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 シンジ達が楽しい高校生活を送っているのとは別なところで、彼らを巻き込む大きな流れが始まっていた。カサブランカに居る時に聞かされていた、パイロットの公募が正式に開始されたのだ。情報番組を利用した宣伝も功を奏し、パイロット公募の知らせは各メディアで大々的に取り上げられることになった。

 パイロットの公募は、国民及びマスコミからは非常に好意的に受け取られた。そのあたりについては、高知の奇跡、そしてニューヨークの戦いの実績が大きく物を言っていた。何しろ日本から派遣された民間協力者が、いずれの戦いでもエースとして活躍したのである。間違いなく、その活躍が世論を後押ししていた。
 もっとも、パイロットの公募自体は、自衛隊にとって非常に重い課題でもあった。高い適性を持ったパイロットを探し出す。その目的自体は、否定どころか積極的に肯定できる物だった。だが砂漠の砂の中から宝石を探す行為は、人、物、金のいずれも多大に必要とするのである。そして公募に当たっては、いくつか解消すべき課題が残されていたのだ。
 そこで後藤は、帰国を機に早速次なる課題の解消へと取りかかった。

「予算措置は、無事国会承認を通過している。
 これだけ国民の関心が向いているのだから、どこも否定することは出来ないか」

 その一つ、そして大きな問題である「金」については、無事予算措置が講じられることになった。異例とも言える早さで議決・執行されたのは、それだけ危機感の高まりがあったからに他ならない。

 ニューヨークの奇跡は、世界的に高知以上の熱狂を引き起こした。だが冷静になったところで、大きな問題があることに気付かされたのだ。民間協力者がアメリカに居たと言うことは、すなわち日本は丸腰になっていた事に繋がっている。もしもギガンテスの襲撃地点が日本だったら、Fifth Apostleの迎撃作戦は成立していなかったのだ。その場合、時間的問題で大惨事が発生していたことになる。それに気付いたからこそ、戦力増強を急ぐべきと言う結論に達することになった。
 そして同時に、パイロットに対する移動の制限も検討の俎上に上がった。民間協力者だからと言って、迂闊に海外に行って貰っては困るとされたのだ。ただ問題は、渡航の制限を掛けることが、人権に関わると言う事だ。そのため、自衛隊に対して善後策の検討が指示されていた。

 お金の問題が片付けば、次なる問題は選抜の実施方法だった。パイロットとして活用する以上、ヘラクレスに対する適性が第一となる。その適性を効率的に見極めるために、テスト自体を洗い直す必要があったのだ。先行する基地で実施されていないため、日本がパイオニアとなって開発する必要があった。
 もっともこの対策については、日本に基地設置が決まる以前から検討が始められていた。そして公募に合わせたようにと言うか、準備が出来たから公募を行った事情があった。効果のほどが未検証な事を除けば、選抜方法も準備できたことになる。

「後は、身分をどうするのか、と言う事か」

 募集年齢を考えると、教育をどうするのかが問題となる。選択肢の一つとして用意できるのが、防衛大学に付属する高校への転入・入学と言う物だろう。これについては、今の候補生達と同じ扱いになるのだから、比較的問題は起こりにくい方策だった。
 だが、これだけでは不満が出やすいことも後藤は承知していた。だから後藤は、もう一つの方策として公立高校への編入を加えることにした。一般の教育を受けたいというニーズがあれば、それに対応するためである。
 そのための調整も、意外なほどすんなりと行うことが出来た。自衛隊からの依頼に対して、対象校の校長は二つ返事で受入を承諾してくれたのである。そのあたりの事情は、パイロットに対する世間の注目が理由になっていたのだろう。お陰で、教育委員会からの許可もすんなりと下りてくれた。

 当然のことなのだが、後藤が選んだのはシンジ達の居るS高だった。基地に近いと言う以上に、シンジ達が居ることを理由にしたのだ。公募したパイロットが使い物になると判断した時点で、指導を含めシンジに任せようと考えたのである。ただこの考えは、シンジにしてみれば迷惑この上ないものでもあった。

「住居費、奨学金、その他手当を用意すれば全てが完了と言う事か……」

 それが決まらなければ、募集自体を開始することが出来ない。気の早い者たちは、すでに手製の応募用紙を作って居るが、それを認めていては正規の組織は運営できないだろう。

 そうやって準備を整えてから3日後、募集要項と共に正式に募集が開始された。そして募集開始から1週間後から、適性検査が開始されることになったのである。それは、高校生達にとっては、夏休みの終盤、8月20日のことだった。

「これから、毎日1000人規模でテストが行われると言う事ね?」

 遠くを見る目をした神前は、「気の長い話」だと盛大にため息を吐いた。必要性は認めるし、やらなければいけないことも理解していた。それでも膨大な手間と時間を考えると、ため息の一つも吐きたくなってしまうのだ。

「それで、目標は何人集めるところに置いているの?」
「集められるだけ……と言うのが正直な気持ちと言う所だな。
 最低でも、2、3人引っかかってくれれば御の字と思っている。
 とりあえずの選出基準は、うちの奴らよりも適性があるところに置く。
 まあ、他の基地の非主力組ぐらいの力があれば御の字という所だ」
「それを考えると、ジャージ部って凄いところね。
 今の基準に当てはまるのが、5人中3人……4人?」
「厳密に言えば、3人なのだが……4人と言っても差し支えないだろう」

 世界的人材不足を考えると、S高ジャージ部は金鉱脈を掘り当てたような物なのだ。しかも4人から外れた一人にしても、別な方面で希有な才能を示してくれていた。前サンディエゴ基地司令トーリに後藤が言った、「奇跡的にくみ上げられた芸術品」と言うのは、まさにS高ジャージ部全体を指していたのである。

「それで、要求するのは同調率だけ?」
「兵器の性質を考えれば、第一に同調率を求めるべきだろう。
 それ以外の要素については、訓練次第でいかようにもすることが出来る」
「あの子達を基準にしたらいけないって事ね」

 そこに基準を求めたら、間違いなく誰も引っかかってこないだろう。それが想像できるだけに、現実的なところに基準を作るしかなかった。

「それで、今日の所はどうなっているの?」
「現時点で、300名検査が終了しているな。
 ちなみに選抜カテゴリーAに入ったのはゼロだ。
 カテゴリーBなら、1名という所だな。
 Cが10名、後は適性が皆無と言う事だ」
「つまり、選抜基準には誰も引っかかっていないって事ね」

 初日からうまく行くとは思っていなかったが、それが示されるのは辛い物がある。ちなみにS高ジャージ部には、カテゴリーA以上が3人在籍していることになっていた。

「それで、カテゴリーBの応募者には予備役通知を出すんだっけ?」
「正確に言うのなら、再検査があるかもしれないと言う通知だな。
 予定通り適格者が集まれば、再検査を行う必要がないのだからな」

 もしも再検査と言う事態になったのなら、目的とした戦力増強が行えないと言う事にも繋がって来る。早くAランクが出ないかなぁと、神前は神様にお願いをしていたりした。

「本当に、気の遠くなる試みね。
 サンディエゴとかカサブランカが採用しなかった理由が分かるわ」
「俺としては、当分東アジア地区にギガンテスが来て欲しくないと思っているよ」

 今の日本基地は、他地区に出撃しないカテゴライズになっている。だがそんな取り決めは、今の世界では有名無実の物としか言いようが無かった。日本政府に対して正式に申し入れがあれば、間違いなく日本から出撃していくことになるだろう。
 それが分かっているから、東アジアに来て欲しくないという後藤の言葉に繋がっていた。協力を拒まれることが無いのは分かっているが、今の乏しい戦力で送り出したくはないのだ。負担が重ければ重いほど、早くつぶれる可能性が高くなってくる。

 だが後藤と神前の抱いた淡い期待は、初日の結果に見事に打ち砕かれた。初日の被験者1000名のうち、Aランクは0名、Bランクが1名、Cランクが20名と言う惨憺たる結果となったのだ。



 当たり前とも言えることだが、その日の選抜結果は公式ページで公開されていた。そして夜のニュースでも、簡単にだが結果が放送されていた。友人との関係維持の為バラエティ番組を見るようになった碇家なのだが、それでもニュースのチェックは欠かしていなかった。初日と言う事もあり、この日は基地にしっかりテレビカメラも入っていた。

「これって、兄さんが受けたらどう言う結果になるの?」
「さあ、としか言いようが無いなぁ。
 後藤さんからは、一回受けて貰えないかと言ってきているよ。
 まあ、このまま合格者が出ないと、試験方法自体が疑われるからねぇ」
「で、お兄ちゃん達でテストの正当性を証明しようって事?
 でもさぁ、一般の受験生に混じっても良いのかしら……」

 そこで高い適性を見せつけてしまうと、すぐにマスコミに嗅ぎつけられてしまう。秘密を守り通すためには、出来るだけ表に出ないように気をつける必要があった。

「検査自体は、1時間も掛からないみたいだからね。
 特別夜に、実施させてくれと言う事らしいよ。
 だから25日の夜に、ジャージ部揃って基地に行くことにしたよ」
「それはそれは、お忙しいことですね……」

 心のこもらない言葉を口にして、レイはお土産のマカダミアナッツチョコをはむっと口に含んだ。「どうしてハワイ土産?」と責められたのだが、結局レイが独り占めしたという代物である。ちなみに同じ物を、親友のアサミからも受け取っていた。

「それで、アサミちゃんのことはどこまでばれたの?」
「たぶん、本人が知らないだけってのが現実じゃないかなぁ。
 ほら、花火の日に柄澤に言われただろう?」
「ファンクラブがお通夜になったってやつ?」

 実感がないのは、回りがあまりにも静かすぎたのが理由になっている。帰ってきてから1週間以上経つのに、何かを言われた記憶がないのだ。混乱を予想していただけに、いささか肩すかしを食らったと言う所だろうか。ただ、現実を付き合わせて見れば、しっかりとばれているはずなのだ。

「意外に、みんな諦めが良かったって事?」
「そのあたりのことは聞かれても分からないよ。
 柄澤あたりに聞いてみるのが一番良いんじゃないのかなぁ」

 本人に誰も突撃してこない……正確に言えば、合宿から帰った翌々日に、格闘系の部活からリンチ……もとい稽古に呼ばれたぐらいなのだ。目立った点と言えば、それぐらいのことしかなかったのだ。
 そこで死闘を繰り広げたと言う噂が、S高内の騒ぎを沈静化させた可能性がある。格闘系の運動部をして、制裁が成功しなかったとの噂が、抑止力になった可能性があるのだ。ちなみに死闘の結果は、相打ちと言う物だった。ただその夜、シンジが平然と花火大会に行ったことを考えると、多少の手心が加えられていたのかも知れない。考えにくいのだが、彼らなりの心遣いがあったと言う可能性もある。

「そう言えば、柄澤さんもとても冷静だったわね。
 花火の日に話したけど、落ち着くところに落ち着いたと言っていたような……」

 虫除けになっただけで「裏切り者」なのだから、本当につきあい始めたならそれぐらいでは済まないと思っていた。だが現実は、半分祝福してくれたような物だった。そこで教えて貰ったのが、ファンクラブの動向だった。阿鼻叫喚の騒ぎから、次第にお通夜になっていったと言う。熱が冷めたのか、はたまた相応しい相手と認められたのか。いずれにしても、ファンクラブも大人しくなったというのだ。

「でも、諦めるのが結構早かったのね?」
「柄澤が言うには、瀬名さんのことが伝わっていたらしいんだ。
 そこに来て、一緒に海外合宿だろう?
 海外のメンバーとも連絡を取り合ったみたいだね」
「あの人達って、とても情報が広くて早いのね?」

 それはそれで恐ろしい。ぶるっと身を震わせたレイは、男の執念を甘く見てはいけないと肝に銘じることにした。ただ分析だけは、新部長よりも冷静に行っていると感心もしていた。

「ところで、私はいつからアサミちゃんを“お姉さん”って呼べばいいの?」
「またその話?
 いつからって……僕達は高校生なんだけど?」
「でも、家族ぐるみのお付き合いを始めてしまったわ。
 兄さん、アサミちゃんのお父さんと親子の杯を交わしたのでしょう?」

 大きな声では言えないことだが、レイと二人で遊びに行った時には、しっかりとお酒を呑まされたのだ。よほど体質的にお酒に強かったのか、結構飲まされた割には酔い潰れた記憶は残っていなかった。

「親子の杯って……違う意味だと思うんだけどなぁ」
「アサミちゃんのご両親、幼なじみだと仰ってたわ。
 高校の時には、将来結婚することを決めていたとも教えていただいた。
 だとしたら、兄さんとアサミちゃんが同じでもおかしくないと思うわ。
 それに、アサミちゃんのお父さん、格好良くて私は好きよ」

 そこまで言ってから、レイは「まさか」と両手で口を隠した。

「アサミちゃんを散々弄んで、将来篠山さんに乗り換えるつもり?
 兄さん、それって人として最低の行為だと私は思うわ」
「レイ……、ジャージ部の人間関係を利用しておかしな話を作らないように。
 高校生相手、しかも付き合いだしたばっかりなのに、それを聞く方がおかしいんだよ」
「そう、だったら私は、デキ婚を警戒していればいいのね」
「いやっ、そんなことにならないように気をつけているよ」

 していることへの心当たりが多すぎるだけに、強い否定をすることが出来なかった。気をつけるというのは、することはやめないという意味にもなる。「高校生として節度のある付き合い」と言う校則は、どこに飛んで言ってしまったのだろう。
 だが気をつけるというのは、あまりレイにとっては重要なことではないようだった。

「別に、早すぎなければそれでも構わないわよ」

 賢いようで抜けている兄のことを考えると、間違いなく親友にコントロールされているのだろう。そうなると、二人の未来は確定しているようにレイには思えてしまった。ただ相手が相手だから、別に構わないとも思っていた。どうせいつかは、誰かと結婚することになるのだから。
 それでも一つだけ気に入らないことがあるとしたら、自分には相手が居ないと言うことだった。兄の友人の中に、これと言ってめぼしい相手が居ないのも問題なのだ。

「ところでレイ、27日に公園のゴミ清掃があるけどどうする?
 当然「ヒ・ダ・マ・リ」の収録だから、花澤君に会えるんだけど」
「んー、やっぱパスかなぁ。
 なぁんか、ああ言うのって性に合わないの。
 それに、実物を見てがっかりしたくないし」

 そのあたり、出席した女子の評判が物を言ってきた。あまりおおっぴらには広まっていないのだが、がっかりしたという声の方が多かったのだ。熱狂的なファンを除けば、このボランティアで花澤キラの評判はしっかり下がったことになる。それでも出席者が減らないのは、別のお目当てが出来たからと言う噂だ。映画研究会の作ったトレーラーの評判を見ると、27日は大盛況になるとレイは予想していた。

「でも、アサミちゃんが行くんだったら、私が行っても良いかもしれない」

 それは、「行かない」事を前提に口に出した条件だった。だが予想に反して、兄から帰ってきた答えは「来るよ」と言う物だった。

「アサミちゃん、そう言うのは避けていると思ってたんだけど?」
「花澤君とのツーショットは、絶対に拒否するって言っていたけどね。
 どう言う訳か、先輩達も今回は参加すると言っていたよ」
「なにか、花澤君が可哀相な気がしてきたわ……」

 動画サイトでぶっちぎりトップになっているのを見ると、まず間違いなく注目は兄と親友に向けられるだろう。そうなると、本来の主役は間違いなく霞むことになる。もっとも、視聴率さえ取れればそれで良いと割り切られる可能性も捨てがたかった。間違いなく、話題性としてはつまらないボランティア活動よりよっぽど上なのだ。そしてレイの知らない事だが、S高が取材申し込みをことごとく断っているという事実もある。その状況でマスコミに顔を出すのだから、間違いなく注目度は花澤より上だった。

「他にも、映画研究会も手伝ってくれることになっているよ。
 堀北さんが来るって宣伝しておけば、男も集まってくるかな?
 それで、レイはどうすることにした?」
「兄さん、そう言うところは意地悪なのね。
 姉さんを守らなくちゃいけないから、私も出ることにするわ」
「だから、姉さんって……」

 話のノリというのは分かるが、それを繰り返されるのは結構きつい物がある。どうして高2と高1の付き合いでそんなことを言われ無くてはいけないのか。どうしても納得のいかないシンジだった。
 もっとも、レイにしてみればとても軽い冗談のつもりなのだ。逆に疚しいところがあるから、軽い冗談を重く受け取ってしまうのだと言いたかった。だから「姉さん」と言う言葉に引っかかる兄に対して、冗談ではないのかと逆に警戒してしまったのだ。



***



 日本の基地がパイロットを公募する。その知らせは、瞬く間に世界中に広まることになった。そして当然のように、アスカもその知らせを聞いていた。ただ公募に対して、アスカは比較的ネガティブな感想を持っていた。

「背に腹は代えられないのは分かっているけど……」
「日本では、「柳の下のどじょう」だっけ?
 Madoka ThonoやNaru Narusawaの再来を狙っているんじゃないの?
 そうしたくなる気持ちは、とても良く理解できるわよ。
 出来るのだったら、こっちでも公募したいと思っているもの」
「つまり、各国ともこの結果に注目しているということね?」

 もしも日本で成果が上がれば、同じ方法を取り入れてみようと考えている国があることになる。クラリッサの言い方を考えると、サンディエゴでも同じ事を考えている可能性もあった。

「で、うちも公募するの?」
「現在の所、その辺りは否定的ね。
 不足はしているけど、作戦に影響が出るほどではない。
 その辺り、公募しなくても志願者が集まるって言うのも有るわね。
 やっぱり、ブルックリン南の戦いは鮮烈だったと言うことね。
 あれで、高知の英雄と西海岸のアテナに対する憧れが強まったもの」

 ほとんど全世界の人々が、Fifth Apostle殲滅の瞬間テレビに釘付けになったと言われている。それは、避難対象地区のニューヨークも例外ではなかった。そしてFifth Apostle殲滅からダイカービーチでの戦いまで、誰一人としてテレビの前を動かなかったと言われたぐらいだ。そこで活躍したアスカと謎のパイロット、正体が隠されているため、余計に人々の憧れを買ったと言われている。

「ニューアメリカンヒーローってところかしら?
 正体不明っていうのが、余計にみんなの想像力を掻き立てているみたいよ」
「それが、志願者の増加につながっているか……
 確かに、敢えて日本みたいに公募を行う必要は無さそうね」

 特にアメリカの場合、米軍の中に選抜プログラムが組み込まれていた。このプログラムは、若年層の志願者があった時に発動し、ヘラクレスとの親和性を確認することになっていた。それが動いている限り、日本のように公募を行う必要がなかったのである。
 ただこの場合の問題は、適性が認められなかった時には、通常の軍務に就くということにある。ヘラクレスのパイロットにはなりたくても、軍人にはなりたくない者にはリスクの大きな方法だった。だから各基地とも、日本の成果に注目していることになる。

「それで、アスカのシンジ様はいつ正体を明かしてくれるのかしら?」
「アタシのって……だったらどれだけ良かったか……」

 はあっとため息を吐いたアスカは、「日本で応募しようかしら」とあり得ないことを口にしてくれた。そうすれば、所属は自動的に日本となり、シンジ様と一緒に居られるのだと。

「気持ちは分かるけど、あまり意味の有ることじゃないわね。
 もしもそんなことをしたら、間違い無く国際問題になるわよ」
「それぐらいのことは、アタシだって分かっているわよ。
 それに、シンジ様には可愛い恋人がそばにいるんだものね。
 ありゃあ、アタシでも勝てないと思うわ」

 軍人と芸能人、どちらも頭に「美少女」が付いたとしても、殿方がどちらを選ぶか考えるまでもないだろう。しかも相手は、いつも一緒にいると言うアドバンテージも持っていた。そして付いた肩書きが、ニューヨークのヒロインなのである。

「いいなぁ、お似合いのガールフレンドがそばにいて。
 あたしも、お似合いのボーイフレンドができないかしら?」
「だったら、カヲルはどう?
 今回ちょっとミソを付けたけど、美形具合は並じゃないわよ」

 ミソと言うのは、精神的に危うくなったことを言っていた。だがカヲルと言う代案に、やはりアスカの食いつきは宜しくなかった。

「でもさぁ、シンジ様と同じ土俵で比べるのってどうよ。
 はっきりと格下だって、今回バレちゃったでしょう?
 なんかさぁ、スペックで選ぶのにそういうのって、かなり癪に障るのよね」

 だから駄目。はっきりと言い切ったアスカに、可哀想にとクラリッサはカヲルに同情した。「格下」と言いきられるのは、本人にとって辛いことに違いない。だがシミュレーションでの失態、その後の精神失調は、基地関係者で知らない者は居なかった。「格下」と評したのは、何もアスカだけではなかったのだ。

「その格下君だけど、とりあえず立ち直ったと見て良さそうね。
 先日の戦いでは、今まで通り安定した力を見せてくれたわよ」
「確か評価では、カサブランカの戦力がアップしたことになっていたわね?
 ところで、シミュレーションデータの検証はどうなったの?
 カヲルの問題で、いつの間にか有耶無耶になった気がしたけど?」
「ああ、あれね……」

 ちょっと待ってと、クラリッサは端末を引き寄せ報告書を呼び出した。カヲルの精神失調とデータ解析は、別のグループが行なっているので、影響は出ていないはずだった。ただアスカの言うとおり、カヲルの問題で有耶無耶になっていたのだ。

「シミュレーションデータに、おかしな所は見つかっていないわね。
 グラスゴーの戦いでも、データの検証が行われ、正常であることが確認されているわ。
 加えて言うと、シンジ様の指導が的確だったことを出撃したパイロットも認めている。
 さっきは安定した力って言ったけど、居なくても迎撃できたと言う分析もあるわね」
「その時のデータは、うちにも展開されているのよね?」

 それだけ効果があるのなら、ぜひともサンディエゴでも取り入れるべきなのだ。それを主張したアスカに、とっくの昔に取り入れているとクラリッサは答えた。

「使用方法に注意は必要だけど、訓練には取り入れているわよ。
 対象は、シンジ様の注意を理解できる能力があるパイロットに限定している。
 理由としては、応用力の無いパイロットだと、むしろ危険性が増すという分析からよ」
「まあ、ゲームじゃないんだから、それを理解できないと駄目よね。
 徐々に効果を見ながら展開していくしか無いんでしょうね」

 劇的に効果があるということは、失敗した時の損失も拡大することになる。適量を守ってお使いくださいと言うのは、何も風邪薬の注意書きだけではないのである。

「でもさぁ、こうして見るとシンジ様って本当に凄いのね?」

 まるで自分と同じように言うクラリッサに、アスカは当然のように突っ込みの言葉を入れた。

「クラリッサ、いつからシンジ様って言うようになったの?」
「たぶん、アスカのが感染ったんじゃないの?
 でもさぁ、正直私もいいかなぁって思い始めているわよ。
 色々と調べれば調べるほど、凄いのが分かってしまうのよ。
 新しいデータが出てこないか、ドキドキしながら最近は漁るようになっちゃった」

 ドキドキの方向性が違わないか。それを突っ込みたくなったのだが、その一歩手前でアスカは踏みとどまった。未だに、相方に常識を求めるのは間違っていると信じていた。

「ギガンテスって、やっぱりパイロットが一番理解しているはずなのよね。
 でもさぁ、今までギガンテスの癖とか、倒し方って提起されたことはないでしょう?
 アスカもカヲルも、具体的方法論にまでは踏み込んでいなかった」

 クラリッサの指摘に、アスカは自分もそう思うと同意した。今回基地まで来てもらったことで、当初とは違う意味で色々と得るものがあったのだ。

「シンジ様は、いきなりそこに踏み込んできた……か。
 確かに、アタシもカヲルも、そこまでギガンテスのことを観察していなかったわ。
 だからシンジ様の言葉が、とても新鮮に響いてくれた。
 天才って言うより、意識の違いってのが一番大きいのかしら?」
「そうね、天才って言葉で片付けると、本質を見誤る可能性があるわね。
 シンジ様の場合、ギガンテスをこれでもかってほど観察しているわね。
 たぶん、その為に色々と危ない真似をしているんじゃないかしら?」
「高知の戦いなんて、危ないことの最たるものよね。
 あの時の能力で生き残るためには、どんな小さな事でも……」

 そこまで口にしたところで、アスカは「あれっ」と首を傾げた。

「なに、なにか引っかかったの?」

 珍しいわねと、クラリッサはアスカが戸惑ったことを問題とした。

「ねえクラリッサ、シンジ様のデータってちゃんとチェックしているわよね?」
「当たり前でしょう?
 初めに行われたシミュレーションから、カサブランカのシミュレーションまでチェックしているわよ。
 それでアスカ、シンジ様のデータに何か問題があるの?」

 言ったんさいと先を促され、「同調率」と基本的能力のことをアスカは持ちだした。

「シンジ様の同調率って、どう変化してる?」
「どう変化って、誤差程度しか変わっていないわよ。
 それがどうかしたの?」

 その答えに、アスカは自分の中で生じた疑問、それをどう説明するのか考えた。

「同調率が変わっていないということは、ヘラクレス自体の性能も変わっていないということよね。
 そうすると、今までの変化はすべてシンジ様自身の経験で説明がつくということになるのよ。
 つまり高知とカサブランカの違いは、どれだけ経験値を稼いだかということだけ」
「カヲルとの比較で、そんなことを言っていなかったっけ?」

 あの時は、シンジが経験した部活を調べたはずだ。そして両者の差は、生身での経験値の違いと結論づけたはずだ。

「そう、あの時はカヲルとシンジ様のスペックが違うことへの考察よ。
 でも今度は、シンジ様自身の違いを問題にしているのよ。
 高知と2ヶ月後のカサブランカ……ううん、ブルックリンでもいいわ。
 その差って、一体どの程度の経験値なのかしら?」
「高知の後って、ここに来てシミュレーターに乗ったぐらいね。
 そのシミュレーションにしても、ほとんどサポートに回っていたような気がするわ」

 クラリッサもまた、アスカの抱いた疑問に首を傾げることになった。経験値の違いと一言で言っても、短いシミュレーションしか違いがなければ、それを理由にするのも難しくなる。

「意識の差……程度で説明できるものかしら?」
「もしかして、シンジ様の封印されている力、だっけ?
 知らないうちに、それが発動しているってことはないの?」

 説明できないことを説明するための仮説として、アスカは記憶操作の不完全性を持ちだした。ヘラクレスに乗る前までは、完璧に記憶操作がなされていた。だがヘラクレスに乗ったことで、過去の経験が漏れだしてきているのではないかと言うのである。
 不可解さを説明するためには、アスカの出した仮説は一つの答えなのかもしれない。だがクラリッサは、それだけは絶対にないと確信していた。何故ならば、記憶を封印される前のシンジ碇は、優れた適格者であっても、優れたパイロットではなかったのだ。そして今のシンジ碇は、適格者として多少優れている程度だが、パイロットとしてはダントツに優れていたのだ。

「アスカの仮説はとても興味深いけど、でも、それはやっぱり無いと思うわ。
 記録で見る限り、シンジ碇は同調率以外見るところのないパイロットと言う事になっているのよ」
「だとしたら、なおさら説明に困るということか……
 やっぱり、日本に行ってお話を伺いたくなったわ。
 ねえ、私の渡航許可って絶対に出ないのかしら?」
「それが出ると思うほうが間違っているわ。
 唯一会える可能性があるとしたら、どこかで共同作戦をするぐらいね。
 ローワー湾の戦いで、日本もむやみにエースを旅行させちゃいけないことに気づいたのよ。
 だからシンジ様が、ここに尋ねてくることは余程のことがない限りあり得ないわよ。
 同じ理由で、アスカが日本に行く事はできないのよ」

 二人が迎撃の要となるエースである以上、受け持ち地区を空けることが許されないと言うのだ。それを指摘されれば、アスカも折れるしか無かった。いつものギガンテスならば問題はないが、Fifth Apostleのような奴が来たら、僅かな時間の遅れが命取りとなりかねなかったのだ。

「やっぱり、迎撃態勢を厚くするしか方法がないか」
「結局、日本がやっていることへと帰ってくるのよ。
 そして、聞いている限りにおいて、日本の試みはまだうまく行っていない」

 先の長い話だと締めたクラリッサに、アスカは「そうね」と悔しそうに同意したのだった。



 似たような話は、場所を変えカサブランカ基地でも行われていた。ただサンディエゴでは二人だけの話だったが、カサブランカではパイロット全員、8人の話の中で出てきたものだった。以前は4人しか話に加わっていなかったのだが、シンジ達が帰ってからは、ハリド達4人も話しに加わるようになっていた。

「こっちでも公募を行うって話にならないんですか?」

 定例ミーティングの中で、日本の話題を持ちだしたのはミアだった。最初に手ほどきを受けたこともあり、ミアはすっかりシンジのシンパになっていた。

「うまくやれば、私達でも使い物になるんです。
 私達程度でもパイロットを増やせば、カヲルさん達も楽になると思います」
「その点については、アレックス司令が検討しているよ。
 EUの方からは、こちらでも公募した方がいいのではと打診されているらしいね。
 どうも、裏には各国政府の人気取りという要素もあるそうだよ」
「まっ、パイロットは憧れの仕事だからな」
「シンジ様がきっかけとなって、憧れが強くなったってことよね?
 やっぱり、シンジ様って凄いと思うわ!」
「それを認めるのは吝かではないのだがね……」

 ふうっと息を吐きだしたカヲルは、公募した時の問題点を口にした。

「残念ながら、未だ僕には適切な指導を出来るとは思えないのだよ。
 従って、能力の不足したパイロットは、ハリド君達のように鍛え上げられることはないんだよ」
「だったらですね、日本に送って教育してもらってはどうでしょう!」
「なるほど、それはとてもいい考えだと同意するよ。
 だとしたら、最初に僕が行ってみたいのだけどどうだろうね?」

 目を輝かせたカヲルに、残りの7人は口をそろえて「却下」と声を上げた。

「気持ちは理解できるが、カヲルは自分の立場を考えることだな。
 一度はヘタれたが、お前がここのエースであることは変わっていないんだ。
 そのエースが、基地を空けてのこのこ日本に行けるとでも思っているのか?」
「ああっ、そんなことを言われたらまた心が折れてしまいそうだよ」
「またヘタれたとみんなに言われたいのか?」

 エリックの醒めた言い方に、それはないだろうとカヲルは文句を言った。

「エリックは、そうやって僕をいじめて楽しいのかい?」

 恨めしそうに見られ、エリックはまさかとすぐさま否定した。

「お前にヘタれられると、こっちにとばっちりが来るからな。
 だからお前には、もう少し図太くなってもらわないと困るんだ」
「図太くなったら、美少年としての価値が無くなるとは思わないかい?」
「ああ、そんな価値など誰もお前に求めていないからな。
 だからそんな妄想はさっさと捨てて、精神的にタフになることだ」

 エリックに突き放され、カヲルは「酷いね」と肩を落とした。そこでミアは、おずおずと手をあげた。

「あのお、私の提案はどうなんでしょう?」
「ああ、確かに検討する価値はあると思うよ。
 それが実現できたら、パイロットのスキルアップが可能だろうね。
 ただ、残念なことに今の状況では日本は研修生を受け入れないよ」
「それって、この前の事件のことを言っています?」

 突然シンジ達が帰国したことは、ミアを含めたパイロットたちも知っていることだった。直前までプールで遊んでいたのだから、翌日聞かされた時には全員耳を疑ったほどだ。

「多少は関係するけど、僕の言いたいことはもっと別のことだよ。
 いいかいミア、カサブランカに来た時のシンジ君の扱いを覚えているかい?」
「シンジ様の扱いですか?
 確か、あくまで民間人で、高知のパイロットじゃない言うことになっていましたね」
「ちなみに、その事情は今でも変わっていないんだよ。
 つまり、シンジ君が新人パイロットの訓練を行う口実がないんだ」

 未だ秘密のパイロットは秘密のままなのである。公式には、シンジ達5人は無関係者と言う事になる。無関係者が基地に入り浸り、パイロットを指導するのはあってはならないことだった。

「だったら、シンジ様の正体をバラせばいいんです」
「僕達がそれをしたら、酷いペナルティが与えられることになっているよ」
「でも、ここでの扱いって結構あからさまだったと思いませんか?
 どうして、シンジ様達の正体がバレていないんですか?」

 モロッコ国王に合ったり、アメリカ大統領専用機を使ったりしているのだ。アメリカでも、大統領に3度も合っている。それを考えれば、未だ正体がバレてないのが不思議に思えてしまう。そしてその疑問は、カサブランカのパイロットたちに共通した思いでもあった。

「噂によると、日本から脅しが入っているということなのだけどね。
 確かに、国際関係を考えれば有り得る話なんだけど……
 シンジ君たちが、秘密を守ることを条件に協力したとも聞かされている。
 だけど、秘密というのは、守ろうとしてもどこからか漏れてしまうものなんだよ。
 だから今の状況は、各国首脳が楽しんでいるのではと思えてしまうんだ」
「楽しんでいる?
 なんだ、それ?」

 首を傾げたエリックに、言葉通りだとカヲルは返した。

「どこまでやっていいのか、各国がチキンゲームをしていると言うことだよ。
 どこがドジるのか、それを争っていると言ってもいいかもしれない。
 その楽しみを維持するため、みんなが真実をいかに隠すか腐心しているのだろうね。
 まったく、おかしな状況に陥っていると思っているよ」

 絶対にどこかがおかしくなっている。そう言い切ったカヲルに、「お前もそうだろう」と、居合わせた全員が心の中で突っ込みを入れていた。



***



 8月20日から始めて25日までの6日間で、約6000人の応募者がテストを受けた。非常に大勢をテストしたのだが、その結果は芳しい物ではなかった。Bランクが3名、Cランクが100名と言うのは、期待はずれとしか言いようの無い物だったのだ。
 それもあって、この夜の試験には注目が集まっていた。S高ジャージ部には、とても高いレベルからそこそこ低いレベルまで、サンプルがしっかりと揃っている。ここでまともなデータが取れれば、試験の正当性を確認することが出来るはずだと。

「こう言うのって、泥縄って言いませんか?」

 迎えに出た後藤に対して、シンジは軽いジャブとばかりに文句を言った。まともに考えれば、こう言った検証は公募を始める前に行うべき物なのだ。それがここまで延びたと言う事は、計画性自体を疑わなければならなかった。
 そんなシンジのちょっかいに、後藤は頭を掻きながら「面目ない」と謝った。

「夏休み中に始めろと、上から強い命令があったんだよ。
 こう言った検証まで行うことを考えると、あれぐらいで始める必要があったわけだ」
「そう言う話を聞かされると、後藤さんってつくづく宮仕えなんですね」

 ふっと口元を歪めたシンジは、準備なら出来ていると後藤に告げた。夜も9時を過ぎているため、全員目立たないようにジャージで出てきていた。だから、大抵の試験への対応が可能だというのである。

「でも、人が多くありませんか?」
「ああ、これにはちょっとした事情があってだな……
 あらかじめ言っておくと、今日行うテストには直接関係していないんだ」
「だったら、何でこんなに沢山の人がいるんです?」

 テスト風景は公開されているのだが、明らかにその公開映像とは人口密度が違っていた。いくつか手分けしている人員が全員集まった以上に人がいるとなれば、どうしてと考えてしまうのもおかしな事ではないだろう。

「恥ずかしい話だが、君達が理由なんだよ」
「また、アサミちゃん……ですか?」

 似たようなことは、ペンタゴンでも経験したことだった。またまたその繰り返しかと呆れたシンジに、後藤は「君達だ」と繰り返した。

「当然君のガールフレンドへのファンも多いのは確かだ。
 それと同じくらいに、君のファンも増えているんだよ。
 そしてマドカちゃんとナルちゃんのファンも大勢いる」
「あまり目立ったことをすると、秘密を守れなくなりませんか?
 それ以前に、マスコミに目を付けられる理由になりませんか?」

 今一番注目を集めている基地に、なぜか時間外に大勢人が集まっている。真面目に観察していれば、シンジの言う通り異変を察知することが出来るだろう。

「そのあたり、これまでの実績を信用してくれとしか言いようが無いな。
 まあ君達の場合、証拠を突きつけなければ絶対にパイロットとは思われないだろう」
「テレビでは、思いっきり否定されていましたからね」

 高知の奇跡があった日に、シンジ達が基地見学をしていたことは把握されている。そしてニューヨークの奇跡の時に、アメリカに居たことも把握されていた。それでもパイロットではないと否定されたのは、本人達の知らない所で行われた、マスコミによる身辺調査が物を言っていた。
 何しろ、シンジを含め、どこをどう叩いても全員過去にヘラクレスと関わった事実が出てこないのだ。マドカとナルは、優れた運動神経を評価されたのだが、それをパイロットと結びつけるのは無謀だと誰もが考えた。そしてシンジは、1年前は体力的に並以下であることが暴露されたのである。それに加え、ジャージ部という忙しすぎる環境もまた、秘密裏に行われた訓練を否定してくれた。

 結局彼らの持つ「常識」が、真実を遠ざけていたことになる。そう言う意味で、バリバリのお嬢様と、元トップアイドルが居るのも効いていた。

「ところで、試験ってどうやるんです?」
「軽い運動と、同調率の簡易検査で一式となっている。
 簡易検査で良好な成績を収めた者を、二次検査でシミュレーターに乗せようと思っていたのだが……」
「今日まで6000人調べて、合格者はゼロですか……大変ですね」

 シンジとしても、戦力増強の必要性は痛いほど理解していた。今のまま3人での迎撃は、各自への負担が重すぎるのだ。今のままでは、風邪もおちおちひくこともできない。そんな状況を続けていれば、いつか精神的にまいってしまうのが目に見えていた。
 だからシンジは、最悪衛宮達を活用する方法を考えていた。ただそれにしても、多少楽になるかも知れない程度の効果しか見込めなかったのだ。

「じゃあ、今日はその簡易検査を行うんですね?」
「ああ、だから今から検査会場に案内する。
 一度に100人試験できる会場だから、そこそこ立派に出来ているよ」

 こっちだと先導した後藤の後ろを、シンジ達高校生一行がぞろぞろと付いていった。当然のように、シンジの隣にはアサミがちゃっかりとくっついていた。
 手こそ繋がなかったが、しっかりとくっついたアサミは、楽しそうにシンジに声を掛けた。

「こう言うのって、結構楽しいですよね」
「ああ、秘密の行動って、わくわくするところがあると思うよ。
 それに、夜の自衛隊って、結構暗くておっかなく感じるね。
 それも、かえって面白く感じるよ」

 目立たないように、必要最小限の明かりしか灯されていなかった。それもあって、移動の最中にはかなり薄暗い所を何度も通り抜けたのである。無骨な機械が暗がりにあるのは、シンジ言う通り「おっかなく」感じる物だった。

「でも、これで試験方法が間違っていたらどうするつもりなんでしょうね?」
「明日から、こっそりとやり方を変えるんだろうね。
 後は、B、Cランクの人に絞って再検査を行うんじゃないのかなぁ?」
「仕方の無いこととは言え、本当に泥縄なんですね。
 お陰で、こうして先輩と夜のお出かけが出来るから良いんですけど」

 ちなみに二人の話は、しっかりと全員に聞こえていたりした。ただ全員、気にするだけ無駄だと諦めていた。気にすればするだけ、独り身の寂しさが身に染みてくるだけなのだ。

 薄暗い中を一部だけ明るくした一行は、後藤の案内でテスト会場にたどり着いた。初めに言われた通り、かなり広い空間が確保されていた。

「なにか、病院で検査を受ける感じですね」
「お釜みたいな物を被せられると思っていました!」

 一応試験方法はテレビで公開されているのだから、お釜はないだろうと言いたかった。ただ検討の過程では、ヘルメットを被る案があったのは確かだった。だから「お釜」と言うアサミの言葉を、強く否定することが出来なかった。

「椅子に座って、両手首とこめかみ、そしてうなじあたりにセンサーを貼り付ける。
 テスト自体は、10分程度で終わるので、その間リラックスしていてくれればいい」
「おしゃべりしてても大丈夫ですか?」
「試験自体に影響は無いはずだが……
 テスト条件を合わせたいので、黙っていてくれないか」

 元々の目的が、試験方法の検証なのだ。それを考えれば、後藤の言う通り出来るだけ条件を揃えた方が良い。だから必要なセンサーの接続も、テスト同様本人にして貰うことにした。そこですかさず、アサミから文句が上がった。

「髪の短い男の人は良いですけど、女の子には着けにくいと思いますよ」

 夏休み前にショートにイメチェンしたこともあり、アサミは女性陣で短い方から2番目だった。一番長いキョウカから文句が出ないのだから、どれだけ文句が多いのかと言いたくなる場面でもある。
 だが後藤にしてみれば、本来この手のことは事前に行っておくことだった。そう言う意味で、テスト方法の改善について意見を言われるのは、むしろ有り難いことだった。

「似たような話は、応募者からも出ていたよ。
 とりあえず、現在改良を検討しているところだ」
「なにか、テストに際して注意すること、して欲しいこととか有りますか?
 例えば、10分間はこんなことを考えていて欲しいとか?」

 条件を合わせるのであれば、そう言ったことにも気を配る必要があるだろう。それを意識したアサミの質問に、「これと言って」と後藤は返した。

「本人が良いと思うことをしてくれればいいと言ってある。
 ただし、回りの邪魔をするような事は禁止している。
 そう言う意味で、おしゃべりも禁止事項となっているな。
 鼻歌も禁止事項に入っている」
「黙って集中していれば良いと言うことですね」

 分かりましたと答え、アサミは肘掛け付きの椅子に深く座った。アサミの質問が長かったせいか、他の4人はすでに準備を終えていた。

「ではこれから試験を始めます。
 特に危険はないので、落ち着いて試験を受けてください」

 試験の決まり文句を後藤が口にしたところで、会場のランプが緑から赤に変わった。それをきっかけに、全員が何か頭に軽い負担を感じ始めた。ただ今は黙っていて欲しいと言われているので、感想は後から言う事にした。

 長いようで短い10分が過ぎたところで、ランプが緑色に変わった。それから少し遅れて、テスト終了のアナウンスが会場に響いた。

「これでテストは終わったことになる。
 全員、センサーを外して場所を変えることにしよう」

 単なる応募者でなく、シンジ達は協力者の立場となっていた。それもあって、このままご苦労さまで返すわけにはいかない事情があった。
 責任者自ら応接に案内した所で、秘書官らしき女性がお茶を持って現れた。ちなみにこの秘書官は、飲み物が欲しいと言う後藤のリクエストを、「自分でやれ」とはねつけた秘書官と同一人物である。多少緊張気味なのは、相手が後藤ではないからだろう。

「さて、テストを受けてみてどうだったかな」

 全員にお茶が行き渡ったところで、後藤はそう言って話を切り出した。その問いかけに対して、まずはとシンジが代表して感想を口にした。

「気合いの入らないテストだと思いますよ。
 もしも同調率に“気合い”が関係していたら、低めに出るんじゃないですかね」

 それを皮切りに、私がと言ってマドカが手を挙げた。

「テストとしてとっても退屈。
 やっているうちに、何か眠たくなっちゃった」
「二人の言っていることは分かるが……
 一応言っておくが、テストを受けた人達は全員極度の緊張状態にあった」
「まあ、私たちと一緒ってことはないよね」

 はははと笑い飛ばしたマドカに、そりゃそうだと全員が突っ込みを入れたくなった。マドカを見れば、リラックスしすぎているほどリラックスしている。応募してきた者が、そんな精神状態であるはずがないのだ。もっとも、マドカ以外も、後藤の目から見れば十分にリラックスしていた。

「他に、何か感想はあるかな?
 例えば、ヘラクレスに乗っている時との違いとか?」

 違いと聞かれれば、違いすぎるとしか言いようが無いだろう。ただ質問の趣旨がそこにないことが分かっているので、ジャージ部員全員がその答えをシンジに任せることにした。こう言った分析をまともに出来るのは、シンジ以外には居ないと確信していたのである。
 ここまで来れば、自分に振られたからと言って文句を言うつもりもない。「そうですね」と間を置いたシンジは、感覚的に違いすぎることを最初に説明した。

「一番の違いは、何かをしていると言う実感がないことです。
 シミュレーターでも、一応同調しているのでヘラクレスの情報が伝わって来るじゃないですか。
 でもこのテストだと、ただただ何事もなく時間が過ぎていくと言う感じしかしません。
 本当に何かテストをしているのかと言うのが、正直な気持ちです」
「やりにくさに繋がっていると考えれば良いのかな?」

 それがテスト結果に影響するのであれば、やり方自体を考慮する必要がある。後藤の質問に、「それすら分からない」とシンジは答えた。

「正直に言えば、テストが何をしているのか分からないんです。
 だからやりやすいもやりにくいも、答えようがないとしか言いようがありません」
「とりあえず、結果を確認してからと言う事か……
 悪いが、あと少し待って貰えないだろうか?」

 時計を見たら、すでに9時40分を過ぎていた。このまま行けば、帰りはかなり遅くなるのだろう。そう言う意味で、夏休みだから出来る検証とも言えた。

 この空き時間を利用する形で、シンジはこれからのことを後藤に聞くことにした。自分達の安全を考えたら、パイロットとして確認しておくべき事が多すぎたのだ。最初に確認すべきは、現実的な連携相手がいつ帰ってくるのかと言う事だった。

「それで、衛宮さん達はいつ帰ってくるんですか?」
「こちらに返すタイミングとしては、君達の夏休みが終わったところを考えている。
 公募の方がどう転ぶのか分からないが、そこで君達との合同訓練を考えている」

 その答えは、とても答えとしては真っ当なものに違いなかった。ただ“真っ当”ではあるが、色々と問題を含んだものでもあった。そのうちの一つにして最大のものは、帰ってきたパイロットが注目されていると言う事だ。ただその注目は、帰ってきてから行われる訓練が理由になっていた。
 サンディエゴに派遣されたパイロットは、能力的に不足していることは知られている。そのパイロットが帰ってきて訓練を受ける以上、必ず主力のパイロットとの連携が問題になると誰もが考えていたのだ。従って、その訓練を見守っていれば、誰もが秘密のベールを剥ぐことが出来ると考えたのである。

 その状況で基地に行けば、自分達から秘密をばらすような物となる。それでは今まで秘密を守ってきた事に意味が無くなってしまう。次にシンジは、その方法を問題とした。

「どうやって、僕達を訓練に参加させるつもりです?」
「そのことだが、基地以外にもシミュレーターを極秘のうちに設置した。
 秘密の通路を造るという提案もあったが、実効的に意味が無いので立ち消えになったな」
「でも、出撃する時に役に立つんじゃありませんか。
 ギガンテス襲撃が発表されてから、のこのこと正面から基地には入れませんからね」
「偽装する方法ならいくらでもあるのだが……
 授業中とかに招集を掛けたら、一発でばれることになるな」

 襲撃地点や準備時間を考えると、判明時点で招集する必要がある。前のように授業とは関係の無い時に来てくれると言うのは、むしろ例外中の例外と言えたのだ。当然今後良好な協力関係を維持するためには、秘密を守るための方策も必要となる。
 後藤の持ち出した問題に、全員がどうしようかと悩んでしまった。自分達の正体を隠すという我が儘のために、被害が拡大しては元も子もないのだ。ギガンテス襲撃が判明した時点で、基地に呼ばれても不自然ではない理由、それを作らないと秘密を守ることも出来なくなってしまう。

「後藤さん、僕達が自然に基地に入る理由はありますか?」
「なかなか難問と言うのが正直なところだな。
 君達の場合、実は結構な有名人でもあるんだよ。
 だから不必要に基地に入ると、それだけで注目を集めてしまうことになる」
「やっぱり、アメリカとモロッコに行ったのが効いていますか……」

 高知の奇跡、ニューヨークの奇跡。両者に共通する登場人物は、今のところシンジ達だけなのである。いくらこれまでの分析でシロだとされていても、3度目に登場すれば、間違いなく疑いの目を向けられることになるだろう。
 そう言う意味では、堂々と基地に入る理由を作っておく必要がある。ただ問題は、その理由と言うのが見つからなかったのだ。

 全員がううむと悩んでいたら、テスト結果が出たと言う知らせが届けられた。カムフラージュの方法はひとまず棚上げにして、後藤はその結果を確認することにした。

「なになに……そう言うことか」

 そこで大きく息を吐き出されれば、結果に問題があることなど容易に想像が付く。

「結果に、何か問題がありましたか?」
「いやっ、君達の出した結果は極めて良好なものだった。
 従って、テスト方法自体に問題が無いことは確認されたのだが……
 いやなに、基準の変更を検討しなくてはいけなくなったんだ」
「基準の変更?」

 自分達のテスト結果が良好と言う事と、基準の変更が結びついてくれなかった。一体何がと質問したシンジに、「結果が良好すぎる」と後藤は答えた。

「今回の公募の基準は、Aランク対象を捜すことだと言うのは理解して貰っていると思う。
 従って、君達3人がAランク、篠山君がBランク、堀北さんがCランクになる事を期待していたんだ。
 だが蓋を開けてみたら、全員がAランクを記録してくれた。
 そこから導き出される答えは、今のテストでも基準が甘すぎると言う事だ」

 これまでの説明では、アサミは衛宮達よりも下だとされていた。それを考えれば、アサミがAランクに入ったことで、テスト自体の信憑性が疑われることになったのである。
 後藤の説明に、キョウカを除く全員が納得をした。ただ一人理解していないキョウカも、後から聞けばいいかと特に拘った様子を見せなかった。

「ところで、Aランクに入ったらどうなるんでしたっけ?」
「マドカちゃん、二次選抜のためシミュレーターに乗ることになるのよ。
 そこで良い成績を出したら、晴れてパイロット候補に登録される……だったよね?」

 自分達には関係ないと、マドカに答えたナルも、あまり正確なことは覚えていなかった。だからシンジに話を振ったのだが、事情はシンジも変わらなかった。

「発表自体、僕達が日本に居ない時だったでしょう。
 だから僕も、あまり詳しいことは見ていませんよ。
 どーせ、僕達にはテストの手続は関係ないと思っていましたからね。
 と言う事で、後藤さんに答えて貰うしか有りませんね」
「自分達にも関わるんだから、もう少し興味を持って貰いたかったんだが……」

 そう愚痴をこぼした後藤は、時間の無駄だと、高校生達の無関心さに拘ることをやめることにした。

「手続き上、Aランクに入った応募者には、別途追試験の通知が発送される。
 そして全体選抜とは別のスケジュールで、詳細な適性検査が行われる事になる。
 具体的方法は、シミュレーターを使った同調率検査と、
 身体的な問題が無いか、精密検査が行われる。
 それに加えて、思想信条、そのほか犯罪履歴を含め、詳細な身辺調査が追加されるな」
「つまり、僕達もそう言った調査が行われた……と言う事ですね」

 シンジに睨まれた後藤は、「当然の処置だ」と悪びれずに言い返した。

「同じ調査は、納入業者の担当者に対しても行われるんだよ。
 破壊的思想、普段から協調性がないとか、行動が粗暴だとか。
 そんな危なっかしい人間を、パイロットに据えるわけにはいかないだろう」
「でも、そうやって調べられるのは余り良い気持ちはしませんね。
 それで、僕達からは何か出ましたか?」
「こうして、良好な関係を保っていることが答えだと思うが?
 結構、色々と危ないことも教えているだろう」

 つまり、叩いても埃は出なかったと言う事になる。そうですかと引き下がったシンジは、「どうするんですか?」と話を自分達の事へと引き戻した。

「どうするか、か……」

 困ったなぁと後藤が腕組みをしたところで、「質問」と言ってアサミが可愛く手を挙げた。

「なんだい?」
「その、私たちのことなんですけど。
 マスコミとかにも、私たちの事はばれているんですよね。
 だとしたら、一体どう言う説明が後藤さん達からされているんですか?」
「どう言うか、か……」

 少し考えた後藤は、「個人的知り合い」と言う立場を持ち出した。

「公募を行うに当たって、知り合いにモニタを頼んだことにしてある。
 協力の見返りが、海外合宿で各基地を見学できるよう手配すると言う物だ」
「そうすると、私たちってヘラクレスに興味があることになっているんですよね?
 モニタをした結果とか、私たちの適性とかはどう説明されているんですか?」
「そっちの説明か……」

 アサミの質問に、後藤は腕組みをして記憶をたどった。

「正式な適性試験は行っていないことになっているな。
 手順的な物の説明と、擬似的な試験環境へのコメントを貰う。
 それ以上の事は、ギガンテス襲撃のあおりでうやむやになったとしていたな」
「適性テストをしていないって事ですよね。
 ヘラクレスに興味があって、しかもテスト環境のモニタにもなっている。
 その上、サンディエゴやカサブランカ基地にも見学に行っているんですよ。
 そのくせテストを受けに来ないのは、どう考えても不自然な気がしませんか?」
「確かに不自然と言われれば……確かに、チェックされていたら不自然極まりないな」

 ただ、テストを受けさせたら受けさせたで、面倒が起きるのは目に見えていた。5人全員Aランクと言う事で、今まで以上に世間の注目を集めてしまうことになる。

「でも、適性があるんだったら、基地に出入りする口実にはなりますよね?」
「だが、今でも君達は忙しすぎるんじゃないのか?
 今後テストを行うことになると、今まで以上に忙しくなってしまうんだが……
 それに、君や篠山君は、別の問題を引き起こす可能性も出てくる」

 篠山家の一人娘を、危険な任務に就けることは出来ないだろう。そしてアサミの場合は、絶対的に能力が不足していると思われていた。ローワー湾で活躍した実績はあっても、あれは通常の作戦ではなかったという事情がある。

「でも、そんな物はどうにでもなると思いませんか?
 後藤さん達が、結果をうまく改竄すれば終わりでしょう?
 予備役とか、待機任務とか、そうすれば説明が付くと思いますけど」
「確かに、その方が口実が立てやすいのは確かだな……」

 そこで後藤に顔を見られ、シンジは小さくため息を返した。アサミの指摘は、確かに自分達を守るために重要な意味を持っていた。不自然に思われずに基地に入るには、口実として適当なのは間違いない。ただ、なし崩しで取り込まれることになるため、歓迎ばかりはしていられない物だった。
 だからと言って、他に良い方法が見あたらなかった。アサミの言う通り、自分達がテストを受けないのも不自然なことに間違いない。

「他に方法が無いのも確かですね……
 それで、いつ、僕達はテストを受けましょうか?」
「目的から行けば、早ければ早い方が良さそうだな。
 ただ問題は、応募に当たって保護者の同意が必要になっていることだ。
 口頭でも良いから、了解を貰っておいてくれないか。
 可能な限り、君達の夏休み中にねじ込むことを考える」

 夏休み中と言う事で、シンジはすぐに手帳で予定を確認した。ほとんど埋まっているのは確かなので、今からキャンセルすると不自然な物が無いかを確認したのだ。

「27日に、ヒ・ダ・マ・リの収録が入っています。
 それを避けて貰えば、予定の遣り繰りは出来そうですね」
「明後日か、さすがにそこにねじ込むのは難しそうだな。
 9月の1日の午後とか、2日でも構わないか?」

 1日は、S高の始業式の日となっている。久しぶりに顔を見る友人も多いので、出来れば午後は避けて欲しいと言う気持ちはあった。ただその日に関しては、都合が悪いと言ってもその程度のことだった。

「今のところ、僕の予定は大丈夫そうですね。
 先輩達は、そのあたりはどうですか?」
「碇君と似たようなものよ。
 特に予定が入っていると言うことは無いわね」
「篠山は?」
「俺か、俺は今のところ何も無いぞ!
 俺の予定は、今のところ碇先輩に全部予約されているからな」

 最優先事項だと言い切るキョウカに、シンジとアサミが揃って抗議した。

「篠山、僕はそんなことを頼んでないぞ!」
「そうですよキョウカさん。
 そんな誤解を招く言い方はしないでください!」
「誤解を招くと言われてもな……」

 困ったなと人差し指で頬を掻いたキョウカは、客観的にそうなることを二人に説明した。

「特に、俺は個人としてジャージ部への依頼を受けていないからな。
 俺に依頼がある時は、今のところ先輩達と一緒になっているんだ。
 だから先輩達が暇な時は、自動的に俺も予定がないことになっている。
 それに、俺は勉強を教えて貰っている立場だろう。
 だったら、碇先輩の都合に合わせるのが礼儀という物ではないのか?」
「だったら、そう説明すれば良いんです!
 予定を空けた主体が誰にあるのかが不明確だから、誤解を受けることになるんです」
「そうか、日本語と言うのは難しいなぁ」

 はっはと笑い飛ばされ、アサミは強い疲労を感じた。分かっていたことだが、まだまだキョウカに対する認識が甘かったと言う事だ。

「それで、堀北さんはどうなのかな……すまん、愚問だった忘れてくれ」

 休日の昼ということになれば、アサミの予定など今更聞く必要がない。特にここ一週間という事なら、聞くだけ野暮という物だった。

「では、明日にも受験日の連絡を入れることにする」
「それで、テストの基準はどうなるんですか?
 僕達全員がAランクって言うのも、信頼性に問題がありませんか?」
「確かに、そう言われればそう言う事になるのだが……
 そのテストですら、今までAランクは一人も出ていないのが現実なんだよ。
 こんな所で、他の基地の結果を追認できなくても良さそうな物なのだがな」

 ざくざく出てくるとは思っていなかったが、だからと言ってこれほど酷いとも思っていなかった。それを考えると、基準を厳しくする必要もなさそうだった。そしてもう一つ後藤の頭にあったのは、アサミが一度ヘラクレスに乗っているという事実だった。トレーニングで同調が率向上した実績があるのだから、適性が改善されることもあり得ると考えたのだ。

「門戸を広げるという意味で、基準を変えないことにしておく。
 出来れば、君達には今からでもシミュレーターに乗って貰いたいのだが……」

 時計を見たら、すでに10時30分になっていた。いくら夏休みとは言え、高校生を連れ出すには十分遅い時間だろう。これからシミュレーションを行ったら、間違いなく日付が変わってしまう。

「協力したいのは山々なんですけどね。
 今からだと、寝る時間が無くなっちゃいますよ。
 シミュレーションなんて、今日の予定に入っていなかったんでしょう?」
「まさしく、君の言う通り予定に入れていなかった。
 よっぽど、ヘラクレスを動かす方が簡単に用意が出来るのだが……」

 動かした時の影響、そして時間帯を考えれば、絶対にあり得ない方法だった。ヘラクレスの方が簡単に動かせるのは、非常時に何時でも出撃できるようにするためである。シミュレーター代わりに使うのが目的ではなかったのだ。
 そこで頭を悩ませた後藤だったが、どう計算しても準備が出来無いと言う結論に達してしまった。つまり、今日の検証は諦めると言う事だ。

「君達も、一般の応募者と同じに扱うことにする。
 正直なところ、堀北さんには色々と協力をして貰いたいとも思っている」
「私が、ですか?
 まさか、広報への協力とか言いませんよね?」

 少し冷たい目で見られ、後藤の背中に少し電気が走った。自分の娘でもおかしくない歳の少女に睨まれ、少しだけ後藤の中の男が反応してしまったのだ。久しく感じたことのない感覚に、さすがに凄いとアサミの事を見直していた。
 もちろん、そんなことを顔や態度に出すほど、後藤は若くはなかった。「おほん」と一つ咳払いをして、期待する協力の中身を説明することにした。

「いくつかの仮定が含まれているのは承知しておいて欲しい。
 その上で説明すると、今回のテスト結果は、君の同調率が向上したと推測することが出来るんだ。
 うちのパイロット以下だった君が、いつの間にか十分な適性を示すようになっている。
 本当に適性が向上したのかを確認し、向上しているのならその理由を探りたい。
 そうすることで、今後のパイロット確保に役立つと考えられるんだよ」
「一度ヘラクレスに乗って出撃したことは関係してきませんか?」
「そう言う意味なら、衛宮達も伸びていなければおかしいことになる。
 今のところ受けている報告では、変化は誤差範囲だと言う事だ」

 だから調べてみたいと言う事になる。だがそうなると、今まで以上に協力して貰わなければいけなくなる。ただ、今のままではその口実が立たないのも事実だった。そして口実が立たないことは、シンジからも指摘されてしまった。

「アサミちゃんだけ、テストをする口実が立たないですよね。
 今の話は、以前テストを受けたことが前提になっていますからね。
 それを否定する限り、僕達と同じテストをするしか無くなるでしょう?
 しかもアサミちゃんは、マスコミにも注目されていますからね。
 特別なことをすると、すぐに勘ぐられることになりますよ」
「まあ、ほとぼりが冷めるのを待つしかないのだろうな……」

 難しいというのは、後藤も十分承知していることだった。だから今の時点で、無理を通すつもりは全く無かった。

「とりあえず、今日の所はこれで終わりと言う事にしよう。
 目立たないようにするため、然るべき所まで送らせて貰う」

 真夜中に高校生が出入りするのは、不自然過ぎるとしか言いようが無い。余計な関心を引かないために、出入りをカムフラージュする必要があった。そのためにも、ジャージ姿というのは都合が良かったりした。

「20分後に、定期便が出ることになっている。
 来た時とは逆のルートで、そこから自宅へ帰って貰うことになる」
「また、篠山さんのお世話になるんですか……」

 ずぶずぶだな。コンプライアンスはそれで良いのか、人ごとながらシンジは心配になってしまった。ただそれで、首が飛ぶのは後藤だと割り切ることにした。

 24時間眠らない基地だから、車両の出入りは真夜中になっても頻繁にあった。後藤が「定期便」と言ったのは、その車両のうちの一つだった。外から中が全く見えないため、秘密の行動をするのに都合が良いという代物である。
 その車に乗った一行は、さらに郊外にある篠山家の別宅にと連れて行かれた。そしてそこから先は、篠山家が手配した車で自宅まで送ってもらうという手はずである。巡回コースは、アサミ、マドカ、ナル、シンジの順番となっていた。キョウカについては、別の車が篠山家から差し向けられていた。その辺り、跡取り娘と言う立場が大きく物を言っていたのだろう。

 偽装工作の時間も掛かったので、時刻はもうすぐ12時になろうとしていた。送る順番が女性からと言うのは、時間を考えれば当然だとシンジは思っていた。だがナルを下ろしたところで、車が家とは別の方向に向かい始めたのに気がついた。そこでシンジは、この順番に別の意図があることに気がついた。
 相手が篠山だと考えれば、身に危険が及ぶことはないのだろう。それに後藤からは、身辺警護が行われていると聞かされていた。だからシンジは、自分に対して篠山が何をしてくるのか。それを見極めようと、どっしり構えることにした。

 それから20分ほど走ったところで、車は郊外にあるコンビニの駐車場へと入っていった。そこに一人男性が立っているのを見ると、その男性に合わせることが目的なのだろうか。暗くてよく分からないのだが、シンジには見覚えの無い男性だった。
 車が止まったところで、その男性は「こちらにどうぞ」ともう一台止まっている車へとシンジを案内した。大人しく車に乗り込んだところで、そこでシンジはようやく知っている顔を見つけた。キョウカの父親、篠山ユキタカが車の中で待っていたのだ。

「夜遅く誘拐するようなマネをしてすまなかった。
 一度、君とは二人きりで話をしてみたかったんだよ」
「二人きりって……この状況でそれを言いますか?」

 隣を見れば、綾部サユリが座っているし、前を見れば自分を案内した男と、運転手が座っている。この環境を「二人きり」と言うのは、さすがに無理がありすぎるとシンジは主張した。

「ああ、彼らはただ居るだけだと思ってくれないかな。
 俺と君の話は聞いているだけで、口を挟んでくることはない。
 それだと話しにくいというのであれば、今からでも二人きりに慣れる場所を用意する」
「良いですよ、篠山家御当主様がわざわざ僕のために時間を作ってくれたんですから……」

 条件に譲歩したシンジは、「それで?」と呼び出された理由を聞くことにした。

「慌てるな……と言いたい所だが、時間を考えれば正当な要求なのだろう。
 碇シンジ君、キョウカの父親として君に聞いておきたいことがある。
 うちの娘をどうするつもりだ?」

 もう少し直接的な言い方をされると予想していたこともあり、ユキタカの問いかけに、肩すかしを食らった気になってしまった。だからシンジも、建前としか言い様のない答えを口にした。

「どうするもこうするも、何もするつもりはありませんよ。
 篠山さんのお嬢さんとは、クラブ活動の先輩と後輩の関係です。
 先輩として、クラブの後輩に必要な指導をする。
 頼られれば、勉強を教えたりもする。
 僕にとって、それ以上でもそれ以下でもありません」
「そうは言うが、君は娘の人生に関わりすぎているんだ。
 娘に付けた家庭教師、その理由が勉強だけでないのは君も理解しているだろう?
 その家庭教師を、君は首にしてくれたんだよ」

 首にしたいと言ったのは、シンジでなくキョウカが言い出したことだった。揚げ足を取るのなら、そのことを持ち出せば十分なのだろう。だがそんなことをしていたら時間の無駄だと考え、シンジはこの場で適切と思われる答えを返すことにした。

「僕には、文句を言われる筋合いがありませんよ。
 お嬢さんの信頼を得られなかった時点で、首にされても仕方の無い人達なんでしょう?
 必要なら別の家庭教師を雇えばいいだけのことです。
 今だって、あまり長時間の勉強会はしないようにしていますよ。
 それ以上のことは、僕には責任を取りようがありません。
 それが気に入らないのなら、クラブ活動をやめさせればすむことでしょう?」
「そう言う、今更選択できない解決策を出さないで欲しいものだよ。
 今娘を君から引き離せば、篠山の中で余計な騒ぎが起きることになる。
 シズカのためにも、今は騒ぎを起こしたくはない」

 篠山の事情を持ち出したユキタカに、「何をしたいのだ」とシンジは逆に聞き返した。

「体だけは大きくなっても、お嬢さんはまだまだ精神的にお子様ですよ。
 僕だって、たかだか高2の子供なんです。
 そんな子供を、あなたのような社会的地位のある人が呼び出して、一体何をさせたいんですか?」
「何をさせたいのか……か。
 確かに俺は、君に何をさせたいんだろうな」

 ふっと口元を歪めたユキタカは、もう一度「何をさせたいか……か」と呟いた。

「改めて聞かれると、答えに困る問いかけでもあるな。
 究極の願いは、婿入りをして俺の後を継いで欲しいのだが……
 少なくとも、高2の子供に言う事でないのは確かだな」
「だとしたら、わざわざ呼び出して僕に何を言いたかったんです?」
「俺個人として、君と話をしたかった……と言うのが一番だな。
 娘の変化をつぶさに見てきて、その理由となった君に興味を持った。
 理由としては、まあそんなところだと思ってくれ」

 個人的興味と言われれば、それは素直に受け入れざるを得ない物だった。篠山キョウカの変貌に対して、一番大きな異境を与えたのはシンジに違いないのだ。その事実を持ち出し、興味を持ったというのだから、ユキタカの立場としてはおかしな事を言ってはいない。

「そうだとしても、理由としては弱すぎますよね?
 興味だけで呼び出すには、あなたは忙しすぎるはずです。
 明確な理由とか目的、そう言った物が無いとおかしいですよね?」
「俺が、君に惚れているんだからおかしくはないだろう?
 かなり真面目に、息子にしたいと思っているぐらいだからな」

 面と向かって「惚れている」と言われるのは恥ずかしい物だ。それを臆面もなく口に出来るのも凄いが、ユキタカにそれを言わせる方も凄いのだろう。

「そう言う恥ずかしいことを言わないでください」
「まあ、確かに恥ずかしいことなのだが、事実だから仕方が無いだろう。
 娘の婿というのを忘れても、俺は君を手に入れたいと思っているんだよ。
 できれば、堀北の娘も一緒に手に入れたいと思っている」
「欲張りなんですね?」

 どう考えても、答えが無い願いを持ってくれている。それを真剣に口にしてくれるのだから、シンジが欲張りと言いたくなるのも無理のないことだった。

「欲張りで何が悪い?」
「そうやって開き直られても困るんですけどね。
 正直に言えば、僕やアサミちゃんに迷惑が掛からなければ悪くはありませんよ。
 でも、今のままだともの凄く迷惑を掛けられる気がしてならないんです」
「そのあたりは、正しい認識と言って良いのだろうな」
「あっさりと認めて欲しくはないんですけど……」

 苦笑したシンジに対して、ユキタカは「我が儘だからな」としれっと言い返した。

「子供に向かって、大人が言って良い事じゃないでしょう」

 まったくと言って小さくため息を吐いたシンジは、「こちらから一つ」と大きな問題を切り出した。

「僕と先輩二人が、ヘラクレスに乗ったことはご存じですよね」
「堀北の娘が乗ったことも知っているが?」

 それがどうしたのかと言うユキタカに、シンジはこれからのことを持ち出した。

「今日集まったのは、今行われているテスト方法が適正かを確認するのが目的でした。
 ですがその話の中で、僕達も募集に応募するという話が持ち上がりました。
 これからギガンテスが襲撃してきた時、僕達3人が関わりやすくするのが目的です。
 僕と先輩二人は、パイロットは避けて通れない事だと思っています。
 でも、篠山さんのお嬢さんは違いますよね。
 篠山家の跡を取る義務を考えたら、これ以上ヘラクレスに関わらない方が良いと思います。
 これを機会に、これからどうするのかを考えて貰えませんか?」
「確かに、家のことを考えればこれ以上関わらせてはいけないだろう。
 だが、娘がやりたいと言うのだったら、俺としては認めてやらないといけないと思っている。
 もちろん、年寄り共は猛烈に反対するだろうな」
「個人的意見を言わせて貰えば、僕も反対しますよ」

 自分の意見を口にしたシンジは、急いでくださいとユキタカに促した。

「明日にでも、テストのスケジュールが決まります。
 それに参加してしまうと、自動的にパイロット候補になってしまいます。
 そうなる前に潰しておくことを僕はお奨めします」
「うちの娘は、君と一緒に命を掛ける資格はないと言う事かな?」

 少し捻った聞き方をしたユキタカに、「そこまでは言いません」とシンジは否定した。

「ただ、僕にも出来ることは本当に少ないんです。
 お嬢さんには、篠山の家を守るという責任がありますよね。
 ギガンテスと戦うことだけが、世界に対する貢献ではないと思っているんです。
 これまでの戦いで、本当に多くのパイロットが再起不能の怪我をしています。
 そんな戦いに巻き込むわけにはいかないと思っているんです。
 堀北さんにも言ったんですけど、僕だって関わりたいとは思っていないんですよ。
 それぐらい、二度の戦いは辛かったのだと思ってください」
「それでも、君は逃げないのだろう?」
「言ったでしょう、本当は関わりたくないって。
 だから、逃げられる物なら逃げたいと思っていますよ。
 でも、誰も代わってくれなければ、結局責任が追いかけて来るじゃないですか。
 逃げ切るためには、3つぐらいしか方法が無いと思いますよ」

 顔を引きつらせたシンジに、ろくな方法ではないことをユキタカは理解した。

「それは、死ぬとか乗れなくなるとか言う事だな」
「後は、迎撃態勢が整うというのもありますけどね」

 それが一朝一夕で調うと言うのは、どう考えてもあり得ないことだろう。世界規模で体制を整えようとしているのだが、未だ改善されていないのがその証拠だった。高知の英雄が出現したことも、幸運で片付けられることでしかなかったのだ。

「そんな仕事に、あまり身の回りの人を巻き込みたくないんです。
 遠野先輩、鳴沢先輩、そしてアサミちゃん、僕が不甲斐ないばかりに巻き込んでしまいました。
 この上お嬢さんまで巻き込んだら、僕自身がもたなくなってしまいます」
「それが君の希望と言うのなら、最大限に尊重することにしよう」
「そう言っていただけて安心しました。
 お嬢さんが加わらないことについては、僕のほうからみんなに説明します」

 ありがとうございます。そう言ったシンジに対して、立場が逆だとユキタカは苦笑した。

「自分の娘を守るのは、親としての当然の務めだろう?」
「やっぱり、親子ってそう言う物なんですよね?
 アサミちゃんのご両親を見てても、そう思ったんですよ。
 だったら、顔も覚えていない僕の両親はどんな人だったんでしょうね」

 そう零したシンジだったが、すぐに自分が言い過ぎたことに気がついた。

「すみません、余計なことを言ってしまいました。
 出来れば、聞かなかったことにして忘れて貰えませんか?」
「悪いな、俺は記憶力だけは抜群に良いんだ。
 ただ年のせいか、時々物忘れが激しくなる時があるんだな。
 そう言う時は、おおよそ娘のことで良いことがあった時なんだが……
 どうだ、娘の将来の面倒を見てくれるというのは?」
「高2の子供に、そんな約束をさせないでください」

 ふっと小さくため息を吐いたシンジは、カーナビの所にある時計へと視線を向けた。

「もう1時を過ぎているじゃないですか?
 良いんですか、明日も忙しいんじゃありませんか?」
「忙しいのは、君も同じじゃないのか?」

 シンジの忙しさは、ユキタカも調べていたから知っていた。どちらが忙しいかと言えば、件数的にはシンジの方が忙しいはずなのだ。

「僕の方は、篠山さんと違って責任はありませんからね。
 それに、10代の体力を甘く見て貰っては困ります」
「40過ぎのおっさんで悪かったな。
 確かに、最近はだんだん疲れが取れなくなってきたよ」

 そう言って苦笑を返したユキタカは、「おい」と運転手に指示を出した。

「すぐに、彼を自宅までお送りしろ」
「畏まりました。
 5分ほどお待ちいただければ宜しいかと思います」

 ゆっくりと町中をクルージングしていたこともあり、さほどシンジの家からは離れていないと言う事になる。5分かと時間を考えたシンジは、十分睡眠時間が取れるなと安堵していた。



 その翌日、部室に顔を出したシンジは、いきなりキョウカに泣き付かれることになった。なるほどちゃんと反対してくれたのだと、シンジはユキタカの事を思い出した。

「なんだ篠山、驚くじゃないか」

 とは言え、シンジは何も知らない立場でなければならない。少し逃げ腰になりながら、「落ち着け」とキョウカを宥めることにした。

「遠野先輩、何かあったんですか?」

 キョウカが泣きつけると言う事は、アサミが来ていない事にも繋がる。だからシンジは、説明をマドカに求めることにした。「それがね」と少し困った顔をしたマドカは、キョウカが泣きつくことになった理由を説明した。

「キョウカちゃん、ご両親の許可が下りなかったらしいのよ」
「許可……?
 ええっと、パイロットの適性試験を受けることですか?」
「そう、特にお父様に強く反対されたみたいね」
「そりゃあ、篠山の跡取り娘ですからね……」

 本家の一人娘なのだから、むざむざ危険な所に送り出すわけにはいかない。一緒に合宿へ行ったため、それは忘れられがちな事実だった。

「でも、篠山のご両親が反対するのも理解できますよ。
 一人娘にもしものことが有れば、篠山家にとっては一大事となりますからね」
「私たちも、そう説明したんだけど……」

 それでもキョウカが納得しなかったと言う事だろう。なるほどと状況を理解したシンジは、「篠山」と自分にすがりつくキョウカに、少し厳しめに呼び掛けた。

「僕にくっついても、慰めてやるぐらいしかできないからな。
 それにしても、アサミちゃんが来るまでだぞ」
「なんで、父様と母様は反対するんだ?
 俺は、先輩と一緒に戦いたいのに!」

 ぐしとシンジの胸に顔を埋めたまま、キョウカは理不尽さに文句を言った。どうして自分の気持ちを理解してくれないのか、そんな不満がキョウカの中で渦巻いていたのだ。
 だがシンジにしてみれば、それこそ自分が求めたことでもあったのだ。だから少し突き放すように、「お前の両親の方が正しい」と口にした。

「パイロットになって戦うと言う事は、当然ついて回るリスクを考えると言う事だぞ。
 最悪死ぬこともあると考えたら、親としてウンと言えるはずがないだろう?」
「だったら、先輩達はどうなんだ。
 先輩達の親は、先輩達が死んでも良いと思っているのか?」
「篠山、僕には両親が居ないんだけどな」
「私は、もう乗っちゃった実績があるからねぇ。
 死なないように頑張るって、両親を説得したわよ」
「うちも同じね。
 あまり良い顔はしていないけど、今更反対できないって言われたわ」

 マドカもナルも、問題はあったが両親の許可を得ているのである。「死なないように頑張る」と言うのは、マドカだから言えたことかも知れない。

「だったら、俺も死なないように頑張れば良いだけだろう?」
「乗ったことも、実績もないお前がそれを言って説得力があると思うか?
 それから言っておくが、僕に頼るのは無しだぞ。
 ぎりぎりの戦いになった時には、自分で自分を守らないといけないんだからな。
 それが出来ない奴が加わると、全体が足を引っ張られることになるんだ」

 そろそろ潮時と、シンジはキョウカの両肩を押した。反対されて辛い気持ちは分かるが、キョウカはパイロットに向いていないのも事実だ。高い同調率と機転の利く鋭い頭脳、そのいずれも今のキョウカには備わっていなかった。アサミよりは同調率は高いのだろうが、危険を回避する能力は遙かに劣っていたのだ。

「やっぱり、俺では駄目なのか?
 俺では、ジャージ部でやっていけないのか?」

 論理を飛躍させたキョウカに、それはないとシンジは直ちに否定した。

「パイロットなんて、別にジャージ部でやっていく資格じゃないだろう?
 僕や先輩達は、パイロットになる前からジャージ部だったんだからな。
 ボランティア活動するのに、パイロットなんて資格は必要ないんだよ。
 むしろ、そんなことで目立ってしまったら邪魔になるぐらいだ。
 だから先輩達も、パイロットであることを隠そうとしているだろう?」
「俺は、ここに居て良いのか?」
「お前も、大切な後輩の一人だよ」

 それで納得したのか、ようやくキョウカはシンジから離れて椅子に座った。

「遅くなりましたぁ!」

 まるでそのタイミングを見計らっていたかのように、アサミが勢いよく扉を開けて入って来た。ちなみに部活をするのだからと、アサミは学校指定のジャージを着ていた。

「先輩、私が来る前に何かあったんですか?」

 少し微妙な空気が流れているのに気づき、アサミはその理由をシンジに聞いた。

「パイロットのテストを受けることでちょっとね」
「まさか、遠野先輩達が受けないって事はありませんよね?」
「さすがにそれはね。
 篠山のご両親が反対したんだよ」

 その説明に、アサミはほっとしたように息を吐き出した。

「まあ、想定の範囲と言う事ですね。
 それでキョウカさんが、どさくさに紛れて先輩に抱きついたと」

 まるで見ていたような指摘に、即座にキョウカが反応した。

「アサミ、どさくさに紛れてはないだろう!」
「抱きついたことは否定しないんですね。
 でもキョウカさん、先輩は私の恋人なんですよ。
 ただの先輩後輩なんですから、異性に抱きつくのはやり過ぎですよ」

 恋人という立場を強調されると、さすがに言い返すのも難しくなる。だからキョウカは、「アサミは良いのか」と言い返した。

「私は先輩の恋人ですよ。
 正々堂々抱きついたって、まあ、文句を言われることじゃないと思います」
「違うっ、アサミは、パイロットのテストを受けても良いのかと言う事だ!」
「ええ、一応両親には納得してもらいましたよ」

 あっさりと言ってのけたアサミに、キョウカは目を丸くして驚いた。

「お前も一人っ子じゃないか。
 どうして、お前の両親はパイロットになることを認めたんだ?」
「どうしてって、私が熱意を持って説得したからですよ。
 大好きな人を守るために、絶対にパイロットになりたい。
 アメリカで乗ったのだから、今更乗らないわけにはいかないって」
「それで、よくアサミちゃんのご両親は納得したわね……」

 それで押し切る方もどうかと思うが、押し切られる方も大概だろう。呆れたマドカに、「要は迫力です」とアサミは胸を張った。

「自分がどうしたいのか、それをちゃんと伝えるのが必要なんですよ。
 私は先輩の隣に居て、先輩が危ないことをしないか見張る必要があるんです。
 だからパイロットになる必要があるし、一緒に居る必要があるんです」
「でも、ご両親は心配しているでしょう?
 だって、パイロットってやっぱり危ないじゃない」

 前線に立つ以上、危険と隣り合わせになる事になる。それを指摘したマドカに、あっけらかんと、アサミだけに許される言い訳を口にした。

「その時は、先輩に守って貰いますから」
「あー、いやっ、まあ、アサミちゃんの立場ならいいか」

 ぽりぽりと頭を掻いたマドカは、「この話は終わり」と大きな声を出した。

「とりあえず、この話はこれで終わり。
 タカさんからテストのスケジュールが来たら、全員にメールで連絡を入れます!
 これからは、明日のゴミ拾いの段取りを話し合います。
 明日は、今までで最大の40名が参加することになりました!」
「よくも、そんなに集まりましたね」

 ほおっと感心したシンジに、「映画のお陰」とマドカは事情を説明した。

「アサミちゃんも参加するって書いたら、男子も何人か参加することになったわ。
 柄澤君だっけ、彼も参加するって言ってきたわよ。
 それから、どう言う訳かフユミも参加するって言ってきたわね」
「なんで、鷹栖先輩まで参加するんですかっ」

 フユミの参加を警戒したアサミに、マドカは「映画でしょ」と言い切った。

「一応、自称シンイチ君の婚約者でしょう?
 映画を盛り上げるためにって、マコトちゃんが頼んだみたいね」
「その程度のことで、よく鷹栖先輩が承諾しましたね」

 ますます警戒感を募らせたアサミに、マドカは新たな爆弾を落とした。

「フユミ以外にも、アサミちゃんは気をつけなくちゃいけない子はいっぱい居ると思うよ。
 なぁんか、今までの参加者と傾向が変わっているんだよね」
「皆さん、私に真っ向勝負を挑むって事ですか」

 ふふふと口元を歪めたアサミに、「そうみたい」とマドカは他人事のように言い切った。

「だったら、今更割り込む余地など無いことを見せつけてあげます!」
「ボランティア活動がメインなんだから、あまりあからさまなことはしないようにね。
 それから、一応主役は花澤君なんだから、無視して進行をしないように」
「ジャミングは、私を出席させたかったんですよね。
 それが、どんなに無謀なことなのか思い知らせてあげますよ」

 ふふふと笑ったアサミは、とても綺麗でとても怖かった。こんなアサミを見せられたら、花澤とのツーショットは冒険としか言えないだろう。「役者が違う」と言うのは、このことを言うのかと納得したほどだ。

「一応必要な注意はしたから、後は各自今日の予定をこなしてくださいね。
 それから、明日は松葉公園清掃準備のため、一度部室に集まってね。
 ゴミばさみとか、竹箒、ゴミ袋を持っていきますよ」
「8時に来れば間に合いますね?」

 清掃開始は9時からだから、事前に道具を揃えておけば、時間的には十分余裕があることになる。

「それぐらいで大丈夫じゃないかな。
 じゃあ、事前に私が道具を揃えておくわ。
 キョウカちゃん、手伝ってくれるかな?」
「おう、任せておいてくれ!
 なんだったら、道具を運ぶのにうちの車を出させるぞ」
「そうしてくれれば有り難いんだけどねぇ……
 でも、手分けをすれば大丈夫でしょう」

 最近顔も見ない顧問の車ならいざ知らず、篠山家の車を使うと話が微妙にずれてくることになる。今回は5人も居るのだから、手分けをすればそれで十分運べるだろうと考えた。

「だったら、柄澤にも手伝わせますよ。
 今日の午後遊びに行きますから、そこで頼んでおきます」
「珍しいわね、碇君が男の家に遊びに行くだなんて……」

 いかにも不思議そうな顔をしたナルに、「そう言う事を言いますか?」とシンジは睨んだ。

「面白いゲームが入ったから、遊びに来いと誘われたんですよ。
 後は、家に置いてある写真集を一部でも返却しておこうかなと思ったんです」
「アサミちゃんの写真集はどうするの?
 やっぱり、実物を隅々まで見られるから要らなくなった?」

 ひひひと嫌らしく口元を歪めたナルに、シンジは一番効果的な切り返しをした。

「鳴沢先輩、またおばさんに戻ってしまいましたね。
 お願いですから、テレビカメラの前でおばさんにならないでくださいね」
「お、おばさんって言うなぁ!!
 これでもぴちぴちの……なんか、前もこんなやりとりをしたわね」
「ええ、鳴沢先輩が5キロも太った時のことですね」

 正確に言うのなら、太ったのは3キロのはずだった。それを敢えて2キロ増やしたシンジに、いつもの通りナルは実力行使に出ることにした。もっとも少しだけ距離が離れていたので、手元にあったコーラの空き缶を投げつけたのである。
 さすがは運動神経抜群と言う事もあり、投げられた缶は狙い過たずシンジの頭にヒットした。「あうっ」とのけぞったシンジは、すぐに「危ないでしょう」と猛烈に抗議した。当たったところを見ると、確かに結構赤くなっていた。

「危ないと思ったら避けるなり受けるなりすれば良いじゃない。
 それとも、幸せ呆けして碇君こそ体がなまったんじゃないの?」
「幸せ呆けって……酷いことを言いますね。
 アサミちゃん、腫れていないかちょっと見てくれないか?」

 そこでアサミに話を振ったのは、間違いなくシンジの反撃なのだろう。少し屈んでおでこを差し出したシンジに、「赤くなっていますね」とアサミは手のひらを充てて見せた。

「コブにはなっていませんから、こんな物は舐めておけば直りますよ」

 そう言ってアサミは、少し腫れたおでこに濃厚なキスをした。唇が離れた時に覗いた舌が、なぜかとてもいやらしく見えた。

「はい先輩、もうこれで大丈夫ですね」
「ありがとう、アサミちゃん」

 これでナルに対する仕返しは完了である。ただ問題は、ナル以外に対しても破壊力が抜群に大きかったことだろう。意外に純情なキョウカは真っ赤になって沈没したし、もう一人純情なマドカは、勘弁してとナルに文句を言った。

「ナルちゃん、もう少し後のことを考えてからかってくれないかな。
 巻き添えになって見せつけられる方のことも考えて欲しいのよ」
「そんなことを言われても、押したくなるスイッチを置く碇君が悪いんだからね」

 ナルはナルで、顔を赤くしてマドカに言い訳をしていた。結局リア充最強を証明し、馬鹿騒ぎは一部に被害者を出して終了した。
 必要以上にやり返したシンジは、満足気に助っ人に行ってくると宣言した。

「じゃあ僕は、水泳部に顔を出してきます」
「私は、映画研究会に顔を出してきますね」

 そう言って出て行った二人を見送り、マドカはもう一人世話を焼かなくてはいけない後輩を見た。

「キョウカちゃんはどうする?」
「俺か、俺は特に予定が入っていないな……」
「そっか、じゃあ私に付いてくる?
 キョウカちゃん、テニスは出来るよね?」

 お嬢様のイメージとして、高原でテニスと言うのは陳腐すぎる物だろうか。少しだけそれをイメージしたマドカに、「やったことがない」と言う当たり前の答えが返ってきた。

「マドカちゃん、スポーツのテニスは、お金持ちのお遊びとは違うわよ」

 そう言ったナルは、壁に貼られた各部活の活動予定へと視線を向けた。

「夏休みも終わりだから、文化系は全滅ね……
 運動部で顔が利くところと言えば……」
「こう言ってはなんだが、あまり運動は得意ではないんだ」
「そんなもの、碇君だって同じだったわよ。
 それを無理矢理ねじ込んで、使えるようにして貰ったんだから」

 ううむと考えたマドカとナルは、意外に使えそうな部活がないのに気がついた。

「さすがに、今から水泳部は無理か……」
「水着、持ってきていないもんね」
「だとしたら……」

 もう一度悩んだ二人は、体育でやっていそうな部活を捜すことにした。

「キョウカちゃん、体育の授業でどんな運動をした?」
「それなら、陸上とかしたな。
 こう見えても、結構足が速かったりするんだぞ!」
「陸上ねぇ……」

 予定表を見れば、今日は試合になっていた。つまり練習に参加するのは、物理的に無理と言うことになる。だったらそうするかを考えた二人は、無難なところで男子の方へ手伝いに出すことにした。

「野球部とサッカー部、マネージャーの手が足りないのはどっちだっけ?」
「足りないのは野球部の方ね。
 朝倉さんが、いつも大変だって零していたわよ」
「じゃあ、ナルちゃん、キョウカちゃんを連れて行ってくれるかな?」

 手伝いという意味なら、マネージャーも立派な手伝いに違いない。これから秋の大会に向けて、野球部も忙しくなるはずだった。意外に家庭的なキョウカを考えれば、マネージャーと言うのも似合っているのだろう。ただ問題は、相手が篠山家の一人娘に臆さないかと言う事だった。
 キョウカを連れて出て行くナルを見送り、マドカは一度シンジを行かせるかとも考えていた。キョウカの世界が広がったように見えて、あまり広がっていないことが分かってしまったのだ。周りに溶けこませるためにも、シンジと言う触媒が必要かと考えたのだ。



 昼食を一緒に外で食べてから、シンジとアサミは一度家に帰ることにした。その辺り、ジャージで遊びに行くのは憚られたと言う事情がある。そしてアサミの案内はレイに任せ、シンジは一人先に柄澤の家に遊びに行った。高1の頃はよく行ったのだが、2年になって悪友の家もしっかりご無沙汰になっていた。

「よう、久しぶり!」
「半年ぶりかなぁ?」

 そう言って柄澤の家に上がったシンジは、勝手知ったる他人の家と、そのまま2階に上がっていった。そして持っていた荷物から、何冊かの写真集を取り出した。

「とりあえず、写真集は返すことにした。
 一応サービスとして、アサミちゃんの写真集には直筆サインを入れて貰ったよ」
「際どい生写真とかは挟んでないのか?」

 直筆サインを確認してから、柄澤は何か良いものが挟まっていないかぱらぱらとページを捲った。だが期待したようなアクシデントは、どう頑張っても見つからなかった。

「ちっ、サービス精神の足りない奴だな」
「彼女の生写真を、他人に渡す方がおかしいと思えよ」

 すかさず言い返したシンジに、「だよなぁ」と柄澤は感慨深げに言い返した。

「とりあえず、写真集はそこの本棚の上に置いておいてくれ。
 おっ、ヒデミが帰ってきたようだな。
 せっかくだから、あいつに飲み物でも持ってこさせるか?」
「ヒデミちゃんか、ずいぶんと顔を見ていないなぁ?」

 学校で顔を合わせる柄澤とは違い、妹のヒデミとは遊びに来ない限り顔を合わせることはなかったのだ。それを考えると、少なくとも半年以上顔を合わせていないことになる。
 懐かしいなぁとシンジが考えていたら、柄澤が扉を開けて「お〜い」とヒデミを呼んでいた。

「わりい、二人分ジュースを持ってきてくれないか」

 そのあたりの気安さは、兄妹特有の物だろう。うちでもそうだと思っていたら、いささか予想とは異なる答えがヒデミから返ってきた。

「うるさい馬鹿兄貴っ!
 そんなことぐらい、自分でやれっ!」
「そんなこと言わないで持ってこい!」

 すかさず言い返した柄澤に、仲が良いんだなとシンジは笑いながら言った。

「でもヒデミちゃんって、あんなだったか?」
「まあ、お前の前では猫を被っていたからな。
 こう言っちゃ何だが、堀北さんと比べたらがさつすぎるだろう」
「アサミちゃんは特別だよ。
 レイなんて、がさつと言うよりナマケモノだしね」
「あんまり、そんな風には見えないんだがな」

 そう言って柄澤が苦笑した時、いささか乱暴に部屋のドアが開けられた。白のシャツに赤のミニスカート、そして少し長めの髪を、ポニーテールにまとめた少女がそこに立っていた。

「全く馬鹿兄貴、こんなことぐらい自分でやれ……碇さんっ!!」
「やあヒデミちゃん、久しぶり」

 乱暴というのは、どうやらドアを蹴飛ばしたのが理由らしい。それで乱れたスカートを気にしたヒデミは、そのままドアから一度出て、もう一度最初からやり直してくれた。

「兄さん、飲み物を持ってきたわよ。
 碇先輩、お久しぶりです。
 今日はどうされたんですか?」

 初めから見ていれば、それはとても滑稽な事に違いない。だが柄澤の妹ヒデミは、本当に真面目にやり直してくれた。しかも顔を真っ赤にしているのだから、可愛いなとシンジも思ってしまったほどだ。だからシンジは、その前の出来事には一切触れないことにした。

「ああ、柄澤に友達甲斐がないと叱られたんだよ。
 だから、後からレイも友達を連れて遊びに来るよ」
「レイ先輩もですか!」

 実態を知らなければ、レイと言うのは寡黙な美少女と言う事になる。しかも兄がシンジなのだから、ヒデミ達中学の後輩にとっては憧れの的となっていた。
 レイが来ることに喜んだヒデミに、シンジはもう一度可愛いなと感心していた。それを思えば、柄澤に対する態度も、兄妹だからこそだと思えてしまう。文句を言いながらも、ちゃんと飲み物は持ってきてくれたのだ。

「ちょうどいいから、ヒデミちゃんも一緒に話をしないかい?」
「いいんですか?」
「いつも、そうしていただろう?」

 そう言ってにっこりと微笑まれ、ヒデミは更に顔を赤くした。このあたり、ヒデミがシンジに憧れていると言う事情が物を言っていた。柄澤が「友達甲斐がない」と文句を言ったのも、妹のことを考えてのことだった。
 もっとも、この後の爆弾を考えると、本当に妹のためになるのかは疑わしかった。結果的に引導を渡すことになるのだが、ミーハーな妹だからいいかと考えていたりした。

「それでヒデミちゃん、高校はうちに来るの?」
「は、はいっ、S高に入って、ボランティア部に入ろうと思っています!
 碇先輩が出るから、ヒ・ダ・マ・リもちゃんとチェックしているんです」

 友だちの妹でも、可愛いことを言ってくれれば嬉しいものだ。顔をほころばせたシンジは、来年も安泰だと喜んでみせた。

「じゃあ、来年は新入部員を1名確保したって事になるね。
 これで、ボランティア部は安泰なのかな?」
「友達でも、何人かボランティア部に入りたいって言っている子がいるんですよ。
 1年先輩には、堀北アサミさんも居るんですよね?
 だから男子も、ボランティア部に注目していたりするんです!」

 元とは言え、トップアイドルと同じ部活をすることが出来る。高校生活の思い出として、それはとても貴重なことには違いないだろう。目を輝かせて話すヒデミに、「楽しみだね」とシンジは答えた。
 その話を横で聞いて、柄澤は爆弾が大きく育っているのを感じていた。そしてシンジも意地が悪いと、悪友の企みにも気がついていた。それは妹のレイと一緒に誰が来るのかを教えていないこと、そして堀北アサミと付き合っていることを教えていないことを見れば分かることだった。

「それから、碇先輩の出ている映画、動画サイトで凄い人気なんですよ。
 だから学校の友達も、絶対にS高祭で見るんだって話しているんです。
 堀北さんも素敵ですけど、先輩の役もとっても素敵だってみんなで言っているんです。
 でも、どうして英語のキャプション……を入れたんですか?」
「ああ、ボランティア部の合宿で海外に行ったんだよ。
 その時出来た友達にも、僕達が何をやっているのか見せてあげようと思ってね」
「海外の基地見学に行ったんですよね」

 いいなぁと羨ましがったヒデミに、「そうだね」とシンジは微笑んで見せた。

「もの凄く、貴重な体験が出来たと思っているよ。
 後は、有名なパイロットの人達にも会えたからね」
「すっごぉい、アスカさんやカヲル様とも会ったんですか?」
「他にも、色々とね。
 今日は、お土産とその時の写真を持ってきたんだよ」
「お土産……ですか?
 ありがとうございます!」

 嬉しそうに受け取ったヒデミだったが、包装を見てすぐに首を傾げてくれた。このあたりの反応は、貰った人達に共通する物だった。

「あのぉ、どうしてハワイ土産なんですか?」
「最後に行ったのがハワイだったからね」

 ふ〜んと納得したような顔をしたヒデミは、パイロットの話にぐいっと話題を引き戻した。

「そう言えば、ヘラクレスのパイロット、公募を始めましたよね。
 先輩は、もう申し込みましたか?」
「一応ね、ただ、何時テストを受けるのかは内緒だよ」
「うちの兄さんも、申し込んだんですよ。
 どうもS市在住者は、スケジュール調整に充てられているらしいですよ。
 だから外から来る人と比べて、スケジュールが決まるのが遅いって言う話です。
 それから、私も申し込んでいたりするんです。
 私たちの学校でも、かなり大勢が申し込んでいるって噂なんです」
「ヒデミちゃん、パイロットになりたいんだ!」

 驚いたシンジに、「憧れがあります」とヒデミは答えた。

「日本のエースパイロットって秘密になっているじゃありませんか。
 その人達って、絶対に素敵な人だと思うんですよね。
 だから、絶対に会ってみたいと言うか、一緒に戦ってみたいと思っているんです。
 学校のみんなも、同じ事を言っているんですよ。
 でも、碇先輩も受けるんだったら、一緒にパイロットになれたらいいですね」
「おい、俺は数の中に入っていないのか?」

 すっかり話を横取りされた柄澤は、仲間はずれにされたことに文句を言った。だがヒデミにしてみれば、兄を数に入れる理由はなかったのだ。

「兄さんだったら、毎日顔を合わせているでしょう?」
「そりゃ、まあ、そうなんだがな……
 でもなぁ」

 柄澤が文句を言いかけた時、玄関でチャイムが鳴るのが聞こえてきた。兄と二人だったら兄に任せるところなのだが、シンジがいるのでヒデミは自分が出ることにした。

「きっとレイ先輩ですよね。
 私が迎えに行ってきますから、先輩はゆっくりとしていてくださいね」

 フットワーク軽く立ち上がったヒデミは、そう言い残して柄澤の部屋を出て行った。そしてドアが閉まったタイミングで、「意地が悪いな」と柄澤はシンジに文句を言った。

「レイちゃんと一緒に来るのはアサミちゃんだろう?
 どうして、それをヒデミに教えてやらないんだ」
「お前だって、兄貴なんだから教えてやればいいだろう?」

 結局相手に責任を押し付けたが、二人ともその方が面白いと思っていたことになる。そして「そろそろか?」と、二人は玄関のやりとりに耳をそばだてた。

「間違いなく、大声を上げるよな」
「ヒデミちゃんなら、きっとそうだろうね」

 二人が顔を見合わせたのから少し遅れ、下の方から悲鳴に似た大声が聞こえてきた。

「予想通りか」
「だね、期待に違わぬ大声だったね」

 男同士、にやりと顔を見合わせた。

「駆け上がってくると思うか?」
「アサミちゃんを前にして、そんな失礼なことは出来ないだろう。
 だから、ここは冷静さを取り繕って案内してくると思うよ」
「なるほど、確かにその通りになりそうだな」

 再びにやりと顔を見合わせたのは、男同士と考えれば不気味としか言いようが無い。

 そしてその頃、憧れの人と実の兄に罠に嵌められたヒデミは、極度の緊張の中にいた。もう一人の憧れの人であるレイだけでなく、一番の有名人堀北アサミまでそこにいてくれたのだ。本当なら証拠写真の一つでも残すところなのだが、そんなことを考える余裕すら失われていた。

「あのぉ、堀北さんはレイ先輩とどういう関係なのですか?」

 質問としてレイとの関係を口にしたのは、一緒に現れたのが理由になっているのだろう。レイがジャージ部に入っていないのは知っているので、質問としては比較的真っ当なものだったのかもしれない。

「アサミちゃんは、同じクラスで私の隣に座っているのよ。
 S高に入学した時から、ずっと仲の良いお友達と言うところね」
「それに、レイちゃんのお兄さんが部活の先輩ですからね。
 だからレイちゃんとは、碇先輩を通したお友達でもあるわね」

 自分を見る目が、芸能人を見るそれだと気づき、アサミはとっさに爆弾に触れないようにした。そしてレイも、野性的な勘で、地雷に触れるのを回避した。

「そうなんですか。
 兄さんも碇先輩も意地が悪いです。
 堀北さんが遊びに来てくれるだなんて、初めに教えておいて欲しかったですよ」
「柄澤先輩は、映画研究会の映画で共演したんです。
 その時にお友達になりましたから、こうして遊びに来ちゃいました」

 それを言われると、ヒデミも「ああ」と納得してしまった。動画サイトで絶大な人気を誇る動画には、確かに兄も共演していたのだ。しかも主役の親友という重要な役どころだから、結構友だちの間でも評判になっていたりした。兄には内緒だが、お陰でファンが結構できてもいた。

「碇先輩も待っていますから、案内しますね……」

 かなり感激しながら、ぎこちない動きでヒデミはアサミを案内した。

「こ、こちらです……そ、その、飲み物をすぐに持ってきますね」
「ありがとう……ヒデミちゃんだったっけ?」
「堀北さんに名前を知っていてもらうだなんて、私感激しています!」

 目をキラキラさせ、そして胸元で両手を握り締めているのは、言葉通り感激しているのだろう。それを微笑みで受け止めたアサミは、レイに合図してシンジ達の居る部屋へと入って行った。
 それを見送ったヒデミは、直ぐに自分がすべきことを思い出した。大切なお客様が来たのだから、ちゃんと飲み物とお菓子を用意しなくてはいけない。買い置きのお菓子に何があったのか、時間を掛けてはいけないと、すぐにキッチンへと走っていった。

「今日って、なんて素晴らしい日なの!?」

 憧れの先輩二人は遊びに来てくれるし、もっと憧れの堀北アサミも遊びに来てくれた。これが兄の功績だとしたら、しばらく大切にしなくてはいけない。そんなことを考えながら、ヒデミは戸棚を開けてお菓子を取り出した。

「頂いたお菓子もお出しした方がいいわよね」

 どこかで見たことのある箱に入っているのだが、アサミから貰ったものだから、それは特別なお菓子に変身してくれる。少しというか、かなり舞い上がったヒデミは、そそくさとお盆の上に皿をいくつか積み上げた。後は、冷たい紅茶のペットボトルとグラスを載せれば、おもてなしの準備は整うことになる。

「やっぱり、堀北さんって綺麗だなぁ。
 まさか、兄さんと付き合っているってことはないわよね」

 そんなことがあったら、間違い無く自分に自慢してくれることだろう。それがない以上、自分の兄が元トップアイドル様のお相手ということはないのだろう。

「だとしたら、碇先輩と付き合っているのかな。
 それって、映画の続きみたいで格好いいかもしれないな」

 あれだけ綺麗な人と付き合うのは、それにふさわしい格好の良い人でなければいけない。ヒデミにとって、該当するのはシンジしかいなかった。

「だとしたら、素敵すぎるかもしれない。
 堀北さんだったら、私も諦めることができるし……」

 何も言われていないうちに自己完結をしたヒデミは、お茶とお菓子を乗せたお盆を持って二階に戻ってきた。そして一度お盆を下において、兄の部屋のドアを軽くノックした。

「お待たせしました。
 飲み物と頂いたお菓子を持って来ました」

 かなり緊張しながら、ヒデミは全員の前にコップとお皿を置いていった。そしてアサミに貰ったお菓子は、箱のままその前に置いた。

「ありがとうヒデミちゃん。
 ところで、かなり緊張していないかな?」
「だ、だって、堀北アサミさんがうちに遊びに来てくれたんですよ。
 き、緊張するなって言う方が無理な相談です!」
「ねっ先輩、普通の人はこういう反応をしてくれるんですよ。
 ヒデミちゃん、先輩って私のことを知らなかったのよ。
 だから初めて会った時も、私のことに気づいてくれなかったの」

 酷いよねと同意を求めたアサミに、「そうなんですか?」とヒデミはシンジの顔を見た。

「いやあ、テレビってあまり見ないからね」
「でも、堀北さんってとっても有名だったんですよ。
 それに、引退するときは普通にニュースにも出ていました!
 それを知らないなんて、絶対に先輩はおかしいと思います!」
「ほら、ヒデミちゃんもそう言っているでしょ」

 勝ち誇ったアサミに、シンジは「ごめんなさい」と謝った。

「アサミちゃんが凄いのは、いろんなところで見せつけられたよ。
 今度の映画だって、アサミちゃんが出ているから評判になっているんだよね」
「で、でも、碇先輩もファンが多いって聞いていますよ。
 ヒ・ダ・マ・リにも、先輩へのファンレターが来ているって評判です。
 学校のみんなも、花澤君より先輩のほうが格好いいって言っているんです」
「だけど、アサミちゃんがいなければ注目されなかったのは本当だよ」
「でも、私は先輩がいなければ、同好会の映画なんて出てませんよ」

 持ち上げ合う二人、そしてやけに親しげな二人を見て、ヒデミは自分の想像が当たっているのではと考えた。ただそれを口にするのは、妄想癖を披露するようで恥ずかしかった。

「あ、あの、堀北先輩。
 S高で、誰かいいなぁと思っている人はいませんか?」
「いいなぁと思っている人でいいの?
 ヒデミちゃん、本当は付き合っている人はいないかって聞きたいんでしょう?」

 ニッコリと笑ったアサミは、「教えてあげる」と言ってシンジの腕をとった。

「私、堀北アサミは、碇先輩に夢中なのよ。
 だから精一杯気を引くように色々と努力したんです。
 そしてめでたく、合宿中に両思いになれましたぁ!」

 とても綺麗な笑顔を見せたアサミに、やっぱりそうだったのかとヒデミは感動していた。本当なら失恋を悲しむところなのだが、目の前の二人には、そんな気持ちも吹き飛ばされてしまった。失恋を悲しむ前に、素敵だなぁと憧れてしまったのだ。

「あの映画の結末を先どりしたんですね」
「まあ、そういう見方も出来るのかもしれないね。
 残念ながら、あの映画はそこまで辿り着かないからね。
 シナリオを作った先輩に言わせると、
 くっつきそうでくっつかない、もどかしくも微妙な距離感を楽しむものらしいよ」
「ええっ、ルイさんとシンイチさんは結ばれないんですかっ!?
 だとしたら、シンイチさんはユカナさんと結ばれるんですか?」

 サブヒロインの名前を出したヒデミに、「さあ」とシンジは苦笑した。

「それを知っているのは、原作者の梅津先輩だけだよ。
 先輩は今年で卒業だから、次が作られることはないんだろうね」
「でも、映画研究会は存続しますよね?
 先輩達は、来年もS高にいるじゃありませんか。
 だったら、続編を作ってもいいと思います」

 主役二人が残っていれば、脚本さえあれば続きを作れる。ヒデミの言う事は間違っていないが、主役以外にも他にも問題が残っていた。

「出演した中で、かなりの人が卒業しちゃうんだよ。
 ユカナ役の鷹栖先輩も、今は3年だから来年にはいないんだよ。
 他にも、遠野先輩とか、鳴沢先輩も卒業しているね」
「そうなんですか、ルイちゃんとシンイチさんの恋の行方が見たかったのに……」

 残念ともう一度悔しがったヒデミは、目の前に置いてあったアイスティーをぐびっと飲み込んだ。丁度そのタイミングで、柄澤は妹に茶々を入れた。

「お前、舞い上がりすぎだぞ。
 憧れのレイ先輩が忘れられて寂しがっているぞ」
「いいのよ柄澤先輩、何時の世にも古い女は捨てられる運命にあるの!」

 そこで「よよよ」と崩れ落ちるのは、きっとノリの良さを示しているのだろう。

「れ、レイ先輩、そんなことは絶対にありませんから。
 その、私はレイ先輩に一途……って、どこかおかしくありません?」
「そうね、でもアサミちゃんが居ると、どうしても私は忘れられる運命にあるのよ。
 でも、アサミちゃんが売約済みになったから、きっと私の時代が来ると思っている」
「そういう意味では、シンジも売約済みになったんだなぁ。
 夏休み明けは、きっと色々と面白いことになりそうだな」
「僕としては、平穏な学校が始まることを期待しているよ」

 そうでなくとも、波乱の種がそこら中にまかれていたのだ。それを考えれば、学校ぐらいは落ち着いていたいと思っていた。ただ分かっていたのは、アサミのことを忘れても、それがどれだけ難しいことかと言う事だ。

「とりあえず、僕達のことは横に避けて、合宿の秘蔵写真を見せてあげるよ。
 校長にも見せたんだけど、腰を抜かして驚いていたやつだよ」
「そんなに、すごい写真があるんですか?」
「すごすぎて、見せられない写真も有るんだけどね。
 そういうのは、ちゃんと抜いてあるから期待しないように。
 柄澤、それいいか?」

 シンジが指さしたのは、机の上に置かれていたノートPCだった。データを持ってきたから、それで見ようというのだ。

「西海岸のアテナや、砂漠のアポロンも映っているからね。
 しかも二人のプライベートも映っているから、結構貴重な写真があるんだよ」
「えっ、あの二人にも会ったんですか。
 いいなぁ、アスカさんって綺麗でした?
 カヲル様って、噂通り綺麗な人でした?」
「まあ、その辺りは、写真を見ながら話そうか」

 それまでのお楽しみ、シンジがそう答えた時、柄澤が起動したPCをシンジに渡した。

「離れると見にくいから、みんなもっとくっつこうか」

 カードをPCに差し込み、ブラウザを起動した。そこからフォルダを選び、日本を出発する時の写真を呼び出した。

「これが、合宿を出発する前に、僕の家の前に集まった時の写真。
 一応学校の行事ということで、全員が制服を来ているんだよ」
「この綺麗な人は誰なんですか?」

 そこでヒデミが指さしたのは、サユリではなくキョウカだった。キョウカだけ映画に出ていないので、ヒデミが知らないのも無理もなかった。

「1年の篠山キョウカさん。
 アサミちゃんと二人、今年の新入部員だよ」
「へぇ〜、ボランティア部って美人揃いなんですね。
 もしかして、碇先輩のハーレムってことはありませんよね?」
「ヒデミちゃん、鋭いっ!」
「レイ、後輩に誤解を招くようなことは言わないように。
 ヒデミちゃん、女性の中に男一人って、いいことばかりとは限らないんだよ。
 ……本当に、いいことばかりとは限らないんだよなぁ」

 何を思い出したのか、やけにシンジの言葉には実感がこもっていた。その表情に、ヒデミは触れてはいけない世界があるのを理解した。
 一方アサミは、ヒデミの指摘は当たらずも遠からずなのを知っていた。シンジがいないところで、マドカとナルが好きな人を白状していたのである。キョウカの場合あからさまだから、全員が素直に行動すれば、ヒデミの言うハーレムが出来上がる。もっとも、そんなことにならないように、自分が阻止しているのだが。

「次の写真が、空港まで移動しているライナーの中だよ。
 ほとんど修学旅行のノリで、女性陣4人が騒いでいたんだ」
「なにか、とっても楽しそうですね……」
「それで、こっちに映っているのが、ツアコンの堀井さんと葵さん。
 堀井さんは怖そうに見えるけど、実は結構面白い人だったんだよ」

 そうやって、シンジは一枚一枚説明を加えながら写真をめくっていった。時折説明がアサミに代わるのだが、ヒデミにとってそれはどうでもいいことだった。見せてもらった写真は、どれもとても素敵で綺麗だし。説明してくれるのが憧れの人二人なのだ。冗談抜きで、こんな幸せなことがあっていいのかと思ったぐらいだ。
 そして写真を見て、アサミの言う両想いになれたと言うのも理解することができた。初めの写真に比べて、後の方になると、二人の距離がグッと近づき、そして態度がずっと自然になっているのが分かってしまう。ああ、こうして恋をするのだな。写真だけでも、素敵なストーリーが浮かんできそうだった。

 そしてもう一つ写真を見て気づいたのは、ボランティア部の女性全員が、シンジに恋をしている事だった。そしてそんな女性に囲まれながら、シンジの視線はアサミへと向けられていた。恋が叶わなくても思い続けてもいい、素敵だなと写真を見てヒデミは感動した。



 翌27日は、いつもの通り朝から太陽が照りつけていた。清掃を始める9時には、すでに日陰の気温も30度に達していた。その炎天下の日差しの下、ボランティア部及びS高有志48名が松葉公園に集合した。当初予定より増えたのには、大人の事情というのも加わっていた。
 その大人の事情のせいか、普段よりも多いマスコミ関係者と、それを見物する地域住人も集まっていた。

 S高側では、レイが急遽参加したとか、中学生だが柄澤の妹が参加したと言う事情があった。そして大人の事情、ジャミング側からはある意味豪華な、そしてテコ入れとも言えるメンバーが参加したのだ。つまり、花澤以外の薄桜隊メンバー4人も加わったのである。その辺り、番組に寄せられた感想が理由になっていた。
 更にジャミングから、女性タレントも2名加わっていた。事務所として売り出したい、アイドルの卵というやつである。

 一方迎え撃つジャージ部も、今回に限っては最大戦力が投入されていた。絶対的エースの碇シンジは言うに及ばず、最終兵器の堀北アサミも出撃したのである。それに加え、見た目だけは磨かれた篠山キョウカに、S校内で根強い人気の遠野マドカ、鳴沢ナルの二人である。自主映画のサブヒロイン、鷹栖フユミまで加われば、これはもう磐石の布陣と言っていいだろう。

 公園清掃と言うボランティア活動なのに、なぜか芸能界大運動会のような様子になってしまった。その豪華な布陣の前に立ったシンジは、ハンドマイクを片手に今日の活動内容を説明した。

「今日は、松葉公園蓮池周辺部の清掃を行います。
 各自手分けをして、一箇所に固まらないようにお願いします。
 今日も暑くなりそうなので、みなさん熱中症にはくれぐれも注意してください。
 熱中症対策として、本部に冷たい飲み物と飴が用意してあります。
 ジャミングさんの差し入れもありますので、適宜本部まで来て休憩してください。
 なお、本部には、遠野先輩と堀北さんが待機しています。
 緊急時の連絡、何かわからないことがあったら遠慮なく本部まで来てください。
 では、終了予定時刻の11時まで皆さんよろしくお願いします」

 せっかく部長のマドカが来ているのに、やはり外向けの挨拶はシンジが立っていた。ただ、シンジを含め、ジャージ部の誰もそれが当然だと考えていた。
 開始してくださいと言うシンジの合図で、予め班分けされたグループが池の周りに歩いて行った。流石というか、薄桜隊のところには女子が群がっていた。ただ今までと違ったのは、集まったマスコミの半分しか彼らについていかないことだった。

「やあ碇君、いつもお世話になっているね」

 こちらの方は、いつもの通り薄桜隊のマネージャー、枯木村こと木村がシンジのところに近づいてきた。色々と思惑はあっても、協力に対する礼を言うのはおかしなことではないだろう。

「こちらこそ、ジャミングさんの協力のお陰で、ボランティア活動にも人が集まってくれます。
 なかなか、僕達だけだと大規模な清掃活動がやりにくいんですよ」

 普段の活動人員が5人なのだから、ちまちまとした活動になるのは仕方がない。そういう意味では、こうして動員できることにも意味があることになる。

「あとは、協力が夏休みの終わりになってしまってすみませんでした」
「海外合宿をしたんだろう。
 だから仕方がないと思っているよ。
 むしろ、うちの花澤君達も連れて行って欲しかったぐらいだよ。
 なかなか、サンディエゴとかカサブランカの基地は取材がしにくいからね」
「でも、日本の基地では、パイロット募集のお手伝いをされたんですよね?」
「ああ、自衛隊側からどうかと打診があったからね。
 おかげさんで、いい絵がとれたと思っているよ。
 残念なのは、誰もパイロット資格にかすりもしなかったことだね」

 お礼と雑談、ついシンジの話に乗ってしまった木村は、いけないとわざとらしく頭を掻いて見せた。そして振り返ると、連れてきた女性タレントに手招きをした。

「今売り出し中のティアラの二人なんだよ。
 迷惑をかけて悪いんだけど、一緒に写真に写って貰えないかな?」
「別に構いませんけど、僕なんかでいいんですか?
 よろしければ、堀北さんもこっちに呼びますよ」

 善意のふりをした、とても嫌らしいシンジのイタズラである。ヒ・ダ・マ・リにしか出ないこと、そして動画サイトで話題になっていることで、シンジの知名度が高くなっていたのだ。木村としては、ティアラを売り出すのにそれを利用しようと考えていた。そこに善意を装いアサミを加えることで、主役が完全にアサミの方に移ってしまうことになる。
 それぐらいのことは、木村も十分に理解していた。何しろ、久しぶりに見たアサミに驚かされた口なのだ。芸能界にいた時以上に輝いていている姿を見せられれば、花澤と絡ませるのですら危険だと思えたのだ。それを考えれば、ぽっと出のタレントなど並べられるものではない。その輝きに当てられたら、売り出し中のタレントなど、メッキの輝きだとバレてしまうのだ。

「いや、アサミちゃんは芸能界を引退したんだろう。
 だから、こんなところでテレビに引っ張りだしたら申し訳ないよ。
 それに女の子の隣に並べるのは、格好のいい男の子であるべきだろう?」
「木村さん、おだてても何も出ませんよ」

 そう言ってわざと乗せられたふりをしたシンジは、どこに立てばいいですかと木村の指示を待った。この先のことを考えると、この程度のサービスなど気にするほどのこともなかった。

「そうだね、ホムラちゃん、サヤカちゃん、碇君の両側に立ってくれるかな?
 そ、そう、それで楽しくお話をしている振りをしてくれないか?」

 こう言うところで自然に笑みが出るのは、自主映画で鍛えられたおかげだろうか。自分より年下の少女二人に、シンジはニッコリと笑って「宜しく」と話しかけた。そんなシンジに対して、ティアラの二人、ホムラとサヤカは恥ずかしそうに頬を染め、「よろしくお願いします」と頭を下げた。これでは、どちらが芸能人か分からない態度だった。

「ごめん、君たちのことをよく知らないんだけど。
 今は、中学生なのかな?」
「えっ、いえ、はい、中学2年生です」
「わ、私は、中学3年生です!」

 幼く見えたので中学生かと聞いたのだが、やっぱりそうなのかとシンジは納得した。そしてこれから売り出すと言う木村の話に、やっぱり物が違うなとアサミのことを再度評価した。見た目の綺麗さもそうなのだが、体全体から発散する空気が違っていたのだ。

「あ、あの、碇さんって本当に普通の高校生なんですか?
 そ、その、もの凄く格好良いって私達の中でも評判なんですよ」
「だ、だから、今日は無理を言って連れてきてもらったんです」

 年齢的に言えば、シンジが年上ということになる。だが芸能人と一般人、しかもシンジはただの高校生なのだ。それを考えると、立場が逆としか言いようがない。だがそんなお互いの立場に関係なく、ティアラの二人は、スターを前にした一般人のようなことを言ってくれた。

「あ、あの、握手していただいてもいいですか?」
「う〜ん、それって一般人の僕がお願いすることじゃないのかな?
 今のうちに、将来の大スターに握手させてもらってもいい?」
「は、はいっ、喜んでっ!」

 本当に嬉しそうにする二人に、可愛いなとシンジは微笑ましく見ていたりした。そしてシンジと握手した後、胸元でぎゅっと両手を握り締めるさまを見せられると、本当に子供なんだなと思ってしまった。

「せっかく来てくれたんだから、みんなに混じって公園のゴミ拾いに言ってくれるかな。
 怪我とかするといけないから、ちゃんと手袋をしてゴミばさみを持って行ってね」
「は、はい、ちゃんと拾ってきますから見ていてくださいね!!」

 シンジから少し離れて、二人はペコリと頭を下げた。そして言われた通り、用意してあったゴミばさみを持ってボランティアの中に混じっていった。

「いやあ、ありがとう。
 とってもいい絵が撮れたよ。
 でも碇君、本当に芸能界に興味はないのかい?
 今の君だったら、デビューすればすぐにでもスターになれるよ。
 何しろ、ヒ・ダ・マ・リには、君をゲストで読んで欲しいと言うはがきが沢山来ているんだ。
 それに、君たちの作っている自主映画、あれも僕達の間で評判になっているんだ。
 アサミちゃんも凄いけど、それに負けずに君も凄いって評判なんだよ」
「すみません、本当にやりたいことが多すぎて困っているんです。
 だから、芸能界はちょっと困るのかなって。
 こうして誘っていただけるのは光栄なんですけど、今は遠慮させてもらいます」

 そう言って頭を下げたシンジに、木村は「惜しいなぁ」と本気で零した。

「でも、駄目っていうんだったら仕方がないかぁ。
 そこでお願いなんだけど、もしもデビューする気になったら他に声をかけないでくれないかな?
 その時は、うちの事務所が全力を上げて君をプッシュするよ」
「多分、その頃には賞味期限が過ぎていますよ。
 すみません、リーダーがいつまでも油を売っていてはいけませんのでゴミ拾いに行ってきます。
 サボっていると、参加してくれた人たちに申し訳が立ちません」

 もう一度頭を下げてから、シンジは本部の方に歩いて行った。そこで喉を潤してから、公園清掃に出撃しようというのである。当然向かった先には、アサミが紙コップを持って立っていた。

「はい先輩、お疲れ様です」
「ありがとう、アサミちゃん」

 アサミから紙コップを受け取った時、少し離れたところから黄色い歓声が上がった。薄桜隊の誰かかなと振り返ってみたら、かなり多くの視線が自分達に向けられているのに気がついてしまった。しかもマスコミのカメラまで狙っているのだから、さすがにやり過ぎだと言いたかった。

「すみません、普通の部活なので写真は遠慮してください!」

 引退した元トップアイドルと普通の高校生、いずれも一般人には違いなかったのだ。仲間内の写真ならいざ知らず、週刊誌に写真を撮られるのは宜しくない。

「やっぱり、アサミちゃんは凄いとしか言いようが無いね。
 これだけ芸能人がいるのに、誰も一緒に映ろうとは言ってこないよ。
 今の子達も、木村さんから遠慮されたよ。
 薄桜隊のメンバーと一緒の絵が欲しいとも頼まれなかったね」
「繰り返しますけど、あっちの方が小物なんですよ。
 売り物の価値を下げるような真似なんかするはずがないと思いませんか?
 だから、誰も先輩とも絡ませようとはしなかったでしょう?
 はい先輩、少しゴミを拾ったら戻ってきてくださいね。
 遠野先輩は、やっぱり体を動かしていたいそうですよ」

 言われてマドカの方を見ると、小さくうんうんと頷いてくれた。

「碇君とアサミちゃんがここにいた方が、みんな休憩に来やすいんじゃないの?」
「来る目的が出来るというのが正解でしょうね。
 そういう事なので、早く戻ってきてくださいね」

 行ってらっしゃいと手を振られ、なにか違うよなぁと思いながらシンジもゴミ拾いに参戦した。そこでフユミの所に行ったのは、ちょっとしたおせっかいに違いなかった。こうしてフユミと絡めば、映画の宣伝になると考えたのだ。

「あらっ、私のところに来てよかったの?」
「一応、参加していただいたことにお礼を言いに来たんですよ。
 後は、ちょっと自主映画の宣伝も兼ねてと思いまして……」
「あまり宣伝しすぎると、収集がつかなくなるんじゃないの?」

 すでに動画の方は、2百万ビューを超えていた。それを考えると、確かにフユミの言うことにも一理あるのだろう。

「それに、勘違いする子がいるんじゃないの?」

 そう言ってフユミは、目線でシンジに周りを見てみろと合図した。もっともシンジも、周りが自分達を見ていることぐらい気がついていた。だからこそ宣伝になると思っていたのだ。

「アサミちゃんに叱られなければ困りませんよ」
「そう言い切られると、さすがに言い返す言葉に困るわね」

 ふふふと笑ったフユミは、ここはもういいとシンジを追い返すことにした。色々と思うこともあるが、衆目監視の中では何もすることはできなかった。

「ジャージ部リーダーとして、みんなのところを回った方がいいわよ」
「そうですね、今日は暑いから無理をしないように声を掛けてきます。
 とりあえず、柄澤の所に行ってきますよ」

 じゃあと手を振り、シンジはフユミから離れた。そして言葉通り、真面目にゴミ拾いをしている柄澤に近づいていった。どう言うわけか、こちらでも黄色い声に迎えられてしまった。

「どうしてこうなる?」
「そりゃあ、映画じゃ俺とお前は親友同士だからな。
 こう言った絡みは、周りから見たら嬉しいものなんだよ。
 なっ、ヒデミ」
「そうですよ碇先輩!
 映画のお陰で、兄さんにもファンができたんです!」

 あの映画は、自分達のプロモーション用でないのは確かなはずだ。だが現実は、こうして予期せぬファンを作ることになってしまった。予想とは違った広がりがあるからこそ、部活は面白いなとシンジは感心していた。

「柄澤、一つ頼まれて欲しいんだが、適当なところで周りを誘って休憩してくれ。
 本部の方に、冷たい飲み物とか用意してあるんだ」
「ああ、適当なところで周りを連れて行くさ。
 お前は、これから「部長」としてあいさつ回りか?」
「まあ、そんな所だな」

 じゃあと手を振り、シンジは別のグループの方へと向かった。テレビカメラが入っているせいか、全員とても熱心に清掃に取り組んでいてくれる。熱心だからこそ、やり過ぎに注意しなければとシンジは考えていた。だからシンジは、各固まりに行くたびに、適度に休憩してくださいとお願いをしていた。

「篠山、大丈夫だと思っても30分毎に休憩を入れろ。
 本部に来て、冷たいスポーツドリンクを飲むだけの休憩でいいからな」
「ああ、了解した!」

 相変わらず、自分に対する言葉遣いは直っていない。本来なら小言を言うところだが、人も大勢いるので我慢することにした。

「じゃあ、僕は本部で待っているからな」
「ああ、後は任せておいてくれ!」

 見た目と言葉の男っぷりが全く似合っていない。特に見た目がお嬢様らしくなっただけに、そのギャップが広がってしまった。それを個性と割り切るためには、もう少しだけ慣れが必要そうだった。
 そこからシンジが回った先に、薄桜隊のグループは含まれていなかった。そこだけファンがちょっと異質だったのと、ファンの女性から歓迎されていないように見えたのが理由である。なんで一介の高校生に対して敵意を向けてくれるのか、その辺りの感覚がシンジには理解できなかった。シンジにしてみれば、むしろ感謝されてしかるべきだと考えていたのである。自分達が協力しなければ、こう言った集まりは開催されないのだと。

 ぐるりと一周回ってから、シンジは本部になっている藤棚へと移動した。花の名残など全く残っていないが、青々と茂った緑が丁度いい日陰を作ってくれていた。本部を避難先にするには、ちょうどいいロケーションだったのである。

「やっぱり、こう言った環境は慣れないわ」

 シンジが戻ったところで、マドカはホッとしたように立ち上がった。本部を作ったということで、その周りにはマスコミ関係者が勢ぞろいしていた。何台かのカメラが待ち構えているのは、休憩に戻ってくる薄桜隊のメンバーを追いかけるためだろうか。もう少し言うのなら、彼らもきっと“暑い”のだろう。
 シンジが戻ったのを幸いに、マドカはナル達の居る所に走っていった。その足取りが軽やかなのはは、ようやく解放されたという気持ちからだろうか。後ろを見れば、落ち着いていられないという気持ちもよく理解できた。

「アサミちゃん、飲み物は十分にあるかな?」
「ジャミングからクーラーボックスで貰っていますからね。
 十分すぎるというか、間違い無く大量に余りそうです」

 期待した答えをもらったシンジは、だったらとアサミに一つ仕事を申し付けることにした。後ろで暑そうにしているカメラマン達に、冷たい飲み物を配ってきて欲しいと言うのである。「どうして」と言う顔をしたアサミに、そちらの方が高校生らしいとシンジは笑ってみせた。

「あの人達に、そんな心遣いは要らないと思いますけど……
 でも、先輩がそう言うんだったら配ってきます」

 振り返って人数を確認したアサミは、お盆の上に人数分の紙コップを並べた。そして差し入れの入ったクーラーボックスから麦茶を取り出し、均等に注ぎ分けていった。

「ご苦労さまです。
 汗が出るかもしれませんが、少し水分を補給されたどうですか?」

 それをニッコリと微笑んで渡せば、絶対嫌な顔など出来るはずがない。しかも相手は、さんざん追い掛け回してきた堀北アサミなのだ。まさかこんな心遣いをしてくれるとは、カメラマン達も思っていなかった。

「ほ、本当に、いいのかい?」

 とか、

「堀北さんにお茶をもらえるだなんて、取材に来てよかった!」

 とか、シンジの心遣いは非常に好意的に受け取られた。これだけ暑ければ喉は乾くし、アサミがお茶を持ってきてくれれば、感激しない方がおかしかったのだ。

「意外に、先輩は心遣いの人なんですね?
 お茶を持っていっただけで、あの人達の空気が変わりました」
「根っからの悪人じゃない限り、善意に悪意で返すことはできないんだよ。
 それにアサミちゃんが持って行っていったら、男なら誰でも喜ぶと思うよ」
「先輩も、ですか?」

 少し甘えたように聞いてきたアサミに、「もちろん」とシンジは小さな声で答えた。全員がゴミ拾いをしている中、あまり個人的な話をしていたら顰蹙ものだろう。

「かなり気温と湿度が上がっているね」
「温度計では、35度を超えています」
「でも、どこも休憩に来ないか……」

 まずいなと、シンジは木陰から出て空を見上げた。遠くに大きな入道雲は見えるが、近づいてくる様子は全く見えなかった。じりじりと照りつける太陽は、更に容赦なく地面を焦がしてくれた。

「さてアサミちゃんにもう一つお仕事だな。
 どのグループが、一番危なそうに見えるかな?」
「ああ、それだったら間違い無くジャミングのグループですね。
 薄桜隊のメンバーに、女の子のことを気遣えるはずがありませんから。
 それに、あいつらだけ飲み物を持っているでしょう?」
「自分達のペースで引っ張るってことか……」

 最低だと思わないでもなかったが、今は芸能人を批判している時ではない。強制的に連れてくるかとも考えたが、シンジはテレビ的にそこそこ美味しい絵を考えることにした。その方が、後から面倒になりにくいと思ったのだ。
 そのために、シンジはマネージャーの木村を呼ぶことにした。薄桜隊のメンバーを呼び戻すのを、あくまで演出の一つとするためである。何事かと近づいてきた木村に、シンジは「お願いがあります」と切り出した。

「一度薄桜隊のメンバーを本部に戻らせて、熱中症対策の給水をさせて欲しいんです」
「でも、彼らにはちゃんと飲み物を渡してあるよ。
 わざわざ、ここに戻らせる必要はないと思うんだが?」

 木村としては、薄桜隊の絵にシンジとアサミを入れたくなかったのだ。こうして太陽の下で実物を比べてみると、はっきり劣っているのが分かってしまう。それをテレビの絵で出すのは、演出として間違い無く宜しくなかったのだ。
 渋った木村に対して、これも花澤君のためとシンジは耳元で囁いた。

「周りの女の子たちは飲み物を持っていないんですよ。
 あの子たちは、薄桜隊のメンバーが動かない限り絶対にこっちには来てくれません。
 誰かが熱中症で倒れる前に、一度こちらにこさせてください。
 ファンの子たちを気遣っていることをテレビに出したほうがいいでしょう?
 それに、自分達だけ給水しているのがバレたら、後でネットで叩かれますよ。
 ティアラの二人も呼び戻して、みんなに冷たいスポーツドリンクを配ってあげればいいんです。
 僕と堀北さんは、邪魔にならないように隠れていますよ」
「そ、そうだね……」

 言われてみれば、ファンに倒れられるのはマズすぎる。最近あったタレントのイベントでは、熱中症患者が続出して、週刊誌でも散々叩かれていたのを思い出したのだ。「ありがとう」とだけ言い残し、木村は離れた所に居る仲間のところへ走っていった。

「先輩、気を使い過ぎだと思いますよ。
 もしも誰かが倒れたら、ジャミングの責任にすればいいじゃないですか」
「アサミちゃん、これはれっきとしたボランティア部の活動なんだよ。
 もしも誰かが倒れたら、僕達の責任にもなるんだ。
 だから参加者の健康状態に気を使うし、危ないと思ったら最善の手段をとるんだ。
 ファンの女の子たちも、花澤君達に言われればおとなしく言うことを聞いてくれるだろう?」

 そう言うことと、アサミの頭に手をおいたシンジは、立ち上がって木村達の方を見た。

「角を立てていいことがあるんだったら、いくらでも角を立ててあげるよ。
 でも、こういう時は丸く収めたほうが後々役に立つんだよ」
「ほんと、先輩は気を使い過ぎだと思いますよ」

 文句を一言言って、アサミも立ち上がった。遠くを見ると、売り出し中のアイドル二人が近づいてくるのが見えた。飲み物の準備をして明け渡してあげれば、あの子たちでもちゃんと給仕が出来るだろう。

「じゃあ、私は鷹栖先輩を呼んできます。
 一応医者の娘なんですから、素人よりは詳しいはずですよね?」
「そう言うものなのかなぁ……」

 疑問に感じはしたが、反対するほどのことではないだろう。「そう言うものです」と言い残し、アサミはティアラの二人と入れ違いになるように本部を出ていった。少し息を切らせて近づいてきた二人は、かなり嬉しそうに「碇さん、なんですか?」と聞いてきた。

「ああ、これから二人にお仕事をお願いしたいんだ。
 もうすぐ薄桜隊のみんなが、ファンの子を連れてここに戻ってくるんだ。
 そうしたら、このコップにスポーツドリンクを入れて渡して欲しい」
「私達が、ですか?」

 少し不思議そうにした二人に、「テレビカメラがあるからね」とシンジはウインクをした。

「そうした方が、君たちも自然にカメラに映ることが出来るよ」
「えっ、あっ、はい、そうですねっ!!」

 それが自分達への心遣いだと気づき、ティアラの二人、ホムラとサヤカは「ありがとうございます」と頭を下げた。

「そろそろみんなが戻ってくるから、ちゃんと飲み物を渡してくれるかな?」
「はいっ、碇さん!」

 素直な二人に、シンジはつい頭を撫でてしまいそうになった。やっぱり芸能人になるだけあって、ティアラの二人も可愛かったのだ。だが右手を上げかけたところでそれに気づき、さすがにまずいと手を引っ込めた。

「じゃあ、僕は撮影の邪魔にならないように隠れているからね」
「え〜っ、碇さんはいてくれないんですかぁ」

 ぷっと頬を膨らませたところは、やはり歳相応に可愛らしかった。お陰で少し心残りができたが、シンジは予定通り目立たない所に隠れることにした。これで懸案の熱中症対策も無事済ませることができる。それはアサミの言う気遣いではなく、気配りだとシンジは思っていた。

 予定以上にゴミ拾いが順調に進んだことと、予想以上に暑くなったことで、シンジは予定を30分繰り上げることにした。清掃範囲を広げるには、残された箇所は広すぎた。これ以上清掃範囲を拡大できないのなら、切り上げた方が全員のためになると考えた。
 それに参加者も、ひと通り回ったことではっきりとダレ始めていた。

 それを確認したシンジは、ハンドマイクを取り上げた。そして本部から明るいところに出て、大きな声で「みなさん集合してください!」と呼びかけた。

「みなさんのお陰で、予想よりも早く一段落つきました。
 予定よりも早いですが、これで松葉公園の蓮池周辺の清掃を終了します。
 清掃道具を回収しますので、みなさん一度集合してください。
 繰り返します、みなさん一度集合してください!」

 シンジの呼びかけに反応し、池の周りに散らばっていた生徒たちが本部の方へと歩き始めた。脱落者や具合が悪くなった人は、見る限りいなそうだ。これで道具を回収して解散すれば、無事公園清掃のボランティアも終了することになる。
 ほっと小さく息を吐きだしたシンジは、ハンドマイクを置いて後ろにいるカメラマンたちの方に歩いて行った。

「みなさん、暑い中ご苦労様でした。
 お陰様で、一人も怪我人や病人も出さずに清掃を終わることができました」

 「ありがとうございます」と頭を下げたシンジに、10人ほどいたカメラマン達は拍手で答えた。最近した仕事の中で、これだけ気持よくできた仕事は思い当たらなかった。本来ボランティア活動に邪魔な自分達を、こんなふうに労ってもらえるとは思っていなかったのだ。

「鷹栖先輩もありがとうございます。
 お陰で、誰も熱中症で倒れなくてすみました」
「ほとんど、碇君の気配りのおかげだと思うわよ。
 それから私のことについては、堀北さんを褒めてあげてね」
「アサミちゃんには、別のところでお礼を言っておきますよ」

 そう言う事ですと、ウインクをしてからシンジは元の場所へと戻っていった。残されたフユミは、少し頬を赤くしてほっと小さくため息を吐いた。

「まずいわ、好きになっちゃったかも知れない……」

 自主映画で恋人役をしたのがいけない。少し上がってしまった鼓動を鎮めながら、フユミは終了の挨拶をするシンジを背中から見た。

「おじ様がご執心と言うのがよく分かるわ」

 パイロットと言う肩書きは、シンジの持っているもののごく一部でしか無い。映画で共演して、そしてこうしたふれあいを通じて、フユミはそれを理解することができた。だから、手に入れたいという篠山ユキタカの気持ちもよく理解できた。ただ自分のものにするには、競争相手が絶望的なほど強力すぎるのも確かだった。勝負をする前から勝負を諦めたくなる。更に磨かれたアサミを見れば、諦めるしか無いとフユミは思ってしまったのだ。

「鷹栖先輩、後片付け後に打ち上げをしますけど、参加しますか?
 場所は、BWHですけど」
「BWHって、ああ、遠野さんのご自宅ね。
 ええ、喜んで参加させてもらうわ!」

 恋人にできなくても、こうして一緒に居るだけでも楽しい思いをすることができる。今からでもジャージ部に入ろうか、かなり真剣にフユミが考えたほどだった。

「ジャージ部って、凄いところね……」

 そのシンジを磨きあげたのは、間違い無くジャージ部の3年、遠野マドカと鳴沢ナルの二人なのだ。それを考えると、ジャージ部ごと手に入れたいと笹山ユキタカが言ったことも納得できた。そしてそのジャージ部の一人として認められたキョウカに、めぐり合わせが良かったのだと喜ぶことにした。

「鷹栖先輩、行きますよぉ」
「えっ、ああ、ちょっと待ってて!」

 何かとても楽しい。気づかないうちに、フユミは小走りに駆け出していた。







続く

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