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 9月1日は、S高にとって長い夏休み明けを意味していた。それが土曜と言うのは、学校行事にとって意味のある指摘ではないのだろう。そして翌日が休みというのは、更にどうでもいいことなのかもしれない。ほとんど宿題の回収と生徒の安否確認のためだけに、夏休み明け初日は9月1日の土曜日に設定されていた。
 S高自体、年間2期制をとっていた。その為、夏休み明けの始業式も、さほど仰々しいものにはなっていなかった。その中で9月にある大きなイベントは、半月後に迫った期末試験だろう。特に3年にとっては、推薦入学の選考基準となるテストとなっている。後期の中間試験と合わせて、将来を決めるテストだった。

 もっとも将来を決めるのは、3年生だけの事情だった。それもあって、シンジのクラスもまだ夏休み気分が抜けていないようだった。出てきた翌日が休みなのだから、夏休み気分が抜けないのも無理のない話ではある。

「あーっ、瀬名さんが夏休み前に転校したことはみんな知っていると思う。
 非常に残念だが、家庭の事情とあればしかたがないだろう。
 どうもお母様の都合で、北海道の方に転校されたということだ。
 いいぞぉ、北海道は、広い大地に冬には雪が降るんだからな」
「先生、こっちでも雪は降るんですけど?」

 担任のボケに、誰かが突っ込みを入れた。山に囲まれたS市では、極稀に雪が降ることがある。それに標高の高いところにいけば、雪などさほど珍しくもない。雪が降ることで「北海道は良い」と言われても、生徒たちにピンと来るはずがなかったのだ。

「ん、ああ、そうだったな。
 とにかく、地平線が見えるのは絶景だぞ……まあ、北海道がいいのは本筋じゃないな。
 瀬名さんが引越ししたので、クラス委員に空席が出た。
 本来なら代わりの指名が必要なところだが、碇、別に一人でも問題はないよな」
「ずっと一人ってことでなければ」

 何人かの女子生徒は、「なぜそこでできないと言わない」と心の中で文句を言っていたりした。だがシンジが「いい」と言うのだから、自分がやると言い出すことはできなかった。

「じゃあ、後期が始まったところで新しいクラス委員を決めよう。
 それまでは、忙しそうだったら誰か手伝ってやれ。
 以上だ、これで今日のホームルームは終了する」
「起立っ! 礼!」

 これもクラス委員の仕事なので、シンジが全員に号令を掛けた。礼が終わったところで、担任は「早く帰れよ」と背中を向けて教室から出ていった。必要なことは伝達したし、回収するものも回収した。やることをやった以上、いつまでも教室にとどまる必要もなかったのだ。
 それは生徒の方も同じで、せっかくの土曜日を満喫しようと考えていた。それはシンジの事情も同じで、いつも通りジャージ部の部活に行こうと荷物をまとめた……と言うほど荷物はなかったのだが、サブバッグを持って教室を出ようとした。来た時に比べて、課題を提出した分だけ軽くなっていた。
 だが彼の悪友は、すんなりと彼を解放するつもりはなかったようだ。シンジが席を離れたのと同時に、茶化すように声を掛けてきた。

「シンジ、これから“デート”か?」

 分かっていてなぜそれを聞く。悪友のいきなりの蛮行に、シンジは思わず天を仰いでしまった。せっかく目立たないように教室を出ていこうとしたのに、これではすべて水の泡ではないか。そしてシンジが観念した通り、クラスのほぼ全員が周りを取り囲んでくれた。

「ねえ碇君、堀北さんと付き合っているってホント?」
「やったのか、やったのか、やったのか?」
「ねえ、いつの間にそんな関係になったの?
 やっぱり、瀬名さんが転校したのがきっかけ?」
「実は、最初っから二股していたとか?」
「やったのか、やったのか?」
「堀北さん、夏休み前よりも綺麗になったよね?」
「それで、本当に付き合い始めたの?」

 一斉に声をかけられては、シンジでも答えるのが難しくなってしまう。しかもどさくさに紛れて、とても不穏当な質問まで含まれていた。どうしてこんなことになる。悪友の嫌がらせにため息を吐いたシンジは、仕方がないと椅子に座り直した。

「隠すことでもないから正直に言うけど、付き合っているよ。
 それから一つ断っておくけど、僕はこれからジャージ部に顔を出すんだからね」
「ジャージ部に行けば、堀北さんが居るんでしょう?」
「遠野先輩達も居るんだよ。
 それから、今日の予定は弦楽部と空手部、それから写真部に行くことになっているよ。
 写真部は、映画研究会の自主制作映画のポスター写真を撮るために行くんだ。
 そう言えば柄澤、お前も一緒に写るはずだっただろう!」

 不穏当な質問は、綺麗サッパリ無視することにした。そしていままで通りだと、はっきり言い切った。ただこの反応は、クラスメイトには評判が宜しくなかった。

「ちぇっ、付き合っているのを否定するかと思ったわ。
 これじゃあ、からかいようが無いわね」
「からかうって……そういうのはやめて欲しいんだけどな」

 苦笑をしたシンジに、「仕方がないでしょう」とからかうと言った女子、涌井ミコノが言い返した。

「碇君って、結構奥手だったからからかいがいがあったのよ。
 その碇君が、S高で一番高めの女の子を落としちゃったんだもの」
「涌井、悔しいなら悔しいって言っていいんだぞぉ」
「なっ、香坂、私はべ、別に、悔しくなんか無いんだからねっ!」
「そんなに顔を赤くしていて、説得力があると思っているのかぁ」

 話が少しそれたことに安堵し、シンジは部活に行こうと立ち上がろうとした。だがそれは、夏休み明けの生徒として、かなり甘い考えに違いなかった。男女関係と言うことを除いても、シンジのいるジャージ部は話題の中心になっていたのだ。だから「まあ待て」と、肩を抑えられてしまった。

「男1人、女4人で海外合宿に行ったんだろう?
 それで、そっちの成果を聞かせてもらっていないんだが?」
「成果って……レポートなら、ちゃんと校長に提出したよ」
「そんなもの、俺達の目に届くと思っているのか?」

 なあと同意を求めた香坂に、集まった全員が「その通り」と大きな声で賛同した。

「堀北さんのことは分かった。
 だったら、それ以外のことを教えてくれてもいいんじゃないのか?
 お前たちジャージ部は、憧れの地サンディエゴとカサブランカに行ったんだぞ。
 二人のエースパイロットに会ったんだろう?」
「そりゃあ、会うには会ったけど……」

 会う以上のことがあったのだが、それを話していいものか。柄澤には教えてあっても、さすがにインパクトが大きすぎるとシンジは思っていた。
 だが人の口に戸を立てられぬと言われている通り、やはりと言うか、悪友様がシンジの蛮行をばらしてくれた。

「碇のやつ、アスカさんとディズニーでデートをしたらしいぞ」

 なぜその話をここで持ち出す。シンジは柄澤を睨んだが、全ては後の祭りというものだった。「ええっ」と言う歓声とともに、男子全員がシンジに詰め寄った。

「碇、俺はお前のことを殴ってもいいか?
 堀北さんと付き合っておきながら、いきなりの浮気は許されないだろう!」
「仕方がないじゃないか、向こうの偉い人に頼まれたんだからっ!
 有名人過ぎて息苦しい思いをしているから、申し訳ないが連れ出してくれと頼まれたんだよ。
 カムフラージュ用の車とかまで用意されていたんだ、断るに断りきれなかったんだよ!
 お陰で、ジャージ部全員からおもいっきりからかわれたんだぞ!」

 少しムキになって言い返したシンジに、「美味しい思いをしやがって」と男子全員に追求された。どんな事情があっても、西海岸のアテナとデートをした事実に変わりはないと言うのだ。その意味で、男子たちの主張に間違いはなかった。

「美味しい思いって言われても……全速力でアトラクションを回り続けたんだぞ。
 なんで、遊園地を回って翌日筋肉痛が出るんだよ。
 あれじゃあ、何かのチャレンジ番組としか言い様がないんだ」
「だからなんだ、デートした事実に変わりはないだろう?」

 「ああん」と全員に睨まれ、「そうだよ、悪かったな」とシンジは開き直った。

「だったら、カサブランカではカヲル様とデートしたの?」
「いやっ、カヲル君は男だよ?」

 なんで男とデートという話になる。すかさず言い返したシンジに、「カヲルとデート」を持ちだした有坂タマキは、きょとんとした目をシンジに向けた。

「男相手だと、なにか問題があるの?」
「問題があるのって……有坂さん」

 真面目に聞き返されると、どう反論していいのか困ってしまう。絶対にばらすことができないが、下手をしたらその流れになりかけてもいたのだ。

「だぁって、カヲル様ってものすごい美形でしょう?
 だったら、男同士だって絵になると思うのよ。
 シンジ君……カヲル君って、二人で見つめ合っちゃってさ」

 きゃあと身悶えられると、本気で答えていいのかどうかわからなくなる。ただシンジとして否定する必要があるのは、自分にはその趣味がないということだ。

「なんで、アサミちゃんと付き合い始めたのに、男に走らなくちゃいけないんだよ」
「それはそれ、これはこれって考え方も有るでしょう?
 男と女は別腹ってことで」
「そんな考え方は絶対にないよ!」
「でも、カヲル様と会ったのは嘘じゃないんでしょう?」
「懇親会とか、世界遺産観光で一緒になったよ。
 もっとも、世界遺産観光ではカヲル君は遠野先輩達のグループだったけどね」
「遠野先輩かぁ、意外と盲点だったかもしれないわね。
 本当にフリーだって伝わったら、かなり告白されるんじゃないの?」

 その辺りの評価に対して、シンジとしても異論を挟むつもりはない。何しろシンジ自身、告白組の一人なのだ。そして討ち死にしたからこそ、今のシンジがあることになる。

「その辺りは、本人の意識次第だと思うよ。
 ただ先輩二人は、これから受験生モードに入るからどうだろうね」
「そっかぁ、3年生ももうすぐ後半に入るんだものね……」
「しかし、遠野先輩達は、進路はどうするんだ?
 受験生モードってことは、どこかの大学に行くってことだよな?」
「進路については、本人に聞いてくれないかな?」
「まあ、そりゃそうだな……」
「でもさぁ碇君、海外の基地見学に行くぐらいだから、ヘラクレスに興味が有るんだよね?」

 予想された質問に、シンジは用意してあった答えを返すことにした。

「そりゃあ、無いと言ったら嘘になるだろう?
 何しろ、高知の時は徹夜でテレビにかじりついていたからね。
 みんなだって、誰がパイロットなんだろうって盛り上がってたじゃないか」
「そう言えば、パイロットの名前に碇君達も上がっていたって知ってる?」
「その話は誰かから聞いたことがあるなぁ。
 誰だったか思い出せないけど、あり得ないって笑い飛ばされた気がするよ」
「確かにね、私達は碇君がヘタレていた時のことを知っているし」
「下山さん、ヘタレって言わないでもらいたいんだけど。
 克服したつもりだけど、やっぱり女の子に言われると辛いところがあるんだ」

 ふっと口元を歪め、シンジは「情けない」と自嘲するように顔を伏せた。だがシンジのポーズは、誰の共感も呼ばなかったようだ。落ち込むシンジに、「そんな事はどうでもいい」と切り捨て、下山ハルカは謎のパイロットのことをシンジに聞いた。

「高知の時とか、ニューヨークの時とか、碇君たちってすぐ近くにいたでしょう?
 特に高知の時は、そのものずばり基地にいたじゃない。
 秘密になっているパイロットについて、なにか情報を持っていないの?」

 パイロットの可能性は否定されていても、偶然居合わせたことは有名になっていた。だからこの質問が来るのも、ある意味当然のことだった。そしてシンジも、質問がある事自体は想定していた。

「残念ながら、一般人の目に触れる所にはそんな人はいなかったよ。
 それから下山さん、もしも僕達が知っていても教えられると思うかい?
 だから今の質問は、するだけ無駄な質問ってことなんだよ。
 そんなことより、みんなパイロットに応募したの?」

 話をそらすため、シンジは今一番熱い話題へと水を向けた。聞いた話では、何十万人もの応募が来ているという。だったらこの中から誰かが応募していてもおかしくないはずだ。

「う〜ん、この中だったら5、6人ぐらいじゃないのかなぁ。
 そう言うのって、みんなあんまり口にしないんだよね。
 そう言う碇君は、パイロットに応募するの?」
「その辺りは内緒……と言っても、多分すぐにばれることになるんだろうね。
 明日の朝一に、僕を含めてジャージ部の4人がテストを受けることになっているよ」
「ジャージ部の4人?」

 ひぃふぅみぃと指を折った下山は、すぐに数が合わないことに気がついた。

「5人じゃないの?
 さもなければ、3人」
「篠山家のお嬢様が、そんな危ないことをすると思う?」

 改めてそう言われれば、確かにその通りなのだ。ただそうなると、もう一人の一年生は応募したことになる。元アイドルだったことを考えれば、そっちもまた驚きだった。

「じゃあ、堀北さんは応募したんだ。
 それって、やっぱり碇君が理由なの?」
「いやぁ、改まって言われると照れるなぁ」

 はっはっはと笑ったシンジに、そう来たかと全員が呆れた。珍しくパイロットの話をしたと思ったのだが、目的がのろけにあるのだと気付かされたのだ。

「碇君、言うようになったわね」
「念願の彼女ができたからね、少し舞い上がっているんだよ」

 悪いかと開き直ったシンジに、「ごちそうさま」と全員が追求を止めることにした。照れるなり隠すなりされれば、からかいようもあるし、いじめ甲斐もあったのだ。だがあっけらかんと開き直られると、あてられるだけで馬鹿らしくなってしまう。
 しかも幸せそうにされると、やっていられるかという気持ちになる。だから聞くだけのことは聞いたと、全員シンジを解放するという選択をした。「良かったな」と言う気持ちは少しあったが、それ以上に「どうして碇ばかり」と言う嫉妬があったのは言うまでもない。

 それでも騒ぎが大きくならなかったのは、仕方がないと言う諦めの気持ちが大きかったという理由がある。相手がアサミなら仕方がない、相手がシンジなら仕方がないというものである。追求がかなり生ぬるかったのは、その諦めのおかげなのだろう。「お幸せにぃ」と言う映画の台詞を背に受け、シンジは尋問会から解放された。



 いつもの通り職員室で鍵を確認してから、シンジは部室となっている地学準備室へと向かった。少し出遅れたおかげか、すでに誰かが鍵を持っていた後だった。いつも通りノックしてから地学準備室へと入ったシンジは、そこでナルの「早かったのね」と言う言葉に迎えられた。

「ええ、みんな追求に手心を加えてくれたようです」
「多分、面白味のない結果だったからじゃないの?
 虫除けにしていた時から、アサミちゃんって何かにつけて碇君ベッタリだったでしょう?」
「そう言われると、確かにそんな気もしますね……」

 入部間もない頃は、安全のためと途中まで送っていったこともある。そして部室から教室に行くときは、たいてい隣をアサミが歩いていた。それを考えれば、順当と見られてもおかしくないのかもしれない。
 なるほどとナルの言葉に納得したところで、そこに一つ語られていない事実があるのに気がついた。いろんなケースでアサミを送っていったが、すべてナルやマドカの指示があったはずだ。

「でも、たいていは鳴沢先輩や遠野先輩に送っていけって命令されましたよね?」
「一応碇君の下心と、アサミちゃんの希望に沿った形をとっただけよ。
 初日以外は、むしろ送ってもらうのが当然の態度をとっていたでしょう?」

 改めて言われれば、確かにそんな気がしてきた。それを認めて、シンジはナルの言葉に小さくうんと頷いた。

「そんなものですかね……」
「そっ、だから碇君は、いろいろな意味で私達に感謝しないといけないのよ」

 少し口元を緩めながら、ナルは少し偉そうにシンジに言った。二人に感謝と言う意味なら、シンジも否定するつもりはなかった。「そうですね」と素直に認め、「ありがとうございます」とお礼を言った。

「あらっ、今日はやけに素直なんじゃない?」
「この話をする時は、いつだって僕は素直ですよ」
「そうだっけ?」

 小さく首を傾げたナルは、まあいいかとそれ以上こだわることはしなかった。

「ところで、今日は遠野先輩はいないんですか?」
「マドカちゃんなら、もうとっくに助っ人にいっているわよ。
 碇君のお陰で、先生からのお小言もなかったから、早めに解放されたのよ。
 ほんとぉ〜〜に、ありがと」

 課題も宿題も完璧に終わっていれば、小言を言われる理由もなかったのだ。これで期末を無事乗り切れば、目指す目標に一歩近づいたことになる。

「いえ、まだお礼を言われるほどのことはしていませんよ。
 ところで、鳴沢先輩は助っ人に行かないんですか?」

 すでにマドカが出撃しているというのなら、ナルも助っ人に行っていてもおかしくないはずだ。そんなシンジの疑問に、「キョウカちゃん待ち」とナルは答えた。

「もうすぐ秋季大会が始まるから、キョウカちゃんと野球部の手伝いをしているのよ。
 だから一緒に行こうと、キョウカちゃんが来るのを待っているのよ。
 碇君は……最初は空手部だったっけ?」
「どうも、この前の死闘の続きをしたいみたいですよ。
 こっちも試合があるみたいで、実戦形式にいいらしいんです」
「碇君は、試合に出てあげないの?
 今だったら、立派に戦力になっていると思うわよ」

 その辺りは、空手部主将からも同じ誘いは受けていた。ただその誘いに対しては、いつもと同じ答えを返していたのである。

「ジャージ部は、あくまでお手伝いですからね。
 手伝いに行くだけの僕が、頑張っている人たちの代わりに試合に出ちゃ駄目なんですよ」
「まあ、碇君らしい理由って言えば理由ね」

 頑張っている人を手伝うのがジャージ部なのだから、成果を横取りしてはいけないというのである。シンジの答えに、「そうね」と笑ったナルは、今からどうするのかと聞いてきた。

「碇君は、アサミちゃん待ち?」
「お昼には、一度ここに帰ってきますからね。
 だから、そろそろ空手部に行く事にしますよ」
「お昼は、アサミちゃんの手作りお弁当?」
「何を今更言っているんですか?」

 そんなもの、夏休み中に何度も見たはずなのだ。その都度からかっていたことを、忘れたとは言わせない。

「それから鳴沢先輩、今日も勉強会を開きますからね。
 一度家に帰ってもいいですけど、僕の家に集まるのを忘れないようにしてください」
「えっ、明日テストを受けるからお休みじゃないの?」

 夏休みが終わったことで、逆に気が抜けたのだろう。ええっとと頭を掻いたナルに、始まったばかりだとシンジは苦笑した。

「別にお休みしてもいいですけど、後のことに責任を持ちませんよ。
 いいんですよ、いつだって見捨ててあげますからね」

 ふっと口元を歪めたシンジに、ナルはすぐさま「ごめんなさい」と謝った。ここで見捨てられたら、本当に職なしニートになってしまう。それ以前に、前期の期末試験を乗り切ることができないだろう。

「別に謝る必要はありませんけどね。
 遠野先輩に比べて、鳴沢先輩は少し遅れ気味ですよ。
 何か集中できない理由があるんだったら、遠慮なく言ってくださいね」
「べ、別に理由なんて無いんだけど……」
「だったら、もう少し集中して下さいね。
 少し、注意力が散漫になっているような気がしますよ」

 一応言うべきことを言ったので、それ以上の言葉をシンジは控えることにした。あまり追い詰めると逆効果だし、どこまで行っても本人の自覚とやる気が頼りなのは変わりない。期末試験が終われば、気分も変わるだろうとしばらく様子を観察することにした。



***



 知らなければ平気だったことが、気付いてしまうと不安でしょうがなくなってしまう。それは、日常の生活の中でもままあることだろう。例えば、携帯電話を忘れた時に、理由のない不安を感じてしまうのがそれに似ている。
 日本におけるギガンテス対策も、それに似たところがあった。サンディエゴとカサブランカ、両基地の不満を解消するためにシンジ達を派遣する。民間協力者の協力が得られたことで、関係者一同その時はほっとしていたのだ。少なくとも、国際問題の芽を潰すことが出来たのだと。

 だがアメリカ最大の都市近郊で発生したギガンテス襲撃で、一時的に日本の迎撃体制が消失しているのに気付いてしまった。その時日本のエースは、航空機で14時間離れたところに居て、通常のギガンテス襲撃においても、6時間程度間に合わない状況に置かれていたのである。ギガンテス襲撃が予測された時期に、敢えて戦力を外に出してしまったことになるのだ。襲撃地点がアメリカだから良かったような物の、これが日本だったら予期せぬ「悲劇」が発生していたことになる。
 そのためシンジ達が帰ってくる前から、政府上層部で緊急の対策会議が開かれたほどだ。その恐怖が背景にあったからこそ、パイロット公募が急がれたのである。

 そしてもう一つの問題は、たとえシンジ達が日本に居ても、基地に招集する口実が必要になると言う事だった。身近な所に居ることで安堵した後藤だったが、それを指摘された時点で、急遽口実を作る必要が出てしまった。協力の条件が秘密の厳守なのだから、秘密を守った上でいかにして口実を作るのか、良好な関係を維持するために、配慮が必要となったのである。
 そのためパイロットの試験を受けて貰うことにしたのだが、それまでにギガンテスの襲撃が有ったらと言う不安に襲われてしまった。迎撃自体に問題が出るとは思えないが、今まで作り上げてきた物が無駄になってしまう恐怖に襲われてしまったのだ。だから後藤は、決まっている予定の中に、何とか空きを見つけてテストの予定をねじ込んだ。それがシンジ達から指摘された1週間後、夏休みが空けた9月2日の日曜のことだった。

 後藤としては、ジャージ部5人全員がテストを受けるものだと思っていた。ここまでのテストで、カテゴリーAにランクされた受験者は未だ0だったのだ。それを考えれば、Aにランクされるパイロットは宝石のように貴重な物となる。だからキョウカが抜けることに対して、後藤は深く落胆したのである。
 だが一度は落胆した後藤だったが、冷静になったところで考えが変わっていた。相手が篠山だと言う事を含め、カムフラージュの面でもジャージ部から落伍者が出ることは都合が良いことに気付いたのだ。本当に必要なのは、シンジを含めた3名が試験を受けることである。

 パイロット公募の適性試験は、朝の8時から始められていた。そこから1時間毎に100名ずつ、夜の6時までに約1000名をテストするのである。8月20日に始まったテストは、昨日までで約1万1千名が終了していた。その結果、Bにランクされたのが10名、Cにランクされたのが120名となっていた。期待されたAランクは、未だ一人も現れていなかったのである。

 そして9月2日、第一斑の受験生の列に並ぶシンジ達を見て、後藤は第一段階はクリアしたことに安堵した。無事試験を終え、4人をAランクに認定すれば、これから基地に呼び寄せる口実が立つことになるだろう。初のAランクが出たこと、そして堀北アサミが居ることで、それなりの騒ぎが起きるのかも知れないが、ギガンテス襲撃に比べれば生やさしいことだと思っていた。
 後は、無事今日のテストを終えれば第一段階が終わることになると思っていた。

 一方テストに参加したシンジ達は、色々な理由で目立ちまくっていた。言うまでもないことだが、その第一の理由はアサミという存在だった。突然引退した元トップアイドル。そのアサミがテストを受けただけで、注目を集めるのには十分な理由となる。会場に来ていたテレビカメラがアサミを追いかけたのも、話題性からすれば仕方の無いことでもあったのだ。
 そして目立ったもう一つの理由として、シンジもそれなりに有名人だと言う事がある。人気番組で顔が出ていること、人気動画に主演していること、そして高知の奇跡の日に基地に来ていたこと。そんな理由で、マスコミや一般人にも、シンジの顔はかなり知られていたのだ。だからアサミと一緒に居るのを幸いに、シンジの姿もテレビカメラで追いかけられていた。

 二人に比べれば、マドカとナルは話題性には薄かった。高知の奇跡の日に基地にいた事実はあったが、それ以外で目立っていないという事情からである。ただジャージ部が一緒に行動したため、「おまけ」ではあるが、二人の姿もテレビカメラに収まっていた。

 こう言った個人的事情に加え、別の方面でも4人は目立ってしまっていた。ただこちらについては、いささか他の受験者に対して、悪い印象を与えていたようだ。何のことはない、自衛隊関係者が彼らに気を遣いすぎたのである。他の受験者と違う扱いが目立てば、どうしても反感を買う理由となる。「えこひいきじゃないの?」と言う声が、そこかしこから聞こえてきたのも無理もないことだった。

 そして他の受験者の不満は、当然シンジ達の耳にも届いていた。それを困ったことだと思っても、だからと言って担当者に抗議することも出来なかった。ここで声を上げることで、更に「贔屓」されていると回りから見られるのが分かっていたからだ。

「今更手遅れだけど、後から後藤さんに文句を言わないといけないなぁ」
「本当に手遅れですね。
 これだと、良い結果が出ても何か言われそうですよ」

 ため息が出そうになるのを押さえ、シンジはアサミの言葉に「そうなんだよなぁ」と頷いた。

「分かっていたこととは言え、目立ちまくっているよね」
「その理由を私だけに押し付けないでくださいよ。
 先輩も、十分すぎるほど有名人なんですからね」

 しかも二人が親しそうに話をしているから、余計に回りの目を引きつけてしまっている。回りに聞こえないように小声で話すのも、二人の親密さを際立たせていた。しかも極度の緊張状態の中、リラックスしているのも目立つ理由となっていた。そして目立つ以上に、「あいつらは何だ」と反感を買っているようだ。

「それにしても、先輩達は緊張していませんね」
「なんで緊張するの?
 こう言うのって、なんかわくわくしない?」

 そう言う意味では、マドカとナルの態度も回りから完全に浮いていた。回りの受験者からは、真剣さは伝わってくるが、楽しそうと言う雰囲気は一切伝わってこない。そのあたり、1万人以上応募したのに、未だ誰も基準をクリアしていないのも理由となっているのだろう。それに引き替え、マドカとナルは、これから遊びに行くかのようにそわそわしてくれていた。

「鳴沢先輩もそうですか?」
「だぁって、こんなに人が集まるのって何か楽しいしぃ」

 無理もないことなのだが、回りと意識が違いすぎたのだ。ただそのお陰で、回りからはしっかりと睨まれることになった。「遊び半分で来るな」、と言うのが睨まれた理由なのは間違いない。



 始めにオリエンテーションが行われ、その後は軽い準備運動とランニングが行われた。その中身を見る限り、運動能力を見ると言うより、緊張を解すと言う意味合いの方が大きいのかも知れない。それが終わったところで、簡単な身体測定が行われた。身長体重、それに視力や聴力検査、診断書があれば済むような検査に時間が使われたのである。
 100人も居れば、これらのテストにも時間が掛かってしまう。男女別れて行われた検査が終わったのは、8時50分過ぎのことだった。これから別会場に移動し、本命の同調率簡易検査を受けることになる。

「なにか、学校と変わらないね」
「まあ、基礎的な測定ですから。
 しかも回りに居るのが、全員同年代でしょう」

 退屈で新鮮味がないと文句を言うマドカに、「そんな文句を言うのは先輩だけ」とシンジは言い返した。回りを見回してみても、緊張感が更に高まっていたのだ。これから試験本番なのだから、回りの反応の方が正常なはずだった。
 そんな中文句を言うのは、シンジの言う通りマドカだけなのだろう。

「でも、この後のテストも測定器を付けるだけでしょう?
 いっそのこと、全員シミュレーターに乗せてくれれば楽しいのに」
「それだけ、遊びじゃないって事ですよ。
 シミュレーターなんか使っていたら、テストの効率が10分の1以下に落ちます。
 一次選抜に、そんなに時間を掛けてはいられませんよ」

 そう答えたシンジは、人差し指を唇に当て、静かにしているようにとマドカ達に注意した。こうして話をしているだけで、回りの視線が厳しくなるのが分かってしまうのだ。この後関わり合うことがない相手とは言え、無用に挑発するのも宜しくない。舌打ちするのが聞こえてくれば、終わってから因縁をふっかけられないか心配にもなってしまう。無用な諍いを起こさないのも、身を守るためには重要なことだった。
 もっとも、テスト中以外は私語は禁止されていない。常識で判断しろと言う主張も分かるが、自分達が話しているのは移動時間、ある意味休憩時間なのだ。そこでの会話に文句を言われる筋合いはないとシンジは思っていた。そしてこの程度で影響が出るのでは、とても戦闘に耐えられるはずがないとも見下していたのである。

 そう言う意味で、すでにシンジは戦闘態勢を整えていた。この先に何も起こらないとは思っているが、もしもの時には遠慮するつもりはなかったのである。言葉なら言葉で、暴力なら暴力で、二度と相手を立ち直れなくしてやろうと考えていた。そう言う意味では、酷い退屈にシンジもストレスを溜めていたのである。

 次に案内されたのは、がらんとした空間に100個の椅子が置かれたスペースだった。会議椅子よりはマシな椅子には、センサーの着いた電極と、接触面を清掃するウエットティッシュが置かれていた。最初のオリエンテーションにあった通り、自分で接触面を掃除し、指定された場所に貼り付けるのである。貼り付ける場所を間違えないように、センサーには絵付きで場所が指定されていた。これは、以前モニターした時には無かった配慮だった。
 なるほど日々改良されていると感心したところで、館内のスピーカーからセンサーを付けるようにと指示が出された。シンジを含め、全員が黙々とその指示に従いセンサーを指定箇所に貼り付けた。

「テストが開始されたら、私語、鼻歌等回りに迷惑を掛ける行為を一切禁止します。
 この指示に従わない受験者は、直ちに強制排除されることになります」

 もしも自分が破ったらどう言うことになるのか。ありきたりのアナウンスに、シンジはぼんやりとそんなことを考えていた。もしも鼻歌でも歌ったら、後から後藤に泣きつかれることになるのだろうか。
 それも面白いと一瞬考えたが、余計なことをする物ではないとすぐに気持ちを引き締めた。自分の立場は、あくまで受験生の一人でしかない。世界を守るという高い志を持って、ヘラクレスのパイロットになるためここに来たうちの一人なのだ。

「さて、集中集中……」

 心の中でそう唱えたところで、試験の状態を示すランプが赤に変わった。それと同時に、前にも感じた負荷がシンジを襲ってきた。

「……一体、何を調べているんだろう?」

 ヘラクレスに乗った時とは、受ける感覚が全く違っていた。それでも適性が測れると言うのだから、何か特殊な仕掛けがあるのに違いない。前の時には聞きそびれたが、今度は詳しく聞いてみようとシンジは考えていた。
 そんなことを考えていたら、表示ランプが赤から緑に変わっていた。それから少し遅れて、「ご苦労様でした」と言うアナウンスが聞こえてきた。

「皆さんのテストは、これで終了致します。
 本日の結果は、後日電子メール、若しくは郵送で連絡させていただきます。
 また募集のページから、受験番号とパスワードで結果を見ることも出来ます。
 荷物等をロッカーに置き忘れないように、皆さん速やかに退出願います。
 なお会場前には、S市駅までの連絡バスが待っています。
 全員揃うまで出発しませんので、遅れないように集合願います。
 では、皆様ご苦労様でした。
 皆さんがパイロットとなって活躍してくださることを願っています」

 女性の声でのアナウンスを聞いて、全員が指示された通りに会場を後にした。まず最初にロッカーに行き、着替えと荷物を受け取る必要がある。そしてその後は、指示された通りバスに乗って駅まで送ってもらうことになる。そろそろ次の応募者が来るので、ロッカーを空にしておく必要があった。

「じゃあ碇君、バスの所で待っていてね」
「急いで……遠野先輩には必要のない注意ですね。
 アサミちゃん、バスの時間に遅れないようにしてね」
「そうですね、お化粧は後からすることにします。
 ほぼすっぴんだから、サングラスでもしようかなぁ」

 テストが終わったことで、回りの空気もかなり緩んでいた。それでも、シンジ達の態度は異質すぎる物だろう。結果も気にしていない様子は、更に回りの反感を買ったのかも知れない。その空気を感じ取り、ますます大変だとシンジは身構えた。

 それでも、自衛隊施設に居る間は何も起こらなかった。テスト後の事を考えれば、ここで騒ぎを起こすのはまずいと考えたのだろう。それでも気持ちを抑えられないのか、敵意だけはバスの中でしっかりと感じられた。この敵意を発散させないと、そろそろ事件が起きそうな雰囲気となっていた。

「先輩達にお願いなんですけど、アサミちゃんを安全な場所に連れて行って貰えませんか?
 なにか、このまま無事に済むとは思えない雰囲気なんですよ」
「加勢しなくても大丈夫?」

 マドカが声を潜めたのは、回りの空気に気付いているからだろう。確かに、よからぬ視線を感じていたのだ。

「たぶん、そんなことをしたら余計に面倒なことになってしまいます。
 大丈夫ですよ、危ない真似はしないつもりですから。
 もしもの時は、駅前の交番に行っておまわりさんを呼んできてください」

 それを小声で話し合っているうちに、シンジ達を乗せたバスは駅前に到着した。初回の受験者は、ここで解散して終了することになる。敢えて一番最後に車から出たシンジ達は、示し合わせた通りにそこでいったん別れることにした。
 女性陣3人は、流れに乗る形で人の多い駅へと向かい、シンジはわざと人通りの少ない方へと向かうことにした。一緒に行動しても良かったのだが、宿題は早めに済ませておいた方が良いと考えたからである。

「学校まで付いてこられたら面倒だしなぁ」

 この場をやり過ごしても、執念深く追いかけられる可能性もある。その方が厄介だと、シンジは決着を早めに付けることを選択した。そのためには、相手に仕掛けやすい環境を作ってやる必要がある。駅裏の人通りの少ない場所は、揉め事を起こすのにはもってこいの場所だった。

「うまい具合に人通りが少なくなってきたな……
 追いかけてくるのは、4人、5人かな?」

 意外に少なかったと言うのは、この場合喜ぶべき事だろう。ここで突っかかってこないのは、それだけ彼らも良識を持っていたと言うことになる。
 そしていよいよ人気の無くなったところで、後ろから「待てよ」とどう考えても友好的でない声が掛けられた。その声を、とりあえずシンジは無視することにした。

「そこのお前だよ。
 しかとしていないで、こっちを向けよおら!」

 いよいよ肩に手が掛けられそうになった時、シンジは少しだけ身を躱して声を掛けてきた男達と向かい合った。襲撃は予想していないし、誘導したつもりもないという態度をとった。

「待てって言われても、僕は君達のことを知らないんだけどな?」

 そこに立っていたのは、入学した頃のキョウカと対になるような男達だった。今時よくもこんな格好をする物だ。別の意味で、シンジは彼らに感心していたりした。ある意味突っかかってきただけ、自分に正直なのかも知れなかった。

「そっちになくても、こっちには大ありなんだよ。
 お前らテスト中いちゃいちゃしやがって、目障りで仕方なかったんだよ」
「テスト中は真面目にやっていたよ。
 話をしていたのは、テストの間にある休憩時間だよ」

 ここまでは予想通りというか、あまりにもありきたりのパターンだった。今時小説でも使わない不良の登場に、時代錯誤も甚だしいとシンジは憤っていた。だからしなくてもいい挑発を、ついつい不良相手にしてしまった。
 一方突っかかった方は、シンジに揚げ足を取られて更に頭に血を登らせていた。

「うっせえなぁ、とにかく目障りでしょうがなかったんだよ。
 他の奴らが真面目にやっている時、お前らが邪魔してくれたんだよ。
 これで良い成績が出なかったら、どう落とし前を着けてくれるんだぁ。
 あぁっ、ごめんなさいで済む問題じゃないんだぞぉ、ごらぁ!!」

 シンジをびびらせようと思ったのか、しっかりと怖い顔を作ってガンを飛ばしてくれた。ちょっと斜に構えて見上げるような視線を作るのが、きっと彼らのパターンなのだろう。普通なら怖いよなと言う感想を抱きながら、見掛け倒しだよなぁと呆れていた。
 一つ一つの動きを見れば、どう見ても武術の素人にしか見えなかったのだ。だから釈明という形で、シンジは更に不良達を挑発した。

「そう言われても、謝る理由も僕にはないんだけどなぁ。
 僕達としては、一番良い結果が出るようにリラックスしていただけだからね。
 それに、誰も監督員は注意をしに来なかっただろう?
 だから僕達の行動は、募集側からすれば問題のない行為だったんだよ」
「ああんっ、お前らがえこひいきされているからだろう」
「そう見られるのは、僕達にも迷惑なことなんだけどなぁ」

 危機感を全く感じさせないシンジに、4人の少年達は逆に苛立ちを募らせた。ちょっと脅せばびびると思っていた相手が、顔色一つ変えずに言い返してくるのだ。土下座ぐらいで許してやろうと思っていたのだが、その程度で済ます気持ちは無くしていた。

「土下座ぐらいで許してやろうと思ったんだがなぁ。
 アサミちゃんの前に出られないぐらいに、顔を変形させてやるよ」
「ようやく本音を言ってくれたね。
 良かった、これで遠慮無く返り討ちに出来る」

 ふふふとシンジが口元を歪めた時、「待たんかっ!」と女の子の大きな声が聞こえてきた。その声に、「面倒なことになった」とシンジは天を仰いだ。
 今までは、嫉妬に狂った男対自分と言うシンプルな物だった。だが正体不明の少女が加わることで、状況が一気に複雑になってしまったのである。どうして余計な口出しをする。正義の味方を気取る相手に、シンジは小言を言いたくなっていた。

 そんなシンジ思いを余所に、突然現れた少女は少年達を糾弾してくれた。

「テストの邪魔をしたと言う文句なら捨て置くつもりだった。
 だが嫉妬に狂っての蛮行であれば、見逃すわけにはいかない。
 そんな不埒な輩は、この高村ユイが成敗してくれる!」

 それを聞く限り、助けに来たつもりの少女は、シンジに対しても反感を抱いていたらしい。多少状況はすっきりしたが、面倒なことには違いなかった。そしてもう一つ厄介なのは、少年達がこの少女も敵と見なしてくれたことだ。まあ、「成敗する」と面と向かって言われれば、友好的な態度など取りようもないだろう。

「うるせぇなぁ、ブスは黙っていろよ!」
「私の美醜と、お前達のやっていることの間に一切関わりはない。
 お前達の醜い心を成敗してやると言っているのだ」

 しかもしっかり挑発してくれるから、少女が喧嘩を横取りする格好になってしまった。4人の少年達にとって、少女に舐められたことの方がより癪に障ったようだ。
 一方傍観者にされてしまったシンジは、何でこうなるのだと嘆きながら、闖入してきた少女のことを観察することにした。最初の話しぶりからすると、この少女もパイロットの公募組というのは想像できた。見た目については、少年達は「ブス」と言ったが、なかなか美人なのかなぁと評価した。長い髪を両側の耳元だけ三つ編みにして垂らしているのは、きっとおしゃれなのだと考える事にした。スタイル的には、身長だけ少し縮めたキョウカというところだろうか。

 すでに争いは、シンジの手を離れてしまっていた。助けた方が良いかなと傍観していたシンジだったが、すぐにその必要がないことを思い知らされた。初めに観察した通り、少年達は全く武術の心得がなかったのだ。一方少女の方は、達人の域に達するほどの手練れだった。それぐらいの差があれば、1対4でも後れを取ることはないだろう。
 そしてシンジの予想通り、あっと言う間に4人の少年は地面に叩きつけられてしまった。見事な身のこなしは、合気道にルーツを置いているようだった。

「これに懲りたら、醜い嫉妬心など抱かぬ事だ。
 精神修養の方法が分からぬようなら、いつでも私の所へ尋ねてこい。
 正しく心と体を鍛えたのなら、邪な心など抱かなくなる物だ!
 それが分かったら、さっさといねっ!」

 なんで「稲」と思ったのだが、少年達には意味が通じたようだ。蜘蛛の子を散らすほどの数は居ないが、あっという間にその場を逃げ出してくれた。いくら頭が足りなくても、圧倒的な力の差は理解できたのだろう。予想とは違う形だが、これで厄介事の一つは片付いたことになる。

「助けて貰ってありがとう」

 別に助けは要らなかったが、ここは円滑な人間関係を考えシンジはお礼を言うことにした。だがお礼を受けた相手は、シンジとの円滑な人間関係構築を考えていないようだ。お礼を言ったシンジに対して、「礼を言われる筋合いはない」ときつい言葉で言い返してきた。

「私は、お前のことも気に入らないのだ。
 世界を守るための神聖な場に、女連れでちゃらちゃらしおって。
 しかもえこひいきまでされているのであれば、本来なら私が制裁してやるところだ。
 だが、ここで別れてしまえば、私とお前の人生が重なることはないだろう。
 何しろお前のような者が、テストに合格するとは思えないからな。
 だから見逃してやるから、有りがたく思うことだ!」
「なにか、酷い誤解と思い込みがあるような気がするけど……」
「失礼な、あの男達を見れば私の言ったことの方に理があるのだ!
 さらばだ、えこひいきのチャラ男よっ!」

 マドカ達とは違う意味で男っぷりが良い。そんな少女の後ろ姿を見送ったシンジは、どうした物かと考えた。別にこの少女をどうにかしようとか、誤解をとこうと考えていたわけではない。少女の向かった方向が問題だったのだ。
 この先の行動は、駅前に戻ってマドカ達と合流すれば良いのだが、それをするとあの少女を追いかけることになってしまう。それはそれで、要らぬ摩擦を引き起こす理由になってしまうだろう。

「仕方が無い、ちょっと時間を潰そうか……」

 方向からすれば、すぐに居なくなってくれるだろう。そう思って少女の姿が見えなくなるのを待っていたのだが、いつまで経っても少女の姿が消えてくれなかった。あと少し行けば駅に着くのに、途中でぴたりと止まって動かなくなってくれたのだ。

「あの性格なら、嫌がらせってことは無いだろうな」

 だとしたら、もう一つの理由は道に迷ったと言う事になる。どうしてこの程度で迷うのかと疑問に感じながら、シンジは待ちきれないとマドカ達の所へ帰ることにした。

「とりあえず、メールでも入れておくか」

 そうすれば、大騒ぎは避けることが出来るだろう。行動を始める前に、シンジはマドカ達全員に「これから戻る」とメールを入れた。

「さらばと言われたんだから、声を掛けるのも迷惑だろう」

 見捨てる事への自己弁護を終え、シンジは迷子になった少女の横をさっさとすり抜けた。少し早足だったのは、面倒に巻き込まれたくないという用心からだ。ただシンジの考えは、まだ少し甘かったようだ。これでさよならと思ったのだが、自分の後を少女が少し離れて着いてきてくれた。

「どうして着いてくるんです?」

 仕方が無いと立ち止まったシンジは、振り返って少女に声を掛けた。後ろから着いてこられると、落ち着かないことこの上なかった。何しろ少女の凶暴性……本人は正義の行いだと否定するだろう……をしっかり見せつけられた後なのである。

「うるさい、たまたま向かっている方向が同じだけだ」
「だったら、さっさと先に行ってくれればいいのに……
 後ろにいられると落ち着かないから、先に行ってくれないかな?」

 そう言って道を空けたのだが、やはりと言うか少女は一歩も動こうとはしなかった。そして恨めしそうな顔を、シンジに対して向けてきた。少し下唇を噛み、上目遣いで自分を見てくれている。シンジとしては、そんな目で見ないで欲しいと言いたかった。

「迷ったなら迷ったと正直に言えばいいのに……」

 ため息一つ吐いたシンジは、少女の方に近寄りいきなり右手を掴んだ。とっさのことに反応した少女だったが、シンジは何事もなかったようにその場に立っていた。

「なんで飛んでいかない?」
「落ち着いて、両足をちゃんと地に着けていれば投げ飛ばされないよ。
 帰り道が分からないんだったら、分かるところまで連れて行ってあげるよ」

 そう言って手を離したシンジは、どこに行きたいのだと少女に聞いた。

「あと自己紹介しておくけど、僕の名前は碇シンジと言うんだ。
 君の名前は、高村ユイさんで良いのかな?」
「な、なんで私の名前を知っているんだっ!」

 もう一度驚いた少女に、シンジはこれ以上無いという大きなため息を返した。

「「この高村ユイが成敗してくれる!」って大声で啖呵を切ったのを忘れたのかい?」

 別の意味でこっちも頭が弱いのか。目の前の少女から、何処かキョウカに通じるところを感じていた。ただ、それ以上触れるのは可哀相だと見逃してあげることにした。うろたえているところを見ると、自分が切った啖呵も忘れているのだろう。

「それで、駅に案内すれば良いんだね?」
「あっ、ああ……そうだな、迷惑を掛ける」

 さすがに大声で名乗りを上げたのが恥ずかしかったのか、顔を真っ赤にしてユイは大人しくなってくれた。ようやく先に進めると安堵し、シンジはそのままユイを駅まで案内しようとした。だがいざ歩き出そうとしたところで、「ちょっと待ってくれ」と呼び止められた。

「そ、その、迷惑ついでにもう一つ頼まれてくれないか?」
「大抵のことなら引き受けるけど?
 とりあえず、何を頼まれればいいのか教えてくれないか?」
「その、だ。
 一箇所行って見たいところがあるのだが、そこへ案内して貰えないだろうか」

 その言葉を真っ当に受け取れば、ある意味観光案内して欲しいということになる。成敗してやるとか、見逃してやるとか、チャラ男とか、えこひいきとか、色々酷いことを言われたのは、もしかしたら幻聴なのだろうか。さもなければ、そんな相手に頼まなければいけないほど、この少女は困っているのだろうか。
 そこまで付き合う謂われはないのだが、困っている人を助けるのがジャージ部である。何か手伝いが出来るかと、とりあえず目的地を聞くことにした。遠回りでなければ、案内ぐらいしてもいいかと考えたのだ。

「その、行ってみたい場所ってどこかな?」
「じ、実はだ、S高と言う所に行って見たいのだ。
 あっ、無理だったらいいのだぞ、駅の場所を教えて貰えばそれで用は足りる。
 せっかく出てきたのだから、映画で有名になったS高と言うのを見てみたかったのだ。
 わ、悪いな、そこまで面倒をかける理由はなかった」

 「すまん」と頭を下げたユイに、シンジはもう一度ため息を返した。どうも目の前の少女は、思い込みが激しいとしか言いようが無い。今も人が何か言う前に、勝手に自己完結して話を終わらせてくれる。そもそも映画の主役が目の前に居るのに、そのことにも気付いていないのも気に入らなかった。

「なるほど、アサミちゃんが怒った理由を理解できた気がするな」

 そこまで有名だとは思っていなかったが、少なくとも映画のことを持ち出してくれたのだ。だったら主演男優の顔ぐらい覚えておけ。自分を覚えてないユイを、シンジは小一時間説教したい気持ちになっていた。そんな今の気持ちを考えれば、アサミに叱られたのも仕方が無いと思えてしまった。

「S高なら、これから行く所だよ。
 駅前に連れが待っているから、合流してから案内してあげるよ」
「い、良いのか?」
「特に手間が掛かる訳じゃ無いから良いよ。
 それに、一応は君が助けてくれたんだろう」
「そ、そうか、感謝するぞ!」

 そう言って喜ばれると、シンジとしてもきついことを言うことはできなくなる。多少おかしな所はあるが、根が悪い子でないのも理解できたのだ。嬉しそうに後ろをついてくるところなど、結構可愛いのかなとも思ってしまった。
 もっとも、このままみんなの前に「高村ユイ」なる少女を連れて行くのは問題が多かった。事情を説明する前に、マドカやナルにからかわれるのが目に見えていたのだ。それを恐れたシンジは、いきなりみんなの前に連れて行くのではなく、ワンクッション置くことを考えた。

「高村さんだったね、案内するにあたって一つだけお願いしたいことがあるんだ。
 これから部活の仲間の所に連れて行くんだけど、僕が呼ぶまで待っていてくれないかな?
 わざわざ反対方向に誘導したことと、その後のことを予め説明しておきたいんだよ」
「そうした方がいいというのなら、黙って従うのは吝かではない。
 だが、なぜそのような面倒な手間を掛けるのだ?
 私が一緒に行くのだから、事情ぐらいは説明してやるぞ」

 それが出来るのなら、選択肢の一つにはなっていただろう。だがこれまでの観察で、この少女が余計なことを話さず説明できるとは思ってもいなかったのだ。むしろ説明させると、余計な方向に話が飛躍するのが想像できたのだ。だからシンジは、「待ってて欲しい」と繰り返した。

「ああ、お前がそう言うのならおとなしく従ってやろう。
 どこか見えるところで隠れていればいいのだな?」
「少し離れて付いてきてくれればいいよ。
 隠れるような真似をしたら、余計に目立つことになるだろうね」

 いいかいと、少しくどいぐらいに念を押したシンジは、「打ち合わせ通りにお願い」と言って、ユイを置いて先に歩き出した。
 これで20mぐらい離れてくれれば、誰かと一緒だったとは思わないだろう。ちゃんと後ろからついてくるのを確認して、シンジは交番の前に居るマドカ達のところへゆっくりと歩いて行った。

 そこで少し意外だったのは、シンジの顔を見つけたところでアサミが駆け寄ってきたことだった。それだけ心配してくれたのかと感動していたのだが、その後アサミがとった行動はかなり期待とは違うものだった。駆け寄ってきたアサミは、シンジの胸に飛び込むと、くんくんと匂いをかぐ真似をしてくれた。

「あ、アサミちゃん、なんで匂いをかぐの?」
「途中で女の子に引っかかっていなかったかをチェックしたんです」

 そっとシンジから離れたアサミは、マドカとナルに向かって「また、私の勝ちですね」と告げた。

「ええっと、またみんなで賭けをしていたってこと?」
「彼女の私が一緒にいるのに、絶対にそんなことはないって言ったんですよ。
 でも、鳴沢先輩が絶対に女絡みだって聞かなかったんですよ。
 でも、女性と一緒にいたんだったら、少しぐらいは残り香が有るはずですからね。
 それがなかったから、この賭けは私の勝ちということです!」

 バスの中での空気は、マドカ達もしっかり感づいているはずなのだ。それなのに、どうして女性絡みを疑われなければいけないのか。シンジはまず、ナルの常識を疑うことにした。

「でもさぁアサミちゃん、碇君の後ろを女の子が付いてきているよ。
 やっぱりさぁ、女の子絡みだったってことじゃないの?」

 まさかと振り返ってみたら、ナルの言うとおり、すぐ後ろに高村ユイなる少女が立っていた。「呼ぶまで来るな」と言ったのに、一体何を聞いていたのかと説教したかった。その非常識さにため息を吐いたシンジは、「引き分けだよ」とユイをみんなに紹介することにした。

「危ない人に絡まれていた時、高村さんが助けてくれたんだよ。
 ちなみに高村さんも、朝一にテストを受けた組だよ。
 多分合気道だと思うけど、かなりの腕前をしているんだ。
 ただ、極度の方向音痴なのか、帰ろうとして道に迷ったらしい。
 だからお礼の代わりに、駅まで案内してきたんだよ」
「うむ紹介された高村ユイだ。
 今の説明で、概ね間違ってはいないな!」

 少し尊大と言うか、キョウカのような言葉遣いでユイは自己紹介した。ただシンジの説明を肯定したと言うことは、自分で方向音痴を認めたことになる。

「先輩、どこかキョウカさんに似ていません?」
「性格をそのままに、縦方向だけを少し縮小した感じかな?」

 ふっと口元を歪めたシンジは、もう少し説明を付け加えることにした。駅まで案内するだけなら、こうして紹介する必要はなかったのである。それをわざわざ連れてきた理由、それを説明する必要があったのだ。

「駅まで案内と言ったんだけど、S高に行ってみたいって言うんだよ。
 ちょうど僕達もこれからS高に行くから、だったら案内してあげようかと思ったんだ」
「へぇ、碇君が助けてもらわなくちゃいけないほど、相手が強かったってこと?
 それとも、物凄くたくさんに襲われたとか?」

 自分達が鍛えたお陰で、今やシンジは「S高のスーパーマン」とまで言われるようになっていた。空手部主将とも正面から殴り合えるのだから、ただの不良など敵ではないと思っていたのだ。そのシンジが助けられたと言うのだから、余程の相手だとマドカは想像した。

「いえ、僕一人で余裕でしたね」
「それなのに、助けてもらったってこと?」
「獲物を横取りされたって言うのが正解ですよ」

 ふぅ〜んと納得した顔をしたマドカは、「遠野マドカよ」と自己紹介した。

「私は、鳴沢ナル、マドカちゃんと二人、S高の3年生なの」
「私は堀北アサミです。
 S高の1年生です」
「4人とも、S高のボランティア部なんだよ」
「なるほど、私は鹿児島のT高2年の高村ユイだ。
 ヘラクレスのパイロットになるためにテストを受けに来たのだ!
 そうか、みんなはS高に通っているのか……S高、ボランティア部?」

 そこまで口にして、ユイはおかしいなと少し首を傾げた。自己紹介をした4人を、どこかで見たような気がしてきたのだ。

「どうかしたの?」
「いや、なに、お前たちの顔をどこかで見たような気がしたのだ。
 だが、どこで見たのか思い出せぬのだ」

 その答えに、シンジはやっぱり頭が弱いのだなと確信した。

「鹿児島の人が私達の顔に見覚えがあるって……
 アサミちゃんはテレビに出てたからおかしくないけど。
 私達の場合は「ヒ・ダ・マ・リ」か映研の映画ぐらいよね?」
「堀北はテレビに出ていた……ええっつ!」

 ようやく目指す答えにたどり着いたのか、ユイはアサミを見て大きく目を見開き、そしてそれ以上の大声をあげた。それを見る限り、ようやく自分たちの正体に気づいてくれたのだろう。もっとも、正体といっても、アサミ以外は一般人なのだが。

「あ、あの、アイドルの堀北アサミとはお前なのか?
 す、すると、お前は碇シンジなのか!」
「最初に、そう自己紹介したと思うけど?」

 何を今更と呆れたシンジに、「すまなかった」とユイは腰を90度折って頭を下げた。

「そうと知っていたら、エコヒイキのチャラ男などと罵ったりはしなかった。
 知らないこととは言え、失礼な言動の数々、まことに面目なかった。
 この高村ユイ、深く謝罪させてもらうぞ!」
「あーっ、そう言うのはいいから。
 あんまり駅前で立っているのも何だから、希望通りS高に案内するよ」

 いちいち大げさなユイの態度に、シンジもいい加減周りの目も気になってきていた。学校に連れ込んでしまえば、とりあえず落ち着いて座らせることも出来るだろう。とにかく、この異常な状況を変えなければと、真剣にシンジは考えたのである。



 S高には、駅から歩いて30分ほど掛かる。バスを使うという手もあるが、あいにく平日と違って日曜はバスの便が少なかった。ちょうどバスが行ったばかりのこともあり、次のバスまで15分待た無くてはいけなかった。時計を見たシンジは、この先どうするのかを全員に聞いた。

「どうする、歩く?」
「そろそろ暑くなってきましたけどね……」

 この後のことを考えると、ここであまり体力を使っておきたくない。そのつもりで言ったシンジに、「軟弱者」といきなりユイに叱られた。

「日本の男子たるもの、この程度の暑さで音を上げていてどうするのだ。
 しかもパイロットに応募したというのなら、夏の暑さこそ好物でなくてどうする!」
「それは、かなり偏った、しかも時代錯誤の考え方だと思うよ……」
「黙れ軟弱者!
 お前はエコヒイキのチャラ男ではなく、軟弱者だったのかっ!
 この私が、その軟弱な精神を鍛え直してやる!」

 なぜ暑いと言っただけで、そこまで言われなくてはいけないのか。ただ単に頭が弱いだけでなく、迷惑な性格をしていると、シンジは関わりあったことに後悔していた。

「ええっと、今時そういうノリは流行らないから。
 それから碇君のことを軟弱者って言ったら……でも、結構軟弱なところがあるか」
「遠野先輩、そこで認めないでください。
 そんなことをしたら、あ〜あっ、本気にしている人がいるよ」
「本気にしているも何も、先輩殿も軟弱者だと認めたではないか!
 これから、私がお前のことを鍛え直してやるっ!
 こ、こら、二人揃ってどこに行くつもりだ?」

 付き合いきれないと、シンジはアサミを誘ってバス停で待つという選択をすることにした。そしてマドカに向かって、「よろしくぅ」と手を振った。

「仰るとおり軟弱者のチャラ男なんで、アサミちゃんと一緒にバスで向かいます。
 多分先に付いていると思いますから、部室の窓を開けておきますね」
「えっ、エアコンを付けておいてくれないの?」
「エアコンなんて軟弱ですよね?」

 暑い中を30分歩いて、しかも部室はエアコンも効いていない。何の嫌がらせかと言いたくなるのだが、仕返しなのは明らかだった。そういう事をしますかと睨んだのだが、面の顔が厚いのか何の効果も出ていないようだった。

「先輩殿、軟弱者は放置してS高に向かうことにしましょう。
 やはり、今の男は見た目ばかりで軟弱でいけない!」
「い、いやぁ、私も軟弱でいいのかなって思い始めたんだけど……
 こらナルちゃん、あなたは絶対に逃げちゃ駄目よ!」

 こっそりと離れようとしたナルを見つけ、マドカはすかさずその腕を捕まえた。

「高村さんだっけ、反対側を捕まえてくれるかな?」
「うむ、任せておけ!」

 うんと大きくうなずき、ユイは反対側の腕を捕まえた。ただでさえ暑くなっているのに、これではますます暑くなってしまう。勘弁してと謝ったのだが、残念ながら二人共ナルを解放してくれなかった。「逃げないから放して」と言うナルの声だけが、遠く離れても聞こえていた。

「なにか、強引で遠慮しないキョウカさんって感じですね。
 もしかしてあの人、キョウカさんより、頭が弱くありませんか?」
「篠山よりって……それは多分篠山が可哀想だよ。
 篠山の場合、ただちょっと常識を勉強して来なかっただけだからね」

 もしも本人が聞いていたら、きっと思いっきり怒ってくれただろう。キョウカのことを否定したシンジだが、ユイの頭の悪さは一度も否定していなかったのだ。

「さっき先輩が助けてもらったって言いましたよね。
 今の高村さんを見ていたら、その時の様子が大体想像がつく気がします。
 あの調子だと、「一人を大勢で襲うのは卑怯だ!」とか言ったんじゃありませんか?」
「その辺りは、当たらずとも遠からずと言うところだね。
 「待て」と言って割り込んできて、「不埒な輩は成敗してやる」だからね。
 頭が弱いと言うより、思い込みが強すぎて周りが見えなくなるタイプかな。
 もしもパイロットになったら、統制を取るのが大変そうだよ」

 そう言いながら、「その可能性は低い」とシンジは笑った。

「1万人以上応募して、まだ一人もAランクが出ていないからね。
 そうそう簡単に、パイロットの適格者なんか出てこないよ」
「きっとそうだと思いますけど……
 なにか、面倒が向こうからやって来る気がするんです」

 「結構予感って当たるんですよ」そのアサミの言葉に、勘弁してとシンジは謝った。

「そう言う不吉なことを言わないでよ。
 もしもあの子がパイロット候補になったら、S高に来る可能性だってあるんだよ。
 学校でまで、ああ言うのの面倒を見たくなんか無いよ」
「あの人、確か2年だって言っていましたね。
 瀬名先輩が抜けた所に編入して来るんじゃありませんか?
 良かったですね先輩、学校でも面倒を見ることができますよ」
「何が良かったんだよ……」

 シンジが拗ねたところで、S高の前を通るバスが停留所に入ってきた。そこで二人は一時会話を中断し、冷房のよく効いたバスの中に入って行った。当然選んだ席は、少し狭めの二人掛けの椅子だった。暑かろうが寒かろうが、くっつける場所ではくっついている。それが、今の二人の気持ちだったのだ。

「どうも、あの子は古臭い精神主義に毒されているみたいだね」

 ぱたぱたと手で煽ったシンジは、付き合いきれないとユイのことを評した。

「きっと今頃、先輩達は汗をダラダラ流しながら歩いていますよ」
「多分途中で追い越すから、バスの中から手を振ってあげようか?」
「遠野先輩だったら、怒って追いかけてきそうですけどね」

 その様子を想像したのか、アサミは小さく吹き出した。

「確かに、先輩なら有りそうだね。
 それでその横で、鳴沢先輩が「やめようよ」と言いながら一緒に走ってくるんだ」
「本当に有りそうで怖いです」

 思わず吹き出したアサミに、そうだろうとシンジは力強く頷いた。ちょうど発車のアナウンスがされたので、シンジは少し小声で「本当に良かったの?」とアサミに聞き返した。

「良かったのって、パイロットのテストを受けたことですか?
 でも、いつまでも避けて通れないことは確かですよね。
 だったら、主導権が自分のところにあるうちにアクションを起こしたほうが良くありませんか?」
「僕と先輩達なら、アサミちゃんの言うとおりだと思うよ。
 でもアサミちゃんは、迎撃の体制に必要ってことはないんだ。
 だから無理をして、パイロットになる必要はないと思うんだよ」

 それが、自分の事を心配しての言葉だとアサミは分かっていた。だがシンジが自分を心配するのと同じ、否それ以上にアサミもシンジのことを心配していた。
 パイロットとして、シンジが最強だとアサミは思っていた。それは単純にヘラクレスの操縦技能や同調率と言う意味で無く、的確な判断や現場での応用力、そう言った総合力では、西海岸のアテナも砂漠のアポロンも敵ではないと思っていたのだ。

 ただ最強ではあるが、絶対ではないと思っていた。その証拠に、ローワー湾の戦いでは、自分が助けなければそこで命を落としていたのだ。「怖い」とか「戦いたくない」とかよく口にしているのだが、やっていることは無謀なことが多すぎたのだ。
 だからこそ、アサミは自分がついていなければと考えていた。シンジが強く言えば、他の誰も止めることはできない。多分自分でも、止めることは不可能だろう。だったら自分が、シンジを助ける役を果たせばいい。その為には、自分もパイロットになる必要があったのだ。

「先輩、私は役に立っていませんか?」
「そんな事はないよ。
 僕はアサミちゃんに命を助けてもらったんだからね。
 それに、サンディエゴではアサミちゃんの人間観察力が役に立ったんだ」
「だったら、もう私の手伝いは要らないということですか?」

 パイロットになることを否定するのは、手伝いが要らないという意味になる。パイロットでなければ、非常時に一緒に居ることはできないし、自分の意見をいう機会も与えられない。シンジが無事帰ってくるのをただ待つだけ、そんな立場に追いやられることになってしまうのだ。

「パイロットにならないと、先輩と一緒にいられないんですよ。
 家でテレビを見ていて、先輩が無事帰ってくるのを待つだけになってしまうんです。
 いくら何かに気がついても、誰にも教えることはできないし、先輩の助けにもならないんです。
 家で待っているだけでは、何かに気づくこともできないと思いませんか?」

 だから進んでパイロットになるつもりだ。アサミの言葉に、シンジは泣きたくなるほど感動していた。まさかアサミに、ここまで言われるとは思っていなかったのだ。アサミを好きになってよかった、その気持はシンジの中で大きく育っていた。

「今日は、学校に行きたくなくなったよ。
 今からアサミちゃんと、どこかで二人きりになりたい」
「だったら、今日は午前中で切り上げませんか?
 ママは海外を飛び回っているし、パパは仕事で遅くなるまで帰ってきませんから。
 夜まで、私の部屋で二人きりになれますよ」

 そう言ったアサミは、シンジの耳元で「安全日ですよ」と囁いた。その言葉で頭を沸騰させたシンジは、アサミの提案に一も二もなく飛びついた。

「じ、じゃあ、お昼はどうする?」
「時間が惜しいですから、途中で買って帰りませんか?」

 シンジには、アサミの提案を否定しなくてはいけない理由は存在しなかった。むしろ、積極的に肯定する理由ならいくらでも挙げることができたぐらいだ。だから子供っぽくウンウンと頷き、他の乗客から見えないように、アサミの手をぎゅっと握ったのだった。
 そんなことをしていれば、周りへの注意など疎かになってしまう。幸いバスは空いていて、誰も二人に注意を払うと言うことはなかった。見られたとしても、高校生が人目も気にせずいちゃついているとおもわれる程度だろう。

 ただ自分達の世界を作っていたため、バスがマドカ達を追い抜いたことにも気づかなかった。バスに追い抜かれた時のマドカ達は、シンジの予想通り汗を滴らせてS高への道を歩いていたのだ。

 当然シンジはそんなことを知らないので、初めの言葉通り部室の窓は全開になっていた。外の気温と風がないことを考えれば、窓をあけることにどれだけの意味があることだろう。当然エアコンなど入っているはずもなく、炎天下汗をカキカキ歩いてきた3人は、部室に入った途端、「ごめんなさい」とシンジに謝った。これだけ暑いと、軟弱とかどうかとかは超越していると認めたのだ。

「精神主義とか根性とかを否定はしませんけど。
 でも、そう言うのは状況を見て言ってくださいね」

 そう注意をしてから、シンジは「はい」と言ってよく冷えた水の入ったペットボトルを3人に渡した。冗談とか嫌がらせをしても、笑って済ませられる程度で抑えておく必要が有る。その為にも、不足した水分を補充しておく必要があったのだ。そして干からびていた3人は、シンジの目の前で500mlのペットボトルの水を、ぐいっと一息で飲み干してくれた。

「今日は弦楽部が来ているので、僕はそちらに顔を出してきますね。
 もしも暇だったら、映画研究会に顔を出したらどうです?
 せっかくのお客様なんだから、話でもしながらストックでも見せてあげたらどうです?」
「確かに、この状況で運動部に顔を出したくないわ。
 ええっと、ユイちゃんだっけ。
 私達と一緒に、映画研究会を見に行かない?
 運が良ければ、新作映画の新しい予告を見せてもらえるかもしれないわよ」
「なに、不如帰の予告編をか!!」

 水を飲んだせいか、ユイは顔いっぱいに汗を浮かべていた。すっぴんのお陰で化粧崩れとは無縁なのだが、少しぐらいは気を使えとシンジとしては言いたいところだった。もっとも、二度と会うこともないと、余計な注意はしないことにした。ましてやハンカチを差し出すなどと、紳士的な真似をするつもりもなかったのだ。
 映画を見せてくれるということに喜んだユイは、勢い良く立ち上がった。

「先輩達は、とてもいい人なのだな。
 それに引き換え……」

 どうやら、暑い中を歩かせたことで、シンジに対する評価は最悪になっていたようだ。冷たい水を用意し、なおかつ映画研究会を薦めてあげたのに、それは無いだろうとシンジは言いたかった。
 文句を言いたいのを我慢し、「これでサヨナラだね」とシンジは手を振った。

「僕たちは、昼まで活動して家に帰ります。
 今晩は勉強会ですから、遅れないように僕の家まで来てくださいね」
「ええっ、こんなに早く帰ってどうするのかな?」

 ニヤリと口元を歪めたナルに、シンジは空惚けて「どうしましょうね」と言い返した。

「チャラチャラした軟弱者だから、それに相応しいことをしていますよ」
「碇君って、結構根に持つタイプなのね」

 帰ってどうするのなど、本当は今更聞かなくても分かりきったことだった。ただ質問するのもお約束と、そう思ってナルも突っ込みの言葉を入れただけである。

「じゃあ、今晩碇君の家に行くね」
「夕食前に来るときは予め連絡を入れてくださいね」

 そうすれば、夕食の準備もすることが出来る。アサミと言う戦力が強化されたおかげで、食の面での迎撃態勢が強化されていたのだ。
 全員にそう言い残し、シンジは弦楽部の待つ音楽室へと向かったのである。



 そしてその夜の勉強会の前、みんなで見ていたテレビのニュースで、シンジ達は今日のテストの結果を知ることになった。少し興奮したアナウンサーは、今日一日で6人のAランクが誕生したことを告げてくれた。

「ねえ先輩、これってあの頭の弱い人じゃありません?」

 ご飯とお味噌汁、そして主菜のとんかつを並べながら、アサミはテレビに映った顔を指さした。たしかにそこには、昼間さんざん見た顔が映されていた。

「アサミちゃんの予感が当たったってことか……」
「だいたい、悪い予感と言うのは当たりやすいんですよ。
 これで、先輩にとって頭痛の種が増えましたね」
「そんな事、嬉しそうに言わないで欲しいな」
「兄さん、この人と何か有ったの?」

 テスト後の話を全く聞いていないこともあり、キッチンから出てきたレイは、すぐにその話題に飛びついてきた。兄に対するからかいネタは、どんなことでも貴重な情報だった。

「今日のテストが一緒だったんだよ。
 その後ちょっとしたトラブルがあって、知り合いになったんだ。
 S高を見学したいと言うから、うちの部室に連れて行ったんだよ。
 その後どうしたのかは、先輩達に聞かないと分からないな」
「ちょっとしたトラブル?」
「先輩が、不良さんに絡まれたのよ」

 アサミの言葉に、レイはええっと驚いてみせた。

「その人が絡まれていたんじゃなくて、兄さんが絡まれたの?
 もしかして、その人って不良さんなの?」

 とてもそうは見えなかった。感心したレイに、シンジは「違うよ」と否定した。

「僕が不良に絡まれた時、「成敗してくれる」と言って割り込んできたんだ。
 合気道を習っているらしくて、そこそこ強かったんだけどね。
 思い込みが激しくて、多少頭が弱いかなぁって言う感じだったね」
「結構キレイな人でしたけど、遠野先輩みたいにあまり身なりに気を使っていませんでしたね」
「だから、兄さんにとって頭痛の種になるのね」

 面倒を見る相手が増えるということは、それだけ余計に時間がかかることになる。素直な性格ならいいのだが、思い込みが激しいとなると、手が掛かってしかたがないだろう。なるほどと納得したレイは、もう一人のAランクの男子のことを聞くことにした。

「じゃあ、この大津アキラって男の子は?」
「そっちは、グループも違ったんじゃないのかな?
 だから、全く知らない人だよ」
「でも先輩、私はこの人ってあまり好きなタイプじゃありませんね。
 卑屈さが顔に出ているから、いじめでも受けているんじゃありませんか。
 ちょっとと言うか、かなり性格が曲がっている気がしますよ」

 テレビの写真だけで、そこまでのプロファイリングが出来るというのだ。さすがは、世界に認められたアサミの人間観察力と言うところだろうか。
 そこで問題なのは、アサミの観察が正解だった場合である。高村ユイとは別の意味での、問題児を抱えることになってしまうのだ。その負担が全部自分にかかってくると考えると、パイロットが増えると喜んでばかりはいられなかった。

「アサミちゃんの観察力は正確だからなぁ……
 それに、悪い予感もよく当たるし」
「予め先輩に言っておきますけど、余計な同情は本人にとっても迷惑だと思いますよ。
 それに、同調率が満足なレベルにあっても、実戦で役に立つとは限りませんからね」

 つまり、役に立ちそうもなければさっさと切り捨てろというのである。シビアな競争世界に生きてきたからこそ言える、アサミなりの助言だった。

「確かに、僕には彼を育てなくちゃいけない義務もないからね。
 おかしなリスクを抱えるぐらいなら、早めに切り捨てた方が無難なんだろうね」
「私たちの命にかかわることですから、余計な遠慮は自分の首を絞めることになります。
 だからダメそうだったら、さっさと後藤さんに言って不合格にしてもらいましょう」

 力説するアサミに、レイは結構怖いなと感じていた。そして同時に、言っていることに納得もしていた。確かにアサミが言うとおり、ひとつひとつのことが、全て自分の命に関わってくるのだ。そこで遠慮をしていたら、守れるものも守れなくなってしまうだろう。その為には、心を鬼にしなくてはいけないというのは分かる。ただ、その割り切りがすぐに出来ることが、レイは怖いと思ったのだ。

「この後どうするかは、本人の適性を調べてからだね。
 アサミちゃんの言うとおり、協調性に問題があるようなら外してもらう必要があるね」
「こう言うタイプの面倒なところは、口では言うことを聞くようなことを言うことです。
 でも、心のなかでは反発していて、言ったことをちゃんとやらない問題があるんですよ。
 後からそれを責めると、言い訳のオンパレードになってくれるんです。
 芸能界にも、そんな人が沢山いたんですよ。
 大体そういう人は、知らない間に消えていってしまいましたね」

 だから遠慮は、誰のためにもならない。早めに退場させることも親切だと、アサミは繰り返したのだった。



***



 カテゴリA適合者が出たと言うのは、後藤にとって喜ぶべき事に違いない。しかも同じ日に6人と言うのは、予想外の好結果と言って良いだろう。想定外の二人はぎりぎりAと言う事情があったとしても、両基地の非主力組ぐらいの能力が期待出来るのだ。S高ジャージ部の3人と組み合わせれば、かなりマシな迎撃態勢構築が可能になるはずだ。
 ただ6人選出されたと言っても、そのうちの4人はS高ジャージ部なのである。そしてそのうちの一人、堀北アサミの扱いが難しいという問題があった。しかもマスコミからは、堀北アサミの選出を「宣伝目的」だと叩かれてしまったのだ。それがあまりにも酷かったので、ニューヨークの事をばらしたくなったほどだ。薄桜隊の5人に適性無しの判定をしたのだから、後藤としては宣伝目的はないだろうと主張したかった。

 そのあたりの攻撃は、取材規制を掛けた事が理由なのは疑うまでもない。初めて選出されたAランク、そしてそこには注目の4人が含まれていたのである。堀北アサミが居ることを考えれば、格好の取材対象だったのだ。それを後藤は、再び「民間協力者」と言う事情を盾に取材を規制したのである。
 その一方で、「なぜ?」と言う疑問もマスコミから呈されていた。1万人以上テストをして、一人もAランクが出ていなかった。その事情を考えると、同じ学校どころか、同じ部活から4人もAランクが出るのは異常なことと映ったのだ。しかも同じS高からは、他にAどころかCランクも出ていない。だれが考えても、不思議な状況としか言いようが無いだろう。これについては、シンジも「どうしてでしょうね?」としか答えようがなかったのだ。シンジでなくとも、誰も合理的な説明など出来ないだろう。

 もっとも、規制だけ掛けていると、いつかおかしな行動をされることに繋がりかねない。そのためのガス抜きとして、2次テストに関しては完全公開とすることを計画していた。その場においては、短時間のインタビューまでは認めるのである。ちなみに面倒な時間割は、全体時間を決めただけで、後は各社に調整させてやればいい。時間を短めに指定しておけば、時間延長は譲歩ととってくれるだろう。

 S高ジャージ部と言う扱いの難しいグループに加え、後藤にとってはもう一人扱いの難しい適格者がいた。そしてその扱いの難しい適格者の関係者から、後藤はいきなりその日のうちに呼び出しを受けることになった。

「所属が違いますよぇ〜」

 と言う具合に、後藤としては茶化したい気持ちは満々だった。そして書類上不備がないのは、防衛省のお墨付きも貰っていたのだ。従って、選出された適格者の資格について、たとえ親族であっても苦情を言われる筋合いはなかったのだ。
 ただ相手を考えると、ここで事を荒立ててもろくなことはない。陸将補と言うのは、今後ギガンテス迎撃作戦において、緊密な連携が求められる相手でもあったのだ。ご機嫌取りは自分の役目じゃないと思いつつ、何とか相手を丸め込もうなどと不埒なことを後藤は考えていた。

 新市ヶ谷の陸上自衛隊本部に呼び出された後藤は、そのまま陸将補の部屋へと案内された。そこで待っていたのは、当たり前のことだが部屋の主、陸将補の高村エイジだった。いかにも軍人顔をした高村は、肩に緑色の下地に金色の星が盾に二つ並んだ階級章を付けていた。年齢的には、後藤と同じぐらいなのだろうか。

「それで、私はどのような用件で呼び出されたのでしょうか?
 高村陸将補殿?」

 階級的には、相手の方が一つ上となる。知らない相手ではないが、ここは礼節を保つ所には違いなかった。そのため普段の後藤とは思えぬ丁寧さで、高村陸将補と向かい合った。
 だが後藤を良く知る高村にとって、その態度こそ人を小馬鹿にしたような物に思えてしまう。そもそも主食を人としているこの男が、呼び出された理由が分からないはずがなかったのだ。

「そう言うふざけた態度は不愉快だな」
「しかし、所属が違うとしても貴官の方が目上であります」
「上とツーツーのお前がそれを言うのか」

 ふんと鼻息を一つ荒くした高村は、「とにかく座れ」とソファーを指さした。

「今日は特別に、茶を出してやる」
「ありがとうございます」

 いかにも感激したような顔を作り、後藤は大仰にお礼を言って見せた。その嫌みったらしい態度に不快なものを感じながら、高村は自分の席に座ったまま、「どう言うことだ?」と文句を言った。

「どう言うことと言われましても……
 あっ、ありがとうございます」

 本省は良いなと、後藤はお茶を出してくれる女性職員に礼を言った。そして女性職員が出て行くのを見計らって、よそ行きの顔から普段の顔に切り換えた。

「ご息女については、書類上の不備はありませんでしたよ。
 本人の希望以外に、直系親族2名以上の同意があること。
 それを満足している以上、そこから先はご家族の問題となります。
 ご息女の場合は、奥方とおじいさまの署名がありましたな」
「あのじじい、勝手なことばかりしやがって……」

 そう言って吐き捨てた高村に、後藤は「家庭の問題」と繰り返した。

「当然、陸将補殿が反対されれば、選出を無かったことに出来ます。
 それが親権者の正当な権利として、募集要項にも記載されています。
 いずれにしても、内閣にも承認された正当な手続によりご息女は選出されています。
 従って、「どう言うことと」と問われても、職責を全うしているとしか答えようがありません」
「今更、俺が反対できるはずが無かろう!」

 それをしたとしても、現在の職務に反する事はないはずだった。だが娘の名前が公開された以上、今更反対できないのも事実だった。世界的に見て、適格者というのは非常に貴重な存在となっている。ようやく現れた適格者に対し、国を守る役目の者が、個人的感情で反対することが出来るはずがない。反対するのであれば、テストを受ける前に潰しておかなければいけなかったのだ。実際シンジの助言があったとは言え、篠山はテスト前に反対をしたのだ。

「それを理解しているのであれば、私にどうしろと仰るのです?
 溜まった鬱憤をぶちまけたいという理由でしたら、呼び出す時間を考えて欲しい物ですな。
 どうです、視察がてらに一度S市においでいただくと言うのは?
 あちらでしたら、ちょっと面白いお店にお連れすることが出来ますよ」
「娘を予備役にすれば事が足りるはずだ。
 あれは、戦いに出ると言うことがどんなことか理解していない!」

 それぐらいなら、確かに後藤の権限内で可能なことだった。ただ立場を考えると、あまりにも我が儘な物言いには違いなかった。その我が儘さに苦笑を浮かべ、後藤はここでも建前を口にした。

「今回選出された適格者は、いずれも当面は予備役扱いです。
 いきなり実戦に投入しない、必要な訓練の後正規パイロットになるかどうかを本人が決められる。
 募集要項には、その様に記載されています。
 失礼な言い方をしますが、あの4人と同じだとは思って欲しくはありませんな」

 そもそもS高の4人は、世界的に見ても特別すぎたのだ。高村の娘の場合、ただカテゴリーがAに分類されただけで、ジャージ部の4人の様に、特別な物を持っていなかった。

「俺の娘では、役に立たないというのか?」

 パイロットにしたくないと思っていても、そこは親としてのプライドもある。似たような同調率を示す相手に対して、劣ると言われれば反発もしたくなってしまうのだ。ただ後藤にしてみれば、組織の行く末が心配になる高村のまっすぐさでもあった。

「詳しいことは、詳細なテストをしてみないと分かりません。
 ただ経験的に言わせていただけば、他の基地の非主力組より少し劣るぐらいの同調率になるでしょう。
 経験もなく、同調率にも劣るパイロットが、役に立つと考える方が異常でしょう。
 それでも、対象Iの指導を正しく受ければ、立派な戦力となってくれるでしょうな。
 もっとも、ご息女は対象Iに対して、あまり良い感情は抱かれていないようですな」
「なぜだ……いや、別に対象Iに対して好意を持てと言っているわけではない。
 だが冷静な目で見れば、対象Iはなかなかの好青年ではないか」

 恐怖の対象という事を心の片隅に追いやれば、自衛隊内でも対象Iに対する評価は高い。二つの戦いでの献身的な態度、そして本人の持っている基本スペックの高さ。一部職員には、彼に対してファン的感情を持っている者が居るぐらいだ。そして高村も、対象Iに対しては高い評価をしていたのである。

「まあ、篠山が未だに執着して居るぐらいですからね。
 もの凄く切れる頭、そして常に冷静沈着な精神状態、身体的に言っても非の打ちようがない。
 見た目にしても、あの堀北アサミを惚れさせましたからな」

 シンジを褒めた後藤は、「何故でしょうな」と聞き返した。さすがに男女の機微は、後藤の手にも余ったのである。

「そう言われると、娘が特殊な趣味を持っているのではないかと不安になる……」
「そのあたりは、私にはどうとも申し上げられませんな。
 それから補足させていただきますが、お嬢様はS高への編入を希望されています。
 そこそこ偏差値が良く、クラブ活動も活発で自由な校風があります。
 選択としては、陸将補殿も比較的安心できる物ではないでしょうか?」

 自分のところの学校を否定するのはどうかと思うが、それが将来の職業選択にも繋がって来る以上、どこに入るのかは大きな問題となってくる。そして癪に障ることだが、まだS高の方がマシと高村も考えていたのだ。どうして家族代々軍人系なのか、自分を棚に上げて高村は不安を感じていた。

「それから、S高には私の部下を1名派遣します。
 すでに相手先の校長、教育委員会とも合意が取れています」
「葵ユキナか?
 また、くせ者を派遣することにしたのだな」

 高村にまで知られているのだから、葵と言うのは相当のくせ者なのだろう。

「だからですよ。
 それに葵なら、対象Iの事も良く知っていますからね。
 比較的容易に、協力関係を築けるものと思われます。
 それから葵には、対象Iの居るボランティア部の顧問をさせることにしています」
「対応としては適切だろうな。
 だが、よく対象Iがテストを受けることを承諾したな?」

 頑なに表に出ることを否定していた事を考えると、高村の疑問も正当なものに違いない。そして後藤も、内閣を含め上の方全体で同じ考えがあったのも聞いていた。

「一度陸将補殿も、彼らと話をしてみることをお奨めしますよ。
 と言っても、その機会を作るのはなかなか難しいのは確かですがね。
 一番簡単な方法は、“夜の視察”を含めてS市に来ていただくことです」

 そこでBWHに連れ込めば、非公式に対象Iと面通しをすることが出来る。
 そう答えた後藤は、「彼らは」と言葉を続けた。

「彼らの願っていることは、本当にささやかな物でしかないんです。
 今の3年が卒業するまでの短い時間、それを大切にしたいと言う事だけなんです。
 高校生としてクラブ活動を楽しみ、日々の勉強に苦労する。
 男女の出会いに胸をときめかせ、友人と馬鹿騒ぎしていたい。
 それが何時までも続けられないことは、彼らも分かっているんです。
 そして何の代償もなく叶えられるほど、簡単なもので無いというのも分かっています。
 まして彼らは、自分達に掛かる責任を正しく理解していますよ。
 しかも私を信用して、指示に従うとまで言ってくれました」
「お前を信用するとか、正気の沙汰とは思えないことを言っているな」

 何の後ろ盾も持たない後藤が、どうして今の地位にいることが出来るのか。それを考えれば、信用して任せると言うのは、「悪魔に魂を差し出したのと同じ」だと高村は考えていた。そして後藤も、高村の言葉を否定しなかった。

「今のところ、利害が一致していると考えているのでしょうな。
 そして私なんぞを利用しなくてはいけないほど、彼らには後ろ盾がないのも分かっている。
 対象Iは、私に対して「生かしてくれたことを感謝する」とまで言ったぐらいです。
 それほど、自分の命が危ない瀬戸際にあることを知っているんですよ。
 だから彼は、せめて仲間だけは守りたいと思っている。
 今回テストを受けることにしたのも、その方が被害が小さいと考えたからに他なりません」
「候補になれば、公然と基地に入る理由になる……か。
 確かに、ギガンテス襲撃の度に、無関係のはずの彼らが居なくなるのは不自然だな」

 そう言う理由であれば、公開テストを受けた理由にも納得がいく。色々と考えていると、高村はシンジに対して感心していた。

「まさに、逸材という所か……」
「対象I及びその恋人という意味であれば、間違いなく逸材でしょう。
 あの二人は、自分達がどう行動すべきか、どうすれば自分を守れるのかを常に考えています。
 特殊な環境で育ったお陰で得た能力、分析するのならそう言う所でしょうか。
 あの二人は、兵ではなく将としての資質を持っていますよ」

 そう言う意味でも、日本は逸材を手に入れたと言うことになる。それが他の基地との、決定的な違いだと後藤は分析していた。

「本音の話、娘は使い物になりそうか?」
「そのあたりは、対象Iの観察を待ちたい所ですな。
 明日にでも彼と話をするつもりですので、そのあたりのことを聞いておきましょう」
「あれには、もう少し女らしくなって欲しかったのだがな……」

 それこそ家族の問題だと、後藤は声を大にして言いたい所だった。だが調べた範囲で、それを期待するのはかなり無謀なことに違いない。小さな頃から刷り込まれた考えは、そう簡単に変わるものではないのである。唯一それが出来そうな心当たりはあったが、その心当たりは可愛い恋人のことで手一杯のはずだった。
 呼び出された割には、大した話をしたわけではなかった。要は、後藤に対して牽制しておこうという腹づもりがあったのだろう。呼び出した中身に意味が無くても、呼び出したことで簡単な警告を発したと言うことだ。今後共同作戦が必要なことを考えると、後藤も陸自を敵にするつもりはなかった。
 だから後藤としては珍しく、「今後逐一情報を入れますよ」と言う約束をして高村の元を辞した。それぐらいのサービスをしたとしても、殊更手間がかかると言うことではない。それで丸く収まるのなら、必要なコストと考えたのである。



 忘れがちなのだが、2日のテストではもう一人カテゴリAにランクされる応募者が出ていた。なぜ忘れがちかと言うと、特に個人的に目立った所のない、ごく平凡な少年だと言うところに理由がある。世間の関心が堀北アサミに向いてしまったため、マスコミ的にもあまり関心が払われなかったというのも理由として大きかった。

 それでも、Aランク通知が来たことに、大津アキラは飛び上がって喜んだ。ただ喜んだその背景を考えると、あまり褒められた物ではないのかも知れない。何しろ喜んだ理由が、「虐めてきた奴らを見返せる」と言う物だからだ。1万人以上が応募して、この日までにAランクに入ったのは自分を含めて6人だけなのだ。堀北アサミと言う有名人は居ても、自分の価値が下がるわけではないと思っていた。むしろ有名人と同じ立場に立つことで、自分の価値も高まると考えていたぐらいだ。
 だからクラスのみんなの見る目が変わる。尊敬されれば一番だが、尊敬されないまでも、今までのように虐められることはないと思っていた。

 だが通知を受け取った翌日、彼の期待は見事に裏切られることになった。靴を入れようと開けた下駄箱にはゴミが詰められていたし、机の上には「さっさと出て行け」と言う張り紙がされていた。しかもクラスの誰も、彼の所に近づいてこようとはしなかった。Aランクになったのは、世間的にはちょっとしたヒーローのはずなのだ。それなのに、どうして誰も話を聞きに来ない。今まで以上の絶望感を、アキラは味わっていた。
 その意味で、彼を虐める3人組は全く態度を変えなかった。今まで通りに暴力を振るい、今まで通りにお金をせびってくれたのだ。そして教師に助けを求めても、「友達だったら、ちゃんと話をすればいいだろう」と突き放されるのも同じだった。結局、Aランクになっても、彼を取り巻く環境は何一つ変化がなかったのである。

 正確に言うのなら、更に虐めが酷くなったとも言えるだろう。追加のテストがあることを知った3人組は、彼に対して新たな無理難題をふっかけたのだ。その無理難題と言うのが、一緒にテストを受けるはずの、堀北アサミの生写真を撮ってくることと、自分達へのサインを貰ってくると言う物だった。

「そんなの、絶対に無理だよ……」
「だったら、その時は覚悟しておくことだな」

 誰も助けてくれない以上、彼らの言う事を聞くほかにはなかった。どっちが怖いかと言えば、間違いなく彼ら3人組の方が怖かったのだ。だからアキラは、しぶしぶ彼らの命令に従うことにした。



 細かな事情までは分からなくても、大津アキラがいじめを受けていることは明らかだった。その報告書に目を通した後藤は、「面倒な」と頭を抱えることとなった。継続的にいじめを受けていると言う事は、精神的に何らかの障害が出てくる可能性が大きくなる。不必要に攻撃性が高くなったり、逆に危険に対して身が竦んでしまったりという奴である。
 そのリスクを考えると、パイロットにして良いのかと悩んでしまうのだ。ただ問題は、他の3人にしても何らかの問題を抱えていることだった。問題の方向性が違うとは言え、こちらも厄介なことには違いない。6人中4人が何らかの面倒を抱えているのだから、問題児の集まりかと嘆きたくもなるのだ。

 もっとも、せっかく出てきた適格者を、いじめを受けていただけで落とすことも出来ない。結局学校の環境が悪いのだったら、環境を変えてやれば虐めもなくなってくれるのだ。時間を掛けて訓練をすれば、1年もすれば使えるようになってくれるだろう。虐め以外に問題が出なかったことも、後藤にそう判断させる理由になっていた。

「まっ、その手のことはジャージ部に任せるのが一番良いか」

 あの篠山キョウカを更生させたのだから、いじめられっ子の救済も出来るはずだ。そしてそれが出来てこそ、「困っている人の味方」を名乗ることが出来るというものだ。
 勝手にジャージ部の責任を拡大し、後藤は彼らに解決を任せることにした。ちなみに一般的に、「丸投げ」と言われる決定である。



 シンジ達がテストを受けた翌日、つまり月曜日のS高は、ちょっとしたお祭り騒ぎになっていた。彼らの身近な、そしてとても良く知る4人が、パイロットの一次選考を通過したのだ。校内での彼らの活躍を見ているだけに、その活躍が世界規模に広がることを夢想したのである。一次選考を通っただけなのに、回りの気持ちはすっかり正式パイロットになっていたのだ。
 その期待の中登校するのだから、回りの視線は全てシンジ達に向けられていた。S高のヒーロー、ヒロインが日本のヒーロー、ヒロインとなる。それが分かっているから、ほぼ全員から「頑張れよ」「頑張ってね」と言う励ましを受けることになったのだ。このこと一つとってみても、パイロットになる事の重要さを改めて思い知らされたことになる。

「一躍時の人ね?」

 初登校の時以上に注目されているのは、隣を歩いていても良く分かった。これに比べれば、親友とのことがばれた時も大したことは無いと思えるほどだった。

「まあ、みんなの気持ちも分かるけどね……
 これで、陸山会長は諦めてくれるかなぁ」

 是非とも生徒会長に立候補して欲しい。そんな強い要請を受けていたのだが、これで全てご破算になるだろうとシンジは考えていた。常識的に考えれば、生徒会の仕事とパイロットの仕事は両立するものではない。そして優先すべきはどちらかと言うのは、今更議論が必要とは思えなかった。

「そうだったらいいわね……」

 少し含みを持たせたレイは、そんな簡単な話では無いと思っていた。それに、そこまで陸山の諦めが良いとも思っていなかったのだ。
 もっとも、生徒会長の話は兄が頭を悩ませれば良いことだった。それよりも切実な問題は、カメラを持って近所をうろついている人が現れたことだ。これではだらしない格好は出来ないし、洗濯物を外に干すことも出来なくなってしまった。ただ自分の下着は、もともと外に出していないので、困るのは兄の洗濯物だけなのだが。いずれにしても、面倒なことになったことだけは間違いなかった。

「兄さん、カメラを持った人が増えたのに気付いている?」
「気付かない方がどうかしていると思うよ……あれは。
 今だって、後ろから何人か付てきているからね」

 ふっと笑った兄だったが、レイはその口元が引きつっているのに気がついていた。色々と考えた上での行動だとは聞かされていたが、それでも考えが甘かったと言う事だろう。

「兄さんでこれなら、アサミちゃんはもっと大変なのかも知れないわね」
「たぶんね、うちなんか比較にならないほど見張られているんじゃないのかな?
 まあ、マスコミ対策はずっと慣れているから大丈夫だと思うけど……
 いやだなぁ、これで一人で遊びに行きにくくなる」

 両親が不在な事はモロバレなのだから、二人きりで家の中に籠もったら何をしているのか見え見えだろう。それがばれるのは、高校生としてかなり致命的なことに違いなかった。

「そうね、昨日のようなことをしたら、間違いなく“目立つ”わね。
 色々とエッチな想像が出来るから、おもしろおかしく書き立てられるでしょうね。
 それには、さすがの兄さんも尻込みするでしょうね。
 良かったわ、これで兄さんと姉さんが高校生らしい健全なお付き合いに戻るのね」
「悪かったね、不健全な付き合いをしていて。
 あ〜っ嫌だっ、こんなに視線を感じると、ストレスが溜まりまくる!」

 溜まったストレスの解消もしにくくなるのだ。何か他の方法を考えなくてはいけない、運動部に行って暴れまくることをシンジは考えていた。

「兄さん、自業自得って知ってる?」
「用例としては間違っていないけど、最近その言葉って悪い方にしか使われていないんだよ。
 少なくとも僕は、悪事を働いたつもりはないんだけどね」
「みんなのアイドル、アサミちゃんを傷物にした事は?」

 立派な罪だと口元を歪めた妹に、「合意の上だから、傷物じゃない」とシンジは言い返した。

「そうね、アサミちゃんのご両親からも認められていたわね。
 「いつ、孫の顔を見せて貰えるのかしら」だったっけ?
 アサミちゃんのお母様、いつでも良いみたいなことを言っていたわね」
「僕達は、まだ17と16なんだけどな」
「ヤンママ、ヤンパパは世間的にも珍しくないわよ」

 このネタになると、レイは圧倒的に兄に対して有利な立場に立つことが出来る。何しろ言い返してきたら、「酷い、アサミちゃんとは遊びなのね」と止めを刺すことが出来るのだ。それで黙ってしまうのだから、男など可愛い物だと思えてしまうのだ。
 とりあえず兄に対しては一本取った。それで今の状況が変わるわけではないが、少しはマシな気分になれると言うものだ。後は隣に座る親友から聞き取りをすれば、状況整理に困ることはないだろう。

 レイと別れてから、シンジは一度職員室に行き、部室となっている地学準備室の鍵を取りに行った。その間全員に声を掛けられたことからして、関心の高さを窺い知ることが出来た。そしてその事情は職員室でも同じで、職員室に入った途端に大勢の教師に声を掛けられることになった。その大半は、「凄いな」とか「頑張れよ」とか「大変だな」と言うものだった。

 職員室の関門を通り抜けた次にあったのが、地学準備室前の人だかりだった。部員5人中4人が選出されたのだから、ジャージ部が注目されるのは当然のことだった。

「凄いわね碇君、いよいよジャージ部世界制覇?」
「これからも、手伝いに来てくれるよね」
「秘密のパイロットのことが分かったら教えてね」
「応援しているから……」
「夕方ヘルプ頼む」

 シンジが現れた所で、こんな具合に口々に声を掛けてきてくれた。それに一つ一つ答えながら、シンジは部室の鍵を開けた。そこになだれ込んでこなかった所を見ると、待っていた方にも常識があったと言う事か。

「しかし、予想以上の反響だな……」

 パイロットになるための取りかかりしか終わっていないのに、回りはすでにパイロットになったものと受け止めてくれている。気の早さに呆れると共に、予想以上の展開に対して怖いなと感じてしまった。これで自分達の秘密が明るみに出たら、一体どんな騒ぎになってしまうのか。それを考えるだけで恐ろしくなってしまう。
 しかも外の人だかりは、シンジが部室に入った後も解消されていないのだ。そうなると、部員全員が現れるのを待っているとしか思えない。つくづく大変だと、シンジはもう一度ため息を吐いたのだった。

 そして待つこと5分、自分以上の騒ぎがドアの向こうから聞こえてきた。その騒ぎの大きさに、アサミが来たのだなとシンジは想像した。扉越しのせいか、何を言われているのかはっきりとは伝わって来ない。それでも、およそ似たことを言われているのだろうとは想像できた。
 それから自分以上に長い時間が経過してから、ようやく部室のドアが開かれた。ただそこで予想外だったのは、アサミと一緒にキョウカが現れたことだった。

「碇先輩、アサミの奴を救出してきたぞ!」
「私は、先輩が助けに来てくれると思ったのに……」

 その説明を聞く限り、自分の時とは違い、アサミはなかなか解放して貰えなかったようだ。「怖かったんですよ」と責めるような眼差しを向けられれば、「ごめんなさい」と謝る他はなかった。

「しかし凄いな、学校中がざわめいて居るぞ」
「まあ、昨日の今日だから仕方が無いと思うんだが……
 今日一日は、我慢するしかないんじゃないのかな」

 二日連続で熱狂するには、新たな燃料の投下が必要となる。今のところ、その燃料の投下予定は無いはずだった。

「だったら、少し先輩分を補給させて貰います」
「先輩分?」

 なんだそれと首を傾げるキョウカの前で、アサミは座っているシンジにしっかり抱きついた。

「先輩分の補給ですよ」
「出来たら、俺も先輩分を補給したいんだが?」
「助けて貰った恩はありますけど、さすがにこれだけは許してあげられませんね。
 キョウカさんも早くいい人を見つけて、補給して貰うと良いですよ」
「なかなか、そのあてが無くて困っているんだがなぁ……」

 そこで何かを思いついたのか、キョウカはぽんと手を叩いた。

「碇先輩、父様に倣って愛人を持つというのはどうだ?」
「愛人って、それは高校生相手に言う事じゃないぞ」
「そうですよキョウカさん、それに私は愛人じゃ嫌ですからね」

 すかさず反発してきた二人に、「慌てるな」とキョウカは何故かドヤ顔で言ってくれた。

「アサミが愛人を嫌だというのは分かっている。
 だったら、俺が愛人に収まればいいことだろう?」
「篠山、お前の両親が聞いたら涙を流して悲しむぞ」

 S市を支配する篠山家の跡取り娘が、よりによって愛人になると言ってくれるのだ。シンジを愛人として囲うと言うのならいざ知らず、愛人になると言うのは立場を考えればおかしな事に違いない。両親以上に、親戚筋が黙っているとは思えない暴言だった。

「そうか?
 父様には、俺の子供が跡を継ぐまで頑張って貰えば良いのだろう?
 早めに子供を作れば、父様の負担も少なくなるはずだ。
 その間、先輩が名目上俺の部下として篠山家を支配してくれればいい」
「キョウカさん、それは16歳の女の子が考える事じゃないと思うわよ」
「そうだぞ篠山、そこまで自分を捨てるのは気が早すぎる」

 アサミの言う通り、16の少女が考える事ではないのだろう。しかも子供に跡を継がせ、それまで父親が引っ張ると言うのは、あまりにも現実的すぎて怖くなるのだ。

「だがなアサミ。
 アサミを立てて、俺の願望を叶えるにはこれぐらいしか方法が無いんだぞ。
 こう言ってはなんだが、俺が綺麗になったのは全部先輩に振り向いて貰うためだからな。
 それだけじゃ足りないんだったら、篠山の全財産を付けると言っているまでのことだ。
 なぁに、篠山の方は、俺の子供が跡を継げば丸く収まるからな。
 年寄り共なんか、ちょっと待てば全員あの世に行ってくれる」
「頼む篠山、そう言う反社会的な提案はしないでくれ。
 真面目にとって、大騒ぎする奴らが出てこないとも限らないからな」

 目立っている時に、悪目立ちすることは控えなくてはいけない。たかが高校生の戯れ言でも、騒ごうと思う相手には関係ないのだ。

「大騒ぎと言うが、もう大騒ぎが起きているだろう。
 先輩達の正体がばれていないのに、これだけの騒ぎが起きているんだ。
 先輩は、アサミを恋人にした時から、騒ぎから逃げられない運命なんだよ」
「キョウカさん、私を悪の元凶みたいに言わないでください!」
「だがなぁ、あの時アサミがそそのかさなければ、俺たちは普通の高校生だったはずだぞ」

 キョウカの言うあの時とは、初めて基地見学をした時のことだった。そこでアサミが“架空”の祖父母を持ち出さなければ、四国で取り返しの付かない悲劇が起きていたはずだったのだ。そしてその事件がなければ、自分達ジャージ部が海外合宿をすることもなかった。今回のパイロット公募にしても、応募する事にはなっていないと言うのだ。
 もっとも、アサミの“架空”の祖父母が居なければ、高知の悲劇は世界規模の大恐慌を引き起こし、その後のニューヨークの悲劇は、世界を破滅へと導いていただろう。それがこの程度の騒ぎで収まっているのだから、“架空”の祖父母の功績は極めて大きかった。もしも実在したなら、ノーベル平和賞が与えられてもおかしくない働きだった。

「それは、そうですけど……」

 アサミがキョウカに言い負かされるのは、滅多にないことに違いない。裏を返せば、それだけアサミの方に今の混乱を引き起こした原因があることになる。もっとも二つの悲劇を防いだのだから、混乱と言っても罪のないものでしか無かったのだが。ただその混乱の中心になった者としては、勘弁して欲しいと言うだけのことだった。

 そんなことを話していたら、ドアの外で再度小さな騒ぎが巻き起こった。アサミに比べて小さいのは、注目度の違いと言うことになるのだろう。ようやくお出ましかと待っていたら、すぐにマドカとナルの二人が入って来た。

「さすがに、今日は凄いわね」
「私たちって、すっかり有名人ね」

 そこであっけらかんとしているのは、何事においてもポジティブシンキングと言う二人の性格がものを言っているのだろう。
 「余裕ですね」と声を掛けたシンジに、「どっちが」とマドカは苦笑しながらシンジを指さした。正確に言うのなら、シンジに抱きついたアサミを指さした。

「部内恋愛は禁止しないけど、部室でそう言う事はやめて欲しいわね」
「あれっ、マドカちゃんだったら「私も」と言って抱きつくと思ったんだけど?」
「今抱きついたら、鯖折りをしてしまいそうだわ」
「何か僕は、恨みを買うような真似をしていましたっけ?」

 マドカの馬鹿力で鯖折りをされたら、シンジでも耐えきれない恐れがあった。それを持ち出すマドカに、「恨まれるようなことはしていない」とシンジが言うのも、切実な理由があると言う事になる。

「ええっ、昨日のことを忘れたとは言わせないわよ。
 あの子を私たちに押し付けて、アサミちゃんと二人バスで学校まで来てくれたよね?」
「仕方が無いじゃないですか。
 僕は、暑いのに弱い軟弱者なんですから」
「ユイちゃんだっけ、しっかり怒って帰っていったわよ。
 次のテストで会う時、殴られても知らないからね」

 初めから分かっていたことなのだが、炎天下30分以上歩き続けるのは苦行だったのだ。だが二人は、それを指摘したシンジに、「軟弱者」と罵ってくれた。だから軟弱者は軟弱者らしく、涼しいバスを使っただけのことだ。そこで暑くて苦しかったと言われても、責任は自分にないとシンジは考えていた。

「その時は、返り討ちにして世間の厳しさを教えてあげますよ」
「私も、ユイちゃんに加勢しようかなぁ」

 そうする権利はあるはずだ。口元を歪めて言うマドカに、「ごめんなさい」とシンジは降参することにした。

「謝るぐらいだったら、最初からあんな事はしないことね。
 そうじゃなきゃ、せめて部室に冷房ぐらいは入れておくこと!」

 いたずらが過ぎるから恨みを買うことになる。調子に乗りすぎだと、マドカはシンジを諫めた。

「それから今日の勉強会は、臨時だけどBWHでやるからね。
 定休日だから、他に飲んだくれは居ないから安心して良いわ」
「わざわざ、勉強会のためにお店を開けるんですか?」

 定休日ぐらいのんびりしていたいだろう。普通ならそう考えると思ったシンジに、当然事情があるとマドカは続けた。

「タカさんから、碇君と話をしたいって言われたのよ。
 少しでも目立たないようにするには、うちで話すのが一番なんだって。
 タカさん、うちに入り浸っていることになっているから」

 後藤がモニタを頼んだ知り合いというのが、BWHで会った女子高生と言う事になっている。だから結果が出た後、BWHに来ることも不自然ではないと言うのだ。もっとも、ここで幹部に会えば、また「えこひいき」と言われる可能性は否定できないのだろう。

「僕と話をしたい……ですか。
 一候補者に、幹部自ら何を言いたいんでしょうね?」
「私たちだけなら、特に話をする必要は無いと思うわよ。
 つまり、2人見つかったAランクの子についてじゃないの?」
「それにしても、相談される理由なんて無いと思うんだけどなぁ〜」

 まだパイロットになるのかどうかも分かっていないのだから、事前に相談される理由はないはずなのだ。それを考えると、ろくな事ではないと想像出来ててしまう。

「なんか、俄然面倒になった気がするんですよ」
「それは実感するわ……昨日なんて、発表後にお店が満員になったもの。
 席が足りなくて、立って飲んでいる人も居たぐらいよ。
 しかも来た人みんなに、「マドカちゃん凄いなぁ」って褒められたわよ」
「ナル先輩はどうです?」

 理由は分からないが、ナルは疲れた顔をしていた。今まで静かだったのは、きっとそのせいに違いない。
 そこで話を振られたナルは、電話が鳴り止まなかったと実情を打ち明けた。

「お父さんの取引先とかから、ひっきりなしに電話が掛かってきたわよ。
 そのほとんどが、今度私を連れて挨拶に来てくれって話だったみたいね。
 長年の取引先もあるから、断り切れないってお父さんが困っていたわ」
「そのうち、山のように縁談が飛び込んでくるんじゃありませんか?
 良かったですね、男がよりどりみどりですよ」

 普通はシンジがからかうと、ナルからは暴力と言う名のお返しが行われていた。だが今日に限って言えば、ナルは椅子に座ったまま動かなかった。そうなると、逆にからかったシンジの方が心配になってしまった。

「鳴沢先輩?」
「何にも考えていない時は良かったのよ。
 でも、現実が見えてしまうと、後悔してばっかりなのよ。
 なんで、ヘラクレスになんか乗っちゃったんだろうって……」

 深刻そうにぼやいたナルは、手を挙げて「大丈夫だから」とシンジを制止した。

「変化が激しすぎて、ちょっと着いていけなくなっただけよ。
 こんなものは直に落ち着くから、心配しなくても大丈夫。
 碇君と違って、お姉さんはそんなに柔な神経をしていないわ!」

 よいしょと言って立ち上がったナルは、そう言う事と言い残して部室を出て行った。時間を見れば、そろそろ教室に行ってもいい時間になっていた。

「そろそろ、僕達も教室に行きましょうか?」
「先輩、途中までエスコートをお願いしますね」
「多分、全員一緒に途中まで行くことになるよ」
「そうね、今日は碇君に頼ろうかしら……」

 校内なのだから、危険なことがあるとは思えない。それでも一緒に行った方が、マドカでも安心できるのだ。予想を超えて変わった環境に、ジャージ部全員が戸惑っていたのである。



 校内の変化に比べ、まだクラスの変化は穏やかなものだった。それでも新たなヒーローの誕生に対して、クラスメイト達は、黒板に「パイロット内定おめでとう」と大きく板書して迎えてくれた。

「碇、やっぱりお前は特別だったんだな。
 お前と友達だったことを、今ほど誇らしいことはない」
「柄澤、なんでにやつきながらそれを言ってくれるんだ?」

 中学からの悪友は、腹に一物があるような顔をして近づいてきた。それを指摘したシンジに、「俺では耐えられないからな」と悪友は言い切ってくれた。

「アサミちゃんを彼女にし、しかもパイロットの候補に挙がったんだ。
 これからお前は、激動の時間を過ごすことになるんだよ。
 そのうちお前の写真集が出され、テレビでインタビューされることもあるのだろう。
 そして俺は、「あの碇シンジと友達だったんだぜ」と子供に昔を懐かしがって話す時が来るんだ。
 もしかしたら、歴史の教科書に載るのかも知れないな。
 俺は、お前の活躍を陰ながら見守ることに決めたんだよ」
「僕は、そんなたいそうなことを考えて応募した訳じゃ無いよ。
 ただ、今の自分に何が出来るのか、それを考えただけなんだ。
 そもそも、適格性があるかどうかなんて、受けてみないと分からないだろう?」
「それでも、お前なら何かやってくれると俺たちは思っているんだよ」

 自分の言葉に言い返そうとしたシンジに、柄澤は「まあ待て」と手で遮った。

「そのあたりは、落選組がお前に託す夢だと思ってくれればいい。
 俺たちは、勝手にお前に対して期待を掛けているだけだ。
 それを、お前が負担に感じることなど全く無いんだよ」
「いやっ、負担に感じているつもりはないんだけど?」
「お前、なにげに酷い奴だな」

 そう言って吹き出した柄澤は、その程度だとシンジを解放した。

「よってたかって質問責めしたら、ひ弱なお前じゃ根をあげてしまうからな」
「僕の繊細な神経を理解してくれて嬉しいよ」
「繊細な神経をしていて、アサミちゃんと付き合えるはずがないだろう?
 担任が来たから、この話はここまでにしておくと言うことだ」

 教師が来れば、そこからクラス委員の仕事が始まる。すぐに席に戻ったシンジは、「起立」と号令を掛けた。とりあえず、これでお昼休みまでは平穏な時間を過ごせるはずだった。



 激動の一日が終わったところで、全員ジャージ部部室に集合していた。この後カフェBWHに集合するのだから、特にここで顔を合わせる必要は無いはずだった。それでも全員が集合したのは、何処か安心したいという気持ちがあったからだろう。
 だがシンジ達を襲った激動の一日は、いまだ終わりを告げていなかった。「疲れたね」とマドカがぼやいたまさにその瞬間、「こんにちわぁ」と聞き覚えのある声が聞こえてきた。そして入ってきた顔は、夏休みの前半に嫌というほど見た顔だった。

「先輩、またどこかで合宿するんでしたっけ?」

 疲れていても、突っ込みが出来なければジャージ部ではない。入って来た葵の顔を見たアサミは、シンジに旅行の予定を聞いた。もちろんそれが、葵に対するからかいの言葉であるのは間違いない。

「いやっ、そんな予定は立てていないよ。
 きっと、旅行会社の営業じゃないのかな?」
「すみません、間に合っていますのでお引き取り願えますか」

 悪のりしたシンジの答えに乗っかる形で、アサミは葵に帰って欲しいとお願いした。悪乗りではあるが、結構真面目な思いだったりもした。当然葵から反発があるのは織り込み済みである。

「だぁっ、だれがツアコンよっ!
 こう見えても、バリバリの自衛官なのよっ!
 葵ユキナと言えば、その筋では結構有名なんだからね!!」
「じゃあ、しっかり部外者ですね。
 困るなぁ、部外者が校内に入って来ちゃ。
 大事にしませんので、さっさと消えて貰えますか」

 バイバイと手を振られ、葵は床をダンダンと踏みしめた。

「あなたたちも、公募の書類を見たはずよね」
「いえ、見ていませんけど?」

 絶妙に出鼻を挫いたシンジに、葵はもう一度床を踏みしめた。

「そこに、希望者は一般の高校に編入できると書かれているのよ。
 そしてその編入先が、ここS高となっているわけ。
 だから私が、自衛隊からこの学校に派遣されてきたのよ。
 一応受け持ち科目は英語全般、そしてジャージ部の顧問も引き受けることになったの。
 いい、今日から私はあなたたちの先生、ティーチャーよ、どぅ、ゆぅ、あんだすたん?」

 ムキになって言い返してきた葵に、シンジはすっくと立ち上がって近づいた。そして普段以上に真面目な顔で、息の掛かる所まで顔を近づけた。

「い、碇君、いきなりどうしたの?」

 年下と分かっていても、やはり葵もときめいてしまう。特に最近男っ気がないため、余計にシンジを意識してしまうのだ。だがシンジが口にしたのは、葵の見た目を揶揄したものだった。

「ええ分かります。
 僕を追いかけて、S高に編入してきたんですね?
 それで葵さん、何年に編入するんですか?」
「わ、私は、大人だぁっ!」

 失礼な言われように、葵は大声を上げて、ショートフックをシンジにみまった。だがこの程度は、普段からナルとマドカに鍛えられている。易々と拳を受け止めたシンジは、「体罰反対」と口元を歪めて言い返した。そのタイミングで、マドカから「何しに来たんですか?」と言う、それまでの話を聞いていたのかと言いたくなる質問が飛んできた。

「言ったでしょう、私はジャージ部の顧問になったの。
 いい、顧問よ顧問、顧問だったら部活に顔を出してもおかしくないでしょう?」
「それで、顧問の先生が、一体何をしに来たんですかぁ」

 今までも、名ばかりの顧問しか居なかったのだ。それを考えれば、ジャージ部運営に顧問が必要とは思えなかった。そこに「顧問」と言って現れたのだから、何かをするつもりがあるのだろうと言うのである。

「とりあえず、挨拶と状況説明ね……って、こら、そこ、どうして帰ろうとする!」

 マドカと話をしていたら、いつの間にかシンジとアサミが一緒に部室を出ようとしていた。それを見つけた葵は、「言う事を聞け」と大声を上げた。

「だって、葵さんが顧問になったと言うだけでしょう?
 詳しい状況説明なら、今晩後藤さんがしてくれるはずだし……
 疲れているから、早めに帰って休憩しようと思っているんですけど?」
「昼間っからご休憩ったぁ良いご身分ね」

 二人の関係を揶揄した葵に、シンジは「恥ずかしいなぁ」と言い返した。そして葵にからかわれた言葉を利用した。

「新婚さんだから、いつでも一緒に居たいんですよ」
「家族は大勢いた方が楽しいですよね」

 言われた事を倍返しするのは、親しさの裏返しなのかも知れない。だが的確な切り返しに、葵はあっさりと白旗を揚げた。

「お願いだからそう言うのやめてくれない?
 あなたたちがそれを言うと、なんか生々しいのよ。
 からかったことはさぁ謝るから」
「でも、本当に葵さんと話をすることがあるんですか?
 だったら、わざわざ後藤さんに会う必要もないし……」

 二度手間だと文句を言ったシンジに、「まあまあ」と葵は宥めるような真似をした。

「葵さんがS高に来るのは良いですよ。
 合格者も出たことだから、受け入れ先のS高に人を配置するという名目が立ちますから。
 でも、今の僕達が後藤さんと会うのは理由が立たないでしょう?
 昨日のテストの時でも、回りからずいぶんと「えこひいき」だって白い目で見られたんです。
 ここで個別に会ったりしたら、秘密をばらしているようなものじゃありませんか。
 ちなみに、今日はカフェBWHは定休日なんですからね」

 やり方が杜撰だと、シンジは葵に対して文句を言った。

「そんなことだと、秘密のパイロットは協力を拒否するかも知れませんよ」
「そう言う、私の首が吹っ飛ぶような脅しはやめてくれない?
 私の首どころか、内閣自体が吹っ飛びかねない事なのよ」

 勘弁してと懇願した葵に、だったら気を配って貰いたいとシンジは言い返した。

「昨日からの騒ぎで、僕達もかなり酷いストレスを感じているんです。
 下手したら、それが原因でヘラクレスに乗れなくなるかも知れないんですよ。
 同調するから乗れるだなんて、甘い考えを持たないでくださいよ。
 同調率が全てでないのは、僕が散々証明してきましたよね?」
「碇君が普段以上に攻撃的なのを見て、ストレスというのを理解できたわ。
 でも、あと1週間は耐えて貰わないと困るのよ。
 今週の土曜に、テストの第二段階を実施する予定にしているから」

 「お願い」と手を合わせた葵に、「その場しのぎは良くない」とシンジは言い返した。今の問題は、1週間程度で解消するものではなかったのだ。

「シミュレーターで好成績を出せば、そこでパイロット候補に登録されるんですよね。
 そうなったら、今の騒ぎの比じゃないと思いませんか?
 本当に、インタビュー要求を拒否できると思っているんですか?
 後藤さんの上の方から、インタビューに出させろと言う圧力が来るんでしょう?」
「じゃあ、1ヶ月我慢してっ!」

 手を合わせただけでなく、頭を机にすりつけた葵に、「やめましょうよ」とシンジは小さく息を吐き出した。

「僕も大人げない……実際に子供なんですけど……事を言っているのは分かっていますよ。
 でも、言いたくなる気持ちも理解して欲しいんですよ。
 マスコミ対策を含めて、今後どうしていくのか、それをちゃんと説明して欲しいんです。
 そうすれば、自分達がどこまで頑張れば良いのか分かるじゃないですか。
 根拠もなく、1週間とか1ヶ月とか言わないで欲しいんですよ」
「つくづく、ごめんなさい。
 そう言った事は、全部特務一佐が考えているのよ」

 もう一度ごめんなさいと頭を下げた葵に、「状況の説明は?」とシンジは先を促した。葵に聞いても無駄なのは、一連のやり取りで理解することができた。本当に無駄なのかは分からないが、話す気がなければ、追求しても無駄骨なのだ。

「土曜にテストをすると言うのは、単なるスケジュールの説明でしょう?
 状況の説明と言った以上、どんな状況になっているのか教えてくださいよ」
「えっ、あと、状況の説明ね、うん、状況の説明があったわよね」

 どうしてそこで焦るのだ。まさか単なる勢いで「状況の説明」と言ったのではないか。そんな疑問を、シンジ達は葵に対して抱いてしまった。
 その冷たい視線にたじろいだ葵は、真面目に今の状況を説明しようとした。

「ええっと、一体何から話しましょうか……そんな目で見ないでよ。
 昨日から今日に掛けて、本当に色々と動きがあったんだから」
「それで?」

 冷たくシンジに言われ、「優しくないなぁ」と葵は愚痴をこぼした。もっとも誰も答えてくれないので、仕方が無いと「マスコミ」に絡む部分から説明することにした。

「はっきり言って、マスコミからは総攻撃状態よ。
 Aランクの応募者への個別インタビューを禁止している事への反発が大きいのよ。
 言いたいことは理解しているし、視聴者の期待があるのも分かっているわよ。
 でもねぇ、下心があまりにも透けて見えているのよね」
「葵さんの言いたいことはだいたい想像が付きます。
 アサミちゃんのインタビューをさせろって事ですよね?」

 今回応募した中で、ダントツの注目を集めていたのがアサミだったのだ。そのアサミがカテゴリーAにランクされたのだから、これ幸いと取材申し込みが殺到したと考えたのだ。

「まあ、確かにあからさますぎるわよね。
 でもね、同じくらい碇君に対する要求も多いのよ」
「なんで、無名の一般人に?」

 それは無いでしょうと笑うシンジに、「状況は正しく認識しよう」と葵は言い返した。

「もともと、ジャージ部はマスコミには有名だったのよ。
 ただ、そう言う事情なら、遠野さんとか鳴沢さんに対する取材要求も多くないといけないわね。
 でも現実は、堀北さんと碇君への取材要求がほとんどなのよ。
 高村さんとか、大津君に対する取材要求は全く来ていないの」
「それで、なんで僕に?」

 取材して華があると言う意味なら、マドカやナルの方があるはずなのだ。それなのに、一高校男子に取材したいという意味が理解できない。

「そんな風にしらを切らないでよ。
 碇君の顔って、かなりマスコミに露出しているのよ。
 ヒ・ダ・マ・リのコーナーだって、今は碇君の映ったカットの方が多くなっているの。
 次の放送なんて、間違いなく薄桜隊はおまけの扱いになるわよ。
 売り出そうってアイドルユニットも、碇君との絡みを撮っていたじゃない。
 そこに来て、あの自主映画でしょう?
 昨日の発表以来、動画サイトのアクセスが爆発しているのよ。
 その事実を、正しく認識しておいて欲しいのよ」

 はあっと息を吐き出した葵は、「そうでしょう?」とアサミに同意を求めた。芸能界に関わる事なら、自分など比べものにならないほど詳しいと尊重していたのである。
 そしてアサミは、葵の言葉にそうですねと同意した。

「目敏い人は、最初にヒ・ダ・マ・リに出た時から注目していましたよ。
 あと、ジャミングや番組スタッフもそのことは初めっから分かっていました。
 だから、絶対に先輩と花澤のまともなツーショットを撮っていないでしょう?
 そんな真似をしたら、花澤がみすぼらしく見えてしまいますからね。
 芸能人なんて、所詮虚構の世界でしか生きていないんです。
 現実の世界で輝いている人の隣に並べたら、作り物なんてはっきり分かってしまうんです。
 それに先輩は、この私が好きになった人だと言うことをもっと自覚を持ってください。
 だから、不必要に他の女の子に優しくするのも駄目ですよ」
「いやっ、そう言う難しいことを言わないで欲しいんだけど……」
「でも、堀北さんが言っていることは正しいわよ」

 ふうっと息を吐き出した葵は、「飛んで火に入る夏の虫」とシンジの状態を言った。

「今までは、本当にただの一般人だったでしょう?
 だからそれを盾に取られたら、芸能界も手を出しようがなかったのよ。
 でも、これで半公人になったじゃない。
 碇君を画面に出せば、それなりの視聴率が取れることが分かっているのよ。
 そこに堀北さんを絡ませたら、それこそ芸能界にとって美味しいネタなのよ。
 その為の口実ができたから、彼らとしてはなんとしてもインタビューを取りたいわけよ」
「でも、僕達は芸能界なんてものに興味はないんですけど。
 特にバラエティタレントなんてものには、絶対になりたくありませんね」

 だからその方面でのインタビューを受けるつもりは無い。シンジは葵に対して、はっきりと言い切った。

「そんなことは特務一佐も分かっているわよ。
 だから、候補生に対する個別取材を禁止しているのよ。
 今のところの口実は、みんなはまだ一次審査を通っただけだと。
 今後の試験で、適格性が否定されるかもしれないと言うことにしているわ」
「それだったら、土曜の試験で話が変わりますよね?」

 そこで適格性が認められれば、選考の過程は終了することになる。その後にあるのは、ヘラクレスへの搭乗訓練を含め、戦いに出るための訓練となる。
 そうなると、葵の言った口実は通用しなくなる。それを指摘したシンジに、葵は「別の理由も用意されている」と答えた。

「最終的には、1年程度の訓練を経て、最終的に登録されるかどうかを選べるのよ。
 それまでは扱いとして民間人だから、本人がうんと言わない限り取材は受け付けないことになっているわ」
「その後は?」
「守秘義務があるから、個別に業務に関わる取材を受けないことになっているのよ。
 当然プライバシーに対する取材は、拒否することが出来るわ」

 つまり、様々な口実を用意して、取材を受けないようにしているというのだ。確かにそれがうまくいけば、マスコミに煩わされることはないのだろう。もっとも、すでにそれが破綻しているのをシンジは知っていた。

「それって、あくまで公式の話ですよね?
 すでに、僕達の周りをまとわりついている人たちのことじゃありませんよね?」
「そっちの方はお手上げ。
 行き過ぎた取材に対しては、強権を発動することも考えているわ。
 ただ、それをすると、左巻きの人たちがうるさくなるのよね」
「報道の自由、知る権利に対する侵害ですか?」

 けっとつばを履く真似をしたシンジに、まさにその通りと葵は答えた。

「実際、マスコミはそう言う身勝手な左巻きの人が大勢を締めているのよ。
 左巻きじゃない人も、自分の利益のために、左巻きの人たちを利用しているわ」
「そんなもの、お金の流れを抑えてやれば大人しくなるでしょう?
 篠山、お前んところで何とかできないか?」

 豊富な資金を持つキョウカの家なら、マスコミに対する圧力をかけることも出来るだろう。それを当てにしたシンジに、「分からん」とキョウカは即答した。

「そう言う難しいことを聞かれても、俺に分かるはずがないだろう。
 父様に聞いてみれば分かるかもしれないが、間違い無く条件をつけてくれるぞ」
「分かった、今言ったことは忘れてくれ」

 キョウカの言う条件というのは、間違い無くシンジに篠山家に入るように求めることになる。それを考えたら、使ってはいけない方法ということだ。

「歓迎してくれそうだから、アサミちゃんと二人でアメリカに行くって脅しましょうか?」
「いやっ、それをされると本当に特務一佐を含め、かなり上まで首が飛ぶことになるのよ」

 だから勘弁してと、葵は両手を合わせてお願いしてきた。

「だったら、真剣にピーピングトムの対策を考えてください。
 さもないと、もっと過激なことを考えるかもしれませんよ」
「碇君が今言ったことは、特務一佐に伝えておくわよ」

 夏休み中に比べて、シンジの言葉には棘がいっぱい刺さっていた。たった1日で溜まったストレスに、対策を考えなくてはと葵は真剣に考えた。マスコミ対策以上に、高校生の心に対する対策は難しいものになる。シンジの言葉に、改めてそれを思い知らされたのだ。

「それで、衛宮さんたちはいつ帰ってくるんですか?」
「碇君たちが、無事パイロット候補に認定されてからね。
 そうすれば、訓練と称して基地に入っても不思議じゃないでしょう?」
「今更、あっちで何をしているんでしょうね?」

 サンディエゴにいても、何も得るものはないはずだ。そう決めつけたシンジに、おいおいと葵は突っ込みを返した。

「碇君、君はカサブランカで何をしたのか忘れたの?
 両基地とも、知恵を絞ってそれを展開しているところなのよ?」
「僕が、何かしましたっけ?」

 白を切るというより、本気で覚えていないように見えたのだ。「マジですか」と、葵はシンジの顔をまじまじと見つめた。

「あっちの非主力組を、使い物になるレベルに持ちあげてくれたでしょう?
 その宿題を、両基地とも一所懸命やっているところなのよ。
 今のところ苦情が来ないから、多分大いに役立っているんでしょうね」
「今までって、随分とレベルの低いところで頑張っていたんですね」

 それだけを聞けば、とても傲慢な物言いに聞こえたことだろう。だが葵には、シンジに対して反論することができなかった。たった二度しか出撃していないパイロットに、様々な問題を突きつけられたのだ。それが今までの迎撃体制で抱えていた問題を解決する決め手となるのだから、レベルが低いと言われても仕方がなかったのだ。そして反論できないのは、何も葵だけではなかったのである。

「その辺りは、私には否定出来ないわ。
 でも、衛宮君たちは、その方法論を利用して訓練を受けているの。
 前よりは、ずっと役に立つと言う報告が上がっているわ」
「でも、同調率の向上は見られない……か」

 少なくとも、マドカに並ぶパイロットは現れていない。そしてそのレベルのパイロットが現れなければ、自分達が楽になることはないとシンジには分かっていた。はあっとため息を吐いたシンジは、「状況が良くないのは分かりました」と葵に答えた。

「結局、使徒……ギガンテスを倒すこと以外の面倒だけが増えたということですね。
 情報公開の必要性を否定するつもりはありませんけど、みんなギガンテスを甘く見ていませんか?
 もしも僕に原因があるんだったら、僕は余計なことをしたことになりますね」
「ええっと、それはどういう意味で言ったのかな?」

 シンジの言った言葉に頭が付いていかなかったのだが、とても危険なことが含まれているのだけは理解することができた。日本で何十万人、アメリカでは何百万人もの命が救われたのだ。間接的に言えば、更に救われた命の数は跳ね上がるだろう。間違っても、「余計なこと」と言っていい話ではない。
 だが真意を尋ねた葵に、シンジは答えをはぐらかせた。

「単なるぼやきですよ。
 深い意味はありませんから、真剣に考えても無駄です」
「私には、もの凄く怖い話に聞こえたんだけど……」

 そう言っても、シンジに説明を求めることはできなかった。一度机に置いたサブバッグを持ち直し、アサミ達に「帰ろうか」と声をかけていた。

「状況の説明って、これ以上ありませんよね?」
「細かな話をすれば、まだまだ有るんだけど……」

 こんな短時間で語り尽くせるようなものではない。ただそう答えはしたが、話さなければいけない情報がないのも確かだった。それに他の二人については、後藤が説明することになっていた。だから葵も、余計なことを口にはできない事情があった。

「葵さん、さっきは昼間っからって言いましたよね。
 朝からずっとカメラに追いかけられている状況で、妄想をかきたてるようなことが出来ると思いますか?
 それもまた、僕達のストレスになっていることを忘れないでくださいね」

「特務一佐には、そのことも伝えておくわ」
「善処をお願いしますよ」

 ふっと息を吐きだしたシンジは、マドカに向かってストレス解消をしましょうと提案した。

「反対しないけど、何をするつもり?」
「高校生らしく、カラオケボックスって言うのはどうです?
 ちょっと、大声で絶唱したい気分なんですよ」

 そのためには、カラオケが丁度いい。いささか強引なシンジの提案なのだが、否定する理由はマドカにないのは確かだった。それにシンジの言うとおり、マドカ自身得も言えぬ重圧を感じていた。大声でそれを発散するのは、溜めこまないためにも必要に違いない。そう考えて、マドカはカラオケに行くことを同意したのだった。



 いくら偽装工作が得意でも、カフェBWHに入店するのは隠しようが無い。遠野マドカがAランクとなった以上、ここもマスコミのターゲットとなっていたのだ。そこにのこのこ責任者が現れるのだから、マスコミの注目を集めないと考える方がどうにかしている。
 それなのに、後藤は事もあろうか中央突破をしてくれたのだ。片隅で勉強会をしていたシンジは、その行動に酷い目眩を感じたほどだった。

「どうして、こんな目立つ事をするんです?」

 怒る気力も失せたシンジに、「何をしても目立つからだ」と後藤は言い返した。「だからそれを利用するのだ」と。

「外に集まっている奴らは、君達がここに集合しているのが理由なんだよ。
 一応集まっている目的がおかしくないのは、奴らも理解しているようだな。
 それでも、君らが集まれば注目が集まってしまうんだよ。
 だから、それが責任者の耳に届いてもおかしくないって事なんだな。
 と言う事で、外にいる奴らに挨拶をして入って来てやった」
「挨拶してきたんですか……
 それで、どう言う口実を作って入って来たんですか?」

 大胆だなぁと感心しつつ、シンジはその口実を確認した。

「挨拶に決まっているだろう?
 何しろ君達は、日本中の期待を一身に集めているんだからな。
 しかもマスコミも、君達に対して高い関心を示しているんだ。
 だから挨拶がてら、色々なお願いを内々に行うと言う事にしてあるんだ」
「色々なお願い……ですか」

 先が見えたなと、マスコミが後藤に期待するものは決まり切っていたのだ。そして後藤は、シンジが予想した通りの答えを口にした。

「今は、君達への個別インタビューを禁止しているからな。
 そしてその理由は、君達が拒否しているという事にしてある。
 だから彼らとしては、君達に譲歩して貰いたいと思っているんだな」
「で、その説得を後藤さんにして貰おうと考えているんですよね?」
「説得じゃなくて、お願いだな。
 民間協力者に対して、ヘラクレス関係以外で命令を出すことは出来ないんだ。
 だから、宜しくお願いしますと送り出されてきたんだ。
 どうだ、ここに顔を出す立派な口実だろう?」
「ええ、それだったらおおっぴらに動くことは出来ますね」

 嫌な世の中だ。ギガンテスを倒すのに、余計なことが多すぎる事をシンジは嘆いた。

「それで、取材を拒否している僕達にどうしろと?」
「土曜日のテストの前に、簡単な取材を受けて貰いたい。
 トータルで、30分ぐらいを見込んでいるんだ」

 30分と言う時間に、長いなとシンジはそんなことを考えていた。だがアサミの感想は違ったようで、「そんなに短くて良いんですか?」と聞き返した。

「長くすると、余計なことまで聞かれる可能性があるからな。
 少なくとも、これは芸能人の記者会見とは違っているんだよ。
 時間を制限するために、敢えてテスト前に行うことにしているんだ」
「それで、僕達はどこまで話して良いんですか?
 間違いなく、海外の基地見学に行ったことを聞かれますよね?
 後は、高知の日に基地見学をしていたこととか。
 そのあたり、口裏を合わせておかないとまずいですよね?」

 それ以外の個人的事情、例えばシンジとアサミの関係については、「お答えできません」とでも答えておけば済むことだった。それにばれたとしても、秘密に繋がる心配は無かったのだ。
 口裏を合わせると言うシンジに、その必要性を後藤も認めた。

「今日の目的には、それも含まれているんだよ。
 君達がパイロット候補として活動する以上、いつかマスコミに出ることも覚悟しておかないといけない。
 口裏を合わせておくのは、早ければ早い方が好ましいんだ」
「それで、どう言う事にしておくんですか?」

 時間の事を考えると、すぐにでも本題に入っておくべきだ。シンジに促された後藤は、まず最初に日本での事を説明した。

「俺がここに入り浸っているのは、すでにあいつらも掴んでいる。
 君達が基地見学をしたのは、俺の個人的伝手を頼ったと言う事にしてある。
 高校生ぐらいが公募の対象となるから、行きつけの店の女の子に頼んだのだとな。
 そして協力する見返りが、サンディエゴやカサブランカ見学をセッティングをすることだ。
 基地見学の時は、まだシステムが稼働していないから、シミュレーターはさわりだけ体験して貰った。
 ギガンテス襲撃の際には、安全な控え室で待機して貰ったことになっている。
 当然、その後うちの車で無事送り届けたと言うことだ。
 送り届けた時間は、夕食前にしてある。
 基地自体は非常事態となっているので、俺もあまりそのことは知らないと言うことになっているな」
「でも、海外の基地見学が見返りって、ずいぶんと大盤振る舞いじゃありませんか?」

 まともに考えれば、日本の基地見学自体がご褒美となるだろう。その上海外の基地見学をセッティングするのだから、シンジの言う通り大盤振る舞いに違いない。その気前の良さが、逆に疑惑を呼ぶことにならないか。まず最初に、そのことが気になってしまった。
 シンジの疑問は、ある意味真っ当なものだった。その理由として、後藤は大人の事情を持ち出し、大盤振る舞いを正当化できると説明した。

「そのあたり、彼女がジャージ部に居るのを利用させて貰った」
「お、私ですか?」

 なんで自分が出てくるのか、傍観者となっていたキョウカは、後藤の言葉にしっかりと驚いてしまった。

「正確に言えば、君の父上を利用したと言うことだな。
 基地を運営するに当たって、地域の実力者にごまをすっておく必要があった。
 まあ、こう言ったことは世の中では良くあることなんだよ。
 基地を作ると言うのは、色々と気苦労が多いって事だ」
「そう言った事情は、マスコミの人もよく知っていると言うことですか……」

 世の中ってと、シンジはあまり触れたくない事実を知らされた気持ちになっていた。

「その説明は、彼らの常識に極めて合致してるんだよ。
 だから、彼らはそのことに疑念を持たず受け入れてくれたと言う事だ」
「その延長に、海外合宿があるんですね……
 それで、僕達はサンディエゴとかカサブランカで何をしたことにすれば良いんです?」

 日本の事情が分かれば、次は合宿先での行動が問題となる。それを聞いたシンジに、後藤は「かなり正直に答えて良い」と説明した。

「サンディエゴで、見学のプログラムを見せて貰っただろう?
 それをそのまま説明してくれれば問題が無いんだよ。
 あちらのパイロットとの懇親会、そしてシミュレーターを体験したこと。
 君が西海岸のアテナとデートしたことも話して貰って構わない」
「シミュレーターを体験した結果は?」

 シミュレーターを体験したとなれば、当然その結果も聞かれることになる。その対策として、レベルを決めておく必要があったのだ。

「あちらさんの指導で、1体ならギガンテスを倒せたってレベルにすればいいだろう。
 その結果を見て、パイロットにならないかと誘われたとでも言ってくれればいい」
「日本で公募の予定があるから、断ったと言う事ですか」

 それならば、確かに色々と辻褄が合うだろう。西海岸のアテナとのデートも、翻意を促すためだと考えれば、説明も付けやすい。

「アメリカ大統領とのことは、全て偶然で片付ければ良いんですね」
「そう言う事になるな。
 そちらに関しては、大統領の同盟国に対するサービスだとこちらから言っておく」
「カサブランカでも事情は同じだと考えれば良いんですね。
 サンディエゴで良い結果を出したから、彼らも僕達の取り込みを図ったと」

 世界的にパイロットが貴重なことを考えれば、各基地が取込を考えてもおかしくない。そのために、一見学者に対する物とは思えない厚遇をしても、常識的にはおかしくないことになる。そして今回、回りから「えこひいき」と見られた特別待遇にも説明が付くのだ。

「事前に、僕達のことが発表されていない理由は?」
「まあ、サプライズって奴だな。
 後は、実施した検査方法が正当であることを証明する役目も持っていた。
 そっちの方は、2人ばかりAランクが出たので、あまり必要は無かったことになるのだが……」

 どう発表しても騒ぎになるのだから、そのタイミングを考えたと言う事になる。色々と気に入らないことはあっても、拘る事ではないとシンジは割り切った。

「じゃあ、土曜のテストでは、経験者として振る舞えば良いんですね?」
「土曜は、シミュレーターで同調率を見ることが目的だからな。
 ギガンテスとの戦闘は予定していないので、適当にやって貰って大丈夫だ」

 極めていい加減な説明だが、一応やって良いことの確認はできた。それに、単なるデータなら、如何様にも操作することが出来る。

「それで、晴れて僕達はパイロット候補と言う事になるんですね?
 そして多少経験があるから、他の二人とは別扱いになると言う事ですか」
「比較的早く、うちの奴らと訓練を行うことになる。
 まあ、その時は、君達が指導を受ける立場なんだがな」
「こうして、僕達は後藤さんの思惑通り取り込まれていくんですね……」

 はあっとため息を吐いたシンジに、「おいおい」と後藤は苦笑を返した。

「俺の思惑通りなんて、人聞きの悪いことを言って欲しくないな」
「でも、事実じゃないですか」

 ここまでの流れは、間違いなく後藤の都合が良い方向に動いている。それを考えれば、シンジの言う「思惑通り」と言うのは間違った表現ではないだろう。

「どちらかと言えば、俺は流れに身を任せただけだな。
 まあ、流れに棹さしたというところもあるかもしれない」
「まあ、どっちでも今の状況は変わりませんからいいです。
 それで、次のテストにあたって、気をつけるのはそれぐらいですか?」

 この程度なら、わざわざ顔を合わすまでもなかった。そう言ったシンジに、もう一つ厄介な話があると後藤は告げた。

「これから、君にとっていささか気が重くなることを言う。
 あと二人、カテゴリAにランクされたことは知っていると思う。
 その二人が、なかなか曲者なんだよ」

 そう言う事かと、シンジはしっかりと嫌そうな顔を作った。

「例えそうだとして、どうして僕に責任が掛かってくるんですか?
 パイロットの育成は、後藤さん達の仕事のはずでしょう。
 それに、僕達の素性をばらすまでは、僕たちは彼らと同じ立場のはずですよ」
「建前を言うのなら、君の言うとおりだろうな。
 だが、現実にはうちにはまともな育成プログラムはない。
 サンディエゴから持って帰ってきてもらうが、それは君の指導の焼き直しにしか過ぎないんだ。
 オリジナルが日本にあるのに、どうしてよそのを使う必要があるんだ?」
「それでも、輸入したプログラムを使ってくださいよ。
 高村さんはまだしも、もう一人は口がとても軽そうですから」

 そう言ったシンジは、アサミがプロファイルをしたと大津アキラのことを口にした。

「大津くんでしたっけ、アサミちゃんが顔を見て分析したんですよ。
 おそらく継続的にいじめを受けていて、人格的に歪みが出ている可能性がある。
 アサミちゃんが言うには、言われたことをやらないで、後から言い訳だけをするタイプだそうです。
 言うことを聞かないで失敗しても、悪いのは他人で自分は悪くないって言いそうです」
「碇君、テレビで見ただけでそれは言いすぎじゃないの?」

 すかさず突っ込みを入れたマドカに、「アサミちゃんの分析」とシンジは言い返した。そして、どう曲者なのかを説明しろと後藤に迫った。
 そしてシンジに迫られた後藤は、改めてアサミの観察眼の凄さを思い知らされていた。シンジが口にしたことは、ほとんど違っているところがなかったのだ。

「見事というか、恐ろしいとしか言いようが無いな。
 確かに堀北さんが言うとおり、大津アキラは継続的にいじめを受けている。
 テストを受けた動機にしても、クラスメイトを見返してやるというものだ。
 報告によれば、Aランクに入った後も、いじめがやんだ形跡はない」
「虐められていることには同情しますけど、パイロットにするのはやめませんか?
 いざと言う時に体が竦んだら、本当に本人の命に関わりますよ。
 学校でジャージ部の後輩というのなら、面倒を見るのも吝かじゃないですけど。
 少なくともパイロットは、学校とは違いますよね?」
「碇君、その大津って子を見捨てるの?」

 信じられないと言う顔をしたマドカに、「見捨てるってなんですか?」とシンジは聞き返した。

「ちょっときついことを言わせてもらいますけど、遠野先輩って何様です?
 確かに、今の僕があるのは遠野先輩と鳴沢先輩二人のお陰ですよ。
 それを棚に上げて、偉そうなことを言っているように聞こえるかもしれません。
 さっきも言いましたけど、学校でだったらいくらでも面倒を見てあげますよ。
 でも、これから僕達がするのは、命をかけた戦いなんです。
 いつもいつも、ニューヨークの時のように圧勝なんか出来ませんよ。
 先輩は、ギガンテスと戦っていて、怖いと思ったことはないんですか?
 今まで、一体何人のパイロットが、再起不能になったと思っているんです?」
「だったら、今の学校から転校させれば、手を貸すことも出来るでしょ!」

 シンジにきついことを言われたが、マドカは一歩も引き下がらなかった。だがシンジもまた、マドカに譲らなかった。

「先輩が将来目指す、先生としてなら正しいと思いますよ。
 でも、ヘラクレスのパイロットになるのは、教育を受けるのとは全く違うんです。
 先生の立場で見守る役目の人は、ギガンテスとの戦いではどこにもいないんです。
 死と隣り合わせに居るときに、他人の面倒なんて見ていられませんよ。
 何度も言いますけど、学校とは違うんです」
「じゃあ、碇君は大津って子がいじめられたままでいいの?
 もしかしたら仲間になれるのかもしれないのに、その子を見捨てるの?」

 受け入れられない。マドカはシンジに対して大声をあげた。

「遠野先輩、少し冷静になりませんか?
 今、日本全国で虐められている人がどれだけいると思っているんです?
 先輩は、その全部を自分の手で助けようと思っているんですか?
 いったい先輩は何者なんですか?
 感情で動いてもどうにもならないのは、高知の時に教えましたよね?
 僕達に出来ることは、悲しくなるぐらい少ないんですよ。
 それを理解して、僕達に何が出来るのかを考えなくちゃいけないんです。
 僕達が最初に考えなくちゃいけないのは、どうやって自分を守るのかと言う事ですよ」
「だったら、私が面倒を見てやるわよ!」

 一歩も譲らないマドカに、シンジは大きくため息を吐いた。マドカの性格を考えれば、こうなることは最初から分かっていたのだ。アサミの言う事も事実だし、マドカの主張が間違っていると言うつもりもなかった。それでも一つ言えることは、本当の責任者は自分達ではないことだった。

「さて傍観者を気取っていた後藤さん。
 僕達の対立軸が明確になったんですけど、どうされるつもりですか?
 後藤さんが言った通りなら、大津君が使えるようになるまでかなり時間が掛かりますよ」
「ジャージ部に放り込めば、1年ぐらいで何とかなるかと思っていたんだがな」

 苦笑した後藤に、甘い考えだとシンジは糾弾した。

「遠野先輩に、確固たる方法論がある訳じゃ無いんですよ。
 僕にしたことが、誰にでもうまくいくとは限らないんです。
 下手に運動部でスパルタをしたら、悪化する可能性の方が高いですからね。
 よほどそちらの附属高校に入れた方が意味があると思いますよ。
 もっとも、葵さんがケアをしてくれるというのなら、反対はしませんけど。
 僕達にケアを任せると言うのは、責任放棄としか言いようがないと思いますけど?」

 違いますか? と質され、苦笑を浮かべていた後藤は一転真面目な顔をした。

「あわよくば、と思っていたことは否定しない。
 正直な所、彼には君が指摘した危惧があるのは確かだ。
 そして君が言うとおり、我々の組織は教育機関ではない。
 マドカちゃんには悪いが、それが迎撃組織の現実というものだ。
 確実に、そして最小限の被害でギガンテスを迎撃する。
 それ以外の目的を、我々は持ってはいけないのだよ」

 つまり後藤は、全面的にシンジの主張を支持したことになる。それに対して反発しようとしたマドカに、後藤は右手のひらをむけ、「ただ」と言葉を続けた。

「今後どうなるのかはわからないが、今日を含めて1万3千人の応募者をテストした。
 それでも、僅か6人しかAにランクされなかったのも事実なのだ。
 従って、組織として、貴重な適格者をドブに捨てることもできないのだよ。
 何もトライしないうちに、不適格と切り捨てるほど我々に余裕が有るわけではない」
「御託は分かりましたけど、結局どうしようと言うんです?
 何をするにしても、僕に責任をもってきてほしくないんですけど?
 忘れてはいないと思いますけど、僕達の立場は公式非公式とも民間協力者なんです。
 組織に対する責任を回されるのは、迷惑としか言いようが無いし、筋違いというものです。
 遠野先輩が何を言っても、僕はみんなの命を危険にさらすリスクを負うつもりはありませんからね」

 絶対に引かない、強い意志を示したシンジは、真正面から後藤を睨み返した。その視線を正面から受け止めた後藤は、マドカ達が震え上がるような厳しい視線をシンジに向けた。視線だけで人を殺せる、それぐらい苛烈な殺気を後藤は発していた。だがシンジの視線は、後藤に睨まれても全く揺らがなかった。
 二人のにらみ合いに、カフェBWHから暫くの間完全に音が消え失せていた。耳に届くのは、時折外を走り去っていく車のノイズだけ。息をするのも苦しい空間が、その中に作り上げられていた。

「分かった、大津アキラの扱いについては再考しよう」

 このにらみ合いは、そもそも後藤が折れる以外の決着はなかった。だが後藤が折れても、店内を包んだ重苦しい空気は全く晴れてくれなかった。その空気の中、「3つだけ譲歩します」といきなりシンジが指を三本立ててみせた。

「一つは、土曜のテストに、大津くんが来ることを認めます。
 そこで僕達は、今問題にしたことは知らないように振る舞います」

 次にシンジは、二本目の指を立ててみせた。

「2つ目は、彼が規定の成績をあげたら、パイロット候補になることを認めます。
 そして希望をしたら、S高に編入すること、ジャージ部に入部することも認めます」

 三本目の指を立て、S高への編入とジャージ部への入部を認めた。そして譲歩する代わりに、後藤に対してその条件を突きつけた。

「ただし、彼が僕達との間で揉め事を起こしたら、三番目の譲歩は取り下げます。
 後藤さんのところで、カウンセリングするなりして、精神ケアをしてください」

 以上だと言ったシンジに、「妥当な線だ」と後藤はシンジの譲歩を認めた。カテゴリAにランクされた以上、正当な理由なしでテストを受けさせないとうことはありえなかったのだ。そしていじめを受けているという事実は、テストを受けさせない正当な理由とはならなかった。更には、追加のテストで合格水準に達した場合、パイロット候補にしないという選択肢は存在していたなかった。
 後藤が自分の譲歩を認めたところで、シンジは情報を寄越せと迫った。

「肉体への暴力、クラスメイトからの無視、金品の恐喝、持ち物を壊されたり、万引きをさせられたり、
 いじめと言っても、色々とありますよね?
 具体的に大津くんがされているいじめ、そしていじめが継続している理由。
 そして、今日いじめをしている相手に何を要求されているか。
 せっかく見つかった適格者なんですから、彼のことをフォローしているんでしょう?」
「……お見通しということか」

 ふっと小さく息を吐きだした後藤は、少し肩から力を抜いた。それだけで、まとっていた苛烈な空気は少しだけ軽いものになった。

「いじめについては、君が上げたもののほとんどが該当している。
 いじめが継続している理由は、教師が見て見ぬふりをしているというのが大きい。
 本人の訴えに対しても、お互いで話をしろと突っぱねている。
 彼らは、基本的にいじめなど無いという立場を崩していない。
 そして家族から出された被害届も、警察は学校のことだと受理をしていない。
 ちなみにいじめをしている子供の親の一人が、地元警察の署長をしている。
 文科省の作った組織など、真っ当に機能するはずがないのだよ」
「そんな、いじめてる子も酷いけど、周りの大人はもっと酷いじゃない!
 なんで、そんな酷いことが許されているんですかっ!」

 あまりにも酷い現実に、許せないとマドカは大声を上げた。だが後藤とシンジは、そんなマドカの叫びを無視した。

「それで、今日もなにか脅されたんですよね?」
「ああ、校舎裏でカツアゲをされている。
 後は、次のテストの時に堀北君の生写真を撮ってくること。
 直筆のサインをもらってこいと命令されていた」
「すでに、揉め事の種は蒔かれているということですね」

 ふっと小さく息を吐いたシンジは、「どうします?」とマドカに向かって問いかけた。

「どうするって、大津くんを助けてあげるのに決まっているじゃない」
「どうやって?」

 すかさず聞き返してきたシンジに、一瞬マドカは答えに詰まった。だがすぐに、「S高に編入させればいい」と返した。

「うちに来させれば、もう虐められることはないでしょう?
 だったら、すぐにでもうちに転校させればいいのよ!」
「確かに、それが方法の一つであることは確かですね。
 大津くんは逃げられると思うし、いじめている方は新しい犠牲者を探すんでしょうね。
 そして誰か分からない次の子は、逃げ道がなくて自殺でもするのかもしれませんね。
 まあ、その子は一切僕達に関係がないんだから、気に病む必要もありませんよね。
 ただ、大津君にとって先輩は恩人でも、別の子にとっては先輩ってとっても酷い人になりますね。
 その時点で、先輩も加害者の一人になるわけですよ」

 シンジの言葉は、鋭いナイフのようにマドカの胸をぐさりと抉った。一人を助け出すことで、その代わりに誰かが犠牲になってしまう。そんなことは無いと否定したいが、いじめをしている方の意識は何も変わらないのだ。何をしても誰にも罰せられないのなら、次に同じ事を繰り返してもおかしくはない。

「さて後藤さん、大津くんは転校させればそれでとりあえずの問題は解決するでしょう。
 でも、そのことで遠野先輩の心に大きな傷を作る可能性が出てしまいました。
 そのリスクに対して、後藤さんはどんな答えを用意しくれるんですか?」
「君は、随分と悪どいことをしてくれるな」

 大津アキラではなく、遠野マドカを人質にしてくれたのだ。その時点で、後藤は真剣に対策を考えなければならなくなる。そしてその対策は、マドカ好みでなければならないという制限までついてくるのだ。シンジに対して、「悪どい」と後藤が文句を言いたくなるのも無理もなかった。

「僕は、後藤さんがこっそりと僕に押し付けたものを、正々堂々お返ししただけです」
「ああ、そうだろうな……
 ところで、因果応報と言うのはこの場合の答えになるのか?」

 つまり、いじめをしていた関係者、つまり親や教師にまで影響が及ぶと言っているのだ。場合によっては、警察にも大きな問題が発生するのかもしれない。「因果応報」と言うのは、そのこと全体を指しているのだとシンジは理解した。

「人が死ぬようなことでなければ構いませんよ。
 自分達の力を間違った形で、そして悪意を持って使えばどうなるのかを教える必要はあるでしょうね。
 それで多少構造的な問題が解消すれば、遠野先輩も気に病まなくても済みますから」

 それにしても、極めて短時間の効果しかないのをシンジは理解していた。だが欲を掻けば、それだけ難しくもなるし、手間もかかることになる。そのことが自分たちの仕事ならいざ知らず、あくまで関係のない世界のことでしか無かったのだ。
 シンジの同意を得た後藤は、何をするのか説明した。

「主犯の生徒の親を潰す。
 調べた所、いくつか不正が見つかった。
 署長本人の不正と合わせ、署自体も幾つか隠していることがある。
 それを知り合いの新聞に書かせれば、一家は路頭に迷うことになるだろう。
 合わせて大津に対するいじめもバラせば、逆にその子供がいじめの対象となるな」
「それが、因果応報ですか……まだまだ生温いですね。
 いっそのこと、僕がそいつらからカツアゲしてきましょうか?
 人の恋人に嫌な思いをさせてくれた落とし前をどうしてくれるんだって?
 痕が残らないように痛めつける程度なら、その後の騒ぎで有耶無耶になるでしょう?」
「い、碇君、それはさすがにやり過ぎだと思う……よ」

 すかさず反対したマドカに、「そうですね」とシンジはあっさり引き下がった。そしてその代わり、「正義の味方でもしてきます」と言い直した。

「大津君が虐められている所に、さっそうと現れることにしますよ。
 そこで適度な脅しと制裁をして、後は後藤さんに任せることにしましょうか。
 遠野先輩、その程度でどうですか?
 それとも、正義の味方は遠野先輩がやりますか?」
「いやぁ、そっちの方は碇くんに任せるわぁ」
「と言うことなので、もみ消しの方は後藤さんにお任せします」

 いじめた方と同じ事をすると言うシンジに、後藤は「おいおい」と突っ込みを入れた。それを「冗談です」と返したシンジは、後回しになっていたもう一人の方にも触れることにした。

「もう一人、確か高村さんですよね?
 彼女は、後藤さんから見てどう曲者なんですか?
 多少頭が弱いこと、かなり思い込みが強いことぐらいしか問題は無いと思いますけど、
 思い込みの強さは、おだててうまく乗せてやれば大丈夫だと思いますよ」
「多少頭が弱いって……一応、地元の高校では成績優秀者なのだが」

 酷いことを言うと零した後藤に、観察の結果だとシンジは言い返した。

「あと、頑固でなんというか、古臭い考え方をしていますね。
 それから学校の成績なんて、決まったところを勉強すればいいから評価になりませんよ。
 応用力っていうのかなぁ、そっちの方がからきし駄目に思えるんですけど」
「そこまで言い切ると可哀想な気もしないではないが……」

 そうは言っても、シンジの見立ては当たらずとも遠からずのところがあった。それを認めた後藤は、別の問題をシンジ達に教えた。

「彼女の父親が、陸自のお偉いさんなんだよ。
 昔で言うところの少将、今風に言うなら陸将補と言うやつだ。
 実のところ、この俺も昨夜しっかりと釘を差された」
「あまり、問題があるようには思えませんが?」

 陸上自衛隊との共同作戦は、無いと否定はできないが、ほとんど考慮する必要がないのだ。そして系列が違えば、たとえ役職が上でも口を出しにくくなるのが組織というものである。多少の面倒は、後藤が突っぱねればそれで事足りるはずだった。

「そうだな、確かにそういう意味では問題は少ないとも言えるだろう。
 もう少し事情を説明するなら、彼女の父親はパイロットになることを反対している。
 それでも彼女が応募できたのは、母親と母方の祖父が応募に同意したからだ。
 そして、この母方の祖父と言うのが結構面倒なんだよ。
 どう面倒なのかは、彼女を見ていれば理解できると思うのだが?」
「彼女の人格形成に、そのおじいさんの影響が色濃く出ているということですか?」

 だとしたら、その問題となる祖父と言うのがどんな人間なのか想像することが出来る。それでも、シンジには障害となるようには思えなかった。

「でも、過去はどうあれ、今は直接自衛隊に関わっていませんよね?
 ひどく頑固で偏屈で非論理的思考バリバリだとしても、僕には関係ありませんけど?」
「ところが、君に関係があるんだよ」
「はぁっ?」

 後藤の言い方が、ごく個人的なものに聞こえてしまった。それを訝ったシンジに、それが事実なんだと後藤は苦笑した。

「もう少し正確に言うのなら、正体が明かされていないパイロットに関わってくる。
 彼女の祖父は、そのエースパイロットに目をつけた。
 当然、そのパイロットは男だと固く信じているんだ」
「僕のことを言っているんだったら、男で間違っていませんよ」

 それでと先を促したシンジに、「そろそろ予想がつくだろう?」と後藤は口元を歪めた。

「きっと、とても光栄なことなんでしょうね……」

 それをとても嫌そうに言ったシンジに、「光栄なことだ」と後藤は面白そうに言った。

「ひどく頑固で偏屈で非論理的思考バリバリの老人を心底惚れさせたんだ。
 高知での献身的な戦い、そしてニューヨークでもエースとしての役目を果たした。
 ばりばりの国粋主義者として、謎のエースの働きは溜飲を下げるものだったのだなぁ。
 孫を猫可愛がりしている爺さんとして、ぜひとも孫の婿にと考えてもおかしくないだろう?
 従って、その爺さまは、孫娘が選考に入ったことで大喜びだそうだ。
 もちろん、そっち方面だけではなく、国を守るという意味でも喜んでいるぞ」
「そう言う意味で曲者ってことですか……」

 あ〜っと上を向いたシンジは、「面倒が多すぎる」と盛大にぼやいた。

「つまり、似たことを彼女も考えているということですか?」
「その辺りは、一応肯定しておいてやろうか」

 大津の問題に比べ、こちらの方はまだ気分的に楽なものだった。それもあって、後藤の纏う雰囲気も随分と砕けたものになっていた。

「頑固で思い込みの強い彼女も、謎のエースに対して同じ思いを抱いている。
 そう言った意味では、爺さまの刷り込みが強力ということだな。
 ちなみに、迎撃に影響が出ない限り、個人的問題には関与しないのが俺の方針だ」
「会見の時、記者の人にサービスしておこうかなぁ」

 そうぼやいたシンジは、隣に座っているアサミの顔を見た。

「そうですね、いっそのこと婚約しちゃいますか?
 ママは反対しないと思いますから、後はパパを黙らせれば終わりです。
 そうしたら、おおっぴらに先輩の家に泊りに行けますよ」
「一つ頼みがあるとすれば、今度の記者会見の趣旨を曲げないでもらいたいのだが……」

 元トップアイドルとネットでの有名人、今や時の人となった二人の婚約会見は、どう考えても記者会見の趣旨から外れることには間違いない。

「まあ、何れにしても高村さんの問題は大したことはないと思いますよ。
 間違い無く、誰もアサミちゃんと勝負になるとは思いませんからね」
「ああ、ニューヨークのことを知れば、勝負する気すら起きないだろうな」

 見た目以外のポイントが、見た目以上に大きくなっている。それを乗り越えることは、すでに不可能といっていいレベルだろう。将来を決めたような言い方は気になったが、シンジの言葉を後藤も現実的だと認めたのである。







続く

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