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 サンディエゴ基地の混乱は、地球の反対側にあるカサブランカ基地にも伝染していた。ギガンテス迎撃が順調な今、まさか基地司令のクビが飛ぶことがあるとは思っていなかったのだ。一介の高校生の謳い文句に「高知の奇跡を演じた」と付いたがために、彼らの常識がどこかに吹き飛ばされてしまったのである。そのためカサブランカ基地では、何が起きたのかを分析し、適切な対処を取るための緊急チームが作られた。

「つくづく奴らは、信じられないことをしてくれるな。
 基地総司令の首を飛ばすだけじゃ飽きたらず、アメリカ大統領まで担ぎだしてくれたのか」

 朝からのドタバタ劇に、主力パイロットたちは完全に蚊帳の外に置かれていた。緊急会議とやらのお陰で、通常訓練までキャンセルされてしまったのだ。そのお陰で、朝から暇を持て余すことになってしまったのである。それもあって、4人で緊急の意見交換と言うことにした。
 くつろげる場所ということで、彼らは食堂を意見交換会の場所に選んだ。そこに私服で集まった4人は、持っている情報を交換することにしたのである。その場で再び「アンビリーバボー」と叫んだエリックに、珍しくライラが怖いわねと口にした。

「あれっ、Shinji Ikariとメイクラブするんじゃなかったの?」

 マリアーナの突っ込みに、ライラは小さく首を振った。訪問が決まった時には、しめしめとライラは舌なめずりをしていたのを覚えていたのだ。

「なんか、カヲルより得体の知れない相手に思えてきたのよ。
 どうやればさぁ、パイロットが基地司令の首を飛ばして大統領を呼びつけられるの?
 そんなの前にしたら、興奮する前に気持ちが萎えちゃうわよ」

 もう一度なんでと呟いたライラに、誰も答えを持っていなかった。だがそれでは話が続かないと、カヲルは情報が少なすぎることを理由にした。どさくさ紛れに行われた、「得体の知れない」と言う自分への評価は気にしない事にした。

「海の向こうのことだからね。
 僕達にまでは情報が落ちてきていないんだよ。
 それに、もともと上の方はあまり仲が良くなかっただろう?
 だから余計に情報が落ちてこないんだけど……」
「何か気になることがあるの?」

 口ごもったカヲルに、マリアーナがその理由を聞いた。これまでの付き合いで、カヲルが口ごもった時には、何か必ず理由があったのだ。さもなければ、解けない疑問というものだろうか。

「いや、気になると言えば気になるのだけど……
 ただ単にサンディエゴがヘマをしたのなら、もう少しここの空気が違っていたと思うんだよ。
 慌てるより、むしろ快哉を叫んでいたんじゃないかと思うんだ。
 しかし現実は、司令以下全員がしっかりビビっているんだよ。
 何が起きれば、こんなことになるのか想像がつかないんだ」

 それにと、カヲルはもうひとつ気になっていたことを口にした。

「西海岸のアテナがいるから大丈夫だとは思うけど、基地がちゃんと機能しているのだろうか。
 この状況でギガンテスが来たら、出さなくてもいい被害を出してしまいそうだよ」
「さすがに、そこまでガタは来ていないと思うけど……
 関係の無いうちまで、通常業務がそっちのけになっているわね」

 誰かが居るわけでもないのに、マリアーナは辺りをうかがうように首を巡らせた。

「訓練に来ているパイロット候補たち、きっと面食らっているんじゃないかしら?」
「俺達ですら面食らっているんだ。
 あいつらが……逆に、何が起きたのか分かっていないんじゃないのか?」
「その方が平和なのかもしれないねぇ……」

 ほうっと息を吐きだしたカヲルは、「こういう時が怖い」と言って、3人の顔を見た。

「これまでが盤石だったと言うつもりはないよ。
 でも、多少の問題はあっても迎撃はうまくいっていたんだ。
 それが突然の暴風に吹き飛ばされてしまったんだよ。
 これがどんな意味を持ってくるのか、それを考えるのも怖いと思えるんだ」
「つまり、私たちは開けてはいけない蓋を開けてしまったってこと?」

 ライラの疑問に、カヲルはただ「分からない」と答えた。

「ただ単に、僕達が浮き足立っているだけのことかもしれない。
 それすら分からないのは、あまりにも情報が少なすぎるという事もあるんだ」
「つまり、俺達だけでも地に足をつけていなければいけないと言うことか……」

 失敗したなと苦笑したエリックに、カヲルを含めた全員が頷いた。こうして顔を突き合わせて相談していることこそ、浮き足立っている証拠だったのだ。

「今からでも手遅れではないのだろうから、普段通りの生活に戻ることにしようか?」
「ああ、その方がずっとマシなことに違いない」

 エリックが同意したことで、今日の行動は決まったことになる。やれやれと頭を掻きながら、カサブランカチームはトレーニングに向かったのだった。



 米欧双方に大混乱をもたらした張本人は、その影響の大きさを理解していたのだろうか。そこに疑問を感じてしまうのは、何も夜の勉強会だけが理由ではない。翌朝早起きをしたシンジは、ある期待を抱いて早朝のプールに現れていた。
 夜はガードがきつくて二人きりになれないのだが、早朝はガードが外れているから狙い目だと考えたのである。学者の人に、「朝してはいけないルールはない」とまで言われたのだから、その言葉にありがたく従おうと思っていたのだ。サンディエゴを混乱の極みに突き落としておきながら、自覚がない事この上ないとしか言いようのない行動だった。

 備えあれば憂いなしと、シンジはプールに少し多めのタオルを持って来た。ベッドではないのだから、少しでもマシな環境を作ろうと考えたのである。何のためというのは、すっかり緩んだ顔を見れば想像が付くというものだ。ちなみに、今日も黒のビキニパンツの水着を着用していた。
 デッキチェアにタオルを置いたシンジは、朝日に照らされたプールへと視線を向けた。ほとんど風が吹いていないこともあり、プールの水面は鏡のように静まり返っていた。ここまで前日と同じと言うことに、幸先がいいとシンジはほくそ笑んだ。

「なんか、体が熱くなってきたな……」

 この後起こること……正確にはすることを考えると、ついつい血の巡りが良くなるというか、体が熱くなってしまうのだ。しかも体のごく一部に、男性特有の現象まで起きている。いきなりこれでは引かれてしまうと、対策のため頭を冷やすことにした。

「うん、こうした方が僕らしいし……」

 がっつくのは、自分のキャラクターではないと勝手に解釈し、シンジは爽やかなスポーツマンを演じることにした。頭を冷やしながらトレーニングにもなる。そして活動派を印象づけられるのだから、一石二鳥にも三鳥にもなると自画自賛したのである。
 そのためには、泳ぎ方も派手な方がいい。プールに飛び込んだシンジは、いきなりバタフライから始めてくれた。このダイナミックな泳ぎが、男らしさを際立たせる。そんな勝手なことを考えていたのである。そのあたりの勘違いは、間違いなく痛い子のレベルに達していただろう。

 そうやってしばらく泳いでいたら、誰かが飛び込んできた音が聞こえてきた。いよいよその時かとほくそ笑んだその時、また誰かが飛び込んだ音が聞こえてきた。

「あれっ、数が合わないような……」

 おかしいなと思っていたら、また誰かが飛び込んだ音が聞こえてきた。少なくともこれで、自分以外に3人水に入っていることになる。どういう事だと顔をあげたら、プールサイドで手を振っているアサミと目があった。薄いブルーのパーカーは、昨日見たのと同じものだった。

「つまり、プールに入っているのは別の人ということか?」

 すでにシンジには、結果が見えた気がしていた。「どうしてですか」とトホホな気分を味わったシンジは、巻き込まれないようプールから上がろうとした。だが背後からこっそり近づいてきた誰かに、いきなり後ろから飛びかかられてしまった。柔らかい物を背中に感じたのだから、少なくとも女性であるのは間違いないのだろう。今までにないダイレクトな感触に、シンジは結構喜んでいたりした。

「この大きさは……ナル先輩かな?」
「ピンポーン、正解だからもう少しサービスしてあげるわね」

 うりっと、ナルは更に胸を押し付けてくれたから、薄い布越しにしっかり胸の感触が伝わってきた。首に回された素肌の感触と共に、これはなかなかと喜んでいたら、プールの外からの冷たい視線に気づいてしまった。

「やっぱり、先輩も普通の男だったんですね!」
「い、いや、これは悲しい男の性とでも言えばいいのか。
 けして浮気とか、鳴沢先輩の胸が気持ちいいなぁとかそんなことじゃないんだ」
「先輩、語るに落ちるって言葉を知っていますよね?」

 アサミの軽蔑した視線に、シンジはとてもいやぁな汗が流れた気がしていた。それに、いつの間にか原因を作ったナルはシンジから離れていた。素知らぬ顔をしてマドカの方に行くところを見ると、しっかり確信犯だったのだろう。その時に気になったのは、二人共学校指定のスクール水着を着ていることだった。なぜ海外に来てまでスクール水着? そのあたりの常識を、小一時間問いただしたい衝動に駆られてしまった。
 もっともそれは、単なる現実逃避でしか無い。「そう言うことをしますか」と文句を言いたいのは山々なのだが、逆に傷を深くすることにもつながりかねなかった。損得をすぐに計算したシンジは、プールから上がってアサミのご機嫌取りをすることにした。

 もっともご機嫌取りと言っても、何をすればいいのかなど全く分からなかった。しかたがないので、シンジは謝り倒すという原始的な選択をすることにした。まあ「ごめんなさい」を繰り返したのだが、傍から見れば情けない事この上ない光景である。

「いやぁ、やっぱりアサミちゃんのお尻に敷かれているわぁ」
「ああ言うところは、1年の頃とあまり変わっていないわね」
「先輩は、1年の頃はあんなのだったのか?」

 プールの中からは、マドカ達3人がプールサイドの光景を見学していた。マドカとナルに混じったキョウカは、興味深く二人のやりとりを観察した。恋人という関係でなくても、少しでもシンジのことを知りたいと思っていた。ちなみにキョウカは、スタイルを活かすべくアサミよりタイトな黒のビキニを着ていた。

 プールの中から観察されているとは知らず、シンジはアサミのご機嫌取りに集中していた。確かにその様子を見れば、尻に敷かれていると言われても仕方がないのだろう。少なくとも、サンディエゴ基地を震撼させた男のすることとは思えなかった。

「でもさぁ、アサミちゃんの方が合ってたんじゃないのかなぁ?」
「アイリちゃんは、控え目すぎたってことね。
 碇君が積極的なタイプじゃないから、ああやって振り回すぐらいがちょうどいいのか」
「そうか、先輩は振り回すぐらいがちょうどいいのか」

 うんうんと心にメモをしたキョウカに、マドカとナルはちょっかいを出すことにした。シンジがトチ狂うことは考えられないので、適当なちょっかいになる都合の良さがあった。

「そうね、後は直接触れ合うことも重要ね。
 ナルちゃんがしたみたいに、女性的魅力を見せ付けるのも有効よ。
 所詮すかしていたって、高2の男の子と言うのは変わらないんだから。
 頭の中は、エロイ妄想で一杯に違いないわ」
「キョウカちゃんの方が胸が大きいから、体を張った誘惑は効果的じゃないの?
 例えば、碇君の前で胸をポロリと出してみせるとかぁ。
 今の水着なんて、ちょっとずらせば丸見えになるでしょう?」
「そっ、そんな……恥ずかしい真似はできない」

 キョウカを焚き付けたつもりだったが、なぜか反応がちょっと違う方向に行ってしまった。ひょっとしてまずいことになるかもしれないと、二人は慌てて軌道修正をした。まさかキョウカが、顔を真赤にして恥ずかしがるとは思ってもいなかったのだ。短い付き合いの中で、今までこんな反応をしたことはなかった。

「ええっと、やれって意味じゃないからね。
 それに、お嬢様って言うのは、慎ましやかさがポイントだから」
「キョウカちゃんもせっかくイメチェンに成功したんだから。
 やっぱり攻め手はお嬢様系だと思うのよ」

 ガードが堅くてこそお嬢様。そこに世間知らずと無防備さと天然さを交えて、うまく操るのが効果的だろう。さりげなく近づきすぎるのも、見た目を利用すれば効果的に働くのに違いない。
 その説明を聞く時のキョウカは、眼をきらきらと輝かせてくれていた。その様子を見る限り、二人の助言は彼女にとって有益に感じられたに違いない。ただ言い過ぎた事への穴埋めは出来たが、新たな面倒をシンジに押しつけることになっていた。ただ相手が相手だから、二人はそれを気にしないことにしたのである。
 そしてプールサイドでは、可愛く拗ねたアサミに、シンジが謝り続けていた。



 ちなみに前日の出来事の関係で、シンジ達の行動は逐一ガードと言う名の監視状態に置かれていた。サンディエゴ基地に報復などするバカは居ないと思うが、それでも用心に越したことは無いのだ。そのためプールを挟んだホテルの反対側には、狙撃銃を持った堀井が配置されているし、プールへの通路は後藤の連れてきた隊員達が守りを固めていた。そして高校生達が戯れる姿は、映像と音声でしっかり監視されていたのである。

「彼女、思い通りに碇君を振り回していますね」

 彼女に謝り倒す男の姿というのは、情けなくもあり微笑ましくもあるものだった。特に女優がとびっきりと言う事もあり、ドラマの一シーンのようにも見えたのである。一つだけ納得のいかないことがあるとすれば、男役の前日取った行動との落差だった。サンディエゴ基地を恫喝し、アメリカ大統領まで引きずり出した男が、一女子高生に向かってぺこぺこと頭を下げているのだ。

「なんだ葵、羨ましいのか?」

 監視している範囲で、保護対象周辺に危険な兆候は見られない。大統領まで担ぎ出したのだから、米国側でも必要な手を打ったと見るべきだろう。少し緊張が緩んだこともあり、後藤は葵の言葉に軽口で応えた。

「いえ、意識して振り回しているというか……
 なにか、かなりの計算が含まれているような気がしてならないのです」
「堀北アサミの方にか?」

 確かめてきた後藤に、葵はうんと頷いた。そんな葵に、「データは見たか?」と後藤は聞き返した。

「堀北アサミのなら見ました。
 昔から芸能界では噂されていたことですけど……さすがに可哀相に思いました。
 ある意味、彼女は家庭に恵まれていて助かったのだと思いますが」
「プロダクション側に、強い立場で居られたからな。
 あのせいで、彼女の両親は芸能界をやめさせる決断をしたんだったな」
「彼女にしてみれば、やめることは辛かったでしょうね。
 一度スポットライトを浴びてしまうと、その快感が忘れられなくなると言いますからね」

 可哀相だなと考えたところで、葵は「ああ」と理解できた気がしてしまった。

「実は、彼女の方が一所懸命だったんですね。
 だから気を引き続けるために、色々と知恵を絞っているんだ……」
「だから女のお前には、それが計算に見えてしまうと言うことだろう」

 なるほどと納得した葵は、ひとまず二人の関係は忘れることにした。そして、これからのことを後藤に聞いた。

「ギガンテスが襲ってくる限り、彼はヘラクレスと関わり続ける事になります。
 その時彼は、いったいどう言う立場で居るのでしょうか?」
「遠野、鳴沢の二人を取り込むことは話してあるな?」

 葵が頷いたのを見て、後藤は話を先に進めた。

「碇シンジは、彼女たちを見捨てることはしないだろう。
 だから我々は、逆に碇シンジを隊員として取り込む必要は無い。
 彼の持つ意味を考えた場合、あまりヘラクレスに関わらせるべきではないだろうな」
「一度世界を終わらせた……からですか?」
「誰も、リスクをとる勇気はないのだ……
 だから、日本政府も関与は最小限にしたいと考えている」

 そうやって話をしていたら、画面の向こうではシンジの謝罪が成功したようだ。その証拠に、堀北アサミが、シンジの手を引いてプールに飛び込む姿が映っていた。ただ、その結末自体は、初めから分かっていた結末でしかない。ちなみに前日はショッキングピンクのビキニだったが、今日はトロピカルフラワー柄のワンピースだった。

「大統領が来るのは10時だったな……」

 時計を見れば、7時30分を過ぎようとしていた。これからシャワーを浴びて食事をすれば、ちょうどいい時間となることだろう。初日に起きた大問題も、これで収束に向かうことになるはずだ。

「これで、サンディエゴも踏み込んだヒアリングは出来なくなるな」

 おそらく、このことはカサブランカにも伝わっているだろう。そうなると、カサブランカ側も慎重な対応をしてくるに違いない。狙ってやったとは思えないが、結果的に彼らは自分の身を守ることに成功したのだ。大した嗅覚だと、後藤は主役である碇シンジを評価したのだった。



 大きなセレモニーの前では、本来一般高校生などおまけの扱いにもならないはずだった。ただ大統領と会わせるためには、それなりの事情というのを用意しておく必要もあった。ただその事情も、真実から可能な限り遠いところに用意しておく必要がある。従って知恵を絞った基地側は、比較的目立つところにシンジ達を立たせることにした。
 大統領の国民向けサービスの中に、同盟国に対するサービスを紛れ込ませる形としたのである。偶然見学に来ていた日本の高校生に、大統領が気まぐれからサービスをしたと言う筋書きである。最近日本で高知の奇跡が演じられたこともあり、それなりの理由も付くと考えられたのだ。

「これで、矛先を収めてもらえるかね?」

 にこやかに記念撮影を行う中、隣に立ったシンジに、ワットソンは小さな声でささやきかけた。少し早口だったので、大統領が高校生に声を掛けた以上の注意を引かなかった。それは、大統領が声を掛けること自体珍しくないという事情もあった。

「むしろ、大げさにしすぎです。
 どうも、踊らされている気がしてならないんですよ」

 深刻な話をしているとはとても思えないにこやかな顔で、シンジはそう言い返した。少し緊張しているように見えるのも、大統領の前だと考えれば不思議なことではなかった。
 カメラマンの注文に応えているため、それ以上の会話は為されることはなかった。時間にして僅か1分、謝罪としては極めてあっさりとした顔合わせとなったのである。むしろ、具体的な形で謝罪は行われなかった。

 もっとも、シンジにしてみれば、大げさなことは願い下げと言う事情があった。それを考えれば、明らかに大げさすぎると文句を言いたいところでもある。ただ自分が騒いだと言う事情もあり、これで我慢する他は無かったのだ。そう言う意味では、「踊らされている」と言うのは、極めて正常な感想なのだろう。

 そしてもう一つの問題は、日本のマスコミの目に付いたことだった。まあギガンテス対策は世界的注目事項であるし、サンディエゴ基地が最前線であるのもまた事実だった。そこにアメリカ大統領が顔を出したのだから、マスコミの取材が入るのも至極当然のことである。しかも日本人の高校生が大統領と関わったのだから、簡単な取材を受けるのも当然のことだった。

「あれっ、君たちは確か……」

 マスコミと言っても、各社が特派員を置いているわけではなかった。特に情報管理が厳密な場所でもあり、公式行事は代表幹事となる通信社が取材を担当していた。若林と名乗った記者は、その代表幹事となる通信社に所属していた。
 その若林は、話を聞かせて貰いたいと声を掛けたところで、何かを思い出したように言葉を切った。

「何処かで見たことがあるような……時々テレビに出ていなかったかい?」
「たぶん、「ヒ・ダ・マ・リ」の事を言っているんじゃないですか?
 花澤君のボランティア活動報告に協力させて貰っています」

 シンジの答えに、若林は「ああ」と小さく頷いた。シンジの顔を見た記憶はあったが、それが何処かというのを思い出せなかったのだ。だが具体的番組名が出たことで、若林は疑問への答えを貰った気になった。人気番組で4月から始まった一コーナーなら、見たことがあってもおかしくないと考えたのだ。

「それで、どうしてサンディエゴ基地の見学に来ていたんだい?
 見学希望が沢山あって、なかなか順番が回ってこないので有名な場所なんだよ」
「言いふらさないでくれるのなら、お話ししますけど?」

 特定のコネを匂わせたシンジに、なるほどと若林は納得することにした。世の中どこでもそうなのだが、コネさえあれば順番などどうにでもなってくれる。一番分かりやすく、納得の行く説明だったのだ。

「いや、おおよその事情は掴めたよ。
 無理に名前を出せば、便宜を図ってくれた人に迷惑が掛かることになるね。
 それで大統領と何か話をしていたようだけど、なにを言われたのかな?」

 ボランティア部の対外担当と言う顔を持っているが、若林がシンジに目を付けたのは、大統領と会話をしていたことが理由だった。「ほのぼのニュース」として配信するには、話題として適切な物だったのだ。

「あれは、「日本には注目している」と言われたんです。
 たぶん、高知の奇跡のことだと思いますけど、だから僕達が選ばれたんですね」
「確かに、あれは世界の度肝を抜いたからね。
 しかも日本政府が未だにパイロットのことを隠しているんだ。
 その面でも、未だ世界の注目を集めているよ」

 穏やかに笑った若林に、学校でも似たような物だとシンジも笑った。

「最近下火になりましたけど、学校中が探偵になっていましたよ。
 もっともいくら頭を悩ませても、高校生に分かるはずがないんですけどね」
「確かにそうだね。
 ところで、君はどう大統領に答えたのかな?」
「高知の奇跡は、日本人として鼻が高いと答えましたよ」

 徹夜組ですからと、シンジは少し口元を歪めて見せた。

「たぶん、日本人で徹夜しなかった人は居ないと思うよ」
「大変な思いで避難されていた方もいらっしゃいますからね。
 本当に奇跡が起きて良かったと思っています」
「まったくだね。
 ああ、時間を取らせて悪かったね」

 いくら大統領と記念写真を撮ったと言っても、たかが高校生に何時までも時間を割いているわけにはいかない。これから重大発表があると知らされているのだから、記者としてはそちらを見逃すわけにはいかなかったのだ。だからありがとうと軽く手を振り、若林は本番へと向かって行ったのである。

「碇君、何を聞かれたの?」

 若林が離れたので、マドカ達がアサミを連れて戻ってきた。相手が芸能関係でないのだから、多少用心し過ぎのところもあっただろう。だが部の方針として、マスコミ関係者からアサミを引き離していたのである。そのためマドカ達は、シンジが何を聞かれたのか聞いていなかった。

「ああ、何処かで見た顔だって言われましたよ。
 花澤君の番組を出したら、納得してくれましたね。
 後は、大統領と何を話したのかぐらいです」
「何を話したの?」

 早口だったことを除外しても、マドカ達が聞き取れないことは分かっていた。
 誰かに聞かれていないか一度周りを見てから、「「これで許してくれ」だそうです」と全員に説明した。当然その意味を、全員が理解していたのだ。その場に居なかったアサミとキョウカには、後からわざわざマドカが教えたほどだ。

「大げさにしすぎだと文句を言っておきましたよ」

 不安にさせるといけないので、誰かに踊らされているという部分は隠して説明した。その説明に、アサミを除いた3人が少し顔をしかめて「そうね」と同意した。

「でも、先輩のお陰で色々な経験が出来ましたよ。
 アメリカの大統領なんて、普通じゃ一緒に写真に写ることはありませんよ。
 たぶん、夏休み明けに色々とみんなに言われるんじゃありませんか?」
「そうか、このことは日本にも配信されるんだね……」

 クラスメイトの追求が怖い。たぶん彼らは、アメリカ大統領より堀北アサミとの関係を問いただしてくれるだろう。今度は、「裏切り者」程度で許してくれるとは思えなかった。

「それに、アスカさんとも会えましたよ。
 カサブランカに行けば、カヲル様にも会えるんですよね?」
「アサミちゃん、そんな嬉しそうにすると碇君が嫉妬するわよ」

 ねえと振られて、うんと答えられるはずがない。ましてやアスカの名を出して、抵抗することなど出来るはずもない。もう少し言うなら、「嫉妬などしませんよ」などと余裕を見せることも出来るはずがなかった。

「そうやって、後輩を虐めますか?」
「虐めているつもりはないわよ。
 ただ、残酷な現実という奴を教えてあげただけ」

 隠れて舌を出したところを見ると、間違いなくナルはシンジをからかって楽しんでいた。そしてナルにからかわれるだけ、シンジにも隙が多かったと言うことでもある。

「ねえ、そんなことより今日はどうするの?
 ヒアリングは、全部キャンセルしちゃったんでしょう?」
「こんな時間になっちゃいましたからね……」

 時計を見れば、お昼まであまり残っていない。どう考えても、サンフランシスコまで遊びに行く時間は残っていなかった。

「近場って……海かなぁ」
「だったら、ロスに行きませんか?
 昨日行っていない、ママの店がロスにもあるんですよ!」
「あっ、それいいねぇ。
 アサミちゃんのお母さんって、有名なデザイナーなのよね?」
「そうなのナルちゃん?」

 一人喜んだナルに、すかさずマドカが疑問を挟んだ。そんな相方に、大丈夫かとばかりにナルはぐっと顔を近づけた。

「堀北マサキって言えば、セレブ向けで有名なデザイナーなのよ。
 それにアサミちゃんのステージ衣装やオフの格好も、全部堀北マサキさんのデザインなのよ」
「へっへぇ〜アサミちゃんのお母さんって凄いんだぁ」

 ナルの剣幕にびびりながら、尊敬する目でマドカはアサミを見た。

「それに、アサミちゃんのお父様は、ニック堀北って有名なカリスマ美容師なのよ。
 堀北美容室って言えば、マドカちゃんだって聞いたことがあるでしょう?」
「ごめん、私美容院っていかないんだ……」

 その答えは、ナルだけでなくシンジまでも呆れさせた。

「それで先輩、時々おかしな髪型をしているんですね」
「い、いやぁ、自分で切っているんだけど時々失敗しちゃってさぁ」

 ナハハと笑うマドカに、シンジは小さくため息を吐いてアサミの顔を見た。この女性らしさの欠片もない先輩を、何とかしてくれと言うお願いが込められていた。

「……日本に帰ったら、パパがいる日に遊びに来てください」

 さすがのアサミも、無頓着なマドカに呆れたようだった。シンジに頼られたこともあり、解決策を提示したのである。

「昨日はキョウカさんを磨き上げたんですけど……
 今日は、遠野先輩に集中した方が良さそうですね」
「馬子にも衣装って事になりそうですね……ぐはっ」

 からかうような言葉をシンジが言った途端、「チェストー」と言うマドカの掛け声があたりに響いた。そしてそのすぐ後には、お腹を押さえて悶絶するシンジの姿がそこにあった。大したことを言ったつもりが無いと言う油断が、マドカの攻撃を避けられなかった理由だろう。

「遠野先輩、碇先輩は私のですからね。
 それから、照れ隠しで正拳突きをしないように」

 「子供だこいつら」、年上の子供達に、アサミはとても冷めた視線を向けたのだった。



 ホテルで優雅にランチを取ると、観光のための時間がなくなってしまう。その判断のもと、5人は綾部の運転でロサンゼルス、主にハリウッドとビバリーヒルズに向かうことにした。目的地は二つ、かつて映画の都と言われたハリウッドを観光することと、ビバリーヒルズにあるブティックに行く事だった。アサミの母親が経営しているブティックは、セレブ御用達として有名なお店だった。

「アサミちゃん、女優魂が疼いたんじゃないの?」

 シンジの顔を見ながら、ナルはその所どうなのだとアサミに聞いた。実力派の若手としても有名だったのだから、ハリウッドに憧れぐらいあるだろうと言うのだ。

「そりゃあ、無いと言えば嘘になりますけど……」

 そしてアサミも、シンジの顔を見ながら答えてくれるのである。一体何を自分に言わせたいのか、そう問いかけたくなる二人の会話だった。

「でも、ハリウッドって、今は名前だけなんですよね。
 アカデミー賞の授賞式とかやっていますけど、映画をとるのは別のところばっかりで。
 それに、今はあんな作り物のセットで映画をとる必要もありませんからね」
「でも、チャイニーズシアターだっけ、あそこに手形を残すのって名誉なんでしょう?」
「オスカーだって欲しいと思っていますよ。
 でも、日本映画だと微妙なのばかりノミネートされるし……
 やっぱり、こっちで映画に出ないと貰えないんですよね」

 少し残念そうな顔をしたのは、映画に未練があるからなのだろうか。だが僅かな時間で表情を作り替え、シンジに向かって「エスコートしてもらえますか?」とアサミは聞いてきた。

「ものすごく話が飛んだんだけど、それって今の話?」
「有ったかもしれない未来のことですよ。
 もしも私がオスカーをとったら、授賞式では先輩にエスコートしてもらおうかなって」
「その時の僕は、一体どういう立場なんだろうね」

 恋人、亭主、単なる共演者。色々なシチュエーションの浮かぶアサミの言葉だった。そんなシンジの疑問に、アサミはかなり直球ど真ん中の質問を返した。

「先輩は、どんな立場がお望みですか?」
「どんな立場って……」

 自分で口にしておきながら、それがどれだけ際どいことを言っているのか、アサミに聞かれてシンジはようやく気づいた。特に映画に出るつもりがない以上、恋人とか夫というキーワードがそこについてくるのである。それに気づいたシンジは、珍しく顔を真赤にしてくれた。

「いやあ、こう言う話だとさすがの碇君も照れるんだ」

 早速ナルに燃料を投下したシンジだったが、すぐにアサミが話を取り戻した。真剣な顔をしたアサミは、不確かな未来のことを口にしてくれた。そしてその未来は、今のようにのんびりとしたものではないと口にしたのだ。

「鳴沢先輩は意識していないかもしれませんけど、私達ってもう普通では居られないんですよ。
 私は、ただの元アイドルで、そのうちあの人は今で紹介される程度なんです。
 でも先輩達は、高知の奇跡を現実にしたパイロットなんですよ。
 今は後藤さん達が隠してくれていますが、いつか公になる時が来るんです。
 それは、あまり遠い未来のことではないと私は思っています。
 それに、まだギガンテスは襲ってくるんでしょう?
 だったら先輩達は、なおのこと特別な人になってしまうんですよ。
 それにキョウカさんだって、いつかは篠山の家を継ぐことになるんですからね」
「確かに、普通で居るのは難しいのかもしれないね……」

 そう言ってシンジは、アサミの手のひらを優しく包むように握りしめた。それは、自分にとっては特別だと、伝えるような行動だった。

「先輩……」
「アサミちゃん……」

 自分の言葉に酔ったのか、アサミは少し潤んだ瞳でシンジを見上げた。そしてその瞳に吸い込まれるよう、シンジの顔がゆっくりとアサミに近づいていった。後少しで唇が触れ合いそうになった時、誰かのゴクリとつばを飲み込む音がした。

「はいカットっ!
 二人共、みんなの目の前というのを忘れないでねぇ」

 マドカとキョウカは固唾を飲んで見守っていたのだが、一人ナルは冷静だったようだ。まあ冷静だったというより、自分達が居るのを忘れるなと言う気持ちがあったのかもしれない。
 ただナルが割り込んだことで、それまでの二人を包んでいた空気は霧散してくれた。あとに残ったのは、顔を赤くしてうつむくアサミと、きまり悪そうに頭を掻くシンジだった。ただアサミが小さく舌を出しているのは、一体どういう理由なのだろうか。

「ナルちゃん、せっかくいいところだったのに邪魔をしちゃいけないでしょう」
「そうだぞ鳴沢先輩、せっかく参考にさせてもらおうと思ったのに……」

 いいところを邪魔されたと言うか、せっかくの見ものを邪魔されたことに、マドカとキョウカは揃って文句を口にした。だがそれに取り合わず、ナルは「先を急ぐわよ」とその場をしきってくれた。ハリウッド観光で時間を使ったため、マドカを飾り立てる時間が無くなるのを警戒していたのかもしれない。



 セレブの豪邸が並ぶ。それがビバリーヒルズの大きな売りの一つだった。だが観光で訪れた高校生達は、建ち並ぶ豪邸に対して違った感想を持っていた。確かに立派なのは立派だし、デザイン的にも凝ったものが沢山あるのは認めていた。だが大きさだけは、どう考えても比較の対象が悪かった。

「そうか、これが豪邸というのか」

 うんうんと頷いたキョウカは、さも感心したようになるほどと繰り返した。だが比較となる篠山本家は、この豪邸をいくつか併せたのよりも大きかったのだ。高校生達全員がそれを知っているだけに、これが豪邸と言われても凄いとは思えなかった。そしてもう一つ感動できなかった理由は、こちらでは一般家庭でも十分に広かったことがある。それが少しぐらい広くなった程度では、今更驚くこともなかったのだ。

「篠山んちの方が遙かに広いんだからなぁ〜」
「でも、ほら、デザインが全く違っているじゃない!」

 醒めた感想を口にしたシンジに、ツアコンに身分を戻した葵は十分凄いと取り繕った。

「別に、観光というのを否定するつもりはありませんよ。
 ただ、豪邸と言われても……この程度かと思っただけです。
 何処かのお城のようなものを想像していたんですけどね……」

 それを期待するのなら、アメリカではなくヨーロッパに行くべきだ。そもそも、日本有数の資産家の本宅と比べる方が間違っている。しかも篠山は、中でも不動産資産が飛び抜けていたのだ。

「篠山さんと比べたら、いくら何でも可哀相だと思いますよ」
「そうか、やっぱりうちは凄いのかっ!」

 はっはっはと屈託無く笑ったキョウカに、「そうだね」と全員少し脱力気味に同意を示した。

「どう碇君、キョウカちゃんをお嫁さんに貰うって言うのは?
 そしたら、左うちわで一生遊んで暮らせるんじゃないの?」

 すかさず突っ込みを入れたナルに、どう言う訳かキョウカが反論してきた。どうやら「遊んで暮らせる」と言うところが引っかかったようだ。

「残念だがナル先輩、うちの父様は真面目に仕事をしているぞ。
 ストレスが酷いと言うので、愛人が許されているぐらいだからな。
 父様と一緒に飛び回っていたら、母様も体が持たないから黙認しているんだ」
「キョウカちゃん……言っていることは正しいと思うけど。
 忙しいなんて言ったら、碇君が引いちゃうよ」
「そうなのか先輩っ!」

 それは一大事と聞いてきたキョウカに、「前提が間違っている」とシンジは言い返した。

「どうして、僕が婿入りするって話になっているんですかっ!」
「先輩、お金に目がくらんで私を捨てるんですかっ?」

 愛人じゃ嫌ですよと、アサミは自分の立場を強調した。ただ一連の話は、高校生がするようなもので無いのだけは確かだった。だから葵は、「君たち高校生の自覚がある?」と全員に対して疑問を呈した。

「葵さん、乗りが悪いわね」
「こんなこと本気で考えているのは碇君だけですよ……
 あっ、キョウカちゃんも結構本気か」

 だがマドカとナルからは、真面目に受け取り過ぎと反論されてしまった。その場ののりで騒いでいるのだから、変に現実を主張するなと言うのだ。

「そりゃ、まあ、そう言われればそうなんだけど……」

 なにか釈然としないものを感じながら、葵は先に進むという選択を行うことにした。豪邸見学が外したのなら、あとは高級ブティックに行く他は無い。お金の心配は無いのだから、ここは贅沢に行こうと考えていた。

「じゃあ、次の目的地に向かいましょうか?
 堀北さん、お母様のブティックで良かったのよね?」
「はい、連絡をしたらこっちにママが来ているそうです。
 遠野先輩のことを話したら、任せておきなさいと太鼓判を押していましたよ。
 簡単なヘアカットも出来ますから、トータルコーディネイトはばっちりです!」
「堀北マサキさんがつきっきりか……」

 何処かのテレビ企画でなければ、なかなか実現しそうにもない待遇なのだ。それが女子高生相手と考えれば、間違いなく贅沢なことに違いなかった。葵が羨ましいと考えるのも、ごく普通のことだった。
 それに気付いたのか、アサミは葵にも「どうですか?」と誘いの言葉を掛けた。

「きっと葵さんにも喜んで貰えるものがあると思いますよ。
 ママにも、葵さんにお世話になっているのを伝えてありますからね」
「そ、そうかなぁ……」

 元アイドルに言われると、ついその気になってしまうと言うものだ。しかも有名なデザイナーのお見知りおきされると言うのは、女性として名誉なことに違いない。すっかりと乗せられた葵は、傍から見ればカモに違いなかった。
 あまりにも乗せられた葵に不安を感じ、シンジは「いいの?」とアサミに小声で囁いた。

「葵さんは大人ですからね。
 それに、カードが使えますから大丈夫ですよ」

 つまり、葵からはしっかりとお金を取るというのだ。その答えを考えると、葵はうまいこと乗せられたことになる。良いのかなぁと不安は感じたが、所詮は他人だとシンジは気にしないことにした。

「そんなことより、ママが先輩に会えるのを楽しみにしているんです。
 レストランを予約するから、一緒に夕食をとらないかって言っていましたよ」
「一緒にって……そんな大勢で押しかけて良いのかなぁ」

 一緒にと言われれば、当然マドカ達も一緒だとシンジは考えた。だがそのあたりは、シンジの考えが甘すぎたとしか言いようが無い。割と真剣な顔で、アサミは「違いますよ」とシンジの言葉を否定した。

「ママと先輩と私の3人に決まっているじゃないですか。
 堀井さんにあとから迎えに来て貰えば、何も問題は無いはずです」
「3、3人で……」

 キョウカの方ばかりを用心していたが、とうとうアサミも親を持ち出してきたのだ。キョウカと違ってアサミとは付き合っているのだから、本当なら母親に会ってもおかしくないはずだ。彼女の家に遊びに行って、「晩ご飯を食べていったら?」と誘われるのと同じ程度のはずなのだが……なぜかそれ以上の重大なイベントに思えてしまった。

「先輩、私とのことは遊びなんですか?」

 少し尻込みしたシンジに、「酷い」と言ってアサミは顔を伏せた。高1と高2の付き合いなのだから、真剣に将来を考えるのはまだ早いとしか言いようが無い。その意味で「遊びですか?」と聞かれれば、そんなことはないとすぐさま答えてもおかしくはないはずだった。
 だが真剣だと答えるのは、なぜか危険な気がしてならなかった。ただそれを否定するのは、もっと危険なことに違いない。天秤がすぐに倒れたので、シンジは多少安全な答えを返した。

「とんでもない、アサミちゃんのことは本気だよ」
「少し迷いませんでした?」

 求める答えは貰ったが、アサミはわずかに空いた間を問題とした。そうなると、シンジは言い訳の言葉を探さなければならなくなる。
 本当ならここで狼狽えるところなのだが、困った時こそ冷静になる操作のお陰で、シンジの頭は冴え渡ってくれた。

「本気だから、口にするのが恥ずかしかったんだよ」
「そう言う理由だったら許してあげます!」

 あっさりと許しを得たことで、シンジは真剣に自分に行われた操作に感謝したのだった。もっとも、これが問題の先送りと言うか、更に複雑にする事を綺麗に失念していたのだが。



 3日目のドタバタに比べれば、サンディエゴの4日目は比較的平穏なものとなっていた。両者仕切り直しの上、穏やかにヒアリングが行われたのである。ただお灸が効きすぎたため、質問の踏み込みはものすごく甘いものになっていた。逆にぬるすぎる質問に、本当にこれでいいのかマドカ達が疑問に感じたほどだった。
 そしてその夜、勉強会の後にシンジは後藤の部屋を訪ねていた。その時の格好は、勉強会の継続で、ハーフパンツにTシャツの組み合わせだった。

「面倒くさくなくていいんですが……」

 そのためゴネた本人まで、これでいいのかと後藤に聞いたほどだった。シンジとしては、せっかく協力したのだから、サンディエゴにとっても意味のあるものになって欲しい。そうでなければ、本当に海外まで遊びに来たことになってしまうと思ったのだ。個人的にはそれでも構わないのだが、回り回ってツケが自分に降ってくる可能性もある。それを考えると、ヒアリングはもっと意味のあるものになってくれなくては困るのだ。
 だからと言って、守るべきところは守らなくてはと考えていた。だから微妙な問題に踏み込まれれば、即座にダメ出しをするつもりでいた。そのあたりのやりにくさが、サンディエゴ基地を萎縮させたとも言えるだろう。最初に甘く見たのが、必要な準備が不足した理由になっていたのかも知れない。

 そしてそれでいいのかという話は、別のルートからも後藤のところに伝えられていた。誰が萎縮させたのだと言う気持ちもあるのだが、それ以前にサンディエゴ基地の頼りなさが目についてしまった。だからシンジの愚痴に、同感だと後藤も答えた。

「衛宮達が言っていたが、彼らをここで訓練させる意味が薄れてきたな。
 いっそのこと、日本で訓練をさせたほうが有意義なのだろう。
 おそらく、国連を黙らせることは難しくない。
 ただ、我々としては願ってもないことなのだが、君たちはそれでいいのかという問題がある。
 日本で訓練を行うということは、連携を取る相手は君たちということになるからな。
 そうなったら、今までのように秘密にしておくことは不可能と言う事だ」
「僕達が、ギガンテス迎撃に組み込まれるということですね」

 もともと単独で6体のギガンテスを倒したのだから、日本に対して支援が薄くなることは予想ができた。なぜそれだけの力があるのに、自分で賄わないのかという感情的問題である。その感情の前には、民間協力と言う理由は有効な言い訳とはなってくれなかったのだ。
 マドカ達ではないが、シンジも迎撃から逃げられないことぐらいは覚悟していた。それだけの実績をあげたのだから、次も同じ事を期待されるのは分かっていたのだ。そしてもうひとつ有るのは、自分が出撃しなかった時のことだった。もしもそれで被害が拡大したら、間違いなく酷い後悔をすることになるだろう。だからシンジは、迎撃体制に組み込まれることに対して、消極的な同意を示していた。

 そんなシンジに対して、後藤は「理解はありがたい」と微妙な答えを返した。そしてそれを訝ったシンジに対して、「話は簡単ではないのだ」と、いつか聞かされた言い訳を繰り返した。当然その理由を、シンジは後藤に聞くことになった。

「簡単ではないというのは?」
「忘れているのかもしれないが、君自身の特殊性というやつだ。
 背に腹が変えられなくなれば別だが、できるだけ君を乗せたくないと考える者が多いんだ。
 搭乗訓練ですら、あまりさせたくないと言うのが彼らの本音なのだよ」
「僕が、TICに関係したからですか……」

 後藤の答えに対して、シンジはそれまで推測していたことをぶつけることにした。今の世界でギガンテスより恐れられている自分、その理由を考えれば自ずと辿り着く結論でもあった。
 そして後藤は、苦笑を返すことでシンジの問いかけを肯定した。

「いつ、気づいた?」
「割と早い段階でですよ。
 高知で戦ってしばらくして落ち着いてからですね」
「その頃は、彼女ができてそれどころではないと思っていたのだがな」

 後藤の皮肉に、「虐めないでください」とシンジは懇願した。

「平気そうに見えても、瀬名さんのことは今でも結構堪えているんです。
 一緒に居てドキドキ出来るのはアサミちゃんですけど、瀬名さんと居ると落ち着いていられたんです。
 それは恋ではないと言われればそれまでなんですけど、結構気に入った関係だったんですよ」
「それで、その頃色々と考えたということか……」

 後藤の言葉に、シンジはうんと頷いた。

「その気になって調べてみれば、わりと簡単にたどり着けました。
 意味は分かりませんが、僕はサードチルドレンと呼ばれていたんですよね。
 そしてTICの核として利用された……
 だから僕には、みんなのようなTICの記憶がなかったんですね」

 一つの仮説にたどり着くことで、いろいろな疑問が芋づる式に解決してしまった。苦笑交じりに説明したシンジは、「感謝している」と後藤の予想とは違うことを口にしてくれた。さすがにその言葉に、後藤は目を大きく見開き驚きを表した。

「感謝している?」
「ええ、たとえ記憶を操作されたとしても、こうして普通の生活を送らせてもらっています。
 もしも僕に世界を破滅させる力があるのなら、たとえ子供でも殺されてもおかしくなかった」

 少し極端に聞こえるシンジの言葉なのだが、それが言い過ぎでないのは後藤も知っていた。処分の検討の中で、土壇場まで生かしておくことの是非が議論されたのだ。

「確かに、君をどうするのかは難しい問題だと議論されたな」

 自分の考えを肯定した後藤に、「教えて欲しい」とシンジは切り出した。

「なぜ、僕は生かされたのですか?
 被害の大きさを考えれば、人権が理由になったとは思えないんです」
「人権は、一つの理由にはなっている。
 あくまで君は、利用されただけの存在だったからな。
 罪を罰せられるのは、あくまで君を利用した存在でなければならなかった。
 それが、社会における正義の考え方となっていた」
「正義ですか……」

 後藤の言葉に、シンジはふっと口元を緩めた。

「まさか、後藤さんの口から、正義なんてヌルい言葉が聞けるとは思いませんでした。
 ギガンテスに対する保険のため、てっきりそう言われると思っていましたよ」
「その考え方があったことも否定出来ない。
 もっとも、その時にはまだギガンテスの脅威は現実のものではなかったがな。
 そういう意味では、ヘラクレスに対する適性の方が大きかったのだろう。
 まあ、子供に対する人権と利用価値、どちらが欠けても君はここに居なかっただろうな」
「今の状況は、保険を使わなければならない状況ですか?」

 その答えは、これからのシンジ自身に大きく関わってくることだった。真剣な顔をしたシンジに、後藤の返した答えは「ノー」だった。

「苦しんではいるが、ギガンテスの迎撃に成功している。
 君が世界を破壊してしまうリスクが評価できない以上、誰も冒険をよしとはしないさ。
 しかも君は、今の状態で高知の危機を乗り切ってみせた」
「そうですか……」

 少し口元を緩めたシンジは、もう一度「教えて欲しい」と切り出した。

「差支えがなければですけど。
 僕がサードチルドレンであることを否定しませんでしたよね。
 僕が3番目ということは、少なくとも1番目と2番目が居たということになりますね。
 妹のレイ、西海岸のアテナそして砂漠のアポロン。
 この3人のうち、誰がその1番目と2番目ということになるんですか?」

 話の展開から予想された質問ではあったが、そこに加えられた名前は後藤の予想を超えていた。ギガンテス対策として、両基地のエースを疑うのは予想の範囲だった。だが、そこで妹の名前が出るとは思っていなかったのだ。それでも平静な顔をして、シンジの疑問の理由を確認した。

「なぜ、そこに君の妹を加えた?」
「僕の記憶が偽物ということは、妹の記憶も偽物ということになりますよね。
 だとしたら、妹も記憶を操作される理由があったことになります」

 あくまで論理的に導き出したシンジの答えに、改めて後藤はその能力に驚いていた。それもあって、これ以上のヒントは危険だと気がついた。本人が望まなくても、このまま続ける事で真実にたどり着いてしまう可能性があったのだ。
 だから後藤は、TIC直後の混乱を説明に利用することにした。その混乱は、今でも時々テレビでも取り上げられていた。

「TIC直後は、本当に酷い状況だった。
 両親や兄妹をなくした子供は、それこそゴマンといたんだ。
 君の記憶を操作するにあたり、保険として妹を設定したと記録されている」
「そうですか、レイはTICに関わっていなかったんですね……」

 少しホッとした様子のシンジに、「これからどうするのか」と後藤は聞いた。少なくとも、当面はごまかせたと安堵していた。

「俺としては、かなり首元が涼しくなることを口にした。
 それを聞いた君は、これからどうしようと考えているのか?」
「別に、何もしませんよ。
 それが分かっているから、後藤さんは色々と教えてくれたんでしょう?」
「さすが、お見通しというところか」

 そう言って苦笑を浮かべた後藤に、「今を変える理由がない」とシンジは答えた。

「僕は、今の自分を肯定しているんです。
 それが、過去の犯罪から目をそらした勝手な考えだというのは分かっています。
 でも、許されるのなら、僕は今のままで居たいと思っています」
「まあ、ハーレムの主になっているからなぁ。
 確かに、今の生活を捨てたいとは考えないだろう」

 皮肉交じりの後藤の言葉に、「そうですね」とシンジはあっさり認めた。今の生活と言う以上、ハーレムと言われても仕方が無いと分かっていたのだ。それを認めた以上、シンジには義務がついてくることになる。

「だから僕は、彼女たちを守りたいと思っています。
 遠野先輩、鳴沢先輩、篠山にアサミちゃん。
 本当だったら、これ以上みんなをギガンテスに関わらせたくはないんです。
 篠山とアサミちゃんは、パイロットにはならないから良いと思います。
 でも遠野先輩と鳴沢先輩は、間違いなくパイロットの道に進むでしょう。
 あの二人は確かに強いんですけど、その強さも中途半端でしか無いんです。
 だから僕は、先輩達二人が心配でしょうがないんです」
「君以外の人間がそれを言ったら、思いあがりでしか無いことなのだが……」

 だが後藤の目の前に居るのは、高知の奇跡を成し遂げた少年なのである。その冷静な判断と行動力は、すでに世界で認められたものとなっていた。そして後藤自身、シンジの考える危険性をすでに共有していた。
 あの二人の強さは、目の前の少年が舞台を整えたから発揮される強さだったのだ。それが、西海岸のアテナと根本的に違うところだった。そして二人も、それをうすうす気づいているのだろう。だからこそ、大人しく少年の指示に従っているのが想像できた。

「だが君の出撃への拒絶反応がある限り、あの二人が中心とならざるを得ないだろう」
「どこまで、許容されているんですか……たぶん、感情的なものが一番大きいと思うんですけど」

 TIC再来の恐怖は、論理的な説明のできるものではなかったのだ。だからシンジも、感情的と言う所を突いたのである。

「君をヘラクレスに乗せたくない。
 おそらく、それが妥協点を探るのに重要なことだろうな」
「だったら、まだやりようがあると言うことですか……
 ただ、ヘラクレスに乗らない僕に、本当に価値が有るのかは分かりませんけどね」
「すぐにでも、日本に帰りたくなったな……」

 おそらく後藤も同じ結論に達していたのだろう。サンディエゴ、カサブランカに行くことが、日本にとっての時間的ロスと考える様になったのだ。出来ることなら、すぐにでも新しい体制で訓練を行いたいと考えたのである。

「それまで、何も起きないことを願っていますよ」
「同感だ……同感なのだが、おそらくそれは無いだろうな。
 これまでのギガンテス発生間隔を考えると、帰るまでに一度は襲撃が有ることになる」
「日本じゃなければ、何とかなりませんか?」

 日本でなければ、どちらかの基地が対応することになっている。そうなれば、日本は迎撃の責任から逃れることが出来るだろう。
 シンジの言葉を認めた後藤は、それでもリスクはあると答えた。

「ここのところ、同時侵攻の割合が高くなっている。
 3箇所同時というのは、高知の時だけだが、2箇所同時というのは珍しくない。
 東アジアでサンディエゴが出られなくなると、上陸地点が新たな悲劇の場となってしまう」
「その時は、覚悟を決めて貰うしかないですね」
「覚悟か……確かに覚悟は必要だな」

 後藤としても、それが迎撃の現実だと分かっていた。背に腹が変えられなくなれば、シンジを出す他に方法が無かったのだ。だが続いたシンジの言葉は、後藤の予想とは違うものだった。

「ええ、少なくとも、日本は一度見捨てられた実績があるんですからね」

 覚悟というシンジの言葉に、後藤は彼を乗せることだと最初は考えた。だが日本を引き合いに出したことで、見捨てることだと理解した。それもあって、後藤は少し驚いたようにシンジの顔を見た。

「見捨てると言ったことが不思議ですか?」
「君なら、自分が出撃すると言うと思っていたよ」

 予想された後藤の答えに、そうですよねとシンジは口元を歪めた。

「正直な気持ち、僕だって見捨てることにためらいはありますよ。
 ただ、僕だって二度と乗りたくはないと思っているんです。
 6体のギガンテスに囲まれた恐怖は、今でも時々夢に出てきますよ。
 あんな戦い方しか出来ないのなら、僕は本当に乗りたくない」
「何十万もの人達が死ぬことになってもか?」

 シンジが怖いと言う気持ちを、後藤は意外とは感じなかった。色々な疑問を持っていはいたが、その時のシンジは全くの素人でしかなかったのだ。その素人が、西海岸のアテナや砂漠のアポロン以上の戦いを強いられたのである。「怖い」と言ってくれたおかげで、むしろ安心できたぐらいだ。
 そんなシンジに、後藤は敢えて考え方を確認する質問を口にした。「大勢の人達が死ぬ」それは、別の恐怖を少年に与える事となるだろう。

「自分の命や身近な人達の命を犠牲にしてですか?
 どうして、僕がそこまでしなくちゃいけないんですか?」
「どうして……か?
 君にはその力がある……と言うのは、答えにはならないのだろうな」

 力があるというのは、相手に責任を押しつける時に利用する言葉でもある。そしてそれを、シンジも理解していた。高知以前ならば、全く責任の無い一人の子供でいられた。だが高知で奇跡と言われる戦いを行った以上、シンジには責任が生まれてしまったのだ。
 だからシンジは、後藤が予想もしていなかったTICの話をもう一度持ち出した。

「TICなんですけどね、起きた時には僕は14歳のはずですよね。
 そんな僕が、どうしてTICに関わっていたのか?
 どうしてサードチルドレンなんて呼ばれていたのか。
 その理由を、僕なりに考えてみたんですよ。
 そこで得た結論は、「君にしかできない」とか言われていい気になっていたと言うものです。
 たぶんその時の僕は、人に与えられた価値に縋っていたんだと思います」

 当時の観察記録を見ているだけに、シンジの言葉は後藤の胸に深く突き刺さった。そこまで考えている相手に、「力がある」と言う理由に意味があるとは思えないのだ。「力があるものには責任が付いてくる」と言うのは真実だが、その責任にしても無限に課せられるものではなかったのである。
 これからどう話を進めるべきか、後藤は真剣に悩んでしまった。日本という範囲に限れば、協力を得ることも出来るのだろう。だが日本の負わされた責任に対し、どこまで目の前の少年が協力してくれるのか。何をモチベーションとすることができるのか。その解決が、自分に求められることになる。

 だが後藤から言葉が消えたのと同時に、シンジが「すっきりした」と少し大きな声を上げてくれた。その意外な言葉に、後藤は思わず目を剥いて驚いてしまった。こうして見ると、シンジの言葉には驚かされ続けていた。

「すみません、吐き出すことを吐き出しましたからスッキリしたんです。
 こう言うことを話せる相手が、誰も居なかったんですよね。
 後藤さんは色々事情を知っていそうだから、ちょっと利用させて貰ったんです」
「それは、どうもと言えばいいのか……」

 さすがの後藤も、シンジが何を意図しているのか理解することは出来なかった。そんな後藤に、「怒っても良いんですよ」とシンジは口元を歪めた。

「偉そうなことを言っていますが、僕は17の子供なんです。
 やって良いことと悪いことの分別なんて、まだまだ付いていないんですよ。
 将来のためにも、ちゃんとした大人の人に叱られることも大切だと思うんですよね。
 今まで、僕の回りにはそう言う大人は居ませんでしたから」
「俺に、子守をさせないで欲しいんだがなぁ。
 いい歳をしているのは認めるが、子供どころかかみさんをもった経験もないんだぞ」

 やめてくれと懇願した後藤に、「関係ないでしょう?」とシンジは言い返した。

「子供をちゃんと指導するのは、大人の義務って奴ですよ。
 僕が、それを後藤さんに求めた理由をよく考えてみてくださいね」
「君は……分かった、よく考えてみることにするよ」

 ふっと緊張を解いた後藤は、有意義な話が出来たとシンジに礼を言った。今まで聞きたくても、シンジの考えを聞くことはなかなか出来なかったのだ。それがサンディエゴの失態と言う理由があったにしても、こうしてじっくりと話をすることが出来た。こうして話をしたことは、これから付き合いを続けていく上で、間違いなく有益なことなのだ。
 しかもシンジは、自分に重要なことを託すといってくれた。その言葉が聞けただけでも、二人で話す意味があったのだ。

「明日は、いよいよ西海岸のアテナからのヒアリングだったな」
「1対1のヒアリングですからね、結構楽しみにしているんですよ。
 ただ悩みは、通訳をどうするのかと言うことなんですよね。
 堀井さんでも葵さんでも、居ると話しづらいことがあるじゃないですか」

 にやりと口元を歪めたシンジに、後藤は少し呆れ気味に「彼女が居るだろう?」と言い返した。

「それはそれ、これはこれって言葉がありますよね。
 と言う不道徳な冗談はさておき、今のよう話を堀井さん達の前で出来ますか?」
「ヒアリングに、あまり関係があるとは思えないがな……
 だが言いたいことは理解できた、葵を通訳に付けることにしよう」

 つまり、葵ならシンジの操作に関わる話をしてもいいことになる。葵に注意して来なかったのは、子供っぽい顔つきに騙されたということだろうか。少し驚いたシンジに、「人は見た目で騙される」と後藤はしたり顔で答えた。

「これで話が終わったのなら、そろそろ寝ることを考えるのだな。
 明日も早くから、プールに遊びに行くのだろう?」
「あれは、トレーニングといって欲しいんですけど……」

 そう言って苦笑したところを見ると、シンジも自覚していたと言うことだ。女子高生4人とプールで戯れるのは、誰もトレーニングと考えはしないだろう。

「ま、まあ、レジャーも目的の一つだからいいじゃありませんか」
「だから、悪いなどとひとことも言った覚えがないのだが?
 とりあえず、早く部屋に帰って休養を十分に取ることだ」
「それが……」

 少し口ごもったシンジは、ベッドサイドの時計へと視線を向けた。そして誰も居ないのに、内緒話をするように少し小声で後藤に話しかけた。

「これから、アサミちゃんの部屋に行く事になっているんです」
「大人としての義務って奴を、今から遂行してもいいかな?」

 野暮とは分かっていても、リア充を前にすると、つい邪魔をしてみたくなるのも人情である。だから話の揚げ足を取る形で、後藤は道徳を持ちだした。だがそんなものは、今のシンジにはそよ風ほども効果はなかった。「失礼しましたぁ」といかにも機嫌がよさそうに、後藤の部屋を出ていってくれたのだ。

「まあ、これだけ青春を満喫していれば、過去に拘ることもないのだろうな……」

 そう考えると、今が充実しているのは世界のためということになる。どこかおかしいと思いつつ、非常識はいまさらかと諦めた後藤だった。



 その翌日も、サンディエゴの空は朝から晴れ渡っていた。昼の日差しの強さを考えると、朝こそプールに最適な時間なのかもしれない。それに、せっかく持ってきたのに水着を使わないのももったいない。だから二日目から合流したマドカ達も、今日も朝からプールに遊びに来ていた。二日目こそアサミに誘われたのだが、それからは自発的に遊びに来るようになっていた。
 また二人がいちゃついているのか。バカップルになりつつ有る後輩二人を期待してやってきたのだが、今朝は少しだけ様子が違っていた。ビーチチェアにアサミが腰を下ろしているのはこれまで通りなのだが、肝心のシンジの姿がどこにも見当たらなかった。しかも前かがみになって頬杖を付くアサミも、どこか様子がおかしかった。ちなみにちらりと見える水着は、白のタイトなビキニだった。

「あれっ、碇君は?」

 それでも一番事情を知っているのは、アサミ以外に居ないのも確かだった。だからマドカは、難しい顔をしたアサミに声を掛けることにした。だがアサミから返ってきたのは、十分何かがあったと思わせるものだった。

「知りませんよ、あんな人のこと!」
「あれっ、もう喧嘩したの?」

 付き合っていても、むしろ付き合っているからこそ、喧嘩をすることは珍しくないだろう。ただ疑問だったのは、二人がいつの間に喧嘩をしたのかと言うことだった。自分達が来る前にとも考えたのだが、さすがにそれでは時間が短すぎた。それにプールに来る間、他の誰にもすれ違わなかったのだ。そうなると、二人は昨夜喧嘩をしたことになる。
 それでピンときたナルは、なるほどと頷きながら、シンジのことを口にした。

「なるほど、碇君も健全な男の子だったというわけだ」

 可哀想にと同情したナルに、どこが健全なのかとアサミは食いついてきた。相変わらず綺麗なのだが、普段見たことのない迫力があるとナルは感心した。

「だって、あれから碇君、アサミちゃんの部屋に行ったんでしょう?
 だったらさあ、男の子が期待して行ってもおかしくないと思うわよ」
「そ、それぐらいは私だって……分かりますけど。
 だからと言って、いきなりキスをして押し倒そうとしますか!
 碇先輩は、そんな人じゃないと思っていたのに……」
「それで、碇君を張り倒したんだぁ」

 その光景を想像したナルは、ちょっとした引っ掛けを口にした。普段ならこの程度の引っ掛けには掛からないアサミなのだが、今日に限って簡単に引っかかってくれた。それだけ、アサミの精神状態も普通では無いと言う事だろう。

「いけませんか!」
「いやぁ、いけないとは言わないけどね。
 アサミちゃんが嫌だったんだったら、殴り倒してもおかしくないと思うわよ。
 そうか、アサミちゃんが嫌がったのに、碇くんが無理やりしようとしたんだ。
 じゃあ殴られても仕方がないし、私達も制裁してあげないといけないわね」
「だから、碇君はプールに来ていないのね。
 でも、アサミちゃんは今朝もプールに来たんだぁ」

 無邪気にと言うか、本当に無邪気なのか疑わしいマドカの言葉に、アサミはもう一度「いけませんか」と反発した。

「いけないなんて言うつもりはないよ。
 二人共顔を出さなかったら、逆に心配していたと思うもの。
 でも、碇君が来ていないのはちょっと意外だったかな。
 この前みたいに、アサミちゃんに謝り倒しているのかと思ったわ。
 それに碇君じゃなくて、アサミちゃんが来ていたのも意外だったわね」
「謝られたぐらいで……許してなんてあげません!」

 ぷうっと頬をふくらませて怒るアサミに、なるほどとマドカとナルは事情を理解した。張り倒されたシンジに非があるのだろうが、張り倒したアサミも悪いと思っているようだ。そうでなければ、怒っているのにプールに出てくるはずがなかった。それどころか、問題はアサミの方に有ったのかもしれない。
 そうなると、仲直りは時間の問題に違いないだろう。それも恋人たちのじゃれあいかと、マドカとナルの二人は放置しようと考えた。心配して世話をしたところで、最後には二人に当てられることになってしまう。だったら世話をするだけ馬鹿らしいと考えたのだ。
 ただ二人は、とても重要なことを忘れているのに気づいていなかった。そしてそれは、腹を立てて膨れているアサミも同じだった。しかもキョウカが加わったことで、話は余計に厄介になってくれた。

 プールから上がってきたキョウカは、いいことを聞いたと嬉しそうに言ってきた。今日のキョウカは、赤いビキニをつけていた。

「そうか、先輩は一人で落ち込んでいるのだな。
 だったら俺が、慰めてきてあげよう!
 これでアサミも脱落したから、最後は俺の勝利ということだな」
「キョウカさん、人を勝手に脱落させないでよっ!」

 そこですかさず反応したところを見ると、怒っているのにはかなりポーズが含まれているようだ。だがアサミに言い返したキョウカの言葉に、3人は重要なことを忘れていたのに気がついた。

「だが、先輩はアサミに嫌われたと思っているんだぞ。
 一晩寝ただけで瀬名先輩を忘れた先輩のことだ、アサミのことだって一晩あれば十分だろう」

 だから後釜に収まるのだと、キョウカは早速ホテルに戻ろうとした。そんなキョウカを、ちょっと待てとナルが呼び止めた。

「どうしてだ?」
「そんな火事場泥棒みたいなことをしてはいけないわよ。
 アサミちゃんだって、碇君のことを許してあげようと思っているんでしょう?」
「どうして許さないといけないんですかっ!」

 ムキになったアサミに、あらあらとマドカとナルの二人は呆れていた。シンジと違った意味で冷静なアサミが、これほどまで支離滅裂になっているのだ。振り上げた拳を下ろしたいのだが、きっと下ろす方法がわからなくなっているのに違いない。裏を返せば、シンジが居ないことで追い詰められているのだろう。
 そう考えたマドカとナルだったが、もう一人の後輩はとても素直な性格をしてくれていた。

「ほら先輩、アサミもああ言っているじゃないか」
「だからキョウカちゃん、ちょっと待ってくれないかな?」

 素直に受け取り過ぎる後輩と、素直になれない後輩の二人。なかなか面倒だなと、ナルは相方の顔を見た。しかも部屋に引きこもっている弟は、とびっきり面倒な性格をしてくれていたのだ。
 ナルの視線を受けたマドカは、仕方がないなぁと指をポキポキと鳴らした。

「お姉さんが行って、いじけているなと活を入れてきますか」
「いきなり暴力はダメよ。
 あれで結構繊細だから、かなり落ち込んでいるはずだからね」
「まっ、女の子と付き合った経験が無いからしかたがないか。
 振られることで、男の子も成長していくっしょ」

 うんうんと頷きながら、マドカは右腕をブンブンと振り回した。やはり、気合を入れるという考えからは離れていないようだった。

「ちょっと待ってください。
 私は、碇先輩を振った覚えはありませんよ!」
「でも、碇君は振られたと思っているわよ。
 私やキョウカちゃんが行ったら、多分とどめを刺しちゃうんじゃないのかな?」

 それでと、マドカはどうするのかとアサミに聞いた。

「一人で行きにくいんだったら、一緒に行ってあげるわよ」
「別に、一人で行けないなんてことはありません……」
「それからもうひとつ、行きたくないんだったら無理に行かなくてもいいのよ。
 碇君にデリカシーがなくて、アサミちゃんを傷つけたのも確かなんだからね。
 うん、そういう意味では、やっぱり締めてあげないといけないのかな?」

 もう一度関節を鳴らしたマドカに、「やめてください」とアサミが大声を出した。

「やめてもいいけど、でも本当にどうするの?
 このまま放っておくと、本当に碇君、アサミちゃんのことを諦めちゃうよ」
「そんなこと……そんなの嫌です」

 ないと言いかけたアサミだったが、ディズニーランドのことを思い出してしまった。だから否定の言葉も、違うものに置き換えられた。

「だったら、どうすればいいのか分かるわね?」

 マドカに優しく言われて、アサミはうんと小さく頷いた。そしてマドカとナル、二人に頭を下げて小走りにホテルへと戻っていった。
 それを見送ったマドカとナルは、キョウカに「ごめん」と頭を下げた。後輩二人のために少し骨を折ったのだが、それはキョウカに対して邪魔をしたことに繋がっていた。だがキョウカは、けろりとして別に構わないと答えてくれた。

「人の弱みに付け込むのはフェアではないからな。
 もっと魅力をつけて、正々堂々先輩を俺のものにしてみせるんだ」
「き、キョウカちゃんって、もの凄く前向きね……」

 それを前向きと言っていいのかわからないが、マドカはそう言ってキョウカを褒める事にした。その方が、後から波風も立たないことだろう。マドカにしては、非常に打算の含まれた言葉だった。



 アスカにとって、待ちに待ったシンジに対するヒアリングである。全体的に萎縮したサンディエゴ基地の中、アスカ一人今回のヒアリングに張り切っていた。もっとも張り切ったと言っても、あくまで任務と興味という部分である。だからヒアリングに臨む格好も、普段の制服姿だった。
 そしてシンジも、いつもの様に学校の制服姿で現れた。だが自分の前に現れたシンジに、アスカはまず最初にそこはかとない違和感を覚えた。顰めっ面で来るとは思っていなかったが、それ以上にやけに機嫌がよさそうに見えたのだ。もともと敵視はされてはいなかったが、それでもどこか線を引かれていたように懇親会の時は感じていた。その理由が分からなくて、聞かなくてもいいことをアスカは聞いてしまった。

「なにか、良いことがあったんですか?」
「いえ、特にそんなことはありませんよ」

 無いと答えられれば、それ以上拘る訳にもいかなくなる。そうですかと疑問を棚上げして、アスカは次の課題に取り組むことにした。服の上から背中を掻くような、面倒くさいやり取りをなくそうと考えたのである。別の言い方をするのなら、「隔靴掻痒」である。

「碇さん、あなたは通訳がなくても、私の話していることを理解できていますよね?
 でしたら、面倒な通訳を挟まず話をしませんか?」

 だが最初の提案を、シンジはあっさりと否定してくれた。

「ヒアリングとカンバセーションは別だと思いますよ。
 確かにアスカさんの言っていることは理解できます。
 だからと言って、僕がしたい説明をすべて英語で話せるというのは別物です。
 ヒアリングは教材で鍛えることはできますが、会話は教材で鍛えることはできませんから」

 そう答えられれば、否定することは難しくなる。確かに質問を聞き取ることと、その質問に対して適切な答えを返すことは別物だった。それを認めたアスカは、葵を通訳として残すことにした。

「前置きが長くなりましたが、ではこれからお話を伺わせていただきたいと思います。
 まず最初の質問ですが、高知への出撃は、あなたが志願したと聞いています。
 どうして戦った経験もないあなたが、絶望的な戦いに出撃しようと考えたのですか?」
「なぜ……と聞かれれば、下心があったというのが一番正しいと思います。
 初めは見捨てる……と言うと人聞きが悪いですが、どうしようもないと僕も考えていました。
 経験が無いと仰った通り、経験が無い者にどうにかできることではないと思っていましたから」

 シンジの言葉に、アスカはじっと目を見たまま小さく相槌を打った。比較的近い距離から青い目で見つめられたため、シンジは少し緊張しかけていた。その緊張を誤魔化すように咳払いをして、シンジは「下心」に関わる部分を説明した。

「堀北アサミという後輩が、高知に祖父母が居ると突然言い出しました。
 祖母は足を悪くしていて、避難もままならないと言い出したんです。
 その瞬間、被害に遭われる方たちが、数字でなく顔を持った存在となりました。
 その人が亡くなることで、僕の後輩が嘆き悲しむことになるんです」
「それだけですと、下心と言うのは当たらないと思いますが?」

 似たような経験を持つだけに、アスカは「下心」と言ったシンジの言葉を否定した。見知らぬ人と知人とでは、感じ方が違って当然だと考えていたのだ。

「確かに、後輩が被害者を現実のものにしてくれました。
 それだけが理由なら、確かに下心というのは当たっていないのかもしれませんね。
 でも、その後輩、今の僕のガールフレンドのために、何とかしてあげたいと思ったんです」
「例えそうだとしても、下心と卑下するほどのことではないと思いますよ」

 動機が理解できたこともあり、それ以上アスカは下心に拘らなかった。そもそも戦おうと考えた動機は、これから質問することの導入でしかなかったのだ。

「では、次の質問をさせて頂きます。
 あなたなら、シミュレーションと実戦が直接結びつかないのを理解されていると思います。
 そして6体のギガンテスへの対処には、絶対的に戦力が足りていないのも理解されていると思います。
 それなのに、どうして出撃しようと考えられたのですか?
 動機として下心が有ったとしても、戦えると考えるのは別物だと思います。
 子供の遊びではないのですから、まともに考えれば出撃させてもらえるとは考えませんよね。
 責任者である後藤特務一佐も、あなた達を出撃させようと考えていなかったと報告されています」
「それなのに、何らかの理由で僕がそれを覆した……と?」

 シンジの問いかけに、アスカはまっすぐシンジを見たまま、うんと小さく頷いた。

「あなたが、後藤特務一佐を翻意させたとしか考えられません。
 なぜ、あなたはそれができると考えたのですか?」
「僕が、どうして説得できると考えたのか……と言うことでいいのですね?」

 もう一度聞き返したシンジに、アスカは小さく頷いた。それを確認したシンジは、逆にアスカの瞳を正面から見つめ返した。そこに込められた強い意志に、アスカは少し鼓動が上がった気がした。

「基地見学を遠野先輩から聞かされた時、何かおかしいと感じたのが始まりでした。
 どうして完成もしていないのに、ただの高校生に見学させてくれるのか。
 色々と理由らしきものを付けてくれましたが、どこか釈然としない物を感じていました。
 次に疑問を感じたのは、やけに僕に対するフォローが手厚かったことです。
 明らかに、他の4人とは違った扱いをされていました。
 それが、基地見学で感じた第二の違和感でした」

 親指と人差指を曲げたシンジは、「三番目は」と説明を続けた。

「シミュレーターの担当者が、やけに僕の言葉を気にしたことです。
 たかが高校生相手なのに、僕の言葉に過剰なほど反応してくれました。
 それは、基地で接した他の人達にも似た傾向がありました」

 そこでシンジは言葉を切ったのだが、アスカは言葉を挟むことはなかった。だからシンジは、更に説明を続けることにした。

「ギガンテスの襲撃がなければ、気のせいだと思って終わっていたと思います。
 でも、戦うことを考えた時、その違和感がどうしても気になって来ました。
 そこで立てた仮説は、基地見学が仕組まれたものではないかということです。
 なぜそのように考えたのかというと、基地見学以前に感じ始めた違和感が理由となっています。
 どう言う訳か、どんなに頭に血が上っていても、ある一線を超えると急に冷静になってしまうんです。
 自分の事ながら、いくらなんでも不自然だと考えるようになりました。
 ただ、それだけなら考えすぎ、よく言われる中二病と言われるものになってしまうでしょう。
 だから違和感を覚えてはいても、それが仕組まれたものだと考えることはしませんでした。
 しかし基地見学をした時、なにか理由があるのだと確信することになりました。
 だから相手をしてくれた監察官の人に、イチかバチかでカマをかけてみました。
 その結果、僕の仮説の正しさが証明されたわけです」

 そこで言葉を切ってアスカを見たのだが、続けろという視線にシンジは説明を続けることにした。

「どうせ後藤特務一佐には通じないと思っていましたから、正直にカマをかけたことを話しました。
 その代わり、僕の記憶が戻れば、ギガンテスを倒せるのだろうと確認しました。
 そうでもなければ、監察官の人を含めて、不自然な行動の説明がつかなかったからです。
 そして後藤さんは、僕の仮説を認めてくれた。
 一つ断っておきますが、後藤さんが認めたのはそこまでで、それ以上の説明も受けていません。
 そこから先は、僕に能力があることを前提に話をしました。
 先輩二人を巻き込んだのは、二人の能力を信用したというのがあります。
 そして僕一人では、さすがに戦力が足りないと考えたという理由もあります。
 先輩二人の生かし方は、シミュレーションの結果を参考にしました。
 現実と違っていると言っても、参考に作られたのは確かなんです。
 だったら、その差に当たる不確定要素を排除する方法を考えました」
「それが、あの作戦ということですね?」

 ようやく返ってきたアスカの言葉に、そのとおりとシンジは頷いた。

「3時間の搭乗訓練で、二人の実力はおよそ掴めました。
 ヘラクレスの動きのシミュレーションとの違いは、そこで理解できました。
 2対1であれば、先輩達の力があればギガンテスを倒せるという確信ができたのです。
 そこまで来れば、後は自分の能力に賭けてみればいいことになります」
「勝算があったということですね?」

 その確認に、シンジは少し苦笑を浮かべた。

「後から考えると、そのあたりはかなり甘い考えでしたね。
 ただ運が良かったのは、追い詰められるほど冷静になってしまうと言うところです。
 後は、必死になってギガンテスと向かい合ったのも良かったのでしょうね。
 彼らの癖に似たものを理解することができました」

 シンジの答えに、アスカは溜めていた息をふうっと吐き出した。今の説明で、抱えてきた疑問への答えとなっていたのだ。行動についても、繰り返し分析した高知の奇跡と一致していた。

「正直に答えて頂きありがとうございます。
 あなたの説明を聞いて、自分に不足しているところが見えた気がします。
 非常に有意義なお話をうかがえたと思っています」
「お役に立てて光栄です」

 ふっと口元を緩めたシンジに、アスカは苦笑とともに頭を振った。

「秀才では、天才に敵わないことを思い知らされました。
 私には、前線で暴れる以上の才は無いようです。
 それにしたところで、あなたに掛かったらおそらく簡単に打ち負かされてしまうでしょうね」
「多分、それは僕のことを買いかぶっていますよ。
 1対1では、さすがにアスカさん相手には勝てないと思いますよ」

 いやいやと首を振ったシンジに、「あの二人がいたら?」とアスカは聞き返した。つまり、初日のシミュレーションではどうなのかと言うのである。

「初日のシミュレーションのことを言っているのであれば、確かに割と簡単に勝てたと思いますよ。
 ただあの時は、一番厭味ったらしく、かつ一番正しい作戦をとらせてもらいました」
「それができること……それが、特別な才能だと思います。
 最初にこのヒアリングをしていれば、あのような失礼なことをしなくても済んだと私は思います。
 研究者の人たちは、あなたの先輩二人の感情を問題にしました。
 でも本当の理由は、あなたがあの二人を信頼していたことにあると思います。
 その信頼関係がどのように醸成されたのかまでは、さすがに分かりませんけどね。
 ところで、あなたの正体をあの二人は知っているのですか?」

 正体と言われると、とても仰々しく感じてしまうのはどうしてだろう。ただ冷静に考えると、正体と言われてもおかしくないものが隠されていたのも確かだった。

「このことを知っているのは、僕の彼女だけです。
 あの二人には、詳しいことは話して有りません。
 ただ、何かあることぐらいは理解していますよ」

 それからと、シンジはアスカを制止して話を続けた。

「TICの時、僕が何を考え……もしかしたら考えることも出来なかったのかもしれませんけど。
 敢えて記憶を取り戻そうとは思っていませんが、だからと言って過去を否定するつもりもありません。
 事実は事実として、向き合う覚悟はできているつもりです」
「そこまで理解されているということですか……」

 凄いですねと賞賛するアスカに、それが責任なのだとシンジは答えた。

「高校に入って1年と少し、そこで出会った人たちを大切にしたいと思っているんです。
 そのためには、過去を否定するだけではだめだと思っています。
 そうじゃないと、もしも記憶が戻りでもしたら、僕は今の自分を見失ってしまうでしょう。
 僕のことを信じてくれる人たちのためにも、僕は今の僕で居ないといけないと思っています」

 それが覚悟だと告げたシンジだったが、一つだけ重要なことをアスカに語らなかった。すでに後藤に確認していたことだが、今自分と話をしているアスカも、TICに関わった一人だということである。アスカと話をしている中で、彼女もまた記憶操作を受けていることを理解したのである。



 アスカのヒアリングが終われば、サンディエゴでの非公式行事も残り少なくなってくる。思い思いの格好でレストランに集まったシンジ達は、朝食をとりながら5日目の予定について確認を行った。

 サンディエゴに着いた時から、シンジの隣はアサミが座っていた。もちろん普通に並べられた椅子に座っていたのだから、特にベタベタしているということはなかった。だが前日の朝の出来事……と言うか、その夜を境にアサミがシンジにベタベタとくっつくようになっていた。

「はい先輩、コーヒーを持って来ましたよ」
「ありがとう」

 ストライプの入ったレモンイエローの上着に、ブラッドオレンジのスカート姿で、アサミは甲斐甲斐しくシンジの世話をしていた。食後のコーヒーを持ってきたのも、その一つでしか過ぎなかった。
 今日の朝にしても、普段以上に甲斐甲斐しくシンジの世話をするし、椅子の距離も従来比半分と接近するようになっていた。首元に巻かれたライムグリーンのスカーフも、考えようによっては何かを誤魔化しているようにも見える。「やったようね」「やったんでしょうね」と目と目で会話した先輩二人は、“微笑ましいこと”として、後輩二人の進展を心の棚に置くことにした。

「それで碇君、今日の話はなにか聞いている?」
「もう一度シミュレーターに乗って欲しいということでしたよね?」

 そう言って、シンジはツアコンの顔をした葵に確認した。ツアコンとして顔を出しているので、葵の格好は紺のスーツだった。
 手にした手帳で確認しながら、「ネタ切れのようね」と言いながら葵はシンジの言葉を肯定した。

「アスカさんのヒアリングで、ほとんど目的を達したみたいですね。
 だから後は、訓練に協力して欲しいということではありませんか?」

 情報不足と答えた葵も、かなりまったりとした表情となっていた。そのあたりは、サンディエゴの空気に慣れたというのが大きかった。お互いが遠慮し、距離を測りかねている状態からようやく脱したのだ。

「シミュレーションと言っても、僕達だけじゃないってことですよね?」
「難易度を上げても、あまり意味が無いことは分かっているでしょうから。
 だとしたら、共同作戦を考えてもおかしくないと思いませんか?」

 葵の説明に、それはあるとシンジは共同作戦の必要性を認めた。高知の戦いは、投入できる戦力がなかったから、わずか3人で戦ったのだ。他に戦力があれば、もっと戦いようがあると思っていた。その意味で、共同作戦の練習と言うのは、今後戦いを続けていく上で大きな意味を持ってくることになる。

「それに、アスカさんが碇君のことを高く評価していたでしょう?
 だとしたら、碇君の指揮の下、一緒に訓練してみたいと考えてもおかしくないと思いますよ。
 サンディエゴとカサブランカでは、その役割分担も合意できているみたいですしね」
「でも、初心者が全体指揮をとるっていうのはどうかと思いますよ」

 戦った経験と言っても、高知での戦いが全てだったのだ。この2年間世界を守り続けてきたアスカとでは、そもそも経験量が段違いだった。そんな自分が全体統括すると言うのは、思い上がった考えに違いない。
 だが全体指揮を否定したシンジに対して、それまで黙って聞いていたマドカが異論を挟んだ。

「でも、碇君の気配りって凄いと思っているんだけどなぁ。
 全くの初心者が、シミュレーションでトップの成績を出せたのも碇君のおかげだしね。
 高知での戦いだって、碇君が居なければ戦いにすらなっていないと思うわよ」
「それ同感だな。
 碇君と一緒にやっていると、気持ちよく戦えるのよ。
 なんか、実力以上のことができてるって気がするんだよね」

 マドカの意見に、ナルも同調してきた。そんな二人に苦笑を返し、「おだてても何も出ませんよ」とシンジは言い返した。

「でも、私やキョウカさんのレベルはかなり低いんですよね。
 そんな私達でも、シミュレーションでは十分役に立っていますよ。
 それって、碇先輩がうまく私達を生かしてくれるからだと思います」
「確かに、俺が最低レベルでアサミがそのレベルを下回っていると説明を受けたな。
 それでも戦力になるというのは、碇先輩がうまく使ってくれているからだろう」
「まあ、あれはシミュレーションだからだけどね」

 全員に認められれば、悪い気がしないのも確かだった。だがサンディエゴの戦士たちを指揮するというのは、仲間内の評価とは全く別物だった。彼らにしても、これまで戦い続けてきた自負があるはずだ。いきなり初心者が来て、大きな顔をするのは面白く無いだろう。

「それで葵さん、具体的に何をすると言うのは来ているんですか?」
「実は……来ていないのよ。
 まあ、そのあたりは碇君の責任があるんだけど」
「僕の責任?」

 責任と言われても、何の責任か理解できない。はてと首を傾げたシンジに、もう忘れたのかと葵は突っ込んだ。

「碇君は、サンディエゴ基地の総司令の首を飛ばしたのよ。
 アスカさんは普通に接してたけど、他の人達はおっかなびっくりだったでしょう?」
「僕が飛ばしたって……とどめを刺したのは後藤さんでしょう?
 僕は、子供らしく身内の中で駄々を捏ねただけですからね」

 事実を見れば、シンジの言っていることは何一つ間違ってはいない。二度と協力しないと言われたのも、自分や堀井、そして後藤だけなのだ。それだけなら、確かに基地司令のクビが飛ぶことはなかっただろう。後藤がシンジの駄々を利用しなければ、別の形で決着することもあったはずだ。
 だが自分達がシンジを利用したなどと、葵の口から話せるはずがない。しかもリア充ぶりに磨きのかかった高校生は、ますますやりにくくなってきている。適当な言葉でお茶を濁すと、かえって突っ込みが厳しくなる可能性があった。

 だから葵は、踏み込まないという選択をすることにした。「とにかくそう言う事だ」と締めくくり、サンディエゴ基地が萎縮しているのだと事情を説明した。

「まあ、アスカさんが普通にしているから、きっと大丈夫でしょうね。
 シミュレーションをすることだけは決まっていますから、後は出たとこ勝負と言うことで!」

 ウインクをしながら舌を出すというのは、一体何を意識してのことだろうか。一番年上、かつ年代の違う葵がしたため、「歳を考えろ」と全員から突っ込みが返ってきた。高校生の中に入って可愛子ぶるには、10年以上時間が経ちすぎていると全員に指摘されたのである。

「ハッキリ言って、見苦しいとしか言いようがありませんね」
「無理しているのが分かって、痛々しいんじゃないの?
 もしも本気だったら、もっと痛いですけど……」

 シンジとマドカにとどめを刺され、葵は乾いた笑いを浮かべて「滑ったかな」と言い訳をした。と言うか、言い訳せざるを得ないところに追い詰められたのだった。



 自室で打合せをするのはどうかと思うが、同じ部屋にいることを利用してアスカは今日のプランをクラリッサに説明した。自室と言う事と、勤務前と言う事もあり、二人ともラフな部屋着で向かい合った。

「今日のシミュレーションだけど、シンジ碇に全体指揮を執って貰うわ。
 彼の下で、私を含め、サンディエゴ基地の全員が動くことにするのよ」

 アスカのプランを聞いたクラリッサは、本気かとまず最初に自分の耳を疑った。再度シミュレーションをすることは予定通りなのだが、日米合同というのは考えていなかったのだ。ただその必要性自体理解できたのだが、理解できなかったのはリーダーを碇シンジにすると言うことだった。何しろ相手は、一度しか出撃したことのない初心者でしか無い。2年以上戦ってきたアスカと比べれば、間違いなく経験不足でしかなかったのだ。
 その経験の不足したパイロットをリーダーに据えると言われれば、いくら高知の奇跡と言う実績があっても、はいそうですかと簡単には受け入れられなかった。

 だがアスカは、クラリッサの反対理由が理解できなかった。高知での実績、そして直接のヒアリングで、相手の実力が確認できたのである。だったらリーダーを任せてみるというのは、間違った判断ではないと思っていたのだ。そしてもうひとつ、これから行うのがシミュレーションと言うのもその理由だった。自分がリーダーとなるのは、これまで何度も経験したことだった。ならば他人にリーダーを任せる経験も、シミュレーションならばやってみてもおかしくないと考えていた。
 だからアスカは、“シミュレーション”と言うのを理由にした。

「シミュレーションだもの、失敗しても大したことはないでしょう?
 それともなに、日本に頭を取らせると政治的にまずいと言いたいの?」
「わ、私は、政治的なことには関係していないわよ!」

 どーだかと目を細めて睨みつけたアスカは、決定事項だとクラリッサに宣言した。

「現場での戦い方は、この私に任されていることを忘れないで。
 その戦い方のヴァリエーションとして、この私が必要だと認めている。
 あなたに、それを覆す権限は与えられていないの!」

 よろしくてとじっと見られれば、クラリッサに否定することはできない。体制が変わる前であれば、まだ他にも言いようがあったのだろう。だが体制変更後、科学者サイドの発言権は大幅に削減されていた。そのためアスカが必要と認めたことに対して、異を唱えても変更する権限がなかったのである。
 それを理解したクラリッサは、「分かったわよ」と溜めていた息を吐き出した。

「アスカが、そこまで彼のことを認めているのなら何も言わないわ。
 ただ彼の扱いは、未だ微妙なところにあることを忘れないで」
「そんなことを言って、今更手を出すことはできないんでしょう?」

 見透かすようなことを言ったアスカに、クラリッサは少し唇を噛み締め「そうね」とその事実を認めた。すでに対象Iの管理は、日本政府に移された事実がある。高知の戦いの時も、記憶復元もやむなしと考えられていたのをクラリッサも知っていた。そういう意味で微妙なのは、アスカとの関係と言い換えたほうがいいのだろう。ただそのことは、本人には絶対に知らせることのできないことだった。

「名もない英雄のお手並み、見せてもらうことにするわ」
「たぶん、今までで最高の結果を見せることができると思うわよ」

 見てらっしゃい。そう言い残して、アスカは二人の部屋を出ていった。やることが決まった以上、必要な手続きを進めなければならないし、仲間のパイロットたちにも伝えておく必要があったのである。



 やはりそう来たかと言うのが、サンディエゴサイドの話を聞いた後藤の感想だった。前日のヒアリングで、シンジが何を聞かれたのかは掴んでいる。そこで天才とまで評価されたのだから、実際に指揮をさせてみると考えるのはごく自然なことだった。将来日米合同作戦の可能性があると考えれば、合同訓練は一日でも早く行なっておいたほうが良かったのだ。
 説明のためシンジを呼び出した後藤は、今日のプランを伝えることにした。シミュレーションと言う事で、シンジは臙脂色のジャージ姿だった。

「ところで、日本はどこまでシミュレーションに参加させる?」
「シミュレーターの性能と、あちらの参加するパイロット数によりますね。
 不確定要素を増やしたくないので、衛宮さん達には遠慮してもらうことになります。
 だから最大で5、最小で3と言うのがこちらの参加人数になりますね」

 実戦であれば、配備されているだけヘラクレスを投入することができる。だがシミュレーターの場合、同時稼働数には性能が影響してきていた。ちなみに日本の最大数は、8と言うのが現在の性能だった。

「サンディエゴは、最大12だな。
 今のところ、あちらの主力は……」

 タブレットでデータを検索した後藤は、5と言う数字を出した。

「絶対的なエース、アスカ・ラングレー。
 それからチャーリー・ブラウン、ペパーミント・パティ、
 シュローダー・シュルツ、ライナス・ヴァン・ベルトの5人だ。
 ライナス以外は、初期迎撃部隊からの生き残りだな」
「つまり、サンディエゴ自慢の歴戦の勇者ということですね。
 だとしたら、うちの二人は見学ということにしましょう」

 そうすることで、より実戦に即したシミュレーションが可能となる。正しい判断だと認めた後藤は、読むかと言って、全員のプロフィールを渡した。作戦指揮を執る以上、メンバーの個性を知っておくのは必要なことだった。

「なにか、泥縄の気がしないでもありませんけどね。
 見ておいた方が、恥を晒さずに済みそうです。
 ちぇっ、こんな事なら日本にいるときにドキュメンタリーを見ておけばよかった」

 びっちりと書き込まれたデータに、シンジは思わず不平を漏らしていた。能力評定で作戦指揮を取らせるのなら、せめて前日には教えて欲しかったのだ。そうすれば、全員の特徴を予習する時間ができたのにと。

「すみませんが、アサミちゃんと篠山に、今日は見学だと伝えてもらえますか?
 後は、そうですね……1時間だけ時間がほしいとサンディエゴ側に伝えてください。
 さすがに準備なしでシミュレーションに臨むと、無様なところを見せそうですから」
「誰か、サンディエゴ側から作戦のアドバイザーでも呼んでくるか?」

 そうすれば、少なくともサンディエゴ側メンバーの特徴を確認することができる。時間短縮のためと考えれば、適切な方法に違いなかった。だがシンジは、少し考えてから「やめておきます」と答えた。

「僕が、何を考えて、どんな作戦を取るのか見てみたいんですよね。
 だったら、できるだけこれまでの作戦に関わった人たちを排除したほうがいいと思います。
 その代わり、アサミちゃんを呼んできてもらえますか?」
「……余裕だな、と言うのはおそらく誤解なんだろうな?」

 そう言って口元を歪めた後藤に、「プレッシャーはありませんから」とシンジは笑った。

「何しろ僕は、一度しか実戦経験の無い初心者ですからね。
 だから失敗しても、何も失うものがないという強みがあります。
 まあ、失敗するのも癪ですから、ちょっとアサミちゃんに助けてもらおうと思ったんです」
「彼女が、役に立つというのか?」

 少し驚いた後藤に、当然と言ってシンジは胸を張った。

「たぶん、人間観察では僕よりもずっと慣れていると思いますよ。
 これまでサンディエゴ基地のとった作戦を見てもらって、感想をもらおうと思っているんです」

 シンジの説明に後藤はなるほどと納得したのだが、同時にアサミには荷が重い役目だとも考えた。これまでのサンディエゴは、ほとんど同じパターンでギガンテスを撃退してきている。同じ事を繰り返しているということは、個々の特徴が見えにくくなるという意味に繋がってくる。それを観察し、分析することを要求するというのだ。普通の女子高生への期待として、重すぎるというのが後藤の考えだった。
 だが作戦立案は、今はシンジに任されている。そのシンジが必要というのなら、黙って協力するのが今の後藤の立場だった。やれるだけのことをやらないと、失敗した時の後悔も大きくなるだろう。

「と言う事で、サンディエゴ基地の作戦データの提供をお願いします。
 あと……そうですね、本番前に別のシミュレーションをさせてもらえるよう伝えてもらえますか?」
「別に構わないが、どういうシミュレーションだ?」
「アスカさんアウト、僕がインの5人を試してみようと思っています。
 その方が、サンディエゴ精鋭の実力がよく分かりますから」

 理由に納得が行く事もあり、後藤はそのままサンディエゴ側に伝えることにした。

「あと、ギガンテスの数を少なくするのもお願いします。
 最大でも3と言うのを目安にしてもらえますか?」
「個人の実力を見るという意味なら、適切な数に違いないな」

 シンジは意識していないのだが、3と言うのは標準的なギガンテスの襲撃数だった。その数字でも、サンディエゴは何度かパイロットに被害を出した実績がある。それを考えると、たとえシミュレーションとは言え、結果によっては騒ぎが起こることが十分に考えられた。
 面白いことになったと内心考えながら、後藤は後をシンジに任せることにした。自分達の常識から外れた少年が、一体どんな作戦を示してくれるのか。口を出さないほうが、より面白いことになると考えたのである。



 アサミがシンジの部屋にやってきたのは、後藤が消えてから10分後のことだった。部屋に入っていきなりシンジにキスをしたアサミは、満面の笑みで「先輩の役に立てるんですね」と喜んだ。ちなみに朝の格好から着替え、今はシックな茶系のワンピース姿になっていた。

「うん、アサミちゃんに、サンディエゴ基地の人間観察をしてもらいたいんだ。
 これから教える4人が、迎撃作戦に対してうまくやれているかを見て欲しい。
 アサミちゃんに分かりやすく言うと、そうだな、あてがわれた役に合っているか見てくれるかな」
「適役かどうかを見ればいいんですね?
 そういうのって、結構得意だったりするんです!」

 はいと元気よく答えたアサミは、「ご褒美の先渡し」と言ってシンジに抱きついた。そしてゆっくりと唇を重ねてから、「続きは今夜」と言ってシンジから離れた。

「データは、このタブレットで見ればいいんですね?」
「うん、分からないことがあったら聞いてくれるかな?」
「多分……大丈夫だと思いますよ」

 指でするすると操作して、アサミは器用に必要なデータを呼び出した。そしてイヤホンをして、動画による人間観察に取り掛かった。それを確認したシンジは、サンディエゴ基地提供のパイロットのデータに目を通すことにした。それから二人は一言も口を開かず、自分の役目に没頭した。
 アサミに任せて30分後、シンジはひとまず分析の結果を尋ねることにした。サンディエゴ基地に要求した1時間の猶予を考えると、そろそろ人物評価は纏めに入る必要があったのだ。

 シンジに声をかけられたアサミは、少しむずかしい顔をして気になることがあると切り出した。

「4人の評価の前に気になったことがあるんですけど、そちらを先に話してもいいですか?」
「アサミちゃんが重要だと考えたのなら、反対する理由はないよ」

 それでと先を促したシンジに、アサミは「アスカさんです」と説明の口火を切った。

「遠野先輩達との比較になるんですけど、なにか戦い方が窮屈な気がします。
 そうですね、目の前の敵との戦いに集中できていない気がします」
「理由は、なんだと思う?」

 シンジの質問に、アサミはタブレットから気になる部分の映像を呼び出した。それを見るため、シンジはくっつくようにアサミの隣りに座った。

「一番分かりやすいのはこの部分だと思います。
 味方が攻撃されそうになった時に手が一瞬止まっているんです。
 多分戦いに集中しきれていない……いえ、味方を気にしすぎているんじゃないのかなって思います」
「アスカさんは、全体指揮もとっているからね。
 だから、味方の攻守のバランスを考えなくちゃいけないんだ。
 でも、エースアタッカーだから、どうしても突出してしまう……か」

 うんうんと頷いたシンジは、「他の4人は?」と本題に移った。

「実は、他の4人について、あまり差分を分析ができていません。
 皆さん、それぞれの役割を無難にこなしていると言うのがその理由です。
 ただ気になったのは、この4人の実力がこんなものなのかなということです。
 確か能力的には、マドカ先輩達と同じくらい有るんですよね?
 その割に、全体的に動きが鈍いような気がしています。
 特にパティさんですけど、時々不自然に突っ込みそうになっていますね。
 逆にライナスさんは、地味ですけど無駄な動きがないように見えます。
 気がついたのは、だいたいこれぐらいですね」
「同調率は、必ずしも動きの良さと関係しないけど……」

 アサミの評価を聞きながら、シンジは自分の読んだパイロットの分析書を思い返した。

「やっぱり、アスカさんを含めたフォーメーションがまずいってことか」
「あっ、それは感じました。
 全体的に、連携の悪さを感じましたから」

 最強のパイロットを有し、しかも実力が十分なパイロットも揃っている。そして実戦経験も、世界で一番有しているのがサンディエゴ基地の精鋭だった。その精鋭たちの連携が悪いと言うのは、いくらシンジ相手でも勇気のいることだった。だから連携の悪さを口にした後、アサミは自分の意見が役に立っているのかを聞いてきた。

「ええっと、私って役に立っていますか?」
「かなり貴重な意見だと思うよ。
 あくまでシミュレーションだけど、アサミちゃんは僕達の戦いを観察しているんだよね。
 サンディエゴと比較して、僕達の戦いぶりはどう見える?」
「難しいことを聞くんですね」

 少し考えたアサミは、少しシンジの顔を見てから、うんと頷いて答えを出した。

「マドカ先輩とナル先輩が、のびのびとやっているように見えます。
 だって先輩、重要なところでしか指示を出さないじゃないですか」
「あの二人には、危なくない限り好き勝手やらせているからね。
 だから高知では、ほとんど好きにさせていないだろう?」

 高知の戦いでは、シンジがギガンテスを分断するまで、ひたすら待機を命じたのである。そしてマドカとナルの二人は、おとなしくシンジの指示に従っていた。

「それが役に立っているという事なら、アスカさんの役割が問題ということですね。
 先頭でギガンテスを倒すのか、全体統率するのかどちらかに絞るべきと言うことになります」
「多分、アサミちゃんの言うことが正解だと思うよ」

 ありがとうと言ったシンジに、満面の笑みを浮かべて「どういたしまして」とアサミは答えた。

「先輩の役に立てて嬉しいんですよ。
 やっぱり、か、彼女として、一緒にいられる理由がほしいじゃありませんか」

 少し照れたアサミに、可愛いなとシンジは感動していた。ただ感じた気持ちを行動に移すには、場所と時間が色々と悪かった。時計を見れば、残された時間は10分しかないし、基地の会議室というのはあまりにも無用心な場所だった。
 感じた昂ぶりを抑えこもうと、シンジは右手の握ったり開いたりを繰り返した。それを何度も繰り返した後、一度大きく息を吸い、しばらく溜めてからふうっと吐き出した。

「先輩、どうしたんですか?」
「あ、アサミちゃんが可愛すぎて……」

 そう言って赤くなったシンジに釣られ、アサミの顔も真っ赤になっていた。

「夜まで……長いですね」
「もの凄くっ」

 お互いの考えることは、どうやら一致しているようだ。それならばと、シンジはできるだけ早くお勤めを終わらせることを考えた。満足の行く結果を出してやれば、シミュレーションも早く終わると考えたのである。冷静に考えれば、それは墓穴を掘る行為に違いない。それに気づかないということは、それだけシンジの頭に血が上っていたということだった。



 1時間後に行われたシミュレーションの第一弾は、サンディエゴ基地のフォーメーションを入れ替えるものだった。エースアタッカーにして作戦指揮を執るアスカが外れ、その代わりにシンジが入るというものである。
エースが抜けた状態で、どのような作戦を取ることになるのか。別の意味で注目を集めるシミュレーションとなっていた。

「僕はアタッカーをしていませんから、誰かをアタッカーにする必要があります。
 さすがに一人というのは難しいですから、2名任命することにします。
 ちなみに2名の根拠は、日本での実績だと考えてください」

 通訳の葵を挟んで説明したシンジは、そのアタッカーとしてペパーミント・パティとシュローダー・シュルツの二人を指名した。アスカの代わりということで、アタッカーの役割をシンジに期待していたのだろう。だがそれを否定したシンジに対して、全員が予想外だと言う顔をした。そしてパティの名前が上がった時、居合わせた全員が信じられないと言う顔をした。

「それからチャーリーさん、ライナスさんには、僕と一緒にサポートに回ってもらいます。
 ただ僕と一緒にと言いましたが、言葉の問題で難しい指示は出せません。
 できるだけ簡単な言葉で伝えますので、足りない部分は察してくださるようお願いします」

 指示として考えれば、あまりにも適当過ぎる指示と考えていいだろう。シンジの言葉を聞いた全員、通訳に立った葵ですら、それでいいのかと耳を疑ったのである。だが全員から向けられた疑問のこもった眼差しに対して、シンジはこれでいいのだと繰り返した。

「高知の時だって、細かな指示は出していませんよ。
 だいたい即席の組み合わせなんですから、細かな指示なんて出せると思いますか?」

 出せないですよねと聞き返されれば、否定することは難しくなる。個々の癖をシンジが掴んでいるとは考えられないし、言われた通り言葉の問題も存在している。その状態での細かな指示は、逆に混乱を招く理由にもなりかねないだろう。
 そう言って全員を納得させたシンジは、そのままシミュレーションに突入することにした。設定されたシチュエーションは、どこか知らない港に3体のギガンテスが襲撃してくるというものだった。迎撃ケースとして、比較的頻繁に行われているものが選択された。

 本当だったら、一人のほうが動きやすい。チャーリーとライナスをサポートにつけたシンジだったが、初めての経験に不安を感じていたりした。たった3体なら、人の手を借りなくても分断することは難しくなかったのだ。だが仲間を利用するとなると、やり方自体はじめての経験だったりした。

「接近戦をします」

 指示は短く簡潔に、それを心がけたシンジは、二人に対して自分と一緒に接近戦をすることを指示した。ギガンテスがバラバラに上陸したことから、合流を避ける作戦を選択したのである。

「1体を先行させます。
 パティさんとシュローダーさんの二人で撃破してください。
 やり方は任せます。
 まあシミュレーションですから、気楽にやっていただいて結構ですよ」

 そんなことを言われて、素直に受け取れるはずがないだろう。だがシンジは、肩から力を抜きすぎたぐらいで、シミュレーションへと入っていった。そしてそれに釣られるように、サンディエゴ基地の4人もまたシミュレーション空間へと入って行ったのである。



 シンジ達のシミュレーションに対する評価は、まあまあと言う無難なものだった。シミュレーションスコアとしては、当然のように普段のサンディエゴ基地より若干低くなっていた。ただ即席の組み合わせと考えれば、上出来と言うことも出来ただろう。ただスコア以上の意味が有ったのは、これがアスカ抜きで出された結果と言う事だった。

「これを見ると、アスカ抜きでもなんとか迎撃できそうね」

 つぶさにシミュレーションを観察したクラリッサは、シンジの働きが少なかったことに注目した。最初に言葉の問題があると予防線が張られていたが、本当にほとんど指示が出されなかったのだ。やったことと言えば、フォーメーションを決めたことぐらいで、後はライナスにほとんど指示も任せていたぐらいだ。

「でも、それってとても重要なことよ。
 私だって、年中万全な体調でいられるとは限らないんだからね。
 あの4人で迎撃できるのなら、迎撃態勢ももっと違ったことが出来る可能性があるわ」
「アスカ抜きというのは、一度やってみるべきだったと言う事か」

 ふんと記録にメモを書き込んだクラリッサは、フォーメーションに対する感想を求めた。

「うちのフォーメーションと比べて、ライナスとパティの位置が入れ替わっているでしょう?
 それについてはどう思う?」
「このシミュレーションを見る限り、こっちの方が良さそうね。
 ライナスが、あんなにうまく全体を俯瞰できるとは思っていなかったわ。
 あれぐらい出来るんだったら、私の権限を一部委譲出来る可能性があるわ」
「なるほど……スコアは平凡だけど、中身には見るところが多いってことね」

 メモを追加したクラリッサは、肝心なことをアスカに質問することにした。

「この結果は偶然だと思う、それともシンジ碇の実力?」
「実力でしょう?
 そうじゃなかったら、もっと指示を出していると思うわよ。
 ライナスなら出来ると考えて、ほとんど現場を任せたんでしょうね」

 ほうっと息を吐き出したアスカに、どうしたのとクラリッサは聞いた。昨日ヒアリングをしてから、アスカのため息が増えた気がするのだ。

「やっぱり、才能ってあるんだなと思ったのよ。
 1時間考えて、このフォーメーションを導き出したんでしょう?」
「なに、惚れたの?」

 少し揶揄したクラリッサに、アスカは違うと首を振った。

「尊敬しているのよ。
 そしてちょっと緊張しているのよね。
 あたしに対して、どんな指示を出してくれるのかの期待もあるし……」

 そこで上気した顔を見せられると、普通なら勘違いしてしまうところだろう。だが前の話を聞いていると、それが色っぽい話でないのが分かってしまう。「女として大丈夫か?」とクラリッサの喉から出かけたのも、無理もないことだった。
 女として大丈夫かと言うのは一般論として、クラリッサは二人の関係に興味を持っていた。過去の観察記録を見る限り、二人の相性は必ずしも良いとは言えなかったのだ。まだ作戦がうまく行っている頃は良かったが、苦戦が続くようになってからは、アスカの精神状態がどんどん悪化していったのだ。本人の責任が大半なのだが、相方の影響もかなり大きかったと分析されている。それを考えると、アスカが碇シンジを尊敬すると口にするのは驚きでしかない。この事実だけ取り上げれば、お互いの精神操作が、むしろ二人にとって良かったと言う事も出来た。

 碇シンジの変化が理由なのか、それともアスカの成長が理由なのか。その変化の理由までは、まだ分析できていなかった。そして分析すること自体、仕事としてあまり意味のあるものとも思えなかった。ただ同室として付き合ってきた個人的感情が、関係の変化に興味を抱かせたのである。
 その意味で、クラリッサはシンジの変化に注目していた。過去の観察データと比べると、全くの別人と言いたくなるほどの変化を示している。その理由が記憶操作に有るのなら、むしろ幸せなことだと言えたのだ。

「忘れた方が、二人にとって幸福だったと言うことかしら」

 現実を目の当たりにすると、その考えを否定することは出来ない。否定はできないが、それでは寂しいと、クラリッサは同情の気持ちを抱いてしまった。ゼロクリアしてからが良いだけに、出会った時が悪すぎたのだと思ったのだ。



 本番のシミュレーションは、30分の休憩とミーティングの後実施された。事前のシミュレーションで感触を確かめたシンジは、ある意味大胆なフォーメーションを取ることにした。

「フォーメーションですが、ツートップを採用することにします。
 まずアスカさんに、トップを務めて貰います。
 そして片方のトップを、シュローダーさんとパティさんに務めて貰うことにします」

 シンジの言葉を葵が通訳した時、サンディエゴ側に小さなどよめきが起きた。アスカがトップというのは、これまでの立場からして順当だと考えられていた。だがもう一つのトップは、日本側の二人が務めると予想していたのだ。だがシンジの言葉は、その考えを否定してくれたのである。

「ボトムは、ライナスさんとチャーリーさんに務めて貰います。
 僕達3人は、中盤で全体のバランスを取るように動きます。
 指示は、ライナスさんから全員に出して貰います。
 ただ言葉の問題があるので、中盤は僕にだけ出して貰えば結構です」

 カサブランカとでは問題とならなかった、そして事前のシミュレーションでも問題にならなかったコミュニケーションは、今回に限って言えば問題となるというのである。それを考えれば、問題のある二人をシンジが管理するというのは、指示の伝達という意味では理に適った判断だった。
 それでひとまず周りを納得させたシンジは、アスカに対する指示を出すことにした。

「トップを務めるアスカさんに言うことがあるとしたら……
 そうですね、背中を気にしないで思いっきりやってくださいと言う事ですね。
 必要なフォローは責任を持って僕がやりますから、アスカさんは撃破に努めてください」
「それだけ……ですか?」

 もっと色々とあると思ってただけに、アスカは目を瞬かせながらシンジの顔を見た。

「たまにはそう言うのも良いと思いませんか?
 それに、自由に戦うアスカさんを見てみたいと思っているんです。
 作戦や仲間を気にしないで戦った経験はありませんよね?」
「ええ、確かに……」

 自分の言葉に同意したアスカに、だからですとシンジは強調した。

「せっかくやるんだったら、今までと違ったところを見たいと思いませんか?
 サポートでしたら、万全のサポートをすることを保証しますよ」

 だから大丈夫と言い切ったシンジに、「でしたらお任せします」とアスカは丸め込まれた。その心の中を覗くのなら、一抹の不安と、思いっきりやれることへの期待が膨らんでいた。



 頑張っている人を応援する。それが、ジャージ部の活動方針と言うのはあまり知られていなかった。もちろん知られていないだけで、マドカ達はその方針の下、各クラブを手伝っていたのも事実だった。そしてシンジは、
今回の意図がそこにあるとマドカとナルに説明したのである。そして「アスカさんの全力を見てみたいですよね?」と言う殺し文句も添え、今回のフォーメーションを納得させた。

「と言うことなので、今回僕達はチームで動きます。
 全体の指示はライナスさんから出ますが、チーム内の指示は僕が出します」

 良いですねと聞かれたマドカとナルは、「もちろん」と今までの関係を肯定した。これまでのジャージ部活動でも、シンジがリーダーとなった時、二人は大人しくその指示に従っていた。それは今回も同じだと、二人は答えたのである。

 そうやって二人を納得させて始めたシミュレーションは、のっけからシンジの予想を超えた展開となった。自由にやって良いと言われたアスカが、いきなり能力全開で前線に飛び出したのである。その勢いが凄まじいのは良いのだが、突出しすぎだと誰もが考えたほどだった。

 そのためライナスから、サポートできるのかと言う問い合わせがシンジの所に飛んできた。シュローダー達との差が開きすぎたため、中盤でバランスが取りきれないだろうと言うのだ。そこには、サポートできなければ、下がることを指示するという意味が込められていた。

「このままやらせてください。
 僕が、アスカさんのサポートに回ります。
 先輩っ!」
「こっちは任せて。
 側面や背後からの攻撃に備えればいいのよね?」
「後は、敵の分断も考えてください……
 まあ、アスカさんが突出したから、そちらは不要かも知れませんけどね」

 そう言うことだと短い指示を出し、シンジは突出したアスカのフォローに回ることにした。まるで溜めていたものを吐き出すように、ギガンテス相手に大暴れをしていた。

「さすがに凄いな……これだと、5対1でも勝てなかったかも知れないな」

 4体のギガンテス相手に、縦横無尽に飛び回ってくれているのだ。その動きを捕まえるのは、マドカ達でも難しいのではと思えてしまった。

「まず、接近するギガンテスの動きを牽制することにしようか」

 一体一体に時間が掛けられないため、翻弄していても撃破するところまで至っていなかった。ならばサポートする方は、敵を少しでも分断すれば目的を達することが出来る。ただ言葉にすると簡単なことなのだが、あの動きを邪魔しないというのは、かなり難易度の高いことだった。「まあ、やってみるか」と軽く呟き、アスカの支配する戦場へと飛び込んでいったのだった。

 後ろは気にするなと言う指示を、アスカは素直に受け取った。ただ万全のサポートと言うのは、半信半疑というところがあった。それでもシミュレーションと言う事もあり、失敗もまた経験だと割り切ることにした。

「でも、なんか楽しいし……」

 これまでの戦いでは、ずっと仲間のことに注意を払っていた。そのため、目の前の戦いに没頭できなかったのも確かだった。それを忘れて戦うのは、今まで忘れていた高揚感を感じさせてくれていた。4体の敵に囲まれているが、少なくとも負ける気は全くしなかった。ただ勝つためには、もう一つ何かが必要だと感じていた。
 だが調子に乗って暴れているだけで、撃破できるほどギガンテスは甘くなかった。遠くに放り出された一体が、アスカの背後で加速粒子砲の準備を始めたのである。アスカがモニタの警告でそれに気付いた時には、避けることも出来ない状況になっていた。

「しまったっ!」

 いい気になりすぎた。アスカが臍をかんだ時、背後にいたギガンテスの頭が踏みつぶされた。後ろは守るとの言葉通り、背後からの攻撃を潰してくれたのだ。

「さすがは日本のエースね」

 アスカが感心した次の瞬間、真横を何か黒いものが横切っていった。その黒い何かは、敵の2体にぶつかりはじき飛ばしてくれた。よく見たら、黒い何かは頭を踏みつぶされたギガンテスだった。

「大したサポートね」

 これで、敵の一体は引き離されたことになる。その機を逃さず飛びかかったアスカは、哀れなギガンテスを抱え上げ、反対側へくの字に折り曲げた。

「まず一つ!」

 頭を潰されたのは、しばらく復帰してこないだろう。ならばとアスカは、残りの片割れに攻撃を集中することにした。まだ無事の一体と頭を潰された一体は、相方が面倒見てくれるだろうと思っていた。



 その頃シュローダーとパティ組は、確実に敵の撃破を行っていた。数的に優位だったこともあり、特に危なげない戦いを進めることが出来た。シンジのやり方を見ていたお陰か、マドカとナルのサポートも、的確に行われていたのである。

「あの二人だけでも、うちに欲しいぐらいね」

 戦況がシンプルなこともあり、言葉の問題はあまり障害となっていないようだった。しかも日本の二人は、今までの戦い方からは予想できない、とても押さえた戦い方をしてくれた。これを見る限り、状況対応能力はかなり高いと言うことになる。

 一方でアスカの方に対しては、クラリッサは素直に喜べないと思っていた。これまでにない活躍をしてくれているのだが、あんな動きのサポートなど、できる者がサンディエゴに居るとは思えなかったのだ。世界を捜してみても、他に該当するのは砂漠のアポロンぐらいだろう。それぞれが各国のエースだと考えると、共同作戦でもない限り発揮できない力だった。

「でも、これが共同作戦だと考えれば素晴らしい成果なんでしょうね」

 過去カサブランカと共同作戦を行った時には、局地的に見ればそれぞれが独立して作戦行動を取っていただけだった。それぞれの特徴を生かし、より強大な戦力として組み直す。両基地の関係もあり、その様な作戦を誰も行わなかったのである。
 対象Iと対象Aの組み合わせを忘れれば、考慮に値するシミュレーション成果だと言えるだろう。

「軍は、単純にこの成果を喜ぶのでしょうね……」

 横では、日本の代表者を交え、新しい上層部がシミュレーションの評価を話し合っていた。おそらく彼らは、世界が再び滅ぶとは夢にも思っていないのだろう。あの二人を組み合わせることが、どれだけ危険なことなのか、それを憂えているのは数少ない自分のような者たちだけだ。それが、クラリッサにとって最大の不満となっていた。

 そんな一科学者の不満を忘れれば、今回のシミュレーションは、サンディエゴ基地にとって実りの多い物となってくれた。日本との共同作戦を取らない状況でも、新しいより効果的なフォーメーションの確認が取れたのである。エースの負担を減らすことができるのだから、サンディエゴとしては願ってもない対策だった。
 それはシンジの進言により行われた追加のシミュレーション、すなわちサンディエゴ基地だけのシミュレーションで、効果が証明されたのだった。

「尊敬しますっ!」

 それもあってか、立場が逆と思われる光景が、シミュレーション後の講評で見られることになった。世界的に人気が高く、一番ギガンテスを倒してきたエースが、ぽっと出の相手に対して、目を輝かせて手を握ってきたのだ。そして「尊敬します」と、まるで新兵のように相手のことを見てくれたのだ。

「尊敬しますって……外から見た方が、冷静に分析できただけですよ。
 それからもう一つ、今回の分析はアサミも手伝ってくれました。
 彼女が、アスカさんが窮屈そうに見えると指摘してくれたんですよ。
 ライナスさんとパティさんのフォーメーションも、彼女の意見を参考にしました」
「彼女は有名なアクトレスだったと聞いていますが……」

 そのあたりの事情は、初日の懇親会でしっかりと思い知らされていた。だがあくまでおまけの存在が、基地にとって非常に貴重な指摘をしてくれたのだ。それを含めて、シンジの才能と評価するのは、過剰な賞賛なのだろうか。

「明日から、色々と教えてくださいね」

 少なくとも、その頼みを断れる雰囲気でないことだけは確かだった。







続く

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