元々3界1の勇者が来るだけでも、十分に大事だったのだろう。3界に於いて、その位置づけは誰よりも大きなことは今更言うまでもない。有する力を考えれば、絶対に粗略に扱うことのできる相手ではない。
 だが一方で、シンジ一人の行動に対しては、周りはあまり気を遣わないところがあった。本人の希望というところが大きいのだが、周りもなぜか気楽に捕らえてしまうところがあったのだ。それを人徳というのか、軽く見られているというのか、そのあたりの解釈は難しいところがある。

 だがそこに最高評議会準議員が加わり、王室顧問が加わることで、事情は大きく変わってくれた。しかもリリンの顔ともなった女性が加われば、自然に周りの見方も変わってくるのである。そのためクレシアを伴ったシンジの訪問は、国連の中でも重大な出来事として捉えられることになった。そのせいもあって、その対応はノエインから取り上げられ、常任理事会預かりとなったのである。

 もっとも政治的なことを目的としたわけではないのだから、公式行事ばかりを行っているわけにはいかない。気を遣いすぎることに釘を刺し、シンジはまずノエインとの懇談を優先するようにとカエデに指示を出した。ここにきて、シンジは初めて国連の決定を自らの意思で覆した。

「やはり、カエデは注意深く観察されていると見るべきだろう」

 カエデを除いた会合で、クラウディアは今回の訪問を分析した。今まで国連の決定に大人しく従っていたサードチルドレンが、異を唱えた事は異例と受け取られた。そして当然のように、その背景にある事情が分析されたのである。

「そうね、恐ろしく早く手が打たれたという所かしら?
 このあたりは、ジャンヌ・ダルクを手玉に取った王室顧問様の差し金かしら?」

 クラウディアがイツキに簡単にあしらわれたのは、ノエインの中では有名になっていた。リリーナはそれを当てこすったのだが、それも違うだろうとクラウディアは言い返した。

「イツキ椎名が油断のならない相手だというのは同意する。
 しかし、それだけだと考えるのは、大きな誤解だろう。
 みんなも知っているとおり、カエデにはエデンとパーガトリの護衛が付いている。
 だからイツキ椎名が注進しなくとも、シンジ碇は総てを知っているはずだ」
「シンジ碇だけではなく、あのファミリーがと言うことでしょう?」

 それがもっとも適切な判断だと、マーガレットが補足した。

「そして彼らの掲げている方針は、私達にとって都合が良い。
 そしてカエデの考え方も、今は私たちの利益に沿った物となっている。
 方向さえ誤らなければ、今後もそうあると考えられるでしょう」
「だったら、方向を誤らせない方策をとっていく必要があるわね?」
「そのあたりは、シンジ碇が気を遣っているのではないのか?」
「それは否定しないわ。
 そしてカエデに対して、シンジ碇の影響力は絶大な物がある。
 少なくとも、この仕事においてシンジ碇以上の影響力、信頼を勝ち得ている者は居ないでしょうね」
「そこに、皆が感じている問題があるという事になる……」

 クラウディアの指摘に、全員が頷く事で同意を示した。これまでの観察で、カエデの感情の揺らぎ顕著になっていると出ていたのだ。

「あのファミリーは、カエデの事はジント花菱に任せると結論を出したという事かしら?」
「すんなりと収まれば、一番良い答えなのでしょうけど……」
「たぶん、今回もふたをするだけで終わってしまうのでしょうね……」
「ええ、あの二人の関係は問題が根深すぎる……
 シンジ碇とアスカ・ラングレーは、自分たちとは違う事を認めなければ……」

 観察記録が出回っている以上、二人の関係……特にアスカがドイツに連れ帰られた理由は知られていた。そうなった理由についても、精神分析医の分析結果が添付されていたのである。その分析を見る限り、碇シンジはしなくてもいい賭けをしてしまったようだ。
 そして二組のカップルが類似の問題を抱えているため、相互比較も真剣に行われていた。その比較によれば、花菱ジント、桜庭カエデの抱えた心の傷がより深いという事だった。そこには二人が幼かったという年齢の問題と、ずっと一緒に暮らし続けたという環境の問題が指摘されていた。

「単純に顔を合わせ、セックスするだけでは解決する問題ではない。
 少しぐらい話し合いをしたところで、上辺を撫でるだけになってしまうだろう」
「だったら、どうこの問題を解決します?
 私たちとしても、今カエデに抜けられては立ちゆかなくなってしまう」

 色々とぶつかる事はあったが、今は一緒にリリンの為に働いている。その意識は、ノエインの少女達の間にも広がっていた。だからこそ、カエデの問題は深刻で、要らないものとして切り捨てるわけにも行かなかった。ただ問題は、これと言った解決策が浮かばないことだった。

「本来、碇シンジとそのファミリーは、こんな事に関わる必要はないはず。
 彼らには、もっと大所高所にたった活動をして貰いたい」
「カエデとジント花菱は、どれだけ彼らに迷惑を掛けているのか知るべきではないのか?」
「ジント花菱はいざ知らず、カエデは今回の目的を感づいているだろう」
「だとしたら、それでどう振る舞うかによって、解決できるかどうかが決まってくるわね」
「私たちが言ってもだめだろうけど、シンジ碇ならカエデも大人しく従うでしょうね」
「そうだとしたら……」

 シンジの名前が出たところで、リリーナは小さくため息を吐いた。

「私たちは、シンジ碇の分析を誤っていた事になるわね。
 まさか、ここまで大きな影響力を持っていたとは想像もしていなかった」
「影響力だけなら、以前からあったでしょう?」
「対エデン、パーガトリという意味ならそうでしょうね。
 でも今度の件では、シンジ碇は常任理事会に対してノーを突きつけた。
 カエデが以前私たちに話した事、それが現実として突きつけられた事になっているわ。
 もっとも、それを認めたところでシンジ碇に対する対応は変わらないでしょうね」
「嫌がらせで、世界の指導者に祭り上げるというのはあるでしょう?」

 マーガレットの皮肉に、確かにその通りだとリリーナは笑った。

「たぶんシンジ碇に対する脅しとして、それが一番効果的なのでしょう」
「私達としては、もう少し自覚を持って欲しいという気もするのですが……」
「あの最高評議会議長を押さえられる唯一のリリンなんですからね」
「お陰で、まだまだ私達に出番があるのでしょう」
「では、この出番をどう利用するかを考えましょうか」

 覗かれていることは承知している。それを前提に、ノエインの少女達は謀略の相談を始めたのだった。







<<学園の天使>>

178:







 ジュネーブで会談を行うという連絡に、ついに動いたかとイツキは考えた。そしてこの時期に動いたシンジに対し、成長したと見直してもいた。多少手荒にはなるが、うまくやれば二人の問題を根本的に解決できる。イツキの見立てでは、今が一番いいタイミング、手遅れになる前、そして問題が出尽くした時と言うことになる。

「椎名様、何か良いことがあったんですか?
 それとも、何か良い知らせがあったとか?」

 お茶とお菓子を持って現れたネリネは、イツキの顔を見て開口一番そう尋ねた。そんなネリネに、「どちらも外れ」とイツキは笑いながら否定した。

「これから、おもしろいことが起きそうだと言うことだ」
「おもしろいこと、でしょうか?」

 ご主人のおもしろいと言うことは、自分たちとは方向性が違っているのは知っていた。混乱、大きな出来事を好む人だから、きっと今度もそうなのだろうとネリネは想像した。もっともその中身を尋ねるのは出過ぎたことと、深入りすることなくイツキの前にお茶とお茶菓子を並べた。

「ところで、タンポポとプリムラはどうしている?」
「居間でおやつを食べていますよ」
「そうか……」

 ふっと小さく息を吐き出したイツキは、白磁のティーカップに口をつけた。そのとき鼻腔に広がった香に、少し目を見開いた。

「懐かしいな、アールグレークラッシックか?」
「はい、お母様が椎名様がお好きだと持ってきてくださいました」
「その話は聞いていないな……」

 いつの間にと驚いたイツキに、温泉旅行の時だとネリネは打ち明けた。

「お風呂でお背中を流したとき、いろいろとお話ししたんです。
 パーガトリではお茶を飲むことが多いとお話をしたら、お別れ間際に頂いたんです。
 一緒に暮らしているとき、いつもこれを飲んでらしたと伺いました」
「そうか、母さんは他に何か言っていたか?」
「他に……ですか?」

 顔に朱が刺したネリネに、何か言われたことをイツキは想像した。だがネリネは、「特にこれと言って」と誤魔化した。

「普段パーガトリではどうしているのかとか、誰かに迷惑を掛けていないかとか。
 食べるものとか着る物に困っていないかとか……」
「どこでもある話をした、ということか?」

 そうかと小さく呟き、イツキは少し冷めたお茶を口に含んだ。

「そうですね、そのあたりはパーガトリでもあまり変わりませんね」
「そうか、パーガトリでもあまり変わらないのか……
 だったらネリネの両親も、おまえのことを心配していると言うことだな」

 当然導かれる疑問に、そんなことはないと慌ててネリネは否定した。

「私の両親は、私が椎名様にお仕えできて喜んでいます!」
「おまえを抱いたことは知っているのか?」
「知らせてはあります……」

 遠慮がちなネリネの答えに、イツキはもう一度「そうか」と呟いた。そしてしばらく考えてから、今度はイツキの方が遠慮がちにネリネに聞いた。

「確か、ネリネの両親は辺境地区に住んでいたのだな」
「は、はい……」

 イツキの質問に答える時、ネリネの声色は強ばっていた。それはイツキの質問が、パーガトリでは微妙な問題を含んでいたからに他ならない。そしてその問題は、ネリネが気にしていたことでもあった。しかもイツキは、ネリネを抱いた話に絡めて持ち出したのだ。ネリネにとってそれは、「身分をわきまえているか?」「勘違いしていないか?」と言われているのと同じ意味を持っていた。

 王族と戦士とそれ以外というのが、パーガトリにおける大まかな身分制度だった。そしてそれ以外の中身に着目すると、さらに非公式な形で身分が分かれていた。そしてその区別は、居住区によって行うことができた。
 その他文民のうち、上位階層に属する者達は、主に王都の近くに住んでいた。そしてその周辺には、中位層が居住している。下位階層となると、更にその周辺といった具合である。そこから導き出されるのは、王都から距離によって身分が変わってくると言うことである。言い換えれば、辺境に住むと言うことは、とても低い身分にあるという事になる。イツキの言葉は、ネリネの身分を確認するという意味を持っていた。

 王室顧問と辺境出の娘。いくら嫁ぎ先によって身分が変わると言われても、始まりからしてその差は大きすぎた。普段はとても優しいご主人様なのだが、調子に乗ったことで怒らせてしまったとネリネは誤解した。
 だがネリネの誤解を気にすることなく、イツキは事実としてこれからの予定を告げた。

「シンジから呼び出しがあった。
 だから明日明後日と、ジュネーブに行ってくる。
 日帰りはできるが、現地にいた方が都合が良さそうだからな」
「で、でしたらお支度をいたします」
「ああ、そっちは任せるが……」

 そこで紅茶で口をしめらせたイツキは、彼にしては珍しく落ち着かない様子を見せた。

「り、リリンから帰ってからのことだがな。
 そ、そのだ、お、おお前さえ良ければだが……なんだ」
「はいっ?」

 失意に落ち込んでいたネリネも、ここに来てようやくイツキの様子がおかしいことに気がついた。王様を前にしても、3界1の英雄様を前にしても、最高評議会議長様を前にしても、自分のご主人様は言いたいことをはっきり言っている。そのご主人様が、とても言いにくそうに口ごもっている。間違いなく、これは異変に類することだろう。
 だがネリネの立場で、どうかしたのかなどと聞くことはできない。落ち着かないそぶりを見せるご主人様が、何を言い出すのかじっと待つことにした。

「つまりだ、俺様が言いたいのはだな……」

 「ああっ」と吐き捨てたイツキは、がりがりと頭を掻いた。

「ネリネっ!」
「はいっ!!」

 いきなり大声で呼ばれ、ネリネは背筋をぴんと伸ばした。

「俺様と結婚してくれ!」
「はいっ!!」

 背筋を伸ばしたまま、ネリネは意味も理解せず反射的に承諾の答えを返した。だがすぐに、何をイツキに言われたのかに気がついた。

「で、でも、私は料理ができません。
 それでもよろしいのでしょうか?」
「そんなことは百も承知だ。
 ただそのことへの文句は、直接お前の両親に言いに行くことにする。
 ジュネーブから帰ったらすぐに行くから、首を洗って待っていろと伝えておけ!」

 そう言う事だと言い放ち、イツキは残っていた紅茶を飲み干した。

「ですが、私は辺境の生まれなんですが……本当によろしいのでしょうか?」
「だったら俺様は、最下層の更に下のリリンの生まれだ。
 それでネリネ、お前の答えをもう一度聞かせてくれ……ないかな」

 恥ずかしいのか、イツキの言葉も尻すぼみとなっていた。だが受け取るネリネには、それは大したことではなかった。こんな自分を欲しいと言ってくれるのなら、今更他に答えなど考えられない。

「喜んでお受けいたします」

 大粒の涙を流すネリネを、イツキは立ち上がってその胸に抱き寄せたのだった。



 パーガトリにとって、椎名イツキの存在は欠くべからざる物となっていた。紫の奏者の代理人という立場をのけても、数多くの貴重な提言を行ってきている。パーガトリが新しい道を歩み始めた立役者の一人と言って差し支えがないだろう。
 そしてそれだけのの重要人物なのだから、護衛が付いているのも当然のことだった。当然その目的は「覗き」などではなく、イツキの身に危険が及ばないようにすることである。そして護衛の報告は、国王フローライトに直接届けられることになっていた。つまりネリネとの間で行われた、背中がかゆくなるようなやりとりについても、フローライトに知らされたと言うことである。

「椎名殿がネリネを妻として迎えられると言うことか」

 その知らせに喜んだフローライトは、次にどう祝うべきかを考えた。一人紫の奏者と言う例外はあるが、婚姻の儀を顧問に行うわけにはいかないだろう。それに派手なことをすると、間違いなく拗ねられることになる。それもまずいと、比較的穏便に済ませ、しかも文句の上がりにくい方法を考えることにした。

「こういう事は、リリンに倣うのが一番無難と言うことだろう」

 温泉で挨拶した両親を見れば、あちらがリリン標準であるのは理解できる。息子の事でしきりに恐縮していたのを思い出せば、教えてあげるのが親切のようにも思える。そうなると、信用できるリリンに助言を貰う必要があるだろう。

「シンジは……親友のことだから労を厭わないだろう。
 だが、これからのことを考えると避けておいた方が無難か……」

 ふんと考え込んだフローライトは、リリンに居るアイオライトを思い出した。もちろんアイオライトに頼るのではなく、アイオライトを補佐する女性、沢近エリカにたどり着いたのだ。

「幸い沢近殿なら面識がある。
 それにアイオライトがお世話になっているのだから、口実も立つだろう」

 うんそうだと自分に言い聞かせたフローライトは、フォーベシィを呼び出しアイオライトと連絡を付けるように命じた。

「差し支えが無ければ、沢近殿と一緒にパーガトリまで来て貰えるように伝えてくれないか?」
「畏まりました……」

 恭しく頭を下げたフォーベシィは、「何か良いことがありましたか?」と尋ねた。

「そうだね、間違いなくおめでたいことだろう。
 だから、それをどう祝うべきか沢近殿に相談するのだよ。
 一応、何のことかは秘密だからね」
「左様でございますか、早速手配いたしましょう」

 目出度いこと、そして紫の奏者の奥方が関わる事となると、その候補はとても少なくなってくる。ただいずれにしても、国王が秘密というのだから臣下が詮索して良いことではない。フォーベシィは、恭しくお辞儀をしてフローライトの元を辞したのだった。



 抱えている問題の根の深さなど、シンジが気づかないはずがなかった。そして同様に、自分たちとは違うことをアスカも気づいていた。だから単純にジントを連れて行くだけでは、何の解決にならないことにも二人は気づいていた。カエデが自分の感情を隠すのは当然として、ジントもまたその変化に気づくことが無いからだ。だから二人を会わせただけでは、うわべの会話を交わすだけで終わってしまう。夜に二人きりの時間を作ったところで、一時しのぎにしかならないだろう。堤防決壊寸前まで行った不満の水位を、少しばかり引き下げる役にしか立たないだろう。これではすぐに、次の危機が訪れることになる。

「本当は、カエデを爆発させるのが一番いいのよ。
 たまっている物を洗いざらいぶちまけさせる……
 そうすれば、花菱がどれだけカエデのことを見ていなかったのかを分からせることができるわ」
「かなり過激な方法だと思うんだけど……
 下手をすると、決定的にこじれることになりかねないね。
 しかも桜庭さんが、そんなことになるとは普通は考えられないよ」

 だから抜本的な対策が必要となるのだが、その方法となると一筋縄ではいかなかった。ジントの甘え、カエデの遠慮が原因なのだから、それをはっきりと問題として二人に示すことも方法の一つだろう。ただそれができればいいのは分かっているが、同時にあり得ないこともシンジは理解していた。
 ジントが甘えを自覚することはあっても、カエデが遠慮を肯定することはありえない。そして甘えを自覚して反省したとしても、それは次なる甘えを防ぐことはできない。それにカエデの性格を考えると、絶対にジントの足を引っ張るまねをするはずがないのだ。そしてジントに向かって、自分の感情をぶつけることも考えられない。それがここまで問題をこじれさせた原因の一つであり、決定的な理由にもなっていたのだ。
 考えられないというシンジの意見を認めたアスカは、普通じゃない方法をとるしかないと断言した。そしてそのために、シンジの力を使うべきだと主張した。

「つまり、僕に悪者になれと……」
「親友のために、骨を折れって言っているのよ」

 労を惜しむつもりはないが、かなり危ない橋を渡ることにもなりかねない。それが分かるだけに、シンジとしても簡単には同意できなかった。だが尻込みしたシンジに向かって、打てる手が限りなく少ないのだとアスカは迫った。

「でも、カエデに本音を言わせないと、問題の解決にはならないわよ。
 あたし達が言っても、今回は問題を複雑にする可能性があるし」
「確かに、僕が花菱君に言うと命令になっちゃうしなぁ。
 それで態度が変わっても、たぶん桜庭さんは理由に気づくと思うし」

 そうなると、不満が解消するのではなく、別の形で蓄積されることになる。だから問題を説明して善処を求めるだけでは、何の解決にもならないことは分かっていた。

「つまり、椎名に言わせてもだめって事よ」
「確かに、イツキでもだめなんだろうな……」

 困ったなと腕組みをしたシンジは、他に適当な人材がいないかを考えることにした。求めるのは、第三者としてジントを糾弾してくれる人材である。適当にカエデに近く、ジントとは離れていることが求められる。

「だったらノエインの子達はどうかな?」

 その条件で考えたとき、ノエインの少女達が候補としてあがった。だがそれを口にしたシンジに、アスカは一つの、そして決定的な問題を口にした。

「確かに、彼女たちならカエデ達のことを分析しているでしょうね。
 だから花菱に対して、遠慮会釈のない意見を言ってくれると思うわよ。
 でも、どうやって共犯関係に持ち込むの?
 阿吽の呼吸でこちらに合わせてくれるなんて事はあり得ないでしょう?」
「……確かに」

 そう指摘されれば、難しさを認めないわけにはいかない。糾弾させるにしても、その機会と方法を間違えば取り返しの付かないことになる。しかも相手が最高評議会準議員となると、彼女たちが遠慮することも考えられる。結局話は、振り出しに戻ってしまった。

「花菱君に観察記録を突きつけるってのは?」
「突きつけてどうしようって言うの?
 ただ突きつけただけじゃ、あいつのことだから踏み込んでいかないわよ」

 遠慮と甘えの関係は、必ずしも一方通行ではない。ジントもまた、カエデに踏み込むことに遠慮をしていたのである。その条件で事実だけを突きつけても、双方の抱えている問題、そして今度の事態を引き起こした問題も、ふたをされるだけで終わってしまうだろう。結局、火種となる本当のところが隠されてしまうのだ。

「観察記録を突きつけて、そこからどうするのかが問題になるのよ。
 こういう時のやり方ってコハクがうまいんだけど、今回は関わらせるわけにはいかないでしょ。
 だからやり方が難しくなるのよ。
 シンジだと、どうしても理詰めで追い詰めることができないから」
「確かに、こういう事ってコハクがうまいね。
 だったら、アスカが桜庭さんを追い詰めるのは?」
「悪いけど、今回の訪欧メンバーにあたしは入っていないんだけど?」

 今からいくとなると、それ相応の理由が必要になる。だがクレシアで十分以上役目を果たせるとなると、どんな理由をつけてもとってつけたような物になってしまう。

「じゃあクレシアって……そこまで桜庭さんと親しくはないか」
「それにクレシアだと、カエデにとどめを刺しちゃうわよ。
 あんた、クレシアの本質を見間違えないようにね。
 忘れているようだけど、あの子はゼーレの末裔なのよ。
 敵に回したら、あの子ほど怖い子は……まあその話は置いておいて。
 やっぱりこの件にクレシアを加えるのは良くないわ」
「結局、また話が振り出しに戻るって事か……」

 ふっとため息を吐いたシンジに、「どこまで覚悟を決めるかだ」とアスカは告げた。

「あの二人の仲が決定的にこじれた時点で、今の体制が成り立たなくなるわ。
 特にあたし達の世界の中で、混乱につけ込もうとしてくる奴らが這い出てくることになるのよ。
 そうなったら、花菱かカエデ、どちらかを切り捨てない限り、事態を収拾することはできなくなるわ。
 しかもそのとき、あんたの果たす役割も変わってくるのよ。
 あんたが、3界の指導者として君臨するってのなら話は変わるけどね」

 シンジが嫌がることは、すでに織り込み済みだった。そしてアスカが予想したとおり、3界の指導者に対してシンジは露骨に嫌な顔をした。

「まあ遅かれ早かれ、免れない立場だとは思うけどね。
 ただあんたが、そんな物になりたくないって言うのなら、ちゃんと組織を考える事ね。
 花菱の成果を今更つぶすのは惜しいし、カエデの代わりを立てることも難しいわ。
 だからあの二人の問題を、大火にならないうちに鎮火してやる必要があるのよ。
 そして二度と大火事にならないよう、可燃物の処理をしてやる必要があるわ」
「とりあえず、臭いものに蓋をすると言う案は?
 そこで時間を稼いで、根本的な解決策を打つとか?」
「それができるのなら、だめとは言えないと思うわよ。
 でもね、先延ばしすればするほど、爆発の規模は大きくなるわよ。
 シンジ、下手したら本当にあんたが刺されることになっちゃうわよ」

 誰が好んで刺されたいと思うだろうか。嫌でしょうというアスカに、シンジは思いっきり肯定して見せた。だがアスカは、それも一つの解決策だと追い打ちを掛けた。

「そこまですれば、もう感情を隠すことができなくなるじゃない。
 それに花菱とカエデ、二人が絶対に解決しなくちゃいけなくなるでしょう?
 それにあんただったら、少しぐらい刺されても大丈夫そうだし」
「いやっ、僕の体はそんなに都合良くできていないから」
「でも、ミョルニルだって受け止められるんでしょう?
 それに補完世界にだって、自分から行くことができるんだし。
 その非常識さの前には、刃物なんて常識的すぎて力不足じゃないの?」

 そう言って口元を歪めたアスカに、勘弁してくださいとシンジは謝った。確かに刃物ぐらいなら避けることもできるだろうが、それならそれで話が複雑になってくる。他にも、ヒスイの耳に届いたとき、何が起こるのか分からないという問題もある。一歩間違えば、ジントやカエデがヒスイの手に掛かることになりかねない。

「ヒスイを押さえられないってのは、あたしも同意するわ。
 だからそこまでカエデを爆発させちゃだめなのよ」

 だから今のうちに解決しなくてはいけないとアスカは強調した。

「そのためには、やっぱりあんたが骨を折らないといけないのよ」
「労を惜しむつもりはないんだけどね……」

 結局堂々巡りをして、自分の所に帰ってくるのだ。他にいい考えがなければ、アスカの言うとおり骨を折らないといけないのだろう。ただ考えれば考えるほど、ろくな方法が浮かんでこないのだ。それを思うと、シンジが憂鬱になるのも仕方がないことだった。だがいくら憂鬱でも、今更放置できないのも確かなのだ。なにしろ、もともとの問題が二人にあったとしても、引き金を引いたのは誰でもないシンジ自身なのだ。後からアスカに言われたことだが、説明の順番を間違えたという負い目もある。自分でまいた種を刈り取ってこいと突き放されるのは、「頭では」仕方がないと理解もできていたのだが。

「……僕が行くしかないのかな」
「カエデに対する影響力を考えたら、たぶんあんた以外に適任者はいないでしょうね」

 前の事件にしても、引き金を引いたのは催淫作用を持った花なのだが、結局カエデの中にあった願望を表に出しただけなのだ。その後のことを考えると、シンジの存在はカエデの中で大きくなっているはずだ。そう言う意味では、シンジに糾弾されるのが一番堪えるはずなのだが……それをうまくやれるのかが問題になる。下手に方向性を間違えると、今度はジントの方で問題を起こしかねなくなる。

「あっ、なんか頭痛がしてきたわ」

 ものすごく悩ましい事態になってしまった。思わず頭を押さえたアスカに、「言わないで」とシンジは懇願することになった。特に今度の件に関しては、二人にだけ責任を押しつけられない事情があった。そんなシンジに謝ったアスカは、ここで初めて「妻の総意」と言う物を持ち出した。

「えっと、みんなの総意?」
「そう、あたしやコハク、ヒスイにエリカ、クレシアにスッピーの考えよ。
 まあいつも言っていることの繰り返しにも聞こえるかもしれないけど……」

 そう言って一呼吸おいたアスカは、妻の総意としてシンジの行動への制限を口にした。

「あんたが考えて行動したこと、その全てをあたし達は肯定するわ。
 何もないのに越したことはないけど、カエデと何が起きても責めたりしない。
 周りが反発するのなら、あたし達は一丸となってあんたを擁護する。
 それが、あたし達妻の総意よ」

 それだけ今回の問題が難しく、制限を掛けられないという意味にも繋がってくる。そう言う意味で口にしたアスカに対し、「なんだかなぁ」とシンジは少し呆れて見せた。

「よっぽど、あれをするな、これをするなと言ってくれた方が気が楽なんだけど……」

 そうすれば、決められた制限の中で選択することができる。その枠組みを作らないと宣言されたのだから、自由度が増す分、考えなければいけないことが多くなりすぎるという問題があった。

「だって、ああしろ、こうしろと言えるほど簡単な問題じゃないもの。
 カエデの中にある花菱の存在を薄くするってのも考えたけど、それだって良いことなのか分からないし。
 ちゃんとカエデに向き合って、そこで話をして決める必要があると思うのよ。
 だからそこで決める前に、余計な制限を掛けない方がシンジにできることが多くなるでしょう?
 だからあたし達は、覚悟を決めて全てを肯定する事にしたのよ。
 極端に走れば、あんたがカエデの精神操作をすることもその中には含まれているわよ。
 それに比べたら、エッチなんて罪が軽いと思わない?」
「そりゃあ、エデンは自由恋愛だからね……
 しかも芙蓉学園関係者は、リリンでもその考えに染まっているというか……」
「花菱の講堂にしても、エデンの常識に従った物でしょう?
 だから普通の……エデンにおける男女関係に収まるのなら、罪がないって言えるじゃない」

 それに比べれば、確かに人の心を操作するのは大罪なのだろう。だが友人との信頼関係を考えたとき、それは大罪と言われる物ではないのだろうか。
 そこまで考えたシンジは、自分の考えも極端に走っていることに気がついた。カエデと腹を割って話す必要は認めるが、なぜその先に男女関係があることが既定の事実と考えているのか。それこそ誘導された考え方だとは言えないだろうか。

 それに気づいたシンジは、「いかんいかん」と頭を振った。

「アスカの言いたいことは分かるけど、それも極端に走っているよ。
 確かに、桜庭さんと腹を割って話すことは必要だと思うけど……
 そうなったらそうなったで、やっぱり今の体制は維持できなくなるんじゃないのかな?
 エデンの習慣なんて持ち出したとしても、やっぱり感情の問題は解決できないし」

 だからシンジは、自分の行動を縛ると宣言した。そして同時に、出し惜しみはしないと告げた。

「出し惜しみって?」
「ある限りの方法は使うって事だよ。
 もう非常識って言われるのは諦めたから……」
「人として、それを諦めるのはどうかと思うわよ」

 そうは言ったが、簡単な事では解決しないことは分かっている。しかも解決の方向を、自分たちの思惑に嵌めようというのだ。確かに非常識な真似をするほかに、そんなことは不可能に違いない。それを認めたアスカは、「やりたいようにやりなさい」とシンジの行動にお墨付きを与えたのだった。







続く

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