肝心要の消息が知れない割に、3界に特に混乱は見られていなかった。もちろんリリンの世界では、シンジ不在による影響がないわけではない。これまで続けられてきたちょっかいも、相変わらず勤勉に続けられている。ただ不思議なのは、そのちょっかいも下火になっていることだろう。このあたりの理由については、クレシアが「お尻に火がついた」のだと解説を加えた。シンジという絶対的な力が消失したため、アスカたちの力を弱体化させるわけにはいかなくなったのだと。

「結局、3界の交流は芙蓉学園に頼るしかないからです」

 花菱ジントが準議員に就任したこともあり、シンジ抜きでも芙蓉学園の意味は高まっている。しかも花菱ジントに椎名イツキ、桜庭カエデを交えたトライアングルは、盤石と言っていい結束を誇っていた。その事実をあげたクレシアは、リリンの世界は逆に安定してきたと説明した。結局シンジの不在が、誰に頼らなければいけないかを明確にしたというのだ。

「だけど、その分エデンは微妙じゃないの?」

 アスカは、その疑問をコハクにぶつけた。エデンを屈服させたのは、あくまで紫の奏者であるシンジだけなのだ。準議員まで上り詰めたジントという存在はあるが、それもシンジの後ろ盾が有ってと見られている。それを考えれば、あまり不在が長引くのは宜しくないだろう。せっかく押さえつけていた蛇が、その枷を破ってうごめき出すこともある。それをふまえたアスカの疑問は、エデンで不満が表出していないかというものだった。
 だがコハクの答えは、今のところ何の問題も出ていないと言うものだった。もちろんアスカの懸念は、コハクもよく承知している。そのため配下を放って情報を集めてきた事情もあった。だから「本当か?」と言う顔をしたアスカに、目に見える範囲はとコハクは注釈を付け足した。

「ただ、議員達は本当に冷静に対処しておる。
 このあたり、花菱が幾度も意見交換に回ったのが効いておるのだろう。
 花菱の人となりが、議員に準じる資格を与えるに相応しいと彼らも判断したのだ。
 そして成り行きではあるが、マディラ殿を嫁に迎えた。
 順位こそ低いが、マディラ殿は立派に最高評議会議員としての立場を持っている。
 そしてアデュラリア殿の謹慎もまもなく解けるのだ。
 ますます花菱に不満を感じる物は居なくなるであろうな……」

 そこまで口にしたコハクは、そこまでは順調だと説明した。

「だからといって、不満が溜まっていないと言うつもりはない。
 われが見たところ、事務方に一番溜まっておるように思われる。
 従って、少しばかりわれが出向いて沈静化しようと思っておる。
 何、シンジがおらぬ故、この家にこだわる理由もあまり無いのでな」

 事務方の不満は、コハクがリリンに長居しすぎることが理由となっている。ならば不満解消方法は、この機会に事務方の面倒を見ればいいのだ。そしてもう一つ、効果的な餌があるのをコハクは承知していた。

「そこで相談なのだが、今回こそヒスイ殿に同行してもらえないか?」
「私がですか?」

 驚いたヒスイに、うむと大きくコハクは頷いた。

「アスカを含め、シンジの妻に対するあこがれが強くなっておる。
 流石にアスカまで連れて行くと、リリンの中で問題が出るのでな。
 だから一番人気の高いヒスイ殿を連れて行って、ご機嫌取りでもしてやろうと思うのだ。
 従ってヒスイ殿には面倒をかけるが、数度の宴で歌を披露してはもらえぬか?」

 それだけのことで、不満など一気に解消できるとコハクは断言した。裏を返せば、それだけヒスイの人気が高いと言うことになる。

「シンジ様の留守を守るのが、妻としての役目だと思っています。
 コハク様がそう仰るのなら、喜んでエデンに参りましょう!」
「うむ、感謝するぞヒスイ殿。
 では準備ができ次第出立することとなるのだが……」

 あたりを見渡したコハクに、「スッピーなら居ない」とアスカは気を利かせた。

「あれ以来、一度もここに寄りついていないわ。
 きっとシンジが居ないから、誰も助けてくれないと思っているんでしょうね」
「……一応、限度はわきまえているつもりだったのですが」

 ヒスイとしては、気まぐれにスピネルを脅していたつもりはなかった。パーガトリの姫としてたるんでいるスピネルに、緊張感を持たせよう、そして欠けているところを教えようと言う意図が有ったのだ。だがここまでのスピネルを見ていると、どこまで本人に通じているのか疑問が残るところだった。
 そうかと、あきらめ顔のコハクに、どうかしたのかとアスカは聞き返した。今までの経験から行けば、コハクがスピネルを探すというのはあり得ないことだったのだ。

「なに、スピネルも連れて行こうかと思ったのだ。
 あれで結構、事務方どもに受けが良かったのだ。
 おそらくわれやヒスイ殿に比べ、親しみやすいところが受けたのだろう。
 なんのかんの言っても、姫としての器量も持っておるからな」
「だったら、連れて行ってそれを教えてあげたら?
 流石のスッピーも、今回のことは堪えて居るみたいよ。
 だから少しエデンで気晴らしをさせてあげるのも良いんじゃないかしら?」
「気晴らしになるかどうかは疑わしいところはあるがな……」

 肩のこる宴が、気晴らしになるとは考えにくい。人それぞれに感じ方の違いがあっても、自由気ままなスピネルこそ退屈がるとコハクは考えていた。
 それでもアスカの賛同を得たのだから、コハクはスピネルを“連行”することにした。紫の奏者の妻の一人として、必要となる面通しをしておく必要もある。そしてそうしておけば、スピネルの行動に釘を刺せるとも考えていた。

(あやつが、“普通”になるのもおかしい気がするがな……)

 あれはあれで貴重な個性だと、ようやくコハクも考えるようになっていた。特にシンジが居ない今、何も考えていないような気楽さが貴重だと思えたのだ。沈みがちな気持ちを盛り上げてくれるという意味で……







<<学園の天使>>

151:







 花菱ジント、椎名イツキ、桜庭カエデを送り出し、そして碇シンジが行方不明。それに加えて、コハクやアスカ、ヒスイが不在がちと言うことで、クラスの勢いとして2年A組は落ち込んでいるのが実態だった。元気者の六道メグミが転入しても、2年A組にその意味を持たせている生徒が欠けた状態では、活気が出るのは難しいところがあったのだ。
 その2年A組で課題となっていたのは、来る生徒会選挙に向けての対策立案だった。当然クラスの主たる勢力は、今年こそ生徒会長を取り返そうと張り切っていた。特にクラスメイトの事情もあるだけに、仲間としては後押しをする必要が有ると考えていたところもある。だがその意気込みは、初っぱなからくじかれてしまった。

「すみません藤田君、もう一度言ってくれませんか?」

 めがねの位置を人差し指でなおしながら、善行は藤田の方をぎろりと見た。生徒会長奪回、そして級友の後押しを考えていたA組生徒にとって、藤田の言葉は寝耳に水のものだった。だが善行の驚きをよそに、藤田は淡々と自分の決定を繰り返した。

「ああ、俺は生徒会長には立候補しない。
 副会長に立候補することに決めたんだ」
「差し支えなければ、副会長を選択した理由を教えて貰えませんかね?」

 気に入りはしなかったが、それでも善行は冷静だった。生徒会長奪還と言っても、それは絶対という物ではない。あくまでその場のノリの意味が大きかった。むしろ藤田の事情をおもんばかったところが大きかったのだ。その藤田からはしごをはずされれば、理由を聞いてみたくなるのも当然だろう。

「2年A組に対して、生徒からの期待が大きいのは理解してくれていますよね?」

 そしてA組が生徒会長候補を立てる理由はここにもあった。シンジが不在の今、学園の生徒は2年A組を頼りにしていた。政治的に会長立候補を避けた昨年とは違い、今年は政治的にもA組から候補をたてた方が良い。善行が質したのは、そのことに対する藤田の認識だった。もしも不適当な答えが返ってきたら、クラス推薦自体の取り消しを覚悟していた。
 「理解しているつもりだ」と答えた藤田は、だからこそ副会長なのだと言い返した。

「去年碇が二期連続どころか、A組から候補を出さなかった理由。
 俺は、それをもう一度主張させて貰うことにする。
 今年は上倉がなんとか仕切ったが、まだそれでは不足だと俺は思っている。
 A組から会長を選ぶと言うことは、それだけ碇に対する依存が強いという意味になる。
 芙蓉学園の生徒は、もっと碇に頼らない道を選ぶべきなんだよ。
 それに芙蓉学園は、人材の宝庫だと思っている。
 その人材を、次の生徒会長として発掘するのが正しい姿だと俺は思う。
 生徒会に立候補するのは、あくまで俺の個人的事情だ」
「今の学園を包む状況、それを理解しての言葉と考えて良いのですか?」
「これを乗り切ってこそ、芙蓉学園は一人前なんじゃないのか?」

 なるほどと、善行は一応納得したような答えを返した。もちろん、これで追求の矛先を納めたわけではない。彼は彼なりに、藤田が対決を避けた事情に心当たりがあったのだ。そしてその事情の前には、鉄の結束を誇るA組も、一枚岩ではないことも分かっていた。

「早瀬さん、本件に関してあなたの意見はありますか?」

 そしてその事情から、善行は女子生徒に意見を求めた。善行に指名されたミツキは、「あたし!」と驚いて立ち上がった。この話の中で、自分に意見を求められるとは想像すらしていなかった。

「クラスメイトとして、早瀬さんの意見はどうですか?」

 すべてを見通したような善行の視線に、ミツキは気まずそうに視線をそらした。そして普段とは違う小さな声で、「本人の希望を考える必要がある」と答えた。

「なるほど、こういった物は本人の意志が必要ですからね。
 では石津さん、あなたの意見はどうですか?」
「ええっと、私も本人の希望を優先する方が……」
「なるほど、では涼宮さんはどうですか?」

 女子を狙い打ちした善行に、ちょっとと副委員長のサラが噛みついた。

「委員長、何か言いたいことがあるのならはっきり言ったらどう?」
「おや副委員長、私は皆さんの意見を聞いているだけですよ。
 それなのに、どうして私が何らかの含みを持っているような言い方をするのですか?」

 しらを切った善行に、そう取れるような人選だとサラは言い返した。

「なら石田さん、副委員長としての意見を聞かせて貰えますか?」
「同じクラスメイトとして、個人の意志を尊重するわ。
 どうしてもこのクラスから生徒会長候補を出したいというのなら、善行君が立候補すればいいのよ」
「なるほど、副委員長の言うことも理に適っていますね……」

 ふむと考えた善行は、すぐによく分かったと追求を諦めた。そして「あまりおもしろくない結果」だと言い切った。

「人気投票ですから、こういう結果になるのは見えていたのですがね。
 残念ながら、私は彼女をそこまで評価していないのですよ。
 まあここまで組織を作り上げた手腕、それを評価することにしましょうか。
 芝村君、藤田君の当選見込みはどうですか?」
「裏切られなければ、ほぼ間違いないと言うところだな」
「そうですか、でしたら副委員長にはしっかりと釘を刺しておいて貰わないといけませんね。
 III副会長として、ちゃんと結果に責任を持ってくださいよ」

 善行の言葉に、サラの顔ははっきりと引きつった。発足間もない非公式・非公開ファンクラブの実態が、なぜこんなに簡単に漏れているのか。しかも自分が副会長などと、いったい誰が告げ口したのだろう。自分自身、まだ副会長を引き受けたつもりはなかったのに。

「い、委員長……」
「何か疑問でも、副委員長?」

 にやりと笑った善行と芝村に、ここにも敵に回すとやっかいな奴らが居るのをサラは確認したのだった。



 藤田にとって、サラから持ちかけられた話は答えに困る物だった。ガールフレンド……恋人の実家の期待が、自分が第3期生徒会長になることだとも知っていた。それもあってだめもとで立候補しようと考えていた藤田に、サラは「選挙協力」を種に副会長立候補を持ちかけたのだ。

「石田、おまえがそっちに走ったのは意外だったな」
「……言わないで、これには深い事情があるのよ」

 生徒会副会長を持ちかけられたことより、藤田はサラがIIIに入会し、且つ副会長に就任したことに驚きを示した。IIIの存在と構成メンバーに、すでに生徒会長への道はあきらめがついていたのだ。

「……深い事情か、まあ俺の生徒会長立候補も訳ありだからな。
 まあ人のことを追求できる立場じゃないのは確かだな」
「藤田君こそ、マドカさんのことがあるんでしょう?
 副会長じゃ、先方を納得させるのは難しくない?」
「だからといって、碇のファンクラブじゃ相手が悪すぎる。
 落選するぐらいなら、よっぽど副会長の方が納得させやすいだろう」

 申し訳なさそうにするサラに、気にするなと藤田は笑った。組織をバックにしていない以上、選挙が不利になるのは分かっていたことだった。その意味で、最大のファンクラブがバックに着いてくれるのなら、逆に有り難いと考えた方が良いだろう。だから藤田は、その政治的な取引を承諾することにしたのだった。

 冬休みに帰省した藤田は、早速マドカをデートに誘うことにした。以前はデート一つ誘うのも難しかったのだが、今は一本電話をかければそれでおしまいである。それだけ立場が向上したことになるのだが、逆に藤田の方がこれで良いのかと思ってしまった。大財閥のお嬢様としがないサラリーマンの息子、人の評価を待つまでもなく、不釣り合いすぎると自覚していたのだ。そして彼女の抱えた責任を考えれば、恋愛以上に優先される問題があるのも理解している。だから芙蓉学園に入る前、そして入ってすぐの頃、邪険にされたのも仕方がないと思っていた。もしもリョウカが居なければ、細すぎる赤い糸は簡単に切れていただろう。それが先日の学園祭を機に、がらりと事情が変わってしまった。

「たぶん、碇の奴に感謝しないといけないんだろうな……」

 事情が変わった理由など、今更考える必要もないだろう。世界における芙蓉学園の位置づけ、それは時間とともに大きくなっているのだ。もともとコハクが居ることで、政治的に大きな意味合いを芙蓉学園は持っていた。だがパーガトリ支援、そしてエデンの事務所開設によって、経済的な意味合いも大きくなったのだ。最強の戦士を抱えていることを考えれば、軍事的役割も巨大だろう。つまり芙蓉学園こそ、3界の中心に位置することになる。それを考えれば、そこに通う生徒の価値も鰻登りになると言う物だ。だがそうなると、どうして自分が入れたのかと逆に疑問を感じてしまう。中学時代を顧みれば、成績自体特筆すべきところはなかったはずだ。ちなみにこのあたりは、芙蓉学園の生徒に共通する疑問でもあった。

「マドカとの関係が、理由になったのかなぁ……」

 自分にある特別なところ、それを考えればそれぐらいしか思い浮かばないのだ。そうなると芙蓉学園と自分は、たまたま一致した利害があっただけと言うことになる。それを考えると、とたんに肩の荷が重くなるのを感じてしまう。

 「おまちどおさま」と少し小さな声で挨拶したマドカに、藤田はマイナスの思考から引き戻された。目の前には、レモン色のワンピースを着た恋人が頬を染めて立っていた。少し急いできたのだろう、少し息も荒くなっているようだ。
 一つ年上の可愛らしい恋人に、「今来たところです」と藤田は笑みを作った。学園に戻れば、美形に美形を重ねた天使が大勢居る。その中においても、自分の恋人は輝いていると藤田は思っていた。惚れた故のひいきと言われればそれまでだが、それのどこが悪いと開き直ってもいた。

「先輩、あまりあわてなくても良かったんですよ」

 額に汗が光っているのを見た藤田は、すぐにポケットからハンカチを取り出した。それを受け取ったマドカは、恥ずかしいと顔を赤くして藤田に背を向けた。

「ヒロユキさんの姿が見えたから……その、うれしくて」
「俺だったら、いつまでも先輩のことを待っていますよ」

 だからと、藤田は目の前のファーストフード店を指さした。急いだからのどが渇いただろうし、少し涼んだ方が良いと言うのだ。相手が財閥のお嬢様と言うことを考えれば、お店の選択にはもう少し気を遣うべきなのかもしれない。だが藤田は、高校生らしさを優先して、身の丈にあった店を選ぶことにした。それに、高級な店では居づらくなるのも分かっていた。
 「家ではこういうのを食べられないから」マドカは、そう言っていつもポテトとコーラを選んでいた。ただSサイズでも量が多いからと、いつも藤田のポテトを分けて貰っていた。手が油で汚れると、一本一本紙でくるむ習慣もいつもの通りだった。

「リョウカが、悩んでいるんです……」

 ゆっくりとポテトを食べながら、うれしそうにマドカは妹の変化を報告した。

「リョウカの奴が?」

 悩みには無縁に思えると、藤田は失礼極まりない決めつけをした。もしも本人に聞かれようものなら、容赦のない蹴りを見舞われていただろう。もちろん、店内にリョウカの姿がないのは確認済みである。
 「はい」と頷いたマドカは、将来のことだと妹の悩みを打ち明けた。

「お父様を、どうやって納得させるのかだそうです」
「おじさんを? 納得させる?」

 不思議そうな顔をしたヒロユキに、マドカははっきりと顔を赤くした。そして今まで以上に小さな声で、もう一度「将来のこと」と口にした。

「お父様は、私とヒロユキさんのことを認めてくださいました。
 リョウカは、私だけじゃずるいと思っているようです……
 さすがに同じ相手というのは、お父様もうんとは言えないようです」
「お、俺は、碇じゃないからな……」

 もともとリョウカと仲は良かったが、そっちの関係になるとは思ってもいなかった。それに自分がマドカのことを好きなのは、リョウカも知っていることだと思っていた。だからお互い、それ以上の関係にならないと思っていたのだ。だがマドカの言葉が正しければ、リョウカも自分が好きだと言うことになる。そしてさらに、その先も自分に対して求めているというのだ。だが芙蓉学園に居ても“普通”の感覚を失っていない藤田は、同時に二人という考えを持っていなかった。
 それは分かっていると答えたマドカは、この話にはまだ続きがあると打ち明けた。

「リョウカは、碇さんにもときめいてしまったみたいなんです。
 だからよけいに、ヒロユキさんとのことにも真剣になってしまったんです」
「どうしてだ? 碇が好きになったのなら、あいつを目指すのが普通じゃないのか?」
「碇さんなら、お父様も喜んで賛成したと思いますよ。
 でもヒロユキさん以上に、碇さんの奥さんになるのは難しいことですから。
 すぐに冷静になったリョウカは、自分の心を見つめ直してみたらしいんです」

 それでと聞き返した藤田に、それが答えだとマドカは口にした。

「自分が誰のことを好きなのか、それが分かったのだと言っていました。
 だから私から奪ってでも、ヒロユキさんを自分の物にすると言っていました。
 龍造寺の家の事情なら、私とリョウカのどちらでも構わないのですから」
「お、俺は、マドカのことを愛しているぞ!」

 その声が少しばかり大きかったため、リョウカは顔を赤くして頷いた。

「……私もです、でも、少し場所を考えて言って欲しかったです」

 真っ赤になったマドカの言葉に、藤田は自分がどこにいるのかを思い出した。同年代の溢れるファーストフード店で、女の子相手に愛してると告白しているのだ。そんな真似をして、周りの注目を引かないわけがない。現に隣の女子高生は気まずげに視線をそらすし、ほかのテーブルではにやにやしながらひそひそ話をしているグループもあった。すべてが藤田達を見ているはずはないが、さすがにこれは居づらくなる。

「ええっと、出ようか」

 その考えに賛成したマドカは、藤田にとって問題の多い提案をした。

「宜しければ、家まで遊びに来てくださいませんか?
 お父様も、できたらお誘いするようにと言っていました」

 問題は多いが、避けて通ることの出来ないことでもあった。だが顔を出したのなら、話の方向は決まっているだろう。出来れば先延ばしをしたかったのだが、学園内の事情を考えればそうとばかりは言っていられない。期待されている生徒会のことも、ちゃんと説明しておかなければいけないだろう。
 仕方がないと諦め、藤田はトレーを持って立ち上がった。いずれ説明が必要なのだから、さっさと済ませた方が発展的だと諦めることにした。



***



 シンジが不在でも、動き出した流れは止まらない。それはパーガトリ国内の問題も同じだった。上級戦士への報償と計画されたリリンへの派遣が、国王の即位式と同時に動き出したのである。

「それで、職業体験とはどのような物なのですか?」

 リリン受け入れに当たって、イツキは功刀達とその方法を相談した。そして派遣されるタイガーアイ達からもヒアリングをし、受け入れ先を決めたのである。そのキーワードとなったのは、フローライトが疑問に感じた「職業体験」である。
 どういうことだと首をかしげたフローライトに、少し胸を張り気味にしたイツキは、読んで字のごとくと説明した。

「リリンで、一定の職業に就いて貰うことにした。
 と言っても、個人商店を受け入れ先にして、その職業を体験して貰うのだがな。
 受け入れ先にしても、物珍しさと働き手の確保の一挙両得をねらったのだ」
「個人商店を受け入れ先にして、職業の体験ですか……」

 それでも合点のいかないフローライトに、パーガトリでも「店」なら有るだろうとイツキは聞き返した。

「それをパーガトリでやると角が立つから、リリンでやろうと言うことだ。
 なに、食べ物ならリリンの方が良い物を用意できるからな。
 上級戦士達にも不満が出にくい選択をしている!」
「それで、どのような職業を体験させるのですか?」

 まだ理解できたとは言いにくいが、フローライトは話を進めることにした。細かなところにこだわっていては、いつまで経っても終わらなそうな気がしていたのだ。

「具体的には、肉屋、魚屋、八百屋だ。
 それぞれごちそうを作るには、重要な食材でもある。
 そして同時に、結構な力仕事でもあるのだ」

 だから戦士にぴったりだと、イツキは太鼓判を押して見せた。ちなみに受け入れ先からは、「力自慢」なら歓迎するとの答えも貰っていた。

「受け入れ先も、身元がしっかりしているのは有り難いと言っている。
 それに芙蓉学園のある美咲市の住人なのだ。
 パーガトリの上級戦士程度受け入れる器量を皆持っているのだ」
「上級戦士程度……ですか?」

 軽く見られたのか、それともそれほど軽い存在になってしまったのか。その辺りへの疑問はあったが、フローライトはそれ以上こだわらないことにした。要は美咲市に戦士を派遣し、リリンの世界で生活をさせる。それさえ実行できれば、形にこだわっても仕方がないだろう。
 これで話は終わりかと思ったところに、一つお願いがあるとイツキが持ちかけた。珍しいと驚いたフローライトに、いろいろと手を打つ必要があるとイツキは言い返した。

「それで、王室顧問殿はどのようなことを望まれるのですか?」

 少し口元をゆるめたフローライトに、イツキは予想もしていなかった、そしてインパクトの大きなことを口にした。それは、最上位の機動兵器をリリンに持ち込んで欲しいという物だった。流石のフローライトも、これには驚きを隠すことはできなかった。

「とりあえず、理由を説明して貰えるかな?」
「当然、持ち込むことに大きな理由はある」

 それでと、イツキはフローライトに情勢分析をしているかと質した。

「情勢分析とは、3界を取り巻く情勢のことかな?」
「シンジの不在が長引いているから、当然必要なことだと思っているが?」

 それはそうだと、フローライトはイツキの指摘に頷いた。比較的平穏を保っているが、その要となる存在が欠けているのである。これがどのようなひずみを生むことになるのか、パーガトリ国王としてその分析は義務と言えるだろう。だからフローライトは、「絶妙にバランスをしている」と自分の分析を口にした。

「だれも、大きな混乱を望んでいないというのが背景に有ると思うよ。
 下手なことをしたら取り返しの付かないことになると恐れているのだろうね。
 サードニクス様ですら、シンジの力に頼っていたところがあるんだ。
 そのシンジが居ない状況で、うかつな真似は誰もできないというのが実態だと思っている。
 大きな混乱というより、破滅と言った方が良いのかもしれないね」

 確かにと、フローライトの言葉を認めたイツキは、それでも不足していると自分の分析を付け加えた。

「確かに、遊びで混乱を起こそうという奴は自重しているだろう。
 そしてリリンの中は、保護者が居なくなった不安が大きくなっている。
 だから皆が大人になって、何をしてはいけないかを考えるようになっている。
 そして今のパーガトリは、バカをする暇が無いと俺様は思っている」
「目の前に新しい世界が開けたからね。
 今はその世界を手にすることで、皆が夢中になっているところだよ。
 だから椎名殿の言うとおり、バカをする暇はないと言えるだろうね」

 自分の分析を認めたフローライトに、そこまでは良いとイツキは答えた。

「そこまでは?」
「ああ、リリンやパーガトリは問題ないと思っている。
 だがエデンはどうかな?」
「しかし、サードニクス様も今は自重されるでしょう……」

 肝心の遊び相手が居ないのだから、おかしな真似はしないだろうというのだ。それはある意味で正しい意見なのだが、エデンという総体を見たときには不足した分析でもある。

「極上の宝物が、所有者の手を離れたところに転がっているのだ。
 いつまでも、皆が手をこまねいてみていると思うのか?」
「極上の宝物? 所有者の手を離れて転がっている?」

 何だと首をかしげたフローライトに、苦笑とともにイツキは、コハクとヒスイの名をあげた。

「エデンにとってコハクちゃんは、奪われた宝物だ。
 そしてヒスイちゃんは、新しく発見した宝物なのだ。
 彼らにとって、いずれも極上の宝物であるのは言うまでもないだろう?」
「それを認めるのは吝かではないのですが……
 その場合のエデンとは、いったい誰のことを指しているのですか?」

 普通に考えれば、年若い男性の議員達と言うことになる。だが最高評議会の議員が、そのような愚かな考えを持つだろうか。その点において、考えにくいとフローライトは言い返した。そしてイツキも、フローライトの考えを一部で肯定した。

「ジントの話では、皆高い見識をもって議会に臨んでいると言うことだ。
 そう言う意味では、国王様の指摘は正しいと言うことができるだろう。
 だが俺様は、それが絶対ではないと思っている。
 今こそ、コハクちゃんに良いところを見せたいと功名心にはやる奴も出てくるだろう。
 そこまで行かなくとも、認められるだけの力をつけようと考えることもあり得る。
 それだけをとれば、責められるような悪いことではないだろうな」
「ならば、椎名殿は何を問題としているのですか?」
「国王様に思い出して貰いたいのは、プリムラ事件の前にかけられたちょっかいのことだ。
 カエデちゃんが巻き込まれた事件には、エデンの関与が認められていたのだぞ。
 そのときはシンジの存在が、大火になるのを防いでくれた。
 そして今は、シンジという消防士が留守にしているのだ」

 なるほどと頷いたフローライトは、「利用する者が出てくるのか」とイツキの考えを言い当てた。

「それがあり得ると俺様は考えている。
 一つ一つを取り上げれば、前向きの努力をしていることになるだろう。
 だがその努力も、一つボタンを掛け違えるだけで混乱の引き金となる。
 それを利用しようとしている奴が居ると、俺様は睨んでいるのだ!」

 もちろんと、イツキはフローライトよりさきに、「考えすぎ」の可能性を口にした。

「だが、それが現実のものとなったとき、世界は最悪の混乱に巻き込まれることになる。
 そして決定的な出遅れが、取り返しの付かないことになる可能性もある。
 機動兵器を配備するというのは、その保険になると俺様は考えているのだ」
「混乱を望むのなら、攻撃は芙蓉学園に向けられると?」
「芙蓉学園にも向けられるというのが正解だな。
 当然エデンの中でも事件は起こるだろうが、流石に手を出すのは難しいだろう。
 だから俺様達は、リリンを守ることを考えなければならないのだ。
 エデンのことは、コハクちゃんに任せておくしかないだろうな」

 それぐらいのことは考えているだろう。コハクを信頼したイツキに、確かにそうだろフローライトも同意した。イツキの洞察に感心しては居たが、コハクはそれ以上だとフローライトは崇拝していたのだ。だからエデンでくすぶっている炎も、コハクがすぐに対処するだろうと考えていた。

「無駄になるのかもしれないが、保険は打っておくべきだろう。
 それが無駄になったのなら、むしろ喜ぶべきことなのだからな」
「隣接空間に、リヴァイアサン、サタニエル、ベヘイモスを配備しておけば良いのかな?」
「その3体なら、かなりの時間を稼げるだろうな」

 エデンの最上級兵器と互角の戦いをしたのである。それを考えれば、これ以上ない布陣と言えるだろう。しかもそれを操る戦士は、美咲市に職業体験で滞在しているのだ。なるほど都合が良いと、フローライトはイツキの考えを支持したのだった。







続く

inserted by FC2 system