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 サクノからパイロット候補試験の話を聞いた翌日、アイリはいつも通りの時間に家を出ていた。少し曇りがちな空模様も、この時期には珍しくないと天気予報で言っていた。ただ雨の少ないS市に比べ、気持ちが晴れないなんて事を考えていた。

 家から10分ほど歩いて校門に着いた所で、アイリは前を歩く二人連れに気がついた。少し早足で二人に近づいたアイリは、「おはよう」と元気よく声を掛けた。

「アイリさんおはようございます」

 普段と全く変わった様子を見せないサクノに比べて、兄のシンゴは「おはよう」と言いながらアイリから視線を逸らしていた。挨拶の声にしても、普段に比べて少し沈みがちだった。まあ、テストに落ちれば、誰だって気持ちは落ち込むものだろう。

「選ばれなくてがっかりしているの?」

 そう言ってシンゴの精神状態を推測したアイリに、妹のサクノは「気まずいんです」と兄の精神状態をばらした。

「昨日休んだから、みんなにテストを受けたことがバレてしまったんです。
 特にアイリさんにバレたから、顔を合わせにくかったと言うことなんです」
「だったら、少し時間をずらして来ればいいのに……」

 そうすれば、少なくとも校門で顔を合わすことはないはずだった。だがそんなアイリの言葉に、「あまり意味がありません」とサクノが冷静に答えてくれた。

「どうせ教室に行けば顔を合わすことになるんです。
 まだ、ここで顔を合わせた方が傷は軽いはずです」

 妹にそこまで言われても、兄のシンゴは黙ったままだった。それが自分への気まずさが理由だとしたら、あまりにも気にし過ぎだと言いたくなる。だからアイリは、少しきつめに「瓜生君」とシンゴに呼びかけた。

「あんた、そんなに私から逃げ出したかったの?」
「お、いや、そんなつもりはないんだけど……」

 少しおどおどとした態度をとったシンゴに、はあっとアイリは大きくため息を吐いた。

「なんか、私がいじめているように見えるじゃない」

 そう言って文句を言いながら、アイリは懐かしいななどと考えていた。シンゴの態度に、入学した頃のシンジを思い出していたのだ。先輩達に強制されて立候補したクラス委員で、シンジはいつも自分に対しておどおどとした態度をとっていた。

「違うか、碇君は私以外にも自信無さ気だったか……」

 それに比べれば、シンゴがおどおどとするのは自分に対してだけなのだ。いじめた記憶もないのだから、怖がられるのは違うと思っていた。

「瓜生は、サクノちゃんを守ってあげないといけないのよ。
 それが、そんなビクビクしていてどうするのよ」
「アイリさん、あまり兄を責めないであげてください。
 うちの兄は、余り逞しい方じゃありませんから」
「だとしても……」

 もう一度ため息を吐いたアイリは、それ以上シンゴへの追求は諦めた。こうして追い込むのは、間違い無くいじめになるし、それが役に立つとは思えなかったのだ。実際シンジとの間でも、自分のきつさは裏目にしか出ていなかったのを思い出したのだ。もう少し可愛くしていたら、あんな事件が起こる前に付き合うことができたのにと。

「アイリさん、顔が赤いけどどうかしました?」

 シンジのことを思い出していたからだろうか、サクノが指摘した通り、少しアイリの顔が上気していた。ほんのりと色香が増したのを見ると、怒っているのとは違って見えたのだ。

「べ、べつに、い、いつもの通りだと思うわよ!」

 十分に何かがあったと思わせる態度をとったアイリに、「そうですか」とサクノは大人しく引き下がった。そんなサクノに、アイリは「忘れていた!」とわざとらしく声を上げ、職員室に行く用事があったと言いだした。ここに居ると、ついきついことを言ってしまうし、余計な詮索をさせることになってしまう。それを避けるためには、一時的にでも離れておく必要があったのだ。

「だから、ちょっと先に行くね!」
「はい、じゃあ私はまた明日ですね」

 そう言って丁寧に頭を下げたサクノに、アイリはもう一度「じゃあ」と言って小走りに駆けていった。そんなアイリを見送り、サクノは兄に向かって小さくため息を吐いた。

「アイリさんへの印象を悪くしてどうするんですか?
 兄さん、碇さんは張り合う相手じゃありませんよ。
 アイリさんだって、兄さんと碇さんを比べていないと思います」

 アイリに向ける兄の気持ちなど、パイロット試験を受ける前から気づいていたことだった。偶然会った時から、何かにつけて兄が気にしているのを知っていた。

 そしてアイリが口にしないS高のことも、噂としてサクノの耳にも届いていた。何しろ、「瀬名アイリ」もまた、S高の有名人だったのだ。
 ただアイリが有名だったのは、堀北アサミ絡みのことに限られていた。何のことはない、ファンクラブの要注意人物(敵)である碇シンジのお相手として有名だっただけのことだ。そのアイリが北海道に転校したことで、ファンクラブのツイッターが阿鼻叫喚の地獄となったのである。だからアイリがS高から転校してきたことを知る者は、当然その噂も知っていたのだ。

「碇さんは、堀北さんと付き合っているんですよ。
 だからアイリさんとのことは、もう過去のことなんです。
 今更やり直せないのは、アイリさんが一番良く分かっている事だと思いますよ。
 アイリさんは綺麗だけど、堀北さんと比べたら普通すぎる人なんですからね」
「それでも僕は、今のままじゃいけないと思ったんだよ」
「だからと言って、パイロットと言うのは短絡的だと思う」

 そんなことは、今更言われなくてもシンゴも分かっていたことだった。もしもカテゴリAにランクされたなら、結局この街を出てS市に行くことになる。自分を変えようと思った動機を考えると、本末転倒の結果でしかないはずだ。
 そしてもう一つ忘れていけないのは、ただカテゴリAにランクされた程度では、碇シンジと張り合うことは出来ないということだ。パイロットとして世界の頂点に立つ碇シンジと、ただの候補生では比較することすらおこがましいことだったのだ。

「兄さんは兄さんらしくいるのが一番だと思う。
 アイリさんと会ってから、兄さんは背伸びをしようとしすぎてると思う」

 そしてそれが空回りして、余計に無様なところを見せることになっている。それを妹に指摘され、シンゴは更に落ち込んでしまった。いいところを見せようと言うスケベ根性が、尽く裏目に出ている自覚は有ったのだ。妹に「らしくない」と言われるのも、あまりにも当たり前の結果だった。
 だから妹に、「分かっているんだ……」と言葉を濁し、シンゴは自分の教室へと向かっていった。

 シンゴが教室に入った時、まだアイリは“職員室”から戻ってきていないようだった。一度ぐるりと教室内を見回したシンゴは、少しほっとしたようにため息を吐いてから、自分の席へと歩いて行った。周りから注目されないところを見ると、前日休んだことはあまり気にされていないようだ。
 そしてシンゴが席に着いたところで、一人の男子が近づいてきた。少し長めの茶髪をした、快活そうな少年だった。身長も、シンゴより少し高いと言うところか。

「よっ、結局シンゴも落選仲間になったか」
「ああ、やっぱり壁はとんでもなく高かったようだね」

 ふっと口元を緩めたシンゴに、彼の友人椋梨ハヤタは、妹と同じ事を言ってくれた。

「せっかくらしくないことにチャレンジしたのに、見事討ち死にってところだな」
「そうやって、あまり“らしくない”って言って欲しくないんだけどな。
 妹にも言われているから、結構それを言われると堪えるんだ」

 なんだかなぁとシンゴが天を仰いだ時、「おはよー」と元気よくアイリが入ってきた。それを見つけた女子が、こっちこっちとアイリを手招きしていた。
 荷物を自分の机に置いたアイリは、すぐにその輪の中心になって話しだした。

「瀬名は、すっかり人気者だな」
「明るいし、綺麗だし、頭も良いからなぁ」
「高嶺の花ってところか。
 まあ、シンゴがらしく無いことをする理由にはなるな」

 そう言って口元を歪めたハヤタに、「勘弁してくれ」とシンゴは謝った。アイリに対して強い好意を抱いているのは確かだが、こうして人のいる所で口にしてほしくなかった。

「でも、実際の所どうするつもりなんだ?
 告白する自信をつけるために応募したのに、見事返り討ちに遭って帰ってきたんだろう?」
「そんなつもりじゃ……」

 ないと否定しかけたシンゴだったが、それ以上否定の言葉は出て来なかった。ハヤタが言うとおり、自分に自信をつけようと考えたのは確かなだ。そしてそのきっかけは、夏休みに入った所で転校してきたアイリに有るのも間違いなかった。
 ただハヤタの言うとおり、その試みは見事返り討ちに遭ってしまった。そうなると、前よりももっと悪くなるから質が悪い。そのせいで、アイリの前では余計おどおどすることになってしまった。

「空気しか読まないお前が、あえて空気を読まない真似をしたんだからな。
 もう少し、積極的になってみたらどうだ?
 少なくとも、俺の目からは脈ぐらいはありそうに見えるんだがな」
「ただ、妹と仲がいいだけだろう……」

 そうして落ち込まれると、親友としてなんとかしてやりたくなる。ただ、それにしてもどうしたら良いのか、その方法にはまだたどり着いていなかった。

 そしてその放課後、こっそりと帰っていく親友を見送り、ハヤタはお節介にとりかかることにした。授業中考えた結果、本人と話をする以外の方法が思い浮かばなかったのだ。
 カバンを持って帰ろうとしたアイリを先回りし、下駄箱の所で「ちょっといいか」と呼び止めた。シンゴを通しての友人に呼び止められ、アイリは少し驚いた顔をした。

「部活もしていないから暇だけど、それ以前に椋梨君こそいいの。
 これから生徒会があると思うし、椋梨君、彼女が居るんでしょう?」
「大して時間を取らせるつもりはないさ。
 それに彼女は……彼女は、まあ、説明すれば分かってくれるだろう」

 少し眉をハの字にしたハヤタに、アイリは口元に手を当て小さく吹き出した。そうやってシンジも、よく困った顔をしていたのを思い出した。

「じゃあいいけど、どこで話をする?」
「目立たなくて、噂になりにくい所が良いな……」

 そんな都合のいい場所があるのかと考えたアイリは、だったらと教室に戻ることを提案した。そうすれば、忘れ物を取りに戻った顔をすることが出来る。それに、クラスメイトだから、一緒に教室にいてもおかしくはないだろう。

「教室か……まあ、残っている奴も少ないからいいか」
「この時間なら、まだ適当な人数が残っているでしょ」

 人が多すぎても少なすぎても、それはそれで問題が大きくなる。適度にバラけた人数が残っているのが、この場合は好ましかった。それに「そうだな」と頷いたハヤタは、相談の場所を教室に移すことにした。

 二人が教室に戻った時には、まだクラスメイトが10人ぐらい残っていた。戻ってきた二人に驚いた何人かが、「どうしたの?」と声を掛けきた。その全てに「悪巧み」と答え、アイリとハヤタは教室の隅にある机で向かい合った。「悪巧み」と言っておけば、内緒話をしていても不自然ではないし、教室だと考えれば、色っぽいことだとも思われないだろう。

 「それで?」と正面から言われたハヤタは、「綺麗だな」とアイリの見た目に感心していた。確かにこれならば、見た目だけでも親友がらしくないことをする理由になる。そしてクラスメイトとして観察する範囲では、性格はキツ目ではあるが、どちらかといえば良い方だろう。それで頭も良いのだから、憧れる対象としてふさわしいのかもしれない。

「私の顔に何かついてる?」
「いや、ちょっと思うことが有ったんだよ。
 それで瀬名さん、相談というのはシンゴのことなんだ」

 単刀直入に親友のことを持ちだしたハヤタに、「優しいのだな」とシンゴのことを思った。彼の友達は、例外なく彼にとてもやさしいのだ。それが彼の人徳だと考えれば、それはとても貴重なことに違いない。

「瓜生君のことね。
 それで、椋梨君が瓜生君のことで何の相談?」

 できるだけきつくならないように答えたアイリに、「結構困っている」とハヤタは答えた。

「瀬名さんが来てから、あいつがらしくないことをするようになっちまったんだ。
 それを瀬名さんの責任にするつもりは無いんだが……
 男が女の前で格好をつけようとする動機ぐらいは想像がつくだろう?」
「それを聞かれても、結構答えに困るんだけどね。
 一応想像がつくってことでいいかしら?」

 うんと頷いたハヤタは、「少しお節介をするつもりだ」とアイリに切り出した。当然、どういうつもりかはアイリにも想像が付いた。似たようなことは、さんざんシンジの妹レイがしてくれたのだ。ただ、そのお節介は、どちらかと言えば自分に向けての物だった。

「それは、瀬名さんにとって迷惑なことかな?」
「別に、迷惑ってことはないわよ。
 ただ先に断っておくけど、だからと言って恋人になるのと結び付けないでね。
 他に誰か好きな人が居るわけじゃないけど、誰でも良いって訳じゃないから。
 それから、別に彼のことを嫌いとか思っていないからね。
 ただ、恋人にするほど好きって訳でもないだけよ」
「好きな人は居ない?」

 そこを強調したハヤタに、「知っているんでしょう?」とアイリは口元を歪めた。誰も触れてはこないが、結構知られていることはアイリも自覚していた。

「ああ、さすがに驚いたけどな」
「まあ、普通は驚くわね。
 それに、形の上では私が振ったことになっているんだから」

 「形の上」と言う微妙な言い方に、ハヤタはその理由を聞いてみたくなった。だが、この場でその話をするのは、いささか相応しくないのも確かだろう。だから感じた欲求を抑えこみ、ハヤタは話を親友のことに引き戻した。

「もともと、あいつは活発な方じゃないんだ。
 そんなあいつが、瀬名さんの前では無理ばっかりしている。
 せっかく良いところが沢山あるのに、そのせいで無様なところばかりを見せているんだ。
 だから今のあいつが、本当のあいつじゃ無いことを分かって欲しい」
「それぐらいのことで、見損なったりはしないわよ。
 それから、無理をすること自体、悪いことばかりじゃないと思うわよ。
 ただ問題は、無理をする方向性を見失っていることかな?
 女の子としては、自分のために無理をしてくれるのは悪い気持ちはしないのよ。
 ただ、そればっかりじゃ困るんだけどね。
 もう一つ言うんだったら、失敗したぐらいで落ち込まないで欲しいことかな。
 一度や二度の失敗ぐらい、気にしないでチャレンジして欲しいわね」

 ここで比較をしてはいけないと思いながら、アイリはついシンジと比較をしてしまった。自分の知っているシンジは、数えきれないほどの失敗をしているのだ。それでも先輩達に引きずられ、何度も何度もチャレンジを繰り返していた。その結果で今があるのだから、一度や二度の失敗で臆病になってほしくないと思っていた。

「確かに、瀬名さんの言うとおりなんだろうな……
 ただ、あいつの場合、それがなかなか難しいんだよ」
「だったら、椋梨君がお尻を叩いてあげたら?
 私の知っている人だって、先輩達にお尻を叩かれて頑張っていたわよ」

 その「知っている人」が誰のことを指しているのか。どうしてここで持ちだしたのかを考えれば、アイリの言いたいことも理解できる。そしてそれこそが、アイリのくれたヒントなのだろう。

「それを、瀬名さんに期待するのは間違っているのか?」
「私の知っている人は、結局その先輩とは付き合わなかったのよ」

 それが答えと、アイリは自分がお尻を叩くことを否定した。親友を心配したハヤタには悪いが、そこまでする理由がないと考えていたのだ。それにそこまでするぐらいなら、無理をさせずに付き合えばすむ事なのだ。そうすれば、無理してらしくないこともしなくてすむのだ。

(本当に好きだったら、堀北さんを見習えば良いんだけど)

 今はまだ、そこまでの気持ちをシンゴに抱いていない。だからアイリは、急ぐつもりが無かったのである。



***



 ギガンテス迎撃のための取り組みとして、世界を小さくすることも課題の一つとなっていた。ヘラクレスの配備が進んだのを利用して、パイロットだけを移動させることを対策の一つとしたのである。そのために、高速巡航性能と複座式である、旧型のF15戦闘機が復活させられた。

「最高速度マッハ2.5、空中給油も可能だから、サンディエゴでも4時間で到着できる」

 改装されたF15の前で、後藤はシンジに対して「凄いだろう」と自慢して見せた。男として、やはり純粋なメカは見ていても楽しいのだ。得体の知れないヘラクレスに比べて、戦闘機と言うのはやはり男のロマンが込められていた。

「なんで、アニメの鳥が描かれているんですか?
 って言うか、これっていったい何なんですか?」

 目の前の機体は、今まで見た戦闘機に比べて、派手なカラーリングが行われていた。しかも、漫画的にデフォルメされた鳥が描かれていることに、シンジは「何?」と首を傾げた。

「これか?
 高名な漫画家、手塚治虫先生の「火の鳥」だ。
 ちゃんと許諾を得て、機体に描かれた物だ。
 ちなみに、2機で運用されるので、もう1機にも同じ絵柄が描かれている。
 君が乗った時のコールサインは、Phoenix1と規定された」
「僕が乗ったって……気前よく見せてくれたから何かあると思っていたんですが……
 まあ、必要性は認めますけどね」

 ギガンテス迎撃における課題の一つに、襲撃範囲が世界全体に広がっていることがあった。それに対してカテゴリ1の基地は、世界に3カ所しか無いのである。基地からの遠さが、それだけ被害発生のリスクになってくれるのだ。ならば、少しでも早く現場に到着する方策が考えられてもおかしくない。

「まあ、通常の迎撃で使用されることは無いだろうな。
 ただ、サンディエゴ、カサブランカ単独で手に余ると判断された時、
 君に乗って貰うことが想定されているんだ。
 そのため、常にS基地では1機がスクランブル体制に置かれる。
 そして空自から、このためにエース3人が引き抜かれることになった。
 と言うことなので紹介しておくことにしよう」

 後藤は、少し離れたところでミーティングしている3人に「こちらに来ていただけますか」と声を掛けた。普段とは違う丁寧な対応に、シンジは少し驚かされてしまった。

「加藤一佐殿、彼が碇シンジ君です。
 碇シンジ君、彼が空自の加藤タテオ一佐だ。
 フェニックスチームのリーダをしていただいている」

 シンジの前に居たのは、年齢的には後藤より少し若い男性だった。空が戦場と言う理由なのか、自衛隊員に似合わない優男の風体をしていた。
 後藤に紹介された加藤は、温和な笑みを浮かべてシンジに右手を差し出した。

「加藤タテオです。
 君と一緒に仕事が出来て光栄です」
「碇シンジです。
 これからよろしくお願いします」

 大きな手でシンジの手を握った加藤は、そこから先を後藤から引き取った。

「じゃあ私から、部下を紹介することにしましょう。
 まず、右側に居る無愛想なのが、岩本テツゾウ一尉です」
「岩本です、よろしくお願いします!」
「碇シンジです、こちらこそお願いします」

 無愛想と加藤は紹介したが、岩本はシンジに向かって白い歯を見せて笑ってくれた。

「そしてもう一人が、西沢ヒロヨシ一尉です。
 物静かに見えますが、ひとたびコックピットに乗ると、豹変するので注意してください」
「西沢です、豹変は……たぶんしませんので安心してください」
「碇シンジです、たぶんなんですか……」

 少し苦笑を浮かべつつ、シンジはしっかりと西沢の手を握った。

「それで後藤特務一佐、これから訓練飛行と言うことでよろしいのですね?」

 少し口元を歪めた加藤に、後藤は少し大仰に頷いて見せた。

「そうですな、とりあえず超音速を体験して貰うのが良いでしょう。
 いざと言う時に使い物にならないと困りますから、出来るだけ早く慣れて貰う必要があります」
「ええっと、体験とか、いざと言う時とか……なにか、とても不穏なことを言っていませんか?」

 顔合わせのつもり出来ているのに、なぜかいきなり飛行訓練という話になっている。「本気ですか?」と怯えたシンジに、加藤が「必要な訓練ですよ」穏やかに笑って見せた。

「君の場合は、これに乗ることが目的ではありませんからね。
 一刻でも早く現地に到着し、そこでギガンテスを倒して貰わなくてはいけません。
 そのための乗り物なのですが、いささか旅客機とは勝手が違っているんですよ。
 慣れるための時間は、多ければ多い方が良いんですよ」
「だから、早速乗ってみようと……」

 顔を引きつらせたシンジに、「そう言う事です」と加藤は笑った。

「ジェットコースターのかなり凄いのだと思っていただければ大丈夫ですよ。
 目的が目的ですから、おかしなGの掛かり方はありませんからね」

 空中戦をするわけでは無いので、急旋回・急加速・急減速をする必要は無い。ただただまっすぐ高速で飛ぶことだけが、F15改の使用目的だった。

「マッハ2、時速で言えばおよそ2400km程度でしょうか。
 その速度で巡航して、目的地までいち早く到着することを目的としています。
 さすがに無給油では無理ですから、給油の都度減速することになります。
 従って、サンディエゴまでなら4時間弱のフライトになります。
 カサブランカでも、8時間程度見ていただければ大丈夫でしょう。
 ただし、機内食代わりの物はありますが、スチュワーデスも居ない退屈な旅ですがね」

 さあと言って、加藤はシンジの背中に手を置いた。とても物腰は柔らかいのだが、シンジに拒否権を与えてくれそうも無かった。しかも、岩本、西沢にまで囲まれると、逃げ出すことも出来なくなってしまった。

「い、いえ、必要性は認めますけど……
 どうして皆さん、うれしそうな顔をしているんですか?
 後藤さん、何か企んでいませんかっ!」
「いえいえ、全員碇さんの役に立てることを喜んでいるんですよ。
 さあ、ジャージの上からでも構いませんから、加圧服を来てくださいね。
 後は、そうですね、ちゃんとおむつをしておいてください。
 加速をして居る時に、知らないうちに漏らしていることがありますからね」
「や、やっぱり、何か企んでいませんかぁ〜」

 ずるずると引きずられていくシンジに、加藤は笑みを浮かべながら「頑張ってください」と声を掛けた。そしてその背中が建物の陰に隠れたところで、「意地悪ですね」と後藤に言った。

「いえいえ、これも彼を鍛えるためだと思ってください。
 けして、高くなった鼻をへし折ってやろうなんて考えていませんよ」
「後の方が、本音で無いことを願っていますよ」

 そう言って笑った加藤は、派手なカラーリングをされた機体に目を転じた。シンジは気づいていないが、この機体には日の丸はプリントされていない。そしてこのカラーリングも、一目で機体を識別できることを目的とした物だった。

「Phoenix Operationですか。
 確かに、彼の存在は世界にとって希望となっていますね。
 世界がギガンテスの被害から復活するには、彼の存在は無くてはならないものになっています。
 ただ、それを17の子供に負わせるのは、大人として忍びないところがありますね」
「襲ってくる敵の特殊性。
 それを考えると、彼に期待する他に方法が無いのですよ。
 それが、復活を目指す人類の限界でもあるんです」

 国連事務総長は、シャームナガルで高らかに人類の反攻を宣言した。その宣言は、世界の人々にとって希望の光になったことは確かだった。だがその宣言も、たった一人の少年の功績であるのは忘れられがちだった。そして今もなお、その一人の少年によって支えられていた。
 後藤にとって、加藤一佐はあこがれの人という意味を持っていた。それもあって、普段は不遜な態度をとる後藤も、加藤の前では丁寧な言葉遣いになっていた。

「しかし、こんな仕事をお願いしてよろしかったのでしょうか?」

 空自のトップパイロット3人を、事もあろうに「運び屋」にしてしまったのだ。彼らの名誉を考えたら、誰かに後ろから刺されかねないお願いだった。
 それを心配した後藤に、「とても名誉なことですよ」と加藤は言って見せた。

「彼を安全に、そしていち早く送り届けることで、大勢の命が救われるのですよ。
 その役目を任されるというのは、私たちの技量を信用してのことだと思っています。
 どんな状況でも、たとえ妨害があったとしても、私達なら大丈夫と信用していただいたのでしょう?
 ならば名誉と思うことはあっても、侮辱だなんて考えるはずが無いと思いますよ。
 そして私も、初めて娘に自慢できる仕事を得たと思っているんです。
 お父さんは、あの碇シンジ君を乗せて飛ぶ仕事を任されたのだと自慢出来ます。
 今は中学2年ですから、きっとサインを貰ってきてくれとせがまれるでしょう」
「そう言っていただいて恐縮です」

 そんなことを話していたら、後藤達の前にオレンジ色のスーツを着せられたシンジが連行されてきた。いささか顔色が悪いのは、これからのことを心配しているのだろうか。それはとても正しい認識だと、加藤は見えないところで笑っていた。

「では、記念すべきファーストフライトの前に、皆さんで記念写真を撮りましょうか」
「後藤さん、びびってる僕の姿を証拠に残そうと考えていませんか?」

 そう言って文句を言ったシンジに、「よろしくお願いします」とにこやかな顔をして加藤が割り込んできた。

「私の場合、写真があると中2の娘に自慢しやすいですからね。
 こいつらだって、子供に父親の仕事が説明しやすくなるんですよ」
「そう言われると、別の面で気が重くなるんですが……」

 そこまで言われれば、断る理由も無くなってしまう。分かりましたと、シンジは大人しく3人の間に並んだ。
 意外なことだが、4人の中ではシンジが一番背が高かった。そのシンジを囲むように、空自のトップパイロット3人が並んだ。その様子を、どこから取り出したのか、後藤がまじめな顔をしてカメラで撮っていった。

「じゃあ、今日は最初ですから、ベテラン機長の大人しい操縦を味わって貰いましょう」

 にこやかな顔をして、加藤はシンジを操縦席の後ろのシートへと押し込んだ。そして自分前の席に座ると、右手で行ってくるとサインを送った。やっぱり飛行機乗りは格好が良い。後藤が感激して見送っている横で、なぜか岩本と西沢は、哀れな犠牲者を見る目で見送っていた。しかも、あろう事か二人とも、声を揃えて「可哀想に」と言ってくれた。

「可哀想に、なのですか?」

 そう確認した後藤に、「私達の上司ですよ」と西沢は口元を歪めた。

「とても大人しく、普通ではあり得ないテクニックを披露してくれますよ。
 空で豹変しない分、余計に質が悪いと思ってください。
 本当に楽しそうに、人を地獄に突き落としてくれますからね」

 その言い方を見ると、この二人も犠牲者に違いない。南無南無と言って手を合わせる岩本と西沢の二人に、可哀想にと後藤はシンジのことを思ったのだった。



 対策を講じた以上、利用する機会が生まれれば、その対策を利用するのは当然の流れと言えるだろう。土曜の午後、学校帰りにアサミとデートをしていたら、いきなり鞄に入れていた非常連絡用の携帯電話が大きな音を立ててくれた。

「これで、デートはお流れですね」
「まあ、仕方が無いんだと思うよ。
 さあ、急いで基地に……って、あなたたちは何ですかっ!」

 緊急事態なのだから、とにかく基地に行くのが先決とシンジは考えた。だが二人が行動を起こす前に、周りを歩いていた一般人にいきなり取り囲まれてしまった。一刻を争う時なのだから、シンジが焦るのも無理が無いことだった。
 しかも、戸惑う二人のところに、白バイ2台がすぐに近寄ってきた。

「基地までお送りしますので、後ろに乗ってください!」
「ええっと、お願いします……」

 緊急呼び出しなのだから、どこに居る時と言うのは想定できるはずがない。それを考えると、取り囲んだ一般人は、自衛隊から派遣された身辺警護の人たちに違いなかった。そしていざという時に、一番手っ取り早い方法として、白バイ部隊が配備されていたと言うことになる。だが、常にこれだけの人に監視されていると言うことにも繋がっていた。
 「とにかく乗れ」とせかされた二人は、それぞれ白バイのお尻へと乗った。「しっかりと捕まってください」と言う言葉を最後に、シンジ達二人は、堅く目を閉じ、歯を食いしばることになってしまった。緊急システムですべて赤信号となった道路を、2台の白バイが全速力で疾走したのである。アサミの悲鳴が聞こえた気がしたが、そのあたりは気のせい言うことにしておくべきなのだろう。

 シンジ達二人が基地に着いたのとほぼ同じタイミングで、マドカとナルの二人も基地へと運び込まれてきた。よほど運転が凄かったのか、さすがの二人も白バイを降りたところでへたり込んでくれた。

「警察のご協力に感謝します!」

 白バイ隊員4人に敬礼をした後藤は、移動時間も惜しいと状況説明に取りかかった。

「確認された範囲で、発生地点は大西洋上となっている。
 襲撃予想地点は、アメリカ東海岸フロリダ州ジャクソンビル。
 百万人規模の大都市圏となっている。
 襲撃予想時刻は、これから約9時間後の現地時間明朝10時。
 現在判明している襲撃数は7、かなりの大規模襲撃となる。
 加えて、1体、新種と思われる陰が確認されている。
 それを加えると、総襲撃数は8と言うことだ。
 従って、サンディエゴからはカサブランカに対して支援依頼が出されている」

 新種1体が予想されると言うことは、状況としてかなり悪いと言えるだろう。襲撃数の多さから、カサブランカに支援依頼が出たのも納得できる判断だった。さすがに日本からでは、アメリカ東海岸は遠かったのだ。

「じゃあ、僕たちは待機と言うことで良いんですね?」

 サンディエゴ、カサブランカ両基地そろい踏みなのだから、日本の出る幕は無いだろう。そう言う意味で「待機」を持ち出したシンジに、後藤はすまなさそうにシンジの顔を見てくれた。

「新種らしき物が居るため、日本にも支援依頼が出ているんだ。
 申し訳ないが、君にはひとっ飛び、フロリダまで行って貰うことになった」
「あれ、やるんですか?」

 思わず腰が引けたシンジに、「その通り」と後藤は胸を張った。

「すでに、加藤一佐がスクランブル準備を終えている」

 「そう言う事だ」と後藤が説明を終えたところで、「こちらです」と一人の男性が近づいてきた。そして有無を言わさず、シンジをF15改の方へと引きずっていった。その後ろ姿に向けて、後藤は「ジャージの用意もしてあるぞぉ」と声を掛けた。困難なミッションであればあるほど、験を担ぐ必要があるのだ。従って、どんなときでもジャージの準備は必須だったのだ。

 シンジが引きずられてきた時には、すでに加藤はコックピットに収まっていた。有無を言わさず後部席に押し込まれたシンジに、加藤は「飛ばしますよ」と死刑宣告をしてくれた。

「ガソリンスタンドの確保も終わっていますからね。
 最短時間でフロリダまでご案内します」

 いつも通りに温和な声で言ってくれるのだが、誰が一番怖いのかシンジはすでに嫌と言うほど思い知らされていた。少し震える声で、「お手柔らかに」とお願いをしたのだが、たぶん顔からは血の気が引いていただろう。

「Phoenix One mission start!」
「Phoenix One mission start! Over」

 管制との短いやりとりの後、シンジの乗ったF15改Phoenix1はS基地を離陸した。そして一定の高度に達した所で、アフターバーナーを吹き出し一気に超音速へと突入した。ここから先は、supercruiseでフロリダまで最短時間で到達することになる。計算上、ギガンテス襲撃まで1時間程度の余裕があるはずだった。

 シンジが連行されていくのを見送った3人は、自分たちはどうすれば良いのか後藤に聞いた。通常手段を使った場合、戦闘開始から6時間以上の遅刻となる。それを考えたら、自分たちが出撃するという話にはならないはずだった。

「君達は、1時間ほど待機してくれたら一度解散してもらう。
 ギガンテス上陸1時間前に戻ってこられるよう、こちらから迎えを出すことにしよう」
「基地って、時間をつぶすところが無いしねぇ」
「でも、帰ったって落ち着かないと思うわよ」

 どうしようかと顔を見合わせたマドカとナルに、「だったら」とアサミは一つ提案をした。後からのことを考えると、バラバラで居るより一緒に居た方が都合が良い。

「遠野先輩のところで、みんなでおしゃべりでもしていませんか?」
「うちぃ〜っ!
 もう少ししたら、酔っ払いのたまり場になるよ〜」

 おしゃべりをするにしても、環境としてはあまりよろしくない。そう主張したマドカに、だったらと、アサミは別の場所を提案した。

「レイちゃんも居ますから、先輩の家というのはどうです?
 みんなでテレビでも見ながら、待っていませんか?」
「アサミちゃんの家の間違いじゃ無いの?
 確か、使っていない部屋をアサミちゃんの部屋にしたんだよね?」
「そう言う意味なら、うちにも先輩とレイちゃんの部屋を作りましたよ。
 とりあえず、待機が終わったら晩ご飯の買い物をして行きましょうか?」

 同時侵攻への備えとして、1時間の待機時間が規定されていた。それ以上、ギガンテスの発見が遅れることは無いと言う経験から来たものである。そして襲撃時間での集合は、どのような戦いが行われるのか、それをその目で確かめるためである。従って、ユイや衛宮達もその場に立ち会うことになっていた。

「とりあえず、待機室へ行くことにしましょうか」
「お茶を飲んでるぐらいしかすることが無いわね……」

 そこでお茶菓子を要求するのは、リラックスしているという意味であれば、大した物だと言うことが出来るだろう。だが状況を考えれば、もう少し緊張してしかるべきなのである。一応空気を読んだのか、マドカ達もお菓子を要求するのを控えたのだった。



 ギガンテス襲撃の知らせが入ったのは、アスカがベッドに入ろうとした時のことだった。慌てて着替え直したアスカは、まず手元の端末で襲撃規模と場所を確認した。

「フロリダに……8体っ!」

 どうしてアメリカばかりに大規模襲撃が重なっているのか。アスカは、そのことが最初に思い浮かんでしまった。ニューヨークの時も、11体のギガンテスに、1体のFifth Apostleなのだ。それ以降大規模襲撃が無いことを考えると、つい不公平だと文句の一つも言いたくなってしまった。しかも問題は、東海岸では日本との共同作戦にならないことだった。

「ちっ、カヲルか……」

 そこで舌打ちをするのはどうかと思うが、ただ不満げなアスカの声だけが部屋の中に響いたのである。

 そしてその3分後、ミーティングルームに集まったところで、アスカはさらに状況が悪くなっているのを知らされた。8体のギガンテスの内1体が、どうやら新種に類する物らしいとされたのだ。正確に言うのなら、正体不明の敵と言うところか。いずれにしても、やっかいな事になったのは間違いなかった。
 それでもアスカにとっての朗報は、カサブランカだけでは無く、日本に対しても支援依頼が出されたことだった。どうやら上層部も、この正体不明の敵を恐れてくれたのだろう。うれしいことに、シンジ様が一人で駆けつけてくれることになっていた。

「すぐに、ジャクソンビルに移動します。
 休息は、現地到着後行うこと。
 良いこと、今回はシンジ様が単独で手伝いに来てくれるわよ!
 敵の数は多いけど、みんな怖がらなくても良いからね!」

 これが、砂漠のアポロンでは効果が出ないだろう。あえてシンジを持ち出したアスカに、仲間の反応はきわめて良好だった。何しろ、サウスブルックリンの奇跡の立役者が駆けつけてくれれば、怖い物など何も無いというのが正直な気持ちだったのだ。顔を見合わせて喜ぶ仲間達に、「行くわよ」とアスカは気合いを込めた。

「無事終わったら、シンジ様との懇親会を開いてみせるからね。
 みんな、いつも以上に気を引き締めて戦ってちょうだい!」

 ここで一言もカヲルの名前が出ないのは、きっと可哀想なことに違いない。それ以上に可哀想なのは、居合わせたパイロット達全員が、それを少しも不思議に思っていないことだった。
 「全員出撃」と言うアスカの合図に、全員が「おう」と大きな声で応えたのだった。

 一方カサブランカ基地は、朝の6時にギガンテス襲撃の報せを受け取った。眠いところを叩き起こされたカヲルは、襲撃規模を見て「まずいね」と思わず呟いてしまった。全体的な戦力アップこそ行われたが、8と言う襲撃数は、とても微妙な規模となっていたのだ。
 そしてミーティングルームに駆け込んだところで、さらに悪い報せを受け取ることになった。8体のうち1体の正体が不明、一番高い確率は、新種に類する物との分析が示されたのである。それに従って、カサブランカ基地に対して支援依頼がサンディエゴ基地から行われていた。

「さて、これから僕らは逆風を突っ切ってフロリダにバカンスだよ。
 無事ミッションを終えれば、アテナの水着姿を鑑賞する名誉を賜ることになる。
 はいマリアーナ、何か質問があるのかな?」
「やっぱり、シンジ様は来ないの?」

 アテナの水着姿で喜ぶのは、あくまで男性パイロットに限定されるのだ。その意味で軽口を叩いたマリアーナに、カヲルは「こうご期待」と口元を歪めて見せた。

「君達も、Phoenix Operationの噂ぐらい聞いているだろう?
 正体不明の奴が居ると言うことは、Operation発動の条件だと思わないかい?」
「確かに、アテナならすぐに支援依頼を出しそうね」

 了解と言って立ち上がったマリアーナは、ライラ達に「楽しみね」と語りかけた。日本チーム全体の参戦は望めなくても、エースが来てくれれば鬼に金棒と言うところだ。これで、戦闘終了後の懇親会の楽しみも増えると言うものだった。
 後は、迅速安全、周辺被害を出さずに敵を殲滅すれば良い。こちらの雰囲気も、サンディエゴに負けず劣らず、活気に満ちた物となっていた。彼らの感じていた重圧が、それだけ軽くなったと言うことである。そのすべてが、シンジと言う一人の存在に掛かっていたのだ。



 高校生女子4人が集まれば、かしましくなるのも自然の流れと言えるだろう。シンジの家に集まった3人は、家主のレイと合流し、呼び出し時間まで楽しく過ごすことになった。4人での夕食準備から始まり、順番にお風呂に入ってから、パジャマ姿でトークの時間へと突入したのである。迎えに来る時間は分かっているので、お出かけ準備はその前に始めれば十分だった。

 そこでテレビをつけたら、なぜか緊急特番が流されていた。大々的にシンジの顔が映され、「Phoenix Operation」の特大文字が画面で踊っていた。これを見る限り、マスコミの関心はギガンテスの襲撃より、新しい迎撃体制の方に向いているようだった。

「これって、結構先輩がびびってた奴なんですよね」
「うんうん、初めて乗った後、兄さんが青い顔をして帰ってきたのを覚えているわ」

 アサミとレイの言葉に、珍しいことがある物だと、マドカとナルの二人は感心した。初めてヘラクレスに乗った時でも、シンジが青い顔をした記憶が無いのだ。それなのに、たかが戦闘機ごときで、青い顔をするというのが信じられなかった。

「結構、碇君ってひ弱?」
「さあ、でも、絶対にあの人達はおかしいって力説していました。
 その日の夕食が食べられなかったぐらいですから、相当なことがあったと思いますよ」

 相当なことと言いながら、レイはマドカの言う「ひ弱」を否定しなかった。そして恋人であるアサミも、「ひ弱」と言うのを否定しなかった。

「でも、遠野先輩、鳴沢先輩は訓練しなくて良いんですか?」
「それを言ったら、アサミちゃんも訓練しないといけないでしょう?
 最低限、碇君が居れば何とかなると誰かが考えたんじゃ無いの?」

 同じ目に遭ってみますかと暗に言ったアサミに、マドカは「あなたも仲間」と犠牲者仲間に引きずり込んだのである。だからそれ以上マドカ達の訓練に触れず、「本当に大丈夫なんですか」とアサミはシンジの方に話を引き戻した。

「こんなに長時間乗るのは初めてのはずですよ。
 ふらふらの状態でヘラクレスに乗って、まともに戦えるんでしょうか?」
「そのあたりは、さあとしか言いようが無いわね。
 火事場の馬鹿力でもなんでも発揮して、きっと乗り切ってくれるんじゃないの?」
「私達が居なくても、ですか?」

 かなり微妙な問いかけをしたアサミに、マドカとナルはすぐに答えを返さなかった。そしてそれを答えと受け取って、アサミは「独り立ちできていませんよね」とシンジのことを評した。

「異性という意味では、先輩達の存在を消したと思っているんですけどね。
 でも、碇先輩にとって、先輩達はいつまでたっても頼りになるお姉さんなんです。
 たぶん自分でも気づいていないと思いますけど、絶対二人に甘えていると思いますよ」
「私達が、碇君に頼っているのと同じって事?」

 自分の事を持ちだしたナルに、似たようなものだとアサミは答えた。

「だから、先輩も私も居ない所に行ったら、絶対に不安になっているはずです。
 それは、ギガンテスとの戦いで、私達が何かできるかと言うこととは別物です」
「多少言い過ぎの気はするけど、アサミちゃんの言うとおりのところもあるわね」

 アサミの決め付けに、マドカとナルはウンウンと頷いた。

「だから、とっても不思議な気がするんです。
 先輩って、高校に入ったときはどうだったんですか?」
「碇君が入学した頃ね……」

 1年半前の話を聞かれ、マドカとナルはうんと考えた。今の印象が強烈なため、その頃のことを忘れかけていたのである。むしろ、思い出すことが少なくなっていた。

「そうね、身長的には今の大津君と同じぐらいかしら。
 キョドキョドと言うか、オドオドと言うか、常に周りを気にしていた感じだったわね?」

 そうだよねと水を向けられたナルは、そうそうと手を打って、その頃のシンジのことを話し始めた。

「ほらジャージ部って、私達が創設した部活なのよ。
 だから、部活紹介をしても、誰も入部希望者が来なかったのよね。
 このままじゃ廃部の危機だってことで、押しに弱そうな碇君に目をつけたのよ。
 とりあえず、二人で碇君の教室に押し入って、両脇を抱えて今の部室まで連行したわ。
 そこでおだててなだめてすかして、結局脅したんだけど、無理やりジャージ部に入部させたわね」
「そうそう、それでクラスのことを色々と話させたら、クラス委員が不足していることを白状したのよ。
 だから部長命令で、クラス委員になるようにしてあげたわねぇ。
 その時かなぁ、碇君が眉毛をハの字にして「勘弁して下さい」って言ってたの。
 その時のクラス委員、実はアイリちゃんなんだけど、随分碇君に厳しく接していたみたいね」

 だったよねと同意を求めたマドカは、ナルが頷いたので更に話を続けた。

「顔はね、そこそこ可愛かったんだけど、とにかく暗かったのよね。
 たぶん、中学の卒業写真を見れば、どんなだったか分かると思うわよ。
 その上、これでもかってほど体力の無い虚弱体質だったのよ。
 だから手っ取り早く鍛えるために、知り合いの運動部各種に放り込んだわ。
 色々と恩が売ってあったから、渋々だけど引き受けてくれたわねぇ」
「でもね、碇君が心配だったから、マドカちゃんは隠れて覗きに行ってたのよね。
 やっぱりそれって、行動がお姉さんだよね」
「覗きに行ってたのは、ナルちゃんも同じでしょ!?」

 過保護さが恥ずかしくなったのか、マドカの顔が少し赤くなっていた。

「当然、体力ナッシングの碇君が、いきなりスーパーマンになるわけが無いでしょ。
 結構、お願いした運動部からは、いい加減引き取れって苦情を言われたわね。
 空手部なんか、怪我をさせたくないから来させないでくれって言われたぐらいよ。
 体操部では、跳び箱を飛んで、マットに頭から突っ込んでいったことも有ったわね」
「水泳部では、しっかり溺れてくれたわね。
 しかも、3回」
「サッカー部だったっけ、熱射病で病院に担ぎ込まれたのは?」
「サッカー部とラグビー部……あれ、ラグビー部は脳震盪だったっけ?」
「野球部じゃ、顔面でノックを受けていたわね」
「バレーボール部では、両手の指全部突き指していたっけ」
「陸上部じゃ、転んだ時にハードルを巻き込んでいたわねぇ」
「落ちたって騒ぎになったのは、柔道部だよね?」
「ほんと、あの頃の碇君ってダメダメだったよね」
「うんうん、ダメダメだったなぁ、本当に……」
「でもさぁ、途中から男の子の顔をするようになったわね……」
「それって、夏休みが終わったぐらいかなぁ〜」

 シンジのことを話すとき、本当にマドカとナルの二人は嬉しそうだった。ジャージ部を作って2年目、シンジが入ってきてからずっと3人で頑張ってきたからだろうか。それとも、頼り甲斐のない弟が、立派になるのを間近で見続けたからだろうか。とても綺麗な笑みを浮かべた二人は、「それから」と言ってシンジのことを話し続けた。

「弓道部じゃ、鼻を弦でこすって赤くしていたっけ」
「バスケット部では、壁に激突して失神していたね」
「大変ですって知らせが来たのは剣道部?」
「そうそう剣道部。
 綺麗に面を抜かれて、そのまま後ろにぶっ倒れたのよ」
「顔から着地したのは、体操部、それとも陸上部?」
「その両方。
 ちなみに体操部じゃ、鉄棒から真っ逆さまに落ちてくれたわよ」
「ああ、あの時顧問の先生が青い顔をしていたわねぇ」
「水球しながら溺れたのは、碇君が初めてだったっわね」

 シンジに関する思い出は、それこそいくら話しても尽きることが無いようだった。それを楽しそうに話す二人に、アサミはどうしようもない嫉妬を感じていた。アサミの知っているシンジは、背が高くて大人で、格好良くて、頭が良くてと何拍子も揃ったスーパーマンだった。だからひと目で好きになったとも言えるが、好きになった今だと、情けない姿を知らないことが寂しくなってしまうのだ。

「アイリちゃんの視線が冷たいって言っていなかった?」
「もの凄く可哀想な子を見る目で見られているって言ってたわね」
「でもさぁ、アイリちゃんに関して言えば、2年になってもあまり変わっていなかったのよね」
「あの子も、素直になれなかったんじゃないの?」

 「どう?」と話を振られたレイは、「もの凄く不器用な人でした」とアイリを評した。

「碇君のことだから、回収するつもりの無いフラグを立てまっくったんだろうねぇ。
 だからアイリちゃんとしては、告白してもらえるのを期待していたんじゃないかな?
 これだけフラグを立てたんだから、責任をもって告白しろよって感じで」
「でもさぁ、碇君にとって、アイリちゃんって天敵だったよね。
 ただ、綺麗で頭が良くて、料理がうまくて、スタイルが良くて世話好きで……
 そこまで分かっていたのに、どうして告白しなかったのかしら?」
「やっぱり、第一印象が大切だったってことじゃないの?」
「でもさぁ、碇君は逃げ出さなかったよね?」
「うんうん、何より私達から逃げ出さなかったわねぇ」

 それだけ酷い目に会っていたのなら、逃げ出すことがあってもよさそうなものだ。だがマドカとナルの二人の記憶には、シンジが逃げ出した記憶がどこにもなかった。もしも逃げ出していたのなら、4回もプールで溺れることは無いだろう。私達からと言うところを見ると、マドカにはそれなりに酷いことをしている自覚が有ったのだろう。

「夏休みぐらいだったっけ、ナルちゃんとどうしようか相談したのは?」
「うん、碇君が本気でギブアップしたら、退部を許してあげようって話でしょ?
 でも碇君、愚痴は言ったけど、逃げ出そうとはしなかったわね。
 よっぽど、運動部のキャプテンから「いいかげんにしろ」って叱られたことの方が多かったわね」
「あれじゃあ、碇君が可哀想だって……か。
 部活として、いじめを見過ごすわけにはいかないって言われたのよね」
「でも、結局やり遂げちゃったんだよねぇ」
「いつの間にか、一大事ですって呼ばれなくなったわね」
「夏休みが終わって、秋口になった頃だったね。
 なんか気がついたら、その頃には背も高くなっていたしね。
 その頃の事、レイちゃん覚えている?」

 そこで再び話を振られたレイは、う〜んと考えてからポンと手を打った。

「学校の友だちに、お兄さんは誰かと付き合ってるのって聞かれるようになりました。
 一応兄の意志を尊重して、「遠野先輩」って答えておきました」
「レイちゃん、どうして「鳴沢先輩」って言ってくれなかったの?」

 どうも、自分が二番手のように聞こえてならない。その辺りの文句を言ったナルに、「冷静な観察の結果です」とレイは言い返した。

「兄さんと話をしていて、遠野先輩の名前が出ることが多かったんです。
 今日はこんな目に遭わされたとか、絶対にバケモノだとか……
 たぶん、遠野先輩の方がより酷い目に遭わせていたんじゃありませんか」
「それが判断基準だったら、私の名前が出なくてもいいかな?」

 どちらがより酷い目に遭わせたのかが判断基準なら、名前が出ないほうが平和に違いない。大人しく引き下がったナルに、「ずるい」とマドカが言い返した。

「ナルちゃんだって、面白がって碇君に無理難題を押し付けてたじゃない!」
「でも、マドカの方が印象に残るぐらい酷かったんでしょう?」
「ですが、二人のことを口にする時、兄さんとっても嬉しそうでした。
 もともと口数が少なかった兄ですけど、先輩二人に会ってから、家でも話すことが多くなったんですよ。
 それに、成績の方も高校に入ってぐんと伸びました」
「でも、私達は勉強の手助けはしていないわよ」
「マドカ、勉強の手助けは出来ないが正解でしょ?」

 ナルの指摘に、マドカは「なはは」と笑って頭を掻いた。そんな二人に、「やっぱり二人のお陰です」とレイは答えた。

「成績が急に良くなったから、兄さんにコツを聞いたことが有るんです。
 そしたら、どれだけ授業に集中するのかが重要だって言われました。
 ちゃんと教科書を読んで、先生の説明を聞いて、分からないときはすぐに確認する。
 そうすれば、これぐらいの勉強なら分からないはずがないって言い切られました。
 それって、家に帰ってから勉強ができないから、学校で集中したって意味なんですよ」
「なんで、家に帰ってから勉強ができないの?」
「兄さん、疲れきって帰ってきていましたから。
 だから、時々夕食を食べながら落ちていたんです。
 お風呂で寝ていたことなんて、数えたら両手じゃ足りないぐらいあります。
 ベッドまで辿りつけないことなんて、日常茶飯事でしたね」

 懐かしそうに話すレイに、「そっかぁ」と二人はその頃のシンジのことを思い出していた。

「それでも、碇君は逃げなかったんだ」
「きっと、先輩達が眩しかったんだと思いますよ。
 酷い目に遭ったって言いながら、二人のことを凄いんだって自慢していましたから。
 遠野先輩と鳴沢先輩は、兄さんにとって憧れの人なんだと思いますよ」
「だから、私達は恋人同士になれなかったのね……」
「あれっ、兄さんが遠野先輩に告白したって聞きましたけど?」

 その事実がある以上、その気になればマドカなら恋人同士になれたはずだ。それを「なれなかった」と言うのだから、今まで聞かされていた話以外の理由があることになる。そして今まで黙っていたアサミが、その話になった所でようやく口を挟んできた。

「レイちゃん、親友同士が同じ人を好きになったらどうする?
 今の関係がとっても気持ち良くて、壊したくないとお互い思っていたらどう?
 ううん、3人ともそう思っていたらどうなると思う?」
「それって、兄さんと遠野先輩、鳴沢先輩のこと?」

 驚いた顔をしたレイに、アサミは小さくうなずき同意した。それを見たマドカとナルは、顔を見合わせて「参ったなぁ」と苦笑した。

「アサミちゃんにはお見通しってことか」
「そうでもなければ、碇先輩が二度目の告白をしない理由に説明がつきませんからね。
 結局、3人とも相手のことを大好きで、それを壊す勇気がわかなかったんだと思います。
 碇先輩が遠野先輩に告白したのは、多分その場の勢いだったと思いますよ」
「さすがに、入学した時から碇君だけを見てきたアサミちゃんは違うわね。
 アサミちゃんの場合、碇君に一目惚れをしたんでしょう?」
「だから、私に兄さんのことを聞いてきたの!?
 そうと教えてくれたら、瀬名先輩とくっつけようとしなかったのに!」

 ええっと驚くレイに、「無理無理」とナルが手をパタパタと振った。

「アサミちゃんも、結構臆病だもの。
 しかも、元トップアイドルのプライドも有るでしょう?
 碇君に振られるのは怖かったし、告白されて当然ってところがあったと思うのよ。
 だから、一所懸命、碇君の気をひこうとしていたでしょう?」
「アイリちゃんと付き合いだした時、本気で焦っていたよね?
 そんなアサミちゃんを知っているから、ディズニーランドでお節介したんだよ。
 それに、サンディエゴでもそうだよ。
 あれって、碇君が無理やりしようとしたんじゃないんだよね?
 アサミちゃんが、途中で怖くなっちゃったんだよね?」
「そんなに、ミエミエでした?」

 はあっとため息を吐いたアサミに、マドカとナルの二人は大きく頷いた。

「本心を隠すように、うまく演技をしていたつもりなんですけどね。
 ほとんど、先輩達の言ったことは正解ですよ。
 初めて逢った時から、碇先輩のことが気になってしょうがなかったんです。
 だからレイちゃんが隣の席になった時は、運命が味方していると思ったぐらいです。
 でも、先輩の言うとおり、安っぽいプライドが邪魔していました。
 だから、先輩から告白してくれるように、いろいろと誘惑し続けたんですよ。
 それがなんとか実を結んだというのか、瀬名先輩に振られて吹っ切れてくれたようですね。
 それから、初めて碇先輩に抱かれた時は、芸能界時代のことを思い出して怖くなったんです」

 そこで言葉を切ったアサミは、一部ゴシップ紙に載った話を持ち出した。それは、告白するにしても、勇気が必要な話だった。

「中3になる前に引退表明をしたんですけど、あれは初めから予定していたことじゃないんですよ。
 実は中2の時に、ちょっと嫌な事件があったんです。
 その時パパが激怒して、それがきっかけで引退することになったんです」

 直接中身に触れてはいないが、その事件がどんなものかは想像が付いていた。一部ゴシップ誌に流れた、結局騒ぎにならずに収束した噂が有ったのだ。

「本当は大きな騒ぎになる所だったんです。
 パパとママが、相手が誰でも叩き潰すと本気で怒っていたのを覚えています。
 でも、その後、その事件は大きな騒ぎにならずに闇に葬られました。
 だからお世話になった人達にも迷惑をかけずにすんだんですけど……」

 ふっと息を吐きだしたアサミは、「実は」とその事情を口にした。

「最近になって、篠山のおじ様が助けてくれたのだと教えてもらいました。
 週刊誌にのって私が傷つかないように、そして私の大好きな人達が傷つかないように。
 パパからは、本当にお世話になったんだと言われました」

 噂ぐらいは聞いていたが、本人の口から聞くと、また意味が違って聞こえるものだ。アサミの告白に驚いた二人は、サンディエゴで起きた事件の理由を理解することが出来た。

「だから、セックスするのが怖かったってことか……」
「でも、碇君が大好きだから、その恐怖も乗り越えたんでしょう?」

 結果を見れば、アサミが乗り越えたことになる。それを指摘したナルに、アサミは素直に頷いた。

「あの時、先輩達二人に、碇先輩が私のことを諦めるって言われましたよね。
 そんなことは無いって思っていたんですけど、キョウカさんが瀬名先輩のことを口にしたんです。
 そうしたら、本当に諦められるんじゃないかって、ものすごく怖くなったんです。
 せっかく思いが叶って恋人になれたのに、こんな事で失恋したくなかったんです。
 だから先輩達に言われて、碇先輩のところに謝りに行ったんです。
 そうしたら碇先輩、私にごめんねって優しくしてくれたんです……
 慌てなくてもいい、もっと自分のことを好きにさせてみせるからって。
 そんなことを大好きな人に言われて、我慢できると思いますか?」
「我慢できるはずがないよねぇ〜」
「つうか、羨ましすぎ!
 そんなことを言われたら、アサミちゃんがべたべたになるのも分かるわぁ」

 それを、とても優しいまなざしをして言ってくれるのだ。そう言う意味で、アサミも二人にとって可愛い妹と言うことになる。羨ましい以上に、良かったという気持ちの方が強いと言うことだ。

「しかも、碇君もアサミちゃんのことが大好きなんだよね」
「告白したら、アサミちゃんを理由にきっぱり断られたからね」

 ナルが告白したという話は、レイ以外は全員知っていることだった。そして唯一知らなかったレイも、別に不思議なことだとは思っていなかった。そして振られはしたが、今でも二人は兄のことを好きだと思っていた。

「しかし、まだ戦いが終わってないのに、この雰囲気は問題っしょ」

 テレビの時計を見ると、時間は9時半になったところだった。迎えが来るまでに、まだ1時間残っていた。そして戦いが始まるのは、深夜0時頃と予想されていたのだ。未だ彼女たちの思い人は、超音速で現地に向かっているところだし、西海岸のアテナ、砂漠のアポロンにしたところで、ようやく現地に到着したところだろう。“人類の命運をかけた”戦いは、未だ始まってもいなかったのだ。
 しかも、この戦いの敵には、正体不明の奴が1体紛れ込んでいる。それがFifth Apostleのような奴だったら、戦いに負ける可能性まで出てきてしまう。それだけ、この戦いがどう転ぶのか、誰にも分かっていなかったのだ。それを考えれば、関係者がこれだけ緩んでいるのも問題だと言えるだろう。

 だが全員感じていた不確かな予感は、この戦いは絶対に負けないと言うものだった。彼女達の大好きな弟、恋人、兄は、今度も圧勝してくれると信じていたのだ。



 シンジが頭の中を真っ白にして移動している最中に、サンディエゴとカサブランカの精鋭達は、ジャクソンビルの海岸線に集合していた。そして彼らの背後には、ギガンテスの先制攻撃に備えるための、フロリダ基地所属のパイロット達も勢揃いしていた。

「シャームナガル以来ね」
「ああ、今回はガチの戦いになったね」

 短い挨拶を交わした二人は、早速シンジが来る前に役割分担を決めることにした。すでに新種と言われたギガンテスの正体が分かっているので、後は誰が対処するのかを決めれば良かったのだ。

「どっちが、Third Apostleの足止めを行う?」
「安全を考えたら、シンジ君に任せるのが一番なのだろうね。
 ただ、僕達とサンディエゴはさほどうまく連携がとれていないかな。
 そう言う意味では、僕達が足止めをするのが適切だと思うよ。
 そうすれば、ブルックリン南の戦いが再現されることになるだろう?
 7体程度なら、意外なほど早く片付けられるんじゃ無いのかな?」

 そうすれば、Third Apostleは全員で仕留めることが可能となる。強力無比の遠距離攻撃能力が無い分、Fifth Apostleに比べれば与しやすいのだ。

「そっちが、それだけのリスクを負ってくれるつもりがあるんなら良いんだけどね。
 まあ、攻撃パターンが分かっているし、むしろギガンテスよりやりやすいかもしれないわね」

 唯一の不確定要素、Third Apostleへの対応さえ決まれば、後は特別な作戦は不要となる。ギガンテスとの正確な能力差は分からないが、欲をかかなければ被害を押さえることも可能だろう。あっさりと話し合いを終えたアスカは、通信をプライベートモードへと切り替えた。
 もちろん、プライベートモードだからと言って、記録に残されていることは承知している。従って、聞かれて困る話が出来ないのも分かっていた。ただ、仲間に聞かせる話ではないと、モードを切り替えたのだった。

「珍しいね、君からプライベートコールが来るのは。
 たぶん、これまでで初めてのことかな?」
「そうね、あんたと個人的に話をした記憶が無いわね。
 ちょっと、シンジ様の事で意見交換をしたいと思ったのよ」
「シンジ様……ねぇ」

 くつくつと笑ったカヲルは、アスカが反応する前に「悪いね」と謝った。

「ただ、君みたいに強い女性が、男を崇拝するとは思わなかったんだよ」
「あんたみたいな“たらし”が、男に惚れるんだからどっこいでしょう?」

 軽いジャブをかわしたところで、アスカはもう一度「シンジ様のこと」と繰り返した。

「シンジ様が、記憶操作を受けているのはあんたも知っているわよね?」
「ああ、高知の後、しばらく分析に係り切りなったからね。
 結局記憶操作は解かれていないと言う説明だったと思うけど。
 どうして、今頃そんなことを持ち出したのかな?」

 いくら時間があるとは言え、戦い前にするような話では無いはずだ。疑問を呈したカヲルに、「他に機会が無い」とアスカは間違いようのない理由を口にした。

「記憶操作を解くと言うことに疑問を感じなかった?」
「君が何に疑問を感じているのか、残念ながら理解が追いついていないんだよ。
 出来れば、もう少し具体的に疑問点を教えてくれないかな?」
「そうねぇ、シンジ様の記憶は、とても念入りに操作されている。
 その前提に立つと、いろいろと疑問が沸いてくるのよ」

 そう答えたアスカは、第一にと言って「時間」の問題を取り上げた。

「高知の場合、猶予時間は6時間も無かったでしょう?
 それなのに、上の関心は記憶操作を解除したのかというところに向けられた。
 まともに考えて、そんな短時間で記憶の復元措置がとれるものかしら?」
「そう聞かれても、僕はその分野の専門家じゃ無いんだけどね……」

 ふむと考えたカヲルは、もう一度アスカの疑問に対する疑問を口にした。

「今の世界は、シンジ君には今のままで居て貰うことを選択しているはずだよ。
 その前提に立った場合、君の質問の意義が分からないんだよ。
 なぜ、そんなことを気にする必要があるのか?
 女心だとしても、それを気にする必要があるのか分からないんだ」
「女心って訳じゃ……多少はあるかしら」

 そこでアスカが口にしたのは、カヲルが予想もしていないことだった。

「うちやカサブランカにシンジ様が来てくれたでしょう?
 その時に、各国とも病的にまで秘密を守ろうとしたじゃ無い。
 その理由がどこにあるのかと考えたのよ。
 協力の拒否は、結局自分に返ってくるから各国を黙らせることが出来ないでしょ?」
「シンジ君が、世界を滅ぼした記憶を取り戻すことが恐喝の条件になった。
 君は、そう考えているのかな?」
「あり得ないことじゃないと思ってるわ」

 自分の指摘を肯定したアスカに、もう一度カヲルはその意味を考えた。

「拡大して解釈するのなら、シンジ君の記憶が勝手に戻ることを恐れているのだと?」
「もう少し正確に言うと、戻った時シンジ様がどうなるかよ。
 今のシンジ様が残るのだったら、まあ、許せるかなって思うのよ。
 でも、短時間で安定させられると言うところに、不安を感じているの。
 もしかしたら、今のシンジ様が居なくなってしまうんじゃないかって」
「なるほど、それは女心にも関わってくることだね」

 もう一度くつくつと笑ったカヲルは、「僕にとっても大問題だよ」と口にした。

「僕の大好きなシンジ君が居なくなってしまうんだからね。
 確かに、事実を積み上げると、君の言っていることを否定する理由は見つからないよ。
 各国が、シンジ君を今のまま利用しようとしているのだから、間違いないとも言えるね。
 今のシンジ君が残り、かつ同調率が上がるのだったら、記憶を戻す検討がされているはずだからね」
「となると、シンジ様の記憶操作がどこまで強固かってことが問題ね。
 そのあたりについて、何も情報が無いってのが正直なところなんだけど……
 ルームメイトを締め上げてみようかしら?
 カヲル、あんたの女も事情ぐらい知っているんでしょう?」
「僕の女って……酷い言い方をするねぇ」

 はっきりと苦笑を浮かべたカヲルは、探ってみるよとアスカに答えた。今の自分たちの気持ちは、シンジが今のままで居ることを望んでいる。それが勝手な思いとは分かっているが、余計なリスクを背負いたくないと思っていたのだ。

「そのあたり、シンジ様は知っているのかしら?」
「彼は、記憶が操作されていることを自覚していたからね……
 でも、こればかりは本人に聞くことは出来ないだろう?」
「ベッドの中だったら聞けるかしら?」

 うふっと笑ったアスカに、「絶対に阻止するよ」とカヲルも笑って見せた。

「懇親会程度で我慢しておくのが身のためだよ」
「可愛い恋人が居るんだものねぇ……
 討ち死にするのもしゃくに障るから、大人しくしておくわ」

 残念と笑ったアスカは、モニタの時刻表示を確認した。順調に行程をこなしていれば、そろそろシンジが到着する時刻になっていた。

「今回の作戦は、カサブランカが鍵を握るんだからね。
 シンジ様の前で、せいぜい頑張ってみせる事ね!」
「無様なところを見せないように頑張るよ」

 そう約束して、二人はプライベートモードを解除した。ここから先は、侵攻してくる8体のギガンテスを倒すのに全力をかたむければ良い。すべては、そこから始まることになるのだと。



 途中で何度かガソリンスタンドに寄ったが、加藤は機体の持てる力を全て発揮してくれた。そのお陰とでも言うのか、ジャクソンビル近くのメイポートにある海軍補給基地に、ギガンテス襲撃の1時間前に到着することができた。ただ、素人に戦闘機によるスーパークルーズ6時間30分はさすがにきつく、F15改から下りた所で、シンジは胃の中の物をすべて吐き出してしまった。

「碇さん、よく頑張られましたね。
 可能な限り安全運転をしたのですが、さすがに6時間を超えるフライトはきつかったですね」

 自分を心配してくれた加藤に、「ありがとうございます」と青い顔をしてシンジは礼を言った。

「確かに、普段の訓練よりずっと穏やかなフライトでしたよ。
 でも、さすがにきついと言うか……まだ、足元がふらふらします」

 それでも、シンジにとってこれからが本番となる。加藤の手を借りて立ち上がると、迎えに来たフロリダ基地関係者と握手を交わした。ここから先は、「英雄」としての務めを果たす時だった。

「現在の展開状況を教えて下さい」
「パームバレーに、25機のヘラクレスが展開しています。
 西海岸のアテナ、砂漠のアポロンの両名とも、英雄の到着を首を長くして待っています。
 接近するギガンテスの数は8、そのうちの1体はThird Apostleと確認されています」

 こちらにとシンジが案内されようとした時、「いいかな」と加藤が声を掛けてきた。「なんですか?」と振り返ったシンジに、加藤はペンギンの絵がついたガムを投げてよこした。

「食べ物は受け付けないでしょうから、ガムでも噛んでおくといいですよ。
 私は、これから基地で碇さんの戦いを観戦させてもらいます。
 アメリカが特上の帰りの便を仕立ててくれるので、私の役目はここまででしょうね。
 そう言う事なので、ご武運を祈っていますよ!」

 加藤はシンジにそう告げると、敬礼をして出撃を見送ってくれた。そんな加藤に頭を下げたシンジは、迎えに来た関係者に「行きましょう」と先を急いだ。その歩みからは、F15改から下りた時の不安定さは感じられなかった。
 それを大したものだと見送った加藤は、時代は変わっていくのだと感じていた。自分の娘とたいして年の違わない少年が、今や世界を背負う役目を果たしている。それなのに、出撃していく時でも、全く気負いを感じなかったのだ。だからこそ、じれったいと感じてしまった。
 乗ってきた機体に爆装して攻撃に加われたなら、どれだけ良かっただろうか。だが、この戦いでは、自分の力など蚊が刺したほどの意味もないのは分かっていた。それが分かるからこそ、ハイヤーの運転手でも、喜んで務められるというものだ。

 更衣室に案内されたシンジは、そこでトレードマークのジャージに着替えることにした。すでにシンジ達のジャージ姿は、日本基地の象徴として世界に認知されている。冗談にしか聞こえないのだが、レプリカのジャージが世界各地で販売されていると言う事だ。
 最後におむつをして更衣室から出たシンジは、メイポートの軍人達の見送りにあった。ずらりと並んだ男達は、シンジに向かって敬礼をした。ここから先の戦いは、男達の常識を超えるものとなる。そして目の前の少年こそが、その戦いの鍵を握ることを誰もが理解していたのだ。

 敬礼の前を足早に通り過ぎたシンジは、待っていたジープへと乗り込んだ。ここから先、フロリダ基地所有のヘラクレスに乗り込み、戦いの地へと急行することになる。上陸時間まで間があるとは言え、万全の備えをするためには、早くアスカ達に合流する必要があった。

「これは、ああ、あの時の」

 機体まで案内された時、シンジは前の戦いで使ったものだと知った。右の肩口にプリントされた星条旗に加え、左側の肩口には日章旗がプリントされていた。そしてそのプリントの下には、思い出深い日付が書き込まれていた。ただ、こうして積み重ねてきた思い出も、いつか忘れてしまう時がやってくる。

「あと何回、僕は僕でいられるのだろうか……」

 コックピットに乗り込んだシンジは、自分を思い出すように瞳を閉じた。そしてそのまま深呼吸を二度してから、真っ直ぐに何も映しだされていない正面を睨みつけた。

「ヘラクレス起動開始!
 同調状態良好、各種計器は全て正常!
 碇シンジ、ギガンテス殲滅に出撃します!」

 メイポートの基地から、パームバレーまでは直線で15kmほどだった。ヘラクレスの大きさを考えれば、目と鼻の先といっていいだろう。その距離を、輸送用の大型ヘリに吊るされたヘラクレスが移動するのである。高度をあまり取らないので、すぐに集合している仲間の姿を確認することが出来た。

「珍しいな、アスカさんとカヲル君が並んでいるよ」

 機体識別を見れば、どの機体に誰が乗っているのか一目瞭然となる。それで二人を見つけたシンジは、通信ウインドを開いて二人に話しかけた。

「アスカさん、カヲル君、お待たせ!」
「シンジ様、お待ちしていました!」
「シンジ君、久し振りだね」

 これで3度目だなと考えていたら、二人に「ここに降りるように」と指示をされた。二人に指差された位置は、全ヘラクレスの先頭、逆鶴翼の陣の頂点となる位置だった。分かりやすく言えば、後ろに両基地の精鋭を従えた形と言うところか。

「迎撃の作戦はどうなっているの?」
「僕達カサブランカ基地が、Third Apostleの足止めを行うことになった。
 シンジ君には、サンディエゴ基地と一緒に、7体のギガンテスを殲滅してもらう」

 どちらかがThird Apostleの足止めをすると言うのは、理に適った作戦だと思っていた。だからそれを受け入れたシンジは、カヲルに作戦の一部修正を提案することにした。

「基本的な役目は了解したよ。
 ただ、僕から一部修正提案をしたいんだ」
「是非とも、シンジ君の提案を聞かせてくれないか?」

 作戦として、非常に無難なものだとカヲルは自分の作戦を評していた。そこにシンジがどう修正を加えるのか、すぐにそちらに興味が向いた。
 そんなカヲルに、足止めは4人でやって欲しいとシンジは提案した。

「理由は二つ、まず、その方がカヲルくん達の機動性が上がるんだよ。
 Third Apostleと直接戦闘を避ける意味でも、君達4人の方が適当だと思う。
 そしてもう一つ、ハリド君達を僕に貸して欲しいんだ。
 可能な限り足止め時間を短くするために、フォーメーションを変えようと思う。
 ぶっつけ本番で悪いと思ってるけどね」
「どうするんですか?」

 ギガンテス殲滅は、アスカとサンディエゴのチームが担当することになっていた。そこにシンジが加わることで、ブルックリン南の再現になると考えていたのである。圧勝したフォーメーションを土壇場で変えるというのだから、より進んだ方法でなければならないはずだ。

「僕とアスカさんが、ツートップでギガンテスと向かい合う。
 受け持つ役目は、ギガンテスの分断、そして可能な限りのダメージを与えること。
 殲滅自体は、後ろにいるライナス君達に任せるんだ。
 ライナス君には、カヲル君達を含め、戦場全体を俯瞰してもらう」
「了解しました!」

 フォーメーションを変えるとは言ったが、結局アスカが暴れることは変わっていなかった。ただシンジの役割が、アスカのフォローから、積極的迎撃に変わるということだった。これまでの戦いを見れば、シンジの能力は疑いようはない。そして前線を二人が受け持つことで、7体ならギガンテスを蹴散らすことも難しくないはずだ。それを考えれば、反対する理由の無い変更だった。

「ハリド君、エンゾ君、マノンさん、ミアさん、適当に痛めつけて渡すから、
 ギガンテスに止めを刺すのをお願いするよ」
「り、了解しましたっ!」

 ギガンテス殲滅は、今まで担当したことのない役目だった。だがシンジに任された以上、ハリド達が断れるはずもなかったのである。そしてシンジが任せてくれたと言う事実の前に、断るという気持ちなど起こるはずもなかったのだ。絶対にできると任せてくれたのだから、出来ないはずはないと思えたのである。

「カヲル君、君の仲間を貸してもらうよ」
「ああ、是非とも鍛えて返してくれるかな」

 カヲルが合意したことで、フォーメーション変更は終わったことになる。後は、上陸してくるギガンテスを殲滅すれば作戦は完了である。

「あと、20分か……いいですか先……」

 大丈夫かとマドカ達に声をかけようとしたのだが、すぐにこの戦いにはいないことを思い出した。そんなことぐらい初めから分かっていたのだが、なぜか一瞬目の前が暗くなった気がした。

「……怖いのか、僕は」

 今までの戦いは、必ず近くにマドカとナルが居てくれた。そして自分が不甲斐ない時には、頑張れと叱咤激励をしてくれたのだ。だがこの戦いでは、マドカとナルは、遠く離れた日本に残してきてしまった。
 だが、今更日本に逃げ帰ることはできない。残してきた人達と笑いあうためには、この戦いを無事に乗り切らなければいけない。誰も自分のことを叱咤激励してくれないが、それでも乗り越えなければ、大切な人達に会うこともできなくなる。

「アサミちゃん、遠野先輩、鳴沢先輩……僕のことを守ってください」

 ジャージの胸を右手で掴み、シンジは大切な人達の顔を思い出した。そして「守ってください」とお願いをして、歯をぎりっと食いしばった。

「全員、防御シールド展開。
 ギガンテスの遠距離攻撃に備えます!」

 サンディエゴ、カサブランカ両基地が揃い踏みをしたとなれば、全体指揮を執るのはシンジの役目となる。そんなシンジのところに、状況が良くないとカヲルから一報が入った。

「シンジ君、Third Apostleの位置が接近しすぎているようだ。
 このままだと、分断・足止めは難しいよ」
「分かった、作戦を一部修正します。
 カヲルくん達は、僕に変わってギガンテス殲滅を担当してください。
 僕は、ギガンテスを突っ切って、Third Apostleに格闘戦を挑みます!」

 混戦が予想されるため、当初の役割分担はうまくいきそうもなかった。カヲルの進言に作戦を修正したシンジは、Third Apostleとの格闘戦を選択することにした。分析した上での勝算は五分と五分、勝利はThird Apostleの展開する不可視の防御壁を突破できるかに掛かっていた。

「ギガンテスの先制攻撃が来ます、全員防御っ!」

 接近してくる7体のギガンテスの口に、ちろちろと白い光が漏れ出すのが見えた。ある意味パターン化しているのだが、加速粒子砲による先制攻撃が来るのだろう。

「防御っ!」

 シンジの言葉と同時に、海上から7条の光が伸びてきた。強力無比の加速粒子砲による攻撃なのだが、今回も展開型防御シールドが役に立ってくれた。シールドで拡散された攻撃は、白い火花となって緑の芝を焦がしてくれた。

「ギガンテスが上陸します。
 各自、役割を守って迎撃してください!」

 両基地の精鋭に指示を出したシンジは、一旦彼らの後ろに回ってギガンテスとの接触を待った。今回の襲撃におけるボスキャラ、Third Apostleの上陸を待つためである。

「嫌になるほど、過去のデータ通りだな」

 首が盛り上がった肩にめり込んだような人型。そして胸元には肋骨のような白い骨で守られた赤く光る玉。それが目の前に現れた、Third Apostleの姿だった。めり込んだ首は、何かのノブに空虚な目が付いているものでしか無い。それは、3年前に第三新東京市を襲った、第三使徒と全く同じ姿をしていた。

「僕の動きを気にしないで、ギガンテスを殲滅すること!」

 今まさにギガンテスと接触しようと言うところで、シンジは貯めていた力を吐き出すように、ヘラクレスを疾走させた。そして殺到するギガンテスを飛び越え、上陸してきたThird Apostleへと襲いかかった。ちょうど、プロレスで言うところのドロップキック、防御されることが前提の攻撃だった。そして予想したとおり、Third Apostleの直前で、シンジの攻撃は何かによって遮られた。

「やっぱり、僕の同調率では破れないか。
 そうなると、この戦いはかなり厄介だな……」

 それでも、この攻撃によって、Third Apostleはシンジを敵と認めたようだ。殲滅戦が始まった仲間を無視して、Third Apostleはシンジの乗ったヘラクレスを追いかけてくれた。これで、7体の殲滅戦から、不確定要素を排除することに成功したことになる。今の戦力なら、殲滅に時間は掛からないだろう。

「後は、こいつの倒し方なんだけど……」

 素早さという意味では、潰れたワニ型のギガンテスより数段劣っている。だが格闘戦という意味では、Third Apostleの動きの方が数段ギガンテスより上だった。腕を振り回すことが出来るだけで、攻撃の間合いも広がってくれるのだ。しかも厄介なことに、シンジでは破れない防御壁まで持っていた。

「気をつけるべきは、目からのビームと両腕に有る光の槍か」

 ビーム攻撃にした所で、データからはギガンテスと違って前振りが掴みきれなかった。Fifth Apostleには劣っていても、威力はギガンテスの攻撃と大差はないだろう。まともに受ければ、シンジの乗ったヘラクレスも無事では済まないはずだ。
 それに比べれば、両腕にある光の槍は躱しやすかった。ただ掴まれてしまうと逃げられないので、それだけは気をつけなければいけなかった。

「その上、なんとかして防御壁を突破しないといけないのか。
 さすがに、分の悪すぎる戦いだな……」

 そう嘆いてはみたが、負けるつもりなど毛頭なかった。そして、負ける要素はないと信じていた。突破できない防御壁だが、相手に壁を開かせれば事は足りるのだ。さもなければ、壁を展開させなければいいだけの事だった。そのための方策も、すでにいくつか用意してあった。

「自分が攻撃する時なら、防御壁も展開しないだろう」

 そのためには、利用できる攻撃をさせる必要がある。目からのビームを封じるためにフットワークを使ったシンジは、わざとらしく手の届きそうな所で隙を晒した。

「光の槍、来いっ!」

 その瞬間こそが、シンジが付け入る隙となる。攻撃の方法、そして間合いは、何度もビデオで確認していた。
 そしてシンジの誘いに乗った形で、Third Apostleは右手をヘラクレスに向けてきた。

「掛かったっ!」

 それこそが、シンジが待ち望んだ瞬間だった。予想される射線から僅かだけ体をずらし、シンジは光の槍による攻撃の下に潜り込んだ。そして真っ直ぐに延びた腕を掴み、合気道の要領でThird Apstleを投げ飛ばした。この辺りの動きは、最近になって良い練習相手が出来たお陰だった。
 第一段階として、不可視の防御壁を突破したシンジは、このまま一気に畳み掛けようとした。だが腕を掴んだまま投げ飛ばしたまでは良かったが、偶然Third Apostleの顔が、自分の方を向いてしまった。

 ゾクリと冷たい物が背中を伝った瞬間、シンジは反射的に掴んでいた腕を離して後ろに飛び退いた。その直後に、シンジのいた所に光の柱が立ち昇った。
 結局、Third Apostleとの接触には成功したが、結局攻め切ることはできなかった。それでも、ビデオの分析が役に立ったことだけは確認できた。

「さて、同じ手が通じてくれるか……」

 期待したとおり接触に成功したのだから、後は失敗しないように撃破すればいい。ただ、そこで問題となるのは、Third Apostleが同じ手に引っかかってくれるかということだった。どんな動物でも、痛い目に遭えば同じ事はしなくなる物だ。
 そしてシンジが危惧したとおり、Third Apostleは、光の槍による攻撃を封印してきた。シンジの接近に対して、不可視の壁で対抗してきたのである。そして攻撃は、もっぱら目からのビームに頼ってきた。裏を返せば、狙えない限り攻撃してこないと言うことになる。時間稼ぎという意味では、うまくいったことになる。

「だけど、このままじゃ倒せない……」

 そのためには、不可視の防御フィールドを突破する必要がある。だがThird Apostleが守りを固めてくれたため、取り得る方策が限られてきた。それでも、まだいくつか作戦は残っていた。そしてその作戦を確かな物とするため、もっとThird Apostleのデータを集める必要があった。

「防御壁の展開範囲、そして奴の反応速度……」

 それに加えて、防御壁が多重展開できるのかも重要だった。そのデータを分析すれば、攻略の糸口もつかめるだろう。
 Third Apostleを牽制しながら、シンジは少し大きめの岩塊を拾い上げた。認識していない方向からの攻撃に対して、Third Apostleが対応できるのかを調べる為だった。そのためには、「痛い」と思わせる程度の威力が必要だった。

 ここでの戦いが、仲間の戦いに影響しないことを確認してから、シンジは助走をつけるためThird Apostleから距離をとった。そして突進しながら、拾い上げた岩塊を上に放り投げた。当たってくれれば儲けもので、外れたとしてもかすめる程度になれば、目的を達することが出来る。
 そして岩塊を放り投げたシンジは、最初と同じようにThird Apostleにドロップキックをお見舞いした。自分の方に注意を引きつけ、不可視の防御壁を展開させるためである。そして予定通り、Third Apostleは、シンジに対して防御壁を展開してくれた。

「とりあえず、石っころは当たってくれたか……」

 防御壁が展開されたのと同時に、Third Apostleの肩口に岩塊がぶつかった。そのとき上を見る動作をしたところを見ると、Third Apostleにとって、予想外の攻撃だったに違いない。その攻撃に意味があるのかを確かめるため、シンジは似たような大きさの岩塊を拾い上げ、正面からThird Apostleめがけて投げつけた。
 そしてこの攻撃は、直前に展開された不可視の防御壁によって遮られた。すなわち、最初の攻撃が当たったのは、威力を甘く見たからでは無いことになる。

「防御壁の展開には、意識のような物が関わっていると言うことか……」

 それを考えると、意識の及ばないところからの攻撃が有効となるはずだ。もちろん、そんな攻撃が簡単に行えるとは思っていなかった。ただ、これが攻略の手がかりにはなると考えていた。

「次は、展開される範囲なんだが……これは、確認が出来ないか」

 試しに岩塊を投げたところで、的はずれな所では反応すらしてくれないだろう。それを考えると、簡単には展開範囲を調べる方法は無い。無いはずだと思った所で、意外に簡単ではないかと発想を変えることにした。

「子供の喧嘩だな、こりゃ……」

 今度はかなり小さな岩塊を沢山掴んだシンジは、わざとらしく大きなモーションでThird Apostleへと投げつけた。当然狙いなどつくはずもなく、投げつけた岩塊は的から大きく広がって飛んでいった。
 だがThird Apostleは、思惑どおりシンジの行動に警戒をしてくれた。そしてまっすぐに飛んでくる岩塊を防ぐために、不可視の防御壁を展開したのである。つまり、素通りした部分が防御壁の効果範囲外と言うことになる。その範囲を見る限り、本当に身を守る範囲しか展開されていないようだった。

「これで、とりあえず展開範囲がそう広くないことだけは分かったな……」

 実際の攻撃の時には、どこまで展開されているのか目視することは出来ない。従って、限界がある以上の確証を得たわけではない。だがシンジにとっては、限界があることが分かるだけで十分だった。すなわち、Third Apostleが、自分の意志で展開範囲を決めている確証になるからである。
 それを確認するために、シンジはもう一度岩塊を投げることにした。ただ今度は、まっすぐに投げるのではなく、最初と同じように上から落ちてくるように投げあげた。予想が正しければ、今度は上に向けて防御壁を展開するはずだ。

「よし、予想通りっ!」

 一番最初は到達した攻撃が、今度は直前で防御壁に遮られた。すなわち、防御壁は自動展開されるものではないと言う確証を得たことになる。

「後は、あいつがどこまで勘が鋭いかってことだな……」

 ここまでの分析で、攻略方法はほぼ固まっていた。ただその方法を不確かにしているのは、Third Apostleがどこまで自分達を知覚しているかと言うことだった。

「これだけは、試してみないと分からないんだが……」

 リスクを取っていいのか、シンジは仲間の状況を確認した。前後を切り取って押しつぶしたワニは、順調に殲滅されているようだ。確認した範囲で、サンディエゴ、カサブランカの両基地とも1体ずつ残すだけのようだった。

「殲滅が終わったら、包囲してタコ殴り……
 そこまで、簡単な話じゃないか」

 もしも防御壁を全方位に展開されたら、それこそ手出しができなくなる。最終的には、全員の力を合わせるにしても、その前に試しておくことは試しておいた方がいいだろう。

「防御シールドは、2枚とも使えるな……
 目からのビームを打つタイミングも、だいたい掴めている」

 頭の中で、何度も攻撃方法のシミュレーションをしたシンジは、もう一度今までよりも大きな岩塊を拾い上げた。そして軽快なフットワークで体を左右に動かしながら、Third Apostleへと突進した。ここから先は、すべてがタイミング勝負となる。Third Apostleの動きに集中したシンジは、ビームが放たれる直前に持っていた岩塊を上に放り投げた。そして自分は、突進しつつ防御シールドを展開してビーム攻撃に備えた。
 シンジがシールドを展開するのと、Third Apostleがビームを放つのはほぼ同時だった。Third Apstleの空虚な目が光った瞬間、シンジの居た所に大きな火柱が上がった。そしてその火柱が立ち上ったのに少し遅れ、上から降ってきた岩塊が見事Third Apostleの頭を直撃した。

 攻撃自体の威力は、大きなダメージを与えるものではなかったのだろう。だが予想外の方向からの打撃に、Third Apostleの注意は上へと向けられた。一体何があったのか、その感情を推測するのなら、まさにそういうことだろうか。そして上に何かあるのかとThird Apstleが見上げた瞬間、炎を突っ切ってシンジの乗ったヘラクレスが現れた。シンジが期待したとおり、注意が逸れていたため不可視の防御壁は展開されていなかった。
 そして突進する勢いそのまま、シンジはすべての力を右拳に込めた。上に向いた注意が戻ってくるまで、その僅かな時間が勝負の分け目となる。その時間を使って、渾身の力を込めた右拳を、弱点と思われる胸元で赤く光る玉へと叩き込んだ。空手部で教えられたとおり、体重だけでなく、腰の回転を使って拳を加速してやった。

 「ドカン」と言う轟音があたりに轟いたのは、拳が音速を超えたのが理由だろうか。空気をまとって繰り出された拳は、狙い過たずThird Apostleの急所、胸の所にある赤く光る玉を撃ちぬいた。その拳の勢いは凄まじく、撃ちぬいた勢いそのままThird Apostleの背中へと突き抜けていた。狙い通りの攻撃は、期待以上の効果を発揮してくれた。

「ふぅぅぅ〜っ」

 溜め込んだ力を解放するように、シンジは吸っていた息を大きく吐き出した。手応えは十分、これでThird Apostleは完璧に倒したはずだ。冗談のような顔と正面から向かい合っているが、剣呑なビーム攻撃は襲って来なかった。
 左手をThird Apostleの顔に当て、シンジはぐっと右手を引きぬいた。右腕を赤く濡らすのは、Third Apostleの血なのだろうか。シンジが右腕を引きぬいた所で、Third Apstleの巨体はその場に崩れ落ちた。それは、サンディエゴ、カサブランカの両基地が、最後のギガンテスを倒すのと同時だった。

「ベースキャンプ、Third Apostle殲滅の確認をお願いします」

 痙攣すらしていないのだから、完璧に殲滅したと考えていいのだろう。ただ、ここで確認を怠ると、高知の二の舞になってしまう。振動、熱、その他の方法で、殲滅を確認する必要があった。
 シンジの連絡を受けたベースキャンプは、「少し待て」と待機を命じた。そして待つこと30秒で、Third Apostle殲滅が完了したとの答えを返してきた。

「エネルギー反応の消失を確認しました。
 Congratulation、見事な戦いでした!」
「了解、これから撤退の準備に入ります!」

 そこで通信を切って、シンジはもう一度大きく息を吐きだした。Third Apostleへの対処は、事前の検討が役に立ってくれた。願わくば、過去の亡霊には出てきて欲しくないと思っていた。だが現実は、こうして過去の亡霊と向かい合うことを強いてくれたのである。今後も、同じように過去の亡霊と戦う事があるのだろう。
 嫌だなと呟いた所で、西海岸のアテナことアスカから通信が入ってきた。

 「おめでとうございます!」と勝利を祝福したアスカは、「あとで、お話を聞かせてください」とカメラに向かって目を輝かせた。殲滅の瞬間こそ見逃したが、難敵Third Apostleの殲滅を、シンジが単独で成し遂げたのである。「さすがはシンジ様!」と、ますます夢中になってくれたのだ。

「後で、か……
 終わったと思ったら、どっと疲れが出たよ」

 現地時間で11時に始まった戦いは、僅か1時間で人類の勝利で終わった。今までは苦労していた7体のギガンテスも、両基地の力を結集すれば、もはや撃破するのも難しくない相手となっていた。時間こそ掛かったが、戦いとしては、危なげの無い物だったのだ。
 ただ、シンジの事情を持ち出すのなら、今は疲労の極致に到達していた。何しろ日本から6時間30分のスーパークルーズをしただけでなく、単独でThird Apstleと向かい合ったのだ。お腹の中の物を戻しただけでなく、長時間まともに固形物も食べていない。ガムを貰っていなければ、糖分不足で倒れていただろう。お腹が空いたし眠いし、ホッとした途端にその全てが団体で襲ってきたのだ。

「それで、その、お疲れのところとは思いますけど……
 お腹も空いていると思いますから、簡単なランチパーティーをしませんか?
 是非とも、シンジ様のお話を聞いてみたくて……」
「シンジ様……か」

 アスカに分からないように口元を歪めたシンジは、顔を立てるように「喜んで」と答えた。どうせすぐには帰してもらえないし、話をするぐらいならいいかと思えたのだ。それに、これだけお腹が空いていると、何かを食べないと眠れそうにもなかったのだ。

「カヲル君も、それでいいかな?」
「こちらこそ、誘ってもらえて光栄だよ。
 うちのメンバー全員が、シンジ君の話を聞きたくてウズウズとしているんだよ」
「ああっ、それはサンディエゴでも同じよ!」

 自分だけじゃないとすかさず主張したアスカは、「急ぎましょう!」とシンジを急かした。こうして話すのもいいのだが、出来たらゆっくりと生身で向かい合いたい。そのためにも、すぐにメイポートに戻った方がいいのだ。きっと、基地を上げて、盛大なパーティーを開いてくれるのに違いないのだから。



 日本時間の0時に始まった戦いを、マドカ達はS基地の作戦司令室で見ることになった。総司令である後藤の後ろに、マドカとナル、そしてアサミの席が用意され、ユイとアキラは、衛宮達と一緒に後藤の前の少し低い場所に座らされた。
 明らかに扱いが違うのだが、それをユイ達は不服に思わなかった。そもそも主力と見習いなのだから、扱いが違って当然だと思っていたのだ。しかも、今までの観戦は、別誂えの会議室だった。それが作戦の中心、作戦司令室に入れてもらえたのだから、むしろマドカ達に感謝した程だ。

「カヲルさん達が、Third Apostleの足止めをするようですね」

 陣形を確認した所で、アサミはマドカ達に解説を始めた。

「恐らく、その方が早く7体のギガンテスを倒せると言う判断からだと思います。
 多分先輩の入れ知恵だと思いますけど、カサブランカの非主力組も殲滅班に周りましたね」
「ねえアサミちゃん、どうしてそれが碇君の入れ知恵になるの?」

 フォーメーション自体は、アサミの説明になるほどと納得していた。戦いの鍵は、アスカをいかに自由にするかにあると理解していたのだ。だが「シンジの入れ知恵」と言うアサミの決め付けには、マドカの理解は追いついていなかった。
 そんなマドカに、「簡単な理由です」とアサミは説明を続けた。

「サンディエゴとカサブランカだけだと、カサブランカの非主力組を切り離すという話にはなりません。
 お互いのメンツと言うよリ、怖くてそんな真似はできないと言うのがその理由です。
 だから、そんな大胆な提案を出来るのは、先輩以外にあり得ないと考えたんですよ」

 その説明に、マドカだけではなく、前で聞いていたユイ達も「なるほど」と大きく頷いた。確かに、こんな場面で、新しいことを試せるはずが無いのだ。そしてそんな真似を出来るとしたら、シンジ以外に居ないのも確かだった。

「ただ、大胆と言っても、一度カサブランカで練習していることなんですよ。
 たぶん、役割は大幅に変えていると思いますけど……
 後藤さん、フォーメーションがさらに変わっていませんか?」

 アサミの指摘に、後藤は「少し待ってくれ」と言って現地の展開を確認した。そしてアサミの言葉通り、一度変更されたフォーメーションが、さらに別の物に変わっているのを確認した。

「Third Apostleの位置が問題になったと言うことですね」

 状況を理解したアサミは、ふうっと小さなため息を吐いた。

「状況は分かりますけど、先輩はリスクを背負いすぎですよ。
 遠野先輩、鳴沢先輩、この後碇先輩とThird Apostleとの一騎打ちが見られますよ」
「いやあ、碇君にも驚きだけど、アサミちゃんにも驚かされたわっ!
 なんで、碇君みたいに解説が出来るの?」

 まるでシンジのような解説ぶりだと言う指摘に、後藤を含めて全員がその通りだとばかりに頷いた。

「なんでって、そうですね、“愛”でしょうか?」

 「それをここで言いますか?」のろけたアサミ相手に、勘弁してと一瞬作戦司令室に微妙な空気が流れてくれた。ただ質問したのは自分たちだと、誰も文句を口にしなかった。
 その空気を感じたアサミは、「冗談ですよ」と笑って見せた。

「先輩に教えて貰っているのは、何も勉強だけじゃ無いって事です。
 全体の統率が私の役割ですから、こう言ったとき先輩がどう対処をするのか。
 ケースバイケースで、教えて貰っているんです」
「まあ、アサミちゃんの役目だったら理解できることか……」

 ムンバイでは、アサミの統率の下、市街地への被害を押さえ込んだ実績がある。それを考えたら、アサミが統率方面での訓練をするのも当然と思われた。それがうまくいけば、前線に立つシンジの負担も軽くなってくれるだろう。
 なるほどとマドカ達は納得したのだが、後藤は別の意味でその話を受け取っていた。必ず訪れる運命の日、その影響を最小限に抑えるためには、自分の代わりができるところまでアサミを鍛えておく必要がある。二人がその準備を進めているのを、改めて思い知らされた気がしたのだ。

「でも、それって一緒に居る口実になるんでしょう?」

 ナルの混ぜっ返しに、アサミは笑いながら「そうもとれますね」と言い返した。

「でも、恋人同士が一緒に居るのに、口実って必要ですか?」
「あーっ、それを言われたら言い返す言葉が無いわね」

 また地雷を踏んでしまったのか。少し顔を引きつらせながら、ナルはアサミの言葉を認めた。どんな突っ込みも、結局二人の仲の良さを思い知らされて終わってしまう。どこを踏んでも炸裂する地雷に、ナル達全員独り身の辛さを感じたのだった。
 完全勝利と胸を張ったアサミは、ちょうどシンジが接触したこともあり、話をThird Apostleとの戦いに引き戻した。

「リスクを負いすぎるとは言いましたけど、この程度の相手に先輩は負けませんよ。
 ただ、勝つためには、もう一つ何か見つけないといけないんですけど……
 先輩だったら、戦いの中でそれを見つけてくれると信じています」
「そうね、碇君だったら絶対に勝つ方法を見つけてくれるよね」

 そのことだけは、マドカ達も少しも疑いを持っていなかった。作戦を変えてまで一人で挑んだのだから、絶対に敵を倒してくれる。シンジに対する絶大なる信頼、それをマドカ達は持っていたのだ。

 今までなら、シンジに向ける信頼を、頼もしいことだと感じていただろう。だが後藤は、それが一番の問題になったのを知っていた。シンジへの信頼をベースに、日本の迎撃組織は機能している。だがその要の喪失に、彼女たちは耐えることが出来るのだろうか。ただ一人準備をしているアサミにしても、その問題に直面した時、本当に乗り越えてくれるのか分からないのだ。
 アサミが、そしてマドカとナルならば、時間を掛ければ乗り越えてくれるのだろう。だが、そのための時間が本当に与えられるのか、後藤にはそれが確信できなかったのだ。

 そんな後藤の思いとは別に、順調にジャクソンビルでの戦いは進んでいった。サンディエゴとカサブランカの精鋭は、危なげなくギガンテスを殲滅していた。そしてシンジの方も、巧みにThird Apostleを牽制し、その能力を分析していた。いろいろ無駄に見える攻撃も、分析を目的と考えれば、なるほどと思える行動になっていたのだ。

「やっぱり、見えない防御壁って万能じゃ無いんですね。
 攻略方法が見つかったようですから、そろそろ先輩が勝負を掛けますよ」
「でもさぁ、もう一つの方もそろそろ終わるでしょう?
 だったら、全員でタコ殴りした方が確実じゃ無いのかしら?」

 いくら強敵でも、圧倒的な戦力差を利用すれば攻略も難しくは無い。そのつもりで言ったマドカに、「それぐらいは先輩も分かっていますよ」とアサミは返した。

「Third Apostleが守りに入ったら面倒なことになる可能性がありますからね。
 全員で囲むと、間違いなく守りに入られてしまいます。
 そうなる前に、見つけた弱点を利用するんだと思います」
「見つけた弱点?」

 何?と言うマドカの疑問に、「説明するより見た方が早い」とアサミが答えた。そしてその言葉の通り、すぐにシンジはThird Apostleへと戦いを仕掛けた。Third Apostleの攻撃でヘラクレスが炎に包まれた時には、アサミを含めて全員が腰を浮かした。だが、その炎を突っ切ってヘラクレスが現れ、Third Apostleの胸で光る赤い玉を打ち抜いたところで、作戦司令室全体に驚きの声が上がった。

「なるほど、防御壁って奴は、注意が向いた方にしか出来ないんだ」

 正しく攻撃の意図を見抜いたマドカに、「そうだと思います」とアサミは頷いた。

「その前のちょっかいで、碇先輩がいろいろな防御条件を調べていました。
 同じ事をしても防御したりしなかったりしていましたから、そこが弱点だと考えたんだと思います。
 さすがに、あんな真似をするとは思っていませんでしたけど……」
「碇君ってさぁ、結構やることが派手なんだよねぇ」

 あんな真似の部分に同意したマドカは、「終わった終わった」と明るい声を出した。マドカの言うとおり、Third Apostleを含む8体のギガンテス襲撃は、被害を出すこと無く無事乗り切ることに成功したのだ。そして「終わった」とマドカが言うとおり、作戦司令室の空気からも緊張感が喪失していた。Third Apostleと言う難敵の出現でも、終わってみれば危なげのない戦いだった。
 それでも戦いの間は、全員緊張に包まれていた。そこからの解放感に、マドカは大きく伸びをした。

「後は、帰って寝るだけね」
「明日は……訓練はあるんでしょうか?」
「明日って言うより、今日か……」

 どうなんですかと言う3人の視線に、後藤は少し考えてから「オフにするか」とマドカ達に答えた。当然ユイやアキラを含む候補生達には、オフと言う措置は適用されない。多少の上達は見えるが、戦力という意味ではまだまだだったのだ。
 「おっしゃ」と喜んだマドカは、アサミに向かって「遊びに行こうか」と提案した。

「碇君って、どうせすぐには帰して貰えないんでしょう?
 だったら、アサミちゃんも明日は暇なはずでしょ?」
「先輩が居ないんだったら、パパのところでカットして貰おうかと思ったんですけど……」

 それにしたところで、もともと予定していた物では無かった。それを考えると、無理にカットする必要も無いだろう。たまにはいいかと考えなおしたアサミは、マドカの提案に乗ることにした。

「そうですね、たまには碇先輩抜きで遊びましょうか」
「そうそう、たまには小姑のご機嫌とりをした方がいいわよ」

 にやにやと笑ったマドカは、「10時駅前集合!」と言って作戦司令室を出て行った。ここから先は、いつもの通り自衛隊の車で送ってもらえばいい。

「遠野先輩って、いつも元気いっぱいですね」
「まあ、あれがマドカちゃんの特徴だからねぇ……」

 ふっと口元を歪めたナルは、「行こうか」とアサミに声を掛けた。大切なパイロットだから、相乗りで送ってもらうということはない。特に3人に限って言えば、いつでも帰りたいときに送ってもらえる特権があった。
 ナルの誘いに、「そうですね」とアサミも帰ることに同意した。

「高村先輩、お先に失礼しますね」
「うむ、私達は、今の戦いを見なおしてから帰ろうと思う。
 堀北や遠野先輩の言ったことも、参考にしようと思っているんだぞ」

 なあと、ユイは隣に居るアキラに同意を求めた。

「そうですね、僕たちはまだまだ半人前にもなっていませんから。
 体を動かすことだけじゃなくて、頭も使わないといけないと思っているんです」
「とってもいい心がけだとは思いますけど、あまり無理をしないようにしてくださいね」

 少しだけ釘を差したアサミは、後藤やスタッフたちにも「お先に失礼します」と挨拶をした。

「皆さんも、無理をしないようにしてくださいね」

 アイドルにそう言われて、張り切らない男がいるだろうか。アサミの言葉に、「分かっててやっているな」と後藤はそんなうがったことを考えていた。だが受け取る方も喜んでいるのだから、気にすることもないのだろう。そんな後藤自身、「後藤さんも無理をしないでくださいね」などと言われれば、つい目尻も下がってしまうのだ。
 もう一度「失礼します」と頭を下げて、アサミとナルは作戦司令室を出た。そこで二人の前には、夜間と言うこともあって薄暗い通路が伸びていた。

「鳴沢先輩は、どうして遠野先輩と一緒に出なかったんですか?」

 普段の二人は、レズかと疑われるほど一緒に行動することが多かった。それを考えれば、帰るのも一緒と考えてもおかしくないだろう。それが、今日に限ってナルは自分に付き合ってくれた。
 それを聞いたアサミに、「ちょっとね」とナルはもったいぶった。

「ちょっと、ですか?
 つまり、なにか理由があると言うことですね」
「まあ、理由がなくても可愛い妹と一緒に帰るのはおかしくないと思うわよ。
 それに、今日は王子様が一緒じゃないでしょう?」

 そう言って戯けたナルに、「王子様ですか」とアサミは苦笑を返した。

「そう、でも、碇君の場合、幸福な王子様って感じかな?」
「それって、あまりいい例えじゃないと思いますけど」

 きらびやかな飾りを付けた王子様の像が、ツバメの助けを借りて貧しい人に施しをしていく。だが王子を助けたツバメは、冬の寒さに凍えて王子にキスをしてから王子の足元で息を引き取ってしまう。そしてツバメが死んだ時、みすぼらしい姿になった王子の心臓は、二つに割れてしまう。
 その後みすぼらしい姿になった王子は、溶鉱炉で溶かされることになるのだが、なぜかその心臓だけは溶けずに残ってしまった。そしてツバメと一緒にゴミ箱に捨てられてしまう。物語自体は、最後に神様の救いがあるのだが、それをハッピーエンドと呼ぶことは出来ないだろう。

 その話を知っているから、皮肉にしても縁起でもないとアサミは思っていた。だがアサミの抗議に、ナルは「そうかしら?」と真面目な顔で言い返した。

「最近の碇君とアサミちゃん、何か追い詰められている気がしてならないのよ。
 確かに、碇君はとっても重い責任を背負っていると思うわよ。
 碇君が負けるときは、人類の負けにつながることだと思っている。
 それにしても、あなた達二人の雰囲気がここの所おかしいと思っているのよ。
 何か、とっても大切なモノを少しずつ削りながら、碇君はみんなのために戦っていて、
 そんな碇君を、アサミちゃんも無理して手伝っている気がしてならないの」

 静かな通路を歩きながら、ナルはアサミに向かってそう語りかけた。

「だからと言って、無理に事情を話せなんて言うつもりはないわ。
 そもそも、マドカちゃんも私も、元気とか前向きとかぐらいしか取り柄がないしね。
 たぶん、碇君とアサミちゃんが抱えたものを、手伝うことなんて出来ないと思う。
 ただ、それでも覚えておいて欲しいのは、私達はいつでも二人の味方だと言うことよ。
 たとえこの先どんなことが起きたとしても、私達は絶対にあなた達二人を見捨てたりしない。
 助けてあげる事はできなくても、一緒に泣いたり怒ったりすることは出来ると思う。
 そして出来る事なら、みんなと一緒に笑っていたいなと思ってる」
「それを言うために、私と帰ってくれたんですか?」

 驚いた顔をしたアサミに、「可愛い妹のことでしょ?」とナルは言い返した。

「マドカちゃんにとっても、あなた達二人は可愛い弟と妹なのよ。
 ただ、ちょおっと不器用だから、この役目は私が引き受けたのよ」

 そう言ってから、ナルは少し大股で「ほっほっ」と跳ねるように歩いた。そしてアサミから少し距離をとって、くるりと振り返ってくれた。

「言いたかったことはそれだけ。
 別に、なにか答えを貰おうなんて考えていないからね。
 私やマドカちゃんが心配している。
 それだけを覚えておいてくれればいいわ。
 じゃあ、マドカちゃんが待っているから、先に行くね」

 立ち止まったアサミを残し、ナルは薄暗い通路の向こうへと消えていった。その後姿が、アサミにはぼやけて見えていた。そしてアサミは、しばらくその場から動くことが出来なかった。



***



 ジャクソンビルの戦いの翌日も、街は何事もなかったように朝を迎えていた。ただ、普段とちょっとだけ違っていたのは、街を歩く人達が少し眠そうにしていることだろうか。それにした所で、心なしかと言う程度の違いでしか無かった。
 そんな普段とはあまり変わらない朝、アイリは届けられた朝刊を見て一人憤慨していた。全国紙と地方紙、いずれもトップにジャクソンビルの戦いが載っていた。だが全国紙はシンジの活躍を讃えていたのだが、地方紙の方は「英雄の無謀な戦い」と明らかに批判的な記事が書かれていたのだ。
 その論旨を要約すると、英雄と言われる碇シンジは、Third Apostleと呼ばれた敵と、あえて危険な一対一の戦いを行った。しかも、サンディエゴやカサブランカの支援を待たず、危険な作戦を遂行して勝利を収めた。その行動理由を、自分の名声を高めるためだと決めつけてくれたのだ。このまま英雄のスタンドプレーを許していいのか、勝利を喜ぶのではなく、このままだと手痛いしっぺ返しを受けると言い切ったのである。

「なによ、この悪意に満ちた記事はっ!」

 あまりにも腹がたったから、その紙面を引き裂いてやろうかとアイリは両手に力を入れた。だが寸前で思いとどまり、手元にあった家電の子機を取り上げた。そして破ろうとした紙面に書かれていた番号を、気を落ち着けながら押していった。

(……ただ今、この番号は大変混み合っております。
 しばらくしてからかけ直すか、このままお待ちいただけますようお願いします)

 聞こえてきたアナウンスに、アイリはすぐさま「切」ボタンを押した。そして引き出しから新聞の領収書を探し、そこに書かれていた番号を確かめながら押していった。だが、こちらから聞こえてきたのは、「ツーツー」と言う話中音だった。それに意地になったアイリは、もう一度新聞に書かれていた番号に電話をした。
 だが、今度も聞こえてきたのは、電話が繋げられないというアナウンスだった。

 それをしばらく続けたのだが、新聞社にも販売店にも電話は繋がらなかった。それに業を煮やしたアイリは、髪型を整えるのもそこそこに、近所に有る新聞販売店へと歩いていくことにした。

「もう何よ、いくらなんでも酷いじゃない!」

 考えれば考えるほど腹が立ってくる。アイリが知っているシンジは、一度も名声を求めたことはなかったのだ。むしろ騒がれることを好まず、静かな生活を送ることを願っていたはずだ。そんなシンジが、自分ためにスタンドプレーをするはずがない。これまでも酷いことを書くと思っていたが、今回は決定的に酷い記事だと憤慨したのだ。こんな記事を書くのだったら、二度と契約するものかと思っていた。

 近くの販売店まで、アイリの家から歩いて10分ほどの距離だった。だがそこまで歩いて行く途中で、なぜかアイリはシンゴとサクノの兄妹に出会った。

「あら、朝から珍しいわね?」

 思いがけない所で出会ったことに、アイリは少しだけ驚いていたりした。そんなアイリに、「瀬名先輩こそ」とサクノは言い返した。

「どうして、とるものもとりあえずと言う格好をしているんですか?」
「そう言うあなた達だって、寝起きしなと言う格好よ」

 まるで天災が起きて、急いで避難をしているようだ。お互いの風体を論った後、アイリは「ひょっとしてH新聞?」と二人が出かけてきた理由を聞いた。

「と言うことは、瀬名先輩も苦情を言いに行くんですか?」
「ううん、購読を解約に行くの。
 販売店に電話をしても、全然通じないからこんなことになったんだけど……
 新聞社の方も、全く電話が通じないし……」
「確かに、全く通じませんでしたね」

 うんと頷いたサクノは、「うちも解約するつもりです」と普段にない強い調子でアイリに言った。

「さすがの兄さんも、事実に反するし、こじつけが酷いと怒ったほどなんです。
 碇さんに対して、悪意を持って書いているとしか思えない記事です!」
「サクノちゃんもそう思うのね!」
「兄も、そう思っているんです!」

 珍しく強い調子のサクノに、相当怒っているのだとアイリは考えた。それを珍しいと思ったのだが、販売店に来て、それはまだまだ甘かったのだと思い知らされた。H新聞を扱う販売店の前には人集りができていたのも驚きだが、そこに集まった人達が気勢を上げているのも意外だった。何事かと近づいてみたら、販売店に掛けられていた「H新聞特約店」の看板が降ろされ、見るも無残な姿になっていた。
 そこでアイリは、近くに居た男性に声を掛けた。

「あのぉ、何があったんですか?」
「何がって、君達も新聞を見てここに来たんだろう?
 あまりにも酷い記事だから、購読を止めに俺たちは集まったんだよ。
 何しろ、電話がパンクしていくら掛けても繋がらないからな」
「それで、いったい何があったんですか?」

 文句を言いに来たのは同じなのだが、それでも今の状況を理解することは出来なかった。

「広島さんも、H新聞の販売店をやめるそうだよ。
 たとえ、今後謝罪記事を書いたとしても、絶対に許す訳にはいかないと言う話になった。
 他の販売店も、H新聞の配達を辞めるという話らしい」
「それで、購読を止める話は?」

 多少事情はつかめたが、確認することは確認しておかなければいけない。恐る恐る尋ねたアイリに、その男性は「明日から配達されない」と答えた。

「もう、ここらでH新聞を配達する販売店はどこにもないんだよ。
 運んできても突き返すし、集金業務も行わないということだ。
 解約の意思表示をするんだったら、店の前に名簿があるからそこに書いてくればいい」

 なるほどと男性の説明に納得したアイリは、サクノとシンゴに、行きましょうと声を掛けた。新聞社に対する一番効果的な抗議は、契約を解約することなのである。そうしているうちに、後から後から人が集まってきていた。

「凄いわね……」
「みんな、腹に据えかねたのだと思います。
 あの記事は、いえ、もう記事とはいえない悪意から書かれた中傷文です」

 いつの間にか行列ができていたので、アイリ達は大人しくその列の後ろに並ぶことにした。見る見るうちに長くなっていくところを見ると、地域全体が記事に対してノーを突きつけたようだ。

「ところで、この後どうする?」
「家に帰って、朝食を食べることにします」
「はぁっ、あなた達も食べて来なかったの……」

 そう言って呆れたのだが、アイリにしても同じ穴のムジナだった。「あなた達も」と言うアイリの言葉に反応したサクノは、「一緒に食べますか?」とお誘いの言葉を掛けた。

「そうね、せっかく一緒になったんだから、それもいいわね。
 どうする、二人とも私の家まで食べに来る?
 大したものはないけど、私の手料理をごちそうするわよ」

 およそ朝食というのは、こった料理を作るものではない。下手をすれば、前の晩の残り物が出てきてもおかしくはない。
 だが瓜生兄妹にとって、アイリのお誘いは特別な意味を持っていた。少し顔を赤くした兄に代わって、サクノは「喜んで」と答えてくれた。

「じゃあ、解約をしたら一緒に来てくれる?」
「そうですね、兄さんそれで良かったかしら?」

 引っ込み思案の兄のことを考えたら、自分がお膳立てをしなければ何も進まない。アイリが相手をしてくれているうちに、兄との関係を近づける必要があったのだ。



 最初の一滴は、一地方紙の行き過ぎた記事だった。だがその一滴の広げた波紋は、すぐに無視できない大きな波となってしまった。アイリ達の街で起きた出来事は、同時にその地方紙の購読地域全体で起きたのだ。解約率95%と言うのは、常識では考えられない出来事である。しかも解約の連絡がなかった購読者にしても、家を不在にしていたと言う消極的理由でしか無い。たったと言うには覚悟が足りないのだが、一つの記事を掲載したせいで、一つの地方紙が破綻したのである。
 それだけでも尋常ならざる出来事なのだが、その猛威は他の地方紙にも飛び火した。過去に批判的な記事を書いた新聞社が、スポンサーにまでボイコットを受けたのである。読者がノーを突きつけるためには、解約を行うのは平和的な手段だと言えただろう。その平和的手段にしても、ここまで規模が広がると、暴力的手段以上に
暴力的な意味を持ってしまうことになる。このような状況では、自由な言論は封殺されてしまう。

 確かにH紙の記事は酷かったし、読者の堪忍袋のqが切れたと言うのも理解は出来る。それが解約と言う行動に繋がるのも、抗議の手段としては正当なものに違いない。そこで問題となるのは、ギガンテス迎撃、特に碇シンジへの批判が、タブーとされることだ。
 根拠のない中傷は糾弾され、責任を取らされるのもしかたがないだろう。だが、行動に対する疑問、そして事実に基づく批判まで糾弾されるのは行き過ぎとしか言いようが無い。シンジはその問題を、専用機で日本に帰ってきた時に知らされた。

「それが問題と言うのは理解しているつもりですけど……
 一高校生に、後藤さんは何を期待しているんですか?」

 帰ってきてそうそう、騒動を知らされたシンジは、大きなため息を吐いてから、「期待しすぎ」だと後藤に文句を言った。後藤が言論統制を問題にするのは分かるが、自分が主導したことではないのだ。しかもその統制が、暴力的ではない手段、すなわち購読停止と言う方法で行われた以上、それを止めることは、逆に個人に対する権利の侵害になりかねない。つまり、相談されても、難しすぎる問題だと言うのである。

「それは分かっているが、このまま放置するのも問題が大きい。
 そして沈静化する力があるのは、君以外に居ないというのも確かなのだ」
「そんな事言われても、僕にだって何もできませんよ。
 それに、明らかな悪意を向けられて、笑って見過ごせるほど大人でもありませんからね。
 ギガンテスから世界を守るだけでも大変なのに、言論の自由まで僕に守らせないでください。
 それをするのは、今まで散々言論の自由を唱えてきた本人じゃありませんか?」

 事情は分かっても、そこまで面倒を見る筋合いが無いのだ。そして面倒を見ようにも、何を言えばいいのか分からないのも問題だった。

「そもそも、後藤さんは僕に何をさせたいんですか?
 もしも日本の言論界にとって重要な問題と言うのなら、後藤さんの手にも余ると思いますよ」
「まあ、言われるとおり、俺の手にも余るんだがな……
 この問題で騒いでいるのは、実は内閣と与党なんだ。
 扱いに気をつけないと、自分達に飛び火すると恐れているんだ」
「それにしても……」

 文句を言いかけたシンジは、これ以上後藤に言っても無駄だと言うことに気がついた。後藤自身、上から善処を命令されたのに過ぎない。そして後藤自身手の打ちようがないから、自分に泣きついてきたと考えられるのだ。つまり、いくら文句を言っても、堂々巡りにしかならないのである。

「それで、僕に記者会見をしろとでも言いたいんですか?
 でも、そんなことをしても、何の解決にもならないと思いますよ」
「それでも、ガス抜きが必要ということはあるんだ。
 ただ、ガス抜きが本当に出来るのかという疑問は俺も持っている。
 今の空気の中、突っ込んだ質問ができない可能性もあるからな」
「だったら、余計にまずいんじゃありませんか?」

 沈静化のつもりが、更に状況を悪化させてどうする。シンジの指摘に、確かにそうだと後藤も認めた。それに、この問題の所在は、むしろマスコミ側の取材姿勢にこそあったのだ。明らかな言いがかりをつければ、おとなしい読者でも爆発するのだ。

「それは認めるが、君に対する記者会見の要求が有るのも確かだ。
 もう少しマスコミに露出してほしいと頼まれている。
 それに、相互の理解が進めば悪意を持った記事も書きにくくなるだろう」
「それって、結構な負担なんですけどね……」

 ただ、多少は仕方がないかとシンジも考えていたところがある。自分達に対する関心が高いのは、容易に想像がつくのである。その割にインタビューの機会がないため、生活にまとわりつくカメラが増えている。

「じゃあ、これから出撃ごとにインタビューを受けましょうか。
 ただし、疲れているので長時間の拘束はなしですよ。
 せいぜい、二つ三つ質問に答える程度にしてください」
「だったら、これから始めてもいいだろうか?
 ちょうど基地に詰めている奴らがいるから、そこから始めてみてはどうだ?」
「だったら、1時間後に記者会見をすることにすればいいじゃないですか。
 どうせ、近くにそれなりの数の記者さんが居るんでしょう?」

 更に妥協したシンジに、「感謝する」と後藤は答え、早速記者会見の手配をすることにした。

 急遽集めた割には、会見会場には50名ほどのマスコミ関係者が集まっていた。そしてその関係者に対して、シンジが一人で会見に臨んだ。いつもなら一緒に居るアサミ達は、平日なので学校に行っていた。
 集まった記者たちに対して、司会に立った自衛官は、今後S基地から出撃があった時には、短時間だが記者会見を開くことを説明した。そして今回、Phoenix Operationが実施されたため、その説明を含めて短時間の会見を行うのだと集まった記者たちに伝えた。

「原則として、作戦に関わる質問を受け付けることにします。
 その趣旨から逸脱したものについては、質問を遮らせていただく事があるのをご了解願います。
 では、質問の有る方は挙手をお願い致します」

 直前の作戦に制限されていても、むしろ直前の作戦について、聞きたいことはたくさんあった。それもあって、挙手と言う司会の言葉に、ほぼ会場に居た全員が手を挙げた。初めから予想されたことだが、こうなると選ぶ方が困ってしまう。だが司会をした隊員は、迷いもせずに1社を指名した。

「では、M新聞さんからお願いしましょうか」

 そこで指名したのは、最近になって論調を変えたが、今の迎撃態勢に対して厳しいことを書いているグループだった。それを考えると、狙って指名したと考えるのが適当なのだろう。

「では、今回の作戦についてお伺いします。
 Third Apostleを碇さんが倒されました。
 その事自体、見事な戦いとしか言えないと思います。
 しかし、戦い全体を見た時、いささか不自然さを感じてしまうところがあります。
 もう少し待てば、サンディエゴとカサブランカ基地の戦力が、利用できたかと思います。
 そうすれば、危険な真似をせずにThird Apostleを倒せたのではないでしょうか?」

 その質問は、H新聞が破綻することとなった記事を、言い方を変えて質問したものだった。なるほど出来レースかと考えたシンジは、「そうですね」と少し考えてから説明を始めた。

「過去の戦いを分析した結果、Third Apostleの弱点は分かっていました。
 ただ、その弱点をつくのに、大きな障害があると言うことも分かっていました。
 それから作戦立案段階に遡ると、役割分担は最終的なものとは違っていたんです。
 カサブランカ基地の8人が、Third Apostleの足止めを行う。
 そして僕とサンディエゴ基地の9人で、その間に7体のギガンテスを始末する。
 ギガンテスの殲滅が終わった時点で、合流してThird Apostleを叩くというものでした。
 それが、アスカさんとカヲル君の間で合意した作戦でした。
 それを聞いて、僕は一部作戦の修正を提案し、二人から了解をもらいました。
 その修正は、カサブランカ基地の非主力組4人にも、ギガンテス殲滅に加わってもらうものでした。
 提案した理由は二つ、4人の方が安全にThird Apostle足止め出来ると考えたからです。
 そしてもう一つ、非主力組4人と、僕は一度一緒に訓練をしたことがあります。
 従って、彼らを加えた方が、効率的にギガンテスを倒すことが出来ると考えました。
 そして僕達は、直前まで、そのフォーメーションを取るつもりで待ち構えていました。
 それを変更したのは、ギガンテスとThird Apostleの位置が近すぎたことが理由でした。
 4人で足止めすることのリスクが高まったため、その役割を僕と交代したのです。
 まず最初に、作戦を変更した理由をご理解いただけましたか?」

 シンジの問いかけに、質問をした記者は、少し考えてから「教えてください」と追加の質問をした。

「碇さんが果たした役割を、カヲルさんが努めてはいけなかったのですか?
 そうすれば、当初のフォーメーションから変更が少なかったかと思いますが」
「そうなると、僕とカサブランカ基地のパイロットとの組み合わせになりますよね。
 その場合、カヲル君との組み合わせとどちらが良いかと言う比較になります。
 当然、普段の組み合わせの方が良いと言う結論になるかと思います。
 普段通りの組み合わせができるのに、あえて違う組み合わせをする理由はありませんよね?」

 シンジの説明に、質問した記者は「説明を続けてください」と先を促した。答えとして不自然ではないし、こだわる所でもないと考えたからだろう。

「ただ足止めするだけなら難しくないと思っていました。
 そして、ヒトガタをしているため、格闘戦ならギガンテスより分かりやすいと思っていました。
 問題は、ギガンテスとは比較にならないほど強い防御壁と言うものです。
 残念ながら、最初の攻撃で僕の同調率では突破することが出来ないのが分かりました。
 従って、次の段階として、鉄壁の防御壁に、何か弱点がないのかを調べることにしました。
 飛び蹴りしたり、岩を投げたりしたのはそのための手段だとお考えください。
 おぼろげながら分かったのは、防御壁を展開するのには条件があるというものです。
 ちょうど当たるように岩を上に投げたのですが、防御したりしなかったりしたんです。
 その違いは、同時に僕が攻撃しているかどうかでした。
 意識が僕の攻撃に有るため、上から落ちてくる岩にまで気が回らなかった。
 従って、注意をそらすことで、壁を突破できるのではないかと言う仮説を立てました。
 その仮説を立てた所で、ギガンテスとの戦闘状況を確認しました。
 いずれの基地も、残りが1体という状況になっているのを確認したんです。
 これで、Third Apostleとの戦いが、ギガンテス殲滅に影響しないことが分かりました。
 そして次に考えたのが、M新聞さんが疑問に感じたことになります。
 彼らの戦いが終わるのを待って、Third Apostleを包囲し、波状攻撃で殲滅する。
 戦力差が拡大するわけですから、リスクとしても低いものになることは予想ができます。
 一方で、全方位に防御壁を展開されるリスクが有るのではと考えました。
 その場合、いつ動き出すのかわからない、壊すことが出来ない置物を作ってしまうことになります。
 そうなると、僕達はその場から動くことができなくなります。
 それを避けるために、ある意味賭けに出ることにしたということです。
 失敗したとしても、すぐにサンディエゴ、カサブランカ両基地の戦力で包囲することができます。
 従って、失敗の影響も少なくなると考えました。
 Third Apostleの使用するビームは、ギガンテスのビームと同じぐらいの威力を持っています。
 つまり、標準装備の防御シールドで短時間なら防ぐことが可能となります。
 あえて攻撃を受けることと、上に何かあるように見せかけて注意を逸らすこと。
 その二つのことで、前方に張られた防御フィールドが解除されることを期待しました。
 結果については、御存知の通り、その賭が当たったと言うことになります」
「あのような行動をとったのは、倒せなくなるリスクを避けるためと言うことですか?」
「倒すための作戦が幾つかあり、それを順番に試していったという考え方もあります。
 それに加えて、失敗しても、挽回出来ると考えたからです」

 シンジの答えに、質問した記者は、「ありがとうございます」と自分の質問を終了した。説明への検証は必要だが、聞く限りにおいて論理に破綻は感じられなかった。後は、今の説明を専門家にぶつけてみればいい。
 M新聞が引き下がった所で、すぐに別の記者が手を挙げた。腕に巻かれた腕章を見ると、同じく厳しいことを書いていたA新聞だった。

「一部の記事で、碇さんが手柄を独り占めするためだと書かれていました。
 そのことを聞いて、碇さんはどう感じられましたか?」
「手柄を独り占め……ですか?」

 何のことを言っているのか分かるので、「なんだかなぁ」とシンジは少し脱力していた。

「そんなことをして、何か僕にいいことが有るんですか?
 だいたい、アメリカ東海岸は、サンディエゴとカサブランカ基地のテリトリーですよ。
 本来僕は、わざわざそんなところまで行く必要なんて無かったんですよ。
 Phoenix Operationとかは、はっきり言って拷問なんです。
 戦闘機なんて、旅客機に比べて乗り心地は悪いし、トイレにもいけないし。
 食べるものだって、味気のないゼリーやクラッカーみたいなものなんですよ。
 しかも、胃がかき回されるから、降りた途端、胃の中の物が全部出ていっちゃうし……
 加藤さん達が、気を使ってくれるんですけど、はっきり言って鍛え方が違うんですよ。
 それが、“手柄を立てた”結果だと思うと、手柄なんか立てたくありませんよ。
 以上が、今の質問に対する僕の答えです。
 そもそも、手柄を自慢したかったら、高知のすぐ後に正体をばらしていますよ」
「まあ、碇さんの場合、今更多少の手柄を立てても大差はないでしょうね……」

 それを知っていて質問したと言うことは、これも仕込みなのだとシンジは考えた。

「一応僕も人間ですから、耳に痛いことなんて聞きたくはありませんよ。
 ただ、建設的な批判に対しては謙虚に耳を傾けるつもりでいます。
 結果論でも構いませんから、明確な理由を示して戦い方を批判してほしい。
 そうすれば、次の戦いの時に参考にできるかもしれません。
 少しでも皆さんの知恵を借りないと、この戦いに勝ちぬくことは出来ないと思っているんです。
 だから、嫉妬やヤッカミ、それから思想的なものを持ちだした中傷のための批判はやめてください。
 そんなものに目を通すつもりもありませんし、僕達の戦いに何の役にも立ちませんからね。
 A新聞さんが触れた新聞記事も読ませてもらいましたけど、読むだけ時間の無駄でした。
 寄稿された専門家の方を含め、もう少し視野を広く持っていただきたいと感じました。
 よほど僕は、嫌われるようなことをしたのかと思ってしまいましたよ。
 一応言わせてもらえば、取り囲むだけで勝てるぐらいなら、僕一人だけでも簡単に勝てますよ。
 なぜ取り囲むことで、リスクを下げて勝つことが出来るのか。
 その“なぜ”の部分が、すっぽりと抜け落ちているから、読むだけ無駄だと言わせてもらいました。
 その程度の論評だったら、武器を使うべきだと言うのと何も変わりません」

 役に立つ武器が無いのだから、何を使えばいいのか誰にもわからない。一見正論に聞こえる論評にしても、それを掘り下げると、一般常識と願望だけで書かれているのが分かってしまう。それでギガンテスを倒せるのなら、今まで誰も苦労などして来なかったのだ。
 そこまで答えた所で、シンジは司会に対して記者から見えないようにサインを送った。これ以上細かな所に踏み込むと、むしろやぶ蛇になりかねなかった。だから、この辺りで記者会見を切り上げろと言うのである。

 それを理解した司会者は、「時間となりました」と記者会見の終わりを告げた。もともと、終わったばかりの戦いについて、直接話を聞く場を作るのが目的の記者会見なのである。従って、長時間は行わないと、事前に通告されていた。

「申し訳ありませんが、学生にとって平日は勉強する日となっています。
 今からだと、なんとか午後の授業に滑り込めるというところでしょうか。
 その辺りのご理解をお願い致します。
 何しろ日本一忙しい高校生には、授業の他にも部活と生徒会活動も待っていますからね。
 そう言うことなので、これで碇シンジ君には退場してもらうことにします。
 よろしければ、拍手でお見送りいただけないでしょうか?」

 相手が世界を守ったヒーローなのだから、言われなくても感謝の意を示さなければいけない。それもあって、出席したマスコミ関係者は、シンジのことを盛大な拍手で見送ったのだった。







続く

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