爆心地の調査は、コハクに期待と失望の両方を味合わせることになった。一応の調査が必要と現地に入ったところ、その場に融合で消滅したはずの住人の姿があったのだ。そして消えたはずのプリムラの姿も見つかったのである。この時点で、誰もがシンジの介入を確信した。このような奇跡を起こせるのは、シンジ以外に想像が付かないのだ。だがそうなると、融合の解除だけでなく、シンジはミョルニルのエネルギーすら吸収したことになる。そうでなければ、爆心地には誰も残るはずがないのだから。
だが爆心地で見つかったのは、そこまででしかなかった。手を尽くして探したのだが、どこにもシンジの姿を見つけることが出来なかったのだ。それでもミョルニル消失の事実を持って、コハクは配下のすべてにシンジの捜索を命じた。すべての捜査、調査を止めてシンジを探させたのである。そしてこの調査には、サードニクスも全面的に協力した。
「椎名よ、ぬしに伝えることがある」
そして捜索を始めてから一週間が過ぎた日、コハクはイツキを呼び出した。シンジの捜索とは別に、生還したプリムラの調査も行っていた。ちょうどこの日にその結果が知らされたのだ。イツキが家族ならば、その結果を伝える必要がある。
「プリムラの体を調べたが、どこにもおかしなところは見つからなかったぞ」
何の障害もないと言う事実に、イツキは大きな安堵の息を吐き出した。シンジが助けたのだから、おかしなことはないだろうと思っていた。それでも確認した事実は、非常に大きな意味を持っていた。
「つまり、プリムラは無事ということなのだが?」
「ああ、目を覚ましたら連れて帰っても良いぞ」
あっさりと口にしたコハクに、喜ぶ前にイツキは引っかかる物を感じた。連れて帰れるのは嬉しいが、プリムラの問題はそんなに簡単な物ではないはずだ。
「ち、ちょっと待ってくれ、連れて帰って良いと言ったのだな?」
「なんだ、もう耳が遠くなったのか?
おかしなところは見つからなかったから、連れて帰って良いと言ったのだが」
だからといって、ハイそうですかと言える物ではない。もう一度イツキは、コハクに事実を確認し直した。
「プリムラは、ホムンクルスではなかったのか?
連れて帰れるのは嬉しいが、それで本当に問題はないのか?」
「だから、おかしなところは無いと言ったのだが?」
よいかと、コハクは一枚の資料をイツキの方に投げた。そこにはびっしりと検査結果が書かれていたのだが、残念ながらイツキには理解できない物だった。それでも気になったのは、所々に自分と黒曜石の名前を見つけたことだろう。早々に理解することを諦めたイツキは、その中身をコハクに確かめた。
「それで、これは何を検査した資料なのだ?」
「プリムラが、誰の子供かを調べた物だ。
喜べ椎名、ぬしはいつの間にか一児の親になっていたぞ!」
思いがけない、そして意外すぎる答えに、イツキは間抜けな顔をして「はあ」と聞き返した。
「俺様は、外に子供を作った覚えはないのだがな……」
「だが事実は事実として受け止めよ。
プリムラは、間違いなくお前の遺伝子を受け継いでおった。
そしてもう一つ、黒曜石の遺伝子ももっておったぞ」
「つまり、作ってもいない俺様と黒曜石さんの子供というのか?」
疑惑の籠もった眼差しを向けるイツキに、事実だから仕方がないとコハクは突き放した。
「崩壊しているはずのプリムラが無事でいたのだ。
我らは、その理由をすべての方面で探ったのだ。
そして得た結果が、遺伝子レベルでの変化があったという物だ。
ちなみにフローライト殿から提供された遺伝子とは、全く別物になっていたぞ」
つまり同じに見えても前とは違うと言うことになる。当惑したイツキに、喜べとコハクは意地悪く口元を歪めた。
「もう危険がないと判断されたのでな、連れて帰っても良いということになった。
プリムラが寂しがっているそうだ、さっさと迎えに行ってやれ!」
「……そんな簡単な話で良いのか?」
イツキの疑問に、当然だとコハクは胸を張った。
「我らの検査は万全だ!
もうプリムラは、そこいらに居る子供と何の違いもない。
黒曜石殿と親子三人、末永く幸せに暮らすのだぞ!」
「……ちょっと待て!」
疑問を口にしたイツキに、「薄情な奴」とコハクは言い切った。
「どうした、せっかくプリムラが助かったのだ。
この際細かな事情などどうでも良いではないか」
「そうとばかりは言っていられないだろう。
どうしてプリムラが、俺と黒曜石さんの遺伝子を持っているのだ?」
「ぬしらの子供だからだろう?」
それで終わりと、コハクはそれ以上の説明をしてくれなかった。だからイツキは、もう一度「ちょっと待て」とコハクを呼び止めた。
「それは、生物学的にあり得ないことだろう!」
「目の前の事実に、常識は無力だと知れ!
良かったな、これで黒曜石も断れなくなったぞ」
「そう言う問題じゃないだろう!!」
それで良いのかと叫ぶイツキに、どこにも問題はないとコハクは言い返した。
「それでも文句を言いたいのなら、シンジを探して言うことだな。
こんな非常識なことは、シンジ以外に出来るはずがないであろう!」
「そのシンジは、今どこにいるのだ!!」
「捜索中だ!
我が配下、サードニクス様の配下が全力を挙げて捜索しておる。
そう言えば、フローライト殿も協力してくれているぞ。
すぐに見つかると思うが、それまで文句を言うのは諦めるのだな」
とにかくと、コハクは持っていた書類をしまい出した。
「ぬしへの用は、これで終わりだ。
あとは、ぬしがプリムラを連れて帰れば一件落着となるぞ」
「俺様には、何の解決にもなっていないのだがな……」
だがコハクは、それ以上イツキの言葉に取り合ってくれなかった。書類を鞄に詰め込むと、さっさと会議室を出て行ってしまったのだ。空間跳躍を使えばいい物を、どういう訳かコハクは歩いて出て行った。
「……こんな話、どう黒曜石さんに伝えればいいのだ?」
それ以前に、本当に子持ちになったしまったのか? 責任もないのに責任を取らされる羽目に、さすがにイツキも途方に暮れるしか無かったのである。
<<学園の天使>>
150:
コハク達にとって、プリムラのことは解決した事件だった。その遺伝子が変貌し、ヒトと同じになっていたとしても、別に驚くことではなかった。小規模とはいえ融合現象が起き、プリムラはそこから復帰したのだ。ヒトの心が肉体を構成した以上、元のホムンクルスであるはずがない。シンジに文句を言えと言ったコハクだったが、プリムラの変化はシンジの責任外だと理解していた。
「これは、18年前の資料だよ」
コハクが本当に解決しなければいけないのは、シンジが今どこにいるのかと言うことだった。いくらシンジでも、生身でミョルニルを受けて無事でいるとは考えにくい。しかしその一方で、消滅していたのなら千名以上の住民が無事復帰できるとも思えない。そこでコハクは、人海戦術と分析という両面でシンジの捜索を行った。そして分析のため、忌まわしき過去の亡霊と向かい合うことにした。
サードニクスを尋ねたコハクは、父と母を失う原因となった資料を求めた。いつ終わるともしれないパーガトリとの戦闘、膠着状態を打開するため、彼女の父親アンバーは融合現象を利用しようとしていた。そのときの研究結果が、サードニクスのところで厳重に管理されていたのである。
「最初に断っておくが、この研究は不完全であることは立証されている。
融合現象自体は、今なおオークに命じて検証を続けているのだよ」
従って、求める答えがあるとは限らない。資料を持ち出そうとしたコハクに、サードニクスはそう言って水を差した。副議長という立場を考えれば、いつまでも公務をおろそかにすることはできない。特に1週間後にパーガトリでの式典を控えているのだから、コハクにはエデンを代表する責任があった。
不完全だと言うサードニクスに、それでも構わないとコハクは答えた。今は少しでも手がかりが欲しいし、これ以外の足がかりがどこにも見つからないのだと。そしてサードニクスの言う公式行事は、延期すること自体難しいことではなかったのである。シンジの捜索には、フローライトも全面協力していたのだから。
「18年前の実験失敗、そして2年半前の大融合。
そしてこのたび起きた小規模融合現象、そのいずれも我が父の怨念が生んだ物です。
ならばその娘たるわれに、因縁に終止符を打つ務めがあると言えるでしょう。
そしてその因縁を絶つことが、我が夫を救出する近道なのです」
「そこまで言うのなら、私はこれ以上反対しないよ。
パーガトリ国王との調整は、私が引き受けることにしよう」
意外な申し出に、コハクは目を大きく見開いた。まさか上役の口から、まともな申し出を聞けるとは思ってもいなかったのだ。だからこその反応なのだが、それはないだろうとサードニクスは苦笑を返した。
「アンバー殿の暴走を止められなかったのは、私の責任だからね。
そして大融合を起こしたのも、元はと言えば私のまいた種なんだよ。
ホムンクルスの管理不行き届きとあわせれば、私が努力するのも義務だと思えるよ」
「その自覚があるのなら、身を粉にして働いて貰いたい物ですな。
とにかくサードニクス様の言葉は有り難くいただいておきます。
この資料は、アスカの力を借りて分析することにいたします」
意外な協力者の名に、今度はサードニクスが驚いた。アスカの賢さは認めていたが、基礎となる科学力に大きな差があると思っていたのだ。この研究を理解するためには、彼女でもほかの知識が必要となるはずだった。
だがコハクは、アスカ以上の適任者はいないと断言した。どうしてというサードニクスに、重要なことを忘れているとコハクは指摘した。それはアスカが、大融合の中で二人だけの個を保った存在だと言うことだ。
「アスカには、大融合の認識があるのです。
その認識こそ、この研究を完成させるのに必要な要素でしょう。
だからわれは、この資料をアスカに見せることにしたのです」
「確かに、コハクの言うとおり彼女には融合に関する記憶が残っている。
だがアスカの場合、巻き込まれただけの存在ではないのかな?
その彼女に、融合の核となる部分が理解できるとは思えないのだが?」
疑問を呈したサードニクスに、それならそれで構わないとコハクは言ってのけた。だめなのかもしれないが、可能性があるのなら試してみる価値はある。時間を無駄にする可能性はあるが、何もしないよりも遙かに意味のあることだというのだ。
そうかと頷いたサードニクスは、「敵わない」と心根を吐き出した。そしてどうしてそこまで信じられるのかと、コハクに聞いたのだった。
「信じる、シンジの生還を信じていることですか?
妻として当然のこと故、疑問に思われるようなことではないと思うのですが?」
「妻としての気持ちとは別に、現実を知る者としての考えがあるだろう?
ミョルニルに融合現象、人一人が引き受けるには巨大すぎる力だよ。
両方を受け止めたところで、シンジも限界を超えたとは思わないのか?
だからあの場に、シンジの存在だけ無かったのだと」
当然の疑問なのだが、コハクははっきりと思わないと言い返した。そしてコハクは、その理由として想像を絶したシンジの非常識さあげた。そもそもパーガトリ内乱の時にインドラを受け止めたのも、機動兵器の限界を超えていたというのだ。しかもあのときは、さらに光を消すという荒技まで見せていた。それだけのことをしでかすのだから、たかがミョルニルぐらいで死ぬことはないだろうというのだ。
「ただどうしても分からないのは、なぜシンジがプリムラを助けに言ったのかと言うことです。
何の考えもなしに、そんな無茶をするはずがないはずなのだ」
「プリムラの言う、彼女の中の他人が関係しているのかな?」
「暴走を引き起こした、記憶の残滓のことを言われているのか?」
意識が戻ったところで、プリムラのヒアリングは行われていた。そのときプリムラは、自分の中に別の誰かがいたと証言している。そしてシンジと融合したいという強い感情が、自分では押さえられなくなったと答えていた。その誰かは、英雄のことを「碇君」と呼んでいたらしい。
「これもまた、アスカに聞いてみる必要があると思っています。
アスカであれば、大融合に関わる情報を持っているでしょう」
調べなければならないことが多すぎる。だから時間が惜しいと、コハクははっきりと言い切った。つまりいい加減解放しろと言いたいのだ。それが分かったのだろう、悪かったとサードニクスは素直に謝った。個人的興味以上に、紫の奏者の安否は3界の重要事項となっている。世界がおもしろい物になっていくためには、彼の存在が不可欠だとサードニクスは信じていた。だから絶対に、無事でいて貰わなければ困るのだ。
「3界のことは心配いりません。
われら妻一同、みなシンジの無事を疑っておりません。
我らが狼狽えぬ限り、混乱など起こりようもありません」
そしてすぐにシンジは帰ってくる。だから安心して良いと、コハクはそう保証してサードニクスの元を辞したのだった。
可愛い娘が帰ってきた。それだけを捉えれば、心から喜ばなければいけないことだろう。だが最愛の人を失ったという現実、そしてその事件を引き起こしたのが娘だと言う事実は黒曜石の心を乱れさせた。その混乱の前では、プリムラが自分の遺伝子を持っているというのは大きな意味を持っていなかった。
「椎名様、私はどういう顔をしてプリムラを迎えて良いのか分からないのです。
申し訳ありませんが、しばらく顔を合わせないことをお許しください」
結局心の整理ができなかったため、黒曜石は仮の宿から姿を隠すことにした。いつまでなのかと聞かれた黒曜石は、分からないとしか答えられなかった。
「今のままでは、私はプリムラに酷いことを言ってしまいそうで怖いのです。
だったら顔を合わさない方が、お互いのためになるのではと思います」
「確かに、冷却期間は必要だな……」
シンジに対する気持ちを知っているだけに、イツキも無理を言うことはできなかった。生還を信じているコハク達とは違い、黒曜石達はシンジの無事を信じられなかった。それを考えれば、心の整理をする時間は必要だろう。それがプリムラとの間で心の隙間を作る理由となっても、今のまま向かい合うのよりもずっとましに思えたのだ。だからイツキも、黒曜石が姿を隠すことに賛成した。
「黒曜石は?」
予想通り、新しい家に着いたところで、プリムラは黒曜石の姿を探した。プリムラの心が変わっていない以上、黒曜石は大好きな母親なのだ。その姿が見えなければ、子供が心細がるのは当たり前の反応だった。
「黒曜石さんは、しばらく仕事が忙しいそうだ」
「仕事?」
きょとんとした目をしたプリムラに、イツキはもう一度「仕事」と答えた。
「俺様が留守番ばかりさせていたからな。
だから黒曜石さんも、自分の仕事が溜まりまくっていたのだ。
そのおかげで、しばらくここには帰ってきてない」
「イツキ、捨てられたの?」
無邪気さは残酷だ。あまりにもあり得る答えに、イツキの顔はひくっと引きつった。だがその引きつりを気力で押さえ込み、それは誤解だとイツキは答えた。
「いいかプリムラ、俺様の愛はアガペーなのだ。
けして見返りを求めるものではないのだぞ」
「そう思えば、相手にされなくても辛くないから?」
鋭くかつ容赦のないつっこみに、イツキは激しく喘いだのだった。
「ぷ、プリムラ、ずいぶんときついことを言うのだな」
「分からない、でも、そう言わないといけない気がしたから……
きっと、あの人の心を覗いてしまったからだと思う」
「あの人……?」
誰だと言うイツキに、プリムラははっきりとシンジの名を出した。
「プリムラは、シンジの心を覗いたのか?」
「たぶん、ううん、きっとそう。
知らない人も沢山居たけど、その中にイツキや黒曜石も居たから……
あの人は、ずっと期待しないで生きてきていた。
そうすれば、裏切られても苦しむことがないからって……
とてもとても辛いことを沢山経験していたから……」
「シンジのやつ、そんなことを考えていたのか……」
中学時代からつきあってきたが、そんなそぶりを見せたことがなかったのだ。まだまだ人を見る目が甘いと、イツキは自分を戒めた。
「ところでプリムラ、おまえはシンジのやつがどうなったか知っているのか?」
「あの人がどうなったのか?」
うんうんと腕を組んで、プリムラは何かを思い出そうと必死で考えた。何かとても大切なことがあったはずなのに、どうしても思い出すことができないのだ。
「う〜ん、う〜ん、う〜ん……」
唸りながら首をかしげる姿は、それだけを取り出せばとても可愛らしい物だった。ただ話題にしているのが、悪友の安否となるとほほえましいとばかりは言っていられない。プリムラの記憶を掘り起こすために、イツキは横からいくつか口出しをした。
「お前の中に居た人というのは、どんな人だったのだ?」
「う〜ん、う〜ん、ええっと、とってもきれいで寂しい人。
私の中で、あの人のことをずっと待っていたみたい」
「お前の中で?」
驚いたイツキに、プリムラははっきりと頷いた。
「うん、私の中にあった、私とは関係のない思い。
ずっと誰かを待っていたみたいだったの」
「その人は、今もお前の中にいるのか?」
「ううん、今は私しか居ないよ!」
どこかに行っちゃったと、プリムラはじっとイツキの目を見て答えた。
「あのときね、私の中からその人があふれ出してきたの。
あの人を捜すために、大きく大きく広がっていくのが分かったわ」
「だから、沢山の人を飲み込んでいったのか?」
「多分そう、そうしないと探せないからだと思う……」
そこまで説明して、プリムラはもう一度「う〜ん」とうなり始めた。色々と考えているのは分かるのだが、やはりきっかけを作らないと説明が出来ないようだ。イツキは、時間を追って起きた現象の変化を聞くことにした。
「じゃあ、どうして広がるのが止まったのだ?」
「それはね、あの人が見つかったから。
その人にとって、あの人以外はどうでも良いみたいだったの。
だから飲み込んだ人たちも、どんどんと吐き出していったわ。
あの人が見つかった途端、私の中から出ていったわ」
「お前の中から出ていったのか?」
うんとプリムラは大きく頷いた。
「嬉しそうに出て行ったのよ。
でもね、その後どうなったのかは分からないの。
気が付いたら、ベッドの上で寝ていて、大勢の人が覗き込んでいたわ」
「それだけか?
シンジがどこに行ったのか、本当に分からないのか?
他に、何か覚えていることはないのか?」
暴発の理由らしきものは語られたが、肝心のシンジの行方は全く不明なのだ。手がかりがプリムラにしかないことを考えれば、これで終わりというわけにはいかない。だからプリムラの記憶を掘り起こそうとしたのだが、残念なことにそれ以上の事実は出てこなかった。
「よく分からない……
なにかごちゃごちゃとした物でいっぱいになったから……。
でもね、なんかとっても暖かかったのは覚えているわ」
「暖かかったのか?」
「うん、とっても暖かかった!」
これ以上の情報は引き出せないだろうと、イツキは質問を諦めることにした。起きた現象自体、プリムラの手に余ることだったのだ。それを思えば、ここまでよく覚えていたと言えるのかも知れない。
「イツキ、私、役に立てた?」
イツキの落胆が分かったのだろう、プリムラは心配そうな目で見上げていた。その表情に気づき、イツキはいつものようにプリムラの頭をなでた。安心したのか、プリムラは嬉しそうに目を細めてイツキのするがままに任せた。
「ああ、プリムラは役に立ったぞ。
やっぱり、プリムラは良い子だな」
「じゃあイツキ、奥さんにしてくれる?」
途端に頭をなでていたイツキの手が止まった。確かプリムラは、黒曜石と3人で一緒にいようと言っていたはずだ。それがいつから、「奥さん」に格上げになったのだろうか。それ以前に、奥さんという言葉の意味を理解しているのだろうか?
「だって、イツキの好きな人って、全部あの人のことが好きなんでしょう。
だったら、私がイツキのお嫁さんになってあげる」
「お嫁さんとか、奥さんの意味を分かって言っているのか?」
「ううん、全然!」
やはりそうかと、イツキは力が抜けていくのを感じていた。やはり無邪気なのだなと、もう一度イツキはプリムラの頭をなでた。
「でも、そうすればずっと一緒にいられるんでしょう?
イツキはロリコンだから大丈夫って、あの人も言っていたわ」
子供にいったい何を吹き込んだのか。小一時間問いつめるというか、この手で抹殺したいとイツキは真剣に考えたのだった。
***
シンジが行方不明というニュースは、さすがに隠しようは無かった。だがその割に、芙蓉学園に走った動揺は小さかった。そのあたり常識ではかれない英雄様の非常識さに、正しい認識がされていたとも言えるだろう。そして国連でも、大きな動揺は起きていなかった。こちらもまた、カエデがどっしりと構えていたことが理由になっていた。もっともシンジの在不在にかかわらず、権力の源泉はエデン副議長なのである。その源泉が揺るぎない以上、いたずらに騒ぎ立てる必要もなかったのだ。
「それでジン君、最高評議会の方はどうなっているのですか?」
色々と話すこともあると、今日はイツキ抜きで二人は「情報交換」を行っていた。それが建前なのか本音なのか、詮索するだけ野暮と言う物だ。ただ二人は、自分に与えられた役割は忠実に果たしていた。
ジントと逢ったカエデは、第一に最高評議会の様子を尋ねた。シンジの存在は、特にエデンとパーガトリで重くなっている、そのシンジの行方が不明となれば、大きな混乱が起こるのは目に見えていた。
「今のところ、議長副議長の締め付けのおかげで、落ち着いているというのが実態だな。
表向きコハクさんが慌てていないのが、一番大きな原因だろう」
「コハクさんが、配下の全部を碇さんの捜査に当てている影響は?」
「議長の配下も、すべて碇の捜査に当たっていると言うことだ。
それがどんな影響を与えるのか、今のところ不明としか言いようがない」
すべてはシンジが見つかることが前提となっている。もしもシンジかが帰ってこなければ、今まで構築された関係も崩れしまう恐れがある。そうならないよう動かなければいけないところだが、それもまたよけいな不安を煽る原因となりかねない。
「今のところの説明は、小規模な融合現象とミョルニルのせいで、
碇がどこかに飛ばされてしまったと言うことになっている。
融合が起こる前におかしなところに飛んだ実績のおかげで、一応の説明にはなっているようだ」
「とっても、無理矢理の説明ですね……」
「でもカエデ、お前は少しも心配していないのだろう?」
ジントの目からは、カエデに全く変わったところは見受けられなかったのだ。それだけシンジに対する信頼が厚いと言うことになるのだろう。先の事件を思えば不安になるところだが、ジントにも後ろめたいところが有ったのである。
色々な物を押し込んだジントに、カエデは曇りのない笑みを浮かべて「ハイ」と答えた。
「碇さんに、常識を求めるのは間違いだと思い知らされましたから。
それにコハクさん達が心配していないのに、私たちがおたおたしても仕方がないと思います。
こんなことでどうにかなるような碇さんだったら、今まで何回死んでいたのでしょうね」
だからたいしたことではないと、カエデは力強く言い切った。さすがに「こんなこと」で片づけられるかに疑問はあったが、ジントもカエデに倣って大丈夫だと思うことにした。シンジ相手に、自分の常識を持ち込むことが大きな間違いなのだと。はずれてはいないが、その決めつけはシンジに可哀想な物だった。
「まあそんなことが理由だと思うが、フローライトさんの即位式は予定通り行われることになった」
「一応、リリンの出席者も予定通り出席しますよ。
ちょっと特別なのは、特別ゲストで一刻館の館長が招待されて居るぐらいですね」
それ以外は、何も変わったことがないと言うのだ。本当に何も変わらないことに、ジントは逆に不安になってしまったほどだ。
「なあカエデ、どうして俺たちはこんなに落ち着いていられるのだろうな?」
「だって、相手が碇さんなんですもの……
結局ひょっこりと帰ってきたりして、慌てた方が馬鹿を見るんじゃありませんか?
たぶん、皆さんそう思っているんですよ」
「それは、それで碇の奴が可哀相な気がするな……」
これだけのことがあったのだから、嘆き悲しまないまでも、心配で寝られないと言うことぐらいあっても良さそうな物だ。だがジントが見る限り、コハク達の誰も普段と変わった様子を見せていなかった。信用されていると言えばそれだけなのだが、それはそれでやっぱり可哀想なことだろう。
「そ、そんなことよりジン君……今日は、ゆっくりできるんですよね?」
頬を染めたカエデに、何を聞きたいのかすぐにジントは理解した。理解はしたが、どこか理不尽な物も感じていた。シンジが行方不明、しかも最大級の攻撃を受けての事件が、「そんなこと」で片づけられて良いのだろうか。本当なら、すべてをさしおいて解決しなければならない問題のはずだ。
だがジントも、ここに来てじたばたすることは放棄していた。自分の常識が当てはまらない相手なのだから、何をしたところで意味を持たないだろう。だったら帰ってきたときのことを考えて、時間を有意義に使った方が良いという物だ。だがジント自身、問題を抱えていないわけではなかった。
「……本当は、ゆっくりとしていきたいのだが」
言いにくそうにするジントに、そう言うことですかとカエデは冷たい視線を向けた。
「マディラさんのこと、まだ説明して貰っていませんよ」
その名前に、ジントの背中に冷たい汗が一筋伝い落ちた。確かにカエデが言うとおり、マディラを妻にすることは説明していなかった。と言うか、カエデに伝わっているとは思っていなかったところがある。だがどうしてというジントの疑問は、「みんな親切だ」とカエデは責めるような目でジントを見ていった。
「エデンって自由恋愛じゃないですか。
急に皆さんに言い寄られるようになったから、どうしたのかなと思ったんですよ」
「カエデっ、誘惑されたのかっ!!」
驚いたジントに、ええとカエデは醒めた視線を返した。
「どうしてと聞いてみたら、皆さんマディラさんのことを教えてくださいました。
ジン君、コハクさんに向かって「奥さんにする」って宣言したんですか?」
「いやっ、あれはだな、その、何と言っていいのか……」
まさか勢いとか、カエデのことが原因だと言うわけにも行かない。それでは受け入れてくれたマディラが哀れだし、理由にされたカエデを責めることにになってしまう。だがそこから逃げると、説明する言葉すら見つからなくなってしまうのだ。それにどんな説明をしたところで、マディラどころかリコリスにまで手を出していれば、説得力を求めるのは不可能だろう。「普段とのギャップがいい……」などと口にしたら、カッターナイフで切り裂かれてしまうに違いない。
「碇さんと違って、ジン君はそう言うことをしない人だと思っていたのに……」
そのシンジが自分達に手を出さず、ジントがマディラ達に手を出したのだ。自分が迫ったことを棚に上げたカエデは、ふっと視線をジントからそらし、「分かっていますよ」と醒めた声で口にした。
「ジン君が健康な男の人だって……
そりゃあ、マディラさんは天使ですからすてきだと思いますよ」
「だから、カエデ、それはだな……」
言われるほど悪いことをしたのか、ジントはそう自問した。だが、最近染まった常識から行けば別に不思議なことはしていないはずだ。だが生まれ育ったリリンの常識から行けば、「浮気」を責められても仕方のないことだった。
「私じゃ、だめなんですか?」
悲しそうに顔をそらしたカエデだったが、その口元が微妙に歪んでいたことにジントは気が付かなかった。
続く