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国連で大々的にぶち上げたこともあり、基地設置の決まってからの各国の動きは早かった。ほぼ同時に基地設置地区が発表されたのも、期待の高さの証明となっていた。そしてパイロット候補についても、各国ほぼ同時に既存基地へ訓練に送り出した。裏を返せば、それだけ事前準備が進んでいたことを証明したことになる。
そしてもう一つ動きの早さの理由を挙げるなら、各国に出遅れを恐れる気持ちにあったからにほかならない。満遍なく広がったギガンテスの恐怖は、国民からは一刻も早い対策が求められていたのである。その対策に出遅れたのなら、それだけで激しい避難を浴びることは必定だったのだ。
ただ一口に基地設置といっても、各国にそのノウハウが有るわけではない。その為、ノウハウを持つ既存基地の重要性が高まることになる。また新設基地が遅延作戦を主目的とする以上、既存基地との綿密な連携が要求されたのだ。
そのため新設基地のある国からは、既存の両基地に対して多くの関係者が送り込まれることになった。そこに訓練されるパイロットも加わったため、サンディエゴとカサブランカは収拾の付かない混乱に陥っていた。
パイロット候補の訓練は、通常専門の教官が当たるべき物だった。だが実際のミッションまで含めると、現役パイロット達も無関係では居られなかった。両者が連携してこそ、新しく基地を作る意味も出てくるのだ。そのため、両者の連携を図る訓練が頻繁に行われたのである。
その“緊密”な連携を図るために、多くの訓練は合同で行われる事になった。そして同時に、何度もミーティングが実施されることになった。お互いの意見をぶつけること、そして現役パイロット達の話を聞くことで、双方の理解を深めようというのである。
そのお陰で、現役パイロット達、すなわちアスカをリーダーとするパイロット達は、通常の訓練に加え、特別訓練まで課せられることになってしまった。その結果、寝る時間も削られるほど多忙になったのである。
ちなみに新規に前線基地が作られるのは、アメリカ東海岸、アイスランド、イラク、インド、中国、日本の6箇所となっていた。そのうちカサブランカ基地がイラクとアイスランドの教育を受け持ち、残りの4箇所をサンディエゴ基地が受け持つことになったのである。
このあたりの配分は、単純にどちらが近いかと言う地理的要因が考慮された結果だった。地理的に近ければ、実際の迎撃でも共同作戦を行う機会が多くなると言うのがその理由である。それもあって、サンディエゴ基地は更に忙しくなったのである。
その日の訓練が終わったところで、部屋に戻ったアスカは着替えもしないで「疲れた」と言ってベッドへ倒れ込んだ。そのあたり、訓練の負荷が上がったことが理由だった。
「飲み込みは早いんだけどねぇ〜」
それが、アスカの訓練生に対する感想だった。訓練に来ているパイロット達は、いずれも祖国を守るという高い志を持っていた。そしてその志を証明するように、とても熱心に訓練に臨んでくれていた。それ自体喜びこそすれ、迷惑がることではないのは分かっていたが、それでも愚痴という物は漏れ出てしまうのだ。
何しろ、新しく加わった訓練は、既存のパイロットの方に負荷が偏っていると言う事情がある。そのあたりは、訓練を受ける方は1回訓練を受ければいいのだが、訓練をする方は同じことを4回繰り返すという事情が理由となっていた。その単純な回数の差が、アスカ達に多大な努力を強いていたのである。
一方で、訓練自体はとても順調に進んでいた。だがカリキュラムこそ順調にこなしていたが、それだけ成果が上がっているかというと、なかなか難しい問題がそこには存在していた。
彼らはとても熱心に取り組んでいるのだが、いくら熱心でも絶対的な能力不足は補うことは出来なかったのだ。連携の訓練を行えば行うほど、彼らの力不足がはっきりと露呈してしまった。
もっとも新たに選出されたパイロットが、適性に欠けることは当初から分かっていたことでもあった。適性に欠けるからこそ、時間稼ぎに任務が限定されたのである。そして新たに選出されたパイロットの適性についても、低いのは低いなりの理由があったのだ。
ギガンテス襲撃が始まっておよそ2年、その間の迎撃態勢構築維持のため、世界各国から優れたパイロットを徴収していた。従って、各国とも残っているパイロットは、その選から漏れた者たちばかりだったのだ。それもあって、候補生を送り込むのと同時に、各国とも新たな候補者捜しに躍起になったのである。
だが、その努力も、今のところ実を結んでいないようだった。中途半端な適性を持つ者は見つかっても、期待出来るだけの素質を持った者は見つからなかった。
熱心さが取り得の各国候補生と訓練を続ければ、当然アスカ達の負担も大きくなってくる。そしてその連携訓練に加え、アスカ達には自分達の本来の訓練も行われていた。明らかに、負荷として過剰な状態になっていた。一過性のことだと分かっていても、今を乗り切るのに障害になるのではないかと不安を感じるほどだった。
アスカのぼやきは、別に誰かに向けての物ではなかった。忙しい割に成果が伴わない、部屋に着いたところでその愚痴がこぼれ出ただけの事だった。だがそれを聞きつけたルームメイトは、聞いた話を綺麗に無視し、明後日の方向から質問をぶつけてきた。
「なに、新しい出会いがなかったのが気に入らないの?
客観的に見て、けっこういけてる子もいたと思うけど?」
まだ勤務時間のはずなのに、なぜかルームメイト様は部屋でくつろいでいてくれたのだ。たまたま戻ってきた訳でないのは、制服とはかけ離れた、Tシャツとスウェットのパンツという格好を見れば理解できた。いったい仕事はどうして居るのだと、アスカとしてはそこの所を追求しい気持ちになっていた。
ただそれをしたところで、意味のある答えが帰ってこないのは分かっていた。だから質問をする代わりに、本質とずれていると文句をいう事にした。
「あたしは、そう言う事を言っているんじゃないんだけどねぇ」
慣れたとは言え、明後日の方向から飛んでくる話は、相手にするのに疲れてくるのだ。またぞろとんちんかんなことを言ってきたルームメイトに、ベッドに突っ伏したままアスカは文句を言った。だがそんなアスカの文句に構わず、さらに微妙な方向の問いかけを発してくれた。
「なあんだ、例のパイロットが居ないからがっかりしているのかと思ったわ」
「そんなもの、連れてこられるわけがないでしょうに」
こっちの話は、否定こそしたが、アスカも興味を持っていた話だった。そのせいで、日本から来たパイロット候補をくまなくチェックしたぐらいだ。だが顔も名前も知らないのだから、チェックしたぐらいで分かるはずがない。唯一の手がかりはヘラクレスへの適性なのだが、10人が10人、凡庸な成績しか示していなかった。それから導き出されるのは、期待した相手はそこに含まれていないと言うことだ。
そしてクラリッサも、期待がはずれたことをしっかり顔に出していた。
「10人来たけど、全員居ないよりはマシのレベルだったわね。
もしかしたらと、少し期待していたんだけどなぁ。
アスカだって、もしかしたらと思っていたんでしょう?」
「そう言う気持ちは確かにあったけど……」
よいしょとベッドから起き上がったアスカは、座り直して“自称”優秀な科学者である、ルームメイトの相手をした。謎のパイロットも気になるが、今は目先の問題に拘る必要があった。部屋着への着替えも後回しにして、アスカはクラリッサとの話を優先した。
「今回40人ほど来たけど、どこまで育成できると考えているのかしら?」
いくら適性に欠けていても、それを前提にした作戦を立てる必要がある。そして方向性を間違えれば、壮大な時間の無駄になりかねなかったのだ。そのための確認を、ルームメイト相手に行ったのである。
「さすがに、直接迎撃は無理があるみたいね。
遠隔から牽制して、侵入を遅延させるのが精一杯って所かしら?
ガチでギガンテスと向かい合わせたら、間違いなく死人の山が積み上がるわ。
それでも、何人かは見込みのありそうなのは居るけどねぇ」
そのあたりの分析は、綺麗にアスカと一致していた。珍しくため息を吐いたクラリッサは、「迷っている余裕はないはずなんだけどなぁ」と聞こえるように呟いてくれた。普段にない真剣な様子に、珍しいなとアスカは反応した。
「なに、それって例のパイロットのこと?」
アスカの言葉に小さく頷き、「そうなのよ」とクラリッサは少し身を乗り出してきた。そして真剣に、決断すべき理由を口にしてくれた。
「ここからだと、さすがにアジアは遠いでしょう?
カサブランカからだって、アジアは遠いのよ。
そのくせ、重要港はアジア地域に一番沢山有るのよ。
港と言わなくても、思いっきり長い海岸線があるのよ。
そして、過去“悲劇”と言われる事件も、全てアジアで起こっている。
被害を押さえたいなら、いい加減覚悟を決めるべきなのよ」
「でも、それってあんたが心配することじゃないでしょう?」
ルームメイトは、どこまで行っても科学者でしかない。よって、基地運営やギガンテス迎撃計画に責任があるわけではなかったのだ。当然そこで発生する経済損失は、彼女の責任外に存在していた。責任があるのは、確実にギガンテス迎撃を行うための技術開発とパイロット育成だけである。
それを指摘したアスカに、確かにそうだけどとクラリッサは唇を尖らせた。この問題については、自分にも大きく関係してくるのだと。
「でも、サンディエゴのパイロットに対しては責任を持っているのよ。
このままあちこちに引っ張り回されたら、いつか破綻するのが見えているもの。
そう言うアスカだって、かなりの疲労を抱えているはずよ。
既存基地のパイロットについても、負担を軽くすることを考えないといけないのよ!」
思いも寄らない真面目な答えに、アスカは目を丸くして驚いた。普段の馬鹿話と違い、正確に状況を把握して話してくれたのだ。まあ、その感想自体は、かなりクラリッサに対して失礼な物に違いないのだろう。
「まさか、あんたからそんな真面目な話が聞けるとは思わなかったわ。
どうしたのかしら、別に雪が降っているようでもないし」
アメリカでも南部に位置するサンディエゴでは、当然だが雪が降るようなことはない。季節を考えたら、熱中症を心配しなくてはいけないぐらいだった。
天気を気にしたアスカに、「失礼だ」とクラリッサはそばかす混じりの頬を膨らませた。
「私はいつも真面目に仕事をしているわよ。
こうしてアスカと情報交換するのも、その仕事の一つなのよ。
そしてアスカの精神状況を良好に保つのも、ルームメイトとしての義務だと思っているわ。
だから、いつも無理して軽妙洒脱な会話を心がけているのよ」
その言い様に、アスカは思わず吹き出してしまった。話がいきなり明後日の方向に飛ぶのは、どこが“真面目”と考えれば良いのか。しかも自分との会話に、“軽妙洒脱”を心がけていると言ってくれるのだ。
「軽妙洒脱な会話って……何似合ってないことを言っているのよ。
しかも“無理して”だなんて、誰がそんなことを信じられると思うのよ」
「そう、アスカの精神状態が落ち着いているのは、私の貢献が大なのよ。
それに、私の本質は真面目で融通の利かないものなのよ」
「疲れさせられた記憶しかないんだけどなぁ……
それに、真面目で融通が利かないって……自分でそれを言う?」
疑問を返したアスカに、必要なことだとクラリッサは嘯いた。
「普段の振る舞いには、ちゃんと科学的根拠が備わっているのよ!
アスカの精神安定に、何が一番良いのか分析をして、もっとも適切な対処をしているわ。
そのためには、自分の信条を曲げているってことなのよ」
「そうやって大上段に振りかぶるから余計に胡散臭いんだけど?」
はいはいといなしたアスカは、「疲れるぐらいならいいんだけど」と珍しく愚痴を零した。急に変わった空気に、クラリッサも真面目にアスカの相手をした。
「なに、なにか気になることがあるの?」
「いやね、普段でもハードなのに、今は更にハードになっているじゃない。
こんな時にギガンテスが来たらどうしようと思ったのよ。
必要なことだと理解しているけど、少し慌て過ぎに感じるのよね。
迎撃担当の負荷が重すぎるから、作戦に影響が出ないか心配なの」
前線基地整備は、焦眉の急には違いないだろう。だが最前線に居るパイロットまで巻き込むのは、現在の迎撃態勢を危うい物にする可能性も秘めていた。パイロットから余裕を奪うことは、まともに考えれば得策とはいえないだろう。
それを指摘したアスカに、クラリッサは事実を認めるのと同時に、思いっきり明後日の方向へと話を放り投げた。
「確かに、アスカの言うことは分かるわ……
観察する限りにおいて、パイロットに無視し得ない疲労が蓄積されているわ。
特にアスカの欲求不満を解消してあげないと、おかしな男に捕まるおそれがあるわね」
「あのね……」
疲れの話が、いつの間にか欲求不満にすり替えられてしまった。ベッドから身を乗り出して文句を言うアスカに、重要な問題だとクラリッサは言い返した。
「アスカだって、もう子供じゃないのよ。
疲れ過ぎたら、性的欲求も溜まってくるんじゃないの?
しかも命が関わってくると、人間、種を保存するための本能が強まってくるのよ。
だから引きずらない方向で解消してあげないと、今後大きな問題になると思うわ。
適度に発散してあげるのも、この私の役割だと思ってくれる?」
「言うに事欠いて性的欲求って……
な、なに真剣な顔をしているのよ……」
馬鹿馬鹿しいと無視しようとしたら、なぜかクラリッサが真面目な顔してこちらを見ているのに気がついた。それどころか、どこか思いつめた様子で自分の方にゆっくりと近づいてくるのだ。しかも、心なしか頬が上気しているように見えた。どう考えても、危険な状態に見えてしまった。
「女の子同士だけど、アスカだったらいいかなって」
「あ、アタシは、女同士なんてまっぴらよ!」
その上、とんでもないことを口走ってくれるのである。ただならぬ様子に怯え、アスカはまっすぐベッドの上を後ろに下がった。だがそれぐらいで思いつめた相手から逃げられるはずもなく、すぐには壁際までアスカは追い詰められた。
「く、クラリッサ、今なら冗談で済ませてあげるから……」
「大丈夫よアスカ、私が優しくしてあげるから」
やめて欲しいと懇願するアスカに、大丈夫だと言ってクラリッサは更に近づいてきた。
「だ、だから、そんな必要はないって言っているでしょう!」
「普段から観察している私が、その必要性を認めたのよ。
だからアスカには、いま、こうすることが必要なの!」
理屈にならない理屈で迫ってくられると、理屈無しに怖いとアスカは感じていた。だからアスカは、自分の身を守るため強硬手段に出ることにした。所詮相手は科学者なのだから、訓練しているパイロットに敵うはずがない。
のしかかろうとしてきたのをするりと躱し、自分より小柄なクラリッサの体をうつぶせにベッドへと押さえ込んだのだ。もちろん簡単に動けないよう、右腕を後ろにきめるのも忘れていなかった。
「あ、アスカ、私痛いのはちょっと」
ちょっと締め上げただけで痛い痛いと喚くクラリッサに、アスカは自業自得だと言い返した。悪ふざけをするにしても、今日のは少し度が過ぎている。毎度毎度これでは、付き合う方の身が持たないのだ。これから自分を守るためには、今のうちに痛い目に遭わせておくべきだと思ったほどだ。
「二度と馬鹿なことをしないよう、少し痛い目に遭わせて上げようかしら?」
「ず、頭脳労働者を肉体労働者の尺度で考えないでっ。
見たとおり、とっても華奢にできているのよぉ」
「だったら、なおさら無謀な真似をしないことね」
ふんと鼻息を荒くして、アスカは拘束していた右手を解放した。だがそれで許したのでは面白くないと、別の方法で制裁を加えることにした。つまりクラリッサがしようとしたことを、自分の方から仕返してやろうと考えたのである。
クラリッサをうつぶせに押さえつけたまま、アスカは彼女の下半身へと手を伸ばした。スゥエットのパンツだったので、簡単に中に潜り込ませることができた。
「あ、アスカさん、な、何をしようとしているの!」
助かったと思った途端、更に行為は過激になってくれたのだ。思いがけないアスカの行動に、クラリッサは軽いパニックに襲われていた。ただ抵抗しようにも、右手が自由になった程度では大したことは出来なかった。しかも体勢が悪く、力に勝るアスカに勝てるはずもなかったのである。だからアスカは、易々とスゥエットの中の小さな布切れの中へ右手を侵入させた。もう少し手を伸ばせば、大事なところに触れることも出来た。
もっともアスカも、クラリッサと関係を結ぼうとは考えていなかった。散々バカな事を言ってくれたのだから、軽い警告をしてやる程度の乗りだった。
「あんたが、私の性的欲求を解消してくれるって言ったんでしょう?」
「言ったけど、言ったけど、全然意味が違うぅ〜」
アスカの手が更に先に進んだところで、いやぁとクラリッサが悲鳴を上げた。だがその悲鳴がトリガとなったように、サンディエゴ基地の中に非常警報が鳴り響いてくれた。そして同時に、アスカの部屋のインターフォンがけたたましい呼び出し音を鳴らした。お遊びの時間は、これで終了と言う事だった。
「はいアスカです!」
瞬時にクラリッサの上から飛び降り、アスカはインターフォンへと飛びついた。通常のギガンテス襲撃なら、こんな形で非常警報が発令されることはない。それを考えると、それだけ緊迫した事態が発生していると言う事になる。過去の事例では、複数箇所が同時に襲われた時が該当していた。
そして知らされた事実は、アスカの推測を裏付ける物だった。
「了解しました。
直ちに出撃準備に入ります!」
着替えていないのは、この際都合が良かったと言えるだろう。まず状況確認が必要と、アスカは慌てて靴を履いて部屋を出ようとした。だがいざ部屋を出るところで立ち止まり、クラリッサに向かって重要な指示を出した。
「候補生の実戦投入を考えて!
今のところ、ギガンテスが2ヶ所同時発生。
推定上陸地域は、サンフランシスコとカサブランカ。
もう一箇所、太平洋に疑わしい箇所があると報告が出ているの」
「今候補生を出撃させたら、死人の山ができるって言ったはずよ!」
現時点で判明している襲撃地点は、いずれも基地直近だった。そう言う意味では、迎撃が間に合わない危険性は皆無だった。ただ、この時点で、アスカ達は動けないことになる。もしももう一箇所のギガンテス襲撃が現実の物となった場合、今のままでは迎撃が後回しにされることになる。そしてそれは、一つの地域の“死”を意味していた。
地域の“死”を避けるには、少しでもマシな対策を取る他は無かった。その方策が、時間稼ぎのために集められたパイロット達の活用である。未だ練度に問題はあるが、緊急事態で贅沢は言っていられないだろう。作戦を預かる立場からすれば、訓練生の投入は当たり前の判断だったのだ。
だがパイロットを預かる立場からすれば、現時点での出撃は犬死させるようなものだった。各前線基地の整備状況や訓練の進捗を考えると、ここで投入したところで役に立つとは思えなかったのだ。それが分かっているから、クラリッサは反対するしかなかったのである。
民間の被害を最小限にすることを考えるアスカと、候補生に対する責任を持つクラリッサ。二人の意見はここで対立することとなった。だが民間人と軍属、どちらを優先するのか議論の余地は無いことだった。たとえ全滅することになっても、僅かな時間を稼ぐ必要があったのだ。
「民間人じゃないんだから、それぐらいは覚悟してもらうしか無いわね。
とにかく、この件であんたと議論するつもりはないわ。
クラリッサ、あんたはあんたの責任を果たしなさい!」
そう言い残し、アスカは二人の部屋を飛び出していった。目指すは先はブリーフィングルーム、大至急状況を確認し、適切な作戦を立てる必要があったのだ。破滅への歩みを遅らせるためにも、最善の方法を考える必要があったのだ。
***
新入部員が入って2ヶ月も経てば、ジャージ部にもまったりとした空気が流れるようになっていた。もちろんジャージ部本来の活動、ボランティア活動は適宜行われていたし、現役タレントの売名行為にも付き合い、報道陣を引き連れての清掃活動も行っていた。
そしてジャージ部としての、校内各部の支援活動も続いていた。ただそれらの活動は、彼女たちにとって日常でしかない。そして同じことを繰り返すことで、新入部員達にも慣れが生まれていた。色々とあった騒動も、今はすっかり落ち着いていた。
そしてまったりとしているのは、世間も同じだった。発表当時は騒がれていた前線基地建設も、報道も一巡して今はすっかり静かになっていたのだ。次の騒ぎがあるとしたら、訓練に出ているパイロット候補が帰ってくる時と言われていた。
「基地、見学ですか?
これは、また、どうしてですか」
そんなある土曜日、ビッグニュースだとマドカが朝の部室に駆け込んできた。そこで持ちだされたのが、シンジが口にした「基地見学」である。
いぶかしげにするシンジに向かって、少し興奮して臙脂のジャージ姿でマドカはまくし立てた。話題が沈静化したとは言え、S市にある基地は、高校生にとっても魅力的な場所だったのだ。
「うちのお店の常連さんに、タカさんって人がいるのよ。
お父さんと仲がいい人なんだけどね、ヘラクレス関係の仕事をしているって教えてくれたの。
そこで面白そうですねって言ったら、基地の見学をさせてくれるって話になったのよ」
「見学って、まだ建設中じゃありませんでしたっけ?」
興味が無いというと嘘になるが、だからと言って建設中の場所に乗り込むのはどうかと思えてしまう。それに、できあがってからならいざ知らず、建設中では大したものが見られるとは思えない。そして建設中なら、民間人が顔を出すのは迷惑なことに違いない。話のついでで持ち出されるには、かなり影響の大きな話だと思えたのだ。
だが作りかけを口にしたシンジに、大丈夫だとマドカは聞いてきた話を口にした。
「それが、主要部分は出来上がっているらしいわ。
今なら、特別に搬入されたヘラクレスも見せてくれるって話しよ!」
だから問題ないというマドカに、早速キョウカが食いついてきた。このあたりの反応の良さは、入学以来変わらないものだった。
「おおっ、それは興味深いなぁっ。
碇先輩、せっかく見せてくれるというのだから、ありがたく見せてもらってはどうだ?」
「篠山……お前、本当に何も考えてないな」
はあっとため息をついたシンジに、失礼なと同じく臙脂色のジャージ姿のキョウカは鼻息を鳴らした。
ちなみにこのキョウカは、金色だった髪を最近黒く染め直していた。着崩していた制服にしても、今は真面目にしっかり着るようになっていた。スカートの丈も、学校規定の長さとなったため、黙ってさえいればそこそこ魅力的な女性に見えるようになってくれた。言葉遣いという問題はあるが、シンジの期待した深窓の令嬢に一歩近づいていたのだ。
変化の理由は色々と噂されたが、同じ部活のアサミへの対抗心だと言うのが大勢を占めていた。
「何も考えていないは無いと思うぞ。
それに、見に来てもいいといったのは向こう側なんだろう。
迷惑かどうかは、俺達が心配することじゃないはずだ」
そしてキョウカの言葉に、同じくジャージ姿のアサミも加勢した。
「そうですね先輩、これは篠山さんの方が正しいと思います」
「僕の言いたいことは少し違うんだけどね……
なにか、もの凄く面倒を押し付けられそうな気がするんだよ」
見せてくれるといったのは向こうなのだから、キョウカの言うとおり、迷惑とかを心配する必要はない。アサミが加勢に入ったのも、別におかしなことでははないと思っていた。それぐらいのことは、当然言われなくてもシンジも理解していたのだ。
だがマスコミにすら公開されていない場所を見せてくれると言うのだから、なにか裏があると考えるのが自然だった。一介のぺいぺいにそんな権限があるとは思えないし、偉い様だとしたらマドカのお店に通うのは不自然すぎるのだ。状況を考えれば考えるほど、厄介事を押しつけられそうな気がしてきた。
だがシンジの感じた危惧は、ジャージ部の中では共有されなかった。当たり前のことなのだが、普通の高校生は国家レベルの陰謀に関係することは無い。もしもそんなことがあるとすれば、ライトノベルの世界ぐらいだろう。従って、シンジの危惧が共有されないのも当たり前の事だったのだ。
当然マドカとナルも、「考えすぎ」とシンジに言い返してきた。
「だけど碇君、それって心配しすぎじゃないのかな?
私達は、どこにでも居る普通の高校生なのよ。
そんな私達に、何かできるとでも思っているの?
それこそ考えすぎだと私は思うわよ。
って言うか、碇君って中二病?」
「単純明快、碇君、見たいの、見たくないの?」
ナルとマドカの二人にじっと見られ、シンジは負けましたと肩を落とした。普通の高校生を主張されれば、反論することも出来なくなる。たとえ何かのモニターにさせられても、危ないことは無いと考えるのが“普通”の考えだった。それに建設中という“微妙”な時期を考えれば、相手も問題となるような真似をするはずがない。何しろジャージ部の中には、基地建設に大きく関わる「篠山家」令嬢も含まれていたのだ。
「そりゃあ、見てみたいとは思っていますよ」
「じゃあ、全員参加ってことでいいのね?」
一頃の熱狂は収まったとはいえ、S市に建設中の前線基地は未だに一番ホットな場所だった。それを考えれば、行きたいとシンジが考えるのも不思議なことではない。そしてそれは1年生も同じで、アサミとキョウカは揃って行きたいと答えた。
「やはり巨大ロボットと秘密基地ってのは燃えるだろう!」
「巨大ロボットはあるけど、あれは秘密基地じゃないからな」
「でも、めったに見られるものじゃないのは確かですよ」
「と言うことで、ボランティア部は全員参加ね」
よしよしと頷いたマドカは、次に見学のスケジュールを持ちだした。
「これから連絡をとるから、授業が終わったら部室に集合してね」
「まさか、今日ってことはありませんよね?」
「今日だと、なにか都合が悪いの?」
その答えを聞く限り、いきなり今日乗り込むつもりのようだった。堪え性がないと嘆こうとしたのだが、そう言う人だとすぐに思い出した。そして、そんなに軽いのりで大丈夫なのかと、受け入れる方のことも心配してしまった。
もっとも、午前中で授業が終わるのだから、時間的に都合が良いのは確かだった。
「僕は、特に予定はありません。
でも、堀北さんと篠山は大丈夫なのか?」
「私のところは、一本電話を入れれば大丈夫だと思いますよ。
部活の延長ですし、行く場所もしっかりとしたところですから」
「うちは、碇先輩と一緒といえば大丈夫だ!」
えっへんと自慢げに口にした理由は、シンジにしてみれば勘弁してほしいものだった。だがキョウカの両親のことは、すでにジャージ部の中で共通認識となっている。何しろジャージ部全員で遊びに行った時、当主自ら出迎えてくれたという実績があったのだ。
しかも婿養子で入ったという父親から、シンジは直々に婿養子に入ることの良さを教えられた。キョウカの外見がまともになったことに、キョウカの父親は最大級の謝辞をシンジに送ったのだ。
「それで、行くのは僕達だけですか?」
「まだ、あまり大人数は受け入れられないって言っていたわね。
だから6名以下にして欲しいって言われているわ」
部室を見渡してみると、シンジを含めて5人の男女がいる。つまり呼べたとしても、後一人程度と言うことになる。だが一人となると、なかなか誰というのは難しかった。
「あと一人と言っても、都合の良い心当たりはないわね」
「行きたそうなのはクラスに何人かいますけど……
誰か一人誘ったら、他のやつに恨まれそうですね」
「私のところも同じです。
それに、私が誘うと、おかしなことになりそうで……」
「そういう意味なら、俺のところも同じだな。
行きたそうな奴は、両手で数えても足りないだろう!」
「と言うことは、他の人を呼ぶのはやめたほうが良さそうね」
よしと話を纏めたマドカは、これも部活動だと決めつけた。
「ジャージ部の社会見学ということにします。
最初に言ったとおり、授業が終わったらすぐに部室に集合すること!」
いいわねと仕切るマドカに、誰からも反対の声は上がらなかった。結局、誰も好奇心に勝てなかったと言う事だ。
これで、第一段階は無事クリアしたことになる。マドカからの連絡に、後藤はほっと胸をなでおろした。美味しすぎる餌だけに、逆に疑われないか不安だったのだ。もっともそれは、マドカ達が考えたとおり、普通の高校生の考えることではないものだった。
「その顔を見ると、思惑通り運んだようね」
電話を切った時の表情で、神前は作戦の第一段階がうまく行ったのを理解した。特定個人を狙い撃ちしたように見せず、いかに対象Iを基地に連れ込むかが一番の課題となっていった。とりあえず基地に連れ込めば、後は色々とやりようもあったのだ。
神前の疑問に、ヒヤヒヤだったと後藤は実情をゲロった。珍しく制服をきちんと着ているのは、この後のことを考えているのだろう。ただ無精髭は剃られていないし、髪がぼうぼうなのも変わっていなかった。
「うちの奴らが戻ってきてから、情報をリークしながらと思っていたんだが……
上は、下の都合なんぞ考えてくれないんだな」
「まあ、悲しきは宮仕えってところね。
ヘラクレスが搬入されたから、一日でも早く迎撃態勢を整えたいのでしょう。
特にマスコミは、準備が必要なことを斟酌してくれないからね。
後はそうね、政権の点数稼ぎとディスクローズしていることを世間に示したいんでしょう」
そのものズバリを口にした神前は、それでと言って誰が来るのかを確認した。対象Iは当然だが、それ以外の参加者にも興味があった。
「正式名称ボランティア部、学校ではジャージ部の方が通りがいいそうだがな。
その正式部員御一同様ということだ。
受け入れ人数を6人以下にしたから、部外者は参加しないらしい」
「その中に、対象Iが含まれているということね?」
「ただ一人の男子正式部員ということだ」
「何よ、さっきから正式正式って?」
含みのある言い方をした後藤に、神前はその意味を問いただした。多分大した意味はないのだろうが、繰り返されるとつい気になってしまうのだ。そして予想した通り、そこには大した意味は含まれていなかった。
「なに、今年になって幽霊部員が増えたらしいんだな。
何とかという男性アイドルグループのメンバーが籍をおいたのがその理由らしい。
従って、そのアイドル目当ての幽霊部員が大勢誕生している」
「そのなんとかというアイドルも幽霊部員ってことね?
つまり、普段の対象Iは女性4人に囲まれているということか」
ハーレム? と状況を示すのにもっとも適切な言葉を神前は口にした。その時口元が歪んでいたのは、誰に対する当てつけなのだろうか。だがそんな神前に、そんないいものではないと後藤は苦笑を返した。
「年上の二人は、都合のいい弟扱いしているな。
結構使いでがいいらしくて、色々と便利にこき使われているようだ。
と言う事で、今のところ恋愛感情は全くなさそうだな」
「なにか、とても可哀想な気がするわね。
で、残りの二人は?」
「多分、ソッチの方が可哀想なんじゃないのかな」
苦笑に歪んだ唇を更に歪ませ、今時の女子高生はと後藤は愚痴を言った。
「監察官殿も、堀北アサミの名前ぐらいは聞いたことがあるかな?」
「堀北アサミ……」
何だったかと少し考えた神前は、少しして目的の答えにたどり着いた。
「天才子役からアイドルに転身した……って子だったかしら?
かなり人気があったって聞いたけど?」
「まさしく、そのトップアイドルの子なんだな。
学業に専念するということで芸能界は引退しているんだが……
さすがは元トップアイドルというべきか、自分を綺麗に見せるすべを知っている。
だから高校内でも、ひときわ目立つ存在になっているよ。
そして我らが対象Iは、その元トップアイドル様の虫除けに利用されている」
「虫除け?」
なにそれ? と訝った神前に、後藤は面白そうにしながら説明を続けた。
「元トップアイドル、しかも他の女子生徒と比べて、ひときわ華やかなんだぞ。
周りの男共が放っておくと思うのか?
日常的に言い寄られていても、別に不思議じゃないだろう?
その面倒を避けるために、元トップアイドル様は虫除けを用意した」
「でも対象Iは、別に強面ってことはないでしょう?
それに、単なる部活の先輩後輩じゃ、言い寄る男共を牽制できないと思うわ」
それで虫除けが務まるのと言うのは、いささか疑問な所がある。正確な神前の指摘に、まさにその通りと後藤は笑った。
「監察官殿の言うとおり、単に部活の先輩後輩じゃ意味が無いだろうな。
と言うことで、堀北アサミは誤解される程度の親密さを周りに開帳している。
対象Iは校内でも一目置かれていることもあり、今のところ無事虫除けとして機能しているそうだ。
思わせぶりな態度を見せて、うまく対象Iを利用しているらしいな。
と言うことで、我らが対象Iは、元トップアイドルのお相手として周りから認識されている」
小さく吹き出した後藤に、「怖いわね」と神前はぼやいた。絶対に実らない関係のせいで、対象Iはまともなガールフレンドを作ることが出来なくなるのだ。思わせぶりな態度をとられれば、高校生の男子など簡単に勘違いしてしまうだろう。そして手強すぎる相手に、他の女子生徒も尻込みしてくれるに違いない。
「さすが魑魅魍魎の生息する芸能界出身ということかしら?」
「対象Iが安全で、利用しがいがあることを見ぬいたのだろうな。
だとしたら、大した観察眼だと感心するよ」
「確かにそうね、それで、確かもう一人いたわよね?」
そっちは? と振られて、そちらもなかなかと後藤は笑った。
「ある意味そちらの方が我々には馴染みが深いんだな。
実は、ここら一帯の土地を所有する篠山家のご令嬢がもう一人なんだ。
どうやら幼少時からの教育を誤ったらしく、そのご令嬢、中学まではかなり荒れていたらしい。
まっ、正確に言えば良くない奴らと付き合っていたというところだろう。
もうちょっと正確に言うなら、オツムが少し厳しい奴らが遊び相手だったということだ」
「すごく婉曲的にバカにしたことを言っているわね」
何しろ篠山家には、基地建設でただならぬ便宜を受けている。それを考えると、もう少し言い方に配慮があっても良いだろうと言うのだ。それを受けてなのか、後藤は少しフォローの言葉を口にした。
「ジャージ部部長殿の見立てでは、むしろ素直ないい子らしいのだがな。
ただ高校には、答案用紙に名前だけ書いて合格したらしい。
それを本人が自慢げに教えてくれたと笑っていたよ」
「で、その子と対象Iとの関係は?」
中学時代は、類が友を呼んだだけだと考え、神前は本題の方を聞くことにした。
「ちょっと気になる先輩という、極めてまっとうな高校生の関係と言う事だ。
だから対象Iの言う事は、割と素直に聞いているらしい。
どちらかと言えば、篠山家ご当主の方が対象Iにご執心らしいな。
なかなか、あの世界も婿不足が深刻らしいと言う事だ。
だから娘の周辺に居る中で、一番まともで、かつ影響力のある対象Iに目をつけている。
ただ対象Iが危険性に気づいているのと、元トップアイドル様がガードしているらしい。
従って、こちらの方は篠山家御当主様の独り相撲と状態と言う事だ。
今の対象Iは、元トップアイドル様に“キープ”されているってところだ」
よほど楽しいのか、後藤は聞かれても居ないことまでペラペラと喋った。それは、今回関係していない部活以外の人間関係を口にしたことからも明らかだった。
「従って、クラブ活動だけを見れば元トップアイドル様の作戦勝ちと言う事になる。
しかし、世の中の人間関係って奴はそこまでシンプルじゃない。
情報提供者の証言によると、対象Iのクラスメイトに対抗馬が居るそうだ。
ただこちらの方は、トップアイドル様ほどすれていないらしいな。
とてもいい子らしいのだが、なかなか素直に本心を口に出来ないそうだ。
ただそうなると、絶望的な問題が彼女に立ちふさがってくることになる」
「……そうね、対象I相手だと絶望的ね」
何が絶望的な問題なのかは、お互い理解しているのだろう。少しだけ嫌そうな顔をして、すぐにその話題から離れることにした。二人とも、生理的にあまり触れたい話題ではないようだった。
「“見学コース”の準備はできているの?」
「ああ、とびっきりのコースを用意してある。
そこで適性検査を受けて貰い、対象Iの実力が開帳されると言う手はずになっている」
「どこまで期待していいものかしらね?
対象AやKに比べて、より深いレベルまで操作してあるんでしょう?」
その操作が阻害要因となって、適性に対して影響をあたえるのではないか。神前は、期待を示す後藤にブレーキをかけた。そしてその懸念は、自衛隊の中でも議論されていた。
「確かに監察官殿の言う懸念は技術部も持っている。
それを含めての確認ができると、今日行われる見学を待っているんだよ」
「適性の低いパイロットに対する、精神操作によるブースター効果と言うことね。
本来、私の立場は、そう言った不正を監視する役目なんだけど?」
その監察官の前で、条約で禁止されているパイロットへの精神操作、すなわち洗脳を口にしてくれたのだ。だが神前は、ただ嫌味を言うだけでそれ以上踏み込んで来なかった。ふっと小さく息を吐きだし、「手はずは?」とこの後の予定を確認した。
「12時に学校まで迎えを出すことにしている。
12時半から昼食を取りながら、見学のオリエンテーションって奴をする。
それが終わってから、定番の施設見学を行い、最後にとっておきのシミュレーターに乗ってもらう」
「“口実”は?」
それが機密に近くなればなるほど、関わらせる“口実”と言うのが必要になる。神前は、後藤に対してその口実を要求した。
「そのあたりは、正直に言うことにしているよ。
パイロットを公募する予定があるので、シミュレーターを用意したとね。
それを事前に体験してみないか、であればストーリーとしては問題無いだろう?」
「そこで、ようやく元のシナリオに戻るということね?」
週刊誌にリークするはずの口実に、神前は小さく頷いた。対象Iに対する餌と言う意味もあるのだが、本気でパイロットを公募する予定もあったのだ。裏を返せば、それだけ世界的に適性のあるパイロットが不足していた。特に中国やインドに基地が作られることもあり、アジア圏からの補充も期待薄になっていたのだ。
「対象Iの確認ができて、なおかつ今後行うテストの確認もできるということね。
さすがは“切れ者”の後藤特務一佐様というところかしら?
いくつかの布石はちゃんと打っているのね」
「監察官殿にほめられると、どうも首筋が涼しくなっていけませんね……」
いやだいやだと首筋を撫でた後藤に、少し目を見開いて、神前は正直な感想だと口にした。
「利用された女の子が可哀想だと思っているだけよ」
「おそらく、その子を見たら監察官殿の印象も変わると思いますよ」
今日日の女子高生は、そんなヤワなたまではない。だから面白いと、後藤は嘯いたのである。
対象Iを基地に連れ込むというのは、S市に作られた前線基地として一大作戦となっていた。対象Iは、その能力が期待され、迎撃の要になると考えられていたのだ。それを考えれば、最優先課題というのはいまさら言うまでもないだろう。うまくすれば、日本がサンディエゴ、カサブランカに並ぶ発言力を持つことができる。
だがその一方で、対象Iに疑問を抱かせるわけにはいかない事情があった。今更世界が終わるとは誰も考えていないのだが、敢えてそのリスクを冒すわけにはいかないのである。そしておかしなことをした場合、国際社会における信用を著しく損なうことにもなる。だから受入側は、細心の注意を持って対処する必要があった。
そして対象Iを基地に連れ込むのは、当然のように内閣に報告されていた。そしてS市に近い基地には、非常時に備えての待機命令が出されていた。そのお陰とでも言うのか、謎の緊急閣議が開かれたほどである。もっとも、誘われた高校生たちが預かり知ることではなかったのだが。
校門でシンジ達の前に現れたのは、どこでも見かけるような小さなマイクロバスだった。そしてそのマイクロバスから降りてきたのは、マドカをして「誰」と言わしめた後藤だった。普段お店で見る顔と、全く別人に見えたのだ。唯一見覚えがあるのは、ぼさぼさの髪と無精髭ぐらいだろう。
ちなみにこの後藤、パリっと制服を着て現れた時、部下たちは一様に「この人誰?」と言う顔をしたらしい。神前女史には、「似合ってないわね」と一刀両断にされたぐらいだ。それぐらい、カーキ色をした制服と後藤は似合っていなかった。
後藤に続いて、一人の女性が現れた。こちらもカーキ色の服を着ているのだが、ズボンではなくタイトなスカートとなっていた。服装が自衛隊の制服なので間違えることはないが、綺麗に切りそろえたオカッパを見ると、どこかのキャリアウーマンにも見えてしまった。
「タカさん……ですよね?」
見慣れた格好、さらに雰囲気とは全く違う後藤に、マドカは目を丸くして驚いた。そんなマドカを前に、してやったりと口元を歪め、「特務一佐の後藤タカシ」だと自己紹介した。ちなみにその時のマドカ達は、ジャージではなくS高の制服を着ていた。
「へぇ〜特務一佐ですか……
それで碇君、特務一佐って偉い人なの?」
ナルに聞いても無駄だと思い、マドカは後藤の役職の意味をシンジに聞いた。その時神前が吹き出したのは、純粋におかしかっただけなのだろう。ただシンジにしても、そんなことを聞かれても分かるはずがない。シンジにしてみれば、自分は軍オタではないと言いたかった。
「僕にそんなことを聞かれても分かりませんよ。
一応一佐なんですから、たぶんかなり偉い人だとは思いますけど?」
シンジの「かなり偉い人」と言う言葉を借り、「そうそう」と後藤は一歩前に進み出た。
「陸海空のいずれにも属さない特務組織のトップにいるんだな、これで。
統合幕僚長の直下に所属する組織と言っても分からないか」
「ええ、ぜんぜん!」
マドカの答えに、だろうなと後藤は頭を掻いた。
「ギガンテス迎撃を目的とした、日本前線基地の最高責任者と言うのがこの俺だ」
「そんな偉い人が、どうしてうちの店で飲んだくれてくだを巻いているんですか?」
偉いだろうと威張るつもりが、マドカの問いかけで全ておじゃんになってしまった。よほどそのやりとりがおかしかったのか、神前が後藤の横でお腹を押さえて笑いをこらえていた。それを横目に、情けない顔をした後藤は、勘弁してくれとマドカに泣きを入れた。
「なんでって、いくら偉くたってプライベートぐらい有っても良いだろう?」
「酔ってくだを巻いているのを見ると、とても偉そうに見えないんですけど?」
そのやりとりに、ついに神前はこらえきれなくなった。「もうだめ」とお腹を押さえ、二人の間に割って入ってきた。
「世間の見方は、あなたとはかなり違っていると言うことよ。
一応私の意見を言うけど、彼女の方が遙かにまともな事を言っているわ」
「あのう、あなたは……」
いきなり割って入ってこられ、マドカは少し萎縮しながら相手の素性を尋ねた。最初に顔を見た時に、少し怖そうだと感じたのがその理由だった。
「ああ、ごめんなさい、私は監察部に所属している神前アリスと言います。
かみのまえと書いて神前(かんざき)ね。
後藤特務一佐が、一般人に対して問題のある行動を取らないか監視しているのよ。
今聞いた話だと、少なくとも機密は守られているようね」
神前の言葉は、偉い人だと認めて貰えないことへの皮肉になっていたのだろう。普段のように文句を言うことも出来ず、後藤は少し口元を痙攣させていた。
おほんと咳払いを一つして、後藤は自分が傷つかない方向は話を持っていくことにした。
「これから、皆さんにはマイクロバスに乗って貰う。
移動時間は、およそ30分と言う所だな。
基地に着いたら、まず最初に昼食を取ることにする。
バスの中、そして昼食の時間を借りて簡単なオリエンテーションを行う。
そのオリエンテーションが終わったところで、待望の基地内の見学と相成るな!」
質問は? と言う問いかけに対して、誰からも言葉は返ってこなかった。それを質問のない証拠と受け取った後藤は、高校生ご一行に対して「バスに乗ってくれ」と指示を出した。
「では、出欠確認を兼ねて名前を呼ぶ。
呼ばれた人からバスに乗ってくれ。
ではまず女性陣から……
遠野マドカさん」
「はい」
「鳴沢ナルさん!」
「はい」
まるで学校の先生のように、後藤は一人一人名前を呼び上げていった。そして呼ばれた方は、元気よく、何故か手を挙げて、順番にマイクロバスに乗り込んでいった。
「最後に男性、碇シンジ君!」
「えっと、あ、はい」
その点で行けば、シンジには照れが残っていたのだろう。真似して手を挙げることもなく、いささか覇気に欠ける答えをしてからバスに乗り込んだ。
マイクロバスの中は、片側が1列、そして反対側が2列のシートが5列並んでいた。一番後ろの列だけが、4列となっていた。その後ろから2番めの二人がけの椅子に、マドカとナルが陣取った。そして反対側の1列の席に、キョウカとアサミが腰を下ろした。そしてシンジは、一列間を空けて2列の席の窓側に腰を下ろした。
シンジ達が乗り込むのを確認して、後藤達がバスに乗り込んできた。その時、なぜかシンジの隣に神前が腰を下ろした。
「他、空いていますよ」
「若い男の子の隣に座りたいのよ」
すかさず返ってきた答えに、シンジは思わず窓側に身を寄せてしまった。後藤を監視すると言ったのだが、よほど神前の言う事の方が危なく感じてしまった。
「そんなに警戒しなくても大丈夫よ。
君がなにか聞きたそうにしていたから、説明して上げようと思ったのよ」
「別に聞きたいことがあるわけじゃないですよ……」
そんな顔をしていたのか、手を当てても分かるはずがないのだが、シンジは自分の顔に手を当てて考えた。そんなシンジに、神前はもう一度「説明」と言う言葉を繰り返した。
「基地の一番偉い人が来ていることが不自然だとか思っているんじゃないの?」
「そりゃあ、不自然すぎるとは思いますけど……
それを言い出したら、建設中なのに見学させてくれる方が不自然ですよ。
部長たちは、そういったことを気にしていないようですけど……
まあ何か事情があったとしても、僕達には直接関係ないとは思いますけどね」
苦笑したシンジに、「正解よ」と神前は耳元で囁いた。それがくすぐったくて、シンジはもう一度神前から体を離した。ちゃんと状況を分析しているシンジに対して、神前は少し感心したりしていたのだが、シンジから見れば神前は危ないおばさんだった。
「ちょっと、くすぐったいですよ」
「ごめんごめん、青春している若い子を見るとからかいたくなるのよ」
「青春しているって……
ええっと神前さんでしたっけ、神前さんだって僕達ぐらいの時は青春していたんでしょう?」
「私っ?」
ちょっと驚いた顔をした神前は、すぐに顔を伏せて「酷いものだった」と答えた。
「SICって分かるかな?
高校時代は、SIC直後で青春している暇もなかったわ……」
「SIC直後って……SICは今から18年前だから……ひゃいっ!」
16足す18はと計算しようとしたら、隣からとても禍々しい空気が伝わってきた。隣を見たら、しっかり神前のこめかみ辺りが痙攣していた。そこでようやく、口に出してはいけない世界があることにシンジは気づいた。
だからシンジは、空気を変えるために一番偉い人の話題を選んだ。そのお陰で、神前の纏った空気も元に戻ってくれた。
「それはそうとして、一番偉い人がこんなことをしていていいんですか?」
「ああ、彼の場合、本当に仕事が忙しくなるのは基地運用開始後なのよ。
今は順調だから、基地の中で一番暇と言ってもいいわね。
優秀な部下のおかげとも言えるけど、その部下を集めるのも能力のうちでしょうね。
だから今日は、彼にとっての一番の課題を片付けることにしたのでしょう」
「一番の課題?」
高校生を連れ込むことが、その課題解決につながってくるのか。素朴な疑問を感じたシンジに対し、神前は「一番面倒な課題」と付け加えた。
「一番の課題って……ギガンテス迎撃じゃないんですか?」
「確かに、基地の存在理由はギガンテスの迎撃なんだけどね。
でも、そのことはアメリカに送り込んだパイロットが帰ってきてからのことなのよ。
だから今は、マスコミ対策が一番の課題ってことになっているのよ」
「それでも、僕達が見学させてもらう理由にはなりませんよね?」
マスコミ対策と言われれば、もっと別の方法が思いついてくる。そしてその第一は、マスコミ向けの基地内部公開だろうか。少なくとも、建設中の基地を高校生に公開しても意味があるとは思えない。
だが神前は、自分達の見学に意味が無いと言うシンジの意見を一部否定した。
「マスコミへの公開は、実は何度も行われているのよ。
でも、ただ見せるだけじゃインパクトに欠けるでしょう?
だから次なる方策を考えないといけないのよ。
そうじゃないと政府が叩かれて、そのとばっちりを受けることになるのよ」
「ギガンテスを迎撃してればいいと言うわけじゃないんですね」
ふ〜んと納得したシンジに、「税金を使っているから」と神前は答えた。
「基地建設には、多くの税金が投入されているのよ。
だから、当然のように国民は情報開示を求めてくる。
そして投入しただけの成果も合わせて求めてくるのよ。
その第一が、ギガンテス迎撃に向けた現実の開示と言う事になるわ」
「やっぱり、僕達が見学させてもらう理由がわかりませんね。
僕たちは、一体何をさせられるんですか?」
ここまで話を聞いて、おぼろげながら見学に裏があるのは理解できた。だが具体的に何となると、やはり想像がつかないのだ。ただ、裏が見えてきたおかげで安心できるというのは、ひねくれた考えなのだろうか。
「後から説明もあるけど、見学コースのモニターというのが一番正確ね。
施設の見学、ヘラクレスの見学、そして見学の目玉、シミュレーター体験のモニターね」
「シミュレーターですか……」
そう言われても、シミュレーターがどんなものかをシンジは知らない。今まで公開したことはないのだから、それも当たり前のことだった。
「そっ、シミュレーターにはこれまで襲来したギガンテスのデータが入っているわ。
搭乗者にはパイロットになってもらって、襲来するギガンテスと戦ってもらうのよ。
ヘラクレス操縦の疑似体験もすることができるわよ」
神前の言っていることが確かなら、かなり進んだ設備ということになる。少なくとも、ゲームセンターに置かれているVRマシンとは桁が違っているのだろう。
「何か凄そうですね」
「そう、本当にかなり凄いのよ。
どう、それを聞いたら乗ってみたくならない?」
神前の誘いに、面白そうですねとシンジは素直に認めた。そして認めた上で、「どうして僕なんですか?」とかなり心臓に悪い質問を返した。
「いえ、そう言う話だったら部長が最初に飛びつきそうですからね。
どうして僕だったのかなぁと、ただそれぐらいの意味です」
だが続いて出たシンジの言葉に、神前は思わず安堵してしまった。なぜという疑問にしても、恐れていた方向とはかなり違っていたのだ。
「そうね、ボランティア部だったっけ?
その中のブレーキ役が誰かを考えて、そのブレーキを外そうと思ったのよ。
貴方が反対しなければ、誰も反対はしないでしょう?」
「僕が反対したとしても、多分4対1で却下されると思いますけどね」
思わず苦笑を浮かべたシンジに、「立場が弱いのね」と神前は痛いところを突いてきた。その極め付けに顔をしかめ、「見ての通りです」と自嘲気味に答えた。
「でも、部活はやめないのね?
それって、誰か意中の子がクラブの中に居るってことかしら?」
「意中の子って言われてもねぇ」
ますます引きつりを大きくしたシンジは、開き直ったのだと答えた。
「彼女いない暦17年にもなりましたからね。
そのおかげで、これぐらいは我慢してもいいのかなって思えるようになっただけです。
おかしな期待さえ抱かなければ、なかなか居心地がいい場所ですからね」
「そう?
篠山さんのご両親に気に入られているって聞いたけど?」
「先輩は、一体どこまで吹聴して回っているんですか……」
がっくりと肩を落としたシンジに、「逆玉よ」と散々聞かされたことを神前は口にした。
「君には想像がつかないでしょうけど、篠山家ってものすごい資産家なのよ。
基地のある土地だって、篠山家が所有している敷地のほんの一部なの。
その土地の借用料も、かなり莫大な金額になるわね。
キョウカさんだっけ、彼女を奥さんにしたらその資産全部が貴方のものになるのよ?
なかなか魅力的な話だと思うんだけどなぁ?」
「別に、そんなに魅力的には思えないんですけど?
たしか、かなり昔の漫画では流行ったシチュエーションだって聞いた覚えはありますね」
言われっぱなしではなく、シンジはちょっとした逆襲をした。「かなり昔」と強調することで、神前に対して「おばさん」と言う事実を突きつけてあげたのだ。明確に言わないことで、更に陰湿な効果を発揮したのである。お陰で、神前の目元がひくひくと痙攣した。
「ところで、全く説明を聞いていないんですけど大丈夫なんですか?」
注意を受けなかったので気にしなかったが、バスの中でオリエンテーションが行われる筈だった。それを少しも聞いていないのだが、それでいいのか気になってしまった。今まで話しをしていて気づかなかったのだが、いつの間にか後藤がシンジの後ろに座っていた。
だが神前は、全く問題無いと笑い飛ばした。ただその笑いは、受けたダメージのせいか、どこか少しひきつっていた。
「私が説明したことを、少し言い方を変えて説明しているだけよ。
ちょっと素敵な碇君には、私が個人的にサービスしてあげたのよ」
「お世辞でもそう言ってもらえるのは嬉しいですね」
嬉しそうにニッコリと笑ったシンジに、神前は年甲斐もなくどきりとしてしまった。本人は理解していないが、神前の目から見ると「そこそこ」可愛い顔をしているのだ。しばらくご無沙汰だったこともあり、逆に神前のほうがシンジを意識してしまった。
おほんと誤魔化すように咳払いをして、「そろそろ到着」と神前は告げた。ちらりと後藤の方へ振り返ったのだが、ノリノリで女子高生達に説明を続けているようだった。今のやり取りを見られていなかった、おかしな弱みを掴まれていないことに神前は安堵したのである。
そこで神前の失敗は、女子高生を侮っていたことだった。彼女たちにとって、碇シンジは「ジャージ部」の共有財産なのである。したがって、後藤の説明を聞きながら、二人のやり取りにしっかり聞き耳をたてていたりした。
女子高生達にもバレているのだから、どうして後藤にバレていないと考えられるだろうか。まるで気づいていない態度をしながら、内心面白いことになったとしっかりほくそ笑んでいたりしたのだ。どこで活用すべきか、今はそのタイミングを考えているところだった。
神前の自爆と言う、本人は隠しているつもりの出来事はあったが、一行5人は無事基地へと入ることができた。ただ基地に入るのに際して、いくつか予想とは違う現実を目の当たりにした。その第一が、基地建設反対のプラカードを持った一団だった。老若男女、数十人ほどの団体が、プラカードを持って基地入口でもみ合っていたのだ。
「……反対している人たちも居るんですね」
「基地建設には、つきものと言っていいものだな。
基地と戦争はセットになるものだと、一方的な決め付けをされているよ。
ここの基地は目的が違うといっても、全く聞く耳を持ってくれないな。
あとは、基地自身が危険なものだという主張もある」
そこでため息を吐いたところを見ると、かなり深刻な問題なのだろう。食堂に向かって歩きながら、どうしてですかとシンジは聞き返した。ギガンテスと言う明確な危機があり、間違いようのない被害が世界各地で出ているのだ。その為に基地が必要と言うのは、今更疑いようのないもののはずだった。
「信じがたいことに、ギガンテスの被害自体捏造だと主張してくれている。
我々が攻撃するから、相手もしかたなく暴れているんだとな。
まさか9条教が生き残っているとは思っても見なかったよ」
「9条教?」
初めて聞く話に首を傾げたシンジに、古い話だと後藤は言った。
「SIC前まで、日本は武力を持っていないことになっていたんだ。
1947年に施行された憲法、その9条で国際紛争の解決手段としての武力を放棄すると宣言している。
その9条さえあれば、日本の平和は守れると主張する人たちがたくさんいたんだよ。
だから俺達は、陰で9条教と言って、言い方は悪いがバカにしていたんだ」
「確かに、理想は分かりますけど、どう考えても現実的ではありませんね」
なるほどと頷いたシンジに、到着したと後藤はわざとらしく声を上げた。最初の目的地、お昼を食べるための食堂への到着である。そしてその食堂が、予想とは違う第二のポイントだった。
建設中という割に、基地の食堂施設はかなり立派だった。そのお陰で、高校生様ご一行はかなり豪華なランチを楽しむことが出来た。
「ずいぶんと立派だって?
まあ、君たちは大切なお客様だからね……
と言うのはさておき、食事についても感想を書いてくれるかな?
今日の昼食は、一般用よりは少し上等になっているよ」
少し上等の意味は良く理解できなかったが、渡されたアンケートには「おいしかった」と言う、ある意味簡潔にして間違いようのない感想が書き込まれていた。余談として、堀北アサミと篠山キョウカからは、若干辛口のコメントが書き込まれていた。
もっとも食事の質は、後藤の与り知る所ではない。オリエンテーションを済ませ、さっさと高校生5人を見学コースへと連れ出した。
食堂こそ綺麗だったのだが、そこから一歩出たら工事現場だった。さすがは建設中と言うこともあり、移動途中の至る所に黄色いテープが貼られていた。しかもトラックが行き交うのだから、巻き上げられた砂埃も尋常ではなかった。
「食堂だけ綺麗?
まあ、これだけ広い場所だと食事の心配をしないといけないからな。
弁当持ちなら良いのだろうが、そうじゃないとコンビニすら近くにないんだよ」
「そんなところに見に来て良かったんですか?」
呼ぶ側の責任と言っていたマドカも、見せられた現実に心配になってしまった。いくら何でも、高校生が見学するほど施設が出来ているようには見えなかったのだ。
ただその心配に対して、後藤は「問題ない」と、本当に何も問題なさそうに答えてくれた。
「何しろ、最高責任者が許可しているからね。
誰も、文句を言うことは出来ないんだよ」
それって権力の乱用? 自慢げに語る後藤に対して、高校生一同…除く篠山キョウカ…は不安を持った。それが分かったのか、後藤は少しだけ言い訳をした。
「それでも、一番重要な施設はほぼ完成しているんだ。
それがこれから見て貰う、ヘラクレスの管理施設だよ。
間に合っていないのは、周辺のサポート施設だと思ってくれないか」
サポート施設なしで運用できるとは思えず、高校生達は後藤の説明を話半分で受け取った。そしてこんな男がトップにいることで、日本の迎撃態勢は大丈夫なのかという不安を覚えてしまった。
だが説明者というか、基地トップに対する不安は、ヘラクレスの格納庫に到着するまでのことだった。歩く先々で注目を集めた高校生一行は、高さにしておよそ20mほどの巨大な扉の前に連れてこられた。まず最初に、その巨大さに度肝を抜かれたのである。
「この奥が、ヘラクレスの格納施設になっている。
君たちの目の前にある巨大な扉が、各種搬入用の出入り口と言う事だ。
ちなみにギガンテス迎撃の際は、地下に作られる専用ルートを利用して移動する。
なお、こちらに関しては現在建設中になっている」
「専用ルートは、どこに通じているのですか?」
専用ルートと言われれば、その行き先を聞いてみたくなるのも人情だろう。ただ通常そのルートは、機密事項として扱われる物のはずだった。
だが後藤は、機密を気にすることなく、専用ルートを説明してくれた。
「移動ルートの途中で少し見えたかと思うが、ここには2本の滑走路がある。
それを使って、各地にヘラクレスを送り込むのだが、
その手前に、大型ヘリコプターと輸送機の格納庫が造られている。
専用ルートというのは、効率よく輸送するため格納庫に繋がっているんだな」
「滑走路の整備は終わっているんですか?」
もっぱら質問役となったマドカは、次に滑走路の整備状況を聞いた。まるでマスコミのような、そして誘導されたような質問に、後藤は「当然」と答えた。
「ヘラクレスの建造は、全く別の場所で行っているんだ。
それをここに空路で搬入したと言うことは、十分使える状況になっていると言う事だよ。
基地の状況としては、“パイロットさえ揃えば”いつでも出撃できるんだよ」
「そのパイロットって、アメリカ……でしたっけ、そこで訓練を受けているんですよね?」
見学する前に勉強したのか、マドカは積極的に後藤へ質問をした。その真面目さを、後藤は「感心」だと言って褒めた。
「よく勉強しているね。
君が言う通り、10名の候補生がサンディエゴで訓練を受けている。
男女が半々、全員が君たちと同年代なんだよ。
その10人の若者に、国民は命の安全を預けることになるんだ」
そこまで答えた時、後藤の持っていた携帯にメッセージが届いた。
「受入の準備が出来たようだな。
じゃあ、いよいよ待望のヘラクレスとのご対面だっ!」
さあと先導し、後藤は巨大な扉の脇に作られた、とても小さな、そして人が通るには十分な大きさの扉を開いた。シュッと言う空気が漏れる音と同時に開いた扉は、冷たい空気を5人の元に運んできた。
「オリエンテーションで説明したと思うが、格納庫は15度に保たれているんだ。
中にコートがあるから、寒いと思ったらそれを着用してくれないか?」
外の気温は27度に届いていた。それを考えると、12度の気温差と言う事になる。全員が半袖の薄着と言う事で、案内されるまま黄色い蛍光色をした薄手のコートを手に取った。それを全員が着用したのを待って、後藤はもう一つの扉を開いた。その途端、高校生たち全員から感嘆の声が上がった。
「凄いっ!」
扉が開いた先には、少し掘り下げられた広大な空間が広がっていた。その空間の所々に、LEDで出来た照明が設置され、巨大な人型を浮かび上がらせていた。数えてみたら、人型の数は13あった。後藤の横に並んだマドカは、目を輝かせて前方の空間を見つめた。
「これがヘラクレスなんですか?」
「そう、ギガンテスを殺しうる、唯一の兵器ヘラクレスだ。
知っていると思うが、名前はギリシャ神話を元にしている」
並べられたヘラクレスは、全て黒系の塗装で統一されていた。そのせいもあるのだろうが、格納庫全体が余計薄暗く感じられた。そして個々のヘラクレスを識別するためか、胸元と肩口に白で記号が書かれていた。
「JSDF−HMA01……ってどう言う意味ですか?」
「JSDFと言うのは、自衛隊の略称だよ。
HMAと言うのは、高機動兵器……High Mobility Armor……の略だ。
そして最後の数値は、それぞれに機体識別番号だよ」
良いかなと真面目に答えた後藤は、前に行ってみようと先を歩き出した。
見学コースと言うわけではないのだろうが、ヘラクレスの胸の高さに通路が作られていた。その通路をまっすぐ歩き、01と書かれた機体の前に全員を連れてきた。数mの距離で向かい合うと、ヘラクレスの威圧感は尋常ではないものだった。
「このあたりで、下からは40mぐらいの高さがある。
ヘラクレス自体は、身長およそ50mと言う巨人だ」
自慢げに語る後藤だったが、高校生達からは何の反応も返ってこなかった。大きいということはテレビ等で言われていたが、いざ目の当たりにすると、その迫力は桁違いだったのだ。全身プロテクターに覆われた姿は、頼もしいと言うより“怖い”と言うのが相応しかった。
ヘラクレスを目の当たりにした恐怖なのだろうか、女子高生4人はシンジの所に近づいていた。特にアサミなどは、無意識のうちにシンジの左腕を抱え込んだぐらいだ。一番肝っ玉が据わっているはずのキョウカも、シンジの陰に隠れてシャツの裾を掴んでいた。
「おいおい、そんなに怖がらなくても今は動かないぞ」
全員に頼られたのを見て、後藤は男としてのシンジを見直した。そして同時に、女子高生に囲まれた姿に嫉妬した。
「でも、もの凄い威圧感がありますよ」
「そりゃあ、あくまで兵器だからな」
答えながら、後藤はシンジの反応を観察していた。だが、観察する限りにおいて、少し落ち着いた高校生に過ぎなかった。そんなシンジから、少し意外な指摘が返ってきた。
「でも、このカラーリングセンスは何とかなりませんか?
ミリオタには受けるかも知れませんけど、はっきり言って地味すぎです。
発見されにくさとか、迷彩効果なんて求められていないんでしょう?
だったら、親しみやすさを増すために、綺麗なカラーリングにした方が良いんじゃありませんか?」
「いやっ、サンディエゴやカサブランカもこの色なんだが……」
あまりにも予想外の意見に、後藤はどう答えて良いのか分からなくなってしまった。まさかヘラクレスを前に、色がダサイと言われるとは思ってもいなかったのだ。
しかもシンジに同意を求められた女子高生達も、口々に「可愛くない」と兵器に対するものではない感想を言ってくれたのだ。
「た、確かに碇先輩の言う通りだと思うぞ。
赤とか緑とかにした方が、子供達の受けも良いんじゃないのか?」
「その方が、確かに威圧感は減りますよね……」
キョウカとアサミにまで言われると、「検討する」としか答えようが無くなる。
「うまく色分けが出来たら、愛称を募集してみたらどうです?
ヘラクレスって確かに有名ですけど、あまり日本人向けじゃないと思うんですよ」
「確かに、JSDF−HMA01ってのも、ぱっとしないわね」
シンジの向けた話に、女子高生全員が乗ってきた。そのお陰とも言うか、彼女たちの目から怯えた色は消え失せていた。それに気付いた後藤は、凄いなと更にシンジを見直した。神前には「おもちゃ」とか「良いように利用されている」とか言ったのだが、それが大きな勘違いと気付かされた。言ってみれば、女所帯に居る、頼れる男という感じだろうか。
「でも、顔が怖いから綺麗な色は似合わないかも知れませんね」
「だったら、顔のパーツも変えれば良いんだ。
もっと格好の良い顔にすれば、子供にも受けると思うぞ」
「個性って必要だよね」
そのお陰というか、あたりが急に明るくなった気がする。さすがは女子高生というか、その明るさは無敵だと後藤は思い知らされた。
「なるほど、非常に貴重な提言を貰った。
日本独自の取り組みとして、上の方に提言してみよう」
愛称募集やデザイン公募を行えば、マスコミの目をごまかすことも出来るだろう。そして多額の税金を投入する先としても、広く国民の理解を得られることにも繋がって来る。もともと華やかさを求められない世界なのだが、ギガンテス迎撃に限っては考え方を変えても良いだろう。
ただその際の問題は、日本の装備が役に立たなければいけないことだ。飾り立てたは良いが、役に立たなければいっそう叩かれることになる。
実際その評価の鍵となるのが、目の前で女子高生に囲まれた少年なのである。対象Iと名前を出されない少年が、いったいどれだけの実力を持っているのか。それがこの後の試験で明かされることになるはずだ。
「じゃあ、ヘラクレスはもう良いかな?
この後少し休憩をとってから、待望のシミュレーションと言う事になる」
シミュレーションの結果がどう出るか、気楽な高校生達を連れながら、後藤は喉が渇くほどの緊張を覚えていた。世界を滅ぼす引き金が、今まさに目の前に差し出された気分になっていたのだ。
ヘラクレスの格納庫を出た一行は、まさしく建設中という路地を何度も通り抜けた。あまりにもグルグルと回ったお陰で、方角の感覚が狂ったほどだ。そして雑然と荷物の置かれた一角を抜けたところで、目指すシミュレータールームへとたどり着いた。さすがに重要設備が置かれているということで、扉一枚隔ててそこは別世界になっていた。
「高級なゲームセンターってところかしら?」
「と言うより、アニメによくあるテスト施設ってところじゃありませんか?」
何れにしても、あまり褒めているように聞こえない。シンジとマドカの会話に、後藤は少し目元をひきつらせた。だがここまで来てくじけてなるものかと、“シミュレーター”の責任者を呼び出した。
久良岐と名乗った男は、ここが自衛隊であるのを忘れさせる風貌をしていた。ただ忘れさせる方向が、オタク系というのは悲しい事実に違いない。自衛隊といえば“鍛えられた”と印象があるのだが、目の前にいるのは、カウチポテトを常習とした、どこかのひきこもりのような男だったのだ。
「一応念を押しておくが、彼も立派な自衛官だ」
「特務一佐、なぜそこで念を押します?」
前ボタンをはちきれそうにし、久良岐ショウは横目で上官を睨みつけた。久良岐にしても、何故言われるのかは理解していたが、後藤にだけは言われたくないと思っていたのだ。
色々と文句を言いたいところだったが、女子高生を前に無様なところを見せるわけにもいかない。しかもおおっぴらには言えないことだが、久良岐はアイドル時代のアサミのファンだったりする。「絶対にカムバックしてくれる」と言う固い信念の元、大切にグッズを保管しているという筋金入りのファンだった。
「このシミュレーターは、パイロットの訓練にも使用されます」
気を取り直し、そして憧れのアイドルを前に逸る気持ちを抑え、久良岐は職務を遂行することにした。俺の嫁(アイドル)を前に、絶対に無様なところを晒すわけにはいかなかった。
「ハッチのウラ側は、全面スクリーンになっています。
そのスクリーンが、ヘラクレスの視界ということになります。
シミュレーターに乗り込んだ皆さんは、パイロットたちと同様の方法でヘラクレスを操縦……
した気持ちになってもらいます」
いいですねと先生のように確認をしたところ、質問と言ってシンジが手をあげた。その時久良岐が緊張したのを、居合わせた全員見逃さなかった。
「ハッチだけだと、視界が狭くありませんか?」
「あくまでシミュレーターだからね。
実際にヘラクレスと同調すれば、もっと視界が広がることになる」
常識的な質問だったため、あからさまに久良岐は安堵を表してしまった。そのおかげで、女子高生たちから不審なものを見る目を向けられてしまった。
「久良岐、いくら憧れのアイドルがいるからと言って、あまり緊張するものじゃないぞ」
それを察した後藤は、あまり触れられたくない方面で助け舟を入れた。そのおかげで、久良岐を見る目が別の方面で厳しくなってくれた。特にアサミは、少しだけ久良岐から離れてシンジのシャツの裾を捕まえた。
なぜバラす、それ以上に「なぜくっつく」。アサミの態度にショックを受けた久良岐は、なんとか立ち直って仕事を進めることにした。上司がフォローしてくれたのは分かっているが、それならそれでやりようがあるだろうと文句が言いたかった。
おほんと咳払いをした久良岐は、高校生達に乗り込んでくださいと指示を出した。
「シートに座ったら、5点式のシートベルトを締めてください。
それが終わったら、シートの両側にあるグローブに手を入れるように。
両足をフットサポートに置けば、基本姿勢をとったことになります。
ハッチはこちら側で閉めますので、閉まったところからは個別にオリエンテーションを行います。
シミュレーターがどう動くかは、みなさんの適性に応じたものになります」
さあと言う久良岐の指示で、5人はそれぞれシミュレーターに乗り込んだ。そして久良岐に言われたとおり、シートベルトを締めグローブに手を入れた。
「ではハッチを閉めます。
それぞれに担当が付きますから、分からないことはなんでも質問してくだい。
では、ハッチクローズ!」
ゆっくりと閉まるハッチを見ながら、久良岐は緊張からゴクリと唾を飲み込んだ。いくら平静さを装おうとしても、どうしても緊張を抑えることはできない。自衛隊に居るものにとって、対象Iと言うのは、それほどまでに恐怖の存在だったのだ。
シンジ達がシミュレーターに乗り込むのと同時に、後藤達はデータを確認するためコントロールルームに移動した。記録が残されるとは言え、対象Iのデータから目を離す訳にはいかないと思っていた。
だが恐怖と期待の入り混じった中、対象Iの示したデータは微妙なものだった。
「期待したほどじゃ、なかったみたいね」
「それでも、アテナやアポロンに次ぐ数値を出しているんだがなぁ。
今の調整状態を考えたら、十分に高い値ってのは間違いないんだが……」
高いと言いつつも、後藤の顔からは落胆を見て取ることができた。いくら精神操作をされていても、素材は恐怖の対象Iなのである。もっと飛び抜けた値が出てもいいと期待していたのだ。
「それはそれとして、掘り出し物が見つかったんじゃないの?」
「確かに、うちの奴らよりはるかに良い数値を出しているな……」
神前が指摘したのは、おまけで連れてきた女子高生たちが示した数値だった。全員が適性を示したのも驚きだが、そのうち2人の適性は特に高かった。
「遠野マドカ、鳴沢ナルの二人はスカウトしたいぐらいね」
「篠山のお嬢さんも、調整次第で使い物になりそうだな。
しかもあのお嬢さん、結構いい動きをしているぞ」
「そういう目で見ると、元アイドル様は普通の女の子ね」
シミュレーター上に展開された仮想空間では、5機のヘラクレスがワニの前後をカットし、前後から押し潰した形をしたギガンテスを追い詰めていた。そのスムーズさを見れば、神前の論評は当を得ていると言っていいだろう。その中で特に目に付いたのは、対象Iの冷静さだった。
「彼、対象Iと言うことを忘れれば、なかなか大したものね」
「さすがは、監察官殿のお眼鏡にかなった少年というところかな。
ただ彼は未成年ですから、くれぐれも間違いを犯さないようにしてください。
何しろ我々は、遵法組織ですからな」
思わぬ後藤のツッコミに、神前は赤い顔をして何も言えなくなってしまった。気づかれていないと高をくくっていたのだが、やはり曲者だと再認識させられたのである。しかも後藤の指摘は、あまりにも痛すぎるものだった。
もっとも神前を追い詰めても、あまり後藤に得になることはなかった。だからあっさり、話を目の前で遊んでいる高校生たちに戻した。
「確かに、監察官殿の言うとおりですね。
彼の冷静さが、うまく残りの4人の力を引き出している。
期待とは若干ずれていますが、なかなかどうして大したチームだと思いますよ。
普通の女の子のアイドル様も、このチームに居る限り使い物になっている」
「徴用できるものなら、このままチームで徴用したいぐらいね」
いずれも未成年のため、徴用するには本人の同意のほか、保護者の同意も必要となってくる。対象Iはまだしも、他の4人の保護者から同意をもらえるとは思えなかった。
「シミュレーションだけなら、最強のカサブランカ並の手際ね」
「普通の女子高生が、初めて乗ってギガンテスを倒したのか……
いやはや、今日日の女子高生は恐ろしい」
サンディエゴに送られた候補生達は、目の前のレベルに到達していなかったのだ。それを考えると、出来過ぎとしか言いようのない結果である。後藤が「恐ろしい」と感じるのもおかしなことではなかった。
「だが、これでパイロット補充の道が開けたかもしれないな。
このレベルでも何人か集めれば、立派に単独迎撃が可能になる」
「あの子たちが特別でないことを願っているわ」
とても真剣につぶやく神前に、全くだと後藤も同意した。もしも目の前の女子高生たちが特別だとしたら、その理由を対象Iに求めなくてはいけなくなる。もしもそんなことになったら、誰かに仕組まれている気になってしまうのだ。
「それで、あれをいつまで続けさせるの?
スパコンの使用料、けっこうバカにならないんでしょう?」
「今のところ予算の締め付けはないんだが……」
どうした物かと考えている前で、高校生達はまるでゲームセンターで遊んでいるように、次々とギガンテスを屠っていった。その動き自体は見事なのだが、どこまで行ってもシミュレーションでしかなかったのだ。
「負けて終わりと言うことにしておきますか……」
おいと後藤は、久良岐に遠方からの奇襲攻撃を指示した。ギガンテスの遠方からの加速粒子砲による攻撃は、サンディエゴ基地のパイロット達に深刻な被害をもたらした物だった。同じことをしてやれば、ここでゲームオーバーになるはずの攻撃である。
「アサミちゃんを虐めるのは……」
「うるさい、やれっ!」
へんな渋り方をした久良岐の尻を蹴飛ばし、後藤はシミュレーション画面へと注意を向けた。事前に教えていないこともあり、これで終わりだと思った……のだが。
「いやっ、凄いことは凄いんだが……なんで防げるんだ?」
まるでそうすることが当たり前のように、女子高生二人がシールドを展開して攻撃を防いでくれた。標準装備のシールドが役に立つという前提なのだが、それでもあっさりと防がれると呆れてしまう。他の3人が慌てていないところを見ると、うまく役割分担していると言うことか。
「完璧な現場指揮ね」
「だからと言って、全員素人なんだがなぁ……」
「で、どうするの?」
ラスボスまで倒してしまいそうなのだから、新しいネタがなくなってしまったのだ。これでは予定の、負けて終わらせることが出来なくなる。
「仕方が無い、ゲームクリアと言うことにしておきますか」
「難易度を上げたステージを用意する必要がありそうね」
それを使うのは、同じチームをもう一度乗せる時である。やってみたいという気はあるが、どうにも口実が立たないのが現実だった。
「久良岐、エンディングでも流してくれ」
「ゲームじゃ有るまいし、そんなもの用意してありませんよ……」
やめてくださいと抗議しようとした時、高校生達が遊ぶシミューレーションがいきなり終了した。それまで閉じていたハッチが、何の前触れも無く跳ね上がったのだ。民間人を乗せている状況では、あってはいけない手違いと思われた。
「久良岐っ!」
「私じゃありません!
待ってください、非常事態警報が発令されました!」
運用前の基地と言う事もあり、警報システムが十分に整備されていなかった。警報音が鳴り響かなかったのは、単に整備上の問題と言う事だ。
そして久良岐の答えと同時に、後藤の持っていた携帯無線機にも非常事態警報が通知されてきた。それを目にした後藤は、示された事実に愕然とした。
「最悪だ……」
表示された内容は、現時点で考え得る最悪の物となっていた。さすがの神前も、冷静ではいられない知らせだった。
「ギガンテスの同時侵攻って……」
「ああ、サンディエゴ、カサブランカの出撃は期待できない」
そうなると、地方が一つ死滅する可能性が高くなる。後藤の険しい視線の先では、開いたハッチから女子高生達の楽しげな声が響いていた。
***
アスカがブリーフィングルームに移動するまでの僅かな時間、その本当に僅かな時間で事態は更に悪化していた。更なる侵攻の兆候と言っていた物が、現実の物となったのである。そして同時に、各地での侵攻規模が明確になった。
端末に示されたデータに、アスカは目を剥くことになった。
「サンフランシスコ4、カサブランカ4、コーチ6……6って!
それで、上陸予想時間は?」
ギガンテス襲撃の規模は、戦力分散の可能性を否定してくれた。各々の襲撃規模だけで、今の戦力では一杯一杯だったのだ。その上高知の襲撃規模は、過去最大に並ぶものだった。その時の戦闘では、サンディエゴ、カサブランカ両基地の共同作戦を行いなんとか撃退に成功した実績がある。
その時は単独発生なのだが、今回は3箇所同時侵攻である。同時発生数と言う意味では、過去に例を見ない規模となっていた。しかも上陸予想時間は、更に状況を悪くしてくれた。
「コーチが6時間後、それ以外が8時間後ということね……」
襲撃地点と移動時間を考えれば、直近の迎撃が優先されることになるだろう。そして基本的に基地は、設置された地域の制約を受けることになる。そうなると、日本への出撃は各基地での迎撃が終わってからしか許されないことになる。
8時間後の迎撃が終わり、そこから基地へ戻って休息と補給を行い、再度日本へと出撃することになるのだろう。サンディエゴ基地単独で考えたら、少なくとも今から20時間後に到着するのがせいぜいという所だ。更に遠いカサブランカ基地との共同作戦を考えるなら、10時間は余計に時間が掛かることとなるだろう。
物理的な対処時間を考えたら、最低でも14時間、まともな迎撃ということを考えたら、20時間以上ギガンテスに好き放題させると言うことになる。それは、直ちに一つの地域の死滅に繋がっていた。シャームナガル以上の悲劇が現実のものとなるのだろう。
そしてもう一つ問題なのは、コーチの襲撃まで6時間という短さだった。その対策のため前線基地を作ったとも言えるのだが、サンディエゴからでも水際での迎撃が間に合わないのだ。今からパイロットを戻したとしても、単純計算で2時間ほど間に合わないことになる。しかも戻すパイロット達は、明らかに能力的に不足している者達だった。
「私たちが動けない以上……」
この判断によって、何十万にもの命が見捨てられることになる。更に言うなら、予測される結果は世界的混乱を引き起こす事になるのだろう。能力的に仕方が無いこととは言え、パイロットに突きつけられる事実は重すぎるとしか言いようが無かった。
だからと言って、この場で判断に遅滞は許されなかった。両方救うという選択肢が無い以上、どちらかを切り捨てる必要があったのだ。そしてその答えは、今更悩むまでもないことだった。
「サンディエゴ基地は、サンフランシスコに上陸するギガンテス殲滅を優先します。
トーリ司令に連絡、必要なパイロットを日本に大至急移動させるように進言してください!」
日本での作戦には、間違いなくカサブランカと共同作戦が必要となる。それを考えたら、高知を優先するという選択はあり得なかった。何しろカサブランカは、ギガンテスがまっすぐ向かっている場所だったのだから。
アスカが苦渋の選択をした頃、カヲルもまた厳しい選択を迫られていた。ただアスカよりも気が楽だったのは、地理的に更に遠いと言うことだった。今から直ちに出撃しても、現地到着まで14時間が必要となる。サンディエゴがサンフランシスコを優先した時に比べても、4時間しか短縮できなかったのだ。しかも往復の時間を考えると、カサブランカが1日以上蹂躙されることになる。基地を設置した経緯を考えれば、そんな判断が許されるはずがなかったのだ。
「検討の余地もないね」
「それが、人類の限界ってことね」
カヲルの言葉に、ライラ・オネアミスは正しい判断だとそれを支持した。戦力が限られている以上、出来ることを着実に実行するしかない。3箇所同時の迎撃作戦は、今の戦力では出来ないことだったのだ。だがそれを語る時、ライラの顔からは綺麗に表情が抜け落ちていた。
「四国だっけか、これで半分近く焦土になるな。
人口が少ないのが、唯一の救いと言う事か」
一方エリック・ゴンザレスは、顔に悔しさを滲ませていた。世界を守るパイロットとして、どの地域でも人が死ぬことを許せるはずがなかったのだ。その考えは全員同じなのだが、ただ表現の仕方が違っているだけだった。
「日本には、確か例のパイロットが居たんじゃないの?」
唯一の希望に縋ったマリアーナ・ロドリゲスに、カヲルは聞かされている残酷な現実を口にした。
「日本も、利用することは考えているのだろうね。
だけど、サンディエゴに送られた中に、該当しそうなパイロットは居ないんだよ。
そして日本の迎撃基地は、未だ建設中と言う事だ……」
「つまり、日本は丸裸ってことね……
そうなると、通常兵器の大量投入が関の山って所かしら」
憂鬱だとぼやくマリアーナに、もう一つ選択肢があるとカヲルは告げた。
「サンディエゴから、訓練中のパイロットを帰還させるという手があるよ。
足の遅いキャリアを使わなくて済むから、時間的にはかなり節約することが出来る」
「うちの訓練状況を見て、それを言うのかしら?」
目を細めて睨むマリアーナに、カヲルは苦笑混じりに「だから時間的」と繰り返した。
「しかし、それ以外に方策がないのも確かなんだよ。
本来彼らに期待されているのは、数時間を持ちこたえるだけなんだけどね。
いきなり、それ以上を期待されるのは運が悪いとしか言いようが無いね」
そこでカヲルは、事前確認と言う名の意見交換会を打ち切った。時計を見れば、迎撃開始まで7時間30分となっている。少しでも効率的に迎撃を済ませれば、被害の拡大を防ぐことが出来るのかも知れない。ならば、そのための準備を今はすべきなのである。
「今から、5時間と30分休息を取るように。
各自連戦が予想されるため、体調を完璧に整えること。
分かったね?」
そこまで口にして、「ああ」とカヲルは頭を掻いた。
「それから君たち、睡眠誘導薬は使用不可だからね。
無理にでも休息が取れるよう、努力してくれないかな」
一言も発言の無かったパイロット4人に、カヲルは今更の指示を出した。そんな指示が必要なほど、カサブランカ基地の人材も不足していたと言うことでもあった。
***
警報も聞こえないのだから、高校生達はのんびりとした物だった。突然打ち切られたシミュレーションにしても、そんな物だと思えば気になるはずがない。それよりも、彼らにとってはシミュレーションの興奮の方が重要だった。何しろ、今まで遊んだどんなゲームよりも臨場感のある体験を提供されたのだ。そのお陰で、少女達は未だ興奮冷めやらないという様子だった。一人冷静なシンジを除き、アサミですら凄い凄いと大騒ぎをしたぐらいだ。
「そうよねぇ、私達ちょっと凄くない?」
先頭に立って盛り上がっているのが、ギガンテス殲滅を一手に引き受けたマドカとナルだった。シミュレーターで出てきたギガンテス6体は、シンジの誘導のもとマドカとナルの二人が倒していた。
「凄いかどうかと言われても、あくまでシミュレーターですからね。
まあゲームとしてみれば、上出来だったとは思いますよ」
「でしょでしょっ、このまま訓練を続けたら、私たちがパイロットになったりしてね」
それがあり得ないのは、自慢するマドカにも分かっていることだった。だからシンジも、軽い調子で「そうですね」と合わせることにした。せっかく機嫌が良いのだから、余計なことを言って水を差す理由もなかったのである。それにシンジにしても、自分ながらうまくやれたと思っていたりした。
そうやって話をしていたら、神前と久良岐がやってきた。二人の表情が強ばっているのに気付いたシンジは、「どうかしたのですか?」と神前に尋ねた。
「後藤さんは戻られたのですね。
まあ、基地で一番偉い人が何時までも高校生の相手をしてられませんよね」
「そ、そうね、ちょっと外せない仕事が出来てしまったのよ。
これで一通り見学コースが終わったから、応接室に戻って感想を書いて貰おうかしら?」
その外せない仕事というのは、かなり重要な仕事なのだろう。神前ほどの女性が、はっきりと動揺を顔に表したことからもうかがい知れる。
だが、たかが高校生に、自衛隊内部の事情など分かるはずがない。だから5人は、大人しく神前の後をついていったのだった。
その頃仮設の司令室に戻った後藤は、難しい判断を迫られていた。入手した状況からして、サンディエゴ、カサブランカ両基地からの出撃が望めないのはは明らかだった。彼らとしては、日本を後回しにせざるを得なかったのだ。その結果、日本は支援を受けるまで最短で20時間という時間が必要となる。現状では、ギガンテス上陸から14時間の間、日本は蹂躙を許すことになる。
「通常兵器での迎撃は……だめか、むしろ被害を拡大させるだけになる。
N2兵器を使った時、どれだけ時間が稼げる?」
「最大1週間ですが、その場合高知県が地図から消えることになります。
被害人口は、およそ30万人に上ります!」
一つの県が地図から消え失せ、30万以上の人命が犠牲となる。まともに考えれば、採用できるプランではなかった。だが他に方法があるかというと、絶望的に無いと言うのが現実だったのだ。
「放置した時はっ!」
「被害は、四国全域に及びます。
被害人口は推定70万人以上。
瀬戸内海を渡られたら、100万を遥かに超えることになります」
むうと唇を噛みしめた後藤は、上の状況を確認した。国家的緊急事態に直面し、政府が何か言ってきていないのかを確認したのだ。
だが後藤の期待、危惧に対して、部下からは「現状何も」と言う期待はずれの答えが返ってきた。
「それで、住民に対して避難命令は出ているのか?」
「間もなく、避難命令が発令されると言うことですが……」
「僅か6時間では、大して避難することも出来ないか……」
むしろ、緊急避難命令は、別の問題を引き起こす事になりかねなかった。そこで引き起こされるパニックは、より多くの被害者を生み出すことに繋がりかねなかった。
これ以上ないほど渋い顔をした後藤は、出来る限りの手を打つことにした。そしてその第一弾が、基地にあるヘラクレスの輸送命令だった。
「すぐに、ヘラクレスを高知まで運ぶ準備をしろ!」
「パイロットが居ません!」
「深山っ!」
兵器を移送するのなら、当然搭乗者が必要となってくる。サンディエゴから帰ってきた部下に、パイロットの状況を確認した。
「現在確認中です。
米軍に支援依頼が出たところまでは分かっています!
ただ、現在の訓練状況を鑑みると、支えるのは不可能としか言いようがありません」
「サンディエゴ、カサブランカ両基地そろい踏みレベルの侵攻規模か……」
一瞬女子高生達の姿が頭によぎりはしたが、それも現実的ではないと後藤は振り切った。シミュレーターでは優秀なところを見せてくれたのだが、どこまで行ってもシミュレーター上のことでしかなかったのだ。将来の投入方法を考えていたが、現時点での投入は自殺行為でしかない。しかも、このまま現地に投入したら、せっかくの希望の種を無駄死にさせてしまうだろう。ここは我慢してでも、次に備えるしかなかったのだ。
取り得る作戦という意味では、後藤は、いや日本は完全に詰んでいたのである。
基地が基地としての機能、ギガンテス迎撃に向けて動き出したのである。いくら何事もないように振る舞われても、基地全体が緊張に包まれたのを隠すことは出来ない。出来るだけ邪魔にならないところを通ってきたのだが、それでも応接に着く頃には何が起きたのか想像することが出来た。
そしてアサミが、持っていた携帯でテレビ放送を確認したことで、想像が間違っていなかったことを全員が理解した。それを突きつけられ、神前はギガンテス襲撃の事実を認めた。
「そう、ギガンテスの同時侵攻が確認されたわ。
場所は、日本の高知と、アメリカのサンフランシスコ、モロッコのカサブランカよ。
四国全域に、緊急避難命令が発せられたわ。
状況に応じて、避難命令は大阪、兵庫、岡山、広島にも出されることになるわ」
それはテレビから得られた情報を裏付ける物だった。ただ四国全域と言う避難区域の広さは、誰も予想だにしていない物だった。しかも最悪の場合、ギガンテスが瀬戸内海を渡るというのだ。
「今までのギガンテス侵攻で、そこまで大規模な避難命令は出ていませんよね?
確か直接上陸してくる市と、その周辺地域だけだったと思いますが?」
緊急事態が判明したことで、すっかりアンケート記入は忘れられていた。高校生たちの関心は、完全にギガンテスに向いていたのだ。ここがギガンテス迎撃の前線基地ともなれば、それも無理のないことだった。
「そうね、隠しても仕方の無いことだから教えておくけど。
今回は、3箇所同時侵攻というのが問題なのよ。
サンディエゴ、カサブランカ両基地には、同時侵攻に対応出来るだけの戦力はないわ。
だから日本への出撃は、直近のギガンテス迎撃が成功した後になるのよ。
一番近いサンディエゴ基地からでも、高知に上陸してから早くて14時間後になるわ」
「シャームナガルの悲劇の再来……ですか?」
まだ今のような迎撃態勢が整う前、インド西部の都市が2体のギガンテスに襲われた事件があった。上陸から10時間後に殲滅されるまで、かなりの範囲が破壊されたのだ。未だ正確な被害は把握されていないが、死者行方不明者は30万人を超えていた。けが人まで含めると、100万人以上が被害を受けた大惨事として伝えられていた。
神前の顔がはっきり引きつったことで、女子高生達はシンジの指摘が正しい事を理解した。ただシャームナガルの悲劇と言われても、どう言うことか理解できなかった。それでも分かるのは、大勢の人が死ぬことになるだろうと言う事だった。
「い、碇君、シャームナガルの悲劇って?」
なにか悩んでいるマドカの代わりに、ナルがシンジに聞いてきた。自分で口にしておきながら、それを説明して良いのかシンジは判断を迷った。だが隠してもすぐに分かることだと、「シャームナガルの悲劇」を説明した。
「今から1年と少し前でしたっけ。
インドの西にギガンテスが侵攻してきたんです。
そして上陸してから殲滅されるまでの10時間ほどで、何十万人もの人の命が奪われたんです」
「つまり、今度も同じことになる可能性があると……」
神前には、14時間経たないとサンディエゴからヘラクレスは来ないと言われている。それを考えると、同じ悲劇が繰り返される可能性がとても高くなる。恐怖に唇を振るわせたナルに、その通りとシンジは頷いた。
「でも、そうならないようにこの基地を作ったんですよね?
これからヘラクレスを輸送して、アメリカで訓練を受けているパイロットを連れ戻す。
時間的にはぎりぎりですけど、ギガンテス上陸までに間に合いますね」
冷静さと状況分析の正しさ、淡々と事実を口にしたシンジに、神前は怖い物を感じていた。いくら感情の起伏を押さえる操作をしていたとしても、この冷静さは異様としか思えないのだ。そして神前もまだ知らないことだが、指摘された作戦はまさに後藤特務一佐が決定した物だった。
「そ、そうね、碇君の言う通り、サンディエゴからパイロットが呼び戻されるでしょうね」
だからシャームナガルの悲劇は繰り返されない。明言したわけではないが、神前の言葉に女子高生達には少しだけ安堵の空気が広がった。そしてその空気を利用して、シンジは黙りこくったマドカに声を掛けた。
「そう言うことなので、遠野先輩が悩むことはないんですよ。
ちゃんと訓練を受けた軍人さんが出撃してくれます」
「本当に、大丈夫なのかなぁ……」
ちゃんと対応が考えられていると言われれば、マドカも認めざるを得ない。いざとなったら自分が出撃することを、マドカは一人真剣に考えていた。それどころか、そうなることをどこか期待していたのだ。だがシンジは、その期待を打ち壊すことを口にした。
「さすがに、絶対に大丈夫だなんて誰も保証できないですけどね。
一つだけ言えるのは、シミュレーターが使えたぐらいでヘラクレスの操縦は出来ないってことです。
もしも遠野先輩が出撃しても、結局何もすることは出来ませんよ」
「たぶん、碇君の言う通りなんだろうけど……」
それでも釈然としない所があるのか、マドカの言葉ははっきりとしない物だった。そんなマドカに、シンジはだめ押しの言葉を吐いた。
「初めてシミュレーターに乗った高校生なんて、怖くて出撃させられませんよ。
そんなことをしたら、結果が変わらなくても後藤さん……の首が飛ぶことになります」
どうしてそこまで分かるのか、確かに少し考えれば思いつくことなのだが、この状況でそこまで思いつくシンジに対して、神前は恐怖に似たものを感じていた。しかも目の前の少年は、ギガンテス襲撃という事実の前に怯えすら見せていない。だから「そうですね」と確認されても、自信満々「その通り」と答えることが出来なかった。
「だいたい、その通りね……」
シンジとしては、面倒にならないようごまかしているつもりだった。それなのに、当の担当者がそれで良いのかと思えてしまう。それでも認められたのは確かと、「そう言うことです」とマドカに保証した。
そこで誤算があったのは、アサミがテレビ放送を聞いていたことだった。そのあたりは、情報公開の弊害とも言えたかも知れない。テレビに出てきた評論家は、日本独自の迎撃は焼け石に水だと断じてくれたのだ。
「でも先輩、テレビではパイロット候補じゃ役に立たないと言っていますよ。
侵攻してくる規模は、二つの基地総出で当たらないといけないぐらいだって……
それに四国では、酷いパニックが起こりかけているって言っているし……
盛んに、シャームナガルの悲劇以上の事態が起きるって言っています」
「堀北さん……」
それをここで口にしたのは、アサミも恐怖に怯えていたと言うことだろう。たとえ自分が関わらなくても、世界規模の悲劇に立ち会うことは、普通の精神では耐えられるはずがない。見学と言う形で関わってしまったことが、余計に彼女達の感受性を刺激してしまったようだ。
だが、テレビがパニックを煽ってどうしようというのか。アサミの言葉にシンジだけではなく神前も、先走ったマスコミの対応を恨んだ。だが今解決すべき一番の問題は、目の前で目をつり上がらせているマドカへの対応だった。
「碇君、私に嘘を吐いたのね!」
「い、いや、一つも嘘を吐いた覚えはありませんけど……」
シンジとしては、本当に一つも嘘を吐いた覚えはない。経験のないパイロットを出撃させるわけに行かないのも事実だし、大丈夫と保証していないのも事実だった。だが嘘を吐かれたと言う思いで、マドカの頭には血が上っていた。そんな相手に正論が通じるはずもなく、言い訳をしたシンジはいきなり頬を張り飛ばされた。
そしてシンジの頬を張った勢いそのままで、マドカは久良岐に出撃できますよねと詰め寄った。
「今のパイロットより、私達の方が成績が良いんですよね?」
「た、確かに、シミュレーターの成績は多少良いんだが……
いやいや、だからと言って出撃できると言うのは全く違うのだが……」
「でも、アメリカに行っている人達も、ここにあるヘラクレスを動かしたことはないんでしょう!
だったら、私達だって条件は同じじゃないですか。
いえ、私達の方が成績が良いんだから、ずっとうまくやれるはずです」
絶対にそうだと決めつけ、自分達を乗せろとマドカは詰め寄った。そこで久良岐が不幸だったのは、直前に彼女たちが示したデータだった。「多少」とはとっさに口にしたが、現実は雲泥の差があったのだ。目の前の女子高生達は、シミュレーションとは言え、カサブランカ基地を凌ぐ成績を叩き出してくれたのだ。
その思いがあったため、久良岐の否定は説得力のない物になっていた。しかも神前に助けを求める視線を向けた物だから、神前までマドカに責められることになってしまった。
「言えないだけで、神前さんもそう思っているんでしょう?
それに、シミュレーションでは最後まで私達はやりきりましたよ!」
だから出来るはずだ。そう主張するマドカに、神前は言い返す言葉を持たなかった。「言えないだけ」とマドカに指摘された通り、現状を打破する可能性は、目の前の高校生達以外に無かったのである。だがそれは、監察官とは言え自衛隊員が口にして良いことではなかった。
「何とか言ってください。
こうしている間にも、時間はどんどん過ぎているんですよ」
「先輩っ!」
「うるさい、この嘘つきっ!」
さすがに目に余ると、シンジは暴走するマドカを止めようとした。マドカの言っていることは、一部で正鵠を射ているのは理解していた。だからと言って、出撃させろと迫るのはやり過ぎだった。
だが頭に血が上ったマドカにとって、シンジは自分を騙した嘘つきだった。だから血走った目でシンジを睨み付け、「嘘つき」と吐き捨てたのである。だったらと相方のナルに助けを求めようとしたのだが、狼狽えるだけで役に立ちそうにもなかった。1年生二人にしても、事情はナルと変わらなかった。
だからと言って、ますますヒートアップするマドカをそのままには出来なかった。もしも出撃することになったとしても、ここで騒いでいるだけでは意味が無い。騒いでいるだけでは、本当に無駄に時間を浪費するだけのことだった。
「先輩、落ち着いてください!」
「黙れ嘘つき、お前なんかあっちへ行け!」
聞く耳を全く持たないマドカに、シンジは冷静に最後の手段をとった。本当に軽くなのだが、右手でマドカの頬を張ったのだ。
頬を張られた事自体、マドカは大した痛みを感じていなかった。だが思いがけないシンジの行動に、一瞬呆けてしまった。だが各運動部に助っ人に行く気の強さは伊達ではない、すぐに「何をする!」とグーで殴り返してきた。
もっとも、このあたりまではシンジの予想範囲だった。右手で拳を受け止めると、空いていた左手で、先ほどとは比べ物にならない強さでマドカを張り飛ばした。
いくら運動神経が良いと通っていても、体の大きな男に殴られればこらえることはできない。ただ幸運だったのは、張り飛ばされた先に神前が居たことだった。倒れる前に受け止められたマドカは、もう一度殴りかかろうとシンジを見た。だがシンジの顔を見て、マドカの体は硬直した。
「碇君、やりすぎよ!」
「うるさい、黙っていろ!」
止めようとしたナルだったが、シンジの剣幕の前に動くことができなくなった。そしてそれは神前に抱えられたマドカも同じで、怯えた目をしてシンジのことを見ていた。マドカの怒りも、本気で怒るシンジの前に吹き飛ばされてしまった。
そんなマドカに、シンジは表情を和らげて近づいた。
「乱暴をしたことは謝ります。
ジャージ部を首にしてくれても構いません。
ただ、少しだけ落ち着いて僕の話を聞いてくれませんか?」
いいですねと言われ、マドカは目を大きく見開いて頷いた。頭に登っていた血も、今はシンジへの恐怖の前に収まってしまっていた。
「たぶん、先輩の言っていることは正解ですよ。
訓練でアメリカに行ったパイロットより、僕達の方がシミュレーションの成績はいいと思います。
久良岐さんは、多少と言いましたが、多分雲泥の差があったと思います」
「でも」とマドカの言葉を認めた上で、それではダメなのだとシンジは続けた。
「先輩は、「私達」と言いましたよね。
私達って、一体誰のことを言っているんですか?
鳴沢先輩ですか、篠山ですか、それとも堀北さんのことを言っているんですか?
先輩は、彼女たちに死ぬかもしれない……戦いに出ろと言うんですか?
いえ、出撃したら間違いなく死ぬことになるでしょうね。
何しろ敵は、西海岸のアテナと砂漠のアポロンの二人が居ないと戦えない相手なんですよ。
比較する対象は、決して日本のパイロット候補なんかじゃないんです。
でも、ここにいる限り、みんなに命の危険は無いんですよ?
そんなみんなに、先輩は自分と一緒に無駄死にに行こうと言うんですか?」
「それは……」
シンジへの恐怖は残っていたが、言われていることも理解できるぐらいには冷静になっていた。赤くなった頬を抑えながら見た仲間達は、マドカに向かって静かに首を横に降っていた。
「分かりましたか、先輩はみんなの気持ちも考えずに、勝手に騒ぎ立てていたんですよ。
考えても見て下さい、ほんの1時間前までは、僕たちはヘラクレスに触れたこともなかったんです。
シミュレーションが少しぐらいうまくできただけで、大勢の人たちの命を預かれると思いますか?
その命の中には、今ここにいるジャージ部の仲間の命も含まれているんです。
失敗したらリセットすればいいシミュレーションとは違って、これはやり直しがきかないことなんですよ」
そこまでいわれれば、自分が何を騒いでいたのか理解することが出来る。静かに語るシンジに、マドカは大粒の涙を流して「ごめんなさい」と謝った。
「嘘つきなんて言ってごめんなさい、我儘言ってごめんなさい……」
顔をくしゃくしゃにして「ごめんなさい」を繰り返すマドカの頭を、シンジは胸元で受け止めた。そして泣く子をあやすように、シンジはマドカの頭をポンポンと叩いた。
「僕こそ、乱暴して申し訳ありませんでした。
先輩が、襲われる人たちを助けたいという気持ちは分かります。
でも、頭に血が上った状態で騒ぎ立ててもなんにもならないんですよ」
耳元でシンジに諭され、マドカは小さな声で「うん」と答えた。
「先輩、濡れたタオルを持って来ましたよ」
「ああ、さすがは堀北さん、助かるよ」
こういう時の冷静さと気配りは、堀北アサミの真骨頂とも言えるだろう。穿った見方をすれば、忘れられないように自己主張したとも言える。シンジとマドカ、二人の主役が繰り広げる劇の中に、自分の登場する役割を作ったというところか。しかも自分に振った役割は、当然のようにシンジの側に立った物だった。
アサミからタオルを受け取ったシンジは、自分が叩いたマドカの頬に当てた。かなり強く殴ったため、冷やしたぐらいでは青あざが残るかもしれなかった。
「鳴沢先輩、お願い出来ますか?
ちゃんと冷やしてあげたほうがいいと思いますので……」
今更手遅れのところがあるが、女の子の顔に傷をつけたのだ。後から「責任をとれ」と言われないか、ナルにマドカを任せながら、シンジは内心冷や汗を掻いていた。
「さっ、マドカ少し顔を洗ってこよう?」
シンジからマドカを預けられたナルは、肩を抱くようにして部屋の外へ出ていった。それを見送ったところで、シンジは少し情けない顔をして「やりすぎたかな?」と後輩二人に聞いた。
「ええ、ちょっとやりすぎたと思います。
多分、後から大変なことになりますよ」
そう言ってシンジを脅したアサミは、「ただ」と少しシンジから顔を逸らして、「格好良かった」と答えた。そしてもう一人の後輩、篠山キョウカは「惚れた!」と大きな声で答えた。
「すかしているだけかと思っていたが、先輩は熱い男だったんだな!」
「いや、少しも熱くないから、そこのところ勘違いしないように」
ほめられて悪い気はしないが、深入りするのは怖すぎる。そこで冷静にとキョウカに言うのは、シンジとしてはかなり切実だったりした。
ただ、これでジャージ部は目出度し目出度しと言うには、問題が大きすぎた。マドカを落ち着かせるのには成功したが、ギガンテスの対策ができあがったわけではない。高校生の悩む問題ではないと言えばそれまでだが、光明がここにしかないとなれば話は変わってくる。本来彼らに責任は無いはずなのだが、なぜか非常に重たい責任を負わされた気持ちになっていた。
「見苦しいところをお見せしたことをお詫びします。
これから僕達はどうしたらいいのか、指示を出してくれませんか?
予定から行けば、アンケートを書いて解散と言う事になっているんですけど」
どうしたらいいと言うシンジの言葉に、神前は心臓が飛び跳ねるのを感じるほど驚かされた。だが続いた言葉に、どんな名目で高校生をここに連れてきたのか思い出した。基地全体に非常事態宣言が出されたのだから、本来無関係である高校生がここにいる理由がないのである。
「そうね、一応確認してくるからお茶でも飲んで待っていてくれるかしら?」
その確認をここで行うわけにはいかない。神前は、久良岐を連れて部屋から出て行った。そうなると、部屋に残されたのはシンジ達3人となる。ぽつりと取り残された高校生3人、会話のない中アサミが立ち上がった。
「先輩、何を飲みますか?」
気が利かないと文句を言いながら、アサミは部屋の隅に置かれていた“高機能”給茶器の所に来た。ボタンを見ると、冷たいお茶からコーヒー紅茶と、色々な飲み物が選べるようだった。
「喉が渇いたから、アイスコーヒーをお願いできるかな?」
「はい、アイスコーヒーですね」
二人の自然なやりとりに、何を感じたのかキョウカは立ち上がり、「俺が運ぶ」とアサミの所に近づいていった。
「じゃあ、篠山さんは何にします?」
「そうだな、俺は麦茶にしておこう」
キョウカがお盆を持ったので、アサミは入れ終わったアイスコーヒーをその上に置いた。そしてキョウカが指定した麦茶のボタンを右手で押した。
「私たちの分は運びますから、先に先輩の分を持っていってあげてくださいね」
「おっ、そうか、じゃあそうさせて貰うぞ」
アサミに促され、キョウカはブラックのアイスコーヒーだけをシンジの所に持っていった。それを見たアサミは、サーバーの横からミルクとシロップを取って、自分用のお盆の上に載せた。そして自分もアイスコーヒーを入れると、人数分のストローも持ってテーブルに戻ってきた。
「はい先輩、ミルクとシロップです」
「あ、ありがとう……」
「お入れ、しましょうか?」
怖いぐらいのサービスの良さに、何事かとシンジは一歩退いてしまった。結局後が怖くなり、自分でやるとアサミから受け取った。
シンジが一息入れるのを待っていたのか、アサミはしばらく自分のアイスコーヒーをぐるぐるとかき回していた。そしてシンジがコーヒーを啜ったのを見て、感じていた疑問を切り出した。
「それで、先輩は何を考えているんですか?」
「分かりにくい質問だね……」
いきなり発せられたアサミの問いかけに、シンジははっきりと苦笑を浮かべた。いろいろと心当たりはあるが、本当にそうなのか疑わしかったのだ。そんなシンジに、アサミはその物ずばり、「遠野先輩の言ったことです」と突いてきた。
「先輩の言った事ね……」
ああとシンジが頷いた時、ナルに連れられてマドカが帰ってきた。右頬をハンカチで押さえているのは、青あざができかけているのか、はたまたまだ痛みが残っているのか。いずれにしても、シンジとしては厳しい状況にあるのは間違いなかった。
二人が戻ってきたのを見て、アサミはシンジの追求を一時棚上げすることにした。問題の大本が帰ってきたのだから、その話は避けられないことが分かっていたのだ。そしてシンジに話を聞く代わりに、給茶器に行って二人分のアイスコーヒーを用意した。
戻ってきたマドカに、シンジは立ち上がって腰を45度折り曲げて謝った。
「遠野先輩、暴力を振るったことをもう一度謝ります」
ごめんなさいというシンジに、何故かマドカは顔を赤くして狼狽えた。そして両手をぶんぶんと振って、「悪いのは自分」と言い返した。その時見えた右頬は、叩かれた場所が少し青くなっていた。
「私が、頭に血が上って興奮していたのがいけないの。
だから、碇君ばかりが悪いわけじゃない……と思ってる。
それに、最初に暴力を振るったのは私だし……
だからっ、その、碇君はあまり気にしなくても良い……のよ」
顔を上げては下ろし、シンジの顔を見ては目を逸らし、そんなことをしているから、マドカはつっかえつっかえ話すことになった。
「でも、先輩の顔に傷を付けてしまいました」
「あっ、これは、大したことは無いから……
で、でも、責任をとって……」
マドカの言葉に、危険な物を感じたのだろうか。すっくと立ち上がったアサミは、自分の荷物を持ってマドカの隣に立った。そして青くなった部分を見て、「大丈夫そうですね」とバッグの中から化粧品のボトルを取りだした。
「これぐらいなら、しばらくたてば消えますね。
それまでは、ファンデーションを使えば目立たなくなりますよ」
「あ、ありがとうアサミちゃん……」
シンジにしてみれば、気が利く程度にしか思えないアサミの行動なのだが、隣で見ていたナルにしてみれば、しっかりと邪魔をしているように見えていた。そしてもう一人の当事者、キョウカは完全に蚊帳の外に置かれていた。
ただアサミが乱入したせいで、二人だけの空間は綺麗に消滅した。液体ファンデーションで青痣の目立たなくなったマドカを椅子に座らせ、アサミは話を大きく引き戻した。
「それで、先輩は何を考えているんですか?」
「どうしたら良いのか、自分に何が出来るのかぐらいは考えたよ」
「アサミちゃん、何のこと?」
二人のやりとりが理解できず、マドカが割り込んできた。そんなマドカに、「先輩同士が揉めた理由」とアサミは説明した。
「遠野先輩は、ヘラクレスに乗って戦うって騒いでいましたよね。
結果的に碇先輩はそれを止めたんですけど、その時碇先輩が何を考えていたのかなと」
「あっ、それは私も知りたいな。
ねえ碇君、そこのところはどうなの?」
アサミの言葉に乗る形で、マドカとナルは身を乗り出した。そんな二人に対して目元を引きつらせ、「期待しないでください」とシンジは言い返した。
「僕の考えは、ほとんどさっき話しました。
アニメや映画じゃぁ無いんですから、未経験の高校生が出ていっていきなり活躍なんて出来ませんよ。
ゲームでF1を体験したからと言って、実際のレースでいきなり優勝なんて出来ないでしょう?
今求められているのは、レースで優勝するのと同じ事なんです。
サンディエゴやカサブランカでも、毎日激しい訓練が行われているぐらいですからね。
ただ高知に行っても意味が無いんです。
行くからには、ギガンテスを叩きつぶせないと意味が無いんですよ」
「確かに、スポーツでも実際に体を動かすのは別なのよね」
よほど薬が効いているのか、シンジの言葉にマドカ達は素直に頷いた。今更のことなのだが、自分達は一度も訓練を受けたことがない。そんな素人が出て行って活躍できるぐらいなら、今まで世界中で苦労などしていないはずだ。
それでも大勢の人が無くなることは、現実としてつきつけられている。アサミの言葉は、更に重い事実を全員に突きつけた。
「でも、大勢の人が亡くなるんですよね……
実は、私のおじいさんとおばあさんが高知市に居るんです。
おばあさんは足を悪くしているから、たぶん避難できないと思うし……」
アサミの言葉で、今まで顔のない存在だった被害を受ける人達が、顔を持った存在となった。そして想像もできない数字だった被害者数が、リアルな現実として理解されることになったのである。
ただ事実を口にしたアサミにしても、シンジの言ったことを否定するつもりはなかった。シンジの言う通り、ただの高校生に何か出来る話ではなかったのだ。だからどうにも出来ないと言うシンジの言葉を、冷たいとも感じていなかった。
こんな風にアサミが冷めているのは、芸能界に身をおいたことが原因となっていたのだろう。華やかな世界の裏にドロドロとした現実、それを小さな頃から見続けたことが今のアサミの性格を形作っていた。
人が死ぬというリアルな現実が、5人から言葉を奪っていった。頼りのアテナやアポロンは、どう叫んでも遅刻してくることが確定している。そして今頃日本に向かっているだろう騎兵隊は、どう考えても能力を期待できなかった。何しろ、あの程度のシミュレーションでも、自分たち以下の成績しか出せていないのだ。そしてシミュレーションで好成績を出した自分達は、ヘラクレスで戦う訓練も受けていない、ズブの素人でしかなかったのだ。
突きつけられた現実は、奇跡が団体で押しかけてこない限り、シャームナガルの悲劇の再現を約束していた。時間と侵攻数が多い分、更に悲惨な事態を招く可能性もあった
そんな重苦しい沈黙が続く中、それに耐え切れなくなったのか、「仮説があります」とシンジが唐突に口を開いた。
「碇君、仮説って?」
何か打開する方法があるのか、シンジの言葉にマドカが飛びついた。
「なかなか神前さんたちが戻ってこないこと。
基地がまだ建設中なのに、僕達を見学させようと考えたこと。
神前さんや久良岐さんが、やけに僕の反応を気にしていたこと。
考えすぎと言われればそれまでなんですけど、なにかモヤモヤとしたものを感じるんです。
あの人達は、初めから僕のことを目的としていたんじゃないのかなって」
「確かに、やけに神前さんが先輩のことを気にしていましたね。
久良岐さんにしても、先輩がなにか言うたびに過剰に反応していました」
アサミが肯定してくれたので、シンジの仮説は確信へと近づいてきた。そうやって疑ってみると、色々と不自然さが目についてくるのだ。
「それが、碇君の立てた仮説に結びつくわけね。
でも、あの人達が碇くんを目的にしていたって、どういうことなのかしら?」
「それを、これから確かめて見ることにします」
「もしも仮説が正しかったら、どういう事になるんですか?」
自衛隊の幹部がシンジのことを知っていたのが事実だとしても、それが今の絶望的状況にどう絡んでくると言うのか。2つの基地が共同で当たらなければならない敵に、今さら何ができるというのか。
アサミの質問に、「多分」と前置きをして「僕が出撃することになる」と答えた。
「碇先輩が、ですか?
でも、先輩はそれでいいんですか?」
「僕だって、大勢の人が亡くなられるのを黙ってみているのは辛いんだよ。
ひょっとしたら、その中に堀北さんのおじいさん、おばあさんが入ることになるんだろう?」
「先輩……私のために……」
言った者勝ちのところはあるが、アサミはシンジの行動を自分のためと決め付けることにした。その一言で、ヒーローとヒロインが決まってしまうのだ。
「いや、別に堀北さんのためだけじゃ……ごめん、神前さんが戻ってきたようだ」
ここから先は、シンジの立てた仮説を検証する時間である。わざとらしくゆっくり入ってきた神前に向かって、「話があります」とシンジが切り出した。
「話って、何なのかな?」
何気ないように装っているが、冷静に観察すると神前の動揺が手に取るように分かった。やはりそうかと確信したシンジは、神前に向かって「後藤特務一佐に伝えてください」と切り出した。
「あなた達の期待通り、碇シンジが出撃します」
明らかにハッタリなのだが、シンジの言葉は神前に対して劇的な効果をもたらした。
「なっ、何を言っているの!?
わ、私たちは、べ、別に、期待なんかしていないわ」
対象Iの記憶が戻ったとしたら、それはギガンテス侵攻以上の一大事だったのである。冷静さを旨とする神前なのだが、さすがに動揺を隠すことはできなかった。そして神前が動揺したことこそ、シンジが求めた答だったのだ。
だからシンジは、ゆっくりと、そしてはっきりと、「後藤特務一佐に伝えてください」と繰り返したのだった。
続く