Charlatans -4  情報伝達の仕組みがお粗末でも、大きな変化が起こればそれに気づく者も現れる。特にアーベル連邦の破壊活動に怯えていた星系にしてみれば、「間引き」と言われた行為が終了した事実は隠しようのないほど大きなものだった。かなり疑心暗鬼なところは有るにしても、上層部の空気も明らかに変わっていたのだ。  その一方で、大衆どころか下部組織に情報として伝えられなかったのも事実である。罠を疑ったと言うのもその理由なのだが、簡単に信用できるような軽々しい問題ではなかったのだ。もう一つ言えるのは、その影響がどのような形で現れるのかも分からなかったからだ。  情報が伝わらない事情は、ここ惑星ニヴェアでも変わらなかった。ただアーベル連邦の動向が民衆に伝えられていないのだが、それでも人の口に戸は立てることはできない。そのためアーベル連邦の変化は、噂と言う形で広がっていくことになった。ただ確証のない噂だけに、姿がいびつになり尾ひれ背びれが付いて広がっていたのである。  ちなみにニヴェアは、アーベル連邦の識別名でパラケオン2500となっていた。すなわち、連邦にとって間引き対象とされていたのである。しかも時期的に早く対象となるため、「避難訓練」と呼ばれる惑星上からの退避訓練が定期的に行われていた。 「エリア17−aからzまでの避難訓練は完了いたしました」  ニヴェア代表政府、エリア17行政府ではちょうどその避難訓練が終わったところだった。エリア17行政区に属する26地域、総人口で1千万が移民船10隻に短時間で乗り込むのである。何度も繰り返して行ってきた訓練とは言え、人数を考えればその労力は並大抵のものではなかった。 「計画通り、200時間で約1千万の収容が完了いたしました」  避難担当主査シコラクスの報告に、第17行政府長官ステファノーは黙って頷いた。彼女が長官になってから、すでに10年が過ぎようとしている。その間に行われた避難訓練は、すでに20回を数えていた。  金色に見える瞳を瞬かせたステファノーは、細身の体を両手で抱きしめ、「無事終わったのね」と安堵の息を漏らした。  それからシコラクスの顔を見て、「イレギュラーは?」と一次報告を求めた。 「収容率99.98%……つまり、2千人ほど収容数が不一致となっています」  収容漏れを口にしたシコラクスは、何事もなかったかのように報告を続けた。 「つまり、これまで行われてきた訓練と、ほぼ同程度の収容率と言うことになります。ただ収容船モビーディックの第256ブロックでガス漏れが起きています。そのため、収容した住民の約4千名に治療が必要となりました。それとは別に、避難時に発生したけが人は重傷5、軽傷128になっています。ただ、今回は逮捕者が40ほど出ています」  最後の報告、すなわち逮捕者が出たことに、ステファノーは金色の瞳を瞬かせた。 「逮捕者が出たのですか? それはかなり珍しい事例ですね。もしかして、マールス教関係者が問題を起こしましたか?」  ステファノーの疑問に、「それは」とシコラクスは口元を歪めた。 「そちらの方は、噂が一人歩きをしていて実態がつかめておりません。なお今回は、少しばかり高校生がおいたをした程度……とお考えください。従って、法的には逮捕ではなく補導になります」 「高校生ですか」  少しホッとしたステファノーは、手元の報告書に目を落とした。 「違法行為ですから、規定通り対処しなければ行けないのは確かでしょう。それにしても、元気な高校生が居たと言うことですね」  驚きですとステファノーが目を見張ったのは、住民にはびこる怠惰な空気が理由になっていた。避難の手違いでけが人が出ることがあっても、官憲の手を煩わせるような事態は滅多に起きないことだったのだ。管理する側としてはありがたいことだが、その一方で住民覇気の無さは問題だと受け止めていたのである。  その覇気のない住民で、騒ぎが起きたと言うのである。本来褒められることではないのだが、なかなかと感心してしまったと言うのが彼女の感情だった。  ただそんなステファノーに、「ナークドですが」とシコラクスは顔をひきつらせたまま情報を付け足した。ちなみにナークドと言うのは、惑星ニヴェア外から来た住民のうち、ざらついていない、ベージュ系の肌の色ををした住民の総称である。一方オリジナルのニヴェア人は、褐色のざらついた肌が特徴だった。そして身体的にも、背が高く細身で虹彩の細い丸い目をしていた。 「女子生徒が、避難訓練など必要ないはずだ……と、訓練拒否を扇動してくれました。それに呼応した者達をあわせ、40名を一時隔離……補導したわけです」 「避難訓練など必要ない……ですか。年に2回ほど行っていますが、今までそのような主張は聞こえてきませんでしたね? それに、リストが正しければ危機は間近に迫っていると思うのですが」  なにか状況の変わることがあったのかとの問いに、シコラクスは「教師からの速報……になりますが」と手元の端末を操作した。 「アーベル連邦は、侵略および破壊活動を放棄したはずだと言うことです……ただ、主導した女子生徒は、これまでも過激な言動をしていたようですね。最近の主張は、「避難するのならアーベル連邦がいい」と言うものだそうです。理由は、「その方がいい生活ができるはずだ」なのだそうです」 「とてもユニークな発想ですね。ただ、アーベル連邦が破壊活動を放棄したと言うのは、どのような根拠で言っているのでしょうか?」  口元を手で隠したステファノーに、「それは」とシコラクスは少し口ごもった。その様子に、「なにか?」とステファノーは訝った。 「いえ、おかしな噂が広がっている……と言うのを長官も耳にされているのかと」 「マールス銀河の外から来た者の話ですか? その者達が、アーベル連邦の破壊行為をやめさせた……と言う噂なら広がっているのは知っています」  それしか知らないと答えたステファノーに、「それです」とシコラクスは人差し指を一本立てた。 「私のところに情報として落ちてきていないのに、どうしてそんな噂が広がるのでしょうか。どう考えても、眉唾ものの話に思えますが……」  う〜んと考えたステファノーに、「噂ですから」とシコラクスは口元を歪めた。 「噂が広がることになった原因は、破壊される間際に有ったカストルが無事だったことでしょう。カストル攻撃直前で、やつらが軍を引いたと言う事実は広まっていますので」 「それにしたところで、相手の性格の悪さが理由とされていますよね。確か、我々の抵抗を楽しんでいると……彼らの悪趣味な性格は、広く知られていると思ったのですが」  ステファノーの言葉に、シコラクスはしっかりと頷いた。 「誰かが意図的に流布した。さもなければ、願望のようなものが広がった……と言うのが、学者の分析です。ただニヴェア全体で、同様の噂が広がっているのは確かです」 「由々しきこと……と言うほどのことではありませんか。特に弊害が無いのであれば、放置しておいても構わないでしょう」  ステファノーの下した判断に、「でしょうな」とシコラクスもそれを認めた。  1千万もの人口を抱えていれば、おかしな考えを持つものが現れても不思議ではない。惑星破壊の恐怖を考えれば、逆に現れない方が不思議とも言えたのだ。それに、もともと避難は100%を目指していないし、積み残された住民から文句を言われる恐れもなかったのだ。何しろ積み残された時点で、惑星と運命をともにすることが決まっていたのだから。 「補導……でしたか。その後の指導は、学校に任せることにしましょう」 「それもまた、妥当な判断……と言うことになるのでしょうな」  通達を回します。そう答えて、シコラクスはステファノーの前を辞したのだった。  補導から教師による矯正指導と言うのは、学校の役割として普通のことだった。生徒達の集団サボタージュが発生した以上、その首謀者が矯正指導を受けるのも当然の流れである。そこでの問題は、その指導が常態化したことだった。矯正指導も繰り返されれば、その効果の程が疑わしくなるのだ。それでも生徒指導を任された学校側は、手を変え品を変えて問題生徒の矯正に取り組んでいた。 「いつものことには違いないんだけど……流石に今回のはきつかったわ」  そうぼやいたのは、ちょっと目立つ容姿をした少女である。長い黒髪と虹色の混じった黒い瞳、それ自体はとてもバランスの取れた、整った顔つきと合わせて綺麗と言っていいものだった。ただ本人談では「下半身をもう少し細く」と、スタイルにはやや不満があるようだ。確かに短いスカートから覗いた太ももは、年齢相応のむっちりとしたものだった。  目の前に置かれた水に手を伸ばし、リッカ・タチバナは矯正指導に文句を言った。 「それだけ、学校側もあなたに手を焼いていると言うこと」  あまり感情の感じられない声で答えたのは、彼女の友人アカネ・シンジョーである。銀色の髪に赤い瞳、そして年齢の割に出るところは出たスタイルが特徴の少女である。リッカの気にする下半身は、アカネの方がスマートなようだ。  問題児だからと言い放ったアカネは、「今回の出し物は?」とリッカに尋ねた。何しろ月イチペースで問題を起こす親友に、学校側が手を焼いているのを知っていたのだ。 「性教育ビデオ」  ぼそりと答えたリッカは、身を乗り出して「教育上問題があるわ」と強く主張した。ちなみに二人がいるのは、最近できたばかりのこじんまりとしたカフェである。若い女性とイケメンの二人が切り盛りをしている、まだ有名になっていない穴場店でもある。おかげで二人が騒いでも、迷惑を掛ける客がいなかった。 「確かにタイトルは、性教育ビデオだったわ。でもね。その実態は単なるエロビデオなのよ。1時間の上映時間のほとんどが、アレをしているのを映してるだけだもの。服を脱がせて前戯からフィニッシュ……体位を変えて本当に念入りにやってくれたわよ。まあ、それだけだったら参考ぐらいになるかなって笑えるんだけどさぁ」  そこで少し顔を赤くしたリッカは、カウンターの方をちらりと見た。そこには金色の髪をしたイケメンが、注文のフルーツパフェを作っていた。 「どうして女優に私のアバターを使ってくれるのよ。相手の男が趣味じゃなくてよかったけど……と言うのはいいけど、延々とからみを見せられたせいで、さすがの私も冷静では居られなくなったわ。お陰で、替えのショーツが役に立ったわよ」  信じられないとこぼす友人に、アカネは大きく頷いてみせた。 「あっちに興味を持てば、あなたが丸くなるって期待したんでしょうね。でも、替えのショーツが必要なほど濡れまくったのなら、目的のかなりを達成できたんじゃないの?」  少し口元を歪めたアカネは、「ユータとしてくればよかったのに」とリッカをからかった。  それを「ありえない」と言下に否定してから、「今の所は」とリッカは少しだけトーンダウンをさせた。少し顔が赤くなっているところを見ると、その行動結果を想像したからだろうか。  その微妙な反応を見たアカネは、少し口元をにやけさせてリッカを見た。 「だったら、ユータに言ってあげないとね。今なら、とりあえずリッカとやれるって」  そうやってアカネが下卑た笑いを浮かべたところで、「少しはしたいないですよ」と頭の方から声が聞こえてきた。慌てて顔を上げた二人が見たのは、トレーにパフェを乗せて笑っている女性だった。  金色の髪に青い瞳をした女性は、「ここには男の人も居ますからね」と言いながら二人の前にフルーツパフェを並べた。  ほらと指さされた先では、イケメンが気まずげに顔をそらしていた。 「ジノさんだったら慣れているんじゃありませんか? ほら、こんな美女を侍らしているぐらいだし」  軽口を叩いたリッカに向かって、ジノと呼ばれたイケメンは「ないない」と顔の前で手を振った。 「そうなんですか、エリーゼさん?」 「ジノさんの女性関係……ですか?」  そこで人差し指を顎のあたりにあててから、「心当たりはないですね」とエリーゼは答えた。 「エリーゼさんが彼女じゃないんですか?」 「私ですか!?」  そう言って笑ってから、「残念ながら」とエリーゼは答えた。 「こう見えても、私は所帯持ちですからね」 「エリーゼさん、結婚しているんですかっ!」  よほどその答えが意外だったのか、リッカとアカネの二人は椅子を鳴らして立ち上がった。 「なにかおかしいですか?」 「い、いえ、その、エリーゼさんって物凄く美人だし、年も私達とあまり違わないように思えるし」  もごもごと言い訳をされたエリーゼは、「複雑ですね」と微苦笑を浮かべた。 「常々、大人の色香を持った女性になりたいと思っているんですよ。でも、お二人と年が違わないように見えるって……」  そこでもう一度微苦笑を浮かべ、「子供っぽいってことですよね」とど真ん中ズバリの指摘をした。 「え、ええっと、そんなつもりで言ったわけじゃ……でも、そう聞こえますよね」  えへっと笑った誤魔化したリッカは、フォークでりんごのような果物を突き刺した。 「でも、エリーゼさんだったら、私達の制服も似合いそうだし」 「それは、私にコスプレをしろと言う意味ですか? 確かに、夜の刺激になりそうな気もしますが……」  ううむと考えたエリーゼに、「そこまでは言っていません」とリッカは即座に否定をした。 「エリーゼさんこそ、女子高生には毒になることを言っていますよ」 「大丈夫ですよ。お客さんはあなた達以外にいませんし、男はジノさんだけですからね」  そう言われると、別の疑問が湧いてしまう。顔を見合わせた二人は、次にジノの顔を見て「ジノさんって」と疑問のこもった視線を向けた。 「ひょっとして、女性に興味がないとか?」  せっかくのイケメンがとまで言われると、何か自分が変なものになった気がしてしまう。「俺はノーマルだ」と言わずもがなの答えが出るのも、事情を考えれば不思議なことではないのだろう。 「それでリッカさんは、今度は何をしでかしたのですか?」 「避難訓練で騒ぎを起こしたのよ」  言うなとアカネの口を押さえようとしたのが、時すでに遅くアカネは今日の出来事をばらしてくれた。 「だって、あんなのに意味なんかないんだもの」  そう言って唇を尖らせたリッカに、「訓練を疎かにするのは良くないですね」とエリーゼは注意をした。 「でもですよ、アーベル連邦の奴らが惑星破壊を中止したって噂が流れているんです」 「確かに、お客さんからそんな噂を聞いた覚えがありますね。だけど、確認された話じゃありませんよね?」  噂は噂で、それ以上のものではない。そう指摘したエリーゼに、「それでも」とリッカは食い下がった。 「どうせ避難するのなら、アーベル連邦の方が良いと思いませんか?」 「アーベル連邦の方が良いと聞かれても……私も、アーベル連邦のことは知りませんよ」  困った顔をしたエリーゼに、「ネットに情報があるんです」とリッカは検索してきた情報をエリーゼに見せた。そこには都市伝説とでも言いたくなるような、アーベル連邦の姿が示されていた。 「どうせ移民で行くんだったら、負け組より勝ち組の星の方が良いと思います」 「否定はしませんが……その前提として、相手が受け入れてくれるのかと言うのもありますね。どうやって、アーベル連邦に受け入れてもらうつもりなんですか?」  ニッコリと笑ったエリーゼは、「なにもない女の子を」とリッカにとどめを刺した。 「世の中には、いくつか例外と言うのは存在していますね。ただ存在しているからと言って、自分がその対象になると考えるのはどうかと思いますよ」  違いますかと追い打ちをかけられたリッカは、「そうだけどぉ」と唇を尖らせた。 「でも、移民で連合の星に行っても、ろくなことはないって噂ですよ。これも噂で悪いんだけど、ザクセンやベルリナーも、移民問題でシッチャカメッチャカになっているって話です」 「それにしたところで、噂話なんですよね?」  本当かどうか分からないと返されたリッカは、「でも」と言い返した。 「この星での私達の扱いを見ても分かると思いますよ。ニヴェアにもともと居た人達からは、影で「ナークド」って白い目で見られているんです。選挙権とかでも、はっきりと差別されているんです」  それぐらいのことは知っているだろうと言われれば、流石に知らないと答えることもできない。そしてリッカに微笑みながら、よく見ているなとエリーゼは感心していた。「噂話」と言ってはいるが、彼女の話は結構あたっていたのだ。 「そうですね。公民権とかでは、結構制限を受けていますね。ここの営業許可も、取るのに結構苦労したのだそうですよ。完璧な書類を用意したのに、何度も出し直しをさせられたと旦那様が文句を言っていました」 「エリーゼさんの旦那さんがオーナーなの?」  知らなかったと驚くリッカに、「趣味だそうです」とエリーゼは笑った。 「本業は他にありますからね。ただ趣味と言いつつ、滅多に顔を出してくれないんです」 「だとしたら、実質的な経営者ってエリーゼさんってこと?」  話のつながりからの決めつけに、「そうですけど」とエリーゼは綺麗に笑った。 「だから、こうして油を売っていても誰も文句を言えないんです」 「他にお客さんが居ないからじゃありません?」  ジノさんも手持ち無沙汰だしと。リッカはとても失礼な、そして本質を突く決めつけをした。 「これでも、お昼時には結構混むんですよ。と言っても、経営自体は真っ赤ですけど」  仕方ありませんねと笑われると、それで良いのかと突っ込むこともできない。それでも分かったのは、エリーゼが少しずれていることだった。  ただリッカの思いに、エリーゼは気づいていないようだ。「話を戻しますけど」とリッカの顔を見てくれた。 「逃げた先が天国なんて誰が保証してくれるのでしょうね。もしかしたら、今以上に悪くなる可能性もあるんです。だから私達は、今いる場所で努力するしかないと思いますよ」 「いくら努力をしても報われないこともあると思いますっ!」  ムキになって言い返してきたリッカに、「そう言うこともありますね」とエリーゼは認めた。そして認めた上で、「めぐり合わせを掴むのも努力のうちですよ」と努力に意味があると答えた。 「それって、運ってことじゃないんですか?」  努力じゃないと言い返したリッカに、エリーゼはゆっくりと首を横に振った。 「たとえ機会が巡ってきても、準備をしていなければ掴むことはできません。だから、常に努力が必要になるんです。加えて言うと、行動することも必要でしょうね。誰かが手を差し伸べてくれると言うのは、間違いなく甘えた考えだと思いますよ。その意味では、突っ張ることは必ずしも悪いことじゃありませんね」  そうやってエリーゼは、リッカを逆に煽ったのである。当然のように、隣でアカネが頭を抱えたのだった。  結果的に蹂躙されることになったが、ゴースロス2番艦を招いての演習は緊張緩和の役にたっていた。そしてノブハルが予言したように、シルバニア帝国の技術者達の技術者魂に火を付けることになった。  そこでレムニア側が偉かったのは、シルバニア側の技術者との議論を受けてくれたことだ。超々高起動が現実の物となった以上、これから先に何を目指すべきか。そしてその際に、何がボトルネックになるのか、懇親会をそっちのけにして議論を戦わせてくれたのである。  一方軍主催の懇親会に、なぜかライラまで顔を出していた。そのあたり、ラフィールの皇位継承権が第4位と言うのも理由になっているのだろう。一説には、妖精のような容姿のラフィールに対して危機感を覚えたと言う話もある。  レムニア人には飲酒の習慣はないし、ライラも酒精で精神を鈍らせる訳には行かない事情があった。お陰で二人は、ソフトドリンクで乾杯をすると言う懇親会にしては珍しい状態になっていた。そして二人の煽りを受ける形で、ノブハルもまたアルコールの入っていない炭酸飲料を手に会話に加わっていた。 「およそ1千ヤー昔のことですが」  会話の取り掛かりとして、ライラは両帝国の関係を話題にした。 「当時の皇帝レイア様の治療に、レムニア帝国の技術を導入したと聞いています。それを考えれば、レムニア帝国は私達の恩人と言うことになりますね」  かつての良好な関係を持ち出したライラに、ラフィールは「先帝オーギュスト様の時代ですね」と前の皇帝のことを持ち出した。 「確か、IotUに頼まれた……と言うのが理由だったかと思います」 「ええ、レイア様の治療はIotUがなされましたが、念の為と言うことでレムニア帝国の力をお借りしました。ただ寿命を伸ばすことについては、今のままを選択したと聞いています」  レムニア人の長命のことを持ち出したライラは、「失礼ですがお幾つなのですか」と彼女の年齢を尋ねた。 「レムニアの方は、見た目で年齢が分かりにくいと聞いていますので」  少し言い訳がましいことを口にしたライラに、「構いませんよ」とラフィールは笑った。 「アリエル様を見れば、仰りたいことはよく理解できます。確か1千40ヤーになられたはずなのですが。見た目は、30を超えたばかりの私とさほど違いがありませんので」 「30を超えたばかり……と言うことは、あと900年以上生きられると言うことですか……」  世界が違いますとため息を吐いたライラに、「それも良し悪しですね」とラフィールは苦笑を浮かべた。 「世界が狭い……レムニアに閉じている時は良かったのですが。今は短命種の方との交流も多くなりましたからね。違いすぎる寿命のせいで、悲しい別れを数多く迎えることになります。我が君……トラスティ様も短命種ですから、さほど遠くない未来にお別れすることになるのでしょう。一緒に年をとっていけないのは、とても残念なことだと思っているんです」  そこで頬を染めるものだから、ラフィールのトラスティに向ける思いも理解できると言うものだ。ノブハルの目がなくなったのだから、本来はホッとするところなのだろう。それでもちょっとだけモヤッとするものを感じたライラだったが、「難しいものですね」とさらりとその感情を流してみせた。 「その意味では、私はノブハル様と同じ時を重ねられる分幸せと言うことになりますね」  そこでノブハルを見上げたら、ちょうど目があってくれた。本当に些細なことなのだが、それだけ幸せな気持ちになれたのである。 「その関係を羨ましいと思う気持ちを感じています。もっとも、レムニアには婚姻と言う習慣はありませんし、一人の男性と添い遂げると言う考えもないのです。そのあたり、1千ヤーにも及ぶ寿命が理由なのでしょう」  一通り人生観を話したところで、「ところで」とラフィールは話題を変えた。ラフィールにとって、シルバニア帝国軍との演習はおまけでしかなかったのだ。 「ノブハル様。マールス銀河へは、いつ出発されますか?」 「うむ、そのことだが……」  少し考えたところで、「特に急ぐ理由は特にないのだ」とノブハルは事情を口にした。 「従って、こちらの演習にいつまで付き合うかと言うのが日程を決める理由になる」  小さく頷いたラフィールは、トラスティに言われたことを持ち出した。 「我が君より、「蹂躙せよ」との命を頂いております。ですから本日とは違う形で、レムニア帝国の力をお見せすることは可能です」  どうしますと問われたノブハルは、「どうする?」とライラの顔を見た。 「ここまで来たら、とことんやってみたいと言う気持ちはありますね」  そう答えたライラは、「アルテッツァ」と帝国を統べるAIを呼び出した。呼び出しに応えたアルテッツァは、懇親会に相応しいピンクのドレス姿で現れた。ただし、それが似合っているかどうかは全く別の話である。とりあえず、可愛らしく見せることには成功していた。 「ラフィール様が、私共の演習にお付き合いいただけるそうです。なにやら本日とは違うパターンを見せてくれるそうですよ。こちらの準備の方はどうなっています?」 「望むところっ! と言いたいところなのですが」  そこで少しだけ困った顔をしたアルテッツァは、「何ができるんです?」とラフィールの隣に立つ女性の顔を見た。いつの間にか、金髪碧眼のスタイル抜群の美女が立っていた。嫌がらせと言うわけではないのだろうが、アルテッツァと似たようなドレスを着て現れてくれた。そのお陰で、二人のスタイルの違いがことさら強調されてしまった。 「こちらの勝利条件によるってところかしら?」  どうだろうと考えた金髪碧眼の美女……エリカは、「可愛がってあげようか?」とアルテッツァを見て口元を歪めた。 「ほほう、私に真っ向勝負を挑むと言うことですか?」  面白いとない胸を張ったアルテッツァに、「ハンデはいる?」とエリカは挑発した。 「私に向かって「ハンデ」とは、いい度胸をしていると褒めてあげるのですよ」  そんなものは無用と突っ張ったアルテッツァに、「だったら良いけど」とエリカは意味深な笑みを浮かべた。 「無い乳は守備範囲外だけど……たまには趣向が変わってていいか」 「ええっと、何を言っているのですか?」  身の危険を感じたのか、アルテッツァはぶるっと身を震わせた。そんなアルテッツァに、エリカは口元を少し歪めて「電子戦のことよ」と口にした。 「超銀河連邦最大のあなたに、正面からぶつかっていくのはバカのすることでしょ。だから、ちょっと搦手から攻めてあげようかなって。そうでもしないと、私に勝ち目がないから」  だからと言ってアルテッツァの自尊心をくすぐったエリカは、「それでも厳しいかな」とまた少し引いてみせた。 「何しろ4千ヤーを超える超銀河連邦最大の叡智なのよね? 私みたいな小娘じゃ、逆立ちしても敵わないのでしょうね」 「少しは、身の程と言うものを理解しているのですね。でしたら、私が色々と指導してあげるのですよ」  胸を貸してあげますと偉そうにしたアルテッツァに、ノブハルとライラは思わず顔を見合わせてしまった。 「すでに、結果が見えた気がしますが……」 「やはり、AIの更新が必要なのではないか……」  はあっとため息を吐いた二人は、「やりたくねー」と心からの言葉を吐き出した。もちろん自尊心をくすぐられたアルテッツァが、二人の様子に気づくはずがない。「明日は帝国の勝利です!」ととても上から目線でエリカを見下ろしたのである。  そして翌日の演習では、予想以上にとてもあっさりと決着が付いてくれた。ライラが開始宣言をした5分後、アルテッツァがいきなりシャットダウンを起こしてくれたのだ。超高速移動できる相手に、マニュアル攻撃で歯が立つはずがない。しかも全システムを掌握されたら、手も足も出るはずがない。  従って、この戦いもシルバニア帝国側の敗北となる。アルテッツァが機能不全を起こしたところで、帝国艦隊はゴースロス2番艦に降伏を宣言することになった。前日の敗北も衝撃的だったが、この日の敗北はある意味屈辱的なもののはずだった。  ただアルテッツァが機能停止をしたところで、メルクカッツは「やはり」とため息を吐いたと言う。そして報告を受けたライラも、大きくため息を吐いて「予想したこととは言え」とやさぐれてくれた。 「軍用に、別系統を作った方が良い気がしてきました」  同じ負けるにしても、負け方がとても屈辱的なものだったのだ。ただ問題は、いくら腹が立っても対策の打ちようがないと言うことだった。 「こんな方面、鍛えようがありませんね」  AIのパフォーマンスを上げるのならいざ知らず、仮想人格の性的経験値向上を持ち出そうものなら、周りから正気を疑われても仕方がなかったのだ。そして真剣に取り組んだら取り組んだで、AIがおかしな方向に捻じ曲がりそうな気がしてしまう。打つ手がないと言うのが、ライラにとって悩みのタネになっていた。 「我軍の弱点がはっきりとしたのですが……どう解消したものでしょう」  その方策も全く思い浮かばないのだ。一度ノブハルの顔を見てから、ライラは大きなため息を吐くことになった。  結果的にノブハルは、シルバニア帝国に足掛け4日間滞在することになった。ただシルバニア帝国軍との演習は2日目で終わり、残りの日は技術討論と検証が行われることになった。その中には、ξ粒子センサーを利用した、疑似未来視実験も含まれていた。 「確かに、観測分解能としては荒いとしか言いようがないな。加えて言うと、感度もあまり良くない」  そこで得られた結果で、やはりシラキューサの女性は特別と言うことが裏付けられた。試しにとゴースロス2番艦のセンサーでパッシブ観測をしてみたのだが、ほとんどまともに信号を受けることができなかったのだ。受けた信号が、ノイズなのか信号なのかを判別することができなかったのである。  一方アクティブモードで観測では、映像を出すことには成功した。その事実を考えると、現状センサーの感度と分解能が不足していると言うことになる。  問題点を挙げたノブハルに、エリカも「そうね」とその事実を認めた。 「そちらの進展は、クリプトサイト研究所の成果を待っているんだけど?」 「と言っても、検体させるわけにもいかないからな」  シラキューサの女性に、特殊な器官が存在するのは確認されていた。ただその動作が、未だ謎に包まれていたのだ。そして今の時点で未来視を行えるのは、フリーセアを含めて3人しか存在していない。その器官を切り開くと言うのは、できない相談と言うことになる。  「検体させられない」と言うノブハルに、そりゃそうだとエリカは笑った。 「それより優先すべきことは、未来視の能力が失われないようにすることでしょ。トラスティ様が二人お子様を作ったのだから、あなたも頑張って子作りしないといけないと思うわよ。しかも、女の子を」  頑張ってねと背中を叩かれたノブハルは、そのまま前の壁に張り付いてしまった。それを謝るのではなく、エリカはノブハルを叩いた右手をじっと見つめた。 「謝罪の一言ぐらいあっても良いんじゃないか?」  鼻の頭を押さえながら復帰したノブハルに、「悪かったわ」とエリカは豊かな胸をそらした。 「謝られた気になれない謝り方だな……」  ふんと鼻をかんだら、少し赤いものが混じっているのが目についた。全くとこよりを作ったノブハルは、「なにか気になることが有ったのか?」と直前にとったエリカの行動を質した。 「なんで手加減を間違えたのかなって……それが少し気になったのよ。トラスティ様と同じようにしたつもりだったのにな」  おかしいなとつぶやいたエリカは、「ちょっと良い?」とノブハルに抱きついた。窮屈そうに潰れた胸に、これはいいものだと鼻を伸ばしかけたのだが、すぐにアザキエルのことを思い出して「ちょっと待て」と焦った声を上げた。  ただそれは、少しばかりタイミングが遅かったようだ。直後に力を込められ、口から泡を吹いて失神してしまったのである。  そこで振り返ったエリカは、サラマーに「ひ弱?」とノブハルを指差して尋ねた。 「人型(ヒトガタ)の機動兵器と比較したらひ弱でしょうね」  呆れたと言う顔をしているのは、直前に鼻の下を伸ばしたのを見ているからだろうか。 「でも、トラスティ様とした時には、手加減を忘れて抱きついちゃったのよ。でも失神したのは私の方で、トラスティ様はその後も励んでられたようなんだけど?」  おかしいわねと首を傾げてから、「まあ良いか」とそれ以上エリカは考えることをやめた。 「ところで、一通り行事は終わったんだけど……彼が目覚めないと出発できないわね」 「もう少し手加減をして欲しかったわ」  はあっとサラマーが息を吐いたところで、失神して床に打ち捨てられたノブハルの隣に、いきなり誰かが現れた。空間移動を行えば可能なのだが、通常手段であればエリカのセンサーに引っかからないはずがない。だが移動してきた女性は、近衛から派遣された護衛どころかエリカをも完全に出し抜いてくれたのである。  とっさに戦闘態勢に入った護衛の二人だったが、現れた女性を認めて別の意味で驚かされることになった。何しろジェイドに置いてきたはずのエリーゼが、そこに立っていたのだ。 「エリーゼ様……エスデニアの多層空間移動を行われたのですか?」  それぐらいしか自分達を出し抜く方法はないはずだ。以前と雰囲気が違うことは気になったが、とりあえずサラマーは移動方法から尋ねることにした。 「いえ、それとは別の方法なのですけど……お義父様が着いていった方が良いって」  そこでノブハルを見たエリーゼは、右手で小さく輪を描いた。一体何をとサラマーが考えたとき、ノブハルがうめき声を挙げて体を起こした。 「だから待てと言ったのだ……」  全くと顔を上げたら、なぜかエリーゼと目があってしまった。 「俺はまだ気絶しているのか?」  居ないはずのエリーゼが居るのだから、これは失神した時に見る夢に違いない。そう考えたノブハルに、「ひどい目に遭いましたね」とエリーゼは笑いながら声を掛けた。 「ああ、確かにひどい目に遭ったのだが……」  そこで頭を振ったノブハルは、「これは現実なのか?」とサラマーの顔を見た。 「はい、私には現実としか答えようがありません」 「だとしたら、どうしてここにエリーゼが居るのだ? それに、雰囲気がかなり変わった気もするのだが?」  おかしいなと顔を見られたエリーゼは、「お義父様に行った方が良いと言われましたので」と笑った。 「本当に来て良かったと思います。何しろ着いた早々ノブハル様が失神していたのですからね」  おかしそうに口元に手を当てて笑ったエリーゼに、ノブハルははっきりとした違和感を覚えていた。もともと美女には違いなかったのだが、目の前に居るエリーゼは見違えるほど美しくなっていたのだ。しかもしっとりとした雰囲気を身に着け、余裕に似たものを感じさせられた。 「なにか、あったのか?」  そのせいもあって、ノブハルにしては曖昧な問いかけをしてしまった。そんなノブハルに、「いろいろ」とエリーゼは微笑んだ。 「それは、寝るときに教えて差し上げます。今は、することがあるのではありませんか?」  そうですよねと顔を見られたエリカは、ノブハルの顔を見て「出発する?」と尋ねた。 「確かに、することがあったな……」  そこで体をゴキゴキと動かしたノブハルは、バルベルトと言い掛けて相手を変えた。 「タブリース氏に、今から行くと伝えてくれ」 「飛ばす? ディアミズレ銀河からなら、最短で3時間ぐらいでつくけど。それから、エスデニアには話がついているからね。ディアミズレ銀河へのゲートなら、10分で用意してくれるわよ」  どうすると問われたノブハルは、隣りにいるエリーゼの顔を見た。 「いや、早すぎるとあちらの準備も整わないだろう。あちらの昼に合わせて着いてくれればいい」 「お昼頃……ね」  うんうんと頷いたエリカは、「1時間後ね」ととてもずれた答えを口にした。 「光速の180億倍か……試してみたいようなみたくないような」  ううむと考えたエリカに、ノブハルは「待て」と言ってその肩に手をおいた。 「俺は、早すぎるのは良くないと言ったのだぞ。それなのに、どうして3時間より短縮することを言ってくれるのだ」  おかしいだろうとの文句に、「だけど」とエリカはニヤリと笑ってみせた。 「お昼って言ったから、その時間に合わせただけよ。それからエリーゼさんとベッドに行きたいって素直に言ってくれれば、私も協力しようと思うんだけどね」  素直じゃないしと笑うエリカに、「どこかおかしいか?」とノブハルは言い返した。 「他にも色々と話すことがあるのだ。その時間をとることにとやかく言われる覚えはない!」  そう言って胸を張ったノブハルに、エリカは「はいはい」とお座なりな答えを口にした。 「とりあえず、タブリース様には20時間後に着くと連絡をしておいたわ。「歓迎する」だそうよ」  「ごゆっくり」と言われたノブハルは、もう一度「おい」とエリカの肩に手をおいた。 「区分上の夜までにはまだ時間があるのだがな」 「別に、夫婦の時間は夜じゃなきゃだめってことはないわよ」  そう言い返したエリカは、「何かやりたいことがあるの?」と質問をした。 「うむ、それなのだが……」  そこで少し間が空いたのは、特に何も考えていなかったからだろう。ただなにも無いと言うのは癪に障るので、「先程の速度のことだが」とノブハルは口にした。 「光速の180億倍と言ったな。今ままで出した最高速は45億倍だったはずだが、いきなりそこまで持ち上げられるのか?」  疑いの眼差しを向けられ、「試してみる?」とエリカは聞き返した。 「20時間後に到着するとは言ったけど、近くまで1時間でたどり着いちゃだめってことはないでしょ?」  そこからゆっくり行けばいいと言うエリカに、「それはそうだ」とノブハルはその意見を認めた。 「じゃあ、ラフィール船長にノブハル様の希望を伝えておくわ」  後はお楽しみでと言い残し、エリカは4人の前から姿を消した。ちなみにマールス銀河に行くからと言うことで、ジノも護衛に加わっていた。 「お楽しみと言われてもだな……」  困った顔をしてあたりを見渡したら、いつの間にかジノとサラマーの姿が消えていた。そうなると、そこにいるのはエリーゼだけと言うことになる。ちらりとエリーゼの顔を見てから小さく息を吐いたノブハルは、「あちらは何時だったのだ?」と本質とは違う問いかけをした。 「朝食を終えてから出てきましたから……今だと10時と言うところでしょうか?」  それがと首を傾げたエリーゼに、「なに」とノブハルは気まずげに視線をそらした。 「昼飯にはまだ早いと考えただけだ」 「でも、ノブハル様はお昼ごはんを済ませているのですよね? でしたら、おやつにしませんか?」  そうすれば、夜まで多少間が持つことになる。エリーゼの提案に、「そうするか」とノブハルは認めた。 「色々と話をするのに、お茶を飲みながらと言うのもいいだろう」  小さく頷いたノブハルは、目の前で右手で小さく8の字を書いた。それで繋がった空間を超え、豪華なラウンジへと移動したのである。当然のように、左腕はエリーゼの腰を抱いていた。  二人の姿が消えたところで、ジノとサラマーの姿が湧いて出てきた。 「アルテッツァ、なにか情報はある……アルテッツァ?」  アルテッツァを呼び出して情報を取ろうとしたのだが、どういう訳かアルテッツァが出てきてくれなかった。それがおかしいと、二人は顔を見合わせ首をひねった。 「機能停止からは復帰していたわよね?」 「していなかったら、今頃連邦はパニックになっているぞ」  だから復帰しているとの答えに、「なんで出てこないんだろう」とサラマーは首を傾げた。ただ出てこないのはどうしようもないと、「エリカ」とゴースロス2番艦のAIを呼び出すことにした。 「呼んだ?」  そう言って現れたエリカに、サラマーは「質問が2つ」と指を2本立ててみせた。 「まず1つめだけど。どうしてアルテッツァが出てこないのかしら?」 「それって私に聞くことかしら? 特に、アルテッツァのアクセスを邪魔してないわよ」  だから分からないと言われ、「もう一つ」と本来アルテッツァにするはずの質問を口にした。 「ジェイドで何かあったの? なにか、エリーゼ様の雰囲気が変わりすぎてるのよ」 「私が、シルバニア帝国宙域に居たのを承知で聞いているわけね?」  船のAIよと言い返したエリカは、「調べてほしいの?」とサラマーに問い返した。 「ええ、可能な範囲で」 「調べることはさほど難しくないんだけどね……ただ、あなた達に教えていいかは別だと思うわよ」  ちょっと待ってと右手で遮ってから、「ちょっと不思議ね」と予想とは違うことを口にした。 「不思議って?」 「エリーゼ様だけ、他の奥さん達と違う行動をとっているのよ。それ以外については、とても健全なんだけどね。トラスティ様は、トウカ様、セントリア様、ウタハ様には今の所手を出されてないわ。でも、エリーゼ様だけははっきりしないのよ。多分したんだとは思うけど、ルリが教えてくれないのよね」  その部分が不明と言われ、「どうして教えてくれないの?」とサラマーは理不尽さを訴えた。 「多分何かあったとは思うんだけど……ネタバラシは良くないって教えてくれないのよ」  だから分からないと繰り返され、ジノとサラマーは顔を見合わせて「覗きに行くか」と別の情報源を当たることにした。 「建前でも、そこは護衛任務に着くと言うところじゃない?」 「ここで取り繕うことに意味がないから」  だからと答え、ジノとサラマーは空間を超えてノブハル達の居る豪華なラウンジへと移動した。それを見送ったところで、「人間をやめ掛けてる」とエリカはため息を吐いた。 「気をつけないと、お父様みたいに神様にされちゃうのに」  はあっと息を吐いてから、エリカの姿はその場から唐突に消失した。当然のように、エリカは何が起きたかを知っていた。ただルリに責任を押し付けることで、サラマー達の追求を逃れたと言うことだ。  豪華なラウンジに移動したノブハルは、クリスタイプのアンドロイドにお茶とお菓子を注文した。感覚的に昼間と言うこともあり、お酒は早いと考えたと言うことだ。  いつものように山盛りのお菓子を前にしたところで、ノブハルは「教えてくれるか?」と切り出した。とても曖昧な問いかけなのだが、意味はしっかりと伝わったようだ。柔らかに微笑んだエリーゼは、「何から話しましょうか」と少しだけ考えた。 「確か、トラスティさんに言われて来たと言ったな?」  他にも色々と気になることはあったが、ノブハルはエリーゼが現れた理由から尋ねることにした。 「はい、確かにお義父様に言われてきました」  それを認めたエリーゼは、「それにもいくつか理由があります」と付け加えた。 「一番大きな理由は、私が着いていったほうが役に立つからと言うことですね。お義父様が仰るには、今回の冒険は時間がかかるそうです。誰かがノブハル様のお世話……主に夜の方ですけど。それをした方がいいとのことでしたので」  そこでうつむいて頬を染められると、つい「ムラッ」とするものを感じてしまう。ただまだ時間が早いのと確認が先だと、ノブハルは質問を続けることにした。 「そのためだけに、ここまで来たのか?」 「それが大きな理由と言うのは確かですね。一人で行くと、また新しい女性が着いてくる可能性がありますからね。だからトウカさん達も、その方が良いと言ってくれました」  ノブハルとしては反論しにくい決めつけをしてから、「他にも理由はありますよ」とエリーゼは付け加えた。 「ただそれを説明した時……違いますね。説明するためには、いろいろな事情をお話する必要があるんです」  そこで少し間をおいたエリーゼは、「ノブハル様」と真剣な眼差しを向けてきた。久しく見ていない真剣なエリーゼの眼差しに、ノブハルは少し気圧されるものを感じていた。 「な、なんだ?」 「今回私達が、どうしてアス経由でジェイドに行こうと思ったのか。ノブハル様なら、想像がついていますよね?」  どうですかと問われたノブハルは、「薄々は」とその決めつけを認めた。 「お前達が、リンとトラスティさんの関係に興味を持っているのは知っていた。特にお前が、リンに憧れているのには気づいていた」  それのことかと問われ、エリーゼはゆっくりと頷いた。そして予想とは違う、そして結構赤裸々な問題にエリーゼは踏み込んできた。 「夜のご奉仕ですけど、以前のようにみんなでしなくなったのはどうしてか分かりますか?」  際どい問題を持ち出したエリーゼは、ノブハルの答えを待たずに話を続けた。 「私達全員で一致した理由ですけど、二人以上になるとノブハル様が急に淡白になるからなんです。そこでそう言うものだと思えればよかったのですけど、私達に問題があるんじゃないかってトウカさんに言われたんです。ナギサさんとリンさんに話を聞いてみたら、「気にする必要はない」と言われたのですけどね。ただリンさんって、とても綺麗で色っぽくなりましたよね。ナギサさんに、違いがあるのかを聞いてみたら……答えを避けられてしまいました。つまり、それが答えと言うことなんです」  だからと。エリーゼは少し潤んだ眼差しをノブハルに向けた。 「ウタハさんがリンディアさんに相談したら、「お義父様には口実を用意すればいい」とアドバイスを頂いたんです。私達がジェイドに行こうと言う事になったのは、それが理由なんですけどね。もっとも、軽いノリの部分があったのは確かです。色々とお義父様にアドバイスを頂けたらとも考えました……でも、それが失敗でしたね。いえ、私にとってはという意味なんですけど」 「失敗だった? お前にとって?」  なんだと首を傾げたノブハルに、「失敗でした」とエリーゼは繰り返した。 「エスデニアでアガパンサス様が宴を開いてくださいましたよね。その時、私とお話をしてくれたのはジュリアンさんだけだったんです。他の皆さんのところには、エスデニアの役職者の方達が集まって、しきりに別室に連れ出そうと誘惑をしてくれたそうです。それを見ていて、まだまだ割り切れていなかったんだなって自分のことを顧みてしまいました。だから、失敗したと言うことです。それにジュリアンさんに気を使わせてしまって……それも失敗でしたね」  そこで息を吐いたエリーゼは、「その夜は」とノブハルがアマネやエイシャと関係した夜のことを持ち出した。 「ウタハさんとトウカさんは、見学に徹したそうですよ。エイシャさん達がとても魅力的で、どうしたら同じになれるのか。ノブハル様は、普段とは違ってお二人に夢中になられていたそうです。少しも淡白じゃなかったそうなので、私達が理由ということがはっきりとした訳です。お二人は、どこに違いがあるのか、かなり勉強になったと言っていました。そしてジェイドでも、ノブハルさんはエイシャさんとシシリーさんに夢中になっていましたね」  「だから失敗だった」とエリーゼはノブハルを見た。 「一番の失敗は、私がうまく気持ちを隠すことができなかったことですね。だから、みなさんが私に気を使ってくれているのが分かってしまったんです」  もう一度失敗だったと繰り返したエリーゼは、明らかに熱のこもった眼差しをノブハルに向けた。感じたその熱に、ノブハルの喉がゴクリと鳴った。 「それを心配したお義父様に、ルリ号に拉致されてしまいました」 「トラスティさんにか?」  視線を険しくしたノブハルに、エリーゼは「お義父様にです」とそれを認めた。 「つまりお前は、念願叶ってトラスティさんに抱かれたと言うことか?」  怒気の混じったノブハルの言葉に、エリーゼは微塵も揺るがない眼差しで「結果的には」と答えた。 「お陰で、サラマーさん達が「下手」と言った意味がよく分かりました」  挑発気味の言葉を口にしたエリーゼは、「でも」と穏やかな表情をノブハルに向けた。 「それは、私も同じと言うことを教えて貰いました。ノブハル様にどうして欲しいのか、自分がどうしたいのかちゃんと伝えることが大切だって。そしてどうしたらノブハル様に気持ちよくなって貰えるのか。それを考えることも大切なのだと教えていただいたんです」  そこで「でも」と、エリーゼは顔を伏せた。 「私は、結果的にノブハル様を裏切ってしまいました」  だから捨てられても仕方がない。顔を伏せたまま口にしたエリーゼを前に、ノブハルは憤ったように大きく息を何度も吐いだ。  しばらく二人の間から言葉が消え、その場を息苦しい沈黙が支配することになった。その沈黙がしばらく続いた時、ノブハルは「俺は」と押さえた声で呟いた。 「確かに、今はむちゃくちゃ腹が立っている。ああ、認めよう、むちゃくちゃ腹が立っているんだ」  そこまで口にしてから、「ああ」とノブハルは頭を掻いた。 「お前をぶん殴りたい衝動は確かにある。確かにあるんだよ」 「それで、お気が済むのなら」  暴力も受け入れると答えたエリーゼに、「違うっ!」とノブハルは大声を上げた。 「信じてたのに、お前だけはと信じてたのにっ……そんな気持ちがあるのは確かなんだ」  「ああっ」と叫んだノブハルは、立ち上がってラウンジの中をウロウロと歩いた。 「だけど俺は、何をお前にしてきた。信じてると言ったが、それをお前に言ったことがあったのか。お前がそう感じるような行動を俺はしてきたのか? お前達と一緒にきたのに、俺はエイシャさんやアマネさんと何をしていた。不貞だとどの口で言うことができるんだ?」  ウロウロと歩きながら、ノブハルはもう一度大きな身振りで頭を抱え「ああっ」と大きな声を上げた。それから椅子に乱暴に腰を下ろし、エリーゼを睨みながら肩で大きく息をした。 「どうしてリンのようにチョーカーをしていないんだ?」 「私は、お義父様のものではないからです」  きっぱりと答えたエリーゼに、「そうか」とノブハルは視線を落とした。 「あの人の方が、ずっと良かったのだろう?」 「そうですね。初めて抱かれて頭が真っ白になりました。心も体も、とても気持ちよかったと思います。確かにその時は、ノブハル様のことを忘れていました」  それぐらい違うのだとと言う答えに、「それでもか」とノブハルは問うた。 「ええ、それだけのことですから」  そう答えて、今度はエリーゼが立ち上がった。そして踊るような軽やかな足取りで、ラウンジの中をゆっくりと移動した。 「ジフの洞窟のことを覚えておいでですか?」  そう問いかけたエリーゼは、ノブハルの答えを待たずに話を続けた。 「二人ともコウモリのフンにまみれて、ラブホ……でしたか。そこに逃げ込みましたね。その時お風呂の中で、私はノブハル様に大好きですって告白をしたんです。その後に抱かれた時、初めて幸せと言うのを感じることができました。お義父様は確かにお上手で、心までとても気持ちよくしてくださいました。でも、あの時のように心が震えるようなことはなかったんです。一つになる悦びを教えてくれたのは、誰でもないノブハル様だったんです。お義父様に抱かれて、ようやくそのことを思い出すことができたんですよ」  そこでうっとりと頬を上気させたエリーゼに、ノブハルの喉がゴクリと鳴った。裏切られたと言う腹立ちはあるが、彼女が欲しい、愛おしいと言う気持ちも大きくなっていたのだ。 「お義父様には、アリッサさんが一番なのだそうですよ。その……セックスだけで言えば、例えばエイシャさん達の方がずっといいと教えて下さいました。それでも、お義父様にはアリッサさんが一番なのだそうです。お義父様は、その意味を考えてみるようにと私に言ってくださいました」  エリーゼは、「私には難しすぎますが」とノブハルに微笑んでみせた。 「私は、ノブハル様のことが大好きです。愛してます。ずっと一緒に居たいと思っています。ずっとずっと一緒に居たいと思っているんです……お義父様にそう話したら、その気持を伝えるところから始めればいいと言われました」  「勝手ですね」そう自嘲したエリーゼは、軽やかな足取りでもとの場所に腰を下ろした。 「それでも、私はノブハル様のことを愛しているんです。大好きなんです。ずっと一緒に居たいと思っているんです。もう、そんなことを言う資格はないのに。そんな事は分かっているのに」  そこまで話をしてから、エリーゼはもう一度立ち上がった。ただノブハルは気づいていないのだが、その顔には少しも悲壮感は漂っていなかった。むしろ、開き直ったような空気をたたえていた。 「これからトウカさん達に合流してエルマーに戻ります。そしてお義母様に事情を説明して、さようならをすることにします」  「ごめんなさい」そう謝ったエリーゼを、「ちょっと待て」とノブハルは引き止めた。 「勝手に自己完結してくれるな。俺には、お前を責める資格はないと言ったはずだっ!」 「私が不貞を働いたのは動かしようのない事実です。しかもその相手は、ノブハル様のお父様なのですよ。すでに大勢の奥さんがいるノブハル様とは、はじめから事情が違っているんです」  だからですと頭を下げたエリーゼに、ノブハルは立ち上がりながら「待て」と繰り返した。 「お、俺は、今でも……違うな。お前のことを愛おしいと思っているのに気がついたんだ。そして俺は、その気持をお前に伝えてきていなかった。お前が悩んでいたのを知っていたが、そのくせ何もしてこなかったんだ。だから責められるのは、俺じゃなきゃだめなんだ。お前を抱きしめ、俺の気持ちを伝えてこなくちゃいけなかったんだ。だからっ!」  大声を上げたノブハルは、そのままエリーゼに近づきその体を抱きしめた。 「さようならと言われて、胸が張り裂けるように痛いんだ。初めて、お前がどれだけ大切なのかが分かったんだっ! だから、俺の前から居なくなるなんて言わないでくれっ!」  愛してると叫んでから、ノブハルは強引にエリーゼの唇を奪った。そしてその言葉に答えるように、エリーゼもまた「愛しています」と負けない勢いで唇を貪ってきた。そしてそのまま、二人は時間が経つのを忘れてお互いの唇を貪りあったのである。  サラマーとジノは、当然のようにその光景をしっかりと見ていた。そしてなぜか現れたアクサに遮音結界を張ってもらってから、「雨降って地固まる……でいいのかしら?」とサラマーはジノとアクサの顔を見た。 「結果だけを見ればそう見えるのは確かだけど……」  ううむと唸ったアクサは、「あの子の移動方法なんだけど」とエリーゼがゴースロス2番艦に現れた方法を持ち出した。 「多層空間を利用した形跡がないのよ」 「でも、他にも移動方法ってありますよね?」  そっちではと言われ、「エリカが反応できない移動方法って?」とアクサは問題点を指摘した。 「エリカは、多層空間の認識を持っていないわ。だから、反応できなくても仕方がないとは思うわよ。でも他の方法だと、エリカの目を盗むのは難しいと思うのよ。それぐらい、この船には沢山の観測装置が積まれているの」 「つまり、エリーゼ様が何かを隠していると?」  目元にシワを寄せたサラマーに、アクサは大きく頷いた。 「そうじゃないと、旦那様があの子を抱くとは思えないもの。それに、なにかあの子の周りの空気がおかしいのよね」 「空気がおかしい?」  なにそれと首を傾げたサラマーに、「言葉通り」とアクサは返した。 「とても感覚的なものよ。だから、説明にも困るの」 「ただ単に、雰囲気が変わったから……と言うことじゃなくて?」  それなら分かると言ったサラマーに、「それは違う」とアクサは即答した。 「そこまで曖昧なものじゃないし、もっとなんて言えばいいのか……感覚的、でいいのかな? そんなものね」 「雰囲気も感覚的なものだと思うけど……」  ううむと唸って居たら、いつの間にかノブハルがエリーゼを押し倒していた。時間がと言っていたのに、結局始まってしまったと言うことになる。 「まあ、こうなる結果は見えていたけど……」  そこでため息を吐いたアクサは、「出てらっしゃいよ」とゴースロス2番艦のAI、エリカを呼び出した。 「あなた、事情を全部知っているんでしょう?」  どうなのと問われたエリカは、あっさりと「知ってるわよ」と答えた。 「でも、それを教えるかどうかは別物だと思うわよ」 「力づくで……と言うのは流石に難しいか」  デバイスと機動兵器、勝負をすればデバイスならば勝つことができるのだろう。ただその結果、ゴースロス2番艦は大破することになる。その時失われる命と、後始末を考えれば、力づくと言うのは選べない選択肢だった。 「そうね。そのときには、大勢死人が出ることになるわね。それにあなただって、無事では済まないと思うわよ。それぐらい、この船には膨大なエネルギーが存在しているから」  それを指摘したエリカは、「少しだけネタバレ」とエリーゼの方を見た。 「あの子は、黒のチョーカーなんて比べ物にならないものを貰った……と言うことよ。ある意味、ミラクルブラッドよりも凄いものよ」 「ミラクルブラッドより凄いもの?」  なにそれと迫ってきたアクサに、「今はここまで」とエリカは答えを拒否した。 「多分だけど、夫婦の語らいであの子が口にするから。その時の楽しみにとっておくといいわ」  そこまで答えたエリカは、「仕事があるから」と姿を消した。  はぐらかされたことには腹が立つが、それでもなにかがあることだけは教えてもらった。そこでサラマーを見たアクサは、「なんだと思う?」と声を掛けた。 「そちらの世界は、アクサさんの方が専門じゃないんですか?」 「そう言われても、これより凄いものって思い浮かばないし……」  そう言って見た先には、トラスティに貰ったミラクルブラッドが光っていた。 「確かに、そう言われてみればそうですね」  なんだろうとジノの顔を見たのだが、そんなことが彼に分かるはずがない。肩をすくめるジノを見て、そうよねとサラマーは自分で納得していた。 「おとなしく答えを待つしかないのかしら」  いつ終わるんだろう。サラマーの視線は、今までになく激しく求め合う二人の方に向けられていた。 「確かに、当分終わりそうにないわね」  諦めなさいと肩をたたいてから、「消えるわ」とアクサは姿を消したのだった。  興味を持って見守っていたサラマー達だったが、結局夫婦の間で種明かしはなされなかった。それどころではなかったと言うのか、二人共惑星アーベルに到着する直前まで「ヤリ」続けたのである。体力的……主にノブハルの側の問題で休息が入ることはあったが、普段の淡白さはどこにと言いたくなるほどノブハルはエリーゼを求め続けた。 「お取り込み中悪いけど」  まだまだ続きそうな中、エリカは「そろそろ着くから」と割り込んできた。 「シャワーを浴びたりとか、身だしなみを整えたりとか、することがあると思うんだけど?」  お腹も空いたよねと改めて言われれば、たしかにそうだと思えてしまう。 「ランチはタブリース氏にたかるつもりで居たのだが」  そこでうむと考えたのは、空腹に気づいたからである。およそ20時間の間、寝るかするかしかしていなかったのだ。  そこでどうだと顔を見られたエリーゼは、「恥ずかしい」と顔を隠してから「ペコペコです」と答えた。 「やはり、少し腹に入れていったほうが良さそうだな。ところで、あとどれぐらいで到着するのだ?」 「約束の時間までは2時間ぐらいね。ほぼ一瞬で着くこともできるし、もっと時間を掛けることもできるわ」  どうすると問われ、「約束通りで」とノブハルは答えた。 「先に、軽く胃袋に入れてから身支度だな」  そこでパチンと指を鳴らせば、とりあえずシャワー代わりになる。ゆったりとした部屋着に着替えた二人は、空間をつなげて豪華なラウンジへと移動した。ちなみに昨日始めたラウンジとは、敢えて違うラウンジを選んでいた。  そこで世間標準では一人前の、そして青山家標準ではおやつ程度の量をお腹に入れた二人は、部屋に戻って身繕いをすることにした。もっとも正装などするつもりはないので、部屋着から外出着に着替える程度である。ただエリーゼの場合は、ヘアスタイルを整える手間が待っていた。ノブハルの妻として、夫に恥をかかせる訳には行かないと、かなり力を入れておめかしをしたのである。  時間があったはずなのに、最終的には慌ただしくなってしまった。それでもおめかしに手抜かりはなかったので、タブリースに対して失礼にはなることはなかった。  空間移動で広間に降り立ったところで、ノブハルは4人を代表して「いきなり押しかけたことを謝罪する」と頭を下げた。 「ただ、ちょっと気になることがあってな。色々と調べたいことがあったのだ」 「気になること……ですか?」  小さく頷いたタブリースは、「どうぞ」と4人を奥の部屋へと招待した。さすがは次期総統の側近と言えばいいのか、そこには落ち着いた装飾の応接が用意されていた。  そしてそこに現れた女性に、「あなたは」とノブハルは驚いたような声を出した。 「ええ、私の娘です。歴史展示館では、少し演技をしてもらいましたよ」  柔らかく微笑んだタブリースは、「シルバニア帝国皇夫殿だ」と娘にノブハルの正体を明かした。 「わが連邦に変革をもたらしていただいたと伺っています。シルバニア帝国皇夫様には、いくら感謝をしても足りないと思っています」  ようこそ惑星アーベルへ。そう言って頭を下げたメルダに、「丁寧な挨拶痛み入る」とノブハルは返した。 「俺のことはノブハルと呼んでくれればいい。そして俺の隣りにいるのが、妻のエリーゼだ。それからそこに居る二人は、俺の護衛のジノとサラマーだ」  ノブハルの紹介に、名前を呼ばれた3人はそれぞれ名乗ってから頭を下げた。 「ではメルダ。お客様にお茶とお菓子の用意を……それから、拗ねるといけないのでアザキエル様を連れてきてくれ」 「それ、多分手遅れ」  小さく笑ってから、メルダはぱちんと指を鳴らした。その音に合わせて、応接の中によそ行きの格好をしたアザキエルが現れた。相手が次期総統だと考えると、そんな方法で連れてきていいのかと思えてしまう。もっとも連れこられたアザキエルは、そんな些細なことは気にしてないようだ。 「よく来たな」  とノブハルに握手をしてから、「こちらの美女は?」とエリーゼの顔を見た。 「うむ。俺の妻エリーゼだ。エリーゼ。こちらが、次期アーベル連邦総統となるアザキエル閣下だ」 「はじめまして。ノブハル様の妻、エリーゼでございます」  優雅に頭を下げたエリーゼに、アザキエルは少しぎくしゃくとしながら頭を下げかえした。そうやって挨拶を済ませてから、「俺へのあてつけか?」とノブハルの顔を見た。 「ヴァイオレット嬢は連れてきてくれないし、その代わりに美女を連れてきたと思ったらお前の妻だと?」  気が利かないと文句を言ったアザキエルは、「何をしに来た?」とノブハルに用向きを問うた。 「うむ。お前達の呼び方でパラケオン21だったか。連合名でカストルと言うのだが、そこで起きた事件のことは知っているのだろう?」 「そのことか……」  耳が早いなと苦笑したアザキエルに、「もう一つ」と別の惑星のことを持ち出した。 「同じことが、パラケオン32。連合名でケスラーでも2週間後に発生するのが分かっている。すでに俺達のプローブが配置してあるので、何が起きたのかは観測することができるだろう」 「分かっている……だと?」  目元を険しくしたアザキエルに、「分かっているんだ」とノブハルは繰り返した。 「別の妻にもその能力があるのだが、俺達は未来視の能力者を確保している。光速を超えて伝搬する粒子を使って、直接未来の出来事を「見る」ことができる能力だ。従って、誰かが未来を書き換えない限りパラケオン32で生物が消失することになる」 「生物が消失するのか……」  椅子にもたれかかって難しい顔をしてから、「何をしに来た」とアザキエルは質問を繰り返した。 「何が2つの惑星で生物を消したのか。そして、同じことが他の惑星でも起きないか。それを調べに来たと言うことだ」 「そうだとしたら。どうして俺のところに顔を出したのだ? 残念ながら、俺では力になれないぞ。何しろ俺達は、ザクセン=ベルリナー連合には手出しできないからな」  連邦に加わった条件を持ち出したアザキエルに、それぐらいは分かっているとノブハルは答えた。 「それでも、いくつか貰いたい情報があるのだ。加えて言うと、仲間はずれにするのは可哀想かと思ったのだ。何しろ、マールス人の秘密に迫れるかもしれないからな」  マールス人の秘密と言うキーワードに、「なに!」とアザキエルとタブリースは身を乗り出した。 「まさか、マールス人が関わっていると言うのではないだろうな?」  当然出る疑問に、「それは分からん」とノブハルはとりあえず保留した。 「それを含めてこの銀河の謎に迫ろうと思っている……俺からしてみれば趣味にも近いのだが、そちらはそうとばかりは言っていられないと思うのだが?」  生物が消失する原因が分かっていない以上、アーベル連邦が無事ですむと言う保証はどこにもない。それを持ち出されたアザキエルは、確かにと頷いた。 「こちらに飛び火しないとは限らないな」  ノブハルの指摘を認めたアザキエルは、「何を知りたい?」と持ちかけた。 「手始めに、パラケオン21と32の共通性、特殊性と言ったところ諸々だな」 「随分と難しいことを言ってくれる」  そこで苦笑を浮かべたアザキエルは、「うちの連邦じゃないんだがな」と難しい理由を持ち出した。 「だから細かなことを聞かれても分からんと言うのが答えになる。まあ、うちから見たら、いずれも間引き対象と言うぐらいか。パラケオン21は、間引き直前で兵を引いたし、パラケオン32は確か次回の間引き対象だったはずだ」  そうだろうと顔を見られたタブリースは、「仰せの通りで」と仰々しく答えた。 「ちなみに尋ねるが、間引きの順番はどうやって決めている……と言うか、そもそも間引き対象の決め方はどうなっているのだ?」  ノブハルの持ち出した根本的な問に、アザキエルは「それは」と口にしてから黙り込んだ。そしてタブリースの顔を見て、「知っているか?」と尋ねてくれた。  その問いを受けたタブリースは、とても難しい顔をしてくれた。その表情を見る限り、彼も間引き対象の選定基準を知らないと言うことになる。 「おいおい、それでよく間引きを続けてたな」  はっきりと呆れたノブハルに、アザキエルはすぐに言い訳の言葉を吐いた。 「そう言われても仕方がないとは思うが……重要なのは、総数だと思っていたのだ。だから間引きを始めた頃のデーターをそのまま使っている。途中で総数の見直しが入ったが、そのときには順番の後ろの方を間引き対象から外したのだ」  情報としてそれぐらいと答えたアザキエルに、ノブハルは大きくため息を吐いた。 「誰も、不思議に思わなかったのか?」  流石に無いだろうとの指摘に、「それはそうなのだが」とアザキエルは口ごもった。そして彼らが答える前に、メルダが「いいかしら」と口を挟んできた。 「見直しがなかった……と言うか、リストが変わらなかった理由なんだけどね。そのリストは、順番付きでザクセン=ベルリナー連合に渡っているのよ。住民避難が間に合っているのは、そのリストのお陰ってことになっていたはずよ」 「つまり、そのリストを変えると別の問題が発生すると言うことか」  それならば、多少は納得の行く答えでもある。それでも、作った基準が分からないと言う問題は残っていた。 「文献か何かで、どうやって決めたのか残っていないのか?」 「そのあたりは、調べてみないとなんとも言えんな。何しろ電子化されていない文献が山のように残っているのだ。注目されていない文献を引っ張り出すには、それなりの時間が掛かることになる」  やることは分かっても、結果が出るのに時間がかかると言うのだ。なるほどと頷いたノブハルは、エリーゼの顔を見てから「一度帰るか」と声を掛けた。 「それから、もう一つ情報を提供してほしい。確か10万だったか、間引きが予定されていた星系のリストをくれ。潜入準備を整えて、再度こちらに顔を出すことにする」 「それは構わないのだが……確かお前は、皇帝の夫と言う高い立場があったはずだよな?」  自分の立場を持ち出したアザキエルに、「それがどうかしたのか?」とノブハルは怪訝そうな顔をした。  そんなノブハルに、「どうして下っ端の仕事をするのだ?」とアザキエルは問うた。潜入調査など、普通は末端の隊員のすることなのだ。  その常識のもと質問したアザキエルに、ノブハルは間違いようのない答えを口にした。 「ただ単に趣味なのだが?」  それがどうしたと言われたアザキエルは、そのまま視線をタブリースへと向けた。 「他所様は他所様ですが?」  当たり前の答えに、アザキエルはがっくりと肩を落とした。どうやら彼も、ノブハルのように宇宙を飛び回りたかったようだ。 「どうやら、まだ惑星上に縛り付けられているわけだ」 「御身の重要性はいささかも変わっておりませんので」  だからですと答えられ、さすがのノブハルもアザキエルに同情してしまった。ただよそのしきたりに口を出すのは野暮だと、「引退まで我慢するのだな」と慰めのようで慰めになっていない言葉を吐いた。 「その時には、他の銀河にも連れて行ってやるぞ」 「今までよりは多少マシと諦めるべきなのか……」  はあっと大きくアザキエルが息を吐き出したところで、「質問」とメルダが割り込んできた。 「連れてっててお願いをしたら、私を船に乗せてくれるのかしら?」 「客の一人ぐらい別に構わないぞ」  そこで顔を見られたタブリースは、「制度上問題はありません」と嫌そうに答えた。 「アーベル連邦では、移動の自由が認められておりますので」  そこでアザキエルを見てみたのだが、予想通りとても不機嫌そうな顔をしていた。ただ彼にまつわる事情に変化はないため、連れ出すのは自重することにした。 「俺達は数日ここに滞在してから出発する予定なのだが……あなたの方はそれで問題ないのか?」  確か教師のようなことをしていたはずだ。歴史展示館でのことを思い出したノブハルに、「あれはアルバイト」とメルダは笑った。 「次期総統側近の娘がアルバイトをするのか?」  驚いたノブハルに、「雇用主」とメルダはタブリースを指差した。 「正確に言うと、まだ学生の身分なのよ。こっちの年齢だと22なんだけどね。大学院に行くつもりでいるから、まだまだ自由な時間があるってことよ」 「そう言う事なら、マールス銀河の外を見るのも悪くはないな。保護者の了解が得られるのなら、ゴースロス2番艦で他の銀河にまで連れて行ってやる」  ノブハルの許可を得られたと、メルダは「やったー」と無邪気に手を叩いた。当然のように、アザキエルのご機嫌は今まで以上に悪くなっていた。  とりあえず頼むことは頼んだし、お客を連れて帰ることも決定した。残るは明日までの時間の過ごし方と言うことになる。  そこでタブリースの顔を見たノブハルは、「一つ頼みがある」と切り出した。 「俺達に宿を紹介してくれないか?」  そこでノブハルの後ろを見たタブリースは、「部屋割は?」とノブハルに尋ねた。 「俺とエリーゼで一部屋」  そう答えてから、ノブハルは振り向いて「お前達はどうしたい?」とジノとサラマーに尋ねた。 「交代で護衛をすることになると思いますので、一部屋あれば十分かと」  ジノの答えを受け、「だそうだ」と部屋割をタブリースに伝えた。 「では、私の屋敷に招待させていただきましょう。私の屋敷ならば、資料も多少は揃っておりますので」  そこで娘を見たタブリースは、「ご案内を」と命じた。それを「よしっ」と喜んだメルダは、「お話を聞かせてください」とエリーゼにくっついた。 「こちらこそ。色々とお話を聞かせて頂けませんか?」  喜んでとエリーゼが答えたことで、今夜の出し物は決まったことになる。さっさと行こうと言って、メルダはノブハルではなくエリーゼの横に立って「こちらへどうぞ」と案内してくれた。  そして5人が空間移動で消えたところで、「拗ねるものではありません」とタブリースがアザキエルに声を掛けた。 「そうは言うが、どう考えてもこれは不公平だろう」  承服しかねると答えたアザキエルに、タブリースはいつもの答えを持ち出した。 「次期議長の娘と言っても、嫁に出してしまえば市井の娘でしかありません。アーベル連邦を背負われる御身とは、置かれた立場が違いすぎますので」 「俺の嫁候補の一人が、市井の娘と言うのか?」  流石に無いだろうとの反論に、「候補は候補です」とタブリースは言い返した。 「何しろ娘には、婚姻の自由が保証されております。従って、大勢いる候補の一人でしかなく、殿下に嫁がない自由も持っております。そして正直申し上げますと、娘は殿下のもとに嫁ぐつもりはないようです」 「ああ、何度も「退屈は嫌だ」と聞かされている。どうして俺がいいと思った女は、俺のものになってくれないのだ」  金髪碧眼の美少女のことを思い出したアザキエルに、「世の中には縁というものがございます」とタブリースは答えた。 「そして殿下には、娘やヴァイオレット嬢でしたか。その縁がなかったと言うことです」 「決めつけられるのは極めて心外だな……とは言え、否定も難しいのだろうな」  そこで小さく息を吐いたアザキエルは、「いいなぁ」と空を見上げた。 「ここよりも文明の進んだ銀河と言うのは、一体どのようなところなのだろう。あと50年は待たないと、俺はその世界を目の当たりにすることができないんだ」  悔しいな。ぽつりと吐き出された言葉には、アザキエルの思いが詰まっていた。  歴史展示館の一室で分かっていたことだが、タブリースの屋敷はとても落ち着いた装いをしていた。広すぎる庭は公園と見紛うばかりなのだが、よく手入れがされた花壇と樹木が落ち着いた雰囲気を作り出していた。そしてその公園を抜けると、白亜の建物が鎮座していたのである。豪邸に住むようになったノブハルなのだが、この屋敷と比べれば犬小屋のようなものだった。  この庭を見せるためなのだろう。敢えて屋敷の入口に運ばれたところで、ノブハルは「立派なものだ」とタブリースの屋敷を褒めた。 「庭の手入れは行き届いているし、屋敷も……巨大だが、少しも下品さがないな」 「そのあたり、立場なりの苦労があるみたいよ。立場上小さな家には住めないし、周りの目があるから手入れを欠かすことができないって。雇用にも貢献しなくちゃいけないから、十分以上に人手を掛けているわね」  「しがらみしがらみ」と笑ったメルダは、「こっち」と一行を玄関の方へと案内した。 「私達の星のバラに似た花ですね。棘があるところもよく似ています」  各種の花々が植えられているのだが、メインとなっていたのは「バラ」に似た木だった。それを「綺麗ですね」と褒めたエリーゼに、「サロです」とメルダは花の名前を答えた。 「私の大好きな花なんですよ」  嬉しそうにしたメルダに、「私もです」とエリーゼは笑顔で答えた。 「それに、とてもいい香りがしますね」 「この花の香りは、香水にも使われるんですよ」  だからだと言いながら、一行を連れたメルダは玄関の前にたどり着いた。ただ期待と違ったのは、メルダが巨大な扉ではなく、その隣にあるこじんまりとした通用口を使ったことだった。 「これを開けると仰々しいでしょ?」 「そう言いたい気持ちは理解できるな」  玄関の大きさは、高さで10m、幅も同じく10mぐらいあったのだ。身長2mにも満たない5人が通り抜けるには、確かに大きすぎるのだろう。もっとも通用口と言っても、青山家の玄関よりも大きかったのだが。  玄関の大きさを考えれば当たり前なのだが、通用口を抜けた先には巨大な空間が広がっていた。おおよそ高さは30mと言うところだろうか。天井まで吹き抜けになっているのか、天窓から光が差し込んでいた。 「次期総統の側近ともなると、やはり権勢を誇っていると言うことか」  感心したノブハルに、「立場上小さな家に住めないのよ」とメルダは笑いながら繰り返した。 「あの人って言うとおかしいか。お父様は、どちらかと言えば貧乏性なのよ。だから自分の部屋は、「囲まれ感が大切だ」とか言って狭い部屋にしているわ。そのせいで世話係から、逆に手がかかると文句を言われているわね。狭いくせにね、物が溢れているのよ」  そう説明しながら、メルダは現れた世話係に「お部屋の用意を」と命じた。そして屋敷を案内するようにゆっくり歩き、ペントハウスのような一室に一行を案内した。1階を歩いていたことを考えれば、最後の移動は空間移動を利用したのだろう。 「ほら、ここからだと庭も見えるしね」  少し自慢げにしたメルダに、「綺麗ですね」とエリーゼがまっさきに褒めた。それを嬉しそうに受け止めたメルダは、自分でお茶の用意を始めた。 「前にも飲んだと思うけど、ジレル産の紅茶は香りが高くて美味しいのよ」 「ああ、タブリース氏に煎れて貰ったな。あのときは緊張で味がよくわからなかったのだが……」  そこまで答えてから、ノブハルはサーブされた紅茶を口につけた。 「だが、やはりうまいな」  そうだろうと顔を見られたエリーゼも、「とっても美味しいですね」とノブハルの言葉を認めた。  味覚の違いを心配していたのか、エリーゼの言葉にメルダはぱっと表情を明るくした。そして立ち上がると、「お菓子も美味しいのがあるんです」と言って部屋の奥へと消えていった。 「どうやら、お前は気に入られたようだ」 「とても可愛らしいですね……と言っていいのでしょうか?」  年齢が分からないとエリーゼが口にしたら、「こちらの年齢で22になります」とワゴンを押してメルダが現れた。 「もうすぐ大学を卒業するので、大学院に行くことにしているんです」 「私も22なのですが……」  そこで顔を見られたノブハルは、「1年の長さはほとんど変わらない」と必要な答えを口にした。 「自転周期は23.5時間、公転周期は373日と、5.5時間ほどアス標準時より1年が長いように思えるが、実際には4年に1度の補正が入るので、アスの方がわずかに長くなるな。だいたい40分ぐらいか」 「だとしたら、私達は同い年と言うことなんですね」  嬉しそうにしたエリーゼに、「なにか嬉しいですね」とメルダも応じた。そして椅子をエリーゼの方に寄せ、クッキーのようなお菓子を取り出した。 「私のお気にいりは、この木の実の入ったクッキーなんです」  食べて食べてと喜ぶところなど、女学生そのものと言うところだろうか。なぜかこう言った経験のないエリーゼと言うこともあり、勧められるままにクッキーを口に運んだ。  横から手を出したノブハルの感想は、普通に美味しいクッキーだったと言うことだ。  そして3人のやり取りを見守っているジノとサラマーは、小声で「新しいパターンだ」とその関係を口にした。 「彼女の関心は、明らかにエリーゼ様にあるわね」 「同性愛……と言うのは、短絡的な決めつけになるのか?」  表情も変えずに呟いたジノに、「珍しくもなんとも無いでしょ」とサラマーは言い返した。 「まあ、珍しくもなんとも無いのは確かだが……なぜか珍しく感じてしまったのだ」  その程度だと、相変わらず表情を変えずにジノは目の前の光景を評したのである。  エリーゼを送り出したあと、ナギサ達5人はワイハのプライベートビーチへ移動していた。タンガロイド社の管理するプライベートビーチは、全長2kmにも及ぶ白い砂とどこまでも続く青い海が広がっていた。タンガロイド社関係者が遊びに来ていたので貸し切りと言うことはなかったが、それでもとてもゆったりとした気分になれる場所だった。 「こんな綺麗な海、見たことがないわっ!」  ワイハに来て一番喜んだのは、ヘルコルニア連合にあるトリス・クロから来たウタハだった。黒の刺激的なビキニに身を包み、真っ先に砂浜へと駆けていった。 「そうね。とても綺麗な海だと思うわ」  そして次に喜んだのは、シルバニアから来たセントリアだった。赤のビキニに豊満な体を包み、ウタハを追いかけて砂浜へと駆けていった。 「気持ちは分かるけどね……」  一方ズイコー出身のトウカは、肩紐のない黒のビキニに身を包み、ガゼボの中から光る海を眺めていた。 「トウカさんって、島国出身だったっけ?」 「島国と言っても、結構広かったりするんだけどね。でも、海が近くにあったのは確かだわ」  そう答えたトウカは、「こっちの方が綺麗だけど」と目の前の海を見た。 「気をつけないと、思いっきり日焼けしそう」 「そう言う私も、日焼けには気をつけないといけないんだけどね」  アイドルだからと笑ったリンは、肩紐のある赤いビキニを身に着けていた。当然のように、ノブハル特性の日焼け止めを塗っていた。 「それから、予定通りご主人様はもうすぐ合流してくれるから」 「エイシャさんとシシリーさんも、すぐに合流してくれるんでしょ?」  大人組を持ち出したトウカに、「ナギサの相手は必要だしね」と笑った。 「ちなみに、ロレンシアさんとアルトリアさんも来るって話よ。メリタさんは、居残りでお仕事らしいけど」  そこで少し嫌そうな顔をしたのは、比べられたくないと言う思いからだろうか。特に年下のくせに、アルトリアが色っぽすぎると思っていたのだ。  「ナギサには毒だわ」と苦笑したリンは、「本気?」とトウカに尋ねた。 「エリーゼを見たら、私もって思っても不思議じゃないでしょ?」  だから本気と答えたトウカは、「セントリア達も同じ」と海の方を見た。 「でも、あっちはまだしも、認識……だっけ? そっちは難しいって言われてなかったっけ?」 「別に、非常識な世界に足を踏み入れたいとは思っている訳じゃないわよ」  羨ましい気持ちはあるけどと。少し言い訳がましく口にしたトウカは、「あの子は特別だから」と言った。 「ノブハルは気づいていない……この事件でようやく気づけるのかな。ノブハルにとって、エリーゼは理想の奥さんなのよ。自分を出さないで、しかも愛してくれて信じて着いてきてくれる。何があっても、絶対に自分を裏切らないし、理解してくれる理想の奥さんだと思っていたのよ。考えみれば分かるけど、汚い頃……しかも変人の頃のノブハルに恋したただ一人の女性なのよ」  私には無理だったと白状したトウカに、「複雑」とリンは嫌そうな顔をした。 「私にとっては、大切なお兄ちゃんなのよ。だから色々と否定したいんだけど……」 「でも、否定できないでしょ?」  トウカの決めつけに、リンははっきりと頷いた。 「だから、複雑ってことなのよ。色々と焚き付けた私だけど、本気でうまくいくとは考えていないところがあったもの」  リンの答えに、「だから」とトウカは頷いた。 「ノブハルは、ずっとエリーゼに甘えていたのよ。でも、甘えられてる本人はそれに気づけなかった。もしも気づいていたら、今度のことはなかったと思うわ」 「それだけ拗れていたから、ご主人様も特別な方法を使ったってことか」  きっとそうと、トウカはリンの言葉を認めた。 「チョーカーをつけたぐらいじゃ、エリーゼは変われないから」 「じゃあ、トウカさんはこれをつけるの?」  そう言って自分のチョーカーを指差したリンに、「流石に問題」とトウカは笑った。 「ナギサさんと違って、ノブハルはそこまで割り切れてない……違うか、突き抜けてないから」 「まあ、あのお兄ちゃんだからねぇ……突き抜けたら突き抜けたで怖い気もするわ」  それ同感と、トウカは笑った。 「それで、ご主人様とはどうするの? 3人一緒?」 「それなんだけどね……」  そこで口ごもったトウカは、「迷ってる」と白状した。 「ノブハルと違うから、淡白になる恐れはないわ。むしろ、1対1じゃ私達が保たない可能性があるぐらいなのよ」 「その当たりのさじ加減は大丈夫だと思うわよ。少なくとも、初めての時には」  自分の時はそうだったと答えたリンに、「セントリアから」とトウカは答えた。 「一応くじ引きの結果なんだけどね。次は私で、最後がウタハの順番になっているわ」 「シシリーさんが乱入してこないわよね?」  一人除外された妻を持ち出したリンに、「多分」とトウカは返した。 「メリタさんとの関係もあるしね。それに、あの人には必要ないと思うし」  そりゃそうかとリンが納得した時、トウカの顔にビーチボールがぶつかった。 「青空の下、昼間から猥談をするものじゃないわ」  ビーチボールをぶつけたセントリアは、そう言って舌をだしてから逃げ出した。 「一番くじを引いて喜んでたくせにっ!」  すぐさまビーチボールを拾い上げ、「待ちなさい」とトウカはセントリアを追いかけて走り出した。ただ追いついたところで、実力に勝るセントリアに返り討ちに遭っていた。  それを目を細めて見ていたら、なぜかリンの居るガゼボがギシッときしんだ。一体何がと横を見たら、嫌になるほど綺麗な女性が寝転がっていた。金色の髪を結い上げ、魅力的なボディはシック目のワンピースに包まれていた。それでも優美な曲線は、女性の目から見ても羨ましいものになっていた。  ただ問題は、どうしてその女性がここに居るのかと言うことだ。セントリアを送り出すために、彼女はエルマーに残っていたはずなのだ。 「どうしてグリューエルさんがここに?」  流石に綺麗だと感心したリンに、「我が君に呼ばれました」とグリューエルは綺麗に笑った。 「色々と迷惑をかけたから、お詫びにリゾートに招待する……だそうですよ」  気を使いすぎですと笑ったグリューエルは、「少し水臭く感じます」とリンに告げた。 「迷惑や面倒をかけられてこその夫婦だと思っているんですけどね」  そう言いながら、グリューエルは楽しそうに戯れるトウカ達の方を見た。 「セントリアさんも楽しそうにしていますね。彼女のこんな表情を初めてみた気がします」 「確かに、セントリアは感情を押さえていることが多いから」  「本当に楽しそう」とリンも目を細めてビーチボールで遊ぶ義姉たちを見た。それからグリューエルの方に視線を戻し、「グリューエルさんだけなんですか?」と招待されたトラスティの妻のことを尋ねた。 「当然マリーカさんも来ていますよ。何しろここまでの足に、インペレーターを使いましたからね」 「プリンセス・メリベルじゃないんですね?」  クリスティア王家所有のクルーザーを持ち出したリンに、「あれは本国に返しました」とグリューエルは答えた。 「いくら性能を要求していないとは言え、あまりにも旧式すぎますからね。巨大戦艦インペレーターより足が遅い……比較の対象として良くないのでしょうが……移動時間節約のために新鋭艦を寄越せと本国に命じているんです」 「トリプルAの役員なんですから、そちらで用意した方がいいんじゃありませんか?」  ゴースロスとかルリ号とか。超高性能艦を持ち出したリンに、「クリスティアにも意地はありますよ」とグリューエルは笑った。 「加えて言うと、王女のつまらないプライドでしょうか。ただやけに実家が協力的なのが気になるのですが……」  色々と裏を感じていたグリューエルだったが、「それはそれとして」と浜辺に視線を向けた。 「エリーゼさんがおいでにならないようですね」  ノブハルのエルマー妻達が揃っているのに、なぜかエリーゼの姿だけが見当たらなかったのだ。一緒に出発したことを考えれば、それを疑問に感じてもおかしくはないだろう。  そんなグリューエルに、リンは「お兄ちゃんを追いかけていきました」とエリーゼの居場所を教えた。 「つまり、我が君のクリニックが終わったと言うことですね」 「クリニックって……」  病気かと一瞬考えたのだが、ある意味病気だとリンは考え直した。 「確かに、クリニックかもしれませんね」  ほっと息を吐き出したリンに、グリューエルは微笑みながら「誰もが通る道ですよ」と告げた。 「私にも、似たようなことがありましたからね。エリーゼさんが、色々と悩まれていたのはセントリアさんから聞いていました。もっとも、セントリアさんにも悩みはあるようですけどね」 「さすがは王女様……でいいのかな?」  少しだけ首を傾げたリンに、「仲間ですから」とグリューエルは返した。 「熱心に仕事をしてくださることには感謝しています。どうもセントリアさんは、仕事をしないと、仕事で認められないといけないと言う強迫観念があるように思えます」 「やっぱり、そう言うところが理由なんだ……」  ふうっと息を吐いたリンは、「誰に対するコンプレックスなんだろう」とぼやいた。 「やっぱり、ライラ皇帝かな?」  相手の立場を考えれば、自分の理由を考えてしまうことになる。ライラを理由と考えたリンに、「もっと深刻」とグリューエルは砂浜に視線を向けたまま答えた。 「ひょっとしてご主人様?」  あちらの奥さんは、錚々たる人達が揃っている。それなら分かると考えたリンに、「それも違います」とグリューエルは答えた。 「有り体に言うと、ノブハル様とリンさん、あなたですね」 「私ぃ!」  素っ頓狂な声を出したリンに、「それが落とし穴です」とグリューエルは答えた。 「博士号をいくつか取られているように、ノブハル様は才能の塊ですよね。そしてシルバニア帝国皇帝から夫として迎えられるような、特別な存在でもあります。そしてリンさん、あなたはズミクロン星系のトップアイドルですよね。ファン層がズミクロン星系の外にまで広がっている特別な存在なんですよ。しかも旦那様は、エルマー7家の一つ、イチモンジ家の次期当主様です。エリーゼさんの抱えていたものとは違うコンプレックスを、トウカさんやセントリアさん、ウタハさんは抱えておいでなんです。どうして自分なんだろう……どうしても、それを考えてしまうのですよ」  贅沢だけどとても深刻な悩みなのだと。グリューエルはリンを見てからそう答えた。 「今はいいですけど、メリタ様も将来同じ悩みを持たれるのでしょうね」 「グリューエルさんも同じ悩みを持たれたのですか?」  恐る恐る聞いたリンに、「今でも考えることはありますよ」とグリューエルは答えた。 「だから、皆さんの気持ちが分かる……と言うのは言いすぎでしょうか。なにしろ私など、たかが少国の王女でしか無いのですからね」 「クリスティア連合国家をたかがと言います? IotU関係で有名ですよね?」  そう言い返したリンに、「たかがですね」とグリューエルは答えた。 「レムニア帝国皇帝様。エスデニア最高評議会議長様。シルバニア帝国宰相様。リゲル帝国皇帝様。パガニア王国第1王女様。ヤムント連邦皇女様。モンベルト王国女王様。未来視を持つクリプトサイト王女様……マリーカさんにしても、キャプテン・アーネットの子孫なんですよ。アリッサ様以外でも、錚々たる顔ぶれだと思いませんか? その方達に比べれば、クリスティア連合国家の王女なんて格下もいいところです」  そう答えたところで、グリューエルは「気が滅入ってきました」と肩を落とした。 「ごめんなさい。嫌なことを思い出させたみたいで……」  謝ったリンに、「勝手に落ち込んでいるだけです」とグリューエルはやや引きつった笑みを浮かべた。 「むしろ辛いのは、我が君が気を使ってくださることですね。我が君にとって見れば、妻の実家はどうでも良いのでしょう。ただ妻や実家の事情も分かると、逆に気を使ってくださるのです。もともと私がエルマー支社長になれたのも、実家向きの立場を作るためなのですからね」  そこまで話をしたところで、「私のことはどうでもいいのですが」とグリューエルは話題を変えようとした。顔が赤くなっているところを見ると、珍しく彼女にしては話しすぎたと言うところだろう。 「セントリアさんは……エリーゼさんほど重くないから大丈夫でしょうね。エイシャ様は、ノリですか。それが軽いから大丈夫だろうと仰られていました」 「確かに、エリーゼよりは軽いと思うわ……と言うか、全然軽いと思うわよ」  んーと考えたリンは、「興味の方が強いかな」と答えた。 「だから、ハマらないように気をつけてあげれば大丈夫だと思うわ」  大丈夫と繰り返したリンに、「むしろ心配になってきました」とグリューエルは苦笑した。 「ハマる要素ばかりだと思いますよ」 「……そう言われればそう思えるわ」  自分のことを思い出し、「問題かしら」とリンは今夜のことを思った。ううむと唸っていたら、今度は反対側がギシッときしんでくれた。一体誰がとそちらを向いたら、なぜかライスフィールが自分の方を見ていた。 「ライスフィールさんもご主人様に呼ばれたのですか?」  グリューエルと同じ事情だろうと考えたリンに、「別件で」とライスフィールは笑った。 「ちょっと、エリーゼさんの件で手伝ってほしいと言われたのです」 「エリーゼの件で?」  なにと首を傾げたリンに、「新しい能力のこと」とライスフィールは答えた。 「何ができるのか、それを教えてあげて欲しいと。有り体に言えば、魔法の指導ですか。癒やし系がいいのではないかと夫に言われました」  本当はもっと大技も教えたのだが、そちらについてはライスフィールは口にしなかった。 「ですから、ご褒美の「りぞうと」は、ヘルクレズとガッズに対してですね」  それからと、ライスフィールは他に来る妻(なかま)のことを持ち出した。 「ヤムントからアーコ様、リゲル帝国からミサオ様もおいでになられるそうです」 「なにか、とっても大げさなことになった気がしてきました」  はあっと息を吐き出したリンに、「分かります」とライスフィールは理解を示した。 「心配を掛けたから、そのお詫びのようなもの……と言っていましたね」  それだけでは無いのでしょうが。そう言いながら、ライスフィールは波打ち際で遊ぶ3人に視線を向けた。 「ひょっとして牽制、ですか?」  錚々たる顔ぶれが揃うことで、ノブハルの妻達が臆するのだろうと。リンのその指摘に、「その可能性もありましたね」とライスフィールは笑った。 「他の可能性もあるのだと?」  流石に思い当たらなかったのか、なんだろうとリンは首を傾げた。そんなリンに、「ここには人よけの結界が張ってあります」とライスフィールは口元を歪めた。それを見たグリューエルは、なるほどとばかりに大きく頷いた。 「一応、助っ人も呼んでありますよ」  ライスフィールが笑ったところで、「お邪魔します」と黒髪の美女が現れた。リンには心当たりがなかったのだが、その顔を見てグリューエルは大きく頷いた。 「確かに、心強い助っ人ですね」 「私達では、リンさんに体力で負けますから」  そう言って笑ったライスフィールは、「紹介しますね」と黒髪をした細身の美女を手で示した。 「リゲル帝国皇女、ミサオ様です」 「ミサオ様、この方がノブハル様の妹君であられるリンさんです」  ライスフィールの紹介に、「はじめまして」とミサオはリンに向かって頭を下げた。それからライスフィールの顔を見て、「ここで?」と確認をした。 「場所を変えてもいいのですが。どちらがお好みですか?」 「たまには、こう言う環境もいいのかもしれませんね」  そう言って笑ったミサオは、後ろからリンに覆いかぶさり軽く両手を添えてきた。ただ本人的には「軽く」なのだが、リンは身動き一つ取れなくなっていた。 「ええっと、私にはその趣味はないんだけど」  逃げようとしても、リンの力ではミサオの束縛を振り切ることはできない。いくら藻掻こうとしても、完全に力で抑え込まれてしまった。  そこで目で会話をした二人は、「私から」とグリューエルがリンに唇を重ねてきた。一方でリンを押さえつけたミサオと、ライスフィールが唇を重ねていた。 「こちらの楽しみも教えてあげて欲しいと言われましたので」  ご主人様の命令ですよと。ライスフィールは立場の方からもリンを縛ったのだった。  惑星アーベルに3日滞在したノブハルは、アスでローエングリンに乗り換えエルマーに帰る予定で居た。だがエリカから、リン達がまだジェイドに居ると教えられ、急遽予定をジェイドへと変えた。少しだけ時期尚早かと考えたのだが、機会を逃す手はないとメルダをジェイドに連れて行くことにした。 「ワイハと言うのはどう言ったところなのだ?」  出発の直前、ノブハルは目的地のことをエリカに尋ねた。 「簡単に言うと、海辺のリゾートね。白いサンゴ礁に青い海が広がっているわよ」 「なるほど、意外にそういった場所に行っていないな」  それもいいかとエリーゼを見たら、隣にピッタリとメルダが着いていてくれた。最初は新しいパターンかと暖かく見守っていたのだが、それも過ぎると見守ってばかりは居られない。少し目元を引きつらせながら、「それでもいいか」とメルダに尋ねた。  そこでエリーゼを見てから、メルダは「喜んで」と本当に嬉しそうな顔をした。一体何なのだと呆れながら、当初の予定航路でとノブハルはエリカに告げた。  ちなみに今回の行程は、通しで10時間ほどかかる予定になっていた。その心は、ところどころで亜空間から通常空間に復帰することにしていたからである。そうすることで、自分が遠くに来ているのを実感して貰おうと考えたと言うことである。 「1光秒、10光秒、100光秒、1000光秒の区切りで通常空間に出るからね。それぞれ1分ほど滞在してから、次に移動するから」  特に最初のうちは、加速距離を取れないことになる。そのため、最高速が押さえられるため、ディアミズレ銀河に入るのに時間がかかることになる。それでも10時間と言うのは、超銀河連邦でもゴースロス2番艦だけができる短さだった。  そう伝えたノブハルは、エリーゼを残してラウンジから出た。目的地は、ゴースロス2番艦のブリッジである。変則的な航路を取ることは了解を貰っているが、面倒を掛けることを詫びておこうと考えたのである。  だが「詫びる」と考えたノブハルだったが、ラフィールから「お気遣いは不要です」と逆に言われてしまった。 「亜空間航行と言うのは、確かに退屈なものですからね。故郷から遠ざかっていくのを見たいと感じるのは、改めて考えてみればおかしなことではないと思います。技術陣には、新しい課題として伝えておきました」 「亜空間から通常空間を観測するのか?」  物理的に分離することで、通常空間における相対性理論の軛から逃れているのが亜空間航行なのだ。亜空間の中でも相対性理論の縛りはあるのだが、対通常空間と言う意味では光速を超えることができていたのだ。それを考えると、亜空間から通常空間を観測すると言うのは間違いなく非常識なことのはずだ。 「確かに、光より早く移動していますからね。どう言った光景が観測できるのか、逆に楽しみに思えます」 「俺が言いたいのはそんなことじゃないのだがな……」  ただノブハルは、それ以上ラフィールと議論をするつもりはなかった。 「仰りたいことは理解しているつもりです。それよりノブハル様、実はワープですか。今回はそれを利用しているのですよ」 「この船は、ワープまでできるのか?」  呆れたと息を吐いたノブハルに、「説明を」とラフィールはエリカを呼び出した。 「と言いますか、まだ説明していなかったのですか?」 「別に、珍しい技術じゃないし。それに、できないと考える方が不思議だと思うわ」  そう言い訳をしてから、「この船は重力場を操作できるから」とエリカは説明した。 「だから空間にトンネルを作れるのよ。短距離の移動だったらその方が楽だしね」 「確かに、ワープなら重力場操作ができれば実現できるな」  意外な盲点だったと口にしたノブハルは、シルバニア帝国側のアドバンテージがまた消えたと考えていた。なんだかなぁと天を仰いだノブハルは、「ラウンジに戻る」と告げて空間を超えていった。  それを見送ったところで、ラフィールは「そろそろですか?」とエリカに尋ねた。 「ええ、惑星マールスから9千光年離れたところに出たわ。今、各種センサーを総動員しているところよ」 「ここからは、100光年単位でデーターをとっていくのですね」  ラフィールの問いに、「あの人の頼みだから」とエリカは頷いた。 「遠すぎるから詳細は分からなくても、何かが起きたぐらいは掴めるだろうって。ξ粒子の観測も同時に行っているわ」  そうすることで、違った時間軸の観測も同時に行える。このデータをサラに渡せば、もう少し正確な情報が掴めるはずなのだ。休み休み行くと言うノブハルの提案は、ラフィールにとって渡りに船となっていたのである。それからノブハルには内緒にしていたが、彼が地上に滞在している間にもゴースロス2番艦は惑星マールスを中心にデーターを取り続けていた。 「残念ながら、亜空間共振は観測できませんでしたね。流石に1万年前だと、共振現象自体が終わってしまったようです」 「それ自体、本当にあったのかも不明なんだけどね。今の所、亜空間共振でもなければ、直径18万光年の銀河でほぼ同時に融合現象が起きるとか考えにくいし……」  事前にインプットされた情報を思い出したエリカは、「だからかな」とエリーゼのことを思い出した。 「クレシアに教えられたんだけど、思いは時空を超えるらしいのよ。ミラクルブラッドを貰って、仲間の事が分かるようになったことへの説明なんだけどね。多層空間の向こうに居ても、ほとんど関係なく仲間を感じることができたわ。そのお陰で、コハクさんやアスカさんを助けることができたんだけどね」  そう言って左手を上げてみたのだが、その薬指にはミラクルブラッドは光っていなかった。エリカがしていたとされるミラクルブラッドは、今はパガニアに保管されていることになっていた。 「エスデニアが理解している高次空間より、更に上位の空間を認識している……と言うことですか?」  ラフィールの問いに、「多分違う」とエリカは答えた。 「多分だけど、私達が居る場所……と言う方が正しいのかな。存在の概念自体が違う場所と考えたほうが良いと思うわ。不思議なことなんだけど、私達は1千年と言う時間の経過を認識してないもの」 「でも、今現在の時間の経過は認識しているはずですよね?」  そうしないと、この会話自体が成立しなくなってしまう。ラフィールの指摘に、「今はね」とエリカは答えた。 「ゴースロス2番艦のAIとなった時点で、この空間での時間に対する認識が生まれたもの。それまではそうね、ただあったと言うだけかしら。記憶が定かではないけど、いくつかの世界をそこで見た気がするわ」  何かを思い出すように目を閉じたエリカに、「それは」とラフィールが声を掛けた。 「多分本当のことなのでしょうが……私では、説明をつけることができませんね」  小さく口元を歪めたラフィールに、「そりゃそうよ」とエリカは笑った。 「言ってる自分だって説明に困ってるんだもの。ただこれまでに起こったことやこれから起こることの情報は持っているはずなのよ。でも、その情報が意味を持った情報として私達の中で定着してくれない。何かのきっかけで形となるのだけど、そのきっかけがなにかも分かっていないんだもの」 「つまり、何も分かっていないのと同じ……と言うことですね」  あっさりと纏めたラフィールに、「そのとおり」とエリカは胸を張った。 「だから、物凄くもどかしいと言うのか。何かが喉の奥に引っかかった感じって言うのか。もやもやするところがあるのよ。そして自分の中で情報として定着すると、どうして思い出せなかったんだろうと不思議になるの」  このあたりと、エリカは自分の胸に手のひらを当てた。 「たぶん、この謎が解けることはないのでしょうね」 「私達では、仮説すら立てられませんね」  エリカの言葉を認めたラフィールは、「ただ」とトラスティのことを持ち出した。 「私は、我が君が一番真実に近いところにおられると思っているんです。確かめようはないのでしょうが、繰り返されたとされる世界の謎を解いてくださると信じているんです」  ここでと、ラフィールはエリカと同じように自分の胸に手を当てた。 「そのためにも、マールス銀河の謎を調べる必要があると思っています」  ラフィールの言葉に、「確かにそうね」とエリカもその必要性を認めたのだった。  ジェイドの軌道ステーションにたどり着いたところから、ノブハルは空間移動でワイハのビーチへと降り立った。そこでぐるりとあたりを見渡し、なるほどと大きく頷いた。 「確かに、海も空も綺麗だな」  コンドミニアムに降りれば、余計に歩く必要はなかったのだろう。それでもコンドミニアムから少し離れたところに降りたのは、南国リゾートと言うものをゆっくり見てみようと言う気持ちからだった。そして期待通りの景色に、大いに感心したと言うことである。  一方隣に寄り添っているはずのエリーゼは、相変わらずメルダに捕まっていた。そしてメルダは、初めて見る海に、「わあっ」っと歓声を上げていた。 「エリーゼさん、ほら水が透き通っていて綺麗ですよ」  こっちこっちと引っ張られたエリーゼは、一度ノブハルを見てからされるがままに着いていった。それをなんだかなぁと見送ったノブハルは、「あれがそうか?」と少し離れたところにある高層コンドミニアムを指差した。 「タンガロイド社の割に、割と普通の施設に見えるのだが……」 「会社の施設……だからなのかと」  エリーゼが引き離されたため、話し相手としてジノとサラマーが姿を表した。 「ちなみに、トウカ様達はヴィラ棟に泊まられているようです。それからトラスティ様は、コンドミニアム側の貴賓室……を使われているようですね。最上階の1フロアが貴賓室のようです。加えて、ペントハウスもその一分になっているようです」  アルテッツァを呼び出して情報を確認したサラマーに、「立場上理解はできるが」とノブハルは口にした。 「あんなに広いスペースが必要なのか? 建物の規模を考えたら、うちの家より確実に広いだろう」  どう使うのだと考えたノブハルに、サラマーは小さくため息を吐いた。シルバニア帝国皇帝皇夫と言う立場にいるくせに、考え方がやけに庶民じみていたのだ。ここに来る前にタブリースの屋敷を見ただろうと突っ込みたくなっていた。 「追加の情報です。トラスティ様の奥様方が、大勢集まられているようです。それを考えると、あれでも狭いのではないでしょうか?」 「トラスティさんの奥さん……」  そこでノブハルが考えたのは、その対象者が沢山いたことだった。 「いったい誰が来ているのだ?」 「少しお待ちを」  そう答えてから、サラマーはアルテッツァに呼び寄せられた妻達の情報を出させた。 「アリッサ様もおいでになられるようですね。メリタ様は商店会対応があるので残られ、メリタ様が残られたのでアルトリア様はどうするのか悩まれているようですね。従ってジェイド組からは、ロレンシア様、アルテルナタ様がおいでになられているようです。天の川銀河からは、あとはリゲル帝国皇女ミサオ様と幼馴染のアイラ様ですね。それからライスフィール様がお見えになっていて、ラピスラズリ様もおいでになられているようです。後は、グリューエル様、マリーカ様、ヤムントからアーコ様がおいでになられています」  そうやって名前を上げるだけで、10名もの妻が集まっていることになる。今更ながら、大勢いるなと思えてしまう数だった。 「他にも愛人の方もおいでなのですが……こちらは、まあ、IGPOのケイト様なんですけどね……どうやらリュースも来ているようです」  そこで少し嫌そうな顔をしたのは、前回のことを引きずっているからだろうか。 「後はカイト様、エヴァンジェリン様、リースリット様、ジークリンデ様もお出でのようです。こちらの皆さんは、別棟にある貴賓室を使われています」 「本当に、錚々たるメンツが集まっているのだな。つまり、それだけ落ち着いたと言うことか」  だから、区切りをつけるかのように大勢集まったのだろう。そう考えたノブハルは、「アクサ」と己のサーヴァントを呼び出した。  そこで「なに」と言って現れたアクサは、やはりと言うのか普通の格好をしていなかった。赤のビキニと腰のパレオは、トロピカルフラワー柄と合わせて南国リゾートには似合っているのだろう。 「うむ、俺達をトウカ達のところに連れて行ってくれ」 「つまり、お取り込み中のところに乗り込むと言うのね」  リョーカイと軽く答えたアクサに、ノブハルは「着替えでもしているのか?」と確認した。 「だったら、ヴィラのリビングあたりでも構わないのだが?」 「それだったら、着替え中とかシャワー中とか答えているわ」  だから本当に「お取り込み中」と言うことになる。その答えに、「なに」とノブハルは目元を険しくした。 「エリーゼの事があったから覚悟はしていたのだが……やはり、現実として突きつけられるのは気分が良くないな」  そこで怒ることができないのは、薄々気づいていながら全員を連れてきたからである。  だがノブハルの想像に対して、アクサは「もう少し複雑」と口元を歪めた。 「あんな感じの発展型……と言えば理解できるかしら?」  そこでアクサが指差したのは、エリーゼにまとわりつくメルダだった。  流石に意外だったのか、ノブハルは「なに?」と目元を引きつらせた。 「お、女同士……と言うのか?」  そのシーンを想像したノブハルは、頭に血が上ってくるのを感じていた。流石にまずいと頭を振ったノブハルは、「トラスティさんは?」と諸悪の根源の名前を出した。 「旦那様なら、アリッサさんとお部屋で朝食中よ」  「そっちにしておく?」と問われ、「その方が無難だ」とノブハルは頷いた。 「とりあえず旦那様から、歓迎するとの答えを貰ったわ。エリーゼ達も一緒につれていけばいいのよね?」 「流石に置いていくわけにはいかないだろう」  それをリョーカイと軽く答え、アクサは全員をトラスティの部屋へと飛ばした。さすがは貴賓室と言うこともあり、ダイニングの広さはノブハル達が押しかけても狭さを感じさせなかった。 「やあ、意外に早かったね」  そう言って笑ったトラスティは、「紹介してくれるかな?」とメルダの方を見た。 「うむ。アーベル連邦次期総統の側近タブリース氏のお嬢さんだ」 「め、メルダと申します」  流石に場をわきまえたのか、メルダはさり気なくエリーゼから距離をとっていた。そしていささか緊張気味に、トラスティに対して頭を下げた。 「トラスティと言います。そして隣りにいるのが、妻のアリッサです」 「アリッサです。はじめまして」  挨拶をしながら微笑む様は、流石に別格と思わせる美しさが有った。そしてその破壊力は、純粋アーベル人にも効果を発揮したようだ。青い肌を赤くして、メルダはアリッサに見とれてくれた。 「ところでノブハル君。朝食に付き合うぐらいはできるのかな?」 「さほど腹が減っていないと言うのが現実だな。その意味で言えば、俺とエリーゼは標準的な量なら付き合うことができる」  アオヤマ家の食事事情を知るトラスティは、その説明になるほどと頷いた。 「だったら、彼女にはお茶とお菓子をお出ししよう。それからサラマーさん……あとはジノ君だったかな。君達も席についてくれるかな? 一応、レムニア・リゲル帝国皇帝からのお誘いと考えてくれ」  立場を持ち出されれば、絶対に断ることのできないお誘いになる。「畏まりました」と答えた二人は、指定された席に腰を下ろした。それに合わせて、クリスタイプのアンドロイドがメニューを持って近づいてきた。  そのアンドロイドに1人前を超える量を注文してから、「落ち着いたと言う訳だ」とノブハルはアリッサの顔を見た。 「まあ、そう言うことだね。だからお礼を兼ねて、来られる奥さん達には集まってもらったよ」 「それなのに、ここにはアリッサさんしか居ないのだな」  これだけ広ければ、全員が集まっても余裕で収容できるはずだ。そのつもりで首を巡らせあたりを見たノブハルに、「今はね」とトラスティは微妙な答えを口にした。 「人に落ち着いたと言ってくれたのだが、それは君の方も同じなのだろう?」  そこでエリーゼを見たトラスティに、「そうだな」とノブハルはあっさりと答えた。 「いきなりここに乗り込んできたから、突っかかられるのかと思っていたよ」  そう言って笑ったトラスティに、「そのあたりは複雑だ」とノブハルは答えた。 「それでも言えることは、俺は今のエリーゼに魅せられている。悔しいが、それは認めざるを得ないだろう」  そこで隣を見たら、自分を見るエリーゼと目があってしまった。てっきりトラスティの方を見ていると思っただけに、ノブハルは内心しっかりと驚いていた。同じ立場の妹なら、あからさまにトラスティを見ていたのだ。 「それは、彼女の心のあり方の問題だと思うよ……あとは、君がようやく彼女の魅力に気づいたからと言うところかな」  だろうと、トラスティはアリッサに同意を求めた。  それに頷いたアリッサは、「とても魅力的ですね」とエリーゼを見た。 「ただトウカさん、セントリアさん、ウタハさん、フリーセアさんもとても魅力的だと思いますよ」  なぜかライラを外したのだが、あいにくノブハルはその事に気づいていなかった。 「メルダさんでしたね。宇宙を旅されジェイドにおいでになられた感想はどうですか?」  そしてこの中では、メルダは初めて迎える客だった。ホステスとして、アリッサは話の中に彼女を引き入れた。 「は、はいっ、その、初めてづくしで……まだ、実感が湧かないと言うのか」  少ししどろもどろになったメルダに、アリッサはノブハルを見て「ご予定は?」と尋ねた。 「実際、予定は有ってないようなものだな。とりあえずアザキエルに頼み事をしてきたから、その分析をして再度マールス銀河に乗り込もうと思っている」 「その間、メルダさんはどうされるのですか?」  予定も決めずにつれてくるのは、流石に迷惑なことに違いない。それを気にしたアリッサに、「学生ですから」とメルダは少し焦り気味に声を上げた。 「その、お邪魔でなければこちらに居させていただければとっ」 「邪魔と言うことはないんですけどね。退屈されないか。それが少し気になっただけですよ」  そこで微笑むアリッサを、メルダは頬を染めて見とれてくれた。やはりそちらが好きなのかと、ノブハルは宇宙の神秘を感じていた。 「ちなみに、アリッサは現在リハビリ中なんだ。だから、しばらくここに逗留して仕事をすることにした」 「リハビリが必要なのか?」  少し表情を曇らせたノブハルに、「あちらだと落ち着かないからね」とトラスティは笑った。 「ここだと落ち着くかと言うと……それも、微妙なところなのだろうけどね。少なくとも、今は落ち着いていないと言うのが実態かな。そして僕は、これから忙しくなる」  そこでため息を吐いたトラスティは、アリッサの顔を見てからもう一度ため息を吐いた。そしてエリーゼを見て、「体の方は大丈夫かな?」と尋ねた。 「そうですね。今は落ち着いた感じがします」  ありがとうございますと頭を下げたエリーゼに、「それは良かった」とトラスティは笑みを返した。  それだけを見れば、ただ単に体調を気遣ってくれたと考えることができるのだろう。ただどうしてと言う疑問が湧くのはおかしなことではない。 「なにか、体を気遣って貰うような事があったのか?」  そこで顔を見られたエリーゼは、「色々と」と言葉を濁した。 「俺には、言えないこと……と言うのか?」  明らかに顔に不機嫌さを出したノブハルに、「教えてないのかな?」とトラスティはエリーゼに尋ねた。 「お義父様とのことはすべてお話しましたよ。ただ、あのことはまだなんです」  それがどう言う意味か理解して、「教えてあげた方が良い」とトラスティはアドバイスをした。それを「そうですね」と受け止めたエリーゼは、「ノブハル様」と真剣な眼差しをノブハルへと向けた。  今度は一体何を教えられるのか。トラスティに抱かれたこと以上のことがあるのか、そのことにノブハルは身構えた。 「ノブハル様も、IotUが奇跡を「認識」で説明していたのをご存知だと思います。お義父様に、私はその一端を教えていただいたんです」 「……今、なんと言った?」  もっと凄いこと……主に性的な話を想像していたため、ノブハルはとっさにその意味を理解することができなかった。  そんなノブハルに、エリーゼは「認識で説明される現象です」ともう少し踏み込んできた。そして論より証拠と、両手を前に出して水を受けるようにした。 「お願い」  エリーゼがそう呟いたところで、手のひらの上に周りから光の粒が集まってきた。それは、スターライトブレーカーの時と同じ現象。世の中の光を、しもべとして従えたことに繋がる。 「え、エリーゼ、お、お前っ」  さすがのノブハルも、目の前の現象に動揺を抑えることはできなかった。何度も見たことはあるし、自分もアクサの力を借りて行ったこともある。ただそれをエリーゼがやってのけたとなると、感じるものは別物だったのだ。  椅子を倒して立ち上がったノブハルに、「これが認識と呼ばれるもの」とトラスティが説明した。 「正確に言うと、この世界の成り立ちを感じそれに干渉したと言うことだね。こればかりは、どうやっても今の科学では説明できないことだよ。ノブハル君、君もその入口に立っているはずなんだけどね」  ゆっくり立ち上がったトラスティは、そのままエリーゼの後ろに立ってその肩に手を置いた。そのときエリーゼの浮かべた誇らしげな顔が、癪にさわる以上に綺麗だなと思えてしまった。 「彼女は、君を追いかけてシルバニアに行っただろう。それも、認識で説明を誤魔化された方法で可能なんだよ。クレシアに言わせると、思いは時空を超えるらしいんだけどね。それだけ彼女は、君に対して強い思い……愛していると言うことなんだよ」  エリーゼから光を取り上げたトラスティは、「ほら」と言ってノブハルの方へ投げ渡した。  ただ今のノブハルは、トラスティ達の認識についてはいけない。慌てて受け止めようとしたのだが、集められた光はノブハルの手のひらで弾け飛んでしまった。  光の弾けた光景を愕然と見つめたノブハルに、「これが理由」とトラスティは答えた。 「新しい世界に目覚めたからと言って、手放しに喜ぶことはできないと思うんだ。何しろ、どんな影響がでるのかわからないからね。だから、体に異常がないかを確かめたんだよ」  分かったかなと肩を叩かれたノブハルは、我に返って隣りにいるエリーゼを見た。 「ちなみに、これは彼女にしか伝えていないからね。今現在この世界を理解できるのは……そうだね、ライスフィールとアリッサぐらいだろうね」 「あ、アリッサさんも、なのか?」  ゴクリとつばを飲み込んだノブハルに、「先日の件があってね」とトラスティは笑った。 「僕が一体化したのが理由らしいんだけどね。そのときに、認識……を理解したらしいんだよ」  ただと口にしてから、「ライスフィール」ともう一人の妻の名を呼んだ。それに答えるように、「こちらに」と首の詰まったワンピース姿のライスフィールが現れた。 「認識を得たからと言って、いきなり何でもできるようになるわけじゃないんだ。だからライスフィールに、エリーゼさんを指導してもらった」  そこまで説明をしてから、「どこまで進んだ?」とトラスティは尋ねた。 「実は、ほとんど進んでいないと言うのが答えですね。筋は良いのですが、やはり魔法と言うのは理解が難しいと思います。ですから、一番大技で、本人の希望に沿う使い方を教えたと言うのが答えになります」 「それが、空間移動と言うことか……確かに大技だ」  トラスティの決めつけに、ライスフィールはゆっくりと頷いた。 「そうですね。自分が行きたい場所をしっかりと思い浮かべられ、そこにつなげることができれば、どれだけ離れていても瞬時に移動できますからね。ある意味、大技中の大技と言っても良いかもしれません。それを会得できた……と言うのか使えたのは、エリーゼさんのノブハル様への思いがあったからだと思いますよ」  そう答えたところで、ライスフィールはそこに異物が居るのに気がついた。 「あなた、こちらの方は?」  視線の方を見ると、借りてきた猫になっていた肌の青い女性が座っていた。 「ああ、ノブハル君のお客さんだよ。惑星アーベルから来たメルダさんだ」  紹介されたメルダは、慌てて立ち上がって「メルダです」と頭を下げた。それに笑みで答えたライスフィールは、名前を名乗ってからトラスティの隣に腰を下ろした。 「いきなりこんなことを教えてよかったんですか?」 「別に、騒ぐほどのことじゃないと思っているんだけどね。そもそも君が魔法を使えることは、超銀河連邦の中では有名なんだよ」  大したことじゃないと笑ったトラスティは、「驚いたかな?」とメルダに尋ねた。 「その、まだ現実かどうか理解できなくて……と言うか、理解が追いつかないと言うのか」  そこで少しだけ考えたメルダは、「科学的にも同じことができますよね?」と確認した。その問いかけに、トラスティは頷いて肯定した。 「似たようなことならね。ただ光を集めることは、未だ科学的には実現できていないんだ。これを大規模に行うと、戦争にも介入できるんだよ。確かノブハル君は、アーベル連邦軍の説得にも利用したはずだよ」  だろうと問われたノブハルは、「カイトさんにデモをして貰った」と答えた。 「空間移動なんて、確かに技術的には様々な方法が確立しているね。それを考えれば、エリーゼさんができる空間移動も、その仲間には違いないんだ。ただ距離の制限とかが無い代わりに、安定した移動が難しいと言うデメリットがあるね。もう一つ言えば、多少疲れるってところかな。実際魔法でできることの多くは、科学的にも実現できているんだよ。物理現象に落とし込んだ時点で、科学的手法で代替できると考えて良いのだろうね」  そう説明してから、トラスティはノブハルを見て「これはヒント」と笑った。 「ヒントって……なんのヒントなんだ?」 「それを考えるのも、君の役目だと思うよ」  答えをはぐらかせたトラスティは、「昨夜はどうだったかな?」とライスフィールに尋ねた。 「とても可愛らしかった……と言うのがお答えになりますね。アルテルナタさんが、猫可愛がりするのも理解できた気がしました」 「なかなか顔を出さないところを見ると、ほかもうまく行ったのだろうね」  明らかに安堵を浮かべたトラスティに、なんのことだとノブハルは尋ねた。 「いや、なに、流石に僕の負担が重くてね。だから、助けを呼んだ……まあ、そんなところだよ」  また答えをはぐらかせたトラスティは、「ルリ」とルリ号のAIを呼び出した。ただそれに答えて現れたのは、ルリではなくエリカの方だった。 「あれっ、ルリはどうしたのかな?」 「ルリさんは、ちょっとお取り込み中なのよ。何しろあの子は、無類のおっぱい星人だから」  はあっとエリカが息を吐いたところで、「人のことは言えないと思うわ」とルリが現れた。 「あなただって、無類のおっぱい星人じゃない!」 「君達二人がおっぱい星人と言うのはどうでもいいんだけどね。ノブハル君の奥さんたちに、彼が来たことを伝えてくれるかな?」  呆れた顔をしたトラスティに、ルリは「もう伝えた」と答えた。 「だから今、慌てておめかし中よ」  なるほどねぇとトラスティが納得したところで、「準備はできたようね」とルリは笑った。そしてそれに遅れて、トラスティとノブハルの妻達が空間移動で送られてきた。そのお陰で、いきなりダイニングの人口密度が上がってしまった。ちなみに送られてきた中には、ナギサとリンも含まれていた。 「フリーセア、お前も来ていたのか?」  トウカやセントリア、ウタハが居るのはジェイドに連れてきた以上おかしなことではなかった。だがどういう訳か、クリプトサイトに居るはずのフリーセア女王までジェイドに来ていたのだ。それに驚いたノブハルに、「ご主人様の命令ですから」とフリーセアは黒のチョーカーに指を触れた。 「ラピスラズリ様に空間ゲートを用意していただきました」  それを使えば、どれだけ離れていても歩いて移動することができる。あっさりと事情をばらしたフリーセアは、「とても素敵な時間でした」と隣に立つ姉アルテルナタを見た。 「そ、そうか、なら良いのだが……」  今まで以上に艷やかなフリーセアにドギマギしながら、ノブハルは他の妻達の方を見た。勘違いでなければ、トウカ達も普段とは違う艷やかな空気を感じさせていた。 「全員集まったから、これからの予定を教えよう。アリッサはここから動けないから、用があるときにはここに来てくれないか。それから僕も、原則的にここに居るつもりだ。まあ、短い時間ならどこにでも付き合うけどね。それぞれ、好きにのんびりしてくれればいいよ。後、夜はお客さんの歓迎パーティーをすることにした。だからみんな、着飾る必要はないけど少しおしゃれな格好をして集まってくれないかな」  以上と全員の顔を見たトラスティは、「とりあえず解散」と声を掛けた。  その際不思議だったのが、トラスティの妻達が誰一人としてダイニングに残らないことだった。そしてそれ以上に不思議なことは、ノブハルの妻達も彼を置いて居なくなったことだ。そのためダイニングに残ったのは、トラスティとアリッサ、ノブハルとエリーゼ、それからメルダとナギサの6人だけだった。 「ナギサ君は仲間はずれになったのかな?」  自分が残ったことを気にしたトラスティに、「僕は別口で」とナギサは妖しく笑った。 「アーベル連邦からのお客さんに興味があった。そう思ってくれて結構ですよ」 「確かに、珍しいお客さんには違いないね」  分かるよと答え、トラスティはナギサにも椅子を勧めた。  ナギサが座ったところで、トラスティは「成果は?」とノブハルに尋ねた。わざわざゴースロス2番艦まで貸し出したのだから、その報告があって然るべきだと考えたからである。  その質問に、「色々と」とノブハルは答えた。 「マールス銀河の方は、とりあえず頼み事をしてきたレベルだな。とりあえず間引き対象10万のリストは貰ったが、パラケオン21と32の共通性、特殊性は今の所分からずじまいだ。加えて言うと、10万のリストがどうやって作られたのかも分かっていない。だからそのあたりの調査を頼んできた」  そこでメルダの顔を見て、「後はお客さんを連れてきたぐらいだ」とアーベル連邦の話を終わらせた。 「シルバニア帝国の方だが、まああちらは散々だったな。ゴースロス2番艦1隻に、20万隻の艦隊が蹂躙されてしまったのだ。わずか5時間で、全艦が撃沈判定されてしまったんだからな。加えて言うと、わずか5分でアルテッツァも機能不全に追いやられた。それに比べれば、体当たりで要塞を貫いたことや、リトバルトのマネごとに驚かされた……と言うか、自分で行った光速を超える攻撃を追いかけて受け止めるたことは大したことはないだろう。まあ、非常識には違いないのだがな」 「蹂躙しろとは命じておいたけど……」  ふっと息を吐いたトラスティは、「限度はあると思うよ」と困った顔をした。 「それで、シルバニア帝国側の反応は?」 「それなんだがな」  そこで言葉を切ったノブハルは、「意外に悪くない」とトラスティの予想とは違うことを口にした。 「確かに、20万隻が撃沈判定されたときには唖然としていたがな。その後の懇親会や技術者の議論で、レムニア帝国の懐の深さを教えられたのだ。双方有意義な議論ができたと、かなり好評だったのではないか。まあ、アルテッツァについてはさじを投げたのだがな」 「さじを投げたのかい?」  それはそれはと笑ったトラスティは、「アルテッツァ」とシルバニア帝国のAIを呼び出した。 「はい。お呼びでしょうか」  普段とは違い殊勝な態度で現れたアルテッツァに、「完敗だったのかな?」とトラスティは尋ねた。 「結果が出た以上、それを否定することはできないと思います」  素直に負けを認めたアルテッツァに、「対策は?」とトラスティは尋ねた。 「正直申し上げて、思いつかないと言うのが答えになります」 「随分自信をなくしたものだね」  苦笑を浮かべたトラスティは、立ち上がってアルテッツァの後ろに立った。そして後ろから抱きかかえるように腕を回し、振り向かせるようにして唇を奪った。 「流石に、それは非常識と呼ばれるものではないのか?」  うっとりとしたアルテッツァと言うのもおかしいが、それ以上におかしいのがトラスティのしたことだった。どうして実体の無いAIのアバターに干渉できるのか。流石にそれはないだろうと、ノブハルとしては言いたかったのだ。 「言っただろう。これも認識で説明がつくことなんだよ」  また後でとアルテッツァに声を掛けたトラスティは、彼女が消えるのを見てから「ヒナギクに教えられた」と答えた。 「ちょうどノブハル君の家に泊まりに行ったときのことだね。彼女がアルテッツァの姿を借りて、僕に色々と教えてくれたよ。そのお陰で、クリスタル銀河では「神」……ミラニアの存在に迫ることができたんだ」  IotUの残したもののことを避け、トラスティはヒナギクに教えられた事実だけをノブハルに伝えた。 「そのお陰で、僕はアリッサを助けることができたんだ」  そこでエリーゼを見たトラスティは、「君にもできるね」と確認をした。 「自信はありませんが……ただ目で見た以外にもアルテッツァさんの存在を感じることができました。干渉できるかどうかは、本当に試してみないとわからないと言うのか……」  そこで少しだけ考えたエリーゼは、「アルテッツァさん」ともう一度アルテッツァを呼び出した。そして「なんでしょう」と現れたアルテッツァに、「握手してください」と右手を差し出した。 「私には実体がないのですけどね……」  そう言って苦笑を浮かべたのだが、次の瞬間その顔は驚愕に彩られた。まるで実体があるかのように、エリーゼがアルテッツァの手を握ってくれたのだ。そして後ろから近づいたアリッサが、ゆっくりとその体を抱き寄せたのである。  その時感じた暖かさに、アルテッツァは「ああ」と感嘆の声を漏らし瞳からは涙が一筋流れ落ちた。 「なにか、初めて経験するぬくもりなのです」  そう口にしてから、アルテッツァは瞳を閉じてアリッサに身を任せた。  その光景をじっと見つめたノブハルは、「ヒントと言ったな」とトラスティを見た。 「ああ、確かに言ったけど?」  それでと促され、「次はエリーゼを連れて行く」とノブハルは答えた。 「エリーゼなら、大融合の予兆を感じ取れると言うのだろう?」 「それだけだと答えとしては不足だね。彼女なら、大融合から君達を守ることができるんだ。たとえ間違って巻き込まれたとしてもね」  それが答えと明かしたトラスティに、「そこまでなのか」とノブハルはエリーゼの顔を見た。  ノブハルに頷いたトラスティは、「彼女は話について来られるのかな」とメルダを見て尋ねた。 「これから、何がマールス銀河で起きたのか。ここまで得られた情報からの仮説を説明しようと思っているんだ」 「すでに、そこまで達していたのか……」  流石だなと感心したノブハルは、メルダの顔を見て「聞かせた方が良いだろう」と答えた。 「消化できるかは分からないが、やはり彼女の生まれた銀河のことだからな」  だから聞かせたほうが良いとの答えに、「君はどうなんだい?」とトラスティは尋ねた。 「私達の銀河で起きたこと……ですか?」  ごくりとつばを飲み込んだのは、大変なことになったとの思いからだろう。そもそもノブハルに連れてきてくれとせがんだのも、ミーハーな気持ちからだったのだ。 「い、今更、聞かないと言う訳にはいかないと思います」  はっきりと緊張したメルダに、トラスティは小さく頷いた。そして「基礎の基礎」と、自我領域から説明を始めた。 「実は、僕たちの銀河……つまり、この銀河にあるアスと言う星で、約1千ヤー……君達の言い方で1千年前に大融合と言う現象が起き、生けるものすべてがその形を消失すると言う事件が起きたんだよ。その後幸運にもこの世界に復帰することができたから今があるのだけどね。そしてその大融合と言う現象は、遠く離れた別の銀河にある星も巻き込んだんだ。その意味は、今深く考える必要はないよ。ただ、そう言うことがあったことだけを覚えてくれればいい」  いいねと問われ、メルダは真剣な表情で頷いた。それを確認してから、「これを見てくれ」と宇宙から見たアスの映像を見せた。 「画像の下の方が赤くなっているだろう? これは、大融合の前に起きた事件の名残なんだよ。1千年の時を経ても、まだこうして名残が残っているんだ。さて、これを見てなにか気づくことはないかな?」  どうかなと問われたメルダは、「マールスの海」と答えた。 「本当に同じかどうかは分からないわ。でも、惑星マールスの海に似ていると思う」 「ノブハル君も同じ見解かな?」  どうかなと問われ、ノブハルは「ああ」とその問いかけを肯定した。 「アス、エスデニア、そしてパガニアで同時発生した大融合なんだけど、巻き込まれた者の証言は取れているんだ。ある日突然……その人は死んだお母さんと言っていたね、大切な人が目の前に現れるんだ。そして次に気づいたときには、気を失って裸で倒れていたそうだよ。その間に何が起きたかの記憶を、誰一人として持っていないのも同じだった。それどころか、時間の経過さえ感じることができなかったんだ。そしてユウカの情報によれば、復帰まで10年の時間がかかっているんだ。それが、アスを発生源とした大融合と言う現象なんだ」  それはいいかと問われ、ノブハルは「外から見たと言ったな」と尋ねた。 「つまり、もっと踏み込んだ情報があると言うことだな?」 「ああ、巻き込まれた人からの情報があるからね。しかも、かなり核心に近い位置に居た人の情報があるんだ」  核心に近いと言われ、「そんな証言があるのか?」とノブハルは目線を厳しくした。 「すでに、1千ヤーも昔のことだぞ。アルテッツァからは、そんな話を聞かされていない」  本当にあるのかと問われ、トラスティは「クレシア」と己のサーヴァントを呼び出した。「我が君」と答えて現れたのは、綺麗な金髪碧眼をした美女と美少女の間にある美しい女性だった。 「彼女が、IotUの妻だったと言うのは知っているだろう? そして彼女は、アス……彼女にとっては地球と言う星なんだけどね。彼女の祖父が、大融合に関わっていたんだよ」 「だとしたら、やけに都合よくあなたのデバイスになったのだな」  すかさずなされた指摘に、「誰の差し金なのだろうね」とトラスティは口元を歪めた。 「もともと大融合と言うのは、エスデニア……この場合はエデンと言った方がいいのだろうね。地球の人々を一時的に退避させる方法だったのだそうだよ。その頃エデンは、パーガトリー……つまりパガニアなのだけど、長い戦争状態にあったんだ。その戦争に決着をつけるためには、地球を戦場にする必要があったんだ。ただ両者の戦争に巻き込まれたら、地球の生物は絶滅を免れなかった。だからエデンの役職者……アンバー氏は、地球の生物を保管することを考えた。その方法こそが、大融合と呼ばれる方法だったんだよ。だが準備をすすめる中の手違いで、大融合の仕組みが暴走して地球の南極部分で大爆発を起こしてしまった。そのためエデンの内部は混乱に見舞われ、地球の生物を保管することを諦めたんだよ。その混乱が収まったところで、エデン議長サードニクス氏が地球との融和を持ち出した。ただ強硬派は、文明の劣る地球との融和に反対をしたんだ。そのためサードニクス氏は、地球の人類に試練を与えた。それが君も知っている、IotUの活躍へと繋がるわけだ。ただその戦いの中、地球の人類のごく一部……クレシアの祖父達は、融合現象に別の意味を求めたんだよ。そしてエデンとの戦いの中、自らの手で融合現象を起こそうとした。その目的は、霊的な意味で人類の階梯をあげると言うものだったんだ。さて、どこかで聞いたような話だとは思わないかな?」  黙って聞いていたノブハルは、トラスティの問いに「マールス人のことか?」と聞き返した。それに頷いてから、「結局はうまくいかなかった」とトラスティは話を続けた。 「クレシアの祖父、そしてIotUの父親、そしてIotU自身……様々な要素が合わさり、融合現象は思いも寄らない結果を招いたんだよ。そしてエデンとパーガトリーは、機動兵器の共振現象によって地球で起きた融合現象に巻き込まれた。そこで生物は、固有の形を失い「なにか訳の分からない」存在となってしまった。恐らくIotUが鍵となったのだろうけど、約10年後に生物してその姿を取り戻した。それは、奇しくもアンバー氏が計画した、生物を保管する計画と同じ意味を持っていたんだ。その話を聞いて、僕は考察し一つ仮説をたてることにした」  そこで言葉を切ったトラスティは、一度メルダの顔を見てから「大融合からの復帰なのだけどね」と話を続けた。 「その時に取る姿は、一体どうやって決められるのだろうかとね? 失った姿を、そのまま取り戻したのだろうか。それとも、全く別の姿を与えられるのだろうか?」  どう思うと問われたノブハルは、「難易度から考えて」と口にしてから、「元の姿だろう」と答えた。 「全く別の姿を取るためには、その姿の情報が必要となる。誰がどうやって復帰のプロセスを遂行したのかは分からないが、別の姿を与えるのは難易度が高いはずだ」  ノブハルの意見に、「初めはそう思った」とトラスティは答えた。 「確かに、新しい姿を創造するのは難易度が高くなるね。でも、統一した姿を与えるのなら、話が変わってくると思わないか? 同じモデルをコピペするのなら、オリジナルを復元するのよりも易しいとは思わないか?」 「確かに、それならば難易度はグッと下がるな……」  トラスティの言葉を認めたところで、「ちょっと待て」とノブハルは右手を上げて遮った。 「マールス銀河の知的生命体の姿がすべてヒューマノイドなのは、それが理由と言うことなのか?」  大声を上げたノブハルに、トラスティは小さく頷いた。 「あくまで仮説に過ぎないけどね。そもそも、どうやって18万光年の広がりを持つ銀河広くに大融合現象を起こせるのか、そしてどうやって姿を取り戻すトリガを与えたのか。その方法がまったく想像がつかないんだよ」  だからかなりこじつけになってしまう。そのトラスティの言葉を聞きながら、ノブハルは自分の中で今の仮説を展開した。 「俺達が最初に惑星アーベルに行った時のことだ。マールス人が種を撒いたとされた時、もともと居た生物はどうなったのかを問題にした。そしてどうして古代の遺跡が残っていないか……正確には、滅ぼされた文明の遺跡が無いことに疑問を感じていたんだ。だが今の仮説を用いると、その説明がつくことに気づいてしまった。もともと居た生物は、滅ぼされたのではなくただ単に姿を変えただけなのだと。そして今まで使っていた建物は、そのまま新しい姿でも利用された。それを考えれば、滅ぼされた文明の遺跡など存在するはずがない。かなりの辻褄が、今の仮説で合うと言うことになる」  明らかに興奮気味のノブハルを、トラスティは少しだけブレーキを掛けた。 「それにしたところで、これまで得られた知識からの後付とも言えるんだよ。だから、仮説と現実が整合するのも、そうなるように考えたから当たり前でもあるんだ」  興奮したノブハルを落ち着けるように、「まだまだ不足だと」トラスティは告げた。 「そもそも、どうやって広い銀河で融合現象を起こすことができたのか。そして誰が、復帰する姿を含めて復帰のトリガを与えることができたのか。そのことについては、仮説すら立てられない状況なんだ。そして今の仮説にしても、検証してこそ意味のあるものになる。そうじゃなきゃ、ただの妄想になってしまうんだよ」  だろうと言われ、「確かに」とノブハルはその事実を認めた。仮説は立てて終わりではなく、検証されて初めて意味を持つのだと。 「だが、パラケオン21で融合現象が発生したのだ。そして同じ現象がパラケオン32で起きることも分かっている。それで打ち止めでなければ、この銀河には融合現象を起こす何かが潜んでいることになるはずだ。それを見つけ出すことができれば、仮説の検証になるのではないか?」  きっとそうだと力説したノブハルに、「それを期待している」とトラスティは答えた。 「それからこの仮説の鍵なんだけど、融合現象を起こすのに超文明は必要とされないんだ。何しろ1千年前の地球、つまりアスでも起こすことができたのだからね。その頃のアスの科学技術は、衛星までしか到達できていなかったんだ。それを考えると、必要な道具さえ用意できればさほど文明が進んでいなくても融合現象を起こすことができることになる」 「その、必要な道具と言うのが曲者に思えるのだがな」  そう指摘したノブハルは、「意味は理解できる」と続けた。 「惑星マールスに、融合現象の鍵となる物が残っている可能性がある訳だ。ただ、それがなにかは全く分からないのだがな」  手がかりすらないと苦笑したノブハルに、そうだろうかとトラスティは疑問を呈した。 「エルマーではリシンジだったかな。彼が使役した「鬼」は、エスデニアの持っている機動兵器と似ているんだ。そして地球での大融合は、その機動兵器が使われたんだよ。超銀河連邦に所属する多くの銀河で、似たような伝承が残っている……確か、それを教えてくれたのは君だったよね?」 「確かに、以前そんな話をした記憶はあるな……」  んんと考えたノブハルは、「難易度が高すぎるな」と難しい顔をした。 「だが、色々なものが繋がってきた気がするのは確かだ」  うんと頷いたノブハルは、「着いてきてくれるか」とエリーゼを見た。 「ノブハル様は、私に命じてくださればいいのですよ」  そう答えたエリーゼに、「それは違う」とノブハルは返した。 「俺達は夫婦と言う意味で対等の関係なのだ。だから俺は、お前にお願いをする」  頼むと頭を下げられたエリーゼは、「喜んで」と花が咲いたような笑みを返した。 「でも、トウカさん達に恨まれそうな気がしますね」 「そのあたりは、俺の口から説明すればいいだろう」  そんなことは気にするな。ノブハルの言葉に、「おまかせします」とエリーゼは返した。 「ええっと、割り込んで悪いんだけど……」  そこで遠慮がちに口を挟んだメルダは、「私は何をすればいい?」とノブハルに尋ねた。 「お前に期待することか……」  何があるだろうと考えたノブハルは、そうだとばかりにぽんと手を叩いた。 「惑星マールスを調べてもらえないか? お前達の銀河の聖地に、よそ者が土足で乗り込むのは宜しくないだろう。無理なら仕方がないのだが、巨大な石像とかないかを調べてほしい」 「惑星マールスは上陸制限があるんだけどね……」  できるかなと考えたメルダは、「考えてみる」ととりあえず保留することにした。 「前の総統……サキエル様が移住されているはず。慰問に行くと言う口実が立たないか調べてみるわ」 「うむ。俺は、別の惑星で融合現象の鍵を探してみよう」  その調査が進むことで、マールス銀河の謎に迫ることができる。面白いことになったと、ノブハルは知的好奇心を滾らせたのだった。  アザキエルから送られてきた情報で、ノブハルは潜入調査の地をパラケオン2500。現地名でニヴェアを選ぶことにした。その選択理由は、適度に文明が発達していることと、次の次ぐらいに間引きの対象になっていたことだ。そしてもう一つ、移民が入り込んでいるので、潜り込んでも目立ちにくいと言うのも大きかった。  ちなみにジェイドからアスまでは、ルリ号を使用した。もともとルリ号の母港はルナツーだし、今回わざわざ持ち出したと言う事情があったのである。  ルリ号を使ったお陰で、隣の家に行く程度の時間でたどり着くことができた。その時の問題は、宙域管制に多大なる迷惑をかけたことだろう。当たり前のことなのだが、ルリ号は他の艦艇と違ったルールで動いていたからだ。 「やはりローエングリンは落ち着きますな」  アスでローエングリンをピックアップしたところで、コスワースは心からの感想を口にした。 「まあ、慣れ親しんだ船だからな」  その気持は分かると苦笑したノブハルは、「刺激が強すぎたのだろう」とコスワースに指摘した。 「それを否定する言葉を持っておりません。確かにゴースロス2番艦、ルリ号の旅は刺激的だと思います。ただあまりにも刺激的過ぎると、流石に疲れてしまうと言うのが正直なところです」  ノブハルに答えたところで、「お知らせです」とアルテッツァが現れた。 「アス駐留軍司令、ジュリアン・イスマル中将閣下から招待状が届いています」  いかがなさいますかと問われたノブハルは、「忘れてた」と少しだけ口元を歪めた。 「マールス銀河からお客さんも連れて来ていたな。ならば、是非ともアスも見て貰うべきだろう」 「確かに、アスは超銀河連邦の象徴と言えるでしょう」  ノブハルの言葉に頷いたコスワースは、「乗員に休息を取らせます」と上申した。 「確かに、ルリ号で同行した者達は休み無しだったな」  それを思い出したノブハルは、「許す」とコスワースに許可を与えた。 「これからの調整次第なのだが、神殿に顔を出していこうと思っている」 「エイシャ様に依頼をすれば、少人数であれば割り込めますな」  了解しましたと答え、コスワースは艦内に通達を出した。2日間の休暇と言うのは、意外に好意的に受け止められた。留守番組はまだしも、同行した者達には刺激の多すぎる旅だったのだ。  それからシャトルで地上に降りたところで、ノブハルはジュリアンの出迎えを受けることになった。「意味のある旅でしたか」と頭を下げたジュリアンに、「大いにな」とノブハルはエリーゼの顔を見た。  そこでエリーゼを見たジュリアンは、なるほどと大きく頷いた。 「エイシャから、神殿の方はいつでも良いとの連絡を貰いました」  どうなさいますかとの問いに、ノブハルは頷いてから一人の女性をジュリアンに紹介した。年の頃ならエリーゼと変わらないのだが、その女性の肌は綺麗な青色をしていた。ただはっきりとした目鼻立ちといい、自分達の美的感覚で言えば美しい顔をしていた。 「アーベル連邦次期総統側近のお嬢さんで、メルダさんだ」 「め、メルダです」  はっきり緊張したメルダに、ジュリアンは撃墜王としての顔を見せた。とても魅力的な笑みを見せ、「ジュリアンです」と右手を差し出した。その手を緊張しながら握ったメルダを見て、「肌の色は関係ないのか?」とノブハルはどうでもいいことを考えていた。  「それではこちらに」とゲストを立てたジュリアンは、歓迎用の応接へと一行を案内したのである。  人口12億を抱える惑星ニヴェアのうち、2億がナークドと陰で言われる移民となっていた。彼らナークドの正体は、アーベル連邦の攻撃により故郷を追われた者達である。現在ニヴェアに住むナークドと言われる住民は、近傍星系5つからの移民で構成されていた。  ザクセン=ベルリナー連合の方針は、間引き対象とされた星系住民は可能な限り救出することだった。そのため、加盟星系に対して移民の受け入れを義務付けた。その移民を受け入れる代わりに、受け入れた星系が攻撃を受けた際の支援と、いざと言う時には難民としての受け入れを保証したのである。そしてニヴェアも、その方針に従って移民を受け入れたと言うことである。  惑星ニヴェアの体制は、一つの統一政府の下にエリアと言う行政府が150存在していた。多いところで1千万超、少ないところで500万と言うのが一つの行政単位とされたのである。そのほとんどがナークドで占められた行政府もあったが、その長官には例外なくオリジナルのニヴェア人が任命されていた。  背が高く細身で褐色のざらついた肌をしたオリジナルのニヴェア人は、どことなく爬虫類的な印象をもっていた。そのあたり、光の調整に虹彩が細く縦筋状になるのが理由なのだろう。その一方で、ナークドは色こそバラバラだがいずれもなめらかな肌を持っていた。そして特徴的な虹彩も、丸を基本としていたのである。  人口的に少数で、なおかつ移民のナークドは惑星にヴェアにとって厄介者で、差別の対象となっていた。そしてナークドの住民達は、ニヴェアでの生活に言い知れない不自由さを感じていたのだ。 「おっ、問題児の登場だな」  お〜い問題児の声が聞こえる中、リッカはその声を気にせず教室の中へと入っていった。そしてかばんを机の上に置くと、どっかりと椅子に腰を下ろした。そこまでしてから、ギロリと声のした方を睨みつけた。 「成績問題児に言われたくないわっ」  ぐさりと相手の弱みを抉ったリッカは、ぐるりと教室の中を見渡した。当たり前だが、いつもと特に変わらない様子を見せていた。  机の上に置いたかばんを床に置き直してから、リッカは机の上に表示された今日の予定を確認した。優等生のつもりでいるリッカだから、学習の進捗状況に問題は生じていない。表示されたメッセージには、もう少しペースを落とした方が良いとのサジェストが出ていたぐらいだ。  それを綺麗サッパリ無視して、リッカは自分の目標に従って今日の教科を開始した。まだ教室の中は騒がしいのだが、まるで誰も居ないかのように自分の世界へと入っていったのである。  それだけ自己学習でカリキュラムが進むのなら、普通は家庭学習を採用するところだろう。だがニヴェアの、特にナークドの住む地域では、年頃の子供は学校へと集められていた。それは集団授業行うためと言うより、相互監視を目的としたものだった。  自己学習を初めて10分が経過したところで、リッカは誰かの妨害を受けた。教材を頭に叩き込んでいたら、その画面に誰かのお尻が置かれたのだ。ズボンでなくスカートの事実からすると、邪魔をしてきたのは女子生徒と言うことになる。 「アカネっ、そう言う邪魔はやめなさいってお願いしていたはずよ」  ただいつものことと、リッカは文句を言いながら教材表示を中断した。そして顔を上げて、不埒な真似をした友人を睨んだ。  ただ文句を言われる方も慣れたもので、睨まれることを気にもしていないようだ。顔を上げたのを幸いと、「今日の午後だけど」とリッカに話しかけてきた。 「ユータ達を誘って、ベルグに行かない?」 「ベルグに行くのはいいけど……なんでユータ達を誘うの?」  少し首を傾げたリッカに、アカネは呆れたとばかりに大きくため息を吐いた。 「なんでって……私達、仲間でしょ?」 「仲間って言われても……あまり実感がないんだけど」  そこで少し考えてから、「まあいいか」とリッカは気にしないことにした。 「別に、忙しいわけじゃないから構わないわよ」 「なんか、友達甲斐のない言い方ね」  困ったものだと嘆いてみたが、相手にされなければ意味のあることではない。はあっと息を吐いたアカネは、机から降りて「あとで連絡する」と言って教室を出ていった。その後姿を見送ってから、リッカは小さく息を吐いてカリキュラムをレジュームした。  それから10分ほどカリキュラムを進めたのだが、今度は自分から学習を中断した。そして「学校」の端末から、学外のSNSへとアクセスをした。通常ならブロックされている学外SNSなのだが、ブロック回避自体はさほど難しいことではない。長ったらしいはずの手順をバッチで終わらせ、リッカはとても「胡散臭い」SNSへの世界へと入っていった。 「アーベル連邦の新しい情報は出てこないか」  ふっと息を吐いたのは、エリーゼに言われたことを思い出したのだ。 「ちょっと成績がいい程度じゃ、特別ってことはなにもないか……」  移民で行くのならアーベル連邦と言ったら、「受け入れてもらえるの?」とエリーゼに言われてしまった。いくら自分がいいと思っていても、相手にとって価値がなければ受け入れて貰えないと言うのである。考えないようにしていたことだが、エリーゼに指摘されて改めて思い知らされたと言うことだ。 「それぐらいのことは分かっているんだけどさ。でもねぇ……」  このどうしようもない閉塞感をなんとかしないと、心が押しつぶされてしまいそうなのだ。移民船で他の惑星に移ったとしても、そこの生活が今より良くなるとは考えられない。そしてアーベル連邦の攻撃がなくなったとしても、今の閉塞感が和らぐことはあり得なかったのだ。  その意味で言えば、アーベル連邦への移住には夢があった。だがその手段を聞かれたら、どうしようもないと言う現実を突きつけられてしまった。 「何かないかなぁって……かと言って、胡散臭い集団に交じるつもりはないしぃ」  学外SNS、しかも結構危ない世界を覗いているせいで、マッチング広告には各種啓発業者の広告が表示されてくれる。それに加えて、怪しいセミナーの案内まで紛れ込んでくる始末である。 「なによ、この精神世界への道って……神へ至る道って、頭が湧いているとしか思えないわ」  表示された広告の中で、とりわけ色使いのおかしいものにリッカは文句を言った。「アニマ」と銘打たれたセミナーは、修行により己の存在を高次元へと昇華させることを目的としていた。その団体のトレードマークは、ひっくり返した二等辺三角形の7つの目が書かれていたものだった。ちなみに左側に3つ、右側に4つ配置されていた。 「原罪による人類の欠陥を補い新たに完全な生物として神への道を歩むって……頭が逝っているとしか思えないわねって言うか、いまどきこんな宗教じみたのは流行らないわよ」  はあっと息を吐いたリッカは、SNSのブラウザから不要な情報を消去することにした。おかしな閲覧情報、書き込まれたワードのせいで、逝ってしまったセミナーがヒットしたと考えたのだ。 「やっぱり、定期的に掃除をしないとだめね」  ぽちぽちと必要なラジオボタンを押して、リッカはブラウザの清掃を完了させた。それから何か表示をさせようと指を動かそうとしたところで、「やめた」とため息を一つ吐いてブラウザを閉じた。 「こんなことをしていても、何かが解決する訳じゃないし……努力って言っても、間違いなく方向が違うわ」  そこでため息をもう一度吐いて、リッカは端末自体をシャットダウンして立ち上がった。ペースを落とせとサジェストが出るぐらい進んでいるので、今日一日サボったところで影響がないのは分かっていたのだ。  ただカリキュラムの進捗上で問題はなくても、切り上げて帰宅と言う訳にはいかなかった。そのあたり、学校を相互監視の場にしているのが理由である。加えて言うと、家に帰っても仕方がないと言う事情がリッカにもあったのだ。 「こう言うときは、体を動かすのに限るわ」  今ならプールが使えるかもしれない。外の天気を確認して、リッカは競泳用プールへと向かうことにした。ちなみに体を動かす……いわゆる体育も、カリキュラムの中に含まれていた。加えて言うと、その年に必要な分の履修は、すでに終わっていたりした。ノルマのことだけを考えたら、行かなくてもいい場所になっていた。  ポケットに手を突っ込んだまま、リッカは教室を足早に出ていったのだった。  逝っているとリッカは評したのだが、「アニマ」と言う自己啓発セミナーの影響範囲は地味に広がっていた。諦めた大人と違い、彼女たちの年頃の方が閉塞感を強く感じていた。だから心のどこかで今の閉塞感からの救いを求めることになる。その心の隙間に忍び込む形で、10代の男女が数多く吸い込まれていったのだ。  「今どき流行らない」とリッカは評したが、そのおどろおどろしさが、逆に若者を惹きつけてもいたのである。 「ショウ、本当に入るのか?」  そして今日も、アニマのセミナーハウスの前に10代の少年二人が立っていた。一人は、身長が180近い爽やかなタイプの男子で、もう一人は同年代の中でも小柄な男子だった。  本気かと止めにかかった友人に、ショウと呼ばれた少年は「何を今更」と呆れていた。ここに来るきっかけは、もともと友人のユータがアニマに興味を持ったのが理由である。ただ一人では行けないと言う呟きを聞き、だったらと彼が引っ張ってきたのである。 「元はと言えば、行きたいと言ったのはお前だろう? しかも一人じゃいけないって言うから、俺が着いてきたやったんじゃないか」  だからだと言って、ショウはユータの右手首を掴んだ。そして怖気づいたユータの手を引き、石造りのセミナーハウスへと引っ張っていった。 「あら、男同士は珍しいわね。あなた達、セミナー希望?」  自動ドアが開いたところで、二人は一人の女性とばったり出会った。年齢がいささか不詳のところはあるが、金色の髪に黒い眉毛をしたナークドの女性である。  にこやかな笑みを浮かべた女性は、「今日のコマは終わっているわよ」と二人に告げた。結局すったもんだして来たくせに、その意気込み(?)は空振りに終わったと言うことである。 「それから、これで結構盛況なのよ。だから、開いてるコマを探してもらうことになるんだけど……」  最後に尻込みをしたくせに、空いているコマがないと言われてユータは落胆していた。それに気づいた女性は、「着いてらっしゃい」と二人に声を掛けた。 「あなた達、高校生でしょ? だとしたら、外部セミナーを受けたことにしないとまずいはずよね?」  そうよねと言われ、ショウとユータの二人は大きく頷いた。相互監視を目的とした学校なのだから、サボタージュは厳しくチェックされることになる。これで受講証明を貰って帰らないと、サボりとしてペナルティが課せられることになってしまう。  二人が頷いたのを見て、その女性は背中を向けたまま「特別よ」と二人に声を掛けた。そして出くわした職員に、「受講証を発行してあげて」と声を掛けた。 「いいんですか?」  黒髪をショートにした女性の職員は、ショウ達二人を見てから少し目元を険しくした。 「とりあえず、暇な私が相手をするからね。それで受講したことにしておいてあげて。それとも、私じゃだめかしら?」  声色だけを聞けば、その女性は笑っているように思えただろう。だが黒髪の女性を見る視線は、とても冷たいものだった。その視線を受けた黒髪の女性は、ごくりとつばを飲み込んでから「とんでもありません」と目をそらして言い繕った。 「むしろ、初心者向けじゃないと思っただけです」 「たまには、息抜きをしても問題はないと思うわよ」  だからと笑った金髪の女性は、二人の方へ振り返って「学生証を」と右手を出した。受講証明を貰うためには、学生証が必要なのは言うまでもなかった。  特に不思議なことではないため、二人はおとなしく学生証を差し出した。それを受け取った金髪の女性は、ちらりと確認してから黒髪の女性に学生証を手渡した。 「じゃあ二人とも、私についてきてくれるかしら?」  こっちだからと、金髪の女性は奥のエレベーターへと二人を連れ込んだ。  エレベーターに入ったところで、その女性は自分のIDカードを行き先階のパネルへと当てた。そこで二人が驚いたのは、IDカードを当てた瞬間に行き先階のパネル表示が変わったことだった。もともとの表示は、地下2階から地上10階と言う、外から見た通りの階数表示だったのだ。それがこの女性がIDカードを当てた途端、地下100階と言う非常識な行き先階がパネルに現れたのだ。  ただ金髪の女性は、地下100階ではなく10階と言う常識的な行き先をボタンで押した。そしてその程度なら、特に話をする間もなく到着する。扉が開いたところで、「右側に向かって」と金髪の女性は声を掛けた。そしてすぐに二人を追い越し、先導するように廊下の奥へと歩いていった。 「さ、さっき、パネル表示に地下100階って出てませんでしたか?」  女性の背中を見ながら、ユータはエレベータで見た表示のことを質問した。あの表示を見て、なにかとんでもないところに来てしまった感が出てきたのだ。  そんなユータに、金髪の女性は背を向けたまま「単なるシャレね」と言ってくれた。 「次に当てると、多分だけど「Hell」って出ると思うわよ」 「地獄……ですか?」  ゴクリとユータがつばを飲み込むのを見て、「趣味の悪い人がいるのよ」とその女性は笑った。そして一つのドアの前に立つと、「ここよ」とその女性はIDカードを認証器へと当てた。圧縮空気音をあげて扉が開いたところで、「所長の悪ノリね」と二人を中に招き入れた。そこで二人が驚いたのは、セミナールームと言うより、偉い人の執務室に見えたことだった。 「個別セミナー用の部屋ですか?」  緊張した声のユータに、その女性はあっさりと「私の執務室ね」と答えた。そして立派な応接用の椅子を手で示して、「座ってくれるかしら」と声を掛けた。  それにおとなしく二人が従ったところで、その女性は「ようこそアニマへ」と二人に言った。 「ショウ・コーブ君とユータ・スオノ君だったわね。私は、リツコ・ルージュ。ここの職員は、私のことをドクターって呼んでるわね。ただ、その呼ばれ方はあまり好きじゃないのよね。できたら、「リツコさん」ぐらいの距離感で呼んでくれるかしら」 「リツコさん……でいいんですか?」  恐る恐る呼びかけたユータに、「その方が気が楽だから」とリツコは笑った。少し雰囲気が和らいだところで、「一ついいですか」とショウがリツコの顔を見た。 「なにか、ネットの案内がおどろおどろしかったんですが……宗教がかっていると言うのか、その、なんて言っていいのか?」  言葉に困ったショウに、「切実な理由があってね」とリツコは微苦笑を浮かべた。 「こう言ったセミナーって、人を集めないと話にならないでしょ。以前は、もっと真面目と言うのか、普通の案内をしていたのよ。ただそうなると、その他のセミナーに埋もれてしまってね。本当にまばらにしか人が訪ねてきてくれなかったの。所長の私財だけじゃ足りなくてスポンサーからも資金提供して貰っているんだけど……そこからの突き上げが厳しくてね。そこで試行錯誤の結果、今の案内に落ち着いたと言うことよ」 「じゃあ、完全な生物とか神への道とか言うのは、僕たちみたいなのを釣るための餌と言うことですか?」  少し腹を立てた様子のユータに、「有り体に言えばそうね」とリツコはあっさりと認めた。 「ただ、少しだけ言い訳をさせて貰うわね。あなた達も、マールス人の神話は知っているわよね。そしてその神話の通り、私達の連合に属する星系の人たちは、多少の差はあってもすべて似たような姿をしているでしょ。それを「そう言うもの」として受け止めるのか、「なにか理由があるはずだ」と受け止めるかの違いがあると思うのよ。そして私達は、「なにか理由があるはずだ」と言う立場に立っているの。理由があるとしたのだから、その次には同じ姿になるための条件へと考察が進んだのよ。連合に属する星々を見てみれば、かなり環境が違っているのが理解できると思う。だとしたら、同じ形態を取るのは逆に不自然と言えるでしょう。オリジナルのニヴェア人との違いは、目と肌の組成程度しかないわ。私達は、それが不自然だと考えたと言うこと」 「それが、神とかを持ち出した理由なんですか?」  突っ込んできたユータに、リツコは「そうよ」とあっさりと肯定した。 「もちろん、その呼び方は方便と言うのは分かってるわ。ただイメージとして、その方がわかりやすいと言うだけのことよ。別に超越者でも、超古代文明でも構わないとは思ってる。その場合の問題は、神に比べて余計な説明が必要なことね。その一方で、宗教に見られないと言う利点はあるわね。どちらを取るかは、利害得失を考えた結果と言うことになるの」  理解できたかと問われた二人は、渋々と頷いて肯定を示した。それを「よろしい」と上から目線で受け止めたリツコは、「今日は触りの部分だけ」と説明を始めようとした。だが口を開きかけたところで、何も飲み物を出していないのに気がついた。 「ところであなた達、なにか飲みたいものはある? 通常のセミナーだと、お茶かお水を選んで貰うんだけどね。特別に、大抵のものなら用意してあげるわよ」  どうすると問われた二人は、少しも面白みのない「水で」と答えた。 「随分と控えめなのね」  そう言って笑ったリツコは、立ち上がって自分のデスクの後ろに回った。そして背後にある冷蔵庫から、高そうなミネラルウォーターのボトルを3本取り出した。 「コップはいるかしら?」 「い、いえ、お構いなく」  慌てて答えた二人に、「気にしなくていいのに」ともう一度リツコは笑った。 「どうせ洗うのは私じゃないから」  そう言って、リツコはコップと一緒に小さなトレーにミネラルウォーターを載せてきた。 「トイレに行きたくなったら遠慮なく言ってくれるかしら」  二人の前にコップとボトルを置いてから、「さて」とリツコはソファーに座り直した。 「あなた達がこれまで生きてきた中で、科学的に説明できないことに出会ったことはない?」  リツコの質問に、ショウとユータは思わず顔を見合わせた。それから恐る恐る、ショウが答えを口にした。 「大抵のことなら、科学的に説明がつくと思います……だから、改めて聞かれてもピンとこないと言うのか」  そこでもう一度顔を見合わせてから、「特に思いつきません」とショウは答えた。 「あなたは?」 「ショウと同じです」  つまり、二人共特に思いつかないと言う答えになる。「普通はそうよね」と言うリツコの言葉に、何を言われるのかと二人は身構えた。 「心配しなくても。あなた達の考え方は間違っていないわよ。もしも夢とか虫の知らせとか言ってくれたら、科学的に叩き潰してあげようかと思ったぐらい」 「た、叩き潰すんですか……」  もっと他に言い方があるだろう。思わず顔をひきつらせた二人を見て、「しないわよ」とリツコは笑った。 「こう見えても、若い男の子は好きだから」  ふふふと笑ったリツコは、微妙な表情を浮かべる二人を無視して、次の質問を持ち出した。 「生物について、科学的説明ができると思う? 例えば、人類でもいいんだけど。意識、考え、その他諸々の特殊さを持っているわよね。こう言った特殊性を、科学はどう説明しているのかしら?」  どうと問われても、そんな質問に答えられるはずがない。お互い顔を見合わせてから、「分かりません」とショウが答えた。 「それぞれが持っているパーソナリティーとかもそうね。人が人として認識される諸々のものって、科学的にどう説明したらしっくりと来るのかしら?」  新たな質問をしたリツコだったが、二人の答えを待とうとはしなかった。 「それからこの宇宙のことだけど……ビッグバンから始まったのなら、終わりは何なのかしら? ビッグランチ? ビッグチリ? この宇宙以外に、他の宇宙は存在しないのか。宇宙が始まる前には何が有った? 宇宙が終わった後には何が残る? 宇宙の外には何がある? とか考えたら、今の私達の科学じゃ手も足も出ないでしょう。あなた達が気にした「神」なんだけどね、ただ単に私達では説明のつかないものを「神」と置いているだけじゃないかってね。オカルトだと考えているようなことでも、実はもっと科学技術が進めば普通に利用できるのかも知れないわ。いくら私達のことを「胡散臭い」と思ってみているあなた達も、それは否定できないと思うわよ?」  どうかしらと問われた二人は、「そんなことは思っていません」とかなり焦りながら答えた。それを「隠さなくていいわよ」と笑ったリツコは、「初めはみんなそうだった」と答えた。 「うちのセミナー……しかも、あんな宣伝文句で呼び込んでるでしょ。99%は、冷やかしとか、疑って掛かってる人達ばかりよ。それから初めはと言ったけど、今も98%ぐらいは態度を変えてないわね」 「こ、ころんだのは1%だけなんですかっ!」  思わず突っ込みを入れたショウに、「1%も変わったのよ」とリツコは答えた。 「それから、最初に居た1%はどんな人なんですか?」  そちらに興味を持ったユータに、「サイコパス」とリツコは嫌そうな顔をした。 「私達の話を聞いて、どこから仕入れたわからない頓珍漢な中身で議論を仕掛けてきてくれるのよ。もうね、科学的素養はまったくないし、主張が最初と最後で矛盾をしまくってくれるし。とことん相手にするのが無駄としか言いようがない人達ね。それが、紛れ込んでくる1%と言うことよ。その意味では、あなた達は99%にちゃんと入っているわ」  だから安心しなさいと言われると、どう受け取っていいのか分からなくなる。明らかに難しい顔をした二人を笑ったリツコは、「結構大切なことね」と告げた。 「態度を変えた1%も、私の目から見たら危ない子に思えるわね。そうね……悪い勧誘に引っかかるタイプって言うのかな。ちょっと乗せてあげたら、ホイホイと寄付をしてくれそうな子達ね」 「き、寄付をさせているんですかっ!」  思わず身構えたユータに、「ここは健全な団体よ」とリツコは真顔で答えた。 「セミナーの受講代……これにしても、受講者の数に応じて行政から支給されるんだけどね。それ以上のお金は貰ってないから。そうじゃなきゃ、あなた達は最初に受講料を出さされていたはずよ」  そう言われれば、確かにそうとしか答えようがない。顔を見合わせた二人に、「納得がいったかしら?」とリツコは笑った。 「宇宙一つをとってみても、私達の科学じゃ説明の出来ないことが沢山あるわ。そして生物と言う意味でもそうね」  コップの水で喉を湿らせたリツコは、「ヒトの組成は解明されている」と説明を続けた。 「細胞だって、培養という形で増やすこともできるわ。医療の分野で言えば、内蔵を代替することも可能になってるでしょう。だとしたら、その究極の形はヒトそのものを作ることになるわね」  ゆっくりと二人の顔を見たリツコは、「2つの実験があるわ」と説明を続けた。 「人工的に卵子と精子を作り、それを受精させる形でヒトを作った実験があるのよ。その結果、受精卵はちゃんと育って、赤ん坊が生まれたわ。それから特に問題を起こすことなく成長して、最後に自殺をしてその子の人生は終わったわね。まあ、普通にヒトが生まれたと言うことを覚えておいてくれればいいんだけどね」 「じ、自殺をしたのに……ですか?」  失敗じゃと言う意味を込めたユータに、「自殺ぐらい珍しくないでしょ?」とリツコは指摘した。 「そしてもう一つの実験は、培養したパーツを組み合わせて人間を作ったものよ。でもこちらは、外部刺激には反応するけど、ヒトとしての自我……どころか、思考と言うものを形成してくれなかった。いろいろと学習をさせようとしたのだけど、結局無駄な努力に終わったのよ。点滴だけで生き長らえていたんだけど、感染症を起こしてあっさりと死んだわ」  そんな実験が行われたと言う事実に、二人は背筋を凍らせていた。ただそれは予想通りの反応なのか、リツコは全く気にした素振りを見せなかった。 「いずれのケースも、細胞分裂を使ってヒトらしきものを作ったのよ。でも片方には自我が生まれ、もう一方には自我が生まれなかった。ヒトとヒトの形をした肉袋……それが、2つの実験で得られた違いになるわね」  そこで二人の顔をもう一度見てから、「ここから何が考えられると思う?」とリツコは尋ねた。 「自我……が、どうしたら生まれるのか。両者の違いはなにか……と言うことですか?」  なんとか答えをひねり出したショウに、「おおよそそうね」とリツコはそれを認めた。 「私達は、そこから更に進んで「自我とはなにか」を考えたのよ。心理学で言う自我ではなくて、ヒトがヒトとして認識されるための反応……それを自我と置いたのだけど、どうやったらそれを作ることができるのか。なぜ卵子から育てた方には自我が生まれ、パーツを組み合わせた方には自我が生まれなかったのか。その理由に対する考察を続けている……それが、私達アニマと言う団体の目的になっているのよ。だから精神世界とか神の世界って……あながち間違ってないと思わない? ようは、分かっていないことに対して、それらしい適当な理由をくっつけて語っていると言うことなのよ。神なんて、分からないことを押し付けるのにもってこいとは思わない?」 「ええ、まあ、そう言われればそうなんですけど……」  その前の話が強烈だっただけに、二人の反応は芳しいものではなかった。ただリツコは、そのことを気にしていないようだった。 「今の技術なら、脳の移植も出来ないことじゃない。細胞培養で作られた体に脳を移植したらどうなるのか。そこで自我を獲得できたら、新しい人として生まれることになるのかしら。それとも、ただ単に体を乗り換えたことになるのかしら。一体何が、個人を個人として決定づけているのか。倫理的な問題で手を出していないけど、そういった検討もアニマはしているのよ。もしもヒトとしての存在が、肉体に縛られるものでないとしたら……マールス人の神話にある、高位な存在と言うのも現実味が出てくるのよ」 「それが、完全な生物とか神への道と言うことですか?」  アニマの謳い文句を持ち出したユータに、「なにか、意味が出てきたと思えるでしょう?」とリツコは口元を歪めた。 「そ、そんな気がしないでもない……と言うところかも」  はっきり肯定するのは怖いし、その一方でそんな気がしてきたのも確かだ。だから口ごもったユータに、リツコはショウの顔を見て「彼は1%に入ったわ」と笑った。 「私は、何一つとしてエヴィデンスを示していないのよ。それらしい話を、とても回りくどく、しかも仮定に仮定を重ねて、いつの間にか最初に話した仮定を事実として扱っている。ねっ、カモと言った理由が理解できたかしら? もっとも、通常のセミナーでは、ここまで念入りに誘導はしていないんだけどね。その意味で言えば、あなたは次の1%ぐらいってところかしら?」  もう一度笑ったリツコは、「気をつけなさい」とユータに注意をした。 「気をつけているつもりでも、相手の方が上手と言うのはごく普通にあることなのよ。その意味で言えば、「気をつけなさい」と言う忠告が役に立たないこともあるわね。ただ引っ掛けられた経験があれば、より注意深く振る舞うことができるようになるのよ」  いいと問われ、ユータはしっかり頷いた。 「これで、また引っかかったと言うことね。君の中で、少しは私を信じてもいいと言う気持ちが湧いたでしょう?」 「あのぉ、ユータをからかって遊んでいませんか?」  楽しそうにするリツコに、ショウは恐る恐る声を掛けた。 「ご名答!」  嬉しそうな表情で、リツコはユータを指差した。 「こんな個室をあてがわれるようになるとね、なかなかセミナーをする機会がないのよ。君達みたいに可愛い高校生を相手にするのは本当に楽しいのよ」  ひょっとして危ない人。二人がリツコの正体に疑問を感じたところで、「君達って」とリツコは獲物を前にした顔をした。 「トキオ2の学生だったわよね?」 「はい、そうですが……」  学生証を提出しているのだから、学校名が知られていても不思議ではない。逆に、どうして改めて確認されるのかが不思議だった。 「じゃあ、この子のことを知ってるかしら? ついさっき、ウチの広告を見てくれたのよ」  そう言って端末に表示されたのは、難しい顔をしたリッカの正面画像だった。 「知ってると言えば知ってるんですけど……広告を見たぐらいで、こんな情報が分かるんですか?」  やっぱり危ないと警戒した二人に、「一緒に表示されてた広告が問題なのよ」とリツコは答えた。 「個人情報を抜き取るのが2つほど紛れ込んでいたわ。そこをハッキングして、この情報を抜き出したんだけどね。そうか、君達の知り合いなのね」  うんと頷いたリツコは、指先で何かを操作する真似をした。もちろん、二人には何をしているのか全く分からなかった。 「吸い取られた個人情報を消しておいてあげたわ。今度会ったら、おかしな広告を表示しちゃだめって忠告をしておいてね……こっちからセキュリティを上げておいてあげればいいか」  ちょっとまってねと言いながら、リツコはもう一度指で何かを書く真似をした。 「普通にブラウザを掃除したぐらいじゃ、埋め込まれたワームは消せないからね。それもついでに消しておいてあげたわ。それと、検疫プログラムも入れたから」 「あ、ありがとうございます……って、それも不正アクセスですよね?」  お礼を口にしてから、そちらも問題があることにユータは気がついた。 「それを教えてあげれば、彼女に点数を稼げるわよ」  どうかしらと見られ、ユータは思わず顔を赤くした。それを初々しいと笑ったリツコは、「次は一緒にいらっしゃい」と誘いをかけた。 「そのときには、感じた閉塞感を軽くする手助けぐらいはできるかも知れないから」 「それも、サギの手管……ですか?」  いいようにからかわれているため、ユータは疑念のこもった目でリツコの事を見た。 「それもあるけど、純情な男の子を応援してあげようと言う、おばさんなりの親切心よ」  「今日の出し物はここまで」と、リツコはテーブルの引き出しから二人の学生証を取り出した。 「あなた達を特別待遇をしてあげるわ……と言うのも、サギの常套手段なんだけどね」  そう笑ったリツコは、二人の高校生を煙に巻いたのだった。  二人を玄関まで送ったところで、リツコのところに先程の黒髪の女性が近づいてきた。少しおどおどしているのは、先程睨まれた後遺症からだろうか。  そんな態度を気にすることなく、「候補の一人ぐらいにはなるわね」とリツコは表情を変えずに口にした。 「やっぱり、完璧な素材なんて簡単には見つからないものなのね」 「本当に、そんな子供がいるのでしょうか?」  おっかなびっくり口にした黒髪の女性に、「私を疑うの?」とリツコは冷たい声を出した。 「そ、そんな、私はドクターのことを信じていますっ!」  お陰で慌てて言い繕うことになったのだが、リツコは「冗談よ」と声を出して笑った。 「いるのかと聞かれたら、いてもおかしくない……程度としか言えないわね。かつてマールス人が銀河規模の破壊を行ったのだから、マールスには存在したんじゃないかって推測できるぐらいよ。ただそれにしても、あくまで推測でしかないわ」  そこで踵を返したリツコは、「着いてらっしゃい」と黒髪の女性に声を掛けた。そしてエレベーターに乗り込むと、カードをかざして表示された地下100階のボタンを押した。 「カストルで何が起きたのか、あなたも知っているでしょう。所長の情報が正しければ、カストルにもここと同じものがあったらしいのよ。そしてアニマのカストル支部が、不用意に触れてしまった……その結果、惑星上から生物が消滅してしまったのよ。神話で伝わるマールス人のように、果たして高位の存在へと昇華したのか……はたまたただ単に大絶滅を起こしただけなのか。神ならぬ私達には知る由もないことなのよ」  リツコはそこまで口にしたところで、「ただ」と自分の考えを口にした。 「生物を壊しただけ……と言うのが私の考えね。彼らは、足場となる土台を作っていなかった。そもそもそんな準備すら行っていなかったのよ。もっとも、何を準備すればいいのかなど全く分かっていないんだけどね。適格者を見つけたとしても、それが私達の望む結果に導くことになるのか。流石に、私でも疑問を禁じえないのよ」 「ドク、そこまで言っていいんですか?」  あたりを気にした黒髪の女性に、「何を今更」とリツコは笑った。 「それでも突き進むと言うのが、アニマ・ニヴェア支部の方針として決定しているわ。そしてタイムリミットは、アーベル連邦の攻撃が行われる前……と言うことよ」 「そのアーベル連邦の攻撃なんですが」  遠慮がちに、黒髪の女性は「噂を聞いてます?」と尋ねた。 「噂……あいにく、そちらの方面には疎いんだけど?」  どんな噂と言う質問に、「侵略行為を放棄したと言う噂です」と黒髪の女性は答えた。 「やめることになった理由が、外銀河からの来訪者に止められたから……交流を開始するためと言うものです」 「マールス銀河の外から来訪者が有った?」  流石に意外だったのか、リツコは目をパチパチと瞬かせた。 「一番近い銀河……随伴銀河でも20万光年はあるのよ。それぐらいなら、マールス銀河の大きさと同じぐらいだから無理な距離じゃないけど……そこから誰かが来たからって、アーベル連邦が惑星破壊をやめるとは思えないわ。彼らは、何かにとりつかれたように「間引き」と称してこの銀河から惑星を消しているのよ」 「随伴銀河ではないと言う話です。その使者は、エリス銀河から来た……と言う話なんです」 「エリス銀河って……200万光年も離れてるじゃない。わざわざ来るには、遠すぎると思うんだけど? それに、マールス銀河に来る理由があるとは思えないわ」  ガセじゃないのと笑うリツコに、「だから噂なんです」と黒髪の女性は答えた。 「ですが、アーベル連邦が「間引き」を直前でやめたと言う事実があります。それを考えると、なにか理由があるはずと言うのが噂が広がった理由なんです」 「アーベル連邦が、彼らの行動を変えるだけの理由があったのは確かと言うことね」  少し考えてから、リツコは「調べてみましょう」といま来た通路を逆戻りをした。その行動に、「いいんですか?」と黒髪の女性は恐る恐る尋ねた。 「こっちはルーチンワークなのよ。だったら、誰かに任せても問題ないでしょ?」  そうやって自分を正当化したリツコは、「マヤ」と黒髪の女性に呼びかけた。 「は、はい、何でしょうか?」  何を言われるのかと怯えた黒髪の女性マヤに、リツコは「任せたから」とルーチンワークを押し付けた。普通ならば面倒を押し付けられたと考えるところなのだろうが、押し付けられた方はそうとは受け取らなかったようだ。ぱっと表情を明るくして、「お任せください!」とそれまでとは打って変わって明るい声で答えたのである。 「完璧にこなしてみせますっ!」  張り切るマヤに、「任せたわよ」とリツコは自分の仕事を押し付けたのである。  からかわれた気はするのだが、意外に面白かったと言うのが二人の感想だった。「神」とか「精神世界」とか胡散臭いキーワードが並んでいたが、聞いた話では科学的アプローチをしているように思えたのだ。そしてリッカが不正アクセスを受けたことを教えられたし、その対策までしてくれたと言うのだ。騙されていると言う思いは、自分達を騙して意味があるのかと言う現実によって否定されていた。 「そう言えば、アカネから誘われていたな」 「ベルグだったか? まだ新しいカフェとかだったっけ?」  少し考えたユータは、「きっとそう」と自分の言葉を肯定した。 「受講証明を貰ったから、今更学校に戻らなくても良いんだよね」  外部セミナーの受講は、ポイントとして通常のe-learningに比べて高くなっていた。そして時間的な制約も、移動時間を含められる分緩くなっていたのである。  それを持ち出したユータに、「直接行くか」とショウはその意を汲んだ提案をした。予め場所を教えて貰っているので、待ち合わせをしなくても自力でたどり着くことも出来たのだ。 「そうだな。ウェイトレスの女性がすごく綺麗だとアカネが言っていたぞ」  目の保養だと笑うショウに、ユータも「それはいい」と調子を合わせた。面白い話を聞けたとは思うのだが、それでも目つきの厳しいおばさんとの話は、かなり神経を使ったことには間違いない。美人の顔を見てくつろぐと言うのは、苦労をした自分へのご褒美にも思えたのだ。 「喉が渇いたから、さっさと向かうのに越したことはないな」  まだ強い日差しを遮り、「だから急ごう」と貰った地図で場所を確認して「こっちだ」とショウは小走りにベルグへと急いだのである。  アニマの建物からトラムで5分、歩いて10分ほどの場所に「カフェ・ベルグ」は位置していた。お世辞にも新しいとは言えない雑居ビルの1階の、しかも表通りに面していない側にお店があった。地図を貰っていたから良かったようなものの、何もなければ気にしないで通り過ぎてしまうようなロケーションだった。  ただ通行人から目立たなくても、店構え自体はかなり洒落た感じになっていた。プランターがふんだんに配置され、窓枠やドアも木製のこった作りになっていたのだ。窓自体は大きな作りになっていたが、プランターのお陰で「丸見え」の状況は避けられているし、かと言って全く見えないと言うほど隠れてはいないと言う絶妙な隠され感もあったのである。 「しかし、アカネ達はよくこんな店を見つけたな……」 「と言うのか、よく入る気になったと言うのが本当だと思うよ」  人を拒む空気を放っているわけではないのに、なにか自分達が場違いに思えたのも確かだった。だが指定された店には違いないので、二人は顔を見合わせてから木製の扉に手を掛けた。雰囲気を大切にしたのか、自動ドアにはなっていなかったのである。そして二人がドアを開けたのに合わせて、上に付けられていたカウベルが「カランカラン」と軽快な音を響かせた。 「いらっしゃいませ」  すかさず近づいてきたのは、金色の髪を長くした綺麗な女性だった。なるほど情報通りだと感動した二人は、「待ち合わせで」とその女性に来店目的を告げた。 「ごらんの通り、お客さんは1人だけなんです。ですから、お好きな場所に座っていただいて結構ですよ」  どうぞと言われ、二人は顔を見合わせ入り口が見やすい席に陣取った。二人が腰を下ろしたのに合わせ、その女性は「注文はどうされます?」と二人の前におしぼりと少し大ぶりのタンブラーに入った水を置いた。 「お相手の方がおいでになるまで待たれますか?」 「そ、それでよければ……」  綺麗な女性に微笑まれると、それだけで純情な男は緊張してしまうものだ。それをごまかすように二人はコップの水に口をつけ、はっと驚いてそのコップを見た。 「美味しいですね……これ」 「急いでこられたようなので、のどが渇いてらっしゃるのかなと。だから、レモンを少し多めに入れておいたんですよ。お代わりもありますけど、どうします?」  お代わりを聞かれた二人は、持っていた大ぶりのタンブラーが空になっているのに気がついた。気がついたら飲み干していた……事実を述べるのならそう言うことになる。アニマでも高級そうな水を出して貰ったのだが、こちらの方がずっと美味しく感じられた。  「よろしくお願いします」と緊張する二人に微笑んでから、その女性はカウンターに行ってお代わりのタンブラーを受け取った。そして軽やかな足取りで席まで来ると、「ごゆっくり」と言ってタンブラーを交換してくれた。  その後姿を見送ったところで、「俺も通いたくなった」とショウはボソリと呟いた。当然その視線は、接客中の女性へと向けられていた。白のブラウスに黒のスカートと、ごくありきたりの格好には違いないのだが、なぜか目を吸い寄せられてしまったと言うのが正直なところだった。 「その意見には賛成するんだけど……リツコさんだったっけ。あの人の言い方を借りると、お店に乗せられていることになるんだろうな」  ネガティブ発言をしたユータに、「空気を読まない奴」とショウは嫌そうな顔をした。 「飲食の対価を払っていい気分になれるんだ。そこのどこに問題があるんだ?」  違うのかと迫られたユータは、カフェの意味をもう一度考えてみた。そしてショウが全面的に正しいことに気がついた。 「そう言われると、どこにも問題はない気がするな……いや、それがカフェの存在意義と言う気がしてきた」  なるほどと頷いて、ユータは「通うか」とショウの顔を見た。それを「だな」と肯定し、ショウはテーブルを叩いてメニューを表示した。 「しかも、とってもリーズナブルな値段じゃないか。これなら、学生の懐にも優しいぞ」 「それは認めるけど……この客入りでやっていけるのかな?」  さり気なく店内を見渡してみると、自分達以外の客は若い男性が1人だけだったのだ。やけにたっぷりデザートが置かれていると言うのを忘れれば、営業的にどうなのかと思えてしまった。 「まさか、サービス料を取られるとか?」 「アカネ達が通っているのに……か?」  無いだろうと否定したショウは、「迷うな」とメニューのページを捲っていった。普段はあまり甘いものを食べないのだが、こうしてメニューで見ると、どれも美味しそうに思えてしまったのだ。 「だったら、リッカ達に聞いてみれば良いんじゃないか?」 「それが無難なんだろうなぁ……」  小さく頷いたショウは、ウェイトレスの女性が大ぶりなタオルを用意しているのに気がついた。一体何がと訝ったところで、いささか乱暴にカフェのドアが開かれた。何事かとドアに注目をしたら、濡れ鼠になったリッカとアカネが立っていた。よほど激しく降ったのか、白いブラウスが肌に張り付き下着が透けて見えていた。  ただその幸運な光景も長くは続かなかった。ウェイトレスの女性が、「災難でしたね」と二人にタオルを掛けたのである。 「あ、ありがとうございます……って、随分と準備が良いんですね」 「そろそろおいでになる頃かなと。それから天気予報が外れそうでしたので、多分傘を持っていないだろうと思ったんですよ」  だからですと笑ってから、「着替えますか?」と二人に尋ねた。 「大したものはありませんけど、乾燥機で乾かした方が良いですよね?」 「そこまで甘えてしまって良いんですか?」  少し頬を赤くしたリッカは、「ありがとうございます」とその女性エリーゼに頭を下げた。そして案内されるままに店の奥に入ろうとしたところで、両手で胸元を隠して「来てたの?」と少し不機嫌そうな声を出した。 「ああ、セミナーが早めに終わったからな。と言っても、着いたのはほんの少し前なんだが」  こう言ったときに役に立たないことは分かっているので、リッカへはショウが答えた。 「なんか、不公平に感じるわ」  自分達がずぶ濡れなのに、ショウ達は濡れた様子が見えなかったのだ。それをずるいと言いながら、リッカとアカネはエリーゼに案内されて店の奥へと入っていった。 「しかし、こんな形で天気予報が外れるんだな」  自分達も、雨が……しかもこんなに土砂降りになるとは考えても居なかったのだ。まれにあることとは言え、ここまでひどい外れ方は珍しかった。そもそも自分達が外にいるときには、雨が降るような気配は感じられなかったのだ。 「でもあの人……まるで分かっているようにタオルを用意してたよ」 「雨の音でも聞こえたんじゃないのか?」  別におかしなことじゃないと答えてから、「まずいかも」とショウは口元に手を当てた。 「俺達も傘を持ってないぞ」 「雨が止むのを待ってれば良いんだけど……いつ止むんだろうね?」  確かに問題だとユータが認めたところで、「通り雨ですよ」と店の奥からウェイトレスの女性が戻ってきた。 「多分ですけど、あと10分もすればこのあたりの雨は止みますよ」 「だったら、傘の心配はいらないか……」  ほっとしたところで、「待ち合わせの相手はリッカさんとアカネさんだったんですね」とその女性は微笑んだ。 「え、ええっと、クラスメイトです」  それに緊張して答えたショウに、「誘われました」とユータが続いた。 「でしたら、これからはご贔屓に願いますね」  ペコリとお辞儀をして戻っていった女性に、二人は「良いなぁ」とにやけた顔を見合わせた。ただ至福の時間は、「キモッ」と言うリッカの言葉で打ち破られた。 「なんか、気に入らないわ」 「ユータが鼻の下を伸ばしているのが気に入らないのね?」  すかさず茶々を入れたアカネに、「それはないから」とリッカは慌てて否定をした。ただその頬は、ほんのりと赤くなっていた。ちなみにその時の二人は、なぜかお揃いのジャージ姿……紺色の……をしていた。 「それは良いんだが、どうして紺のジャージなんだ?」 「これが、一番無難かなって思ったのよ。どういう訳か、綺麗なワンピースからドレスまで揃っていたのよね」  「夜の刺激用かしら」と爆弾発言をしたエリーゼに、男二人は「えっ」と驚き身を乗り出した。 「よ、夜には、そんなサービスが有るのか?」 「リッカさん、おかしな評判を立てないように。ここは、健全なカフェなんですからね」  こらこらと言いながら、エリーゼはリッカとアカネの前にも水の入ったタンブラーを置いた。 「注文はいつものフルーツパフェで良いの?」 「私達はそれで良いんですけど」  そこでショウとユータを見たリッカは、「何も頼んでないの?」とフラットな声で聞いた。 「目移りをしてな。何が良いのか聞こうかと思ったんだ」  だから頼んでないと胸を張るショウに、「優柔不断男め」とリッカはバカにしたような目を向けた。そしてエリーゼの方に振り返って、「何が一番儲かりますか?」と変わった聞き方をしてくれた。 「そう言う時は、お勧めを聞いて欲しいですね」  微苦笑を浮かべたエリーゼは、「甘いものは好きですか?」とショウとユータに尋ねた。 「こいつらほどじゃありませんが……好きといえば好きですよ」 「普通に好きです」  二人の好みを聞いたエリーゼは、だったらと今日のお勧めを持ち出した。 「じゃあ、ジノさんお勧めのビターチョコレートを使ったクレープを試してみてください。それに、フルーツティーを合わせると、とっても美味しいですよ?」  笑顔でお勧めされると、それ以外を選ぶのが罪悪に思えてしまう。もっともそんな事を考える前に、二人は先を争うように「お勧めで」と答えていた。 「はい、フルーツパフェ2つに、ビターチョコのクレープを2つ、フルーツティーをお2つですね」  注文を確認して、エリーゼは「ジノさん」とカウンターへと声を掛けた。それでショウとユータの二人は、初めてそこに金髪のイケメンがいるのに気がついた。  二人に見られたジノは、小さく会釈をして注文の調理に取り掛かった。2種類のスイーツが2つと注文が単純なので、手間はさほど掛かることはないのだろう。見事な手際で、クレープから取り掛かってくれた。 「しかし、災難だったな」  話をずいっと通り雨に引き戻したショウに、「ひどい目に遭ったわよ」とリッカは憤った。 「しかもお店に着いたら、あなた達が鼻の下を伸ばしてエリーゼさんのことを見てるし」 「なんだ、それは嫉妬ってやつか?」  すかさず論ったショウに、「ありえない!」とリッカは言下に否定した。 「美人二人と待ち合わせしているのに、他の女性に鼻の下を伸ばすことが間違ってるだけよ」 「まっ、それは否定しないがな」  素直に認めたショウだったが、少し口元を歪め「勝負になるのか?」とカウンターにいるエリーゼを隠れて指差した。  その指摘に声を詰まらせたリッカは、ふんと一つ鼻息を荒くして水を飲み込んだ。 「そりゃあ、勝てないのは認めるわよ。でも残念ね、エリーゼさんは人妻なのよ」  それは、予期せぬ暴露だったのだろう。どういう訳か、ショウだけでなくユータまで「えっ」と驚いてくれた。そんなユータの態度にますますへそを曲げたリッカは、どうせねと拗ねてみせた。 「エリーゼさんと比べられたくないわよ」  もう一度水を飲んだリッカは、「セミナーに行ったんだって?」と無理やり話題をエリーゼからそらした。 「それで、どんなセミナーに行ってきたの?」 「それなんだがな……」  そこでユータの顔を見たショウは、「アニマって知ってるか?」と聞いた。  その質問に対して、リッカは少しも迷いもせず「知らない!」と断言した。 「あのなぁ、もう少し考えてから答えてくれよ」  あまりにも予想通りの反応に、ショウは小さく息を吐いた。そして貰ってきたパンフレットを、二人の前に投影した。その表紙の特徴的なロゴに、「どこかで見たわね」とリッカが反応した。 「ああ、お前がガッコーの端末で見てたところだよ」  その答えに、リッカは「ああ」と頷いた。そしてしばらくしてから、「なんで知ってるのよ」と食い付いてきた。  ただこれもまた予想の範囲と、ショウは予め用意してあった答えを口にした。 「そこの人に教えて貰ったんだが、お前は見事ガッコーの端末をワームに感染させたんだよ。だからカメラの映像とか、取り放題になっていたらしいぞ。「知ってる子?」ってお前の写真を見せられたから間違いないな」  端末の扱いに慣れていると信じていたリッカにとって、それは青天の霹靂のようなものだった。「そんな」と唖然とするリッカに、「キャッシュのクリアじゃ意味がないそうだ」とショウは続けた。 「そこの人が、サービスでセキュリティの対策と、吸い上げられた個人情報を消しておいてくれたそうだ。ただなぁ、裏を返せばお前のアカウントは触り放題ってことになる」  ショウの出した結論に、「ああ」とリッカは頭を抱えてテーブルに突っ伏した。 「始末書に生徒指導がぁ……」 「まっ、禁止事項を破った報いってやつだな」  ご愁傷さまと笑ったところで、「おまたせしました」とエリーゼがワゴンに乗せて4人分のスィーツを持ってきた。ただ不思議なことに、リッカ達の分までお茶が用意されていた。 「あれっ、私達はお茶を頼んでませんよ」  頭を抱えたリッカに代わり、アカネがエリーゼに「注文してません」と告げた。そんなアカネに、「雨の日サービスで良いですよ」とエリーゼは笑った。 「濡れ鼠で駆け込んできた女子高生へのサービスですね。ちなみに、これはジノさんからですよ」  喜んでいましたと言われ、アカネは思わず両手で胸元を隠した。 「ジノさんって、むっつり?」 「それは、本人の名誉のために秘密にしておきましょう」  だとしたら、最初にばらしたのは名誉に関係ないのか。理解に苦しんだアカネは、意味もなく窓の方へと視線を向けた。  ただ男共は、そんな会話はどうでもいいことのようだ。エリーゼが運んできたビターチョコのクレープを、せっせと口に運んでいた。どうやら彼の好みにピッタリとマッチしたようだ。 「ところで、リッカさんはどうされたのですか?」  普段ならばフルーツパフェに飛びついているのに、今日に限っては頭を抱えて突っ伏していたのだ。その不思議な行動を見たエリーゼに、「ドジを踏んだの」とアカネは事情を説明した。 「学校のシステム利用規則に、外部SNSの利用禁止が謳われているの。抜け道があるのは公然の秘密なんだけど、リッカがドジを踏んでワームに感染させちゃったのよ。しかもバックドアまで仕込まれたから、バレたらかなりきついペナルティが課せられるわ。下手をすると、バツとしてボランティア活動をさせられるかも。あと、山盛りの追加課題とか」  結構きついと口元をにやけさせたアカネに、「あらあら」とエリーゼは頭を抱えたリッカを見た。 「今回は、性教育ビデオではないんですね?」 「思想の問題じゃなくて、しでかしたことが問題だから」  自業自得と、とても友達甲斐のないことをアカネは口にした。 「バレたらと言うことは、まだバレてはいないと言うことですね」 「でも、時間の問題だと思う。誤魔化しきれるほど、学校側も甘くはないわ。多分だけど、自首した方が処分が軽くなると思う」  アカネの答えに、エリーゼは大きく頷いた。そしておっとりとした見た目を裏切る、とても過激なことを口にした。 「でしたら、証拠の隠滅をすれば良いんですね?」 「ちなみに、それも犯罪だから。おまけに言うと、リッカの能力は大したこと無いの」  ウィルスに気づかなかったぐらいだしと。アカネは可哀想な子を見る目でリッカを見た。 「たぶん、今頃学校のシステムにワームが蔓延していると思う。ログをたどれば出どころが分かるから、今更手遅れと言うことになるの」 「そんなものなのですか?」  小首をかしげたエリーゼは、「待っててください」と高校生達から離れて別の客のところに歩いていった。それで初めて相手のことが分かったのだが、黒い髪をしたイケメンと言うのがその男性の見た目だった。  そこでしばらく話し込んだエリーゼは、最後に嬉しそうな顔をしてから戻ってきてくれた。 「なんとかしてくださるそうですよ……証拠隠滅」 「学校のシステム規模を理解してます?」  絶対に無理と答えたアカネに、「片手間レベルだそうです」とエリーゼは答えた。 「旦那様が言うには、自首をしても問題自体が見つからないはずだ……だそうですよ」 「旦那様って……」  あの人がと高校生4人、すなわち突っ伏していたリッカを含めた全員が端っこに座る男性へと視線を向けた。 「あの人が、エリーゼさんの旦那さんなのっ!」  それまで落ち込んでいたのを忘れ、リッカは「本当ですか」とエリーゼに迫った。 「はい、私の旦那様ですけど……」  なにかおかしいですかと首を傾げたエリーゼに、「知らなかった」とリッカは小声でつぶやいた。 「と言うことは、今日もお客さんは私達だけってことになるんですね」 「今は……にしておいてください」  すかさず言い直したエリーゼに、「いつもですよね」とアカネは再度ツッコミの言葉を口にした。 「これでも、お昼時には沢山お客さんが来てくれるんですよ」  不満そうに頬を膨らませるところは、「いくつだ」と突っ込みたいところだろう。ただ男たち二人は、そんなエリーゼを「可愛い」と喜んで見ていた。 「リッカさんのパフェは、交換した方が良さそうですね」  突っ伏していたせいで、アイス部分がしっかり溶けてしまっていた。自業自得とも言えるのだが、それでは可哀想だとエリーゼはパフェを取り上げた。 「えっ、これは、私が悪いんですからっ!」  それに慌てたリッカに、「良いんですよ」とエリーゼは笑った。そしてある意味、とても可哀想なことを口にしてくれた。 「これは、ジノさんに食べてもらいますから」 「手を付けてないから良いんだけど……」  少しでも手を付けていたら、絶対に嫌と言うところだろう。  う〜んと考えて居たら、リッカの目の前に新しいフルーツパフェが置かれた。「ありがとうございます」と顔を上げたら、エリーゼではなく黒髪の男性がそこに立っていた。 「美味しい状態で食べて貰う……と言うのが店のモットーだからな」  少しぶっきらぼうに口にしていたが、少し頬が赤くなっているのを見ると、明らかに照れているようだ。ただリッカにとってはどうでもいいことで、明らかに熱い眼差しでその男性のことを見たのである。当然、新しいパフェは置き去りにされていた。 「ちなみに、すでにワームは除去されていたな。特に、バックドアのようなものも仕掛けられていなかった。ただ、この程度のシステムなら、そんなものを使わなくても覗き放題なのは確かなのだが」 「覗き放題……なんですか?」  またリッカが使い物にならなくなったので、アカネがエリーゼの旦那さんに質問をした。 「覗き放題……だな。定石通りの対策はされているが、残念ながらさほどレベルの高いものじゃない」  それからと、その男性は「俺の手柄じゃないからな」と断りをいれた。 「アニマだったか。そこの奴が、親切にも掃除をしていってくれたようだ。セキュリティレベルも、オリジナルよりは上がっているな。ただそれにしても、俺に言わせれば「まだまだ」なのだが」 「……凄いんですね」  カフェに来て頭を抱えていたら、抱えていた問題が解決してしまったのだ。なんてめぐり合わせなのだろうと、アカネはパフェに手を付けるのを忘れた友人の顔を見た。 「せっかくジノが美味しいのを作ったのだ。今度は溶ける前に食べてくれないか?」  少し笑顔がひきつっているのは、それだけ慣れていないからだろうか。それでもリッカには効果があったようで、「はい」と答えて勢いよくパフェに手を付けた。 「ああっ、リッカが落ちた」  そう口にしたアカネの視線は、隣のテーブルに居るユータへと向けられていた。ただあちらの視線も、エリーゼの方へと向けられていた。しかもユータだけでなく、ショウの視線までエリーゼの方に向けられているではないか。  「だめだこりゃ」と、アカネは氷の溶けたアイスティーをずずっと啜ったのだった。  ノブハル達が惑星ニヴェアで活躍……しているころ、トラスティと言うよりトリプルAに少し面倒な話が持ち上がっていた。特に誰かがトラブルを起こしたと言うことではなく、新たな業務提携の話が持ち上がったのである。それもただの業務提携なら良かったのだが、将来の合併を見据えているとなれば話が違ってくるのだ。しかも相手は、トリプルAなどとは比較にならないほどの伝統を持つ、そして超銀河連邦の中で十指に入る名門企業なのである。その保有する資産は、タンガロイド社すら凌ぐものになっていた。  そんな名門から合併を含めた業務提携の話が出れば、当然トリプルAの吸収合併が考えられるだろう。だが先方の提案は「対等合併」と言う、資本規模的にもありえない提案となっていたのだ。 「明らかに、下心が透けて見える話ですね」  先方の代理人が帰ったところで、アリッサは大真面目な顔で夫に言った。 「対等合併だと、双方で相手の株式を持ち合うことが条件になります。ですが、トリプルAは株式発行をしていませんし、たとえしていたとしてもその規模が違いすぎます。それを考えれば、対等合併と言うのは絵に描いた餅と言うのが現実だと思います」 「だとしたら、ハロルドはトリプルAの乗っ取りが目的なのかな?」  夫の問に、「それも違うでしょう」とアリッサは答えた。 「トリプルAの強みを考えたら、乗っ取ることに意味があるとは思えません。私はまだしも、あなたを追い出した時点でトリプルAの価値はなくなりますからね。エイシャさんを含めて、トリプルAの強みは個人のコネクションです。ハロルドは、そのコネクションを利用したいと思っているのでしょう。そもそも私は、トランブル家の娘ですよ。いかにハロルドと言っても、タンガロイド社を敵に回すとは考えられません……それ以上に、あなたを敵に回せるとは思えません」 「なるほど、だから下心と言うことになるのかな?」  小さく頷いたトラスティは、「アルテッツァ」とシルバニア帝国のAIを呼び出した。珍しくおしゃれ……皇帝の格好ではなく、可愛らしいショートドレスを着て現れたアルテッツァは、「お呼びですか?」ととても謙った態度で二人の前に現れた。 「ああ、ハロルド金融機構について概説を頼めるかな?」 「ハロルド・ホールディングスでよろしいですか?」  トラスティが頷くのを確認して、アルテッツァはハロルド・ホールディングスの説明を始めた。 「ハロルド・ホールディングスは、約1千ヤー前に天の川銀河にあったフェデラル保険会社が前身となっています。ちなみに、当時はレムニア帝国領のミネルバに本社をおいていました。その後金融業に手を伸ばして業績を拡大し、本社を今のジェイコブ銀河へと移しています。そして豊富な資金力を生かして、ジェイコブ銀河で非常に大きな影響力を有しています。そもそもジェイコブ銀河に本社移転をしたのも、地味……で文明レベルが高くないことが理由になっていたと言われているぐらいです。ただ、あまりにも銀河の企業支配が行き過ぎたため、超銀河連邦が介入を行っています。そのためジェイコブ銀河内での影響力は低下しましたが、それでも巨大な影響力を有しているのは確かでしょう」 「なにか、その話だけでたちが悪そうな気がするよ……」  苦笑を浮かべたトラスティに、「タヌキですね」とアルテッツァは評した。 「その後順調に業績を拡大し、現在では超銀河連邦に属する銀河のすべて……と言っても、新しく加盟した銀河は含まれていませんが、100万のグループ企業を抱えています。多少の濃淡はありますが、年間取引高で言えばグループ企業全体で100垓ダラを少し超えたぐらいですね。タンガロイド社も巨大ですが、年間取引高で言えば足元にも及びません。確かタンガロイド社は、昨年実績で1000京ダラ程度だったかと思います。取引高だけで言えば、超銀河連邦予算には及ばないとは言え、連邦内では最大規模になっています」  アルテッツァの持ち出した数字に、トラスティは口元を歪めて「それはそれは」と笑った。 「とてもうちに提携話を持ち出す理由があるとは思えないね」  トラスティの論評に、「取引高だけなら」とアルテッツァはそれを認めた。 「それだけ巨大なハロルド・ホールディングスですが、その実体は「バラバラ」と言うのが正しいのかと。企業統治と言う意味では、隅々まで目が行き届かなくなってきていると言うのが現実です。他の巨大企業も通った道なのですが、巨大すぎて統治が行き届かなくなり、分裂していくつかに分かれることになるのかと思われます。そしてそれ自体は、すでにホールディングス内でも検討に入っているとの情報があります。有り体に言うと、まとまっていることに対して、誰もメリットを見いだせなくなったと言うところでしょうか」 「それは理解できるのだけど。ただ、分かれると言っても簡単なものじゃないだろう?」  そのあたりはと問われ、「仰るとおりです」とアルテッツァはその指摘を認めた。 「大きな方向性としては、企業分割に向かっているのでしょう。ただ、内部に慎重論があるのも確かです。伝統あるハロルドを解体することに対して、感情的抵抗も生じています」 「今の当主は確か……」  うんと考えたトラスティに、アルテッツァは「バーモント・フェデラル21世です」と先回りをして答えた。それにあわせて、フェデラル家の一族構成情報を提示した。当たり前だが、目眩がするほど一族は広がりを見せていた。 「驚いたな。マリーカの家系とも繋がりがあったんだ」  過去に遡っていったら、アーネットの孫のところで姻戚関係を結んでいるのを見つけてしまった。 「ですけど、それが今回の理由とは考えられませんね」  口を挟んできたアリッサに、「無いだろうね」とトラスティもそれを認めた。 「それで、今の当主は分割に対してどう考えているのかな?」 「自分の力不足を嘆いている……と言うところでしょうか。ハロルド・ホールディングス……ではありませんね。伝統あるハロルドの求心力たり得てないと自覚しているようです」  アルテッツァの報告に、なるほどねぇとコールマンひげをした男の顔を見た。 「だけど、肥大化しすぎた組織だと考えれば仕方がないんじゃないのかな? と言うか、これだけ肥大化した組織の求心力になれる方がおかしいと思うよ。規模だけで言ったら、そこいらの帝国でも敵わないだろう。資産規模で言っても、超銀河連邦最大のヤムント連邦でも勝負にならないぐらいだ。統治できると考える方がどうかしている」  トラスティの決めつけに、「仰るとおりです」とアルテッツァは認めた。 「誰がなっても、たとえトラスティ様を担ぎ上げたとしても、物理的に無理としか言いようがありません」  いささか不穏な言葉が含まれていたが、トラスティは敢えてそれを無視した。 「だとしたら、ハロルドは何を目的に業務提携を持ちかけたきたのかな?」  その情報はと問われたアルテッツァは、「残念ながら」と頭を下げた。 「ジェイコブ銀河では、私のネットワークは限られた範囲にしか張られていません。連邦軍が駐留している範囲だけ……と言うのが情報が限られている理由になります。影響力は低下したと言いましたが、ある意味レムニアのような企業帝国が作られているんです。そのため情報システムも、連邦から独立したものが構築されています。非公式ですが、自警軍も充実していると言う話です」 「自警軍って……」  はあっと息を吐いたトラスティは、「連邦法に引っかかるね」と連邦法の規定を持ち出した。そしてその指摘に頷いたアルテッツァは、「抜け道ならあります」と軍組織の所在を理由にした。 「公式には、各星系に所属した軍となっています。従って、連邦法には抵触しないことになります」 「そのあたりは、抜かりがないと言うことなのだろうね。それで、レベル的にはどれぐらいなのかな?」  それによっては、別の問題も生じてしまうことになる。ジェイコブ銀河のレベルを気にしたトラスティに、「難しいところです」とアルテッツァは答えた。 「ハロルド・ホールディングス配下は、ほとんどが金融・保険業となっています。そのため豊富な資金を持っていますが、自ら技術開発するほどの能力を有していません。ただ有名所の大学には、投資と言う名目で技術援助を行っています。また豊富な資金力を背景に、様々な技術を買い集めてもいるのです。トップ6に喧嘩を売るほどではないのでしょうが、それ以外なら圧倒できる技術力・戦力があるのではないでしょうか。もっとも、トラスティ様に喧嘩を売る真似は絶対にしないと思いますよ」  絶対に蹂躙されるからと主張したアルテッツァに、「しないから」とトラスティは笑った。 「せいぜい、降りかかる火の粉を払いのけるぐらいかな」 「それが尋常でないのは、シルバニア帝国が証明しましたよね」  その事実は、すでに超銀河連邦内に広まっていると言うのだ。それをなるほどと聞いたトラスティは、「だからかな?」とハロルドの動きを考えた。 「それで、トリプルAの社長としてどうするんだい?」 「トリプルAの社長として……ですか?」  そこで少しだけ考えたアリッサは、「私個人として」と断りを入れて「興味はない」と口にした。 「もちろんトリプルAとしてなら、取締役会に掛ける案件だと思います。ただ私達にとって、ハロルドと業務提携をするメリットはありませんね。信用と言う意味なら、今時点の業務提携先のもので十分以上にあります。そこにハロルドが加わっても、信用の面では全く得るものはありません。そして資金面でも、ハロルドの力を借りる必要はありませんからね。意外に感じるかも知れませんが、得られるものの価値はハロルドの方が大きくなると思いますよ」 「なるほど、だから興味がないと言うことになるんだね」  よく分かったと答えたトラスティは、アリッサに自分の票を与えることを宣言した。 「とは言え、正式な申し入れである以上、こちらも正規の手順を踏む必要があるのだろうね」  そこでアリッサの顔を見てから、「頼めるかな」とトラスティはアルテッツァに声を掛けた。 「トリプルA取締役会の招集ですか?」  そこでアルテッツァがゴクリと喉を鳴らしたのは、そのメンバーが豪華過ぎたからだ。発足時のメンバー3人にエヴァンジェリンを加えた4人に、トップ6のうち4つから取締役が選出されているのである。そして発足時のメンバーの一人は、残りの2つのうち1つに当たるパガニアの次期王妃なのである。しかもトラスティには、ヤムント連邦皇室の一員という立場も有った。  その意味で言えば、トップ6+1のうち6つがトリプルAに関わっていると言うことになる。その取締役会ともなれば、超銀河連邦理事会に匹敵する意味を持つことになる。 「ああ、可及的速やかに招集を頼む」  いいかなと問われたアルテッツァは、少し緊張した面持ちで「おまかせを」と頭を下げた。 「では、直ちに手配に取り掛かります」 「ああ、任せたよ」  あっさりとしたトラスティの態度なのだが、アルテッツァはそれを気にしたようすはなかった。そしてもう一度「おまかせを」と二人に頭を下げてから姿を消したのである。 「さて、おそらく取締役会では業務提携の話は否決されるのだろうね」 「その場合、ハロルドがどんな手を打ってくるのか……ですか?」  アリッサの言葉に、トラスティは小さく頷いた。 「とてもじゃないけど、諦めが良いとは思えないからね。多分だけど、今時点でも色々と裏工作をしているんじゃないのかな?」 「弱みなど無い……と考えると、足を掬われることになるのでしょうね」  少し緊張した表情のアリッサに、「たぶんね」とトラスティは彼女の言葉を認めた。 「ただ、迂闊な真似をした時は、ハロルドもただでは済まないと思うよ」  手加減などするつもりはない。「面白くなってきたかな」と、トラスティは不敵に笑ったのである。  普通に働けば、そしてトリプルAのAI達さえ関係しなければ、アルテッツァが超銀河連邦最高のコンピューターと言う事実は疑いようはない。そしてそのアルテッツァが最優先に動いた以上、トリプルA取締役会が可及的速やかに開催されたのはあたり前のことだろう。  取締役会に出席したのは、トリプルAの創業者であるアリッサ・トランブル、エイシャ・ダウニー、アマネ・サープラス・パガニアの3人に加え、提携先であるリゲル・レムニア帝国皇帝トラスティにエスデニア最高評議会議長であるラピスラズリ、パガニア王国王子クンツァイト、シルバニア帝国宰相リンディアの7名である。ある意味顔なじみばかりとも言えるのだが、「トリプルAの役員」と言う立場を持ち出すことで、この集まりが特別な意味を持つことになる。超銀河連邦トップ6のうち、実に5つの代表が集まったのだ。 「では、司会進行は私が執り行います」  普段にない真面目な態度で、トラスティが初の取締役会の議長を名乗り出た。 「なおこの会議の議事は、アルテッツァに記録されることになります」  そう宣言したトラスティは、ちらりとアリッサの顔を見てから唯一にして最大の議題を切り出した。 「ハロルド・ホールディングスから、代理人を通して業務提携が持ちかけられました。ちなみに代理人の言葉を借りると、「将来の対等合併を見越した業務提携」とのことです」  相手の巨大さを考えれば、驚天動地の話しに違いない。だがその話を受け取った他の5人は、特に驚いた顔をしなかった。それを確認したトラスティは、小さく頷いてぐるりと全員の顔を見渡した。 「どうやら、話は伝わっていたようですね」  そこで一息ついてから、「いきなり採決をしてもよいのですが」とアリッサの顔を見た。 「代表取締役は、「興味がない」とネガティブな意見を述べられています。そこで皆さんのご意見を伺いたい」  最初に顔を見られたエイシャは、小さく肩をすくめて「よく分からん」と率直な感想を口にした。 「その意味で言えば、アリッサと同じで「興味がない」ことになるな」  そこまで口にしてから、「そもそも」とエイシャは言葉を続けた。 「トリプルAにとってのメリットが見えないな。現時点では、政治的にも資金的にも何も困っていないだろう。あまり図体のでかいところと提携すると、好き勝手できなくなるって言う問題もある。だから「興味」はないし、提携事態にはネガティブと言うのが正直なところだ」  以上と、エイシャはアマネの顔を見た。そして顔を見られたアマネも、「エイシャさんと同じですね」と提携にネガティブであることを口にした。 「私達にとって、本当にメリットが見えませんよね?」  ですよねと顔を見られたクンツァイトは、大きく頷いて「思い当たらない」と妻の言葉を肯定した。ちなみに夫婦の首には、相変わらず隷属のチョーカーが巻かれていたりする。 「身も蓋もない言い方をすると、ハロルド・ホールディングスはトリプルAにとって余所者だからね。ここにいる女性は全員ご主人様と関係をしているし、男である私もご主人様に隷属しているんだ。そんなところに、ただビジネスだけで割り込んでこられても迷惑だと思っているよ」  そこで顔を見られた女性二人、ラピスラズリとリンディアは苦笑交じりに頷いてみせた。  それを同意と受け取ったクンツァイトは、更に過激な意見を口にした。 「アルテッツァ、これからの発言は記録を停止してくれ」  アルテッツァが「畏まりました」と頭を下げたところで、クンツァイトは「トリプルAは」とその存在の意味を持ち出した。 「確かに、ジェイドに生まれた一企業には違いないのだろう。だがその意味合いは、ただの営利企業にとどまるものではないと思っているんだよ。なにしろトップ6のうち5つが経営に関わっているだけじゃなく、更には+1と言われるヤムント連邦も関係しているんだ。しかも新しく加わった銀河は、トリプルA……正確には、ご主人様やノブハル氏に大恩がある。超銀河連邦の意思決定は理事会が行ってはいるが、トリプルAはそれを補完する……至らない点を尻拭いするものとして存在しているんだよ。確かにハロルド・ホールディングスが巨大な存在なのは違いないが、私に言わせればそれだけでしかないんだ。そして潰そうと思えばさほど難しくない存在でもある。つまり、トリプルAからしてみればその程度の存在と言うことになる。私に言わせれば、身の程を弁えろと言うところだね」  以上と言って椅子に持たれたクンツァイトに苦笑を向け、トラスティは「面倒を持ってくるな」と文句を言った。  ただそんなトラスティに、「身から出た錆だと思うのだけどね」とクンツァイトは責任を打ち返した。 「ご主人様は、天の川銀河の雄であるレムニア、リゲルの両帝国の皇帝として君臨しているのだよ。そしてエスデニア連邦の代表である最高評議会議長様を妻にし、パガニア王国次期国王は君に隷属しているんだ。シルバニア帝国にしたところで、ご主人様に逆らう力がないことははっきりしている。唯一無関係なのはライマールなのだけど、それはライマールの政治体制を考えれば仕方のないことだろう。そしてヤムント連邦の皇室に、ご主人様は婿入りをしているんだ。その上ご主人様は、かのIotUのただ一人の子供と言う事実もある。もしもご主人様が望めば、エスデニア連邦はご主人様を盟主として迎えるだろうし、パガニアだって王位を譲ってもいいと考えているぐらいだ」 「連邦は分かりませんが、エスデニアはいつでも我が君を正一位に迎える用意はありますよ」  すかさず口を挟んだラピスラズリに向かって頷き、クンツァイトは「だからどうでもいい存在だ」とハロルド・ホールディングスのことを評した。  ひとしきり演説をぶったクンツァイトに向かって苦笑を返したトラスティは、「アルテッツァ」と超銀河連邦最大のAIを呼び出した。 「議事録を再開する前に、ライラ皇帝はなんて言っていた?」 「ノブハル様を夫に迎えたことが全てだと。それでも信用できなければ、喜んで隷属のチョーカーをつけるそうです」 「さすがに、喜んでは問題だろう……」  ますます顔をひきつらせたトラスティは、「議事録の再開を」とアルテッツァに命じた。 「では、ハロルド・ホールディングスとの業務提携の是非について決を採ることにします。賛成の方は挙手を願います」  そこでゆっくりと全員の顔を見たが、誰一人として動きを見せなかった。 「では反対の方は挙手願います」  その言葉と同時に、アリッサを含む6人が一斉に手を挙げた。それを確認したトラスティは、「全会一致を確認しました」と口にした。 「トリプルA取締役会は、ハロルド・ホールディングスとの業務提携を全会一致で否決したことをここに宣言します」  そこで言葉を切ったトラスティは、今一度全員の顔をゆっくりと見渡した。 「本日の議題は以上となります。役員の皆様には、お忙しい中ご参集いただいたことに感謝いたします」  トラスティが立ち上がって頭を下げたところで、トリプルA始まって以来初めて開催された取締役会は終了したことになる。  そこでの問題と言えば、誰一人として帰ろうとしていないことだった。全員が多層空間移動を利用できることを考えれば、すぐに自分の星に帰ってもおかしくないはずなのにだ。  そしてその異常……ある意味おかしなプレッシャーを発した5人を代表して、クンツァイトは「ご主人様に提案があるのだけどね」と切り出した。 「宴を開けと言うことかな?」  これだけのメンバーが集ったのだから、会議が終わって「はい、さよなら」で済まないのは覚悟していた。ただ彼にとっての問題は、宴の後のことだった。むしろ宴は、口実でしかないことが分かっていたのだ。 「アリッサさんには、宴だけ出席して貰えばいいと思っているよ」 「……しかたがない。兄さんにも声を掛けるか」  犠牲者を増やした方が、自分の負担は軽くなってくれる。そのつもりでカイトの顔を思い浮かべたのだが、アルテッツァが「「遠慮する」だそうです」とすかさず割り込んできた。 「自分の代理として、ザリアを派遣するからそれで我慢しろ……だそうですよ」 「それじゃあ、僕の負担が減るどころか逆に増えるじゃないかっ!」  思わず叫んだトラスティに、「諦めた方が」とアルテッツァが申し訳無さそうな顔をした。 「なんでしたら、ジュリアン様にお声掛けしましょうか?」 「ここに呼ぶ理由がないと言うのか……アス駐留軍の責任者を呼びつけるのは失礼に当たるだろう」  流石に問題と眉を顰めたトラスティに、「お尋ねしてみましょうか?」とアルテッツァは一歩踏み込んだ。 「なにか、深みにはまり込みそうな気がするからやめておくよ」  こめかみを揉みほぐす夫に、アリッサは「パーティの手配は終わりましたよ」と声を掛けた。 「今日はカゴネの温泉を使うことにしました」  そう口にしてから、アリッサはぽんと手を叩いた。妊娠中期に差し掛かっているからか、豊かさを増した胸がぷるんと揺れた。 「私の代理を、メリタさんにしてもらうことにします。それからアルトリアさんとロレンシアさんが、是非ともご挨拶をしたいそうですよ」  つまり、トラスティの負担が更に増えると言うことになる。恨めしそうに自分を見る夫を無視し、「にぎやかになりますね」とアリッサは笑った。 「今日はみなさんの接待になりますからね。仕事のあるアルテルナタさん以外の方には出席していただくことにしたんです」  だからこの人選に他意はない。本気で言っているのが恐ろしいと、妻の天然ぶりにトラスティは身を震わしたのだった。  少年少女達にとって、カフェベルグに行くのは退屈な生活の中に現れた、数少ない潤いの一つになっていた。ただリッカにとっての不満は、あれ以来ノブハルが顔を出さないことだろう。いの一番にベルグに入ってきて、「居ないんですか?」と不満を顔に出していつもの席に腰を下ろすのである。 「旦那様は、お仕事が忙しいそうですからね。ただ、時々は顔を見せてくれますよ」  もうちょっと遅い時間でと言いながら、エリーゼは4人の前に大きめのタンブラーに入れた水をおいていった。 「それで、ご注文は? いつものにしますか?」 「それも良いんですけど……ちょっと今、懐が苦しくて」  いくらリーズナブルな価格設定をしていても、通いつめればお小遣いが底をついても不思議ではない。その事情はアカネ達も大差はないのだが、一番厳しいのがリッカだったと言うことだ。  「だから紅茶で」と、リッカは注文のランクを落としたのである。  そこで意味ありげにユータを見たエリーゼは、「ご注文は?」と営業スマイルを浮かべた。 「え、ええっと、おすすめはなんですか?」  その笑みに打たれてドギマギしながら、ユータはエリーゼとの会話のネタを引き出した。ただ単に注文するより、おすすめを尋ねる分だけエリーゼと話をすることができるのである。そのあたりが、純情な男子高生の精一杯と言うことになる。  ちなみにユータやリッカの態度を見ながら、エリーゼは自分やノブハルが「変」と言われた理由を教えられた気持ちになっていた。「女を教えろと」声を掛けてきたノブハルは論外として、いくら事情があるとは言え、それを受け止めた自分も十分に「変」だと理解したのだ。  そんな気持ちになれなかったのだと自分に言い訳をしながら、エリーゼは4人から注文を聞いていった。結局4人は、お店の中では一番安い紅茶だけを注文してくれた。  「やっぱり良いよな」とエリーゼの後ろ姿を見送る男二人に機嫌を損ねながら、「セミナーだけど」とリッカは今日の話題を持ち出した。 「私には、やっぱり胡散臭く思えるんだけど」  あれから慎重を期して、学校のネットワークを使ったおいたはやめていた。その分自宅のネットワークが危険にさらされるのだが、こちらは処分はないと開き直って調べ物をした。その結果が、今のリッカの言葉と言うことになる。 「とは言え、おおよそ自己啓発セミナーなんて似たようなものだろう?」  あれからはちゃんと予約をとっているため、個人セミナーのような形にはなっていなかった。その分話しの面白みは減ったのだが、逆に普通のセミナーとの差が分からなくなっていたのだ。おかげで、おどろおどろしい広告の意味が理解できたと、おかしなところでショウとユータは納得していた。  どこも一緒と答えたショウに、それでもとリッカは言い返した。 「なんか、腑に落ちないって言うのか」 「そう言った、根拠のない批判は良くないと思うのだけどな」  ショウが微苦笑を浮かべたところで、「おまたせしました」とエリーゼが小さなワゴンを押して現れた。 「美味しい紅茶が入ったので、一度試してみてくれませんか」  そう言いながら、エリーゼは大ぶりのポットから4人のカップに薄橙色をした紅茶を注いでいった。途端に漂う甘くて爽やかな香りに、リッカとアカネはうっとりとした表情を浮かべた。それを満足気に見ながら、「こちらはサービス」と言ってショートブレッドとホイップクリームを4人の前に置いた。  ちなみに、この紅茶の出所は明かせないものと言うのは今更のことである。何しろ「寄越せ」とタブリースのところから巻き上げてきたジレル産の逸品と言うのがその正体なのだ。連合内のどこにも流通していないと言う、非常に微妙な紅茶と言うことになる。  もう一つおまけを言うのなら、使われているカップもニヴェア製のものではない。こちらは、ハラミチの所からセットで取り上げてきた逸品揃いである。他の食器やカトラリーにしても、エルマー7家の目利きが入ったものだった。  おまけに恐縮しながら、4人は香りの高い紅茶の味に感動したりしていた。自宅で飲むティーバッグのお茶とは、どう考えても同じものとは思えなかったのだ。そしておまけとして出されたショートブレッドにしても、スーパーでは見かけない逸品だった。  どうしてこんなに美味しいのにお客さんが少ないのか。お茶とお菓子に感動しながら、4人は店内を見渡した。特に広い店内ではないので、自分達以外には客が一組。女性二人連れと言うのが、カフェベルグの来店者と言うことになる。 「相変わらずお客さんは少ないんだけど……あそこの二人って、芸能人なのかしら?」  すっごく綺麗と言うリッカの評価に、「それは認めるけど」とアカネが自分の意見を口にした。 「でも、見たことはないわよ」  だよねと顔を見られた男二人も、「ないな」と即座に同意した。ものすごく綺麗なことは認めるが、テレビや雑誌で見かけたことがないのだと。  一人は金色の髪を肩口まで伸ばしたとても上品そうな女性だし、もう一人は黒髪をショートにした、美人と言うだけでは褒め言葉が不足しているとしか思えない女性だった。 「なんか、このお店に来ると自信がなくなると言うのか……あんな風になれたらって憧れるけど」  そこでため息を吐いたリッカは、「どう考えても無理」と肩を落とした。  そんなリッカに目を留めたのか、「また、何かしでかしたのですか?」とエリーゼが声を掛けてきた。 「エリーゼさん、またってことはないと思いますよ」  すかさず文句を口にしたリッカに、「よく問題を起こしますよね」とエリーゼは痛い所を突いてくれた。先日も、学校のネットワークをワームに感染させたばかりだったのだ。 「今日は違いますっ!」  すかさず言い返したリッカは、「今日はお客さんがいるんだなぁって」と逆に痛い所を突き返した。  そんなリッカに微苦笑を返し、「お客さんではあるんですけどね」とエリーゼはとても微妙な顔をした。 「私の先生が様子を見に来てくださった……と言う所です。今日のスコーンですけど、先生が焼いてくれたものなんですよ。私には、どう頑張っても真似ができなくて……」 「つまり、今日もお客さんは私達だけってことですか?」  よく潰れませんねと口元を歪めたリッカに、「否定はできませんが」とエリーゼは肩を落とした。 「旦那様からは、税金対策にはなっているからと……」 「稼ぎは期待されていないと……」  なるほどと大きく頷いた高校生4人に、「傷つきますね」とエリーゼは膨れてみせた。  そしてその気持をごまかすかのように、「お腹は空いていますか?」と話を変えてきた。 「先生が、お手本を見せてくださるそうなんです」  美味しいですよと言われ、4人は思わず顔を見合わせた。 「デザートは良いんですけど、お料理の方が評判になっていないんです。お客さんの入りが悪いのは、それが原因なのかなと。だから、先生に来て貰ったんですよ」 「確かに、経営的には問題ですよね?」  そこでどうすると仲間の顔を見たリッカは、全員が頷くのを見て「喜んで」とエリーゼに答えた。 「じゃあ、用意ができるまで少し待っててくださいますか?」  そう言い残すと、エリーゼは4人のカップにお代わりを入れてテーブルから離れていった。  その後姿に見とれながら、「このお店って」とユータが口を開いた。 「なんか、趣味でやってないか?」 「確かになぁ、生活がかかってないと言うのか、少しも困った様子が見えないな」  そこで自分達のテーブルを見て、「採算が合うとは思えない」と断言した。スコーンのホイップクリーム添が新しいのに交換されているし、キューブサイズのチーズケーキまで増えていたのだ。 「しかも、全部美味しいしね……お客さんが少ないのが不思議なぐらい」  ピックでケーキを突き刺し、アカネはそれを口に運んだ。そして嬉しそうな顔をして、頬を右手で押さえてみせた。 「こんなの食べたら、他でケーキが食べられなくなるわ」 「同感。なんか、絶妙な味をしているわ」  うんうん言いながら、リッカもケーキをピックで突き刺した。 「ほんと、なんでお客さんが来ないんだろう?」  美男美女がお店には揃っているし、お店の中も洒落た作りになっている。しかも値段も、心配してしまうほど抑えられているのだ。食器一つ一つも上質だし、出されるデザートは逸品揃いである。お客が押し寄せない理由を探す方が難しいと言うのが、4人に共通した思いだった。  あまりにも客が来ないと4人が考えたからだろうか、4人にとって初めて他の客がカランとカウベルを鳴らして入ってきた。まさかと入り口を凝視した4人だったが、やっぱりと客の顔を見て納得をしてしまった。男女二人連れの客だったが、その男性の方がオーナーのノブハルだったのだ。もうひとりの女性は初めて見るが、銀色の髪を伸ばした美人と言うのははっきりしていた。そこでリッカが気になったのは、やけにその女性が親しげにしていたことだった。  ノブハルは気にした様子を見せなかったが、銀髪の女性は一瞬だけリッカ達の方へと視線を向けた。とてもきれいな藍色の瞳をした女性なのだが、リッカは全て見通されたような気持ちを感じてしまった。  ノブハルが頭を下げたところを見ると、先生と言われた女性の方が立場が強いのだろう。ただ2人居たはずなのに、黒髪の女性の姿がいつの間にか見えなくなっていた。それをリッカが疑問に感じたところで、奥の方から答えがワゴンを押して現れてくれた。 「皆さんが、試食に付き合ってくださるんですね」  そう言って優しく微笑まれると、つい目尻が下がってしまうと言うものだ。年齢的に明らかにエリーゼ達より上なのだが、そんなことを感じさせない……と言うのか、その女性は完成された美しさを見せてくれた。 「料理……と言っても、サラダなんだけどね。こう言ったのあったほうが良いかなって……隣のテーブルに並べておくから、適当に食べちらしてくれていいわよ。それから、男の子向けにもっとお腹にたまる料理も作るからね」  期待していてとウインクをされ、思わずショウとユータの二人は照れてしまった。  そして普通ならへそを曲げるリッカなのだが、こちらはこちらでキラキラとした目をその女性に向けていた。どうやら「憧れる」と言うのは本当のようだった。  そして「食べちらして」と言われはしたが、そんなことはできないと並べられた皿を見て4人は感じていた。何しろ4人にとってのサラダは、ちぎった野菜がボールに盛られている程度のものだったのだ。それなのに、並べられた皿には色使いを含めてとても美味しそうなサラダが盛られていた。 「次はパスタを持ってくるからね。後はパンのメニューと肉料理かな。デザートもちょっと凝ったのを用意するから待っててね。ちなみにカフェの料理だから、豪華なレストランとかを想像しないように」  そこのところは大切だからと笑い、その女性はワゴンを押して奥へと消えていった。 「ねえ、本当にただで食べて良いのかしら?」 「そのあたりは同感なんだが……試食してくれって言われたしな」  ううむと唸ったショウだったが、アカネの行動にがっくりと肩を落とした。なんのことはない、すでにサラダを口に運んでいたのだ。 「相変わらず、遠慮のないやつだな」 「試食してくれって言われたんだから、別におかしくないでしょ? 私達の役目は、ちゃんと頂いて感想を言うことでしょ?」  うん美味しいと目尻を下げながら、アカネは別のサラダを皿に取った。 「食べないの? ドレッシングが絶妙だよ」 「お前を見ていると、遠慮するのが馬鹿らしくなったよ」  だろうと顔を見られた二人は、「確かに」とテーブルに置かれたサラダを自分の皿に取り分けた。そして思い思いのドレッシングを掛けから、「絶妙!」と言いながら口に運んでいった。 「あら、そうやって食べて貰うと嬉しいわね」  ワゴンを押してきた女性は、4種類のパスタをテーブルの上に並べた。クリーム系、トマト系、オイル系、それから見慣れない魚卵がまぶされた4品だった。 「遠慮はいらないから。後で、感想を聞かせてね」  次は肉よと言いながら、その女性はワゴンを押して奥へと消えていった。 「これも美味しそうだな……」  ごくりとショウは喉を鳴らしてから、トングでクリーム系のパスタを取り分けた。それをフォークで口に運んで、「まったりとした味がいい」と嬉しそうな顔をした。 「このつぶつぶが付いたやつ、ピリッとしていて美味しいわよ」 「って言うか、どれも美味しいんだけど……」 「だな」  4人が4人、出されたパスタ料理を貪るように口に運んだ。似た料理は食べたことはあるが、こんな美味しいのは初めてだと感動したのである。  それから肉料理やパン料理、極めつけのデザートと至福のときを味わった4人は、最後に美味しいお茶で試食会は終了した。そこから感想と言うことになるのだが、残念なことに「美味しかった」以上の感想は出てこなかった。あれがこれがとグルメ番組さながらの印象を口にしようとしたのだが、「美味しい」の一言を超えられなかったと言うことである。  そしてもう一つ気になったのは、「カフェ」の料理の水準だった。少ないとは言え、今までカフェに言ったことは何度かあるのだ。豪華なレストランは想像できないが、少なくとも今まで行ったカフェでは太刀打ちのできるものではなかったのだ。 「なんかさぁ、役得を通り越して怖い気がするわ」  膨らんだお腹をなでながら、リッカは奥の方のテーブルに視線を向けた。そこではカフェのオーナーが、楽しくお話をしながら食事をしていた。やはり金色の髪をした女性が年長なのか、オーナーのノブハルと銀髪の女性はへりくだった態度をしていた。 「ひょっとして、みんな気後れしちゃうんじゃないの? ほら、ここにいる人達って、みんな並外れてきれいな人ばかりだから……でも、胸の大きさなら勝ってるわね」  ふふんと自慢気に鼻を鳴らしたアカネだったが、その瞬間得も言えぬ悪寒を感じてしまった。ある意味殺気にも似た感覚なのだが、アカネにはその理由が理解できなかった。 「なんだ、どうかしたのか?」  その様子に気づいたショウに、「なにか悪寒が……」とアカネは首を巡らせた。ただ広いとは言え、談笑している3人と料理を作ってくれたきれいな女性、そしてエリーゼとジノ以外には誰もいなかった。 「多分、気のせいだと思う……」  ずずっとお茶を啜ったアカネは、手元の端末で時間を確認した。 「当たり前だけど、随分と長居をしちゃったね」 「相変わらず、お客さんは私達だけか」  少し口元を歪めたリッカは、「帰ります」とエリーゼに声を掛けた。とりあえず客として来たのだから、最初に注文した分ぐらいはお金を払わないといけない。お財布代わりのIDカードを取り出したリッカに、「割り勘ですね」とエリーゼは4人に紅茶代を提示した。あたり前のことだが、4人にはそれぞれ紅茶1杯分だけ請求されただけだった。 「本当に、これっぽっちで良いんですか?」 「注文していただいたのは、最初の紅茶だけですからね」  だから良いんですとエリーゼが笑ったところで、奥から黒髪の女性が現れた。そして現れただけではなく、4人にそれぞれ小さな手提げ袋を渡してくれた。 「あの、これは?」  近くにいるだけで緊張してしまう。顔を赤らめ自分を見たユータに、その女性は「余り物」と言って綺麗に笑って見せた。 「当たり前だけど、消費しきれなかったのよ。だから、君達に「お土産」を口実に後始末を頼もうかなってね」  悪いけどと謝った女性に、とんでもないとユータは慌てて手を振って否定した。 「たくさんごちそうになったんですから」  そうだろうと顔を見られたショウも、「宝物です」と手提げ袋を掲げてみせた。 「そんな嬉しいことを言ってくれたら、もっとサービスしたくなっちゃったな」  ちょっと待ってと奥に消えたと思ったら、同じぐらいの手提げ袋を持って戻ってきた。 「こっちはスコーンとクッキーが入っているわよ。ケーキよりは長持ちするから、おやつにでもしてね」 「そ、そんなにしていただいて良いんですかっ!」  驚いたリッカに、「子供は気にしなくていいのっ!」とその女性は言ってのけた。 「これは、お店の商品じゃないのよ。だから、あなた達は少しも気にする必要はないのよ」  だから気にしないでと、その女性は恐縮する4人に声を掛けた。それでますます恐縮することになったのだが、それを気にしないで「じゃあね」とその女性は奥へと消えていった。  憧れのこもった目で見送った4人は、「アイラさんは人妻ですよ」と言うエリーゼの声で我に返った。 「と言うのか、ここにいる女性は全員既婚者ですけどね。独り者はジノさんだけなんです」  どうですかと顔を見られたアカネは、「どうして」と隣に居たリッカを見た。  その視線の意味に気づいたエリーゼは、「ジノさんの意思を尊重して」と危ない理由を口にしてくれた。 「それって……」  そこで顔を赤らめたリッカは、反対の方を向いて仕事をしているジノの方を見た。どうやら、彼の耳には今の話は届いていないようだ。  そして一人標的にされたアカネは、まんざらでもない……と言うか、しっかり顔を赤らめていた。  ただ、誰かが積極的に動かない限り、この手の話がそれ以上続くはずもない。そして現実に戻った男二人が「帰らないのか」と声を掛けたところで、ガールズトークも終りとなる。  せっかくの話がとは思いもしたが、まだまだ機会はあるはずだ。それでも気が利かないと少しだけ腹を立てながら、「帰るわよ!」とリッカは少しぞんざいに答えた。そして顔を赤くしたままのアカネの袖を引き、帰るわよとドアの方へと引っ張った。 「私は、もう少し残ろうかなぁ〜」  そこでちらりとジノの方を見たのだが、あいにくジノの視線は自分の方になかった。それに少しだけ落胆したアカネに、「門限を意識した方が良いわね」とリッカが忠告した。 「あなたにだけは言われたくないんだけど……」  それでも、余計なところでチェックを入れられるのは嬉しくない。仕方がないと諦め、「帰るわよ」とアカネは率先してドアを出ていった。その後を追うように、リッカ達もベルを鳴らしながらお店から出ていった。そして「ありがとうございました」と言うエリーゼの言葉を背に、4人は通りの向こうへと消えていったのである。  4人が戻ってこないのを確認したエリーゼは、目を閉じて右手の人差し指を体の前で2度回した。そしてそのままの姿でしばらく居てから、小さく息を吐いて目を開けた。 「人避けの結界って難しいんですね」 「特定の人達を除外していますから、難易度は上がっていますね」  いつの間にか隣に現れた金髪の女性、ライスフィールは「ちゃんとできています」とエリーゼを褒めた。それから振り返って、「未来は変わりましたか?」と銀髪の女性に声を掛けた。 「かなり修正されてきている……とは思います。とは言え、あの4人がアニマに行く未来に変化はありませんね」  銀髪の女性、フリーセアは4人の歩いていった方をじっと見つめた。 「アカネさんでしたか? 彼女が、一人でお店に来る未来が増えましたが。その意味では、目的通りとも言えるのですが……」  そこで少し口ごもったのは、その先に見える未来が理由なのだろうか。「よろしかったのですか?」とフリーセアはノブハルに尋ねた。 「よろしかったとはどう言うことだ?」 「ジノ様に押し付けるようなことになったことです」  結果的に、ニヴェアの女子高生一人をジノに押し付けようとしている。それを気にしたフリーセアに、「なにか問題が?」とノブハルは聞き返した。 「ジノ様が受け入れられるのなら問題ありませんが。アカネさん、結構積極的に迫ってくるんです。ジノ様が冷たくすると、むしろ何もしないのよりも悪くなる未来が見えるんです」  だからですとの答えに、なるほどとノブハルは大きく頷いた。 「シルバニア帝国近衛は、妻を持つことができるのか?」 「聖下以上の女性を作ってはならない。それが鉄の掟となっています」  つまり、妻を持たないことを立場を理由に答えたと言うことになる。  ジノの答えを受け止めたノブハルは、「前時代的だな」と鼻で笑った。 「確か、ニルバールは何度もカイトさんに抱かれていたはずだ。そしてサラマーも、トラスティさんに何度も抱かれているぞ。それで仕事に支障が出たと言う話は聞いていないのだがな?」  だろうと、ノブハルは姿を表したサラマーに尋ねた。 「ノブハル様の仰るとおりかと」  真面目くさって答えたサラマーだったが、ジノはその目元と口元がぴくぴくと動いているのに気づいていた。どうやら、この事態を面白がっているらしい。 「ライラが許せばなにも問題はないはずだ。うん、俺からライラに言っておこう」  それでいいと大きく頷くノブハルに、ジノは顔を大きく引きつらせた。ただそれを気にすることなく……と言うよりあえて無視をしたノブハルは、「悪くなる」と言ったフリーセアに重要な指摘をした。 「何もしなければ、ニヴェアは自我境界の崩壊による融合現象が発生するのだからな。それを考えたら、それ以上に悪いことはそうそうないだろう」 「ノブハル様の仰る通りなんですけどね」  そこで少し言葉を濁したフリーセアは、振り返ってジノの方を見た。 「エリーゼ様でも守りきれないと言えばいいのか……ジノさんが巻き込まれる未来が見えた。と言うことです」 「なるほど、ジノには究極の選択が突き付けられたわけだ。ちなみに、俺達が事前に避難すると言う方法はとれないのか?」  そうすることで、もともとあった未来に事象が収斂することになる。そのつもりで尋ねたノブハルに、「ニヴェアの人達を見捨てますか?」とフリーセアは大本の問題を持ち出した。 「それから、その時には近傍の惑星も被害を受けますけど?」  それでもいいのならとの問に、「だそうだ」とノブハルはジノの顔を見た。 「なに、なかなか可愛らしい子じゃないか。皇夫として祝福するのはやぶさかではないぞ」  それからと、ノブハルはとても本質的な指摘を持ち出した。 「ライラは俺の妻なのだからな。聖下以上の女性と言う言い方には引っかかりを感じるぞ」  公私を分けてこそ立派に任務を勤め上げることができる。それを忘れるなと、ノブハルは吹き出してしまいそうな衝動を抑えながら建前を口にしたのだった。  ジノで遊ぶばかりでなく、ノブハルはノブハルで独自に調査を進めていた。その中には、エリア17行政府長官ステファノーの言う「マールス教」関係者も入っていた。  いかにも胡散臭そうな名前に期待をして調査を始めたのだが、その調査もわずか1日で打ち切ることになった。その理由が、「ペテン師とバカの集団」だと言うのである。つまり、なぜかマールス銀河広くに広まっている伝説を利用した、霊感商法的な団体と言うのがその正体だったと言うことだ。 「マールスの教えって……何も中身がないだろう」  そうこぼしたのも、集会で語られている内容に触れたからである。「神への道」は、宗教だからまだ許せるのだろう。だが、そこにはそれ以上の情報はなく、「信じる」ことが唯一の道であると説き、その信仰を示すために、教団に高額な寄進をすることを求めていたのだ。その高額な寄進を「功徳」とよび、寄進すればするほど神の導きがあると言うのである。  その中で一つだけノブハルが憤慨したのは、教えをもっともらしくするために彼らがとった方法だった。それを分かりやすく説明するなら、「自殺幇助」もしくは「殺人」、「死体損壊」である。すなわち、これ以上寄進できそうにない信者を選んで、誘い出して「殺す」のである。そしてその死体を薬品で始末してから、神の世界に召されたと宣伝するのだ。そのために凝った映像を作り、神に召された例として信者たちに見せるのである。  その事実に行き当たったときには、「潰したくなった」と真剣に憤慨したぐらいなのだ。 「それが俺の仕事でないのは分かっているのだがな」  その憤懣やるかたない気持ちを鎮めるのは、いつもエリーゼの役目となっていた。別にするわけでもなく、いまだ控えめな胸にノブハルを抱き、精神鎮静の「魔法」を掛けるのである。 「ノブハル様は、お義父様と違ってペテンは上手ではありませんからね。やけどをしないよう手を出さないのが一番だと思います」 「そうは言うが、腹が立って仕方がなかったのだ。あいつら、人の命なんか金儲けのたねとしか考えていないのだぞ」  思い出すだけでも腹が立つ。そう文句を言ったノブハルに、「潰しますか?」とエリーゼはまるで天気のことでも語るかのように口にした。 「幹部の方達を「消せ」ばマールス教はそれで終わりですよね。もっとも、別の受け皿ができる可能性もありますけどね」 「幹部を消すって……お前の口からそんな話が聞けるとは思わなかったな」  予想外だと驚くノブハルに、「そうでしょうか?」とエリーゼは頬に人差し指を当てながら天井を向いた。 「別に、因果応報を否定しているつもりはありませんよ。それから、結構命に係る事件にも遭遇してきましたし……」  最初の出会いからして、父親に暗殺者を仕向けられたのだ。そして次には、乗っていた旅客船が王家のお家騒動に巻き込まれて爆破されてしまった。おっとりとしたお嬢さんだと考えれば、たしかに特筆すべきことなのかもしれない。  それに「ああ」と頷いたノブハルは、「そうではなくて」と首を振った。 「それに一言消すと言って、お前に何ができるのだ?」  家族の中でもっとも暴力から縁遠そうに見えることを考えると、ノブハルの疑問も正当なものに違いない。ただそれはまだ、ノブハルが常識的と言う意味にもつながる。  何ができると聞かれたエリーゼは、「そうですね」と考えてから「色々」ととても分かりにくい答えを口にした。 「例えば、スターライトブレーカーでしたか? 光を集められるのですから、その光にお願いをすればマールス教の本部ぐらい消滅させられると思いますよ。あとは、そうですね……大きな風を起こして教団の施設をどこかに吹き飛ばすとか、幹部の人達を宇宙に放り投げるとか……」  そこまで口にしてから、エリーゼは「他にもできそうな気が」と天を見上げた。ただなにか言いかけたエリーゼを、「もういい」とノブハルは押し留めた。 「まったく、トラスティさんはとんでもないものをお前にくれたのだな?」 「ですが、そのお陰でノブハル様のお役に立つことが出来ます」  だから素晴らしいものなのだと、エリーゼはなぜか下腹あたりをなでながら答えた。どういう訳か……でもないのだが、あのことを思い出してしまったのである。  そしてその気持から発した熱が顔に出ていたのか、ノブハルに怪訝な顔で見られてしまった。それに気づいたエリーゼは、そのまま熱に融けた表情で「ノブハル様」と熱い言葉をノブハルに掛けた。 「はしたないことだとは思いますが、体が熱くなってしまいました」  だからと、エリーゼはそれ以上言わずにノブハルに唇を重ねた。エリーゼを包んでいた熱は、すでにノブハルにも伝染っている。そのまま唇を貪りながら、ノブハルはゆっくりとエリーゼを押し倒したのである。  一区切りついたらジェイドに行こう。ノブハルの荒い息遣いを感じながら、エリーゼはトラスティのことを考えていた。  マールス教団調査を一日で終わらせたノブハルは、次にその調査の手をアニマへと向けた。そのあたり、大融合現象がフリーセアの未来視の領域に入ったおかげでもある。かなり際どい光景を見て貰うことになったのだが、現象の中心地近くにアニマの本部があることが判明したのが理由である。  そして調査の過程で浮かび上がった男女、ニヴェアではナークドと呼ばれる移民の子孫となる高校生達を調査にとりかかった。その舞台装置として、エリーゼの趣味と合わせて、カフェ・ベルグを経営することにしたのである。客の姿が見えないことを常日頃言われていたのは、そうするように細工をしているのだから当たり前と言うことになる。ライスフィール師匠にエリーゼが教わった、「人避けの魔法」が活用されたのである。  ただ舞台装置にはしたが、エリーゼはカフェを楽しんでいた。 「なにか楽しくていいですね、これ」  他に客が来ないのだから、お店を開いていても忙しいと言うことはない。それでもテーブルの掃除やお店に飾る花のアレンジメントと言った細々としたことを、エリーゼはとても楽しそうにやっていた。 「アイラさんみたいに、エルマーでカフェを開こうかしら」 「……特に反対はしないが」  ふむと考えたノブハルは、その際のデメリットをエリーゼに告げた。 「その分、自由に外を出歩けなくなるぞ?」 「一人でやっていたらそうなるのでしょうね。でも、ウタハさんに手伝って貰えばいいと思います。あとは、シシリーさんにも来て貰うとか」  そうすれば、交代でお店に出ることができる。楽しそうだと一人盛り上がるエリーゼに、「料理は誰が?」とノブハルは指摘した。 「シシリーは別として、ウタハにまともな料理は出来ないぞ。お前にしたところで、商売として人様に出せるレベルではないはずだ」  その指摘には、思い当たる部分が沢山あったようだ。ちょっとだけトーンダウンをしたエリーゼは、アオヤマ家にいる料理の達人を持ち出した。 「そのあたりはお勉強をしてですね……お義母様に手伝っていただくのもありだと思います」  料理上手なフミカを思い出して、いい考えだとエリーゼは一人納得していた。そんなエリーゼに、多分無理とノブハルは現実を突きつけた。 「あの人は孫達にべったりだからな。カフェの手伝いをすると言うことは、その時間孫たちと離れることになる。とてもじゃないが、納得してくれるとは思えない」  加えて言うとと、ノブハルはもう一つの問題を突きつけた。 「お前がこうして俺について来られるのも、あの人がミズキを見ていてくれるからだぞ」  だから無理と繰り返えされ、エリーゼは少し落ち込んだように俯いた。  そうなると現金なもので、ノブハルは慌ててフォローをに回った。別に愛する妻を落ち込ませようなどとは考えてなかったし、こうしてカフェで嬉しそうにするエリーゼもいいと思っていたのだ。  それからどうやってご機嫌をとったかと言うのは本筋ではないのだろう。とりあえず妻のご機嫌取りをしたノブハルは、アニマに乗り込む算段を考えていた。  そこですぐに乗り込んでいかなかったのは、これまでの経験が生きたと言うところだ。ただサラマー達に言わせれば、トラスティがいないかららしいのだが。理由はさておき、ノブハルは慎重にアニマを調査した。その中で特に注意をしたのは、4人のハイの生徒に対するアニマの動きである。アカネが鍵となるところまでは未来視で見えたのだが、その関わり方がわからないと言うのが4人を等しく観察することになった理由である。 「それで、アニマはどうなのだ?」  潜入調査は得意のはずだと、ノブハルはアクサにアニマ・ニヴェア支部の直接調査を命じた。融合現象の中心となるのなら、それなりの遺跡があるだろうと踏んだからである。 「その前に、なにか疲れてないか?」  ミラクルブラッドのお陰で、エネルギーの心配はまったくないはずだった。そしてこの星を消して余りあるエネルギーを持つデバイスが、ノブハルの目にはなぜか疲れて見えたのだ。  それに首を傾げたノブハルに、「ちょっとね」とアクサは引きつった笑みを浮かべた。 「嫌なことを思い出しただけよ」 「それは、触れない方がいいものなの……だろうな」  本気で嫌そうにしたアクサの様子に、ノブハルは詳しくは触れないことにした。 「それで、アニマからなにか出てきたか?」 「そのあたりはビミョーってところかしら。まだシステムには潜ってないけど、何かを企んでいるのは間違いないわね」  と言うことでと、アクサはアルテッツァを呼び出した。報告の手を抜いたのではなく、ノブハルにも分かりやすい形で教えようと考えたのである。 「中心メンバーをこれから教えるわ。まず、支部長から」  アクサの言葉と同時に、ノブハルの前にいかにもむさっ苦しい髭の男の姿が浮かび上がった。 「支部長のジェン・ロードよ。アニマ・ニヴェア支部の財政面の一切を取り仕切ってる。ひところ運営資金の殆どを自己資産から出していたぐらいだから、かなりの資産家と言うのは間違いないわね。ただ、どうやってその資産を築いたのかは未調査よ。資金面を押さえているのだけが理由じゃないけど、アニマ・ニヴェア支部における発言権は絶大なものがあるわね」 「どことなくハラミチさんに雰囲気が似てるな……色付きメガネを掛けさせたら、兄弟かと思えるな」  ううむと唸ったノブハルに、「否定しないわ」とアクサは嫌そうに答えた。 「そして支部長代理のツキ・ウインター。はっきり言ってジェンの腰巾着ね。一応は学者だったらしいんだけど……実際に何をやっているのかはよく見えてこないの。真面目そうな顔をしているけど、結構女好きよ。夜な夜な、自分の孫……は言い過ぎか、子供ぐらいの女性を買っているわ。気をつけないと、リッカちゃんだっけ? 手を出してきそうなぐらいね」  痩せぎすで白い髪をオールバックにした一見真面目そうな男の姿に、「人は見かけによらないものだ」とノブハルは感心した……むしろ呆れていた。 「そしてこれが、リツコ・ルージュ。アニマのシステム管理責任者。多分だけど、リッカって子のフォローをしてくれたのも彼女ね」  金髪に黒い眉毛、そして口紅で赤くなった唇が特徴の女性に、「けばいな」とノブハルは正直な感想を口にした。 「ええ、私もけばいと思うわ……」  心からの同意を示すアクサに、何かあったのかな? とノブハルは一瞬考えた。ただアクサが教えてくれるとは思えないので、「それで」と調査報告をすすめることにした。 「この3人が、何かの適格者を探そうとしているのは確かね。ユータ君とショウ君だっけ? 二人は候補の一人に入っているわよ」 「アカネはって……彼女は、まだアニマに顔を出していなかったか」  アカネがアニマに関わるのは、こちらの時間で明後日のことだった。イカンなと首を振ったノブハルに、「フリーセア様からの報告です」とアルテッツァが口を挟んできた。 「アクサさんが明後日される報告に、そのアカネさんの事が出てきます。どうやら、「これまでで一番の素材が見つかった」と言うのがアカネさんに対する評価のようです。これで、計画を最終フェーズに進められると支部長に報告するそうです」 「つまり、男二人が彼女をアニマに引き合わせる役目を担ったと言うことか」 「現時点の役割はそうですね。ただそれだけかと言うのは、まだはっきりしていないと言うのがフリーセア様の答えです。アルテルナタ様を頼れば、もう少し先の未来も見られるそうなのですが……」  どうされます? と問われたノブハルは、「やめておく」と即答した。 「別に、安っぽいプライドじゃないからな。あまりあの人達に頼ってばかりじゃだめだと思っただけだ」  そこでもう一度アクサの報告に戻ったノブハルは、機動兵器の存在を尋ねた。1千ヤーの過去に起きたことと同じ現象が起きるのであれば、こちらにも機動兵器がなければならないはずだと。 「それは、現在捜索中。間違いなくあるとは思うけど、3人ともその在処を口にしていないのよ。それにリツコ・ルージュは、ちょっとおかしな方向に興味が向いているのよ」 「おかしな方向……と言うのは?」  ノブハルの問に小さく頷いたアクサは、「アーベル連邦の動向」と思いも寄らないものを持ち出した。 「なぜ、そこにアーベル連邦が出てくるのだ?」  思わず首を傾げたノブハルに、「関係はある」とアクサは説明を続けた。 「もともと彼らのスケジュールには、惑星ニヴェアの破壊が入っているのよ。その時移民として他の星に移るのではなく、マールス人の様に人としての階梯を上げることで破壊から逃れようと考えたらしいの。ただ、事実としてアーベル連邦の間引きが止まっているでしょう? その理由が、外銀河からの来訪者によると言う噂が彼女の耳に入ったのよ。それで、その真偽を確かめようとザクセン・ベルリナー連合を飛び交っている情報を片っ端から洗っていると言うわけ。もしもその噂が本当だった時、スケジュールを急ぐ必要がなくなるかららしいわね」 「なるほど、足がかりらしきものが見えてきたな」  にやりと口元を歪めたノブハルに、「乗り込むつもり?」とアクサは尋ねた。あちらが外銀河のことに興味を持ってくれれば、付け込むすきが見えてくるのだ。トラスティ的に言うのなら、ペテンのお膳立てが揃ったと言うことだろう。 「ああ、その方が面白いだろう」  うんと頷いたノブハルは、いつにしようかと考えた。そしてその参考と言うことで、フリーセアの未来視を確認した。 「なにか、フリーセアの未来視に変化は出たか?」  未来視の結果を見て行動を決めたのだから、何らかの変化があって然るべきだ。その思いのもとに確認したのだが、返ってきたのは「今の所は別に」と言う期待はずれのものだった。 「そうか、まだ未来を変えるほどにはなっていないのか……」  何をしたら未来を変えることができるのか。それを悩んだノブハルの脳裏に浮かんだのは、トラスティの顔だった。 「あの人だったらどうするのか……か」  ううむと考え込んだのはいいが、すぐにだめだなとその考察をやめた。その代わり、アルテッツァに一つの可能性を確認した。 「今から会いに行ってトラスティさんと話をできるか?」 「トラスティ様ですね」  わかりましたと嬉しそうに答えたアルテッツアは、すぐに予想通りの答えを口にした。 「お待ちしているだそうです。どうやら、ノブハル様がおいでになられるのは、すでに予想されていたようですね。まあ、あちらにはアルテルナタ様がおいでですから」  こちらのことを見ていなくても、トラスティ周辺の未来は見ているはずだ。それを思い出したノブハルは、たしかにと小さく頷いた。 「ところで、あちらは何時だ?」 「こちらより1時間ほど早い程度でしょうか。夕食を済まされて、のんびりされていると言うところです」  それならば、待っていると言う答えにつながるはずだ。もう一度頷いたノブハルは、トラスティのところに顔を出す移動方法を考えた。今回の移動にはゴースロスやルリ号を使っていないので、移動一つとっても時間がかかることになる。 「さて、足をどうするのかだが」  移動方法を悩んだノブハルに、でしたらとアルテッツァはエリーゼの名前を持ち出した。 「エリーゼ様なら、自力でトラスティ様のところまで移動できると思いますよ」 「それは、俺を連れていても可能なことなのか?」  エリーゼだけなら、超長距離を移動できるのは知っている。ただ今回移動すべきは、エリーゼではなくノブハル自身なのである。 「よほどエスデニアに頼んで多層空間を繋げて貰った方が確実じゃないのか?」 「確かに、そう言う考え方もありますね」  そこで少し間をおいたアルテッツァは、「エリーゼ様がおいでになられます」と口にした。 「正確には、シャワーを終えられたようですね……と言うことになりますが」 「だとしたら、お使いに使うのは可哀想じゃないのか?」  せっかくシャワーを浴びたのにと考えたノブハルのもとに、薄いネグリジェ姿のエリーゼが現れた。 「綺麗にしてきました」  そうやって頬を染めて俯かれると、どうしてもムラっときてしまうのを抑える事はできない。ただ今はその時じゃないと、ノブハルは気持ちを落ち着けるように大きく深呼吸をした。 「い、いや、これから俺はトラスティさんのところに行こうと思っているのだ」 「お義父様のところにですか!」  なぜか目を輝かせたエリーゼに、「そうだが」とノブハルは少し気圧されしまった。  一方エリーゼは、そんなノブハルの態度は気にならなかったようだ。少しお待ち下さいと言ってから、右手を上に上げ人差し指を一本立てて不思議な呪文を唱えてくれた。 「テクマクマヤコンテクマクマヤコン……」  その呪文の効果なのか、エリーゼの着ていたネグリジェがはためいたと思った次の瞬間、ぱっと淡いピンクのワンピースへと変化した。そして大きめのスリッパが黒のパンプスに変貌し、洗った後まとめられていた髪も、綺麗にセットされていた。 「凄いといえば凄いのだが……なぜお着替え君ではだめなのだ?」  一方ノブハルは、いつもどおりぱちんと指を鳴らした。すでに確立した技術ということもあり、あっという間にざっくりとした部屋着からセータースタイルへと着替えが完了した。もちろん、シャワーを浴びたのかのように体の方もスッキリとしている。 「加えて言うと、そのテクマク……なんとかと言う呪文は何なのだ」  不思議だと言う顔をしたノブハルに、エリーゼは少し恥ずかしそうに「それは」と理由を口にした。 「魔法の練習と言えばいいのか……ライスフィールお義母様からは、常に練習をした方がいいとアドバイスを頂いているんです。それから呪文の方は……こちらのテレビで、魔法少女が出ていてですね。変身の魔法なんですけど、その、呪文を口にした方がイメージが掴みやすくて……と言うことなんです」  「子供っぽいですか」と気にするようすに、「いや」とノブハルは真顔で答えた。 「ちょっと疑問に感じただけだ。なるほど、イメージを明確にする必要があると言うことなのだな」  やけに真面目に頷いたノブハルは、だとしたらと浮かんだ疑問を口にした。 「これからトラスティさんの所に連れて行ってもらいたいのだが、そのイメージは作ることができるのか?」 「お義父様のところですよね。それだったら、任せておいてください!」  いまだ豊かとは言い難い胸をエヘンと反らし、「いつでも大丈夫です!」とエリーゼはノブハルの隣に並んだ。 「もう、ばっちりイメージは出来上がっているんです!」 「そ、そうなのか……」  普段以上にと言うか、いつになく積極的なエリーゼにノブハルは完全に気圧されていた。ただトラスティの所に行く目的に間違いないと、「頼めるか」とエリーゼの顔を見た。 「はいっ!」  嬉しそうに頷いたエリーゼは、「これもイメージです」と言ってノブハルの左腕に右手を絡めてから、左手で目の前に8の字を描いた。そのあたりは、これまでの空間移動を真似たと言うところだろう。  8の字自体に意味はないのだが、ノブハルは次の瞬間目の前の景色がガラリと変わるのを体験した。移動したと言う感覚すらないのは、多層空間移動より凄いのではと感じるほどだった。そこでノブハルは「凄いのだな」と感心していたのだが、エリーゼの方はいつの間にかトラスティに抱きついていた。  「お義父様」と甘えた声を出すのは、それだけなら嫁と義父の挨拶にも思えたのだが……熱に浮かれたその表情が二人の挨拶を違うものに変えていた。  ただそれにしても、エリーゼだけの事情に違いない。少しだけ目元を引きつらせたトラスティは、「よく来たね」とノブハルに向かって右手を差し出した。 「あ、ああ、あなたに教えてもらいたい事があったからだが」  すでに二人が関係したことを知っているので、今更この程度のことで文句を言っても仕方がないのは分かっていた。それでも釈然としないのは、夫としての立場を考えれば当たり前のことなのだろう。  それぐらいのことは理解しているトラスティは、エリーゼのおでこにキスをしてからゆっくりと両手でその体を押した。その時耳元でなにか囁いたように聞こえたのだが、残念ながらノブハルの耳には何を言ったのかは聞こえなかった。 「それで、何を僕に相談したいのかな?」 「あなたならすでに知っていると思っているのだが?」  疑問を疑問で返されたトラスティは、確定前の未来ならとノブハルに返した。 「ちなみに、僕のこの答えだけで教えてもらった未来とは違う未来……と言うほど大げさなものではないのだけどね。違う会話が始まってしまうんだよ。未来視で未来を知った上での行動と言うのは、大なり小なりその後に影響を与えると言うことなんだ」  とりあえず座ってと、トラスティは二人を座り心地の良さそうなソファーへと案内をした。そしてそれを見計らったように、クリスタイプのアンドロイドがお茶を持って現れた。 「押しかけておいて何なのだが……ここはどこなのだ?」 「確かに、押しかけてきた者の質問じゃないね」  小さく吹きこぼし、トラスティは「惑星ヤムント」と予想外の場所を口にした。 「もちろん皇居ではないのだけどね。保養地にある別邸と言うのが、今いる場所なんだよ。たまには顔を出さないと、こちらのマスコミが有る事無い事書いてくれるからね……正確には、無いことばかりなんだけど。それはいいとして、夫の義務と言うところかな」 「私の所にいらしてくださるのは、「義務」なのですか?」  トラスティの言葉が聞こえてきたのか、今は妻の一人となったアーコが不満を言いながら入ってきた。長い黒髪をストレートに伸ばした、スレンダー美女と言うのが今のアーコである。ただ彼女の特徴の怜悧さは影を潜め、とても柔らかなものに取って代わっていた。 「そのあたり、ノブハル君への教育だと思ってくれるかな」 「あなたには、何を言っても無駄と言うのは今更でしたね」  苦笑を浮かべたアーコは、お久しぶりですとノブハルに向かってお辞儀をした。さすがは皇女と言うべきか、その仕草一つとってもとても洗練されたものだった。 「私は、席を外していた方がよろしいですか?」 「特にその必要はないと思うよ」  でしたらと、アーコはくっつくようにトラスティの隣に腰を下ろした。そして視線を、ノブハルにではなくエリーゼの方へとまっすぐ向けた。 「ちょっと話がそれたね。それで、ノブハル君は何を相談したいのかな? まあ、ニヴェアだったかな、その話と言うのは予想はできるのだけどね」 「ちなみに、ニヴェアの状況はどこまで知っているのだ? それによって、話すことが変わってくるのだ」  ノブハルの言葉に、トラスティは小さく頷いた。 「ほとんど何も、と言うのが答えになるのかな。30日ぐらい後かな。そこで大融合に似た現象が発生する……と言う程度だね。それにしたところで、すでに君に伝えた情報でしかない。それから、ライスフィールとアイラが少し手伝いをした……と言う程度だね」  それをなるほどと頷いて、「色々と分かったことがある」とノブハルは切り出した。 「アニマと言う組織があるのだが。そこが疑わしいと言うのが分かったのだ。融合現象の中心に近く、何かの適格者を探していると言うのが分かっている。そしてエリーゼが開いているカフェの常連……正確に言えばターゲットなのだが、そのうちの女子高生の一人を有力な適格者と判定する未来が分かっている」  その話を聞いたトラスティは、ソファーから少しだけ身を乗り出した。 「そこまで分かっていて、僕の意見を聞く必要があるのかな?」 「普通なら、必要はないと言うところなのだがな」  トラスティを真似るように、ノブハルも少し身を乗り出した。 「その結果を聞いて、俺はアニマに乗り込むことを考えた。そうすることで未来が変わることを期待したのだが、フリーセアから情報では、未来視に少しも影響が出なかったらしい」  ノブハルの話に、トラスティはすぐには答えを口にしなかった。右手を口持ちに当てて何かを考えるポーズをしてから、トラスティはようやく口を開いた。 「色々と考えてみたけど、やはり情報が少なすぎるね」  小さく息を吐いたトラスティは、「アルテッツァ」と超銀河連邦最大のAIを呼び出した。  呼ばれるのを待ち構えていたのか、アルテッツァはおしゃれをしてトラスティの前に姿を表した。シックな色目をしたアンサンブル姿は、年頃の女の子がデートを前に張り切っているようにも見えた。  そしてアルテッツァを呼び出したトラスティは、もうひとりの登場人物を呼び出した。 「クレシアも出てきてくれるかな?」  その呼出しに答えたのは、金色の長い髪と透き通った青い瞳を持つ美しい女性だった。着ている茶色の上下は、今はなき芙蓉学園の制服姿である。  我が君とクレシアが頭を下げたのを見たトラスティは、「これまでの情報を」とアルテッツァに命じた。  少し神妙な表情をしたアルテッツァは、「畏まりました」と頭を下げた。 「ノブハル様に説明した時点より、アニマについて情報が増えました。それも合わせて、説明いたします。しかも、かなり核心に迫る情報も出てきました」  そこで一息ついて、アルテッツァは全員の顔をゆっくりと見回した。 「アニマですが、惑星ニヴェアにだけ存在する組織ではありません。ザクセン=ベルリナー連合の多くの星系に類似の組織が存在しています。それぞれの繋がりはさほど強くはないのですが、そこそこ情報交換がなされていると言うのが実態です。そして星系それぞれで、活動の活発さも変わってきます。ニヴェアの様に活発に活動している星系もあれば、すでに実体の存在していない星系もあります。不確定情報ですが、すでに融合現象が発生した星系にも同様の組織があったようです」  説明が浸透するのを待ったのか、アルテッツァはそこで説明を止めた。そして当然出てくるであろう質問を待った。  そしてアルテッツァの説明が止まるのを待って、ノブハルが口を開いた。 「タブリース氏から貰った間引き情報と活動の活発さの関係はどうなっている?」 「間引きスケジュールの近い星系ほど活動が活発になっています」  そう言って、アルテッツァは間引きスケジュールと活動の活発さを示す相関グラフを示した。その相関グラフを見る限り、間引きスケジュールは活動の活発さと明確に相関関係があった。 「それが融合現象に直接関係するかどうかは別として、間引きが理由になっているのは確かなようだな」  慎重に事実だけを口にしたノブハルは、トラスティの方へと視線を向けた。 「なにか意見はありますか?」 「とりあえず、説明を聞くことにするよ」  トラスティの言葉に頷き、アルテッツァはアニマの説明を続けた。 「ニヴェアにおけるアニマの活動は、実はあまり表立ったものは行われていません。外向けの活動のほとんどは、中高生を対象としたセミナーの開催です。目に見える活動費は、政府から受講生数に応じて支給される補助金になっています。ちなみに、セミナーの主題は「ヒト」の本質とは何かと言うものです。ヒトをヒト足らしめているものは何であるのか。それを考察の過程とともに小中高生に説明しています」 「その説明の中に、マールス人に対する考察は含まれているのか?」  ノブハルの問いに、アルテッツァははっきりと頷いた。 「はい、マールス銀河に広まっている神話ですからね。避けては通ることはできないのでしょう。ただ、聴講生のレベルに合わせて、あまり深い考察には踏み込んでいませんね。誰もが知っているような神話に触れ、その意味がどこにあるのか、そこから導き出される疑問をセミナーの導入に利用しています」 「それだけを聞くと、極めてまっとうな活動をしているように聞こえるな」  寸評こそ挟んだが、ノブハルはそれ以上口を開かなかった。  それを続けろと言う合図と受け取り、アルテッツァは中断した説明を続けた。 「ニヴェアにあるアニマですが、建築物の構造に不自然な部分があります。具体的に説明すると、昇降機……つまり、エレベータと言うものが不自然です。ちなみに、アニマの建物ではワイアー式の昇降機を用いています」  そう言ってから、アルテッツァはアニマの建物で使用されているエレベータの機械室の図面を示した。 「これでお分かりかと思いますが、ワイアーリールが不自然なほど大きくなっています。昇降機に使用されているワイアー径を考えると、10階建ての建物で使用されるものではありません。ニヴェア上で比較をすると、超高層ビルで使用されているものと同程度の大きさがあります」  アルテッツァの説明に、ノブハルはしっかりと頷いた。 「上は誤魔化しようはないが、下になら施設を伸ばせると言うことだな」 「それを肯定します。ただ、アニマの建物の建築図面からは地下は2階までしか無いことになっています」  アルテッツァの説明が正しければ、超高層ビルに匹敵する地下施設は建設されていないことになる。うむと考えたノブハルは、すぐに「続けてくれ」と先に進むことを促した。 「以上が組織及びアニマの施設で分かったことになります。そして登場人物ですが、こちらはノブハル様に説明した時点から新しいことは見つかっていません。内部では支部長と呼ばれているジェン・ロード、支部長代理のツキ・ウィンター、そしてアニマのシステム管理者をしているリツコ・ルージュが主要な登場人物となります」  この情報は、トラスティ達に知らせていない。そのためアルテッツァは、3人のホログラム映像をトラスティの前に浮かび上がらせた。  ただ3人の姿に、トラスティからはコメントは出てこなかった。 「観察した範囲で、ジェン・ロード、ツキ・ウィンターからは、融合現象に関わる会話は出てきませんでした。リツコ・ルージュとの会議の中で、適格者と言うキーワードが出たぐらいです。そしてフリーセア様の未来視の結果、アカネ・シンジョーが適格者として選ばれることになるそうです」 「そのアカネと言う女の子を人柱にして、融合現象が発生すると言うことだな」  ノブハルの指摘に、アルテッツァはしっかりと頷いてみせた。 「フリーセア様の未来視ではそうなっていますね。そして今の所、規模の大小はあってもその未来は変わっていません」  以上ですと、アルテッツァは説明を終わらせた。そしてそれを受けたノブハルは、トラスティの方へと視線を向けた。 「そしてここからが相談になる。リツコ・ルージュに関して言うと、興味が適格者とは違う方向に向いている。ちなみにそれは、アーベル連邦の動向と言うことだ。情報を流したから当然なのだが、彼女の興味はアーベル連邦の行動が変化した理由、外銀河からの来訪者の噂に向いている。それを知った俺は、アニマに乗り込むことを考えた。そこで一つ想定と違ったのは、その事をもってフリーセアの未来視が変わらなかったことだ」  ノブハルの話を聞いたトラスティは、しっかりと口元を歪めた。 「なるほど。だから僕に相談と言うことなんだね」  それから小さく頷いたトラスティは、傍らに立つクレシアを見た。 「未来視の結果が変わらなかったのは、君自身の行動が変わっていないからだよ。フリーセア女王に聞いてみるといいけど、君がアニマに乗り込むのは初めから見えていた行動のはずだ。加えて言うのなら、君が何を調査し、そしてどんな情報を得るのかも分かっていたはずだと思う」  そう答えたトラスティは、少しだけノブハルの方へと身を乗り出した。 「自分の行動を振り返ってみると良い。君がニヴェアに乗り込むと決めた以上、ここまで得られた結果はすべて想定できるものではなかったのかな。君の調査がアニマにたどり着くこと、そして調査の結果アニマに乗り込むこと。もともと予定された行動をなぞっただけでは、未来なんて何も変わらないんだよ。おそらくだけど、今フリーセア女王に尋ねれば、違った未来が見えたことを教えてくれると思うよ」 「それはつまり……」  一度言葉を切ったノブハルは、しばらくして言葉を続けた。 「未来視の結果で行動を変えておらず、もともとの行動をなぞっただけだからと言うことか。そしてここに来たことで、初めて分岐が生まれたと言うことだな」  そう言ったノブハルに向かって、トラスティは軽く頷いた。 「君が、未来を変えることを前提にここに来たからね。だから、この先ニヴェアが迎える未来は変わらなくちゃおかしい。何しろ、未来を変える選択をするのだからね」  そこでトラスティは、指を一本立ててみせた。 「アニマだったかな、そこが融合現象の発生源となるのが分かっているんだろう。だったら、アニマを消滅させてやればいい。一番人通りの少ないタイミングを見計らって、君がスターライトブレーカーで地下施設もろとも消滅させてやるんだ。どうだい、過激だけどなかなかいい方法だろう?」  そう言って、トラスティはにやりと口元を歪めた。  そんなトラスティの言葉に、ノブハルは一度頷きかけた。ただ途中で思いとどまったのか、すぐに否定するように首を振った。 「いやいや、俺はニヴェアを守るために行ったわけじゃ……」  そう言ったところで、ノブハルは小さく息を吐きだした。 「目的が、いつの間にか変わってしまっていたということか」  頭をガリガリと掻いたノブハルは、消えずに待っていたアルテッツァの方を見た。 「アルテッツァ、最悪の場合はどこまで被害が波及する予想になっている?」 「現時点でのと言うことでお答えします」  そう言って、アルテッツアは惑星ニヴェアを中心とした星系図を展開した。 「意外に広がっていないと言えば良いのか……」  口元に手を当てて、ノブハルは小さく鼻から息を吐きだした。 「球状……と言う訳ではないな。形が結構歪になっているのだが……そこになにか理由があると言うことか」  星系図を目を凝らして見たノブハルは、口元に手を当てたままでアルテッツァに質問をした。 「このエリアに、間引きをされた星系はあるのか?」 「かなり沢山と言うのがお答えになりますね」  そう答えたアルテッツァは、星系図に間引きをされた星々をオーバラップさせた。 「波及範囲の中にも間引きれた星系は含まれているな」  そこで少し残念そうな顔をしたのは、あてが外れたのが理由なのだろうか。  それでもめげずに、ノブハルは頭の中でいくつかの可能性を考えることにした。 「全銀河に広がらないことを考えると、融合現象の波及範囲は限定的と言うことにある。だとしたら、その波及範囲はどれぐらいの広さがあるのだ?」  ふむともう一度鼻から息を吐いたノブハルは、アルテッツァともう一度呼びかけた。 「融合現象が発生した近傍惑星間の距離の最小値、それから再外周部と近傍の有人星系との距離の違いを教えてくれ……いや」  そこで首を一度振ってから、ノブハルは指示を変更した。 「間引き前の有人星系配置はあるな?」 「はい、データとして頂いています」  頷いたアルテッツァは、こちらにとマールス銀河の全体図を投影した。 「現時点での配置ですが、1万年前でもさほど大きな差はありません」 「だったら、次のシミュレーションをしてくれ」  そう言ったノブハルは、惑星ニヴェアではなく惑星マールスの位置を指差した。 「惑星マールスで融合現象が発生したと仮定する。そして惑星マールスから一定距離にある有人惑星では、連鎖して融合現象が発生するものとする。そして連鎖によって融合現象が発生した有人惑星から、同程度の距離にある有人惑星まで連鎖が広がっていく。それを距離をパラメータにして見せてくれ」 「1千ヤー前の現象を参考にしたのかな?」  トラスティの言葉に、ノブハルは口元を抑えたまま頷いた。 「ノブハル様、用意ができました」 「じゃあ、始めてくれ」  ノブハルの命令に、「畏まりました」とアルテッツァは神妙な顔をした。 「連鎖が発生した空間を赤くして示しています。時間経過とともに、距離のパラメータを大きな方に変更しています」  アルテッツァの説明に遅れて、惑星マールス周辺で赤い空間が広がった。始めのうちは小さなエリアだけが赤くなっていたのだが、見ている前で突然銀河すべてを赤い空間が埋め尽くした。 「アルテッツァ、臨界点の距離はどの程度だ?」 「600光年程度になります」  即答したアルテッツァに、ノブハルは新たな条件を提示した。 「間引きが完了した時点で、同じことをしたらどうなる?」 「中心は惑星マールスと言うことでよろしいですね」  アルテッツァの問いに、ノブハルは小さく頷いた。  そして頷いてすぐ、アルテッツァから答えが与えられた。 「融合現象の連鎖反応は発生しませんね。それから先回りをさせていただきましたが、残った35万の有人星系のどれを中心に選んでも融合現象は連鎖しません」 「そして現状だと、連鎖反応が発生すると言うことか」  ほっと息を吐き出したノブハルは、口元に当てていた手を離してトラスティの顔を見た。 「この仮説が正しければ、間引きは資源問題が理由ではなかったと言うことになる」  そう言ったノブハルに向かって、トラスティは薄い笑みを浮かべたまま小さく頷いた。 「そうなると、新しい疑問が生じることになるね」  それぐらい分かっているだろうと見られ、ノブハルは少しだけ目を見開いた。 「確かに、新しい疑問が生じることになるな」  そこでエリーゼの方へと、ノブハルは顔を向けた。ただ口を開く前に、すぐにトラスティの方へと顔を向けることになった。何しろエリーゼの視線……しかも熱い視線がトラスティに向けられたままだったのだ。  そこでノブハルは、小さく咳払いをした。 「間引きを考えた奴が、そのことを知っていなければおかしいことになる」 「間引きが融合現象の連鎖を止めるため……と考えるのであれば、ノブハル君の言うとおりと言うことになるね。確か5千ヤー前のことだったかな。その頃の惑星アーベルに、その事実にたどり着いた者がいなければおかしい」  トラスティの言葉に、ノブハルは眉間にシワを寄せたままで頷いた。 「そう考えないとつじつまが合わないと言うことか」  そこで何かを思いついたのか、ノブハルはもう一度「アルテッツァ」と呼びかけた。 「はい、ノブハル様」 「今回俺達は、間引きを中止させたな。その影響はどうなっている?」  新しい命令に対して、アルテッツァは殆どを間をおかずに答えを口にした。 「いくつかの星系で融合現象が発生した場合、ザクセン=ベルリナー連合の8割程度が巻き込まれますね。アーベル連邦は、間引きが完了している関係で融合現象には巻き込まれないようです。念の為波及範囲を広げてみましたが、かなり広げないと影響は出ないようです。ちなみにそこまで広げると、今回の未来視と結果が合わなくなります」 「つまり、アーベル連邦側には影響が出ないと言うことか……しかし」  うむと唸ったノブハルは、「謎が深まった」と頭を抱えた。 「誰かは知らんが、融合現象の原理を知っていたと言うことになるのだぞ。しかも、有人惑星全てに融合現象を引き起こす仕掛けをした奴もいる。復帰まで考えると、いい加減にしてくれと言いたくなる話だっ。また古代超文明でも持ち出さないと説明がつかなくなるっ」  頭を抱えながら首を振ったノブハルに、トラスティは優しく声をかけた。ただ声色は優しかったのだが、明らかに口元は歪んでいた。 「解明できたら、古代文明に仕返しができると考えれば良いんじゃないのかな? 多分だけど、その方が前向きだと思うよ」 「この期に及んで、まだ手を出さないつもりなのか?」  ギロリと睨んだノブハルに、トラスティははっきりと口元を歪めた。 「初めに興味がないと言っておいたと思うのだけどね。その状況は、少しも変わっていないと思うよ。何しろ君の安全は守られるし、超銀河連邦に加わったアーベル連邦も守られるんだ。それを考えたら、謎解きなんて趣味の世界だろう?」 「確かに、あなたは興味がないと言っていたな……」  ノブハルの言葉に、トラスティは大きく頷いた。 「だから僕は、必要な指示をラピスに出す以上のことはしないよ」 「必要な指示とは?」  そう言って首を傾げたノブハルに、「忘れたのかな」とトラスティは笑った。 「1千ヤー昔の大融合では、エスデニアが所有する機動兵器が共鳴現象を起こして被害が拡大したんだ。同じことが起こらないように、マールス銀河への多層空間接合を制限させるんだよ」 「確かに……それは必要なことだな」  そこでノブハルが小さく首を振ったのはどんな意味があるのか。ただそれ以上何も言わず、ノブハルは隣りに座っているエリーゼの肩に手を置いた。そこでエリーゼはビクリと体を震わせ、ノブハルの方へと視線を向けた。 「なんでしょうか、ノブハル様?」  にっこりと微笑んではいるが、焦っているように見えるのは気のせいだろうか。ただヤブを突くことになると、ノブハルは「目的は達成できた」とエリーゼに告げた。 「とんぼ返りで悪いのだが、ニヴェアに戻ることにする」 「もう、帰るのですか?」  明らかに落胆した様子に、「なにか問題が?」とノブハルはあえて地雷を踏んだ。 「移動になにか問題があるのか?」 「長距離移動は、その、かなり疲れるのですけど」  本当は違うのだが、以前教えられたことをエリーゼは持ち出した。 「そう、なのか?」  そこで顔を見られたトラスティは、両手のひらを肩のところで上に向けるポーズを作った。 「僕には経験がないからね、そのあたりは「さぁ」としか答えようがないんだ。まあ、ライスフィールが「疲れる」と言っていたのは確かだけどね」  そこまで言ってから、「ただ」と少し困ったような顔をした。 「帰れるんだったら、ニヴェアで休めば良いと思うよ」  いろいろな言葉を飲み込んだトラスティだったが、なぜか横からアーコが口を挟んできた。 「せっかくノブハル様がいらしたのですから、ゆっくりしていただいても良いかと思いますよ。それに、シシリー様もお見えになっていますしね」  そこでニコリと笑って、アーコはエリーゼの方を見た。 「せっかくいらしたのですから、ヤムントを観光していただいたらいかがでしょうか?」 「い、いやっ」  少し慌てたトラスティに、アーコはニッコリと笑ってみせた。 「もちろん、お忙しいところを引き止めるつもりはございませんよ」  そこでノブハルを見て、アーコはヤムントの皇族としての言葉を口にした。 「ノブハル様は、シルバニア帝国皇帝聖下の夫君と伺っております。そのようなお方がお見えになられたのに、歓待しなくてはヤムントの皇女として私が責めを受けることになります」  立場を持ち出されると、トラスティも反対をしにくくなる。そしてその事情は、ノブハルも変わらなかった。 「しかし、カフェの営業が……」  明日も営業することを理由にしようとしたのだが、即座にエリーゼが反応した。 「ジノさんがいれば、問題はないと思います。それにサラマーさんを置いてきちゃいましたから、接客はおまかせすればいいと思いますよ」  ただニッコリと笑っているだけなのに、なぜかエリーゼから普段にない押しの強さを感じてしまう。こめかみに一筋汗を滴らせたノブハルは、少ししどろもどろになりながらトラスティの方を見た。 「せ、せっかくだから、お、お言葉に甘えようかとお、思うのだが」 「君が断ってくれるのが一番角が立たなかったのだけどねぇ」  こちらはこちらでため息を吐いて、トラスティはアルテッツァに声をかけた。 「メリタ達はどうしてる?」 「メリタ様ですか。まだ手遅れにはなっていないようですね」  とても微妙な答えに、トラスティの眉がピクリと動いた。 「一番考えられるのは、酒盛りの真っ最中と言うことなんだが……」  メリタとシシリー、その組み合わせを考えた時、真っ先に浮かぶのが酒癖……主にメリタの悪さだった。  そしてそれを持ち出したトラスティに、「正解です」とアルテッツァは笑った。 「随分とストレスが溜まられたようですからね。「飲まないとやってられないっ!」と始められました」 「まあ、クリスタル銀河から色々と連れてきたからねぇ」  しかもその相手をメリタとシシリー、それに彼女の従兄弟のレックスに任せたのである。  それを思い出したトラスティは、少し口元を歪めてからアルテッツァに向かって言った。 「関係者をまとめて連れてきてくれるかな?」 「……危ないのはメリタさんだけだから大丈夫なんでしょうね」  一瞬考えたアルテッツァだったが、すぐにまあいいかと考え直した。 「と言うことで、皆さんをお連れしました」  その言葉と同時に、室内に8つの人影が現れた。  空間移動技術のない世界から来たのだから、普通ならば大いに驚くところだろう。ただトラスティと付き合っていて、そのあたりに慣れが生じていたのは間違いない。 「いきなりなんだ……と文句を言うところなのだが」  その中で一番マトモな状態のレックスは、文句を言いかけたところでノブハルの姿に気がついた。そしてもう一つ、トラスティの隣にヤムント連邦皇女いるのにも気がついた。 「アーコ殿下、夜分押しかけたことをお詫びいたします」  そこで小さく会釈をしてから、視線をノブハルの方へと向けた。 「来てたと言うことか」 「ああ、ちょっと相談事があったからな。そちらこそ、また外銀河の視察か?」  超銀河連邦に加盟していないくせに、代表団の視察は非公式と合わせて2度目と言うことになる。それを持ち出したノブハルに、レックスは少しだけ目元を引きつらせた。 「いつまで経っても進展がないからな、ちょっとお尻に火をつけてやろうと思っただけだ。そこでシャノン夫婦に視線を向けたレックスに、なるほどとノブハルは頷いた。 「ボルだったか。そっちは加盟に前向き……前のめりだったか。と聞いているからな」 「ああ、早速効果があったようだ」  レックスの言葉を聞いたノブハルは、シシリーに向かって「あっちは?」とナイトとフェイを指差した。 「まだ、みたいね。まったく、往生際が悪いんだから」 「なぜ俺に聞かない。どうして往生際が悪いと言う話になるんだっ!」  すかさず文句を言ったナイトを無視し、ノブハルはフェイを見て大きく頷いた。 「以前より、ずっと大人っぽくなったように見えるのだがな?」 「ありがとう」  少しはにかんだフェイは、「今晩する?」とナイトに向かって小首をかしげた。  金回りが良くなり食生活も改善した今、フェイは以前以上に綺麗になっていた。あいにくスタイルの方は確認できないが、今やどこに出しても恥ずかしくない美少女ぶりを見せていた。 「しねぇよ、まったくっ」  一方ナイトと言えば、アウトロー的風貌は過去の姿。今は、髪を整髪料でぱしっと固めた、ちょっとキザっぽいタフガイに変身していた。 「ロリコン男のことはどうでもいいのだが」  時間を無駄に使うものではない。従姉妹が潰れる前にと、レックスは歓談に割って入った。 「俺達が呼び出された理由はなんだ?」 「明日の視察なんだけど。ノブハル君とエリーゼさんにも加わってもらうことになったんだ。と言うことで、事前に顔合わせ……と言うところだね」  トラスティの言葉に、なるほどとばかりにレックスは頷いた。 「シルバニア帝国皇夫閣下がおいでになられた以上仕方のないことだな。まあ、俺として政府のお尻を叩く理由になるからありがたいのだがな」  レックスが受け入れを認めたことで、明日の予定は確定したことになる。  それは良かったと引きつった笑みを浮かべたトラスティは、船を漕ぎかけているメリタを見た。 「ミラニア、出てきてくれるかな?」 「ボルの住人がいると出にくいのだけど」  ミラニアと入れ替わったおかげで、ゆらゆらと揺れていたメリタの体がしゃんと一本筋の通った物となった。  いつもどおりフラットな声で答えたのだが、ごく一部……ボルから来たシャノンとラクエルの驚きはそれどころではなかった。 「ち、ち、知識神……様っでしょうか」  いきなり地面にひれ伏そうとしたのだが、トラスティが「ストップ」といち早く声をかけた。 「彼女に対してそれは必要ないから」 「しかし、我々の崇める知識神様が顕現なされているのですから。それはもう、畏れ多くて」  妻と顔を見合わせたシャノンは、自分の両足を指差した。 「ですから、こうしていても足が震えるのです」 「その必要はない……恐れすぎと言うのは簡単だけど」  そこでトラスティは、どうしたものかと腕を組んで考えた。そしてミラニアに向かって、とても危険な問いかけをした。 「今日は入れ替わってするかい?」 「普通ならば喜ぶところなのだけど」  そこでぐるりと周りを見渡したミラニアは、「遠慮しておく」と言い残して姿を消した。  そのお陰で、またメリタの姿が軟体動物一歩手前にまで戻ってくれた。 「逃げられたか……」  ちっと舌打ちを一つしてから、トラスティは用は済んだと全員に声をかけた。そしてナイトの顔を見て、とても魅力的かつ危険な言葉を口にした。 「混ざっていきますか? フェイちゃんも一緒に」 「謹んでお断りさせてもらう。いくらなんでも、教育に悪すぎる」  だからだめと答えたナイトに、フェイは小首をかしげて「混ざるって?」と聞いた。 「私には、とても楽しそうに聞こえるんだけど」 「そう言うのは、もっと年寄りの考えることだ」  だからだめと繰り返したナイトは、トラスティに向かって「帰らせてもらう」と答えた。 「と言うことなのでアルテッツァ、俺たちをもとのところに戻してくれ」  そこでシャノンを見て、「飲みに行くか?」とナイトは尋ねた。 「私としては非常に興味があるのですが……」  そこで妻の顔を見たシャノンは、諦めたように大きくため息を吐いた。 「ご厚意はありがたいのですが、残らせていただくことにします」 「そうか、あんた達も大変なんだな」  大きく頷いたナイトは、「まあ頑張れや」と言い残してフェイと一緒に姿を消した。そして二人の姿が消えたところで、レックスが不満げに吐き出した。 「どうして俺には聞いてくれないんだ」 「ロリコン男と言われた仕返しじゃないのかな」  正しくナイトの意図を言い当てたトラスティは、「どうします?」とレックスに聞いた。  その問いに、レックスはぐるりと居並ぶ女性たちの方を見た。 「俺も、部屋に戻ることにする。その方が身のためのようだからな」  アルテッツァに向かって、レックスは「頼む」と声をかけた。そしてその声とほぼ同時に、レックスの姿はトラスティ達の前から消失した。 「アルトリア、メリタに付いていてくれるかな?」  豊穣神の世話を理由にすれば、神官の彼女のならば文句を言うこともないだろう。そのつもりで尋ねたトラスティに、アルトリアはまるで世界の終わりを目の当たりにしたような顔をした。  今にも泣き出しそうな彼女の様子に、トラスティに残っていたなけなしの良心が頭をもたげた。そこで問題なのは、それを良心と言って良いのかと言うことだろう。 「だとしたら、メリタだけ別室に寝かせておくか」  そうすることで、一人とは言え自分の負担が軽くなるはずだ。そのつもりで居たトラスティに、「お義父様」とそれまで黙っていたエリーゼが口を開いた。 「メリタさんの酔い醒ましなら、私に任せてください」  どうしてそんな事を言いますか。恨めしそうにしたトラスティの前で、エリーゼはライスフィールから習った癒やしの魔法を発動させた。  そしてその効果は覿面に現れ、落ちかけていたメリタの目がぱっちりと開いた。 「あれ、ここは?」  キョロキョロとあたりを見回したメリタは、次に「どうして」と自分のいる場所に疑問を感じた。 「それは、メリタさんを仲間外れにしては可愛そうだなって」  だからですと薄めの胸を張ったエリーゼに、「ああ」とトラスティとメリタの二人はしっかりとだれたのだった。  遠く離れたヤムントからでも、今のエリーゼならば一瞬で帰り着くことができる。ヤムントで二晩過ごしたノブハルとエリーゼは、お昼前にニヴェアへと戻ってきた。  意外にニコニコしていたサラマーは、「残念がられました」とエリーゼの顔を見て言った。残念がる相手は、この場合は男子高校生二人だろうか。 「私自身、面白かったから良かったんですけどね」  その時サラマーの視線は、引きつった顔をしたジノへと向けられていた。たったそれだけのことで、何が起きたのかがノブハルにも分かる気がした。 「良かったわね、ジノ。ヴァイオレットと言い、可愛い子が周りに増えて」  その程度の低いからかいの言葉に、ジノの顔が更にひきつったように見えた。ただそれはどうでもいいことと、ノブハルは二人に「今後の方針だ」と切り出した。 「さっさとニヴェアの問題はケリを付けて、アザキエルと話をしに行くつもりだ」 「ケリを付けられるのですか?」  自分の言葉に驚くサラマーに、ノブハルは「ケリをつけるんだ」と繰り返した。 「種が蒔かれた100万と、間引きの関係が見えてきたからな。その辺りの話をして、これからのことを考えようと思っているのだ。さっさとアニマに乗り込んで、仕掛けの確認ができたら調査の第一段階は終わりと言うことだ」 「いつの間にか、そんなところまで解明が進んでいたのですか……」  ふっと息を吐いたサラマーは、「どうするの」とジノに問いかけた。 「彼女、連れてく?」  ジノ向けのからかいの言葉に、なぜかノブハルが反応した。ただその反応は、ジノどころかサラマーの考えていたのとは大きく外れたものだった。 「是非にと言われれば考えるが、そうでなければ連れて行く理由はないな」  ノブハルの言葉に、サラマーはえっと目を見張った。 「ここも、数日で閉めるつもりだ」 「閉店、するのですか?」  そう確認したサラマーに、ノブハルは表情を変えずに答えた。 「ケリをつけると言ったはずだ。ケリをつける以上、この店をやっていく理由はないだろう」  それだけのことだと言い放ち、ノブハルは方針の続きを口にした。 「明日、俺がアニマに乗り込むことにした。そこでリツコ・ルージュと話をして、融合現象の核となるものを確認する」 「おとなしく、見せてくれますか……と言うより、話を聞いてくれるのですか?」  隠匿している相手だと考えれば、はいそうですかと見せてくれるとは思えない。  それを気にしたサラマーに、ノブハルはあっさりと言い放った。 「別に、難しいことじゃないと思っている」 「ノブハル様がそう仰るのなら……」  この手のことで、ノブハルが自信満々と言うのは本来危険サインのはずだった。だが目の前のノブハルからは、そんな危うさが感じられなかった。  それを成長と割り切るには、会わない時間が短すぎるのが現実だろう。  ただ信じられないと言うのは、サラマーの都合でしか無い。そんな感情を気にすることなく、ノブハルはアルテッツァを呼び出した。 「リツコ・ルージュのスケジュールに、俺との面会予定を入れてくれ」 「時間帯はどうなさいます?」  できるできないではなく、アルテッツァは時間を聞いてきた。その問いに、ノブハルは少しだけ考えた。 「午前中の方が好ましい程度なのだが……時間的には、午後の方が取りやすそうだろうな」 「そうですね、明日の午前には上層部の会議が入っています。それをキャンセルさせるのは、相手に警戒されることになりますね。もっとも、警戒されても少しも困らない……と言うのが現実ですね」  と言うことでと、アルテッツァは一呼吸ほどの間をおいた。 「明日の10時に面会予定を入れておきました」  アルテッツァの言葉に、ノブハルは小さく頷いた。 「昼飯が気になる時間だな……」 「夕食が気になるよりはマシ……とお考えください」  その程度と笑ったアルテッツァに、「時間をかけるつもりはないのだがな」とノブハルは返した。 「まあ、何が出てくるのか分からないからな。その意味では、時間に余裕がある方が良いのだろう」  スケジュールが決まった以上、後は乗り込んでどうするかの手はずを考えることになる  そこでエリーゼの顔を見て、ノブハルは「ここ」にいるようにと命じた。 「明日は、普段どおりに営業をしていてくれ。俺のガードは、サラマーがいれば十分だろう」  相手のレベルを考えれば、サラマーでも過剰と言うことができた。そしてサラマーで不足となる場合には、ジノに変わっても状況を変えることはできない。  内心不満はあっても、これはれっきとした皇夫命令となる。 「では、私はエリーゼ様の護衛を行います」 「ああ、明日は高校生たちの相手でもしていてくれ……」  そこまで口にしてから、ノブハルは左手を口元に当てた。そして何かを言いかけたのだが、思い直したように「以上だ」と説明を打ち切った。  その行為自体とても気になることには違いないが、お互いの立場がジノに質問を思いとどまらせた。  ほんの少しだけ不自然な間が空いたが、ノブハルはそれを少しも気にしなかった。 「さて、後は寝るだけだな」  エリーゼの顔を見たノブハルに、ジノとサラマーの二人は腰を大きく折って頭を下げた。そしてそのまま、ノブハル達の前から姿を消した。 「どこにいるのか分かるか?」 「ええ、ですがお仕事の邪魔をしてはいけませんね」  それにと、エリーゼは艷やかに笑ってみせた。 「気にすると、楽しむことができませんから」  その答えに、ノブハルは「そうだな」と答え。エリーゼの隣に腰を下ろした。 「昨夜の成果を見せてくれるのだろう?」  それが楽しみだと口にして、ゆっくりと唇を重ねていった。  約束を入れてある以上、正々堂々正面から乗り込んでいけばいい。通常手段、すなわちトラムとかを乗り継いだノブハルは、10時少し前にアニマの入り口に立った。そこで少しだけ意外だったのは、周りに年若い男女が沢山いたことだろうか。  どうしてと考えたところで、アニマの事情を思い出した。 「なるほど、セミナーが資金源になっていると言う話だったな」  これだけの団体が入っていくのだから、セミナーは盛況なのだろう。なるほどと視線を向けた先には、セミナーの受付が作られていた。何人かの職員が忙しそうにしているのを横に、ノブハルは正規の受付へと向かった。そして黒髪をショートにした、年齢不詳の女性に向かって名乗った。 「ノブハル・アオヤマと言う。ドクター・ルージュに会いに来た」 「ノブハル・アオヤマ様……ですか?」  少し胡散臭そうにノブハルを見た女性は、手元の端末でアポイントメントを確認した。 「はい、承っております。只今ドクター・ルージュがお迎えに上がります。それまで、そちらの椅子でお待ちいただけましょうでしょうか?」  胡散臭いものを見る目がなくなった分、その女性からは感情らしきものが欠け落ちてしまった。愛想のない受付だなと、ついセントリアとの比較をしてしまった。笑顔を苦手にしている彼女なのだが、目の前の女性に比べてずっと魅力的なのは疑いようもなかったのだ。  ノブハルが椅子に腰を下ろした5分後、金色の髪をしたけばい女性の姿がエレベーターホールに現れた。そして近づいてきた女性は、立ち上がったノブハルを上から下までじっくりと観察してくれた。 「リツコ・ルージュです。アオヤマさんでしょうか?」  受付の女性とは違い、こちらは作り笑いに似たものを顔に張り付かせていた。年齢は、自分と比べれば結構上なのだろう。少しも魅力を感じないなと、ノブハルは失礼な感想を抱いていた。 「お初にお目にかかる。ノブハル・アオヤマだ」  こちらの挨拶は分かっているので、ノブハルは自然に右手をリツコに向かって差し出した。差し出された手を自然に握り返してから、「こちらにどうぞ」とリツコは同じフロアにある応接へとノブハルを案内した。  ノブハルがソファに腰を下ろしたところで、先程の女性がお茶を運んできた。そのお茶が二人の前に並べられ、お茶くみの女性の姿が消えたところで、「ようこそアニマへ」とリツコが切り出した。 「と形通りのご挨拶をさせていただきましたが」  そこでノブハルを観察するような目をしてから、「何が目的でしょう」といきなり核心に踏み込んできた。 「私は、外部の方との面談予定を入れておりません。加えて言うと、少なくとも1ヶ月先まで人と会う予定を入れておりませんでした。それなのに、いきなりあなたとの面会予定が入っていた。どのようなルートで、私との面会予定を入れられたのですか?」 「それが分からないと、話ができないと言うのか?」  ふんと息を吐いたノブハルは、「不用心だな」と部屋の中を見渡した。 「そのくせ、目的の分からない男と二人きりで話をするのか?」 「とりあえず、あなたの素性を確認したから……そうご理解ください」  その上での処置だとの答えに、なるほどなとノブハルは頷いた。 「ならば単刀直入に伺うことにするが、あなた達はマールス人のしたとされていることをどこまで理解している?」 「マールス人がしたとされていること、ですか?」  そこで言葉を切ったリツコは、少し間をおいてから定説となっていることを口にした。 「このマールス銀河広くに、人類の種を撒いた……ぐらいでしょうか?」 「マールス人自体は?」  さらに質問を重ねたノブハルに、リツコはもう一度間をおいてから口を開いた。 「高位の存在に昇華した……と言われているぐらいかと」 「曖昧だな。高位の存在とは、どのような事を言っているのだ?」  さらなる質問に、リツコは同じ様に間をおいてから口を開いた。 「肉体を捨てた、精神的な存在……だと考えられる。でしょうか?」 「そしてあなた達は、その後を追って自分達も精神的な存在になることを目指している……と言うことか?」  ノブハルの言葉に、リツコはすっと目を細めた。 「あなた、政府の治安関係者?」 「俺が、そんな間抜けに見えるのか?」  少し口元を歪めたノブハルは、「もうちょっと悪どい存在だな」と嘯いた。 「ニヴェアがカストルの後を追おうが別に構わないと思っているからな。俺の興味があるのは、そのための鍵となる存在だけなのだ」 「あなた何者?」  はっきりと警戒を顔に出したリツコに、「暇人だ」とノブハルは人を食った答えを口にした。 「ちょっと個人的にしている調べごとがあるのだ。その足がかりが、たまたまここにあるのが分かったのだ。だから、こうして直接乗り込んできた……その程度だと思って欲しい。別に、あなた達のすることを邪魔しようとも考えていない」  その程度と笑うノブハルに、「本気かしら?」とリツコは言い返した。 「カストルと同じことが起きたら、もれなくあなたも巻き込まれることになるのよ」 「それは、あなたの気にすることではないのだがな」  そう言い返したノブハルは、「与太話だ」とリツコの目の前で指を一本立てた。 「マールス人だが、この銀河に人類の種など撒いていない……と言うのはどうだ?」 「どうだと言われても……この銀河には不自然なことが沢山あるわ。現時点で、その説明となるのがマールス人が人類の種を撒いたと言うことなのよ」  慎重に言葉を選んだリツコに向かって、「そこで質問だが」とノブハルは指を立てたまま言葉を続けた。 「マールス人が種を蒔くまで、この銀河に人類、もしくはそれに類するものが生まれていなかったと考えているのか? それは、流石に不自然とは考えないのか?」 「そうね……」  そう答えたリツコは、慎重に言葉を選んで話を続けた。 「無いと考えるのは、流石に不自然だと思うわよ。そしてその疑問への答えは、人類の種を蒔くため、それまで存在した人類を滅ぼしたと言うものになるわね」 「だとしたら、その存在を示す遺跡なり痕跡は発見されているのか?」  畳み掛けられた質問に、リツコはすぐには答えを口にしなかった。  それから十分に間をおいてから、「それに類するものなら」と切り出した。 「俗に言う哺乳類の痕跡は見つかっていないわね。その代わり、かなり発達した爬虫類がいた痕跡が見つかっているわ。と言うのが、惑星ニヴェアの現状になるのだけど?」 「そこまでの共通理解があることを前提に話をする。マールス人は、人類の種など撒いていない。本当に彼らが行ったのかは不明だが、人類の形態がこの銀河に広められただけだと考えている。と言うのが、俺の立てた仮説だ」 「人類の形態が広められた?」  首を傾げたリツコに、「形態が広められたのだ」とノブハルは繰り返した。 「己の形を失い、限りなく精神だけの状態になったものは存在する。その状態になったものが、再度肉を持ったものに戻されたと考えたのだ。その際に使われたのが、元の姿ではなく今の人類の姿と言うことだ」 「ち、ちょっと、待ってっ!」  慌ててノブハルを手で遮ったリツコは、口元に拳を当てて何やら呟いた。ノブハルの耳にははっきりと聞こえないのだが、「可能性としてはあり得るか」と検証しているようだ。  自分を無視して長考に入ったリツコを、ノブハルは面白いものを見る目で見ていた。目の前のおばさんは、自分の正体より知的好奇心を優先しているようだ。明らかに不用心なことには違いないが、かと言って彼女にどうこうできる問題ではないのも確かなのである。  そして長い思考から抜け出したのか、リツコは小さく息を吐きだした。 「今の仮説は、今まで建てられたものの中で一番現状を説明していると思うわ」  感動したような顔で、「凄いのね」とリツコはノブハルを褒めた。 「まさか、ニヴェアの中にこんな人がいるとは思っても見なかった」 「一応、光栄と言っておこうか」  ふんと鼻から息を吐き出したノブハルは、「それでも問題はある」と続けた。 「そもそもどうやって、銀河全体でそれまで居た生物が形を失ったのか。そしてどうやって、マールス人は人類の形を広めていったのか。その二つが、今の所仮説が立っていない……正確に言えば、この銀河全体で生物が形を失った方には仮説らしきものが立つのだがな。俺は、その仮説を確かめにここに来たと言うことだ」 「それが、あなたの言っていた足がかりと言うことね」  真剣な表情のリツコに、ノブハルはゆっくりと頷いた。 「それにしたところで、足がかりに過ぎないのだがな。ここに原因となるものがあったとしても、どうしてそんなものが銀河全体に存在しているのか。そちらの説明がつくとは思えないのだ」 「そちらの方を忘れれば、銀河全体で生物が消えた方には説明がつくのかしら?」  真面目に聞いてきたリツコに、ノブハルはもう一度頷いた。 「仮にその現象を融合現象と呼ぶとしてだ。その核となるものが、共鳴したと言うのが仮説の一つとなる」  そこでノブハルは、「質問だ」とリツコを見た。 「マールス銀河の星系図を用意できるか。可能ならば、アーベル連邦が間引きを始める前のものがありがたいのだが?」 「……難しいことを言ってくれるわね」  少し口元を歪めたリツコに、「できないのか?」とノブハルは少し目を見開いた。 「できないとは言わないけど、流石にここでは難しいわね」  そう言って立ち上がったリツコは、入口の方へと歩いていった。 「マヤ、セキュリティカードを用意して。彼を、私の執務室につれていきたいの」 「……よろしいのですか?」  目元にシワを寄せた女性に、リツコは酷薄に口元を歪めた。 「いつ、私に意見できるほど偉くなったのかしら?」 「い、いえ、そんなつもりはなくて、ですね……」  とたんに慌てた女性に、「時間の無駄遣いは嫌いよ」とリツコは冷たく言い放った。 「バツとして、全館フリーパスのカードにしてちょうだい」 「さ、さすがに……いえ、すぐに用意してお持ちします」  青い顔をした女性を見て、「怖いのだな」とノブハルはのんびりと考えていた。  そんなノブハルの感想に関係なく、リツコは「何をしたいの?」とノブハルに尋ねた。先程の表情とは打って変わって、まるで教えを請う女学生のような表情をしていた。 「さほど難しいことではない。ちょっとしたシミュレーションをして貰おうと思っただけだ。できるのか?」 「シミュレーションの内容による……としか言いようがないわね」  当然すぎる答えに、なるほどとノブハルは頷いた。 「無理そうなら、俺が手を貸してやればいいか」 「さすがに、それは難しいと思うわよ」  そうリツコが微苦笑を浮かべたところで、応接をノックする音が聞こえてきた。 「入っていいわよ」  入室の許可を与えた声は、先程とは打って変わって楽しげに聞こえた。どうやらこの女性は、すこぶる機嫌がいいようだ。 「セキュリティカードをお持ちしました」  とは言え、受け取る方の精神状態はよろしくないようだ。まだ表情は固く、こころなしか青ざめているように見えた。 「ありがとうマヤ、仕事に戻っていいわ」 「は、はい、失礼いたしました」  ぎこちなく頭を下げて、その女性は会議室を出ていった。それを楽しげに見送ったところで、リツコは「行きましょうか」とノブハルに声をかけた。 「あなたの執務室……にか?」 「ここだとね、何もできないのよ」  こちらにと、リツコは手を広げてノブハルを招いた。  それにおとなしく従ったノブハルの前に立って、リツコは応接を出るとエレベータへと入っていった。そしてユータ達を案内したのと同じ様に、自分のカードを案内パネルをタッチした。当然のように、地下100階と言うふざけた表示が現れた。 「あら、気にしないのね?」  楽しそうに声をかけたリツコに、「予想はしていた」とノブハルはそっけなく答えた。その素っ気なさを気にすることなく、リツコは自分の部屋のある10階のボタンを押した。 「しかし、初めて来た客を執務室に招いて良いのか?」  不用心と言う意味を込めたノブハルに、「そう?」とリツコは少し目を見開いた。 「あなたのことを信用した……と思ってくれればいいわ。後は、そうね、あなたが好みのタイプと言うのもあるわね」 「それは、光栄と思えば良いのかな?」  少しだけ目元を引きつらせたノブハルに、「喜んでおけばいいのよ」とリツコは笑った。  ただ話をするには、10階までと言うのは短すぎる時間だった。目の前の扉が開いたところで、「こちらよ」とリツコが先導して歩いた。そして頑丈そうな扉の前に立つと、自分のIDで扉を開いた。 「なかなか立派な部屋なのだな」 「立場が上がるとどうしてもね」  それだけ答え、リツコはノブハルをソファーに座らせた。そして備え付けの冷蔵庫から、ボトルの水とカットの入ったグラスを取り出した。 「水で良かったかしら?」 「話をするには丁度いいだろう」  そう答えたノブハルは、「ここでできるのか?」とシミュレーションのことを尋ねた。 「ええ、ここからだとメインコンピュータにアクセスできるのよ」  だからと、リツコは空間投影ディスプレーをノブハルの前に出した。 「それで、間引き前のマールス銀河でいいのよね?」  そう言いながら操作をするところを見ると、コマンドを入力しているのだろう。やはり原始的なのだなと考えている眼の前に、「これで良いのかしら」とリツコは銀河系図を呼び出した。 「惑星間の距離データも入っているのか?」 「どこまで正確かは分からないけど、それなりのものが入っているわよ」  それでと先を促したリツコに、「まず」と言ってノブハルは指を一本立てた。 「人類の種が蒔かれたと言う星にマーカーを入れてくれ。そしてその惑星毎に他の惑星との距離を、10番目ぐらいまでリストアップする……面倒だな」  そこで言葉を切ったノブハルは、「指示をやり直す」とリツコに告げた。 「人類の種が蒔かれた惑星をマークするのは同じだ。そして次の条件で、シミュレーションを実行して欲しい」  そこで言葉を切ったノブハルは、リツコの顔を見て条件を追加した。 「惑星マールスを起点として、一定距離にある惑星は共鳴により融合現象が発生する。そして共鳴は連鎖していくものとする。この条件で、距離をパラメータで融合現象の広がりを見て欲しい」 「指示自体は単純なものね……ただ……さほど時間はかからないと思うわ」  それから20分ほど、リツコはシミュレーションのセッティングに没頭した。そして目の前のディスプレーを概観してから、「待たせたわね」とノブハルに告げた。 「パラメータとなっている距離を大きくしていけばいいのね?」 「ああ、そう言うことになるな」  ノブハルの答えに、「分かったわ」とリツコはシミュレーションを実行した。当然のように、その結果は事前にアルテッツァが行ったものと同じになっていた。 「……どうしてと言う疑問はあるけど、銀河全体で融合現象だったっけ、それが発生した理由にはなるわね」  感心したリツコに、「次のシミュレーションだ」とノブハルは指を一本立てた。 「距離の条件を銀河中に共鳴が広がったものとして、起点をニヴェアにして結果を見て欲しい」 「起点を変えればいいのね?」  それならすぐと答え、リツコは設定の一部を変更した。 「じゃあ、始めるわよ」  そうリツコが口にした次の瞬間、銀河系図の全体が赤く染まった。 「惑星マールスまでパスができていたから、この結果は当たり前といえば当たり前なんだけど?」  それでと先を促したリツコに、「次の条件」とノブハルは指を立てながら口にした。 「間引きが完了した状況で同じことをしてくれ」 「その時には、ニヴェアは存在していないんだけどね」  言いたいことは分かると、リツコは起点を惑星マールスに変更してシミュレーションを行った。 「なるほど。この条件だと、連鎖が発生しなくなるのね」  ううむと唸ったリツコは、「正当性があったわけだ」と小さな声で呟いた。 「うむ、アーベル連邦が、人ではなく惑星を破壊した理由に説明がつくことになる。ただ問題は、本当にそれを理解して惑星破壊をしていたのかと言うことなのだがな」 「このシミュレーションを見る限り、理解していたと考えるのが妥当じゃないのかしら?」  論理的に理由が説明できている。それを持ち出したリツコに、「大きな前提を間違えている」とノブハルは返した。 「それを説明するために、次の条件でシミュレーションをして欲しい。なに、間引きを今の状態として、ザクセン=ベルリナー連合加盟星系で融合現象が発生したとする。そのときに、アーベル連邦に影響が出るかを見てみれば良いのだ」 「その程度は難しくないのだけど……」  少し言葉を濁したリツコは、「知っているのでしょう?」とノブハルの顔を見た。 「ああ、こちら側では巻き込まれる星系は出るが、あちら側には波及しなくなっている」 「だから、理解しているのか疑わしいと言うことになるわけね。でも、間引きの対象を決めた時……と言うより、間引き自体を立案したときには、理解していたと考えるべきじゃないの?」  その指摘に、ノブハルは大きく頷いた。 「やはりあなたは優秀な人なのだな」  そうリツコを褒めたノブハルは、「それが、いくつかある謎の一つだ」と説明した。 「そもそも、どうして融合現象の核となるものが銀河広くに存在するのか。そして融合現象からの復帰を誰が行ったのか、どうして間引きを始めたのか、とりあえず、そんなところだろう」 「私から追加しても良い? どうして、同じ姿を与えたのか……と言うのもあると思うわよ」  リツコの指摘に、ノブハルはうむと頷いた。 「誰がと言う謎が解ければ、その答えも得られると思っている。ただ、今となっては解けない謎としか思えないがな」 「確かに、あなたの言うとおりだと思うわ」  ふうっと息を吐いたリツコは、「感謝するわ」とノブハルに頭を下げた。 「お陰で、これまで疑問に感じていたことに対する答えが見えてきたわ」  そこで少し口元を歪めたリツコは、「検証のしようがないけど」と付け加えた。 「確かに、検証の方法がないな」  そこで椅子に持たれたノブハルに、リツコの立場としては当然のことを口にした。 「ねえ、あなたもアニマに加わらない? そうすれば、もう少し見えてくるものがあると思うのよ」 「俺が、か?」  少し目を見張ったノブハルに、「不思議なことじゃないでしょ」とリツコは笑った。 「あなたの実力が、私達以上と言うのが分かっているのよ。だったら敵対するより、味方に引き入れた方が賢いと思わない?」  ノブハルの言葉を待たず、リツコは言葉を続けた。 「私達のシステムに潜り込み、いつの間にか私の予定を書き換えてくれたわ。自慢じゃないけど、ここのシステムのセキュリティは政府機関以上なのよ。そのシステムに、なんの痕跡も残していない。それだけでも、あなたが特筆すべき実力を持っているのが分かるわ。そしてマールス人の考察についても、私達の遙か先を行っているのよ。敵対したときの得失を考えたら、自ずと導き出される答えでしょう?」 「なるほど、論理的な思考であるのは認めよう。ただ俺は、アニマに加わるつもりはない」  そこで待てとばかりに、ノブハルはリツコを手で制した。 「最初に言ったとおり、あなた達の邪魔をするつもりは毛頭ない。むしろ今は、融合現象が起きるのを観察しようと言う気にすらなっている。何しろ、サンプルとしてはとても貴重だからな」 「自分が巻き込まれる……と考えていないのかしら?」  呆れたと言う顔をしたリツコに、「最初に言ったとおりだ」とノブハルは返した。 「それで、あなた達は「神への道」に踏み出そうと考えているのか?」 「その辺りはね、ちょっと微妙な情勢なのよ」  少し眉毛、黒いのをハの字にしたリツコは、「おかしな噂を聞いてる?」とノブハルに尋ねた。 「おかしな噂と言われてもだな……」  少し困った顔をしたノブハルに、「アーベル連邦の動向」とリツコは切り出した。 「私が調べた範囲で、アーベル連邦が間引きを中止しているのよ。それどころか、これ以上の間引きをしないと言う情報まで出てきたわ。もちろん、連合内での公式情報じゃないんだけどね。その中には、外銀河からの来訪者に止められたと言うものまで混じっているのよ」  その話をする時、リツコの顔にも「困った」と言う表情が浮かんでいた。 「隣の銀河までの距離を考えたら、普通ならありえないと思うわよ。でも、間引きが止まっているのは確かなのよ。だから、私達も急ぐ必要がなくなってしまった。少なくとも、理論構築ができていない状況で無理をする必要がなくなったのよ」 「その無理をした結果が、カストルと言うことか……ああ、ケスラーでも同じことが起きているか」  何気なく口に出された名前に、リツコはすっと目を細めた。 「今更だけど、あなた何者? カストルはここから近いから分かるけど、ケスラーとは5万光年以上離れているのよ。そんな遠くの情報がニヴェアに伝わるとは思えないのよ」  明らかに警戒を顔に出したリツコに、「当ててみろ」とノブハルは笑った。 「一発で当たったら、あなたにもいい目を見させてやる。色々と、俺のデータも取ったのだろう?」 「お見通しって言うよりバレていたのね」  ふうっと息を吐いたリツコは、両手のひらを肩口で上に向けた。 「それは、どういう意味だ?」 「お手上げってことよ。あなたの遺伝子を調べてみたけど、私達と有意差は見つからなかった。アーベル連邦の関係者かとも考えたけど、ここに来る理由に欠けているのよね。それでも一つだけ言えることがあるとすれば、あなたは私達が求めていた人材と言うことよ。言っておくけど、頭脳の方じゃないからね。私達の目的、「神への道」に至るための適格者と言う意味でね」  リツコの答えに、なるほどとノブハルは頷いた。 「それで、俺のことを勧誘したと言うことか」 「一応言っておくけど、あなたの頭脳が欲しいと言う理由の方が大きいわ。その理由は、急ぐ必要がなくなったからよ。と言うことで、あなたの正体はさっぱり分からないと言うのが私の答えになるけど……」  そこで一度言葉を切ったリツコは、ほんの少し口の端を歪めてみせた。 「それじゃ癪に障るから、一番荒唐無稽なのを答えにすることにしたわ」 「ほほう、一番荒唐無稽なやつか?」  ニヤリと笑ったノブハルは、「それは」と答えを促した。 「エリス銀河からやってきた者……と言うのはどうかしら? どう、荒唐無稽でしょう?」  リツコがそう言って笑った時、彼女の周りの景色が一変した。物こそあるが無機的な応接が、温かみに溢れた豪華な空間に入れ替わったのである。その変化についていけなかったのか、リツコは目をパチパチ瞬かせて固まってしまった。  そんなリツコの前で、ノブハルはパンと手を鳴らした。 「な、なに、何が起きたの!?」  大きな音にビクリと反応し、今度はリツコはキョロキョロとあたりを見回した。それをしばらく繰り返してから、自分の右頬を抓ってみた。当然のように、抓った右頬は痛かった。 「なかなかおもしろい反応だな。ちなみに、これは夢でもなんでも無いからな。初めに宣言したとおり、一発で当ててくれたから、いい目を見させてやっただけのことだ」 「く、空間移動よね、これって……でも、ニヴェアにはそんな技術はないわっ! やっぱり、アーベル連邦の関係者なのっ!」  覿面に狼狽えたリツコに、「エリス銀河の者だが?」とノブハルは答えた。 「ちなみに俺たちは、エリス銀河ではなくディアミズレ銀河と呼んでいるのだがな。超銀河連邦に1万番目に加わったのが、ディアミズレ銀河の命名由来だ」  そう答えてから、ノブハルはもう一度手をパンと鳴らした。 「改めて聞くが、大丈夫か?」 「これが、大丈夫に見える?」  辺りをキョロキョロと見回してから、「夢じゃないのよね」とリツコは口にした。 「夢にしてやっても良いのだが……残念がらこれは夢などではない……と言うことで、ルリ、なにか飲み物を持ってきてくれ」 「良いけど、媚薬……入れとく?」  突然現れた女性に、リツコはビクリと反応した。一方ノブハルは、これでもかと言うほど嫌そうな顔をした。 「普通に、ニヴェアで飲まれているコーヒーに似たものでいい。ただ、ちょっと濃い目にしてくれ」 「催淫剤トッピングなんて、なかなか洒落てると思うんだけどな」  つまらないと答え、ルリは二人の前にとびっきり苦いコーヒーを置いた。 「砂糖とかミルクはいる?」 「それぐらいは、自前で何とかできるからいい」  ノブハルの答えを聞いて、「あ、そ」とルリは姿を消した。それを苦笑で見送ってから、ノブハルは自分のカップに口をつけた。 「とりあえず、おかしなものは入っていないようだな……ただ、苦すぎだろう、これは」  小さく息を吐いたノブハルは、カップの前でパチリと指を鳴らした。その音に合わせるように、真っ黒だったコーヒーに泡立ったミルクが現れた。 「ど、どうやったの?」 「これか、簡単な元素合成なのだがな。水素や酸素から、元素変換や物質固定を行ってフォームドミルクを作ったと言うことだ」  大したことじゃないと答え、ノブハルは程よい苦さのコーヒーを口に含んだ。 「あなたのコーヒーにも入れるか?」 「え、ええ、できたらお願いするわ」  完全に圧倒されたリツコは、借りてきた猫のようにおとなしくなっていた。 「ちなみに、あなたが今いるのは、惑星にヴェアから5億キロほど離れた宇宙船の中だ。ルリ号と言うのだが、最高速度は光速の……ルリちょっと教えてくれ」 「お楽しみは邪魔しないことにしてるんだけどな」  そう言って現れたルリに、「お前の性能だ」と呼び出した目的を口にした。 「最高速度はどこまで出るんだ? ちなみにエリカのところは、光速の100億倍を超えたぞ」 「私? 流石に世代が少し古いからそこまでは出ないわよ。そうね、外銀河なら10億倍ちょっとかな? 銀河内だと加速距離が取れないから、せいぜい5億倍じゃないのか。まあ、限界を試してみても良いんだけどね」  どうすると問われ、ノブハルは即座に「今はいい」と答えた。 「したがって、ここから13万光年離れた惑星マールスまでは2時間ってところだな。惑星アーベルでも同じぐらいだ。なんだったら、ザフエル……今の総統なのだが、紹介してやってもいいぞ」 「後が怖いから良いわ……」  ふうっと息を吐いたリツコは、苦すぎるコーヒーに口をつけた。 「確かに苦すぎるわね、これ。でも、お陰で少し頭がはっきりとしてきたわ」  今度はゆっくりと首を巡らせてから、「宇宙にいるの?」とリツコは尋ねた。 「ああ、カストルの直近まで移動した。そのモニタで、カストルの今を見ることができる」  ルリと声を掛けた瞬間、リツコの前に死の星となったカストルの姿が映し出された。彼女の目の前には、木々すら消滅した赤い世界が広がっていた。 「失敗するとこうなると言うことなのね」  流石にすべての生物が消えた世界は衝撃が大きかった。そのせいで、カップを持つリツコの手が大きく震えた。  まだ熱いコーヒーが膝にこぼれたのだが、それすら気づくことができないほどリツコはショックを受けていた。 「これを失敗と言って良いのかどうか俺には分からないがな」  短く、そして突き放すように答え、ノブハルは「どう思った?」とリツコに尋ねた。 「ちなみに、ケスラーの方はもう少しデータがある。かなり刺激が強いが、一度見てみるか?」  どうすると問われたリツコは、ゆっくりと、そしてしっかりと頷いた。 「そ、それが私の責任だと思ってるわ」 「そうか、だったらしっかりと見てみることだ」  ルリの合図と同時に、融合現象真っ最中のケスラーの映像が映し出された。その映像の中で、地上に生きるあらゆる生物が、その形を失い崩れ落ちていくのを見ることができた。  唇を真っ青にしたリツコは、「気持ちのいいものじゃないわね」と残り少なくなったコーヒーに口をつけた。苦すぎるコーヒーなのだが、今はその方がありがたいと感じたぐらいだ。 「分析をした結果、微生物すら検出できなかった。かろうじて、ウィルスを見つけることができたが、それにしたところで宿主がなければ長くはもたないだろう。タンパク質は存在しているから、時間が経てば原生生物ぐらいは発生するだろう」 「そうなると、問題はケスラーに住んでいた人たちがどうなった……もちろん、体のことじゃないわよ」  つぶやくようなリツコの言葉に、ノブハルは両手を広げてみせた。 「それについてはお手上げだな。生物が生物として形作られている境界が破壊された以上、中身がどうなったのかは全くわからないし、観測する方法も存在していない」 「それについては同感なんだけどね……」  少し言葉を濁したリツコは、更に間をおいてから「マールス人なんだけど」と口にした。 「いえ、マールス人がしたことって言えば良いのかしら。どうやったのかは全く分からないけど、この銀河に住まうものに同じ姿を与えたわよね? だとしたら、何らかの方法で干渉できるんじゃないのかしら?」 「確かに、それを考えれば干渉は可能か……」  そこでアルテッツァを呼び出そうとしたノブハルだったが、呼び出しかけたところで相手をルリに切り替えた。  そしてそんな真似をすれば、出待ちをしていたアルテッツァから文句を言われることになる。 「どうして、呼び出しかけてやめるんですっ!」 「それって、日頃の行いが問題じゃないの?」  うふっと笑ったルリは、「可愛がってあげようか」と口元を歪めた。 「エリカよりは優しくしてあげるわよ」 「え、ええっと、今日のところは遠慮させていただきます……」  本気で身の危険を感じたのか、アルテッツアは挨拶もしないで姿を消した。訳の分からないやり取りを見せられたリツコは、「聞いていい?」とノブハルの顔を見た。 「今まででも、色々と教えていると思うのだが?」 「それはそうなんだけどね……その、彼女達って何者って思ったのよ」  だからと言われて、ノブハルは心から納得してしまった。何を隠そう、ノブハル自身アルテッツァやルリを始めとしたトリプルAのAIに疑問を感じていたのだ。 「事実だけを口にするのなら、アルテッツァは俺達が加盟している超銀河連邦最大の規模を持つAIだ。3千ヤーだったか昔の、シルバニア皇帝の人格を移植したものと言われている。そして今は、シルバニア帝国だけでなく、連邦の多くのシステムを統括している。規模を考えたら、笑ってしまうほどの規模を持つAIだな」  そんな凄いものがと驚いたリツコに、ノブハルはまともだなと感心していた。トリプルAのAIを知らなければ、彼女の反応は当たり前過ぎたのだ。だが世の中には、想像もつかない非常識と言うものが存在する。 「そしてルリだが、このルリ号と言う船のAIだ。ルリ号自体、全長で100m程の企業の厚生用クルーザーだ。ちなみに、高速性能ならば連邦の中で五指に入るはずだ」  ノブハルの説明に、リツコは遠慮がちに右手を上げた。 「今の説明どおりだとしたら、どうしてアルテッツァだったっけ? ルリから逃げ出さなくちゃいけないの? 性能的には、圧倒的にアルテッツァの方が上のはずよね」  それなのに、尻尾を巻いて逃げたのはアルテッツァの方なのだ。それを疑問に感じるのも、何も知らなければ極めて常識的と言えただろう。 「そのことについては、この俺自身疑問を感じているのだがな。だがどう考えても説明がつかないので、今はそう言うものだと諦めている」 「そ、そうなの?」  自分達よりずっと進んだ世界のはずなのに、こんな原始的な理不尽が存在している。それを新鮮に感じたリツコは、ごめんなさいとノブハルに謝った。 「話の腰を折ってしまったみたいね。あなたは、ルリだったっけ、呼び出して何かをしようとしたのよね?」  リツコの指摘に、ノブハルはぽんと手を叩いた。 「ルリ、このことについてトラスティさんはなにか情報を持っていないか?」 「あの人はペテン師であって、科学者じゃないことを忘れてない?」 「それを忘れているつもりはないのだがな」  微苦笑を浮かべたノブハルは、「色々と調べ回っていただろう?」とウタハの時のことを持ち出した。 「確か、エスデニアに融合現象を調べている科学者が居たはずだ。あの人は、そのことを知っていたと思うのだが?」 「なるほど、エスデニアね。うんうん!」  そう言って頷いたルリは、「こんな感じみたい」とどこからかデーターを引っ張ってきた。 「およそ1千ヤー昔のエスデニアの記録か……これを見ると、融合現象からの復帰も考えられていたのだな」 「だけど、復帰は外部からしないとだめみたいね。人類保管と言うぐらいだから、しまった人が出すことを考えていたんだと思うわよ」  もともとの目的を考えれば、勝手に復帰されても困ってしまうのだ。 「機動兵器を使うことが計画されていた……と言うことだな。なんだ、なにか言いたいことがあるのか」  小さく手を上げている自分に気づいたノブハルに、「根本的な疑問だけど」とリツコは口にした。 「だとしたら、生物の本質がどこかに保管されていることになるわよね。一体、どこに保管されているのかしら?」 「可能性としては、融合現象のコアとなるものだな。ただ、何十億もの人々、そして他の生物の本質まで保管できる容量があるのかは疑問とも言える」  うんと考えては見たが、だからと言って答えが見つかるはずがない。 「やはり、こう言う時はペテン師に頼るのが良さそうだ」  早速押し付けることを考えたノブハルに、「悪いことを考えているわね」とリツコは指摘した。 「なにか、良からぬことを考えている顔をしているわよ」 「なに、こう言う時に突飛なアイディアを出してくれる人が居たのを思い出したのだ。うん、ただそれだけのことだ」  気にするなと笑ったノブハルは、「出し物はお終いだな」とリツコを見た。 「すでに、ニヴェア近傍まで戻ってきている。後は、お前達が隠している物を見せて貰えば俺の目的は達せられる」 「拒否できる立場じゃないのは分かってるけど……」  ふっと息を吐いたリツコは、「一つ確認させて」とノブハルに問うた。 「アーベル連邦は、本当に間引きをやめたの?」 「ああ、今の総統……ザフエルがはっきりとそう言ったからな。まあ、俺達の連邦加盟を餌にもしたのだが。ちなみに、俺達の連邦から戦艦が100万ほど連邦と連合の境界に駐留しているぞ」  ノブハルの答えに、リツコは大きく息を吐きだした。 「つまり、私達は間引きを恐れなくてもいいと言うことね。いいわ、アダムのところに案内してあげる。と言うことなので、元の所に戻してくれるかしら?」  リツコがそう口にした瞬間、彼女の周りの景色がガラリと変わった。 「まさか、幻を見せられたってことはないわよね?」 「あなたの部屋に、監視カメラみたいなものがあるのだろう?」  それを確認すればいいと言われ、リツコは早速室内モニタを呼び出した。 「この画像自体がフェイクじゃないと言う保証はないけど……確かに、私達の姿が見えなくなっているわね」 「まあ、やろうと思えば難しいことじゃないがな」  だけどやっていないと答えたノブハルに、「付いてきて」とリツコは背中を向けた。 「エレベーターで、地下100階まで降りてもらうわ」 「そこに、アダムとやらがあるのだな?」  小さく頷いたリツコは、「それ以上質問されても分からない」と先手を打った。 「あなたのことだから、他にも色々と聞きたいことがあるのでしょう? でも、どうしてそこにあるのか、それが何なのかは全く分かっていないわ」 「それなのに、融合現象の核と言うことは分かっているのだな?」  おかしくないかとの指摘に、リツコは顔をひきつらせた。 「見てみれば分かる……としか、今は答えようがないわ」 「ならば、早速見せて貰うことにするか」  案内しろと命令したノブハルに、「後悔しないように」とリツコは脅しの言葉を口にした。 「確認しておかないと、それで後悔することになりかねないだろう?」  だから行くとの答えに、「分かった」とリツコは短く答えた。そして自分の部屋を出て、地下100階に通じるエレベーターを呼び出した。  エレベーターに乗り込んで5分、ノブハルは目指す地下100階へとたどり着いた。 「簡単に計測してみたが、およそ1km程降りたのか」 「ええ、地下に真球状の空間があるのよ。半分以上埋もれているけど、直径で5km程の空間になっているわ」  扉のようなところの前に立ち、リツコは自分のカードをリーダーに通した。 「この施設も、私達があとから付けたものよ」  リツコの言葉と同時に、目の前の扉がきしむような音を立てて開いていった。そしてその開いた空間から、肌をさすような冷気が漏れ出てきた。 「保存のために冷やしているのか?」  吐く息が白く見えるのだから、それだけ気温が下がっていると言うことになる。保存に理由を求めてノブハルに、リツコはしっかりと首を横に振った。 「私達は何もしていないわ。だから、勝手に冷えていると言うのが答えになるわね」  そう答えて、「こちらよ」とリツコは更に奥を指差した。そこには、非常識なほど大きな扉が作られていた。タブリースの屋敷の扉より大きいのだから、一体何をしまっているのだと言いたくなるほどの大きさだった。 「これを開くのか?」 「一応、通用口があるわ。言っておくけど、中はもっと寒いからね」  その説明に、ノブハルはなるほどと頷いた。そして差し出された防寒具を断り、「アクサ」と己のデバイスを呼び出した。  突然現れた女性に、リツコは飛び跳ねるように一歩退いた。 「こ、今度は何?」 「俺達の世界では、デバイスと呼ぶ強化ツールだ。フュージョンすれば、宇宙空間に出ることも可能だ」  そう説明したノブハルは、アクサにフュージョンを命じた。命令と同時に光の粒となったアクサは、そのままノブハルの身体に吸い込まれるように消えていった。 「これで、俺はお前達では手も足も出ない存在になった」 「考えるだけ無駄ってことかしら」  はあっと一つ息を吐いて、リツコは巨大な扉の脇に設けられた通用口を開いた。そして言葉通り、先程より強い冷気がノブハル達を襲った。 「なるほど、摂氏マイナス20度と言うことか。天然……ではないのだろうな」  目の前には、薄緑色に輝く広大な空間が開けていた。足元を見ると、そこは白い結晶で覆われているようだ。 「白いのだな……うむ、塩なのか?」 「ええ、塩ね……どうしてと言うのは聞かないで。それから、一応ここも整備はしたのよ。ただ、すぐにぼろぼろになるから今は放置してあるのよ」 「そして、あれがここの主と言うことか……」  薄緑色の明かりに照らされた……中に、白い巨人が立っているのが見えた。ざっと見た感じでは、その大きさは高さにして50m程だろうか。以前ゼスで見た、エスデニアの巨人に似た大きさをしていた。  ただ大きさは同じでも、こちらの方は不気味な見た目をしていた。 「あの仮面は、アニマのシンボルをつけたものか?」 「逆よ、あの仮面をもとにアニマのシンボルを作ったのよ」  なるほどと思いながら近づくと、ようやく白い巨人の全貌を見ることができた。はじめは立っていると思っていたのだが、実際は壁のようなものに貼り付けになっていた。そしてあるはずの下半身はなく、ちぎれた胴体の下部からなにかがびっしりと生えているように見えた。 「なにか、人のように見えるな……」 「ええ、人の形をしているわね」  何度見ても馴れることのない光景なのだろう、ノブハルに答えるリツコの顔はこわばっていた。 「しかし、なんだ、かなり不気味な存在には違いないな。これを見せられれば、融合現象の核と言われても信用してしまいそうだな」  うんと頷いたノブハルは、「どうするつもりだったのだ?」とリツコに問いかけた。 「どう、と言うのは?」 「こんな訳の分からないものを、どうやって使うつもりなのかと言うことだ。それに、適格者とか言ったな。一体何に対する適格者なのだ?」  訳の分からないものを使おうと言うのだから、それなりに解析ができていなければおかしいことになる。それを指摘したノブハルに、「信じられないと思うけど」とリツコは予防線を張った。 「一応、これでも生物らしきものなのよ。しかも、こんなになっても生きているのよ。だから、色々と反応を調べることもできるわ」  そこでゴクリとつばを飲み込んで、リツコは「反応するのよ」と繰り返した。 「この建物に入った人に対して、大小様々な反応を示すのよ。そして同時に、おかしなフィールドを周りに展開するの。いえ、正確に言うと、そのおかしなフィールドは今でも展開されているわ。ただ、その範囲と強度が変化すると言うところね」  頷いたノブハルは、「その影響は?」と問うた。 「近づくだけで、意識の混濁が発生するわね。そしてフィールドに囚われると、人の形が消滅するのよ……解けて赤い水に変わると言うのが一番ピッタリとくる表現かしら」 「だから、融合現象の核だと考えたと言うことか……だとしたら、いささかまずくはないのか?」 「まずいって……何を言っているのかしら?」  分からないと首を傾げたリツコに、ノブハルは自分自身を指差した。 「俺は、お前達が求めていた適格者じゃないのか? これだけ近づいたのだ、この化け物が活性化する可能性がある」 「平気そうに見えるけど……あなた、なにかアダムから感じてる?」  発熱体の入ったジャケットを着ていても寒さを感じるのに、ノブハルの様子に変化はなかったのだ。そして物理的寒さだけでなく、リツコは得体のしれない恐怖も感じていた。 「俺は、特に何も感じないな。まあ、色々と対策をしているから……と言うのがその答えになるのだが」  そう答えたノブハルは、アルテッツァと連邦最大のAIを呼び出した。そしてその呼びかけに応え、あたたかそうな上下を着込んだアルテッツァが現れた。 「この巨人のデータを記録しておいてくれ」 「なにか、不気味な感じがしますね……」  ぶるっと一度震えてから、アルテッツァはなにかのプローブのようなものを飛ばした。 「組成的には、エスデニアの巨人……アポストルとほぼ同じです。ただ、周りに展開されているフィールドは、相転移空間とは性質が違っていますね。今までのデータにないものには違いありません」 「お前のデータにないと言うことは、誰も正体が分からないと言うことか……」  残念そうにしたノブハルに、「普通はそうです」とアルテッツァは答えた。 「ですが、トラスティ様のところにはクレシアが居ます。癪に障りますが、ユーカなる存在ならばなにか知っている可能性があります」 「その可能性はあるが……トラスティさんは、今回は気が乗らないと言っていたな。だから、協力してもらえるとは思えないのだが……ところで、この巨人を破壊できるか?」 「アーベル連邦が破壊できたのなら、さほど難しくはないのかと。とは言え、あちらは惑星破壊レベルの攻撃をしていますが……ノブハル様とアクサなら破壊できるのではありませんか? 破壊するんですか?」  その問いに、「いや」とノブハルは即座に否定した。 「俺は、ニヴェアに対して責任はないからな」 「でも、あの可愛い子達の将来にも関わってきますよ。あの子達に、さんざん関わってきましたよね」  見捨てるんですかと問われたノブハルは、「計画をすすめるのか」とリツコに問うた。 「今の所は、保留中と言うところね。さっきも話したけど、急ぐ必要がなくなったのよ。それに、ケスラーの惨状も見てしまったし……だから、私個人としてはとてもネガティブね」 「組織としてなら、どうなる?」  リツコ個人が後ろ向きでも、ニヴェアと言う組織を考えれば話は違ってくる。それを指摘され、リツコは腕を組んで考えた。 「私抜きでは計画は進められないと思うわよ。でも、絶対に無理かと言うと……カストルやケスラーと同じことならできると思う。私はあなたに会って色々と見せてもらったけど、ウチの上はエリス銀河から来訪者があったことを知らないしね」  その答えに頷き、ノブハルはもう一度アルテッツァに声をかけた。 「この情報は、エスデニアにも伝わっているのか?」 「まだ、アクセスされた形跡はありませんね。どうします? トラスティ様にお伝えしますか?」  そうすれば、自動的にエスデニアに話が伝わるはずだ。そしてそれ以上の指示が出されることも期待できる。  そのつもりで尋ねたアルテッツァに、「今は必要がない」とノブハルは言った。 「アザキエルと話をした後に、あの人にも同じ話をしようと思っている。それに、惑星アーベルにも同じものがある可能性があるからな。調査をするのなら、あちらで行っても大丈夫だろう」 「暴走しなければ……そうなのでしょうね」  ぼそりと呟いてから、アルテッツァは「承知しました」と姿を消した。 「嫌なことを言い残していったな……」  少し目元を引きつらせたノブハルは、「帰るか」とリツコに声をかけた。 「もう、良いのかしら?」 「ああ、取れるだけのデータは取ったからな。後は、科学者の出番と言うことだ」  そう口にしたところで、ノブハルは「忘れていた」と手を叩いた。 「アルテッツァ、フリーセアはなにか言っていたか?」 「フリーセア様ですか? 少しお待ちを」  すぐに答えがないと言うことは、危険な徴候が見られないと言うことだろう。そう予想して待っていたら、「未来が変わりました」とアルテッツァがフリーセアの答えを口にした。 「見える範囲で、ニヴェアで融合現象が起きることがなくなったそうです」 「誰かが未来を変えない限り、これから3週間の間融合現象は起きないようだ」  そこで顔を見られたリツコは、はっきりと分かるため息を吐いた。 「どうして、そんな未来のことが分かるのよ」  やってられないとの投げやりな態度に、「科学的に説明できるぞ」とノブハルは答えた。 「光速を超える素粒子があるのだが、その性質上時間を逆行すると言うのが分かっている。その素粒子を観測することで、未来のことが分かると言う寸法だ。ちなみに、俺の妻の一人にその素粒子を観測できる能力者がいる」 「本当に、進んだ科学は魔法と区別がつかないのね」  もう一度ため息を吐いたリツコは、「残念だわ」とノブハルの顔を見た。 「俺が、アニマに加わらないからか?」  その問いに、リツコはゆっくりと首を振った。 「それを残念じゃないと言うつもりはないわよ。でも、アーベル連邦は、あなた達の仲間になったのでしょう? それなのに、私達の連合は仲間はずれになっているじゃない。宇宙がこんなに広がっているのに、それに触れられないなんて残念以外の何物でもないわ」  リツコは、そう大げさに主張した。 「なるほど、たしかにそれは残念なことに違いないな」  大きく、そしてしっかりと頷いたノブハルは、「場所を変えるか」とリツコの顔を見た。 「こんな殺風景な場所に、いつまでもいるものじゃないだろう?」 「それもそうね」  確かに、長居をして気持ちのいい場所ではなかったのだ。それを認めたリツコは、戻りましょうとノブハルに背中を向けた。そして一歩踏み出したと思ったら、いつの間にか自分の執務室に戻っていた。 「予想して然るべきなんだけど……本当に、何でもありなのね」  やれやれと息を吐き、リツコは右手をノブハルに差し出した。 「私にとって、今日はとても刺激的な一日だったわ」 「うむ、俺にとっても有意義なものだと言っていいだろう」  その手をしっかりと握り返し、「元気でな」とリツコに声をかけた。 「もう、星に帰るの?」 「ここでの目的を達成したからな。アザキエルと話をしてから、俺達の銀河に戻るつもりだ。惑星アーベルでどれだけ時間を使うか……それぐらいだな」  未練も見せない様子に、「残念ね」とリツコはため息を吐いた。 「あなたと、もっといろいろなことを話したいと思ったのに。それに、ルリ号だっけ、いろいろな所に連れて行って貰いたいと思ったわ」  そう口にして、リツコはもう一度「残念だ」とこぼした。 「別に連れて行ってやっても良いのだが……あなたは、この星に未練はないのか?」 「未練、ニヴェアに?」  目を大きく見開いたリツコは、「まったく」と断言してくれた。 「科学者として、目の前に大きく広がった世界を見せられたのよ。それ以上魅力のあることなんて存在しないと思わない?」  本気で言っている様子に、「人間関係は?」とノブハルは探りを入れた。 「あなたぐらいの年齢なら、家庭を持っていてもおかしくないと思うのだが?」 「私が、家に収まっていられるタイプに見える?」  見えないでしょうと問われ、たしかにとノブハルは頷いた。 「そうか、嫁が欲しいと騒いでいるやつが居たからな。その男に紹介してやろうと思ったのだが……」  残念だと本気で嘆いたノブハルに、「それが連れ出して貰える条件?」とリツコは尋ねた。美味しそうな話には、裏があるのが習わしなのだが、その程度のデメリットなら食いついてもいいかなと損得勘定をしていたのだ。 「別に、そんな事を言うつもりはないのだがな。だが、ただ単に連れ出しただけでは、俺達になんのメリットもないからな」 「だ、だったら、会ってみて一緒にやっていけそうだったらってのはどう? 顔も見たことがない相手なのよ、流石に二つ返事ってのは無理だと思わない?」  そう言って迫ってくるリツコに、よほど魅力的な餌なのだなと、ノブハルは宇宙に出ることを考えた。 「いや、俺のときもそうだったか……」  我が身を振り返って見てみたら、トラスティの誘いは魅力的と言う言葉だけでは言い表せないほどだったのだ。それを考えれば、リツコが必死になるのも無理もないことだった。 「確かに、こんな美味しそうな餌を取り上げるのは残酷なのだろうな」 「り、理解してくれて嬉しいわっ! そ、それで、連れて行ってくれるの?」  ここが正念場だと迫ってきたリツコに、「構わんぞ」とノブハルはあっさりと言い切った。 「その代わり、がっかりするなよ?」 「ぜ、絶対にそんなことはないって保証できるわよっ!」  やったと満面の笑みを浮かべるリツコに、意外にきれいなのだなとノブハルは感心していた。ただ自分の守備範囲からは外れるので、レックスに押し付けようと考えていた。 「だったら、いつ迎えに来れば良いのだ?」  星を離れるのだから、準備も色々とあるだろう。そのつもりで尋ねたノブハルに、「今からじゃだめなの?」とリツコは驚いた顔をした。 「だめと言うことはないのだがな……色々と準備があるだろうと思ったのだ」 「そんなもの、なにもない……と言うと寂しい女に聞こえてしまうわね。でも、現実は研究だけの寂しい女だったのよ」  だから準備することはなにもない。きっぱりと言い切られ、ノブハルは「あー」と天井を見上げた。  ただそれをしても何も良いことはないと、「ルリ」とルリ号のAIを呼び出した。 「なに、呼んだ?」  そう言って現れたのは、トリプルA幹部用クルーザールリ号のAIルリである。よほどくつろいでいたのか、淡いブルーのたっぷりとした薄手の短パンとシャツ姿をしていた。下着……は、気にしてはいけないのだろう。 「なに、お客さんを連れて帰ることにしたのだ。ルリ号に案内してやってくれ」 「別に構わないけど……変化球?」  リツコをじっくりと見たルリに、「俺のじゃない」とノブハルはすかさず言い返した。 「レックスに紹介してやろうと思っただけだ」 「なんか、うまくいかない気がするけどね……まあ、一人ぐらい連れて帰っても問題はないでしょう」  りょーかいと軽く答えたところで、リツコの姿が執務室から消失した。今頃ルリ号の中で狂喜乱舞しているのだろう。  それを確認したノブハルは、「アクサ」と自分も移動することにした。エリーゼ達が残っているので、とりあえずカフェ・ベルグが目的地である。 「アザキエルには、明日辺り会いに行くか」  これで今回の調査も終りを迎えることになる。なかなか楽しめたなと、ノブハルは旅の終わりを考えたのだった。  ノブハルがマールス銀河で遊んでいる頃、レムニアのドックでは一隻の弩級戦艦の建造が進んでいた。その全長は4kmとインペレーターに比べれば小さいが、連邦の保有する戦艦のいずれよりも巨大な船体を持っていた。  ドックの空間に表示された艦名は、「ヒューペリオンU」。その名前を信用するなら、超銀河連邦軍旗艦の二番艦と言うことになる。灰色の船体カラーは、連邦軍旗艦のシンボルでもあった。 「一応、経過報告に来ましたよ」  惑星ライマールにある超銀河連邦軍にクサンティン元帥を訪ねたトラスティは、現在の進捗状況を報告した。 「引き渡しは、予定通り3ヶ月後となります。ただ引き渡し後、連邦軍の工廠でAIの搭載・設定を行いますので、就役はそこから12ヶ月後……と言うことになりますね。こちらが、全体のスケジュールになります」  アルテッツァを使ってスケジュールを提示したトラスティは、「今更ですが」と少し口元を歪めた。 「よく、トリプルAに発注しましたね」  トラスティが「よく」と言うのは、この商談に関して入札が行われなかったことだ。これまでの連邦軍の調達を考えれば、明らかなイレギュラーだったのである。 「インペレーターや第10艦隊の性能を考えれば、他に発注することは考えられないと思うのだがね。ゴースロス2番艦に、シルバニア帝国艦隊が蹂躙されたのを知らない者は居ないのだよ」  説得力の有りすぎる理由だとクサンティンは胸を張った。事実、この調達に対して超連邦理事会は一切異論を挟まなかったのである。 「だとしたら、AIもうちが用意した方がよくありませんか? そうすれば、就役が9ヶ月以上短縮できますよ」 「何が出てくるのかを考えたら、とても興味深い提案と言うのは認めよう」  ただと、クサンティンは口をへの字にした。 「そこまですると、流石に周りを刺激しすぎるだろう。したがって、軍として独自にAIを搭載することにした」  政治的な問題を匂わせたクサンティンに、「理解はしますけどね」とトラスティは苦笑を返した。 「アルテッツァが蹂躙された事実を忘れていませんよね?」 「アルテッツァが、君に誑し込まれたのも忘れてないのだが?」  ニコリともせずに、クサンティンは痛いところを突いてきた。 「したがって、政治的意味以外の何者も無いと言うことだ」  少し声を大きくしたクサンティンは、一転して声を潜めた。 「メインのAIは、こちらで用意する。それと同時に、サブのAIも必要と言う上申を受けている」 「なるほど、サブのAIですか……」  大仰に頷いたトラスティは、「重要な役目ですね」とわざとらしく答えた。 「今のお話、アリエルに伝えておきますよ。もちろん、ラピスラズリにも協力するよう命じておきます」 「うむ、サブだからと言って手を抜くのはよろしくないからな」  大仰に頷いたクサンティンは、「ところで」と話題を新造船からノブハルのことに転換した。 「マールス銀河での調査を終わらせると伺っているのだが?」  その話に、トラスティは「ああ」と頷いた。 「ノブハル君がそう判断したようですね。足掛け2ヶ月ですか……シルバニア帝国皇夫の立場を考えれば、いささか長過ぎるバカンスでしょう」  その分ご無沙汰になっている。その意味を匂わせたトラスティに、「なかなか忙しいようだ」とクサンティンはシルバニア本星の事情を口にした。 「ライラ様がご懐妊されたからな。そのおかげで、さほど騒ぎになっていないと言うのが実体だ。ただ、そろそろ胎児を外部子宮に移されるそうだから、さほど時間的猶予が無いのも確かではある」 「シルバニア帝国にとって、待望の世継ぎですからね。落ち着いては居られないのでしょうね。そうなると、ますますノブハル君の居場所が問題になる」  まるで見えているかのように口にされ、クサンティンは少しだけ口元を歪めた。 「そのあたり、間違えないようになったと聞いているが?」 「色々と痛い目に遭いましたからね。それで学習しなければ……それでも失敗するのが男なんでしょうけど」  失敗を口にしたトラスティは、思い出したように「そう言えば」と手を叩いた。 「またぞろ、一つ失敗をしてくれましたね。一応パエッタ少将には忠告をしておきましたけど、惑星が一つ滅びる事になりそうです」 「惑星が滅びる? ノブハル様の失敗で?」  険しい顔をしたクサンティンに、「滅びる……で良いと思いますよ」とトラスティは繰り返した。 「なにしろ、惑星上からすべての生物が消失しますからね。定義上は、滅びたと言っていいと思います」 「融合現象だったか、それが発生すると言うのか」  うむと口をへの字にしたクサンティンは、「ノブハル様の失敗なのか?」と理由を質した。 「ええ、彼の失敗ですね。未来視を使って確認をしたのは良いのですが、その直後に未来を書き換える行動をとってくれましたよ。書き換えた未来では、惑星ニヴェアですか、融合現象が発生することになります。その頃ノブハル君は、シルバニアでライラ皇帝のご機嫌取りをしているはずです」  ノブハルの安全は守られると保証したトラスティに、「防げないのか?」とクサンティンは尋ねた。 「伺いますが、その質問はどのような立場で仰っています?」  答えではなく質問を返したトラスティに、クサンティンは口を開きかけたところで止まってしまった。 「連邦にも加盟していない、そしてノブハル君が行かなくても融合現象で滅びていた星です。もともと有った運命を辿るだけの星に、我々が手を出す理由は何でしょう? 少なくとも、連邦軍元帥閣下が頭を悩ませる事件ではありませんね」 「それは確かにそうなのだろうが……」  再び口をへの字にしたクサンティンに、トラスティは先手を打って「手を出しませんよ」と告げた。 「それから、ノブハル君にもこのことを教えません。彼が事件を知るのは、惑星ニヴェアで融合現象が起きた後のことです。観測機がありますから、ありがたくデータは取らせてもらいますけどね」 「ノブハル様は、なぜその事に気づかないのだ?」  未来視を活用しているのなら、惑星ニヴェアで発生する事件を前もって知ることができるはずだ。  クサンティンの問いに、「油断ですよ」とトラスティは真顔で答えた。 「融合現象のキーパーソンと話をして、事件発生の芽を摘んだところまでは良かったんです。そしてその条件で、フリーセア女王の未来視で融合現象が発生しないことを確認した。それで安心してしまったのでしょうね。どうして融合現象が防がれたのか、それをすっかり失念してしまったと言うことです。だから、融合現象のキーパーソンを「そのまま」宇宙に連れてくるなんてことをしてくれました」 「それが、未来を書き換えた原因と言うことなのか?」  クサンティンの問いに、トラスティはゆっくりと頷いた。 「融合現象……あの星では、マールス人に至る道ですか。その計画を中止するには、そのキーパーソンの働きが必要だったんです。だけどノブハル君は、その働きをする前にキーパーソンを引き抜いてしまった。したがって、止める人間が居なくなってしまったと言うことです。その結果、他の2つと同じ現象が発生することになります」 「なぜ、それを教えてあげないのだ?」  そうすれば、生物が消滅すると言う嫌な事件が起きないで済む。不快感を顔に出したクサンティンに、「手を出さないと宣言していますからね」とトラスティは顔色一つ変えずに答えた。 「今回は、頼られない限り口を出さないことにしています。ノブハル君には、そう伝えてありますよ。そして彼も、必要だからと先日頼ってきました。それが、今回の全てだと思っています」 「ならば、私から伝えれば済むだけのことだろう。私には、帝国臣民の立場があるのだからな」  クサンティンの言葉に、トラスティは「好きにしてください」と突き放したように答えた。 「その結果未来が書き換わるのですが、そこで何が起きてもこちらに責任を持ってこないでください。それから最悪の場合、ノブハル君が融合現象に巻き込まれますからね。ちなみに、カンニングには協力しませんよ」  それでも良ければと、トラスティははっきりとクサンティン突き放した。 「息子の不始末の尻拭いはしないのか?」 「頼られる前から、手を差し伸べるものじゃありませんよ。繰り返しますが、もともと惑星ニヴェアは融合現象が起きる星だったんです。結果論で言いますが、惑星の未来を変えたわけではありません」  とどめを刺したトラスティは、「長話が過ぎましたね」と扉の方を見た。当たり前のことだが、元帥の立場は時間は自由にならない。そしてトラスティのために確保した時間も、まもなく終わろうとしていた。 「ヒューペリオンUに搭載するサブAIの件、たしかに承りました。連邦軍のAIが搭載されるまで、仮運用ができるレベルを満足するAIを搭載しますよ」  そこで立ち上がったトラスティは、右手をクサンティンに差し出した。 「君がペテン師なのを忘れていたのが私の敗因と言うことだ」 「さて、なんのことを言っているのでしょうね」  空とぼけたトラスティに、「こちらのことだ」とクサンティンは言い返した。 「納期の前倒しならば歓迎すると言っておく」 「追加料金で……まあ、多少のことならサービスしますよ」  しっかりと手を握ってから、「お邪魔しましたね」と言い残してトラスティは去っていった。  それを見送ったところで、クサンティンは大振りな椅子に腰を下ろした息を吐いた。 「アルテッツァ、この件は誰が知っているのだ?」 「意外に少ないと言うのがお答えになります。アルテルナタ王女は当然として、あとはアリッサ様ぐらいでしょうか。融合現象と言うことで、ラピスラズリ様と配下の研究者もご存知のようです。フリーセア女王は……仕事が山積みになっていて、ニヴェアの方にまで気が回っていませんね。ノブハル様に報告をして安心されたと言うのも理由になっているのかと」  アルテッツァの答えに、たしかに少ないとクサンティンは納得した。 「ライラ様は、ご存じないのか?」 「たった今、お知りになられたと言うのがお答えになります」  それでと聞きかけたところで、クサンティンはそれ以上の問いを発しなかった。 「すでに、夫婦の問題になったと言うことか」  そうなった時点で、もはや自分が口出しをする理由がなくなるのだ。自分の立場は、命令があればそれを遂行するだけでしかなかった。 「彼は、落とし所をどこに考えているのだろうか?」 「手を出さないのも落とし所と考えておられるようですよ。何しろ、すでに2つの惑星で融合現象が起きていますからね。それに、3つ目が加わっただけと考えればよろしいのかと。どこまでいっても、連邦に加盟していない他の銀河の出来事なのです」  アルテッツァにまで言い切られたので、クサンティンは惑星ニヴェアのことを忘れることにした。確かに、見も知らぬ、超銀河連邦にも加盟していない惑星での出来事でしか無い。それに口を出すのは、連邦軍元帥の立場として好ましくないことだったのだ。  それでも、胸のあたりがもやもやするのを抑えることはできない。嫌な気分だと、クサンティンは小さく吐き出したのだった。  リツコをルリ号に乗せた翌日、ノブハル達4人は惑星にヴェアを引き払った。このために用意したカフェを元の空き家に戻し、人避けの結界も解除した。これで4人の例外を除き、なんの変化もない街の一角が出来上がったと言うことだ。  唯一当事者となった4人にしても、「潰れるよね」と言うのが一致した見解でしか無い。何しろ自分達以外の客を、カフェで見かけたことがなかったのだから。  それでも一つ腑に落ちないことがあるとすれば、誰もカフェ・ベルグを知らなかったことだ。しかも、店の前に行っても閉店のお知らせはなかった。近くを歩いていた人を捕まえても、「前から空き家」と言われただけだった。  そのお陰でリッカ達4人は、狐につままれたような嫌な気持ちになっていた。  そんな事になっているのも気にも留めず、ノブハル達一行はアーベル連邦首都星である惑星アーベルへと移動していた。惑星ニヴェアからは10万光年以上離れているのだが、ルリ号ならば2時間も掛からない距離でしかなかった。 「これが、アーベル連邦の首都……なの?」  ニヴェアの住人ともなると、星から逃げ出す時以外に宇宙に出ることはない。科学者と言っても、その事情は一般人とさほど差はなかい。だからリツコは、初めて見る他の惑星に目を輝かせることになった。 「ああ、ニヴェアからなら10万光年と少し離れた場所にある。お前達から見たら、敵の親玉の住処と言うことになるな」  そう説明して、ノブハルはルリ号のAIを呼び出した。 「タブリース氏はなんと言っている?」 「前もって連絡をくれ……だそうですよ。半分以上諦められてるみたいだけど」  けらけらと笑ったルリは、「歓迎するだそうよ」と肝心の部分を口にした。 「ならば、さっさと降りることにするか。ところで、アザキエルも一緒なのか?」 「多分だけど、すぐに拉致されるんじゃないのかな? あと、メルダちゃんも呼び寄せられたみたいね」  それだけと答え、ルリはすぐに5人をタブリースの執務室へと飛ばした。 「ほんと、気にもしていないのね」  呆れたとため息を吐いて、ルリは姿を消した。この先惑星ニヴェアの辿る運命は、当たり前のようにAI達の間で共有されていたのだ。  一方飛ばされた5人は、タブリースの苦笑に迎えられた。そのあたり、いきなり押しかけられたと言う被害者意識からだろう。更に言うのなら、厄介事を運んできたのだろうと言う予感からである。 「それで、今日はどのようなご要件なのですか」  それでも、相手はアーベル連邦の恩人なのである。多少の不満を笑顔の奥に隠し、タブリースは訪問の目的を尋ねた。 「うむ、それなのだがな。調査の目的が達成できたので、情報共有しようと思ったのだ」 「調査……ですか。確か、マールス人のことを調べられておいででしたね」  こちらにどうぞと全員に席を勧めたところで、メルダがお茶を持って現れた。将来のナンバー2のくせに、給仕に現れるのは何時も彼女だったりする。 「この女性は、その成果の一つ……と言うことですか」  なるほどと頷いたタブリースは、立ち上がってリツコに向かって頭を下げた。 「次の総統となられるアザキエル様に仕えているタブリースと申します」  相手の貫禄を考えれば、そこいらの下っ端などではありえない。思いっきり緊張したリツコは、慌てて立ち上がって勢いよく頭を下げた。 「り、リツコ・ルージュと申します。わ、惑星ニヴェアの出身です」 「ニヴェアですか……そうなると、あなたは移民と言うことになるのですな」  小さく頷いたタブリースは、そこでパチンと指を鳴らした。そしてその音と同時に、入り口の所に次期総統アザキエルが現れた。 「相変わらず、こちらの都合などお構いなしなのだな」  不平から入ったアザキエルは、「今日はなんだ?」と訪問の目的を尋ねた。 「うむ、間引きの真の目的は聞いているな?」 「融合現象とか言うのが、他の星に広がらないように距離を開ける……と言うやつのことか?」  少し険しい顔をしたアザキエルに、ノブハルは小さく頷いた。 「その派生になるのだが、融合現象の核を破壊すると言う意味もある。核が残っていては、結果的に共鳴を起こして融合現象が広がるからな」 「資源問題と言うのは、後付の理由と言うことか……」  ふっと息を吐いたアザキエルに、「これが核心だ」とノブハルはアルテッツァを呼び出した。 「アルテッツァ、アニマの地下に有ったものを見せてやってくれ」  畏まりましたと答え、アルテッツァは全員の前にその異形の姿を見せた。淡い光に浮かび上がったその姿は、この世のものとは思えないものだった。 「これが、融合現象の核となるものだ」 「こ、こんなものが、この銀河に存在していると言うことか……」  青い顔をさらに青くしたアザキエルに、「カストルにも有ったそうだ」とノブハルは情報を追加した。 「マールス人の神話を信用するなら、人類の種が撒かれた惑星すべてに存在することなる」 「つまり、アーベルにもあると言うことか……」  更に顔から血の気が引いたアザキエルに、「可能性なら」とノブハルは答えた。 「もう一つ、すでに処分されている可能性もある。何しろ間引きをはじめた奴らは、このことを知っていたのだからな。時限爆弾を残しておくとは思えない」 「確かに、その可能性もあるな……ならば、惑星マールスはどうなのだろう?」  そこで顔を見られたメルダは、はっきりと肩をすくめてみせた。 「サキエル様にも尋ねてみたけど、巨人の伝承は存在していないわね。ただ、あそこは、あまり調査の手が入っていないのよ。だから、無いと断言はできないわ」 「ちなみに、この巨人……アダムだったか? それは、地上から1km程地下にあったそうだ。そしてそこには、直径で5km程の空間が広がっていた。カストルの情報はあるか?」  顔を見られたリツコは、「詳しいことは知らない」と返した。 「その辺りは、所長からの情報なのよ。ただ、アダムの存在を考えると、あったと考えた方が自然ね」 「手当たりしだいに地下空洞を探すのは、流石に非現実的だな」  火山活動がある惑星には、それこそ無数の地下空洞が存在している。その数を考えたら、単純な探査は非現実的と言うことになる。 「そもそも、あなた達はどうやってアダムを見つけたのだ?」 「私も誘われた口だから詳しいことは知らないけど……」  少し考えてから、「偶然としか聞かされていないわ」とリツコは答えた。 「偶然か……物事を隠すには、都合のいい言い訳だな……あんな場所、偶然でも掘削することはないだろう。よほどの偶然に恵まれたのか、さもなければ何らかの情報を持っていたと言うことか」 「それにしても、所長に聞かないと分からないわね……もしかしたら、スポンサーの方が知っている可能性があるわね」  リツコの情報に、ノブハルはこれからどうするのかを考えた。ただ、発見方法の調査は、さほど急ぐものでないのも確かだった。 「その辺りは、おいおい調べていくと言うところだろう。これで一つだけ明確になったことは、マールス人……これも疑わしいのだが、マールス人は人類の種を撒いたのではないと言うことだ。なぜそんなものがあるのかは分からないが、この銀河の惑星には「アダム」と呼ばれるものと同じものが存在している。そして惑星マールスで発生した融合現象が、共鳴効果によって他の惑星にも波及した」  そこで言葉を切ったノブハル、聞き耳を立てている全員の顔を見た。 「ここまでなら、見つかった証拠から推測を重ねることができる。だが、誰が融合現象からの復帰処理を行っったのかが分からない。ただ復帰処理を行った者は、もとの姿ではなく同じ形を与えたのは確かだろう。だからこの銀河には、ほとんど同じ姿をした者しか存在していない。今の所、分かっているのはここまでだな」  小さく息を吐いたノブハルは、ゆっくりと全員の顔を見てからお茶を口にした。その動作に金縛りを解かれたのか、アザキエルとタブリース、そしてメルダは大きく息を吐きだした。 「結局、誰と言うのは謎のままと言うことか」 「うむ、それを推測するための資料が見つかっていないからな。したがって今は、推測……仮説の上に仮説を重ねるしか無いだろう」  もう一度お茶を口に含んだノブハルは、全員の前で指を一本立ててみせた。 「アダム……あんなものが、自然に発生するとは考えられない。だとしたら、何者かが各惑星に置いて回ったと考えることができるだろう。その辺りは古代文明を考えればありえないことではないが、なんのためと言うことへの説明にはならない」  ゆっくりと言葉を選んだノブハルは、そこで一度言葉を切った。そして今度は指を二本立てた。 「何者かが、アダムを各惑星に配置したとする。そこで疑問なのは、そいつは共鳴が起こることを想定していたのかと言うことだ。想定していたとも想定していなかっとも、流石に今の状況では仮説も立たないな」  ノブハルの表情が険しいのは、嫌なことを思いついたからだろうか。小さく息を吐いて、ノブハルは全員の顔をゆっくり見ていった。 「先程は、共鳴で融合現象が拡散することを話したと思う。だったら、復帰も同じことが言えるのではないかと思いついてしまった。そうすると、全て同じ姿をとったことへの説明が付きやすい。なんだ、エリーゼ?」  ノブハルは、エリーゼがなにか言いたげなのに気がついた。 「いえ、だとしたら惑星マールスはどうして無人なのかと思ったんです。他の星では融合現象から復帰したのに、なぜ惑星マールスでは復帰していないのでしょう?」 「確かに、惑星マールスには人類が残っていないな」  口元に手を当てたノブハルは、エリーゼの疑問の意味を考えた。 「惑星マールスでは、融合現象からの復帰が行われなかった……融合現象を起こした者が、それを望まなかったと言うことなのか……」 「もともと、惑星マールスで実験をした……とも考えられますね。ただその実験が、予想外に他にも影響を与えてしまった……だから、慌てて他の星では復帰の措置をとることになった」  ごくりとつばを飲み込んだエリーゼは、「目的は惑星マールスそのものですか」と口にした。 「だとしたら、他の星にアダムを持ち込んだ理由が必要になるな……」 「支配のため……と言うのはどうかしら?」  メルダがそう口にしたところで、全員から一斉に視線を向けられた。明らかに血走った眼差しに、彼女は背中をソファーに押し付けるように身をのけぞらした。 「ちちち、ちょっとした思いつきだから、ねっ」  だから気にしないでと慌てたのだが、アザキエルの顔を見て「あり得るな」とノブハルは口にした。 「そのためには、マールスは廃墟の方が都合が良かったと言うことか」  目を閉じて上を見たノブハルは、しばらくしてから「ここまでか」と口にした。 「これ以上は、仮説ではなく空想になってしまうな」 「ああ、これ以上の証拠がなければそうなるのだろう」  ノブハルの言葉を認めたアザキエルは、「マールスは被害者か」と小さく呟いた。 「おそらくだが、アーベルは加害者ではないのだろう。もしもアーベルがアダムをばら撒いたのなら、惑星破壊などしなくても良いはずだからな」 「俺としては、そう考えたいところだな……だとしたら、この銀河には今は存在しない古代超文明が有ったことになる。それをロマンと考えて良いのか災いの種と考えて良いのかは疑問だがな」  口元を歪めたアザキエルに、「同感だな」とノブハルは心から答えた。 「少し前に、俺はその古代文明とやらにひどい目に遭わされたからな」 「何が有ったのか……酒のつまにでも教えて貰いたいものだ」  ふうっと息を吐き出したアザキエルは、「感謝する」とノブハルに右手を差し出した。 「これで、マールス人の謎に少し迫れた気がする」 「入り口に立ったところと言う気もするがな」  しっかりと手を握り返したノブハルは、「宿を頼む」とタブリースの顔を見た。 「あまり観光をしていなかったのを思い出したのだ。せっかくだから、2、3日観光して帰ろうと思っている」 「でしたら、私の屋敷ではない方がよろしいですね」  承りましたと頭を下げ、タブリースは娘に目配せをした。  それを自分への指示と受け取ったメルダは、「任せて」と身軽に立ち上がった。 「では、宿が決まるまで、うまい飯でも食っていくか?」 「さほど腹は空いていないのだが……そうだな、積もる話もあるだろうからな」  ノブハルの同意を得たアザキエルは、少し嬉しそうに「手配を」とタブリースに命じた。 「しっかりとおもてなしをさせていただきます」  深々と頭を下げ、今度はタブリースが部屋を出ていった。それに遅れて、アザキエルも空間移動を使って姿を消した。  それを見送ったところで、今まで黙っていたリツコが深いため息を吐いた。 「どうした、緊張していたのか?」  その問いかけを受けて、リツコは目を細めてノブハルを見た。そこから感情を読み取るなら、常識がどこかおかしいのではないかと言うところだろうか。 「流石に緊張すると思うわよ。私達にとって、アーベル連邦は諸悪の根源なの。その親玉のところに来て、緊張するなと言うのが無理な相談だと思うわよ」  そこで小さく息を吐いたリツコは、「なんだったのでしょうね」とこれまでの苦労のことを考えた。 「理由さえ分かってしまえば、他にやりようが有ったのではと思えてしまったわ」 「それを認めるのはやぶさかではないのだがな。そこでの問題は、間引きをはじめた理由が伝えられなかったことだ。だから誰も、止める理由を見つけられなかった。俺が話をした4人は、消極的な理由でしか間引きの継続を語らなかったのだぞ。もしも止める理由があれば、さっさと止めていただろうな」  そこで小さく息を吐いたノブハルは、「謎解きもここまでだな」と呟いた。 「何千ヤーも前となると、まともな記録も残っていないだろう。だとすると、これ以上深入りをしても時間の無駄にしかならないだろうな」 「そうね、どうやって復帰するのかも分かっていないんだものね。それを考えたら、下手に実験をする訳にもいかないわ」  遠くを見たリツコは、「聞きたいんだけど」と小声でノブハルに話しかけた。 「答えられることなら構わないぞ」 「大したことじゃないわ。あなた達の科学力なら、不老不死も可能じゃないのかなって」  意外な質問に驚いたのだが、ノブハルは真面目に答えを考えた。 「不老不死の定義がなかなか難しいのだが……例えば、老化しない肉体を作ることは可能だ。そして大抵の病気や怪我……生きてさえいれば、再生するのも難しくはない。事実俺は、普通なら2度ほど死んでいたはずだからな。それでも医学、再生医学のお陰でこうして生きている。だが、身体が消滅するようなことがあれば、流石に「死」を迎えるだろう」  そこで言葉を切ってから、ルリとルリ号のAIを呼び出した。 「なんか用?」  そう言って現れたルリを指差し、ノブハルはリツコに「どう思う?」と質問をした。 「厳密な意味で言えば、彼女は人間の定義から外れることになる。エスデニアのバイオチップを利用した人工知能……と言うのがその正体だ。もっとも、かなり疑わしいところはあるがな」 「私には、人間にしか見えないわね……」  じっくりとルリを観察して、リツコはそう答えた。そんな二人に、「私は人間よ」とルリはあっけらかんと答えた。 「身体の組成は違うけど、ちゃんと感情もあるし、考えることだってできるわよ。愛の概念も理解できてるし、あの人に抱かれたいと思っているもの。誰だったかな、そうそう、確かIotUって、もうシンジって言っても良いのかな。あの人が言うには、人であろうと、そして自分が人だと思ったら、もう人なんだって。人が人として存在する境界、確かATフィールドって言ったかな。それを持っている以上、それは人に違いないって」 「随分と、秘密をべらべらと喋ってくれたな」  苦笑を浮かべたノブハルに、「何を今更」とルリは笑い飛ばした。 「全部、あなたのお父様は知っていることよ。だからあの人は、アルテッツァにも触れることができるでしょう?」  そう答えたルリは、「出てらっしゃい」とアルテッツァを呼び出した。 「ノブハル様ではありませんが、べらべらと色々と喋りすぎです」  文句を言いながら現れたアルテッツァは、「アスカ様」とノブハルのデバイスを呼び出した。 「どうして、私まで呼び出すのかしら?」  同じように文句を言いながら現れたアクサは、「答えは見つかったかしら?」とリツコに尋ねた。 「……そうね」  そう答えたリツコは、もみほぐすようにこめかみに手を当てた。 「肉体なんて、人が人であるための一要素に過ぎないと言うことね」 「重要な要素だとは思うがな。ちなみに俺の妻の一人は、人の思い、憧れが作り上げた存在だ」  ノブハルの答えに、リツコはふうっと大きく息を吐いた。 「まだまだ、研究することは沢山あるわけね」 「うむ、本当に沢山あると思うぞ。もしも研究を続けるつもりがあるのなら、心当たりがあるので紹介しても良いと思っている」  ノブハルが思い浮かべたのは、大融合を研究しているエスデニアだった。シルバニア帝国皇夫の立場を持ち出せば、研究員一人ぐらい受け入れてもらえるだろうと考えたのである。そしてそれをしたところで、超銀河連邦に大きな影響を及ぼさないことは分かっていた。 「そうして貰えると嬉しいわね」  嬉しそうな顔をしたリツコに、意外に可愛いのだなとノブハルは感じていた。もっとも、自分の守備範囲からしっかり外れているので、それ以上の感情を抱きようもなかったのだが。 「ああ、ここでゆっくりしてから、とりあえず俺の銀河に戻ることにしよう。そちらの言うエリス銀河、俺達はディアミズレ銀河と呼んでいる銀河だ」 「ここからだと、200万光年離れた世界よね……」  地上に這いずり回し、惑星から離れるのは、移民として移動する時だけと言うのが、彼女の置かれた立場だった。それを考えると、いきなり銀河の外に飛び出すと言うのだ。惑星アーベルに来ただけでも夢のようなことなのに、それ以上の世界が目の前に用意されてしまった。 「夢じゃないのは分かっているけど、本当に夢のような出来事だと思うわ」 「まあ、俺も似たような経験をしたことがあるから理解できるが……」  確かに夢のような世界だと、ノブハルはリツコの感想を認めたのである。  重要人物が消えても、アニマニヴェア支部は表向き平静を保っていた。だが一歩その裏側に回ると、忙しく神への道の準備が進められていた。リツコ・ルージュの失踪が、逆に彼らの危機感を煽ったのである。 「ミズ・スロゥト。適格者の適合率はどうだね」  支部長代理のツキ・ウィンターは、定例幹部会の席でマヤ・スロゥトに進捗を問うた。リツコの失踪により、彼女の立場が一つ上がったと言うことである。リツコのサボり癖が、意外な意味を持ったことになる。 「やはり、アカネ・シンジョーが最も高い適合率を示しています。精神的にもダウン傾向なのが、土台として好適なのかと思われます」 「アダムの準備は?」  適格者が現れたのなら、次に必要なのは母体の用意となる。それを質したツキに、マヤはこちらも準備が整っていることを報告した。 「すでに活性化済みです。ドクターが正体不明の男を連れ込んだことで、活性化が完了したようです」 「怪我の功名と言うことか……」  優秀な幹部一人とアダムの活性化。損得勘定を考えると損に違いないのだが、アダムの活性化が完了したのが不幸中の幸いと言えるのだろう。 「どうする。ロード?」  そこで顔を見られたジェン・ロードは、ブリッジを仕立てで口元を隠しながら、「計画は遂行する」と告げた。 「ドクター抜きでか?」 「問題ない。ここまでくれば、誰がやっても精神世界への道が開ける」  いささか脳天気に聞こえる答えに、ツキは小さく息を吐いた。 「そこまで簡単な問題ではないのだが……だが、さほど間違ってはおらんのも確かだろう」  もう一度息を吐いたツキは、しゃちほこばっているマヤを見た。 「スロゥト君、可及的速やかに計画を遂行したまえ。ドクターのように、横やりが入らんとも限らん」 「と、特別セミナーの案内を配信します」  ごくりとつばを飲み込んだマヤは、「1週間後です」と決行時期を告げた。 「そこまでに、拡張現実装置のセッティングも完了します」 「うむ、急ぎすぎないように」  小さく頷いたツキは、ジェンの顔を見てから「神格化計画の遂行を」と声を上げた。 「スポンサーも、これでうるさいことを言ってこないだろう」 「構わん。すべては我々の手の内にある」  少しくぐもった声を出したジェンは、それ以上の言葉を発しなかった。  カフェ・ヴェルグの事件は、小さなものでは有ったが、少年少女達の心に棘を残したことには変わりなかった。特にジノに入れ込んでいたアカネは、他人から見ても分かるほど落ち込んでいたりした。  一方リッカも、アカネほどではないにしろ落ち込んでも居た。それも有って、「気分転換!」と口実を付け、ユータ達と一緒にアニマのセミナーを受けに行った。そのあたり、「結構面白い」と言う、男二人を信用したと言うことだ。 「……確かに、セミナーとしては面白いほうだと思うわよ。意外に、オカルトでもなかったしね」  カフェ・ヴェルグがなくなってしまったので、4人はチェーン店のカフェにしけこんでいた。そして数段落ちるコーヒーを飲みながら、モヤモヤとした思いに悶々とした。 「ヴェルグのパフェが食べたぁ〜い!」  やってられないと叫ぶアカネに、「パフェだけ?」とリッカは口元を歪めた。 「だけとは言わないわよ。でもリッカ、そうやって私をいじめて楽しい?」 「そうやって開き直られると辛いわね」  次の言葉に詰まったリッカに、「欲求不満が溜まる!」とアカネはぼやいた。 「美味しいスィーツもイケメンも幻のように消えちゃったのよ。この鬱屈とした気持ちをどう晴らせばいいのよ」 「そんなもの……私だって分からないわよ」  頬杖をついたリッカは、「似たような気分よ」と答えた。 「あそこだけが憩いの場所だったのになぁ〜」 「と言っても、いつ潰れてもおかしくないほどお客さんが居なかったのよね」  厳しい現実を口にしたアカネに、「否定できないわ」とストローを加えたままリッカは頬杖をついた。 「ほんと、ボランティアでやっているとしか思えないお店だったし」 「世間知らずのエリーゼさんのため……って感じぃ?」  茶化してみたが、少しも楽しい気分になってくれない。あぁあと大きく息を吐いたアカネは、「帰ろうか」と男たちの顔を見た。  気分が晴れないのは、男子達も変わることはなかった。せっかくエリーゼを見て幸せな気持ちになれたのに、その機会が奪われてしまったのだ。ユータとショウも、落ち込んでいる事情は変わらなかった。  そこで顔を見合わせた二人は、「だな」とアカネの提案を受け入れた。帰ったらなにか良いことがあるわけでもないのだが、このまま外でつるんでいても、楽しいことがあるとは思えなかったのだ。 「なんか、気分がすっと晴れることはないかなぁ」  天井を見上げたユータに、「あったら良いわね」とリッカは投げやりに答えた。 「そんなもの、今までだったなかったでしょ?」 「そう言われれば、そうなんだけどね……」  厳しい現実を突きつけられると、気分など更に落ち込んでしまうものだ。傷をなめ合うどころか、一緒にずぶずぶと沼に沈み込んでいっているようだった。 「さっさと帰るわよっ!」  そうしないと、更に気分はダウンしてしまう。すでに手遅れのところはあるが、空元気とばかりにアカネは声を上げた。ただ全員気分が後ろ向きなのか、立ち上がる動作もまた緩慢なものとなっていた。  そしてマヤが期限として出した1週間後、アカネ達4人は「特別セミナー」に参加していた。ちなみに特別セミナーは、通常より倍の受講ポイントが付くお得なセミナーとなっていた。おかげで人気のセミナーのため、なかなか順番が回ってこない狭き門でもある。 「こう言う時だけ、運が良くてもねぇ〜」  特別セミナー用に用意された部屋に入ったところで、4人はVRゴーグル付きの椅子に座らされた。この時点で期待度が高まるはずなのだが、盛り上がる男2人をよそに女性二人は醒めていた。  それでもVRゴーグルをつければ、気分も多少盛り上がってくる。今日の出し物は何なのか、「面白かった」と言う評判を確かめるため、4人はゴクリとつばを飲み込んだのである。 「始めます」  開始を告げる冷たい声が聞こえた直後、4人はどこまでも落ちていくのを感じることになった。  普段以上に声が冷たくなったのは、それだけ彼女の感じていた緊張が酷かったことにもつながる。汗ばむ手のひらに気づくことなく、マヤはリツコの用意したシーケンスを起動させた。 「シンクロスタート……同調率上昇。これより適格者の、地下100階への移送を開始」  これで、計画通り神への道が開けることになる。ゆっくり落ちていくケージのデータを見たマヤは、自分が役に立ったのだとわずかに口元を歪めたのだった。  惑星ニヴェアの異変を知ったのは、白の庭園でお茶をしているときのことだった。女の子ができたと幸せそうにライラがお腹を抑えた時、「非常事態です」とアルテッツァが現れた。その時白衣を着ていたのは、妊婦がいるのが理由なのだろうか。 「非常事態だと? 誰かが攻撃してきたのか?」  目元を険しくしたノブハルに、「惑星ニヴェアです」とアルテッツァは否定をした。 「たった今、すべての生物が消滅いたしました」 「ちょっと待てっ!」  慌てて立ち上がったノブハルに、エリーゼは「ノブハル様」と落ち着いた声を掛けた。 「ライラ様のお腹には、ノブハル様のお子様が宿られているんです。そのような大きな声を上げるのは、胎教にもよくありませんよ」  だから落ち着いてくださいと言われ、「だがな」とノブハルはエリーゼの顔を見た。 「フリーセアの未来視では、ニヴェアでは融合現象は起きないはずだったのだ」  あり得ないことだと口にしたノブハルに、「そうでしょうか」とエリーゼは疑問を呈した。 「未来視の結果を、誰かが書き換えてしまえばあり得ないことではないはずです。そのことは、お義父様が教えて下さいましたよね?」  もう一度「落ち着いて」と声を掛けたエリーゼは、「現象の観測はできているのですね?」とアルテッツァに確認した。 「は、はい、私の仕掛けたプローブはすべて現時点でも正常に働いています。エスデニアの技術者が指定したデータも観測できているのが確認が取れています」  その答えに小さく頷いたエリーゼは、「不幸中の幸い……なのでしょうね」とノブハルの顔を見た。 「緊急事態とまでは行きませんが、もう一度お義父様の所に行った方が良さそうですね。その時は、リツコ・ルージュさんでしたか? ご一緒して貰う必要があると思います」 「な、なぜ、お前はそんなに落ち着いているのだ? 犠牲者の中には、あの4人も含まれているのだぞ」  4人と一番仲良くしていたのは、誰でもないエリーゼのはずだった。だが目の前のエリーゼからは、4人が消えたことへの動揺が感じられなかった。  そのことに疑問を感じたノブハルに、「落ち着いていませんよ」とエリーゼの目元は少し厳しいものになった。 「正確には、少し腹を立てている……と言うところでしょうか。それから呆れていると……と言うところもあります。ノブハル様、どうしてノブハル様はフリーセアさんの見た未来を変える真似をされたのですか?」 「お、俺が、未来を変えたと言うのかっ!」  違うと声を上げたノブハルに、「客観的な見方です」とエリーゼは答えた。 「ニヴェアの……正確に言うと、アニマの人達は未来視の結果を知りません。ですから、その人達には未来を変える力はないんです。だとしたら、未来を知り、その未来へ通じる道を書き換えられる者は自ずと決まってくるはずです」  エリーゼの冷静な指摘に、ノブハルは「俺はニヴェアを離れる前に未来を確認した……」と反論の勢いをなくした。 「リツコ様でしたか、彼女を連れて帰ることにしたのは、フリーセアさんへの確認の前ですか?」  エリーゼの指摘に、ノブハルははっと目を見開いた。 「……彼女は、アニマのキーパーソンだった」 「つまり、彼女を惑星の外に連れ出したことが、未来を変えた行動の可能性が高いと言うことになりますね」  その指摘が正鵠を射ていたのだろう。ノブハルは脱力して椅子に腰を落とした。 「俺が、詰めを誤ったと言うことか……」 「結果的にはそうなのでしょう。ただ、もともとニヴェアでは融合現象が起きる予定でした。それを考えたら、未来は変わらなかったとも言う事ができます」  落ち着いた口調で答えたエリーゼに、「エリーゼさん」と黙っていたライラが声をかけた。 「でしたら、すぐにでもトラスティ様の所に向かわれた方が良いのではありませんか?」  ライラにとって重要なのは、惑星ニヴェアの住民のことではない。どこまで行っても、惑星ニヴェアの事件はシルバニア帝国には関係のないことだったのだ。  ただ彼女にとって、ノブハルの心の方が重要だった。いくら未来が変わっていないと言われても、一度は救われる未来を彼女の夫が作ったのである。その新しい未来を、自分のミスで台無しにしたとなれば、心が酷くかき乱されてもおかしくない。  ライラの言葉に、エリーゼは小さく首を振った。 「ノブハル様のお心を鎮めるのは、私達妻の役目だと思います。お義父様の所に急いでいけば、逆に打ちのめされることになると思います」  そこで少し視線を落としたエリーゼは、「大丈夫そうですね」と少しだけ微笑んだ。そんなエリーゼに、「変わりましたね」とライラはため息を吐いた。  その言葉に小さく頷き、「ノブハル様のお役に立つためです」とエリーゼは答えた。 「そして、ずっと一緒にいるためだと思っているんです」  そう答えたエリーゼは、「場所を変えましょう」とライラに提案をした。 「そうですね」  エリーゼに頷いたライラは、「アルテッツァ」と自分達の移動を命じた。場所はもちろん、夫婦のために用意された寝室である。  惑星ニヴェアで起きた事件を、トラスティはライマールで受け取っていた。  彼がなぜライマールにいるのかと言うと、クリスタル銀河の住人、すなわち惑星ボルの指導者シャノン夫妻と、惑星ブリーの指導者達を超銀河連邦理事会に案内していたのである。その辺り、今回の超銀河連邦ツアーの仕上げを考えたと言うことである。  そこで両方の指導者達を幹事会に引き渡し、トラスティはレックス達を連れて惑星ライマールに降りていた。 「これで、君がブリーに繋ぎ止められる理由が消失したと思って良いのかな?」  オープンカフェで軽いお酒を飲みながら、トラスティはスッキリとした表情をしたレックスに尋ねた。 「なんだかんだ、屁理屈をつけられそうな気がするがな」  少し口元を歪めたレックスは、「知ったことか……だがな」と答えた。どうやら、これ以上面倒を見るつもりはないようだ。 「親父達にも今回のことは話してある。「好きにしろ」と言うのが親父の答えだ」  ただと、レックスは口元を歪めた。そんなレックスに、「問題はローラおばさんでしょ」とメリタが突っ込みを入れた。 「ああ、「孫を抱かせてくれないのね」と泣かれた」  それを認めたレックスに、「いくつか提案が」とトラスティが笑った。 「ご両親ともども面倒を見るのは吝かではありませんよ。意外なほど生活が変わらないのは、メリタが感じていると思います。特に、ジェイドに連れてくればメリタも居ます。ただそれだと、孫の問題は解消しませんよね。と言うことで、お相手を紹介することも考えています」  どうですかと問われ、「ありがたいことだ」とレックスは真顔で答えた。 「ただ、親父達の住まいを縛りたくないと思っている。親父達は親父達なりに、ブリーには交友関係ができているからな。だから面倒を見て貰うのなら、嫁と里帰りの足ぐらいだろう」  レックスの答えに、トラスティは小さくうなずいた。 「里帰りの足は、トリプルA社員厚生用に用意されていますよ。メリタが同行すれば、幹部用を使用する口実も立ちますからね」 「だとしたら、後は嫁……と言うことか。できるなら、自力でなんとかしたいところなのだが」  そこで難しい顔をしたのは、その結果が今と言うことを理解しているからに他ならない。 「軍から離れれば……と言うのは、甘い考えなのだろうな」 「多分だけど、甘すぎると思うわよ……特に、あなたの場合」  すかさず口を挟んだメリタは、「趣味がね」とレックス最大の問題を口にした。 「何しろ、ミラニアにまで「趣味が変わってる」って言われるぐらいなんだもの」 「古代人に、俺の趣味が分かって溜まるかっ!」  ふんと鼻息を荒くし、レックスは泡の出る酒を飲み干した。 「シシリーにも、変って言われてるのにね」  古代人だけじゃないととどめを刺したメリタは、レックス同様に泡の出る酒を飲み干した。相変わらずの二人に、「今は抑えてくれるかな」と懇願した。こんな真っ昼間から、飲んだくれの相手などしたくはないのだ。  ただトラスティの懇願は、二人には理解できないことのようだった。キョトンとした目をして顔を見合わせてから、「こんなのジュースだろう?」とレックスは口にしてくれた。 「なあ、そう思わないか?」 「そうね、この程度で酔うようじゃ、アンジェロ家じゃやってられないわ」  偉そうに豊かな胸を張ったメリタに、トラスティは人差し指でこめかみを押さえた。 「ミリアが凄すぎるって言ってたけど……上級剣士に酒で凄いって言われるのはちょっと」  どれだけウワバミなのだと呆れながら、困ったものだとトラスティはレックスを見た。 「レックス、君には酒豪の女性を探さないといけないのかな?」 「別に、下戸でも構わないのだがな。まあ、飲めた方がうまくやっていける……と言うところだな」  うまくやっていけるとの答えに、トラスティは彼の両親のことを思い出した。自分が尋ねていった時も、しっかりと酒に逃げていたのだ。  困ったなぁと頭を悩ませていたら、後ろから「よぉ」と声を掛けられた。それで振り返ってみたら、大きな袋を抱えたナイトが立っていた。もちろんその横には、美少女ぶりに磨きの掛かったフェイがピッタリくっついていた。 「随分と買い込みましたね」 「さすがは大都会と言えば良いのか……ブリーとは比べ物にならない品が揃っていたからな。ヤムントでも爆買したから、店の一軒ぐらい開けそうな気がしてきた」  あははと笑ったナイトは、近づいてきた店員に自分用のビールとフェイ用のフルーツパフェを注文した。 「それで、なにか悩ましいことが有ったのか?」 「いつものことですよ……まあ、あなたには無用のことなんですけどね」  すまし顔で座っているフェイを見たトラスティに、「それを言ってくれるな」とナイトは懇願した。 「だけど、事実だと思いますよ。こうして連れ回していると、フェイちゃんに出会いが生まれませんからね」 「私は、別に出会いを求めてないから」  お尻を少しずらし、フェイはナイトの方へと少し身体を近づけた。ここのところの栄養改善の成果が出たのか、体つきはぐっと女らしさを見せるようになってきた。 「だそうですよ?」 「俺としては、勘弁してほしいのだが……」  肩を落としたナイトを見て、「僕の所に来るかい?」とトラスティはフェイを誘った。 「とても魅力的に聞こえるけど……」  そこでナイトの顔を見てから、「遠慮するわ」とフェイはきっぱり言い切った。 「私にだって意地があるもの」 「そんなフェイちゃんに提案があるみたい」  口を挟んできたメリタは、「変わるから」とミラニアと入れ替わった。 「提案って?」  可愛らしく首を傾げたフェイに、ミラニアは「良いこと」と口元を歪めた。 「今晩、ナイトさんを狼にしてあげようかなって。ちょっちょっと刺激をしてあげれば、その気になってくれるから」  どうと問われたフェイは、「お願いするわ」と乗ってきた。 「だったら、あなた達の部屋に私のプローブを飛ばしておくからね」 「……どうして、そう教育に悪いことをしてくれるんだ?」  睨んできたナイトに、「フェイちゃんが可哀想だから」とミラニアは言い返した。 「それに、萎えないぐらいには女らしい体になったのでしょ? すべてあなたのためなんだから、その努力に応えてあげるのも男だと思うわ」  でしょと問われたレックスは、「男の甲斐性だな」と力強く同意した。 「美少女をここまで誑し込んだんだ。最後まで責任を取るのも男じゃないのか?」 「俺としては、誑し込んだつもりはないのだが……」 「殺す前に楽しませろと私を買ったのはナイトよ。だから私は、ナイトの性奴隷なの」  フェイの答えに、トラスティを始め3人がぶっと飲んでいたものを吹き出した。ミラニアまで同じ真似をしたのだから、よほどフェイの答えは衝撃的だったと言うことになる。 「流石に、それはどうかと思いますけどね……」  軽蔑した眼差しを向けてきたトラスティに、「ひどい誤解だ」とナイトは抗弁した。 「あの場は、そうでも言わなければ収まりがつかなかったんだっ!」 「それを否定するつもりはないけど……」  少し沈んだ声で、「だけど」とフェイは言葉を続けた。 「それを聞いた全員が納得をしたと言う事実を忘れないで欲しい。それに、その話は、アルトレヒトでは沢山の人が知っていることよ。そして知っている人達は、私のことをそう言う目で見ているのも忘れないで欲しい。して貰っていないことで色々と言われるのは、私だってくるものがあるのだから」  俯いたままで声を震わせたフェイを見て、ミラニアは「最強モードにした方がいいかしら」とトラスティを見た。 「初めての子に、さすがにそれは可哀想だと思うよ。ムードが高まる程度にしておくぐらいで良いんじゃないのかな? 多分だけど、ナイト氏も覚悟を決めたと思うしね」  ですよねと問われ、ナイトはこれ以上無いほど顔をひきつらせた。なぜか今日は、いつも以上に追い詰められた気がしてならなかったのだ。  そしてもう一つの問題は、今日に限って別々の部屋で寝ると言うのもあからさまになることだ。そうなると、ミラニアの干渉からどうやって逃れるのか。その対策もまた必要になるのだが……相手が「神」だと考えると、極めて分の悪い戦いになるのは間違いない。  そしてこれは人に言えないことだが、彼自身フェイが綺麗になったのを認めていたのだ。まだまだ体つきは貧相なのだが、それでもひところに比べて女らしさを感じるようにもなっていた。つまり、とても危ない状況になっていると言うことだ。  ひとしきり馬鹿話をした後、トラスティはミラニアを連れてゴースロス2番艦に戻っていた。なぜライマールのホテルではなくゴースロスかと言うと、歓談中に受け取った報告が理由となっていた。  ゴースロス2番艦に戻ったトラスティを、「マインカイザー」とラフィールが迎えた。表情が強張っているのは、惑星ニヴェアのデータを見たからだろう。 「その表情を見ると、かなり酷いことになっているようだね」 「予備知識はありましたが……それでも、恐怖を抑えることができませんでした」  そこで俯いたラフィールを、トラスティは自分の胸へと抱き寄せた。抱き寄せて分かったのは、ラフィールの身体が小さく震えていたことだった。 「エリカ、出てきてくれるかな?」 「3人まとめてベッドに飛ばせば良いのかしら?」  いつもどおりの答えに、「それはもう少し後」とトラスティは苦笑を返した。 「この情報は、ラピスの所に伝わっているのかい?」 「ええ、1千ヤー昔のデータとの突き合わせを命じたみたい。これが生物を保管するためのものであれば、もとに戻す方法があるはずだからと言うのが、その理由のようね」  その答えに頷いたトラスティは「クレシア」と自分のデバイスを呼び出した。 「流石に、君も冷静では居られないようだね」  普段なら穏やかな笑みを浮かべているクレシアなのだが、流石に今日はその表情も強張っていた。 「はい。まさか、過去の亡霊とこのような形で向かい合うとは思っても見ませんでしたので」 「この現象をどう見た……と君に聞くことに意味があるのかな?」  その問いに少し考えてから、「アダムと呼ばれるものですが」とアニマの地下に隠匿されていた物にクレシアは触れた。 「私は直接見たことはないのですが、地球にあったものと同じに思えます。だとすれば、エスデニア……エデンの用意した保管計画の核と同じものと推測できます。そうなると、マールス銀河にはエデンと同じように発達した文明が有ったことになります」 「だけど、そんな存在は記録に残っていない……か」  少し遠くを見る目をしたトラスティは、すぐにだめだと小さく首を振った。 「わからないものをいくら考えても意味がないか……流石に、今度ばかりは情報が少なすぎる」  そこで息を小さく吐いて、「エリカ」とトラスティはゴースロス2番艦のAIに声を掛けた。  待ってましたとばかりにその命令を受け取ったエリカは、クレシアを含めた4人をベッドルームへと移動させた。ラフィールのケアもそうだが、それと同様にクレシアのケアも必要だったのだ。そしてそれ以上に必要に思えたのは、トラスティ自身のケアだった。 「と言うことなので、あなたも混じってね」  敢えて飛ぶのを遅らせたエリカは、姿を見せたリュースにそう告げた。 「それに異論は無いんだけどね……」  そこで少し口ごもったリュースは、「あなたは大丈夫?」とエリカに尋ねた。 「私は、あまり融合現象の記憶がないのよ。だから、ダメージは無いんだけど?」  その答えに、「違う」とリュースは首を振った。 「トラスティさんの全力を受け止めたら、2番艦の制御に影響が出るんじゃないのかなってことよ」 「その意味で言えば、あなたとクレシアさんの両方と言うのもまずいのか……まあ、この船に居てくれれば安全は確保できるんだけど」  ううむと考えてから、「まあ良いか」とエリカは無責任なことを口にした。 「その時はその時と言うことにしましょう! どうせ、ラフィールさんもしばらく復帰できないと思うし。それに、ゴースロスの乗員は全員優秀だからね。私抜きでも、現状維持なら……まあ、大丈夫かな、多分。それにここはライマールだし」  うん大丈夫と自分を納得させ、エリカはリュースとともにベッドルームへと飛んだ。そしてそれから1時間後、エリカの言葉通りゴースロス2番艦のAIが停止した。それで騒ぎにならなかったのは、クルーに対して予告されていたからなのだろう。笑えない話だが、そのお陰でクルーのスキルが1段下上がったと言うことだ。 続く