最終年次になれば、身も引き締まるのを感じてしまう。それと同時に、生徒会長を引退した事実は、解放感を上倉に与えていた。いずれにしても、心機一転最後の1年を迎えようとしていたのは確かだろう。その始まりの儀式が、英雄様をモデルにした絵画制作なのだから、恵まれていると上倉は自分でも思っていた。
 だがその場で見せられた絵に、上倉は美咲アヤとともにうなり声を上げてしまった。あの最高評議会議長が即興で書き上げたというのも驚きだが、その技量がとても高いのも予想外だったのだ。その驚きに比べれば、二人の裸体画というのは大した問題ではなかった。しかもこれが課題だと言われれば、なおさら唸ってしまう事実となってしまう。

「この程度は書いてみろって言われたんだけどね……」

 あまりに二人が驚くものだから、さすがにまずったかとシンジも頭を掻いた。素人目でうまいと思った絵は、どうやらそれ以上の価値が有ったと言うことになる。ある意味サードニクスを見直すところなのだろうが、考え込んだ二人を見ればそうとばかりは言ってもいられないだろう。

「先生、ちょっと良いですか?」

 二人して考え込んでしまったため、シンジは独りぼっちとなってしまった。だが絵を持ってきた責任もあるから、当事者ではなく指導者の意見を求めることにした。アヤの肩を突いたシンジは、そう言って準備室の方を指さした。上倉に聞こえないところで、二人で話をしようというのである。その理由を理解したのか、アヤは真剣な顔で頷くと上倉を残してシンジに付いていった。

 アヤがいなくなったことにも、どうも上倉は気づいていないようだった。それほど真剣にサードニクスの絵を見ていたと言うことなのだろう。それが分かるだけに、シンジは課題としてどうなのか、アヤの意見を聞かなければならないと思っていた。

「それで美咲先生の目から見て、サードニクスさんの絵はどうでしたか?」
「どうかと聞かれれば、素晴らしいとしか言いようがありません……
 「これぐらい……」と言うのは、とても高いハードルだと私は思いますよ。
 たぶんテクニックでは、今の上倉君では及びも付かないと思います……」

 真剣に悩むアヤに、シンジはもう一度難しい課題かと尋ね直した。

「同じステージで勝負したら、今の上倉君ではクリアできないと思います。
 たぶん課題を出す方も、それぐらいは理解していると思うんですけど……」
「だったら、どうすれば良いんですか?」
「それが分からないから考え込んでしまったんですけど……」

 もう一度悩んだアヤは、やっぱり分からないと音を上げた。

「求められているのが、小手先のテクニックじゃないことは理解できるんですよ。
 それにあの絵が本当に凄いのは、モデルに対する思いがストレートに出ていることです。
 サードニクス氏が碇さんに向ける思い、それを高いテクニックで表現しています。
 どちらかで上回らない限り、課題のクリアは難しいかと……」
「でもサードニクスさんと上倉君では経験が違うでしょう?
 だったらそこまで水準を上げなくても良いんじゃないですか?」

 自分から課題を難しくする必要はない。それがシンジの主張なのだが、そう言うわけにはいかないのだとアヤは言い返した。

「それでは上倉君が納得できないと思いますよ。
 結果的に碇さんの言うとおりになるのかも知れませんけど、
 本人が納得できる絵が描けない限り、合格しても上倉君のためにはならないと思います」
「そこまで拘らないといけないんですか……」
「それが、自分を表現すると言うことだと思っています」

 そう真剣に言い切られれば、シンジも返す言葉はない。そしてアヤの言葉に、自分の甘さを教えられた気がしていた。他人の評価を気にする以前に、自分が納得できるものを作ることができるのか、それを第一に考えなければいけないはずなのだ。
 それを理解したシンジは、見通しはどうなのかとアヤに尋ねた。サードニクスの絵を目にして、上倉はどう自分に納得できる絵を描くことができるのかと。

「それは、上倉君次第だと思いますよ。
 たぶん、すぐに動き出すんじゃありませんか?」
「そう聞いて安心しました……」

 ほんとうにほっとした様子を見せるシンジに、アヤは口元を隠して笑って見せた。

「碇さんもそうですけど、皆さん上倉君に期待しているんですね」
「そりゃあ、第二代生徒会長を無事に勤め上げてくれましたからね。
 しかも今度は、花菱君の後を受けてエデンへの留学を目指しているじゃないですか。
 たぶん、上倉君の評価が芙蓉学園の評価に繋がってくると思うんです」

 シンジやジント達が特別という見方は、リリンの中にも広がっていたのだ。その見方を打ち破るためには、上倉の働きが大きな意味を持ってくる。芙蓉学園の意味を決める上では、非常に大きな役割を果たすことにもなるのだろう。その意味で、第二代の生徒会長を務めた上倉の存在は、学園内で非常に大きな意味を持つことになるのだ。
 シンジの説明に、確かにそうだとアヤもその意味を認めた。さすがに碇シンジは別格としても、花菱ジントや椎名イツキ、桜庭カエデも高い評価を受けている。それを芙蓉学園の評価とするのは、上倉の活躍に掛かっていると言っても過言ではない。

「だから、サードニクス氏はこんな課題を出したのですね……」

 上倉の役割の重要さを理解したアヤは、サードニクスの意図に気づくことができた。課題として「絵」を示すことで、上倉の価値をはっきりと示してくれたのだ。しかも上倉の絵に、明確な目標を示してもくれた。

「……確かに、そう考えることもできるんですね」

 アヤの考えを聞いたシンジは、なるほどと感心させられた。それだけが全てでは困るのだが、芸術と言う点でもリリンの特徴を見せる必要がある。サードニクスが課題として示したことで、他の役職者達も上倉の絵に注目することだろう。それもまた、リリンの実像を示すのに重要なことに違いない。
 そのためには、上倉には是非ともサードニクスを納得させて貰わなければならない。それができなければ、全てが絵に描いた餅になってしまうのだ。それを心配したシンジに、きっと大丈夫とアヤは保証してくれた。

「頂いた絵のおかげで、上倉君の中でもイメージが固まったんじゃありませんか?
 たぶん今頃は、自分ならこう描いてみせるって思っていますよ」
「美咲先生がそう仰有ってくれるのなら、何も心配はいりませんね」

 良かったと安堵するシンジに、心配しすぎだとアヤは小さく微笑んだ。期待するだけの能力があると思うのなら、もっと任せてしまうべきだと言うのだ。そうすることが、一番本人の為にもなるし、シンジが成長する役にも立ってくると言うのだ。

「自分でやってしまうのが、一番楽なことなんですよ。
 でもそれだと、周りの人が成長しないことになります。
 碇君の立場は、人を育てることも要求されるようになりますからね」

 それができたら一人前だと、教師として必要な助言をアヤは与えたのだった。







<<学園の天使>>

177:







 いくつか問題を抱えているシンジ達だったが、その中でも急ぐべきはカエデへの対応だろう。幸い美咲市では大きな問題とはなっていないが、いつジュネーブで火が噴くのか分からない状況なのだ。特にカエデに付けた監視からは、精神的にまいっているとの報告を受けている。ジントにその解決が望めない以上、シンジが行動する他はなかったのである。

「不安定さを補ってあまりある有能さ……とも必ずしも言いきれぬな」

 監察報告に唸ったコハクは、どうしたものかとアスカに相談した。マディラがうまく芙蓉学園に溶け込むほど、カエデの不安定さが増してくるように見えるのだ。シンジが顔を出す手はずにはなっているが、それが本当に良いことなのか疑問を感じ始めたと言うことだ。
 そしてアスカも、コハクの懸念に同意を示した。問題の所在を考えたとき、必ずしもシンジの訪問が解決に繋がるとは考えにくくなったのだ。逆に問題をこじれさせる方向に進まないか、その懸念も増してきたと思われてしまう。

「今回の場合、物わかりの良すぎるマディラってのも理由になっているわね」
「おそらく、われの先例も遠因となっておるのだろうな」

 コハクの考えに、自分もそう思うとばかりにアスカは頷いた。コハクほどの立場の女性が、形上リリン一般の家に住んでいる。その先例がある限り、マディラがカエデの家に住むことを否定できなくなってしまうのだ。コハクが別あつらえの邸宅でも構えていたのなら、マディラもその前例に倣うことができただろう。コハクが“我慢”しているのだから、マディラも我慢して当然と周りにも見られてしまうのだ。
 そしてもう一つの理由は、ジントの使命感というところだろうか。3界の融和という大きな目的に、個人的事情を省みることを忘れてしまったのだ。そこにはカエデに対する甘えがあるのも否定できない。

「今の状況を見る限り、マディラがカエデに家に住むメリットは少ない。
 むしろ寮におることで、交流が促進されるというメリットが出てきておる。
 へたにカエデの家に籠もられるより、遙かに入学させた効果が大きいと言えるであろうな」
「マディラがいれば、花菱が寮に通うことになるからでしょう。
 交流の場になっていることは認めるけど、不自然って言えば不自然なのよね」

 “夫婦”が離れて暮らすと言うのは、アスカの指摘を待つまでもなく不自然な行為に違いない。特にマディラの場合、夫婦になってから芙蓉学園に入学している。住居の準備が整うまでであれば理由が立つが、それが恒久的な措置となるのはアスカの言うとおり不自然なことなのだ。だからメリットを感じていても、それを恒久措置にすることはできない。
 だが現実は、カエデの焦燥が酷くなってきている。リリンの表の顔となっているだけに、早急に手を打たなければならないのは事実だった。

「深く考えずに、花菱に様子を見に行けと言うのがいいんじゃないの?」
「出たとこ勝負の気もしないではないが、手っ取り早いのは確かであろうな」

 そこでどのような会話が交わされることになるのか。それを考えれば、怖いという気持ちも生まれてしまう。だが二人が相思相愛のことは確かなのだろう。ならば、二人の気持ちに任せてみるというのは正しい考えに違いない。
 だがそうなると、見に行けと命令する理由である。カエデが憔悴しているのは、大きな問題ではあるが理由とはならない。そんなことを理由にしたなら、間違いなくカエデが反発してくるだろう。

「ならば、無理を通すことのできる方法を使うか」
「それって、シンジにやらせることでしょう?」

 カエデへの影響力は、間違いなくシンジが一番大きいのだろう。シンジが必要と言ったのなら、カエデも反発することはできないだろう。唯一問題となるのはジントの方だが、本気でシンジが命令をしたら従わざるを得ないのはわかりきっていた。
 シンジの気持ちを考えれば、あまり使いたい手段でないのは確かだろう。だがすでに手段を選り好みできる段階は過ぎていた。分かったと頷いたアスカは、自分からシンジに話すことにした。別にコハクからでも構わないのだが、リリンの問題だと考えると、自分が話す方が好ましいと考えたのだ。

 そしてその夜、上倉のモデルを終えたシンジに、アスカはコハクとの話を相談した。当初の予定からずれることになるのだが、それが一番好ましいのだと順を追ってアスカは説明した。

「確かに、アスカ達の言うとおり花菱君を連れて行った方が良さそうだね」

 うんと頷いたシンジは、だったら適当な口実があると上倉のことを持ち出した。

「まだ課題をクリアした訳じゃないけどね。
 でもエデンへの留学生候補にしているだろう。
 その対応を考えるのだったら、立派な口実になるんじゃないのかな?」
「だったら上倉も連れて行った方がいい気が……」

 対応方針を考えるなら、当事者の出席も必要だろう。そう考えたアスカに、それは時期尚早とシンジは答えた。シンジは、上倉にはサードニクスを納得させることに専念させるべきだと考えていた。そしてもう一つの理由として、変に上倉を縛りたくないとも考えていた。舞台を用意するのは良いが、役を演じるのは本人で無ければいけないのだと。

「あくまで口実なんだから、そこから逸脱しちゃいけないんだよ。
 それからついでのように言って悪いんだけど、クレシアの予定を繰り上げるからね。
 こう言ったときにクレシアを連れて行った方が、口実も立つと思うからね。
 それからもう一つついでだけど、イツキも呼び寄せた方が良いかな?」
「あの3人だったら、とっても説得力があるんでしょうね……
 で、あたしじゃなくて何でクレシアなの?」
「なんでって……」

 何を今更と笑ったシンジは、リリン向けはクレシアの仕事のはずだと指摘した。そして他の少女のことを考えると、クレシアの方が都合が良いのだと説明を付け加えた。

「ことヨーロッパだと、ロレンツの名前は有り難がられるからね。
 他のノエインのメンバーを黙らせるためには、クレシアの名前を使うのが一番良いんだよ。
 あとは、たまには曾おじいさんの所に顔を出した方が良いからって所かな?
 まだキール・ロレンツ氏のところに挨拶に行っていないからね」

 口実が立ちやすいと笑うシンジに、それもそうかとアスカは追求を諦めることにした。そして事情は理解したから、後のことは任せろとマディラのことを持ち出した。立場が微妙なため、連れて行かないのならフォローが必要だと考えられていた。
 だがアスカの申し出に、気を遣いすぎるのは良くないとシンジは注意した。マディラにしても、ジントの負った責任は理解している。それを理解していれば、これが特別なことではないのも理解してくれるはずだ。だから周りにしても、気を遣うことはあってもあまりフォローばかりしていてはいけない。それに伝え聞いたところ、ジントには関係のないところで友達もできたという話だ。

「花菱に関係のないところで?」

 驚いたアスカに、それが芙蓉学園なのだとシンジは笑った。

「種を明かせば、とっても好奇心の強い子が同じクラスにいたってことだよ。
 涼宮さんが、花菱君が来ない日に外に連れ出しているようだよ」
「涼宮……ああ、あの子」

 人となりを思い出したアスカは、大きく頷いて見せた。確かにハルカならば、気を遣わずに連れ出してくれるのだろう。そしてその方が、自分たちが関わるより好ましいのに違いない。普通というには語弊があるかも知れないが、最高評議会に関わらない生徒と一緒に行動すれば、リリンを理解する役にも立つことだろう。時々暴走することへの不安はあるが、セットで付いてくる男子生徒を思い出せば、きっと歯止めを掛けてくれるに違いない。

「で、3人で町歩きをしているの?」
「あと二人ばかり加わったみたいだね。
 小泉君って言う男子と、あのミクラさんが一緒に行動しているよ」
「ミクラって……彼女もう大丈夫なの?」

 一度問題を起こしたこともあり、ミクラについてはデリケートなところがあると思っていた。だがそのアスカの心配に、リリンにいる限りは大丈夫だろうとシンジは保証した。

「全てが大丈夫と言うつもりはないけどね。
 芙蓉学園という場所にいる限り、心配ないって報告を受けているよ。
 それにマディラさん自身、寮で結構周りに溶け込んでいるようだしね」
「そうやって、色々な垣根が取り払われていくのかしら……」

 そんなに簡単なことではないと分かっていても、これがきっかけの一つになることは確かだろう。順位を持つマディラが周りに溶け込めば、他の順位候補の少年少女達も周りに壁を作ることはできない。そうしてエデンの上下階層間の交流が進めば、期待していたエデン体制の緩やかな変化きっかけとなるのかも知れない。
 問題の大きいマディラの入学だったが、芙蓉学園という意味では非常に大きな価値を持ったことになる。あとは今起きている問題を収束させれば、それでめでたしめでたしと言うことになるのだろう。もっとも問題解決が簡単ではないことは二人とも理解していたのだが。

「……でも、ハルカって子、ちゃんと常識をわきまえているのかしら?」
「まあ、常識人と自称するキョン君が付いているからね……」

 だからと言って、大丈夫だと保証するつもりはない。自分の時のことを思い出したシンジは、まあ大丈夫かなと考え直したのだった。



 ジントを連れて行くことに関して、その指示をシンジは直接出すことにした。ジントの立場は最高評議会準議員ではあるが、それ以上に強いのがシンジの代理人という立場である。その立場にある限り、シンジから指示を受けるのは、そしてそれに従うことは当然だと周りから受け止められていたからである。
 もっとも当然として受け止められる指示なのだが、意外なことにこれまで一度もシンジから出されたことはなかった。だから指示をする方も受け止める方も、慣れていないというのが正直なところだった。もっとも最高評議会に身を置くようになってから、シンジの持つ意味の大きさをジントは理解するようになっていた。

「椎名も交えて、ジュネーブで話し合いをすると言うことか?」

 上倉の問題を考えれば、別に否定するような話ではない。なんとなく「行きにくい」と言うところはあるのだが、理由にならないことぐらいジントも理解していた。
 シンジの指示を受け入れたジントは、次に日程を尋ねることにした。最高評議会開催まで時間があることを考えれば、5月の連休あたりが適当だと考えていた。だがシンジから返ってきたのは、驚くほど直近の予定だった。シンジはジントに向かって、今週週末に行くと告げたのだ。

「必要性は理解するが、どうしてそんなに急なんだ?」

 議論の整理もできていないし、そこまでの緊急性が感じられないと言うのだ。もちろんその辺りの疑問は、予定のうちでもあった。だからシンジは、まず最初に自分の予定を問題とした。もともとジュネーブに行く予定があり、それに合わせたと説明したのである。

「僕がヒスイを連れてエデンの役職者周りをしていただろう?
 そのことに対する中間報告を予定していたんだよ。
 そのついでにクレシアの実家に挨拶を済ませておこうかなと思っていたんだ。
 今回上倉君の話が浮上したから、一緒に説明しておくことにしたんだ」

 そうそう何度もジュネーブまでは行っていられない。その面倒くささを強調したシンジに、その面倒な役目を誰に押しつけているのだとジントは文句を言った。何しろジュネーブで矢面に立っているのは、彼の恋人であるカエデなのだ。国連対策が面倒だと理解しているのなら、もっと顔を出して援護して然るべきだとジントは主張したのだ。
 ジントの立場としては当然、だが実態を考えれば「お前が言うか?」と言う指摘でもある。もちろん色々と問題のある発言だから、当然のようにシンジは揚げられた足を取った。

「花菱君が行かないのに、僕があまり顔を出すのも良くないと思うんだよ。
 ほら口さがない人は、僕が桜庭さんを目当てにジュネーブに行くように言うだろうしね。
 前の事件もあったから、行動には気をつけた方が良いと思うんだよ。
 だから最高評議会準議員の花菱君が行ってくれるものだと期待していたんだけどねぇ。
 それに桜庭さんはまだしも、ノエインの女の子達が怖くてね……」

 目が血走っていると笑うシンジに、からかうなとジントは文句を言った。だがシンジは、結構切実な問題なのだと言い返した。

「ああいうエリートに取り囲まれるのって、結構ストレスが溜まるんだよ。
 公式の会議もかなり辛いんだけど、その後の懇親会がもっと辛いんだ。
 だから今回は、虫除けにクレシアを連れて行くことにしたんだけど……」

 こんなことで苦労したくないと零すシンジに、自業自得だとジントは言い返した。実態がどうであれ、そう周りに見えることが問題だというのである。

「と言うけど、学園の女の子に手を出した覚えはないよ。
 奥さんとユウガオさん達を除けば、したことのあるのってガーネットさんだけだよ。
 サイネリアも、今はうちのスタッフに加わっているし……」

 指摘されるようなことは一回しかない! と主張するシンジに、カルラ達はどうしたとジントは言い返した。最高評議会にいるおかげで、護衛記録に目を通す権限がジントにはあった。それが理由の指摘なのだが、当然シンジには逃げ道が用意されていた。つまり彼女たちも、ユウガオたちと同じ立場だというのである。

「と言うことで、言われていることと現実が食い違っているんだよ。
 噂が一人歩きしたおかげで、結構肩身の狭い思いをしているんだからね。
 まあそう言う事情もあるから、今回は花菱君に標的になって貰おうかな?」
「カエデがいるのに、どうして俺が標的になるんだよ。
 碇がクレシアさんを連れて行くんなら、椎名の奴が標的になるんじゃないのか?」

 勘違いも甚だしいと憤るジントに、どちらに転んでも自分は困らないとシンジは笑った。

「とにかく、僕が一人で行かないことに意味があるんだよ。
 虫除けのクレシアに、人身御供の花菱君を連れて行くんだ。
 これだけ準備しておけば、肩身の狭い思いをすることはないだろうからね」

 と言うことで覚悟をしておけと、シンジはジントの胸をげんこつで突いた。

「品定めをされるのは、僕だけじゃないってことだよ。
 たぶん彼女たちは、最高評議会に身を置く花菱君の意見を聞きたがるだろうね。
 こればっかりは桜庭さんのフォローは望めないから、一人で頑張るしかないんだよ」

 もう一度覚悟することだと脅したシンジは、もう一人気を遣わなければいけない相手のことを話題に揚げた。大丈夫だという事は分かっていても、このあたり本人に言わせることに意味があると考えていた。

「その中で一つだけ気になることがあるとすれば、マディラさんを一人残していくことかな?
 まだ学園に馴染めていないから、花菱君がいないと結構きついんじゃないのかなと思うんだ」
「ああ、マディラのことか……」

 シンジが心配することかと思いながらも、確かに気になるだろうとジントは考え直した。そしてその上で、あまり心配はいらないと保証した。

「その辺りは、キキョウがうまくやってくれているさ。
 それに寮にいるおかげか、結構周りとうまくやっているようなんだ。
 この前も、クラスメートと一緒に街を散策したって言っていたぞ」

 結構適応していると言うジントに、シンジは凄いねと驚いて見せた。そして驚いて見せた上で、無理はしていないかと確認した。芙蓉学園入学に関して、マディラが大いに意義を見いだしていることは知っている。かつてのコハクのように、使命に燃えていることも同様である。だがその分無理もしやすい状況にあるのだから、その点に問題がないかと言うのである。

「無理をさせているつもりはないが……
 今は、何でも目新しいんじゃないのかな?
 だから美咲市を歩き回るだけでも、結構楽しかったらしい。
 フローラにも連れて行かれたたようだから、また新しい発見があったんじゃないのかな?」
「……あそこに連れて行くのはまだ早いと思ったんだけどね……」

 スピネルに驚くぐらいなら問題はないのだが、たむろする最高評議会議長様を見たらどう思うだろうか。もう少し慣れてからと言うのも、その辺りの事情があったわけである。もっとも、サードニクスが顔を出していなかったのはシンジも知っている。まだその時ではないと、彼も考えていたのだろう。ちゃらんぽらんに見えても、その辺りはしっかりしていると言うことだ。
 シンジの懸念に対し、運が良かったようだとジントは口元を歪めた。

「たまたまだと思うが、議長様は顔を出していなかったようだな。
 だからスピネルさんに会って感激した程度で済んでいるよ」
「スッピーには感謝されたんじゃないのかな?」
「ああ、売上への貢献に感謝されたと不思議がっていたよ」

 そのあたりは、貨幣経済への理解ができていないことが理由になっている。ジントの説明に、確かにそうだとシンジは笑った。

「そう言う意味では、コハクも完全に理解できているとは言えないね。
 まあこれからの人生で、コハクにそれを求められることもないから良いんだけど」

 コハクの人生において、庶民レベルの貨幣経済を理解することに意味があるとは考えられない。自前の移動手段を持っているのだから、切符を買ったりすることもあり得ないだろう。安全を考えれば、一人で出歩くことも考えられない。もしも必要があるとすれば、遊びの世界ぐらいなのだろう。それにしても、一人で行くことはやはり考えにくかった。
 そしてその事情はマディラも同じなのだろう。知っていれば役に立つこともあるという程度の知識でしかなかったのだ。

「それで、誰とデートしているんだい?」
「デートって……相手はグループだぞ。
 それに、俺とのことはみんな知っているはずだろう?」
「だけど、エデンが自由恋愛だと言うのも知られているはずだろう?
 彼女ぐらい綺麗だったら、その気になってもおかしくはないと思うけどね」
「そう言う気にならないメンバーだよ。
 ほら昨年の学祭の実行委員……というより、お前が一緒に遊び回った下級生達だよ。
 涼宮ハルカって言えば、お前も知っているだろう?」

 知っているも何もないのだが、敢えてシンジは大げさに驚いて見せた。しかも敢えて、曲解するようなコメントまで付け加えた。

「あそこはグループ交際する場なんだけどなぁ……
 八丈島……キョン君って言った方が通りが良いかな?
 ちゃんと常識的にトチ狂う男子生徒まで仲間にいるんだしね……」

 やっぱり問題だと口元を歪めたシンジに、そこまでにしておけとジントは肩を落とした。

「どうせお前のことだから、全部知っていて言っているんだろう?
 それでも特筆すべきことは、エデンの下位階層の女の子も混じっていることだな。
 確かその子も、学祭の実行委員をしていた記憶があるんだが……」
「ああ、しっかりとしていたよ。
 そこで花菱君に忠告だけど、マディラさんがおかしなことを吹き込まれないようにした方が良い。
 あの面子は、ヒスイやコハクにコスプレを勧めてくれたぐらいだからね」
「……その忠告は、すでに手遅れと言ってやろうか。
 先日しっかりとメイド服でお出迎えをされたよ……」
「当然、ご奉仕付きだろう?」

 あくまで寮の中なのだから、ご奉仕まで無いことは分かっている。その上でのからかいの言葉に、スッピーが悪いのだとジントはシンジのことを責めた。

「スッピーが、フローラの制服をマディラに貸し出したんだよ。
 しかも良い経験だからって、バイトをしてみないかと誘ってまでくれたんだ」
「だからって、僕を責めても意味がないと思うんだけどね……
 情けない話なんだけど、多少のことじゃ言うことを聞いてくれないんだよ。
 しかもその都度注意しないと意味がないから、新しいことには全く通用しないし……」

 だから野放しと笑ったシンジは、バイトはどうするのだと聞いた。最高評議会議員という立場を考えると問題がありそうだが、スピネルもしているのだからバランスとしてはおかしくない。信じがたいことなのだが、最高評議会ではスピネルの方が格上に見られているのである。

「その辺りは本人に任せるというところだな。
 チャレンジして見たいというのなら、俺はその気持ちは尊重したいと思っているんだ」
「やる気を見せてくれたら、きっとサードニクスさんの目にもとまることだろうね」
「評価は上がるんだろうが、それはマディラには言わないでくれよ。
 他人の評価ではなく、自分がどう考えるかを優先したいと思っているんだよ」

 サードニクスの話が耳に届けば、きっと義務のようにバイトをしてくれることだろう。それでも意味がないとは言わないが、できることなら自主的に考えて欲しい。ジントの考えに、それが良いとシンジも賛成した。

「バイトを始める気になったら教えてくれないかな?
 こっそりとと言うのは無理だけど、独りでお客さんになりに行くからね」
「マディラが、俺の奥さんだと言うことを忘れるなよ……」
「その辺りは、エデンの慣習に従うことにするよ。
 それなら問題はないだろう、最高評議会準議員の花菱ジント君?」

 そう言って笑ったシンジに、ジントはぎゅっと拳を握りしめた。

「碇、男同士時には拳で語り合うことも必要なんだな?」
「勝ち目があると思うのなら、別に付き合ってあげても良いけどね」

 弱い者いじめは嫌だと嘯き、シンジは固められた拳をほどいたのだった。







続く

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