自分の本音を隠し、相手の本音を可能な限り引き出す。イツキとクラウディアの会話は、まさにその戦いとなった。その点でクラウディアは、いくつかの点で自分の方が有利だと思っていた。一対一ならば、女としての自分の武器が使えるし、それに腹芸ならば多国間でせめぎ合っている自分の方が有利だと信じていたのだ。
 だがクラウディアの誤算は、いくつかの点でイツキの目的を読み違えていたことだろう。イツキにとって、リリン、特に国連の動きなど気にする必要はなく。聞きたいことが有れば、カエデに聞きさえすれば必要十分な答えを貰うことが出来たと言うことだ。パーガトリ支援状況にしても、沢近を訪ねればそれでことが足りる。通常のルートで、余計なさぐり合いのない、ストレートな情報を得ることが出来るのだ。クラウディアを通して得られることがあるとしたら、その情報に“誰かの”思惑が付加されることだろう。そこに意味を求めなければ、役に立たない情報でもあったのだ。

 そして最大の誤算は、女としてのクラウディアの魅力が通用しなかったことだ。“遍く”愛情を注ぐとは言っているが、イツキこそ選り好みが激しいと言う実態があった。その結果、表面では愛想良く、そして一定距離以上踏み込まなかった。客観的、そしてデータを見れば、たしかにクラウディアは魅力的なのだろう。だが天使を見慣れたイツキには、クラウディアの容姿はインパクトのあるものではなく、そして彼女のバックにしても、無くて困るというものではなかったのだ。むしろ自分を利用しようとする意思が強すぎて、たぶんあるだろう他の魅力をスポイルしていた。会話の楽しさをとっても、ネリネの足下に及ばないとなれば、拘る必要のある相手ではなかったのだ。だからイツキは、カエデの情報を引き出すことだけに目的を絞った。
 そしてその結果に、イツキはどうしたものかと悩んでしまった。実質的な話をと迫るクラウディアはどうでも良いが、こちらの問題は一つの決断を迫る理由になる可能性がある。すぐにでも対処、もしくは決断しないと、本当に大火事になってしまいかねない問題だったのだ。

「せっかくのお誘いを申し訳ないが、今日はこのまま日本に移動する手はずとなっている。
 さすがの俺様も、たまには親孝行というものをしないといけないのだ。
 特別ゲストもおまけに付いてくるから、事前準備という奴が重要なのだ。
 だから可能な限り早く、美咲市に戻る必要があるんだ」

 いかにも残念だという顔をして、イツキは日本に移動することをクラウディアに告げた。そして気を持たせる仕掛けとして、次の訪問の約束をすることにした。次もまた、二人きりで逢いたいと強調して。だからイツキは、クラウディアの個人的連絡先を貰うことにした。使うつもりはなくても、あって困るものではない。それぐらいの意味しかイツキにはなかったのだ。

 そうまでして美咲市に急いだイツキは、早速アスカを捕まえることにした。一番良いのはシンジなのだが、残念ながらヒスイを連れてエデンに行っていた。だったら一番話が分かり、そして危機感を共有できる相手を選択することにした。
 珍しいわねと口元を歪めたアスカは、想像は付くと先に切り出した。それなら話は早いと頷き、どうするつもりだと早速方針を聞くことにした。

「今のところ、状況を見守ると言うのがうちの結論。
 まったく、みんなして何を急いでいるのかしらねぇ」
「急ぎすぎというのは同意しておこう。
 ただ素材を考えたら時期としては適当だと評価はしている。
 一番の問題は、根回しの順番を間違えたことだと考えている。
 ジントではなく、カエデちゃんを先に動かすべきだったな」

 そうすれば、感情的な問題が起きにくいと言うのだ。それに同意したアスカは、次の参考にするとだけ返した。本当に次があるのか、アスカですらその展望は立っていなかったこともある。そんなアスカの答えに拘らず、イツキは考え得る問題点と対策をあげることにした。

「ジントの性格を考えれば、余計な口出しはたしかに逆効果だろう。
 それにカエデちゃんが納得したというのは本当のことだろう。
 だから横から蒸し返すのは、余計に二人を意固地にする可能性がある。
 従って、状況を注意深く見守ると言う判断しか取りようは無いのだが……」
「その先の判断をどうするか、でしょう?」

 今のままでは問題が起きるのは目に見えている、否、すでに問題は起きているとイツキは考えていた。ただ、今ならば取り返しが付くとも思っていた。

「ノエインの中でも、カエデちゃんの変調は問題視されている。
 彼女たちにとっても、屋台骨を揺るがしかねない問題だと認識されているのだ。
 ベストの答えは、ジントがもう少しカエデちゃんの感情を理解して行動することだろう。
 だがこればかりは、回りがどうこうできることでもないのは確かだろうな」
「余計な口出しをすると、あいつ意固地になりそうだからね」
「意固地になれないほど、叩き潰すという手もあるのだが……」

 さすがにこれをすれば、人一人潰してしまうことになる。口にしては見たが、選択できない方法だとイツキも理解していた。いくら何でも、この程度のことで一緒に苦労してきた友人を切り捨てるわけにはいかない。しかもイツキにしてみれば、いつか吹き出すと思っていた問題でもあったのだ。

「ジントの奴が、カエデちゃんに甘えられない状況を作り出すのも一つの手なのだが……」
「それはそれで、カエデが拒絶反応を起こしそうな方法ね」

 二人の関係を見る限り、ジントだけが一方的に責められるものではない。カエデに対するジントの甘えも問題だが、カエデはカエデでいつまでも過去を引きずり、過剰なまでの罪悪感を持っている問題もあったのだ。だからジントが強く言うと、一方的にカエデが譲歩してしまうことになる。今度の問題にしても、カエデが嫌だと言えば収まったはずの問題だったのだ。

「ただ、今のままではカエデちゃんが切れる可能性がある。
 その反動を考えたら、次善でも良いから策を打つ必要があるだろう」
「カエデの家、焼いちゃう?」

 あまりにも過激な発現なのだが、どういう訳かイツキは反対しなかった。

「姑息な手段ではあるが、一つの方法であるのは認めよう。
 そうすれば、嫌でも別の家を用意しなければならなくなるからな」

 だがそれは、二人にとって大切な思い出を消し去る方法でもあった。だから選択できない方法でもあった。ジントとカエデ、その思いをちゃんと二人は理解していた。

「他にはカエデちゃんのガス抜きをすると言う考え方もある。
 その意味では、シンジの奴に誘惑させるのも一つの手だろう」
「それって、花菱を切り捨てるのに繋がってこない?」

 準議員に収まっていることもあり、与える影響は小さなものではない。それを問題としたアスカに、どういう訳かイツキは建前を持ち出した。

「エデンというのは、一夫多妻ではなく自由恋愛が認められているのだろう?
 今度の花菱の行動にしても、その常識の上に立ったものではないのか?
 別にカエデちゃんを奪い取れと言っているわけではない。
 ジントを慌てさせる状況を作り出せば良いのではと思っているのだ」

 そうすれば、いつまでも甘えたことは言っていられないだろうと。だがアスカは、そこに含まれている問題を指摘した。

「シンジとじゃ、花菱は慌てるんじゃなくて諦めるんじゃないの?
 それにシンジは、あんたと違っていることを忘れないように。
 演技でカエデを誘惑するなんて、絶対にあいつには無理な相談よ」

 下手したら、本当にカエデに刺されることになる。だから絶対にだめだとアスカは主張した。

「つまり俺様達は、いつ爆発するか分からない火種を抱えてしまったと言うことになる」
「それを、否定するつもりはないわ……」

 だから困ったのだと言うアスカに、珍しくイツキも同意したのだった。







<<学園の天使>>

168:







 任せろといった手前、準備は万全でなければならない。従って上倉の親戚への対応は、エリカが前面に立つこととなった。上倉から連絡先を聞いたエリカは、早速叔父夫婦に連絡をつけることにした。そしてその結果、前日の夜から準備のため北海道へと移動することにした。必要なスタッフとして、パーガトリからも何人か連れて行ったのは言うまでもない。その中にアイオライトが加わったのは、エリカが居ることを考えれば当然とも言えただろう。

「本当に、お世話になっても良いんですか?」

 準備といって現れたエリカ達に、一家の主婦アンナは大いに恐縮てしまった。甥っ子が芙蓉学園に通っていると言っても、自分たちはあくまで一般人に過ぎない。その一般人相手に、パーガトリの止ん事無き人たちまでかり出されてしまったのだ。その辺り、気にするなと言うのが無理な相談というものだった。
 だが恐縮したアンナに、遠慮は不要だとエリカは言い切った。

「上倉君には、学校交流でお世話になっていますから。
 それに、こうして北海道に来るのは息抜きにもなっているんですよ」

 それからと言って、エリカは陣頭指揮するアイオライトの方へと視線を向けた。すでに座標設定は完了しているのか、今は配下に命じて荷物のスーツケースを運び出していた。

「パーガトリの人たちに、この世界を見せてあげるのも重要な役目なんですよ」
「でも、あの人は王子様なんですよね?
 こんなことに使いだてしてしまって……本当に良いんですか?」

 別の目的が有ると言われても、簡単に納得できる物ではない。初めに挨拶された時に見惚れてしまった事情もあり、アンナもずいぶんと意識してしまったようだ。その後王族と聞かされて、アンナが大いに納得したのは言うまでもない。さすがに王族相手で気後れしたのだが、その辺りの事情は彼女の娘には関係なかったようだ。綺麗なアイオライトが気に入ったのか、先ほどからアイオライトにつきまとっていた。
 そのことも心配したアンナに、気にするほどのことはないとエリカは保証した。

「皆さんのことは、シンジクンにお願いされていますからね。
 それにアイオライトさん、お嫁さんを募集中なんですよ。
 だからエリスちゃんみたいな可愛い子を絶対に迷惑だなんて考えませんよ」
「でも、エリスはまだ9才なんですよ……」

 お嫁さんという話には結びつかないと言うアンナに、将来性のことだとエリカは笑った。もっともエリカは、パーガトリの事情は承知している。その事情という奴の中には、9歳児でも嫁ぐことがあるとのが含まれている。だからといって、バカ正直に持ち出していい話でもないだろう。だからエリカは、冗談だと笑い飛ばすことにした。

「それに、エリスちゃんは上倉君の大切な従妹なんですよね?
 そのことは、ちゃんとアイオライトさんも承知していますよ」

 芙蓉学園関係者は、別格の扱いになっている。エリカの説明に、あのぉとアンナは遠慮がちに質問した。

「もしかして、ヒロキ君は……その、なんて言って良いのかしら。
 凄く偉くなったとか言うことはありませんよね?」

 身内の目からして見れば、ちょっと離れた学校に通わせた程度の認識しかない。それにたまにビジホンで話をしても、これと言った変化はなかったのだ。学園自体話題になっているのは知っているし、週刊誌で取り上げられたのも読んでいる。それでも芙蓉学園生徒が別格だと言われると、そうなのかとも悩んでしまう。しかも彼女の甥っ子は、その中で生徒会長まで勤め上げてくれたのだ。聞かされた話や客観的事実を付き合わせると、凄く偉くなったのではないかと思えてしまう。
 怖じ気づいたようなアンナに、エリカはどう答えようかと考えた。ここで正直に世間での評価を教えるのが良いか、それともオブラートに包んだ方が良いのか、相手を考えるとなかなか難しい問題なのだ。ちなみに上倉の世間での評価は、“側近”と言われる3人に次いで高いものになっている。その辺り、第二代芙蓉学園生徒会長という肩書きが効いていた。まだ表沙汰にはなっていないが、様々な所から目をつけられているのをエリカは知っていたのだ。もちろんエリカ自身、上倉に対して注目していた。

「もしも偉くなったと言ったら、叔母様はどうお考えになりますか?」

 どこまで教えるかという意味も込めて、エリカはアンナの考えを聞くことにした。ただ教えないと言うのは、取れない選択であるのは分かっていた。よけいに構えさせる必要はないが、知らないことは逆に問題を引き起こす原因にもなりかねない。それを考えれば、必要最低限の情報を与えておく必要はある。

「ちょっと信じられないというか……
 その、週刊誌に書かれていることは知っているんですけど。
 でも、ヒロキ君がそうだと言われてもぴんとこなくて……」

 第二代生徒会長なのだから、当然上倉の知名度は高くなっている。しかも学園公開でマスコミ対応をしていることもあり、顔自体世界中に知れ渡っている事情もあった。それもあって、何かとマスコミに取り上げられていたのだ。特に女性誌では、上倉は大きく取り上げられてもいた。その扱いは、ちょっとした芸能人を凌ぐものだろう。大げさに聞こえるかも知れないが、一部でファンクラブが結成されていたりする。
 だが小さな頃から知っている者から見れば、マスコミの取り上げ方が理解できなかったのだ。芙蓉学園自体の意味は理解できても、身内の価値がそこまであるかと言われて、素直に理解できなかったのである。だからぴんとこないというアンナの感想は、子供を通わせている関係者に共通したものでもあったのだ。

「私の立場……と言っても分かりにくいと思いますけど。
 私の立場から言うと、芙蓉学園というのは人材の宝庫だと思っています。
 その分、一癖もふた癖もある人材が揃っているのも事実だと思います。
 その中で、上倉君は碇シンジの後を受けて生徒会長に就任したんですよ。
 一年間芙蓉学園を統率した実績も含め、上倉君への評価は非常に高くなっています。
 芙蓉学園の価値は上がっていきますから、さらに上倉君の評価も高くなっていくでしょうね」
「やっぱり、そうなんですか……」

 正確な世間の評価を教えられ、そして甥っ子が高い評価を得ているのだから、アンナとしてはそれを誇りに思うところなのだろう。だが思いも掛けない高い評価は、一方で家族に重い負担を掛けるものにもなっていた。まだ親戚の自分は良いが、義兄夫婦達はそれをどう受け取るのだろうか。今まで静かに暮らしてきたのに、何かと世間の注目を集めてしまうことにもなる。それを考えれば、高い評価というのは必ずしも良いことばかりではない。目立つと言うことは、それだけ不自由な思いをすることにも繋がってくるのだ。
 それを思うと、美咲市へ行くという行為に後悔を感じていた。こうしてパーガトリの使節が来ることだけでも、隣近所に何事かと見られてしまうのだ。これで明日から近所づきあい自体を気を付けなければならなくなる。甥っ子が気を利かせてくれたのは嬉しいが、事実を認識したとたんに負担に感じてしまうのだ。何の取り柄もない一般人が、とても大それたことをしている気になってしまう。怖いというのは言い過ぎなのかも知れないが、それに似た物をアンナは感じていたのである。

「本当は、喜ばなければいけないことなんでしょうけど……」

 表情を硬くしたアンナの反応は、エリカの予想したとおりのものだった。この後のことを考えれば、甥っ子が出世したなどと単純に喜んでばかりはいられないのだ。この辺り、学園に通っている本人は良いだろう。だが送り出した家族にしてみれば、その動きの速さについて行けるものではない。そしてこれは、上倉だけの問題ではないとエリカも理解していた。
 だからエリカは、「怖い」と言うアンナの気持ちが痛いほど分かっていた。上倉に関わることで、世間の濁流がこの家族を襲うことにもなりかねないのだ。平穏に暮らしてきた家族にとって、その流れは抗うことのできない激しいものになるだろう。押し流された先に何があるのか、エリカもそれを予想することができなかった。

 だから「大丈夫」などと言う気休めをエリカは言わなかった。そのかわりに、この問題は学園に通う生徒すべてに共通するものだと説明をした。そして共通する問題だからこそ、対策も考えられていると話を続けた。

「みんなが大丈夫なんて言いませんよ。
 でも、世界的に見て芙蓉学園の人材は貴重なんです。
 足を引っ張ろうという動きはないとは言いませんけど、
 それ以上にどう活用しようかと世界中の人が考えているんですよ。
 今は好奇の眼差しを向けられるかも知れませんが、すぐにそれは変わってくると思います。
 上倉君なら、すぐに尊敬される人になるんじゃありませんか?」
「あの、ヒロキ君が……」

 そう言われても実感がわかないというのが正直な気持ちだった。身内だからと言うのは大きな理由だが、それ以上に流れの速さについて行けていないのだ。

「たぶん、明日になればそれも理解できると思いますよ。
 それから生徒ではない私が言うのは何ですが、芙蓉学園の生徒は堅く団結しています。
 それにシンジクンやコハクさんは、本当に学園の隅々にまで目を光らせています。
 そしてその意を受けたスタッフが、生徒の家族のこともフォローしています。
 だから安心して良いとは言いませんけど、みんなが芙蓉学園の試みが成功するように努力していますよ」

 何かあったら相談に乗る。そう言ってエリカは、自分の名刺をアンナに渡した。そこにはしっかりと、沢近コーポレーション役員の立場が印刷されていた。

「ええっと、沢近コーポレーションって、あの沢近ですか!?」

 どこかで聞いた名前だと思っていたが、正体を知らされてアンナは驚いてしまった。世界的大企業の役員が、こんな田舎に顔を出しているのだ。しかもそれ以上に重要なのは、目の前の女性が碇シンジの妻の一人であると言うことだった。そのインパクトは、パーガトリ王子が顔を出す以上の物を持っていた。
 絶句したアンナの姿に、エリカは言わない方が良かったかと後悔もしていた。だがいずれは知れることと、開き直ることにした。

「上倉君には、学園交流でずいぶんと迷惑を掛けましたから。
 それに学園祭にも招待して貰いましたから、結構恩があるんですよ。
 それにシンジクンのお友達なら、私にとっても大切なお友達なんです。
 どうも上倉君は、小母様に良いところを見せたかったようですね。
 だから私たちも、友達としてそれに協力しようかなって。
 結構軽いのりでやっていますから、あまり心配しないでくださいね」

 この程度で安心できるとは思えないが、それでも言っておく必要があるとエリカは考えていた。だからもう一度、気にしないでくださいと繰り返した。アイオライトから作業が終わったのを知らされたのは、ちょうどそのタイミングだった。

「了解しました、じゃあ撤収しましょうか!」

 アイオライトに手を振ったエリカは、おじゃましましたとアンナに頭を下げた。

「明日は、10時5分前におじゃま致します。
 もしも時間に変更があったら、名刺の番号にまで電話をしてくださいね」

 もう一度頭を下げたエリカは、帰ろうとアイオライトに声を掛けた。そんなエリカを、ちょっととアンナが呼び止めた。

「色々とお世話になりますから、お食事でも一緒にどうかと思いまして……」

 無償の好意を受けるのは、やはりどこか心苦しいところがあるのだろう。それを理解したエリカだったが、さすがに食事というのは難しい問題がある。何を食べさせても文句は出ないだろうが、一般人にパーガトリの事情までは分からないだろう。
 だからエリカは、失礼にならないよう正直にその事情を打ち明けて断った。

「お誘い頂きましてありがとうございます。
 でも、あまりお気遣い頂かなくても良いんですよ。
 それに小母様、あの人達を普通の人だと思ってはいけないんです。
 あの人達、とってもスマートなんですけど食べる量は半端じゃないんです。
 炊飯器一杯のご飯なんて、一人で食べきってしまうんですよ。
 だからお気持ちだけいただいて、私たちはレストランに行くことにします。
 せっかく北海道に来たんですから、地元のおいしい物を食べることにしています」

 そこまで答えたエリカは、そうそうと手を叩いて一緒にどうかとアンナに聞いた。

「もしもご迷惑でなければ、小母様達もご一緒にいかがですか?
 アイオライトさん達の食べっぷりは、一見の価値があると思いますよ。
 もちろん、費用は沢近が持ちますのでご安心ください」
「宜しいんでしょうか……」

 不安そうにしたアンナに、大丈夫とエリカは胸を叩いて見せた。そしてアイオライトにじゃれつくエリスを見て、その方が喜ぶのではないかと口元を緩めた。

「あんなところを見せたら、上倉君が焦ってしまうかも知れませんね?」

 見た目では絶対に勝負にならない。そう言いきったエリカに、自分もそう思うとアンナも同意したのだった。こうして見ると、本当に怖いほどの美形なのだ。多少劣るとはいえ、他のスタッフも美形揃いなのである。天使は怖いと言われる理由を、そう言うことかとアンナは納得したのだった。



***



 絶対に大丈夫と言われても、顔を合わせるまで不安なのは仕方がない。それ以上に心配なのは、顔を合わせたときに何を言われるのかと言うことだろう。だから上倉は、1時間も前から芙蓉学園のゲスト向け宿泊施設、別名“迎賓館”の前で待機していた。しかも待機するだけでなく、言い訳の言葉をぶつぶつとつぶやいてくれるのだ。微笑ましいことなのだろうが、そこまでしなくてもと受け入れ側の黒曜石は苦笑を浮かべた。

「そんなに、エリスちゃんに逢うのが待ち遠しいんですか?」

 いい加減鬱陶しくなったこともあり、仕入れたばかりのネタで上倉をからかうことにした。だが格好のネタにもかかわらず、上倉の食いつきは芳しくなかった。からかわれたことに文句を言う代わりに、どうしましょうと零される体たらくなのである。

「どうしましょうと言われても、私にはどうしようもないんですが?」

 そもそも何を困っているのか分からない。相談に乗るなら、そこから始めないとと黒曜石は言い返した。

「何か、とっても大事になってしまったじゃないですか。
 アイオライトさんや黒曜石さんまで巻き込んでしまって……」
「上倉様のお立場なら、別に不思議なことではないと思いますよ。
 碇様から生徒会長の役目を託され、無事1年と言う任期を全うされたのです。
 私たちパーガトリとして、上倉様は非常に重要な方なんですよ」

 そう言われても、はいそうですかと納得のいく物ではない。当然上倉は、持ち上げないでくれと黒曜石に懇願した。たまたま自分は、2年目の生徒会長をしたのに過ぎない。1年目と2年目では、その役目は大きく変わっているのだと。

「碇さんが1年目を勤め上げてくれたおかげで、2年目は大した仕事はなかったんですよ。
 だから俺じゃなくても、生徒会長をすることは出来たはずです……」

 それぐらいの人材が揃っているのが学園なのだと。そんな上倉に、その人材の一人だろうと黒曜石は追撃をかけた。その人材揃いの中で、生徒会長として信任を受けたのである。その意味は、絶対に軽んじられる物ではないというのだ。
 そうは言うがと肩を落とした上倉に、つくづく不思議だと黒曜石は笑った。

「碇様もそうですが、どうして自分の業績、お立場を低く見るのでしょう?
 私にはリリンの常識は分かりませんが、上倉様はパーガトリで有名なんですよ。
 おそらく、リリン各国の代表よりも上倉様の方が有名だと思いますよ。
 尊敬という意味なら、比べ物にならないぐらい上倉様の方が上ですね。
 それを確かめるためにも、一度パーガトリにいらっしゃいますか?」

 国王自ら出迎えることになる。そう言われた上倉は、勘弁してくださいと泣きを入れた。

「そんなことをされたら、俺の神経が焼き切れてしまいますよ」
「ですが、それが世間の評価という物なのです。
 碇様にも申し上げたことですが、正しく認識をなさらないと面倒を呼び込みますよ」
「黒曜石さん、脅かさないでくださいよ……」
「これは、脅しではなく事実ですよ」

 だから気を付けてと繰り返したところで、出発の時間が来たとの連絡が入った。ここから先時間が掛からないこともあり、移動のスイッチが押されればすぐに宝仙一家は目の前に現れることになる。「覚悟は良いか?」と笑う黒曜石に、神妙な面持ちで上倉は頷いた。

「では、こちらの準備が出来たことを伝えます。
 ところで上倉様、カウントダウンしましょうか?」

 その方が対処が出来るだろうというのだ。当然上倉からは、「お願いします」と言う答えが返ってきた。いきなり目の前に現れたら、心臓に悪いことこの上ないのだ。ちなみに北海道側でも似たやりとりが行われ、向こうではアイオライトがカウントダウンすることになっていた。
 小さく吹き出した黒曜石は、宜しいですかと指を3本立てた。そしてまじめな顔をして、ゆっくりと指を折ってカウントダウンをした。その数字がゼロになったとき、思わず上倉は瞬きをしてしまった。そしてまさにその瞬間、彼の親戚一家がその場所に現れた。

 まだ芙蓉学園に学ぶ上倉は良かったが、宝仙一家には理解の範疇から外れる移動方法だった。一瞬で目の前の景色が変わったことに、誰一人としてまともな反応を返すことは出来なかった。

「上倉様……」

 それを察した黒曜石は、上倉の耳元に囁いた。上倉から声を掛けなければ、ずっとこのままの状態が続いてしまうだろう。
 黒曜石に促された上倉は、そうだったと一歩前に進み出た。

「叔父さん、叔母さん、それにエリス、美咲市にようこそ!」

 それでようやく事情が掴めたのか、金縛りから解かれたアンナが「ヒロキ君よね」と恐る恐る声を掛けた。

「そうですよ」

 上倉がそう答えた瞬間、それまで固まっていたエリスが飛びついた。とっさのことに対処できない上倉は、まともにみぞおちにエリスの頭突きを食らってしまった。おかげで蒸せ込むことになったのだが、エリスの方はそんなことには関係ないようだった。

「本当にお兄ちゃんだっ」

 そう言ってしっかりと抱きつく物だから、文句も言えなくなる。それだけ会いに行かなかった上倉にも責任があったと言うことだ。仕方がないとエリスの頭をなでた上倉は、荷物は部屋に運んであると叔父夫婦に説明した。
 そんな家族のやりとりを確認したエリカは、邪魔をしてはいけないと退散することにした。

「じゃあ上倉君、私たちはこれで消えることにするわね」
「明後日は、沢近さんも家に居るんだよね?」
「当然でしょう。
 碇家総出でお迎えすることにしたんだから!」

 そう言うことだと笑ったエリスは、上倉に抱きついたままのエリスの頭をなでた。

「じゃあねエリスちゃん、明後日は一緒に遊びましょうね」

 そこでようやく上倉から離れたエリスは、元気よくうんと頷いた。そして少し離れたところに居るアイオライトに、「明後日ね」と手を振った。

「アイオライトさんも、明後日くるんですか?」

 エリスの気安さに驚いた上倉に、そうなんだとエリカはわざとらしく頷いた。

「アイオライトさんがエリスちゃんを気に入っちゃったみたいなのよ。
 ほらパーガトリって、結婚年齢に制限がないみたいなの。
 どうしたらいいのかって、昨日アイオライトさんに相談されちゃった」
「え、エリスをですかっ!!」

 さすがに予想から遠く離れた居たために、上倉は思わず大きな声を上げてしまった。そんな上倉の反応をおもしろがったエリカは、凄いわねと追い打ちを掛けてきた。

「この年で男を振り回すだなんて……シンジクンが心配だわ」
「それって、少しもシャレになっていないんですけど……」

 勘弁してくださいと、上倉はエリカに全面降伏の意を示したのだった。







続く

inserted by FC2 system