら、あなた方の住まれるセイナリ地区はちょっと毛色が違いますが」  そんなところですと笑った係員は、急がれた方がシャトルに向かうことを勧めた。 「このシャトルを逃すと、次のシャトルは6時間後になります。ベガス・シティは遊ぶ所が多くて良いのですが、地上に降りる時間が遅くなりますからね。慣れない土地ですから、明るいうちに着いたほうが良いでしょう」 「ご心配いただきありがとうございます。でしたら、ご忠告どおりシャトル乗り場に急ぐことにします」  揃って頭を下げてから、トラスティ達はゲートを通って地上行きのシャトル乗り場へと急いだ。そして、急げと言われた理由を理解することが出来た。何しろ広いシャトル乗り場には、およそ1千機のシャトルが待機していたのだ。迷っていたら、それだけで時間を使ってしまいそうだった。 「シルバニアより、スケールが大きいですね」 「構成星系の数が、段違いだからな」  銀河自体の規模も違うので、すべてのスケールが違ってくると言うのだ。それをなるほどと受け止めたトラスティは、「行こうか」とマリーカの背中に手を当てた。 「はい、あなた」 「あー、まー、僕達は新婚って設定だったね」  だったら構わないかと、トラスティは手の位置を腰に変えてその体を自分の方へと抱き寄せた。 「とりあえず、僕達の住処を確認しましょうか」 「ああ、どうやら刺激的な場所らしいからな。ちょっと、ワクワクしているんだ」  嬉しそうな顔をしたカイトに、「程々に」とトラスティは注意をしたのである。  シャトルに乗って30分ほどで、惑星ヤムントの首都ダイワ近郊のシャトルステーションに降り立つことが出来た。そこからは公共交通機関を乗り継ぐことになるのだが、その前にと3人はステーションの外に出て外の景色を確認してみた。 「なるほど、結構原始的……と言うのか、レガシーな交通手段をとっているんですね」  空を見上げると、どこまでも青い空が広がっていた。そしてそこには、それこそ無数の乗り物が飛び交っていたのだ。それだけ活気があると言う事もできるのだが、効率から行けば非効率と言いたくなる移動方法でもある。ただそれでも、エルマーよりは進んでいると言うレベルに思えた。 「環境管理はしっかりと行われているようですね」 「ああ、あんなのが飛び回っているくせに、特に環境汚染は無いようだな」  くんと匂いを嗅いでみても、青臭い草の匂いぐらいしか感じられなかった。人工物から感じられる埃っぽさとかが、見事に抑え込まれていたのだ。 「さて、こんな綺麗な首都なんですけど……僕達の住むところはどうなんでしょうね」  もの凄く味気ない場所となるのか、はたまたとてもエキサイティングな場所なのか。楽しみですねと、トラスティはカイトに向かって笑ったのだった。  一度建物の中に戻った3人は、ガイドに従ってセイナリ地区に向かうエアカー乗り場へと向かった。そこで一つ気になったのが、他の地区行きのエアカーに比べて、セイナリ地区行きのものは装備が物々しく見えたことだ。装甲と言いたくなるボディに、どう見ても武器と呼ばれるものまで整備されていたのだ。流石にこれはと、トラスティは顔をひきつらせてしまった。 「ひょっとして、僕達って騙されたとか?」 「一応、若干治安が良くないとは注意されたな。この物々しさが、若干というレベルなのかは疑問だがな」  まあ良いかと、カイトは率先してエアカーに乗り込みIDを当てた。そしてガイドに従って、目的地を設定していった。そこで一つ気になったのは、「治安注意報」と言う表示があったことだ。 「AI、注意報がでているんだけど?」  とにかく疑問はすぐに解消する必要がある。そのつもりで質問したトラスティに、「警報が出ない限り出発します」と言うのがAIの答えだった。 「もちろん、出発判断にしか使用しません。一度出発した場合は、重大警報が出ない限り、目的地に向かいます。ここの所の情勢でしたら、せいぜい警報止まりかと思われます」  つまり、出発前なら運行停止となるほど危険と言うことだ。「嵌められた?」とトラスティが言うのも、状況を考えれば不思議な事ではない。 「まあ、とりあえず行ってみて考えよう。親父も、カムイを使えるんだから大丈夫だろう」 「メイプルを呼び寄せた方が良いかな?」  そうすることで、肉弾戦の戦力が増強されることになる。安全の意味でメイプルの名前を出したトラスティに、「それだけは勘弁してくれ」とカイトは懇願したのだった。  エアカー乗り場を出発した一行は、飛び交うエアカーを縫うように飛んで目的地へと向かった。 「これを見ていると、都市計画に失敗したって気がしますね」  入り乱れて飛ぶエアカーに、トラスティは苦笑を浮かべて「なってない」と首都ダイワの設計を笑った。 「ですけど、全部の人がエアカーを使ってるとは限りませんよね。もしかして、下層民だけがエアカーを使ってるんじゃありませんか? ほら、私達って「移民」ですから」  マリーカの意見を、「それもあるか」とトラスティは認めた。つい忘れがちになるのだが、自分達は生活保護を受ける移民の扱いだったのだ。まだ定職も持っていないのだから、「下層民」と言われても仕方がなかったのだ。 「だとしたら、這い上がっていかないとこの連邦の一面しか見られないことになるね」 「でも、這い上がるのって、簡単じゃないと思いますよ」  何しろ自分達は、この連邦の仕組を全く知らないのだ。そして教育を含めて、成り上がっていくための下地を持っていない。超銀河連邦では有名人かつ船長をしている自分でも、ここでは教習所から始めなければいけないのだ。それを考えれば、這い上がるのは不可能ではなくても、時間が掛かることは予想ができた。 「まあ、簡単じゃないんだろうね。それでも、幾つか方法はあると思っているよ」  そこで「例えば」とトラスティはカイトの顔を見た。 「例の武闘大会に、兄さんに出てもらうんだよ。戦う条件が良く分かっていないけど、普通にやれば勝ち進むことができるよね。ただ頑張りすぎると、皇女と結婚なんてことになるから、適当なところで手を抜くことになるんだけどね。これが、手っ取り早い方法の一つかな」  トラスティの説明に、なるほどとマリーカは頷いた。確かにカイトは、超銀河連邦最強の男だったのだ。生身でも強いことは分かっているので、実力の世界で成り上がるのも難しくないだろう。 「そして、こちらで起業すると言う方法もあるんだよ。とりあえず起業資金は、結構稼いでおいたからね。それを元手にすれば、会社の一つぐらい起こすことが出来る。ただ、何をするかはじっくりと考える必要があるけどね」 「そう言えば、カジノで爆勝ちをしましたね。ああ、それなら小さな会社ぐらい起こせそうですね」  うんうんと頷いたマリーカに、トラスティは「今の所その2つ」と笑った。ただ何かを思いついたのか、急に真面目な顔をして「もう一つ有った」とマリーカの顔を見た。 「君がアイドルになるって方法も有ったな」 「アイドルって、所帯持ちでも大丈夫でしたっけ?」  それもあるなと考えながら、マリーカはエルマーでのことを思い出した。そして意外に行けるのかと、デビューの方法を考えることにした。なんのかんの言って、大勢の観客を前にスポットライトを浴びるのは気持ちが良かったのだ。 「まあ、兄さんは奥の手として考えることにするけど。君には、教習所に通って貰うことになるのだろうね。運送業なんて、結構手っ取り早く稼げる気がするんだ」 「メイプルを利用すれば、結構ズルも出来ますしね。運送業かぁ……」  それもいいかなと、マリーカは小型輸送船に乗り込む自分の姿を想像した。 「まあ、それも一つの方法なんだけど……なんだ、あの障壁は?」  いつの間にか、周りを飛ぶエアカーの数が減り、進行方向にちょっとした塀が作られていた。高さにしておよそ30mと、まるで都合の悪い何かを隠すような塀だった。 「AI、あの塀はなんだ?」 「セイナリ地区の境界線です。あの塀の向こう側が、お客様の目的地となります」  無機的な答えに、悪い予感が当たったとトラスティは考えた。 「確認するが、セイナリ地区は隔離されているのか?」 「隔離はされていません。ですから、お客様達であれば、出入りは自由になっています。ちなみにIDをなくされると、外に出られなくなるので注意をしてください。それから、これは注意なのですが、不用意に塀に触れないようにしてください。触れた途端警報が発せられ、強烈な電撃に見舞われることになります。運が良ければ死なない程度の電撃だと思ってください」  その説明に、「監獄か?」とカイトは声を上げた。だがAIは、監獄と言うカイトの言葉を否定した。 「IDさえ持っていれば、出入りは自由ですよ。ですから、監獄と言うのには当たらないのかと。それからもう一つ注意をしておきますが、IDを無くさないようにしてください。結構盗難が頻発しているとの情報もあります」 「つまり、スラムと言うことか」  思わず漏れ出たカイトの言葉に、「それは使わないようにしていました」とAIは白状した。 「でも、どんなところでも、住めば都と言いますし」 「だんだん隠さなくなってきたね」  トラスティが苦笑を浮かべたところで、エアカーはスラムを隔てる壁を乗り越えてくれた。そこで拍子抜けをしたのは、塀の内側にある建物が汚れていないことだった。建物だけを見れば、塀の向こう側と差があるようには見えなかったぐらいだ。 「建物は綺麗なんだね」 「入れ物を用意するのは簡単ですからね」  つまり人の方はどうにもならないと言うのだ。指定を謝ったかと、トラスティは真剣に転居を考えた。 「ところで、この中にはIDがなければ入ってこられないのかな?」 「いえ、IDがなければ出ることが出来ないだけです」  それではまるでネズミ捕りだ。いくら最強の男と最強のデバイスが身近に居ても、不安を感じるなと言うのは無理な相談だった。ただカムイを持つトラスティでも不安を感じるのだから、防御手段を持たないマリーカは更に不安を感じるはずだ。そのつもりでマリーカを見たら、なぜか平然とした顔をしてくれていた。 「特に、不安を感じていないように見えるけど?」 「自由船の船長なんてしていましたからね。荒っぽい所とかは、結構馴染みがあるっていうのか。それにカイトさんとコスモクロアさんがいれば、大抵の荒事ぐらいなんでもないと思っていますよ」  そこでトラスティを外したのは、正しい見識と言えるだろう。やはりメイプルも呼び寄せるかと、トラスティは真剣に身の危険を感じていた。  そして身の危険は、エアカーを降りたことで顕著に感じられることになった。これまで旅行記を書いてきたトラスティだから、結構危険な地域に足を踏み入れた経験を持っていた。ただ過去経験した場所との違いは、建物だけはやけに綺麗と言うことだ。その綺麗な建物の住人から伝わる荒んだ空気が、余計に違和感をもたせてくれたと言うことだ。 「身も蓋もない言い方をするのなら」  明らかに緊張したトラスティに向かって、カイトは少し声を張り上げた。 「雑魚ばかりだな」 「いくら雑魚でも、数が多いと面倒だと思うけどね。それに雑魚と言うのも、基準は兄さんだから」  超銀河最強の男から比べれば、大抵の相手は雑魚になってしまう。暴力で評価するのなら、自分もまた雑魚だと思っていたのだ。 「まあ、数が多いから面倒と言うのは分かるがな。元締めみたいのが分かれば、そいつをしめてやれば問題は解決する。そっちの方は、ザリアにでも探らせてみるさ」 「兄さんの戦力を落としたくないから、コスモクロアにやらせるよ」  かなり慎重になったトラスティに、「珍しいな」とカイトは笑った。 「戦争真っ只中のゼスでも、少しもビビっていなかったのにな」 「全く情報がないからと言うのもあるんだ。ここだと、何一つとして手の内に収めていないからね」  トラスティの答えに、なるほどとカイトは大きく頷いた。そしてここだなと、小奇麗な建物の前で立ち止まった。 「メゾン・デス……縁起でもない名前だな」 「デスの意味が、僕達と同じならね」  ただ入り口で立ち止まっていても、何も始まらないのは確かだ。それに周りから向けられる遠慮のない視線を避けるためには、一刻も早く建物の中に入る必要があった。 「ここもIDか。盗難が頻発するってのも、分からない話じゃないな」  入り口でIDをかざすだけで、静かに扉が開いてくれた。すべてIDで賄えるのは便利なのだが、その分リスクも高くなるように思えてしまった。 「盗難対策って……結局、注意をするしか無いんでしょうね」  憂鬱だと零しながら、カイトの後に続いてトラスティとマリーカはメゾン・デスの中へと入っていった。外観を見れば予想がついたことだが、建物の中も清潔に保たれていた。  そこから旧式の超高速リフトに乗って、3人はあてがわれた部屋へとたどり着いた。 「1111号室ですか。見た目だけなら、まっとうに思えますね」  同じようにIDを当てれば、入口の扉がスムーズに開いてくれた。用心してカイトが先頭で中に入ってみたのだが、あっけないほど何も起きてくれなかった。 「ありがたいことに、基本的な家具は揃っていますね」 「でも、食材とかは全くありませんね。食器とかも手に入れないと、お茶も飲めませんよ」  早速キッチンを探検したマリーカは、「水一本ありません」と探検の結果を報告してくれた。 「なるほど、次の関門は食材の調達か。配達とかあるかな?」  リビングに行くと、多目的端末が置かれていた。生活のマニュアルに有ったなと、トラスティは端末を立ち上げた。 「とりあえず、宅配サービスはあるようだね」 「だったら、ちゃっちゃっと必要そうなものを手配してしまいましょう!」  ふんふんと鼻歌交じりに、マリーカは端末を操作して食材をカートへといれていった。ただ生活に必要なあるものをチェックしたところで、購入不可のウォーニングを受けてしまった。 「やっぱり、アルコール類は私では買えませんね。それ以外は買っておきますから、あなた達で好きなものを手配してくださいね。はい、これで手配完了っと!」  部屋にくくりつけの端末と言うこともあり、支払いの方もIDに紐付けられていた。住所入力もいらなかったので、欲しいものを選んで注文するだけで終わりである。 「1時間後に届くわね」 「まあ、便利なんだろうね……」  外の様子を考えると、安全のためには絶対必要な注文システムに思えてしまった。 「じゃあ兄さん、アルコール類は適当に注文しておきますね」 「俺用なら、度数の高いやつを頼む」  奥の方から声が聞こえてきたところを見ると、家の中を探検しているのだろう。たしかにそれも必要だと、トラスティはアルコールを注文したところでベッドルームを確認しに行くことにした。そこで一つ疑問だったのは、マリーカもついてきたことだった。 「ええっと、ここにはベッドルームが5つあるんだけど?」 「処女だった私を、毎日のように貪った人がそれを気にします? 私は、あなた色に染め上げられてしまったんですよ」  しませんよねとニッコリと笑われ、トラスティはあっさりと白旗を上げた。 「これだったら、メイプル号のベッドルームよりも快適ですよ」 「ああ、きっとそうなんだろうねぇ」  ベッドにダイブしたマリーカに、「見えてるんだけど」と言う言葉が喉から出かかっていた。それを無理やり喉の奥に押し込み、話を残った部屋の方へと向けた。 「だけど、余ったベッドルーム3つはどうしようね」 「とりあえず、掃除はしておいたぞ」  遠いところから聞こえてきた声に、トラスティはビクリと反応してしまった。 「やっぱり、監視カメラとか有ったのかな?」 「住民のセキュリティ対策の一環なのだろうが、全部に目隠しをしておいた。後は、マイクも耳栓をしておいてやった。熱源センサーは、プライバシーに関わる部分だけ、ダミーの熱源を配置しておいた」  ザリアの報告に、「色々とあるねぇ」とトラスティは感心してしまった。ただ、シルバニアの皇宮内でも似たようなものなので、とりあえず気にしないことにした。 「ところでコスモクロアは?」 「まだ、調査中だな。目立たないようにしておるゆえ、一晩ぐらい掛かることは覚悟してくれ」  ザリアの答えに、「急ぐことはないから良いか」とトラスティは割り切ることにした。それにコスモクロアなら、万が一を心配する必要も無いと安心していたのだ。もしも心配することがあるとすれば、関わり合ってきた相手の身の安全の方だった。 「どうやら、私達の荷物も届いていますね。これで、着替えに困ることもありません!」  むっくりと起き上がったマリーカは、いきなり来ていたトレーナーを脱ぎ始めた。 「いやいや、恥じらいぐらい有った方が良いと思うんだ」 「それは、私を脱がせたいと言うことですか。すぐに荷物が届きますから、それは食事の後と言うことで」  そう言って笑ったマリーカは、さっさと下着姿になって浴室へと歩いていった。どうやら汗になったから、それを流そうと言うのだろう。そのあっけらかんとした様子を見ながら、「調子が狂う」とトラスティは零した。 「なんか、今までに居ないタイプだな……少し、エイシャさんに似てるか」  あっちの方もと考えたところで、トラスティはブンブンと首を振った。ちょうどそのタイミングで、届け物のインディケーターが点灯した。 「結構早いな」  だったら受け取らなければと玄関に行こうとしたところで、「俺が出る」とカイトがトラスティを制した。 「大丈夫だとは思うが、とりあえず用心しておくことに越したことはないからな」  だからだと言い残し、カイトは玄関を開けて大きな箱を2つ受け取った。 「やはり、誰かに見られているな。ただ、今の所は観察だけのようだがな」 「セキュリティシステムじゃなくて、ですか?」  ゴクリとつばを飲み込んだトラスティに、「別物だな」とカイトは答えた。 「だから親父、荷物を受け取る時はフュージョンするか、カムイを発動させておいてくれ」 「少し大げさな気もするけど、兄さんの助言に従うことにしますよ」  ふうっと息を吐き出したトラスティは、「刺激的なのは良いけど」と愚痴をこぼした。 「これじゃあ、気が休まらないと言うのか」 「まあ、心配しすぎと言ってやろう。ザリアが居る限り、この家の中は安全だし、コスモクロアが居れば、外に出ても危険なことはないだろう。まあ、気分的に良くないと言うのは分かるがな」  その程度と笑ったカイトに、「そうなんですけどね」とトラスティは答えた。 「旅行随筆家なんて物をしていた時には、もっと危ない橋を渡っていたはずなんですけどね。カムイを持っていない時でも、もっと危ないところを旅したことも有ったはずなのに……安全なところばかりに居て、感覚が鈍ってしまったんでしょうね」 「安全なところねぇ……親父の場合、危険の方向性が変わっただけじゃないのか。チンケな強盗やギャングじゃなくて、相手にするのが帝国レベルになっちまったんだよ。だから、こんなチンケなことへの感度が変わっちまったと言うことだろう」  気にすることはないと言われ、「差し当たっての問題解決が必要」とトラスティは答えた。 「自由に出歩けないと、ストレスばかり溜まってしまいますよ。あとは、ここに来た意味がないってことかな」 「とりあえず、探検は明日にしておけばいいだろう。今日は晩飯を食って、親父達は新婚気分を味わえばいい。まあ、ザリアも交じる気満々だけどな」  頑張れよと肩を叩かれ、トラスティは今までで一番大きなため息を吐いた。場所が見知らぬ銀河に変わっても、結局自分は同じことをしている。と言うより、より危ない方向に向かっている気がしてならなかった。  「いっその事メイプルも呼び寄せるか」などと言う邪悪なことを、トラスティはカイトの顔を見ながら考えていた。  いくら物が揃っていても、新しく生活を始めるのは大変なことだった。宅配された食材を冷蔵ケースに入れるところから始まった仕事は、最後にはバスルームの掃除にまで発展してくれたのだ。使われている石鹸の種類に拘ったマリーカは、最後はベッドのリネンにも注文をつけてくれた。 「結婚したら、住むところには拘りたいじゃないですか!」  そう言って嬉しそうに注文リストを眺められると、さすがのトラスティも文句を言えなくなる。それでも勘弁してほしいのは、確認の中にベビー用品まで入っていたことだ。「目的が違うよ」と言う言葉が、喉の奥から出かかったぐらいだ。  それをなんとか飲み込んだトラスティに、「出ていこうか?」とカイトはからかってきた。 「新婚家庭に、兄貴が転がり込むものじゃないだろう?」  それをニヤニヤしながら言ってくれるのだ。顔面にパンチを入れる誘惑に駆られたが、痛い目を見るのは自分だとトラスティはなんとか堪えることに成功した。  ただメイプルさんを呼び寄せますかと言う逆襲に、なぜか「それも一つの手か」とカイトが消極的に認めてくれたのが意外だった。 「やっぱり、食事ですか?」  その理由にピンときたトラスティに、カイトはそのとおりと小さく頷いた。 「張り切ってるのは分かるんだがな……」  その言葉が、すべてを現していると言って良いのだろう。別にマリーカの料理が壊滅的と言うことはないのだが、1ヶ月にも及ぶ生活で贅沢に慣れてしまったのがいけなかったのだ。 「リゲル帝国よりマシ、パガニアよりマシと言うのは慰めにならないんでしょうね」  ふっと笑ったトラスティに、「離婚ものの暴言だな」とカイトも笑った。 「ちなみに、その両方にも妻がいるんですけどね。さて、僕は離婚して貰えるんでしょうかね」  そのトラスティの言葉に、「訂正が必要だな」とカイトは言った。 「どこが悪いんだと、食い物攻めにあう可能性があるな」 「ロレンシアは、ジェイドに来ると食べ歩いていますけどね……暴食の限りを尽くしていますよ」  だから何だと言うことはないのだが、きっと自分のせいじゃないと言いたいのだろう。 「まあ、パガニアだからな」  そのあたりは、伝統的と笑い。カイトは濃い色をした酒を口に含んだ。家の中の整理も終わったので、ようやく落ち着いたと言うことだ。  そしてマリーカは、今夜に備えてバスルームで体を磨いているところだった。どうやら、今日を「初夜」にしたいらしい。その意気込みは、「今夜はお酒厳禁」とトラスティに注意したことからも明らかだろう。しかもザリアに対して、「今夜だけは遠慮してください」とまでお願いをしていた。その意気込みの前に、トラスティは何も言えなくなっていた。  だからカイトが酒を飲む前で、トラスティは出来合いのお茶を飲んでいた。今ひとつ盛り上がらないのだが、これも「夫」の務めと諦めの境地に達していたのだ。 「とりあえず、ここまでの感想なんですが」  お茶をぐびっと飲んだトラスティは、「とても平和な世界ですね」とヤムント連邦を評した。 「小さな歪が生まれるのは仕方ありませんが、全体的にうまく統治されているんじゃありませんか? 辺境にあるタリヤにしたところで、荒んだ印象を受けませんでしたしね。福祉政策もかなり充実しているように見えます。所々に使われている技術も、シルバニア帝国と遜色がないと思いますよ」 「それでも、淀みは生じるってことか……」  その淀みこそが、今自分達のいる場所なのだろう。カイトの指摘に、「仕方がないんでしょうね」とトラスティも理解を示した。 「人が生活している限り、どうしても濃淡が生じることになります。そして、どうしても社会に適合できない人たちも生まれてくるんですよ。多分ですけど、この地区はそう言った人達の受け皿にもなっているんじゃありませんかね。入れ物だけなら、十分に配慮をさてていると思いますよ」 「入れ物だけ……か」  なるほどねと頷いたカイトに、「だから放置されている」と物騒な者達のことをトラスティは持ち出した。 「考え方、行動までは抑圧していないんですよ。説明の中で、AIの説明にIDがなければここから出られないと言う物があったでしょ。多分ですけど、ここから出る方法は別にもあると思いますよ」 「死ぬってやつを除くと、いわゆる更生ってやつのことか?」  正しい答えに、トラスティは小さく頷いた。 「それが、この部屋にも仕掛けられた監視機器の目的だと思います。多分ですけど、町中にも沢山の監視機器が置かれているんじゃありませんか?」 「ある意味、俺達はそいつらの前にぶら下げられた罠ってことか?」  何も知らない新参者を放り込むことで、住民たちの更生具合を調べることができる。カイトが口にしたのは、そのための罠と言うのか、試薬だと言うことである。 「なるほど、だから待遇が良いってことか」 「多分ですけど、何かを始めようとしたら、様々な支援策を用意してくれますよ」  十分に考えられる指摘に、「確かにな」とカイトもそれを認めた。 「住民達の手本にすると言う意味もある訳だ」  それに頷いたトラスティは、「利用させてもらいましょう」と笑った。 「ここのID無しの人達をうまく使えば、政府の手厚い支援を受けられると思いますからね」 「当然導き出される結論だな」  了解したと笑うカイトに、「活躍して貰いますからね」とトラスティは口にした。 「兄さんとマリーカが、ちょうどぴったりなんですよ。兄さんに荒くれ者共をしめて貰って、マリーカがうまく統率を取る。どうやら彼女は、その手のことに慣れているようですからね」 「私が、どうかしました?」  ようやく自分磨きが終わったのか、マリーカがガウンを纏ってリビングに現れた。どうやらお風呂上がりなのに、軽いお化粧をしているようだ。ただ格好は、逆に地味なピンクのガウンだった。 「明日からのことを相談していたんだよ。兄さんと君に活躍して貰おうと思ってね」 「あなたがそう言う顔をすると、大事にしかならない気もしますが……」  少し考えたマリーカは、「まあいいか」と忘れることにした。 「それは、明日の話ですね」 「それは、たしかにそうなんだけどね……結構地味な格好を知しているんだね」  ピンクのガウンを指摘したトラスティに、「エッチ」と言ってマリーカは口元を歪めた。 「この中は、二人きりになったら見せてあげますよ。それまで我慢してくださいね」  待ってますからと言い残して、マリーカは夫婦の寝室へと入っていった。足取りがとても軽やかなのは、余程これからのことを楽しみにしているのだろう。 「こう言うのに、憧れがあるのかな?」  苦笑を浮かべたトラスティに、「多分」とカイトも苦笑を返した。 「まあ、可愛いじゃないか……とでも言ってやろう。リースリットにも、多少似たところはあったな」 「リースリットさんも、と言うところに不安を感じますけどね」  そこで時計を確認したトラスティは、「シャワーを浴びたほうが良いんでしょうね」と呟いた。 「新婚初夜だったら、絶対に必要なことだろうな」 「新婚初夜ねぇ……」  それに該当するのはアリッサとのことなのだが、どう言う訳かあまり覚えていなかった。時期を考えると、多分アスで新婚初夜を迎えたはずなのにである。 「初めての時の方が、初々しかったしな」  アリッサを思い出したトラスティは、すぐに「いかんいかん」と首を振った。 「とにかく、シャワーを浴びてくることにしますよ」 「じゃあ、俺は部屋で飲んでいるからな。明日は……面白いことになると良いな」  「それも程度問題」と言い残して、トラスティはいそいそと浴室へと向かったのである。  翌日の朝は、夜通し調査をしてきたコスモクロアの報告で始まった。ただその前に、恒例となった嫁姑の戦いから朝は始まってくれた。 「マリーカさん、ここには女性はあなたしかいないのですよ。そのあなたが寝坊をするなんて、嫁としての自覚が足りていないんじゃありませんか」  カイトの方が10分早くリビングに出てきたことを持ち出し、なっていないと文句を言ってくれたのである。そんなコスモクロアに、「そうは仰りますがお義母様」とマリーカは言い返した。 「本当はもっと早く起きていたんですよ。でも、旦那様に求められたから、出てくるのが遅くなっただけです。夫婦仲が良いのですから、お義母様が文句を言うのはおかしいと思います。昨夜も、とても激しく私を求めてくれたんですよ」  ぽっと顔を赤くしたマリーカに、トラスティはコスモクロアのこめかみが痙攣したのに気がついた。 「ここにはカイト様もおいでなのですよ。それなのに、そのようなはしたないことを……羞恥心に欠けたことをして、息子に恥をかかせないでください」 「お義母様が、寝坊だと文句を言うからいけないんです!」  ああ言えばこう言うの言葉の通り、マリーカは負けずに言い返してくれた。ここのところ繰り返されたやり取りに、「仲が良いのだな」とトラスティは生暖かく二人のやり取りを見ていた。ただ、このままだと時間の無駄だと、適当に温まったところで割り込むことにした。 「それで、調査の方はどうなったんだい?」 「せっかく、嫁姑の語らいをしていたのに……」  恨めしそうな顔をしたコスモクロアは、「こちらに」と言ってデーターを提示した。 「ビアン・カクタスニシ。どうやら、この男が地下組織の元しめをしているようですね」  データーで示されたのは、痩せぎすで頭が禿げ上がった男だった。ステレオタイプ的な見方をするのなら、いかにも裏組織の顔役と言う凶悪さを滲ませていた。 「セイナリ地区で起きる犯罪の約70%が、この男の組織が理由になっています。殺人や強姦と言った重犯罪になると、およそ90%に関わっているようです。ちなみに、不法ドラッグの製造・流通にも手を出していますね。IDを持つ住民を利用して、不法ドラッグをセイナリから外に持ち出しているようです」 「典型的な、ヤクザな組織ってことだね」  確認したトラスティに、「嫌になるぐらいのお約束さです」とコスモクロアは答えた。 「ちなみに、売春の元しめもしていますね。セイナリには届け出の出された娼館がありませんから、地下に潜って売春をしているようです」  そこで顔を見られたマリーカは、言い知れない悪寒を抱いてしまった。 「本人も自覚があるようですけど、マリーカさんは格好の獲物ですね。ここから少し離れたところで、同年代の女性が道に立っているのを確認しています」 「当面彼女は、一人で出歩かせない方が良いってことか」  小さく頷いたトラスティは、カイトの顔を見て「しめますか?」と問いかけた。 「俺達が、安心して生きていくためには、一度しめておいた方が良いだろう。ただ、いつまでもいる場所じゃないのも確かなんだがな」  カイトの答えを、「そうなですよねぇ」とトラスティも認めた。 「見込みのない場所に、長居をしても良いことはありませんからね」 「その、見込みについてですが」  コスモクロアは、そう言っていくつかの事実を持ち出した。 「結構雑多な技能を持った者が集まっているようです。科学的知識のあるものが、不法ドラッグの合成を行っています。そしてその製造には、プラント技術のある者が関わっています。医者もいますが、受診してきた女性をチェックする役割のようですね。他にも、様々な技術者が仲間に加わっているようです」 「移民で流れ着いた技術者かな? まあ、どこの世界にもはみ出し者はいると思うし」  うーんと考えたトラスティは、「他には?」とビアンのことから離れた。 「小さなグループはいくつかありますが、さほど気にする必要はないのかと。ただ、目をつけられると厄介と言うのは確かです。ただ、こちらは本当にチンピラの集まりになりますね」 「やはり、頭を潰した方が良いってことか」  最大最強のグループを押さえてしまえば、後はそいつらに任せれば良いことになる。 「ただ、僕たちの目的は、裏社会のドンになることじゃないからなぁ」 「近づいてきたら、痛い目に遭わせると言う方法もありますよ。マリーカさんには、メイプルさんを護衛につければ良いと思いますから。場合によっては、私がマリーカさんに着いてもいいと思います」  「嫁を守るのは姑の務め」と、コスモクロアは豊かな胸を張った。 「お義母様、ありがとうございます!」 「あなたは、こんなヤクザな息子についてきてくれた健気な嫁ですからね。本当にあなたには感謝しているんですよ」  明らかにおかしなのりになった二人を無視したトラスティは、「そろそろ良いか」と時間を確認した。 「おおよその事情は分かったから、取り敢えず餌を蒔いてみますか」 「じゃあ、俺は一緒にいかない方が良いな」  その方が、餌として魅力的なものとなるはずだ。カイトの言葉に、少し考えてから「そうですね」とトラスティも同意した。 「ただ、僕は大立ち回りは得意じゃありませんからね」 「はっきり苦手と言って良いんだぞ。リミットブレイクしていても、ヘルクレズ達に苦もなく捻られたんだろう? 大丈夫だ、コスモクロアがついていれば、危なそうなら俺のところに連絡が来るはずだ」  大船乗った気持ちでいろと笑ったカイトは、「任せたぞ」とマリーカの顔を見た。 「どうも暴力沙汰なら、お前の方が場数を踏んでそうだからな」 「まあ、温室育ちのお坊ちゃまとは違いますからね」  任せておいてくださいと胸をたたかれると、情けなく感じてしまうのはどうしてだろう。しかも新妻さんは、自分のことを温室育ちのお坊ちゃまと言ってくれたのだ。旅行随筆家時代にくぐった修羅場は何だったのかと、トラスティはつい我が身を振り返ってしまった。しかもじっと両手を見ていたら、「エッチ」と背中を叩かれてしまった。 「今晩もいっぱいさせてあげますから、そこまで我慢してね」  一体いつ自分が望んだのだろうか。マリーカの「させてあげる」に疑問を感じながら、トラスティは「行こうか」と彼女に声を掛けた。このまま話をしていると、なにか自分がおかしなものになるような気がしてならなかった。そんな恐怖を感じていたのである。 「無邪気な天然が、親父の天敵だったか」  そのやり取りを生暖かく見守っていたカイトは、「意外だな」と母親に向かって口にした。その言葉に、ザリアは小さく頷いた。 「そのあたりは、未来視と同じ弱点と言うことだ。まっすぐの一本道では、駆け引きをする余地が残っておらんからな。それに、お義母様もあの娘のことは気にっておるようだぞ」  「なあお義母様」と、ザリアは楽しそうにコスモクロアに声を掛けた。 「アリッサ様とは別の苦手が出来ても良いのではありませんか?」  その方が平和ですしと、コスモクロアも生暖かい視線を二人に向けた。トラスティが引きずられているのを見ると、結構いい組み合わせなのかも知れなかった。  外に出た時の格好は、トラスティはアロハに似たシャツと短パン姿をしていた。一方マリーカは、水色のストライプ柄をしたワンピース姿だった。襟元が白くなっているのが、おそらくチャームポイントなのだろう。妻たちの中では中間クラスの胸を押し付け、マリーカは笑顔で剣呑なことを口にしてくれた。 「さっそく、2、3人付いてきていますね。雑魚ですけど」 「君の腕っぷしが強いって聞いたことはないんだけどなぁ」  付いてきている男が居るのは、トラスティも気づいていたことだった。いかにもと言う空気を漂わせている相手を、体の小さなマリーカが「雑魚」と言うのが信じられなかった。 「まあ、そこそこ場数を踏んでますからね。前にも言いませんでした? 自由船の女子高生船長なんてやってたんですよ。ですから、もうちょっと物騒なのを相手にしていました」  凄いでしょうと笑われると、気にしているのが馬鹿らしくなってしまった。「そうだね」と答えたトラスティは、マリーカをぶら下げたままゆっくりと物騒な方向へと歩いていった。そのあたりは、コスモクロアの調査結果を利用したと言うところである。 「明らかに、人が増えてきましたね。しかも、姿を隠さなくなってきました」  小声で話すマリーカに、トラスティは小さく頷いた。 「この先に、確か酒場があったかな」 「一応、デリバリーをしないケーキショップもあるんですけどね。ただ、口コミに出てこないんです」  それを聞くだけで、胡散臭さ満点と言うところだろうか。「面白いね」とトラスティが口元を歪めたあたり、そろそろ調子が出てきたと言うところだろう。  このまま行くと囲まれるかなと期待したところで、「そこのお兄さん」と声が掛けられた。いよいよかと声の方を見たら、尖すぎるところはあるが、茶色い髪をしたなかなかの美人が一人こちらを見ていた。ぴっちりとした黒のライダースーツのお陰で、出るところの出たスタイルも確認ができた。 「それって、僕のことかな?」  いかにも驚いたと言う顔をしたトラスティに、「そう、間抜けなお兄さんのことよ」とその女性は鼻で笑ってくれた。 「あなた達、昨日越してきた移民でしょ。バカ正直にガイドマップを信用すると、後から痛い目に遭うことになるわよ。特に、可愛い女の子を連れているとね」 「ほら、あの人も私のことを可愛いって言ってくれましたよ」  少し誇らしげにしたマリーカを放置し、「それは、親切で言ってくれているのかな?」とトラスティは問いかけた。 「後から、警告をしたはずよとか言って、後ろから物騒なものを突きつけてくれるんだろう?」  その手には乗らないと、トラスティはマリーカを抱き寄せた。 「それに、奥さんを守れるぐらいは強いからね」  だから大丈夫と言い返したトラスティに、その女は「忠告はしたから」とそれ以上は相手にしてくれなかった。そしてそのまま、建物の暗がりに溶け込むように消えていった。 「あの身のこなし、間違いなくプロですね」 「だったら、情報を聞くために誑し込んでもらうか……兄さんに」  結構良いかなとは思ったが、「新婚」の男が口にして良いことではない。 「あれだけ私の体を貪っておいて、もうほかの女に目移りをしたんですか!」 「いや、だから、兄さんに任せようかなって」  やっぱり誤魔化しきれなかったか。勘が鋭いなと、改めてマリーカのことを評価したのだった。  そんな緊張感のない、そしてお馬鹿なやり取りをしながら、二人は忠告を受けた方へと歩いていった。ここまで来ると隠すつもりもないのか、はたまた獲物を逃げられないようにするためか、逃げ道を塞ぐように大勢の男達が後ろを塞いでくれた。 「さて、こう言う時には怯えた方が良いんだろうね」  そこで顔を見られたマリーカは、ひしっとトラスティの左腕にしがみついた。流石は芸能人と言えば良いのか、怯えた表情を浮かべるところはなかなか板についていた。そしてトラスティも、後ろを警戒しながらマリーカを抱えてゆっくりと開けた方へと進んでいった。 「後ろは、10人ぐらいかな?」 「前にT字路がありますけど、曲がったところにも同じぐらいいそうですね」  怯えていますと言うポーズを取りながら、どこかマリーカは楽しそうに見えた。なかなか度胸があると感心しながら、トラスティは前方へと注意を向けた。 「網にかかった獲物は、絶対に逃さないってところかな。僕達のIDにある残高も、多分だけどチェックしているんだろうね」  なるほどと言いながら、トラスティは小声で「リミット2」と口にした。これでリゲル帝国固有技術の、カムイが発動することになる。ただ発動レベルが低いため、固有発光が目立つことはない。それでもマリーカを連れて、空を飛ぶことぐらいはできる発動レベルになっていた。 「いきなり、カムイですか?」 「相手の手札が分からないからね。いざとなったらリミットブレイクするし、コスモクロアも呼び出すつもりだ。多分だけど、その前に兄さんが駆けつけてくるのだろうけどね」  用心用心と口にしたトラスティに、「今の所雑魚しかいません」とマリーカは口にした。 「さっきの女性ですけど、あの人の方がずっと強いですね。身のこなしが違いすぎます」 「だとしたら、雑魚のグループに引っかかったかな?」  それはそれで面白くない。そう言いながら、二人はT字路に差し掛かった。そこに右に曲がりたくないなぁと思わせる人混みを確認し、二人は期待通り左の方向へと曲がっていった。 「ちなみに、この先にあるのはおもちゃ屋と公園です」 「なにか、とても状況とはミスマッチな施設だね。入れ物だけ整備したってのが、よく分かるよ」  道を曲がったところで早足になったのは、後ろからついてきた男達と距離を取るためである。ただ振り切るつもりはなかったので、駆け出したりはしなかった。ただ10人ほどの男達が前に現れたので、ここが終点だと二人は理解をした。 「なにか、人通りが多くなったね」  敢えて脳天気な声を出したトラスティに、「初めて見ました」とマリーカも併せて大声を上げた。 「人通りが少なくて、寂しい街だなって思っていたんです」 「居るところには、人がいるってことだよ」  うんうんと頷いたトラスティは、前の集団を避けるように道の端へ寄った。あくまで何も知らない一般人が、大勢の人を避けようとした。その行動だけを見れば、自然にたどり着く結論である。ただ前に現れた男達は、前を遮るように場所を変えてくれた。 「すみません、向こうにいきたんですけど」  少し緊張を滲ませた声を出したトラスティに、「向こうはない」と一人の男が声を上げた。この中では強いかなと思えるが、それでも雑魚だとマリーカは相手の実力を量り取っていた。 「でも、地図だと向こうに公園があることになっているんですが」  あくまで土地に不案内と言うことを全面に出し、「向こうにいきたいのだ」とトラスティは繰り返した。そうしている間に、後ろにいた男たちも真後ろにまで近づいてくれた。 「ほら、後ろの人達も向こうに行きたいみたいですよ」  少しだけ振り返った時、前にいた男がトラスティの肩に手をかけた。そして別の男が、マリーカの手を掴んで引き離してくれた。そこで初めて、「何をするんですかっ!」とトラスティは大声を上げた。 「間抜けな移民に、セイナリの厳しさを教えてやるんだよ。まあ、この女には気持ちいい目にも遭ってもらうがな」  ひひひと下卑た笑いをした男は、マリーカの胸を鷲掴みにした。予定調和のように悲鳴を上げたマリーカに、「止めてくれ」とトラスティも大声を上げた。もちろん、そんなことで男達が手を止めるはずがない。「いやぁ」とマリーカは、本気の、そしてどこか嬉しそうな悲鳴を上げた。 「止めろと言っているだろうっ!」  マリーカを陵辱する男に掴み掛かろうとした所で、予定通りトラスティは顔を殴り飛ばされた。地面に倒れたトラスティは、見えないところでニヤリと口元を歪めた。これでこれからカムイを使った、虐殺タイムが始まるのである。ちなみにすでに強化済みなので、殴られたダメージは微塵もなかった。 「止めろと言ったよな」  口元を手の甲で拭ったのは、血が出たよと言うアピールになるものだった。もっとも血の一滴も流れていないので、それは単なる真似にしか過ぎなかった。そこでマリーカと目で会話を交わしたトラスティは、そろそろ行くかと身構えようとした。だがそれよりもほんの少しだけ早く、「だから言わないこっちゃない」と聞き覚えのある声が聞こえてきた。眼の前の男たちに比べて、明らかな手練が現れてくれたのだ。  流石にまずいかと焦ったトラスティだったが、どうやら事情は考えていたのとは違うようだ。自分達を取り囲んだ男達に、明らかな動揺が現れたのだ。  もしかして対立組織と訝った時、男たちはトラスティを無視して女の方を警戒した。それを確認してから、トラスティはカイトを呼び出すようコスモクロアに指示を出した。 「なんだ、こっちもいい女じゃないか」  相手が女一人だと分かると、男達は途端に態度を変えてくれた。そのあたりの対応に、やはり雑魚だとトラスティは呆れてしまった。 「別に、助けてくれと頼んだつもりはないんだけどな」 「そのあたり、あなたに興味が湧いたからと思ってくれない?」  体で返してくれればいいからと笑った女は、一転して口元に冷酷な笑みを浮かべた。そして人差し指で、左手首あたりのスイッチを押した。次の瞬間、マリーカを掴んでいた男が体をくの字にして悶絶してくれた。 「あの女の人、デバイスみたいなものを使っていますね」 「さもなければ、ドーピングかな」  直前のアクションに、二人は強化措置を想定した。そしてのんびりと観戦する二人の前で、ライダースーツの女は瞬く間に30人ほどの男達を伸してくれた。 「さて、お礼を請求してもいいかしら?」 「新婚の男なんだけどね」  体で払うを論ったトラスティに、「度胸があるのね」と女は笑った。 「あなたは、旦那の浮気を気にする方?」 「私が、ですかっ!」  驚いた顔をしたマリーカは、まじまじとトラスティの顔を見た。 「気にしたら負けだと思っていますよ」 「だったら、話が早いわね」  うんうんと頷いた次の瞬間、女の体は糸が切れようにその場に崩れ落ちた。 「お邪魔だったか?」  そう言って現れたカイトに、「ちょうどいいタイミングですね」とトラスティは笑った。 「意外な大物が、網に掛かってくれましたよ」 「分析と尋問、それからお楽しみは部屋に戻ってからだな」  幸先がいいと喜んだカイトは、失神した女をひょいと抱え上げた。 「じゃあ、歩いて部屋に戻ることにするか」 「奥の手は、隠しておいた方が良いですね」  了解と答え、トラスティはマリーカを抱き寄せた。いくら演技でも、乱暴な真似をされたことは間違いない。ご機嫌をとっておくのも、「夫」に求められる役割だったのだ。  ヤムント連邦をグルカ銀河の上(?)から見て時計回りに行ったところに、オスラムと言う帝国が存在した。3000年と言う歴史を持つヤムント連邦に比べ、オスラムの歴史は200年程度のものでしかなかった。もともとはヤムント帝国に所属していたオスラム国だったが、ヤムント帝国が連邦へと体制が変わった時に、その方針に反発して帝国を離脱したと言う経緯がそこにはあった。  200年前の帝国成立にあたって、最大の貢献をしたのが「始祖」と呼ばれる存在である。そして初代皇帝タケリ・オスラムは、オスラム帝国の始祖として現在も崇められていた。ただ独立当初から「帝国」こそ名乗っていたが、当初は単独星系のみの帝国で、ヤムント連邦からは相手にもされない存在だった。そして独立してからの200年で、ヤムント連邦を避ける形で勢力を伸ばし、今や所属星系1万と言う、一大帝国へと成長したのである。 「まったく、親父様も無茶ぶりに過ぎる」  そう言ってため息を吐いたのは、オスラム帝国皇太子ジンケンである。22と年若い彼は、父親である皇帝ジントクの無茶ぶりのせいで、ヤムント連邦主星ヤムントに来ていた。 「大帝ゲンラにわれらを意識させるには、若が皇女のうちどちらかを嫁にするのが一番……と言うのが、聖上の仰せでございます」  そう言って頭を下げたのは、ジンケンが子供の頃から付き合いがある、付き人のスラである。まだ30と年若いのだが、ジンケンにとって格闘技の師匠でもある。 「そんなもの、申し入れをすればいいだけだろう。どうして、皇太子自らコソコソ忍び込まなくちゃいけないんだ?」  ありえんだろうと叫ぶジンケンに、「国交がございません」とスラは即答した。 「したがって、攫いでもしなければ皇女を嫁に迎えるのは不可能と言うことになります」 「それをしたら、間違いなく戦争になるだろうな」  双方の国力を比較すると、規模だけで1対20と格段の差があるのだ。しかも文明のレベルでも、明らかにオスラム帝国は劣っていたのだ。それを考えると、戦争と言うのは現時点では絶対に避けなければならない方法だった。 「ですから、攫う……正確には、誑し込んでいただく必要がございます。幸い皇女二人の婿を探すため、武闘大会などと言うお遊びをしてくれます。そこで若が、勝ち残れば目的を達することが可能となります。そして勝ち残ることが出来なくとも、ウインダーを放ち混乱を起こせば、皇女の一人ぐらい拉致は可能でしょう」 「いずれにしても、成功率が低すぎるんじゃないのか?」  もう一度ありえんだろうと叫んだジンケンに、「聖上の思し召しです」とスラは繰り返した。 「無理だと思うから無理なのであって、必ずどこかに突破口があるはずです」 「どうして、そう言う精神論に持っていってくれるかね。そもそも、英雄タラントってのは、俺が勝てる相手なのか?」  勝つことが前提なのだから、それが狂えばすべてがおかしくなってしまう。そこのところはどうだと問われたスラは、ジンケンから目をそらすと言う行為に出てくれた。 「おい、答えはないのか?」 「世の中、流石に出来ることと出来ないことがございます」  つまり、絶対に勝てないと言うのである。それで良いのかとジンケンが嘆いた所で、連れてきた皇太子専属護衛団の女どもが騒ぐのに気がついた。 「あれは、どうしたんだ?」 「おそらくですが、団長のアカイメが遊び歩いているから……と言うことではないでしょうか。そして騒いでいるのは、まだ戻ってきていないからと推測できます」 「あの淫乱、どこかで好みの男でも見つけたんじゃないのかぁ」  そこでしっぽりいっていると不機嫌そうにしたジンケンに、「可能性は低い」とスラは答えた。 「あの女であれば、捕まえた獲物は巣にまで運んでくるかと思います。それに、あの化物が捕まるとも思えませんが」 「ああ、このあたりの警官じゃあ、束になっても敵わないだろうな。あの化物には」  そこでぶるっと身を震わせたのは、何かの心当たりが有ったからだろう。そのことに触れない優しさを持ったスラは、「ただの気まぐれでしょう」と不在の理由を断言した。 「と言うことなので若。武闘大会に備えて、鍛錬の時間となりました」 「なんで、皇太子が地道な努力ってのをしなくちゃいけないんだ?」  ありえんだろうと文句を言っても、全て「聖上の思し召し」で押し切られてしまう。息子として何か間違ったことをしたのかと、ジンケンは記憶の中にいる父親へ罵詈雑言をぶつけたのだった。  そしてトラスティ達との遭遇から9時間を経過したところで、正体不明の女はぱっちりと目を覚ました。不用心なことに、自分はなんの拘束もされていないし、首をひねれば普通の窓がそこに見えた。 「腹の具合と外の暗さを考えると、結構な時間が経っているわね。しかし、一体全体何が起きたのかしら?」  好みの男を前に舌なめずりをしたら、いつの間にか意識を失っていたのだ。綺麗なベッドで寝ていると言うことは、保護をしてくれたのだと推測をすることが出来る。それならそれで、何者と言う疑問も湧いてきてしまう。そもそも肉体強化デバイス・ドープを使った自分が、あっさりと昏倒させられるとは夢にも思っていなかったのだ。 「それにしても、ここはどこかしら?」  今度ははっきりと声に出してつぶやいたら、「目が覚めましたか」と部屋の中から男の声が聞こえてきた。そこで慌てて飛び起きたら、自分が裸と言う事に気がついてしまった。 「ひょっとして、寝ている間にやられちゃった?」  ちっと舌打ちをした女性に、「まさか」と言って男は笑った。 「僕は新婚だって説明したはずですよ。あの後、奥さんを宥めるのに大変だったんですからね」 「あんた、あの時の」  シーツも押さえず起き上がるものだから、形の良い胸が薄明かりの中に浮かび上がっていた。 「トラスティ・イカリと言います。辺境惑星からの移民で、ヤムントには転居してきたばかりなんですよ」 「あ、私は」  丁寧に自己紹介されたので、その女は自分も名乗ろうとした。だがトラスティは、女が名乗る前に「アカイメさんでしょ」と先手を打った。 「どうして、私の名前を知っているのかしら?」  正体が分かるものと言えば、身につけているIDしか無いはずだ。ただIDに記録された個人情報は、本人の生体情報がなければ引き出すことができない仕組みとなっていた。さらには気絶した状態で読み取ろうとしても、セキュリティが働いて読み取れない仕組みのはずなのだ。もちろん抜け道はあるのだが、それは裏社会にだけ広がっているものだった。 「どうしてって、IDがあれば難しくないでしょ」 「気絶しているのに、IDが読めるはずがないでしょう」  警戒したアカイメに、「間違っていましたか?」とトラスティは問いかけた。 「いや、合ってるから警戒したんだけど……それで、私をここに連れてきて何をするつもりかしら?」 「ちょっとばかり、お話をさせてもらおうかなと思ってね。ちなみに、着替えをするのなら一度部屋を出ますよ」  どうしますと問われ、アカイメは少し考えてから「このままで構わない」と答えた。 「それで、あなたは何を話したいのかしら?」 「あなたの正体……と言うのはどうです?」  その言葉を聞いたのと同時に、アカイメはトラスティに対して踊りかかった。デバイスのインジェクターは取り上げられているが、気絶していたお陰で効果は弱いながらも持続しているのが分かったのだ。  だがアカイメが殴りかかろうとしたところで、思いがけない強い力で捕まえられてしまった。気の所為なのか、男が金色の光を放っているように見えていた。  アカイメを捕まえたトラスティは、そのままの勢いで彼女をベッドに押し付けた。 「降参して、素直に話してくれますか?」 「裸の女を前にして、手も出せないような男に話すことはないね」  ふんと鼻で笑われたトラスティは、「お約束のパターンだな」と呆れてしまった。 「こう言う女性の相手は、兄さんに任せたいんだけどなぁ……」  だが尋問の押し付けあいで、すでにトラスティはカイトに負けたと言う事情がある。嫌だなぁと現実逃避をしながら、トラスティはアカイメと言う女性にのしかかっていった。その結果、始めは甘い吐息が部屋の中に響いていたのだが、それもすぐに野獣のような叫びに取って代わられることになった。  翌朝リビングに出ていったら、朝食準備の真っ最中だった。そしてキッチンに目を向けると、明るい茶色の髪をした、ちょっと可愛らし目の女性が忙しそうに動き回っていた。そこで天を少し仰いだトラスティは、すぐに「ああ」と手を叩いた。 「そう言えば、メイプルを呼び寄せたんだったな」  食生活改善のため、2対1でメイプルを呼び寄せることになったのだ。ちなみに反対の1票をいれたのは、自分がやると主張したマリーカだった。 「おはようございますトラスティ様。さすがはあの方のご子息と言うのか、精力が有り余られているんですね」  お父様も凄かったですよと言われると、どう答えていいのか悩んでしまう。別に有り余っているつもりはないのだがと考えていたら、寝ぼけ眼のマリーカが起きてきた。ただあのまま寝たせいか、薄い夜着の前は完全に開けていた。 「おはよう……あなた。昨夜は素敵だったわって。どうしてメイプルさんがっ!」  髪の毛を逆立てたまま、なんでとマリーカはメイプルを指さした。お陰でトラスティの前に、中くらいの大きさの胸がさらけ出された。ただ、すぐに記憶が繋がったのか、「ああ」と勝手に自己完結をした。 「そう言えば、昨日呼び寄せたんでしたね」  そうだったそうだったと言いながら、マリーカはバスルームへと消えていった。今日一日の活動を始める前に、昨夜の名残を洗い流す必要があったのだ。  そしてマリーカがバスルームに消えた10分後、あくびをしながらカイトがリビングに現れた。それを「おはようございます」と迎えたメイプルは、はっきりと頬を赤く染めていた。 「すぐに、きのこのミソ仕立てのスープを出しますね」  待っててくださいと言い残し、メイプルはキッチンへと戻っていった。そしてすぐに、カイトの分を持ってリビングへと戻ってきた。 「はい、カイト様」 「ああ、ありがとう」  そう言いながら、カイトは出されたスープをずずっと啜った。 「あーっ、生き返った気持ちがするな」  うまいと褒められたメイプルは、下げていたお盆を持ち上げ恥ずかしそうに口元を隠した。ただ天然なのかわざとなのか分からないが、スカートが一緒に持ち上げられ、可愛らしいショーツが顔を覗かせていた。 「僕の分は……と言うのを忘れても、メイプルさん、見えてるよ」 「トラスティ様の分は、マリーカさんと一緒にと……えっ、見えてるって?」  何と首を傾げたメイプルは、すぐに自分が何を持っているのか気がついた。そしてすぐに、「あ、わわわわわ……」と意味不明な言葉を口にして、キッチンへと駆け込んでいった。 「ドジっ子キャラのつもりですかね」 「多分だが、あれは天然だな」  そう言って笑ったカイトは、「それで首尾は?」と質問をした。 「苦労しましたが、だいたいのことは聞き出せたかなぁ……ただ、ちょっと話が複雑になりそうなんですよ」  微苦笑を浮かべたトラスティは、予備の寝室に向かって「アカイメ」と呼びかけた。そしてその呼びかけから3分ほど経ってから、ブラウス姿の女性が現れた。茶色のロングヘアーに黄土色の瞳と言う特徴だけを見れば、昨日の女性には違いないのだろう。ただ昨日は釣り上がっていた目が、今日はしっかりと垂れ下がっていた。しかも首元を見ると、隷属のチョーカーが巻かれていた。 「複雑って、あのチョーカーのことか?」  もともとの意味を知っていることもあり、カイトはその方面に答えを求めた。 「いえ、彼女の正体の方です。どうやら、セイナリ地区にオスラム帝国の皇太子が潜伏しているみたいですよ。そして彼女は、皇太子専属護衛団団長だそうです」 「その団長さんを、親父は誑し込んだと言うことか」  やれやれとカイトが呆れたところで、トラスティは「こっちにおいで」とアカイメを呼び寄せた。 「はい、ご主人様」  顔を赤くして、少し遠慮がちにアカイメはトラスティのところに近づいてきた。それだけを見れば、誑し込んだと言うのは正しい見方に違いない。 「アカイメ、この人が兄のカイトだよ。そして昨日会った女性、今はバスルームにいるんだけど、彼女が僕の妻マリーカだ。兄さん、彼女がアカイメ。ヤムントには、皇太子専属護衛団団長としてきているそうだよ」 「あ、アカイメと申します。トラスティ様には、下僕として末永く努めさせていただきます」  慌てて頭を下げたアカイメに、「誑しだな」とカイトはトラスティの顔を見た。そして少し遅れて、「誑しですよね」とバスローブ姿のマリーカが声を揃えた。 「まあ、私も誑し込まれた一人なんだけどね」  あははと笑って、マリーカは夫婦の寝室へと戻っていった。 「多分お腹が空いていると思うから、詳しい話は朝食の後にしようか」 「ご、ご主人様の仰せのとおりに」  一歩下がったアカイメは、少しぎこちない仕草で頭を下げた。それを見たカイトは、「一体何をしたんだ」とトラスティのマジックを見せられた気がした。  マリーカの着替えを待ったので、朝食はそれから30分後となってしまった。並んで、しかもくっついてテーブルに付いたトラスティとマリーカと、その反対側にカイトと言う配置である。そしてアカイメは、「宜しいのでしょうか」と遠慮をしながら、テーブルの左側に腰を下ろした。そしてトラスティにくっつくマリーカを、とても羨ましそうに見ていた。 「これは、ヤムントの料理ではありませんね。連邦内に、このような料理を出す所があるのでしょうか?」  美味しいと言いながら、アカイメは知らないなと首を傾げていた。 「まあ、連邦は広いし、僕達はその連邦への移民だからねぇ」  だから、知らなくても無理もないと言うのである。そこでトラスティに顔を見られたアカイメは、顔を赤くしてうつむいてしまった。 「とにかく、食事を終わらせることを優先しようか」 「そ、そうですよね」  あははと乾いた笑いを浮かべたアカイメは、大急ぎで料理を掻き込んだ。そこで喉をつまらせたのだが、メイプルが差し出したお茶で事なきを得ていた。  そんな微笑ましい出来事から10分後、メイプルの煎れてくれたお茶で朝食は終りとなる。ごちそうさまとカイトに、言われ、メイプルは嬉しそうにお盆で顔を隠した。まるで狙っているかのように、スカートの前が持ち上げられていた。 「メイプルさん、見えてるから。それから、リビングで話をするから、飲み物を持ってきてくれるかな」 「は、はい、トラスティ様っ!」  あわわと慌てたメイプルは、少しせわしなくお茶の用意を始めた。どうやら食後のお茶と、くつろいでいる時のお茶は、煎れ方自体から違っているようだ。 「じゃあ、僕達はリビングに行こうか」  ついておいでと言われ、アカイメは大人しくトラスティの後に従った。  リビングでの並びも、基本的にはダイニングと変わらなかった。ただカイトの位置が、正面からトラスティの隣へと移っていた。そして小さなテーブルを挟んだ反対側に、アカイメがスカートの裾を押さえながら神妙に座っていた。 「アカイメ、君の正体、そして君たちがヤムントに来た理由を説明してくれないかな」  優しく言われたアカイメは、顔を真赤にして「はい」と頷いた。 「ご存知の通り、首都星ヤムントから10万光年離れたところに、オスラム帝国が存在します。規模自体はヤムント連邦20万に対して、オスラム帝国は1万と小規模になっています。ヤムント連邦ではあまり知られていませんが、オスラム帝国は200年前、ヤムント帝国が解体された時に独立した帝国です。その後勢力を拡大し、今は構成星系1万の帝国となりました。ただ、巨大なヤムント連邦に比べれば、オスラム帝国と言うのは小人のようなものです。これが、私の出身オスラム帝国の説明となります」  そこで言葉を切ったアカイメだったが、出されたお茶には手を付けなかった。 「次に、私が派遣された理由です。今のオスラム帝国皇帝は、第6代皇帝ジントク様であられます。1万まで帝国の規模を拡大したこともあり、ジントク様はヤムント連邦、正確には大帝ゲンラ様に認められたいと言う願望を強くされています。そしてその願望を果たすために、皇太子であられるジンケン様に、お二人の皇女のうち、どちらかを妻として娶れと命じられました」 「確か、その候補を見つけるために、武闘大会だったっけ、それが開かれる……もう、予選は開かれてるのか。そのジンケンとか言う皇太子様は、その大会に出られるのかしら?」  自分達の得た情報を持ち出したマリーカに、「それも候補の一つに入っています」とアカイメは答えた。 「ただ、英雄タラントの実力が分かりません。そしてご主人様達のようなお方がヤムントにおいでと言うことなら、ジンケン皇太子では歯が立たないのは明らかでしょう。その場合の代案として、武闘大会でテロを起こし、いずれかの皇女を拉致すると言うものもあります。現実的にどちらも難しいのですが、どちらがマシかと言うと、テロを起こす方でしょう」 「厄介なことを考える皇帝様ってことか」  いかにも呆れたと言う顔をしたカイトに、「皇帝ですから」とアカイメは答えた。 「皇帝たるもの、常に威圧的で、我儘を通すものと言うのが座右の銘になっているそうです」 「人騒がせな座右の銘だなぁ……」  自分も皇帝だよなと考えたトラスティは、一つも当たっていないとオスラム帝国皇帝の座右の銘を考えた。それどころか、自分の知るいずれの皇帝達も、一人として座右の銘に相当する者はいなかった。 「それで、どうして昨日は僕達を助けようと思ったのかな?」 「そ、それは……」  トラスティの顔を見て、アカイメは真っ赤になって俯いた。 「その、ご主人様が好みの真ん中だったからです。ですから、絡まれているところを助けて、アジトに連れ込もうと考えていました」 「私と言う者がいるのに、他の女を誑かしたと言うことですね。この調子で、皇女とかまで誑かさないようにしてくださいね」  面倒だからと、マリーカは投げやりに口にした。 「それって、僕のせいなのかなぁ……」  ううむと唸ってみても、答えが見つかるはずがない。さてさてどうしたものかと考えはしたが、別にどうでもいいかと思えてしまった。異邦人の自分達にとって、ヤムント連邦もオスラム帝国のいずれも、深い関係にはなりえないと思っていたのだ。 「兄さん、他に聞きたいことはありますか?」 「普通ならアジトの場所を聞き出すものなんだが……今回に限って言えば、どうでもいいことなんだよなぁ。俺達は、面白そうだから武闘大会とやらを見に来ただけだからな」  だから無いとの答えに頷き、「マリーカは」と次にマリーカを指名した。 「私も、どうでもいいかな。別に、どちらに対しても思い入れはないしね」  それをなるほどと受け止めたトラスティは、「アカイメ」と神妙にしているアカイメに声を掛けた。 「これで、僕達の用は済んだことになるね。帰ってもらっても構わないんだけど、君はどうしたい?」 「私を、側に置いてはいただけないのですか!」  情けない顔をしたアカイメに、「そのつもりはないなぁ」とトラスティは気の抜けた声を出した。それに落胆したアカイメは、「役目を果たしに戻ります」と恨めしそうな顔をした。 「ですが、またお邪魔しても宜しいでしょうか。その、出来たらその時には可愛がっていただけたらと」  顔を真赤にして俯くアカイメに、「たまになら」とトラスティは鬼畜な答えを口にした。ただアカイメには、それでも十分だったのか、ぱっと顔を明るくしてうんうんと頷いてくれた。 「では、お邪魔にならない程度に顔を出します」  良かったぁと心底嬉しそうにして、「戻ります」と言ってアカイメは立ち上がった。 「とりあえず、建物からは出られるようにしたからね」  と言うことでと、トラスティはメイプルを呼んで、部屋の外まで送るように命じた。 「では、ご案内しますね」  ニッコリと笑ったメイプルは、「こちらに」と言ってアカイメを連れて行った。  確かに、なんの問題もなく建物の外には出ることが出来た。ただアカイメが気になったのは、建物の名前がろくでもないことだった。「メゾン・デス」とは、どんなセンスの持ち主が名付けたのか。責任者を呼び出して、血反吐を吐くまで問いただしたい気持ちになっていた。 「しかし、緊張感の欠片もない奴らだ。奴らは、私が敵だとは思っていないのか?」  ありえんなと吐き出したアカイメの顔は、しっかりと釣り眼に戻っていた。どうやら、トラスティ達の前では猫をかぶっていた……演技をしていたつもりのようだ。 「しかも、私の演技にすっかりと騙されていたな」  愚か者と笑ったアカイメは、首に巻かれたチョーカーに手を当てた。 「こんなもので、私を縛れるとは……舐められたものだ」  ふんと鼻息を一つ吐いて、アカイメはチョーカーに人差し指を掛けた。だがいざ引きちぎろうとしたところで、気が変わったのか引っ掛けていた指を外した。 「と、とは言え、結構似合っているのではないか。べ、別に、付けていても問題はないはずだ。うんうん、私の魅力を増す小道具になってくれるな」  だから無理に外す必要はない。そう呟いてから、アカイメはもう一度チョーカーに触れた。 「そ、それに、思いの外良かったからな。あの男に、もう一度ぐらい私を抱かせてやってもいいだろう」  顔を赤くしながら、アカイメは何度も頷いた。 「だ、だから、このままにしておいた方が、何かと都合が良いはずだ。うん、絶対にそうに違いない!」  顔をニヤけさせたアカイメは、スキップでもしそうな勢いでアジトの方へと帰っていった。  スキップでアジトに戻ったアカイメは、そこで部下達に取り囲まれることになった。皇太子護衛の責任者が、何の連絡もなく所在不明になったのだ。その責任を糾弾されるのは、役目を考えれば当然のことでもある。  そして糾弾の役割は、護衛隊の中の姉御格の女性が引き受けることになった。シエラと言う名前をした、黒い髪をお下げにした戦闘要員には見えない見た目をした女性である。ちなみにスタイルの方は、中肉中背、出る所はそこそこ出ているようだった。 「隊長には、いくつか言いたいことがあります」  実力的には自分に劣るが、相手はこの中では最年長の女性である。普段色々な面倒を押し付けていることもあり、アカイメは本人談では神妙な顔をしてシエラに向かい合った。 「その前に、そのにやけた顔をどうにかしていただけませんか」 「わ、私は、にやけてなどいないぞっ!」  心外だと叫んだアカイメに、全員が揃って「にやけてます」と答えた。 「殿下、殿下はどう思われますか?」  どうして自分に話を振ると思いながら、ジンケンは「思いっきりにやけてるな」と答えた。 「殿下もああ仰っておられます。ですから、隊長は自分がにやけているのをどうにかしてください」 「どうにかしろと言われてもだなぁ、とても良かったのだから仕方がないだろう」  開き直ったからなのか、アカイメは部下達の感情を逆なでする言葉を吐いてくれた。お陰で、代表したシエラの目元も、ピキリと引きつったぐらいだ。 「私達では敵わないのは分かっていても、隊長に鉄拳制裁を加えたい気分です」  そこですーはーと息を整えたシエラは、「掟を破らないでください!」と大声で主張した。 「いい男を見つけたら、ここに連れてきてみんなで味わうのが約束だったはずです。隊長一人でいい目に遭うのは、私達への重大な裏切りですっ!」  シエラの言葉に、残りの二人も「そうだそうだ」と加勢した。その様子を見た皇太子のジンケンは、「俺のことは良いのか?」と聞きたくなってしまった。彼女達4人の役目は、皇太子たる自分を守ることのはずなのだ。だとしたら、最初に責められるのはその役目を疎かにしたことでなければおかしいはずだ。 「それから隊長、その見苦しい首輪はどうされたのです。隊長は、自分を見つめ直して、そんなものが似合わないのを自覚されるべき……」  そう言ってチョーカーを剥ぎ取ろうと思ったシエラだったが、アカイメの浮かべた禍々しい表情に動くことができなくなってしまった。にやけた顔を止めろとは言ったが、それ以上にそんな恐ろしい顔もするなと言いたかった。 「シエラ、あなたは言って良いことと駄目なことの区別がつかないのかしら?」  教育してあげましょうかと迫られ、シエラは顔を青くして首をブンブンと横に降った。 「そ、その話は横に置いておきますが……とっても、お似合いだと思います」  ごくりとつばを飲み込んだシエラは、「話を戻しますが」と顔色を悪くしたまま話を続けた。 「そんなに、良かったのですか?」 「ああ、今まで味わったことのない感覚だった。もう、何度いったか分からないぐらいだ。真剣に、主になって欲しいと思ったぐらいだぞ」  うっとりとするアカイメに、「そんなに」と3人はゴクリとつばを飲み込んだ。 「ああ、おそらくお前達の想像の上をいっているぞ」 「隊長っ!」  アカイメの答えに、シエラ達3人は声を揃えた。ぜひとも自分達もと、3人揃って希望したと言うことだ。 「うんうん、お前達の言いたいことは理解している。ただな、あの方からは「たまになら」と言われているのだ……ところで、1日おきとか2日おきなら、「たまに」と思って良いのだろうか?」  それは、間違いなくとても難しく、そして切実な問題に違いない。しかも、彼女達では答えをだすことの出来ない問題でもある。 「殿下、この場合のたまにと言うのは、1日おきも許されるのでしょうか?」  そこで男であるジンケンに答えを求めたのだが、聞かれた方にしてみれば「真面目にやれ」と言いたくなることだった。何しろ自分の護衛が、他の男に現を抜かしているのだ。明らかに、優先順位を間違えているとしか言いようがなかった。 「お前達、私の護衛と言うのを忘れてないか」  だから答えではなく、彼としては正当な文句を口にした。「なってないぞ」と叱責するのも、彼の立場なら当たり前のことである。  だがアカイメにじっと見つめられ、あまつさえため息を吐れると話は変わってくる。 「なんだ、俺の顔になにか付いているのか」  不機嫌さを隠さないジンケンに、「こう言っては何なのですが」とアカイメはすまなさそうな顔をした。 「殿下が、遥かに小物に見えてしまいました。しかも、ナニの方も粗末ですし」  粗末よねと同意を求められた部下達3人は、「粗末ですよね」と真剣な顔をして頷きあった。 「スラ、彼奴等を首にして、不敬罪で牢獄に叩き込めないか?」  流石に腹を立てたジンケンに、「お恐れながら」とスラは難しい顔をした。 「この状況で、それは不可能としか申せません。それに、事実を事実として口にしたことまで不敬罪を適用するのは、流石に権力の乱用かと」  状況の下りは理解できるが、それ以上の問題はスラがとどめを刺してくれたことだ。ぐぬぬと顔を真っ赤にしたジンケンだったが、誰も味方がいなければ皇太子と言えどもできることはない。  そして女達には、皇太子の腹立ちなどどうでもいいことのようだった。 「ですが、私達はまだお目にかかっていませんよね。でしたら、「たまに」の定義を忘れても良いのではありませんか?」  シエラの意見に、確かにそうだとアカイメは頷いた。その意見に乗れば、今すぐ自分が会いに行く口実が立ってくれるのだ。 「では、早速あのお方のところに行くことにするか」  トラスティ達の家を出てから、まだ1時間も経過していない。どう見ても、他人の迷惑を顧みない行動としか言いようがなかった。ただ問題は、4人の誰一人として迷惑を考えていないことだった。  「では、早速」とアジトを出ようとした4人を、「ちょっと待て」とジンケンは呼び止めた。そして4人から向けられた凶悪な顔に、少しだけおしっこを漏らしてしまった。 「い、行くなとは言わんが、相手の正体ぐらい説明していけ!」  行くなと言わない時点で、ヘタレたことに間違いはないのだろう。ただ今のジンケンに、それを期待するのはかわいそうとしか言いようがなかった。 「命がいらないのかしら……と言うのは冗談として」  冗談と口にしてはくれたが、ジンケンにはとても冗談とは思えなかった。 「殿下も、一昨日転居してきた移民の3人の噂はご存知かと思います。ベガサ・シティのカジノで大儲けをしたことで、セイナリのならず者から目をつけられた者達です。ちなみにその3人……今は、召使いを含めて4人なのですが、一家4人が惨殺され、借り手が見つからなかった部屋に入居しています。兄弟と弟の嫁、召使いの4人が今は一緒にいます。兄の名が、カイト・イカリ、弟の名はトラスティ、嫁の名はマリーカと言います。それに召使いのメイプルを加えた4人が家族の全てと言うことになります。教えていただいた話では、武闘大会の会場に近いことが、セイナリ地区を希望した理由とのことです」 「そいつらも、武闘大会が目的と言うことか?」  警戒を顔に出したジンケンに、「見物だそうです」とアカイメは答えた。 「面白そうだからと言うのが、カイトと言う男が口にしたことです」 「そいつらは、できるのか?」  それが肝心と質問をしたジンケンに、「私が失神させられました」とアカイメは答えた。きゃーと言う部下達の声と、はあっと言うジンケンに、アカイメは慌てて言い直した。事実に間違いないが、どちらの面でも取れると言うのを理解したのだ。 「襲ってきた奴らをのして、トラスティと言う男をここに連れてこようとした時のことです。気がついたら、ベッドに裸で寝かされていました」  その意味での失神かと、ジンケンはアカイメの言ったことを理解した。 「つまり、強いと言うことか」 「はい、その後も何度も失神させていただきました」  せっかく真面目な話をしたのに、どうしてそっちに話を持っていくのだ。恨めしそうな顔をジンケンはしたのだが、盛り上がった女達は主のことを全く気にしてくれなかった。「楽しみね」と言う声に、すぐにでも押しかけていくのだなとジンケンは脱力したのだった。  もっとも、こちらのことを知られたまま放置するほど、トラスティ達が危機感に欠けているはずがない。ニヤつきながら帰っていったアカイメを見送った所で、「行きますか」とトラスティはカイトに声を掛けた。 「ああ、こう言う時は、先手を取るのが定石だからな」  首をコキコキと動かしたカイトは、「行くぞ」とメイプルにも声を掛けた。 「私も、でしょうか。今晩の夕食を何にしようかと考えていたんですけど」  お肉が良いですかと聞かれ、「あー」とカイトは天井を見上げた。 「せっかくだから、お前に制圧して貰おうと思ったんだ。俺達は、まだ手の内を隠しておきたいんだ」 「なるほど、そう言うことですか。でしたら、仕方がありませんね」  小さくため息を吐いたメイプルは、準備をしますと言って奥の部屋に消えていった。ちなみにその部屋は、カイトがベッドルームに使っている部屋だった。 「オスラム帝国皇太子が相手か?」  面白そうだと笑うカイトに、「何が出てきますかね」とトラスティも笑った。 「小国が、大国に承認されたいと言う欲求を持つのは理解できますね。ただその方法が、皇女を嫁にすると言うのは、ちょっとばかり意外でしたが。その中にテロが含まれるのは……こちらに影響が出なければ、それはそれで面白いんですけどね」 「英雄タラントとかの実力も見られそうだしな」  うんうんと頷いたカイトに、「戦力分析は必要ですね」とトラスティも認めた。そこに「お待たせしました」とメイプルが部屋から出てきた。 「お買い物に行くんじゃないんだけど?」  そこでトラスティがツッコミを入れたのは、メイプルのしている格好が理由だった。ピンクの長袖のセーターに、下は花柄のスカートを併せていたのだ。それだけなら、お出かけの格好だと我慢できるが、レモンイエローのエプロンだけは、どう考えても弁護のしようがなかったのだ。 「お洋服が汚れるといけないからですけど」  それが何かと聞き返され、「もう良い」とトラスティはそれ以上の追求を諦めた。もっと追求してはいけないのは、履いているのが白のサンダルと言うことだろう。 「ザリア、アジトの場所は掴んでいるね」 「うむ、コスモクロア殿が追跡しておる」  それに頷いたトラスティは、「行くよ」とマリーカにも声を掛けたのだった。安全と言う意味なら、全員一緒に行動するのが一番安全だったのだ。 「良かったぁ、お留守番って言われたらどうしようかと思っていましたっ!」  嬉しそうに立ち上がったマリーカは、自分の格好を確認した。半袖のセーターに、トレードマークのミニスカートと言うのは、お出かけには気楽でいい格好だった。 「デートじゃありませんから、これで良さそうですね。ちらっ」  そこでミニスカートの裾を持ち上げるのに、どう言う意味があるのだろうか。可愛らしいリボンの付いたショーツを目撃したトラスティは、そんなどうでもいいことを考えていた。ちょっと前に脱がしたなと言うのは、もっとどうでも良いことに違いなかった。  ちなみにそんな真似をすれば、はしたないと言う姑の小言が飛んでくるところだろう。ただコスモクロアは、現在アジトで張り込み中だった。  なんか調子が狂うと嘆きながら、トラスティは「行こうか」ともう一度全員に声を掛けたのだった。  ジンケン皇太子のアジトが襲撃を受けたのは、護衛4人の話がまとまったときのことだった。俺は良いのかとジンケン皇太子がいじけた瞬間、アジトのドアが轟音とともに反対側の壁に張り付いた。  「襲撃かっ!」と身構えた彼らの目に映ったのは、お買い物をする格好をした、茶色い髪の可愛らしい女性だった。だが見た目で誤魔化されるほど、彼らも間抜けではない。癪に障ることだが、ヤムントの建物は入り口を含めてしっかりと作られていたのだ。 「突然お邪魔して申し訳ありません。ご主人様の命令により、皆様を制圧させていただきます」  ペコリとお辞儀をしたメイプルは、「無駄な抵抗は止めましょうね」と可愛らしい笑みを浮かべた。  もっとも、抵抗するなと言われて、素直に従っていては護衛の名折れとなる。とっさに戦闘モードに入った4人は、インジェクターを操作して肉体の強化を行った。これで耐衝撃耐環境の備えも完璧となる。しかも肉体の強化もできるから、1人の侵入者相手に負けるはずがないと思っていた。 「4方向から同時攻撃を行うっ!」  能力の限界まで加速をして、4人は同時にメイプルへと襲いかかった。腕が2本しかない以上、回避不能の攻撃と言うことになる。だが4人は襲いかかった瞬間、馬鹿みたいな力で壁へと跳ね飛ばされてしまった。 「ですから、無駄な抵抗は止めましょうと言ったのに」  仕方がありませんねと笑ったメイプルは、最初にアカイメに突進して、鳩尾に痛烈な一撃を加えた。「あなたは」の一言を残して失神したアカイメを残し、次はクロノメと言う女性に襲いかかり、同じように一撃で彼女を失神させた。 「さてさて、あなた達も忘れてはいけませんね」  にっこりと笑ったところは、状況さえ考えなければとても可愛らしいのだろう。ただその可愛らしい女性が、手練の護衛二人を瞬殺してくれたのだ。しかも一番の実力者が、手も足も出ずに気絶させれてしまった。残された二人に、どうこうできるとはとても思えなかった。 「殿下、私達が時間を稼ぎます。その隙に、脱出をお願いいたします」  その判断は、護衛として適切なものに違いない。ただ適切であっても、実現可能と言うこととは大きな隔たりがあった。 「無駄な抵抗は駄目と言ったはずですよ」  ちっちと人差し指を振ったメイプルは、飛びかかってきた二人をもう一度壁に貼り付けた。と言うより、壁にめり込ませた。  これで邪魔者はいなくなったと、メイプルはゆっくりとジンケンの前に移動した。 「大丈夫ですよ。少ししか痛くしませんから」 「ねねねね、狙いは何だ。オスラム帝国皇太子と知っての狼藉かっ!」  足をガクガクと震えさせながらでも、なんとかジンケンはメイプルに言い返した。ただズボンの股間が黒くなっているのは、武士の情けとして見てはいけないことなのだろう。 「私には、ご主人様の命令が全てなんです」  うふっと笑ったメイプルは、右手をさっと横に突き出した。その動作から少し遅れて、付き人のスラが延長線上の壁にめり込んでいた。気配を隠して隙きを突いたつもりだったのだが、メイプルには通用しなかったと言うことだ。 「後から、ズボンは洗濯して差し上げますね」  おやすみなさいの言葉の後で、ジンケンの意識は闇へと沈んでいった。  制圧の手際を見せられた3人は、「流石はヒト型の機動兵器」とメイプルの破壊力に感心した。 「兄さんが生身では敵わなかったんですから、当たり前の結果でもあるんですけど」  それにしても容赦がないなと、トラスティとカイトは手分けをして壁にめり込んだ3人を助け出していた。 「コスモクロア、3人共死んでいないだろうね?」  そこまでするつもりがないこともあり、トラスティはまず3人の無事を確認することにした。 「今の所……と言うのがお答えかと。手当をしないで放置すれば、その限りではありませんね」 「他の2人は?」  そちらの方が、まだ被害としては軽そうに見えたのだ。だがそれは、トラスティの勘違いでしかなかった。 「現在ザリアが、緊急治療中です。放置したら、1時間も保たないと思いますよ。何しろ、内臓が破裂していましたからね」  よく即死にならなかった。次からは、手間を省くのをやめようとトラスティとカイトは反省をした。 「それで、皇太子は大丈夫だよね?」 「この男ならば、おもらしをしたこと以外は大丈夫そうですね」  なるほどねぇと、トラスティは小さな水たまりを作ったジンケンの方を見た。 「取り敢えず、僕達の部屋に運ぶことにするか。どうやら、ここは不用心そうだしね」  何しろ入り口の扉は、すでにその機能を果たさなくなっていたのだ。治療をするにしても、話をするにしても、不用心なことには違いないだろう。 「と言うことなので、車を呼んでおいたわ」  マリーカの言葉を裏付けるように、表のところに小さなワゴンが横付けにされた。瞬間移動を使えば良いのだが、今のとことは奥の手として隠しておくことにしたのである。 「足がつかないかな?」  少なくとも、これは暴力沙汰には違いない。治安が壊滅しているように見えても、警察に踏み込まれると厄介だったのだ。  それを気にしたトラスティに、「多分」とマリーカは笑った。 「ただ、その分料金が高くなったけどね。そのあたりは、蛇の道は蛇だと思ってくれる」  いったいこのお嫁さんは、どんな世界に生きてきたのか。たしかクリスティア王国に雇われていたはずだよなと、トラスティはマリーカの出自を疑った。  6人をワゴンの後ろに転がして乗せ、トラスティ達はそのまま自分たちの家へと戻っていった。そして6人の搬入をメイプルにまかせて、3人は先に部屋へと戻った。 「皇太子の護衛があれなら、オスラム帝国の実力も見えた気がしますね」 「ハウンドの奴らでも、確実に勝てるかどうかは疑わしいがな」  苦笑を浮かべたカイトは、後は戦艦の能力だなと戦力分析の残りを持ち出した。 「戦争するつもりは全くありませんけど、調べておくのに越したことはないんでしょうね」  そんな事を話していたら、ジンケン皇太子達6人が束になって運び込まれてきた。どうやら輸送には、ザリアとコスモクロアは協力しなかったようだ。 「空いているベッドルームに押し込んでおきますね」  そこで束をばらして、メイプルは一人ずつ奥の部屋へと運んでいった。ただそこで気になったのは、ジンケン皇太子だけ下半身が丸裸だったことだ。 「どうして、彼だけ何も穿いていないんだい?」 「はい、おもらししてくれましたので、洗濯物の方に出してあります」  言っていることに間違いはないのだが、それにしても丸裸のままは無いだろうと言いたかった。流石に哀れに感じたトラスティは、「タオルを掛けてあげるように」とメイプルに指示を出した。 「タオルが汚れそうな気がしますが……仕方がありませんね」  そう言いながら、メイプルはずるずるとジンケン皇太子を引きずっていった。ジンケン皇太子が引きずられた後の床には、濡れたような跡が延びていた。 「メイプルさん、汚いから床を拭いておいてね」  すかさず声を掛けたマリーカに、容赦がないなとトラスティは笑った。 「さて、制圧したのは良いけど、ここから先どうしようね」 「いっその事、始末してあげます?」  その方が面倒がないしと。そう言って笑ったマリーカに、「それは最後の手段」とトラスティは答えた。 「じゃあ、オスラム帝国でしたっけ? それを乗っ取ると言うのは?」  皇太子も押さえたし、相手の戦力も見えてきたからと。それを持ち出したマリーカに、「面倒だから嫌」とトラスティは返した。 「そんなことをしたら、帰るのが遅くなってしまうだろう?」 「私がトラスティさんを独占できるから良いと思ったんですけどね」  残念と舌を出したマリーカに、「結構怖い」とトラスティは認識を新たにした。 「そんなことをしたら、乗り込んでくる人たちが大勢いるよ」 「その時はほら、ヤムント連邦に撃退して貰うと言うことで」  撃退してどうすると言うのと、利用するのかと言う2つの思いがトラスティの中に生まれていた。今更だが、結構したたかなのだとマリーカを評価した。 「話を聞いて、手伝ってあげるのも一つの方法だね」 「それって、ヤムント連邦にとって迷惑な話じゃありません?」  超銀河連邦に対する防波堤に使うのと、一体どちらが迷惑な話なのだろうか。そんな事を考えたトラスティは、「その時のノリ」ととてもお気楽なことを言ってくれた。 「確かに、こんなことはノリを優先した方が良さそうですね」  それならそれで構わないと言うマリーカに、「そう言うことで」とトラスティはカイトの顔を見た。 「どうして、俺の顔を見る?」 「そりゃあ、ここから先は腕っぷしが物を言うからですよ。ひょっとしたら、皇居に忍び込むことになるかも知れませんからね。まあ皇女二人は大学に通っているから、そこまでしなくても接点は作れると思いますけど」  だからだと答えたトラスティに、「嫌な予感しかしない」とカイトは顔を顰めた。 「たまには、父親の言うことを聞くもんですよ」  もう一度笑ったトラスティは、「メイプルさん」と声を上げた。 「はい、ご主人様」  そう言って現れたのは、モップを持ったメイプルだった。どうやら、汚れた床を掃除していたらしい。流石に家庭的だと感心しながら、「皇太子を連れてきてくれるかな」と命じた。 「その前に、着替えを用意してあげてくれないか」 「そうですね、しょぼくれたものをマリーカさんにお見せする訳にもいきませんからね」  承知しましたと答え、メイプルは6人を運び込んだ部屋へと入っていった。そしてジンケン皇太子をぶら下げて出てきたと思ったら、そのままトラスティ達の前を通ってバスルームへと入っていった。本人は意識を失っているから良いが、モノ扱いされるのは流石に可愛そうだなと3人は同情していた。その直後にバスルームから悲鳴が聞こえてくたのは、冷たい水を掛けられて意識を取り戻したからだろうか。なにか懇願するような声も聞こえてくるが、可哀想だからと3人は耳をふさいであげることにした。  そんな騒ぎも、10分と続かななった。静かになったなとトラスティが考えた5分後、メイプルがジンケン皇太子を引きずって現れた。言われたとおりに着替えはしていたし、着ているものにおかしなところはないが、全員が可哀想にと同情するほど自失してくれていた。 「何をしたのかは、聞かない方が良さそうだね」  苦笑を浮かべたトラスティは、「ジンケン殿下」と椅子で自失しているジンケンに声を掛けた。だが普通に声を掛けた程度では、こちらの世界に帰ってきてくれなかった。よほど酷い目に遭ったのだと同情したトラスティは、「メイプルさん」ととどめを刺すようなことを口にしてくれた。 「ジンケン殿下を起こして差し上げてくれないか。そうだね、多少手荒になってもいいから」 「宜しいんですか?」  そう言ってトラスティの表情を伺ったメイプルは、傍目からもとても嬉しそうに見えた。そしてスキップでもするようにメイプルが近づいたところで、「助けてくれっ!」とジンケン皇太子がこちらの世界に帰ってきた。 「ありがとうメイプルさん。お陰でジンケン殿下がこちらに帰ってきたよ」 「あのぉ、もう一度やり直してもいいでしょうか?」  流石に不本意だったのか、メイプルはトラスティにやり直しを要求した。それを「だめ」と撥ね付けたトラスティは、「ジンケン殿下」ともう一度声を掛けた。 「意識がはっきりとしていないのなら、もう一度メイプルさんに世話をしてもらいますけど?」  どうしますと問われたジンケン皇太子は、「それだけは許してくれ」と命乞いをした。 「では、少しお話でもしましょうか。メイプルさん、お客様にお茶の用意を」  畏まりましたとキッチンに消えたのを確認し、災難でしたねとトラスティは同情の言葉をかけた。 「さ、災難だと、お前があの化物をけしかけたのだろうっ! だだ、断固として、抗議させてもらうぞ!」  メイプルの姿が見えないのに安堵したのか、ジンケン皇太子はトラスティに食って掛かった。皇太子にあるまじき罵声が、延々とその口から繰り出された。  まだまだアリスカンダルのエスタシア王妃には及ばないなと、トラスティはとても生暖かい目で泡を飛ばすジンケン皇太子を見ていた。トラスティが慌てないのは、これがメイプルが戻ってくるまでだと分かっていたからである。  そして「お茶が入りました」とメイプルが戻ってきた所で、ジンケン皇太子の罵声劇場は終りを迎えた。可愛そうなぐらいに顔を青くし、ジンケン皇太子は椅子の上で固まってくれた。 「さて、これで気も晴れたでしょうから、ゆっくりとお話でもしましょうか」  いいですねと顔を見られたジンケン皇太子は、かくかくと何度も頷いた。トラスティの横でメイプルが笑っている以上、自分に選択肢などないのは分かりきっていたのだ。 「そ、それで、俺から何を聞きたいのだっ!」  震える唇から紡ぎ出された疑問に、「実は」とトラスティは頭を掻いた。 「特に、聞きたいことがないんですよね」  ここまでされたことを考えると、あまりにも酷い言い分でしか無い。怯えていたジンケン皇太子だったが、思わず「おい」と身を乗り出してしまった。ただそれも、メイプルに微笑まれて、すぐに尻すぼみになってしまった。 「なにか、突っか掛かられそうだったから、先手を打っただけですしね。まあ、ちょっとした忠告のようなものなんですよ」  あははと笑ったトラスティは、「そして忠告」とジンケン皇太子の顔を見た。 「今後突っかかってきたら、その時は手加減しませんからね。もっとも大人しくしているんだったら、こちらから関わっていくことはしませんよ。予め言っておきますが、別に皇女を攫うことを邪魔しようとも思っていませんからね」 「こ、皇女を攫うだとっ! そんな話を誰に聞いたんだっ!」  勢いよく立ち上がったジンケン皇太子に、トラスティはあっさりとばらした。 「誰にって、アカイメさんでしたか、とても素直に話してくれましたよ。それから、今更凄んでも役に立ちませんからね」  はい座ってと言われ、ジンケン皇太子は渋々腰を下ろした。 「お前達は、一体何者なんだ」  険しい表情で睨みつけてきたジンケン皇太子に、「ただの移民です」とトラスティは答えた。 「タリヤで、正規の手続きをして入った移民です。出身は、辺境も辺境のジェイドと言う星ですよ」 「ジェイドだと、そんな星は知らんぞ!」  声を荒げたジンケン皇太子に、そりゃそうだとトラスティは笑った。 「辺境すぎて、誰にも見向きさえされない星ですからね。そうじゃなきゃ、こんなところにまで来たりしませんよ。しかも、こんなろくでもない地区に……ねぇ」  こんな所の下りは分からないが、ろくでもない地区と言うのは大いに納得できる答えだった。自分で言うのもなんだが、皇太子が来るような場所ではなかったのだ。 「確かに、ろくでもない場所と言うのは同意できるな。しかし、ジェイドか……どうだ、オスラム帝国に合流しないか?」 「国を逃げ出した移民に、何を持ちかけているんやら」  ありえませんよと笑ったトラスティに、「だがな」とジンケン皇太子は身を乗り出した。 「オスラム帝国に加わってくれたら、俺の権限で優遇してやることが出来るぞ。お前たちのような者ならば、取り立ててやってもいいと思っている。淫乱な女だが、アカイメはあれでも帝国で一二を争う実力者なのだ」  それを子供扱いしたのだから、ジンケン皇太子が取り込みたいと考えるのは不思議ではないだろう。ただトラスティにしてみれば、あれで一二を争うのかと呆れてしまった。 「淫乱ってのは同意できるかもしれませんが……あの程度で実力者、ですか」  メイプルに制圧されたことを忘れても、カイトの気配に気づくことも出来なかったのだ。その意味で、本当に実力者なのかと思えてしまう。 「女一人に制圧されてしまったからな。実力を疑われても仕方がないのは分かっているつもりだ。それで、俺の話を考えては貰えないか。ジェイドだったか、その星とは関係なくオスラム帝国に来てくれてもいい」 「とりあえず、保留させて貰いますよ。武闘大会でしたか、これで結構楽しみにしているんですよ。あなたが出場するんだったら、応援してあげてもいいと思っていますよ。まあ、面倒は嫌ですから、他人の振りをしておきますけどね」  その程度だとの答えに、ジンケン皇太子ははっきりと落胆を顔に現した。国を導いていく、そして発展させていくには、有能な人材が必要となるのだ。その中には、強力な力と言うものも含まれていた。 「そうか、お前がいてくれたら帝国を今以上に発展させられると思ったのだがな」  残念だと、本当に残念そうな顔をしたジンケン皇太子は、仕方がないと大きくため息を吐いた。 「酷い目に遭わされたのは確かだが、こうして話をさせてくれている。それを考えれば、お前は俺達の敵ではないのだろう。もっとも、俺たちが余計なことをしなければと言う前提があるのだろうがな」  もう一度ため息を吐いたジンケン皇太子は、「相談がある」とトラスティに持ちかけた。 「アカイメだが、お前のところに頻繁に押しかけるつもりのようだ。そしてクロノメ、スターマイン、シエラの3人も同じ考えのようだ。門前払いをして貰って構わないが、こちらがちょっかい掛けたと思わないで欲しい」  「ちょっかいを掛けられない限り」とトラスティが口にしたのだから、ジンケン皇太子が気にするのも無理はない。二度と制圧されるのは御免と言う気持ちも、十分に理解できたのだ。 「アカイメさんは知っていますが、他の3人に心当たりはありませんよ」  それなのにどうしてと聞いたトラスティ、「アカイメだけが淫乱だと思ったか」とジンケン皇太子はとても説得力のあることを口にしてくれた。 「あいつ等、街で好みの男を見つけたら、アジトに連れ込んでみんなで楽しんでいたんだよ」 「規律がまったくないんじゃありません?」  それで良いのかと問われたジンケン皇太子は、「言ってくれるな」と情けない顔をした。 「それでも、実力だけはあるはずだったんだ……実力だけはな」  それだけが救いだったのに、たった一人の女性に蹂躙されてしまった。「実力は」と言う言い訳も使えなくなってしまったのだ。 「その点については、同情しますよ」  そこで少しだけ考えたトラスティは、「もう一度〆てあげましょうか」ととても物騒なことを口にした。 「いや、あまり恐怖を刷り込まれると護衛として使い物にならなくなる。だから、遠慮させて貰うことにする」  その答えに、ちゃんと分かってはいるのだと、トラスティはジンケン皇太子の人となりを理解した。 「では、治療も終わったようですから、今日の所はお引取り願うことにしましょうか」  「メイプルさん」と合図をされ、「ただいま」とメイプルはベッドルームへと早足で歩いていった。そしてベッドルームに入った2分後、ぞろぞろと5人を連れ出てきた。5人が5人共顔色が良くないのは、それだけ恐怖を刷り込まれたからだろう。 「とりあえず、ジンケン皇太子との話は終わりました。これ以上あなた達をどうこうしようとは思っていませんからね。ですから、今日はこのままお帰り願えますか?」  いいですねとトラスティに聞かれ、5人はカクカクと壊れた人形のように首を縦に振った。それを確認したトラスティは、「ジンケン殿下」と穏やかな顔で語りかけた。 「穏便な方法で、皇女を嫁に迎えられるといいですね」 「可能性としては、極めて低いと思っているがな……ただ、お前を迎えられないのが残念だ」  「邪魔をした」そう言い残したジンケン皇太子は、メイプルの案内で部屋を出ていった。アカイメが恨めしそうな顔をしていたのだが、バイバイと手を振るトラスティを見て、肩を落として部屋を出ていった。  それを見送った所で、「さて」と言ってトラスティは冷めたお茶を口に含んだ。 「図らずも、オスラム帝国との繋がりができましたね。後は、ヤムント連邦と言うか、ヤムント皇室との関係ができると面白いですね」  部屋から出てきた二人に、トラスティは舞台が整ってきたと嬉しそうな顔をした。 「でしたら、カイトさんに武闘大会に出てもらうのはどうです」 「手っ取り早い方法なそうなんだろうね」  どうですと顔を見られたカイトは、「却下だ」と即答した。 「俺は、見世物にはなりたくない」 「まあ、兄さんならそう言うと思いましたよ。でも、皇女は二人共なかなかの美人じゃありませんか?」  もったいないでしょうと笑うトラスティに、「エヴァンジェリンには負ける」とカイトは惚気けてくれた。 「まあ、リースリットさんも美人ですからね。その意味で言ったら、ブルーレース副議長も美人だし、シルバニア帝国近衛隊長ニルヴァールも美人ですね。確かに、皇女なんて面倒な女性に手を出す理由はありませんね」 「ああ、そっちは親父向けの相手だからな」  そこでカイトは、「皇帝様」とトラスティをからかった。 「皇帝様に向かって、臣下にならないかか。知らないと言うのは、平和なことだな」 「配下の星系数で言えば、オスラム帝国の方がリゲル帝国よりも大きいですよ」  配下数で言えば、リゲル帝国の方が格下になる。そう言って笑ったトラスティに、「レムニア帝国を除外するな」とカイトは言い返した。 「まあ、そこまで合わせれば数的には大きくなりますけどね」  ふっと笑ったトラスティは、「マリーカ」と妻の名を呼んだ。 「皇女二人について、なにか新しい情報は得られたかな?」 「ワイドショーネタになるけど、大学で男漁りをしているみたいね。その情報が正しければ、武闘大会は時間稼ぎが目的と言うことになるわ。ただ、その武闘大会なんだけどね。ものすごく大げさなことになってるようよ。ヤムント連邦加盟星系は20万あるんだけど、そのうち3割がヒューマノイドタイプの星系なのよ。つまり、6万の星系で「われこそは!」と男達が名乗りを上げたんだって。したがって、今現在各星系で予選会が行われているところ。そして各星系の予選会が終わったら、ブロック予選が行われるのよ。それが終わったら、次は大ブロック大会が行われて、最終的に勝ち抜いた128名がここに集まることになっているわ。今は星系単位の予選会だから、本戦が始まるまで2ヶ月は待たないと駄目そうね」  指を折って数えたマリーカは、気の長い話と笑ってみせた。 「マスコミ的には、大いに盛り上がるってことか。だけど、そこまで大事になると、皇女殿下も断りにくくなるんじゃないのかな?」 「だから、焦って男漁りをしているのよ」  その説明に、なるほどとトラスティは頷いた。 「だったら、そのことをジンケン皇太子に教えてあげればよかったね」  そうすることで、うまく行けば穏便な方法で皇女を嫁に出来たのだ。武闘大会で勝ち抜くことよりは、よほど可能性が高いように思えた。 「だったら、メイプルさんに伝えて貰ったら?」  そこで口元を歪めたのは、彼らのメイプルに対する恐怖を知っているからだろう。なかなか性格がいいなとマリーカを認めたトラスティは、「面白そうだね」とそのプランに乗った。 「と言うことなので、明日あたり教えに行ってくれるかな?」 「今回は、制圧しなくても宜しいのですか?」  楽しかったと口にしたメイプルに、「それは駄目」とトラスティは制止した。 「せいぜい、扉を蹴破るぐらいにしておいてくれるかな?」 「中途半端なことをすると、ストレスが溜まるんですけどね」  仕方がありませんねと、メイプルはトラスティの指示に従うことを認めた。 「この先どう転ぶかを興味深く見守ることにします」  人外のくせに、ものすごく人間的だ。少し残念そうにするメイプルに、トラスティはどうでもいいことを考えていた。 「ところでご主人様、夕食はどうなさいますか?」  食事のことを聞かれ、お昼を食べていなかったことをトラスティは思い出した。そして思い出したと同時に、お腹が空いているのを意識した。 「そう言えば、バタバタしていてお昼を食べそこなったね。だから、早めにしてくれるかな」 「でしたら、精のつくものを用意いたしますね」  自分の顔を見るメイプルに、マリーカは大きく頷いた。 「二人共、どうかしたのかな? それに、精のつくものって……なんで?」 「あなたは、新妻に恥ずかしいことを言わせたいんですか?」  そう言うことはベッドの中で。スケベと言って、マリーカはトラスティの背中を張り倒した。  アーコ皇女達の誤算は、バルモ大臣を甘く見ていたことだろう。絶対にクリア出来ないと言う意味でつけた条件が、予想もしない方向に延焼したのである。まさか連邦を挙げての武闘大会が開かれるなど、二人は想像だにしていなかったのだ。 「明らかに、バルモ大臣がマスコミを利用しましたね」  いつものカフェで、「失敗しました」とアーコはカルアに零した。こうして話をしている時は良いが、講義の前後で友人にからかわれるようになってしまったのだ。しかもマスコミに大々的に出たため、学内でも今まで以上に注目されることになってしまった。そしてここまで大騒ぎになったため、今更取り下げることも出来なくなってしまったのだ。さらに悪いことに、今の大帝、すなわち祖父からは、条件を緩和するような発言までなされていた。 「確かに、英雄タラントに勝つと言うのは、公平な目で見れば無理な条件に違いありません。そして連邦のことを考えれば、お祖父様の持ち出された条件の方が好ましいのも確かです。勇者タラントに認められるような男であれば勝敗は不問と言うのも、条件を考えた理由を忘れられれば、おかしなことではないと思います」 「その方が、素敵な方であれば……なんですけど」  はあっとため息を吐いたカルアに、「失敗しました」とアーコは繰り返した。 「しかも、身近な所で殿方を探すことへの障害にもなってしまいました」 「タラント様も、光栄だとコメントされておいででしたね。もはや、断れるような状況ではなくなってしまいました」  どうしてこんなことになるのだ。アーコとカルアは、顔を見合わせて大きなため息を吐いた。 「星系単位の予選はそろそろ終わりそうですね」  指を鳴らすようにこすり合わせると、目の前にディスプレイが浮かび上がった。そこに表示された情報に、アーコはもう一度ため息を吐いた。ヒューマノイドが存在する6万の星系に加え、それ以外の星系でも武闘大会が開かれてしまったのだ。配偶者選びが目的だったはずなのに、いつの間にか連邦挙げての大イベントにまで発展してしまった。本来1人が選ばれるはずなのに、部門がいくつも作られたのもおかしなことだった。 「ヒューマノイド限定、総合部門優勝者、並びに準優勝者が私達の夫になるのですか……」  大会として行われる以上、必ず優勝者と準優勝者が生まれることになる。そして公開されたスケジュールでは、およそ4ヶ月先には嫁ぎ先が決まることになる。いくら自分達はシステムの一部だと思っていても、やりきれない気持ちになるのも仕方がないことだった。 「星系予選、ブロック予選、大ブロック予選にヤムントで行われる本戦ですか。本戦には、私達も出席しないといけないのでしょうね」  憂鬱だと零すアーコに、「全くです」とカルアも同調した。自分達に関係がなければ、間違いなく面白いイベントだと喜んでいたことだろう。だから民衆達が、熱狂する気持ちも理解は出来た。そんな場を提供したことで、自分達への評価が高まったのも皮肉としか言いようがない。自分達二人は、民達のために相手の条件をつけたわけではないのだ。 「墓穴を掘ると言うのは、まさにこの事を言うのでしょうね。残る期待は、素敵な方が勝ち残ってくれることです……か」  期待できるのだろうかと、カルアはオッズ表を見てため息を吐いた。オッズ表の上位にいるのは、どう見ても自分の好みからは外れていたのだ。これだったら、早く探せとプレッシャーを受ける方が余程マシだと思えてしまった。  皇女の希望をそっちのけにして、武闘大会はますます盛り上がりを見せていた。それだけ大衆が刺激のある娯楽に飢えていたことにも繋がるし、一つ一つの戦いが刺激的であると言うもの大きかった。そしてマニアの世界では、可憐な皇女が野獣の如き男に屈服させられるのを描いた、いささかモラルに厳しい同人的活動まで行われていたぐらいだ。ただこれだけ大きな連邦にもなると、それだけで財を築けてしまうと言う恐ろしい状況になっていた。そしてこの熱狂のお陰で、経済指数が1%押し上げられたと言われていた。  確かに人々は、歴史的な戦いに熱狂をしていた。ただその一方で、この戦いに対する不満が出ていたのも確かだった。オッズを見れば分かることだが、有力者達の見た目がいずれも「理想」から外れていたのだ。筋肉隆々のむくつけき男が勝つのでは、そこにドラマが見いだせなかったと言うことだ。 「ルールを緩和せよと、皆さんは仰るのですかな?」  その一部の不満解消と、そしてさらなる熱狂のためを理由に、マスコミの代表達が陳情にやってきた。そこでバルモ大臣が受けた陳情は、戦いの行方を左右する、ルールに関する変更依頼だった。 「はい、星系代表が決まったあたりで、ルールの緩和をしていただけたらと思っております」  マスコミ代表として集まった10人の中から、さらにそれを代表して一人の男が説明に立った。年齢的にはかなり高齢な、皇室対応のマスコミの中では有名なマンキと言う男である。 「アーコ様、カルア様が、強き男に娶られたい。それは、乙女の夢として、とても理解できるものだと思っております。そして我々は、その夢のために少しでもお手伝いできればと考えておる所存です。従いまして、ただ今行われている武闘大会にも、最大限の協力をしているつもりです」  マンキの言葉に、バルモ大臣はしっかりと頷いた。 「この大会が、かつてない盛り上がりを見せているのは確かでしょう。アーコ様、カルア様への民達の注目の高さもそうですが、皆さんのご協力があってこそと思っております」  軽く頭を下げたバルモ大臣は、それでと先を促した。 「ルールの緩和と仰りましたな?」 「はい、確かにルールの緩和を提案させていただきました」  小さく頭を下げたマンキは、「強さ」の定義を持ち出した。 「現在のルールは、鍛え上げた己の肉体のみで戦うことが条件になっていたかと思います。参加者の安全を考えれば、危険な武器を使わないと言う条件が付けられるのも仕方がないこととは理解しております。ですが、引き金を引けば誰でも使える銃とは違い、各種武器を扱うのも精進が必要なのです。武器の使用を否定することで、その努力を否定することにならないか。私達は、そのことを危惧しております。それに肉体のみの戦いでも、実際には多くのけが人、中には重篤な怪我を負ったものもおります。それならば、条件をつけることで、武器の使用を認めてもよいのではと考えた次第です」 「確かに、武器を使いこなすにも修練が必要でしょう」  マスコミがこぞって来た理由ぐらい、バルモ大臣は理解をしていた。それでもうんうんと頷き、「問題が大きい」と答えた。 「すでに、星系予選は終わりを迎えようとしております。今更ルールを緩和しても、武器の使用に長けた者は残っていないのではありませんか?」 「バルモ様の仰るとおり、これから普通に予選をしていては間に合わないでしょう」  それを認めたマンキは、「これに」と言ってリストを差し出した。そこに記載されたのは、およそ10万人ほどの名前が挙げられたリストである。そして名前の横には、得意とする武器が記載されていた。 「各星系に協力をしてもらい、このようなリストを作成いたしました。シード枠として、ブロック予選から参加させるのが宜しいかと」  なるほど手回しが良いと感心しながら、バルモ大臣はその場合の問題を指摘した。 「いきなりでは、公平性が保たれませんな。お二方の夫選びとなるのですから、公平なものでなければなりません。流石に前振りもなく、しかも星系予選もなくブロック大会へ出場させるのは、公平なものとは言えないでしょう」 「バルモ様のご懸念、我々も重々承知しております。従って、民達の中から持ち上がった問題提起と言う形で、ルールの変更へと誘導いたします。そしてブロック予選からと言うことには、安全性を問題とさせていただきます。玉石混交の星系予選では、武器の使用が危険だと判断したことにさせていただきます」  そうやって民達を煽って、更にイベントを盛り上げようと言うのだ。流石に悪どいと感心したバルモ大臣は、「一理ありますな」とマンキの意見を認めた。 「ただ、これはあくまで夫君を決めるための戦いです。死者がでることになるのは、お二人のためにも宜しくないでしょう」  下手をすると、宮内省の責任問題にもなりかねない。それを危惧したバルモ大臣に、そのあたりはと、マンキは腹案があることを説明した。 「我々の医療技術であれば、死んでさえいなければ助けることが可能です。従って、ルールの中に「不殺」を加えればよいのです。そしてルール違反をしないように、戦いに能動的介入を行うことにいたします。殺害を目的とした戦い方を、厳しく制限するのが介入の目的となります」 「私が心配するようなことは、すでに考慮済みと言うことですな」  なるほどと大きく頷いたバルモ大臣は、「宜しいでしょう」とマスコミ達の申し入れを認めた。 「長く続いた平和と言うのは、気持ちの緩みを産むものにもなっているのでしょう。公式には認めませんが、多少のことなら大目にみるのは吝かではありませんよ」  すぐさまその真意を察したマンキは、「お任せください」と頭を下げた。 「戦いとは、命を賭けるからこそ美しい。その空気を醸成してみせましょう。皇女殿下を娶るのですから、それぐらいの覚悟は必要なのでしょうな」 「私としては、貴重な連邦の人材を失うことは肯定しませんよ」  それだけですと答えたバルモ大臣は、すぐさま宮内省としての発表を行うこととした。その主題は、「戦いの不公平を是正する」と言う物である。中身については、マスコミ連が練り上げた内容がそのまま採用されていた。  それを受けたマスコミは、評論家や「街の声」を総動員して歓迎の世論を盛り上げた。ただ歓迎の空気は、彼らのコントロールを超えて盛り上がりを見せるようになっていた。加熱する武闘大会の盛り上がりは、「アルティメットウォリァー」と言う副題がつくことで、更に加速していったのである。  「平和ボケですね」と言うのが、加熱する武闘大会に対するトラスティの論評だった。あまりにも長い平和にいたため、民衆が刺激を求めるようになったと言うのがその理由である。そして「死」が身近になく、フィクションによる美しい死だけが目立つことで、死闘が肯定される空気が作られてしまったのだと。 「確かに、今の状況は異常ですね」  おせんべいをかじりながらワイドショーを見ていたマリーカも、流石にこれはと眉を顰めていた。まるで熱病に浮かれたような盛り上がりに、とても危険なものを感じていたのだ。 「明らかに、コントロールを外れていますよね、これって」 「それだけ刺激に飢えているんだろうが、このままだと更に強い刺激を求めるようになるな」  開始されたブロック予選の戦いでは、それまでの肉体だけの戦いとは様相が一変していたのだ。腕が切り落とされ、血しぶきが吹き上がる戦いは、医療が進んでいたとしても、明らかに行き過ぎと言えるものだった。  際限がなくなると口にしたカイトに、「兄さんなら」とトラスティは問いかけた。 「デバイスを使わなくても、蹂躙できますか?」 「この程度の奴らなら、まあ、難しくはないな。メイプルを投入したら、殺戮ショーが始まっちまうぐらいだ。長い平和ってのは、戦士を弱体化させると言うことだ。ただ、それを悪いと言うつもりはないぞ」  カイトの答えに、「そうですね」とトラスティも認めた。 「これと言った驚異がなければ、戦力を研ぎ澄ます必要もありませんからね。弱体化と言うのは不適当な気もしますが……今の状態は、あまり好ましいことではありませんね」 「皇女様達って、どう考えているんだろう」  もともとのきっかけを作ったのは、二人の皇女が出した条件だった。その条件を見る限り、深い意味などなく、とても無邪気なものと言ってよかった。それを考えると、皇女二人は今の状況に心を痛めていなければおかしいことになるはずだ。 「皇女と言うより、皇室がどう考えているかが問題だろうね。今の政治的立場を考えると、口出ししにくいのは分かるんだけどね。この状況に対する考え方がわかれば、ヤムント連邦と言う集合体を理解できるんじゃないかな?」 「それであなた、この状況をどうしようっていうんですか?」  さっさと話しなさいと急かすマリーカに、「どうしようねぇ」とトラスティは明後日の方向を見た。 「どうしたら、一番面白いのかなぁって……うまくやれば、皇室との繋がりができるだろう。ただ気をつけないと、余計な女の子がついてくるからねぇ」  だから慎重にと口にしたトラスティに、「それが狙いのくせに」とマリーカは笑った。 「少なくとも、奥さんには言われたくないね」 「奥さんとか愛人とか、何人居るのか数えてみたらどうです。そうすれば、どちらの言い分が正しいか分かると思いますよ」  どうですと聞かれ、「どうしたものか」とトラスティは話をそらした。 「それであなた、あなたはアーコとカルア、どちらが好みなんです? 私の見立てだと、アーコの方なんですけど」  そこのところはと問われ、トラスティは「ノーコメント」と答えた。それをコロコロと笑い飛ばしたマリーカは、「隙きが多い人ですね」とトラスティを評した。 「そのくせ外からだと、難攻不落だし」 「そう言う君だって、いつも胃のあたりを押さえて顔色を悪くしているから、もっと神経質で気弱なのかと勘違いしていたよ」  本質は、全く違っていた。トラスティの言葉に、「そりゃそうだ」とマリーカは笑い飛ばした。 「でも、胃が痛かったのは本当のことですよ。なんて言えば良いのかなか、トラスティさんのお陰で胃の負担が減ったと言うのか。グリューエル王女が綺麗になったのも、そのあたりに理由があると思いますよ」 「また、脈絡もなくグリューエルを持ち出すなんて……煙に巻いてくれるねぇ」  論理が発展しすぎだと言うトラスティに、そうですかとマリーカは首を傾げた。 「結構、本気でそう思っているんですけど。あの捻くれた性格が、顔に出なくなったのって凄いことだと思いますよ。それって、全面的にトラスティさんが理由だと思うんだけどなぁ」 「なんでもかんでも、僕を理由にして欲しくないんだけどね」  苦笑を浮かべたトラスティは、「ジンケン皇太子を利用するか」と呟いた。 「お節介をするってことですか。でも、それだと皇女が一人余りますよ」 「そっちは、兄さんに……」  任せるとトラスティが言いかけた所で、それよりも早く「パス」とカイトが声を上げた。 「やんごとなきお方ってのは、オヤジのテリトリーだろう。リゲル帝国皇帝様、レムニア帝国皇太子様、モンベルト王国国王様っと」  自分の肩書を持ち出したカイトに、「それを言いますか」とトラスティはげんなりとした顔をした。 「そのあたりはおいおい考えるとして、仕掛けを考えることにしましょうか」  そこでトラスティは、「コスモクロア」と己のサーヴァントを呼び出した。 「はい、主様」  まだ時間が早いせいか、コスモクロアはとても常識的な格好で現れてくれた。具体的に言うと、ゆったりとしたベージュのワンピースに、黒のストッキングと言う格好である。そして長い黒髪は、後ろで一本にまとめられていた。 「ちょっと調べごとをお願いしたいんだ。ガイア記念大学に行って、アーコ皇女、カルア皇女の身の回りを探ってきて欲しい」 「接触するに当たり、問題がないかを確認すれば宜しいのですね」  畏まりましたと頭を下げて、コスモクロアは姿を消失させた。そして次の配役だと、トラスティはメイプルを呼び寄せた。 「はい、ご主人様っ!」  ブラウンのエプロン姿のメイプルが、何でしょうと顔を出した。ちなみに茶色の髪は赤い紐のようなリボンでまとめられ、エプロンの下には白いブラウスと花柄のセミロングのスカートを穿いていた。言ってみれば、いつものメイプルの格好と言うことだ。 「明日の朝だけど、ジンケン皇太子を連れてきてくれるかな?」 「つまり、制圧してこいと?」  可愛く首を傾げたメイプルに、「面倒を起こさないように」とトラスティは釘を差した。 「彼には、重要な役割をして貰うからね。ちょっと、その説明をしようと思っているんだ」 「分かりました。有無を言わさず連行してきます」  どうして答えの一つ一つが過激なものとなってくれるのか。誰が性格付けをしたのだと、トラスティはメイプルの存在自体に疑問を感じてしまった。IotUの愛人と言うのは分かっているが、伝えられた話ではここまで過激な性格ではなかったはずだ。  るんと鼻歌でも出そうな機嫌の良さで、メイプルはキッチンへと戻っていった。これまで観察した範囲では、彼女は食事の準備に一番の喜びを感じているようだった。 「さて、全ては明日だな。コスモクロアの調査結果を待って、行動に出ることにしよう」 「皇女殿下を誑し込むんですね。いっその事、チョーカーを使ったらどうです?」  効果的でしょと笑ったマリーカに、トラスティは「いやいや」と首を振った。 「流石にそれをすると、政治問題になるから」 「でも、クリプトサイトの女王様にも使いましたよね?」  だから大丈夫と笑ったマリーカに、「使わないから」とトラスティは繰り返した。 「あの時とは、絶対に事情が違うからね」 「無理が通れば道理が引っ込むとも言うんですけどね」  仕方がないとため息を吐いたマリーカは、「私がいけないんですよね」と夫の顔を見た。 「どうして、そう言う脈絡のない話になるんだろうねぇ」  あーと天を仰いだトラスティに、だってとマリーカは恥ずかしそうにした。 「毎晩毎晩、私のことを可愛がってくれるじゃありませんか。だから、他の女性に目が行かなくなった……と思っているんです」  スケベと付け加えられ、トラスティははっきりと分かるため息を吐いた。 「夫婦のことに、スケベはないと思うんだけどね」 「何も知らない私を、あなたの色に染め上げてくれましたよね。しかも、色々と仕込んでくれたしぃ」  だからスケベなのだと、マリーカはトラスティの反論を認めなかった。  そして翌朝、朝食を終え、片付け物を終えた後、メイプルはジンケン皇太子のアジトを襲撃した。メイプルが破壊した扉は、「怪物にでも襲われましたか」と笑った修理業者によって倍の強度を持つ扉に付け替えられていた。  その強度を上げた扉を、メイプルは易々と蹴破った。そして怯える皇太子専属護衛団を横目に、ジンケン皇太子を担ぎ上げて揚々と引き上げていった。アジトに残されたのは、クッションを頭に当てて震えるスラと、抱き合ってガタガタ震える皇太子専属護衛団の4人だった。 「一つだけ、文句を言わせてくれないか」  トラスティの前に引っ立てられたジンケン皇太子は、顔色を悪くしたままトラスティに文句と言う名の懇願をした。 「あの化物に、次からはドアをノックして入るように命じてくれ。さもなければ、連絡を入れてくれればいつでも駆けつける。いちいちドアを破壊して入ってきてくれるな」 「メイプルさんが、そんなことをしましたか……」  はあっとため息を一つ吐いたトラスティは、「申し訳ありませんね」と少しだけ心のこもった謝罪を口にした。 「面倒を起こさないようにとお願いしたんですけどね……確かに面倒は起こしていませんが、流石に申し訳ないとは思っているんですよ」 「ドアの修理屋に、化物にでも襲われたのかと聞かれたのだぞ。この私に、要塞にでも住めと言うつもりか?」  恐怖の中に不機嫌さをにじませたジンケン皇太子に、「それはやめた方が」とトラスティは心の底からの忠告をした。 「そんなマネをしたら、更に過激になると思いますから」 「だから、普通に呼び出してくれればいいんだっ!」  どんとテーブルを叩いたジンケン皇太子だったが、メイプルに微笑まれてたちまち震え上がった。その様子を見る限り、トラウマが刻まれているとしか言いようがなかった。 「そ、それで、俺になんの用があるんだっ。た、確か、お前達からは関わってこないと言う話だっただろうっ!」  話が違うと喚いたジンケン皇太子に、「少しだけ事情が変わったから」とトラスティは少しも悪びれた様子を見せなかった。 「例の武闘大会なんですけど、殿下はどう思われますか」 「人のことを拉致してきたと思ったら、あの馬鹿げた大会のことなのか」  不機嫌そうな顔をしたジンケンに、なるほどとトラスティは頷いた。 「殿下も、馬鹿げた大会だと思っているんですね」 「キチガイじみたと言ってやってもいい。こんなものは、国家が主催するような大会ではない。いや、あっていいはずがないだろう! マスコミは隠しているのだろうが、かなりの死者が出ているはずだ。更に言うのなら、街の治安も悪化しているはずだ。しかも、凶悪犯罪が増えていると俺は考えている」  そう喚いたジンケンに、3人は「まともだっ!」と、とても失礼なことを考えていた。 「それで、殿下ならどうなされますか?」 「俺ならって……そもそも、こんなバカげた大会を許可などしないぞ。まだ星系予選の頃は、馬鹿げてはいたが我慢できるレベルだと思っていた。真面目くさったヤムント連邦の奴らにしては、はっちゃけたと思ったぐらいだ。だが、武器使用を許可したあたりで、明らかに戦いに狂気が覆い始めたんだ。自由過ぎるマスコミが、悪乗りをしているとしか思えない。ここまで狂気が連邦を包んじまったら、ちょっとやそっとのことじゃ、拭い去るのは不可能だろう」  どうにもならないと主張したジンケン皇太子に、「無理ですか?」とトラスティは確認した。 「言ってて癪にさわるが、我が帝国が戦争を仕掛けたとしても、狂気に輪を掛けるだけになる。圧倒的な数の軍に、我が帝国が虐殺されてそれで終わりだ。それだったら、このまま黙ってみていたほうが、よほど我が帝国の利益になるだろう。うまく行けば、ヤムント連邦が自滅の道を辿ることになるからな。まあ、流石にその前に大帝ゲンラが止めるのだろうがな。それでも、大きな混乱と、多くの犠牲者を出すのは間違いないだろう」  打つ手が無いと答えたジンケン皇太子に、トラスティは大きく頷いた。そしてこの場において、ふざけているとしか言いようのない質問を口にした。 「殿下に伺いますが、お二人の皇女のうち、どちらがお好みですか?」 「どちらがって……おい、真面目な話をしているんじゃないのかっ!」  武闘大会の狂気を話しているのに、どうして自分の好みの話になるのか。「ふざけているのか!」と声を上げたジンケン皇太子に、「これで結構真面目に聞いています」とトラスティは笑った。 「ねぇ、メイプルさん」 「そうですね、私が答えたくなるようにいたしましょうか?」  いかがですと微笑まれ、ジンケン皇太子は途端に顔色を悪くした。 「ど、どちらも捨てがたいとは思っている。ただ、俺はふくよかなタイプの方が好きだ。だから、皇女カルアの方が良いと思っている」  なるほどと頷いたトラスティは、「もう一つ」と言ってとても微妙な質問をした。 「ちなみに、殿下は女性経験はありますか?」  その質問が発せられたのと同時に、ジンケン皇太子はテーブルを叩いて立ち上がった。だが凄みのあるメイプルの微笑みに、その勢いはすぐにかき消されてしまった。 「あの女達といて、何もないと思っているのか? こちらに潜入したその日に、4人に寄って集って奪われたんだっ!」 「オスラム帝国の規律って、明らかにおかしくなっていますね」  そういいながら、あり得るだろうなとアカイメのことを思い出していた。  そしてオスラム帝国の規律を持ち出されたジンケン皇太子は、「彼奴等がおかしいだけだ」と強調した。 「ただ、俺に対して敬意に欠ける奴らは大勢いるが……」  お付きのスラですら、敬ってくれているように見えないのだ。そうなると、一緒にいる5人はいずれも自分への敬意に欠けていることになる。 「まあ、オスラム帝国の規律のことはどうでもいいんですが」  だったら、どうして論ってくれる。思いっきり文句を言いたいところなのだが、メイプルが怖くてジンケン皇太子は文句を飲み込んだ。 「話を元に戻しますが、殿下はカルア皇女を妻に迎えたいと思っておられますか?」 「父上の命に応えることにもなるし、俺自身の好みと言うのは認める。だが、この状況で、どうやって皇女を妻にすることが出来る。流石に、狂気に満ちた殺し合いに入っていく気など無いぞ。勝てる勝てないではなく、あんな世界に入っていくつもりはないっ!」  なるほどと頷いたトラスティは、同じ質問を前提を変えて繰り返した。 「あの馬鹿げた大会に出ないで、カルア皇女を妻に迎える方法があるとしたら、殿下はどうされますか?」 「今更、そんな方法があるとでも思っているのか? アカイメは誘拐と言ったのだろうが、ヤムントの宮内省を甘く見過ぎだ。それに強奪するには、連れてきた戦力が少なすぎる。もっとも、たくさん連れてきたら、潜入すら出来なかっただろうがな」  だから無理だと言い放ったジンケン皇太子に、トラスティは同じ質問を繰り返した。 「それがあるとしたら、殿下はどうされます?」 「正気で言っているのか?」  ありえんだろうと口にしたジンケン皇太子に、トラスティの答えは「今なら可能性がある」と言うものだった。 「今ならと言うのか?」  なにか大きな変化があったのか。自分の答えに興味を持ったジンケン皇太子に、「大会が加熱しすぎたので付け込むことが出来る」とトラスティは真顔で答えた。 「温室育ちの皇女殿下に、今の状況が耐えられますかね。間違いなく怯えているだろうし、助けを求めているんじゃありませんか?」 「皇女に対する分析は理解できるが、だからと言って嫁に出来るのとは結びつかないだろう」  ジンケン皇太子の言葉に、トラスティは小さく頷いた。 「だから、殿下の女性経験を伺ったのですけどね。はっきり言って、今は皇女殿下を誑し込む好機なんですよ。何しろ、予想外の事態に心が弱くなっていますからね。優しい言葉を掛けてあげて、助けて上げると言ってあげればそれでおしまいです。そこで考える間を与えず、女にしてあげれば目的は達成できますよ」 「なるほど、今は確かに心が弱くなっているな……」  納得しかけたジンケン皇太子だったが、「ちょっと待て」と目元を険しくした。 「まさか、抱いてしまえば問題が解決するなどとは思っていないだろうな。今は皇女のことをそっちのけで殺し合いに熱狂しているが、そんなことをすれば俺が狙われることになるのだぞ。そんな事になったら、俺は間違いなく殺されることになる」  少しも解決になっていないと主張したジンケン皇太子に、「それが狙いの一つですよ」とトラスティは笑った。流石に腹を立てたジンケン皇太子に、「話は最後まで聞きましょう」とトラスティは制止した。 「今の状況は、当初の目的を忘れて民衆が熱狂していることにあるんですよ。だから、戦いの目的がばらばらで、刺激だけを求めて発散してしまっているから統制が無くなってしまうんです。裏を返せば、戦いの目的を思い出させてやれば状況が変わります。仲間内の殺し合いと言うショーから、皇女の純血を奪った悪人男への憎悪と言うことになるんですよ」 「それだと、俺が殺されて終わることに変わりがないだろうっ!」  ベクトルがバラバラだったものが、自分をターゲットにベクトルが揃うことになる。そうなると、ヤムント連邦の巨大さが自分の前に立ち塞がることになる。 「ところが、この方が戦争を仕掛けるよりも容易に乗り越えることが出来るんですよ。何しろ、殿下は1人の男ですからね。寄って集ってリンチに掛けるのは、流石に恥知らずの行為になります。もちろん、なんの手も打たなければリンチが待っていますけどね」 「つまり、リンチにならないようにする手があると言うことだ」  話してみろと命じたジンケン皇太子に、「簡単なことですよ」とトラスティは笑った。 「殿下が、挑発をすればいいんです。1人の男に、数を頼まないと天誅も与えられないのかと。挑戦を拒まないから、1対1の戦いを挑んでこいと言えばいいんです。いくらでも挑戦を受けてやると言ってやれば、怒りのベクトルも揃ってくるし、間違いなくマスコミも乗ってきますよ」 「それは、俺に死ねと言っているようなものだろう!」  公開処刑だと言い返したジンケン皇太子に、「そのままなら」とトラスティは頷いた。 「したがって、殿下は代理を立てればいいんです」 「気楽に代理と言ってくれるが、俺の手札がどんなものか知っているはずだ。そこでニコニコと笑っている女に、俺の配下は手も足も出なかったのだぞ。今日など、俺を守りもせずに、ガタガタと震えていた始末だ」  だから非現実的だと主張したジンケン皇太子に、「手を貸しますよ」とトラスティは答えた。 「あの女を貸してくれるのか?」  ジンケン皇太子の問いに、トラスティは首を横に振った。 「いえ、もっと強い人がこちらにはいますからね。種を明かすと、僕の兄さんなんですけどね」 「あの男が?」  見た目で判断することの愚は、メイプルでさんざん思い知らされていた。それでもジンケン皇太子には、カイトがそんなに強いとは思えなかった。 「婿取りから離れたら、英雄タラントが参戦することになるのだぞ。不敬を働いた輩を成敗すると言う事なら、十分に口実が立つからな」 「それも、当然考慮していますよ。本気になった兄さんは、メイプルさんなんて目じゃありませんから」  だから大丈夫と言われても、はいそうですかと簡単に答えられるものではない。疑わしそうな目をしたジンケンに、「だったら証拠を見せましょう」とトラスティは笑った。 「と言うことなので兄さん、ちょっと本気を出してメイプルさんと戦ってくれませんか?」 「流石に、人使いが荒いんじゃないか?」  苦笑を浮かべたカイトは、「良いのか?」とメイプルの顔を見た。 「良いのかと申されましても、多分ですが生身のカイト様なら私の方が強いと思いますよ。ザリアさんを使われると言うのなら、確かに私では敵いませんが。デバイスを使われるんですか?」  それなら分かると言うメイプルに、「舐められたものだ」とカイトはもう一度苦笑した。 「多少早くて力が強いだけじゃ、俺には勝てないんだがな」 「ですけど、宇宙船では私に勝てませんでしたよね?」  デバイスを使った方がと忠告するメイプルに、「やってみれば分かる」とカイトは真顔で答えた。 「カイト様がそこまで仰るのなら……反対はしませんが。ですけど、私は手加減が苦手ですよ」  覚悟してくださいと宣言したメイプルに、「手加減なら慣れている」とカイトは言い返した。 「じゃあ、ギャラリーの前で実力を披露してもらいましょう!」  決まりだと手を叩くトラスティに、「ペテンが始まった」とマリーカは生暖かい視線を向けた。 「でも、良いんですか。探査船では、メイプルさんに敵いませんでしたよね?」  耳打ちしてきたマリーカに、「探査船だから」とトラスティは答えた。 「単純な力比べだったら、ヒト型の機動兵器に勝てるはずがないよ。でも、戦いと言うのは力比べじゃないんだ。それに探査船の中で本気を出すと、船を壊すことになるからね」  その心配がなければ、カイトが負けるはずがないと言うのである。本当ですかと訝るマリーカに、すぐに結果が出るとカイトは返したのだった。  呼びに行くのは面倒だし、家の近くで目立ちたくないと言う理由で、戦いの場はジンケン皇太子のアジトが選ばれた。そこそこ広いことと、壊れても困らないと言う、ジンケンにとっては迷惑この上ないことが理由にされた。 「まあ、少しぐらいは我慢してくれ」 「本当に少しで済むのか?」  何しろメイプルには、護衛5人が壁に埋め込まれたと言う実績がある。それだけでも、結構修理にお金が掛かっていたのだ。アジトが全壊でもしようものなら、明日からの住処にも困ることになる。  それを心配したジンケン皇太子に、カイトは「まあ、大丈夫だろう」と言う頼りない保証をしてくれた。 「じゃあ、メイプル。手加減をする必要はないぞ」  ゆっくりとカイトの前に立ったメイプルは、なぜか白の体操服に紺のブルマと言う格好をしていた。そして靴は、サンダルではなく編み上げのショートブーツスタイルの運動靴だった。動きやすさを重視しているのは、それだけ本気と言うことになるのだろう。  一方のカイトは、黒のTシャツにくたびれたベージュのパンツ。そして、ズックの靴と言う、身軽かもしれないが、これから戦うと言う格好ではなかった。しかも、ポケットに両手を入れるという、とても緊張感に欠ける態度をとっていた。 「本当に、宜しいのですね」  普段はのほほんとしている顔を引き締め、メイプルはカイトとの距離を測るように移動した。 「それでは、参ります」  そう宣言した次の瞬間、観客の8人は反対側に移動したメイプルの姿を見た。しかもカイトは、ポケットに手を突っ込んだまま一歩も動いていないように見えた。 「おいおい、俺はここから動いていないぞ」  ゆっくりカイトが振り返った時、観客達はカイトの目の前にメイプルが現れたのを見た。その体がぶれて見えるのは、目にも留まらぬ速さで動いているからだろう。 「アカイメ、あの戦いがどうなっているのか分かるか?」  自分の配下の中では、アカイメが一番の実力者と言うのは間違いはない。だからジンケン皇太子は、彼女に目の前の戦いのことを聞いた。だが質問をされたアカイメは、「むちゃを言わないでください」と困った顔をした。 「あんなもの、何をしているか見えるはずがないでしょう」 「やはり、そう言うことか……」  分かっているのは、メイプルが一方的に攻撃を仕掛けていることだった。そしてその攻撃が、かすりもしていないこのも分かっていた。  ただ可愛い女性の姿をしていても、メイプルはヒト型の機動兵器なのである。そのスタミナは、人とは違い尽きることはなかった。だからいくらカイトが攻撃を避け続けても、その動きは全く鈍ることはなかった。  そして5分ほどメイプルの一方的な攻勢が続いたところで、初めてカイトが動きを見せた。正確に言うと、誰もカイトが動いたのを理解することは出来なかった。ただ結果として、メイプルが壁に貼り付けられたのを見ただけだった。 「どうだ、ちょっと早くて力が強いだけじゃ駄目だろう?」  来いよと手招きをされ、メイプルの姿ぶれて消えた。次に観客達が見たのは、床に押さえつけられたメイプルの姿だった。後ろ手に抑え込まれたのが理由なのか、自慢の怪力でもカイトをはねのけることは出来なかった。 「そして、いくら力があっても、その力を込められないようにすることはできる」  そこですぐに離れたのは、相手が普通の人間ではないことが分かっていたからだ。ヒト型の機動兵器に、人間の常識を当てはめるのは、あまりにもリスクが大きすぎたのだ。  そこから人間にはありえない動きで立ち上がったメイプルは、服についたホコリを軽く手で叩いて落とした。そしてカイトを見て、「これ以上は無駄ですね」と言って頭を下げた。 「私が何をしても通用しないのは分かりました。仰るとおり、早いだけ、力が強いだけではカイト様には勝てませんね」  失礼いたしました。そう言って頭を下げたメイプルに、「一応鍛えているからな」とカイトは笑った。 「と言うことで、一応デモンストレーションをさせて貰ったのだが? まだ納得が行かないと言うのなら、まとめて相手をしてやってもいいぞ」  どうすると顔を見られたアカイメ達は、「許してください」と床にひれ伏した。メイプルのような化物と戦い、あまつさえそれを子供扱いしたのに、アジトは少しも壊れていなかったのだ。その事実だけでも、どれだけ実力に差があるのか分かってしまう。メイプルに蹂躙された自分達が、目の前の男に敵わないことなど、試してみなくても分かりきったことだった。 「どうです、少しは勝算が出たと思いませんか?」 「お前たちは、一体何者なんだっ?」  疑問たっぷりの眼差しを向けてきたジンケン皇太子に、「移民だといいましたよね」とトラスティは答えた。 「形の上では移民なのだろうが、どう考えてもそんなチンケな存在ではないだろう」  そう言ってトラスティを睨みつけたジンケン皇太子は、「そこまではいい」ととりあえずトラスティ達の正体を棚上げすることにした。 「弱った心に付け込んで、ただ女にするのだけでは騒ぎとして大したものにならないだろう。嫉妬を集めることになるかもしれないが、憎悪という意味ではまだ弱いのではないか?」 「確かに、それだと普通の恋愛になってしまいますね。しかもアーコ皇女が残ってしまうから、状況を変えるところまではいかなくなりますね」  そこでカイトの顔を見たのだが、すかさず「パス」と言い返されてしまった。 「それは、俺の役目じゃないと言ったはずだがな」 「誑し込む人と戦う人は、同じ方が無理がなくていいんですけどね」  仕方がないなぁと言う顔をしたトラスティだったが、「絶対に嘘だ」とマリーカとカイトは疑っていた。 「アーコ皇女の方は、僕が面倒を見ることにしますよ」 「お前が、か? お前は、そこに奥さんが居るだろう!」  本気かと驚くジンケン皇太子に、「兄さんに逃げられましたから」とトラスティは困った顔をした。 「これで、皇女が二人のナンパ男に誑し込まれることになります。僕の方は、もうちょっと趣向を凝らそうと思っていますからね。そこまですれば、間違いなく標的にされるんじゃありませんか?」 「本当に、本気で言っているのか?」  どうしてこの男は、自分の命にかかわることを、まるで遊びのように楽しそうに口にしてくれるのか。しかもこの問題は、最悪の場合ヤムント連邦との全面対決にまで発展しかねなかったのだ。そのことを考えれば、目の前の男は気が狂っているとしか思えない。  だが最悪なことに、目の前の男からは狂気を感じることは出来なかった。そうなると、ジンケン皇太子も逃げられなくなってしまう。 「俺には、5つ下のジンメイと言う弟がいる」  急に自分語りを始めたジンケン皇太子に、トラスティは口を挟むことをしなかった。 「帝国と言うシステムに於いて、弟と言うのは俺のバックアップと言う意味がある。俺にもしものことがあった時、皇帝の跡を継ぐ男が必要だからな。そしてシステムとして成立しているから、父上は俺に無謀な課題を課すことが出来た。そもそも、歯牙にも掛けられていない、そしてちょっかいを掛け続けているオスラム帝国に対して、皇女を嫁に出すと言う話になるはずがなかったのだ」  そこで言葉を切ったジンケン皇太子は、「最初から無理な課題だった」と心の内を打ち明けた。 「父上が俺に対して隔意があった訳ではない。ただ単に、無邪気な思いがこの命令に発展してしまっただけのことだ。その意味で言えば、馬鹿げていると言う意味では武闘大会と大きな差は無いのだろう」  そこで大きく息を吸い込んだジンケン皇太子は、部下の名前を一人ずつ呼び上げた。 「スラ、アカイメ、クロノメ、スターマイン、シエラっ! このチンケな街で暴れるのとは違う、命がけの戦いがこれから始まることになる。お前達に、その覚悟は出来ているか」 「もとより、私は殿下を守るために遣わされております」  そう言って深く頭を垂れたスラに頷き、「お前たちは」とアカイメ達に問いかけた。 「ご主人様には、私達が役に立つことをご覧に入れたいと思っています」  ジンケン皇太子の問いを、アカイメはトラスティを見て答えた。ちなみにアカイメの首元には、トラスティが与えたチョーカーが巻かれていた。 「できれば、私達にもお情けをいただければと」  クロノメの答えに、私もとスターマインとシエラも続いた。自分の問いにまともに答えてくれたのは、スラだけと言うことになる。「それでいいのか」との言葉が喉元まで出てきたジンケン皇太子は、それを飲み込み「協力してもらえるか」とトラスティの顔を見た。 「もともと、僕が持ち出したことなんですけど?」  だから協力と言うのは少しおかしいと言うのである。  そんなトラスティの答えに、「少し意味が違う」とジンケン皇太子は苦笑した。 「この女達のことだ。俺への答えを、お前を見て答えてくれた。協力と言うのは、つまりそちらの方のことを言っている」 「あーっ、そっちの方ですか……」  確かに、視線が自分に向けられていたな。さてどうしたものかと考えたトラスティは、さんざんカイトに言われたことを思い出した。 「やんごとなきお方は、僕の分担だといいましたよね。だったら、彼女達は兄さんに任せていいですよね」  兵士ですしと、トラスティはカイトの言葉を逆手に取った。それに顔をひきつらせたカイトだったが、「アーコ皇女の方がいいですか?」と問われれば、流石に受け入れざるを得なかった。 「これからのことを考えたら、限度ってものがあるんだがな」 「大丈夫ですよ、兄さんの限度は普通とは違いますから。ただ、彼女達を壊さないように」  そっちの限度は必要だと。トラスティは、カイトのことを見て笑った。 「そっちの限度は……エヴァンジェリン達とうまくやっているだろう」  だから大丈夫と胸を張ったカイトに、「だったら任せます」とトラスティは笑った。 「と言うことで、そちらの方は代理を立てることにします」 「ますます、お前達のことが分からなくなった気がする……」  まあいいと深く考えることを放棄し、「これからどうする」とジンケン皇太子は作戦のことを持ち出した。 「ふらりと、ガイア記念大学に行っても、二人には会えないだろう」 「そちらの方も、今調査中です。今日明日中には結果が出ると思いますので、行動に移すのは明後日以降ですね。その時は、セイナリ(ここ)を出て、大学にまで行くことにしましょう。ところで殿下に伺いますが、セイナリから正規の方法で出られますよね?」 「一応、IDは有効に働いているぞ」  それは結構と頷き、トラスティは「連絡を入れます」と言って立ち上がった。それをちょっとと呼び止めたジンケン皇太子は、彼にしてみれば正当なお願いを口にした。 「その女を使うのならば、次はノックをして入るように命じてくれ。いちいちアジトを壊されたら、流石にやっていられないからな」 「そうですね、次からはノックをして入るようにして貰いましょう。いいですね、メイプルさん」  そこで顔を見られたメイプルは、「畏まりました」と頭を下げた。 「じゃあ、僕達は部屋に戻ることにしますよ。連絡をするまで……まあ、覚悟でも決めていてください」  と言うことでと、トラスティ達4人はジンケン皇太子のアジトを出ていった。それを見送ろう、正確には早速可愛がってもらおうと4人が追いかけたのだが、外に出た時にはすでに4人の姿は見えなくなっていた。 「瞬間移動?」  そう言って首を傾げたアカイメに、ですがとスターマインは「おかしい」と口にした。 「セイナリ地区には、瞬間移動のゲートは無いはずです」 「だけど、見失う程遅れては出ていないわよ」  だよねと確かめられ、クロノメとシエラはしっかりと頷いた。 「なんか、得体が知れないって気がしてきたわ」 「ほんと、殿下が小物に見えて仕方がなかったわね」  クロノメの言葉に、残りの3人は同感だとばかりにしっかりと頷いた。 「でも、ちょっとはましになった気もしますね」  ほんの少しだけジンケン皇太子を褒めたシエラに、「少しだけなら」とアカイメもそれを認めたのだった。  ちなみにこれは余談となるのだが、トラスティが口にした3日後、ジンケン皇太子のアジトを訪れたメイプルは、命令通りちゃんと扉をノックした。ただそこまでは命令どおりだったのだが、いささか扉の方がひ弱だったようだ。本人曰く「軽くノックをしました」なのだが、ノックをされた扉は反対側の壁に突き刺さっていた。 「巻き込まれなくて良かった」  へしゃげて突き刺さる扉を見て、6人は無事だった幸運を天に感謝したのだった。  加熱する一方の武闘大会に、大帝ゲンラは深い憂慮を抱いていた。孫娘の我儘は、最初は可愛いものだと笑って見てれいられるものだったのだ。当然その後ろにある意図も、ゲンラは理解をしていた。だがバルモ大臣が関与し、連邦のマスコミが関わることで、もはや見過ごすことの出来ないところまで加熱をしてしまったのである。大衆には伏せられているが、すでに死者が100名を超えていると報告されていた。 「バルモよ、流石にこれは行き過ぎではないのか?」  だから宮内省大臣バルモを呼び出し、大帝ゲンラはやんわりと苦言を呈した。普段なら、屁理屈をを付けて反論してくるばるも大臣なのだが、今回に限っては「仰せの通りで」とあっさりと認めてくれた。 「加熱しすぎて、歯止めが効かなくなっているところがあります。ただ、この状況でブレーキを掛けるのは、更に難しいことになっているのかと。聖上に憂慮のお言葉をいただければ、多少の沈静化は可能なのでしょうが。始まってしまったイベントを止めるとなると、流石に反動が恐ろしくなります。すべては私の不徳の致すところなのですが、今更それを持ち出しても問題の解決にはならないでしょう」 「お前たちは、アーコとカルアに、婿を取らせようとしているのだな。皇籍を離脱させず、皇族を増やす方向にかじを切ったと聞いているが?」  その当たりはいかにと問われ、「仰せのとおりでございます」とバルモ大臣は頭を下げた。 「これも、システムとしての立憲君主制を維持するための方策でございます」 「孫娘達だけは、その軛から解き放ってやりたかったのだがな」  憂いを含んだため息を吐いた大帝ゲンラは、「善処してくれ」とバルモ大臣に頼んだ。 「このようなお遊びで、連邦が乱れるのは忍びないのだ」 「聖上のお心を乱しましたことを、深くお詫び申し上げます」  地面につくぐらい頭を下げたバルモ大臣に、「それはよい」と大帝ゲンラは答えた。 「なあ、バルモよ。わしは……代々のヤムント家は、連邦の平穏無事を願ってきたと思っておる」 「連邦が、平穏無事なのは、聖上のお陰と思っております」  頭を下げたバルモ大臣に、「確かに平穏無事だ」と大帝ゲンラは頷いた。 「今回の騒動は、それが理由ではないかと思っておるのだ。それを悪いと言うつもりはないし、そのために政府の者達が努力してきたのも知っておる。だが、長き平和が、民達の感覚にズレを生じさせたのではないかと思い始めたのだ。こう言った催しで、民達が刺激を求めるのは当たり前のことには違いない。だが、どこまで許容されるのかと言うことに、思いが及ばなくなっておるのではないか。選ばれた戦士達ゆえ、そこで繰り広げられる殺し合いが現実感を保たず、まるで虚構の出来事のように感じられておるのではないか。それ故、際限なく刺激を求めておるのではないかと思えるのだ。そしてマスコミの者達も、民達の要求に答える形で、さらなる刺激を提供しておる。それが、今の馬鹿げた騒ぎの根源だと思えるのだ」 「仰る通りかと」  頭を下げたバルモ大臣は、「問題がございます」と口にした。 「斯様な状態は、早急に解消が必要だとは思っております。しかしながら、連邦と言うのは想像を絶する巨大な存在でございます。一度勢いがついて走り出してしまうと、それを止めるのは非常に大きな労力と、時には大きな犠牲を伴うことになります。方向を変えるのすら、大きな困難を伴うことになるのかと」 「だが、最低でも方向性の修正は必要であろう」  大帝ゲンラの言葉に、バルモ大臣はしっかりと頷いた。 「どこまでできるのか分かりませんが、方向性の修正を試みてみます」 「くれぐれも、これ以上の混乱を巻き起こしてくれるなよ」  火に油を注ぐことにならないか。大帝ゲンラはそれを恐れていた。  同じ頃、二人の皇女は加熱する大会に怯えていた。もともと自分達が言い出したことなのだが、こんなことになるとは夢にも思っていなかったのだ。考えてみれば当たり前のことだが、温室育ちの彼女たちが、こんな血生臭い世界など望むはずもない。  そして問題は、いくら二人が後悔しても、今更この熱狂を止めることが出来ないことだ。当初の皇女の結婚相手を選ぶと言う大義名分は、すでに民衆達から忘れ去られていた。そして大会出場者達に、さらなる過激な戦いを求めたのである。小さな我儘から始まった狂気が、今やヤムント連邦全体を包み込もうとしていたのだ。  完全に熱狂からはじき出された彼女たちは、お気に入りのオープンカフェにいけなくなっていた。大学から少し離れた、人目に付きにくい場所でひっそりとお茶を飲むようになっていた。 「私達は、どうしたら良いのでしょうか」  武闘大会が始まるきっかけを作ったのは、結婚を迫るバルモ大臣への対策のためだった。そこで許容されるであろう条件として、有名な英雄タラントを引き合いに出した。二人にしてみればたったそれだけのことのはずが、何かの戒めを破ったかのように連邦全体を異常な世界に突き進ませてしまったのだ。  表にいたとしても、二人に誰かが害を与えるようなことはありえない。痩せても枯れても皇女の二人には、分からないように手厚い護衛がつけられていたのである。それでも二人は、他人の目を恐れてしまっていた。 「今更、どうしようもないと言いますか……」  憂いを顔に出し、アーコは上品なカップを口元に運んだ。香りお高いアロマが喉に流れ込み、思わずほっと息を吐きだしてしまった。少し上品さに欠ける仕草になったのは、それだけ精神的に追い詰められているからだろう。自分が言い出したことと言う思いが、更に彼女を追い詰めていた。 「どうして、あんなことを言ってしまったのかと思っています」 「ですけどお姉様。こんなことになるとは、普通は想像できないものだと思います」  絶対にそうですと力を込めたカルアに、「それは分かっています」とアーコはカップを置いた。 「ですが、私達には結果責任もあると思っています。公表されてこそいませんが、間違いなく毎日大勢の死者が出ているはずです。いくら私達の医療技術でも、首を跳ねられた者を救うことは出来ません。見ている者たちも、それぐらいのことは分かっているはずなのです。それなのに、死人が出ることを、逆に喜んでいる節さえ見受けられます。私達は、開けてはいけない扉を開いてしまった……そうとしか思えないのです」 「開けてはいけない扉ですか……」  そう指摘されると、カルアにもそうとしか思えなくなる。だが、いくら後悔したところで、狂乱はもはや彼女たちの手を離れてしまっていた。 「そう、開けてはいけない扉です。長い平和な時間が押し込めた、人々の中にある残虐な心です。魔物を解き放ってしまったと言ってもいいのかもしれません」 「どうすれば、その魔物を討伐できるのでしょうか?」  疑問を口にしてみたカルアだが、自分達にはどうにも出来ないことも分かっていた。自分達の結婚相手が理由で始まった狂乱なのだが、もはや自分達の存在などどこかに置き去りにされていた。今更なかったことにするには、騒ぎが広がりすぎてしまったのだ。しかも表に現れたのは、誰もが持っている心の闇でしかなかった。 「それが、分からないからバルモ大臣も困っているのだと思います」  アーコがふうっと大きく息を吐き出した時、「こちら、宜しいですか?」と尋ねる声が聞こえてきた。普通ならば珍しくないことのはずなのだが、皇女として生まれてきた彼女達には初めての経験だった。「どうぞ」と声が少し裏返ってしまったのも、それが理由になっていた。  普通のカフェでお茶をしていれば、隣の席に人が座ることなど珍しいことではない。それぐらいのことは、彼女達も一般常識として知っていることだった。だが手厚い保護を受けている彼女達の場合、近くに見ず知らずの者が座ることはあり得なかった。 「失礼しますと隣の席に腰を下ろしたのは、自分達より少し年上に見える男二人だった。その中で年長に見える男は、かなり背が高く黒い髪と黒い瞳の鋭い眼光を持っていた。ちょっと怖いと言う印象もあるのだが、洗練された身のこなしをしていた。  そしてもうひとりの方は、もう少し若く見える男だった。同じく黒い髪を短くした、精悍な顔つきをした逞しい男性だった。普段身近に居ないタイプの男性二人に、珍しく皇女二人は緊張してしまった。  すぐに近づいてきた店員が緊張しているのは、想定外のことが起きているからだろうか。その店員の緊張を無視し、年長に見える男は落ち着いて二人分の注文をした。そこで頼んだのは、何の変哲もないハーブティー2つである。シチュエーションだけを見てみれば、取り立てて騒ぎ立てることもない、ごくありふれたものに違いない。ただ店内を見渡してみれば、ほとんどの席が空いていた。それを考えれば、わざわざ女性二人の隣を選ぶことに意図があると考えるのは当然のことだろう。  それでも守られていると信じている二人は、危ないとは思っていなかった。それどころか、宮内省が派遣したものだと考えたぐらいである。 「私達に、何か御用ですか?」  だからこそ、なにかのメッセージがあるのだとアーコは推測したのである。ただ声を掛けられた男二人は、アーコの問いかけに少し驚いた顔をしてくれた。 「まさか、皇女殿下からお声がけいただけるとは思ってもいませんでした。失礼いたしました。私は、トラスティ・イカリと言います。そしてこちらが、ジンケン・オスラムと言います。恐れ多いことだとは思いましたが、是非ともお美しいお二人にお近づきになれたらと考えた次第です」  そこで少し声を潜めたトラスティは、「実は」と言ってジンケン皇太子の顔を見た。 「彼が、カルア殿下の大ファンなんです。こんな幸運は二度と無いと思いましたので、無理やり私が引っ張ってきたと言うのがお隣を選んだ理由と言うことになります」  そこそこ格好いい男性に「大ファン」だと言われ、カルアは少し顔を赤くしてしまった。そのあたりの耐性がないのは、温室育ちの皇女様だからと言う事ができる。 「だったら、武闘大会ですか。腕に自信があるのなら、それに出ればいいと勧めたんですよ。そこで勝ち上がれれば、晴れて結婚を申し込むことが出来るじゃありませんか」  それなのにと、トラスティはジンケン皇太子の顔を見てため息を吐いた。 「あんな馬鹿げた大会に出るのは、自分の正義が許さないと断ってくれましたよ。そしてあの戦いでは勝者が産まれることはなく、勝ち残っていっても連邦民衆の狂気に飲み込まれてしまうことになる。だから自分からは、あんな戦いに飛び込んでいくつもりはないと言ってくれましたよ」 「あなた方も、あの武闘大会が馬鹿げているとお考えなのですか?」  早速飛びついてきたアーコに、「馬鹿げているどころじゃありませんね」とトラスティは答えた。 「人として生まれた以上、多少の差はあっても「残酷」な闇を持っていると思います。ですが人は、それを理性と言う檻で、心の奥深くに閉じ込めているものです。ですが宮内省が主催した武闘大会は、心の奥深くに捉えられた化物を解き放ってしまいました。その背景にはヤムント連邦の長い平和が、理性の檻を弱体化させたと言うのもあるのでしょうね。そして民衆は、今までにない刺激に熱狂してしまった。その熱狂が、ますます化物に力を与えてしまったのです。そして一度解き放たれて力を得た化物は、相応しい犠牲なしに檻に繋がれることはないのでしょう」 「化物を、檻に閉じ込める方法があると言うのですか?」  思わず身を乗り出したアーコに、「方法があっても、それが実行できるかは別ですけどね」とトラスティは少し突き放すような答えを口にした。 「失うものが大きすぎた場合、誰もそれを受け入れられないのではありませんか?」  具体的な方法があると匂わせたことで、アーコはトラスティに対する警戒を忘れてしまった。「あるのですよね」と詰め寄ったのは、彼女の立場を考えればありえないことだったのだ。  なるほど追い詰められているのだと、ジンケン皇太子は皇女二人の感情を理解した。そしてそれを的確に推測した眼の前の男に、「只者ではない」と言う思いを強くした。どこから来たのかわからないが、ジェイドとか言う訳のわからない辺境惑星ではなことだけは確かなことに思えたのだ。  教えてくださいと詰め寄ったアーコに、「それは出来ません」とトラスティは拒絶の言葉を口にした。 「皇女殿下は今、精神的に余裕をなくされておいでです。正常な判断力を失っていると申し上げても宜しいのかと思います。そうでもなければ、正体の知れない男の話を、真に受けるはずがないとは思いませんか?」  だからだめだと答えたトラスティに、アーコは少し悲しそうに「仰る通りです」と答えて俯いた。 「ですが、私達はどうしたら良いのか分からなくなってしまいました。もともとのきっかけは、宮内省のバルモ大臣が、私達に一日も早い成婚を迫ったことが理由です。まだまだ遊び足りない、そして成婚を意識していなかった私達は、先延ばしにするため超えることの出来ないと思える条件をつけることにしました」 「それが、勇者タラントより強い男性! と言う条件ですか。確かに、それだけなら乙女の夢を口にしただけなのでしょうね。ただその乙女の夢を、無邪気な悪意が利用してしまったと言うことです」  的確に指摘され、「その通りです」とアーコは認めた。 「確かに乙女の夢で片付けられることを私達は口にしました。ですが、皇女として生まれた以上、その結果に対して責任を持つ必要がございます。ですからカルアも私も、どうしたら良いのかずっと考え続けていました。ですが、ただ私達が非力だと言う結論にたどり着くだけのことでした」  だからと、もう一度アーコはトラスティに迫った。 「どんな方法でも、この狂気を拭い去る方法があれば、ご教授願いたいのです。それが最低最悪のものだとしても、どちらが許容できるのかを考える事はできるでしょう。ですが今のままでは、私達はただ手をこまねいているだけになってしまいます」  二人揃って、「教えてください」と頭を下げた。 「皇女殿下が、下々の者に頭を下げるものではありませんよ」  そこでジンケン皇太子を見たトラスティは、「方法としては2つ」と指を2本立ててみせた。 「一つは、このまま何もしないことです。生半可の方法で狂気に逆らおうとすると、逆に狂気に飲み込まれて終わることになります。ですから、このまま何もしないで最後まで見届け、英雄タラントに大会勝者を殺して貰えば良いんです。理不尽な結果を残すことで、人々の心に傷を残して大会が終わることになります。そして英雄タラントは、乱れた世界を救ったことで、今まで以上の名声を得ることになります。そこで英雄タラントに糾弾でもしてもらえば、化物の首に鎖ぐらいは掛けられるかも知れませんね」 「行き着くところまで行かせることで、狂気に干渉できる機会ができるのを待つと言うことですか」  その方法が不本意であることは、皇女二人の顔を見れば理解することが出来る。 「どうです、私が出来ないと言った理由が理解できましたか?」  確かに、それが一つの方法であるのは理解することが出来る。だがそこから得られた結果が、好ましいものかと言うのは全くの別物だった。結局今の案では、暴走した武闘大会を止めることが出来ないのだ。 「できれば、私達はこの忌まわしい武闘大会を止めたいと思っております」 「それが皇女殿下としての責任感からのものなのか、はたまたきっかけを作った者の後悔からなのか」  そこで言葉を切ったトラスティは、辛辣な言葉をアーコに投げかけた。 「自分達の失敗を糊塗し、なかったことにしようとする浅ましい気持ちからでしょうか」  最後の言葉がぶつけられた時、二人の皇女ははっと大きく目を見開いた。 「おい、いい加減にしろっ!」  その反応を見たジンケン皇太子は、そう言って割って入ってきた。 「少し迂闊ではあったが、彼女達にはそこまで言われるほどの責任は無いはずだ」 「確かに、彼女達がしたのはとても無邪気な、そして普通なら取るに足らない程度の我儘だからね。ここまでのことになるのを予想しろと言うのは、酷な要求であるのは確かだろうね」  それを認めたトラスティは、「ただ」と別の見方を持ち出した。 「だからと言って、原因を作った事実から目を背けてはいけないんだよ。そしてもう一つの方法は、皇女殿下達にも覚悟が必要になるんだ。ただ僕は、この方法を今説明をしたくないと思っている。何しろ皇女殿下お二人は、今は罪悪感に押しつぶされそうになっているからね。繰り返すけど、正常な判断が出来るとは思えないんだ。人と言うのは、心が弱くなった時には、僅かな救いに縋ろうとしてしまうものなんだ。その結果が、更にひどいことになるかも知れないと言うことには、その時は考えることすらしないんだよ。だから僕は、今の皇女殿下達でも判断できる、最悪の方法から説明することにした」  それが、最後の最後にちゃぶ台を返すことだと言うのである。これならば、間違って飛びつくことはないと判断したのだ。 「それでも私達は、ただ手をこまねいているだけと言うのが我慢出来ないのですっ!」  大声を上げたアーコに、トラスティは指を1本立ててみせた。 「冷静になる時間を、1日取ることにします。そこで、再度皇女殿下のお気持ちをお聞かせ願うことにいたしましょう。もちろん、私達のことを忘れると言う選択をされるのも皇女殿下次第だと思っています」  そこで一度店内を見渡したトラスティは、アーコに向かって紐のようなものを差し出した。光沢のある黒い布で作られ、金の飾りがアクセントになっていた。 「これは?」  手渡されたものを見たアーコに、トラスティは「アクセサリーです」と答えた。 「私の生まれた星で使用されているアクセサリーで、チョーカーと言われるものです。首に巻いて使うものですけど、僕は女性に渡す時に一つの意味をそのチョーカーに込めています」 「愛と言うものですか?」  男性が女性にアクセサリーを渡す意味を口にしたとき、アーコの顔にははっきりと朱が差していた。年頃の女性らしい答えに対して、トラスティは「そんないい意味ではありませんよ」と真顔で答えた。 「僕の物になることを認めろと言うことです。妻とか恋人とか、そんな甘い関係ではなく、僕に対して隷属を誓う。もっと酷い言い方をするのなら、僕の「物」になれと言うことです。都合よく利用され、時には性欲を満たすのに使われる。僕の所有物の証と言うのが、そのチョーカーに込められた意味です」  その酷い説明に、「おい」と言ってジンケン皇太子は身を乗り出した。 「流石に、それは酷すぎるだろうっ!」 「それが、もう一つの答えに関係することだからですよ。一晩考える時間を置くと言う意味が、これで理解できたでしょう? アーコ殿下には、それを着用しないと言う選択肢があるんですからね」  そこでもう一度あたりを見渡したトラスティは、「そろそろ限界ですね」と皇女二人の顔を見た。 「ジンケン君は、今でもカルア殿下を娶りたいと言う願いを持っています。だからカルア殿下には、チョーカーを渡す真似はいたしません。そして一人残ったアーコ殿下には、私の物になって貰おうと思っています。もしももう一度私と話をするつもりがあるのなら、そのチョーカーを首に巻いてくだされば結構です。たとえ皇居の奥深くに幽閉されていても、私達は皇女殿下のところに参上いたします。違いますね、あなたを奪いに参上すると言ったほうが良いですね」  「賢明なご判断を」と言い残して、トラスティはジンケン皇太子を促して立ち上がった。そんな二人を、アーコとカルアは呼び止めることはしなかった。そしてトラスティとジンケン皇太子も、振り返ることなく店を出ていった。皇女に付けられた護衛がなだれ込んできたのは、まさにトラスティ達と入れ替わりのタイミングだった。 「殿下、ご無事でしたかっ」  焦った声を出す護衛達に対して、アーコは「どうかしたのですか」と驚いた顔をしてチョーカーを荷物の中に隠したのだった。  アジトに帰ったところで、ジンケン皇太子はありったけの非難の言葉をトラスティにぶつけた。「人でなし」「鬼畜男」「詐欺師」と罵るジンケン皇太子に、カイトとマリーカは「何をいまさら」と呆れていたりした。何しろトラスティの二つ名は、「連邦最悪のペテン師」なのである。温室育ちの皇女様が、その毒牙から逃れられるはずがなかったのだ。その意味で言えば、ジンケン皇太子もまた、温室育ちのボンボンだった。 「考える時間を与えると言ったが、あれじゃまともに考えることも出来ないだろう」 「それでも、彼女は自分で熟慮した結果だと考えますよ」  そう答えたトラスティは、一つだけ謝ることがあるとジンケン皇太子に告げた。 「カルア殿下との初夜に、綺麗な部屋を用意することが出来ません。何しろ惑星ヤムント上では、どこに居てもすぐに踏み込まれますからね。その意味で言えば、ここもそろそろ引き払う必要があります」  そこで顔を見られたスラは、「こちらに」と言って別のIDを持ち出した。自分達が皇女に会いに行っている間に、新しい偽造IDを用意させたのである。それを利用することで、しばらくはヤムント皇宮警察の目を誤魔化すことが出来るはずだった。 「新しいアジトは?」 「ここから、100kmほど離れたところに用意してあります」  それでいいと頷いたトラスティは、「場所を変えましょう」と全員に告げた。 「古いIDは、捨てていってください。持っていると、それから足がつきますからね」 「生体情報が記録されているから、さほど時間を稼ぐことは出来ないだろう」  カイトの指摘に、「それもそうか」とトラスティは考え直すことにした。 「そうですね、勝負は早いですから、持っていても問題はないでしょう。むしろ、この先のことを考えたら、持っていた方が都合が良さそうですね」  そこで一度全員の顔を見たトラスティは、奥の手の一つを見せることにした。 「コスモクロア、出てきてくれるかな」 「はい、主様」  その命令に従って現れたのは、長い黒髪と緑色の瞳をした、息をするのも忘れてしまうほどの美しい女性だった。白のドレスでは隠しきれないなめらかなカーブに、「勝負にならない」とアカイメ達は諦めの境地に達していた。 「その美しい女性は何者なのだ?」  酷い乾きに襲われたジンケン皇太子は、コスモクロアを前にゴクリとつばを飲み込んだ。 「僕達は、彼女のことをデバイスと呼んでいます。ピコマシンで構成された、人格を持った融合兵器……と言うのが彼女の正体です。たぶん」 「最後の、たぶんと言うのは何なのだ?」  おかしいだろうと言うツッコミを無視して、トラスティは「座標は良いかな」とコスモクロアに尋ねた。 「はい、移動に問題はないと思います」 「だったら、さっさと僕達を運んでくれないかな? 皇宮警察との接触は、現時点ではマイナスでしか無いからね」  それからと、トラスティはもう一つの指示をコスモクロアに与えた。 「ここを、難攻不落の要塞にしておいてくれるかな?」 「出来ないことはありませんが、本気でそれをして良いのですね」  分かりましたと頷いた所で、一行は全く別の場所に移動したのに気がついた。ただ広かっただけの場所から、少し手狭で小奇麗な場所に自分達のいる場所が代わっていたのだ。 「連邦の管理しない空間移動か。ばれたら、これだけでも結構な罪になるな」  特に驚いたところを見せないのは、彼らにとっても空間移動は普及した技術と言う理由からだろう。ぐるりと辺りを見渡したジンケン皇太子は、「息が詰まるな」と不満を漏らした。何しろ今までよりも狭い空間に、10人が顔を揃えていたのだ。  ただ問題は、今はアジトが狭くなったことではない。皇女二人に接触したことで、公にはならなくても、自分達が皇宮警察の確保対象になったことだ。そして残りの者にしても、重要参考人として手配が掛かっているに違いない。 「偽造IDにしても、さほど長くは隠れきれないぞ。これからどうするつもりだ?」  ヤムントの技術を甘く見てはいけない。ジンケン皇太子の忠告に、「それぐらいは理解している」とトラスティは答えた。これまで観察を続けてきて、シルバニア帝国と同等の技術レベルに達しているのは理解できていたのだ。ならば対処も、同等以上の警戒が必要となってくる。 「とりあえずの決着を明日付けます。そこで皇女二人を連れて、一旦惑星ヤムントから脱出して身を隠します。あなた達のことだ、近くに宇宙船を隠しているはずだ。騒ぎが大きくなるまで、とりあえずそこに身を隠すことにしましょう」 「俺たちの宇宙船があることも掴んでいると言うことか?」  目線を険しくしたジンケン皇太子に、「驚くことですか?」とトラスティは逆に聞き返した。 「いや、お前達の正体を疑っただけのことだ」  そう答えたジンケン皇太子は、「皇居に踏み込むのか?」とトラスティを問いただした。 「今日のことがあるから、しばらく皇女二人は皇居から出してもらえないだろう。本気で、皇居まで乗り込んでいくつもりか?」  流石に無謀だと口にしたジンケン皇太子に、「その方が都合がいい」とトラスティは答えた。 「大学近くのカフェより、皇居の奥深くから攫った方が騒ぎが大きくなると思いませんか? あの馬鹿げた武闘大会から人々の目を向けさせるためには、これぐらいのことをしなくては駄目なんですよ。ガチガチに守られた皇居から、皇女殿下二人が何者かによって攫われていった。ただの人殺しよりも、間違いなく人々は注目してくれるでしょうね」 「つまり、今日のことも計算づくだったと言うことだな」  そう言われてみれば、護衛を邪魔したことにも意味が出てくることになる。それを凄いと考えた以上に、何者なのだと言う疑問が強まってきた。していることは理に適ってはいるが、それを実行できるかどうかは別物だったのだ。だが目の前の男は、平然と不可能を可能にしようとしている。しかも意志を持つデバイスなどと言う、自分達の保有していない技術まで持っていた。 「改めて問うが、お前達は何者なのだ。こんな真似は、オスラム帝国が総力を上げても不可能なのだ。その意味で言えば、ヤムント連邦でも、真似を出来るやつが居るとは思えない。そもそも意志を持つデバイスなど、ヤムント連邦にも配備されていないはずだ」 「僕達が、何者か……ですか?」  改めて確認したトラスティに、「そうだ」とジンケン皇太子は答えた。 「それが分からなければ、これ以上お前達のことを信用することは出来ない。今俺たちがしているのは、一つ間違えばヤムント連邦と戦争になることだ。そんな危険な賭けをするのに、正体不明のやつと組むような愚は犯せないだろう」 「なるほど、言っていることに一理ありますね」  そこで頷いたトラスティだったが、「手遅れですね」とジンケン皇太子に宣告した。 「今更、僕達と手を切れると思っているんですか? そもそも、あなた達6人が、僕達相手に敵うとでも思っていると? それとも、アジトの周りに人を配したから、今度こそ勝負になるとでも思っているのですか?」  甘すぎますよと笑ったトラスティは、「試してみても良い」とジンケン皇太子に選択を突きつけた。 「次は、失禁する程度では許してあげませんよ」 「俺達のことを、甘く見るなと言わせて貰おう」  ふっと口元をニヤけさせたジンケン皇太子は、「分かった」と肩から力を抜いた。 「確かに、俺達の手札では勝負にならないのだろうな。ここがオスラム帝国でなかったのが残念だ」  ジンケン皇太子の答えに、トラスティは頷いた。 「あなたが、割り切りの出来る人で良かったと思っていますよ。面倒な人だと、いつまでも小さなことにグチグチと拘ってくれますからね」 「それは、評価されたと思って良いのか?」  疑問だなと苦笑したジンケン皇太子は、「見通しは?」とトラスティを質した。 「まず宮内省の動きですが、事実関係の確認、そして皇女二人の保護に入っています。ただ皇女殿下お二人は、何が起きたのか分からないと言うのを通しているようです。隣に男性が座り、挨拶をしたことまでは認めていますけどね。それ以上のことはなかったと言うのが、二人の答えになっています。ただ宮内省は、その答えには納得していないようですね。精神操作の痕跡がないか、そして何か仕掛けられていないか、それを調査しているようです。当然チョーカーも見つかっているんですけど、ただのチョーカーですから何も警戒されていません」  それが皇女の周りの出来事と説明をし、次にと謎の男二人に対する操作の状況を説明した。 「一歩違いですけど、あなたのアジトに皇宮警察が踏み込んできましたね。そして僕達の借りた部屋にも皇宮警察が踏み込んできています。そこで、色々と証拠の確保をしてくれているようです。もっとも、生体情報なんて、すでに提出済みですから意味はありませんけどね。加えて言うのなら、僕達の住まいは監視機能を殺しています。その意味では、疑われても仕方がないのでしょうね。当然、周りへの聞き込みも行われていますよ」 「さすがは素早い……と普通は驚くべきところなのだが。それ以上に怖いのは、お前達が皇宮警察の動きを掴んでいることだ」  そこまで口にして、「説明はいらない」とジンケン皇太子は釘を差した。 「そして皇女二人に対する宮内省の方針ですが、とりあえず明日は外出を控えるようにとお願いがされています。命令でないのは、二人のお立場を考慮したと言うことですね。そして皇居の守りを固める手配をしています。具体的には、皇宮警察を総動員することと、軍にも協力を依頼していることです。当然、空間移動対策も強化されていますね。ここまですれば、ヤムント連邦の者では、皇居内に侵入するのは不可能と言っていいでしょう」 「そこに、侵入すると言うことか?」  確認したジンケン皇太子に、「当然ですよね」とトラスティは答えた。 「先程も言いましたけど、守りが固ければ固いほどインパクトが大きくなりますからね」 「それが、可能ならば……と言うことだな」  その指摘に、トラスティは小さく頷いた。 「あちらの情報が取れていることが、まあ保証のようなものですかね。それから、皇居が厳戒態勢になっているのを、マスコミも嗅ぎつけているようですよ。理由自体は発表されていなくても、何か起きていると言うのは感じていると言うことです。ですから、皇室対応のマスコミも騒ぎ出していると言うことです」  「ほらと」トラスティは、マスコミの報道を投影した。そこには、物々しい警備が行われる公共の様子も映し出されていた。 「これで、皇女が攫われても隠すことはできなくなったと言うことです。そして連邦民衆の興味も、皇居に向けられ始めていますよ。民衆と言うのは、刺激を求めるものですけど、同時にとても飽きやすいんです。そして最初は刺激的だった殺し合いも、何度も繰り返されればお腹が一杯になります。そこに新しい事件の、しかも連邦を揺るがしかねない事件の香りがしてくれば、どうしても興味が向いてしまうものなんですよ」 「馬鹿げた殺し合いから、民衆の興味を引き剥がす策と言うことか」  なるほどと頷いたジンケン皇太子は、何度も繰り返された誘いを口にした。 「改めて誘わせて貰うが、俺と一緒にオスラム帝国に来てくれないか。お前が……いや、あなたが来てくれれば、間違いなくオスラム帝国は発展することが出来る。物足りないかも知れないが、妹を嫁にしてくれても良い。いや、例のチョーカーを締めさせても良いと思っている」 「そこまで仰ってくれて、光栄だと思いますよ。ただ、僕にも都合と事情と言うものがあるんです。だから、まあ、たまに手伝うぐらいのことはしてもいいでしょうね。失禁なんて恥ずかしい目に遭わせたお詫びと言うことで」  古い、そして忘れたい話を持ち出され、「言ってくれるな」とジンケン皇太子は懇願した。それを「すみませんね」と笑い飛ばし、「明日の昼に動きます」とトラスティは宣言した。 「それが、一番目立つことになると思いませんか?」 「それだけだと、まだ不足していると思うのだが……」  しょせん謎に包まれた皇居内の出来事になってしまう。それを指摘したジンケン皇太子に、「手は考えてあります」とトラスティは笑った。 「ただ、何をするのかは明日のお楽しみと言うことにしておいてください……いや、ちょっと予定が変わるかも知れませんね」 「なんか、聞き捨てならない事を言ってくれるな」  少し目元を険しくしたジンケン皇太子だったが、「まあいい」とこだわらないことにした。 「いずれにしても、俺は観客に徹しさせてもらうさ」  よろしくと右手を差し出され、トラスティはその手をしっかりと握り返したのだった。  皇女二人が何もないと答えようと、護衛が切り離されたことは一大事に違いない。直ちにバルモ大臣まで非常事態が伝えられ、宮内省は緊張に包まれることになった。 「武闘大会だけでも頭が痛いのに……」  そこに加えて、皇女二人に正体不明の男が接近したと言うのだ。武闘大会との絡みもあり、絶対に軽視できない問題だとバルモ大臣は省内に檄を飛ばした。その結果、皇居周りは蟻の一匹も通さない程の厳重警戒状態に置かれることになった。  そしてそこまでの厳戒態勢に移行したことで、はからずもマスコミの興味を引きつけることになった。皇室担当の者達からは、「何が起きたのですか」とひっきりなしに質問されたのだが、「現時点では何も」とバルモ大臣は白を切り通した。そのお陰で様々な憶測が飛び交い、連邦民衆の興味が皇室へと再び向けられることになったのである。 「だが、これはこれで、利用ができるのかも知れませんね」  武闘大会への熱狂が冷めれば、正常化への干渉もやりやすくなってくれる。ただそのためには、「何事も起きなかった」と言う実績を作る必要があた。そのためには、皇女二人への守りを固めなければならない。ただ二人からは、「部屋の中は許してください」とのお願いをされてしまった。  武闘大会のこと、そして二人の皇女のこと。執務机に着いたバルモ大臣は、どうしたものかと腕を組んで考えた。皇宮警察長官が面会を求めてきたのは、その考えが袋小路に入ったときのことだった。 「これまでの、捜査結果をお知らせにまいりました」  深々とお辞儀をして入ってきたのは、皇宮警察で長官をしているガリレイと言う男である。50少し手前の、尖すぎる眼差しを持っていた。ガリレイの入室理由に頷き、「それで」とバルモ大臣は報告を促した。 「本日皇女殿下に接触した男二人の身元が判明いたしました」  これにと、ガリレイは二人の男の顔を投影した。 「年長の方がトラスティ・イカリ、そしてもう一人がジンケン・オスラムと言います。二人共、登録上移民と言う事になっております。そしてこの二人は、セイナリ地区に住まいを充てがわれています。ちなみにトラスティ・イカリは、兄のカイト・イカリ、妻のマリーカ・イカリの3人で移住してきています。ただ、いつの間にかメイドらしきものが加わっております。こちらについては、住民の登録がなされておりません。もっとも、セイナリ地区には、そのようなものは大勢住んでおりますが……」  登録がないことを持って、それだけでおかしいと決めつけることは出来ない。ガリレイの説明に、「続けろ」とバルモ大臣は命じた。 「そしてジンケン・オスラムですが、スラ、アカイメ、クロノメ、スターマイン、シエラと言う者達と一緒におります。ジンケン、スラは、特に騒ぎを起こしていないのですが、アカイメと言う女達が、めぼしい男を連れ込み、いかがわしい真似を繰り返していたようです。そしてトラスティとジンケンの関係ですが、入居の翌日に、トラスティ達がセイナリを散策しております。そこでごろつき達に絡まれた所、アカイメが介入した……との報告があります。おそらく、男のうちどちらかが、アカイメと言う女の好みだったのでしょう。ただその翌日のことですが、先程申し上げたメイドが、ジンケン達の住まいを強襲しています。そして6人は、トラスティの住まいに運ばれております」 「それを聞くと、対立しているように思えるのだが?」  辻褄が合わないと指摘したバルモ大臣に、「外から見た事実を申し上げております」とガリレイは返した。 「ちなみに、ジンケンの住まいには補修業者が入っております。まるで化物でも暴れた跡のようと言う証言が取れております。頑丈な扉が反対の壁まで飛ばされ、壁には人がめり込んだ跡が残っていたとのことです」 「確かに、化物でも暴れた跡のようだな。ちなみに確認しておくが、どうすればそこまでの破壊が可能となる?」  「それは」と、ガリレイは、分析データーをバルモ大臣に示した。 「今回武闘大会が行われておりますが、その参加者レベルでは不可能と言う分析が出ております。軍で使用している強化外骨格ハララを使えば可能と言うことです」 「つまり、強襲をかけたメイドは、ハララを使用したのと同じ戦闘力を持っていると言うことか?」  侮れんなと、バルモ大臣は可愛らしい姿をしたメイドを見た。 「その二人が、本日皇女殿下に接触したのは確かか?」 「カフェ・グリーンで使用されたIDから確認が取れております」  IDを使用したと言う報告に、「はて」とバルモ大臣は首を傾げた。 「バカ正直に、証拠を残していくものなのか?」  それでは、すぐに足がついてしまうのだ。しでかしたことを考えると、どうしても腑に落ちてくれないのだ。  それを気にしたバルモ大臣に、「すでに逃走済みのようです」とガリレイは説明した。 「したがって、背後に何らかの組織があるものと思われます。ただトラスティなるものは分かりませんが、ジンケンの方は多少辿ることが出来ました」  それがこちらと、ガリレイは別の映像を持ち出した。そこには、オスラム帝国の皇帝一家が映し出されていた。 「なんだとっ!」  その中に、バルモ大臣はジンケン皇太子の顔を見つけたのである。驚異となる相手ではないが、見過ごすわけにもいかない相手でもあった。 「オスラム帝国の皇太子が潜伏していたと言うのかっ!」 「その可能性が、非常に高いと言うことになります。そしてそれが正しければ、本日の行動の理由も推測ができます。皇太子の年齢を考えれば、皇女殿下のどちらかを嫁に迎えることを考えたのではないでしょうか。それが叶えば、オスラム帝国はヤムント連邦に認められることになる。そう考えても不思議ではないかと思います」  ガリレイの指摘に、「うむ」とバルモ大臣は考え込んでしまった。 「そしてその推測が正しければ、トラスティなる男の目的も推測できるのですが……ただ、こちらの男にはマリーカと言う妻が存在しております。正体を隠すためのカムフラージュと言う可能性もありますが、現時点では情報が少なすぎると言えるでしょう」  もう一度「うむ」と考え込んだバルモ大臣は、「個人的には」と言って口を開いた。 「ここでの話を、他人に漏らすのではないぞ」 「私は、大臣の忠実な部下だと考えております」  頭を下げたガリレイに、バルモ大臣は小さく頷いた。 「私が口にしてはいけないのだろうが、あのイカレタ大会の優勝者より、オスラム帝国皇太子の方がマシに思えるのだ。オスラム帝国は、その勢力を1万の星系にまで広げておるそうだ。格としては落ちるのだろうが、皇太子ならば次の皇帝が約束されて居ることになる。嫁ぎ先と考えれば、さほど悪くはないと言えるだろう」 「皇太子への嫁入りであれば、確かに民衆を納得させることが出来ますな」  小さく頷いたガリレイに、「身柄の確保を」とバルモ大臣は命じた。 「どちらを見初めたのかは分からぬが、この際それはどうでもいいだろう。ジンケン皇太子の身柄を確保し、皇女殿下の結婚相手に仕立て上げてしまえばいい」 「では、早速身柄確保の指示を出させていただきます」  うむと頷いたバルモ大臣は、「これ以上の混乱は不要だ」と強い調子で口にした。 「もう一人の男の動きが分からぬ以上、くれぐれも警戒を怠るな」 「はっ、何人たりとも侵入が出来ない守りを固めております!」  敬礼を一つ決めたガリレイは、「早速手配を」と言ってバルも大臣の前を辞した。 「オスラム帝国皇太子か……その護衛を手玉に取るとは、一体何者なのだ」  これで、狂乱の着地点を探ることができる。その可能性が生まれたことを喜んだバルモ大臣だったが、トラスティの存在がトゲのように喉に引っかかってくれたのだった。  同じ頃、アーコとカルアの二人は、それぞれの母親から詰問を受けていた。当たり前だが、昼の出来事は皇太子妃にまで伝えられていたのである。  そして母親二人は、娘の態度に男の影を感じ取った。ただそこから先は、二人の皇女それぞれで事情が違っていた。 「アーコと、あなたの娘カルアのことだけど」  義妹となるサリコを訪ねたマーサは、早速娘のことを切り出した。マスコミ的には対立が煽られている二人だが、現実の生活では結構仲が良かったりした。そのあたり、忙しく公式行事に飛び回っているため、仲違いする暇もないと言うのが正直なところだった。 「間違いなく、男が絡んでいますね。と言いますか、素敵な人に会ったと口を割りました」  サリコの言葉に驚いたマーサは、「それでも分からない」と口にした。 「気に入った男が現れたにしては、アーコの態度がおかしいと思っています。あの武闘大会に心を痛めていたあの子のことだから、気に入った男が現れたのなら、絶対に私に相談してくれるはずです。ですが、あの子は頑なに何も話そうとはしていません」 「カルアとは、事情が違うと言うのですね」  ふむと考えたサリコは、「でしたら」とマーサの顔を見て手を叩いた。 「カルアを問い詰めてみればよいのです。さもなければ、誘導尋問をしてみるとか。カルアが口を割ったことを教えれば、アーコも諦めるのではありませんか?」 「では、手始めにカルアを問い詰めに行きましょうか」  ふっと息を吐き出したマーサは、侍女を呼んで二人の居場所を確認した。 「カルア様が、アーコ様のお部屋を訪問されておいでです」 「都合が良いと考えていいのかしら?」  どうしたものかと少し頭を悩ませたマーサだったが、時間が遅いことを理由に娘の部屋に訪れることにした。カルアが帰ってからだと、眠っている可能性も有ったのだ。 「お義姉様、私もご一緒いたします」  そう言ってくっついてきたサリコに、「甘えん坊ね」とマーサは笑った。そして二人連れ立って、厳戒の皇居の中を娘の部屋へと向かったのである。  「入りますよ」とアーコの部屋に入ったところで、マーサとサリコは、頭を下げる娘達に迎えられた。 「お母様に、ご心配を掛けて申し訳ないと思っています」  そう切り出したアーコに、「大切な娘のことですよ」とマーサは笑った。そこで顔を上げたアーコの首に、マーサはアクセサリーが付けられているのに気がついた。 「ところでアーコ、あなたはそのようなアクサリーを持っていませんでしたね。素敵な殿方にでも頂いたのかしら?」  サリコから貰った情報を利用し、娘の殻を破ろうと思ったのだ。そしてアーコは、あっさりとその事実を認めてくれた。 「確かに、素敵な殿方に頂いたと思っています」  素直に認めたアーコに驚いたのだが、それ以上に気になったのはその時の娘の表情だった。何かに思いつめたと言うのが、マーサの受けた印象だったのだ。 「良かったですね……と言ってあげたいのですけど、あなたの顔を見ると祝福してあげられません」  説明しなさいと、マーサは高圧的に娘に命じた。その命令に、アーコは素直に頷いた。 「サリコ様がご一緒ですから、カルアのことは聞かれていると思います。ジンケン様と仰るのですが、その方はカルアを娶りたいと仰られました。そしてトラスティ様と仰る方が、私にこれを下さりました。その御方は、私達の悩みを理解され、どうしたら良いのかについての考えもあると仰られました。その一つの方法が、なにも手を出さず、結果が出たところですべてを白紙に返してしまえば良いと言うものです。そうすることで、愚かしい狂乱に終止符を打つことが出来るし、狂乱に踊った民達にもその愚かさを知らしめることが出来ると言うものです。そのため武闘大会の勝者を、タラント様に殺して貰えと仰られました。それが愚かしい武闘大会に相応しい結末なのだそうです」  目を赤くしたアーコは、「受け入れられるはずがありません」と言葉を続けた。 「それでは、多くの者達が命を落とすことになります。そして私達は、なんの罰も受けることなく、責任を大会に出た者達に押し付けることになってしまうのです。そんなこと、絶対に受け入れることはできませんし、受け入れてはいけないと思っています」  娘の激白に、マーサは小さく頷いた。 「そう答えた私に、もう一つの方法があると言ってトラスティ様はこのチョーカーなるアクセサリーを差し出されました。カルアには、ジンケン様と言う殿方に嫁がれる道を、私にはトラスティ様の「物」となる道を示されたのです。このチョーカーは、それを受け入れる印になると言うことです。妻とか恋人ではなく、飽くまで「物」としてあの方に所有される道が私に示されたのです。あの方に物として所有され、時には性欲の処理に使われる。それを認めるのであれば、このチョーカーを首に巻けと命じられたのです。そうすることで、もう一つの方法を教えてくださると仰りました。そして私は、先程その覚悟を決めたところです」  娘の激白を聞いたマーサは、「ありえないでしょう!」と大声を上げてその頬を張った。 「あなたは、私の大切な娘なのですよ。そしてヤムント皇室の皇女でもあるのです。得体の知れない男の「物」となることなど、認められるはずが無いでしょう。そのような真似を、私が許すとでも思っているのですか。いえ、そのようなことを口にした男を、私が許すはずがありません。ヤムントのどこに居ても、必ず探し出して八つ裂きにしてやります! あなたが心を痛めている武闘大会も、私が握りつぶしてあげましょう」  激高した母親に向かって、「それが出来ないのは分かっています」とアーコは静かに答えた。 「連邦を包み込んだ狂気を、お母様がどのように晴らすことが出来るのですか? それが出来るぐらいなら、お祖父様も頭を悩ませていないはずです。私達皇室は、政には口に出さず、そして民達にも命令をくださない存在のはずです。宮内省が動けないのも、代々続く皇室の考えに縛られているからです」  だから、このチョーカーをすることにした。娘の言葉に、「絶対に許しません!」とマーサは激高した。そして首につけられたチョーカーを剥ぎ取ろうと手を伸ばした。 「お母様、これが私の選択なのです」  チョーカーを守ろうとアーコが身を丸めた時、皇居の中に警報が響き渡った。これまでの歴史で、皇居に警報が響き渡ったことはない。ヤムント連邦始まって以来の出来事に、「何事ですかっ!」とマーサは娘からチョーカーを取り上げるのをひとまず棚上げにした。見知らぬ男の声が聞こえてきたのは、ちょうどその時のことだった。 「少しだけ、時計を早回しさせていただきました」  絶対にあってはならない、聞こえてきてはいけない声に、「何者ですかっ!」とマーサは娘を守るようにして声の主に向かって立ち塞がった。だが気づいた時には、その男に娘の体が抱きかかえられていた。 「このチョーカーを付けた以上、彼女は僕の物と言うことになります。そしてこのチョーカーを外していいのは、ただ一人彼女だけなんですよ。だからいくら母親でも、それを許す訳にはいきません。そして、彼女が僕の物である以上」  そう答えたトラスティは、形の良いアーコの細い顎を持ち上げ、母親の前でその唇を奪った。そして反対の手は、ブラウスの上から慎ましやかな胸を鷲掴みにしていた。それをしばらくしてから、トラスティはアーコの胸を鷲掴みにしたまマーサに宣言をした。 「そして、彼女達と約束した通り、二人を攫わせていただきます」  二人と言う言葉に驚いたサリアは、慌てて自分の娘の方へと視線を向けた。そこには、見知らぬ男に抱き寄せられた娘が居た。 「カルアっ!」  大声を出したサリアに、「ごめんなさい」とカルアは謝った。 「これが、私達が出した答えなんです」 「と言うことです。ですから、せいぜい騒ぎ立ててください」  「失礼します」トラスティが別れの言葉を吐いたのと同時に、4人の姿がマーサ達の前から消失した。守りを固めた皇居内において、有ってはならない、そしてありえないことが目の前で起きたのだ。 「アーコとカルアが攫われました。すぐに手配しなさいっ!」  ドアを開けたマーサは、直ちに必要な処置を取るように警備に命じた。だが皇宮警察及び軍には、その余裕が与えられていなかった。それを知らされたマーサは、「何が起きているのです」とその場にへたり込むことになってしまった。  「人使いが荒い」と言うのが、皇居に夜襲を掛けたカイトの文句だった。本来ゆっくり昼食を食べた後、派手な登場で目を引きつける筈だったのだ。だが「状況が変わりました」の一言で、夕食後にのんびりとしていたところを駆り出されてしまったのである。 「まっ、いつもの親父らしいと言うことなんだが」  夕食後にくつろいでいたので、格好はダブっとしたベージュのポロシャツに、くたびれた同色のだぶっとしたパンツを穿いていた。そして足元には、くたびれたズック靴と言う、とてもではないが警戒が厳重な施設を教習する格好ではなかった。 「さて、始めることにするか」  とりあえず目立つことからと、カイトは右手を差し上げ人差し指を立てた。 「いいか、これはデモンストレーションだからな、当てるんじゃないぞ」  融合したザリアに命じ、カイトは指先から巨大な光弾を放った。戒めを解かれた光の玉は、一度皇居前の上空で輝いた後、分裂をして皇居前広場に降り注いだ。爆発音が轟くのと同時に、一斉に非常事態を告げるサイレンが鳴り響いた。 「後は、親父達が皇女殿下を攫ってくれば終わりなんだが……流石に、それだけって訳にはいかないか」  ニヤリと口元を歪めた先には、統制のなされた皇宮警察の部隊が展開を始めていたのだ。そして自分に対して、上空からスポットライトが当てられていた。 「どうやら、マスコミも騒ぎを嗅ぎつけてきたようだな。さて、ひと暴れさせて貰うか」  今度は掌に光を浮かび上がらせ、にじり寄ってくる皇宮警察の一団に向けてその光をばらまいた。ハウンド時代に集団制圧用に使っていた、「モアクレイ」と言う小技である。ただちょっとだけ、その頃よりは威力を上げていたりした。  そしてばらまかれた光は、接近してきた一団を吹き飛ばした。死人が出ないよう威力は押さえたが、まともに当たればただでは済まない威力を持っていた。 「さて、ゆっくりと門へと向かうことにするか」  慌てないようにと釘を差されていることもあり、「止められるのなら止めてみろ」とでも言うように、カイトはゆっくりと正面の門へと歩き出した。 「息子よ、本命は門の向こうに配備されたようだぞ」 「後手を踏んだのを理解していると言うことか」  悪くない判断だと笑い、守るものの居ない正面の門へとカイトは向かい合った。遠巻きにした皇宮警察から、銃による攻撃が行われていたのだが、いずれもカイトにまでは届いてくれなかった。 「さて、なかなか丈夫そうな門じゃないか」  こんこんと叩いてみたら、とても硬そうな音がしてくれた。材質だけでなく、どうやら空間圧縮による強化もされているようだ。 「まだ、肩慣らしってところか」  よいしょと声を出して、カイトは右拳で正門を殴りつけた。それだけのことで、「ルミノル」と名付けられた門は粉々に砕け散っていった。長い歴史を持つと言われた門も、ついにその歴史を閉じることとなったのである。そして門が砕け散るのと同時に、カイトは正面から高エネルギー弾の攻撃を受けた。 「いよいよ、本命のご登場ってことか」  一瞬の隙きを突いた突いた攻撃なのだろうが、カイトはそれを避けることなくを散らしてみせた。そしていいねぇと喜びながら、カイトは狙撃隊へと襲いかかろうとした。だがその行く手を、重武装をした兵士に遮られてしまった。 「強化外骨格ハララのお出ましってことか」  なるほどと笑い、カイトはそのまま立ち塞がって兵士を殴りつけた。まともに顔に入ったのだが、その兵士は少しよろけただけでなんとか持ち直してくれた。そして横から、別の兵士たちがカイトに殴りかかってきた。その手には、ただの棒には見えない黒い物体が握られていた。 「あちっ! 超振動体かっ!」  軽く手で避けようと思ったら、触れた所が焼けるように痛かった。なるほど手抜かりがないと笑い、カイトはもう一度手で払い除けた。仕掛けが分かれば、回避するのも難しくなかったのだ。 「まあ、頑丈そうだからいいか」  本気で殴ると、それこそ相手を殺してしまうことになる。そうならないようにと、カイトは少しだけ抑えていた力を解放することにした。そのお陰で殴られた兵士達は、まるで映画のように跳ね飛ばされて動かなくなっていた。 「さて、次はアンドロイド兵士のご登場ってことか。こっちは、手加減しなくていい分楽だな」  そう笑って、カイトは統制の取れた動きをするアンドロイドの中に飛び込んでいった。流石に人間としての限界が無いので、先程までの兵士たちの動きよりも格段に早い動きをアンドロイドはしていた。ただカイトにしてみれば、止まっているのと変わらない動きでしかなかった。 「どうだ、マスコミはちゃんと映像を撮っているか?」  軽々と身を躱しながら、カイトは襲撃の成果をザリアに確認した。 「うむ、明日から主はヒーロー物で引っ張りだこになるであろう」  ザリアの言葉に、カイトは小さく口元を歪めた。 「最強の悪役って奴か。この後英雄とかが出てきて、成敗される役目なんだろう?」  感じた絶望が深ければ深いほど、それに勝利するヒーロは尊敬を集めることになる。そして英雄の登場が、自分が撤退する理由になってくれるはずだった。 「だとしたら、コイツラは噛ませと言うことになるんだがな」 「うむ、一応軍は本気で仕留めに掛かっておるのだがな。だが、正義の味方が登場することになりそうだ」  襲いかかってきたアンドロイドを仕留め終わったまさにその時、カイトの居た場所を膨大なエネルギーが薙ぎ払っていった。「危ねぇな」ととっさに回避したカイトは、光の剣を持った男の姿を見つけた。 「あれが、正義の味方ってやつか?」 「ああ、英雄タラントと言うのがその正体らしいな」  なるほどなぁとカイトが納得したところで、英雄タラントが光の剣を振り回して躍りかかってきた。それを紙一重で避けたカイトは、ジリジリとその位置を後退させていった。これで傍目には、英雄タラントが攻勢に出ているように見えることだろう。 「それで、親父達の首尾はどうなっている?」 「すでに、二人の皇女を確保し離脱を完了しておるぞ」  なるほどと、カイトは口元を歪めた。 「だったら、俺達も長居は不要だな」 「こちらの英雄とやらに、花を持たせてやってもいいであろうな」  光の剣を大きく躱したカイトは、英雄タラントから逃げるようにして距離をとった。そして「これ以上は無理か」とわざとらしいセリフを吐いて、空間を跳躍してその場を離脱した。  その様子を剣を構えたまま見送った英雄タラントは、しばらくそのままの格好で警戒を続けた。そして敵が戻ってくる様子がないのを確認し、光の剣のエネルギーを停止させた。その途端全身を包んだ緊張から解放され、体全体で大きく息をして呼吸を整えた。体全体からは、どっと汗が吹き出していた。 「コケにされたか……何者なのだ、一体……」  隙きを狙って必殺の剣を振るったのに、難なく躱されてしまったのだ。その後も全力で切りかかったにも関わらず、決定的な攻撃を加えることが出来なかった。しかも全力で戦っているのに、向かい合った相手からは追いつめられたものを感じることは出来なかったのだ。力が違いすぎると言うのが、タラントの感じた正直な感想だった。  そして何者と言う疑問に対して、答えに近いものが与えられることになった。自分がギリギリの戦いをしている最中に、皇女二人が母親の目の前から攫われたと言うのである。 「ただの、撹乱が目的だったと言うことか……」  それを、守りを固めた皇居に対して行ってくれたのだ。一体何者なのだと言う疑問が、ますます深まったことになる。そしてこの騒ぎによって、命のやり取りをしている武闘大会は完全に忘れ去られることとなった。  皇居内で皇女二人が、しかも母親の前で攫われたと言うニュースは、瞬く間に連邦全てに広まった。そしてたった一人に警備が蹂躙された映像により、皇宮警察と軍は激烈な批判に晒されることとなった。この事件でただ一人株を上げたのは、侵入者を撃退した英雄タラントだった。その圧倒的に見える戦い方を見た民衆達は、彼への信奉度を更に高めたのである。  正体不明の犯人に対して、様々な面から推測という「お遊び」が行われた。マスコミに現れた識者を名乗る者達は、公開された情報を頼りに様々な推論を披露したのである。そしてその中には、オスラム帝国からの侵略と言う物まで含まれていた。境界地域での小競り合いで成果が得られないため、直接の行動に出たと言うものである。ただ内情的には正解に近いこの推測は、自分達が新興帝国に対して劣るはずがないと言うプライドによって、賛同者を得ることなくマスコミから消えていった。 「お前の首などどうでも良いことなのだが」  大帝ゲンラに呼び出されたバルモ大臣は、責任を取る形での辞任を申し出た。その申し出を「どうでも良い」と切り捨てた大帝ゲンラは、「困ったことになった」と大きなため息を吐いたのである。 「マーサとサリコが、精神的に参っておるのだ。特にマーサは、目の前で愛娘を陵辱されたのだからな。オスラム帝国の皇太子のことは良い。だが、もうひとりの男……確かトラスティと申したか。その男だけは、どうしても許すわけには行かないのだ」 「仰る通りかと」  地面にこすりつけるように頭を下げたバルモ大臣は、「武闘大会」の中止を大帝ゲンラに報告した。今となってはどうでもいいことだが、少し前までは深刻な問題として共有されていたものだった。 「確かに、トラスティと言う男の言う通りとなったのだな。弱った孫娘達の心に付け込まれたか」  許せんなと憤る大帝ゲンラに、「捜索を続けております」とバルモ大臣は状況を報告した。 「民間からの情報、監視カメラからの情報で追い詰めておりますが。なかなか尻尾を掴ませてくれません。目撃情報で急行しても、すでに場所を移動しております。しかも、目撃された場所から遠く離れたところに移動して居場所を絞らせていません。我々の管理していない。そして利用していない空間移動技術を使用していると思われます。ちなみに、そのような技術はオスラム帝国にも無いものと思われます」 「ますます、正体不明と言うことか」  ううむと唸ってみても、大帝ゲンラにもできることはない。政治的実権を手放した弊害なのだが、オスラム帝国に働きかけることも出来なかったのだ。皇太子の関与が明らかな以上、その筋から攻めれば解決に至ることも出来たはずなのだ。 「バルモよ、トラスティなる男は何を目的としておるのか推測は出来ておるのか? こんなことを祖父の立場で言っては何だが、ヤムント連邦を敵に回してまで、アーコを手に入れる意味などあるのだろうか」 「綿密な計画、そして大胆な計画の実行。そして皇宮警察、連邦軍を手玉に取る実力。英雄タラントが撃退したようには見えましたが、タラントは「虚仮にされた」と申しております。我々に厳戒態勢を取らせただけでなく、直接攻撃することでマスコミの目を引きつけました。これで、我々は皇女殿下が誘拐されたことを隠すことができなくなりました……」  バルモ大臣が並べ上げた事実に、大帝ゲンラは少し目元を引きつらせた。 「それでは、あの狂乱とも言える武闘大会の後始末を付けてくれたように見えてしまうな」 「あの男が、アーコ殿下に選択を突きつけた理由がまさにそれにございます」  それでは、不甲斐ない自分達に代わって始末をつけてくれたように思えてしまう。ますます不機嫌さを増した大帝ゲンラは、「バルモよ」と腹の底から絞り出すような声を出した。 「どんなことが理由であろうと、その男には責任を取らせねばならぬのだ。一刻も早く身柄を探し出し、わしの前に引っ立ててこい」 「御意にございます」  頭を地面にこすりつけてから、バルモ大臣はそそくさと大帝ゲンラの御前を辞したのである。  場所を点々としたことには、皇宮警察並びに軍を振り回すと言う意味があった。更には、追手に対して自分達が惑星やムントに居ると思わせると言う意味も含まれていた。そのためトラスティとジンケン皇太子は、ひたすら目撃情報を作ることに徹していた。  そしてそれを2日ほど続けた所で、二人はヤムント星系外周部に作ったアジトへと移動した。地上に目を引きつけたお陰で、しばらくは見つからないと言う予想からの行動だった。  そしてアジトに連れてこられたジンケン皇太子は、「いつの間に」と頭を抱えることになった。連れてこられて初めて分かったのだが、自分達が使った船の目と鼻の先に隠れてくれていたのだ。 「マリーカ船長、隠蔽状況はどうなっている?」  探査船メイプルに戻ったトラスティは、早速マリーカに状況を確認した。 「はい、皇女殿下お二人はベッドルームでお待ちになられています」  すかさず返ってきた報告に、トラスティは一度天井を見上げてから「おい」とマリーカに言った。 「差し迫った問題は、お二人への説明だと思いましたので。後は、お二人とナニをすることとか」  ニヤニヤと笑ったマリーカに、「ニュースは伝わっているのかな?」と自分たちの行動の結果を尋ねた。 「ええ、お二人とも食い入るようにご覧になっておいででした」  顔をニヤつかせたマリーカは、「そこから先はお二人の責任」と言って口元を押さえた。その態度にため息を吐いたトラスティは、「先にお願いできますか?」とジンケンに対してカルアへの説明を依頼した。 「それは構わないが、お前はどうすると言うのだ?」 「この先必要な手を打っておこうと思いましてね」  だからですと答えられ、「分かった」とジンケン皇太子は緊張した面持ちでカルアの待つベッドルームへと向かっていった。それを確認した所で、「必要な手ですか?」と首を傾げるマリーカを抱き寄せ、強引に椅子へと押さえつけた。 「メインキャビンでの、船長への暴行は重罪なんですけど」  そう言いながら、マリーカは目を閉じて唇を突き出した。そこでちょっとディープな口づけをしてから、「一応指示」とトラスティはマリーカの目を見た。 「インペレーターを持ってきて貰ってくれ。後は……アルテルナタ王女も連れてきて貰った方が良いな」 「戦艦1隻で来るのは、流石に無謀だと思うんですけど……」  少し熱のこもった目をしたマリーカだったが、判断だけは正常に行われていた。 「そのあたりは、シルバニア帝国の時と同じだよ。喉元深く進攻されたら、迂闊に手を出すことができなくなる。それに、その頃は地上でのことも決着を着いているはずだからね。ちょっと、証拠に使おうと思っているだけだよ」 「あなたがそう言うのなら」  理由を理解したマリーカは、今度は自分から唇を重ねていった。本当はその先までして貰いたいのだが、状況が状況なので我慢することにした。  マリーカのところで時間を使ったので、ジンケン皇太子より30分遅れの登場となってしまった。そこでベッドに座り、「お待ちしておりました」と言うアーコに迎えられることになった。攫ってきた時の格好に似た、白のブラウスと長めの紺のスカートと言うのがアーコのしている格好だった。 「皇女殿下に、窮屈な真似をさせたことをお詫びいたします」  謝罪から入ったトラスティに、「これはお返しします」とアーコは首に付けていたチョーカを差し出した。 「そうですね、もうこれは必要ないでしょう」  素直に受け取ったトラスティは、まるで魔法のようにそれを消してみせた。そしてアーコに向かい合い、「状況は理解されていますか?」と問いかけた。 「はい、正気の沙汰とは思えなかった武闘大会も、より大きな混乱によって中止となりました。お母様達には申し訳ないことをしたと思っていますが、これで責任を……違いますね、あなたに後始末を押し付けてしまいました。あなたは、ヤムント連邦を敵に回すことを厭わず、私達の我儘に付き合ってくださいました。改めて、お礼を申し上げます」  もう一度頭を下げたアーコに、「そこまでにしましょう」とトラスティは微笑んでみせた。そこで顔を赤くしたアーコは、「ですが」と残された問題を口にした。 「ジンケン様の出自は、間違いなくすぐに解明される……いえ、すでに知られていてもおかしくありません。そうなると、連邦とオスラム帝国の間に、一触即発の緊張状態が生まれることになります。そしてあなたも、どこまでも追手が掛けられることになります。私達のため、あなた方に多大な迷惑をお掛けすることになります。それを考えれば、謝罪だけではどうにもならないのでしょうが……」  俯いたアーコに、「それで十分ですよ」とトラスティは慰めた。 「しかも私は、不遜にもあなたの唇を奪い、服の上からとは言え胸を触ってしまいました。これから夫を迎えられるあなたを、私は汚してしまったことになります。ですが大丈夫ですよ、タイミングを見てあなたを皇居にお返しいたします。検査をしていただけば、あなたが貞操を守られたことが証明できると思います」 「やはり、私には魅力がないのですね」  俯いたアーコは、トラスティが予想もしていない言葉を口にした。しまった……本当にしまったと思ったのかは疑わしいし、マリーカあたりなら「狙い通り誑し込んだ」と断言してくれるのだろうが、トラスティは失敗したかなと軽く考えていた。 「あなたは、とても魅力的だと思いますよ」  その言葉で取り繕えるとは、トラスティは微塵も考えてはいなかった。それでも自分を慰めるトラスティに、「ですが」とアーコは自分に対する態度を持ち出した。 「チョーカーをお返しする時、少しも残念そうな顔をなさっていませんでした。そして私の前にお出でになられる前には、マリーカ様を可愛がられておいでです。マリーカ様からは、トラスティ様は大勢の奥様と愛人がおいでだと伺っております。それなのに、私を清い体で家に帰すと仰りました。どう考えても、私に魅力がないとしか思えないではありませんか」  顔を上げ、少し切羽詰まった様子で迫るアーコに、「マリーカか」とニヤつくマリーカの顔を思い出した。 「詳しくは教えてくださりませんでしたが、トラスティ様は高貴な御身分をお持ちと伺っております。それであれば、私が輿入れをすることになっても問題はないと思います。現に私の父も、祖父も、宮内省に押し切られて後宮を構えることになりました。それであれば、トラスティ様が後宮を構えることに、どれだけ問題がございますでしょう。叔父などは、外で作った娘を自分の後宮に入れると言う鬼畜なことをしているのです。しかも私は、父の子供ではありません。同様にカルアも、今の父親の子供ではありません。それを盾に取れば、両親も反対できないと思います」  とてもスキャンダラスなことを、アーコは平然と口にしてくれた。そんなことは少しも聞いていないのにと呆れながら、トラスティは迫ってくる皇女殿下を品定めをしなおした。長い手入れされた黒髪に、少しきつめではあるが整った顔立ち。そしていささか細すぎはするが、それなりにスタイルも均整は取れていた。比較対象さえ間違わなければ、アーコは十分以上の美女なのは確かだろう。ただ問題は、それで食指が動くとは限らないことだった。  うーむと悩むトラスティに業を煮やしたアーコは、実力行使に出ることにした。具体的には自分から唇を重ねてきたのだが、それにしてもとてもぎこちない、ただ唇を重ねるだけのものだった。しかもおっかなびっくりと言う、どこまで箱入り娘なのかと言いたくなる行いだった。 「私を、あなたの物にしてくださいませんか。そのためなら、チョーカーをもう一度付けてもいいと思っています」  だからと言って、アーコはもう一度唇を重ねてきた。そしてそれだけでなく、トラスティの右手を自分の胸へと誘った。 「無理をなさらなくても、あなたはとても魅力的ですよ」  そう慰めて体を押し返そうとしたら、「嘘つきです」とアーコは声を上げた。 「そうやって、私の気持ちから逃げようとなさっています。私が震えているのは、怖いからと言うのは間違いありません。それは、あなたに拒絶されるのが怖いからなんです。はじめての気持ちが、怖いからなんです。だからっ!」  そう叫んだアーコは、「安心させてください」ともう一度唇を重ねてきた。 「あ、あなたが悪いんです。私の心を奪っていった、あなたが悪いんですっ」  そう言って自分のブラウスのボタンを外そうとしたのだが、手が震えるのかうまくボタンは外れてくれなかった。それでもなんとか外そうとしたアーコに、「皇女殿下」とトラスティはその手をとった。 「皇女殿下に、それ以上恥ずかしい真似をさせる訳にはいきませんね」 「アーコと及びください、我が君」  そう言って抱きついてきたアーコを、トラスティはゆっくりとベッドへと押し倒したのだった。  その頃探査船メイプルに戻ってきたカイトは、マリーカの顔を見て「親父は?」とトラスティの居場所を確認した。手分けをして捜査陣をかき回していたのだが、そろそろ良いかと船へと戻ってきたのである。  そんなカイトに、「多分真っ最中」とマリーカはベッドルームを指さした。 「一応アーコ皇女を煽っておいたしぃ。トラスティさんも、手を出すつもりだったと思うしぃ」  ひひと笑ったマリーカに、「親父らしい」とカイトはため息を一つ吐いた。そんなカイトに、もう一つとマリーカは自分への指示のことを持ち出した。 「インペレーターを呼び寄せろって。取り敢えずメイプルさん経由で、アルテッツァに繋いでおいたわ」 「つまり、そろそろ仕上げをしようって言うんだな。これで、1万と2番目の仲間ができるってことだ」  うんうんと頷いたカイトに、「そうなるんでしょうね」とマリーカはベッドルームの方を見た。 「連邦の安全保障ってお題目は、どうなってしまったんでしょう」  気まぐれに仲間を増やしていったら、それこそ収拾がつかなくなる恐れもあったのだ。良いのかしらと天を仰いだマリーカに、「大した問題じゃない」とカイトは笑った。 「もう、IotUの時とは時代が違うからな」 「でも、結構トラスティさんとカイトさんに頼っていませんかぁ」  痛いところを突いてきたマリーカに、「それでも違うんだ」とカイトは答えた。 「何しろ、親父や俺の後を継ぐ子供も生まれているんだよ。それが、IotUとの大きな違いだ」 「それは、確かに仰る通りなんでしょうね……だったら、私もトラスティさんの子供を産もうかなぁ」  胃ではなく下腹を押さえたマリーカに、「アイドルは良いのか?」とカイトはからかった。 「船長にアイドルが、奥さんだって良いと思いません?」  どうかなと問われたマリーカに、「ファン次第だな」とカイトは答えた。 「ただ、そう言う型破りなアイドルがいても良いとは思うがな」  そこでカイトは、「ただ」とマリーカの顔を見て口元を歪めた。 「その時は、お留守番ってことになるな」 「ええっ、私を連れて行ってくれないんですかぁっ!」  それはぁと情けない顔をしたマリーカに、「子持ちだろう?」とカイトは痛いところを指摘した。 「だから、お留守番になるんだよ」 「だったら、子供はもう少し後でも良いかなぁって気がしてきました」  置いていかれるのはつまらない。「まだ若いから」とマリーカは年齢を理由にしたのだった。  インペレーターをと言うトラスティの指示に対して、トリプルA本社、すなわちアリッサは追加の派遣をリゲル帝国に依頼をした。その際に出した依頼が、最大限の派遣をと言う物である。そのアリッサの依頼に対して、皇妃カナデは10万の戦艦を掻き集めた。  そしてアリッサは、同様の依頼をレムニア帝国にも行った。それを受け取った育ての母にして情婦の皇帝アリエルは、第6、第7艦隊すべての出撃を命じたのである。これで、投入される戦艦数は20万と言う膨大なものとなる。そして自分も行くからと、第1艦隊の出撃も命じた。「専用艦がありませんが」と言うガルースの意見に対し、「インペレーターがあるであろう」とアリエルは言ってのけた。  そしてインペレーター派遣の知らせを聞いたノブハルも、「仲間外れにするな」とローエングリンの出撃を決めたのである。そうなると、シルバニア帝国も護衛艦隊を付ける必要が出てくる。そして悪乗りをしたレイアが、二人の大将に対して大群を率いての出撃命令を出してくれた。レイア曰く、「こんな面白そうなイベントに乗り遅れてはなりません」だそうだ。  そうなると、エスデニアやパガニアが黙っていられるはずがない。エスデニアからはラピスラズリが、そしてパガニアからはクンツァイトが、最高司令官として出撃する始末である。トップ6と言われる連合の中で、唯一ライマールだけが艦隊を派遣しないと言う常識的判断を下した。ただその決定をした代表テッド・ターフは、娘のイヴァンカから罵詈雑言が浴びせられたと言う話だ。ちなみにテッド・ターフの常識的判断に対して、ライマールの人々の評判はよろしく無かった。  成り行きで掻き集められた艦隊は、最終的には参加艦船数が100万に届くことになった。その数だけを見れば、まるで侵略に行くかのようだった。 「ずいぶんと、沢山集まりましたね」  インペレーターのメインデッキでくつろぐアリッサに、隣りに座ったアルテルナタが声を掛けた。トラスティが必要と言ったのはアルテルナタだけなのだが、「妻としての務めです!」とアリッサが同行を主張したのである。そのアリッサを護衛するため、リュースとミリアも付き添ってきた。 「そうですね。皆さん悪乗りがすぎると思います」  そのきっかけを作った張本人が、しれっと「悪乗り」を持ち出してくれるのだ。なるほど「トラブル・アリッサだ」と、アルテルナタはトリプルAの別名を思い浮かべていた。 「ですが、20万の星系が加盟する連邦……が相手なのですね」 「私達の居る天の川銀河で10万ですから、更に巨大な存在と言うことです」  そう言いながら、アリッサの視線はまっすぐ正面のスクリーンに向けられていた。集結地点に指定されたアリスカンダル宙域に、続々と遠征艦隊が集まって来ているのが見えた。そして正面のスクリーンには、ローエングリンに付き添うように、シルバニア帝国旗艦ブリュンヒルデと同じく旗艦スルーズが並んでいた。 「アリッサ様、レムニア帝国皇帝アリエル様が、乗艦を求めておいでです」  ゆっくりと近づいてきたのは、混成艦隊を指揮するスターク・ウェンディだった。こう言った時に、元連邦軍元帥と言う肩書が役に立ってくれる。そして御三家筆頭と言う立場が、すべての雑音をシャットアウトしてくれるのだ。 「本当に、お出でになられたのですね」  少しだけ口元を歪めたアリッサは、「丁重にご案内してください」とスタークに命じた。それを受け取ったスタークは、アリッサに頭を下げてから通信員に指示を飛ばした。 「アリエル陛下をお迎えする準備を」 「はい、艦内に通達いたします」  軍では無いと言うこともあり、伝達系統はあっさりとしたものだった。そして通信員ウフーラは、「10分後に乗艦されます」との先方からの連絡を伝えた。 「お迎えに上がられますか?」 「そうですね、私が迎えに出た方が良さそうですね」  そこで同行を求められたスタークは、「直ちに」と乗艦デッキへの移動を手配した。全長15kmにも及ぶ巨大艦ともなると、空間移動が出来ても移動に時間がかかってしまう。  ゆっくりと立ち上がったアリッサに、スタークは足早に近づくと「こちらに」とエスコートをした。そして「艦長出ます」の声を背中に、乗艦デッキへと向かっていった。  アリッサが乗艦デッキに到着した5分後、空間移動を利用してアリエルが乗艦デッキに現れた。お供を連れて現れたアリエルに、アリッサは「ようこそ」と一歩進み出て頭を下げた。 「お義母様が供を連れてくるのを初めて見た気がします。それに、今日はしっかりとお化粧をされているのですね。それも、初めて拝見した気がします」  アリッサが指摘したとおり、彼女はアリエルはプライベートの顔しか知らなかった。そこに豪華な衣装を重ね着し、顔には相当濃い化粧をして現れてくれたのだ。普段の公務姿とは言え、珍しいと言われても仕方がないのだろう。 「これは、ガルースの奴が格式と煩かったからだ。だから仕方なくと言うところがあるのだがな」  ありがとうと言ってアリッサに並んだアリエルは、「だから着替えがしたい」と小声で話しかけた。 「貴賓室の用意なら出来ています」 「うむ、ならばさっさと身軽な格好に着替えてこよう」  そこで振り返ったアリエルは、「部屋で控えておれ」と供の者達に命じた。 「では、後ほどブリッジに顔を出そう」  出迎えを感謝する。そう言い残して、アリエルは空間を超えて貴賓室へと移動していった。それを見送った所で、アリッサはAIから面会希望が来ていることを伝えられた。  提示されたリストを見たアリッサは、思わずこめかみを押さえてしまった。分かっていたことだが、お祭り騒ぎが好きすぎると思えてしまったのだ。 「サラ、スケジュールを組んでくれるかしら?」  アップデートしたインペレーターのAIには、「サラ」と言う女性名称が付けられていた。そしてアバターは、肩口までの黒い髪をした、10代の可愛らしい女性形態をとっていた。 「アリッサ様、まとめてご招待した方が面倒がなくてよろしくありませんか?」 「ですが、失礼にあたり……そうですね、おしかけてくる方が悪いのですからね」  認めますと言う答えを貰い、「サラ」は必要な伝達事項をウフーラに伝えた。 「アリッサ様、お疲れのように見えますよ」  休息したらとのサラの助言に、アリッサは小さく首を振って否定した。 「肉体的と言うより、精神的な部分が大きいですからね。加えて言うと、休息したからと言って治らないのは分かっています。流石に私も、欲求不満を感じ始めているんです。ちょっと、そのストレスが溜まっているだけで……もう少しで逢えると思うと、逆に我慢ができなくなってきました」  ふうっと息を吐いたアリッサは、「皆さんそうなのでしょうね」とリストに乗った女性達を見た。 「こんなところまで、IotUの後を追わなくてもいいのに……」  「良いですけど」といつもの口癖を言ったアリッサは、「戻りましょうか」とスタークに声を掛けたのだった。  どうして俺を除け者にする。トラスティとカイトが違う銀河に渡ったと聞かされた時に、ノブハルは仲間外れにされたことに真剣に腹を立てた。だから今回の招集に対して、「仲間外れにするな!」と文句を言って、ローエングリンの派遣を強行した。そしてノブハルが行くことと憂さ晴らしを兼ねて、シルバニア皇帝ライラはシルバニア帝国軍大将、メルクカッツ、レオノーラの二人にそれぞれ10万の艦隊とともに出撃を命じた。 「今回は、私を連れてきてくださったのですね」  嬉しいと喜ぶエリーゼに、ノブハルはとても優しい眼差しを向けていた。ただエリーゼだけを連れて行くことで、出発前にはちょっとした修羅場が起きていた。連れて行って貰えないことに、トウカが腹を立てて拗ねまくってくれたのだ。完全に聞き分けを無くしたトウカに対して、ノブハルは必殺技を持ち出した。 「俺達が3人揃うと、死にそうな目に遭うからだ」  アルカロイドに襲われ、次はグラブロウ事件に巻き込まれた。極めつけは、乗っていた客船が沈没したことである。それを持ち出されたトウカは、「確かに」と「死にそうな目に遭うこと」を否定できなくなってしまった。そして「芸能活動があったな」の一言で、エリーゼが同行することになったと言うことである。 「ああ、たまには遠出をするのもいいだろう」  すでに子供をお腹から出したから、セントリアも同行は可能のはずだった。ただエルマー支社の仕事があるからと、セントリアは留守番を申し出ていた。 「しかし、シルバニア帝国に匹敵する文明が発達しているのか」  一体どんなところなのだと、ノブハルは期待に胸を膨らませたのだった。そして、これをお預けするのは殺生過ぎると心の中で文句を言っていた。  グルカ銀河への移動ルートは、今の所ヨモツ銀河上にしか作られていなかった。トラスティ達はエスデニアから出発したのだが、それにした所でアリスカンダルを経由したものだった。  ただアリスカンダルに設置された多層空間制御装置は、現在連邦安全保障局の業務でフル稼働状態となっていた。そのためラピスラズリは、工作艦ガギエルに大規模多層空間制御装置レリエルを搭載してきた。これを使うと、一度に1万隻規模の空間転移が可能となる。ただそれでも100万の艦隊ともなれば、移動には10時間ほどの時間が掛かってしまった。転移自体は一瞬なのだが、艦隊の隊列を整えるのに時間が掛かるのがその理由である。 「ウフーラさん、探査船メイプルとのリンクは張れたのですか?」  グルカ銀河に移動した以上、後は可及的速やかにヤムント星系の勢力圏に移動する必要がある。ただ闇雲に移動すると、それだけで戦争を引き起こしかねなかった。それを避けるためには、探査船メイプルとの間で、慎重な調整が必要となってくる。  アリッサの問いに、「確認します」とウフーラはサラを呼び出した。 「現在構築中です。サラ、アルテッツァはなんと?」 「見つかるのを避けるため、通常通信の偽装に時間が掛かっているそうです」  そこでアバターには似つかわしくないため息を吐き、「手際が悪いですね」とアルテッツァの作業に割り込みを掛けた。そして割り込みを掛けてから5分後、「リンク完了!」とセラが報告を上げてきた。 「見つかるような真似はしていないでしょうね?」  あまりにも早すぎる手際だし、しかも仕事をアルテッツァから横取りまでしてくれたのだ。仕事が雑ではないかと、ウフーラはサラに疑いをかけたのである。 「アルテッツァでもあるまいし、そんな迂闊な真似はしていません!」  規模がずっと小さいくせに、どうして偉そうに断言できるのだ。そんな疑問を感じながら、ウフーラは必要なプロトコルの手配に入った。インペレーター1隻なら不要な手順も、百万もの艦隊ともなれば、気が遠くなるほど必要となってくる。だがプロトコルを確認しようとした所で、表示された情報にウフーラは素っ頓狂な声を上げてしまった。 「どうして、プロトコルが出来上がっているのっ!」 「そう、こんなこと驚かれるようなことじゃないけど」  だめねとと笑ったサラに、ウフーラはどうしようもない殺意を抱いてしまった。ただAIと争ってもどうにもならないので、「いつでも移動できます」と艦長にして総指揮官であるスタークに報告をした。 「それでは、そろそろ夫君に会いに行かれますか?」 「そうですね、そろそろ私達の我慢も限界が近いと思います」  だからお願いしますと頼まれたスタークは、「ヤムント星系に侵入する!」と命令を発した。 「同期プロトコル1万まで完了。圧縮空間展開完了。クラスター化進捗率30%」 「艦隊前面にレリエル展開開始。ゲートサイズが0.1光秒に拡大しました」 「クラスター化進捗率90%。完了まで後5秒です」 「クラスター化完了しました。現在クラスター化誤差5%。更に収束中です!」 「ヤムント星系カイパーベルト帯にゲート開通! 何時でも行けます!」  次々と進められていく手順を確認したスタークは、そこでアリッサの顔を見た。そしてアリッサが頷くのを確認し、「全艦発進!」との命令を発した。 「全艦前進。進入速度秒速100km」 「レリエルゲート異常なし!」  直径で3万kmのゲートに対し、100万の艦隊はゆっくりと侵入していった。そして進入を開始した10分後、すべての艦船がレリエルゲートを通過し、ヤムント星系のカイパーベルト帯に出現した。 「クラスター化解除。全艦第二種戦闘モードへ移行」 「第二種戦闘モードへ移行完了。周辺1光日に船舶は存在しません」  それに頷いたスタークは、「警戒態勢を維持せよ」との指示を発した。 「当たり前のことですが、どこでも大差はありませんな」  目を凝らすと、小さな点よりは大きな黄色がかった色をした主星が光っていた。その光景は、自分達の生まれた銀河でも、ごくありふれたものとなっていた。 「しかも、住んでいる人の姿も私達と同じだそうですからね」  「結果が見えたような気がします」とアリッサが口にした時、ウフーラが「通信が入りました」と報告してきた。 「どうやらカイト様のようですね」 「出してください」  「直ちにっ!」と言うウフーラの答えと同時に、アリッサの少し前にカイトの仮想体が現れた。「元気だったか」と言う軽さに「お姉様が寂しがっておいでです」とアリッサは先制攻撃を掛けた。 「もっとも、お兄様はお楽しみだったのでしょうけど」  ちくっと嫌味を口にしたアリッサに、「お楽しみは親父の方だ」とカイトはいきなり白状した。 「こちらの、なんと言ったか……そうそう、アーコとか言う皇女様としっぽりいっているぞ」 「そのあたりは、普段のあの人と変わりがありませんね。それを聞いて、少し安心しました」  そう言って小さく微笑んだアリッサに、「安心したのか?」とカイトは驚いた顔をした。それに頷いたアリッサは、「あの人に変わりがないと言う意味ですから」と安心した理由を口にした。 「確かに、変わりがないっちゃ変わりがないな。相変わらず、ペテンを掛けまくっているぞ」 「そしてめどが付いたから、インペレーターを呼び寄せたと言うことですね」  ふっと口元を緩めたアリッサに、「甘かったようだがな」とカイトは顔を引きつらせた。いくら偽装していても、100万もの艦隊など隠しようがない。これだけで、ヤムント連邦が蜂の巣をつついたような騒ぎになるのが見えていた。 「誰が、悪乗りをしたんだ?」 「自然発生的……と言うのが、私の答えですね」  しれっと答えるアリッサに、なるほどとカイトは頷いた。そして「親父が」と言いかけた所で、まあ良いかとそれ以上口にしなかった。 「あの人がどうかしましたか?」 「大切な妻に会うため、急いで戻って来たんだよ」  求めてやまなかった夫の声なのだが、アリッサはすぐにはそれを理解できなかった。忙しく顔を動かしたアリッサは、すぐ隣に微笑む夫の顔を見つけた。その時のアリッサの頬に、涙が一筋流れ落ちた。 「兄さん、乗り込む準備を進めておいてくれるかな」 「ああ、時間稼ぎの方も考えておくさ」  ごゆっくりと笑い、カイトは通信を遮断した。すでにトラスティからは、大艦隊が現れた時の対応も示されていたのである。100万と言う数は余計だが、その数が揃えばできることもあったのだ。 「メイプル、ヤムント星系を封鎖するぞ」 「サラさんに、ヤムント星系封鎖作戦を伝達しました! あなた」  うんと頷こうとしたところに、いきなり「あなた」なのだ。「おい」とカイトが突っ込もうとしたのだが、すでにメイプルはお仕事モードに逃げていた。 「星系封鎖作戦開始しました。1万隻を1単位として、接近する船団を排除します」  すでに必要な座標計算は終わっているため、集結した艦隊は次々に待機地点へと飛ばされていった。この配備が終われば、惑星ヤムントは、連邦の中で孤立した存在となる。 「さて、後はペテンの仕上げと言うことになるのか」  面白いだろうと。カイトは隣で顔面蒼白となったジンケン皇太子に声を掛けたのだった。  100万の艦隊とアルテルナタが揃えば、トラスティのペテンの幅も広がる。「お祭り好きすぎる」と文句を言いながら、トラスティは猛烈な勢いで計画の修正を考えた。 「探査船メイプルと、オスラム帝国の小型船……タングラムだったか。インペレーターに収容を完了したよ」  アリッサとの時間を過ごして現れたトラスティに、「久しぶり」と挨拶をしてスタークが隣に並んだ。 「さすがはIotUのご子息だ。さっそくやんごとなきお方を誑し込んだそうだね」 「最初に言われるのが女性関係と言うのは……普通は、参加星系20万の大連合の方だと思うのですけどね」  優先順位がおかしくなっていると不平を言うトラスティに、スタークは「君だからな」ととても分かりにくい決めつけをしてくれた。 「なんです、その意味不明な決めつけは?」 「そうかね? 君を知る者なら、全員が納得する決めつけだと思うがね」  そう言って笑ったスタークは、「48時間」と言う時間を持ち出した。 「双方に犠牲を出さずに乗り切れるのは、それが限界だと思ってくれたまえ。現状集まってきている戦力なら、こちらが負けることは万が一にもないだろう。それでも、先方を含め多くの犠牲者が出ることになる」 「そこまでにケリをつけろと言うことですか」  やれやれと頭を掻いたトラスティは、「派手に行きますか」と答えてアルテルナタを呼び寄せた。 「はい、ご主人様っ」  嬉しそうに近づいてきたアルテルナタに、「罠は?」とこれからの仕掛けのことを確認した。その問いかけに対して、アルテルナタは目を閉じ、いくつかの条件探索を繰り返した。 「謁見の間ですか。大勢の衛視が配置されていますね。その、強化外骨格ハララでしたか。すべての衛視が、その装備を身に着けています。カイト様なら問題ないのでしょうが、ご主人様にはいささか荷が重いのかと思われます。それに加えて、謁見の間の床にトラップが仕掛けられています。マイクロレンジと言うのですか。大出力を狭い空間に集中しますので、人間でしたら照射されれば塵も残さず消滅してしまうでしょう。ご主人様が、そのトラップに引っかかって消滅する未来が見えました」 「あまり、嬉しくない未来だね」  苦笑を浮かべたトラスティは、「ありがとう」と言ってアルテルナタを抱き寄せた。 「もう、子供は出したんだね」 「はい、可愛らしい女の子なんです。もうすぐ人工子宮から出せるかと思います」  順調ですと報告してから、アルテルナタはトラスティに口づけをした。 「妹に、ずるいと言われてしまいました。ただ、未来視の能力が遺伝していれば、あの子にとっても都合がいいはずです」  そこまで報告して、アルテルナタはゆっくりとトラスティから離れた。そこでスタークの顔を見たトラスティは、関係者の居場所を確認した。 「それで、ジンケン皇太子はどうしています?」 「カルア殿下だったか。お二人の時間を過ごされているようだ」  小さく頷いたトラスティは、「仕掛けますか」とヤムント皇室皇居の映像を見た。時間的に昼前と言うのは、マスコミの注目を集めるにも好都合の時間帯だった。 「ならば、アーコ殿下もお呼びしないといけませんな」 「そうですね。それから、二人もここに連れてきてください」  スタークに指示を出したトラスティは、のんびりとしていたカイトに「兄さん」と呼びかけた。 「もう一度皇居に乗り込みますからね。死人が出ない程度に、派手に暴れてください」 「英雄様と遊んでやるか」  拳を掌で受けたカイトは、首を動かしこきっと首を鳴らした。 「お三方がおいでになられました」  どう言う訳か、その報告をインペレーターのAIがしてくれた。「ありがとう」と言いかけたところで、トラスティはその姿にぎょっと驚いてしまった。 「トラスティ様、どうかなさいましたか?」  少し口元を歪めたサラに、「なんでもない」とトラスティは言葉を繕った。都合のいいことに、ジンケン皇太子が突っかかってきてくれた。 「改めて聞くが、お前は何者なのだ?」 「僕の居た銀河では、ペテン師と呼ばれていましたね」  その程度の者ですと笑ってから、「アーコ殿下」と緊張するアーコに声を掛けた。レースの飾りがついた白のブラウスに、赤い紐でできたタイが結ばれ、かなり長めの黒のスカートと言うのがその時のアーコの出で立ちだった。その姿が上品に見えるのは、彼女の生まれの為せる技なのだろう。 「はい……その、あなたのことを、なんとお呼びすれば宜しいのでしょうか?」  部屋で休んでいる間に、世話係の女性に色々と教えてもらったのだ。ちょっと不思議な水色の髪をした女性は、トラスティの女性関係を微に入り細に入り説明していた。 「あなたの好きに呼んでくださって結構ですよ」  そこで微笑まれ、アーコは顔を真赤にして俯いた。世話をしたリュースが言うには、ここまでの箱入り娘は初めてのパターンらしい。 「さて、ジンケン皇太子殿下には、私と一緒に大帝ゲンラ様と対決していただきます。特に制約は課しませんので、自身の正義に従っていただいて結構ですよ。そしてアーコ殿下とカルア殿下は、一度ご両親のところにお返しいたします。そしてご自身の言葉で、何が起きたのか、何を感じたのかをご説明いただけないでしょうか」  宜しいですねと問われた3人は、少し考えてから小さく頷いた。 「ちなみに、マスコミの通信経路はジャックしてあります。ですから、謁見の間で起きることは、連邦の人達が見ることが可能です。そこで何が起こることになるのか。お二人には、見届けていただきたいと思っています。私がお願いするのは、たったこれだけのことです」  もう一度確認された二人は、顔を見合わせてからしっかりと頷いた。それに破顔したトラスティは、「始めましょうか」と集まったメンバーの顔を見た。ちなみにアリッサは、安心したのか部屋で眠りに落ちていた。 「じゃあサラ、僕達を所定の位置まで運んでくれるかな」 「畏まりましたトラスティ様」  現れたアバターがゆっくり頭を下げた次の瞬間、5人の姿はインペレーターのブリッジから消失した。 「ちゃんと目的地にたどり着いたようだな」  インペレーターのモニタには、大帝ゲンラの前に現れたトラスティとジンケン皇太子の姿が映し出されていた。そして別のモニタには、皇居の門前で仁王立ちするカイトが映し出されていた。それぞれの場所に運ばれた5人が、それぞれの場所で戦いを始めるのである。相手の懐の中と考えれば、条件としては最悪のものに違いない。だが遠征してきた者たちすべては、自分達の勝利を信じて疑っていなかった。 「さて、我々は持ち場を死守することにするか」  スタークの言葉に、インペレーターのブリッジは改めて忙しく活動を始めたのだった。  皇女二人が攫われて10日が過ぎたが、その間何の手がかりも得られていなかった。最初のうちは足取りを追えていたのだが、5日目を境にパッタリと足取りがつかめなくなったのだ。スポンサーが付いて高額な懸賞金も掛けられたのだが、ガセの情報しか届けられない体たらくである。宇宙に逃げたのではと、その間にヤムントを出た旅客船、貨物船、軍艦にまで捜査が及ぶことになった。そしてそこまでしても、杳として皇女二人の行方は掴めなかった。 「まだ、二人の行方は掴めないと言うのか?」  辞任を先送りにされたバルモ大臣は、大帝夫婦の前にひれ伏していた。彼としても期待に沿う答えを口にしたいのだが、軍まで動員しても、皇女二人の行方を把握することが出来なかったのだ。 「いよいよ、オスラム帝国と連絡を取るしか方法がなくなってしまったな」 「お二人が、オスラム帝国に連れて行かれたのだと仰りますか?」  顔を曇らせたバルモ大臣に、「いや」と大帝ゲンラは首を振った。 「もはや、手がかりがそこにしか無いと言う意味だ。首謀者の一人が皇太子と言うのなら、何らかの連絡が入っていても不思議ではあるまい」 「ですが、オスラム帝国に対して餌が必要かと」  ただ情報をよこせでは、足元を見られるのが分かりきっていた。こちらにとって痛手とならず、軍を動かすと言う大げさなものでない餌をぶら下げる必要がある。それを持ち出された大帝ゲンラは、「カルアを嫁に出せばいい」と言ってのけた。 「皇太子と言うのであれば、相手に不足はあるまい。それに、オスラム帝国との友好の証となってくれるであろう。そうなれば、辺境地域の安全も図ることができる」  現状を追認するだけだから、譲歩としても大した事ではない。そう言ってのけた大帝ゲンラに、「本当に宜しいのでしょうか?」とバルモ大臣は聞き返した。 「それでは、無法を正当化することになってしまいます」 「確かに、無法を正当化することになるのであろうな。だが、現実の問題として、我らは孫娘二人の行方を掴めてはおらんのだ。適当な落とし所を作らねば、わしは孫娘二人を失うことになってしまうだろう」  だからだと大帝ゲンラは、オスラム帝国と至急連絡を取ることを命じた。それを「御意」と受け入れバルモ大臣が出ていこうとした所で、2つの影が謁見の間に現れた。空間移動を禁じた場所に、何者かが禁を破って移動してきたのだ。「誰か」とバルモ大臣が慌てたのも、大帝の安全を考えればおかしなことではなかった。  だが慌てたバルモ大臣に対して「よい」と大帝ゲンラは落ち着くようにと命じた。 「ここが、わしの面前と知っての狼藉なのか?」  静かに問いかけた大帝ゲンラに、現れた2つの影は礼儀に乗っ取り片膝を付き頭を下げた。 「もちろん、承知の上で参上いたしました」 「なるほど、そなたがトラスティと言う男か。そしてもう一人が、オスラム帝国皇太子、ジンケンと言う訳だな。わざわざわしの前に顔を出して、今更何を言いたいのだ」  穏やかに語ってはいるが、さすがはヤムント連邦20万の象徴となる男である。その体から発せられる威厳は、ジンケン皇太子を萎縮させるものだった。そんな威厳もどこ吹く風と、何時も通りの調子で「お知らせに上がりました」とトラスティは頭を下げた。 「カルア殿下は、無事ジンケン皇太子と結ばれました。そしてこの後オスラム帝国に移り住み、皇太子妃となることを希望されています。まずは、そのことをお伝えに上がった次第です」  正々堂々と正面から目を見て、トラスティは二人のことを説明した。 「それを、わしに認めろと言うのか?」  ありえんなと切って捨てた大帝ゲンラに、「事実は動かせません」とトラスティは言い返した。 「そして聖上自ら、落とし所の一つとしてお考えだと理解しております」 「なるほど、こちらのことは理解していると言うのだな」  気に入らんなと口にした大帝ゲンラは、「アーコはどうした」とトラスティに詰問した。 「私としては、綺麗な体でお返しするつもりでしたが。本人がどうしてもとせがんでくれましたので、私の妻の一人とすることにいたしました」 「つまり、アーコを抱いたと言うのだな」  明らかに怒気を立ち上らせた大帝ゲンラに、自然な流れですとトラスティは言い返した。 「アーコ様のように美しい方に迫られては、いつまでも我慢することは難しいのかと」 「皇女を監禁した者の言って良いことではないな」  ここまでだなとの大帝ゲンラの言葉に少し遅れて、皇居を警備する警察隊が謁見の間になだれ込んできた。前回の失敗に懲りたのか、全員が強化外骨格ハララを身に着けていた。 「詳しい話は後だ。そのもの達を制圧せよ」  多勢に無勢、数を頼りに警察隊は二人のもとに殺到した。そして二人の姿が押しつぶされて見えなくなった所で、「無駄なことを」と言う言葉が大帝ゲンラのすぐ後ろから聞こえてきた。 「コスモクロア、その人達に止まってもらえ」 「はい、我が君」  いきなり現れた女性が、警官隊に対して何かの光を振りかけた。たったそれだけのことで、殺到しようとしていた警官隊の動きが止められた。まるで時間でも止められたかのように、一人ひとりが動き始めた格好のままで固まっていたのである。 「時間の制御を行ったと言うことか。恐るべき技術力と言うことだな」  目の前の出来事に、大帝ゲンラは動揺を表に現さなかった。 「改めて問わせてもらうが。お前は一体何者なのだ? オスラム帝国の縁者に、このような技術力を持った者はおるまい。それどころか、時間制御は我が連邦でも実験室レベルでしか行われておらん高度な技術だ。なるほど、お前は別の銀河から来たと言うことか」  違うのかと問われたトラスティは、「ほぼ正解です」と元の場所に戻って答えた。 「ほぼと言うのか?」 「グルカ銀河とは違うことは確かなんですが。現時点では正確な位置が分かっていませんね」  その答えに小さく頷き、「それを信用せよと言うつもりか?」と大帝ゲンラは質した。  それを苦笑で受け止めたトラスティは、「信用出来ないでしょうね」と答えた。そして「コスモクロア」と己のサーヴァントを呼び出した。 「彼女の名前はコスモクロアと言います。僕達の世界で作られた、意思を持ったデバイスと言う兵器です。彼女と融合することで、宇宙空間でも自由に活動できますし、戦艦ぐらいなら簡単に破壊することも出来ます。ちなみに、確率場を利用した空間移動も可能となります」  そしてとトラスティは、「リミットブレイク」とカムイの発動を命じた。その言葉に答えるように、トラスティの体を金色の光が包み込んだ。 「これは、別の場所で発達した「カムイ」と言う名の兵装です。肉体を強化するだけでなく、量子場を利用した空間移動をすることも出来ます。そして兵器である以上、こんな真似もできるんです」  そう説明したトラスティは、「ドラゴンフォーム」と新たな命令を口にした。その命令に少し遅れ、トラスティの体が拡大し、鱗のある長い体と大きな頭を持った金色の光を放つ異形へと変貌した。金色の異形が放つきしんだ叫びに、ヤムントの皇居がビリビリと震えた。 「とまあ、間接的な証拠をお見せしました。いずれも、この銀河の技術ではないと思いますよ」 「その力をわしらに振るわなかったことが、そちらの誠意と考えてよいのか?」  肝が座っているのか大帝ゲンラは取り乱した様子を見せなかった。それをさすがと認めたトラスティは、「もう一つ」と別の誠意を大帝ゲンラに示した。 「皇女殿下を、お母様のところに送り届けています。ここまでが、僕の示すことができる誠意だとご理解ください」 「孫娘達を返してくれたか」  小さく吐き出された言葉に、トラスティはしっかりと頷いた。 「ジンケン皇太子は、あの狂気に満ちた大会を、国家が主催して良いものではないと仰りました。ただオスラム帝国が戦争を仕掛けても、狂気を止めることは出来ないとも仰ってくれました。だから僕は、カルア殿下を妻にしたいと言う彼の気持ちを汲んで、手助けをさせていただいた次第です。そして狙い通りに、武闘大会を中止することに成功しました。皇女殿下の願いが叶った以上、お返しするのが誠実な対応だと思っています」  誠実だと答えたトラスティに、「ふざけたことを」と大帝ゲンラは不機嫌さを隠さなかった。 「二人を傷物にしておいて、返したら誠実だと言うのか?」 「きっかけはどうであれ、皇女殿下の意志には違いありません。それを否定するのは、皇女殿下お二人のことを否定することになります」  違いますかと問われた大帝ゲンラは、トラスティに対して答えを口にしなかった。小さな声でしばらく何かを呟いた後、「そうなのだろうな」とその言葉を認めた。 「トラスティと言ったな、お前に渡したいものがある」 「僕は、欲しいものはないんですけどね」  それでとトラスティは、一歩大帝ゲンラに近づいた。 「アーコには、婿を取らせて皇室に残って貰うつもりだった。だが、お前のせいでそれも叶わなくなってしまったのだ。少なくとも、その残念な気持ちを晴らさせて貰ってもいいだろう」  違うのかと問われたトラスティは、「お返しするのは吝かではありませんよ」と苦笑を浮かべた。そして一歩前に出て、「そちらで手を打ちませんか?」と持ちかけた。 「いや、その必要はない。自ら取り返せばよいだけのことだからな」  大帝ゲンラが「取り返す」といった瞬間、「ちっ」と言う音立ててトラスティの姿が消滅した。 「強化外骨格ハララを着ていても防げないマイクロレンジだ。ただの人など、灰すら残すことはない」  さもつまらなそうな顔をした大帝ゲンラは、「ジンケンと言ったな」と残されたジンケン皇太子に声を掛けた。 「カルアを嫁にと言う願い。それぐらいは叶えてやろう。大人しく国に帰って、連邦からの連絡を待つが良い」 「そんなことを、はいそうですかと大人しく聞くと思ったのかっ!」  卑怯者と叫んだジンケン皇太子に、「どこがだ?」と大帝ゲンラは静かに言い返した。 「わが住まいに押し入り、母親の目の前から大事な孫娘二人を攫っていったのだぞ。しかも、武力を持って皇居の安寧を脅かしてくれたのだ。不遜を働いた罪を命で償うことに、どこに卑怯と言われる事があるのだ?」  当然の報いだと言い放つ大帝ゲンラに、「なるほど」とジンケン皇太子は大きく頷いた。 「卑怯者ではなく、恥知らずと言うことだな。カルアには悪いが、そんな男に頭を下げるつもりはない。それが、俺の答えだ!」  そう答えたジンケン皇太子に、「その意気込みは買おう」と大帝ゲンラは頷いた。 「だが、この場で口にするのは愚か者のすることだ」  残念だなと大帝ゲンラが呟いた時、トラスティの時と同じように「ちっ」と言う小さな音が聞こえてきた。だが消滅するはずのジンケン皇太子には、何の変化も現れなかった。 「な、なぜ、消えぬのだっ!」  予想外の出来事に大帝ゲンラが腰を浮かした時、光の粒が突然謁見の間で舞い始めた。何が起きるのだと全員が見守る中、光の粒が人の形をとった次の瞬間、消滅したはずのトラスティがそのままの姿で現れた。 「さて、これで僕はあなたの生殺与奪の権利を得たことになる」  「馬鹿げた武闘大会は終わっていない」とトラスティは大きな声を上げた。 「ヤムントの人々は、檻から狂乱の魔物を解き放った報いを受けていないのだっ! 皇女殿下は、民達のためにその身を魔物に捧げた。だがその祖父は、その気持を踏みにじってくれたっ!」  芝居がかった大声を上げたトラスティは、「報いを受ける時が来た」と大げさな身振りで両手を広げた。 「人の死を喜ぶ魔物は、次にその主を食い殺すことだろう」  刮目せよとトラスティが宣言した時、皇居を大きな揺れが襲った。 「な、何事だっ!」  ぱらぱらと天井からホコリのようなものが落ちてくる中、大帝ゲンラは椅子に捕まり大声を上げた。その時、護衛が何人か謁見の間に飛び込んできた。 「報告いたします。只今のことが、ヤムント連邦全土に放送されています!」 「皇居上空に巨大戦艦が出現しました。只今の揺れは、戦艦からの砲撃が理由です」  「まさか」とへたりこんだ大帝ゲンラに、「魔物は解き放たれたっ!」と声を張り上げた。 「あなたを殺すような真似はしない。ただあなたは、惑星ヤムントが、そしてヤムント連邦が焦土となるのを目の当りにすることになる」  そこで天井を見上げたトラスティは、「邪魔だな」と小さく呟き右手を天に掲げ「星よ集え」と滅びの命令を口にした。  その命令に従うように、世界の光が下僕となってトラスティに掲げた右掌に集まってきた。それが風船ぐらいの大きさになったところで、トラスティは滅びの命令を発動した。 「打ち砕け、スターライトブレーカーっ!」  その命令に遅れて、耳をつんざく轟音が謁見の間を包み込んだ。それに遅れて、大地が恐怖に打ち震えた。トラスティの手から放たれた光は、頑丈な皇居の天井を広範囲に渡って消滅させたのだ。 「あなたが解き放った化物の咆哮はどうですか?」  にやぁぁと笑ったトラスティは、再度右手を天に掲げた。 「次は、何を消滅させましょうか。その気になれば、惑星の一つでも消滅させられますよ」  どうしますと笑われた大帝ゲンラは、椅子にへたりこんだまま恐怖に顔をひきつらせていた。 「ば、化物だっ……」 「そうですよ。僕は、あなた達が野に解き放った化物なんです。次はそうですね。あなたの家族を皆殺しにしてあげましょう」  酷薄な笑みを浮かべたトラスティは、「星よ集え」と再度滅びの命令を口にした。みるみるうちに下僕となった光が集まり、掌の上に大きな光球を作り上げた。 「大丈夫、あなたの命を奪うようなことはしません。そのかわり、あなた以外のすべてを消し去ってあげます。もちろん、あなたの隣に居る皇后陛下も例外ではありません」  よく見ていてください。トラスティの口元が釣り上がった時、謁見の間の扉を開いて誰かが飛び込んできた。そしてそのままトラスティに抱きつき、頭を抱えこんで自ら唇を重ねてきた。その行動によって、トラスティの動きが停止した。 「トラスティ様、皆をお許しください。それが叶うのであれば、私の命を差し上げても構いません!」  お願いですと唇を何度も重ねるアーコに、「処女じゃない生贄って」とトラスティは呆れたような声を上げた。 「私の処女は、あなたに差し上げたはずです」 「そりゃ、まあ、そうなんだけどねぇ。生贄の再利用って、ありなのかなぁ」  まあいいかと呟き、トラスティは集めた光を握りつぶした。そのまま握った拳をアーコの目の前まで持っていき、ぱっと手の拳を開いてみせた。いつの間に用意したのか、そこにはプラチナの台座に赤い石を載せた指輪が置かれていた。 「生贄になった印に、これを嵌めてくれるかな?」 「ヤムントの皆をお許しくださいますか?」  恐る恐る指輪を手にとったアーコに、「生贄が捧げられた」とトラスティは答えた。 「まあ、リサイクルを認めることにするよ」  ふうっと息を吐いたトラスティは、大帝ゲンラに向かって大声で命令を発した。 「ゲンラに命ずる。お前が命を奪おうとしたジンケン皇太子に対して謝罪せよ。その謝罪が不十分なものだった時、ヤムントを滅ぼす化物が再び猛威をふるうことだろう」  しかと申し付けたぞ。その言葉を残し、トラスティとアーコの姿は謁見の間から消失した。その行き先は、インペレーターにある豪華なベッドルームである。奇跡の指輪を与えた以上、入念なアフターケアーが必要だったのだ。  トラスティとアーコの姿が消えたところで、ジンケン皇太子は「ふっ」と息を吐き出した。たったそれだけのことで、止まっていた謁見の間の時間が動き始めた。まだ恐怖から覚めては居ないが、大帝ゲンラは「ジンケン殿」と声を出すことに成功した。  そして大帝ゲンラが言葉を発する前に、「謝罪なら不要だ」と先手を打った。 「そんなことより、グルカ銀河の将来を語りたい。そして今はまだ小さなオスラム帝国だが、正式にヤムント連邦と国交を結びたいと思っている」  それからと、ジンケン皇太子は右手で鼻の頭を掻いた。 「カルア殿下を嫁に貰いたい」  それだけだと言うジンケン皇太子に、大帝ゲンラははっきりと首を横に振った。 「残念ながら、どれ一つとしてわしが答えることの出来ないものだ。最初の2つは、連邦内閣と話をしてくれ。そして最後は、孫娘とお前の間の問題だ。今更わしが、口出しを出来るようなことではない」  大帝ゲンラの答えに、「そうか」とジンケン皇太子は頷いた。そしてアーコが入ってきた扉を見て、「カルア」と妻になる女性の名前を呼んだ。 「はい、こちらに」  声が聞こえてきた先には、薄いピンクのワンピース姿をした皇女カルアが立っていた。 「聖上が仰るには、どうやら俺達の問題らしい。カルア、俺の妻となって共にオスラム帝国を導いてくれるか」 「不束者ですが、末永くよろしくお願いいたします」  ゆっくりと頭を下げたカルアは、顔をあげるとジンケン皇太子の方へと駆け出した。そしてその胸に飛び込むと、自分から唇を重ねていった。  それからどれだけの時間が経ったのだろうか、咳払い一つ聞こえない空間で、二人はただ唇を重ね続けた。その二人の世界を壊したのは、「取り込み中悪いが」と割り込んできたカイトだった。 「親父が取り込み中なんで、俺が迎えに来たのだが……お邪魔だったか?」  顔をニヤけさせたカイトに、「確かにお邪魔だが」とジンケン皇太子は返した。 「ただ、ここに放置されても俺が困る。ところで、一つ聞いてもいいか?」 「なんだ、親父達のことか?」  取り込み中だと繰り返したカイトに、「いや」とジンケンは遠慮がちに指さしてきた。 「あんた、なんか煤けてないか?」  その指摘に、カイトは「ああ」と頭を掻いた。 「俺は俺で、ちょっとばかり取り込み中だったんだ。まあ、なんだ、それなりに楽しめたがな」 「なんか、詳しく聞かない方が良さそうだな」  少し口元を引きつらせたジンケン皇太子は、「頼めるか」とカイトに移動を頼んだ。 「それで、皇女殿下はどうするんだ?」 「カルア殿下か」  そこで顔を見られたカルアは、どうしてそんなことを聞くのだと言う顔をした。 「末永くお願いいたしますと申し上げたばかりです」 「なるほど、インペレーターなら豪華なベッドルームが沢山あるからな」  一人勝手に納得をして、「行くか」とカイトは二人に声を掛けた。そしてその声を合図にするように、謁見の間から3人の姿が消失した。それを確認した大帝ゲンラは、「行ったか」と大きく開いた天井を見上げた。そこには、巨大な戦艦が勇姿を見せていた。 「はい、旅立たれたようです」  立ち上がって頭を下げたバルモ大臣は、「放送は止まっております」と状況を報告した。それに頷いた大帝ゲンラは、「狂気は拭い去られたか」と問いかけた。 「狂乱と言う化物は、恐怖と言う戒めで民達の心の中に封じ込められるのかと」  その報告に、大帝ゲンラは椅子にもたれかかって大きく開いた天井をもう一度見上げた。 「ならば、歓喜と言う包み紙も必要であろう。恐怖が見えていては、民達の気持ちも落ち着くことはあるまい」 「カルア殿下の婚姻を、盛大に祝うことにいたしましょう」  その手のことなら、宮内省には多くの知見が蓄積されている。「おまかせを」と頭を下げたバルモ大臣は、ゆっくりと壊れた扉から出ていった。それを見送ったところで、「セリオよ」と大帝ゲンラは長年連れ添ってきた皇后の名を呼んだ。 「はい、あなた」  にこやかな笑みを浮かべた皇后セリオに、「これで良かったのだな」と大帝ゲンラは呟くような声で確認をした。 「それは、あなたの心が決めることだと思っております。私は、ただあなたのお心に従うだけのことです」  自分の答えに落胆した夫に、「ですが」と皇后セリオは言葉を続けた。 「アーコは分かりませんが、カルアは幸せになってくれるでしょう」 「アーコは分からないのか?」  少し表情を曇らせた大帝ゲンラに、「分かりませんよ」と皇后セリオは繰り返した。 「私達の常識を超えた世界に嫁ぐのですよ。あの子が掴む幸せの形は、凡愚な私では想像することが出来ません。ですから、分かりませんと答えさせていただきました」 「別の銀河からやってきた……か。果たして、それは本当に別の銀河なのだろうか」  そう口にした大帝ゲンラは、いやいやと小さく首を振った。 「並ぶものの無いと思っていたヤムント連邦が、たった一人の若者の前に敗北してしまったのだ。神を持ち出そうとするのは、未だにそれを信じられぬわしの悪あがきと言って良いのだろうな」  ふうっと息を吐いた大帝ゲンラは、「時代が変わる」ともう一度天を見上げた。そこには相変わらぬ青空が広がっていた。すでに、インペレーターは惑星ヤムントを離脱していた。 「この事件をきっかけに、ヤムント連邦は新しい時代を迎えることになるのであろうな」 「連邦の上に立つ者が現れましたしね。いささかやんちゃに思えますが、同時にとても思慮深いお方だとお見受けしました」  皇后の言葉に、大帝ゲンラは小さく頷いた。愚かしい武闘大会を止めただけでなく、その本質となる無邪気な怪物まで退治していってくれたのだ。それを僅かな時間で成し遂げたのだから、恐れ入るとしか言いようがない。更に言うのなら、これだけ大きな破壊をしてくれたのに一人として死者が出ていないのだ。それは正面で侵入者を迎え撃った警備隊でも例外ではない。徹底的に蹴散らされてしまったが、それでも軽傷者しか出ていなかったのだ。頼みの英雄タラントでも歯が立たないと言う事実は、恐怖を振りまくには絶大な効果があったのだ。  その事情は、謁見の間に於いても変わらなかった。あれだけ大きな破壊を行ったのに、誰一人として犠牲者が出ていなかったのだ。天井こそ消滅させられたが、それにしたところで破壊を効果的に見せるための演出としか思えなかった。  犠牲者が出なかった。夫婦でそう話したところで、「そう言えば」と皇后セリオは手を叩いた。 「あの人達を、元に戻して貰わないといけませんね」 「あの人達……」  誰だったかと考えた大帝ゲンラは、皇后の指さした先を見て「ああ」と大きく頷いた。そこには、時間を止められた警官達が固まっていたのだ。 「そうだな、あの者たちも元に戻して貰う必要があるだろう。さて、どうやって連絡をつけたものか」  困ったものだと吐き出した夫に、「本当に」と皇后セリオは楽しそうに答えたのだった。  ジンケン皇太子を回収したトラスティは、100万の艦隊に対してオスラム帝国領域への移動を指示した。必要な座標は小型艇タングラムの分析で得ていることもあり、その移動は10時間ほどで完了した。なだれ込んできた連邦軍100万は、痕跡すら残されていない撤退に、狐につままれたような気持ちになっていた。 「さて、この先のことなんだけどね」  関係者一同を会議室に集め、トラスティは先の展開を説明することにした。 「アルテルナタの見た未来では、連邦は1千万の艦隊を結成するようだよ。そして不遜な真似をした僕達に、その艦隊をぶつけてくると言うことだ。ちなみにまともに戦っては、さすがの僕達も大きな被害を受けることになる。最終的には勝利できるのだけど、約半分の船が沈むことになるね。犠牲者数で言えば、およそ5億人ってところになる。ただヤムント連邦の方は、7割の船が沈み、70億を超える犠牲者が出ることになる。これが、正面からぶつかりあった時の結果だ」  超銀河連邦の歴史を見ても、これほどの戦力がぶつかりあった戦いの記録はない。その意味で言えば、空前絶後の戦いと居うこと出来るだろう。そして双方合わせて75億と言う犠牲者に、ラピスラズリ達は顔色を悪くして黙り込んでしまった。  そしてヤムント連邦の二人、アーコとカルアの二人の皇女は、恐怖に打ち震えていた。自分達の我儘から始まった事件が、想像を絶する犠牲者を産むことになろうとしていたのである。 「繰り返すけど、これがバカ正直に正面からぶつかりあった結果と言うことだよ。ただ僕達には、スターライトブレーカーと言う反則技がある。そしてその反則技を使うと、こちらの犠牲は限りなくゼロに近づくのだけど、ヤムント連邦側はほとんど全滅と言うことになるんだ。つまり、100億に上る犠牲者が出ることになる。そんな虐殺を、流石に兄さんにさせる訳にはいかないと思っているんだ。そしていずれの方法をとっても、ヤムント連邦は連邦として崩壊することになる。その結果失われる命は、1兆を超えるのだろうね」 「それで、あなたはどうするのですか?」  誰もが顔色を悪くして言葉を失う中、アリッサは普段どおりの様子を保っていた。 「私は、あなたがそんな無様なことをしないと信じていますよ」  愛する妻の決めつけに、トラスティは苦笑を浮かべながら「そのつもりで居るよ」と返した。 「そんなことをしたら、アーコが罪悪感に押しつぶされてしまうからね。そしてジンケン皇太子とカルア殿下には、幸せな結婚をして貰いたいと思っているんだ。だから、戦争にはならない方法を取らせて貰う」  そこで一度アルテルナタを見たトラスティは、もう一度惑星ヤムントに乗り込むことを告げた。 「今度は、本当に僕と兄さんだけで乗り込むつもりだ。そして兄さんには、大帝ゲンラとその后セリオ様を攫ってきて貰う。正確に言うと、礼を尽くしてある場所にご同行願うことになるのだけどね。連邦憲章からは外れるけど、大帝ゲンラにありがたいお言葉をいただくことを考えているんだ」 「お祖父、様に、ですか」  なんとか言葉を絞り出したアーコに、「一番尊敬を集めているお方だからね」とトラスティは答えた。 「そして、僕達と戦争をしたいとは思っていないはずだからね」  そうだろうと問われたアーコは、緊張したままコクリと頷いた。 「お祖父様は、このような事態になったことに心を痛めておいでだと思います」 「ああ、だから兄さんに迎えに行ってもらうんだよ」  そこでもう一度アルテルナタを見たトラスティは、「これが現状で最良の策……かな」と少し脱力ものの答えを口にした。 「なぜ、そこで落としてくれるかねぇ」  苦笑を浮かべたカイトは、「まあ大丈夫だろう」と安請け合いをした。 「つうことで、お前さん達は結婚式をどう盛り上げるかを考えておくことだな」  なあと、顔をひきつらせたままのジンケン皇太子の背中を、カイトは少し強めに叩いたのだった。  これだけ蹂躙を許すと、後始末が非常に大きな問題となる。そして20万の加盟星系と言う規模は、その後始末を困難な、そして時間の掛かるものにしてくれた。結果的に辞任を許されなかったバルモ大臣は、留任最初の仕事がこの後始末だった。皇女二人は連れ去られたままだし、皇居の周りには破壊の爪痕が残っていた。その処理もまた、厄介な問題として彼に降り掛かっていた。 「先の2度の事件の影響ですが……」  同じく辞任を否定された皇宮警察長官ガリレイは、事件後の体制立て直しに走り回っていた。その途中経過報告のため、警察庁長官およびヤムント連邦軍最高司令官を連れて内閣への報告に現れた。 「まず皇居の被害ですが」  自分からと、ガリレイは皇居の受けた被害を報告した。 「連邦遺産3点が、復旧不能なまでに破壊されました。正門のルミノル、搦手門のダケント、そして謁見の間の天井ギムレーにございます。その他準連邦遺産20点が消滅し復旧は不可能との報告が出ております」 「悲惨な状況だな」  口を開いたのは、内閣総理大臣カンソンだった。大帝家を敬愛する彼にしてみれば、耐え難い暴挙が行われたと言うことになる。はっきりと眉を顰めたカンソンだったが、「しかし」ともう一度報告書に目を落とした。 「しかし、よくぞその程度で済んだと言うべきなのだろうな」  その感想にコメントすることなく、ガリレイは皇居における人的被害の報告を続けた。 「2度の襲撃により、皇宮警察隊1万名が、何らかの怪我を負っております。しかしながら、いずれも軽傷であり、すでに全員が職務に復帰しております。なお、謁見の間を守っておりました100名ですが、現在科学者が調査を行っております」  その言葉を引き取り、連邦軍最高司令官コウケツが軍の被害状況を報告した。 「皇居に派遣した白兵戦力2000も、いずれも軽傷で収まっております。一番酷い被害を受けたのは、最初に敵と遭遇した隊員の、頸部捻挫となります。ただし、アンドロイド部隊3000は、いずれも大破しております。また軍の依頼で出動していただいたタラント氏ですが、目立った外傷は見つかっておりません」  ますます渋い顔をした閣僚達に、「引き続いて宙域被害ですが」とコウケツは報告を続けた。 「敵100万に対し、最終的にこちらも同数で対処いたしました。ただこちらについては、直接戦闘が行われなかったため、損害は発生しておりません。件の事件の直後撤退が行われたため、現在軍による捜索が行われております」  そこでもう一度口を開いたカンソンは、「勝てるのか」と彼我の戦力比較を求めた。 「万全の条件で正面から向かい合えば、その可能性はあるのかと。ただあの場では、戦っていれば壊滅的被害を受けたことでしょう。そして分析官のコメントは、撤退してくれてよかったと言うものです。そしてそのコメントに、私も強く同意いたします」  その報告に、カンソンの表情はますます渋いものとなった。とてもではないが、宇宙での出来事を発表することが出来ないのだ。ただ問題は、情報公開の弊害で、隠しているつもりでも隠しきれないと言うことだった。  そして「隠しきれない」と考えたカンソンに、警察庁長官ゼニガは、「治安の状況です」と連邦内の治安状況を伝えた。 「すでにパニックは収まっておりますが、連邦全体で暴動による逮捕者20億、死者が200万を数えております。焼失した建物が1千万棟、全壊、部分損壊等は現在集計中です。現時点での推定値は、100億を超えるかと。被害総額は、現時点で15京リブレを超え、更に膨らむことが確実となっております。最終的には、100京リブレに到達するのではと」 「連邦予算の10%に届くと言うのかっ!」  右手で顔を覆ったカンソンに、「恐らく」と答えてゼニカは報告を終わらせた。 「敵の攻撃ではなく、パニックだけでそこまでの被害が発生したと言うことか……」  悲痛な顔をしたカンソンに、「そのとおりです」とゼニカは答えた。 「あの馬鹿げた武闘大会が、このような結果を引き起こしたと言うのか……」 「その武闘大会ですが」  とコウケツが口を挟んだ。 「最終的に、死者は2000名を超えております」  連邦20万星系の規模を考えれば、それは誤差と言っていい数に違いない。ただこの死者が、連邦に住まう人々の心に火を付けたのは間違いなかった。 「人々の心に住まう化物か……」  ぼそりと呟いたカンソンに、「難しい問題です」とゼニカは答えた。 「武闘大会の熱狂が、人々の持つ嗜虐的な心に火を付けたのは確かでしょう。その意味で、マスコミの暴走を制御できなかった我々の落ち度は否定できません。そして敵艦からの攻撃がなければ、連邦全土でのパニックも起きていなかったのも確かです。ただその敵の攻撃にしたところで、皇居の周り、しかも人的被害の出ない場所に限られていました。それでも人々が恐怖を感じるのに、十分なものと言うのは間違いありません」  名指しこそしていないが、「トラスティの責任だ」とゼニカは匂わせた。ただその時の問題は、相手に責を問えないと言うことだ。責任を問うためには、相手を屈服させなければならなかった。それが可能とは思えないし、自分達もまた手加減をしている相手の命を本気で奪いに掛かったと言う問題がある。 「なんとも嫌らしい仕掛けをしてくれたものだ。これでは吐いた唾が、全て己に降り掛かってくるではないか」  ぐぬと歯ぎしりをしたカンソンは、「バルモ大臣」と責任者の一人を呼んだ。 「聖上はお許しになられなかったが、進退にけじめを付けてもらう」 「仰るとおり、私の責任は免れないと思っております」  その答えに頷き、カンソンは「オスラム帝国へ使者を」と外務大臣コウノウに指示を出した。 「国交樹立の条件として、皇女殿下誘拐に対する謝罪を要求する。詳細については、首脳会談で決めることにしておけばいいだろう」 「主犯の引き渡しはどういたしましょうか?」  コウノウの問いに、「要求として入れておけ」とカンソンは命じた。 「それからコウケツ司令、オスラム帝国境界宙域に全軍を集結させよ」 「はっ、3週間ほど時間をいただければ、1千万は集結させられます」  それに頷いたカンソンは、「このままで済ます訳にいかぬのだ」と声を上げた。 「奴らは、よりによって我が連邦の象徴を辱めてくれた。どこまでも追い詰め、必ず報いを受けさせてやる!」 「戦争をなさいますか?」  その意味を問いかけたコウケツに、「戦争ではないっ」とカンソンは即答した。 「不遜な真似をした者たちに、正義の鉄槌を下すだけだ。あやつらは、神聖なる大帝のお住まいを破壊したのだぞ。ヤムント連邦の臣民として、断じて許す訳にはいかないだろう」 「わが方にも、多くの死者が出ることになりますが」  それでもかと確認したコウケツに、「愚か者!」とカンソンは叱責の言葉をぶつけた。 「ヤムント連邦軍は、ただ一人の侵入者を制圧できないと言う恥を晒したのだ。役立たずの汚名を晴らそうとは思わぬのかっ!」 「それは、次もまた制圧できないことに繋がるのです。それを承知の上で、軍事行動を起こすと言うのですか?」  改めて確認したコウケツに、「くどいっ!」とカンソンは声を上げた。 「総理は、相手が我々に時間を与えてくれると、本気でお考えですか?」 「すでに100万は集結しておるのだろう。ならば、その100万で牽制をして、全軍の終結を待てばよいだけだっ!」  「臆したのかっ!」との叱責に、「感情で軍を動かす訳には参りません」とコウケツは冷静に答えた。 「せっかく収まったパニックを、総理は再度引き起こそうとお考えなのですか」 「完膚なきまでに勝利すれば。パニックなど起きようが無いはずだろう」  議論の余地など無いとテーブルを叩いたカンソンは、「お前を罷免することも出来るのだ」と最後通牒を突きつけた。そこでカンソンを睨みつけたコウケツは、「罷免の必要などありません」と言って、制服の胸に付けられていたバッチを外した。 「私の方から、司令官を辞任させていただきます」 「ならば、尻尾を巻いてこの場を出て行けっ!」  目障りだと叫ぶカンソンに、コウケツは敬礼をしてから会議の場を出ていった。意外な司令官の反乱に興奮したカンソンだったが、「お困りですか?」と言うとぼけた声にぎょっと顔をひきつらせた。 「お、お前はっ!」  引きつけを起こしそうな顔をしたカンソンに、「お困りのようですね」とトラスティは繰り返したのだった。  とてもふざけた登場の仕方をしたトラスティに、カンソン達の行動は素早かった。警戒厳重な皇居に侵入できたのだから、この場に現れる可能性も考慮されていたのである。引きつけを起こしそうな顔をしたカンソンだったが、すぐに侵入者排除の作業を行った。具体的には、対人レーザーによる攻撃と、空間障壁による自分達の防御である。マイクロレンジが役に立たなかった前例を考慮し、原始的な粘着ネットも用意されていた。  ただ、この手の対応の全ては、アルテルナタが未来視で確認済みである。だから問答無用で照射された対人レーザーも、トラスティの前に浮かび上がった壁に跳ね返されていた。反射角の調整も行われていたのか、攻撃に使われたレーザーは自分の攻撃によって破壊されてしまった。  そして原始的な粘着ネットは、覆いかぶさる前に細切れにされた上で焼却された。駆けつけてくるはずの警備隊も、入り口の封鎖により役目を果たすことが出来なかった。ちなみにここまでの対応は、全てコスモクロアの能力のうちだった。  ズボンのポケットに手を入れたまま、トラスティはぐるりと首を巡らせてみせた。 「一応前回の反省は行われたみたいですね。ただ、まだまだ甘いと言うところですか」  空間障壁で守られたカンソン達に向かって、トラスティはニカッと笑った。 「ちなみに、あなた方の動きは想定していたものでした。1千万の艦隊を構成するそうですが、正面からぶつかっても僕達には勝てませんよ。一番僕達の被害が大きい方法は、あなた方の艦隊が揃うまで待ってあげることですが……その場合、僕達の用意した船の半数が沈むことになりそうですね。ただ、あなた方の方でも艦隊の7割が沈むことになります。双方合わせて、75億人が命を落とすと言う悲惨な戦いになりますね。ちなみに、僕達の被害をゼロにする方法もあったりするんです」  楽しそうに歩きながら、トラスティは「個別撃破」と最初に持ち出した。 「何しろ僕達の方は戦闘準備が出来上がっていますからね。集結してくるあなた方の艦隊を、個別に撃破していく方法があるんですよ。そうすれば、僕達の損害は限りなくゼロに近づいてきます。僕達の機動力は、すでにご覧になっていますよね」  答えがないのを良いことに、「そして」とトラスティは別の方法を持ち出した。 「こちらには、反則とも言える切り札もあるんですよ」  楽しそうに笑いながら、トラスティは「星よ集え」と言って右掌を顔の前で上に向けた。その掌の上に、下僕となった光が四方八方から集まってきた。 「かつての戦いで、数万の艦隊を一撃で葬り去った禁断の技です。想像力の限界が、破壊の限界と言われているふざけた攻撃です。だから、あなた方を守る空間障壁も、この技の前には無力なんです」  こんなふうにと掌をカンソン達に向け、「スターライトブレーカー」とトラスティは滅びの命令を口にした。戒めを解かれた光は、拡散してカンソン達を守る空間障壁に襲いかかり、あっけないほど簡単に空間障壁を消し去ってくれた。 「この技を使うと、戦争ではなくただの虐殺になると言う欠点があるんですよ。ただ僕の方も、着いてきてくれた人達に犠牲を出したくありませんからね。戦いを挑まれたら、気は進みませんがスターライトブレーカーを使うつもりでいます。その時には、あなた方の艦隊1千万を宇宙の塵に変えて差し上げますよ。もちろん、この話を信じないのもあなた方の自由です。何しろ、はっきり言って荒唐無稽な話ですからね。それに客観的な見地で言うと、僕達は侵略者に違いありませんからね。侵略者に対して何もしないうちから屈服するわけにはいかないと言う、あなた方の感情も理解できますよ」  そしてと、トラスティはもう一つの問題を指摘した。 「僕が、あなた達の禁忌に触れたことも理解しています。従って、そのことについては謝罪をするのも吝かではないと思っていますよ」  普段のトラスティよりは真面目に、「本気で戦争をしますか?」とカンソンに対して問いかけた。 「そしてもう一つ、僕達には選択肢が残っているんです。ただ、それを選択するには条件があるんですよね」  そこで言葉を切ったトラスティは、集まった閣僚たちの顔をゆっくりと見ていった。 「今回の件は、あくまで僕が主導したことです。オスラム帝国並びにジンケン皇太子は、巻き込まれた、いわば被害者のようなものなんです。両国家体が友好的な関係を構築してくれるのなら、僕達は尻尾を巻いて逃げ出しても良いと思っています。ただ申し訳ありませんが、本人の希望を優先してアーコ殿下は連れて行かせていただきます。これが、一番あなた達の顔が立つ、穏便な方法だと思いますよ」  いかがでしょうと問われたカンソンは、「論外だ」とその提案を切って捨てた。 「お前は、聖上を辱めただけでなく、アーコ殿下を手篭めにしたのだ。聖上は、われらヤムント連邦の象徴、すなわちヤムント連邦そのものなのだぞ。オスラム帝国の皇太子はいい、だがお前だけは絶対に許す訳にはいかん! 1千万で足りないのなら、それ以上の数を投入するだけのことだ」  大声を上げたカンソンに、トラスティは「落とし所が見えましたね」と平静を保ったまま答えた。そしてそろそろかなと、新たな登場人物が現れるのを待った。  そして全員の間に微妙な、緊張ばかり高まる沈黙が訪れて5分過ぎ、開かないはずの扉を開いて3人の人物が現れた。「待たせたな」と緊張感なく入ってきたのは、大帝ゲンラとその妻セリオだった。  「聖上っ!」と立ち上がったカンソン達に、「よいよい」と大帝ゲンラは機嫌良さそうに応えた。 「すまぬな、ついカイトとやらとの話が弾んでしまってな。トラスティとやら、なかなかそなたも女性関係では苦労をしておるようだな」  ははと笑った大帝ゲンラは、「わしは争いごとを好まんぞ」とカンソンに告げた。 「ただお前達が、わしのために怒ってくれるのは嬉しく思っておる」  うんうんと頷いた大帝ゲンラは、「アーコはどうしておる」とトラスティに問いかけた。ただその答えが発せられる前に、「違うな」と自分の言葉を取り消した。 「仲良くして貰えそうか?」  その問いを聞くだけで、カイトがどこまで話をしたのか推測することが出来る。 「周りからは、しっかりと同情されていますよ。僕としては、本当はキス程度で済ませてお返しするつもりだったのに、「魅力がないのか!」と逆ギレされてしまいました。お陰で、あげるつもりのない指輪まで作らされてしまいました」  しっかり肩を落としたトラスティに、「自業自得だな」と大帝ゲンラは切って捨てた。 「母親の目の前で、孫娘の唇を奪うだけでなく、あまつさえ胸まで弄んでくれたのだ。男として責任を求められるのは、あたり前のことであろう」  あはははと豪快に笑った大帝ゲンラは、「おかしな癖を付けてくれるなよ」とトラスティに注文を出した。 「聞いたところによると、そなたは筋金入りの変態だそうだからな」 「諦めてはいましたが、よその銀河に来てまで言われるのは辛いものがありますね」  もう一度肩を落としたトラスティを笑った大帝ゲンラは、「そう言うことだ」とカンソン総理の顔を見た。 「少なくともわしは、顔を潰されたとは思っておらぬぞ」 「で、ですが、聖上っ!」  恫喝される様は、しっかりとヤムント連邦全土に放送されていたのだ。その事実は、大帝ゲンラの考えとは関係なく、もはや消すことの出来ないものになっていた。  反発したカンソンに、「わしは戦争を好まんぞ」と大帝ゲンラは繰り返した。 「さらには、勝てないと分かっておる戦争などするものではない。それは、大切な人々を無駄死にさせることになるのだ。わしのためと言って大切な人々が死んでいくことを、わしが喜ぶとでも思っておるのか?」  大帝ゲンラにそこまで言われると、カンソンも強硬姿勢を貫けなくなる。 「いえ、出過ぎた真似をしたことをお詫びいたします」  頭を下げたカンソンを、「よい」と大帝ゲンラは許した。 「とは言え、この男に責任を求めるのは間違っておらんだろう」  なあと顔を見られたセリオ皇后は、「そのとおりですね」と柔らかく微笑んだ。 「孫娘を嫁に出すのではなく、そなたが婿に入ることですべてを水に流すと言うのはどうだ?」 「どうだって……」  どうしてそうなるとカイトを見たのだが、知らんとばかりにそっぽを向かれてしまった。しっかりと口元が緩んでいるところを見ると、間違いなくカイトも共犯なのだろう。 「カイトと言ったか。すでにこやつとは、条件面では折り合いがついておるのだがな。よもや、この男抜きでヤムント連邦と事を構えられるとは考えておらぬであろうな。のう、リゲル帝国皇帝殿、モンベルト王国国王殿よ」  その肩書に目を剥いたカンソンに、「そう言うことだ」と大帝ゲンラは笑った。 「孫娘の婿養子にするのに、不足はない相手と言うことだ。そもそもこの男は、100万の艦隊を動かすことができるのだぞ。婿としての格なら、申し分が無いと言えるであろう。逆に、アーコでは不足ではないかと思えたぐらいだ」 「それが、信用できるのなら……と言うことになります。あの100万の艦隊が、偽物ではないと言う確証を得られておりません」  なるほどと頷いた大帝ゲンラは、「頼めるか?」とカイトの顔を見た。 「それは構わないが……良いのか?」  相手はヤムント連邦の象徴夫妻と、政治的な意味での責任者なのだ。それを軽々しく宇宙に連れて行って良いのか。さすがのカイトも、その意味に尻込みをしてしまった。  そこで顔を見られたトラスティも、「仕方がない」とばかりに肩を竦めてみせた。 「どうなっても知らないぞ」  ため息を一つ吐いたカイトは、「サラ」とインペレーターのAIを呼び出した。呼ばれて現れたのは、フヨウガクエンの制服を着た、黒髪を肩口で切り揃えた可愛らしい女性だった。 「ここに居る全員を、インペレーターに招待してくれ」 「すでに、皆様待ちくたびれておいでですよ……と言うか、勝手に始めちゃっていますね」  そう答えたサラは、「手際が悪いですね」とトラスティの顔を見た。なぜか冷たい眼差しを向けられたトラスティは、「どうしてそうなる」と文句を言い返した。 「私は、事実を事実として申し上げただけのことです。はい、皆様。ようこそインペレーターへ」  サラの言葉を待つまでもなく、全員が自分のいる場所が変わったのに気がついた。綺麗に飾られた大広間には、大勢の人達が集まっていた。 「お祖父様、お祖母様。お待ちしていました」  大帝ゲンラを見つけたアーコが、急いで近づいてきた。普段の地味な格好とは違い、白のローブ・デコルテと言う衣装を着ていた。多少胸元の寂しいところはあるが、気品と美しさと言う意味では申し分のない淑女ぶりを発揮していた。 「カンソン総理、並びに閣僚の皆様。遠いところをお出でいただき、ありがとうございます」  そうやって挨拶をするアーコからは、拉致された皇女と言う空気は全く感じられなかった。それどころか、自分達の知っているアーコよりも輝いて見えたほどだ。 「お祖父様、お祖母様、ぜひとも紹介したい人達が居るんです」  閣僚たちに挨拶を済ませたアーコは、嬉しそうに大帝ゲンラ達を引っ張って人混みの中へと入っていった。ちなみにアーコが目指したのは、これから仲間となる他の妻達のところだった。  結果的に取り残されたカンソン達に、「さて」と言ってトラスティは近づいた。 「パーティーの前に、僕達は少しお話をいたしましょうか」  カンソンに近づいたトラスティは、目の前で八の字を書くように指を動かした。そうやって空間接続をしてから、「こちらにどうぞ」と一行をインペレーターのブリッジへと案内した。 「まあ、視察だと思って気を楽にしてください」  緊張した面持ちの一行が案内されたのは、インペレーターのブリッジである。長命種基準で作られていることもあり、標準の倍ほどの広さが広がっていた。そこに案内されたカンソン達は、「うむ」と使用されている技術に唸り声を挙げた。観艦式で見せられた自軍の船より、洗練されているように思えたのだ。 「サラ、現在の艦隊配置を見せてくれないかな」 「はい、こちらに」  サラの答えと同時に、トラスティ達の前にホログラムマップが浮かび上がった。そこには、5つのグループに分かれて展開する、100万の艦隊が示されていた。 「まあ、こんなものは偽物を作ることは出来ますけどね。これが、現在の艦隊配置になっています。これ以上の証明は、本当に戦わないと証明は無理だと思いますよ」  どうしましょうとの問いかけに、「聖上が道を示された」とカンソンは返した。 「すぐに婿入りすると言うのであれば、それ以上は何も言うつもりはない……いや、アーコ殿下との盛大な結婚式挙げて貰うぞ」  それだけだと条件を突きつけられたトラスティには、「善処いたします」としか答えようがなかった。それを受け取ったカンソンは、「善処か?」と不機嫌そうな顔をした。 「政治家にとって、善処と言うのは何もしないのと同じ意味なのだがな」  結構核心をついた切り返しに、トラスティは顔をひきつらせた。 「僕は、政治家じゃないんですけどね」  だから意味があるのだと答えたトラスティに、「嘘を吐け」と言い返されてしまった。 「むしろ、政治家以上に信用がならない気がするのだがな。例えて言うのなら、詐欺師、ペテン師と言うところか?」  本質を突いた言葉に、「日程を決めてください」とトラスティは大幅な譲歩を行ったのだった。  これですべてが丸く収まるほど、起きた事件は簡単なものではないのだろう。ただ皇族の指示を得たことで、問題が収束に向かうのは間違いなかった。 「聖上に報告差し上げる」  口元を歪めたカンソンを見て、トラスティは目の前で八の字を描き空間接合を行ったのだった。 続く