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 シンジ達が日本に帰ってきたのは、結局土曜の夜になってしまった。中国政府の計らいというのか、S基地への直行便として2階建ての大型機が4人のために用意されたのである。そこでは乗客より乗務員の方が圧倒的に多く、しかも至れり尽くせりのサービスが行われたのである。マドカが、「なんで」と悩んだのも仕方の無いことだった。
 その上ペニンシュラでの滞在中は、まるで王侯貴族の扱いをされた。何がと言うと、ホテル内施設、それは併設されたショッピングモールも例外では無く、何をしても一切代金が請求されなかったのだ。極端な話、宝石ショップで最高級のダイヤがちりばめられたティアラでも、欲しいと言えばただで貰える状況だった。さらには、「全部お持ち帰りいただいて結構です」とまでオーナーに言われ、全員しっぽ巻いて退散したという笑えない話まであるぐらいだ。ちなみにシンジ達の滞在中、他の客はすべてシャットアウトし、いつでも利用できるように終夜営業となっていた。

 そんな事情で、ジャージ姿で出撃したシンジ達は、図らずも高級ブランドに着替えて帰ってくることになった。そして手ぶらで出撃したのに、スーツケース一杯のお土産まで持たされたのである。
 ちなみに、一度町に出てみたのだが、すぐに這々の体で逃げ帰ってきてしまった。軽い気持ちでホテルの外に出たとたん、シンジ達目当ての殺人的人だかりができてしまったのである。その後行われた公式パレードでは、道路が見えないぐらいに市民に歓迎された。

 お代がいらないと言うのはやり過ぎとぼやいたシンジに、領事の多和田は「安いものだ」とあっさりと言った。そしてそれだけで無く、その根拠まで示してくれた。

「今回の被害は、水際の公園にちょっとしたくぼみができた程度です。
 被害総額で言えば。そうですね、数千万円程度と言うところでしょうか。
 それに引き替え、中国軍が使用した武器の総額は、数百億を下らないでしょう。
 そして香港の街に被害が出ていたら、被害の規模は数兆円では効かないのですよ。
 しかも、数百万と言われる人的被害が予想されていたのですよ。
 碇さん達のおかげで、どれだけ被害総額が抑えられたことか。
 それを考えたら、たかが2日間で使えるお金なんてたかがしれています。
 それで碇さん達に好印象を植え付けられたなら、むしろ安い買い物でしょう。
 実際碇さん達が使われたのは、数千万万円程度だと思いますよ?」
「そんなに使った覚えは無いんですけど……」

 数千万円と言われても、したことと言えば着替えを用意したぐらいなのだ。それにしても、外に出られなかったため、ホテルのブティックを利用しただけのことだった。
 だが身に覚えが無いと言うシンジに、多和田は笑いながら、気にする必要は無いと繰り返した。

「正札で買えば、スーツだって百万を超えるんですよ。
 何しろセレブ向けのブティックで、最高級の衣装が用意されたんです。
 高校生としての感覚であれば、せいぜい数万円と言うところでしょうかね。
 だから碇さんが、身に覚えが無いと言うのもきわめてまっとうな感覚と言うことですね」
「あーっ、何か、人として間違った領域に踏み込みそうな気がしてきました……」

 そう言って嘆いたシンジに、これも勉強だと多和田は笑った。

「ちなみに今されている時計はいくらぐらいだと思われますか?」
「これですか?」

 いろいろとくれると言われた中で、一番シンプルなものをシンジは選んだつもりだった。何の変哲も無い金属のバンドに、白い文字盤に日付だけが表示されるものである。自動巻と言うメカニカルなところが気に入って選んだのだが、高級品と言う意識は持っていなかった。

「数万円ってところですか?」
「数十万円と言うのが正解ですね。
 スイスの高級時計メーカー、ROLEXの時計です。
 そうですね、時計に凝られている方や、大企業の社長さんがよくされていますね」

 多和田の言葉に、シンジはいかに自分がものを知らないのか思い知らされた気になった。何でこんなものがそんなに高いのか、そう言ってまじまじと腕時計を見たシンジは、すぐにとても重大なことに気がついた。女性陣3人も、シンジと同じように時計を貰っていたのだ。

「まさか、アサミちゃんはって、僕と似た奴を選んでいたか……」

 4人の中で、一番物の価値を知っているのはアサミに違いない。だから一番高い物をと考えたのだが、自分とそっくりな物を選んだことを思い出した。

「そうですね、堀北さんは碇さんとペアのものを選ばれましたね。
 だから、値段的にもほぼ同じぐらいでしょう。
 そう言う意味では、遠野さんが選ばれた時計が一番お高いのでしょうね。
 有名時計職人の手作り品ですから、1千万は下らないと思いますよ」
「きっと、貰った本人は数千円程度のつもりでいますよ……」

 ムーンフェイスと言うのか、三日月型に文字盤が切り取られていて、そこからは中の歯車の動きが見えるようになっていた。シンジにしても、どこかの電気屋で似たようなのを見た記憶があるものだった。

「このこと、遠野先輩には言わない方がいい気がしてきました……
 いや、言っておかないと高級時計が可哀想な目に遭うのか」

 数千円と1千万では、間違いなく扱いが変わってくるだろう。もしかしたら、あまりの値段に卒倒でもしてくれるかもしれない。いずれにしても、物の価値は教えておくにこしたことは無い。

「なにか、身を持ち崩しそうな気がしてきましたよ……
 僕達みたいな高校生が、こんな目に遭っていいとは思えないんです」
「いえいえ、正当な権利をお考えください。
 ちなみに日本政府は、今回贈与されたものに一切の税を掛けないと言うことです。
 正確には、掛けるわけにはいかないと言うところでしょうか」

 そんなやりとりがあった後に、巨大機で地元まで送ってくれたのだ。ここまでくれば、文句を言う気力も失われてしまう。

 S基地に着いたおかげで、シンジはようやく日常を取り戻した気持ちになっていた。苦笑混じりに「ご苦労だったな」と後藤に言われたときなど、思わず「もういやだ」と言いかけたぐらいである。どれだけ平穏な日常がありがたいか、香港の出来事でそれをいやと言うほど思い知らされたのだ。
 だがいかにも嫌そうにしたシンジに対して、後藤はまじめな顔で「諦めろ」と言ってくれた。

「諦めるって、何をですか?」
「これから海外に出撃した時のことだ。
 中国がこんな真似をしたから、よそも負けじと接待してくれるだろうな。
 一度受けてしまった以上、と言うか、正規の招待である以上断ることはできないんだ。
 従って、西アジアまでのギガンテス迎撃後、必ず各国で歓迎の式典が開かれることになる」
「そんなもの、辞退することはできないんですか?」

 断ってくださいと言う意味で言ったシンジに、「管轄外だ」と後藤は申し訳なさそうに答えた。

「ここから先は、外務省の管轄になる。
 聞いた話によると、彼らは強力な外交手段ができたと喜んでいるそうだ。
 基地のある中国やインドへ訪問できないか、早速検討依頼が来ているぐらいだ。
 いやぁ、人の金で豪遊できるだなんて、うらやましい限りだな。
 それとも、新婚旅行と言ってやろうか?
 香港では、しっかりと配慮してくれたのだろう?」
「ええ、それだけはありがたかったんですけどね……」

 日本では、なかなか二人きりになる時間がとれなくなってきている。それを考えれば、同じ部屋にしてくれたことだけはありがたいと思っていた。だからと言って、喜べないのは間違いなかった。

「まあ、これからのことは追々考えていけばいいだろう。
 我々としては、ギガンテスを撃退してなんぼと言うところがある。
 だから、極力迎撃に影響が出ることは避けようと考えている。
 と言うことで、直近の予定を確認しておこうか?」
「直近の予定……ああ、今日は土曜でしたね」

 通常ならば、日曜日に定期訓練が組み入れられている。帰国直後と考えると、スキップしてもおかしくは無いだろう。何しろ数日前に、困難なミッションを成功させたばかりなのだ。
 それを認めた後藤は、他のパイロット候補に対する訓練があると言葉を続けた。そしてその訓練に、シンジ達がどう関わるかが問題だと言ってくれた。

「高村、大津、そして衛宮達の訓練は予定通り行われる。
 だから、君達はどうするのかと言うことになるのだが……」
「本当は、僕だけでも参加した方が良さそうなんですけどね……」

 そうすれば、全員の訓練がより意味のあるものになってくれる。その意味で、シンジの存在は訓練に対しても大きな意味を持っていた。ただその一方で、シンジが参加することで別の問題が起きることも分かっていた。

「そうして貰えればありがたいが、君が来ると結局全員参加になってしまうのだろう。
 いくら若いと言っても、働きづめは体に毒だ。
 デートでもして、リフレッシュしてきたらどうだ?」
「デートが、落ち着いてできればそうでしょうね……」

 秘密のパイロットと知られた時点で、街を歩くだけでいろいろな人から声を掛けられるようになっていた。それを考えると、とても落ち着いてデートができるとは考えられなかった。そして後藤も、そうだろうなとシンジの考えを肯定してくれた。
 だからシンジは、次善の策として学校に顔を出すことを考えた。

「部活に顔を出すことにしますよ。
 来週にはS高祭もありますから、いろいろとやることがあると思いますから……」
「できれば、休息をとって貰いたいのだがな」

 だがその方が日常と、後藤は学校に行った方がましだと理解した。あの程度の出撃で、シンジ達が精神的に参るとは思えない。今疲労状態にあるのは、あまりにも非日常の扱いをされたのが理由だったのだ。何しろ目の前の少年は、高知の奇跡の後でも平然とデートをしていた神経の持ち主だ。

「来週の木曜日からだったか?」
「ええ、日曜日が最終日になります。
 今の状況だと、どんな騒ぎが起きるのか怖いんですけどね……」

 パイロット騒ぎで忘れられたところもあるが、話題の自主映画が上演される事になっている。学校側は、上映場所として講堂を使うことを決め、自衛隊に対して観客の整理誘導を依頼している。それだけ騒ぎになることが予想されているのだから、シンジの言う「騒ぎが起きる」と言うのは、今更のことだった。

「それで、君はS高祭で何をすることになっているんだ?」
「S高祭で、ですか……」

 う〜んと考えたシンジは、いくつか頼まれていたことを思い出した。

「映画研究会に、初日の舞台挨拶を頼まれていましたね。
 それから、弦楽部の助っ人も入っていました。
 後は、特に依頼は無かった気がするんですけど……
 去年通りなら、飛び込みでヘルプの入ることが多いんですけどね」
「後は、校内でデートと言うことかな?」

 一緒に学園祭を回ると言うのは、恋人同士としては外せないイベントに違いない。それを持ち出した後藤に、シンジも素直に「そうですね」と認めた。

「去年はいろいろと悔しい思いをしましたんですよ。
 今年は、その分も取り戻したいと思っていたんです」

 それをうれしそうに言ってくれたので、後藤は「リア充に死を」と叫ぶ葵を思い出した。ただ自分への実害は無いと、葵の姿は心の片隅へと放り投げた。そして後藤は、「これからの予定だが」と今しがた聞いたようなことを言ってくれた。

「これからのって、明日は完全オフですよね?」
「いや、明日じゃ無くて「今から」の事なんだが。
 報道各社から、記者会見をさせろと言ってきているんだ」
「なんで……」

 どうして、いちいちパイロットが記者会見をしなくてはいけないのか。シンジの記憶にある限り、アスカやカヲルが迎撃後に記者会見をしていると言う記憶が無かったのだ。それなのに「日本だけなぜ」と、シンジは考えてしまった。

「なんでって言われてもなぁ。
 うちも、まだ報道対応が機能していないと言うのが実態なんだ。
 しかも君たちの場合、まだパイロットとしてホットな状況だからな。
 何かにつけて、インタビューをさせろとうるさく言われているんだ。
 あまり断り続けると、政府がマスコミ各社から突き上げを食らうことになる」
「つまり、後藤さんに上から指示が来たって事ですか……」

 香港の戦い直後と言う機会だから、マスコミの要求に応えろと言うことだろう。本来後藤の仕事と言いたいところだが、いろいろと裏の事情が透けて見えるところもある。それに言いたいこともあるので、仕方が無いとシンジは諦めることにした。

「それで、インタビューは全員で受けるんですか?」
「質問自体、君が居れば事足りるだろうな。
 だが形だけでも、全員出た方がいいだろう」

 自分だけ出るのも、どこかおかしいのは確かだろう。それを認めたシンジは、4人そろって記者会見に臨むことにした。サービス的には、間違いなくその方がいいのだろう。

「そうですね、全員S高の制服に着替えて出席することにします。
 ちょうど、言いたいことがあるので利用させて貰いますよ」
「言いたいことか……
 避難のことか、それとも接待のことか?」

 言いたいことで後藤に思い当たるのは、その二つ以外には無かった。そしてその認識は、きわめてシンジと一致していた。だからシンジは、より深刻な「避難」の方を持ち出した。

「いくら避難経路が途絶していたとしても、あれは間違いなく問題です。
 遠野先輩達ですら、しっかりとびびっていたんですよ」
「そのあたりは、我々も問題だと認識している。
 君達に、救う命の選別をさせるわけにはいかないからな。
 すぐにでも、政府間交渉の議題にして貰うつもりだ」

 避難がされていない状況での戦闘は、間違いなくパイロットを萎縮させることに繋がってくる。しかも被害を押さえるためと、今回のような無理な作戦を行う可能性も出てくる。こうして無理を重ねることで、いつか破綻を起こしかねない。それを考えれば、早急に手を打つ必要があったのだ。

「実行の方は後藤さんにお任せします。
 効果がどれだけあるか分かりませんけど、マスコミ向けには僕の方からお願いしてみます」
「意外に効果があるかもしれないぞ」

 西海岸のアテナ達より、シンジの名声が高まっている事情がある。それを背景にお願いをすれば、確かに後藤の言うとおり、”意外な”効果が期待できるのかもしれない。

「だといいんですけど……」

 それ以前に、何を質問されるのか分からない。少し疲れの見える顔をしたシンジは、着替えをするためにロッカールームへと歩いて行った。



 記者会見を終え、シンジが家に着いたのは夜も10時を過ぎたときのことだった。結局ずるずると会見が引き延ばされ、終わるに終われなくなったと言う事情からである。おかげでとても疲れて帰ってきたのだが、出迎えた妹の言葉は少しも優しくは無かった。

「お帰り兄さん、それで新婚旅行のお土産は?」
「いくらなんでも、いきなりそれはないだろう?
 僕は、ギガンテス迎撃に行ったんだけど……」

 言うに事欠いて「新婚旅行」は無いと言いたかった。だが可愛い妹は、テレビで報道された事実を理由に、兄の言葉を否定してくれた。

「ギガンテス迎撃は木曜の夜のことでしょ。
 そこから、アサミちゃんと豪華ホテルで同じ部屋に泊まったのよね」

 だから新婚旅行なのだ。後藤にまで「新婚旅行」と言われたのだから、世間の認識もその程度に違いない。苦労して外国にまで出撃した自分たちに、もう少し配慮があってもいいとシンジとしては主張したかった。それ以上に、同じ部屋だったことが報道された方が問題としては大きかった。

「翌日だって、公式行事が目白押しでのんびりできなかったんだからね」
「二人で香港観光をして、夜は豪華ホテルの同じ部屋。
 世間は、それを新婚旅行って言っているのよ」
「そもそも、結婚をしていないんだけど。
 そもそも僕たちは、まだ高2と高1なんだけだ?」

 やめてくれと妹にお願いしたシンジは、「疲れた」とぼやいて洗面所へと歩いて行った。その煤けた後ろ姿に、「よほど激しかったのか」とレイはいってしまった想像をした。

「とりあえず、荷物は中に運びましょうか」

 お土産を貰うにしても、スーツケースをこんなところに置いておいてはいけない。どこかで見たマークのついた革製のスーツケースを、レイは軽い気持ちで持ち上げようとした。持ち上げようとしたのだが、すぐに歯が立たないと運ぶのを諦めた。

「何をどう詰め込めば、こんなに重くできるのかしら?
 まさか、可愛い女の子が中に入っているとか……」
「僕を、勝手に犯罪者にしないで欲しいだけど」

 勘弁してと言って、シンジは重い荷物をひょいと持ち上げた。そして足下のぞうきんを右足で示し、「そこを拭いてくれ」と妹に頼んだ。

「兄さん、お行儀が悪いわよ」
「仕方が無いだろう、両手が塞がっているんだから」

 転がすと床に傷がつくので、シンジは持ち上げたままスーツケースを居間まで運んだ。そして教えられた暗証番号で、二つ付いていた鍵を開いた。

「それで、これは何?」
「お土産の詰め合わせ……かな?
 ホテルの方から、どうぞお持ちくださいと押しつけられたんだよ。
 貰ってくるつもりなんて無かったのに、S基地に着いたら荷物で下ろされてきたんだ」
「ずいぶんと気前がいいのね……
 ところで、どうして女性ものの下着があるの?」

 とても隠すところの少ないパンツを指でつまみ、レイは明かりに透かしてからくんと臭いをかいでみた。そんなことはあり得ないと思っても、一応使用済みの可能性を疑ったのだ。

「一応、アサミちゃんの使用済みでは無いみたいね」
「どうして、ホテルがそんなものを持っているんだよ……」

 ホテルが押しつけたものに、個人的使用済み品があるのがおかしい。そう文句を言った兄に、「どうするの、これ?」とスーツケース一杯の荷物の処分をレイは聞いた。

「どうするって……どうしようね?
 全部チャリティーで売っぱらって、収益金は寄付しようか?」
「めぼしいものを貰ってもいい?」
「別にかまわないけど、だったら荷物を仕分けてくれるかな?」

 ぱっと見る限り、女物の割合が多くなっているようだ。だとしたら、妹に任せる方がいいとシンジは考えたのである。

「それはいいけど、アサミちゃんへのプレゼントは……
 アサミちゃんも、似たような物を貰っているのね?」
「同じ大きさのスーツケースを引きずっていったよ。
 ちなみに、先輩達も同じのを持って帰ったからね」

 テレビで教えられた歓迎ぶりを見れば、それぐらいのことがあってもおかしくは無い。なるほどそうかと頷いたレイは、兄に向かって「どうする?」と分かりにくい質問をした。

「どうするって?」
「お風呂、お茶、それとも私?」
「お風呂かなぁ〜」

 私の部分に突っ込みすらしない兄に、レイは「シクシク」と泣き真似をした。

「やっぱり、私は過去の女なのね。
 でも、尽くしていたらいつか報われる日が来るのかしら?」
「まだ、ボーイフレンドができないの?」

 直球ずばり、しかも致命傷になりかねない攻撃をした兄に、レイは「あうっ」っと胸を抑えて顔をしかめた。

「兄さんって高い壁に、アサミちゃんって比較対象が身近に居るのよ。
 そう簡単に、ボーイフレンドができると思っているの?」
「やっぱりさぁ、自分で探そうとしないといけないと思うよ」

 返ってきた言葉に、思わずレイは開いた口が塞がらなくなってしまった。「自分で探す」と宣ってくれたのだが、少し前に愚痴しか言わなかったのはいったい誰なのか。せっせと女の子を紹介しようとした妹の努力を、この人は気づいているのだろうか。

「兄さん、それが彼女ができないとぼやいていた人の台詞なの?」
「そんな昔のことは忘れたよ」

 馬鹿みたいに記憶力がいいくせに、いったいどの口がそんなことを言ってくれるのだろうか。腕力で勝てるのなら、馬乗りになって両手で口を引っ張ってやりたいところだった。もっとも妹を女と思っていない兄に、腕力で勝負を挑むのは無謀すぎた。

「気分が悪くなってきた、さっさとお風呂に入ったら?」
「おかしな話を振ったのはレイの方だろう?」

 ふぁーとあくびを一つして、シンジは着替えをとりに階段を上がっていった。どうやら、いろいろと言ったことは、何一つ堪えていないようだ。ううむと悩んだレイは、これからの接し方を考えることにした。



***



 S高生としては、待ちに待った学園祭がやってきたと言うところだろう。例年学園祭のある週は、授業にならないと言われていたのだが、今年はそれがさらにひどくなっていた。明らかに週明けから、S校内がざわついていたのである。
 そしてそのざわつきは、水曜日の授業後を持ってピークに達した。翌日のS高祭開始を控え、学校内が不夜城と化していたのだ。生徒が帰らない理由は、準備が終わらないという、一見「計画性はどこ?」と聞きたくなる物だった。ただ実態としては、前日から大騒ぎするための口実にしか過ぎなかった。そのあたり、地域的おおらかさと、これまで無事故を積み重ねた実績でもあった。

 もっとも、S高祭において、ジャージ部は独自の展示を行っていなかった。そもそもボランティア活動の展示など、実績を羅列し、写真で記録を残す物でしか無い。いくら文化系部活の晴れ舞台とは言え、地味すぎることに違いが無かった。
 それもあって、水曜はシンジには特にしなくてはいけない用は無いはずだった。だがせっかくだからとアサミと帰ろうとしたところで、なぜか映画研究会の梅津マコトと弦楽部の如月フウカに呼び止められた。

「良かった、ちょうど碇君を探していたのよ」

 ほっと胸をなで下ろしたマコトは、フウカを連れて近づいてきた。二人とも女子としても小柄と言うこともあり、シンジの前に立つと、まるで大人と子供のように見えていた。揃ってシンジを見上げた二人は、少し時間が欲しいとシンジとアサミの二人に声を掛けた。

「なにか、ありましたっけ?」
「碇君のスケジュール調整と、堀北さんへのちょっとしたお願い」

 そう答えたフウカは、まずアサミへのお願いを切り出した。

「直前で悪いんだけど、司会をお願いできないかしら?
 ほら、どうせ碇君が居るんだから、堀北さんも時間があるかなって」
「私の時間が、全部先輩のためだけにあるわけじゃ無いんですけど……」

 そう言って不満そうにしたアサミだったが、気持ちとしては全部の回でシンジの演奏を聴きに行くつもりで居た。それを考えると、司会をしたとしても舞台のどちら側にいるのか程度の違いしか無い。だから否定こそしたが、あまり強いものではなくなっていた。
 そしてとりあえず否定したアサミに、フウカは外堀を埋めるべくジャージ部の予定を持ち出した。

「うちの学園祭って、部活が主だからクラス展示みたいなものはないでしょ。
 ジャージ部が展示するって聞いていないから、時間が自由にできるのは調査済みなの。
 梅津さんのところの舞台挨拶も、初日と土曜、日曜の初演だけなんでしょう?
 まあ、本当にそれだけで済むのかは、陸山会長次第なんでしょうけどね」
「言っていることに間違いはありませんけど、なんです、陸山会長次第って」

 とても不吉なことを言うフウカに、思わずアサミは反応してしまった。

「つまり、生徒会は僕達に何かさせようと考えていると言うことですか?」
「先週派手なことをしたばかりだから、その辺りは我慢することね。
 たぶん、とてもジャージ部向けの企画でも考えているんじゃないの?
 私が会長の立場だったら、間違いなく何かをさせようと思うわよ」

 それでと答えを求められたので、アサミは「分かりました」と条件をつけて手伝いを認めた。

「先輩が出演する回だけですからね。
 それ以外は、一緒に学園祭を周る予定なんです」
「ええ、その程度にしておかないと、他の部活から苦情……って言うか、襲撃される可能性が有るわね」
「襲撃されるんですか?」

 物騒なことを口にしたフウカに、アサミは「襲撃」の理由を聞くことにした。

「だって、自由時間に二人揃って展示を回るんでしょう?
 写真部なんか、二人用の衣装を揃えるんだって張り切っていたわよ。
 たぶん、コスプレ写真撮影をお願いされるんじゃないかな?
 美術部は、即興の似顔絵が展示内容になっているでしょう。
 だから、モデルになってもらおうって考えていると思うし……」

 そうやって考えると、色々なクラブで歓迎してもらえそうだ。「面白そうですね」と喜ぶアサミに、「そうだね」とシンジは少し顔をひきつらせた。シンジとしては、「コスプレ写真」と言うところに引っかかりを感じていた。

「それで堀北さん、紹介内容は原稿を作っておく?
 それとも、簡単なメモ程度にして後はアドリブ?」
「一応原稿を用意してもらえますか。
 それをベースに、適当なアドリブを加えようと思いますから」
「分かったわ。
 原稿は、明日の朝までには用意しておく。
 そこでお願いなんだけど、リハにも顔を出してもらえるかしら?」

 手渡されたスケジュール表の時間を覗きこんでから、アサミは自分の手帳でスケジュールを確認した。それからシンジの顔を見て、「分かりました」と受諾を伝えた。

「映画研究会の初演が終わってからでいいんですね?」
「あなた達も、一番最初に見てみたいでしょう?
 たぶん、本番は土日の一般公開だと思うし……」
「映画研究会としては、全校集会の後に行われる初演が見せ場なのよね。
 そこで全校生徒に見せちゃうから、通常上映は人が少なくなると思うし……」

 初日から講堂を貸切かと言われたのだが、木金の対象者がS高生徒しか居ないことに気がついたのだ。だから全校集会の直後だけ講堂を借りて上映し、そのあとはいつもどおりの視聴覚教室に移動することになっていた。ある程度のリピーターがいたとしても、さほど忙しくならないだろうとマコトも考えていた。

「それで、碇君達は今日はどうするの?」
「僕達ですか、僕達の場合は特に準備ってありませんからね。
 だから、大人しく帰って明日に備えるってところでしょう」

 だったらと、フウカは二人にお願いをすることにした。お願いの中身としては、一応弦楽部部長として真面目なものになっていた。

「これから通し稽古をするのよ。
 時間があったらでいいから、練習に付き合ってくれない?」

 そのお願いに、シンジはちらりとアサミの顔を見た。自分にプランが無かったので、何かアサミが考えていないのかを確認したのだ。そしてアサミが首を振ったのを確認し、まともな選択として練習することに合意した。

「そうですね、少しでも練習をしておいたほうがいいですね」
「じゃあ、私は見学させてもらいます」

 二人の答えにほっと息を吐きだし、フウカは「ありがとう」と頭を下げた。ただでさえ忙しいジャージ部において、新部長の忙しさは別格だと言われていた。しかも新生徒会長まで確定しているのだから、スケジュール確保が一番難しいと言われていたのだ。

「じゃあ梅津先輩、明日は舞台挨拶ですね」
「まさか、映画研究会の発表が初日の目玉になるとは思ってもいなかったわ」

 高校生活の思い出として、きっとこれ以上のものは無いだろう。これから演奏する弦楽部とは違い、映画研究会の場合はほとんどやることは終わっていた。後はどれだけ上映会を盛り上げることが出来るのか、その為の仕掛けにとりかからなくてはならない。特にリピーターを作る仕掛けが、重要となってくる。
 まだまだ夜は長い。盛り上げるための準備には、十分な時間を掛けることが出来る。悔いを残さないためにも、これから明日までの時間の使い方が重要だと、マコトはプランを再度練り直したのだった。



***



 ギガンテスの襲撃間隔については、今のところ経験則で推測することができていた。その間隔は、およそ3〜5週間とされていた。ただこの間隔は、襲撃規模によらないところが厄介だった。
 そして直前の襲撃は、香港で発生した3だった。これまでの経験則に当てはめれば、3週間程度間隔が開くことになる。そのおかげか、サンディエゴやカサブランカでは、”比較的”まったりとした空気が流れていた。

 比較的カテゴリ1の両基地がまったりとした理由には、候補生達の帰国もその理由になっているのだろう。大もめに揉めたカサブランカ基地の問題後に取り入れられた訓練方法のお陰で、候補生達の訓練が格段に進むことになったのだ。それにローワー湾での牽制作戦の成果をあわせれば、1時間程度ならば時間稼ぎが可能と言うところまで進歩したのである。その結果を持って、訓練生達は自国の基地へと帰っていった。

「カヲルが動けないのは今更として」

 定期訓練後のミーティングで、カサブランカ基地主力組のエリック・ゴンザレスは、真面目な顔をして「相談がある」と切り出した。

「俺が、5日程度休暇をとることはできないのか?
 幸い、次の襲撃までは2週間程度開くという予想が出ている」

 どうだと聞かれたカヲルは、予測カレンダーに視線を落とした。そして別のスケジュールに視線を向けてから、とても真面目な顔で「駄目だね」と言い返した。

「エリック、まさか君は、僕が許可を出すとでも思っているのかい?」
「俺は、パイロットとして正当な権利を口にしただけなんだが?
 ここまで襲撃間隔の予測ができるようになったのだから、合間に休みを取るのはおかしくはないだろう。
 そして付与された休暇をとるのは、権利として保証されているはずだ」

 その主張に、「なるほど」とその正当性をカヲルは認めた。確かに、パイロットには「有給休暇」をとる権利が保証されている。特にヘラクレスの場合、全員が未成年という事情があるため、権利の行使については厳密に保証がなされていた。その意味で、緊急度の低い今なら、休暇取得を拒む正当な理由に欠けるのも確かだった。
 だがエリックが何を目的にしているかぐらい、スケジュールを見なくても容易に想像がつく。だからカヲルは、休暇取得に対して、パイロットとして求められる義務を追加することにした。

「確かに、エリックが言う通り休暇取得は権利として保証されているね。
 そして、休暇期間中にギガンテス襲撃がある可能性は極めて低いと考えられている。
 この状況で、僕の一存で許可を出さないのは、確かに職権の乱用になりかねないのは認めよう。
 従って、君の休暇申請に対しては、一つだけ条件をつけることで認めることにするよ」
「それで、その条件とは?」

 「日本に行くのは駄目」と言われるのかと身構えたエリックに、「エリアの制限だよ」とある意味予想通りの答えをカヲルは口にした。

「突発事項に対応するため、滞在エリアの制限をさせてもらうよ。
 なあに、どこに行くのは駄目とか野暮なことは言わないよ。
 つける制限は、緊急時に対応できる場所なら可と言う僕達の義務に沿ったものだ。
 そうだね、僕達の出撃カバーエリア、現在非公式で見直しているものがあるだろう。
 そのカバーエリアに、いかなる方法を使ってもいいが、8時間で到達できることと言うのはどうかな?
 カバーエリアを6時間で見ているから、2時間は猶予を加えてあげたんだけどね。
 どうだい、とても良心的な制限だとは思わないかい?」
「いやっ、その制限は絶対におかしいだろう?
 どうして、ギガンテスの襲撃があることを前提にしているんだ!?
 いくら俺だって、襲撃のリスクが高い時に休暇だなんて言わないぞ!」

 それを認めると、渡航範囲がカサブランカ基地を中心に2〜3時間の円内になってしまう。直接駄目と言わない分、むしろたちの悪い制限だった。
 「おかしいだろう」と文句を言ったエリックに、カヲルは冷静に「少しもおかしくない」と言い返した。

「シンジ君達が僕達の基地に来たのは、例外中の例外ということなんだよ。
 日本政府も危険に気づいたからこそ、この前の事件があったとも言えるんだよ。
 彼らが緊急帰国したのも、アメリカ政府が大統領専用機を貸し出したのも、
 ギガンテス襲撃へのリスク対策も理由になっているんだ。
 なにも、カサブランカ基地やEUへの制裁だけが理由と言うわけじゃないんだ。
 確かに、エリックの場合僕達に比べれば制限は緩くなるのだろうけどね。
 君がカサブランカの主力である以上、迎撃に支障がある行為を許すわけにはいかないんだ。
 カレンダーと言うのはあくまで目安で、絶対とは誰も保証はしてくれないんだ。
 それぐらいの空気は、エリックも感じてくれていると思ったんだけどね?
 だから、僕としては許容出来る条件を提示したということなんだよ。
 事実、休暇取得自体を否定などしていないだろう?」

 そうやって言われれば、エリックも反論することもできなくなる。ハリド達4人の成長が有ったにもかかわらず、基地全体の緊張感はむしろ高まっていたのだ。
 カヲルの上げた理由に、エリックは小さく息を吐きだした。

「分かった、休暇の届けは取り下げることにする。
 迎撃に俺が欠くことはできないと評価されるのなら、その評価に応える責任を果たそう。
 自主制作映画とやらが見たかったんだが、別のルートで入手を考えてみるさ」
「理解してくれて嬉しいよ。
 そこでエリックに一つお願いがあるのだが。
 もしもその映画が入手できたのなら、ぜひとも僕にも見せてくれないかな?
 ところでミアさん、僕達になにか言いたいことが有るのかな?」

 二人の話がまとまった所で、「あのぉ」とミアが遠慮がちに手を上げていた。カヲルは、それに気づいたと言うことである

「許可が出るんでしたら、私が休暇をとってもいいでしょうか?
 映画のことについても、直接碇さんにお願いできると思います。
 私の場合、エリックさんとは違ってバックアップ組ですから」

 今まで数に含まれていない自分なら、休暇をとっても問題にならないだろう。そういう意味で休暇を主張したミアに、なぜか「却下」とカヲルとエリックは声を揃えた。

「そんな美味しいことを、俺達が許すと思うか?」
「同感だね、たとえパワハラと訴えられても、絶対に許可を出すつもりはないよ。
 アレックス司令に直訴してでも、休暇取得は阻止してみせるからね」
「それって、絶対におかしいと思いますけど……」

 エリックへの説得が情勢を含めた合理的なものなのに、どうして自分への言葉が全て感情から来たものなのか。ミアとしては、絶対におかしいし、否定されてしかるべきだと思っていた。だがミアにとっての問題は、どう考えても立場は二人の方が強いということだ。「半人前が休暇だと?」そう言って蔑まれても、仕方がない立場にいることぐらいは自覚していたのだ。
 しかもカヲルとエリックの二人は、「美味しいこと」と言って理不尽さを前面に出してくれた。つまり、抜け駆けは絶対にゆるさないと言ってくれたことになる。

「この問題については、議論の余地はないということだよ。
 だからマリアーナにライラ、君たちの休暇申請も却下ということだよ。
 受理する場合は、エリックに説明した移動制限がつくことになる」
「まあ、妥当な判断でしょうね……」

 反論のしようもない理由を付けられたのだから、今更許可が出るとは思えなかった。「却下」とカヲルに言われ、ライラとマリアーナは大人しく引き下がることにした。

「これで、休暇の問題も片がついたと考えていいのかな。
 だったら、今日のミーティングは終わることにしようか」

 エリックの相談をいいことに、カヲルは全員の休暇申請を葬り去った。彼らがこの時期に休暇申請をするのは、日本でのイベントが理由になっているのは分かりきっていたのだ。
 カヲルの言葉で、パイロットたちは三々五々ミーティングルームを出て行った。その顔が残念そうなのは、休暇が葬り去られたからだろうか。小さなため息を吐いて全員を見送ったカヲルは、ゆっくりと荷物をまとめてその後に続いた。取れるものなら休暇が取りたいというのは、カヲル自身常日頃口にしていることでも有ったのだ。

 カヲルが遅れて部屋から出てきた時、パイロット達の一番後ろをエリックが歩いていた。そのエリックは、振り返ることもしないで、カヲルだけに見えるように、背中の所で脇道を指さしてくれた。その方向には、職員用のカフェとバーが店開きをしていた。
 その合図に小さく頷いたカヲルは、予定を変えて脇道へと足を向けた。目指すのは、暗くて人目につきにくいボックスの有るバーである。暗いお陰で、声さえ潜めれば密談をするのに最適な場所となっていた。

 カヲルの顔を見たバーテンダーは、ちょいちょいと店の隅を指さした。品行方正で有名な砂漠のアポロンが顔を出したのだから、言われなくても目的は分かっていたのだ。まだバータイムには早いため、店の中には他に客は見当たらなかった。
 その指示に従ったカヲルは、ゆっくりと指定されたボックス席へと向かった。店の入口からは、ちょうどカウンターの陰にあるため、外からではカヲルが居るのが見えないようになっていた。

「ヴァージン・マリーで宜しいですか?」
「一応、これでも未成年だからねぇ」

 バーテンダーの方も、勝手知ったるものだった。パイロットのエースにしてストイックなカヲルが、アルコールを摂取しないのも分かっていた。「一応未成年」とカヲルは答えたが、それも方便だと分かっていた。

「レモンは多めにしますか?」
「普通でいいかな、後はタバスコを少しだけ入れてくれないかな?
 後は、マドラー代わりにセロリを1本」

 「畏まりました」と言って、バーテンダーはカウンターに戻っていった。それを見送り、カヲルは小さく、本当に僅かなため息を吐いた。
 入口のドアは二重にされ、しかもドアとドアの間は長めの通路が作られていた。しかもわざと折り曲げられているため、外の光が入らないような作りになっていた。そのため店内を照らすのは、カウンターやテーブルに置かれた小さなオイルランプだけだった。そのため、店内はとても暗い環境が作り上げられていた。

「日本の言葉に、一期一会と言うものがあったね……
 僕達は、あの出会いをもっと大切にすべきだったんだ」

 ふっともう一度小さく息を吐きだした時、入り口のベルがカランとなる音が聞こえてきた。ようやく、「待ち人来たる」と言うところだろうか。
 果たして、バーに入ってきたのはエリックだった。一瞬暗闇に立ちすくんだエリックは、カヲルと同じようにバーテンダーに指さされ、奥のボックスへとゆっくり歩いてきた。そして小さな明かりでぼんやりと照らされたカヲルを見つけ、「待たせたな」と小声で声を掛けた。

「いや、さほど待っていないと言うのが正直なところだね。
 なにしろ、注文の品がまだ出てきていないんだよ」
「まあ、ここは時間を忘れてくつろぐところだからな……」

 ふっとエリックが口元を歪めた時、先ほどと同じバーテンダーが「いらっしゃいませ」と挨拶をしてきた。

「トマトジュースに、レモンと胡椒をすこし入れてくれ」
「畏まりました」

 ちなみにカヲルが注文したヴァージン・マリーも、トマトジュースをベースにしたカクテルである。ブラッディ・マリーのウオツカ抜き、つまりトマトジュースとレモンと言うのがそのレシピである。結局、二人共言い方を変えてトマトジュースを頼んだだけだった。
 そしてエリックが注文してすぐ、バーテンダーは二人分のトマトジュースを持って現れた。結局、カヲルの分は、エリックが来るまで待たされたと言うことになる。

 ゆっくりと二人の前にグラスを置いたバーテンダーは、「何かつままれますか?」とオーダーを確認した。時間帯を考えると、そろそろ夕食にしてもいい頃合いとなっていた。

「そうだな、チーズを見繕って持ってきてくれ」
「畏まりました」

 バーテンダーは、小さく会釈して三度カウンターへと戻っていった。そしてそれを合図にするように、カヲルは少し前かがみになって「悪いね」とエリックに声を掛けた。

「協力に感謝するよ」
「まあ、俺が矢面に立てば角が立たないからな。
 その辺りは、古参の勤めだと諦めているさ」

 ぐびっとトマトジュースを飲んだエリックは、「英雄様のことだが」と話を切り出した。

「今更なんだが、あれは一体何者なんだ?
 香港のあれは、さすがにおかしすぎるだろう。
 カヲル、動きだけでもあのマネがお前にできるか?」

 エリックの質問に、カヲルは少しだけ口元を引き攣らせた。ただその変化は、暗闇に紛れてエリックには伝わらなかった。

「動きだけでもと言うのは、君なりの思いやりなのだろうね。
 正直言って、やってみなくちゃ分からないと言うのが答えだよ。
 実際の戦いでやれと言われたら、できないと即答させてもらうよ」
「だが、相変わらず同調率はお前の方が高くなっている。
 同調率でヘラクレス単体の性能が決まるとすれば、お前の方が兵器としては性能が高いはずだ。
 それなのに、英雄様は信じられないことばかりしでかしてくれる。
 間違い無く、西海岸のアテナでも実戦であんな真似できないだろうな」

 エリックの決め付けに、カヲルもはっきりと「同感だね」と答えた。

「ただ、ヘラクレスの動き自体は、僕達の常識を外れてはいないんだよ。
 だから、僕やアテナでも、練習さえすればあの動きをすることは可能だと思うよ。
 ただ、あれを真似するためには、僕にはいくつか超えなくちゃいけない壁があるんだよ。
 そのお陰とでも言うのか、“体操”と言うのが僕のトレーニングメニューに組み込まれるそうだ。
 加えて、いくつかの格闘技も訓練の中に加えられるという話だよ」
「英雄様のバックグラウンドに近づくためってことか……」
「素の能力の違いを埋めないと、真似をしてもしきれないと言う判断だそうだよ。
 そしてその判断に対しては、僕もしっかり同意をしているんだ。
 とてもではないけど、僕にはあんなトリッキーな動きをすることはできないよ」

 力が強いとか動きが早いだけでは、テクニックの必要な動きをすることはできない。それがカサブランカ基地による、二人の違いに対する分析の一つだった。いくら同調率が高くても、テクニックがなければ同じ事はできないと結論づけられたのである。

「たぶん、プログラムに従って訓練すれば、シンジ君の真似をすることは出来るのだろうね。
 それでも大した進歩だと言うのは認めざるをえないんだけどねぇ」
「訓練だけだと、出来るのは”真似”だけだからな……」

 それでも、戦いにおける選択肢は、大きく広がることになるのは間違いない。それだけでも、戦いが有利になるのも間違いはないだろう。だが“真似”とエリックが言ったとおり、本質的な差を埋めることはできない。

「欲を掻くとろくなことはないのだがな」
「スタッフは、しばらくアジア地区が続いてくれないかと言っているよ。
 そうすることで、シンジ君の戦闘パターンを収集することが出来ると考えているんだ。
 それを分析し応用することで、僕達の戦力アップを図ろうと考えているらしい」
「まさしく、彗星のごとく現れた天才ということか……だが」

 そこで口ごもったのは、エリックも対象Iの情報を持っていたからだった。そのあたりの認識は、カヲルとも共有していることだった。

「本来のシンジ君には、そのような才能を示したと言う記録はない。
 記憶操作されたと言う悪条件下で、そこまで才能を示すことが出来るのだろうか、か」

 答えを口にしたカヲルに、エリックは小さくうなずき同意を示した。暗闇にも目が慣れたため、その程度の動きならば見逃すことはなくなっていた。だからカヲルは、「余計に分からない」と疑問を呈した。

「前にヒアリングをした時、「どうして分からない?」と聞き返されたことがあるんだよ。
 シンジ君にとって、香港の戦い方にしても、ごく自然に浮かんでくるものなのだろう。
 そのことに、“なぜ”を突きつけても、まともな答えにはならないのは分かっているんだ」

 もう一度「うん」と頷いたエリックは、以前行ったヒアリングの話を持ちだした。

「マリアーナが以前英雄様に突っかかっただろう。
 その時に持ちだされたFifth Apostleの攻略法、カヲルはあれから考えてみたか?」
「ああ、1週間でさじを投げたけどね。
 うちの作戦担当にも検討をさせたけど、良い答えができたと言う報告は受けていないね。
 Fifth Apostleに対しては、海中から接近する以外の方策は見つかっていない。
 保護フィールドがある状況で、どこまで通常攻撃が通用するのかも分かっていない。
 何しろ、今のギガンテスでも、不意打ちをしてもせいぜい1週間程度の足止めしかできないからね」

 いくつか検討された中には、潜水艦で接近し、直下から核攻撃を行うという方法も示されていた。だがその方法にした所で、カヲルの言うとおり有効性への検証ができていなかった。

「脱出方法にした所で、潜水艦じゃギガンテスより脚が遅いんだよ。
 だから救出作戦にした所で、他に方法が無いというのが実態なんだ。
 今後Fifth Apostleが再度侵攻した場合、同じ作戦を選択するほかは無いのだろうね。
 もしもシンジ君に他の方法が有るというのなら、その方法を開示してもらう必用があるんだ」

 トマトジュースを口に含んだカヲルは、手を伸ばしてチーズを一欠片つまみ上げた。それを無造作に口に放り込み、ゆっくりと口の中で咀嚼した。

「ミーティングではミアの休暇を否定しただろう?
 だけど、上は彼女たちを一度日本に行かせてみようと考えているんだよ。
 確かS高と言ったかな、そこに留学させることも考えているんだよ。
 シンジ君の日常生活を観察することで、少しでも情報を得ようということらしいよ」
「それは、あれか、Madoka ThonoとNaru Narusawaの分析から来ているやつか?
 同調率でははるかに低い二人が、お前と同等の戦闘能力を持っているってやつだろう……」
「ジャージ部と言ったかな、その活動に何か秘密があるのではと思っているのだろうね。
 効果の程は分からないけど、試みとしては面白いことだと思っているよ。
 ただ、叶うのなら、ミア達じゃなくて僕がその役に選ばれたかったね」

 はあっと息を吐きだしたカヲルに、「それだけはあり得ない」とエリックは断じた。

「お前の立場と言うのもあるが、国際問題を起こす訳にはいかないからな。
 真面目な話、お前真剣に英雄様に惚れているだろう」
「僕がシンジ君に惚れている……か。
 それを性的な意味に絡めなければ、否定する理由はないのだろうね。
 心酔とか、依存と言ってくれた方が僕にはしっくりと来るんだよ」
「かなり、ヒアリング後とは言っていることが変わったな……」

 苦笑を浮かべたエリックに、「自分を見つめ直したのだ」とカヲルは答えた。

「それだけ、僕には考える時間が有ったからね。
 自分を客観視するなら、惚れていると言うのは間違いではないと思う。
 僕は、間違い無くシンジくんと言う存在に惚れているよ。
 何しろ、彼だけが僕の背負う苦悩を肩代わりできる人だからね。
 いや、すでに肩代わりしてもらっていると言っていいのかもしれない。
 彼が居るおかげで、気分的に随分と楽になった気がするんだよ。
 これまで感じていた、夜も寝られなくなるプレッシャーから解放されたんだ。
 その気持、エリックにも理解できるんじゃないのかな?」

 そこで話を振られたエリックは、少し考えてから「ああ」とその決め付けを肯定した。

「いくつかの意味で、カヲルの言うとおりなのだろう。
 英雄様が現れてくれたおかげで、俺達は新たな悲劇を嘆かなくてもすむようになった。
 これまで東アジア地区で多発した小さな悲劇は、これで終焉を迎えたことになるからな。
 それだけでも、精神的にはずっと楽になったということが出来る。
 そして、カヲルにも頼る相手ができたと言うのも間違い無く良いことだろう。
 今までの俺達だったら、Fifth Apostleが来た時点で敗北が確定していた。
 いくつかの都市を犠牲にしたとして、それでも仕留められる可能性は殆ど無い。
 そして莫大な犠牲は、間違い無く人類にとどめを刺す物になっていたはずだ。
 それをあの英雄様は、一人の犠牲も出さずに乗り切ってくれたんだ。
 新たな強敵が出現したとしても、知恵だけでも借りることが出来るだろうからな」

 自分も頼ると言ったエリックに、「確かにそうだ」とカヲルはその事実を認めた。

「たったそれだけのことで、僕の気持ちは解放されたように楽になったんだよ。
 シンジ君が居るおかげで、僕はまだまだ戦うことが出来る。
 この苦しい戦いも、これまで以上の力で乗り切ることができる。
 シンジ君が自分の力を発揮することで、僕達の戦力も上がってくれるんだ。
 今まで僕達がしたくても出来なかったこと、それをシンジ君はあっさりとやり遂げてくれる。
 ああ、これで世界は大丈夫なんだ……ようやくそう思えるようになったんだよ」
「それだけ、お前は酷い重圧を感じていたと言うことだな……」
「多分、西海岸のアテナも同じじゃないのかな?
 だから、叶わないと分かっていても、シンジ君に惚れたんだと思うよ」

 その辺りは、中継でマドカがばらしたことだった。それを思い出したエリックは、カヲルの言葉に含まれた間違いを訂正することにした。

「アテナの場合、お前と違って叶わないと言う事はないだろう?」
「いや、彼女の恋も叶うことはないよ。
 それは、必ずしもアサミというライバルが強力だからと言う訳じゃないんだ。
 なにしろ彼女には、愛を育むための時間を与えられない。
 だから、叶わないと断言できるんだよ」

 それがエースとされる3人の運命ということになる。それを断言したカヲルは、「だから多くは望まない」とエリックに告げたのだった。



***



 S高学園祭初日、木曜の朝は抜けるような青空を用意してくれた。珍しく一人で登校したシンジは、校門の所でアサミに出会った。約束をしていた訳ではないのだが、お互いそれが当たり前のように並んで歩きはじめた。

「ずいぶんと、待たせてしまったのかな?」
「そうでもないですよ。
 待ったと言っても、せいぜい15分程度ですから。
 それに、待つ時間も結構楽しいんですよ」

 学園祭のお陰で、二人の荷物はぺしゃんこのサブバッグ一つだった。それをシンジに渡したアサミは、少し周りを伺ってからシンジと手をつないだ。

「レイちゃん、ちゃんと早起きができたんですね?」

 普段なら、シンジの隣にはレイが歩いているはずだった。料理部の早出があるのは知っていたが、ちゃんと早起きをして出られるのは別だと思っていたのだ。だがさすがは待望の学園祭初日、どうやら普段より1時間早く家を出ることに成功したようだ。

「早起きって言うか、今朝は寝てないんじゃないのかな?
 随分と遅くまで、キッチンで何かをしていたみたいだからね」
「レイちゃんがそんなに燃えるだなんて、結構珍しいことですよね」

 そう決めつけたアサミに、シンジは少し考えてから「そうだね」と答えた。確かに言われるとおり、レイが自発的に徹夜までして頑張った記憶が無いのだ。唯一の例外は、夏休みの宿題ぐらいだろう。それにした所で、追い込まれて徹夜になったのだから、今回とは全く事情が違っていたのだ。
 裏を返せば、それだけレイもS高祭を楽しみにしていると言うことになる。間違いなく、それはいいことだとシンジは考えた。

「とりあえず、部室ですか?」
「そうだね、学園祭だったら教室に顔を出す必要もないからね。
 あっ、ありがとう!」

 普段ならシンジ達は、早く学校に来ている方のはずだった。だがS高学園祭において、シンジ達の登校はむしろ遅い方になっていた。まあ大勢が泊まり込んでいるのだから、それを早いと言うのもおかしな話には違いなかった。何れにしても、大勢の生徒が学校に来ていて、学園祭委員がパンフレットを校門の所で配っていた。
 そこで「S高祭の歩き方」を受け取ったシンジは、早速中身を確認すべく部室に向かうことにした。助っ人にいかない時間で、どこの部活を回るべきか、それを効率的に行うためには、綿密な作戦が必要となる。

「アサミちゃん、どこか行ってみたい展示は有る?」
「行けるんだったら、全部行ってみたいと思っていますよ。
 占い研に、クラスメートの牧村さんが居るんです。
 先輩と一緒に、将来を占って貰いたいなって。
 写真部にいけば、先輩との記念写真を撮ってもらえるでしょう?
 似顔絵だって書いて貰いたいし、レイちゃんの部活も覗いてみたいんです。
 他にもいっぱいあるから、とても時間が足りなさそうです!
 それに、先輩の演奏をじっくりと聞いてみたいと思っているんですよ」

 もの凄く楽しそうにするアサミに、「可愛いな」とシンジは感動したりしていた。お祭と言う状況のお陰なのか、普段と違ってアサミが幼く感じていた。だがそれは悪い意味ではなく、普段以上に可愛さを強調してくれていた。それに、そこまで恋人に嬉しそうにされれば、自分も嬉しくないはずがない。

「じゃあ、できるだけたくさん回れるように計画を立てようか?」
「実は、作戦は先輩に期待しているんです。
 先輩だったら、絶対に沢山まわれて、しかも目玉の展示を見逃すはずがないですからね。
 後藤さんにも、先輩の作戦立案能力は凄いって褒められているんですよ」

 ギガンテスを倒す作戦と、学園祭の展示を回り倒す作戦が同じとは思えないが、何れにしても計画性と臨機応変さが要求されるのは間違いない。それに反論する必要もないのだから、さっさと部室に行くべきところだろう。

 下駄箱で上履きに履き替えた二人は、そのまま校舎内を通って旧校舎の3階にある地学準備室、すなわちジャージ部の部室へと歩いて行った。すでに展示の準備が整っているので、普段は地味な廊下も今は色とりどりの飾り付けが行われ、普段に無い活気にあふれていた。

「やっぱり、高校って凄いんですね。
 中学の時も少し覗いたんですけど、全然活気が違っています」
「S高は、特に部活に力を入れているからね。
 えっと、後から顔を出すから宜しくっ!
 って、ああ、席を空けておいてくれるかな。
 ごめん、何か落ち着いて話をできないね」

 もともと有名人だった上に、更に有名になってしまった事情がある。そのせいもあって、シンジは至るところで声を掛けられていた。それにいちいち答えていると、おちおちアサミとも話をしている余裕がなかったのである。

「そうですね、でも人気があるのはいいことだと思いますよ。
 ええっと、おはようございます。
 やっぱり、落ち着いて話すのは無理そうです」

 ふっと息を吐きだしたアサミは、これはこれでいいかと開き直ることにした。時間はまだまだ十分あるし、ついでに展示の下見も行うことが出来る。パンフレットにも色々と書いてはあるが、外から眺めれば中身の理解もやりやすくなる。

「でも、本当に目移りしちゃいますね」
「去年も見たはずなんだけど……なにか、景色が違って見えるなぁ。
 やっぱり、今年はアサミちゃんと一緒に歩いているからかな」

 一人寂しく歩いているより、恋人と一緒に歩いている方がいいのは決まっている。同じ景色だって、気分が変われば見え方は全く変わってくるのだ。そういう意味で、今年の景色はシンジにとっても特別なものに違いなかった。

「私も、先輩と一緒だから楽しいんだと思いますよ。
 来年も、一緒に回れるといいですね?」

 その時には、生徒会役員として最後の仕事をしているだろう。一緒に回ると言うのは、何事もなければ難しくはないはずだ。そのためには、学園祭が出来る世界情勢を存続させなくてはいけない。少なくとも、ギガンテス関連についてはシンジが努力することはできた。

「そうだね、一緒に回れるといいね」

 そう答えたシンジは、気持ちを込めるようにつないだ左手に力を込めた。当然、アサミもまたつないだ手のぬくもりを確かなものにするよう、ぎゅっと右手に力を込めてくれた。自然と二人の口元が緩んでくるのは、それだけシアワセを感じているからだろう。

 二人が顔を出した時には、すでにマドカ達を始めとしたジャージ部員が勢揃いしていた。「早いですね」と笑ったシンジに、マドカから「お祭だから」と言う答えが返ってきた。

「やっぱり、お祭って参加してなんぼだと思わない?」
「まあ、先輩達のお祭好きは今に始まったことじゃありませんけどね」

 参加してと言うのを、早く来たことだと受け取り、シンジは二人の性格に沿った答えを返した。ただ、それはいささか迂闊な答えと言ってよかっただろう。「よし」とジャージを腕まくりしたマドカは、久しぶりに「部長命令」を発令した。ある意味、最後の部長命令だったのかもしれない。

「じゃあ碇君、大至急ジャージ部の展示を企画しなさい!
 展示日は土日の一般公開日、場所はすでに生徒会が確保済みよ」
「すみません、遠野先輩が何を言っているのか分からないんですけど……」
「部長命令なんだけど?
 新部長の就任は、S高祭が終わってからなのよね」

 だから部長命令と言い切ったマドカに、「あー」とシンジは天を仰いだ。そしてもう一度、無駄を承知にマドカに言い返した。

「すみません、何を言っているのか分からないって聞いたんですけど?」
「ジャージ部として、学園祭に参加します。
 場所と時間が決まっているから、可及的速やかに準備をしなさいと命令したのよ?
 どう、これでも何か疑問が有るの?」

 無いわよねとばかりに、マドカとナルは少し口元を歪めてシンジの顔を見た。

「いえ、なんで今更なんですか?
 去年も、学園祭にジャージ部は展示をしていませんよね?」

 そんな疑問に、「生徒会から」とマドカはあっさり言ってのけてくれた。

「これだけ有名になったんだから、なにか展示をしてみたらどうかって」
「学園祭の展示を、そんな思いつきで決めていいんですか?」

 今更言っても無駄だとは思ったが、それでお言っておかなくてはいけないこともある。他のクラブは、ずっと前からS高祭の準備を進めていたのだ。そんな中で、当日になって準備を始めるのは失礼としか言いようが無い。

「う〜ん、私も初めはそう思ったんだけどね。
 でもさぁ、写真部に協力してもらえば海外合宿の写真パネルを作れるよね。
 他にもヒ・ダ・マ・リの映像を流すとか、タカさんのところからなにか貰ってくるとか。
 その気になれば、結構展示するものがあると思うのよ」
「だとしても、そう言うことはもっと早くから準備するものでしょう!?」

 泥縄過ぎると文句を言ったシンジに、マドカはもう一度「部長命令」を持ちだした。シンジの言いたいことは分かるが、命令を取り下げるつもりはないと言う意思表示である。「やりなさい!」と命令されれば、シンジも従わないわけにはいかなかった。

「展示は、土日の二日だけでいいんですよね?
 あとは、場所なんですけど、一体どこが用意されているんです?」
「確か、視聴覚教室って話だったわね。
 ほら、映画研究会は土日は講堂を使うでしょう?
 だから、視聴覚教室が空くからどうかって話になったのよ」

 視聴覚教室ならば、地学準備室よりずっと広くて設備も整っている。迫っ苦しいここに比べれば、まだ自由度が有るといっていいだろう。

「今更駄目って言っても、許して貰えそうもないってことですか。
 パネル展示と動画紹介なら、なんとか準備はできそうですね……」

 ふうっと息を吐きだしたシンジは、早速役割を割り振ることにした。

「高村さんと大津君は、受付と案内表示の作成を任せるよ。
 時間がないから、机をおいて入り口と出口を明確にすれば大丈夫だと思う。
 確か視聴覚教室は前後に区切れるから、後ろから人を入れてパネルを見せてから動画に誘導しよう。
 流す動画については、遠野先輩、梅津先輩に協力依頼をしてください。
 映像データは、ジャミングと後藤さんに僕が依頼します。
 展示するパネルについては、鳴沢先輩と篠山にお願いします。
 鳴沢先輩は、写真部に行ってパネル作成のお願いをしてください。
 最悪、展示用のボード確保をお願いします。
 アサミちゃんは、僕と一緒に展示の企画を作るからね」

 ガリガリと頭を掻いたシンジは、「すぐに取り掛かってください」と全員に号令を掛けた。

「高村さん、大津君は先に打ち合わせをしよう」

 いきなり大事になった。少し緊張感を漂わせ、ユイとアキラはシンジの指示従った。準備期間はわずか2日、その間にジャージ部としての展示を作りあげなくてはいけない。世間の注目度を考えれば、恥ずかしいものを出すわけにはいかなかったのだ。

 シンジ達が忙しく動き始めた頃、その原因を作った生徒会は、開会前のまったりとした時間を過ごしていた。時計を見れば、ようやく8時になったところだった。開会予定の9時までは、まだ1時間残されていた。
 これが最後の仕事とばかりに、生徒会役員全員が集まり、お菓子をつまみながら談笑なるものをしていた。ただ不思議なのは、そこに新副会長の滝川ヨシノがいた事だった。

「しかし滝川君、君もなかなか阿漕なことをしてくれるね」
「いやいや、僕としてはS高祭を成功させるために必要な提案をしただけですよ。
 外から来る人たちに、ジャージ部の露出が映画と弦楽部じゃ可哀想でしょう。
 ぜひとも、彼らが直接大勢の人たちと接するべきだと思ったんです」

 この話を聞くと、騒動の黒幕はヨシノと言うことになる。「よくやるね」と感心した陸山に、「当たり前のことをしただけだ」とヨシノは嘯いた。

「まあ、新会長の負担になることは承知していますけどね。
 だから、鎖部君に言って、根回しはしっかり終わらせていますよ。
 写真部、映画研究会、美術部、工作部、服飾部は協力を快諾してくれました。
 これで、ジャージ部が必要なソースを出せば、すぐに準備は出来上がります。
 まあ、新会長の学園祭デートの時間は削られますが、それぐらいは諦めてもらいましょう」
「俺としては、S高祭が面白いものになるのなら反対する理由はないしな。
 それに、映画研究会と人を分散できるというのもメリットが有るな」

 今年のS高祭に限って言えば、映画研究会の自主映画が大きな目玉となっていた。ただそれだけだと、講堂に人が流れるだけで、教室の方に人が来てくれなくなる。視聴覚教室と講堂の位置関係を考えると、映画目当ての人たちも、途中の展示を目に止める機会も多くなるだろう。

「しかし、ジャージ部だけでは大勢の観客を裁くのは苦しくないかな?」

 幽霊部員まで含めれば大所帯なのだが、実態のある部員は7名しかいない。会場の広さと詰めかける人の数、それを考えたら、どう考えても手が足りなくなる。
 それを指摘した陸山に、それぐらいは考えてあるとヨシノは返した。

「ジャミング事務所でしたか?
 そちらにも話が通してありますので、花澤君も当日参加しますよ。
 あちらとしても、S高祭の絵が欲しいでしょうから、二つ返事で了解してくれました。
 売り出したいのを適当に見繕って連れてきても構わないと餌も撒いておきました」
「君は、本当にそつが無いというか……うまいな」

 ふっと口元を歪めた陸山に、「求められる役目を果たしているだけだ」とヨシノは答えた。

「陸山会長だって、碇君に大人しい新会長をさせたいわけじゃないでしょう。
 せっかく会長に祭りあげたんだから、それなりに目立たせると言うのは執行部の義務だと思うんです。
 ジャージ部顧問の葵先生にも話を通してありますから、S基地の全面協力も得られます。
 どうやら、マスコミ公開もしていない映像も出してくれるという話です。
 ジャミング側にも映像制作をお願いしてありますから、動画の方はこれで大丈夫でしょう」

 ああとヨシノは、思い出したように「写真ですが」ともう一つの展示内容に言及した。

「ジャージ部が海外合宿に行きましたよね。
 そこで撮影した写真を、パネルにして持ってきてくれるそうです。
 アメリカ大統領との会食風景とかもあるって、葵先生が笑っていましたよ。
 それから陸山会長、生徒同士のキスシーンを流したいのですけど、風紀的にクリア出来ますか?」
「性的なものを連想させなければ、ある程度は大目に見ることも出来るだろうな。
 まあ、あの二人だったら、教育委員会もクレームを付けては来ないだろう」

 市長自ら、「全面的に肯定する」と公的な場で言ったぐらいだ。それに、年寄りは全員SICを経験している。それを考えれば、英雄様に文句をつけるマネをするはずがない。

「葵先生の言うことによれば、どうもニューヨークの戦いでのことらしいんです。
 ペンタゴンの映像と合わせると、まるで映画のようだと言っていましたよ。
 ただ、まだ中身を見せて貰っていないので、どんな具合なのか分かりませんけどね。
 何本か用意するので、どれがいいのか選んでくれということです」
「それは、楽しみとしか言いようが無いな」

 ニヤリと笑った陸山に合わせるように、ヨシノも少しだけ口元を歪めてみせた。

「どうですか、下準備としては十分だと思いますけど」
「今のところ、完璧と言っていいだろうな。
 遠野さんには、部長命令を出すように頼んでおいた。
 これで、企画自体は走りだすことになるだろう!」

 そしてその結果は、土曜日に確認することが出来る。最前列でそれを確認しようと、陸山は密かに考えていたりした。間違い無く、おもしろい事になってくれるだろうと。



 9時からのS高祭開会式は、別に強制参加のイベントと言うわけでは無かった。校長挨拶とか生徒会長挨拶の時間はとられていたが、出席自体は強制されるものではなかった。クラブ展示のことを考えれば、迂闊に持ち場を離れられないと言う事情も有ったのである。
 ただ、例年多くの生徒が講堂に集まったのも事実として残っている。その辺りは、クラブに所属していない生徒たちの発表の場となっていたと言う事情からである。事前登録制ではあるが、有志が集まって“芸”を披露することができたのだ。ダンスやマジック、ジャグリングとか、思い思いの出し物を生徒が用意したのである。

 そして今年は、目玉とも言える映画研の自主制作映画の初演が行われることになっていた。そこで俳優たちの舞台挨拶も行われるのだから、例年にも増して生徒たちが集まっていた。

「今年のS高祭は、例年に無く面白い企画が揃っていると思う。
 そしてなにより、S高は世界の注目をあつめることになった。
 俺の手柄じゃないのが残念だが、高3最後の学園祭として納得はしている。
 今日明日は、S高生だけの学園祭だから、みんなせいぜい楽しむことだ!
 つまらん挨拶はこれまでにして、いよいよ学園祭を開幕することにする!
 全員、この4日間精一杯楽しんでくれ!」

 挨拶に立った陸山は、両手で盛り上がれとばかりに生徒たちを煽り立てた。そして陸山に応えるように、講堂に詰めかけた生徒たちは、大きな歓声を上げ学園祭の開幕を喜んだ。

「以上で生徒会の関与は終了することになる。
 これ以降は、プログラムに従って勝手に進行される。
 と言うことで、俺もこれから観客に回るので宜しくっ!」

 そして拍手を促すように、陸山は両手を上にあげて手を叩いた。そして会場も、陸山に応えるように手拍子を打った。
 その手拍子に合わせ、舞台の袖から小柄な女子生徒が現れた。映画研究会部長、梅津マコトその人である。そして梅津の登場に合わせて、陸山は演壇を降りて行った。

「さあっ、予告編が動画サイトで1億ビューを稼いだ本編の初演です。
 その上映に先立って、せっかくですから出演された皆さんの舞台挨拶をしたいと思います!
 皆さん、右手から現れますから、盛大な拍手で迎えてください!」

 両手で拍手を求める梅津に、観客となった生徒たちは大きな拍手でそれに答えた。そして手筈通りのスポットライトが、舞台の右袖を照らしだした。

「まず最初に登場するのは、主演女優、そして演出を担当した堀北アサミさんです!」

 マコトの紹介に合わせて、アサミが小さくお辞儀をして舞台前へと歩いて行った。そんなアサミに、会場からは「アサミちゃぁ〜ん」の掛け声が上がった。
 そしてアサミが舞台中央に立ったのを見て、マコトは次の主演を紹介することにした。

「次に、音楽、英語版字幕、そして主演男優の碇シンジ君です!」

 スポットライトに照らされたシンジに、アサミに負けないぐらいの拍手が送られた。そして1年生からだろうか、「碇さぁ〜ん」と言う声援が上がった。

「次にWeb担当、そして親友役をしてくれた柄澤ショウ君です!」

 自分で拍手を要求しながら、柄澤はゆっくりと部隊の真ん中へと歩いてきた。そしてシンジの隣に立つと、観客にもっと盛り上がれと両手で要求した。

「次に、恋人役をしてくれました鷹栖フユミさんです。
 Webでは、一番応援のコメントが多かったのは鷹栖さんです」

 マコトが言うとおり、フユミが演じたユカナに対する応援が一番多くなっていた。ただその理由を考えると、あまりフユミも喜んではいられなかった。

「では、全員を代表して堀北さんに挨拶をしてもらいます。
 それが終われば、いよいよ不如帰の初回上映が始まります!
 映画研究会渾身の一作です、皆さん堀北さんの挨拶が終わっても席を立たないでくださいね!
 では、堀北さん挨拶をお願いします!」

 マコトの言葉に従うように、スポットライトがアサミの姿を映しだした。たったそれだけのことで、会場の熱気は否が応にも増していった。

「皆さんおはようございます。
 主役の後藤田ルイ役をした堀北アサミです。
 今回の作品は、梅津先輩が名作古典部シリーズをインスパイアして脚本を作成されました。
 私が演じたルイと、碇先輩が演じたシンイチ君の、微妙な距離感を楽しむ映画だそうです。
 どこまでその空気が表現できているのか、ぜひともみなさんの目で確かめてみてください。
 これから上映に移る前に、一つだけ今回の映画に関する裏話を披露させて頂きます。
 私が映画研究会の映画に出ることを知らされたのは、ジャージ部が海外合宿をしている時のことでした。
 ところが、その時教えられたタイトルが、なんと「ジャージ部5、高知の奇跡」と言うものでした。
 すでにみなさんご存知のことですが、そのタイトルの微妙さに私達は大騒ぎをしたんです。
 何しろ本物を使って、クラブ活動の映画を作ろうというのですからね。
 結局その企画はボツになったのですが、もしも撮影していたら面白いことになったと思います。
 ただ私としては、色物の映画に出なくて済んで胸をなでおろしているんです。
 今回の映画は、結構な自信作だったりしますから、皆さん楽しんでみてくださいね。
 それから最後に宣伝を一つさせてもらいます。
 昨年展示をしていないジャージ部ですが、今年は土日限定で成果展示を行います。
 ジャージ部の活動を記録したパネル展示と、秘蔵映像を公開させてもらいます。
 秘蔵映像の作成には、ヒ・ダ・マ・リとS基地の協力を貰っています。
 この土日でしか見られない物が沢山ありますので、ぜひ皆さんもジャージ部の展示にいらしてください。
 展示場所は、視聴覚教室を借りて行うことにしています。
 土曜日朝9時から展示を開始しますので、皆さん忘れないようにお願いします!」

 アサミがそう言って頭を下げたのに合わせ、ステージに上った全員がお辞儀をした。これで主演の舞台挨拶が終わったことになる。

「では、いよいよ不如帰を上映します。
 ただ、上映に先立って皆さんにお願いしたいことがあります。
 この映画は、S高祭後に動画サイトにアップロードいたします。
 ですから、盗撮なんて無駄なことをしないで映画を楽しんでください。
 宜しくお願いします!」

 マコトのアナウンスが終わった所で、講堂の窓を暗幕が覆った。そして講堂を照らしていた明かりも、一斉に落とされた。いよいよ世間的にも注目を集めた、映画研究会自主制作映画「不如帰」の上映である。断片的に見せられた予告編から、どれだけ完成度の増した本編を見ることが出来るのか。全員が、期待を込めてステージ上のスクリーンを見つめたのだった。

 それからおよそ30分の上映時間が終わった所で、シンジとアサミは次の出番へと移動することにした。これから4日間、午前午後と弦楽部で8ステージをこなすことになる。それぞれ1時間程度なので、総拘束時間は8時間と言うところか。まだ時間は10時よりかなり前なので、これが終わればゆっくりとデートをすることが出来るだろう。
 そして講堂からは、シンジ達と同じように大勢の生徒が吐き出されていた。絶対に見逃せない映画を見たのだから、後は自分達のクラブ展示に集中する番なのだと。

「しかし、素人なのにうまく撮れるものなんだね?」

 大スクリーンで見ても、少しも映像は破綻していなかった。それに感心したシンジに、ソフトのお陰だとアサミは笑った。

「市販のソフトで編集して、繋ぎ目とか目立たなくさせる処理をさせたんです。
 後は、映像をスクリーン用に調整したりするのも、ほとんど自動で出来るんですよ。
 長編映画は難しいですけど、30分ぐらいならうまくまとめることが出来るんです」
「だとしても、まるで映画館で見ている気分になったよ。
 まあ、それだけ映画の出来も良かった訳だけど」
「どうです、もう一度映画に出てみたくなりましたか?
 先輩さえ良ければ、プロの映画監督に撮ってもらえると思いますよ」

 それができないことは、口にしたアサミも分かっていることだった。これからもっと忙しくなることを考えたら、まずそれだけ時間を作ることはできないだろう。いくら時間を作ることが出来るといっても、物には限界というものが存在しているのだ。

「次は、弦楽部ですね」
「アサミちゃんは、稽古以外は初めてだったかな?」
「部活紹介と入部初日に少しだけ聞かせてもらいましたね。
 だから、先輩の演奏を聞けるのが楽しみなんです」

 こうして、どんどんシンジを理解することで、もっともっと身近に感じることができる。それが嬉しいと、シンジの横を歩きながらアサミは感じていたのだった。

 そして弦楽部の発表には、予想以上の生徒が詰めかけることになった。当たり前なのだが、アサミとシンジの人気の高さが理由になっていた。いささかクラッシックのコンサートらしくない雰囲気もあったのだが、大勢の人に聞いて貰うという意味では大成功に違いなかった。
 その弦楽部の発表を終えた二人は、待望の学園祭デートに出かけたのだった。そしてお昼までの時間を、写真部の撮影でつぶしたのである。

 シンジの普段のお昼は、だいたいお弁当と相場が決まっていた。妹とアサミの間で取り決めがあるのか、毎日どちらからかお弁当を渡されたのである。だがS高祭の初日は、いずれからもお弁当は渡されていなかった。妹が料理部なのだから、お昼は料理部で食べることがデフォルトになっていたのである。

「先輩の執事姿って、結構様になっていましたね。
 後は、ビジュアル系の格好も結構素敵でしたよ」

 料理部の前に行った写真部では、二人は念入りにコスプレ写真を撮られることになった。そして撮影協力のお礼として、出来上がった写真を貰っていた。撮影枚数自体はアサミの方が多いのだが、シンジのコスプレは結構レアだと写真部員も喜んでいた。

「いやいや、アサミちゃんのメイド姿には敵わないよ。
 それに、ナース姿も可愛かったと思うよ。
 ペンギンの着ぐるみも、その、なかなか可愛かったしね。
 まあ、何を着てもアサミちゃんが可愛いのには変わりなかったってことかな」

 男として正直な感想を口にしたシンジは、当然写真部からデータを貰う約束をしていた。何しろコスプレ写真は、柄澤の持っていた写真集にもないレアモノなのである。携帯の待ち受けには持って来いと考えていた。
 一方アサミも、シンジのコスプレ写真をデータで貰う約束をしていた。その辺りが、写真部に協力する条件ともなっていたのである。当然アサミも、シンジの写真を待ち受けに使うつもりでいた。

「でも先輩、料理部に来ても大丈夫なんですか。
 瀬名先輩との思い出が沢山詰まっているんですよね」
「そうやって、古傷を抉らないでくれるかな?
 男の恋愛は、別名で保存するものらしいんだよ。
 だから、変なキーワードを入れられると、余計なことを思い出しちゃうんだ」

 そして女の恋愛は、「上書き保存」だと言われている。だからニューヨークでアサミの言った、「すぐに忘れて他の男を探す」と言うのは、結構本質を突いていたのだ。
 ふいっと息を吐き出したシンジは、「だから思い出さないことにしている」とアサミに告げた。

「それに、瀬名さんとはもう終わったことなんだ。
 僕が今大好きなのは、堀北アサミと言う女の子なんだよ」
「だったら、私が先輩の最後の女になって見せますね」

 これからの人生を考えたら、最後の女と言うのは結婚相手のことを言うのだろう。長い人生を一緒に生き、そして一緒に年老いていく。そんな大切なことを、アサミはさらりと口にしてくれた。

「アサミちゃんは、僕なんかでいいのかな?」
「パパとママも、高校の時には将来の結婚を考えていたんですよ。
 もうさんざんとのろけられたんですから、いつか仕返しをしてあげようと思っているんです。
 ママも先輩を気に入っていますから、いいだろうって自慢してあげるんです」
「お父さんは?」
「パパは、誰を連れて行っても文句を言いますよ。
 でも、さすがに先輩への文句は言われていませんね。
 多分、文句のつけようがない所に文句があるんだと思いますよ。
 自分達のことがあるから、早すぎると言う文句も言えませんから」

 楽しそうに言うアサミに、それもいいかなとシンジも考えるようになっていた。その辺り、アサミの作戦勝ちと言うところもあるのだろう。事あるごとに将来の話をすることで、シンジに対して方向づけを続けてきたのだ。今のところ、その刷り込みはうまく言っていると思われた。

 調理実習室を、料理部の主要活動場所になっていた。そしてその隣に有る教室と合わせ、料理部は今回の展示場所として利用していた。「Cafe flower garden」と言うのが、料理部の出店した店の名前だった。ちなみに、給仕は張り切っておしゃれな花柄のエプロン姿になっていた。
 シンジとアサミが入った所で、「いらっしゃいませ」と言う声がかかり、一人の女子生徒がテーブルまで案内してくれた。少し緊張気味に案内してくれた女子生徒の後、別の女子生徒がお水とメニューを持ってやって来た。

「お、お勧めは、ピッツァマルゲリータと、カルボナーラです」

 少し緊張気味にお勧めを説明された二人は、だったらとそのお勧めに従うことにした。

「じゃあ、マルゲリータのピザとカルボナーラをお願いします」
「食後のドルチェはどうされますか?
 今日は、自家製のティラミスがお勧めになっています!」
「じゃあ、ティラミスを二つお願いします。
 それから、一緒にレモングラスのハーブティーもお願いしますね」

 食事の注文は、もっぱらアサミの役目になっていた。今更好みを聞く必要もないのか、アサミはさっさと二人分の料理を注文してくれた。

「ピザって……そう言えば、レイが昨晩バタバタしていたのはこれなのかな?
 強力粉とかオリーブオイルを買い込んでいたみたいだから」
「だったら、結構本格的なものを期待出来ますね」

 さすがに教室同士繋がっていないので、隣を見ても調理風景を見ることはできない。ただアサミが首を動かしたのに合わせ、一緒にいた客の何人かがさっと視線をそらすのを見ることができた。当たり前なのだが、二人で歩いていると、しっかりと周りの注目を集めたのである。
 ただ周りに見られることに対して、すでにアサミには開き直りができていた。芸能人をしていた経験が大きいのだが、注目されても仕方が無いと諦めていたのだ。だから周りの視線も気にしないで、アサミはこれからの予定をシンジに聞いた。

「午後ですけど、どこを回ることにしますか?」
「押さえるべきイベントは特にないから。
 近いところから順番と言うのが正直なところかな?
 弦楽部が2時から公演だから、その10分前には入っていないといけないからね」
「そうすると、次は文芸部と言うことですか……」

 「S高祭の歩き方」を開いたアサミに、シンジは「文芸部の次は占い研」と予定を告げた。

「その後に手芸部に行けば、時間的にはちょうど良くなると思うよ。
 弦楽部の演奏が終わった後は、茶道部に行ってお茶を飲もうか」
「それもいいアイディアですね」

 そうやって談笑していたら、ようやく料理の方ができあがったようだ。ただ予想と違ったのは、ウエイトレスがレイだったことだろう。
 なんでと言う顔をした二人に、レイは早速料理の説明を始めてくれた。

「こちらが、イタリア産モッツァレラチーズを使ったピッツァマルゲリータです。
 そしてこちらが、自家製パンチェッタを使ったスパゲティカルボナーラです。
 ピッツァには、お好みでオリーブオイルをお掛けください」

 すました顔で料理を説明したレイに、「似合っているわよ」とアサミはその格好を褒めた。

「そうだね、家とは全く別人に見えるよ。
 それで、これはレイが作った料理なの?」

 さりげなく誰が調理をしたのか聞いた兄に、レイは素っ気なく「サナ先輩」と答えた。

「兄さんが安心しているように見えるのは気のせいかしら?」
「たぶん、気のせいじゃ無いと思うよ」

 料理部に入ったにもかかわらず、相変わらず失敗作が自分の目の前に並べられるのだ。それを考えたら、ここでも安心などできるはずが無かったのだ。
 どうせねと拗ねた妹に、シンジは苦笑混じりに「冗談だよ」と答えた。

「このピザ生地は、レイが徹夜で作っていたやつだろう?
 とっても、綺麗にできあがっていると思うよ」
「そうよ、とってもおいしくできているわよ。
 私は、どちらかと言ったら薄い生地の方が好きなの」
「姉さんがそう言ってくれるのだったら、大人しく褒めて貰うことにするわ。
 ごゆっくり、料理を楽しんでいってくださいね」

 お盆を胸元に抱え、レイはぺこりと頭を下げて教室を出て行った。それを見送ったアサミは、「可愛いのになぁ」と小さくつぶやいた。

「なんのこと?」
「レイちゃんのことです。
 あんなに可愛いのに、どうしてボーイフレンドができないのかなって。
 告白しにくいのは分かるけど、どうして誰も告白してこないのかなと思ったんです。
 やっぱり、先輩が邪魔をしているんじゃありませんか?」
「責任を僕に持ってこられても困るんだけど……
 何しろ僕だって、恋人ができたのも2年になってからだからねぇ」

 それまでは、恋人居ない歴17年と公言していたのだ。その事情を考えれば、恋愛沙汰に詳しいとはとても言えないだろう。

「たぶん、先輩と比較されたくないって意識が働いているんでしょうね。
 だとしたら、レイちゃんはずっと彼氏が出来なくなっちゃいますよ」
「それはそれで問題だと思うけど……
 だからと言って、僕に何か出来るとも思えないんだよ。
 あっ、このパンチェッタはおいしいね」
「いっそのこと、陸山会長に責任をとって貰ったらどうです?」

 アサミの言う「責任」とはいったいどう言う責任なのだろうか。解けない疑問に頭を悩ませたシンジに、「だったら柄澤先輩はどうです?」とアサミは悪友の名前も出してくれた。

「柄澤先輩なら、先輩とも仲がいいじゃありませんか。
 レイちゃんのこともよく知っているんですから、付き合うのに問題は無いと思いますよ」
「たぶん、二人から大きなお世話って文句を言われるだろうね」

 それを考えたシンジに、だったらとアサミは別の男性の名前を挙げた。「どうして知っている?」と疑問に感じはしたが、どうでもいいことかとかろうじて嫉妬は押さえ込んだ。



 シンジ達がそんなことを話している頃、ジャージ部の4人は別々にS高祭を回っていた。当然のようにマドカとナルが一緒に回り、ユイとアキラはあぶれ者同士で回ることになっていた。ちなみにもう一人の部員、篠山キョウカはどうかと言うと、掛け持ち先の料理部に顔を出していた。

 本来パイロット候補と言うのは、周りの注目を集めてしかるべきだった。だがS高においては、候補と言うだけでは注目を集めるのには不十分だった。何しろ同じ学校の中に、奇跡をなしたパイロットが在籍しているのである。それに比べたら、シミュレーションを始めたばかりの候補生など、注目を集められるはずが無かったのだ。
 それでも、二人がパイロット候補として編入してきたのは知られている。そして、特別な場所となったジャージ部の部員と言うのも知られている。そのおかげもあってか、それなりの注目と、その関係を理解されているのも事実だった。つまり、男女で歩いていても、誤解をされることが無かったという意味である。

「高村先輩の学校では、学園祭ってこんなに派手にやっていましたか?」
「私が通っていたのは女子校だからな。
 生徒の数も少なかったから、もっと大人しいものだったぞ。
 そう言う意味では、まるでテレビドラマで見る学園祭のようだな」

 すばらしいと目を輝かせたユイに、可愛いんだなとアキラは人ごとのように観察していた。そして定常的に加えるちょっかい、ある意味からかうような言葉をユイに掛けた。このあたり、日頃の訓練でいたぶられる事への意趣返しとでもいえるだろう。

「だとしたら、碇先輩に一緒に回って貰うように頼んだらどうです?」
「そうできれば、どれだけいいかとは思うのだが……」

 そこで「はあっ」とため息を吐かれるのは、アキラとしては予想外の反応だった。今まで同じようなことでからかえば、真っ赤な顔をして猛烈な抗議を受けていたのだ。それなのに、今日に限っては諦めたように認めてくれた。いったいどんな心境の変化があったのか、そちらの方に興味がわいてしまった。

「高村先輩、碇先輩と何かあったんですか?
 たとえば、告白して断られたとか?」

 あるとしたら、告白して玉砕したぐらいだろう。そう当たりをつけたアキラに、「そうだったらいいのだが」とさらに深刻そうな顔をしてくれた。

「そもそも、私が堀北アサミと勝負になると思っているのか?
 莫大な持参金のある篠山キョウカですら、勝負になっていないのだぞ。
 それに私は、第一印象としては最悪なはずだからな。
 端から、勝負になるとは思っていなかったのだが……」
「まだ、何かあるんですか?」

 それだけじゃ無い様子に、アキラはもう少しユイの事情に踏み込んでいった。

「土日にS高祭が一般公開されるだろう。
 それに合わせて、祖父母が鹿児島から出てきているのだ。
 私の祖父は、私に向かって英雄の嫁になれとけしかけてくれた張本人なのだぞ。
 いったい何を言われるのかと身構えていたのだが……」
「この期に及んで、さらにけしかけてくれたとか?」

 あるとしたらそれだけだろうと踏んだアキラに、その方がましだったとユイは大きくため息を吐いた。

「人の顔を見て、いきなり深ぁいため息を吐いてくれたんだ。
 祖母とのひそひそ話が聞こえてきたのだが、勝負にならないと二人して決めつけてくれていた。
 それぐらいのことは私も理解しているが、「育て方を間違えた」と言うのは怒ってもいいことだろう。
 父上、母上まで加わって、今更手遅れだと嘆いてくれたのだぞ。
 娘として、そこまで言わせておいていい物だろうか!」

 いいのかと聞かれても、アキラにも答えようが無いと言うのが正直なところだった。そのおかげで、「ははは」とアキラは乾いた笑いしか返すことが出来なかった。

「すごく残念な子を見る目をされたら、娘としてどうしたら良いというのだ?
 ぐれられるものなら、よほどぐれてやろうかと思ったほどだ」
「高村先輩のご家族、結構きついことを考えているんですね……」

 もしかしなくても、同情してあげるところなのだろう。そう考えたアキラだったが、自分も似たような立場だと考え直した。女性パイロット4人に対して、男性パイロットは2人と言うのが今のバランスだった。他にも5人ずつと言う元からのパイロット候補は居るが、こちらの方は数から外しても良いのは分かっていた。
 その男女比がアンバランスな状態で、女性の目が全部一人に向けられていたのだ。端から諦めていたし、競争できる相手で無いのも分かっていたが、だからと言って心が平穏で居られるのかは別物だったのだ。

「そもそも、お前とこうして歩いていることこそ問題に違いない。
 もう少し正確に言うのなら、お前と歩いていても誰も男女のように見ていないのが問題なのだ。
 大津が男としてみられていないのか、さもなければ私が女としてみられていないのか……
 おそらくだが、その両方だと思われているのでは無いだろうか?」
「間違っちゃいないと思いますけど……自分でそれを言いますか?」

 そこまで自分を諦めて良いのだろうか。ユイの言い方に、アキラは大いなる疑問を感じていた。だが冷静に現状を分析すれば、自分もユイを女性として意識していないのだ。そして今の話を聞けば、自分も男としてみられないのが分かってしまう。お互い様とは言え、悲しいことには違いなかった。

「確かになぁ、自分で言ったら終わりなのには違いないのだが……」
「だと思ったら、あまり後ろ向きに考えるのはやめませんか?
 あと、碇先輩と堀北さんのことは、端から除外して考えましょうよ。
 あそこに基準を持って行くと、たぶん誰だってどうにもならないと思いますから。
 あの二人は、いいなぁって憧れていれば良いんですよ」
「たぶん、お前の言うとおりなのだろうな……」

 ふっと息を吐き出したユイは、アキラの言うとおり少しだけ前向きに考えることにした。せっかく楽しい学園祭に来ているのだから、楽しまなければ時間を無駄にすることになってしまう。

「ならば大津、これからどこを攻めることにする?」
「お昼時ですから、料理部と言うのも良いかもしれませんね。
 さもなければ、いったん食堂に行って腹ごしらえを済ませておくか……」
「食堂ならば、いつでも行くことが出来るだろう。
 ここは、料理部に行って篠山の料理を食べると言うのも良いのでは無いか?」

 お嬢様の手料理など、この先の人生で食べられることがあるとは思えない。それを考えたら、この機会を逃す手は無いのだろう。なるほど良い提案だと、アキラはユイの提案に乗ることにしたのだった。



 そしてもう一組のあぶれ者は、楽しそうにクラブの展示を見て回っていたりした。元々の有名人と言うこともあって、顔を出した展示ではいずれも盛大に歓迎してくれた。

「ねえマドカ、良かったら服飾部のファッションショーに出ない?」
「えーっと、かまわないけど、ナルちゃんはどうする?」
「私も、全然構わないけど?
 それで、いったい何を着させられるの?」

 去年も協力しているから、おかしな物を着させられないという安心は持っていた。それでも、ショーともなれば、何を着させられるのかは気になってしまう。
 そんなナルの質問に、服飾部の部長森サナエは、こっちこっちと展示会場の裏手へと手招きをした。そこには、綺麗な白のドレスを着たマネキンが立っていた。

「いやぁ、それは無いっしょ」

 すかさずだめ出しをしたマドカに、サナエは「そうかなぁ」と小さく首を傾げた。

「イメージはウエディングドレスなんだけど……
 堀北さんに頼むと、ちょっとあからさまでしょう?
 碇君に隣に立たれたら、もう勝手にしてって言いたくなるし」
「だから、私ぐらいがちょうど良いって?」

 それもいやだと言うマドカに、サナエは少しぐらいなら良いだろうと言い返した。

「マドカちゃんだったら、こう言った清楚なドレスも似合うと思うのよ。
 隣には、男装したナルちゃんに立って貰えばバランスがとれるでしょう?
 男の子を隣に並べるのより、華があって良いと思うわよ」
「良いんじゃ無いの、着る機会が当分無さそうなんだし」

 そう言ってにやつくナルに、「お互い様」とマドカは言い返した。もっとも頼まれたら断らないのがジャージ部のモットーなのだから、断ると言う考えはマドカに無かった。ただ、ウエディングドレスと言うのが、少しばかり気になっただけのことだった。

「まっ、女の子の夢って考えれば悪くは無いんだよね。
 了解、すてきな花嫁さんになってあげるわよ!」
「ありがとうマドカ、マドカは素材が良いから、きっと花嫁衣装も映えると思うわよ。
 じゃあファッションショーは3時からだから、1時間前には講堂に来てね。
 みっちりと化粧をして、綺麗に磨き上げてあげるからねぇ〜」
「ははは、お手柔らかに」

 少し力の入りすぎたサナエに、マドカは少しだけ顔を引きつらせた。普段から化粧気が無いのに、なぜかここのところ化粧をさせられることが多くなっていたのだ。やっぱり女として化粧を覚えなくてはいけないのか、受験生のくせに余計なことを考えていたりした。

「ところでナルちゃん、お昼はどうする?」
「食堂で済ますのも味気ないわね。
 だったらマドカ、キョウカちゃんの陣中見舞いに行かない?」
「料理部ね、何か碇君達と顔を合わせそうな気もするけど……まあ、いいかっ」

 部活の展示の場なら、当てられることを考えなくても良いだろう。それに、頑張っているジャージ部員の様子を見に行くのも、部長として正しい行為に違いない。そうやって自分を納得させたマドカは、ナルの提案に乗ることにした。

 そして料理部にやって来た二人は、入り口で立ち尽くしている後輩の二人に出くわした。ただどう言うわけか、ユイとアキラは中を覗くだけで入っていこうとはしなかった。

「ユイちゃん、大津君、どうして中に入らないの?」
「遠野先輩、ちょうど良いところに来てくれた。
 おおいみんな、遠野先輩が来てくれたぞ!」

 いったい何が起きたのか。ユイの言葉を聞いても、マドカは事情を理解することは出来なかった。それでも分かったのは、料理部員を始め、全員が胸をなで下ろしていることだろう。

「いったい、中で何か起きたの?」
「いや、何か事件が起きたというわけでは無いのだが……
 ただ、碇と堀北さんが来ているだけのことなのだ」
「碇君達が来ているだけなの?」

 それでこの状況は、いかにもおかしいとしか言いようが無い。どうして中に入らないのかと、マドカとナルは無造作に扉を開けてお店の中へと入っていった。そこで、ようやく事情が飲み込めた気がしていた。
 確かに、何か事件が起きたわけでは無いのだろう。マドカの視線の先では、後輩二人が楽しそうにデザートを食べているだけなのだ。ただそれだけのはずなのに、なぜか近寄れない空気を発してくれていた。にこにこと微笑み合っている男女が、これほど鬱陶しい物だと、マドカは初めて気づいた気がした。

「遠野先輩達もお昼ですか?」

 そして周りを排除する空間を作り上げた片割れ、碇シンジがマドカが入ってきたのに気づいてくれた。当たり前のことだが、周りに対する影響は全く気づいていないようだった。

「ええ、ナルちゃんとキョウカちゃんの陣中見舞いに来たのよ」
「そうですか、先輩達が来てくれて良かったですよ。
 いつの間にか僕達だけになっていたから、帰るに帰れなくなっていたんです」
「……自覚が無いってこういうことを言うのね」

 他の客をはじき出した上に、新しい客が入れない空間を作り上げてくれたのだ。そのくせ、「帰るに帰れなくなった」とほざいてくれるのだ。料理部にしてみれば、営業妨害と言いたくなるところだろう。

「なんです、自覚って?」
「別に、たいしたことじゃ無いわよ。
 それで碇君とアサミちゃんは、これからどうするの?」

 見たところ、食後のデザートも終わっているようだった。だったらさっさと出て行けば良いのに、マドカは迷惑なカップルにあきれていた。

「そうですね、2時から弦楽部は午後の部がありますから。
 それまで、いくつか他の展示を見て回ろうと思っていますよ」
「うちの出し物の方はどうなってるの?」

 よその展示を見ることを否定しないが、それ以上に「部長命令」をちゃんと実行して欲しい。その意味で確認したマドカに、手配は終わっているとシンジは答えた。

「写真部と映画研究会からは、快諾を貰いましたよ。
 写真部なんかは、余ったパネルがあるから、いつでも制作に掛かれると言っていました。
 まるで、最初からこうなるのが分かって居るみたいでしたね」
「みんな、碇君に借りが沢山あるから協力的なんじゃ無いの?」

 ちなみに、ヨシノの裏工作は、マドカも与り知らないことだった。だから「分かっていた」と突っ込まれても、マドカには後ろめたいことは少しも無かったのだ。そのあたり、嘘がつけないマドカの性格を、ヨシノがつかんでいたと言うことになる。

「だとしても、まあ良いんですけどね。
 じゃあ、僕たちは昼食が終わりましたから先に行っていますね」
「んー、夕方には部室に顔を出してねぇ〜」

 行ってらっしゃいと手を振ったマドカは、隣で難しい顔をしている相方の顔を見た。お互いの共通認識なのだが、あの二人をどうにかしないといけなくなっている。客観的に見れば、ただ仲良くしているだけなのだが、周りに与える影響が大きすぎるのだ。いい加減慣れたはずの自分たちでも感じるのだから、慣れていない者にとっては結界のように感じることだろう。

「別に、べたべたしているわけじゃ無いんだけどねぇ」
「指導するにしても、どう指導して良いのか分からないしぃ〜
 それに、S高祭でデートをしているのは、碇君達だけじゃ無いのよね」

 それを考えれば、デートをするなとも言うことは出来ない。結局、何の手も打つことが出来ないと言うことになる。自分たちが居る内はまだ良いのだが、卒業したら誰がこの場を納めることになるのか。空気を読まないキョウカぐらいしか、頼りになる相手は居ないのだろう。
 そう考えた所で、空気を読まないキョウカがいないことに気がついた。それに料理部だったら、もう一人碇レイと言う戦力もいたはずだ。

「それで、キョウカちゃんはどうしたの?
 キョウカちゃんが居れば、これぐらいの空気は壊せたと思うんだけど?」

 それを確かめるため、マドカは入ってきた料理部の女の子に事情を聞いた。ほっとしているところを見ると、今までの空気に耐えられなかったのだろう。

「レイちゃんと二人で、さっさと逃げ出してくれました。
 なにか、普段の苦労を味わってみろって捨て台詞を残していきましたけど」
「普段の苦労ね……」

 それが分かるだけに、マドカとナルは苦笑を浮かべるほかは無かった。確かに、普段の当てられたときの苦労に比べれば、この程度はまだまだ可愛いものでしか無かったのだ。

「それで先輩は、何になさいますか?
 おすすめはピザとカルボナーラなんですけど……
 どちらもチーズがたっぷりで、とっても美味しいんですよ」
「チーズがたっぷりねぇ……
 あっさりとしたのが良いから、ボンゴレビアンコにしてくれる?」
「私は、秋野菜のペペロンチーノにしておくわ」

 二人ともあっさり系を頼んでくれたので、注文を聞いた料理部員は頭の中でサービス品を考えた。あれだけ余人の立ち入りがたい暑苦しい空間を解消してくれたのだから、大サービスをしても罰は当たらないだろう。それぐらい、料理部は大いなる困難に見舞われていたのだった。
 しかもこの問題の厄介さは、本人たちに全く自覚がないことだった。しかも追い出すにしても、相当勇気のいる相手になってしまった。何しろ新任の生徒会長に喧嘩を売るのは、部の存続を考えても無謀としか言いようがなかったのだ。



 初日の問題に比べれば、S高祭二日目はとても落ち着いた展開を迎えたと言っていいだろう。最強カップルは、相変わらず周囲に犠牲者の山を積み上げてはいるが、それにした所で大した被害と言うわけではない。各クラブの展示にしても、初日に失敗した所は、ちゃんと修正してきているのだ。
 料理部のレイにしても、普段にない勤勉さで夜通し下ごしらえをしたぐらいだ。「手伝おうか?」と言う兄に、「手出し無用!」と助力を拒否したぐらいの力の入りようだった。そして兄の手助けもなく、ちゃんと朝早く学校に出て行った。

 ただ落ち着いた二日目と言っても、急遽展示を行うジャージ部は例外だった。会場設営の手配に、展示物の整理、僅か7名の部員ではどうしても手に負えないところが出てきてしまう。しかも部員が少ないくせに、あてがわれたスペースは巨大な視聴覚教室だった。半分のスペースにしても、設営が大変なのは変わりがなかった。しかも設営開始は、映画研究会のすべての上映が終わってからである。その結果、シンジ達は二日目の夜は家に帰れないことになった。

 部屋を区切るのは、もともとあったパーテーションを使えば問題はない。ただ綺麗に区切ってしまうと、人の流れを遮ってしまうことになる。だから一箇所人を通れるようにする代わりに、上映時には遮光するための暗幕を設置する必要があった。そしてそのあたりの力仕事は、男の仕事とばかりにシンジとアキラが受け持ったのである。

「こうなることは分かっていたのに……」

 そう言って愚痴を零したシンジに、「意外ですね」とアキラは苦笑を浮かべてくれた。

「碇先輩って、もっと立場が強いと思っていました」
「僕にしたって、学校生活ではあの二人には頭が上がらないんだよ」

 ふうっと息を吐きだし、シンジは暗幕を画鋲で止めた。これで、展示場所と上映場所は、暗幕を通して行き来することが出来る。

「次は、出口の遮光をしないといけないのか……」
「あっちの方が背が低いですから、多分簡単だと思いますけど……」

 そう言って慰めたアキラに、「甘いな」とシンジは考えの甘さを指摘した。

「暗幕の動く部分が少ないから、止めてある所に大きな負荷がかかるんだよ。
 だから、こっちよりしっかり止めないと、簡単にはずれてしまうんだ」
「なるほど、確かにこっちは上の方から動きますね……」

 立場は弱くても、頭はちゃんと働いている。さすがだなと感心したアキラは、脚立を持って出口へと移動した。ここでしっかりと暗幕を止めてやれば、上映中でも人が出て行くことができるようになる。そうすれば、記録映像もエンドレスで流しておけばいい。これで、人の整理をする手間も省けるというものだ。

「碇先輩、こっちの固定は僕がやっておきます!」
「ああ、任せたから宜しく!」

 出入り口の整備が終われば、次はパネルの展示が必要となる。そのパネル自体は、写真部の協力によりこれでもかというほど大量に出来上がっていた。出入り口の準備をアキラに任せ、シンジは展示パネルの準備具合を確かめることにした。

「遠野先輩、パネルの選択は終わりましたか?」
「ちょっと手間取ってるところ。
 アスカさんはいいんだけど、渚さんのいい写真がなかなか無いのよぉ!」
「鳴沢先輩、それ以外の展示はどうです?」
「ちょうどこれから始める所よ。
 「ヒ・ダ・マ・リ」ゾーンは選び終わってるから、これから掛けていくわ」
「高村さん、パネル用のフックは揃ってる?」
「うむ、言われた通りにねじ込んでおいたぞ!」

 ひいふうみいと、ユイは自分のねじ込んだフックの位置を確認していた。フックの位置は、ユイでも設置できるぐらいに低めに抑えられていた。そのあたり、S高祭に来る子供の目線を考慮したものだった。
 そうやって一つ一つ展示を作っていたら、「ちーすっ」と花澤キラが入ってきた。両手には、差し入れなのか、コンビニの袋を下げていた。

「花澤君も来てくれたんだね」
「木村さんに、ぜひ手伝いに行けって言われたんすっ。
 あっ、それからこれは、差し入れの夜食っす!」

 ちらっと見える範囲では、ペットの飲み物とパンやおにぎりが入っているようだった。この先どう転ぶのかは分からないが、食料があるのは有りがたかった。

「じゃあ、それは向こう側の部屋に持って行ってくれないかな。
 アサミちゃんが映像チェックをしているから、渡しておいてくれればいいよ」
「うい〜っす」

 中学から芸能界に入った花澤にとっても、こう言った経験は無かったはずだ。行けと言われて来た割には、意外に嬉しそうに荷物を運んでいった。
 それを見送ったシンジは、一度廊下に出てお客さんの動線を確認することにした。どれだけお客が来るのか分からないが、スムーズな人の流れを考えたのである。

「遠野先輩、美術部が作ってくれた案内表示は掲示したんでしたっけ?」
「あれっ、確か大津君が貼ってくれたはずよ!」
「午後のうちに貼っておきました!」

 それならと、シンジは手近な階段のところからの動線を確認することにした。「ボランティア部の展示はこちら」と言うのが分かれば、お客さんも迷わずに来てくれるだろう。
 だが自分の所属する部活が、S校内でどう見られているのか。シンジは改めてそれを思い知らされた気がした。とりあえず最寄りの階段の掲示を見たのだが、まるで予め用意してあったような綺麗なポスターには、しっかりと「ジャージ部」と書かれていたのだ。しかも下にあったポスターにも、書かれていた部活名は「ジャージ部」だった。念のためと別の階段の掲示も見たのだが、当たり前だがそこにも「ジャージ部」と書かれていた。結局、正式名称で書かれたポスターは一枚もないことになる。

「しかし、外から来た人が「ジャージ部」で分かってくれるのかな?
 それに大津君、ポスターの名前を見て不思議に思わなかったんだろうか?」

 記者会見でも「ヒ・ダ・マ・リ」でも、所属する部活の紹介は「ボランティア部」になっていたはずだ。それを考えると、一般来場者に「ジャージ部」で通じるとは思えない。こうなったら部活名だけ上から紙を貼るかと考えた時、シンジは一つ重要なことに気がついた。

「だとしたら、花澤君はどうやって視聴覚教室まで来たんだ?」

 学校に来ない花澤が、校内の地理に詳しいとは思えない。誰かに連れてきてもらった形跡がないのだから、自力で視聴覚教室までたどり着いたとしか思えない。そうなると、案内表示が役に立ったと考えるべきなのだが、それを認めたら負けのような気がしてならなかった。

「部活名以外は間違っていないから、後はその確認だけか……」

 本当に大丈夫なのか。かなり不安になりながら、シンジはみんなが作業している視聴覚教室へと戻った。そこでシンジは、まず最初にめまいを感じることに出会ってしまった。制服で現れたはずの花澤が、いつの間にか学校指定のジャージに着替えていたのだ。どうも、ジャージ姿に恐れを感じ始めているようだ。
 だが、会場設営をするのだから、制服では不適当だろう。それを考えて着替えたのだと気を取り直したシンジは、とりあえずの疑問を解消することにした。

「花澤君、ここまで迷わずに来られたのかな?」
「俺っすか?
 入り口からちゃんと案内が貼ってあったんで、楽勝でだったっす」
「でも、ボランティア部の案内は無かったよね?」

 貼ってあったのは「ジャージ部」なのだ。そこが重要と聞き直したシンジに、「いやっすね」と笑いながら、「ジャージ部ぐらい知ってるっす」と花澤は止めを刺してくれた。

「先輩達がヘラクレスで出撃する時、どうしてジャージなんだって話題だったんすよ。
 確か、「ジャージが制服」なんだってどっかに書いてあった気が……したかな?」
「いや、それ以上の説明はもういいよ」

 案内ポスターが役に立つのなら、今はそれ以上求めてはいけないとシンジは開き直った。教室の配置に暗い花澤が辿りつけたのだから、一般の来場者も無事たどり着けることだろう。

「遠野先輩、パネルの方は選び終わりましたか?」
「大体はね。
 まあ渚さんの写真は、妥協することにしたわよ」

 差し入れのペットのお茶を飲みながら、あっちとマドカは展示を指さした。「ヒ・ダ・マ・リ」に比べて大きく取られた「海外合宿」の展示スペースに足を踏み入れ、なるほどとシンジは選択の確かさを確認した。そのあたり、堀井の撮り方が良かったのだろう。

「なんか、写真が凄いっすね?」

 遅れて付いて来た花澤は、飾られた写真を見てまず最初に驚いてくれた。西海岸のアテナや砂漠のアポロンは、世界的な有名人だったのだ。その有名人と一緒に映っている写真が、これでもかと言うほど飾られていた。しかもパーティーやら観光やらと、今までお目にかかったことのないものが多かったのだ。

「それで先輩、こっちの地味なおっさんは誰っすか?」

 そう言って花澤が指さしたのは、アメリカ大統領と一緒に写った写真だった。しかも場所がホワイトハウスと言うのだから、レアさではアテナ達に劣ることはないだろう。だがこうして分からないという意見が出ると、展示の仕方を考えなければいけなくなる。

「花澤君、それはアメリカ大統領だからね。
 高校生として、それぐらい知っていないと恥ずかしいことになるよ。
 ところで遠野先輩、写真の下に説明文をつけますか?」
「確かに、大統領とか国連事務総長とか王様って、説明がないと分かりにくいわね。
 大津君、説明のラベルを今からでも作れるかしら?」
「ラベルは作れますけど、何を書いたらいいのか教えてもらえますか?」

 合宿の当事者で無いのだから、説明文を作ることはできない。それもそうかと納得したシンジは、一緒にやろうとアキラに声を掛けた。

「そうですね。
 でも、だいたいは分かりますから、わからない部分だけメモをくれればいいですよ。
 そうじゃなきゃ、そうですね、今からわからないところを教えてくれればいいです」

 う〜むともう一度考えたアキラは、「これとこれ」と言って3枚の写真を指さした。

「アメリカ大統領との写真も、3種類あるじゃないですか。
 それぞれの違いって、一体何なんですか?」
「ああ、一応写した時の違いなんだけど……
 最初のこれが、サンディエゴ基地で会った時の写真だよ」
「それって、碇君が基地司令の人の首を飛ばした時だったっけ。
 謝罪代わりに、サンディエゴまで来てくれたんだったよね」

 余計な話しを付け加えたマドカに、シンジはため息を吐いて「余計なことを言わないように」と釘を差した。だがこの程度釘を刺す程度で、マドカが黙っているはずがない。むしろ釘を差したことで、余計な一言を呼び込むことになったぐらいだ。

「でも碇君、碇君に関わったおかげで、司令さん二人の首が飛んだんだよね?
 だからサンディエゴとカサブランカは、新任の指令さんになったんでしょう?」
「碇先輩……一体何をしでかしたんですか?」

 非常識なと言う顔をしたアキラに、「悪いのはあっち」とシンジは弁解した。

「大津君も知ってる、後藤さんが裏で暗躍したんだよ。
 だから、僕のせいばっかりじゃないんだよ」
「つまり、先輩も理由になっているんですよね」

 ふうっと息を一つ吐き出したアキラは、それ以上細かなことにこだわるのを止めることにした。拘ったところでいいことはないし、ますます理不尽さを感じるだけなのだ。それぐらいなら、さっさと仕事を片付けた方が良い。

「それで、後の2枚はどう違うんです?」
「次のは、ワシントンDCでホワイトハウス見学をした時の写真だよ。
 最後のは、ニューヨークでギガンテスを倒した後の写真」
「じゃあ、国連事務総長の写真が2枚あるのも同じ理由なんですね」

 了解と、持っていたタブレットに、アキラはコメントを追加した。公式の合宿報告を読んでいるので、説明のない写真は結構少なかった。一番分かりにくいはずの綾部にしても、報告書の中に写真付きで名前が出ていたのだ。

「しかし、登場人物が半端じゃ無いですね。
 西海岸のアテナとか、砂漠のアポロンがこれでもかと言うほど出ているじゃありませんか。
 その上アメリカ大統領に国連事務総長、モロッコ国王にモロッコ首相ですか……」

 凄いなぁと感心したアキラは、ふと何かに引っかかりを感じた。確かにすごい写真揃いなのだが、何か欠けているような気がしてならないのだ。それが何だったかと考えたのだが、喉元まで出掛かって、それ以上出てきくれなかった。
 出そうでいて出てこないのは、とても気持ちの悪い思いをする。何か悶えるようなアキラに、どうかしたのかとシンジが聞いてきた。

「いえ、何かとっても大切な写真を忘れているような気がして……
 凄く大切なのに、どうしても思い出せなくて困っているんです」
「凄く大切な写真って……大津くんが知っているやつだよね?」
「確か、校長室にも飾ってあった気がしたんですけど……」

 う〜むともう一度悩んだアキラは、悩みに悩んでようやく答えにたどり着くことができた。

「天皇陛下ですよ天皇陛下、日本国民として忘れちゃ駄目でしょう。
 京都に行った時、先輩達はお褒めの言葉を頂いたじゃないですか!」
「あー、そうなんだけど……あれって、学園祭で展示していいのかなぁ」

 アキラの言うとおり、とても大切な写真と言うのは間違いはない。だが畏れ多くて、雑多な所に展示していいのかと逆に考えてしまった。それに、今から展示するにしても、手元にデータが無いのも問題だった。

「欲しいって頼めばもらえるんだろうけど。
 明日の展示に間に合いそうもないね」
「だったら、校長室から借りてきますか?
 凄く立派な額に入れて飾ってありましたよ」
「大津君が頼みに行ってくれるのかな?」

 行きたくないと言う顔をしたシンジに、僕だって行きたくありませんとアキラも言い返した。そもそも校長室など、一般生徒が立ち入りたい場所ではなかった。

「ほら、碇先輩は次期生徒会長なんですから」
「生徒会は生徒会で、別に顧問の先生がいるんだよ。
 なんだったら大津君、部長命令を出してあげようか?」
「それはいいですけど、まだ部長は遠野先輩ですよね?
 遠野先輩に伺いを立てたら、誰が行かされるのか分かりそうなものですよ?」

 アキラの指摘に、そうだったとシンジはマドカのことを思い出した。それもあって、京都の写真は展示しないことにした。

「京都のはほら、テレビでもしっかりと放送されただろう。
 だから、ここに展示するのはやめないか?
 一番端っこに、天皇陛下の写真は校長室にありますって書いておけばいいから」
「……逃げましたね先輩。
 まあ、合宿に関係ないから、いいんでしょうけど……」

 京都の件は、正体をばらしてからの事になる。その意味では、それ以前の写真の方が希少価値は高いのだろう。それに校長室から写真を持ってくるのは、余計な仕事を増やすだけだと考えなおすことにした。

「パネル展時の方は、説明ラベルをつければ終わりだね。
 後は、もう一つの目玉、秘蔵映像なんだけど……」

 急に感じた悪寒に、シンジはブルっと身を震わせた。

「なにか、とんでもないのが入っていそうな気がするよ」
「プライバシーに関わるのは入っていないと思いますよ」

 一応アキラの慰めなのだが、それは甘いとシンジは心の中で主張していた。本来畏怖されて然るべきことをしているのに、どうも遊ばれているように感じることが有るのだ。アサミがチェックしているから大丈夫だと思うのだが、だからと言って本当に大丈夫かと言われると不安を感じてしまう。
 その不安を解消するため、シンジは映像チェックをしているアサミの所に行くことにした。写真と違ってチェックに時間がかかるため、ずっとアサミは映写室に篭りっきりになっていた。そしてシンジが入った時も、密閉型のヘッドホンをしてモニタとにらめっこをしていた。

 普通に声を掛けても聞こえそうもないので、シンジは後ろから軽くアサミの肩を叩いた。それに「びくっ」と反応したアサミだったが、肩を叩いたのがシンジだと分かり、ほっと小さく息を吐いてヘッドホンを外した。

「先輩、脅かさないでください」
「ごめん、声を掛けても聞こえそうもなかったからね。
 それで、上映する映像はどうなってる?」

 何はなくとも、それを確認しなくてはいけない。いの一番にそれを聞いたシンジに、アサミは「大丈夫だと思います」と答えた。

「基地見学の時の映像とか、先輩が病院に担ぎ込まれた時の映像とか。
 結構、マスコミに出ていないのが沢山ありましたよ。
 サンディエゴでは、最初の懇親会の映像が入っていました。
 大体1本5分程度にまとめてありますから、長さとしても適当だと思いますよ。
 後は、ニューヨークの戦いの映像とか、カサブランカの懇親会の映像とか。
 そっちのチェックをすれば終わりになります」
「ニューヨークの戦いの映像?」

 はてと首を傾げたシンジに、これですと言ってアサミは光り輝くディスクを見せた。

「でも、「精神汚染注意」ってなんでしょう?」
「なにか、そんな凄いことってあったっけ?」

 激しい戦いだったのは確かだが、「精神汚染」と言う注意書きにはピンとこなかった。

「まだ確認していないの?」
「ちょうど、これから確認しようと思っていたんです。
 どうです、一緒に確認しませんか?」

 怖いもの見たさと言うのは、どういう時でも成立するのだろうか。「精神汚染注意」と言う注意書きに興味を惹かれたシンジは、アサミの提案に乗って映像確認をすることにした。
 再生装置にディスクを飲み込ませ、アサミはつけていたヘッドホンを外した。そして少しボリュームを絞り、シンジの顔を見てから再生ボタンを押した。シンジがもう一つ椅子を持ってきて、二人仲良く並んで確認用のモニタを覗きこんだ。

 最初に映像に出たのは、青く輝くFifth Apostleの雄姿だった。暗くて良く分からないのだが、聞こえてくる声からすると、シンジが殲滅する場面では無さそうだった。

「これって、“総攻撃”って言ってたやつじゃないのかな?
 いいのかなぁ、こんなの学園祭で上映しても……
 結構大勢の人が亡くなっていたはずなんだけど」
「F22とか爆撃機に乗っていた人達って助からなかったんですよね?」

 そう言っていたら、すぐに米軍の総攻撃……らしきものが始まってくれた。なぜ“らしきもの”と言う表現になるのかというと、Fifth Apostleに対して攻撃が届いていなかったからに他ならない。ただただ圧倒的なFifth Apostleの攻撃力だけが際立っていたのだ。

「お通夜……ですね」
「お通夜だねぇ、僕もこの場にいたはずなんだけど。
 こうして見てみると、本当にお通夜状態になっているよ」

 お通夜と言うのは、手も足も出ずに返り討ちにあった時のことを言っていた。ペンタゴンの作戦室は、攻撃失敗に、本当に声を失っていたのだ。

「こうして見ると、本当にFifth Apostleって凄いんですね」
「真正面からは、絶対に戦いたくはないね……」

 遠く離れていても、百発百中の攻撃が飛んでくるのだ。しかも防御シールドを使っても防げないのだから、いつぞやの被害の比ではない目に遭うことになるだろう。一度乗り越えた相手なのだが、今更ながら背中に冷たい汗が流れ落ちていた。

「と言う事は、これが先輩が倒すときの映像ですね。
 先輩、何か作戦室の様子がおかしくありません?」
「あー、多分、僕が通信を切って、ヘラクレスを止めたからかな?」

 後から後藤に聞いた所、その時の作戦室は大騒ぎになっていたと言うのだ。確かに映像では、酷い騒ぎになっているし、そうなるのも仕方がないとシンジも同情していた。

「先輩、そんなことをしたんですか?
 あっ、結構あっさりと勝負がついたんですね」
「と言うか、長引いたら僕の負けだからね〜」
「ここから先は、私の出番ということですね」

 Fifth Apostleが倒されてから、俄然作戦室に活気が戻ってきた。ただ気になるのは、やけにノリが良すぎると言うことだろうか。牽制役のパイロットへの指示も、ギガンテスとの戦争をしているようには見えなかった。

「でも、こうして見ると本当に命拾いをしたんだなぁ〜」
「先輩にしては、抜けの多い作戦でしたね。
 倒し方を見つけて、安心しちゃったんですか?」

 難問の答えを見つけたことで、それ以外への意識が行かなくなってしまった。アサミに指摘され、確かにそう言うところがあったとシンジは反省した。

「しかし、やっぱりノリがおかしくないかな?
 なんだよ、「アサミ様を守れ」って。
 どうして、「男の意地」なんて話になるんだ?」

 どうしてと言われても、アサミも事情を知らされていなかった。だから「どうして」と言われても、さあとしか答えようがなかった。

「ちゃんと、サンディフックで乗り込む時の映像も有るんだね」
「でも、これってまるで映画みたいですね」

 恐らく、牽制しているヘラクレスからの映像なのだろう。安定しない画面の中で、シンジがヘラクレスに乗り込む姿が映し出されていた。しかもその映像には、接近するギガンテスの姿も映っていたのだ。こうして上から見せられると、本当にギリギリだったのがよく分かった。
 そして映像は、最初の攻撃を回避した所で、2画面に分割された。一つは上空からの戦闘風景、そしてもう一つがペンタゴンの作戦室の様子だった。

「しかし、これって重要機密じゃないのかな?」

 ギガンテス迎撃の最前線を公開しているのだ。公開の責任は自衛隊に有るとは言え、本当にいいのかと思ってしまった。
 だが堀井との通信が聞こえてきた後、機密情報などどうでもいいと思ってしまった。あろうことか、自分がアサミとキスしているシーンが大写しになっていたのだ。「Shit!」と言う叫びや歓声が聞こえるのだが、人のラブシーンを公開するんじゃないと声を大にして言いたかった。

「だめっ、この映像は絶対にボツにする」

 個人的には欲しい気はするが、広く世間に公開していいものではない。すかさずダメ出しをしたシンジに、「ええっ」とアサミは不満を漏らした。

「これぐらい、映画だったら珍しくありませんよ。
 まるで、ハリウッドのアクション映画みたいで素敵だと思います」
「これは映画じゃないし、ましてやハリウッドのアクション映画じゃないんだ」

 だから駄目と繰り返したシンジに、「でもぉ」とアサミは食い下がった。そしてもう一度映像を戻し、「素敵ですよね」とシンジに同意を求めた。そう言いながら、アサミはシンジに気づかれないように、いくつかのボタンを押していた。

「この時の先輩、物凄く格好良かったんですよ。
 それに、こんな素敵な映像だったら、私は少しも恥ずかしくありませんよ」
「いや、普通は恥ずかしいと思うものだろう?」
「そうですか、私はみんなに見て欲しいなって思うんですけど?
 これを見たら、絶対に皆さん感動すると思いますよ。
 そうですよね、遠野先輩、鳴沢先輩?」

 なぜそこでマドカ達に同意を求める。疑問に感じたシンジは、アサミの手元にあるスイッチへと視線を向けた。なぜか、オフになっていたはずのスイッチが、いくつかオンになっていた。

「まさか……」
「表のスクリーンに出しちゃいました。
 それから、今の会話もスピーカーから流れていますよ」

 なんてことを。いくら恋人でも叱らなくてはいけない。そう固く決意したシンジだったが、すでに騒動はシンジの手を離れていた。花澤を含め、ジャージ部員全員がぞろぞろと入ってきてくれたのだ。
 しかも、入ってきた全員が口をそろえて上映すべきだと言ってくれた。

「碇君、何事も諦めが必要だと思うわよ。
 タカさんがこれを出したってことは、いつか公開される運命に有るんだからね」
「そうそう、本当に映画みたいで素敵な映像じゃない。
 ただ気に入らないのは、私達が緊張している時に、二人でこんなことをしていたことぐらいかな?」

 そう言う意味では、シンジも絶体絶命の危機にあったはずだ。だから、一方的に責められるのも違うと主張したかった。
 もっとも、そんな抗弁が今まで通用した試しはない。しかも他の4人も、マドカとナルの言葉を後押ししてくれた。

「この映像を独占放送させてくれたら、視聴率がどれだけ行くのかなぁ。
 うちの事務所、木村さんなんか間違い無く泣いて喜ぶっすよ」
「うむ、これが実話だとすると、なんとも感動的なシーンではないか」
「俺が落ち込んでいた時、先輩はこんなことをしていたのか!」
「きっと、行列ができるんじゃありませんか」

 いつの間にかキョウカも加わり、6対1の状況となっていた。今の話を聞いている限り、公開に反対しているのは自分だけのようだ。しかも口元をにやけさせたマドカは、「部長命令を出そうか?」とまで言ってくれた。さすがにそれはないだろうと言いたかったが、自分の反対程度では聞いてくれそうもない状況だった。

「こんなもの見せていいのか、少なくとも生徒会の了解をとってください」
「アキラくん、生徒会長が居るか、ひとっ走りして見てきてくれない?」
「生徒会長ですね。
 後は、生徒指導の先生も呼んできましょうか?
 S高祭期間中は、学校に泊まり込んでいるそうですから」

 行ってきますと走って出て行ったアキラに、「よろしく頼む」とシンジは心の中で手を合わせていた。生徒会長は当てにならなくても、生徒指導の先生なら、きっと良識を発揮してくれる。アキラが生徒指導を連れて来られたら勝ちだと、密かにシンジは期待をしていた。

「ところでさあ、しばらく映像が切れるところがあるんだけど……
 私達が9体のギガンテスと戦っていた時、一体何をしていたのかな?」
「こっちの映像を見てもらって分かりませんか?
 アサミちゃんを脱出させるために、プラグをイクジットしていたんですよ」

 この程度ならば、証拠がなければいくらでも言い逃れをすることが出来る。もちろんアサミが裏切らなければなのだが、はっきり言って恋人の口を塞ぐ方法は、今のシンジに許されてはいなかった。

「そうなの? アサミちゃん?」
「そんなぁ、先輩と私の二人きりの秘密ですよ」

 それって何か有ったことを白状していないか。アサミの答えに、シンジは思わず右手でこめかみを抑えていた。そんなシンジに、マドカとナルは、声を揃えて「スケベ」と言ってくれた。

「ええ、どうせ僕はスケベですよ、ええ、スケベでいいですよ」

 どうせねといじけていたら、アキラが最初のジャッジメン、生徒指導の胡桃沢を連れてきた。40代後半の堅物教師なら、きっと正しい指導をしてくれるだろうとシンジは期待した。

「ボランティア部の展示なんですけど、こんな映像を流してもいいんでしょうか?」

 だめと言ってください。そのつもりでシンジは聞いたのだが、受け取った胡桃沢はそうは思っていないようだった。すでに校長からは、あらゆる便宜を図れと言われている事情がある。だからジャージ部のことなら、たいていのことは大目に見るつもりで来ていた。そこに来て、シンジに流していいかと聞かれれば、駄目などと言えるはずがなかったのだ。

「碇、まず部活名称は間違えないようにしてくれ。
 この展示は、“ジャージ部”による展示なのだろう?」
「い、いや、胡桃沢先生。
 正式名称はボランティア部なんですから」

 とりかかりから、不穏な空気が流れだしたことに、シンジはそこはかとない不安を感じていた。そしてそれを裏付けるように、胡桃沢は「何の?」映像かと最初に聞いた。

「僕達にとって、2度めの戦いとなった、通りがいいのはニューヨークの戦いですね」
「自衛隊が公開を許可したのだったら、私としては特に問題はないのだが?」

 それがどうしたと言う顔をした胡桃沢に、まず中身を見てくださいと、シンジは手元のモニタを示した。その時すでに、胡桃沢は少しそわそわとしていたのが気になった。

「み、見ていいのか?」
「見ないと、いいか悪いか判断できないでしょう?」

 だからどうぞと、シンジは初めから映像を再生した。この“最初から”と言うのが、シンジにとって失敗の始まりだった。その証拠に、胡桃沢は小さなモニタを食い入るように見つめていたのだ。

「お前たちは、本当に学校指定のジャージを着ているんだな!」
「いや、感心するところが違うと思いますけど……」

 初めの方は、圧倒的なFifth Apostleの強さが際立っていた。この状況を見せられれば、誰もが絶望してしまうのは当たり前に思えただろう。それを、ある意味奇策を用いて、シンジが無事撃破してみせたのだ。「おおっ」と胡桃沢が観客になったのも、ある意味当然の事だったのだ。

「そうか、あの戦いの裏にはこんな出来事があったのだな……」

 感心する胡桃沢に、この後が問題ですと、脱出してからの映像に注意するように胡桃沢に促した。そしてギガンテスが迫り来る中のパイロット交代劇に、胡桃沢は手を握って身を乗り出していた。そしてシンジが問題としたアサミとのキスシーンで、なぜか胡桃沢は涙まで流してくれた。

「胡桃沢……先生?」
「わ、私は、今、猛烈に感動しているんだ……
 碇、私はまだお前のことを正しく評価できていなったみたいだ。
 わざわざ私を呼び出して、こんな素晴らしい映像を見せてくれるとは……
 こんなイタズラなら、私は喜んで受けてみせるぞ!」
「い、いえ、イタズラなんかじゃないんですけど……」

 期待とは全く違った方向にネジ曲がり、シンジはどう言ったらいいのか分からなくなっていた。だがわざわざ呼び出したのだから、目的は忘れてはいけないだろう。

「この映像なんですけど、明日から公開してもいいと思いますか?
 僕としては、堀北さんとのキスシーンがあるからまずいと思っているんですが?」
「こんな感動的なシーンの、どこに問題があると言うのだ?
 それどころか、あそこでキスをしなければ男じゃないだろう!
 堀北は、命がけでお前のことを助けに来たのだぞ。
 感動の再会、そして強い決意を示すための誓いの言葉。
 私は、碇が期待以上の男だったと感動したんだぞ!」

 色々と言ってくれたが、要約すれば「問題ない」と言うところだろうか。これで評決は7対1、しかも生徒指導の教諭まで、公開の賛成派に回ってくれた。了解を取る相手として、最後の難関がすでに陥落したのである。つまり、これ以上の確認は必要ないということになる。

「それで大津君、生徒会長はなんて?」
「ジャージ部の良識に任せるそうです。
 でも、胡桃沢先生の了解も取りましたから、これで公開することになったんですよね?」
「そうか、明日からの展示でこの映像が公開されるのか。
 だったら、すぐに校長に連絡して、緊急連絡網に流す必要があるな。
 いやいや、うちの家族全員にも見せるべきだな」

 甚く感動した胡桃沢は、「凄いなぁ」と呟きながら、視聴覚教室を出て行った。結果から行くと、シンジの抵抗は傷口を広げる効果しか無かったようだ。

「先輩、うちの番組で流していいっすか?」
「花澤君、僕がいいと言うとでも思っているのかな?」

 目元を引き攣らせたシンジに、花澤は大人しく引き下がることにした。ただ心の中では、「無駄な抵抗っすよ」とシンジに語りかけていた。何しろ明日からのS高祭には、マスコミ関係者も大勢押しかけてくるのだ。彼らにこの映像が見つかれば、間違い無く自衛隊に公開圧力が加えられるだろう。そしてS高祭で公開した以上、駄目という理由が消失しているのだ。

 その翌日、問題の土曜日は当たり前のようにやってきた。密かにギガンテスが来てほしいとシンジは願ったのだが、カレンダー通りに、何事もない平穏な土曜日となってしまった。
 徹夜でボロボロの状態ではいけないと、ジャージ部一同は一度家に帰ってお風呂に入ってきた。それでも疲れは有るのだが、10代の若さでそれは誤魔化すことにした。そしてシンジ達が登校するときには、すでに校門前に学園祭目当ての行列ができていた。更に言うなら、テレビ局の中継車が並んでいるし、交通整理の警官まで出動していたのである。前日との変わり様に、一体何のイベントがあるのかと悩んでしまったほどだった。

 しかも校門前に並んでいる人たちは、シンジの姿を見つけて歓声を上げてくれた。その異様な盛り上がりに、シンジですら一歩引いてしまったほどだ。しかもスマホからデジ一、ありとあらゆるカメラがシンジに向けられていた。
 そんな中を、悠然と歩いていける神経など、恐らくアサミですら持っていないだろう。当然シンジは、走りこそしないが、早足すぎる早足でその場を通り抜けていった。そしておはようの声を背中に受けながら、避難所である地学準備室へと逃げ込んだ。そこでシンジは、意外にのんびりしているアサミを見つけた。

「外、凄かったね。
 アサミちゃんは大丈夫だった?」

 自分であれなら、アサミも同じ目に遭っているのに違いない。そう思っての言葉だったのだが、アサミから返ってきたのは少し想像とは違う答だった。

「大丈夫も何も、正門なんて通って来ませんでしたよ。
 裏門は生徒専用ですから、学園祭に来る人には関係ありませんからね」
「あー、裏門からって手があったか」

 とは言ってみたが、そもそもこんな事態を想定していなかったのだ。だから端から、裏門を使うなどと言う考えが浮かぶはずが無かったのだ。そしてその考えはマドカ達も同じだったようで、「凄いわね」と言って部室に入ってきた。

「今まで、朝一番に入場者が並ぶなんてことはなかったわよ」
「まっ、今年は目玉があるから仕方がないちゃ仕方がないんだけどね」

 ふぅっと息を吐いた二人に、シンジとアサミは「おはようおございます」と声を掛けた。

「うん、おはよう!
 いよいよ今日は、ジャージ部初の学園祭出展ね!」
「碇君とアサミちゃんは、最初は講堂で舞台挨拶よね?」
「先輩達にお任せして申し訳ないんですけど。
 挨拶が終わったら、視聴覚教室に戻ってきますのでお願いします」
「うん、任されてあげよう!」

 元気よく答えたマドカに、シンジは少し苦笑を浮かべながら、「やっぱりあれ、上映するんですか?」と最後の悪あがきをした。

「校長先生までいいって言ってくれたんでしょう?
 だったら、学校的には全然オッケーのはずよ」
「まあ、そうなんでしょうけど……」

 あろうことか、あの後胡桃沢は校長の舞鶴まで連れてきてくれたのだ。そして問題の映像を見た舞鶴は、胡桃沢と同様、涙を流しながら「素晴らしい」と感激してくれた。その言葉を持って、S高祭としての上映が確定した事になる。

「先輩、公開する以上ちゃんと責任をとってくださいね」
「おっ、必殺技が炸裂したか。
 さあ碇君、アサミちゃんにどう責任をとるのかな?
 たぶん、アサミちゃんのご両親も見に来るわよ!」
「はい、ちゃんと見に来るようにお願いしておきましたから!」

 簀巻きにされたのより、酷い圧迫感をシンジは感じていた。何か、色々とがんじがらめに絡め取られていく。既成事実が積み上げられていくことに、そこはかとない恐怖を感じ始めていた。
 もっとも、アサミに対して色々としていることも事実だった。高校生としては、間違い無くモラルに厳しいこともしているだろう。しかも、色々と献身的なこともされているのだ。今更逃げ出すというのは、人として許されないことにも違いなかった。そして今のところ、シンジは逃げ出すつもりなど毛頭なかった。

「一応、僕たちはまだ高校生なんですからね」
「大丈夫ですよ先輩。
 今回は、パパに覚悟を決めさせるのが目的なんですから。
 半分というか、ほとんど諦めていますから、最後に背中を押そうかと思っているだけです」

 将来を考えているという意味では、間違い無くアサミのほうが考えているのだろう。シンジの気持ちを掴んでいると言う確信のもと、少しずつ障害を取り除こうとしていたのだ。

 正門の開門と同時に、待っていた人たちは講堂へと殺到した。それを見る限り、待っていた人たちの目当ては、映画研究会の自主制作映画に違いなかった。一番に見に行くと言うことは、主演俳優の舞台挨拶も目当てなのだろう。
 大勢の人が初映を希望したとしても、収容キャパシティはそれを許してくれなかった。そして講堂の前に行列を作ることも、はっきり言って現実的ではない。だから行列対策として、映画研究会部長の梅津マコトは整理券の配布を行うことにした。そうすることで、行列の中で無駄に時間を使うこともなくなると考えたのだ。

 そして行列解消策として、マコトはジャージ部の展示を利用することにした。自主映画は上映されないが、お宝映像が有るとネタバレをしたのである。今から行けば、最初にそれを見ることが出来ると宣伝したのだ。

「はいはい、ジャージ部の展示は壁の案内を辿ってくださいね!」

 これで、整理券配布後の行列解消をすることが出来るだろう。混乱をジャージ部に押し付けたマコトは、ごめんと言って視聴覚教室の方に手を合わせた。

 そして、いよいよ上映開始の9時が訪れた。運良く初回上映に入れた人たち、そして多くのマスコミが見守る前で、マコトは講堂を埋めた人たちに感謝の言葉を口にした。

「本日は、映画研究会の自主映画を見に来てくださってありがとうございます。
 その上映に先立って、出演された皆さんの舞台挨拶を行います。
 皆さん右手から現れますので、盛大な拍手で迎えてくださるようお願いします!」

 両手で拍手を求める梅津に、講堂を埋めた観客は大きな拍手でそれに答えた。そして手筈通りのスポットライトが、舞台の右袖を照らしだした。

「まず最初に登場するのは、主演女優、そして演出を担当した堀北アサミさんです!」

 マコトの紹介に合わせて、アサミが小さくお辞儀をして舞台前へと歩いて行った。そんなアサミに、会場からは「アサミちゃぁ〜ん」の掛け声が上がった。
 そしてアサミが舞台中央に立ったのを見て、マコトはもう一人の主演を紹介することにした。

「次に、音楽、英語版字幕、そして主演男優の碇シンジ君です!」

 スポットライトに照らされたシンジに、アサミに負けないぐらいの拍手が送られた。そしてシンジに対しても、「碇さぁ〜ん」と言う黄色い声援が上がった。この辺りの声援は、頑張って並んだ女子中学生辺りだろう。

「次にWeb担当、そして親友役をしてくれた柄澤ショウ君です!」

 自分で拍手を要求しながら、柄澤はゆっくりと部隊の真ん中へと歩いてきた。そして少し間隔を空けてシンジの隣に立つと、観客にもっと盛り上がれと両手で要求した。そのあたりのやり方は、校内公開と同じだった。

「次に、恋人役をしてくれました鷹栖フユミさんです。
 Webでは、一番応援のコメントが多かったのは鷹栖さんです」

 なぜか大きな拍手で向かられ、フユミはゆっくりと舞台中央に歩いて行った。そして柄澤の空けたシンジの隣に立って、ゆっくりと観客に向かって頭を下げた。

「では、全員を代表して堀北さんに挨拶をしてもらいます。
 それが終われば、いよいよ不如帰の初回上映が始まります!
 映画研究会渾身の一作です、皆さん堀北さんの挨拶が終わっても席を立たないでくださいね!
 では、堀北さん挨拶をお願いします!」

 マコトの言葉に従うように、スポットライトがアサミの姿を映しだした。たったそれだけのことで、会場の熱気は否が応にも増していた。マスコミが来ている関係か、会場内にシャッター音が響き渡った。

「皆さんおはようございます。
 主役の後藤田ルイ役をした堀北アサミです。
 今回の作品は、梅津先輩が名作古典部シリーズをインスパイアして脚本を作成されました。
 私が演じたルイと、碇先輩が演じたシンイチ君の、微妙な距離感を楽しむ映画だそうです。
 どこまでその空気が表現できているのか、ぜひともみなさんの目で確かめてみてください。
 演出を担当した私からみても、この先が楽しみかなぁと言う出来上がりになっています。
 これから上映に移る前に、一つだけ今回の映画に関する裏話を披露させて頂きます。
 私が映画研究会の映画に出ることを知らされたのは、ジャージ部が海外合宿をしている時のことでした。
 ところが、その時教えられたタイトルが、なんと「ジャージ部5、高知の奇跡」と言うものでした。
 恐らく皆さんにも想像がつくと思いますが、そのタイトルの微妙さに私達は大騒ぎをしたんです。
 何しろ本物を使って、クラブ活動の映画を作ろうというのですからね。
 結局その企画はボツになったのですが、もしも撮影していたら面白いことになったと思いますよ。
 ただ私としては、色物の映画に出なくて済んで胸をなでおろしているんです。
 今回の映画は、結構な自信作だったりしますから、皆さん楽しんでみてくださいね。
 それから最後に宣伝を一つさせてもらいます。
 入り口でも案内があったと思いますが、私達ジャージ部は視聴覚教室で成果展示を行っています。
 そこでは、ジャージ部の活動を記録したパネル展示と、秘蔵映像を公開させてもらいます。
 秘蔵映像の作成には、ヒ・ダ・マ・リとS基地の協力を貰っています。
 ここでしか見られない物が沢山ありますので、ぜひ皆さんもジャージ部の展示にいらしてください。
 ジャージ部一同、皆さんのおいでをお待ちしています」

 アサミがそう言って頭を下げたのに合わせ、ステージに上った全員がお辞儀をした。これで主演の舞台挨拶が終わったことになる。当然のように、会場は割れんばかりの拍手に包まれた。

「では、いよいよ不如帰を上映します。
 ただ、上映に先立って皆さんにお願いしたいことがあります。
 この映画は、S高祭後の日曜夜に動画サイトにアップロードいたします。
 ですから、盗撮などしないで映画を楽しんでください。
 宜しくお願いします!」

 マコトの言葉に合わせ、ステージにいた全員が頭を下げた。いよいよ、話題の自主映画、「不如帰」の一般公開が始まるのである。そしてこの上映後、およそ50分間隔で夕方5時まで連続して上映されることになっていた。1回の上映で2000人近く収容できることを考えると、1万6千人まで対応することが出来る。上映期間が2日有ることを考えれば、希望者はどこかで見ることが出来るだろう。

 その頃、講堂に入れなかった人たちは、誘導されたとおり視聴覚教室の前に行列を作っていた。いきなりこれかと驚いたマドカ達は、シンジに言われたとおり入場制限のために整理券を配ることにした。ちなみに、自衛隊の職員や、ジャミング事務所の助っ人も視聴覚教室前の人員整理にあたっていた。

「さすがに、凄すぎるとしか言いようが無いわね」

 校舎の外まで続く行列に、顧問の葵は少し顔をひきつらせていた。上映時間×収容数を考えると、とてもではないが全員を捌ききる事ができなかったのだ。二日間フルに使ったとしても、焼け石に水でしか無いだろう。
 凄すぎると言うのは、ユイやアキラも同じ感想を持っていた。事前の告知が少なかったため、出足は鈍いと考えていたのだ。だが蓋を開けてみれば、S高生が大挙して押しかけてくれていた。このまま行くと、一般の希望者はお宝映像にはたどり着けないだろう。

「後ろの方は、絶対に見られないのではないか?」
「1日で、講堂1杯分も消化出来ませんからね。
 2日使って、せいぜい千人が限界じゃありませんか?」

 自主制作映画がレア物とされていたのだが、蓋を開けてみれば記録映像の方がもっとレアになっていた。整理券を配りながら、アキラはどうしたものかと考えてしまった。だがいくら考えても、今更入れ物を大きくすることはできない。それにもう一つの入れ物の体育館にしても、他の発表で使用されていたのだ。
 だからアキラは、次善の策としてネット公開を考えた。

「やっぱり、これも動画サイト行きになるんですかね?」
「多分、碇がこれまで以上の抵抗をすることになるのだろうな。
 もっとも、抵抗した所で押し切られるのも目に見えている。
 しかし、私は女として堀北のことを本当に羨ましいと思ったぞ」
「まあ、男として僕も震えが来ましたから……」

 お互い男女と言う立場は違っても、羨ましすぎると言う感想は同じだった。命を懸けて恋人を救いに行くこと、そしてその恋人の思いに応えて、世界を救ってみせること。そこで交わされた決意の口づけは、実話だからこそ映画とは比べ物にならないぐらいの美しさがあったのだ。だからこそ、その主役となった二人に、強い羨望の念を抱かざるを得なかったのだ。

「目撃者になれるだけでも、きっと幸せなことなのだろうな」
「出来れば、主役になってみたいんですけど……」

 それを望むのは、どう考えても分不相応に違いない。そのことは十分に理解しているアキラだったが、それでも夢だけは追いかけたいと強く願ったのだ。そして強く願ったおかげで、今の自分があるのだからと。



 舞台挨拶を終えたシンジとアサミは、待ち合わせをしていたアサミの両親と歩いていた。そこで想定外が有るとしたら、篠山家当主が一緒にいたことだろう。どうしてですかと首を傾げたシンジに、「幼馴染だ」とユキタカが教えてくれた。

「そこは、親友と言って欲しいところね」

 すかさず口を挟んだマサキに、「いやいや」とユキタカは頭を掻いた。

「ここの所ご無沙汰していたからね。
 親友とは、おこがましくて口にできなかったんだ」
「立ち話もなんですから、ボランティア部の展示に行きませんか?
 関係者と言うことで、優先してお見せすることができますよ」

 どうですか? と言うシンジに、ユキタカ達は少し相談してから、「遠慮しておこう」と答えた。

「間違い無く、君達の展示は人集りができているだろう。
 そこに割り込むのは、余計な諍いの原因になってしまうよ。
 それに、写真は家でも見られるし、上映している映像も後から見せてくれるんだろう?」
「ええっと、そこのところは……」

 何しろ目玉は、自分達のキスシーンのあるアメリカ編なのだ。それを考えると、むやみに持ちだしていいのかと思えてしまう。
 そして困った顔をしたシンジに、マサキも「見せてくれるわよね?」と追い打ちをかけてきた。この辺り、すでにアサミから何が映っているのか知らされているのだろう。

「ママ、後藤さんからコピーを貰ってあるから大丈夫。
 後で、部室から持ってきて渡すわね」
「アサミちゃん……」

 この辺りの抜け目の無さは、間違い無くアサミの方が上手だったのだ。しかも両親の目の前では、迂闊に文句も言うことができない。

「マサキさん、ナオキ、だったらこの後うちに遊びにこないか?
 シズカにも、お宝映像って奴を見せてやりたいんだ。
 OGとしてS高祭に来たがったんだが、さすがに無理だと医者から止められたんだ」
「じゃあアサミ、「不如帰」のディスクも貰えるかしら?
 私達は、この後篠山さんの所に遊びに行くから」
「予備ディスクが有るはずだから、映画研から貰ってきますね」

 こうして親子の間で話を進められると、シンジの出番はどこにもなくなってしまう。所在無さげにしたシンジに、「男はこういうものだ」となぜかナオキが慰めてくれた。

「本当なら、考えなおすのは今のうちと言ってやるところだろうが……
 今更逃げられるなどと思うなよと、脅すとことにした」

 言い換えれば、「必要な責任はとれ」と言うところだろうか。恋人の父親に真顔で言われると、さすがにずんと重いものを感じてしまう。
 しかも二人の話を、ユキタカが聞きつけたから話は複雑になってしまう。「おいおい」と突っ込みを入れたユキタカは、「まだ高校生だろう」とシンジをかばった。

「子供のうちに、あまり将来を決めるものじゃないぞ。
 そう言うことを考えるのは、大学を卒業してからでいいだろう」

 勝負を引き伸ばせば、付け入る隙も生まれてくる。ユキタカはユキタカで、自分の利益を理由にシンジを擁護した。当然ユキタカの言葉は、マサキを呼び寄せることになった。

「あら、私たちは高校の時には結婚することを考えていたわよ。
 だからアサミが同じ事をしても、少しもおかしくないと思っているわよ」
「ええっと、学校の廊下でそう言う生々しいことを話さないで欲しいんですが……」

 否定をすると、色々と面倒なことになるのは分かっていた。だからシンジとしても、場所のことしか持ち出すことができなかった。
 「それもそうね」とシンジの言葉を認め、マサキは場所を変えることを提案した。

「料理部に行けば、ユキタカ君のお嬢さんが居るんでしょう?
 お茶をするのにもちょうどいいから、みんなで料理部にいかない?」

 提案としては、少しも間違ったことを言っていないだろう。ただ、場所を変えたからと言って、校内できわどい話をして欲しくない。大人たちの良識に期待して、シンジとアサミは料理部まで彼らを案内した。だが、それがどれだけ儚い期待なのかは、すぐに思い知らされることになったのだった。
 結局、ユキタカとマサキの舌戦に、シンジは最期まで付き合わされることになったのだ。

 そして日曜の展示が終われば、この年のS高祭も全て終わることになる。後片付けまでが学園祭とのお約束の元、生徒たちは暗くなってから後片付けに勤しんだ。その事情はジャージ部も例外ではなく、シンジ達が中心となって、視聴覚教室の片付けを行った。
 一部貴重な写真とかはあったが、借り物以外の展示物については、すべてゴミとして出されることが決まっていた。そのため、アメリカ合衆国大統領との記念写真も、他のゴミと一緒に紐でくくられることになった。美術部渾身の案内ポスターも、写真に撮ってから紙ゴミとして束ねられた。

 山のようにあったゴミも、何度も往復したお陰で手に持てるぐらいになっていた。最後の荷物をアキラと手分けしたシンジは、これからどうするのかとマドカに聞いた。

「僕たちは、ゴミを集積場に出し終わったら帰りますけど。
 先輩達は、これからどうしますか?」
「んーっ、ちょっと名残を惜しんでから帰ろうかな?」

 マドカ達3年には、これが最後のS高祭となる。この後大きな行事がないことを考えれば、高校生活最後の大イベントがS高祭だったのだ。遠いことに思えていた卒業も、これでぐっと実感が湧くことになるのだろう。

「そうですか、じゃあお疲れ様でお別れしましょうか。
 明日は代休ですから、自由行動……あれっ?」

 本当に自由行動でいいのか。日曜の訓練をスキップしたのだから、代替日があってもおかしくないはずだ。だが葵からは、何の連絡も受けていなかった。
 どうだったかと首を傾げたシンジだったが、まあいいかと訓練のことは忘れることにした。もしも臨時で訓練が有るのなら、慌てて後藤が誰かを差し向けてくれるだろう。

「高村さんはこれからどうするの?」
「私か、私は祖父母と両親が出てきているからな。
 確か、遅い夕食を一緒にとることになっていたぞ」

 時計を見ると、夜も7時30分になっていた。これから帰って出かけるのだとしたら、確かに遅い夕食になるのだろう。

「じゃあ、大津君は?」
「特に、これといって何もありませんよ。
 たぶん、家に帰れば夕食の準備が有ると思います。
 ところで、先輩はこれからどうするんですか?」

 まともに考えれば、地雷を踏むようなアキラの質問だろう。だが人々の好奇心という監視は、恋人二人の行動を著しく縛っていた。だから、まかり間違っても危ない話には成り得ないという安心感があったのだ。
 そしてアキラが考えたとおり、シンジから帰って来たのは“比較的”まともな答だった。

「妹のレイを連れて、アサミちゃんのところでお呼ばれだね。
 だからアサミちゃんには、妹を呼びに行ってもらっているんだ」

 そう言われれば、確かにアサミの姿が見当たらなかった。なるほどそういう理由かと納得したアキラは、「捨てに行きましょうか」と口にした。

「ああ、遅くなるとお腹が空くからね。
 じゃあ大津君、さっさとゴミを捨てに行こうか」

 そう言って抱えたパネルには、アメリカ大統領の顔が大きく映っていた。別に大統領を“ゴミ”といった訳ではないのだが、なかなか微妙な発言には違いなかった。

「碇君、アサミちゃんに宜しく言っといてね」
「次は、火曜日ですね」

 失礼しましたと頭を下げて、シンジはアキラとユイを連れて視聴覚教室から離れていった。このゴミ捨てが終えることで、本当にジャージ部のS高祭は終わったことになる。
 去っていく後輩たちを見送った所で、「終わっちゃったね」と少し寂しそうにマドカは呟いた。

「うん、終わっちゃった……」
「でもさぁ、楽しかったよね?
 私達が入学した時には、まさかジャージ部でS高祭に展示ができるなんて思って見なかった」

 2年3年が居ない中、マドカとナルの二人で立ち上げた『ジャージ部』だった。ただそのままではクラブ活動の承認が下りないので、幽霊部員を引き込み「ボランティア部」として発足させた。名前を変えたのは、その方が許可を得やすいと言う先輩からの助言だった。
 もともと人助けを自分のためにやっていた二人なのだから、別にクラブの体裁を取る必要はなかったのかもしれない。だがボランティア部ことジャージ部の看板を上げたことで、他の部活に顔を出しやすくなったのも確かだった。ただその頃は、人の助けをするだけで、自分達の活動を発表することなど考えたこともなかったのだ。
 そしてその事情は、2年目になっても同じ事だった。可愛い後輩が一人増えたが、やっていることは1年目の延長だったのだ。だからS高祭での、他の部活の手助けに専念していた。助っ人という形でしか、S高祭に参加できなかったのだ。
 それが設立から3年目にして、初めてS高祭に出品できるところまでこぎつけた。その意味では、生徒会から話を持ちかけられたのは、マドカ達にとって渡りに船だった。そして頼りになる後輩が増えたのも、参加に踏み切る理由にもなっていた。

「でも、終わっちゃった……」
「うん、終わっちゃったんだね……」

 準備をしている時の高揚感は、本当に久しぶりに感じるものだった。大好きな後輩たちと、力を合わせて出展の準備をする。夜遅くまでワイワイと騒ぎ、ああだこうだと展示を考えた。そのこと全部が、マドカ達二人にとって、夢の様な出来事だったのだ。

「後は、ボーイフレンドができたら満点だったのになぁ」
「マドカちゃんは、自業自得のところがあるんだけどね。
 あの時碇君を振っていなかったら、今頃ラブラブになっていたんじゃないの?」

 残念ねと口元を歪めたナルに、「そうだねぇ」とマドカは少し悔しそうに言い返した。

「だけどさぁ、どうして碇君を振ったの?」
「べ、別に、振ったつもりはなかったんだけど?」

 1年前の話を蒸し返したナルに、マドカは違うだろうと言い返した。だがナルは、マドカの言い訳を真に受けなかった。

「それって、私のせい?」
「だから、告白されたなんて気づいていなかったんだから……」

 違うと言い返したマドカは、普段と違って顔を赤くしていなかった。そしてナルも、普段とは違って真面目な顔をしていた。

「だって、あの時のマドカちゃん、少しおかしかったもの。
 本当は、碇君の告白を、勘違いなんかしていなかったんでしょ?
 今更、私にまで嘘をつかなくてもいいのよ」

 どうなのと聞かれたマドカだったが、すぐには答えを返さなかった。そして何も言わないことこそ、ナルに対する答えとなっていた。

「マドカちゃんも、碇君のことが好きだったんでしょ」

 そう断言したナルは、「碇君って」と言葉を続けた。

「無理やり引っ張ってきた時は、結構情けなかったよね。
 でもさぁ、文句は言うけど、一度も逃げ出さなかったでしょう?
 そうしているうちに背も高くなって、どんどん格好良くなっていったじゃない。
 気がついた時には、私は碇君のことが好きになっていたのよ」

 同意も何も求めずに、マドカに向かって「私達って似ているね」とナルは言った。

「でもさぁ、私は、マドカちゃんだったら許せたんだよ」
「私は、ナルちゃんだったら許せたんだ……」
「つまり、それが答えってことか……」

 あ〜あと背伸びをしたナルは、「譲りあったか」とはっきり口元を歪めた。

「アサミちゃんほど、私たちは本気じゃなかったってことかな。
 アサミちゃんってさぁ、碇君のことが好きで好きでたまらなかったんだよね」
「うん、初めて部活に来た時から、ずっと碇君のことだけを見ていたよね。
 だから送っていけって、碇君に命令することになったんだけど。
 ちょっと、碇君が鈍感過ぎたところがいけなかったのかな?」
「多分、マドカちゃんに振られた痛手が大きかったんじゃないの?」
「そっかぁ、私って罪作りな女だったのね」

 少しおどけたマドカに、「臆病だったんでしょ?」とナルは言い返した。

「そう言う意味では、アサミちゃんも臆病だったのよね。
 自分から告白できないから、一所懸命碇君の気を引こうと頑張っていた。
 どうしたら可愛く見てもらえるのか、どうしたら自分を好きになってくれるのか。
 振られるのが怖いから、演技なんだって振りをして碇君を誘惑し続けた。
 いつか碇君に告白してもらえるように、ずっと努力していたんだよね」
「アイリちゃんに取られた時、アサミちゃん青い顔をしていたものね」
「そういう意味では、キョウカちゃんは完全に出遅れたか……」

 もう一人の可愛い後輩、キョウカのことをナルは考えた。初めて出会った時は、個性がありすぎて没個性になっていた。シンジに対しても、最初は恐る恐る接していたのだろう。それが次第に惹かれ始め、今では完全に恋する乙女になっていた。ただ可哀想だったのは、アサミの方が少しだけ早く恋が実ってしまったことだ。もしもを言えばきりがないが、アサミが入学していなければ、きっとキョウカの恋は実っていただろう。

「ユイちゃんは、出遅れ過ぎだけどね」
「ああ、あれは見ものだったわね」

 シンジの正体が分かった時、ユイはどうしようもないほど取り乱していたのを覚えている。そして京都から帰ってから、一人落ち込んでいたのも目にしていたのだ。

「碇君……ねぇ」
「不思議な出会いだよね」
「これから、一体どうなるんだろう……」

 恋人レースは、とっくの昔に決着は着いている。本命が辞退した結果、順当に対抗馬がかっさらっていってくれたのだ。だがこれから先、自分達を含めてどんな人生になるのか。それがどうしても、マドカには想像がつかなかった。

「マドカちゃんが言っているのって、碇君の記憶のこと?」
「それも有るんだけど……本当にこのままやっていけるのか不安になることが有るの。
 それが何って聞かれても、なかなか説明に困るんだけどさぁ」

 少し悩んだマドカだった、「やっぱり分からない!」と大きな声を上げた。

「ナルちゃん、ちゃんと勉強はやってる?」
「そう言うマドカちゃんこそ、ちゃんとやってるの?」
「そりゃあ、いつまでも弟に頼ってるわけにはいかないからね」
「私だってそうよ。
 せっかく期末で成績が上がったんだから、ここで立ち止まったら碇君に悪いでしょう?」

 姉離れができない弟と、弟離れができない姉二人。無理して離れる理由もないが、いつまでもこのままではいけないのだろう。可愛い弟に恋人ができたのだから、姉としては身を引くのが努めに違いなかったのだ。

「さて、夜空でも見ながら帰りますか!」
「隣にいるのが私で悪いけどね」

 そう言ったナルに、「何を今更」とマドカは笑い飛ばした。

「中学、ちがうか小学校からか。
 今までずっと一緒に歩いてきたじゃない。
 たぶん、これからもずっと一緒に歩いて行くんだよ」
「いやぁ、いい加減パートナーを男の人にしたいんだけどなぁ」

 女同士、行かず後家になるのは不毛すぎる。だから嫌だと言ったナルに、「当分無理」とマドカは笑い飛ばしたのだった。







続く

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