最初の約束通り、シンジはモデルより“公務”を優先することにした。そうした方が、上倉に負担を掛けないという理由からである。そしてそれが現実になったわけだが、上倉もまたそれを当然だと受け取っていた。ただ少しだけ予定が外れたのは、シンジがエデンに行く日数が増えたことだろう。それにしたところで、エデンの役職者に会うためだと言われれば、文句を言う筋合いなどどこにもない。上倉自身、それが必要なことを一番理解していたのだ。それにシンジがいなくても、やることならいくらでもあったのだ。

「上倉君、制作は進んでいますか?」

 その結果、シンジがいないときは一人でキャンバスに向かい合うことになった。シンジがいるときには必ず同席する教師も、制作中は席を外してくれる。その方が、一人静かに色々なことを考えることも出来るからありがたい。それでも教師の本分を忘れないのか、今日のように時々様子を見に顔を出してくれた。
 睨み付けていたキャンバスから視線を移し、まだまだだと上倉は答えた。

「今のところ、試行錯誤というところです。
 碇さんと話をしてみて、自分の中のイメージをまとめようと思ったんですけど、
 なかなか、これって言うのがまとまらなくて……」

 話をすればするほど、人としての奥行きが見えてくる。それもあって、なかなかモチーフが決まらないというのが実態だった。非常に悩ましい問題なのだが、それも絵を描く楽しみだと思っていた。しかも尊敬する相手のことを知ることが出来るのだから、個人的に嬉しいことに違いない。
 そうですかと答えたアヤは、上倉から少し離れたところに腰を下ろした。そして少し物憂げなため息を吐き、ここにいない生徒のことを話題にしてくれた。

「碇さんは、今日もエデンに行っているんですか?」

 さりげなく、そして不自然にならないように、アヤはシンジの行き先を聞いてきた。だがいくらアヤが自然に見えるように心がけても、上倉に対してはあまり意味のないことだった。何しろシンジがいるときには、手を変え品を変えて迫り続けているのだ。今更取り繕ったとしても、アヤの気持ちなど隠しようがないのである。ただ彼女の優しい生徒は、知っていても知らない振りをすることにしていた。

「ヒスイさんを連れて、役職者のところを回っているようですよ。
 100人以上対象がいますから、結構な作業になるみたいですね」

 一箇所一日としても、3ヶ月以上掛かる計算になる。しかも学業の合間を縫うのだから、期間としてはもっと延びることになる。しかもその間には、様々なイベントがシンジを待ち受けている。“多忙”というのが、これほどぴったり来る生徒も珍しいだろう。一体どこで休んでいるのか、そのあたりのことを聞いてみたいところだ。

「次に碇さんが顔を出すのは、終業式の日だと聞いていますよ。
 春休みは原則として手伝って貰いませんから、次は休み明けになりますね」
「と言うことは、次はしあさってなんですね……」

 明らかに嬉しそうなアヤに、上倉は小さく吹き出した。どうやらこの年上の教師は、真剣に教え子に恋をしているようなのだ。学校という場を考えれば問題のあることなのだが、ここは世間の常識が通用しない芙蓉学園である。しかも相手が、世間でも鬼畜と言われる英雄様だと考えれば、細かなことに拘るのは意味がないだろう。もっとも恋をしている女性だけなら、学園内には掃いて捨てるほどいるはずだ。それを思えば、彼女の恋路は実ることはないのだろう。
 余計なことを言うのも無粋だと、上倉はアヤにとって有用な助言をすることにした。そんなにシンジの予定が気になるのなら、生徒の中に詳しい人がいるという物だった。だが上倉の助言は、アヤの持っていた意外な疑問への答えに繋がる物でもあった。

「A組の石田さんが、碇さんのスケジュールを把握していますよ。
 だから彼女に聞けば、ここに来ていないときの行動も分かりますよ」
「A組の石田さんって、あの石田さんですよね?」
「ええ、たぶんその石田さんですけど?」

 何か? と首を傾げた上倉に、実はとアヤはずっと頭を悩ませていた疑問をぶつけた。それは同期のアイに言われた、「副会長」と言う役職についてのことだった。これだけサラのことが出てくると、単なる間違いには思えないのだ。

「アイがね、石田さんのことを副会長って言ったのよ。
 副委員長の間違いじゃない? って指摘したら、急に慌て出したの。
 不思議に思って本人に聞いてみたら、副委員長の間違いじゃないかって言うの。
 でも、とっても嫌そうな顔をしていたから何かあるのかなって不思議に思って……
 それに、碇君のことになると、ことあるごとに石田さんの名前が出てくるでしょう?
 だからどうしたのかなって、疑問に感じたのよ」
「それで、俺にその理由を聞きたいと?」
「上倉君だったら、知っているかと思ったの。
 副会長って、たしか長門さんだったでしょう?
 それに新しい副会長は藤田君だし……」

 教えてと可愛く迫られれば、その気がなくてもどきっとしてしまう。7歳年上だという事実は、アヤの可愛らしさの前にはあまり意味がないようだった。つい答えを教えそうになった上倉だったが、サラが嫌そうだという言葉を思い出した。

「本人が嫌がっているのなら、俺が教えるのも良くないと思うんですよ。
 ただ先生の疑問への、簡単なヒントぐらいなら出しても良いかな? って。
 つまり生徒会長を辞めても、俺は会長なんですよ。
 と言えば、だいたい想像が付くと思いますけど?」
「上倉君って……」

 何だっけと考えたアヤに、今日はそこまでと上倉から話を打ち切った。これ以上説明を加えると、答えを言ったのと同じになってしまう。それに上倉も男なのだ、こんなに可愛らしい先生が、同学年の男に熱を上げているのを見せつけられたくはない。

「そろそろ切り上げませんか?
 もうすぐ田舎からおじさん夫婦が遊びに来るんですよ。
 だからその準備をしないといけなくて……」

 最後の生徒会長特権として、芙蓉学園のゲストハウスを確保したのだ。そのことを伝える必要があるし、観光の手配もしなければならない。シンジが忙しいのは分かっているが、コハク達のスケジュールを押さえておく必要もある。この辺りはKKKの協力を得れば良いのだが、それでもしなければいけないことが山積みとなっていた。
 だから忙しいという上倉に、アヤは少しだけ仕返しをすることにした。

「可愛らしい、従妹の“女の子”が来るんでしたね。
 上倉君、頼りになるところを見せないといけないわね」
「どうして、そこを強調しますか?」

 否定するつもりはないが、強調されるのも気に入らない。それに上倉としては、第一優先は叔母さんの方なのだ。男としての感情もあるが、弟子として聞きたいことが山のようにあったのだ。
 文句を言った上倉に、だってとアヤは唇をとがらせた。

「先生をからかった罰ですよ」
「からかったつもりなんて無いんですけどね……」
「碇さんのことを教えてくれるとき、上倉君の顔がにやついているんです!」

 だから仕返しをしたのだと。少し頬を膨らませたアヤは、やばいと思うほど可愛らしかった。







<<学園の天使>>

163:







 役職者達を疑うことに、ジントを巻き込むわけにはいかなかった。それに秘密を秘密として守るためには、共有している者を絞ることに越したことはない。そしてもう一つ、身近な者に不審を抱かせないことも重要である。察して黙っていてくれれば問題はないが、気を遣われたりしたら周りに警戒心を与えることに繋がる。だからジントが余計な真似をしないよう、シンジとしては細心の注意を払う必要があった。そして同時に、ジントが余計なことに気を遣えないよう、忙しくしておく必要も有ったのである。だから3界に関わる話として、ジントをリリンに戻し、マディラを芙蓉学園に入学させることを持ちかけたのだ。
 それでもジントには、もう一つ重要な役目を果たして貰わなければならなかった。サードニクスを風呂場に連れ込むためには、どこかで一度実績を作っておく必要がある。そのための相手としては、ジントが一番適当なのだ。ジントと風呂を共にしたという話は、間違いなくサードニクスの耳に届くことになる。そしてそれを聞けば、絶対に誘いを掛けてくるはずなのだ。そして相手がジントというのは、別の意味でも都合がよい。相手がジントとサードニクスなら、他の役職者達の誘いを断る理由になるのだ。

 そこで問題となるのは、いかにしてジントに誘わせるかと言うことだった。普段から外でのご奉仕をいやがっているのを知っているだけに、ジントがシンジを誘ってくる可能性は低い。普段ならありがたい話なのだが、今日に限ってはそれでは困ってしまうのだ。
 その対策として、出来るだけ話を長引かせることにした。そして話の間に、休憩時間を挟もうというのだ。ジントが勧めてくることはなくても、きっとアデュラリアが気を利かせるだろうというのだ。そしてその伏線として、アデュラリアには「作法」を教えて欲しいとお願いをした。

「郷に入りては郷に従えって言葉があるんですよ。
 皆さんに気を遣わせないよう、僕もこちらのやり方を知っておいた方が良いかなって」
「碇様であれば、あまり作法など気になさらなくても良いかと思います。
 あまり気を遣われると、逆に皆が恐縮してしまうのではないでしょうか?」

 だがシンジの期待から外れ、アデュラリアは話に乗ってこなかった。これはまずいと、慌ててシンジは理由を付け足した。それは、長く続いてきた伝統を尊重したいというものだった。

「リリンよりも、ずっと長い伝統を持っているじゃないですか。
 せっかくだから、その伝統に触れるのも良いと思っているんですよ。
 そう言う意味で、僕も議員の皆さんを尊敬しているんですから」
「そう言うことでしたら、喜んでお教え致します……というところなのですが」
「何か問題でも?」

 口ごもったアデュラリアに、心配そうにシンジは聞き返した。だがアデュラリアは、心配するようなことではないとすぐに返した。

「せっかく婿殿に教え込んだのですから、碇様には婿殿から伝えて貰おうかと。
 ヒスイ様には、娘のマディラからお伝えするのが宜しいかと」

 それで宜しいかと聞かれれば、だめだなどと言うはずがない。逆にシンジには願ったりの提案でもあった。

「花菱君、それで良いのかな?」
「俺なんかが教師でもよければだがな」
「僕にとっては、花菱君の方が気が楽だよ。
 アデュラリアさんだと、やっぱり緊張してしまうからね」

 それでと、何から始めるのかをシンジは聞いた。ここでジントに言わせなければいけない、焦ってはだめとシンジははやる気持ちを抑え込んだ。そこにアデュラリアが、「湯はどうだろう」と口を挟んだ。

「そのあたり、碇様はずいぶんと脇が甘いように見受けられましたからな」

 だから意味があるというアデュラリアに、必要ないのではとジントは言い返した。確かに最初の訪問では、サイネリア相手にシンジは失敗をしていた。それを考えれば、アデュラリアの言うこともあたっているのだろう。だが今回は、必ずヒスイが同行することになっている。だったら前のような失敗が繰り返されないだろうというのだ。シンジにしてみれば、余計なことを考えなくても良いと言いたいところなのだが。

「たしかに、ヒスイ様とご一緒ならば前のようなことはないでしょうな……」

 引き下がろうとするアデュラリアに、心の中で「納得するな!」とシンジは叫んでいた。ここで引き下がられては、計画が初めから狂ってしまう。だからといって、自分から飛びつくというのはやはり不自然だ。
 困ったとシンジが悩んでいたら、今まで黙っていたヒスイが助け船を出してきた。にこりと微笑んだヒスイは、マディラに向かって「作法」を教えて貰えるかとお願いをしたのだ。

「シンジ様の家では、皆が思い思いのことをしています。
 それもあって、私はエデンの作法というものを教えて貰っていません。
 それが元でシンジ様に恥を掻かせては、コハク様アスカ様に会わせる顔が無くなります」
「わ、私がヒスイ様に作法を教えるのですかっ!!」

 マディラは驚いたのと同時に、絶対に嫌だと強く念じていた。こうして間近にいるだけで、女として敵わないと感じてしまうのだ。これでお風呂に入ろうものなら、更に差を付けられてしまうだろう。夫ではどうにも出来ない相手とは分かっていても、やはり比較されるのは勘弁してもらいたい。ただ問題は、それを理由に断ることが出来ないと言うことだ。
 それを曲解したシンジは、「僕だといやかな?」と痛いところをついてきた。こんなことを聞かれて、「嫌」などと答えられるはずがない。それにシンジに奉仕をするだけなら、マディラも断ることは考えていなかった。夫がいる身でも、それも良いかなとも考えてしまうのだ。ただ横にヒスイがいるとなると、全ては話が違ってくる。

 だがそんな娘の葛藤に気づかないのかわざとなのか、それは良いとアデュラリアが喜んでくれた。エデンでも女神とまでに讃えられるのがヒスイなのである。そのヒスイに作法を教えたとなれば、周りの見る目も変わって来るというものだ。それに断ったなどと周りに知れたりしたら、逆に物を知らないと白い目で見られることになるだろう。アデュラリアとしては、断るという答えはなかったのである。

「こう言うことは、親しい仲の方が良いでしょう。
 花菱殿も、碇様の教育係を引き受けられたことですしな?」
「お、俺で良いのか?」

 この場合の「俺で良いのか?」は、教育係になると言うことではない。シンジとは一緒に温泉にも入った仲だが、そこにヒスイが加わるとなると話は全く別なのである。見たいかどうかと言われれば、見たいというのが正直な気持ちだ。エデンに来ていても、ヒスイはやはり別格なのである。だから「俺で良いのか?」は「俺に見せて良いのか?」という言葉に置き換えることになる。このときの問題は、自分の妻のことが頭から抜け落ちていることだろう。ヒスイが自分と一緒にはいると言うことは、マディラはシンジと一緒にはいることに繋がっているのだ。
 舞い上がったように見えるジントに、シンジは心の中で「桜庭さんに言いつけるよ」とつぶやいていた。だがそうなるようにし向けたこともあり、いくつかの不満をじっと我慢したのだった。

 そうなると、最後の問題はマディラと言うことになる。もっともジントが断らない限り、マディラが断ることが出来るはずもない。そのあたりは、夫の立場が強いエデンの習慣と言うことになる。
 それに少し考えを変えれば、これはマディラにとってもいい話でもあったのだ。たしかにヒスイと比べられることにはなるのだが、それさえ我慢してしまえばメリットの方が多いのだ。ともすればカエデの影に隠れがちなことを考えれば、こうしてジントの妻としての実績を重ねていく必要がある。それを考えれば、紫の奏者やパーガトリの宝石は最高の相手となる。それでも問題があるとすれば、カエデにだけは通用しないことだろう。



 なし崩しで教師を引き受けたマディラは、大浴場の入り口でいきなり後悔することになった。ジントの視線がヒスイに奪われるのは覚悟をしていた。それが現実となっても、今更どうだと言うつもりはない。だがシンジに見られることが、どうしても恥ずかしくて仕方がないのだ。何しろ相手はヒスイの夫なのである。つい、比較されるという被害妄想が起きてしまう。

「あ、あの、碇様、ど、どうかなされましたか?」

 見られているという意識が、どうしてもマディラの冷静さを奪ってしまう。ジントの視線がヒスイに向いているせいで、マディラは自分で問題を解決しなければならなくなる。だから思いっきり恥じらいながら、どうかしたのかなどと聞かなければならなくなってしまった。
 恥じらうマディラに、シンジはとても似合わない臭い言葉を口にした。

「いやぁ、きれいだなって思ったんだよ」
「そ、そんな、ヒスイ様とは比べ物になりません!!」

 それでもきれいと言われれば嬉しくないはずがない。体全体を真っ赤にしたマディラは、「恥ずかしい」と弱音を吐いた。

「そう言うのはね、比べることに意味がないと思っているんだよ。
 ヒスイはヒスイ、マディラさんにはマディラさんの良さが有るんだ。
 男として、僕はとても贅沢な環境に有ると思っているよ」

 そうだろうと、シンジは唐突にジントに声を掛けた。ジントからは、すぐに「ああ」と言ういつもながらの答えが返ってきた。

「わ、私も幸せだと思っています……」

 視線をそらさないシンジに、マディラはますます恥ずかしさを感じていた。このままの状態が続いてしまったら、絶対に自分はおかしなことを口にしてしまう。だから助けて、心の中でマディラが叫ぼうとしたとき、急にシンジが背中を向けた。そしてそれに合わせるように、すっとヒスイが寄り添った。

「こんなところで時間を潰しても良くないだろう。
 だから、早く中に入ろうか?」
「あ、ああ、ちゃんと教えないといけないな……」

 その言葉に正気に戻ったのか、何事もなかったようにジントもマディラを呼び寄せた。ほっとはしたが、どうして自分を放っておくのか。それが恨めしくて、マディラはジントの脇腹をつねった。

「な、なんだよ……」
「ヒスイ様ばかり見ていた罰です!」

 ふんと先に歩き出したマディラに、ジントは彼女が怒っている理由が理解できなかった。そう言う意味では、シンジの言葉も意味が分からなかった。自分としては、服を脱いだばかりなのだ。時間を潰してもと言われても、そんなことをしていた自覚はないのだ。だからといって言い訳をしても意味がない、取り残されるわけにはいかず、ジントもすぐに後を追ったのだった。

 作法を教わりたいという言葉に嘘はなく、ヒスイは積極的にマディラに話しかけた。それこそ夫達をそっちのけにして、女だけの世界を作り上げていた。色々と細かく、そしてなにやら反省する様子に、逆にマディラの方が気を遣ってしまうほどだった。

「ヒスイ様ならば、そこまで気を遣われなくても……」

 嫉妬という気持ちを横にのければ、ヒスイの裸体は掛け値なしに美しい。それでもこうして話をしたおかげで、気後れする気持ちも影を潜めてくる。だからマディラは心から、美しいとヒスイを褒めたのだった。
 だがヒスイにしてみれば、競争相手も並ではなかった。妻達の一人一人が、それぞれ飛び出たところを持っている。その中で競って行くには、一点の曇りがあってはならないのだ。だからマディラの教えは、ヒスイにとって重要な意味を持っていた。

「私は、コハク様、アスカ様と言う競争相手がいるのですよ。
 それにスピネルにしても、絶対に侮れる相手ではないのです」
「そう言う意味では、ヒスイさんも大変なんですね……」

 想像も付かないレベルの競い合いに、心からマディラは大変だと同情した。最初は嫉妬していたマディラも、今ではヒスイの美しさに魅せられてしまったほどなのだ。どうしてこんな女性と競い合うことが出来るのか、逆にコハク達に聞いてみたい気持ちになっていた。

 そのころシンジは、ジントの追求を受けていたりする。もっとも追求されたからといって、シンジの企みがばれたということではない。ヒスイの裸を見せても良いのかという、自分を棚に上げた追求だった。

「だったら、花菱君も良かったのかい?」

 ほれと指さされたのは、ヒスイと話をしているマディラの背中だった。自分に良いのかと迫るのなら、その言葉をそっくり返すというのである。お互いの立場はとしては、イーブンなのは間違いない。

「そりゃ、まあ、そうなんだろうがな……」

 そこを突かれると、それ以上の追求が難しくなる。だがそれはそれとして考えると、良いのかと聞きたくなるところもあった。

「よそでも、同じことをするつもりか?
 ヒスイさんの裸を見られるとなったら、こぞって湯に誘われるぞ」
「そうならないための対策も考えているよ。
 そのための花菱君でも有ったんだけどね」
「どういうことだ?」

 自分と言う意味が分からないというジントに、一応特別な関係だろうとシンジは言い返した。

「だから、誰でも良いって訳じゃなかったんだよ」
「やっぱり、俺を利用していたのか」

 シンジの代理人と見なされているのだから、他の役職者に対して前例にはならない。そう説明されれば、納得できる理由でもあった。だから利用されたとしても、特段文句を言うことでもなかった。それにマディラにしても、今は喜んでいるように見える。それを考えれば、良いのだろうとも考えた。だがちょっとした引っかかりを感じ、本当に問題がないのかと考え直した。

「お前が毅然とした態度を取れば、たぶん男の役職者達は無理を言えないだろう。
 例外を作らない限り、不満が溜まることもないと思えるんだが……
 しかし、一人だけ例外がいるんじゃないのか?」

 ジントが思い浮かべたのは、何かとお騒がせの議長様の顔だった。そしてシンジも、その考えを認めた。

「今日練習させたのは、その対策の意味もあったんだよ。
 花菱君で慣れれば、あの人の視線にも多少耐力が付くかなってね。
 ただ、避けられるなら避けたいとは思っているよ。
 ここでなし崩しになると、アスカも犠牲になりそうだからね」

 本当に嫌そうにするシンジに、「たぶんだめだろう」とジントは答えた。シンジが嫌がれば嫌がるほど、議長様は喜んでいたずらを仕掛けてくる。今日のことを聞きつけたなら、すぐにでも話をしに来いと騒ぐのが目に浮かぶようだ。

「まあ、いざとなったら真っ暗にする手もあるから」

 こんな風にとシンジが口にした途端、浴場が暗くなっていった。何が起きたのかを理解したジントは、すかさず「止めておけ」と釘を刺した。

「そんな真似をすると、また神様に祭り上げられるぞ」
「だから、緊急避難なんだって。
 まあ、僕とヒスイなら実力で排除することも出来るんだけどね」

 だからおかしなことになりようはない。シンジの主張に、それもあるかとジントは納得した。たしかに3界最強とも言えるカップルなのだ。この二人の前にしたら、パーガトリの上級戦士も逃げ出すだろう。何があっても、もしもと言うことがない二人なのだ。

「碇、お前少し図太くなっていないか?」
「そう言う言われかたって、はっきり言ってちょっと嫌かな。
 まあ、どうして言われるのかは理解しているから、ここで暴れたりはしないけどね」
「そう言う脅しができるところが、図太くなったと言われる理由なんだがな」

 まあいいか。自分に区切りをつけたジントは、そろそろお湯から出ようとシンジに提案した。そんなに長く使っていたつもりはないのに、なぜかのぼせてしまっているのだ。これもヒスイが一緒にいるせいだと折り合いをつけ、同じようにゆだっているマディラにも出ようと声を掛けた。するとどういう訳か、マディラが自分を恨めしそうな目で見てきた。

「どうかしたのか?」
「もうっ、良いですっ!!」

 なぜかすねたマディラに、ジントはその理由が掴めなかった。自分がシンジと話している間は、マディラはずっとヒスイと話をしていたはずだ。それでのぼせてきたから、お風呂を上がろうと言っただけのはずだ。それを考えれば、放っておいたと言われるのもおかしいとしか言いようがない。
 だがすねたマディラは、その理由を教えてくれそうにない。急に変わったマディラの様子を、シンジ達に聞いても理由など分からないだろう。ヒスイはともかく、シンジは自分と話をしていたはずだ。自分が分からないのなら、シンジにも理由が分かるはずがない。当然シンジが、心の中で謝っていることなど知るよしもないのである。



***



 タンポポの妄想は、ネリネが連続殺人鬼にまで発展したところで中断させられた。どこまで行くのか見ているのはおもしろいが、あまり時間を無駄に使う物ではない。だからイツキが、「てい」とチョップを入れて正気に戻らせたのだ。おかげでタンポポの正気は戻ったが、それはそれで問題もあった。正気に戻ったとたん、タンポポの顔が急に青ざめ、申し訳ありませんと床にひれ伏した。

「いきなり、どうしたというのだ?」

 さすがのイツキも、これには着いていけなかった。だからどうしたなどと言う間抜けな問いかけをすることになったのだが、タンポポから返ってきた答えも当を得なかった。「申し訳ありませんでした」と頭をこすりつけんばかりにしたタンポポは、命ばかりはお助けをと命乞いまでしてくれた。

「ネリネ、俺様は何かされたのか?」
「さあ、さすがに理解できないんですけど……」

 そう聞かれても、ネリネにも理由が分かるはずがない。プリムラと揃って、不思議だと首を傾げていたのである。だが肝心のタンポポは、お許しくださいとひれ伏したままなのだ。

「悪いがタンポポ、どうしてそうしているのか理由を説明してくれないか?
 そうしないと、許そうにもどう許して良いのか分からないのだ」
「……お許しいただけるのですか?」
「許す前に、なぜ謝られているのかを理解できないのだが?」

 まあ立てと。イツキの命令に従い、タンポポはようやく立ち上がった。そしておそるおそる、怒っていないのかと聞き返してきた。

「あまりくどく聞かれるのは不快だがな。
 だが今のところ、タンポポを罰する理由はないと思っている」
「そう、ですか……」

 ほっと胸をなで下ろしたタンポポは、申し訳ありませんでしたと今度はお辞儀をした。まあ、そこまでは正当な謝罪と受け入れたイツキだったが、続く言葉はやはり理解不能だった。

「皆様にご迷惑をおかけした以上、この家において頂くわけには参りません。
 このタンポポ、国王様にお願いして罰を与えて貰うことにいたします!」

 そう言って反対を向いたタンポポを、ちょっと待てとイツキが呼び止めた。

「一体どこの誰が、出て行くことの許可を与えた?
 それ以前に、一体どんな迷惑を掛けられたのだ?
 そのあたりのことを、ゆっくりと話をしてくれないか?
 このままいなくなられると、俺様達に解けない謎を残すことになる」
「解けない謎ですか……」

 はあと頷いたタンポポは、ようやく迷惑に関わる説明を始めた。

「あのぉ、どうも私は時々おかしくなってしまうようなんです。
 皆様と普通にお話をしていても、気が付いたらおかしな顔をされているとか。
 何かおかしなことを言ったのかと思ったら、いつの間にか時間だけ経っていたり……
 たぶん今も、同じようにおかしくなってしまったのではないのかと」
「だから、迷惑を掛けたと考えたと言うことか?」
「はい、これ以上こちらにいるのは皆様にもっと迷惑を掛けることになるのかと……」

 すっかり萎れたタンポポに、そう言うことかとイツキは事情が理解できた気がした。おかしな世界に旅立つのは、本人の趣味というのではなく、ある意味病気に近い物なのだろう。それが分かっていれば対処も出来るし、実害が有るとも思えない行動でもあった。だからイツキは、「そんなことか」とあっさりと言い切った。

「つまらないことを気にするんじゃない。
 それに、なかなか興味深い見物だったのだぞ。
 いつもいつもアレでは困るが、あまり気にするのも良くないだろう」
「では椎名様、私をお許しくださるのですか!?」
「初めから、怒っていると言ったつもりはないのだが?
 まあ許すという意味では、この家にいることを許してはいるがな」

 にっこりと笑ったイツキを、タンポポは頬を染めて見上げた。パーガトリ特別顧問にして、3界1の英雄の関係者。そんな凄い人に、私は受け入れて貰えるのだわと。最初は手料理を食べて頂くだけだけど、そのうちもっと色々な物を食べてもらいましょう。その結果きゃあきゃあきゃあと、ピンク色の妄想へとタンポポは飛び込んでいった。

「イツキ、ガンバ」

 おもしろいことはおもしろいが、何度も見せられると飽きても来てしまう。だからプリムラは、全ての責任をイツキに押しつけることにした。それにネリネやタンポポ、大人の女性二人が揃ったのだ。あの人の言う「節操がない」イツキなのだから、大人の世界に飛び込むのは間違いないだろう。だったら、余計にイツキが責任を取らなければいけないはずだ。
 だがイツキは、自分一人で相手にするつもりはないようだった。あっけにとられているネリネに向かって、「良かったな」と声を掛けたのだ。

「あのぉ、何が良かったのでしょう」
「なに、ネリネにも仕事が出来たと言うことだ」

 良いかと、イツキはネリネを呼び寄せた。

「タンポポが来れば、この家の食生活が改善されるのだ。
 だが彼女には、時々ああなる欠点がある。
 お前には、その欠点を補って貰いたいと思っているのだ。
 俺様がいないときは、お前がプリムラを守ってくれ」

 耳元でお願いされれば、中身に関わらず嬉しくなってしまう。大きな胸を揺らしながら、ネリネは「お任せください!」と元気よく答えた。直接料理をすることは出来なくても、椎名家の食事を与るという大役を与えられたのだ。しかもお花畑を頭の中に作っている住人まで加わってしまった。そうなれば、自分がしっかりする他は無いのだろう。

「そうすれば、ゆくゆく私も……」

 ふふふと、別のお花畑へとネリネは遊びに行ってしまった。







続く

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