Stargazers 01  生まれた土地が田舎だったお陰か、夜空を見上げればいつも満天の星空が迎えてくれた。それだけが理由ではないのだが、小さな頃から夜空の星を眺めるのが大好きだった。あまりに星を見るのに夢中になりすぎたせいで、家に帰るのを忘れて町を上げての騒ぎになったこともあったぐらいだ。そこでしこたま両親に叱られたからと言う訳ではないが、星を見る時にはタイマーを仕掛けておくようになった。  雀百まで踊り忘れずと言うアスの諺があるのだが、その諺通り宇宙に関係する仕事に就くことになった。そして今、見知らぬ土地に立ち見知らぬ星空をこうして見上げている。見知らぬ星空にも関わらず、夜空に散りばめられた星々は、子供の頃見たのと変わらぬ輝きを放っていた。 「浸ってるとこ悪いんだけど、作業を優先してくれないかな?」  その幸福な時間に終わりを告げるのは、今はタイマーではなく無粋な相方の言葉だった。綺麗なくせにロマンの欠片も無い彼女は、指先一本で俺を殺せる猛者でもある。 「オーケー、レヴィ。すぐに終わらせるさ」  身の安全を図るためには、ここで彼女に逆らってはならない。彼女からしてみればじゃれているようなことでも、ひ弱な俺には命に関わることなのだ。  だから俺は、山のような荷物の中から小ぶりのアタッシュケースを取り出した。黒い革で作られた長方形のアタッシュケースには、金色の金具が取り付けられていた。俺の生まれた星では、都会に行けば普通に見ることのできる、どこにでもあるありふれたアタッシュケースである。  それを細かな砂のようなもので覆われた地面に置いてから、俺はもう一度満天の星空を見上げた。故郷で見る星空と決定的に違うのは、茶色い主星が中空から動かないことだ。観測にとって邪魔者なのだが、隠れる部分が少ないのは幸いなことだった。 「死の世界だな……」  茶色に僅かな黒が入り混じった主星を見ると、なおさら生命の存在が感じられなくなる。事実主星上に高等生命が存在していないのは確認が取れていた。なぜ焼けただれた状態になっているかは分からないが、地表には生命反応を見つけることはできなかった。そして自分達が居る衛星にしても、生命反応は検知されていない。目立たずに観測する意味ではありがたいことだが、不気味と言うのが相応しい雰囲気を作り出してくれていた。 「ああっ、なんか言ったぁ〜」  俺の呟きが聞こえたのか、すかさずレヴィから確認が入ってきた。大雑把なくせに職務熱心な乱暴者に「なんでもない」と答え、俺はアタッシュケースにつけられた金色の留め金を開いた。誰が作ったギミックなのは分からないが、ぱたぱたと中身が広がっていき、どう考えても入れ物よりも大きな観測機器が広がってくれた。遠く離れた銀河群のマップを作るため、光学及び電波観測を行う装置がキット化されていたのだ。ここで観測したデーターをもとに、今いる銀河がどこにあるのか探査するのが目的となっていた。 「こっちは終わったぞっ。100キロ南に場所を移動するからなっ!」  正確なデーターを得るためには、同じ仕掛けを複数箇所に作る必要がある。一つ一つの作業自体は単純だが……いや、単純だからこそ気の長い話に思えるのだろう。相方のレヴィに、俺は場所を変えることを伝えた。 「オーケーロック、ところでこんなものを見つけたわよ」  少し自慢げにレヴィが持ってきたのは、1m四方にも満たない長方形の白い布に見える物体だった。人工物なのは明らかだから、この地に文明を持った者が訪れたことは確かなのだろう。 「ねぇ、旗に似ていると思わない?」 「寸法比で言うと、確かに旗に似ているな。分析をすれば、作られてからの経過時間ぐらい分かるだろう」  手渡された物体を見る限り、かなりの時間放置されたのは間違いないだろう。長期の宇宙線被爆のせいで、明らかに組成が脆くなっていたのだ。 「他にも、なにか遺留物はなかったか?」  こんなものだけ残していくのは、通常ならありえないことになる。風も無いこの世界なら、ピクニックをしていて飛ばされたと言うこともないはずだ。 「んー、探してみればまだあるかも知れないわね」 「興味深いことだが、第一優先は観測機器の設置だな」  スケジュール的には自由度はあったが、俺たちが優先すべきは一日も早く観測を始めることだ。それに死んだこの世界なら、いまさら急がなくても遺留物がなくなることは無いだろう。 「この衛星の調査は、その後と言うことになるな……もっとも、非該当銀河の場合は調査自体意味がなくなるのだがな」 「私の勘だけどね」  レヴィはそう言って、茶色い主星を指さした。 「ここの主星なんだけど、恒星からの距離を考えたら、人類が生存するのに適していたと思うのよ。ここの遺留物は、今はいなくなった人類が残していったものじゃないかな?」 「その可能性を否定するつもりはないがな。確かにここの主星には、やけに人工物らしきデブリが沢山存在している」  この情緒もへったくれもない女から、まさかそんな話を聞かされるとは思ってもいなかった。多分だがその時の俺は、驚愕に目を見張り、あんぐりと口を開けていたことだろう。 「主星を調べてみたら、滅びた文明の跡が見つかるかも知れないわよ」  良いことを思いついたと手を叩く相方に、職務に忠実な俺は次の目的地の方を指さした。 「興味深い話ではあるが、優先順位はかなり低くなってくれる。俺たちがしなくちゃいけないのは、この銀河が俺たちの連邦に隣接しているかどうかを調べることだ」  そして隣接しているのが分かれば、「該当銀河」として別の調査団が派遣されることになる。そのときには、もっと進んだ観測機器と、宇宙船が持ち込まれることになるのだろう。ただ大掛かりな調査は、それだけ金とリソースを食いつぶすことになる。俺たちがしているのは、その前段階として対象銀河をフィルタリングすることだった。 「確かにそうなんだけどね……」  そこで口ごもったレヴィは、なにか引っかかるのだと主張してきた。 「ここの主星の地形だけど、どこかで見たような気がするのよ。それにこの布なんだけど、うっすらと模様が浮いてない?」 「模様か?」  そう言われて確認してみたが、俺の目からは特に模様に類するものは確認できなかった。 「多分、波長フィルターの影響だと思うけど」  目の保護のため、活動服には特定波長だけを透過させるフィルターがつけられていた。更には降り立った地質や水源等を観測できるよう、フィルター特性が可変できるようになっていた。 「そっちの特性に合わせてみるか」  明らかに道草を食っているのだが、先を急ぐわけではないのも確かだ。それに任務に忠実で、ロマンの欠片もない相方だと考えれば、こんなことに食いついてくるのは珍しいとしか言いようがない。ただもう少し本音を言うのなら、ご機嫌を損ねるとあとが怖いと言う情けない理由もあったりした。  そんな事情を口にできるはずもなく、俺はレヴィのシステムに同調して白い布のようなものを見た。 「確かに、薄っすらとだが模様のようなものが見えるな……」  横長になるように置いてみると、右下に「星型」が沢山並んでいるのが見えた。そして別の部分には、ストライプ模様が入っているようだ。太めのストライプ模様に窓が開けられ、そこに沢山の星型が並んでいると言うのが正しいのだろう。 「本当に、アスで言う旗のように見えるな」  記録に残していたら、相方は少しはしゃいだように自分の考えを口にしてくれた。 「だとしたら、ここに来たって印を置いていったと考えられない?」 「その可能性は否定できないが……そうなると、かなり文明レベルは低いことになるな」  どれぐらい昔のものかは分からないが、こんな不安定な素材を印にしたのだ。今の連邦レベルを考えると、遥かに遅れていると言っていいのは間違いない。 「だとしたら、とってもロマンがあると思わない?」  相方の言葉を聞いたときには、俺は思わず自分の耳を疑ってしまった。ひょっとしたら幻聴なのかもとは思ったが、目をキラつかせた様子を見る限り、本気で「ロマン」を口にしてくれたようだ。それを突っ込みたい気持ちは満々なのだが、一つ対応を間違えれば自分の命に関わってくる。慎重に対応をシミュレーションした俺は、この場において最も相応しい答えを口にすることにした。 「それを否定するつもりはないが、そろそろここを切り上げる時間だ」  一応任務に忠実なのだから、仕事を持ち出せばスイッチが切り替わるのは分かっていた。そして俺が予想したとおり、相方は「そうね」と答えて重たい荷物を抱えあげてくれた。重力が小さいので、重さと言う点では軽く感じても、質量が変わらない分、逆に取扱いには細心の注意が必要となる。重力の影響を受ける「重さ」は軽くなってくれても、動かしたときの運動量は変わってくれないのだ。それを忘れて振り回すと、ひ弱な観測員は押しつぶされて大怪我を負うことになる。そのためこう言った力仕事は、同行する警備員がすることになっていた。デバイスをもつ彼女達なら、力仕事も移動もお手の物だったのだ。 「移動先の座標を設定するから、少しだけ待っててくれる」 「ああ、よろしく頼む」  そう答えながら、俺はもう一度満天の星空を見上げた。ひときわ明るい赤い星は、おそらくこの恒星系にある惑星のひとつなのだろう。他にも目を凝らしてみると、輪のようなものを抱いた惑星も観測することができた。確かにアスに似ているなと思ったところで、「行くわよ」と言う相方の声が聞こえてきた。 「ああ、任せるっ」  そう答えたのから少し遅れ、俺は別の場所に降り立つことになった。相変わらず地表は砂のようなもの覆われているが、今度の場所は周りを小高い丘が取り囲んでいた。 「特に、危険は無いようね」  ルーチンとなった相方の報告を聞きながら、俺は新たな観測機器の設置に取り掛かった。設置する機器数は、今日の分で10箇所となる。ここをすませば、残り4箇所が今日の割り振りとなっていた。 「本当に、死の世界ね」  相方の呟く声に、同感だと俺は心の中で答えていた。何者かが訪れ、そして去っていったと言う事実が、ますますその気持を大きくしてくれたのだ。  アリスカンダル事件は、超銀河連邦にとって新しい時代を切り開くきっかけになったのは間違いない。その後始末を引き受けたトリプルAが、ある意味ヨモツ銀河を蹂躙し、彼らの有り様を変えてしまったのだ。その後行われた話し合いの場において、ヨモツ連邦は超銀河連邦への参加を持ち出した。ただ今すぐと言う訳にはいかないので、加盟まで1年の移行期間をとることを条件とした。これで超銀河連邦は、1万1番目の仲間を迎えることになったのである。 「アリスカンダルに設置した機械の利用は、結局連邦が行うと言う事になった訳だ」  成果の横取りだと、ノブハルはエルマー支社に置かれた自分のデスクで憤慨していた。色々と骨を折ったのに、美味しいところを連邦に持っていかれたのだ。当事者としては、色々と文句を言いたくなるのも仕方がないことだろう。 「だけど、社長がそれでいいと言ったのでしょう。だったら、今更あなたが文句を言っても仕方がないことよ」  もっとも、その場にいるのは彼一人と言う訳ではない。不満を耳にしたセントリアが、相も変わらぬぶっきらぼうさでノブハルを宥めた。 「それぐらいのことは、俺だって分かっているさ。それでも、文句の一つぐらい言ってもいいだろう」  それでも憮然としたノブハルだったが、サラマーの「甘えてるぅ〜」の一言で相手を変えた。 「なぜ、俺が甘えているのだ?」  明らかにムキになったノブハルに、「ダメダメ」とサラマーは一本立てた人差し指を振ってみせた。 「にやけた顔でぇ、セントリアのお腹に耳を当ててるのは誰だったかしら?」  家でのことを持ち出されると、流石に分が悪くなる。「こんなのお兄ちゃんじゃない!」とリンに言われるほど、家の中でセントリアを追い回していたのだ。それをもう少し正確に言うのなら、少し目立ち始めたお腹を触りたがっていた。  そのせいで夜のお勤めが疎かになっていることに、エリーゼ達が危機感を抱き始めたぐらいだ。 「そんな事はいいが、つ、次の外銀河探索はどうなっている」  慌てて話をそらしたノブハルに、「現状未定」とセントリアはぶっきらぼうに答えた。ただサラマーの言葉が効いているのか、頬がほんのり赤くなっていた。 「新しく発足した連邦安全保障局が計画を作成することになっているわ。今は、組織が発足したばかりでドタバタしていて手がついていないと思う」  「だから待ち状態」だと、セントリアはいつもどおりの態度で答えた。 「それよりも、あなたはクリプトサイトに行く必要があるはずよ」 「そうそう、先方が折れて研究所を作ることになったんでしょ」  口元を歪めたサラマーは、「研究所長さん」とノブハルをからかった。 「それとも、国王様って言った方がいいかしら?」 「お、俺は、国王になるつもりなんかないぞっ!」  慌てて言い返したノブハルに、セントリアとサラマーの二人は「はいはい」とおざなりに答えた。このあたりのことは、リン達とも「結果が見えている」と話し合っていたのだ。そしてライラも、「トラスティ様に比べればまだまだ」と発破をかけてくれるぐらいだ。 「ローエングリンの準備なら、いつでもできているからねぇ。国王・さまっ!」  あはっと笑ったサラマーに、「勘弁してくれ」とノブハルは泣きを入れた。ただ勘弁してくれとは言っているが、クリプトサイトに行く意味は理解していた。なぜ急に軟化をしたのかは分からないが、フリーセア女王が研究に協力的になってくれたのだ。この機を逃すと、未来視の研究ができなくなる恐れもあった。 「開所式には、トラスティ様もおいでになられると聞いていますよ」 「社長は来ないのか?」  こう言ったときは、いつもアリッサがセットになっていたはずだ。それを疑問に思ったノブハルに、「横恋慕はだめよ」とサラマーはからかった。 「いやいや、そう言う話じゃないからな」  競争相手がトラスティだからではなく、自分には分不相応だと思っていたのだ。その意味で、眺めているだけでも幸せと言う気持ちも持っていたりした。流石にそれを口にするのは問題だと、ノブハルのくせに良識を働かせていた。 「ここからだと、急げば5日の日程か」  クリプトサイトまでの行程を考えたノブハルに、「今だと6日」とセントリアが訂正した。 「だから、あまりゆっくりとしない方がいいわ」 「出港の準備も整ってるわよぉ!」  真面目なセントリアと茶化してくるサラマー。意外にいい組み合わせなのかと、ノブハルは現実逃避をしていた。ただそれも時間の無駄だと、ノブハルは出発準備をすることにした。 「ところで、支社長はどうした?」 「グリューエル様なら、ゼスに顔を出されているわ。戻りは明後日の予定ね」  どうりで顔を見ないはずだ。ああと大きく頷いたノブハルは、出発準備のために立ち上がった。 「戻りの予定は、2週間後でいいのかしら?」 「とりあえず、その程度だと考えてくれ」  往復プラス開所式だと考えれば、2週間がせいぜいと言うところだろう。それ以上長居するつもりは全く無いので、ノブハルは最短の日程をセントリアに提示した。 「そう、今回はエリーゼ達を連れて行くのかしら?」 「仕事に行くのに、家族同伴はおかしいのではないか?」  なんでだと首を傾げたノブハルに、「それなら別に構わない」とセントリアはため息混じりに答えた。本当なら連れて行けと言うところなのだが、それはエリーゼ達自身が言わなければいけないことだと考え直したのである。 「俺は一度家に帰るのだが……お前はまだ帰らないのか?」  自分が立ち上がったのに、セントリアは秘書席に座ったままだった。それを訝ったノブハルに、「これが私の仕事」とセントリアは返した。 「トリプルAでの身分は、私は支社長秘書なの。だから、支社長が不在時にここを預かる義務があるわ。それに、私はクリプトサイトには付いていかないから」 「そうか、まだお腹から出していなかったな」  エルマーでも、妊婦が最後までお腹で赤ちゃんを育てることは稀とされていた。そしてシルバニアでは、通常の分娩など遥か昔の風習とされていた。ノブハルが甘えてくるので、出すに出せなかったと言うのが、大きな声では言えない事情だったのだ。 「ええ、近々人工子宮に移す予定よ」 「ならば、帰ってきたときには赤ん坊の顔を見ることができると言うことか」  感動した顔をしたノブハルに、「気が早すぎ」とセントリアはブレーキを踏んだ。 「ようやく人の形になったところよ。見せて貰えるまでには、あと3ヶ月は待つ必要があるわ」 「まだ、そんなに待たないといけないのか……」  あからさまにがっかりとするノブハルに、セントリアは少しだけ口元を緩めた。周りから非常識と言われるこの男が、赤ちゃんのことになるとまるで子供のようになってくれるのだ。そのギャップが可愛いなと、セントリアはノブハルをからかうことにした。 「もう少ししたら、おっぱいが出るようになるわ。そのときには吸わせてあげるから我慢しなさい」 「い、いいのかっ!」  からかわれて怒るのかと思ったら、なぜか期待に瞳を輝かせてくれた。こんな男だったのかと、セントリアはとても新鮮な気持ちを味わっていた。  10万人を収容できるホールは、今日も満員の観客を迎えていた。いささか観客の男性比率が高いのは、コンサートの主に理由があるのだろう。何しろホールの中央に配した浮島で歌っているのは、ズミクロン星系のみならず、シルバニア帝国軍にまでファン層を広げたトップアイドル、リンラ・ランカなのだ。今まででも入手が難しかったチケットだったが、最近の活躍で更に入手が困難になったと言われていた。 「次の曲は、「生まれくる命へ」です」  曲の紹介に合わせて、リンラの衣装は少しシックなドレスへと変わった。群青色をしたドレスに合わせるように、リンラの髪は頭のところでねじりアップになっていた。その首には、金色の飾りが付いた黒のチョーカが巻かれていた。 「この世に生まれて、最初の朝に何が見えるの〜」  静かな曲調に合わせるように、リンラはしっとりとバラードを歌い上げた。大人の女性を感じさせるリンラに、観客達はため息と言う名の賞賛を送ったのである。  およそ2時間のステージは、いつもどおり2度めのアンコールに盛り上がっていた。ちょっと胸元が刺激的なワインレッドのドレスで現れたリンラは、ゆっくりと観客達に頭を下げた。まだ二十歳にしかなっていないのに、十分に大人の色香を感じさせる仕草だった。その変貌に、観客達はXデーが近いのだと感じていた。 「最後の曲は、揺れる想いよ」  静かなイントロに合わせるように、リンラは体をスイングさせた。粘度を感じさせる動きに、観客達は一度だけ大きな声で盛り上がった。その熱狂も歌が始まるまでで、まるでスイッチが切られたかのように、リンラの歌に合わせて観客達は口を閉ざしたのだった。 「〜このまま、ずっとそばにいたい〜」  感情を込めて歌い上げるリンラに、観客達は息をするのも忘れてその歌に聞き入った。ガラリとイメージを変えたステージだったが、今まで以上の成功のうちに終わりを迎えたのだった。  ステージ下に用意されたスペースに戻ったリンに、手伝いに来ていたエリーゼが近づいてきた。手にした大きめのバスタオルを渡しながら、「とても素敵でした」とエリーゼは感激したような眼差しを向けた。 「なにかリンさん、とても大人の雰囲気を出していましたよ」 「そう、かしら、ありがとう」  穏やかに微笑みながら、リンは無意識のうちに右手で首に巻かれたチョーカーに触れていた。それに気づいたエリーゼは、「それって」とリンのチョーカーを話題にした。 「ナギサさんから貰ったのですか?」  何かにつけて触れているのを思い出し、恋人のナギサからのプレゼントだと想像したのである。 「ああ、単なるアクセサリーよ。ちょっと慣れていないから気になっただけだから」  慣れていないの下りに、「ああ」とエリーゼは頷いた。 「確かに、新しく身に着けたものって……気になりますよね。でも、とっても似合っていると思いますよ」 「そう、ありがとう」  ふっと口元に笑みを浮かべたリンは、また無意識のうちにチョーカーに触れていた。やっぱり気になるのかなと想像したエリーゼは、「ユーケル要ります?」と聞いた。 「そうね、お願いしようかしら?」 「お疲れでしょうしね」  そう言って笑ったエリーゼは、「ユーケル起動」といつものコマンドを発した。そのコマンドに従うように、少し黄色がかった蒸気がリンの体を包み込んだ。  呼吸が落ち着いたのを確認したリンは、指をぱちんと鳴らして黒系の半袖セーターに着替えた。 「それも、イメージチェンジですか? 落ち着いていて、とっても素敵だと思います」 「それもあるけど、これからナギサと食事に行くから」  ナギサととの答えに、「ああ」とエリーゼはリンの変化に納得が行った気がした。ここのところとても色っぽっく見えるようになったのに合わせて、ナギサと会う機会が増えていたのを思い出したのだ。 「じゃあ、ここからは別々ですね」 「エリーゼさん、大丈夫かしら?」  「トウカさんもいないし」と本気で心配され、エリーゼは少しだけ顔をひきつらせた。 「そこまで子供じゃないつもりなんですけどぉ……」 「まあ、家に帰るだけなら大丈夫よね……多分だけど」  どうしてそこで疑問を持ってくれるのだ。顔を膨らませて不満を表すエリーゼに、やっぱり子供なんだとチョーカーに触れながらリンは考えていた。  退屈な移動の時間のお供は、今回はアルテッツァに頼むことを決めていた。そのあたり、ノブハルもいろいろと考えるところがあったと言うことだ。ヨモツ銀河との交渉で、自分の未熟さを思い知らされたと言うのも理由になっていた。 「父親か……」  そこで思い出していたのは、シュンスケではなくトラスティの顔だった。時間凍結から救い出された後、アクサは彼が父親だと認めていたのだ。 「まだ、背中も見えないが……」  いつか越えなければと、ノブハルは心の中で考えていた。それぐらい、彼の中でトラスティと言う男の存在が大きくなっていた。 「俺やカイトさんの父親があの人と言うのなら、あの人はIotUを目指しているのだろうか」  なるほど先を行っているはずだと、ノブハルはトラスティの立ち位置を理解した。そして凄いと思えるのは、神にも等しい存在を追い続けていることだ。そして子供の自分達は、そんな父親の背中を追いかけている。 「俺は、生まれてくる子供の目標になれるのだろうか……」  そうやって親から子へと引き継がれていく。その流れの中に、自分も入っていったのだと。それを考えると、体がムズムズしてきた。 「アルテッツァ」  呼ばれた以上、何がなくてもすぐに姿を出す必要がある。シンプルなセーター姿をしたアルテッツァは、「お呼びですか?」とノブハルの前に姿を表した。 「少し、話し相手になって貰おうと思ったのだ」 「それは光栄ですね。それで、どんなお話をいたしましょう」  ノブハルの正面にちょこんと腰を下ろし、アルテッツァはじっとその顔を見てきた。 「なんだ、普段とは違うな?」 「ノブハル様に合わせたと思ってください」  そんなところですと言われ、ノブハルはそれ以上こだわらないことにした。 「手始めに、俺の親父のことなんかどうだろうか」 「シュンスケ様のことですか。あまりお話相手になれそうな気もしませんが」  それでと問われたノブハルは、「トラスティさんのことだ」とアルテッツァの言葉を訂正した。 「どうして、と、ここで聞くのは流石にわざとらしいですね。それで、どのようなことをお話になりたいのですか?」 「意外なことに、俺はあの人のことをよく知らないことに気がついたんだ。知っていることと言えば、IotUの遺伝子を持ち、レムニア皇帝が手持ちの遺伝子を使って作った子供と言うことだけだ」 「確かに、皆さんご存知のことばかりですね。ただ私にしても、さほど事情を知っている訳ではありませんよ」  アルテッツァが関わるようになったのは、パガニア事件の後からなのだ。それを考えれば、知らないことが多くても不思議ではない。 「それでも、俺よりはよく知っているはずだ。それに話し相手が居てくれた方が、理解が深まるからな」  そうだろうと決めつけたノブハルは、レムニア皇帝のことを最初に持ち出した。 「どうしてアリエル様が、短命種の子供を作ろうとしたのか。唯一存命中のIotUを知っていて、愛人に名を連ねていたあの人なら、最初に考えるのは自分との子供だろう。それなのに、自分とではなくオンファス様との子供を作られた。最初に浮かんだ疑問はそのことだった」  小さく頷いたアルテッツァは、以前聞かされた話を持ち出した。 「確か、どう頑張っても自分との子供を作ることができなかったとか。そして自分の寿命が迫ったことを感じ、せめてIotUの子供だけでも欲しいと願われたと伺った記憶があります」  その話だけを聞けば、納得のできる理由でもあるだろう。だがノブハルは、その説明に対して「なぜ」をもう一つ重ねた。 「だとしたら、なぜオンファス様だったのだ。アリエル様は、ラズライティシア様と仲が悪かった訳ではないだろう。そしてIotUの奥方達の関係を考えたら、最初に作るべきはラズライティシア様との子供ではないのか? もちろん、偶然で片付けることが可能なことは分かっている。だがカイトさんがラズライティシア様の遺伝子を持っている事実を考えると、それもまた仕組まれたことに思えるんだ。しかも俺にしても、誰か分からない遺伝子を持っている。俺の事についてはおぼろげながらも、仮説らしきものができそうな気がするんだが。ただ、始まりのトラスティさんの説明が付いてくれないんだ」  そう言われれば、確かに「なぜ」と言いたくなるのも理解できる。ただそのことへの答えを、アルテッツァは持ち合わせていなかった。 「なぜ、と言うのはアリエル様に伺わないと分からないのですが……理由をこじつけるなら、一緒に過ごされた時間の長さが理由ではないでしょうか。ラズライティシア様が早逝されたこともあり、IotUはオンファス様との時間が一番長くなっていました。その関係で、アリエル様もオンファス様と居る時間が長かったのだと思います。それが理由になったと考えるのが、この場合自然なのではないでしょうか?」  アルテッツァの答えに、ノブハルは「分かりやすいな」と頷いた。 「確かに、それが理由というのは納得できるな。ただ、そうなるとカイトさんのデバイスがザリアと言うのは偶然になるのだが。それでも、本当にそうかと思えてしまうのだ。俺は、アリエル様がオンファス様の遺伝子を選んだ理由は、もっと別のところにあるんじゃないかと考えるようになった」 「別の所ですか、それはどのようなことなのでしょう?」  どんな考え方があるのかを質したアルテッツァに、「今は分からん」とノブハルは答えた。 「トラスティさんに聞いたら、なにか分かるかも知れないがな」  そこまで口にしてから、「ただ」とノブハルは思いついたことを口にした。 「IotUは一人も子供を残さなかった。それが事実として伝えられていることだと思う。ただ疑問なのは、どうして子供を作らなかったのかと言うことだ。奥さんだけじゃなく、愛人も沢山いたのだろう。まさか、全員とプラトニックな関係と言うこともないだろう。しかも初期のIotUは、神様のような力も持っていなかったとされている。だとしたら俺でも子供ができたのだから、IotUに子供ができていてもおかしくはないはずだ。そしてその時、誰が最初に妊娠するかを考えたら……オンファス様じゃないのかと思ったんだ」  そしてもう一つと。IotUではなく、妻たちの感情をノブハルは持ち出した。 「IotUがいつ子供を残さないことを考えたかは分からないが、果たして奥さんたちも同じ考えだったのかと言うことだ。トラスティさんのところを見ていると……ちょっと違うか、カイトさんのところを見ていると、奥さんたちはIotUとの子供が欲しいと願ったのではないのかと思えるのだ。IotUが奥さんたちのことを愛していたのなら、その願いを無下にすることは無いはずだ。そしてもう一つの事実と合わせて、子供を作らなかったのではなく、できなかった、もしくはできたのに生まれなかったのではないかと考えるようになった」 「それは、とても興味深い考え方ですね」  ノブハルの言葉を認めたアルテッツァは、ノブハルが口にした「もう一つの事実」を尋ねることにした。 「それでノブハル様、ノブハル様が仰るもう一つの事実とはなんですか?」  そう考えるに至る事実が何なのか。そのことに、アルテッツァは興味を持った。 「とても簡単なことだ。名前や姿を人々の記憶から消せるのに、どうして俺たちが生まれることができたのか。その事を考えとき、IotUは意図的に子供を残さなかったのではなく、残したくても残せなかったのではないかと思うようになったのだ。もしもカイトさんがザリアの子供だと言うのなら、奥さんの願いを叶えたことになると思ったんだよ」 「それでも、トラスティ様がオンファス様の子供と言う理由は説明できませんね」  願いを叶えたの下りにはコメントせず、アルテッツァはノブハルが最初に口にした問題を蒸し返した。 「そうだな。そうでなくとも、奥さんの意思をデバイスに残すと言う事自体、普通では考えられないことでもある。宇宙の非常識、IotUの言葉に逃げているが、そんな真似をした理由は思いつかないな」  そこまで答えたノブハルは、「不思議に思わないか?とアルテッツァに問いかけた。 「不思議と言うのは?」  首を傾げたアルテッツァに、「俺達のことだ」とノブハルは返した。 「俺やカイトさんが、トラスティさんとザリアやアクサの子供で、受精した卵子情報が時を越えて送られたと考えられている。まあ、かなりこじつけがある気もするが……それが真実に思えてしまうと言うことだ。そして俺たちがそうなら、トラスティさんも同じじゃないのかなと思ったんだ。ただトラスティさんの場合、IotUとオンファス様との間で受精した卵子の遺伝子情報が時を超えた……この場合は長期間保管されたと考えられるのではと思ったんだ」 「アリエル様が作られたのではなく、過去から送られてきたものを利用されたのだと?」  なるほどと頷いたアルテッツァは、「よく考えられている」とノブハルの仮説を評価した。ただノブハルに向かっては、自分の評価を口にしなかった。 「そして時間を超える方法だが……俺が、これからすることに関わってくるのではと思えるようになった。未来視のポイントは、時間を逆行する粒子の存在だ。そしてトラスティさんも言っていたが、レムニアには存在を情報化することで遠隔に転送する技術がある。ξ粒子と情報化を組み合わせれば、過去に遺伝子情報……違うな、受精卵そのものを送ることも不可能じゃない。そうなると俺は、自分が生まれるために、未来視のからくりを解明しなければいけない訳だ。だとしたら、ただの興味とばかりは言っていられないだろう。クリプトサイトに行くのを嫌がってばかりはいられなくなる訳だ」 「いいんですか、フリーセア女王が手ぐすねを引いて待っていますよ」  本当はもっと非道いことになっているのを知っているが、アルテッツァは敢えて今までどおりのことを繰り返した。 「それにしたところで、選択権が俺にあるのは変わっていないはずだ。何を考えて取引をしてきたのか知らないが、そんなことは俺の知ったことじゃない」 「まあ、普通に考えればそうなんでしょうけどね……」  やはり最後のところでは経験に差が出てくる。そんな事を考えながら、アルテッツァは話をずいっと引き戻した。 「確か、ノブハル様のお父様のことを話す予定でしたよね?」  それなのに、話の殆どはIotUの謎解きだった。そのことに疑問を感じたアルテッツァに、共通の目標だからなとノブハルは笑った。 「さて俺が考えたようなことは、あの人はどこまでたどり着いているのだろうな」 「あの御方は、時々私にも想像がつかないことをされますから。もしもIotUがいなければ、非常識と呼ばれるのに十分なことをされていると思いますよ」  非常識との決めつけに、確かにとノブハルは口元を歪めた。 「だが世間常識で非常識なのは、ミラクルブラッドだったか、それを作ったことぐらいだろう。まあ、どうしてそんなことを考えるのかと、小一時間問い詰めたくなるような真似はしてくれるがな。ただその程度のことなら、IotUを引き合いに出すほどではないだろう。あの人は、宇宙レベルの奇跡なんてやっていないからな」  ノブハルの決めつけに、アルテッツァは小さく頷いた。 「そちらの方は、カイト様が受け持たれていますね。ヨモツ銀河軍の攻撃を防いだ方法は、IotUがかつて行った方法と全く同じなんです。ゼスで弾道弾を防いだ方法も、IotUが行った攻撃と同じです。これでブラックホールを持ち出しでもしたら、本当にIotUと同じになってしまいますよ」 「確かに、ゼスもこの間のも凄かったな……」  あの光景は、思い出すだけでも体に震えが来てしまうのだ。それを考えれば、あちら側の代表、モンジュールが激しく取り乱すのも不思議ではなかった。むしろ取り乱したモンジュールに、同情してしまったほどだ。そして忘れてしまいがちなのだが、そのシナリオを描いたのはトラスティだった。 「俺にも、なにかできるかな?」  ふと口をついて出た言葉に、「できても不思議じゃありませんね」とアルテッツァは返した。 「ですが、アクサは時間を止めることができるんですよ。その時点で、私には十分非常識に思えます」 「あれはアクサであって……いや、俺にもできるかも知れないと言うことか」  なるほどなと納得したところで、一つの方法がノブハルの中で閃いた。 「だとしたら、ξ粒子の変調制御も可能か……やって見る価値はあるな」  うんと頷いたノブハルは、クリプトサイトに作る研究所でのテーマを一つ設定した。ξ粒子の変調を自分でやって、フリーセア王女にはその結果を見て貰えばいい。未来視に偽物の情報を見せることができれば、かなり高度な変調ができたことになるはずだ。 「いや、それならξ粒子のフィルタリングも可能にならないか? 検知器さえなんとかできれば、未来視と同じことがハードウエアでできることになる」  これもテーマだと喜んだノブハルに、「さすがは未来視」とアルテッツァは感心していた。ノブハルが前向きに考えることなど、すでにアルテルナタが未来視で見ていたことだったのだ。  クリプトサイトにとって、クロノス研究所設立は非常に大きな意味を持つものだった。何しろトリプルAの名は、ヨモツ銀河訪問団の成果でますます有名になっていたのだ。そのトリプルAと協力をし、未来視の謎に迫ると言うのである。それが女性王族の権力基盤だと考えれば、これまでなら想像だにできないことだった。 「未来視を活用することで、これから多くの人を救うことができるようになります。文明レベルが3と低いクリプトサイトですが、未来視の研究で連邦に貢献することができます。それが先のネビュラ1号事件への、クリプトサイトなりの責任のとり方になるかと思っています」  フリーセア女王の肉声で伝えられた設立理由に、クリプトサイトの国民は絶対的な支持を表明した。未来視を詳らかにするのは、自らの権力基盤を弱体化させることに繋がることなのだ。それを進んで実行することに、女王の強い決意を国民が感じ取ったのである。  そして研究所の所長にトリプルAからノブハル・アオヤマを迎えると言う発表に、国民達はXデーが近いのだと確信をした。そう考えると、ここ最近の女王の変貌にも納得が行くのだ。まだ10代後半に差し掛かったばかりなのに、急速に女王が大人の女性へと変貌を始めていたのである。時折浮かべる艷やかな笑みなど、もはや10代の少女のものとは思えなくなっていた。 「ノブハル様を、所長としてお迎えできることを国民一同喜んでおります」  クリプトサイトの地に降り立ったノブハルは、すっかり垢抜けたフリーセア女王の出迎えを受けた。もともとフリーセアは、銀色の髪に藍色の瞳をした美少女だった。ただ目の前で頭を下げるフリーセアからは、以前のような子供子供したところが感じられなくなっていた。そしてその仕草の一つ一つから、はっきりとした色香を感じられるようになっていた。そんなフリーセア女王を前に、ノブハルは酷い乾きを感じたぐらいだ。  ノブハルを迎えに出た時のフリーセアは、公式行事ということもあり、白を基調にした豪華なドレスを纏っていた。長い銀色の髪の毛は細かく結い上げられ、顕になった項には金色の飾りがついた黒のチョーカーが巻かれていた。 「こちらこそ、お招きいただいて光栄だ」  差し出された右手を取るのに、ノブハルは緊張と言うものをしていた。そんな事はあってはならないと思いながらも、フリーセア女王を前に緊張する自分を押さえられなかった。  そんなノブハルの態度に微笑を浮かべ、「こちらに」とノブハルを迎えの車へと案内した。 「少し窮屈なことをお許しください」  ノブハルを先に乗せたフリーセア女王は、謝罪をしながら隣りに座った。その途端に圧迫感を感じたノブハルだったが、それが物理的なものでないのが更に問題だった。フリーセア女王と狭い空間で並んだ、ただ隣の席に座っただけなのに、息苦しさを感じてしまったのだ。 「い、いや、窮屈と言うことは無いのだが……」  どうしてこうなるのだ。これは本当にあのフリーセア女王なのか、激しくなる鼓動を感じながら、ノブハルは研究所までの10分を耐えたのである。  クロノス研究所は、王宮から10分ほど離れた森の中に位置していた。建物自体は大きくないと言うより、とてもこじんまりとしたものになっていた。その見た目だけを取り上げるなら、研究所と言うより瀟洒な洋館と言うところだろう。ただ将来の拡張を見越してのことか、洋館の周りには整地された芝生の庭が広がっていた。  研究自体の重要性もあり、建物にたどり着くまでにはゲートを通る必要があった。そして建物を取り囲むフェンスには、外部からの攻撃を防ぐ防御シールドまで張られていた。各種空間移動に対しては無力だが、クリプトサイトのレベルでは厳重な警備と言って差し支えのないものだろう。 「研究所とは名ばかりの施設ですが、ノブハル様が自由に使っていただいて結構です。私は公務で忙しいのですが、母ならば余程のことがない限りご協力させていただきます。何をどうやって分析研究するのかは、ノブハル様の裁量にお任せしようと思っております」  その手始めに用意したのが、こじんまりとした入れ物だと言うのだ。少し上の空になりながら、ノブハルはフリーセアの説明を聞いていた。  ノブハル達の乗った車は、ゆっくりと洋館の前の車寄せに止められた。外側から開かれたドアから先に降りたノブハルは、自然にフリーセアに対して右手を差し出した。  「ありがとうございます」と微笑まれたときには、ノブハルは胸からどきりと音がしたような気持ちになっていた。ドレスだと動きにくいから、それを助けるために手を差し出しただけなのに、何か特別なことをした気持ちになっていたのだ。  ノブハルにエスコートされて車から降りたフリーセアは、「こちらに」と言って洋館の入り口へと向かった。そして初老の男に開いてもらった扉を通って、研究所に使用される洋館の中へと入った。そこでノブハルは、建物の中をぐるりと見回した。 「研究所と言うより、誰かの住まいと言った感じだな」  足元には毛足の長い赤いカーペットが敷かれ、天井には油彩で花が描かれていた。そして照明には、細工をされがガラスのシャンデリアが使われていた。建物自体自然木がふんだんに使われ、とても落ち着いた雰囲気を持ったものになっていた。 「はい、未来視と言うのは、かなり精神状態に影響を受けることが分かっております。ですから、精神的に落ち着ける環境を用意いたしました」  恐怖や怒りなどの感情の高ぶりが未来視を邪魔するのは、ノブハルも利用したことだった。だからフリーセアの説明も、すっと腑に落ちてくれた。そこで問題があるとすれば、フリーセアのことを綺麗だなと思ってしまったことだ。シックな建物とフリーセアの存在がとてもマッチしていたのだ。 「トラスティ様がおいでになられるまで、こちらの部屋でお待ちいただけますでしょうか?」  フリーセアが手で指し示したのに合わせ、別の男性がゆっくりとドアを開いた。廊下を見れば想像がつくのだが、案内された部屋にもふんだんに天然木が使われ、壁には各種の絵画が飾られていた。そして部屋の中央には、巨大なシャンデリアがとても高い天井から下げられていた。  そして重厚なテーブルに付いたところで、メイドがお茶を持って現れた。 「お気づきかと思いますが、メイドはタンガロイド社のアンドロイドを使用しております。こちらは、アリッサ様のご厚意となります」 「社長の?」  少し驚いた声を出したノブハルは、すぐにその反応を恥じた。ノブハルの反応に驚いたフリーセアが、おかしそうに右手を口元に当てているのに気がついたのだ。その時見えた濡れたようなピンクの唇に、ノブハルは目が吸い寄せられる錯覚を覚えていた。 「はい、試しに使ってみてはとお貸しくださいました。屋敷の使用人は、実はすべてタンガロイド社のアンドロイドなのです。本物の人間は、敷地に入る所の警備員ぐらいになっています。おそらくですが、ノブハル様の安全を考えられたからでしょう」 「俺には、シルバニア帝国から派遣された近衛と、アクサが付いているのだがな」  それを考えれば、身の安全を心配する必要は無いはずだ。そう主張したノブハルに、小さく笑いながら「私がそう思いたいだけですから」とフリーセアは答えた。 「いくら魅力的でも、アンドロイドだと思えば我慢できます」  そこで熱い眼差しを向けられると、どうしてもノブハルの中の男が反応してしまう。酷い乾きと鼓動の高まりを感じたノブハルは、フリーセアの方へ手を伸ばそうとしてしまった。だがもう少しで手が届くと言うところで、ドアの方からノックの音が聞こえ、「お見えになりました」と言う執事の声が聞こえてきた。  その声に正気を取り戻したノブハルは、慌てて伸ばした手を引っ込めた。あまりにもあからさまな態度なのだが、どう言う訳かフリーセアは反応を示さなかった。 「お通ししてください」  そう命じてから、フリーセアはノブハルの方へと顔を向けた。ただ直前までとは違い、明らかに目元がうるみ、頬が紅潮しているのを見て取ることができた。 「ノブハル様、トラスティ様がおいでになられました」  熱を帯びたフリーセアを意識しながら、ノブハルは「そうか」と少しどもりながら答えた。そして扉が開くのと同時に立ち上がったのだが、その時にはフリーセアはドアの所にまで迎えに出ていた。 「わざわざ出迎えてくれなくてもいいのに」 「いえ、トラスティ様は大切なご主……お客様ですから」  少し媚の入ったフリーセアの声色に、ノブハルはトラスティに対して嫉妬を覚えてしまった。出迎えを受けた時から感じたことだが、フリーセアが自分に対して距離を取るようになっていたのだ。ただ外向きの顔をしたのかなと思っていたのだが、トラスティに対して媚びたような声を出してくれたのだ。 「到着するのが、少し早かったかな」  口元をニヤけさせたトラスティに、「別に」とノブハルは拗ねたように答えた。 「だったらいいんだけどね。とりあえず、珍しい人を紹介するよ」 「珍しい人?」  こんなところに一体誰が。ノブハルが疑問を感じたところで、「お入りいただけますか?」とトラスティが扉の方へと声を掛けた。それから少し遅れて、一人の女性が現れた。銀色の長い髪を頭のところでまとめた女性は、首の大きく開いた薄いグリーンのボートネックのセーターに、ピッタリとした黒のパンツを履いていた。スタイルの良さを強調した恰好なのだが、ノブハルはその女性の首にも金の飾りがついたチョーカーがあるのに気がついた。  ただ問題は、その女性のスタイルでも首元のチョーカーでもない。とても綺麗な女性なのだが、ノブハルは見惚れるのではなく、その顔に敵意を現した。まさかこんなところに、アルテルナタ王女が現れるとは思ってもいなかったのだ。 「なぜアルテルナタがこんなところに居るっ!」  戦闘態勢を取ったノブハルに、「落ち着こうか」とトラスティは近づいて肩を叩いた。そしてフリーセアの顔を見て、「説明を頼めるかな」と話を振った。 「ノブハル様、私とお姉様はすでに和解を済ませております。そしてお姉様ですが、超銀河連邦に掛け合って刑期を短縮していただきました。そこで身柄をクリプトサイトに引き取り、条件付きながら大赦を行いました。その条件と言うのが、お姉様の身柄をトラスティ様に監視していただくことです。そして未来視の能力を、外銀河探索に役立てていただこうと思っております。お姉様の力があれば、不測の事態の多くを防ぐことができるでしょう。トラスティ様にご助言いただいたのですが、お姉様を許す器量が、これからのクリプトサイトを統治していくのに必要だと思っています」  そう答えたフリーセアは、とても美しい顔をしていた。ただノブハルが気に入らないのは、その視線がトラスティに向けられていたことだ。 「そのことを、ノブハル様がお気に召さないと言うのも理解できるつもりです。ただここでお姉様を処刑しても、死んだ者たちは戻ってまいりません。そして死んだ者たちへの償いを、これから多くの命を守ることでして貰いたいと思っています」  自分を見てはっきりと答えるフリーセアを、ノブハルはとても美しいと思っていた。どうしてこんな変貌をしたのか分からないが、今のフリーセアにどうしようもないほど魅力を感じていたのだ。  そんなノブハルに微笑み、「これは綺麗事ですね」とフリーセアは自分の言葉を否定してみせた。 「トラスティ様に、私がお姉様のことを憎みきれていないと見抜かれてしまいました。そして心の何処かで、女王に相応しいのはお姉様だと思っていることも見抜かれていたのです。それで自覚をしたのですが、私はお姉様が大好きで、今でも憧れていると言うことです。そしてお姉様には、心から私に謝ってくださいました。だから私は、すべてを水に流すことにしたのです。ただ許すだけでは、国内で反発する者も出てくるでしょう。それが見えた私は、お姉様に義務を課すことにしました。それが、外銀河探索に協力することなんです。ただ外銀河に出てしまうと、私達はほとんど顔を合わすことはなくなります。ですから姉妹の繋がりを感じるために、私もお姉様と同じチョーカーをすることにしたのです」  そう答えてに、フリーセアは自分のしているチョーカーに手を当てた。とても大切そうに、そしてうっとりとさえしているフリーセアに対して、ノブハルは酷い乾きを覚えたほどだ。 「私は、自分が愚かだったことを……いえ、今でも愚かなことを認めています。そしてとても罪深い、人として許されないことをしたことも認めています。そんな私に、トラスティ様は罪を償う方法を教えてくださいました。いえ、おとなしく刑を受け入れることは、ただの自己満足でしかなく、罪を償ったことにはならないのだと仰られたのです。私の力があれば、多くの人々の命を救うことができる。それをして、初めて罪を償ったことになるのだと。だから私の能力を、人のために役立てなければならないのだと。ノブハル様が許せないと言うお気持ちを抱かれるのは、私がしたことを考えれば当たり前のことでしょう。許してくださいなどとは申しません。ただ、私に少しだけお時間をいただけないでしょうか」  お願いしますと二人に頭を下げられれば、流石にノブハルもだめだと言うことはできない。それでも反発する気持ちが、「ヴェルコルディア氏は?」と問う言葉を吐き出させた。 「ヴェルコルディア総理大臣も、すぐには許すことはできないと申しております。それぐらい、多くの同士が命を落とし、今も障害に苦しんでいるからです。それでもヴェルコルディア総理大臣は、トラスティ様が身柄を預かってくれるならと、お姉様に時間を与えてくださいました」 「ヴェルコルディア氏が認めたと言うのだな」  トラスティが背後で動き、一番の被害を受けた二人が許し時間を与えると言う選択をしたのだ。トラスティに反発する気持ちはあっても、これ以上は自分が口出しすることではないとノブハルも分かっていた。 「だったら、これ以上俺が言うことはない。確かに未来視の能力は、不測の事態を防ぐのに強力な助けとなる。お前が裏切らない限り、これ以上俺は何も言わないことを認めよう」 「それは、これからの行動で示してまいろうと思っております」  もう一度二人に頭を下げられたノブハルは、「それならいい」とぶっきらぼうに答えた。 「この4人が集ったのは、これが理由なのか?」  少し乱暴になっているのは、ささくれだった心が理由なのだろう。ただ問題は、理由がアルテルナタだけでは無いことだった。 「彼女を連れてきたのは、君をのけものにしないためだよ。そして彼女をトリプルAで保護するのは、アリッサ……失礼、社長も乗り気なんだな」  ノブハルとは対象的に、トラスティはとてもお気楽な態度をとってくれた。そして立って話すのは間抜けだと、アルテルナタの背中に手を当ててテーブルの方へ連れて行ってくれた。 「アルテルナタは直接関わらないけど、未来視のことなら彼女の意見も参考にした方がいいだろう。とりあえず、研究所で何をしていくのか話さないかな?」  クリプトサイトに来た目的を考えれば、トラスティの言っていることに一つも間違ったことはない。ただ感じる反発はどうしようもないので、ノブハルは黙ってトラスティの前に腰を下ろした。そしてノブハルの隣には、少し距離をおいてフリーセアが腰を下ろした。 「大上段に研究所で何をするのかと口にしたけど。実のところ、ほとんど君の裁量に任せようと思っているんだ。何しろ僕は、ξ粒子と言われてもさっぱりだからね。だから君に任せるのが、最良だと思っているんだ。それでも一つお願いがあるとすれば、物質を過去に送る方法を考えて欲しいってぐらいかな。それにしても、すでに君の中にあるプランの一つなのだろうけどね」 「ああ、それは重要なテーマとして考えていた。そのために、アクサの時間操作能力と組み合わせることを考えている。加えて言うのなら、レムニア帝国の協力を得るつもりだ」  すらすらとプランが出ることに、さすがだなとトラスティはノブハルのことを認めていた。そしてやはりこちらの方が向いていると、ノブハルの能力の方向性を確認した。 「確認をするが、本当に俺の好きにしていいのか?」 「そう言ったつもりなんだが、改めて保証する必要があるかな。ただ釘を差しておくことがあるとすれば、連邦法は意識して欲しい。そしてもう一つ、クリプトサイトと喧嘩をしないように……違うな、負ける喧嘩をするなってところだね」  それぐらいと笑ったトラスティに、「やはりペテン師」だと、ノブハルは改めて感じていた。それでも不思議だったのは、「クリプトサイトと喧嘩」を持ち出したときにも、フリーセアが反応しなかったことだ。なぜだと思って隣を見たら、心ここにあらずと言った様子でトラスティのことを見ていた。 「さて、関係者の顔合わせをしておかないといけないね。フリーセア女王陛下」  そこでトラスティに名を呼ばれ、フリーセアは驚いたように体を震わせた。未来視を持って居ることを考えれば、その反応も不思議な事に違いない。 「はい、間もなくお母様もおいでになられます」  流石に動揺を表に出したフリーセアは、わざとらしく入口の扉へと視線を向けた。その動きに合わせるように、扉がノックされて「ドラセナ様がおいでです」と言う声が聞こえてきた。 「中に案内してください」 「畏まりました」  外からの声から少し遅れ、扉がゆっくりと開かれた。その扉から現れたのは、グラデーションの掛かった紫色のドレスを着た、銀色の髪をショートにした年配の女性だった。なるほど二人の母親だとノブハルは感心したのだが、彼女も同じチョーカーをしているのに気がついた。 「フリーセア女王、アルテルナタの母親、ドラセナでございます」  とても優雅に頭を下げた女性は、さすがは二人の母親だと思わせる容姿をしていた。流石に年齢は誤魔化せないが、それでも溢れ出る色香は娘達に負けないものだった。 「ご丁寧にありがとうございます。トリプルAで役員をしているトラスティと申します」 「同じくトリプルAで技術責任者代理をしているノブハル・アオヤマです」  トラスティはゆっくりと立ち上がったのに引き換え、ノブハルは明らかに慌てて立ち上がっていた。明らかに若い反応をしたノブハルに微笑みを与えたドラセナは、「水臭いですね」とトラスティに文句を言った。 「それでは、まるで初めてお会いしたかのようではありませんか」 「若輩者が、精一杯の礼儀を考えたからとご理解ください」  その程度ですと笑ったトラスティは、「ドラセナ公が協力してくださる」とノブハルに教えた。  フリーセアからは、先の女王である母親が協力すると聞かされていたが、こうして紹介されたのは初めてのことだった。意外に若く、そして美しい先の女王に、ノブハルはしっかりと緊張してしまった。 「どうも彼は、時々シルバニア帝国皇夫の立場を忘れてくれるようです」  それを論ったトラスティに、「初心で宜しいのでは?」とドラセナは笑った。そして返す刀で、普段のトラスティの態度を持ち出した。 「そう仰りますがますが、あなたがリゲル帝国皇帝、そしてモンベルト王国国王として振る舞っているようにも見えませんよ」  トラスティへの切り返しは、さすがは年の功と言ったところだろう。余裕を見せたドラセナは、「今後ともよろしくお願いいたします」と頭を下げた。 「こ、こちらこそ、よろしくお願いいたします」 「まあ、息子だと思って可愛がってやってください」  緊張したノブハルをからかうように、トラスティは微妙な「息子」と言う立場を持ち出した。 「やはりノブハル様には、こんなおばさんでは駄目なのでしょうね?」  ふふっと笑った所は、まだ現役を十分張っているように見えた。だから答えに詰まったノブハルに、「まだまだ場数が必要だねぇ」とトラスティは笑い飛ばした。 「これからお披露目なんだけど、流石に彼女を表舞台に出す訳にはいかないね」  いくら姉妹の間で手打ちが終わっていても、アルテルナタは反女権派を粛清した張本人なのだ。晴れがましい席に出席させるのは、流石に周りを刺激しすぎるだろう。  それぐらいのことは、アルテルナタ本人も理解していることだった。そして自分が無理を通した時、お披露目のパーティーがどうなるのかも、それも未来視で見て分かっていたのだ。だから「そうですね」とトラスティに同意をして、「部屋で隠れています」と言って会談の場となった部屋を出ていった。 「ではノブハル君、君にフリーセア女王陛下のエスコートを任せていいかな? ドラセナ公のエスコートは、まあ先輩の僕に譲って欲しい」  自分を持ち上げたトラスティに、ドラセナは「お上手ですね」と笑ってみせた。そして「よろしくおねがいします」と右手を差し出した。「喜んで」と答えたトラスティは、左腕を輪を作るように腰に当てた。そのまま二人は、自然に寄り添って部屋を出ていった。 「ノブハル様、よろしくお願いいたします」  それを見送った所で、今度は自分の番だとフリーセアがノブハルに声を掛けた。はっきりと緊張したノブハルは、「そうだな」とぶっきらぼうに答え、トラスティを真似するように左腕を腰に当てた。 「それでは、時間までゆっくりできる場所へとご案内いたします」  艷やかな笑みを浮かべたまま、フリーセアはノブハルを連れて奥の部屋へと入っていった。  その姿が扉の向こうに消えたところで、部屋の中に影が一つ現れた。燃えるような赤い髪をショートにした、ちょっと可愛らしい女の子がそこに立っていた。 「予想通りと言えば予想通りなんだけど……こんなにも簡単に落ちるなんて」  「滞在期間が伸びることになるわね」と。はあっと息を吐いたサラマーは、トラスティの出ていった扉の方へと視線を向けた。お子様しか相手にしていないノブハルが、大人の色香を身に着けた相手に敵うはずがなかったのだ。  そしてもう一つ、フリーセアを含めて未来視の結果を見ての選択と言うことだ。 「いったい、どこまで手を出しているんだろう……って言うか、私もあのチョーカーが欲しくなったわ」  そしてチョーカーを許されることで、自分がどう変化することになるのか。素敵かもしれないと、サラマーはトリプルAへの移籍方法を真剣に考えたのだった。  手柄を横取りしたとノブハルが文句を言ったのだが、連邦安全保障局の発足は簡単なものではなかった。それが分かっていたから、アリッサが手を出さなかったところもある。そのあたり、ただ技術だけに興味のあるノブハルと経営者であるアリッサの違うところだろう。興味の問題と組織を作ることは、全くの別物と言うのをアリッサは理解していた。  連邦安全保障局発足に当たり、もっとも苦労したのが組織づくりと言うことになる。責任者を誰にするのか、そしてどこから人材を求めるのか、そもそもどうやって対象地域を絞り込んでいくのか。直接探索だけが前提になっていたこともあり、多層空間の利用は考慮されていなかったのだ。  当初設立が予定されていた当初連邦安全保障局は、直接探査のための情報局と探査後の関係構築のための外交局で構成されることになっていた。だが多層空間の利用が可能となったことで、該当銀河割り出しのための作業が必要になったのである。そのため新たに、空間探査局が設置されることとなった。  空間探査局の任務は、多層空間経由で他の銀河へと渡り対象銀河かどうかを判定することにある。具体的には遠方に位置する銀河やクエーサーを観測し、超銀河連邦内に該当するものがないかを確認する方法をとることになっていた。  方法論としては、直接訪問にはない「はずれ」が存在するところに問題があった。だが手間とコストは、圧倒的に多層空間を利用したほうが少なくなるのだ。何しろこのやり方の場合、送り込まれるのは2名の担当者で事足りるのである。超高速の母船を仕立て上げ観測船を飛ばす労力に比べれば、圧倒的に楽だし、開始が早まると言うメリットが有ったのだ。 「ようやく、設立にこぎつけたのだが……」  シルバニア帝国の主星であるシルバニアに、連邦安全保障局の本部が設置されていた。その辺り、当面連邦軍との連携が必要なのが理由になっていた。その新しいオフィスの主となったパイク局長は、アリスカンダル事件から現在に至るまでの慌ただしさを思ったのだ。  アリスカンダル事件によって、2年後の外銀河探索に対応するための組織が作られることになった。その目的のため連邦予算が当てられ、探索用の大型艦船が建造される事になっていた。だがトリプルAが割り込んできたヨモツ銀河遠征のお陰で、組織の活動方針が大きく捻じ曲げられることになってしまった。  当初の予定では、全長2kmほどの巨大高速艦を用意することになっていた。それを加盟銀河ごとに最低10隻用意するため、総建造数が10万と言う膨大な数の巨大艦を作らなければならなかったのだ。いくら膨大な予算を持つ超銀河連邦でも、費用負担は簡単なものではなかった。同時に必要とされる時間も、簡単に稼げるものではなかった。各銀河の感情から集中的な投資が許されても、時間と言う問題だけはどうにもならなかったのだ。しかも船を作れば、同時に乗組員を用意する必要が生まれる。こちらもまた、一朝一夕ではいかない問題だった。  感慨深げにパイクが局長席の座り心地を味わっていた時、彼の補佐官となるウィリアム・ライカーが「局長」と声を上げながら執務室へと入ってきた。 「早速で申し訳ありませんが、空間探査局の結団式にご出席願います」 「あとから来た部局が、最初に結団することとなったか」  その身軽さこそが、今回求められるものになのは分かっていた。そのお陰で、予定よりも早く組織としての動きができることになったのだ。それはヨモツ連邦と友好関係締結の話し合いが行われてから55日、そして多層空間制御装置の稼働開始からわずか1週間と言う迅速さだった。 「その辺り、アリスカンダルに多層空間制御装置を持ち込めたお陰と言うことです」  少し口元を歪めたライカーは、「組織が地味になりました」と痛いところを突いてくれた。 「局長好みの、航宙艦による遠征は補助の扱いになりました」 「必要性が消失した訳ではないがな」  図星を突かれたせいなのか、パイクは少し憮然として言い返した。そして立ち上がると、「アルテッツァ」とシルバニア帝国が管理する、連邦最大のコンピューターシステムに声を掛けた。 「はい、パイク局長」  シンプルなスーツ姿をしたアルテッツァは、パイクとライカーの二人を結団式の行われる会場へと飛ばした。初期段階なので、空間探査局の局員は50名が集められていた。そのうちの5名が内勤で、10名がデーター分析、5名が技術対応、そして残りの30名が、直接空間を超えて調査に出向くことになっていた。花形と言える役割のない、ある意味とても地味な部局と言うことになる。  少し大きめの会議室に、可動式の椅子が50並べられていた。そこに担当毎に固まった局員達が、パイクが前に立つのを待ち構えていた。  その局員達の前をゆっくりと歩いたパイクは、中央に設けられた演壇へと立った。今時グースネックのマイクはどうかと思うが、その方が雰囲気が出ると演壇にはマイクが用意されていた。 「諸君、連邦安全局局長のクリストファー・パイクだ。この時期に、諸君の前で挨拶ができることを光栄に思っている」  そこで言葉を一つ切り、パイクは集まった全員の顔を見た。誇らしげに見えるパイクなのだが、内心を覗いてみれば多少の落胆と言う物を見つけることができるだろう。200万光年もの距離を超える航宙艦が多数揃えば、結団式のレベルは10万単位のものとなる。そのつもりで居たところに、わずか50名の結団式なのだ。必要なことだと思っていても、余計なことをと言う思いがあっても仕方がない。 「アリスカンダル事件を経て、超銀河連邦内で外銀河に対する対策を求める声が高くなっている。諸君は、その声に応えるために集結したことを理解してもらいたい。一つ一つの作業は地味に思えるのだろう。だが、小さなその積み重ねが、連邦全体の安全に繋がるのは確かなのだ。この組織に、英雄が生まれることはないのだろう。だがこの組織なしに、英雄が生まれることもないのだ。だからと言って、諸君達に礎になれとも、踏み台になれなどと言うつもりはない。諸君達には、諸君達なりに能力を発揮し、任務を無事勤めて貰いたい思っている」  そこでもう一度言葉を切り、パイクは全員の顔をゆっくりと見ていった。その顔を見る限り、自分とは違い落胆を感じているものは居ないようだ。これならば、当面の任務は無事遂行できると期待を持つことができた。  そして採用された調査の方法は、トラブルの発生を極力抑えるものとなっていた。それでも一つ気になっていたのは、トラブル対応の保険が掛けられたことである。普通ならばその役目は、ご近所さん(連邦軍)に頼むところだろう。だが連邦理事会は、初期段階からトリプルAと契約をしてくれたのだ。パイクとしては色々と不満はあるのだが、ヨモツ銀河での対応を理由にされれば、彼としては口を噤むしかなかった。  それから長々と挨拶をしたのだが、パイクは内心白けても居た。ただ将来の長官が約束された身として、現在の立場を軽んじる訳にはいかない。「諸君達には期待をしている」の言葉で、無事結団式の挨拶を終えたのだった。  多層空間制御を基本とする空間探査局なのだが、残念なことに多層空間制御はブラックボックスとされていた。そのあたり、エスデニアが技術開示を認めなかったからである。したがって内勤者5名の役目には、エスデニアとの調整と言うものが含まれていた。自分達の立案した探査計画に基づき、多層空間接合の依頼をエスデニアに行うのである。その依頼に基づき接合された空間に、2名1組の探査員が送り込まれることになる。  その意味では、内勤と言っても重要な戦略立案を担うことになる。ただ配属された5名は、ただ単なる「事務屋」だと感じていた。  そして同じく5名配属された技術担当は、主に観測に用いる機器の開発・メインテナンスを担当していた。ここで得られたデーターが分析されるのだから、その精度が重要な意味を持つのは当然のことである。観測範囲がX線領域から電波までと広くなっているため、観測機器をいかに小型化ししかも設置の手間を省くことができるのか。技術者として腕の見せ所が沢山用意されていた。  そして開発された観測機器を直接現地に設置するのが、観測員の役割となる。作業自体は指定された条件で機器を設置するだけと地味なのだが、空間探査局唯一のフィールドワークかつ未知の銀河に行くことで、志願者に困らかなった部門でもある。  観測員の集めたデーター分析には、10名がデーター分析担当に当てられた。膨大なデーターを整理分析し、連邦に所属する銀河から得られたデーターと整合作業を行い、同一の観測結果が得られないかを調べるのである。かなりの部分をAIに任せる……と言うか、実作業はAIが行うのだが、それにしても膨大な計算量と分類作業が必要となる作業でもある。この手のことは、アルテッツァならお手の物なのだが、その使用が補助的範囲に限られたため、彼らの活躍の場が用意されたのである。  そして結団式から10日後、初の観測員派遣の運びとなった。第一回目と言うこともあり、超銀河連邦の重鎮を招待した式典が、盛大にアリスカンダルで行われることになった。  超銀河連邦からは理事長であるサラサーテが出席し、ヨモツ連邦からは長官であるモンジュールが出席した。式典としての格式の高さに満足し、パイクは多層空間を超える30人を前に演説を一つぶった。意味合いの重要さを考えれば仕方がないことだが、当の調査員達からは不評を買った長い演説である。パイクの意識がどこに向けられているのか、それを彼らは理解していたと言うことだ。  およそ30分の演説の後、彼らは初の任務のために多層空間を超えていった。これから1週間の予定で観測機器を設置し、順次データーを収集していくことになっていた。それを隔週で繰り返すことで、年間およそ400の箇所に観測機器が設置できることになる。  ただこの数は、100万と言われる対象銀河から見れば誤差の範囲でしか無い。さらなる観測地点の拡大のため、観測員の増員と作業の短縮化が検討されていた。 「そちらの方面でお役に立てなくて申し訳ないと思っていますよ」  式典への招待客として、トリプルAからはトラスティが参加していた。ただ彼の隣に立っていたのは、妻のアリッサではなくアルテルナタだった。そのあたり、彼女のお披露目と言う目的も含まれていた。一方ノブハルは、フリーセアを連れて出席していた。  トラスティの謝罪は、調査の効率化への貢献についてだった。うまく未来視が活用できれば、調査前に対象を絞り込むことも可能と思われたのだ。だが調査結果が出るまでの時間は、未来視の限界を超えていた。そのため未来視は、調査対象の絞り込みには使えず安全面の確保に限定されていた。  その謝罪を受けたパイクは、「いやいや」と首を振ってみせた。 「確かにそれができれば最高なのでしょう。ただその分、アルテルナタ王女殿下の負担も大きくなるのかと思います。それに事前に危険を察知できるだけで、我々のプレッシャーが軽くなるのですよ。それができるだけで、我々はトリプルAに感謝をしております」  将来のキャリアパスを考えると、こんな所で失敗をしている訳にはいかない。その意味で、トリプルAの支援があるのはありがたいことだった。何かと眉唾に見られる未来視にしても、事前のテストでその有効性は確認されていた。 「そう言っていただければ、肩の荷が少し降りた気持ちになります。ノブハル君の研究が進めば、未来視も汎用性が出てくるかと思いますよ」 「確か、クリプトサイトに研究所を設立されたとか?」  パイクが視線を向けた方向では、ノブハルが連邦理事会理事長のサラサーテと挨拶をしていた。その隣には、微妙な距離を保ってフリーセア女王が帯同しているのが見えた。 「ええ、とても彼向きの仕事だと思っています」  同じようにノブハル達に視線を向け、トラスティは小さく頷いた。そしてパイクに対して、「これからもよろしくお願いします」と頭を下げてその場を離れた。 「やはり、トリプルAは若くて勢いがあると言うことか」  その象徴となるのが、社長のアリッサなのだろう。そのアリッサが出席しなかったことを、仕方がないと思いながら、パイクは残念がっていた。それでも不満が少なかったのは、トラスティが連れていた女性も十分以上に美しかったからだ。  パイクから離れたトラスティは、アルテルナタを連れてノブハルの所にやってきた。4人が揃うのを良いことに、3日間の進展を確認しようと言うのだ。 「こんな所で聞くのもなんだとは思うが」  一通り挨拶回りも終わったので、トラスティはノブハル達を会場の端へと連れて行った。そこで自分とノブハル用にはアルコールの入った飲み物を、アルテルナタとフリーセアにはノンアルコールの飲み物を選んだ。アルコール摂取は、未来視の分析能力を劣化させると言うのがその理由である。調査員を派遣した以上、ここからは常に警戒モードでいる必要があったのだ。 「研究の道筋は付きそうかな?」 「ドラセナ公と、何ができるのか話し合いを始めたところだ。手始めとして、女性王族の遺伝子解析をしようと思っている。そのあたりはレムニア帝国にノウハウがあるので、あちらの支社に分析を回そうかと思っている。どの遺伝子情報が、ξ粒子の検出に関わっているのか。そして発現するのに、どんな条件が必要になってくるのか。能力者を途絶えさせない、そして増やすためには必要な分析だと思っている」  ノブハルの説明に、なるほどとトラスティは頷いた。原理の解析並びに応用は重要だが、それと同等に能力を引き継いでいくことも重要なことだった。もしもフリーセアとアルテルナタの子に能力者が生まれなければ、未来視の能力が失われることになってしまう。  ただそこに問題があるとすれば、未来視の能力は王族の権力基盤と言うことだ。その秘密を調べるだけでなく、能力者が増えることは、新たな権力闘争の下地になりかねないと言う問題が有った。 「君の権力基盤にも関わるのだけど、それで構わなかったのかな?」  アルテルナタは、すでに権力闘争からこぼれ落ちた身となっていた。したがってトラスティは、女王であるフリーセアに、それで良いのかと尋ねたのである。その問いかけに対して、「問題はあります」とフリーセアは答えた。ただその時のフリーセアの態度に、ノブハルは胸がモヤつくのを感じてしまった。気のせいでも何でもなく、トラスティに対するフリーセアの距離が、自分と比べて明らかに近かったのだ。 「ですが、後継者を残せないことに比べれば問題として小さいことだと思っております。お姉様も私も、能力を持つ娘を産む義務を理解しております。そしてそれが確かなものとなるよう、常日頃心がけておかなければと思っております」 「つまり、これまで通りのことを続けていくと言うことだね」  確実に能力者を産むためには、これまで通りクリプトサイトの男との子を産む必要がある。それを確認したトラスティに、フリーセアははっきりと頷いた。 「殿方に愛情を捧げることと、能力を引き継ぐ娘を得ることは別だと思っています。ですから遺伝子の提供受ける殿方のことは、切り離して考えようと思っているんです」  そこで恥ずかしそうにするのは、今までのフリーセアから変わっていないのだろう。ただ今までとは違うのは、フリーセアの視線がトラスティに向けられていることだった。そしてそれを嫉妬するノブハルと言うのが、今までとは異なる図式となっていた。  トラスティの質問に答えたことを考えれば、視線が彼に向けられるのはおかしなことではない。だが3日ほどクリプトサイトに滞在して、フリーセアから迫られたことが一度もなかったのだ。前回訪問した際と比べると、フリーセアはとても魅力的に変貌していた。それなのに自分に対して、明らかに距離を取るようになっていたのだ。その理由をトラスティに求めるのは、フリーセアの態度を見ればおかしなことではないだろう。  ただ陰から護衛しているサラマーにしてみれば、エルマーを出発する時と言うことが変わっているのだ。そのあたりの変化を、ノブハルが理解しているのか彼女は疑問に感じていた。  多少変わったとは言え、アリスカンダルは長居をするのに適した場所ではない。特にノブハルなど、質素すぎる生活に対応できていなかったのだ。部屋から外に出る前の暮らしと比べればマシなはずなのだが、ここの所の贅沢が身についてしまったと言うところだろう。  一方トラスティは、現役のリゲル帝国皇帝である。質素というより洗練されていない生活は、リゲル帝国の本質と言うことできたのだ。そして同時に食文化の貧しいパガニア王女も娶っていたのである。その両国を知るだけに、アリスカンダルの生活にさほど苦痛を感じていなかった。と言うより、こう言うものだと受け入れていたのである。ずっと生活するのでなければ、気にする方がおかしいとすら思っていたぐらいだ。  そして式典が終われば、来賓はアリスカンダルから去ることになる。ただアリスカンダル王家は、ノブハルの滞在延長を希望していた。そのあたり、サーシャ王女がノブハルにぞっこんと言う事情からである。だがノブハルは、エスタシア王妃の慰留を振り切りさっさと「クリプトサイト」へと帰っていった。その時本人が口にした口実は、クロノス研究所の立ち上げ作業が残っていると言うものだった。 「私としては、サーシャをノブハル様の嫁の一人として嫁がせたいのですが」  さっさと帰っていったノブハルを見送ったところで、トラスティはエスタシア王妃の愚痴を聞かされた。サーシャの態度を見ていれば、それぐらいのことは容易に想像がつくことでもある。そしてアリスカンダル王家にとって、ノブハルとの姻戚関係は政治的にも大きな意味を持っていた。娘の希望と国の利益、双方にとって都合が良いと言うのがアリスカンダルの置かれた状況だったのだ。  だがノブハルの態度を見ていれば、娘にまったく魅力を感じていないのは明らかだった。そしてその気持が、同行してきた未来視を持つと言う女王に向けられているのもはっきりしていた。超銀河連邦側の美的基準が分かってくると、自分の娘が厳しい立場にあるのも理解できてしまう。 「ノブハル君は、非常識なくせに自分は常識的だと考えていますからね。複数の女性相手と言うのは、一応抵抗してくれますよ。そして一番厄介な皇夫なんて立場になっておきながら、王女様とかやんごとなき女性を面倒な存在だと考えていますからね。その意味では、あなたのお嬢さんには普通なら目が行かないと思いますよ」  その気持が分からないと言うつもりはないが、その説明におかしなことがあるのをエスタシアは気づいていた。 「そう仰りますが、クリプトサイトの女王は奥様ではなかったはずです。それなのに、ノブハル様はクリプトサイトの王女に対して熱のこもった眼差しを向けられておいででした」  話がおかしいのではと主張したエスタシアに、「だから非常識」とトラスティは笑った。 「もともと、クリプトサイトの女王の方が熱心だったんですよ。ただその時は、ノブハル君の方が彼女を避けていましたね。まあ綺麗でしたけど、その頃の彼女はもっと子供っぽかったですからね。彼の好みに合わなかったからと言うのが、その理由だと思いますよ。そして今の彼女は、見事に垢抜けてくれましたからね。自分に言い寄っていた女性の変貌に、ちょっと冷静さを失っているってところでしょう」 「なるほど、そう言う事情ですか」  そこでほっとため息を吐いたエスタシアは、神妙にしている娘の方を見た。相手先の規準を考えると、どうしても野暮ったく見えてしまうのだ。  母娘揃って難しい顔をされ、トラスティは思わず苦笑を浮かべてしまった。年頃の娘を持つ親の悩みと言えばそれまでなのだが、国ことを考えれば親の悩みとばかりは言っていられないのも分かっていた。ただこの問題に対して、自分が介入するのもおかしな話だと思っていた。それでも何も助言しないのは可哀想と、「焦る必要はないと思いますよ」と声を掛けた。 「お嬢さんはまだ若いですからね。それから、あまりノブハル君にこだわらない方が良いと思いますよ」 「つまり、ウチの娘では無理だと言うことですか」  はあっと息を吐き出したエスタシアに、「そこまでは」とトラスティは苦笑を浮かべた。 「ただ、今のままでは厳しいと言うのは確かですね。見た目と言うのもありますが、そもそも彼がアリスカンダルに来る機会がありません。サーシャ王女から押しかけていかない限り、出会いの機会も作れないのではありませんか?」 「そして押しかけていったとしても、今のままでは無理と言うことですね」  もう一度ためていた息を吐き出したエスタシアは、仕方がないと娘の顔を見た。 「少し頭を冷やして、自分がどうなりたいのか考えなさい。まずは、そこから始めることにしましょう」  良いですねと母親に言われ、サーシャは神妙に頷いた。 「多層空間制御装置ですか。そのメンテナンスに来ている方々に、相談してみることにいたします」 「取り掛かりとしては、適当なところでしょうね」  素材を見れば、いろいろと手の打ちようはあるのだろう。ただトラスティも、あまり世話を焼くつもりはなかった。一見必殺技に見える黒のチョーカー攻撃も、自分に掛かる負担が重すぎると言う問題を抱えていたのだ。自分の損得を理由にするにしても、何もないと言うのが現実だった。  自分に矛先が向かないように気をつけながら、トラスティはいつ帰ろうかとアリスカンダルの残り時間を考えたのである。  連邦安全保障局の抱えた課題は、1月に30程度しか観測機器を置けないことにあった。連邦に加入する1万の銀河は、それぞれ調査対象は100ほど抱えていたのだ。単純に換算すれば、観測機器を100万箇所に設置しなければならないことになる。そして「はずれ」の可能性を考えれば、その数は10倍から100倍と増えることになるのだろう。そして今のペースで1千万箇所に設置するには、単純に3万年近くの時間が掛かってしまう。つまり、この方法は非現実的と言うことになる。  一方で、直接訪問するのも様々な問題があるのは確かだった。各銀河当たり10隻の航宙艦を揃えるだけで、10万隻の新規建造が必要となるのである。そしてその船の数に応じた人員の育成も必要となってくる。そして複数の艦で行動した場合、1つ1つの銀河に時間が掛かることも想定できた。最終的には訪問が必要とは言え、こちらはこちらで莫大な費用と人材育成と言う問題を抱えていたのである。そしてもう一つ直接訪問をした際の懸念として、侵略と取られかねないと言うものがあった。  そのため空間探査局の人員増強が、パイクにとっての喫緊の課題となったのである。現在の30名15ペアの体制から、早期に2万人1万ペア体制への増強が求められたのである。ゆくゆくは、20万人10万ペアが必要とされていた。 「そうなると、観測機材の整備並びに分析能力の向上も必要となります」  報告書を持って現れたライカーは、時間的問題解決に必要なデーターを提出した。そのデーターを見たパイクは、はっきりと眉間にシワを寄せて「足りんな」とデーターを突き返した。 「20万と言えば多そうに聞こえるが、各銀河当たりで20人程度だろう。各銀河当たり、2千ぐらい集めてもおかしくないはずだ。それにしたところで、航宙艦2隻程度の人員でしか無い」  それが適正規模かと言うところに疑問はあるが、人員のオーダー的にはおかしな話には聞こえない。ただそこにいくつか超えなければならない問題があるのを、双方とも十分に理解をしていた。 「今更かと思いますが、多層空間制御装置の接続数の課題があります。アリスカンダルに持ち込んだ装置では、同時接続数が100と言う制限があります。そのうち50をヨモツ銀河に提供していますので、使用できる同時接続数は50と言うことになります。1回の派遣に関して接続時間は短いのですが、データー収集のため定期的ポーリングも必要となりますので、実際に人員派遣に割り当てられるリソースは更に少なくなってきます。派遣と撤収、そしてデーターポーリングを考慮すると、現状では1日あたり3600組の派遣が限界となります。1週間単位で回しますので、2万5千組が最大派遣数となります。実際には各組は隔週休みを取りますので、5万組10万人以上の人員は必要ないこととなります」  そちらが多層空間制御装置の制限と、ライカーは淡々と説明した。 「次にばらまく観測装置ですが、現状の体制では日産1000が限界になっています。こちらは再利用が難しいため、この生産数が派遣上限を決めることとなります。単純に言うのなら、年36万が限界と言うことになります。従ってこちらは、最低1桁は生産能力を増やす必要があります。それで年360万、最低でも1千万箇所ばらまくことを考えると、3年程度の時間がかかることになります。ただ多層空間制御装置側の能力もありますので、現状では年19万程度が上限となります」  こちらが生産能力の問題だと説明し、「更に」とライカーは説明を続けた。 「設置数に比例して、処理すべきデーター量も増大することとなります。従って、分析用AIの能力増強も必要となります。アルテッツァクラスとは言いませんが、戦艦に搭載されるAI程度では能力が不足しています」  「さらに」とライカーは問題点を挙げた。 「該当銀河が発見された場合、直接の調査が必要となります。そのためのサイレントホーク2の用意が必要なのですが、必要な準備が整うまでに最低5ヶ月は必要となります。また、調査員の養成も必要となってきます。連邦安全保障局が形になるまで、今のままでは2年ほどの時間が必要かと」 「課題だらけと言うのは、承知の上のスタートだっ!」  少し厳しい口調で答えたパイクは、「必要な予算措置を」とライカーに命じた。そこで初めて困った顔をした部下に、「なにか?」と不機嫌そうな声を出した。 「現状でも予算は潤沢と言えるでしょう。ひとえに、航宙艦建造を後回しにしたお陰なのですが、かと言って人の問題はそうはいきません。人を集めるのにも時間がかかりますが、教育にも時間がかかります。それを順次進めていると言うのが実態です。従って内勤者として確保した5名のうち、1名がリクルートに走り回っています。まだまだ基本組織固めが終わっていないと言うところです」  「拙速そのものだ」とライカーは、ドタバタのうち始まった自分たちの仕事を笑った。 「少なくとも半年は、準備が必要だったのかと思います。トリプルAが逃げた、と言うより、我々に押し付けた理由がよく分かります。まああそこの場合、命令一つで動かせる人材が大勢いますが……」  ライカーがはっきりと苦笑を浮かべたのは、一民間のスタートアップの持つ政治力が理由だった。彼らなら、シルバニア帝国やレムニア帝国、リゲル帝国にパガニアやエスデニアと言った錚々たる星系を動かすことができる。自分達のような苦労をしなくても、組織の一つぐらい作れそうな気がしていたのだ。 「こんな大掛かりなことを、一民間企業にさせる訳にはいかないだろう」  パイクの言葉は、まごうことなき正論には違いない。ただ正論だからと言って、素直に受け取れるかどうかは別のことだった。 「建前が必要と言うのは理解できます。相手が民間企業である以上、癒着を疑われるようなことができないのも仕方がないことでしょう。それが分かっていても、釈然としないのは確かです。そのくせトリプルAは、小型宇宙艇の開発を始めてくれました。レムニア帝国との業務提携ですか? サイレントホーク2なんて、どうしてタイミングよく用意されるのでしょうね」  ズブズブだと嘆いたライカーに、「相手が上手なだけだ」とパイクは憮然として言った。 「小型宇宙艇であれば、製造者など連邦内に掃いて捨てるほど居る。だが高度な観測機器と、発見されにくいステルス性を備えた船体、しかも長期の単独任務が可能な装備を詰め込んだリサイクル機能まで必要となるのだぞ。そんな高性能な船を作れるところは限られているし、トリプルAと業務提携している星系ばかりだ。ここまで考えて手を打ったのであれば、恐ろしい経営手腕と言うところだろう」  恐ろしい経営手腕との評価に、確かにとライカーは大きく頷いた。しかも提供される機体の性能が高いから、文句の一つも言えないと言う不満もあった。 「癒着を疑われてもいいので、トリプルAに丸投げできれば良かったですな」 「おそらくだが、その方がコストダウンと期間短縮ができる気がする」  もしもそんなことになれば、エスデニアとパガニアが全面協力をすることになる。それだけで、ボトルネックとなる多層空間制御の問題が解消されるのだ。更に言うのなら、データー分析にはシルバニア帝国が協力することだろう。アルテッツァが使えれば、AIに頭を悩ませることもなくなる。観測員や保安要員にしても、レムニア帝国やリゲル帝国から要員が確保できるだろう。  パイクが大きくため息を吐いたのは、自分達の存在意義に疑問を持ったのが理由だった。改めて指摘されると、本当にトリプルAに任せた方が良いのが分かってしまったのだ。 「面倒な部分を丸投げされた……そんな気がしてきました」  ライカーの愚痴に、「もう良い」とパイクはそれ以上の無駄話を止めさせたのだった。  面倒だけを押し付けられたと言うのは、必ずしもパイク達の被害妄想ではない。一人でレムニア支社に顔を出したアリッサは、「お前も悪よな」とアリエル皇帝に言われていたのだ。ちなみにサイレントホーク2は、レムニア帝国第一艦隊の最新鋭偵察機からの改良品である。はるか1千ヤー昔に、アリエル自身が搭乗員となった、サイレントホーク号がモデルとなったものだった。ちなみに第一艦隊で運用されるときには、サイレントウィスパーと言う名前が使用されていた。 「我らでも、4人程度の運用が可能なサイズになっておるぞ。加えて言うのなら、完全なリサイクルシステムも新しく追加した。石っころでも拾ってくれば、余程のことがない限り母艦に戻る必要もないな。また乗員がリラックスできるような仕掛けも、いくつか備えておるぞ」  女性4人での任務を経験したこともあり、アリエルは積極的にサイレントホーク2の改良に関わっていた。そのお陰で、アリッサは簡単な要求を出すだけで済んだと言う事情がある。 「1号機のロールアウトは、今からだと1ヶ月後と言うところだな」 「現時点で、1百機のオーダーが入っていますね。1機が10億ダラですから、これだけで1000億ダラの売上げになりますね」  ほくほくと喜ぶアリッサに、「お前も悪よな」とアリエルは繰り返した。 「機を見て敏なのは、経営者として必要なことなんですよ」  少しも悪くなどありませんと嘯くアリッサに、「連邦に面倒を押し付けたことだ」とアリエルは笑った。 「あやつより、質が悪いのでは思えてきたぐらいだ」 「こんな素直で、か弱い女性に向かってそれを言いますか?」  酷いですねと笑うアリッサに、「一部不足があるな」とアリエルは言い返した。 「そこに腹黒いを付け加えれば、まあそんなところだと認めてやろう」 「腹黒いつもりなんて無いんですけどね」  もう一度笑ったアリッサは、「求められる役割をしただけですよ」と答えた。 「連邦のお偉いさん達は、外銀河調査は連邦の仕事だと思っているんです。だから素直な私は、それを認めて連邦にお返ししたんです。必要な道具立てが分かっていましたから、「要りますか?」とサイレントホーク2の売り込みをさせてもらいました。私がしたことなんて、せいぜいその程度のことなんですよ」 「クリプトサイトだったか、未来視の能力を持つ王女を誑し込んだことはどうなのだ?」  アリエルの指摘に、「私の責任外です!」とアリッサは即答した。 「未来視の能力者を確保する意味は理解しています。そんな貴重な能力を、他人に渡すわけにはいきませんからね。ですから夫から話を切り出された時、反対しなかったのだと思ってください。ただ夫の真意は、トリプルAの事業に必要と言う理由じゃありませんけどね」 「ならば、何のために王女を誑し込んだのだ?」  他の理由を匂わせてくれれば、それを聞きたくなるのも不思議な事ではない。 「これは私の想像なんですけど、夫は彼女を対IotUの切り札だと考えているのだと思います」  そう答えたところでアリッサは口ごもり、何かを考えてから「微妙に違いますね」と前言を撤回した。 「IotUと勝負するために、必要な戦力だと考えたのだと思います。未来ぐらい分からないと、勝負にもならないと思ったのではありませんか?」  IotUと対峙するためだと言われれば、なるほどと納得できてしまう。何しろ相手は、宇宙レベルの非常識を体現していたのだ。特殊な能力である未来視でもなければ、手も足も出ないだろうと思えてしまうのだ。 「いや、未来視があっても手も足も出ない気もするが……」 「足りない部分は、夫が自力で補うのでしょうね」  そこが問題と笑ったアリッサは、「お義母様」と少し居住まいを正した。 「なんだ、改まって?」  小さく口元を歪めたアリエルに、アリッサは「夫のことです」とトラスティの出生について切り出した。 「以前お義母様は、IotUと自分の子供を作ることを考えていたと伺っています。ただその夢が叶わなかったため、IotUの奥さんの遺伝子を利用してIotUの子供を作ることにしたと伺っています」  そうですよねと問われたアリエルは、「そのとおりだが?」と少し訝った様子で答えた。 「今更それが、どうかしたのか?」 「いえ、私が伺いたいのは、もう少し踏み込んだお話です。お義母様は、なぜオンファス様を選ばれたのですか? ラズライティシア様とか、他の奥様の遺伝子情報もお持ちなんですよね? それなのに、なぜラズライティシア様でなく、オンファス様だったのかと言うことです」  その問いに、なるほどとアリエルは頷いた。 「他の奥方も試したのだが、うまくいったのがオンファス様だったと言うのが答えになるな」 「オンファス様を選んだのではなく、オンファス様だけがうまくいったと言うことですね」  その説明に頷いたアリッサは、更に踏み込んだ質問をした。 「あの人は、本当にお義母様が作られた子供なんですか?」 「今更何を……と言うところだな。受精卵を作り、保育器で育てたのはわしなのだぞ。その作業自体は、ずっと我が帝国で続けられてきたことだ。今更疑いを持つようなことではないのだがな」  その答えに頷いたアリッサは、「考えたのです」とカイトとノブハルのことを持ち出した。 「お兄様とノブハルさんですけど、夫とザリア、そして夫とアクサの子供だと私達夫婦は考えています。そして夫は、オンファス様……コスモクロアさんとの子供だと考えています。そこに、夫がオンファス様の子供になった言う理由があると思っているんです」 「カイトなるものとノブハルなるものが生まれることが予定されていた……と言うことか?」  自分の言葉から考えられることを口にしたアリエルに、「微妙に違います」とアリッサは返した。 「ラズライティシア様は、早く亡くなられています。そしてアクサのモデルとなった女性は、その存在自体伝承に残っていません。その3方のうち、オンファス様が一番長くIotUの側にいらしたのです。そこでアリエル様に質問なのですが、IotUと奥様達は子供を作ることに否定的でしたか?」 「それはないな。IotUも奥方も子供が欲しいと常々言っていたのを覚えておるぐらいだ」  即答したアリエルに、アリッサは小さく頷いた。 「愛する人との子供を欲しいと思うのは、ごく自然な感情ですよね」  確認してきたアリッサに、「確かにそうだ」とアリエルは認めた。 「だがわしの知る限り、受胎された奥方はいたが、結局生まれてくることはなかったはずだ……いや、わしは何を言っておるのだ?」  自分の口にしたことが、伝えられたIotUの奥方と一致していない。それに気づいたアリエルは、目元を険しくして「なにかおかしい」と繰り返した。  その様子を見たアリッサは、やはり夫の推測したとおりなのだと理解した。自分達の段階が進むほど、掛けられていた封印にほころびが生じるようにできているのだ。  目元を険しくするアリエルに、アリッサは何も考えていないかのように「ところで」と声を上げた。それを何事と驚くアリエルに、「教えてください」とアリッサは迫った。 「不躾なことをお伺いしますが、お義母様には女性としての機能は残っているのでしょうか?」 「確かに、ずいぶんと不躾な質問だな。お前でなければ、地獄を見ていたところだろう」  そう言って口元を歪めたアリエルは、「残っておるぞ」と返した。 「つまり、女性として男性のものを受け入れ、子供を残す用意もあると考えていいと言うことですか?」 「これはまた、命知らずと言われてもおかしくない質問だな。子供のことは分からんが、男性のものを受け入れることは可能だろう。もっとも、そちらの方は1千ヤーほどご無沙汰だがな。下卑た言い方をするなら、蜘蛛の巣が張っておるだろうな」  それがどうしたと、アリエルは少し語気を強めてアリッサに問うた。愛息子の嫁とは言え、質問が踏み込みすぎていたのだ。激昂するところまでは行っていないが、不機嫌になっているのは明らかだった。 「夫と、封印解除の関する色々な条件を考えたんです。あの人は、ザリアとアクサを抱きました。その事によって、隠されていた姿が見えるようになったんです。お母さんのコスモクロアさんには手を出せないとして、残るのは何かと考えたんですよ。ザリアのしもべには、フィオレンティーナ様が居るのが分かっています。多分ですけど、他にもIotUの奥さんが隠れていると思います。奥様達が封印を解く鍵だと考えると、結果的に夫はその方達にも手を出すことになるのかなって思っているんです。それに加えて、シルバニア帝国のコンピューターシステムアルテッツァさんもそうじゃないかと思っています。そうやって考えていたら、一人忘れていたのを気がついたんですよ」 「それが、わしと言うことか?」  ザリアのしもべが鍵となるかは分からないが、アルテッツァが鍵と居うのは納得のできる話だった。ただそこに、自分が含まれるとはアリエルも考えていないことだった。 「なぜ、われもそこに含まれていると考えたのだ? これでも一応、あやつの親なのだがな」  ありえんだろうと笑うアリエルだったが、その目は少しも笑っていなかった。 「確かに、アリエル様はあの人の育ての親ですね。そしてこれは、あの人と話したことでもあるのですけど。封印が掛かっているとしたら、何がその封印を解く鍵になるのかなって。ザリアとアクサは、鍵はミラクルブラッドなんだろうなって思っています。ですが、鍵穴に鍵を差し込んでも、それを回さないと鍵は開かないんです。その最後のアクションが、あの人に抱かれることだったのだと。そしてアリエル様なんですけど、封印にほころびが生じ始めているように見えるんです。だとしたら、最後の一押しはなんなのかなと」 「ならば、コスモクロアはどうなのだ? 抱くことが封印を解く最後の一押しとなるのなら、あやつはコスモクロアを抱かねばならんのだぞ。手を出せないと言うのなら、封印は永遠に解けないことになるはずだ」  それはおかしいと指摘したアリエルに、「そのことですが」とアリッサは顔から笑みを消した。 「コスモクロアさんには、そもそも封印など掛かっていないと言うのが私達の結論です」 「コスモクロアに、封印が掛かっていないだとっ! そんなことはあり得んだろうっ!」  大声を上げたアリエルに、「あり得ます」とアリッサは言い返した。 「お義母様も、カナデ皇とお話をされているかと思いますが、リゲル帝国であの人は一度ザリアに殺されかけました。多分ですが、ザリアは中に隠れていたコスモクロアさんを引っ張り出すため、あの人を死ぬ寸前まで追い詰めたのだと思います。思惑通りおびき出されたコスモクロアさんは、逆にザリアを完膚無きまでに叩きのめして緊急停止までさせたんです。あのときのザリアは、夫からエネルギーを補給されてリゲル帝国の上級剣士でも敵わないほどの力を持っていたんですよ。そのザリアを一方的に叩き潰すようなことが、封印されたデバイスにできると思いますか?」 「確かに、カナデよりコスモクロアのことは聞かされたな……しかしコスモクロアに封印がないとは……」  ううむと唸ったアリエルに、「別の疑問です」とアリッサは続けた。 「あるのが当然だと思っている封印ですが。本当に封印なんてあるんでしょうか?」 「だが、わしはあの人の顔も名前も思い出せぬのだぞ。そしてアクサの原型となった奥方のことは覚えておらぬのだ。だとしたら、封印されたと考えてもおかしくはないだろう」  封印はあると主張したアリエルに、「そこが一つの鍵です」とアリッサは指摘した。 「記憶を消されたのと封印されたのは、事象として思い出せないと言う意味で同じではありませんか? アリエル様の場合、この世界と同じ状態……つまり、記録を消された状態と言う可能性もあるんです」 「封印では無いと言うのか」  ううむと唸ったアリエルに、「それが私達夫婦の結論です」とアリッサは答えた。 「なるほど……ちょっと待て。先程あやつに抱かれるのが、封印を解く鍵と言わなんだか?」 「あれっ、バレちゃいました?」  失敗と、アリッサは舌を出してそっぽを向いた。 「なかなか良い度胸をしておると褒めてやろう」  凶悪に口元を歪めたアリエルだったが、「だが分かる」と今度は自分がそっぽを向いた。 「正直、最近あやつを前にすると、下腹あたりが疼いてくるのだ」 「お義母様も、あの人のものになります?」  いかがですかと、アリッサは金色の飾りが付いた黒のチョーカーを取り出した。 「なんだ、それは?」 「隷属の印みたいなものですね。未来視を持つ王女、つまりアルテルナタさんは、これをしてあの人のものになったんです。王女様のくせに、あの人をご主人様って呼んでいますよ」  真面目な顔をしたアリッサは、すぐに口元を押さえて吹き出した。 「流石に、お義母様を隷属させる訳にはいきませんね。ですからお義母様には、ミラクルブラッドを用意することにいたします。こんどあの人が来た時に、嵌めてもらってください」 「ミラクルブラッドだとっ!」  思わず腰を浮かせたアリエルに、「ミラクルブラッドです」と答え、アリッサは自分の左手を差し出した。その薬指には、赤い石の付いたプラチナのリングが光っていた。 「なぜ、そのようなものをお前がしておるのだっ!」  ミラクルブラッドは、IotUのなした奇跡の一つとして数えられているものだ。そしてこの世界には、わずか12個しか残っていない貴重なものでもある。そしてアリエルが望んでも、与えられることのなかった宝でも有った。そんな貴重なものが、アリッサの左手に光っていたのだ。 「これは、あの人が作ったものです。モンベルト王妃ライスフィールさんが、魔法の力で石とリングを作り、あの人が光の力を込めてくれました。本当にIotUが作ったものと同じかどうかは分かりませんが、このリングはアクサを崩壊の危機から救ったんです。ミラクルブラッドと同じような力を持つものと考えてもおかしくないと思います」 「知らぬ間に、そんなところまで進んでおったか……」  はあっとため息を吐いたアリエルは、「事付を頼む」とアリッサに告げた。 「さっさと顔を出せと伝えておけばいいですか?」 「可及的速やかにときつく申し付けてくれれば良い」  ふうっと息を吐き出し、「感謝する」とアリエルはアリッサに頭を下げた。 「よもや、この年になって小娘のように胸躍る気持ちになるとは思っておらなんだぞ」 「指輪をしたら、もっと凄いことになると思いますよ」  楽しみにしていてください。少し口元を歪めて、アリッサはアリエルにそう告げたのだった。  連邦安全保障局の発足に対して、トリプルAが新規事業として起こしたのは小型偵察機の開発だけではなかった。小型偵察機と言う分かりやすいH/Wとは違い、事前危険検知と言う、ある意味ペテンとも言いたくなるような機能である。それでも未来視によって発生前にトラブルが分かれば、対策できることが格段に増えるのだ。すなわち、クリプトサイト王国の女性が持つ未来視を、安全保障に利用しようというのである。  ただアルテルナタをアリスカンダルに常駐させるわけにはいかないし、すべてを彼女一人に任せるのは流石に無茶と言えるだろう。したがってアルテッツァからの連絡を未来視で見ることで、アルテルナタが異常を調べる方法をとることにした。居場所の制限がなくなるのと同時に、未来視で見る対象が簡略化できると言うメリットもあった。  そして人数の問題は、同じ情報をクロノス研究所に情報を送ることで解消を図っていた。アルテルナタとフリーセア、そしてドラセナの3人体制がそれぞれ未来を見たのである。これでアルテルナタの活動時間をずらすことができるのと同時に、観測の漏れを防ぐこともできた。  最後に問題になるのは、アルテルナタの居場所だろう。流石にクリプトサイトには置いておけないと、アリッサはジェイドに彼女の居場所を作ることにした。ようは自分の持つ部屋の一つを、彼女にあてがったと言うことである。ジェイドがトラスティの本拠地なので、アルテルナタが喜んだのは言うまでもない。 「少なくとも10日以内に、問題となるようなことは起きません」  アリッサがレムニアに行っているので、トラスティはここ数日完全に体が空いていた。だからと言うわけではないが、遅めの時間にふらりとアルテルナタのところに現れた。顔を輝かせて出迎えに出たアルテルナタは、トラスティの左手にぶら下がりながら仕事の話をしたのである。 「いやいや、今更そんな報告をしてくれなくてもいいよ。もしも問題を察知したら、その中身と合わせて警報を出すようになっているだろう。それがない以上、何も起きないと言うことだと思っているよ」 「それは、確かにそうなんですけど……」  そこで頬を膨らませたのは、トラスティの答えが気に入らなかったからだろう。彼女としては、トラスティに褒めて貰いたかったと言うことだ。  そうやって拗ねるのが可愛いと、少し腰をかがめてトラスティはアルテルナタに口づけをした。ただそれ以上のことには、勤務中と言うこともあり及ばなかった。  それでも、アルテルナタには十分意味があったようだ。流石にキスだけで顔が真っ赤になることはなかったが、それでも浮き立つような気持ちを隠すことはできない。まるで跳ねるようにしながら、「毎日が充実しているんです」とトラスティに告げた。 「妹のために、早く妊娠したいって気持ちもあるんですよ」 「その時は、女の子が欲しいっていうんだろう?」  妹のためには、トラスティとの子供に能力が受け継がれるのを確認する必要がある。そうすることで、妹に掛かる制限が軽くなってくれるのだ。もっとも「妹のため」と言いながら、「自分のため」と言うところに本音が有ったのだが。 「その時は、あの子もトラスティ様の子供を欲しがると思います」  だからだと答えたアルテルナタに、「あー」とトラスティは天を見上げた。 「フリーセア女王は、ノブハル君を王配にするんじゃなかったのかな?」  そのために協力したはずなのに、どうして自分との子供なのか。話が違うとトラスティが感じるのも、事情を考えれば不思議なことではなかった。 「トラスティ様が駄目と仰るのなら、あの子も諦めると思いますけど……」  駄目なのですかと下から見られ、それはとトラスティは答えに詰まった。ここまでくれば一人や二人を問題にすることに意味はない。ただ、気分的に姉妹両方と言うことに抵抗を感じていただけのことだ。ただアリッサにしてみれば、何を今更言っているのだと思っていた。 「そのあたりは、ノブハル君の努力次第と言うことにしないか?」 「トラスティ様のお心のままにと言うのが、私の立場からの答えになるのですが。ただ、妹からずるいと言われそうな気がして……罪を背負った私の方が、妹より良い目に遭うことへの後ろめたさもあるんです」  その程度ですと答えたアルテルナタは、トラスティから離れてキッチンへと向かった。話をするのに、何も無いと言うのは許されないと思っていたのだ。アリッサからはクリスタイプを使ったらと言われていたのだが、自分でやりたいからとアルテルナタはアンドロイドを置かなかった。だから日常品の買い物にしても、アルテルナタが自分で買い物に出ていた。  元とは言え王女様が、そんな真似をすれば身の安全を心配するところだろう。ただ未来視を持つアルテルナタだと考えれば、不慮の事故すら心配する必要がなかったのだ。それもあって、彼女のしたいようにトラスティはさせていた。ただトラスティにも分からなかったのは、王女のくせに家事ができるのかと言うことだった。 「まだ、練習中と言うことを先に謝らせていだきます」  そう言ってアルテルナタが持ってきたのは、お茶のセットだった。少しぎこちない手際でお茶を注いたアルテルナタは、「我慢してくださいね」と言いながらトラスティのところに出した。 「いやいや、たかが……とまでは言わないけど、ただのお茶だろう?」  そこまで予防線を張ることかと思いながら、トラスティは出されたお茶に口をつけた。そしてなるほどと、渋みの強いお茶に納得をした。 「やっぱり、苦かったですね……」  一口口に含んで、アルテルナタは「苦い」と舌を出した。その仕草が可愛らしくてムラっと来たのだが、時間を考えてトラスティは自重することにした。現時点のSLAが1週間なので、一日ぐらい観測に穴が出ても契約上問題が出ないことは分かっていた。分かっていたが、それを理由にしてはだめだと己を律したと言うことだ。 「ところで、現実的にどこまで未来が見えるんだい?」  ひとまず落ち着いたと、苦いお茶をすすりながら能力の話を持ち出した。 「今なら、3週間はクリアできると思います。おそらくですが、条件が単純なのが良いのかと。複雑なものを見ないで済む分、先の情報がクリアに確認できます。ちなみにアリッサ様ですが、予定通り明後日戻られますね。レムニア皇帝アリエル様……でしたか。その御方とのお話を、トラスティ様にお伝えすることになっています。すぐに帰ってこいと言付けをされたようです」 「なるほど、予定していたこととは言え、気がのらない話だな……」  今回の帰省は、ただ帰るだけで終わらないことが分かっていたのだ。ただ気が乗らないと言うトラスティに、「本当ですか?」とアルテルナタは聞き返した。  彼女が持っているのはあくまで未来視の能力であり、人の心まで読めないことは分かっていた。それでも藍色の瞳でじっと見つめられ、トラスティは少し気まずげに視線をそらした。 「気が乗らないと言うのは、僕の本心なんだけどね……」 「疚しいところがあるのですね」  ころころと笑ったアルテルナタは、「ところで」とトラスティの訪問目的を尋ねることにした。本来最初に尋ねるべきところなのだが、舞い上がっていて後回しになってしまっていた。 「本日は、何のために私のところへ?」  呼んでくれれば喜んで参上するのにと、アルテルナタは「持ち物」としての立場を持ち出した。 「君なら分かると思ったのだけど……相変わらず、僕の未来は見ないことにしているんだね?」 「頭の中が沸騰してしまうと、お仕事に差し支えが出ますからね。おいでになることまでは見ることはできますが、目的は見ないようにしています。もう少し正確に申し上げるなら、おいでになることが見えた時点で、未来視ができなくなってしまうんです」  厄介な能力ですと笑うアルテルナタに、「そうだね」とトラスティは少し遠い目をした。何日も先の未来が見えると言う凄い能力のはずなのに、見えなくなる理由を教えられると理不尽さを感じてしまうのだ。未来視の原理はノブハルから教えられているし、その原理を考えれば逆に当たり前のことと言うのも分かってはいた。それでも、どうしても理不尽さを感じてしまうのだ。  ただ未来視の話は、本質ではあるが中身は明らかに脇道に逸れたものだった。話が長くなると反省し、トラスティは「実験」を持ち出した。 「ちょっと君に、実験に付き合って貰おうと思ってね」 「私と実験……ですか。私と言うことを考えると、未来視の能力に関わることですね」  なるほどと頷いたアルテルナタに、「だから夜」とトラスティは返した。 「実験は、クリプトサイトに引き継いだ後しようと思っているんだ」 「それが、この時間にお出でになられた理由と言うことですね」  1日のうち、13時間がアルテルナタの受け持ちとなっていた。正確には12時間交代なのだが、それぞれに30分ほど重複する時間を設けていたのである。もっともSLAが1週間なのだから、数時間程度の空白は契約に影響しなかった。 「君とゆっくり食事をして、気分を盛り上げてと思ったんだよ」 「気分を盛り上げて……ですか」  たったそれだけのことで、その先のことが想像できてしまう。未来視を使わなくても、そのせいでアルテルナタの顔は真っ赤に茹で上がっていた。どうしてこんなに初心な反応をしてくれるのか。大量殺戮をした王女とは、どう考えても結びついてくれないのだ。 「ああ、盛り上げてなんだけどね」  このまま話しをすると、夕食抜きになってしまいそうだ。それを恐れたトラスティは、時間を確認して食事に出ることにした。 「まだ少し早いけど、食事にいかないか?」 「手料理をごちそうしたい……と言うには、まだ実力不足なのでしょうね」  眼の前でやけに濃い色をしたお茶を見る限り、実力不足の否定は難しいことになる。ただ「そうだね」と認めるのも、流石に差し支えのある答えに違いない。 「でしたら、すぐにお着替えをしてまいりますっ!」  自分のしている格好を確認してから、アルテルナタは慌てて奥の部屋へと消えていった。ご主人様とお出かけをするのだから、絶対に恥をかかせるようなことがあってはいけない。そして自分のためにも、中途半端な格好で出かける訳にはいかないのだ。絶対の決意を固めたアルテルナタのお陰で、トラスティの夕食は結果的に遅い時間へとずれ込むことになったのである。  たっぷりと時間を掛けてディナーを楽しんだ二人は、そのままタクシーで部屋へと戻ってきた。空間移動を使わなかったのは、普段どおりの生活を心がけたと言うことである。  ディナーが終わって大好きな人と部屋で二人きりになる。「実験」と言うのを忘れ、アルテルナタはしっかりと舞い上がっていた。その様子に、今日は前段階だけだなとトラスティは二日掛かりになることを覚悟した。 「実験なんだけど……」  期待のこもった眼差しを向けてくるアルテルナタに、「これを嵌めて貰いたい」とトラスティは赤い石の付いたプラチナのリングを取り出した。とても勘違いしやすいシチュエーションに、失敗したかなと心の中で考えてもいた。 「私が、こんなものを頂いてよろしいのですかっ!」  自分は持ち物であって、恋人や妻と言う立場ではないはずだ。そんな自分が、主から指輪を貰うことがあって良いのか。感激するのと同時に、あまりの幸せにアルテルナタは恐怖すら感じたぐらいだ。 「この指輪にはちょっと謂われがあってね。アリッサもしているものだから、疚しい目的で使うものでないのは確かだ」  IotUの作ったミラクルブラッドと同じものだと説明したら、更に話がややこしくなりそうな気がした。そのせいで、とても舌足らずの説明になってしまっていた。ただ舞い上がったアルテルナタには、指輪の謂われはどうでも良かったようだ。「本当にいただけるのですか」と潤んだ瞳でトラスティの顔を見つめていた。 「問題が出ない限り、返せと言うつもりはないよ」  だからと、アルテルナタの左手を取り、その薬指にプラチナのリングを嵌めた。このままだと失神するのではないかと思えるぐらいに興奮したアルテルナタだったが、「えっ」と小さな声を上げて自分の左手に輝く指輪を見た。 「なにか、左手から熱が伝わってくるんですけど……」  そしてその熱が、体全体に広がろうとしている。熱っぽい眼差しをしたアルテルナタは、「これは」とトラスティの顔を見た。 「これが、実験の意味なんだけどね……」  同じ現象は、すでにライスフィールで経験したものだった。お陰でトラスティは、アルテルナタの変化に驚かなくて済んだとも言えるだろう。ただ内心では、「質の悪い道具だ」と使用時のデメリットのことを考えていた。 「だから、奥さんまでが限界だったのかな?」  渡した後のことを考えると、広くばらまくことへの恐れが出てしまう。意外に正解かと、トラスティは当時のIotUの行動を想像した。  ただこの時点での現実逃避は、明らかにアルテルナタに可愛そうなものとなる。息を荒くして自分を見るアルテルナタに、トラスティは「必要な儀式」に取り掛かることにした。普段以上にナスがママとなるアルテルナタに、こんなものを使って良いのかと、トラスティはアリエルの顔を思い出したのだった。  ジェイドに帰ってきたアリッサは、トラスティの顔を見るなり「どうでした?」と実験の首尾を尋ねた。 「ああ、彼女の未来視の能力が、格段に増強されることになったね。具体的には、1ヶ月先でも不自由なく見えるようになったよ」 「それは凄いことなのでしょうが……確か、あまり先になると不確定さが増えると聞いた記憶が……」  それを考えれば、見えた未来が本当のものかは分からない。大丈夫かしらと考えるのも、事情を知っていれば不思議なことではないだろう。 「それなんだけどね、複数の未来を分離できるそうだよ。そこまでの道筋も見えるから、問題は起きないと言うことなんだけどね……」 「だとしたら、問題はなさそうに思えるのですけど。他に何かありました?」  夫が口ごもった以上、なにか理由があることになる。それを気にした妻に、「なに」とトラスティは口元を歪めた。 「実際には、もっと先まで見えるようなんだけどね。ただ、対象数が増えすぎて「嫌になる」んだそうだよ。集中できれば良いんだけど、できないとごみの山に押しつぶされそうになるらしいね」 「それって、逆に怖い気もしますね」  ううむと唸ったアリッサは、「忘れていました」と手を叩いた。 「お義母様から、可及的速やかに帰ってこいと言付けを貰いました。これでお義母様の攻略が終わりますから、残るはアルテッツァさんだけですね」 「……どうして、アルテッツァまで攻略することになっているんだろう」  あーと遠くを見たトラスティは、「電脳世界には行けないから」と言い返した。 「その程度のものなら、ゲーム用に出回っていますよ。一応フルダイブしても、問題が出ないとの保証付きの代物です。お姉様のところなら、もう少し凄いものがあったような気が……」  どうだったかと考えるアリッサに、「やめようよ」とトラスティは懇願した。 「ですが、謎に迫るためには必要なことですよ」 「今更だけど、謎解きを止めたくなってきたんだ」  はっきり気が乗らないと答える夫に、「今更ですか?」とアリッサは冷たい視線を向けた。 「アルテルナタさんとかフリーセアさん、ドラセナさん……ええっと、リンさんで満足しちゃいました?」 「最後のは、ナギサ君に協力しただけなんだけど……」  いやいやと首を振ったトラスティに、「仕上げは必要です」とアリッサは覚悟を決めろと突きつけた。 「ここまで真実に迫ったのですから、中途で放り投げるのは感心しませんよ」 「おぼろげながらに見えてきたものが、どうしようもないものに思えたんだよ」  はあっとため息を吐いたトラスティは、「分かってる」とアリッサを手で制した。 「姉さんのところに、その手のものがあるんだよね?」 「一度、確認をしてみます……間違いなく、あると思いますよ」  性を売り物にした娼館なのだから、その手のヴァリエーションはあって然るべきだ。妻の決めつけに、そうなんだろうねとトラスティは後ろ向きの気持ちになっていた。 「と言うことで、お姉さまから回答がありました。あるにはあるけど、倦怠期の解消には役に立たないそうです」 「やっぱり、あるってことか……でも、なんで倦怠期を心配されないといけないんだ」  はあっと息を吐き出した夫に、「誰が使うの?」と聞かれたこともアリッサは打ち明けた。 「お姉様には、あなたが使うと言っておきました」 「僕の印象が、ますます悪くなる気がするよ」  嫌だなぁとこぼす夫に、「それは大丈夫」とアリッサは笑った。 「今更悪くなる印象は無いって言いたいんだろう?」  答えを先取りした夫に、「自覚があるわけですね」と言い返した。 「いつでも使えるので、どうぞだそうですよ。ちなみに、本来は機能障害を持つ人用らしいですね」 「余計に使いたくなくなるのは、どうしてだろう……」  もう一度嫌だなぁとこぼしたトラスティは、「心の整理がついたら」と妻に答えた。 「だそうですよ、アルテッツァさん」  振り返ってみたら、呼んでもないのにアルテッツァが現れていた。その時の表情を表現するなら、「期待に胸を膨らませている」と言うところだろうか。完全に逃げ道を塞がれたことで、トラスティの気持ちはこれ以上無いほどダウンしていた。  もっともそれは、トラスティの事情でしかない。ようやく願いが叶うことに、アルテッツァはこれ以上なく機嫌が良かった。 「ところでトラスティ様、どんなシチュエーションがお好みですか?」 「どんなシチュエーションって……」  なぜそんな話になってくれるのだ。そんな疑問を抱いたトラスティに、「必要なことです!」とアルテッツァは無い胸を張った。 「IotUの時にも、色々なシチュエーションを用意したんです。仮想の世界で、違う自分を演じてみるのも刺激的で良いと思いませんか? 私には、その煩悩に答える能力があるんです」  とても偉そうに答えてくれるアルテッツァなのだが、トラスティの気持ちはますます後ろ向きのものになっていた。もしも自分が第三者なら、利用した相手を「変態」と笑っていたことだろう。だから「普通にしようよ」と主張するのも、今の気持ちを考えればおかしなことではないだろう。  だが盛り上がってしまった二人には、彼の主張はもはや意味を持っていなかった。落ち込むトラスティを横に、アルテッツァとアリッサは、何が面白いかの相談を始めていたのだった。  そんな話をした翌日、トラスティはアリッサと一緒にアムネシア娼館を尋ねていた。もちろん正面からではなく、関係者専用の裏口から入っていた。そしてサイノスタイプの案内で連れて行かれた部屋で、口元をニヤつかせた3人の出迎えを受けることになった。 「どうして、リースリットさんまで居るんです?」  それをいの一番に持ち出したトラスティに、「痛い人の顔を見に」とリースリットは遠慮会釈のない言葉をぶつけてくれた。 「やっぱり、痛い人にされましたか……」  自分でも痛いと思えるのだから、そう言われるのも覚悟はしているつもりだった。ただ面と向かって言われてみると、覚悟はしていても心が痛くて仕方がなかった。 「まあ、その、なんだ。お前にしかできないことと言うのは分かっているさ。くれぐれも、強い心で立ち向かってくれ!」 「そんなにやけた顔で言わなくてもいいじゃありませんか」  カイトが励ましらしいものを口にしている横で、エヴァンジェリンとリースリットが「変態よね」と小声で話し合ってくれるのだ。絶対に嫌がらせをしていると、トラスティはとても恨めしそうな視線を二人に向けた。 「お姉様達。この人には、この程度のことは日常茶飯事ですからね」 「頼むから、人を筋金入りの変態にしないでくれないかな?」  お願い許してとトラスティが懇願した時、「準備はできました」とサイノスタイプのアンドロイドが声をかけてきた。無駄話に付き合わないのは、さすがはアンドロイドと言うところだろう。 「ちなみに、医者の付き添いは必要でしょうか?」 「できれば、一人にして欲しいんだけど」  人目に晒されるのはまっぴら御免と言うトラスティに、サイノスタイプのアンドロイドは、それはそれは申し訳無さそうな顔をしてくれた。 「規定により、この装置は立会人が必須となっています」 「だったら、君に任せていいかな?」  アンドロイド相手なら、まだ精神的ダメージが少なくて済む。それだったらと答えたトラスティに、「残念ながら」とサイノスタイプは否定をしてくれた。 「でしたら、妻として私が付き添うことにしましょう!」  その方がマシかと、トラスティは諦めに似た気持ちを抱いていた。だがサイノスの答えは、誰が話を捻じ曲げたのかと言うものだった。 「アリッサ様も、ご一緒に接続されると伺っていますが?」  驚いた顔をしたサイノスタイプだったが、それ以上に驚いたのがアリッサだった。どうしてと自分に迫ってきたのだが、逆にトラスティの方が教えて貰いたいところだった。 「どうして、アリッサと一緒なんですか?」 「あら、倦怠期対策じゃなかったの?」  そう言って驚くエヴァンジェリンに、「アリッサぁ」とトラスティは恨めしそうな顔をした。 「これは、この人が一人で使うんですよっ!」  自分は無関係だと、アリッサは必死になって抗弁をした。それになるほどと頷いたエヴァンジェリンは、ようやく事情が理解できたと笑った。 「痛いことには変わりはないけど、おかしいなとは思っていたのよ」 「その、事あるごとに痛いと言うのは止めてくれませんか」  繊細な神経がボロボロだと零すトラスティに、「だったら立ち会ってね」とエヴァンジェリンは取り合ってくれなかった。 「1階下のフロアに用意してあるから」  楽しんできてねと言うところを見ると、誤解を解こうとは欠片も考えていないようだ。流石に傷つくなとは思っていても、これ以上傷口に塩を塗るのは自殺行為に違いない。大きなため息を一つ吐いてから、トラスティは「行こうか」とアリッサに声を掛けた。 「はい、しっかりモニタさせてもらいます」  楽しみと笑うアリッサに、「それも止めて」とトラスティは懇願したのだった。  サイノスタイプに案内されたのは、全体が赤系の装飾をされた部屋だった。部屋の中央には大きなベッドが置かれ、横にはガラスで区切られた浴室を見ることができた。 「なにか、こう言う部屋も新鮮でいいですね」  目を輝かせたアリッサに、「目的が違うから」とトラスティは突っ込んだ。そこで浴室の反対を見ると、たっぷりとしたリクライニングチェアが置かれていた。大きなヘルメットのようなものがあるのを見ると、これが仮想体験用のセットなのだろう。 「ではトラスティ様、こちらにお座りください」  予想通りの場所に案内されたトラスティは、されるがままにオカマを被らされた。眼の前がチカチカとした気がするのは、神経系統への割り込みがなされたからだろう。感覚的にも、どこか違和感を覚えるものだった。  そこで不調を訴えたら、「調整中です」とサイノスが答えてくれた。  そんな感覚が5分ほど続いたところで、「用意ができました」と言う声が聞こえてきた。感覚的に違和感が残るのは変わっていないが、感じていた物理的不快さは解消されていた。 「これでトラスティ様の感覚神経への割り込みができました。ここから先はどうなされますか?」 「ここから先……ねぇ」  まさか娼館標準のシチュエーションを使う訳にもいかないだろう。とりあえず感触を確かめたトラスティは、「アルテッツァ」と今日の相手を呼び出した。 「はい、トラスティ様っ!」  元気よく現れたのは、フヨウガクエンの制服を着たアルテッツァだった。 「では、とっておきのシチュエーションを味わっていただきます」  うふふと不気味な笑みを浮かべ、「用意は良いですか?」と尋ねてくれた。 「ああ、覚悟なら出来ているよ」  だからさっさと始めてくれ。トラスティが投げやりに答えた次の瞬間、トラスティの眼の前の世界が一変した。見た感じ、場所はどこかの湖畔なのだろう。見覚えがあるなと記憶を探ってみたら、アスに行った時に見た景色と言うことにたどり着いた。どうやら自分は、レイク・ミサキの湖畔で一人寝転がっていたようだ。  そして自分のしている格好を見ると、いつの間にか茶色のポロシャツ姿に変わっていた。 「どう言うシチュエーションなんだ、これは?」  おかしいなと首を傾げていたら、どこかで見覚えのある少女が駆けてくるのが見えた。そう言うことかと、トラスティは設定の一部を理解することができた気がした。 「アルテッツァ、これは恋人ごっこのつもりなのかな?」  駆けてきた少女は、白いスカートの上に、長めの茶色のブレザーを着ていた。以前アリッサに教えて貰ったお陰で、それがフヨウガクエンの物であるのはひと目で理解できた。  だがトラスティに声を掛けられた少女は、「えっ」と少し驚いた顔をした。 「トラスティ様、アルテッツァと言うのは誰なのですか?」  いきなり食い違った会話に、トラスティは必要な確認をすることにした。 「君はアルテッツァじゃないのかな。帝国コンピューターのAIなんだろう?」  違うのかと言う顔をしたら、「AIの名前はユウカですよ」とアルテッツァの顔をした女性は答えた。 「トラスティ様は、何かの夢でも見ていたのではありませんか?」  お疲れですからと笑ったアルテッツァ似の女性に、「そうかもしれない」とトラスティは答えた。指摘されてみて、自分が疲れていることに気がついたのだ。何しろここのところ、新しく加わった宇宙を飛び回ってばかりだった。 「ところでレイア、ヒスイは実家に帰ったのかな?」 「はい、検査のためお帰りになられました。ですからもう、コハク様が張り切られていて。アスカ様も、手を焼かれているようですよ」  アスカ様も似たようなものですけどと、口元に手を当ててレイアは笑った。 「ですがトラスティ様は、帝国……名前がないと面倒ですね。アリエル様のご招待を受けていましたね」 「あちらのオーギュスト皇帝から、たまには話をさせてくれと頼まれたからなぁ」  一度しか顔を合わせていないのだが、そこでお互いの傷をなめあったのだけは覚えていた。それが気に入ったのか、ちょくちょくオーギュストから遊びに来いと誘われていた。 「話をすると言うより、愚痴を言い合うのではありませんか。ただ「統治など退屈極まりないっ!」と言うのは、私も強く同意していることです。これでトラスティ様のご寵愛をいただければ、気持ちも変わってくるのですけど?」  今からどうですかと微笑まれたトラスティは、いやいやと首を振って否定をした。 「どうして、寄ってたかって僕なんだろうね?」 「他の方の事情は分かりませんが、私は身も心もトラスティ様のものだと思っているんですよ。何しろトラスティ様のお陰で、普通の生活ができるようになったのですからね。しかもユウカ経由ですけど、何度も可愛がっていただきました。私には、トラスティ様以外の殿方は考えられません。ですから私が行儀見習に入るの……違いますね。なんとか家に入り込んで、関係を結んで来いと追い出されたんです」  ころころと笑ったレイアは、「次回の宿題です」と自分の顔を見てくれた。 「間もなく帝国議会が開かれますので、そこに出席しなければなりません。今回の予定は3ヶ月ですから、その間に他の女性が増えないか心配で……きっとアリエル様も、妻の座を狙っていると思います」 「僕は、地球の常識で生きているつもりなんだけどなぁ」  困った顔をしたトラスティに、「嘘ばっかり」とレイアは笑った。 「昔は単なる非常識でしたのに、今は宇宙の非常識とまで言われるようになったのにですか? それとも、新しく加わった人たちのように、「神様」とお呼びいたしましょうか?」  どうですと問われたトラスティは、「勘弁して」とレイアに懇願した。 「僕は、神様なんて大それた物じゃないよ。毎日を汲々として生きている、ただの人間なんだからね」  だから勘弁してと、トラスティはもう一度レイアにお願いをした。 「トラスティ様を「ただの人間」としてしまうと、とても支障がありそうな気もしますが。ですがコハク様達も、トラスティ様が人であることを願われているのですよね。だから「宇宙の非常識」なんですよね」  非常識を認めましょうと、レイアは無い胸を張ってみせた。 「ところで、今回はニルヴァーナに帰るのに抵抗しないんだね」 「カナデ様も、リゲル帝国に里帰り……でいいんでしたっけ? 帰られていますからね」  ライバルの不在を理由にしたレイアに、「あっちはすぐに帰ってくるのに」とトラスティは心の中で考えていた。家の中でにらみ合いと言うか、お互いを監視しあっている状況になっているので、レイアの長期不在はカナデにとって絶好のチャンスなのだ。カナデが見逃しても、目ざといミリアル太閤がこの機会を逃すはずがない。ただそれを口にしなかったのは、自分も「帝国」に行く用事があったからだ。  とりあえず家に帰ろうと、トラスティはレイアの腰を抱き寄せたのだった。  相変わらずいびつな家と言うのが、トラスティの抱いた感想だった。エデンに住まいを変えれば、こんなことを考えなくても済むのだろう。ただ地球の人々が、自分の居場所を気にしていることは分かっていたのだ。そして自分も、生まれた星を出ていくことには抵抗があった。加えて言うのなら、芙蓉学園から離れるのも良くないと思っていたのだ。  ただ距離の話をすると、コハクからは必ず「ドアを開けばそこにあるのにか?」と不思議そうな顔をされてしまう。なにしろ多層空間制御を使えば、エデンにあるコハクの私邸と芙蓉学園はドア一枚隔てた場所でしかなくなってしまうのだ。それを考えれば、距離を持ち出すのが間違っているのは分かっていた。宇宙を飛び回っているくせに、おかしなところを気にしていることは自分でも理解していたのだ。ただ理解はしていても、やはりこだわってしまうのが人間なのだとトラスティは考えていた。  建て増しに建て増しを重ねて歪になった家に着いたところで、レイアは自分から離れていった。そのあたりは、本妻達と言うより、コハクに対して遠慮をしたと言うところなのだろう。それでも言えるのは、巨大な帝国を統べる皇帝が、一庶民の家に毛が生えた程度の家に行儀見習をしに来ている理不尽さだ。もう少し踏み込んで言うのなら、エデンのナンバー2や、パーガトリの王女まで一緒に住んでいるのだ。彼女たちを8畳間に押し込んでいること自体、非常識の誹りを受けるものに違いない。  「ただいま」と玄関のドアを開けると、側仕えの一人サイネリアがすぐに現れた。ただそこまでは良かったのだが、なぜか際どいエプロン姿をしていた。正面から見る限り、エプロンの下に何もつけていないように見えたのだ。横に回って確認したいようなしたくないような、ほんの少しだけ悩んでいたら、「涼しくて良いんですよ」とエプロンをめくってくれた。その瞬間ひどい失望を感じたのは、多分口にしてはいけないのだろう。 「水着の上にエプロンって……それじゃ、油が飛んだときに危ないだろう?」  とてもまっとうな指摘に、いえいえとサイネリアは首を横に振った。 「いえ、これはご主人様専用なんです。料理をするときには、ちゃんと着替えますよ」  だからこれでいいのだと豊かな胸を張ったサイネリアに、「だったら水着はいらないのに」とトラスティは心の中で文句を言っていた。 「だからサイネリア、トラスティのためなら水着はいらぬと言ってやっただろう」  玄関のやり取りが聞こえてきたのか、コハクが顔を出してきた。ピンクのタンクトップに白のキュロットを組み合わせた姿は、体の小ささと合わせて「小学生か」と言いたくなる見た目である。ただ見た目だけなら、天使の中でも飛び抜けているのは間違いない。 「ところで、アスカの姿が見えないけど?」 「ああ、アスカならカエデのところに遊びに行っておるぞ。パーガトリから、イツキも帰ってきておると言うしな。われに聞かせたくない、密談とやらをしておるのだろう」  無駄なのにと口元を歪めたコハクに、「無駄は言い過ぎ」と言って肩を抱き寄せた……身長差が大きすぎて、抱き寄せたようには見えなかったのだが。 「ところでトラスティよ、帝国まではどうやって行くのだ?」  早速帝国行きを持ち出してきたコハクに、トラスティは用意してあった答えを口にした。 「メリベル王女が、プリンセス・クリスティアU世号を出してくれるそうだよ。ついでに、里帰りをするとか言っていたね」  自分の答えになるほどと大きく頷いたコハクは、「今更だとは思うが」と耳にタコができるほど聞かされた注意をしてくれた。 「くれぐれも、余計なおなごを連れてくるではないぞ」 「キャプテン・アーネット……アーネットさんも居るから、大丈夫だとは思うんだけどねぇ」  本当に大丈夫なのか。少し疑問に感じた自分に、コハクは「日頃の素行に問題があるからな」と言って笑った。色々と言い返したいところなのだが、目に見える状況がそれを許してくれなかった。  そのまま黙ったトラスティに、「晩ごはんは天ぷらですよ」とサイネリアが助け舟を出した。 「白い、熱々のご飯も用意しますからね」 「天ぷらかぁ……塩も用意しておいてくれるかな?」  エビとかはその方が美味しいしと。そのつもりで口にしたら、「通ぶっても駄目だぞ」とコハクが笑った。 「どうせ、テレビの受け売りであろう」 「いやいや、この前会食でごちそうになったんだ」  受け売りじゃないと言い返して、トラスティは居間のソファーに腰を下ろした。それを待っていたかのように、コハクが膝の上に座ってきた。少し前かがみになったタンクトップの端から、可愛らしい胸が顔を覗かせていた。 「コハク、行儀が悪いよ」  しかも見えてると指摘したら、「見せておるのだ」とコハクはタンクトップの端を引っ張った。お陰で可愛らしい膨らみのすべてをしっかり見ることができた。あれだけ可愛がってあげたのに、体と同じで成長はしていないようだ。 「どうだ、ムラムラとはしてこんか? まだ、夕食までにはたっぷりと時間があるのだぞ」  どうだと繰り返して、コハクはお尻でトラスティのものを刺激してくれた。 「それとも、我では駄目なのか?」  少し目をうるませた所は、天下一品の美少女に違いない。かなりロリは入っているが、自分の男を刺激するには十分な破壊力を持っていた。しかも相手は、自分の妻なのだ。時間にも余裕があるのだから、何を遠慮することがあるだろうか。  仕方がないと顔をニヤつかせ、コハクを抱き上げたトラスティは空間を超えてベッドルームへと跳躍した。そのお陰で遅い夕食となり、帰ってきたアスカからトラスティはしこたま頭を殴られたのだった。  地球人として背の高いトラスティも、長命種に交じるとちびっこになってしまう。プリンセス・クリスティアU世号から降りたところで、トラスティはアリエルを連れた皇帝オーギュストの出迎えを受けた。  「皇帝自ら出迎えですか!」と驚くトラスティに、「退屈で死にそうだったんだ」とオーギュストは大きな身振りで答えた。なるほどこれがコハクの味わっているものかと、40センチは上にあるオーギュストの顔を見上げながら、トラスティはどうでもいいことを考えていた。  しかも面倒なことに、アリエルは長命種の中でも飛び抜けて小柄な方だった。お陰でオーギュストを見るときには見上げ、アリエルを見るときには下を向くと言う、結構首の疲れることをしなければならなかった。 「あれから君は、いろいろな世界に行ったのだろう? だったら、土産話を聞かせてくれないかな。何しろ皇帝なんてしていると、毎日が退屈で死にそうなんだよ」 「土産話ですか……そうですね、色々と仕入れてありますよ」  エデンと協力して、幾つかの多層空間を超えて調査をしていたのだ。その中には、色々と珍しい世界があったのは確かだった。同時に、多くのやんごとなき女性に手を出したような気もしていた。  ただ誰も気にしていないのだが、トラスティは3界と言われる世界の最高権力者なのである。そのトラスティが、下っ端のように調査に同行させられているのだ。持っている権力と責任を考えたら、絶対にありえないことだろう。そこに問題があるとすれば、本人を含めて誰も疑問に感じていないことだ。 「どうです、食事をしながらと言うのは?」 「良いねぇ、君のお陰で私の食事環境が改善されたんだ」  だから楽しみだと笑いながら、皇帝オーギュストはトラスティを私室へと案内したのである。  オーギュストとの歓談が終われば、次はアリエルの持ち時間となる。普段より張り切って見えるのは、今日は自分だけだと言う思いからだろう。コハクやアーネットと一緒と言うのも捨てがたいのだが、やはり自分だけと言うのは特別な気持ちになれたのだ。  耳が尖っているのが理由なのか、さもなければ単なる個人差なのか。アリエルは耳を責められるのが殊更弱かった。そして今日もまた、念入りに耳を責められたアリエルは、簡単に2度めの絶頂を迎えたのである。トラスティの胸に抱かれたアリエルは、「バカ」と甘えた声を出して頬を寄せてきた。 「耳ばかり責めないでくださいとお願いしたはずです」 「でも、耳が感じるのだろう?」  だからだと答えたトラスティは、右手でアリエルの長い尖った耳を摘んだ。あっと小さな声を漏らしたアリエルは、もう一度「バカ」と甘えてきた。 「耳だけじゃ、物足りないんです」 「長命種の人は、性交渉の概念は無いと聞いたんだけどね」  いいけどと、トラスティはアリエルを組み伏せた。少し小さめだが形の良い胸が目の前に晒され、アリエルは熱に浮かれた視線をトラスティに向けてきた。 「教えてくれたのはあなたです」 「そうだったね」  そう答えたトラスティは、自分の分身をアリエルの中に埋めて言った。普段の物静かなアリエルからは想像できない、甲高い嬌声が耳に響いてきた。二人の交わりは、アリエルが何度も果てて気を失うまで続いたのだった。  そのまま朝を迎えたところで、トラスティは自分を見るアリエルの視線に気がついた。 「そうやって顔を見られるのは恥ずかしいね」 「その恥ずかしい目に、私は何度も遭わされているんです。ですから、これは私からの仕返しなんです」  可愛く笑ったアリエルは、トラスティにのしかかるようにして唇を重ねてきた。 「これも、あなたが教えてくれたことです」 「そうだっけ?」  白を切りながら、トラスティは自分からアリエルに唇を重ねた。そこで背中を撫でられたアリエルは、「ああっ」と悩ましげな声を上げた。 「ええ、全てあなたが教えてくれたことです。ですから責任をとって、私を奥さんの一人に加えてください」 「責任をとって、ねぇ」  確かに責任を取らなくてはいけないことをしているな。もう一人ぐらいなら増やしてもいいかと、トラスティはとても鬼畜なことを考えていた。  だがとても軽い口約束をしようとした時、「申し訳ありません」とユウカが、ホログラムの姿で二人の前に現れた。 「地球との接続が途絶えたので、連絡が遅くなってしまいました。サードニクス様が、ジュリアン様、レイア様に支援依頼を出されています。地球に何か起きたことは確かなのですが、近辺の宙域が現在接続不能になっています。間もなく火星宙域に、空間ゲートを開かれると言うことです」 「地球との連絡が途絶えた?」  慌てて起き上がったトラスティは、「分かっていることは?」とユウカに聞いた。 「現時点では何も。パーガトリ側の接続も遮断されていると言うことだけです」 「地球には、みんなが居たはずだ……連絡はっ」  大きな声を挙げたところで、「トラスティ様」とアリエルが声を上げた。 「トラスティ様なら、すぐに地球まで戻ることができるはずですっ」  これにと着替えを手渡されたトラスティは、小さく頷いて着替えを受け取った。 「確かに、僕が行った方が早そうだ」 「オーギュスト様には、私から事情を説明しておきます」  だから急いでくださいと言われ、トラスティは慌ててパンツをずり上げた。前後ろが逆の気もするが、今はそんな事を言っている暇はない。そのままシャツを羽織って、とりあえずの格好だけは作り上げた。 「ミリアル太閤にも、調査団を出すように伝えてくれ」 「はい、確かに承りました」  急いで下さいの声を背中に、トラスティは光を超えて地球へと急いだ。銀河中央を挟んだ反対側に帝星があるので、時間短縮のため無理やり銀河の中心核も乗り越えた。そこまでして急いだお陰で、地球までは1時間も掛けずにたどり着くことができた。単純計算で光の速度の4億倍を超える、とてつもない速度で移動したことになる。  だが急いでたどり着いた先で見たのは、赤く焼けただれた地球の姿だった。トラスティの記憶にある、青い海も、赤くなった海も、青い空に白い雲もどこにもなく、地上の7割を占めるはずの海からも水がなくなっていた。地上のどこもかしこも、溶けた岩石が渦巻いているだけだった。 「なんだ、これは……なんなんだよ」  想像もしていない光景に、トラスティはまともに考えることはできなかった。ただ呆然と、「なんだよ」と呟くのが限界だったのだ。眼の前の景色を、受け入れることを心が拒んだのだ。  しばらく呆然としていたトラスティに、なにかデブリのようなものがぶつかった。それで現実世界に引き戻されたトラスティは、月の裏側で何かが光ったのに気がついた。一体何がと空間を跳躍したら、セレネの跡地に作られた施設が攻撃されていた。  攻撃している船の数は、10隻と少ないものだった。だが戦力のない施設では、反撃をすることもままならない。攻撃される理由は分からないが、今のトラスティにはどうでもいいことだった。とにかく攻撃を止めるべく、トラスティは右手を差し上げ禁断の光を集めることにした。 「咎人達に滅びの光よ……星よ集え、すべてを撃ち抜く光となれ……」  このままだと、月の施設まで破壊されてしまう。慌てて光を集めたトラスティだったが、それはすでに手遅れとなっていた。攻撃している船を破壊しようとした時、施設のあった場所が爆発したのだ。その光景に愕然とした時、集めた光は手のひらから消失していった。 「確か、ニルヴァーナから運んできた宇宙港があったはずだけど」  月面の施設直近には、ニルヴァーナから小惑星型の宇宙港があったはずだ。それを探したトラスティだったが、見つかったのはおびただしい数の岩塊ばかりだった。 「そこまで、破壊されたのか……」  どうしてとトラスティが呆然としたところで、攻撃していた10隻の船が月から離脱を始めた。 「逃げるのかっ」  そんなことをさせるかと、トラスティはそのまま1隻の船に体当たりをした。光速で突入するトラスティを前にして、正体不明の敵に耐える力はない。そのまま船体を破壊され、小さな光とともに船は爆発した。そして残りの9隻も、トラスティは体当たりで破壊した。  もはや倒すべき敵も居なくなったことで、トラスティは正気に引き戻された。そして正気に戻ったトラスティが見たのは、眼の前に赤く焼けただれた地球が広がっているものだった。目の当たりにした灼熱の世界に、すべてを失ってしまったことを理解してしまった。 「うわぁぁぁぁぁっ!」  空気のない世界で、トラスティは肺が潰れるほどの絶叫をあげた。何度も何度も、ただただ絶叫を続けたのだ。そしてしばらく絶叫を続けたところで、アルテッツァの作った世界から放り出されたのだった。  目を開いた時トラスティが最初に見たのは、青い顔で自分を見つめるアリッサだった。アリッサが安堵の息を漏らしているのは、自分の意識が戻ったからだろう。 「どんな、危ないプレーをしていたのですっ!」  心配したんですよと頬を膨らませながら、アリッサはトラスティの頬を軽く叩いた。 「……痛い」 「そりゃあ、痛くしているのですから当然です」  涙を浮かべたアリッサを見て、トラスティは自分がどこにいるのかようやく理解ができた。自分はアルテッツァの封印を解くため、アムネシア娼館で仮想現実接続をしていたはずだった。 「僕は……」  目を閉じると、赤く焼けただれた惑星の姿が目に浮かんでくる。血の気の引いた顔で、「地球が滅びるのを見たんだ」と口にした。 「あなた、まだ夢の中にいるんですか?」 「い、いや、目が覚めているはずなんだが……」  叩かれて痛いと感じるのだから、多分目が覚めているのだろうと。そう答えた夫に、「地球ってどこのことですか?」とアリッサは尋ねた。 「地球って、芙蓉学園とか3界の中心になった場所なんだけど……」  そこまで口にして、トラスティはあれっと首を傾げた。自分が口にした場所は、超銀河連邦では「アス」と呼ばれる地だったのだ。そしてアスは、一度も滅びを迎えたことはなかった。 「いったい僕は、何を見ていたんだ?」  おかしいと首を傾げたトラスティは、説明を求めるためアルテッツァを呼び出そうとした。だがいくら呼んでも、アルテッツァはその姿を現さなかった。  接続拒否かとの考えが一瞬浮かんだのだが、とりあえず次善の策をとることにした。 「コスモクロア、大至急アルテルナタ王女を連れてきてくれないか」 「アルテルナタ様をですね」  セーター姿で姿を表したコスモクロアは、「直ちに」と言ってその姿を消した。 「どうして、アルテルナタさんなのですか?」 「彼女なら、この先の答えをカンニングすることができるんだ」  その説明に、アリッサはああと頷いた。確かにアルテルナタなら、この先得られる情報を事前に知ることができるのだ。特にこんな突拍子もない事態には、彼女の存在は強力な助けとなる。  アリッサが納得した直後、バスローブ姿のアルテルナタが現れた。どうやらシャワーを浴びている時に、無理やり拉致されてきたようだ。ぐるりとあたりを見渡したアルテルナタは、顔を真赤にして「私ならいつでも大丈夫です」とバスローブを脱ごうとした。 「ごめん、そう言う意味で呼んだんじゃないんだ。今すぐ、未来を見てもらいたいんだよ。アルテッツァに関して、何かおかしなことが起きていないか調べて欲しい」 「アリッサ様とのプレーではないのですね」  少し残念そうな顔をしたアルテルナタは、気を落ち着けるように深呼吸を一つした。そしてしばらく目を閉じてから、「何をなさったのですか?」と逆に質問してきた。 「何をって……アルテッツァはどうなっているんだい?」 「そのことですが……これからご主人様は、シルバニア帝国皇帝ライラ様から抗議を受けることになります。時間的に明日のことですが、抗議の理由はアルテッツァが機能不全……ライラ様は、失神されたと仰っていますね。ですから、なんてことをしてくれるのだと言う抗議になります。シルバニア帝国で、少なくない被害が出たようです」 「アルテッツァが失神した?」  流石に想定外の出来事だと、トラスティとアリッサは顔を見合わせてしまった。 「どうして、アルテッツァが失神なんてできるんだ? そもそも、どうして失神したと分かったんだろう」  もともとの目的は、アルテッツァとそう言う行為をすることだった。それを考えれば、結果が「失神」と言う形で現れても不思議ではないはずだ。ただアルテッツァの規模は、普通の人間の脳とは比較にならないほど巨大なものとなっている。たとえ一部に支障が出ることがあったとしても、システム全体の失神と言うのは考えられなかった。  それにしたところで、トラスティが当初の目的を達成していればの話である。だがトラスティが見た世界は、男女の睦ごととは全く異なる異質なものだった。 「ライラ様が、そう仰られたとしか……そう言えば、その時のライラ様は、熱い眼差しでご主人様を見ておいででした。おそらくですが、アルテッツァの影響を受けたのではないでしょうか?」 「だが、僕が経験したのは全く違うことだぞっ!」  「何かがおかしい」と、険しい表情でトラスティは口元に手を当てた。 「そのことですが、アルテッツァには記録が残っていないとのことです。そしてライラ様の説明では、記録にあるのはトラスティ様とアルテッツァの性行為だけだと言うことです。イメージプレーと言うのですか、フヨウガクエンを舞台に爛れた関係を結ばれていたそうですよ」 「僕の見たものとは、全く違っていると言うことか……だとしたら、僕は何を見せられたんだ?」  両拳を口元に当てたトラスティに、「そのような記録はどこにもないそうです」とアルテルナタは答えた。 「トラスティ様がご覧になられた「地球」と言う星は存在していません。当然破壊されたと言う記録も残っていないのです。ただ登場人物のうち、奥様達以外は現実の方々と一致しています。舞台をアスから地球に変え、そして登場される奥様方を創作物に置き換えた。ライラ様は、トラスティ様の説明に対して、そのようにお答えになられています」 「だとしたら、誰が何のために、あんな創作をしたのかと言うことになるのだが……」  ううむと唸ったところで、「あの」とアルテルナタが顔を赤くして声を掛けてきた。 「この格好ですと、落ち着かないことこの上ないのですが……」  そう言われて改めて見ると、アルテルナタはバスローブ姿そのままだったのだ。このまま3人でと言う話なら問題ないのだろうが、目的が違うのならば格好が気になってしまう。 「今すぐに着替えを用意させますね」  確かにそうだと割り込んできたアリッサは、サイノスタイプのアンドロイドを呼び出した。 「アルテルナタさんに、着替えを用意してあげてください」  その命令を受けたサイノスは、「こちらに」とアルテルナタを連れて行った。 「事実が、2つ存在すると言うことですか?」 「アリッサ、君は僕のことを信じてくれるんだね」  ほっとした夫に、「当然です」とアリッサは胸を張った。 「私が起こす直前のあなたは、明らかに異常な状態にありました。いくらアルテッツァが相手でも、男女間のことであなたが取り乱すようなことはありえません。ましてや大声を上げて叫ぶことなど、シチュエーションを考えればありえないことになります。だから、あなたの言うなにかおかしいと言うのは、とても良く理解できるんです」 「僕は、叫んでいたと言うのか……」  大きく呼吸をしたトラスティは、「確かに叫んでいたな」とアリッサの言葉を認めた。 「僕の愛する人、場所が目の前で失われたんだ」  そこまで口にして、トラスティは歯を食いしばって上を見た。 「焼けただれた地球に、みんながいたはずなんだ。逃げ出していれば、何かの連絡があったはずなんだ。それが無いってことは、みんな巻き込まれたことになってしまう……そんなことはありえないと思おうとしたんだけど、これは本当のことなんだと心が悲鳴を上げていたんだ。こんなことは夢だ、幻だ……なんでもできると思っていた僕なのに、「お前は無力だ」と現実を突きつけられて……」  そこまで口にした夫を、「あなた」とアリッサが抱きしめた。恐怖がぶり返したのか、夫の顔から血の気が引き、体が小刻みに震えだしていたのだ。いやいやをするように体を震わせた夫を、「しっかりしてください」とアリッサは力の限り抱きしめた。だがいくら抱きしめても、愛する夫は自分に気づいてくれなかった。  その声が聞こえたのか、着替え途中のアルテルナタも下着姿で飛び出してきた。そしてアリッサと同じように、力いっぱいトラスティの体を抱きしめた。 「サイノス、お兄様を呼んできてくださいっ!」  二人がかりでも、暴れるトラスティを押さえつけることはできなかった。いくら大きな声で呼びかけても、その声が愛する人へと届いてくれないのだ。  トラスティが「わぁっ」と絶叫を上げた時、空間を超えてカイトが現れた。異常すぎる眼の前の光景に、カイトは「ザリア」と己のサーヴァントに制圧を命じた。 「夢すら見えないようにしてやれっ」 「ならば、アクサの真似をしてみるか。ふたりとも、我が夫から離れておれっ!」  そう答えて、ザリアは手のひらに白い光を集めた。アクサのように、トラスティの時間を止めようと言うのだろう。だがザリアが手のひらに光を集めた時、カイト達はその姿が変貌するのを目撃することとなった。今まで漠然と教えられた、子供の姿を現したのである。それは幼くはあっても、どこまでも気高く美しい姿だった。  だが本当の問題は、トラスティがザリアの変貌を認めたことだった。ただその時の反応は、誰も予想すらしていないものだった。 「コハク、生きていたんだねっ」  抱きしめていた二人を振り払い、トラスティは飛びつくようにしてザリアへと抱きついた。「良かった、良かった」と涙を流すトラスティに、ザリアはきれいな顔を歪めて集めていた光をそっと置いた。  そのままの姿で固まったトラスティから離れ、ザリアは「何と言うことだ」と天を仰いでへたりこんだ。その顔を、溢れ出る涙が濡らしていた。 「わ、われは、こんな悲しみを夫に与えてしまったと言うのか。われは、われは……」  ああとザリアが叫んだ時、カイトは最後のコマンドを実行していた。一番簡単にデバイスを停止する方法、待機状態にするコマンドを実行したのである。感情の爆発による、デバイスの暴走を避けるためである。  命令は直ちに効果を発揮し、そのままの姿でザリアは停止した。へたりこんだまま停止したザリアの表情は、子供のように泣き崩れたものだった。  急の知らせにエヴァンジェリン達が入ってきた時には、事態はすべて終わった後だった。ただその結果は惨憺たるもので、トラスティの時間は止められ、ザリアは子供の姿でスタンバイモードへと移行していた。そして妹のアリッサは、トラスティの隣で呆然と座り込んでいた。 「あなた、一体何が起きたと言うの?」  変態的行為していたのは知っていたが、まさかこんな事になっているとは思っても見なかった。流石に異常すぎる事態に、エヴァンジェリンも冷静ではいられなかった。 「俺には分からんとしか言いようがない。親父がおかしくなったのを止めようとしたんだが、ザリアの奴まで釣られたようにおかしくなってしまったんだ。大事にならないように待機モードにしたのだが。何が起きたのか、俺にもさっぱり分からないんだ」 「ザリアの体が縮んでいるのは?」  不確かな記憶の中に、小さくなったザリアを見たと言うものがある。その時は気のせいだと思うことにしたのだが、目の前には本当に子供の姿になったザリアが停止していた。 「こいつが、アクサの真似をして時間を止めようとしたんだ。その時に体が縮んだんだが、それを見た親父が「コハク」と言って泣きながら抱きついたんだ。確か「生きていたんだ」とか言って喜んでいたんだが、その状態でザリアが親父の時間を止めた。そして今度は、ザリアが嘆き悲しんで喚いたので、俺が停止させたと言うことだ。暴走させないための措置だと思ってくれ」  「そうだよな」と、カイトは正気を保っているアルテルナタに声を掛けた。  それに小さく頷いたアルテルナタは、「見ていた未来が変わりました」と答えた。 「エヴァンジェリン様が確認されたことで、ご主人様はこのまま時間停止状態が保たれることとなったんです。そしてアリッサ様が、ライラ様に抗議をされることとなりました。先程見た未来とは、立場が入れ替わることになったんです。それから、ノブハル様がおいでになられます」 「つまり、あんたが未来を見た時点から、未来を変える何かが起きたと言うことか」  なるほどと難しい顔をしたカイトは、「教えてくれるか」とアルテルナタの顔を見た。 「そもそも、親父は何を見せられたんだ?」 「ご主人様、がでしょうか。私も、直接伺った訳ではないのですが」  そこで一度目を閉じたアルテルナタは、間接的に知らされた話をすることにした。大切な人の住む惑星が破壊されるのを目の当たりにした男の、深い悲しみの物語を。 「連邦の記録にない、そして記録とは異なる悲劇のお話しです」  アリッサの隣に腰を下ろし、アルテルナタはその体を優しく抱きしめた。それからカイト達の顔を見て、「悲しいお話です」と自分の知っていることを語ったのである。  アルテルナタが未来視で見た通り、事件が起きた翌日ノブハルがジェイドまでやってきていた。クリプトサイトが違う銀河にあるので、その移動にはエスデニアの協力があった。  色々とトラスティに対して思うところのあるノブハルだったが、非常事態だと知らされれば個人的事情はどうでも良くなる。エスデニアの手を借りてアムネシア娼館に姿を現したノブハルは、そこで時間停止されたトラスティを見た。 「トラスティさんは、どうしたんだ!」  時間停止させられたことはあっても、実際に時間停止状態を見ることは初めてだった。明らかに異様な雰囲気を発するトラスティに、ノブハルは動揺を隠すことはできなかった。 「どうしたと言われても、見ての通りと言うことになるのだがな。残念ながら、詳しい話は俺にも分からん」 「アルテルナタ、お前は見たんだなっ」  未だに、ノブハルはアルテルナタに対して気持ちがささくれ立つのを抑えることはできなかった。そのためぞんざいな言葉遣いになったノブハルに、「はい」とアルテルナタはおとなしく頭を下げた。 「ただ見たと言っても、書き換えられる前の未来でご主人様が説明される姿です。そして今、また見える未来が書き換えられました」  そう答えたアルテルナタは、時間停止したトラスティの方にきつい眼差しを向けた。 「コスモクロアでしたか、あなたが黒幕なのですか?」  なにとノブハルが驚いた時、トラスティの隣に一人の女性が現れた。長い黒髪に緑色の瞳をした、思わず見とれてしまいたくなるような美しい女性である。普段から静謐な空気を纏っているコスモクロアなのだが、今日は触れることすら拒むような厳しい空気を放っていた。 「それは、あなたの未来視の結果ではありませんね。ただ、そう思えることを私はいたしました」  冷たく言い放つコスモクロアに、アルテルナタはとっさに身構えた。同じようにカイトも身構えたのだが、彼のサーヴァントは未だスタンバイ状態にあった。 「アクサ、出てこいっ!」  そうなると、コスモクロアに対抗できるのはノブハルのサーヴァント以外に存在しない。ノブハルの言葉に応じて現れたのは、レディッシュと言われる赤い髪と澄んだ青い瞳をした美しい女性だった。 「あなたが、私に勝てるとでも?」  冷たく言い放つコスモクロアに、「無理でしょうね」とアクサは言い返した。 「でも、キャプテン・カイトがザリアを呼び起こす時間を稼ぐことはできるわ。そうすれば、あなたとの立場を逆転することができるでしょ」 「確かに、カイト様とザリアが融合したら私でも敵いませんね」  ますます高圧的な態度を取るコスモクロアに、ノブハルは喉がヒリヒリするほどの緊張を感じていた。もしかしたら、それは死の恐怖と呼ばれるものかもしれない。 「見えないのか?」  アルテルナタに尋ねたのも、未来視で何が見えるのかを確かめるためだ。先の展開が分かれば、まだ対処のしようもあると考えたのである。  だが「見えないか」と言うノブハルに、アルテルナタは「見えませんよ」とコスモクロアから視線を外さずに答えた。 「でも、コスモクロアが何をしようとしているのかは想像がつきますけどね」  そうですよねとアルテルナタは声を掛け、コスモクロアのことを「ヒスイ様」と呼びかけた。 「私は、トラスティ様のデバイス、コスモクロアですよ」 「あなたがそう言い張るのなら別に構いません。ただ、一刻も早くご主人様を元に戻してください」  正面から睨みつけてきたアルテルナタに、「度胸がありますね」とコスモクロアは笑った。 「主様のために、無理をしているのですね。そう言うやせ我慢をする人は好きですよ」  そこまで口にしたコスモクロアは、アルテルナタ達に背を向けた。そして跪いてトラスティの唇に自分の唇を重ねた。 「今回は、記憶を消しても意味がありませんからね」  気丈に言い放ったアルテルナタだったが、その足元が震えているのがノブハルからも見て取れた。それでも大したものだと、ノブハルは心の底からアルテルナタを見直していた。 「今更、そんな真似はいたしませんよ」  ふっと口元に笑みを浮かべたコスモクロアは、次の瞬間アルテルナタの隣に現れた。コスモクロアを止めるつもりで居たアクサも、全く反応することのできない動きだった。それでもただ一人、カイトだけがその速さに付いていっていた。 「大丈夫ですよカイト様。主様が指輪を与えた女性を害するつもりなどありませんからね」  ただと、コスモクロアは硬直したアルテルナタの耳元に唇を寄せた。そして早口で何かを告げてから、唐突にその姿を消失させた。  コスモクロアの姿が消えたのに合わせ、全員を包んでいた強圧的な空気から解放された。カイトはなんとか踏みとどまったが、ノブハルとアルテルナタはその場にへたりこんでしまった。 「ザリアが居ても、勝てるかどうか分からないな」  恐ろしいと零したカイトは、「大丈夫か」とアルテルナタに手を差し出した。一人コスモクロアに立ち向かったアルテルナタに、カイトは尊敬にも似た気持ちを抱いていた。  そしてカイトが抱いた気持ちを、ノブハルもアルテルナタに対して感じていた。圧倒的なコスモクロアを前に、自分ができたのはアクサを呼び出すことだけだった。とてもではないが、相手の考えを読んで立ち向かうことなどできなかったのだ。しかも自分とは違い、アルテルナタはデバイスを持っていない。コスモクロアがその気になれば、命を断つことなど蝋燭の炎を吹き消すのよりも簡単なことだっただろう。 「ご主人様ですが、間もなく目を覚まされます」  緊張が解けたのか、アルテルナタは大きく何度も息をしていた。そして少し落ち着いたところで、ノブハル様と声を上げた。 「申し訳ありませんが、アクサでしたか。姿を隠していただけませんか?」 「あ、ああ、アクサっ」  理由は分からないが、今はおとなしく指示に従っておいた方がいい。言われたとおりに、ノブハルはアクサに消えるように命じた。  それを確認してから、アルテルナタはトラスティに近づき「ご主人様」とその肩を揺すった。たったそれだけのことで、トラスティに掛けられた魔法は解け、「ああっ」と言う叫びとともに彼の時間が呼び戻された。その両手が空を切ったのは、時間停止直前に抱きついていたザリアの姿が消えたからだろう。 「ぼ、僕は、何をしていたんだ……」  それがきっかけとも考えられるが、それでもトラスティの変化は不自然なものだった。だがアルテルナタは、不自然さに構わず「良かった」とトラスティに抱きついた。 「僕は、一体どうしたんだ……」 「それは、もう少しご主人様が落ち着かれたらお話をいたします。多分ですが、その頃にはアリッサ様のお話も終わっているかと思います」  だから大丈夫と、アルテルナタはトラスティを抱く腕に力を込めた。 「アリッサが?」  不思議そうな顔をしたトラスティに、アルテルナタはしっかりと頷いた。 「はい、只今ライラ様とお話をされているはずです」 「だけど、それは明日のはず……」  そこまで口にしたところで、トラスティは自分の置かれた状況が理解できた気がした。カイトが居るのはおかしくはないが、視界の端にノブハルの姿が見えたのだ。 「あれから、1日経ったと言うことか」  ありがとうとアルテルナタに告げ、トラスティはゆっくりと立ち上がった。 「ご主人様、昨日のことを覚えておいでですか?」 「ああ、仮想現実と現実の区別がつくようにはなったよ」  だから大丈夫と、トラスティは笑おうとして顔を少しひきつらせた。 「どうやら、心配をかけたようだね」  今度は笑みを浮かべることに成功したトラスティに、「大したことじゃない」とノブハルはそっけなく答えた。そんなノブハルに、「一つお願いがあるんだ」とトラスティは声を掛けた。 「アクサを呼び出してくれないかな?」 「ご主人様、それはっ!」  わざわざ姿を隠して貰ったのは、トラスティの精神状態を考えてのことだった。自分を心配するアルテルナタに、「大丈夫」とトラスティは微笑んでみせた。 「仮想現実で見せられた世界と、現実の区別はつくようになったよ」  もう一度大丈夫と言うトラスティを見て、ノブハルは「アクサ」と己のサーヴァントを呼び出した。その呼び出しに答えて現れたのは、レデュッシュと言われる赤い髪を長く伸ばした、青い瞳が素敵な女性である。ちょうど成熟と未成熟の間にある、絶妙なバランスを持った美しい姿をしていた。 「なるほど、そう言うことだったんだね」  その姿に納得したトラスティは、カイトに向かって「兄さん」と呼びかけた。それに頷いたカイトは、「ザリア」と己のサーヴァントを復帰させた。呼ばれて現れたのは、長い黒髪に紫色の瞳をした、見るものの心を奪うような美しい女性だった。 「ザリア、君の本当の姿を見せてくれないか?」 「見せてやってもよいのだが、まさかただでとは言わぬだろうな」  そう答えて口元を歪めたザリアに、トラスティは小さくため息を返した。 「そんなこと、交換条件を求めることじゃないだろう」  やれやれと言いながら、トラスティはザリアを抱き寄せしっかりと唇を重ねた。その口づけがトリガとなったのか、みるみるうちにその姿が子供の姿へと変貌した。ただ子供の姿こそしているが、美しさと威厳は大人の姿のときよりも高まっていた。  ザリアの本当の姿を確認したトラスティは、最後に自分のサーヴァントを呼び出した。「コスモクロア」と呼ばれて現れたのは、長い黒髪に緑色の瞳をした、魂すら抜かれてしまいそうな美しい女性だった。ただ先程までとは違い、周りを圧するような空気は発散されていなかった。 「それで、デバイスを呼び出してどうしようというのだ?」  ザリアの真の姿には驚いたが、それでも呼び出した理由は理解できなかった。ただノブハルの問いへの答えは、トラスティではなく部屋に入ってきたアリッサから与えられた。有ろう事か、アリッサの隣には本物のライラが並んでいた。 「本当の名前を呼ぶことで、最後の封印を解くんですよ」 「本当の名前、最後の封印……だってっ!」  本当なのかと大声を出したノブハルに、「多分」とトラスティは苦笑した。そしてアリッサに近づくと、「心配をかけたね」と体を抱き寄せ唇を重ねた。 「そうですね、心配はしましたけど、大丈夫だと思っていました」  そこでアリッサは、真剣な顔をしたアルテルナタへと視線を向けた。自分に小さく頷くのを認めたアリッサは、「時が満ちたようですね」と夫の顔を見た。 「幾つかあるうちの、2番目か3番目ぐらいだけどね」  まだまだ最後ではないと答えたトラスティは、アリッサの腰を左手で抱き寄せ3体のデバイスに向かい合った。そして視線をコスモクロアへと向けた。 「コスモクロア。君はオンファスと言う名前も持っていたね。ただ1千ヤーの昔、失われた世界で君はヒスイと言う名を持っていたはずだ。IotUの3番目の奥さんで、ただ一人彼の子供を身籠ったね」  そう説明したトラスティは、最後に「母さん」と呼びかけた。自分の呼びかけに頷いてくれるのを確認し、トラスティは「ザリア」と小さなサーヴァントに声を掛けた。 「君はラズライティシアと言うもう一つの名前を持っていたね。だけど1千ヤーの昔、失われた世界で君はコハクと言う名前を持っていた。IotUの2番めの奥さんで、彼を残してこの世を去っている」  そしてと、トラスティはアクサの顔を見た。 「この世界に、君が居たと言う記録は残っていない。だけど1千ヤーの昔、失われた世界で君はアスカと言う名前を持っていた。IotUの最初の奥さんで、共に戦った戦友でもあるはずだ。そしてコハクと一緒に、彼を残してこの世を去っている。どうかな、僕は間違ったことを言っているのかな」  どうだろうと問われ、3体のデバイスはお互いの顔を見合わせた。そして何らかの押し付け合いの結果、アクサが一歩前に進み出た。 「ようやく、ここまでたどり着いてくれたわね。でもあなたが口にしたとおり、これが最後の封印と言う訳じゃないわ。そして私やコハク、そしてヒスイも知らなことが残っているの。手がかりがどこにあるのか、残念ながら私達にも分からないわ。そもそもあなたが何を求めているのか、その事自体が私達には分からないもの」  それが答えと言われたトラスティは、「何を求めている……か」と少し目を閉じて考えた。 「確かに、僕は何を求めてIotUの足跡を辿ったんだろう。ただ単に、謎解きをすることだけが目的じゃなかったはずなんだけどね」 「そうね、謎解きをしても、あなたに得る物があるとは思えないわ。あのバカ……あなたのお父様のことが理解できても、それは1千ヤーも昔のことでしか無いのよ。今を生きるあなたにとって、大きな意味を持つとは思えないわね」  ただと、アクサはそこに居たカイト達の顔を順に見ていった。 「謎を解くことに意味はなかったかもしれないけど、あなたの辿ってきた道には意味があると思うわ」  違うかしらと問われ、トラスティは少しだけ口元を歪めた。 「多分そうなのだろうけど……周りからずいぶんと痛い男を見る目を向けられたよ」  得たものも大きいが、同時に失ったものもたくさんあった。トラスティはそれを主張したのだが、やはりと言うかアクサは優しくなかった。 「あっ、それは認めたげる。デバイスやAIに手を出すなんて、絶対に痛い男だって思うわぁ」  ずけずけと言われたトラスティは、目元を痙攣させて反撃に出た。 「そんなことを言うと、二度としてあげないけど良いのかな?」 「命が惜しくないと言うのならどうぞ。ヒスイがいても、2対1で勝てるのかしら?」 「私も混ぜてくだされば、3対0になりますよ」  どうでしょうと切り出したコスモクロアに、アクサとザリアは「却下」と声を揃えた。 「ヒスイ殿、流石にそれは母子ともにモラルの問題が出ると思うぞ」 「悪いけど、まだ話は終わっていないんだ」  周りの自分を見る目が、また厳しくなった気がしてならない。心の中で嘆いたトラスティは、もう一つと言ってアルテッツァを呼び出した。 「なんでしょう、痛いトラスティ様っ! あっ、それから昨日はとても素敵でした」  余計な一言を付け加えて現れたアルテッツァに、「そのことだけどね」とトラスティはライラの顔を見た。 「そっちの謎解きも必要だと思うんだ」 「トラスティ様が、シチュエーションエロに走ったことですか?」  うふふと笑ったアルテッツァに向かって、トラスティは「ユウカ」と呼びかけた。 「彼女たちが居た世界で、君はユウカと呼ばれていたはずだ。そして昨日、君とユウカの二人が僕の相手をした。ライラ皇帝が見たのは、僕と君のしたこと……正確には、僕のダミーと君がしたことなんだろう」  違うのかと問われたアルテッツァは、一瞬驚いた顔をしてから小さくため息を吐いた。 「どうすれば、そんな結論に達することができるんです。あのお方ほどではありませんが、トラスティ様も十分に宇宙の非常識だと思います」 「つまり、僕の言っていることが正しかった訳だ」  そこで顔を見られたライラは、小さくため息を吐いて「変態ですね」とトラスティを評した。 「ノブハル様を夫にして良かったと、心の底から思えました」 「アルテッツァ、君は僕のことをどう考えているのかな?」  ライラが見たのは、アルテッツァの用意したダミーでしかない。ただライラの評価を聞くと、余程自分達は変態的な行為をしたことが想像できるのだ。それを見て「変態」と言われることに、トラスティは自分の責任は無いと思っていた。それでも顔が引きつるのは、ライラがとても冷たい目で自分のことを見ていたからだ。 「どうと言われましても……トラスティ様の名誉のためには、ここで口にしない方がよろしいのかと」  ですよねと口元を歪められ、トラスティはそれ以上の追求を諦めた。 「本質的な話に引き戻すけど。僕に見せたあれは、実際にあった出来事なのか?」  これ以上の深入りは、自分の身を滅ぼすことになる。とっさの判断で、トラスティは話題を変えた。 「ここに御三方が揃っているのに、それを仰りますか?」  つまり、実際にあった出来事だと言うのである。ただそうなると、現実との違いが問題となる。知られている銀河に、破壊された地球という惑星はなく、その中心となる役目はアスが担っていたのだ。そして3人の妻にしても、伝えられている姿が異なっていた。 「なぜ、連邦に間違った伝承が残っているんだい?」 「間違った伝承と言われましても……全て、実際にあったことなのですよ。アスと呼ばれる惑星に、フヨウガクエンが作られたのは事実です。そこでラズライティシア様が、IotUとの恋に堕ちられたのも本当のことです」  アルテッツァの答えに、「消された時間軸か」とノブハルが口を挟んだ。そこで一斉に顔を見られたノブハルは、「別の時間軸が用意されたのだ」と繰り返した。 「つまり、僕の見た世界はなかったことにされたと言うのかな?」 「今の話を聞いて、俺はそう結論付けることにした」  断言したノブハルは、「以前議論した話だ」とトラスティの顔を見た。 「なぜ超銀河連邦が、1万の銀河で構成されているのかと言う話をしたはずだ」 「IotUが同じ環境を用意した……何かを求めるためにと言うことだったね」  以前の話を思い出したトラスティは、前提の一部が違っていたことを理解した。 「5万光年を、たった1時間で飛び越えることのできるIotUだ。我を忘れて暴れでもしたら、銀河と言えどただでは済まないと言うことだね。そしてIotUは、償いとして破壊された銀河の代わりに、全く同じ新しい銀河を作った……と言うことか。いや、新しい宇宙そのものを作ったのかも知れないのか。そこまで来ると、神ですら無いように思えるよ。宇宙と言うくくりの外に存在しているとしか思えないね」 「それを、神と呼ぶ気もするのだがな。もちろん、否定することが難しいのは確かだ」  トラスティの説に頷いたノブハルは、「それでも1万は多すぎる」とアクサの顔を見た。そしてトラスティが、ノブハルの後を引き取った。 「そしてそれだけの宇宙を作ったのに、あなたの伝承は残っていない。つまりあなたは、生まれてこなかったと言うことか」 「結果を見れば、そう言うことになるのでしょうね」 その生まれなかった自分が、こうしてこの場にいるのは矛盾とも言えただろう。だがアクサは、そのことを口にしなかったし、トラスティもまたその問題を口にしなかった。 「これは愚問に類することだと思うけど、君はデバイスになった経緯を覚えているかい?」  ザリア達には、気がついたらデバイスだったとの答えを貰っていた。同じことを、アクサに対しても確認したのである。 「確かに、愚問だと思うわよ。私はこんな形になることを、一度も願ったことはなかった……それ以前に、デバイスなんてものは知りもしなかったわ。多分だけど、死は突然に訪れて、何も考えるような暇はなかっと思う。もしも考えるだけの時間があったら、私とコハクは別空間に逃げることもできたんだから」 「誰と言うのはIotUしかありえないのだけど、何故と言うのが謎と言うことか」  結果的に、何も分かっていない状態から進歩していない。「頭が痛い」と嘆いたトラスティに、「同情はするが」とノブハルは言葉を濁した。 「別に同情して欲しいとは思っていないよ」  それでも愚痴が出るのを抑えることはできない。なんでかなぁと天井を見上げていたら、どう言う訳かアクサとザリアに両脇を固められていた。そしてアクサは、アリッサの顔を見て「借りていっていい?」とお伺いを立ててくれた。どうやら同情と言うノブハルの言葉は、こちらの状況に向けられたもののようだ。 「だめと答えたら、聞いて貰えますか?」  無理ですよねとの決めつけに、アクサは「んー」と人差し指を顎に当てた。 「一緒にどう? って条件闘争ぐらいはしたかな」 「異常な世界に連れ込むのは、夫だけにしてもらえませんか?」  だから嫌だと答えたアリッサに、アクサははっきりと頷いた。そして反対側に居るザリアを見てから、「じゃあね」と言ってどこかへと消えた。もちろんトラスティとザリアの姿も見えなくなっていた。そしていつものように残っているコスモクロアに、アリッサはいつもの問いかけをした。 「コスモクロアさんは、今回も一緒に行かないんですね?」 「本当に自分の倫理観が恨めしくなります」  はあっと深すぎるため息を吐いてから、コスモクロアはその姿を消した。 「私も、ご一緒させてくださればいいのに」  どうして自分は誘ってくれないのだ。アルテルナタは小さな声で、まるで独り言のように呟いたのだが、あいにくその声は全員に聞こえていた。アリッサなどは、「意外な一面を見た」と驚いた顔をしていた。 「……お前に対する見方が変わった気がする。くれぐれも、フリーセアを巻き込んでくれるなよ」  心底嫌そうな顔をしたノブハルに、「今更手遅れなのに」とアルテルナタは心の中で呟いていた。  連邦安全保障局に対する業務と言う意味では、トリプルA本社は開店休業状態になっていた。細心の注意のもと派遣された観測員は、特に問題を起こすことなく順調に任務をこなしていたのだ。そして現時点での任務中に、異なる文明との接触も行われていなかった。平和そのもの、かつ単調そのものの任務が継続されていたのである。  一方連邦安全保障局で構築したスキームを利用して、アリッサはジェイド行政局に対して新しいサービスを始めていた。すなわち安全保障サービスに、事前の危険予知も追加したのである。お陰で未だに現れる宇宙怪獣の被害も、事前余地のお陰で水際で対処が可能となり、その被害も最小限に抑えることができるようになった。  ちなみに近未来の予知が確実に行えるのなら、誰もがギャンブルに行くことを考えるだろう。当然アリッサも、アルテルナタを連れてカジノに遊びに行っていた。だがアリッサとアルテルナタの組み合わせは、その一度きりで、二度と実現することはなかった。強運の権化と未来視を持った二人の組み合わせに、訪れたカジノが壊滅的打撃を受けたのである。そこで出禁を食らっただけでなく、ジェイドにある全てのカジノから同時に出禁を通告されてしまったのだ。 「少しも面白くないから、別に構いませんよ」  ただ出禁を告げられたアルテルナタは、少しも残念な顔をしていなかった。その理由が、「面白くない」からと言うことである。アルテルナタにとってカジノに行くことは、ギャンブルでも何でもなかったのだ。少しもドキドキが感じられないのだから、行くこと自体に意味を感じられなかった言うことだ。そのあたり、お金に不自由をしていないと言うのも理由になっているのだろう。  そのアルテルナタを持ってして、「勝てない」とアリッサは評されていた。その理由は、アリッサが賭けると未来が変わるからと言うのである。 「アリッサ様は、未来を自分の都合が良いように捻じ曲げているとしか思えません」  だから勝てないのだと繰り返したアルテルナタに、トラスティは自分の女性運のことを考えた。もしもアルテルナタの言っていることが正しければ、自分の女性運もアリッサの影響を受けていることになる。それどころか、最初の出会いもアリッサの希望で曲げられた可能性があるぐらいだ。  トラスティが妻に女性運の責任を押し付けるのはどうでもいいことだが、トリプルAは連邦安全保障局に対してもう一つビジネスを行っていた。それが、小型調査船の建造と言うものである。すでに100隻の注文を受けており、2週間後には1号、2号機納入が決まっていた。その2機でしばらく評価と訓練を行った後、残りの98隻の納入日程が決まることになっていた。  ちなみにこの訓練も、トリプルAはしっかりとお金を取ることにしていた。そして連邦安全保障局と言うか、選抜されたクルーへの餌として、教官の選択肢にキャプテン・カイトとキャプテン・マリーカをメニューに入れいていた。これは余談になるのだが、リクエスト数は圧倒的にマリーカの方が多かった。 「まあ、俺だってそうするな」  そのことを教えられたカイトだったが、意外にダメージを受けていないように見えた。カイトにしてみれば、狭い船内で女に囲まれるのは遠慮したいし、男に囲まれるのは想像するのもおぞましいのだ。当然マリーカも立場を変えて同じ主張をしたのだが、「仕事」の一言で押し切られてしまった。 「しくしく、貞操の危機がっ」  そう嘆いたマリーカに、グリューエルの慰めは、とても慰めになっていないものだった。 「ですが、いつまでも大切に取っておくものでも無いと思いますよ」  そのやり取りを小耳に挟んだスタークは、娘は大丈夫なのかと自宅のことを考えた。やはり一度釘を差しに帰るか、自由に生きてる娘のことを思い出したのである。  そして同じ頃、レムニア帝国ではトラスティはとても不機嫌そうなアリエルを前にしていた。理由は簡単、可及的速やかにと言われたのに、トラスティのレムニア入りが遅れてしまったのだ。 「わしは、可及的速やかにと申し付けたはずなのだがな」  その時のアリエルは、少したっぷりとした、そして無防備極まりないドレープのセーターを着ていた。そして下を見ると、ふわりとしたミニのスカートと膝上までのニーソックスと言う、年を考えろと言いたくなる格好である。少し前かがみになれば開いたドレープの隙間から危ないものが見え、視線を下げるとスカートの中に危ないものが見えると言う、何を目的としたものなのか、考えたくないなとトラスティは現実逃避をしていた。ちなみに年齢を忘れて考えれば、意外に似合っていると言うのが客観的な感想だった。  アリエルが不機嫌になる理由らしきものは理解しているが、自分にも立場があるし覚悟も必要だと思っていたのだ。だから「いやいや」と首を振ってから、色々とあったのだと言い訳をした。 「その意味で言えば、あなたの封印を解く意味が限りなくなくなったんだけど……記録に残っていない、そしてどこにあるのか存在すら分からない惑星があることが分かったよ。いや、正確に言うのなら、天の川銀河、つまりこの銀河になければいけないんだけど、そこにあるのは全く同じ姿をしたアスと言う惑星なんだ」  トラスティの説明に、「はて」とアリエルは首を傾げた。全く同じ姿をした星があるのなら、同じものと考えるのが自然なはずだ。だがトラスティの口からは、全くの別物として語られていた。 「アスのことではないのか?」  当然の答えを口にしたアリエルに、トラスティは小さく首を横に振った。 「その惑星の名前は、地球と言うんだよ。そこにIotUが奥さんたちと学んだ、芙蓉学園と言う学校があったんだ。ただその地球は、何者かの攻撃を受けて死の星に変わってしまった。多分だけど、IotUの不在を狙われたんだと思う。僕がアルテッツァ、正確に言うとユウカと言うAIなんだけど、ユウカに見せられたのは、焼けただれた地球を見て我を忘れたIotUだったんだ」  それが新しい情報だと、トラスティはアリエルを見ながら答えた。考えても居なかった情報に、アリエルは激しく取り乱した。お陰で短いスカートが跳ね上がり、レースのショーツが眼の前に晒されていた。 「ま、まて、お前は何を言っているのだ。フヨウガクエンは、アスに残っておるではないか。それに天の川銀河の出来事なら、記録を消し去るのは不可能としか言いようがないのだぞ。そもそもわしが忘れておるはずがないであろう」 「やはり、あなたの記憶も書き換えられていたと言うことか」  面倒なと嘆いたトラスティは、立ち上がってアリエルの隣へと場所を変えた。 「望む所と言ってやりたいところだが、まだ話は終わっておらんのだがな」 「確かに話は終わっていないんだけど……ちょっと、状況を変えようと思ったんだ」  そう言って身を乗り出したトラスティに、「ま、待て」とアリエルは焦った声を出した。それに構わずアリエルの左手を取ったトラスティは、ポケットから指輪を取り出しその薬指へと嵌めた。 「こ、これは?」  思っていたこととは違っていたが、まだアリエルの動揺は収まっていなかった。左手に嵌められた指輪を見て、「これは何なのだ」ともう一度トラスティ問うた。 「何か、体に熱が伝わってくるぞ……もしかして、これがミラクルブラッドなるものなのか?」  目元が潤みだしたアリエルに、「真似たもの」とトラスティは答えた。 「でも、ミラクルブラッドに似た効果はあるようだね」 「そ、そう言われても、わしはミラクルブラッドなるものをしたことはないのだ……」  短いスカートから見える足をすり合わせるようにしたアリエルを見て、トラスティはその尖った耳へと手を伸ばした。それは、アルテッツァの作った世界で体験をした、IotUとアリエルの性交を真似たものだった。  耳に触れらたアリエルは、「あっ」と小さく息を漏らした。そして固く瞳を閉じて、こみ上げる感覚をこらえていた。  やはり見せられたとおりかと、トラスティは我慢をするアリエルの頭を抱き寄せた。そしてナスがママになったのを良いことに、念入りに特徴的な耳を責め上げた。 「な、なぜっ、お、お前がこれを知っておるのだっ……」  息を荒くしながら、アリエルはトラスティにしがみついた。そうやってこみ上げる快感を耐えていたのだが、トラスティは責め上げる手を緩めなかった。そして待てと言う言葉から少し遅れて、アリエルはトラスティの胸で小さく呻き声をあげた。 「耳だけで十分だったかな?」  耳元で囁かれたアリエルは、トラスティにしがみついたまま「バカ」と甘えた声を出した。やはり同じなのかと考えながら、トラスティはもう一度アリエルの耳を愛撫した。そして反対の手をスカートの中に差し入れ、豪華なレースの付いたショーツを引き下ろした。  トラスティのものを受け入れた時、アリエルは今は無き愛しい人の名を呼んだのだった。  翌朝目覚めたトラスティは、隣にアリエルが寝ているのに気がついた。アリエルのとても満ち足りた顔と言うのは、彼の記憶にも無いものだった。 「なるほど、僕は子供だったと言うことか」  一緒に寝て貰ったことは何度もあったが、起きた時にアリエルが同じベッドにいた事は一度もなかった。当たり前だが、こんな無防備な寝顔を見たこともなかった。 「もう、母さんと呼んでは駄目だな」  寝ているアリエルのおでこにキスをしてから、トラスティはそっとベッドを抜け出した。その時もぞもぞとアリエルが動いたのだが、すぐに丸くなって動かなくなった。どうやら、気持ちの良い夢の世界に居るようだ。 「アルテッツァの見せてくれた世界では……いや、あれは終わったことなんだな」  そこでアリエルを見たトラスティは、残りのピースのことを考えた。アリエルが口走ってくれたので、IotUの名前は知ることができた。ただ名前だけでは、そこから先には広がってくれない。そして自分が見た世界と現実世界の齟齬について、適当な説明が付いてくれないのも変わっていなかった。 「ノブハル君の言う、異なる時間軸の世界と言うのは……」  この話をした時、ノブハルは別の時間軸が用意され、元あった世界はなかったことにされたのだと説明した。その時はなるほどと思ったのだが、それでも説明しきれないことがあるのにトラスティは気がついた。 「アリエルは、ちゃんとその記憶を持っていた。そしてアルテッツァも、ユウカと言うコアをちゃんと持っていた。なかったことにしたと言うには、あまりにも手際が杜撰すぎるな。だとしたら、IotU……確か、シンジと言ったかな、彼は何をしたかったんだろう」  そこでトラスティは、「コスモクロア」と己のサーヴァントを呼び出した。ただ姿を表したコスモクロアは、とてもモラルに厳しい格好をしていた。薄い布でできた貫頭衣のようなものを着ているのだが、丈が短く素材が薄すぎるため、何も隠していないのと変わりがなかった。  そんな格好をして現れた理由など、今更聞かなくても分かりきったことだった。だからトラスティは、コスモクロアが何かを口にする前に、「しないからね」と先手を打った。 「ですが主様は、育ての親にまで手を出されたのですよ」  だから自分もと主張したコスモクロアに、「それでも駄目」とトラスティは言い切った。今まで以上に恨めしそうな顔をしたコスモクロアに、「それよりも」と自分の疑問解消を優先した。 「私に、気持ちよく話をさせてくださらないのですね。してくださったら、どんなことでも話してしまいそうなのに」  どんなことでもと言うのに心は動いたが、それでもトラスティの理性は揺るがなかった。もう一度「だめ」と突き放し、「君は」と質問を口にした。 「いや君という存在は、ヒスイなのかオンファスなのか。そしてヒスイとオンファスの関係はどうなっているのか。アルテッツァが見せてくれた世界では、ヒスイは地球の爆発に巻き込まれていないんだ。そしてその時ヒスイは、IotUの子を身籠っていた。僕が生まれたと言うことは、君はヒスイでなければならないはずだ。だとしたら、オンファスと言う存在はどう言う意味を持っていることになるんだい?」 「同じ存在と言うのは、誠実な答えにはなりませんか?」  少しふてくされて見えるコスモクロアに、「ならないね」とトラスティは返した。 「同じの定義が曖昧だ。それをはっきりとさせてくれれば、誠実な答えになるのかもしれないな」  それでと問い返したトラスティに、「良くは分かりませんが」とコスモクロアは前置きをした。 「私の中に、いくつもの記憶があると言うことなのですが。私はヒスイでありオンファスでもあるんです。ただいずれの生にも、終わったことへの記憶が無いだけです」  そこまで語ったオンファスは、「主様」と真剣な表情で語りかけてきた。 「いずれの生でも、私はいつも見送る側でした。あのお方と一番長い時を過ごしたのは確かですが、同時に共に苦しんだのも確かなのです。同じことを何度も繰り返し、その度に心を切り裂かれていくのです。愛すれば愛するほど、受ける傷はより深くなっていくんです。そして何度も同じところを切り裂かれれば、心が繋がっていると思う方が不思議ではありませんか? たとえ神に等しき人でも、狂う……とまではいかなくても、まともな精神を保てなくなってもおかしくないとは思いませんか?」 「それは、IotUもそうだと言っているんだね」  コスモクロアと同じことを、IotUも経験している。やり直しを主導したことを考えれば、心の受けたダメージは更に酷いものになっていてもおかしくはない。そう言うことなのかと、トラスティはデバイスと言う形を選んだIotUの考えが分かった気がした。 「私には、それを否定するだけの理由がありません」  IotUも同じであることを否定しないコスモクロアに、トラスティはもう一つの疑問をぶつけた。 「だとしたら、なぜ君は他の妻たちを粛清したのだい?」 「まともな精神を保てなくなった時の行動に、理由を求めるのですね?」  少し狂気さえ滲ませたコスモクロアに、トラスティは小さく頷いた。 「たとえ狂っていたとしても、ラズライティシア様……つまり、コハク様には手を出していないんだ。だとしたら、コハク様とそれ以外の奥さんたちの間に、君は何らかの差を認めていたことになる」  その指摘に、「そうですね」とコスモクロアは少し考えた。 「アスカ様が得られず、そしてコハク様も失ってしまう。その時あの方は、深く悲しみ自分の生きる世界を作り直されたのです。ですからコハク様が失われた時点で、あの方がやり直しをされるのが分かっていました。だから、私はいつもやり直しのために後始末をしていました。それを気が遠くなるほど続け、最終的に残ったのが今の世界、正確には今の天の川銀河と言うことになります。あの方がやり直しを選ばなかったため、私が粛清を行った事実だけが残ることになりました」 「もしかして、新しく加わった銀河に残る伝説は、その名残と言うことなのかな?」  それはと問われたコスモクロアは、小さく首を振って「分かりません」と答えた。 「リゲル帝国やレムニア帝国は、その銀河には存在していません。ですから、同じものかと問われたら、違うのではと言うのが答えになります。ただ本当に違うのかどうかは、今の私には断言できないのです」  コスモクロアの答えに、そこにどんな意味が含まれているのかトラスティは考えた。そしてたどり着いたのが、作り直された範囲が極めて狭いと言うことである。極端な話、地球と呼ばれた星とその周辺、拡張したとしても、エスデニアやパガニアまでだろうと考えたのである。  その場合の問題は、1千ヤーの寿命を持つアリエルと言う存在だった。 「アリエルの記憶が消されたのも、それが理由ということか」 「多分、としか私には申し上げることはできません。付け加えるのなら、集団ヒステリーを起こした記憶など、残っていても為になるものでは無いと思います」  集団ヒステリーと言うコスモクロアの言葉に、トラスティは自分が見せられた先を想像することができた。何者の仕業かは分からないが、その仕返しが苛烈を極めたことが想像できるのだ。何も情報が残っていないことを考えると、存在自体この宇宙から抹殺されたと考えていいだろう。一体どれだけの星系が消えたことになるのか。何も記録が残っていないからこそ、それが膨大なものだと想像することもできた。 「そうか、これで解くべき謎は殆ど残っていないと考えて良いのか」  小さく呟いたトラスティに、コスモクロアは小さく首を振った。 「あの方のことなら、ほとんど解けていないと言っていいと思います。ですが、謎に迫ることへの意味には、はっきりと疑問を感じてしまいます。ただ主様がどう考え、そしてどう行動するのか。それは主様自身が決めることであり、その結果に責任を負われるのも主様と言うことです」 「自分が納得できるかどうか、と言うことかな?」  トラスティの問いに、コスモクロアはしっかりと頷いた。 「身も蓋もな言い方をするのなら、好きにすればいいと言うことになります。それに他人に言われたからと言って、考えを変えるような主様ではないと思っていますからね」  いかにも自己中心的と言われたような気がして、トラスティは思わず微苦笑を浮かべた。 「いかにも酷い言われように思えるね」 「それを事実だと認めるところから始められた方が宜しいのかと」  少し口元を緩めたコスモクロアは、「だから多くのことが成し遂げられた」とトラスティの冒険を評した。 「主様が出生の謎に迫ろうとしたことで、多くの方々が救われることになりました。ですが、同時に多くの方々の人生に関わりが出てしまいました。もしも生まれ方への疑問を、「そう言うものだ」と割り切られていたら、アイラさんと仲良く帝国の仕事をされていたのではありませんか?」  あったかもしれない未来の話に、「それもあるか」とトラスティは認めた。 「もしもそうしていたら、今の連邦はどうなっていたんだろうね?」 「どうもなっていなかった……小さな悲劇はあったかもしれませんが、連邦と言う総体に特段の変化は出ていなかったでしょうね。パガニアの問題にしても、モンベルトの問題にしても、ゼスの問題にしても有名ではありましたが、問題の規模は大したものではありません。そしてヨモツ銀河のことにしても、ディアミズレ銀河のごく一部で起きた、不幸な事件でしかなかったかと思います。もちろん、個々の方々にとってみれば、小さな出来事で済ますことができないのは理解していますよ。主様の貢献を、過小評価するものでもありません。ただ巨大な連邦と言う視点にたてば、どうもなっていないと申し上げました。そしてその場合、トリプルAなる新興企業は、このように目立つことはなかったでしょうね」  最後にフォローをしてくれたが、トラスティはコスモクロアの言う「変化がなかった」に納得をしていた。 「多分僕は、レムニアで大人しくなんかしていられなかっただろうね」 「流石に私も、それを否定する言葉を持っていません」  その意味で言えば、今の状況は必然と言うことになる。IotUの謎解きは、そのきっかけの一つでしかなかったと言うことになる。 「自分でも、否定出来ないと思っているよ」  ふっと笑ったトラスティは、「ありがとう」とコスモクロアに戻ることを許した。だがその命令に、コスモクロアは姿を消すのではなく、トラスティにくっつくように空間を転移した。 「ですから、これも必然だと思いませんか?」  とても薄い布越しに、形の良い張りのある胸を押し付けてくれた。ノブハル辺りなら頭に血が上るところだろうが、あいにくそこまでトラスティは初心ではなかった。そして常々コスモクロアが「自分のモラル」と口にしているように、トラスティの側でも「ブレーキ」が有効に働いていた。  だから「ないよ」と、トラスティはコスモクロアを押し返した。 「君同様、僕にもモラルは残っているんだ」  だからありえないと繰り返し、「ありがとう」とトラスティはコスモクロアを追い返した。やけに恨めしそうな顔をしたコスモクロアがとても印象的だった。 「さて、これからどうするのかを考えなくちゃいけないか」  謎と言う意味なら、確かにたくさん残っているのだろう。ただその謎に迫ることへの意味が、トラスティには分からなくなっていた。もしも破壊された地球とその銀河が見つかったとしても、それがどんな意味を持つのか分からなかったのだ。  その時には、おそらく超銀河連邦の歴史を書き換えることになるのだろう。そしてアスにある神殿の意味も、変わってくるに違いない。コスモクロアの教えてくれた、妻達の粛清についても新しい情報が得られる可能性もある。  だが妻達の係累に対する粛清は、すでに自分の手によって解決されていた。そのついでで起きたモンベルトの破壊も、今は復興目前と言うところまでたどり着いていた。それにした所で、自分が骨を折った結果なのである。意味合いが変わるはずのアスの神殿にしても、アルテッツァの言葉が正しければ、敢えて変える必要があるとも思えなかった。IotUが1千ヤー昔の存在である以上、何を調べても今に直接の影響を与えることはなかったのだ。  それに比べれば、ようやく始まった外銀河探索の方が意味として大きなものとなる。連邦から多くの資金と人材が投入され、近傍銀河の探索が行われるのだ。そこで新たな友人ができることで……もしかしたら、対立を引き起こすこともあり得るのだが……いずれにしても、連邦のあり方に影響がでるのは間違いがなかった。 「外銀河探索だったら、僕の出番は無いのだろうね」  アリスカンダル事件にしても、解決したのはシルバニア帝国軍と近衛から派遣されたリュースだった。そしてドタバタと編成された訪問団では、ノブハルと連邦から派遣された外交官が活躍してくれた。そこに介入する余地があったのも、急ぎすぎた派遣と、悪乗りとも思える連邦の対応が理由だっただけのことだ。  これからの外銀河探索は、ヨモツ銀河対応とは違った落ち着いたものとなることだろう。そしてそのための組織が作られ、実際に活動を始めている。安全保障と言う意味では関係しているが、自分が手を出す話でもなくなっていた。もしも自分にすることがあるとすれば、関わってきた女性のご機嫌取りぐらいしか無いように思えてしまった。 「何か、レムニアを飛び出したときと似てきたな」  あの頃は、レムニアに留まることへの閉塞感を覚えていたのだ。だからIotUの足跡を辿ることを口実に、広い宇宙に飛び出していったのだ。そして主要な謎解きが終わった今、自分は同じような閉塞感を持つようになってしまった。 「少し旅にでも出るか……」  そうすれば、自分探しができるのでは。そう考えたところで、「それは無理か」とトラスティは浮かんだ考えを否定した。  今更だが、自分は多くの人達と関わり合いができてしまったのだ。アリッサ・トランブルの夫と言う立場もあれば、リゲル帝国皇帝と言う立場もある。そしてモンベルト国王と言う立場も、蔑ろにしていいものではないはずだ。何かを探すために旅に出ると言うのは、そのすべてを置き去りにすることにも繋がっていた。 「もう、大人しくしていろと言うことなのかな?」  ふうっと息を吐き出したトラスティは、アリエルの眠るベッドへと潜り込んだ。それが理由なのか、はたまた目が覚める時間が来たからなのか、アリエルは小さく息を吐きだして目を開いた。そして「どうしたのだ?」と褥を共にした男に尋ねた。 「色々と考えることがあったんだよ」  それを「そうか」と受け取ったアリエルは、トラスティに覆いかぶさって唇を重ねた。 「ここを出ていく前、お前は似たような目をしていたぞ」  そう口にして、もう一度アリエルはトラスティに唇を重ねた。 「もはや、IotUの謎もお前を繋いでおく鎖とはならないと言うことか?」 「僕は、その謎に迫るためにここを飛び出したんだけどね」  もともと鎖じゃないと答えたトラスティに、「今は鎖だ」とアリエルは答えた。 「それでお前の世界は広がりはしたが、わしのところへ帰ってくることには変わりはなかった。だが、その鎖ももはや意味を持たなくなったのであろう。それぐらいのことは、お前の顔を見れば分かるのだ」 「さすがは、育ての親と思えばいいのかな?」  そう答えて口元を歪めたトラスティに、「ばか」と答えてアリエルは唇を重ねた。 「お前を自分のものにしたい。そんな願いを持った、愚かな女の戯言だ」 「僕は、誰のものでもないよ。それでも強いて言うのなら、アリッサのものと言うことになるのだろうね」  そう答え、トラスティはアリエルの耳を弄んだ。とたんに「あっ」と小さな声をあげ、アリエルはトラスティにしがみついた。 「それはやめてくれと頼んだはずだっ」 「頼まれたからと言って、はいそうですかと聞くとでも思ったのかい?」  そう言いながら、トラスティは念入りにアリエルの耳を責め立てた。必死にしがみついて耐えていたアリエルだったが、すぐに小さな悲鳴を上げて達してしまった。 「こんなことをされると、お前から離れられなくなるではないか。お前は、わしに縛られることになっても構わんのか?」  大きく呼吸をしながら、アリエルはトラスティの瞳を覗き込んできた。その頭を抑えて、今度はトラスティの方から唇を重ねた。 「僕は、すでに沢山の鎖で縛られているよ。今更それが1本増えたところで、気にするほどのことはないと思ってる」  もう一度唇を重ねたトラスティは、耳を弄びながら体を入れ替えた。 「だが、お前は今以上の束縛を受けることになる。それは、本当にお前のためになることなのか? お前が望んだことなのか?」  息があがりながらも、アリエルはその意味をトラスティに問いかけた。だがアリエルの問いへの答えは、トラスティからは与えられなかった。まるで都合の悪いことから逃れるかのように、再びアリエルの中へと入っていったのだ。「ああっ」と甲高い嬌声が涙とともにアリエルから零れ落ちていった。  先日の事件だけが理由ではないのだろうが、アリッサはちょくちょくアルテルナタを構っていた。そしてトラスティがレムニアに行ったのを理由に、アルテルナタをトリプルAの事務所に呼び寄せた。適当なところで仕事を切り上げて、後はプラタナス商店会の散策を計画をしていたのだ。  巨大企業に育ったトリプルAだが、本社の様子は発足当時とあまり変わらなかった。働くアンドロイドの数こそ増えたが、中にいる人間の数が増えていないのである。実際には増えているのだが、落ち着いて本社に居ないと言うのが実体だった。自分達の他にリュースが居たので、今日はまだマシな方と言えるだろう。 「アルテルナタさんは、すぐにでもあの人の子供が欲しいんですよね?」  のんびりとした空気の中、アリッサ達はバネッタ15の入れてくれたアイスカモミールティーを飲んでいた。ただ中で浮かんでいるカモミールの花は、公園で摘まれた天然物ではない。アリッサの必死の抵抗が理由なのか、プランターで作られたものが供されていた。  子供のことを持ち出され、アルテルナタは顔を赤くしながら頷いた。 「私達シラキューサの女には、能力を引続ぐ女児を産むと言う義務があります。そして妹、フリーセア女王のためには、配偶者の選択肢を増やしてあげなければと思っているんです。そのためには、結果が早く出た方が好ましい……と言うのが屁理屈だとは分かっているんですけどね」  ますます顔を赤くしたアルテルナタは、「厚かましい願いでしょうか?」とアリッサの顔色をうかがった。アリッサがトラスティの本妻と言うのもそうだが、自分は大罪を犯した女なのだ。その自分が人並みの幸せを願ってよいのか、それはジェイドに来てから毎日自分に問いかけていることでもある。 「良いのかと聞かれましても……あの人とアルテルナタさんが決めることだと思いますよ。あの人を夫にした以上、それぐらいのことは気にしてはいられませんからね。それに、子供なら……」  そう口にして、アリッサは指を折って子供の数を数え始めた。 「レムニアに1人、リゲル帝国で4人、モンベルトで3人、エスデニアで1人……ええっと、パガニアにも1人生まれますね……他にも居たような気もしますが。とにかく、アルテルナタさんが気にするあの人の子供は、すでにこんなに沢山いるんですよ。私の言いたいことが分かりますよね?」  そう問いかけられて、アルテルナタは少し遠い目をして首を傾けた。 「そう仰られると、確かに子供のことを気にする方がおかしそうですね……それから、ご主人様のお子様ですけど、近い内にレムニアにもう一人増えることになります」 「アイラさんが、もう一人産むのかしら?」  レムニアに行った以上、アイラと会ってくるのはおかしなことと言うより、むしろ当然のことだと思っていた。そして二人が会えば、することをするのもおかしなことではない。その結果、もう一人子供が増えるのも自然なことに違いないだろう。 「アイラさんですか……」  そこで目を閉じたアルテルナタは、幾つかある未来の情報を探索した。指輪を貰って以来、制限をかけた探索ならかなり先の未来まで判別できるようになっていたのだ。 「すみません、先程の情報を訂正させていただきます。レムニアに増えるのは、2人が正しいですね。アイラさんは普通の形で妊娠されるのですが、アリエル皇帝……でしたか。その方が、ご主人様との子供の製造に入られました」  前者を疑問に思わなかったアリッサも、アリエルの情報には流石に驚かされた。「本当ですか」と言わずもがなのことを口走ったのも、アリッサの動揺が理由になっていた。 「その未来が見えたと……正確には、その知らせがアリッサ様に届けられるのを見たと思ってください。そうですね、これからおよそ1ヶ月ほど先のことになります」 「つまり、本当のこと……と言うことですか」  はあっと息を漏らしたアリッサに、話を聞いていたリュースが割り込んできた。 「ついに、育ての親にまで手を出してしまいましたか」 「それは、今回の目的に含まれていたから構わないのですけど……」  もう一度息を漏らしたアリッサは、「大切なことを忘れている」とリュースに告げた。 「アリエル様は、IotUとの子供を作ろうと何度も挑戦されていたのですよ。そしてそれが失敗した結果、IotUとオンファス様……ヒスイ様と言った方がいいのかしら。自分とは血の繋がらない子供を作られたんです。子供ができない理由を種の違いだと思っていたんですが、今度のことでそれが誤解と言うことになります。ちょっとそれが、不思議だなと思ったんですよ」  遠くを見る目をしたアリッサだったが、「どうでもいいこと」と口にした。 「その謎にしても、もうどうでもいいことなんでしょうね。これでアリエル様は、1千ヤー抱き続けてきた思いを叶えることができるんです。これもまた、あの人に望まれた役割なのかもしれませんね」  そこでアリッサは、物憂げなため息を吐いた。 「これで、ますます子供を作る訳にはいかなくなりました」  アリッサの答えに、「どうでしてですか?」とリュースは無邪気な疑問を口にした。一方アルテルナタは、感じるところがあるのか、とても神妙な表情をしていた。 「あの人には、沢山の鎖が掛けられているんです。IotUの謎に迫ると言うのは、その中で最も太くて丈夫なものでした。そして鎖によって、あの人は私達のところに縛り付けられていたんです。でも、一番太くて丈夫な鎖が、もうその役目を果たせなくなってしまいました」 「だとしたら、子供と言うのは新しい鎖になるのではありませんか?」  普通はそうですよねと答えたリュースに、「逆に思えます」とアルテルナタが口を開いた。 「そして私の未来視には、アリッサ様が妊娠されるのが見えました。ただ妊娠を知ったときのアリッサ様は……」  そこで口ごもったアルテルナタに、「泣いていましたか?」とアリッサは問いかけた。その問いに、アルテルナタは小さく頷いた。 「こうして教えられると、未来が見えるのも良し悪しですね。私はあの人に抱かれることを、素直に喜べなくなってしまいました」 「それは、同じ気持ちなのですが……ですが、このことに対して未来が変わらないんです。一本道の未来に対して、未来視は無力でしかありません」  落ち込んだ様子を見せるアルテルナタに、「あなたの責任ではありませんよ」とアリッサは慰めた。 「謎解きに終りが見えた時から、不確かな予感が私にもあったんです。何もすることがなくなった時、あの人が一箇所で落ち着いていられるのか。トリプルAの事業も、あの人を繋ぎ止める鎖にはなってくれませんでした。そしてあの人に付いて行くのは、リュースさんならいざしらず、私では足手まといでしかありません。そんなことは、未来視を使わなくても分かっていたことでもあるんです」  穏やかに語ってはいるが、その内心はどれだけ乱れているのだろう。ただ抑え込まれた感情は、ただ右手が細かく震える程度だった。それにした所で、よほど気をつけていないと見逃してしまうほどの変化だった。 「ですがアリッサ様だけが、未来を変える力をお持ちだと思っています。ご主人様は、絶対にアリッサ様を蔑ろにはいたしません!」 「つまり、あの人の未来は私次第と言うことですね」  ほっと息を吐いたアリッサは、「未来視で見えたことが全てですね」と語った。 「引き止めなさらないと言うことですか?」 「あの人に、この先の人生を我慢して行きて行けと強いることはできませんよ。それを受け入れてしまったら、逆にあの人では無くなってしまいますからね」  だから止められない。アリッサは穏やかな表情で、二人に告げた。 「ただ、あの人とは話し合ってみようとは思っていますけどね」  未来視で見えるものは、やはり一部でしか無いはずだ。夫婦の関係はもっと深いものだと、アリッサは二人の顔を見て告げたのだった。  リゲル帝国で皇帝をしてから帰ってきたので、結果的に自宅を3週間近く空けることになった。そして意外にもスッキリとした顔で帰ってきた夫を、お帰りなさいと笑顔で迎え、アリッサはそのまま事務所の奥へと連れ込んだ。当たり前なのだが、そこにはとても広いソファが置かれていた。 「アリエル様は……」  どうだったと聞こうとしたアリッサは、それよりもと枝葉の話から始めた。 「アリエル様のことは、これからどう呼ばれるのですか?」  流石に婆さんは無いだろうと、アリッサは興味津々といった顔で夫に尋ねた。 「本人に向かって、婆さんなんて呼んだことは……まあ、無いことはないんだけど。最近は面倒になるから気をつけていた……いやいや、今はどうでもいいことか。よくよく考えてみたら、以前はどうやって話しかけていたのか覚えてないなぁ。多分だけど、小さな頃は「ねえ」とかで呼びかけていたんだと思う」 「それで、これからはどう呼ぶことにしたんです?」  小さな頃より、そちらの方が今は重要だ。早く言えと脇腹を突いた妻に、「とりあえずアリエル」と呼び捨てにすることを伝えた。 「そのあたりは、妥当なところに落ち着いた。と言うことですね」  そう口にしてから、「他の人にも婆さんとは言えなくなりましたね」と更に突っついてくれた。 「流石になぁ、婆さんって言うと自分が変態になった気がするし」  だから名前呼びと答えた夫に、「何を今更」とアリッサは笑った。 「私なんて、お姉様に同情されているんですよ」 「姉さん達って、絶対に面白がって言ってるだろうっ!」  何か仕返しの方法がないか、それを真剣に考えた夫に、「レムニアですけど」とアリッサは話をずいっと引き戻した。 「何か、成果はありましたか?」 「成果かぁ……」  少し考えたトラスティは、成果らしきものを口にした。 「アルテッツァが見せてくれたものだけど、一部確認ができたってところかな。ば、アリエルだけど、耳が殊更弱いのが確認できたんだ。それから、IotUの名前も分かったよ。どうやらIotUは、シンジと言うらしい。これで消された名前も分かったのだけど、それがどうしたって気がするね。まだIotUが生きていて、これからの連邦に関わって来るとかじゃなければ、これ以上の謎解きに意味がないと思えたぐらいだよ。僕の興味と言う意味では、これで満たされたと思っているぐらいだ。ここから先は、本人でも出てこない限り確認できない推測を重ねるしか無いからね。後は、コスモクロアが色々と教えてくれたぐらいだ」  だからと、トラスティは妻に唇を重ねた。 「謎解きも、これでお終いだと思ってる。これから僕は、謎解きの旅で得たものを守っていこうと思っているんだ。何しろ皇帝やら国王様やら、新興企業の役員にまでなってしまったからね。そのお守りだけでも、かなりの労力が必要だと思っているよ。それに、外銀河探索も始まったばかりじゃないか」  もう一度唇を重ねたトラスティは、「それが結論」とアリッサに伝えた。 「私は、あなたがしたいようにすれば良いと思っています。だから、あなたが自分で考えて出した結論なら、尊重しようと思っていますよ」  そう答えて、今度はアリッサから唇を重ねていった。 「ただ、私の前でつまらなそうな顔をしないでくださいね。私が好きになった人は、狭い世界で守りに入るような人ではありませんからね。それさえ覚えておいていただければ、それ以上私は言う事はありません」  もう一度唇を重ねたアリッサは、「私達の子供を作りませんか?」と夫に問いかけた。 「僕としては全く構わないけど、アリッサはそれでいいのかい?」  子供を欲しいと言うのは知っていたが、まだ早いと言ってたのを覚えていたのだ。どんな心境の変化があったのか、トラスティはそれを気にした。 「だって、皆さんあなたの子供を作っていくじゃありませんか。アルテルナタさんも、すぐにでも作りたいって言っていたんですよ。それを聞いたら、何か取り残された気がして……それに、子供を作っても事業には影響が出ませんからね」  だから作りましょうと。アリッサはトラスティにのしかかっていった。 「実は、2週間前から調整を始めていたんです」 「もう受胎している可能性もあるわけだね」  なるほどと頷いて、トラスティはアリッサに唇を重ねた。 「念には念を入れて……と言うのは、今更ですけどね」  そう言って口元に笑みを浮かべ、アリッサはトラスティの物を自分の中へと導いた。「あっ」と言う小さな声が漏れ出て、アリッサの頬に涙が伝った。 「アリッサ?」 「なんでも、ありま、せんっ」  なんでもないのだと繰り返し、アリッサは愛する夫へとしがみついたのだった。  ノブハルのクリプトサイト訪問は、予定通りの成果とかなりの落胆で終りを迎えた。当初の予定は、往復の時間を含めて2週間程度……すなわち、クリプトサイトへの滞在は3日程度のはずだった。それが結果的に3週間となったのは、ひとえにノブハルの事情によるものだった。  帰路につく前夜、ノブハルはフリーセア女王の公邸に招かれていた。トリプルAとクリプトサイトの関係を考えれば、別に不思議なことの一つもない招待でもある。そこに緊張して現れたノブハルは、挨拶と言う名の公式行事を淡々とこなした。その中には立食のパーティーも含まれ、終わりの方では慣れないダンスをフリーセアと踊ることになった。  こうしたダンスでは、慣れないパートナーに足を踏まれると言うのがお約束と言えるだろう。だが慣れないノブハルを相手にしたフリーセアは、巧みにリードするだけでなく、足踏みの攻撃からも難なく躱し続けた。その当たりは、さすがは未来視と言うところだろう。ただノブハルとのダンスは、彼女の未来視をかき乱さなかったのも確かだった。 「今日が最終日と言うのは名残惜しいのですが」  公式行事が終わったところで、フリーセアはノブハルを私室へと招待した。綺麗な装飾のされた彼女の私室には、当たり前だがベッドのようなものは置かれていなかった。そこで出来合いの飲み物を用意したフリーセアは、艶っぽい笑みを浮かべてノブハルを迎えた。  ちなみに公式行事で着ていたドレスから、今はラフなセーターと短めのスカート姿になっていた。結い上げてあった銀色の髪も、ウェーブの掛かった状態で背中に垂らされていた。  一方ノブハルは、公式行事からの流れでかしこまったスーツを着ていた。いまだスーツに着られているように見えるのは、普段の生活が理由なのだろう。リラックスが必要と言うことで、研究所ではとてもカジュアルな格好をしていたのだ。 「ああ、俺もそう思っている。ただ、予定よりも時間を掛けてしまったので、他の予定にしわ寄せがいっている。シルバニアの方は、ジェイドでライラに会っているからまだ軽いのだが……」  うむと考えたノブハルに、「重要なお役目です」とフリーセアは答えた。 「ノブハル様は、シルバニア帝国の皇夫であられます。背負われた責任の大きさは、クリプトサイトの王族など足元にも及ばないものだと思っております」 「やはり、そう言うことになるのだな」  クリプトサイトに来てから、ずっと自分が空回りしているのをノブハルは感じていた。そして今の話でも、フリーセアはライラとのことを気にしているように見えなかった。だからノブハルは、クリプトサイトに来てから感じてい疑問をはっきりさせようとした。  ただ未来視を持つフリーセアは、ノブハルが何を言い出すのかぐらい理解していた。だからノブハルが口を開く前に、「ノブハル様」ととても穏やかに語りかけた。 「ノブハル様が、クリプトサイトと言う星系や、私に興味がないのは存じておりました。それどころか、むしろ鬱陶しく思われているのも分かっていたんです。ですから未来視の研究を餌に、私に縛り付けることも考えました。ただ冷静になって未来を見てみたところ、それではうまくいかないことが分かってしまったのです」  ご理解いただけますかと迫られ、ノブハルは少し緊張気味に小さく頷いた。どうしても、フリーセア相手に疼いてしまうのを押さえられなかった。 「トラスティ様がお出でになられたのは、私がノブハル様のことを諦めかけていたときのことです。トラスティ様は、お姉様の身柄のことで私に交渉……違いますね、通告にいらっしゃったのです。お姉様の身柄を、トリプルAが預かることにする。後から騒がないように、私に釘を差しにお出でになられた……と言うのは、あの御方の交渉の手管なのでしょう。私の感情をさんざん揺さぶり、私の本音をその中から探し出されたのです。それは、私自身気づいていない、心の奥底にしまい込まれていたものでした」 「それが、お前の姉に対する思いと言うことか?」  クリプトサイトに訪れた時に聞かされた話を思い出し、ノブハルは先回りをするように答えを口にした。それに頷いたフリーセアは、「そこでお姉様に引き合わされました」と続けた。 「お姉様は、私に心からの謝罪をしてくれました。ですから私は、お姉様を許すことにしたのです。それからお姉様とは、ゆっくりと時間を掛けて話をさせていただきました。そこで私が理解できたのは、お姉様も重すぎる責任に押しつぶされていたと言うことです。未来視と言うのは、とても便利なものなのですが、同時に大きな負担でもあります。いつどのような未来が見えるのかわからないので、常に緊張を強いられているのですからね。そしてうまくいって当たり前、失敗があればすべての責任が押し付けられるのです。もしも悪い未来が見えた時には、それを回避するために全精力をつぎ込むことになります。しかもその方法は、必ずしも民達から支持を受けるものとは限りません。お姉様がしでかしたことにしても、その延長上にあったものなのです。もしもノブハル様達の介入がなければ、大勢の命が失われた後、クリプトサイトは長い安定の時を迎えることになっていたでしょう。それを考えると、お姉様を非難ばかりをできなくなりました」  そしてと、フリーセアはシラキューサの女性が持つ、もう一つの重い義務を持ち出した。 「そして私達シラキューサの女は、能力を引継ぐ女児を設ける義務まで負っています。これは、配偶者の選択に大きな枷を掛けるものです。ただ単に跡継ぎを産むと言う以上の重圧を、常に掛けられても居るのです」  改めて説明されれば、彼女の感じている重圧は理解できるものだった。その重圧が、アルテルナタに過激な手段を選ばせることになったのも、是非とは別の所で理解できるものだった。 「ノブハル様がお気づきかどうかは分かりませんが、お姉様とトラスティ様は、一つの契約を結ばれています。それは、お姉様が下僕となり、トラスティ様にすべてを捧げると言うものです。ある意味、誇りを捨てた奴隷契約と言っていいでしょう。お姉様はその屈辱的とも思える契約を、喜んで結ばれたと教えてくださいました。そしてトラスティ様のために働くことに、喜びを感じているとも教えてくれたのです。初めは受け入れることができませんでしたが、すぐに私はお姉様に嫉妬を感じるようになりました」  それを頬を染めながら話してくれるのだ。その時感じた色香に、ノブハルはゴクリとつばを飲み込んだ。 「なぜ嫉妬をしなければならないのだ? アルテルナタは、あの人の奴隷になったのだろうっ」  それでも反発したノブハルに、「現実は違いますよ」とフリーセアは穏やかに微笑んだ。 「奴隷と言うのが、方便だと私は理解しております。罪悪感に押しつぶされそうなお姉様には、何か目に見える罰と貢献が必要だったのです。未来視の活用で人々の命を救うのが貢献ならば、あの方の奴隷になると言うのが罰と言うことになるのでしょう。ですが私から見たら、その罰はとても罰とは思えないものだと思っています」  そこで語気を強めたフリーセアは、「そうでしょう」とノブハルに迫った。 「アリッサ様に認められ、ジェイドではなんの束縛も受けずに暮らすことができるのですよ。しかも、あの方からは寵愛をいただき、子供を産むことまで許されているのです。あの方の「所有物」になることで、王族には望めない幸せを手に入れたのです。それに引き換え私は、お慕いするノブハル様から相手にもされていませんでした。お姉様に嫉妬してしまう私の気持ちを、ご理解いただけますでしょうか?」  一つ一つの事実を持ち出されれば、それは奴隷と言う概念からは遠いものには違いないのだろう。何しろジェイドで不自由のない生活をし、その上好きな男性との関係も望めるのだ。王族の窮屈さを考えれば、むしろ夢のような生活に違いない。しかも自分の能力が役に立っているのなら、毎日の生活にもやりがいがあるに違いない。そしてフリーセアが指摘したとおり、自分は彼女を相手にしていなかった。 「あの人とお前の姉の関係は、確かに強制されたものには見えなかったな」  強制されたものなら、あの場でコスモクロアに立ち向かうことなどできるはずがない。だが現実は、アルテルナタは自分のすべてを賭けてコスモクロアに立ち向かっていた。それを見せられれば、アルテルナタの覚悟と気持ちが分かってしまう。 「おっしゃる通りです。だから私は、どうしようも無いほどお姉様に嫉妬してしまいました。そして嫉妬するだけでなく、自分も同じになりたいと願ったのです。私のノブハル様への思いが叶わないのなら、お姉様と同じになりたいとあの方にお願いをいたしました。そしてお姉様も、その方が私のためになるのだと口添えをしてくれました」  そう答えたフリーセアは、さり気なく首に巻かれたチョーカーに手を当てた。ビロードのように光沢のある布でできたチョーカーには、金の飾りでアクセントがつけられていた。  再会したときから気にしていたチョーカーなのだが、ここでその正体が明かされたことになる。自分から避けていたくせに、「ふざけるなっ」とノブハルは声を荒げた。 「私は、少しもふざけてなどおりません。正直に、私とお姉様のことをノブハル様にお知らせしたのだと思っています。私達二人にお願いされたあの方は、仕方がないと私がこの印をつけることを許してくださいました。そしてあの方のものと言う印を、私の体に何度も刻んでくださいました。それが、ノブハル様が気になされていて、聞くに聞けなかった私が変わった理由です。ノブハル様に拒絶された私が、たどり着いた結論だと考えていただいて結構です」  拒絶と言う言葉を一つ混ぜるだけで、ノブハルは言い返す理由を失うことになる。それぐらいのことなら、わざわざ未来視を使わなくても理解できることだった。 「ですが、とても皮肉なことだと思っています。私が願っても手に入れらなかったノブハル様の思いが、諦めたことで私に向けられるようになったのですよ。ノブハル様が私を見る目を見た時、巡り合わせの悪さを私は感じました。縁と申し上げてもよろしいのかと。ノブハル様も、そう思いませんか?」  しっとりとした空気を放つフリーセアが、どうしようもなく魅力的に見えたことは確かだった。ノブハルの中に、相反した思いが生まれたのもまた確かだった。フリーセアに対する失望と、トラスティから奪い取りたいと言う欲望がそれである。 「クリプトサイトにとって」  黙ったノブハルに対して、フリーセアは言葉を続けた。 「あのお方の価値は、ノブハル様を凌ぐのではないでしょうか。ただ問題は、あの方の場合王配ではなく、国王にと言う声が出てくることでしょう。それでは、ヴェルコルディア達の苦労が、水泡に帰すことになってしまいます。流石に私も、今更立憲制を王制に戻すことを望んでおりません。ですから、あの人のもののまま、能力を持つ子を残すための配偶者を求めようかと考えています。それがシラキューサの女としての務めと、私の感情の折り合いをつけた結果だと思ってください」  そこでノブハルの顔を見たフリーセアは、「ノブハル様にとって」と更に言葉を続けた。 「裏切られたと言うお気持ちが強いのでしょうね。事あるごとに言い寄っていた私が、手のひらを返したかのようにあの方の物となった。そして私達のことを知りながら、あの方が私に手を出された。ですがその気持は、私の立場からすれば身勝手としか言いようがないものです。もしもあの方のものになっていなければ、今回の訪問でもノブハル様は、私を邪険に扱っていたはずですからね」  違いますかと問われれば、それを否定することはノブハルにはできない。邪険は言い過ぎでも、フリーセアのことを面倒に感じていたのは確かだったのだ。滞在を最低限に抑えると言うのが、その証拠になっていた。 「それを、否定することはできないな」  なんとか紡ぎ出された言葉も、フリーセアの言葉を認めるものだった。それに頷いたフリーセアは、「ノブハル様」と熱に浮かれた表情を向けてきた。体の中に熱を感じたノブハルは、緊張からゴクリとつばを飲み込んだ。 「今の私に、魅力を感じてくださいますか?」  いかがですと迫られ、ノブハルは明らかに冷静さを失っていた。頭には血が上り、目の前のフリーセアを自分のものにしたいと言う欲望が渦巻いていたのだ。トラスティのお手つきになったと言う事実も、逆に彼女を手に入れたいと言う欲望を後押ししていた。あの男から奪い取ると言う思いが、どす黒い欲望となってノブハルの中で高まっていたのだ。  ノブハルから答えがないことは予定通りと、フリーセアは配偶者に求める条件を繰り返した。 「王配と言うだけなら、別にクリプトサイトから求める必要はないのです。先にお姉様が確かめてくださいますが、生まれた娘に能力が引き継がれるのが確認できれば良いのですからね。その意味でも、私はお姉様に期待をしているんです。直接抱かれることはなくても、どうでもいい男の子を生みたいとは思いませんからね。ですからそれは、最後の手段だと思っているんですよ。幸い私は、まだ18ですからね」 「それは、トラスティさんの子を生みたいと言うことかっ!」  大声を上げたノブハルに、「何をいまさら」とフリーセアは妖しく笑った。 「あの方は、私のご主人様なのですよ」  そう言いながらチョーカーに触れるフリーセアは、どうしようもなく淫らで、そして魅力的だった。ノブハルの喉がゴクリとなったのも、フリーセアの妖艶さに当てられたからである。 「それを聞いて、ノブハル様はどうされたいのですか? あの方に敵わないと、尻尾を巻いて逃げ出されますか?」  うふふと艶っぽく笑ったフリーセアは、ノブハルに近づき「穿いていないんです」と囁きかけた。 「ノブハル様の前では、一度も下着を着けたことがないんです。お気づきでしたか?」  そう言いながら、フリーセアは両手でスカートを摘んでゆっくりと持ち上げた。スカートの裾から現れた傷一つ無い綺麗な太ももに、ノブハルの目は吸い寄せられていた。そしてもう少しで大切な所が見えるところで、フリーセアはぱっと手を離した。  血走った目をしたノブハルに、「あの方が全部触れてくださいました」とフリーセアは挑発した。そうやってトラスティを持ち出すことで、更にノブハルの心に火を付けようと言うのである。 「俺は……」  ごくりとつばを飲み込み、ノブハルはフリーセアに一歩近づいた。そんなノブハルをまっすぐ見つめて、フリーセアは一歩後ろに下がった。  ノブハルが一歩近づけば、その分フリーセアが一歩後ろに下がる。それを何度か繰り返したところで、フリーセアは壁際まで追い詰められた。ほんの少し顔を動かしてつばを飲み込んだフリーセアは、今度はゆったりとしたセーターの裾をゆっくりとまくりあげた。ベージュのセーターがまるで緞帳のように上がっていき、綺麗な膨らみの一部が顔をのぞかせた。 「知ってます? ここもあの方がたくさん可愛がってくれたんですよ」  今度は手を離さず、フリーセアは熱のこもった眼差しをノブハルに向けた。 「一国の女王に、これ以上はしたない真似をさせるのですか? それとも、あの方と比べられるのが怖くなりました?」  ふふふとフリーセアが口元を歪めたところで、ノブハルの理性がどこかに吹き飛んでいった。いきなり唇を重ね、右手でフリーセアの乳房を揉みしだいたのだ。  そしてそのままの勢いで、フリーセアをカーペットの上に押し倒した。これでフリーセアの、ノブハル攻略が完了したことになる。 「切れやすいところなんて、お爺さんの血なのかしら」  はあっとため息を吐いたのは、なぜか姿を表していたアクサだった。もともと我が強くて切れやすいところがあると思っていたが、それがおもいっきり顔を出してくれたのだ。 「ノブハル様のお祖父様って……」  んんっと目元にシワを寄せたサラマーに、「今はIotUと呼ばれてるわね」とアクサは答えた。 「IotUって、切れやすかったんですか」  初めて聞いたと驚くサラマーに、「それはもう」とアクサは頷いた。 「コハク達と出会ってから、ずいぶんと我慢強くなったんだけどねぇ。まあ、ばかみたいな力を持っちゃったからって言うところもあるわね。切れて力を奮ったら、それこそ銀河の一つぐらい消してもおかしくなかったから。怖くて切れることもできなくなったってところかしら」  あははと笑われたサラマーは、「銀河の一つぐらいですか」とスケールの違いに呆れていた。 「でも、ノブハルもこれからが大変ね」  アクサの視線の先では、ノブハルがフリーセアを組み敷いているのが見えた。とても気持ちが籠もった言葉に、「女性が増えたからですか?」とサラマーは常識的な質問をした。それに「違うわよ」と答えたアクサは、ノブハルには可愛そうな決めつけをした。 「ノブハル、はっきり言って下手だから。今まではバリバリの処女の子ばかりだったけど、今度はあの人と比べられるのよ。そう言う意味じゃ、フリーセアって子も可愛そうね。あれじゃ、満足できないんじゃないのかしら?」  ほらと指さされたた先を見て、なるほどとサラマーはアクサの言いたいことを理解できた。興奮して我を忘れたノブハルに対して、フリーセアの方は余裕の笑みを浮かべていたのだ。思惑通りノブハルを捕まえた。そんなことを考えられるほど、フリーセアには余裕があると言うことだ。 「やっぱり、トラスティさんって凄いんですか?」  興味津々の顔で聞いてきたサラマーに、「デバイスがいかされるのよ」とアクサは口元を歪めた。 「そのあたりも、IotUの遺伝と言うことでしょうね」  なるほどそちらも凄かったのだと、サラマーは新しいIotUの人となりを知った気持ちになっていた。  ちなみにこの出来事のお陰で、ノブハルの出発はさらに一日遅れることとなったのである。  後ろ髪を引かれつつエルマーに帰ったノブハルは、迎えに出たエリーゼ達に軽い失望を感じていた。比較するまでもなく、フリーセアに比べて子供としか思えなかったのだ。そしてフリーセアを知ってしまった今、どうしてエリーゼ達に夢中になれたのか、そのことに疑問を感じ始めていたのだ。そしてその事情は、スタイルの良いセントリアに対しても同じだった。  ちなみに、これは飽きたとか嫌いになったと言う感情とは別物でもあった。エリーゼ達を大切に思う気持ちは、少しも失われていないはずだと思っていた。ただ外に見える形として、帰ってきた夜ノブハルはエリーゼの体を求めなかった。  本来トウカも、等しく被害をうけるはずなのだろう。だがリンと一緒にコンサートツァーに出ている関係で、今回は難を逃れていた。 「予想通り、クリプトサイトの滞在が延びたのだけど……」  トリプルAのオフィスで、セントリアはノブハルのいない隙を狙ってサラマーにヒアリングをした。明らかに出発前とは、家族に対する態度が変わっていたのだ。あれだけ触りたがっていた自分のお腹にも、一度も触れないと言う激変ぶりなのである。もっとも胎児は、すでに取り出されて人工子宮に移されていたのだが。 「ノブハルに、何があったのかしら?」  帰ってきてからの行動を見れば、当然浮かび上がる疑問である。ただ疑問自体に理解はできても、どう答えたものかとサラマーは悩んだ。そして悩んだ結果、とりあえず事実を伝えることにした。 「俗に言う、悪女に誑かされたってところかしら」  事実のくせに、とても登場人物の分かりにくい答えでもある。当然セントリアが、その答えを理解できるはずもない。 「確か、クリプトサイトに行ったのよね? そこで会う相手と言ったら、フリーセア女王ぐらいしかいないはずだけど」  そしてフリーセアの容姿を思い出すと、成長して綺麗になっているのは予想できても、ただそれだけだのことだと思っていた。少なくとも、俗に言う悪女の空気を持っているとは考えられなかった。しかも処女の女王と悪女は、結びつくものではなかったのだ。 「そう、フリーセア女王に会ったのよ。まあ、アルテルナタ王女とかドラセナ公にも会っているけどね」 「その言い方だと、フリーセア女王が「悪女」に聞こえるけど。仮にも一国の主だと考えたら、悪女と言うのはおかしな話じゃないかしら?」  そこのところが分からないと言うセントリアに、サラマーは身近な例を探すことにした。 「そうねぇ、確かあなたは、ここの開所式でアマネ様にお会いしているわよね。あなたから見て、あの方をどう思った?」 「アマネ様って……パガニア第一王子のお妃様のことかしら?」  それぐらいしか心当たりがないと言うセントリアに、「そのアマネ様」とサラマーは答えた。 「だとしたら、もの凄く……なんと言って良いのかしら、妖艶な方……だと思う。周りの男達が、あの方を前に呆けていたのを覚えているわ」 「女として比べられたらどう思う?」  踏み込んできたサラマーに、「意味が分からない」とセントリアは答えた。 「分からないのは、比べて見たらと言われる理由のことよ。正直なところ、比べられたくないと思うわ。あれは特殊な才能であって、比較すること自体意味がないと思っているから。真似をしようとしても、絶対に真似なんかできないと思う」  その答えに頷いたサラマーは、「そこで質問」とセントリアを見た。 「そんな女性に迫られたら、普通の男が我慢できると思う?」 「それがノブハルのことだったら、絶対に無理と言ってあげるわ……でも、フリーセア女王は綺麗だけどお子様だったわよ。もしかして、他の女性に捕まったの?」  可能性を考えたセントリアに、「相手はフリーセア女王」とサラマーはばらした。 「アマネ様は天然物だけど、彼女の場合は養殖物なのよ。そして彼女を妖艶に変えたのは、あのトラスティ様と言うことよ。女の私から見ても、あれはちょっとやばいと思えるぐらいだもの。それに未来視を活用して本気で落としにかかられたら、ノブハル様が敵うはずがなかったのよ」 「フリーセア女王だったら、一応計算に入っていたけど……ちょっと、想定外のことが起きたと言うことね」  想定していたのは、積極的なフリーセアに、ノブハルが逃げ道を塞がれると言うものだった。だが蓋を開けてみたら、ノブハルの方が入れ込んでしまっていたのだ。その意味で、セントリアが想定外と言うのはおかしなことではない。 「そうね、結果だけなら想定の範囲なのだけど。今の状態は、結構まずいことになっているわね。魅力的な美女に対して、完落ちしちゃってるからねぇ」  こりゃ大変だと、サラマーは本当の主である、ライラのことを思い出していた。美形具合なら負けることはないが、発する色香が桁違いだったのだ。殿方をその気にさせると言う意味で考えたら、いかに皇帝でも厳しい戦いを強いられることになる。 「リンディア様に報告しないといけないのだけど……」 「あなたの立場なら、間違いなく必要なことね。でも、完全に盲点だったわ」  やんごとなき女性を捕まえると言うのは、自分が派遣されたときから言われていたことでもあった。その意味で言えば、フリーセア女王と関係を持つのは、褒められこそしても問題にされるはずのないことだった。ただその前提として、ノブハルの重心が移らないと言うものがあったのだ。そこで虜にされてしまっては、本末転倒となってしまう。ただその相手からしてみれば、失礼極まりない前提でもあるのだが。 「子供の居る私は良いのだけど……対策を考えないと、エリーゼ達が可愛そうなことになるわね」 「対策の打ちようがあるのかなぁ。私には、ほとぼりが冷めるのを待つしか無いと思えるんだけど」  その心当たりがあるにはあるが、流石に誰も彼もと言うのは問題だと思っていたのだ。そしてもう一つ、エリーゼ達がドーピングするのが、本当に良いことなのかも分からなかった。世間を見渡してみても、例外なのはフリーセア女王の方だったのだ。 「やっぱり、ほとぼりが冷めるのを待つのが一番だと思うわよ」  それも一つの、そして最良の手段だとサラマーは断言した。  ちなみにエルマーに帰ってきたノブハルは、すぐに次のクリプトサイト訪問の計画に入っていた。一応の建前は、「未来視研究の加速」と言うところにある。設立こそしたが、研究の方針及び手法への煮詰め方が足りないと言う、普通ならとても説得力のある理由である。  それを、そわそわしながら行ってくれるのだ。昔のノブハルを知る者なら、「知的興味」をその理由に考えただろう。だが間近で顔を見ていると、とてもではないが「知的興味」が理由になるとは思えなかった。 「とりあえず、シルバニアに行ってからクリプトサイトだな」  途中でシルバニアを入れることで、煩い干渉から解き放たれることになる。女心に疎いくせに、その手の計算だけは手抜かりがないようだ。 「後は、リンとナギサに会っていかないとな」  悪女に誑かされても、そのあたりはさすがはシスコンと言うところだろう。  そんなことを考えていたら、「支社長がお戻りです」と言うセントリアのフラットな声が聞こえてきた。 「そう言えば、しばらく顔を見ていなかったな」  ノブハルがそう考えるほど、グリューエルとはすれ違いが続いていた。そのあたり、彼女の受け持った仕事と、ノブハルがクリプトサイト……正確には、フリーセア女王に入れ込んだことが理由になっていた。  グリューエルは、エルマー支社の支社長と同時に惑星ゼスのコンサルタント業務も受け持っていた。そのあたり彼女が王族に生まれ、政治的駆け引きに長けているのをトラスティが見込んだのが理由である。そしてトラスティの見込み通り、連邦から派遣された役人たちを手玉に取っていると言う噂が聞こえてきていた。 「ノブハル様、ごきげんよう」  そう言って役員室に顔を出したグリューエルは、さすがと言える美しさを誇っていた。金色の艷やかな髪には、丁寧にウェーブが掛けられ、比較的地味な紺のスーツからも、彼女の努力によって作り上げられたカーブを見て取ることができたのだ。年齢的には自分よりも下なのに、ずっと大人っぽいと言うのがグリューエルに対するノブハルの感想である。 「ああ、ごきげんよう」  何時も通りの挨拶を、ノブハルは少し緊張しながら返していた。そのあたり、いつまで経っても慣れないと言うのが理由となっていた。ただ今日に限って言えば、挨拶をした後マジマジとグリューエルの顔を見てしまった。何がどう変わったかの説明が難しいのだが、普段にも増して彼女が艷やかに見えたのだ。 「私の顔に、何か付いているのですか。それから、見とれてしまったと言うのであれば、失礼な真似を許して差し上げますよ」  ふふと口元を隠して笑うグリューエルを、ノブハルは喉を鳴らしながら凝視してしまった。そして「ノブハル様」との呼びかけに、「すまない」と上の空になりながら謝罪をした。 「し、正直なところ、見とれてしまった」  ゴクリとつばを飲み込んだノブハルに、「光栄です」とグリューエルは微笑んだ。その洗練された仕草に、ノブハルの鼓動は更に高まっていた。 「ですが、私は身も心もトラスティ様のものですからね。流石に見るなとは申しませんし、女として優越感を抱けるのも確かです。ですがノブハル様には、エリーゼさんやトウカさん、セントリアさんと言う奥様がおいでなのですからね。あまり、誤解を招くようなことはよろしくないと思っているんですよ」  ふふふと笑ったグリューエルは、「ゼスは順調ですよ」ととりあえずの出張報告を口にした。 「ですから、そろそろお祝いごとをしようと言う話になっています。具体的には、ガリクソン総統とイライザさんの結婚式を挙げようと言う話になっています。その際には、ぜひともノブハル様をご招待したいとのお言葉も頂いていますよ」 「そ、そうか、あの二人が結婚をするのか……」  グリューエルに見とれていても、自分に関わる話が出れば背筋に一本筋が通る。一緒に苦労をした仲間の顔を思い浮かべたノブハルは、「そう言えば」ともう一組のカップル候補のことを思い出した。 「ソーとリスリムだが、なにか進展はあったのか?」 「あの、お二方ですか……」  ううむと目の前で考えられ、「なにか問題があるのか?」とノブハルは目元にシワを寄せた。 「私が伺っている限り、何も進展は無いと言うのが現実かと。たぶんですが、あのお二方の関係は、自然消滅するのではないでしょうか。内戦中に進展がなかった時点で、あの二人の関係が消滅するのは自然だと私は思っています。そしてリスリム様のことを考えれば、自然消滅の方がよろしいのかと思います」 「リスリムのことを考えれば……か」  それがどう言う意味を持ってくるのか、ノブハルは自分なりに考えてみた。 「俺には、結構いい組み合わせに思えたのだが……もう、密着の護衛ではなくなったのだったな」 「ええ、ソー様は治安維持で活躍されておいでです。リスリム様が総統補佐ですから、顔を合わせることも滅多にないのかと思います」  グリューエルの答えに、「ああ」とノブハルは理由が理解できた気がした。リスリムの感情は別だが、ソーの方には特に恋愛感情は芽生えていなかったのだ。その状態で顔を合わせなくなれば、忘れられるのも仕方がないことに思えたのだ。  なるほどと頷いたノブハルは、たまたまグリューエルの仕草に注意が惹きつけられてしまった。少し手の甲で髪を直した程度の仕草なのだが、首筋に金の飾りがついたチョーカーがあるのに気がついたのだ。  そこで「どうして」と声を上げかけたノブハルだったが、すぐに彼女の場合問題がないことに気づいた。 「ノブハル様、どうかなさいましたか?」  ただノブハルの不自然な動作は、すぐにグリューエルの目にとまることになる。それを指摘されたノブハルは、少し慌てて「似たものを最近見たのだ」と口にした。 「最近同じようなものをご覧になった?」  そこで首を傾げたグリューエルは、「ああ」と小さく頷いた。 「ノブハル様は、クリプトサイトに行かれておいででしたね」  なるほどともう一度頷いたグリューエルは、「我が君にいただきました」と嬉しそうに答えた。 「指輪を作ってくださらないのなら、せめて印になるものが欲しいとの我儘を聞いていただいたのです。我が君は、かなり渋られたのですけど。最終的に、私が押し切りました。これで私は、名実ともにあの方のものとなったのです」  うふふと微笑みながら、グリューエルは見せつけるようにチョーカーに指を当てた。 「こんな小さな印一つで、これほど気持ちが変わるとは思っても見ませんでしたよ」  自分に向けられたものでないのに、グリューエルの熱い眼差しにノブハルは頭に血が上るのを感じていた。ただここでトチ狂ってはいけないと、激しく首を振って煩悩を振り払った。 「こうしてみると、やはりあの方は異常ですわね。ゼスの方々も魅了できたのに、あの方には少しも通用しないのです。少し自信を失いかけていたのですけど、ノブハル様のお陰で少しだけ自信を取り戻せました」  ありがとうございますと頭を下げて、グリューエルはノブハルの部屋を出ていった。途端に軽くなった空気に、酸素を求めるようにノブハルは荒い呼吸を繰り返した。 「分かっていたことだけど」  ぼそりと呟かれて初めて、ノブハルは同じ部屋にセントリアとサラマーが居たことを思い出した。 「あなた、最近少しがっついていない?」 「お、俺としては、変わっていないつもりだっ!」  慌てて言い返してきたノブハルの顔を見て、サラマーはセントリアの耳元で囁いた。 「女で失敗するタイプね」 「筋金入りのマザコン、シスコンだから大丈夫だと思っていたのだけど」  声を潜め、そして顔を寄せ合ってフアリはノブハルの顔を見た。そして憤慨するノブハルに、二人は揃って大きくため息を吐いた。 「今なら、傷が浅くて済んだと思っておいた方が良さそうね」 「フリーセア女王で止まってくれれば……なんだけどね。少なくとも、サーシャ王女はお呼びじゃないから良いけど」  トラスティ様が磨いたらどうなることだろう。ふと思いついた考えに、厄介なことをとサラマーは頭を悩ませたのだった。  久しぶりに妹が帰ってくるとなれば、何を差し置いても家に帰らなければならない。シスコンとの誉れ高い……悪名高いノブハルだから、「後は任せる」と明るいうちにオフィスを出ていった。もちろん護衛のサラマーも、目立たないようにノブハルの後を追って出ていった。それを見送ったところで、「早まったかしら」とセントリアはお腹に手を当てた。中の主はもういないのだが、つい癖になってしまった仕草でもある。それから慌てて首を振り、そんなことは無いと自分に言い聞かせた。あの人を好きになり、抱かれて子供を身ごもったことに、一片の後悔は無いはずだ……たぶん、いやいや無いと思いたいのだと。  そうやって慌てて家に帰ったノブハルだが、あいにくリンはまだ事務所から戻っていなかった。その代り、なぜかナギサが家にやってきていた。 「ノブハル、本当に良いところに帰ってきてくれたよ」  自分の顔を見て安堵する親友に、ノブハルは黙って胃腸薬のアンプルを差し出した。娘の恋人が尋ねてきたのだから、母親のフミカが歓待するのは今更のことだった。そして自分達兄妹規準でも過剰に見える、大量のごちそうを振る舞うことぐらい、予想に難くなかったのだ。 「なにか、普段にも増してドカ盛りのごちそうだったんだ」  助かったと言いながら、ナギサは貰ったアンプルから胃腸薬を流し込んだ。そんなナギサに、ノブハルは今更ながらの忠告をした。 「俺たち兄妹がいない時に来れば、こうなるのは目に見えていただろう」 「僕としては、シスコンのノブハルが帰ってきていると思っていたんだ」  ありがとうと空のアンプルを手渡され、ノブハルはすぐさまそれを原子に分解した。こうすることで、リサイクルは可能だし、ゴミが出ないと言うすぐれものの処理方法である。 「悪かったなシスコンで。ところで、暇だったら俺の部屋で話をするか?」 「ノブハルの部屋でかい。今なら、悪臭の心配をしなくても良いのだろうね」  だったら了解と、ナギサは立ち上がった。そして勝手知ったる他人の家とばかりに、さっさとノブハルの部屋へと入っていった。普通なら勝手だなと気にするところだが、いつものこととノブハルも全く気にしていなかった。そしてナギサを追いかけるようにして、自分の部屋へと入っていった。 「なにか、ここも久しぶりの気がするね」  ぐるりと部屋の中を見渡したナギサに、飲むかとノブハルは炭酸飲料を手渡した。 「お腹の方にも余裕ができてきたからね。ありがたくいただくことにするよ」  遠慮なくと、ナギサはぐいっと缶から炭酸飲料を呷った。その時ちょうど、ナギサの喉元がノブハルの前に晒された。そしてノブハルは、あってはならないものを見つけてしまった。 「な、ナギサ、そ、それはっ」  グリューエルなら、トラスティの妻の一人だからおかしなことではないと思っていた。だがナギサがチョーカーをつけているのは、流石に異常なことに違いない。何しろナギサは、生まれてからずっと男だったのだ。  驚愕の顔で自分を見るノブハルに、「これかい?」とナギサの反応はどこまでも軽かった。 「リンとお揃いなんだよ」 「り、リンも、それを着けているのかっ!」  それが確かならば、妹のリンもトラスティの毒牙に掛かったことになる。流石に冷静ではいられず、「どう言うことだ」とノブハルはナギサに詰め寄った。 「恋人とペアのアクサリーをつけて、どうして驚かれなくちゃいけないのかが僕には不思議だよ」  落ち着こうと手で制したナギサに、とりあえずノブハルは引き下がることにした。ナギサの反応から、同じように見えるチョーカーが、単なる偶然の仕業だと思ったのである。 「すまん、最近それと同じチョーカーを何度も見たからな」 「これと同じチョーカーかい?」  なるほどと頷いたナギサは、ノブハルにとって爆弾発言をしてくれた。 「それは、アルテルナタ王女とかフリーセア女王のことを言っているのかな?」 「な、なんで、ナギサがそのことを知っているんだっ!」  もう一度興奮した親友に、「落ち着こう」と笑いながら手で制した。 「ノブハルが最近行った場所と言ったら、クリプトサイトのことだと思うよ、普通はね。そして長時間顔を合わせた人が誰かと考えたら、フリーセア女王と考えるのが自然だと思うのだがね」  どうだろうと問われ、確かにとノブハルは頷いた。移動日を含めれば、1ヶ月以上エルマーを離れていたのだ。そしてその殆どをクリプトサイトで過ごしたのだから、ナギサの推測理由はおかしなことはない。なるほどそうかと納得しようとしたノブハルだったが、何か引っかかりがあるのに気がついた。それが何かと考えたところで、親友がフリーセア女王に加えてアルテルナタ王女の名前を出したことだと気がついた。 「フリーセア女王は確かにそうだが、どうしてアルテルナタの名前が出るのだ?」  おかしくないかと問いかけるノブハルに、「そうかなぁ」とナギサは口元を歪めた。 「アルテルナタ王女が恩赦を受けた話は、すでにズミクロン星系会議に連絡が来ているんだよ。だとしたら、彼女がクリプトサイトにいても不思議じゃないだろう?」  星系会議に連絡が来ているのは、事件の関係者だと考えれば不思議なことではない。そしてエルマー7家の一つ、イチモンジ家の次期当主が知っているのも、立場を考えればおかしなことではないはずだ。  今度こそ納得をしたノブハルに、「実は」とナギサは自分とリンの関係のことを持ち出した。 「そろそろ、婚約を発表しようと言う話になったんだ」 「それは、おめでとう……と言って良いんだな」  少し戸惑いを見せたノブハルに、「酷いね」とナギサは文句を言った。 「それが、親友と妹の婚約に対しての第一声なのかい?」  もう一度酷いと文句を言ったナギサに、ノブハルは精一杯の言い訳を口にした。 「い、いや、まだしていなかったのだなと、ちょっと疑問に感じただけだ。少なくとも、俺は、心からの祝福を口にすることができるぞ」 「ノブハルなら、そう言ってくれると思ったよ」  そこで嬉しそうな顔をしたナギサを、不覚にもノブハルは見とれてしまった。男の色気と言うのか、それをナギサから感じてしまったのだ。 「そう言うのは止めてくれないかな。親友とは言え、照れてしまうんだよ」  そこで頬を染められるのを見て、ノブハルは「俺はノーマルだ」と心の中で何度も繰り返した。親友のナギサが、圧倒的な色男と言うのは今更のことでしか無い。そしてエルマー7家の次期当主と言う立場のお陰で、多くの女性から言い寄られているのも知っていた。妹との関係で心配したことはあったが、ノブハル自身ナギサのことを意識したことはなかったはずなのだ。 「べ、別に、俺には疚しいところなんかないぞっ!」  汗を掻き掻き、焦った声を出していて説得力の欠片もないのだが、認めてはだめだと思いっきり主張をした。そんなノブハルに対して、ナギサはとても危険な冗談を口にした。 「僕は、ノブハルだったら良いんだけどね」 「な、ナギサ、おまっ」  驚愕したノブハルに、ナギサは口元を抑えて吹き出した。 「そんなことを、本気で言うとでも思ったのかい?」 「そ、そ、そうだよな、俺たちは親友なんだからなっ」  あははと笑い飛ばしては見たが、上がってしまった動機はまだ収まってくれなかった。ただそのおかしな空気も、「キモいんだけど」と言う妹の声で見事に解消された。 「私というものがありながら、何を男同士で危ない空気を作ってるのよ」  許せないわと文句を言って、リンはナギサではなくノブハルにくっついた。外の気温のせいなのか、リンはベージュの薄い半袖セーター姿をしていた。お陰でノブハルは、とても柔らかな感触を左腕に感じてしまった。 「り、リン、おまっ!」  再び焦ったノブハルに、「どうかして?」とリンは妖しく微笑んだ。 「お兄ちゃんが、男に走らないようにしているんだけど?」  ふっと耳元に息を吹きかけられ、ノブハルの頭は即座に沸騰した。それを確認したところで、リンは兄から離れてナギサの隣に腰を下ろした。ピッタリとくっついたところは、恋人と言うだけのことはあった。 「ひとまず、お兄ちゃんを正常な世界に引き戻しておいたわ」 「妹相手が、正常な世界と言うところには疑問があるけどね」  くっくと笑みを漏らしたナギサは、隣りに座ったリンと唇を重ねた。とても自然な行為なのだが、それがどうしようもなく扇情的にノブハルには見えていた。そしてもう一つ、二人の口づけを見るのは初めてのことだと気がついた。  少し長めの口づけを終えたナギサは、「見てのとおりだよ」とノブハルに告げた。 「僕たちは、とてもうまく行っているんだ。だから、すぐにでも婚約しようと言う話になったんだよ」 「い、今のお前たちを見ていれば、な、なんか、納得できる話だなっ」  親友と妹のラブシーンに、どう言うわけか興奮してしまったのだ。その恥ずかしさを誤魔化したノブハルに、リンは「次はお兄ちゃんよ」と話を振った。 「エリーゼさんとは婚約しているから、そろそろ式を挙げても良いんじゃないのかな。先に子供を作ることにも反対はしないわよ」  そのあたりはと問われたノブハルは、「いや」と小さく首を振った。 「スケジュール的に、シルバニアに顔を出してからクリプトサイトに行くことにしている。式を挙げることに異論は無いが、時間的余裕が今は無いのが正直なところだ」 「お兄ちゃんが、積極的にクリプトサイトに行くなんて……」  ふーむと口元に手を当てたリンは、そのものズバリの指摘をした。 「フリーセア女王様に、誑し込まれたのかしら?」 「な、なんで、誑し込まれたと言う話になるのだっ!」  そんなことはないと強調する兄に、リンは「何を今更」とため息を吐いた。 「それぐらい、サラマーさんが教えてくれたわよ。お兄ちゃん、フリーセア女王様を、有ろう事か床に押し倒して最後までしたんだって? ちなみにその時のシチュエーションも聞いているんだけど、ここで話してもいいかしら?」 「い、いや、それは勘弁してくれ」  途端にシュンとした兄に、リンは小さく息を吐きだした。フリーセアのことにしても、あまりにも予想通りの行動をしてくれたのだ。 「それで、支社ではグリューエル王女様相手に頭に血を登らせたってことね」 「まあ、ノブハルだからねぇ」  仕方がないと言う意味のフォローなのだろうが、ノブハルはナギサの態度にカチンと来るものを感じていた。グリューエルに見とれていたのは、何も自分だけではないはずだった。 「そう言うお前だって、何度もグリューエル王女に見惚れていただろう!」 「そんな昔の話を持ち出されてもねぇ」  そこで顔を見合わせた二人は、「お子様だから」とノブハルのことを笑った。 「だから、あの程度のことで舞い上がっちゃうのよ」 「アマネさんと比べたら、まだまだなんだけどねぇ」  腹が立つ事この上ないのだが、二人の話に看過できないものがあるのに気がついた。うんうんと頷きあう二人に、「ちょっと待て」とノブハルは遮った。 「どうしてそこで、アマネさんの話が出るのだ?」 「どうしてって、アマネさんやエイシャさんに、色々とご指導いただいたもの。トラスティさんにも、沢山協力して貰ったわね。違うか、無理やり協力させたんだったわね」  うふふと笑った妹に、「お前たちは」とノブハルは目元を険しくした。 「一体何をしでかしてくれたんだ?」 「何をしでかしたって、私の場合は役作りの意味もあるわよ。いつまでも、可愛い女の子って訳にはいかないでしょ。だから、色香溢れる大人の女性にイメージを変えようと思ったの。後は、ナギサとの関係が、ちょっとマンネリって言うのかな。何か緊張感がなくなって、ちょっとお座なりになっていたのよね」 「僕は、いつでも真剣だったんだけどね」  それだけは忘れて欲しくないと、ナギサは割り込んだ。 「そう言う事情もあったから、ナギサともどもエイシャさんに頼みに行ったのよ。あの人に頼めば、アマネさんやトラスティさんが巻き込まれるのが分かっていたからね」  凄く効果的だった。そう言ってチョーカーに触れたリンに、ノブハルは背筋に冷たいものが走るのを感じた。妹からも、フリーセア女王と同じ空気を感じたのだ。 「まあ、お兄ちゃんを見れば、それは今更のことなのよね。あれだけ嫌がっていたフリーセア女王に、即落ちしたって言うぐらいなんだから」 「まあ、お子様のノブハルだからねぇ」  どうしてそこまで上から目線で言ってくれるのか。トラスティにではなく、ノブハルはリンとナギサの二人にムカついていた。だがフリーセアのことを持ち出されると、旗色が悪いのも確かだ。 「ああ、話がそれちゃったけど、ナギサとの婚約発表は盛大に行うわよ。何しろエルマー7家の一つ、イチモンジ家の次期当主様と、トップアイドルの婚約発表なんだからね。結婚式も派手に行こうって、お母さんも張り切っていたわよ。それから言っておくけど、お兄ちゃんも絶対に出席するのよっ!」  良いことと指さされ、ノブハルは渋々頷いた。何か話をしているうちに、ムカついて仕方がなかったのだ。だが冷静に考えれば、妹の晴れ舞台を無視するわけにはいかない。兄として当然のことだと言う気持ちはあるのだが、それでも気に入らないと言う気持ちが抜けてくれなかった。  だがこの状況で言い返せば、倍ですまないほど言い返されるのは分かっていた。それでも言い返そうとしたノブハルだったが、二人の口元が歪むのを見て戦術的撤退を試みたのだった。  1週間に15箇所のペースで始まった探索は、ゆっくりではあるが順調に観測場所を増やしていった。そして7週間が過ぎたところで、105箇所の観測が行われるようになっていた。そこで局長のパイクは、かねてからの手はず通り観測員の派遣を停止した。  その代り17日前に引き渡しを受けたサイレント・ホーク2の外銀河派遣訓練を実施することにした。ここまでの訓練には、契約によりトリプルAからキャプテン・カイトとキャプテン・マリーカが教官として参加していた。そして今回の外銀河訓練でも、教官として帯同することとなっていた。 「あんたまで派遣されたと言うことは、それだけあいつもこの訓練を重視していると言うことだな」  よろしくとカイトが手を差し出したのは、急ごしらえで作られた制服に身を包んだアルテルナタだった。万が一のことがあってはならないと、トラスティが保険のために彼女に同行を命じたのである。  カイトの指摘に、アルテルナタは緊張して頷いた。自分の未来視では、この1ヶ月の間に不測の事態が起きないことは分かっていたのだ。ただ、誰かが未来視で見た前提を変えることが起きないと言う保証はない。そして自分が警告を出さないことで、逆に不注意な行動を招くことをアルテルナタも分かっていたのだ。未来視が引き起こす弊害は、クリプトサイトで知識として蓄積されていたのだ。 「そうですね、お邪魔にならないように気をつけたいと思います」  そこでチョーカーを触るのは、気持ちを落ち着けるためなのだろう。トラスティとの絆が、今はアルテルナタの支えになっていた。  アルテルナタの答えに頷いたカイトは、「豪華なメンバーだな」と自分達のチームを持ち上げた。自分の立場はさて置くとしても、船長がキャプテン・アーネットの子孫のマリーカなのだ。そこに元シルバニア帝国近衛のリュースまで参加しているのだから、豪華と言うのは間違いのないことだろう。そこで一つ気になることがあるとすれば、自分以外が全員若くて綺麗な女性と言うことだ。  それを意識したカイトは、「一人だけ場違いな気がする」と自分のことを笑った。 「か、カイト様が居てくださって、わ、私は安心できますっ!」  外銀河に行くことより、マリーカはこのメンバーの方が問題だと思っていた。自分の家柄を評価していないマリーカは、他の3人の持つ肩書にビビっていたのだ。しかもリュースやアルテルナタとは、比べられたくないと思っていた。 「まあ、あんたなら絶対に大丈夫だろう。あいつも、信頼して船長を任せたんだからな」  気楽にと肩を叩かれ、マリーカは緊張した面持ちで頷いた。 「では、UX019での探査訓練を開始します」 「UX019での探査訓練を開始します」  マリーカの命令を、カイトが復唱した。そしてそれを受けて、リュースが主役達へと訓練の開始を告げた。 「エンタープライズ1、これより訓練を開始します。探査計画に従い、探査飛行を開始してください」 「こちらエンタープライズ1、エンタープライズ2へ、探査飛行を開始する。データーシンクロ完了後、100光年ほどジャンプする」  かなり緊張しているようだが、初めてだからと考えれば不思議な事ではない。小さく顔を見合わせた4人は、データーシンクロが完了するのを待った。 「こちらエンタープライズ1、データーシンクロ完了。100光年の亜空間ジャンプを行う!」 「エンタープライズ2了解」  リュースの応答から少し遅れて、同期したエンジンが出力を上げた。ただ完璧な振動制御のお陰で、変わったのは出力ゲージの表示だけだった。 「亜空間突入します」  リュースが機械的に計器を読み上げた時、全面のスクリーンに映る星が流れていった。亜空間を利用した超光速移動独特の現象である。 「およそ、光速の80万倍と言うことか」 「ヨモツ銀河式に言うと、ワープ13.5ぐらいですね」  カイトの疑問にリュースが答え、「1時間は暇です」とアルテルナタの顔を見た。 「1時間後に、問題は起きませんよ?」  どうして自分の顔を見ると首を傾げたアルテルナタは、「ノーコメント」と答えを先回りした。 「ちぇっ、やっぱり先に見られたか」  色々と問い詰めてやろうと思ったのに、先回りをして否定されてしまった。そうなると、改めて聞きにくくなってしまう。  もう一度ちぇっと言ったリュースに、「そちらは答えない方が」とアルテルナタは微妙な答えをしてマリーカの顔を見た。 「ええっと、どうしてそこで私の顔を見ます?」  とてもいやぁな予感に震えたマリーカに、「だって」とリュースは口元を歪めた。 「船長だけが、この中で処女でしょ。だから、最初のお相手は誰なのかなぁって、ちょっと興味があったのよねぇ」 「ええっと……」  興味本位で言われるのは嫌すぎると思っていた。ただ未来に、誰と巡り合うことになるのかだと夢のある話になってくれる。聞きたいような聞きたくないような、悩んだマリーカに「教えませんから」とアルテルナタは繰り返した。 「とりあえず、無理矢理にと言うのではありません。今の所、それで我慢しておいてくださいね」 「アルテルナタさんの未来視って、今はどこまで先が見えるのかしら?」  更にちょっかいを掛けてきたのは、時期を聞いてマリーカをからかおうと言う魂胆なのだろう。それぐらいの意図は理解できたが、別に問題ないかとアルテルナタは一度目を閉じた。 「そうですね、リュースさんの性生活なら、およそ1年先まで確認できますね」 「どうして、私の性生活を持ち出してくれるかな」  少しこめかみあたりをひくつかせて文句を言うリュースに、「マリーカさんが可哀想ですから」とアルテルナタは言い返した。 「とりあえずだ、俺たちは教官として付いてきているのだからな。何も起きないのは分かっていても、彼奴等に注意を向けていないとまずいだろう」 「注意を向けた結果、何も起きないのを確認したのですが……ですが、カイト様の仰る通りです」  二人に揃って顔を見られたリュースは、「真面目にやってますよ」と言い返した。 「退屈な時間を過ごすことになるので、マリーカ船長のストレスコントロールをしているんです。何しろここでは、観客を前に恥ずかしい格好をして踊れませんからね」  そこでマイクを持つ真似をしたリュースは、「宇宙の果てに」と言いながら腰をフリフリした。見せパンでもミニスカートでも無いので、中身が開帳されることはなかった。ただそれでも、カイトを呆れさせるには十分のようだった。  「軽いな」と苦笑を浮かべたカイトに、「重くていいことはありませんからね」とリュースは胸を張った。 「ここの所お二人が少し暗いので、トリプルAのムードメーカーをしていましたっ!」  以上と元気よく答えるリュースに、「よく見ている」とアルテルナタは感心していた。 「まあ、そのあたりはIotUロスだと思ってやってくれ」  そう軽く答えたカイトは、手早く計器で浮上先の空間を探査した。 「まあ、今更だがなんの問題もないな。それから、先に結果を言わないでくれないか? マリーカ船長の初めての相手と同じで、何が起こるのか分からないのが醍醐味なんだからな」 「どうして、いちいち私を論います?」  ぷうっと頬を膨らませたマリーカに、「場を和ます努力をしたまでだ」とカイトは笑った。それにつられて二人が笑うのを見て、マリーカは「弛んでる」と文句を言った。 「普通は、アッチみたいにガチガチに緊張するものなんですよ。一つ間違ったら、生きては帰れないんですからね。下手をしたら、戦争の引き金を引くこともあるんですっ!」 「まあ、1千ヤー昔のキャプテン・アーネットはそんな覚悟で任務に臨んだのだろうな」 「プリンセス・メリベルに巻き込まれたって聞いていますよ」  ですよねと聞かれたアルテルナタは、「そこまでは知らない」と否定してくれた。 「未来視は未来を見るものであって、過去のことは皆さんと同じことしか見えませんから」 「裏キャプテン・アーネット記に書いてあったんだけどなぁ」  ねえと顔を見られたマリーカは、ぶんぶんと首を振って「知りません」と否定した。 「だったら、プリンセス・メリベルのレズダチと言うのは?」 「そちらは、巻き込まれたと聞かされたような……」  何しろキャプテン・アーネットは、IotUの愛人の一人として名前が伝えられていたのだ。そしてプリンセス・メリベルは、そのアーネットの愛人として名前が残っていた。それもあって、マリーカも否定できないと答えたのである。 「だとしたら、マリーカさんとグリューエルさんの関係は?」 「どうして、その方向に話が向きます?」  とても不機嫌そうな顔をしたマリーカに、「歴史は繰り返す」とリュースは胸を張った。 「こうして、あなたも外銀河探索に来たじゃない。だから、歴史は繰り返すのかなって思ったのよ」  そう言って笑って、「機関に問題なし!」とわざとらしく報告を上げた。 「問題があるようだったら、AIが警報を上げますよ」  そう口にしてから、マリーカははあっと息を吐いた。そこでお腹を押さえたのは、緊張とは違う意味で胃が痛くなりそうな気がしたからだ。被害妄想でも何でもなく、リュースが自分をおもちゃにして楽しんでいるように思えてしまったのだ。  予定通り何もない1時間を経過してから、2隻の探査船は通常空間へと復帰した。ここで行われる作業は、星系図の作成並びに通信波の探索である。通信波の探索は、通常空間および亜空間の双方で行うことになっていた。通常空間での通信波探査は、キャプテン・アーネットの冒険でアスを発見したとされる調査方法である。  亜空間波の探知では不要なのだが、通常空間での通信波探知には、大きなアンテナが必要となる。そのためエンタープライズ1から、にょきにょきと枝のようなものが延びてきた。今回の探査目的で設計された、超超高感度アンテナシステムである。ただ指向性が強いため、くるくると回すことで全方位の探査を実現していた。 「では、ちゃっちゃっとテストもしましょうか」  手早く準備を進めたリュースは、デコイを3方向へと打ち出した。システムの動作確認を確実に行うための、ダミー発信源を用意しておいたのだ。発せられる電波の形式は、アナログ変調からデジタル変調と各種取り揃えていた。 「デコイは、正常に動作しているようね」 「あのぉ、普通は検知システムが正常動作していると言う所じゃありません?」  すかさずマリーカが口を挟んだのは、確認をエンタープライズ1の受信結果からしていることだ。すなわち、通常空間における通信波の検出機能が、設計通り動いていると言うことになる。その結果を示したのだから、マリーカの主張は一応理にかなっていた。  もっとも、確信的に口にしている相手に、そんな正論が通用するはずがない。「だって」と口元を歪め、リュースは「私の仕事じゃないし」と返した。 「私の仕事は、確認用のデコイを放つことでしょ。それが正常に働いているのを確認するところまでが私の仕事の範囲なの。システム全体の正常性確認は、あちらの仕事だから口を出さなかっただけよ」  「と言うこと」と言い返され、マリーカは口を噤むことにした。こう言う人なのだと言う割り切りが、まだ足りなかったのだと認識したのだ。 「亜空間通信波は確認できていないな。と言うことになると、こちらの銀河は俺達と同じ技術水準にはないようだな」 「ガス密度や観測される恒星からすると、まだ銀河として若いと思われますね」  カイトのコメントに、リュースはとてもまじめな答えを口にした。何か態度が違っていないか。そう思ってリュースを睨んだのだが、やはりと言うか綺麗に無視をされてしまった。  そうやって一部は和んで、そして一部は神経を苛立たせていた中、「あのぉ」とアルテルナタが遠慮がちに声を上げた。 「どうかされましたか?」  この人はまともだからと、マリーカは普通の対応をした。 「そろそろ、ネタバレをしてもいいのかなと」 「ネタバレ?」  なにそれと言う顔をしたマリーカに、「この訓練の結果です」とアルテルナタは答えた。 「条件や見るものを変えて、およそ1カ月ほど確認してみたんです。その結果が出ましたから、報告しておいた方がいいのかなと……」  どうしますと顔を見られたマリーカは、一つ重要な確認をすることにした。 「非常事態に類することはないのよね?」 「それでしたら、確認をしないで報告をしています」  つまり、緊急報告が必要になる事態は発生しないと言うことになる。なるほど確認が必要になる訳だと、マリーカは小さく頷いた。 「でしたら、ネタバレは必要ありません。アルテルナタさんは、誰かが未来を書き換えないかだけ注意をしてください」  まっとうな指示に、「この人は常識的なのだ」とアルテルナタはマリーカのことを理解した。そうなると疑問なのは、彼女が初めての相手として選んだ男性である。 「きっと、年上への憧れが理由なのでしょうね」  それにしたところで、普通の少女にありがちなことでしかない。てきぱきと仕事をこなすマリーカに向かって、アルテルナタは優しい眼差しを向けたのだった。  最初の観測ポイントで24時間過ごした後、2隻の観測船は次の観測ポイントへと移動した。ちなみにここでも、第1観測ポイントと同じ作業を行うことになっている。これと言ったイベントがないことが、こうした潜入観測のポイントでもあった。ありていに言うのなら、退屈な作業を続けることへの耐性が求められたのだ。 「この銀河のサイズはどうなっていたんだ?」  ぼそりと呟かれたカイトの言葉に、リュースは手元のシステムを確認した。銀河の規模観測は、中に居ると分かりにくい、時間のかかる作業の一つになっていた。 「現状で、18万光年ですね。誤差はプラマイ2万光年ぐらいあります」 「連邦に所属する銀河ではない訳だ」  それを考えると、とても遠くに来た気持ちになってしまう。そして同時に、未知の世界を目の当たりにしていると言う興奮もあった。 「ええ、やはり成立してから若いと言うのは正しそうですね。AIの推定では、60億年ほどとなっています。私たちの暮らしている銀河の、およそ半分程度と言う所ですか。それを考えると、まだ文明を持った星系は生まれていないのかと思われます」 「こんなに沢山の星々が輝いているのにな……」  そうやって考えると、宇宙がいかに巨大な存在か理解することができる。そして自分達が到達した世界など、そのごく一部でしかないのを思い知らされた気がした。 「ただそうやって考えると、改めて不思議だなと感じてしまうな」  しみじみと吐き出されたカイトの言葉に、「何がですか?」とリュースがすり寄ってきた。 「いや、連邦に所属している銀河なんだが、だいたいが120億年ぐらい昔にできた物だろう? それだけ長い時間を経てきたのに、俺たちの文明よりも古いものが見つかっていないんだ。連邦の中を見てみても、文明発祥からの経過時間の差は、せいぜい数千年程度しかないんだよ」 「超古代文明があっても……と言うことですね」  確かに不思議だと、リュースはカイトの言葉に頷いた。 「まるで、誰かが文明と言う種を撒いたみたいですね」 「そんな真似を宇宙レベルでできる存在がいればだがな」  ははと笑ったカイトは、「ただ、面白そうだな」と前面に広がる宇宙を見て呟いた。 「本当に面白そうですね。どうです、このまま訓練をぶっちぎって宇宙の旅と言うのは? サイレントホーク2なら、どこまでも飛んで行けると言う話ですよ」 「子持ちのおっさんに、何を勧めているのやら……いいのか、そんなことをするとトラスティの奴に会えなくなるぞ」  できないよなと笑うカイトに、「だったら」とリュースはさらに過激な提案をした。 「トラスティさんも誘ってあげればいいと思いません?」 「皇帝様、王様をどこか知らない世界に連れて行くのか?」  いいねぇと笑ってから、「ハレーションが怖い」とカイトは答えた。 「さすがに、10代の船長さんを巻き込む訳にはいかないしな。彼女にしても、今やトリプルA安全保障部門の要になっているんだからな」  だから無理と笑ったカイトに、「ですよねぇ」とリュースもそれを認めた。そのやり取りを見ていたマリーカは、本気にならなくて良かったと顔を引き攣らせていた。どうしてうら若き乙女が、素敵なと言う枕詞が付こうと、おじ様達とあてどない旅に出なければいけないのか。出会いも期待できないとなると、自分の将来に不安を感じてしまうのだ。 「今から行こうと言われなくて、心の底からホッとしました」  そう零したマリーカに、「あら」とリュースは口元を歪めた。 「その時は、カイトさんが初めての人になるんだけどぉ。マリーカちゃんは、カイトさんじゃ「嫌」って言うのかな?」  どうして無邪気さを装って、こんなたちの悪いことを聞いてくれるのだ。口元を引き攣らせたマリーカは、「できればもう少し若い方が」と無駄な抵抗をした。 「なるほど、トラスティさんなら良いって訳ね。だとしたら、やっぱりご先祖様と同じことになるんじゃないの? グリューエル様も、きっと喜ばれると思うわ」  うんうんと大きく頷くリュースに、それはやめてとマリーカは懇願した。トラスティの下りはちょっと素敵かとも思ったが、王女様と一緒と言うのは胃に穴が開きそうだったのだ。それに今のグリューエルとは、比べられたくないとも思っていた。 「さて、馬鹿話もここまでだな。そろそろ、あいつらの採点もしてやらないといけないからな」 「ここから、船長がタイベリアスからピカードに交代しますね。マリーカちゃん、贔屓しちゃだめだからね」 「どうして、何かにつけて私をからかってくれるんですっ!」  やめてくださいと叫ぶマリーカに、「その反応がいいから」とリュースは笑った。 「アルテルナタさんも、そう思うでしょ?」 「え、ええ、妹とじゃれ合うと言うのは、こう言うものなのかなと思えました」  少し目元を引き攣らせながら、アルテルナタはリュースに話を合わせたのだった。  旅で得たものを守っていくとの言葉通り、トラスティはすぐにジェイドを出てアス経由でエスデニアに渡っていた。そしてアスとエスデニアでは、関係者とIotUに関する情報の共有を行った。 「おかげで、かなりの疑問が解消されたと思います。ただ、これ以上はさすがに難しいのでしょうね」  ほっと息を吐いたラピスラズリに、トラスティは「たぶん」と自分の割り切りだけが理由になると話した。 「そして僕は、IotUの後を追うことを棚上げすることにしたんだ」  そこでアリッサの顔を見てから、「守りたいものが増えてしまった」とラピスラズリに話した。 「仰る通りかと思います。ですから私は、わが君のお心のままにとお答えさせていただきます」  そうするしかないのは、ラピスラズリも理解していることだった。この宇宙の成り立ちについて、一定の答えが与えられた以上、これ以上は意味のないことだと考えたのである。 「それで、わが君は次に何をされるのですか?」 「とりあえず、国王様かな」  そこで苦笑を浮かべたのは、しばらくモンベルトを留守にしていたことが理由なのだろう。アリスカンダル事件が起こる直前に顔を出して以来、ずっとモンベルトに行っていなかったのだ。 「ライスフィールさんは、恐らくですが諦められている……いない物だと思っていませんか?」 「その恐れがあるから、ちょっと長逗留しようかなと思っているよ。ごまをすっておかないと、三行半を突きつけられそうだからね」  それはそれで、自分の名誉にかかわることになる。そう言って笑ったトラスティに、「それだけは絶対にないでしょう」とラピスラズリは笑った。 「ライスフィールさんにも意地はありますからね。先日も、子供は多い方がいいと仰ってましたよ」 「確か、今は3人目がお腹の中に居たね」  子供が生まれないモンベルトだと考えると、一人の女性が3人も身籠ると言うのは快挙と言っていいのだろう。そしてそれだけ、モンベルトの環境が改善されたと言う意味にもなる。そしてそれは、トラスティの功績であることは間違いない。  じゃあと言って出て行こうとしたら、「それから」とラピスラズリは呼び止めた。 「まだ、なにか?」 「私も、子供は多い方がいいと思っているんです」  つまり、自分にも子供を作って行けと言うのである。なるほどねと納得したトラスティは、モンベルトへの出発を一日遅らせることにしたのだった。  そして一日遅れでエスデニアを出発したトラスティの横には、彼の妻であるアリッサが付き添っていた。エスデニアからジェイドに戻ると思っていたトラスティに、「付いて行きます!」とアリッサが主張したのがその理由である。  王様をするために帰ってきた夫に対して、出迎えた王妃ライスフィールはとても冷たい視線を向けた。アリッサには抱き着いて歓迎したのに、トラスティには「王としての自覚が足りませんね」と不在期間の長さを論ったのである。 「子供たちも、あなたの顔を忘れていますよ」 「だったら、新しいお父さんとでも紹介してくれるかな」  ちょっとした冗談なのだが、ライスフィールは過激で彼女としては正当な制裁を夫に与えた。顔を殴るのは身長差で厳しいので、尖った踵の靴で、夫の足を踏み抜いたのである。おかげで、皇宮の通路をのたうつ国王と言う、とても珍しい光景を作り出してくれた。 「ところで、本当に何をしにおいでになられたのですか?」  国王が王妃に、「何をしに」と問われるのは、考えるまでもなく異常なことに違いない。ただ横で聞いていたアリッサも、トラスティを庇う言葉を口にはできなかった。どちらかと言えば、アリッサもライスフィールに同情的だったのだ。 「とりあえず、国王をしに来たんだけどなぁ」 「今さら、あなたが国王をしに来た……ですか?」  小さくため息を吐いたライスフィールは、続いて皇宮の天井を見上げた。 「どうかしたいのかい?」 「天龍でも降ってくるのではないかと……いえ、まだ生息は確認できていないのですが」  ほうっと息を吐き出したライスフィールは、「疲れました」と言って夫の顔を見た。 「アリッサお姉さまも、疲れたと思いませんか?」 「そうですね、久しぶりにご一緒するのもいいかもしれませんね……」  そこで「んっ」と考えたアリッサは、「ひょっとして初めて?」とライスフィールの顔を見た。 「流石に初めてではありませんが、とても久しぶりなことは確かですね。先日伺った時には、ご一緒してくださいませんでしたし……」  あの時は、ミラクルブラッドのことでライスフィールは夫婦間に波風を立ててくれたのだ。ご一緒しなかったのは、それにアリッサが拗ねたと言う事情があった。 「ですからあまり記憶ははっきりとしないのですが、はっきりしているのは二人揃って私を辱めてくれたことだけですね」  とても古い話を持ち出したライスフィールに、「そんなこともありましたね」とアリッサは笑って見せた。 「ええ、私にとっては心の傷になっているのですが……もう、今さらのことですね」  ふっと小さく息を吐いたライスフィールは、小奇麗な一室に二人を連れて行った。 「あなたがいない間に整備した客間です。アリッサお姉様が、最初のお客様になりますね」  何かを合図したようには見えないのだが、一人の女性が金属製のワゴンを押して現れた。少し痩せぎすなのは、まだ食生活改善の効果が行き渡っていないからだろうか。それでもなかなか可愛らしいなと、トラスティ夫婦は品定めをしていた。 「お姉様、そしてあなた、私の遠縁にあたる……たぶんですけど、シャルロッテです。16になったので、先日王宮デビューをしたばかりなんです。もしも私が試練で死ぬようなことがあれば、彼女が次の女王となっていたのでしょうね」  栗色の髪をカールにしたシャルロッテは、「初めまして」とスカートの裾を摘んで会釈をした。割と洗練された身のこなしに、さすがは王族と二人は感心した。 「トラスティ陛下にごあいさつ出来て、感激しております」 「丁寧な挨拶ありがとう。まあ、そんなに固くなる必要はないよ」  珍しくさわやかに笑ったトラスティに、シャルロッテは顔を赤くしてから給仕を始めた。多少手元が危ないのは、王族だと考えれば不思議なことではないのだろう。  ぎこちなく給仕をするシャルロッテを横目に、「まだまだなんだね」とトラスティは王妃に声を掛けた。 「まだまだと言うのは? 確かにモンベルトは、まだ復興の途中にありますけど?」  なぜいきなりその話になる。首を傾げたライスフィールに、「栄養状態の改善」とトラスティは具体的課題を挙げた。そのあたり、シャルロッテが少しやせ過ぎと言うのを意識したのである。  だがトラスティが栄養の改善を口にした次の瞬間、ワゴンの方でガチャンと物がぶつかる音がした。いったい何事と3人が視線を向けた先では、シャルロッテが肩をわなわなと震わせていた。 「陛下、それは私の胸を見て仰りましたかっ! 胸ですよね、やっぱり胸ですよねっ!」  こぼれたお茶をそっちのけにして、シャルロッテは顔を赤くしてトラスティに詰め寄ってきた。どうやら彼女は、胸が小さいのを気にしているようだ。  なるほどねぇと納得したトラスティは、「一般的な話として」と真面目な顔をした。 「アリッサとライスフィールを比べてご覧」 「王妃様とアリッサ様を……でしょうか?」  そう言われたシャルロッテは、二人をじっくりと……特に胸の辺りを見比べた。そしてじっくりと見なくても分かる違いに、「仰る通りです」と頭を下げた。 「ただ、アリッサ様との差は、いくら食べても埋まらないと思います。王妃殿下は、ジェイドで贅沢三昧されてもこれだと伺っておりますので」 「シャルロッテ、私は贅沢三昧などしていませんよ」  目元を痙攣させた王妃に、「そう伺っております」とシャルロッテは言い返した。 「リゾートとやらで、増えた体重を気にしてシェイプアップなるものをされておいでだったと。供の者の報告にありました」 「ま、まあ、まだ国王としてやることがあると言いたかっただけだからね」  さすがにこれ以上放置するのは宜しくないと。トラスティはすかさず二人の間に割って入った。少し険悪さは残ったが、国王の前でこれ以上の狼藉が許されるはずがない。「失礼しました」と頭を下げて、シャルロッテはワゴンを押して部屋から出て行った。 「ところで、王宮デビューと言ったね? あの悪習は、まだ残っているのかい?」 「あなたが国王に就任してからは、表だっては行われなくなりましたね。ただ私の目の届かない所でどうなっているのかまでは分かりませんが。長く続いた習慣と言うものは、一朝一夕で変わることはないものです。王宮ではなくなっていても、内輪の集まりでは残っているのではないでしょうか?」  少し顔を曇らせた所を見ると、改めるべき習慣と言う意識はあるのだろう。ただ一般の民衆を含めて、今まで続けてきたことを変えるのは、簡単なことではなかったのだ。そしてトラスティを愛する前のライスフィールならば、きっと疑問に思うこともなかっただろう。 「物質的には見違えるほど豊かになったかと思います。ですが、精神的な部分はこれからと言う所でしょう。それが、モンベルトの課題だと思っています」 「やはり、長い時間続けてきたことは一朝一夕では変わらないと言うことだね。そして積極的に変えなければいけない理由もないと言うことか」  かつてのモンベルトは、一夫一婦制を敷いていたと伝えられていた。ただパガニアから攻撃を受けた後は、かつての習慣を守ることが生物学的に難しくなっていたのだ。そこでモラルが書き換えられた結果、モンベルトでは夫婦と言う関係と、子を残すことが切り離されるようになってしまった。  いくら生活が改善されたと言っても、モラルが書き換えられるには何らかの理由と、そして長い時間が必要となる。そして今さらモラルを書き換える、積極的な理由が存在していないのも確かだった。 「こればかりは、時間に任せるしかないのだろうね」 「今まで続けてきたことをやめさせるには、納得のできる理由が必要ですからね。もしもあなたの一言がなければ、私も体を求められていたでしょう」  トラスティによって、自分と言う例外が作られただけだ。ライスフィールの言葉は、それを説明するものだった。なるほどと理解したトラスティは、どうすれば変えていけるのかを考えようとした……のだが、それが余計なお世話になることだと気が付いた。 「勝手に、自分のモラルを押し付けるのは良くないか」  小さく呟かれた言葉に、ライスフィールはしっかりと頷いた。 「それが国王の権利と言うのは否定しませんが、あなたがモラルを持ち出すと、それはそれで問題が多いように思えますので」 「僕のどこが……いや、反論してくれなくていい。何を言いたいかぐらいは分かってるから」  ライスフィールを制止し、トラスティは「静観だな」とシャルロッテの出ていった方を見た。 「無理やり変える必要は無いのだろうけど、かと言ってこれまで続けてきたからと言って無理強いすることもないと思っている。物が豊かになってくれば、人々の気持ちも変わるだろうからね」 「あなたが、まるで王のようなことを言うだなんて……」  そこで言葉を切ったライスフィールは、「我慢したかいがありました」と夫の顔を見た。 「これで子供たちにあなたのことを話す時、悩まずに済むと思います」 「そのことについては、返す言葉がないと思っているよ」  悪かったねと謝られたライスフィールは、持っていたカップを取り落としそうになってしまった。 「どうかしたのかな?」  そう言って穏やかに微笑む夫の姿を、彼女はすぐには受け入れることができなかった。だから小声で、「何か悪いものでも食べましたか」とアリッサに尋ねた。 「悪いもの……ですか。それだったら、話は簡単だったのですけどね」  半分冗談で尋ねたのに、アリッサの答えはとても深刻そうに聞こえるものだった。それに驚いたライスフィールに、「今はまだ」とアリッサは答えを先延ばしにしたのだった。  国王をしに来たの言葉の通り、モンベルトでのトラスティは真面目に国王をしていた。視察にしてもお忍びではなく、供を連れての正式の視察を繰り返した。しかも飾らぬ姿も見てみたいと、供も連れずに視察まで行うぐらいだ。そしてトリプルAとしてではなく、モンベルト国王の立場で復興プロジェクトの現場にも顔を出していた。  その場でプロジェクトリーダーのバルバロスに、モンベルトとしての復興プランの修正を伝え、トリプルA社長であるアリッサに頭を下げたのである。普段から表情の分かりにくいバルバロスなのだが、アリッサでも分かるほどその顔には驚愕が現れていた。 「初めから、これだけ真面目に国王をしていただいたら……と思いたいところですが」  そしてモンベルトに来て変わったところに、トラスティが肉体の鍛錬を始めたことがあった。もちろん公務の合間になるのだが、ガッズやヘルクレズを教官にカムイを使って戦いの手習いをしたのである。  もっともカムイを使った所で、トラスティは戦闘の素人でしか無い。10剣聖とガチでやり合えるヘルクレズ達とでは、端から勝負になるものではなかった。そしてヘルクレズ達からは、「戦うのは王の役目ではない」と諌められても、いざと言う時には必要と捻られるために挑んでいっていた。  その様子をテラスから眺めていたライスフィールは、隣に座るアリッサに話しかけた。ここに来たときの話を、この場で蒸し返そうと言うのである。 「あれは、私の愛したあの方ではありません。あの方は、無遠慮で、意地が悪くて、嘘つきで、それでいて優しい人だと思っていました。ですが今のあの方は、真面目で優しくて……普通ならば喜ぶところなのですが、何か違うと思えてしまうのです。連邦最悪のペテン師が、ただの有能な国王になってしまっています」  褒め言葉を口にしながら、絶対におかしいとライスフィールは繰り返した。これでは自分が一生恨んで、そしてそれ以上の愛を捧げる相手ではないのだと。 「お姉様、あの方に何があったのですか」  アリッサならば、この変化の理由を知っているはずだ。爽やかに汗を流す夫を遠目に、ライスフィールはアリッサに迫っていた。 「ライスフィールさんは、あの人がIotUの謎を追いかけていたのを知っていますよね?」  その問いに、ライスフィールははっきり頷いた。 「アクサでしたか、そのデバイスを救ったことで、謎の一つが解けてきたと聞いていますが?」  それがと問いかけたライスフィールに、「かなりはっきりしてきた」とアリッサは答えた。 「名前すら消されていたIotUですが、シンジと言う名前であるのがはっきりとしました。これは、レムニア皇帝アリエル様から引き出した情報です。そして正体が分からなかったアクサですが、IotUの最初の妻であるアスカと言う女性であることも分かったんです。加えて言うのなら、ザリアとコスモクロアの正体も分かりました。ザリアが2番めの妻であるコハクと言う女性で、コスモクロアが3番目の妻であるヒスイと言う女性なのだそうです。そしてあの人は、IotUとヒスイと言う女性の間で出来た子供と言うことです。そしてアスカと言う女性とコハクと言う女性は、IotU不在時に地球と言う星が襲われ、その時に命を落とされたそうです。逃げ出す間もなく、星ごと殺されたそうです。そしてこれは推測になるのですが、襲った者たちの星は、IotUに従う者達によって破壊されたのでしょう。コスモクロアさんは、それを「集団ヒステリー」と言ったそうです。そしてその後、IotUは幾つかの宇宙を作った……と言うところまでが分かったことです」  要所要所を端折ったアリッサの説明だったが、ライスフィールは口を挟まず耳を傾けていた。そしてアリッサが言葉を切ったところで、「そんな酷いことが」と両手で口元を抑えた。パガニアに攻撃を受けたモンベルトだが、それでも多くの人達が生き残っていたのだ。だが話を聞く限り、地球と言う星の人々は一人残らず殺されたことになる。ライスフィールには、そこまでの無法を行う理由に想像がつかなかった。 「色々と疑問に思っていたことが、ほとんど分かってしまったことになります。言ってみれば、あの人にとっての目標が無くなってしまったんです。そしてあの人は、これからは旅で得たものを守っていくと私に言いました。それがモンベルトであり、リゲル帝国……関わり合った、大勢の女性たちと言うことになるんです」  そこで言葉を切ったアリッサは、しばらく目を閉じてから「それが今のあの人です」と結論づけた。  そこまで説明して、「ねえ」とアリッサはライスフィールに語りかけた。 「私は、あの人につらそうな顔をしないでくださいねとお願いしました。ですが、それは大きな失敗だったと思っています。あの人は感情を笑顔の中にしまい込み、理想的な国王、皇帝、夫を努めようとしてくれています。何でもできると言われたあの人ですから、傍目では理想的な国王様に見えるでしょう。ですが私は、それがあの人の一番いいところを殺しているように思えるのです。あの人を引き止めたいと言う強い思いと、自由にさせてあげなければと言う強い思いが、私の中でせめぎ合っているんですよ」  あなたはと問われ、ライスフィールはトラスティの方を見て答えを探した。 「私の気持ちは、先程申し上げたとおりです。私は、あの方から数々の辱めを受けました。それは、一生恨んでもおかしくないほどの辱めだと思っています。ですが私は、それ以上にあの方を愛しているんです。あの方への恨みの上に、それ以上の愛情があるのだと思っています。今のあの方は、ただの善良で、有能な国王でしかありません。それは、私が殺したいほど憎んで、そしてそれ以上に愛してしまった人では無いと思っています」  大きな声を上げたライスフィールに、アリッサは小さく頷いた。 「ずっと一緒に居て欲しい。その気持が無いとは言いません。ですが今のあの人を見ていると、本当に自分が望んだことなのか分からなくなりました」  そう話したアリッサは、「アルテルナタさんが」とここに居ない未来視を持つ王女のことを持ち出した。 「あの人がどんな決断するのか。その鍵を握っているのは私だと教えてくださいました。そしてその時に教えてくれたのは、私は自分の妊娠を知った時泣くのだと……だから私は、自分の未来を変えることにしたんです。実は、私は妊娠しているんです。まだあの人には教えていませんけど、女の子の双子が産まれるはずです。この旅の終わりに、それを教えて決断を促そうと思っているんですよ」 「背中を押される……と考えていいのですよね?」  自分の顔を見たライスフィールに、アリッサははっきりと頷いた。 「皆さんのことを考えない、自分勝手なことだとは思いますけどね。それが、アルテルナタさんに未来を教えて貰ってから考えた、私なりの結論と言うことになります」  ごめんなさいと謝られたライスフィールは、「とんでもない」と言ってアリッサの手をとった。 「私も、愛する人に我慢を強いたくありません。そして今のあの方は、私の本当に大好きなトラスティ様ではありません。だからお姉様のお考えどおりにしていただくのが、一番いいことだと思います」  ヘルクレズにあしらわれている夫を見て、「あれは違うと思います」とライスフィールは答えた。 「私は、あの方には良き王になって欲しいと常々思っていました。ですが、今はそれが間違いだと思い知らされた気持ちです。ですから、お姉様の仰ることはよく分かります。あの方は、平穏無事の中にいてはいけないと思います。守りに入ってはいけないのだと思っています」  ライスフィールの答えに頷き、「だから重しが必要なんです」とアリッサは分かりにくいことを口にした。 「重し、でしょうか?」  それはと問いかけたライスフィールに、「私達の愛です」とアリッサは笑った。 「そして私達の子供も重しになりますね。そしてこの重しは、あの人を繋ぎ止めるばかりではなく、背中を押す役目も持っているんです。私達のためにも、子どもたちのためにも、小さくまとまってくれるな。この旅の終わりに、あの人にはそう教えようと思っているんです」 「私も、それが良いと思います」  ありがとうと、アリッサはライスフィールの手をとったのだった。  およそ1ヶ月をモンベルトで過ごした後、トラスティ夫婦はパガニア、リゲル帝国、レムニア帝国の順に旅を続けた。そのいずれの場所でも、トラスティは良き夫として振る舞っていた。そしてリゲル帝国では、良き皇帝として皇妃カナデに帝国改革に対する指示を与えた。何でもできると言われただけのことはあり、指示をした改革案は、それまで皇帝をしていたカナデを唸らせるものだった。  そしてレムニアでは、「子供は順調だぞ」と言うアリエルの言葉に笑みを浮かべていた。IotUの時には叶わなかった思いが、トラスティに変わって実現しようとしている。曇りの無い笑みなのだが、だからこそおかしいと妻たちは感じていた。そしてアリッサの考えに、「確かにそうだ」と例外なく賛成してくれた。  そして夫婦の旅は、エルマーで終りを迎えることになった。長い時間を掛けたお陰で、回る所は一通り回ったことになったと思っていた。  少し神妙な顔で「我が君」と迎えるグリューエルに、「遅くなったね」とトラスティは謝罪の言葉を口にした。そのことに首を振ったグリューエルに、トラスティはとりあえず確認から済ませることにした。 「確か、もうすぐガリクソン総統とイライザさんの結婚式だったかな? 結局、こちらからの出席者はどうなったんだい?」 「それは、我が君とアリッサ様、カイト様、ノブハル様、スターク様それから私と考えております」  ゼス内戦終結に関わったメンバーと、現在ゼスの面倒を見ている自分が対象だと言うのである。妥当な人選に、なるほどとトラスティは頷いた。 「ずいぶんと昔のことに思えたんだけど、まだ1ヤーも経っていないのか。それにしても、破綻しないでちゃんと結婚までこぎつけたんだ」  それは良かったと顔を綻ばせたトラスティに、「イライザ様が努力なさいました」とグリューエルは答えた。  少し意外そうな顔をしたトラスティに、「かなり状況が変わっています」とグリューエルは事情らしきものを口にした。どうやら内戦終結時に鮮烈な印象を刻みつけたお陰で、ガリクソン総統の女性からの人気が沸騰したらしい。彼が独り身と言うことで、生き残っていた有力者からも様々な口利きがあったと言うことだ。 「それぐらいの役得がないと、総統なんて貧乏くじだからねぇ」  トップに立つ者には、サポート役とは比較にならない重圧がかかってくる。トラスティは、必死で自分に教えを乞うていたガリクソンの顔を思い出していた。 「しかし、意外に早かったかな?」  「結婚は、新しい日常を取り戻してから」その話をを覚えていたトラスティは、意外な進展にしっかり驚いていた。自分がゼスを離れた時には、まだ日常を取り戻せるかが分からなかったのだ。数えてみたら、まだ10ヶ月しか経っていなかった。  そんなトラスティに、「ゼスは落ち着いていますよ」とグリューエルは状況を伝えた。 「ただ、先程も申しましたとおり、イライザ様が危機感を強めたと言うのが一番大きな理由ですね。各地の有力者のお嬢様も問題なのですけど、サポートに付かれているリスリム様にも警戒されたようですよ」 「長時間身近にいる女性に警戒したと言うことか。まあ、彼女が美少女なのは確かだからねぇ」  ただ、女性的魅力はもう一つ。リスリムのことを思い出したトラスティに、「現在努力中のようです」とグリューエルは笑った。 「なにか、昔の私を見るようで微笑ましく思えました」 「だとしたら、彼女も君のように魅力的になれるのかな?」  思いがけず褒められたことで、グリューエルは体が熱くなるのを感じていた。ただ出迎えに来た場所で、盛るわけにもいかないだろう。気を落ち着けるように大きく呼吸をしたグリューエルは、「光栄ですね」と精一杯の笑みを浮かべた。 「我が君……ご主人様に褒めていただくと」 「これは、正直な僕の気持ちなんだけどね」  まあいいと笑って、トラスティは並んで歩くグリューエルの肩を抱き寄せた。 「そう言えば、ナギサ様とリンさんが首を長くしてお待ちです」 「ここには、エイシャさんはいないんだけどなぁ。まさか君に、ナギサ君の相手を頼む訳にはいかないだろう?」  何がしたいんだろうと、トラスティは遠くを見る目をした。 「おそらくですけど、ご婚約の報告ではありませんか? ただ、リンさんの目的がそれだけかは私にも分かりませんが」 「穏便なものであることを願っているよ」  困った顔をしたトラスティは、「これから?」と自分達の目的地を尋ねた。 「とりあえず、私の屋敷で宜しいでしょうか? お二人の部屋も用意してありますので」 「ああ、そこの差配は任せるよ」  抱いていた肩から手をどけ、トラスティは用意されたシェアライドへと乗り込んでいった。  「ものすごくお世話になっています」と言うのが、トラスティと会ったときのナギサの第一声だった。そのナギサの首元を見て、いい加減外せばいいのにとトラスティはぼんやりと考えていた。 「アリッサとグリューエルは巻き込んでいないからね」  そう言って釘を差したトラスティに、ナギサは口元を歪めて「分を弁えていますよ」と返した。だとしたら、パガニア第一王子の后とのことは何なのか。突っ込みたい気持ちを押さえ込み、「婚約おめでとう」とこの場で必要なお祝いを口にした。ちなみに同席しているリンは、とても薄手の黒のドレス姿と言う、まだ時間が早いのではと言う格好をしていた。もちろんその首には、トラスティが渡したチョーカーが飾られていた。 「ありがとうございます。トラスティさんにご指導頂いたお陰だと思っているんです」  ねえと顔を見られたリンは、とても艶っぽい表情で頷いてくれた。ただ気になるのは、その熱っぽい視線が自分に向けられていることだった。  それをひとまず忘れて、「手伝っただけだよ」とトラスティは笑った。 「加えて言うのなら、今でも本当に良かったのかなと思うこともあるんだ」 「僕たちは、良かったと思っていますよ」  ただと、ナギサは隣に座るリンの顔を見た。 「ノブハルの方が、少しまずいことになっているんです」 「ノブハル君、かい? そう言えば、彼はクリプトサイトに入り浸っているみたいだね」  改めて言われて、「ああ」とトラスティは問題の所在を理解した。そして自分が、シルバニア帝国に顔を出していないのを思い出した。 「アルテッツァ、僕に対する苦情らしきものは来ていないかな?」  シルバニアのことを確認するのなら、アルテッツァに聞くのが一番確かだ。そのつもりで呼び出したら、なぜかライラが姿を表した。ただノブハルはいないので、仮想体として3人の前に現れてくれた。 「私から逃げたと思っていたのですが……気にもしていなかったと言うことですか。その方が、もっと酷いのだと理解することです。リンディアも、自分のところには来てくれないと泣いています。あなたは、シルバニア帝国を敵に回すおつもりですか? シルバニア帝国軍100万は、いつでも出撃が可能ですよ」  剣呑な脅しなのだが、あいにくそんなものが通じる男ではない。「面白いね」と笑ったトラスティは、ライラを挑発する言葉を吐いた。 「兄さんも帰ってきているから、「スターライトブレーカーで消し飛ばされても良いのなら」と返してあげるよ。なるほど、リンディアは別として、君にはそれだけ欲求不満を溜めさせたと言うことだね」  「なってないな」とトラスティはここにいないノブハルを詰った。 「元はと言えば、あなたが余計な真似をしたからではありませんか!」  その責任を感じろと、ライラはトラスティを糾弾した。 「ノブハル君に袖にされ続けていて可愛そうだったから、ちょっとばかり手伝ってあげただけなんだけどね」  それが余計な真似になるのか。逆にトラスティは、ライラを挑発した。 「確かに、余計な真似かも知れないね」  しかも、わざとらしくうんうんとうなずいてくれるのだ。ライラからしてみれば、余計に腹立たしくなってしまう。 「この後始末、どう付けてくださるおつもりですか?」 「どう、と、言われてもねぇ……所詮は男女の色恋沙汰のことだし。ノブハル君は、ちょっとばかり頭に血が上っているだけだからね。そのうち冷静になるんじゃないのかな?」  とても無責任な答えに、ライラはさらに目を釣り上がらせた。 「そのうち……なんて無責任な答えでしょうっ!」 「そう言うけど、君もクリプトサイトの女王の一人ぐらい構わないと思っていたんだろう? だったら、まず自分の不明を恥じるべきだと思うんだ。その上で相談することがあると言うのであれば、僕にできることなら相談にのるよ」  それだけと突き放したトラスティは、「君たちの問題」と繰り返した。 「彼に愛想を尽かしたと言うのなら、与えた特権をすべて取り上げて放逐すればいい。まあ、他の女性に取られたと言う評判が立つのは、流石にシルバニア帝国皇帝の立場としては外面が悪いとは思うけどね。ただそれにしたところで、時間とともに忘れられるものでしか無いんだ」  それが一つの選択と、トラスティは笑った。そしてもう一つ、トラスティはライラの不見識を論った。 「僕からしたら、彼女はノブハル君を振り向かせる努力をしただけだよ。もちろん、君がしていないなんて言うつもりはないよ。君たちの間には、確かな繋がりができていると思っているからね。だから、こんなものは一過性だと言っているんだ……たぶんね」 「なぜ、わざとらしく「たぶん」などと余計な言葉を付け加えるのですっ」  腹立たしいともう一度憤慨したライラに、「だからどうしろと」とトラスティは言い返した。 「これは、あくまで君たちの間の問題なんだよ。僕はフリーセア女王に手伝いはしたけど、ノブハル君に対しては何の干渉もしていないんだ。それとも君は、フリーセア女王に苦情でも言うのかな? 忠告しておくけど、それは連邦中に恥を晒す行為だからね」 「あ、あなたに、可及的速やかにシルバニアに来ることを命じますっ!」  ちゃんと後始末をしろと言うのだろうか。なるほどねぇと心の中で納得しながら、「都合がついたら」とライラの感情を逆なでする言葉を吐いた。その答えに沸騰したライラが罵倒の言葉を口にしたところで、「ユウカ」とアルテッツァの本体へとトラスティは声を掛けた。 「一応、私はいないことになっているんですよ」 「アルテッツァが出てこないから、上位存在である君を呼び出しただけだよ。煩いから、接続を遮断してくれないか」 「相変わらず酷い男ですね」  一応非難をしてから、ユウカはライラの仮想体を消した。 「隷属のチョーカーでしたか、ライラにも巻いてあげればいいのに」 「いい加減、首が回らなくなってきたからね。僕は、君の愛したシンジじゃないんだ」  だから無理と答え、トラスティはユウカにお引取りを願った。 「シルバニアの方は、こんな具合のようだね。ところで、エリーゼさん達はどうしてるのかな?」 「エリーゼさんも、問題だと思ってるみたいね。だから私に、自分もチョーカーをした方が良いのかって聞いてきたわ。ちなみに、どこで売ってるのかと言う質問付きでね」  そこでリンが口元を歪めたのは、どこかずれたエリーゼのせいなのだろう。 「それで、君はどう答えたんだい?」 「本質的な問題は、チョーカーじゃないわよと答えておいたわ。一応トウカさんは、それで納得してくれたようだけど……多分だけど、トウカさんが説明しているんじゃないのかな?」  なるほどと納得したトラスティに、「二人はどう?」と言ってリンは口元を歪めた。どうやら、自分と同じにしてみたらと誘っているようだ。 「二人共可愛いとは思うけど、一応遠慮しておくよ。それに、あの二人に求められるものは違うと思ってるんだ」 「だったら、私は?」  ふふっと口元を歪めたリンに、「これ以上はだめ」とトラスティは返した。 「あれは、あくまで君たちに協力をしただけだからね。と言うか、エイシャさんと結託して僕を巻き込んでくれたんだろう? そのうちノブハル君に刺されるんじゃないかと、これでもヒヤヒヤしてるんだ」  だからないと繰り返したトラスティは、「うまくいっているようだね」と当初の話しに引き戻した。 「だから、お兄ちゃんのことが気になるんだけど……でも、ご主人様が仰ったとおりね。これは、お兄ちゃんたちの問題だわ」 「ただね、ノブハルはどこまで行ってもノブハルだからねぇ。どうしてトラスティさんの血を引いているのに、あんなに視野が狭くなるんだろう。もしかして、アクサのオリジナルの女性の問題なのかな?」 「子供は、色々と失敗をして成長していくんだよ。その意味で言うなら、ノブハル君は、まだまだ子供と言うことなんだよ」 「ご主人様も、色々と失敗を経験したんですか?」  すかさず突っ込んできたリンに、「今もなお沢山の失敗をしている」とトラスティは笑った。 「昔に比べて、誤魔化し方だけはうまくなったけどね。ところで、そのご主人様と言うのはやめてくれないかな?」 「ですけど、私はご主人様に身も心も捧げたんですよ」  うふふと艶っぽく笑ったリンは、「ナギサも満足しています」とトラスティの横に座り直した。そしてトラスティの膝に手をおいて、体をこすりつけるようにしてきた。 「あーっ、僕はノブハル君じゃないからね。この程度で興奮することはないよ」  だから無いと答えたら、なぜか後ろからナギサに伸し掛かられてしまった。 「壁と言うのは、一度乗り越えてしまうと気にならなくなるものだと分かったのだよ。僕達の為に、もう一度リンの乱れる姿を見せて貰えませんか?」  「ご主人様」と、ナギサは男とは思えない艶っぽい声でトラスティの耳元で囁いた。そのおぞましさに震えたトラスティは、大人としての立場を強調した。 「いやいや、君たちはまだ若いんだから。変な性癖に目覚めちゃ駄目だよ」 「リンを仕込んだのが誰だか、忘れたとは言わせませんよ。だから、もう少しアフターサービスをして欲しいだけですよ」  「ご主人様」とリンとナギサは声を揃えてトラスティに迫ったのだった。  エルマーに1週間ほど滞在したのだが、その間にノブハルが帰ってくると言う報告を聞かなかった。男女のことだと門前払いをしていたが、流石にフォローが必要そうだとトラスティは考え直した。 「それで、シルバニア帝国ですか? 別にいいですけど。ライラ様にもチョーカーを付けさせます?」  過激なことを言う妻に、それはないとトラスティは首を横に振った。 「どうして、ユウカ……アルテッツァの元人格みたいなことを言ってくれるかなぁ」  もう一度ないと、トラスティは答えた。 「ですが、のこのこと針のむしろに座りに行くのですよね。こう言うのを、アスでは「飛んで火に入る夏の虫」と言うのでしたっけ? ライラ皇帝に折檻されても知りませんよ」  楽しそうに笑う妻に、それもないとトラスティは口元を歪めた。 「リゲル帝国の皇帝を折檻かい? それって、戦争の引き金を引くことになるんだけどね。とは言え、僕もなんの手立てもなく乗り込んでいくほど馬鹿じゃない。だから、こうしてインペレーターを持ち出したし、兄さんにはリゲル帝国から10剣聖付きでガトランティスを持ってきて貰うことにしてあるんだ。シルバニア星系の宙域で合流してから、正式な使節として乗り込むことにするよ」  準備万端と笑う夫に、アリッサはため息を答えとして与えた。 「あまり、ライラさんを虐めないでくださいね。皇帝なんかしていますけど、純真な乙女でもあるのですからね……ああ、もう乙女じゃなかったですね。それでも、自分と同じだと思わないように。しかもそれって、チョーカーを付けてあげるのより過激じゃありませんか?」  こうしたことをしている時には、夫がイキイキしているように見える。やはり守りに入らせてはだめだと、アリッサは今更ながら実感していた。 「別に、虐めてるつもりはないんだけどね。まあ、そこから先はあちら次第かなぁ」  その程度と笑ったトラスティは、「船長」とマリーカに声を掛けた。 「はい、トラスティ様っ!」  近づいてきたマリーカは、いつもどおり表情がすぐれないようだ。そんな彼女に、トラスティは「合流予定は?」と尋ねた。 「あと1時間と言うところですね。どうも、ガトランティスの方が先行していたようです」 「向こうと話ができるかな?」  その問いに、「確認します!」と返事をして、マリーカは「ウフーラ」と通信士官に問いかけた。黒色の肌をした目鼻立ちのはっきりとした女性は、「応答来ます」と報告を上げた。そしてその報告に少し遅れて、「よお」ととても軽い調子でカイトの仮想体が現れた。 「相変わらずか?」 「相変わらず、分かりにくい質問ですね。兄さん、久しぶり」  同じように軽い調子で返したトラスティは、「そちらの状況は?」と先乗りしたカイトに尋ねた。 「たった1隻に対して、シルバニア帝国艦隊2万が集結中だな。こちらの監視システムの情報が正しければ、あと3万程度は集まってくるようだ。この様子だと、近衛も臨戦態勢に入っているんじゃないのか?」 「キャプテン・カイト相手にたった5万で挑もうと言うんですか」  それはそれはと笑ったトラスティに、「やめてくれ」とカイトは苦笑した。 「俺だけだと大変だからと、カナデ皇妃が2人ばかり10剣聖を貸してくれた。ムンバとニムレスの二人だ。まあ、あいつらなら背中を任せても大丈夫だろう」 「なんだ、カナデも出し惜しみをしたんだ。それとも、兄さんが居るから2人で十分だと思ったのかな?」  まあいいかと口にして、トラスティは「ユウカ」とアルテッツァの上位人格を呼び出した。その呼出に応じて、濡れたような黒髪をお姫様カットにした、とても「清楚」な印象を与える少女が現れた。 「彼女は?」 「シルバニア帝国……ニルヴァーナ帝国と言ったほうがいいかな。第5代皇帝ユウカ・ニルヴァーナの人格がバイオコンピューターに転写されたものだよ。今からだと、およそ4千ヤー昔の人と言うことになるらしい。そして彼女が、アルテッツァの上位人格になるんだ。しかも彼女とは、ライラ皇帝は接続できないんだ」  だろうと言われて、ユウカと呼ばれたアバターは小さく頷いた。 「はじめましてカイト様。ご紹介に預かった通り、今は伝承も残っていない、ニルヴァーナ帝国を統べるコンピューターシステム、ユウカと申します。我が君はアルテッツァの上位システムと仰りましたが、正確に言うと彼女は私と言う多次元の存在の一部となります」  4千ヤー昔の存在と言われ、流石にカイトも驚きを隠せなかった。そしてシルバニア帝国もまた、伝承と違っていることに驚かされた。この調子で行くと、エスデニアやパガニアの伝承も書き換えられてしまいそうな気がしていた。 「彼女が居るから、シルバニア帝国の戦力すべてを無効化することも可能なんです。だから、これは喧嘩にもなりようがないんですよ。そして彼女の助けがなくても、兄さんと10剣聖を懐深くまで招き入れた時点で、シルバニアには勝ち目が無いと言うことになりますね」  これが仕掛けと種明かしをされたカイトは、全くと小さくため息を吐いた。 「IotUロスをして沈んでいても、ペテン師なのは相変わらずと言うことか」 「色々なものを守っていくためには、清く正しく美しくだけでは駄目なんですよ」  そう言うことですと笑ったトラスティは、「デモンストレーションをしましょう」と悪どい提案をした。 「10剣聖はそれだけでも、他にも上級剣士は連れてきたんでしょ?」 「ああ、100名程度だがな。足りなかったか?」  その気になれば、ゼスに投入した程度は連れてこられた。そう答えたカイトに、「とりあえず十分」と笑った。 「インペレーターがそちらに移動する時、ドラゴンフォームで迎えてくれませんか?」 「そうやって、あちらを挑発するのか? 良いのか、あそこには連邦軍も駐留しているんだぞ。しかも今のトップは、シルバニア帝国出身のクサンティン元帥だ」  口元をニヤけさせたカイトに、トラスティも同じように口元をニヤけさせた。 「儀礼に則るのに、文句を言われる筋合いはありませんよ」 「そりゃま、そうだな」  分かった分かったと軽いノリで答えたカイトは、「用意はしておく」と答えて通信を遮断した。そこで一つ緊張を解いたトラスティは、顔色を悪くしたマリーカに気がついた。 「船長、ますます顔色が悪くなった気がするんだけど。どうかしたのかな?」 「どうかしたか……ですか」  はあっと息を吐き出したマリーカは、「楽しんでません?」と大げさな配置のことを持ち出した。 「楽しんでいないと言われたら、楽しんでいるよとしか答えようがないね。何しろシルバニア帝国の皇帝様は、同格の相手に対して「可及的速やかに来い」なんて命令しててくれたんだ。外交儀礼からすると、とても失礼な、はっきり言って喧嘩を売る行為だと思うんだけどね。舐められないようにするためには、これは必要なことだと思っているよ。知らないようだから教えておくけど、クリスティアの所属するレムニア帝国の皇帝は僕の情婦だからね。それから行使するつもりはないけど、一応継承権の第1位なんてものも持っているんだ。加えて言うと、モンベルト王国国王という立場もあるし、パガニア王国王室とは姻戚関係にもあるんだ。それからそれから、シルバニア帝国の所属するエスデニア連邦なんだけど、その代表の最高評議会議長様も僕の情婦だったね」  改めて並べあげられると、とんでもない立場としか言いようがない。ただ普段の行動で、それを意識させないのをどう考えたら良いのだろう。「あー」と天井を見上げたマリーカは、「胃が痛いなぁ」と右手で胃のあたりを押さえた。 「君を見てると、いつも胃の辺りを抑えているね」 「ええ、なぜか胃が痛くなることが多くて」  マリーカとしては皮肉を言ったつもりなのだが、あいにく皮肉の通じる相手ではない。なるほどと近づいてきたと思ったら、正面から抱き寄せられてしまった。 「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ……」  とパニックに陥ったマリーカに、「あと少しの辛抱だよ」とトラスティは耳元で囁いた。そしてそれ以上何かをする訳でもなく、軽く肩を押してからマリーカから離れていった。 「あと5分で、シルバニア帝国宙域周辺に通じるゲートに突入します」  船長がパニックで使い物にならなくても、優秀な乗員たちは確実に任務を実行してくれる。トーマスからの報告に、トラスティは小さく頷いた。その横では、ウフーラとモトコが顔を寄せ合ってひそひそ話をしていた。 「船長、間違いなく落ちたわね」 「あれで、男に免疫がないから」  ひひひと二人が顔を見合わせた所で、インペレーターの前の空間がガラリと変わった。これで幾重もの銀河を乗り越え、インペレーターはディアミズレ銀河からジュエル銀河にあるシルバニア帝国まで移動したのである。ただ前方を見たトラスティは、「数が足りなかったか」と少し反省をしていたりした。100体のドラゴンフォームをした上級戦士が居ても、宇宙と言う空間では小さな存在でしかなかったのだ。  思ったほど見栄えのしない出迎えを受けたインペレーターは、正規の手続きをもってシルバニア帝国宙域へと侵入した。そしてカイトからの情報通り、集結中のシルバニア帝国艦隊5万の姿を見ることが出来た。 「どうやら、連邦軍も数を集めているようだね」  楽しそうにするトラスティとは対象的に、船長マリーカの現実への復帰は遠いようだった。 「はい、連邦軍も同数展開していますね。ただ、中立であるべき連邦軍が、なぜかシルバニア帝国側に付いているように見えますね」  モトコからの報告に、「面白いことになった」とトラスティはほくそ笑んだ。 「それで、相手側の待機レベルはどうなっている?」 「戦闘態勢的には、2種レベルですね。こちらが攻撃体制に入った時には、すぐに1種に移行が可能と言うところですか。  なるほどと頷いたトラスティは、連邦側の責任者を呼び出すことにした。 「ウフーラ、連邦軍のクサンティン元帥と話ができるかな?」 「多分できますけど、あまり挑発すると船長の胃が保たなくなりますよ」  だから抑制的にと言いながら、ウフーラは接続作業を行った。そして意外にも早く、考えてみれば当たり前なのだが、クサンティン元帥が仮想体で現れた。 「お久しぶりですね。帰りに、元帥のところに顔を出していこうかと思っていたんですよ」 「ああ、ジュリアン少将から色々と聞いている。ただ私なりに聞きたいこともあるから、歓迎すると言っておこう」  ここまでは、ごく普通の挨拶、と言うか砕けすぎた挨拶とも言えるだろう。とりあえずの言葉をかわしたところで、トラスティは態度を変えた。 「ここからはリゲル帝国皇帝及び、レムニア帝国第一皇子の立場で話をさせて貰います」  その宣言に、「うむ」とクサンティン元帥は表情を厳しくした。改めて宣言された立場が、非常に重いものだったのだ。そしてその立場を持ち出されたことで、連邦軍の失敗を教えられたことになる。 「連邦軍が戦闘態勢にあるのを確認しました。なにか、周辺に警戒すべき事象が生じているのでしょうか。もしもそうならば、こちらにも情報の共有をお願いしたい。キャプテン・カイト並びに10剣聖の2人も警戒任務に当たらせます」  自分の立場を持ち出したのなら、こう言うときには敵対的行動への抗議が相場と決まっていた。それを他責に持っていくのだから、極めて意地が悪いと言うことになる。そして、これはクサンティン元帥に逃げ道を与えるものにもなっていた。 「御身を害する者がいないか、そのための警戒だとご理解ください」 「それは、ご配慮に感謝しないといけませんね。ただ申し上げておきますが、インペレーターにそのような配慮は必要ありません。なにしろインペレーターを傷つけるのは、シルバニア帝国軍でも非常なる困難を伴うことです。そんなことが、正体不明のものに可能とは思えません。加えて言うのなら、威嚇を目的としたものでも、砲門がこちらに向けられた時点でリゲル帝国は交戦権を行使します。スターライトブレーカーで、不埒な物は宇宙の塵と化すことでしょう」  自分達の戦力を誇示するだけでなく、攻撃条件までトラスティは持ち出した。なるほどペテン師だと納得したクサンティンは、「余計なことをしましたな」とトラスティに詫た。 「警戒など不要との閣下のお言葉を理解いたしました。私から帝国軍にも、警戒不要と伝えておきましょう」 「クサンティン元帥殿のご配慮に感謝いたします。では、後ほどお会いできるのを楽しみにしています」  トラスティの挨拶が終わったところで、クサンティンの仮想体が姿を消した。 「連邦軍、シルバニア帝国軍が戦闘態勢を解除していきます」  少し遅れて報告された状況に、トラスティは「つまらないな」と小声で呟いた。穏便な形で引く口実を用意してあげたら、すぐさまそれに飛びついてくれたのだ。自分の計画どおりとは言え、やはり「つまらない」とトラスティは考えていた。 「さて船長、先方はどこに入港しろと言ってきたかな?」  声を掛けられたことで現実に復帰したマリーカは、「ウフーラ」と上ずった声で状況を確認した。 「航路指定が来ました」  そこで顔を見られたトーマスは、「分かっていたことですが」と外部ポートだと答えた。 「とてもじゃなけど、客に対する礼儀がなってないね」 「この船が、規格外の巨大船ってことを忘れちゃいませんか?」  すかさず返ってきたトーマスの言葉に、だったらとトラスティは口元を歪めた。 「だとしたら、ライラ皇帝に受け入れの不手際に対して抗議をしておこう」  ああ、やり方がネチネチと嫌らしい。ブリッジにいた全員が、トラスティの質の悪さを改めて教えられた気がした。これでシルバニア帝国側は、出だしからペースを握られたことになってしまうのだ。これまでなら国力の大きさで目立たかなった外交力の不足が、対等の存在……と言うかペテン師によって暴かれたことになる。  今頃シルバニア帝国は、受け入れ準備の変更であたふたしていることだろう。敵に回すとこれほど厄介な人はいない。今までが優しかったのだと、全員が理解させられたのだった。  シルバニア帝国主星から一番遠い宇宙港の、しかも端っこにある解放区画と言うのは、明らかにトラスティ側の戦力を警戒したものなのだろう。だが今回は、その警戒が自分たちの足を引っ張ることになってしまった。露払いの役割をしたムンバとニムレスは、急ごしらえが分かる装飾を見てシルバニア帝国に同情した。その一方で、出だしから精神的優位に持っていく自分達の皇帝に、誇らしいものも感じていた。改めて比べるまでもなく、自分達の皇帝の方が「格上」だと分かってしまうのだ。  そして露払いの二人に遅れて、とてものんびりとした様子でカイトが現れた。一応「剣神」と言う立場もあるので、彼もまた立派なリゲル帝国の関係者である。そして警備のために集まったすべての兵士を、ただ一人で凌駕する存在でもあった。  そしてカイトから2m程離れて、トラスティがアリッサとマリーカを連れて現れた。金の飾りのついた黒の詰め襟など、一体いつ用意したのだと言いたくなる格好をしてくれていた。ちなみにアリッサはパステルピンクのアンサンブルで、マリーカはブレザーにミニスカートと言う出で立ちだった。  そのトラスティ達の後を、100名の剣士達が固めていた。皇帝の格式を示すには不足だが、相手を圧倒するには十分な陣容でもある。当たり前だが、文官はこの訪問には同行していなかった。 「ご招待に預かりましたので、最低限ですが恥ずかしくないよう形を整えてきましたよ」  にこやかな顔をして、トラスティは緊張に顔を強張らせたリンディアの手をとった。皇帝自ら迎えに出る訳にはいかないので、次席となる宰相が代理として出迎えに来たのである。そして彼女の後ろには、10名ほどの行政官に加え軍から派遣された護衛が100名ほど勢揃いしていた。全員が極度の緊張状態にあるのは、出だしの威嚇に意味があったと言うことだ。 「こちらこそ、リゲル帝国皇帝聖下のお出ましをいただき光栄です」  顔をひきつらせたまま頭を下げたリンディアに、「盛大な歓迎痛み入ります」とトラスティは笑った。国の代表と言うこともあり、普段なら頭を下げるところでも今回は頭を下げなかった。それどころか、どこか上から目線に聞こえる言い方をした。 「皆様には、皇宮に降りていただきおくつろぎいただければと」  緊張を隠さないまま、「こちらに」とリンディアはトラスティを案内した。案内を受けたトラスティは、カイト達に目配せをしてからその後に従った。猛獣達の前を歩くのは、昔から金髪の美女と相場が決まっているのだろう。生きた心地がしないまま、リンディアは一行を移動ポイントへと案内した。  そしていざ移動させようとしたところで、「これは忠告だが」とカイトが口を開いた。 「まさかとは思うが、我々を皇と別のところに移動させないだろうな。もしもそんな事になったら、皇の安全のため我々は必要な行動に出ることになる」  護衛として必要なことを口にしたカイトは、「割り込んで済まなかった」と謝罪をして引き下がった。引きつりすぎて裏返った表情をしたリンディアは、「ご案内いたします」と頭を下げてから全員を同じ部屋へと移動させた。立派な部屋には違いないが、客をもてなす準備は全くなされていなかった。これを見る限り、急遽移動場所を変えたのだと想像することができる。 「茶の一つも用意されていなとは、どうやら我らは客とみなされておらんようですな」  禿頭に口ひげを蓄えたムンバは、「なっておらん」と声高に論った。そしてそれに呼応するように、「言ってやるな」とニムレスが声を掛けた。 「シルバニア帝国と威張っていても、実は張子の虎だったと言うことだ」  「違いない」と言うムンバの言葉に合わせて、護衛の100名が大声で笑った。それを冷や汗で見守りながら、「やりすぎでは?」とマリーカが小声で尋ねてきた。もちろん彼女の右手は、胃のあたりを抑えていた。 「こう言う時は、嵩にかかっておくべきなんだよ。シルバニア帝国側が、客の扱いに失敗したのは確かだからね。だからいくら腹が立っても、彼らは言い返すことはできないんだ。もちろん、ストレスは溜まりまくるだろうけどね」  これが駆け引きと、トラスティはマリーカの頭を叩いてから肩を抱き寄せた。途端に真っ赤になるマリーカに、「心配はいらないから」と励ました。 「ちょっとばかり、ことを荒立てようと思っているだけだから」 「ど、どうして、それで心配はいらないんですかっ!」  ありえないですよねと文句を言ったマリーカに、「それがシナリオ」とトラスティは笑った。 「アルテルナタからは人でなしですねと言われたけど、一応結果は確認済みだから」 「アルテルナタさんが大丈夫と言うのなら……」  彼女の威力は、訓練の時にまざまざと見せつけられていたのだ。だから未来視で大丈夫と保証して貰えば、トラスティの保証よりは安心できると思っていた。それでも気になったのは、「人でなし」と言う評価である。この人は一体何をしようとしているのか。それを考えたら、ますます胃が痛くなったマリーカだった。  それから待つこと10分で、ようやく世話係が部屋に現れた。テーブルと椅子を部屋に転送した彼らは、テキパキとお茶とお茶受けを並べていった。そのあたりはプロの仕事なのだが、どう見ても一人残らず顔色が悪かった。  これで準備が終わったと彼らが安堵したところで、「やはり分かっておらん」とムンバが声を上げた。途端に世話係の者達全員の顔が引きつり、背筋がピンと伸びてくれた。 「子供でもあるまいに、お茶にお菓子で我慢しろと言うのか?」 「シルバニア帝国ともあろうものが、客をもてなす心がないと見える。なんと狭量なことよなぁ」  ニムレスまで呼応するものだから、もはや誰もその場を収める事はできない。集まった上級剣士達も、酷い扱いだと声を上げた。屈強な男たちの騒ぎに震え上がった世話係達は、「お待ちを」と言って部屋を駆け出していった。  それを見送ったマリーカは、「やっぱりやりすぎです」とトラスティに肩を抱かれたまま指摘した。 「なに、やる時は徹底的にを実践しているだけだよ。こう言ったことは、中途半端はよろしく無いんだ」  そう言って笑いながら、自分は出されたお茶を飲んでいるのだ。やはり可哀想だと、マリーカはとばっちりを受けた世話係に同情した。そして自分も、肩を抱かれたままお茶に手を伸ばした。 「せっかく、美味しいお茶を出してくれたのに」  温かいお茶を飲んだお陰で、多少は胃の痛みが収まった気がしてきた。ようやく気持ちが落ち着いたのは良いのだが、そこで初めて肩を抱かれたままだったことを思い出した。 「ええっと、その、これは?」  遠慮がちになるのは、初めての経験だからだろうか。顔を赤くして居るところは可愛いなと、トラスティは「嫌だったかな?」と耳元で囁いた。お陰で更に顔を赤くしたマリーカは、「そんなことはないんですけど」と言い訳をした。 「やっぱり、周りの目もありますし」 「それは、二人きりになりたいと言うお誘いかな?」  大胆だねと笑ってから、トラスティはマリーカの肩を離した。  お陰でマリーカは、あうあうと訳の分からないことを呟きながら沈没してくれた。新たな世話係を連れてリンディアが現れたのは、ちょうどそのタイミングだった。 「私共の気配りが足りなかったことをお詫びいたします」  頭を下げたリンディアは、「トラスティ皇」とライラの伝言を伝えた。 「我が主より、折り入ってお話をさせていただきたいと。申し訳ありませんが、お一人でおいでいただけないでしょうか?」 「そちらは、近衛も同席しないと言うのかな?」  「それは」と言葉を詰まらせてから、「近衛も同席いたしません」とリンディアは答えた。 「瞬間移動できる皇宮の中にいて、しかも移動手段をそちらに握られているのに、それを信用せよと?」  保証にもならないと、リンディアの申し出をトラスティは撥ねつけた。、ただそれだけだと袋小路に入り込むことになるので、トラスティは条件をつけることにした。 「僕の他に、妻のアリッサ、剣神カイト、10剣聖の2人が同伴して良いのなら合意できるな。それだったら、そちらの近衛が勢揃いしてくれても構わないよ」  どうだろうと問われたリンディアは、一瞬間を置いてから「承知いたしました」とトラスティの申し出を認めた。護衛も連れずにと要求するのは、相手を考えれば無理な要求だと理解したのである。 「では、直ちにご案内させていただきます」  こちらにと、リンディアは奥のドアを指し示した。そして指示されるままドアを通り抜けたら、全く別の部屋を目にすることになった。よく行く白の庭園ではなく、「謁見の間」が会談の場として用意されていた。  そしてトラスティが現れたのに少し遅れて、近衛隊長ニルヴァールを連れたライラが現れた。公式の会談と言うこともあり、重ね着をした皇帝の正装姿をしていた。そして豪華なつけ毛と化粧と言う、色を持った皇帝としてトラスティの前に立ったのである。 「お招きに預かりましたよ」 「遠路お越しいただき感謝いたします」  形ばかりの挨拶を交わし、お互いが用意された椅子へと腰を下ろした。トラスティとアリッサが並んで座り、それ以外の3人は後ろで控えていた。  一方ライラは、隣にリンディアを座らせた。そしてニルヴァールを始めとする近衛兵20名が、緊張した面持ちでその後ろに位置取りをした。  その様子を満足気に見たトラスティは、「ところで」とライラに話しかけた。 「両帝国初の公式会談となるのだが、そちらの夫君は同席されないのかな?」 「夫は、只今トリプルAの仕事で、クリプトサイトに詰めております」  誰のせいだと言いたいのを我慢し、平静を装ったライラはノブハルの事情を口にした。その答えになるほどと頷いたトラスティは、自分の立場を持ち出した。 「私はトリプルAの役員を、そして妻のアリッサはトリプルAの代表をしています。この会談の重要さを理解し、アリッサは妻として私に同行してきています」  社長業を棚上げしなければならないほど重要だと、トラスティはこの会談の意味を持ち上げた。 「そしてトリプルAの者として言わせていただくと、クリプトサイトにおける未来視の研究には、特に期限を設けていません。更に言うのなら、駐在義務も付けていないのです。もちろん研究の裁量は、DCTOである夫君に与えていますよ」  そしてトリプルAの立場から、ライラの言い訳を潰したのである。そこまですれば、最後の詰めは簡単なものだった。 「なるほど、あなたの夫君は歴史的なこの会談よりも、女のケツを追い回す方が重要だと考えていると言うことですな」  舐められたものだと、トラスティは薄笑いを浮かべてライラの顔を見た。 「夫には、帝国の公務に関する義務を与えていません。ですから、このような会談に出席する義務は無いものと思っております」  誰のせいだと喚きたい衝動を押さえ込み、ライラは建前を口にした。 「それは、シルバニア帝国の事情であり、私が斟酌する必要のないものですな。シルバニア帝国が、リゲル帝国皇帝を軽んじているのは理解できました」 「そ、そんなことはございませんっ!」  初めて大声を上げたライラに、「いくら否定していただいても」とトラスティは憐れみのこもった眼差しを向けた。 「夫君が、この席にお出でにならない事実に変わりはありませんよ」 「そのことで相談差し上げたいことがあったのですっ!」  もう一度大声を上げたライラに、「人を呼びつけておいてですか?」とトラスティは冷たく返した。 「仮にもリゲル帝国皇帝に対して、あなたは可及的速やかに来いと命令されたのです。よもやその重大な意味を、知らなかったとは仰りませんでしょうね」  ライラの犯した外交的大失態を論ったトラスティは、「どう償っていただけますか?」ととても穏やかにライラに問うた。こうなると、ライラはペテン師に騙された哀れな犠牲者と言うことになる。ただ彼女の持っている立場が、問題をさらに複雑なものとしていた。 「答えられませんか。だったら、僕から2つ選択肢を用意してあげましょう。まず1つ目ですが、今ここで貴女の口から、リゲル帝国に宣戦布告をなさることです。こちらはわずか2隻、しかも戦士を100名程度しか連れてきていない。シルバニア帝国が本気になれば、僕達をなぶり殺しができるんじゃありませんか?」  そしてと、トラスティはもう一つの選択肢を持ち出した。そのための小道具として、ポケットから金の飾りがついた、黒のチョーカーを取り出した。 「あなたが、僕に隷属を誓えばいい。そうすれば、僕の所有物として可愛がってさしあげますよ。そして僕は、シルバニア帝国も保護してあげましょう」  いかがですと言って、トラスティはライラの前にチョーカーを置いた。顔を真っ青にしたライラは、しばらくはじっとトラスティの顔を睨みつけていた。だがそのトラスティの表情からは、彼が何を考えているのか読み取ることはできない。  「なぶり殺しにできる」とトラスティは口にしたが、この場で戦いを選んだ時に破滅するのは、むしろシルバニア帝国だと言うことは分かっていた。いかに数で勝っていても、そしてこの場に近衛の精鋭が揃っていても、ザリアとコスモクロアを擁する相手に勝ち目などあり得ない。そもそも帝国奥深くに招き入れた時点で、戦争は絶対に選択できない選択肢となっていたのだ。そしてライラの失敗は、トラスティに対して選択肢を用意させてしまったことだ。戦争を選べない以上、ライラには一つしか道は残されていなかった。  ゆっくりと震えながら、ライラはチョーカーへと手を伸ばした。それを止めようとしたリンディアとニルヴァール達だったが、カイトの発するプレッシャーの前に、指一つ動かすことができなくなっていた。そうしている間にチョーカーを手にとったライラは、「保護していただけるのですね」とトラスティに念押しをした。 「あなたを、念入りに可愛がるのも忘れていませんよ」  いやらしく口元を歪めるトラスティを睨みつけ、ライラは覚悟を決めてチョーカーを首へ巻こうとした。そしてトラスティが口元をニヤけさせたのと同時に、「待ってくれ」と言う声が謁見の間に響き渡った。ライラの顔が歪んだのを確認し、トラスティは手を伸ばしてチョーカーを取り上げた。 「これで、今回の訪問目的は達成できたことになる。僕たちは、大人しく帰らせて貰うことにしますよ。宰相殿、ご案内願えますか?」 「は、はい、只今っ!」  慌てて立ち上がったリンディアは、こちらにとトラスティに駆け寄った。 「ご苦労だったね。君も、こっちにおいで」  リンディアにうなずいてから、トラスティはノブハルと一緒に現れた女性に声を掛けた。その女性は、黒系の体にピッタリとしたドレスを纏い、首には金の飾りがついたチョーカーが巻かれていた。 「はい、ご主人様」  嬉しそうに駆けてきたフリーセアは、リンディアに張り合うようにくっついてきた。 「君たちも、気を利かせてあげるのが親切と言うものだ」  そう言われたニルヴァールは、泣きながらノブハルに抱きついている主を見た。 「仰るとおり。ここは気を利かせるべきでしょう」  その言葉を合図に、20名いた近衛の姿が謁見の間から消失した。それを確認したトラスティは、「僕たちも」とリンディアに声を掛けた。 「兄さん、ニルヴァールのご機嫌取りを頼めるかな?」 「まったく、面倒ばかり持ってきてくれる皇帝様だ」  やれやれと吐き出して、カイトはその姿を消した。それに遅れてトラスティ達もまた、謁見の間から姿を消した。ただムンバとニムレスは控えの間に送られたのだが、トラスティ達は別の場所へと送られていた。自分の意図とは違う転送に、「不思議ですね」とアルテッツァは首を傾げたと言う。  ちなみにマリーカは、その頃酒盛りをする巨漢揃いの中に取り残されていた。 「どうして私、ここに居るんだろう」  自分を無視して酒盛りする巨漢達から離れ、マリーカは隅っこで胃の当たりを抑えてうずくまっていた。  新生ゼスの最初の祝賀行事は、ガリクソン総統とイライザの結婚式と言う事になった。まだ早いのではと考えたガリクソンを、「祝い事は必要だ」と言う仲間と、危機感を覚えたイライザの努力が変心させたのである。破壊された都市の復興や避難民の帰還が始まっていないのに、本当に良いのかなどとガリクソンは考えていた。  だがこの手のことは、一度動き始めてしまえば本人の意志とは関係なく周りが走ってくれる。最年長のゲレイロをリーダーに、「ガリクソン総統結婚祝賀委員会」が立ち上がり、各種行事が行われる事となったのだ。そしてこの行事に対して、グリューエルはトリプルAの支援も引っ掛けることにした。 「俺は、本当にこんなことをしていて良いのかと思えてしまうんだ」  本来の総統府は、アーレンリヒトの照射で消滅している。そのため迎賓館が、今も臨時の総統府として利用されていた。その2階の窓辺に立ち、ガリクソンはきれいに整備された庭を見た。花の蜜の誘われたのか、沢山の鳥たちが庭に集まっていた。内戦中なら恐怖の光景なのだが、今はのどかな景色として楽しむことができるようになっていた。それだけ、ハミングバードの排除が進んだと言うことである。 「小鳥を可愛いと見られるようになっただけでも、大きな変化なのだろうな」 「まだ、完全にハミングバードの駆除が終わったわけではないわよ。1羽でも残っていたら、犠牲者が1人出ることになるわ」  だから油断しないようにと、総統の補佐官をしているリスリムが近づいてきた。相変わらず小柄な彼女なのだが、1年の月日が「多少」の変化を彼女に与えていた。それでも言えることがあるとすれば、一番の変化は体ではなく精神的なものだろう。以前あった刺々しさが消え、とても細やかな気配りができるようになっていたのだ。マスコミへの露出が多いこともあるが、リスリムに対するファンもかなり増えていた。  油断禁物とガリクソンに注意をしたリスリムは、「それから」と彼の愚痴に対する自分の考えを口にした。 「こんな時だからこそ、あなた達は結婚しなくてはいけないと思うわ。あなた達が結婚式をあげることで、人々は一つの区切りがついたことを示すことができるのよ」  だから必要なことだと強調して、「それとも」とリスリムは口元を歪めた。 「せっかくもてるようになったのにって、名残惜しくなったのかしら?」  年若い総統と言うこともあり、マスコミは積極的にガリクソンのことを取り上げていた。そこでの謳い文句は、「奇跡の主導者」とされていた。誰もが破滅しか無いと絶望の縁にいた時、さっそうと現れ1ヶ月も掛けないで内戦を終わらせたのだ。確かにそれだけを取り上げれば、「奇跡」と言われるのも無理も無いだろう。  そして「奇跡」をなした人物ということで、当然のように多くのファンを獲得したのである。そして同時に、多くの既得権益者からも目をつけられたと言うことだ。 「そっちのことは、あまり考えていなかったなぁ……アイドルのリスリムさん」  チクリと言い返したガリクソンに、「アイドルねぇ」とリスリムはため息を吐いた。 「私の耳には、時々マスコットって聞こえてくるのよ。それって、人形とか小動物のイメージよね」 「ロリコンと揶揄される俺よりはマシだろう……なんだっ!」  後ろで何かがぶつかる音に、どうしたのだとガリクソンは振り返った。そしてそこで、足を押さえてうずくまっているリスリムを目撃した。どうやら腹立ちまぎれに蹴飛ばしたのは良いが、机の強度に足が負けてくれたようだ。 「つぅー。それって、私が子供って言いたいのかしら? これでも私、19になったんだけど」  蹴飛ばした足が痛いのか、涙目になりながらリスリムはガリクソンに文句を言った。なんでとその意味を考えたガリクソンは、「ああ」と自分の失態に気がついた。自分がロリコンと揶揄される時には、その相手はリスリムだったのだ。 「確かに、ロリコンには問題があるな。ただ、その決めつけをしたのは俺じゃない」  だったらどうだと言うのは省略し、ガリクソンはもう一度庭の方へと視線を向けた。 「今の所、俺の命を取りに来るやつも居ないようだな」 「それも勘違いと言ってあげる。1週間に1人ぐらい、あなたの命を狙うバカは生まれているわ。ただイミダス長官の手配で、水際で防がれているだけよ」  その報告に驚いたガリクソンに、「これは事実よ」とリスリムは繰り返した。 「ただ政治的とか怨恨とかが理由じゃないわね。それでも、長い内戦が理由になっているのは確かね。次第に追い詰められ、いつ殺されるかわからない恐怖が、多くの人々の精神を蝕んでいったのよ。そしてそれは、前線で戦っていた兵士も例外じゃないわ。精神失調状態になって、反射的に殺人を犯すものは大勢いるのよ。そしてその標的の一人として、総統として目立っているあなたが狙われたと言うことよ。その意味では、まだ内戦は完全に終わった訳ではないんでしょうね」 「犯罪の方はデーターで見ていたが……俺の顔が、ラグレロに見える奴も居るんじゃないのか?」  嫌だなとため息を吐いたガリクソンに、「だから区切りが必要なの」とリスリムは強調した。 「確かに戦闘はなくなり、治安も劇的に回復してきているわ。不足していた物資も、連邦の支援もあって充足してきている。街には笑い声が聞こえるようになったし、公園を走り回る子どもたちの姿も見ることができるようになったわ。でも毎日の変化は、さほど大きなものじゃないのよ。だから環境が変わったのは理解できても、頭の中で区切りがついていない人が沢山いるわ。その人達のためにも、あなた達の結婚を盛大に祝う必要があるのよ。内戦の終結の次の区切りを、人々に知らしめるためにね」 「区切りか、確かに必要なのだろうな」  小さく頷いたガリクソンは、「区切りか」と繰り返した。 「結婚すると言われても、まだピンとこないところもあるんだがな」  イライザの姿を投影し、「どうしてだろう」とガリクソンは呟いた。 「あの頃は、早く俺のものにしたいと思っていたのにな。結婚だって、先延ばしする必要なんて無いと思っていたんだ」 「ひょっとして、マリッジブルー?」  繊細なのねと笑ったリスリムは、少し表情を引き締めて「そろそろ時間ね」と声を掛けた。当たり前だが、ゼス総統には自分語りで浸っているような時間は与えられない。特に行政機能が再構築の途中と言うこともあり、雑務が目白押しになっていたのだ。 「連邦の役人さんを待たせる訳にはいかないでしょ」  だからシャンとしてと、リスリムはガリクソンに気持ちの切り替えを促したのだった。  この時期に結婚式を挙げるのは、政治的に見ても正しいことだ。連邦から派遣された行政官の代表をしているンゾロは、公式行事となった結婚式についてコメントした。 「と言うことが理由ではありませんが、連邦を代表しておめでとうと言わせていただきます。この結婚は、あなた方カップルにとってだけではなく、ゼスの国民にとっても非常に大きな意味を持つものとなります。従って、晴れやかなものとする必要があると存じていますよ。ただし、国民感情を忘れてはいけないのですがね」  それでと、ンゾロはガリクソンではなく、リスリムの顔を見た。 「当然、演出もいろいろと考えられておられるのですよね?」  確かに自分に振るはずだと理解し、リスリムは「それはもう」と大きく頷いた。 「ただ総統の場合、一般庶民の出と言うのがセールスポイントの一つとなっています。ですから、身の丈……と言うのを年齢と出自に合わせた演出を考えています。もちろん国としての行事ですから、それだけで終わらせる訳にはいかないと思っています。派手に見せる方は、トリプルAと相談をしているところです」 「また、トリプルAですか」  思わず口元を歪めたンゾロに、「トリプルAです」とリスリムは繰り返した。 「ゼス内戦終結に当たり、トリプルAの方々には沢山の汗を流していただきました。ですから、お招きをするのは私達の義務だと思っています。グリューエル様に相談させていただいたところ、逆にどこまでして良いのかと尋ねられたぐらいです。ちなみに費用は請求しないので、安心して欲しいとも仰ってくださいましたね」  どうやらトリプルAは徹底的にやってくれるようだ。相手の持つ権力と予算規模を考えたンゾロは、「限度を考えていただいた方が良さそうですね」と浮かんだ懸念を口にした。 「式自体は、落ち着いた、どちらかと言えば控えめなものにしたいと思っています。ただ、それ以外は派手な方が良いと思っているんです」  ふっと口元を歪めたリスリムに、ンゾロは「ブレーキはないのだな」と考えながらガリクソンの顔を見た。そして顔を見られたガリクソンは、ほんの少しだけ苦笑を浮かべた。 「本件に関して、俺は完全に蚊帳の外ですよ。どうやら、ゲレイロ内務相が張り切っているようです。復興事業に影響が出ない限り、口出しをする権限が俺には与えられていないんです」 「すべての権限を握られる総統がですか?」  これはこれはと苦笑したンゾロに、「権限外のことです」とガリクソンは笑った。 「そして動き出した大きな流れに逆らうのは、総統であっても難しいものです。間違った方向でないのなら、目をつぶることも必要だと思っています」 「それは、仰るとおりなのでしょうな。ところで、大々的な式典を行うとなれば、警備の方も大変になるのかと思われますが。そのあたりは、いかがお考えですかな?」  しかも来賓が豪華なものになれば、それだけ警備に神経を使うことになる。それを持ち出したンゾロに、「トリプルAが絡んでるのに?」とリスリムは驚いた顔をした。 「しかも、トラスティ氏まで絡んでいるのよ?」 「なるほど、つまらない質問をしてしまったと言うことですな。確かに来賓の用意する自前の警備の前に、危険を持ち出す方が恥を掻くことになるでしょう。連邦軍にも、警備を考えるように指示を出しておきますよ。このままだと、連邦軍の評判を落とすことにもなりかねませんからな」  ンゾロの言葉は、連邦レベルではすでに手遅れとなっていた。何しろ彼の知らないところで、連邦軍とシルバニア帝国軍は、リゲル帝国、正確にはトラスティの奸計に敗れ去っていたのだ。しかもヨモツ銀河での対応でも、連邦軍はトラスティの指示によって動いていた。規模と言う意味では比べ物にならなくても、危機対応の意味ではトリプルAが力を見せつけていたのである。 「今のゼスで治安が維持されているのは、ひとえに連邦軍の協力の賜物だと考えています。トリプルAは……地道な作業と言うのが苦手なのではないでしょうか?」 「それも、トリプルAの持っている一つの顔なのでしょうが……惑星改良と言った地味な事業にも手を出していますから、ただ単にトラスティ氏がと言うことになるのではありませんか?」  ンゾロの答えに、「確かに」とガリクソンとリスリムの二人は頷いてしまった。ノブハルとも付き合いが長いのだが、彼の常識は比較的自分達に近いと思えたのだ。ただトラスティの場合、やることの一つ一つが派手さと効率を求めているように思えてしまったのだ。  ただそれにしても、綿密な計算を前提にしていることは理解していた。グリューエルに引き継がれるまで色々と教えて貰ったのだが、その時はとても堅実な手法を実践していたらしい。 「ところで、ゼスの復興にトリプルAを巻き込む……指名業者とするとのお話を伺っておりますが?」 「同社の実績及び能力を理由にしていますが?」  「それが」とガリクソンは何も知らないと言う顔をしてみせた。実のところ、グリューエルからは色々と教えられていたのだ。その中には、復興事業に関する政治的な動きについても含まれていた。 「連邦政府に対して、色々と問い合わせが入っているんですよ。だから私に、確認せよとの指示が降りてきたと言うことです。星系予算だけで実行されるのであれば、連邦が口を出す権利も義務も持ち合わせていません。ただ連邦予算を少しでも使うと、とたんに公明性が求められてしまうのです。そしてゼス復興に関しては、少なくない費用が連邦予算で充当されることとなっています。従って、トリプルAを単独指名……すなわち随意契約を結ぶとなると、説明が求められることになる訳です」 「確かに、連邦予算が付いていましたね」  なるほどと大きく頷いたガリクソンは、「確かに入札が必要でしょう」とンゾロの意見に理解を示した。そしてンゾロの顔に僅かな変化が出るのを認めてから、「誰が入札書類を作りますか」と逆に問いかけた。 「ちなみに、今のゼス政府にはその能力がありません。そしてそれを外注する場合、外注先には自らの身を守って貰う必要が出てきます。落ち着いてきてはいますが、未だに小競り合いは絶えませんからね。さて、連邦はそちらの面倒まで見て貰えるのでしょうか?」  いかがでしょうと口にしたガリクソンは、ンゾロの答えを待たずに言葉を続けた。 「そして入札に掛ける場合、その準備に一体どれだけの時間が掛かるのでしょう。私達は、ゼスの安定には時間と言う要素も大きいと考えています。目に見える形で復興を示すと言うのも、その方策の一つだと考えています。仰るとおり、入札にかけることに対して異論はありません。ただその場合に必要となる時間が、一体どれほどのものになるのか。その検討なしに、我々も公明性だけを求めるためだけに公開入札を行うと言う訳にはいかないのです。公平性を理由に、安定を犠牲にする訳にはいかないのです」  そこで何かを言いかけたンゾロを手で制し、「予算について」とガリクソンは話を続けた。 「借金ばかり増えますが、トリプルAはローンを組んでも良いとも言っています。そうすれば、連邦予算からの補助が必要なくなりますからね」 「確かに、その場合は入札に掛ける理由は消失するでしょう。しかし、ローンの金額が膨大なものになるのではありませんか?」  復興事業の規模を考えると、ンゾロの指摘どおり借入額が莫大なものになるのが予想できた。しかも言い値での契約ともなれば、更に膨れ上がることも予想できたのだ。一般的常識に基づき質問をしてきたンゾロに、「確かに莫大な金額になりますね」とガリクソンはその指摘を認めた。そして認めた上で、先程の話とは食い違うことを持ち出した。 「連邦からの補助を否定しましたが、実際には連邦の金を当てにはしています」 「その場合、公正な入札が求められることになります。それが、必要なコストだとご理解ください」  宜しいですかと問われ、ガリクソンは小さく頷いた。そしてその上で、「一部誤解があります」とガリクソンは答えた。 「私達は、先の内戦について検証を始めています。そして内戦が激化した理由について、連邦側の不法行為が確認されています。本件に関して、ゼス政府は連邦に賠償を求める事を考えています」  ガリクソンの指摘に、「やりにくくなった」とンゾロは素直に感心していた。確かにゼス内戦激化の背景を語る際には、連邦軍の責任を避けては通れないのだ。 「当時元帥であられたウェンディ氏も、本件について証言してくださるそうです」  そこまで担ぎ出されれれば、誰が背後で糸を引いているのかぐらい簡単に理解することができる。張本人を処分しなかった付けが、ここに来て顕在化しでしまったのだ。本当に嫌らしいことをしてくれると、ンゾロは金髪をした美しい王女様の顔を思い出した。 「と言うのが、我々ゼスが連邦とを話をする際の持ち札と言うことになりますね」  それでも建前を通すのかと問われた気がしたンゾロは、「手強くなりましたね」とガリクソンを称賛した。その賛辞に、ガリクソンは「いえいえ」と首を振って否定した。 「厳しい先生に、色々と叩き込まれているところですよ。グリューエル様は、人を蕩かす笑みを浮かべながら、ぐさぐさとナイフで刺してくれますからね。いやいやナイフではなく、銃で乱れ打ち……蜂の巣にしてくれると言った方が相応しそうですね」 「それを楽しみにされているとの噂も飛んでいますが?」  ニヤリとンゾロが笑ったのは、やり返してやったとの思いからだろう。 「俺には、そんなことを喜ぶような癖はありませんよ。それに、あの人の相手をできるのは、それこそトラスティさんぐらいのものです。少なくとも、俺の人生であれほど恐ろしい女性に会ったことはありませんよ……いろいろな意味で」 「積極的に肯定すると、それはそれで問題を起こしそうですな。ただ、否定は難しいと思っていますよ」  予防線を張ったンゾロに、「大丈夫です」とガリクソンは笑った。 「このことを、グリューエルさんに告げ口はしたりしませんよ。間違いなく、俺に飛び火しますからね」  そこで表情を引き締めたガリクソンは、「選挙準備ですが」と自らの公約を持ち出した。 「3年をめどに、総選挙を実施することを宣言しています。そのためには、選挙できる環境を作る必要があります。そもそも選挙でどのような役割を選ぶのか、総統だけなのか、はたまた代議員を選ぶのか。今回俺が臨時で総統を務めましたが、今後総統と言う形の機能を残すことにするのか。代議員を選ぶ場合、その区割りや定員をどうするのか。あと2年と少しで選挙を実行するには、詳細の設計が必要となります。そのことについて、連邦にも支援いただきたいと思っています。先程の復興事業どころではない、公正さが求められるものになると思っているんです」 「仰るとおり、選挙制度を決める必要がありますな。ただ連邦から派遣された者としては、少しばかり早すぎると言う気もします。ただ公正な選挙と、体制の信を問うと仰る総統のお考えを尊重いたします。区分け方法や制度については、連邦のデーターから類似のものを参考に設計いたしましょう。ただ、当面総統の権力を弱めることには懐疑的です。あなたが総統職を継続し、新しく選出された代議員との間で、新しいゼスの形を模索していく。あなたへの支持を考えた場合、次の選挙で別の総統が立つことはないと思っていますがね」 「俺としては、俺を蹴落とすような人材に出てきて欲しいと思っている」  それが、総統になってからずっと考えていることでもある。結構本気で1期限りを口にしたガリクソンに、「甘い考えです」とンゾロはその考えを否定した。 「あなたの仲間が、それを許してくれると思いますか? 加えて言うのなら、トリプルAが総統の交代を許すと思いますか? 彼らとしては、あなたに投資をしたと思っているはずです。これから回収だと考えれば、逃してもらおうなどと言うのは甘い考えに違いありません」 「俺は、少し前まではただのボランティアだったんだけどな……」  それを持ち出したのは、誰でも代わりは務まるはずだと間接的に主張することだった。その意味を込めたガリクソンの言葉なのだが、ンゾロは「そこに考え違いがあります」と答えた。 「ただのボランティア上がりの青年に、たとえ短期間とは言え総統職は務まりません。更に言うのなら、難しい時代の舵取りなどできるはずがありませんよ。トラスティ氏が協力者を求めた時、あなたがそこにいたと言うのが全てだと私は思っています。それだけのものを、あなたはお持ちだと言うことです」  だから代わりが居るはずがない。ンゾロは、ガリクソンに向かって「いい加減認めましょう」と迫ったのだった。  前回からおよそ320日ぶりのゼスに、なるほど変わったのだとトラスティは変化を確認した。軌道ステーション自体初めての訪問なのだが、以前に比べてずっと落ち着いた空気を感じることができたのだ。 「さて、今回は友人としての立場で来ているけど」  そう言ってトラスティは、迎えに出てきたゲレイロ内務相兼「ガリクソン総統結婚祝賀委員会」委員長の顔を見た。 「明後日の結婚式に向けて、警備に問題は出ていないのだね?」 「イミダス長官の保証が正しければ、組織だった破壊活動は起きないことになる。注意すべきは、個人レベルのテロだろう。ただラプター装備をブロックできているので、こちらも大事になりようはない。そして俺の立場からは、「自分のことは自分で守ってくれ」と言うのが来賓に対しての要求になる。そのための譲歩は、可能な限りしたはずだと思っている」  来賓の方が、文明レベル的に高い星系から来ているのだ。それを考えれば、ゲレイロの主張も尤もに聞こえる。ただ来賓の安全確保を放棄するのは、ホストとしてどうかと言う疑問は残るのだが。  ただそれぐらいのことは、トラスティも理解をしていた。だから自分の聞かされた対応を、良いのかなと考えながら口にした。 「ああ、そのためにエスデニアとパガニアは、機動兵器アポストルを持ち出すらしいね。リゲル帝国は、上級剣士のドラゴンフォームで対抗することになるのだろうね。やれやれ、派手好きの人たちが集まるのは厄介だ」  まるで自分が無関係のように語るトラスティに、ゲレイロは「リゲル帝国皇帝だと伺っているが」とツッコミを入れた。そのツッコミが正しければ、ドラゴンフォームはトラスティの指示と言うことになる。  それを「さてどうだったかな」と知らぬ顔をし、いつの間にか現れたグリューエルを連れて地上へと降りていった。  上空のステーションまでは出迎えに行けないが、地上での出迎えにはガリクソン新総統も顔を出していた。ぐるりと顔を見渡してみると、セーブ・ゼスのメンバー全員が集まっているではないか。「仕事は良いのかな?」とトラスティが気にするのも、結婚式前で多忙を極めているだろうとの思いからである。  ただセーブ・ゼスにしてみれば、トラスティ達3人は救国の恩人なのである。その出迎えを超えるような優先順位を持つ仕事は、今の所持ち上がってはいなかった。 「確か、兄さんは先に入っていたね」  ガリクソン達と順に握手をしながら、トラスティは警察庁の一員となったソーに声を掛けた。 「うむ、イミダス長官と警備体制について打ち合わせを行っているところだ。確か連邦軍の幹部も、一緒になっていたはずだ」  そこまで徹底すれば、結婚式は無事遂行されるのだろう。ただ式とは関係のない所で発生するテロ等への対策も必要となる。直接式が妨害されなくても、大きなテロが起きることで結婚式が惨劇の記憶に置き換えられてしまうことになる。 「旧体制派とかは残っていないのかな?」  その問いに、ソーは少し難しい顔をした。 「その洗い出しはかなり終わっている。ただ、結婚式をターゲットとしてテロの可能性は否定できない」 「なるほどね……ああ、兄さんから依頼が来たよ。アルテッツァのサポートが必要だそうだ」  トラスティに呼ばれて現れたのは、ちょっと可愛らしいドレスを着た少女だった。長い黒髪をお姫様カットにした、少し幼く見える女性である。可愛らしいドレスは、結婚式への参列を意識したものなのだろう。 「はい、我が君。何か御用でしょうか?」 「なんか、態度が変わっていないか?」  まあ良いと拘るのをやめて、トラスティはアルテッツァに指示を出した。 「ゼス全土に敷いた監視網はまだ生きているんだろう。だったらそれを利用して、テロの計画をあぶり出してくれないかな?」 「1時間ほどお時間をいただければと思います」  そう答えたアルテッツァは、深々と頭を下げてから姿を消した。 「と言うことだ、ソー君。アルテッツァと協力して、テロ計画の阻止に当たってくれないか」 「協力に感謝する」  少し緊張した面持ちで、ソーはトラスティに頭を下げた。今更だが、トリプルAは本当にこちらのレベルを超えたことをしてくれる。テロを完全い阻止すると意気込んでは居たが、それが難しいことは理解していたのだ。だがトリプルAが絡むことで、これで大丈夫だと言う気持ちになってくれるのだ。  ただトラスティの用意した仕掛けは、アルテッツァだけでは終わらなかった。 「と言うのが、今までの常識に立ったテロ警戒なんだけどね。今回は万全を期すため、裏技も用意したんだ」 「これ以上対策があると言うのかっ!」  アルテッツァの利用だけでも反則だと思っていたのに、それを「常識」と言ってのけてくれたのだ。それだけでもゼスレベルでは脅威なのに、更に裏技があると言う。一体どんな裏技なのか、戦っているステージが違うと、今更ながらにトリプルAの非常識さを思い知らされた気持ちになった。 「ああ、ちょっと未来をカンニングするんだよ。と言うことで、紹介しよう」  ソーに向かって笑ったトラスティは、集団の中に居た一人の女性を手招きをした。その女性は長い銀色の髪と藍色の瞳をした、ソーの基準からしてもとびっきりの美人だった。黒に刺繍の入ったスーツと言うのは、お堅い席に合わせたのだろうか。 「はい、ご主人様。何か御用でしょうか?」  今度はご主人様かと考えながら、ソーは近づいてきた女性に見とれていた。 「ああ、君をソー君に紹介しようと思ってね。彼は、ゼス内戦終結の際に、僕達に協力してくれたうちの一人なんだ。今は、ガリクソン総統の結婚式の警備に当たってくれている」  その紹介に、よろしくおねがいしますとアルテルナタは頭を下げた。 「アルテルナタと申します。トリプルAでは、警備部門に所属しています」 「ソーだ。失礼な言い方になるのを先に謝らせていただくが、俺にはあなたと警備と言う言葉が結びつかないのだ。そ、その、秘書と言うのか、もっと危険から遠いところに居なければいけない人に見えてしまう」  失礼したと謝った時、ソーの顔はかなり赤くなっていた。それを若いなと微笑ましく見たトラスティは、アルテルナタの身分に関する種明かしをすることにした。 「まあ、彼女はクリプトサイトと言う星系の王女様をしていた……と言うのか、まだ身分剥奪にはなっていなかったはずだね。だから、彼女は正真正銘王女様と言うことだよ。その意味では、ソー君は正しく彼女の素性を言い当てたことになるね」 「なるほど、王女様と言われれば納得できるな」  うんうんと頷いたソーは、アルテルナタの言葉にあった不適切な部分に気がついた。 「どうして現役の王女様が、あなたのことをご主人様と呼ぶのだ? この場合の主人と言うのは、配偶者の呼び方ではないように聞こえるのだが?」  そう言って首を傾げたソーに、「事情はいろいろとあるんだよ」とトラスティは苦笑を返した。 「そして彼女の役割なんだけど、クリプトサイト王家の女性には、未来視と言う特殊な能力があるんだよ。今のアルテルナタなら、およそ1ヶ月先までの未来を見ることができるんだ」 「だから、未来をカンニングすると言うことになるのだな」  うんうんと頷くソーに、「疑わないのだね?」とトラスティは疑問を投げかけた。連邦安全保障局の局長達には、眉に唾をつけて見られたのを覚えていたのだ。とても現実的な考えをするソーなら、きっと疑って掛かるだろうとトラスティは考えていた。  だがそんなトラスティに、「何をいまさら」とソーは苦笑を返した。 「あなた達に、自分の常識を当てはめてはいけないことを思い知らされたのだ。そんなあなた達なのだから、未来視の能力者ぐらい確保していてもおかしなことじゃないだろう」 「一体僕達は、なんだと思われているのだろうねぇ」  少しだけ遠くを見る目をしたトラスティは、「まあいいか」とアルテルナタをソーに引き渡すことにした。 「ちなみに、僕のだからトチ狂わないように」 「王女様など、俺の守備範囲外だ。ただ目で愛でることぐらいは大目に見て欲しい」  それだけだと答えたソーは、大きく腰を折って「ご協力願います」とアルテルナタに頭を下げた。 「こちらこそ、よろしくお願いいたします」  優雅に頭を下げたアルテルナタは、早速自分の見た情報をソーに伝えた。 「これから24時間以内に、12箇所で爆破テロが起こります。48時間に拡大すると、更に20箇所の爆破テロが発生することになります。死者の数は、発表では256名となっていますね。ただ正確な数は、判明に時間がかかることになっています。ちなみにテロの発生する正確な場所と時間は、場所を変えてお伝えすると言うことで宜しいですか?」 「そんなにテロが起こると言うのか……」  はあっと息を吐き出したソーは、「案内する」と背中を向けた。そんなソーの肩に手を置き、「送ろうか」とトラスティは声を掛けた。 「アルテッツァ、二人を警察庁に送り届けてくれ」  えっとソーが驚いた直後、その姿はアルテルナタと共に見えなくなっていた。アルテッツァにアルテルナタを組み合わせた警備は、水も漏らさぬと言う意味では最強のものとなる。そしてキャプテン・カイトが居れば、どんな荒事にも対処が可能となる。  これで大丈夫と、トラスティは今夜の宿に移動することにした。そこで遅れてくるノブハルと打ち合わせをすれば、自分の仕事も一つ片付くことになる。  トラスティから1時間遅れて、ノブハルはゼスの起動ステーションに到着した。流石に今回の旅には、フリーセアが同伴することはなかった。ただその代わりに、婚約者のエリーゼが同伴することとなった。 「お久しぶりです。それから、はじめまして。内務大臣をしております、ゲレイロと申します」  ローエングリンから降りてきた二人に向かって、祝賀委員長のゲレイロはお辞儀をした。 「こちらこそ久しぶり。元気そうで安心した」  そう言って差し出された手を握ったノブハルは、「紹介する」と言ってエリーゼの背に手を当てた。旅の装いと言うこともあり、エリーゼは少し厚手で首の詰まった臙脂のワンピースに、艷やかな黒のエナメル靴を合わせていた。手入れの行き届いた金色の髪と合わせて、なかなかの美女ぶりを示していた。 「まだ婚約中でしかないが、一応妻と言って良いのだろう。妻のエリーゼだ」 「ノブハル様の妻になるエリーゼと申します。本日は、おめでたい席にお招きいただきありがとうございます」  元お嬢様と言うこともあり、エリーゼの行儀作法に手抜かりはなかった。 「こちらこそ、ノブハル氏には多大なるお世話になっています」  ありがとうございますと、ゲレイロはエリーゼに頭を下げ返した。そしてこちらにと、地上へと降りるシャトルへと二人を案内した。 「下では、ガリクソン総統がお待ちです」 「彼も落ち着いたのか?」  それを確認したノブハルに、「まだまだです」とゲレイロは苦笑した。 「未だに、1期で総統を投げ出す算段をしています」 「ふん、無駄なあがきと言ってやろう。トリプルAが、金づるを逃がす真似をすると思っているのか」  言っていることに間違いはないが、もう少しオブラートに包んで欲しい。金髪美女を連れたノブハルに嫉妬しながら、ゲレイロは二人を地上へと送り出したのだった。  そして地上に降りたところで、ノブハルはガリクソン達とガッチリと握手を交わした。一方エリーゼは、イライザを始めとした女性陣に捕まっていた。この辺りがトラスティとの差になるのだが、ガリクソン達にとってはノブハルの方が付き合いやすいと言うことだ。 「奥さんの一人を連れてきたと言うのは、ゼスの治安を信用してくれたと言うことか?」  握手しながら、ガリクソンは「一人」の部分を強調して話しかけた。それを綺麗に無視したノブハルは、「そちらの対策はされているからな」と返した。トラスティからは、今回の結婚式のためにアルテルナタを連れてくることを教えられていた。そしてアルテッツァとアルテルナタを組み合わせれば、犯罪の発見と言う意味では最強となるのが分かっていたのだ。しかも犯罪の計画さえ分かれば、キャプテン・カイトがどんな相手でも制圧してくれる。それを考えれば、ゼスに来ても安全なのは疑いようがなかった。 「トリプルAとして、お前の……ガリクソン総統閣下の結婚式に味噌をつけるわけにはいかないからな」 「俺としては、「お前」と呼んでくれた方が気が楽でいいのだがな」  苦笑を浮かべたガリクソンに対して、「往生際が悪い」とノブハルは言い返した。 「お前は、ゼスの国民にとって救国の英雄なのだぞ。そのお前を総統の座から引きずり下ろすには、よほどの不祥事が必要となる。もしもそんなことになれば、ゼスはまた混乱に見舞われることになる。お前がどう思おうと、お前が総統を続けている間はゼスは平和だと思うことだ」 「俺に、何でもかんでも責任を持ってきてくれるなよな……」  文句を言ったガリクソンだったが、「理解はできる」と付け足した。 「ただ理解はできるが、愚痴ぐらいは言わせて貰ってもいいと思うのだがな?」 「その愚痴の聞き役と、今回式を挙げるのではなかったか? そう言った問題は、夫婦の間で解決してくれ」  そうやって突き放したノブハルに、「愚痴の聞き役ね」とガリクソンは歓談する女性陣の方を見た。 「イライザは、俺のお尻を叩くばかりなんだがな」 「それは、まだまだお前ができると信頼してくれているのだろう」  そうやって自分を持ち上げたノブハルに、「うまいな」とガリクソンは苦笑を返した。そしてノブハルの耳元で、今夜の予定を確認した。 「うちわで、シュエップパーティーをするのだが。良かったらだが、参加してくれないか?」 「結婚式前夜の深酒は褒められたものではないのだが……今は、良い酔い覚ましがあるから大丈夫だろう」  そう忠告をしたノブハルは、「喜んで」とお誘いを受けることにした。同年代の仲間が少ない……ナギサしか居ないノブハルにとって、セーブ・ゼスのメンバーは初めて出来た同年代の仲間だったのだ。  ノブハルがセーブ・ゼスのメンバーとシュエップパーティーをしている頃、トラスティはカイトと二人でバーにしけ込んでいた。戦火にあったゼスだが、サイプレスシティにまでは被害が及んでいなかった。そのお陰で、サイプレスシティのホテルには潤沢なアルコールのストックがあった。 「一通り見て回って、ゼスが昔の姿を取り戻そうとしているのが分かったよ」  注文の酒が来る前に、カイトは自分が見たゼスの印象をトラスティに教えた。 「これで、兄さんの気持ちは少しは楽になりましたか?」 「これで俺の罪が消えたとは思えないのだが、ナイアド先生に顔向けできる気はしてきたな」  まだまだと答えたカイトは、「一生背負っていく」とその決意をトラスティに打ち明けた。 「二度と同じ思いをしないよう、ゼスで何が起きて、何が出来なかったかを忘れないつもりだ」 「姉さんに心配をかけないのなら、それで良いですよ」  そのタイミングで、バーテンダーが二人の前にシュエップのグラスをおいてくれた。 「とりあえず、ゼスの未来に乾杯しますか」 「そうだな、それがお約束と言うことか」  未来を壊し、そして未来を取り戻す手助けができた。今はそれで我慢をしようと、カイトはグラスを手にとった。そして「乾杯」とトラスティのグラスに軽く自分のグラスを当てた。少し大きめのグラスに入ったシュエップを、カイトは一息で飲み干した。 「よく考えてみたら、ゼスで酒を飲むのは初めてだったな」 「こんなに美味しいのに、残念なことをしましたね」  そう言って笑ったトラスティは、自分も残りのシュエップを飲み干した。 「と言うことで、もう少しシュエップにお付き合いしてください」 「親父と酒を酌み交わすんだ、もう少しなんてケチくさいことは言わないさ」  口元をニヤけさせたカイトに、「親父ですか」とトラスティは苦笑を返した。 「自分より年上の息子と言うのは、事情は分かっていてもどうもピンとこないんですよね」 「俺にしても年下に向かって、親父と言うのがおかしいと言うのも分かっているさ」  ただなと、今度はシュエップを半分ほど飲み干した。 「それが分かった時、俺は嬉しいと思えたんだよ。居ないと思っていた肉親が、こんなに近くに居てくれたんだからな。しかも望みうる中で、最高の両親じゃないか。それを考えたら、嬉しくて声が出そうになったんだ」 「その父親に何度も手を上げたのは誰でしたかね……いきなり家庭崩壊じゃありませんか」  そう言って笑ったトラスティは、「宇宙最強の男が息子ですか」とカイトの二つ名を持ち出した。 「そう思うと、ちょっと誇らしいですね。何しろ僕は、連邦最悪のペテン師ですから。立派な息子を持ったと喜んでいるんですよ」 「息子に向かって、そう言う皮肉を言うもんじゃない。俺が小さかったら、グレているかもしれないぞ」  残りの半分を飲み干し、「お代わり」をカイトは注文した。 「親父のことだから気づいていると思うが、アリッサが心配しているぞ……違うな、お前の奥さん達が心配しているぞ。ちなみに、エヴァンジェリンも、同じ印象を持っているらしいがな」 「心配……ですか」  しばらくグラスを見つめてから、ぐいっと残っていたシュエップを飲み干した。そして空になったグラスを、見つめ「心配ですか」とトラスティは繰り返した。そんなトラスティを見て、カイトはお代わりをバーテンダーに注文した。 「流石はなんでもできる親父だ。国王様も皇帝様も立派に努めているそうじゃないか。だがモンベルト王妃様は、「こんなのは私の愛した人じゃない!」と言っていたと聞いたぞ。自分が愛したのは、ただ優しくて有能なだけの国王様なんかじゃないとな」  ライスフィールの口調を真似てから、カイトは「ぷっ」と吹き出した。 「こう言っちゃなんだが、ずいぶんと贅沢なことを言ってくれているな。親父、一国の王妃様におかしな癖をつけすぎたんじゃないのか? そう言えば、クリプトサイトの女王様にも変な癖をつけたと聞いているが? その意味で、シルバニアの皇帝様は未遂で済んで良かったな」  あははと笑いながらシュエップを呷るカイトに、なんだかなぁとトラスティはため息を吐いた。 「なにか、あのチョーカーが独り歩きしている気がしてきたよ。あれは、アルテルナタ王女の為に用意したはずなんだけどねぇ」  それなのに、なぜかおかしな小道具として大活躍してくれたのだ。ちなみに今現在チョーカーの所有者は、パガニアに2人、クリプトサイトに3人、エルマーに2人、クリスティアに1人と言う構成になっていた。シルバニアでもねだられたのだが、「だめ」の一言で断ってきていた。 「そう言うくせにクンツアイトとかナギサだったか、男にもチョーカーを巻かせたんだろう?」 「夫婦生活に刺激を求めるのはいいんですけどね、それに僕を巻き込んで欲しくはないと思っていますよ」  本気で嫌そうにするトラスティを笑い飛ばし、「うちも頼むか」とカイトは危なことを口走ってくれた。お陰でトラスティは、口をつけたシュエップを吹き出しそうになってしまった。 「冗談でも、そんなことを言わないでください」 「ああ、うちには必要ないな」  悪い悪いと謝りながら、カイトはシュエップを呷った。そして先日行った、サイレントホーク2による訓練のことを持ち出した。 「まあ、俺としては居心地の悪い中で行った訓練だったんだがな。ただ、未知の宇宙にいると言うのは面白かったぞ。久しぶりに感じた緊張感と言うのか、何かに自分が挑んでいると言うのをひしひしと感じたんだ」 「狭い船内で、女性3人と一緒でしたからね。確かに兄さんなら……」  窮屈と言いかけたところで、トラスティは自分の言葉を考えた。 「まさか、全員に手を出したとか?」 「親父だったら、間違いなくそうなっていただろうな。そもそも3人のうち2人は、すでに愛人じゃないか」  一緒にするなと笑ったカイトは、「そうだ」と手を叩いた。 「マリーカ船長なんだが、ちゃんと面倒を見てやれよ」 「まったく脈絡のない話を……」  どうしてそうなると文句を言ったトラスティに、カイトは先日の話。つまり、シルバニア帝国にペテンを掛けに行ったときのことを持ち出した。 「シルバニアに行った時、さり気なく落としていたじゃないか。だから、ちゃんと面倒を見てやれと言うことになるんだよ」 「さり気なく落としたって……」  はあっとため息を吐き、「誤解も甚だしい」と文句を言った。 「あれは、緊張を解してあげただけじゃないですか」 「その方法が問題だったと言うことだ。ブリッジの中では、「落ちた」と言う意見が大半を占めていたぞ」  だから責任と、カイトは更に格上げをした。 「ご先祖様は、IotUの愛人だったんだろう。だったら、その息子の愛人ってのも悪くはないだろう」 「その手のことは、ノブハル君に任せようと思っていたんですけどね……ただ彼の場合、その都度問題を起こしてくれるからなぁ……」  そこまで答えて、「いやいや」とトラスティは首を振った。 「どうして、身内だけで考えなくちゃいけないんです。彼女は、エルマーでも連邦軍でも……確か帝国軍でも人気者でしょう」  だから無いと繰り返したトラスティに、「気をつけるんだな」とカイトは心の籠もらない忠告をした。 「女の子ってのは、時々予想もしない行動に出るからな」 「それぐらいのことは、お互い経験済みだと思っていますけどね」  はあっと息を吐いたトラスティは、「未知の宇宙ですか」と小さく呟いた。 「確かに、緊張感があるのでしょうね」 「リュースなんかは、このまま宇宙を旅しないかと言ったぐらいだからな。その時は、親父も誘ってと言う話になっていたな。いくらなんでも、皇帝様や国王様を巻き込める訳がないのにな」  軽口を叩いたカイトは、一転真面目な顔で「なあ」とトラスティに声を掛けた。 「親父は、まだ落ち着くような年じゃないと思っているんだがな」 「そんなもの、年齢に関係ないと思いますよ。IotUの謎に迫る旅で、色々なところに柵を作ってしまったんです。それをなかったことにするのは無責任だし、皇帝や国王の仕事もやることは目白押しで、退屈している暇もありませんよ。しかもトリプルAの役員もしていますからね。どれ一つとっても、結構手がかかる仕事なんです。やりがいも、それなりにあると思っていますよ」  同じように真面目な顔をしたトラスティに、「それなりね」とカイトはその言葉を論った。 「モンベルト王妃様に、「こんなのは私の愛した人じゃない」と言われてもか?」 「そう言う勝手な理想を押し付けないで欲しいんだけどなぁ」  困ったものだと吐き出すトラスティに、「理想なのか?」とカイトは問い返した。 「少なくとも、モンベルト王妃様は、お前に誠実で真面目で勤勉な国王様になって欲しいと思っていないと言うことだ。IotUの謎を追い求めていた頃のお前が、文句を言いつつも一番良かったと思っていると言うことだろう。似たような話は、カナデ皇……じゃなかった、カナデ皇妃からも聞かされたぞ。ニムレスも、何か違うと言っていたな。その意味で言えば、ライラ皇帝をペテンに掛けたお前は、生き生きとしていたと言っていたな」  ここで答えがないのは予想通りと、カイトはIotUのことを持ち出した。 「IotU……確か、シンジと言ったんだったな。親父の親父で、俺から見たら爺さんなんだが。どうして、1万で止めちまったのかを考えたんだよ。区切りと言うのはノブハルの奴が言ったことだが、その先になぜ加えなかったのか……外銀河に対して手を出さなかったのかを考えたんだよ」  そこで言葉を切って、カイトはシュエップを呷った。 「IotUなら、俺達が使った方法より早く隣の銀河ぐらい行けたはずだ。それなのにしなかったと言うのは、連邦を組んだ1万の銀河のことを考えちまったからじゃないのか? 今の親父と同じで、1万の銀河がうまくやっていく方だけを見てしまったんだと思ったんだ。そしてその時のシンジだったか、爺さんの隣には愛する奥さんは誰もいなかった。走っている時には良かったのだろうが、立ち止まってしまうと自分が一人なのが分かってしまうんだ。それで寂しくなっちまったのが、身を隠した理由なんじゃないのか?」  それでも黙ったままのトラスティに、カイトは更に言葉を続けた。 「今の親父も、爺さんと同じじゃないのか?」 「僕には、アリッサ達がいてくれるよ」  だから違うと言うトラスティに、カイトは「それも問題だ」と言い返した。 「確かに爺さんとは違うんだろうが、親父はアリッサ達に我慢を強いるのか? 誰も立ち止まることなんか望んでいないのに、自分勝手に立ち止まることを選んで、そんなシケタ顔をしている。お前のことを愛してるアリッサが、何も感じてないとでも思っているのか?」  答えがないのを気にせず、カイトは「親父は」と言葉を続けた。 「ゼスのことで、俺に説教をしてくれたよな。終わったことを思い悩んでいても、何も解決しないし、エヴァンジェリン達を不幸にするとな。今度は同じことを俺から言わせて貰うよ。自分だけで決めつけて、アリッサ達を不幸にするな。リュースもな、最近お前達が重い空気をまとっていると言っていたぞ、まさか、何も気づいていないとは言わないだろうな」 「僕は、落ち着くことが許されないって言うんですか。それって、結構残酷なことだと思うんですけどね」  苦情らしきものを受け止めたカイトは、「嘘つきだな」と言い返した。 「自分でも、落ち着きたくないと思っているくせに。それが分かるから、アリッサ達も心配しているんだ」  そこまで口にしてから、「そんなところだ」とカイトは強引に話を打ち切った。 「そして俺達は、もう一つ気にしなくちゃいけないことがあるんだよ」 「もう一つ?」  そちらの心当たりがなかったので、トラスティは何だと眉をひそめた。 「親父がどう思っているのかは分からないが、俺達がIotUと同列に並べられようとしているんだ。これはスタークさんから聞かされたんだが、トリプルAが乗り出せば、大抵の問題は解決すると言う評判が立っているんだそうだ。トリプルAが、超銀河連邦では手の届かない、さもなければ超銀河連邦でも力不足の問題を、ペテン師つまり親父だな。それと俺が解決してしまうとな。IotUをトリプルAに置き換えた、別の信仰的なものまで生まれそうになっているらしい。どうやら俺達は、知らないうちに超銀河連邦の守り神に祀り上げられちまったと言うことだ」 「その危険性は考えていたけど……実際に、そんな声が出ていると言うことか」  ううむと考えたトラスティに、「先日のが良くなかった」とカイトは指摘した。 「シルバニア帝国と連邦軍を、親父は完璧に蹂躙してしまっただろう。しかも、艦隊戦の一つもしないで、さらには誰一人として血も流さないでだ。そんな評判は、すぐに広まっちまうんだよ。シルバニア帝国でも、トリプルA……正確には親父を抑えることはできない。ますます親父は、神格化されていくと言うことだ。良かったな、親父はそのうち神様と崇められることになるぞ」 「それは、兄さんも同じでしょ……と言うのは反論になりませんね。そのあたり、嫌な予感はしていたんだけどなぁ……」  流石にそれは嫌だし、連邦にとっても良いことではない。それでは最初に恐れていたように、IotUを自分達に置き換えただけになってしまう。 「ああ、俺としてもまっぴらなんだがな。と言うことで、親父に善処を求めてもいいか?」 「なんで、僕なんだよ……連邦最強の人の方が考えるべき……だめだな、結局堂々巡りをすることになる」  困ったなと、本気で嘆くトラスティに、「相談できる奥さんが居るだろう?」とカイトはアリッサを持ち出した。 「親父が常々言っている通り、結構正解を引き当ててくれるんじゃないのか?」 「結局、アリッサと話をするしか無いってことか。どうして酒を飲みながら、酔えない話ばかり続けているんだろう」  嫌だなとこぼしたトラスティは、部屋に帰って眠ることにした。いくら酔った気持ちになれなくても、アルコールは確実に体内に残ることになる。いくら良い酔い覚ましがあっても、最初の不快感までは面倒を見てくれなかったのだ。そのあたり、深酒に対する戒めにもなっているのだろうか。 「ああ、明日は来賓として挨拶があるんだろう。ガリクソン総統の晴れ舞台だ。せいぜい持ち上げてやってくれ」  そう言って送り出しながら、カイトは濃い酒を注文した。どうやらシュエップは、彼には薄すぎたようだ。 「だからと言って、飲みすぎないように」  そう言い残して、トラスティはホテルのバーを出ていった。  それを見送ったカイトは、小さく溜めていたいた息を吐き出した。 「と言うことだ、アルテッツァ」 「一応伺っていましたけど……私を呼び出す必要がありますか?」  バーに似合いのドレス姿で現れたアルテッツァは、それまでトラスティの座っていた椅子に腰を下ろした。 「なに、たまには付き合ってくれてもいいだろう」 「触れられない、お酒も飲めない女を横に置いて、虚しくなりません?」  寂しい人ですねと笑ったアルテッツァに、「寂しいからな」とカイトは言い返した。 「だから、話ができて美人のお前さんを相手にしようと思ったんだ」 「カイト様から、そんなお世辞が聞けるとは思ってもいませんでした」  本当に驚いたのか、アルテッツァは目をパチパチと瞬かせた。 「勘違いしているようだが、俺はあの親父の息子なんだぞ。それにハウンドで遠征している時なんざ、そこらじゅうで女を口説きまくっていたさ。その指導をしてくれたのが、俺が手にかけたナイアド・ロングマンだ」 「血は争えないと言うことですか」  了解ですと笑ったアルテッツァは、「結構緊張をしますね」と口元を歪めた。 「カイト様も、お父様を真似して私の世界にお出でになられますか?」 「あー、それはパスだな。エヴァンジェリンやリースリットに、痛い子を見る目で見られるからな。そう言うのは、親父向きの仕事だ」  だからないと、カイトは手を振って否定をした。 「思っていた以上に常識的なんですね。ところで、お父様のことですけど。どうして、あんな形で焚き付けられたのですか?」 「どうしてって言われてもなぁ。あんただって、今の親父は違うと思っているんじゃないのか?」  どうだと問われたアルテッツァは、「否定できませんね」と答えた。 「ですが、今トラスティ様に消えられたら、それこそ大変なことになりませんか?」  それを考えると、あまり焚き付けるものではない。アルテッツァの意見に、そうだろうかとカイトは疑問を呈した。 「こんなものは、意外になんとかなっちまうものだろう。まあ、ノブハルの奴が苦労することになるかも知れないがな」 「カイト様は、苦労なさらないのですね……」  良いですけどと、アルテッツァはそれ以上カイトを追求しなかった。 「この数年前まで、トラスティ様は表に出ていませんでしたからね。それでやっていけたんですから、確かに仰る通りなのかも知れません」 「まあ、そんなことだ。それに、厄介な問題はほとんど解決してくれただろう? これ以上、縛り付けるのは我儘ってものなんだよ」  カイトの言葉に、「仰るとおりで」とアルテッツァは認めた。 「後は、アリッサに任せるさ」 「最終的に、どのような結論を出されるのでしょうね」  それを考えると、不安と同時にワクワクする気持ちが湧いてきてくれる。なるほど自分も期待しているのだと、カイトの言葉を認めたのだった。 「なにか、ワクワクしてきました」 「だろう、俺も同じ気持ちなんだよ」  だから、結論が出るのを見守ればいい。そのための種まきをしたのだと、カイトはアルテッツァに告げたのだった。  無事にガリクソン総統の結婚式を終えた2週間後、トラスティはアリッサを伴ってエスデニアにやってきていた。どこでも多層空間接合装置の恩恵には与れるが、細かなことをするにはエスデニアが都合が良かったのだ。そして関係者を集めるにも、エスデニアと言う場所は都合が良かった。 「すでに、座標の設定は完了しています。連邦安全保障局の、調査対象から外れた銀河を選定いたしました」  白のローブ姿で現れたラピスラズリは、用意が整っていることをトラスティに告げた。それに頷いたトラスティは、振り返って見送りに来た者達の顔をぐるりと見渡した。ただ一人の例外を除き、誰も暗い顔を知ていなかった。それどころか、和気藹々と主役そっちのけで雑談まで始めているぐらいだ。 「湿っぽくなくて良いんだけどね」  なにか蔑ろにされている気がする。ほとんど自分に責任があるのだが、それでも愚痴を言いたくなるものだ。だからトラスティは、一人だけ暗い顔をしているリンディアのところにやってきた。みんなが笑っている中、どう言う訳か一人だけハンカチで涙を拭ってくれていたのだ。 「どうして、君だけが泣いてくれているんだい?」  とりあえず疑問を解消してから。そのつもりで声を掛けたトラスティに、「ひどい人です」とリンディアは文句を言った。 「皆さんにはお子さんを授けてくださったのに、どうして私には授けてくださらないのですかっ!」 「あ、ああ、そっちのことか……」  ほぼ全員が子供連れと言うことで、リンディアが不公平だと腹を立てたと言うことだ。なるほどねぇと頷いたトラスティは、「帰ってきたら考えよう」との空手形を切った。 「それまで、私を縛り付けると仰るのですね。でしたら、いつ帰ってきてくださるのですかっ! おばあちゃんになるまでは流石に待てませんよ!」  空手形ではだめだと迫るリンディアに、トラスティは楽しそうに話をしているアリッサの方を見た。 「アリッサとの子供が生まれたぐらいが目安かな。何もなければそれぐらいで一度帰ってくるつもりだ」 「本当ですか、本当ですよね、期待して待っていますからねっ!」  両手を胸の前で合わせ、リンディアは少し上を向いて目を閉じ背伸びをするようにした。約束のキスをしてくれと言うところなのだろうが、残念なことに誰かに肩を叩かれてしまった。邪魔をしますかと振り返った先には、ニコニコと笑うアリッサとロレンシアが立っていた。 「そう言う抜け駆けは感心しませんよ」 「今日は、そう言うのはなしにしましょうと言う話だったはずです」  ニコニコと笑ってはいるが、相手は暗殺技が仕込まれたパガニアの王女なのだ。笑顔の奥から感じられる殺気が、とても恐ろしく感じられてしまった。 「と言うことなので、いつまでも名残を惜しんでいてはだめでしょう。ラピスラズリ様、さっさと送り出してあげてください」 「い、いや、その、もうちょっと手心があっても……」  そこで大きく息を吐いたトラスティは、「コスモクロア」と己のサーヴァントを呼び出した。 「追い立てられる前に、移動することにしようか」 「はい、主様っ!」  嬉しそうな顔をしたコスモクロアは、すぐに光の粒となってトラスティと融合した。これでどんな環境でも、それが例えば恒星の外周部であっても、涼しい顔で耐えられることになる。 「さあ、僕の準備も整ったよ」 「自動翻訳機は持ちましたか?」  それがないと、異世界交流にも支障が出てくる。アリッサの問に、「5回目」とトラスティは笑った。 「携帯食料も、1ヶ月分は持ったよ」 「知らないところで、餓死しないでくださいね」  心配したアリッサに、「アリッサ様」とライスフィールが横から割り込んできた。 「心配するのなら、程々にしなさいと言う方が適切かと」 「この人に、そんな事を言っても意味がありませんから」  だからそっちは良いと言い切られると、たしかにそう思えてしまうから不思議だ。 「確かに、口を酸っぱくして言ってもダメそうですね」  承知しましたと言って、ライスフィールは杖を取り出した。そして何かの呪文を口にして、光の粒をトラスティにふりかけた。 「あなたには今更ですが、幸運が授かる魔法を掛けました」  そう言ってから、ライスフィールはいってらっしゃいと手を振った。それに合わせるように、他の妻たちもいってらっしゃいと手を振って見送ってくれた。 「じゃあ、行くことにするかっ。ラピスラズリっ!」 「かしこまりました、我が君」  トラスティの合図を受けたラピスラズリは、AIに命じて違う銀河への扉を開けた。連邦の調査も入っていないと言うことは、そこで何が起きるのかは誰にも分からないと言うことになる。 「じゃあ行ってくる」  まるでご近所に出かけるのりで、トラスティは多層空間を超えて他の銀河へと場所を移した。これでトラスティから連絡をとろうとしない限り、こちらから何が起きているのか知ることができなくなってしまった。 「行っちゃいましたか」  ぼそりと呟いたリュースに、「行っちゃいましたね」とアリッサは認めた。そして振り返り、「せっかくですから」と集まった全員に「女子会」をすることを提案した。 「今更ですが、あの人の悪口で盛り上がりましょう!」  アリッサの提案に、集まった女性たちは「賛成!」と大きな声をあげたのだった。  いきなりの異星人との接触を避けるため、空間接合場所は少し大きめの小惑星へと設定されていた。お陰で周りには水たまりどころか、見えるものは岩だらけの世界だった。ただ宇宙に出たお陰で、見知らぬ星々が明るく輝いているのを見ることができた。 「さて、最初の移動が結構ハードだな」  こんなところにいつまでも居ると、食料が切れて餓死することになりかねない。手っ取り早く移動をして、生命が生まれている星に行く必要がある。まずすべきことは、この世界で生きていくための足がかりを作ることだった。 「コスモクロア、まずこの星系の適当な惑星まで移動しようか」  生命さえ発生していれば、とりあえずの拠点を得ることができるだろう。さあ行こうと飛び立とうとした時、突然なにかが肩に触れた……と言うより、はっきりと肩を叩かれるのを感じてしまった。一体何がと慌てて振り返ったら、どう言う訳かカイトが「よう」と手を上げて立っていた。 「こんなところで、奇遇だな」 「奇遇だなって……そもそも、偶然で出会うような場所じゃないでしょう」  この場所を選んだのはエスデニアだし、そもそもカイトが未知の銀河に来ているはずがなかったのだ。  何をしに来たんですと呆れるトラスティに、「下準備をしてきた」とカイトは上空を指さした。有ろう事か、そこにはサイレント・ホーク2よりは一回り大きな小型宇宙艇が浮かんでいた。 「アリエル皇帝が、こんな事もあろうかと用意をしておいてくれたらしい。サイレント・ホーク2の強化改良版と言うことだ。これで、俺達の活動範囲が格段に拡大されるからな」 「俺達のって……兄さん、エヴァンジェリンさんはどうするんです」  とりあえず弱点を突いたつもりのトラスティに、「俺達夫婦の問題だ」とカイトは門前払いをした。 「早く帰ってきてねと手を振って送り出してくれたぞ」 「あー、いろんな人がぐるになっていませんか?」  どうしてこうなると天を仰いだトラスティに、「仲間はずれにする親父が悪い」とカイトは言い返した。 「こんなところで嘆いていても、何も始まらないだろう? さっさと俺達の船に移動して、知らない銀河を旅しようじゃないか。冷暖房完備で、しかも食料プラントも最新型だそうだ。ちなみに、ベッドルームも完備しているぞ。二人分」  至れり尽くせりと笑ったカイトに、良いですけどとトラスティはため息を吐いた。 「兄さんと二人きりと言うのはゾッとしませんが」  そうこぼしたトラスティは、カイトの合図で近づいてきた改良型サイレントホークへと乗り込んだ。そしてそこで、2つのベッドルームの意味を理解したのである。 続く