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 2次テストの日程は、週が明けた水曜日に発表された。間髪おかずに発表された日程は、日本中の熱狂を更に加熱させるものになっていた。何しろここで適性が認められれば、日本に新たなパイロットが誕生することになるのである。その記念すべき日が決められたのだから、騒ぐなという方が無理な相談だった。
 発表された日程では、2次テストは同じ週の土曜に行われることとなった。本来教育的配慮を考えると、学業に影響のでない日を選ぶべきだろう。だが一番遠い鹿児島からの移動時間を考えると、どう頑張っても影響を免れることはできない。それもあって、比較的影響の少ない土曜の午後とされたのである。

 日程発表を受けて、S高が騒然とした空気に包まれるのは無理もないことだった。何しろS高からは、4人も一次選考をクリアしていたのだ。そのまま4人が二次選考もクリアすれば、母校から4人のパイロットが誕生することになる。しかもその4人がS高生なら誰もが知っている4人ともなれば、盛り上がるなと言うのが無理な相談だった。
 そんな状況で試験当日を迎えれば、盛り上がりがピークに達するのも当然だろう。テストを受ける当人達が落ち着いているのに、その周囲がどうしようもなく興奮していたのだ。

「なにか、回りの方が盛り上がってない?」

 至る所で激励された事もあり、部室に現れたマドカとナルは「凄すぎる」と驚きを隠せなかった。そして同じような目に遭ったシンジも、「そうですね」と素直に頷いた。

「そう言う事なので、アサミちゃんを救出に行ってきます」
「そうね、あっちは凄く大変なことになっていそうだから……」

 自分達でこれなら、アサミがどんな目に遭うのか想像が付くというものだ。本気で救出に行かないと、部室にたどり着くことも出来ないだろう。

「でも、緊急全校集会が無くて良かったわ」
「全くです……」

 そんな大げさなことはまっぴらごめん。マドカの言葉に心から同意したシンジは、アサミ救出のために部室を出ようとした。だがまさにシンジが扉に手を掛けようとした瞬間、ドアの方から勝手に開いてくれた。

「お〜い、アサミを救出してきたぞ!」

 そう言って顔を出したのは、見た目だけならすっかりお嬢様に見えるキョウカだった。そしてその後ろには、やはりと言うか、ふくれっ面になったアサミが立っていた。

「今日も、先輩は助けに来てくれませんでしたね」
「い、いやっ、今から助けに向かう所だったんだけど……」

 シンジの立場なら、部室に来る前に助けに行くべきだったのだろう。それを後回しにした以上、責められても仕方の無い所があった。そこを突かれると旗色が悪いので、シンジは功労者のキョウカを褒めると言う逃げを打った。

「しかし篠山、よくアサミちゃんを救出できたな」
「なぁに、俺に掛かれば簡単……と言いたい所だが、今日に限っては助っ人が居たんだ」
「助っ人?」

 誰? とシンジが首を傾げた時、「やあ」ととても気安く生徒会長の陸山が入って来た。話の繋がりから、キョウカの言う助っ人は生徒会長と言う事になる。ニコニコ笑いながら入ってきた陸山は、そのままの顔でとても剣呑なことを言ってくれた。

「なぁに、こちらも下心があるから礼はいらないよ。
 ところで、君達は全校集会で送り出して欲しかったのかな?
 まだほとんどの生徒が残っているから、緊急集会を開くのも吝かじゃないが?」

 悪びれもせずに、「下心」と言われると不気味としか言いようが無い。しかも遅れて入って来た田辺が、「人払いも完了した」と言うのだから、更に話が剣呑になってくる。一体なんですか? と言う疑問を押さえ、マドカは全面的に対応をシンジに任せることにした。こう言った面倒は、初めから適任者に任せるのが一番だと思っていた。

「じゃあ、碇君宜しく!」
「都合が悪くなると、全部僕に振るんですね」

 それは無いでしょうと文句を言ったが、喫緊の課題は陸山会長への対応だった。まともな用件で来たとは思えないので、さっさとお引取り願うのが吉だった。

「下心を聞きたくないので、お礼を言わせて貰います」

 ありがとうございますと頭を下げたシンジに、「今更それは無い」と陸山は笑った。

「色々とうやむやになる前に、碇君の同意を貰っておこうと思ってね。
 どうだい、生徒会長に立候補する決心は出来たかな?」
「会長、この状況を見てそれを持ち出しますか?」

 パイロットと生徒会長、二足のわらじを履くには重すぎる役目に違いない。だから「断る」と言うシンジの考えは、世間的にも真っ当だと言えるものだった。

「いや、この状況を見てお願いしているのだが?」

 だが受け取る方が納得しなければ、「駄目な」理由を主張しなくてはいけない。当然シンジは、駄目だと言う理由に事欠かないと思っていた。

「いくら何でも、パイロットと生徒会長、二足のわらじは履けませんよ」
「おやっ、もうパイロットになるのが決まったかのような言い方だね」

 軽く揚げ足をとった陸山に、シンジは笑いながら「そうでしょう」と言い返した。

「誰も、落ちるつもりでテストは受けませんからね。
 会長だって、これからの大学受験では落ちるつもりで受けないでしょう?
 それともなんですか、会長は僕達が落ちると決めているんですか?」

 だからだと言い返したシンジに、「なるほど」と陸山は頭を掻いた。

「てっきり、パイロットになるのが決まっていたからだと思ったよ」
「残念ながら、まだ決まったわけではありませんよ」

 シンジの答えに、陸山はうんうんと頷いて見せた。

「それで、生徒会長に立候補する件はどうなったのかな?」
「会長、僕の話を聞いていましたか?」

 たった今、「二足のわらじは履けない」と断言したばかりなのだ。それなのに、陸山はそんなことは関係ないかのように聞き直してくれた。「話を聞いているのか」、そう言いたくなるのも当然だった。

「なぁに、会長なんておよそ名誉職なんだよ。
 しっかりしたスタッフが居れば、大した手間は掛からないよ」

 会長自らそんなことを言って良いのか。そう突っ込みたいのを我慢し、シンジは客観的事実を持ち出した

「そりゃあ、会長には田辺先輩が居るからでしょう?
 その当ても無い僕に、しっかりしたスタッフ集めなんて無理を言わないでください」
「ああ、そっちの方なら心配しなくても良いよ。
 力のありそうなのを、一本釣りするつもりで居るからね」

 だから大丈夫と笑った陸山に、だったらとシンジは言い返した。

「その人を生徒会長に推薦すればいいじゃないですか?
 とにかく、今ですら僕は忙しすぎるんですよ。
 その上パイロットと生徒会長だなんて、絶対に無理としか言いようがありません!」
「だけどね、生徒会長と言うのは学校の顔なんだよ。
 君を差し置いて、生徒会長が務まりそうな生徒がいないんだよ」
「だから、時間的にも無理だと言っているんです!」

 何をどう言われようと、受けられないものは受けられない。絶対に駄目と否定したシンジに、だったらと陸山は、別の方面から攻めることにした。

「なるほど、正面からの説得は無理と言うことか。
 だったら、とっておきの方法を採ることにしようか」
「とっておき?」

 首を縦に振らせるとしたら、何らかの方法で脅しを掛けることぐらいだろう。だがそんな方法が、陸山にあるとは思えなかった。さもなければ泣き落としなのだが、もっと陸山がとりそうにもない方法だった。

「そう、とっておきだよ。
 どうだい、俺は君の秘密を知っている。
 黙っていて欲しければ、大人しく生徒会長に立候補することだっ!
 と言うのは?」
「すみません、ぜんぜん意味が分からないんですけど?」

 どうしていきなりそんな話になる。頭の上にはてなマークを2つほど浮かべたシンジに、「脅迫だよ」と陸山は物騒なことを笑いながら言ってくれた。

「秘密を守る代わりに、君に生徒会長になって貰う。
 今の君なら、立候補すれば間違いなく当選するからね。
 多分、選挙運動なんて面倒なことをする必要もないよ」
「脅迫って……そんなことを生徒会長がしても良いんですか?
 そもそも、僕には脅迫されるような覚えがないんですけど?」

 隠し事がないとは言わないが、それは陸山が持ち出すようなものではないはずだ。困った顔をしたシンジに、陸山は「与太話に付き合ってくれるかな?」と笑った。

「この後、昼食をとって基地に行くだけですから構いませんけど?」

 それで? と先を促したシンジに、「謎のパイロットのことだよ」ととても心臓に悪いことを陸山が口にしてくれた。

「日本政府が、秘密にしていると言うパイロットのことですか?」
「そう、日本中が探偵になっても分からない、秘密のパイロットのことだよ」
「その正体を知りたければ、生徒会長に立候補しろと?
 そんなものは、パイロット候補に登録されれば自ずと分かることですよ」

 それじゃあ脅迫にならないと答えたシンジに、そうだねと陸山は笑った。

「秘密のパイロットの正体を教えるというのは、脅迫ではなく取引だね。
 俺は、碇君を脅迫すると言ったんだよ。
 だから、この場合は「君達の正体をばらすよ」と言うのが脅迫材料と言う事になるんだ」
「僕達の正体?
 別に、ばらされて困るような正体は無いんですけど?」

 「面白いですね」と身を乗り出したシンジに、「面白いだろう?」と陸山も身を乗り出してきた。

「とりあえず、脅迫の手の内は明かしたことになるだろう?」
「ええ、脅迫が成立するとは思えませんけど?」

 動揺を毛ほども表さないシンジに、「大した物だ」と陸山は心底感心したような顔をした。

「君を見ていると、ますます生徒会長になって欲しくなったよ」
「でも、それは忙しすぎるからと断りましたよね?」
「だから、俺は君を脅迫することにしたんだ」

 にこにこしながら剣呑なことを口にした陸山は、「与太話の続きだ」と話しを続けた。

「いくつか、明確になっている事実を挙げることにしよう。
 まず第一の事実は、高知の奇跡が起こった日に、君達が郊外にある基地にいたことだよ。
 そして第二の事実は、その翌日、君は休日にも関わらず、制服で瀬名さんと歩いていた。
 ちなみに瀬名さんは、しっかりと私服を着ていたんだな。
 更に付け加えるなら、普段の君は休日に制服で出歩いているとのを目撃されていない。
 これが、高知の奇跡が起きた日に関する事実の羅列という奴だ。
 そこから推測されるのは、君はあの夜に自宅に帰っていないと言う事だね。
 そして瀬名さんも、それを不思議に感じていなかったと言う事だよ。
 これが、羅列された事実から整理されることの一つだ。
 そこから導き出される仮説として、君があのパイロットではないか言うものがある。
 その補強材料として、君が鷹栖さんの病院に通っていたと言う事実がある」
「事実の羅列から推論に至る所で、ずいぶんと論理の飛躍がありますね。
 適性が有るのは今回明らかになりましたけど、戦えるかどうかは別物だと思いますよ。
 そこを乗り越えないと、僕がパイロットと言うことにはならないでしょう?
 ちなみに、今まで僕は、ヘラクレスに関わったことは一度もありませんよ」

 論理の飛躍については、陸山も素直にシンジの言葉を認めた。

「確かに、今挙げた事実だけで君をパイロットと断じるのは無理がありすぎるな。
 鷹栖さんの病院に行くのが日曜と言うのも、君と篠山さんの関係を理由にすることが出来る。
 そしてもう一つ、どうして鷹栖さんの病院かと言う問題もあるな。
 と言う事で、更に事実の羅列をすることにしようか。
 ところで、時間の方はまだ良いのかな?」
「会長こそ良いんですか?
 僕は、面白そうな話になってきたから是非とも伺ってみたいんですけど。
 今後至る所で似たような話をされそうですから、その参考にもなると思いますからね」
「だとしたら、そのお礼代わりに立候補してくれても良いんだがな」

 すかさずシンジの生徒会長立候補に触れた陸山に、「まだ足りませんね」とシンジは笑った。この程度の話であれば、悩むことなく論破が可能なのだ。

「じゃあ、お代を稼ぐためにも話を進めようか。
 次なる事実の羅列として、君達がサンディエゴ、カサブランカの基地見学をしたことが挙げられる。
 ちなみに生徒会に居ると、その背景が若干ながら伝わってくるんだよ。
 自衛隊が、なぜ君達にそこまでの便宜を図ったのか、そして篠山さんの実家が協力的だったのか。
 君達が基地見学をしたと言う事実から、そう言った疑問点が浮かび上がってくるんだ。
 そして次なる事実として、君がアメリカ大統領に二度も会っているという事実がある。
 一度目はサンディエゴ、二度目はワシントンDCだ。
 もしかしたら三度目があるのかも知れないが、それは事実として確認されていないので除外する。
 そして更に言うのなら、君は国連事務総長にも会っているね。
 加えて、西海岸のアテナとデートしたという事実もあったね。
 以上の面会については、君達のレポートに写真付きで出ているから間違いないだろう。
 だとしたら、なぜ君達が世界的VIPと会えたのかというのが疑問としてあげられるんだ。
 そしてもう一つの事実として、カサブランカが大型の低気圧に襲われたというのもある。
 君達の日程と照らし合わせると、君達はカサブランカには予定通り入れないことになる。
 つまり、君達はあの事件の時に、現地にいた可能性が高くなるんだよ」
「凄いですね、疑問点はさておき、事実として全く間違っていませんよ。
 それでも、僕がパイロットであることを証明は出来ませんね。
 今回答が挙げた客観的事実を積み重ねても、決定的問題を乗り越えることが出来ません。
 残念ながら、僕はスーパーマンでもなんてもない生徒なんですよ。
 そして僕の特殊性とかを持ち出した時点で、証明は証明でなくなってしまいますよ。
 その時点で、全ての出来事がファンタジーになってしまいます」

 シンジの指摘に、確かにそうだと陸山も認めた。事実を積み上げた結果から導き出せる仮説は、シンジが現場近くに居たという所までである。そして現場近くに居たことと、パイロットあることは直ちに繋がるものではなかったのだ。シンジが言う「決定的問題」、それを乗り越えない限り両者は永遠に結びつくことはない。

「確かに、碇君の言う決定的問題を乗り越える事実は出てこないね。
 残念ながら、想像でもその方法は出てこないんだよ。
 だからまあ、俺も与太話と言わせて貰った所があるんだ。
 それでもう少し与太話に付き合って貰えるだろうか?」
「そろそろ、お腹が空いてきたんですけどね」

 テストまでは余裕はあるが、お腹の具合がそろそろ気になってきた。シンジの指摘に、確かにそうだと陸山は笑った。

「どうだい、一緒に何処かへ食べに行くのは?」

 そうすれば、話の続きをすることが出来る。陸山の誘いに、残念ながらとシンジは断った。

「アサミちゃんのお弁当がありますから、何処かというのは無いんです」
「あー、そうかっ、そりゃあ、確かに誘えないなぁ。
 しかし堀北さんの手作りお弁当とは、全く羨ましいね君は」

 おそらく、S高男子のほとんどが同じことを思っているだろう。それを口にした陸山に、「それだけは認めます」とシンジは笑った。

「だったら、もう少しだけ我慢して聞いてくれないかな?
 ただお願いなのは、見せつけるようにするのだけは止めて欲しいと言う事だ」
「そんな真似はしませんよ」

 それでと先を促したシンジに、「事実と言うより感想」と陸山は切り出した。

「日本の切り札、秘密のパイロットのことだけどね。
 明らかにアメリカの時には実力が向上しているんだよ。
 それを考えると、経験を積んだパイロットと言う前提が揺らぐ可能性が出てくる。
 高知はぶっつけ本番、アメリカは高知の経験とその後の訓練の成果が出ている……
 と言うのはどうだい?
 そうなると、決定的問題の一つが緩和されると思わないかな?」
「確かに、幾分緩和されるのでしょうね。
 ただ敢えて事実を外した所に会長の誘導がありますね。
 マスコミもそうですが、躍起になってパイロットを探していましたよね。
 僕達が基地に行ったのは、高知の後は日曜のテストだけしかないんです。
 アメリカでも、シミュレーターには乗せて貰いましたが、それ以上の事はしていませんよ。
 まあ、こっちは証明が出来ないので、証拠としては使えないでしょうね。
 それでも言えるのは、アメリカで訓練を積んだとしても、1週間にも満たない時間なんです。
 会長が口にした、訓練の成果が出るには短すぎる時間ですね」

 感想という不確かなものを持ちだした陸山に、シンジは更なる事実の積み上げを行った。

「確かに、君の言うとおり訓練には短い時間でしか無いね。
 と言うことで、更に感想というやつを言わせてもらおうか。
 高知の奇跡の時のことなんだが、フロントに立ったパイロットは特徴的な構えをした。
 どこかで見たと思って運動部を回ってみたら、それがレスリング部のものだと判明した。
 君は確か、レスリング部にも顔を出していたね」
「それを持ちだしたということは、次は体操部ですか?」

 感想の意図が分かるので、シンジは陸山に先回りをすることにした。

「その通り。
 あのパイロットは、何度も空中でひねりを入れたりしているんだ。
 その辺りの動きは、うちの体操部で観察することができたんだよ」
「で?
 まさかうちの体操部とかレスリング部が特殊とか言いませんよね?」

 もしもそうだとしたら、酷いこじつけになってしまう。さすがにそれは無いと指摘したシンジに、陸山も苦笑してその言葉を認めた。

「もしかしてと思ってテレビで見てみたら、みんなおんなじ格好をしていたよ」
「陸山会長って、実は面白い人だったんですね」

 ふっと口元を緩めて笑ったシンジに、「光栄だね」と陸山は言い返した。

「どうだい、なかなか興味深い論理の構成だとは思わないか?
 これをうまく広めれば、何人かは騙されてくれる人がいるとは思わないか?」
「絶対に解けない問題、それを知らなければ騙される人も出てくるでしょうね。
 でもその問題を除外すると、実は誰でも謎のパイロットに仕立て上げることができますよ」
「ちなみに、参考までにその”絶対に解けない問題”と言うのを教えてくれないか?」

 少し身を乗り出した陸山に、「分かっているくせに」とシンジは言い返した。

「僕達ジャージ部は、あの日初めて郊外の基地に入ったんです。
 それまで、ヘラクレスと言うのはテレビとかでしか見たことのないものだったということです。
 その僕達が、初めてヘラクレスを見た日に、西海岸のアテナや砂漠のアポロン以上のことが出来るのか。
 もう一つ上げるのなら、ヘラクレスは日本の自衛隊が管理しているものだということです。
 強奪して乗り込むというのはあり得ないし、基地の人が僕達を戦わせようとは考えないと言うことです。
 よほど昔の漫画やアニメのような設定でもない限り、
 偶然居合わせた僕達がパイロットにはならないと言うことですよ。
 そもそも、会長の立てた仮説は、あまりにも結論から理由を導き出し過ぎています」

 たまたま遊びに来た高校生を戦わせるというのは、今の自衛隊では絶対にありえないことだった。それを覆すには、様々な理由を突きつける必要がある。背に腹は代えられない状況だとしても、賭けにもならない愚策でしか無かったのだ。

「なるほど、確かに君の言うとおりなのだろうね。
 と言うことで、僕としては碇シンジくんの能力評定を終わらせてもらうことにしようか。
 うん、君ならば、立派にパイロットと生徒会長の両立をすることが出来るな」
「あーっ、こっちの話も途中でもの凄く論理が飛躍していませんか?」

 まともに考えて、両者が両立できることを誰も証明してくれていない。論理の飛躍どころか、陸山の言葉はこじつけでしかなかったのだ。

「そうかな、俺には当たり前の結論に思えるんだ。
 ああ、そうそう、生徒会長ってのは、立候補者がいなければ指名することも出来るんだよ。
 申込期限までに立候補者がいなければ、俺が有望な生徒を指名することになる。
 そして選挙で、信任投票を行なって選出されることになるんだなぁ。
 もひとつおまけに言うのなら、立候補者が一人の場合は信任投票ということになる。
 そこで不信任とされれば、再度選挙が行われることになるんだよ」

 ここでそれを持ちだしたのは、陸山はシンジを推薦すると考えていると言うことになる。陸山を思いとどまらせるためには、生徒会長とパイロットの両立ができないことを、シンジが立証しなくてはいけなくなる。つまり、立証責任のありかが逆転したことになるのだ。ちなみに忙しすぎると言う問題については、有能な補佐を置くと言うことで否定されている。

「そう言う裏技を使ってきますか?」
「俺としても、後任の生徒会長をつまらない奴にやって欲しくないからな。
 これと思って目をつけた、一番いいと思う奴にやって欲しいじゃないか。
 それに君を生徒会長にするためなら、うちの奴らは協力を惜しまないと思うぞ。
 個人的希望として、卒業式はぜひとも君に送り出してもらいたい。
 遠野さん、君もそうは思わないか?」
「じ、ジャージ部部長としては、そう思うけどね……」

 完全に傍観者になっていたマドカは、いきなり話を振られて飛び上がって驚いた。

「それから堀北さん、君の恋人は生徒会長ぐらいは簡単に両立できる人だろう?」
「私との時間が減りますから、残念ながら賛成できませんね」

 恋人と言う反則技を持ちだして、アサミは陸山を返り討ちにした。そうすれば、能力を否定せず、両立を反対することが出来る。

「う〜ん、見事な返し技と言うところなんだけど……
 だったら、君も生徒会役員になればいいんじゃないのかな?」
「生徒会役員と言うのは、会長と二人きりの時間が出来るんですか?
 つまり陸山会長は、今の生徒会でそういう事をしているんですね。
 まさか陸山会長って、こっちの人ですか?」

 そう言って、アサミは右手を開いて手の甲を左側の頬に当てた。

「おいおい、そう言う決めつけは、ジロウにしてくれないかな?
 少なくとも俺は、男相手はまっぴらだと思っているんだ」
「まずそこで、田辺先輩の名前が出るのがおかしいと思いませんか?
 しかも陸山先輩は、副会長じゃなくていつも総務委員長と歩いていますよね」

 隠さなくてもいいですよ。そう言って口元を歪めたアサミに、陸山は「降参」とあっさり認めた。

「なるほど、君達カップルはとても手強いね。
 ただ、立候補者が居なければ、僕が勝手に推薦すると言うのは本当のことなんだよ。
 誰かが会長に立候補するのを神にでも祈っていてくれないかな?」
「つまり、立候補者が居なければ、会長は僕を推薦すると言う事ですか……」
「個人的希望でそうすると言ったはずだろう?
 なぁに、いざとなれば人間時間なんてどうとでも作れるものだよ。
 しかも、パイロットと違って、こっちは1年間限定だからな」

 そう言う事だと笑って、陸山は相方に目配せして立ち上がった。必要なことは話したし、これ以上の進展は無理だと判断したのだろう。さもなければ、あまりシンジ達の時間を使ってはいけないという配慮かもしれない。

「忙しい所邪魔をして悪かったね。
 夜のニュース、楽しみにしているよ。
 ああ、そうそう、緊急全校集会だけどね。
 週明けの月曜に開くから楽しみにしていてくれ」
「それって、結構気が重いんですけど……」

 はあっと大きくため息を吐いたシンジに、「必要なコストだよ」と陸山は指摘した。

「パイロットになると言う事は、それだけ重大なことと言う事だ」
「ええ、きっとそうなんでしょうね……」

 そう言って立ち上がったシンジは、「ご苦労様」と陸山達を見送ることにした。

「お願いですから、立候補者が出ないように工作するのはやめてくださいね」
「俺は、結構手段を選ばないんだよ」

 そう言い返した陸山は、「邪魔をしたね」と言い残してジャージ部部室を出て行った。その後ろ姿を見送ったシンジは、振り向いた所で人差し指を唇に当てた。そして陸山が座った場所の、机の裏を覗き込んだ。

「先輩達は、お昼はどうするんです?」
「売店で買って来てあるわよ」
「篠山は?」
「俺か、俺は自分のを持ってきたぞ」

 それをふ〜んと聞きながら、シンジは次にアサミを呼び寄せた。そしてぐるぐると周りを回って、何か付けられていないのかチェックした。アサミなら触っても大丈夫と、簡単な身体検査も自分でやった。次にキョウカを呼び寄せ、ぐるぐると回ってから何かを付けられていないのかチェックした。

「先輩だったら触っても良いんだぞ」
「いや、そっちはアサミちゃんに任せるよ」

 ちぇっと舌打ちをしたキョウカに、「行儀が悪い」とシンジはすかさず注意した。

「とりあえず、何も付けられていませんでした」
「意外に、常識的だったのかな?」

 それを机の下を指さしながら言ったシンジは、アサミは陸山の用件を蒸し返した。

「それで先輩、生徒会長の件、どうするんですか?
 どうしても押し付けられるんだったら、私も何かに立候補しますよ。
 その方が、先輩と一緒に居られる時間が長くなりますからね」
「アサミちゃんが立候補したら、本当に僕が逃げられなくなるよ……」

 まったくと、シンジは陸山の嫌らしい作戦に呆れていた。

「しかも、僕達の秘密だなんて……
 身近な人間を正義の味方にするのは、はっきり言って中二病だよ。
 まさかうちの生徒会長が、中二病患者だとは思わなかったよ」
「ところで先輩、中二病とはどんなものなのだ?」

 誘導したキョウカの質問に、「そうだな」とシンジは少し説明を考えた。

「直ってから思い返すと、恥ずかしくて自分の過去を消し去りたくなる病気かな?
 やたら難しい漢字を組み合わせた用語を使ったり、
 何かの陰謀とか、神様とか悪魔とか言い出したりするんだ」
「そうか、だったら俺の友達も中二病だったのか?
 やたら難しい当て字をして旗とか作って居たな」

 その頃のことを思い出したキョウカに、「外れてはいないが」とシンジは口元を歪めた。

「それは、ただ単に頭が悪いことを隠したかっただけだろう。
 難しい当て字とか、画数の多い漢字とか使って、格好良いって勘違いをしていたんだよ」
「うん、確かにあいつらも頭が悪かったな!」

 はっはと笑ったキョウカは、「今日は頑張ってくれ」と少し偉そうな激励の言葉を口にした。

「篠山、そこは可愛く「先輩、頑張ってくださいね」って言わないと萌えないぞ。
 偉ぶったお嬢様なら、「私のために頑張りなさい」ってところかな?」
「う〜ん、お嬢様と言うのは奥が深いものなのだな」

 よく分からんと首を傾げたキョウカは、シンジにどっちが好みかを聞くことにした。

「先輩は、どっちが好みなのだ?」
「言っただろう、僕は可愛く言って欲しいんだよ」
「だがな、それだとアサミとキャラが被るからなぁ」
「心配するな、見た目は全く被っていないぞ」

 そう言う事だと話を打ち切った所へ、マドカとナルがパンをカバンから出していた。思ったより少ないのは、多少ダイエットを気にしているのだろうか。

「じゃあ、これからお昼にして、気合いを入れて基地に行きますか」
「そうね、ここまで来たら絶対に合格しないとね」

 気合いを入れた所で、結果が変わらないのは全員知っていた。ただ、シンジに口裏を合わせ、聞き耳を立てている相手に煙幕を張っただけのことだった。生徒会長対ジャージ部部長代理、当面の知恵比べはジャージ部部長代理の勝利と言うことだった。



 その頃陸山は、相方の田辺と一緒に生徒会室に戻っていた。にこにこと機嫌がよいのは、ジャージ部訪問に意味があったと言う事だろう。

「どうだいジロウ、彼は僕が言った通りの男だっただろう」
「ああ、ムネが好きそうなタイプと言うのはよく分かったよ。
 なかなかどうして、年下とは思えない余裕があったね。
 だけどムネ、彼が例のパイロットと言うのはさすがに飛躍し過ぎじゃないのかな?」

 すでに、各方面からジャージ部の身柄は洗われている。そこまでしても何も出てこなかったのだから、被疑者としてはシロとしか言いようが無かったのだ。それを独自の理論で陸山はパイロットと決めつけたのだが、当然のように論破されてしまった。しかも動揺の欠片すら見られないのだから、こちらの方面でもシロだった。
 だから飛躍し過ぎという田辺の言葉に繋がるのだが、「そうかな」と陸山は両肘を机について口元で手を合わせた。

「俺の心象的には、間違いなくクロなんだよ。
 それは、彼と話をしてみてなおさら強まったんだ」
「だけど、彼が言った絶対に解けない問題と言うのがあるだろう?
 それが説明出来ない限り、ムネの思い込みでしか無いんじゃないのか」

 ど素人の高校生を、ヘラクレスに乗せて戦いに出す。高知の状況では、出撃は死と直結するものだった。それを考えれば、いくら窮していても選択できる方法ではあり得ない。それならば、よほどサンディエゴに居た候補者を送り込んだ方が可能性が高かったのだ。
 そしてそれは、全てのマスコミ、軍事評論家が口を揃えたことだった。特別な根拠なしにそんな真似をすれば、間違い無く責任問題に発展する。それ以前に、発案した時点で正気を疑われることになるものだった。

「確かに、状況証拠をつなぎ合わせると、シロ以外の何ものでもないんだよな。
 だけど、俺の心象的には間違いなくクロなんだよ。
 そもそも、ギガンテスってのに、常識を当て嵌める方がどうにかしているんだがな」
「それは、酷い開き直りだね。
 ギガンテスに常識が当てはまらないとしても、自衛隊には常識が当てはまるんじゃないのかな?」
「そうなんだよなぁ、そこがどうしても乗り越えられないんだ。
 だからちょっと送信機を置いてきたんだが……」

 つまり、盗聴器を仕掛けたと陸山が白状したのである。それはまずいと、さすがに田辺は慌ててしまった。盗聴行為は、お互いの信頼関係を損なうし、れっきとした犯罪だった。少なくとも、生徒会長のやって良いことでは絶対に無かった。

「おい、すぐにジャージ部に行って謝って回収して来いよ。
 そうしないと、冗談では済まないことになるぞ」
「残念ながら、もう見つかっているよ。
 気付かないふりをして、しっかりと俺のことを挑発してくれているよ。
 間違っても、俺は中二病なんかじゃないんだけどなぁ」

 面白いと言う顔をした相方に、田辺は心底呆れたというようにため息を吐いた。そして上辺だけ黒縁の眼鏡を押さえ、「似たもの同士だな」と二人を評した。

「だろっ、だから彼には生徒会長になって貰いたいんだ。
 来年のS高の顔として、彼以上の人材が見つからないんだよ。
 なぁに、ジロウみたいなのを付ければ、会長なんてほとんどやることはないからな」
「頼む、俺に向かってそう言うのはやめてくれないか。
 なにか、どうしようもないほど俺がお人好しに思えてしまうんだ」

 押し付けられて黙っている。それどころか、喜んで押し付けられているようにも聞こえてしまうのだ。だからそれは嫌だと田辺は主張したのだが、あいにく陸山はまともに受け取ってくれなかった。

「なあジロウ、2年生に誰か該当する優秀な人材は居ないか?」
「俺みたいにお人好しでか?」

 ちくりと嫌みを言った田辺だったが、残念ながら陸山はそれを嫌みとして受け取ってくれなかった。「そこまでは望まない」と大まじめに受け取り、事務能力の高い人間だと能力条件を付け加えた。「俺みたいに」と言う部分は、一度も否定していなかったのだ。

「鎖部君あたりが堅実そうなんだけどね。
 ただちょっと、頭が固いかなぁってところがあるな」
「今の役員で、持ち上がりは居ないかなぁ」
「ちょっと難しそうだね。
 さすがに、2年連続でお飾りの生徒会長を支えさせるのは可哀相だよ」

 ちくりと嫌みを言い返した田辺に、陸山は「う〜ん」と考え込んだ。いないという事実だけに反応し、自分への嫌味は全く気にしていなかった。

「だったら、優秀な奴らをつり上げる餌を考えるか」
「今の2年だと、碇君がパイロットと生徒会に謀殺されるのを喜んでいるんじゃないのかな?
 そうすれば、ライバルが一人脱落するからね」

 嫌みが通じないのは毎度のことと、田辺は求められた質問への答えを返した。だが田辺の指摘に、「甘すぎる考えだ」とシンジの成績が落ちることを陸山は笑い飛ばした。

「彼が、その程度で成績が落ちる玉のはずがないだろう。
 忙しい方が、かえって成績が上がるんじゃないのか」

 そう言って笑った陸山は、だったらと「餌」の方向を考える事にした。餌としては、下心を刺激するのが一番いいのだろう。

「やはり、堀北さんを餌にするのが一番良さそうだな。
 碇君と彼女で、男女両方への極上の餌になってくれるだろう」
「堀北さんには、どんな役職で立候補して貰うんだい?」

 こちらもまた名誉職となるため、当て嵌める役職が難しくなる。その意味での質問に、陸山はあっさりと「環境」と返してくれた。

「総務と同じで、環境も下部に委員会を持つだろう?
 だったら、優秀な補佐を付ければ問題なく運営されるだろう。
 なあに、ジャージ部は、別名ボランティア部と言うぐらいだから、そこに協力させれば良いんだよ。
 どうせ、他校から編入してくる二人もジャージ部に入るんだろう?」
「考え方的には、反対する理由はなさそうだね。
 だとしたら、堀北さんにネゴをしておく必要があるな。
 だが、碇君にばれないように、どうやって堀北さんに話を通す?」

 相手の注目度を考えれば、生徒会長への立候補者を出さないことより難易度が高い。「難しいよ」と指摘した田辺に、陸山は「良い方法があるんだ」と口元を歪めた。

「何のために、レイちゃんのメアドをゲットしたと思っているんだ?」
「なるほど、彼女ほど打って付けの人材は居ないだろうな」

 彼女ならば、教室でも隣に座っているのだ。ばれないように示し合わせるのに、これ以上適任者は居ないだろう。そして結構ノリが良いのを田辺も知っていた。

「と言うことでジロウ、俺たちは文句を言わせないサポートスタッフを集めることにしよう」
「つくづく、お前に見込まれた碇君が可哀相に思うよ」

 そうは言ったが、田辺も反対するつもりは毛頭無かった。色々と言ったが、一度もシンジを生徒会長にすることへの反対は口にしていなかったのだ。

「じゃあムネ、お前は碇さんに話を付けてくれよ」
「ああ、ようやく面白いことになってきたな」

 高校生活を総括する意味で、これ以上面白いことはない。陸山は、どう外堀を埋めていくか、そのことに頭を巡らせたのだった。



 カテゴリーAにランクされた候補者への記者会見は、午後3時からS市郊外のヘラクレス基地で実施された。3時半からシミュレーターを使用するテストを行うので、報道陣に与えられたのは僅か30分と言う時間だった。そしてその短い記者会見に、内外合わせて100社以上から人が集まった。
 記者達の前に、6人はそれぞれの制服を着て並んだ。順番は、向かって右からS高の4人、マドカ、ナル、シンジ、アサミの順となっていた。そしてその隣に、高村ユイが並び、一番端に大津アキラが座る形となった。中心に一番目立つ二人が座ったため、どうしても関係者の視線はシンジとアサミに向けられてしまった。

「本来テストに臨む前の抱負を質問する所なのですが、時間が短いため割愛させていただきます」

 そう前置きをしたのは、ある新聞社を代表した一人の記者だった。与えられた時間が短いため、彼らの意見を集約し、効率を図ろうとした結果だった。

「そして狙い撃ちをするようで申し訳ありませんが、S高の方に伺います。
 正体の明かされていない民間協力者ですが、あなたたちではないかと噂されています。
 そのことについて、ご意見を伺わせてください」

 やはりと言うか、記者達の関心は正体の明かされていないパイロットだった。そのあたり、使い物になるのかどうか分からない候補者より、より世間の関心が高かったのだ。
 そしてその質問を受けたマドカとナルは、お前が答えろとばかりにシンジを指さした。予想通りの反応に、シンジはしっかりと顔をひきつらせた。そしてマイクを引き寄せ、用意してあった否定の答えを口にした。

「S高2年の碇シンジです。
 先輩達から押し付けられましたので、僕から答えさせていただきます。
 実は、ここに来る前に、似たようなことをS高の生徒会長にも追求されました。
 お前達の秘密をばらされたくなければ、生徒会長に立候補しろと。
 その秘密というのが、僕達が秘密にされているパイロットだろ言うものでした。
 彼は、それはもう、詳細な事実を積み上げて迫ってくれたんですけど、
 どうしても越えられない壁の前に敗れ去ってくれたんです。
 そう言う意味では、ここでも同じことを疑われるのかと呆れているのが一番の感想です。
 僕達はここに作られた施設を見学するまで、ヘラクレスを間近に見たことはありませんでした。
 ましてや、秘密の訓練を受けたこともありません。
 そのことは、S高に通う仲間達が証明してくれると思います。
 何しろ、僕はS高に入学してから、ほぼ毎日のように何処かのクラブに顔を出していましたからね。
 そう言う事なので、噂されるのは光栄ですが、いささか僕達には荷が重いことだと思います」
「それでは、サンディエゴ、カサブランカ両基地を訪問したことはどうなのでしょうか?
 懇親会には、西海岸のアテナ、砂漠のアポロンも出席したと聞いています」

 一般高校生相手に、両基地がそこまで配慮する必要がない。そこを追求した質問に、シンジは顔色一つ変えず、質問する相手を間違えていると答えた。

「両基地の見学は、部長の知人の紹介です。
 なぜ紹介してくれたのかは、その人に聞いてくださいとしか言いようがありません。
 それからアスカさんに会った事にしても、あちらに聞いてくださいとしか言えません。
 推測をするんだったら、紹介してくれた人がサービスしてくれたんでしょうね」
「カサブランカも同じと言う事ですね?」
「そう言う事です。
 僕達は、決められたスケジュールに従って行動しただけです。
 だから、基地以外にもロサンゼルスで堀北マサキさんのブティックにも行きましたし。
 ニューヨークでは、国連見学やミュージカルを見に行きました。
 モロッコでは、いくつか世界遺産の見学にも行きました。
 基地見学というのは、全体日程の中でもさほど多くはなかったんです」

 基地見学の質問をやり過ごしたシンジに、その記者は、日曜に行われたテストのことを持ちだした。

「同じ日に受験した人の話では、あなたたち4人が贔屓されていたと言う事ですが?」
「そう言う声があったのは気付いていました。
 ただ、その責任を僕達に持ってきて欲しくないというのが正直な気持ちです。
 回りから白い目で見られるのは、かなりストレスが溜まる事だったんですよ」
「では、どうして回りから贔屓されているように見えたのですか?
 なにか、その理由に思い当たることはありませんか?」

 これからテストを受ける前のパイロットに対して、今の質問は失礼としか言いようの無いものだろう。本来答える筋合いのない質問なのだが、シンジは真面目に答えを考えて、正確には考える振りをしたのだが、「多分」言ってその理由を説明した。

「以前見学していることもあって、顔見知りだと言うのがあると思いますよ。
 それからもう一つ、多分こちらの方が大きいと思うんですけど、
 僕の隣に座っている堀北アサミさんが大きな理由になっていると思います。
 何しろ、サンディエゴやカサブランカでも、堀北さんは大人気でしたからね」

 ここでアサミの名を出すのは、特別扱いへの疑問を意味のないものにするものだっただろう。未だに人気が衰えていないのは、自主製作映画の人気を見ても分かるのだ。そしてそう言う意味では、質問に答えているシンジも人気者だった。この二人が居る限り、それを持ち出すだけで特別扱いへの説明となってしまうのだ。

「では、あなたの考えを教えていただきたいのですが、
 なぜ民間協力者と言われるパイロットは、正体を明かさないのでしょうか?」
「僕の推測で良いと言うことですね」

 そうでなければ、本人に聞けと言う事になる。そしてその本人が分からないのだから、質問も出来ないことに繋がって来る。
 そう前置きをしたシンジは、「多分」と言って今の状況を理由として持ちだした。

「あまりにも、回りに騒がれるというのがあるのではないでしょうか?
 名誉欲とか自己顕示欲とかがなければ、表に出たいと思わないと思います。
 たかだか最初のテストを通った僕達でさえ、カメラを持った人が回りをうろつくようになったんですよ。
 おかげで今週の月曜から、デートもおちおち出来なくなってしまいました。
 サンディエゴではアスカさん、カサブランカでは渚さんに同じようなことを聞きました。
 二人とも、パイロットとしてとても高い意識をお持ちでした。
 ですが同時に、生活がとても不自由になっているとも仰ってました。
 それを分かっているから、正体を明かさないようにお願いしているのではありませんか?
 実際、僕達もテストに応募したことへの後悔も感じ始めています」
「後悔、ですか?」

 それは何かと言う意味で聞き返した記者に向かって、シンジはもう一度「後悔」と繰り返した。

「あまりにも回りの見方が変わってしまうと言うことです。
 一時的なものであって欲しいのですが、生活に落ち着きが無くなってしまいました。
 回りから注目され、追いかけられ、騒がれ、酷いストレスを感じるようになってしまいました。
 そもそも、こうして記者会見で質問されることも、酷いストレスとなっているんです。
 考えが甘いと言われればそれまでなんですけど、僕達が疑問に感じているのもご理解ください」
「仰りたいことはよく分かりました……」

 確かに、シンジの言う通り回りの騒ぎ方が尋常ではなかったのだ。それを認めた記者は、少し苦笑混じりにシンジの口にした「考えの甘さ」を指摘した。

「仰る通り、考えが甘かったのでしょうね。
 おそらくあなた方も、高知、ニューヨークとテレビにかじりついていたんじゃありませんか?
 この二つの戦いで、日本が非常に大きな注目を集めています。
 その日本でパイロットを目指すというのは、それだけ回りの注目を集めると言う事です」
「そのあたりは、分かっていたつもりだったんですけどね。
 それでも疑問なのは、僕達に何が求められているのかと言う事なんです。
 テレビとか新聞雑誌に出ることなのか、それともギガンテスを倒す事なのかと言う事です。
 真っ正直に考えれば、ギガンテスを倒す事が何よりも優先されると思うのですが……
 こうして回りの視線に晒され続けるのは、はっきり言って足を引っ張っていると思うんですよ。
 両基地で行った懇親会で、堀北さんの回りに人が集まったのも、彼らのストレスが理由だと思っています。
 実際、アスカさんや渚さんからも、生活が窮屈で仕方が無いと言われました。
 たまのオフにも、回りの目があって外に出てくつろぐことも出来ないと言われました。
 恋人を作ろうにも、出会いの場すら作れないって散々ぼやかれましたよ」

 ちくりちくりと嫌みを言われ、質問をした記者ははっきりと分かる苦笑を浮かべていた。もともと質問が悪いのだが、まさかこう言う展開に持って行かれるとは思ってみなかったのだ。
 ただ嫌みに苦笑を浮かべはしたが、大した物だとシンジを評価もしていた。「ヒ・ダ・マ・リ」での評判は知っていたが、まさかここまで落ち着いているとは思ってもいなかったのだ。質問で色々と突いて面白い答えを引き出そうと考えたのだが、それがあっさりと返り討ちに遭ってしまった。
 場慣れしている堀北アサミは例外としても、他の4人はしっかりと緊張している。特に端に座った二人は、それが顕著に顔に出ていたのだ。完璧な受け答えを含め、碇シンジと言う存在が別格だと誰もが理解したのだった。しかも心憎いのは、自分達の姿勢を理解することを口にしてくれたことだ。

「ただ、騒ぎたくなる気持ちもよく分かりますよ。
 友人が置いていった物ですけど、僕の家にもアスカさんの写真集があります。
 高知の奇跡では手に汗を握り戦いを見守りました。
 そして奇跡を目の当たりにして、大騒ぎをしたのも確かです。
 「凄いよお前達」と秘密になっているパイロットに言って見たい気も満々です。
 ああ、日本にはこんな凄い人達が居るんだって、自慢したい気持ちもよく分かります。
 だからその人達のことを少しでも知りたい、その気持ちを否定することはできないと思います。
 その気持ちに答えるため、皆さんが努力しているのも理解しているつもりです。
 それでも言いたいのは、まだ僕達は入口の前に立っただけだと言う事ですよ」
「貴重なお話をありがとうございます。
 では、時間もありませんので、最後の質問をしたいと思うのですが。
 これから行われるテストへの自信のほどをお聞かせ願えないでしょうか?」

 時計を見れば、確かに残された時間は短かった。それもあって、最後の最後にまともな質問が発せられたというところだろう。
 誰から話すのかと顔を見合わせた6人だったが、シンジがマドカを指さしたことで順番は簡単に決着した。ちなみに、この答えも事前に打ち合わせは済ませてあった。

「ええっと、やってやるぞという気持ちは満々です」
「ここまで来たんですから、受かりたいですよね」
「当然、受かるつもりで来ていますよ」
「私も、受かるつもりで来ています」

 その時アサミが、一瞬だけシンジに視線を向けたのを彼らは見逃さなかった。それもあったのか、アサミの時だけフラッシュとシャッター音が鳴り響いた。その状況で、全くの一般人が質問に答えるのは、たとえ短い言葉でも酷な物だった。そんな事情で、高村ユイは、なかなか言葉を発することが出来なかった。

「と、とととと当然受かるつもりで来ているっ!」

 顔を真っ赤にし、かなりの早口でユイは質問への答えを口にした。これだけ大勢の人を前に、緊張するなと言うのが無理な相談だったのだ。そしてその事情は大津アキラも同じで、何度も口を開こうとしたのだが、言葉がなかなか出てきてくれなかった。

「頑張ります、で良いと思うよ」

 それを見かねたシンジが助け船を入れ、アキラも何とか「頑張ります」と大声を上げた。多少会場から失笑が漏れたが、これで一通りの記者会見が終わったことになる。結局、最後の一言もS高、特にシンジとアサミの落ち着き具合だけが目立たせることになった。最後の一言を見れば、記者がシンジ達に質問を集中させたのも仕方の無いことだと分かってしまった。
 最後に全員が立ち上がり、取材に訪れた記者達に頭を下げた。そして誘導に従い、本番の試験会場へとゆっくりと出て行った。そこで、アサミに「気を使いすぎ」と言われる行動にシンジは出た。

「遠野先輩、高村さんに声を掛けてあげてください。
 僕は、大津君に声を掛けますから」

 あまりにも緊張する二人に、シンジは救いの手を差し伸べることを考えた。そこで同性同士が良いだろうと、ユイのことはマドカに任せることにした。そしてシンジの意を受け、マドカとナルは、顔を青くしたユイに近づいていった。

「ユイちゃん、緊張してたねぇ」
「あ、あの場面で緊張しない方がおかしいだろう!
 どうしてあのチャラ男は、あんなに平然としていられるのだ?」

 報道陣の目が無くなっても、未だユイの緊張は継続していた。それどころか、更に緊張が酷くなったようにも見受けられた。本番を前に、気持ちが高ぶるというより、怖気付いているようにも見えたのだ。

「でも、記者会見は終わったわよ。
 もうリラックスしても良いんじゃないの?」
「そ、そうは言っても、これから重要なテストを受けることになるのだ。
 こ、これで、緊張しなくて、一体どうしろと言うのだ?」
「でも、私たちは誰も緊張していないでしょう?」

 そうやってあっけらかんと言われると、どうしようもない理不尽さを感じてしまう。だからユイは、それがおかしいと言い返した。

「わ、私には、むしろ先輩達の方がおかしく見えるぞ。
 その証拠に、もう一人の男は私よりも緊張していただろう!」
「う〜ん、こんなもの、緊張してもしょうがないと思うんだけどなぁ」

 そう言って笑ったマドカは、とんとんとユイの背中を叩き、「碇君を見てご覧よ」と指さした。

「ユイちゃんの嫌いなチャラ男が、一番緊張していないでしょう?
 今の記者会見でも、ちゃんと質問に受け答えしていたじゃない。
 碇君と同い年なんだから、ユイちゃんだって同じことが出来てもおかしくないよね?」
「そ、そうは言うがな……」

 そう言い返したユイだったが、シンジの方を見て「無理だ」と言う言葉を飲み込んだ。「根性無しのチャラ男」と嫌ってみても、客観的に見ればとてもしっかりしていて、気配りの出来る男と言うのは間違いない。その証拠に、もう一人緊張でがちがちになっている大津に対して、リラックスさせようと話しかけていたのだ。
 だからユイの答えも、別の方向へと外れていった。

「私の高校にも、あの男のファンが沢山いる。
 見た目だけだと教えてやったら、目がおかしいと言い返されたのだが……」
「たぶん、これから碇君のことを知ったら、ユイちゃんも見る目が変わると思うよ。
 ただ、恋人になるのはとっても難しいからね」

 口元をにやけさせたマドカに、ユイは顔を赤くして言い返した。その反応を見る限り、かなり初なのだとマドカはユイのことを分析した。後藤の言う「箱入り娘」と言うのも、あながち間違っていないのだろう。

「な、なぜ、いきなりそう言う話になるのだ?」
「何故って、ユイちゃんは思い込みが激しそうだからねぇ。
 だから、あらかじめ難しいよって教えてあげただけよ。
 だって、あの二人、付き合っているから」

 マドカの視線を追ったユイは、シンジのすぐ後ろを歩くアサミに気がついた。今まででもあからさまだったのに、気が付かないほうがどうかしているとも言えただろう。そして気づいていなかったユイは、全身で驚きを表してくれた。

「ま、まさか、そうなのか?」
「そっ、自主映画より現実は先に進んでいるのよ。
 だから気をつけないと、あの二人に当てられることになるからね」

 「もう大変」と笑うマドカに、「そうなのか」とユイはうんうんと頷いた。

「だがな先輩、私はあの男のことはどうでも良いのだ。
 今日も話題になった秘密のパイロット、恋人にするのなら間違いなくその男だ」

 ふんと胸を張ったユイに、多少緊張は解けたのだとマドカは観察した。ただユイの言う「秘密のパイロット」が、「根性無しのチャラ男」と同一人物なのはまだ教えられなかった。ユイが仲間として本当に信じられる、そうなるまでは秘密でいなければいけなかった。

「だったら、次のテストで合格しないといけないね」
「うむ、そのためにわざわざ鹿児島から出てきたのだからな!」

 やってやると力を込めたユイに、とりあえずは大丈夫と、マドカは自分の責任を果たしたことに満足した。少なくとも、緊張で唇を青くする状況からは脱してくれたのだ。

 その頃シンジは、ユイ以上の問題児の相手をしていた。何しろアキラは、シンジを前にして更に萎縮してくれたのである。「なるほどねぇ」と少し呆れたシンジは、とりあえず「挨拶」から始めることにした。

「S高2年の碇シンジと言います。
 大津アキラ君、これから宜しくお願いするよ」

 そう言って右手を差し出したシンジに、アキラはかなり慌ててその手を握りしめた。

「お、大津、アキラ、です。
 こ、こちらこそ、宜しくお願いします」

 かなり卑屈な態度をアキラはとったのだが、シンジはそれを指摘しないことにした。こんなところで指摘していたら、ますます卑屈な態度をとるのは目に見えていたのだ。

「それで、大津君は合格したら進路はどうするの?
 僕達は、そのままS高に残ることにしているんだけど」
「ぼぼぼ、僕もS高に入れたらと思っていますっ」
「そうか、だったら僕の後輩になるんだね。
 だったら、部活は是非ともボランティア部に入ってくれないかな?
 大きな声じゃ言えないんだけど、男が僕一人で立場がないんだよ」

 良いだろうと気軽に言ったシンジに、「でも」とアキラは一昨日放送された「ヒ・ダ・マ・リ」の事を持ちだした。そこには、大勢のボランティア部員が居て、その中には何人かの男子部員も居たはずなのだ。特に花澤キラは、ボランティア部に入っていると何度も繰り返されていた。

「テレビじゃ、大勢男の人も映っていましたよ。
 そ、それに、花澤君もボランティア部員なんですよね」

 だから話が違う。そう言い返してきたアキラに、「テレビだから」とシンジはどうとでも受け取れる答えを返した。

「花澤君は、収録以外で顔を見たことはないよ。
 それに、一昨日のテレビに映った男共は、全員アサミちゃんが目当てなんだよ。
 だから普段は、男1人、女4人の寂しい部活動になっているんだ」
「じ、じゃあ、テレビは嘘を言っているって事ですか?」

 真面目に聞き返してきたアキラに、純粋なのだなとシンジは感心していた。何しろシンジは、最初に話を持ちかけられた時にも、別に不思議な事とは感じていなかったのだ。むしろ売れっ子が、真面目に部活をする方がおかしいと思っていたのだ。

「演出って奴だよ。
 ただ、花澤君が、ボランティア部に籍を置いているのは間違いないからね。
 それに集まった女の子の多くも、ボランティア部に籍だけ置いているよ。
 今回は、自主映画の宣伝もあったから、他の人にも手伝って貰ったんだよ。
 もしも大津君が入ってくれたら、次からは一緒にテレビに出られるよ。
 無事合格してS高に来れば、テレビでも注目されるんじゃないのかな?」
「で、でも」

 アキラの少し怯えたような眼差しに、シンジは「怖いのかい?」と単刀直入の質問をぶつけた。それまで置かれていた環境を考えれば、いきなり日の当たる場所に来るのは怖いに決まっている。

「そ、そんな、ことは……」
「先輩二人が、君が入部するのを楽しみにしているんだよ。
 男っぷりの良い先輩二人だから、色々と頼ってみると良いよ」
「男っぷりって……女の人ですよね?
 綺麗な、女の人だと思いますけど……」

 信じられないと後ろを振り返ったアキラに、「見た目で騙されちゃだめだ」とシンジは真顔で答えた。ここでアキラの意表を突いたのは、話に引きこむためのトリックでもあった。

「すんごい体育会系だし、口よりも先に手が出る人達だからね。
 ただ、もの凄く面倒見が良いから、学校内の人気者なんだよ。
 S高に入って、ボランティア部に入部すると言うのは、その仲間に入ることなんだ」

 「ちなみに」とシンジはアキラの頭を抱え込み、耳元で「女の子が可愛いよ」と囁いた。

「アサミちゃんの他に、篠山キョウカと言うお嬢様も居るんだよ。
 もともとヤンキー娘だったんだけど、今はすっかりお嬢様顔をしているよ。
 気に入られたら、とびっきりの逆玉に乗れるからね」
「そ、そんな、僕なんかじゃ……」

 尻込みしたアキラに、いい手があるとシンジはそそのかした。

「パイロットになって、格好良い所を見せれば良いじゃないか。
 大丈夫、僕なんか高校に入った時は、背も低いし、回りから浮いていたって先輩に言われたからね。
 それを思えば、大津君の方がずっと恵まれていると思うよ。
 なにしろ、今日合格すればパイロットの候補になるんだからね。
 僕みたいに地獄の特訓を受けずに済むんだ、ずいぶんと恵まれているんじゃないのかな?」
「地獄の特訓、ですか?」

 ゴクリと喉を鳴らしたアキラに、「後から教えてあげよう」とシンジは笑った。こうして話をしているうちに、少しずつアキラの緊張が解けてきているのが分かるのだ。あともう少しうまくやれば、色々なことも聞き出せるだろうと目論んでいた。

「転校とか大変だとは思うけど、君が入部してくれるのを楽しみにしているよ。
 とにかく、普段の部活に男手が足りていないんだ……」
「男手要員なんですか、僕は?」

 少し不満気な顔をしたのも、多少緊張が解けた証拠だろう。言い返す言葉も、かなり遠慮がなくなっていた。

「結構切実なんだよ、これでね。
 とにかく、仲間を作らないと僕の立場がいっこうに強くなってくれないんだ」

 わざとらしく「ふぅっ」とため息を吐いたシンジは、「いい目に遭わせてあげようか?」と悪魔のささやきをした。後藤から貰った情報が正しければ、間違い無くアキラには魅力的に写るはずだった。

「いい目って、なんですか?」
「アサミちゃんと握手ってのはどう?
 CDを買わなくても、じっくり握手できるよ。
 ボランティア部に入ってくれるんだったら、今からでも握手させてあげるよ」
「ほ、ほんと、ですかっ!」

 大声を上げたアキラに、シンジは「しー」と人差し指を唇に当てた。

「アサミちゃんに激励されたら、さすがに男として燃えるだろう?」
「そ、そりゃあ、もう、絶対!」
「それで、ボランティア部に入ってくれるのかな?」

 そのためには、これからの試験に合格する必要がある。だがアキラは、すでにその先の事へと頭が行っていた。試験に受かることではなく、受かった後のことに意識が向いていたのだ。

「ぜ、是非とも、ボランティア部に入れてください」
「じゃあ、男同士の約束だからね。
 やぶったら……そうだな、僕が遭ったのと同じ目に遭わせてあげるよ」

 客観的に言えば、簀巻きで転がされるのもご褒美になりかねない。それを隠したシンジは、「いいね」と念を押してからアサミに手招きをした。

「なんですか、先輩!」
「僕の弟分を作ろうと勧誘中なんだよ。
 だから、最後の一押しをアサミちゃんにお願いしようと思ったんだ」
「先輩の弟分ですか?」

 可愛く首を傾げたアサミに、アキラは密かに「可愛い」と感動していた。テレビや映画で見るのより、こうして間近に見るのは数倍も可愛くて綺麗なのだ。

「大津君は、碇先輩の弟分になってくれるんですか?」
「ぼ、僕なんかで良ければ……」

 しかも正面から見ると、ますます綺麗なのが分かってしまう。ただ話をしているだけで、アキラは頭に血が上ってくるのを感じていた。この緊張に比べれば、沢山の記者に囲まれたのも大したことじゃないと思えてきた。そしてこれから受ける試験にしても、たかが知れていると思えてしまえた。

「先輩が良いって言うんだったら、私は歓迎しますよ」
「だったら、握手してあげてくれないかな?
 握手券は、僕からのお願いでちゃらって言う事にして」
「先輩、私はCDを売るのに、そんな姑息な真似はしませんでしたよ」
「そうなの?」

 知らなかったと驚くシンジに、アサミは呆れたように小さくため息を吐いた。

「大津君、碇先輩って本当に私の芸能界時代の事を知らないのよ。
 でもね、先輩ってとっても格好が良いのよ。
 大人だし優しいし、先輩の弟分になるのがどう言う意味か転校してきたら分かると思うわよ」

 そう言って笑ったアサミは、はいと言って右手を差し出した。

「合格したら、一緒に頑張ってくれるんだよね?」
「い、いいんですか?」

 思わず差し出された手を取ろうとしたアキラだったが、すぐに気がついて手をズボンでごしごしとこすった。緊張して汗を掻いた手で握手するのは、アサミに失礼だと考えたのだ。

「よ、宜しく、お願いします」

 そうして触れたアサミの手の柔らかさ、暖かさにアキラはしっかり感動していた。そして何より感動したのは、今通っている高校とのあまりの違いだった。マスコミにも注目されている人に、まさかこんなに優しく接して貰えるとは思ってもみなかったのだ。

「じゃあ先輩、後は男同士仲良くしてくださいね。
 私は、遠野先輩達に合流しますから」
「そうだね、男同士女の子には聞かせたくない話をすると思うよ」
「じゃあ、私たちは女の子同士で先輩の悪口を言っています!」

 じゃあと小走りにマドカ達方へ走っていったアサミを見送り、シンジはアキラに向かって「怖いね」と口元を歪めた。

「これで、結構色々と言われているんだよ」
「でも、やっぱり堀北さんってとても綺麗で可愛らしいんですね」
「彼女にしたいと思う?」

 あたり前の問いかけに、アキラは力強く同意した。

「そりゃあ、男なら誰だってそう思いますよ!
 でも、堀北さんだったら、とっても格好のいい人と付き合っているだろうなぁ」
「いやぁ、面と向かって格好良いと言われると照れるね」
「何で碇さんが……はぁっ、えええっつ!!」

 シンジの反応に、一瞬訝ったアキラだったが、すぐにその意味に気がついた。
 驚くのは仕方が無いと思っていたが、そこまで驚くかとシンジは苦笑を浮かべた。

「まるで、僕が格好良くないみたいだね。
 大津君、君はなかなか度胸があると言ってあげようか」
「い、いえ、そう言われてみれば、確かに碇さんって格好が良いですよね。
 それに、何というか、とても大人っぽいと言うか、落ち着いていると言うのか。
 そ、その、とてもお似合いだと思っています!」
「驚いたくせに良く言うよ」

 そう言って笑ったシンジは、「内緒だよ」とアキラに釘を刺した。これで、アキラとは簡単だが秘密を共有したことになる。自分を特別だと思わせるには、必要十分な餌となってくれるだろう。

「と言っても、学校じゃばれているけどね。
 ただ、あまりおおっぴらに触れて回ると、身の危険を感じることになるんだよ」
「そりゃあ、堀北さんは未だにファンが多いですからね……
 でも、碇さんもテレビに出てたじゃないですか」
「あれはね、ボランティア活動の収録を手伝っているだけだよ。
 ところで大津君、すっかり落ち着いたようだね。
 これからが本番だから、張り切って……と言っても、どうしたら良いのか分からないか。
 自分がヒーローになったつもりでテストを受けようか」

 落ち着いたと言われて、アキラは初めて自分が気を遣われたのだと気がついた。驚いた顔をしたアキラに、「たった6人の仲間だろう?」とシンジは答えた。

「あと何人仲間が生まれるのかは分からないけど、今この時、君は僕達の仲間になったんだよ。
 これで正式にパイロットになれば、アスカさんや渚さんの仲間にもなるんだよ」
「ぼ、僕なんかが、仲間になれるんでしょうか?」

 仲間と言うシンジの言葉に、アキラは体が震えるような感動を味わっていた。親の権力と暴力だけしかない奴らに虐められる自分が、それよりもずっと立派な人に仲間と言ってもらえる。しかも西海岸のアテナや、砂漠のアポロンとも同じ世界に立てると言ってくれているのだ。「本当に?」と聞き返したくなるのも、ムリもないことだったのだ。

「それは、これからの君次第だろうね。
 でも、僕はきっと君が仲間になってくれると思っているよ。
 おいおい、どうして泣くんだよ。
 これじゃあ、僕が虐めているように見えるじゃないか」

 いきなりぼろぼろと大粒の涙を流したアキラに、勘弁してとシンジは頼んだ。ただ心の中で、これで第一段階は終了したと考えていた。アサミまで利用して、言葉巧みにアキラを誑し込んだと言う所だろう。

「すみません、何かとっても嬉しくて……」
「本当に喜ぶのは、テストが終わってからだからね」

 だから頑張ろう。年下の男子を誑かしたシンジは、アキラを連れてシミュレータールームへと向かった。そしてこの後行われたシミュレーションでは、6人全員が優秀な成績を収めることになった。データそのものの発表はされなかったが、いずれも元からいた10人より優れていると発表されたのだ。その発表に、日本中が熱狂したのは言うまでもないことだった。



 シンジ達の合格が発表された翌月曜日、碇家は比較的まったりとした朝を迎えていた。シンジの前には、目玉焼きとハム、それに彩りのプチトマトとレタスが皿に乗せられていた。そして別の皿には、焼きたてのトーストが置かれている。新しいコーヒーメーカーから注がれたコーヒーをすすりながら、シンジはテレビのニュースへと視線を向けていた。
 当然のように、ニュースのトップは6人のパイロット候補が選出されたことだった。そこで記者会見の映像が映しだされ、一人ひとりの紹介が行われていた。

「兄さん、これで正面から基地に入っていけるのね」
「今のところ、土日限定だけどね。
 それ以外は、今までどおり部活への助っ人だね。
 後は、遠野先輩達の勉強会もあるからなぁ……」
「ますます、碇シンジは多忙を極めるってことね」

 テレビで何度も言われている言葉を引用し、レイは兄をからかった。実際テレビでは、S高ジャージ部、特に碇シンジの多忙ぶりを驚きを持って紹介していた。

「それで、多忙ついでに生徒会長に立候補するわけね?」
「いやっ、それだけは絶対にないから。
 さすがの僕も、そこまでやったら体が保たないから」

 真っ平御免、そう言って否定した兄に、「大変ね」とレイは心のこもらない慰めの言葉を掛けた。

「陸山会長、とても諦めが悪い人だと言う評判よ」
「だとしても、僕から積極的に立候補するって話は無いよ。
 今のままだと、ボランティア部の活動もできなくなってしまうんだ」
「でも、部員が増えれば活動も楽になるんじゃないの?
 それに、陸山会長が扇動したら、全校生徒が兄さんを会長にって言い出すんじゃないの?
 そこまでみんなに期待されて、兄さん会長になるのを断ることが出来る?」

 困っている人の味方、そして期待に答えてこそのジャージ部なのだ。その精神を大切にするのなら、その時点で生徒会長に立候補しなくてはいけなくなる。

「そうならないように願っているんだけどね……
 あっ、ちょっと待って」

 幾つかのニュースが流れたところで、比較的小さな扱いで警察の組織ぐるみの不正が暴かれたと言うニュースが流れた。不正な裏金作り、暴力団との癒着、その他もろもろ不正のオンパレードだった。そしてこの不正の大きなポイントは、現職の署長が主犯格と言うことだった。そこから芋づる式に、地方の警察署の幹部から末端まで、多くの職員が逮捕されていた。
 本来トップで扱われてもおかしくないのだが、警察の規模が小さかったことと、パイロットの話題に霞んでしまったため扱いが小さくなっていた。

「兄さん、このニュースがどうかしたの?」
「ちょっと、大津君に関わることなんだ。
 昨日一日姿を消していただろう?
 あれって、ちょっとおせっかいをしに行っていたんだよ」
「ああ、あれね」

 初めて聞いたと言う顔をしたレイだったが、ことの仔細はアサミに教えられていた。ちょっとどころか、かなりのおせっかいだと思ったが、悪人を懲らしめるのならいいかと開き直ったものだった。そして兄の不在を利用して、正々堂々陸山達と密談をしていたのである。そっちの面でも、結構都合がよかったりしたのだ。

「帰ってきた時すっきりとした顔をしていたのは、浮気をして来たわけではないと言うことね?」
「酷いなぁ、浮気をしなくちゃいけない理由はないんだけど。
 でも、そんなにすっきりとした顔をしてた?」
「ええ、とっても」

 はむっとトーストを加えたレイは、本当にすっきりとして帰ってきた兄を思い出していた。

「それで、何をしてきたの?」
「大津君をいじめていた奴らに、私的制裁ってやつかな。
 今までかつあげしたお金の全額返済を約束させて、更に慰謝料まで払わせることにしたんだ。
 約束を破るのは勝手だけど、破ったら後が怖いよって脅しをかけてきた。
 今頃、このニュースを見て震え上がっているんじゃないのかな?
 ちなみに、ニュースにはならないけど、学校の先生も無事じゃ済まないからね」

 それを楽しそうに言うのはどうかと思うが、徹底的にやったのだなとレイは理解した。それを考えれば、すっきりとして帰ってきたのも理解できる。

「やっぱりさ、因果応報って大切だと思うんだよね。
 大人は、大人として責任を取らないといけないと思うんだ」
「でも、他人の家庭を壊していいのかしら?」

 そこまでする権利があるのか。正義の名を借りた、弱い者いじめになっていないのか。レイはそのことが気になっていた。
 だが妹の懸念に対して、シンジは違った考えを持っていた。

「自分の子供が犯罪を犯していても気づかないような親だよ。
 しかも、叩けばほこりが出るんだから、親だって同罪だよ。
 それでも主犯の奴は徹底的に叩き潰したけど、それ以外は目立たないようにしているだろう?
 こっちを甘く見て約束を破りさえしなければ、全ては闇の中に葬られるんだよ」

 でもと、シンジは少し静かに、そして残念そうに妹に言った。

「結果的に、レイの言った通りになるんだろうね。
 正直に両親に話して、罪を償おうとしてくれればお金なんてどうでもいいんだよ。
 本当の目的は、お金じゃなくて心からの謝罪なんだよ。
 でも、見逃してあげた二人は、絶対に更生しないだろうね。
 両親のお金を黙って持ち出すか、さもなければ別の犠牲者を見つけようとするだろうね。
 両親のお金を持ちだしたら、それだけで家族がおかしくなると思う。
 そして他の犠牲者を探すようだったら……やっぱり因果応報ってことになるかな?」
「でも、本当にそこまでして良かったのかしら?」

 報復することがいいことなのか。レイにはその判断はつかなかった。したことに対して、与えられた罰が大き過ぎないか、そんな疑問も感じてしまうのだ。

「レイが疑問に感じるのは分かるつもりだよ。
 僕達に、そこまでする権利があるのかも分からないと思う。
 ただ、大津君が「死ななくて良かった」と泣いたことが僕にとって全てなんだ。
 彼らは、間違い無くやりすぎたんだよ。
 そして自分達がしたことへの罪悪感も持っていない。
 ただ、僕は自分の事を善人だとは思っていないし、正義の味方をした覚えもないんだよ。
 正義って暴力で、気に食わない奴らを叩き潰しただけだと思っているよ。
 結局、やっていることは彼らとたいして変わりはないと思う。
 むしろ、正義の名を借りた分だけ質が悪いのかも知れないね」

 そういう事とまとめて、シンジは食べかけのトーストを口の中に押し込んだ。そして残ったコーヒーでそれを流し込み、食器を持って立ち上がった。

「ところでレイ、陸山会長は本当に緊急生徒集会を開くって言ってたの?」
「昨日はそんなことを言ってなかったと思うけど……」
「なるほど、僕のいないところで生徒会長と会っていたんだね」

 兄の冷静なツッコミに、レイの背中には冷たい汗が流れ落ちていた。せっかくアサミと結託をして、兄がいない時を狙ったのだ。それなのに、こうもあっさりとバレてしまうのはどういう事だろう。引っかけに乗った自分が悪いのだが、確信していなければあり得ない引っかけだった。

「ええっと、多分兄さんの勘違いだと思う……」
「今更白を切っても遅いよ。
 レイと陸山会長がつながっているのは知っていたからね。
 手段を選ばないあの人だから、きっとレイを抱き込もうとすると思っていたよ。
 だとしたら、僕がいないところで連絡をつけると普通は考えるだろう?」

 ああ、このお兄様という人物は、どうしてこうも頭が働いてくれるのだろう。色恋沙汰には鈍感だったくせに、こう言うところだけは鋭すぎるのだ。なんでその鋭さを少しでも分けてくれなかったのか、レイは兄の追求に現実逃避をしていた。

「それで、アサミちゃんはどんな理由で仲間に加わったのかな?」

 食器を洗いながら聞いてきた兄に、レイは観念してすべてを白状することにした。

「兄さんが生徒会長に推薦されるのが避けられないのなら、自分も立候補するって。
 一番困るのは、どっちか一方が生徒会役員になることらしいわ。
 それを避けるために、手を貸すかどうかを考えているんだって」
「アサミちゃんなら、陸山会長に丸め込まれないと思うけど……」

 ううむと考えた兄に、「あのぉ」とレイは恐る恐る疑問に感じたことを聞くことにした。

「アサミちゃんが陸山会長と会ってても気にならないの?
 会長って、アサミちゃんの好きな大人だし、兄さんよりイケメンだよ」
「アサミちゃんが、心変わりをしないかって?」

 驚いた顔をした兄に、可能性は否定出来ないだろうとレイは言い返した。

「カヲル君にも転ばなかったアサミちゃんが?」
「ナギサさんより、ずっと陸山会長の方が身近でしょう?」

 どうだと聞いたレイに、苦笑交じりに「考えても見なかった」とシンジは答えた。それから少し考えて、「もしかしたら、可能性はあるのかもしれないね」と真面目な顔をした。

「つまり、僕の知らないところで陸山会長に会うってことはそう言う事なんだね。
 そうか、だったら僕はアサミちゃんの知らないところで女の人と会ってもいいんだな。
 今ならまだ間に合うから、アメリカに行ってアスカさんを口説くと言うのもいいか……
 サンディエゴの司令も、多分歓迎してくれると思うし……」
「もしもし、兄さん?」

 真面目な顔をして、何か恐ろしいことを言ってくれる。おいおいと突っ込んだレイだったが、残念ながらその兄は更に危ないことを言ってくれた。

「じゃなければ、篠山に乗り換えると言うのもありってことか。
 あいつは、あれで結構可愛くて一途なところがあるからな。
 ユキタカさんにも、ぜひとも婿に来てくれって言われていたんだよなぁ」

 う〜んと考えたシンジは、ブツブツ言いながら置いてあったカバンを手に取った。そして何かを思い出したように、青い顔をした妹に声を掛けた。

「レイ、僕はそろそろ出るからどうする?」
「わ、私も行くけど、ね、ねえ、ちょっと兄さんをからかっただけだからね」

 兄の態度に、レイの顔からは血の気が音を立てて引いていた。自分の何気ないからかいの言葉が、親友と兄との間に溝を作ることになってしまった。一度浮かんでしまった疑念は、無かったことにすることはできない。

「う〜ん、でも僕に内緒で陸山会長に会ったんだよね。
 レイに言われるまで気づかなかったけど、それってやっぱり気分のいいことじゃないよね」
「そ、それは、絶対兄さんの考え過ぎだから……」
「でも、先に言い出したのはレイの方だろう?
 それから、僕はそろそろ出るから、一緒に行くんだったら急いでくれよ」

 すぐにでも家を出ようとした兄に、「待ってよ」と言いながら慌てて自分の支度をした。何気ない一言が、とてもまずい状況を作り出そうとしている。本当におかしなことになる前に、なにか対策を考えなければいけなかった。
 だが対策を考えようにも、大好きなお兄様はすぐにでも家を出ようとしてくれる。一人で行かせたら余計におかしなことになる。追い詰められた気持ちで、レイはカバンを持って兄の後を追いかけたのだった。

 初めから予想していたことだが、家の前には大勢のカメラマンが待ち構えていた。ただ自衛隊からの取材許可が出ていないため、誰も直接は声を掛けてこなかった。そのため、静かな中でシャッター音が響くと言う、不思議な光景が碇家の玄関先で繰り広げられた。
 そのカメラの列の中を、シンジはにこりともしないで通り抜けていった。そして後ろから追いかけてきたレイにしても、少し顔色を悪くして通り抜けた。普通の時なら何か有ったのかと想像させる様子なのだが、この日に限れば「緊張」と言う言葉で全てが説明できてしまった。そのおかげで、余計な詮索から逃れられたとも言うことが出来るだろう。

「あの、兄さん?
 アサミちゃんのことは、私が勝手に言っているだけだからね」
「でも、僕が知らないところで陸山会長に会ったのは確かだろう?」

 事実だけを口にされると、否定の言葉を口にすることもできない。

「でも、アサミちゃんは、兄さんと一緒に居ることしか考えていないのよ」
「なにか、レイの一言で魔法が解けた気がしてきたんだ。
 もしかしたら、熱くなっているのは僕だけじゃないのかなって……」

 恋という物が、熱に浮かれるものだとすれば、冷静になると言うことは、恋が冷めることにもつながってくる。そのきっかけが自分の一言だとすると、本当に取り返しのつかないことをしたことになる。

「あ、アサミちゃんは、陸山会長のことを男として見ていなかったから。
 ぜ、絶対に、兄さんのことを一途に思っているんだからね」
「でも、これからも僕に隠れて会長と会うつもりなんだろう?
 それって、僕に対する裏切りじゃないのかなぁ」

 どうしてそんなに余計に頭が回り過ぎるのだ。どうしてネガティブシンキングに全速で走っていくのか。そのところを強く主張したかったのだが、すべてのきっかけを作ったのが自分自身なのだ。それを持ち出されると、言い返す言葉が尽きてしまう。
 しかも説得しようにも、自分達を見る周りの目が多すぎた。合格発表直後の月曜だと考えれば、それは避けられない状況だったのだ。だがそのせいで、言い訳するタイミングを失ったのも確かだった。しかも学校に入った兄は、いつもの様にジャージ部に行こうとしなかった。

「に、兄さん、ジャージ部に行かないの?」

 早く出てきたのだから、ジャージ部に顔を出すものだと思っていた。だが下駄箱を通った兄は、部室とは反対の方向に歩き出していた。

「ちょっと、部室に顔を出す気分じゃないんだよ。
 だから、少し早いけど教室に行こうと思っているんだ。
 誰かがいるだろうから、馬鹿話でもして嫌なことは忘れようかなってね」
「嫌なことって……」
「色々とだよ」

 じゃあと手を振って歩いて行った兄を、レイは呆然と見送るしか無かった。兄が歩いて行った先は、本当に2年の教室がある方だったのだ。

 兄の姿が階段の向こうに消えたところで、レイは自分が何をしなくてはいけないのかを考えた。すぐにアサミに知らせるとしても、自分自身頭の中が全く整理できていなかったのだ。何しろ陸山のメールで、アサミを呼び出したのは自分自身である。それが破局のきっかけになったなどと、絶対に考えたくなかった。
 だがいくら考えたくなくても、兄の態度が普段と全く違っていたのだ。今すぐにでも、「何がどうしてこうなったのか」それをちゃんとまとめて、親友に教えなくてはいけない。時間が経てば経つほど、心の問題は取り返しのつかないものとなってしまうだろう。

 そこでレイは、とりあえず教室に行く事にした。もしもそこに親友がいれば、そこで話をすることができる。いなかったとしても、カバンを置いてジャージ部部室に行くまでの時間で、考えを整理することが出来るだろうと考えたのだ。

「とにかく、まずアサミちゃんに謝って……
 それからそれから、兄さんに何を話したのかを教えて……
 兄さんが何を言ったのかを教えて、もう一度謝って……
 それからそれから……ええっと、どうしよう」

 教室まで歩いて行く途中色々と考えたのだが、当然のように考えがまとまるはずがなかった。クラスメイトに声を掛けられたのにも気づかず、カバンを置いたレイはそのまま教室を出た。

「謝るのは最初にするにしても、後の説明をどうしたら良いんだろう。
 だって、話していたのは本当に他愛のないことだし……
 それに、兄さんだってアサミちゃんが会長に靡くなんて思っていないはずだし。
 でも、兄さんが変なことにこだわりだしたのも事実だし。
 彼女が、知らないところで別の男に会うのが気分良くないのも確かだろうし……
 逆だったら、絶対に浮気を責められると思うから……」

 どう説明したところで、自分の責任は逃れられるものではない。だが今重要なのは、責任逃れではなく、兄と親友の間が壊れないようにすることだった。意味もないことで、すきま風が吹かないようにしないといけないし、余計な諍いを起こすことも阻止しなければいけない。

 本来レイというのは、時の人の妹なのだから、周りから注目を集めるし、声をかけられてしかるべき存在のはずだった。だが何かを考えこみ、ぶつぶつ呟きながら早足で歩いているのは、どう考えても不気味としか言いようがなかった。しかも顔色が悪く、目が血走っているとなれば、声のかけにくさは更に高まってしまう。
 その結果、レイは誰にも呼び止められること無く、ジャージ部の部室へとたどり着いていた。結局どう説明して、どう収束させるというのは、全く考えがまとまらなかった。だったらさっさと親友に謝って、一緒に解決の方策を考えた方がマシだと頭を切り替えた。

「すみません、入ります」

 礼儀として、レイはノックをしてから中に声を掛けた。親友がそこにいるのかどうかは分からないが、教室にいない以上居場所はここにしかないと思っていた。いなければ、顔を出すまでここで待つだけ。そう覚悟を決めてジャージ部部室に入ったのだが、そこでレイは理解の追いつかない光景を見せつけられることになった。

「ええっと、なに?」

 それでもなんとか絞り出した言葉に、レイの理解を通り超えた光景の主役は、「先輩分の補給」と答えてくれた。どう言う訳か、いないはずの兄の膝に乗って、親友様がしっかりと抱きついてくれていたのだ。それを見たレイは、もう一度「なに?」と絞り出した。

「先輩分の補給って言ったでしょう?
 今朝も凄くストレスが溜まったから、こうして癒してもらっているのよ。
 それでレイちゃん、顔色を悪くしてどうかしたの?」

 親友様の向こう側で、愛しのお兄様が口元を歪めているのに気がついてしまった。そこでようやく、レイは自分がはめられたのだと気がついた。

「兄さん、これってどういう事?」
「レイが、それを僕に聞くのかい?
 こっそり陸山会長と手を組んでいたことへの釈明が先だろう?」

 そう言い返されると、何も言えなくなってしまう。冷静に考えてみれば、兄には仕返しをする権利があったのだ。ただ権利が有ったとしても、可愛い妹に対してやりすぎだと言いたかった。

「レイが手引きしたことは、とっくの昔にアサミちゃんから教えてもらっていたんだよ。
 実の兄が嫌がっていることをしようと言うんだから、仕返しをする権利はあると思うだけどね」
「あ、アサミちゃん、裏切ったのね……」
「仕方がないでしょ?
 私にとって、先輩が一番大切なんだから」

 二人から突き放されれば、レイとしてはどうしようもなくなってしまう。「う〜」と兄を睨んでみても、睨み返されたら勝負にならなかった。結局、俯いて肩を震わせることになってしまった。

「レイも、これに懲りたらもう少し落ち着くことだね。
 「罪のないイタズラ」と言うのは、した方が言っていいことじゃない。
 それは、自分のしでかしたことの責任から逃げるって意味だからね。
 せいぜい、イタズラをされた方しか言っていいことじゃないんだよ」

 アサミを膝から下ろしたシンジは、立ち上がって妹を抱き寄せた。実の妹のことだから、アサミからも文句は出なかった。

「レイ、ごめんなさいは?」
「ごめん、なさい……」

 両腕をしっかりと回したレイは、シンジの胸に顔をうずめて”シクシク”と泣いた。お人好しとも言える優しい兄を怒らせてしまった。二人に見捨てられて、ようやく自分のしたことを理解することになった。

「ごめんなさい……」
「もういいよ、レイだけが悪いわけじゃないからね」

 すがりついて泣かれれば、それ以上怒ることに意味があるとは思えない。だからシンジは、自分の腕の中で震える妹を優しく抱きしめ慰めた。

「それで先輩、会長に報復するんですか?」
「う〜ん、あんまり意味が無いからやらないと思うよ。
 あの人はあの人で、色々と手を尽くしているだけだからねぇ」

 ちなみに、すでに送信機は取り外して、生徒会室の前に箱詰めにして置いてある。だからここで話すことへの注意は必要なくなっていた。

「でも兄さん、絶対に陸山会長は諦めないと思う。
 それに、兄さんを生徒会長にって誰かが言い出したら止められないし……」
「そうだとしても、僕には辞退する権利はあるんだよ。
 ただの勢いで、あれもこれも押し付けられたら迷惑だけじゃ済まないからね」

 勢いだけでなく、熟慮した末ならしかたがないのだが、敢えてそのことをシンジは口にしなかった。みんなの希望を叶えてこそのジャージ部なのだから、その方法を考える事もまた自分の務めだと考えていた。

「さあて、これから忙しくなってくるね。
 と言っても、しばらくしたら落ち着くと思うけど……」

 新しい変化がなければ、そのうち人というのは飽きてしまうものだった。だからシンジの言う、しばらくというのは間違ったことではない。それを考えたら、変化を小出しにするのは良くないのだろう。早めに二人が転校してきた方がいい、シンジはこれからの予定を思ったのだった。



 6人の選出と言うのは、後藤にとって上々の結果だった。S高以外で2人と言うのは、時期的に考えれば期待以上の成果でもあったのである。ここから先はテストのペースは落ちるが、まだ20万人以上の候補者が待っていた。あと2、3人でも適格者が見つかれば、日本の迎撃態勢もずっと充実したものとなる。

「ここまでは、予想以上の成果ってことね?」

 同じ感想を持った神前は、これからどうするのかと選出した6人の扱いを聞いた。秘密とされている3人と合わせて、日本には9人パイロットが居ると考えられている。そうなると、他所との関係も考えなければいけなくなる。

「とりあえず、訓練方法を考えなくてはいけないのだが……
 本来なら、10人を戻したのと入れ替わりに、サンディエゴに送るべきところだろう」
「西海岸のアテナが飛び上がって喜びそうな話ね。
 でも、そんなマネは政府が絶対に許可を出さないでしょうね」

 6人のうち3人が、日本にとって真の切り札なのだ。それを訓練と称して海外に出すのは、もはやタブーとされていることだった。そしてもう一人を加えて4人は、今更サンディエゴで訓練など出来るはずがなかった。

「あの4人に関して言えば、訓練プログラム程度は終了しているからな。
 そして3人に限って言えば、逆に訓練する側の実力がある。
 かと言って、彼に全体訓練をさせる訳にはいかない事情がある」

 謎のパイロットであることを否定している以上、指導する立場になれるはずがなかったのだ。表向きの立場を作るためには、衛宮達がサンディエゴの訓練プログラムを持って帰ってくるのを待つ必要があった。

「しかし、彼って本当に大したものね。
 マスコミへの受け答えも完璧、しかも大津くんだっけ?
 しっかりと手なづけてくれたんでしょう?」
「その辺り、見事としか言いようが無いのは確かだろうな。
 ただ、それならそれで、怖いと思えてしまうところもある」
「あっちで大騒ぎした話?
 国家公安委員長が頭を抱えていたわね」

 警察ぐるみの犯罪が露見したのだから、組織としては一大事に違いなかった。今はパイロット選出の陰に隠れていても、治安維持という意味では非常に大きな意味を持ってくる。警察というのは、治安維持の根幹を締める組織なのだ。その組織に対する信頼が失われれば、重大な事態を引き寄せかねなかった。
 そしてもう一つ、一地方警察の問題と、パイロット候補のいじめがつながれば、更にマスコミによるバッシングが酷くなる恐れがあった。国家公安委員長が頭を抱えるというのも、抱えている爆弾を考えれば正当なことだったのだ。

「かと言って、彼の首に鈴をつけることができないと考えられている。
 恋人と二人で海外に行かれたら、それこそ内閣どころか与党が吹っ飛んでしまうからな。
 だから内閣も、彼の要求に応じる形で警察の不祥事が表に出ることを認めたと言う事情がある。
 今までなら、署長を左遷して闇に葬っていた案件にも関わらずだ。
 彼は、冷静に自分の価値を理解し、それを利用していると考えることが出来るな」
「でも、堀井の分析じゃ、絶対に日本を離れないってことじゃなかったの?」

 遠野マドカ、そして鳴沢ナル、その二人がパイロットでいる限り、日本を離れることはないというのが堀井の分析だった。そしてその分析に対しては、後藤も原則的に正しいと認めていた。その報告は、内閣にも上げられているはずのことだった。それなのに、誰もが彼が日本を離れることを恐れ、おとなしく要求を受け入れている。それがどこから来るものなのか、神前にも理解することができなかった。

「おそらく、彼がそれほど我慢強くないと考えているからだろう。
 さもなければ、何か内閣にも目論見があるということだ。
 その目論見のためには、些細な事で反感を買いたくないと考えているのだろう。
 加えて彼が、決裂しないさじ加減を心得ていると言うのもあるな」
「些細なというには、影響はかなり大きかったんじゃないの?」

 パイロットにまぎれているが、間違い無く一大スキャンダルとなる事件だったのだ。その扱いが”些細”と言うのなら、一体彼らは何をさせようとしているのだろうか。

「確かに、影響としてはかなり大きなものに違いない。
 だが、内情を知らなければあまり無理をした結果だとは考えないだろう。
 要求に対して、我々が”多少”の譲歩を行った。
 何事も縦割りで考える我々と、彼が同じ考え方をしていると思わない方がいい」

 内部で不正を正したレベルと考えれば、確かに後藤の言うとおり政府は大した譲歩をしていないことになる。しかもパイロットの選定に紛れたため、マスコミの扱い自体も大きなものではなかった。このあたりについては、色々と裏の動きがあったのだが、それも知らなければそういうものだと考えてしまうだろう。
 切り札のパイロットの機嫌を損ねないように、そして図に乗らせないように、周りが腐心した結果ともいうことが出来る。それにしたところで、高知の功績を考えれば安い代償だと言うこともできた。

「神前に聞くが、彼の一番の特徴は何だと思う?」
「彼の場合、特徴がありすぎてどれって言葉に困るんだけど……
 やっぱり、恐ろしく冷静で頭が切れるということかしら?」

 同調率では、アテナやアポロンに劣っている。それなのに、実際の戦績、共同作戦の中の立場は、二人を超える所に来ているのだ。その理由を考えれば、神前の上げた頭の良さと言うのが一番にあげられるだろう。
 だが後藤は、頭が切れることは認めたが、それが一番というのは否定した。

「頭が切れるだけなら、アテナやアポロンも大差は無いというのが両基地の評価だ。
 高知で見せた冷静さにしても、ただそれだけでは実力差をカバーすることはできない。
 アテナは”天才”と説明しているらしいが、それがどの方面に向いているのかが分からないのだ」
「何が、彼を最高のパイロットたらしめているのか分からないってこと?」

 最強なのか最高なのか、現時点で諸説があるのは確かだった。ただ単独の破壊力を持って最強とするのなら、西海岸のアテナが最強という声が一番強かった。それでも、3人のうちの一人を選べと言われれば、誰もが英雄を選ぶと言われている。だから”最高のパイロット”と彼が称されているのだ。

「天才と言う言葉に逃げたくなるのも理解することが出来る。
 その言葉を使わないと、彼に対する説明がつかないのも確かなのだ。
 経験がないにも関わらず、その場で最善と思われる作戦を立案してくれる。
 しかも、刻一刻と変化する状況に対しても、適切に対応をしてくれる。
 同調率の低さを、ヘラクレスの使いこなしで逆転するのもその一つと言えるな。
 最強と言われるアテナでも、さしで戦ったら彼には勝てないだろう。
 まともな勝負にすらならないと言うのがうちでの分析の結果だ」

 ある意味、シンジに対して後藤は最高の評価を口にしていた。その評価は、それを聞かされた神前もうなずける物だった。戦いにして僅か2回、訓練にしても候補たちと比べても少なすぎる経験しかないはずだ。そのパイロットが、最高の戦績を上げ、訓練にも的確な指摘をしてくれる。後藤が下した評価ですら、まだ控え目に感じてしまうほど碇シンジと言う存在は突き抜けていた。
 アテナとの戦力差の評価も、神前には納得できるものだった。ブルックリン南の戦いで、シンジはアテナの全力に付いて行っているのだ。的確に穴をフォローできるのだから、どちらの実力が上かは考えるまでもないだろう。

「だが、冷静に考えると一つの事実が我々の前に立ちふさがってくる。
 彼は、対象Iとしてすべての記憶を封印されていると言う事実だ。
 彼が今示している才能は、僅か2年程度の時間で作り上げられたものだと言う事だ。
 そしてもう一つ忘れてはいけないのが、記憶を封印する前のサードチルドレンと言う存在だ。
 エヴァンゲリオンに対する高い適性評価とは裏腹に、個人に対する評価は散々でしか無い。
 今示しているような才能の片鱗すら、その頃には見せてくれていないのだ」
「突然化けたってより、別人になったって言いたいわけ?」

 それぐらいしか、後藤の疑問に答える方法がない。その意味で「別人」を口にした神前に、それも可能性の一つだと後藤は答えた。

「でも、今の彼が都合がいい存在と言うのも確かでしょう?
 今の彼なら、世界を滅ぼそうなんて考えないし、その力もないでしょう?
 そのくせパイロットとしては、天才的なほどの能力を示してくれているじゃない」
「ああ、今の力を見せられれば、神前の言うことを否定する事はできないだろう。
 たとえ記憶を取り戻したとしても、今以上のことができるのかは疑問だ。
 同調率”だけ”高いパイロットより、戦場を俯瞰し、適切な戦術を立てられるパイロットのほうが有用だ。
 そういう意味では、我々は彼に記憶を取り戻させるわけにはいかないことになる」

 「だから」と、後藤はそれまでタブーとされていたことを口にした。

「彼の記憶を封印処理をした者に、話を聞かせて貰うことを考えている。
 どうすれば、今の状態をより強固なものにすることが出来るのか。
 もしも綻びが出るとしたら、その予兆はどのようなものか、
 そしてその綻びを繕うには、どうすればいいのかを確認しようと思っている」
「私たちのためにも、とても大切なことだとは思うけど……
 その許可って、本当に出してもらえるのかしら?
 噂が正しければ、誰も本当のことはわからないって言われているわよ。
 何人もの学者が入れ代わり立ち代わり、彼の記憶を操作し続けたって。
 前の人が何をしたのか知らされていないから、全員を辿らないと何をしたのかわからない。
 そしてそのすべてを理解できる人は、学会の中にも存在しないって言われているって。
 だから、戻すべき記憶にしても、本当に残っているのかどうかも分からない……」

 それは、至るところで言われている対象Iへの記憶操作の通説だった。サンディエゴのクラリッサも口にするぐらいだから、けして根も葉もないものではないのだろう。
 だが通説を口にした神前に、「その話はおかしい」と後藤は指摘した。

「だとしたら、なぜ記憶の回復措置と言う切り札が存在する?
 高知の戦いの時、事務総長は対象Iの記憶回復措置をとったものだと勘違いしていたのだぞ。
 残っているかどうかわからない記憶を、どうして回復することが出来るのだ?
 しかも、かなり短時間で回復できなければ、高知の時には役に立たなかったはずだ」
「そう言われれば、確かにその通りね……
 そうじゃないと、記憶を取り戻すと言う彼の言葉は脅しには使えないわね」

 記憶はいじっているが、比較的容易に戻すことが出来ると考えられている。そうでなければ、各国首脳の対応への説明がついてくれないのだ。もう一度「そうね」と同意を示した神前は、なぜ通説と現実が違っているのか考えることにした。

「でも、大勢の学者が関わったことは間違いないんでしょう?
 だったら、その学者たちも知らない方法が存在しているってこと?」
「総理の命令で、記憶回復措置を取ることが出来るということだ。
 そこから導き出されるのは、比較的身近な所に真実を知る者が居るということだな」
「だとしたら、余計に許可が出そうにもないわね……」

 扱いようによっては、国家間の紛争を引き起こす理由となり得るものなのだ。扱いとしては、最高ランクの国家機密なのは間違い無いだろう。それを考えれば、神前の言うとおり許可を得るのは困難に違いない。

「それでも、迎撃責任者として知っておかなければならないことだと俺は考えている。
 そしてもう一つ、彼のためにも知っておくべきだと考えている。
 場合によっては、余計なことを考えるなと忠告しなければいけなくなる」
「余計なこと……あなたは、一体何を恐れているの?
 今の話しぶりからすると、世界が滅びることじゃないわよね?」

 世界が滅びることだとしたら、「彼のため」と言い話につながるとは思えない。もしも彼が記憶を自分で取り戻すとしたら、世界を滅ぼしても良いと考えた時なのだ。だとしたら、忠告自体が意味のあるものにはならないだろう。

「恐れている……か、確かに、漠然とした恐れのようなものが俺の中にあるのは確かだな。
 たしかにその恐れは、神前の言うとおり世界の破滅に対してじゃない。
 なんというか、ただ単に怖い、なにか大切な物を無くしてしまいそうな気がするんだ」
「彼が記憶を取り戻すことで、大切な物を無くしてしまう?」

 後藤が恐怖した理由を考えた神前は、「もしかして」と一つだけ浮かんだ理由を口にした。

「あなた、今の彼を失うことを恐れていない?」
「今の碇シンジを失うこと……それを俺が恐れているということか……」

 神前の指摘に、本当にそうかと後藤は己の心を見つめなおした。

「あなた、今の彼に情が移ったんじゃないの?」
「確かに、そう言われれば得心のいくところがあるな」
「簡単に肯定しないでほしいわね。
 ある意味、指揮官としては由々しき事態なのよ」

 情が移ってしまったら、作戦判断にも影響を及ぼしかねない。それは、神前の言うとおり、指揮官として由々しき事態に違いなかった。

「この俺が、作戦に手心を加えるか……」
「普段のあなたなら、絶対にないって言ってあげるわ。
 でも、対象Iに関して言えば、そのリスクが生まれてしまったと言うことね……」

 「ただ」と神前は、少しだけ優しい顔をして、気にする必要はないと慰めた。

「私達の求める方向と一致しているのだから、気に病む必要はないんじゃないの?
 彼が唯一無二である以上、彼を失う作戦を立てる訳にはいかないわ。
 そして、彼の記憶を取り戻すことも好ましくないのも確かよ。
 まあ、記憶を取り戻したとしても、今の彼が完全に消えるとは思えないけどね」
「確かに、求められている方向とは一致しているのか……」

 それは理解したが、それでも何かが引っかかって居る。だがその何かがどんなものか、さすがの後藤も理解することができなかった。ただ一つ確かなのは、神前に慰められても、全く気が楽にならなかったと言う事だ。一体自分は、何に気づき、何を恐れているのか。情が移ったのを認めた時、なにか答えに近づいた気がしたのも確かだった。だがそこから先は、いくら考えても何も浮かんでくれなかった。

「それはいいけど、訓練のことはどうするの?」
「あの二人に、いつばらすのかと言うことなのだが……
 よく考えたら、あまり急いで訓練に入る必要もなかったんだな」

 転校してくる二人については、生活の基盤を確立させる必要がある。高村ユイについて言えば、一人住まいを希望している。そしてそこから、S高に通うと言うのが進路希望となっていた。それならばと、後藤はシンジの家に近いマンションを確保することを考えていた。それが嫌なら、家族が鹿児島から出てくればいいだけなのだ。
 そしてもう一人の大津アキラは、母子家庭と言う家庭事情が存在していた。だがその家庭事情は、この場合身軽さという意味で役に立ってくれた。一家の生計は、母親のパートでまかなっていると言うのだ。それならば、適当な住居を提供し、子供には必要な奨学金と、拘束時間に応じた日当を支払えばいい。そして母親には、適当な職を斡旋すれば事が足りるだろう。高村ユイの面倒くささに比べれば、こちらの方が遙かに単純だった。

「今度の土日で、手続をするんだっけ?」
「ああ、それぞれの地元で手続の説明、及び希望を聞くことにしてある。
 滋賀、鹿児島の順に回ることにした」

 そこで後藤の口元の引きつりを認め、神前は「高村?」と問題の所在を口にした。

「わざわざあなたが行くってことは、高村対策なんでしょう?」

 やりにくいわね。慰めとも取れる神前の言葉に、「縦割りの組織なんだがなぁ」と本来組織として問題とされる事を後藤は期待を込めて口にした。

「難問だったはずの大津が、結局あっさりと解決してくれたからな。
 そうなると、高村のやりにくさだけが際立ってくるんだ。
 高村陸将補だけでもやりにくいのに、そこに来て偏屈じじいが待ち構えているんだ。
 助っ人として、彼を連れて行きたくなるぐらいだ」
「彼って、あそこのじいさまにも有効なのかしら?」
「正体をばらしてやればイチコロなのだが……あれで口が堅そうで軽いからな」

 だからとっておきの方法を使うことはできない。高村ユイと碇シンジでは、組織としての価値は雲泥の差があったのだ。たとえバックに陸将補がついても、価値の逆転などあり得なかったのだ。

「正体をばらすって言えば、6人を皇居に行かせる話があるって聞いたけど?」
「内閣で調整中だよ。
 建前としては、陛下から激励のお言葉をいただくと言うことだ。
 これだけ国民の関心が高くなれば、やらないわけにはいかないだろう」
「当然陛下は、彼らの正体をご存じの訳よね?」

 他の王族が知っているのに、日本の象徴に知らされていないというのでは後から問題が大きくなる。「当然」と神前が言ったのも、今更確認することでもなかったのだ。

「ご家族で、その日を楽しみにされていると言う事だ」

 そこまで言われれば、身に余る光栄と喜んで馳せ参じるのが筋合いという物だろう。一応立場を作ったこともあり、反対されないのは分かっていた。それでも、問題というのは色々と残っていた。

「それで、陛下の前には高校の制服で行かせるのね?」
「うちの制服よりは、回りへの刺激が少なくて良いだろう」

 未だに軍備に対してアレルギー的反応があるのだから、軍の制服を着て陛下の前に立つのは平和団体を刺激しまくるのは目に見えていた。それを考えれば、多少の問題があったとしても、高校の制服で押し通す方が口実が立つのも事実だった。

「これで、正体がばれたら勲章の授与ね」
「国民栄誉賞なんてものじゃすまないからなぁ……
 彼らの“献身的”働きで、何百万人もの命が救われ、世界が破滅から救われている。
 まあ日本で勲章をだしたら、アメリカも勲章を出してくるだろうな」

 おおっぴらに出来ないと言うことで控えていたが、ニューヨークでの働きは、本当に勲章物と言って良かった。もしも彼らが居なければ、アメリカは壊滅的打撃を受けたのは疑いようがない。
 間違いなくそうだと頷いた神前は、シンジが口にしたささやかな希望を持ちだした。

「いつばれるのかは別にして、ばれたら普通の生活は送れなくなるわね。
 3年の二人、先生になるのが希望なんでしょう?
 ありきたりで平凡な希望だと思うけど、難易度がもの凄く高いわね」

 正体がばれてしまえば、神前の言う通り、普通の生活は送りにくくなる。英雄の肩書きは、何をするにも特別な物として付きまとってくれるのだ。その状況で地方の高校で教鞭をとるのは、実質的に不可能としか言いようが無かった。

「彼だったら、それぐらいのことは分かっていると思うのだけど?」
「分かってはいるが、考えないようにしているというのが正解だろうな。
 まあ4年後も今のままかというのも、よく分からない所はあるがな。
 さもなければ、先輩二人のせめてもの願いを叶えようとしているのかも知れない」
「せめてもの願い?」

 何と考えた神前だったが、すぐに「ああ」と思い出した。

「でも、それってすでに破綻してない?」
「破綻してそうで、それでいて破綻していないのが今の状況だな。
 これだけ回りが大騒ぎになっているのに、ジャージ部の活動はほぼ今まで通りに行われている。
 しかも、幽霊じゃない部員が二人も増えることになっている」

 外野はうるさくなっているが、二人の望む居心地の良い場所と言うのは守られているのだ。そう言われれば、確かにジャージ部の活動は守られていた。一次選考に通った後も、多少制限があっても助っ人に全員が走っていたのだ。

「校内も、結構騒ぎになっているんじゃないの?」
「葵の報告では、結構どころか大騒ぎと言うのが今の状況らしいな。
 それでも、彼女たちは楽しそうに助っ人家業に励んでいるそうだ」

 二人を良く知っているだけに、後藤と神前は、袖まくりをして走り回っている光景を想像した。その楽しそうな様を思い浮かべると、つい口元も緩んでしまうと言う物だ。

「……青春しているのね」
「ああ、俺たちにも有ったはずの青春だな……」

 二人が遠い目をしたのは、ん十年前を思い出したのかも知れない。二人には珍しくほんわかした空気に包まれた所で、神前は何かが違うと気がついた。

「ねえ、あの二人の願っている事って、実は正体をばらしても大丈夫なんじゃないの?
 かなり騒がしくなるとは思うけど、今だって世間常識に比べて十分騒がしいでしょう?
 それに、高知の前だって、あの子達って落ち着かないことこの上ない活動をしていたじゃない」

 その指摘に、「まさか」と否定しかけた後藤だったが、もう一度考え直してみたら、かなり当たっていることに気がついた。

「そう言われれば、確かにそう言う所があるな……
 遠野マドカについては、“お祭り好き”と言う分析がなされている。
 今の状況は、まさに毎日がお祭りというところだろう」

 神前に指摘されたことは、確かに思い当たる節が多すぎたのだ。アメリカやモロッコでも、騒がれては居なかったが、関係者には英雄であるのは知られていたのだ。それを考えれば、コントロールさえ気をつければ、正体をばらしても大した問題になるとも思えなかった。
 そして正体をばらしてしまえば、色々な問題にけりが付くというメリットがあったのだ。訓練もやりやすくなるし、緊急招集にも気を遣う必要が無くなる。マスコミに対して嘘をつき続ける必要も無くなってくれるのだ。騒ぎなどは、瞬間的に盛り上がりはしても、さほど長く続きはしないだろう。

「ねえ、そろそろばらし方とタイミングを考えた方が良いんじゃないの?
 そう言う意味では、陛下にお褒めいただくと言うのが、一番良い方法にも思えるけど?」
「そのあたり、マドカちゃんに相談をしてみるか……」

 ここでシンジの名を出さないのは、誰を落とすのが適切か分かっているからに他ならない。先輩二人の希望を叶えるためと言うのが理由なら、その先輩二人に納得させればそれで全ては解決することになる。
 意外にあっさりと受け入れられるのではないか。神前の言葉に、後藤はそんな事を考え始めていた。

「ところで、マスコミのパイロット探しはどうなっているの?
 先日の記者会見でも、そればっかりだったでしょう?」
「そのあたりは……実は奴らはもう探していないんだ」

 そこで苦笑を浮かべた後藤に、「なんで」と神前はストレートに聞き返した。

「彼が、記者会見で言った言葉を覚えているか?
 ここに基地が設置される前には、誰もヘラクレスの訓練を受けていない。
 それは、厳然たる事実として彼らの前に横たわっているんだよ。
 そして訓練を受けるとしたら、サンディエゴかカサブランカと言う事になる。
 ただ、それが出来るのだったら、日本から送り込まれた候補が別の者になっていただろう。
 更に言うのなら、日本基地の位置づけが国連発表とは異なるものになったはずだ。
 そして基地整備に伴い、日本でも継続して訓練が行われなければ話に合わないだろう。
 それは、彼に指摘されなくても、誰もが問題としていたことなんだよ」
「だから、捜索は諦めて、公表されるのを待つ事になったの?
 そうなると、早く発表しろって圧力が凄くなるわね」

 探偵ごっこを諦め、早く正解を教えろと迫ってくる。壁に突き当たったのなら、そう考えるのが当然だと言えるだろう。

「ところが、意外にも圧力は弱くなってきているんだ。
 先に言っておくが、新しい餌が効いたというわけではないからな」
「だったらなんで?」

 パイロット候補が公開されたとは言え、秘密のパイロットの正体と言うのは、未だ最大の関心事に違いないはずだ。その捜索が諦められ、しかも公開への圧力も減っていると言う。それがパイロット候補の公開が理由ならばまだ分かるのだが、違うと言われると「だったらどうして」と聞きたくなるのも当然だった。

「まさか、彼らがそうだとまだ疑っているわけ?」
「そのまさかって奴だ。
 絶対に越えられない壁って奴がある以上、誰を連れてきたって超えられないんだよ。
 それこそ西海岸のアテナが居た所で、秘密のパイロットの代わりはできないんだ。
 彼らがそれに気付いた時、実は壁を気にする必要がないと考える様になったと言う事だ。
 絶対に超えられないのなら、それ自体を無視して候補を考えれば良い。
 そうなると、必然的に該当者と言うのが明確になってくるんだよ。
 そして、記者会見の受け答えで、彼らは推測を確信に変えた。
 余所から来た二人と比較して、格の違いと言うのがはっきりとしただろう?」

 証拠がない限り、どこまで行っても心象から脱することは出来ない。だが冷静になって考えれば、奇跡を説明すること自体に無理があったのだ。だったら、状況証拠と心象を根拠すれば良いだけと言うことになる。それだと、S高ジャージ部の4人は、間違いなくクロと言う事になる。

「S高の生徒会長様も、壁以外はクロとなる事実を積み上げてくれたのだろう?
 そう言う意味では、誰もが彼らが秘密のパイロットと考えていると言う事だ。
 最後の種明かし、それを関係者からなされるのを待っていると言う事だな」
「確証が無いから騒がないけど、今更別の候補など見つかるはずがない。
 だからXデーが何時になるのか、それを待っていると言う事ね。
 そう言う意味で、陛下への謁見はXデーとして打って付けって事になるわけね」

 発表する舞台として、これ以上ないことだけは確かだろう。そして陛下に嘘を吐かせないと言う事でも、非常に大きな意味を持ってくることだった。

「すでに、内閣からはスケジュール調整中だと発表されている。
 今のところ、S高の期末テスト後と言うのが有力候補だ」
「つまり、今月末がXデーって事になるのか……」

 待たせる時間としては、妥当な長さだと考える事が出来る。そしてそこで発表されるのであれば、パイロット探しをする必要がないのも理解できる。むしろ彼らがしなければいけないのは、いかにその発表を盛り上げ、詳細に取り上げるのかと言う事だ。すでに軸足が発表後に移っているのなら、公開圧力が減るのも当然のことだった。

「そう言う事なので、ジャミングとYテレビが狂喜乱舞していると言う事だ。
 なにしろ彼らのところには、S高ジャージ部の映像がたんまりとあるからな」
「でも、余所はそれじゃ収まらないんでしょう?」

 そうなると、新たな映像を捜すことになる。そう言った意味で、自衛隊、ギガンテス対策日本基地には、様々な映像データが蓄積されている。そこに目を付けるのも、ある意味当然のことだった。

「うちは、一応否定している立場だからな。
 だから画像提供依頼が来ても、今のところは理由がないと拒否している。
 まあ元トップアイドル様に関して言えば、映像データは山のようにあるから良いだろう。
 肝心の3人に関して言えば、彼らの作った自主映画がターゲットだろうな。
 もっとも文化祭前の公開は無いだろうから、ネットにアップされている予告編が中心だろう。
 騒ぎを長引かせないためには、ここで発散させた方が賢明なんだがな……」
「どこまでエスカレートするのか分からない以上、それも保証の限りじゃないわね」

 吐き出すだけ吐き出させれば、騒ぎの収束も早くなると考える事が出来る。ある意味正論なのだが、溜まりに溜まったマグマの量が膨大なのも確かだった。だから正論とは言え、本当に大丈夫だと言い切ることが出来ないのも確かだった。

「協力を得る最重要課題と言う事もあり、別チームで検討している所だ。
 彼が言う通り、パイロットの使命はギガンテス殲滅にある。
 それ以外で余計な負担を掛けるのは、これからの戦いの足を引っ張ることにもなりかねないからな。
 少なくとも、余計なストレスを掛けないことに重点を置く必要がある」
「私たちが、防波堤にならないといけないって事ね……」
「真面目な話、そうしないと本当に海外に逃げられるからな」

 記憶を取り戻すという脅しより、今は海外に逃げるという脅しの方が日本国内では効果的なのだ。それをさせた時点で、間違いなく内閣がつぶれることになる。そして日本国内で、犯人捜しが始まることになる。そうなると、後藤が一番最初に狙われるのは間違いないだろう。
 それが一番の悩みだとぼやいた後藤に、「最重要課題」だと神前も同意した。

「アメリカだったら、マイアミに豪邸を用意してくれるでしょうね」
「どこの国でもそうだ。
 彼を引き抜けるという話になったら、破格程度じゃ済まない条件を出してくるだろう。
 日本との関係悪化なんて、多分どこも気にしないだろうし、
 抗議をした所で、逃げ出すきっかけを作ったお前達が悪いと言われてお終いだからな」

 それを考えると、暗澹たる気持ちしか沸いてこない。暗い気持ちになった後藤は、「世界は動き始めている」と公開後の事を持ちだした。

「サンディエゴ、カサブランカの両基地から、日本で研修を受け入れろと言う要求が来ている。
 彼らの正体を公開した後なら、受入をしても構わないだろうと言うのが彼らの言い分だ」
「普通なら、立場が逆って言いたい所ね……普通なら」

 神前が“普通”を強調したのは、その“普通”ではないことが両基地で起きたと言う事である。サンディエゴでは、それまでとっていたフォーメーションより優れたものを提示し、カサブランカではパイロットの訓練において、重大なブレークスルーを提供してくれた。その実績を見せつけられれば、日本で訓練をしたいと考えても少しもおかしくなかった。その方が効果があるという主張は、間違いなく正解なのだろう。
 ジャージ部海外合宿前は、「そんな都合の良い育成方法は無い」と突っぱねていたのだが、それが嘘ではないにしろ、両基地よりは有能な教官が居ることを証明してしまったのだ。それがある以上、研修を受け入れろと言う要求は、極めて真っ当なものだったのだ。

「そんなことになったら、日本の基地が一躍世界の中心になるわね」
「余所とは、蓄積が全く違うんだけどな……」

 ただ一人の天才が居るのかも知れないが、教育というのはそれだけで回っていくものではない。各種インフラの整備も必要と言うのもあるが、その一人以外は素人しか揃っていないのが日本の実体だったのだ。エースパイロットに全ての研修を受け持たせるというのは、どう考えてもあり得ない措置に違いなかった。

「うちのシミュレーター、そんなに性能良かったかしら?」
「シミュレーターもそうだが、ヘラクレスを動かす広い敷地も必要になるんだぞ。
 ますます篠山の懐を潤わせることになってしまう……」

 基地の回りの広大な空き地も、全て篠山の持ち物となっていた。それを考えると、演習用の用地確保自体は難しくないのだろうが、借地料が全て篠山の懐に入ることになる。

「ヘラクレスの動いている所が見えると言うのは、立派な観光資源になるわね。
 彼って、婿入りしなくても十分に篠山に貢献している事になるのね」
「そう言う意味なら、S市全体に対してもそうだな。
 うちからの直接税収、そして基地関係者が周辺に落とす金。
 基地目当ての観光客が落とす金と、ちょっとしたバブル状態だ。
 今後基地が本格稼働することで、更に出入りする人口が増えることになる。
 いつまで続くのか分からないが、ギガンテスが襲ってくる限りS市は安泰だな」

 税収以外にも基地設置による保証金まで入ってくるのだ。一地方都市としては、破格の収入と言って差し支えないだろう。その状況を作り上げたことからも、S市における篠山の地位は盤石だと言う事が出来る。

「そうやってみると、篠山ユキタカ氏って凄いのね」
「ああ、まさに時代の寵児と言う所だな。
 彼一代で、田舎の有力者が全国区になったんだからな」

 そして手駒として、新たに「英雄」を抱え込もうとしている。後継者に据えられれば、まさに篠山家は安泰と言う事になる。

「後は、娘の婿に迎えられれば万々歳ってところだな」
「それが一番難しいって言うのが……世の中良くできているわね」

 どんな所にも落とし穴はある。それは、順風満帆のはずの日本基地にも言う事が出来るだろう。まず気をつけなければならないのは、余計な妨害工作への備えと言う事になる。些細な見落としが、取り返しの付かない自体を招きかねない。そう言う意味では、一人の高校生頼りと言うのも、危うい基盤に違いなかった。
 それもあって、後藤はサポート体制の充実を急いでいた。少なくとも、S高ジャージ部とは良好な関係を築けている。それを維持することが、確実な迎撃態勢確保の第一歩となってくるのだ。



 月曜と言うのは、まさにシンジにとって落ち着かない一日と成った。朝のどたばたから始まった騒ぎは、陸山の言う緊急全校集会で一番の盛り上がりを見せた。そこから先は、その盛り上がりを持続したまま、S高全体が落ち着かない空気に包まれたのだ。しかも質が悪かったのは、落ち着かない空気に当てられたのは、なにも生徒達だけではなかった事だ。校長まで巻き込んだ騒ぎのせいで、午前中はまともな授業が成立しなかった。緊急全校集会の後、ジャージ部の4人は校長室に呼び出されたのだ。
 葵に連れられて校長室に現れたシンジ達は、そこで「市民表彰」と言う話を聞かされた。市として、S高の4人を表彰するというのである。「やりすぎでは?」と苦情を言ったシンジに、校長の舞鶴もやり過ぎを認めてくれた。そしてその上で、仕方が無いと諦めたように言ってくれた。

「まだ何も実績を上げていないのだから、間違いなくやりすぎなのは確かだろう。
 だが市長からの正式要請だから、断るわけにはいかないと言うのが正直な所だ。
 しかし君達ジャージ部は、本当に色々な騒ぎを起こしてくれる……」
「悪いことはしていないつもりですが……」

 夏休み明けからの騒ぎについては、全面的にジャージ部に責任があるのだろう。それを校長がぼやくのも、ある意味同情すべき事なのかも知れない。それにしても、責任の一部は学校側にもあるというのがシンジの気持ちだった。少なくとも「ヒ・ダ・マ・リ」については、学校側の依頼に沿っただけのことだった。
 そして「悪いことはしていない」と言うシンジに、確かにそうだと舞鶴は認めた。客観的に見て、ジャージ部の素行に問題があるわけではない。むしろ、褒められることをしていると言うのが実体だろう。ただ褒められることが、あまりにも世間への影響が大きすぎただけだった。

「私としては、これ以上ないことを願っているのだがな」

 世間から褒められることと言っても、あまり度重なると学校にとって大きな負担となる。とても実感の籠もった舞鶴の言葉だったが、まだ甘く見ていると言うのがシンジの感想だった。

「残念ながら、S高祭が待っていますよ。
 映画研究会の作った自主映画のことを忘れないでくださいね」

 今回の件が無くても、自主映画は世界的に注目を集めていたのだ。そこに来て、ジャージ部が更に有名になってしまったのだ。この状況でジャージ部が主演となる映画が公開されれば、騒ぎが起きるのは約束された様なものなのだ。果たしてS高祭だけの公開で世間が納得してくれるのか、それを含めて、叱ることの出来ない「お騒がせ」が約束されていたのだ。

「S高祭か……本来映画研究会は視聴覚教室を使うのだが……」

 たかが50名程度の収容人数では、間違いなく希望者を捌くことは出来ないだろう。体育館を使ったとしても、捌ききることが出来るか疑問だった。それでも、混乱を最小限に収めるためには、より広い会場の確保は考慮しなければならない。また、混乱回避のためには、会場の警備にも配慮が必要となる。
 そこで警備の面で、同席した葵に自衛隊の意向を確認することにした。

「そのあたり、自衛隊の協力を期待して良いのだろうか?」
「彼らがパイロット候補ですから、出来るだけのことはさせていただきたいと思います。
 学校回りの警備、各拠点への人員の配置は計画されています」

 自衛隊員の顔をした葵は、舞鶴に向かって全面協力の約束をした。世界的にも貴重なパイロットなのだから、その安全には最大限の注意を払う。迎撃を与る自衛隊として、それは当たり前すぎる責任だった。

「自衛隊の協力に感謝します」

 葵に礼を言った舞鶴は、「ところで」と言ってシンジ達の顔を見た。その顔がかなり真剣なのは、よほど切羽詰まっていたのかも知れない。

「ほかに、騒ぎのネタはないのだろうな?」

 学校の責任者として、その質問は正当な権利の元に発せられたものだろう。ただ正当な権利は認められても、全てを話して良いのかは別問題となる。ちらりと葵の顔を見たシンジは、お約束の「守秘義務」と言うのを持ちだした。

「残念ながら、僕達もパイロットに関わる事は話せないんです。
 すでに候補登録された時点で、守秘義務に関する契約を結んでいます」

 その答えから導き出されるのは、まだ騒ぎの元は残っていると言う事になる。「何」は分からなくても、それだけで十分な回答にはなっていた。

「まだまだ、騒ぎが起こる可能性があると言うのは理解した」

 少し疲れたように言った舞鶴に、シンジは意味のない保証の言葉を口にした。ただ保証にした所で、騒ぎを否定するものでは無かったのだが。

「少なくとも、S高生徒として恥ずかしくないことだけは保証できると思います」

 生徒が褒められることをしたのだから、それを迷惑と考えては絶対にいけない。それにしても、世の中限度というものがあるのも確かだった。ただ舞鶴は、教育者の誇りのためにもそれを口にはしなかった。

 結局大した話もしないまま、S高ジャージ部及び顧問は校長室を後にした。時間を見れば、すでに3限となっているのだが、今のままではまともな授業になってくれないだろう。特に4人の居るクラスは、今日一日は授業にならないのが約束されたようなものだった。間もなく期末考査が始まることを考えたら、本当にそれで良いのかと言いたくなる状況だった。

「葵さん、慌ててクラスに戻る必要はありますか?」

 それを質問するのは、今の状況を考えれば不思議なことではないのかも知れない。校長室を出たところで、ナルがそれを口にしたのも、誰がと言う意味を除けば、質問としては真っ当なものだろう。

「君達がS高の生徒だと言う事を忘れないでね。
 学生の本分は勉強することにあるのよ」

 つまり、今の状況に疑問は感じても、やることはやれと言う事になる。それを確認したナルは、なぜかシンジに付き合って欲しいと部室に行くことを言い出した。

「葵さん、4限に間に合えばいいですよね?」
「まあ、それなら妥協できる線でしょうね」
「じゃあ碇君、ちょっと部室に付き合ってね」

 こっちと言って、ナルは他の二人を置き去りにしてシンジを連れて行った。結構強引に、そして少し慌てた様子は、十分に何かあるように見える態度だった。

「遠野先輩、鳴沢先輩が何をしようとしているのか知っていますね?」

 普段なら一番心配しているはずのマドカが、何も言わずにナルを見送っている。そこから導き出される答えに、アサミは「なんですか?」とマドカにその理由を聞いた。

「う〜ん、知ってるって言うより、気付いているって言う方が本当かな?
 でも、これはナルちゃんの事だから、教えるわけにはいかないよ。
 どう言う用だったのかは、後から碇君に聞いてくれないかなぁ。
 まっ、アサミちゃんが心配する必要は無いと思うよ」
「先輩がそう言うんでしたら……」

 誰よりも自分達のことを応援してくれている人の言う事だから、アサミは大人しく引き下がることにした。それに、シンジならば何があったのかを正直に教えてくれると信じていた。

 誰もいない部室に連れ込んだところで、ナルは一度大きく深呼吸をした。そしてもう一度小さく深呼吸をしてから、「碇君」と普段にない真面目なかでシンジを見てきた。

「何でしょう、鳴沢先輩」

 一体何を切り出されるのか。ただならぬナルの様子に、シンジは少し身構えていた。そんなシンジの前で、ナルは目を閉じもう一度小さく息を吸い込んだ。そしてゆっくりと息を吐きだしてから、ぱちっと目を大きく見開いた。

「私は、碇くんのことが好きなの。
 キスしたいしエッチな事をしたいし、ずっといっしょにいたいと思ってる!
 お願い、私と付き合って!!」

 覚悟を決めたのか、ナルはシンジに告白をしてくれた。まさかの出来事に驚いたシンジは、大きく目を見開き、しばらく答えを返すことはできなかった。

「え、えと、その……恐縮です……」

 そこでまともな答えを返せなかったのは、シンジとしてもあまりにも想定外の出来事だったからだろう。それでもいけないと気持ちを落ち着け、シンジもまた小さく深呼吸をした。

「ごめんなさい、僕には堀北さんという付き合っている人がいます。
 だから鳴沢先輩の気持ちは嬉しいんですけど、お付き合いすることはできません」

 そう答えたシンジは、もう一度「ごめんなさい」とナルに謝った。不思議な事に、断られた方は特に落胆した様子を見せていなかった。

「そんなに何回も謝らなくていいわよ。
 もともとダメ元って言うか、駄目なことを前提に告白したんだから。
 やっぱりさぁ、こういうのってちゃんと区切りをつけないといけないでしょう?」
「区切り……なんですか?」
「そっ、区切りよ」

 う〜んと伸びをしたナルは、こともあろうに「すっきりとした」と言ってくれた。

「ここの所、ずっとモヤモヤしていたんだ。
 碇君にも注意されたんだけど、勉強にも集中できなくなっていたしね。
 碇君に「集中できていませんね」なんて言われたら、「お前のせいだ」って言い返したかったし。
 パイロットのテストを受けた後も、やっぱり碇君のことが気になって仕方がなかったしさ。
 だから、きっぱりと振ってくれてすっきりとしたんだ」

 そう告白されても、何を言ったらいいのか分からなかった。一所懸命言葉を探したシンジに、ナルは右手を上げて「何も言わなくてもいい」と先手を打った。

「私の中でけじめを付けたかっただけよ。
 碇君が変にお茶を濁した答えをしなくて良かったと思ってるんだ。
 もしかしたら、碇君に告白したって思い出が作りたかっただけかもね」

 うんうんと頷いたナルは、「ありがとう」と曇りのない笑をシンジに向けた。

「私達のために、碇君に無理をさせているのは分かっているのよ。
 だから、一つだけ碇君を楽にさせてあげようかなって思ってる」
「僕を、楽にさせてくれるんですか?」

 「なんですか?」と聞いたシンジに、「私達の正体」とナルは答えた。

「私達が我儘を言ったから、随分と碇君に無理をさせていると思っていたの。
 でも、海外に行ったり、パイロットのテストを受けたりして、自分達が何をしたいのかが分かったの。
 正確に言うのなら、何を守りたいと思っていたのかが分かったってところかな。
 碇君やアサミちゃんや、キョウカちゃん……こうしてみんなと一緒にいられる時間が守りたかったのよ。
 正直、静かにって言うのは私達の性分じゃなかったのよね。
 マドカちゃんを見れば分かるけど、私達って性格的にお祭りが大好きなのよ。
 だからみんなが揃ってワイワイと騒いだり、こうして大騒ぎになるのも苦痛じゃなかったの。
 ただ騒ぎの中でも、隣にマドカちゃんがいて、碇君やアサミちゃん達がいる。
 それさえ叶えられたら、他のことなど大したことじゃないって気がついたのよ。
 まあ、その分碇君には別の面倒をかけるかもしれないけど、私達を振った償いだと思って諦めて」
「私達って……」
「私とマドカちゃんよ。
 私の方が深刻そうだったから、マドカちゃんが譲ってくれたのよ。
 まさか碇君、マドカちゃんに告られたらアサミちゃんから乗り換えるって言わないわよね?」

 笑いながら言っているのは、それがあり得ないことを分かっているからだろう。そして釣られるように笑ったシンジは、「二股の方法を考えます」と冗談を口にした。

「ほほう、マドカちゃんの方が私よりいいんだ?」
「遠野先輩の方が、少し胸が大きいですからね」
「だったら、キョウカちゃんの方がもっと大きいじゃない」
「篠山からは、愛人にしてくれればいいって言われていますよ。
 あいつ、名家の跡取りって立場をどう考えているんでしょうね」

 苦笑したシンジに、同じように苦笑を浮かべ、持ちかけ方が間違ってるとナルは言った。

「そう言う場合は、キョウカちゃんが碇君を愛人にするのが定石よね?」
「お昼のドラマあたりなら、そう言う話もあるんでしょうね。
 まあ、少なくとも高校生の男女が考えることじゃありませんよ」

 シンジの言葉に、「そうね」とナルは答えた。そして「責任はとってね」と身に覚えのないことをシンジに要求した。

「なんです、責任を取らなくちゃいけないことをした覚えはないんですけど?」
「いやいや、十分に責任を取る必要はあると思うわよ。
 何しろ碇君は、私達4人に恋をさせた責任があるんだからね」

 「だから」とナルは、今までと違ってとても真面目な顔でシンジを見つめた。

「だから、私たちの前からいなくならないで。
 碇君はいつまでも碇君のままでいて。
 記憶のこととか難しいことは分からないけど、私達の好きな碇くんのままでいてね。
 それが、碇君の私達に対する責任だと思って」

 それ以上は何も望まない。曇りのない笑みを浮かべたナルは、「ありがとう」とシンジにお礼を言ったのだった。







続く

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