国連向きの仕事、特に芙蓉学園に関わる仕事は、基本的にカエデが取り仕切っていた。そして本来ノエインの仕事ではないのだが、ノエインの少女達もカエデを補佐していた。

「カエデ、ジント花菱は芙蓉学園に復学するのか!?」

 既決書類を整理していたマーガレットは、その中にジントの留学解除の命令書を見つけた。すでに国連の決済の降りた事実に、どうしてだとマーガレットは驚いたのだ。留学解除自体唐突だと言う事情があるが、それ以上に理解できないのはカエデの態度だった。ジントが家に戻るのなら、当然カエデにも何らかの動きがあるはずなのだ。だが噂にすら、カエデが芙蓉学園に戻るという話はあがっていなかった。
 書類が有る以上、そして偽造されていない以上、ジントは芙蓉学園に復学するのだろう。だがセットとなるカエデに何の話も出ていないのはどうしてなのか、それがマーガレットには分からなかった。

「ええ、本当ですけど?」

 それが何かと首を傾げられると、何と言うのも難しくなる。それでもマーガレットには、他の疑問もあった。ジントは、正式に準義員に就任したばかりだ。リリン出身と言うことで正議員とならなかっただけで、権限は他の議員と同じぐらいに付与されていた。そしてジントには、シンジの代理人という立場も与えられていた。それを考えれば、最高評議会での発言権はかなり高いものになっているだろう。そこまで上り詰めた者が、リリンに戻ってきて良いのかとも言いたくなる。
 だからこそのマーガレットの疑問だったが、それぐらいのことは考えてあるとカエデは笑った。

「よく考えてみてください。
 副議長のコハクさんだって学園に通っているんですよ。
 だったら、ジン君が通ってもおかしくないでしょう?」
「しかし、ジント花菱とコハク様では持っている権限が違うと思いますが?」

 いくら議員でも、自由に二つの世界を移動することは許されていない。それができるのは、最高評議会議長と副議長ぐらいのものだ。

「ジン君の場合、準義員になったじゃないですか。
 だから、留学の目的は達したと判断したんです。
 それからエデンとの移動については、コハクさんから許可が出ています。
 ジン君とマディラさんには、議会に関係なく両界を移動することが許されています?」

 だから問題ないと言うカエデに、「ちょっと」とマーガレットは関係の無いはずの名前に引っ掛かった。

「なぜ、受け入れ先のお嬢様にも許されたのですか?」
「なぜって……」

 そのとき、一瞬だけカエデの顔に陰が走った。だがすぐになんでもない顔をして、「エデンの風習に従っただけ」と答えを返した。

「エデンの風習とは、自由恋愛という奴ですか?
 本人同士の同意さえあれば、複数の相手と婚姻関係になると言う……」

 それこそマーガレットにとって驚き以外の何物でもない。カエデとジント、二人の間に余人は入り込めないと思っていたのだ。今はカエデに従っていても、それまではどう利用するかを狙っていた少女達なのだ。当然カエデの行動原理など調べ上げられていたのである。
 その調べられた中でもタブーとされたのは、カエデとジントの関係をかき乱すことだった。過去の事件の関係もあり、非常にデリケートな問題だと分析されていた。うまく利用できれば有効な手札となるが、リスクが大きすぎて使えない手だともされていた。

「芙蓉学園に、今年から役職候補者が入学することになったでしょう。
 その人達と、エデンの下位層との間に壁ができないように、
 ジン君とマディラさんが一緒に住んで影響を与えようってことですよ」
「か、カエデは、それで良いのですか?」

 日本のことわざで言えば、「庇を貸して母屋を取られる」と言うところだろう。留学の受け入れ先の女性が、いつの間にか本妻に座ったようなものだ。それをカエデが許しているのか、それがマーガレットには信じられなかった。

「良いのかと言われても、留学していたときと何も変わっていないでしょう?
 そう思えば、別に気にすることはないと思いますよ」

 そう言ってにっこりと笑われると、それ以上おかしいとも言うことはできない。だがそれでマーガレットが納得したというわけでもなかった。彼女たちの分析では、カエデがそんなに物わかりが良いはずがないのだ。留学先と同じと言っても、それはあくまでエデンにいたからである。ホームタウンである美咲市に返ってきて、同じだとはとても言えないだろう。
 だったらと、マーガレットは別の書類を探すことにした。エデンから生徒が来るというのだから、住居に関しても申請が出ているはずなのだ。一緒に住むというのだから、寮を利用するのではないだろう。だったら新たに住居を設けることになる。誰が建てるのかは別として、その費用は国連で負担される。それに必要な申請が出ているはずなのだ。だがいくら探してもその書類は出てこない。
 おかしいと書類を捲りなおしたマーガレットに、今度はカエデがどうかしたのかと聞いてきた。

「いえ、住宅の建築許可が出ているはずだと思ったのです。
 ジント花菱がエデンの役職者と一緒に住むのです。
 然るべき住居が提供されるはずだと思って申請を探しているのですが……」
「そんな申請は出ていませんよ。
 ジン君達は、私の家に一緒に住むんですから」

 さすがにその答えは、マーガレットの想像から離れたところにあった。と言うか、非常識すぎて想定すらしていなかった答えでもある。だからマーガレットは、彼女にしては珍しく「冗談ではない」とカエデに詰め寄った。

「ど、どうしてそんな非常識なことができるのです。
 ま、まさか、カエデがそんなことを許したのですか!!」
「必要だから、認めました。
 それ以上でもそれ以下でもありませんよ」

 笑みを崩さないカエデに、マーガレットは初めて疑問を感じた。今まで付き合ってきて、それなりにカエデの感情の動きは分かるようになっていた。だがこの話を始めてから、カエデがいっさい感情を変化させていないのだ。あまりにも平板で、あまりにもよそよそしい。浮かべている笑みも、どこか嘘っぽく感じてしまう。
 緊急事態と考えたマーガレットは、至急対処方法を仲間に相談することにした。ノエインを支えているのは、カエデの力に他ならない。その屋台骨に何かが有れば、自分たちの活動、そしてリリンの権益自体が揺らぎかねない。

 そうですかと慌てて出て行ったマーガレットを見送ったところで、初めてカエデの顔から仮面がはげ落ちた。それは普段の愛らしい表情とは全く異なる、背筋の凍るような恐怖を感じさせる物だった。

「誰でも分かることなのに……」

 ぽつりとつぶやかれたその言葉は、同時に受け取る者のいない言葉でもあった。







<<学園の天使>>

166:







 餌を撒いた以上、それに食いついてくるのは期待通りの反応だろう。何人か役職者を訪問したところで、議長様が拗ねているとの噂が聞こえてきた。行儀見習いを兼ねて、ヒスイを連れて回っている。そしてかなり親密な話をしていると聞かされれば、押さえていた虫がうずき出すのも当然のことだった。だからといって、ほいほいと食いついて良い物ではない。あくまで向こうから、遊びに来いと言わせなければいけない。だからシンジは、噂のうちは何も行動しないことにしていた。
 そして目の前にぶら下げられた餌に、狙いのサードニクス食いついたのは終業式の日だった。美術準備室を出たシンジは、芙蓉学園警備室別館に寄ろうとしていた。特に報告が上がってきていないのだから、大きな問題は上がっていないのだろう。だからといって、平和だと信じられるほどシンジもお人好しではなかった。だから小さなことでも聞いておこうと、定期的に顔を出すことにしていた。そこで“偶然”顔を合わせたシンジに、サードニクスは「冷たいねぇ」といきなり愚痴を言ってきたのだ。

「冷たいって……何のことですか?」

 いきなりそんなことを言われても、別に何もしていないとシンジは言い返した。ましてや冷たいと言われるように、最高評議会議長様を蚊帳の外においた覚えはないのだと。魚が餌に寄ってきたが、ここで慌ててはいけない。しっかりと餌に食いついたのを見てから、じっくりと糸を引き上げればいいのである。そのためには、相手をじらすことも考えなければいけない。
 しらを切ったシンジに、最近の行動だとサードニクスは不満をぶつけた。

「聞くところに寄ると、パーガトリの姫を連れて役職者達のところを回っているそうじゃないか。
 どうして私のところには、姫を連れて遊びに来てくれないのだい?」
「遊びにって……いろいろと意見交換をして回っているだけですよ。
 サードニクスさんとは、結構話をしているじゃないですか。
 でも他の議員さんとは、ほとんど話をしてませんでしたからね。
 だから花菱君に倣って、僕も皆さんのところを回ってみようかなって」

 結構得る物があったと、シンジは満足そうに頷いた。

「ヒスイも、エデンを理解するのに役に立っていると言っていますよ。
 パーガトリの代表はフローライトさんですけど、ヒスイが手伝うのも良いと思ったんです」
「ああ、話を聞いた者達は、いずれもだらしなく緩んだ顔をしていたよ。
 それでシンジに聞きたいのだが、どうして私のところには連れてきてくれないのかな?」
「だから、今まで話をしていなかった人たちのところを回っているだけですよ」

 シンジの言い訳は、当然建前の物でしかなかった。何しろ最初に訪問したのが、ジントも居るアデュラリアのところなのだ。それがどうして、「今まで話をしていなかった人たち」になるのだろう。そして当然のように、サードニクスはその矛盾をついてきた。

「そうは言うが、最初にアデュラリアの所に行ったのだろう?
 だったら、私の所に遊びに来てくれても良いと思うのだがね」
「だから、遊びに行っている訳じゃありませんよ。
 名前だけは知っていても、ちゃんと話したことのない人ばかりじゃないですか。
 ヒスイのお披露目も含めて、個人的に話をしに行っているんです。
 だから、遊びと言われるのはとても心外なんですけど?
 あんまりそんなことを言うんだったら、もう一度別の世界を見せて差し上げましょうか?」

 楽しいですよと口元を歪めたシンジに、それだけは勘弁をとサードニクスが謝った。一度体験した異世界……精神世界は、とても快適とは言えるところではなかったのだ。願わくば二度とごめん、というのが正直な気持ちだったのだ。

「そうですか、僕も三回ほど経験しましたけど……
 あれって、こちらと時間の経過が違うんですよね。
 つい先日のも、僕としては1日も経っていないつもりだったんですよ。
 でも返ってきてみたら、3ヶ月近く経っていたじゃないですか。
 そう言うのを考えると、なかなかおもしろいとは思いませんか?」
「周りに何もない、一人きりの世界に長くいたいとは思わないよ。
 シンジは一日だったのかも知れないが、私には一生に感じられたんだ……」

 だからごめんだと、サードニクスは真剣に繰り返した。

「でも、サードニクスさんは融合現象に興味があるんでしょう?
 だったら、そのときどうなるかを自分で調べてみるのも良いんじゃないですか?
 きっとオークさんも、貴重なデータが得られると喜びますよ」
「そんなことが、私の繊細な神経で耐えられると思うのかね?」
「繊細って、誰のことを言っていますか?」

 冗談をと笑うシンジに、まじめに言っているとサードニクスは言い返した。

「だから、仲間はずれにされるととても傷つくのだよ。
 せっかく姫のお披露目をしているのなら、最高評議会議長を避ける理由はないだろう?
 コハクには聞かせられないような内輪話を、そのときにしてあげても良いんだよ」
「……そんなに、ヒスイを連れてきて欲しいんですか?」
「とっても珍しい組み合わせだからね、どんな話ができるのかが興味有るんだよ」

 そう言って目を輝かせるサードニクスに、仕方がないとシンジは小さくため息を吐いた。

「ヒスイに、サードニクスさんの所に行って良いか聞いてみますよ。
 予定をずらさなくちゃいけなくなりますからね、他の議員さん達にも断りを入れておきます。
 も一つ、上倉君の予定をまだ聞いていないんですよ。
 彼の実家から、従妹が遊びに来るらしいので、コハク共々挨拶しようと言うことになったんです。
 だからその日程を確認しないといけなくて……」

 忙しすぎると嘆くシンジに、「一つ聞いても良いか?」とサードニクスが話しかけた。

「何を今更、今でも質問に答えているでしょう?」
「いや、質問と言うより考え方を質したいというのが正確なんだが……」

 良いかと、いつになくサードニクスはまじめな顔をした。

「上倉というのは、前生徒会長のことを言っているのだと想像しているが?」
「ええ、その上倉君ですよ。
 今は、彼にお願いをして絵のモデルもさせて貰っています」
「ほう、シンジがそう言う真似をするのは珍しいね……」

 少し意外そうな顔をするサードニクスに、自分でも意外だったとシンジは打ち明けた。

「彼の絵を見せて貰ったら、どうしてもモデルにして貰いたくなったんです。
 素人目ですが、かなり素晴らしい絵を描いてくれるんですよ」
「ほほう、それはなかなか興味深いね……と、その話は良いのだが」

 話がわき道にそれたと、サードニクスは頭を掻いた。

「私の所に来るのより、他の議員と会う予定より、
 その従妹とやらが遊びに来ることを優先するというのかい?
 しかも、碇家勢揃いとは、私にもしたことのない厚遇に思えるのだが?」

 いかがな物かというサードニクスに、学園内のことに口を出すなとシンジは言い返した。

「家族勢揃いと言っても、ほぼ全員が芙蓉学園の生徒なんですよ。
 まあエリカは違いますけど、仲間はずれにすると可哀相でしょう?
 それでも学園交流で縁がありますから、ちょうど良いかなって。
 去年1年間お世話になりましたから、お礼の意味も込められているんですよ」

 それにと、シンジは少し声を潜めた。

「上倉君の従妹なんですけど、金髪碧眼の美少女らしいんです。
 将来のことを考えたら、全員に引き合わせておいた方が良いのかなって」

 家族ぐるみの付き合いも重要だ、そう言ってシンジは口元を歪めた。非常によく分かる話ではあるが、それでも納得のいかないところがサードニクスにも有った。金髪碧眼の美女など、エデンには各種年齢が取りそろえられている。そんな状況で、どうしてリリンだけがその対象として数えられるのか。サードニクスには、そのあたりの考え方が理解できなかった。

「つまりシンジは、その少女が目的だというのかな?
 それが、私のところを訪問するのよりも、重要だと言うつもりなのか?」

 承伏しかねると抗議するサードニクスに、割り込みは良くないとシンジは言い返した。

「それに、向こうの予定は決まっているんですよ。
 それを、こちらの都合で動かすわけにはいかないじゃないですか。
 サードニクスさんだったら、一日二日ずれたところで影響はないでしょう?」
「シンジ、君は最高評議会議長の役職をなんだと思っている?
 一日二日ずれたところで、影響はない?
 本気でそれを言っているのかな!?」
「僕は、ヒスイを連れて顔を出して欲しいとお願いされた立場だと思っているんですけど?
 せっかく都合を付けようと思ったのに、そこまで我が儘を言いますか?」

 それにと、シンジは口元を少し歪めた。

「今の話、コハクに聞かせても良いですか?
 最高評議会議長様が、毎日を勤勉に勤め上げてくれるらしいですから。
 たぶん、コハク以下議員の皆さんも喜ぶことでしょうね」
「別に、議会に出ることだけが議長の努めじゃないんだよ」
「芙蓉学園のことは、コハクに権限委譲したはずですよね?
 だったら、ここにいることは仕事の範囲から外れていますよね?
 それに、議長が議会に出ないことは、どう頑張っても理由が付きませんよ」

 だから却下と、シンジは冷たく言い放った。

「とにかく、このことについて僕は考えを曲げるつもりはありません。
 それでも無理を通そうとするのなら、僕にもそれなりの覚悟はありますよ」
「ほほう、どんな覚悟があるのか聞いてみたいね」

 正面からにらみ合ったところで、シンジは「楽しい世界にご招待する」と口にした。

「この程度のことで、またあの世界に行きたいですか?」
「なるほど、最高評議会議長を脅迫しようと言うのだね?」
「しつこく食い下がられたのは僕の方だと思うんですけど?」
「君は、私の立場という物を考えてくれたことがあるのかね?」

 脅迫に屈したのでは、自分の立場がなくなってしまう。つまり、サードニクスは落としどころを考えろと言うのだ。一般人を優先すること、しかも脅しを掛けられること。そのまま引き下がったのでは、立場上の問題が大きくなりすぎると言うのだ。

「そうは言っても、日程の面で譲歩は出来ませんよ。
 僕としても、一度交わした約束を破ることは面子に関わりますからね。
 そのためなら、全面戦争をすることも覚悟していますよ」

 サードニクスが立場を持ち出したので、シンジも自分の立場を持ち出した。3界最高の勇者として、一度交わした約束を破るわけにはいかない。その主張もまた、極めて真っ当な物である。もちろん、両方とも自分の主張を通すための方便でしかなかったのだが。
 全面戦争を持ち出されたサードニクスは、仕方がないと自分から譲歩することにした。立場を持ち出すのなら、たしかに3界最高の勇者の立場も認めなければならない。

「仕方がない、日程については私が譲歩しよう。
 その代わりと言っては何だが、もてなしの方法は私に任せて貰ってもいいかね?」
「それも、程度問題ですね。
 エデンの常識に従った範囲なら、まあ我慢することにしますよ」

 それからと、シンジは一つ釘を刺した。

「一応後から、コハク達に確認しますからね。
 嘘を付いていたら、どうなるか覚悟してくださいね」
「シンジの常識に従うというのはどうかな?」
「それを、どういう意味で言っているのかに依りますけどね」

 細目で睨んだシンジに、サードニクスは現状出来る限りの皮肉をぶつけてきた。

「なに、シンジは常々私を非常識だと言うからね。
 だからシンジの常識に従えば、文句を言われないだろうと考えたのだよ」
「今回の訪問目的は、エデンの慣習を覚えることなんですけどね。
 もちろん、今生きている慣習だけですからね。
 どこかの倉庫から、カビの生えたようなのを探してこないように!」

 そこまでが譲歩できる限界なのだと。シンジの主張に、とりあえず必要な言質を取ったとサードニクスは満足した。今生きているエデンの慣習なら、シンジは受け入れると言ってくれたのだ。だったらそれを最大限に利用して、思いっきり嫌がらせをしてやろうと考えた。シンジが何を嫌がるかぐらい、サードニクスはいくつも知っているつもりだったのだ。



***



 わざわざ時間を空けて貰えると言われれば、上倉も真剣にスケジュールを決めなければならなくなる。と言っても春休みは短い、そして叔母さん達……ここで血のつながりがあるはずのおじさんと言わないのは、まあ、上倉にとって誰が重要かを示していることになるのだが……のスケジュールも決まっているのである。

「とりあえず、来賓用のゲストハウスは確保したし……」

 一番重要なのは、遊びに来て泊まるところだろう。ちなみに芙蓉学園のゲストハウスは、各国主席クラスの宿泊にも対応している。そのおかげもあって、ちょっとした高級ホテル並みの品格とサービスを誇っていた。もちろん芙蓉学園なのだから、セキュリティは万全である。部屋の鍵など掛けなくても、危険な目に遭うことはあり得ない優れものだ。
 そして芙蓉学園に学ぶ物だけの特権が、これだけの施設が「格安」で利用できることだった。「採算度外視」「原価割れ」とか言う呷り文句は、ここだけは運営実態を正直に示していた。申請さえ通れば自由に利用できると言うことで、生徒の家族達の人気は非常に高い。その人気施設を、生徒会長の特権で上倉は1室確保することに成功した。ただ生徒会長権限と言っても、予約を横取りするわけにはいかない。そのおかげもあって、通常予約を入れないVIPルームを使うことにした。その部屋は、国家元首でも、安保理に入っていないと使えない超VIP用だったりする。

「後は、碇さんと約束をするだけだな」

 予定は週末の金曜から、週頭の月曜までとなっていた。もっとも仕事のある叔父さんを除けば、時間の制限はあまり無かった。叔父さんを仲間はずれにするのは可哀相だが、最悪予定予定から外れても仕方がないと考えていた。
 そのプランを持って、上倉は早速碇家を訪問することにした。サラの情報によれば、シンジはヒスイとお出かけしているらしい。だがコハクとアスカが居れば、目的のほとんどは達成できる。完璧に御願いする立場の上倉は、手みやげとしてデパートでお菓子も買ってきた。

「……また、増築しているんだな」

 碇家玄関前に立った上倉は、聞こえてくる騒音に「泥縄」と言う言葉を思い出していた。知っている限り、この2年間で2度目の増築のはずだ。前回は、1年目の学園祭の後だったはずだ。
 世間的に見れば、すでに豪邸と言っていいレベルに達していた。だが部屋数が10を遙かに超えるこの家も、すぐに部屋が足りなくなるだろうと噂されていた。いい加減覚悟を決めて、根本的な解決を図るべきだ。誰もがそう考えているのだが、肝心の主はそうは考えていないようだ。このあたりのあきらめの悪さは、悪い意味での庶民派英雄様のせいだろう。いい加減開き直ればいいのにと、人ごとながら上倉は考えていた。

「はぁあい、ただいま……」

 チャイムを押せば、中から聞き覚えのある声が聞こえてきた。それが聞き間違えでなければ、新2年生のナズナの声だろう。未だNNNが健在なことが示すとおり、学園での人気が高いナズナである。そのお出迎えを受けると言うことで、上倉は少し感動していたりした。

「お待ちしていました、上倉様。
 中で皆さんがお待ちですよ」

 しかも、普段見ることのないメイド服……なぜメイド服という疑問はあったが、その格好に男性本能を刺激され、上倉はその姿をしっかりと記憶にとどめようと考えていた。そして帰ったら、すぐにでもキャンバスに描き留めようと誓っていたりする。だからナズナの言った「皆さん」の言葉を聞き落としていたりした。
 やっぱり可愛いなと目尻を下げ、上倉はナズナの後に続いて碇家今へと入っていった。そして「おじゃまします」と言おうとしたのだが、そこでかっちりと固まってしまった。

 コハクやアスカは覚悟していた。もともと日程を決めるためには、二人の参加は必須だと考えていたのだ。だがそこに、エリカが居るとなると話が違ってくる。更にクレシアやスピネルまで揃っているとなると、一体何事だと聞きたくもなる。しかも全員が、普段目にしない私服姿となっていた。目の保養、眼福と適当な言葉はいくらでもあるが、大変なところに来たと上倉はいきなり後悔をしてしまった。

「よく来たな上倉よ、まあその席に座ると良い」

 高校生所帯には不似合いな応接セットの、しかも一番上座に座らされた上倉は、同じくメイド姿のナデシコからお茶とお茶菓子を振る舞われていた。ここまで来ると、美女に囲まれて嬉しいなどと言っていられない。すさまじすぎる環境に、上倉の神経でも耐えられなくなっていた。
 緊張している上倉の前に座ったコハクとアスカは、いつにするのだと単刀直入に予定を聞いてきた。その言葉で目的を思い出し、少しだけ上倉は自分を取り戻した。

「ええっと、今度の金曜から次の月曜までの間で、どこか時間を貰えればと……」

 それでも気圧されたせいもあり、上倉の言葉は当を得ない物となっていた。だからアスカは、「いつが良いのか?」ともう一度聞き直した。

「ええと、だから先ほどの日程の中で都合の良いところで……」

 同じこと場を繰り返した上倉に、コハクは遠慮するなと助け船を出した。

「我らの都合ではなく、ぬしの希望を言ってみろ。
 その方が、我らも答えを返しやすいのだ」
「だったら、日曜あたりが……」

 希望と言われても、なかなか好きなように言えるはずがない。だから声の小さくなった上倉に、コハクは「承知した」と即答した。

「ええっと、良いんですか?」
「良いから承知したと答えたのだが?
 それから上倉よ、その親戚とやらの日程はどうなっておるのだ?」

 どうと言われても、質問の意図が掴めない。それでも聞かれたことだからと、上倉は正直に「金曜から月曜」と答えた。

「それで、金曜の出発時刻は?
 月曜は何時までに帰り着けばいいのだ?」
「ええっと、なぜ、そんなことを気にするのですか……」

 コハクに圧倒された上倉は、普段あまり使わない言葉遣いになっていた。そして上倉の質問に、なぜかそこにいたエリカが答えを返した。

「上倉君の親戚の方に、ちょっとモニターになって貰おうかなって。
 ほら、私がパーガトリがリリンで起業するのを手伝っているでしょう?
 その目玉が、多層空間を利用したトランスポートシステムなのよ。
 許認可とか、同業種へ与える影響とか問題が多くてね。
 なかなか調整がはかどっていないのが実態なのよ。
 と言っても、稼働データを取っておく必要もあるのよ。
 まあ要人の移動手段としては、早く採用されそうなんだけどね。
 そのためのモニターに協力して貰えると嬉しいんだけど」

 「当然費用はこちら持ち」と、そこまでしてくれるのかという条件をエリカは出してきた。モニターというエリカの言葉も、単なる方便だと上倉には分かっていた。行き帰り利用させてくれるというのだから、これだけで家族の往復交通費が浮いてしまう。しかも宿泊は、芙蓉学園のゲストハウスを利用するのだから、格安旅行の代金で、とってもゴージャスな旅行が出来てしまう。

「そこまで甘えてしまって良いものでしょうか?」
「その代わり、ちゃんとレポートを書いて貰うわよ。
 もっとも、一瞬で着いちゃうから感想も何もあった物じゃないと思うけどね」

 そうなると、往復の予約もキャンセルしなくてはいけなくなる。上倉は、伝達事項のメモに書き加えた。

「後は、日曜日の予定なのだが……」

 身を乗り出したコハクは、何を計画していたと目を輝かせて上倉に聞いた。

「何を計画と言われても……挨拶をして、お話をするぐらいしか……」

 計画と言うほどの物がないため、上倉の言葉は小さくなっていた。だがそれを責める代わりに、「宜しい」とコハクは大きな声を出した。

「つまり、われに裁量の余地があると言うことだな」
「ええっと、何を考えているんですか?」

 色々として貰うのは嬉しいが、一般の常識が通用するかが疑わしい相手なのだ。だから上倉の反応も、おっかなびっくりの物になる。そんな上倉に、「自慢したいのよ」とアスカが内情をばらした。

「コハクのファンだって聞いたから、すっかり嬉しくなったみたいね。
 だからコハクが張り切っちゃって、エデンを案内するって言っているのよ」
「え、エデンを案内してくれるんですかぁ!!」

 これまでエデンに渡ったのは、留学したジントを除けばごく一部の人間でしかない。パーガトリ内乱のどさくさなのだが、それにしても限られた空間に押し込められただけだった。それを考えれば、副議長様の案内でエデン観光が出来るとなれば、破格を通り越して非常識とも言える待遇だろう。さすがのこればかりは、上倉もうんと言える物ではなかった。好意は嬉しいのだが、後々の影響を考えると喜んでばかりもいられない。あまり目立ちすぎると、近所づきあいもおかしくなりかねない。
 それはちょっとと尻込みする上倉に、「やっぱりね」とアスカもその考えに同調した。

「一般の人を巻き込んで良い限界を超えているのよね。
 だからコハク、その子が芙蓉学園に入学するまで待ちなさい!」
「そうか、それならば仕方がないな……」

 アスカの言うことも分かるため、コハクにしてはあっさりと引き下がった。その代わりと、自宅、つまりここへの招待なら良いだろうと提案を変えた。

「それぐらいなら、俺もこうして来ているんですから……」

 エデン観光に比べれば、世間の風当たりも弱くなる。それでも破格の扱いには違いないが、この程度なら常識の範囲を逸脱していないだろう。

「ならばわれがぬしらを晩餐に招待しよう。
 一応限度はわきまえておる故、華美にならぬよう気を付けておく。
 それから言っておくが、遠慮などする必要はないのだぞ。
 誰か連れてきたい者がおるのなら、一緒に連れてきても構わぬぞ」

 誰かと言われても、そんな相手は上倉にはいないはずだった。はずだったのだが、なぜか指導して貰っている美術教師の顔が浮かんだ。そして同時に、その教師にも小学生の妹がいるのを思い出した。

「ええっと、指導して貰っている美咲先生も仲間に入れたいんですが?」
「先生も?」

 意外な相手に少し驚いたアスカは、そう言う意味なのかと口元を歪めた。

「だめよ上倉、教師と生徒の関係を超えちゃ。
 最近仲が良すぎるって噂になっているわよ」

 初めの方はからかいの言葉だとは分かるが、後の方は結構問題だったりする。本当ですかと驚く上倉に、結構聞こえてくるとアスカは告げた。

「どこで、どう、誤解されているのか……」

 はあっとため息を吐いた上倉は、「仲は良いです」と前置きをしてしゃべり出した。

「でも、同じ絵画を志す者同士の関係ですよ。
 付け加えるのなら、先生と教え子の関係でもありますね。
 それに美咲先生は、碇さんに恋をしているんですよ」
「それで、一緒にご招待ってこと?」

 親切ねと苦笑を浮かべたアスカに、実はと上倉はアヤを仲間に入れる理由を打ち明けた。

「先生には、今度6年生になる妹さんがいるんですよ。
 その子が、ヒスイさんのファンだって言っていましたから。
 俺としては、お世話になっていますから何かお礼がしたくて。
 無理を言っているのは分かっていますから、断られても仕方がありませんが」
「別に、無理を言われているつもりはないんだけどね……」

 その程度の人数が増えたところで、負担が特に重くなるわけではない。だから別に構わないとアスカは答えたが、その代わり結構鋭い指摘を返してきた。

「お礼じゃなくて、点数を稼ごうとしていない?」
「どうして、そう言う方向に持って行こうとするんですか?」

 そんなつもりはないと断言しつつ、なぜかどきどきしていた上倉だった。







続く

inserted by FC2 system