自分で調整すると言った以上、ジントは何をすべきか整理することにした。一番の目的は、マディラを連れて芙蓉学園に復帰すること。そのためにしなくてはいけないのは、マディラに対しての入学許可を得ることと、同じく美咲市での居場所を確保することである。その居場所として、ジントはカエデの家を考えた。そこならば、ヒバリたちと一緒に住むことが出来るだろう。それに、周りに対しての効果も大きいと考えた。
 そうなると一番の問題は、カエデにうんと言わせることだろう。なにしろ学園祭で紹介して以来、カエデとちゃんと話し合ったことがなかったのだ。

「マディラさんと、私たちの家に住むんですかぁ?」

 コハクに許可を取る前に、最初にカエデの了解を貰おうと考えていた。だが返ってきた答えは、拒絶を滲ませた冷たい言葉だった。カエデにしてみれば、自分がいないところにマディラを連れ込むというのだ。ジントの言う意味は理解できても、感情の面で付いてきてくれなかった。
 だがジントにしても、今度のことは退くことは出来なかった。3界の成り立ち、そしてエデン内の問題。特に新たに役職候補者を生徒として受け入れる以上、先延ばしに出来ない問題だと考えていたのだ。だからジントは、カエデに「理解してくれ」と一方的に主張した。

「今のままで役職候補者を入学させれば、間違いなくエデン内で壁が出来てしまうんだ。
 そうならないためにも、マディラを潤滑剤として入学させる必要がある。
 そのためには、ヒバリたちと一緒に住むことが必要なんだよ」

 ジントとしても、他にも色々と対策を考えてきた。だがいくら考えても、これ以上の妙手が見つからなかった事情があった。送り込まれる候補者達を知っているという気持ちが、ジントの責任感を強くすることになっていた。
 だがカエデにしてみれば、自分の家というのは特別の場所なのである。そこにマディラを連れてくると言うことは、その特別な領域を侵されることに繋がる。そこには、理屈で割り切れない感情的な反発が生まれてしまうのだ。しかもジントは、家族の関係を利用することしか考えていない。

「ジン君、みんなで一緒に住むのは、他人の事情なんですか?
 私がいないところで、お父さんの家にジン君とマディラさんが住むんですよ。
 私がどう思うのかを、ジン君は考えてくれたんですか?」
「考えたさ、だから最初にカエデに相談に来たんだ。
 家のことなら、準備が出来るまでマディラを寮に入れる。
 別に、新学期始まってすぐということじゃないんだ」

 ジントとしては、カエデのことを最優先に考えているつもりだった。だからコハクに話す前に、カエデのところに許してもらいに来たのだ。ただ“許して貰える”と考えることが、カエデに対する甘えとしか言いようがない。ジントの考えは、家を離れて戦うカエデの基となる部分を侵していた。
 カエデにしたところで、マディラを学園に入れる意義は理解できていた。これまで3界の融和というテーマに挑んできたが、それも前回の学園祭で一つの成果を得たのだ。そして次の段階として、芙蓉学園はコハク以外の役職候補者を受け入れることにした。これは、さらなる3界の融和という意味以上に、エデン内の階層意識に対する影響が大きくなる。たしかに何も手を打たなければ、ジントの言うとおり両者が壁を作ることになるだろう。それを避けるためには、マディラの入学は一番いい手なのは違いない。そして、ただ入学させる以上に、ヒバリたちと一緒に住むことは意味がある。それは理屈で分かっても、感情が付いてきてくれなかった。文句を付けるのなら、マディラを妻にすることを、ジントから説明されたこともなかったのだ。

「別に、いつからでも一緒なんです。
 いいですかジン君、私はジン君と一緒に住めないんですよ」

 カエデの抱えた事情を考えれば、おいそれと日本に戻ることは出来ない。それを考えると、居場所を含めてジントを奪われた気がしてしまうのだ。

「それは、今までと何も変わらないだろう。
 それに、美咲市ではキキョウたちも一緒なんだ。
 別に俺は、マディラだけを優先しているつもりはないんだ」
「今までと変わらないって……ジン君、本当にそう思っているんですか?」

 信じられないと叫ぶカエデに、どうしてだと逆にジントは言い返した。ジントにしてみれば、居場所がエデンから美咲市に変わったという考えしかない。むしろ帰ってきたという考えの方が強かった。

「カエデだった、それが必要なことぐらい分かっているだろう!」
「分かっていますよ、でもそれとこれは別だと思います!!」
「どうして、分けて考えなくちゃいけないんだ!」

 どうしてと言われれば、自分の気持ちとしか言いようがない。だからカエデは、これ以上ジントに言い返すことが出来なかった。いくら言っても分かって貰えないのなら、これ以上ジントと喧嘩をしても意味がない。これ以上言い争って、一番大切な物を失っては元も子もない。

「そうですよね、ジン君の言うとおりなんですよね……」

 声を震わせ、カエデは言いたいことを必死で押さえ込んだ。そして努めて明るい顔をして、「分かりました」とジントに返した。これ以上言い返したら、きっとジントに嫌われてしまう。散々酷いことをした自分なのだから、これぐらいでもしないとジントに恩を返せないと。

「お、お父さんには私から説明しておきます……」
「ありがとうカエデ、そうしてくれると嬉しいよ」

 あからさまに安堵するジントに、カエデの胸に黒い物が渦巻き始めた。娘の家に、他の女性を連れ込むというのだ。そんな物を、娘の父親に言いにいけるはずがない。それを分かっているのだと思うと、どうしても腹が立ってしまう。
 だがそんな感情も抑え込み、「ジン君のためですから」とカエデは笑みを作った。そうして感情を抑え、我慢をするいつもの顔だった。だからそれを知らないジントは、カエデが分かってくれたのだと誤解をしてしまう。「ありがとう」と笑ったジントは、一仕事終えたとばかりに大きなため息を吐いた。その行動もまた、カエデを悲しい気持ちにさせた。

「ジン君、今日はゆっくり出来るんですか?」

 せっかくジュネーブまで来たのだから、ゆっくりとデートをしてみたい。考えるまでもなく、一度もジントと町を歩いたことがなかったのだ。そんな願いを込めたカエデだったが、ジントの答えはその思いを踏みにじるものだった。

「悪いな、まだやらないといけないことが残っているんだ。
 すぐにエデンに戻って、マディラと一緒にコハクさんのところに行かないと……」

 時間的な物を考えれば、すぐにでも許可を貰う必要がある。そうしないと、新学期からの受け入れが難しくなるだろう。ちゃんと説明さえすれば、誤解を招きようもない理由なのだろう。だがジントは、カエデだからと説明を省略してしまった。カエデなら、説明しなくても理解してくれる。それもまた、カエデに対するジントの甘えだった。

「そう、なんですか……」

 やはり分かってくれないと、カエデは大人しく引き下がることにした。







<<学園の天使>>

164:







 誰からと言う疑問に対し、シンジは上からと言う間違いようのない解決策を示した。そうすることで、順番に対する文句は言いにくく、そして相手も備えが出来るだろうというのだ。その考えに間違いはなく、そして反対するほどのことはないとコハクも賛成した。
 従って、アデュラリアを訪問した次は、自動的に次席のカーネリアンということになる。

「碇様、お待ちしておりました」

 正装して迎えに出たカーネリアンに、堅苦しい真似は止めましょうとシンジは微苦笑で返した。やせ気味のカーネリアンなのだが、それでもさすがは天使。シンジと違ってエデンの正装が似合っているのだ。そんな格好をされると、どうしても普段着の自分と比較してしまう。どこでも感じることなのだが、場違いだと思い知らされてしまうのだ。だからシンジとしてのお願いは、遊びに来たという雰囲気にして欲しいのだと。

「ヒスイを連れてきては居ますが、公式の訪問だとは考えないで欲しいんです。
 サードニクスさんに、「もっと顔を出せ!」と忠告されましたから、
 それを実践しようかと思っただけなんですよ」
「なるほど、サードニクス様がそのようなことを言われたのですか。
 いやいや、なかなかサードニクス様も我らの気持ちをよく分かっておられる。
 だがそれ以上に、碇様はもっと気が利かれる!!」

 シンジの気が利くというのは、ヒスイを連れてきたことだろう。宴の場で会うのも悪くないが、こうして自宅に招くのは格別なのだ。パーガトリの宝石は、どこにおいても明るく輝いてくれる。
 上機嫌のカーネリアンは、さあさあとシンジ達を中に招き入れた。この辺りはエデンの役職者で共通なのだが、広くて長い廊下を歩き広間へと通される。距離の長さを考えれば、空間移動した方が手軽なのだ。だが情緒と客との会話を楽しむ彼らには、この程度の歩き話も重要だと考えていたのだ。

「実のところ、碇様がお出でになるのを首を長くしてお待ちしていたのです」

 その言葉通り、カーネリアンは本当に嬉しそうな顔をしてシンジに語りかけた。たぶんそれは本心なのだろうが、そう言われると今まで訪問しなかったことに罪悪感を感じてしまう。それにこれからしようとしていることは、その気持ちを踏みにじる行為でもある。だからシンジは、心の中で「ごめんなさい」と謝りながら、歓迎されて嬉しいと返した。

「どうしても、気後れしてしまうところがあるんですよ。
 だからこうして歓迎して貰うと、なにか恐れ多い気がしてしまうんです」
「碇様が、ですか?」

 大いに驚いたカーネリアンは、すぐに腹を抱えて笑いだした。カーネリアンにしてみれば、シンジを招くことの方が恐れ多いと思っていた。結果だけ見れば、両方が同じことを考えていたことになる。異文化の交流とはこういうことかと、とても愉快な気持ちになったのだ。

「やはり、こうしてお会いすると新鮮な発見がある物ですな。
 そう言う意味でも、本日はお出でいただいて良かったと思っていますよ」

 ちょうど広間に着いたこともあり、カーネリアンは自分で扉を開いた。そしてお楽しみくださいと、シンジ達二人を中へと招き入れた。体育館と言うのは言い過ぎかも知れないが、そこには大きな空間が広がっていた。そしてその広すぎる広間の真ん中に、20人分ぐらいのテーブルが用意され、その上には趣向を凝らした料理が並べられていた。時間を考えれば、食事をしながら話そうというのだろう。ゆっくりするにはちょうど良いが、作法という面ではヒスイには厳しい環境でもあった。優雅に振る舞うことには慣れていても、パーガトリの食事環境はリリンにも劣っている。碇家にいては、公式行事の振る舞いも身につけにくい。
 部屋の中には二人を待つように、二人の女性が立っていた。天使の年齢はわかりにくいが、一人は30代ぐらい、そしてもう一人は子供と言っていい年齢だろう。二人はシンジを認めると、深々とそして優雅にお辞儀をした。二人の格好から考えると、どうも側仕えではないようだ。

「妻のアメトリンと娘のアクアマリンです。
 娘の方は、コハク様にお願いして来年芙蓉学園に入学させようと思っています」

 父親に促され、アクアマリンはシンジの前に進み出た。そして少し緊張しながら、「アクアマリンです」と挨拶をした。黒い髪をセミロングにした、育ちの良さが顔に出た美少女だった。

「丁寧な挨拶ありがとうございます。
 私は、碇シンジと言います。そしてこちらが、妻のヒスイです」

 シンジに促され、ヒスイはアクアマリンに向かってお辞儀をした。どこがどう違うとの説明は難しいが、優雅さではヒスイの方が数段勝っていた。それが嬉しかったのか、アクアマリンは頬を染めてヒスイの顔を見ていた。どうもこの少女にとっての興味の先は、シンジではなくヒスイのようだ。

「さあさあ、挨拶も済んだのなら席に着きませんか。
 せっかくお時間をいただいたのだから、ゆっくりとお話をさせて頂きましょう」

 きらきらと星を映したアクアマリンの瞳に、今日はこういうパターンかとシンジはこの後の展開を考えた。妻子が加わったのは予定外だが、逆に今後多くあるケースだとも言える。どこまでが不自然さを感じさせないか、出来るだけ早く調べておく必要がある。
 ただその場合の問題は、家族の興味がヒスイに向いていることだろう。これまでの打合せでは、シンジが関心をそらす役目になっていた。そのもくろみが、いきなり外れたと言うことになる。

 そこでシンジが考えたのは、逆に二人の意識をヒスイに引きつけようと言うことだった。用意された豪華な食事を逆手にとって、ヒスイの苦手なテーブルマナーを教えて貰おうというのである。そうすることで、女性二人はヒスイにかかり切りに出来る。
 そう考えたシンジは、「お願いしにくいこと」と話を切り出した。

「是非、ヒスイに食事のマナーを教えて欲しいんです。
 ええっと、家ではリリン風にしているので、会食というのがあまり無くて……
 まあ、僕自身そう言うのに慣れていないというか、したことがないというか……」
「たしか、パーガトリの食事環境は十分ではないと言うお話でしたな……」

 お粗末と言わないのは、ヒスイに対する配慮だろう。なるほどと納得したカーネリアンは、女性のことは女性にと、妻と娘にその役目を任せることにした。まだ幼い娘は、ヒスイに対して強い憧れを持っている。こうした形で仲良くなるのは、娘にとっても良いことなのだとカーネリアンは考えた。

「では妻と娘に、その役目を任せることにいたしましょう。
 それならそれで、私は碇様と男同士の話をしたいと思います」
「では、私たちはヒスイ様の横に……」

 立ち上がったアメトリンは、娘に促して椅子をヒスイの横に移動させた。嬉しそうなアクアマリンの表情を見るかぎり、シンジの申し出は彼女にとってプレゼントになったのだろう。
 それを嬉しそうに見るカーネリアンに胸を痛め、シンジは何から話しましょうかと笑顔を作った。

「そう改まって言われると、なかなか難しい物ですな」

 笑みを崩さず言うカーネリアンに、だから先に話を持ちかけたのだとシンジは白状した。なかなか共通点が少ないだけに、話のとっかかりが難しいのだと。たしかにそうだと、カーネリアンもそれに同意した。

「そうしたところも、課題だと認識しております」

 それでと、カーネリアンは話の取りかかりを作ることにした。立場はシンジが上でも、年齢は自分の方が上なのだ。ならば年少者をリードするのは自分の役目だろう。

「この1年は、碇様にも色々と大変なことがありましたな。
 お倒れになられたお父上、その後の経過はいかがでしょうか?」
「おかげさまで、今はすっかり元通りになっていますよ。
 残念ながら、色々と都合の悪いことは忘れているようですけどね」
「都合の悪い、ことをですか?」

 にやりと笑ったカーネリアンに、シンジも合わせるように口元を歪めた。

「ええ、都合の悪いことをですよ。
 僕としては、色々と父には言いたいこともあったんですけどね。
 そんな僕を前にして、「こんなに立派になったのは自分の教育が良かったのだ」
 なんてことを言ってくれるんですよ。
 そりゃあ、かなり反面教師になってくれましたけどね。
 でも何が酷いって、僕への仕打ちの数々、それを全部忘れているんです」
「ゲンドウ様の中では、碇様を正しく導いたことになっているのですな?」

 笑っているところを見ると、カーネリアンもシンジの事情を知っているようだ。だからシンジも、そうなのだと大げさに同意して見せた。

「エヴァ……機動兵器に乗せたこと、芙蓉学園に無理矢理入学させたこと。
 その手のことは、いっさい抜け落ちているんですよ。
 本当に忘れてしまったのかが疑問なんですけど、
 性格のねじ曲がったところだけは健在で、絶対に尻尾を掴ませないんです。
 母さんとのことも、結婚当時の良い思い出しか残っていないんです!
 散々家族を蔑ろにしてきたくせに、僕には家族を大切にしろと説教するんですよ。
 一体どの口で言っているのかって、文句を言いたいぐらいです」

 父親への不満を爆発させたシンジに、なるほどとカーネリアンは吹き出した。父親のことを話すとき、シンジからは3界1の英雄という顔が消えているのだ。その代わり表面に出たのは、17歳の少年としての素顔である。これもまた英雄の一面なのだと、愉快な気持ちになっていた。

「お父上には、それで良かったのではありませんか?」
「まあ、思い出してもあまり良いものでないのは確かですけどね。
 母を亡くしたときのこととか、世界を壊したときのこととか……
 相当あくどいことをしたみたいですから、思い出さない方が平和というか……
 ただ、そのあたりの記憶がなくなったので、公務には戻せそうもないんですよ。
 まだ50そこそこのくせに、コハクの別邸で側仕えを侍らせて隠居生活をしています」

 困った物だと嘆くシンジに、「息子が立派になったからだ」とカーネリアンは慰めた。

「何しろ碇様は、3界1の勇者なのです。
 そして政治的にも、非常に大きな発言力を持たれるようになりました。
 ここまで苦労されたお父上です、事情を考えれば引退されるのも仕方がないと思いますよ」
「たしかに、父の役目は終わったのかも知れませんね……」

 それはそれで寂しいのだとシンジは白状した。

「憎まれっ子世にはばかるとか、殺しても死にそうもない父親だったんですよ。
 まだまだ世間にも憎まれ口を叩いて、活躍すると僕は思っていました。
 それが、こんな形で退場することになるだなんて……
 命を取り留めただけでも、本当なら感謝しないといけないですけどね……」
「そう言えば、お父上を狙った犯人は見つかっていませんでしたな」

 カーネリアンがその言葉を口にしたとき、反対側で作法を習っていたヒスイが可愛らしくくしゃみをした。それがおかしかったのか、女性達の間で笑い声が上がっていた。

「そのことでカーネリアンさんにも助けて欲しいんですが、
 今のところ、全く犯人の目星がついていないんですよ。
 カーネリアンさんに、何か心当たりはありませんか?」
「残念ながら、特にないですな……」

 少し平坦な声で、カーネリアンは言い切った。

「使用された薬物も特殊な物らしいんですが、ご存じですか?」
「いえ、知りません。
 私は、薬物には詳しくありませんので」
「薬物に詳しい人が、疑わしいと言うことになりますか?」
「必ずしもそうではないでしょう。
 配下に専門家がいれば、本人の知識は問題にならないと思います」

 カーネリアンの声から、表情豊かな抑揚が消えていた。少し不自然な会話に、シンジはすぐに話を打ち切ることにした。

「もしも何か気づいたことがあったら、すぐに教えて貰えますか?」
「はい、碇様にお伝えするようにいたします」

 そこでシンジは、「そう言えば」と少し声を潜めた。

「男として参考にしたいのですが、カーネリアンさんはアメトリンさんだけなんですか?」
「一体何を言い出すかと思ったら、そう言う微妙なことをお尋ねになりますか?」

 わざとらしく困ったという顔をして、カーネリアンはアメトリンに視線を向けた。小さな声でシンジは言ったのだが、どうやらアメトリンにも聞こえていたようだ。それはと答えようとしたカーネリアンを黙らせ、勝ち取ったのだとアメトリンは答えた。

「おかげさまで、役職は捨ててしまいました。
 でも今は、それも良かったかなと思っています」
「役職がないと言うことは、お嬢さんはどうなるんですか?」

 自動的に順位候補にされるのは、女性役職者の子供だけだと聞かされていた。その理解に誤解がなければ、アクアマリンは候補ではないことになる。

「どうも碇様は誤解をされているようですね。
 役職を捨てたとは言いましたが、別に首になったわけではないのですよ。
 一応後進に道を譲るという形で、円満な引退をしました。
 ですから元役職者の娘と言うことで、娘もちゃんと資格を持っています。
 ただし、空き待ちと言うのは確かなんですけどね」
「なかなか、奥の深い制度なんですね……」

 うむと感心したシンジに、考えすぎだとカーネリアンは笑った。

「制度上役職を持つ女性が減るのは好ましくないんですよ。
 そのせいもあって、暗黙の了解で娘が資格を持ったというわけです」
「女系となると、そう言う問題もあるんですね……」

 つまり苦肉の策と言うことになる。なるほどなるほどと納得したシンジに、責任は重大なのだとカーネリアンは迫った。

「従いまして、碇様にはコハク様が4位なのを忘れないで頂きたいのです。
 是非とも沢山御子を作られて、最高評議会存続にご貢献願いたい」
「コハクの子供……ですか?」
「夫婦なのですから、別におかしなことではないと思いますが?」

 どうですかと言われれば、そうですとしか答えようがない。役職を持つ者として、後継者を残す社会的責任がある。その責任を除外しても、夫婦が子供を残すことに疑問を挟む余地はない。だが、そうは言っても「すぐに作れ」と言われるのは勘弁して貰いたい。まだまだ早いというのが、今のシンジの感覚だった。

「コハクはほら、まだ成長途中ですから」
「私どもの医学水準、まさか忘れたとは言いませんな?」

 そのあたりのことは、エデンでは問題にならないというのだ。それを指摘されればシンジとしても辛いところがある。答えに詰まったシンジに、カーネリアンはヒスイを持ち出し追い打ちを掛けた。

「ヒスイ様、パーガトリでも御子を望まれているのではありませんか?」
「父を含め、まだなのかと言っているのは確かですね」

 しかもヒスイまで同意してくれるのだから、シンジには逃げ道が無くなってしまう。もっともヒスイの場合は、追いつめるだけでは無いのが救いだが。

「ただ私は、シンジ様が望まれたときにと思っています。
 周りの期待はあくまで周りの物。
 私たち家族のことは、家族全員で考えれば良いと思います」
「たしかに、一番大切なのは碇様、ヒスイ様のお気持ちですな。
 たしかに子供のことは、周りが指図するようなことではありません」
「ご理解いただけで幸いです……」

 とりあえずかわせたとほっとしたシンジだったが、「それで」とカーネリアンは逃がしてくれなかった。

「それで、と言いますと?」
「話の流れから行けば、碇様のお気持ちのことだと分かるかと思いますが?」

 やはりそうかと諦めたシンジは、「1年以内は無い」と答えることにした。つまり芙蓉学園在学中はないと認めたのである。

「リリンの感覚だというのは分かっていますけどね。
 まだ高校生というのは一人前だとは誰も思いません。
 少なくとも、高校を卒業してからだと思っています。
 もちろん、それが僕のこだわりだと言うことは理解していますよ」

 クレシアにも言われたことだが、それを気にするのはシンジぐらいなのだろう。強く否定するつもりはないが、感情的にはまだ早いというのがシンジの気持ちだった。特に急ぐ必要がない今、それを優先したいと思っていただけのことだった。

「みなさまお若いですからな、たしかに急ぐ必要はないのでしょう……
 ただ、まだコハク様の御子が見られないというのは、少し残念な気がしております」

 急くような真似をして申し訳ない。それに子供のことは、周りから散々言われているのだろう。それを持ち出した非礼を侘びたカーネリアンに、気にしていないとシンジは笑って見せた。

「立場上、そう言われるのは無理もないと思っていますよ」

 それ以上に自分の方が失礼なことをしている。その負い目がある以上、カーネリアンに文句を言うことなど出来るはずがなかったのだ。



***



 カエデの許可は一人で行ったが、コハクに対してはジントはマディラを連れて行くことにした。お願いをする以上、入学する本人を連れて行くのが筋に違いない。
 一方コハクはと言えば、ジントが細々と動き回っているのは知っていた。シンジがその原因の一つというのも理解してた。だからジントが来ること自体、別に不思議なことではないと思っていた。ただ、予想より早いと感じてはいたのだが。

「それでは、用件とやらを聞くことにしようか」

 珍しく議会向けの格好をしたコハクは、畏まる二人に向かって話してみろと水を向けた。

「実は、前にも相談したことなのですが……」
「芙蓉学園のことか?」

 そのとおりと肯定したジントは、「色々と考えた結果だ」とマディラの入学を切り出した。

「芙蓉学園に入学させれば、たしかに相互理解の助けにはなると思う。
 ただ、色々と考えてみて、それだけじゃ弱いのではないかと考えたんだ。
 碇とコハクさんの関係にしても、色々な出来事を通して接近したはずなんだ。
 そして学園の生徒は、二人の影響を強く受けたんだと思っている。
 同じことをした方が良いんじゃないかと、過去を振り返って考えたんだ」
「それで、マディラ殿の入学か?
 たしかに、花菱のところには下位階層の女も住んでいたな。
 ぬしの妻として、対等と示せるのなら意味があるのだろう。
 だがマディラ殿、ぬしはそれで構わぬのか?」

 自分たちの常識を適用すれば、下位階層と同格というのは我慢できないことになる。学園に最初からいたコハクはまだしも、マディラの場合はいきなり妻として同格とされてしまうのだ。自分とは同じに出来ないだろうとコハクは指摘したのだ。

「お互いジント様にお仕えする身です。
 立場でなく、人として接したいと思っています」
「答えとして、合格点と言っていいのだが……」

 そこでコハクが問題として考えたのは、学園最後に開いた個人的な宴だった。学園祭実行委員として招待した中には、下位階層の少女が混じっていた。他の者たちは開き直って順応していたようだが、その少女だけは自分で自分の立場を恐れ、一人別室で震えていたという。マディラから歩み寄れても、ジントの家にいる少女達が歩み寄れるのか。下手をすると、深刻な問題として浮かび上がることになる。
 マディラがどれだけ立場を忘れて行動できるかと言うことにもなるのだが、それを要求するのは難しいとも理解していた。今までの生活の中、そのようなことを意識する場面はマディラには無かったはずだ。そしてどうすべきかなど、経験しないと理解も出来ないだろう。コハクにしたところで、本当にどうすればいいのかまでは理解できていないのだ。それを理解するために芙蓉学園に入学すると考えれば、まだ納得することも出来る。

「だが、今からとなるとすぐには住まいも用意は出来まい。
 用地の買収から住まいの建築と、結構時間が掛かることになるぞ。
 マディラ殿が入学するのなら、側仕えも連れて行くことになるのだろう?」
「出来れば、リコリスもと考えているが……
 住むところについては、カエデの家の準備できるまで、
 寮に入っていて貰うことになると思っている」
「カエデの家に住まわせるというのか!?」

 驚いたコハクに、それがどうかしたのかとジントは首を傾げた。

「それをカエデが受け入れたというのか?」
「ああ、俺が直接話をして理解して貰ったが?」
「カエデが良いと言ったのだな?」
「ちゃんと話し合って、二人で結論に達したんだが?」

 カエデが受け入れないことを前提にした言い方に、ジントは反発する物を感じていた。自分やカエデは、ちゃんと3界の将来について考えているのだ。そのために、色々な覚悟をして学園を離れたという気持ちを持っていた。だから今回のことにしても、それが一番良いことだと考え、そして二人で決めたとジントは思っていた。だからコハクに拘られると、自分たちの覚悟が軽く見られた気がしてしまうのだ。
 だがコハクにしてみれば、ジントの話は論外だと思っていた。カエデとマディラでは、ほとんど接点を持っていない。その女を留守宅に住まわせたら、家ごと乗っ取られたと感じてしまうだろう。そうならないようにと、新居の手配を考えていたのだが、それもジントに否定されてしまった。しかもカエデが同意した言われれば、本当なのかと疑いたくもなるのだ。だがジントは、カエデも納得したことだと言い張ってくれる。そこまで言われれば、コハクも引き下がらざるを得ない。これ以上は、家庭の事情に踏み込むことになるのだから。

 仕方がないと折れたコハクは、マディラとリコリスの入学許可を出すことにした。







続く

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