黒曜石がおかしなことになっている。その連絡を受けたコハクは、直ちに考えられる原因を探ることにした。体の特徴からプリムラを疑ったコハクは、上司を問いつめるためすぐにエデンへと飛んだのである。もしも予想が当たっていたのなら、間違いなく議長が絡んでいることになる。

「おやコハク、シンジと一緒にパーガトリに行っていると思ったのだがね」

 いきなり押しかけられたサードニクスは、まず最初に文句をコハクにぶつけた。コハクがエデンにいるのなら、わざわざ自分が帰ってくる必要はなかったというのである。彼の立場を考えれば、口にするのはどうかと思える文句である。しかしコハクは、今回だけは不適切な発言を問題とはしなかった。そんな些細なことで、時間を使うことすら惜しい状況となっていたのだ。だからコハクは、「聞きたいことがある」と大きな声で議長を詰問した。

「ホムンクルスの管理は、サードニクス様の責任でしたな。
 まさかとは思いますが、パーガトリにホムンクルスを送り込みませなんだか!」
「確かに私の責任範囲だが……
 だが事後でも、議会に報告する義務も持っているのだよ。
 少なくとも、その義務をないがしろにするつもりはないのだが……」

 コハクの様子にただならぬ物を感じ、何があったのかとサードニクスは聞き返した。

「私は、パーガトリにホムンクルスを送り込んだことはない。
 だがコハクは、私が送り込んだと考えるに足る事実を掴んでいると言うことだね」
「うむ、精神操作はホムンクルスの特徴の一つだからな。
 椎名の元で養われている少女、その特徴がホムンクルスに酷似しておる。
 しかも黒曜石に対して、精神操作を行った形跡も見受けられるのだ」

 それがすべてだと答えたコハクに、サードニクスはすべてが繋がったのを理解した。これまで謎としてきた、子供一人分の質量喪失。考えにくいことだが、勝手に個体生成が行われた結果と言うことになる。それでも一つ疑問が残るのは、なぜその子供がパーガトリに現れたのかと言うことだった。
 そこまで考えたところで、サードニクスはさらに重要な問題に気が付いた。もしもその少女がホムンクルスならば、超常の力を発揮するだけではなく、再度小規模な融合を発生させる恐れがあるのだ。

「それで、その少女はどうしているんだ!」
「シンジとヒスイ殿が向かわれた。
 いざというときには、シンジが居ないと押さえられないからな」

 その答えに、思わずサードニクスは「まずい」と口走った。融合を恐れるサードニクスにとって、最悪とも思える組み合わせができてしまっているのだ。当然サードニクスのつぶやきは、コハクの耳にとまることになる。

「サードニクス殿、何か思い当たる節があるのかな?
 何故、我が夫が出向くと「まずい」ことになるのか?」

 すかさず追求してきたコハクに、サードニクスはしらを切るのを諦めた。ここでごまかしきれるようなら、副議長など務められないだろう。だったら早々に共犯に引き込む方が、これからのことを考えれば安全という物だ。それを判断したサードニクスは、「大融合のことだ」とコハクにとって予想外のことを持ち出した。

「コハクも、オークの報告ぐらい目を通しているだろう?
 その中で、大融合に関わる部分を覚えているかい」
「目を通した、その程度でしかありません。
 もはや大融合の条件は揃わない故、あまり注意する必要もないだろうと……
 まさか、再び大融合が起こると言われるのか!!」

 その危険性に気づいたコハクに、よく分かっていないとサードニクスは打ち明けた。

「エネルギー的には、大融合を発生させるには不足していると言うことだよ。
 ただ小規模の融合現象なら、発生可能と新しい報告が来ている」
「だから、夫とホムンクルスをあわせてはまずいと言うことですな」

 その通りと頷いたサードニクスに、コハクは本当にホムンクルスなのかと聞き返した。特徴だけでホムンクルスと決めつけるのは危険きわまりないだろう。

「サードニクス様は、ホムンクルス製造を命じておられない。
 しかしホムンクルス出現に対する心当たりがおありのようだ」
「去年の今頃、廃棄予定の培養槽から人一人分の質量が消失しているんだよ。
 何かの手違いで、自己生成が行われたのではないかと捜索していたのだが……
 問題として、どうしてパーガトリに現れたのかと言うことだよ。
 そのころは、すでに障壁が完備されていたからね。
 空間を超えたとなれば、必ず我々に関知されたはずなのだよ」
「去年の今頃と仰いましたな……」

 ふむと考えたコハクは、その時期に何が起きたのかを考えた。そして一つ、不可解な穴を通ってきた姫のことを思い出した。

「確かそのころ、スッピーが不可解な穴を通り抜けてきましたな?」
「確かに、時期的には重なっていたね……
 だがあれは、パーガトリの王女が開けた物ではなかったはずだよ。
 コハクは、生まれたばかりのホムンクルスが開けたというのかい?」
「可能性として、否定できないかと思います」

 そうなると、状況はさらに悪化してくる。明確な方向付けがされていないホムンクルスが、多層空間の認識を持っているというのだ。このまま野放しにしては、融合以外の問題を発生しかねない。

「ならば、すぐに取り押さえなければいけないのだが……」

 そうなると問題は、ホムンクルスが生体兵器と言うことだ。いかにパーガトリの上級戦士でも、小型の機動兵器に敵うはずがないだろう。そうなると必要になるのは、機動兵器の出撃となるのだが、そうなればなったで融合の危険性が高まってくる。
 それを認識したコハクは、自己崩壊させるのはどうかと質した。もともと長い寿命が与えられていないのだから、放っておけば崩壊が始まるだろうというのだ。特に延命するための措置を執っていないのだから、力を使えばすぐに崩壊が始まるはずだった。

「だがコハク、どれだけ力を使えるかは未知数なのだよ。
 しかもシンジがその場にいるとなると、被害が二人に及ぶ可能性もある」
「ならば、すぐに避難させることとしましょう!」

 すぐさまアスカを呼び出したコハクだったが、返ってきた答えに「手遅れ」だったことを知らされた。アスカが言うには、黒曜石の家の方で、大きな爆発が発生したというのだ。

「それで、シンジは大丈夫だったのかい?」
「まだ、確認が取れていないとのことです。
 場所が場所だけに、フローライト殿が上級戦士を派遣したと言うことですが……」

 もしも相手がホムンクルスなら、たとえ上級戦士でも対処は不可能だろう。それを理解しているコハクは、直ちに王宮に飛ぶとアスカに伝えた。

「アスカよ、ぬしならばサタニエルを使えるな!
 フローライト殿に命じて、直ちに準備を行わせよ!!
 我も直ちに、パーガトリ王宮へ向かうことにする」
「コハク、ルシファーを持っていかないのかい?」

 現地に紫の奏者がいるのであれば、ルシファーは最終兵器となりうるのだ。だからこそのサードニクスの言葉だったが、「状況が悪すぎる!」とコハクは却下した。

「このような混乱時に、我らの機動兵器を持ち込めるはずがないであろう!」

 先を急ぐと、サードニクスを置き去りにして、コハクはパーガトリ王宮への跳躍を実行したのだった。







<<学園の天使>>

149:







 少女の声に振り返った3人は、そこに異形となった少女の姿を見つけた。異形と言っても、姿形が変化したわけではない。ただ薄暗がりで、その赤い瞳だけが爛々と輝いていたのである。

「プリムラ、これはおまえがしたことなのか?」

 薄々気づいていたイツキだったが、それを確かめるためにプリムラに「本当なのか」と問いただした。しかしプリムラは、イツキを見ないでヒスイを真っ直ぐに睨み付けていた。

「……おまえは、黒曜石に酷いことをした。
 絶対に許さないから!」

 そう叫んだ瞬間、プリムラから何かが膨れあがったのを全員が感じた。その何かの危険さに、とっさにシンジとヒスイは回避行動をとった。そしてヒスイは、避けながら特製の針をプリムラへと飛ばした。相手の危険さに、眠らせるのではなくしとめるつもりの攻撃だった。だが必殺のヒスイの針も、攻撃した相手が悪かった。後ろからプリムラの首筋に迫ったのだが、直前で粉々に砕けてしまっていた。
 ならばと直接の攻撃を仕掛けようとしたが、やはり不可視の何かにヒスイの攻撃は遮られてしまった。いけないと逃げようとしたヒスイだったが、「おまえなんか死んじゃえ!」と言うプリムラの声と同時に広がった物に、石の壁へとたたき付けられてしまった。とっさに受け身をとって耐えたのだが、追撃を受けて気を失ってしまった。それだけでは飽きたらず、プリムラはヒスイを睨み付けた。

「おまえなんか、死んじゃえ!!!」

 止めろと言うイツキの声を無視して、今までで一番大きな何かがプリムラから膨れあがってきた。このままその力を受けようものなら、ヒスイは壁で押しつぶされてしまう。攻撃が見えなくても、それだけはイツキにも理解できた。

「悪い、黒曜石さんを頼む!」

 危険さを感じ取ったシンジは、投げるようにして黒曜石をイツキに任せた。そして自分は、プリムラとヒスイの間に割って入った。理解不能な攻撃の前に、それは自殺行為としか思えない物だった。だが止めろとイツキが止める前に、プリムラの攻撃はシンジの体を捉えていた。いや、捉えたはずだった。だが膨れあがった何物かは、シンジの前できれいに消え失せてしまった。

「……どうして」

 何も起きないことに、今度はプリムラが目を見開いて驚いていた。自分のしたことは、誰にも止めることができないはずの物なのだ。しかも今までで一番力を込めたのだから、黒曜石に酷いことをした女を殺すことができたはずだった。しかし結果は、割り込んできた男とともに、憎らしい女は無事でいるではないか。だがとまどいも、ほんのわずかな瞬間だった。酷いことをした女をかばうのなら、誰も容赦する必要はなかったのだ。

「どうでもいい、邪魔をするならおまえも死んじゃえば良いんだ!!」

 絶対に許せないと思ったプリムラは、今まで以上の力を込めてシンジ達を押しつぶそうとした。だがプリムラの体から膨れあがった力は、シンジに届く前に急速に消滅してしまった。どうしてと繰り返しても、その結果は変わらなかった。
 なぜとプリムラが狼狽えたのを、シンジは見逃さなかった。

「イツキ、彼女はおまえが取り押さえろ。
 いいか、絶対に怒っちゃだめだぞ!」

 精神が不安定になっているのは、誰の目からも明らかだった。それが怒りのあまりなのか、自信を持っていた攻撃が防がれたからなのかは分からない。いずれにしても、暴発させてはだめだと言うことは確かだった。
 頷いたイツキは、黒曜石を抱えたままプリムラに近づいた。ヒスイをも物ともしない攻撃力は恐怖だが、どこまで行ってもプリムラは可愛い妹だった。その妹が怯えているのなら、家族として守ってあげなくてはいけない。

「プリムラ、黒曜石さんは眠っているだけだ。
 俺様が二人に怒っておくから、おまえまで怒る必要はないんだぞ」

 優しい顔をして近づいたイツキは、ヒスイの超えられなかった壁をあっさりと乗り越えた。そして不安を浮かべたプリムラの頭を、いつもの通りくしゃりと撫でた。それに驚いたプリムラは、不安に揺れる眼差しをイツキに向けた。

「……イツキ、怒ってる?」
「俺様か、そうだな、ちょっと腹を立てていると言うところだな。
 何しろ俺様は、女の子に暴力がふるわれるのは大嫌いなのだ。
 だから黒曜石さんに酷いことをしたヒスイちゃんにも怒っているし、
 ヒスイちゃんに酷いことをしたプリムラにも怒っているのだぞ」

 もう一度強く頭を撫でられたプリムラは、「ごめんなさい」と頭を垂れた。

「だがなプリムラ、暴力だけが酷いことじゃないんだぞ。
 人の心を勝手にいじるのも、暴力をふるうのと同じくらい、いや、もっと酷いことになるのだ」
「私が、黒曜石に酷いことをしたの?」

 酷いことをしたと言われたプリムラは、目にいっぱいの涙を浮かべてイツキの顔を見上げた。少し怯えていたプリムラだったが、優しい顔をしたイツキに安心した表情を浮かべた。

「ああ、ちゃんとプリムラが謝れば許してくれるだろう」
「黒曜石、許してくれるんだ……」

 良かったと喜ぶプリムラに、とりあえずの危機は脱したとシンジも安堵した。介入が早かったおかげで、ヒスイの容態も悪くない。戦闘国家最強の王女としてのプライドは傷ついただろうが、相手を考えればそれも仕方のないことだろう。もしもシンジが居合わせなければ、上級戦士でもひとたまりもなかったはずだ。

「ヒスイ、ヒスイ、もう大丈夫だよ」

 気絶したヒスイを抱き上げたシンジは、耳元で何度もヒスイの名を呼んだ。殺気を当てるという必殺技はあるが、最愛の妻に対して行う行為ではないだろう。だからシンジは、ヒスイの目が覚めるまで何度も優しくその名を呼んだ。
 その努力が実ったのか、ヒスイの瞳がゆっくりと見開かれた。よほど衝撃が大きかったのか、まだ焦点の合わないうつろな瞳だった。

「……シンジ様、私は」

 それでも何とかシンジの顔を認め、ヒスイは絞り出すように声を出した。酷く壁にぶつかったせいで、まだ全身の筋肉が悲鳴を上げていた。

「大丈夫だよ、もう危ないことは終わったから」
「シンジ様が治めてくださったのですか……
 申し訳ありません、何のお役にも立てませんでした」

 なすすべ無く壁にたたき付けられ、足腰も立たなくなってしまったのだ。家族を守ることを使命としていたヒスイにとって、それは耐え難い屈辱でもあった。それが分かるから、シンジはとても優しい声で「よく頑張ったね」とねぎらいの言葉をかけた。

「ホムンクルスは、機動兵器でなければ倒すことはできないよ。
 だからヒスイが気に病む必要はないのだ」
「……ホムンクルス……どうしてそんな物が」

 苦しそうなヒスイに、無理は良くないとシンジは諫めた。

「これから王宮に連れて帰るから、ゆっくりと体を休めると良いよ」
「お役に立てなくて済みません……」

 繰り返し謝ろうとしたヒスイだったが、その言葉をシンジは強硬手段で遮った。イツキがプリムラに説教をしている前で、ヒスイの唇を塞いだのである。

「あのなぁシンジ、子供の教育というのも考えてくれ!」

 すかさず文句を言ったイツキに、夫婦が仲良くするのも教育のうちだとシンジは言い返した。

「だからといって、俺様のヒスイちゃんにキスをして良い物ではないだろう」
「いつからヒスイが、おまえの物になったんだよ!!」
「イツキ、イツキはあの人も好きなの?」

 やっぱり鬼畜? とプリムラは可愛らしく首をかしげて聞いた。

「プリムラ、鬼畜というのは今目の前にいる男のことを言うのだ。
 ほら、前に連れてきてやると言っただろう、あれが英雄様、碇シンジだ」
「英雄様? 碇シンジ?」

 イツキに言われてシンジを見たプリムラは、次の瞬間驚いたように大きく目を見開いた。

「この人……私と同じだけど同じじゃない……」
「プリムラと同じだけど同じじゃない?」

 はてと首をひねるイツキに、シンジも併せて首をかしげた。言っていることの意味がよく分からないのだ。

「プリムラ、同じだけど同じじゃないとはどういう意味だ?」
「分からない、分からないけど……でも、怖い」
「怖い、シンジが怖いのか?」

 どういうことだと顔をのぞき込んだイツキは、どうしたのだと大声を上げた。

「プリムラ、顔が真っ青だぞ!」
「私の中の、何かがおかしいの……
 ……怖いの、怖いの、怖いの、怖いの」

 だがプリムラは、イツキの言葉に応えてくれなかった。それどころか、がたがたと体を震わせ「怖い」と繰り返しつぶやいた。

「プリムラっ!!」

 大声を上げたイツキは、肩を掴んで自分の方を向かせようとした。だがイツキの行動を、今度はシンジが遮った。ヒスイを抱いたままイツキの横に現れたシンジは、黒曜石までまとめて抱えて空間を跳躍した。どこに飛ぶのかはどうでも良かった、この場にとどまることだけは避けなければいけなかった。
 シンジの姿が消えた瞬間、先ほどまでと比べ物にならない大きな力が、プリムラの体から発散された。その力は、半径1kmほどの空間を飲み込み、さらに拡大を続けていった。



 緊急避難の跳躍のおかげで、シンジ達は破壊の渦に飲み込まれるのを避けることができた。だが後先考えない跳躍のせいで、自分の位置を見失ってしまっていた。自分が今、どの空間にいるのか分からなくなってしまったのだ。

「何とか難は逃れたけど……」

 何もない大地に転がったシンジは、そのままの格好で暗く広がる空を見上げた。とっさに飛んだため、座標を確認する暇がなかったのだ。

「困ったな、帰り道が分からないや」
「それは、とても困ったことだと言ってやろう」

 声の方に顔を向ければ、すぐ隣でイツキが同じように転がっていた。そして反対側に顔を向ければ、隣にはヒスイ、そしてその隣には裸の黒曜石が転がっていた。偶然とはいえ、イツキの方にいないのは何かの意味があるのだろうか。

「それでシンジ、いったい何が起こったのだ?」
「よく分からないのだけど……ただ、あそこにいたら大変なことになっていたと思う」

 どう大変なのかは、流石にイツキにも理解することはできなかった。それでも分かったのは、プリムラからただならぬ力があふれ出ようとしていたことだった。

「よく分からないか……俺様にも、よく分からないことが沢山あるのだがな。
 まず第一に、おまえはプリムラのことをホムンクルスと言ったな?
 それは本当のことなのか?」
「間違いないって言うか、そうでもなければ生身でATフィールドは張れないよ」
「おまえも、生身だった気がするのだがな」

 自分を棚に上げたシンジに、イツキはすかさずつっこみ言葉を捧げた。だがすぐに、それは良いと話を先に進めた。

「おまえは、自力で多層空間を飛ぶことができたのだな?」
「言ってなかったっけ?」
「ああ、教えて貰った記憶がないのだ。
 なにかシンジ、おまえはそんな重要なことを俺様に黙っていたのか?」
「イツキに教えなくちゃいけない義理はなかったと思うけど?
 まあ何度も多層空間を超えたから、ある日突然認識できたというのが正解なんだけどね」
「つまり、どうやってと言うのは説明できないと言うことか」

 ふむと頭を整理したイツキは、これからどうするかを考えることにした。いろいろな疑問はあっても、優先すべきはプリムラの問題だろう。あのまま大きな力を吐き出し続ければ、体を保つことができなくなってしまうかもしれない。それに周りに与える被害も無視できない物となる。

「最初にしなければいけないのは、元の世界に戻ることだろう。
 そして次にしなければいけないのは、プリムラを助けることだ」
「その考えに異存はないけど……」

 だけど難しいとシンジは弱音を吐いた。それは元の世界に戻ることではない、暴走したホムンクルスを安全に止めることがである。そもそも暴走した理由が分からないのだ、だったら止め方が分かるはずがない。
 その答えにイツキは起きあがり、ふざけるなとシンジの胸ぐらを掴んだ。

「おまえは、プリムラを助けてくれるんじゃないのか!
 可哀想な少女一人助けられないで、どうして英雄だなんて言っていられる!」
「僕だって助けたいと思っているよ。
 ただ暴走の理由が分からないから、助け方が分からないと言っているだけだろう!!」

 たまらず言い返したシンジだったが、昔教えられたことを口にすることはできなかった。初めて天使に引き合わされたとき、学園長のジェダイトは、綾波レイ達の消息を教えてくれたはずだった。

『大きな力を使いすぎて、肉体が崩壊を始めた』

 その話が真実なら、プリムラもまた崩壊の危機を迎えていることになる。まだ小さな少女であることを考えれば、すでに崩壊が始まっているのかもしれない。そもそも今回の暴走は、崩壊が始まったことが原因かもしれなかった。
 だがイツキには、シンジが何を考えているのか知るよしもない。そしてイツキは、彼にしては珍しくシンジに頼み事をした。

「シンジ、お願いだプリムラを助けてやってくれ。
 もしもあのまま力をふるえば、フローライトは機動兵器を投入する。
 そうなれば、プリムラは殺されてしまうだろう」

 その進言をコハクがしたことをイツキはまだ知らない。パーガトリでは、すでに破壊の範囲が半径2kmに広がっていた。プリムラの崩壊が先か、それともパーガトリが飲み込まれるのが先か、はたまた機動兵器によってプリムラが破壊されるのが先か、事態は一刻を争っていた。とにかくパーガトリに戻らないことには、何も始まってくれない。

「ヒスイ、ここがどこだか見覚えはあるかい?」
「いえ、初めて見る場所です」

 自分より多層空間に詳しいヒスイに期待したのだが、残念なことに居場所の割り出しに失敗したようだ。仕方がないとシンジは、記憶を頼りに空間への認識を拡大した。自分のとんだ軌跡を追えれば、元の世界に帰ることもできるだろう。

「……やりすぎたかな」
「まさか、帰れないとは言わないだろうな?」

 イツキのつっこみに、シンジは顔をひきっと引きつらせた。そんなことはないと言いたいところだったが、未だに見知った場所を見つけられないでいたのだ。見える限りの空間で、人の姿を見つけることができなかったのだ。

「爆発の勢いに、吹き飛ばされたのかな?」
「そうやって、責任をプリムラに押しつけるなよ」

 とにかく早く帰り道を探せと、イツキはシンジの首を絞めた。ぎぶぎぶと地面を叩いたシンジは、その弾みで人のいる世界を見つけることができた。

「エデンかパーガトリらしき物を見つけたよ」
「だったら、とりあえずそこに飛べ!
 こんな何もない世界より、よっぽどそっちの方がましだろう!」

 その考えに反対する理由はなく、シンジは隣で空を見上げたヒスイに、「見えるか?」と質問した。緊急跳躍でないのだから、荷物は分担しようと言うのである。

「私に、黒曜石を運べと?」
「イツキでも構わないけど?」

 どちらかを選べと言われれば、黒曜石を選ばざるを得ない。仕方がないと諦めたヒスイは、自分も見つけたとシンジに答えた。

「どうやら、パーガトリの辺境地区のようです。
 そこまでたどり着けば、王都に戻るのも難しくありません」

 そう言ってヒスイは、まだ意識の戻らない黒曜石を抱きかかえた。同じように壁にたたき付けられたのに、どうして黒曜石は眠っているのか。意味のない理不尽さに襲われたヒスイは、どうした物かと裸の黒曜石を睨み付けた。

「それからヒスイ、黒曜石さんの裸をあまり人目に晒さないようにね」
「でしたら、椎名様の着ている物をお借りしましょうか?」
「ヒスイちゃんが脱がしてくれるのなら喜んで!!」

 そうやって感情を逆撫でする物だから、ヒスイの目が久しぶりに危険な領域につり上がった。シンジとしては「空気を読め」とイツキに言いたかったが、たぶん空気を読んだ結果だろうと思い直した。仕方がないと、シンジはイツキの目の前でご機嫌取りの口づけを敢行した。

「お〜お〜、こりゃ、目の毒だな」

 自分があおったこともあり、イツキは見ないふりをすることにした。まあ独り身のイツキとしては、見せつけられるのはごめんだという気持ちもあったのである。
 そして待つこと5分、「もう良いぞ」と言う声がかけられた。「待ちくたびれた」と振り返った先には、別人としか言いようのない、上機嫌のヒスイの姿があった。目尻の角度など、30度ぐらい違っている気がしてならなかった。

「先を急ぐから、イツキも我慢しろよ!」

 そう言って首根っこを掴み、シンジは再び空間を跳躍した。そのとき聞こえた、蛙をつぶしたような声は聞こえていないことにした。



***



 シンジが王宮にたどり着いたときには、すでに対策本部ができあがっていた。ただそこにいた顔ぶれは、完全に予想外と言っていいだろう。パーガトリで起きた事件なのに、エデン最高評議会議長が陣頭指揮に当たっていたのだ。

「どうして、サードニクスさんが?」

 まず最初にそれを問題としたシンジに、責任者だからだと横からコハクが説明した。

「シンジと連絡が取れなくなったので、フローライト殿に緊急事態として申し入れたのだ。
 先に状況を説明しておくと、黒曜石の家を中心に小規模な融合現象が発生しておる。
 拡大速度が遅いゆえ住民の被害は増えておらぬが、それでも千名ほど犠牲が出ておるのも確かだ」
「僕が飛んだのは正解だったと言うことか……」

 融合現象に巻き込まれていたら、いくらシンジでも逃げ出すことはできなかっただろう。それを認めたコハクは、良い判断だったとシンジをほめた。

「上空からの観測で、融合現象の中心にプリムラなる者の存在を確認した。
 このホムンクルスが融合現象の原因であるのは間違いないであろう」
「それで、どうやったら止められるんだ?
 まさか、機動兵器を突入させようとか言わないだろうね」

 そんなことをしたら、プリムラを殺さなければならなくなる。それを心配したシンジに、別の理由で投入しないとコハクは答えた。

「融合現象の前には、機動兵器でも持ちこたえられぬ。
 従って我らにできる対策は、次の二つしか残されておらぬ」

 そう前置きをして、コハクは「対策」を説明した。だがそのいずれも、イツキとしては受け入れられない物だった。

「一つは、このまま何もせずに放置する。
 保有エネルギーの大きさから言って、無限に融合現象は拡大できぬ。
 1日もたたずに、核となるホムンクルスの自壊が始まるであろう。
 そうなれば、融合現象自体維持できなくなる」

 つまりプリムラを見捨てると言うことだ。そんな真似ができるかと噛みついたイツキを制止し、コハクはもう一つの対策を説明した。

「すでに機動兵器の配置が終わっておるのだが、
 ミョルニルを核となるホムンクルスに照射する。
 ミョルニルのエネルギーであれば、苦しむまもなくホムンクルスを消滅させられる」

 いずれの方法にしても、プリムラを待っているのは死と言う現実でしかない。

「コハク、それ以外に方法はないの?」
「あったとしても、核を破壊することしかできぬ。
 椎名には可哀想だが、今更あのホムンクルスは助けられぬ。
 もともと不安定な存在が、何かのきっかけで暴発したのだろう。
 融合現象を止めたとしても、もはや手遅れとしか言いようがない。
 あれだけのエネルギーを出したのだ、肉体の崩壊は始まっていると思われる」

 だから楽にしてやろう。コハクはミョルニルの使用理由を説明した。それが一番苦しむ時間が短くて済むのだと。残念だというコハクに、どうしてもだめなのかとイツキは食い下がった。ここで諦めたら、プリムラを殺さなければならなくなる。

「本当に、助けてやることができないのか?」
「止めることができたとしても、苦しむ時間を長引かせるだけだ。
 先ほども言ったように、もはや己の肉体を保持できなくなっておるだろう」
「どうしても、助けられないのか……」

 イツキほど賢くなれば、コハクの言葉が正しいのが分かってしまう。今更プリムラがホムンクルスであるのは疑いようが無く、そしてこれほど大きなエネルギーを放出すれば、肉体が保てなくなるのも確かなのだ。このまま苦しむ時間を長引かせるのなら、すぐにでも楽にしてあげた方が優しいのだろう。だから血を吐くような思いで、「楽にしてやってくれ」と吐き出した。

「コハクちゃん、頼めるか……」
「椎名よ、よくぞ決断したな……」

 少しぐらいおかしなことがあったとしても、プリムラと3人家族として暮らしてきたのは間違いない。自分になびかなかった黒曜石にしても、実の子のようにプリムラを可愛がっていたではないか。それがホムンクルスの精神操作が理由だとは、どうしてもイツキには思えなかった。

「シンジ様、黒曜石を連れてきました」

 コハクがミョルニルの手配をしているとき、一度別邸に戻ったヒスイが、黒曜石を連れて対策本部に現れた。いろいろと話を聞かされたのだろう、まるで別人のように黒曜石は打ちひしがれた顔をしていた。

「碇様、プリムラはどうなったのですか?」

 現れてすぐ、黒曜石はプリムラの様子をシンジに尋ねた。だがその問いかけに、隣にいたイツキが割り込んだ。自分の決断を伝えるのは、家族としての役目なのだから。

「楽にしてやってくれと、俺様が頼んだところだ」
「プリムラを殺すのですか!」

 怒っても嘆いても、黒曜石には現実を変える力はなかった。いやコハクやサードニクスでも、一人の少女を助ける力を持っていない。できることと言えば、苦しむ時間を終わらせてあげることだけだった。

「俺様のことを恨んでくれて良い、だから黒曜石さん、聞き分けてくれ……」

 黒曜石からは、何の答えも返ってこなかった。それを承諾と受け取ったイツキは、コハクに向かって「お願いする」とミョルニルの発射を頼んだ。

「ではフローライト殿」

 うんと頷いたフローライトは、直ちにインドラの発射を命じた。二度と使うことのないと思っていた破壊の光、なんの因果かフローライトは二度目の使用に立ち会ってしまった。

 フローライトの命令から少し遅れて、融合現象が起きている周辺の4カ所から光の筋が天を目指して伸びていった。それから遅れること5秒、雷の音ともに光の柱が融合現象の中心を貫いた。要塞攻略時よりは小規模だが、機動兵器では受け止めることも叶わない力が一人の少女を捉えた瞬間だった。

「照射成功、融合エリアの消滅を確認!!」

 作戦の成功は、一人の少女、プリムラの死を意味している。融合現象の消滅の報告に、黒曜石はその場にしゃがみ込んだ。そしてイツキもまた、唇をかみしめるようにして融合の中心、焼け溶けた大地を睨み付けていた。

「パーガトリ国王殿、このような事態を引き起こしたこと、最高評議会を代表して謝罪する」

 すべての終結を受けて、サードニクスはフローライトに謝罪を込めて頭を下げた。今回の事件は、エデンが行っていたホムンクルス培養が理由となっている。その管理に問題があったのだから、すべての責任はエデンにあることになる。

「この件については、必要な保証と援助を行わせて貰う」
「いえ、事態収束に力を貸していただき、誠にありがとうございます。
 私たちは、あくまで不幸な事故だとの認識を持っています。
 従って、これ以上の謝罪、保証は必要ないと思っていますよ」

 そんなことよりも、お互いの将来を見据えて話がしたい。フローライトの申し入れに、喜んでとサードニクスは答えた。

「それには、シンジとコハクにも加わって貰うことにしよう」

 いいかと話を振られたコハクだったが、ちょっと待って欲しいと辺りを見回した。両国の話をするためには、肝心のシンジが参加しなければならない。だがどこを探しても、シンジの姿を見つけることができなかったのだ。

「アスカ、シンジがどこにおるのか知らないか?」
「あたしは知らないわ、ヒスイはどう?」
「いえ、私もシンジ様がどこにいらっしゃるのかは……」

 どういうことだと顔を見合わせた3人は、同時に一つの可能性に行き当たった。
 まさかという顔をと、シンジならばあり得るという確信。それを確認したコハクは、多層空間の跳躍がなかったか、すぐさま確認するように配下に命じた。

「ルシファーと初号機はどうなっておる!」
「機動兵器が移動した形跡は認められません。
 空間移動については……ミョルニル照射の直前に、一度検出されています」
「それからは?」
「現在に至るまで、空間移動は行われていません」

 そこから導き出される答えは一つなのだが、それを認めることをコハクは許さなかった。許すことはできなかった。

「ただちに、すべての空間跳躍の記録を照合せよ!
 いいか、一つの見落としもまかりならぬぞ。
 命令をおろそかにした物には、死よりも苦しい罰を与える!」

 ただちにかかれ。悲痛な声で、コハクは配下に命令を下したのだった。







続く

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