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 篠山シズカの死から始まった篠山家のお家騒動は、初めの予想通り現当主ユキタカの完全勝利で終結した。シズカの持っていた資産は、法人である篠山ホールディングスに移され、代表であるユキタカの支配下に置かれたのである。さらに篠山ホールディングスの幹部には、一族の中でユキタカと懇意な者が抜擢された。その中には、鷹栖総合病院の鷹栖トモノリも含まれていた。
 篠山ホールディングスの役員の中で目を引いたのは、一族では無い不破ヒロキが役員に名を連ねたことだろう。一応篠山に縁のある間宮サヤカを娶っては居るが、間宮自身親戚筋では忘れられていた存在だったのだ。しかも二人とも、連れ合いに先立たれた同士だった。縁という意味では、ほとんど繋がっていないというのが不破なのである。
 それもあって、不破ヒロキがナンバー3に名を連ねた時、一族の中では更に不満が高まったと言われていた。裏を返せば、それを押し切る実力と、ユキタカの意思がそこにあったのだ。

 M市にあまり似つかわしいとも思えない洋館が、不破家の本宅だった。ヒロキは個人の人脈で輸入業を手がけ、一代で財をなした成功者である。仕事柄海外からの客が多いと言うことで、洋風の館を構えていた。

 バレンタインデーも終わった2月も中の日曜日、M市郊外にある不破家は一人の客を迎えていた。もっともヒロキの客では無く、長男マヒロの友人と言う奴である。その客と言うのは、一部世界ではとても有名な滝川ヨシノだった。
 不破家にある狭い方の客間に通された滝川は、豪華なソファーに座ってマヒロの用意した紅茶をすすっていた。この客間、狭いといっても50平方メートルぐらいの広さを持っていた。南向きに作られていたので、冬の日差しが客間の奥まで明るく照らし出していた。

 大理石の床に大きめのラグー、その上に置かれたソファーの真ん中に座った滝川は、紅茶をすすりながらマヒロが戻ってくるのを待っていた。高そうに見えるティーカップは、父親の仕事がら入手した古マイセンの高級品だった。

「マヒロのやつ、お菓子なんかどうでもいいのに」

 「紅茶にはお菓子だ、しかもショートブレッドだ」と主張したマヒロは、ミニキッチンの戸棚を漁りにいっていた。それぐらいの買い置きがあってもおかしくないと思っていたのである。ただ滝川にしてみれば、この後街まで出かけるのだから、別にお菓子をほおばる必要はないと思っていた。

 不破アイカの兄である不破マヒロは、滝川の中学時代の親友だった。そのまま一緒にS高に通うのかと思っていたら、父親の強い勧めという脅迫により、市外にある私立の進学校に通うことになった。どうやら、中学時代の素行を、父親が心配したと言うのがその理由らしかった。
 そしてその時の片割れが、のんびりお茶をすすっている滝川だった。

 春休みになったからと言う事で、マヒロは久しぶりに地元に戻ってきた。去年の夏以来と言うのだから、どれだけ親不孝かは言うまでもないだろう。冬休みに帰ってこなかったのは、直前の葬式をすっぽかしたのが理由になっていた。さすがにマヒロも、家に帰りにくかったということである。春休みに帰ってきたのも、そのほとぼりが冷めたと考えたからに他ならなかった。
 そして帰ってきてすぐ、マヒロは中学時代の親友、滝川ヨシノを呼び出したのである。色々と聞きたいことが有ったし、知りたいこともたくさんあったのだ。ただ義妹のことについては、まあ仕方がないと諦めることはできていた。

 去年の夏から一番変わったことは、なんと言ってもS基地とパイロットのことだろう。滝川がS高に通っていると言うことから、基地に関わる所を案内させようとマヒロは考えたのである。やはり高校生にとっては、M市の基地と言うのは外せない観光スポットになっていたのだ。

 探していたお菓子が見つからず、マヒロは頭を掻きながら滝川の所に戻ってきた。そして反対側のソファにどかっと腰を下ろし、すっかり覚めてしまった紅茶に口を付けた。香が飛び渋みの出たお茶に、まずいと舌を出したマヒロは、それ以上いらないとティーカップをソーサーに置いた。そしてこの場における話題として、比較的当たり障りがなく、しかも話題として適切な英雄様のことを切り出した。

「それで、英雄様は最近どうなんだ?」

 当然マヒロも、マスコミに載る程度の話は知っていた。だから同じ生徒会に居る滝川に、マスコミにも乗らない情報を教えろというのである。さもなければ、飾られていない英雄の実像を探ろうというところだろうか。
 その期待に対して、滝川は何を話すべきかと少し考えてから口を開いた。

「碇君かい、そうだね、だんだん元に戻りつつあるって所かな。
 勉強の方も、ようやく中学を卒業できると言っていたよ。
 最近は、堀北さんに手伝ってもらって勉強をしているみたいだね」

 滝川としては、一番わかりやすいのは勉強あたりだった。そこにアサミを絡ませることで、人間関係もさらりと触れていた。

「なんか、かったるいことをしているんだな。
 そんな物、記憶を取り戻せば意味の無い物になっちまうんだろう?」

 マスコミでも、さんざん成績が優秀なことを取り上げられていたのだ。“一時的”な記憶喪失だと考えれば、勉強するだけ無駄のように思えてしまう。マヒロが「かったるい」と言うのも、英雄らしくないこつこつと積み上げる努力を言っていた。
 思い出せば解決という親友の言葉に、確かにそうだと滝川は肯定した。肯定した上で、次善の策だと説明したのである。

「それはそうなんだろうけど、だからと言って何もしないわけにはいかないだろう?
 記憶だっていつ戻るのかも分からないし、その間無駄に時間を過ごすわけにもいかないんだ。
 だったら、地道な努力って言うのを続けることにも意味があると思うけどな」

 「いつ戻るのかわからない」と言う滝川に、なるほどと“地道”な努力の意味をマヒロは理解した。

「確かに、いつ記憶が戻るのかなんて誰にも分からないんだな。
 その間やることも無いから、勉強というのも間違ってはいないのか。
 やらないよりは、やった方が確かに前向きなのは違いないな」

 ずずっと紅茶をすすったマヒロは、滝川に向かって「失敗した」と愚痴をこぼした。

「ああ、すっかり冷めちゃったからね」
「違う、俺が失敗したと言っているのは今の高校のことだ。
 あの時、素直に親父の言うことを聞いたことを後悔しているんだ。
 そうすれば、お前と同じS高に入れたじゃ無いか。
 英雄様も居るんだから、間違いなく今のK成よりも刺激的だろう。
 あいつら、大して頭も良くないくせにプライドだけは高いんだ」

 もう一度「ずず」っと紅茶をすすったマヒロに、「誰にも予想が付かないことだよ」と滝川は苦笑した。確かに、世界中を探しても今の展開を予想できた人は居ないだろう。そして不満そうな友人に、今からでも遅くはないだろうと「編入」の可能性を持ち出した。

「マヒロだったら、編入試験も難しくないだろう?
 後悔していているんだったら、S高に編入してくれば良いじゃ無いか」
「わざわざ蹴飛ばしたところにか?」

 その可能性は考慮していなかったのか、マヒロは少し目を見開いて驚いてみせた。だがすぐに両手を広げ、滝川の示した可能性を否定した。

「いや駄目だ、それは俺の中の理屈に合わない」
「理屈にね……」

 マヒロの言葉に滝川が苦笑を浮かべた時、ドアの向こうからぱたぱたとスリッパの音が聞こえてきた。そしてスリッパの音が止まったのに少し遅れて、応接室の扉ががちゃりと音を立てて開いた。誰かと二人が見ている前に、セーラー服姿の不破家の長女アイカが姿を表した。セーラー服姿というのは、日曜なのに学校に行っていたと言うことだろう。
 部屋に入ってきたところで、アイカは滝川を見て少し驚いた表情を浮かべた。そしてすぐに、二人に向かってとてもきつい視線を向けてきた。

「よくも、二人でのんびりとお茶を飲んでいられるものですね」

 よほど虫の居所が悪いのか、その言葉は言いがかりに等しい物言いだった。だがそれを平然と受け止めたマヒロは、少し口元を緩めて「おいおい」と言い返した。

「そもそもお茶なんて、のんびりと飲むものだろう。
 だいたいお前、なんでそんなにかりかりしているんだ!」
「なんでって……」

 家族の事情を承知していれば、妹がナーバスになる理由ぐらい知っていてもおかしくない。だが義理の兄は、そのことをまったく気にした様子も見せてくれなかったのだ。一度深いため息を吐いて、アイカは自分がナーバスになる“正当”な理由を口にした。

「私は、今年受験生なんですよ。
 3月になったら、すぐに入試があるというのに……
 今日だって、入試対策の補講に出ていたんです」

 受験生のいる家では、家族は気を遣って当たり前だとアイカは主張した。だがその常識は、マヒロには通用してくれないようだった。

「公立の入試ぐらい、普段の勉強で十分だろう。
 お前って、そんなに頭が悪かったのか……いや、補講を受けるぐらいだから良くないのか」

 人のことを頭が悪いと言うだけでなく、更には同情の視線まで向けてくれたのだ。その常識に呆れると同時に、相手にしても無駄だとアイカは滝川に助けを求めた。

「公立の入試ぐらいって、S高は地域有数の進学校なんですよ。
 ヨシノさん、物を知らないマヒロに何か言ってやってください」

 恐らく、選択としては間違っていないのだろう。滝川としても、恋人に頼られれば手助けしないわけにはいかなかった。それ以上に、いささか常識から外れた親友に世間の常識を説明する必要があった。

「特に今年は、S高の偏差値が跳ね上がったからね。
 だから、確実に合格するためにはやることをやっておかないと駄目なんだよ」

 私立の進学校に通い、しかも成績優秀で通っているマヒロにとって、滝川の答えは“彼の”常識に合致しないものだった。それもあって、マヒロは自分の常識に則った反論を口にした。

「所詮公立の入試は共通問題を使うんだろう?
 あんな物、どうやったって満点以外取りようが無いじゃないか。
 後は、普段の態度とか……そうか、お前は教師の受けが良くなかったな」

 確かに問題だと、マヒロは大きく頷いてみせた。普段の素行が悪いと、間違いなく入試の場面で不利に働く。少しでもマイナスを無くすためには、一所懸命勉強している所を見せる必要もあるのだろうと。そこだけを切り出せば、確かに正論には違いなかった。
 だがアイカにしてみれば、少なくともマヒロにだけは素行のことは言われたくなかった。だから精一杯冷たい視線を向けて、彼女としては比較的優しい皮肉を口にした。

「確かに、私はマヒロのような模範的生徒ではありませんからね」

 と、兄の中学時代の素行をあげつらった。
 そう言って目を細めて睨んだアイカに、「俺の問題じゃ無いからな」とマヒロは口元を歪めた。

「普段の生活態度が問題になるのはお前だからな。
 まあ、これ以上邪魔をするのも悪いから、俺とヨシノはこれから外に遊びに行くことにする」
「そうやって、人の神経を逆なでしてくれますか」

 もう一度兄を睨んだアイカだったが、すぐに効果が無いと諦めた。そして小さくため息を吐いて、「息抜きも必要ですね」と自分の願望を叶える行動に出ることにした。願望以外に理由があるとすれば、兄を野放しにしてはいけないことを思い出したと言うのがある。気をつけないと、“私のヨシノ”に、おかしな虫を付けようとしてくれるのだ。さもなければ、しなくてもいい暴力事件を起こしてくれることだろうか。

「ヨシノさんも行くのでしたら、私も一緒に行くことにします」
「お前、受験勉強しなくても良いのか?」

 勉強が必要なのかと不思議がったくせに、こう言ったときは勉強しろと言ってくれる。そう言う嫌がらせをするのかと頭に来たアイカは、「何か都合が悪いのですか!」と言い返した。

「ああ、お前が居るとナンパが出来なくなる」

 あまりにも予想通り、かつ遠慮の無い答えにアイカは一瞬絶句してしまった。そしてすぐに気を取り直し、標的を滝川へと切り替えた。兄に対して、不誠実だとなじる理由が思いつかないが、恋人ならば浮気を糾弾する権利があるはずだ。

「ヨシノさんは、私とお付き合いをしているんですよ。
 ナンパがしたいのでしたら、一人で行ってきてください!
 それともヨシノさん、私と言うものがありながら、浮気をしたいと言うのですか?」

 違いますよねと睨んだアイカに、滝川は気まずげに頬をぽりっと指で掻いた。そして話をややこしくする親友をフォローすることにした。勢いでナンパをすることはあっても、ナンパ自身滝川の目的ではないはずだった。

「マヒロには、最近のスポットを案内するだけだよ。
 とりあえず、カフェBWHに行ってみようかと思ってる。
 今日だったら、タイミングが良ければ有名人に会えるしね」
「BWH?」

 滝川の説明に、「なぜバストウエストヒップ?」とアイカは首を傾げた。この辺り、アイカも世事に疎くなっていたのだ。
 少しピントの外れたアイカに、滝川はもう少し分かりやすく説明することにした。

「遠野先輩の実家だよ。
 今日はジャージ部が公開ボランティア活動をしているんだ。
 その後に、昼食がてらに顔を出す予定なんだよ」
「つまり、ヨシノさんも堀北さんを見に行きたいと言うことですね」

 なぜそこでアサミの名前を出すのか。しかも「ヨシノさんも」と言う以上、マヒロも同じ考えだと決めつけてくれているのだ。友人のことを否定する義理はないが、自分のことは否定しておかなければいけなかった。

「堀北さんなら、生徒会でよく顔を合わせているよ。
 だから、わざわざ見に行く必要なんて無いと思うんだけどな……」
「やっぱりマヒロの趣味ですか」

 ほっと小さくため息を吐いたアイカは、「男って」と少し軽蔑したような視線を二人に向けた。

「まあ、マヒロが普段相手にしている女性とは格が違いますから、更正したと思うことにしますが……」
「俺の私生活をとやかく言われたくないんだがな……
 それ以上に、俺の女友達をお前は知らないだろう。
 それでアイカ、本当にお前も付いてくるのか?」

 いかにも迷惑そうにしたマヒロに、「当然ですよ」とアイカは言い返した。

「私が、ヨシノさんと一緒に居られる機会を見逃すと思いますか?」
「ちっ、ばれたとたん遠慮が無くなりやがって」

 不機嫌そうに吐き捨てたマヒロは、「行くぞ」と行って立ち上がった。一度言い出したら聞かない義妹なのだから、これ以上何を言っても付いてくるのは間違いないだろう。だったら、ぐだぐだ言うことに意味があるとは思えない。それぐらいなら、さっさと出かけたほうが合理的だと考えたのである。
 だがすぐにでも外出しようとしたマヒロに、「気が利きませんね」とアイカが文句を言った。

「私に、制服のまま付いてこいと言うつもりですか?」
「別に、俺にはどうでも良いことだからな」
「アイカちゃん、別に急がないから着替えてくると良いよ」

 仲が良いくせに口の悪い兄妹に挟まれた滝川は、「なんで」と思いながら仲裁に入った。この辺りの苦労は、付き合っているのがばれてからも変わらない物だった。

「マヒロも、ヨシノさんの気遣いを見習って貰いたい物です」
「なんで、家族に気を遣わなくちゃいけないんだ」

 面倒くさそうに、マヒロは手をぱたぱたと振って見せた。待っててやるから、さっさと着替えてこいと言うのである。そのぞんざいな扱いに頬を膨らませたアイカだったが、文句を言うだけ無駄だとすぐに諦めた。そしてマヒロにではなく滝川に待ってるようにと釘を刺して、さっさと自分の部屋へと消えていった。
 その後姿を見送り、マヒロは「ヨシノ」と口元を歪めた。

「お前、もうちょっと付き合う相手を考えた方が良いぞ」
「いやいや、よりにもよって兄貴がそれを言ったら駄目でしょ」

 マヒロが義妹に惚れていたのを知っているだけに、それを言うのかと滝川としては言いたかった。だが今更蒸し返すわけにも行かず、反論も家族を持ち出すことしか出来なかった。
 だが家族を持ち出した滝川に、マヒロは逆に家族だからだと言い返した。

「こんなこと、家族以外の奴が言ったら殴ってやる」
「その辺り、マヒロらしいよ……」

 どう考えても理屈に合っていない。そんな理不尽さを感じながら、滝川はアイカが戻ってくるのを待つことにした。



 ヒ・ダ・マ・リへの協力は、クリスマス・イブの事件も有り2ヶ月ぶりとなっていた。久しぶりと言うことと、シンジ自身の問題もあり、以前のように手際よくとはいかなくなっていた。ただシンジの事情は広く世界に知られているため、周りの気遣いのお陰で失敗も事なきを得ていた。
 なんとか収録を乗り切ったところで、ジャージ部メンバーは昼食のためマドカの実家、カフェBWHに集まっていた。ヒ・ダ・マ・リ収録の後は、訓練前にここでリフレッシュするのが習慣になっていた。
 普段通りに商店街の人たちでごった返す中、マドカを先頭にシンジ達一行8人は端っこの予約席に陣取った。一人多いのは、顧問の葵も一緒に居たからである。

 そしてシンジ達が席に着いたのを見計らって、ウエイトレス姿のレイが大きな皿を抱えて近づいてきた。昨年お世話になった関係で、休みの日限定で手伝いに入るようになっていたのだ。特に今日のような日は、人手不足を補う貴重な戦力となっていた。
 最初は抵抗していたマドカも、背に腹は代えられないとレイの手伝いを受け入れるようになっていた。

「はい、兄さんには特盛り!」

 次々に皿を運んできたレイは、最後に特大の皿を兄の前に置いた。パーティー用よりは少し小さいが、俗に言うドカ盛りのレベルでスパゲティが盛り上がっていた。ちなみに今日のメニューは、キノコとベーコンのトマトソースだった。

「いや、特盛りと言われてもね……」

 普通盛りでも多いのに、さらに大盛りの上の特盛りなのだ。目の前に置かれた赤色の山に、それはないだろうとシンジは文句を言った。
 だが兄の文句に、レイは「食が細くなったのね」とわざとらしく嘆いて見せた。

「去年の兄さんだったら、これぐらいぺろりと食べていたのに」
「覚えていないと思って、そうやって嘘を教えないように!」

 すかさず言い返したシンジは、「取り分けようか」と隣に座ったアサミに声を掛けた。当たり前なのだが、アサミの前には空の皿が置かれていたのだ。この辺りは、レイの計算が含まれていた。

「そうですね、じゃあ私が取り分けます」
「ありがとう、アサミちゃん」

 そう言って顔を見合わせ微笑み合ってくれるのだ。しばらく忘れられていた“背中をかきむしりたくなる”ようなやりとりに、マドカとナルは二人揃って頭を掻きむしった。そしてその原因を作ったレイに、「地雷を踏むな!」と声を揃えて文句を言った。
 まあマドカとナルの二人にしてみれば当然、そして居合わせた客にしても同じ事を考えた文句に、レイは平然と「わざとだから」と言い返した。

「私だけというのは不公平だから、みんなを巻き添えにしました。
 もうバレンタインデーの夜なんて、目も当てられなかったんですよ」
「だからと言って、私達まで巻き込まなくても良いでしょう!」

 ああやだとマドカが右手でぱたぱたと煽っていたら、店の入り口のベルが軽やかに鳴った。無謀にも、こんな日にまともな客が来たようだ。外から見ても、入りにくい空気が作られていたはずだった。
 それでも接客は必要と、レイは営業スマイルを浮かべて入り口の方へと駆けていった。そして入り口に立っていた高校生に、満席ですと声を掛けようとした。

「ええっと……もしかして副会長?」
「碇さん、もしかしては無いと思うんだけどな……」

 兄を助けているのだから、顔ぐらい覚えていても罰は当たらないはずだ。そう文句を言った滝川だが、その辺りレイはどうでも良いようだった。知り合いならやりようがあると、困った顔をした滝川をジャージ部のところへ連れて行くことにした。

「兄さん、3人分席を空けてくれる?」
「滝川君が来ているの……3人?」

 はてとシンジが首を傾げたところで、「お邪魔します」と滝川がマヒロとアイカを連れて来た。見覚えの無い二人を見たシンジは、ようこそと言って立ち上がった。

「ええっと、初めまして……で良いのかな?」
「私は、一応イブの日にお目に掛かっています。
 兄のマヒロは、初めてですけど。
 申し遅れましたが、不破アイカと申します」

 ああと納得したシンジは、マヒロに向かって「碇シンジです」と挨拶をした。

「不破マヒロだ」

 同年代の中で背の高いシンジと向かい合ったため、マヒロは見上げるような格好になってしまった。少し偉そうに言ったマヒロだったが、体の大きさで完全に負けていた。

「少し狭いけど、構わないかな?」
「むしろ、僕達が邪魔じゃ無ければ良いんだけどね」

 せっかくだからと、滝川は開けて貰った席にさっさと座った。そして当然のように、アイカがその隣にちゃっかりとと座ってくれた。

「じゃあ、不破君は篠山さんの隣が良いかな」
「別に、どこでも構わないのだが……ん、篠山?」

 聞き覚えのある名字に首を傾げたマヒロに、それぐらい知らないのかという顔をして、アイカは「本家のお嬢様です」と教えた。

「本家のって……俺は関係ないんだがって、お前は誰だ?」

 女の子相手に「お前は誰だ」はとても失礼な物言いに違いない。普段のマヒロも、さすがにそこまで礼儀知らずではなかったはずだ。その辺り、マヒロも予想外のことに動揺したのだろう。

「お前は誰だは無いだろう。
 不破……父様の言っていた不破と言うのはお前のことなのか」

 こちらは普段通りの口調なのだが、受け取る方にしてみれば失礼な言い方に違いない。結局、このやり取りはおあいこということだった。

「篠山さん、また言葉遣いが悪くなっているよ」

 それをすかさず注意したシンジに、キョウカはぎこちなく「ごめんなさい」と謝った。

「いやいや、謝る相手は僕じゃ無いからね」
「そ、そうですね……
 篠山キョウカです」

 シンジに注意されたキョウカは、少しぎこちなく女の子らしい言葉を口にした。だがマヒロにしてみれば、キョウカの言葉遣いは大きな問題では無かったようだ。まるで信じられない物を見たような顔をして、「篠山のお嬢さん?」と口にしていた。
 それを問題にしたアイカは、兄に代わってキョウカに謝った。

「キョウカ様、ぶしつけな兄を許してください。
 お葬式にも出ていなかったので、キョウカ様の顔を覚えていないんです。
 マヒロ、いくらあなたでも女性にそれは失礼です!」

 そう言って兄を窘めたアイカは、「それとも」と言って口元を歪めた。

「キョウカ様の美しさに、見惚れてでもいるんですか?」
「い、いやっ、篠山のお嬢さんと言えば、時代遅れのヤンキー姿をしていたんじゃないのか?」

 マヒロの記憶にあるのは、けばけばしい格好をしたキョウカの姿だった。その印象があまりにも強すぎたので、目の前に居るのがとてもキョウカだとは信じられなかった。もしもヤンキーの印象がなければ、妹に言われたとおり一目惚れしていた可能性もあった。
 だがキョウカのヤンキー時代を持ちだしたマヒロに、アイカは「大丈夫か」とばかりにため息を吐いた。

「マヒロ、あなたはずいぶんと遅れたことを言っているのですね。
 それに、テレビを見ていればキョウカ様の姿ならいくらでも見られたと思います」
「なに、昔の俺を知っているんだったら、驚くのも無理も無いな!」
「篠山さん、また言葉遣いがおかしくなってるよ」

 もう一度シンジに注意をされて、キョウカはいけないと頭を掻いた。それもまた、間違いなく恥ずかしい行為に違いなかった。ただ注意のしすぎも良くないと、シンジは滝川に話を振った。

「それで滝川君、今日はデートと言うことじゃ無さそうだね」

 恋人の兄を連れてデートと言うのは無いだろう。その程度の常識を持ち出したシンジに、滝川は「友達の案内です」と言って出された水に口を付けた。

「マヒロは、K成に行っているんです。
 あそこはいち早く春休みになるので、実家に帰ってきたんですよ。
 久しぶりに帰ってきたから、S市のスポットを案内するつもりだったんだ。
 それで、とりあえずここに連れて来たんです」
「へぇ、K成って有名な進学校だよね。
 不破君って、とっても頭が良いんだね」

 凄いなぁと素で感心するシンジに、「嫌みか」とマヒロは不機嫌そうに言い返した。

「英雄様は、頭の方もいいと聞いているんだがな」

 ここで「英雄様」と言ったのは、ちょっとした意趣返しのつもりだった。だが、気にされなくては意趣返しの意味もなさなかった。

「おかげさまで、その辺りは綺麗さっぱり忘れちゃったんだよ。
 だから、人間関係で苦労をしているんだよ。
 それから、勉強の方でも苦労をしているんだ。
 中学からやり直して、ようやく卒業できそうな所まで来たってところかな。
 学業については、学校がお目こぼしをしてくれているのが現状なんだ」

 少し敵意のある言い方を気にせず、シンジはあっけらかんとして言い返した。

「頭の中は中坊になっちゃたんだ。
 多少子供っぽいのは、それが理由だと思ってくれないかな。
 ところで滝川君、ここに来たのは僕達が理由?」
「ここだったら、パイロットのみんなに会えるだろうと思ったんだ。
 マヒロは去年の夏以来だから、その手の情報に疎くなっていてね」

 なるほどとシンジが納得した所で、滝川達の前にもお昼のスパゲティが運ばれてきた。メニューはシンジ達と同じ、キノコとベーコンのトマトソースだった。ただこちらの方は、シンジのとは違い、きわめて常識的な盛り方がされていた。これを見る限り、BWHが大盛りを基準にしていないのは明らかだった。

 冷めないうちにどうぞとスパゲティを勧めたシンジは、食事の終わった葵に「基地を見学できますか?」と聞いた。せっかく滝川が友人を案内しているのだから、便宜を図ろうと言うのである。そしてそれをしても罰が当たらないぐらい、シンジは滝川の世話になっていると思っていた。
 ノルマンジー殲滅戦に勝利したこともあり、日本基地としてはかなりまったりとした空気になっていた。依然としてシミュレーターの問題は残っているが、英雄様が活躍できたのも大きな意味を持っている。すべてが元通りになるのは難しいが、ひところの危険な状態は乗り切ることが出来たのだ。それもあって、見学ぐらい受け入れられる空気になっていた。

「後藤特務一佐に伺ってみるけど、まあ駄目とは言われないでしょうね」
「じゃあ、すぐにお願いしてもいいですか?」

 以前に比べ、自分の扱いが格段に良くなっている。そのことに気をよくした葵は、早速頼まれた見学の確認をすることにした。「ちょっと待っててね」と葵が出て行ったところで、「上手ですね」とアサミに耳打ちをされた。

「おだてておいた方が、気持ちよく動いてくれるだろう?」
「以前はかなり虐げられていましたからね」

 その葵を虐げていた主犯の一人は、間違いなくアサミだったのだ。それを棚に上げて、アサミは葵の出て行った扉の方へと視線を向けた。扉の向こうでは、きっと葵が後藤に電話をしているのだろう。

「でも副会長、勝手に基地見学なんて入れて良いんですか?」

 3人で遊びに出ていたのに、そこに勝手にスケジュールを入れたのだ。その意味で、アサミの疑問は正当なものだった。
 だが滝川にしてみれば、見学の誘いはむしろありがたいことだった。マヒロにしても、元々S市に住んでいたのだ。そのマヒロを案内するのだから、めぼしい所は基地ぐらいしか無かったのだ。そして基地見学は、そうそう簡単に出来ないイベントだった。

「こちらとしては、大歓迎だよ。
 むしろ、こちらからお願いする必要があったんじゃ無いのかな?」

 そうだろうと滝川は、マヒロに話を振った。このことを一番喜んでいるのは、素直でない親友だと思っていた。そして素直でない親友は、予想通り素直でない答えを返してくれた。

「べ、別に、俺は見たいとは言っていないぞ」
「私は見たいと思っていますよ」

 そして素直では無い兄に変わって、アイカは「ありがとうございます」と頭を下げた。そのタイミングで戻ってきた葵は、シンジに向かって親指を立てて見せた。

「見学については、最大限の配慮をしてくださるそうよ」
「最大限の配慮ですか……」

 気前の良いことを言われるときには、必ず裏があるものだと思え。自分からの忠告を思い出したシンジは、まず最初にそのことを気にした。だが、別に構わないかとその忠告を気にしないことにした。たとえ裏があったとしても、せいぜい自分に対するご機嫌取り程度だろうと考えたのだ。

「滝川君、許可も出たようだけど、どうする?」
「そうですね、せっかくの機械ですから、僕とアイカちゃんだけでも見せて貰おうかと思います」
「ま、待てヨシノ、俺は行かないとは言っていないぞ!」

 仲間はずれにされてはたまらないと、マヒロは慌てて自分も行くと主張した。それを当然と受け取ったシンジは、葵に足の確保と滝川達の案内を任せることにした。

「葵先生に、滝川君達のことをお任せしても良いですか?」
「ど〜んと任せておいて!」

 乗せられているとは気づかず、葵はシンジの頼みに安請け合いしていた。この点において、葵の扱いはうまくなったといっていいだろう。事前に手配されたマイクロバスで、全員揃ってS基地に行くことになったのである。



 ノルマンディー殲滅戦の勝利は、英雄の復活を世界に印象付けるものとなっていた。難敵と思われた14番目を単独戦闘で撃破したのみならず、その後の戦闘においても単独でギガンテスを撃破してみせたのだ。戦い方は荒削りだが、その分将来に期待できると評価されたのである。このまま勘を取り戻せば、再び英雄として世界に君臨できると誰もが考えたのだ。

 そしてサンディエゴでは、アスカがルームメイトとともにノルマンディーでの戦いを分析していた。ただ戦術とかはルームメイトの手に余るため、その分析は復帰した英雄様がメインになっていた。
 くつろいだ格好でベッドに横になったアスカは「随分とましになった」とシンジのことを評価した。

「まだまだシンジ様には及ばないけど、なんとか戦力にはなってくれたわね」

 比較の対象がシンジ様だけに、アスカの評価は辛口なものになっていた。14番目の撃破に加え、ギガンテスも4体倒してくれている。それだけを見れば、立派に務めを果たしたと言えるだろう。だが冷静な目で戦いを評価してみると、色々と問題点が目についてくれるのだ。
 当たり前だが、英雄と言われたシンジ様の代わりを務めるには、まだまだ不足するところが多すぎたのだ。

「そうね、でも勢いだけならシンジ様よりあるんじゃないの?」

 同じようにくつろいだ格好、なぜかS高のジャージ姿のクラリッサは、肘掛けの無い椅子に逆向きに座っていた。そして背もたれに掴まるようにして、アスカと相対していた。
 クラリッサの「勢いだけはある」と言う論評を認めたアスカは、それだけだと問題が多いと返してきた。

「勢いだけでいいんだったらね……
 あんなやり方だと、いつか手痛い失敗をするから……」

 思い出してみれば、12番目の影に飲み込まれたのも慎重さに欠けたのが理由になっていた。確かに勢いは見るべき物があったのだが、ただそれだけでは困ってしまうのだ。今のシンジからは、絶対に大丈夫という安心感が感じられなかったのだ。
 やけに実感のこもった答えに、クラリッサはぐぐっと近づいてきた。

「なになに、それはアスカの経験談?」
「まあ、そう言うところね。
 あのバカ……と言うのも可哀想か。
 アイツ、調子に乗ると大ポカをするから。
 まあ、あの子が抑えているから大丈夫だとは思うけどね……」

 前の戦いにおいて、一番目立ったのは間違いなくシンジだろう。だが本当に戦いを支配したのは、後から到着したアサミだったのだ。14番目を撃破という派手な功績はあったが、それ以外のシンジは裏方に回っていた。そしてシンジを裏方に回す判断は、誰でもないアサミが行なっていたのである。そのおかげで、連携に問題が出ることも無かったと考えて良いだろう。
 そしてもう一つアサミの功績は、ヘラクレス部隊と航空戦力の調整を行ったことだ。その調整がうまく言ったおかげで、ギガンテスの撃破が加速してくれたのだ。あのまま日本からの支援がなければ、戦闘時間は間違いなく4、5時間は伸びていたことだろう。その反省もあって、サンディエゴ、カサブランカ両基地で会議が行われるぐらいだ。

 あの子、つまりアサミがコントロールしている事を認めたクラリッサは、久しぶりの再会を話題にすることにした。二人の因縁が浅からぬ事は、TIC後の調査でしっかりと分かっていたのだ。

「それで、久しぶりに再会してみてどうだった?
 男として、アスカに魅力を感じさせてくれた?」
「男として、ねぇ……」

 本当は少しだけときめいたのだが、それを口にするほどアスカは素直ではなかった。う〜んと考えるふりをしてから、「後一歩」と微妙な評価を下した。

「やっぱりさぁ、どうしてもシンジ様と比較をしちゃうでしょう。
 それと比べると、やっぱり男として足りないところが目についちゃうのよね。
 あっ、でもっ、努力しようとしていているのは分かるのよ。
 包囲戦の提案をしてきた時には、前と変わったことがはっきり分かったから。
 私に作戦を提案してくるなんて、以前のシンジだったら考えられなかったのよね」
「だから“期待しちゃうじゃない、バカ”って言葉に繋がったの?」

 実際には“バカ”とは言っていないのだが、敢えてクラリッサは甘えたアスカを創作してみせた。そしてその創作に、見事にアスカが引っかかってくれた。

「なっ、き、聞いていたの!」
「そりゃあ、作戦中の会話でしょ。
 基地のみんなが、ニヤニヤしながらモニタしていたわよ。
 いやぁ、アスカさんが女の子しているってね」

 基地でもモニタされていたと言う話に、アスカは顔を真赤にして喘いでしまった。本当なら秘密をばらしたことが問題なのだが、それ以上に恥ずかしい思いをしたことが気になってしまった。

「あ、あれは、アイツが馴れ馴れしく私のことを呼び捨てにするから」
「恋人はちゃん付けなのにねぇ。
 アスカだけは、馴れ馴れしく呼び捨てにしてくれたのよね。
 確かにそりゃ、アスカが期待したくなる気持ちもわかるわぁ」

 ニヤニヤと口元を歪めたクラリッサは、「それで?」とアスカの本音を問題にした。その前の話にしても、否定をしておきながら、その後ちゃんとフォローをしようとしたのだ。それを考えると、まんざらでもないと言うのが本音だろうと推測した。

「でもさぁ、シンジ様より身近に感じたんじゃないのぉ?」
「そ、そんなことはないわよぉ。
 わ、私が好きなのは、優しくて、包容力があって、大人の人なんだからね」

 かなり焦って、しかも顔を赤くして言ってくれるのだから、その言葉にどれだけ説得力があるだろうか。うまく隙を突いた所もあるが、かなりはアスカの本音が含まれているのだろうとクラリッサは推測した。

「でも、今のShinji Ikariが成長すれば、前のシンジ様になれるんでしょう?
 だったら、アスカがベタボレになってもおかしくないと思うわよ」
「ま、前と同じにはなれないでしょっ!」

 シンジ様に「アスカ」と優しく呼ばれるのを想像して、アスカの顔は更に赤くなっていた。その反応に口元を歪めたクラリッサは、「アサミ堀北と勝負する?」とからかうように言った。
 だが、ここでアサミの名前を出したのは明らかに失敗だった。依然として顔は赤いのだが、アサミの名前はアスカを冷静にする効果があったようだ。今までとは違った冷静な声で、意味の無いことだと切って捨ててくれた。

「今更、勝負になると思う?
 間違いなく、シンジは私との相性は最悪だと思っているわよ。
 それに引き替え、相手は憧れのアイドル様なんだからね。
 しかも相手は、いつも身近に居る女性なのよ。
 結局、シンジ様の時と何も変わっちゃいないのよ」

 急に真面目になったアスカに、クラリッサは自分の犯したミスを知らされた。ここで堀北アサミを持ち出せば、アスカに現実を思い出させてしまうのだ。そして現実を思い出させれば、可能性が無い事を再度知らせることになってしまう。
 そしてその現実は、アスカの言う通りとても厳しい物だった。

「つう事は、アスカはさっさと他の男を捜した方が良さそうね。
 シンジ様のおかげで、前よりはずっと自由になったはずでしょう?」

 研究者がトップだった頃には、本当に日頃の行動をくまなくチェックされていたのだ。それに引き替え、今は身辺警護だけに限定されるようになっていた。それを考えると、自由になったと言うのは真実を突いていたのだ。しかも通常戦力の有効性が示されたおかげで、パイロットに掛かるプレッシャーも軽減されていた。
 そのことごとくにシンジの影響があるのだから、クラリッサが「シンジ様のおかげ」と言うのも間違っていなかった。

「そう言ったことは、先延ばしにしても良いって気がしてきたわ。
 前よりは自由にはなったけど、やっぱり世界が狭すぎると思っているもの。
 もっと広い世界に出て、いろんな人に出会って、そこで好きな人を見つければ良いと思うわ。
 だから今は、「シンジぃ〜!」って、ごろごろと転がっていれば良いのよ。
 そうしておけば、周りもうるさいことを言わないでしょう」
「世界を広げてからってのは分かるけど、後のはちょっと寂しくない?」

 絶対に実らないことを理解していて、その実らない相手を思っていることにする。クラリッサに指摘されるまでも無く、寂しいことには違いないのだろう。

「別に、出会いを否定なんかして居ないわよ。
 いい人が現れないかなぁっていつも考えているもの。
 ただ、そう言った人が現れるまでは、今のままで良いと思っているだけよ」
「砂漠のアポロンも味噌を付けちゃったからねぇ〜」

 事故で扱われた恋人の殺害は、明らかにカヲルの評判を落とす物となっていた。赤裸々な性生活を暴露したことで、噂の中心から外れることになったのだ。
 そして本件については、クラリッサは命拾いしたのだと思っていた。自分の役割を、アスカが十分に理解しているのは分かっている。これまでの付き合い方、そして相手がお子様だったことが、結果的に自分の命を守ることになってくれた。それが幸運で片付けられることを、クラリッサは理解していたのである。



 次の襲撃まで時間があること、そして日本の体制が強化されたことは、気分を大いに楽にしてくれる物だった。別に空気が緩むわけでは無いが、追い詰められたと言う空気が大幅に緩和してくれたのである。さすがに元通りとは行かないが、S基地の空気は以前の物にかなり近づいていた。
 そして主役となりつつあるシンジにとっても、S基地はかなり居心地の良い場所になりつつあった。何よりネルフ時代のように、実験動物の扱いを感じないのが大きかった。大勢の人たちと共同で働いていることが実感できることで、共同体としての意識を持つことも出来たのだ。そして何より、話の出来る大人が居てくれることが大きかった。

 基地に入ったところで、シンジはリハビリに励んでいる加藤に出くわした。M市の戦いで両足骨折の大けがを負った加藤とは、ノルマンディーの戦いで話をするようになっていた。ある意味、シンジにとって恩人のような存在でもある。アサミとの関係修復に、加藤の助言が果たした役割は大きかった。

「加藤さん、こんにちわ!」
「ああ碇君、今日は大所帯だね」

 流れた汗を拭いながら、加藤は笑みを浮かべて答えてくれた。そんな加藤に、シンジは友人を連れて来たのだと説明した。

「後藤さんに見学の許可を貰ったので、学校の友人を連れて来たんです」
「なぁんだ、一本釣りでパイロット候補を連れてきたのかと思ったよ。
 どうしてなかなか、3人ともいい顔をしているじゃ無いか」

 滝川達3人を評価した加藤に、シンジは少し苦笑を浮かべ、「だったら良いですね」と答えた。

「ああ、パイロットはいくら居ても困らないからね。
 むしろ、君達に続く人たちが出てこないと困ったことになりかねない」
「そっちは、今も続いている公募の方を期待したいと思います」

 大津以来カテゴリAが見つかっていないため、パイロット公募に関しては懐疑的な見方が多くなっていた。だがパイロット補充の必要性と、他に良い方法が無いため公募は継続されていた。さすがに5ヶ月間合格者が出なければ、募集する方の心が折れても仕方が無いだろう。

 公募への期待を口にして、シンジは先を急ぐことにした。主要施設への案内は葵に任せるとしても、友人が来た以上良いところを見せたいという気持ちが強かった。

「じゃあ、僕達は訓練があるのでお邪魔します」
「私も、一日も早く復帰できるように頑張るよ!」

 失礼しますと加藤に頭を下げて、シンジは仲間と一緒に訓練棟へと向かった。滝川達とはそこで別れ、その先は葵に任せることになっていた。

「勝利と言うのは、男を成長させる物なのですね」

 1週間前より大人になったシンジに、順調なのだと加藤は考えることにした。記憶をなくす以前には及ばなくても、このまま成長すれば、きっと世界の希望になってくれる。「慢心せず頑張ってください」と、シンジの背中に向けて加藤は小さく声を掛けたのだった。

 ヘラクレス運用を目的としていることも有り、S基地は通常の基地に比べてすべての規模が大きくなっていた。待機しているヘリコプターにしても、主たる目的はヘラクレスの運搬なのである。同じ敷地内にある兵員輸送用のヘリと比べると、実物とミニチュアぐらいの違いがあった。
 そしてそのスケール差は、ヘラクレス輸送用のキャリアでも見つけることが出来た。翼長が2百メートルを超える巨体は、間近で見ると凄まじい威圧感を持っていた。

「実際にギガンテスと戦うのはパイロットですが、
 決戦の地まで輸送する時間が戦いの鍵となっています」

 ジェット燃料の臭いが充満する中、葵は滝川達3人に高速キャリアの意義を説明した。

「ノルマンディー殲滅作戦では、日本から3機のヘラクレスが参戦しています。
 この高速キャリアは、フランス西海岸まで12時間で到達することが出来ます。
 カテゴリ変更をされる前のキャリアだと、さらに3時間が必要になるんです」

 ノルマンディーの戦いは、日本でもテレビ中継が行われていた。当然滝川達も、その中継をかじりついてみた口だった。
 なかなか攻略の糸口が見えない戦が、日本の参戦を境にがらりと様相が変わったのだ。もしも日本チームの到着が3時間遅れたら、戦いがどうなっていたのか想像することができない。日本チーム参戦後の戦い方を見せられれば、キャリア高速化の意味も理解できると言う物だ。

「これ、もっと高速化出来ないのか?」

 単純に考えれば、そうすればカバー範囲が広がるし、ノルマンディーでももっと早くけりが付いていたことになる。その意味でのマヒロの質問に、「高速化は可能」と葵は答えた。

「ただ、物理的な移動速度を速くするだけでは駄目なのよ。
 むやみに高速化すると、その分燃費が悪くなってしまうわ。
 そうなると、空中給油が発生して、そのための時間が無駄になるのよ。
 燃料タンクを大きくするのも、出発までの準備時間が長くなる問題があるわ。
 だから出発までに掛かる時間、航続距離、そして速度のバランスが必要になるのよ。
 今が一番良いなんて言うつもりは無いけど、現時点ではベストのバランスになっているわ」
「それを補うのが、Operation Phoenixと言うわけですね」

 すかさず補足した滝川に、その通りと葵は指さした。

「複座式のF15DJを改修して航続距離を拡張したのよ。
 それでも燃費が悪いから、給油回数が増えるって言う問題があるんだけどね。
 それもあって、ノルマンディーでは少しだけ間に合わなかったわ。
 と言う事で、ロシアやユーロから次世代機提供の申し入れがあるわね」
「アメリカからは無いんですか?」

 多少日本の軍備に詳しければ、米軍の戦闘機を中心に機体整備されているのを理解することが出来る。だから新世代機の導入があるとすれば、アメリカ製だろうと滝川は考えたのだ。
 ただその答えは、葵では無くマヒロから与えられた。

「アメリカには複座の奴が無いんだろうな」

 マヒロの答えに、葵はうんと頷いた。

「そゆことね、改造には時間とお金が掛かるから、アメリカからは申し入れは無いわね。
 それにアメリカだったら、ジェット気流の後押しもあるから時間短縮が可能なのよ。
 実際フロリダの時は、十分余裕を持って間に合っているのよ。
 SSTOはどうだって話もあるけど、整備が出来ないのと、出発までに時間が掛かるから却下されたわ。
 同じ理由で、ユーロとロシアの申し出も遠慮しているところ。
 自前で整備できないと、いざという時使い物にならなくなるのと、
 パイロットには、機種転換の訓練も必要になってくるのよ。
 変更することが多すぎて、短期の対策にはなってくれないのよね。
 JAXAの超音速機はどうかって話もあるけど、そっちも同じ理由で却下されたわ」
「つまり、碇君は当面乗り心地の悪い戦闘機で移動するんですか」

 可哀想にと同情した滝川に、「本人には言わないように」と葵は笑いながら釘を刺した。

「もう少し、サンディエゴとカサブランカがしっかりしてくれれば良いんだけどね。
 過去の亡霊が出た時点で、間違いなく碇君にお声が掛かることになるのよ」

 S市の基地が一番最後に整備されたことを考えると、先行した両基地に“しっかりして欲しい”と言うのはおごった考え方に違いない。ただ現実は、葵の言うとおり過去の亡霊が確認された時点でシンジにお呼びがかかっていた。そして今後も、シンジにお声が掛かることになるだろう。

「しかし英雄様は大丈夫なのか?
 すっぱりと3年分の記憶を無くしちまったんだろう」

 なぜと言う疑問は出されているが、シンジは原因不明の病気で3年分の記憶を無くしたことは知られていた。そのせいで、ヘラクレスに関わる一切と、S高での事を忘れてしまったと説明されていたのである。週刊誌では、スーパーマンになれなくなったクラーク・ケントと書かれたぐらいだ。
 それを考えれば、マヒロの「大丈夫なのか」と言う疑問はまっとうな物だった。そして葵も、「大丈夫」とは保証できなかった。だから答えをはぐらかす意味で、葵は滝川に水を向けた。

「その辺りは、滝川君の方が身近で見ているんじゃ無いの?」

 だから、シンジの変化をよく見ているだろうと。間違いなく、葵の逃げだった。

「いやいや、ヘラクレスのことを僕に振るのは筋違いでしょう」
「でも、碇君の変化をこの中では一番知っているでしょう?」
「ジャージ部顧問の先生に言われたくないんですけどね……」

 そう言って苦笑した滝川は、かなりマシになったとシンジの状態を口にした。

「そうですね、ふた皮ぐらい剥けた感じでしょうか。
 確かに、1月初めに会った時には大丈夫かなと不安になりましたけどね。
 2週間程度で一度落ち着いて、この前の戦いの後がらりと変わりましたね。
 堀北さんとの関係も、ほとんど元通りになったんじゃ有りませんか?」
「また、リア充にあてられるのか……」

 少し嫌かなと思った葵だったが、すぐにそれがいけないのだと考えなおした。クリスマス・イブの絶望を思い出せば、二人がリア充してくれていたほうが平和だったのだ。
 シンジの話が出たところで、葵は輸送機の話を切り上げることにした。S基地の見所は沢山あるし、本命が後に控えていたのだ。

「じゃあ、次はヘラクレスの格納庫に行くことにしましょうか。
 それを見終わったら、シミュレーションの様子でも見学しましょう」
「そんな所まで見せて貰っても良いんですか?」

 やけに気前の良いことを言う葵に、滝川は「大丈夫なのか」と心配になってしまった。だが葵にしてみれば、この程度はマスコミにも公開した物だった。人間相手に秘密としなくてはいけない物は、今のところ何も無いと言うのが現実だった。

「何回かマスコミにも公開している物よ。
 シミュレーターなんて、薄桜隊だって乗っているしね。
 碇君の関係者で通せば、誰からも文句は出ないわよ」
「二匹目のどじょうを狙っているってことはないよな。
 確か英雄様も、見学の時にシミュレーターに乗せられたんだよな」

 便宜を図る理由を口にした葵に、滝川の隣からマヒロが冷静に突っ込みの言葉を入れた。ただその指摘は、さすがに葵も考えていないことだった。

「本当に、二匹目のどじょうが居てくれたらいいんだけどね。
 10万人以上調べて、適合者が出ないのはさすがに辛いのよ。
 かと言って、こればっかりは止める訳にはいかないのよ」

 だから葵の言葉も、否定ではなく希望を口にする物になっていた。
 実態を考えると、ここの所パイロットの補充が世界的に滞っているのだ。アサミに指摘されたとおり、このままではギガンテスへの継戦能力が維持できなくなる。このままギガンテスが襲い続けてきたら、継戦能力を失った時が人類の滅ぶ時となる。

「そう言えば、滝川君はパイロットのテストを受けていたわね。
 そう言うことをするタイプじゃないと思っていたんだけど、どうしてかしら?」
「タイプじゃないは少し酷いと思いますけどね」

 自分がどう見られているのか。それを考えて、滝川は少し苦笑を浮かべた。
 そんな滝川に、恋人のアイカが葵の言葉を肯定してくれた。

「ヨシノさんは、表に立って活躍するタイプじゃありませんからね。
 そうですね、イメージとしては裏でコソコソと悪巧みをする方でしょうか。
 だからこの人の言ったことは、あながち間違ってはいないと思いますよ」
「いや、アイカちゃん……さすがにそれは無いと思うんだけどね」

 さすがに、恋人から「悪巧みをするタイプ」などとありがたくない決め付けをされたくない。勘弁してと肩を落とした滝川に、アイカは正しい評価だと譲らなかった。

「今でも、碇さんの黒子をしているんですよ。
 だとしたら、表で活躍するタイプとは程遠いとは思いませんか?」
「だとしても、裏方とか、縁の下の力持ちって言葉が日本にはあるだろう」

 悪巧みでは、あまりにも印象が悪すぎるのだ。好意的な見方の「縁の下の力持ち」と比べるまでもなく、喧嘩を売るような決めつけだった。それをあろうことか、恋人が口にしてくれたのだ。

「ヨシノ、隠す必要がなくなっても、相変わらずアイカの毒舌を浴びているのか?」
「二人きりの時から、同じように言われているから慣れてはいるんだけどね……」

 はははと顔を引きつらせた滝川は、「憧れぐらいはあります」と葵の質問に答えた。

「後は、そうですね、多少の義務感でしょうか。
 仲間が頑張っているのだから、少しぐらい手伝いがしたいじゃありませんか」
「だから、副会長に立候補したの?」

 パイロットの素養が無ければ、普段の生活でのサポートを考えることになる。陸山が策動したと言う事情はあるが、シンジが生徒会長になることはマスコミを含めて既定の事実と化していたのだ。そうなると、忙しすぎる生徒会長の補佐が重要となってくるだろう。

「そうですね、その意味では陸山前会長の誘いは渡りに船でしたよ」

 自分の言葉を認めた滝川に、葵は密かに感動をしたりしていた。碇シンジの決断は、本当に広い範囲に影響を及ぼしているのだ。そしてS高と言う場所が、本当に仲間を大切にしているのだと分かったのだ。

「話が長くなったわね、次はヘラクレスの格納庫に案内するわ。
 ちょっと常識を越えて大きいから、覚悟して見るようにしてね」

 そう言って、葵は3人を格納庫の外に連れ出した。そして待たせておいたマイクロバスに乗り込んだ。広すぎる基地のため、歩いて移動するのは時間の無駄にしかならなかったのだ。



 滝川達が見学をしている頃、シンジ達はシミュレーションの準備を進めていた。以前の体制ならば、準備といっても大したことが行われたいわけではなかった。簡単なブリーフィングの後シミュレーションに入り、詳細な指示がその都度シンジから出されていた。だがシンジにその能力が無くなったため、現場での修正が行えなくなっていたのだ。
 だから事前準備として、綿密なブリーフィングが必要とされたのである。そしてシミュレーションの目的、具体的な計画を、アサミが全員に説明することになっていた。

「今回のシミュレーションは、2つの襲撃パターンへの対処を目的として行います。
 一番数の多い小規模襲撃に対して、碇先輩と遠野先輩、鳴沢先輩の連携を確認します。
 とりあえず、5体程度から始めて10体程度まで増やしていきます。
 3機で出撃し、状況に応じて撃破と分断を切り替えていきます。
 はい、遠野先輩何か質問ですか?」

 質問として、初めてチームに加わるシンジから出るものと思っていた。だが質問と言って手をあげたのは、ずっと同じ事を繰り返してきたマドカからだった。

「なんで、他の人達はシミュレーションに加わらないの?」

 アサミが3機と言ったことを、マドカが気にしたということである。その質問に対して、アサミは簡単明瞭に理由を説明した。

「前線でギガンテスと向かい合うのは、日本では今のところ3人だけだからです。
 今後経験を積んでいけば、高村先輩と大津君にも加わってもらいます。
 ただ、今のうちは二人は後方での殲滅担当が限界です。
 ですから、一番急がれる前で暴れる3人の連携を重点にしたいと思います」

 台湾での戦いでも、結局ユイとアキラは1体のギガンテスを仕留めただけだった。それが初陣と考えれば、十分立派なことに違いない。だがマドカとナルがお膳立てをした結果なのだから、まだ前線で活躍するまでには至っていなかったのだ。
 従って、シンジの復帰をもって、日本も3人体制に戻ったということである。ただ3人と言っても、マドカとナルはセットで動いていると言う問題があった。

「そっかぁ、ユイちゃんとアキラ君はまだまだ訓練が必要なんだね。
 じゃあ碇君、とりあえずお姉さん達と息を合わせてみようか。
 ちゃんと、ギガンテスの癖は頭に入れてきたかな?」
「その辺りは、アサミちゃんに教えてもらいました」

 シンジの答えに、「あっそっ」とマドカは素っ気なく返した。ノルマンディー決戦以降、二人が急速に接近してくれたのだ。その時は肩の荷を下ろしたと思ったのだが、今は少し早すぎだろうとも思い始めていた。

「じゃあ、最初の一つは分かったわ。
 それで、もう一つのパターンはなに?」

 先を促したマドカにうなずき、アサミはもう一つの襲撃パターンへの対処を口にした。ただこちらの方は、シンジも想像しない方法での訓練となっていた。

「もう一つは、M市の時のように、山のようにギガンテスが襲撃してきた時です。
 こちらについては、碇先輩単独で暴れる練習をしてもらいます」
「な、なんで、僕一人!?」

 こちらも、連携をとるためマドカ達と出撃するものだと思っていた。だがアサミから示されたのは、単独でのシミュレーションとなっていた。
 それに驚いたシンジに、ちゃんとした理由があるとアサミは説明した。

「どうしてと言うのは、ばかみたいに数が多い時は、連携はあまり重要ではないからです。
 基本的に単独迎撃の組み合わせになると言うのが、大規模襲撃の対処になります。
 ただ遠野先輩達の代わりに、キョウカさんが支援に入ります。
 押し寄せてくるギガンテスの情報を伝えますから、それを参考に蹴散らしてやってください。
 注意することは、1体のギガンテスに時間を掛けすぎないことですね。
 あとは、適度に傷めつけることと、守りの弱い腹部を見えるようにしてやることです。
 そう言うことなので、シミュレーションの前におさらいをすることにします。
 M市の戦いを、音声付きで確認してもらいます。
 先輩の周りの状況、そしてその時篠山さんからどんな指示が出ていたのか。
 それを、最初に確認することにします。
 たぶん、30分ほどやれば感覚を掴めると思いますよ。
 と言うより、それ以上やっても効果が出ないと思いますから」

 それからと言って、アサミはマドカとナル、そしてユイとアキラにその間に行われる訓練を説明した。せっかくの時間、ただ見ているだけで無駄にするわけにはいかなかった。

「碇先輩の位置に、高村先輩と大津君に入ってもらいます。
 その状況で、10以下のギガンテスの相手をしてもらいます。
 この場合想定される状況は、過去の亡霊に碇先輩が対処していることです。
 ですから、絶対にギガンテスを行かせてはいけないエリアを指定してシミュレーションします。
 もちろん、その方向に加速粒子砲を撃たせるのはもっての外ですよ」

 過去に3度亡霊の出現があったのだから、アサミの持ちだした条件は考慮してしかるべきことになっていた。5番目のように離れたところで戦ってくれればいいのだが、3番目、14番目は同じ戦場で向かい合ったのである。それぞれの戦いを確実なものとするためには、お互い邪魔しないことが重要だった。

「ただ、今日は碇先輩と遠野先輩、鳴沢先輩の連携を第一に行います。
 大規模襲撃への対処については、時間によっては来週に回すこともあります。
 その時は、申し訳ありませんが高村先輩、大津君は見学と言うことになります。
 その代わりと言ってはなんですけど、課題を一つ出すことにします。
 これから行うシミュレーションで、碇先輩の問題点を最低5個見つけてください」
「5、5個もかっ!」

 人の動きを見て分析し、その問題点を抽出する。それが立派な訓練だという事に、ユイも異存はなかった。ただそこで出された課題、問題点の抽出数が多すぎると思ったのだ。
 だが多すぎると考えたユイに対して、簡単な課題だとアサミは答えた。

「たぶん、初めの方は連携にもならないと思いますよ」
「いやぁ、アサミちゃん、それはないと思うけどねぇ〜
 ほら碇君、碇君からも反論した方がいいんじゃないの?」

 割り込んできたマドカは、連携にならないという決め付けが言い過ぎだと反論した。そしてシンジに対して、そう思うだろうと同意を求めたのである。だがシンジは、反論したほうが良いと言うマドカに苦笑を返した。

「たぶん、アサミちゃんの言うとおりだと思います。
 今まで、一度も連携訓練をしたことがないんですよ。
 この前だって、周りを気にせず力任せにギガンテスを殴り飛ばしただけですからね。
 連携をしようと思ったら、きっと動きがぎこちなくなると思います」
「でもさ、こんなものってバスケやサッカーと一緒……って、まだそこまで行っていなかったか」

 今までシンジがやってきたことを思い出すと、各スポーツの基礎と、武道の練習だったのだ。14番目との戦いを考えると、それを優先したのは間違っていないのだろう。
 だがこれから求められるのは、仲間のことを考えた動きだったのだ。授業でやる程度なら問題ないのだろうが、高度な連携となると全く手付かずの状況だった。

「ええ、そう言うことなので、事前に幾つか約束事を決めておいてくださいね」
「と言われても、普段あまり考えずに動いているのよねぇ。
 大体、今までは碇君が合わせてくれていたしぃ」

 それが出来たのは、シンジの視野の広さのおかげでも有ったのだ。それが取り戻されるまでは、マドカ達にも連携を考えてもらわなければいけないことになる。
 さすがに問題かと全員が考えた時、だったらとアサミがマドカに提案をした。

「じゃあ、今度は遠野先輩達が碇先輩に合わせてあげてください。
 たぶん、そうしないと連携がガタガタになると思いますから」
「まあ、お姉さんが指導してあげる事にするかっ!」

 よしよしと頷いたマドカは、早速シミュレーションにとりかかることを提案した。本当なら事前の打ち合わせが必要なのだが、それをしたところで説明できないことは分かりきっていたのだ。

「じゃあ碇君、私達が合わせるから周りを気にしないでやってみればいいわよ!」
「マドカちゃん、そこは「お姉さんが教えてあげる」って色っぽく言うところよ」
「別に、言ってもいいけど……色っぽくってどうやればいいの?」

 からかいの言葉にあっけらかんと言い返され、ナルはそれ以上からかうことができなくなっていた。

「あ〜っ、マドカちゃんもお子様だったか」
「な、ナルちゃん、失礼なことを言わないでよ!
 アサミちゃんを前に何も出来なかった碇君と一緒にしないでっ!」
「はいっ、猥談はそこまでにしておいてください!」

 まったくと憤慨したアサミは、マドカ達3人にさっさとシミュレーターに入ることを促した。見学者も来ているのだから、そろそろいいところを見せる必要が有るのだ。規律の緩んだ所を見せても、何かいいことがあるとは思えない。しかもパリでのことまでばらしてくれるのだから、いい加減黙らせておく必要があった。

「今日は見学者が居るんですからね。
 あまり、ここの規律が緩んでいることをばらさないようにしてください」
「そっか、今日は滝川君がお友達を連れて来ていたんだよね。
 じゃあ、S高ジャージ部の凄いところを是非とも見せてあげましょう!」

 よしよしと腕まくりをして、マドカは「行くぞ」と右手を高く差し上げた。まだ完全では無いのだが、シンジが戻ってきたことで、マドカにも元気が出たという所だろう。
 先頭を切って出て行ったマドカに続くように、ナルもシンジに声を掛けて控え室を出て行ったのだった。



 いくらテレビで公開されていても、一般人にとってヘラクレスの設備は想像を超えて巨大な物だった。そして間近で見る黒色の巨人は、人類の味方だと知っていても、恐怖を呼び起こす存在となっていた。
 地上40mの所に作られた通路を使って、滝川達3人はヘラクレス1号機の前まで連れられてきた。そこで正面から向かい合ったヘラクレスは、どうしようも無く巨大で、そしてまがまがしい雰囲気を放っていた。その威圧感を前にしては、口の悪いマヒロも思わず口を閉ざしてしまったほどだ。

 その一方、意外に滝川は怖がっていなかった。凄いなぁと驚いてはいたが、反応としてはそこまでだったのだ。普段毒舌でなるアイカはと言うと、滝川の陰に隠れてシャツの裾を掴んでいた。ヘラクレスの発する空気に当てられたのかもしれなかった。そうなると、余計に滝川の冷静さが際立ってしまった。

「これが、碇君の使っている機体よ。
 M市の死闘では、何十と言うギガンテスの中に飛び込んで、
 見事蹴散らしてくれた頼もしい相棒って所かしら」

 葵からしてみれば、マヒロ達の反応はほぼ期待通りの物だった。これまでの公開で、ヘラクレスに気圧されなかったのは、唯一シンジぐらいだったのだ。好奇心旺盛なマスコミですら、実物を前にしてしばらくは固まって動けなかったぐらいだ。その意味で、滝川の反応は物足りないともの言って良いだろう。

「さすがに凄いとしか言いようが無いんですが……」

 ふうっと息を吐き出した滝川は、以前シンジが持ち出したカラーリングの話を蒸し返した。

「確か、碇君がカラーリングの話を提案したんですよね。
 一時期週刊誌にも載ったと思うんですが、その後どうなったんですか?」

 こうして見せられると、相変わらずヘラクレスは“黒”なのだ。半年以上前の提案がどうなったのか、そのことを滝川は問題とした。

「ああ、あれねぇ……
 一時期、本当に募集しようかって所まで進んだのよ。
 だけど、今は完全にぽしゃっちゃったわね」
「お金の問題ですか?
 それとも、派手な色を付けるのは不謹慎だという指摘があったとか?」

 親しみやすさを考えたら、カラーリングを公募するのは良いアイディアだと思えるのだ。そのアイディアが没になったというのだから、それなりの理由があっても良いと思っていた。
 そんな滝川に、深い意味は無いと葵は答えた。

「一番大きいのは、時機を逸したことかしら。
 この姿で結構マスコミに出続けたから、今更色を変えて意味があるのかと言われたのよ。
 それに、海外じゃ特に派手なカラーリングはしていないのよね。
 その機体で碇君が活躍したから、一般受けが本当に必要かって議論にもなったし」
「まあ、こんな場所で見せられない限り、ここまで怖いとは思わないでしょうね。
 たぶん明るい色にしても、こんなに間近だったら変わりが無いと思います。
 それに、この方が強そうで良いんじゃ有りませんか?」

 今更という説明に頷いた滝川は、「強そう」と言うのを全面に押し出して、今のカラーリングを肯定した。そこでようやく復帰できたのか、「センスに問題があるからな」とマヒロが絡んできた。

「デザインとか募集すると、だいたい勘違いした物になっちまう。
 それに名前だって、どうせ富岳とか瑞閣とか日本らしい物になっちまうんだろう?」
「あー、その可能性は否定できないわね。
 日本なのに、西洋名を付けたりしたら笑いものになりかねないしね。
 そうなると、神話から持ってきたりすることになるんだけど……
 月読とか、禍津比とか、ちょっと違うかなぁって思えるのよ。
 だからと言って、ヘラクレスも大概だとは思うけどね」

 はははと笑って、先に行くことを葵は促した。ここまでじっくりと時間を使ったおかげで、シミュレーションもちょうど良いタイミングで見られそうなのだ。碇シンジの復帰だと考えると、結構注目度の高いシミュレーションとも言えたのだ。



 葵が見学者を連れてモニタールームに来たとき、シミュレーションはこれから佳境を迎えようとしているところだった。10体のギガンテスに対して、迎え撃つヘラクレスは3体。それが、正面から今まさにぶつかりあおうとしていた。

 そのシミュレーションにおいて、シンジとマドカ達はまったく対照的な動きを見せていた。マドカ達の場合、ギガンテスの癖を頭に入れ、相手の力を利用して的確に攻撃を当てる戦いをしていた。そして弱点と言われる上を利用し、ギガンテスに反撃する暇を与えない動きを繰り返していた。二人の間で役割分担するのも、足りない力を補う上ではとても理にかなった物だった。
 一方シンジは、どちらかと言えば力任せの部分が多くなっていた。一応ギガンテスの動きは頭に入っているように見えるのだが、それ以上に力任せの部分が目立ってしまったのだ。飛びかかってきたギガンテスにしても、躱すのでは無く、正面から迎え撃って力で叩き潰す攻撃をしていた。マドカ達に比べ、力強さこそ目立ちはしたが、動きの洗練され方は数段劣って見えていた。

「こうして見ると、英雄様はまだまだってことか」

 シミュレーションの画面を見ながら、納得したようにマヒロがぼそりと口にした。

「だね、かなり力任せになっている」

 自分の言葉を肯定した滝川に、「あれじゃ長時間保たないだろう」とマヒロは論評した。

「相手に合わせているからと言う意味ならそうだろうね。
 主導権を握っていないから、精神的にかなり疲れるんじゃ無いのかな?
 相手の動きが読み切れていないのを、反射神経と力で押し切っているようだね」
「M市の時は、本当に無駄の無い動きをしていたからな」

 どうだと話を振られたアイカは、「たぶん」と前置きをしてから自分の考えを口にした。

「自信が無いと言うのが一番大きいのだと思います。
 だから、戦い方に余裕が無くなってしまうのでしょう。
 無駄な動きが多くなっていますし、使わなくても良い力を使っていますね。
 それでも、あそこまで出来るのは凄いと言えば凄いのですけど……」

 3人の評価を聞いた葵は、「もしかしてプロ?」と首を傾げた。その評価が正しいのかどうかは分からないが、とても的を射ているように聞こえてきたのだ。
 ただ疑問なのは、いかにもお嬢様然としたアイカの論評だった。病弱なお嬢様という印象があるのに、かなり武道に長けているように聞こえたのだ。

「ええっと、やけに具体的な分析なんだけど……
 3人とも、何かの武道をやっているの?」

 S高に籍を置いているが、滝川が武道をしているという情報は持っていなかった。そして副会長職が忙しくて、部活をしているという話も聞いていなかったのだ。
 そんな葵に、滝川は「まったく」と否定してくれた。

「それなのに、碇君の戦い方が良くないのが分かるの?」

 そう言って驚いた葵に、「この二人は……」とアイカが口を挟んできた。

「マヒロが隔離された理由の一つですけど、中学時代喧嘩ばかりしていたんです。
 二人で十何人かを相手の大立ち回りばかりしていたんですよ」
「あ、あれはだな、相手の方から喧嘩をふっかけてきたんだ」
「ぼ、僕は、マヒロを見捨てるわけにはいかなかったから……」

 二人の言い訳に、アイカははあっとため息を吐き出した。

「こんなことを言って、よくぼろぼろになって帰ってきたんです。
 それがあまりにも度が過ぎたから、お父様が二人を引き離すことにしたんです。
 友達が良くないのなら、その友達から引き離すのが一番いい手だと考えたんでしょうね」
「僕が、悪い友達なの?」

 滝川としては、マヒロの喧嘩に巻き込まれた口だと思っていた。それなのに、自分が理由にされては堪った物では無い。
 だが滝川の不満に、あろう事かアイカも父親の考えを肯定した。

「そうですね、ヨシノさんと引き離したことは間違っていないと思います。
 マヒロは、ヨシノさんがフォローしてくれるのに甘えていたんですよ。
 もしも適当なところで見捨ててくれていれば、毎日のように喧嘩をしてくることも無いと思います」
「おいおい、なんで俺がヨシノに甘えているんだ?」

 妹の論評に、すかさずマヒロは違うだろうと文句を言った。だが義兄の反論を、アイカは正論で撃破した。

「ヨシノさんが居れば、15人ぐらい相手に出来ると思っていたんでしょう?
 自分の喧嘩にヨシノさんを巻き込むのですから、甘えていると言われても仕方が無いです。
 ヨシノさんが居なければ、大勢に囲まれたところで逃げていましたよね?」

 違いますかと迫られて、マヒロは答えに詰まってしまった。妹の言う通り、常に滝川を戦力として数えていたのだ。そして、滝川を巻き込む事への疑問をまったく感じていなかった。

「じゃあ、あなたはどうだったの?
 碇君の戦い方に、無駄が多いって言っていたでしょう?」
「私ですか?」
「こいつは、小さな頃から合気道をやっていたんだ。
 こんな牛蒡みたいな手足をしているが、下手したら俺よりも強いかもしれない」

 すかさず口を挟んできた兄に、アイカはその説明に文句を言った。

「人のことを、根菜類に例えないでください。
 それから、私を化け物みたいに言わないように!」
「そうか、俺はお前がいつヨシノを押し倒すのかと思っているんだがな」
「組伏す、の間違いじゃ無いかな」

 はははと笑った滝川に、「ヨシノさん!」とアイカは文句を言った。そんな3人のやりとりに、なるほどと葵は納得していた。

「喧嘩マスターに合気道の経験者って事ね。
 だから、碇君の戦い方にある問題が分かったんだ」
「葵先生、喧嘩マスターって言い方は無いと思いますよ」

 すかさず文句を言った滝川だったが、葵は綺麗さっぱりその文句を無視してくれた。そして滝川達に、シンジ達と合流することを提案した。

「とりあえず、一通りのシミュレーションが終わったみたいね。
 たぶんこれから反省会をすると思うから、今の意見を教えてあげて欲しいのよ。
 あの中で、武道の経験者って高村さんぐらいしか居ないのよね」
「でも、遠野先輩と鳴沢先輩は見事な動きをしていましたよ……
 ああ、でも今回は観察する立場ではありませんでしたね」

 一緒に訓練している状況では、細かなところまではコメントすることは出来ないだろう。葵の提案に納得したアイカは、そうですねと反省会に加わることに合意した。自分たちの安全を考えた場合、英雄様の回復は大きな意味を持ってくる。その手伝いと言うことなら、積極的に関わっても良いだろうと考えたのだ。



***



 以前アサミが指摘したことでもあるのだが、新たなパイロット補充の停滞は、各国で深刻な問題として受け止められていた。パイロットの補充無しに、将来にわたって迎撃が遂行できる保証がどこにも無い。そしてパイロットの補充が無いと言う事実が、現行のパイロットの精神的負担になると考えられていたのだ。
 それもあって、各国ともパイロット選出の範囲を拡大する措置を執るようになっていた。すでに日本で行われた試みを、背に腹は代えられずに後追いしたと言う事である。

 その試みによって、2月も終わりになってようやく新たなパイロットが選出されることになった。しかもサンディエゴでは5人、カサブランカでは4人という大量採用である。手を広げた効果が早速出たと、各基地ともこの成果に気をよくしたのは言うまでも無い。
 日本の後追いをするのに当たって、両基地が新たな施策として募集年齢層を下げるという措置を行った。その目的は、将来の世代交代を見越したと言う事である。今のエースパイロット達が、いつまでも現役で居られるとは考えにくい。ならば、次の世代に目を向けるべきだと考えたのである。

 それもあって、各基地が選出したパイロットは、いずれも13〜15歳の年齢層に属していた。しかも選出時点で、主力組に並ぶ能力を示していた。この傾向が続けば、将来にわたって迎撃機能が継続できると関係者が安堵したのも当然だった。

「さて、これから育成プランを作らないといけないね」

 4名の選出の知らせを受けたカヲルは、相好を崩して「大変だ」とエリック達に言った。
 そんなカヲルの様子に、エリック達3人も「良かった」と安堵の息を漏らしていた。

「久しぶりのパイロット追加だな。
 すぐに実戦は無理でも、これで戦力を厚くすることが出来る」
「それ以上に、私達の後継者が生まれたって意味の方が大きいわよ」
「そうそう、これでプレッシャーも少し軽くなると言う物よ!」

 エリックを初めとした3人も、新しいパイロット選出の報せに大いに喜んでいた。具体的に助けになるのはまだ先でも、マリアーナの言う通り、肩の荷が少し下りた気もしていたのだ。そしてもう一つ重要なことは、自分たちが引退できる可能性が生まれたことである。

「でも、サンディエゴでも5人選出されたんでしょう?
 こっちと同じタイミングって、何か因縁を感じるわね」

 金色の髪を揺らしながら、ライラは「不思議な物ね」と両基地同時選出のタイミングに首を傾げた。

「そうは言っても、日本では選出されていないんだよね」
「あそこは、出尽くした感があるな」

 エリックの決めつけに、確かにとマリアーナは頷いた。そもそも日本一国だけで、7人もパイロットが選出されること自体異例だったのだ。

「とにかく、シンジ君の活躍に続く明るい話題には違いないだろうね。
 後は、新しく選出された候補者達への教育プランを作成するだけだよ。
 しかし、今まで作っていなかったから、大変なことには違いないね」

 そう良いながらも、カヲルの顔はとても嬉しそうに見えた。ただ、それを見た3人も、同じように嬉しそうにしていたから同類なのだろう。

「去年までだったら、迷わず日本に送り込んでいたのにね」

 少し残念そうに言うライラに、マリアーナも大きく頷いて見せた。

「今は、それどころじゃ無いでしょうね。
 まだまだシンジ様は、チームとしての動きが出来ていないのよね。
 それでも、ノルマンディーでは凄かったけど……」
「日本は、まずすべきことは英雄様の復活だろうな。
 14番目を倒した力を考えれば、それだけで戦力がかなり増強される」
「たぶん、今はそのことに集中して訓練しているのだろうね。
 とりあえず、シミュレーターが使えるようになったのは大きいね」

 「忙しい忙しい」と言いながら、カヲルは自分の端末を立ち上げていた。これまでシンジから教えられたことを整理し、新しいパイロットへの教育カリキュラムを作らなくてはいけないのだ。今までに無い前向きな仕事だけに、忙しさも喜びになっているようだった。

「現地での作戦指示も、ようやく軍が引き受けてくれることになったよ。
 これで、かなり僕の負担も減ってくれたんだ」

 もともと、パイロットと作戦統括が同じというのに無理があったのだ。ノルマンディーでの躓きが、早急な見直しの理由になったのは言うまでも無い。

「これで、ギガンテス迎撃がはかどってくれることを僕は願うよ」
「問題だった軍との連携問題も解消されると良いな……」

 それが出来て、ようやく日本に追いつくことが出来る。ここまで長かったというのが、パイロット達に共通した思いなのは間違いなかった。

 一方同じ知らせを受けたサンディエゴでは、アスカが育成プランの作成に頭を悩ませていた。本来育成は、専門の部局が担当する性質のものである。ただそこで作られた育成プランに、エースパイロットの意見を取り入れようと言うのが始まりだった。

「こう言うのを、嬉しい悲鳴って言うんでしょうね」

 珍しくデスクに向かったアスカは、後ろでのんびりしている相方に声を掛けた。

「と言う事なので、何か飲み物を持ってきてくれない?」
「そうやって、私のことを使うかなぁ」

 文句を言いながら冷蔵庫を漁り、クラリッサはガス入りのミネラルウォーターのボトルをアスカの所へと持って行った。

「しかし、よくも5人纏めて選出されたわね」
「そっちは、あんたの専門だったんじゃ無いの?」

 そりゃあそうだと頷いたクラリッサは、あくまで偶然を強調した。

「近くのジュニアハイ、何校か協力して貰ったのよ。
 そしたらさぁ、あっさり5人も引っかかってくれたのよね。
 嬉しいことは嬉しいけど、なんかとっても複雑な気分なのよ」
「なに、うまく事が運んだのが不満?」

 これまでの苦労を考えると、こんなにあっさりと、しかも複数候補が見つかるとは思えなかったのだ。それがあっさり見つかったのだから、クラリッサが複雑な気持ちを抱くのも仕方が無いことかもしれない。
 そんなクラリッサに、アスカは「ありがたがっておけば良いのよ」と言い切った。

「理由なんて、いくら考えても分かりっこないんだもの。
 だったら、素直にありがたがっておけば良いのよ」
「そりゃあ、確かにそうなんだけどね……」

 理由が分からないと気持ちが悪いのだが、こだわっていてもろくなことは無いのは確かだった。だったらアスカの言う通り、ありがたがっておいた方がよほど平和に違いない。理由については、もっとサンプルが集まってから考えれば良いと思うことにした。

「それで、アスカさんは何に頭を悩ませているの?
 何か、育成方法に問題でもあったの?」

 ずっと資料とにらめっこをしているのだから、問題があると考えるのも不思議では無いだろう。だがアスカは、少し違うのだとルームメイトの指摘に答えた。

「やりたいことがありすぎて困っているのよ。
 せっかく選出されたパイロットなんだから、色々としてあげたくてねぇ」
「候補者からは、日本への留学希望も出ているわね……
 気持ちは分かるけど、ちょっと複雑な気持ちって所かしら」

 去年までなら、第一にその方法を考えたことだろう。だが今となっては、日本の特殊性を指導する方法が無くなってしまったのだ。英雄様が復帰したとしても、その能力まで取り戻せるとは思えなかった。

「今のシンジの所に送り込んでも、意味があるように思えないのよね」
「そうね、まだ回りから教育されている段階じゃ無いのかしら」
「ノルマンディーでは、共同作戦からうまいこと外されていたもんね」

 アスカの言葉を肯定したクラリッサは、「それで」と言ってニューフェースの教育に話を戻した。今は日本の事を考えるより、自分たちの課題を解決すべき所なのである。

「現時点では、慌てて実戦に投入する必要が無いのよ。
 だから、初めのうちは座学とシミュレーターが中心になるわね。
 後は、シンジ様が作ってくれたカリキュラムをいつ始めるのか。
 その時期が一番のポイントになると思ってる。
 余裕が出来たら、シンジ様の考察も展開することを考えているわ」
「あれも、展開するの……消化しきれるかしら?」

 中身を考えると、かなり高度な物まで含まれている。それを考えると、クラリッサが不安に感じるのも仕方の無いことだった。
 そんなクラリッサに、アスカは「消化できなくても構わない」と答えた。

「消化出来たら儲けものって所ね。
 パイロットにもなると、ただ戦うだけじゃ駄目と言う事を知って貰えれば良いのよ。
 それに、もしも消化できたら、間違いなく将来のためになるでしょう?
 その可能性も考えて、教育した方が良いと思ってる」
「そうね、どこまで行ってもパイロットじゃないと分からないこともあるのよね……」

 それを突き詰め、体系的に纏めたのが碇シンジだったのだ。その頭脳は失われたが、成果だけはしっかりと受け継がれていた。それがなぜ生まれ、どう活用されたのかを知ることは、間違いなくこれから戦いを続けていく上で役に立ってくれるだろう。

「それでアスカ、気に入った子は居た?」
「気に入ったって……3つも下じゃ、さすがに子供過ぎるわね」

 さすがにローティーンに手を出すつもりは無い。その辺りは、将来性に希望を抱くしか無いと思っていたのだ。



 3月になると、いよいよ3年生の卒業が秒読み段階に入ってくる。そのおかげで、生徒会も入試と卒業式に向けて忙しくなって来ていた。相変わらずお飾りから抜け出せないシンジだったが、さすがに顔を出さないのは許されないと、連日生徒会室に顔を出していた。

「一番の課題は、無事卒業式を乗りきれるかと言うことですね」

 副会長の滝川ヨシノは、最初に卒業式のスケジュールを問題とした。例年20日近辺に執り行われる卒業式は、まさしくギガンテスの襲撃予想期間にヒットしていたのだ。シンジの挨拶が期待されているのを考えると、襲撃がずれて欲しいと願うほかは無かったのだ。

「16日の土曜日に入試を行うんだよね。
 発表が20日になるから、卒業式は22日と言うことか……
 3週間で刻むと、まさにドンぴしゃの日程になっているね」

 カレンダーに丸を付けたシンジは、そこから3週間事に印を付けていった。そして卒業式当日は、ノルマンディーの戦いから6週間目に当たっていた。

「そう言う意味では、今日はちょうど3週間目なんですけど……」

 多少の誤差があっても、ここのところ律儀に3週間周期を守ってくれている。そうなると、今日も危ない日と言うことになる。
 いつ呼び出しが入るのか分からない以上、決めておく事はさっさと決めておくのに越したことは無い。議事進行を受け持った滝川は、話を卒業式の中身に向けた。

「卒業式自体、進行は先生達がやってくれるので問題は無いと思います。
 生徒会の出番は、会長が在校生代表の挨拶をするだけですね」
「挨拶かぁ……」

 今度は、生徒だけで無く、大勢の来賓まで前にしなくてはいけない。そのことに怯んだシンジに、覚悟を決めてくださいと滝川は笑いながら言った。

「こんなもの、記者会見に比べれば大したことはありませんよ。
 公立高校の卒業式ですから、マスコミのカメラも入りませんからね……」

 そこで「本当にそうか」と考えた滝川は、渉外の林水に学校側の対応を確認した。
 滝川に指名された林水は、銀縁めがねに右手を当て、「予想通りだ」と滝川に答えた。

「つまり、テレビカメラが入るって事かな?」
「NHKのS市支局のカメラが入るそうだ。
 たぶん、映像は他のテレビ局にも回されるだろうな」
「それでも、記者会会見に比べればマシだね」

 そう言って話を切り上げた滝川は、次にと言って生徒会主催の行事に話題を移した。

「卒業式の後、前生徒会との懇親会を行います。
 まあ、身内の会ですから、難しいことは無いでしょうね。
 鎖部君、懇親会の準備はどうなっているかな?」
「うむ、食料の手配は終わっている。
 加えて、記念品の選定、手配も滞りは無い」

 つまりは、すべて予定通りと言うことである。それに満足した滝川は、もう一つの問題、入試対策を口にした。

「卒業式関連は、引き続き抜けが無いかを確認していきます。
 次に、16日に行われる入試について議論します。
 当日教師だけでは人手が足りないので、生徒が手伝いに出ることになっています。
 例年生徒会を中心にボランティアを募ることになっているんですが……」

 ボランティアと言うキーワードに、滝川は最初にシンジの顔を見た。
 その意味を理解したシンジは、「覚えていないんだ」と頭を掻いた。

「ただ、去年はジャージ部で手伝いをしたらしいね。
 だから今年も、ジャージ部が手伝いをすることになると思うんだけど……
 さすがに、良いのかなぁって気持ちはしているよ」

 平穏無事に入試を終わらせることを考えたら、ジャージ部が顔を出すのはよろしくないだろう。ジャージ部が手伝いに出よう物なら、受験生達が浮ついた気持ちになるのが予想されたのだ。「良いのかなぁ」とシンジが言うのも、よく理解できる話だった。

「例年なら、受験倍率1.1倍程度なんですけどね。
 なにか今年は、かなり跳ね上がるって予想されていますね」

 そこで苦笑するところを見ると、よほどガールフレンドに言われているのだろう。先日のことも有り、人ごとながら可哀想にとシンジは考えていた。

「受験生のことを考えると、ジャージ部は遠慮した方が良さそうですね。
 私達生徒は、基本的に会場案内と言うことで良いんですよね」
「役割分担としてはそうなんだろうけど、碇君と堀北さんは表に出ない方が良いと思うよ」
「そうどすな、会長はんたちが顔を出すと、受験生達が興奮してしまうやろう」
「記念受験の奴らには良いだろうが、真剣勝負の奴には可哀想な結果になるな」

 うむと頷いた鎖部は、隔離が必要だと物騒なことを言ってくれた。

「隔離は言い過ぎだけど、碇君と堀北さんには、目立たないところに居て貰う必要がありそうだ」
「それで人手が足りるのなら良いけど……」

 大丈夫かと確認したシンジに、鎖部は「委員会を利用する」と断言した。

「試験会場案内、及び校内の見回りが主な役目となる。
 教師も加わるから、総務委員会を招集すれば事が足りるだろう」

 顔を出さない方が平和と言うのなら、よほど学校に来ない方が良いように思えていた。だからと言って、二人揃って出てこないのも問題が大きいに違いない。デートでもしていよう物なら、後から何を言われるのか分かった物では無かった。
 それもあって、シンジは大人しく議論の成り行きを見ていることにした。本来会長として問題のある行為なのだが、それを誰も問題だと考えなかったようだ。初めからシンジの存在を無視して、試験当日の配置を話し合ってくれたのだ。

 それを情けないと思っていたところで、ようやく議論の方が終わってくれた。結局、全体の議論は滝川がまとめ上げてくれた。

「では、教頭先生に生徒会の決定を連絡しておきます。
 と言うことで、会長、今日の生徒会を終わって良いですか?」
「え、ええっと……
 皆さん、遅くまでご苦労様でした。
 次回の開催は、週明けの月曜日の放課後となります。
 滝川君からの報告と、卒業式に向けたイベントの協議が議題です」

 もう一度ご苦労様とシンジが言ったところで、全員が「ご苦労様」と声を合わせた。普段ならそれで終わりという所なのだが、シンジは滝川と鎖部の二人がため息を吐いたのに気がついた。自分のせいで、二人に余計な負担を掛けていると思ったのだ。

「滝川君、鎖部君、いつもいつも迷惑を掛けているね」

 ありがとうとお礼を言ったシンジに、滝川と鎖部の二人は微妙に口元を歪めていた。

「あー、一応そのことは理解して立候補したから良いんですけどね……」
「だとしたら、他に何か?」

 そう質問を口にしたところで、シンジには一つぴんと来るものがあった。

「もしかして、不破さんのことかな?」

 先日のことを思い出せば、滝川が彼女に振り回されているのは十分に理解できた。その彼女の受験が近づいたのだから、色々と無理難題をふっかけられているだろうと想像したのだ。
 そしてシンジの推測を、滝川は「そうなんです」と肯定してくれた。

「先日行われた模試の結果が思わしくなかったんです。
 だから、かなりぴりぴりとしているというのか……
 こうなったら、裏技しか無いかとまで言い始めているんですよ」
「裏技って……」

 何だろうと考えたところで、滝川の彼女が篠山に繋がっていたことをシンジは思い出した。そしてキョウカが、情実入試で入学したのも思い出していた。

「つまり、校長とのコネを利用するってこと?」
「いやいや、さすがに今年それをしちゃまずいでしょう。
 実のところ、S高に入学するのに正規ルートは二つあるんです」
「今更、推薦って言うのは無かったよね……」

 う〜んと考えたシンジに、横からアサミが「パイロットになることですよ」と助け船を入れた。
 確かに正規のルートだと納得したのだが、だからと言って簡単に利用できるルートでも無い。そもそも目的と手段が入れ替わっている気もするのだ。

「でも、そう都合良くパイロットになれるものなの?
 もう20万人以上応募していて、大津君達を最後に誰も合格していないんだろう?」
「だけど、それぐらいしか方法が残っていないのも確かなんだよ。
 市外にある、私立の女子校なんかに行くものかと鼻息が荒いんだ」

 その様子が思い浮かぶだけに、シンジは思わず「お気の毒に」と口にしてしまった。

「それで、鎖部君がため息を吐いたのは……もしかして滝川君と同じ事情?
 真面目そうな顔をして、みんな中学生に手を出しているんだね」

 やだやだとわざとらしく言ったシンジに、失敬なと鎖部は目元を引きつらせて文句を言った。

「うちの場合は、従妹の問題だ。
 入試要項で市内在住者に限ると言うことで、年明けから家に住み着いているのだ」
「そのまま、鎖部君に嫁入りでもするのかな?」

 程度の低いからかいの言葉に、鎖部は「あり得ん!」と大声を上げた。その反応を見ると、よほど鬱憤がたまっているのだろう。

「い、いや、さすがにそれは勘弁して欲しい。
 私は間違っても、あんな横柄な女は好みでは無いのだ」

 ある程度鎖部の問題が理解できたので、シンジは話を本質の方へと振り向けた。

「その横柄な従妹さんが、なにか問題なのかな?」
「今年、滝川の彼女と同様にS高を受験するのだ。
 そして滝川の彼女と同様に、模擬テストの成績が思わしくなかった」

 はあっとため息を吐いた鎖部に、シンジは答えが見えた気がした。滝川と同じように、「パイロットになる」とでも言い出したのだろう。

「つまり、鎖部君所でもパイロットの話が出たのかな?」
「いやっ、そんな可愛い話であるはずが無い。
 あの女、私にS高に入学できるようあらゆる手段を尽くせと命令したのだ。
 常識的に考えて、私にどんな方法が執れるというのだ」
「だから、頭を抱えていると言うことか……」

 ある意味、滝川の所よりもっと質の悪い考えだった。「お気の毒に」と、シンジが口にするのも当然だった。
 それまで黙って話を聞いていたアサミが、「ところで」と言って割り込んできた。

「滝川先輩の彼女の場合、志望動機ははっきりしていますよね。
 でも鎖部先輩の従妹さん、何を目的にS高に入学するんですか?」
「世界が自分を中心に回っていると思っている奴だからな。
 何が目的かと言われれば……」

 そう言って鎖部が自分を見たので、シンジは「僕」と言って自分を指さした。

「そうだ、碇お前のことだ。
 「私に相応しい男は碇以外に居ない!」とほざいてくれた」
「つまり、私と勝負しようというのですね」

 ふふふと口元を歪めたアサミに、「世間知らずなのだ」と言って鎖部は謝った。

「蝶よ花よと育てられたせいで、かなり世間の感覚とずれているのだ。
 しかも中途半端にもてていたから、余計に現実が見えなくなっている」
「つまり、その子には厳しい現実を教えてあげれば良いんですね。
 鎖部先輩、ひと思いに楽にして差し上げましょうか?」
「なにか、アサミちゃんが鎖部君に止めを刺すように聞こえるよ……」

 そう言って、なんだかなぁとシンジは天を仰いだ。

「逆パターンの子が沢山出てきそうな気がするよ」
「会長から、堀北さんを奪う……ですか?
 さすがに、男の方がもう少し現実が見えていますよ。
 本当に居ないかと言われれば、さすがに保証はしかねますね」
「その辺りは碇、有名税という奴だ」

 諦めろと言う鎖部に、勘弁して欲しいなぁとシンジは愚痴を言った。シンジとアサミ、二人の携帯がけたたましく鳴ったのはちょうどその時だった。滝川達との話を中断して、シンジとアサミの二人は携帯電話を取り出した。

「本当に、カレンダーのように正確だね」
「ますます、卒業式が危うくなったと言うことか」

 「ごめん」と言って出て行く二人を見送り、大変なのだなと滝川と鎖部は同情したのだった。



 ギガンテス発生の知らせと同時に、後藤は司令所に駆け込んでいた。素早い到着の理由は、たまたま近くを歩いていたと言うどうでもいいものだった。

「どこだっ!」

 まず確認しなくてはいけないのは、「どこ」をめがけてギガンテスが発生したのかと言うことだった。セオリー通りの確認をした後藤に、スタッフは「太平洋上です」と第一報を伝えた。そしてすぐに、情報を修正した。

「いえ、太平洋上のギガンテスが確認できました。
 発生箇所は2、それぞれ東と西に向かっています。
 推定上陸地点は現在割り出し中!」
「……こっちに来るのか」

 また単独迎撃か。それを後藤が考えた時、さらなる報告がスタッフから上げられた。

「大西洋上にもギガンテスが確認されました。
 真っ直ぐ、北東に向かっているそうです。
 推定上陸地点はブリストル方面です。
 襲撃数は3、過去の亡霊は見つかっていません」
「太平洋上のはどうだっ!」

 襲撃数が3程度なら、とりあえず大西洋は忘れることが出来る。そうなると問題は、太平洋を襲ってくる奴だった。

「情報が出ました!
 襲撃地点は、サンノゼとフィリピンです。
 フィリピンはマニラが侵攻線上にあります。
 襲撃数はいずれも3程度です。
 襲撃までは、いずれも8時間程度の猶予があります」

 襲撃規模、そして場所と余裕時間。それを聞いた後藤は、問題がないことにほっと胸をなでおろした。今の戦力なら、3箇所同時侵攻程度が問題となることはないし、しかも襲撃規模も小規模なものだった。完全復活には程遠いが、碇シンジが復活した今、日本基地にも死角は無くなっていた。

「パイロットはどうなっている」
「碇シンジ、堀北アサミはS高に居ます。
 今、迎えのヘリが向かっているところです。
 遠野マドカ他4名はは自宅に戻っています。
 こちらは、警察の協力を借りて基地まで移動中です」

 日本からフィリピンまで、高速キャリアを使えば4時間。それを考えると、パイロットの集合も余裕を持って行えた。その意味で、初動はうまくいっていた。後は、再構築された迎撃体制が問題となってくる。

「これで、ほんとうの意味の揃い踏みになるか」

 日本単独、かつ英雄の復帰した迎撃が成功すれば、ひとまず安心することが出来る。この戦いが一つの山だと、後藤が考えたのも当然のことだった。



 迎えに来たヘリに乗ったところで、シンジとアサミはギガンテス襲撃の詳細を知らされた。世界3箇所同時襲撃ではあるが、襲撃箇所に偏りがないこと、そして襲撃規模がそれぞれ3と小さいことに二人は安堵した。過去の亡霊が居ないことが確認されたのも、気持ちを楽にする効果があった。これで、イレギュラーを考えなくても良くなったのだ。

「フィリピンだと、移動時間はおよそ4時間ですか。
 これからだと、戦闘開始は日本時間で午前2時過ぎになりますね」
「また、夜の戦いか……
 贅沢を言っちゃいけないんだろうけど、明るい時にしてほしいな」

 戦闘のストレス、そして不規則な睡眠。それが疲労として蓄積して居るのを感じていたのだ。その問題を考えると、明るい時とシンジが言いたくなるのも仕方の無いことだった。
 だが、人の都合など考えないのがギガンテスだった。その意味で、戦いが夜になるのは嫌がらせとしては十分だろう。もっとも、カサブランカの戦闘開始時刻は午後6時だし、サンディエゴにいたっては午前11時と言う好条件だった。ただ11時の戦いとなるサンディエゴにしても、午前3時に叩き起こされることを考えれば、必ずしも好条件とは言えないのだろう。

「時間的には、仮眠をとるかどうかとても微妙ですね。
 週末の夜と考えると、午前2時ならみんな起きている時間だと思います」
「そろそろ寝る時間ってところかな。
 とれるんだったら、移動中に仮眠をとった方がいいと思うよ。
 戦闘終了から後片付けが終わるまでを考えたら、徹夜に近くなるからね」

 シンジの意見に、アサミは素直に「そうします」と答えた。

「でしたら、現地への到着を少し遅らせましょう。
 2時間前に目を覚ませばいいですから、1時間ほど基地で待機ですね」
「だったら、シャワーでも浴びておくかな」

 早くても、日本に帰ってくるのは土曜の午後になる。それを考えると、さっぱりとしておいた方が良さそうに思えるのだ。

「そうですね、その方が仮眠も取りやすくなると思います。
 基地についたら、玖珂さんに出発予定時刻を連絡することにします」
「ありがとうアサミちゃん」
「どういたしまして」

 そう言って顔を見合わせて笑った時、窓からS基地の明かりが見えてきた。もうまもなく、基地に降りて出発準備をすることになる。

「いよいよなんだけど……
 でも、ギガンテスの襲撃が今日でよかったよ。
 これで、アサミちゃんの誕生日がゆっくりお祝いできるね」
「先輩のプレゼント、楽しみにしていますよ」

 なにかなぁと嬉しそうに言うアサミを見ていると、自分まで幸せな気持ちになってしまう。ようやく恋人になれたのだと、シンジはアサミを見て喜んでいた。
 ただ、ちゃんと大人のキスは出来たが、その先まで進めていない。こんどこそはと、密かに闘志を燃やすシンジだった。

 空を使ったおかげで、シンジ達が基地に一番乗りだった。そこから車でロッカールームまで運ばれた二人は、出迎えた玖珂に出発時間を告げた。出発時間を確定することで、すべての作業のスケジュールが決まってくる。

「移動時間を仮眠に当てることにします。
 現地到着を、襲撃予想時刻の2時間前においてもらえるでしょうか?」
「2時間前ですか……」

 時計を確認した玖珂は、二人に了解したことを告げた。2時間前ならば、アクシデントがあっても対処できるし、出発まで十分に時間をとることが出来ると考えたのだ。台東と同じく微妙な待機時間なのだが、状況がその時とはまったく変わっていた。

「バックアップ部隊を先行させておきます。
 戦闘地域の確認を彼らに行わせておきましょう」
「そうですね、衛宮さん達によろしくお願いしますと伝えてください」

 戦いからイレギュラーを排除するためには、可能な限り条件を良くする必要が有る。4本足で歩くギガンテスに比べ、2本足のヘラクレスの動きは足場に左右されることが多い。それを考えると、事前の現地確認作業は念入りに行なっておく必要が有る。場合によっては、迎撃作戦自体を見なおす必要が出ることも有ったのだ。

「じゃあ、僕達は一度シャワーを浴びてから着替えをします。
 全員揃ったところで、出撃前のミーティングを行おうと思っています」
「そうですね、そろそろ白バイ組が到着すると思うのですが……
 ほら、噂をすればなんとやらですね」

 玖珂がそう口にした時、どたどたと言う足音と同時に、控え室の扉が乱暴に開かれた。やはりと言うのか、そこに居たのは元気印の遠野マドカだった。家の手伝いをしていたのか、マドカは私服の上にエプロンをしていた。
 マドカの顔を見たアサミは、すでに決めておいた行動予定を説明した。

「遠野先輩、出発までに時間がありますから、着替えの前にシャワーでも浴びておいてください。
 全員が集合したところで、今回の作戦を説明したいと思います」
「了解、確かに汗っぽくなっちゃったからね!
 ナルちゃん、先にシャワーを浴びたらって」

 台東の時に比べて、雰囲気はずっと良くなっている。それに気をよくしたマドカは、遅れて入ってきたナルに、シャワーを浴びようと声を掛けた。

「そうね、これから長丁場だから浴びといた方が良さそうね。
 と言う事らしいわよ、ユイちゃん」
「私は、練習後に風呂に入って汗を流したのだが……」

 少し言葉を濁したユイだったが、まあ良いかとすぐにシャワーを浴びることにした。いつも寝る前にお風呂に入り直しているのだから、ここでシャワーを浴びても良いだろうと考え直したのである。
 同じように入ってきたキョウカにも、マドカはシャワーを浴びたらと声を掛けた。

「それは構わないが、みんなお腹は空いていないのか?
 俺は、いざ晩飯と言うところで緊急呼び出しを受けたんだ」
「そう言われれば、確かに晩ご飯の時間ね……」

 キョウカに言われて、マドカもお腹の具合に気がついた。

「玖珂さん、出撃前に軽食を用意して貰えますか?」

 キョウカの言葉に、アサミも食事の必要性を認めた。時間に余裕があるのなら、ちゃんとお腹を満たしておく必要がある。さもないと、味気のないブロック食をコックピットで食べることになってしまうのだ。出撃までの時間を考えると、軽くなら食事をしている時間を取ることも出来る。

「確かに、腹が減っては戦は出来ぬと言いますからね。
 大した物は用意できませんが、すぐに準備させましょう」
「と言う事なので、僕達も汗を流してこようか」

 すでにジャージに着替えたアキラに向かって、シンジはロッカールームを指さした。

「なにか、そうした方が良さそうですね……」

 出撃前の興奮で、アキラは空腹を感じていなかった。だが改めて考えてみれば、しばらくまともな食事が出来ない事になる。夕食前に出てきたことを考えると、確かにここで食べておいた方が無難だった。
 それを考えたら、言われたとおり夕食を食べたほうがいい。シンジに誘われるまま、アキラはもう一度ロッカールームに入っていった。



 日本時間の午後8時に、S基地の保有するキャリア7機が南の空に向けて出発していった。これからおよそ4時間のフライトの後、ルソン島中央部の太平洋側に到着する。戦闘予想地点は平地の少ない海沿いの山間部だが、山を越えて40km西に行けば1千万を超える大都市圏が存在していた。山火事の発生を含め、小さなミスが大きな被害を生みかねない場所でもあったのだ。

「前は海、後ろは山、そして山を越えればすぐマニラって……
 けっこう、戦いにくい場所ね」

 出撃していったキャリアの光跡をを見ながら、神前は大変ねと小さく呟いた。戦闘エリアが狭く、背後には障害物が立ち塞がっている。襲撃数こそ3と少ないが、どう見ても戦いにくいとしか思えなかったのだ。盾を持った守備隊を配置するにしても、前線と守備隊の距離がとれないのも問題だった。

「それで、作戦はどうなっているの?」

 これまでの戦いでは、こんなに地理的条件の悪い場所は無かったはずだ。それを考えると、今までとは違った対応が必要になってくると考えられる。
 そのことを問題とした神前に、後藤は少しだけ目元を反応させた。

「なに、一応作戦ぐらいはあるんでしょう?」

 痛いところを突いたのかなと考えた神前に、「当たり前だろう」と後藤は苦笑混じりに答えた。

「だったら、何を気にしているの?」
「いやなぁ、何か手のひらの上で踊らされていると言うのか……」

 ふっと小さく息を吐き出した後藤は、「作戦マニュアル」の存在を口にした。

「ちゃんと、この状況も想定されていたんだよ。
 対処方法としては二つ、
 まず一つ目は、ヘラクレスに反応するギガンテスの特性を利用して、
 戦いやすいところまで誘導するという物だ。
 そしてもう一つは、海に入れる状況であれば海に入るという物だ」
「しかし、本当に至れり尽くせりね。
 それで最初のは分かるけど、海なんて入って良いの?」

 神前の記憶にあるのは、ニューヨークの決戦の事だった。その戦いでは、英雄様の操るヘラクレスが、抵抗も出来ないまま海中に引きずり込まれていたのだ。それを考えると、海に入るのは自殺行為としか思えなかった。
 そんな神前に、「だよなぁ」と後藤は浮かんだ考えを肯定する言葉を口にした。後藤としても、海は鬼門だと考えていたところがある。特にシンジの状態を考えると、海での戦いは避けるべきだと考えていた。

「3体ぐらいなら、問題になることは無いと言われたよ」
「言われたって、誰に?」

 作戦を考えた英雄様は、もうこの世界に存在していない。だとしたら、誰が作戦を肯定したのだろうか。それを疑問に思った神前に、後藤は肯定したのが誰かを教えることにした。

「パイロット達だよ。
 碇シンジ、遠野マドカ、鳴沢ナルの3人と、指揮担当の堀北アサミだ。
 考慮すべきは遠距離からの加速粒子砲で、接近戦になったら陸に上がれば良いと言ってくれた。
 後ろが山なら、ギガンテスの行動を牽制する必要も無いと言われたよ。
 よほどのミスをしない限り、3体なら上陸と同時に仕留められるそうだ」
「3体ならって、時代が変わったのね……」

 1年前までは、同規模の襲撃でも、周辺に多大な被害を出しつつ撃退したのが限界だったのだ。少しでも条件が悪いと、パイロットにも被害が出ていたのが実態だった。
 それが今は、3体程度なら仕留めるのは難しくないと言われるようになったのだ。時代が変わったと神前が言いたくなる気持ちも、十分に理解できる物だった。

「ああ、出撃前にシャワーを浴びて、夕食を取ってから出撃してくれたよ。
 まあ時間だけは長丁場だから、食事を取ること自体適切だと言えるのだが……」
「よくもまあ、戦いを前に食べるものが喉を通るって所かしら?」
「緊張感が無いと言うのとは違うんだよなぁ」

 そのあたりが理解できないとぼやく後藤に、神前は心配するなと声を掛けた。

「あなたより若い私だって理解できていないわよ。
 あの子達にとって、パイロットがジャージ部の延長ってのがよく分かるわ」
「碇シンジを除けば、他基地より適性は低いぐらいなんだがな。
 いったい、この安心感はどこから来ているんだ?
 俺は、そのことが不思議でならないんだよ。
 1ヶ月前は、この先どうなるのかと思っていたぐらいなんだぞ」

 その頃は、まだ碇シンジが復帰できるめどが立っていない時期だった。違いと言えば、碇シンジの復帰なのだが、それだけが理由とはとても思えなかったのだ。

「あの二人の仲が修復……と言うのも少し違うか。
 ノルマンディーの逆襲を無事乗り切ったってのが大きいんじゃ無いの?
 単独で14番目を倒す戦力と、3基地の戦力を統率できる頭脳。
 それが日本に揃っているから、安心感って奴が生まれたんだと思うわよ」
「4本柱がしっかりしているのが理由なんだろうな。
 後は、碇シンジはまだまだ強くなると言う期待か」

 今でも十分な戦力を有しているのに、時間とともに強化されていくのが分かっている。それを思うと、安心感があるというのもうなずけることだった。

「あと6時間で、新しい力の確認が出来るわね」
「帰ってきたら、マスコミがうるさく言ってくるのかな」

 それまでの出撃では、必ず帰ってきたところで簡単な記者会見が行われていた。それを考えると、今回の戦いでも同じ事を要求されるのだろう。基地関係者では納得して貰えないので、パイロットの出席が必須となっていたのだ。

「あの二人でも出しておけば良いんじゃ無いの?」
「今の碇シンジに記者会見は期待できないからな……
 かと言って、顔を出させないと文句が出るだろうな」
「まあ、彼は注目の人だからね……」

 世界を絶望にたたき込んだクリスマス・イブの悲劇から2ヶ月以上過ぎたが、未だ碇シンジはマスコミに顔を出していなかった。台東、ノルマンディーとも、戦い後の記者会見は見送られていた。そのため、マスコミ各社からの突き上げが始まっていた。
 露出という意味では、すでに「ヒ・ダ・マ・リ」に出演している。ただ、それでは不足と考えてもおかしくなかったのだ。彼らが安心するためにも、パイロットとしての碇シンジの言葉が必要なのである。そのためにも、記者会見への期待が大きくなっていたのである。

 ただ問題は、今のシンジに記者会見が期待できるのかと言うことだった。だからこそ、後藤もアサミとセットにすることを考えたのである。



 現地時間の深夜1時に、ルソン島での戦いは始まった。いつもの通りに海の上を浮上して侵攻してきたギガンテスは、ヘラクレスを認識したところで先制攻撃を仕掛けてきたのである。フィリピン空軍の支援攻撃は行われたが、残念ながら今回は効果を発揮しなかった。
 ギガンテスから放たれた加速粒子の光は、予定通り海岸線に配置された支援部隊の盾で遮られた。白い光をまき散らした攻撃は、きっかり5秒が経過したところで終わりを迎えた。そして加速粒子砲を放ったギガンテスは、加速をして待ち構える3体のヘラクレスへと突進してきた。

 腰の所まで海につかっていた3体は、先制攻撃がやんだところで砂浜へと上陸した。ここから先は格闘戦となるため、少しでも足場の良いところを確保しておく必要があった。そして足場さえ確保してしまえば、3体程度のギガンテスは敵では無かったのだ。
 3機のフォーメーションは、左端にシンジ、真ん中にマドカ、右端にナルと言う物だった。連携に不安のあるシンジの影響を、出来るだけ軽くすることを目的とした布陣である。

 突進してくるギガンテスを、3人はそれぞれの方法で迎え撃った。飛び込んでくるタイミングを計り、マドカとナルの二人は左足を大きく振り上げた。そして振り上げた勢いそのまま、ギガンテスの頭に踵を振り下ろした。
 その動作で砂浜にギガンテスをたたき落とした二人は、ムンバイと同じ方法でギガンテスの背中を右足で踏みつけた。そしてそのまま踏み越える形で体重を前に移し、反り返ったしっぽを捕まえ、右足を支点にしてギガンテスの体を反対側に折り曲げた。接触から殲滅まで、1秒もかからない早業だった。

 一方シンジも、マドカ達と同じように足を振り上げた。だが僅かばかりタイミングを外したせいで、ギガンテスの頭を蹴り上げることになった。パワーだけは満点のため、頭を蹴り上げられたギガンテスは、シンジに対して無防備なお腹を晒すことになった。
 もっとも、この攻撃はシンジの意図したところでは無かった。そのため次の動作を考えておらず、せっかくのチャンスなのに、シンジは何の攻撃動作も起こさなかった。正直、何をして良いのか分からなくなっていたのだ。

 追撃が無いので、ギガンテスは空中で体勢を立て直すことに成功した。そしてちょうどシンジの目の高さのところで、食いつこうと大きな口を広げて見せた。
 その攻撃を両腕でしっかりと捕まえたシンジは、反射的にギガンテスをお腹から地面へとたたきつけた。ただ下が砂浜の為、この攻撃は大した効果を示さなかった。次にどうしようかとシンジが考えたとき、すでにギガンテスを仕留めたマドカから、「引き裂いたら?」と声が掛けられた。

「引き裂くって……」

 こうかなと両腕に力を入れたら、意外と簡単にギガンテスの顎力に打ち勝つことが出来た。それに気をよくしたシンジは、そのまま力を込めてギガンテスの体を引き裂いた。ただ両腕の延びる範囲だったため、開きと言っても途中までの中途半端な状態だった。ただ、そこまでされれば、さすがにギガンテスも復活しない。少ししっぽは痙攣していたが、その痙攣もすぐに収まってくれた。
 いささか予定とは違う形だが、これでギガンテスの撃破が完了したことになる。それを確認したアサミから、全員に作戦の終了が告げられた。

「ギガンテスの撃破が無事終わりました。
 遠野先輩、鳴沢先輩、碇先輩ご苦労様でした。
 支援に入った皆さんもご苦労様でした!」

 僅かな手違いはあったが、それが戦いにおいて大勢に影響することは無かった。そして結果だけを見れば、圧勝と言って差し支えの無い戦いだった。手違いに関わる問題にしたところで、経験不足が理由であれば、解消は比較的優しい物だと思われた。この時期において、戦力は順調な仕上がりを見せていると言って良いだろう。

 アサミのねぎらいの言葉に、出撃した16人は右手を挙げて「おー」と応えた。この辺りのノリは、これまで何度も繰り返したものである。同じように繰り返した物として、被害者ゼロもこれまで繰り返されていた。

「これで戦いは終わりました。
 後は、指示に従って撤収します。
 玖珂さん、撤収の指示をお願いします」

 これで帰れる。全員がそう思ったとき、今までに無く真剣な声で「申し訳ありませんが」と言う玖珂の声が聞こえてきた

「フィリピン政府から、外務省を通じて依頼が来ました」
「ここでも、なんですか?」

 記憶を無くしたシンジはぴんと来なかったが、アサミにはそれだけで玖珂の言いたいことが理解できてしまった。台東でこそ辞退できたが、ここで歓迎の式典が行われるのも当たり前のことだったのだ。シンジに問題があるという言い訳も、危なげの無い戦いの前には意味の無い物になってしまった。
 ここでもと言うアサミの言葉に、玖珂は申し訳なさそうにそれを肯定した。

「ええ、明日……本日の午後にも式典を開きたいそうです。
 そこさえ出席いただければ、それ以上は拘束しないと言うことです。
 急げば、土曜日中は無理でも、日付が変わる頃には日本に戻れるかと思いますよ」
「つまり、断る理由が無いって事ですよね」

 帰る日にこだわっていることは、玖珂も理解してくれているようだ。式典終了で解放して貰えるのも、外務省もその辺りを理解してくれたと言うことだろう。だからこそ、日付が変わる頃には帰り着けるという話に繋がってくる。そこまで配慮して貰ったのだから、歓迎を受けないと言う選択はとれないのだろう。
 しかも式典を午後に行うと言うことは、こちらの疲労も考慮してくれていると言うことになる。相手の気持ちも分かるだけに、アサミは大人しく指示に従うことにした。

「じゃあ、撤収はお任せすれば良いんですね」
「これから、60kmほど離れたところにあるマニラ空港へとお連れします」
「そこから先は、大使館の人が面倒を見てくれると言うことですか……」

 今まで通りなら、高級ホテルのスイートルームが用意されるのだろう。今までならば、間違いなくありがたい配慮に違いないはずだった。だが、今日に限ってアサミは後ろ向きな気持ちになっていた。ただ本人も、そんな気持ちになっているのを気づいていなかった。



 3体程度の襲撃であれば、今の日本ならばシンジ抜きでも乗り切ることは難しくなかった。その意味では、今度の戦いは勝利で終わって当然と言うところがあった。
 ただ日本単独、そしてシンジを交えた初めての作戦だと考えると、単なる勝利だけでは不足すると後藤と神前は考えていた。その意味で、今回の勝利は二人に安堵の気持ちを感じさせる物だった。

 細かな所にこだわるのなら、いくつか碇シンジの戦いには問題点が見つかっていた。ただ、その理由もはっきりしているし、解消に向けて努力している途中だと言うことで、さほど気にすることでは無いと思っていた。
 そして戦い方の問題以上に、碇シンジの力強さを感じた事は大きかった。多少の失敗ぐらいなら、実力でねじ伏せることが出来る。その事実は、これからの戦いに役立ってくれると思われたのだ。特に過去の亡霊が出現したとき、この力強さは間違いなく戦いに役に立ってくれるはずなのだ。

「この調子なら、今後ますます強くなってくれるわね」

 苦も無くギガンテスを引き裂く力強さは、間違いなく今のシンジだけが持っている物だった。それを確認できたのは、大きな意義だと神前は感じていた。神前は、その事実だけで肩の荷が下りた気持ちになっていた。

「確かに、今後強くなっていくのは間違いないのだろうが……」

 喜んだ神前に比べ、後藤の言葉は歯に物が挟まったような物だった。そして神前は、当然のように後藤の反応を問題とした。

「何よ、何か気になることがあるの?」
「いや、迎撃自体、これで大丈夫だと安心できたのだが……」

 う〜むと腕を組んだ後藤は、自分の中にある不安へと向き合った。

「本当に、このままうまくいってくれれば良いんだがな……
 なにか、その前にひと山ふた山有りそうな気がしてならないんだ」
「なによ、縁起でも無いことを言って欲しくないんだけど。
 そりゃあ、戦争は最悪の状況を想定して戦わなくちゃいけないのも確かだけど……」

 文句を言う神前を置いて、後藤は自分の席を立ち上がった。そして入り口近くにある給茶機まで歩いて行き、神前に希望はあるかと聞いた。

「そうね、まだ寝られそうに無いからブラックコーヒーを貰えるかしら。
 それで、あなたがコーヒーをいれてくれるなんて、一体どんな風の吹き回しなの?」

 ありがとうと後藤からコーヒーを受け取った神前は、それでと答えを促した。

「心配性と言われるのかもしれないが、色々と気になっていることはあるんだ。
 まず気になったのは、過去の観察記録に書かれた碇シンジの性格との整合性だ。
 控えめに言うなら、彼には慎重さに欠ける部分がある。
 今まではおっかなびっくりの所があったから、その欠点が表に出ていないだけなのかと思ったんだ」
「調子に乗って、ポカをするんじゃ無いかってこと?」

 神前の指摘に、後藤は「それもある」と肯定した。

「そのポカが、彼だけに止まってくれるのかも問題となる。
 去年の6月以来、日本は順調すぎるぐらいに順調に戦力増強を重ねてきた。
 そして戦いにおいても、見事としか言いようのない戦いを続けてきた。
 まだ精神的に未成熟な高校生ならば、図に乗ることがあってもおかしくないと思わないか?」
「自分の力を過大評価して、行動から慎重さが欠如するって事?
 でも、去年を見ている限り、そんな兆候はまったく見られなかったわよ。
 むしろ、細心の注意の元、大胆な行動に出ていると思うわよ。
 あなたの考えすぎじゃ無いの?」

 うまくいっていた実績を元に、神前は後藤の考えを「考えすぎ」と言う方向に持ってきた。
 そして後藤は、神前に指摘された考えすぎの可能性を否定はしなかった。ただ、それでも気になるのだと話を続けた。

「去年までは、碇シンジが全体の手綱を握っていたのだ。
 だが今年は、今まで手綱を握っていた彼では無くなっている。
 その影響がどこに現れるのかが、まったく分かっていないのが現状だ」
「でも、遠野マドカ、鳴沢ナルの二人はスポーツの経験が豊富よ。
 確かにいけいけどんどんな所はあるけど、意外に慎重なところもあるんじゃ無いの?」

 もう一度考えすぎを主張した神前に、確かにそうだと後藤はその主張を肯定した。

「それに、今は堀北アサミが碇シンジの手綱を握っているからな。
 そう言う意味では、浮かれた方向に流れるとは考えにくいのだが……
 ただ、堀北アサミについても不安なところが残っている」
「そう、一頃より落ち着いた表情をするようになったけど?」

 不安定さならば、台東直前が一番不安定だった。同様に不安定だったノルマンディー直前にしても、シンジの行動でその不安定さも解消されている。葵の口から、「リア充」と言う言葉が出るのにも気づいていた。そうなると、アサミに問題があるようにも思えなかったのだ。

「その辺り、俺が女心に疎いからと言うのもあるのだろうが……
 あれほど愛し合った男と同じ顔をした他人を、それほど簡単に受け入れられるのか?
 もともと同一人物なのは確かだが、今の碇シンジは間違いなく精神的に幼いだろう。
 このまま何事も無く、二人の仲は大団円を迎えると言うのは本当にあり得るのか?」
「……らしくないことを考えているって言ってあげたいんだけど。
 碇シンジの感情に問題は無いと思うけど、確かにそっちの方は大丈夫とは言えないわね。
 彼がこのまま地道な努力を続けてくれれば良いんだけど、
 調子に乗って回りの言葉に耳を貸さなくなったりしたら……」

 ううんと考えた神前は、「失望するわね」とアサミの感情を代弁した。

「碇シンジに、手綱を握られている事への反発とかも生まれるのでは無いか?」
「いつまで子供扱いするんだってこと?
 確かに、自信の付いてきた子供って、そう考える傾向があるわね。
 難敵14番目を自力で倒したことを考えると、かなり自分に自信を付けたと考えても良さそうね」

 不安を一つ一つ持ち出されると、神前も大丈夫とは保証できなかった。それどころか、失敗するビジョンならいくらでも浮かんでくれるのだ。必ず失敗する訳では無いのに、それだけで不安が増すから厄介としか言いようが無かった。
 特に体と心の乖離が大きいだけに、本当に大丈夫なのかと不安になってしまうのだ。

「でも彼女に拒絶されたら、彼もかなり落ち込むんじゃ無いの?」
「それはそれで悩ましい問題なのだが……
 子供の恋愛が、世界の守りに関係なんてして欲しくない」

 シンジが入れ替わったとたん、精神面での問題が噴出してくれたのだ。それを考えると、後藤が嘆くのも大いに理解できることだった。ただいくら嘆いても、現実を変える力はどこにも無かった。英雄碇シンジが健在なときに比べ、堀北アサミの存在感が増してしまったのも問題だったのだ。

「それで、何か対策はあるの?」
「有るんだったら教えて貰いたいぐらいなんだが……
 どこかで、うまい具合に失敗させるというのが一番薬になるのだが……」

 そんな良い方法があれば、誰も苦労などしていないだろう。しかも問題が顕在化していないのだから、思い切った対策も取りにくくなってしまうのも確かだ。そうなると、本当に打てる手が限られてくるのが問題だった。しかも打つ手と言っても、アサミと話をするぐらいしか無いのも問題としか言いようがない。よりにもよって、相談相手が問題を抱えている本人だったのだ。

「年齢が近いから、葵に探らせたら良いんじゃ無いの?」
「それぐらいしか、今のところ出来ることは無いのだろうな。
 これが、俺の杞憂だったらありがたいんだがな」

 嫌な、そして不吉な予感ほど当たりやすい。この仕事をしていて、つくづく嫌になると後藤は諦めていたのだった。







続く

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