終業式の日は、3月最後のモデルの日となっていた。そこで上倉は、何枚か作ったデッサンをシンジに見て貰うことにした。そのあたりはアヤの助言があったのだが、モデル自身の感想を聞こうというのである。付け加えるなら、絵に描かれることの実感を持って貰うことだろうか。ほとんどの人は、自分との差に戸惑うことになるのだからと。
「しかし、こうやって見せられると写真よりも恥ずかしいね……」
合計10枚のデッサンを見たシンジは、「恥ずかしい」という言葉を何度も繰り返した。木炭でラフに書かれたデッサンは、荒削りな生命力が感じられた。なかなか良いなと感心したが、それが自分だと言われると「どこか違う」と感じてしまうのだ。
シンジにしてみれば、自分の顔など毎日鏡で見慣れている。その見慣れた立場から言わせて貰えば、自分の顔はこんなに凛々しくはない。もう一つ付け加えるなら、こんなにいい男では絶対にない。どちらかと言えば、「人相が悪い」と自分では思っていたのだ。嫌になるぐらい、父親に似てきたと思っていた。だからシンジは、はっきりと「美化しすぎている!」と感想を言った。
「これが僕だと言われなければ、凄いって言えるんだけどね」
「別に、俺は美化したつもりはありませんよ」
見たまま、心に浮かんだままに書いたのだ。上倉としては、美化しなければいけない理由はないと思っていた。それに本人は否定しているが、上倉から見たシンジは「格好が良い」のだ。確かに世間で言うイケメンとは違う顔立ちをしているが、それはあくまで一般の基準にしか過ぎない。多くの困難を乗り越え、そして世界に君臨する男の顔だ。それが自信のない、冴えない物であるはずがない。
「しかしねぇ、これが僕だって言われても……毎日鏡で見慣れているからねぇ」
だがシンジにしてみれば、やはり違うと主張したくなる。あまりにもシンジが拘るから、上倉は一つ客観的に評価しようと提案した。
「客観的?」
「ええ、第三者に絵を見て貰うんです。
この絵が誰に見えるのか、そして本人と比べてどうなのか?
他人の声を聞けば、碇さんも納得できるんじゃないですか?」
「そりゃ、まあ、そうだけど……」
そうなると、“美化”された自分の絵が他人の目に晒されることになる。それはそれで、非常に恥ずかしいとシンジは思っていた。だがことの始まりを考えれば、あまり我が儘も言っていられない。ただシンジとして一番怖いのは、「誰、これ?」「もっときもいでしょう?」と言う他人の評価だった。
「じゃあ、まず取りかかりに美咲先生の感想を聞いてみましょうか?」
「わ、私ですかっ!!」
そこで振られると思っていなかったこともあり、アヤは盛大に狼狽えてしまった。話の間にうんうんと頷いてはいたが、そのほとんどが上の空で、シンジの顔ばかり見ていた事情があった。
「先生は誰の絵を描いているのか知っていますから、本人と比べてどうかを教えてください」
「そそそそ、そう言うことを私に振るんですかぁっ!」
「この際指導者としての顔を忘れてですね、心に素直な感想が頂けたらと?」
隠れてにやりと笑った上倉は、「どうでしょう?」とアヤに迫った。
「どうでしょうと言われても……
これは、上倉君の心にある碇さんの像なので……
似ている似ていないじゃなくて、見る人の共感を呼べるかどうかの方が重要だと思うし……」
「じゃあ、聞き方を変えます。
俺の書いたデッサンは、美咲先生の共感を呼びましたか?」
「それを、碇さんの前で聞くんですか……」
顔を真っ赤にしたところを見ると、よほど恥ずかしいところがあるのだろう。それでも教師としての答えを求められれば、アヤも答えないわけにはいかない。
「美化されているかって言えば……そうなのもあるし、そうじゃないのもあるし……
たぶんそれは、見る私の心に関わってくる問題だと思います」
「もっと格好良い方がいいと思うデッサンもあるんですよね?」
そう言って追いつめる上倉を、アヤはどうしてそう言うことを言うのかと恨みがましい目で見た。どれがそうだと答えることは、自分の気持ちをさらけ出すことに繋がってくる。それを本人の前で言えと言うのは、恋する女性には酷な話だろう。
そんなアヤに、上倉は「大丈夫」だと耳元で囁いた。「碇さんは、しっかり鈍感ですから」と、本人にしてみれば否定したくなる決めつけをしてくれたのだ。
「そ、そうですね……どちらかと言えば控えめな物の方が多いかしら?」
「と言うのが、指導教官の答えです。
まあ、それじゃあ納得できないのは分かっていますから、
他の人の意見も聞いてみましょうか?」
にやりと笑った上倉に、勘弁してくれとシンジは泣きを入れた。アヤに論評されるだけで、穴に入りたいぐらい恥ずかしかったのだ。同じことを校内でされると考えると、このまま受け入れた方がよほどましだと思えたのだ。
そうですかと残念がった上倉は、これでも控えめに描いた方だと打ち明けた。爆発するのは、まだまだ先だというのである。
「……お手柔らかに」
「それじゃあ、俺のパトスを絵にぶつけられませんよ」
そうですかと諦めたシンジは、強制的に話を変えることにした。このまま行くと、どんどん深みにはまってしまいそうなのだ。だからシンジは、コハクに頼まれていた宿題を持ち出した。上倉の従妹の話を聞いたコハクが、せっかくだからスケジュールを空けると言ってきたのだ。だからスケジュールを教えろと言うのである。
「それで、コハクからの伝言なんだけど、
いつスケジュールを空けておけばいいのか教えてくれって」
「コハクさんが、そんなことを言ってくれたんですか!」
SSS会長の上倉だが、コハクの魅力を大いに感じている口だった。そのコハクが、自分のことに気を遣ってくれているという。KKKの会長は怖いが、従妹のためと突っ走ることにしていた。
「どういうのが好みだって聞いていたよ。
家への招待が良いのか、それともコハクの私邸が良いのかって。
あとは、ヒスイとかスッピーとかは連れ来なくて良いのかなとかね」
「そこまでしてくれなくても……んっ?」
感激をした上倉だったが、肝心の名前が挙がっていないのに気が付いた。何しろシンジの予定は、ヒスイを連れて役職者回りになっていたはずなのだ。そのヒスイの名前が挙がると言うことは、シンジが一人で回ると言うことなのだろうか。それが引っかかった上倉は、ヒスイさんをお願いしても良いのかとシンジに聞いた。
「どうして?」
「どうしてって、碇さんと一緒にエデンに行っているはずでしょう?
ヒスイさんまで付き合ってくれたら、碇さんが一人になるじゃないですか」
上倉としては、当然の指摘のつもりだった。だがシンジは、おいおいと少しあきれた顔をして見せた。
「将来性豊かな女の子が遊びに来るんだろう?
世間一般では、僕は金髪碧眼の美女が好みなんだろう?
僕を仲間はずれにしなくても良いと思うんだけどね」
「やっぱり、ロリコンだったんですか?」
すかさず言い返した上倉に、「それはそれ」とシンジは嘯いて見せた。
「結構ストレスの溜まることをしているからね。
純真なちっちゃな子って、心を癒してくれるのかなって思ったんだよ」
誰かと違ってロリコンじゃない。ここにいない悪友を、そう言ってシンジは引き合いに出したのだった。
<<学園の天使>>
165:
ジントが議員の立場で芙蓉学園に関わっているように、イツキもまた顧問としてパーガトリの窓口を受け持っていた。ただ多少事情が違うのは、エデンほど政治的な候補者がいないと言うことだろう。就学年齢の王族は、すでに二人とも芙蓉学園に入学しているし、それ以外は幼い姫一人しか残っていない。その姫にしたところで、あと3年は待たなければいけなかった。
ならば事務方の子息となるのだが、意外とこれも候補が少なかったりする。今年に限って言えば、かき集めてようやく3人と言うところなのだ。それだけ社会体制がスリムと言うことなのだが、3界の今後を考えたときには心許ない話でもある。従ってイツキからは、卒業生の登用を考えるべしとフローライトに進言されていた。
「たしかに、芙蓉学園で培われた人脈は貴重だね。
椎名殿の提言は、ありがたく頂戴しておくよ。
ただ彼らが社会に出るのは、まだまだ時間が掛かりそうだね」
ようやく3年になり、その先には4年制の大学が待っている。それまでに受け皿を整えておく必要はあるが、喫緊の課題というわけではない。従ってイツキがその話を持ち出したのも、暇つぶしという側面が大きかった。もっとも必要なことには違いないのだから、疎かにされないよう監視しておく必要が有ることには違いない。
その暇つぶしの中で話題になったのは、王家の慣習に関わる物だった。セージを第一夫人としたフローライトに、これまでと同じことをするのかとイツキが聞いたのだ。
「これまでと同じとは?」
はてと首を傾げたフローライトに、有りすぎて困るだろうとイツキは口元を歪めた。
「第一に、前王は10人の后がいると聞いているぞ。
王様はそれに倣うのかどうか、そのあたりの考え方を聞いてみたい」
「それを、妻を娶ったばかりの私に聞きますか?」
「だから、考え方と聞いたのだがな」
そのあり方が、パーガトリの考え方が分かるのだと。もっともらしい理由を付けたイツキは、それでどうなのだとフローライトの考えを質した。
「それでと、言われても……変える理由がないというのが正直なところだと思うがね」
今まで考えたこともなければ、聞かれても困る問題なのである。
「世襲制を続けている以上、後継者の問題も考えなければいけないし……
そこに確実さを求めるのであれば、やはり夫人は大勢いた方が好ましいのだろうね」
「それが一つの考え方であるのは認めよう。
その延長にある質問なのだが、生まれた子供が女の子の場合、
その子は、これまで通り報償として扱われるのか?」
「難しいことを聞くんだね……」
それもまた、現実問題として考えてなかったことだった。まだ妻を娶ったばかりと考えれば、問題として浮上するのは10年以上も先のことだ。その考えがフローライトに有ったのだが、そこまで先の問題ではないとイツキは差し迫った問題を指摘した。
「ヒスイちゃんを始め、パーガトリの王女には暗殺技が仕込まれていると聞いている。
王様に娘が生まれたら、同じように暗殺技を仕込むかどうかが待ちかまえているのだ。
適齢期に近づいたかどうかより、先に解決すべき問題だと考えるがな」
「たしかに、子供が出来たら考えなければいけないことなのだろうね」
自分の考えに同意したフローライトに、もう一つの問題があるとイツキは切り出した。
「今現在嫁いでいない王女、ルリをどうするのかも課題として残っている。
これまでのように臣下への報償として扱うのか、さもなければ自由にしてやるのか?
今行っている教育も、その時の問題として上がってくるだろう」
誰も止めるといっていないため、幼いルリにも暗殺者としての技能教育が行われていた。パーガトリが変わっていくのなら、このあたりの考え方から変えていかなければならない。暇つぶしでする話ではないのだが、それをどうするかをイツキは質した。
「たしかに、ルリの扱いを考えなければならないだろうね」
ところでと、フローライトは王女に仕込まれた暗殺技のことを持ち出した。
「純粋に技能として考えたとき、失っても良い物なのだろうか?」
「人を殺すための技術など、王女に必要ない……と言いたいところだがな」
改めて問われると、たしかにその意義を考えてしまう。ヒスイやスピネルにしても、その技能が特徴として認められているのだ。戦士を殺すパーガトリの姫という二つ名はいただけないが、技能として考えれば有ってもおかしな物ではない。現にヒスイの技能は、シンジの役に立っているのだ。
「たしかに、パーガトリの姫の特徴としては確立した物ではあるな」
「物騒な技能だというのは認めるが、それもまたパーガトリだと思えるのだよ。
これまで1千年の伝統を、そう簡単に無かったことにして良いのか……
物騒な暗示は取りやめるとして、技能の習熟については判断に迷っているんだ」
「物騒な暗示?」
初耳だと言うイツキに、言いふらすことじゃないとフローライトは言い返した。
「王女は報償であるのと同時に、暗殺者なんだよ。
その王女に寝返られたら、嫁がせた王として堪らないだろう」
「つまり、逆らわないように暗示を掛けているというのか?」
これまでの王女の目的を言われれば、たしかに否定は難しくなる。相手が裏切ったとき、姫を使って命を絶とうというのだ。それが確実に遂行されなければ、王制の存続自体が難しくなるだろう。
「命令を受ければ、夫を殺す暗示も掛けられていた。
さすがに、これからの世界、そのような暗示をかけるわけにはいかないだろう。
だからルリに暗示を掛けるのを停止する指示を出してあるのだが」
「まあ、正しい判断だと言わせて貰うが……」
そうなると問題は、すでに成長した姫の暗示である。フローライトの言葉が正しければ、ヒスイやスピネルにも暗示が掛けられていることになる。今更フローライトがシンジの暗殺を考えるとは思えないが、物騒なことに違いのない物でもあったのだ。
「そうなると、ヒスイちゃんやスッピーにも暗示が掛けられているのだな?」
「二人の場合、ちょっと事情は違っているよ。
どさくさで貰われたスピネルの場合、最後の暗示は完成していないんだよ。
けれどヒスイの場合は、シンジをターゲットとする暗示が掛けられているね。
ただ、使用する必要がない物として、父上からの引き継ぎは受けていなんだが」
だから自分には発動条件は分からない。だがイツキにしてみれば、それで良いのかとも聞き返したくなる。何しろシンジは、そんな暗示の存在を知らないのだ。何かの間違いで発動しよう物なら、悲惨な事態を引き起こすことは間違いないのだ。
「目的から行けば、間違いなく発動できることが必要なのだろう。
そうすると、ヒスイちゃんの暗示が間違って発動することはないのか?」
「よほどのことがない限り、それを考える必要はないだろうね。
日常発動することがないように、特殊な文字列の組み合わせがキーワードになっているんだ。
偶然でそのキーワードが使われることは、まともに考えればあり得ないだろうね」
「だが、シンジには教えておいた方が良いのではないのか?」
知っているのと知らないのでは、危険に対する備えが変わってくる。だから知らせるべきだというイツキに、それも善し悪しだとフローライトは反論した。
「知らなければ、一生発動することがない暗示なんだよ。
だったら、余計な心配事を持ち込まない方が良いのではないのかな?
知ってしまえば、間違って発動しないか怯えることになりかねない。
それぐらいなら、知らせない方が幸せだと思えるんだよ」
「だが、シンジならば暗示を解くことも出来るのではないのか?」
「その対策が成されていないと考えているのかい?」
姫を貰う方にしたところで、暗示の存在を知らないはずがない。だったら、それを解こうとするのは自然の流れのはずだ。そうすれば、美しい姫と安心して暮らしていくことが出来る。そうでなくとも謀反を考えている者には、必要な措置だと言えるだろう。
「暗示のことを知らなければ、解除しようなどと考えないだろう。
そうすれば、落ちなくても良い落とし穴に落ちることはなくなるのだよ。
簡単なことで落ち込むようなトラップじゃないからね、普段の生活に影響は出ないよ。
だからシンジには、余計な情報を与えない方が良いと思っている」
「間違って発動したらどうなるのだ?」
「相手を殺すまで、何があっても解けることはないよ。
だから発動してしまったら、殺すか殺されるかのどちらしかなくなってしまう。
それもあるから、シンジに余計な真似をさせないのが重要なんだよ」
迂闊に触れれば、取り返しの着かないことになりかねない。知らないリスクより、知ったときの方がリスクが高いと言えるだろう。そう説明されれば、イツキも教えないという選択を指示せざるを得なかった。
「じゃあ、スッピーの暗示はどうなっているんだ?
殺すべき夫を明確に指定していないのだろう?」
「そう言う意味では、暗殺を指示するキーワードは存在しないね。
あるのは、掛けられた暗示を保護する物だけだよ。
それこそ、知らなければ一生発動することはないだろうね」
「そのことを、本人は知っているのか?」
よくよく考えれば、それが一番重要なこととなる。シンジに知らせないという意味では、二人が知っていない方が都合が良い。
「残念ながら、二人とも暗示のことは知っているよ。
不慮の事故を避けるためには、その方が都合が良いからね。
それに、パーガトリにいれば、逆に知らない方が不思議なことでもあるんだよ」
「だったら、それを利用しようとする者が出るんじゃないのか?
誰かがシンジをそそのかすことも考えられるだろう?」
悪意を向けられたなら、そうなる可能性を否定できない。イツキの示したリスクを、可能性が低いとフローライトは断じた。
「シンジの性格からして、暗示を解こうとするのはあり得るだろうね。
だけどヒスイやスピネルの意思を無視すると思えるかい?
二人とも危険性を理解しているから、間違いなく反対することになるよ。
だったらシンジも、無理にとは言わないだろう?」
「たしかに、シンジの奴ならそう考えるだろうな……」
そう考えれば、たしかに問題は起こりようがないと思える。それでも引っかかりは感じるのだが、考え過ぎだとイツキも思っていた。シンジの性格からして、他人の心に踏み込むことはあり得ないし、それをするようなときはよほどの事態に違いない。誰に相談もなく、シンジがヒスイの心をいじることはあり得ないだろう。
「ところで王様、参考までにヒスイちゃんのキーワードを教えて欲しいのだが?」
「先ほど、教えて貰っていないと言ったつもりなんだが?」
それ以上にと、フローライトは「無駄」な考えだと口元を歪めた。
「そんなことになったら、間違いなくヒスイは後を追うだろうね」
「まあ、俺様には何一つ良いことはないな」
やっぱりだめかと笑うイツキに、二人では足りないのかとフローライトは言い返した。
「ネリネとタンポポを家に入れたのでしょう。
椎名殿は、あの二人では物足りないと言われるのかな?」
家に入れてからの時間を考えれば、何もないとは考えられない。それでも他に目がいくと言うことに、フローライトは「足りない」という言葉を持ち出した。もちろんイツキが反発したのは言うまでもない。
「俺様を、シンジの奴と同じにするな。
俺様の愛は、広く遍く降り注ぐ物なのだ。
別に二人に不満は……不満は……不満は…………」
無いという答えを期待していたところに、いきなりイツキが考え込んでしまったのだ。意外な反応に目を丸くし、どうかしたのかとフローライトは聞いてきた。
「なに、普通にしていれば申し分はないのだが……」
つまり普通でないときに問題があることになる。実はとイツキが切り出したのは、これまた理解不能な疑問だった。
「王様に質問なのだが、パーガトリの女性というのは妄想癖が酷いのか?」
「妄想癖、ですか?」
予想外の質問に驚く国王に、大したことではないとイツキは言い訳をした。
「なに、二人とも“かなりの頻度で”妄想の海にダイブしてくれるのだ。
二人が二人ともなので、パーガトリ女性に共通の物なのかと思ったのだが」
国王が驚くところを見れば、それが勘違いであるのが知れるのだ。だったらたまたま“あたり”を引いたのだと、イツキは大人しく諦めることにした。それさえ我慢できれば、他に問題のない組み合わせなのだ。それに、今更総取っ替えするのも面倒としか言いようがない。分け隔て無く愛を与えると言っている以上、その程度のことで見捨てるわけにはいかないだろう。
まあいいと拘ることを止めたイツキは、先ほどの答えだと「不満はない」と口にした。
「ただ、ヒスイちゃんは惜しいなと思っただけだ」
「まあ、ヒスイが最上であるのは認めるがね」
自分だって妻にしたい口なのだ。だからフローライトも、イツキの言いたいことぐらいは理解していた。そして理解した上で、良いことを思いついたとフローライトは膝を打った。
「椎名殿、ルリを家に入れるというのはどうだろう?
ヒスイとは姉妹だから、将来必ず美人になりますよ。
それに、プリムラにも遊び友達ができるメリットがあるでしょう!」
確かに、最後に残った王女なのだ。パーガトリの王女というブランドを考えれば、残された最後のプライズかも知れない。かも知れないが、イツキにしてみれば問題の多すぎる提案でもあった。何しろルリは、リリンで言う小学3年生……春になれば4年なのだが、それぐらいの少女なのだ。その少女を赤の他人の家に住まわせるとなると、まあ普通にいろいろと問題があるだろう。
しかも提案の向こうに、フローライトの思惑が透けて見えてしまう。
「俺様に、子守をさせようと言うのかな?」
自分は託児所ではないと主張するイツキに、そんなことは期待していないとフローライトは言い返した。
「前にも言ったと思うが、特に婚姻を年齢で制限していないのだよ。
特にルリは最後の王女だからね、誰かのところに嫁ぐのは当然なんだよ。
今のパーガトリを考えれば、椎名殿が一番政治的意味も大きくなってくる。
それを考えれば、周りもルリの嫁入りは当然だと考えるだろうね」
「俺様は、そう言う政略的なことは好まないのだがな」
シンジとは違うと主張するイツキに、同じでも良いのではとフローライトは返した。
「確かに、ヒスイの婚姻は政略的な物だったよ。
だけど結果は、ヒスイは王女として望み得なかった幸せを手にしたんだ。
だったら椎名殿が、同じようにルリを幸せにすれば問題はない」
できないのかと言われれば、できないと言えない話でもあった。
「確かにルリは未成熟だが、伽をすることならできるだろう。
過去を紐解けば、もう少し幼い姫が嫁いだ実績もある。
まあ子供ならば、暗殺技も仕込まれていないと期待したのだろうがね」
「それで、その結果は?」
「その戦士は、考えの甘さをあの世で悔やんだだろうね」
つまり、子供でも立派な暗殺者だというのだ。よしてくれと言いたい気持ちと、自分をなんだと思う気持ちの両方に、何を考えているのだとイツキは詰め寄った。
「俺様のストライクゾーンは広いが、幼女をそんな対象には見ないぞ」
「今は幼女ですが、3年も経てば椎名殿の守備範囲にはいるのではありませんか?
確実にルリを手に入れるには、今が一番良い時なのですよ」
それに話なら聞いているとフローライトは口元を歪めた。
「椎名殿は、幼女を自分好みに育てるのが趣味なのでしょう?」
「そんな話、一体誰が王様にしたのだ?」
今更聞かなくても、そんなことをパーガトリ国王に言える相手は決まっている。そしてイツキの予想通り、フローライトはシンジの名前を出してくれた。
「椎名殿の愛読書には、その手の物が多かったと聞いているよ。
どうです、実際にルリを養育してみるというのは?
本人も、椎名殿なら喜んで嫁ぐことでしょう」
すぐにでも手続きを進めると言うフローライトに、冗談は止せとイツキは言い返した。
「俺様は、そんな人の道に外れることはしないのだよ」
「そんなことなら大丈夫、パーガトリでは普通にあることですから」
だから遠慮など必要ない。すぐにでもルリを連れてきそうな様子に、どうした物かとイツキは思案を巡らせたのだった。
***
ジントが来たことを伝えたコハクは、「まずくはないか」と掻い摘んでそのときの話を伝えた。
「マディラを芙蓉学園に入学させるに当たり、カエデの家に住まわせるというのだ。
しかもそれを、カエデが承知したという。
シンジよ、何かあやつらおかしなことになってはおらぬか?」
「最近会った時は、そんな様子は見られなかったけど……」
ふむと考えたシンジに、男は鈍感だとアスカが口を挟んだ。
「特にあんたは鈍感だと思うけどね。
だいたいシンジ、あんたはどうやって花菱に話を持っていったの?」
「ええっと、花菱君が模範を示せば良いんじゃないかって。
一応桜庭さんの家は良くないって釘を刺しておいたんだけど……」
「良くないじゃなくて、だめって言っておかなくちゃいけなかったわね」
いいかと、アスカはシンジに向かって男がだめな理由を力説した。
「シンジもそうだけど、女心が分からなさすぎよ。
花菱の奴、マディラを家に入れた時、カエデがどう思うかを甘く見ているのよ。
たぶん、学園における意義とか、みんなが一緒に住む必要性だけ強調したんでしょう。
花菱がそんなに張り切ったら、カエデが反対できるはずが無いじゃない」
「それを思って、釘を刺したつもりだったんだけどね……」
「つまり、あんたが分かる程度のことも分からなかったってことね」
ふっとため息を吐いたアスカは、「甘えすぎだ」とジントを評した。
「カエデに責任がないとは言わないけど、あいつカエデに甘え過ぎよ。
もうちょっとカエデのことを考えないと、いつか酷い目に遭うことになるわよ」
「桜庭さんの心が花菱君から離れる?」
困ったというシンジに、その程度だったら有り難いとアスカは言い返した。
「それぐらいなら、あまり大したことじゃないと思うわ。
今までの観察だと、カエデってちょっと極端だから」
「まさか、刃傷沙汰とか言わないよね」
止めてくれと言うシンジに、「カエデが花菱を傷つける真似はしない」とアスカは答えた。
「ただし、それ以外の相手にどうするかは分からないわ。
それくらい、あの子は思いこみが強いから……業が深いって言っても良いかしら」
「だけど、そうなるとちょっと困ったことになったね。
二人が納得していると言われたら、その話を蒸し返すわけにはいかないし……
かといって、桜庭さんに「いいのか?」なんて絶対に聞けないだろう?」
打つ手が思いっきり無くなってしまった。そう零すシンジに、「カエデを返したらどうか?」とコハクが提案した。議員が復学できるのだから、カエデでもできるだろうというのだ。
「離れているのが問題なら、一緒に住まわせればそれで良いだろう。
カエデも芙蓉学園の生徒に違いないのだから、復学させるのも一つの手ではないのか?
なに、移動の問題は我らが便宜を図れば済むことだろう」
「それが一番有効な手なんだけど、連れ戻す理由に乏しいのよ。
ノエインは今、一番大切な時期にあるのよ。
そしてカエデは、そのノエインの中心となっているわ。
花菱が学園に戻ったからと言って、ノエインを放り出す理由にはならないもの。
多分そんな話をしたら、カエデも絶対に承知しないわ」
カエデの重心が芙蓉学園に移れば、押さえていた虫がうごめき出す。それも心配だとアスカは答えた。
「でも、何か手を打たないとまずそうね。
コハク、あんたのところでカエデを保護しているのよね?」
「私生活に干渉しないよう、自宅以外でガードをしているぐらいだな。
当然、カエデの護衛には女性をつけてあるぞ」
宜しいと頷いたアスカは、今まで以上に注意させるようにと指示を出した。
「それから、自宅の中も観察するように命令して。
ため込んだ物は、人目のないところで噴出する物だから」
「うむ、早速そう申しつけることにしよう」
それで良いと答えたアスカは、まったくと小さくため息を吐いた。
「みんな、成果を急ぎすぎているのよ。
そんなことをすれば、絶対どこかに歪みが出るんだから。
今まで成功したせいで、絶対に注意深さが欠けているわよ」
自分から問題の種をまいてどうする。アスカはシンジの軽率さをなじったのだった。
続く