イツキの切実な食糧問題を解決する手段として、パーガトリ国王は研修中の一人を呼び戻す決断をした。今更説明の必要はないと思うが、呼び戻されるのは女性である。当然とも言えるのだが、リリンで言う10代の少女である。イツキのためということで、フローライトのお気に入りの中から選抜した女性でもあった。

「まあまあ、椎名様のお世話をするのですかぁ〜」

 駐リリン大使から説明を受けたタンポポは、目をきらきらと輝かせて喜んだ。おっとりとした物腰は、とても危険なパーガトリ女性とは思えない。腰まである金色の髪と、緑色の瞳、そして笑顔の似合う可愛らしい顔、その特徴は、さすがに天使の血を引くと感心させる物だった。
 もっとも、マラカイトもまた天使の血を引く者である。それにパーガトリでは、タンポポ程度の見た目なら、それこそ掃いて捨てるほどいる。だから見た目だけなら、特に注意を引く存在ではないはずだった。だが二つの点で、マラカイトもタンポポを気に入っていた。

「うむ、フローライト様からご命令だ。
 なにやら、椎名様の世話係は料理の腕が壊滅しているらしい。
 ここの料理の質が落ちるのは寂しいが、ご命令と有れば仕方がないだろう。
 それにお前にとっても、椎名様の世話係になるのは良いことに違いない」

 マラカイトがタンポポを気に入る理由、それはパーガトリ男性にとって非常に重要な要素。タンポポの料理の腕が確かと言うことだった。料理修行のために派遣された中で、タンポポの料理が一番彼の好みに合っていたのだ。もう一つの要素を考えれば、妻に迎えたいぐらいの相手でもある。だがたかが大使では、王室特別顧問に太刀打ちできるはずがない。従ってマラカイトは、悔し涙を流すことになったのだ。

「まあまあ、私が椎名様のお世話……お世話……お世話……」

 うふふふと遠い世界に旅立つタンポポに、惜しいなとマラカイトは真剣に悔しがった。パーガトリの女性なのだから、見た目通りの「のほほん」ではないと思うが、それでもおっとりとした性格は貴重な存在だった。

「最初は食事だけですけど、そのうちに夜のお世話も始まって……まあまあ。
 すぐに私が妊娠するので、次に待っているのはお子様のお世話……まあまあ。
 子供の養育のため、椎名様は今以上に仕事に精を出されるのですが、
 精を出しすぎてお体を壊され、私は病院でのお世話をすることになって……
 ですが、薬石の効もなく、お亡くなりになってしまって……」

 まあまあまあと、妄想は発展し、ついにイツキは過労死することになってしまった。普通なら行き過ぎとか、暴走と引き返すところなのだが、顔を青くしたままタンポポの暴走はさらに続いた。

「父無し子となった息子は、その境遇に道を踏み外し、
 きっと家庭内暴力を振るう子供になってしまうのだわ……まあまあどうしましょう」

 とどまるところを知らないタンポポの妄想に、やはりおもしろいとマラカイトはなま暖かく見守ることにした。



 見た目は合格、性格も良さそうに見える。そうなると問題は、肝心の家事能力となってくる。城でタンポポに引き合わされたイツキは、さっそく採用試験とばかりに連れて帰ることにした。

「食材なら揃っている。
 だから、得意な料理を作ってくれればいい。
 その出来映えで、採用か不採用かを決めることにする」

 普段は女性に優しいイツキなのだが、ここは心を鬼にしなければならない。おっとりとしたパーガトリ女性というのは貴重だが、別にコレクションを目的としているわけではない。まずは椎名家の食生活の改善、それを忘れて女性を家に入れて良いものではないのだ。それぐらい覚悟しないと、いつまで経っても家事から解放されないことになる。

「はい、得意な料理を作ればいいのですね」

 わりとはっきりと答えたタンポポは、手際よく食材を選んでいった。それだけを見れば、ネリネとは雲泥の差が付いている。だが問題は、最後の味付けである。そこが破壊的なら、その前がいくら良くても評価の対象とならない。
 順調に食材を選んでいたタンポポだったが、メインとなる料理を決めるところでぴたりと手が止まった。そしてくるりと振り返ると、「嫌いな物はないか?」と好みを確認した。

「特には無いが、何を作ろうとしているのだ?」
「そうですね、豚肉のソテーと季節の野菜付け合わせ。
 あとは、ジャガイモのスープを考えています。
 にんじんやタマネギが嫌いとか、そう言った好みはありませんか?」

 質問自体がまともだと感動したイツキは、もう一度「特にない」と答えた。これで言ったとおりの料理が出来たなら、椎名家の食生活は一気に改善することになる。

「でしたら、30分ほどお待ち頂けますか?」
「たった、30分で良いのか?」
「はい、お待たせするのも悪いと思いまして、簡単な料理を選びましたから!」

 ここまでは合格、キッチンをタンポポに任せイツキは居間に戻ることにした。







<<学園の天使>>

162:







 コハクが考えた作戦は、サードニクスの遊び心をくすぐることを前提にしていた。そのための仕掛けとして、シンジにジントの真似をさせることにした。つまり、各役職者達との議論の機会を作ると言うことである。そしてその供として、ヒスイを連れ回ることにしたのだ。ヒスイを連れ回る理由としては、役職者達への受けが良いこと、そしてパーガトリの代表として、エデンという物を学ばせると言う物にした。
 ただこのときの問題は、当初予定と異なることだろう。まずは疑わしいサードニクスと言うことだったが、この方法では他の役職者が先になってしまう。だがそれも仕方がないと、最初の標的をアデュラリアとすることにした。それならば、上から順番という理由を付けられるし、ジントが世話になっていることで、別の仕掛けもやりやすくなるのだ。

「最初に私をお選び頂き、まことにありがとうございます」

 シンジの訪問を受け、第5位に復帰したアデュラリアは深々と頭を下げた。その隣では、すっかり婿にされたジントと、その妻マディラも頭を下げていた。

「まあ、あまり堅苦しく考えないようにしてください。
 ちょっと花菱君の真似をしてみただけなんですから。
 あとは、もう少し個人的に役職者の皆さんとおつきあいしようかと。
 それから、ヒスイにもエデンを勉強させようと思いまして……」
「碇様、ヒスイ様においでいただくとなれば、皆はたいそう感激することでしょう。
 現に私も、身も震えるほどの感動をいたしております」

 大げさに言うアデュラリアに、まあまあとシンジは取りなした。

「僕もヒスイも、皆さんから教えて頂く立場なんですよ。
 だからアデュラリアさん、あまり気を遣わないでください。
 そうしないと、僕もお願いがしにくくなりますから」

 正装で迎えたアデュラリアに対して、シンジの格好は至って軽装だった。さすがに芙蓉学園の制服は着てきていないが、チノにポロシャツという町歩き程度の格好だったのだ。当然ヒスイもそれに倣い、セミロングのスカートに、ブラウスと上着の重ね着だった。

「では食事でもしながら、お話をさせて頂くことにしましょうか」
「その方が、砕けた会話ができるのでしょうね」

 老年で貫禄の有るアデュラリアが、正装で出迎え、若年のシンジが普段着でそれを受ける。きわめてアンバランスな状況なのは、誰もが認めるところだろう。だがシンジの立場を考えれば、それがおかしいとは誰も考えなかった。現人神と言う呼び方は、何もリリンの間だけではなくなっていたのだ。

 会食の場にジントがいたこともあり、アデュラリアとの話題には事欠かなかった。特にジントが開催している勉強会の話題もあり、逆に時間が短いぐらいでもあったのだ。

「年若い候補者達が、芙蓉学園入学の日を心待ちにしております。
 私の経験上語らせて貰えば、役職に任じられるのよりも喜んでいるように見えますな」
「事務方を含めると、全部で6人でしたっけ?」
「全員、俺の勉強会に参加しているよ」

 3界交流に関わる権限は、これまでサードニクスが管理していた。それがどさくさのうちに、コハクに引き継ぎされていた。そしてそのうち、芙蓉学園に関わる部分がジントに任された。制限されたジントの責任範囲なのだが、二つの意味で非常に重要な物と周りから認められていた。

 その第一としてあげられるのは、何が無くともそこに学ぶ大物の存在だった。シンジにコハクと言う2枚看板に加え、パーガトリの姫二人も学んでいる。そしてアスカとカエデという二人もいるのだから、人脈という意味が一番重く受け止められたのだ。
 そして第二が、これまで挙げてきた芙蓉学園の実績である。ジントを含めての人材輩出と、2度にわたる学園祭の実績が評価されていた。役職者達の間でも、次の変化は芙蓉学園で起こると考えられていたのだ。

「花菱君も、着々と実績を上げているんだね」
「私も、義父として鼻が高いところですよ!」

 感心したシンジの言葉を、アデュラリアが引き受けてくれた。その隣では、恥ずかしそうにマディラが頬を染めている。それだけを見れば、初々しくも微笑ましい光景なのだろう。だがカエデに文句を言われたもことを考えれば、微笑ましいとばかりは言っていられない。かといって、マディラを前にカエデのことを持ち出すのも空気を読まない行動といえるだろう。ううむと悩むわけにも行かず、にこやかな顔をしながらどうした物かとシンジは考えていた。と言っても、他人のプライベートに関わることでもある。シンジとしては、口出ししにくい問題となっていた。
 だからシンジは、敢えて芙蓉学園における自分の立場を説明することにした。

「僕としては、一生徒として芙蓉学園には関わっていきます。
 コハクやヒスイもそうですけど、芙蓉学園では特別扱いをしないことにしていますよ」
「芙蓉学園が特殊な場と言われる所以ですな」

 素晴らしいと頷いたアデュラリアに、そう言う場も必要だとシンジは答えた。

「こう言ってはなんですけど、人脈がそこで作られるのではないでしょうか?
 そう言う意味では、役職候補の方が入られるのは遅かったですね」
「芙蓉学園の地位が確立したのは、本当に最近のことですからな」

 シンジがコハクを攫っていっただけでは、芙蓉学園の地位は上がることは無かっただろう。そこにパーガトリが加わったとしても、エデンの役職者にしてみれば実験の場でしかなかったのだ。留学という形でジントを送り込み、パーガトリ内乱終結を経て位置づけが確定したとも言えるだろう。そして学園祭を公開したことで、今の地位を固めたと言える。そうやって考えると、非常に短い時間での変化だったのだ。
 新しい新入生から、上位階層の生徒が増える。そして今後も、上位階層に属する生徒が増えていくだろう。3界の融和を考えると、こうして人のつながりができるのは良いことに違いない。それでも問題があるのは、ジントがコハクに質問したとおりだった。そしてシンジも、エデンのあり方への影響を考えていた。

「役職候補者の入学が増えていくのは間違いないでしょうね。
 そうなると、芙蓉学園のあり方も変わってくるのではないかと思っています。
 そこでアデュラリアさんに質問があるのですが……」
「何なりと仰ってください」

 少し言いにくそうにしたシンジに、気にすることはないとアデュラリアは即答した。それでも気になりはしたが、立場と厚意に甘えることにした。

「役職候補の人たちは、下位階層と直接交流したことがありますか?」
「はっきりいって、コハク様以外に直接話をした者は居ないでしょう」

 その質問に、アデュラリアは「なるほど」とシンジの言う「変わってくる」と言う意味を理解した。コハクという先例は居るが、あまりにも特殊すぎる例でもあったのだ。何しろコハクが入学した時には、彼らの下位階層よりも更に下のリリンという存在があったのだ。その問題に比べれば、下位階層が同じ学舎にいるのは大したことではなかっただろう。それにコハクは、プロジェクトの現場管理者の意味合いも持っていた。新たに入学する役職候補者達とは、そもそも学園入学の動機が違っているのだ。

「芙蓉学園は、各自の出自に区別をしません。
 学校生活においては、コハクですら特別扱いにはしていないんです。
 1年目の芙蓉学園は、エデンとリリンの相互理解が成果だったと思います。
 そして2年目は、それにパーガトリが加わりました」
「3年目は、エデン内部の相互理解が進むと仰るのですな?」

 その通りとシンジは頷いた。

「簡単な物ではないと思っています。
 ですが、1千年もの間戦い続けてきたエデンとパーガトリが和解できたんです。
 明確な垣根のある上層と下位層、その垣根が低くなるのはあり得ると思っています」
「確かに、今までは支配と被支配の関係で繋がっていました。
 もっとも、支配と言っても非常に緩やかな物だと思っていますがね」
「多分、そのとらえ方も両者で異なっていると思いますよ。
 そう言う現実を、多分両方の立場の人たちが確認することになると思います」

 その意味の大きさは理解できるが、逆に危険な物だとジントは思っていた。上位階層に選民意識が有るのは当然だし、下位階層はそれを認め「神」のように上位階層をみている。芙蓉学園でともに学ぶと言うことは、その価値観を変化させることに他ならない。キキョウやアカネ達はうまくいっているが、エメラルドとヒバリ達が同じように行くとは限らない。学園内でぶつかることはないと思うが、逆に全く重ならない可能性があるだろう。エメラルドはコハクやシンジという上だけを見て、ヒバリたちはエメラルド達との関係を避ける。そう言う断絶が起きる可能性が非常に高いのだ。

「碇様の仰ることは、間違いなく学園内で起きるのでしょう……
 なかなか大きな問題を芙蓉学園は抱えることになるのですな。
 そう言う意味で、碇様が在学されているのは都合が良かった」
「そうですねと言いたいところですが、僕もあまり力にはなれませんね。
 学園最後の宴で、その事実がはっきりしましたから……」

 自分の存在は、役職者以上に見られている。その立場が自然に作られただけに、問題の解決になっていないのだと。

「そうなると、非常に大きな問題を抱えたまま学園が運営されることになりますな……」

 両者をつなぐ存在が必要なのだが、それに適当な人材が居ない。芙蓉学園の意味を認めたアデュラリアは、解決策を考える宿題を与えられたと思っていた。ううむと唸ったアデュラリアに、実はとシンジは小さく吹き出した。

「実は、良い方法があるのかなと思って居るんですよ。
 ただ、それをするにはいろいろな人の了解を貰わないといけなくて……」
「さすがは碇様、すでに対策を考えられているとは」

 感心したアデュラリアに、気づいてみれば簡単なことだとシンジは答えた。

「それで碇、どうすればいいと考えているんだ?」

 同じことを悩んでいたこともあり、ジントはシンジに答えを求めた。自分ではどう悩んでも、妙案というのが見つからなかったのだ。放り込めば何とかなると言うのがコハクの意見だったが、それだけではだめだとずっと考えていたのだ。そこにシンジが良い方法があると言ったのだ、ジントとしては確認しないわけにはいかない。

「うちの学園に、一人ちょうど良い生徒が居るんだよ。
 その生徒はね、エデンの役職者、下位階層の女の子、リリンの女の子を奥さんにして居るんだ」
「碇、お前のことか?」

 反射的に答えたジントだったが、シンジの事情が少し違っているのに気が付いた。シンジであるなら、エデンの役職者、パーガトリの姫、そしてリリンの女性となるはずだ。だがそうなると、シンジの言う生徒が思いつかなかった。そんなジントに、シンジは意外だなと驚いたような眼差しを向けた。

「花菱君、自分のことを棚に上げていないか?
 マディラさん、桜庭さん、キキョウさんにヒバリさん、そしてアカネさんが家にいるだろう?」
「お、俺かぁ!?」

 素っ頓狂な声を上げたジントに、驚くことじゃないだろうとシンジは笑った。

「しかも、最高評議会の準義員の立場も持って居るんだよ。
 それに加え、今年入学する子達は全員花菱君の関係者じゃないか。
 彼らは、花菱君を見て学んでいくんだよ」
「お、俺はエデンに留学しているんだぞ」

 学園に顔を出していないのだから、見本にならないとジントは主張した。当然シンジは、何を見ているのだと言い返すことになった。

「留学の目的は達したんだから、そろそろ戻っても良いんじゃないか?
 準議員の職務なら、別に芙蓉学園に戻ってもできることだろう?
 だいたいコハクなんて、副議長のくせにリリンに居る時間の方が長いんだからね」

 コハクを引き合いに出されれば、どこにいるのかを問題にしにくい。確かにリリンにいて副議長が務まるのだから、準議員はだめという理由は成り立たないだろう。ううむと悩んだジントを、自分はどうなるのかとマディラが突っついた。今は自宅に引き込んでいるから立場を主張しやすいが、離ればなれになると疎遠になりかねない。マディラとしては、その対策が必要だと切に考えていた。
 不安げにジントを見るマディラに、「大丈夫」とシンジは微笑んで見せた。

「ここから先が了解って話になるんだけどね。
 マディラさんも、芙蓉学園の生徒にならないかい?」
「い、碇様、そ、それは本当ですかっ!!」

 さすがに予想外だったのだろう、今度はマディラが素っ頓狂な声を上げた。その横では、なるほどとばかりにアデュラリアが膝を打っていた。娘を思うアデュラリアとしては、芙蓉学園入学は願ってもないことだった。

「花菱君も、いつまでも彼女たちを放っておく訳にはいかないだろう。
 その為にも、早く花菱君は帰らないといけないんじゃないのかな?」
「確かに、いつまでも留守番をさせておくわけにはいかないが……
 しかし、マディラまで入学させても問題にならないのか?」

 選抜に選抜を重ねたのが、今回の入学者なのである。そこに突然マディラを割り込ませるのだ、選に漏れた者たちから不満が出る可能性が高い。
 だがジントの懸念も、大したことじゃないとシンジは答えた。

「芙蓉学園への入学の件なら、コハクに僕が命じれば終わりなんだよ。
 でもマディラさんには、それでいいかの了解を貰わないといけないんだ。
 もう一つ、マディラさんの居場所の問題があるんだ。
 別々に住むことになると、一緒に行くことが逆効果になるだろう?
 かといって桜庭さんの家に住むというと、違った問題が起きそうなんだ。
 だから、どういう形が一番良いかを桜庭さん達と考えなくちゃいけないんだよ」

 やることがたくさんあり過ぎるとシンジは笑った。

「そう言った調整をしていかないといけないんだけど、
 やっぱり言い出しっぺの僕がした方が良いのかな?」

 どうと聞かれれば、そうだとは答えにくい。と言うか、そう言う嫌みは止めて欲しいとジントは思っていた。3界への関わり、そして役職候補者を送り出すことの問題。それをずっと考えてきたし、カエデとも相談をしたはずなのだ。だったら、その役目は自分が引き受けなければいけない。

「だったら碇、コハクさんの件だけお願いできるか?」

 従ってジントとしては、自分のことは自分で片づけると言う答えになる。だがシンジは、もう一歩踏み込もうと忠告をした。

「コハクへのお願いも花菱君がした方が良いよ。
 それが正しいことなら、コハクも反対はしないからね。
 その方が、花菱君としても筋が通ることになる」

 そう言われれば、ジントとして返す言葉はない。シンジの言うとおり、これは自分が解決すべき問題なのである。筋を通すという意味では、他人に任せるわけにはいかないだろう。

「分かった、必要な手続きは全部俺がやる」

 そう答えたジントは、自分がすべきことを考えた。リリンの立場としては、自分は国連から派遣された留学生なのだ。従って留学先から復帰するには、国連の承認が必要となる。そしてもう一つ、マディラを芙蓉学園に入学させることの各種確認が必要だろう。このあたりの国連対応は、自分ではなくカエデにお願いすることになる。そしてシンジの言う、マディラの住居を考える必要もあるだろう。
 シンジは問題があると言ったが、ジントは逆だと考えていた。同居の効果を考えるのなら、カエデの家が一番好ましいと考えていたのだ。その方が、立派な家を建てるのよりも手本になりやすいのだろうと。それに3界1の勇者やエデン副議長、パーガトリ姫の住む家を考えれば、自分だけ豪邸を造るわけにはいかないのだ。
 だからジントは、カエデに許しを貰う必要があると考えた。同時にカエデの父には、改築することを許して貰うことも必要だろう。留学から復帰するとなれば、キキョウも連れて帰ることになる。マディラの世話を考えれば、リコリスも着いてくるだろう。そう考えると、今のままではスペースがどこにもないのだ。

「残された時間を考えると、結構忙しいな……」
「悪いね、ちょっと留守にしている時間が長すぎたよ……」

 留守の理由を考えれば、一概にシンジのせいとは言えないだろう。3界の将来を考える、特にエデンとの関わりを考えるのは自分の役目のはずだった。それが中途半端だったのだから、その責任は負うべきだとジントは考えた。

「あんまり気にするな。
 碇は碇で大変なことは知っているさ。
 だからお前は、全部を自分でやらなくて良いんだよ。
 そうしないと、全ての時間が雑事に取られることになる」
「と言いつつも、最近はちゃんと学生をしているよ」

 驚くなと前置きをして、シンジはモデルになっていることを打ち明けた。

「上倉君のモデルにして貰ったんだよ。
 順調に制作が進んでいるから、新学期になったら見て貰えると思うよ」
「なんだ、本当に学生をしているんだな。
 まあ、碇有っての芙蓉学園だからなぁ……」

 イツキと話し合った中には、シンジの心の問題が大きな課題となっていた。直接本人に言うことではないが、気持ちを身近なレベルに押しとどめておく必要があるのだ。そう言う意味で、美術部に付き合うのは良いことに違いない。それだけで時間を取られては本末転倒だが、こうして役職者周りを始めているのだから、その心配は杞憂と言っていいのだろう。

「それで、ヌードなのか?」

 そう言ってからかうジントに、さすがにとシンジは口元を歪めた。

「上倉君の安全のために、普通の格好で描いて貰うことになったよ。
 それに花菱君、花菱君だったら男のヌードを描きたいかい?
 しかも同じ学年の男子だよ?」
「俺にその手の趣味はないからな。
 従って、そんなことを頼んできたらぶっ飛ばしてやるだろうな」
「と言うことで、常識的な線で落ち着いたんだよ」

 ヌードでも付き合うと言ったコハク達の言葉は、この際言わないでおくことにした。



***



 公約通り、タンポポは料理を30分で仕上げてきた。手際を考えれば、料理の腕は相当な物なのだろう。少なくとも、参考書を首っ引きではないようだ。これで第二ステップは合格と、イツキは並べられた皿をじっくりと見た。

「豚肉のソテーニンニク醤油風味です。
 付け合わせは、にんじんのグラッセにほうれん草のソテー。
 後は彩りでパプリカの揚げたのを添えてあります」

 タンポポが指し示した先には、言われたとおりの料理が並んでいる。その盛りつけも、パーガトリ標準のがさつな物ではない。皿の大きさ、彩りを含めてちゃんとコーディネートされていた。

「スープは、ジャガイモをすり下ろして裏ごしをした物です。
 コンソメと塩こしょうで味付けがしてあります。
 本当はパンも焼きたかったのですけど、時間の関係でこれだけは出来合いになりました。
 次からは、ご飯やパンも私が作りたいと思っています!」

 つまりは、パンは採点に含めないでくれと言うのである。確かに準備からの時間を考えれば、パンを焼いている暇は無いだろう。そのあたりは、今後の課題とイツキも理解した。

「次からは、皆様の好みに合わせて作りたいと思っています」

 だからよろしくお願いします。言外の意味を、イツキはそう受け取った。ただ次があるかどうかは、見た目と手際で決めるわけにはいかない。どこまで行っても、食べられるものが用意されるかが重要なのだ。おいしそうな臭いにごまかされてもいけないのである。
 「さあ召し上がれ」と言う勧めに従い、イツキ達3人は最初にスープへと手を伸ばした。濁りの無い白い色をしたスープは、見た目と臭いにおかしなところはなかった。それを一口含み、イツキは「うまいな」と合格を出した。これだけの味付けが出来るのだから、他の料理を心配する必要はない。

「タンポポと言ったな、これで採用試験は合格を出してやろう。
 今日からお前は、俺様の家族の一人となる」

 隣では、プリムラが豚肉のソテーに手を伸ばしていた。その食べっぷりを見る限り、プリムラからの反対もないだろう。それでも一応確認は必要である。良いよなと言うイツキに、プリムラはうんうんと力強く頷いた。ネリネの料理が酷すぎたため、今は緊急避難でイツキが食事の用意をしていた。それをまずいと言うつもりはないが、タンポポの作った料理の方が遙かにおいしいのだ。しかもおっとりとして優しそうに見えるので、仲良く出来そうだと感じていた。

「ありがとうございます、椎名様……ですが……」
「なんだ、何か問題があるのか?」

 本人も、この家にはいることを望んでいると聞いている。そしてその答えとして、今日から家族だと答えたはずだ。どこにも問題となる要素はイツキには見あたらなかった。
 だがタンポポは、皆さんに認めて貰わないといけないと答えた。

「その、ネリネ様は気に入られてないご様子なので……」
「ネリネが?」

 驚いて反対側を見ると、確かにネリネの表情が険しかった。まるで親の敵を見るように、タンポポの作った料理を睨み付けているのだ。それを見れば、確かにタンポポの言うことも理解できる。

「どうしたネリネ、ほとんど手を付けていないじゃないか」

 イツキに聞かれ、ネリネは電気が走ったように激しく反応した。そしていかにも嫌そうに料理に手を伸ばすと、とってもおいしいと心のこもっていない感想を口にした。

「ネリネ?」
「し、椎名様の決定に、私が口を挟む道理はありません。
 パーガトリでは、絶対に味わえない料理だと思います」

 苦しそうに言葉を紡ぐネリネに、イツキはもう一度「どうしたのだ?」と聞き返した。家事が壊滅したネリネの代わりに、新しく人を入れることは説明済みである。居場所がいなくなるとの不安には、家事以外に求めるものがあるのだと説明したはずだった。家に残るプリムラの相手、そして自分の話し相手が必要なのだと。特に自分の話し相手は、王国の中でも勤まる者の少ない難しいことだと説明したはずだった。だからタンポポの料理がいくらおいしくても、ネリネの立場に影響はないと分からせているつもりだった。

「ネリネ、俺たちの家族にタンポポが加わるだけのことだぞ。
 俺様は、誰も引き算などするつもりはない。
 お前はお前で、出来ることならたくさんあるだろう?」
「ですが、私は料理だけではなく、お掃除洗濯と全てまともに出来ません。
 椎名様に、おいて頂く価値のない女に違いないのです!」

 そう言って顔を両手で隠して泣くものだから、さすがのイツキも困ってしまった。このあたりがパーガトリの悪いところなのだが、おさんどん以外の価値が極めて低くなっているのだ。もともとイツキの求めるところは、そう言った家事とは別のところにある。何度説明しても、ネリネはそれを理解できないようだった。

「イツキ、ちゃんと満足させてあげないから」
「まあまあ、椎名様は淡泊なのですね」
「なぜ、そう言う方向に話を持って行く?」

 それ以前に、子供が口にするようなことじゃない。そう言って叱ったイツキに、プリムラは「教えて貰っている」と可愛い口元を歪めた。

「あの人が、イツキは見境がないって言っていたわ。
 そんなイツキが手を出さないから、ネリネも心配になったのよ」
「椎名様、やはり私に魅力がないのでしょうか……」
「いや、だから、俺様はなし崩しが嫌いなだけだ」
「まあまあ、これが痴情の縺れという奴なんですね」

 まあまあと両手で頬を押さえて悶えだしたタンポポに、それまで言い合っていた3人の言葉が止まった。いったい何事だと、身悶えるタンポポを見たのだ。

「まあまあまあ」
「ネリネ違うんだよ、俺様はお前を大切にしているんだよ」
「私は、大切にされる価値のない女なんです」
「そんなことはない、俺様にはお前以外の女は目に入らない」
「まあまあまあ、こうして生まれた二人の間の溝は、次第に大きく広がっていくのですね……
 そして、「私の物にならないのなら、いっそ……」とネリネ様がナイフを手に椎名様に迫って」

 まあまあまあと、タンポポは妄想を膨らませていった。そしてその妄想は、ネリネがナイフをイツキに突き立てるところまで進んでいた。

「次第に冷たくなっていく椎名様を抱いて、ネリネ様は陶然とした笑みを浮かべるのですね。
 「これで椎名様は私だけの物」、その冷たい眼差しを私にも向けるのですね」

 「まあまあまあ」とタンポポは妄想を更に進めていった。すでにタンポポの目には、イツキ達の姿は映っていないようだった。

「なるほど、こういう瑕疵があったのか」
「椎名様、私がお止めした方が宜しいでしょうか?」
「おもしろいから、もう少し放っておく?」

 先ほどまでの話はどこにやら、どうした物かと3人は顔を見合わせたのだった。







続く

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