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 高校生にとって、テストと言うのは一大イベントに違いない。直接成績に直結するため、期末考査の重要度は非常に高いものとなる。特に受験を控えた3年にとって、これから行われる前期の期末考査、後期の中間考査が推薦入試の校内選抜基準となるのだから、なおさら大きな意味を持っていた。
 今更そこまで必要かと言う外野の声もあったが、ジャージ部は期末考査の1週間前から特別体制へと突入した。全ての助っ人要請を断り、3年生2人の集中特訓が始まったのである。

「こうしてみると、碇先輩って本当に凄いんですね」
「うむ、チャラ男と言ったのは訂正しないといけないな。
 義に厚く情に厚い男だと私も見直したぞ!」

 すでに編入手続中と言う事で、高村ユイと大津アキラの2人もS高に顔を出していた。そしてジャージ部部室で行われる勉強会を見て、今更ながらにシンジの凄さを実感していた。何しろ3年もまとめて教えているのだから、認めないわけには行かなかったのだ。
 ちなみにこの2人の編入は、期末考査後の後期開始時点とされていた。そのあたり、編入直後に期末考査は可哀相と言う、有り難い配慮の結果でもあった。

「でも、碇先輩は自分の勉強は大丈夫なんですか?」

 勉強会の様子を見ていると、シンジは先輩2人とキョウカにつきっきりになっている。時折アサミからも質問が出るため、自分のことには手が着いていないように見えるのだ。だから自分は大丈夫なのかと言う、大津の懸念に繋がって来る。
 その疑問に対して、シンジは少しだけ考えてから「多分大丈夫」と言う頼りのない答えを返した。

「授業を真面目に聞いていればほとんど大丈夫だと思うけどなぁ〜
 足りなさそうな部分は、家に帰ってから確認すればいいし」

 しかも付け足した答えが、「2年生だし」と言うどう受け取って良いのか分からない物だった。本当にそれで良いのかとも思ったが、相手が相手だと難しく考えるのを止めることにした。中庸の成績しかとったことのない自分には、成績優秀者の頭の中は分からない。大津は、そう割り切ることにしたのだった。

「それで、期末テストが終わったら皇居……ですか」
「天皇陛下にご挨拶と言う事になっているね。
 しかし、どうしてここまで大事にしてくれるんだろうね?」
「しかしだ碇、ギガンテスと言うのは世界的脅威に違いないのだ。
 日本を守ると言う強い決意を示すためにも、一度ご挨拶をしておく必要があると思うぞ。
 それに、今回のご挨拶の時、秘密とされていたパイロットも出席されるのだろう?
 世界的英雄の正体が明らかにされるのだから、世界的にも注目を集めることになるのだ。
 その場に居合わせることが出来るというのは、一体どれだけ幸せなことなのだろう」

 やけに使命感に燃えたユイに、シンジはあまり構うことをやめることにした。こう言った輩は、構えば構うほど熱くなってくると相場が決まっていたのだ。そしてその代わり、大津に学校の様子を聞くことにした。

「君の居た高校はどうなっているんだい?」
「あれから校長と一部の先生が転勤していきました。
 そのお陰か、かなり雰囲気が変わりましたよ。
 前は、そうだなぁ、何か遠慮というのか、怯えていたというのか。
 そう言えば、PTAの会長も替わったという話ですね。
 はっきり言って、全く別の学校になったような感じです。
 でも、どうして僕がお礼を言われるんでしょうね?」

 単なるいじめられっ子だったのだから、学校を変えるほどの力は持っていなかった。それは、1次試験合格後を見ても分かることだったのだ。だからここまで変わったという理由に、大津としても理解が追いついていなかったのだ。

「それって、碇先輩が関係するんですか?」
「何か分からないことがあったからって、その責任を僕に持ってきて欲しくないんだけどね。
 僕がしたのは、大津君が目にしたことぐらいだよ?」
「碇、お前は何かしでかしたのか?」

 一緒に勉強する必要もないと、ユイは2人の話に割り込んできた。チャラ男を卒業したら、いきなり名前を呼び捨てにされるようになっていた。

「別に何も?
 ちょっと遠くまで行って、カツアゲしてきただけだよ」
「お前は、そうやって私を煙に巻くのか?」

 不機嫌そうな顔をしたユイに、「言いふらすこととじゃない」とシンジは言い返した。

「でも高村先輩、碇先輩は僕の恩人なんですから」
「だがな、私はどうもこの男のことが信用ならんのだ!」
「僕は、碇先輩のことを信用していますよ」

 ちなみにアサミは、大津の顔つきが変わったと分析していた。今の分析は、「少し幼く見えるのと、依存心が強く表れている」と言うものだった。そして依存の相手は、自分の恋人だと結論づけた。ただ以前問題とした卑屈さは影を潜めていた。

「そうはっきりと言い切られると、私としては何も言えなくなるな」

 ちなみにユイも、大津の変貌に驚いた口だった。アサミほど理詰めではないのだが、初めて会った時の印象は最悪に近かったのだ。それが今では、好きなタイプと言うことは無いが、嫌うほどでは無くなっていた。

「それで碇、お前は本当に何者なのだ?
 父上が、お前のことをずいぶんと評価していたぞ」
「別に、見た通りなんだけど……ああ篠山、どこが分からないんだ?」

 目的が勉強会である以上、新入部員とのおしゃべりは優先度が低くなる。キョウカに呼ばれたシンジは、「なんだ」と言って隣に椅子を持って隣に移動した。期末でのキョウカの目標は、赤点回避半分以上に置かれていた。今のところ、五分五分というのがシンジの見立てだった。

「でも高村先輩って、ずいぶん碇先輩につっかりますよね。
 それってやっぱり、碇先輩の気を引くためって奴ですか?」
「な、なんで、私があんな男のっ!」

 よほど痛い所を突いたのか、ユイは顔を真っ赤にして大津に掴みかかった。その反応を見るだけだけでも、強い好意を抱いているのが丸わかりとなる。それを認めない、分からないというのは、よほど子供なのだと大津はユイのことを分析した。

「暴力反対です、高村先輩」

 顔を赤くする所は可愛いな。年上のユイに対して、大津はそんな感想を抱いていた。そしてあまりにも反応が良いことに、虐める側の気持ちが少しだけ分かった気がしていた。もっとも、この程度は虐めと言うより、からかうと言うのが正解なのだろう。
 元の学校の居心地も良くなってきたが、やっぱり早く転校してきたい。ジャージ部の居心地の良さに、早く仲間になりたいと、大津は一日も早い編入を願ったのだった。



 止ん事無きお方に謁見するとなれば、その準備も中途半端なものでは済まない。基地を代表する後藤が同行するのは当然として、防衛大臣の出席も必然となった。そしてそこで明かされる事実と絡み、総理大臣の出席も予定されていた。
 そして後藤にとっての問題は、まず最初に身の回りをきれいにすることだった。ぼさぼさの髪に無精髭では、世間を敵に回すことは確定している。個人のポリシーとまで言うつもりはなくても、身だしなみを整えることへの抵抗はあったのだ。

「やっぱり、床屋に行かないといけないのか」
「いろんなところで刺されたくなければ大人しくすることね。
 不遜だって評判が立つと、本当に色々と動きにくくなるわよ。
 あの子たちと違って、あなたの場合は簡単に切り捨てられるんだからね」

 嫌だ嫌だとぼやいていたら、それを聞きつけた神前に、往生際が悪いと指摘された。

「あの子たちの晴れ舞台なんだから、足を引っ張っちゃ駄目でしょう?」
「俺は、刺身のツマにもなっていないはずなんだが……
 総理が来るんだったら、俺が行かなくても済みそうなものだろう?」

 よほどかしこまった席が嫌いなのか、後藤は神前に向かって無駄な抵抗をした。まるで子供のような駄々に、神前は小さくため息を吐いてみせた。

「いい年をした大人が、何を子供みたいなことを言っているのやら。
 あの子たちを、あなたが引率しないで一体誰が引率するのよ?
 あなたは、司令官と言う立場を忘れちゃいけないのよ。
 そうじゃなきゃ、公開を認めてくれた彼らに申し訳が立たないでしょう?」
「なんだよなぁ、意外にあっさりと認めてくれたんだよなぁ〜」

 御拝謁の話を持ちだした時、「潮時ですね」といきなりシンジに先手を取られた。お陰で、後藤が動きやすくなったのも確かだった。

「それだけ、あの二人の影響力が大きいってことでしょう?」
「普段の様子を考えると、なかなか分かりにくいことでもあるのだが……
 まあ、その辺りは堀井が言ったとおりでもあるのだが」

 未だ姉に甘える弟だと堀井が分析したのだが、行動を考えるとまさにその通りだったのだ。本来安心できるはずなのに、後藤はなぜか落ち着かない気持ちになってしまっていた。

「こう、なんと言うか、本当にそれでいいのかって聞きたくなるところがあるんだなぁ。
 その、なんだ、もう少し自分の意見と言うのか、一番面倒がかかるのは彼なんだがなぁ」
「正体を公開したら、間違い無く当分追いかけられることになるわね。
 しかも恋人が元トップアイドルってバレたら……バレてるか。
 もう週刊誌のトップを飾りまくりじゃないのかしら?」

 一般民間人と言うことで、マスコミ関係の取材は制限されている。そして様々な脅しをばらまいているおかげで、公式の面倒はかなり押さえ込めているはずだった。それでも正体が明かされれば、誰がどう動くのかまではコントロールすることはできない。よほど基地に篭ってもらった方が、身辺警護を含めてやりやすいとまで考えたほどだ。つまり、他の基地のパイロットと同じ扱いということになる。

「アテナが、基地を容易に出られない理由がよく分かるな」
「間違い無く大騒ぎになるし、身の安全も保証できないわよね……」

 銃社会でない日本にしても、不用意に街を歩けば、どんな危険が待ち構えているのか分からない。身近な武器への対処も必要だし、各種事故に対するリスクも考えなければいけない。そう言ったリスクを避けるためには、基地に閉じ込めるのが一番簡単だったのだ。

「でも、基地に閉じ込めるって選択はとれないのよね?」
「身柄の保護という名目は立つが、間違い無く本人の反発を受けることになるな。
 海外に行くと騒がれたら、一番最初に俺の首が飛ぶことになる」
「でも、あなたの首を飛ばしたら、間違い無く問題は複雑になるわよね?」

 ますます態度を硬化させ、本当に海外に逃げられかねない状況となる。それを避けるためには、念入りなマスコミ対策が必要なのだが、下手に規制を掛ければやぶ蛇にもなりかねなかった。

「それで、省を挙げてのマスコミ対策室が作られたってことね」
「絶対的エース様を守るためには、必要な投資としか言い様がないからな。
 それで日本の安全が守れるのなら、むしろ安いものだと言うことも出来る。
 彼のメンタルケアを失敗すれば、日本の立場は間違い無く悪くなるからな。
 だから、籠の鳥にすることもできないんだなぁ」

 ただ単に、ご機嫌取りだけですまないのが、”対象I”としての難しさが理由となっていた。世界を再び破壊しないためには、対象Iの記憶を封印しておく必要が有る。その面でも、碇シンジのメンタルケアは細心の注意が必要だった。マスコミ対策のストレスなど、もってのほかと考えられていた。

「マスコミを含め、全員がうまく立ちまわってくれないと困るってことね?」
「ああ、だから広告代理店にも協力を依頼している。
 今のところ候補者の保護を建前としているが、本当の目的は奴らも感づいているということだ」

 その辺りは、暗黙の了解が出来上がっていると言うことになる。そして金の出処を抑えることで、マスコミをコントロールしようというのだ。

「国会議員から漏れる恐れは?」
「その方面に関しては、総理が断固たる態度をとることを明確にしている。
 国家転覆行為として、逮捕拘禁、超法規的措置をとると脅しをかけている。
 公表までの後2週間、うちの奴らが銃弾を装填して密着マークすることになった。
 状況によっては、その場で射殺する許可も出されているそうだ」
「脅しとしては、満点ということね……」

 いつ引き金を引かれるのかわからない状況で、おかしなことを口走れる度胸のある議員が居るは思えない。Xデーに向けた準備としては、今のところ漏れが有るようには見えなかった。

「それで、陛下からお褒めの言葉をいただくというわけね」
「高知、ニューヨーク、そこでの貢献を褒めていただく手はずになっている。
 そしてそれが、一番効果的なお披露目方法になるとの分析と言う事だ。
 陛下のお顔を潰さず、そしてマスコミに対しても効果的な演出ということになる。
 ここまで引っ張った以上、そこそこ派手な演出が必要になったと言うことだ」
「後は、世界がどう動くことになるのか……か。
 前と違って、迂闊に外遊させることもできなくなったわよね」

 ギガンテス迎撃の主力となった以上、迂闊に本拠地を空けるわけにはいかない。長時間拘束される外国への渡航など、どう考えてももっての外としか言いようがなかった。やむなく渡航が必要になった場合は、アメリカと同じように専用機を用意する必要がある。

「前にも言ったが、こちらもかなり忙しくなるのは確かだ。
 日本基地のカテゴライズの変更についても、場合によっては国連の議題になるだろう」
「対象Iの恐怖はどこに行ったのかしら?」

 それが理由となって、日本はトップカテゴリーに分類されていなかったのだ。それを変更すると言うことは、それだけ背に腹は代えられなくなったと言うことにも通じている。

「ロシアから西アジアにかけて、日本からの出撃を主張してきている。
 どうしてと言う事情など、いまさら言うまでもない事だろうな」
「世界全体より、まず自分の国のことを考えなくちゃいけないか……
 サンディエゴやカサブランカは遠いからね」

 それを考えると、ますます高校生たちは忙しいことになる。本当に大丈夫なのか、神前は最初にそれを心配した。何しろ今の流れでは、対象Iは生徒会長にまで祭り上げられようとしていたのだ。



 ジャージ部の動向は、間違い無くS高全体の関心事に違いなかった。そのジャージ部が、天皇陛下の御前に立つこととなれば、新たな騒ぎとなるのは無理もない事だった。さすがにテスト前と言うこともあり、市の表彰とかは行われなかった。それでもS高全体が騒がしくなるのは、避けようもなかったのだ。
 その意味で、騒ぎの中心となったジャージ部は、不利な状況でテストに臨むことになるのかと思われた。だが蓋を開けてみれば、逆に周りの方が割りを食った形となってしまった。周りの騒ぎに踊らされなかったのは、シンジの堅実さがものを言ったのかもしれない。

「それで遠野先輩はどうでした?」

 シンジがいないまったりとした時間に、アサミはたまたま一人で居たマドカに声を掛けた。今までならテストの話は禁句なのだろうが、顔を見る限り手応えぐらいはあったように見えたのだ。

「う〜ん、今までに無いぐらい答案は埋めることができたわ。
 ただ、本当にできているかどうかの実感は無いんだけどね。
 碇君のお陰で、分かった気にはなることができたみたいね」

 はははとマドカが笑った時、すっきりとした顔でナルが現れた。その顔を見る限り、こちらの方もきっと大丈夫なのだろう。

「なになに、テストの話?」
「はい、遠野先輩にどうだったかを聞いてみたんです。
 それで鳴沢先輩はどうでした?」

 同じ質問をしたアサミに、ナルから返ってきたのはマドカと同じ答えだった。

「そうねぇ、今までに無いぐらい答案を埋められたってところかしら?
 だから普段より点がいいのかは微妙って気がするわ。
 碇君があれだけ教えてくれたんだから、多分できているんじゃないのかな?
 そう言うアサミちゃんはどうなの?」
「私ですか?」

 少し考えたアサミは、「そうですね」と少し勿体を付けた。

「中間考査よりは良いと思いますよ。
 ドタバタして勉強時間はとれませんでしたけど、その分先輩に教えてもらいましたから」
「でも、二人っきりの時は、保健体育しか勉強していないんだよね?」
「他にも、英語も教えてもらっていますよ」

 保健体育を否定しないアサミに、ナルはつまらなそうにちぇっと呟いた。

「保健体育のところは否定して欲しかったわね」
「私は、おばさんネタには付き合わないことにしているんです!」

 さり気なく毒を吐いたアサミに、「そうですか」とナルは言い返すことをやめた。シンジなら腕力に訴えられるが、アサミ相手に手を出す訳にはいかない。つまらないなぁと黄昏れたところで、次なる標的キョウカが部室に入ってきた。

「おお、碇先輩はまだなのか?」
「そうね、珍しく碇君が遅れているわね。
 それでキョウカちゃん、テストの方はどうだった?」

 キョウカ相手ならば、成績的には優越感を抱ける。そんなつもりではないのだろうが、話のつながりとしてナルはキョウカにも勉強の首尾を聞いた。

「俺か?
 そうだな、初めて答案の半分以上を埋めることができたぞ。
 ぜひとも、次のテストでは全部答えで埋めてみたいと思っているんだ!」

 それを嬉しそうに言うところを見ると、手応えとしてはかなり有ったのだろう。良かったわねと喜んだナルは、遅いなぁと部室の扉へと視線を向けた。話を盛り上げるには、やはり大黒柱の登場が必要だった。
 ガラリと部室のドアが開いたのは、ちょうどナルが見たのと同じタイミングだった。シンジが来たと喜んだ少女たちだったが、すぐにその喜びは落胆へと変わってしまった。

「やぁ、みんな、テストはどうだったのかな?
 ええっと、気のせいか、みんなががっかりしているように見えるんだけど……」

 元気よく部室に入ってきた葵は、全員に向けられた視線の微妙さに引いてしまった。歓迎されるとは思っていないが、がっかりされるとはもっと思っていなかったのだ。

「しているようにじゃなくて、がっかりしているんです」

 全員の気持ちを代弁したアサミに、「どうせね」と葵はいじけてみせた。そこまで言われれば、誰が期待されていたのか分からない方がおかしかった。

「碇君なら、校長に呼び出しをされているわよ。
 ああ大丈夫、不純異性行為がバレたわけじゃないから」
「別に、バレても構いませんけど?」

 チクリと嫌味を言ったつもりが、逆に開き直られてしまった。だが「バレても困らない」と言うアサミの言葉は、どうしようもないほど真実をついていたのも間違いなかった。パイロット候補として皇居に呼び出される生徒を、些細な事で退学になど出来るはずがない。それを問題にした時点で、逆に校長の見識を問われることになってしまう。もしも退学になどしようものなら、市内の私立校が争奪戦を繰り広げるのは間違いない。

「はいはい、降参降参。
 碇君は、明後日の天皇陛下への御拝謁のことで呼ばれているのよ。
 新しく入る二人も一緒に行く事になっているでしょう?
 だから、色々と校長として確認しておくことがあるようよ」
「今更確認しておくようなことがありましたか?」

 しかもシンジだけを呼び出すのだから、あまりおおっぴらに出来ないことを相談するのだろう。それにしても、校長から相談されるようなことが思いつかなかった。

「明後日って、天皇陛下からお褒めの言葉をいただくんですよね?」
「そう、いよいよ衝撃の事実が明かされることになるって寸法よ!」

 例えそうだとしても、今更校長から相談されるようなことはないと思っていた。それを不思議がったアサミだったが、「ひょっとして」と一つの可能性に思い当たった。

「もしかして、校長先生が呼び出したんじゃなくて、先輩の方から訪ねていったんじゃありません?」
「えっ、そうなのかなぁ、碇君は校長室に行くとしか言っていなかったけど?」

 生徒が好んで校長室に行くとは思っていなかったので、てっきり呼び出されたものだと葵は考えていた。だがアサミに言われてみれば、確かに今更呼び出されるような理由はなかった。
 確かにと葵が頷いたところで、チャイムがなって生徒の呼び出しが掛けられた。

『生徒会長の陸山ムネヨシ君、生徒会長の陸山ムネヨシ君。
 至急校長室に来てください。
 繰り返します、生徒会長の陸山ムネヨシくん、至急校長室に来てください』

 陸山を呼び出す校内放送に、「やっぱり」とアサミはシンジが校長室に行った理由を理解した。皇居が京都にあるため、テスト休みの明日は、朝から移動することになっている。その先起こる混乱を考えたら、そろそろ関係者にばらしておく必要があったのだ。間違い無く、学校中が大きな混乱に包まれることになるだろう。

「校長先生と陸山会長、どう言う顔をして話を聞くんでしょうね?」
「陸山会長は、やっぱりそうかって納得するんじゃないの?
 ほら、前に碇君が例のパイロットだろうって詰め寄ってたじゃない」

 二次テスト前のことを持ちだしたマドカに、「だったら」とアサミは校長の反応を持ちだした。

「椅子から滑り落ちて驚いてくれますかね」
「救急車が呼ばれたりして!」

 サプライズとしてなら、とびきりのものには違いないのだ。それを考えれば、マドカの言うようなことがあってもおかしくはないと全員が考えた。そして、それぐらい驚いてくれてもおかしくはないと思っていたのだ。

 その頃シンジは、校長室のソファに座って陸山が現れるのを待っていた。その辺り、アサミが考えた通り、関係者と秘密を共有すると言うより、これから掛ける迷惑への対処をお願いするためだった。
 そして校内放送が流れて5分後、「失礼します」と言って陸山が校長室に入ってきた。そしてシンジの顔を見つけ、いきなり「生徒会長になってくれるんだね」と変化球をぶつけてきた。

「前にも言った通り、自分から立候補するつもりはありませんよ。
 特に、明日からは今まで以上に忙しくなりますからね。
 真っ当な神経をしていたら、これ以上仕事を増やそうとは思いませんよ」

 ビーンボールを打ち返したシンジは、「本題に移ります」と舞鶴の方を見た。必要な役者が揃ったのだから、用件はさっさと済ませておくべきなのである。そしてシンジは、いきなり特大の爆弾を爆発させた。

「高知に出撃した3人のパイロットは、僕と先輩2人なんです。
 ニューヨークの時は、そこに堀北さんも加わりました」

 爆弾としては、間違い無く最大級のものに違いない。顰蹙を覚悟で言うのなら、直近で核爆発を起こされたようなものに違いなかった。陸山は別にしても、校長なら目をむいて驚くだろうとシンジは考えていた。
 だが、そんな予想に反し、舞鶴は至って冷静な顔をしていた。驚きすぎて裏返ったと言うより、「だからどうした」と言うのが正しかった。

「驚かないんですね?」
「天皇陛下に御拝謁する話が持ち上がった時点で、それぐらいのことは予想していた。
 それに、まだ何かあることを君は匂わしていたのではなかったか?」

 例えそうだとしても、もっと驚いてくれてもよさそうなものだった。だが陸山は除外しても、舞鶴も全く驚いていなかったのだ。さすがにそれは、シンジの予想からは大きく外れていたのだ。

「そうだとしても、少しぐらい驚いてくれても良さそうなものですけどね」
「ここの所、どれだけ君たちに驚かされたと思っているのだ?
 アメリカ大統領と親しげに写真を取り、西海岸のアテナとデートをする。
 それが普通の高校生だと考えるほうがむしろ異常ではないのか?
 秘密にされているパイロットだと考えれば、すべての辻褄が合ってくれるだろう」
「ちなみに碇君、うちの生徒は全員君が謎のパイロットだと期待しているんだよ。
 君達の記者会見が放送された後、役員たちからも散々言われたよ。
 「会長も同じ事を考えていたんですか」とね。
 だから、このことについてS高生徒は誰も驚きはしないだろうね。
 いつ騒ぎが解禁されるか、それを首を長くして待っているという状況なんだよ。
 だから碇君、君は観念して生徒会長になるしか無いんだ」

 なぜ秘密のパイロットと生徒会長が結びついてくれる。さも当然のように言う陸山に、「おかしいだろう」とシンジは噛み付いた。

「なぜ、二言目に生徒会長って話が出てくるんです?」
「間違い無く、君がS高の顔となるからだよ。
 なぁに、君についてくる肩書きとして、生徒会長はまだ軽い方だろう?」

 「英雄」と言う言葉が、今や固有名詞のように使われているのだ。その肩書きに比べれば、「生徒会長」など埃ほどの重さしか無いと言うのである。事実としてそうなのかもしれないが、背負わされる方にしてみれば、埃ほどの重さで潰されることもありえたのだ。

「校長先生、陸山会長に言ってくれませんか?
 この上生徒会長までなんて、絶対に無理なんですよ」
「いや、実務のない生徒会長なら出来るのではないのか?
 最低限、各種行事に生徒代表として挨拶すれば責任を果たしたことになる」

 「もしかしてグルか」と思わせるほど、舞鶴と陸山の言うことは似通っていた。しかも舞鶴は、「忙しすぎる」と言う逃げ道を、別の方法で塞いでくれた。

「なに、多少生徒会の仕事が滞っても、誰も君に問題があるとは思わない。
 君に生徒会長をやってもらう以上、多少の不便は覚悟しなくてはいけないのだよ。
 それに生徒だけではない、教師や父兄を含め、誰もが君のことを学校の顔だと思っている。
 S高生徒として高校生活を大切にすると言うのであれば、是非とも生徒会長をして貰いたい。
 面倒を掛けられる方の立場として、それぐらい主張してもおかしくはないと思うのだが?
 本来本校の生徒なのだから、私としては誇りと思わなくてはいけないのだがな。
 申し訳ないが、一般人の受け入れられる限度を超えてくれているのだ」

 本来ほめられることをしたのに、面倒も何もないはずだった。だがいくらいいことをしたとしても、その後の混乱を考えれば「面倒」と言いたくなる気持ちも理解できる。映画研究会の自主映画ですら大騒ぎになったのだから、秘密が解禁された途端、それ以上の騒ぎになるのは目に見えていたのだ。
 その矢面に校長が立つのだから、「面倒」と言いたくなる気持ちも理解できる。「一般人の限界」と舞鶴が言いたくなるのは、シンジにもよく理解が出来た。

「それで、話というのは終わりなのかな?」
「そうですね、正体をばらすことで、これから発生するどたばたへの対処をお願いするつもりでした。
 ただ、話をしてみて、今更それは必要がなかったようですね。
 あとお願いですが、明後日までは今の件は内密にお願いします。
 回りがそう考えているのと、本人が認めるのはやっぱり別ですからね」
「俺の口は、条件次第でとても固くなることになっているよ」

 すかさず口を挟んだ陸山に、「命の保証はしませんよ」とシンジは口元を歪めた。

「日本政府に対して、機密厳守の件で色々と脅しを掛けてあるんです。
 そうですね、校長先生と陸山生徒会長には、別の脅しを掛けることにしましょうか。
 もしも2人の口から秘密がばれるようなことがあれば、僕はこの学校を出て行くことにします。
 なぁに、転校先は放っておいても簡単に見つかると思いますよ。
 場合によっては、海外に行くって手もありますからね」

 「どうです?」と聞かれれば、「降参」としか答えようのない脅しだった。今の立場を考えれば、S高に居なくてはいけない理由は薄かったのだ。そしてシンジが言う通り、S高を自主退学すれば、間違いなく争奪戦が勃発することになる。

「俺は、君がジャージ部を出て行くとは考えられないんだけどな?」

 もっとも、その程度で引き下がる陸山ではなかった。シンジが出した脅しは、確かに非常に効果的なものだが、内情を知っていれば実行されないものだとも理解できるのだ。
 それをあっさりと認めたシンジは、「いくらでも手はありますよ」と涼しい顔をした答えた。

「記者会見でちょっと騒ぐだけで、校長先生の立場がもの凄く悪くなりますからね。
 法的に罰せられなくても、いくらでも私的に動く人が出てくると思いますよ。
 そう言う意味では、陸山会長も安心ではありませんよね?
 僕が居なくならなくても、2人を目の届かない所に飛ばす方法はいくらでもあるんです。
 陸山会長も、この程度のことで人生を棒に振りたくはないですよね?」
「確かにな、よほどその方が恐ろしい脅し文句に聞こえるよ」

 あと二日我慢することとシンジを生徒会長にすること、どちらが大事かを考えたら、間違い無く生徒会長の方が重かった。だがそちらの方では、シンジは脅し文句をちらつかせていない。それがシンジの意志と受け取った陸山は、大人しく黙っていると言う選択をすることにした。

「まったく、君以外に次期生徒会長に相応しい人が思い浮かばなくなってしまったよ。
 こっちの方は、是非とも責任を取って貰いたい所だね」
「繰り返しますけど、立候補するつもりは綺麗さっぱりありませんからね」
「だからと言って、逃げられるとも思っていないんだろう?」

 そう言って口元を歪めた陸山に、シンジは「逃げ切って見ませましょうか?」と同じように口元を歪めた。

「その気になって工作すれば、逃げ切ることだって可能ですよ。
 いくら名誉職だと言っても、本当に居なければ頭に据える意味が無いでしょう?」
「まあ、君の方が手札が多いのは確かだからな」

 分かったと苦笑した陸山は、とりあえず矛先を収めることにした。
 とりあえず言う事は言ったこともあり、シンジはホームであるジャージ部に戻ることにした。明後日の大一番を控え、きっとジャージ部の全員が自分のことを待っていると思ったのだ。

「では校長先生、陸山会長、お忙しい中お時間を頂いてありがとうございました。
 明後日の天皇陛下御拝謁では、S高生徒として恥ずかしくない行いを致します」
「うむ、テレビ中継を楽しみにさせて貰おう」

 あくまで教師と生徒、その立場を舞鶴は最後まで崩さなかった。そして陸山も、先輩後輩の立場を崩さずシンジと向かい合ってくれた。生徒会のことにしても、お互い分かった上でやりあっているのだ。変に腫れ物を触るようにされないだけ、言いたいことが言えるだけ楽だったのだ。
 内心そのことに感謝しながら、シンジは頭を下げて校長室を出て行った。そして校長室のドアが閉まった所で、2人は揃って大きく息を吐き出した。

「やっぱり、経験を積んだ迫力は違いますね」
「うむ、まさか生徒相手に足が震えるとは思っていなかったな」

 気楽に振る舞ってはいるが、扱いにくさの上では芸能人など問題ではないレベルにある。それこそ世界の存亡に関わるとなれば、自分の手から離れて貰った方がよほど楽だったのだ。

「校長先生も、ずっとテレビにかじりついていた組ですか?」
「当たり前だ。
 あの戦い如何で、世界がどうなるのか決まってしまうのだぞ。
 高知、ニューヨーク、いずれも人として見逃すわけにはいかないだろう。
 そこで活躍したのがうちの生徒と言うのは、本来校長として喜ぶべき事なのだが……」
「あまりにも功績が巨大すぎて怖いと言う事ですか……」

 その気持ちは、陸山にも良く理解できたことだった。単純に喜ぶには、あまりにも掛かってくる責任が重すぎたのだ。少なくとも、教育者が負うべき責任のレベルではないことだけは確かだった。
 ただ責任と言う事を忘れれば、得難い経験というのは間違いない。人と人との繋がりを考えたら、どんな宝石よりも貴重な繋がりに違いなかったのだ。そう言う意味で、シンジを生徒会長に据えるというのは、学校としても最後の仕上げとでも言うものだった。

「しかし、良く自衛隊が首を縦に振りましたね」
「むしろ、積極的に関わらせてくれと言われている。
 あちらが何を考えているのか分からないが、お墨付きを得た以上利用させてもらうしか無いだろう」
「つくづく、俺達の常識を当てはめてはいけないということですか……」

 やれやれと肩をすくめた陸山は、「必要な手は打ちます」と舞鶴に言った。

「多少仕事は滞ってもと仰いましたが、彼はそれをよしとしないでしょう。
 彼を生徒会長にする以上、バックアップはこれまで以上に充実させて見せますよ」
「そのための人選はできているのか?」
「このことについて、全校生徒がとても協力的なんですよ」

 そして全校生徒の願いを叶えてこそ、生徒会長の存在意義がある。陸山はそう言って、生徒会選挙の仕上げにとりかかることにした。



 テスト休みと言う事もあり、翌土曜日は朝から移動日に当てられた。自衛隊差し向けの車に乗ったジャージ部一行は、黄色い声援に送られS市を出発した。この先途中で中央リニアに乗り換え、皇居のある京都に向かうのである。乗っている全員が制服というのを考えると、ある意味修学旅行に似た一行だった。

「遠野先輩、鳴沢先輩、制服がぱりっとしていますね。
 やっぱり、天皇陛下に会うから新調したんですか?」

 「卒業まで乗り切れ」と言う言葉を覚えていたこともあり、アサミは2人の格好へと話を向けた。確かに2人の格好は、今までになくぱりっとしていた。

「これ、学校指定の洋服屋さんが持ってきてくれたのよ。
 お代は要らないから、是非とも陛下の前で着てくださいって」
「うちもそう。
 洋服屋のおばちゃんが、嬉しそうに持ってきてくれたわ。
 さすがに悪いから、何か京都土産を買っていこうと思っているんだけど」

 そこで少し袖を引っ張ったのは、新しさ故の着心地の固さが理由なのだろう。いかにも新調しましたと言う見た目は、きっと微笑ましいことに違いない。

「アサミちゃんは?」
「私の場合、入学時に作ったばかりですからね。
 それに、先輩達ほど洋服屋さんと親しくありませんから。
 そのあたり、今まで商店街に貢献してきたのが効いているんじゃありませんか?」
「じゃあ碇君は?」

 自分達と同じくらい貢献しているはずだから、同じような寄贈があってもおかしくないはずだ。その意味でのマドカの質問に、シンジは「残念ながら」と苦笑を返した。

「先日、新しく作ったばっかりなんです。
 だから必要ないわよねって、おばちゃんに笑われました。
 また少し背が伸びたのか、ズボンの股下が合わなくなったんですよ」
「また、伸びたの!?」
「たぶん、クリーニングのし過ぎで縮んだってのが本当だと思うんですけどね。
 洋服屋のおばちゃんが、そう言っておだててくれたんですよ」

 もともとシンジの方が遙かに背が高かったので、マドカには比較のしようがなかった。多少見上げる高さが変わったぐらいの違いしかないはずだ。その事情はアサミも同じで、よく分からないと苦笑を返してくれた。

「でも、あまり背を伸ばさないでくださいね。
 隣に並んだ時、バランスが悪くなってしまいますから。
 ヒールの高い靴で誤魔化すのにも、限界ってものがあるんですよ」
「でもなぁ、それだけは自分じゃどうしようもないし……」

 う〜んと悩んだ所で、答えなど出るはずのない問題でもあった。そのことに気付いたシンジは、同行している葵に、お約束の質問をすることにした。

「ところでツアコンの葵さん、今日はどこで観光するんですか?」
「つ、ツアコンって言うなぁ!
 今日は、あなたたちの引率をする教師なのよ!
 だから葵先生って言いなさい、先生よ先生、そこのところを間違えないように!」
「じゃあ引率の葵先生。
 今日の予定はどうなっているんですかぁ」

 ツアコンが引率の先生に呼び名が変わっても、結局やっていることには差が無いようだった。それでもマドカの言葉に満足した葵は、嬉々として今日のスケジュールの説明をしてくれた。

「有名な金閣寺や清水寺とかの神社仏閣巡りをします。
 その後皇居近くにあるオークラホテルにチェックインします。
 夜は、鴨川川縁でお食事をして、その後散策も予定に入れてあります!
 まさに、お上りさんの修学旅行コースですよっ!」
「わー、嬉しいなぁっ」

 棒読みの様な口調で、ジャージ部一行はぱちぱちと手を叩いた。ちなみにS高の修学旅行は、毎年南の島沖縄に行っていた。そう言う意味で、お上りの修学旅行は経験したことはなかった。ちなみにこの修学旅行、シンジが行かせて貰えるのか微妙な扱いになっていたりした。

 前回と違ったのは、在来線の乗り継ぎを行わない事だった。差し向けの車でリニアの駅に到着した一行は、待ち構えたカメラの放列を突っ切り改札を通り抜けた。そして回りの注目を浴びながら、到着した大阪行きのリニアに乗り込んだ。海外合宿はエコノミーだったが、さすがにこちらはグリーン車が用意された。

「いいのかなぁ、私たちがこんなところに乗っちゃって?」

 場違い感を主張したマドカに、「良いんじゃないの?」と葵は軽く答えた。

「それに、新婚さんは気にしていないみたいよ」
「そう言われても、芸能界時代は普通にグリーン車を使っていましたよ」

 それを思い出せば、場違いと感じることはないと言うのだ。確かにそう言われれば、アサミぐらいならグリーン車を使ってもおかしくはない。なるほどと納得した葵は、もう一度「良いんじゃないの?」と答えた。

「どうせ、一車両借り切るのは同じなんだから、少しでも豪華な方が良いでしょう?」

 そう言われて回りを見渡せば、同じ車両の中にはほとんど人がいなかった。しかも同乗しているのは、どう見ても民間人とは思えない立派な体格をした人達ばかりだった。つまり、リニアの一車両がS高ジャージ部のためだけに準備されたことになる。

「お金、掛かっているのね?」
「それだけ、あなたたちが重要人物だと理解して。
 高知とニューヨークのことを考えれば、この程度の出費は安いものよ」

 はっはと笑った葵は、壁に表示された現在位置を確認した。

「あと少しで奈良に到着するから、そこから先は車での移動になるわ。
 木津川から京都までは、およそ1時間見て貰えば良いわね」
「お昼前に、京都に着くってことね」

 うんうんと頷いたマドカは、「楽しみ楽しみ」と着いてからの観光を考えた。ただ、まともな観光になるのかは、色々と疑問なところもあった。注目度抜群の一行が行けば、人だかりが出来ること必至だったのだ。人払いをすることは出来ても、それが観光かと言うと色々と疑問になってくる。それを思い出した葵は、どうしたら良いのかと少しだけ頭を悩ませた。
 だがいくら考えても無駄と、行き当たりばったりで考える事にした。どうせ現地の警察が何とかしてくれる、そんな人任せな事を葵は考えていた。それに、いざとなったら5分で制圧可能だなと、上の力のいれ具合を思い出した。

 そんなことを考えていたら、到着5分前のアナウンスが聞こえてきた。それを確認した葵は、下車する準備をするように全員に伝えた。一泊旅行なので、全員荷物は小さなキャスターバッグだった。ジャージ部の制服、臙脂色のジャージも、今回は荷物に入っていないことだろう。

 新木津川の駅で降りた一行は、小旗の出迎えを受けて自衛隊差し向けの車に乗り込んだ。至る所響いたシャッター音は、必ずしもカメラマンの物だけではないのだろう。その証拠に、大勢の見物人が、スマホのカメラをシンジ達に向けていた。

「これって、アサミちゃんが昔経験したこと?」

 ロープの前にぎっしりと詰めかけた人達を見て、マドカは小声でアサミに話しかけた。それを表情を変えずに受け止め、アサミは経験を否定した。

「普通は、こんな風にバレバレで移動はしませんから。
 あとは、行く先々でこんなことには普通はなりません。
 私が現役時代だったら、スタッフの手際が悪いと叱られる所ですね」
「まあ、自衛隊さんはこんな仕事は専門じゃないだろうからねぇ」
「多分、しばらくの辛抱だと思いますよ。
 こんなことは、何時までも続く事じゃありませんから」

 緊張なのか、さもなければ余計な詮索をさせないためなのか、表情を固定したままだった。早く車を動かして欲しいのだが、とても不自然な渋滞のお陰で、なかなか駅から出発することが出来なかったのだ。

「警察の嫌がらせかな?」
「多分、それは考えすぎ。
 想定外に人が集まりすぎたので、駅前の交通整理がパンクしているみたいね」

 葵にしても、本職は地味な自衛官にしか過ぎない。そんな葵だから、職務上でこんな人だかりを経験したことはない。つまり、群集管理のノウハウなど持ち合わせていなかった。
 ただ自衛隊内にノウハウがないかと言うと、話は全く違ってくる。暴動を発生させないため、又は暴動を鎮圧するための訓練は何度も行われていたのだ。そして今回の件については、「暴動には至らない」、「かえってガス抜きになる」と言う分析の下、敢えてコントロールが行われていないと言う事情があった。従って、不測の事態への備えも当然行われていた。

「それでも、そろそろ出発できそうね」

 それでも警察が頑張ったのか、駅前で詰まっていた車もようやく動き始めた。このあと順調に進めば、駅前の遅れは行程に影響のない程度の物だった。

「碇君、堀北さん、こういう時は手を振って答えてあげるものよ」
「そう言う配慮も必要なんですか?」

 自分達は一体何? そう思いはしたが、シンジは大人しく葵の指示に従うことにした。色々と言いたいことはあるが、集まった人たちが悪いわけではないのである。元を正せば、自分たちの行動予定が把握されている方がおかしかったのだ。

 新木津川から高速に乗り、20分ほど走って京都市へとたどり着いた。東側から京都に入った一行は、そのまま最初の観光スポット清水寺へと向かうことにした。ここでも歓迎の人集りかと、身構えたシンジ達だったが、予想に反して駐車場の周りに人は少なかった。
 駐車場を降りた一行は、葵の先導に従ってゆっくりと清水寺へと歩いて行った。左手に産寧坂を見て、まっすぐに松原通を仁王門に向かって歩いて行った。両側には、これぞ京都、これぞ観光地という土産物屋が軒を並べていた。

「よく、こんな古い建物が残っていますね」
「その辺りは、古人の知恵というところかしら?
 日本の建物は火事には弱いけど、地震とか台風には強くできているのよ。
 だからSICの時の地震にも耐えた建物が沢山残っているのよ」

 いつの間にかツアコンに逆戻りした葵は、京都に古い建物が残っている理由を説明した。それをすごいと感動しながら、一行は仁王門をくぐり清水の舞台で有名な本堂へと登っていった。

「清水の舞台から飛び降りるって言葉があるんだけどね。
 まあ、思い切って決断することの意味を言っているんだけど、
 実際飛び降りた人たちの生存率は85%ぐらいらしいわよ。
 多分碇君だったら、事も無げに生き延びるんじゃないかしら?」

 遠く京都の景色を楽しんでいたら、隣で葵が物騒なことを口にしてくれた。つられて下を見たら、本当かと言いたくなるぐらい高く感じられた。

「いや、葵さん、人を化け物か何かのようなことを言わないでくださいよ」
「でも、10代の成功率は90%を超えているらしいのよ。
 自殺には適さない高さだって言われているんだから、碇君だったら大丈夫だと思うだけどなぁ。
 そもそも碇君、堀北さんの乗ったヘラクレスに乗り込む時、これより高いところへよじ登ったのよ。
 まあ、そんな馬鹿なことをやれって言うつもりは全くないけどね」

 はははと乾いた笑いをした葵は、先に進みましょうと一行を先導した。せっかく清水に来たのだから、音羽の滝で願い事をしなくてはいけない。当然葵は、3本の滝の真ん中、恋愛成就を選ぶことにしていた。

「ここは音羽の滝と言って、左から学問上達、恋愛成就、延命長寿にご利益があると言われているのよ。
 ちなみに、水は一口だけ飲んでくださいね。
 欲張って沢山飲むと、かえってご利益が無くなると言われていますからね。
 全部飲んだら、ご利益は全くないって意味ですからね。
 さあ皆さん、一つだけ選んで一口だけ飲んでくださいね!」

 はい、選んでと合図をしたら、なぜか全員真ん中の滝に並んでくれた。

「先輩達二人は、学問上達のほうがいいんじゃありませんか?」
「そう言う碇君こそ、今更恋愛成就はいらないんじゃないの?」
「葵さん、いくら神様仏様でも無理なことはあるんですよ」
「わ、私はまだ27だぁっ!」

 そんな馬鹿なやり取りをしながらも、結局全員恋愛成就の水を飲むことになった。結局10代の少年少女には、延命長寿はピンと来ないし、学問上達はそろそろ良いだろうと言いたかったのだ。それに、よくよく考えたら、この後北野天満宮にも行くことになっている。学問向上は、専門に任せた方が賢いだろう。

「はい、このあと南禅寺に行って名物の豆腐料理をいただきます。
 その後は、皇居を通り過ぎて北野天満宮、金閣寺、龍安寺と世界遺産級の建物を見てもらいます。
 それからホテルにチェックインして、夕方は鴨川川辺のお食事処で晩御飯を頂きます。
 そのあとは、短い時間ですけど川辺を散策してくださいね。
 ただし、碇君、堀北さん以外は、リア充に当てられないように!
 鴨川は、等間隔にカップルが並んでいるって有名なんですよ!」
「なんで、そんな所に遊びに行くんです?」

 普段から当てられているのに、この上他人にも当てられたらたまらない。そう言い返したマドカに、何事も経験だと葵は言い返した。

「鴨川も、有名な観光スポットですからね。
 「百聞は一見にしかず」何事も経験だと思って見てみてください」
「私達は若いからいいけど、葵さんはそろそろ辛すぎませんか?」
「うっ、うるさいわい!
 わ、私だって、大学に入る前は彼がいたんだっ!」

 そして彼無し歴通算うん年と言うことになる。しっかりと自分で傷口を抉った葵は、あうあうと一人で喘いでいた。

「とにかく、ちゃっちゃと移動しましょう!
 だからそこ、見せつけるように腕を組まないでよ、ほんとに……」

 どうして見た目もそこそこなのに、男っ気が全くないのだろう。葵は自分の男運の無さを呪ったのだ。ただ陸将補にまで「曲者」と言われるのだから、素性を知る男たちが近づかないのも、ある意味当然のことだったのだ。



 高村ユイと大津アキラが合流したのは、一行が夕食に出かける直前だった。なにゆえ一番近い大津が遅くなったのかと言うと、逆に近かったのが理由となっていた。夕食までに来ればいいと言われたので、それまで学校の友人と遊んでいたのだ。そこで暴力的でない方法、つまりおねだりと強いお願いで、シンジとアサミのサインを頼まれていたりした。サインのための色紙を買いに行ったのも、遅くなった理由の一つとなっていた。
 そして束になった色紙をシンジに渡し、大津は「これからの練習」と言ってのけた。

「先輩は、これから大勢の人にサインをねだられる立場になったんです。
 その証拠に、サンディエゴではアスカさんにサインを貰ったんですよね?」

 だから、当然シンジもサインをすべきと、大津はいけしゃあしゃあと言ってのけた。随分と打ち解けたと感心したシンジだったが、色紙の分厚さに一瞬受け取る手が止まってしまった。

「ええっと、何枚?」
「ざっと50枚ぐらいですよ。
 堀北さん、それぐらいの数は別に珍しくありませんよね?」

 そこでアサミに意見を求めたのは、間違いなくアキラの作戦勝ちに違いない。スターのサイン会を見れば、この程度の量は序の口にしか見えないのだ。

「そうですね、サイン会とか開くと、その倍以上は書かされますね」
「そ、そうなの?」

 なんでもないことのように言われ、シンジの顔ははっきりとひきつってしまった。どうしてパイロットになるのに、芸能人のようにサインをしなくてはいけないのか。アスカに頼んだことを棚に上げ、理不尽だろうと心の中で文句を言っていた。
 だがいくら心の中で叫んでも、普通の人に伝わるはずがない。「半分空けておいてくださいね」とアサミに言われ、完全に逃げ道を塞がれてしまった。

「サインなんて書いたことがないんだけど?」
「だとしたら、練習だと思って書いてみる事ですね。
 これから行く先々で、みんなにサインをせがまれることになりますよ。
 先輩は、習字も得意だったじゃありませんか。
 適当に崩した字で書けば、それっぽくなるので大丈夫ですよ」
「ね、ネットで、ちょっと調べてみるよ……」

 どう言う訳か、シンジがサインをすることにアサミも乗り気だった。その辺り、自分の苦労が分かったかと主張したい気持ちもあったのだろう。
 やけに深刻な顔をしたシンジがおかしかったのか、大津は笑いながら「半分もいりませんよ」と逃げ道を与えた。

「頼まれたのは、せいぜい10枚ですから。
 50枚あるのは、練習用だと思ってください。
 後は、高村先輩も入用じゃないのかなって思ったんです」
「あ、ああ、確かに碇のサインを欲しがる奴は沢山いるな……」

 女子高ということもあり、アサミの熱烈なファンというのはほとんどいなかった。その分、シンジのファンは掃いて捨てるほど見つけることができたのだ。映画研究会の自主映画とヒ・ダ・マ・リが理由と考えれば、それはそれですごい事に違いない。

「と言うことで碇先輩、明日の朝まで20枚がノルマですね。
 堀北さんに手伝ってもらえば、さほど手間はかからないと思いますよ」
「あー、心遣いをありがとうって言えばいいのかなぁ」

 夜に一緒に居る口実を、大津はしっかり作って差し出してくれたのだ。いささかという以上にあからさまなのだが、シンジはありがたくその口実に乗っかることにした。サインペンまで用意してあるのだから、用意周到としか言いようが無かった。

「それで葵さん、夕食は鴨川べりで和食でしたっけ?」
「京懐石ってやつね。
 肉メインじゃないのは申し訳ないけど、何事も経験だと思ってくれるかな?
 その代わり、とても綺麗に作ってあるからね。
 食の芸術って奴を味わってちょうだい。
 車の準備もできているから、そろそろ出発しましょうか!」

 いつの間にかツアコンモードになった葵は、紺のブレザーに着替えていた。そしてシンジ達4人がS高の制服で、ユイと大津はそれぞれの学校の制服を着ていた。それもあって、一行は修学旅行っぽい雰囲気を作り出すことになった。
 食後の散策では、等間隔にカップルが並んだ鴨川で、シンジとアサミもその仲間に加わることになった。「リア充に死を」と、年上3人が念じたのは、間違いなく余談に類することだろう。

 そしてその翌朝、ジャージ部+2は、そこはかとない緊張感が漂わせていた。アメリカ大統領やモロッコ国王との謁見でも、彼らは特に緊張した様子は見せていなかったのに、今日に限ってはしっかりと緊張していたのだ。その辺り状況の違いはあったが、やはり日本人として特別な思いがあったのである。
 ふだんと違って会話が少なくなった一行に、「緊張してる?」とあまり変わらない様子で葵は聞いてきた。こちらの方は、あくまで刺身のつまでしかない。それを思えば、緊張感はあっても、さほど固くなるほどのことはなかったのだ。

「そりゃあ、さすがに緊張しますよ。
 今までのは、どちらかと言えばどさくさ紛れってところがあったでしょう?
 でも、今回は公式行事なんですからね。
 直々天皇陛下にお褒めのお言葉をいただくのは、さすがに僕でも緊張しますよ」
「うん、確かにそうだな……お褒めのお言葉?」

 シンジに同意したユイは、「お褒めの言葉」と言うこところに引っかかってくれた。民間志願のヘラクレスのパイロット候補として、自分達は皇居に招かれ拝謁の名誉を与ることになったはずだ。そこでお言葉をいただくとしたら、「励ましのお言葉」でなければおかしいはずだ。「お褒めのお言葉」と言うのは、何か実績を示した後与えられるはずのものなのだ。

「なぜ、お褒めのお言葉なのだ?」

 それを理解できないユイに、シンジではなく大津が「知らないんですか?」と口を挟んできた。

「高村先輩が憧れている秘密のパイロットですけど。
 眼の前に居る碇先輩達がそうなんですよ」
「あ、ああ、そう言うことか……なるほどな、秘密のパイロットか、秘密のっ!」

 あまりの驚きに、ユイは驚きの大声を上げかけた。だが全員に「しー」と人差し指で唇を押さえられると、大声を上げるわけにも行かなくなってしまった。それでも高まりまくった鼓動を抑えることもできず、少しろれつの怪しくなった口で「本当なのか?」シンジに聞いた。

「あれっ、教えてなかったっけ?」
「そ、そんなこと、教えられた記憶は一切ないぞ!
 お、お前が……いや、あなたが秘密とされていたパイロットなのか?」

 「チャラ男」だったり、「軟弱者」と嘲った相手が、よりにもよって日本を、そして世界を救ったパイロットなのだ。爺さまから「嫁になれ」と教えこまれていることもあり、ユイはまともにシンジの顔を見ることができなかった。「穴があったら入りたい」と言う気持ちと、「今まで口にしたことを無かった事にしたい」と言う気持ちが頭の中で入り乱れ、はっきり言って正常な思考を保つことができなくなってしまったのだ。

「いや、だから、その、今まで訓練を受けた経験はないと……」
「その通りだけど?」

 だからなに? 首を傾げたシンジに、ユイは葵のように「あうあう」と言葉にならない声を出して喘いでしまった。完璧に頭の中が飽和して、まともな思考をすることができなくなってしまったのだ。

「葵さん、もう少し早くばらしたほうが良かったですね」
「陛下の御前じゃなくて良かったと思いましょう」

 御前で失態を犯したら、間違い無く実家の方で誰かが腹を斬ることになっていただろう。それを考えれば、朝食の場で良かったと言うのは間違いはない。
 確かにそうかと納得したシンジは、ユイの後始末を葵に任せることにした。いくら時間があるといっても、このまま皇居に連れていく訳にはいかない。ユイを、まともな精神状態にまで引き戻してやる必要があったのだ。

「ところで大津くん、色紙なんだけど部屋まで取りに来てくれるかな?」
「えっ、僕なんかが部屋に行っていいんですか?」

 最初にアサミの顔を伺ったアキラに、「大丈夫ですよ」とアサミは笑った。

「昨晩は、先輩が私の部屋に来てくれましたから」
「別に、そうやって開き直れって意味で言ったんじゃないですけどね」
「大津君、その手のからかいは全く通じないのよ。
 逆に当てられることになるから、次からは気をつけたほうがいいわよ」

 すかさず葵に注意され、「気をつけます」とアキラは答えた。それだけ親しくしてくれていると考えればいいのだろうが、もう少し遠慮があってもと思わないでもなかった。いくらシンジが恩人で格好が良くても、アサミを恋人にすることには妬みのような物を感じてしまうのだ。

「とにかく、9時半に全員集合してください。
 それまでは、おめかしする人はしっかりおめかししてくださいね。
 遠野さん、ホテルの美容室が予約してあるからちゃんときれいにするように」
「へぇ〜いっ、ご配慮に感謝します!」

 きちんとすれば、かなりの美少女になるのはロスで実証済みだった。たとえ一日限定の魔法だとしても、有効な手段があるのだから使わない手は無かった。そもそも手入れのされていない髪で御前に立つのは、不敬と言われる恐れのあることだった。

「堀北さん、必要ないって言われたけど……本当に良かったの?」

 マドカの他に、ナルとユイも美容室を予約していたのだ。それを考えると、アサミも予約して然るべきだと思ったのだ。
 だがアサミは、「そろそろ到着しますから」と謎の答えを返した。

「到着するって、誰が?」
「パパですけど、それがどうかしましたか?
 娘の晴れ舞台なんですから、父親がそれぐらいしてもおかしくありませんよね?」

 そう言われればその通りなのだろうが、どこか過保護という気がしてならなかった。それにしても、余所の家庭のことだと、それ以上拘ること早めにした。

「じゃあ、時間が惜しいからみんな出発準備に入ってください!」
「先輩、大津君の用が終わったら部屋に来てくださいね。
 パパが、先輩の分も見てくれるって言っていましたから」

 そうなると、手が掛からないのは大津だけと言う事になる。それも可哀相かと、葵は「床屋に行く?」と声を掛けた。

「事が事だから、最優先でやって貰えるわよ」
「どうも、お願いした方が良さそうですね……」

 多分代わり映えはしないだろう。自分の顔を思い出したアキラは、葵に向かって消極的同意を示したのだった。



 一頃皇居が江戸城に移ったため、京都の御所は皇居として使われていなかった。ただSICの混乱で東京が壊滅したため、もともと有った京都御所を皇居として利用することになっていた。ただ京都の人に言わせれば、あくまで江戸城は別荘で、京都御所に戻ったのも、外出から帰ってきた程度の考えだったらしい。
 建礼門から入ったシンジ達は、そこに刻まれた歴史にしっかり感動をしていた。日本人として通じる所があるのか、外国の建物とは別の感慨を抱いたのである。そしてその先に向かった建物も、歴史を積み重ねた重厚さを滲みだしていたのだ。そこを宮内庁の職員に先導され、高校の制服姿の男女6人が歩いて行くのだ。その部分だけを取り出せば、修学旅行の団体に見えただろう。

 そして天皇陛下への御拝謁は、およそ30分ほどの時間で厳かに行われた。そこで高知とアメリカの功績について、初めて公式にシンジ達の功績として紹介されたのである。陛下の前でどう振る舞えばいいのかは、事前の練習が役に立っていた。
 その拝謁の場には、日本からは閣僚が勢揃いしていたし、駐日アメリカ大使も第二東京から駆けつけていた。全員燕尾服という厳かな場に、シンジ達は高校の夏服で臨んだのである。高校生にとって、制服こそが式服なのである。それを考えれば、少しもおかしな事ではないはずなのだが、周りを固めた大人達との格差が不思議な世界をそこに作り上げていた。

 お言葉を頂いた後に、全員で記念写真をとって謁見の儀式は終わりとなった。ただこれで、シンジ達がお役ご免になったと言うわけではない。当然のように、記者会見というのが設定されていたのである。時計を見れば、午前11時を過ぎていた。これからおよそ1時間半、溜まっていた物を吐き出す場が設定されていたのだ。

 秘密とされていたパイロットの記者会見と言う事もあり、高村ユイと大津アキラは出席を免除されていた。そしてその代わり、基地責任者として後藤が会見場の演壇に並ばされることになった。何処かざわついた空気の中、以前質問に立った記者が、幹事として最初の質問を発することとなった。

「ようやく正体を明かしていただいたのですが、なぜ正体を明かすことになったのでしょうか?
 そして碇さんが超えられない壁と仰っていた問題には、どのような抜け穴があったのでしょうか?
 まず、その2点について教えていただけないでしょうか?」

 隠し事こそしていたが、記者会見を受けるのは、日本を、そして世界を救った恩人なのである。それもあって、代表に立った記者はとても穏やかに質問を発した。正確に言えば、これまで疑問とされていた事への種明かし、その説明を求めたと言うのが正しいのだろう。
 そしていつもの通り、質問に答えるのはシンジの役目とされていた。質問を受けたシンジは、「まず最初に」と言って、隠していた事へのお詫びを口にした。

「前回の記者会見では、結果的に私たちは嘘を吐いたことになります。
 まず最初に、そのことへのお詫びをさせていただきます」

 そこでシンジが立ち上がったのに合わせて、残りの3人も一緒に立ち上がった。そしてシンジに合わせ、全員が一斉に記者達に向かって頭を下げた。

「では、座らせて貰います」

 シンジの言葉に合わせ、全員がもう一度椅子に座り直した。そこから一つ間を置いて、シンジは質問に対する答えを話し出した。

「まず最初の質問、どうして正体を明かすことにしたのかと言う事ですが、
 何時までも黙っているわけにはいかないと言うのがその理由です。
 色々と隠し通そうとすることで、色々なところに歪みが出てきました。
 もともと正体を隠すことにした理由は、先輩2人の希望を叶えるためでした。
 卒業までは、今の心地よい高校生活を続けたい。
 それを叶えるためには、私たちの正体を明かすわけにはいかなかったと言う事です。
 ただ、色々と状況が変わり、私たちがパイロットに応募することになりました。
 その理由は、ギガンテスの襲撃が有った時、居なくなる正当な理由を作るためでした。
 パイロットでもないのに、襲撃の度に居なくなっていたら、正体を明かしたのと同じになります。
 だから次善の策として、パイロットに応募し、候補生に登録されることを選択しました。
 そうすることで、襲撃が有った時に、授業を抜ける口実が立つことになります」

 そこで一度言葉を切ったシンジは、「そこで一つ分かったことがある」と話を続けた。

「実際、応募したことが一つの転機であるのは間違い有りません。
 それだけのことで、私たちの回りが今までになく騒がしくなってしまいました。
 それこそ、最初に恐れていたことだったと言う事です。
 ただ、その状況になってみて、思っていたのと違うと言うのも分かって来ました。
 先輩達2人は、この状況をお祭みたいに楽しんでいたんです。
 そして私達の部活動も、今まで通り続けられることも分かりました。
 だったら、色々と無理をして隠しておく必要は無いのではないか。
 先輩2人が、そう言いだしてくれたんです。
 だとしたら、何時正体を明かせばいいのか、そのタイミングを考えれば良いことになります。
 陛下に嘘を吐かせる訳にはいきませんから、ここで正体を明かすことにしたわけです。
 第一の質問への答えは、これでご理解いただけたでしょうか?」

 答えが長かったこともあり、そこでシンジはひとまず答えを切ることにした。

「ありがとうございます。
 遠野マドカさん、鳴沢ナルさんの希望を優先したと言う事で宜しいのですね?」
「まさしく、その通りです」

 そう答えたシンジは、「二番目の質問への答え」を続ける事にした。

「どうしても越えられない壁についてですが、あれはいくら考えても答えなど無いのが答えです。
 すでに皆さんもお気づきの通り、まともな状況では絶対に僕達が出撃することはありませんでした。
 シミュレーションデータが公開されていると思いますが、僕達の経験はあれしかなかったんです。
 シミュレーターに乗った経験だけで、既存両基地合わせて戦う相手と戦えるはずがありません。
 当然私達も、それぐらいのことは理解していました。
 ただちょっとだけ内情を話すと、遠野先輩が出撃することを強く主張しました。
 それを私が、現実的でないと言って、こんこんと説明して納得して貰ったという経緯があります。
 とても大勢の人達が亡くなると言われても、私達がそれを現実のことと実感することは出来ません。
 そして戦ったこともない私達が、まるでアニメの様に戦うことはあまりにも非現実的だったのです。
 まず、そのことへのご理解は頂けたでしょうか?」
「ええ、仰る通りだと思います。
 70万以上と言う犠牲者の予測ですが、高校生にそれを実感しろと言うのは無理だと思っています。
 ただ、SIC世代にとって、それは18年前に体験した恐怖でした。
 ですから直接避難されていた方だけでなく、日本国民のすべてが奇跡に涙を流し、そして歓喜したのです。
 碇さんが仰る非現実的と言うのは、とても良く分かります。
 だからこそ、私達は碇さんが出したどうしても越えられない壁を超える努力を諦めました。
 たとえ西海岸のアテナ、そして砂漠のアポロンの二人を連れてきても超えられないと分かったからです」

 色々と検討したが、英雄二人を持ちだしても超えることができない。記者の答えは、シンジ達がそれ以上だと言外に述べていたことになる。その決めつけに少し照れたシンジは、小さく咳払いをして説明を続けた。

「まず第一に超えなければならない壁は、私達が出撃する決断をすると言うことです。
 そのことについては、私が基地司令の後藤特務一佐に直訴しました。
 その時点で私が行った分析は、日本基地はアメリカから訓練生を呼び戻すだろうというものです。
 ですがサンディエゴ、カサブランカ両基地で当たる敵に、訓練生だけでどうにかなるのか。
 サンディエゴ基地の場合、2時間後の迎撃、そしてそこからの移動。
 それを考えれば、14時間以上遅れてくることが確定しています。
 それだけの時間、訓練生の方々が支えられるかと聞かれれば、間違い無くノーだと思います。
 それは、高知に襲撃があった日のテレビでも、焼け石に水と散々言われていたことだと思います」

 間接的にパニックを煽ったと指摘され、質問に立った記者はハッキリと分かる苦笑を浮かべた。

「それは、私達マスメディア全体が反省すべきことだと思っています。
 その時の我々は、18年前の恐怖が蘇り、酷いパニックに陥っていました」

 その答えに頷いたシンジは、「それが大切な要素」だと指を一つ立てた。

「サンディエゴからパイロットを呼び戻しても、全く状況を変える事はできない。
 それが、第一の壁を超えるための重要な要素となりました。
 そして壁を超えるための第二の要素、それが私達のシミュレーション結果です。
 その時私達ボランティア部5人は、シミュレーションで良好な成績をたたき出しました。
 そのデータは公開されているので、みなさんもご覧になったかと思います。
 かなりの思い上がりがあったのは認めますが、訓練生の人たちより遙かに優れていると思っていました。
 ヘラクレスに乗ったことがないというハンデはありますが、能力的には私達の方が上だと考えたのです。
 ちなみに後から聞いた話では、シミュレーションだけなら全基地で一番だったそうです。
 だから私が、基地司令の後藤さんに出撃を提案しました。
 このままでは、西海岸のアテナが到着するまでの14時間、ギガンテスの蹂躙を許すことになる。
 うまくやれば、70万以上の人たちの命を救う方法があるかもしれない。
 基地の人たちは、被害を少しでも減らす方法を必死に模索していたんです。
 藁にもすがる思いと言うのは、まさにこのことを言うのだと思います。
 すべての責任を取る覚悟で、後藤さんは私達を送り出す決断をしてくれました。
 これで、私達が出撃するという最初の壁を超えたことになります。
 最初の壁には抜け穴など無く、相手の弱みに付け込んでドアを開いてもらったと言うのが正解です。
 では、次の問題ですが……はい、何か疑問がありますか?」

 シンジが説明を続けようとしたところで、質問をした記者が手を上げて説明を遮った。

「途中でご説明を遮って申し訳ありませんが、今の説明で一つ疑問に感じたことがあります。
 大勢の人々が亡くなられることに実感がわかなかったと仰ったと記憶しています。
 もしもそうだとしたら、碇さんが出撃を提案する動機に欠けるのではないでしょうか?
 現にそれを理由に、遠野さんが出撃すると言うのを否定されていますよね?
 だとしたら、なぜ出撃する気になったのか、その理由を教えていただけませんか?」
「出撃する気になった理由……ですか?」

 それを説明することは、アサミの吐いた嘘を明らかにする事になる。それもあって、シンジはどう答えようか少し考えた。ただ質問自体は想定した範囲だったので、予め考えた中のどれを話すかと言う選択だった。

「後輩の一言が、被害に遭われる方々を顔のある存在に変えてくれたんです。
 顔も分からない、ただ数字だけの存在から、顔の分かる血肉を持った存在にしてくれました。
 その時点で、他人ごとから自分の問題へと変わったと言うことです」
「かなり言葉を選ばれているのが分かりますから、これ以上は質問しない方が良さそうですね」

 そう言って苦笑を浮かべた記者は、礼を言って説明の続きを求めた。

「実のところ、第二の壁については必死で叩き壊したと言うのが正解です。
 出撃を認めてもらった後は、完全に時間との勝負となりました。
 何しろ私達に与えられた時間は、僅か3時間強なんです。
 いくらシミュレーションでいい成績を出していても、ヘラクレスに乗った経験はありません。
 その私達が、ヘラクレスを乗りこなし、ギガンテスと戦わなくてはいけないんです。
 だからその3時間で、ヘラクレスを動かすだけじゃなく、戦うための練習をしました。
 後から聞いた話ですが、アスカさんはまともに動かせるようになるまで半日かかったということです。
 他の主力パイロットの皆さんは、1日以上掛かっているということです。
 それを私は10分で、二人の先輩は20分でクリアしました。
 どうしてと言うのは、死に物狂いだったとしか説明のしようがありませんね。
 残りの時間で、どう戦うのか、フォーメーションの確認を連携動作をチェックしました。
 そしてその結果が、高知での戦いと言うことになります」
「つまり、私達は幾つかの偶然が重なったことで、奇跡を目のあたりにすることになったわけですね。
 そして碇さん達3人の強い意志が、その奇跡を引き寄せたと考えていいのでしょうか?」
「結果を見れば、そういう事になりますね」

 シンジの答えに、記者会見の会場から小さくため息が漏れ出るのが聞こえてきた。改めて説明されると、本当に幾つかの偶然が奇跡的に重なりあったことで、高知の奇跡が起きることになったのだ。必要な関係者がその場所に揃っていたからこそ、奇跡の舞台は用意されたのである。シンジ達の基地見学が早くても遅くても、高知で起きたのは悲劇となっていたのだ。

「次の質問ですが、高知の時には3人で出撃されましたね。
 ですが、今回4人で応募されています。
 堀北さんは、なぜパイロットに応募されることにしたんですか?」
「個人的事情に関わりますので、さすがにお答えしにくいことなんですが……」

 一度断ったアサミだったが、一度少しだけシンジを見てから言葉を続けた。

「大好きな人が無茶をしないように、そして少しでも役に立てるように志願しました」

 ここでシンジを見なくても、アサミの言う「大好きな人」が誰かは周知の事実となっていた。従って質問した記者のコメントも、その事実を踏まえたものとなっていた。

「ええっと、極めて個人的なことを言わせてしまって申し訳ありません。
 恐らく、堀北さんの挙げられた理由は多くの方たちの共感を呼ぶことになるかと思います」

 事情が分からないため、アサミは個人的事情だけで志願したと受け取られたようだ。それはそれで構わないのだが、敢えてシンジは説明を付け加えることにした。

「ええっと、色々と補足したいのですが宜しいでしょうか?」
「はい、ぜひともお願いしたいですね」

 質問者の同意を貰ったシンジは、客観的な事実を持ち出すことにした。

「高知以降を考えると、堀北さんの果たした役目は非常に重要な物でした。
 ニューヨークの戦いで採られたフォーメーションは、堀北さんの助言が発端となったものです。
 サンディエゴ基地単独のフォーメーションにも、堀北さんの助言が取り入れられています。
 堀北さんが女優として積み上げてきた経験が、今までのフォーメーションの綻びを見つけてくれたんです。
 それを私が肉付けして、サンディエゴ基地に提示しました。
 直接の戦闘以外のところで、堀北さんの経験が生かされたと言うことです。
 そしてもう一つ、Fifth Apostleを倒した後の救出作戦の立案も堀北さんがしてくれました。
 実際に私が乗ったカプセルを拾い上げくれたのも堀北さんです」

 いわゆる衝撃の事実というやつに、記者会見会場には大きなどよめきの声が溢れた。まるで映画のような救出作戦が、目の前の元アイドル女優によって成し遂げられたというのだ。
 しばらく続いたざわめきが収まった所で、質問者はマドカとナルに質問をぶつけることにした。

「遠野マドカさんと鳴沢ナルさんに質問致します。
 非常に稚拙な質問かと思いますが、出撃するのは怖かったでしょうか?」

 奇跡を起こさなければ乗り切れない戦いに出るのだから、「怖い」と言う感覚を覚えるのはおかしな事ではない。それを敢えて質問した記者に対して、「私が」と言ってマドカが答えた。

「高知の時は、無我夢中でした。
 だから、怖いという事を感じている暇もなかったんです。
 どうしてって言うのは、碇君を信用していたからと言う事にしてください。
 私達が鍛えた弟が、絶対にやり遂げるって頑張っているのを見たんです。
 だから怖いなんてことは、一度も感じたことはなかったんです。
 だから途中で少しヘタレてくれた時は、サボるなって叱って上げました!」
「いやっ先輩、ヘタレタって言わないで欲しいんですけど。
 あの時は、本当にきつかったんですからね」
「でもさぁ、もう駄目とか、きついって考えるのは自分に甘えている証拠でしょう?
 サボるなって叱ってあげたら、ちゃんと活躍できたじゃない」
「せめて、励まして欲しかったんですけどね……」
「何が一番効果的かを考えただけでしょ?」

 二人のやりとりに、会見会場に少しだけ暖かい空気が流れていた。それまで完璧な受け答えをしているシンジが、マドカとのやりとりでは年相応の反応を示してくれている。それを見せられただけで、4人の関係が良いと言うのがよく分かるのだ。
 シンジを黙らせたマドカは、つぎにと言ってアメリカの出来事を持ちだした。

「怖かったと言えば、アメリカの方が怖かったですね。
 どうしてって言えば、そこに碇君が居なかったからと言うのが答えです。
 私達にとって、アスカさんじゃ碇君の代わりにはならなかったんです。
 後から聞いたら、アスカさんも不安でしょうがなかったって言ってましたけどね。
 だから碇君が戻ってきたら、みんな大暴れが出来たでしょう?」
「そうやって、全部の責任を僕に被せないで欲しいんですけどね……」
「でも碇君、渚さんも落としたでしょう?」

 「も」と言う言葉と、渚と言うのがカヲルを指していて、それが男だと言う事が騒ぎの種になってくれた。かなりざわめいた中、「すみませんが」と質問者は追加の質問を口にした。

「なにやら不穏当な表現が入っていたのですが……
 渚さんと言うのは、砂漠のアポロンと言われているカヲル・ナギサ氏と考えて宜しいですか?」
「はい、そうですよ。
 カサブランカ基地で、世界遺産観光にも一緒に行きました」

 更にざわついた声をバックに、質問者は更に踏み込んだ質問をしてきた。

「今のお話しを整理すると、西海岸のアテナ、砂漠のアポロンの二人を“落とした”と聞こえるのですが?
 そして落とした主は、いずれも碇さんだと受け取ることが出来るのですが、それは正しいでしょうか?」

 ゴシップに聞こえないように、質問する方もしっかり言葉を選んでくれた。だがマドカの前に、そんな配慮に意味があるとは思えない。そしてシンジが危惧した通り、何も考えていないマドカは、しっかりと爆弾を爆発させてくれた。

「ええ、碇君はアスカさんとディズニーランドでデートしたぐらいですからね。
 ニューヨークの後なんか、碇君を見る目がしっかり恋する乙女でしたよ。
 渚さんについては、ちょっと着いていけない世界かなぁって。
 碇君が間違った道に落ちないよう、カサブランカ基地の人達と共同で対策をしました」

 なんてことを言ってくれる。場を考えないマドカの言葉に、シンジはしっかり呆れてしまった。公式の記者会見なのだから、海外からの特派員も大勢混じっていたのだ。その場で両基地のエースにまつわるゴシップを披露してしまえば、この後の騒ぎがどうなるかなど火を見るよりも明らかだった。そしてその騒ぎの全てが、自分の身に降りかかってくるのだ。勘弁して欲しいとシンジが考えるのも、無理のないことだった。

「碇さんは、とてもおもてになるんですね?」
「でも、1年前はとっても暗くてしょぼくれていたんですよ。
 その碇君が、1年鍛えたお陰で今はS高のスーパーマンになりました」

 「もうどうにでもして」と言うのが、今のシンジの心境に違いない。それでもこれ以上はと言うか、すでに記者会見の趣旨からは外れている。そろそろ緊張から暴走したマドカを、止めてやる必要が生じていた。

「遠野先輩、これ以上僕の恥を世界に晒さないでください」
「ええっ、立派に成長したんだから、誇って良いんじゃないの?」

 マドカの答えに、会場の至る所から失笑が漏れ出ていた。高知の奇跡を演じた英雄に対する緊張が、マドカ一人によって緩んでしまったと事になる。
 だがこの緩んだ空気も、後ろの方で誰かが叫ぶまでのことだった。「偽善者!」と大きな声を上げた男が、S市に基地を作ったこと、ヘラクレスがあるせいで住民が危険に晒されると大声で叫んだのだ。そのせいで、記者会見場は蜂の巣を突いたような騒ぎとなってしまった。そして記者会見を混乱させた男には、大勢の警備員が殺到していた。

 収拾の付かない混乱に、このまま記者会見が打ち切られるのかと誰もが考えた。身元の確認は行われていたはずなのに、危険分子が紛れ込んでいたのである。
 その騒ぎの中、シンジはかなり腹を立てて居た。それまでの質問は、相手を尊重し、けして一方的な決めつけをしない物だった。予想外といっては失礼なのだろうが、シンジは集まったマスコミ関係者を見直したほどなのである。だがそこに紛れ込んだ異分子、おそらく基地反対論者なのだろう、今までの話を聞いていても、何も理解していないとしか思えなかったのだ。顔を見れば、ずっと自分よりも年上だと言う事がよく分かる。それが分かるからこそ、今まで何を見て、聞いてきたのかと逆に聞きたいぐらいだった。

 だからシンジは、席を立つのではなく、マイクを手に取り「静かにしてください」とかなり大きな声をだした。「相手をしてやるから、静かにしてください」と大きな声で言ったのである。

「まだ高校生で、分別のつかない馬鹿ですから、売られた喧嘩を買うことにします。
 初めに“偽善者”とか、頭の悪い決めつけをしてくれましたが、僕のどこが偽善なのでしょうか?
 別に有名になりたいなんて思っていないし、このことでお金を貰ったと言う事もありません。
 では、一体僕は、どんな裏の顔を隠して偽善を行ったのでしょうか?
 今まで一度もお会いしたことはない人が、どうして僕のことを偽善者と言えるのでしょうか?
 そう言う馬鹿な決めつけをした理由、それを誰にでも分かるように説明してください。
 前もって言っておきますが、偽善という以上は“悪”の部分を隠していることが前提となります。
 名誉欲とか金銭欲とか言うのは、この場合理由になりませんから悪しからず。
 それを持ちだした時点で、あなたがただの馬鹿で、ただの妄想を垂れ流しているだけになりますからね」

 それでと答えを求められた男は、「ヘラクレスは侵略兵器だ」と大声を上げた。ギガンテス対策の陰で、外国を侵略するための謀略を練っている。お前達は、その肩棒を担いでいると決めつけてくれた。

「今の一言で、世界中で努力を続けているパイロットを敵に回しましたね。
 彼らが、どれだけ自分達の非力さを恨み、嘆き、
 それでも乗り越えようと努力しているのか理解されていない。
 僕と同じ年代の男女が、全員どうしたらギガンテスの被害を無くすことが出来るのか。
 そのためだけに、青春を捨てて努力しているのを言うに事欠いて「侵略の片棒」ですか?
 そう言う、今時小学生の読み物にも恥ずかしくて出せない陰謀論を口走るから、
 あなたたちの活動に対して、世の中が全く支持をしてくれないのだと分からないんですね。
 あなたに必要なのは、まず最初に現実を見る事じゃありませんか?
 ヘラクレスが、将来侵略戦争の兵器として利用される。
 さすがに、その可能性まで否定するだけの根拠を持っていませんよ。
 でも一つだけ言えるのは、ヘラクレスがなければ今頃世界は滅びていると言う事です。
 日本にヘラクレスが無ければ、四国で70万以上の人々が命を落としていました。
 たまたま僕達が居合わせなければ、ニューヨークでは、何百万人の人達が命を落としていました。
 その人達に向かって「お前らが生き残ったから、将来侵略戦争が起きるのだ」と言う事が出来ますか?
 次にギガンテスが襲ってきた場所の人達に、侵略兵器だから派遣することは出来ないと言えますか?
 将来の侵略戦争を避けるために、お前達はここで死ななければいけないと言うことになるんですよ。
 安全な所で騒ぐだけの人を、普通は“卑怯者”って言うんじゃありませんか?
 過去、悲劇と称される大惨事が起きた場所には、ヘラクレスは配備されていなかったんです。
 その事実を忘れて、ヘラクレスがあるから危険だなんて言って欲しくはありませんね。
 ヘラクレスが要らないというのは勝手ですが、だったらどうすればいいのかすぐに案を出してください。
 人は滅ぶべきだというのであれば、止めませんから勝手に死んでください。
 あなたの個人的主義主張に、若い僕達まで巻き込まないでください。
 と、一方的に言わせて貰いましたけど、何か反論はありませんか?
 先に断っておきますが、子供のくせにというのは禁句ですよ。
 それを持ちだしたのに、大人のくせに分からないのかと言い返させて貰いますから」

 「さあどうぞ」相手を挑発しまくったシンジに、騒いでいた男は目をむいて睨み付けてきていた。そいて、「黙れ悪魔!」と大声でわめき立てた。「必ず天誅が下るから、首を洗って待っていろ!」とわめき立ててくれたのである。

「反論できなくなると、悪魔というレッテル張りですか。
 しかも、暴力を匂わせて相手を恫喝するんですね。
 先ほど侵略戦争と言いましたが、あなたの言ったことはそれとどこが違うんですか?
 自分の考えと違う相手を、絶対的に悪だと決めつけ、暴力を匂わせて恫喝する。
 まあ冷静に自分のしていることを振り返ることが出来ないから、そんなバカな事を出来るんでしょうね。
 きっと崇高な使命とやらに燃えられているのでしょうけど、
 あなたが忌み嫌う侵略戦争をした人達も、同じように崇高な使命に燃えた人達なんですよ。
 どうでも良いと思っている人達に、戦争なんて面倒な真似はすることが出来ませんからね。
 あなたには、鏡を見て僕に言ったことと同じことを言って見ることをお奨めします。
 たぶん、鏡に映った相手を殺したくなると思いますよ」

 シンジの挑発に、男は卒倒するのではないかと思うほどに顔を赤くしていた。そして「物も分からない子供のくせに!」とわめき立てた。

「子供のくせには禁句だと言ったんですけどね。
 つまり、そう言う決めつけでしか反論できないと言う事を白状したんですよ。
 きっと自衛隊の人達のように、言われっぱなしで終わらせると考えていたんでしょうね。
 残念ながら、僕はそんなに優しくはないし、あなたみたいな人を尊重する気もありません。
 僕に指摘されたことに論理的な反論が出来なければ、二度と僕の前に顔を出さないでください。
 あなたのために時間を使うほど、僕は暇人じゃありませんからね。
 と言う事で警備の方、然るべき措置を執ってください」

 まだ大声で男は騒いでいたが、警備員に両腕を捕まれて引きずられていった。それを見送ったシンジは、「さて」と秩序を取り戻した記者達に声を掛けた。ここまで相手にしたのだから、もういいだろうと言うのである。

「大変お見苦しい所をお見せして申し訳ありませんでした。
 売られた喧嘩を買ったのは、まだ子供と言う事でご容赦願います。
 あまり時間が残っていないようですが、まだ記者会見は続くのでしょうか?」

 そこでシンジは、司会に立っていた自衛隊員に視線を向けた。秩序を取り戻すのに協力したのだから、後はそちらに任せると言うのである。
 そしてそれを受けた司会者は、出席者に向かって追加の質問を問いかけた。当然ないことを期待した問いかけだったが、予想に反して一人だけ手を挙げる記者が居た。時間が残っている以上、指名しないわけにはいかない。司会に指名された男は、シンジ達ではなく後藤に向かって今後の事を質問した。

「今回の発表で、日本の基地の扱いが変わってくるかと思われます。
 そのことについて、簡単で結構ですので、ご説明願えないでしょうか?」

 隠しておくことが無くなったのだから、正々堂々、サンディエゴ、カサブランカの両基地と同等の機能を果たすことが出来る。記者の質問は、それを前提とした物だった。国会の決議や国連決議を経て居ないのだから、質問としては明らかに先走りと言う所だろう。迂闊なことを口走れば、後藤の首に関わる質問だった。

「防衛大臣には、日本基地の能力、課題を包み隠さず報告してあります。
 基地のあり方については、私達が口に出来るのはそこまでだとご理解願いたい。
 そこから先は、国会の場で議論されることになるでしょう。
 また一国の問題だけではありませんので、国連の場でも議論されるかと考えます。
 サンディエゴ、カサブランカから研修生受入の要求が来ているが、
 その答えもまた、行政が出す答えだと理解しています」
「日本に対する研修生の受入は、どう言った理由からなのでしょうか?
 確か日本の位置づけは、カテゴリー2の遅延作戦担当かと思いますが。
 他国への出撃義務は、確か課せられていなかったかと思います」

 なし崩しのカテゴリー変更を危惧した質問に、後藤は変化球を投げ返すことにした。

「あくまで推測なのですが、彼らはカテゴリー変更を前提にはしていないと思います。
 思い出して欲しいのは、高知の戦いは全くの素人が奇跡と言われる成果を上げていることです。
 日本には、経験の無いパイロットを訓練するスキル、もしくは適任者が居る。
 彼らがそう考えたと受け取るべきかと考えています」
「つまり、また碇さんが忙しくなると言う事ですか?
 ちなみに碇さんにもお伺いしますが、S高生徒会長になられるとも聞いています。
 さすがに何と言うか、もう少し自分のことを心配した方が宜しくありませんか?」

 そのあたり、自分の望んだことではないとシンジは主張したかった。ただそれ以前の問題は、どうして生徒会長という話がここで出てくるのかと言うことだ。S高生がインタビューを受けているのは想像できるが、こんな話題を持ち出す該当者がかなり限られてくる。そして現生徒会長なら、インタビューを受けてもおかしくはないだろう。間違いなく、外堀を埋める行為に出てくれたのだろう。

「前回の記者会見でもお答えしましたけど、生徒会長になるつもりは無いんですよ。
 仰る通り、今でも忙しいのに、これ以上忙しくしてどうするのかと自分でも考えています。
 だから、僕でなくても構わない生徒会長という仕事は、ずっと遠慮し続けているんです」

 勘弁してくださいと肩を落としたシンジに、質問した記者は「大変ですね」と苦笑しながら同情した。ただその物言いは、暗に「逃げられないだろう」と言っているような物だった。

「でも、逃げられるとは思っていないんですよね?
 確か碇さんは、以前学校生活を大切にしたいと仰っていましたね」
「確かに言いましたけど……そんなこと、絶対に僕が認めるはずがないでしょう?」

 「そうでしょうね」と認めはしたが、シンジからはしっかりと諦めのムードが漂っているのが分かった。ただそれを指摘するのも可哀相と、「ありがとうございました」と質問を終了してくれた。

「それでは、本日の記者会見はこれで終了させていただきます。
 この後の公式スケジュールについては、広報の方から出席者の皆様にご連絡差し上げます。
 お忙しい中、お集まりいただきまして誠にありがとうございました。
 そして宜しければですが、献身的な活躍をしてくれたパイロットの皆さんに拍手をお願い致します」

 司会の言葉に、会場に居合わせたほぼ全員が盛大な拍手をシンジ達に送った。途中でハプニングこそあったが、英雄と言われる高校生は、真摯に質問に答えてくれたのだ。そしてなにより、世界が破滅する危機を、二度にわたって防いでくれた。その功績に対して、彼らは惜しみない拍手を送ったのである。
 もっとも、この場に集まったのは、各社選りすぐりの記者達ばかりだった。そう言う意味で、初めから荒れる要素はどこにも無かったのだ。そして何があっても売れれば勝ちの業界だから、一歩外に出れば、どのような取材攻勢が待っているのか知れた物ではなかったのである。

 意外に好意的な態度に、シンジ達は安堵ばかりはしていられなかった。この先どんな書かれ方をするのか、下手をすれば、事実に基づかないことも書かれることは覚悟が必要だろう。発言の切り貼りぐらい、平気でやってくれるのがマスコミという人種だった。
 ただマスコミの嫌らしさは、アサミが一番理解していることだった。芸能界の裏側まで見ていることもあり、絶対に信用しないと考えていたのである。その方面でも守ってみせる、アサミは自分の意味を考えていたのだった。



***



 これまで秘密とされていたことが公表される。それを考えれば、シンジ達の記者会見が世界に配信されるのは当然の出来事だった。各国で時間帯が異なると言うのは、伝えられる事実の前には大きな意味を持っていなかった。日本時間の午前11時に始まった記者会見は、特別番組として世界に同時配信されたのである。
 日本からの中継が始まったのは、サンディエゴではちょうど午後7時のことだった。早めにその日の訓練を切り上げたアスカは、部屋に戻ってテレビの前に陣取った。今更新しい発見はなくても、「愛しのシンジ様」の最新映像が出るのだから、見逃すということはありえなかったのだ。

「やっぱり、素敵よね〜」

 おかしな男を返り討ちにしたところで、ますます惚れたとばかりにアスカはため息を吐き出した。もうここまで来ると、贔屓の引き倒しに近くなっている。だが普段ならそれを突っ込むクラリッサも、隣で同じような顔でテレビを見つめていた。

「そうね、本当に私達の言いたいことを代弁してくれたわ。
 結局、ああ言う人達って自分の中にある破壊衝動を私達に投影しているのよね。
 もう、口を開けば開くほど、自分は侵略したいんですって白状しているようなものなのにね」
「そうそう、さもなければ妄想バリバリってところかしら?
 前線に出てみれば、まず目の前のことをどうにかしなくちゃいけないのよ。
 そもそも前線に立つパイロットに、あんなことをぶつける方の常識を疑うわ。
 でもさ、そう言う常識がないから、理詰めで言われるとぐうの根も出なくなるのよねぇ」

 徹底的に叩いたのがシンジだから、何の疑いもなく二人は熱い視線をテレビに向けることになった。自分がシンジに夢中になっていることをばらされたのだが、事実だから問題無いとさえアスカは考えていた。たとえマスコミに質問されたとしても、積極的に肯定しようと思っていたぐらいだ。

 それでも、自分以外のことなら客観的に考えることはできていた。だからカヲルが落ちたことに対して、その理由と言うか、惚れた訳はおよそ想像がついていた。

「でもさ、やっぱりカヲルも私と同じだったってことね」
「アスカと同じ?」

 何と首を傾げたクラリッサに、「精神状態」とアスカは答えた。

「その辺りは、クラリッサも十分に理解していることだと思うけど?
 何しろあんたの役割って、私の精神状態の監視役でしょ」
「アスカの精神安定を心がけていると言ってほしいわね」
「だとしたら、私が追い詰められていることぐらい理解していたわよね?」

 アスカの問いかけに、クラリッサは素直に頷いた。そしてその決めつけを、少しだけ訂正することにした。

「追い詰められていたのは、何もアスカだけじゃないわよ。
 サンディエゴ基地に居る全員、もっと言えば世界の指導者たちって言っていいかしら?
 ギガンテスの襲撃があるたびに、こんどこそ世界は駄目かもしれないって考えているのよ。
 高知に6体のギガンテスが来ると分かった時、ついに破滅が始まったのだってみんな諦めていたのよ。
 だからそれを日本が乗り切った時には、どうしようもない安堵と期待を抱いてしまった。
 ただその期待は、その時点ではまだまだ不確かなものでしか無かったのよ。
 でもニューヨークの戦いで、それはもっとハッキリとしたものに変わってくれた。
 これまで小規模と言え、さんざん悲劇が起きてきたアジア地域の人達。
 その人達にとって、Shinji Ikariは間違い無く”英雄”であり“救世主”なのよ」
「そして、私やカヲルにとってもシンジ様は英雄ってことよ。
 個人的には悪いと思っているけど、私達が感じていた重圧を引き受けて下さったのよ。
 どうしようも無く非力な自分、そんな私を導き高めてくれる人。
 そんな人が目の前に現れたら、惚れないほうがおかしいと思わない?
 その思いの前には、男とか女とか、性別なんてことは小さなことにすぎないわ。
 それだけ私達が辛かった、そう思ってくれればその気持は理解できると思う」

 両手を胸に当てたアスカは、「だから戦える」と目を閉じて口にした。

「シンジ様が居てくだされば、私はまだまだ戦える。
 もしも責任を果たせなかったらと言う恐怖も、今は感じなくなった。
 もしも私の力が及ばなくて死ぬことになっても、絶対にシンジ様が引き継いでくださる。
 だから私は、後のことを悩まくてもすむようになった。
 私自身を縛り付けていた重圧、恐怖、そういったものから解放されたんだもの。
 きっとカヲルも、同じ事を考えていると思うわ」
「シンジ様に張り合うんじゃなくて?」

 異性と同性では、置かれた立場、意識が違ってくる。クラリッサは、アスカに向かってそのことを指摘した。カヲルの場合、シンジと同性と言う事情が、アスカと違って難しくしているのだろうと。

「それがどれだけ意味のないことかは、この前嫌ってほど教えられたでしょう?
 だからカヲルも、今はすっかり開き直っているんじゃないの?」
「でもさぁ、男同士って問題が多いと思うんだけどなぁ〜」

 納得のいかない顔をしたクラリッサだったが、自分のことじゃないと割り切ることにした。

「でも、これでやりやすくはなったのは確かね。
 日本にも、色々と頼みやすくなったんじゃないの?」

 これまでは、何を頼むにしても、秘密保持が壁となって立ちふさがっていた。その壁が取り払われた以上、相手の能力を期待した依頼をすることが出来る。すでにパイロット育成に関して、高い能力をカサブランカで示している以上、その能力に期待をしたいところがあったのだ。
 だが日本に期待したクラリッサに、アスカはまだ問題が残っているとその性急さを諌めた。

「でも、国連承認がいろいろと必要でしょう?
 そっちの手続きが終わらないと、色々と国際問題になりかねないのよ。
 それに、日本基地って元々カテゴリーは2番目でしょう?
 そのつもりで整備しているから、基地規模も十分とはいえないはず。
 訓練生の受け入れにしても、基地規模の拡張前提となってくるわ。
 基地の拡張、機能自体の拡張、どっちもかなりのお金がかかるんじゃないの?
 日本政府が、単独でその負担を認めるかは微妙なところがあるわ」

 用地の確保はできても、設備拡充にはそれ以上の費用が必要となる。それが日本の守りを固めることにつながらないのだから、税金投入の口実が難しのも確かだった。
 そんなアスカの指摘に、確かにそうかとクラリッサは周辺国のことを考えた。歴史的に、日本は直近の周辺国との関係があまり良好ではない。今更70年以上前の戦争を持ち出すのもどうかと思うが、その問題がつい最近まで引きずられていたのだ。そして一部東アジアの国にしてみれば、日本には周辺国を守る責任があると言い出すことだろう。そしてその為に必要な負担も、日本が自力で行うべきと言う主張が予想された。

「また、あの辺で揉め事が起きそうってことね。
 確かに、周辺諸国への貢献だったら、日本から出撃すれば事足りるものね」
「だからと言って、なにもしないってのも結構微妙な問題を起こすのよ。
 特定周辺国が、日本の主張を逆手に取った時、日本はエースを派遣しなくちゃいけなくなるのよ。
 用地・設備等の費用を負担するから、人的貢献をしてくれって主張してくるでしょうね。
 そして人的貢献が出来るパイロットはただ一人しかいないのよ。
 日本として、そのパイロットをむざむざ外に出せると思う?」

 たとえガードをつけていても、外に出したら何が起きるのか予想がつかなくなる。それを考えると、エースは極力国内に留めておきたいだろう。そのためには、日本が応分の費用負担をすることにもつながってくる。

「つまりアスカは、日本は基地拡張を行うって考えているの?」
「その方が、国内外へのアピールをしやすくなると思うわよ。
 まあ、税負担はそれなりにしなくちゃいけなくなるから……
 まあ財政的には、結構厳しいところがあると思うわ。
 落とし所は、お隣がどれだけ費用負担に応じるかってところね」

 恐らく、その為の交渉が水面下で行われていることだろう。それがどう転ぶかは分からないが、何れにしても日本が動き出すことだけは確かだった。その第一段階として、サンディエゴで訓練している10人が間もなく帰国の途につくことになっていた。

「ねえクラリッサ、百歩譲ってビデオ会議ってできないかしら?
 カヲルを含めて、3人で色々と話をしてみたいのよ」
「話をする……だけでいいの?
 って言うか、何か教えて欲しいことがあるってこと?」
「意見交換って言うか、色々と話を聞いてもらって、意見が欲しいなって思うことはあるわ。
 そもそもギガンテスとは何か、過去襲ってきたApostleと何が違っているのか?
 いったい何が、ギガンテスを生み出しているのかとかね。
 すぐに答えが出るとは思えないけど、とても重要な意味があると思っているのよ」

 この戦いの本質、アスカはその事への意見交換がしたいというのだ。確かにアスカの上げた「なぜ」は、人類にとって非常に大きな意味を持つ問いかけである。それが解明されれば、ギガンテスの襲撃を抑えこむ可能性も生まれてくる。
 だが、この問題の複雑さ、難しさを考えると、”たかが”パイロットの手に負えることなのだろうか。ただギガンテスと向き合っているだけで、その本質を理解することが出来るのだろうか。なぜアスカが、急にそんなことを持ち出したのか。まずその考え自体がクラリッサには理解できなかった。単なる口実ならいいのだが、そこに深い理由があれば問題は複雑になる。

 アスカの問題意識は理解できても、クラリッサには意見交換が必要だという判断はできなかった。むしろ、アスカの上げた理由は、ビデオ会議とは言え設定が難しいことでもあったのだ。色ボケして「顔を見たい」とゴネてくれたほうが、よほど周りに説明しやすい理由とも言えた。
 もっともアスカの要請に対して、何も行動を起こさないというのも許されるとは思えなかった。だからクラリッサは、「自分も混ぜること」と言うのを条件に、司令に上申することを認めたのだった。



***



 記者会見を終えた4人は、昼食をとってからS市への帰路についた。その時自衛隊差し向けのヘリを使ったのは、その後に行われる行事への配慮からだった。国民的英雄が帰ってくれば、地元の市としてはパレードを行うのがお約束だったのだ。午後4時開始というのは、パレードを行うにはいささか遅い時間には違いない。それでも鉄は熱いうちに打てとばかり、当日の決行を市長他が嘆願したのである。彼らの役目を考えたとき、そうそう休みをつぶすわけにはいかない事情があったのである。

 そのパレードで、S高の4人は2人ずつオープンカーの後ろに座らされていた。ただ、その組み合わせについては、今更言及も必要ないだろう。市民にもみくちゃにされながら、市の中心部をおよそ1時間掛けて4人は引き回された。そして最後に市役所に連れ込まれ、市長から市民表彰を受けたのである。マドカをして、「一体誰向きの表彰?」と首を傾げたくなるほど、市長はこの式典に入れ込んでいた。

「私、SIC、TICの双方を経験したものとして、4人の活躍には甚く胸を打たれました。
 遠野さん、鳴沢さん、碇君、堀北さん、S高ジャージ部の4人はS市の日本の、世界の誇りです。
 私達が皆さんにしてあげられることは殆ど無いのかもしれません。
 ただ応援することしかできないのかもしれませんが、それならば命をかけて応援したいと思います。
 先ほどの記者会見で現れたような無礼な輩を私たちは決して許しません。
 皆さんが高校生としての生活を大切にされると言うのであれば、その為の環境を守りましょう。
 それが私たちのできるせめてもの恩返し、私達にできる応援だと思っています!」

 いささかと言うか、かなり自分の言葉に酔った市長だったが、それを聞く聴衆の方も完全に熱にとりつかれていた。「これでいいのか」と聞きたくなるほど、集まった人たちは大きな拍手で市長の言葉を賞賛した。その熱狂に、これはこれで怖いとシンジは思っていた。あまりの熱狂は、人に正常な判断力を失わせる。倫理に外れた行為ですら、熱狂の中に居ることで罪悪感を感じないで行われてしまうのだ。
 だがこの熱狂は、すでにシンジ達の止められるものではなくなっていた。だからシンジ達は、この熱狂が収まるのを息を潜めて待つことを選択した。余計な騒ぎを起こすことで、誰かを不幸にする恐れがあったのだ。

 そして市の祝賀会は、午後7時過ぎまで行われた。立食パーティーも企画されたのだが、さすがに高校生をそこまで引きずり回すのは宜しくないと、S高校長舞鶴が待ったをかけたのだ。パーティー自体は否定しないが、日を改めて欲しいと条件を付けたのである。この日にシンジ達が京都から返ってきたことを考えれば、それはとても常識的な申し出だった。

 シンジ達が夕食時間に家に帰り着けたのは、まさしく舞鶴校長のおかげと言っていいだろう。そのときアサミがシンジの家に帰ったのは、事情を考えれば仕方のないことでもあった。何しろ彼女の父親は、娘に京都まで呼び出されヘアメイクをさせられたのである。空路を使えない以上、帰ってくるのにそれなりの時間が必要だったのだ。
 もっとも時間が必要と言っても、翌日になるほどのことはなかった。だから今日に限って言えば、お泊まりのお許しは出ていなかった。そのあたり、特に注目を集めた日に、さらに注目を集めるまねはするなと言うところもあった。

「先に断っておくけど、これは料理部有志が作ってくれたのよ」

 帰ってみたら、すでに食卓にはたくさんの料理が並んでいた。そこまで頑張った、もしくは買ってきたのかと言われる前に、レイは種を明かしたと言うことである。

「だったら、一緒に食べて行ってくれればいいのに」

 テーブルの上を見たら、これでもかと言うほど料理が並んでいた。いくら育ち盛りのシンジでも、何日分だろうかと言いたくなる量だったのだ。

「これって、絶対に余りますよね?」
「って言うか、何日分だろ、これ?」
「それは、私も言ったんだけどね……
 なにか、その場の乗りって言うのか」

 はははと、レイは乾いたら笑いを浮かべてしまった。体育会系の男子がそろっているのならいざ知らず、男一人に女二人ではとても食べきれる量ではなかったのだ。しかもフリーザーで凍らせておくにしても、量が多すぎてとても入り切りそうにもなかった。

「今から、誰か呼べそう?」
「普通の人は、とっくに夕食が終わっている時間だよ」

 時計を見れば、もうすぐ8時になろうとしていた。とっくかどうかは分からないが、夕食を何にしようか心配している時間でないのは確かだろう。

「食べるだけ食べて、後は分類して冷蔵庫にしまおうか」
「こうなるのが分かっていたら、皆さんを招待していたんですよ。
 レイちゃん、どうして携帯にメールをくれなかったの?」

 ほっとため息をついたアサミに、レイはごめんと手を合わせた。アサミの言うとおり、あらかじめ言っておけば、胃袋を何人分か集められたのだ。その場の乗りにつきあったせいで、そういったことがすっかりと抜け落ちてしまっただけのことだった。

「先輩、見ただけでお腹がふくれてしまいますね?」
「善意が悪意に感じられるなんて、いったいどう言うことだろう」

 それでもこれが善意であるのは間違いない。山のような料理に、シンジは果敢に挑むことにした。もちろん、はじめから返り討ちに遭うのは覚悟の上である。外で張っているマスコミに振る舞うことも考えたが、混乱を招くだけだと消費をあきらめることにした。

「ところでアサミちゃん、どうして写真を撮っているの?」

 兄妹二人で過剰な料理の処理を考えていたら、どう言う訳かアサミが携帯で写真を撮っていた。今まであまりしていない行動に、レイは「どうして?」とその理由を尋ねた。

「う〜ん、プライバシーの切り売り。
 いろいろと情報発信しないと、ないことばっかり書かれそうだから。
 今日だって、私が先輩の家に来たから、どう書かれるのか分からないでしょう?
 だからブログとかを始めることにしたのよ。
 ツイッターの方は、ジャージ部公式を作って大津君に管理して貰うことにしました」
「それって、発言の切り貼り対策?」

 前後を省くことで、発言の趣旨などいくらでも曲げることが可能となる。その対策として、ソーシャルメディアを活用しようというのだ。一次ソースを示して反論すれば、多少の反撃も可能となるはずだ。

「あとは、ゴシップ対策と言う意味も持っていますよ。
 先輩との関係を隠すつもりはありませんけど、やってない事をいろいろと書かれるのは迷惑ですから。
 だから先輩、不用意にほかの女の子に優しくしないでくださいね。
 下手をすると、芸能記者に燃料を投下することになりますよ」
「で、できるだけ、みんなの目があるところにいることにするよ……」

 注意をされればされるほど、つくづくやっかいな世界に飛び込んでしまったとしか思えない。ただシンジとして一つ言いたいのは、自分は芸能人になった覚えは一つも無いと言うことだ。だから、芸能人と同じように追っかけないで欲しいと切に願っていたりした。

「と言うことで、せっかく料理部の皆さんが作ってくれたんです。
 ありがたくいただくことにしませんか?
 ちゃんと残った分は冷蔵庫にしまうところまでやっていきますからね」
「それも、写真に残すって事ね……うちの冷蔵庫、大丈夫だったかな」

 中が魔界になってはいないか。まず最初にレイが考えたのは、いつ掃除をしたのかと言うことだった。だが今更手遅れと、素直に開き直ることにした。

 とりあえず、料理部が力を込めただけに、料理がおいしいのは確かだった。ただ誰向けかと言いたくなるほど、こってりとした料理が多かったのも確かだった。そのおかげで、これ以上だめと言うところまで食べたのだが、作られた料理の大半は残ってしまった。
 それも写真に残したところで、3人は後片付けに取りかかった。そのいちいちを写真に残し、碇家にとっての晴れの日は終わりを迎えた。冷蔵庫には、1週間分ぐらいの「手料理」が収蔵される事になったのである。

「兄さん、明日からのお弁当は覚悟してね。
 もったいないお化けが出ないように、絶対に食べきるからね」
「うまくローテーションしてくれるかな……」

 そうしないと、食べることが苦痛になりかねない。よほど勉強会を家で開いて、ジャージ部全員で消費しようかと考えたほどである。

「ところでアサミちゃん、今日はお泊まり?」
「う〜ん、もうすぐパパが帰ってくるから、お泊まりは無しだと思う。
 それに、着替えもないし、明日は学校だし……」

 お泊まりの準備をしてなかったこともあり、アサミの答えはかなり消極的なものとなっていた。だがいろいろと考えたところで、「そうだ」とばかりにアサミは手を叩いた。

「先輩、逆に私の家にお泊まりに来ませんか?
 その方が、レイちゃんがマスコミの人たちから解放されると思いますよ」
「そうやって、私を理由に自分の願望を叶えようとする?」

 苦笑を浮かべたレイに、「結構切実」とアサミは言い返した。

「だって、これで先輩と二人っきりになりにくくなったのよ。
 だったら、利用できるものは何でも利用したくなるのはおかしくないでしょ?」
「言いたいことは分かるけど……
 二人とも、高校生だって事を忘れないようにね。
 できたら、しばらくの間はおとなしくしていて欲しいんだけどなぁ」

 どうして親友様は、こうもばりばりの肉食系なのか。とても綺麗な顔を見て、レイはどうしようもない理不尽さを感じていた。そして時代はやはり肉食系なのかと、自分に恋人ができない理由をそちらに持って行った。
 しかも父親から送られてきたメールを見て、「ちっ」と小さく舌打ちをしてくれるのである。きっと父親がそれを知ったら、盛大に嘆き悲しんでくれることだろう。

「それでアサミちゃん、おじさんはなんだって?」
「あと1時間したら迎えに来るって。
 ねえレイちゃん、私のパパと一度親子をしてみない?」

 つまり自分の代役として、帰ったことにして欲しいと言うのである。暗がりで数さえ合えば、周りをごまかすことができると考えたのだろう。

「いやっアサミちゃん、さすがにそれは無いっしょ」
「でも、レイちゃんってうちのパパのファンでしょう?
 だったらレイちゃんのためにも、一度パパを貸してあげようかなって。
 まあ、冗談だからあまりまじめにとってくれなくてもいいんだけどね。
 ママにばれたら、夫婦の危機になっちゃうものね」
「それ以前に、アサミちゃんのパパが嘆き悲しむと思う」

 はっきりと苦笑を浮かべたレイは、話に加わってこないお兄様を糾弾しようとした。恋人の暴走を止めるのは、間違いなく相方の責任なのである。だがいざお兄様に話を振ろうとして、そのお兄様が居間にいないのに気がついた。

「あれっ、兄さんは?」
「さっき二階に上がっていったわよ。
 お兄さんラブのレイちゃんなのに知らなかったのね」
「だから、アサミちゃんが猫をかぶらなかったってことか……」

 結構危ないことを言っていたのだが、その理由がお兄様がいないことだとレイはようやく気がついた。ただなるほどと納得したが、なぜお兄様が二階に上がっていったのかまでは想像できなかった。

「どうして兄さんは二階に上がっていったの?」
「いくら恋人でも、そこまでは分からないわよ」

 あまりの正論に、さすがにそうかとレイも納得した。そうしていたら、お兄様が階段を下りてくる足音が聞こえてきた。

「先輩、戻ってきたみたいね」
「まさか、お泊まりセットを用意してきたって事じゃ無いわよね……」

 いなくなったと思われるときに話していたのは、一緒にアサミの家に行くことだった。それを考えると、お泊まりセットを持って現れてもおかしくない。
 だが居間に現れたお兄様は、二人の視線に何事か理解できていないようだった。

「レイ、僕の顔に何かついてる?」
「いやぁ、お泊まりセットを持っていないなって」
「なんで、お泊まりセット?」

 はてと首を傾げたシンジに、アサミは話を逸らすように「何をしていたんですか?」と猫をかぶり直してくれた。

「ちょっと、外の様子を見に行ったんだよ。
 思ったほどは人がいないけど、まあいろんな人の姿を見ることができたよ」
「たとえば?」

 いろんな人と言われれば、どういう人がいるのか気になってしまう。その説明を求めたレイに、シンジは苦笑を浮かべて「本当にいろいろ」と答えた。

「警邏しているおまわりさんに、僕たちの身辺警備をしている自衛隊の人。
 カメラを持ったマスコミの人に、様子を見に来た近所の人……
 後は、僕たちと同じくらいの年齢の男女が何人かなぁ」
「兄さんとアサミちゃんのファンかしら?」

 最近の人気を考えると、それぐらいあってもおかしくないと思えてしまう。しかも世界的英雄になったのだから、それも仕方の無いことなのだろう。

「たぶん、そうなんだろうね」
「それで兄さん、ファンサービスをするの?」
「しないよ、そう言うことをすると、押しかけてくる人が増えるからね。
 間違いなく近所迷惑になるだろう?」

 一般人となると、なかなか規制が難しくなっても来る。それを考えると、お兄様の言うことは間違ってはいないのだろう。相手にしてもらえると言うことになれば、確かに二人目当ての人たちが増えることになる。

「邪険にする必要は無いけど、サービスする必要も無いんだよ。
 僕たちは、できるだけ今まで通りの生活を続けていけばいいんだよ」
「でも、それってとても難しいと思うわよ」

 お兄様の言うとおりにできれば、確かに理想的なのは違いない。だがそれが本当にできるのかと言われれば、できないとしか言いようが無かった。だからレイは、意見を求めるために親友様に話を振ることにした。

「芸能人ってそういうところはどうしているの?」
「いろいろ、かな?
 普通は、どこに住んでいるのかは公開しないし。
 プライベートには入ってこないようにお願いしているから。
 でも、やっぱり勘違いした人は大勢出てくるわね。
 面倒なのは、邪険にすると、「お高くとまっている」とかネットに書かれることね。
 普通そんなことを書けば、ブログだったら炎上する事になると思うわ。
 それでも、たちが悪い人になると粘着してくるわね」

 う〜んと考えたアサミに、「大変ね」とレイは人ごとのように言った。だがそんなレイの考えは、アサミにしてみれば「甘い」と言うことになる。

「レイちゃん、他人事のように言っているけど、自分にも関わってくる事よ。
 レイちゃんが変なことをすると、すぐに先輩の評判に跳ね返ってくるんだからね。
 そうじゃなくても、レイちゃんのファンもできるんじゃ無いのかな?
 これからは、適当な格好でお出かけできなくなるからね」

 ファンができると言われると、少しはうれしく感じるのだが、生活が窮屈になると言われると、面倒だなと感じてしまう。それもあって、レイは腕組みをしてう〜むと唸ってしまった。だがいくら唸っても、いくら考えても妙案など浮かぶはずが無い。

「レイちゃん、いくら考えてもいい方法なんて無いからね。
 思い切って開き直るか、そうでなければ身だしなみに気をつける事ね」
「開き直ったら、どうなるのかな……」

 そうするのが一番楽そうなのだが、その結果がどうなるのかが怖い気もする。
 そんなレイのつぶやきに、アサミは少し考えてから「さぁ」と答えにならない答えを返した。

「気取らなくていいって評判が立つか、変わっているって評判が立つか……
 そのあたり、ケースバイケースかな?
 言い方を変えると、運任せってところね」

 ああそうですか。アサミの言葉に落胆したレイは、もう少し身なりに気をつけようと考えた。「変わった」と言うキーワードは、評価を受ける方としてはうれしくないものなのだ。

「ところでアサミちゃん、兄さんには何も言わなくていいの?」
「先輩に?
 どうして?」

 注目を集めるのは同じはずなのに、どうしてお兄様には何も言わないのか。そう言う意味で質問をしたのだが、肝心のアサミからは不思議そうな目で見られてしまった。

「どうしてって、これからいろんな人の目につくことになるんでしょう?」
「先輩が急に態度を変えたら不自然でしょう?
 それに先輩は、今までさんざんマスコミの目にも晒されていたんですよ。
 今更変える必要は無いと思うし、変えなくても十分以上に格好いいと思うわよ。
 そもそもレイちゃん、今の先輩は私が好きになった人だって忘れてない?」
「まあ、そりゃあ、そうなんだけど……」

 マドカ達あたりなら、間違いなく「藪をつつくな」と文句を言うところだろう。経験的に、この手の話は、最後に見せつけられて終わってしまうのが分かっていたのだ。そのあたりの用心が、レイには足りていないだけのことだった。

「確かに、今から兄さんが飾り立てるのはおかしいわね」

 これ以上見せつけられるのは、ロンリー者として辛すぎることに違いなかった。だからレイは、マドカ達に倣って余計なことに触れないことにした。その代わり時計を見て、早くお迎えが来ないかなぁと、後ろ向きのことを考えた。だがお迎えの時間まで20分以上残っていることに、がっくりと肩を落としたのだった。



 期末テストが終われば、いよいよ学園祭と言う一大イベントへの期待が高まってくる。そしてもう一つ、11月からの新生徒会執行体制への興味も高まっていた。例年ならば生徒会選挙というのは、あまり話題の中心にはならないものなのだが、今年に限って言えば誰が「生徒会長」になるのか注目が集まっていたのである。

 そしてテスト明けに開始された立候補者の募集は、予想通り誰も生徒会長に立候補してこなかった。そしてもう一つ、環境委員長にも候補者が立たなかった。そのあたり現執行部の根回しと言えばいいのか、シンジとアサミのポストを用意したと言うことである。
 そしてその二つのポスト以外に目を向けると、副会長を除き逆に候補者が乱立することになった。当然立候補の意図は、歴史に残る生徒会役員に名を連ねるためである。

「陸山会長の思惑通りになったってことね」
「まっ、インタビューでも聞かれたから、予想された結果でもあるわね」

 締め切り直前の午後、ジャージ部部室には主要部員が全員集合していた。そしてその中には、無事編入が終わった高村ユイ、大津アキラの二人も加わっていた。
 そしてマドカは、どうしてと頭を抱えるシンジに、「諦める事ね」ととても前向きに慰めてくれた。

「碇君が、全校生徒の期待を集めたって事でしょ?
 だったら、ジャージ部新部長としても期待に応えないと駄目っしょ」
「ええ、きっとそうなんでしょうね……」

 はあっとため息を吐いたシンジは、あまりにもあからさまな結果に、怒る気力も無くしていた。

「でも、陸山会長も気を遣ってくれたんじゃ無いの?」

 そう言ってアサミを見たナルに、「きっとそうなんでしょうね」とシンジは投げやりな言葉を返した。気を遣ったというより、間違いなくこの方が生徒会が派手になってくれる。気を遣うことを口実に、より好みの方向にねじ曲げたとしか考えようが無かったのだ。

「それで、アサミちゃんが環境委員長をするの?」
「たぶん、副委員長が立つポストだから勤まると思ってくれたんじゃ無いですか?
 その方が先輩と一緒にいられる時間が増えますから、拒否する理由はありませんけどね」
「そうなると、副会長と副環境委員長が大変ね……」

 副委員長の方は、ほとんど委員長の仕事を代行することになる。ただ仕事が限られていることを考えれば、実のところ際だって大変になると言うことでは無かったのだ。
 その事情は副会長も同じで、もともとS高では生徒会長と言うのは名誉職の扱いでしかない。執行委員会の招集や生徒総会での挨拶、さらに言えば各種学校式典での挨拶という仕事はあるが、それだけなら大した負担とも言いがたかったのだ。その一部事務手続きの代行も、もともと副会長の職分になっていた。つまり陸山や校長が言うとおり、生徒会長と言うのはさほど重い負担で無いというのが現実だったのである。

「それで、副会長に立候補した滝川ヨシノさんってどんな人ですか?」

 候補者が乱立したほかの役員とは違い、副会長には一人しか立候補していなかった。それを考えると、シンジの補佐役として白羽の矢が立てられたことになる。つまり、それだけ補佐としての能力が買われたと言うことだ。ただ女性と言うこともあり、アサミが気にするのも仕方の無いことだった。
 そしてこの質問に答えられるのは、同じ学年のシンジ以外にはあり得なかった。滝川が女性と言うこともあって、ジャージ部全員の視線をシンジは集めることになった。

「どんな人って言われても、面識がまったく無いんだけどな……
 今まで応援に行った部活に所属していたって話も聞かないしね。
 学年の女子のことなら、柄澤に聞けば分かると思うけど……」
「碇君ってさぁ、彼女が欲しいって言ってた割に、女の子のチェックをしていないのね?
 それって、やっぱり意中の人が居たからなのかなぁ?」

 アイリを念頭にからかったナルに、シンジは口元を歪めて「そんな余裕が無かった」と言い返した。

「1年目って、これ以上無いほどいろんな部活に送り込まれたじゃ無いですか。
 だから、本当に一日に余裕が無かったんですよね」
「でもさぁ、秋口ぐらいからは余裕ができてきたじゃ無い?」
「先輩は、レイちゃんに「彼女ができない」って零していたんですよね?
 もしかして、自分から告白するって気持ちは無かったんですか?
 告白してもらえるって……普通なら自意識過剰ですよ」

 ナルにからかわれることは、納得はできないが理解はできることだった。だが恋人にまで言われるのは、いったいどう考えたらいいのだろうか。う〜むと悩んだシンジは、もう一度爆弾を利用することにした。

「ほら、一度告白したけど、相手にされなかったことがあっただろう。
 だから、自分から告白することに臆病になっていたのかもしれないね」
「なるほど。
 マドカちゃん、あなたってつくづく罪作りな女なのね」

 新たな燃料投下に、ナルは早速相方をからかうことにした。いい加減慣れても良さそうなのに、マドカは顔を真っ赤にしてあうあうと喘いでくれた。そしてこの爆弾に、新入部員のユイが早速食いついてきた。

「なんと、碇は遠野先輩に振られていたのか!」
「ユイちゃんユイちゃん、振ったというのよりもっと質が悪かったのよぉ」

 口元をにやけさせたナルは、ちょいちょいとユイとアキラを手招きした。他の部員は知っていることなので、二人にも情報を共有しようと言うのである。

「マドカちゃんはね、碇君に「付き合ってください」って言われたときに、
 「今日は遅いから明日ね」って答えたのよ。
 練習に付き合うってのと、盛大に勘違いしてくれたのよ。
 そこで勘違いしていなければ、今頃碇君の彼女はマドカちゃんだったのにねぇ」
「しかし、それは碇の方にも問題があるんじゃ無いのか?
 一言「好きです」を頭につけていれば、遠野先輩でも勘違いはしなかったと思うが?
 碇、そのあたりはどうなのだ?」

 遠くの方で跳ねていたボールが、なぜか自分の方へと跳ね返ってきた。ただこの程度のことは、シンジにとって想定の範囲だった。それもあって、とても冷静に「言ったんだけどなぁ」と新たな爆弾を炸裂させてくれた。

「でも、まともに聞いてくれていなかったみたいだね。
 思いっきり勇気を振り絞った結果だから、しばらく臆病になっていたんだよ」
「ほんと、つくづく罪作りな女なのね、マドカちゃんって……」
「逃した魚は大きかったとも言いますね」
「みんなでさぁ、そうやって私のことをいじめる?」

 しくしくと泣き真似をして、マドカは「勘弁して」とお願いをした。

「それで、結局滝川さんってどういう人か分からず仕舞いなんですか?」
「いちいち聞きに行くことじゃないと思うしね」

 もしもそんな真似をしたら、別の問題を引き起こすことになりかねない。ひときわ行動に自制を求められることもあり、シンジはとりあえず疑問の解消を先延ばしにすることにした。その裏には、そのうち悪友様がいろいろと教えてくれるだろうと言う期待があったのだ。

「じゃあ、僕は弦楽部にいって学園祭の出し物を練習してきます。
 それから、今度の日曜はヒ・ダ・マ・リの収録がありますからね。
 今回は河川敷の清掃ですから、まあ、前みたいな事にはならないでしょう」
「日曜日は、ヘラクレスの訓練が入っていたのでは無いか?」

 すかさず口を挟んだユイに、「そっちは午後」とシンジはダブルブッキングで無いことを説明した。

「い、いや、時間がずれている事は理解しているのだが……
 我々は、ギガンテスの迎撃に力を向けるべきでは無いのか?
 そのための訓練を、片手間で行うのは間違っていると思うのだが……」

 そこで断言できないのは、目の前に居るのが「世界の英雄」だからと言うことになる。訓練を優先すべしと言うのは、間違いなく正論には違いないだろう。だが全く経験の無いパイロットが、豊富な経験を持つパイロットに、訓練が不足していると指摘するのは、明らかに分をわきまえない行為に違いない。それもあって、さしものユイも断定をすることはできなかった。
 それでいいのかと言う問いかけに対して、シンジは少しだけ考えてから「たぶん」と言う曖昧な答えを返した。

「本当は、いろいろと必要な訓練があるんだけどね。
 でも、今の日本基地じゃ設備的にできないのが沢山あるんだよ。
 そのあたりは、後藤さんが手配をしてくれているよ。
 だから当面の訓練は、シミュレーターが中心になる。
 基本的にそれだけだから、あまり時間がかからないんだよ。
 それに、基地に行くことだけが訓練じゃ無いんだからね」
「うむ、私も合気道部に行くぐらいだからな。
 肉体と精神を鍛えることも、立派な訓練に違いない!」

 とりあえずユイが引き下がってくれたので、シンジは校外ボランティア活動のリーダーに「任せる」と声をかけた。

「ああ先輩、準備の方は完璧にできて居るぞ!
 今回の参加者は、今までで最多の60人となっている。
 後は、一般の人たちからも、参加できないかと問い合わせもきているな。
 そちらの方には、遠慮して貰うように話がしてあるぞ!」

 立場を考えれば、一番時間が自由になるのはキョウカだった。それもあって、シンジは仕事の多くをキョウカに任せることにした。意外と言っては可哀想なのだが、予想以上にそつなく役目をこなしてくれた。
 えっへんと相変わらずジャージ部一豊かな胸を反らし、キョウカは自分の差配がうまく行っていることを自慢した。ちなみに見た目でユイの方が大きく見えるのは、二人の身長差が物を言っていた。

「それから先輩、ジャミングは花澤となんとかと言った新人アイドルユニットだけ参加だそうだ。
 アイドルユニットは、ほら、前にも来ていたはずなんだが……」
「ええっと、確かティアラだったかな?
 大津君、ティアラって知ってる?」

 誰だったかと思い出したシンジだったが、相変わらずテレビで見た記憶が浮かんでくれなかった。本当なら出ていたはずのヒ・ダ・マ・リも、この騒ぎのせいで放送を見逃していた。だから一番知っていそうなアキラに水を向けたのである。

「ティアラ……ですか?
 すみません、三次元はあまり興味が無くて……」
「大津、お前はオタクだったのか?」

 少し驚いたユイに、「違います」とアキラはすぐに言い返した。

「三次元が怖かったから、二次元に逃げていただけです。
 でも、二次元の方が面倒が無くていいんですよね。
 どうです碇先輩、一度二次元の良さについて教えてあげましょうか?」
「いやっ、そう言うのは柄澤で間に合っているから」

 買えないはずの18禁のゲームをやらされたが、少しもおもしろいと思えなかった過去がある。しかも、こんこんと二次元の良さを説明されたこともあった。

「でもさぁ、もう花澤君の宣伝にならないのに、よくボランティア活動を続けるわね?」

 話をヒ・ダ・マ・リに戻したナルに、「開き直ったんでしょう」とアサミが答えた。

「結局、どれだけ視聴率が取れるのかが全てですからね。
 ジャミングだけが先輩達をテレビに引っ張り出している。
 その実績があるから、やめられなくなったって所でしょうね。
 前回の公園掃除の回は、記録的な視聴率になったって話ですよ」
「薄桜隊全員参加で討ち死にしたけど、それでもいいってことか」
「むしろ、花澤が「碇先輩」って擦り寄ってくるんじゃありませんか?
 部活の先輩後輩って立場を、今まで一度も壊していませんよね?
 先輩より一つ下なんだから、多少見栄えが悪くても言い訳が付きますしね」

 ジャミングにとって、このコネクションは最大限に活かすべきものとなっている。それを考えると、今までのようにツーショットを避けてばかりはいられない。むしろ積極的に関係者だと売り込むことが、これからの薄桜隊のためにもなってくると考えてもおかしくない。

「まあ、何れにしても今までどおりゴミ拾いをするだけだよ。
 篠山、なにか困ったことがあったら相談してくれればいいからな」
「うむ、任せておいてくれ!」

 そう言って胸を叩くところは、未だ男らしさが残っているというところか。ユイと言う悪い手本まで増えてしまったので、キョウカのお嬢様計画は一歩後退したのかもしれない。もっとも、それはシンジの責任で無いのは確かだろう。だからそれ以上こだわらず、シンジはいつも通りに助っ人に出ていったのだった。







続く

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