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 S市に帰った翌日、寝不足の頭でシンジは妹と一緒に高校への道を歩いていた。至るところで「昨日は凄かったね」と言う声を掛けられ、「お休みにしなくていいの?」とも何度も聞かれた。その一つ一つに、「大丈夫ですよ」とシンジは答えていった。

「でも、本当に休まなくてもいいの?
 いくら若いって言っても、体力は無限に続くわけじゃないわよ」

 そう言って心配する妹に、シンジは「注意はしている」と答えた。

「一応、手抜きをすることも覚えたからね。
 みんなに分からないように、所々で休んでいるよ」
「だったらいいんだけど……」

 それでも不安を拭い去ることは出来ず、レイは不安そうな顔をお兄様へと向けた。だが本人が気をつけていると言う以上、それ以上レイも注意をすることは出来なかった。それならせめて食べるものだけでもと、精の付く晩御飯を考えることにした。

「それで、今晩は篠山さんのお通夜に行くの?」
「S高に多大な寄付をしてくれているからね。
 生徒会として、お通夜に顔を出す必要が有るんだよ」

 そして明日が告別式に顔を出す事になる。それを考えると、本当に休む暇も無くなっていた。しかもちょうど2週間後には、「ヒ・ダ・マ・リ」のクリスマス特番まで控えている。本当の問題が体に無いことは分かっていても、もう少し気を使えとレイは強く主張したかった。

「それで兄さん、あっちの方は大丈夫なの?」
「あっち……ああ、あっちのことだね。
 あれ以来、記憶が途絶えてはいないと思うんだけど……」
「だったらいいんだけど……」

 こればかりは、常に注意を払っている必要があったのだ。もっとも、注意していたからと言って、自分に何かが出来る訳ではない。ただいざという時の備えと、事故とかの不測の事態を防ぐことが出来ると考えていた。

「それで兄さん、今日はこれからどうするの?」

 今までならば、ジャージ部に顔を出しているところだった。だが生徒会会長と言う役目も有るため、どちらにするのかと聞いたのである。

「お通夜のこともあるから、生徒会に顔を出すことにするよ。
 多分、先輩達も今日はお疲れモードだと思うしね。
 篠山にしても、今日明日は学校に来られないだろう」

 他にも部員には、ユイやアキラ、そして花澤キラがいる。彼らを気にしないのは可哀想だが、それもしかたがないとレイは触れないことにした。

「じゃあ兄さん、今晩は精の付く晩御飯にするからね。
 義姉さんと一緒に帰ってきてね」
「体調的には胃に優しいものの方が良さそうなんだけど……」
「昨日からバタバタして、あまりちゃんと食べていないんでしょう?
 だから今晩は、ガッツリとしたものをお腹の中に入れること!」

 それが本当に良いことなのか分からないが、妹が張り切っている以上、水を差すこともないのだろう。「期待しているよ」と残して、シンジは2年の下駄箱へと歩いて行った。

 シンジが生徒会に顔を出した時、すでに副会長の滝川が役員たちと打ち合わせをしていた。そこに入ってきたシンジに、全員が「まさか」と驚いた顔をした。

「会長、午後からだと思っていましたよ」
「そうは言っても、公休届けを出していないしね。
 それに、今日は何かと忙しいのは分かっていたからね」

 だから朝一から来たと言うシンジに、滝川は「いやいや」と首を横に振った。

「そのために、僕が居るのを忘れていませんか?
 会長が休むのを前提に、色々とお膳立てをしていたんですよ」
「滝川君に頼ってばかりじゃ悪いからね。
 あっ椎名さんありがとう……って、なんで栄養ドリンク?」

 飲み物を出してくれたのは嬉しかったが、なぜかそれが栄養ドリンクだった。さすがにこれはないだろうと言うシンジに、「お疲れのようですから」と椎名マフユは口元をお盆で隠して言った。

「もしかして、赤まむしの方が良かったですか?
 それとも、マカビンビンの方が良かったとか?」
「赤まむしはまだ分かるけど、もう一つのは意味が分からないんだけど……」

 お盆越しにマフユが赤くなっているのを見ると、恐らくきわどい方向なのだろう。なぜそれを知っていると聞きたい誘惑があったのだが、話がおかしくなると自重することにした。そしてその代わり、わざわざ顔を出した理由に踏み込むことにした。ちなみに栄養ドリンクは、ありがたくいただくことにした。

「滝川君が居るということは、篠山さんのことが伝わっていると思っていいんだよね」
「まあ、あの篠山さんですからね。
 S高として、どうしたら良いのか顧問の先生に聞いて来ましたよ」
「それで?」

 先を促したシンジに、「対応は二つ」と滝川は二本指を立てた。

「明日11時からの告別式のために、その前後の授業を休みにするそうです。
 強制ではありませんが、できるだけ多くの生徒に出席するよう指導するということです。
 それから今日のお通夜ですが、生徒会役員が代表して行くことになっています。
 まあ、会長に行ってもらえば、恐らくそれで用が足りるのでしょうけどね。
 それで、ジャージ部の皆さんはどうするんですか?」

 S高を代表するものとして、もう一つジャージ部と言う重要な存在があった。いずれにもシンジが関わっているし、篠山の跡取り娘もジャージ部に在籍している。それを考えれば、滝川がジャージ部を気にするのも当然の事だった。

「今晩のお通夜には、全員が出席するよ。
 明日の告別式も、余程のことがない限り全員が出席だね」
「すると、生徒は生徒会役員とジャージ部ですか。
 総勢12人となると、マイクロバスを頼んだ方が良さそうですね。
 鎖部君、手配は頼めるかな?」
「問題ない、タクシー会社に話は通してある」

 男のくせにと言うのは偏見かもしれないが、鎖部サモンは女性よりも長い髪をポニーテールのように纏めていた。これで女顔をしていたら、男装の麗人と言うところだろうか。ただ多少ゴツい顔つきのため、残念ながら麗人と言うレベルには届いていなかった。

「お通夜は6時からという連絡が来ています。
 5時半にここを出れば、十分に間に合いますね。
 それから鎖部君、黒い腕章と数珠の準備も大丈夫かな?」
「ああ、万全だ!」

 そこで、ぐっと親指を立てられると、どこか違うのではと言いたくなる。だが突っ込みたい誘惑を抑えこみ、シンジはジャージ部への伝達事項を確認した。

「僕は、それまでにジャージ部員をここに連れてくればいいのかな?」
「そうですね、その方が僕達が行くのよりも確実でしょう。
 それから来週土曜日の終業式ですけど、挨拶の原稿を作っておきますか?」

 そう言われて、土曜日が今年の最終日だったことを思い出した。そうなると、生徒会長として挨拶する必要がある。

「そう言えば、すっかり終業式があるのを忘れていたなぁ」
「まあ、会長はお忙しいですからね。
 明日も、生徒代表で挨拶させられるんじゃありませんか?
 すみませんが、そちらの挨拶はご自分で考えてください」
「篠山さんとの関係を考えると、僕が考えた方が良さそうだね。
 じゃあ悪いけど、終業式の挨拶原稿を作って貰えるかな?」

 ドタバタしているせいか、色々なものが抜け落ちてしまっていた。これからの時間を考えると、任せられるものは任せた方が良さそうだった。

「原稿の件は了解しました。
 それで会長、挨拶は派手な方が良いですか?」
「いやいや、僕の性格からすれば地味に落ち着いたものだろう」

 それが自分の本質と答えたシンジに、居合わせた役員全員が「うそっ」と言って腰を浮かせた。なぜそうなると拗ねたシンジに、滝川が代表して認識を正した。

「あんな派手なことをする人が、地味だなんて言わないでください。
 それに、堀北さんを彼女にした時点で、地味と言う主張は破綻していますよ。
 会長、ご自分がどう見られているのか自覚すべきだと僕は思いますよ」
「い、いや、僕としてはっ!」

 その決めつけは無いだろう。そう抗議しようとしたシンジを、滝川は右手を差し出して制止した。

「本件については、会長が何を言っても無駄ですよ。
 心配しなくても、たかが終業式の挨拶です。
 記者会見に比べれば、たいしたことは言わせませんよ」

 ちくちくと否定できないことをあげられ、シンジは滝川に反論できなくなってしまった。そうやってシンジを黙らせた滝川は、「解散しましょうか」と全員に声を掛けた。

「会長が来てくれましたので、話が早くまとまりました。
 他に懸案事項は無いので、今日はここまでにしておきましょう。
 皆さんは、5時過ぎには生徒会室に集まってください」

 以上ですと纏めたあたり、確かに滝川は優秀なのだろう。それを認めはしたが、シンジとしては色々と不満の残る部分もあった。だが敵もさる者で、シンジに反論の機会を与えてくれなかった。

「会長、戸締まりしますから早く出てくださいね」

 そうやって追い出されてしまうと、文句を言っている暇も無くなってしまう。会長に対する尊敬はどうなっていると考えながら、シンジは生徒会室を出て行かされた。

 そこから部室に寄るのも時間が無いと、シンジは直接教室に行くことにした。アサミとはお昼ご飯で逢うし、先輩二人には放課後に伝えれば良いと考えていた。それに昨日の今日だから、多少のサービスは必要かと考えたのだ。
 だがシンジの覚悟に反して、教室は至って平穏無事だった。そこで先に教室に戻っていたユイに、部室はどうだったかを尋ねることにした。ちなみにユイは、アイリで欠員が出たため、人数あわせの意味も含めてシンジと同じクラスに編入していた。

「高村さん、部室には先輩達は来ていたの?」

 シンジの質問に、ユイは小さく首を横に振った。

「今日来ていたのは、私と大津、それに花澤ぐらいだ。
 さすがに、先輩達や堀北は疲れているのだろう。
 そもそも私は、碇が学校に来ているとは思っていなかったのだぞ」
「どうして、学生が学校に来て不思議がられるんだろう……」

 生徒会室と同じ反応に、シンジは「なぜ?」とユイに疑問をぶつけた。
 だが「なぜ」を聞かれたユイにしてみれば、その疑問自体が不思議なものだった。休みの日曜日に、あれだけの死闘を繰り広げ、なおかつ公式行事までこなしてきたのだ。いくら勉強が本分と言われても、出てくる方がおかしいと思っていた。むしろ、体を休めることこそ必要なことのはずだった。

「碇、いくらお前がスーパーマンでも、ここは休むところだと思うぞ。
 それにお前だって、かなり疲労がたまっているのでは無いのか?
 その証拠に、昨日は戦いが終わったところで倒れたでは無いか。
 お前が倒れた瞬間、基地が大騒ぎになったのだぞ。
 あの冷静沈着な後藤特務一佐ですら慌てられたぐらいだ。
 お前がどれだけ重要な役目を果たしているのか、それを理解して貰わなくてはこちらが困る」
「あ、あれは、一応反省して昨日は帰ってすぐに寝たんだけど……」

 詳しい事情を言うわけにもいかず、シンジは少し苦しい言い訳をした。ユイの言うとおり、シンジの体はシンジ一人だけの物では無い。無理をした結果は、それだけS基地に返ってくることになる。その意味で、ユイの主張は正当性を持ったものになっていた。

「とにかく、お前がS基地の大黒柱なのだからな。
 自分一人の体じゃ無いと思って、体をいたわるのを忘れないことだ。
 そうじゃなくても、これから年末年始に向けて忙しくなるだろう?」
「まあ、忙しいと言っても、ほとんどが遊びだからね……
 高村さんが言うとおり、冬休みはゆっくり体を休めることにするよ」

 そうでも言わないと、大人しく解放してくれなさそうだ。それを計算したシンジに、「それならばいい」とユイは引き下がった。だが体のことでは引き下がってくれたが、まだまだシンジを解放してくれなかった。

「しかし碇、私はお前に心からの感動と言うものを教えて貰った。
 あんな絶望的な戦いなのに、お前は人々の心に希望を灯し、
 あまつさえ、見事ギガンテスを撃破して見せたのだ!
 将来に繋がる戦い方も、見事としか言いようが無かった!」

 「凄い」と感動するユイに、シンジは微苦笑を浮かべて、次のことをユイに話した。

「次に僕達が出撃するときには、高村さんにも出撃して貰うからね。
 たぶん今の高村さんなら、倒せないまでも、ギガンテスの相手をすることが出来ると思うんだ。
 少し事情が変わったから、大津君とコンビを組むのも良いかもしれないね」
「大津とか……」

 う〜むと考えたユイは、「まだまだ頼りない」とアキラのことを評した。

「9月に比べれば、かなり体力は付いてきたと思う。
 体もそうだな、一回り大きくなった感じはするのだが……
 まだ、考え方に芯が出来ていないというのか、どうしても頼りなく感じてしまうのだ」
「まあ、3ヶ月やそこらで化けると考えるのがおかしいしねぇ。
 それでも、何かきっかけがあれば、彼も自覚が進むんじゃ無いのかな?」
「だからと言って、ショック療法は無しで頼むぞ。
 私達は、そこまでするほど追い詰められていないはずだからな」

 M市の戦いに出撃させなかったのだから、ユイの主張は正当なものに違いない。そのおかげで悔しい思いもしたのだが、本部の特等席で戦いを見せられ、連れて行ってもらえない事情も理解できたのだ。あの場に居たら、間違いなく舞い上がって、何も分からないうちに終わっていたことだろう。
 ただユイの言う「追い詰められていない」と言うのは、シンジにとっては違う意味を持っていた。

「そのあたりは、徐々にと考えているよ。
 ただ、早く3人を4人にしたいと思っているんだけどね」
「文句を言っていてなんなのだが、そのあたりは慎重にお願いする」

 確かにずいぶんと変わったなと思ったところで、教室に担任が入ってきた。それを見たシンジは、すかさず全員に号令を掛けた。その瞬間、クラスの中を爆笑が包んだ。

「碇、張り切っているところを悪いが、お前は生徒会長であってクラス委員じゃ無いだろう。
 まあ、1年半続けた習慣だから、間違えるのも仕方が無いのかもしれないがな」

 そう言って笑った担任の室伏は、クラス委員の釜利谷とユイに、「今日はどっちだ?」と声を掛けた。

「先生、私が当番でした。
 碇が号令を掛けたので、つい自分の役目を忘れてしまいました」
「まあ、碇の方が年季が入っているから仕方が無いだろう」

 そう言った室伏に、ユイは恐縮しながら「起立」と号令を掛けた。まだ教室のあちこちで忍び笑いは残っていたが、全員ユイの言葉に従って立ち上がった。
 そして恙なく朝の挨拶も終わったところで、中間考査の結果を渡すと室伏は言った。その言葉を受けて、教室の至る所から「え〜」と不満の声が上がった。その不満を手で制し、室伏は名簿順に生徒を前に呼び出した。そしてシンジに対しては、「完全に準備不足だな」と言って、信じられないほど落ちた成績表を渡した。言われたとおり、前回に比べて50番ほど全校順位が落ちていたのだ。平均で10点以上悪くなっているのだから、落ち方の極端さが分かるというものだ。

 それを室伏達教師は、シンジの多忙さに理由を求めた。生徒会長に世界のエースパイロット、そしてジャージ部部長とこなしているのだから、学業がおろそかになっても仕方の無いことだと思っていたのだ。
 だがシンジは、その程度のことで成績が悪くなるとは思っていなかった。普段通りに勉強して、普段通りにテストに臨んだつもりで居たのだ。だが結果は、今までに無い惨憺たるものになっていた。
 かなりのショックを受けたシンジに、「次はがんばれよ」と室伏は次の生徒に成績を渡した。

「なんだ碇、成績が落ちたのがそんなにショックだったのか?」

 まさかテストぐらいで、シンジが青くなるとは思って居なかったのだ。だからユイも、珍しく軽い調子でシンジのことをからかった。そこでユイにとって予想外だったのは、シンジが答えに詰まったことだった。何かを言おうとして思いとどまった、ユイの目にはシンジの態度が不自然に見えていた。

「どうかしたのか?」
「いや、予想外に悪かったからね。
 こんな成績を見たのは、高校に入って初めてだったんだ……」

 う〜むと悩んだシンジに、「たまには、そう言う事もある」とユイは慰めた。そしてその方が安心できると、慰めの言葉を続けた。

「あまりに完璧超人だと、近くに居るのも恐れ多いからな。
 やっぱり碇も人間だったんだとこれでよく分かった。
 碇、聞いているのか?」

 自分の言葉に反応しないシンジに、拗ねたのかとユイは苦笑した。結構子供っぽいところもあるのだなと。

「あっ、ああ、ごめん、ちょっと聞いていなかった。
 それで高村さんは、なんて言ったんだ?」
「まあ、たいしたことじゃ無いので聞き直さなくても良いぐらいのことだ。
 そろそろ私の順番なのだが、この調子だと碇に勝つことが出来るのかな。
 うむ、それはそれで感慨深いことだな!」

 そう言って口元を歪めたところで、担任がちょうどユイの名前を呼んだ。「首を洗って待っているのだな」と言い残して、ユイは担任の所へと歩いて行った。

「やっぱり、もう駄目なのか……」

 ユイとの会話が途切れたのを、シンジは全く気づいていなかった。ただユイの反応から、また意識が途切れたのだと理解しただけである。こうしてはっきりと意識が途切れるようになったことは、破綻が近いことを知らせているのだろう。テストの成績が落ちたことにしても、記憶の障害が出た証拠なのだ。
 来るものが来た、恐れていたことが現実になった以上、正しい対処をとらなければならない。後藤に話さなければと、シンジは大切な人達との別れを覚悟したのだった。



 S市を支配する篠山家の当主夫人ともなれば、その葬儀が盛大なものになるのも当然だった。式場となった菩提寺である栄倉寺の入り口には、各界名士から送られた沢山の花輪が並び、弔問に訪れる客も途切れることは無かった。
 その中に、高校の制服を着た一団が混ざるのは、ちょっとしたミスマッチと言えただろう。普通ならば、もう少し早い時間に回され、本番を避ける所に違いなかった。

 だがその高校生に、ジャージ部が入れば事情が異なってくる。地方都市の名士あたりでは、完全にネームヴァリューで太刀打ちが出来なかったのだ。それこそ総理大臣クラスを連れてこなければ、ジャージ部に並ぶことも出来なかっただろう。だからシンジ達が現れたとたん、篠山家関係者が飛んできて、下にも置かない扱いをしたのである。
 しかも居並ぶ篠山関係者が、シンジ達に向かって深々と頭を下げてくれた。それが礼儀だとしても、篠山だと考えれば、異例なことに違いなかった。しかも案内の者は、並んだ弔問客を無視して、シンジ達を最優先で祭壇の前へと案内した。

「本日は、お忙しい中、妻のためにありがとうございます」

 シンジの顔を見たユキタカは、お礼を言って頭を下げた。そして隣に居たキョウカも、父親に倣って「ありがとうございます」と言って頭を下げた。二人に頭を下げてから、シンジはアサミと並んで祭壇でお焼香をあげた。祭壇に飾られた写真は、なるほどキョウカの母親だと思わせる、綺麗な頃のシズカの姿だった。
 シズカに向かって頭を下げたシンジ達は、案内の者に誘導され、寺に用意された特別室へと案内された。どうやら、そのまま返すつもりは無いようだった。

「レイちゃん、精の付く料理を作って待ってるって言ってましたね」
「晩ご飯はいらないって連絡した方が良いかな……」

 周りを見ると、仲間たちはしっかりと置かれた環境に萎縮してくれている。滝川や林水、そして藤乃が泰然としているのは、さすがと感心すれば良いのだろうか。

「さて滝川君、僕達は忙しいと言ってぶっちぎっても良いだろうか?」
「会長が立場を主張すれば、誰も反対できないと思いますよ。
 そう言うことなので、さっさとぶっちぎってくださいと言うところですか。
 僕としては、こんな居心地の悪い場所からすぐにでも解放して貰いたいですね。
 まあ、会長を人質に残して行くという手もありますけどね。
 そうすれば、誰の顔もつぶさないで僕達は帰ることができます」

 滝川の言っていることは、100%正解に違いない。どう考えても、彼らはシンジの巻き添えになったとしか思えないのだ。シンジをここに残す正当性を示すためだけに、生徒会役員まで招待された。それを考えれば、巻き込むなと滝川が主張するのも正当なものに違いない。ただ、自分を人質にしてほしくないとも思っていた。

「さて、これは篠山家ご当主の考えなのかな?」
「おじさまが、意味も無く先輩を巻き込むとは思えませんね。
 ちょっと、そのあたり探ってきましょうか?」

 そう言って立ち上がったアサミは、表では無く裏の炊事場の方へと向かっていった。明らかに、特定の誰かに狙いをつけた行動だった。
 それからしばらく待ったところで、フユミを連れてアサミが戻ってきた。なるほどそう言う事かと納得したところで、「ごめんなさい」とフユミが謝った。

「お察しの通り、碇君だけが居れば事が足りるわね。
 どちらかと言えば、堀北さんを含めて全員帰って欲しいって所かしら」
「それで、僕がぶっちぎったら何が起こります?」
「ご当主様に、誰かが難癖をつけるんじゃ無いのかしら?」

 はあっとため息を吐いたフユミに、シンジは「事情は理解しました」と答えた。

「つまり、積極的にぶっちぎっても問題は無いって事ですね」

 その程度の難癖など、ユキタカにしてみれば蚊に刺されたほども感じないだろう。

「私の立場は、それを肯定できないのよ。
 まあ、それが答えだと思ってくれれば良いわ」
「じゃあ、後藤さんに悪者になって貰いましょうか」

 そう言って携帯を取り出したシンジは、登録されている番号から後藤を呼び出した。そしていつかアサミがしたような脅迫を、今度は自分が後藤にしていた。

「ええ、後藤さんにお願いなんですけど、今すぐ緊急会議を入れて貰えますか?
 駄目だって言うのだったら、今後の協力について考えさせて貰いますが。
 一応確認しますけど、まさか駄目だとは言いませんよね?」

 電話の背景ノイズからすると、どうやら後藤は近くに居るようだ。それを幸いに、「すぐに来てくださいね」と言ってシンジは電話を切った。

「この前のアサミちゃんを参考にさせてもらったよ。
 と言うことで、僕が居なくなったら他の人たちが残る理由は無くなるんですよね?」
「たぶん、そう言うことになるんでしょうね」

 そこでフユミはなぜか滝川の顔を見た。それに答えて苦笑を浮かべたところを見ると、滝川にも心当たりがあるようだった。

「パイロット全員で居なくなるので、その他の人たちは各自考えて行動してください」

 シンジもまた、それを滝川の顔を見ていったのである。そのあからさまな態度に、滝川は苦笑を浮かべて「いやぁ」と人差し指で頬を掻いた。

「誤解しているようですけど、僕は篠山家とは関係がありませんよ。
 ましてや、鷹栖先輩に気を遣って貰うようなことはありませんから」
「だとしたら、誰にも遠慮はいらないってことかな?」

 よしよしとシンジが頷いたところで、特別室の入り口を開けて後藤が顔を出した。はっきり困った顔をしているのは、シンジの要求が堪えたのだろう。そしてその予想通り、後藤はシンジの顔を見ていきなり文句を言ってくれた。

「玖珂から話を聞いているが、同じ方法を乱用しないでくれ。
 玖珂の言うとおり、かなり心臓に悪いことが分かったからな」

 かなり真剣に文句を言う後藤に、シンジは笑いながら「許してください」と謝った。

「まあ、ここは事を荒立てないためだと思って諦めてください。
 後藤さんを理由にすれば、誰の顔もつぶさないで僕達は帰れますからね。
 ご当主様にけんかを売らなければ、基地としては何も困らないでしょう?」

 このあたりのことで、今更シンジをだますのは不可能になっていた。それもあって、後藤は素直にシンジの言葉を認めた。

「だからと言って、不要な諍いのネタを作るものじゃない。
 と言うことで、ギガンテス迎撃に関する緊急会議を招集する。
 議題は、通常兵器意を用いた、ギガンテス迎撃方法に関する他基地との意見交換方法だ。
 すぐに車を用意するので、俺の後に付いてきてくれ」

 以上だと宣言した後藤に、シンジは「了解しました」とかしこまって見せた。いささかわざとらしい演技なのだが、この場合それが求められていたのである。

「そう言う事なので、僕達は基地に向かわせて貰います。
 鷹栖先輩、篠山家の人たちに僕が謝っていたと伝えてくださいね」

 そう言い残して、シンジはジャージ部員を連れてさっさと特別室を出て行った。パイロットの職務を口実にすれば、誰もシンジの行く手を遮ることは出来ない。それを十分に理解した上での行動だった。
 それを見送った所で、フユミは「良かったの?」と滝川に聞いた。その問いかけに、至極あっさり「ええ」と滝川は返した。

「部外者が、いつまでも居るものじゃないでしょう。
 それに、碇君を利用しようという根性が卑しいと思っていますよ」
「まあ、それは確かなんでしょうね……」

 どんな事情があっても、滝川が部外者であるのは間違いではない。そして通夜の席に、部外者が居る事自体常識から外れている。

「そう言うことなので、僕達も帰ることにします。
 どうせ碇君の刺身のツマ、だれも僕達のことなんか気にしていないでしょう」
「まあ、悲しいほど真実と言うのは確かね。
 分かったわ、あなた達が帰ったことは私から連絡しておきます」

 ふっと小さく息を吐いたフユミは、「謝っておきなさいよ」と滝川にだけ聞こえるように言った。それに答えるように、滝川は「必要ありませんよ」と同じく小さな声で言い返した。

「残っていたら残っていたで、「何を勘違いしているのですか」と冷たく言われそうです」
「まあ、あの子なら間違い無くそう言いそうね」
「そう言う事です」

 これで話がついたと、滝川は「帰りましょう」と他の役員に告げた。

「主役が帰ったのですから、僕達も退散するのが礼儀でしょう。
 ここから先は、篠山関係者だけがいられる席ですからね」

 だから部外者はとっとと帰るべきだ。そう言って、滝川はさっさと特別室を出て行くことにした。

 緊急会議など無いのだから、パイロット達が基地に行くことはない。そのためアッシーにされた後藤は、「勘弁してくれ」とぼやきながら、6人を送っていくことになった。そこで最後にシンジが残ったのは、送っていく順番をシンジが指定したからに他ならなかった。

「ようやく、ゆっくり話ができるな」

 助手席から後ろに移った後藤は、椅子から身を乗り出してシンジのことを見た。その顔には、先程までの軽薄な笑みは無く、真剣そのものの表情があった。そして「話ができる」と言う後藤の言葉に、シンジも小さく頷いて同意を示した。

「でも、お陰で助かりましたよ。
 篠山のお家の事情に巻き込まれたくありませんでしたからね。
 まあ、ユキタカさんに勝てると思っている方が甘いんですけどね」
「その辺りは、ユキタカ氏を舐めているからだろう。
 S市の基地だって、絶対にここでなければならないと言う話ではないからな。
 移転してきて欲しい街など、それこそゴマンと日本にはある。
 マドカちゃん達の問題にしても、解決自体はさほど難しくない。
 そもそも彼を排除して、誰が篠山を引っ張っていくつもりなんだろうな」

 シンジの言葉を認めた後藤は、少し眉をひそめて「大丈夫なのか?」と聞いてきた。その問いかけに対して、シンジは答える代わりに質問を返した。

「ギガンテスの迎撃ですけど、かなり進歩したんじゃないでしょうか?
 ヘラクレスを使わない迎撃への道筋は、どれぐらいで付きそうですか?」

 自分の問いに答えないことで、後藤は予断を許さない状況になっているのだと理解した。だからこうして、自分と話が出来る状況を作ったのだと。篠山から逃げ出すだけなら、自分など利用しなくてもいいことは分かっていた。不自然に見えないよう、自分と話す機会を作っただけなのだ。

「各国が、色めき立っていると言うのが現実だな。
 君が立証してくれたおかげで、追加で様々な仮説が立てられるようになった。
 完全にヘラクレス抜きと言うのは無理でも、迎撃方法はかなり進歩することになるだろう。
 タイミングを間違えずにミサイルを叩きこめば、海上でギガンテスを撃破できるだろう」
「でも、加速粒子砲を撃ってこないとその作戦は使えませんよね。
 今までの襲撃でも、全部が全部海上で加速粒子砲を撃ってきたわけじゃない」

 M市の戦いで見つけた可能性には、当然条件が付いていた。それを指摘したシンジに、「だから知恵を絞っている」と後藤は答えた。

「過去、大小あるがいくつかの悲劇が発生している。
 その悲劇の原因となったのが、ギガンテスの加速粒子砲による攻撃だ。
 そこから導き出されるのは、奴らは都市破壊をする時、加速粒子砲を使うということだ」
「その仮説が正しいとしても、都市に大きな被害が出ることになりますね。
 やっぱり、何か加速粒子砲を撃ちたくなる餌が必要ということですか。
 まあ、一番固いのはパイロットの乗ったヘラクレスですね」
「現時点では、君の言うとおりなのだろう……
 過去の亡霊が出てこない限り、かなりの大規模侵攻でも乗りきれると言うのが今の分析だ。
 僅か半年前を思うと、隔世の感があるな」

 その功績のすべてが、シンジに有ると言って間違いない。既存基地のパイロットを鍛えたことや、同調率の低いパイロットへの訓練方法を考えたこと。そしてギガンテスの癖に対する分析など、功績を数え上げればキリがなかったのだ。そして過去の亡霊と言われるApostleを単独で撃破し、避け得ないとされた被害を抑えてみせた。都市部を守る戦い方の立案もまた、シンジの功績に違いなかった。
 そして通常兵器だけでの迎撃方法まで考えだしたのだから、功績として巨大としか言いようがなかった。そして巨大な功績ゆえ、世界の精神的支柱になってしまっていた。だから後藤は、シンジの功績を認めるのと同時に、その弊害を口にしたのである。

「確かに、君のお陰で世界はギガンテスを恐れなくなった。
 65と言う絶望的な襲撃でも、僅かな被害だけで乗り切れることを示してくれた。
 今後、どんな過去の亡霊が出てくるのか分からないが、それさえなければ我々は勝ち残れるだろう。
 多地点同時侵攻でも、被害を最小限に抑える目処もついたからな。
 碇シンジと言う存在が、どんなことがあっても大丈夫と言う確信につながっている。
 だから、君は居なくなってはいけないのだ。
 もしも君を失えば、世界は再び闇に包まれることになる」
「そうならないように、アサミちゃんや先輩達を鍛えたんですけどね……
 アスカさんやカヲル君だって、アサミちゃんの知恵を借りれば僕の代わりができるはずです。
 高村さんや大津君が間に合わないのだけが残念なんですけど……」

 そう言って寂しく笑ったシンジに、「馬鹿なことを言うな」と後藤は叱った。

「どこの誰も、君の代わりをすることなど出来るものではない。
 この半年、君はどれだけ世界の度肝を抜いたのか自覚がないのか?
 あまりにも鮮烈な活躍は、世界中の人達の記憶に残ってしまったのだ。
 たとえ西海岸のアテナでも、君の代わりなどすることは出来ない!」
「でも、僕はもう……」

 言葉に詰まったシンジは、しばらく続く言葉を口には出来なかった。そしてしばらくたって、ようやくシンジは口を開いた。

「今日になって、他人にも分かるぐらいに意識が途切れるようになりました。
 それから後藤さん、中間考査が返ってきたんですけど、結果は酷いものでした。
 先生は忙しすぎるからだと言っていましたけど、間違え方がぼろぼろなんですよ。
 習ったはず、勉強したはずなのに、いくら考えても答えが浮かんでくれないんです。
 そのくせ、もっと難しい問題はスラスラ解けるんです」
「はっきりと、自覚症状が出てきたということか……」

 覚悟していたとは言え、現実を突きつけられるのは後藤にも辛いことだった。そしてそれ以上に、シンジの方が辛いことも後藤には分かっていた。

「後藤さんは、破綻したらどうなるか分からないと言いましたよね。
 多分僕は、いつ破綻してもおかしくない状態になってしまったんだと思います。
 昨日のように意識が戻ってくれればいいんですが、もしも戻らないことが有ったら。
 いつもいつも、誰かが見ていてくれるとは限らないんですよ。
 僕は、僕は……」

 シンジの声が震えているのは、それだけ絶望に心を苛まれているからだろうか。後藤の目に映ったシンジの体は、恐怖に怯えるように小さく震えていた。

「アサミちゃんと居るのが辛くなってしまったんです。
 大好きで大好きでたまらないのに、一緒に居るのが怖いんです。
 アサミちゃんと一緒に居ると、心が暖かくなるんですよ。
 大好きで、抱きしめたくて、自分だけのものにしたくて……
 誰にも渡したくなくて、このままだと僕はアサミちゃんを殺してしまう!
 それでも笑ってゆるしてくれるアサミちゃんと居るのが怖いんです!
 僕は、僕は、もうどうにもならないんです。
 僕は、どんなに頑張ってもだめなんです!」

 後藤にとって、それは初めて見るシンジの激情だった。17歳の少年として、初めて見せる裸の心だった。だがそれをぶつけられても、後藤にはシンジを受け止めることは出来なかった。もはやどんな慰めも、シンジに対して役に立たない。誰も、シンジが消えることを防ぐことは出来ないのだ。

「辛いんですよ……もう、辛くてしかたがないんです。
 普通にしていることが、こんなに辛いだなんて思っても見ませんでした。
 アサミちゃんに、「一緒に死にましょうか?」と言われた時に心が揺れました。
 こんなに辛いんだったら、本当に死んだ方がいいんじゃないかって思いました。 
 でも、僕にアサミちゃんを殺せるわけが無いじゃないですか。
 だから後藤さん、もう僕を楽にしてくれませんか?
 記憶の破綻するのが早いか、僕が恐怖に耐えられなくなるのが早いか。
 このまま放っておいても、僕は来年まで持ちませんよ。
 だから後藤さん、お願いですから僕を楽にしてください」
「本当に、もう、だめなのか……」

 「楽にしてください」と言うシンジの言葉に、後藤はSIC後の混乱のことを思い出した。まだ若かった後藤の前で、大勢の人達が命を落としていったのだ。押しつぶされた建物の下敷きになっても死にきれず、「楽にしてください」とお願いされたこともあった。一思いに死ねるようにと拳銃を突きつけ時、「ありがとうございます」と涙混じりに感謝されたこともあった。その時見送った人達の姿が、今のシンジにダブって見えてしまった。
 励ます言葉も無い以上、後藤にはシンジの願いを聞き届ける以外の選択肢は無かった。助けられる見込みが無い以上、どんな言葉もシンジの心には届かない。「諦めるな」と言う言葉は、とても残酷で、とても無責任な言葉に違いなかったのだ。ましてや「頑張れ」と言うことに、どれほどの意味があるのだろうか。だから後藤は、「分かった」と吐き出すことしか出来なかった。

「すぐに手続きを進める。
 クリスマスが終わったぐらいが目処だと思ってくれ」
「最後の思い出が、恋人と初めてのクリスマスですか……
 後藤さん、ありがとうございます。
 後のこと、よろしくお願いしますよ」

 車に乗って初めて見せたシンジの笑みは、どこか壊れてしまったように見えていた。この苦しみから逃れることが、シンジにとって最後の救いなのだろう。どんな罪を重ねれば、こんな苦しみを感じなければいけないのか。後藤には、世界が狂っているとしか思えなかった。



 翌日の告別式は、恙無く行われたと言っていいだろう。特に混乱もなく、シンジの弔辞も無事行われた。盛大な告別式には、どこかで見覚えのある顔も何人か参加していた。後から挨拶されて分かったのだが、それは総理大臣や各国大使だと言う事だ。特に総理大臣は、京都でもあっていたと思いだした。それだけ、篠山が政治の世界にも食い込んでいる証拠でもあった。
 喪主に挨拶した足で、彼らは参列していたシンジのところにやってきた。そこで色々と言われたのだが、すべての言葉はシンジの中で虚ろに響いただけだった。

「先輩、昨日はあれから何かあったんですか?」

 シンジへの挨拶が途絶えた所で、隣に座っていたアサミが話しかけてきた。

「いや、あの後家に帰って、鉄板焼き肉を食べただけだよ。
 レイの奴張り切ったのはいいけど、肉を買い込みすぎてしっかり余ったよ」
「だったら良いんですけど、変に吹っ切れたような感じがしていて……」

 「大丈夫ですか?」と心配するアサミに、「多分」と笑ったシンジは、「アサミちゃんを抱きたい」といきなり爆弾を投げつけた。

「お昼前に、告別式の最中に言うことじゃありませんよ」
「サンディエゴの学者さんには、朝からしてはいけない規則はないと言われたよ。
 まあお葬式の最中というのは、確かに少し不謹慎なんだろうね」
「少しじゃなくて、しっかり不謹慎ですっ!」

 そう言って頬を膨らませて怒ったアサミに、「嫌なのかい?」とシンジはストレートに聞き直した。

「い、嫌ってことはありませんけど……せめて、霊柩車を見送ってからにしませんか?」

 本気で求められていることに、さすがにアサミも狼狽えてしまった。今までのシンジは、こんなにストレートに体を求めてきたことはなかった。

「じゃあ、タクシーを使って、僕の家まで一度帰ろうか」
「……先輩、本当にどうしたんです?」
「どうかしたと聞かれても……アサミちゃんが欲しくてたまらなくなっただけだよ。
 ここの所忙しくて、アサミちゃんを抱けなかったからね」

 そこまでストレートに言われると、かえって言い返すことが難しくなってしまう。

「分かりました。
 そうしないと、学校で押し倒されそうですからね。
 ……まったく、仕方がない人ですね」

 何が仕方がないかというと、シンジがアサミの膝に手を伸ばしてきたことだった。人前でこんなことをするのかと驚いたのだが、跳ね除けるのも不自然だと自分の手のひらを重ねることにした。

 長い長い読経が終われば、告別式もいよいよ終りを迎えることになる。是非にと頼まれ、シンジはアサミと一緒にシズカの棺を花で飾った。病院とは違い、明るい光の下で見るシズカは、本当に骨と皮だけの変わり果てた姿になっていた。シズカの着た白い帷子には六文銭がおかれ、その周りは色とりどりの花で飾られていった。
 キョウカはどこかと探してみると、ユキタカの隣で唇をぐっと噛み締めていた。その姿に、綺麗になったなとシンジは少し感動していた。そして同時に、自分の役目も終わったのだと考えた。

「なにか、あっけないものだね……」
「結局、人はどう生きてきたかに価値があるんですね。
 死んでしまったら、後は抜け殻になってしまうんですね」
「人は、どこから来てどこに行くんだろう……」

 結局、TICなんて事件は起きたが、人とはと言う命題に答えは出ていなかった。それを考えると、不思議でしか無いと思えてしまった。こうして人は、生と死を繰り返し、ずっと営みを続けてきたのかと。

「それで先輩、本当に一度家に帰るんですか?」
「じゃなきゃ、ここででもいいんだけど?」

 告別式が終わったばかりのお寺と考えると、とてもその提案に乗れるものではない。さすがにおかしいとは思ったが、何度も繰り返して言われたため、アサミ自身気持ちが昂ぶり始めていた。

「じゃあ、表でタクシーを捕まえましょうか」
「たぶん、沢山待っているんじゃないのかな?」

 さっさと戻ろうと、シンジはアサミの手を掴んで寺の外へと引っ張っていった。その強引さも、普段のシンジには無い物である。そこでたまたま待っていたタクシーに乗り込み、まっすぐ自分の家へと帰っていった。篠山関係者が気づいた時には、すでにシンジはタクシーに乗った後だった。
 タクシーで自宅に乗り付けたシンジは、少し慌てて玄関を開けた。そしてそして後ろ手で鍵を閉め、アサミを抱きしめようとした。ただ体に腕を回した所で、「少し待ってください」と制止されてしまった。

「お葬式から帰ったら、ちゃんとお清めをしないといけないんですよ」

 そう言ってアサミは、持っていた荷物からお清めの塩を二つとりだしだ。

「家に上がる前に、塩でお清めをするんです。
 私が先輩に掛けてあげますから、真似して私に掛けてくださいね」

 袋を切ったアサミは、入っていた塩を手に取りシンジへと振りかけた。

「アサミちゃんって、色々と知っているんだね」

 そう言って感心したシンジに、「常識ですよ」とアサミはまじめな顔をして答えた。

「と偉そうに言いましたけど、私もドラマで覚えたんですけどね」

 はいと言って、アサミはシンジに塩で清めて貰った。その塩を軽く払ったアサミは、「これで儀式は終わりです」とシンジに向かって微笑んだ。

「じゃあ、シャワーを浴びてきますねって、先輩っ!」

 靴を脱いで上がろうとしたアサミを、シンジは後ろから抱きかかえた。そして強引に自分の方を向かせ、貪るようにアサミの唇を奪った。さすがにアサミが抵抗したのだが、その抵抗も力で押さえ込んだ。そしてそのまま、玄関にアサミを押し倒した。

「せ、先輩、さすがに玄関はちょっと……」

 いくら気持ちは高まっていても、せめて場所ぐらいは考えて欲しい。そう懇願したアサミだったが、シンジを止めることは出来なかった。普段に無い荒々しさに、アサミは抵抗することが出来なくなってしまった。そうなってしまうほど、愛する人が追い詰められてしまったのだと分かってしまったのだ。だからアサミは、シンジの体に腕を回し、自分が受け入れたことを伝えたのだった。



 アスカにとって、M市での戦いは会心と言って良いものだった。本当に思う存分、押し寄せてきたギガンテスを蹴散らすことが出来た。しかも後の懇親会で、シンジともゆっくり話すことが出来た。そこにカヲルが居なかったことも、アスカにとってポイントが高かった。
 そんな事情もあって、日曜はほとんどぼんやりとして一日を過ごしていた。戦いの余韻を味わっていたと言うのが、一番正確な表現に違いなかった。そして激しすぎる戦いの余韻は、翌火曜日も継続していた。パイロットのミーティングでも、つい戦いを思い出してしまうのだ。上が別件で忙しくなっていたので、誰からも見とがめられなかったと言う事情もあった。さらに付け加えるなら、他のパイロット達も似たような状況だったこともある。

 上が抱えた別件は、言うまでも無くM市での実績の評価だった。何しろこの戦いで、今まででは不可能とされた、通常兵器によるギガンテス撃破が達成されたのだ。その結果をこれからどう生かしていくのか、ヘラクレスの整備よりもそちらが優先されたのである。何しろ空軍には、すでに熟練したパイロットが大勢所属している。そのパイロットが活用できるのだから、関係者が色めき立つのは無理も無かったのだ。
 そんな状況だから、誰もアスカに注意を払わなかったと言う訳である。マスコミにしても、関心は完全に通常兵器での迎撃に向かっていたのだ。その中で例外があるとしたら、今回も大きな実績を上げた“英雄”こと碇シンジの扱いだけだった。すべての革新は、碇シンジが発信したものだったのだ。

 ただ戦いの余韻も、時間とともに薄れてくるものである。水曜になって多少マシになったアスカは、そこで相方の様子がおかしいのに気がついた。普段は“軽妙洒脱な会話”と言って、ことある毎に自分に絡んできた相方が、ここ数日まったく絡んでこないことに気がついたのだ。それだけでも異常なのに、部屋に居るときでもしかめっ面で端末に向かってくれている。

「今更なんだけど、何かあったの?」

 しかも今日は、普段以上に難しい顔をしてくれている。そんな顔を見せられれば、さすがに事情を聞かないわけにはいかなかった。
 だがアスカの声に、クラリッサは何も反応しなかった。まるで何も無かったかのように、自分の端末をにらみつけていたのだ。さすがにおかしいと、アスカは「クラリッサ!」と大きな声で呼びかけた。そこで初めて、相方は自分の方へと振り返ってくれた。

「あんた、一体なんて顔をしているのよ」

 難しい顔だと思って居たら、なぜかクラリッサの目が真っ赤になっていた。思わず立ち上がったアスカに、相方はとても弱々しい声で「駄目なのよ」と言った。

「駄目って、何のことを言っているの?」
「なにもかも、もう全部駄目なのよ。
 結局私達は、シンジ様を助けることが出来なかった……」
「シンジ様を助けられないって……あ、あんた一体何を言っているのよ」

 予想外の言葉に、アスカは激しく動揺していた。そんなアスカに、「分かっているんでしょう?」と逆にクラリッサは聞き返してきた。

「シンジ様が記憶操作をされているのは知っているでしょう?
 その操作が、いよいよ破綻してしまうのよ」
「それって、記憶を取り戻すってこと?」

 操作の破綻は、すなわち記憶の復帰だとアスカは考えていた。どう言う形で復帰するのかには疑問を感じてはいたが、助ける助けないとは別の話だと思って居たのである。
 だが「記憶を取り戻す」と言ったアスカに、「記憶が入れ替わる」のだとクラリッサは答えた。

「シンジ様に行われたのは、過去を改ざんする記憶操作じゃ無かったのよ。
 本当の記憶を凍結し、そのコピーを仮想領域に作成。
 そして、そのコピーに対して、様々な操作を行った。
 その状態のシンジ様は、S高で様々な経験をして成長したわ。
 それが、今アスカの知っているシンジ様なのよ。
 でも、そんな処理がいつまでも安定しているはずが無かったのよ。
 ねえアスカ、この前の戦いで、いきなりシンジ様が倒れたわよね。
 あれが、今の記憶……正確に言うんだったら、人格が破綻する兆候だったのよ。
 そしてついに、日常的にも兆候が顕著に表れるようになった。
 記憶の欠落、意識の途絶、それがひんぱんに起こるようになってきた。
 だから日本政府は、12月26日に記憶復活の措置を行うことを決定したわ」

 今まで求めてきた答えが、クラリッサの口から語られたことになる。だが知らされた事実は、想像していたのとは比べものにならないほど残酷なものだった。

「そ、それで、シンジ様はどうなるの?」
「どうもこうも、凍結されていた本体が動き出すことになるのよ。
 だから、凍結されてからのすべてが失われることになる。
 操作を受けてからの約3年間、その3年間のすべてが失われることになるわね。
 当然、その間誰と会ったのか、誰と愛し合ったのかもすべて失われることになるわ」

 今までの3年間が、すべて無かったことにされるというのだ。本人にも残酷なことだが、周りにとって、特に恋人の堀北アサミにとって残酷すぎるとしか言いようが無かった。

「そ、そのことを、シンジ様は知っているの?」
「知っているからこそ、今の時期に処置をすることになったのよ。
 ちなみにパイロットでこのことを知っているのは、恋人の堀北アサミだけよ。
 ねえアスカ、最近のシンジ様って、ちょっと凄すぎると思わなかった?
 Third Apostleの撃破だって、すごく冷静に対処されていたでしょう?
 種を明かすとね、シンジ様は自分が居なくなったときの準備をしていたのよ。
 過去の戦いを検証して、Apostleが再度侵攻してきたときの対処方法を考えてられたのよ。
 そして、ヘラクレスに頼らなくても良い迎撃方法の立案もそう。
 出来るだけ多くのことを残していこうと、恋人と二人で努力をしてきたんだって。
 だから堀北アサミも、シンジ様の代わりが出来るよう、色々なことを勉強してきた。
 ムンバイ以降、全体統率は堀北アサミがやってきたでしょう?
 その成果が、M市の戦いで立証されたことになるのよ」
「ち、ちょっと待ってよ、どうして、そんな酷いことが受け入れられるのよ!?」

 まるで何かの物語のように、非現実的なほど立派すぎる行動だったのだ。だが現実は、そんな綺麗な物では無いはずだ。それがおかしいと、アスカは大声で主張したのである。
 そんなアスカに、この話には続きがあるとクラリッサは言った。

「どうして私が、こんなに事情を知っているかに関わる話よ。
 日本のS基地司令の依頼が、各国に対して出されているのよ。
 記憶を復元すれば、この3年間の記憶は引き継がれなくなる。
 だからと言って、綺麗に消えてしまうと言うわけでは無い。
 ただ主体となる記憶領域からアクサセスされなくなるだけで、記憶自体は残っている。
 もともと時間的に重ならない記憶なのだから、接続しても問題は無いはずだ。
 だから、両者を結合させる方法を考えて欲しい。
 それが、二人から頼まれた唯一のことだからって」
「それが、あんたがここのところ熱心に考えていた理由……
 それで、「だめ」って話に繋がってくるのね」

 ふうっとため息を吐いたアスカは、少し肩を落として「駄目なんだ」と呟いた。

「ええ、理論だけならいくらでも構築できるけど、リスクが高すぎて実験すら出来ないのよ。
 どんな方法を考えても、絶対に大きなリスクがついて回ってくるわ。
 それに、ほとんどが机上の空論ばっかりになってしまうのよ。
 シンジ様は、自分に出来ること、自分にしか出来ないことをやってくださってる。
 そして後のことを、私達科学者に託してくれたのよ。
 それなのに、私達はその期待に応えることが出来ないのよ。
 科学者として、これほど自分の無力さを感じたことは一度も無かったのよ」
「そうか、私の好きなシンジ様は居なくなるのね……
 世界は、一体どうなってしまうんだろう」

 どういった形で公開されるのかは分からないが、どう隠したところで今のシンジが失われた事実を隠し通すことは出来ない。ギガンテスの迎撃を支える以上に、希望のよりどころになっているのがシンジと言う存在だったのだ。その存在が失われたとき、世界は一体どのような反応を返すのだろう。それを考えると、暗澹たる気持ちになってしまう。

「さあ、でもS基地のパイロット達は、歯を食いしばってでも頑張ってくれるでしょうね」
「私達だって、自分の足で歩いて行かなくちゃいけなくなるわ。
 つい半年前までは、シンジ様が居なくても戦ってきた。
 その時に比べれば、ずっと私達は戦う力を身につけることが出来たわ」
「全部、シンジ様のおかげじゃ無い!」

 新しい可能性をいくつか示して貰い、そして手取り足取り指導をして貰った。その結果が、今の迎撃態勢の充実となっている。その立役者が、こんな不幸な結末を迎えて良いのだろうか。
 だがいくら理不尽さを呪って見せても、アスカにはどうにも出来ないことも事実だった。

「シンジの奴、こんな状況を受け入れられるのかしら……」

 掛かってくるプレッシャーは並では無い。それを考えると、引き継ぐ方も辛すぎるのだ。こんなものは、自分だって受け取れるはずは無い。アスカは、記憶なんて戻らない方が良いのにと、同情したのだった。
 とても微妙な、そして問題のあるアスカの言葉なのだが、その言葉に含まれる意味に、クラリッサは気づいていなかった。だから何も考えずに、「絶対に無理でしょう」とだけ答えたのだった。



 サンディエゴと似た話を、カサブランカではカヲルがマディソンとの間で交わしていた。ただアスカ達と違ったのは、二人の置かれている状況だった。マディソンをベッドに組み敷いたカヲルは、知っていることを話せと迫ったのである。

「君達がシンジ君に何をしようとしているのか。
 事と次第によっては、僕は君達を許さないからね」

 右手でのど元を押さえたカヲルに、マディソンは必死に首を振って「知らない」と否定した。そのたびに金色の髪が揺れ、着ている物が乱れていった。

「僕は、否定の言葉など求めていないんだよ。
 君達が、急に騒がしくなったのを気づいていないとでも思っているのかい。
 加えて言うのなら、M市の戦いが終わったとき、シンジ君が不自然に倒れたね。
 君達は、その理由を知っているはずなんだよ。
 命が惜しければ、知っていることを僕に話すんだね」

 そう言って、カヲルはのどに当てた手に力を入れた。ベッドの上とは言え、気管はつぶれ呼吸がまったく出来なくなっていた。両手を押さえつけられたマディソンに、抵抗するすべは残されていなかった。
 マディソンが、恐怖目を大きく見開き口をぱくぱくと動かしたところで、カヲルは一度のどに当てた手の力を抜いた。

「これが、最後の確認だよ。
 何も知らないというのであれば、このまま僕の担当が代わるだけのことだ。
 次は、もう少し誠実な人が来てくれるとうれしいんだけどね」

 そう言って口元を歪ませたカヲルは、止めを刺すべく体重を前に移動させた。これで右手に力を込めれば、窒息する前に首の骨が折れることになるだろう。

「君の死因は、そうだね、過激なプレーが失敗したことにしておこうか。
 たかが君一人のために、僕を拘束することは誰にも出来ないだろうしね」

 「さようなら」カヲルが冷たく言ったとき、マディソンは「待って」と叫び声を上げた。

「僕が待つ理由を君は提供できるのかな?
 何も知らないんだったら、そんな無能は僕には必要ないんだよ」

 そう言って、カヲルはほんの少しだけのどに当てた手に体重を掛けた。息が止まるほどでは無いが、恐怖をすり込むには十分な力である。

「い、碇シンジは、破綻するのよっ!」

 死の恐怖を前に、冷徹な科学者の顔を維持することは出来なかった。ましてや秘密を守る矜持など、保てるはずが無かったのだ。恐怖に駆られたマディソンは、自分のためにすべての機密事項をしゃべり出した。

「碇シンジは、徹底した記憶操作がされているのよ。
 でも、いざという時に戻せないと困るから、そのため特殊なことを行ったわ。
 学会でも、非人道的だと非難された、仮想人格の構築を行ったのよ。
 そこに元の記憶を転写して、転写された記憶に対して改ざん処置を行ったのよ。
 いざという時には、仮想人格から元の人格に切り替えることが考えられていた。
 そうすれば、世界を破滅させた飛び抜けた適性のあるパイロットが用意できるのよ」
「その操作と、破綻することがどう繋がるのかな?」

 のどに右手を当てたまま、「説明しろ」とカヲルは命じた。そして言われたとおりに、マディソンは世界で共有された情報を話し出した。

「仮想的に作られた人格が、容量不足で破綻を始めているのよ。
 この前の戦いの後倒れたのもそう。
 ここのところ、記憶の欠落も発生し始めているわ。
 記憶の欠落だけなら良かったのだけど、短時間の意識喪失も発生している。
 だから日本政府は、12月26日に人格入れ替えの操作を行う決定をしたわ!」
「それが、君の知っているすべてと言うのかな?
 だとしたら、やっぱり生かしておく意味は無さそうだね」

 もう一度右手に体重を掛けようとしたところで、「何でも話すから」とマディソンは命乞いをした。

「だから、何が聞きたいのかを言ってよ!」

 そうで無ければ、知りたいことを教えることも出来ない。そう叫んだマディソンに、カヲルは「シンジ君は知っているのかい?」と聞いた。

「もともと今度の回復処置は、碇シンジが言い出したことよ。
 彼は、それで今の自分が消えることも承知しているわ!
 だから彼は、恋人と一緒になって、居なくなった後に備えていたのよ。
 通常兵器の有効性を確認したのも、その備えの一環だと聞かされたわ」

 マディソンの答えに、「ああ」とカヲルは嘆息を漏らした。

「君達は、本当に残酷なことをしてくれたんだね。
 せめて僕やアテナにしたように、記憶の改竄だけにとどめておけば良かったものを。
 シンジ君の意思がなければ、僕達がこの世界を滅ぼしてやったのにね」

 酷すぎると吐き捨てたカヲルを、マディソンは信じられないものを見る目で見た。今の言葉が正しければ、封印したはずの記憶が戻っていることになる。今まで気づかれないよう隠し続けていたとは、とても信じられなかったのだ。

「カヲル、あなた記憶が戻ったの……」
「さあ、ただそろそろ後始末をしないといけないようだね」

 カヲルはそう言うと、マディソンののどに当てていた右手を放し、自分のズボンを引き下ろした。そして、同じようにマディソンのズボンも引き下ろした。

「な、何をするつもりなのよ!」
「言っただろう?
 過激なプレーが失敗したんだって。
 だったら、ちゃんとすることはしないといけないだろう?
 秘密を守るためには、秘密を知っている者の口を封じるのが一番なんだよ。
 だから不自然に見えないように、こうしてしたくも無いセックスをするんじゃ無いか。
 君の場合、僕とセックスをしても不思議ではないのがありがたかったね。
 ただ、次の担当は、もう少し誠実な女性であることを願っているよ。
 バイバイ、マディソン、反吐の出るような日々をありがとう」

 心のこもらない言葉を掛けて、カヲルは“過激なプレー”を淡々と行ったのだった。



 滝川の気配りのお陰で、終業式も無事こなすことができた。ただ、普段とは違ってやけに参列した来賓が多かったことだけが目立っていた。

「会長、お疲れ様でした」

 終業式が終われば、後はホームルームだけが残されていることになる。一仕事終わったと帰ろうとしたシンジに、滝川はそう言って声を掛けた。

「いやいや、滝川君の方こそお疲れ様。
 僕がいないことが多いんで、結構面倒を掛けているんじゃないのかな?」

 なんだかんだ言って、シンジの仕事があるときにギガンテスの襲撃が重なっていた。その都度滝川に仕事が回るのだから、普通に考えればシンジの言うことは正しかった。ただ問題は、今年の生徒会は少しだけ特殊と言うことだ。

「それこそ、碇君を生徒会長にした時から分かっていたことでしょう。
 だから、今の状態がこの生徒会の平常運転ということですよ」
「そう言われれば、そうなんだけどな……」

 だからと言って、滝川に甘えていいのか。男に甘えるのは違うよなと、シンジは少しずれたことを考えていた。

「まあ、とにかく次に会うのは年明けですね。
 そう言えば、「ヒ・ダ・マ・リ」ですけど、随分と派手になったそうですね」
「なんだかなぁ、迷惑を掛けた気がしてならないんだけど……」

 シンジが「迷惑を掛けた」と言う理由は、当日集まったゲストが理由となっていた。何しろ予想以上に、大御所や売れっ子が集まってくれたのだ。まるで紅白と言えば、どの程度か想像がつくだろう。
 ただ、単に集まっただけなら、シンジも迷惑とは言わなかった。だが集まった日が、クリスマス・イブと言うのがポイントだった。何しろ年末、特にクリスマス前後と言えば、芸能人のディナーショーが真っ盛りなのである。当然大御所や売れっ子ともなれば、その手のショーが予定されていた。それが地方都市のホテルに集まるというのだから、何が起きたのかは説明の必要がないだろう。

「ああ、その話題はワイドショーに出ていましたね。
 なんでも、クリスマス・イブのディナーショーが結構中止になったらしいですね。
 その理由が、「ヒ・ダ・マ・リ」にゲスト出演するためでしたっけ?
 でも、そのことを会長が気にする必要はないと思いますよ。
 今回に限っては、ゲストの方から売り込みがあったと言う話ですからね」

 この話があった時には、S市までゲストが来られるのかと言う心配もあった。だが蓋を開けてみれば、それは全くの杞憂と言う事だった。それこそ大御所や有名どころが、自分を呼べと売り込みに来たのである。ゲストに出してくれれば、ギャラもいらないとまで言ってきたのだ。逆に、出演者の調整に困ったという笑えない話があるぐらいだった。

「それで、会長を始め、ジャージ部は全員参加ということですか?
 しかし篠山さんが、よく出演できると思いますよ」
「その辺りは、滝川君の方が事情に詳しいんじゃないのかな?」

 はっきりとは分からないが、滝川は篠山とのつながりがあるようだ。それを持ちだしたシンジに、「多少は」と言って滝川は頭を掻いた。

「なぜ人は、愚かしい選択ばかりするのでしょうか?
 なんてことを言われましたよ。
 ああ、この場合お愚かしい選択と言うのは、篠山さんがテレビに出る事じゃ有りませんよ。
 後は、「空の容器は一番大きな音を立てる」とも言っていましたね」
「ユキタカさんの周りで騒いでいる人のことか……
 最後のは、プラトンからの引用かな?」
「たぶん、シェークスピアからだと思いますよ。
 何しろ愛読書がハムレットですから」

 苦笑しながら頭を掻いた滝川に、シンジは相手との関係が見えた気がした。適度に振り回され、そして煙に巻かれている関係なのだと。特に彼女に頭が上がらないところは、一緒だなどと情けないことを考えていた。

「しかし会長こそ、よくそこでプラトンなんて出てきますね。
 まさか、愛読書だなんて言いませんよね?」
「それこそまさかだよ。
 色々なところでインタビューを受けるから、そのためのネタにしかしていないよ。
 挨拶の中に適当に混ぜると、どこか格好良く聞こえるだろう?」

 シンジの説明に、確かにそうだと滝川は笑った。使いすぎると厭味ったらしくなるが、さりげなく混ぜればインテリジェンスが増した気がする。特にシンジが知性派で通っているので、格好良く聞こえるのは確かだった。

「じゃあ会長の格好良いところを、テレビで見させて貰いますよ」

 そう答えた滝川に、シンジはわざとらしく首を傾げて見せた。

「なにか、疑問がありますか?」
「どうして、その時間にテレビを見ていられるのかなと思っただけだよ」

 婉曲的に、「デートだろう?」と聞いているのだ。そのわざとらしさに苦笑を返し、「世の中には便利なものがある」と滝川は言い返した。

「レコーダーを使えば、別の日にも見られるんですよ。
 会長の活躍は、何度も繰り返して見させて貰いますからね」
「それも、何か恥ずかしい気がするな……」
「たぶん、学園祭の映像よりは恥ずかしいことは無いと思いますよ」

 そうやってシンジの弱点を突いた滝川は、「良いお年を」と言って去って行った。この後ホームルームがあるのだから、いつまでも油を売っているわけにはいかなかった。

「良いお年を……か」

 自分には迎える新しい年は無い。それが分かっているだけに、未来の話はシンジには辛すぎることだった。

「滝川君がしっかりしているから、来年も大丈夫だろう……」

 押しつける心苦しさはあったが、今更どうしようも無くなっていた。どんなに長く見積もっても、自分に残された時間は4日しか無かったのだ。最後の1日はどうにもならないから、残された3日をどう過ごすかだけが残された課題だった。

「色々と、謝らなくてはいけない人が居るな……
 先輩達には、後のことをお願いしていかないといけないし……」

 クリスマスは、挨拶回りをすることになるのか。結構忙しいのだなと、他人事のようにシンジは考えていたのだった。

 そしていよいよテレビ出演の24日、その日は朝からシンジは大忙しだった。何しろクリスマスイブと言うことで、ジャージ部の正規活動であるボランティア活動を行ったのだ。児童保護施設のすみれ園の訪問から始まり、老人ホームの福寿園まで、市内近場にある施設を回り倒したのだ。子供のところには、サンタクロースに扮して、簡単なものをプレゼントして回ったし、老人施設は料理部と提携して昼食の炊き出しを行った。
 そのいちいちにテレビカメラが付いてきたのは気になったが、おかげで参加者が増え、人手を十分に掛けることが出来るようになった。結局すべての慰問が終わったのは、夕方5時過ぎのことだった。

「7時から本番だったっけ?」
「ええ、結構ドタバタですね」

 すでに、シンジ達の衣装は控え室に運び込まれている。肝心のセットも、大広間に組み立ては終わっていた。ゲストもホテル入りをして、すでにリハーサルも終わっていると言う。そうなると、後はシンジ達の登場を待つだけと言う事だ。タクシーで目的地のホテルに向かいながら、シンジは隣に座ったアサミに「いよいよだね」と話しかけた。

「なにか、結構緊張するものだね」

 そう言って笑ったシンジは、「悪くないね」と付け足した。

「良い意味で、どきどきしているよ。
 アサミちゃんも、芸能界に居るとき、こんな事を感じていたのかな?」
「う〜ん、小さな頃はそうだったのかもしれませんね。
 幼稚園に入る前から子役をしていましたから、こう言った世界が普通だと思って居たんです」

 こうしてテレビに出るのは、アサミにとっても特別なことなのだろうか。シンジの目には、アサミが少しそわそわとしているように見えていた。

「入場は、大津君からと言うことになっていたね」
「最後に私達を持ってきて、大いに盛り上がろうって演出ですね。
 ただ私の場合、先輩と一緒に出て行くことになっていますよ」
「まあ、演出としては大いに考えられることだね」
「結局、薄桜隊が私達をエスコートすると言うプランは没になったそうです。
 無駄と言うか、視聴者に求められていないと分かったようですね」
「でも、ゲストは凄いことになっているようだね」

 3時間番組に、総勢30組のゲストが集まったというのだ。そのネームヴァリューも凄く、その中にはたまたま来日していた大物ミュージシャンも混じっていた。そのミュージシャンも、日本のテレビ初出演と言うおまけが付いていた。

「ホテルに着きましたけど、やっぱりファンが押しかけていますね。
 あら、あれって滝川さんじゃ有りませんか?」
「と言うことは、隣に居るのが滝川君の彼女かな?」

 シンジに言われて、アサミは滝川の隣に立っている少女に注目した。長い髪をお姫様カットにした、少しきつめの雰囲気を持った女の子が隣に立っていた。

「ちょっと、変わった雰囲気がありますけど……綺麗な人ですね」
「じゃあ、挨拶してこようか」

 集まったファンの中に知っている顔を見つけ、二人はちょっとしたいたずら心を起こしていた。まあいたずらとしては罪の無い、その中に入っていって知り合いに挨拶をすると言うものである。
 車から降りた二人は、案内に来た係員に断って、詰めかけたファンの方へと歩いて行った。それをサービスだと受け取ったファン達は、大きな歓声で二人を迎え入れた。スマホのカメラが向けられたのは、有名人だと思えば不思議なことでは無い。そのファン達をかき分け、シンジは逃げようとしていた滝川を呼び止めた。

「おいおい、せっかく会いに来たのに逃げることは無いだろう」
「そうですよ滝川先輩、先輩の彼女を紹介してくださいよ」

 そう呼び止められれば、さすがに逃げ出すわけにはいかなくなってしまう。どうしてそう言う事をしますかと文句を言いながら、滝川は少し離れていた少女を手招きした。

「通りがかったから、覗いていくだけのつもりだったんですよ。
 なのに、どうしてこうも大事にしてくれますか?」
「まあ、見つかったのが運の尽きだと思ってくれないかな?
 初めまして、碇シンジと言います。
 滝川君のおかげで、なんとか生徒会が崩壊しないで済んでいるんです」
「初めまして、堀北アサミです」

 いきなり二人に挨拶をされ、滝川の連れ居ていた女性……少女は、驚いたように大きく目を見開いた。そしてすぐにため息を吐いて、「不破アイカです」と挨拶をした。

「南中学3年に在籍しています。
 来年は、先輩達の後輩になるべく努力しているところです」
「そうか、これでジャージ部員がまた増えるね」

 そう言って笑ったシンジに、「無理を言わないでください」とアイカは言い返した。

「まだ、S高に入れると決まったわけでは無いんですよ。
 先輩達二人のおかげで、来年の偏差値が爆発してしまったんです。
 それに何とかは入れたとしても、私ではジャージ部員は勤まりません」
「“逆境が人に与えるものこそ美しい”と言うじゃ無いか。
 勤まるかどうかは、その時考えれば良いんだよ。
 入ってみれば、実はたいしたことが無いのかもしれないよ」
「そこでシェークスピアを引用するというのは、ヨシノさんの入れ知恵ですね」

 少しむっとした顔で滝川を見たアイカに、「楽しみに待っているよ」と言ってシンジは解放した。二人の邪魔をするのも野暮だし、これからのことを考えたら、あまり時間を掛けているわけにはいかなかった。

「今度こそ、良いお年をだね」
「それを口にすると、またどこかで会ってしまいそうな気がしますよ……」

 ふうっと小さく息を吐いた滝川は、「良いお年を」とシンジに返した。

「不破さん、邪魔をして悪かったね」
「はい、もう少し下々のことを考えて欲しかったです」

 はっきりと言い返したアイカに、「次からは気をつける」とシンジは笑いながら言い返した。そしてアサミの背中に手を当て、ホテルの方へと歩いて行った。それを見送ったところで、アイカは滝川にちくりと嫌みを言った。

「ヨシノさんは、堀北さんのような女性が好みなのですか?
 でも、とてもでは有りませんが、ヨシノさんの手に負えるような人ではありませんよ」
「まるで、アイカちゃんが僕の手に負えるように聞こえるんだけど……」

 はっきりと苦笑を浮かべた滝川に、アイカは「心外です」と言い返した。

「ヨシノさんの前では、まるで借りてきた猫のように大人しいのに」
「時々、言葉に特大のとげが付いてくるのにかい?」
「それは、見解の相違というものです。
 私の言葉にとげがあると言うのなら、きっとヨシノさんがそれを望んでいるからですよ」

 「マゾですか?」と小さな声で言われ、滝川は「勘弁してください」と肩を落とした。

「別に、ヨシノさんが堀北さんに見とれていても怒りませんよ。
 あの人は、それをするだけの価値がある人ですから」
「アイカちゃんだって、碇君とうれしそうに話していたじゃ無いか」
「雲の上の人とお話が出来たのですよ。
 さすがはヨシノさんと見直してあげたのに不満ですか?」
「見直してくれたようにも思えないんだけど……
 そもそも、“見直す”ってこと自体に問題があると思うんだけど……」
「見損なっていたわけじゃ有りませんから、そこは我慢してください。
 ただ……」
「ただ?」

 また何かあるのかと身構えた滝川に、アイカは思いも寄らないことを口にした。

「碇さんのイメージが少し違っていたなと。
 なにか、来年の話がとても軽いというか、意思が籠もっていない気がしたんです。
 まあ、素直で無い私ですから、ほとんど言いがかりなのかもしれませんけどね」
「朝から働きづめみたいだからね、きっと疲れていたんだよ」

 ふ〜んと目を細めたアイカは、「別に良いですけど」と素っ気なく答えた。

「それよりも、私達がテレビに映ってしまいましたよ。
 ヨシノさん、マヒロに何を言われるのか覚悟しておいてくださいね」
「何をと言うか、手が先に飛んできそうな気がするな……」
「でしたら、現実的な解決策として、今からどこかに逃げましょうか?」
「少しも、現実的な解決策じゃ無いよ」
「だったら、開き直るしか無いですね」

 そう言って、アイカは滝川の腕に自分の腕を絡めてきた。ちょうど左腕を胸元で抱きかかえるおいしい形になったのだが、滝川は内心「もっと胸があれば」などと鬼畜な事を考えていた。

「そのあたりは、あと1、2年待ってください。
 それが待てないのであれば、積極的に協力してください」

 まるで心を読んだような言葉に、やっぱり怖いと滝川はアイカのことを見直したのだった。

 ボランティア活動をしてきたので、しっかりシンジ達は汗臭くなっていた。それもあって、準備はシャワーを浴びるところから始まった。そこからスタイリストが付き、予定された衣装に着替えていった。さすがにクリスマスと言うことも有り、制服やジャージでは無く、堀北マサキ謹製のステージ衣装が“何着か”用意された。クリスマスパーティーと言うことも有り、その中にはドレスも含まれていた。
 一番準備に時間が掛かったのは、予想通りアサミだった。それでも本番5分前にメイクまで終わり、後は出番を待つだけとなっていた。そこでシンジは、スーツ姿で堅くなっているアキラに声を掛けた。

「トップバッターは大津君だからね。
 緊張しすぎて、手と足が一緒に出ないようにしてくれよ」
「また、そう言う無理な要求をしてくれますね。
 素人が仰々しくゲストに出るなんて……普通はあり得ないことなんですよ!」
「君の場合、素人じゃ無くてパイロットだからね。
 まあ、命まで取られるわけじゃ無いから、気を大きくして臨んでくれれば良いよ」

 そこで気合いを入れるように、シンジはアキラの背中を少し強く叩いた。そして次に、同じく緊張しているユイに声を掛けた。

「高村さんは二番手だから、大津君よりは気が楽だよね?」
「そそそそんなことを言うが、緊張するものは緊張するのだぞ!
 な、なにしろ、前の高校の友人から、テレビを楽しみにしているとメールも入ったのだ」
「だったら、これも訓練だと思ってくれないかな?
 どんなときでも平常心でいる。
 それって、これからの戦いで高村さんに要求されることだからね」
「く、訓練だと考えれば良いのか……」

 ううむと難しい顔をしたユイに、「それじゃ駄目」とすかさずシンジは注意をした。

「せっかくの可愛い顔が、そんな表情をしていたら台無しだよ。
 場に応じてコントロールできてこそ、訓練の意味があるんだからね。
 これから出るのは、クリスマス特番であって、仇討ちの会場ではないだからね。
 と言うことで篠山、まあ、お前は大丈夫か」
「ああ、そうですね……
 ただ、ちょっと辛気くさくて申し訳ありません」

 自覚が進んだのか、キョウカの言葉遣いはずっと普通のものに変わっていた。それが不自然だと感じはしたが、自分の手出しできることでは無いとシンジは触れないことにした。

「まあ、今日は無理をして話そうとしなくても良い」
「それで碇君は、私達にはなんてアドバイスをしてくれるのかな?」

 次は自分の番と言ってしゃしゃり出てきたナルに、「アドバイスをください」とシンジは言い返した。

「なんで、私が碇君にアドバイスをするのよ」
「いやぁ、先輩達のお祭り好きには敵いませんから。
 だから、こういうときにどうしたら良いのかアドバイスを貰おうと思って」

 このやりとりを聞いている限り、ナルの緊張を解きほぐす必要があるとは思えなかった。それは、ナルの後ろで「次は私」と目を輝かせているマドカも同じだろう。だからシンジは、係が迎えに来たのを理由に、「本番ですよ」と話を打ち切った。ここから先は、初めて出るバラエティを成功させなくてはいけない。

「じゃあ、大津君からよろしく!」

 そう言って、シンジはアキラから送り出したのだった。

 通常の「ヒ・ダ・マ・リ」の番組構成は、メインを勤める薄桜隊とゲストのトークに、各種の体験コーナーで構成されていた。その番組構成が、今回はクリスマス特番と言うことで、かなり豪華に手直しをされていた。
 シチュエーション的には、薄桜隊がホストのパーティーに、ゲストを加えてトークを繰り広げていこうというのである。そしてその一つのコーナーとして、S高ジャージ部の活動を、ダイジェストで流そうと考えていたのだ。もちろん、学園祭で流せなかった秘蔵映像の公開も含まれていた。その為パーティー会場の一角に、トーク用の小さなステージが作られていた。

「さあ、今年も待ちに待ったヒ・ダ・マ・リのクリスマス特番です。
 今回は、場所を花澤君が通うS高のあるS市に移し、特別ゲストをお迎えします!」

 薄桜隊のリーダー、宗形タクミは、隣に花澤を置いて番組の始まりを視聴者に宣言した。隣に花澤が居るのは、特別ゲストの関係者だからと言う事情である。それ以外のメンバー3人は、一歩下がったところで拍手をしていた。

「では、本日の豪華ゲストを紹介します。
 僕達の大先輩、MAPSの皆さんです!」

 この日の視聴者席は、プラチナを通り越して、ダイヤモンドペーパーと言われていた。本当に運良く抽選に当たった視聴者100人が、宗形の紹介に歓声を上げた。

「次に登場してくれるのは、日本が誇る大女優、島村カホさん」

 アカデミー賞には縁はないが、カンヌやベルリンの映画祭では受賞経験もある。そう言う意味では、日本を代表する女優と言っても言い過ぎではないだろう。宗形の紹介で現れた島村は、40代半ばには見えない若々しい美しさを誇示していた。そして島村は、俳優時代のアサミと縁がある一人だった。

「もう一人、映画界から大林ノブヤス監督です」

 同じく大林が別格として扱われたのは、アサミの主演映画の監督をしたのが理由だった。ここしばらく、正統派学園モノで大ヒットと言うのは、大林とアサミの組み合わせ以外ではなかったのだ。
 別格扱いはここまでと、これからのゲスト紹介はスピードアップされた。そうでもしないと、真打ち登場までに時間がかかりすぎてしまう事情があった。ただ別格扱いはされなかったが、登場したゲストはいずれも有名人ばかりだった。そして次第に、パーティー会場はゲスト達で埋まっていった。

「最後に登場してくれるのは、今年4枚のミリオンを出した楪イノリさんです」

 ゲストとして最後に紹介するのに相応しい大物、人気絶頂の楪イノリが紹介された。ただ歌手として評価が高い一方、イノリは恋多き女としても有名だった。20代半ばと言うのに、相手として噂された各界の有名人は10人を超えていたのだ。そのイノリが、胸元の大きく開いた大胆なドレスで現れたので、観客の男達からため息が漏れだしていた。
 楪イノリの登場を最後に、バックグラウンドで流れていた音楽が休止した。集まったゲスト、そして100名の観客の前で、宗形はごほんと一つ咳払いをした。そして手筈通り、マイクを隣にいた花澤に手渡した。たったそれだけのことで、会場全体に「おおっ」と言うどよめきが起こった。花澤が前に出ると言うことは、お待ちかねのゲストが紹介されることになる。
 そしてその期待に応えるように、花澤はここからが本番と大きな声を張り上げた。

「皆さん、今日はヒ・ダ・マ・リのクリスマス特番に来てくださってありがとうございます。
 それでは、皆さんお待ちかねの、特別ゲストを紹介します。
 すでに皆さん御存知の通り、俺の仲間が遊びに来てくれました。
 最初に紹介するのは、俺と同級生の大津アキラです」

 花澤の紹介と同時に、会場の一角にスポットライトが当てられた。そこにあった入り口から、光沢のあるグレーのスーツを着たアキラが現れた。まだ衣装に着られている所はあるが、少し背が延びたのと、訓練で体が作られたおかげで、意外にスーツ姿も様になっていた。
 一度も出撃してないため、知名度人気とも大したことはないが、それでも場の雰囲気はパイロット登場で盛り上がっていた。その御蔭で、アキラに対しても観客から声援が上がっていた。

 少し緊張気味にステージにたどり着いたアキラは、待ち構えていた花澤と固い握手を交わした。ジャージ部で顔を合わせていることもあり、二人は結構仲が良かったりした。

「次に紹介するのが、アキラと一緒にパイロット登録された高村ユイ先輩です!」

 再びアキラと同じ場所にスポットライトが当たり、そこにピンクのタイトなドレスを着たユイが現れた。あまり胸元を強調しないように、白いフェザーの飾りが付けられていた。
 ヒールに慣れていないので、少しぎこちなくユイはステージへと歩いて行った。そしてユイを迎えた所で、花澤は最敬礼をしてみせた。

「3番目に紹介するのが、同じく俺と同学年の篠山キョウカさんです。
 篠山さんは、一番最後にパイロット登録され、登録されたその日にM市に出撃しました」

 スポットを浴びたキョウカに、ゲストの男性陣を含めて「おおっ」と言うどよめきが上がった。ジャージ部に入って磨き上げられたおかげで、キョウカは並の芸能人では敵わないぐらいに綺麗になっていた。しかもスタイルはジャージ部で一番なのだから、黒のドレスがとても良く似合っていた。
 もっとも、中身はまだまだ外観に追いついてはいなかった。だからユイ以上にぎこちなく歩き、ステージに上るときには少し躓いてしまった。それを花澤が支えたものだから、他のメンバーからブーイングが上がった。

「あーっ、ちょっと俺、今日は舞い上がっちゃってます。
 なんか、うちの部員ってみんな美人だったんですね」

 わざとらしく胸に手を当てて深呼吸をした花澤は、今まで以上に大きな声でナルを紹介した。

「高知の奇跡を起こした3人のうちの1人。
 頼りになる綺麗なお姉さま、鳴沢ナル先輩です!」

 さすがにここからは別格と、会場全体に大きな歓声が沸き起こった。そしてその歓声を背に、首元をシルクで飾ったドレスを着たナルが現れた。そしてジャージ部女性の例に漏れず、少しぎこちない足取りでステージにやって来た。

「全員整列、礼っ!」

 薄桜隊の5人は、ナルを迎えるにあたって整列をした。そして花澤の号令に従って、一斉に深々とお辞儀をした。世界的な知名度でいけば、花澤達の敵う相手ではなかったのだ。

「鳴沢先輩と言えば、もう一人欠かせないのが遠野先輩です。
 S高生が憧れるお姉さまナンバーワン、遠野マドカ先輩です!」

 マドカが現れた時、ナルに負けない歓声が沸き起こった。バッチリ決めれば相当な美少女といわれるマドカが、今日はばっちりと決め込んできたのだ。薄いピンクのドレスは、胸元こそ少し寂しいが、それでもマドカの美少女ぶりを際立たせていた。
 もっとも、ハイヒールとは一番無縁のマドカだから、女性陣4人の中で一番足取りは危なっかしかった。それでも何とか躓くこともなく、何とか全員の待つステージへとたどり着いた。そしてマドカに対しても、薄桜隊の5人は花澤の号令で一斉に頭を下げた。

「ええっと、これだけでも十分凄いのですが……
 そのぉ、本気でかなり舞い上がっているんですが……」

 そこでごほんと咳払いをして、花澤はズボンでマイクを握る手の汗を拭った。

「ええっと、うまい紹介の言葉が浮かばないので、もうストレートに呼び出させてもらいます。
 碇先輩、堀北さん、ステージまでよろしくお願いします!」

 二人の名前が出た所で、パーティー会場は今日一番の歓声があげられることになった。それこそ大物といわれるゲストを含め、二人の登場に熱狂していたのだ。そしてその歓声から少し遅れて、スポットライトが客席の後ろを照らしだした。
 そしてシルバーのタキシードを着たシンジが現れた時、ゲストを含めた女性達から悲鳴のような歓声が上がった。

 スポットライトに照らされたシンジは、少し芝居がかった身振りで左手を差し出した。シンジの呼びかけに答えるように、白のサテンドレスを着たアサミが現れた。そして、右手をそっとシンジの左腕に添えた。

 さすがに、高いヒールを履いていても、アサミはとても優雅に歩いてくれた。そしてステージに向かう間、その瞳はずっとシンジへと向けられていた。どこか嬉しそうで誇らしそうで、その時のアサミは、嫉妬さえ忘れさせるほど美しく輝いていた。

 本当ならば、拍手の一つでもして迎えるべきところだろう。だが会場は、二人の姿に完全に目を奪われていた。そしてそれは、ステージで待つマドカ達も同じだった。今まで何度も当てられてきたし、二人の仲がいいところは嫌というほど見せつけられていた。だが今までで一番の笑みを浮かべ合う二人に、マドカ達全員が魂まで奪われてしまっていた。
 沈黙の魔法に掛けられたように、パーティー会場からは完全に言葉が失われていた。咳払い一つ起きること無く、会場にいた全員がステージに向かう二人を目で追いかけた。そしてその魔法は、シンジが花澤の胸をこづくまで解けることは無かった。

「花澤君、何か言うことがあるんじゃ無いのか?」

 そう言ってシンジに胸をこづかれて、花澤はようやく自分が何をすべきか思い出した。

「え、ええっとすんません。
 世界の希望、ジャージ部の皆さんです」

 花澤の紹介に、パーティー会場全体を大きな拍手が包み込んだ。いす席の観客達は立ち上がり、ゲスト達はステージの前に押しかけていた。そして全員が、力一杯の拍手でシンジ達を迎えたのだった。

「もういきなり全開になってしまいましたが、ヒ・ダ・マ・リ特番の始まりです!」

 花澤からマイクを受け取った宗形は、会場の盛り上がりに負けない大きな声を張り上げた。そしてもっと盛り上がって欲しいと、両手で全員に要求した。その要求に、さらなる盛り上がりで会場全体が応えた。その盛り上がりがしばらく続いたところで、タイムキーパーからCM入りが告げられた。
 それでも鳴り止まない拍手の中、宗形を先頭に薄桜隊の5人がシンジ達の前に整列して頭を下げた。

「今日は、本当にありがとうございます!」

 本当なら、この体の挨拶は本番前に済ませておくものだった。ただシンジ達の到着が遅いため、こうしてCMの間に行われたのである。
 そうやって頭を下げた宗形に、こちらこそとシンジも頭を下げた。

「色々と注文をつけましたけど、結構嬉しかったりしたんですよ。
 今までテレビ越しでしか見られなかった人と、今日はこうして会うことが出来るでしょう?
 だから、僕達も結構緊張していたりするんです。
 だから、今日は僕達を呼んでくださってありがとうございます」

 そう言ってもう一度頭を下げたシンジは、宗形の耳元で「サインを貰えるか?」と囁いた。

「妹が、皆さんのファンなんですよ。
 だから、今日のお土産にサインを貰ってこいと言われました。
 クリスマスプレゼントは、それで我慢してやるだそうですよ。
 なんか、ずいぶんと上から目線で言ってくれました」
「お、俺たちのサインでよろしければいくらでもっ!」

 感激した宗形に、シンジは「どうもありがとうございます」と丁寧にお礼を言った。

「この後は、皆さんが僕達をエスコートしてくれるんですよね?」
「は、はい、女性4人は俺たちがエスコートします。
 大津さんは、ティアラの二人にエスコートさせます」
「それだと、どちらかと言えば大津君がエスコートしないといけないね。
 と言うことだよ大津君、可愛い子が二人付いてくれるんだから良いところを見せ無いと駄目だよ」
「ええっと、それって結構厳しいんですけど……」

 勘弁してと謝ったアキラに、だったらとシンジは花澤に水を向けた。

「親友ってことにして、花澤君が付いてあげれば良いんじゃ無いのかな?」
「そうっすね、アキラにはちょっとサービスをしてやりましょうか!」

 了解と笑った花澤は、こっちに行こうとアキラを手招きした。だったらと、マドカが話に割り込んできた。

「じゃあ、内気な私達は二人で行動すれば良いわね」
「ええっと、誰が内気なんでしょうか?
 と言うお約束の突っ込みがすんだので、まじめに答えましょうか。
 宗形さん、司会進行は宗形さんがするんですよね?」
「まあ、リーダーですから、そう言うことになるのかなぁ……」
「だったら、先輩達2人に誰かが付いてくれますよ。
 と言うことで、高村さんは1人で大丈夫かな?」
「で、出来たら、私も先輩達と一緒が良いのだが……」

 いくらエスコートが付いてくれても、と言うか、芸能人のエスコートで、気持ちが落ち着くはずが無い。それもあって、ユイはマドカ達と一緒に行動すると主張した。その方が安心できるというのは、とても理解できる主張だった。

「じゃ篠山、お前も先輩達と一緒に行動するか?」
「そ、そうして貰った方がありがたいです……」

 未だぎこちなさは残るが、キョウカは女らしくその方が良いと答えた。だったら4人が良いかと、纏めてエスコートすることを宗形にお願いした。

「それで、僕とアサミちゃんはどうすれば良いのかな?
 君達の誰かが、エスコートしてくれるのかな?」
「……堀北さんが居れば、何も問題ないと思いますが」

 つまりシンジ達二人には勝手にやって欲しい。婉曲的にそう答えた宗形に、「事情は分かった」とシンジはアサミの方を見た。

「じゃあ、アサミちゃんがお世話になった人たちを紹介して貰おうか」
「そうですね、芸能界のお母さんが居ますから、まず最初に紹介しますね」

 そう言って笑ったアサミは、こっちですと言ってシンジの手を引っ張った。向かう先にいるのは、どうやら別格扱いされた島村カホのようだった。

「じゃあ、私達もお願いしますね」

 最強の女子高生4人に囲まれた宗形は、善処しますと口元を痙攣させたのだった。

 「久しぶりぃ」と抱き合い、島村カホとアサミは久しぶりの再会を喜び合った。

「すっかり、大人になったわね。
 しかも、こんなに綺麗になっちゃって。
 やっぱり、良い恋をすると女って綺麗になるのよね」
「ええ、最高の恋人を見つけたと思って居ますから!」

 臆面も無くのろけたアサミに、「熱いわね」とカホは少し口元を緩めた。そして隣にいるシンジに向かって、「初めまして」と丁寧にお辞儀をした。

「こちらこそ初めまして。
 芸能界時代、アサミちゃんがお世話になったと聞かされています」
「アサミちゃんとは仲が良かったのよぉ……
 でも、こんなに若い私に、お母さん役というのは少し酷くないかしら?
 本当は、お姉さん役で出たかったのよ」

 笑いながら不満を漏らしたカホに、シンジは「そうですね」ととりあえず同意をしておいた。

「でも、アサミちゃんのお母さん役を出来る人って、島村さんぐらいしか居ないと思います。
 僕も映画を見せて貰って、こんなお母さんが居たら良いなぁって思いましたから」
「あら、お母さんなの?
 残念、私は守備範囲に入らなかったか」
「恋人はアサミちゃん以上の人は居ませんからね。
 僕には両親が居ませんから、すてきなお母さんが欲しかったんですよ」

 すてきなを強調したシンジに、「それで我慢しますか」とカホは笑った。確かにアサミが隣にいれば、他の女性に目が向くことは無いだろう。アサミをよく知っていると思って居たカホも、見違えるほど綺麗になっていたのに驚いてしまったのだ。

「私がお母さんなら、お父さんも紹介しますか。
 ほらほら大林さん、そんなところでいじけてないでこっちにいらっしゃいな」
「べ、別にいじけていたわけじゃ無いぞ!
 碇君と比べられたくなかっただけだ!」

 割とずんぐりとした、しかも髪がぼさぼさの大林にしてみれば、シンジの隣に並びたくなかったのだろう。それでも呼ばれた以上、話に加わらないわけにはいかなかった。「よろしく」と握手をしてから、「本当に綺麗になったね」と少し残念そうに大林はアサミに言った。

「監督、なにか残念そうに聞こえるんですけど?」
「残念そうじゃ無くて、残念そのものなんだよ。
 実はだ、君達の自主映画があっただろう。
 プロならこう作ってみせると企画書を作ってみたんだが……
 今日の君達二人を見て、映画にならないと諦めたんだよ。
 今の君達を使うと、どんな物語を作っても君達の映画になってしまう。
 綺麗すぎるとか格好良すぎると言うのは、俳優にはむしろ邪魔なことだと思ってくれ。
 もう、俺が手を加える余地が残っていないんだよ。
 だから、とっても残念だし、とっても嬉しいんだよ。そしてとっても感動しているんだ」

 そう答えた大林は、目をきらきらとさせて背の高いシンジを見上げた。

「君の活躍は、ずっと見させて貰っているんだ。
 高知の奇跡から始まって、M市の死闘までずっとだよ。
 先日君が行った記者会見も見させて貰った。
 あの時は、本当に凄いと思ったよ。
 聞いているこっちまで、体中から力が溢れてくる気がしたんだ。
 SIC、TICと辛すぎる悲劇に向かい合ってきたんだ。
 そして今度こそ、人は滅びてしまうんだって絶望していたんだ。
 それが君のおかげで、人は滅びない、もっともっと未来があるんだって確信できた。
 残念ながら、俺の作った映画でそこまで人を元気にさせることは出来ないだろう。
 だから俺は、少しでも君に近づけるよう、これからも頑張っていこうと思ってる。
 だから今日は、君に会えてとっても嬉しかったんだ」

 「ありがとう」そう感謝して、大林は両手でシンジの右手を握った。そして「娘をよろしく」と言って、アサミの顔を見た。

「アサミちゃんには、本当に芸能界の嫌な部分を見せてしまったと思ってる。
 守ってやらなくちゃいけない俺たちが、守ってやることも出来なかった。
 だから俺は、アサミちゃんがこんなに綺麗になって喜んで居るんだ。
 本当にまっすぐに、アサミちゃんの良いところが顔に出てくれている。
 だから俺は、君にありがとうと言うし、よろしく頼むとお願いをするんだ」
「そうですね、ええっと、この場合は任せておいてくださいと言うのが正解ですよね」

 はにかんだシンジに、「頼む」と大林は頭を下げた。そして隣では、「良かったわね」とカホがアサミを祝福していた。

「今日の主役は君達だからな。
 いつまでも、俺たちが独占しているわけにはいかないだろう。
 一通り回って時間があったら、君にアサミちゃんが小さかったときのことを教えてやろう」
「その時のアサミちゃん、本当に天使のように可愛かったのよぉ。
 私のことも、ママ、ママって慕ってくれたしね」

 そう言って笑う大林とカホに、どれだけ二人にアサミが愛されていたのかを理解することが出来た。もっと色々と話を聞きたいと思ったシンジだったが、大林の言うとおり、シンジを目当てに集まったゲスト達が待ち構えている。いつまでも一カ所に、止まっているわけにはいかなかった。
 「では後ほど」と挨拶をして、シンジとアサミは、恩人の所を離れたのだった。

 そんな二人を見送ったところで、大林は「本当に綺麗になったなぁ」と感慨深げに呟いた。そして隣にいたカホに、少し難しい顔をして「気づいてる?」と問いかけた。その問いかけに、カホは大林に向かって小さく頷いて見せた。

「何か気になっていること、心配事があるみたいね。
 アサミちゃん、私と話をしていても、ずっと碇さんのことを気遣っていたわ」
「ああ、それと俺は碇君の目が気になったな。
 なんかなぁ、若い者がするような目じゃないんだ。
 何か悟りを開いたというか、悟ってしまったような目をしていた。
 覇気が無いのとも違うんだが、何か猛烈な違和感を覚えたんだ。
 そうだな、何かものすごく悪いことが起こりそうな、そんな気がしてならないんだ」
「碇さん、どこか悪くされているのかしら?」

 人間観察に優れていなければ、映画監督などやっていられない。そんな大林でも、シンジの抱えているものまでは推測することは出来なかった。それでも、ただ漠然とした違和感として、シンジの異常を感じ取っていたのだった。

 そうやってしばらく挨拶をして回ったところ、シンジとアサミはトークに出て欲しいと呼び寄せられた。番組の進行として、そろそろ二人の話を聞く時間だというのだ。そんな時間かとセットへと向かったら、そこで待っていたのはどこかで見たことのあるタマネギ頭のおばさんだった。

「今日は、T子の部屋がヒ・ダ・マ・リに出張してきましたのよ。
 さあ、今日のお客さんは、あら、いやだわ、胸がどきどきして来ちゃった。
 ええっと、いつまでもこんなおばさんのお話だけじゃいけないわね。
 早速、ゲストのお二人をお迎えしたいと思います。
 碇シンジさん、それから堀北アサミさんのお二人です!」

 そうタマネギ頭のおばさんが紹介したのに会わせて、番組のテーマ音楽がその一帯にだけ流れた。それを合図に、シンジはアサミと並んで会場の一角に作られた、応接セットへと入っていった。

「初めまして碇さん、私がT子です。
 それからお久しぶりね堀北さん」

 少し早口でまくし立てたタマネギ頭のおばさんは、とってもかいつまんで二人のプロフィールを紹介した。それでも、結構なボリュームになったりしていた。

「本当は、沢山お伺いしたことがあるんですのよ。
 でも、今日は特別コーナーだから、我慢して短くするわね。
 ああ、でも、困ったわ、伺いたいことが沢山ありすぎて、もう、決めきれないのよ」

 困った困ったと呟いたタマネギ頭のおばさんは、「碇さんにお伺いします」といきなり切り出した。

「1年生の時は、今みたいに格好良くなかったって聞きましたけど、それは本当ですの?
 ガールフレンドが出来ないって、ずっとぼやかれてたとも噂されていますが?」

 プライベートに踏み込んできた、しかも昔の傷をほじくり返したのは、その方がおもしろいと考えたからだろう。ある意味予想された、そしてある意味聞いて欲しくない質問に、シンジは「あー」と少しだけ天を仰いだ。

「そうやって、思い出したくない過去をほじくり返しますか?」
「つまり、本当だったと言うことですのね?」

 追い打ちを掛けたタマネギ頭のおばさんに、「言いふらすことじゃないでしょう」とシンジは苦笑した。

「友人と二人、どうして彼女が出来ないのかってぼやいていたんですよ。
 だから2年の6月まで、ずっと彼女無し歴を続けていました」
「そこで、堀北さんを射止めたんですか?
 彼女が居なかった割に、いきなり高めを射止めたんですのね?」

 その言い方はどうかと思うが、事実はタマネギ頭のおばさんが言うこととは少しばかり違っていた。

「ええっと、最初の彼女は、同級生の女の子ですよ。
 残念ながら、その子には夏休みと同時に振られてしまいましたけどね」
「あらあら、どうして堀北さんじゃ無かったの?」
「どうしてって……さすがに自分を知っていたというか、普通は無理だと思いますよ」

 元トップアイドルと一般学生では、そもそも釣り合いのとれる物では無い。その自覚ぐらいは十分にあったと、シンジはここで打ち明けたのだ。

「碇さんはそう仰ってますが、堀北さんはどうでしたの?」
「一所懸命誘惑しているのに、気づいてくれなかったんです。
 だからだんだんムキになってしまったんですけど、やっぱり駄目でした。
 入学して、前期が始まったその日に、先輩とは偶然学校の階段のところで会ったんです。
 その時から気になって仕方が無くて、先輩の妹さんが隣に座ったときは運命だと思ったんです。
 でも、いくら誘惑しても、先輩ったら少しも本気にしてくれないし……」
「ええっと、あーっ、鈍感ですみませんでした」

 初めて聞かされた事実に、実はしっかり驚いていたりした。そして遠回りをしたことに、かなり残念な思いを感じていたのも確かだった。

「先輩って、私のことをまったく知らなかったんです。
 さすがに、それは無いでしょうって言いたかったんですよ!」
「堀北さんを知らないだなんて、いったどこの山奥で生活されていたんですか?
 今時、かなりの山奥だって、電気が通っていればテレビは映るんですよ。
 なにか宗教的理由があって、テレビをご覧にならなかったとか?」
「べ、別に、そんなたいそうな理由はありませんけど……
 ただ、普段はニュースぐらいしか見ていなかっただけで」
「去年は、そのニュースにも出たんですけど……」

 言い訳になっていないと責められ、シンジはこの番組は一体何なのかと疑問を感じ始めていた。芸能界に生きるタマネギ頭のおばさんにとって、アサミを知らないのは許されないことだと思ったのだろうか。「非常識ですね」とまで言い切ってくれた。

「し、趣味が少し違って居るぐらいで、非常識と言われるのは……」
「たぶん、テレビを見ている人たち全員が、間違いなく非常識だと思って居ますわよ。
 あっ、もしかして、堀北さんの気を引くため知らないふりをしたのだとか?」
「だったらまだ許せるんですけど、“本当に”私のことを知らなかったんです」

 どうしてそこでアサミが頭を押さえるのか、なぜタマネギおばさんまで同じように頭を押さえるのか。そこまで自分は悪いことをしたのか、大いなる疑問をシンジは突きつけられてしまった。



 全国放送なのだから、シンジの出ている「ヒ・ダ・マ・リ」は、当然北海道でも放送されていた。ちょうどのその日に退院したアイリは、自宅でクリスマスパーティー兼退院祝いのパーティーをしていた。普通パーティーならテレビを消すところなのだが、こればかりは見逃せないと、大音響が居間の中に鳴り響いていた。

「碇さんが、アイリさんを助けてくれたんですよね?」

 こうしてみると、どう考えても雲の向こうの人としか思えない。本当ですかと確認したサクノに、「私に言われても」とアイリは不満げに唇をとがらせた。

「だって、私は碇君の顔を見ていないしぃ」
「でも、碇さんはアイリの手を握って呼びかけてくださったんですよ。
 電話番号は変えていないから、いつ電話してくれてもいいと仰ってくれましたよ」
「そこまで言ってくれたのに、電話をしていないんですか!?」

 驚いた顔をしたサクノに、アイリは少し顔を引きつらせて「出来るはずが無いでしょう」と言い返した。

「黙っていなくなったのは私の方なのよ。
 それなのに、今更どんな顔をして電話すれば良いのよ」
「大丈夫です。
 電話ですから、どんな顔をしているのか見ることは出来ません!
 それに、助けてもらったのだから、お礼の電話をすべきなんです」

 あげた足をしっかりと取ったと言うか、屁理屈を口にしたサクノは、「違いますか?」とアイリの顔をじっと見た。

「それって、ものすごい屁理屈なんだけど……
 でもさぁ、今更電話をしても話すことが全くないのよ。
 助けてくれてありがとう、それを伝えたらもうおしまい。
 そんなのだったら、電話をする意味が無いと思わない?
 それにさぁ、新しい彼女が出来ているのに、元カノが電話をするのも迷惑でしょう」

 カメラが追いかけていることもあるが、テレビには必ずと言って良いほどシンジの姿が映っていた。そしてその隣には、片時も離れずアサミが居た。それを見せつけられれば、今更下心も抱きようが無かったのだ。

「でも、碇さんを振ったことでアイリさんは有名人ですよ。
 ここで電話をしたら、きっとパーティー会場も盛り上がるんじゃ無いですか?」
「いやよっ、さらし者になるだけだから!」

 サクノにからかわれているのは分かるのだが、言い返すのにしても、さすがに分が悪かった。だからアイリは、話に絡んでこないシンゴを利用することにした。

「瓜生君、堀北さんをそんなに熱い目で見ても無駄よ」
「いっ、いやっ、確かに堀北さんを見ていたんだが……」

 意中の人にからかわれれば、さすがに冷静では居られなくなってしまう。かなり焦ったシンゴは、「違うのだ」と必死になって言い訳をした。

「なにか、碇さんを心配して居るように見えると言うか……
 笑っているときでも、目が笑っていないように見えるんだ」
「久しぶりのテレビだから緊張しているとか?」
「どちらかと言うと、何かが気になっていて楽しめていないって感じに見える」
「アイリさんから電話が掛かってこないか、気が気じゃ無いって?」
「今更堀北さんが、私のことなど気にすることも無いと思うけど……
 それに、病院には堀北さんも来ていたって言う話だし。
 やっぱり、瓜生君の気のせいじゃ無いの?」

 そう決めつけたアイリに、「そうなのかなぁ」とシンゴは自信なさげに答えた。結局、そう見えると言うだけで、確かな情報を持っているわけでも何でも無かったのだ。しかも二人を知っているアイリが否定するのだから、気のせいと言われても仕方が無かった。
 そんな子供達の会話に耳を傾けながら、マナミはシンゴのことをじっくりと観察していた。娘に対して好意を持っているのは確かだし、娘もまんざらでは無いように見えた。ただ付き合うためには、とても高いハードルを超える必要があった。あまりにも、比較の対象が強力すぎたのだ。

 ただ、その強力すぎる比較相手は、絶対に手の届かない所に行っている。だったらこの先、ゆっくりと一緒の時間を過ごしていけば良い。将来のことを考えるのは、もっと時間が経ってからでいいと思っていた。
 ゆっくりとは思ったが、マナミは小さなお節介をすることにした。何のことはない、シンゴの妹を少し引き離そうと言うのだ。一緒に自分もいなくなれば、残されるのは娘と彼氏候補だけになる。それだけで仲が進展するとは思えないが、何事も小さな積み重ねからだと考えたのだ。

「サクノちゃんだったっけ?
 ちょっと荷物を運ぶのを手伝ってくれないかしら?」
「はい、おばさま、喜んでっ!」

 マナミの意図にピンときたサクノは、すぐに行きましょうと立ち上がった。そしてあっけにとられた娘を残し、時間つぶしのためサクノと二人で出て行ったのだ。



 ヒ・ダ・マ・リの特番は、本当にシンジ達を中心に進められていった。シンジも知っている有名なミュージシャンは、この日のためにとオリジナル曲を作り、それを全員で合唱したりもした。他にも何人かのミュージシャンがコラボして、シンジ達を称える歌を歌った。大御所と言われる人も、恋多き女といわれる人も、シンジの前では子供のように目をキラキラと輝かせていた。
 当然碇シンジwith薄桜隊も企画され、渋るシンジを引っ張り出して何曲か歌って踊ったりもした。アサミもまた、押し出されるようにステージに上がり、芸能界時代の持ち歌を披露した。半ばノリ過ぎの所もあったが、テレビカメラが回っていることを忘れ、シンジ達S高ジャージ部はパーティーを楽しんだ。

「では、ヒ・ダ・マ・リ特選映像をお送りしたいと思います。
 今回は、皆さんから頂いたリクエストで順位をつけています。
 まず第5位から紹介しますっ!」

 マイクを握りしめ、宗形は大きな声を上げてスクリーンを手で示した。

「第5位は、S高ボランティア部活動から、ヤンキー姿の篠山さんですっ!」

 その紹介に、キョウカは「やめてっ!」と大声を上げて顔を隠した。まだ1年も経っていないのだが、自分のやんちゃが恥ずかしいことだと理解したのだ。

「と思いましたが、素敵な女性に恥をかかせてはいけませんね。
 メンバー花澤と篠山さんの初ツーショットをどうぞ!
 これは、高知の奇跡の後に撮られた映像です」

 これはこれで恥ずかしいのだが、ヤンキー姿よりはずっとマシに違いなかった。それもあって、キョウカは大人しく我慢することにした。それに映像自体は、ことさら騒ぎ立てるようなものではなかったのだ。

「では、第4位の紹介です。
 番組のマスコット、ティアラが碇さんを前に緊張しているものです。
 この時は、どちらが芸能人か分からないとみんなでからかいました」

 番組のお陰で、ティアラの二人もそれなりに売れ始めていた。その二人が、シンジを前に完全に舞い上がっている映像である。今なら別に不思議なことではないが、その時のシンジは一般人と言うこともあり、逆だろうと笑いを取った映像だった。

「そして第3位の紹介です。
 これは、ある意味とても珍しい貴重な映像でしょうね。
 ボランティア活動の中で、堀北さんがお茶汲みをしている映像です。
 みなさん、取材に来ているカメラマン達のだらしない顔にご注目ください!」

 宗形の言うとおり、アサミがお茶を持っていった時、一人の例外もなく、カメラマン達がニヤけていたのだ。しかも普段の顔が並べられているため、その落差に見ている人達は全員お腹を抱えて笑い出した。

「そして第2位です。
 メンバー花澤が初めて参加したS高学園祭からの映像です。
 「不如帰」と言いたいところですが、あれはヒ・ダ・マ・リでは紹介していません。
 ジャージ部の初展示を行う際に撮られたスナップ写真です。
 最後に全員のやり遂げたという顔が、とても印象的だと評判になりました!」

 紹介とともに映しだされた写真は、本当に全員の顔が達成感に輝いていた。準備の写真と合わせてスライドショーになっていたので、学園祭の楽しさがしっかりと伝わってきたのだ。シンジやアサミがお弁当を食べる姿もその中には含まれていた。

「そして第1位ですが、自衛隊S基地のご好意で提供していただいた。
 そうです、S高学園祭でも公開された、あの映像です。
 映画よりも感動的な二人のキスシーンにご注目ください!」

 それを1位にするのは理解できるが、こんな所で晒し者にされるのは許せなかった。だが「ちょっと待て」とシンジが言おうとした時、突然盛大な歓声と拍手が耳に飛び込んできた。何事かとスクリーンを見たら、しっかりとアサミとのキスシーンが大写しになっていた。しかも隣にいたアサミが、しっかりとシンジの手を握りしめてくれていた。それを見る限り、問題の映像はしっかり上映されたことになる。
 まさかと思って壁の時計を見たら、いつの間にか10分ほど時間が進んでいた。

「ここでキスシーンの再現をお願いしたいところですが、さすがに今日は我慢しましょう。
 これで、ヒ・ダ・マ・リ特選映像ベスト5を終わります。
 来年は、もっと素敵な特選映像がありますように。
 素敵な映像を提供してくれました、ジャージ部の皆さんに盛大な拍手をお願いします!」

 宗形の催促に、パーティー会場にいた全員が盛大な拍手で答えた。その拍手を受け、シンジを始め、ジャージ部の全員が立ち上がって頭を下げた。

「楽しい時間というのは、あっという間に過ぎてしまうものですね。
 ヒ・ダ・マ・リ特番、2018年クリスマスパーティーもこれで終了です。
 最後は、ゲストの皆さんときよしこの夜を歌ってお別れしましょう!」

 宗形の合図で、会場の明かりが一斉に落とされた。そして各テーブルに備え付けられたローソクに、一斉に火がともされた。そしてパーティー会場に、電子オルガンによるきよしこの夜の伴奏が流れだした。

「きよしこの夜 星はひかり
 救いの御子は 御母の胸に……」

 歌が終わった所で、誰からともなく「メリークリスマス」の声が上がった。そしてその声に応えるように、会場の至るところから「メリークリスマス」の声が上がった。それが2回続いた所で、「ありがとうございます」と宗形が近づいてきた。

「碇さん達のお陰で、素晴らしい生放送になりました。
 本当に有難うございます。
 そしてこれからも、ギガンテスに負けないで頑張ってください。
 俺達も、微力ですけど応援させてもらいます」
「ありがとう、今日はとても楽しい思いをさせてもらったよ。
 そうだね、僕達はギガンテスになんか負けない。
 だから来年のクリスマスも、こうやってパーティーを開いてくれるかな」
「ええ、是非とも、喜んでっ!」

 シンジの手を宗形が握った時、今までおとなしくしていたゲストたちも集まってきた。そして全員が、口々に「頑張ってください」と声を掛けてくれた。全員がシンジ達を見て、全員が心からの声援を送ってくれた。その声援を、ジャージ部一同は感激の涙を流しながら受け取ったのだった。こうして、「ヒ・ダ・マ・リ」特番、2018年クリスマスパーティーは、本番以上の盛り上がりを見せて終了したのだった。



 感動のフィナーレを飾ったパーティーから1時間後、シンジはアサミと二人S市中心部の公園を歩いていた。さすがにクリスマス・イブと言うこともあり、11時になるのに大勢の人が集まっていた。集まっていた人たちの目当ては、華やかなイルミネーションに飾られたオブジェの数々だった。集まった人たちは、お気に入りのオブジェの前で、思い思いに記念写真を撮ったりしていた。
 その光の世界を歩きながら、シンジは「楽しかった」と口にした。

「あんなに楽しいパーティーは生まれて初めてだったよ。
 木村さんや薄桜隊のみんなに感謝しないといけないね」
「そうですね、本当に楽しいパーティーでしたね。
 私も今になって、俳優を辞めるんじゃなかったって後悔したぐらいです」

 そう答えたアサミは、「楽しかったですね」ともう一度口にした。

「でも、一番楽しかったのは、先輩と一緒に入られたからですよ。
 最後に特選映像が有ったでしょう?
 実は、あれを見てちょっとウルッて来てしまったんです。
 ああ、先輩と会ってから、こんなに素敵なことが沢山あったんだなぁって」
「それは、僕も同じだね。
 アサミちゃんと出会って、とっても素敵な1年を過ごせたと思っているよ」

 そこでシンジが浮かべた笑みは、久しぶりに見る曇りのないものだった。心の底から、アサミと出会えて嬉しかった。そして今日一日、本当に楽しく過ごせたと思っていたのだ。そしてクリスマス・イブの夜、こうして大好きな人と一緒に居られる幸せ。それを心から感謝していたのだ。
 そしてその気持ちを、とても素直にシンジは口にした。

「今日は、ずっとアサミちゃんと一緒にいたいな」
「パパとママからは、自由にしていいって言われています。
 でも、先輩はレイちゃんを家に残してきていいんですか?」

 シンジがいなければ、レイは家で一人ぼっちになってしまう。それは問題だと言うアサミに、「同じ事を言われた」とシンジは頭を掻いた。

「今日は帰ってくるなって言われたよ。
 友達を呼んでパーティーをしているから、こっちのことは心配するなって」

 そこまでする友達がいることを、シンジは素直に信じたようだが、アサミはそれがレイの心遣いだと理解することが出来た。

「こんな事だったら、ホテルを予約しておけば良かったですね」
「う〜ん、そう言うあからさまなのって、やっぱり恥ずかしいかな」

 葬式の後にしたことを考えると、どの口でそれを言うと指摘したいところだろう。もちろんアサミも覚えているのだが、ここでそれを言うことに意味が無いのも分かっていた。

「だったら、もう少し散歩をしませんか?
 泊まるところだったら、きっと何とかなると思いますから」

 いざとなれば、無理を通すだけの知名度は持っている。どこに行けばいいのか、すでに当たりをつけたアサミだった。

 その頃マドカ達一行は、シンジ達にばれないように公園を散歩していた。別に覗こうと思ったのではなく、せっかくのイブなのだからと、全員で観光スポットに繰り出した結果である。そこでシンジ達を見かけたから、ちょっとだけ興味が勝ってしまった結果だった。

「やっぱりさぁ、こういう所は恋人と一緒に来たいよね」

 後ろを振り返ると、いつも見る顔が並んでいた。唯一アキラと言う男がいたのだが、女3人の前で存在感を示せるはずが無かったのだ。ちなみにキョウカは、番組が終わったところでお迎えの車に乗って帰って行った。
 今の状況をぼやいたマドカに、アキラが「まあまあ」と取りなした。言いたいことは分かるし、大いに賛同したい考えでもある。だがこの場でそれを口にするのは、寂しくなるからやめようと言うのだ。

「でも、今日はとっても楽しかったね」
「本当に、一日盛りだくさんでしたね」

 ボランティア活動のはしごをした後、テレビ番組のライブ放送にまで出演したのだ。アキラにしてみれば、4ヶ月前には想像も出来ない変化だった。パイロットになった結果は出せていないが、来年こそはと心に期するものがあったのである。

「ところでみんな、この後どうする?」
「特に予定は無いのだが……
 しかし、高校生として夜遊びをしていいものなのか?」

 時計を見れば、すでに11時30分になっていた。このまま行けば、すぐに日付が変わってしまうことだろう。品行方正を旨とするユイにしてみれば、夜遊びは不良のすることだった。

「こんなもの、年末に2年参りをするようなものでしょう。
 せっかくのイベントなんだから、堅いことは言わないものよ」
「そう、考えれば良いのかな?
 大津はどう思う?」

 自分と同じ常識人だと思ったのか、ユイはアキラに意見を求めた。ただ、アキラも男だと言うことを忘れていたのがユイの敗因だった。恋人でなくても、綺麗な女性達とイブの夜を過ごせる。そんな機会をみすみす手放すはずが無かったのだ。

「僕としては、皆さんと一緒に行動したいと思います」
「やっぱり大津君も男の子だね。
 でも、下心は顔に出さない方が良いと思うよ」

 無邪気なマドカの指摘に、アキラは思わず右手で顔を押さえた。

「下心なんて……出てました?」
「まっ、下心を持たれないのもしゃくに障るけどねぇ。
 でも大津君、一度に3人なんて、結構な欲張りだね」
「そ、そんなことは思っていませんっ!」

 それはさすがに怖すぎる。多少期待するところはあるが、それ以上に結果が恐ろしかった。

「まっ、碇君でも無理だったんだから、大津君じゃまだまだだね。
 ところでナルちゃん、なんで話に加わってこないの?」

 普段ならマドカと並んでうるさいナルが、今日に限って話に絡んでこなかった。それに気づいたマドカに、「見物しているから」と、ナルはシンジ達の方を指さした。

「そろそろ、キスぐらいするかなぁって。
 そっから先は、たぶん場所を変えると思うけどねぇ」
「あれだけテレビで流されたんだから、今更キスぐらい何でも無いのかな?」

 指さされた先を見ると、二人は確かに良い雰囲気を醸し出していた。

「でも、あの二人って絵になりますよね」
「あの二人が絵にならないんだったら、誰も絵にならないよ」

 うんうんと頷いたマドカは、ナルと並んでシンジとアサミを観察することにした。次第に近づいていくのを見ると、まもなく期待通りの展開が見られるだろう。

「いいんですか?」
「いや、将来の参考にだな」

 そしてアキラとユイの二人も、なんだかんだ言ってマドカ達に並んだ。こういうシーンは、やっぱり見逃してはいけないのだと。

 同じ公園には、滝川とアイカの二人も歩いていたりした。当然二人も、シンジ達が居ることに気がついている。まあ、周りが注目しているのだから、気づかない方がどうかしているというのが現実だった。

「やっぱり、会ってしまいましたね。
 ヨシノさん、「良いお年を」なんてクリスマス前に言うものではありませんね」
「今までなら、絶対に会わないはずだったんだけどな……」

 その証拠に、滝川は街でシンジに会ったことが無かったのだ。それを考えれば、年内は会わないつもりで「良いお年を」と言っても間違いでは無いはずだった。それなのに、ホテルの前では見つけられるし、ここでは逆にシンジ達を見つけてしまった。
 なんでかなぁと考えていたら、「さすがですね」とアイカが横でシンジを褒めた。

「なにが?」
「全部です。
 ヨシノさんと違って、おどおどしたりしていません」
「それは、アイカちゃんが……いえ、何でもありません」

 アイカに睨まれ、滝川は言い返す言葉を飲み込んだ。そのあたりが、アイカには「まだまだ」とからかわれる所だった。もちろん、からかうだけで、不満があるわけでも無かったのだが。

「でも、あの二人は一緒に居るだけで雰囲気がありますね。
 やっぱり、していると言うのが理由なのでしょうか?」
「そ、そんなことを言われても……ねぇ」

 直接的な表現に、「あー」と滝川は話を逸らそうとした。だがアイカは、いつものように「私達もどうですか?」と滝川をからかった。

「クリスマスイブと言うのは、恋人達が情を交わす日だと言いますよ。
 そろそろヨシノさんも、覚悟を決めてみたらどうですか?」
「覚悟を決めるのは僕なの?」
「キスも、私がリードしなければ出来ませんでしたよね?」

 それを指摘されると、滝川も言い返すのが難しくなる。ただ、だからと言って、覚悟を決めろと言うのもどこか違うと思って居た。それを言い返すと、余計にややこしくなるのが分かっているので、「寒くなってきたね」と話を逸らす作戦に出た。
 それをため息で受け止めたアイカは、「そうですね」と空を見上げた。

「これで雪でも降れば、最高の舞台装置になるのでしょうが。
 残念ながら、空には雲一つありませんね。
 ところでヨシノさん、人前で口づけするのははしたない行為でしょうか?」

 アイカの視線の先には、シンジとアサミが立っているはずだ。それを理解した上で、滝川は「どうだろうね」と少し考えた。

「日本人の常識では、人前でキスはしないものだと思うよ」
「それが、奥ゆかしさというものですか。
 つまり、碇さん達は見られても構わないと認めていると言うことですね」
「いやいや、普通は周りが気を遣って見ていないふりをする物だよ」
「だったら、見ていない“ふり”をすれば良いのです」

 そう言って両手で目隠ししたアイカは、「ヨシノさんにも見習って欲しいものです」と小さな声で言った。当然目隠しをしている“ふり”なので、アイカからはしっかり二人のことが見えていた。

「そう言うあからさまなのって、かえって目立つことになると思うよ」
「だったら、ふりをするのもやめることにしましょう」
「見ないって選択肢は無いようだね」

 ほっとため息を吐いた滝川は、それ以上アイカに意見を言うのをやめることにした。そして今まで何を言っていたのかと言いたくなるのだが、滝川もまたシンジ達をじっくりと観察することにしたのだ。その心の中を覗くのであれば、「やっぱり良いよなぁ」と言う羨望があったのだ。

 色々な人に見られているのは知っていたが、その程度のことにアサミは今更こだわらなかった。そのあたり、小さな頃から見られ続けていたと言う事情もある。そしてシンジも、ここの所人目に付きすぎたと言うことも有り、あまり周りの視線を気にしていなかった。周りの視線よりも大切なもの、それが身近なところにいてくれるのだからと。
 ちらりとアサミの表情を伺ってから、シンジは大きなもみの木に視線を向けた。山の中にあることを良いことに、どこからかもみの木の巨木が運び込まれたのだ。そこに色とりどりの飾りが取り付けられ、LEDの光がこれでもかと言うほど点滅していた。願い事の札がぶら下がっているのは、七夕と勘違いしているとしか思えなかった。

 ただアサミにとって、勘違いだろうと何だろうと問題は無いようだった。配られていた星形の札を受け取ると、その一枚を「先輩もどうぞ」と言ってシンジに手渡した。

「これって、七夕にする物だと思うんだけど?」
「普通は空気を読んで、願い事を書き込むものですよ。
 と言うことなので、先輩も心からのお願いを書いてくださいね」
「世界が平和でありますように……じゃ、ちょっと弱いか」

 書けとおねだりされたら、さすがに書かないわけにはいかないだろう。ただ本当の願いを書いたとしても、かなえられることが無いことだけは分かっていた。

『ずっとアサミちゃんと一緒に居られますように』

 書きたくても書けない、本当ならとてもささやかな願い事のはずだった。だがそれを外してしまうと、何も書けないことに気づいてしまった。何かを書こうと努力するのだが、その何かがまったく浮かんでくれなかったのだ。
 さんざん迷ったあげく、シンジが書いたのはただアサミの幸せを願うものだった。

『大好きな人が、ずっと幸せで居られますように』

 なにがどうやってと言うのが全くない、どう叶えて良いのか分からない。そしてどう考えても叶えられない願い事に違いなかった。ただ、それを見たアサミは「欲張りですね」とシンジに笑って見せた。

「そうかなぁ、じゃあアサミちゃんは何を書いたの?」
「そんなもの、内緒に決まってるじゃ有りませんか。
 それに、私の願い事を見たら、きっと先輩はがっかりしてしまいますよ。
 もしも私が、「早くいい人が見つかりますように」なんて書いていたらどうするつもりです?
 それは冗談ですけど、やっぱり先輩は私の書いたものを見ない方が良いんですよ」
「その冗談は、結構きついものがあったね」

 勘弁してと心臓に手を当てたシンジは、枝の空いているところに自分のお願いをくくりつけた。そしてアサミはと言うと、シンジから見えないところにお願いを縛り付けた。

「本当に見えないところに付けたんだね」
「有言実行が私のモットーですから!」

 そう言って笑ったアサミは、「行きましょうと」シンジの左腕に自分の腕を絡めた。こんなスポットにいたら、人目についてしょうが無かったのだ。

「これで、先輩とのクリスマスイベントもクリアしましたね」
「クリスマスイベントって……まるでゲームみたいに言うね」

 そう言って苦笑したシンジに、「似たところがあります」とアサミは答えた。

「先輩を、私だけの物にするため、いろんなイベントをこなす必要があるんですよ。
 遊園地イベントは、アメリカで達成しましたよね。
 プールイベントも、アメリカで達成しました」

 そう言って指を折って数えるアサミに、「告白もアメリカだったね」とシンジも乗ってきた。

「初体験も、アメリカでした。
 家族に紹介したのも、アメリカでしたね」
「でも、お父さんに紹介されたのは日本だよ。
 後は、花火大会とかお祭りとか……学園祭もあったね」
「生徒会選挙も、忘れてはいけないと思いますよ!」
「そして、今日のクリスマスイブか……」

 振り返ると、大きなツリーが光っているのがよく見えた。あの光の下に、自分達の願い事が記されている。

「今日は、本当に楽しかったですね。
 これからあるイベントは、まず大晦日ですね。
 レイちゃんと一緒に遊びに来てくれれば、一緒に年越しそばも食べられますよ。
 後は、私の晴れ着姿も見せてあげられるし……
 パパとママから、お年玉も貰えるかもしれませんね」

 「それからそれから」とアサミは楽しそうにこれからの予定を口にした。

「今年は、私がちゃんとしたバレンタインデーの本命チョコを差し上げます。
 だから先輩も、ホワイトデーにはお返しをお願いしますね。
 3月3日が私の誕生日だから、一緒にお誕生会を開いて……
 先輩のお誕生日には、婚姻届を出すのも良いかもしれませんね……
 お花見をしたり、ピクニックに行ったり、まだまだ、本当に、沢山、沢山……」
「アサミちゃん?」

 訝ったシンジに答えず、アサミは自分の願いを話し続けた。

「沢山、先輩としたいことがあるんです。
 先輩の赤ちゃんも、やっぱり男の子と女の子が欲しいなぁって。
 先輩とだったら、パパとママみたいに素敵な夫婦になれると思うんです……
 先輩とだったら、絶対に、幸せになれると、思って、居るんですよ……」

 嬉しそうに話しながら、アサミの瞳には一杯の涙が浮かんでいた。こうして将来を口にするたびに、叶わない願いに悲しくなってしまうのだ。

(先輩、後藤さんに聞きましたよ)
(どうして私には教えてくれないんですか)

 それを口に出来たら、どんなに楽になれるのだろうか。だけど、それを言ってはいけないことをアサミも分かっていた。どれだけシンジが悩み、どうして自分が居ないところで結論を出したのか。後藤に聞かされなくても、それぐらいのことはアサミにも分かっていたのだ。
 「誰にも渡したくない」「殺してしまうかもしれない」シンジがそう言ったと聞かされた時は、それで良いのにと思ったぐらいだ。愛する人が居なくなるのなら、こんな世界に何の未練も無い。一緒に逝った方が、どれだけ幸せなのか。今からでも、「一緒に死んで欲しい」と言って欲しいぐらいだった。

 そんな思いのすべてを飲み込み、「楽しかったですね」とアサミは語りかけた。

「ヒ・ダ・マ・リの特選映像、ああ、こんな事もあったんだなって」
「アサミちゃんがお茶くみをした奴とか?」
「学園祭で、みんなで夜なべをして展示を作ったこととかもです。
 写真を見たら、あの時のことを思い出しちゃいました。
 今まで、あんなに楽しい思いをしたことが無かったなぁって。
 だから先輩、イブなんですから、もっと私を幸せにしてくれませんか?」

 ころころと話を変えるアサミに、シンジは苦笑を浮かべて「どうすれば良い?」と聞き返した。

「そうですね、とりあえずキスしてくれませんか?」
「ここで?」

 周りを見れば、大勢の人が歩いているのを見ることが出来る。きっと自分たちのことを知っている人も、沢山居ることだろう。それを恥ずかしいと考えたシンジに、「先輩よりはマシですよ」とアサミは言い返した。

「お葬式の時に、「やりたい」とさんざん耳元で囁かれましたからね。
 お寺でも良いと言ったのは、いったいどなた様だったのでしょうか?」
「あー、あれは反省してますです」
「だから、恋人として可愛いおねだりをしているんですよ。
 私達のキスシーンは、テレビでしっかり流されているから気にしてもしょうが無いです」
「だからと言って、こんなところでキスするのも……まあ、いいか」

 ここでいくら抵抗しても、アサミが諦めてくれるとは思えなかった。それに、可愛くおねだりをされると、シンジだってその気になってしまうのだ。

「なにか、構えると恥ずかしいものだね」
「そうやって言われると、余計に恥ずかしくなるって知っていますか?」

 そう言って微笑んだアサミは、両手をシンジの胸に当てて目を閉じた。
 なにか、こうして改めてキスをするのは恥ずかしい。ただキスをねだるアサミが、シンジにはどうしようも無く可愛く見えていた。鼓動がやけに大きく感じるのは、それだけ緊張しているからなのか。本当に可愛くて、どうしようも無く愛おしく感じてしまう。その気持ちを伝えるために、キスをしなければいけないのだとシンジは確信した。アサミのことを大好きで大好きでたまらないことを伝えるため、自分は心のこもったキスをしなくてはいけないのだと。

 だからシンジは、アサミの頬にそっと自分の右手の平を当てた。大切な人に、少しでも心のこもったキスをするために。そしてそれに答えるように、アサミは少し上を向いてシンジにキスをして貰うのを待った。
 だが二人の唇は、重なり合うことを許されなかった。アサミが少し背伸びをした時、シンジの体がゆっくりと崩れ落ちていったのだ。アサミに口づけをするという幸せな時間を抱いたまま、碇シンジの時間は永遠に止まったのである。

「せんぱ……いっ?」

 足下に崩れ落ちたシンジに、アサミは呆然と呼びかけた。そしてすぐに、しゃがんでシンジの体を抱きしめた。そして精一杯の思いを込めて、シンジのことを呼び続けた。今まで何度もこんな事はあったのだから、今度も必ず帰ってきてくれる。その願いを込めて、何度も何度もアサミは「先輩」とシンジを呼び続けた。絶対に呼び戻してみせる、このままでは絶対に終わらせはしないと。

 シンジの異変に、マドカや滝川達も駆けつけてきた。だがそんなことにも気づかず、アサミはシンジを抱きしめ、ひたすら呼びかけ続けた。だがアサミの必死の思いも、今度ばかりは届くことは無かった。いくら呼びかけても、シンジは目を覚ますことは無かったのだ。それでも、アサミは狂ったようにシンジの名を呼び続けた。マドカ達に出来たことは、そんな二人をただ見守ることだけだった。

『先輩とずっと一緒に居られますように』

 きらびやかな光の中、アサミの書いた願い事が風にゆらゆらと揺れていた。







続く

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