本当ならばすごいだろうと自慢するところだった。だが萎縮した叔父夫婦を見れば、そんなことは言っていられない。それに上倉自身、やりすぎというか、自分の立場を認識したというか、状況について行けていなかったのだ。
 パーガトリ王族まで巻き込んだことで、宝仙夫婦は完全に萎縮してしまった。その一家を豪華な芙蓉学園ゲストルームに連れて行けば、その反応がどうなるのかなど想像に難くなかった。しっかり緊張してしまった叔父夫婦を前に、上倉はやりすぎをしっかりと反省させられたのだ。その中で救いと言えば、エリスが「凄い」とはしゃいでいたことだろうか。余計な知識がないだけに、ゲストルームの豪華な装飾を気に入ったのだろう。もっとも上倉自身圧倒されていたため、それを理解する余裕を失ってしまっていた。その結果、叔母に良いところを見せることなく、お上りの団体のような空気を漂わせ、自動ガイドに従って上倉達はゲストルームに入っていったのだった。

「こんなところに、本当に泊まって良いのか?」

 夫婦の気持ちを代表したミキトに、上倉ははっきりと苦笑を返していた。何しろ彼らの支払う金額は、ビジネスホテルに毛の生えた程度なのである。自分たちには場違いと言う気持ちと合わせ、絶対におかしいと感じてしまうのだ。
 叔父夫婦の質問に、本当なら「当然」と上倉は答えたかった。「これが芙蓉学園生徒会長の特権だ!」と自慢したいところだったのだが、自分自身びびっていてはそれも叶わなかった。世の中には、限度というものが存在する。相当豪華だとは知っていたが、それを超えてしまえばびびってしまうほか無かったのだ。

 だが上倉が歩いていたのは、まだ一般区画と呼ばれるところだった。予約した部屋は、特別区画と呼ばれるところにある。ちなみに特別区画の設備には、エデンの技術が数多く取り入れられたりする。ちなみに一般区画でも、一部でエデンの技術が取り入れられている。その一つが、ゲストに対するナビゲートシステムだった。そのお陰で、雰囲気を壊す案内表示なしで、上倉達はまっすぐ目的地に向かうことが出来たのである。

「お兄ちゃん、本当にすごいんだね!!」

 場違いさにびびっている大人達とは対照的に、エリスのご機嫌は最高と言って良かった。内装の豪華さもすごいが、道案内の不思議さもおもしろかったのだ。上倉の心の中を知らないエリスは、「さすがはお兄ちゃん!」と評価を高くしていたのである。
 だが上倉達をひるませた豪華さも、まだ序の口だったようだ。ガイド表示に案内された先には、どう見ても立派な紳士が待ちかまえてくれていたのだ。つまりここからが、特別区画と言うことになる。
 上倉の姿を認めた紳士は、「お待ちしていました」と深々と頭を下げてくれた。

「宝仙様でございますね。
 私は、皆様のお世話をさせて頂きます鯨井と申します。
 ここから先は、私がご案内させて頂きます」
「は、はぁ……」

 要領を得ない反応を気にすることなく、鯨井と名乗った紳士はこちらへと全員を案内した。エデンが伝統を大切にしていることもあり、ここから先は人によるサービスが主体となっていた。そのため、ゲスト一組に一人のコンシェルジェが付くことになっていた。
 鯨井に遅れて特別区画に入った上倉達は、急に感じる空気が変わったのに気が付いた。よく比喩的に用いられることのある、「高原の空気」を感じることが出来たのだ。もともと山の中にある美咲市だが、人が多く住むこともありそれなりに空気は汚れていた。だが感じる空気は、まるで人の手の入っていない清浄そのものと言いたくなる綺麗さなのだ。
 そして廊下の両側を見れば、年代を感じさせる美しい木の造りとなっていた。そこにシンプルながら、花柄の浮き出たクロスが合わされている。白熱灯の明かりと合わせ、とても落ち着いた空間が作り上げられていた。

 きょろきょろしながら歩いていた上倉達は、一つの大きな扉の前に案内された。高さはおよそ3mはあるだろうか、これもまた立派な木製の扉だった。その立派な扉は、上倉達が前に立ったところで、音も立てずにゆっくりと開いていった。まあ自動ドアなのだが、まるで魔法のように感じられるのはどうしてだろう。

「今回は私で開きましたが、これ以降は緊急時を除き宝仙様ご家族以外では開かなくなります。
 先に使用方法を説明しますが、この扉には鍵もドアノブもありません。
 皆様が「開いて欲しい」と考えれば、それを自動的に検出してこの通り開くことになります。
 当然閉じるのは、その逆をしていただけば結構です」

 それではと、鯨井は全員を室内に案内した。とりあえず、各種設備の使い方を説明する必要がある。

「ご家族と言うことで、あまり華美でないお部屋を用意させて頂きました。
 一つ一つの設備は、皆様の使われている物と大きな差は無いかと思います。
 ベッドルームは3部屋有りますので、目的に応じてお使い分けください。
 ルームサービスが必要なときは、私に申しつけくださればご用意致します。
 レストランが宜しければ、その旨申しつけください。
 私が、お席までご案内させて頂きます」
「は、はあ、そうですか……」

 初めから度肝を抜かれているミキトは、鯨井の説明にぴんと来ていないようだった。そしてそれはアンナも同じで、何を答えて良いのか分かっていないようだ。それを察した鯨井は、少し宜しいですかと上倉を連れ出した。

「本来各種設備はマニュアルで動作することになっています。
 ですが皆様の様子を見ると、しばらくは適応できないのかと。
 従いまして、設定をフルオートに変更させて頂きました。
 落ち着かれましたら、上倉様からご説明頂けないでしょうか?」
「お、俺……いえ、私がですか!」

 驚いた上倉に、それが一番良さそうだと鯨井は返した。

「豪華には見えますが、基本的に寮と同じ仕組みを取り入れています。
 ですから、上倉様なら不自由なく扱えるかと思いますので」
「これで、寮と同じなんですか?」
「機能をどのように飾り立てるかだけの違いですよ」

 本当にそうなのかと考えてみると、たしかに似たような機能を寮の部屋は持っていた。だが飾り付けの違いと言われても、簡単に納得できる物ではなかったのだ。それぐらい、見た目の違いは重要だとも言えただろう。

「もしも不明なところが有りましたら、遠慮無くお呼び出しください。
 お呼び出し頂ければ、すぐに説明に参りますので」
「……本当に、いいんですか?」
「それが、私の仕事なんですよ」

 だから遠慮は無用だと、鯨井は笑みを浮かべて見せた。

「ですから、出来るだけ使いだてして頂いた方がありがたいんです。
 そうでもして頂かないと、私も手持ちぶさたになってしまいますので……」
「そう、なんですか……」
「ホテルマンとして、お客様に喜んで頂けるのが一番なんです」

 はあと曖昧な相づちを打った上倉に、それからと鯨井は昼食の用意を持ち出した。たしかに言われてみれば、そろそろどうするかを決める時間になっていた。

「私としては、レストランの利用をお勧めしますよ。
 宿泊費に含まれていますから、外に行かれるよりお得にすますことが出来ます」
「あの利用料金にそこまで入っているんですか!?」
「タダだと利用しにくいと言う配慮からの設定なんです。
 本当でしたら、学園関係者から料金はいただかなくても良かったんですよ」

 それだけ便宜を受けると言うことは、それだけ成果を期待されていることにも繋がってくる。そのことに気づいた上倉は、今更ながらに芙蓉学園に学ぶ意味と言うことを考えることになってしまった。







<<学園の天使>>

170:







 予定を考えれば、早いうちに挨拶をしておく必要があった。だが町で見かけた様子からすると、それも難しいかとイツキは考えた。あの様子を見せられれば、すぐに帰って来るとは思えないのだ。だったら挨拶せずにと言う方法もあるが、そうすると後から煩わしいことにもなりかねない。だからイツキは、シンジとコハク抜きの碇家に挨拶に行くことにした。まあアスカとヒスイがいれば、義理を果たすことは出来るだろう。
 挨拶する相手に二人が抜けたことは、フローライトとしては大いに不満があるところだった。だが「馬に蹴られたいのか?」と言うイツキに、渋々二人抜きを受け入れることにした。それでもヒスイと話をする目的を達せられるのだから、まあ大きな目的の一つは達成することが出来るのだ。付け加えるなら、夜の宴会がキャンセルになるのはやはり避けたかった。

「本当に、満足させてくれるのですね?」

 心残りがあるだけに、くどいほどフローライトは聞き返してきた。その度ごとに、「心配するな!」とイツキは返していた。

「料理の中身は確認してある。
 それに量の方も、人数分×2は用意させた。
 ホテル側の受け入れ態勢が万全であるのを保証してやろう!」

 イツキの両親を加えれば、総勢で8名の団体となる。そのうちセージを除く7人のキャパシティをイツキは把握していた。それに過去の実績を加えれば、どの程度の物量が必要かは判断できるのだ。料理の質についても、パーガトリ国王が来ると言い含めてあるのだ。ここまで手を回せば、失敗など考えられない。
 ちなみに部屋の方も、ホテルが最大限に配慮してくれることになっていた。そこでイツキは、国王様達を貴賓室(ベッドルーム)に押し込むことにした。“新婚旅行”と言うのなら、舞台装置を整えてあげるのも必要だろう。コハクが記念すべき日に使ったと吹き込めば、配慮としては満点に違いない。

 これで文句を言わせてなる物かと、イツキは強行に日程を進めることにした。「失礼になるのでは?」と言う疑問に対しては、そんな間柄ではないと言い返した。せいぜいあって、「冷たい」といじけられるぐらいのことだろうと。問題があるとしたら、家族全員出払っている可能性が有るぐらいだろう。

 だが最後の問題も、碇家の呼び鈴を押したところで解決した。「はぁい!」と軽い答えに続き、玄関の向こうからパタパタと言うスリッパの音が聞こえてきた。ナデシコちゃんかと当たりをつけていたら、がちゃりと玄関が開かれた。相手を確認しないところは不用心とも言えるのだが、護衛の警告が無かったのだろうと気にしないことにした。

「ええっと……椎名様と……今日はお約束がありましたか?」

 イツキの顔は分かったが、隣に着いている美男子の顔には心当たりがなかったようだ。更に付け加えるなら、女性陣4人の顔もナデシコは知らなかった。ただ「誰?」と聞くのはイツキの手前失礼だと考え、ナデシコはイツキだけを相手にすることで乗り切ることにした。
 約束があるかと首を傾げたナデシコに、イツキはいきなり抱きつこうとした。まあこれが普段の行いと言えばそれまでだが、メイド服の美少女と来れば、何もしないのは失礼というものだろう。もちろんこの辺りは、イツキだけに通じる常識でしかない。そしてその常識がナデシコに通じるわけもなく、見事としか良いよう無い身のこなしでイツキの腕をすり抜けてくれた。

「椎名様は相変わらずなんですね?
 それは良いとして、本日ご主人様はコハク様と外出されています。
 申し訳ありませんが、時間をずらすか、日を改めて頂けないでしょうか?」

 大きく腰を折ったナデシコに、それぐらいは承知しているとイツキは笑った。ただ空振りをしたままの格好というのは、いささか間抜けに見えたことだろう。それが問題にならないのは、全員が不思議なことと思っていないせいだろうか。

「人目をはばからず、ラブラブな空気を作り出しているのを見てきたところだ。
 パーガトリ国王様をお連れしたのだ、ヒスイちゃんは家にいるのだろう?」
「パーガトリ国王様……そう言うことですか」

 そう言うことかと、ナデシコは少し目を見開いてフローライトの顔を見た。見た目の美しさにただ者ではないだろうと思っていたが、ヒスイの兄というのならそれも納得できる。

「失礼いたしました、すぐにヒスイ様にお取り次ぎいたします」

 ぺこりとお辞儀をすると、ナデシコはくるりと回れ右をした。そしてパタパタと軽快な足音を立てて、居間の方へと小走りに走っていった。
 ナデシコが消えてから10秒、再びパタパタと軽快な足音が響いてきた。ただ不思議なのは、その足音が一つしかなかったことだろう。どう考えても、現れた人数と足音の数が合っていないのだ。その不思議な現れ方をしたヒスイは、「ヒスイちゃ〜ん」と言うイツキの腕をすり抜け、フローライトにお辞儀していた。いつの間にと言う身のこなしは、パーガトリ王女の面目躍如という所だろう。間抜けな格好をして固まったイツキを捨てて、ヒスイはフローライト一行を家に招き入れた。

 ヒスイに着いて居間に入ったところで、フローライトは「なぜ」と言う疑問に突き当たってしまった。ちゃんと仕事を押しつけ、そして連絡を入れなかったはずの顔がそこにあったのだ。アスカへの挨拶もそこそこに、フローライトはそのことを問題とした。

「なぜ、ここにアイオライトがいるのかな?」
「エリカ様のお招きが有りましたから、不思議ではないと思いますが?」

 そしてアイオライトは、返す刀で国王が遊び歩いて良いのかと聞き返した。大使から報告がないのだから、これが公式訪問であるはずがない。

「椎名殿の親孝行に付き合うことにしたのだよ。
 何しろ椎名殿は、我が国に多大な貢献をされている。
 そのご両親に挨拶をするのは国王の務めに違いないだろう」
「セージまで連れてくる理由としては弱いですね」
「なに、家族ぐるみの付き合いというものだ。
 親密さを示すには、その方が何かと都合が良いのだよ」

 かなり強引な理屈だったが、なぜかアイオライトは引き下がってくれた。とりあえず話が付いたところで、アスカがその先を引き取ることにした。シンジが不在の時は、筆頭であるアスカが仕切る必要があるのだ。ようこそと席を勧めたアスカは、いのいちにイツキに文句を言った。最近会ったばかりなのだから、これぐらいのことはそのときに教えておけと。

「そうすれば、シンジとコハクも家に居たのに……」
「別に、シンジの留守を狙おうと思ったわけではないぞ。
 今日はついでというか、美咲市に来た以上、顔ぐらいは出しておこうかと思っただけだ。
 言い訳をするなら、仰々しくしたくなかっただけのことだ」

 あとで文句を言われるのは嫌だと、イツキは少しだけ口元を歪めた。

「で、これからどうするつもり?
 シンジは、しばらく帰ってこないと思うけど」
「シンジが帰ってこないというのは承知している。
 実のところ、あいつの顔は見掛けたが、声は掛けないでこっちに来たのだ」
「珍しいわね、あんたがシンジに遠慮するなんて……」

 少し驚いた顔をしたアスカに、細やかな気遣いができるのだとイツキは嘯いた。

「コハクちゃんと良い雰囲気を作っていたのでな。
 声を掛けるのは、さすがに野暮かと思ったのだ」
「だから珍しいと言ったのだけどね」

 それでと、アスカはもう一度予定を聞き返した。

「夜まで居るのなら、シンジも帰ってくると思うわよ。
 それにせっかく国王様が見えているんだから、簡単な宴ぐらい開くけど?」

 どうすると聞かれたイツキは、「遠慮する」と即答した。

「実は、この後すぐに俺様の両親と合流するのだ。
 今晩は、新熱海で家族宴会を開くことにしている!」
「……本当に、ちょっと顔を出しただけなのね」
「アスカちゃんが寂しいというのなら、俺様の胸で慰めるのも……」

 そこまで口にして、イツキは次の言葉が出なくなった。にこやかに笑っているアスカから、なぜかどうしようもない邪悪なものを感じてしまったのだ。その辺り、動物的な感と言えばいいのだろうか。下手をしたら、宴会どころか明日の太陽を拝めなくなりそうな気がしたのだ。

「ま、まあ、ヒスイちゃんの元気な姿を国王様に見せられたのだ。
 親思いの俺様としては、いつまでも寄り道をしていられないのだよ」

 そう言うことでと、イツキは急いで立ち上がった。だがいざ帰ろうとしたところで、酷い脱力感を味わっていた。もともと静かだと思っていたが、その理由がいかにもパーガトリらしかったのだ。

「よけいな心配かも知れないが、夜に差し支えるから適当にしておいた方が良いぞ」

 いつの間にという所もあったが、フローライトまでもが、山盛りのおやつにかじりついていたのだ。さすがはパーガトリというのか、どこまで行ってもパーガトリというのか、遠慮という言葉を知っているのかと問いただしたいほどだった。

「しかし椎名殿、出されたものはすべて食べるのが礼儀ではありませんか!?」
「家に有るものを食い尽くすのは礼儀とは言わないのを教えてやろう!
 そう言うことなので、ユウガオさんも気を遣いすぎないようにお願いする」

 そうしないと本当にきりがない。情けなさそうにする王様王妃様、摂政の顔を見て、イツキはがっくりと肩を落としたのだった。



***



 マディラを連れて学園に戻るというのは、ジントにとって凱旋という意味を持っていた。エデンへの留学は、リリン初の栄誉となるものだったのだ。そこで準議員の栄誉を得たのは、成果としては非常に大きなものだろう。紫の奏者という後ろ盾はあったにしても、ヒトとして議員達に認められたのはジントの功績なのである。しかも3界合同プロジェクトの芙蓉学園運営にまで関わるようになったのだから、その地位は確固たるものになっていると行って差し支えなかった。
 そして3界のさらなる発展に向けて、最高評議会議員である妻を学園に入学させるのである。コハクに次いで二人目の議員となれば、そこに新たな意味が求められることになる。これで自宅に残した少女達との関係を構築すれば、エデンの体制にまで大きな影響を与えることになる。そしてそれは、シンジではなく自分自身の功績となるのだ。

 これだけ条件が整えば、ジントが張り切るのも仕方がないだろう。しかもジントにとって唯一の気がかり、カエデも計画に賛同してくれた。だったら何を心配することがあるだろう、ジントは早速マディラを連れて美咲市へと舞い戻った。

「ここが、芙蓉学園なんですね……」

 エデンからの転移ポイントに指定されていたのは、学園内の理事長室前だった。ジントに連れられて空間を移動したマディラは、目の前のドアに緊張からごくりとつばを飲み込んだ。そしてジントに促され、緊張したまま理事長室のドアを叩いた。
 どうぞと言う声に従い、マディラはゆっくりと理事長室のドアを開いた。普段議会で顔を合わせる相手に会うのに、マディラの緊張はこれまでになく高まっていた。そして見慣れぬスーツ姿のジェダイトに、お願いしますとぎこちなく頭を下げた。

「ほ、本日より、ふ、芙蓉学園で学ばせて頂きます。
 いろいろと至らぬ所もあるかと思いますが、ご指導のほどよろしくお願いいたします!!」

 そしてこの日の為に考えてきた挨拶を、ジェダイトの顔も見ないで一気にまくし立てた。それでも緊張のあまり、少しつっかえながらになってしまっていた。そんなマディラに苦笑を浮かべ、緊張する必要はないとジェダイトは声を掛けた。

「マディラさん、ここはあまり堅苦しい所ではないのだよ。
 かといってあまり砕けすぎても困るのだが、そこまで緊張することはないでしょう」
「き、き、緊張などしていませんっ!!」

 その様子を見れば、どこがと言いたくもなるところだろう。ジェダイトとしては、こういう時に何とかするのが夫の務めだと言いたいところがある。だが肝心の男は、マディラを暖かく見つめているだけだった。それはないだろうというのが、ジェダイトの正直な気持ちだった。それもあって、ジェダイトは「黙っているのか?」とジントに話を向けた。

「今は、マディラが入学の挨拶をする時です。
 だから俺は、それが終わるのを待っているんですよ」
「だが、君の奥方はかなり緊張しているようだ。
 こういう時にフォローするのが、夫としての役目ではないのかね」

 ジェダイトとしては真っ当な繰り言なのだが、逆に「だからだ」とジントに言い返されてしまった。

「こういうところで緊張することが、逆に俺たちにとって常識だったんですよ。
 だから俺は、緊張してうまく言葉が出ない状況を知って貰おうと黙っていました。
 もしもマディラが失敗したとしても、俺は笑ったりしませんからね」

 だから大丈夫と肩に手を掛けるものだから、マディラの頬は赤く染まっていたりする。そんな光景に納得したジェダイトは、とりあえずジントへの追求を棚上げすることにした。そして同じように入学を許可したリコリスの所在に話を振った。特例としたのだから、彼女も挨拶に来て然るべきだと考えたのである。
 だが、ジントの考えは少し違っていたようだ。ジェダイトの疑問に、きわめてエデン的な答えを返してきたのである。すなわち、マディラとリコリスの公的な立場を持ち出したのだ。最高評議会議員であるマディラと側仕えであるリコリスは違うというのである。だから学園長に挨拶するのは、最上位層であるマディラだけで良いのだと。だが学園長としてのジェダイトは、ジントの答えに違和感を覚えてしまった。その理由を考えたジェダイトは、すぐにその正体にたどり着くことができた。コハクですら持ち出さないエデンでの立場で、ジントははっきりと言い切ってくれたのだ。

「学園長としては、学内で“立場”を持ち出さないで欲しいのだがね」

 それを感じ取ったから、ジェダイトのこの言葉となる。だがジェダイトの懸念に対するジントの答えは、少し違った物となっていた。

「マディラも、それぐらいのことは理解しています。
 何かをするのに立場を持ち出すことはないと思いますが、利用することはあると思っています」
「立場を利用する?」

 はてと首を捻ったジェダイトに、それがマディラを入学させた意味だとジントは答えた。

「同時に入学する、役職候補者達への規範とするんですよ。
 末席とはいえ、マディラは議員の資格を持っています。
 そして同時に、俺の妻でもあるんです。
 そのマディラが、率先して学園のシステムにとけ込もうとするんです。
 影響力はかなり大きいんじゃありませんか?」
「それが、立場を利用すると言うことなのかな?」

 そのとおりと頷くジントを見たジェダイトは、大丈夫かとマディラに水を向けた。これまでとは、大きく異なる生活を送ることになるのだ。何から何まで自分でしなければいけないというのは、口で言うほど簡単なことではない。何かと手本にされるコハクにしても、シンジのサポートを必ず受けていたのである。そして同じサポートをジントから受けるには、性格からして無理があるとジェダイトは考えていた。シンジと違い、「生活能力」に欠けた女性を相手にしていなかったのだから。
 そしてマディラからは、予想通り「努力する」と言う答えが返ってきた。

「私も、ジント様の勉強会のお手伝いをさせて頂いていました。
 ですから、学園内でどう振る舞うべきか、それぐらいは理解しているつもりです。
 もちろん勉強した物と現実が、必ずしも同じになるとは限りません。
 ですから、皆さんに教えて頂いて慣れていこうかと思っています」

 そして付け加えられた言葉は、少し危惧を和らげてくれる物だった。このあたりの考え方は、さすが第5位の教育が行き届いている。あまり心配しすぎてはいけないと、ジェダイトはこれ以上拘ることを止めることにした。とりあえずジェダイトは「悩むより行動」と割り切ることにした。何しろコハクに比べれば、立場を含めてマディラの方がずっと扱いやすいのだ。しかも学園には、重しとなるコハクや紫の奏者がいてくれる。それを考えれば、出たとこ勝負で十分だと思えてきたのだ。
 だからジェダイトは、二人を解放することにした。そして学園長としての顔から、最高評議会議員としての顔を見せることにした。それは、必要な挨拶をすぐにしておけという忠告でもあったのだ。

「おそらくコハク様もご在宅でしょう。
 入学に対する便宜を図ってくださったのですから、まず挨拶に窺っておくべきだと思いますよ」
「だったら碇もいる方がありがたいんだが……
 ジェダイトさん、そのあたりの情報はありますか?」

 それぐらいならと、ジェダイトは端末から公休届を参照することにした。春休み期間中に公休もないと思うのだが、前回のどたばたに懲りたのか、シンジは自分のスケジュールを入力していたのだ。それを見る限り、今日から3日間はエデンに行っていないことになっている。

「確か、この3日間は公職者への訪問を中断されるということでしたな。
 それ以上のことは分からないが、市内にいらっしゃるのは確かでしょう」
「だったら、明るいうちに顔を出した方が良さそうか……」

 夜に顔を出せば、おそらくおじゃま虫になってしまうだろう。あまりにも正しい物の見方に、ジェダイトも小さく頷いた。あそこの夫婦には、絶対夜に関わらない方が良いのだ。コハク以外にも、豹変する女性が多すぎる。そしてジントにしても、けして暇ではないだろうと。留守を任せた少女達もいるのだから、ちゃんとすることはしておく必要がある。
 ジェダイトの強い勧めもあり、ジントは直接碇家に向かうことにした。本来ならキキョウたちも呼ぶところだが、いきなり大勢で押しかけるのも宜しくないだろうと。

 一方迎える側としては、巡り合わせが悪いとしか言いようがなかった。相変わらずシンジはコハクとデート中なのは仕方がないとして、もう少し早ければイツキ達と会わせることが出来たのだ。ジントを迎えたアスカは、「一足遅かった」とイツキ達の訪問を教えたのだった。

「マディラを連れてきたのだったら、パーガトリ国王と会わせておきたかったわね」
「貴重な機会には違いないが、これから何度も機会があるんじゃないのか?」

 3界への関わりが大きくなれば、それだけパーガトリの役職者と顔を合わせることも多くなる。ジントの答えに、それもそうだとアスカは割り切ることにした。そしてジントの影にいるマディラに、申し訳ないと頭を下げた。

「せっかく来て貰ったんだけど、二人ともお外でデートなのよ。
 夕食までには帰ってくると思うけど、どうするそれまで待つ?
 なんだったら、夕食をご招待するけど」
「本当なら、是非ともと申し上げるところですが……」

 残念そうに答えたマディラは、見上げるようにしてジントの顔を見た。

「今晩は、アカネさん達との顔合わせが有るんです。
 せっかくだから、外で一緒に夕食を取ろうかと」

 そこで赤くなったところを見ると、顔合わせの後に大きな意味がありそうだ。カエデがいないことは気になるが、上位階層と下位階層、上手くすりあわせるのも重要なことに違いない。まあ良いと問題の先送りをしたアスカは、相談があるのだと懸案事項を切り出すことにした。

「せっかくエデンへの留学ルートを作ったじゃない。
 それをこれっきりにするのはもったいないって話が持ち上がっているのよ」
「そう言われれば、たしかにそうかな……」

 パーガトリには、まだイツキが残っていることになる。そして留学が解除されたとしても、ジントは最高評議会の議員の資格を持っている。当初の目的を果たすためなら、別に新たな留学生を送り込む必要はないだろう。だがアスカの言うとおり、せっかく作り上げたルートでもある。今後の芙蓉学園に学ぶ者にとって、留学があるというのは励みに繋がってくるだろう。

「それで、俺に相談って言うのは何なんだ?」
「人選って言うのかな?
 受け入れ側はコハクに任せれば良いんだけど、
 送り出すのに誰が良いのか目星がついていないのよ。
 だから花菱の目で、適任者がいないかを考えて欲しいのよ」
「俺が、か?」
「エデンに入り込んだ初めてのリリンでしょう。
 その目で見て、次は誰が良いかを考えて欲しいの」

 何かいきなり責任が重大になった気がする。だが理由を考えてみれば、たしかに自分の役目でもあるのだろう。

「責任重大だな……」
「幹部候補に指名することになるからね……」

 下手をすると、人一人の人生を決めかねない。それを考えれば、責任重大というのは言い過ぎではないだろう。だからこそ、先輩としてのジントの役割も大きくなってくる。

「マディラ、受け入れ側のこともあるから相談に乗ってくれるか?」
「それが、妻の役目だと心得ております」

 そして、3界の交流に貢献することにもなる。早速巡ってきた大役に、マディラは純粋に喜んだのだった。







続く

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