どうして私はここにいるのだろうか。学生寮集会所を埋めた男女を前に、石田サラは自分の居場所を疑った。なぜ自分は、こんなところのひな壇に座っているのか。どうして集まった生徒から、尊敬の眼差しを向けられなければならないのか、どうして自分の隣で、桂ヒナギクが偉そうに演説してくれるのか、どうして、どうして………いくら問いかけても、納得のいく答えなど思いつきはしなかった。
 いささかと言うには語弊が有るほど顔を引きつらせたサラは、隣で会の存在意義を力説するヒナギクの言葉を聞き流していた。それでも耳に届く「内助の功」とか「癒し」とか、そんなことを力説していったい何の意味があるのだろう。しかも集まった生徒達は、ヒナギクの言葉に頷き、そして拍手まで返してくれる。一人冷静というか醒めている自分が、どうして全員の注目を集める場所に座っているのか、誰かにその理由を教えて貰いたかった。もっともそんな質問をすれば、全員が揃って「副会長だからでしょう」と言う答えを返してくれるに決まっている。そう硬軟取り混ぜたヒナギクのお願いという名の脅しに屈服したことが、すべての始まりになっているのだ。

 しかしとひな壇を見れば、ある意味そうそうたるメンバーが揃っている。とりあえず自分をさておくとして、隣にいる会長は、生徒会の会長候補でもあるのだ。事前の活動のおかげで、まず間違いなく当選してくれるだろう。そうなれば、この可愛い顔をした女性は、初の女性生徒会長として芙蓉学園を統治することになる。学園祭を取り仕切った美嶋ハルカとともに、広く世間に認知される存在となるだろう。
 そしてその向こうを見れば、そこには妙齢の美女が座っている。生徒以上に教職員採用に対する壁が高い芙蓉学園に、自薦という訳の分からない理由で乗り込んできた女性である。見た目が理由か、はたまたその行動力が評価されたのか、いずれにしてもただ者でないことだけは確かだろう。この校医が理由で、一時保健室の人口密度が高くなったとまで言われたほどだ。
 なぜ一時かというと、仮病を使った生徒がたたき出されたことが理由となっている。「男前」という言葉を使いたくなるほど、この校医はさっぱりとした、そして不正を許さない性格をしている。しかも今時、「熱血」を信奉しているという天然記念物でもあるのだ。仮病を使った生徒は、一人の例外もなくグラウンド10周を申しつけられたと聞いている。そんな「硬派」な彼女が、どうしてこの場にいるのかは不思議としか言いようがないのだが……ちなみに彼女の名は、紅薔薇ナデシコと、天使の名を二つくっつけたものを持っていた。

 そして当然のように、自分の隣には美嶋ハルカが座っている。今更彼女のことを言及する必要はないと思うが、それでも疑問なのは、神名アヤトとの関係はどう整理するつもりなのだろうか? と言うことだ。そしてその隣には、涼宮カスミ……まあ、有名人が揃っていると言うのは理解して貰えるだろう。

「みなさんの為に、会員専用ページを作成しました」

 会長の挨拶が終わったところで、広報担当の長門ユキが説明を始めている。言わずとしれた、現生徒会副会長である。その彼女が言うには、会員相互の親睦と情報交換をはかるために、専用のホームページを作ったらしい。だがそのホームページが置かれたサーバーは、学園所有のシステム上に有るという。生徒会権限で作ったというのだが、それを聞くとどこまで浸食しているのか、想像するのも恐ろしくなってくる。ひょっとしたら、学園スタッフにも会員が潜んでいるのではないだろうか。

「専用ページのセキュリティは万全ですが、皆さんに一つだけ注意して欲しいことがあります。
 会員個人にID、パスワードを割り当てていますので、絶対他人に漏らさないようにしてください。
 もしも外部漏洩が発覚した場合は、即時に会員資格剥奪と厳しい制裁が待っています。
 これを脅しととるかどうか、それは皆さんの判断に任せます。
 ただ一つ断っておきますが、芙蓉学園を普通だと思わないように……
 保健室からサンプルが欲しいと頼まれているのは冗談ではありませんよ」

 にやりと笑ったユキに、どうしてこんな非常識なことが言えるのだろうとサラは現実逃避していた。確かに彼女たちの目標となる男性は、非常識に非常識をいくつか重ねたことをしでかしている。ただそれにしても、他人を傷つけるためにその力が振るわれたことはない、はずだ。そのファンクラブが、制裁とか改造とか、恐ろしいことを平気で口にしてくれる。そこにサラが矛盾を感じるのも仕方がないというものだ。
 だがサラの思いも、生徒達には関係のないことのようだ。ユキの説明に対して、外部に会員を求めて良いのかと言う質問が返ってきていた。

「私の友達にも、碇さんのファンが沢山居るんです!
 その子達にも、III会員の資格があると思うのですが!」

 サラの記憶が正しければ、その生徒にはボーイフレンドがいたはずだ。その彼女が、どうして「愛人」志願の集まりに顔を出しているのだろう。そんな疑問をぼんやりと考えていたら、隣で立ち上がったヒナギクが、来るものは拒まないと気前の良いことを言ってくれた。

「ただし、その人がIIIの意味を理解していることが条件となります。
 坂上トモヨさん、それは紹介者であるあなたにも求められることですよ」

 いいですねと聞かれ、トモヨはしっかりと頷いた。ここに集まった女性……一部男性もいるのだが、その全員が高い志を持っている。まあ芙蓉学園に学ぶのだから、志が高いのは当然と言えたのだが、少しだけ異質なのは、“愛人を目指す”と言うのがその中に含まれていることぐらいだろう。

「ほかに質問はありませんか?
 もしも無いようでしたら、最後に副会長の挨拶で第一回の総会を終わらせたいと思います。
 碇さんだけでなく、アスカさん達の信頼を得ている石田さんの言葉です。
 石田さんのおかげで、私たちの夢は現実に近づいたと言って過言ではありません。
 いいですか、皆さん命がけで傾聴してください!」

 拍手をするヒナギクに合わせ、会場にいた全員が大きな拍手でサラを迎えてくれた。それだけ認められていることに繋がるのだが、どうして少しもうれしくないのだろうか。当たり前すぎる疑問を感じながら、サラは更に顔を引きつらせて立ち上がった。何も考えてこなかったから、いきなり挨拶などできるはずがない。それでもきらきらと期待の眼差しを向けられれば、何か言わないわけにはいかないだろう。
 勘弁して欲しいと、どれだけ考えたか分からなくなった泣き言を心の中で言ったサラは、大きな声で「相談ならいつでも乗る!」と自爆気味の言葉を口にした。ここまで来れば、もうやけくそというのが一番正しいのかもしれない。もっとも、そう思っているのは本人だけのようなのだが。
 自爆としか言いようのないサラの挨拶に、会場を詰めかけた男女は今まで以上の拍手で応えた。まあミクラの事件を治めた実績が有るのだから、サラの保証は大きな意味を持っている。碇家外部で、一番碇家に近い女性がサラなのだから、彼女をないがしろにすることはできないというのが、生徒に共通する認識だったのである。

 大きな拍手で賞賛されたサラだが、拍手が大きければ大きいほど、気分は反比例して落ち込んでいった。自分で口にしてなんだと思うのだが、どうしてこんな自爆をしてしまったのだろうか。引きつりすぎて裏返った顔は、なぜか微笑みをたたえたようになっていた。それを後から指摘され、更に盛大に落ち込むことになったのだった。







<<学園の天使>>

154:







 ミョルニルを生身で受け止め、融合現象からも自力で復活した。その事実は、シンジを“神”として祭り上げるのに十分な意味を持っていた。元々神のごとくあがめられていたこともあり、パーガトリでの変化は大きな物ではなかった。だがエデンでは、一部の思惑も重なり非常に大きな意味を持って受け止められたのだ。特に事務方、若手の議員の間での意味合いが大きかった。
 そしてシンジを神格化することの影響は、サードニクスが一番大きく受けていた。その背景には、シンジの妻であるコハクの存在があることは言うまでもない。シンジを“神”もしくは“神の代行者”として認めることで、そのままコハクへの崇拝も大きくなる仕掛けである。コハクを崇拝する者たちには、シンジが神の力を振るうことはむしろ好都合とも言えただろう。そして彼らは同時に、サードニクスの存在が“邪魔”だと考えるようにもなっていた。当然その空気は、サードニクスも知るところとなっていた。

「さすがに、これは私も予想しなかった事態だよ」

 シンジとコハクを招待した席で、シンジに向かってサードニクスは“宜しくない”事態だと零した。もっともシンジにしてみれば、“宜しくない”と言われても何のことか分からない。何がと言うシンジの疑問に、エデン内部の空気だとサードニクスは内情をばらした。

「どうやら、私が本気で邪魔になった者たちが居そうなんだ。
 その結果、力ずくで私を排除しようとする動きが出るのかもしれない。
 まさか、私たちの世界で“内乱”を心配することになるとは思わなかったよ」

 内乱と言うよりクーデターなのだが、そのことに触れず、シンジはその背景を質した。

「サードニクスさんを排除して、その後どうしようって言うんですか?
 誰か、サードニクスさんの代わりにエデンを支配したい人でも居るんですか?」

 サードニクスと限定した以上、コハクが排除される側に含まれるとは思えない。そうなると、代わりに立つのはコハクと言うことになる。だからコハクの顔を見ながら言ったのだが、サードニクスは「そっちじゃない」と口元を引きつらせた。

「完全に否定すると話がおかしくなるが、コハクはそんな面倒なことを考えていない……と思っているよ。
 今問題にしているのは、単純に“私が邪魔”だと考えている奴らが居ることだ」

 つまり、今の体制からサードニクス“だけ”を取り除こうというのだ。

「サードニクスさんが邪魔って……」

 ふむと考えたシンジは、「心当たりが有りすぎる」と、普段のサードニクスにしてみれば「してやったり」の答えを返した。

「居ない方が、3界が静かになると考えている人が大勢いますからね。
 リリンの中でも、サードニクスさんの趣味が問題視されているんですよ。
 当然パーガトリでも、どういうちょっかいをかけられるか気にしていますよ。
 少なくとも二つの世界で、危険人物だと目されているのは確かですね」

 とりあえずエデンを除く状況を口にしたシンジに、エデンでもそうだとコハクが話を引き取った。

「と言っても、“邪魔”だとまでは考えていないと思うのだがな。
 ただ居ても居なくても……否、居ない方が良いという考えがあることは否定せんぞ。
 まあいじくられている者たちの不満が高まっているのは確かであろうな」
「コハクにも、不満は溜まっているのかい?」

 いじくられた筆頭と言えば、目の前に居る二人に他ならない。だからどうなのだと聞いたサードニクスに、何を今更とコハクはあきれて見せた。

「シンジに引き合わせてくれた恩を考えれば、多少のことには目をつぶりましょう。
 それに、最近では適当に受け流すことも出来るようになりました。
 従ってわれとしては、“いてくれた方が有り難い”と言うのが正解でしょう」

 コハクにしてみれば、面倒を押しつける相手があるというのが有り難いのだ。このあたり、最高評議会に掛かりきりになりたくないと言う個人的事情もあった。サードニクスがいなくなれば、すべてがコハクの肩に掛かってくることになる。そんなものは願い下げだというのが、コハクの正直な気持ちだった。

「たぶん、今のコハクならそう言うと思ったよ。
 そしてそれが、私を排除しようとする者の動機でもある。
 私がいなくなれば、コハクは今以上に最高評議会、そして“エデン”に居なければならなくなるからね」
「御身の仕事ぶりを見れば、今でもあまり変わらないと思われますが?」

 ちくりと言うかぶすりと嫌みを言ったコハクに、きついねぇとサードニクスは頭を掻いた。そしてその上で、シンジの不在が宜しくなかったのだと内情を打ち明けた。

「必要なことであるのは認めるけどね、だけどその時の対応が影響しているんだよ。
 パーガトリの姫二人を連れて、コハクが長期滞在をしただろう?
 しかも宴まで盛んに開いてくれたから、どうもあれが忘れられないらしい」
「しかし、あれはシンジが不在だったからのこと。
 サードニクス様の排除とは直接繋がらないことに思われますが?」
「それが、そうじゃないから困っているんだよ。
 と言うか、私が“おまけ”のように扱われているのが気に入らないというか……」

 つまりと、サードニクスは自分が排除される理由を説明した。そしてそれは、ある意味正気を疑う物でもあったのだ。もちろん疑われる相手は、サードニクスを狙っている者達である。

「さっき言った理由なら、本来排除されるのはシンジでなければならない……
 そうした時何が起こるのか、それはこの際考えないことにしておくがね。
 だがミョルニルも通じず、ホムンクルスでも勝てない相手をどうやって排除する?
 彼らは最初に、その問題に突き当たったと言うことだよ。
 そして、機動兵器を使っても無理だという結論に達したんだ。
 当然暗殺なんて、パーガトリの姫を超えてできるものではない。
 そうなると、シンジの存在自体を再評価しなければならなくなる」
「それで、どんな結果になったんですか?」

 自分の評価と言われれば、やっぱり気になってしまう。それを確かめたシンジに、サードニクスの答えは微妙なものだった。

「実は、シンジの評価も私に似ているところがあるんだよ。
 つまり、居ても邪魔になることはない……」
「それだけ……ですか?」

 なんだかなぁと言うシンジに、日頃の行動が理由だとサードニクスは笑った。

「控えめなシンジの性格が理由になっているのだろうね。
 ただシンジの場合、別の面で評価されているんだよ。
 まあシンジに対する直接の評価と言うより、君の奥さん達への評価なんだけどね。
 コハクやヒスイちゃんを見ていると、シンジが居た方が好ましいと考えられているんだ。
 その結果、シンジに対する不満はごく小さなものとなったんだよ」
「それでも、不満はあるんですよね?」

 その辺りを聞きたいというシンジに、サードニクスはにやりと笑ってコハクの顔を見た。

「聞こえてくるシンジに対する不満は二つ、一つはもっとエデンに顔を出せというものだよ。
 そしてもう一つは、主に女性達から聞こえてくるものなのだが……」

 そう言われると、シンジにも心当たりが無いわけではない。そしてサードニクスは、想像通りの答えを返してきた。

「ガードが堅すぎるというものだよ。
 どうしたら側仕えになれるのかと聞いてくる役職者がいる始末なんだ。
 シンジの寵愛を受けられるのなら、議員の資格を捨てても良いとまで言ってくれたんだ」

 いやぁもてるねぇと笑われれば、真剣な話だったのか疑わしくなる。聞かされた不満の中で、少しでも前向きなのは「もっとエデンに来い」と言うことぐらいだろうか。そこに「ヒスイも連れて」と付け加えられると、すべてのレベルが揃ってしまうのだが……
 結局好き嫌いに落ち着いてしまえば、感情の問題だから仕方がないのだろう。そう思うしかないのは分かっているが、それが理由で最高評議会議長が狙われるというのも情けない話である。それでも無理矢理自分を納得させたシンジは、それでどうするのかとサードニクスの考えを聞くことにした。

 もう一度話を整理すると、サードニクスは自分が狙われる理由を説明した。それは心情としては理解できても、議長を排除するほどのこととは思えなかった。もしもそれを本気で考えているのなら、相手の正気を疑わなければならないものだろう。

「第一の理由は、コハクが仕事を押しつける相手が居なくなると言うことだよ。
 そうなれば、コハクは自分で仕事をこなさなければならなくなる。
 その分、エデンに居る時間が増えることに繋がるってことだ」
「居る、だけで良いんですか?」

 信じられないというシンジに、それが実態なのだとサードニクスは苦笑した。

「それが冗談じゃないことに、ことの異常さが有ると言えるだろうね。
 そして第二の理由だが、どうも彼らは私のことをよく見ていたと言うことだね。
 多分コハクは気にしていないと思うのだが、彼らは私の行動を問題にしてくれたんだよ。
 このまま私をのさばらせると、もっとコハクに迷惑を掛けるんじゃないかとね」

 迷惑を掛ける相手はコハクだけではないだろう。その言葉を飲み込み、それは分かるとシンジは大仰に頷いた。

「ああ、それは僕も考えましたよ。
 パーガトリ内乱の前ですけど、いっそのこと“消して”しまおうかとも考えましたから」

 すかさず答えられ、サードニクスは冗談じゃないと顔を引きつらせた。シンジがその気になったのなら、本当に自分ぐらい“消す”ことが可能なのだ。おもしろくなってきた世界を見たい立場として、消されてしまっては元も子もないというものだ。

「シンジがその気にならなかったことに感謝するよ。
 そして3番目だが、コハクの上に私が居ること自体が気に入らない者が沢山居るんだ。
 コハクを崇拝するあまり、その上位に私が居ることに我慢できないと考えたのだよ。
 もう、ここまで来ると言いがかりに近いものがあるね」
「それが、サードニクスさんを狙う理由ですか?」

 それだけかという顔をしたシンジに、それがほとんどだとサードニクスは即答した。

「おまけで言うのなら、これ以上エデンの体制を壊さないで欲しいという考えかな?
 花菱ジントを準議員にしたのが効いたのだろうね、
 このまま好きにさせたら、伝統ある最高評議会がどうなるのか怖くなったんだろう」
「普通、それが最初にあげられるものじゃないんですか?」
「非常識な君が、普通を相手に求めるのかな?」

 そう言って口元を歪めるものだから、シンジがかちんと来たのは今更言うまでもない。普通でないと言われることは諦めていたが、目の前の相手にだけは“非常識”と言われたくなかった。だからシンジは、「そう言うことを言うのなら」と、最近覚えた力を使うことにした。
 もっとも、本当に議長を消したら大事になる。だからシンジは、ほんのわずか、時間にして0.1秒ほどサードニクスの人生に干渉することにした。本人以外では、よほど気をつけていなければ分からない干渉なのだが、サードニクスにはきわめて効果的に働いたようだ。その証拠に、信号機のように一瞬でサードニクスの顔が青ざめた。

「僕は、常識的に生きようと思っているんですよ?
 それともサードニクスさんは、僕が非常識なことをした方が良いと?」

 返答しだいで、もっと非常識なことをする。そう受け取ったサードニクスは、すかさず「シンジは常識人だよ」と言い直した。他人から見ても分からないほど短い時間でも、彼にとっては十分長い時間だったのだろう。肝の据わった、そしておもしろいことが好きなサードニクスでも、さすがに二度とごめんと考えたのだ。
 もっとも、シンジの横にいたコハクには、何が起きたのか理解できなかった。ただ突然サードニクスの顔が青ざめ、そしてシンジの言葉を肯定しただけだ。それでも理解できたと言うか想像が付いたのは、また夫が何かしでかしたのだろうと言うことだった。だが今回に限っては、被害者が被害者だから黙っていることにした。

「みんな君のように、常識をわきまえてくれると良いんだがねぇ」

 顔色をここまで青くすれば、何かあったのは一目瞭然だった。だがサードニクスには、苦情を言うという考えは浮かばなかった。とにかく話を進めることで、よけない真似をさせないようにしようと考えた。

「だったら、サードニクスさんから始めてみれば良いんじゃないですか?
 最高評議会議長として相応しい振る舞いをすれば、皆さんも認めてくれるんじゃありませんか?」

 ほんの少しだけ常識的になればいいのだと。周りにしてみれば、それでも非常に大きな変化に違いないだろう。それは、シンジなりの皮肉と言っても良いものだった。
 もっとも脅しを受けても、黙って引き下がらないのが議長様である。よく分かったと感謝したサードニクスは、青い顔をしたまま「シンジを見習うことにする」と言い返した。

「何しろ、常々常識を持ち出すシンジのことだ。
 そのシンジを真似していれば、世間も私を常識的と認めてくれるだろう」

 そう言われれば、シンジが言い返すことが出来ないのは織り込み済みである。微妙に顔を引きつらせたシンジに、サードニクスはわざとらしく「困ったなぁ」と嘯いた。

「私としては、そこら中に手を出すつもりはないのだけどね。
 それにミョルニルを受け止めるのも無理だし、融合現象を起こすのも不可能なんだよ」

 困った困ったと繰り返すサードニクスに、シンジはもう一度嫌がらせをしようかと力の解放を考えた。だがそれよりも早く、コハクが助け船という名の追撃を放ってくれた。

「そんな真似をすれば、もっと周りから狙われることになりますぞ。
 サードニクス様に求められているのは、もう少しだけ勤勉になることです。
 余りよけいな真似をされると、かえって周りが迷惑を被ることをお忘れ無く」
「だから、シンジを見習おうかと思っているのだがね」
「夫の非常識なところばかりを取り上げるのはいかがかと思いますぞ。
 サードニクス様には、身の丈にあった努力をお勧め致します」
「身の丈にあった努力ねぇ……」

 これでも3界の最高位に立っているのである。その最高位者に向かって、「身の丈」を説くのはどう考えて良いのだろうか。自分を非常識と言われたことを脇によけて、シンジはもう一度自分の意味を問いかけざるを得なかった。
 と色々と頭を悩まそうとしたシンジだったが、肝心のことを聞き忘れていたのに気が付いた。最高評議会議長を失脚させようと言う動きがあるのなら、どう対処するのかを聞いておかなければいけないだろう。

「話が思いっきり明後日の方向に行ってしまいましたね。
 それでサードニクスさん、狙われていることに対してどうするつもりなんですか?」
「今のところ、具体策は無いというのが正直なところだね。
 まあ誰がと言う特定を急いでいるが、見つかったら見つかったで悩ましいものもあるんだよ。
 私としては、その時を想像するだけで我慢して欲しいと思っているよ」
「でも、具体的に動き出したら?」

 そうなると、悠長なことは言っていられないはずだ。シンジの指摘に、確かにそうだとサードニクスは頷いた。頷いた上で、そうならないように配慮すると付け加えた。

「彼らの不満の方向が明確だからね。
 だったら、君たちがこちらにいる時間を増えるようにすれば良いんだよ」
「と言われても、僕たちは芙蓉学園に通っているんですよ。
 だから、普段はリリンの世界にいることになるんですけど?」

 今まで通り、コハクは最高評議会に出席することになるだろう。だがシンジやヒスイは、ほとんどリリンの世界にいることになる。サードニクスが言うように、エデンに居る時間を増やすのは簡単なことではない。

「確かに、すぐに増やすというのは難しいだろうね。
 だから今日明日のことではなく、この1、2年の話をすることにした」

 そう言ってサードニクスが持ち出したのは、新たに設立される大学のことだった。

「二人とも、芙蓉学園の上位教育機関を設立することは知っているだろう?
 それを餌に、彼らを黙らせることを考えたんだよ」
「大学の設立ですか?」

 それがどんな餌になるのか、すぐにはシンジにも考えつかなかった。と言うか、普通餌になるとは考えないと思っていた。
 だがサードニクスの考えというか、コハクのことを問題にしている者達にとって、大学の設立は十分に餌になるのだと言う。その辺りの理由を、サードニクスはしっかりと説明してくれた。

「たぶん、コハクの耳にも届いているとは思うのだけどね。
 今の状況でも、芙蓉学園に入学を希望する者が多いんだよ。
 厳密な年齢制限が有るおかげで、希望はあくまで子女にとどまっているのだがね。
 それでも花菱殿にまで、推薦のお願いが殺到している状況なんだよ」

 その理由ぐらいはシンジにも想像が付いた。コハクや自分が居るせいで、芙蓉学園が3界の中心的な役割を果たしつつあるのだ。しかも最高評議会議長や前国王がたむろしていることもあり、政治的な意味合いも非常に大きくなっている。コハクのことをさしおいても、後継者を芙蓉学園で学ばせることの意味は大きい。

「そしてもう一つ、芙蓉学園運営に関わる申し出も多いのだよ。
 今のままでは、事務方の出番はあり得ないからね。
 だから是非とも運営に関わりたいという上申もまた、数多く来ているんだ」
「でも、今の運営だと、そんなに多くのスタッフは必要有りませんよね?」

 我が意を得たりとばかりに、サードニクスは大仰に頷いた。

「まさにその通りなんだよ。
 そしてもう一つ、芙蓉学園はリリンの世界にあるからね。
 両者の行き来を制限していることもあって、そう簡単に派遣するわけにも行かない」
「だから、大学なんですか?」
「大学は、空間接合によってリリンとエデンをつなぐからね。
 そしてこれを機会に、芙蓉学園自体もエデンと空間的に接合される。
 今まであった、場所という問題がかなり緩和されるんだよ。
 それに多くの生徒や研究者を受け入れるから、スタッフも大幅に増員する必要が出る。
 事務方に対しても、おいしい餌をぶら下げることができるというわけだ」

 さらにと身を乗り出したサードニクスは、悪のりとしか言いようのないプランも持ち出した。それはシンジとして、いかがなものかとも言いたくなるものだった。

「フローラのご主人に、大学内への出店を打診してあるんだよ!」
「……そう言う餌も用意したってことですか?」

 でと、それだけじゃないだろうとシンジは迫った。ある意味健全なフローラだけでは、“大人”に対する餌としては不十分だろう。そしてシンジの想像は、いともあっさりと肯定された。

「姉妹校である一刻館館長に相談してみたんだよ。
 彼は、なかなか楽しい店を知っているね」

 そう言うことですかと、肩を落とすまでとは行かないが、それなりにシンジは脱力していた。最高評議会議長の追い落としともなれば、ある意味クーデターとも言える重大事である。それを計画する者達に、代償として提供するものが風俗なのだ。これで不満が収まると言われては、釈然としなくても仕方がないだろう。

「つまり、今まで蚊帳の外に置かれていた者に、3界融和の恩恵に与れるようにした。
 サードニクス様は、それを対策とされると仰るのですな」
「つまらない言い方をすると、そう言うことになるのだろうね。
 内向きに閉じこもっているから、コハクの居場所程度が問題にされるんだよ。
 だから彼らにも、もう少しダイナミックな世界を見て貰おうと考えたんだよ」

 そう説明されると、急に説得力が増すのはどうしてだろう。不思議なものを感じながらも、それなら理解できるとシンジは頷いた。だが芙蓉学園に関わることが餌となるのなら、その配分が必ず問題となるだろう。そもそもどうやってスタッフを選出するのか、そのこともまたトラブルの種になるのは間違いない。

「それで大学への入学者選抜、スタッフの選抜はサードニクスさんがやるんですか?」

 それはシンジとして、当然の質問だった。少なくともエデンにおける最高責任者は、目の前にいるおっさんなのだ。自らの命に関わることなのだから、他人任せにしないだろうと考えたのだ。
 だがシンジの疑問に、「まさか」とサードニクスは肩をすくめた。

「そんな真似をしたら、選から漏れら者達に私は暗殺されてしまうよ。
 だから誰からも文句が出ないよう、この役目はコハクにお願いすることにした」
「つまり、面倒ごとを僕たちに押しつけようと……?」
「失礼なことを言うね。
 3界融和に関する処理事項のほとんどは、コハクに権限が委譲されているんだよ。
 これもその一つとして考えれば、コハクの仕事になってもおかしくないだろう?」
「権限が委譲されたというのは、初めて聞くような気がしますな」

 すかさず疑問を呈したコハクに、「注意深く生きた方が良い」とサードニクスは忠告した。

「パーガトリ国王の即位式の直前に、そう言う通達を回したんだよ。
 それに気づかなかったのは、コハクの方に責任が有るんじゃないのかな?」
「なにゆえ、われに直接申しつけられなかったのですか?」

 そうすれば、今のような誤解は生じなくなる。そう質したコハクに、「忙しそうだったから」とサードニクスは嘯いた。つまりシンジが不在のどさくさに、コハクは権限を押しつけられたと言うことになる。いかがなものかと詰め寄るコハクに、「議長裁定」をサードニクスは持ち出した。

「ほかの誰からも異論があがらなかったのだから、今更それを持ち出されてもねぇ」

 そう嘯く上役に、コハクはこれ以上の抗弁を諦めることにした。そしてその代わり、愛する夫に制裁をお願いすることにした。

「シンジよ、頼めるか?」

 その効果がどれだけ覿面だったのか、しばらく逃げ回ったサードニクスを見れば、それを知ることが出来るだろう。







続く

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