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 リゾートホテルの朝なら、海辺の散策と言うのが定番の一つに違いない。そしてサンディエゴには、美しい海岸線が広がっていた。そういう意味では、砂浜に出るというのは、正しい過ごし方には違いなかった。
 だが海まで車で行く必要があるとなると、高校生一人ではなかなか定番通りにはいかないものだ。それを昨夜のうちに確認したシンジは、妥協点として朝食までの時間をプールで過ごすことにした。これならば、気持ちのいい朝の空気を、のんびりと味わうことができるだろうと考えたのだ。しかも昨夜の暴食を考えれば、適度なカロリー消費も必要となってくる。プールで泳ぐのは、一石二鳥と言えたのだ。

 本物の蘇鉄の木がサイドに配されたプールは、絵に描いたようにリゾート気分満点のものだった。プールの形がひょうたん型をしているのは、泳ぐのには少し不向きなのかもしれない。だがそれは贅沢と、シンジはすぐに準備をすることにした。
 黒のビキニパンツの水着の上に白いパーカーを羽織って現れたシンジは、あたりに誰も居ないのを確認してから、羽織っていたパーカーを脱いだ。そこから現れたのは、うっすらと脂肪に包まれた鍛えられた筋肉だった。このあたりは、入学以来各種運動部に付き合ってきたことと、地道なトレーニングが作りあげてくれたものだった。

 静かな空気の中、誰も入っていないプールは鏡のような水面を見せてくれていた。シンジは黒いスイミングキャップと水中眼鏡を掛けてから、体をならすようにゆっくりと水に入っていった。朝の空気は冷たいのだが、水の中は思ったほどは冷えていないようだ。これならばと、シンジはゆっくり反対側に向けて泳ぎ始めた。
 もともと水泳は得意ではないと言うより、高校に入った頃はほとんど泳げないシンジだった。だが、ジャージ部のありがたい方針のお陰で、今はすっかり泳げるようになっていた。夏休みの1ヶ月間、水泳部でしごかれたのは無駄ではなかったと言うことだ。

 最初はゆっくりとクロールで体を慣らしてから、シンジは一度プールサイドへと上がった。飛び込んでも大丈夫なぐらい水深があるのは確認してあった。
 綺麗なフォームで飛び込んだシンジは、しばらく沈んでいてからバタフライを始めた。はじめから飛ばしているのは、体の調子がいいからなのかもしれない。これならばいいかと、シンジは誰もいないプールで泳ぎまくった。誰も居ないと言う環境は、おもいっきり体を動かすのに最適だったのだ。アメリカに来てから、食べるものすべてが量が多くてカロリーが高いから、この機会にしっかり消費しておこうとも考えていた。

「ほんと、体育会系しているんですね……」

 シンジが「楽しそう」に泳いでいたら、プールサイドにもう一つの影が現れた。白い大きな帽子にサングラス、そして淡いブルーのパーカーにショッキングピンクのビキニと、こちらはリゾート気分満点の格好をしている。そしてシンジが荷物をおいたチェアの隣に腰を下ろし、嬉々として泳ぎまくるシンジの姿をぼんやりと眺めていた。

 「どうしよっかなぁ」と言うのが、アサミにとって今のシンジのポジションだった。「少し気になる先輩」から「かなり気になる先輩」にポジションアップはしているが、恋人というにはまだ足りないと思っていた。しかもその責任は、必ずしもアサミの側だけにあるわけではなかったのだ。
 瀬名アイリと付き合っている時から分かっていたことだが、碇シンジという男は女性に対する積極性に欠けていたのだ。だからアイリとも、手をつなぐ程度で終わったのだと思っていた。

 そう言った欠点は分かっているから、先に進むには自分が踏み出せばいいことは分かっていた。「高知の奇跡」の立役者と言う面を忘れても、シンジはかなりポイントが高いのは確かなのだ。アサミの“大人”が好みと言う嗜好に対しても、なんとかクリアできていると思っていた。それでも、後一つ何かが欲しいなと思っていた。

「碇先輩……か」

 アサミがボランティア部に入った理由は、薄桜隊の花澤と大差ないものだった。高校生活の肩書きとして、ボランティア活動というのをつけようと思っていただけのことだ。その方が、大学受験の時に有利になると考えたのである。部活紹介でのシンジが、真面目そうに見えたというのも目的から考えれば適切だった。ただ入ってみて、活動内容が期待と大きくずれていたのは問題だった。人呼んでジャージ部と言うのは、騙されたと文句を言ってもおかしくない場所だった。
 公園の清掃とか、老人ホームや孤児院の慰問も行なっているが、メインとなる活動が外のクラブの助っ人なのだ。そのおかげで、「ボランティア部」ではなく「ジャージ部」と呼ばれる理由もよく理解できた。特に3年の二人は、運動部では主力に数えられるほどのスポーツウーマンだったのだ。

 もっとも2年の先輩は、多少3年の二人とは毛色が違っていた。年下のくせに落ち着いていて、おもちゃにされても大人の対応を見せている。運動部に助っ人に行くのは3年の二人と同じだが、それと同じくらい文化部にも助っ人に行っていたのだ。しかも花澤絡みのマスコミ対応も、そつなくこなしているのだから大したものだ。篠山に目をつけられたのも、キョウカ絡みとは言え大したものと思えたほどだ。

「碇……先輩ね」

 確実に自分の知らない何かを持っている。それも魅力の一つになっているのだろう。高知の奇跡を演出したのも、その何かが理由になっているのは間違いない。その何かは、世界的に恐れられているというのも、冗談のような話としか言いようがない。だからこそ、その秘密を知りたいとも思っていた。
 そんなことをぼんやりと考えていたのだが、アサミはシンジが見あたらないのに気がついた。

「あれっ、碇先輩は?」

 少しぼうっとしていたのは認めるが、その隙にシンジがプールから出たとは思えない。現にシンジの持ってきた荷物は、こうして自分の隣のチェアにある。それにシンジが、自分を無視するとは思えない。それを考えれば、シンジはプールに居なければいけないのだが……少なくとも、誰も泳いでいるようには見えなかった。

「まさか、足がつって溺れているとか……
 その割に静かだったし……」

 いくらプールが深くても、それはないだろうとアサミは思っていた。だが待てど暮らせど、シンジがプールから出てくる様子がなかった。少し前まで波立っていた水面も、今はすっかり落ち着いてしまっていた。

「本当に沈んでいるとか……」

 冗談じゃないとパーカーを脱ぎ捨てたアサミは、急いでプールに駆け寄った。そしてプールサイドから身を乗り出して、シンジが沈んでいないか覗き込もうとした。ちょうどその時、それまで潜っていたシンジが水面から顔を出した。そのおかげで、近距離から二人は向かい合う形となってしまった。

「あれ、どうしたのそんなに慌てて」
「そんなに慌ててじゃありません。
 先輩が浮かんでこないから、私心配したんですよ!」

 そう言って膨れたアサミを、可愛いなとシンジはドキドキしていた。しかも都合がいいことに、プールには自分たち以外誰の姿も見られない。目の前のビキニ姿に撃たれたシンジは、アサミの手を掴んでプールへと引っ張りこんだ。
 きゃあと言う可愛い悲鳴とともに、プールに小さな水しぶきが上がった。

「も〜、何をするんですかっ!」

 引きずり込まれたことに文句を言うアサミに、シンジは少しも悪びれずに頭を掻いた。

「いやぁ、僕一人だけプールに入っているのは間抜けだからね。
 それに、トレーニングの時間が終わったから、可愛い後輩と戯れようかなって」
「可愛い後輩……ですか?」

 頬を膨らませ、上目遣いのアサミに、シンジは「どうかな?」と笑った。

「僕は、アサミちゃんにキープされている身分だからね。
 確か、選択権は僕にはなかったんじゃないのかな?」
「アスカさんに鼻の下を伸ばしていませんでしたっけ?」

 ぷっと膨れたまま文句を言うアサミは、水に濡れていても目眩がするほど可愛かった。

「確かにアスカさんは綺麗なんだけどね……」

 シンジはそう言って、アサミの耳元に手をかけた。

「やっぱりね、なにか違うって気がするんだよ……」
「先輩、やけに積極的ですね……」
「シンジ、じゃなかったのかな?」

 アサミが目を閉じたので、了解の合図とシンジは理解した。少し塩素の匂いはしたが、自分から重ねた唇は、とても柔らかくて暖かかった。それを十分に感じてから、ゆっくりと唇を離した。

「僕と付き合ってくれるかな?」
「ここまで許したのに、今更それを聞きますか?」

 「もちろん」と答え、今度はアサミの方からシンジに口づけを返した。そのまま二人は、何度も何度も口づけを繰り返した。シンジの側から踏み出したことで、アサミは合格点を出したのだった。



 たとえ呼び方が変わっていなくても、二人の空気から変化があったことなどすぐに分かった。しかもシンジが、「アサミちゃん」と呼んだのだから、それで決まりだとマドカは考えた。振られた翌日に新しい彼女を作るというのは、少し早い気もするが悪いことではないだろう。だめなことをいつまでも引きずるより、その方がよほど前向きなことに違いないのだ。ましてや、「同じ部内での交際禁止」などと固いことを言うつもりもなかった。
 もっとも、このあたりの考え方は、ジャージ部内だけのことでもあった。特に添乗員として自衛隊から派遣された葵は、ご機嫌はあまり宜しくないようだった。

「ええっと、今日の予定ですが……」

 このリア充どもめと心の中で呪いながら、葵は職務に忠実であろうとした。ここに連れてくるまではツアコンに偽装していたが、サンディエゴに来ればその必要もなくなる。そうであれば、自衛隊員としての義務を果たす必要があったのだ。

「サンディエゴ自慢のシミュレーターを体験してもらうそうです。
 とりあえず、みなさんのお手並み拝見といったところでしょうかね?
 その後昼食を挟んで、碇さんたちのヒアリングに入るそうです。
 ヒアリングの間、篠山さんと堀北さんは、綾部さんの案内でショッピングでもしてきてください。
 はい、堀北さんなにか質問でも?」
「ショッピングというのは、決定なんですか?」
「別にショッピングの必要はありません。
 碇さんたちのヒアリングが終わるまで、適当に時間を潰してくれれば結構です」

 今回のサンディエゴ基地訪問に関して言えば、アサミ達は完全におまけでしかなかったのだ。だから「適当に時間を潰す」と言う葵の言葉は、何一つ間違ってはいなかった。少し葵の言い方がそっけないのも、職務に忠実だっただけのことだった。

「それは、綾部さんと決めればいいんですね?」
「ストレートに言えば、そういう事になりますね。
 ただシミュレーション結果で、何か聞かれるかもしれませんが……
 まあ、そんなことはないと思いますから、好きにして構わないと思いますよ」

 もっともおまけとはいえ、相手がジャージ部員には違いなかった。その部員を粗末に扱えば、シンジだけではなくマドカ達からも手痛いしっぺ返しを食らう恐れがある。しかももう一人の篠山キョウカは、別の意味で粗末に扱ってはいけない相手だった。だから葵も、答えには気をつけるようにしていた。

「他に質問がなければ、最初はシミュレーターからと言うことになりますね。
 長時間搭乗が考えられますので、事前にちゃんとトイレに行っておくように」

 それをシンジの顔を見て言うのは、間違いなく実績が物を言っているのだろう。そして見られた方も、何を問題にしているのかちゃんと理解していた。だから朝食から、ちゃんと水分のとりすぎに気をつけていた。もっとも、プールで体を冷やし過ぎたのは内緒だった。人肌程度では、水の中では温まらなかった。
 そんなシンジとは別に、マドカはジャージ部にとって一番大切な質問をした。

「それで葵さん、シミュレーションはどんな格好ですればいいんですか?」
「パイロットスーツだけど、どうかしましたか?」

 基地なのだから、各種サイズのスーツがあるのは言うまでもない。だがマドカの顔を見た葵は、彼女が何を言いたいのか理解できた気がした。何しろ正規の出撃でも、ジャージで通した高校生たちなのだ。だったらサンディエゴでどう主張するかなど、今更考えるまでもないだろう。

「私たちはジャージが制服です」

 そしてマドカからは、予想通りの答えが返ってきた。すかさず却下と答えた葵だったが、あいにくマドカは引き下がってくれなかった。

「でも、日本で出撃するときもジャージでしたよ。
 だから、私たちはジャージの方が慣れていていいんです。
 きっと、その方がいいシミュレーションが出来ると思いますよ」

 そう言われたら、いつまでも反対することはできない。「ああそうですか」と、葵はそれ以上の抵抗を諦めた。

「ジャージでいいか許可を取ってきます……」

 力なく答える葵に、マドカは良しと拳を握りしめた。誰が言い出したのか知らないが、「ジャージ部世界制覇作戦」の第一歩が始まったのである。これで、サンディエゴ基地にも「ジャージ部」の存在を知らしめることができるだろう。



 ジャージを認めさせれば、後はシミュレーションで力を示すだけである。基地のスタッフに案内され、マドカ達ジャージ部員5人はシミュレーターに乗り込んだ。場所は違っても、操作性はほとんど変わっていない。これならば大丈夫と、シンジ以下ジャージ部一同は第二段階をクリアしたと思っていた。

 シンジ達一行のシミュレーションは、当然のように多くの注目を集めることとなった。そのため、シミュレーション映像をモニタできる画面の前に、多くのギャラリーが集まっていた。そしてモニタの前には、当然のようにアスカが陣取ったし、サンディエゴに来ているパイロット研修生たちも、高知の奇跡を演じたパイロットの実力をひと目でも見ようと、全員が訓練を中断して集まっていた。
 基地内の熱狂は、当然のようにジャージ部面々にも伝わっていた。そのおかげと言うか、マドカですら少し舞い上がっていたぐらいだ。従って、経験の無いキョウカが、平静さを欠いても不思議ではなかった。

 やはりというか、シンジとアサミは普段と全く変わったところは見せなかった。正確に言えばかなりの緊張状態に一度は陥ったのだが、いつもの通り頭から血が引いて、普段以上に冷静な状態に落ち着いてくれたのである。一方アサミにとって、大勢の注目を集めるのは、1年前まで日常だったのだ。
 そして冷静になった頭で、シンジはマドカ達を落ち着かせる方策を取ることにした。

「まあ、ゲーセンみたいなものだと思ってください。
 それからアサミちゃん、周りに居るのは全員大根だから」
「先輩、そこはせめてファンだといってくれませんか?
 その方が、私には馴染みがあるんですからね!」

 シンジとアサミの軽口のお陰で、全員多少落ち着きを取り戻すことに成功していた。そしてシンジは、最後の仕上げとばかりに一番緊張しているキョウカにも声を掛けた。このあたり、忘れていないことを示すのも、精神安定上効果がある。

「篠山、格好つけようだなんて思うなよ」
「し、しかしだ先輩、こうもギャラリーが多いと、どうしても緊張してしまうのだ」

 珍しく声が固いキョウカに、普通なら酷いと思えることを口にした。

「大丈夫だ、こう言ったことは本人が意識しているほど他人は見ていないんだ。
 それから言っておくが、今日の篠山は僕達のおまけだからな。
 おまけはおまけなりに、気を楽にしてゲームで遊べばいいんだよ。
 それからもう一つ、足を引っ張ったらお前の両親に言いつけてやるからな」
「失礼な、親が関係するほど俺は子供じゃないんだぞ!」

 すかさず文句を言ったキョウカに、これなら大丈夫とシンジは考えた。だから、最後に少しだけ釘を差して終わることにした。

「だったら、僕の指示にちゃんと従うことだな。
 それができなかったら、やっぱりお前の親に言いつけてやる!」

 そう言って口元を歪めたシンジに、キョウカは少しムキになって、「ちゃんと指示を出してみせろ」と言い返した。その指示が正しい限り、自分は絶対に失敗しないと言い返したのである。

「じゃあ篠山、僕と勝負だな。
 ちゃんと指示に従えたら、あとで何かご褒美を考えてやるぞ」
「その言葉、後で吠え面をかかないようにすることだな!」

 ふふふと不敵な笑みを浮かべたキョウカは、やってやるとばかりにシミュレーターのレバーを握りしめた。

「遠野先輩、鳴沢先輩も大丈夫ですか?」
「おねーさんに、どんと任せておきなさい!」
「じゃあアサミちゃん、行くからね!」

 アサミの答えを待たず、シンジはコントロールルームに準備が整ったことを告げた。それに答えるように、コントロールルームからシミュレーション設定が伝えられた。サンディエゴで標準的に使われている訓練パターンは、都合がいいことにシンジ達も一度経験したパターンだった。
 コントロールルームからの「ゴー」の合図で、シミュレーション画面がスタートした。設定されたギガンテスの数は3、これまでもっとも頻度の多い出現パターンを模していた。

「遠野先輩、鳴沢先輩は、僕の後方で待機。
 篠山、アサミ、普段通り周辺警戒を行いつつ、僕と一緒に敵を分断する!」

 シンジの指示に対して、全員から「はい」と言う元気の良い答えが返ってきた。ギガンテス迎撃に関して、シンジへの信頼は絶対のものがある。だから全員、まず最初にシンジの指示に従うことを優先して考えた。
 二度目のシミュレーション、そして実戦を経験したこともあり、シンジのとった作戦はかなり積極的なものだった。そのため以前より失敗のリスクが増すことになったのだが、それを感じさせない見事な連携をジャージ部一同は示すことになった。その見事さは、正規のパイロットであるアスカ達すら舌を巻くものだった。

「見事に意思統一された動きをしているわね。
 しかも、全員がそれぞれの特徴をうまく発揮しているわ。
 あれなら、同調率の低さも克服して、高い戦闘力を発揮できるわ」
「確かS高の種馬だっけか? 彼って、全員に手を出しているのかしら?」

 何しろ女性たちから寄せられる信頼が、絶大なものとなっているのだ。その理由を男女関係に求めたクラリッサに、「違うんじゃない?」とアスカはあっさりと言い返した。

「どうやってかは分からないけど、絶大な信頼を集めているのは確かね。
 だから彼女たち、あいつの指示を信じて疑っていないわ」
「やっぱり、高知の奇跡も効いているってことかしら?」

 アスカの言う信頼は見て取れるというか、それぐらいしか理由に説明がつかないのだが、なぜそこまで信頼出来るのかクラリッサには理解できなかった。だがシミュレーションでは、サンディエゴの精鋭たちより、効率的にギガンテスを撃退してくれている。その謎を解くことは、間違いなくこれからの迎撃に役だってくれると考えた。
 だからクラリッサは、一番期待のできるアスカに答えを求めることにした。信頼だけで勝てるほど、ギガンテスは甘い相手でないはずだ。だから優れた結果を示す以上、他にも理由があるはずだった。

「それで、アスカ。
 この結果を、単に信頼関係だけで説明を終わらせるの?」
「そう言うつもりはないんだけど……
 でも、一つ一つの作戦自体、特段目立ったところがないってのが実態なのよ。
 なのに、あの5人は私達以上に、うまくギガンテスを倒していっているわ」

 アスカが感心した通り、ジャージ部はすでに3体のギガンテスを倒し終えていた。そしてそのまま、次のステージに進んでいたのである。ここまで要した時間は、およそ30分。シミュレーションだけで言えば、新記録達成という事になる。

「この程度はやれるって想像してたけど、実際に見せつけられると複雑な気持ちになるわね。
 で、例のとっておきはデータに入れてあるの?」
「ばっちり、アスカ達が5分で音を上げたデータを入れてあるわ」
「準備運動も終わったでしょうから、とっておきを味あわせてあげましょうか?」

 アスカの了解を得たということで、クラリッサはコントロールルームに合図を送った。手際の見事さに感心していたスタッフ達だったが、その合図に本当にいいのかと一瞬顔を見合わせた。だがやれとクラリッサに指さされれば、指示に従うほかはなかった。

「さて、10体のギガンテスによる包囲攻撃よ。
 高知よりかなりきつい条件だけど、どこまで頑張れるかしら?」

 その状況に応じて、更に難易度を上げることも考えていた。相手が素人と考えると、少し大人気ない行動に違いないだろう。だがそれだけのことをすれば、秘密の一端を垣間見ることができると期待もしていたのだ。

 難易度を上げるため、襲撃してくる敵の数を増やす。それ自体は、シンジにとって想定した範囲のものだった。かなり安易とは思ったが、それが手っ取り早い方法に違いなかったのだ。
 だからいきなり10体のギガンテスが現れても、動揺する理由はなかったのである。だがそれは、あくまでシンジにとっての事情でしかなかった。そして取り囲まれたことで、キョウカとアサミの二人が軽いパニックを起こしていた。

 そのためシンジが最初に行ったのは、グループ全員の統制を取り戻すことだった。冷静に行動が出来なければ、どんな作戦も成功するはずがなかったのだ。

「篠山、アサミっ!
 これから作戦を次の段階に移す!
 まず僕が先導するから、遅れないように付いて来い!
 先輩、後方から二人を守りつつ付いてきてください!」

 曖昧な指示は、それだけ行動に迷いを生じる結果につながる。だからシンジは、これから行うことを作戦と言い切り、疑問を挟む余地のない指示を出した。そうすることで、包囲からの脱出を、パニックに襲われた二人にもできるレベルへと落とし込んだ。
 全員に指示を出したシンジは、1体のギガンテスめがけて突進を開始した。後ろに全員が付いてきていることは、信じて疑っていなかった。

 突破口と定めたギガンテスの口に、ちろちろと白い光が漏れ始めていた。それこそが、強力無比の加速粒子砲による攻撃が行われる前兆である。これを防御手段なしに受ければ、前回高知で受けた被害と同じことが起きてしまうだろう。そして後ろから4人が付いてきている以上、一人だけ攻撃を避ける事も出来なかった。

「全員、僕の合図と同時に大きく右に避けること!
 僕の動きに釣られないよう、言われたとおりに行動しろ!
 避けたら先輩、後方からの攻撃に備えてください!
 篠山とアサミはそのまま真っ直ぐ前に走りぬけろ!」

 方向を間違えないよう、「右」と言いながら、シンジは右手を横に差し出した。全員に命令を出したシンジは、3と言ってタイミングをカウントした。

「1、避けろ!」

 その指示と同時に、4人の乗った機体は指示通り大きく右に方向を変えた。そしてそれから少し遅れて、シンジの機体だけ左側に少しだけ位置をずらした。一番前のシンジを追いかけるように、進行方向のギガンテスは方向を変え、口から必殺の加速粒子砲を放った。そして包囲していた反対側に位置していたギガンテスも、シンジ達めがけて攻撃を行った。
 だがこの攻撃は、すべてシンジの予測の延長にあった。進行方向のギガンテスが攻撃を行う直前、シンジは更にスピードを上げ左方向に機体を逸らした。それに気づいて光の帯は追いかけてきたのだが、逃げる速度に追いつかず、逆に仲間のギガンテスに攻撃を加えてしまった。

 そして反対側から行われた攻撃は、マドカとナルによって完全に防御されていた。防御シールドでは長時間の攻撃には耐えられないのだが、同士討ちのお陰で敵の攻撃もすぐに止んでくれた。
 敵の攻撃を逸らして同士討ちを演出したシンジは、大地を蹴って直角に方向転換をした。加速粒子砲を打ち切ったギガンテスは、すぐに鋭い牙で食いつこうとしてきた。だが飛びかかろうと反動をつけたそのタイミングで、いち早くシンジの乗ったヘラクレスが上から襲いかかった。

「先輩、まず1体を仕留めます!」

 合図した時には、すでにマドカとナルはシンジのもとに駆けつけていた。このあたりは、すでに阿吽の呼吸が出来上がっていたのである。持ち上げたギガンテスをお腹から地面に叩きつけたシンジは、次の攻撃に備えるためマドカ達に場所を明け渡した。そして後を託されたマドカ達は、口を引き裂いて最初のギガンテスを仕留めてくれた。10体のギガンテスによる包囲攻撃は、接触戦で1体の殲滅と同士討ちによる大打撃を与えて乗り切ることに成功したのである。
 この僅かな戦いで、ジャージ部は圧倒的に不利な状況を、逆に有利な状況へと逆転してみせたのだ。



 能力の落ちるパイロットを含め、全員が包囲網から脱出してみせた。しかも単に脱出するだけでなく、敵の1体を倒し、確認した範囲で5体の敵に大打撃を与えている。同士討ちは偶然で片付けられるが、脱出自体は計算されたものに違いなかった。見事なものだと結論づけたアスカは、ここから先はおまけだと言い切った。

「これで、この課題はクリアしてくれたわね」
「どうして、まだギガンテスは9体残っているわよ?」

 数から行けば、未だ高知を超える数が戦場に残っている。それを考えれば、課題をクリアしたとは思えなかった。結果を見切ったアスカに対して、クラリッサはなぜだと聞き返した。

「とても簡単な理由よ。
 高知と違って、ギガンテスは分散して進攻しているわ。
 だから、個別撃破が容易な状況になっているのよ。
 そしてもう一つ、最初の作戦で、5体が大きな打撃を受けているわ。
 となると、無事なギガンテスはたったの4体と言うことよ。
 しかもその4体は、見事なまでに分散してくれているわ」
「たった一瞬で、そこまで状況を有利にしてくれたの!?」

 凄いわねと感心したクラリッサに、アスカは「そうね」と簡潔に答えた。そして座っていた椅子から立ち上がり、コントロールルームを出ていこうとした。

「アスカ、トイレ?」
「あいつらの実力はよく分かったわ。
 だから、もう少し難しい課題を用意しようかと思ったのよ」
「もっと難しいの?」

 その方法なら、いくらでも考えることが出来るだろう。ただわざわざアスカが外に出る理由は考えつかなかった。分からないと首を傾げたクラリッサに、「私が出るのよ」と言ってアスカは口元を歪めた。

「ギガンテスに侵食され、機体を乗っ取られた。
 そう言う設定なら、私が出ていってもおかしくはないでしょう?
 あとはそうね、機体に与えた損傷は、そのままパイロットの打撃になると伝えてくれるかしら?」
「そこまで意地悪する?」

 単独では最強のアスカに、更にハンデをつけようというのだ。まともな精神なら、味方の乗った機体を攻撃するのにためらってしまうだろう。しかもその攻撃が、中にいるパイロットにダメージを与えることになっている。ハンデとしては、大きすぎると言っておかしくなかった。

「意地悪かもしれないけど、ありえないシチュエーションじゃないのよ。
 TIC前の戦いでは、実際に機体が乗っ取られた事例が報告されているわ。
 そして私が出ることで、あの男の化けの皮を剥げるかもしれないわよ」
「さすがに、この課題は難しすぎるんじゃないの?」
「別に失敗しても、素人なんだから問題ないんでしょう?」

 だから難しすぎても構わない。そう言って出ていったアスカに、クラリッサは小さくため息を吐いた。

「もしもアスカが負けたら、それはそれで問題でしょうに」

 クラリッサとしても、西海岸のアテナの実力は十分に承知していた。その能力とハンデを考えれば、負けるとは考えられない戦いのはずだった。それでも、絶対に勝てるという自信が湧いてくれなかったのだ。



 絶体絶命のピンチを乗り切ったことで、パニックに襲われていた二人も落ち着きを取り戻すことに成功していた。そのおかげで最初の指示を思い出し、後方支援を着実に実行した。前線で戦闘に当たると、いくら意識していても周囲への注意が疎かになる。だから二人は、戦っている3人の目や耳としての働きを行った。

「新手が1体出現します!
 機体のタイプは、ヘラクレスタイプ!!
 情報では、敵に機体が乗っ取られたということです!」
「パイロットが分かったぞ。
 アスカさんが乗っ取られたということだ!」

 そこまでするのかというのが、全員が同時に考えた事だった。10体のギガンテスによる包囲攻撃と言うのも、すでに状況としては非常識な物だったのだ。そしてそれ以上の非常識を、これから行おうとしてくれているのだ。これが遊びなら目くじらを立てることもないのだろうが、公式行事として行われる以上、その結果が問題となってくる。

 アスカの参戦に対して、シンジの中に初めて迷いが生じていた。ヘラクレスが乗っ取られた状況は最悪だが、その特性故に撃破以外の選択肢が一つ追加されたのだ。そして新しい選択肢は、結構嫌みが効いていて楽しそうだったのだ。
 少し口元を歪めたシンジは、新しい選択肢を採用することにした。相手の顔を潰さず、しかも適当な嫌みになると言うのが気に入ったのだ。

「全員、道路に沿って東に逃げるぞ!
 先頭は先輩達が努めてください。
 僕は、しんがりを務めます!」
「ええっ、逃げるのぉ!!」

 その決定は、マドカ達にとって意外なことに違いなかった。これまで殲滅が当然と考えていたのだから、逃げるという選択肢は考えてもいなかったのだ。だがシンジは、はっきり「逃げる」と言ってくれた。

「ここは、僕の言う事を聞いて逃げてください!
 理由は、逃げ切った時に説明します」
「でも、逃げ切れるのかしら?」

 相手の方が能力が高いのだから、「逃げ切れるのか」と言う疑問は正当な物に違いない。だがそんな疑問に対し、逃げ続ける必要は無いと言いきった。

「撤退用のヘリを設定しますから、そこまで逃げれば十分です。
 ヘラクレスは、空を飛ぶことも出来ないし、飛び道具も持っていないんですよ」

 はい逃げてと言う合図で、マドカ達は一斉に背を向けて逃げ出した。そして一番後ろを、アサミ達を守るように、シンジが警戒しながら追いかけた。スピード的に余裕があるため、後ろを警戒することも出来たのである。こうすれば、何かが飛んできても対処することが出来るだろうと。

 アスカにしてみれば、相手が逃げるというのは想定していないことだった。だから一斉に背を向けて走り出すのを、呆然と見送ってしまった。そして気付いた時には、退避用のヘリを使って逃げ切ってくれたのだ。もうこうなると、アスカでも手を出すことが出来なくなってしまった。

「……こんなの、あり?」

 この結果に呆然としたのは、なにもアスカだけではなかった。モニタの前に陣取っていた者たち、その全てが予想とは違う結末に呆然としてくれたのだ。彼らは、これからどんな戦い方を見せてくれるのか、それを期待して見守っていたのである。
 その中で、一人大笑いしていたのが後藤だった。責任者として遅れて参加したのだが、いきなり面白い物を見せられたのだ。

「こりゃあいいっ!
 極めて理に適った対応だよ!」

 腹を抱えて笑う後藤に、クラリッサを先頭にサンディエゴ基地の面々が噛みついた。敵を前に、背中を見せて逃げるとは何事か、それが彼女たちの一致した意見だった。

「ミスター後藤、君はこの結果が理に適っていると言ったな?
 それは、この後発生する被害を想定して言っているのか?」
「このシミュレーションで設定された状況から、理に適っていると言いましたよ」

 サンディエゴを代表したのは、基地司令のトーリだった。相手が日本代表なのだから、その対応自体は間違っていないだろう。そして後藤は、上位基地代表に対する敬意を持って、適切な対応だと繰り返した。

「良ければ、その理由を説明して頂けないか?」
「そうですね、私には説明の義務があるでしょうな」

 トップ同士のやりとりなのだが、全員が聞き耳を立てているのは周知の事実だった。だから後藤は、トーリ以外にも理解できるよう言葉を選んだ。

「まず第一に、ヘラクレスには広域破壊するための武器がない。
 都市破壊兵器という観点では、極めて効率の悪い兵器です。
 従って、多少放置したところで被害が大して拡大しない物と推測できます。
 しかもシミュレーションでは、人口の密集地でない場所が設定されている。
 これが、作戦を考える上で重要なポイントとなります」

 第一にと言って後藤は人差し指を立てて見せた。

「次に戦力分析に移りますが、乗っ取られたヘラクレスの能力が不明です。
 データー上エースパイロットが乗っ取られたことになっていますから、
 推定の上では、単機での迎撃は不可能でしょう。
 従って、確実に迎撃するためには、作戦の立て直しが必要になってきます」

 それが第二と、後藤は中指を立てた。

「つまり、時間稼ぎのため一時撤退を選択したと言うことか?」

 トーリは、その説明から導き出される答えを口にした。

「まあ、負けるわけにはいきませんからね。
 確実に勝たないと、被害は更に拡大することになります。
 今回は彼らの自主判断で撤退を選択しましたが、私も同じ指示を出したでしょう。
 そう言う意味では、非常に冷静な判断が行われたと評価することが出来ます」

 後藤の説明に、トーリはフンと鼻を鳴らした。そしてその説明に対する見解を、戦術担当の部下を呼び寄せ確認した。そしてますます渋い顔をして、後藤の言葉を認めたのである。

「うちのスタッフも、君の説明に納得しているそうだ。
 彼らが選択した撤退という判断は、極めて合理的だと認めざるを得ないだろう……」

 トーリの答えに含まれた微妙なニュアンスに、「それでも納得がいきませんか?」と後藤は聞き返した。

「いや、採った方法自体納得がいく物だ」
「ただ、ぶつかり合った結果が見たかった……と言うことですかね」

 その気持ちは理解できるが、逆に期待しすぎだと言うことも出来た。それを考えると、碇シンジが予防線を張ったとも考える事が出来てしまう。このまま続けると、際限なく彼らの興味を満たし続けなければいけなくなってしまう恐れがあったのだ。それを防ぐ意味でも、撤退というのは優れた選択だった。
 だから後藤は、勝手にシンジの意図を代弁することにした。興味の追求は、今回行われるヒアリングの趣旨からも外れてくれるのだ。そしてシミュレーションを行う目的からも、大きく離れていってしまう。

「これは、私の推測になりますが……」

 そう断った後藤は、3つめだと言って薬指を立てた。

「当初の目的は達しただろうと主張したかったのでしょう。
 おそらく、今のままでも撃退は可能だと考えていたと思います。
 ただそうなると、更なる面倒を呼び込むと考えたかと思います。
 従って、多少物議は醸しても、一番適切と思われる方法を選択したのでしょう」
「つまり、いい加減にしろ……と言うことかな?」

 はっきりと言い切ったトーリに対して、後藤は苦笑を浮かべて肯定して見せた。

「10体のギガンテスによる包囲攻撃突破も、いささか過剰な要求ですな。
 本来の迎撃作戦で、包囲状態になる事はまずあり得ない。
 それを無傷で突破して見せたのだから、サービスするのもここまでと言うことでしょう。
 少なくとも、そちらで抱えている問題への答えには十分なったかと思いますが?」
「そうだな、これでギガンテスの迎撃には特殊な能力が必要なことが理解できた。
 ただ、その方向は、いささか我々の期待とは異なる物だったのだが……」

 これまでギガンテスの迎撃に関しては、ヘラクレスとの同調率が主な課題として議論されてきた。だがこのシミュレーションでは、同調率に並ぶ課題として、確実な現場指揮能力が要求されることが示されたのである。作戦の特殊性、そして求められる現場判断を考えると、要員の養成が簡単ではないのが理解できた。さらに付け加えるなら、確実な現場統制と言う所か。ただ、この統制に関しては、すでにカサブランカで実績を上げていたことでもあった。

「それから申し上げておきますが、シミュレーションはあくまでシミュレーションと言うことです。
 まあシミュレーションでも出来ないことが、現場で出来ないのも事実ではありますが」
「あまり、シミュレーションに拘るなと言う事か」

 ただそのシミュレーションにしたところで、訓練生のレベルが低いというのが現実だった。同調率の差が小さいことを考えると、その差が生まれる理由がサンディエゴ基地にはあったのだ。そしてその差を分析し、解消してくのが今回の目的のはずだった。

「しかし、我々は、確実な迎撃態勢を構築する必要がある。
 日本が特殊であると結論づけて、各国の希望の芽を摘むのも好ましくないのだ」
「その考えを否定する物ではありませんよ。
 現に我々は、高知の悲劇を目の当たりにするところだったのですからね。
 従って、民間協力者には、可能な限り協力するようお願いしてありますよ」
「そのことには感謝させてもらおう。
 ところで君は、いつまで彼らを民間協力者にしておくつもりなのかな?」

 世界の利益という面で考えれば、今すぐ徴用して迎撃態勢に組み込むべきなのだ。それは後藤も常々考えていることなのだが、相手が一般人というのが問題を複雑にしていた。高校生というのは、各種保護が法律で規定されていたのである。
 そしてもうひとつの問題は、戦力の中心が対象Iと言う事だ。対象Iをヘラクレスに乗せることに対して、未だ各方面から懸念が示されていたのだ。背に腹が変えられなくなれば別なのだろうが、ひとまず危機が去ったこともあり、今は乗せたくないという意見の方が優勢になっていた。

「最年長の二人は、せめてハイスクールだけでも卒業したいと希望しています。
 強制徴用が許されない以上、出来るだけ穏便にことを進めたいと思っていますよ」
「つまり、あの二人については1年以内と言う事か」

 その目安を聞けば、一番問題となる対象Iのことを聞く必要は無かった。今の関係を見る限り、対象Iが彼女たちを見捨てるとは思えなかったのだ。民間協力という形は続くかも知れないが、迎撃の面で問題が出る恐れは無いのだろう。

「彼女たちも、何時までも無責任……言い方が間違っていますな。
 何時までも民間人で居て良いとは思っていませんよ。
 自分達の持っている能力、それを生かさないのは許されないことを理解しています。
 ただ、せめて高校生活だけは続けたい、それだけが希望なんです。
 だから私は、その気持ちを大切にしてあげたいと思っています。
 ちなみに、彼女たちには、卒業後の進路としてうちの大学を薦める予定でいます。
 その方が、ただパイロットになるのより、彼女たちの将来に役立つでしょう」
「当面、日本基地は補助の役目から格上げできないと言うことか……」

 色々と風当たりは強くなるが、それが正当なコストであるのはトーリにも理解できた。現に西側では、適性検査の強制を行っていない事情がある。個人の自由を侵害するのは、必要であっても軋轢の大きなことだったのだ。特に西側諸国では、そのコンセンサスがとれていたのだ。
 そして他にも、口に出せない事情というのがそこにあった。その第一は、日本から派兵されるのを好まない国があるということだ。本当の危機に見舞われれば態度を変えるのだろうが、今は日本の軍の上陸を否定していたのである。
 そしてもう一つは、補助という格付けは実際の危機では有耶無耶にされると言うことだった。そのあたりは政治的駆け引きが行われるのだろうが、国境を超えて彼らが出撃するのは大いにあり得たのだ。それが分かっているから、トーリも意味の無い基地の格付けには拘らなかったのだ。



 途中で、逃げるという手段をとったため、午前中のシミュレーションはそこで打ち切りになってしまった。そのあたりは、後藤の説明に理由があったのだが、当然シンジ達はそのことを知らなかった。ただ事実として、予定よりかなり早く終わったことだけが残ったのである。
 早く終わったのなら、午後のヒアリングを前倒しにすればいいとシンジは考えた。その方がじっくりと話も出来るし、早めに解放されると考えたのだ。だがシミュレーションから解放される時、予定の変更は知らされなかった。そのおかげで、ランチまでの1時間、シンジ達は何もすることがなくなってしまった。

 それならそれで、ヒアリングとは別の質問をされるのかと身構えたのだが、結局誰もシンジ達に絡んで来なかった。そのあたりは、シミュレーションで度肝を抜いてやったのが効いているのだろう。

 その中での例外は、日本から送り込まれたパイロット候補達だった。目立たないよう一般食堂に移動したシンジ達を追いかけ、10名全員が勢揃いしてくれたのだ。困った顔をしたシンジの前に、カーキ色の制服を着込んだ少年少女が並んでくれた。
 彼らが何らかの意気込みを持ってきたのは分かるのだが、だからと言ってそれに付き合うのは色々と問題がある。だからシンジは、先手を取って釘を差すことにした。

「ここで目立つことをしたら帰りますからね」

 それが功を奏したのか、代表の衛宮は、なにか言いかけたまま固まってしまった。何が目立って何が目立たないのか、そんなものはすぐに判断できなかったのだ。そしてシンジ達が譲歩した事情は、彼らも上官からしっかりと叩きこまれていた。だから「帰る」と言うのは、とても効果的な脅しとして通用したのだ。
 一応薬が効いたのを確認したシンジは、次に彼らに対して救いの手を差し伸べることにした。同じ日本人同士、そして同じ戦場で命をかけた同士、無碍に扱うほどシンジの性格は悪くなかった。ただ目立つのが嫌なのは変わらないので、場所を変えるという選択をすることにした。

「とりあえず、もう少し広いところに移動しましょう。
 それからみなさんも、何か飲み物でも持ってきてください」
「あ、ああ、そうさせてもらおうか……」

 シンジの言葉を救いと理解して、衛宮は他の9人と一緒にカフェテリアのレーンに並んだ。それを確認して、シンジ達は奥の広いテーブルへと移動した。年上も混じった中で仕切ったシンジに、アサミは「先輩」と呼びかけた。

「すっかり貫禄が付きましたね」
「う〜ん、あまり褒められている気がしないなぁ」

 付き合うことになったのに、アサミはシンジを「先輩」と呼んでいた。結局、それが一番呼び慣れていると言うのがその理由だった。「先輩って言うのも萌えますよね?」と可愛い顔で言われれば、だめとは言えない17歳の少年だった。

 場所を確保したところで、丁度衛宮達が飲み物を持って追いついてきた。全員をとりあえず座らせたところで、シンジはもう一度注意を繰り返した。

「繰り返しますけど、目立つことは絶対にだめですよ。
 この場において、僕達は見学に来ただけの日本の高校生ですからね。
 それで、みなさんは勢揃いしてどうしたんですか?」

 目立つことはだめと繰り返されると、次の行動が取りにくくなってしまう。だからどうしようと困り果てた衛宮の代わって、一人の女性が場を引き継いだ。

「中泉ヨウコと言います。
 ここに全員が集合したのは、この前のお礼が言いたかったからなの。
 あの時全員死ぬ覚悟で出撃していたから、あなた達が命の恩人なのよ」

 そこでウインクというのは、お礼の仕方として正しくないのだろう。だが目立つことはだめと言った以上、ウインク程度で我慢しておく必要があった。それに言い方自体、随分と知恵を絞ったのが理解できるのだ。

「お礼を言われるだけのことはしたと思っていますが、まさかそう来るとは思っていませんでした」

 ふっと笑ったシンジは、紹介すると言ってまずマドカを手のひらで示した。日本語ならば、多少踏み込んだ話も大丈夫だと考え、1ヶ月前のことを説明することにした。

「正式名称ボランティア部こと、ジャージ部部長遠野マドカさんです。
 この前のことは、部長が出撃すると駄々をこねたことから始まったんです」
「あっれぇ、碇君がアサミちゃんに騙されたことが理由じゃないのぉ?」

 口元をにやけさせたマドカは、すかさず突っ込みの言葉を返した。だがその程度でうろたえていては、ジャージ部唯一の男は務まらない。綺麗に無視して、紹介を先に進めた。

「そしてこちらが、副部長の鳴沢ナルさんです。
 遠野先輩と二人、スポーツだけは万能ですから、運動部の助っ人として活躍しています」
「碇君、だけってことはないと思うわよ、だけってことは!」
「勉強、得意でしたっけ?
 この前赤点取りそうになって慌ててましたよね」

 その一言でナルを黙らせたシンジは、次にと言ってキョウカを紹介した。

「現役バリバリのお嬢様、篠山キョウカさんです。
 入学時はとてもお嬢様に見えなかったのですが、更生してようやくここまでたどり着きました」
「いやぁ先輩、ようやく俺のことを褒めてくれたな!」

 皮肉が通じるわけもなく、お嬢様と言われたことをキョウカは喜んだ。ただ慣れっこになったこともあり、シンジは拘らずに先に進んだ。

「元トップアイドルの堀北アサミさんです……」
「先輩、私にはなにもないんですか?」

 不公平と唇を尖らせたアサミに、ごめんとシンジは謝った。

「碇君、さっそく彼女のお尻に敷かれているの?」

 彼女というマドカの突っ込みに、候補生達10人が揃って「ええっ」とのけぞった。同じ年代ということもあり、全員アサミのことはテレビで見ていた口だった。

「ほ、堀北さん、碇さんの彼女って本当のこと?」

 候補生達を代表した岩渕マチコに、「今朝、告られちゃいました」とアサミはあっけらかんと答えた。その間違いようのない答えに、5人の男たちの間に雨雲が立ち込めた。それを苦笑で迎えた岩渕は、シンジに向かって紹介は? と先を促した。

「2年で部長代行をしている碇シンジです」
「思ったより女癖が悪い碇くんですよぉ」
「でも、マドカちゃんは手を出してもらえなかったのよね」
「そいう意味なら、俺も手を出されていないな」
「ときどき、すっごく強引な時があるんです」
「みんな、こんなところに来て日本の恥……いやいや、事実と異なることを言わないでください」

 その紹介に吹き出したマチコは、仲が良いのだなと羨ましく思った。ヘラクレスなんてものに関わってはいるが、ちゃんと高校生をしているのが分かるのだ。
 だからマチコは、シンジとしては否定したいことを、客観的事実として指摘することにした。

「つまりジャージ部は、碇くんのハーレムということね?」
「岩渕さん、それはものすごい誤解です。
 ハーレムだったら、温泉に行った時、簀巻きにして部屋の隅に転がされたりしません。
 しかも目隠し耳栓までされたんですよ!」
「へぇ〜、普通科の高校ってそんなプレーが流行っているんだぁ」

 敢えて曲解したマチコに、違いますと全員が声を揃えた。
 さすがにこのままだと、更に恥を晒すことになりかねない。頭を切り替えたシンジは、岩渕達に話を振ることにした。

「それで、皆さんは紹介して貰えないんですか?」

 未だ男どもが雨雲を背負っているのは気になるが、こういった事は一方通行であっていいはずがない。だったらと、女性陣の一人が手を挙げた。自衛隊に有るまじき、小学生かと思える小さな体をした少女だった。

「じゃあ、私加藤アイが全員を紹介します。
 一番左でいじけているのが、男性側リーダー衛宮シロウです。
 色々と熱いのですが、実力を伴っていません。
 だからただ暑苦しいだけの男です」
「加藤、ただ暑苦しいだけと言うのは無いだろう!」

 当然の抗議に思えたのだが、アイはそれを完全にスルーした。

「そしてその隣が、間桐シンジです。
 碇さんと同じシンジですけど、こっちはしっかりヘタレです」
「加藤、言うに事欠いてヘタレは無いだろう!」

 これまた当然の抗議なのだが、アイはやはりそれをスルーした。

「その隣が、遠坂リンタロウです。
 賢そうに見えますが、肝心なところでドジを踏むうっかり属性があります」
「失礼な、ドジを踏んだ覚えなんかないぞ!」
「それで、その隣が葛城ソウタロウです。
 ものすごく真面目そうな顔をしていますが、単なるムッツリスケベです」
「加藤、ムッツリはないだろう!!」
「そうでしたか、でしたら単なるスケベです!」

 その方がもっと悪い。そんな突っ込みを華麗にスルーして、アイは最後の紹介に移った。

「そして一番端が言峰キチク……じゃなかった、言峰シュウ。
 ニヒルさを装っているけど、刺繍が趣味の見掛け倒しです」
「ふっ、刺繍は至高の芸術なのだ! 愉悦の極致なのだぁ!」

 紹介の仕方が理由なのだろうが、男子パイロット全員とても個性的に見えた。なるほど自衛隊は奥が深いと、ジャージ部全員が感心したほどである。しかもアイの紹介で元気を取り戻したのか、女性の紹介は俺がすると衛宮がしゃしゃり出た。短髪で静観な顔をしているが、確かに態度は暑苦しそうだった。

「まず最初に、中泉ヨウコだ。
 見た目で分かる通り、しっかりオヤジが入っている!」
「可憐な女子高生を捕まえて、オヤジがあるか、オヤジが!!」

 制裁してやるとヨウコが衛宮を追いかけたので、次は俺がと間桐が紹介を代わった。こちらは、どちらかと言えば座っている側を間違えてるとしか思えなかった。自衛隊というより、普通科のほうがぴったりという風貌だったのだ。

「その隣が、岩渕マチコ……中泉と同様にオヤジです」

 言われる方も予測していたのか、オヤジと言った途端間桐を追いかけた。そして追われる方も予想していたのか、オヤジと言った途端に逃げ出した。

「おほん、お見苦しいところをお見せしました。
 この遠坂リンタロウが、華麗に女性陣を紹介しましょう!」

 たぶん、男連中の中では、一番見た目がいいほうだろう。短髪揃いの自衛隊員の中、長髪とまでは行かなくても、結構長めの髪をしていた。
 立ち上がった遠坂は、そう言ってアサミに向かってウインクをしたのだが、当たり前のようにように無視されてしまった。そのショックに肩を落とし、遠坂はアイを紹介した。

「加藤アイ、見た目通りのちびっ子で、オタク趣味バリバリの腐女子だ」
「遠坂君、随分な言われようね」
「そしてその隣が、間桐サクラだ。
 シンジと同じ名字だが、兄妹とか親戚とかでは全くない。
 見た目は綺麗だが、どSだとの評判が高い」
「遠坂君、いじめて欲しいの?
 あっ、それから碇さん、縛られるのが趣味なんですか?
 よろしかったら、今度縛って差し上げますよ?」

 見た目が綺麗と言う紹介通り、自衛隊5人組の中では一番の美人なのだろう。それにスタイルにしても、勝負になるのはキョウカぐらいのように見えた。見た目にはとても魅力的なのだが、どSと言う趣味が全てをふいにしていた。縛ってあげますと目をキラキラと輝かす姿に、シンジは思わず一歩後ずさっていた。

「そして最後のが、月姫シエルだ。
 冗談のように聞こえるが、芸名ではなく本名だ。
 一見普通に見えるが、料理の腕は殺人級だ」
「ひっどいなぁ、まだ誰も死んでいないわよ、まだ」

 果たして料理の腕が悪いのか、それとも意図的に酷い料理を作っているのか。「まだ」と強調したあたり、非常に疑問を抱かせる問題だった。
 だがそのあたりの疑問は、受けたインパクトに比べれば枝葉の問題でしかなかった。その濃さを取り上げ、シンジはマドカに向かって「負けました」と言った。

「まさか、日本の自衛隊がこんな逸材を隠していたとは想像もしていませんでした。
 どうしてこんな、“濃い”人材が送り込まれていたんでしょうか?」
「そうね、この人達の“濃い”キャラクターと比べたら、私達って一般人そのものよね」

 普通に考えれば、シンジ達も十分に濃い要素を持っているはずだった。それを棚に上げ、二人は彼らの濃さを強調した。そして他の3人も、自分のことを棚に上げ、二人の論評に対して同意を示すように頷いた。追いかけられていた二人が連行されてきたのは、それから間もなくのことだった。
 お互いの紹介も終わったと言うことで、衛宮達がわざわざやってきた理由へと立ち返った。やはり彼らが気にしたのは、直前に行われたシミュレーションのことだった。

「ところで、さっきのシミュレーションだけど、どうして最後は逃げたの?
 みんな大立ち回りを期待していたから、あっけにとられてしまったのよ!」
「あっ、それ私も聞きたいな!」

 ヨウコの質問に、マドカも同調してきた。シミュレーションではシンジの指示に従ったが、マドカ達も逃げる事は考えていなかったのだ。後から説明するという約束も、まだ果たされていないという事情もある。
 二人がかりというか、全員の視線を集めたシンジは、どう答えようかとしばらく考えた。

「理由ならありすぎて困るんですけど……どう言った理由が聞きたいですか?」
「どう言った理由って……碇君、私の事を舐めてない?」

 痛めつけてあげようか。そう言って指を鳴らしたマドカに、シンジは慌てて真面目に聞いていますと言い訳をした。

「ここまで来て簀巻きにされるのは嫌ですからね。
 理由がありすぎるから、どれを話せばいいのかと言う事ですよ」
「じゃあ、言い方を考える事ね!」

 ふんと鼻息を一つ荒くして、「それで」とマドカは先を促した。

「だから色々あるって言ったのに……」

 そう言って文句を言ったシンジだったが、マドカに睨まれてひっと首を引っ込めた。

「だったら一番当たり障りがあるって言うか……
 一番最初に考えた理由ですけど……そうですね。
 正直言って、付き合いきれないというか、付き合う義理がないというか。
 せっかく協力しているのに、必要以上に人の能力査定をしてくれたじゃないですか。
 だから、あの場面で取り得る一番嫌みったらしい方法を選択したんです」
「そうなの?
 私は、アスカさんに一泡吹かせてあげようと思ったんだけどなぁ〜」

 やる気満々だったマドカに対して、シンジははっきりと分かる苦笑を浮かべた。

「先輩だったらそう言うと思っていましたけどね。
 でもね、一泡吹かせるのなんて難しくないんですよ。
 おかしな能力が使えない限り、5対1で負ける方がおかしいんです。
 全員で一斉に飛びかかれば、なすすべもなくジエンドですよ。
 まあ、先輩好みの戦い方じゃないのは分かっていますけどね」

 シンジの言葉に、マドカとナルはうんうんと頷いた。そしてそれを確認し、シンジは説明を続けた。

「もともと僕達が協力したのは、後藤さんの報告書の裏付けをするためじゃないですか。
 だとしたら、10体に囲まれる奴とか、味方が乗っ取られる奴なんて必要がないんです。
 僕達の基礎能力、そうですね同調率とかのデータと、実績がリンクすればそれで終わりなんですよ。
 本来最初の部分だけ見せれば、後はヒアリングをしてお終いのはずなんです」
「つまり碇君は、見せ物にされたことに抗議の気持ちを示したと言うことか?」

 代弁するような衛宮の言葉に、「おおよそそう」とシンジは答えた。

「海外旅行させて貰ったことには感謝しますけど、間違っても僕達は見せ物じゃない。
 迎撃態勢の強化なら協力しますけど、興味本位には付き合うつもりはありません。
 どうも、ここの人たちって、興味が勝っているんじゃないですか?」
「だがなぁ、君たちの限界を確認するのも重要なことだと思うぞ?
 そうすれば、同調率と戦闘能力に関する考え方が変わるかも知れない」

 興味本位の部分を否定した衛宮に、「それは否定しない」とシンジは答えた。

「でも、十分に今までの常識を壊してあげたと思うんですけど?
 最後の奴は、10体の包囲を無傷で脱出するのよりは難易度が低いんですよ。
 ただ一点、心理的な壁という問題があるんですけどね」
「人が乗っているという、倫理的な問題か?」
「倫理的と言うより、もうちょっと分かりやすい理由ですよ」

 そう答えたシンジは、「立ち入ったことを聞く」と切り出した。

「衛宮さん、女性パイロットに恋人は居ますか?」

 なぜそんなことを聞く必要があるのか、ちょっとだけ全員に疑問が走った。ただ女性陣で誰も反応しなかったところを見ると、相手はここに居ないのだろう。
 だが聞かれた衛宮は、そのあたりはどうでも良いことのようだった。だが自信満々で答えた中身は、いささか問題が多かった。

「俺にも、選択の権利があるはずだ。
 だから、この中に恋人が居るはずがない!」
「衛宮君、選択の権利ってどう言う意味で言っているのかな?」

 居ないだけではなく、余計な一言を付け加えてくれたのだ。そのお陰でヨウコを筆頭に女性達から睨まれたのだが、そんなことを衛宮は気にするそぶりは見せなかった。

「どう言う意味って、言った通りの意味なのだが?」
「ええっと、僕の質問がまずかったようですね」

 さすがに余計な波風はまずいと、シンジは慌てて割り込んだ。質問の意図は、自衛隊内の男女関係をほじくり返すことではない。ましてや、男女の間に決定的な対立を作ることなど考えていなかった。

「もしも衛宮さんの恋人の乗った機体が乗っ取られたら。
 衛宮さんは、普段通りに戦うことは出来ますか?
 攻撃の仕方によっては、中に乗っている恋人が死ぬ可能性があるんですよ」
「それは……うん」

 仮定の話であれば、出来ると答えるのは難しくはない。だが本当にその場面に直面した時、簡単に出来る自信は持てなかった。だから衛宮も、シンジへの答えに詰まってしまった。そして答えに詰まったことが、シンジの求めるところでもあった。

「一泡吹かせると言った先輩でも、とどめをさせるのかというと別だと思いますよ。
 場合によっては、自分の手でアスカさんを殺すことになるんですからね」
「つまり、本来必要のないシミュレーションをしようとしていたと言うことね?」

 中泉の質問に、「そう思います」とシンジは肯定した。

「やる方は、純粋に力試しのつもりだったんでしょうけどね。
 テストされる方は、そう言った問題を突きつけられると言うことです。
 まあ、そんなことを少しも考えていなかった人も居ますけど」

 そう言って、シンジはマドカとナルの二人をじっと見た。

「いやぁ、そんな熱い眼差しを向けられたら照れるわね」

 キョウカを真似たマドカに、シンジはため息混じりに言葉を続けた。

「篠山の真似をしても駄目ですよ。
 前にも言いましたけど、戦うと言う事は必ず辛い判断を求められることになるんです。
 困っている人がいるから助ける……なんて、簡単な物じゃ絶対にないんです」

 そう言う事だと締めくくろうとしたシンジだったが、そうそうと言って手を叩いた。

「もう一つ理由があったのを忘れていました。
 今後の作戦を考えた時、あそこは撤退が正解なんですよ。
 乗っ取られたヘラクレス1体じゃあ、大して街を破壊することは出来ません。
 だったら一度体勢を立て直して、攻略方法を考えるのが良いんですよ」
「碇君って、そこまで考えていたの!?」

 凄いわねと感心するマドカに、候補生達を含めた全員が頷いた。乗っ取られた機体が現れてから撤退の判断をするまでの短い時間で、そこまでの事を考えたというのだ。感心されるのも、ある意味当然だったのかも知れない。
 だがシンジにしてみれば、そこまで感心されることの方が不思議だった。

「普通、考えながら戦うでしょう?
 と言うことで、質問への回答をしました。
 これで、納得して貰えましたか?」
「納得というか、凄いと感心させられたというか……
 俺たちは、日本に帰った方が良いのではないかと思い始めたぐらいだ。
 サンディエゴとの連携より、君たちとの連携を考える方が有意義に思えたよ」

 衛宮の答えに、他の9人もうんうんと力強く頷いた。ここで時間稼ぎの連携を学ぶより、日本独自の迎撃体制を考える方が現実的に思えたのだ。その方が、たった3人で出撃させるよりも、間違い無く意味があるように思えた。
 衛宮の答えは、自分のことだと忘れれば、シンジも同意できるものだった。現実的な話として、日本が襲われれば、間違いなく自分達にお呼びが掛かるだろう。そう考えた場合、この10人との連携を取っておく必要があるのは言うまでもない。人数が多くなればなるほど統制の難しさは出るが、選択しうる作戦の範囲が広がってくれるのは間違いなかった。

 だがメリットが有ると分かっていても、独自の対応に問題があるのも理解していた。だからほいほいと、衛宮の話を肯定するわけにもいかなかった。どう考えても、色々と政治的な問題を引き起こしそうなのが分かるのだ。だからシンジは、その問題を後藤に丸投げすることにした。

「日本だけで考えたら、衛宮さんの言う通りだと思いますよ。
 でも、色々と難しい問題がありそうですから、そのあたりは後藤さんに任せましょう。
 それからもう一つ、僕は高校生をやめたいとは思っていませんからね」
「そう言う心配なら問題ないな。
 こう見えても、俺たちも高校生だからな!」

 防大付属の高校なのだから、衛宮の言っていることに間違いはないだろう。それに気付いたシンジは、いささか問題の多い、そして誰が聞いても惚気としか言いようの無い答えを返した。

「アサミちゃんと離れるつもりはありませんと言い直します」

 それを真面目な顔で言い切ってくれたので、全員……もちろんアサミを除くのだが……やってられないという気持ちに襲われた。アサミはひとりイヤンと照れたのだが、他の全員は椅子に身を投げ出してしっかりとだれてくれた。

「やってられないって、こう言う事かしら?」
「碇君が、ここまで言うようになるだなんてね……」
「そうか、俺はまだまだ努力が足りないと言うことか」

 ごちそうさまと言うのは、食事前に言う言葉ではないはずだった。



 昼食後は個別ヒアリングに当てられたため、対象外の二人は時間を潰すという必要があった。宿泊先がリゾートホテルだから、ホテルで過ごすというのも選択肢の一つだろう。ただ海やプールで遊ぶと言っても、それほどお互い“仲が良くない”と言うところに問題があった。
 クラブ活動ではうまく行っているように見えるアサミとキョウカだが、あくまでシンジやマドカ達と言う触媒のお陰である。その触媒が居ない状況では、仲良く楽しくと言うのはなかなか難しいところがあった。しかもキョウカからしてみれば、アサミというのは尊敬するアイリの恋路を邪魔する不埒な輩だった。そして二人が破局したのを見計らうように、ちゃっかり後釜に納まるずるい相手だったのだ。シンジの前で文句を言うのは控えていたのだが、二人きりになればその不満が顔を出してしまう恐れもあった。

 当然アサミも、キョウカにどう思われているかぐらい承知していた。その点アサミの方が大人なのだが、噛みついてきても適当にあしらおうと考えていた。バカな子供ではないのだから、篠山と事を構えようなどと思っていなかったのだ。
 ただそんなアサミも、一つだけ譲れないことを持っていた。もしもそこにキョウカが触れたなら、全てを吹き飛ばす爆弾を落とすつもりで居た。ただその爆弾にしても、落とさない方が良いとは思っていた。だから、予め綾部に対して手を打っておくことにした。

「先輩が、綾部さんと居た方が安心できると言ったから一緒に行きますけど」

 昼食後3人だけになったところで、アサミは綾部だけに声を掛けた。そして少しだけキョウカから引き離して、キョウカを黙らせろと脅しを掛けた。

「先輩のことは、少しぐらいなら我慢して相手をしますよ。
 ただ瀬名先輩のことで私を責めたら、黙って言われっぱなしになりませんからね。
 瀬名先輩に対して、篠山が何をしたのか全部ばらしますよ。
 当然碇先輩にも、そのことを教えますからね。
 それが嫌なら、篠山さんを押さえつけてくださいね」
「御当主様も知らない事を、どうしてあなたが知っているのですか?」

 はっきりと驚いた顔をした綾部に、親の仕事の関係だとアサミは答えた。

「美容院というのは、いろんな噂話が伝わってくるのよ。
 そして瀬名先輩のお母様は、うちのお得意様だったのよ」
「今回引っ越しを決められたのに、篠山は関わっていないのですが……」

 綾部の答えに、アサミは仮定していたことへの答えを貰ったと思っていた。

「つまり、綾部さんも瀬名先輩の事情を知っていたと言うことですね。
 さすがは篠山の関係者だけあって、そう言うところは上手なんですね」

 シンジがパニックになっていた時、事情を知っているのに綾部は何食わぬ顔をしていたのだ。しかも自分よりよほど当事者というのだから、皮肉の一つも言いたくなると言うものだ。
 もっとも綾部にしても、その程度の嫌味でへこたれるはずがない。

「あなたほど、計算高くないと思っていますよ」
「どうだか……それで、私のお願いは聞いて貰えますか?」

 ほんの少しだけムキになったアサミを、可愛いなと綾部は思っていたりした。だがいくら芸能界で揉まれたからと言って、大人の汚さに対抗できないことは分かっていた。ただ今彼女を叩き潰したとして、篠山に何の利益がないのも分かっていた。下手に手を出したら、篠山の受けるダメージの方が大きくなる可能性があったのだ。
 それもあって綾部は、アサミに対して敢えて反撃はしなかった。それぐらい、篠山と彼女の間に居る存在、碇シンジと言う存在は、巨大な破壊力を持っていたのだ。

「お嬢様のことは承知しました。
 ですから、お嬢様を挑発するような真似は控えてくださいね」
「多少突っかかってくるぐらいなら、うまくあしらってあげるわ。
 それぐらい出来なくて、どうしてアイドルを続けられたと思います?」

 ふっと笑ったアサミは、すぐに笑顔を年相応の可愛らしい物に作り変えた。そして一人仲間はずれになっているキョウカに対して、「行き先が決まりました」と声を掛けた。

「車で1時間と少し飛ばすと、高級ブティックのある街があるの。
 そこでキョウカさんを、思いっきり魅力的に飾り立てようかなって。
 ママの店もあるから、とびっきりのをオーダーできるわよ。
 夕食の時、先輩を驚かしませんか?」
「碇先輩をか、うん、それは良いな!」

 シンジのことを持ち出せば、キョウカを操るのは簡単な事だった。しかも魅力的にすると言うキーワードが、どれだけ有効なのかも熟知していた。それを何事もないように口にするアサミに、跡取り娘一人では歯が立たないと綾部は認めた。これだったら、自分に釘を刺さなくても、キョウカを気にする必要など無かったはずだ。
 むしろ、自分は余計なことを言わされたのではないか。喜ぶキョウカを見ながら、綾部はアサミと言う少女の評価を、身内に取り込むべきと書き換えた。そうすることで、先代と同じ失敗を繰り返さないための対策になると考えたのだ。



 アサミと綾部の間で火花が飛んでいた頃、シンジ達はヒアリングという名の尋問を受けていた。教えて欲しいと下手には出ていたが、根掘り葉掘り聞いてくるのは尋問以外のなにものでもなかったのだ。その洗礼を最初に浴びたのは、シンジとは別の意味で注目を集めたマドカだった。
 マドカ達の担当は、イザベラ・フォーリーと言う名の、20代に見える女性だった。茶色の髪を後ろでまとめた、少し頬の赤さが目立つ女性である。イザベラは、緊張するマドカに対して単刀直入にシンジとの関係を聞いてきた。

「あなたとシンジ碇の関係を教えて下さい」
「碇くんとの関係ですか……クラブ活動の先輩と後輩ですけど?」

 なぜ最初にそれが来るのか疑問に感じながら、マドカは当たり前の答えを返した。この程度のことは、すでにプロフィールに書かれていることだと思っていた。

「ではあなたは、シンジ碇に対して恋愛感情に相当するものを持っていますか?」
「は、はぁあっっっ?」

 驚いたマドカに、イザベラは同じ質問を繰り返した。

「非常に重要な問題なのです。
 あなたは、シンジ碇に対して恋愛感情に相当するものを持っていますか?」
「え、ええっと、ありません?」
「なぜ、そこで口ごもったのですか?
 彼に対するあなたの感情は、非常に重要な問題を持っているのですよ!」

 表情を少しも変えず、とても機械的にイザベラは踏み込んできた。それを聞かされたマドカは、仕方が無いと少し踏み込んだ回答をした。

「可愛い後輩だなぁとは思っていますけど……でも、恋愛感情はありませんよ!」
「あなたが今口にした感情は、性交渉に結びつくものでしょうか?
 ハッキリ言えば、抱かれたいと思ったことはありますか?」

 なぜ個人の関係にまで踏み込んでくるのか。しかも心のなかにまで踏み込もうとする相手に対して、さすがにと言うか、我慢の許容量が極めて少ないマドカが切れた。忌々しげに机をどんとたたき、「ふざけたことを聞くな!」と怒鳴り声をあげた。
 だが怒鳴られた方は、全く動じる様子を見せなかった。通訳に付いた葵の翻訳に、なるほどと逆に納得してくれたほどだ。

「人は、都合が悪くなると大声を出してごまかそうとします。
 あなたの場合もそれに当てはまると考えると、シンジ碇に対して性的関心を持っているということですね。
 ちなみに葵、日本人の場合性交渉と恋愛感情は分離して存在しますか?」
「……なんで私に聞くんですか」
「彼女の場合、正直に答えてくれそうにありませんからね」

 それでと心の奥底まで見通すような目で見られ、葵は観念して「通常は一緒」だと答えた。

「つまり、彼女はシンジ碇に対して恋愛感情を持っているということですか。
 なるほど、彼の言葉に素直に従うことへの説明がつきますね」

 所見をキーボードで打ち込むイザベラを見て、マドカは葵にどういう事になっているのかと尋ねた。

「何か、一人で納得しているように見えるんですけど?
 一体何に納得しているんですか?」

 マドカの質問に、葵はどう答えようか真剣に悩んでしまった。だがどう答えたとしてもあまり差がないと、とっても開き直った答えを返した。

「あなたが、碇君に対して恋愛感情があると決めつけてくれたわ。
 だから、碇君の言葉に素直に従ったって考えているようよ」
「な、なんで、そんな決めつけされなくちゃいけないんですか!」

 絶対におかしいと大声をあげたら、「静かに!」とイザベラに厳しく叱られてしまった。しかも叱ったその口で、更に突っ込んだ質問をしてくれた。

「あなたは、これまで異性と肉体的接触……キスとかセックスとかしたことがありますか?」
「悪かったわね、一度もないわよ!」

 葵が自分の答えを翻訳した時、マドカはイザベラの口元が少し歪んだのに気がついた。もしかしたら被害妄想なのかもしれないが、18にもなって未経験のことを馬鹿にされたように感じてしまった。

「日本では18ぐらいと言うのは、未経験者大半なのですか?」
「そのあたりは、個人差があるのでなんとも……
 おそらく、まともな統計が取られたことはないと思います」

 雑誌に載る話で良ければ、性体験は半数とか言う極端なものもある。だがそれを口にするのは、いろいろ問題があると葵は差し控えた。だがその配慮は、余計な質問を呼び込むことになってしまった。少し考えたイザベラは、だったらとその矛先を葵に向けたのである。

「あなたの場合、性体験は何歳の時でした?
 異性との接触、キス、性交渉とそれぞれ教えて下さい」
「ええっと、手をつないだのは幼稚園の時で……」
「葵、子供が手をつなぐのと同じにしないように。
 性を意識するようになってから、いつ手をつないだのかを教えて下さい!」

 そんなもの覚えていない。それを強く主張したい葵だったが、イザベラの冷たい視線の前に、文句を言う気持ちはすっかりしぼんでしまった。だから一生懸命いつだったのかを思い出し、小さな声で「15歳です」と答えた。

「それで唇による接触は?」

 当たり前のことだが、その程度の答えでイザベラは解放してくれなかった。葵が答えるまで、いつキスをしたのか、そしていつセックスをしたのか。それを執拗にほじくりだしてくれたのだ。

 ちなみにこの後行われたナルも、マドカと同じ目に遭ったと言う。しかも葵のデータが利用されたため、しっかり奥手と言う評価が下されてしまった。そしてその評価の上、シンジという異性に抱いた関心が、一方的な献身の理由になったのだと結論づけられてしまった。
 本当にそんな分析でいいのか、後から結果を知らされ、葵は酷い不安を感じてしまった。

 一方シンジはと言うと、違った方法で異性関係の情報開示を迫られていた。その背景には、今日行ったシミュレーション結果が影響していた。

「あなたにとって、同じクラブにいる4人の女性はどのような関係ですか?」
「どのようなって……今同じクラブにいるって言いませんでしたか?」

 ジェイデン・ボートハウスと名乗った中年の男は、よくテレビドラマで見かける科学者然とした男だった。そのジェイデンは、シンジに対してまず最初にジャージ部の人間関係を聞いてきた。このあたりは、マドカ達と導入は同じだった。ただシンジの場合、複数の女性との関係が質問された。

「私の質問は、もう少しメンタルな面を聞いています。
 一方的、もしくは相互で築いている関係を教えて下さい」
「年上の二人とは、クラブ活動の先輩後輩の関係です。
 今のクラブに入るつもりは全くなかったのですが、いきなり引きずり込まれて今に至ります。
 昨年1年間は、使い走りから何から何まで、色々とこき使われた記憶があります」
「つまり、彼女たちの存在はあなたにとって迷惑なものだったということですか?」

 その質問に、シンジは少しだけ考えて「それだけではない」と答えた。

「あの二人のお陰で、僕は変われたと思っています。
 実は、高校に入った時には、僕は自分自身をあまり好きではありませんでした。
 でも、あの二人のお陰で今は自分の事を好きになれるようになりました」
「こき使われて、新しい自分に目覚めた、そういう訳ですね?」
「いや、それは偏った解釈です」

 「新しい自分」はまだいいが、「目覚めた」と言われると、何かおかしな方向を想像してしまう。だからシンジは、とりあえずジェイデンの決めつけを否定した。

「自分は、もっと色々なことが出来るんだと気付かされたんです。
 今までできなかったのは、すぐに自分の限界を決めつけて諦めてしまうせいだったのだと」
「つまり彼女たちは、サディスティックに、君を責め立てたということかな?」
「すみません、そこは信用して叱咤激励してくれたと言ってくれませんか……」

 どうもおかしな性癖に導こうとしている。堀井の通訳が間違っていなければ、何か悪意があるようにも思えてしまうのだ。だが切実な理由でヒアリングをするのだから、悪意など抱いている暇はジェイデンにはなかったはずだ。

「では、年下の二人……確かアサミ堀北とは恋人同士と聴きましたが?」
「ええ、その情報は間違っていませんよ。
 ただし、付き合いだしたのは今朝からですけどね」
「セックスはしましたか?」
「今朝から付き合い始めたといったでしょう!」

 極端すぎると大声をあげたシンジに、「落ち着こう」とジェイデンは真顔で言った。

「人間関係など、0/1で変化するものではないだろう。
 付き合いだす理由、それに類するものがあったと考えておかしくない。
 だからセックスはしたのかと聞いただけです。
 それに、セックスを朝してはいけないと言うルールは存在しない」

 理路整然と返されると、反論も難しくなる。ただ自分の反応を見れば、していないことぐらい想像がついてもおかしくないはずだ。それなのに目の前の科学者は、「それで?」と答えを促してくれるのだ。

「キスしかしていません……」
「性器への接触は?」
「してませんよ!」

 大声をあげたシンジに、ジェイデンはもう一度「落ち着こう」と言った。

「では、もう一人の女性については?」
「ああ、あれはただの後輩です」
「素敵な大和撫子に見えるのだが、手を出していないのかね?」

 何度も繰り返されれば、質問の内容にも予想がついてしまう。そして予想通りの質問に、シンジは期待通りの答えを返すことにした。

「あなたとは趣味が違うので、手を出そうとは思っていませんよ」
「なるほど、彼女は君の趣味ではなかったのか。
 では君の想像で構わないのだが、彼女は君のことをどう思っているのかな?」

 想像でいいと言われたため、本人に聞けとは言えなくなってしまった。えげつない質問をすると相手を評価したシンジは、慎重に言葉を選んで答えることにした。

「少し気になる先輩というところでしょうか?」
「気になるというのは、恋愛方面と解釈していいのかな?」
「おそらく、その前段階だと思います……」

 シンジの答えに、ジェイデンはふむと考えてから質問を考えた。

「君は、彼女に何かを期待するようなことを言ったことはあるかね?」
「期待するようなこと……ですか?
 少し意味がわからないのですけど、具体的にどういった事ですか?」
「女心をくすぐるようなことだよ。
 例えば、こんな髪型が似合っているとか、服装はこうした方がいいとか……その類だ」

 そう言われると、あまりにも心当たりがありすぎた。金髪紫シャドーのヤンキー娘が、今は清楚なお嬢様に変身している。その理由がすべてシンジにあるのだから、逆に数え上げたらきりがないといえるだろう。

「この4ヶ月ほどで、色々と言った記憶があります」
「では、その言葉に対して、彼女の反応はどうだったのかな?
 反発したのか、それともおとなしくそれに従ったのか」
「本当にその方がいいかと聞いて、おとなしく聞いてくれましたね……」

 なるほどと頷いたジェイデンは、シンジの言葉にあった間違いを正した。

「それが正しいのであれば、“少し”と言うのは極めて控えめな表現と言う事になる。
 彼女は明らかに君を異性として意識し、気に入られるように意識して行動をしている。
 客観的に見れば、君の言動は彼女に期待を持たせる物になっているのだよ」

 ジェイデンの言葉を聞いていると、シンジは自分がどうしようもなく酷い男のような気がしてきた。いたいけな少女を言葉巧みにその気にさせ、まともな判断が出来なくなるようたらし込んでいるのだと。
 本当にそうなのかと言う軽い自己嫌悪を感じながら、こんな質問をして良いのかと疑問も感じていた。まだ自分はいいが、マドカ達二人に対してはのんきなことを言っていられないと思っていた。
 先輩達二人が同じようにほじくり返されたら、気付いていない、もしくは意識していない問題を明るみに出してしまう可能性があるのだ。今の心地よい関係への影響以上に、いざと言う時今まで通りに動けなく恐れもあった。

 だがシンジの感じた危惧は、ジェイデンとは共有できていないようだった。質問を変えると切り出して、一つの「何故」をシンジに突きつけてくれた。ただこの何故の方が、まだシンジには納得できる問いかけだった。

「なぜ、彼女たちは大人しく君に従っている?」
「シミュレーションで、と言うことで良いのですね?」

 普段の生活で、滅多に自分の意見が通ることがない。だからシンジは、シミュレーションに限定することにした。そして質問の中にあった間違いを訂正した。

「大人しく従っている訳じゃ無いと思いますよ。
 みんなの能力、性格に合わせて役割を割り振った結果だと思います。
 気持ちよく戦うことが出来て、それで結果が出ているんです。
 だったら、反発することもないと思いませんか?」
「それでも、小さな反発は生まれる物だと思っている。
 だが今日のシミュレーションでは、そんな様子は全く観察されなかった。
 彼女たちから感じられたのは、君に対する信頼と依存と言う物だったのだよ。
 それがどのような形で積み上げられたのか、それを確認するための質問だったのだが……」

 そこで言葉を切ったジェイデンは、少し躊躇いがちに言葉を続けた。

「こう言う言い方は、まだ若い君には酷なことなのだろうが。
 あまり多くの女性に手を広げるのは宜しくないな。
 友情は維持しやすいが、愛情の維持は多大な労力を要するだろう。
 その問題が、今後君たちが戦っていく上での障害となる可能性がある」
「そう思うのでしたら、余計なことを突っつかないでください」

 そうしないと、戦力増強の試みが、逆に足を引っ張ることになりかねない。あまりにも無遠慮な質問に、シンジは命を賭ける立場から文句を言ったのだった。



 ヒアリングの終わったマドカ達を見れば、自分の危惧が外れていなかったことを確認することができる。微妙に感じるよそよそしさ、そして自分との距離を測り損ねている様を見せられれば、放置することもできなくなってしまう。だからシンジは、堀井達も居るところで、わざとらしくテーブルを叩いて「二度と協力しない!」と大きな声を張り上げた。久しぶりに見るシンジの怒った顔に、マドカとナルがビクリと背筋を伸ばした。
 だがマドカ達以上に反応したのは、自衛隊から派遣された二人だった。やむを得ず譲歩した上実現したのが、今回のサンディエゴ訪問である。その鍵となる人物が、いきなり切れて帰るとまで言い出したのだ。

 これが単なる子供の駄々だったら、叱りつければ解決することもできるだろう。だが相手は、日本の危機を救った民間協力者である。単なる駄々と片付けるのは、自分の首を絞めることになってしまう。そしてもうひとつ堀井にあったのは、シンジが怒っている振りをしているのではないかと言う疑問だった。
 だから堀井は、「そうか」とだけ答え。責任者を呼び出すことにした。なんとか協力を貰った相手の機嫌を損ねたのだから、ご機嫌取りをするのは責任者の役目なのである。そしてもうひとつ、堀井にもなぜシンジが腹を立てているのか分かる気がしたのだ。ヒアリングと言う名の尋問は、協力者に対してあまりにも無遠慮で、失礼な物だと思っていた。だからこそ、シンジの“振り”を疑ったのだ。

「すぐに後藤特務一佐がおいでになる。
 ここでヒアリングを打ち切って日本に帰るのであれば、後始末をお任せする必要があるからな。
 この後の手続きをしないと、君たちは日本に帰ることもできないだろう」
「でしたら、すぐにでも手続きをするようにお願いします。
 そして帰ってから、サンディエゴ基地に厳重に抗議をしてください。
 担当者の首の一つや二つじゃ僕は納得しませんからね」

 口調は淡々としているのだが、内容は普段のシンジからは考えられない厳しいものだった。急に日本に帰ると言い出すのも問題だが、責任者の首を飛ばせと言うのは並大抵のことではない。シンジの発した空気に、マドカとナルは完全に怖気づいてしまった。しかも助っ人を呼ぼうにも、その助っ人は離れた場所でショッピングの最中だった。

 おっとり刀で後藤が駆けつけてきたのは、堀井が連絡してから10分後の事だった。基地総司令に抗議をしていたところだと言い訳をして、後藤は「いいのか?」とシンジに聞いた。

「それは、僕が後藤さんに聞くことだと思いますよ。
 僕は、後藤さんに重大な選択を迫っているんです。
 僕達の協力を取るか、サンディエゴ基地司令の首を守るのかと言う選択です。
 僕も、自分の命が掛かっているから譲るわけにはいきません」
「そんな簡単なことではないと分かっていると思うんだがな」

 静かに質しているのだが、そこはさすがに責任者の迫力があった。シンジにビビったマドカ達は、後藤に対しても怖気づいていた。
 だがシンジは、そんな後藤に対して一歩も譲歩しなかった。

「ええ、簡単なことじゃないのは分かっていますよ。
 それに僕だって、頭に血が上って喚き立てているつもりじゃない」

 冷静なだけに、逆に凄みが増してしまう。しかも目の前の高校生は、自分がキャスティングボートを握っているのを理解している。協力拒否の理由が正当なものであれば、責められるのは間違いなくサンディエゴ基地側となるのだ。そして今後一切の協力の拒否、例えばこの後のカサブランカ基地訪問がキャンセルされれば、アメリカのメンツは完全に潰れることになる。
 つまりそれだけの手札があることを、この年若い少年は理解していることになる。それを空恐ろしいと感じながら、後藤はもう一度静かに言い返した。

「それでも、問題はそんな簡単なことじゃない」
「まさか、僕に我慢しろだなんてふざけたことは言いませんよね?
 もしもそんなことを言ったら、後藤さんの首が飛ぶ程度じゃすみませんよ。
 それからもう一つ、子供の駄々だなんて言ったら、日本にも二度と協力しませんからね」
「それが分かっていても、はいそうですかと言えない立場だと言う事だ」

 普段にない真面目な顔をした後藤は、「どうしたら良い」とシンジに聞き返した。

「君が怒っている振りをしているのは分かっている。
 その行動は、それが必要だと君が考えたからだというのも分かっている。
 そしてもう一つ、本気で帰るつもりではないというのも分かっている」

 後藤の言葉に、マドカとナルは、本当なのかとシンジの顔を見た。それでもシンジは、二人の視線には答えず、後藤に向かって「誤解がある」と言い返した。

「振りはしていますが、怒っているのは本当ですよ。
 それからもう一つ、対応によっては本気で帰るつもりですよ」
「それを承知でもう一度聞かせてもらうが、俺はどうしたら良い?」
「後藤さんが、トーリさんでしたっけ?
 サンディエゴの基地司令に何を抗議したかによります。
 どうせ、僕が言ったことと同じ事を抗議したんでしょう?」

 シンジの指摘に、「お見通しか」と後藤は頭を掻いた。そこで初めて、二人のまとっていた空気が少しだけ柔らかくなった。

「あなたは、見た目どおりのふざけた人だとは思っていませんからね。
 今日のヒアリングが、どれだけ危険なものかちゃんと理解しているはずです。
 僕に対しては構いませんが、先輩達に対して踏み込んではいけないところに踏み込んでいます」
「と言うことで、誠意ある対処がなければ明日にでも日本に帰ると言ってある」

 つまり後藤も、シンジと危機感を共有している言うことになる。だがそれを理解できないマドカとナルは、「どういう事?」とシンジに説明を求めた。
 普段なら、聞かれたことには答えていたシンジだが、今回だけはその説明を断った。その説明をすること自体、問題を複雑にする可能性があったのだ。整理が着いていない状況で説明するのは、あまりにも危険すぎたのである。

「先輩達を仲間はずれにするわけじゃありません。
 ただ問題を説明すること自体、余計に問題を大きくすることになってしまうんです。
 あの人達は、それだけ踏み込んではいけないところに踏み込んでくれたんです」
「教えてくれないんだ……」

 不満そうにするマドカに、シンジはごめんなさいと謝った。

「もう少し、僕の頭の中で整理できたら教えますよ。
 たいして待たせないと思いますから、今は僕を信じて我慢してくれませんか?」
「碇君がそこまで言うんだったら……」

 真面目な話をしている以上、シンジから信用して欲しいと言われれば信用するしか無い。特に自分たちには分からないことが多いのだから、シンジに頼るしかなかったのである。そして今までシンジは、自分達を騙したことも裏切ったこともなかったのだ。

「後藤さんが理解してくれているのなら、後はお任せすることにします。
 ただ、納得の行く答えがもらえるまで、サンディエゴ基地には協力しません。
 とりあえず明日は、みんなでどこかに観光に行ってきますよ」
「そこまで引っ張ったら、本当にトーリ氏は失脚する事になるな。
 ただ君の言うことは理解した。
 この件で、日本は譲歩することはないよ」

 普段の会話と違い、二人の顔に笑みが浮かぶことはなかった。そしてシンジは、もう一度「お任せします」と言って、二人を連れて出ていった。

 その後ろ姿を見送った後藤は、ドアが閉まったところで小さくため息を漏らした。そしてシンジに対して、「恐ろしいな」と感想を漏らした。

「恐ろしい……ですか?」
「彼がまだ高校2年だと考えれば、それ以外の言葉はないと思うがな。
 彼はこれから、サンディエゴのバカどもの後始末をしてくれるんだ。
 それを冷静に遂行できるというのも、年齢を考えれば恐ろしいとしか言いようが無い。
 もともと優秀な血筋だと言うのは分かっているが、そこにどこかのバカが……」

 バカと言ったところで、本当にそうなのかと後藤は引っ掛かりを感じた。記録では、対象Iに対して、いくつかの記憶操作及び感情操作を行ったとされている。TICの贄となった彼に対して、その記憶の一切を表に出さないための処置だと言う説明だった。

 そしてその処置の一つには、感情の抑制と言うものもあった。感情の昂ぶりが理由で、記憶の鍵を開けてしまうことを恐れたのである。だがその操作こそが、いざという時に冷静になってしまうことの理由となっていると考えていた。
 その冷静さのお陰で、高知は悲劇でなく奇跡となったわけである。そして今でも、怒っている振りをして、深刻な問題を未然に防ごうとしてくれている。それを考えると、どこかのバカではなく、何者かが意図を持って精神操作をしたようにも思えてしまうのだ。

「どこかの誰かが、彼の才能を最大に活かすための処置をした……まさかな」

 そう呟いた後藤は、もう一度まさかとその可能性を疑った。いくらなんでも、彼の可能性を引き出したと考えるのは、出来過ぎとしか言いようがなかったのだ。そんな都合のいいことができるのなら、人類はギガンテスの被害で苦しんでいないはずだ。
 だから後藤は、もう一度「まさか」とつぶやき、頭に浮かんだ可能性を否定したのだった。



 マドカ達を釣れ出したシンジは、二人を人目に付きにくい場所に連れ込んだ。と言っても危ない場所ではなく、泊まっているホテルのラウンジである。どこが人目につかないのだと言う疑問もあるが、少なくともサンディエゴ基地の関係者には目につきにくい場所だった。高校の制服も、そう言うものだと思えば気にならなかった。
 そこに連れ込んだところで、シンジは二人に何を飲みたいのか聞いた。その時のシンジは、本当にいつもと変わらない碇シンジだった。

「デザートも充実していますから、甘い物でも大丈夫ですよ」
「だったら……アイスのセットがいいかな」

 マドカは、少し遠慮がちにメニューを選んだのだが、そのあたりを全くシンジは気にした様子も見せなかった。その代わり、何も選んでいないナルに、何がいいのかを聞き直したほどだった。

「じゃあ、私はこのプリンが乗った奴……」
「プリン・ア・ラ・モードですね」

 とても気軽に受け取ったシンジは、手を上げてボーイを呼んだ。そして自分の分のラージサイズのコーラと合わせて、二人分のアイスセットとプリンアラーモードを注文した。先ほどまでの不機嫌さとの落差に、マドカとナルはついていけていなかった。

「碇君……もう、怒っていないの?」

 恐る恐る聞いたマドカに、怒っていませんよとあっさりと返した。

「そもそも、あれは堀井さん達向けのポーズですから。
 サンディエゴ基地の人たちには怒っていますけど、先輩達に怒る理由がないと思いませんか?」
「碇君も、酷いことを聞かれたの?」

 シンジの表情を伺ったマドカに、「そうですね」とシンジは努めて笑みを浮かべた。

「まともに考えれば、高校生相手に聞くようなことじゃないことを言われましたね。
 でも僕が怒っているのは、微妙に先輩達が考えていることと違っているんです」
「私達が考えていることと微妙に違う?」

 自分達が何を聞かれたか知らないはずなのに、どうして自分達が考えていることが分かるのか。シンジの不思議な言葉に、マドカとナルは逆に混迷を深めた。だがシンジにしてみれば、自分への質問を考えれば、二人が何を言われたのかぐらい想像がついていたのだ。

「どうして、先輩達が聞かれたことを聞いていないのに、先輩達の考えが分かるのかが疑問ですか?」
「そ、そうなの!
 どうして、そこまでハッキリと言い切れるの!」

 すかさず飛びついてきたマドカに、「分かりますよ」とシンジは繰り返した。

「あの人達の質問意図を考えれば、先輩達が何を聞かれたのかぐらいは想像が付きます。
 どうせ先輩達は、僕に対する感情を根掘り葉掘り聞かれたんでしょう?
 そして今まで意識していなかったことを、無遠慮に表にほじくり返してくれた。
 違っていますか?」
「当たっているけど……でも、逆にどうしてそこまで分かるのか怖いわ」

 マドカの言葉に、ナルも同じとばかりにうんと頷いた。そんな二人に、シンジは少しおどけて「予想外だった」と少し話をずらした。

「予想外って、何が?」
「先輩達二人が、実は僕のことが好きだったということですよ。
 だったら、一緒に大人になるっていうのもいいですね……ただ、その時は3人一緒ですけど」
「そっ、そんなつもりは……」

 思いがけないシンジの言葉に、マドカは大声で否定しようとした。だがいざ否定しようとしたところで、その先の言葉が声として出てくれなかった。その代わり、シンジが「ありませんよね」とマドカの代わりに否定の言葉を口にした。

「普段の先輩達なら、僕をからかうことはあっても、本気でそんなことを考えたりしませんでした。
 あの人達の無遠慮な質問や決め付けが、先輩達におかしな意識を植え込んだんです。
 ハッキリ言えば、先輩達は僕のことが好きですよ。
 僕も先輩達のことが大好きです。
 でもその好きっていう感情は、アサミちゃんの持っている感情とは違うものです。
 でもあの人達は、それを男女の恋愛感情と決め付け、先輩達をその方向に誘導してくれました。
 僕は自分に言われたことから、先輩達が何を言われたのか想像したのですけど、
 二人に会ってそれが外れていないことを確信したんです。
 だから、堀井さん達に「二度とサンディエゴ基地に協力しない」って怒ったふりをしたんです」

 ちょうどボーイが頼んでいた物を持ってきたので、シンジは話をそこで中断した。そしてボーイに対して、何か一言二言話しかけた。
 ボーイが頷いて去っていったのを見計らい、マドカとナルの二人は別の意味でシンジに詰め寄った。

「碇君、ちゃんと話せるの?」
「アメリカに来ることになってから、泥縄ですけど勉強したんです。
 それから言っておきますが、これでも英語の成績は良い方なんですよ」

 だからこの程度なら、別に苦労しないと言うのである。なるほどと納得しながら、「実は凄いのでは」と別な方面で感心していた。

「それで、何を話していたの?」
「先輩達のがおいしそうだったから、他にお奨めがないかを聞いたんです。
 シェアするのだったら、フルーツの盛り合わせが良いと言われましたよ」

 へぇと感心したマドカに、「惚れました?」とシンジは口元を歪めた。

「そうだと言ったら、碇君は答えてくれるのかしら?」

 少し挑発的に言い返してきたマドカに、「無いですね」とすぐさまシンジは答えた。

「アサミちゃんとつきあい始めたばかりなのに、それってあり得ないですよね?」
「さすがに、アサミちゃんと勝負したくないわね……
 でも残念ね、アサミちゃんに振られてからじゃ手遅れだからね」

 ふっと笑ったマドカに、シンジは真顔で「困ったことがある」と小声で言った。

「僕のヒアリングと言うか尋問というか……
 そこで、やたら肉体的接触……ああ、触ったのかとかやったのかと言われたんです。
 健全な男子高校生の僕としては、そんなことを聞かれたら意識しちゃうじゃないですか。
 それが理由で、アサミちゃんに嫌われないかが心配で……
 出来たら先輩達で発散させて……ぶほっ」

 そのあたり、受け流せないのはマドカが純情なせいなのだろうか。普段通りに手が先に出たマドカは、手元にあったクッションをシンジの顔目がけて投げつけていた。

「碇君、今の話アサミちゃんに言いつけてあげようか?」

 そしてナルは、口でシンジを攻撃してきた。2対1と言うより、一番弱いところを握られたため、シンジはあっさり二人に降参した。

「すみません、これを口止め料にしてください」

 そう言って何か合図をしたと思ったら、ボーイがとても立派なフルーツの盛り合わせを持ってきてくれた。その対応を見る限り、示し合わせていたとしか言いようが無かった。だがそんなことは、マドカとナルにはどうでも良いことのようだった。見たこともないフルーツまで混じった盛り合わせに、二人とも目を輝かせてくれていたのだ。

「碇君、高く付いたわね」
「後から、サンディエゴ基地に請求しますよ」

 しれっと言ってのけたシンジに、「ワル」とマドカとナルの二人は笑った。

「でも、これじゃ口止め料にはならないわね?」
「そうそう、碇君の懐が少しも痛まないでしょう?
 誠意って意味では、ちょっと違うんじゃないのかなぁ?」
「これからアサミちゃんに貢がないといけないんですから……」

 お手柔らかにと頼んだシンジに、二人は口を揃えて「却下」と返したのだった。
 大切なことをうやむやにされたのは気付いていたのだが、今はこれで良いのだと二人は納得したのである。



 シンジの怒りは、かなりの部分ポーズを含んでいたものだった。だがそれを受けた後藤の抗議は、トーリに対して情け容赦の無い物になっていた。それは日本国民の命を預かる立場として、看過し得ないことをサンディエゴがしでかしたからに他ならなかった。そしてもう一つ、これがチャンスだと考えていた節もあった。

「民間協力者は、今後一切の協力を拒否すると主張しています。
 そして本件を与る私も、彼らの主張を認めることにします。
 先ほども申し上げましたが、あなたたちの対応はあまりにも迂闊すぎる。
 日本としても、これ以上の協力はしかねるというのが正直なところです。
 そしてもう一つ、あなたたちのしたことは、世界に対する重大な犯罪だと言う事です。
 従って適切な対処がなければ、帰国後政府を通じて国連にも抗議をします。
 まさかギガンテス対策の最前線に居るあなた方が、
 これほどパイロットの問題に対して無頓着だとは思ってもいませんでしたよ。
 ここまで酷いとなると、あなたを含めて無能が集まっているとしか言いようが無い」

 容赦が無く、そして侮蔑まで含んだ後藤の言葉に、トーリは言い返す言葉を持たなかった。ギガンテス対策にブレークスルーが得られる可能性に舞い上がり、一番大切なことを置き去りにしたのは間違いないのだ。真相の究明を焦るあまり、奇跡的に組み上がった芸術品を壊してしまったのだ。「元には戻りません」と断言されれば、犯した罪の大きさも理解できてしまう。
 後藤の言葉は、侮蔑的な表現を含め、正当な物だとトーリも認めていたのである。そして後藤は、更に追い打ちをかけた。

「科学者がバカだというのは、何も今始まったことではないでしょう。
 それを忘れて統制しなかったことは、司令、あなたの責任なのですよ。
 彼らを前に出したことだけで、あなたは十分に糾弾される理由となっている。
 能力のない者に仕事を任せた責任は、司令であるあなたが取らなければならない」
「私が職を辞すること自体、必要な責任の取り方だと思っている……」

 ようやく口を開いたトーリは、司令を辞職すると口にした。そしてその上で、それでも進まなければならないと自分の考えを口にした。

「だが、我々はこれからもギガンテスと戦い続けていかなければならない。
 奇跡の芸術品を作るのは無理でも、今より実行のあるチームを作らなければならない」
「我々の中に、あなたが含まれていないのであれば同意しましょう。
 そして、これだけのことをしでかしたサンディエゴ基地に、その能力があるとはとても思えない。
 今のままで、我々はサンディエゴ基地に協力する意味を見いだせないのです。
 これ以上ここに彼らをとどめておくのは、日本にとっても損失だと思っている。
 今我々が検討しているのは、予定を繰り上げカサブランカに行くのか。
 さもなければ、今回の協力はここで打ち切るのかと言う事なのです。
 すでにサンディエゴに対する協力は、考慮すべきことではなくなっている。
 すでにこの問題は、内閣総理大臣にまで報告された問題だと言う事をお忘れ無く」

 さらにトーリを追い詰めた後藤は、「必要なことは言った」と会談を一方的に打ち切った。

「準備があるので、私はこれで帰らせて貰います。
 一応申し上げておきますが、明日の予定は当然キャンセルです。
 本人が言うには、近隣を観光すると言うことですよ。
 残念ながら、私は残務処理に当たることになりそうですがね」

 それではと、後藤は入口に立っていた葵に視線を送った。言うだけのことを言った以上、もはやトーリの前に留まる理由がなかったのである。そして退出する後藤を、トーリは呼び止めることをしなかった。

 退出する後藤に、葵は普段とは全く違った顔をして従った。この顔を見る限り、葵のことを“子供”とバカにすることは出来ない。それぐらい厳しい顔をして付き従っていた。

「堀井から何か連絡はあったか?」
「後始末は、無事終了したと言うことです」

 必要十分な情報に、後藤はただ「そうか」とだけ答えた。シンジが予想通りの働きをしたことで、今後の展望も開けてくる。今回サンディエゴに突きつけたノーは、政治的にも非常に大きな意味のあるものだった。

「それで特務一佐、落としどころはどこになるのでしょうか?」
「さあな、それを考えるのはあちらさんの仕事だ。
 俺たちは、あちらが出してきた物に指示があるまでだめ出しをすれば良いだけだ」
「彼は、そのことに気付いていますかね?」
「さあとしか言いようが無いな。
 ただ、おそらく彼にとってはどうでも良いことだろう。
 守るべきことを守れれば、それ以上は拘っては来ないさ」

 「ただ」、そう言って後藤は立ち止まった。そこで何かを考える様子を見せたのだが、すぐに歩みを再開した。

「どうかなさいましたか?」
「どこまで巻き込むべきかを考えたのだ。
 彼には、うまく踊って貰わないといけないからな」

 そう答えた後藤は、まっすぐ基地の出口へと急いだ。この先の話には、基地にいない方が都合が良かったのだ。そしてサンディエゴ基地の混乱に巻き込まれないためにも、さっさと逃げ出した方が良かったのである。



 突然の協力拒否は、サンディエゴ基地だけではなく、合衆国上層部にまで激震を引き起こした。その理由がサンディエゴ側にある以上、収拾の責任は米国側にあることになる。一つ間違えば、国際社会における米国の立場を失墜させかねない物だったのだ。
 会食中にホワイトハウスに戻った合衆国大統領エイブラハム・ワットソンは、とる物もとりあえず日本国首相鏑木へのホットラインを開いた。政治的に圧力を掛けることで、事態の収拾を図ろうと考えたのである。

 だがワットソンの目論見は、鏑木によって直ちに否定された。具体的提案無しに収束を依頼するのは、時代錯誤の考え方だと鏑木は切り捨てたのだ。

「貴国は、我が国の宝を損壊させてくれたのだ。
 その償いもなく仲立ちせよとは、あなたの頭の中は20年前で止まっているのか?」
「ニッポンは、我が国を恐喝するつもりか?」
「その態度こそ、時代遅れだと言っているのだ。
 そちらがすべきことは、然るべき処分と体制の刷新ではないのか?
 いつから米国は、客に対する礼も弁えられない国になったのだ!」

 そう切り捨てた鏑木は、「それで」とワットソンの出方を待った。この問題は、正論を主張するだけで終わるわけにはいかない。いくらこちらに理があっても、仲間作りで失敗すれば、そんな物など簡単に吹き飛んでしまう。そしてその仲間にしても、よく見て選ばなければならないのが常識だった。
 その面を考慮すれば、米国は敵では無くて仲間にしておかなければいけない相手だった。だから鏑木も、要求として「然るべき処分と体制刷新」と言う条件を出していたのである。つまり鏑木は、本件に関して両国間にある懸案事項に絡めないと公言したのである。

 言葉の中にちりばめられた真意を読み取れなくては、一国の主はやっていられない。鏑木の考える落としどころを読み取ったワットソンは、「ではソチで」と言って電話を切った。ちなみにソチと言うのは、ロシア随一の保養地で、間もなく開かれるサミットの開催地となっていた。
 電話を切ったところで、ワットソンは小さく息を吐き出した。そしてすぐに表情を引き締め、全ての予定をキャンセルするよう秘書官に命じた。

「はい、直ちにその様に致します。
 専用機の準備に取りかかります」
「トーリには、明日10時に視察に行くと伝えろ。
 それから、クライトンには例の発表の前倒しを指示しろ……いや」

 そこで少しだけ考えたワットソンは、秘書官への指示を変更した。

「クライトンも同行させる」
「はっ、直ちにその様に伝えます」

 ワットソンは、慌てて退出した秘書官を一瞥したが、すぐに興味を失ったように手元のリポートに目を落とした。そのリポートには、「サンディエゴ基地再編成計画」と言うタイトルが記載されていた。設立されて2年弱の基地を、時代の要求に応える形で強化するのがその趣旨となっていた。つまり「然るべき処分と体制刷新」は、すでに計画が行われていたのである。そこで行われる人事を処分に読み替えれば、鏑木の要求に応えることとなったのだ。後はもっともらしい形を整えれば、日本に対する体面も立つことになる。
 それとは別に、ワットソン自身、個人的に対象Iこと碇シンジに対して興味が沸いていた。この際顔を見ておくことは、TICに巻き込まれた側として、正当な権利だと思い始めていたのだ。



 そして激震の渦中にあるサンディエゴ基地は、上を下への騒ぎとなっていた。すでにトーリ辞任の噂が駆け巡り、大幅な体制刷新の話が囁かれたのだ。

「ずいぶん騒がしいことになっているけど、あんた何をしでかしたの?」

 部屋でくつろいでいたら、ルームメイトがぐったりとして帰ってきた。これを幸いと、早速アスカは事情聴取をかけることにした。何かあったことは分かっても、情報自体錯綜しまくっていたのだ。

「私は何もしていないわよ!
 それでアスカ、悪い話と酷い話とどうしようもない話のどれが聞きたい?」
「いい話は一つもないってこと?」

 ギガンテスが襲撃していないのに、そんなに酷いことになるとは考えられなかった。それを不思議に思ったが、それ以上アスカは口を挟まなかった。それに口を挟まなくても、勝手にクラリッサは話を続けた。

「トーリ司令が解任されることを喜ぶのなら別だけどね。
 そうじゃなければ、そうねぇ、例の計画が思いっきり前倒しになる事ぐらいかしら?」
「例の話……ああ、基地の再編ってやつ?」

 噂ぐらいは聞いていたが、あいにくアスカはその中身までは知らなかった。そして話題に出したクラリッサも、同じように中身は知らされていなかった。

「残念ながら、私も中身までは知らないんだけどね」
「それで、本当のところ何があったの?」

 何をとっても、ろくな話でないことは理解できた。だがその理由となると、皆目検討が付かないと言うのが現実だった。

「まず、アスカに関係しそうなことを言っておくけど。
 明日のデートはキャンセルになったわ」
「明日のデート……ヒアリングが無くなったの!?」

 それは大事と騒いだアスカに、「それ以上の大事なの」とクラリッサはため息を吐いた。

「今後一切、こちらに協力できないって言ってきたらしいの」
「あんたら、いったい何をしでかしたのよ」

 初日の懇親会を思い出せば、多少の扱いにくさがあるとは思っていた。だからと言って、何の理由もなく協力を拒否するとも思えなかった。そして協力を拒否するぐらいなら、わざわざサンディエゴまでこないと思っていたのだ。
 それでも相手は、今後の協力を拒否してきた。それを考えれば、よほどの事が有ったことになる。だからアスカは、「何をしでかした」と聞いたのである。だが、泣きそうな顔をしてクラリッサは首を横に振った。

「知らないわよ!
 ヒアリングをした二人は逮捕拘禁されているんだもの。
 ただ、今日のヒアリングは人間関係について確認したとしか聞いていないわ」
「人間関係……また微妙な問題を」

 はあっと息を吐き出してから、アスカは気持ちは分かると、もう一度ため息を吐いた。

「あの能力の秘密をそっちに求めたってことでしょう?
 遠慮無く土足で踏み込んだから、相手の気分を害したってことか。
 でも、どうすんの?
 事と次第によっては、国際問題にもなりかねないわよ?
 そうなったら、トーリ司令の首ぐらいでは収まらないわよ」

 何しろ相手は、高知の奇跡を演じた3人である。その3人の機嫌を損ねた、若しくは協力が得られないとなると、日本政府も黙っているわけにはいかなくなる。その場合、日本に対して協力を要請した国連にも問題が飛び火することになるだろう。トーリの首では収まらないと言うのは、極めて正しく状況を認識した言葉だった。

「どうするって言われても、私だって分からないわよ。
 本当に基地中、上を下への大騒ぎになっているんだもの」
「それで、当事者はなんて言ってきているの?
 あちらも基地司令が来ているんでしょう?」
「そんなことが、私まで落ちてくると思っているの?」

 半ば切れ気味のクラリッサに、アスカは苦笑を浮かべて「切れるな」と言い返した。パニックが感染しては、正常な判断すらままならなくなる。

「とにかく、すべてのスケジュールはキャンセルされちゃったのよ。
 そのせいで、研修に来ているパイロットたちにも動揺が走っているし。
 随伴してきた軍人さん達も、事情がわからずそこらじゅうで怒鳴り声が聞こえるわ」
「基地の統制が完璧に麻痺したってことか……
 これでギガンテスが襲撃してきたら、大変なことになりそうね」
「そんな縁起でもないこと、言わないでよ……」

 本当に泣きそうな顔をしたクラリッサに、珍しいこともあるものだとアスカは感心していた。だが日本の協力拒否は、自分にも跳ね返ってくる問題だとすぐに思い出した。日本の協力を当てにしているわけではないが、基地機能が麻痺していては、自分の命に関わってくる。かと言って、一介のパイロットにできることは悲しくなるほど少なかった。
 だからアスカは、自分にできることをすることにした。がたがたになった統制を、せめてパイロットだけでも取り戻そうと考えたのである。そのためアスカは、パイロット達に緊急招集を行った。ヘラクレスとパイロット、それが揺るがない限り、ギガンテスの迎撃に影響は出ない。ガタガタになったタガは、自分が締め直さなければいけないのだと。



 後藤のもとに日本から指示が来たのは、夕食も終わった午後9時のことだった。そこで知らされた予想より少し進んだ回答に、早速後藤はシンジの元を訪れることにした。適度に情報を知らせておくことは、信頼関係を維持するのに重要だと考えていたのである。
 だがシンジの部屋のそばまで来たところで、後藤は一時退却を選択せざるを得なくなった。それは、シンジの部屋に、少女たち4人が訪れていると聞かされたからである。

「4人と言うことは、危ない状態ではないということだな?」
「高校生らしく、夏休みの課題を持って集まっていました。
 堀北アサミ一人ならいざしらず、あの4人が集まってそれはないでしょう」

 極めて説得力のある堀井の説明に、後藤は出直すことを選択した。勉強しているのなら気にする必要はないはずなのだが、手ぶらで行くと何を言われるのか分からない恐れがあった。気が利かないと冷たい目で見られるのは、慣れているとはいえ堪えるものがあったのだ。

「特務一佐殿、彼の部屋に行かないのですか?」

 勉強しているのだから、訪問しても問題がないはずだ。そう考えた堀井は、帰ろうとする後藤の行動に疑問を持った。

「なに、手ぶらだと迷惑がられるからな」
「土産があっても、おそらく迷惑がられるでしょう」

 いささか辛辣な堀井の言葉だったが、逆に後藤は納得してしまった。確かに土産の有無にかかわらず、自分の訪問は迷惑に違いないだろう。

「それでも、ご機嫌取りが有ったほうがマシだろう」
「誠意というものは、目に見えるものでないと効果がありませんからな」

 いちいち正論なのだが、だからと言ってハイハイと受け入れられるものではない。とは言えここで叱責するには、さすがに理由が薄すぎた。だから後藤は、引き続き監視に励めといって下のショップを目指すことにした。

 そして10分後、両手に袋を下げた後藤は、堀井の前に戻ってきた。少し息が切れているのは、荷物のせいだろうか。

「状況の変化は?」
「何もありません!」

 そうかと答え、後藤はシンジの部屋の呼び鈴を押した。

 呼び鈴を押してしばらくしてから、扉の向こうに誰かが立った気配が伝わってきた。だがその気配はすぐに消え、待てど暮らせど中から声が聞こえて来なかった。当然扉が開くということは全くなかった。

「シカトですか?」

 少し悲しくなった後藤は、もう一度部屋の呼び鈴を押した。だが今度は、誰かが扉の前に来ることもなかった。当然扉が開くということもなかった。
 そこでムキになった後藤は、まるでイタズラのように呼び鈴を押した。無視されたと言う理由はあっても、これでは子どもと何も変わらなかった。

 だがイタズラと言いたくなるほど呼び鈴を押したおかげか、初めて中から反応が返ってきた。「迷惑なんですよね」と言って、シンジが扉を少しだけ開いたのだ。

「何か用ですか?」
「いや、頑張っているようだから差し入れを持ってきたのだが。
 少し中に入れて貰えないかな?」

 そう言って、シンジに見えるよう二つの袋を差し出した。これで入れてもらえるかと期待した後藤だったが、あいにくシンジはやさしくなかった。

「差し入れだけ置いていってください。
 後藤さんに用はありませんから」
「いや、その、なんだ……
 そんな冷たいことを言わなくてもいいのではないか?」
「ハッキリ言って、勉強の邪魔なんですよね」
「保健体育のか?」

 その場を和ます軽い冗談。後藤としては、そのあたりを強く主張したかった。だが受け取る方は、残念ながらそうとは受け取ってくれなかったようだ。何も反応せずに、ただ黙って扉を閉じてくれた。

「す、すまん、悪かった!
 このとおり謝るから、もう一度扉を開いてくれ!」

 謝るのと同時に、呼び鈴を何度も押し続けた。その甲斐あってか、ようやくまともにドアを開けてくれた。

「呼び鈴を押し続けるなんて、いまどき子供でもしませんよ」
「元はといえば、入れてくれないそっちが悪いんだろう!」

 半分切れかかった後藤に、「子供ですね」とシンジは口元を歪めた。その反応に、どちらが子供だと言い返したくなったのだが、とりあえず扉の向こうに世界を変えることを優先した。今度追い出されたら、警備員を呼ばれることにもなりかねなかったのだ。

 とりあえず入れてもらえたことに安堵した後藤は、これと言って持ってきた差し入れをシンジに手渡した。意外なことに、アサミを除く3人が、普段見たこともない真面目な顔をしてテーブルに向かっていた。

「彼女たちは、何をしているんだい?」
「夏休みの課題……と言うのが一番正しいのですけど。
 もう少し言うと、先輩二人は補習代わりの追加の課題をしています。
 篠山は、中学からの復習をしていますよ。
 まあ、普通の課題だけならそれほど苦労しなくても終わりますからね」

 なるほどと後藤が納得した時、ナルが「碇君」と声をかけてきた。

「先輩、また分からないところがあるんですか?」
「だってぇ、授業で聞いた覚えがないんだもの」

 本人は、可愛らくし言っているつもりなのだろう。だがその演技は、全くシンジには通用していないようだった。それでも優しいのか、どこですかと言ってナルの隣に腰を下ろした。そしてしばらく設問を読んでから、ノートを広げて解説を始めてくれた。

「確か、鳴沢さんは3年だったよな?」

 手土産を回収したアサミに、後藤は目の前の光景を尋ねることにした。どういうわけか、2年のシンジが3年のナルに勉強を教えているように見えたのだ。履修範囲を考えると、なかなかありえない光景に思えたのである。
 だが後藤が不思議に思ったことは、アサミにとって大したことではないようだった。自分の彼が頭の良いことを、少し自慢げにアサミは説明した。

「よーいどん、で同じ所を勉強したら、先輩達が敵うはずがないんですよ。
 だから今は、碇先輩が家庭教師になっています」
「彼女は?」
「高校の学習以前だと言われて、中学からやり直しているんですよ。
 こちらも碇先輩がつきっきりになって指導しています。
 あんなことをすると、余計に篠山に狙われてしまうのに……」

 ふっと口元を歪めたアサミに、「君はいいのか?」と後藤は聞いた。

「これでも、意外に成績はいいんですよ。
 先輩が言った通り、普通の課題だけなら別に苦労はしませんから。
 だからこうやって、先輩のお手伝いをしているんです」
「つまり、最初にドアのところに来たのは君ということか。
 なぜドアを開けてくれなかったんだ?」

 そうすれば、少なくともおかしなことにならなかったはずなのだ。そう言って聞いてきた後藤に、アサミの答えはかなり辛辣なものだった。

「だって、おじさんが入ると空気が悪くなりますからね」
「く、空気が、悪くなるっ!?」

 「それはおじさんいじめだ」口にしたのが元トップアイドルだけに、後藤の受けたダメージは深刻だった。きっとこのダメージに並ぶのは、愛娘に「パパ嫌い!」と言われることだろう。もっとも結婚の経験のない後藤には、「パパ嫌い」と言ってくれる娘など居なかったのだが。

「アサミちゃん、あまり後藤さんをからかっちゃだめだよ。
 その人、優しそうな顔をしているけど、中身はとてもずる賢い人だからね。
 オオカミと狐を合わせたような人だから、恨みを買っちゃいけないよ」
「見た目はナマケモノですよね」

 分かりましたと、アサミは更なるダメージを与えてからシンジのところに戻っていった。なまじ可愛い顔をしているだけに、虐められた時のダメージは通常の比ではなかった。

「それで、わざわざ虐められに来たんですか?」
「いや、明日以降の話をしに来たんだが……」
「そう言う重要な話は、もったいぶらずに教えてくだださい」

 そう主張するなら、なぜ素直に部屋に入れてくれなかった。そのあたりを強く主張したいところなのだが、話が長くなるし、脇道にそれて帰ってこれなくなるおそれがある。色々と文句を言いたいのを我慢し、「まず明日だが」と話を切り出した。

「急遽、合衆国大統領の視察が行われることになった。
 どうやらその場で、サンディエゴ基地の拡充並びに体制強化が発表されるらしい」
「随分と唐突な話ですね。
 それが、僕達に何か関係があるんですか?
 一般人が立ち入るなと言うのであれば、おとなしく従いますけど?
 もともと、明日は顔を出す気がなかったからちょうどいいですし。
 みんなで、サンフランシスコにでも行こうかって話をしていたんですよ」
「大統領は、君に会いに来るんだ」

 それを袖にしたら、深刻な日米問題になりかねない。そこまで行かなくても、後藤のクビが飛ぶことぐらいは大いに有り得ることだった。だから後藤は、シンジを指さし、もう一度「君に会いに来るのだ」と繰り返した。

「日本から見学に来ているただの高校生にですか?
 アメリカの大統領って、そんな暇でいいんですか?」
「これが、誠意ある対処というやつだ。
 他の予定をキャンセルしてまで、大統領が顔を出すと言うんだ。
 たとえ謝罪の言葉がなくとも、顔を立てない訳にはいかないだろう」
「また、大げさな話にしたんですね。
 後藤さん……と言うか、誰か僕達を利用していませんか?」

 話を大げさにしたのは、今自分の眼の前にいる高校生のはずだった。それをいけしゃあしゃあと他人のせいにしてくれるのだ。後藤からすれば、性格が悪い事この上なかった。もっとも、シンジが言ったことの半分は正解だったりした。日本政府としては、これでアメリカに貸しを作ったと思っていたのだ。

「それで、僕たちは何をすればいいんですか?
 大げさな話はダメって言ってありますよね?」
「大統領が、懇談会に招待してくれるということだ。
 そこでにこやかに記念写真をとって、それで勘弁してくれというのだろう」

 一介の高校生だと思えば、それはありえないほどの厚遇に違いない。そして一般の高校生として扱えと主張してきたのだから、懇談会への招待は光栄だと思うべきことだった。なるほどと納得したシンジは、難しい顔をして参考書とにらめっこしているマドカに、良かったですねと声を掛けた。

「アメリカの大統領と記念写真がとれますよ。
 西海岸のアテナの写真のとなりに飾っておきましょうか?
 いやあ、これで部室の壁がちょっとは映えるかな?
 ただし、着るのは制服ですよ。
 間違っても、ジャージはだめですからね。」

 このまま行けば、更に砂漠のアポロも壁を飾ることになるのだろう。そんなものが飾られている高校は、世界のどこを探しても見つけることはできないはずだ。まともに考えれば、凄すぎることに違いなかった。
 だが参考書を睨んだままのマドカからは、思いもよらない答えが返ってきた。

「そんなの地味だから、校長室に寄付したら」
「確かに、とても地味ですね」

 怖いもの知らずはとても素敵だ。アメリカ大統領をものとも思わない高校生に、後藤はとても理不尽なものを感じたのだった。







続く

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