Mr. Incredible −07  10万人を収容できるホールは、今日も満員の観客を迎えていた。その主人となるのは、バックダンサーを連れた一人の美しい女性である。そしてその女性こそが結婚をしてもなお、トップアイドルとして君臨するリンラ・ランカだった。彼女のファン層は、ズミクロン星系を飛び出し超銀河連邦全体に広がっていた。  その後ろを飾るのは、長い黒髪をした女性と茶色い髪をした女性の二人である。赤い髪をしたバックダンサーの女性が不在と言うこともあり、今日のステージはこの二人の構成となっていた。  ちなみに黒髪の女性は、経産婦とは思えないスタイルを見せつけていた。それどころか、以前よりも胸元の凶悪さが増したと噂になっていた。  そしてもう一人茶髪の女性は、本業と言われる船長業で更に知名度を増していた。リンラの人気が超銀河レベルになったのも、彼女の存在が大きかったと言われたぐらいだ。超弩級武装艦インペレーターの艦長の立場は、単なるアイドル以上に彼女を有名にしていたのだ。  婚約時点で始めたイメージチェンジも、すでにしっかりとファンの間に浸透していた。そのため彼女のステージも、以前に比べてずっと落ち着いたものへと変わっていた。時折アップテンポの曲も加わるのだが、それにしたところで可愛らしさを押し出したものではなくなっていた。 「次の曲は、As time goes byです」  長い黒髪を片側で結い上げ、リンラは茜色のドレスに衣装を変えた。それに合わせて黒のタキシード姿で現れた黒髪の女性は、持っていたカクテルグラスの一つをリンラへと渡した。 「君の瞳に乾杯」  チンとグラスがぶつかりあうのに合わせ、緑色の液体がグラスの中で踊った。  美しい二人の姿に、観客はため息と言う歓声を贈ったのだった。  ズミクロン星系のある銀河は、連邦の中ではごくありふれた棒状渦巻き構造をしていた。そのありふれた銀河の名を少しだけ有名にしたのは、超銀河連邦へ最後に盟したことが理由だった。数字による識別子が10,000番と言うとても切りの良い数字のお陰で、名前だけは思い出してもらえる存在になっていた。  ただ超銀河連邦最後と言うウリも、新しく銀河が加盟したことで使えなくなっていた。そして話題として見ても、この時代に加わったと言う銀河に勝てるはずがない。それでもディアミズレ銀河の名が人々に忘れられなかったのは、そこにトリプルAの支社があり、超銀河連邦外探査への拠点と言うのが理由である。そして更にディアミズレ銀河を有名にしたのは、超銀河連邦初の外銀河直接探査に取り掛かったことだった。  およそ2時間のステージは、2度めのアンコールの曲を歌い終わったところで終幕を迎えることになった。アンコール曲の「Tommorow is another day」を歌い終わったところで、詰めかけたファン達はステージの終わりを惜しむ拍手を送った。その拍手に包まれながら、リンラとバックダンサーの二人はゆっくりと地下へと消えていった。  ステージを降りたことで、体全体を包み込んでいたプレッシャーから開放される。その代わりに、心地よい疲労と達成感がリンラ達を包んだ。激しいダンスこそなくなりはしたが、それでも2時間に及ぶステージは彼女たちの体力を削ってくれる。付き人から飲み物を受け取った三人は、用意された椅子に腰を下ろして一息ついた。  その三人のうち、リンとトウカの付き人にはエリーゼとウタハが付いてくれた。ミズキが熱心にスカウトをしたウタハだが、「恥ずかしいから嫌!」と言う強い拒絶があったと言う。  そして残された一人、マリーカにはなぜかトラスティが付き人になっていた。そのあたり、いろいろと活躍をしてくれた奥さんへの感謝と、ツアーの途中に立ち寄ったと言うのが理由になっていた。ちなみにツアー途中と言うことで、メリタとシシリー、アルトリアも楽屋に揃っていた。 「芸能界って言っても、ブリーとはかなり違うんですね」  よほど感激したのか、メリタは目をキラつかせてリンの方を見ていた。そしてシシリーの方を見て、「意外な落とし穴だったわね」と声を掛けた。皇帝様を除けば普通だと思っていたのに、こんな落とし穴があるとは思っていなかったのだ。 「と言うことなので、ノブハルさんの家族にご挨拶してきたらぁ」  口元をニヤけさせたメリタを一度睨んでから、シシリーはリン達の方へと歩いていった。一度エリーゼと顔を合わせているだけ、まだ気分的には楽だと思っていた。 それを見送ったところで、「私達は?」とメリタはこの後のことを尋ねた。 「この後かい。確かグリューエルが、簡単な晩餐の用意をしておいてくれるはず……かな?」  そこで顔を見られたマリーカは、少し嫌そうな顔で「そう聞いています」と答えた。その視線は、なぜか静かにしていたアルトリアへと向けられていた。  アルトリアがその視線に怯えたのに気づき、「彼女がどうかしたのかな?」とトラスティが声を掛けた。それが気まずかったのか、「いえ」とマリーカは少し口ごもった。 「私より2つも年下と言うのが信じられないだけです……」  スタイルとか色っぽさとかと、言わなくても良いことをマリーカは口にしていた。 「アーシアと2つしか違わないんだから、君の言いたいことは理解できるよ。ただね、アマネさんと同じで、こんなものは才能としか言いようがないんだよ」 「そうなんですよねぇ……」  はあっと息を吐いたマリーカは、次にメリタの方を見てもう一度ため息を吐いた。 「メリタさんはメリタさんで、アリッサさん並に美人でスタイルが良いし……」 「で、ですけど、私には何も特別なことは無いんですよ。仕事だって、ただの公務員だったし」  慌てて言い訳をしたメリタに、「自覚がないのって」とマリーカはため息を繰り返した。 「どう考えても、個性的な人ばかり増え過ぎですっ!」 「自分を例外扱いにするのはどうかと思うけどね」  そう言い返したトラスティは、輪の中に入れないでいたミズキに小さく会釈をした。 「仕事場にお邪魔をして申し訳ありませんでした。僕達は、これで帰らせていただきます」 「い、いえ、皇帝陛下にお出でいただき光栄だと思っています」  慌てて頭を下げ返したミズキに、トラスティはニッコリと笑みを返した。ちなみにこちらは天然ではないので、しっかり意図的にやっていたりした。  そして顔を赤くして沈没したミズキを残し、トラスティ達はコンサート会場を後にした。ちなみに総勢4人となったので、シェアライドではなく空間移動でグリューエルの館まで移動することにした。  ノブハルが不在にしていたのは、ライラへのごますりやフリーセアに入れ込んでいたと言う訳でなく、外銀河への直接探査が理由になっていた。クリスタル銀河の事件で自分の不甲斐なさを理解したノブハルと、レムニア帝国に危機感を抱いたライラの思惑が重なり、単独での外銀河探索と言う話になったのである。  すでに最大の規模を持つヨモツ銀河との交流を果たしているので、ほぼ反対側にある同規模のアレス銀河を目標とした。小規模銀河や矮小銀河では、対象となる有人星系が少数であると言う推測からである。 「シルバニア帝国の威信に賭けて、高速航宙艇と探査艇を開発いたしました」  夫婦の時間の後、ライラはノブハルに新開発を行ったのだと自慢気に語った。  それを教えられたノブハルは、「いつの間に」と言う驚き以上に、「どこかで見たな」と言う思いを抱いていた。大きさを忘れれば、高速航宙艇はゴースロスに似ているし、探査艇はサイレントホーク2に瓜二つだったのだ。 「なんか、ゴースロスとメイプル号に似ていないか?」  それを正直に口にしたノブハルに、「違いますっ!」とライラは身を起こした。おかげで控えめな白い胸が、ノブハルの前に晒されてくれた。このサイズだと揺れないのだなと、ノブハルは他の妻達と比べていた。 「私達の体格に合わせて作られていますので、あのような無駄な大きさにはなっていません。それに、見た目では分からない、最新技術を導入しているんですっ!」  やけに力の入ったライラは、「アルテッツァ」と己の分身を呼出した。そして呼び出されたアルテッツァも、ライラのノリを継承していた。 「はいライラ様。ではノブハル様、高速航宙艇ルーモアから説明いたします」  アルテッツァの言葉に合わせ、ノブハルの前に全長1km程の航宙艇の姿が浮かび上がった。前方を少し絞り、安定翼のような膨らみがあるところは、ゴースロスとそっくりと言って差し支えがなかった。ただゴースロスの場合には薄めの翼が、ルーモアでは少し厚くなって場所が少し後ろに下がっていた。更に、背びれのようなフィンまで装備されていた。 「尾ひれ背びれに見えるのは、高性能な観測アンテナを収容する部分です。電波及び光学迷彩機能を有していますので、作動時には連邦軍の探査にも掛からない性能を発揮いたします。ちなみにゴースロスに比べてサイズが大きいのは、探査挺を複数収容することを想定しているからです。そのあたりは、外銀河探索の母艦としての機能を考えたものです。ちなみに超光速航行方法ですが、空間湾曲によるワープ機能がメインとなっています。前方に展開される重力場によって、目的地までのトンネル形成が可能となっています。光速の何倍と言う尺度ではなく、設定可能距離であれば瞬時に到達が可能となります。エスデニアの多層空間制御を、力技で実行したものとご理解ください。同時に、これまで利用してきた亜空間航行も可能としています。こちらは、最高速で光速の2億倍……と言うところです。亜空間バースト緩衝機能はありますので、前方への影響はローエングリンに比べ格段に小さくなっています」 「なるほど、なかなか高性能な船と言うことか」  うむと頷いたノブハルは、「ちなみに」とインペレーターのことを持ち出した。 「あちらは、理論上最高速度の制限は無いと言う話だが?」  負けてないかとの指摘に、「違います!」とアルテッツァは力いっぱい言い返した。 「確かに最高速の制限は無いのでしょうが、それを出せる条件は極めて限られています。それに引き換え、ワープであればほぼ同じ移動速度を加速距離無しで実行出来ますっ!」 「だが、距離制限はあるのだろう?」  痛いところを突かれたのか、アルテッツァは「環境への配慮です」と言い訳をした。 「加えて言うのなら、巨大な重力変動が観測されるのを防ぐためでもあります」  言い訳に言い訳を重ねられ、「これ以上突っ込んではいけないのだ」とノブハルは理解した。 「それで、防御機能と兵装はどうなっている?」 「防御機能は、量子空間障壁がメインになっていますね。これでしたら、磁界に影響を受けない粒子の攻撃を防ぐことが可能です。そしてその外側に、強力な磁場と重力場を展開できます。これで、大抵の攻撃ならば防ぐことは可能なのかと」  その説明に、「ルリ号が突っ込んできたら?」とノブハルはシンプルな疑問を口にした。 「相手は亜光速で突っ込んでくるぞ?」 「突っ込まれる前に破壊しますっ!」  つまり、突っ込まれることへの対策は無いと言うことになる。敢えてそれにツッコミを入れなかったノブハルに、「兵装ですが」とアルテッツァもそれ以上の説明を避けた。 「ワープ用の重力場発生装置を利用し、マイクロブラックホールの弾頭を形成します。これを光速の50%まで加速し、射出する機能を備えました。たとえ単結晶金属防壁でも、ブラックホールの前には無力です!」  薄い胸を張るアルテッツァに、「当たればな」と言う突っ込みをノブハルは我慢をした。何しろあちらの高機動の前に、連邦軍は一発も当てることが出来ないと言う実績を作ってしまったのだ。 「ラプータみたいな奴だったら?」  防御力で言えば、ラプータの守りは脅威としか言いようがなかったのだ。それを持ち出したノブハルに、「高速航宙艇に何を求めているんですか?」とアルテッツァが冷たい視線を向けてきた。 「もともとの目的は、外銀河探索用なんですよ。どうしてあんな非常識な存在を相手にしなくちゃいけないんです? あんなのは、相手にしないで逃げるのが一番です」  常識で考えましょうと言われ、ノブハルはつい目元を引きつらせてしまった。常識を持ち出すのなら、なぜレムニア帝国を目の敵にするのか。その辺の考え方を教えて欲しいと思ったぐらいだ。 「接近専用の実体弾とかは装備していますよ。後は、戦闘機人のバージョンアップも行いましたので、リゲル帝国の剣士ぐらいなら蹴散らすことが出来ます!」 「なぜ、評価の尺度がリゲル帝国戦士なのだ?」  素朴な疑問を口にしたノブハルに、「あちらのノリに合わせただけです」とアルテッツァは言い返した。 「何かにつけて、シルバニア帝国を引き合いに出してくれるじゃありませんか。でしたら、私達がレムニア、リゲル両帝国を引き合いに出しても良いと思いません?」  だからですと薄い胸を張ったアルテッツァに、「探査艇は?」とノブハルは話題を変えた。このあたりは意地もあるのだろうが、ノリ自体がおかしなものになっているのに気づいたのだ。 「はい、ピープですね。こちらは、全長で15m程の小型艇になっています。完全リサイクルシステムを備えていますので、単独潜航での制限時間は存在しません。一応豪華なベッドルームも2部屋備えているんです!」  良いでしょうと自慢するアルテッツァに、「おい」とノブハルはツッコミの言葉を入れた。 「最初のは分かるが、どうしてベッドルームが2番目に来るんだ?」  流石におかしいだろうとの突っ込みに、「利用実績」をアルテッツァは持ち出した。 「メイプル号での利用実績ですが、ベッドルームが睡眠以外の目的で多用されていたからです」 「俺は、殆ど使ってないのだがな……」  少しだれたノブハルに、「事実は事実です」とアルテッツァは言い返した。 「したがって、目的に合致するようベッドルームの環境を整えました。ちなみに、自動調理器も最新型を入れましたので、メイプル号に負けない料理を出せるのかと思います!」  今度はメイプル号との比較かと呆れながら、「性能面は?」とノブハルは探査艇に求められる性能を確認した。  それをつまらないと文句を言ってから、「目新しい事はありませんよ」とアルテッツァは答えた。 「光学・電波迷彩に各種観測機能を搭載しています。そのあたりは、安全保障局に納入されたサイレントホーク2を踏襲しています。ノブハル様が利用された、重力波観測装置と亜空間バースト観測装置も追加しています。この手のことに、取り立てて新しいことは出来ませんので」  だからだと答えたアルテッツァに、「防御と攻撃能力は?」とノブハルは質問を追加した。 「見つからないことが第一ですからね。ですから迷彩機能を優先にしています。ただ迷彩機能をオフにすれば、量子空間障壁と電磁バリアが利用できます。攻撃ですが……必要ですか? 探査艇ですよね?」  疑問のこもった眼差しを向けられたノブハルは、「一応」と答えた。 「別に、艦隊戦をやりたい訳じゃないぞ。最低の護身ぐらいは考えた方が良いんじゃないかと言うことだ」 「でしたら、指向性機雷ぐらいを積んでおきますか」  あまり乗り気でないのは、メイプル号が武装していないからだろうか。ただ「適当に選んでおきます」と言うのは、問題の多い答えとしか思えない。  ただこだわっても意味がないと、ノブハルは「AIは?」と何も考えずに質問をした。ただ質問を受け取ったアルテッツァは、ニパッと笑って「凄いんですっ!」と迫ってきた。 「基本的に、私の配下として動くのですけど。単独でも可動可能な、高性能AIを搭載しました。ルーモアとピープの間でデーター連携は当然のこととして、単独でもゴースロスのAIに負けない性能を発揮します」  その謳い文句が本当なら、搭載したAIは一部性能でアルテッツァを超えることになる。それを理解して言っているのかと、ノブハルは疑念のこもった眼差しを向けた。 「なんですか、私のことを1ミリも信用していない眼差しは?」 「いや、とても可哀想な子を見ているつもりだったのだが……つまり、新しく搭載されたAIは、お前よりも高性能と言うことなのか?」  ノブハルの指摘に、アルテッツァは「ありえませんっ!」と大声を上げた。 「超銀河連邦最大にして最高のAIである私を超える存在などありませんっ! ノブハル様は、大きな考え違いをされておいでです!」 「お楽しみのところ口を挟んで悪いのですが?」  流石に裸でいるのが憚られたのか、ライラはガウンのようなものをまとっていた。そしてとても申し訳なさそうに、「負けてますよね?」とここのところのやり取りを持ち出した。 「侵入経路を、まだ特定できていないと聞いていますけど?」  ライラの指摘に、アルテッツァはきまり悪そうに視線をそらした。 「とにかく、高性能なAIを搭載いたしました。人間的な判断も行えるよう、AIに性格付けもしてあります」 「性格付け……ね」  そこでノブハルが思い出したのは、実態を持ったメイプルのことだった。またあんなのが増えるのかとの思いに、「使いたくないなぁ」と後ろ向きの気持ちになっていた。 「あちらの船を見ていると、それが良いことだとは思えないのだが」  その気持を正直に口にしたノブハルに、「あんな欠陥品じゃありません!」とアルテッツァは薄い胸を張ってみせた。 「私みたいに美しく、そして理知的なAIを設定しました。あんな欠陥品と一緒にしないでください!」  侮辱ですと腹を立てるアルテッツァに、ノブハルはライラと顔を見合わせ深すぎるため息を吐いた。突っ込みどころが多すぎて、どこから突っ込めば良いのか分からなくなっていた。 「クリスタル銀河の分散システムを参考に、再構築すると言うのはどうだろう?」 「ですが、情報集約元がポンコツでしたら、今とあまり変わらない気がします」  的確なライラの返しに、「確かにそうだ」とノブハルは大きく頷いた。 「それに、今更作り変えるのも手間だろうしな」 「私の代で、やりたいとは思いませんね」  面倒だしとの投げやりな言葉に、確かにそうだとノブハルはもう一度大きく頷いたのだった。 「前は、こんなんじゃなかったのにな」  誰のせいなのだろうと、ノブハルはここにはいない男……父親のことを思い浮かべた。そしてすぐに、「化けの皮が剥がれただけか」とその考えを否定した。そしてシルバニア帝国や超銀河連邦の運営に問題は出ていないと、敢えて前向きのことを考えることにしたのだった。 「それで、これらの仕組みはいつから使えるのだ?」  ノブハルの問いに、「現在政治的調整中です!」と言うのがアルテッツァの答えだった。 「アリッサ様が、以前理事会でディアミズレ銀河の外銀河探索の請負を提案されています。もともとはヨモツ銀河に対応するための口実なのですが、現時点でそれが宙に浮いた形になっています。その実行を連邦理事会に提案するご了解をアリッサ様から頂いたので、安全保障局のパイク局長に提案させていただきました。提案内容として、基本的運用をシルバニア帝国軍と安全保障居局の合同で行い、探査艇ピープを4隻アレス銀河に持ち込むと言うものです。そのうち1隻を我々が使用し、残りの3隻を安全保障局に提供します」 「パイク局長ね……」  きっと喜んだのだろうなと。ノブハルは伝え聞く彼の人となりを思い出していた。 「あの人は、大型艦で直接乗り込むことがしたかったんだよな?」 「仰る通りです。したがって、こちらの提案を二つ返事でご了解してくださいました。現在連邦理事会に諮っているそうです。見込みでは、間もなくご承認がいただけるのではと言うことです」  やはり飛びついてきたかと言うのがノブハルの感想だった。ただ外銀河の直接探査自体は、ノブハルとしても望むところでもある。しかもディアミズレ銀河の安全保障にも関わるのだから、反対する理由などどこにもないものだった。 「準備の方ですが、現在ルーモア型1番艦と2番艦がロールアウトしています。将来の運用は単艦を想定していますが、今回は教育とバックアップを含めて2艦体制を取ることにします。人員確保の問題もありますので、ピープは4隻の準備となっています。現在ピープはジュエル銀河内で、試験航行を行っています」 「いつの間にか、そこまでの準備ができていたのだな」  驚いたノブハルに、アルテッツァは「トップ6としての義務です!」と薄い胸を張った。 「なるほど、レムニア帝国に張り合ったと言うことか」  正しく目的を言い当てたノブハルに、アルテッツァは目元を少し引きつらせて「それは言わない約束です」と言い返した。 「なにか、レムニア帝国が派手なことばかりしてくれますからね。帝国軍内部でも、少し不満が溜まってきているんです。ですから、ちょっとガス抜きも必要かなぁと。あとはですね、トラスティ様との勝負を避けたと言うのか。誰からも文句の出にくい、魅力的な方策が無いかと考えていたと言うことです」 「それが、平和的なのは認めてやろう」  必要な人員の選抜を急げ。皇夫として、ノブハルはアルテッツァに命じたのである。  そしてノブハルが命じた3週間後、アレス銀河探査隊の出発式典がズミクロン星系で行われる事になった。初の直接探査と言うことで、連邦からは理事会の主だった者が出席すと言う盛大なものになっていた。そしてトリプルAとしての仕事でもあるので、ジェイドからアリッサも式典のために移動してきていた。 「ここに、超銀河連邦の新しい時代の幕開けを祝うものです」  サラサーテ代表理事の挨拶が終われば、あとは出発前の簡単なパーティとなる。場所が場所だけにライラの出席は叶わないので、ノブハルが皇夫としてシルバニア帝国代表を務めることになった。普段とは違う立場で挨拶回りをしたノブハルに、「公務だから」と言うことでサラマーとは別の護衛が同伴していた。ちなみに探査と言う目的があるので、こちらは男性の親衛隊隊員が選出されていた。 「ユア・マジェスティ。ジノ・ヴァインベルグと申します」  ノブハルに向かって頭を下げたのは、似たような年齢をした人懐っこそうな男だった。少し長めの金色の髪に緑の瞳と、近衛水準をキープする色男でもある。ちなみに近衛隊長ニルバールが、ノブハルの伴にと直々に指名した精鋭だそうだ。現時点では分からないが、実力的にはリュースを凌いでいたと言う触れ込みである。  そして別の乗組員が、サラマーに連れられて現れた。こちらは金糸の髪に菫色の瞳をした、儚げな雰囲気を持つ美少女である。その少女を見たノブハルの第一印象は、「なぜ」と言うものだった。 「彼女は、ヴァイオレット。今回の潜入探査要員としてスカウトされました。年齢は……18だったかしら?」  サラマーに顔を見られた女性は、コクリと頷いて年齢を肯定した。 「すまん。ジノは実力的に言っても分かるのだが、彼女の選出理由は何なのだ? こう言っては悪いが、潜入調査に向いているとは思えないのだ」  とても正直な感想を口にしたノブハルに、サラマーは小さく頷いた。そして軽くヴァイオレットの肩を叩き、「デモンストレーションを」と囁いた。 「よろしいのですか?」  見た目同様、玲瓏な声をした女性に、サラマーは小さく頷き「少しだけ」と条件をつけた。その女性が頷いたと思った次の瞬間、ノブハルはその姿を見失っていた。 「私としては気が進まないのですが」  そして首筋になにか冷たいものが押し当てられたと思ったら、後ろから玲瓏な声が聞こえてきた。それから「失礼いたしました」と言って、その女性はゆっくりとノブハルの前に場所を変えた。 「実力的には近衛に劣りますが、逆に私達より色々な世界を知っていると言うことです。戦闘能力と生存能力、その双方を兼ね備えた人選とお考えください」  サラマーの説明に、「人は見かけによらないと言うことか」とノブハルは息を吐いた。近衛には及ばないと説明されたが、ノブハルには比較することが出来なかった。  ピープに乗り込む4人の顔合わせが終わった所で、口ひげをはやした一人の男性が近づいてきた。帝国軍の制服に身を包んでいるところを見ると、今回の同行者と言うことになるのだろう。少し芸術家的な印象を受ける見た目をしていた。  ゆっくりとノブハルに近づいてきた男性は、2mほど手前で立ち止まると片膝を着き頭を下げた。 「今回アレス銀河探索船ルーモア1番艦艦長を拝命することとなりました。シルバニア帝国軍で大佐をしております、メックリンガーと申します」 「丁寧な挨拶痛み入る。それから申し付けておくが、俺の前でそんな仰々しい真似は必要ないぞ。立って正面から目を見て話をしてくれればいい」  それからと、ノブハルは大切なお願いをすることにした。 「俺はまだ自分の世界が狭く、知識が不足していることを痛感しているんだ。だから、必要だと思ったら遠慮なく忠告をしてくれ。ただ聖人君子などではないから、いつもいつも素直でいられると言う自信はないがな」  面倒くさくてすまんと謝ったノブハルは、「あちらは」と連邦安全保障局の方を見た。 「パイク局長の紹介によると、ジョナサン氏が艦長をされるのだったな」 「マリーカ船長の教育を受けたうちの1人と伺っています。ただ、経験的には不足している……無理も無いことかと思いますが……と言うところでしょう」  メックリンガーの評価に、ノブハルは小さく頷いた。 「新しい組織だと考えれば、それも仕方がないことだろうな。もっとも、外銀河探査などまともな経験者は存在しないだろう。マリーカ船長のような人材を期待する方が間違っている」  ノブハルの答えに、「仰る通りで」とメックリンガーは頭を下げた。 「我々にしても、経験がまったくない分野と言うのは確かです。そのため、志願者がさばききれないほど出たと言う事情があります。その事情は、連邦の方も同じらしいのですが……したがって、今回はかなりゆとりのある布陣が組めたのかと思います」  そこでジノ達の顔を見たのは、軍として近衛の実力を認めているからに他ならない。特にアリスカンダル事件において、リュースの活躍が顕著だったと言うのが理由として大きかった。 「あちらも、今回はハウンドから人員が派遣されているそうです」 「なるほど、備えとしては万全と言うことか……」  コンタクト先の分かっていたヨモツ銀河とは違い、今回は相手の状況すら分からないのだ。それは多層空間を利用した場合でも同じなのだが、直接200万光年の距離を超える分だけ状況が異なっていたのだ。 「どうやら、連邦軍にも意地があったらしいですな。そのあたり、人のことを言える立場ではないのですが」  苦笑を浮かべたメックリンガーに、同じく苦笑を浮かべたノブハルは「似たようなものだ」と自分のことを評した。 「今回はトラスティさんやインペレーターを担ぎ出してはだめだと思っている」  そのノブハルの話に、メックリンガーは大きく頷いてみせた。 「ライラ様は、レオノーラ大将閣下に準備を命じられておられます。ラプータでしたか、あのようなものが現れても対処できるようにとのご命令です」 「あんなのが出てくるのは勘弁してもらいたいのだがな……」  顔をひきつらせたノブハルに、「報告は熟読させていただきました」とメックリンガーは答えた。 「ですが、具体的驚異として存在した以上、二度と同じ過ちを犯すわけには参りませんので」  だからこその準備と答えたメックリンガーに、「許す」と立場からの答えをノブハルは口にした。 「と言う訳ではないが、俺も保険を使うことにした。具体的には、クリプトサイトの未来視を利用する。頼りすぎると弊害がでるので、あくまで保険と言う扱いなのだがな」  保険として未来視を持ち出したノブハルに、「それは心強い」とメックリンガーは笑みを浮かべた。 「ただ問題は、これで成功しても誰も真似ができないことかと」 「確かに、豪華すぎる配役だな」  メックリンガーの言葉を認め、その上で「第一歩だからな」とノブハルは豪華すぎる配役の意味を説明した。 「最初に失敗すると、再戦が難しくなるからな。成功を積み重ね、次第に効率化してけばいいだろう」 「仰る通りなのかと」  頭を下げたメックリンガーは、「出発準備があります」と頭を下げて御前から下る許可を求めた。 「うむ、万全の準備を」  許すの言葉を受け、メックリンガーは空間を超えてルーモア1号艦へと跳躍していった。 「さて、俺はもう少しシルバニア帝国皇夫としての勤めを果たすことにしよう」  3人に背を向け、ノブハルは人だかり……主にアリッサの方へ向けて歩いていった。  それを見送ったジノは、「さて」とバイオレットの顔を見た。 「ノブハル様の評価はどうなのかな?」 「それは、どんな答えを期待した質問?」  分からないと小さく首を傾げたバイオレットに、ジノは真面目な顔をして「感じたものすべてだよ」と聞き返した。  その質問に少し考えてから、「現時点で保留します」とバイオレットは答えた。 「見た目だけで、相手をひれ伏させるようなものはお持ちではありません。そして人間性を判断できるほど、私はノブハル様と時間をともにしておりません」  だから保留すると答えたバイオレットに、ジノは意地悪な質問をした。 「だったら、男としてならどうかな?」 「あなたは、ライラ様を女としてどうかと見ているのですか?」  的確な返しに、なるほど優秀なのだとジノはバイオレットのことを評価した。 「つまり、君は彼のために命を賭けることができると言うのだね」 「近衛の精鋭二人がついていて、私が命を賭けるようなことがあるとは思えないわ」  そこで少し考えたバイオレットは、「見捨てはしないと思う」と付け足した。 「今答えられるのはそれぐらいだと思う」 「君が近衛ならば懲罰ものの答えなのだが……」  ふっと肩をすくめたジノは、「君は近衛じゃない」とバイオレットの立場を口にした。  それに小さく頷いたバイオレットは、「役目は分かってるから」と答えた。 「それ以上でもそれ以下でも無いと思ってる」  感情の見えない顔に、ジノは僅かばかりの不安を抱いたのだった。  そして同じ頃、ノブハルはアリッサの挨拶を受けていた。トリプルAにおいて社長とDCTOの立場だが、今日に限って言えばノブハルはシルバニア帝国皇夫の立場で出席していた。アリッサが頭を下げたのは、その立場を尊重したからに他ならない。  ちなみにその場には、トリプルAの重鎮であるスタークとグリューエルも出席していた。今回のアレス銀河探査をトリプルAの仕事とし受注してくれたので、グリューエルの了解を得てノブハルが出発すると言う立て付けになっていたのだ。 「夫がお見送り出来ず、申し訳ありません」  アリッサに頭を下げられ、ノブハルは顔を赤くしながら「とんでもない」と大慌てで否定をした。 「むしろ、トラスティさんの留守を狙ったような真似をして申し訳ないと思っています」 「夫の留守を狙われたのですか?」  すかさず突っ込んでから、「そう見えますね」とアリッサは笑った。 「ただ、このような準備は一朝一夕でできるものではありませんからね。あくまで、偶然だと私は思っていますよ」  おほほと綺麗に笑われ、ノブハルは立場を忘れて恐縮してしまった。もっとも自分に皇夫と言う立場があるのと同じで、アリッサにも皇妃と言う立場がある。それを考えれば、二人は同格と言うことが出来た。 「不義理をした夫からメッセージを受け取っています。「思いっきりやってくればいい」とのことですよ」  偉そうですねと笑ったアリッサは、そうそうと手を叩いた。 「今回は、フリーセアさんが協力されるのですよね。ですから、アルテルナタさんから夫への報告事項から外しています。それから夫ですが、勝手に手を出す真似もしないそうですよ。もしも必要でしたら、エスデニアへの依頼は個別にして欲しいのだそうです」  アリッサの言葉に、ノブハルは小さく頷いた。 「うむ、今回は自分の手でやり遂げてみようと思っている。加えて言うのなら、連邦安全保障局との共同作業にもなっているからな。外銀河探査の標準プロトコルを作ることを第一にしようと思っている。したがって、潜入ではなく探査が主な目的となるのだろう」 「それができれば、トリプルAの商材になりますね」  頑張ってくださいと微笑み、アリッサはノブハルに右手を差し出した。ポケットで一度汗を拭ってから、ノブハルは緊張しながら差し出された右手を握りしめた。相変わらずアリッサの手は温かく、そして柔らかだった。  少し名残惜しげに手を離したノブハルは、次の挨拶のためにサラサーテの方へと歩いていった。それを笑顔で見送ったところで、「宜しかったのですか?」と隣に並んだスタークが声を掛けた。 「夫が言うには、自立に必要な冒険なのだそうです。そしてトリプルAとしては、探査船の供給元が増えるのは好都合ですからね。シルバニア帝国も、トリプルAの提携先なんですから。共同してことに当たるのもいいのですが、たまには競争をしないと技術が停滞してしまいます」  アリッサの答えを聞いて、スタークは「だそうだ」とマリーカの顔を見た。 「実のところ、行きたかったんじゃないのかな?」 「トラスティさんが居ないのに、ですか?」  無いですねと。マリーカはきっぱりと言い切った。 「それに外銀河直接探索と言っても、到達する方法の違いでしかありませんからね。一度ヨモツ銀河でやっていますから、別にいいかなって思っているんです」  それにと、マリーカは挨拶をしているノブハルの方を見た。 「多分ですけど、出番があると思っていますから」 「今回に限って言えば、出番がない方がありがたいのだがね。なにしろ、今回は積極的なコンタクトは想定されていない」  マリーカの出番があると言うことは、インペレーターの出撃が求められると言うことになる。その意味は、それだけ厄介な相手がアレス銀河にいると言うことになるのだ。探査の目的を考えたら、スタークが平穏無事を願うのは少しもおかしくないはずだ。  そして「出番がない方が」と言われた方も、「それぐらいは分かっていますよ」とまともな答えを口にした。 「でも、勘と言えばいいのかな。面倒なことになりそうな気がしているんです」  ですよねと顔を見られたアリッサは、「さあ」と綺麗に笑ってくれた。 「今回は、アルテルナタさんに見なくていい……見てはいけないと言ってありますからね。ですから、尋ねられても「さあ」としか答えようがないんです」 「敢えて見なくても、分かってしまうことがあると思っているんですけどね」  大きなトラブルが起きれば、否応なく巻き込まれてしまうのだ。そうなると、対象から外していても未来視に引っかかるはずだ。そしてそれぐらいのことは、アリッサも理解しているはずだった。  それに乗ってこないのを残念と苦笑し、マリーカは「準備だけはしておきます」とスタークに答えた。 「リトバルトを使うような事態にならないことを願っていますけどね」 「最大の戦力である以上、封印するのが難しいのは分かっているのだがね」  使いたくないなと言うのが、スタークの正直な感想だった。ただそれを強く主張しないのは、封印することの不利益を理解しているからに他ならない。正しく管理がなされる限り、最強の力は切り札足り得るのだ。 「その気持はよく分かります……なにか、レムニア帝国のタガが外れている気がするんです。これまでの停滞の鬱憤を晴らすかのように、新技術が次々と投入されてくるんですよ。最新技術をつぎ込んだせいで、ルリ号単独でラプータでしたか、そこに突入できるまでになってしまいました」  非常識ですとこめかみに手を当てたマリーカに、「確かにそうだ」とスタークは認めた。 「ルリ号は、確か幹部用のパーソナルクルーザーだと思ったのだがね」  常識が狂うとぼやいたスタークに、そう思いますとマリーカも認めた。 「アリエル様が仰るには、トラスティさんに奇跡の技を使わせないためなんだそうです。ただ、ここまでしなくちゃいけないことで、逆にIotUの凄さを思い知らされたと言うのか。しかもアリエル様は、これでも不足しているって仰ってるし」  ついていけないと、マリーカは心の底からの言葉を吐いた。 「アリエル様が見ているのは、トラスティさんだけなんですよ」 「つまり彼には、IotUの奇跡を再現する力があると考えられていると言うことか」  ううむと唸ったスタークに、マリーカはしっかりと頷いた。 「クリスタル銀河で「神」を誑し込んだことになっていますよね。その過程で起きた事件を見てみると、色々と不自然な事があるんです。ラプータの中で、トラスティさんは「神」が封じられた世界に飛ばされているんですけど……そこから無事帰ってこられるなんて、なにか変だなって思うんです。それ以外にも、メリタさんの部屋で神と直接コンタクトしていますし……もしかしたら」  そこで言葉を切ったマリーカは、それ以上自分の考えを口にしなかった。それを口にすることへの恐れを感じたのがその理由である。そして話をしていたアリッサやスタークも、マリーカが曖昧にしたことを蒸し返すことはしなかった。  そのかわり、アリッサは「あの人はあの人ですよ」と自分の考えを口にした。 「私はあの人を置いていなくなるようなことはしないと約束をしたんです」 「わ、私も、いなくなったりしませんからっ!」  それは絶対だと声を上げたマリーカに、「一緒にがんばりましょうね」とアリッサは微笑みかけた。 「でしたら、そろそろお子さんを考えても良いんじゃありませんか?」  「可愛いですよ」との言葉に、「子供かぁ」とマリーカは天を仰いだ。 「どっちかと言ったら、一緒に宇宙を飛び回りたいと言うのか……」  ううむと考えたのは、子供を持つことも素敵に思えたからだ。そしてもう一度ううむと悩むマリーカに、「まだ時間は十分にありますね」とアリッサは笑った。 「マリーカさんの代わりを務める人も必要ですからね。その意味で言えば、マリーカさんはまだ子供を作る時期ではないのでしょうね」 「で、でも、トラスティさんの子供を欲しいって気持ちもあるんですよ。たぶん、グリューエル様も同じことを考えていると思いますけど……」  金髪が素敵なグリューエルを思い出し、「先に作るか」となぜかマリーカは対抗心を燃やしていた。ただアリッサの言う代役を作るのも、自分の役目が終わるようで嫌な気もしていた。トラスティと一緒に未知の宇宙を旅するのは、自分が勝ち得た特権だと思っていたのだ。 「あと2、3年は、冒険を優先しようと思っています」  子供のことはその後に考える。「それもいいですね」とアリッサも彼女の考え方を認めたのだった。  およそ1万年前に銀河に覇を唱えたマールス人は、その銀河に人類と言う種を蒔いていったと伝えられていた。そして蒔かれた人類と言う種は、およそ100万の星々で萌芽し、それぞれの環境に適した形で進化していったと言う。  そして銀河に人類の種を蒔いたマールス人は、およそ5000年前に主星アテナスの老化を理由に生物としての営みをやめたと伝えられている。精神体となることで、より高次の世界の住人へと昇華したと言うのだ。そしてかつて彼らがいたと言う証を惑星マールスに残し、その銀河との繋がりを断ち切ったとされていた。主のいなくなった惑星マールスは、その後聖地としてアーベル連邦の管理下におかれ、厳しく立ち入りの制限が行われる場所となっていた。ちなみにマールス銀河の呼称は、聖地とされた惑星マールスが由来となっていた。  そしてマールス銀河の情勢を概観すると、2つの国家共同体が激しく覇を競っていた。そのうちの一つが、加盟星系20万を誇るアーベル連邦である。ただ連邦を名乗っているが、惑星アーベルを中心とした徹底的な中央集権システムを構築し、ある意味加盟整星系に対して強権的な統治が行われていた。マールス銀河のおよそ7割のエリアを占める、一大連邦と言う立場も持っていた。  そしてアーベル連邦に対立するのが、残りの3割を占めるザクセン=ベルリナー連合と呼ばれる加盟星系数25万の連合体である。その発足は新しく、今からおよそ1千年前のことだった。拡大と破壊を続けるアーベル連邦に対して、惑星ザクセン及び惑星ベルリナーが共同して対抗したことが始まりである。そして今もなお、ザクセン=ベルリナー連合はアーベル連邦と熾烈な戦いを続けていた。  惑星マールスから10万光年あまり離れたところを、ボーリングのピンの形をした黒い要塞が航行していた。全長はおよそ1000km、太い所は直径300kmはあると言う巨大な要塞である。そして巨大要塞を守るように、およそ10万の船が伴走していた。それこそが、マールス連邦の主力となるエラディクト部隊である。  巨大要塞の頭に当たる部分に、艦隊を統率する司令部が作られていた。巨大な要塞の割に小さなスペースでは、およそ100名ほどの士官が声を張り上げ艦隊に指示を送っていた。 「パラケオン17か……文明レベル1とは、存在する価値のないカスだな」  その喧騒を一望できる場所に居た男は、前方に投影されたターゲットとなる星系のデーターを確認した。青色の肌と禿頭の、人相のよろしくない男である。 「タラン、愚か者共の配置はどうなっている」  傍らに控えていた男は、「こちらに」と敵戦力の配置を示した。 「マゼラン級10万、コロンバス級20万の編成となっています。どうやら、我々の情報が漏れていたのかと」  少し渋い顔をしたタランに、男は「由々しきことだな」と目元を少し険しくした。 「やつらは、よほどマールス銀河を滅ぼしたいとみえる。総統のお気持ちを理解しない愚か者共が多すぎるな。やはり、さらなる間引きが必要と言うことか」  男の言葉に、「お言葉ですが」とタランは異を唱えた。だが男は、タランの意見を手で遮った。 「総統は、それすら必要なことだとお考えになられている。お前は、そう言いたいのだろう?」  それぐらいは分かっていると答え、男は「気が短いのでな」と少し苦笑気味に口元を歪めた。 「だから、どうしても効率を求めてしまうのだ。今は2ヶ月に1つ有人惑星を潰しているが、10万潰す時間を考えると気が遠くなってしまう。わしの代で終わらないのは分かっているが、孫子に余計な仕事を残していくものではないと思っているのだ。どれだけ、ザクセンとベルリナーを消してやりたいと思ったことか」  敵の旗頭を潰してやれば、それだけ抵抗する力が弱まることになる。そして抵抗が弱まれば、「間引き」の効率が上がることになるのだ。  だが男の言葉に、「総統閣下のお考えは違うようです」とタランは返した。 「そうだな。総統閣下は、奴らの存在はマールス銀河に必要と仰られた。わしとしても、そのお考えを否定するつもりは無いのだ。マールス銀河に住まう者達がさらなる高みに登るためには、全身全霊をかけた戦いが必要なのは確かだろう。生と死の間で、人類は己の限界を超える何かを掴み取るのだからな」  「だから愚痴なのだ」と、男ははっきりと苦笑を浮かべタランに告げた。 「生と死の間でのせめぎ合いは、我らにも求められるものだろう。だがこれまでの戦いで、一度も我らは追い詰められていないのだ。知略の限りを尽くした戦いを、未だわしは経験しておらんのだ。それでは、わしらは高みに登ることが出来ないではないか」  その愚痴だと吐き出した男は、「報告を」とタランに命じた。 「現在スターウェイの展開を行っております。作業完了まで、20時間ほどご辛抱いただければと」 「戦闘突入はどうなっている?」  移動が目的ではないと、男はタランに質した。 「スターウェイ通過から護衛艦隊の隊列構築を考えると、およそ44時間後になるのかと」 「つまり、それまではヒマと言うことか」  その時間もまた、気の短い男にとって苦痛の時間となる。 「宇宙と言うのは、どうしようもなく広いと言うことだな。僅か100光年を超えるために、準備を含め40時間も掛かるのだからな」 「超々高速艇を使えば、1時間と掛からないのですが……流石に要塞バランは巨大すぎるのかと」  それぐらいのことは、今更言われなくても男には周知のことだった。そしてそれを告げる方にしても、今更の話でしかない。その意味で言えば、二人の間でかわされた会話は意味のあるものではない。ただふたりとも、意味がないことを理解しながら無駄な会話を楽しんでいたのである。これもまた、退屈な時間を潰すためのバリエーションの一つとなっていたのだ。  攻撃側の男達が無駄な時間つぶしに苦労している一方、迎え撃つ側のザクセン=ベルリナー連合は、その迎撃準備に忙殺されていた。「間引き」と称される敵の作戦は、巨大要塞バランの主砲によって行われている。だが護衛艦隊の驚異も無視することができないため、その対策も必要となってくるのだ。  そのため敵エラディクト部隊の行動を察知したところで、ザクセン=ベルリナー連合は直ちに迎撃に取り掛かった。30万にも及ぶ艦隊の派遣は、その方策の一つと言うものだった。 「アビスへの対策はどうなっている!」  鉄火場となった連合司令部では、連邦名称パラケオン17ことポルックス死守の作戦が遂行されていた。そしてポルックス死守のかなめとなるのが、敵巨大要塞バランの主砲アビスへの対策である。敵艦隊最後尾に位置した要塞からの攻撃は、人の住む惑星一つを破壊する威力を持っていた。  大声を上げて確認したのは、連合艦隊司令ベルフィールドである。シワの刻まれた顔には、鋭い眼光が目立っていた。 「現在量子障壁展開中です。作業完了まで、あと50時間となります」 「敵到着はっ!」  いくら対策を行うにしても、それが間に合わなければ意味のないものになる。声を張り上げたベルフィールドに、観測員から「35時間後になります!」との報告が返ってきた。 「つまり、ぎりぎりと言うことか」  ふっと息を吐き出したベルフィールドに、「接触予定は44時間後となります」との報告が重ねられた。 「アビスの最大射程は5億キロか……」  「分析を!」との命令に、別の士官が立ち上がった。 「現状ポルックスから7億キロ離れたユピテル軌道を第1次防衛ラインとして艦隊を展開しています。ここで敵の進軍を止めれば、アビスを使用されることは無いと言うのが本部の分析です」  これまでの分析を繰り返した士官に、ベルフィールドはきゅっと唇を噛み締めた。当たり前だが、ここに来て新しい分析など得られるはずがないのだ。その意味で言えば、いまさら分析結果を求めることに意味など存在していない。ただ総司令の緊張に付き合わされただけのことだった。  ザクセン=ベルリナー連合の採用した作戦は、大まかに二つの対策を盛り込むものだった。その第一の対策が、敵を有効射程距離に侵入させないと言うものである。そのため有効射程より離れた場所に大艦隊を集結させ、そこで進軍を食い止めることを目的としていた。敵の護衛艦隊の3倍にあたる数を揃えたのも、物量で押し返すことが目的である。そしてこの作戦には、敵要塞撃破のための秘策も用意されていた。  そしてもう一つの柱が、ポルックスを守る障壁を用意することだった。第1次防衛ラインを突破され敵要塞主砲が使用されても、その攻撃が届かないようにするためである。そして攻撃を防いでいる間に、敵要塞及び護衛艦隊を破壊するのが作戦の目的となる。これまで何度も煮え湯を飲まされてきた連合にとって、この作戦の持つ意味は限りなく大きなものになっていた。 「敵の編成はこれまで通りか?」  ベルフィールドの問いに、別の士官が立ち上がった。 「はい。事前情報通り、要塞バランおよびガフ級10万の護衛艦隊となっております!」 「ザハ級は投入されていないのだな?」  ベルフィールドがザハ級を気にしたのは、それが敵の最新鋭戦艦だからである。全長およそ1kmのガフ級に比べ、全長1.5kmと巨大化され、更に装甲と攻撃能力が強化されていた。すでに他の戦線には投入が進められており、友軍が大きな打撃を受けていたのだ。 それに対抗するザクセン=ベルリナー連合は、全長およそ2kmと言うマゼラン級の新造艦10万とそれより旧式となる全長1.5kmのコロンバス級20万と言う編成である。艦隊戦力という意味で言えば、3対1と圧倒的に有利になるはずの構成だった。  だが敵には、全長1000kmにも及ぶ巨大要塞が存在している。過去の戦いでは、コロンバス級の集中攻撃でも、強靭な装甲を突破することが叶わなかった。今回最新鋭のマゼラン級の配備は行われたが、打撃が与えられるかは未知数となっていた。 「……マゼラン級が通用してくれれば良いのだが」  連合の戦術局の立てた作戦では、コロンバス級20万で敵艦隊を抑え、最新鋭のマゼラン級10万で敵要塞バランを破壊する事になっていた。そこで課題とされたのは、マゼラン級の主砲で要塞装甲を撃ち抜けるのかと言うことだ。威力的には200%に嵩上げされてはいるが、効力に関して言えば未知数でしか無い。もしも主砲が通用しなければ、この戦いは要塞に蹂躙されて終わることになる。つまりは、これまでの戦いを繰り返すことになってしまうのだ。  それを危惧したベルフィールドは、もう一つ別の作戦を具申していた。ただそれにしたところで、使わせてもらえる状況になると言う保証はどこにもなかったのだ。 「各自、今のうちに交代して休息をとっておけ」  現時点でできることをやり尽くした以上、天命を待つ以上のことはできなくなる。難しい顔をしたベルフィールドは、各員に休息の指示を出して自分もまた総司令席を立ったのだった。  準備さえしっかり行えば、200万光年の旅と言っても特別なものがあるわけではない。全行程の90%を高速の2億倍で航行したルーモア1番と2番艦は短時間でアレス銀河外周部に到達した。光速の2億倍と言う速度は伊達ではなく、200万光年の距離をわずか3日と7時間で超えたのである。そしてディアミズレ銀河を出るのと、アレス銀河近傍での亜空間バーストを抑える航行を含め、4日強で全行程を完了することになった。ここまでの時間短縮が行われると、同一銀河内の移動と差がないと言うのが実態だった。  今後の単艦探査の実験と言うこともあり、2隻によるクラスター化は行われなかった。ただ最高の人員を双方が当てたこともあり、4日の移動で問題が生じることはなかった。 「ここから先は、二手に分かれることになります」  メックリンガーの報告に、ノブハルは少し緊張した面持ちで頷いた。直径18万光年と巨大なアレス銀河と言うことで、双方手分けをすることで事前合意が出来上がっていたのである。  そして頷いてから、ノブハルは帝国を統べるAIを呼び出した。 「アルテッツァ、ここまでの観測結果を教えてくれ」  その呼出に現れたのは、長い黒髪をお姫様カットにした10代に見える少女だった。ただしている格好が白のワンピースと言うのは、探査船と言う場所を考えればいかにも不似合いなものに違いない。  「ノブハル様」と現れた少女、アルテッツァは「騒がしい銀河です」と第一印象を口にした。 「亜空間通信がバリバリに飛び交っているのが観測できます。その意味で言えば、広く万遍なく文明が発達していると言うことができるのですが。一方で、通信と言う意味で言えばあまりレベルは高くありませんね。ヨモツ銀河ほどではありませんが、伝搬遅延がかなり大きくなっています。それに加えて、通信に無駄なエネルギーを使いすぎです」 「クリスタル銀河で感じたような、ノイズのようなものは無いのか?」  追加の質問に、「それは、マールス銀河に侵入するまで待ってください」とアルテッツァは答えを保留した。 「ルーモア2番艦が所定の位置につくのは?」 「こちらとほぼ同じ、6時間後となりますね」  そこでふっと息を吐いたノブハルは、探査の継続をアルテッツァに命じた。銀河全域でまんべんなく文明が発達している以上、潜入には細心の注意が必要となってくる。トラスティ達とやってきた冒険とは違い、今回の探査の目的はディアミズレ銀河に対する直接の脅威となるかの見極めにあったのだ。 「ピープ1号機は、通信の解析ができたところで潜入調査に入ることにする」  それまでは待機だと、ノブハルはジノとヴァイオレットに命じた。直接自分の住むディアミズレ銀河に影響することもあり、さすがのノブハルも慎重になっていたのだ。  飛び交う通信を主体とした観測と分析は、ルーモア1、2のスタッフが実行していた。その一方でノブハル達4人は、頻繁にミーティングを行い、潜入観測の決めごとを確認した。それに合わせ、そこまでの分析結果の共有も行っていた。 「ここまで1週間の観測結果を共有する」  会議室に集まった3人に向け、ノブハルはアレス銀河の全体図を投影してみせた。 「通信のパターン、プロトコル分析の結果、この銀河は乱暴ではあるが、2つの塊に区分することができる」  ノブハルの言葉に合わせ、アレス銀河が青と赤の2色に色分けされた。 「エリア的には、7対3の領域に区分される。ただ通信の総量と言う意味では、領域青と赤ではほとんど差がないと言うのが実体だ。それを考えると、領域赤の方が有人星系密度が高いものと考えられる。この件に関してアルテッツァのコメントは、「いささか不自然」と言うものになっている。その理由は、両者を構成する恒星系に大きな差がないと言うものだ。ただ不自然と言う印象だけで、具体的な裏付けは観測できていない。文明の発達具合に格差があれば、ありえない話ではないと言う考え方もある」  それは良いかと問われ、ジノやサラマー、ヴァイオレットはコクリと頷いた。 「一方で不自然さの理由になっているのは、必ずしも通信量だけはないと俺は思っている。通信密度のマップを確認したところ、それぞれの領域ではほぼ均質な通信密度になっているんだ」 「それぞれの領域内では、文明の発達度合いに大きな差がないと言うことでしょうか?」  ジノの問いに、ノブハルは「そう言うことだ」とその疑問を認めた。 「超銀河連邦を例に取ると、このような発達の仕方は例がないのだ。いずれの銀河においても、文明の発達の仕方は大きな格差が認められる。比較的登録番号が大きな銀河では似たような傾向があるのだが、その場合このように高い通信密度にはなっていないのだ。だからこそ、領域青の通信密度に違和感を覚えることになる」 「アルテッツァは、なにか仮説を提示しましたか?」  その問いに、「いや」とノブハルは首を横に振った。 「現時点ではデーター不足だそうだ。もう少し通信の分析が進めば、状況が見えてくるのだろう」  まだ1週間だと苦笑したノブハルに、「いいですか」とヴァイオレットが右手を上げた。 「領域青と赤の境界で、戦闘もしくはそれに類することは行われているのでしょうか?」  失礼しましたと玲瓏な声で謝ったヴァイオレットに、「別に構わない」とノブハルは返した。 「ヴァイオレットの疑問は、当然出るものだと思っている。ただ残念なことに、ここからの観測では戦闘の有無を確認することはできていない。したがって、ピープによる潜入探査で、両者の境界領域の調査が必要となる。戦闘が観測でき、両者の技術レベルが観測できれば、今回の探査は粗方終わったと思っても良いのだろう。もともとは、アレス銀河の存在が、ディアミズレ銀河の驚異となるかどうかを判定するのかが目的なのだからな」 「惑星に降りての探査は予定していないと?」  少し意外そうな顔をしたジノに、「状況次第だ」とノブハルは答えた。それから少し嫌そうな顔をして、「勘違いがあるようだが」と言葉を足した。 「俺は、トラスティさんと違って混乱を好んだりしないぞ……なんだ、サラマー?」  自分の言葉と同時に顔を背けたサラマーに、ノブハルは少し不機嫌そうな目を向けた。 「いえ、クリスタル銀河で、「神」の罠にハマりに行ったのはどなただったかと考えただけです」  「失礼しました」と謝ったサラマーに、「別に構わない」とノブハルは許した。 「その反省も生きていると思ってくれ。もちろん、必要ならば潜入することを躊躇うことはないぞ」  その必要性を誰が判断するのか。ノブハルの答えに、なるほどとジノとサラマーは納得していた。 「とにかく、今回の探査目的は、アレス銀河と交流を開始することじゃない。ディアミズレ銀河とヨモツ銀河の安全保障にあると言うことだ。文明レベルを冷静に判断し、200万光年の距離を超える力がなければ観察継続と言うことになるだけだ」 「もしも、その能力があることが分かった場合は?」  懸念を持ち出したジノに、「連邦の仕事だ」とノブハルは責任を放り投げた。 「安全保障局なり、連邦軍が責任をもつことになるな。俺達が行うのは、その判断に必要な情報を集めることなのだ」  その説明に、なるほど経験は生きているのだとサラマーは納得した。クリスタル銀河での経験で、面倒な部分を人に放り投げる経験を積んだのだと。 「なにか、経験が悪い方向に影響していませんか?」  ジノに耳打ちをされたサラマーは、「確実に」と小さく頷いた。 「とっ散らかしておいて、後片付けを人に押し付けることを覚えてしまったようです」  好ましくない方向だと小声で答えたサラマーに、「聞こえてるぞ」とノブハルはますます不機嫌そうな顔で指摘した。 「ええ、聞こえるように言いましたから」  しれっと答えるサラマーに、「皇夫に対する敬意は無いのか?」とノブハルは聞き返したのだった。  アーベル連邦とザクセン=ベルリナー連合の戦いの火蓋は、およそ双方の距離が20万キロとなったところで切って落とされた。  双方使用しているのは、実体弾をプラズマでくるみ、電磁加速をした武器である。射程と速度の問題はあるが、20万キロ程度の距離で向かい合うには、威力を最も発揮する武装でもあった。そして荷電しているとは言え質量の大きな実体弾のため、磁場による防御を乗り越えると言う特徴も持っていた。そのため平面隊形で打ち合うことで、双方の損傷は次第に積み上がっていった。 「なるほど、コロンバス級で我が艦隊を抑えにかかったと言うことか」  要塞バランの司令部では、青色の肌で禿頭の人相の良くない男、総司令のゲーベンスが感情のこもらない顔で戦況を見つめていた。 「タラン、マゼラン級10万の動きはどうなっている?」 「前線より50万キロ離れたところを、迂回しながらこちらに向かっております」  あからさまな動きですと補足したタランに、ゲーベンスは「つまらんな」と小さく呟いた。 「最高戦速で突入してくる覚悟もないと言うことか」 「我らの護衛艦隊を、コロンバス級で釘付けにできると考えたのかと」  その答えに、「だろうな」ゲーベンスは口元を歪めた。 「戦力比が1対2だと考えれば、それは常識的な考えに違いない。だがな、誰が馬鹿正直に正面からの打ち合いだけと決めたのだ?」  ありえんだろうとの言葉を受け、「畏まりました」とタランは頭を下げた。そして踵を返すと、「要塞バラン前進!」と部下達に命じた。 「護衛艦隊の前に出て、敵コロンバス級を粉砕する!」 「敵コロンバス級を粉砕しますっ!」  復唱と同時に、要塞バランの背部エンジンが唸り声を上げた。そしてその身に似合わない加速で、一気に護衛艦隊の前に躍り出た。  そして「蹂躙せよ」とのゲーベンスの命令に従い、要塞砲塔から高エネルギーの副砲による攻撃が行われた。巨大な要塞全面からは、まるでシャワーのように攻撃が敵艦隊に降り注ぎ、待ち構えていたコロンバス級戦艦は次々と爆散していった。  必死の反撃は行われるが、そのことごとくが分厚いバランの装甲を貫通することは出来ない。そしてバランは、敵の陣形に空いた穴を目指してゆうゆうと前進していった。 「敵マゼラン級が戻ってきました」 「それを泥縄と言うのだがな」  少しだけ口元を緩め、ゲーベンスは「押し込め」と護衛艦隊に命じた。その命令に従う形で前に出た護衛艦隊は、残存したコロンバス級10万と同じく10万のマゼラン級を相手に一斉射撃を行った。ただ相手の方が数が多いのと、新鋭艦が同数いるため戦局としては再び押されるようになっていた。 「やはり、数的不利が目立ってまいりました」  副官タランの報告に、「だろうな」とゲーベンスは肩肘を着いた。 「奴らの出し物を見せてもらっておらんな」 「他の戦線からの報告で、マゼラン級主砲の威力は分かっておりますが?」  どうかされましたかと問う副官に、「いや」とゲーベンスは少し口元を歪めた。 「あのような無様な作戦で、何をしたかったのかに興味を持っただけだ」 「無様な作戦ですか……確かに仰る通りで」  タランが認めたのは、みすみす10万もの味方が要塞バランの副砲の餌食になったからである。 「我らの護衛艦隊と撃ち合いたくなかった……と考えることもできますな」 「それが、奴らの秘密兵器と言うことか。撃ち合いから離れたと言うことは、ミサイルのようなものと言うことになるのだが……」  ふむと口元に手を当てたゲーベンスは、「確かめてみるか」と小さく呟いた。 「タラン、再度前に出るぞ」 「蹂躙いたしますか?」  自分の意図を確かめてきた副官に、ゲーベンスは「いや」と否定した。 「奴らが、何を考えたのか確認したい」 「奴らが作りたかった状況を作ってやりますか」  了解しましたと右拳で左胸を叩いたタランは、踵を返すと「速度を上げよ!」と部下に命じた。そして命令に答える形で、護衛艦隊を抑え要塞バランは最前線に位置取りをした。そして要塞バランの動きに呼応するように、敵は残存した20万の艦隊を平面に展開してきた。 「どうやら、奴らは我々が挑発していると受け取ったようだな」  そう呟いた総司令に、「違うのでしょうか?」とタランは少し驚いたような声を出した。 「わしは、好奇心が旺盛でな。奴らが何をしようとし考えていたのか、それを知りたいと思っているだけだ」  それだけだと答えた総司令に、タランは小さくため息を吐いた。 「有り体に申し上げれば、それこそが挑発です」  副官の決めつけに、なるほどとゲーベンスは頷いた。 「ただな、敵の司令がそこまで単細胞なのかは疑問だな。こうなることを予見し、敢えて不可思議な主力艦の運用を行った可能性も考えられる」 「味方艦を犠牲にして……ですか?」  疑念のこもった声を出した副官に、「この状況を見ればな」とゲーベンスは返した。 「理由はどうあれ、奴らの望んだ状況になっているのではないか?」 「確かに、敵主力は無傷で残されておりますな」  司令の言葉を認めたタランは、「切れ者ですか?」と敵の指揮官を評した。 「可能性としてはそうかもしれん。もちろん、わしの考え過ぎと言う可能性はあるがな」  小声で意見交換をしながらも、ゲーベンスの視線は敵の配置へと向けられいていた。理想的な状況ができた今、敵がこの好機を逃すとは思えないのだ。だとしたら、敵は何らかの方法で要塞バランを仕留めにかかってくるはずなのだ。 「マゼラン級の主砲では、いくら集中してもバランの装甲を貫けるとは思えませんが?」  敵マゼラン級が、要塞バランを焦点位置に置くようなお椀のような配置に移動を始めていた。それをマゼラン級主砲の一点集中攻撃と考えたタランに、「違うようだ」とゲーベンスは敵艦隊の更に奥を見据えた。 「タラン、直ちにアビス発射用意をしろ。出力は10%程度で構わん」 「10分ほどお時間をいただければ」  直ちにと答えたタランは、「アビス発射用意を!」と大声を上げた。 「出力は10%程度でいい、威力よりも準備時間の短縮を優先するっ!」 「アビス発射準備にかかりますっ!」  復唱と同時に、司令部が慌ただしく動き出した。通常惑星破壊に用いられる主砲アビスが、それ以外の用途で使用されるのである。これまでの戦い方を考えると、ある意味初の試みと言うことになる。  その準備が進むのを見ながら、「掃射いたしますか?」とタランは耳打ちをした。 「いや、それでは面白くないと思わんか?」  勝負が簡単につきすぎる。総司令の言葉に、「それが挑発行為なのですが」とタランは呆れたように答えたのである。  先行してくる敵要塞の動きに、ここまでは予定通りだとベルフィールドは安堵することになった。罠を罠として成立させるためには、敵に狙いを悟られてはいけない。そのためには、こちらの新鋭艦隊が本命だと思わせておく必要があったのだ。  そしてその目論見通り、敵はこちらの新鋭艦隊が本命であると考えてくれた。だからこそ、「やってみせろ」とばかりに要塞が前面に出てきたのだと。 「小惑星ミサイルの準備はどうなっている?」 「予定通り、2億キロ離れた地点で加速に入っております。間もなく目標速度に達します」 「スターウェイ開通の用意も出来ております」  報告に頷いたベルフィールドは、敵要塞の拡大映像を凝視した。宇宙の闇に溶けるように黒色に塗られた要塞は、ボーリングのピンを立てたような姿勢で進行してきていた。全長1000kmと言うサイズは、連合主力艦が2kmだと考えれば途方も無い大きさと言えただろう。 「狙い目としては、細くなっている首の部分なのだが……」  最大直径は300kmと巨大なのだが、くびれている部分ではそれが50kmほどまで細くなっていた。強度を考えれば、その首の部分が狙い目と言う事ができた。ただ細くなっている分、命中確率が下がると言う問題も有った。 「照準を敵司令部のある頭部に設定いたしました!」  照準制度を考えたら、半径120kmほどの頭部の方が好ましいのは確かだった。また頭部に巨大質量をぶつけることで、首の部分が折れることも期待が出来たのである。 「バランに変化は無いか?」 「散発的に副砲で攻撃してきているだけですっ!」 その報告に、ベルフィールドは敵司令の意図を理解しようとした。 「我々に、何か隠し玉があると考えているのは確かなのだが……」  そうでなければ、わざわざ突出しておいて抑えた攻撃をするとは思えない。ただその場合の問題は、どこまで想定しているのかと言うことだった。敵の検知限界の外で準備を進め、検知したときには対処が間に合わない時間計算を行っていたのだ。 「アビスの発射準備には、最低でも10分は掛かるはずだ」  そして自分達の攻撃準備が整うまで、残り時間は20分を切るところになっていた。このまま10分を乗り切れば、敵の準備が間に合わないことが確定してくれる。効果のほどは不確かだが、敵に大打撃を与えられるのは確実と言われた作戦が遂行されることになる。  そのためには、残り10分弱の時間で、こちらの意図を悟られない対応が必要となる。 「マゼラン級主砲による、一点集中攻撃を敢行する!」  装甲の分厚さを考えれば、集中したからと言って破れる可能性は殆ど無い。だが最大の攻撃を行うことで、敵の注意を引きつけることが重要だったのだ。 「攻撃、開始しますっ!」  士官からの報告に遅れ、10万のマゼラン級戦艦主砲が、一斉に火を吹いた。十分に訓練された艦隊の攻撃は、要塞バランの首に当たる部分に集中した。  敵の攻撃を見ながら、総司令ゲーベンスは「見え透いた攻撃だ」と小さく息を吐いた。こうして必死になって見せることで、真の意図を隠そうとするのが見えてくるのだ。 「敵の攻撃ですが、それを利用することでアビスの準備が30秒ほど短縮されます」 「攻撃の反動か?」  小さく頷いたゲーベンスは、「そろそろか?」と副官の顔を見た。 「はっ、間もなく姿勢制御が始まりますっ!」  副官タランの敬礼と同時に、司令部を小さな振動が襲った。敵の攻撃で揺るぐことのなかった要塞バレルが、強力な推進力によって姿勢を変えようと言うのだ。 「姿勢制御完了まであと8分です。その1分後、10%の出力でアビスが発射されます」 「さて、奴らの準備は間に合っているのかな」  集中して攻撃してきてくれているが、未だそれ以上の動きが見て取れないのだ。果たしてギリギリまで我慢しているのか、さもなければこれ以上打つ手が無いのか、期待してゲーベンスが見守る中、姿勢制御完了まで1分になった所で、初めて敵艦隊に新たな動きが生じた。お椀状の底の部分を開くように、ゆっくりと敵艦の陣形が変わっていったのだ。 「やはり、質量兵器と言うことか」 「スターウェイを利用し、加速した小惑星をぶつけてくる……と言うところでしょう。不意打ちが成功していれば、バランと言えど無視し得ない損傷が出ていたのかと」  それに小さく頷いたゲーベンスは、「運がなかったな」と敵将に同情した。 「まだ、安心はしていられないのですが……」  とは言え、すでに投影面積的に要塞バランはかなり小さくなっていた。ここから逆転できるとすれば、運良く主砲アビス発射前に発射口を潰すことぐらいだ。 「いや、時間切れだ。マゼラン級の集中攻撃が仇となったな」  ゲーベンスの言葉通り、お椀の底から100km級の小惑星が複数現出した。双方の距離を考えると、着弾まで30秒と言うところだろう。間もなくアビスが発射できることを考えると、ゲーベンスの言う通り集中攻撃による30秒の短縮が勝負の分け目となったのである。 「小惑星弾第一陣着弾まであと20秒です」 「アビス発射準備完了。10%の出力で発射できますっ!」  その報告を静かな気持ちで聞いたゲーベンスは、力むことなく「アビス発射」と命じた。 「アビス発射しますっ!」  復唱に遅れて、ボーリングピンの底の部分から、白い光の帯が真っ直ぐに伸びていった。そして5万キロにまで迫った小惑星を飲み込み、ポッカリと艦船の空いた部分を通り過ぎていった。  だが掃射しないことで、小惑星弾のいくつかがアビスによる消滅を免れた。そしてそのうちの一つが、要塞バランの装甲を削るようにかすっていった。その反動でアビスの射線がずれ、敵艦の一部が消滅することとなった。 「やはり、運がなかったようだな」  結果的に、自分達の攻撃のことごとくが裏目に出たのである。第二陣が来ないところを見ると、転送用のスターウェイも破壊されたのだろう。 「まだ、出し物があると思うか?」 「敵に、出し惜しみをするだけの余裕はないのかと」  副官の答えに、「そうか」とゲーベンスは小さく頷いた。 「ならば敵艦隊を蹴散らし、パラケオン17を破壊する」 「要塞バラン、姿勢を移動形態に移行します」  再び軽い振動が、司令室を襲った。そして強烈な噴射によって、要塞バランは移動用の起立姿勢へと姿勢を移していった。そして間もなく姿勢制御が完了すると言うところで、敵を観測していた士官から悲鳴のような声で報告が上げられた。 「直径200kmの小惑星が現出してきましたっ! 着弾まであと60!」 「なるほど、敵も捨て身の攻撃を選んだと言うことか」  見事だなと敵将を褒めたゲーベンスは、「回転して蹴散らせっ!」と声を張り上げた。そしてその命令に応えるよう、要塞バランはコマのようにゆっくりと回転を始めた。  回転をはじめて10秒経ったところで、起死回生の小惑星弾が要塞バランへと命中した。流石に秒速5千キロまで加速された巨大質量の破壊力は大きく、司令室に居た全員が椅子にしがみついて衝撃に耐えた。  そしてその振動が収まったところで、「軽微ながら装甲に損傷発生」の報告が上げられた。 「中央第1011区画から1100区画で火災発生っ!」 「ただ今の衝撃で、けが人が多数出た模様ですっ!」  次々と上げられた被害報告に、「なかなか」とゲーベンスは敵将を褒めた。自軍に多大なる被害を出しながらも、要塞バランに一矢を報いたのだ。過去の戦いでなし得なかった偉業を成し遂げたと言っても差し支えのない戦果であるのは確かだった。 「バランの航行に影響はあるか?」 「航行及び主砲発射に影響はありません。なお副砲砲塔の5%が損傷しました」  報告に小さく頷いたゲーベンスは、「要塞バラン発進」と声を張り上げた。 「行く手を遮るものは遠慮なく蹴散らしてやれっ!」 「バラン最大加速でパラケオン17へ向かいますっ!」  要塞バランに合わせるよう、護衛艦隊も加速を行い要塞を守るように最前列へと位置取りを変えた。敵残存艦隊15万からは連続して攻撃が加えられたが、要塞バランを中心としたエラディクト部隊の侵攻を止めるには至らなかった。 「バラン破壊には、あと1手足りなかったようだな」 「この様子だと、パラケオン17にもなにか仕掛けがあるのかと」  耳打ちをしてきた副官に、「だろうな」とゲーベンスもその言葉を認めた。 「そうでなければ、手間暇をかけて惑星破壊など行う必要はない」  ギリギリの中、知略の限りを尽くすことで人類はさらなる高みに上ることができる。総統の言葉にゲーベンスは、たしかにそうだとその意味を認めたのである。  惑星マールスから銀河外周方向に2千光年離れた所に、アーベル連邦主星惑星アーベルは位置していた。直径およそ1万3千キロの惑星アーベルは、地上の7割を占める海に浮かぶように大陸が点在していた。そのアーベルの中緯度地域の周囲の大陸の影響を受けない位置に作られた、面積にしておよそ20万平方キロの人工島に首都ルミノスは位置していた。  連邦と言う体制をとっているが、アーベル連邦は強力な中央集権制をとっていた。そのためアーベルを統治する総統の権力は、連邦政府の更に上となっていた。連邦政府は、事実上総統の決定を追認する以上の意味を持っていなかったのである。 「先だってのパラケオン17破壊作戦ですが」  連邦議会議長アドルフ・ハイラーは、一段低い所から玉座に座る総統サキエルの顔を見上げた。 「連合艦隊により、要塞バランが軽微ながら損傷を受けたと言うことです」 「彼らも、知恵を絞ってきたと言うことか?」  よきかなと頷いたサキエルは、齢70には見えない精力的な見た目をしていた。黒い髪にはまだ白髪も混じっておらず青い肌もハリ・ツヤが十分である。彼の年齢を知らなければ、50前にも見えたことだろう。 「はい。出撃した艦隊30万の半分を犠牲にし、ゲーベンス司令を出し抜いたそうです」  その報告に、総統サキエルは少し眉を顰めた。 「よくやったと褒めてやりたいところなのだが……いささか、味方の損害を出しすぎだな」  総統サキエルの言葉に、アドルフ議長は小さく頷いた。 「有効な武器が無い以上、それが連合の限界と言うのがゲーベンス司令の見解となっております。なお主砲アビス対策として、量子障壁が利用されたようです。ただ、第一射は耐えましたが、第二射までは耐えられなかったようです。第三射でパラケオン17は惑星としての命を全ういたしました」 「確かパラケオン17には、10億ほどの住民が居たはずだが?」  それはどうなったとの問いに、「それはこちらに」とアドルフ議長は別の報告を提示した。 「なるほど、連合は移民船を用意したか。だが、その船の目的地となる惑星はあるのか?」  いかに有人星系25万あっても、10億近い住民を受け入れるのは簡単なことではない。特に文明レベルが低い惑星からの移民受け入れは、各惑星では災厄と考えられているところがあったのだ。しかも過去破壊された惑星からの移民受け入れによって、連合の各惑星は飽和状態になっていた。  「受け入れ惑星があるのか」との総統サキエルの問いに、アドルフ議長は少し口元を歪めた。 「その多くを、惑星ザクセンと惑星ベルリナーが受け入れるようです」 「なるほど、連合の中心としての役割を果たすか」  うんうんと頷いた総統サキエルは、「崩壊寸前だな」と両惑星のことを評した。 「すでに、住民の半分以上は移民となっておるのではないか?」 「現時点で6割を超えているようです。そのせいとばかりは言えないのでしょうが、惑星上の治安は悪化を続けております。そして元からの住民の感情は、かなり危険な状態になっているとのことです」  「そうだろうそうだろう」と頷くのは、その状況が目に見えるようだからだ。 「甘っちょろいヒューマニズムが、己の滅亡を招くことになると言うことだ」 「それを題目に結成された連合ですからな。その代表格の惑星が、移民の排斥などできるはずがありません。あとひと押しで、総統の予想された内部分裂による粛清が始まるのかと」  さすがは総統と言う賛辞に、総統サキエルは少し不機嫌そうな顔をした。 「アドルフ。君は私のことを少し誤解しているようだな」  その視線に当てられ、アドルフは申し訳ありませんと頭を床に擦り付けた。  その必要はないと許した総統サキエルは、「期待する所が違うのだ」と自分の考えを口にした。 「結果的に粛清が起こるのだろうが、別にそれは私の期待するところではないのだよ。人類が追いつめられた時こそ、変革のときだと私は考えているのだ。それがどのような形で現れてくれるのか、それを楽しみにしているのだよ。ただこのままでは、私の代で変革が起きることはないのだろうな」  それだけが残念と口にした総統サキエルに、「間引きを加速しますか」とアドルフは問いかけた。 「いや、それをすると方向がネジ曲がってしまうのだ。急速な変化は、明確な敵を作ることになるのだからな。緩やかな変化こそが、内部に不満をためる役に立ってくれる。残る間引き対象は10万程度だと考えれば、月に10個程度間引けば十分だろう。それでも、およそ800年ほどで間引きが完了することになるのだからな。それぐらいのゆっくりとした変化の方が、内部に不満をためることになる」 「アザキエル様の代でも、まだ道半ばと言うことですか」  アザキエルと言うのは、サキエルの孫にあたる男性である。現在年齢は20で、30年もしないうちに総統に就任する予定である。 「ザクセン=ベルリナー連合が成立して1千年だと考えれば、終盤に差し掛かったと考えてもよいだろう。ここから先の詰めを謝らなければ、もしかしたらアザキエルの代で変革を目の当たりにするかもしれん」  目を閉じて上を見上げたサキエルは、「計画の遂行を」とアドルフに命じて謁見を終わらせた。  アーベル連邦総統は、代々男系で世襲されてきた。そのため、確実に後継者を得るため、総統となる男は複数の后を持つことが義務付けられていた。しかもバックアップの措置として、クローニングで男子を作ることも行われていた。ただクローニングで生まれた子には、かなり低い継承権が設定されていた。  そして生まれた子が男子ならば、持っている遺伝子が徹底的に調べられた。それは、このあとの後継者を確保するための措置でもある。いくら優秀でも、遺伝子に問題が見つかった時点で継承権を剥奪され、ただの総統一族に格下げとなる。ただがんじがらめの立場になるより良いと、継承権剥奪は一族男子の中では幸運と言われていた。もう少し正確に言うのなら、ただ一人選ばれる後継者候補とそのバックアップが、不運と踊ったと言われていた。  その後継者候補の筆頭、アザキエルは当年とって20の若者である。総統一族男子の血を正しく引き継いだアザキエルは、背が高くガッチリとした体格をしていた。そして見た目も、アーベル標準で整っていると言っていいだろう。そして後継者候補の勤めとして、今現在で3人の后をもっていた。 「俺は、時々……違うな、常々他の兄弟が羨ましいと思っているのだ」  次次代の総統と言うことで、アザキエルの毎日は勉学と肉体の鍛錬に費やされていた。しかも息抜きも肉体鍛錬に充てられると言う、徹底した帝王教育をされていた。芸術鑑賞すら息抜きにならず、必ず見目麗しい女性とのマッチングの機会とされていたのだ。  こうして館のベランダでのんびりするのも、時間調整以上の意味はなかった。 「俺は、后を選ぶ自由すら与えられていない」  嫌だ嫌だとこぼしたアザキエルに、教育係の男性タブリースは「選ばれていると存じ上げております」と彼の意に沿わぬ答えを口にした。 「ああ、確かに選んでいるのだろうな。ただ候補をずらっと並べられ、その中から選ぶ程度の自由でしかないのだ。俺の言いたいのは、出会いから違ったものにしたいと言うことだ」 「それが、殿下のご希望と承りました」  頭を下げたタブリースを、「待て」とアザキエルは制止した。 「出会いの方法を変えたとしても、それが全て仕組まれていては意味がないからな。舞踏会や観劇の場が、公園やスタジアムに変わることに意味はないぞ」 「つまり、もっと凝った出会いの場を用意せよと?」  敢えて希望を曲解したタブリースに、「もういい」とアザキエルはため息を返した。そのため息に合わせ、銀色のほつれ毛が青い肌に掛かった。  それを指で戻したアザキエルは、窮屈だなと小声でこぼした。そしてその言葉に反応しようとしたタブリースを手で押し留め、「宇宙は」と青く広がる空を見上げた。 「マールス銀河の遥か遠くまで広がっているのにな。俺達がしていることは、マールス銀河と言う小さな檻の、部分最適化の作業でしか無い。ザクセン=ベルリナー連合など放っておいて、広い宇宙に飛び出していった方が俺には建設的に思えるのだがな」 「隣の銀河、エリス銀河までおよそ200万光年の距離がございます。我々の保有する船の最高速度で飛ばしても、よくて片道1年と言うところでしょうか。総統閣下の目がマールス銀河内に向いているので、それ以上の高速艇の開発が進んでおりません」  間接的に夢でしか無いと口にしたタブリースに、「分かっている」とアザキエルは顔を背けた。 「足元も固まらないうちから、外銀河にうつつを抜かす訳にはいかないと言うことだろう。為政者の心得としてなら、お前の言うことに何一つとして間違っているところはないな。連邦内に特に問題はなく、間引きにしたところであと数百年は終わることはない。総統閣下が期待している内部分裂や新たな息吹が生まれるにも、時間と同時に大きなきっかけが必要なのだろう。ただ、今の所そのきっかけすら見えていないのだからな」  それでもなと、もう一度アザキエルは青く澄み渡った空を見上げた。 「どうしても、広い宇宙に出ることを夢見てしまうのだ。それが、将来総統となることを定められた哀れな男の逃避と言うのも分かっている。そして俺が、外銀河どころか惑星表面から離れることがないのも分かっているのだ。総統など、標本のごとく地上に貼り付けられた哀れな存在と言うことだ」 「殿下は、宇宙に出たいとお考えですか?」  確認するように聞いてきたタブリースに、「外の見えない宇宙船では意味がないぞ」とアザキエルは答えを先回りした。 「絶対に間違いの起きないガチガチに守られた宇宙船で宇宙空間と往復する。それのどこが、地上に貼り付けられたのと違うのだ。他の惑星の視察でも入っていれば別だが、上がって降りてくるだけのことに意味もないのだからな」 「加盟惑星視察や式典出席は、一般の総統一族の勤めとなっております。従いまして、殿下の手を煩わせるようなことはないのかと」  タブリースの答えに、アザキエルは少し顔をひきつらせた。自分としては、ぜひとも手を煩わせて欲しいところだったのだ。 「それが、後継者となった罰と言うことか。間引きによって失われた命への償いと言うこともできるな」 「間引きによって、マールス銀河は正常に発展することになるのかと。人道主義をとっているザクセン=ベルリナー連合には、明らかに歪が生じております」  人道主義を持ち出したタブリースに、アザキエルはあざ笑うかのように口元を歪めた。 「まるで、我が連邦が非人道的に聞こえるな。間引きが完了した今、連邦内の治安は極めて安定し、各星系も順調に繁栄しているぞ。連邦全体で圧政に苦しんでいると言う噂を聞いたこともない」 「そのような噂が、殿下の耳に届くとお考えですか?」  甘いですなと口元を歪めたタブリースに、「事実だ」とアザキエルは言い返した。 「潤沢な資源に適正規模の人口および各星系の間隔。争いが起きないとまでは言わないが、他星系を侵略する意味はかなり薄くなっているはずだ。そして侵略行為が行えないよう、連邦軍が睨みを効かせているからな。管理の目につかない、管理されたユートピアになっているのではないか?」 「ザクセン=ベルリナー連合は、混沌の世界と言うことですか?」  対比としてザクセン=ベルリナー連合を持ち出したタブリースに、「そうだな」とアザキエルは認めた。 「ユートピアからは、新たな動きが生まれることはないだろう。だから代々の総統は、ザクセン=ベルリナー連合を利用し混沌を作っている。その混沌の中から、新たなウェーブが生まれるのを期待しているからだ。それにした所で、その程度の自由しか無い総統の慰みと言うことでしかない」  立ち上がってテラスを歩いたアザキエルは、「マールス人は」と今は伝説となった文明のことを持ち出した。 「何を考えて銀河に人類の種を蒔いたのだろう。よく理由とされる孤独なのだが、マールス以外に人類の生まれた星系がなかったとは考えられないのだ。だとしたら、その時存在した有人星系はどうなったのだ? マールス人が人類と言う種を蒔くために、耕す意味で駆除されたのではないか。だとしたら、マールス人などとんでもない残虐な存在と言うことになるのだがな」 「そのお考えが、数多く立てられた仮説の一つであるのは確かです」  自分の言葉を認めたタブリースに、アザキエルは小さく頷いてみせた。 「連邦が管理している惑星マールスだが、驚異的な兵器が封印されているのかもしれないな」 「自分達以外の種を滅ぼすための兵器と言う意味でしょうか?」  確認したタブリースに、「それだ」とアザキエルは人差し指で指さした。 「奴らが、どれだけの時間を掛けたのかは分からないのだがな。この広い銀河の文明を根こそぎ滅ぼしていったのだ。しかも痕跡残らず滅ぼしたと考えたら、超兵器を疑ってもおかしくはないだろう」 「ですが、惑星マールスにそのような兵器があると言う調査結果は出ておりません」  調査結果を信じるのなら、アザキエルの説はただの妄想と言うことになる。それもそうだがと認めたアザキエルは、「始末していったとも考えられる」と別の考えを持ち出した。 「目的が達成されたのなら、もはや超兵器は必要ないだろう。だとしたら、余計な自体を引き起こさないよう始末していったと考えてもおかしくはない」 「そのお考えを否定する根拠を持ち合わせておりませんが……いずれにしても、いまさら確かめようのないことかと思います」  タブリースの言葉に、アザキエルは小さく頷いた。 「ああ、惑星マールスには何も記録が残されていないのだからな。ただそこに、文明が存在していたと言う証拠しか残っていない。そして残された遺跡が、俺達のものより技術的に異なっていると言うことだけが分かっていることだ。未だに、使い方の分からない装置がたくさん転がっているのだからな」  テラスをぐるぐると歩き回ってから、アザキエルは部屋に戻り大ぶりの椅子に腰を下ろした。 「一体全体マールス人は、どこに消えたのだ? そもそも姿を消す必要があったのか?」  それが分からんと口にしたアザキエルに、タブリースは「今の所何も」と答えて頭を下げた。 「学者達が調査を進めておりますが、未だ核心に迫る発見は無いとのことです」 「だからと言って、高次元の存在に昇華したと言う説明はないと思うのだがな」  少し口元を歪めてから、アザキエルはテーブルから透明な飲み物を取り出した。 「お前も飲むか?」 「殿下のものに口をつけると言うのは恐れ多いことです」  ご容赦をと頭を下げたタブリースに、「ならば」とアザキエルは少し捻った命令を口にした。 「俺のために、毒味をしろ」  そう言って、アザキエルはもう一本透明な飲み物を取り出した。 「お前が飲んだら、俺も安心して口をつけることができる」 「そう言う屁理屈を付けなさいますか。確かに、毒味と言われれば断ることはできませんな」  小さく息を吐いたタブリースは、瓶に口をつけて透明な飲み物を飲み込んだ。 「特に、問題はないな?」 「なんの変哲もない水なのかと」  ふうっと息を吐いたタブリースを見てから、アザキエルも自分の飲み物に口をつけた。 「話を戻すが、マールス人が高次元の存在になったと言うことを認めたとして、この銀河に広く蒔かれた人類の種と言うのは何なのだ。俺達と言う存在は、本当に無作為に蒔かれた種から生まれた存在なのか?」 「学者が言うには、8千年ほど前にミッシングリンクがあるとのことです。惑星アーベルに残された化石、遺跡を調べてみても、そこで不連続に人類が誕生しているそうです」  定説を口にしたタブリースに、「そうだな」とアザキエルもそれを認めた。 「だとしたら、種と言うのは突如現れた人類と言うことになるな。そうなると疑問は、マールス人はどうやってその種を作ったのだ? 間引かれた星を含めて、100万もの文明が生まれたのだぞ。文明が生まれなかった星があると考えれば、種は更に多くの星に蒔かれたことになる」  アザキエルの疑問に、「解明できておりません」とタブリースは答えた。 「謎を解く鍵は、惑星マールスにあると考えられています。ですが、我々はその鍵を見つけることができておりません。そしてその鍵が、どのようなものかも想像がついていないのです」 「分かっていたことだが……」  小さくため息を吐いたアザキエルは、「無駄なことをしている」と吐き出した。 「本当に、間引きは必要なことなのかと疑問に感じてしまったぞ。この行動自体、何者かに誘導されているのではないか。ふと、そんな事を考えてしまった」  そこで小さく首を振ったアザキエルは、「分かっている」とタブリースの言葉を遮った。 「マールス銀河の資源量推定から、持続繁栄できる星系数総人口が計算されたと言うことだ。だが1千年なら分かるが、1万年先のことまで考える必要があるのか? 間引きを始めた結果、すでに星系数は半分以下の45万となっているのだ。これを目標の35万としたところで、一体どれだけの差があることだろう……と考えてしまうのだがな」  そこまで口にして、「分かっている」とアザキエルは繰り返した。 「始めてしまった以上、最後まで続ける責任があるのだろうな。やめるならやめるで、明確な理由が必要となるし、説得力と言うものも必要になる。それが、55万もの星々を粛清した俺達の責任でもあるのだからな」  そこで大きく息を吐きだしたアザキエルは、タブリースに一つ注文をつけることにした。 「ところで后候補だが、肌の色が違う女性と言うのはだめなのか? だめでないのなら、たまには別の色の女性を娶りたいのだ」  その問いに少し驚いてから、タブリースは腕を組んで考えた。 「後継者を作ると言う意味で、別の肌の色は認められておりません。ただ、殿下が仰りたいことは理解できます。気分を変えるためと言う事なら、愛妾として迎えることは可能なのかと」  考えた末に出された答えなのだが、「それでも懸念はあります」とタブリースは言葉を続けた。 「后の方々と同等に扱うと、原理主義者が騒ぎ出す可能性がございます」 「俺に、楯突くと言うのか?」  少し口元を歪めたアザキエルに、「左様で」とタブリースは頭を下げた。 「官僚どもには、頭の硬い者もおりますゆえ。楯突くことはなくても、何かと口うるさくなるのではありませんか?」  タブリースの答えに、それも嫌だとアザキエルは顔を顰めた。その気持を察したタブリースは、「方法を考えます」と問題を引き取った。 「愛妾ではなく、ペットとして可愛がると言う方法もあります。もちろん、性的な楽しみ込みです。その場合の問題は、「変態」と言う評判が立つ恐れがあることぐらいでしょう。それにしたところで、大したことではありませんが」 「変態と言う評判が立つのが、大したことではないのか?」  嫌そうな顔をしたアザキエルに、タブリースははっきりと「大したことはありません」と答えた。 「そのような評判が、殿下の耳に届くことはないからです」  聞こえてこなければ、悪評など無いも同然。「確かにそうだ」と、アザキエルは目元を引きつらせながら、彼の言葉を認めたのだった。  通信が飛び交ってくれているおかげで、情報分析がはかどって仕方がない。アレス銀河到着から2週間経ったところで、アルテッツァが「準備が整いました」と報告してきた。その態度が偉そうにみえるのは、自分が有能だと自慢しているのだろう。 「つまり、分析が進んだと言うことか」  準備のくだりを無視したノブハルは、ジノ達をラウンジに集めてアルテッツアの分析結果を共有することにした。全長1kmの航宙艇と言うこともあり、ラウンジも立派なものが用意されていた。 「それでは、アレス銀河について説明いたします。直径はおよそ18万光年と、ディアミズレ銀河よりも大きくなっています。現時点で確認されている有人星系は45万と、ヨモツ銀河より多くなっています。ただ分布図を見ていただくと分かるのですが、いささか不均衡な分布状況となっています」  そう言って示された密度マップは、狭い範囲に多くの有人星系が集中しているのが示されていた。 「その説明を行う前に、アレス銀河……この銀河に住まう者たちは、なぜかマールス銀河と統一した呼び方をしていますが……アレス銀河の勢力図を示します。先程の密度マップに重ねると、一つの特徴がはっきりとします」  それがこちらと、アルテッツァは密度マップに勢力領域を重ね合わせた。 「7割を占めている方が、逆に有人星系が少ないと言うのだな?」  ノブハルの疑問に、その通りとアルテッツァが無い胸を張った。 「彼らの呼び方では、アーベル連邦と言うのだそうです。アーベル連邦に属する有人星系は20万となっています。そして同じく彼らの呼び方で言うザクセン=ベルリナー連合ですが、そちらには有人星系が25万存在しています。そしてその両勢力は、今現在境界線で激しい戦いを続けています。ただ通信傍受の結果では、戦いは圧倒的にアーベル連邦が優勢のようです。その戦いの結果、いくつかの有人惑星が廃墟と化しています」  アルテッツァの説明に、「おかしいな」とノブハルが疑義を呈した。 「通常戦争と言うのは、境界線を書き換えるのが目的ではないのか。さもなければ資源、この場合は人も資源だと思うのだが、それを奪い合うためと教えられた気がする。有人惑星を廃墟にすると言うのは、勝者にとってあまり好ましいことではないと思うのだが?」  そのあたりはと問われ、アルテッツァは「ノブハル様のお考えを肯定します」と答えた。 「例外的としては、憎悪が理由となった戦いがあります。その場合、どちらかが滅びるまで戦いが続いていきます。身近な例として、惑星ゼスが挙げられるでしょうか。もともとの目的が捻じ曲がり、殲滅戦になってしまいました。ただ通信傍受をした範囲で、そのような憎悪の感情が見えてきません。しかも惑星は廃墟になっても、住民は直前に収容されて生き残っています。憎悪と言うのが理由なら、住民を見逃す理由は無いと思います」  その説明を聞いたノブハルは、少し考えてから「なにかキーワードのようなものはないか?」と通信傍受の結果を尋ねた。 「残念ながら、理由に関するキーワードは見つかっていません」  無いと言う答えに軽く落胆してから、「もう一つ」とノブハルは通信内容について確認をした。 「アーベル連邦とザクセン=ベルリナー連合だったか、そこで飛び交っている通信に違いはあるか? そうだな、具体的に言うのなら、空気と言えばいいのか、戦争に関する情報量のようなものを言っているのだが」  どうだろうととの問いかけに、アルテッツァは少し時間を掛けてから答えを出した。 「引っかかるのは恒星間通信ですから、双方軍事的なものがほとんどです。ただ軍事的なものを除外すると、アーベル連邦側では商取引や観光と言った、民間の活動に関わる通信が見えてきます。一方ザクセン=ベルリナー連合では、軍事的なもの以外の通信はありませんね。あっても、恒星間の首脳会談のようなものがたまに行われる程度です」 「アーベル連邦の方が余裕があると言うことか……」  ううむと考えたノブハルは、直ぐに分からんなと考察をギブアップした。 「ちなみに、治安的な情報は調べることができるか?」 「残念ながら、その手の情報は惑星上で閉じていると思われます。惑星近くまで接近しないと、その手の情報は取れないのかと思われます」  その方面からのブレークスルーが期待できないと、ノブハルは別の情報を求めることにした。 「アレス銀河だが、この銀河の者たちはマールス銀河と呼んでいると言うことだな。なぜ45万もの有人惑星で、同じ呼び名が使われているのだ。それから、マールスと言う名前になにか意味があるのか?」 「そちらなんですが……」  そこで少しだけ口ごもってから、「おとぎ話があるんです」とアルテッツァは切り出した。 「おとぎ話だと?」  驚いたノブハルに、アルテッツァは頷いた。 「はい、おとぎ話……のようなものですね。それは、この銀河には、はるか昔マールスと言う古代文明が栄えていたと言うものです。そしてその古代文明が、この銀河広くに人類の種を蒔いたと言う伝承があるんです。マールス銀河と言う呼び名は、そのマールスと言う古代文明が理由になっているんです」  その説明に、「また古代文明か……」とノブハルはげんなりとした顔をした。何しろクリスタル銀河では、「ゼムリア」と言う古代文明に酷い目に遭わせれていたのだ。 「また、ラプータみたいなのが出てくるんじゃないだろうな」  本気で嫌そうにしたノブハルに、「似たものなら」とアルテッツァはあっさり答えた。 「要塞バランと言うのがありますね。ボーリングのピンの形をした、全長1千キロメートルの巨大要塞です。ただこちらはガスをまとっていませんので、正味の大きさと言うことになりますね。かなり分厚い装甲と、惑星を砕く強力な主砲を持っているようです。随伴艦隊もいるようですから、その点ではラプータより厄介かもしれません」 「大きいと言えばいいのか、それとも意外に小さいと言えばいいのか」  何しろラプータは、最大時に直径40万キロの巨大な要塞となっていたのだ。その一方で、中身はたかだか50km程度の戦艦でしか無い。それを思うと、要塞バランの大きさは微妙なところがあった。  はあっと息を吐いたノブハルは、「こちらの移動方法は?」と最大の探査目的を確認した。 「ワープゲート……と言えばいいのでしょうね。こちらの呼び方では、スターウェイだそうです。要は、重力場制御による空間トンネルを作る技術です。トンネルを作るのに時間がかかるのと、トンネル通過にも時間がかかりますから、エスデニアの空間接合技術とは異なります。ただ通信に亜空間を使っていることから、亜空間航行技術もあると思われます」 「ディアミズレ銀河に来るだけの技術力はあるのか?」  それが肝要だと、ノブハルは少し緊張気味に答えを待った。 「現時点では、あるともないとも分かりかねます。ただ軍事行動に使われている移動方法では、現実的な時間でディアミズレ銀河にたどり着くことはできないでしょう。艦隊移動で、到着まで早くても10年程度は掛かるのかと。加えて言うと、こちらの艦船は空間エネルギーの物質化能力はありません。補給が必要だと考えると、今の水準ではディアミズレ銀河まで遠征する能力は無いと推測できます」 「その答えで、探査の目的が達成できた気がするな。これまでの連邦安全保障局の分類だと、「要観察」分類と言うことか」  ノブハルの答えに、「要観察ですね」とアルテッツァもそれを認めた。 「そこで一つだけ懸念事項をあげるのなら、マールスと言う古代文明がどうなったのかと言うことです。もしも隠れて存在しているとしたら、潜在的驚異になる可能性があります。何しろ広い銀河全体に、人類の種を蒔くだけの技術力があったと言うことですからね」 「本当にそんな文明が存在していたのならな。だが、おとぎ話のようなものなのだろう?」  だとしたら、真面目に取り合う必要はない。その意味を込めたノブハルの決めつけに、「惑星は存在しているんです」とアルテッツァは追加の情報を持ち出した。 「場所的にはアーベル連邦のど真ん中なんですけどね。聖地として、連邦が管理しているようです。先程観光と言うキーワードを出しましたが、ここでも聖地観光が行われているんです。ただ惑星への上陸許可は出ないので、周囲をぐるりと廻るだけですけどね」 「ただのおとぎ話ではないと言うのだな。だが、今の話が確かなら、マールス文明は滅んだと考えても良さそうだな」  それが確かになった時点で、この探査は終りを迎えることになる。意外に簡単だったなと考えたノブハルは、「ルーモア2号は?」と連邦安全保障局側の見解を尋ねた。 「同じ情報を共有しているのだろう?」 「はい、今回は共同探査ですからね。同じ情報を共有していますよ」  それに頷いたノブハルは、「あちらの見解は?」と尋ねた。 「ほぼノブハル様と同じになっていますね。トップ6に迫るほどの技術レベルはありませんが、一方で戦争を続けている分、武器の破壊力はバカに出来ないとのことです。接近戦をしたら、連邦軍でも遅れをとるだろうと言うのがジョナサン艦長の見解です」 「接近戦に限定した理由は?」  ノブハルの問いに、「それはですね」とアルテッツァが映像を持ち出した。 「戦闘が、非常に近い距離で行われているからです。したがって、双方の兵器は短距離で威力を増すことに重点が置かれています。そうですね、アリスカンダル艦隊の「アザートス」を思い出していただければよろしいのかと。ローエングリンでも、アザートスによる攻撃で損傷を受けています。ちなみにこちらの艦隊戦は、10万以上の編成で行われています」 「物量もバカにならないと言うのか……しかも、惑星を破壊できる要塞もあるのか。ジョナサン艦長の見解も理解できるな。帝国艦隊が駐留していればいいが、連邦軍ディアミズレ銀河駐留部隊には荷が重いか」  それを考えれば、驚異の度合いが上がってくる。  そんなノブハルに、アルテッツァはディアミズレ銀河の抱える非常識を持ち出した。 「それでも、インペレーター一隻には勝てないと思います。要塞にしても、出力を抑えたリトバルトで容易に破壊できるでしょう。そしてインペレーターなら、ディアミズレ銀河のどこにでも5時間も掛けずに到達できますからね。その場合の問題は、出撃準備の方が時間がかかるということですけど」  被害をゼロにすることはできないが、可能な限り小さくはできる。なるほどと、ノブハルはインペレーターの意味を理解した。 「では、ジョナサン艦長と探査完了の時期を話し合うことにするか」  それが想像もしていないことだったのあろう。アルテッツァはまだしも、サラマーまで「えっ」と声を上げて驚いてくれた。そして声こそあげないが、ジノやヴァイオレットも目を丸くしていた。  それを見たノブハルは、「あのな」と人差し指をこめかみに当てた。 「お前達、どう考えても俺のことを誤解していないか?」  その不平に、「申し訳ありません」とジノが代表して頭を下げた。 「流石に、わが耳を疑ってしまいましたので。それで、どの惑星に乗り込むのでしょう。いっその事、聖地を攻略するのはいかがでしょう?」 「ジノ、お前は俺の話を聞いていたのか? 俺は、探査完了の話をしたんだぞ」  明らかに不機嫌な顔をしたノブハルに、「たしかに問題ですね」とジノはずれた答えを口にした。 「上陸制限された星に降りるのは、身を隠すのに問題がありますね。でしたら、アーベル連邦の主星と言うのはいかがでしょう。その方が、この銀河の考え方を知るのに好都合のはずです」 「だから、俺の話を聞けと言っているのだっ!」  帰る話をしているのに、どうして冒険の話になってくれるのか。ノブハルの苛立ちの籠もった言葉に、「聞いております」とジノは真面目に答えた。 「アレス銀河は、直ちにディアミズレ銀河、ヨモツ銀河の驚異とはなりえない。それが、この探査での結論になるのは理解しております。ですから私は、探査完了から先の話を申し上げております。せっかく文明を見つけたのに、しかも相手には宇宙に出る能力があるのに、このまま何もしないで帰るのかと言うことを尋ねさせていただきました」  だから正当なのだと主張され、ノブハルは目元を引きつらせた。 「ノブハル様は、前の失敗で懲りてるからねぇ〜」  揶揄してきたサラマーを睨んだのだが、なぜかヴァイオレットまで「冒険から逃げる男って」と冷たい視線を向けてくれた。 「一度失敗したぐらいで臆病になってしまう男って……魅力に欠けますね」  感情の感じられない声で話すヴァイオレットに、「やめてくれ」とノブハルは懇願した。 「ノブハル様の場合、何回もトラスティ様に尻拭いして貰ってるから」  「一度じゃないから」と、フォローのようでフォローになっていないサラマーの言葉に、「お前達」とノブハルは少し声を荒げた。 「俺にかこつけて、自分の願望を出していないか?」 「私は、ノブハル様が一層魅力的になるにはどうしたら良いかを考えているだけです」  そこで顔を見られたジノは、「そうですね」と近衛ならではの発言をした。 「このままですと、シルバニア帝国がレムニア帝国の下に見られてしまいます。ノブハル様には、是非とも皇夫としてシルバニア帝国を盛り上げていただければと考えております」 「私は、正直な気持ちを口にしただけ……」  結局、3人共ノブハルを煽ってくれたのだ。特に質が悪いのは、間接的にトラスティを引き合いにしたジノだろう。  諦めたように息を吐いたノブハルは、「任務が終わってからの話しだ」とこれ以上の話を打ち切った。 「優先すべきは、業務として外銀河探査のプロトコルを完成させることだ。それが終わっていないうちから、次のことを考えるのは不誠実なことに違いない!」  だからこの話は終わりと強調したノブハルに、「結果が見えた」とサラマーは考えていた。そもそもマリーカの影響を受けたジョナサンが、おとなしく帰ることを認めるとは考えられなかったのだ。これ幸いと、潜入調査を提案してくるのが見えていたのである。  そして更に1週間の観測を続けたところで、連邦安全保障局側との会議が開かれることになった。そのあたり、双方調べられることは調べ尽くしたと言う結論に達したからである。  その会議には、シルバニア帝国側からはノブハル達4人に加え、ルーモア1の艦長メックリンガーと技術士官シュトロハイムが参加し、連邦安全保障局側からはルーモア2艦長ジョナサンと技術士官アブドゥラが出席した。 「ここまでの調査は、非常に順調に進んだと思っております」  いの一番で、ジョナサンはアレス銀河の探査状況を評した。その言葉自体に問題は無いはずなのだが、なぜかノブハルは引っかかりを感じてしまった。  ただその正体が分からないので、「調査の結果だが」と本題を切り出した。 「調査の結果として、アレス銀河にディアミズレ銀河に害をなす可能性は極めて低いと言うことになる。その理由として、彼らの利用している超光速移動技術と、彼らが今現在戦争を続けていることにある。そう結論付けることに、ジョナサン艦長に異論はあるか?」  少し語り口が偉そうなのは、ノブハルの「素」の部分と皇夫と言う立場が理由になっていた。 「観測した範囲で得られた結果ならば、確かにノブハル様の仰る通りでしょう」  細面の顔をノブハルに向け、ジョナサンは非常に微妙な答えを口にした。 「艦長は、なにか問題があると考えているのか?」 「いえ、やけに簡単に結果が出たことに拍子抜けしていると言うのが一番でしょう。これまでの探査では、かなりの時間を掛けて調査を行ってまいりました。それなのに、今回は銀河外周部からの観測だけで、乗り込んでの探査以上の結果を得ております。今回が特殊だったと言うのは理解しておりますが、それでも落胆を感じてしまっているだけです」  失礼しましたと謝ってから、「観測としては十分でしょう」とジョナサンは結論づけた。 「彼らの有する超高速艇でも、ディアミズレ銀河まで最低でも片道1年掛かります。更に補給が必要なことを考えれば、長期間の銀河間航行は困難を極めることでしょう。そして艦隊レベルで移動した場合、片道で10年は掛かると見込んでいます。それを考えれば、現時点で驚異として考える必要はないと言うのは確かです。しかも今現在激戦の真っ最中なのですから、当分外銀河に目を向ける余裕はないと思われます。したがって、これまでのプロトコルに当てはめれば観察対象に位置づけられるのかと」  とても常識的な答えを口にしたジョナサンに、ノブハルは大きく頷いた。 「それで、シルバニア帝国が用意したルーモアとピープはどうだ?」  今回の目的の一つとして、その両船の評価と言うものがあった。特に力を入れたこともあり、シルバニア帝国にとって連邦の評価は大きな意味を持っていた。  合格の答えを期待したノブハルに、ジョナサンは「評価不足」と言う答えを口にした。そして意外そうな顔をしたノブハルに、その理由を説明した。 「ルーモアに関してならば、十分な性能を発揮していると考えてよろしいのかと。200万光年の距離を準備時間を含めてわずか7日で超えたとを考えれば、高速航宙艇として十分な速度を達成していると思われます。ただバースト緩和装置に関して言えば、察知されているかどうかの評価が終わっておりません。秘密のうちに接近すると言う本船の目的を考えれば、当然その評価も必要となります。ただこちらについて言えば、帰路で確認することができるかと思います。そのための観測装置も、ディアミズレ銀河に持ち込まれる予定です」  ルーモアに対して「条件付き合格」を口にしたジョナサンは、「ピープですが」ととても渋い顔をした。 「サイレントホーク2との比較で、スペック上差がないのは分かっております。ですが、あちらはすでに十分な実績を積んでおります。それに引き換え、ピープにはまったく実績がありません。銀河外周部で観測するだけでは、小型探査艇の性能評価にはなっておりません。したがって、もっと具体的評価が必要と考えております」  評価不足にすぎると言うジョナサンのコメントに、ノブハルは少しだけ目元を引きつらせた。今の評価を聞いている限り、ピープを使ってアレス銀河に潜入しようと言う意図が見え見えだったのだ。  ただそれを指摘するとまずいことになりそうと、「なるほど」とノブハルは大きく頷いた。 「それならば、ヨモツ銀河から他のUA分類銀河に持ち込むことにすればいい」  そうすることで、サイレントホーク2との比較評価も可能となる。  自分でも正論だと思ったノブハルに向かって、ジョナサンはとても難しい顔をしてくれた。 「アリスカンダル経由の調査体制を変更することはできません。新たに導入教育が必要になると言うこともありますが、サイレントホーク2で何も困っていないのです。ですからピープは、ルーモアと合わせた運用が行われることになることを想定しておりました。従いまして、連邦安全保障局としては、今回の機会を利用してピープの性能評価を行うことを依頼させていただきます」 「まだ、ディアミズレ銀河近傍には探査すべき銀河があるのだが?」  そちらでどうだと提案したノブハルに、ジョナサンは大きく頷いた。 「つまり、ピープの性能に不安があると言うことですか」  挑発的な物言いをしたジョナサンに、ノブハルは大きなため息を返した。そして後ろに控えるジノ達を見て、もう一度大きくため息を吐いた。 「さすがの俺でも、それが安っぽい挑発と言うのは理解できるぞ」 「挑発ではなく、連邦安全保障局として、ルーモア並びにピープの性能評価を任された者の正直な気持ちを申し上げさせていただきました。今回の目的の一つには、ルーモアとピープの性能評価が含まれております。それを中途半端に終わらせては、私の評価にも関わってくるのです」  立場を持ち出したジョナサンに、ノブハルはもう一度ため息を吐いた。 「一つだけ確かなことがあるとすれば、俺以外の全員が乗り込みたいと考えていると言うことだな。どうせルーモアの性能評価とか言って、ルーモアもアレス銀河内部に入っていこうと言うのだろう?」 「仰る通り、ルーモアには母艦としての機能が期待されております」  その答えを受けて、ノブハルは隣りに座ったメックリンガーに意見を求めた。 「艦長、どう思う?」 「帝国軍人の誇りに賭けて、無事任務を遂行してみせる所存ですっ!」  右拳を胸元に当てたメックリンガーに、「だそうだ」とノブハルはジノ達に顔を向けた。どうみても勝ち誇った表情に、ノブハルは内心むかついていたりした。 「私達は、ノブハル様を名誉と命を賭けてお守りする所存ですっ!」  ノブハルが潜入することを前提としたジノに、ノブハルはだれながら「アルテッツア」と帝国AIを呼び出した。 「なんでしょうノブハル様!」  とりあえずパリッとした姿をしているのは、この場の空気を読んだからだろうか。そんなアルテッツァに、「ライラ達への伝言だ」と切り出した。 「新しい女性を引っ掛けにいくとお伝えすればよろしいのですか?」 「……色々と前提が間違っている気がするのだが」  しっかりと疲れたノブハルは、「帰りが少し遅くなると伝えてくれ」と口にした。  そんなノブハルに、「伝言が3つあります」とアルテッツァは切り出した。 「ライラ様からですが、次はどのような女性なのか楽しみにしていますとのことです。そしてフリーセア様からは、惑星アーベルが面白いですよとの伝言です。それからエリーゼ様からは、お土産を待っていますとの伝言です。そう言えばノブハル様が出発されてから、トラスティ様がエルマーにおいでになられていましたね」  付け足しのようにトラスティの行動を教えてくれる所は、逆にタチが悪いと思えてしまった。そしてノブハルは気づいていないが、普段表情を顔に出さないヴァイオレットが、感情らしきものを表に出したことだ。ただそれも刹那のことで、あっと言う間に普段の感情が感じられないフラットな表情に戻っていた。  ほんの僅かな、そして刹那の変化のため、サラマーもその変化に気づいていなかった。ただ一人、ジノだけがヴァイオレットの変化を目の当たりにしていた。 (トラスティ様に反応した?)  ノブハルのことでちょっかいを掛けても、僅かな感情のゆらぎも見せることはなかったのだ。それを考えれば、ちょっとした話題に反応するとは考えにくいことだった。 「アルテッツァ、そうやって意味有りげにトラスティさんの名前を出すものじゃない」  ただ気づいていなければ、それ以上の発展もありえない。そしてノブハルがトラスティの名前を出した時にも、ヴァイオレットはなんの反応も見せなかった。  そして無駄だぞと言うノブハルの答えに、アルテッツァは「ちぇっ」と舌打ちをした。 「トラスティ様は、メリタ様、シシリー様を連れてヨモツ銀河を訪問されましたね。そこでアリスカンダルを訪問されたそうなのですが……エスタシア王妃様がお酒を飲んで乱れられました」 「エスタシア王妃が?」  なんでと首を傾げたノブハルは、連れて行った女性陣を思い出して「ああ」と頷いた。 「サーシャ王女は、まだお相手が決まっていないと言うことか」 「まさしくその通りなんですよね。しかも連れて行かれた方が、メリタ様、アルトリア様、シシリー様ですからね。残酷なことをしてくれるなと、トラスティ様に文句を言われたようです。そしてもう一つ、コダーイ王子のお相手を紹介してくれとも言われたそうです。似たような話は、レックス様のところでもあったとか……」  言わんとすることが理解出来、ノブハルはつい苦笑を浮かべてしまった。そして「ナイトは?」と聞きかけたところで、話が脱線していたことに気がついた。そしてもう一つ、まだ手を出していないのが想像できたのだ。 「……話が脱線しすぎたな。それでジョナサン艦長。4隻のピープがあるのだ。具体的持ち場への案はあるのか?」  単艦による潜入調査で無い以上、分担を明確にしておく必要がある。それを尋ねられたジョナサンは、アルテッツァに計画案を提示させた。 「なるほど、俺達に気を使ってくれたと言うことか」  示された分担案では、ノブハル達の受け持ちがアーベル連邦中心部とされていたのだ。最重要拠点ではあるが、その一方で戦闘地域からもっとも離れた場所でもある。 「そう言う見方ができるのは否定いたしません。その一方で、最重要地域をおまかせしたとも言えます。惑星アーベルから2千光年の位置には、この銀河の名となった惑星マールスがあります。ノブハル様の分担地域には、この2つの重要拠点が含まれる含まれるのです」 「いや、面白そうな場所を譲ってくれたと言う意味でだ」  ノブハルの言葉に大きく頷いてから、「素直な方だ」とジョナサンは口元を歪めた。 「ややこしそうな方をお任せした。そしていざとなったら、トラスティ氏が解決に乗り出してくる……と考えたと言うことです」 「今回は、あの人を担ぎ出してはいけないと思っているのだがな……」  苦笑を浮かべ返したノブハルは、「言いたいことは理解できる」と理解を示した。 「では、ややこしそうな方は任せてもらおう。惑星アーベルにはさほど興味はないが、超古代文明と言うのには興味があるからな。まあ、前回のリベンジと言う意味もあるのだろうが……」  だからだと答えたノブハルは、「いつから掛かる?」とジョナサンに問いかけた。 「そうですな。今すぐ……と言うのは、流石に気が早すぎるでしょう。移動時間があまり掛からないことを考えると、少し準備をしてから……と言うことになりますので、明日あたりから開始しようと思っております。もちろん、シルバニア帝国側のスケジュールを拘束するものではありません」  そちらはそちらでと言われ、ノブハルは大きく頷いた。 「準備不足で乗り込む訳にはいかないからな。惑星アーベルの情報を再精査し、方針を立てて乗り込むことにする。もっとも、上陸前にはもう一段階確認をすることになるだろう」  そのあたりの慎重さは、これまでの経験の賜物なのだろう。ただ失敗の経験を次に生かせると言うのは、それだけ運が良かったと言う事もできる。  その意味では安心できるノブハルの慎重さなのだが、それでもサラマーは僅かな不安を感じていた。トラスティが居ないのは当然として、今回の冒険にはキャプテン・カイトも付いてきていないのだ。超古代文明を相手にするのに、その二人の不在が致命傷にならないか。近衛とアクサがついていれば大丈夫と言う確信を、どう頑張っても持つことができなかった。  だが連邦安全保障局との合意が成立したことで、直接探査が走り出すことになる。それまで煽っていたこともあり、いまさらブレーキをかけることはできなかった。  「我が身に代えても」程度の覚悟でどうにかなるほど、冒険で目の当たりにした世界は小さなものではなかったのだ。それは、クリスタル銀河での冒険でも、彼女に突きつけられた現実だった。  アリスカンダルで空約束をした後、トラスティ達は天の川銀河に移動をしていた。その目的はリゲル帝国に行くことなのだが、その前にアスに寄り道をすることになった。アスが中継地と言う意味もあるが、駐留軍司令ジュリアン中将への挨拶と、ウィリアムの後任への挨拶が必要だったのだ。  ウィリアム大佐がヘルコルニア連邦駐留軍司令に就任した結果、その後任として連邦軍は御三家以外の軍人を指名した。ただルナツー司令に任命されたのは、ジュリアンよりも年上の男性だった。 「レムニア・リゲル帝国皇帝陛下にお会いできて恐悦至極にございます」  そう言ってトラスティを迎えたのは、御年55となる老兵である。ビュコックと名乗った大佐は、「ピンチヒッターですから」と笑いながらトラスティを握手をした。 「2、3年もすれば、ウィリアム殿が復帰されることとなるのでしょう。その時に、揉めることなく役目を引き継げるからと言うのが、私の任命理由だと思っていますよ」  白くなった髪と白い口ひげと言う、いかにも経験を積んだ男の言葉に、トラスティは「いやいや」と首を振った。 「連邦軍として、一番信用のできる方を選ばれた結果だと思っていますよ。アス駐留軍と言えば、昇進の最短経路と言う評判です。それを考えれば、誰からも文句の出にくい方を選ばれたのだと思います」  しっかりと握手をしてから、「それから」とトラスティは言葉を続けた。 「御三家が重要な役割を託された方を、ただの置物を選ぶとは思っていませんので」 「ルナツーの司令など、儀式以外は退屈な場所と言う評判となっておりますよ」  持ち上げ過ぎだと笑ったビュコックは、「こちらに」とトラスティ一行を案内した。ちなみにアスに降りるのは、トラスティとメリタ、シシリー、アルトリアの4人で、残りのブリー組はルナツーの見学と言う事になっていた。フェイを気にしたトラスティに、「こちらの方が気楽だ」とナイトが答えた結果でもある。そして別々でもいいかとの問に、「ナイトと一緒」とフェイは答えていた。  そして相変わらずシャトルで地上に降りた一行は、さほど時間を置くことなく司令室へと案内された。当然待っていたのは、自他ともに認める撃墜王のイケメンである。意外なことにアルトリアは反応しなかったが、メリタとシシリーはジュリアンに見とれてくれた。 「ますます、ご活躍と伺っていますよ」  こちらにどうぞとトラスティ達を座らせ、ジュリアンはトラスティの正面に腰を下ろした。 「活躍かどうかは分かりませんが、今回はなかなか興味深かったと思います。まあ、その分疲れたと言う気もしますがね」  苦笑を浮かべたトラスティに、「そうだろうね」とジュリアンも苦笑を返した。 「こちらにいても、情報だけは伝わってくるからね。おかげで、連邦軍が騒がしくなったよ」 「今回、レムニア帝国の身内で済ませたからですか?」  誘われなかったことに理由を求めたトラスティに、「そんな平和な理由ではないね」とジュリアンは厳しい表情を作った。ただそれも刹那のことで、すぐに温厚な笑みに取って代わられた。 「「神」とされる存在との戦い、そしてラプータだったかな。その超兵器との戦いが理由だよ。もう少し正確に言うのなら、その戦いで示されたインペレーターと第10艦隊の戦闘力が理由になっている。その意味では、アリスカンダル艦隊の破壊力も理由なのだろうね」 「1隻+わずか1千の艦隊を問題としますか?」  トラスティの問いに、「問題だね」とジュリアンは真顔で答えた。 「現実問題として、今の連邦軍ではインペレーターに指揮された第10艦隊を止めることが出きない。連邦軍の戦術分析班は、分析を始めてすぐにその結論を出してくれたよ。作戦班にしても、作戦立案を放棄してくれたんだ。連邦軍の兵装では、インペレーターの防御を破ることはできないし、第10艦隊の機動力についていけないとね。それにしても、シルバニア帝国に比べればマシなのだろうけどね」 「あの戦力は、連邦内に向けられるものじゃありませんよ」  そう言って笑ったトラスティは、「シルバニア帝国が騒いでいる?」と首を傾げた。 「僕には、シルバニア帝国が騒がしくなり理由が思い当たらないんだけど?」  おかしいなと首を傾げたトラスティに、ジュリアンははっきりと分かる苦笑を浮かべた。 「君には、インペレーターとガトランティス2隻でシルバニア帝国に乗り込んだ実績があるからね。そしてその後に行われたライラ皇帝との謁見を含め、見事帝国への恫喝を成功させているんだ。あの時は策略に破れたと言う評価で、騒ぎが大きくならずに済んだのだけどね。さすがに今度は、正面からぶつかっても勝てないと言う事になってね。ノブハル様が忠告されなければ、今頃急速に軍拡へと走っていたはずだ」 「そうか。あの時お灸を据えたのが、こんな結果になったのか」  蹴散らしてやろうかと、トラスティはとても不穏なことを口にしてくれた。  それを「冗談にならない」と諌めたジュリアンは、「だからだ」と今回の外銀河探査のことを持ち出した。 「トリプルAとレムニア帝国が、外銀河探査で目立ってしまったからね。だからシルバニア帝国は、競争の方向をそちらに求めたと言うことだよ。我々としては、平和な方向に向かってくれて安堵しているよ」 「シルバニア帝国も、トリプルAの提携先なんだけどなぁ〜」  超銀河連邦主要国家の闘いが、見方を変えれば一企業の部門間の競争になってしまう。なんだかなぁと呆れたトラスティに、ジュリアンも苦笑を浮かべて「それは否定できない」と答えた。 「それだけ、君の奥方に才覚があったと言うことだよ。まあ、君を誑し込んだと考えれば、頷ける話でもあるのだがね」 「あなたに撃墜されかかったと言う話も聞いているのだけどね」  そうなると、最強はジュリアンと言うことになる。自分が誑し込まれたことを否定せず、トラスティはジュリアンの撃墜王ぶりを論った。 「エイシャとアマネさんに邪魔をされなければ、撃墜できていたのだろうね。ただ今は、それで良かったのだと思えているよ。君がアリッサさんに誑し込まれたことで、連邦がとても面白いものになってくれたからね」  そこで少し首を巡らせたジュリアンは、「彼女は」とメリタの顔を見てくれた。 「「神」と一つになったと聞いているのだが?」  顔を見られて背筋を伸ばしたメリタを笑い、「アルテッツァのようなもの」とトラスティは「神」を否定した。 「ただクリスタル銀河の一部では、彼女は「神」として崇められているけどね」  そこでトラスティに見られ、アルトリアはぱっと頬を赤く染めた。  それをちら見したジュリアンは、「エイシャが残念がっていた」と教えてくれた。 「神殿の興行のためには、彼女のような女性が必要らしいよ」 「流石に、豊穣神の神官に他の「神」に仕えさせるわけにはいかないだろう」  気持ちは分かると肯定して、「特別な才能だろうね」とアルトリアのことを評した。そして返す刀で、イヴァンカのことを尋ねた。 「彼女のことかな。まあ、そこそこと言うところじゃないのかな。裏を返せば、標準的すぎて評判になっていないらしいよ。第二夫人になるための儀式と言う意味では、別に間違ってはいないと思うけどね」  とても微妙な論評に、なるほどねとトラスティはイヴァンカのことを思い出した。金髪碧眼の美人なのだが、見た目ではパガニアの中では埋もれてしまう程度でしかない。そしてアマネのような強烈な色気を発するほど、特別な才能も備わっていなかった。  その意味で言えば、アルトリアは間違いなく特別な才能を持っていることになる。そして別の神に仕えていると言う、最初の問題へと立ち返ってくる。パガニア王家に嫁入りをするのならいざしらず、今の状況では神殿の興行にでる口実が立ってくれないのだ。 「これからどうするのかな?」  神殿のことから離れ、ジュリアンはこれからのトラスティの行動を尋ねた。当然新たな冒険を期待してのことである。  そんなジュリアンに、トラスティは連れてきた女性3人を見た。 「メリタに……と言うより、正確には彼女の中に居るミラニアに、広く宇宙のことを知ってもらおうと思っているんだ。だからこうして、最初は僕が連れ回らないといけないと思っているよ。ブリーからお客さんを連れてきているから、彼らを送り返すまでは有名所を回ることになるのだろうね。次の冒険は、それが終わってからと言うことになるのかな」 「アレス銀河に手を出すのは?」  ノブハルが行っていることを理由に、ジュリアンはアレス銀河を持ち出した。 「よほどのことがない限り、手を出すつもりはないよ。だからアルテルナタにも、見るなと命じてあるんだ。今回の探査は、ノブハル君とシルバニア帝国、そして連邦だけで終わらせなければと思っているんだ」  原則論を持ち出したトラスティは、「甘く見すぎてはいけない」と帝国軍と連邦の人員のことを持ち出した。 「ノブハル君はまだしも、帝国からは曲者を送り込んでいるのだろう。それに連邦も、エース格を送り込んでいると聞いているんだよ。ノブハル君も人の話を聞くことを覚えたから、まあ、大丈夫じゃないのかな。それに近衛やアクサが付いているから、最悪の場合でも命だけは守られるはずだ」  だから手を出さないとの答えに、ジュリアンは「妥当な線だろうね」とそれを認めた。  それで話が終わったのか、「名残惜しいが」と右手を差し出した。 「心の底から、スターク氏が羨ましいと思っているよ」 「まあ、退役時期までしっかりと勤め上げてください。その後なら、お声掛けをしてもいいと思っていますからね」  トラスティの言葉に、「先が長い」とジュリアンは苦笑を返した。何しろ彼はまだ40代になったばかりだったのだ。それを考えると、退役は20年ほど先のことになる。  それから一人ずつ握手をしていったジュリアンは、「ノブハル様をよろしくお願いします」とシシリーに声を掛けた。  突然掛けられた声に、「こちらこそ」とシシリーは声を裏返らせた。そのあたりは、ジュリアンの見た目が物を言っていたのだろう。ただノブハルのお相手と言うことで、ジュリアンは撃墜王の本性を封印した。あっさりとシシリーを解放したジュリアンは、「伝言がある」とトラスティに伝えた。 「ロレンシア様が、楽しみにされているそうだ」 「パガニアに行く予定は、まだ先なんだけどね……」  だからと言って、アスに押しかけてくるのを拒む事もできない。まあ良いかと、トラスティは用意されたホテルに移動することにした。  ルーモア1の潜伏地として、聖地となった惑星マールスの星系が選ばれた。そのあたり、上陸調査をしないことが理由となっていた。そして連邦の首都星である惑星アーベルに比べ、守りが薄いのも理由となっていた。そこでルーモアは、主星から50億キロほど離れたカイパー・ベルト帯に機体を隠し、遠隔からパッシブ走査で惑星アーベルを観測しようと言うのである。  そしてルーモア1から切り離されたピープ1は、自力で惑星アーベルの構成系にあるカイパー・ベルト帯にたどり着いていた。そこでルーモア同様、上陸の情報を得るため遠隔からパッシブの観測を行った。銀河外周部に比べぐっと距離が近くなることで、得られる情報の粒度も格段に細かくなってくれた。 「さて、ジータでいいのか。ここまでの観測結果を教えてくれ」  ノブハルのリクエストに答え、胸元のとてもフラットな女性のアバターが現れた。彼女こそが、ピープに実装された自立型AIのアバタージータである。アルテッツァの分身ということもあり、女性的魅力に欠けるスタイルをしていた。 「はい、ノブハル様っ!」  元気よく現れたジータは、「惑星の基礎データーから」と惑星アーベルの基礎データーを表示した。 「直径はおよそ1万3千キロと、エルマーよりも大きくなっています。表面の海と陸地の割合は、68%対32%と海の割合が大きくなっています。気候的には温暖で、気候制御が行われているため、大きな自然災害も発生していません。海抜的に最高地点は1万メートル、海の最深部は1万2千メートルとなっています。自転周期は23.5時間、公転周期は373日となります。1年と言う単位で比べると、アス標準時と大差はありません。大気の組成は酸素が21%、窒素が78%、不活性ガスとしてアルゴンが検出されています。上陸して活動するのに、特別な装備は必要ないものと思われます」 「上陸調査と言う意味では、都合が良いということか」  なるほどと頷いたノブハルを確認し、ジータは次に生態系の説明に入った。 「惑星全体が満遍なく開発されていますが、それでも自然を残すことに気が使われているようです。一部害獣、猛獣が残っているのも、自然に気を使ったことが理由と思われます。また大気汚染もよく抑え込まれているようですね。固有種と思われる生物も、数多く残っています。放送波で確認した範囲では、環境保護に熱心なようです。ただペットですか、その個人所有は認められていませんね。どうやら、動物に対する虐待と考えられているようです。そのため、ロボットやVRペットが流行っているようです」 「そのあたりの考え方は理解できるのだが……」  うむと考えたのは、惑星内の考え方と、戦争を行っている考え方が結びつかないことだった。ただ考察は後と、「続けてくれ」とノブハルは先を促した。 「次にアーベル人ですが、標準的なヒューマノイドで、肌が青いと言う特徴を持っています。そして惑星アーベルの総人口のうち、40%が純粋なアーベル人となっています。それ以外の60%もヒューマノイドなのですが、肌の色は様々と言うところですね。赤やら緑やら肌色やらと、バラエティに飛んでいると言うのが実態となっています。同じ肌の色同士が集まっていますが、特に居住地に対する制限は行われていないようです」  その説明に頷いたノブハルは、「いい事だらけに聞こえるな」とコメントを口にした。 「そうですね。次は政治関係ですけど、アーベル連邦は構成星系数20万、総人口で300兆の連邦国家です。連邦と名乗るだけあって、各星系から選出された議員が議会を構成しています。ただその議会の上に、総統職が置かれています。議会の決定も、大方針が総統府から示され、それに沿った議決が行われているようです。ちなみに軍組織は、総統府直轄となっています。名誉職ではなく、実質的に連邦を総統が統治しています」 「独裁と言うやつか?」  ノブハルの問いに、「実質的には」とジータはそれを認めた。 「なお、これ以上の情報は更なる放送等の分析が必要となります。ちなみに言語分析は終わっていますので、地上で行われている放送を見ることもできますよ」  いかがしますかの問いに、「頼む」とノブハルは答えた。それに応える形で、4人の前にマルチスクリーンが展開された。そのスクリーンの中から、4人は思い思いに情報を選択していった。  それを30分ほど続けたところで、「戦争情報がないな」とノブハルが呟いた。 「ノブハル様の仰る戦争情報ですが、これまで受信した放送の中にはありませんね。放送内容としては、圧倒的に娯楽に関するものが多くなっています。連邦内に限られますが、観光旅行の宣伝も数多くされています。歌謡番組、ドラマ等もかなりの時間放送されています」 「ニュース的なものは?」  ノブハルの問いに、「多少は」とジータは答えた。 「主に事件事故が報じられています。ざっと見た所、放送では政治的なものは流れていませんね」 「住民に対して、情報の制限が行われていると言うことか……」  うむと唸ったノブハルに、「現時点では」とジータは断りを入れた。 「P2Pの情報伝達手段とかもあるはずですので、そちらを調べないとなんとも。ちなみに第5惑星近傍に、大規模な宇宙軍基地が存在しています。それに加えて、第4惑星軌道上に、いくつか要塞のようなものも存在していますね。観光用の宇宙港は、第3惑星、すなわち惑星アーベル近傍にのみ作られています。観光用の宇宙港は、シルバニア帝国よりは小さい程度……になります。構成恒星系が20万だと考えると、少し規模が小さいなと言うところですね。同規模のヤムント連邦とは比べ物にならない規模です」 「軍事基地を民間施設から離すのはおかしなことではないが……」  分からんなと呟いたノブハルに、「情報の収集と分析を続けます」と答えてジータは姿を消した。 「少し、リフレッシュをするか……」  そこで立ち上がったノブハルは、アルテッツァが自慢をした食堂へと入っていった。  それを見送ったところで、「ここまでは順調かな」とジノはサラマーを見た。 「そうね、とても慎重に行動されていると思うわ」  そこであなたはと問われ、ヴァイオレットは「消極的にも思える」と感想を口にした。 「見た目と違って、意外に積極的なのね?」  驚いたサラマーに、「そう言うわけでは」とヴァイオレットは少し俯いた。 「少し、思っていたのと違って戸惑っているだけ」 「思っていたのと違う?」  それはとの問いに、「猪突猛進と言う噂を聞いたから」と言うのがヴァイオレットの答えだった。 「そんな噂が、一体どこから広まってるのよ……」  はあっと息を吐いたサラマーは、「外れてないけど」とヴァイオレットの言葉を認めた。 「それでも、何度も痛い目に遭えば学習するものよ」 「学習するのは間違ってないけど、臆病になるのは違っていると思うから」  それだけと答え、ヴァイオレットも食堂へと入っていった。それを見送った所で、「どう思う?」とサラマーはジノに尋ねた。 「彼女の言っていることは正しいと思うよ」  ただジノが口にしたのは、サラマーの期待したものではなかった。そこで少しムッとしたサラマーに、「はぐらかしたかな」とジノは笑った。 「アルテッツァが探してきたと言う話だけど、少し反応に疑問があるのは確かだな」 「具体的には?」  疑いだせば、いくらでも疑問を感じる所はある。それが取り立てておかしいかと言うと、冷静に考えてみればさほどでもなかったのだ。  だから具体的にと言うことになるのだが、それを問われたジノは口を閉ざしてしまった。 「ひょっとして、ノリで口にしてない?」 「流石に、そう言うわけではないのだがね。そうだな、拭いきれない違和感があると言えばいいのか」  ううむと考え込んだジノに、「分かる気がする」とサラマーは理解を示した。 「なんて言うのかな、なにか違うって気がするのよ。ただどう違うのかが説明できなくて……」  同じようにううむと考え込んだサラマーに、「観察だな」とジノは切り出した。 「俺達を超えられるとは思えないし、ノブハル様にはアクサが着いている。だから害されることはないと思うのだが……」  もう一度ううむと唸ったジノに、「観察ね」とサラマーはその提案を認めた。 「今は、それぐらいしかできることはないのでしょうね」 「俺達の考え過ぎと言う線もあるからな」  アルテッツァが探してきたのだから、彼女のことはライラ皇帝も認めたことなのだ。それを考慮すると、考え過ぎと言うのも有り得る話だった。だが要人警護のためには、勘を疎かにするわけにはいかない。だからジノとサラマーは悩むことになったのだった。  アーベル連邦をノブハル達に任せ、ジョナサンのチームはザクセン=ベルリナー連合の調査を行った。そのあたり、緊張度合いが高いと言うのが理由になっていた。つまり、それだけ調査におけるリスクが高いと評価したのである。  ザクセン=ベルリナー連合の主要惑星であるザクセンとベルリナーは、およそ200光年離れて存在していた。そして敵対するアーベル連邦の主星アーベルからは、およそ12万光年離れていた。感覚的なことを言うのなら、銀河の端と端だろうか。艦隊レベルの移動で、半年以上掛かる距離である。ジョナサンの感覚では、戦う理由に欠ける距離でもあった。  ピープ2とピープ3をザクセンとベルリナー観測に配し、ピープ4は前線に近い星系の観測に回した。特にピープ4には、先の戦いで破壊された連邦名称パラケオン17ことポルックスの観測任務も割り当てられた。そして母艦となるルーモア2は、いざと言う時に備えるため、ピープ4近傍で周辺中域警戒にあたったのである。 「ポルックスだが」  そして観測を始めて5日経ったところで、ジョナサンは技術スタッフを招集して第1回目の観測会議を行った。その第一の議題が、連邦によって破壊されたポルックスの観測結果である。  ジョナサンの言葉を受け、技術士官ホーヘンハイムが一度立ち上がってから着席をした。口元にたっぷりと髭を蓄えた、40絡みの男と言うのがホーヘンハイムである。 「ポルックスですが、赤道半径6300kmの標準的な有人惑星でした。惑星上の7割が水圏と言うのも、ごくありふれた構成と言えるでしょう。破壊前に抱えていた人口はおよそ10億と、惑星規模の割に少ないと言うのが第一印象です。文明レベル的には、我々の基準では1の少し手前あたりでしょうか。宇宙に出る技術は持っていますが、光速を超える術は保有していませんでした」  その説明を行う際、ホーヘンハイムは破壊される前のポルックスの映像を投影していた。青い海に白い雲が掛かる姿は、超銀河連邦内でもよくある有人惑星の姿である。 「そして、これが今のポルックスの姿となります」  切り替えられた映像は、球体の半分が欠けた無残なものだった。青い海も白い雲もなく、地上は赤黒く変わっていた。そして惑星だったものの周りには、破壊された名残の岩塊が雲のように漂っていた。そしてその一部が、ポルックスだったものの引力に引かれ、隕石として地表に降り注いでいた。 「破壊の状況から、アーベル連邦は大型の加速器を用いた粒子砲を使用したものと推測されます。威力を比較するなら、アリスカンダル艦隊のハイパーソリトン砲を上回っているでしょう。アリスカンダル艦隊が集団攻撃をしたレベルと考えればよろしいのかと」 「つまり、これを撃たれたら連邦艦隊は無事では済まないことになる訳か」  ジョナサンのコメントに、「消滅しますね」とホーヘンハイムは答えた。 「ラプータでしたか、その主砲に匹敵する攻撃かと。ただし速度は遅いので、回避は可能かと思われます」 「惑星は回避することができないがな」  ジョナサンのコメントに、「まさしく」とホーヘンハイムはその事実を認めた。 「ポルックスの観測から得られたデーターは以上となります。次に、周辺に残された破壊された艦船の分析です。かなりの激戦らしく、数多くの艦船の残骸が残されていました」 「推定数量は?」  それを知ることで、戦いの規模を推測できる。その意味を込めたジョナサンの質問に、「およそ20万」とホーヘンハイムは返答した。その莫大な数に、出席者達が息を呑むのが感じられた。 「現在破損の少ない船からデーターを集めているところです。したがって、詳細情報が得られるのは更に先になるのかと」  そう断ったホーヘンハイムは、「構成艦の分類です」と比較的容易に得られるデーターを持ち出した。 「全長2kmのタイプが1、全長1.5kmのタイプが1、そして全長1kmのタイプが1となっています。技術水準的には、全長2kmタイプと1kmタイプが同等と思われます。1.5kmタイプは、それより旧式になっています。そして残骸数が一番多いのは、1.5kmタイプとなっています。ジータの推測では、2kmタイプと1.5kmタイプがザクセン=ベルリナー連合の艦船で、1kmタイプがアーベル連邦の艦船となっております」 「その根拠は?」  大きさが強さを決めることはないが、それでも物量的は無視することはできない。  根拠を求めたジョナサンに、「技術の傾向」とホーヘンハイムは根拠を持ち出した。 「全長2kmのタイプと1.5kmのタイプは、同じ技術がかなり使われています。1kmのタイプは、両者とは明らかに異なっていると言うのが第一の理由です。そして所属に関して言えば、破壊された艦船の数から推測となります。巨大要塞を伴う部隊を迎撃するのですから、物量を揃える必要があるのかと。そこそこ1kmタイプの残骸も多かったので、物量のある方を迎撃側といたしました」 「逆だと、戦いが一方的なものになるはずと言うのだな」  うむと頷いたジョナサンは、「継続したデーター収集を」と作業の継続を指示した。 「次に惑星ザクセンとベルリナーの観測結果です」  そう言って、別の士官が立ち上がってから着席をした。こちらは金色の髪を短く切りそろえた、40手前に見える女性士官である。 「現在言語分析が終わり、カイパー・ベルト帯から放送波を中心に分析を行っています」  士官の女性、マーベルは2つの円グラフを提示した。 「放送の内訳は、45%のニュースと、35%の政府広報、15%の民間団体からの告知、勤労奉仕を奨励するコマーシャルが5%となっています。これらの割合は、両惑星で誤差程度の違いでしかありません」 「娯楽は無いのかね?」  ジョナサンの問いに、「放送波では」とマーベルは断じた。 「ニュースの分析から、娯楽は存在してるのは確認が取れています。ただ同じ映像が使い回しをされていますので、その実かなり娯楽に乏しいのかと。また、非合法の娯楽……賭場のようなものがあるのですが、頻繁に取締が行われていますね。またアルコール類は、摂取が禁じられているようです。こちらは数が少ないのですが、検挙のニュースが出ています。はっきり言って、戦時体制そのものと言うところでしょうか」  事務的に説明するマーベルに、「治安情報は?」とジョナサンは問うた。 「放送を見る限り、極めて良好と言うことになります。先程上げられた犯罪行為を除けば、目立った犯罪は起きていません。また、時折行われるデモも、極めて平和的に行われています。そのデモにしても、「打倒アーベル連邦」「平和をこの手に」と言うものが殆どになっています。放送を見る限りにおいて、連合は一丸となってアーベル連邦に立ち向かっていることになります」 「放送を見る限りにおいて……と言うことだな?」  報告に散りばめられた機微に気づいたジョナサンに、「放送を見る限りです」とマーベルは繰り返した。 「それで、実態は?」 「非常に悪いと言うのが実態かと。住民同士の暴力事件が多発していますし、警官隊と住民との衝突も頻繁に起こっています。一部地域では、犯罪のオンパレードと言えば良いのか、死者もかなり出ているようですね。ちなみにこちらの情報は、地上で行われている通信を解析した結果です」  傍受によって得られた映像情報に、ジョナサンは少し顔を顰めた。そこにはおびただしい数の暴徒と、銃を水平に構えた警官隊が映し出されていた。しかも警官隊の方には、暴徒鎮圧用にしては物々しい武装車両が数多く揃っていた。 「惑星アーベルとは天と地の差だな」  シルバニア側から、すでに惑星アーベルの観測結果が展開されていた。それがすべて真実の姿だと言うつもりはないが、表面的な違いが大きすぎたのだ。 「地上に降りて、詳細調査を行いますか?」  マーベルの問いに、「リスクが大きいな」とジョナサンは呟いた。その呟きに反応し、「確かに」とマーベルは頷いた。 「両星とも移民が多くなっていますから、潜り込むのは比較的容易なのかと。ただ仰る通り、治安のリスクは大きくなっています」  そこまで追加してから、「どうされますか?」とマーベルは再度確認をした。 「放送や通信では分からない情報を収集するには必要な措置かと」 「それを認めるのは吝かではないのだがな。だが人員再選考が必要となるな」  そこでジョナサンが持ち出したのは、非武装の観測員を同行させないと言うものである。 「全員デバイス持ちを条件に認めることにする」 「打倒な選択なのかと」  マーベルの言葉に頷き、ジョナサンは人員の選定をと声を上げた。 「ピープ1号2号を呼び戻し、人員の交代を行わせろ。そして上陸に必要な情報収集の後、惑星ザクセン、惑星ベルリナーに降下させる」  命令を発したジョナサンは、「そして」と自分に注目を集めた。 「ピープ4は、艦船から情報収集後、別の惑星探査を行う」 「具体的ターゲットは?」  すかさず確認してきたマーベルに、「アーベル連邦の戦略目標が適当だろう」とジョナサンはターゲットを提示した。 「要塞バランは、現在連邦に帰還中です。したがって、打撃艦隊が向かっている宙域を選定いたします」  別の士官の答えに、うむとジョナサンは頷いた。 「危険な任務だ。十分に準備を行うようにっ!」  以上だと、ジョナサンは第1回観測会議を終わらせた。次回は1週間後に予定されているので、その時には惑星への潜入がテーマになることだろう。  安全保障局側の動きは、アルテッツァによって直ちに共有された。なるほど大胆だとジョナサンを評価したノブハルは、「俺達だが」とこれからの行動を議題に載せた。 「潜入するためにはIDの偽造が必要なのだが、どうやら旅行者の方が難易度が低いらしい。したがって、俺達は旅行者として惑星アーベルに降りることにする。3日後に入港する客船の乗客に紛れ込み、地上に降りることになる……珍しいな、なにか疑問があるのか?」  小さく手を上げたヴァイオレットに気づき、ノブハルは「どうした」と彼女を指名した。 「紛れ込む際には、各種の設定が必要になると思う。そのあたりはどうするの?」 「そのことだが」  うんと頷いたノブハルは、「ジータ」とピープのAIを呼び出した。 「はい。ノブハル様っ!」  元気よく現れたジータに、ノブハルは「旅客船の乗客情報を」と命じた。 「結構バラバラですね。個人旅行や団体旅行、商用旅行と言うのもあります。意外に若いグループも多いですから、目立つことはないと思います」 「それで、俺達の立場はどうするのだ?」  目立たないのは、潜入目的にはありがたいことに違いない。ただ4人の立場を決めておかないと、入国管理で引っかかることになる。 「少し離れたところに、クラード星系と言うのがあります。そこの住人の特徴が、ノブハル様達と同じなので、それを利用させていただきます。他にもクラード星系からの乗客がいますから、不自然になることはないのかと。そして4人の旅行理由並びに関係ですが、ノブハル様、ジノ様、サラマー様はご友人と言うことで。ヴァイオレット様はジノ様の妹と言うことにいたします。クラード星系の……惑星アデニールの一部地域がバカンス期間となっていますので、それを利用した旅行と言うのが名目が立ちやすいのかと」 「潜入キットは用意できるな?」  身分証明書に必要な資金。そして上陸したら、宿泊するホテルも必要となる。その一式が揃わないと、入管で足止めを食らうことになりかねなかった。 「後1日いただければ準備が整います」 「だとしたら、俺達は必要な情報を頭に詰め込まないとな」  プロフィールの偽造がばれないように、惑星アデニールの情報を詰め込んで置かなければならない。また4人の関係も、しっかりとロールプレイをしておく必要があった。 「ところで、友人3人の中に妹が紛れ込む理由は?」  ニヤリと口元を歪め、サラマーは人間関係に茶々を入れた。 「ほら、ロールプレイするときに、必要な情報だと思わない?」  そうよねと顔を見られたヴァイオレットは、ほんの少しだけ嫌そうな顔をした。そしてジータは、「候補は2つ」と同じように口元を歪めた。 「ノブハル様の恋人候補と言うのと、ブラコンと言うのがありますね」  どうしますとのジータの言葉に被せるように、ヴァイオレットは「ブラコンで」と即答した。そして一度目を閉じて大きく深呼吸をしてから、「お兄ちゃん」とジノに甘えてみせた。まとった空気がガラリと変わったこともあり、その破壊力はなかなかのものになっていた。 「すみませんノブハル様。何か胸の中が熱くなると言うのか、こみ上げるものを感じてしまいました」 「妹の居る俺なのだが……」  リンと比べたノブハルは、「予想外に強力だな」とヴァイオレットの演技を評した。 「そう。期待に答えただけだと思う」  普段通りの感情を感じさせない玲瓏な声色なのだが、ほんのりと赤くなった頬が彼女の恥じらいを表しているようだ。その表情に、ノブハルは胸が少し高鳴った気がした。 「なるほど、普段との落差が意味を持つということか」  その感情を無理やり分析方向に振ったノブハルは、「見事なものだ」とヴァイオレットを褒めた。 「配役は決まったな。では、惑星アデニールと惑星アーベルの基礎情報を頭に叩き込むことにする。ジータ、もう少し設定を詰めて4人に展開してくれ」 「畏まりました。とびっきりの設定を用意いたしますね」  パチンとウィンクを一つして、ジータは姿を消した。いささか悪乗りに見えるが、ノブハルはとりあえず気にしないと言う選択をした。  現総統サキエルの後を継ぐのは、当年45になるザフエルと言う男性である。相当一族の血統のなせる業なのか、つややかな青い肌に筋肉の盛り上がった立派な体格をしていた。灰色の髪をオールバックにした、いかにも精力的な男でもある。  衰えこそ見せていないが、現総統サキエルは齢70を超えていた。そのため、間もなく総統の座が禅定されると言う評判が立っていた。 「わしとしては、まだまだ楽にさせたくはないのだがな」  引き継ぎの準備を持ち出されたザフエルは、「元気なものだろう」と現総統のことを論った。それを「決まりごとです」で押し切られたので、先の愚痴に繋がっていた。  筋トレ用のダンベルを振り回しながら文句を言うザフエルに、「そろそろ許してあげてください」とお付きの者は困った顔をした。 「だがなバルベルト、総統など退屈極まりないのだぞ。そもそも殆どの決定は、官僚どもの上申を追認するだけではないか。地上に標本のごとく貼り付けられ、ただ上を向いて外の世界に憧れる哀れな存在が総統ではないか」 「引退されれば、“比較的”自由を手に入れることができます」  「比較的」の部分を強調したバルベルトに、「嫌味な奴だ」とザフエルは鼻息を荒くした。そしてダンベルをお手玉のように放り投げて、「目新しいことは?」と世の情勢を尋ねた。 「間引きは粛々と進んでおります。そしてザクセン=ベルリナー連合の内圧は、留まるところなく高まっております」 「わしは、そんなありきたりの報告を求めておらんのだがな」  不機嫌そうにダンベルを放り投げ、鉄アレイを弄ぶように拾い上げ、指だけでくるくると回してみせた。 「わが連邦内は、極めて安定しております。工業生産指数も、年率3%と安定した伸びを示しております。住民の感じる幸福指数も、70%を超え安定しております。連合との戦いも、連戦連勝で向かう所敵なしかと」 「つまり、これまで続けてきたとおりと言うことか」  鉄アレイを放り投げ、ザフエルはタオルでにじみ出た汗を拭った。 「はい、これまで続けてきたとおりと言うことになります」 「ちゃんと、連合に技術の横流しはしているのか?」  そうすることで、戦いがもう少し緊張感のあるものになってくれるはずだ。そのつもりで問いかけたザフエルに、「継続して」バルベルトは答えた。 「ただ、いくら技術を与えても、使いこなせるかは別の問題となります。そして量産ともなりますと、更に別の問題が生じてきます。連合総体としての意志であれば、我々への憎悪で統一されております。しかしながら各星系の個別事情にまで踏み込むと、足並みが揃っていないと言うのが実体となります」 「まだ、危機感が足りないと言うことか?」  足並みの揃わない理由を持ち出したザフエルに、「別の理由です」とバルベルトは答えた。 「連合内部の不満を高めるため、間引きの目安を提示しております。それが、足並みの揃わない理由になっております」  その説明に、なるほどとザフエルは頷いた。 「狙い通りと言えば狙い通りなのだが……15万の側に危機感が欠けていると言うことか。まあ、ここまで続けていれば、間引き対象がどこかぐらいは想像がつくだろうからな」  流れた水分を補給するためか、ストローの刺されたプラ容器から、やけに粘度の高い飲み物をザフエルはすすった。そしてゲフッと行儀の悪いゲップをしてから、「イレギュラーを混ぜるか?」とこれからのことを考えた。そうすることで、ザクセン=ベルリナー連合内部が一致団結するはずだと。 「対象外だと安心している星を潰してやるか?」 「その裁定は、総統閣下にお願いすることになります。ただ、伺った範囲ではあまり乗り気ではないようです。総統閣下は、連合の内部から崩壊……正確には、その際に変革が生まれないかを期待されているようです」  バルベルトの答えに、「まだるっこしいな」とザフエルは苦笑した。そんなものを待っていたら、自分の代でも変化が見えてこないのだ。  そうぼやいたザフエルは、汗が冷えないようにガウンをまとった。そして手元に緑色をした飲み物を引き寄せ、「バカ話に付き合え」とバルベルトに命じた。 「バカ話……でしょうか?」  驚いた顔をしたバルベルトに、「与太話でもあるな」とザフエルは笑った。 「このままわしらの文明が進んでいった時、一体どこにたどり着くのだろう。暇にあかせて、色々と考えてみたのだ」  与太話だろうと笑うザフエルに、「将来への指針かと」とバルベルトは持ち上げた。 「まだまだ退屈な時間が数百年は続くのだ。今考えたことが、将来の指針になるとは考えられんな」  だから与太話なのだと繰り返したザフエルは、「マールス文明は」と過去存在したと言われる古代文明を持ち出した。 「この銀河に人類という種を蒔き、自分達はその存在を隠している。高次の存在になったと言う説もあるが、残念なことにその確証も残っていない。それでも分かっていることは、今のわしらとは異なる文明を持っていたことだ。もしもわしらの文明が追いついたら、果たして同じようなことをするのだろうか」  それともと言って、ザフエルは広間の高い天井を見上げた。 「狭い銀河を飛び出し、広大な大宇宙へと手を伸ばすのだろうか」 「夢と言う意味でなら、確実に後者の方が夢があるのかと。ただ今の我々の技術でも、隣の銀河であれば1年で到達できます。もっとも、食料や燃料が保ちませんので、理論上はと言うことになりますが」  夢として語るには、いささか現実的すぎると言うのだ。その答えに、「ならば」とザフエルはその先を持ち出した。 「ただ到達するだけでなく、交流を始めると言うのはどうだ? きっとよその銀河には、わしらの想像もつかない見た目をしたやつが居ると思うぞ」 「想像もつかない姿をしたもの……ですか。民達の娯楽の中には、そのような姿をした異星人が登場しますな。まるでたぬきのような姿をしたものとか、枯れ木のような姿をしたもの、トカゲのような姿をしたもの等々が出てきます。閣下が仰るのは、そのような姿をしたもののことでしょうか?」  少し楽しそうにしたバルベルトに、「それだけではない」とザフエルは笑った。 「想像もつかないとわしは言ったはずだ。だから、わしらの想像を超えるものがいてもおかしくはない」  ザフエルの言葉に、なるほどとバルベルトは大きく頷いた。 「確かに、夢のある話ですな」  ただと、バルベルトは残酷な現実をザフエルに提示した。 「今の我らの銀河が、外銀河に出ていくには多くの時間が必要となるでしょう。そして外銀河の者達が、今の我らの銀河を見てどう思うのか。戦争だけでなく、我々は多くの命を奪っております。我々に、広い宇宙の仲間入りをする資格があるのか、私にはそれが分かりません」 「お前の言いたいことは理解できる」  少し厳しい顔をしたザフエルは、「今更止めることはできん」と戦いのことに触れた。 「すでに、55万もの星々が命の営みを止められたのだ。中途でやめてしまえば、失われた命に対して申し訳が立たないのだ」  だから止めることはできない。そう繰り返したザフエルは、「資格か」とバルベルトの言葉を繰り返した。 「確かに、このままではわしらにその資格はないのだろうな。それほどまでに、代々の総統の両手は血にまみれておる。命を散らした者の怨嗟の声を子守唄として、わしは育ってきたのだからな」  だから資格が無いとの答えを予想したバルベルトに、ザフエルは「資格を得る方法があるぞ」と答えた。 「すべてが終わった所で、わしら一族を粛清すればよいのだ。わしら一族は、全銀河の7割にも及ぶ星系を間引いた大罪人なのだからな」  責任をすべて負うと口にしたザフエルに、「恐れながら」とバルベルトは異を唱えた。 「責任を総統閣下一族に押し付け素知らぬ顔をするものが、果たして信用されるのでしょうか。そのような真似をしたときこそ、我々が広い宇宙の仲間入りをする資格を失う時なのかと」 「お前の言うことは正しいのだろう。ただな、責任など責任者に押し付ければよいのだ。もっとも、わしの孫子の代でも届かぬ話なのだろうな」  そこで少しだけ口元を歪めたザフエルは、「マールスは」と今は滅んだ文明のことを持ち出した。 「これだけの暴挙に対して、なんの干渉もしてきておらん。もはや、この銀河のことに興味など無いのだろうな」 「種を蒔いたのに、その結果に興味が無いのだと?」  疑問を口にしてから、「確かに」とバルベルトはザフエルの考えを認めた。 「マールス人がこの銀河を去ってから5千年と言われております。その長い時間、我らになんの干渉もしてきておりません。それを考えると、仰る通りこの銀河への興味を失っているとしか考えられませんな」  そこで天井を見上げたバルベルトは、「捨て子のようなものですな」と自分達の立場を口にした。 「うむ、わしらがマールス人の子供ならば、たしかにお前の言うとおりなのだろう」  そう答えたザフエルは、「捨て子か」と噛みしめるように繰り返した。 「お前に言われて、わしは……いや、この銀河に生きるものの立場が理解できた気がする。そうか、わしらはマールス人と言う親から見捨てられた捨て子なのだな」  ならばと、ザフエルはきゅっと唇を噛み締めた。 「捨て子なりの意地を見せてやることにするか」  そのためには、一日も早く「間引き」のフェーズを終わらせる必要がある。そのフェーズが終わってようやく、共生へと舵を切る事ができるのだと。 「総統閣下に、間引きの加速を上申することにする」 「禅定を迫り、閣下の時代にした方が早くありませんか?」  そうすることで、全てはザフエルの意のままに動くことになる。バルベルトの指摘に、確かにそうかとザフエルは言われた事実を認めたのだった。  行政はすべて官僚に任せられているが、連邦の全ては総統の手の内に握られている。それは後継者の考えであっても例外ではなく、ザフエルの考えたことは情報としてサキエルへと伝えられていた。 「なるほど、わしらはマールス人に捨てられた子と言うのか」 「ザフエル様も、その考えにたどり着かれたと言うことかと」  アドルフ議長の言葉に、サキエルは小さく頷いた。 「わしより、半年ほど早かったな。まあ、この年になれば半年など誤差でしか無いのだろう」 「譲位をなされますか?」  これで準備が整ったと、アドルフはサキエルの考えを質した。 「そうだな。そろそろ頃合いと言うところだろう。わしも総統に就任した当初は、かなり過激なことを考えておったからな。バランスを考えれば、今のあやつぐらいがちょうどよいのだろうな」  うんうんと頷いたサキエルは、アドルフに向かって「布告の用意を」と命じた。 「はい。ただいま」  うやうやしく頭を下げたアドルフは、「騒がしくなりますな」と窓の外を見た。ただ彼が考えたのは、譲位に伴う式典のことではない。そして民衆の生活レベルで考えた場合、総統の影響力は殆ど無いに等しかった。総統が代替わりをすることで影響を一番受けるのは、むしろザクセン=ベルリナー連合の方だった。これまでの実績では、代替わりに伴い「間引き」の戦闘が激化していたのだ。 「それもまた、マンネリを防ぐのに必要な刺激と言うことだ」  騒がしくなることを認めたサキエルは、「ようやく解放される」とスッキリとした顔をした。 「余生は、惑星マールスで過ごされるのですか?」 「それもまた、代々行われてきたことだな。赤い海の辺りで、マールス銀河の行く末を見守ることになるのだろう。わしにとって、生まれて初めて、そして最後の宇宙旅行をすることになるのだ」  それが楽しみで今まで生きてきた。嬉しそうに答えたサキエルに、「少しばかり気が早いのでは」とアドルフはブレーキを掛けた。 「まだ、譲位の布告もなされておりません。そして簡単とは言え、儀式を行う必要があります。それが終わって初めて、閣下は宇宙に踏み出すことになります」 「アドルフ、それは無粋と言うものだぞ」  にこやかな顔をしながら、サキエルはアドルフを叱責する言葉を吐いた。 「せっかく良い気持ちになっておるのだ。そう言う時は、年寄り孝行をするものだぞ」  なっておらんと叱ったサキエルは、「お前の引退はまだ先だな」とペナルティーを彼に課した。 「閣下は、お話相手はいらないと仰るので?」  暇ですよと脅したアドルフに、なるほどとサキエルは彼の指摘を認めた。 「だが、お前はまだ若いだろう」  事実アドルフは、サキエルより20近く若かったのだ。それを持ち出したサキエルに、いえいえとアドルフは首を横に振った。 「総統職とまでは言いませんが、議長職も相当退屈なものなのです。ですから、退屈しのぎに閣下のお話相手などしております」 「わしの相手を暇つぶしと言うか。なるほど、お前には罰が必要だな」  そう言って笑ったサキエルは、「その罰だがな」とアドルフの顔を見た。 「老い先短い老人の介護を申し付ける」  つまりは、自分について惑星マールスにまで来いと言うのである。それを罰としたサキエルに、恭しく頭を下げたアドルフは、「謹んでお受けします」と答えたのである。  総統が交代するとの情報は、ザクセン=ベルリナー連合にとって最重要情報でもある。そのためアーベル連邦内に伝わるのよりも早く、総統交代は凶報として連合へと伝えられた。そのあたりはサキエルが考えたとおり、総統が変わった端には「間引き」が激しくなるからである。  そして安全保障局からの情報でそれを知ったノブハルは、「バランスがおかしすぎる」と零した。 「なぜ自分の連邦総統交代情報が、敵方から先に伝わってくるのだ?」  そのノブハルのボヤキに、「確かに」とジノは大きく頷いた。旅行客として確保したホテルは、男女別の部屋分けとなっていた。朝食を済ませた所で、ノブハル達はジータから連合側の情報として総統交代を受け取った。 「25年ぶりの行事と考えれば、もう少し盛り上がりがあっても良いかと思います。事実帝国では、1週間ほどの祝賀行事が行われ、1年ほど継続して交代に関する行事が行われます。ノブハル様も、皇夫となられた時の祝賀行事で、そのあたりは経験されているのかと」  ジノの持ち出した過去話に、確かにとノブハルは大きく頷いた。ライラの夫となった記念行事では、惑星シルバニアで行われた記念行事だけでなく、エスデニア連邦として行われた記念行事にも出席していたのだ。  それを考えれば、アーベル連邦は加盟星系数20万の巨大連邦を構成している。情報開示のレベルを考えれば、各種行事とそれに伴う報道があってしかるべきだったのだ。 「それだけ、住民の治世に関する興味が薄いと言うことか?」  文明レベルの高い国でありがちな現象を口にしたノブハルに、「おそらく」とジノは肯定した。 「だが似たような規模のヤムント連邦の場合、もっとマスコミが取り上げていたぞ。それに引き換え、アーベル連邦では極端に総統に対する報道が少なくなっている」  そこで少し考えたノブハルは、「嫌われている訳ではないのにな」と調査した範囲の住民感情を口にした。 「総統の存在が、生活に直結しないから……と言うのは苦しい説明ですね。帝国でも、ライラ様の存在は一般住民に結びついていません。伝え聞くヤムント連邦でも、大帝は政治には直接関わっていませんからね」 「だが、民衆は総統の交代に特段の注意を払っていない……か」  ただ単なる政治への関心の薄さと考えて良いのか。目に見える範囲で言えばそのとおりなのだが、それでも違和感を覚えてしまうのだ。ただ違和感は違和感でしかなく、具体的問題は見えてきていなかった。  ううむと唸ったノブハルに、「そろそろ時間が」とジノが声を掛けた。街の観光をするための待ち合わせまで、あまり時間がなくなっていた。 「今日の予定は総統府公園だったか?」 「観光ガイドによれば、アーベル連邦の歴史展示館があるとのことです」  観光を目的で入国したのだから、観光客として振る舞う必要がある。異邦人として不自然にならないためには、当たり前と言われる行動を取る必要があったのだ。 「ならば、待たせる訳にはいかないな」  行くことにしようと、ノブハルはソファーから立ち上がったのである。  4人の設定は、友人3人組に一人の妹が付いてきたと言うものである。それもあって、ノブハルはサラマーと歩き、ジノはヴァイオレットと一緒に歩くことが多くなっていた。そして人目のあるところで、ヴァイオレットは猫をかぶって「お兄ちゃん」とジノに甘えるのである。その破壊力たるや、恋人を持たない近衛が、「かなり危ない」と零す程だった。 「危ない趣味に目覚めてしまいそうです……」  本気で危ないと訴えるジノを、「手を出しても構わないぞ」とノブハルは煽っていた。 「うむ、皇夫として祝福してやる」 「ニルバール様が恐ろしいですよ」  近衛の問題を持ち出して、ジノは手を出すことを否定した。そして「こんな落とし穴が」と、置かれた困難を嘆いたのである。  そしてこの日も、ヴァイオレットは「ブラコン」の妹ぶりを発揮していた。時折ジノの左腕にぶら下がって「お兄ちゃんっ」と囁くのだが、その都度ジノが気を落ち着けるよう大きく深呼吸をしてくれるのだ。他人事と言うこともあり、「面白いな」とサラマーと二人で暖かく見守っていた。 「なるほど、ブラコンと言うのはあそこまでするものなのだな。だとしたら、リンはブラコンではないことになる」 「いえ、それは盛大な勘違いなのかと。ノブハル様兄妹は、誰もが認めるシスコン・ブラコン兄妹です」  笑いを抑えながら答えたサラマーは、「平和ですね」と公園の中を見渡した。 「肌の色が違わなければ、エルマーに居るのと勘違いしてしまいそうです」 「純血のアーベル人か……」  潜入して3日も経てば、色々と内部の事情も見えてくる。事前に全人口の40%が純血と教えられていたのだが、ここに来てその意味が理解できたのだ。 「特に、差別的と言うことはないのだがな」 「表に見える範囲と言う意味ではそうなのでしょう」  そこでぐるりと首を巡らせたジノは、「溶け込んでいるように見える」と評した。 「でも、プライベートの関係があるようには見えない」  ジノの左腕を抱えたまま、ヴァイオレットは周囲の人間関係を評した。 「差別と言うより、区別と言う奴か。接した範囲では、彼らは青い肌に誇りを持っているようだ」  ノブハルの答えに、ヴァイオレットは小さく頷いた。 「ビジネスパートナーや友人であっても、恋人とか夫婦になる相手だとは思っていないように見える。相手に対する敬意とかとは、全く別の理由のよう」 「純血を守る義務のようなものか?」  確認したノブハルに、「多分そう」とヴァイオレットは感情のこもらない声で答えた。そしてジノを見上げ、花が咲いたような笑みを浮かべ、「お兄ちゃん、いこ!」と左腕を引っ張った。その向かう先は、公立歴史展示館の白い建物である。カフェも併設された、とてもおしゃれな建物が公園の中にあったのだ。 「……あそこまで演技ができるものなのか」  恐ろしいなとつぶやき、ノブハルはサラマーと一緒にジノ兄妹についていったのである。  公立歴史展示館は、サンイーストにある博物館より更に大きな規模を持っていた。入り口でそれを確認したノブハル達一行は、直ちにすべてを見て回ることを諦めたぐらいだ。入り口に置かれていたガイドマップにかかれていた標準コースは、「全館コース」が所要時間3日と書かれていたぐらいだ。 「手分けをしても終わらないな……」  ふっとため息を吐いたノブハルは、「ここだな」と連邦発足にまつわる展示を指さした。そんなノブハルに、「ここも」とヴァイオレットは、「マールス銀河について」の展示を指さした。 「あくまで、勘だけど。だから、無視してくれても構わない」 「標準観覧時間は4時間か……」  そして連邦発足関連の展示も4時間コースとなっていた。これからの時間では、両方回るには明らかに時間が足りなかった。  ううむと唸ったノブハルに、「だったら」とヴァイオレットは回り方の提案をした。 「私が、お兄ちゃんと二人でこちらを回るわ」  限られた時間で調査を行うには、手分けをすると言うのは合理的な考え方である。そこでジノの顔を見たノブハルは、「任せていいか」と確認をした。 「それが、ご命令とあらば」  小声で答えたジノに、「だったら任せる」とノブハルも小声で答えた。それを聞いたヴァイオレットは、ぱっと表情を明るくして「お兄ちゃん、いこ!」と左腕を抱え込んだ。 「で、では、4時間後にカフェで落ち合うことで」  動揺を隠しきれないジノに、サラマーはノブハルの隣で口元を歪めた。そして生暖かく見守るノブハル達の前を、少しぎくしゃくとしながらジノはヴァイオレットに引きずられていった。 「ヴァイオレットは、ジノに興味があるのか?」  女性同士で同じ部屋と言うこともあり、その辺の事情をノブハルは確かめた。 「いえ、あれは綺麗サッパリ演技です。部屋でジノのことを聞いても、顔色一つ変えませんから」 「女は猫をかぶると言う話だが……あそこまで見事なものとは想像していなかったな」  凄いものだと感心してから、「俺達も行くか」とノブハルは目的の展示館を指さした。  連邦の歴史は、展示上5千年前から始まっていた。初代総統エゼキエルの導きで、宇宙進出したのがその始まりである。そして宇宙に進出した惑星アーベルは、近傍の星系と同盟を結び、次第にその勢力をマールス銀河の中で広げていった。発足関連として、連邦の規模が1万になるところまで、新たに星系が加盟した年表とともに展示が行われていた。 「連邦発足式典、加盟式典の映像が本物なら、円満な同盟関係が構築されたように見えるな」  青い肌の指導者と、赤やら緑やらの肌をした指導者が、にこやかな顔で取り決めを交わしている映像が残されていた。連邦加盟に関する協議資料も残されていたし、試しに確認した範囲ではお互いの利益が最大化されるよう、双方が気を使っていたのも記されていたのである。その交渉経過を見ても、連邦拡大は円満に行われたように思われた。 「そうですね。とても手間暇をかけて連邦が拡大していったのが分かります」  同じ情報を確認したサラマーは、「気になったことが」とノブハルの顔を見た。 「今の連合の支配地域は、非常に有人星系の密度が高くなっています。だとしたら、それは偶然と言うことなのでしょうか?」 「マールス人が、この銀河広くに人類の種を蒔いたと言う伝承があったな。もしもその伝承を信じるのなら、密度はもっと均一でなければおかしいはずだ」  伝承を持ち出したノブハルに、サラマーはあてにして良いのか疑問を感じた。 「ですが、その伝承を信じて良いものなのでしょうか?」  最初の前提がと口にしたサラマーに、「加盟星系のデーターを覚えているか?」とノブハルは尋ねた。 「ここのエリアには、最初の1万に関する資料が残っている。それを確認して気づいたのだが、加盟した1万のすべてがヒューマノイドタイプなのだ。違いと言えば、肌の色とか鼻の高さとかと言った、環境の影響を受けやすい部分だ」 「ヒューマノイドだけと言うのが不自然だと?」  自分で口にしてから、サラマーはなるほどと頷いた。シルバニア帝国内でも、非ヒューマノイド形態の住民は数多く存在していたのだ。そして超銀河連邦全体でみても、ヒューマノイド形態の占める割合は30%程度でしか無い。更に割合の低いヨモツ銀河とかを考えると、100%がヒューマノイド形態と言うのが異様に見えたのだ。 「同じ種を蒔いたため、環境の違いで見た目が違ってきたと言うことですか」 「可能性として考えられると言うことだ」  サラマーの言葉を認めたノブハルは、「なぜ密度が低いのだ」と最初の疑問へと立ち返った。 「仮説の一つとして、連邦は有人星系を破壊していったと言うものが考えられる」 「今行っていることを、発足当時から行っていたと?」  なるほどと頷いたサラマーは、「データーが必要ですね」と答えた。 「うむ、惑星を破壊していったと言う証拠が必要だな。その方法の一つとして、連邦領域にある主系列恒星を調べると言う方法がある。トラスティさんがアクエリアスを探す時に使った方法なのだが、超銀河連邦では主系列恒星系だけに文明が生じている」 「その数の割合が、連合と大きく違っているかを調べるのですね」  もう一度頷いたサラマーは、「ジータ向けですね」と調査方法のことを評した。 「もしも似たような分布をしていたら、連邦領域内でも惑星破壊が行われていることになりますね」 「そんな血なまぐさいものが、一般向けに公開されるはずがないか」  そう仮定すると、展示内容に納得が行くのだ。そして加盟星系との円満な関係を考えれば、今の安定した治安の理由にも納得がいく。  そうですねと同意して、サラマーはどうしますとこれからのことを確認した。 「マールス銀河の恒星系配置については、帰ってからジータに確認すればいいだろう。俺達は、このまま連邦の拡大ペースを確認する。そうすることで、連合がいつ連邦に飲み込まれるかの予想がつくからな」 「同一銀河内の問題が落ち着けば、次は近傍銀河に目が向きますからね」  目安が分かることで、対処の方針も決めやすくなる。なるほどと、サラマーはノブハルの考えに納得したのだった。  一方マールス銀河の展示に行ったジノとヴァイオレットは、おとぎ話のような展示に呆れていた。何しろマールス人は、1万年前に銀河広くに人類の種を蒔き、5千年前にこの世界を旅立ったとされていたのだ。それ以上の情報がなければ、本当におとぎ話になってします。  ただそれがおとぎ話で終わらないのは、惑星マールスに残された遺跡が、未だ理解できないテクノロジーで作られていると言う事実が有ったからだ。 「姿形を推測する情報もないのだな」  マールス人に触れた資料は、いずれもテキストでしか情報が与えられていなかった。それも不思議だと呟いたジノに、「そうでもない」とヴァイオレットはIotUのことを持ち出した。 「僅か1千ヤー前なのに、誰もIotUの姿形を知らないのよ。だとしたら、1万ヤー前のことなら、資料がなくても不思議ではないはず」 「IotUと同じだと?」  少し目を見開いたジノに、「そこまでは言わない」とヴァイオレットは返した。 「ただ単に、古すぎるのと情報を残していかなかったのが理由だと思う。超銀河連邦の星々だと、昔のことなら壁画とかで知ることができるわ。それがマールス人にはなかったと言うこと」  「ただ」とヴァイオレットは、隣の展示へと移動した。そこには、マールス人が使ったと言う機械のレプリカが置かれていた。 「これをマールス人が操作したと仮定した場合、その姿形は私達に似たものだと推測できるわ。それからもう一つ、宇宙にばらまいた人類の種を考えてみて欲しい。「神は自分の形に似せて人を作った」と言う話がアスには残されている。マールス人が同じことをしたとしても、別に不思議な事じゃないと思う」 「なるほど、それは説得力のある説明だな」  うんと頷いたジノは、ゆっくりと隣の展示へと移動していった。そこに展示されていたのは、どこかで見覚えのある四角い箱だった。 「画像表示用の真空管式のモニタに見えるな」 「残念だけど、私はその方面の知識を持っていない」  だから分からないとの答えに、「そうか」とジノは短く答えた。そしてゆっくりと展示を見て回り、「意外にローテクだ」とそれを評した。 「超古代文明……古代超文明でもいいのだが、そんな進んだものに見えないな」 「あなたの言うことは理解できる。博物館級のものと言うのは私にも分かるわ」  そこでゆっくりとマールス銀河の説明に移ったヴァイオレットは、「これを見て」とジノに説明文を指し示した。 「これがどうかしたのか。さほど不思議な事が書かれているとは思えないのだが?」  そこに記載されていたのは、マールス人が銀河広く人類の種を蒔いたと言う記述である。そしてそれに合わせた形で、人類が発生した星系が記録されていたのだ。 「ここに、約100万の星々に人類が生まれたと記載されている」 「確かに100万と書かれているな……それがっ」  どうしたと聞こうとしたところで、ジノもヴァイオレットが言わんとしたことに気がついた。 「今現在、マールス銀河にある有人星系は45万……そして、アーベル連邦の領域には、極端に有人星系が少なくなっている」  目の前のマップがマールス銀河を示しているのなら、有人星系の配置は同じでなければいけないはずだ。だが詳細に見るまでもなく、ほぼ均等の密度で有人星系が散らばっていたのだ。 「アーベル連邦には、まだ未加入の有人星系がなければ数が合わないことになる……だが、そんな星系はアーベル連邦内には存在していない」  ごくりとつばを飲み込んだジノは、「消されたか」と小さく呟いた。 「直径10万光年の標準的銀河に比べたら、マールス銀河は18万光年と大きくなっている。単純計算で、6倍ぐらいの有人星系が存在してもおかしくはない。100万と言うのは少し多すぎる気もするけど、アーベル連邦の20万は逆に少なすぎる。まるで……」  そこで言葉を切ったヴァイオレットは、「ヨモツ銀河のよう」ともう一つの巨大銀河の名を挙げた。 「ヨモツ銀河は、かつてアリスカンダルによって多くの星が滅びたと言う話だ。それと同じことが、マールス銀河でも起きたのだと?」  疑問形をとっていたが、それが真実なのだとジノは感じていた。その背景には、今現在アーベル連邦がザクセン=ベルリナー連合に所属する星を破壊しているからである。 「だが、なぜ有人星系を破壊するのだ? 戦争など、軍人同士が行うものだろう。惑星破壊で犠牲となるのは、殆どが民間人のはずだ」 「それが戦争ではないとしたら?」  一つの仮説を提示したヴァイオレットは、「例えば」と園芸の話を持ち出した。 「花壇に花の種を蒔いた後、芽が出たところで成長の悪そうなのを間引きして間隔を開ける。そうすることで、残された苗は健やかに成長するの」  同じことがと口にしたヴァイオレットに、ジノは「いやいや」と首を振った。 「宇宙に出ない限り、ほとんどの人類は惑星上で完結することができる。そして宇宙の広さを考えれば、100万の有人星系でもまばらと言っていいぐらいだ。間引きをしなければいけない理由はないはずだ」  考えすぎだと主張したジノに、「そうかしら?」とヴァイオレットは首を傾げた。 「どれだけが適正と言うデーターが無い限り、数を減らすことを考えても不思議じゃない。あなたはスカスカだと思っていても、別の誰かは密集しすぎと考えるかもしれない」 「その別の誰かが、アーベル連邦総統と言う可能性があると言うことか」  ううむと唸ったジノは、もう一度マールス銀河のマップを見た。そして「一つ気になったのだが」とヴァイオレットの顔を見た。 「この時点で、他の文明は存在していなかったのか? いくらなんでも、広い銀河にマールス人以外居なかったと言うことはないだろう」 「当然出てくる疑問ね」  小さく頷いたヴァイオレットは、「種を蒔く前に何をする?」とジノに尋ねた。 「そう言う経験は無いんだが……花壇だとしたら、雑草を取り除くのだろうな。後は、生育がよくなるよう土を柔らかくしたりもするか。なるほど。つまりマールス人は、人類と言う種を蒔くために、別の星に生まれた人々を殺したと言うことかっ」 「多分、それだけじゃないと思う」  絶句したジノに向かってヴァイオレットが口にしたのは、更に徹底したものだった。 「花壇や畑を作る時、石ころとか根っことか取り除くわ。そうしてやらないと、蒔いた種が健やかに成長しないから。滅ぼした文明の痕跡も、石ころや根っことかと同じだと思う」 「なんのために、マールス人はそんなマネをしたのだ? そんなこと、一つの惑星に生まれた文明が考えることじゃないだろう!」  思わず声を上げたジノに、「お兄ちゃん怖いっ!」とヴァイオレットは急に猫をかぶった。そして左腕を抱えると、「目立つのは駄目」と囁きかけた。  自分の置かれた状況を思い出し、ジノは「すまん」と小声でヴァイオレットに謝った。 「驚くのは仕方がないと思ってる。でも、ここでは私達は侵入者なの」  頬を赤くしながら、ヴァイオレットはジノの手を引いた。そして場所を、惑星マールスのVR表示の前へと変えた。 「海全体が赤いと言うのも不思議ね。これが水でできているのなら、宇宙からなら青く見えるはずなのに」  右手で惑星マールスのVR表示を弄び、ヴァイオレットは色々な場所を拡大していった。だが惑星マールスの今は、崩れ落ちた廃墟と言っていいものになっていた。何しろ5千年ものあいだ放置されたため、建物の風化が激しかったのだ。人口建造物の多くは、すでに原型を留めなくなっていた。 「一つ質問。シルバニア帝国の建物は、5千年放置したら同じことになるの?」 「同じになるかと言われると……」  どうだろうと考え込んだのは、そんなことを今まで考えたことがなかったからだ。それでも答えを出そうと、ジノはどこかに例がないかを考えた。 「たぶんそんなことはないと思うのだが……残念ながら、俺には答えることができないな。ところで、どうしてそんなことを聞くんだ?」  質問の意味はと問われ、ヴァイオレットは「疑問に思っただけ」と軽く答えた。 「直径18万光年の銀河広くに人類の種を蒔き、しかも邪魔な文明を痕跡ごと消しされる文明を持っているのがマールス人のはず。だとしたら、科学技術はかなり進んでいると考えられるわ。そんな人達が作ったものが、5千年程度でここまで風化するものかしら」 「確かに、そう言われてみれば疑問だな」  ううむと唸っ時、ジノの視線に館内にある時計が入った。 「約束の時間まであまり残っていないな」 「たぶん、ここに居てもこれ以上新しいことは見つからないと思う。それに、あなたでは分析の能力が不足しているわ」  バカだと言われた気がして、ジノはつい目元を引きつらせてしまった。それに気づいたのか、はたまた言い過ぎたと思ったのか、「役割が違うから」とヴァイオレットは小声で囁いた。 「こちらは、ノブハル様が考えることだと思う」  ジノから離れたヴァイオレットは、花の咲いたような笑みを浮かべ、「お兄ちゃん行こ」と跳ねるように前を歩き出した。  その見事な演技に苦笑を浮かべ、ジノも後を追うように展示場の出口へと向かった。 「確かに、俺の役割ではないな」  小さく呟いてから、ジノは立ち止まって愛らしい表情を浮かべるヴァイオレットを見た。 「だとしたら、お前の役割は何なのだ?」  彼女に対する違和感を、ジノは更に深めたのだった。  4時間の予定を3時間半で切り上げた一行は、カフェで遅めのランチを取ることにした。普段より控えめな量を注文したノブハルとサラマーに対し、ジノは平均的男性の1人分、そしてヴァイオレットは女性としてみても少なめの分量を注文していた。  俺からだと切り出したノブハルは、連邦発足に関しての感想から始めた。 「展示は、アーベル連邦が1万に拡大するまでのものだった。式典や取り交わされた文書を見る限り、連邦発足から拡大は、極めて平和的に行われたのが見て取れた。どこかに欺瞞がないか注意してみたのだが、特に隠されている部分は見つからなかったな」  それが1つ目と、ノブハルはサラマーを見てからジノとヴァイオレットを見た。 「そこで行き着いた疑問は、アーベル連邦の有人星系密度の低さだ。おとぎ話が本当なら、この銀河に存在する有人星系はもっと均一であってもおかしくないはずだ。ただ展示には答えがなかったので、ジータに命じてマールス銀河における主系列恒星の分布を調べさせる。これが、2つ目の共有事項だ。そして3つ目なのだが」  そこで言葉を切ったノブハルは、「連邦の住人についてだ」と説明を続けた。 「1万の加盟星系を調べた範囲で、その住人はすべてヒューマノイドタイプとなっている。違いがあっても、肌や目の色、鼻の高さとか背格好ぐらいだ。おそらくだが、相互で交配が可能だろう。超銀河連邦の構成を考えた場合、アーベル連邦に属する星系すべてがヒューマノイドタイプと言うのは極めて不自然だ。したがって、マールス人が人類の種を撒いたと言うおとぎ話は真実ではないかと結論づけた」  以上だと口にして、ノブハルは椅子に持たれてジュースを飲んだ。オレンジ色をしたジュースは、なぜかキゥイのような味がした。 「ではこちらの報告ですが、ノブハル様の疑問への答えが含まれているのかと」  そう切り出したジノは、説明を求めるようにヴァイオレットの顔を見た。 「なぁに、お兄ちゃんっ!」  可愛く首を傾げたヴァイオレットに、ジノはため息を吐いてから「ご説明を」と命じた。その途端、ヴァイオレットの顔から愛らしい表情は消え、とてもフラットなものへと変わった。 「マールス銀河についての展示で、人類が生まれた星についての物がありました。その数はおよそ100万で、マールス銀河にほぼ均等に広がっていました」 「つまり、俺の疑問への答えがあったと言うことか……」  小さく頷いたヴァイオレットは、「多分そう」と答えた。 「そしてノブハル様と、同じ疑問にも行き当たっている。それは、マールス銀河にある有人星系に住む住民のタイプ。ただ私が疑問に感じたのは、マールス人が人類と言う種を蒔く前の状態。この銀河に、マールス人以外の知的生命体はいなかったのかと言うこと。私達の常識を当てはめると、発展の仕方は違っていても、他にも文明が生じていたと思う。そして姿形にしても、ヒューマノイドタイプと違っていてもおかしくない。だとしたら、その人達はどこに消えてしまったのかしら?」  そこで言葉を切ったヴァイオレットは、「仮説を一つ立てた」とノブハルの顔を見た。 「マールス人が人類の種を蒔く前に、その文明が存在したと言う証拠ごと生命体を消し去った。その理由は、人類と言う種を蒔くのに邪魔だからと言うもの」 「畑や花壇と同じと言うのか……それが可能だとしたら、マールス人の文明レベルは超銀河連邦を超えているぞ。それに、なんのために土着生物を殺して、人類の種を蒔いたのかが問題となる」  ううむと唸ったノブハルに、「その文明について」とヴァイオレットは言葉を続けた。 「惑星マールスの遺跡が……レプリカだけど展示されていたわ。ただそれを見ると、超文明があったとは思えないものばかり。映像で見た建物も、5千ヤーと言う時間の割りに、かなり朽ちてた」 「それはつまり……」  うんと考えたノブハルは、「マールス文明に疑問があると言うことか」と尋ねた。 「そう言うことになるわ」  頷いたヴァイオレットに、「うむ」とノブハルはその意味を考えた。 「いくつか可能性はあるのだが……いずれも質が悪いことになるな」  そこで3人の顔を見たノブハルは、思いつくままヴァイオレットの指摘に対する仮説を口にした。 「残った者達に、間違った情報を与えるためと言うのがその一つだ。つまりマールス人は、敢えて中途半端な情報を残していったと言うものだ。それとは別に、銀河に人類の種を蒔いたのはマールス人ではない……少し正確じゃないか。惑星マールスと呼ばれる惑星が、実はマールス人のものではないと言う可能性だ」 「後者のは、遺跡が残っている理由が必要。どうしてさほど進んでいない文明の遺跡を残したのか。そして人類の種を銀河中にばら蒔いたのは誰かと言うのが問題になる」  ヴァイオレットの指摘に、ノブハルはしっかりと頷いた。 「問題は、ここにいては手がかりすら掴めないと言うことだ。そしてもう一つ、苦労して惑星マールスに行ったとして、手がかりがあるのかも疑問だ。もしかしたら、見当違いの場所を探している可能性すらある」  ふうむと考え込んだノブハルに、ヴァイオレットは惑星マールスの海の色を持ち出した。 「惑星マールスのVR映像を見たけど、地表の成分と海の色が結びつかないと思う。海の色以外は、惑星アーベルと瓜二つなのに」 「海の色か?」  目元にシワを寄せたノブハルは、「海の色か」と繰り返した。 「連邦の中では、赤い海の惑星は数多く存在している。主に溶融している成分が理由なのだが……それに加え、析出した鉄が海の色を決めている例もある。確かに惑星マールスの海の色は赤だが、それが何を意味するのかは分析してみないと分からないな。展示には、何が海の色を赤くしているかの説明はなかったのだろう?」  ノブハルの問いに、ヴァイオレットはコクリと頷いた。 「情報公開が進んでいるから、情報を探せば出てくると思う」 「ただ、あまり優先順位は高くないな。なんだったら、ルーモア1号に分析をさせても良いのだが」  それにしたところで、優先度は高くないのだろう。そんなノブハルに、「気になることがある」とヴァイオレットは口にした。 「気になることか?」 「そう。伝え聞いた話だと、アスの海は南の方が赤くなっていると言うの。ちょっとそれを思い出しただけなのだけど」  それだけと口にしたヴァイオレットに、「関連性が分からんな」とノブハルは苦笑をした。 「両者の海の成分を分析すれば、関連性が分かるのかもしれないが……いずれにしても、ここでジータにアクセスするのは好ましくないだろう」  回りの目がとノブハルが口にしたところで、ヴァイオレットが表情をガラリと切り替えた。それまでの無表情が嘘のように、とても愛らしい笑みが浮かんだのである。 「お兄ちゃん、疲れたっ!」 「な、なんだ、急にっ!」  突然の変貌に驚いたジノだったが、すぐに表情を切り替え「そうだな」と軽い調子で合わせた。 「ノブハルもそう思わないか?」 「俺は、まだまだ見たり無いんだがなぁ〜」  そこでサラマーの顔を見て、「みんなに合わせる」と肩を竦めた。 「だけど、これからどうするつもりだ?」  時間を気にしたノブハルに、「お兄ちゃんと公園っ!」とヴァイオレットはブラコンを全開にした。  はっきりと主張したヴァイオレットに、それは構わないがとノブハルはサラマーの顔を見た。 「恋人でもない俺達に、どうやって時間を潰せと言うのだ?」 「別に、恋人になってもいいのよ。そうすれば、お兄ちゃんの心配はいらなくなるから」  ねえと顔を見られ、ジノは少し目元を引きつらせた。 「どうやらジノは、シスコンじゃないようだな」  そう言って口元を歪めたノブハルに、「すぐに洗脳するから」とヴァイオレットはとても怖いことを口にしてくれた。 「ずっと兄妹していて、未だに洗脳できてないのにか?」  無理だなと口元を歪めて笑ったノブハルを見て、ヴァイオレットは「だめなの?」と媚びた顔をジノに向けた。  それにぐっと来たジノだったが、「お、俺はシスコンじゃないぞ」と上ずった声で言い返した。 「すまん、俺の勘違いだった。ジノは、隠れシスコンだったようだ」  もう一度すまんと謝ったノブハルに、「勝利」とヴァイオレットは意外に豊かな胸を張って喜んだ。  そうやって喜んでいるのを見ると、ヴァイオレットはとびっきりの美少女だった。もったいないなと、ノブハルは先程までの無表情さを思い出していた。 「とりあえず、飯は食い終わったからな。俺達あぶれ者同士で、晩飯までどこかで時間を潰してくるか」  そこで顔を見られたサラマーは、「あぶれ者同士」と遠い目をした。 「一緒に来る相手を間違えた気がするわ」 「それは、後の祭りと言ってやる」  だから行くぞと、ノブハルはジノ達に手を振ってカフェを出ていった。そしてそれを、「置いてくことはないでしょ」と文句を言いながら、サラマーは追いかけていった。  その姿がドアの向こうに消えたところで、「私達のようね」とヴァイオレットは囁いた。 「だとしたら、ターゲットは君と言うことになる」  脳天気な表情をしながら、ジノは「注意が必要だな」と剣呑なことを口にした。 「いざとなったら、ピープ1への退避が必要かもしれん」 「回りの目には気をつけたつもりなのだけど」  自分達につけられた監視に、「そうね」とヴァイオレットもピープへの避難を肯定したのだった。  注意深く行動をしていたつもりとの言葉通り、普通ならばノブハル達4人が当局に目をつけられるはずはなかった。惑星アーベルから近いこともあり、惑星アデニール出身者は数多くいたのだ。そして惑星アデニールからの旅行者にしても、特に珍しい存在ではない。その意味で言えば、ノブハル達の潜入設定は間違ってはいなかったのだ。  ただ一つ、彼らの想定もしていなかった事情と言うのがそこにあっただけだった。 「別の肌色をした女性とのご希望に沿う形で、何人か候補をピックアップしてまいりました」  アザキエルにお辞儀をしたタブリースは、こちらにと女性のリストを提示した。総勢30人ほどの、赤やら緑やら肌色やら、バリエーションに飛んだ女性が並べられていた。 「リストアップの基準は?」 「世継ぎには関係ありませんので、家柄についてはこだわっておりません。それぞれの肌の色の基準に合わせて美しいことと、年齢的に殿下とのバランスが良いこと。そして話し相手になれる知性があることを基準にしております」 「つまり、この30人は基準に合格したと言うことか」  なるほどなと納得をして、アザキエルはリストアップされた女性をチェックしていった。 「それぞれの基準と言う話だが、できれば俺達の基準も考えて欲しかったな」  そこで苦笑を浮かべたのは、純粋アーベル人の基準からは外れた美人もリストアップされていたからだ。流石にこれはと、アザキエルは好みから外れた女性を消していった。 「それで、お勧めはあるのか?」  そうやってチェックをしたら、候補は10名程度にまで絞られた。ただそこからは、見た目についてはどんぐりの背比べとなっていた。 「知性と興味と言う点で、この金色の髪と菫色の瞳の白系の肌をした女性がお勧めなのかと」 「なにか、とっつきにくそうな表情をしているな」  感情の抜け落ちた顔に、アザキエルは少しむずかしい顔をした。 「それが、時折見せる表情がなかなかおつと言うのが係からの報告です」  それがこちらと、タブリースは別の映像をアザキエルに見せた。その映像では、その女性が笑っているのが記録されていた。 「なるほど、なかなか、いや、かなり良いのではないか。これで肌が青ければ、愛妾にしたいぐらいだ」  うんうんと頷いたアザキエルは、「この女性に決めた」とタブリースの顔を見た。 「それで、興味と言ったな。この女性は、何に興味を示していたのだ?」  それが肝要と言うアザキエルに、タブリースは「はい」と歴史展示館のことを持ち出した。 「歴史展示館で、マールス銀河と惑星マールスを熱心に見ておりました。加えて言うのなら、「間引き」の事実に到達していたようです」  その言葉の意味を、すぐにはアザキエルは理解することができなかった。「それは……」と口にしてから、「知らないのか?」と逆にタブリースに確認をした。 「それぐらい、常識だと思うのだがな?」 「そこに殿下の誤解がございます」  頭を下げたタブリースは、「そもそも」と加盟星系に展開されている情報が違うことを説明した。 「「間引き」は、実のところ連邦内に情報として伝えられておりません。特に初期に加盟したアデニールの者は、間引きの事実に気づくことはないはずです。彼らにとって、アーベル連邦は「そう言うもの」なのです」 「だから、目立ったと言うことか?」  なるほどなと頷いたアザキエルは、「気に入った」と声を上げた。 「すぐに、俺のところに連れてこい!」 「ご希望は承りますが、その前に身辺調査が必要となります。流石に危険な思想や病気持ちを、殿下のところに連れてくる訳には参りません」  次の総統だと考えれば、タブリースの言葉に一つも間違ったことはない。確かにそうだと認めたアザキエルは、「早急に確認を」とタブリースに命じた。 「連邦法への遵守も必要だとご理解ください。連邦に住まう住民には、意味もなく身柄を拘束されない自由が保証されております。当然婚姻の自由、居住地の自由、移動の自由も保証されております。逃がすつもりはございませんが、今しばらくお待ちいただければと思います」  連邦法を盾にとったタブリースに、アザキエルは思わず苦笑を浮かべていた。 「確かに言うとおりなのだが……なにか、理不尽なものを感じてしまうな。お前の言った自由とやらを、俺は何一つ実感したことがないのだ」 「閣下は、連邦法の枠外においでなので。総統一族を縛る連邦法は存在しておりません」  だから自由など認められない。タブリースの答えに、額に手を当て「生まれるところを間違えた」とアザキエルはぼやいた。 「間違えたと仰るのなら、殿下の責任と言うことです」  そう断言したタブリースは、「必要な調査を行います」と答えた。 「さほど時間は掛からないのかと」 「ああ、楽しみにしているぞ。何か、とことんこの銀河のことについて語り明かしたくなったのだ」  嬉しそうにするアザキエルに、「殿下」とタブリースは難しい表情をした。 「肌の色こそ違いますが、見目麗しい女性に向かってそれは間違っているとしか言いようがありません」 「そうは言うが、その方面は間に合っているのだがな」  少し顔をひきつらせたアザキエルは、「世継ぎを作ると言って煩いのだ」と3人の妻のことをぼやいた。 「快楽も、すぎれば苦痛となるのだぞ。しかも義務ともなると、快楽ですらなくなってしまう」 「そのために、体力づくりに勤しまれているのだと思いましたが?」  違うのですかと言うタブリースに、アザキエルは即座に「違う」と断言した。 「体力づくりは、暇な総統一族の趣味のようなものだ」 「もともとは、多くの子をなすために始められたと伺っておりますが?」  だから違わないと答えたタブリースに、アザキエルはもう一度「違う」と声を上げた。 「親父は知らんが、俺は少なくとも違うぞ!」 「ですが、総統一族の趣味と仰有りました」  だから子作りのためだと決めつけ、タブリースは「手配をいたします」と頭を下げた。 「肌の色は違いますが、別になさることを否定するわけではありませんので」 「俺は、その方面への欲求は薄いのだがな」  ただそれ以上の反論をしないで、任せるとアザキエルは申し付けた。 「俺にしてみれば、体よりも知的好奇心の方が重要だからな。どれだけ面白い話ができるのか、それが楽しみになってきたのだ」 「その点については、あまり過剰な期待をなされないように。加盟星系に与えられた情報はあまりにも少なくなっております。そしてこの銀河の知は、全て殿下に集められておりますゆえ」  そう釘を差してから、「早急に」とタブリースは頭を下げたのだった。  そしてその翌日、タブリースは難しい顔をしてアザキエルの前に現れた。少なくとも、連邦の運営に今現在で支障は生じていない。それを考えると、タブリースの表情の理由は前日の命令が理由と想像ができた。 「なんだ、なにかまずいことが見つかったのか?」  「例えば病気とかと」と口にしたアザキエルに「いえ」と答えタブリースは更に難しい表情をした。 「かの者の素性に疑義が生じましたので」 「疑義だと?」  なんだと眉を顰めたタブリースに、「疑義です」とタブリースは繰り返した。 「かの4人の出身は惑星アデニールとの申告でした。ですが、旅客船には彼女たちの乗船記録はありませんでした。さらにアデニールに照会したのですが、4人の存在を確認する情報は出てまいりませんでした」 「連合の潜入工作員と言うのか?」  表情を厳しくしたアザキエルに、「いえ」とタブリースはその線も否定した。 「ホライズンに到着した船に、4人の乗船記録がないのです。密入国の可能性は拭いきれませんが、だとしたらあのように堂々としていられるでしょうか?」  だから更に調べたとタブリースは答えた。 「ハルトンホテルへの予約、町中で支払われたチェックと、全て正常に処理がなされています。これまで捕らえた連合の工作員とは、準備のほどが違っております。そして連合の工作員とは違い、4人は観光しかしておりません」 「つまり、連合の工作員の可能性は低いと言うことか?」  アザキエルの問いに、「そのとおりで」とタブリースは答えた。 「それならば、記録の間違いではないのか?」 「4人、纏めてですか?」  ありえませんと。タブリースは断言した。 「それに、あの4人はかなり目立つ見た目をしております。殿下の目に止まったことからも、それは間違いないことかと。ですが、あの船に彼らの目撃情報がないのです。ただ入国に際して、乗船したと言う申告があるだけなのです」 「なるほど、ぷんぷんと臭うな」  面白そうに口元を歪めたアザキエルは、「どうするのだ?」とタブリースに問うた。 「公安に命じ、身柄の確保、尋問を行うのが常道かと」  公安案件だと答えたタブリースに、「面白くないな」とアザキエルは返した。 「その女を俺のところに連れてこい。なに、身体検査を念入りに行えば、女の細腕で俺を殺すことはできんぞ。それに俺が死んでも、代わりは何人も控えているからな」 「殿下の代わりは、そのような目的で確保されているわけではないのですが……」  困った顔をしたタブリースは、「お考え直しを」とアザキエルに迫った。 「地表に縫い付けられた俺のわがままなのだが。それでも聞いて貰えんのか?」  駄目なのかとの問いに、タブリースは指で眉間を抑えた。そしてそのままの格好で固まって、「分かりました」と大きく息を吐き出した。 「武器を隠せないよう、殿下の前に連れてくる時には裸でもよろしければ」 「流石に、年頃の女には可哀想ではないのか?」  いかがなものかとの答えに、「拘束具でもよろしければ」とタブリースは代わりの条件を持ち出した。 「それぐらいなら、裸の方がマシなのだが……いいのか、俺がその女に種付けをしても?」  揉め事のもとになるとの問いに、「その時はその時」とタブリースは言い返した。 「殿下の男としての本能を抑えるつもりはございません」 「自分で言ったことだが、俺は理性的だと思っているのだがな」  引きつった笑みを浮かべたアザキエルは、「任せる」とタブリースに扱いを一任した。 「では、殿下の安全を最優先にさせていただきます」  しばしのお待ちをと頭をさげ、タブリースはアザキエルの面前を辞した。対象の出国予定も分かっているが、時間を置くことに意味はないと考えたのである。  歴史展示館に行った翌日、4人は朝食のためにホテルのレストランに降りてきていた。年齢相応の安めのホテルの朝食は、ビュッフェスタイルにこそなっていたが、品数は極端に少なくなっていた。  そこで皿を山盛りにしたノブハルは、「今日の予定だが」と切り出した。 「俺も、歴史記念館のマールス銀河の展示に行ってみようと思っている。だからと言う訳ではないが、俺とヴァイオレットの組み合わせと言うことにする。ジノとサラマーは、姿を隠して警備をしてくれ……おい、そこで嫌そうな顔をするな」  自分の表情に気づいたノブハルに、ヴァイオレットは「お兄ちゃんの方がいい!」と朝から媚びた演技をした。そしてそれに合わせるように、ジノも「ノブハルじゃな」と嫌そうな顔をした。 「俺は、お前にお兄ちゃんと言われたくないぞ」 「それはなんだ、「お兄ちゃん!」と言って欲しいと言うことか?」  わざと媚びた声を出したノブハルに、「おぞましい」とジノは両手で自分の体を抱きしめた。 「思わず殴り殺しくたくなってしまったんだぞ。この責任を、どうとってくれるんだ?」 「それは、俺の責任なのか?」  眉を顰めたノブハルに、「お前の責任だ」とジノは言い返した。 「妹のこと以前に、どうしてそんなに気持ち悪い真似ができる。思わず背筋に震えが来たぞ!」 「なるほど、ジノにはこの攻撃が有効ということか」  弱みを掴んだと喜ぶノブハルに、「命は惜しくないのか?」とジノは言い返した。  そんなジノに、「お兄ちゃん怖い!」とノブハルはシナを作った。 「思いっきり気分が悪くなったのだが……この落とし前をどうつけてくれる?」  そんなジノに、「トイレなら」とノブハルはレストランの出口を指さした。 「ゆっくりこもってきていいんだぞ。お兄ちゃん」 「どうして、そんなに気持ち悪い真似ができるんだっ!」  くそっと吐き捨てたジノは、「好きにしろ!」と席を立った。 「どこに行くのだ?」 「トイレに決まっているだろう。せっかく食ったものが、胃から逆流しそうだ」  まったくと文句を言いながら、ジノはレストランの出口へと向かっていった。そしてサラマーは、「私を捨てるのね」と言いながらその後を追いかけた。  それを見送ったところで、「触らないでね」とヴァイオレットは両腕を胸の前で揃えた。 「そこは普通、襲わないでと言うところじゃないのか?」 「襲われる以前に、触られたくないから」  だから間違っていないと答えたヴァイオレットに、「そうなのか」とノブハルは肩を落としたのだった。  レストランを出たところでジノに追いついたサラマーは、「何者かしら?」と主語の分からない問いかけをした。 「歴史展示館から、なぜか俺達に監視がついたようだ」 「私達の方にはいなかったわよ。あなた達、なにかドジを踏んだの?」  責任を自分になすりつけたサラマーに、「心当たりはないな」とジノは難しい顔をした。 「そして今の状況を見ると、彼女がターゲットのようだ」 「テロリスト……に見られるような行動はしていないはずよね?」  なんだろうと顔を顰めたサラマーは、「人が増えた」とレストランの方を見た。 「でも、殺気立ってるって感じはしないわね」 「ああ、観察されていると言う感じだな」  それもまたおかしいと、ジノは目元を険しくした。 「ちなみに俺達にも付いているんだが……振り切らない方が良さそうだな」 「キスぐらいしておく?」  そうすれば、カムフラージュになるだろう。サラマーの言葉に、「そこまで必要ない」と答え、ジノは目で合図をした。レストランに戻ろうと言うのである。  おとなしくそれに従ったサラマーは、そこで肩を落としているノブハルを目撃した。ヘコまされたのだなと事情を察し、「4人で行きましょう」と折衷案を提示した。 「それはいいが、ジノは同じ場所で退屈しないのか?」 「それを、なぜ妹に聞いてやらないのだ?」  おかしいだろうと文句を言うジノに、「気が利かないやつ」とノブハルは言い返した。 「ヴァイオレット、ノブハルはああ言っているが?」  二人きりで良いのかとの問いに、「絶対に嫌っ!」とヴァイオレットは即答した。 「だって、ノブハルの目が怖いもの」 「だそうだ。したがって、お前を妹と二人きりにする訳にはいかないな」  だから4人なのだと。ジノは勝ち誇ったように言った。 「このシスコン男め」 「危ない奴から妹を守るのは兄の努めだっ!」  しっかり胸を張ったジノは、「どうするんだ?」とノブハルに聞き返した。 「ヴァイオレットと一緒に歩きたいのなら、俺を敵に回しちゃだめだと思うのだがな?」 「ああ、きっとそうなのだろうよ」  仕方がないと立ち上がったノブハルは、「30分後」と言ってさっさとレストランを出ていった。  それを見送ってから、「嫌なら嫌と言わなきゃだめよ」とサラマーが声を掛けた。そんなサラマーに、「「触らないで」と言っておいた」とヴァイレットは答えた。 「サラマーが押し倒せば問題は解決するのに」 「一応私にも、選ぶ権利はあると思うの」  だから無いと答え、サラマーはヴァイオレットを連れてレストランを出ていった。 「おい、俺を置いていくな」  そう文句を言いながら、最後にジノはレストランを出ていった。  そのまま部屋に戻ったノブハルは、すぐにアクサに情報封鎖を命じた。そしてジノが戻ってきた所で、「何が起きている?」と問いかけた。 「アクサに、情報封鎖を命じてある」 「マイ・マジェスティ。どうやら、ヴァイオレットが目をつけられたようです」  単刀直入の答えに、「彼女か」とノブハルは視線を少し険しくした。 「俺でもサラマーでもなく、一緒にいたお前でもないと言うのか」  分からんなと零し、「撤退を早めるか」とノブハルは口元に拳を当てた。 「調査としては不足そのものだが、リスクを犯す理由はないはずだ」 「それは、仰る通りなのかと」  頭を下げたジノに、「明日、ここを出る」とノブハルは命じた。 「明日……でしょうか」  確認したジノに、「明日だ」とノブハルは繰り返した。 「入国に関する書類は完璧に作成されていた。だとしたら、なぜ俺達に目をつける? しかも彼女に目をつける理由が分からないのだ。見た目のことを持ち出すのなら、彼女の肌は青くないぞ。それに町中を見れば、似たような素性の奴はゴロゴロしているだろう」 「つまり、監視を受ける理由に興味があるのだと?」  再度確認してきたジノに、「危険な感じはないのだろう?」とノブハルは問いかけた。 「殺気立っていると言うのなら、すぐにでも撤退と言う話になるだろう。そしてお前達も、俺の意向などお構いなく、ピープに撤退させていたはずだ。違うのか?」 「仰る通りかと」  頭を下げたジノは、「奇妙な感じです」と観察者のことを評した。 「関心が、彼女だけに向けられているように思えるのです」 「だが、アーベル人は、純血に誇りを持っているはずだ。見た目の美醜など、肌の色を覆す理由にはならんだろう。だとしたら、どうして彼女が目をつけられるのだ?」  分からんなと漏らしたノブハルに、「全くです」とジノも漏らした。 「ただノブハル様には、いざと言う時の心構えをお願いいたします。もしもの場合、彼女を切り捨てて我々だけで脱出いたします」 「俺に、それを認めろと?」  明らかに不快さを顔に出したノブハルに、「私達の役目はそれだけです」とジノは返した。 「その意味で、できるだけ不用意な真似はなさらないでいただきたい」 「一応忠告として受け取っておこう」  そこで「アクサ」と声を掛け、行っていた情報封鎖を解除した。 「心配するな。お前の妹に手を出す真似はしないさ」  行くぞと声を掛け、ノブハルは部屋のドアを開けて外へと出ていった。  一度気になると、どうしても行動の一つ一つがぎこちなくなってしまう。歴史展示館の中でも、ノブハルの行動が一番不自然になっていた。その一方で、ヴァイオレットは全く気にした素振りを見せなかった。まあ、「お兄ちゃん!」とジノに張り付くこと自体が、演技そのものだったのだが。 「確かに、人類の種は100万の星に蒔かれたと書かれているな」  前日の報告を確認したノブハルは、普段とは違う小さな声で更に情報を読み上げた。そしてその中に一つ、気になるキーワードを見つけた。 「無秩序に蒔かれた種はと言う記述があるな。これを見る限り、種の蒔かれ方はアーベル人のお気に召さなかったようだ」 「そうかもしれない。でも、あまりこだわるようなことじゃないと思う」  すかさず返ってきたコメントに、「その理由は?」とノブハルは発言の真意を尋ねた。 「種の蒔き方に、法則性が見つけられなかっただけとも考えられるわ」 「確かに、その可能性はあるのだろう」  特にそれ以上のコメントをすることなく、ノブハル達は惑星マールスの展示へと移動した。そして鉱脈分析のマップを見て、「いくつか分かる事がある」と3人の顔を見た。 「まず存在する鉱物は、特に特徴的なものは無いと言うことだ。そして採掘具合を見ると、元素変換技術に到達していないものと思われる。理由は、建物に使われている物質が、天然由来と言うものだ。そして展示されている道具にしても、物質合成で作られたものじゃない」 「それは、惑星マールスの文明レベルが高くないと言う意味ですか?」  ジノの問いに、「この展示で分かる範囲ではな」とノブハルは、別の道具も確認した。 「文明レベル1にも満たないのではないか?」  そう言って、ノブハルは惑星マールスの衛星メンスを拡大した。 「一番近いところにある衛星に、開発された形跡がない。デブリを調べないと分からないが、あまり人工物を軌道上にあげていない可能性がある」  ノブハルの説明に、ヴァイオレットは小さく頷いた。そして「別の疑問」と口にした。 「マールス人が、人類の種を銀河にばら蒔いたことになっている。だけど、今の人達はどうやってそれを知ったのかしら? マールス人に会ったと言う記録はどこにも残っていない。その伝承を伝える文書も存在していない。それでは、おとぎ話としか言いようがないと思う」  ノブハルが「なるほど」とヴァイオレットの意見を認めたところで、団体が展示場に入ってきた。背格好からすると、10代前半と言うところだろうか。わいわいがやがやと、うるさいことこの上なかった。もちろん入ってきた子供達の肌は、全員綺麗な青色をしていた。  子供達が騒いだことを気にしたのか、引率していた女性は「騒がしくてすみません」と盛んに謝ってくれた。青い肌の色をした、真ん中分けの赤いセミショートヘアの年若い女性である。前髪からアホ毛が逆立っているのがやけに目立っていた。その対応を見る限り、惑星アーベルにおいて、肌の色による差別は存在していないのが理解できた。 「いや、こう言うところに来ると騒ぎたくなる気持ちは理解できるぞ」  マナーには問題があるがと笑い、「俺達なら大丈夫」とノブハルは答えた。そして3人の顔を見てから、「カフェに行こうか」と声を掛けた。 「そうね、少し喉が渇いたかな?」  行こう行こうと声を上げるところは、子供達と大差が無いと言っていいだろう。そんなサラマーに苦笑を浮かべ、こちらこそ迷惑をかけたとノブハルは引率に向かって謝った。  謝ったノブハルに、引率の女性は「カフェなら」と彼女のお勧めを教えてくれた。 「あまり知られていませんけど。この中にちょっと素敵なカフェがあるんですよ」 「それは、とても耳寄りな情報だな」  それでと尋ねたノブハルに、引率の女性は館内図の載ったパンフレットを持ち出した。無造作にくっついてくるところなど、本当に肌の色に対する差別意識はないようだ。ちょっと刺激性があるが、いい香りがノブハルのところに匂ってきた。 「この細い階段を上がった先にあるんですよ。調度品が凝っていますし、お茶とお菓子も特製の物を出してくれます」  お薦めですと笑った女性は、肌の色を超えて綺麗だなと思えてしまった。 「ちなみに、俺達が入っても良いのか?」  その問いかけに、引率の女性は意味が分からないと言うように首を傾げた。 「なにかの会員じゃないと入れないとかあるからな。ちょっとそれが気になっただけだ」  言い訳をしたノブハルに、その女性は「ああ」と頷いた。 「特にそんなことはないんですけどね。実はそのオーナーから、宣伝して欲しいと頼まれていたんです。場所が悪くて、お客さんが少ないって嘆いていましたから」 「確かに、場所が良いとは言えないな」  その女性の言葉を認め、ノブハルは「ノブハル」だと名乗った。 「ご丁寧にありがとうございます。メルダと言います。マスターに、私の紹介で来たと言ってくれれば、次に行った時にサービスが良くなるかもしれませんので」 「俺達へのサービスが良くなる訳じゃないのか?」  少し眉をへの字にしたノブハルを笑い、メルダは「私の責任範囲外です!」と偉そうにした。 「確かに、あんたの責任範囲外だな」  了解したと笑い、ノブハルは「行こうか」と3人の前を歩き出した。軽く右手を振ったのは、感謝の意味を伝えるためだろう。  それを見送った所で、メルダは「そこ、騒がないの!」と子供達に負けない大きな声を張り上げた。  教えられたとおりに階段を登っていったら、確かに他人の姿を見かけなくなった。それを確認した所で、「これは罠か?」とノブハルはジノに尋ねた。 「その可能性はかなり高いのかと。ただ、騒ぎにならないよう配慮はされているようです。むしろ、招待を受けたと考えた方がよろしいのかと」 「だとしたら、あの扉の先には何が待っているのかな?」  ここまで来たら、扉を開けないと言う選択肢はない。「私が」と機人を装備し、ジノがドアノブを捻った。  だが用心した割に、扉の向こうはあまりにも普通の世界だった。メルダと言う女性の言う通り、部屋にはかなり凝った装飾がなされ、上品なテーブルが4つほど並べられていた。 「おやおや、これは珍しいお客さんですな」  そう言って現れたのは、当たり前だが青い肌をした紳士だった。少し白いものが口ひげや頭髪に混じっているのは、彼がそこそこの年齢からなのだろうか。 「ようこそ当店へ。うちのお勧めは、ジレル産の紅茶とチョコレートケーキです。甘みを抑えたチョコレートが、結構評判がいいんですよ」  ノブハル達を案内しながら、老紳士はお勧めを口にした。そこで3人の顔を見たノブハルは、「だったらそれで」とお勧めを注文した。 「メルダと言う女性に聞いてきたのだが、確かに客の入りが悪そうだ」 「あの子が、そんな事を言っていましたか」  はあっと息を吐いた老紳士は、「ケーキを小さくしてやりましょうか」と彼女の期待とは正反対のことを口にした。それを気にしたノブハルは、「落ち着いた素敵なカフェだとも言っていたぞ」とすかさずフォローをした。 「ものは言いようと言うことですな。客の入りが悪ければ、嫌でも落ち着いて見えるでしょう」  お待ちをと奥へと消えた老紳士は、すぐにワゴンを押して現れた。切り分け用なのか、ワゴンの上にはホールのチョコレートケーキが置かれていた。  それを器用に切り分けて皿に載せ、クリームで巧みに飾り付けをしてくれた。それを4人分用意してから、ワゴンの下からカップを取り出し4人の前に並べた。 「ジレル産の紅茶は、香りが良いと評判なんですよ」  その説明通り、淹れられた紅茶からは甘い香りが漂ってきた。なるほどいい香りだと、ノブハルは早速紅茶から手を付けた。鼻腔をくすぐる甘い香りに、「うまいな」と思わず声を上げた。 「気に入っていただけて光栄です」  ではごゆっくりと、老紳士はワゴンを押して奥へと消えた。これで店内には、ノブハル達4人だけとなった。とても落ち着いた環境なのに、4人の間には次第に緊張が高まっていった。 「美味しいチョコレートケーキなのにな」  苦笑を浮かべたノブハルに、「まったく」とサラマーも頷いた。美味しいと言うのは分かるのだが、食べた気がしないと言うのが正直な気持ちだったのだ。 「さて、美味しく飲食して終わりと言うのは、流石にないのだろうな」  仕掛けられる前にこちらから仕掛ける。そのつもりで、ノブハルは「ご店主」と奥へと声を掛けた。 「すまないが、紅茶のお代わりをいただけないだろうか?」 「お気に召していただけましたかな?」  にこやかな笑みを浮かべた老紳士は、場所を変えましょうと提案してきた。そしてヴァイオレットの顔を見て、「お嬢さんに会いたいと仰る方がおいでです」と口にした。 「ヴァイオレットにか?」  驚いたノブハルに、「今はここまで」と老紳士は頭を下げた。 「もちろん、皆様にはお断りになる自由がございます。ただお断りになられた場合、入国管理局の取り調べが待っております」  いかがなさいますかとの問いに、「彼女だけか?」とノブハルは確認した。 「私共が用があるのは、そのお嬢様だけです。ですからお三方には、別室でお待ちいただくことになります」 「つまり、ご招待を受ける以外に道はないと言うのだな?」  断った場合、すぐに拘束されると言うのだ。逃げ出すことは難しくないが、今は手の内を隠しておいた方が良いとノブハルは考えた。  そこでヴァイオレットが頷いたので、「喜んで」といささか場違いな答えをノブハルは口にした。それに驚いた老紳士に、「招待を受ける時の決まり文句だ」とノブハルは言い返した。  その答えに笑みを浮かべ、「こちらにどうぞ」と老紳士はノブハル達を奥へと案内した。  18万光年にも及ぶ銀河を股にかけているのだから、空間移動技術あってもおかしなことではない。案内されたドアをくぐったところで、一行の目の前に明るい空間が広がっていた。 「なるほど、あなた方は連合から来たのではないと言うことですか」  小さく頷いた老紳士は、「簡単なことです」とノブハル達を見て口にした。 「かの者達は、空間移動技術にたどり着いておりません。そして連邦内でも、空間移動技術を利用できるのは、ごく限られた者達だけとなっております」 「俺達のような若造が、空間移動技術を知っているわけがないと言うのだな」  なるほどと頷いたノブハルに、老紳士はパチリと指を鳴らした。それだけで、彼らの居た場所が落ち着いた装飾の部屋へと変わった。 「やはり、驚かれませんでしたな」  老紳士が手を叩いたのにあわせ、青い肌をした女性が二人現れた。恭しく頭を下げたところを見ると、召使いのようなものなのだろう。 「では、先程お話させていただいたとおりお嬢様には別室に行っていただきます」 「拒否権は無いと言う話だったな」  ふんと鼻息を一つ吐いたノブハルに、「ございますよ」と老紳士は顔色一つ変えずに答えた。 「そのかわりに、多少の不利益を我慢していただくことになりますが」 「俺達など、如何様にも料理できると言うことか」  そこでいいのかと顔を見られ、ヴァイオレットはコクリと頷いた。 「彼女の了解は貰った」 「では、別室へとご案内させていただきます」  老紳士が頭を下げたのに合わせ、現れた召使いはヴァイオレットを連れて扉の向こうに消えた。 「皆様には、このままお帰りいただいても構わないのですが……」  そこでノブハル達の顔を順に見て、老紳士は「不親切ですな」と椅子に腰を下ろした。 「色々と聞きたいことがある。顔にそう書いてあるようです」 「俺達が、何を調べていたかは知っているのだろう?」  どかりと腰を下ろしたノブハルに、「ええ」と老紳士は答えた。 「失礼いたしました。私、タブリースと申します」 「俺達は」  名乗り返そうとしたところで、「存じ上げております」とタブリースは答えた。 「偽名でないと言う保証はありませんが、あなたがノブハルさん。あなたがジノさん、そしてあなたがサラマーさんでよろしいのですね」 「ああ、とりあえず本名を名乗っている。偽名を使うことに意味がないのでな」  それでとノブハルは、「彼女をどうするのだ?」とタブリースに問うた。 「アザキエル様が、彼女をお見初めになられました。ですから、側女にと考えております」  流石に想定外の答えだったのか、「なに?」とノブハルは聞き返してしまった。 「俺には、側女と聞こえたのだが?」 「ええ、確かに側女と申し上げました」  笑顔を浮かべたタブリースは、「アザキエル様のご希望です」と繰り返した。 「だが、彼女の肌は青くないぞ」  純血のアーベル人の相手として、人種的に問題があると言うのである。  それを持ち出したノブハルに、「ですから側女です」とタブリースは返した。 「彼女が純血のアーベル人であれば、側女ではなく夫人にと言う話になります。側女でも抵抗する者も居ますが、ぎりぎりの妥協点と言うことです」 「つまり、アザキエルと言うのはそれだけの立場があるということか」  なるほどと椅子に持たれたノブハルに、「次次代の総統となられます」とタブリースは爆弾発言をした。  流石に想定外すぎる答えだったのか、ノブハルだけでなく、ジノやサラマーまで腰を浮かした。 「身元の不確かな彼女を、そんな高貴な方の前に連れて行っていいのか? 総統と言えば、連合にとって不倶戴天の敵じゃないか。総統が代替わりすると言う知らせに、連合は騒ぎになっていると言う話だぞ」  不用心すぎるとのノブハルの言葉に、なるほどとタブリースは大きく頷いた。 「あなた方は、連合の動きをご存知と言うことですか。ちなみに連合には、わざと情報をリークしてあります。なるほど、狙い通り騒ぎになっておりますか」 「次次代の総統の安全は気にしないのだな?」  口元を歪めたノブハルに、「一応配慮はしております」とタブリースは返した。 「そしてアザキエル様には、何人ものバックアップがおいでになられます。好ましいことではありませんが、アザキエル様が暗殺されても連邦は何も変わりません」  そこでゆっくりと3人の顔を見たタブリースは、ノブハルに向かって伺いたいことがあると切り出した。 「どうやら、あなたが4人のリーダーのようですな。そのリーダーのあなたに、何を目的に惑星アーベルにおいでになられたのかを伺いたい」 「何を目的と俺に聞くのか?」  口元を歪めたノブハルに、「ええ」とタブリースは表情を崩さず答えた。 「あなた方が、マールス銀河に興味を持たれているのは分かっております。はじめは連合の人間かと思ったのですが、どうやらそれが違うことが分かりました。ひょっとしてマールス人が現れたのかと思ったのですが、どうやらあなた方は別の場所からおいでになられたようだ。なにゆえ、100万を超える光の距離を超え、惑星アーベルにおいでになられたのか。その理由を伺ってもよろしいでしょうか?」 「本気でそう思っているのか……と本来は出方を探るところなのだろう。ただあなたを見ていると、俺程度で太刀打ちできるとは思えないな」  そこで椅子に座り直したノブハルは、小さく咳払いをして「正解だ」と正面からタブリースの顔を見た。 「俺達は、200万光年の距離を超えてマールス銀河……でいいのか。マールス銀河が、俺達の銀河にとって驚異とならないかを調べに来たのだ」 「200万光年と仰りますか……」  ノブハルの言葉を反芻するように、タブリースは目を閉じて大きく息を吸った。それをしばらく続けてから、「冷静ではいられないものですな」と自分の感情を口にした。 「1年と言う時間は、もはや非現実的とは言えないのでしょう。それだけの時間をかければ、私達でも200万光年の距離を超えることは可能です。ですが、今の私達では到達するだけで疲労困憊してしまいます。あなた方は、それだけの距離を超えたと仰るのですか……」 「ちなみに俺達は、200万光年を4日で超えたのだがな」  ノブハルの言葉に、タブリースは「なんと!」と声を上げた。 「僅か4日と仰るかっ!」  素晴らしいと感激したタブリースに、「いつか到達できる世界だ」とノブハルは言い返した。そして感激しているタブリースに、「教えてくれ」と切り出した。 「何をお知りになりたいと仰るのですか?」 「この銀河のことだ」  そう前置きをして、「調べたのだ」とタブリースの顔を見た。 「歴史展示館のマールス銀河の展示に、マールス人はこの銀河に100万の人類の種を蒔いたと記載してあった。だが今時点で、この銀河には45万程度しか有人星系は存在していない。しかも全マールス銀河の7割を占めるアーベル連邦には、僅か20万の有人星系しか存在していないのだ。100万引く45万は55万となる。その55万は、お前達が破壊したのか?」  単刀直入に切り出された問いに、タブリースはそれを認めた。 「答えは「その通り」と言うことになります。そして先回りをさせていただくと、あと10万ほど、連合の星を破壊する予定です」  否定されるとは思っていなかったが、これほどあっさりと肯定されるとは思っても居なかった。そのせいで絶句したノブハルに、タブリースは「この銀河に生きる者のため」と理由を口にした。 「近傍惑星との距離、そして星系周辺に存在する資源。それの最適値を考え、およそ5千年前に間引きを開始しました。すでに我が連邦のエリアの間引きは終わっておりますので、残るはザクセン=ベルリナー連合のエリアのみとなります」  「なぜ」と言いかけたノブハルは、直ぐに意味のない問いかけだと口を噤んだ。タブリースは、「最適値を考えた結果」とすでに理由を口にしていたのだ。それ以上の理由を尋ねたところで、同じ答えが返ってくることが予想できてしまったのだ。 「俺達の銀河には、有人星系はおよそ10万ある。単純に大きさ比で増やせるとは言わんが、それでも60万ぐらいなら問題はないはずだ。工夫をこらせば、100万でもやっていけると思うぞ。それだけ、マールス銀河は巨大な存在だ」  ノブハルの挙げた数字に、タブリースは穏やかな表情で頷いた。 「間引きの割合と言う意味でなら、仰る通りなのでしょう。一応再計算されているのですが、あなたが仰られた数字が算出されております。ですから、15万から10万に連合の間引き対象が見直されております」 「間引きをやめると言う話にならないのだな?」  ノブハルの問いに、「なりませんな」とタブリースは即答した。 「それでは、連邦内の間引きされた星に申し訳が立ちませんので」 「たった……たった、それだけだと言うのか?」  唖然としたノブハルに、「重要な理由です」とタブリースは答えた。 「少なくとも、総統閣下はそうお考えです」  そう答え、タブリースは「もう一つ」と人差し指を立てた。 「この間引きの中、マールス銀河に、新たな変革が芽生えるのではないかと期待されておいでです」 「新たな変革と言うかの……」  顔を顰めたノブハルに、「それがどのようなものかは分かっておりませんが」とタブリースは返した。 「よその銀河のことに口を出すのはルール違反なのだが……」  そこで大きく息を吐いて、「気に入らんな」とノブハルは吐き出した。 「俺達の銀河は、他の銀河と友好関係を結んでいる。身近なところだと、同じ局部銀河群にある直径20万光年の銀河の仲間だ。そして高次空間で繋がれた銀河1万と3が、超銀河連邦を構成しているのだ。おそらく、その数字は近々増えることになるのだろう」 「なるほど、外の世界はその様になっているのですか」  素晴らしい話だと感激したタブリースに、「仲間入りをしたいとは思わないのか?」とノブハルは尋ねた。 「私の個人的思いならば、是非ともと申し上げます。ただアーベル連邦の総意が、必ずしもそうとは限りません。残念ながら、あなた達を信用するに足る証拠を見せていただいておりませんので」 「なるほど、確かにこんなものは痴れ者の与太話の可能性もあるな」  信用に足りないと言われても、特にノブハルは腹をたてることはなかった。自分達と見た目の変わらない者が現れ、いきなり銀河の外から来たと言うのだ。そんなものは、証拠もなしに信用できるものではないのだ。 「だが、あなたは私の話を信じたのだろう?」 「色々と調べ、そしてこうして話をさせていただいております。相手を信用するには、それ相応のステップと言うものが必要となるのです」  それがなければ信用などされるはずがない。タブリースの言葉に頷いたノブハルは、「証拠があれば良いのだな」と確認をした。 「それでも、なかなか現実を受け入れない者はいるでしょう。そして一度始めたことを辞めるには、様々な障害を解決する必要があります。とても魅力的なお話なのですが、今しばし静観していただきたいと言うのが私からのお願いとなります」  そこで立ち上がったタブリースは、歩きながら「数百年経てば」と時間を口にした。 「私達側の準備も整うことでしょう。その時には、是非ともあなた方と将来の話をさせていただきたいと思っています」 「俺には、そこまで待たなければいけない理由が分からないのだがな」  だが彼の立場と言いたいことは理解できる。ノブハルは、「別の話をしよう」と提案した。  一人だけ召使いに連れ出されたヴァイオレットは、最初に浴場へと案内された。そこで裸にされ、別の召使いに頭の天辺からつま先まで、そこまでするかと言うほど磨き上げられた。ちなみにつけていた髪飾りとかは、裸にされる時に取り上げられてしまった。残されたのは、左手につけていた小さな指輪だけだった。  そのままドレスルームに連れ込まれたのだが、なぜか彼女の着替えは用意されていなかった。肌に香水をつけられ、別の召使いは髪を整えてくれた。そしてそこまでしたところで、「こちらに」と別の扉を示された。 「洋服は用意してもらえないの?」  次の部屋でとの答えを期待した彼女に、「そのままで」と召使いは答えた。  それに小さな声で「そう」と答え、ヴァイオレットは堂々と示された扉を開いた。空間接合がされていたのか、化粧室の隣はベッドルームのような部屋になっていた。そしてヴァイオレットは、そこに一人の男性が立っているのに気がついた。自分の格好を考えれば不思議ではないのだが、相手も何一つとして身につけていなかった。おかげで青い肌に、立派な筋肉が盛り上がっているのを見ることができた。 「私はアザキエル。次次代の総統候補の男だ」  はっきりとした声で名乗ったアザキエルに、「ヴァイオレット」と玲瓏な声でヴァイオレットは答えた。 「あなたは、私を抱くつもりなの?」  お互い裸のことを理由にしたヴァイオレットに、「そう思えるだろうな」とアザキエルは苦笑を浮かべた。 「俺の安全のためと言うのが、あなたを裸にした理由らしい。あなただけを裸にしておくのは礼儀に反すると思ったのだが……確かに、これでは別の意味を持ってしまうな」  悪かったと謝ったアザキエルに、「別に構わない」とバイオレットは返した。 「それで、何がしたいの?」 「とりあえず話がしたい。その後はどうするかだが……実はあなたの裸に興奮などしていたりする」  つまりは、ヴァイオレットが最初に言ったことをしようと言うのだ。 「私の肌は青くないわ」 「子供を作らなければ、問題となることはないだろう」  その程度の縛りだと笑い、アザキエルはヴァイオレットに椅子を勧めた。 「飲み物は、ジレル産の紅茶でいいか?」 「カップは、凶器になるわ」  忠告したヴァイオレットに、「それぐらいは分かっている」とアザキエルは苦笑した。 「だから、色気もなにもない紙コップと言うことになる」  小さな扉の中から、アザキエルは紙コップを2つ取り出した。確かに言う通り、その中には綺麗な紅茶色をした液体が満たされていた。 「香りは変わらないのだけど……色気もなにもないわ」  気にせず口をつけたヴァイオレットを、アザキエルはじっと見つめた。それに気づいたヴァイオレットは、表情を変えずに「なに?」と尋ねた。 「いや、堂々としていると感心したのだ。知らない男と二人きり、しかも裸にされて連れてこられたのだ。それなのに、あなたの瞳から恐怖は微塵も感じられない。そして同時に、裸を見られていることへの羞恥もない。ただ欲を言わせて貰うなら、そこは恥じらいを見せて貰いたいところなのだがな」 「話をする彫刻だと思えば、別に恥ずかしい気持ちにはならないわ」  玲瓏な声で答えたヴァイオレットは、「何を話したいの?」とアザキエルに問いかけた。アザキエルが指摘された通り、綺麗な胸がむき出しになっているのに、少しも気にした様子を見せていなかった。 「その前に、なぜ私に興味を持ったの?」 「確かに、その説明は必要だろうな」  小さく頷いたアザキエルは、「総統一族は」と自分の立場を持ち出した。 「アーベル連邦を統べる存在。連邦議会の上に立ち、そして議会を指導する存在……と言うのが公式の立場になっている。そしてアーベル連邦軍1千億の指揮権と言う、強大な権力を持つ存在だ」  立ち上がって歩いてくれたおかげで、彼の立派なものが目についてしまった。裸に興奮しているの言葉通り、その分身には力がみなぎっていた。 「その一方で、総統およびその候補と言うのは、極めて窮屈な立場とも言える。何しろ毎日が勉学と肉体の鍛錬で明け暮れ、ほとんどこの敷地から出ることはないのだからな。しかも複数の星々と連邦を組んでいるのに、俺は引退するまでこの星から出ることはできないのだ。アーベルと言う惑星の表面に貼り付けられた、標本のような存在でもあるのだ。指導と言ったが、ここの所議会に口を出したことはないはずだ」 「退屈な立場だと言いたいの?」  ヴァイオレットの問いに、「その通り」と大げさな身振りでアザキエルは答えた。おかげで彼の分身が、ブラブラと大きく揺れてくれた。 「だから俺にとって、知的好奇心を満たすのは唯一と言っていい喜びなのだ」  分かるかと迫られ、さすがのヴァイオレットも身をのけぞらせた。おかげできれいな胸が、ぷるんと震えてくれた。 「それで、私と何を話したいの?」  玲瓏な声にも、少し動揺が混じっていた。それを気にすることなく、「宇宙だっ!」とアザキエルは天を指さした。 「あなたも、マールス人に関わる言い伝えのことは知っているのだろう。だが考えてみれば、その言い伝え自体不思議な事がたくさんあるのだ」  例えばと、アザキエルは指を一本立ててターンをした。 「惑星マールスには、何も文献が残っていないのだ。データーも紙も、石碑すら残っていない。そしてアーベル連邦の歴史を紐解いてみても、マールス人の存在は出てこない。アーベル連邦発足はおよそ5千年前、マールス人が姿を消したと言われるのもおよそ5千年前。その存在自体、知られていてもおかしくないのにだ」  アザキエルの話に、ヴァイオレットは小さく頷いた。 「それなのに、マールス人が1万年前に人類の種を蒔いたことが事実として伝えられている」  ヴァイオレットの指摘に、確かにそうだとアザキエルは頷いた。 「私達は、その時この銀河に、他に文明がなかったのかに疑問を持ったわ。いくらなんでも、この広い銀河でマールス文明が唯一無二とは思えない。だとしたら、同じ時期に存在した文明はどうなったのか。マールス人が人類と言う種を蒔くため、綺麗に刈り取っていったのかしら?」 「俺も、同じ疑問を抱いたのだっ!」  素晴らしいと詰め寄られ、ヴァイオレットはもう一度身をのけぞらせた。先程よりも大きくのけぞったため、綺麗に整えられた金色の下の毛まで見えていた。 「いちいち、そうやって詰め寄るのをやめてくれるかしら」  服を着ていても鬱陶しいのに、裸となると鬱陶しさは嫌がおうにも増してくれる。真剣に文句を言うヴァイオレットに、すまなかったとアザキエルは笑った。それに小さくため息を吐き、ヴァイオレットは別の疑問を口にした。 「そして私達は、もう一つ別の疑問を抱いたわ」  離れろとばかりに両掌を向けてから、「惑星マールスのこと」とバイオレットは話を続けた。 「他の星々からは、綺麗に痕跡を消していったのよ。それなのに、なぜ惑星マールスには中途半端な形で痕跡を残したのかしら?」 「姿を隠してしまったら、後始末ができないからではないのか?」  それがと言うところを見ると、アザキエルは疑問に感じていないようだった。そんなアザキエルに、「それはおかしい」とヴァイオレットは即座に言い返した。 「後始末ぐらい、時限式の仕掛けを残していけばいいだけ。他の星々のことを考えたら、それぐらいのことができてもおかしくないわ」 「だとしたら、敢えて惑星マールスの遺跡は残されたと言うことか……しかし、なんのために?」  ううむと考えたアザキエルに、「もう一つ」とヴァイオレットは疑問を指摘した。 「どうして、1万年前にマールス人が人類の種を蒔いたのが事実として伝えられているの?」 「どうしてって……」  当たり前だろうと言おうとしたアザキエルだったが、どうしてもその言葉が出てきてくれなかった。当たり前と言う以上、何らかの証拠が必要となるのだ。だが自分でも口にしたとおり、惑星マールスには何も文献が残っていなかったのだ。  そこで黙り込んだアザキエルに、「それが最大の疑問」とヴァイオレットは指摘した。 「あなた達が信じて疑問に感じていないこの銀河の成り立ちだけど、一番の前提に説明がつかないの」 「マールス人が、人類の種を蒔いた事自体が疑わしいと言うのか……」  ううむと唸ったアザキエルに、「別の事実」とヴァイオレットは指を一本立てた。慣れたと言うより、はじめから裸なのを気にしていないようだ。 「この銀河に住まう種を考えた場合、「誰」と言うのは忘れれば人為的なものが考えられるわ。各有人惑星に住まう住民は、環境の違いによる差異はあっても、基本的に同じ遺伝子を持っている。この広い銀河を考えたら、普通では考えにくいことなの」  ヴァイオレットの指摘に、アザキエルはもう一度ううむと考え込んだ。そしてしばらく考え込んでから、ようやく口を開いて「とても興味深い指摘だ」と言った。 「今まで疑問に感じて疑っていなかったことが、どれだけ根拠のないことかを教えられた気がする」  小さく頷いたヴァイオレットは、「どうするの?」とアザキエルに尋ねた。 「それを理解したあなたは、これからどうしていくの。ゆくゆく最高責任者となるあなたなら、市井のものとは違って色々できることがあるはず」 「これから俺が、どうしていくか……」  そこでううむともう一度唸ってから、アザキエルは真剣な眼差しをヴァイオレットに向けた。 「俺なりに疑問を解消していく手立てを打つつもりはある」  そう断言したアザキエルは、「ただ」とヴァイオレットに視線を向けたまま言葉を続けた。 「そのためのパートナーが必要だと思っている」  つまり、そのパートナーになれと言うのだ。その言葉が出るのに先回りをして、「言っておくけど」とヴァイオレットは口を開いた。 「私は、あなたのものになるつもりはないわ」 「お前の疑問を解消するためにも、それが一番の近道ではないのか?」  だから自分のものになれと迫るアザキエルに、「一つ勘違いがある」とヴァイオレットは答えた。 「興味はあるけど、私の人生にとってさほど大きな比重はないわ。少なくとも、色々と我慢をしてあなたのものになる理由にはならないの」  だから断ると、ヴァイオレットははっきりと言い切った。 「それから、あなたに一つ忠告をしておくわ。残してきた3人が人質になると思わないように。私には、あの3人に気を使う理由が存在していないの」 「その前に君は、置かれた状況を考えた方がいいのではないのか?」  身に何もつけず、男の前に一人取り残されているのだ。しかも体格を比べてみれば、歯向かうことに意味がないことぐらいは理解できるはずだ。  それを持ち出したアザキエルに、「もう一つの勘違い」とヴァイオレットは動揺の欠片も見せずに指摘した。 「アーベル連邦の法で示された自由の概念など信用するつもりはないわ。ただ私を犯したとしても、あなたは望むものを手に入れることはない。あなたは私から軽蔑を受けることになるし、私は生涯あなたと話をすることを拒絶する」 「死ぬとは言わないのだな?」  よくある脅しを口にしたアザキエルに、「なぜ」とヴァイオレットは言い返した。 「言ってみれば、たかが貞操の問題でしかないのよ。貞操を奪われたぐらいで、悲観して死ぬなんて馬鹿な真似はしない。その代わりあなたは、取り返しのつかない後悔をすることになる。貞操など、物理的には再生医療でどうにでもなるし、気持ちの問題なら小指を角にぶつけたとでも思っておけばいい」  その程度のことと言い返され、アザキエルははっきりと目元を引きつらせた。本気で脅した訳ではないのだが、言い返してきた言葉の一つ一つが気に入らなかったのだ。いっその事本気で犯してやると考えたのだが、自分を射抜く青い眼差しに正気を取り戻した。 「あなたの肌の色が青ければ、ぜひとも妻に迎えたいところなのだがな」  ふうっと息を吐いたアザキエルは、椅子にもたれて「残念だ」と繰り返した。 「ただ今は、包み隠さず話をしてくれたことを喜ぶことで我慢をしよう」  もう一度大きく息を吐いたアザキエルは、「感服した」とヴァイオレットを褒めた。 「なんの後ろ盾もないあなたが、堂々と俺と渡り合ってくれたのだ。そして力の強い私を恐れることなく、ためらいも見ぜずに私を拒絶した。たぶんだが、あなたは私と言う人間がどんな人間なのかを見抜いたのだろう」 「それは買いかぶり。別に、あなたのことを信用した訳じゃない。それに、力づくで来られても怖くはない」  だからだと答えたヴァイオレットは、「帰っていい?」と尋ねた。 「気持ち的には帰したくはないのだがな。ただ引き止めても、俺の望む結果は得られないのだろう」  小さく息を吐いてから、「そうだな」と答えてアザキエルは立ち上がった。そしてゆっくりとヴァイオレットに近づき、「話ができてよかったと思っている」と告げた。 「叶うなら、また話をさせて貰えればと思っている」 「次は、ちゃんと服を着せてくれるのなら考えておくわ」  ヴァイオレットが差し出した右手を握ったところで、アザキエルはぐいと力を込めて彼女を引き寄せた。流石に体重差はどうにもならず、ヴァイオレットは彼の胸に抱かれる格好となった。そしてその勢いのまま、アザキエルはヴァイオレットの唇を奪った。  ヴァイオレットの自由を奪ったアザキエルだったが、口づけ以上に及ぶことはなかった。しばらく唇を重ねたところで、「キスは駄目と言われていないからな」と嘯きヴァイオレットを解放した。 「確かに、キスまでは注意しなかったけど……するならするで、もう少し上手にして欲しかった」  「下手くそ」と罵ったと思ったら、なぜかそこでアザキエルの腰が砕けた。 「あの程度のキスでいったの?」  お子様ねと笑うヴァイオレットに、「何をした」とアザキエルは言い返した。 「力づくでこられても怖くないと教えたはず」  「証明になった?」と笑ったヴァイオレットは、「首の後を撫でてごらんなさい」とアザキエルに告げた。そして教えられた通り首の後を撫でたら、腰に力が入って立ち上がることができた。 「これは、立派な暴行行為になると思うのだが?」 「そう? 立派な正当防衛行為だと思うわ」  連邦法でも謳われていることだ。「じゃあね」の一言を残し、ヴァイオレットは入ってきた扉を使って謁見が行われた部屋を出ていった。どうやら元いた場所に戻れるよう、空間接合がされていたようだ。  ヴァイオレットが出ていってすぐ、同じ扉を使って老紳士……タブリースが戻ってきた。そしてアザキエルの顔を見て、「振られましたか」と口元を歪めた。 「受け入れられるとは思っていなかったがな。何しろ俺達の間には、肌の色と言う問題が横たわっている」  建前を口にしたアザキエルは、「有意義な話はできたのか?」とタブリースに問うた。 「そのあたりは、非常にと申し上げてよろしいのかと」  それに頷いたアザキエルは、「聞いておきたいのだが」とタブリースの顔を見た。 「肌の色の制限なのだが、他の進んだ銀河から来た者にも適用されるのか?」 「残念ながら、肌の色の制限に出身星系は考慮されておりません。したがって、他の銀河でも免除されることはないのかと」  分かっていたことだが、アザキエルは「だめ」と言う答えにがっくりと肩を落とした。美しく頭も良いヴァイオレットを、本気で妻に欲しいと彼は考えたのである。 「やはり、駄目と言うことか」  はあっと息を吐いたアザキエルは、「何を話したのか報告せよ」と表情を引き締めた。 「はい。かの者達が何者で、どこから来たのかが分かりました」  ゆっくりと頭を下げたタブリースは、ノブハル達と話したことをアザキエルに伝えたのだった。  意外に穏やかとなった惑星アーベルへの潜入とは対象的に、安全保障局の惑星ザクセン、惑星ベルリナー潜入は緊張感に満ちたものになっていた。何しろ惑星に降り立ってすぐに、住民の暴動に出くわしたのだ。暴動鎮圧に出動した警官隊は、人命などどこ吹く風と銃を水平射撃するし、住民は住民で手作りの爆弾でそれに対抗していた。ただ装備の差を超えることはできず、暴動を起こした住民側に一方的に犠牲者が積み上がっていった。  その事情は両惑星で変わることなく、潜入調査員は落ち着いた調査など夢のまた夢となっていた。 「両惑星から報告は、事前調査よりも更に悪いと言うのが現実なのかと」  ルーモア2号機副長マイケル・バーナムは、淡々と報告結果の分析を口にした。ちなみにマイケルと男性の名前をしているが、実際の性別は女性であり、細めの顔に黒い肌と少し盛り上がったチリチリの頭が目立っていた。 「暴動の理由は大別して2つになります。その一つは、オリジナルの住民と移民との対立にあります。特に元から居た住民は、移民によって生活が苦しくなったと不満を持っています。ちなみに、それは漠然とした印象的なものではなく、移民受け入れのために莫大な国家予算が使われているのが理由です。税は年々上がっていく一方なのに、住民福祉に割り当てられる予算は削減されています。そしてもう一つ、軍事費が増え続けているのも理由になっていますね。アーベル連邦が「間引き」と言われる行動をとっているのですが、その対象から外れていると言う情報が出回っています」 「住民にとって、「間引き」は他人事と言うことか?」  ジョナサンの問いに、「そう受け取れます」と副長のマイケルは感情を見せずに答えた。 「1千ヤー前に、自分達は自力で間引きを乗り越えたと言う思いも理由になっているのかと。どうして他の惑星のために、自分達が苦労しなくてはいけないのか。その感情が爆発しているのが、住民側で起こる暴動の理由です。この暴動の場合、被害者は他の星からの移民と言うことになります。そして警官隊は、非殺傷を基本的な対応としています。鎮圧の道具立てとして、催涙ガスとか放水が使用されいます」  ジョナサンからコメントがないことを確認し、マイケルは説明を続けた。 「一方移民側の暴動は、非常に込み入った理由となっています。元から居た住民からの迫害や差別、貧困や劣悪なキャンプの環境。そして新たに加わった移民との対立、アーベル連邦に負け続ける連合への不満等々が理由になっています」 「移民間の対立もあるのか……」  右手で顔を覆ったジョナサンに、「感情的対立としては一番問題なのかと」とマイケルは報告書を示した。 「初めの頃は、住民との対立もさほどなかったと言うことです。ですが移民が増えるにつれ、住民側の感情が悪化しました。そして同時に、古参の移民も新しい移民への感情が悪化していきました。なんとか折り合いをつけて生きていこうとした彼らにとって、新しい移民の存在は邪魔でしかなかったと言うことです。これまでの努力を踏みにじられた……と言う感情があってもおかしくありません」 「それぞれの政府は何をしているのだ?」  このような問題は、住民同士で解決できるものではない。それを考えれば、隔離なり融和なりの対策を政府が必要となってくる。  その質問に、「手が回っていないようです」とマイケルは答えた。 「「間引き部隊」に対する連合軍の主力は、ザクセン・ベルリナー両艦隊です。両政府は、その艦隊の整備に莫大な予算と人を注ぎ込んでいます。ちなみに、それもまた住民の感情を逆なでするものになっています。他の星のために、どうして自分達が犠牲にならなくてはいけないのかと言うものです」 「自己中心的と非難するわけにはいかないのだろうな……」  公助の精神を発揮するにしても、もはや限度を超えているようにも見えるのだ。身近な戦いを見るだけでも、多くの兵士が命を落としている。それを続けてきたのだから、もはや綺麗事が通用するとは思えなかった。 「仰る通り、自己犠牲の限度を超えていますね」  ジョナサンのコメントを肯定したマイケルは、「データー的なものです」と両惑星のデーターを持ち出した。 「面積的には、100億の住人を抱えることができると思われます。そして現在の住人の数は、およそ40億となっています。その内、もとからの住民の数は15億程度です」 「移民の割合いが6割を超えていると言うことか……それにしても、人口的には大したことは無いのだな」  惑星が養える人口は、技術の発展とともに増加してくる。副長の報告によれば、両惑星とも100億程度は問題はないはずなのだ。それなのに、たかが40億で問題が発生していると言うのだ。ううむと唸ったジョナサンは、「アーベル連邦か」と問題の根本を指摘した。 「政府が正しく機能し、住民福祉……環境整備に予算が使えわれれば、惑星上の環境は劇的に改善するものと思われます。それができないのは、艦長の仰る通りと言うことです」  諸悪の根源をアーベル連邦としたマイケルに、「一面的な見方はそうだ」とジョナサンも認めた。 「そもそも、これだけの広さを持つ銀河なのだ。僅か100万なら、共存することで問題は出ないだろう。それを考えれば、「間引き」行為自体の必要性に疑問が生じることになる。我々の連邦基準を当てはめるのなら、連邦軍が出動して制圧する事案となる」 「交戦権の範囲を逸脱していますね」  マイケルの答えに、ジョナサンはしっかりと頷いた。 「禁じられた侵略行為よりも更に悪い。ジェノサイドの実行は、星系封鎖処置の理由となる」  それぐらいの重大犯罪だと断じたジョナサンは、「我々の基準では」と最後に繰り返した。 「マールス銀河にそれを適用すれば、次は我々が連邦法を破ることになる」 「船長は、黙って無法を見過ごされると?」  目元を険しくしたマイケルに、「我々は警察ではない」とジョナサンは断言した。 「そもそもの目的は、マールス銀河がディアミズレ銀河、ヨモツ銀河の安全保障の問題になるかを確認することにある。そして今行っているのは、ピープの機能確認に名を借りた冒険ごっこでしかない。腹をたてるなと言うつもりはないが、我々にできることはなにもないと言うのが答えだ」 「腹を立てるほど青くはないつもりですが……」  そこで言葉を切ったマイケルは、「気に入らないのは確かですね」とジョナサンの指摘を一部認めた。 「アーベル連邦の星々の状況と比べると、著しく不公平と言う気がするのは確かです」 「あちらは福祉が行き届き、犯罪の発生率も極めて低いらしいな」  少し口元を歪めたジョナサンは、「確かに不公平だ」とマイケルの言葉を認めた。 「だが我々は、トリプルAではないのだ。気に入らないからと言って、他の銀河に干渉する任務は帯びていない。そしてアーベル連邦に言わせれば、今の安定は「間引き」を行った結果と言うことになるのだろう」  それにと、ジョナサンは「干渉」の方法自体を問題とした。 「惑星ゼスのことを、我々は忘れてはいけない。宇宙軍の干渉失敗が、泥沼の状況を導いてしまったのだ。良かれと思ってしたことが、逆に最悪の事態を導く可能性もあるのだよ。繰り返すが、我々は惑星ゼスでの失敗を忘れてはいけないのだ」 「その経験を活かすことも可能ではないでしょうか? 幸い、マールス銀河はディアミズレ銀河から200万光年しか離れていません」  大艦隊の派遣が可能だとの進言に、「距離は問題ではない」とジョナサンは答えた。 「パシフィカ銀河に、およそ1億の艦隊が派遣されているからな」  事実をあげたジョナサンは、「侵略でもするつもりか?」と副長に考えを質した。 「戦闘行為を止めさせることを目的とした場合、効果的な方法かと思います」 「効率や効果を求めすぎると、逆に足をすくわれる事になる。超銀河連邦安全保障局は、連邦住民の安全保障が組織の理由となる。そして連邦軍もまた、住民の安全保障が唯一の任務と言うのを忘れてはいけない」  そしてもう一つと、ジョナサンは大切なことを口にした。 「我々の任務は、観察対象銀河が驚異となるかどうか、そしてそれはいつの事かを分析報告することだ。そこから先のことは、連邦理事会の仕事となる」  そのためには、予断を交えず観察し報告にまとめる必要がある。少し厳しい口調で、ジョナサンは「任務終了だ」と撤収時期であることを持ち出した。 「高速航宙艇ルーモアと探査艇ピープの有効性確認は終了した。アーベル連邦側の調査で、彼らにディアミズレ銀河への侵略意図がないことも確認がとれている。シルバニア帝国側と合流し、情報の確認後速やかに撤収を行うものとする」  確実な実行をとの命令に、マイケルは小さく息を吐いた。 「潜入調査員に、速やかな撤収を指示いたします」  そこでもう一度息を吐いたマイケルは、「ルーモア1隻ではどうにもなりませんね」と口にした。 「それでも、稀代のペテン師ならばなんとかしてしまうのだろうが……」  そこで口元を歪めたジョナサンは、「我々は公務員だ」と自分たちの立場を持ち出した。 「従って、命令から外れたことをするには、事前の上申が必要となってくる」  今はまだその時期ではない。それを強調したジョナサンは、「撤収の準備を!」と副長に命じたのだった。  ジョナサンからの撤収提案に、ノブハル達からは異論は発せられなかった。アーベル連邦中枢人物との話で、ディアミズレ銀河の安全に関する情報を得られたし、ルーモアとピープが、必要な性能を保有していることも確認できたのである。謎解きと言う意味では心残りはあっても、それが探査の主目的ではなかったのだ。 「確かに、撤収条件は成立しているな」  理解を示したノブハルに、「感謝します」とジョナサンは頭を下げた。 「探査の結論は、マールス銀河は継続観察対象と言うことで良いのか?」 「驚異と言う点で、ノブハル様の仰る通りになります。後は、惑星アーベル、惑星ザクセン、惑星ベルリナーの潜入調査報告書をもとに、理事会が考えることでしょう」  ジョナサンの言葉に頷き、「撤収準備を行う」とノブハルは告げた。 「こちらの時間で、24時間後に俺達は惑星アーベルを引き払う。そしてルーモア1号機に合流し、10時間後にマールス銀河外周部……つまり、予定会合地点へと到着する予定だ」 「我々の方が少しだけ早く到着できそうですな。指定地点で、ルーモア1号機到着を待つことにいたします」  ジョナサンが深々と頭を下げたところで、彼のアバターが目の前から消失した。それを確認したところで、「出かけるか」とノブハルはジノ達の顔を見た。 「出かけるというのは?」  この期に及んでどこに行こうと言うのか。首を傾げたジノに、「旨いものを食いに」とノブハルは嘯いた。 「タブリース氏にタカりに行こうと思ったのだ。歴史展示館に行けば、無視することもできないだろう」 「私としては気がのらないのだけど……」  気持ちを口にしたヴァイオレットは、「命令には従う」と玲瓏な声で答えた。そして、少しだけ口元を歪め、「騒ぎになっていると思う」と口にした。 「ああ、俺達は観察されているだろうからな」  ヴァイオレットの指摘を認め、「そろそろいいかな」とノブハルは首を巡らせた。 「次次代の総統は、暇を持て余していると言っていたわ」  だからいつでも構わないはずだ。とても可哀想な決めつけを、感情のこもらない顔でヴァイオレットは言った。 「だったら、時間を置く必要はないな」  行くかと立ち上がり、ノブハルは先頭を切って部屋のドアを開いた。 「あまり、思いつきでこちらを振り回していただきたくないのですが」  はたして、そこには苦笑を浮かべたタブリースが待っていた。そんなタブリースに、「覗き見する方が悪い」とノブハルは責任を押し付けた。 「黙っていなくなっても良かったのだが、挨拶ぐらいは必要だろうと気を使ったのだぞ」  しかも、相手を慮ったのが理由なのだと、自分の行動を正当化までしてくれた。サラマーの言う、「悪い経験」を積んだ結果と言うのは間違いないようだ。  「それを言いますか」と目元を引きつらせたタブリースは、こちらにと別の扉の方へと案内した。言われるままに扉を開い先には、木で調度された落ち着いた空間が広がり、その中央には10人ぐらいが着ける長テーブルが用意されていた。  そしてそのホスト席に、青い肌をした立派な体格の男性が座っていた。 「ヴァイオレット様以外は初めてですね。次次代の総統となられる、アザキエル様でございます」 「なるほど、礼を尽くしてくれたと言うことか」  感謝すると頭を下げたノブハルは、「自己紹介が必要だな」とアザキエル、タブリースの顔を順番に見ていった。 「すでに話は聞いていると思うが、俺達はマールス銀河の外から来た。俺は、こちらで言うパリカン銀河の住人だ。そしてこの3人は、全く別の銀河……おそらく、ここからだと観測はできないだろう。ジュエル銀河にある、シルバニア帝国から派遣されている。ちなみに俺は、シルバニア帝国皇帝の夫と言う立場を持っている。そしてジノとサラマーの二人は、俺の護衛として派遣されてきた。ヴァイオレットは……よく知らないのだが、今回の任務の適任者として選定された」 「皇帝の夫と言うことは、かなりの身分だと考えて良いのかな?」  最初に自分の立場を確認したアザキエルに、「きっとそうなのだろう」とノブハルは返した。  ただそこで嬉しそうにしたアザキエルに、タブリースは「他所様は他所様です」とちくりと言った。 「何を問題としたのか分からないが……良いのか、いかにも不用心だと思うのだが?」  なんの身体検査も受けずに、4人はアザキエルの面前に通されていた。それを論ったノブハルに、「前回の実績です」とタブリースは理由を告げた。 「付け加えておくと、俺は男の裸など見たくはないからな」 「その考えには大いに賛同するのだが……」  そこでヴァイオレットの顔を見たのだが、特に恥じらいと言う反応を見せていなかった。 「彼女だけなら、また裸にされていたと言うことか?」  「スケベ」と謗られたアザキエルは、「男の性だ」と言い返した。 「そうやって開き直られるのは癪に触るが……流石に否定はできないな」 「まあ、食事をするのに裸と言うのはおさまりが悪いと言うのもある」  その程度だと答えたアザキエルは、タブリースに始めるようにと目配せをした。 「皆様のお口にあうかどうかは分かりませんが……」  そこで言葉を切ったタブリースは、「精一杯のおもてなしを」と召使いに合図をした。  その合図を皮切りに、前菜・スープと料理が始まった。それを「うまいうまい」と、ノブハルは酒と一緒に胃袋へと収めていった。 「健啖と言うより豪胆と言った方が良いのだろうな」  自分を褒めたアザキエルに、「二度目だからな」とノブハルは酒を呷りながら笑った。 「前回ごちそうになったケーキは、食べた気がしなかったぐらいだ」 「つまり、俺達を信用してくれたと言うことか」  なるほどと頷いたアザキエルは、「帰るのか?」とノブハルに問いかけた。 「うむ。ここに来た目的は達成されたからな。マールス銀河は、今時点で俺達の銀河の驚異となることはない。それは戦力的と言うより、考え方が理由となっている。もちろん、技術レベルも評価した上のことだ」 「俺達は、マールス銀河の外に出ていく技術開発をしていないからな。今の方針では、間引きが終わってからのことになるだろう」  かなり先の話だと答えたアザキエルに、「一応確認したい」とノブハルは切り出した。 「お前達がその気になりさえすれば、すぐにでも俺達の仲間入りをすることができる。だがタブリース氏と話をして、憧れと現実は別と考えられているのが分かった。お前は、次次代の総統としてそのことをどう考えているのだ?」 「俺個人としてなら、広い宇宙に飛び出していきたいと思っているぞ。だが総統になるものとしてなら、タブリースの言ったとおりだろう。俺達は、俺達の誇りに掛けて、マールス銀河の自立を考えている。この時点でお前達の仲間入りをすると言うことは、面倒をそちらに押し付けると言う意味になるからな」  だから今時点では無いと言うのだ。なるほどと頷いたノブハルは、「原則として」とアザキエルの答えを認めた。 「銀河のことは、その銀河で考えるべきと言うのが俺達の居る連邦の考え方だ。そしてなんの依頼もないのに、手を出すのは厳重に禁じられている。お前達が攻め込んでくれば別だが、今の時点で俺達の連邦は静観の立場を取ることになるのだろう」  なるほどと頷いたアザキエルは、ノブハルの言葉の中にあったキーワードを取り上げた。 「なんの依頼もなしにとの話だが、連合側から依頼があればそちらは動くのか?」 「連合側が悲鳴を上げて、仲裁を依頼してくる……と言う意味か?」  尋ね返してきたノブハルに、「そうだ」とアザキエルは頷いた。 「それはとても微妙なところだな。双方から依頼を受ければ別だが、今は一方の依頼では動きにくい状況となっているのだ。しかもマールス銀河は、連邦に加盟していない銀河だからな。手を出すには、それなりの大義名分と言う奴が必要になる。今の状況では、大義名分が立つことはないだろうと俺は考えている」 「10万の有人惑星が破壊されると言うのは、そちらで言う大義名分が立つことではないのか?」  繰り返して確認したアザキエルに、「立たないな」とノブハルは繰り返した。 「連邦理事会の考えにもよるが、やったとしても仲裁程度だ。軍事介入が行われるとは考えにくい。仲裁のテーブルに双方を引きずり出すため、艦隊の派遣ぐらいはあるかもしれない。だがこの規模で戦闘が行われると、派遣規模もバカにならないのではないか?」  そこで少し考えてから、「やはり無いだろう」とノブハルは答えた。 「少しは安心できたか?」 「ああ、横やりが入らないのが分かったからな」  特に安堵を見せるでもなく、淡々とアザキエルはノブハルに答えた。 そしてヴァイオレットの顔を見て、「この星に残らないか」とアザキエルは誘いをかけた。  そんなアザキエルに、ヴァイオレットは「そのつもりはない」と迷いもせずに言い返した。 「別に、あなたのことを嫌っているとかではないわ。でも、私はこの星に残るつもりはない」 「そうか。考えを変えてはくれなかったか」  本気で残念がったアザキエルは、「引き際なのだろうな」ともう一度ヴァイオレットの顔を見た。 「嫌われてもつきまとうと言う方法もあるが、今の俺にはその時間は与えられていないからな」  残念だと繰り返し、「腹は膨れたか?」とアザキエルはノブハルの顔を見た。 「うむ。もてなして貰い、感謝させて貰う」  小さく会釈をしたノブハルは、「次はそちらから遊びに来てくれ」とアザキエルを誘った。 「残念ながら、俺の代では無理な相談だな」 「無理と諦める前に、どうしたら実現できるかを考えた方が前向きだ。俺が言いたいのは、その程度だな」  そこでタブリースの顔を見て、「もてなしに感謝する」とノブハルは礼を口にした。 「私は、主のために当然のことをしたまでです」  頭を下げたタブリースに、「残念だ」とノブハルは告げた。 「こんなに理性的な話ができる相手と交流を開始できないのだ。連合にしていることは無視できないが、それ以外はとてもバランスの取れた国だと思うぞ」 「これが、間引きの先に用意された世界だと理解してくれ」  アザキエルの答えに、「本当にそうか?」とノブハルは聞きたい気持ちになっていた。だがそれを議論しても意味がないと、一度ジノ達の顔を見て「帰らせて貰う」と二人に告げた。 「ところで、ホテルの後始末を頼んでもいいか?」 「その程度なら造作も無いことですが…送り返させていただきますよ?」  首を傾げたタブリースに、「証拠を見せるだけだ」とノブハルは口元を歪めた。 「ジータ。俺達をピープに運んでくれ」  そう命じたノブハルは、「再会を願っているぞ」と二人に告げた。そしてその挨拶が終わったところで、4人の姿が広間の中から消失した。 「宇宙空間まで移動をしたと言うのか」 「ちなみに、今の移動は私達の方法とは違っているようです」  そのため、移動先を把握することができなかった。  タブリースの答えに、アザキエルは頷くと、「再会を願っている……か」と呟いた。 「再会がなったとしても、俺の代が終わってからのことだな」 「あちらから尋ねてこられなければ、仰る通りなのでしょう」  地上に縫い付けられた立場が変わらない限り、彼が別の宇宙を訪問することはありえない。自分の言葉を認めたタブリースに、「それでは手遅れなのだがな」と美しいヴァイオレットのことをアザキエルは思っていた。  ノブハル達がマールス銀河で奮闘している頃、トラスティとアリッサは個人的問題に忙殺されていた。大勢いる妻達のトラブルと言う話ではなく、アリッサの妊娠が事の発端だった。  次は男の子と考えていたアリッサだったが、双子の娘を見て一つ足りないことに気がついたのだ。それはふたりとも、自分ではなくトラスティの特徴を受け継いでいたことだ。黒い髪と言うトラスティ譲りの特徴を持つ娘を見て、金色の髪を持った娘が欲しいと思うようになったのである。そのため自分と同じように遺伝子をデザインし、そこにトラスティの遺伝子を取り込む細工を行った。  愛する妻と同じ生まれ方だと考えれば、トラスティが反対する理由もなかったのだ。  ただ確立しているはずの技術なのに、なぜか胎児は母体にも大きな負担をかけてくれた。体調不良を訴えたアリッサに対して、医師は母子双方危険な状態だと診断をした。そこで入院と言う話になった途端アリッサが意識を失い、すぐに隔離されて緊急措置が行われたのである。胎児を諦めると言うプランも出たが、すでに手が出せないと医師団がさじを投げることになった。  ちなみにこの診断に関して、シルバニアからも医者が呼び寄せられた。だが最先端の医療をもってしても、二人を救えないと言う診断に変化はなかった。医者が口をそろえて言ったのは、母子ともに生きていく力が足りていないと言うオカルト的な言葉だった。  病院に収容されたアリッサのところに、トランブル夫妻も急を聞いて駆けつけていた。そしてトリプルAの主だった者、トラスティの妻達も集まっていた。最高評議会議長がジェイドを訪れるのは、その歴史が始まって初めてのことだった。オカルトへの切り札として、当然のようにライスフィールも駆けつけていた。 「アルテルナタ。アリッサを救う未来は見えないのか?」  隔離された病室の外で、カイトは必死で未来を見るアルテルナタに声を掛けた。病室の中では、ライスフィールが禁呪まで使って延命措置を行っている。だがいくら努力をしても、アリッサの体は目に見えて衰弱していった。  カイトの問いに、アルテルナタは目を真っ赤にして首を振った。それですべてを理解したカイトは、「そうか」と力なく答えた。 「オヤジはどうしている?」  誰よりもこの事態を嘆いているのは、間違いなくトラスティだったのだ。それを気にしたカイトに、「ご主人様なら」とアルテルナタは空を見上げた。 「未来視を超えた未来を掴もうとなされておいでです」 「未来視を超えただと?」  目元を険しくしたカイトに、「未来視を超えた未来です」とアルテルナタは繰り返した。 「だから、私にも何も見えないのです」  それを聞いたカイトは、アルテッツァと連邦最大のAIを呼び出した。そして神妙な顔をしたアルテッツァに、「親父は」と居場所を尋ねた。 「申し訳ありません。私にも分かりません。ユウカと呼ばれる存在なら分かるのかも知れません」 「ユウカだと?」  どうやってと考えたカイトに、「ゴースロスのAIが繋がっています」とアルテッツァは手がかりを教えた。 「ゴースロスのAI……」  それを聞いたカイトは、すぐさま「ヒナギク」とゴースロスのAIを呼び出した。  その呼出に応えて現れたのは、いつもの芙蓉学園の制服を着たヒナギクだった。相変わらず乏しい胸をしたヒナギクは、「トラスティ様なら」と病室の中を指さした。 「ずっと、病室から動かれていませんよ」 「だが誰もっ」  顔を見ていないと口にしかけ、「そう言うことか」とカイトは引き下がった。 「親父が、アリッサを置いていなくなることはありえないか」 「仰る通りです……ただ、どうやら覚悟を決められたようですね」  それだけを言い残し、ヒナギクはカイトの前から姿を消した。 「万策尽きた……と言うことか?」  ふうっと息を吐いたカイトは、リースリットに支えられたエヴァンジェリンに近づいた。そして何も言わず、か弱い体を抱き寄せた。「大丈夫」などと言う気休めは、とてもではないが口にできなかったのだ。  その頃トラスティは、病室の中で強い後悔の念に苛まれていた。本当に些細な判断のミスが、こうして取り返しのつかない出来事として眼の前に突きつけられたのである。「デザインドチャイルド」など確立した技術と言う思い上がりが、最悪の結果を招こうとしていた。 「君は、絶対に僕を置いていなくならないと言ってくれたね」  青い顔をしたライスフィールが、長い長い呪文を練り上げていた。呪文の長さは、それだけ強力な魔法につながってくる。その一方で呪文の長さだけ、術者の体力と魔法力を奪い去っていくことになる。いくらミラクルブラッドの助けがあっても、そこには自ずと限界は存在していたのだ。頬が痩け、目が落ち窪んだライスフィールを見れば、とうの昔に限界を超えているのは自明だった。それでもライスフィールは、自分が最後の砦なのだと、命を懸けてアリッサの命を繋ぎとめようとしていた。  だがいくら命を懸ける覚悟があっても、限界を超えての魔法行使には限りがあった。「アレッ、アリッサ」と声を上げて杖を振り下ろした所で、ライスフィールは糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。体が痙攣しているのは、それだけ彼女も危険な状態に陥っていると言う意味だった。 「ライスフィールまで、命を懸けてアリッサを救おうとしてくれたのに……」  崩れ落ちたライスフィールを抱き上げ、トラスティは「コスモクロア」と己のサーヴァントを呼び出した。 「はい、我が君」  そう答えて現れたコスモクロアに、「彼女を頼む」とライスフィールを託した。 「君でも、アリッサを救うことはできないのだね」  何度も奇跡を起こしてきたコスモクロアは、トラスティの問いにゆっくりと首を横に振った。 「私にも、どうしたら良いのか全く分かりません。一つだけ言えることがあるとすれば、アリッサ様の人としての存在が希薄になっていることです」  申し訳ありませんと答えたコスモクロアに、「君のせいじゃない」とトラスティは答えた。 「強いて言うのなら、僕たち夫婦の自業自得と言うことだ」  だからと、トラスティは己の覚悟をコスモクロアに告げた。 「僕は、自分の存在すべてを懸けてアリッサを救う」 「お父様の後を追われるのですか?」  コスモクロアの問いに、「そうかも知れない」とトラスティは薄く笑った。 「ただ僕は、アリッサと生きていくと約束をしているんだ。だから、いなくなったりするつもりはないよ」  そう口にしたトラスティは、右手の手のひらを上に向け、「光よ」と万物の成り立ちに命じた。そのトラスティの命令に従うように、手のひらの上には世界から光が集まり優しく輝いた。 「我が君……」  その光景にコスモクロアが絶句したのは、フュージョンをしないでトラスティが光を従えたからだろう。そんなコスモクロアに微笑みかけ、「僕は、すべてを懸けると言ったんだ」と答えた。 「大丈夫。アリッサがいてくれる限り、僕が僕であることには変わりはないよ」  そう答えたトラスティは、「違うか」とコスモクロアに抱かれたライスフィールを見た。 「アリッサだけじゃないね。ライスフィール達のためにも、僕は僕で居るつもりだ」  だからと答え、トラスティは光をアリッサのお腹に置いた。そしてその光がお腹の中に消えてしばらくしてから、「あなた」とアリッサが目を覚ました。 「そばに居てくれたのですね」  弱々しく笑った妻に、「いつでも一緒だよ」とトラスティは微笑みかけた。それを「嘘ばっかり」と笑ったアリッサは、「だめなのですね」と夫から目をそらした。 「夢の中で、この子がごめんなさいと謝っていたんです。金色の髪をした、私よりもずっと綺麗な女の子でした。私のせいでごめんなさいって……子供が気にすることじゃないのにね。むしろ、謝るとしたら産んであげられない私の方なのに」  妻の瞳に浮かんだ涙を、トラスティはそっと指で拭った。そんな夫に、「神様になっちゃ嫌ですよ」とアリッサは言った。 「君達がいてくれるんだ。だから僕は、父さんのように神になったりはしないよ」  大丈夫と唇を重ね、「せいぜい非常識」とトラスティは笑った。 「この子が君の命を吸い取っていくのなら、その代り僕が二人に命を分けてあげよう」 「それを、非常識と言って良いのか疑問ですね」  ふふと口元を歪めたアリッサは、「何を言っても無駄なのでしょうね」と夫の顔を見た。明らかに死相の浮かんだ顔に、トラスティはもう一度唇を当てた。 「次に目を覚ます時には、すべてが上手くいっていると思うよ」 「あなたがそう言うのなら……」  薄く笑ってから、アリッサはゆっくりと目を閉じた。ただ呼吸は、まだまだしっかりしていた。 「ザリア、出てきてくれるかな?」 「なんだ夫殿」  トラスティの呼びかけに応え、子供の姿をしたザリアが姿を表した。その顔が少し歪んでいるのは、彼が何をしようとしているのか気づいているからだろう。 「兄さんに伝言を残しておこうかと思ったんだ。1ヶ月……2ヶ月ぐらいかな。いなくなるけど、その間みんなをよろしくってね」 「それぐらいはお安い御用なのだが……カイトに代わりが務まるのか?」  流石に荷が重いと零したザリアに、「親はいつか居なくなるものだよ」とトラスティは言い返した。 「まあ、兄さんの方が年上だから、ちょっと違うのかなと言う気もするけどね」  その程度と笑い、「そろそろ始めるか」と眠っているアリッサの方を見た。 「さて、初めてのことだからうまくいってくれればいいけど」  ゆっくりと目を閉じ、トラスティは大きく深呼吸を繰り返した。それに合わせ、その体の中から淡い薄紅色の光が漏れ出してきた。自分達の理解出来ない現象に、コスモクロアとザリアは息を呑んで見守った。  トラスティの体から漏れ出した光は、次第に明るさを増し広がっていった。そしてその光が病室を包み込んだところで、光はトラスティの姿とともにアリッサの中へと消えていった。 「コハクとヒスイで気づくべきだったと言うことか?」  そこでアリッサを見たザリアは、大本の原因にたどり着いた。そのザリアの言葉に、コスモクロアは小さく頷いた。 「生命力の大きな子供を身籠るには、アリッサ様の体は脆弱すぎたと言うことです。それを可能としたのが、コハクとヒスイと言う陰と陽の存在だったと言うことです。お互いが補い合うことで、母体への影響を最小限に抑えてくれたのでしょう」  ゆっくりとアリッサに近づいたコスモクロアは、手のひらをお腹のあたりでかざした。 「ゆっくりと胎児が形成され始めていますね。男の子なのですが、どうやらこの子が陽の存在のようです。我が君の仰る通り、2ヶ月もすれば同じ大きさになることでしょう」 「夫殿は、アリッサから再び生まれると言うことか?」  ザリアの問いに、「違うと思います」とコスモクロアは答えた。 「我が君は、陰と陽の両方を備えた存在です。これから形作られようとしているのは、まったく新しい命だと思います」 「ならば、夫殿はどこに居るのだ?」  ザリアの問いに、「多分」とコスモクロアはアリッサを見た。 「アリッサ様の存在と重なられたのかと」  その答えに、なるほどとザリアは頷いた。 「いずれ分離するつもりなのだろうが……これはまた、チートな存在となってくれたものだ。別の意味で、シンジを超えたのではないか?」  ザリアの言葉に、「そうですね」とコスモクロアもそれを認めた。 「シンジ様の場合、非常識さは物理現象に寄っていましたからね。我が君は、もう少し精神的な世界へと踏み込まれておいでです」  「そうだな」と頷いたザリアは、コスモクロアに抱えられたライスフィールを見た。魔法力が枯渇するほど酷使したはずなのだが、今はすっかり元通りの姿に戻っていた。 「一緒に、ライスフィールも癒やしていったか」 「大切な奥様ですからね。それも当然なのかと」  そうだなと頷き、「話をしに行くか」とザリアは病室から姿を消した。これから2ヶ月トラスティが姿を消す以上、残された者に現実を突きつける必要があったのだ。何しろこれまでの不在とは違い、頼られても戻ってくることができないのだから。 「アリッサ様も落ち着かれたようですね」  これなら大丈夫と、コスモクロアもライスフィールを抱えたまま病室から姿を消した。無理をさせた以上、ライスフィールも休ませる必要があったのだ。  マールス銀河調査隊の報告は、連邦理事会に難しい課題を突きつけることになった。目に見える現象、すなわち一方的な虐殺だけを取り上げるなら、連邦軍が介入することも考えられる事案なのだろう。だがアーベル連邦は、その虐殺に近い「間引き」を経て成立し、今は落ち着いた治世が行われていたのだ。住民の自由が尊重され、犯罪率は極めて低く抑えられている。そして経済的にも、貧富の差も小さくなっていた。ザクセン=ベルリナー連邦に対する所業を除けば、調和の取れた穏やかな世界と言うことができたのだ。 「ですが、行われているのはただの虐殺より質が悪いのかと」  カブトムシを擬人化したような姿をしたパッパジョンは、理事会の議論の中で「間引き」の問題を指摘した。それは、間引きの基準が到達した文明レベルを基にしていたからである。 「もちろん、平等だから許されると言うものではないのですけどね」  分かりにくいのだが、おそらく顔をひきつらせているのだろう。パッパジョンの意見を聞いた全員が、そんなどうでもいいことを考えていた。 「だからと言って、我々が手を出す理由にはならないでしょう」  代表理事を補佐する黒色の肌をしたマリタは、「関与」の空気を否定した。 「マールス銀河は、私達の連邦に加盟していません。そこへの干渉は、相手に我々の倫理観を押し付けることになります」 「基本的に、マリタ代表の意見に同意いたします」  同じく代表理事を補佐する女性、スロウグラスは超銀河連邦の立場を明確にした。 「今回の派遣は、マールス銀河が驚異となるか確認するのが目的だったはずです。その意味で言えば、最大の勢力を持つアーベル連邦の意志も確認できました。彼らはマールス銀河が安定した時、私達に対して仲間入りを申請したいと言う意思を持っています。そして今現在の技術水準では、200万光年を超えて遠征できないと言うのは確認されました」  灰色の肌にきつい眼差しをしたスロウグラスは、「観察対象です」と調査結果を追認した。 「だが、大量虐殺を黙認するのが我々の正義なのだろうか?」  赤ら顔をした禿頭の理事、アデニールは問題が大きいことを指摘した。 「大量虐殺と仰りましたね。ちなみに軍同士の衝突による死者は、虐殺の対象とはならないと思いますが?」  いかがでしょうかと問われ、「外数だ」とアデニールは答えた。 「ちなみに破壊された惑星ですが、その殆どから住民は脱出しています。住民以外の生物まで含めれば虐殺なのでしょうが、アデニール理事が仰られているの意味が違いますよね」  そのあたりはと問われ、「虐殺は取り下げる」とアデニールは不満げに息を漏らした。 「だが今現在で25万の星系のうち、10万が間引き対象になっていると言うではないか。それは、間違いなく暴挙のはずだ」  少し声を荒げたアデニールに、「意外なことに」とスロウグラスは各惑星のデーターを持ち出した。 「惑星ザクセン、惑星ベルリナーを除けば、各惑星の住民は10億程度です。10万の星系と言うことは、およそ100兆ほどの人口が対象となるのですが、その人口が15万の星系に振り分けられることになるのです。1星系あたり7億程度と考えれば、10億の人口が17億に増えるだけとも言えます。私達の連邦に属する平均的な有人星系より、よほど人口が少ないぐらいです」  冷静に事実を告げたスロウグラスは、アデニールの反論の前に「分かっています」と先手を取った。 「それがただの数字遊びと言うのは理解しています。ですが、数字と言う意味では真実でもあるのです。住民の感情を考えていないだろうと言う意見があるのも理解しています。私が心配しているのは、アーベル連邦の攻撃による惑星破壊より、惑星ザクセン、惑星ベルリナーの治安の問題です。報告書を見た限り、このままではさほど遠くないうちに破綻することになるのかと」 「アーベル連邦が攻撃をやめさえすれば、状況は改善されるはずだ」  強い口調で主張したアデニールに、「可能性としては」とスロウグラスは肯定した。 「スロウグラス理事は優しいですね。私は、もはや手遅れだと思っています」  マリタの発言に、「手遅れだと!」とアデニールは赤ら顔を更に赤くした。 「アーベル連邦は、有人星系数を減らしました。そして同時に、住民に対立の種を蒔いていったのです。そして蒔かれた対立の種は、しっかりと育ってしまっています。連合の旗頭となっている両惑星は、さほど遠くない未来に大規模暴動が発生することになるでしょう。その結果多くの元からの住民が犠牲になりますが、移民の犠牲は桁違いのものになるのかと思われます。何しろ治安維持を任された警察は、明らかに両者に対して差をつけていますからね」 「鎮圧用の武器は確かに違っているな……」  報告書を見直したアデニールに、「警察にも不満が溜まっているのでしょう」とマリタは理由を口にした。 「彼らの自己犠牲にも、限界が訪れていると言うことです。しかも報告に有った通り、移民同士の対立も激しくなっています。ゼスで起きた地獄以上の地獄が、ザクセン、ベルリナーの両惑星で見られることなるのかと」 「理事会は、それを黙ってみているのですか?」  その意見を口にしたのは、ナビロイ星系から派遣されたクリスタと言う女性だった。肌も髪も白く、銀色の瞳をした存在感に欠ける見た目をしていた。 「超銀河連邦憲章を守る限り、私達は傍観者でしか居られません」  それが私の意見だと、唇をキュッと結んでマリタは答えた。 「もちろん、どんな法にも抜け道は存在している」  そこで口を挟んだのは、代表理事であるサラサーテだった。しわだらけの顔をもっとしわくちゃにし、「仲裁の依頼があればいい」と言ってのけた。 「ただ問題は、その依頼は双方から受け取る必要があるのだがね」 「今の苦境を考えたら、ザクセン=ベルリナー連合は飛びついてきそうですね」  小さく頷いたクリスタに、別の理事、リムリーシャが異論を口にした。褐色の肌に、細長い顔が特徴の女性だった。 「アーベル連邦側は、それを明確に否定していたのかと。加えて言うのなら、連合側とはコンタクトが取れていません。トリプルAならいざ知らず、私達連邦が押し売りをしに行くのはいかがなものかと」  少し緊張気味に問題点を口にしたリムリーシャに、「トリプルAか」とサラサーテは重要なキーワードを口にした。 「トラスティ氏が亡き今、トリプルAにも期待できないのだろう」  不可能を可能にすると言う意味で、トリプルAと言う存在は理事会にとっても切り札とも言えるものだった。ただそれも、連邦最悪のペテン師が居たからでもある。そのペテン師が妻と子を守って消えた以上、トリプルAの神通力も消えたと考えるのが妥当だった。 「確かに、カイト氏、ノブハル氏も引きこもられていますね……」  今まで当てにしていた存在が、ある日突然消滅してしまったのだ。そのためトリプルAは、誰一人として冒険ができなくなってしまっていた。  スロウグラスの言葉に頷いたサラサーテは、「我々も冒険はできないだろう」と自分達の置かれた状況を口にした。 「したがって、消極的の誹りを受けようと愚直に連邦法に従うしか無いと考えている」  トラスティのことが決め手となったのか、サラサーテの意見に反論は出てこなかった。たった一人の消滅が、超銀河連邦全体に影響を及ぼしたのである。  ノブハルがトラスティ達のことを知ったのは、ズミクロン星系のセンターステーションに帰ってきてからのことだった。危険な任務に付いているからと言うことで、情報の伝達が制限されたと言うのが知らされなかった理由である。  「なぜ」と取り乱したノブハルに、迎えに現れたエリーゼはゆっくりと首を振った。今のノブハルの反応を見れば、伝えなかったことが正解だと分かるのだ。  涙を溢れさせたエリーゼを見て、ノブハルは自分がおかしいことに気づくことができた。それから何度も深呼吸をしてから、「付いてきてくれ」とエリーゼに頼んだ。 「アルテッツァ、ローエングリン緊急出港の準備をっ!」 「畏まりました。ナギサ様のご指示がありましたので、10分後には出港可能です」  ナギサの指示と言う答えに、ノブハルは「そうか」と小さく頷いた。 「エスデニアに、空間接続の依頼をっ!」 「話は通っています。出港後1時間で、ジェイドへのルートが開かれます」  それで良いと頷いたノブハルは、「行くぞ」とエリーゼの顔を見た。涙を拭きながらエリーゼが頷いた時、「連れて行って」と背後から声が掛けられた。一体誰がと振り返った先には、取り乱した表情のヴァイオレットが立っていた。  何故と言う疑問は感じたが、議論している時間すら惜しいのは確かだった。「付いてこい」とヴァイオレットに命じ、「アルテッツァ」とノブハルは声を上げた。そしてその命に答えるように、3人の姿はセンターステーションから消失した。 「初めてだな。彼女が感情を露わにしたのは」 「そうね。何か、とても必死に見えたわ」  ジノの言葉を認めたサラマーは、「あなたは?」とこれからの行動を尋ねた。 「まだ、護衛の任は解かれていないはずだ」  だから同行すると答え、ジノの姿はその場から消失した。そしてそれを確認したサラマーもまた、空間移動でローエングリンへと乗り込んでいった。  エスデニアの協力があれば、どれだけ離れていても移動に時間がかかることはない。通常なら2、3日掛かる距離を、ローエングリンは僅か2時間で乗り越えた。それからシルバニア帝国皇夫の外交特権を利用し、すべての審査を省略してアズマノミヤへと降りることにした。そしてアルテッツァに導かれ、アリッサの収容された特殊病棟へと降り立った。 「意外に早かったなっ」  そこで迎えてくれたのは、疲れた顔をしたカイトだった。よほど精神的に参っているのか、笑おうとしたのだろうが、僅かに口元が歪む程度だった 「それで、トラス……父さんは? アリッサさんは!」  落ち着いているつもりでも、やはり精神的な動揺を抑え込むことはできないようだ。早口で問いかけたのも、動揺の表れと言って良いのだろう。  そんなノブハルに、「アリッサは持ち直した」とカイトは答えた。だが肝心のトラスティのことについては、カイトは何も語らなかった。 「アリッサにしても、まだ目覚めていないのだがな」  そこでふうっと息を吐いたカイトは、ノブハルの後ろに居る4人に目を留めた。そして一人だけ、顔をクシャクシャにした少女に気がついた。 「彼女は?」 「彼女……ああ、ヴァイオレットか。今回のアレス銀河……マールス銀河調査のメンバーの一人だ」  そこで声を少し潜め、「本人がここに来たいと言ったので連れてきた」とカイトに伝えた。  それをそうかと受け止めたカイトは、場所を変えると5人に告げた。そしてザリアを呼び出し、「トリプルA本社に」と命じた。そこで目と目で会話がかわされたのだが、誰一人としてそれに気づいた者は居なかった。  トリプルA本社についたノブハルは、その賑わいに目を丸くして驚くことになった。面積に比べて人が少なすぎると言われた本社に、大勢の人が集まり忙しく働いていたのだ。しかも働いているのは、いずれも超銀河連邦の中では有名人ばかりなのである。シルバニア帝国皇夫の立場を持ち出すのなら、どうして宰相がここに居るのだと問題にしてもいいぐらいだ。  ノブハルが来るのを未来視で見たのか、アルテルナタが迎えてくれた。そしてこちらにと、5人を本社の応接へと案内した。ただお茶を出すのは、バネッタに任せることにした。 「私達だけで大丈夫だとお伝えしたのですが……」  ノブハルの疑問ぐらい、未来視で見なくても分かることだった。質問を先回りをしたアルテルナタは、「お手伝いをすると言われまして……」と顔を少し引きつらせた。 「寡聞にして、本社がそれだけ忙しいとは聞いていないのだが……」  気持ちは分かると答えたノブハルに、「お気持ちだけで良かったのに」とアルテルナタは零した。 「アリッサ様のお姉様、リースリット様、ティファニーさんがおいでですから、ほとんどすることはないはずなんです。みなさん錚々たるお方ばかりで、おつきの方も大勢いらっしゃるんです。むしろ、余計な手間が増えたと……本当なら文句をいう所ではないのですが」  はあっとため息を吐いたところを見ると、かなりの負担になっているのだろう。それに同情したノブハルは、「聞きたいことがある」とアルテルナタに厳しい眼差しを向けた。 「あなたが付いていて、どうしてこんな事になったのだ?」  未来視があれば、大抵の危険を避けることができるはずなのだ。それなのにアリッサは死にかけ、そのためトラスティは消失している。それを持ち出したノブハルに、「未来がなかったんです」とアルテルナタは答えた。 「未来がない? 見えなかったと言うことではないのか?」  目元を険しくしたノブハルに、「少し違います」とアルテルナタは返した。 「もともとアリッサ様は、自分の都合が良い方に未来を変える力をお持ちです。それもあって、直接アリッサ様の未来を見るマネはしてきませんでした。ただ私にも影響することなので、間接的に見てきたと言うのがこれまでなんです。ですが今回は、なぜかアリッサ様が私の未来視に出てこなかったんです。自分の未来なら、普通に1ヶ月程度先まで見ることができるのにです。その意味では、トラスティ様も出てこられませんでした」 「つまり、これからのことも分からないと言うのだな?」  その問いに、「一部違います」とアルテルナタは答えた。 「それでも分かっているのは、アリッサ様が47日後に目を覚まされることです。ただトラスティ様のことについては、分岐がありすぎてぼやけて見えないと言うのがお答えになります」  そこで目を閉じたアルテルナタは、「そんなっ!」と声を上げて目を開いた。 「間もなく、アリッサ様が目を覚まされますっ!」 「アリッサさんが目を覚ますのかっ!」  アルテルナタの言葉に、その場に居た全員の顔が明るくなった。目を覚ましてくれて初めて、一山越えたと言う事ができるのだ。  だがアリッサの目覚めを見たアルテルナタは、自分でもその未来視が信じられなかった。未来が変わったと言うことは、誰かが未来を変える行動に出たことにつながってくる。だが集中治療室でカプセルに入れられたアリッサに、誰が干渉できると言うのだろう。特別なデバイス二人にも、「無理だ」と明言されていたのだ。  だがアリッサが目を覚ますと言うのなら、その理由追求は後回しで良いのだろう。顔を明るくしたカイトは、「ザリア」と己のデバイスを呼び出した。 「アリッサが目を覚ますぞ。すぐに、関係者を病院に集めてくれっ!」 「アリッサが目を覚ます……だと?」  一瞬表情を険しくしたザリアは、「任せろ」と言って姿を消した。それを確認した所で、ノブハルは「アクサ」と自分のデバイスを呼び出した。 「俺達を、すぐに病院に運んでくれっ」 「関係者のほとんどが後ろにいるけど……そっちは良いの?」  それを聞かされたノブハルは、一瞬言葉に詰まってから「まとめて頼む」と命令した。  「分かったわ」の言葉と同時に、本社に居た全員が病院の控室へと飛ばされた。アルテルナタから話を聞かされた6人はまだしも、働いていた者達には寝耳に水の出来事だった。 「ノブハル様、何が起きたのでしょうか?」  そして代表するように、シルバニア帝国宰相リンディアが理由を尋ねてきた。 「うむ、アリッサさんが目を覚ますそうだ」 「本当ですかっ!」  それまでの表情が暗かったのは、事情を考えれば不思議なことではないのだろう。その澱んだ空気を、ノブハルの一言が吹き飛ばすことになった。そしてアルテルナタの未来視の通り、突然現れたコスモクロアは、「アリッサ様が目覚められました」と全員に告げた。  ほっとした空気が広がるのも、事情を考えれば少しもおかしなことではないだろう。 「か、顔を見ることができるの?」  大切な妹と言うこともあり、エヴァンジェリンはずっと病院に詰めていた。それを考えれば、一刻も早く顔を見たいと願うのは自然な感情に違いない。 「そのあたりは、医師団の判断次第と言うことになるのですが……」  しばらくお待ちをと言い残し、コスモクロアはみんなの前から姿を消した。そして5分ほど経ってから、1時間後なら面会可能だと教えてくれた。 「ただ目は覚めていますが、まだ意識の混濁があるようです。多分ですが、まだまともなお話はできないと思いますよ」  コスモクロアの答えに、「それでも構わない」とエヴァンジェリンは声を上げた。そしてそれに合わせるように、タンガロイド本社に戻っていたトランブル夫妻を連れてザリアが戻ってきた。 「お父様、お母様、あの子が目を覚ましてくれましたっ!」  涙で顔をクシャクシャにして、エヴァンジェリンは母親に抱きついた。そんな娘を抱きしめ、母親もまた涙を流していた。  その光景を横に、ノブハルはアルテルナタに近づいていた。 「何かが、未来を書き換えたのか?」  アルテルナタは、47日後と目覚めの時を未来視で見ていたのだ。その状況が変わったと言うことは、何者かが未来を書き換える行動をとったと言うことになる。  それを確認したノブハルに、「そのはずなのですが」とアルテルナタの答えははっきりとしないものだった。 「ザリアさん、コスモクロアさんでも無理だと言う話でした。でしたら、どなたが未来を変える行動を取られたのでしょう。それがノブハル様で無いのは、おいでになられた時に書き換えられなかったことで確かなのです」  だからはっきりしないとの答えに、ノブハルはううむと考え込んだ。ただあまりにも情報が少ないため、それ以上の考察は無理としか言いようがなかった。 「それで、他にこれ以上の訪問者はないか?」 「新たな訪問者ですか?」  もしもそれがあれば、未来を書き換えた張本人の可能性が出てくる。そう考えたノブハルに、「見えません」とアルテルナタは答えた。 「無いのではなく、見えないのか?」 「ノイズまみれになっていて、はっきりと見えないと言うのが答えになります」  その答えに、「ノイズまみれ?」とノブハルは表情を険しくした。 「つまり、ξ粒子の状況が乱れていると言うことか」  現象的にはそれで説明がつくのだが、「なぜ」と言う理由に思い当たるフシはなかった。 「いや、まさか……流石にありえないか」  一瞬可能性が浮かんだのだが、ノブハルは直ぐにそれを否定した。 「何者かが未来から干渉してきた」  流石にそれはありえないと考え直したのである。  そして一行が集まってから40分経ったところで、予定より早く医師団から面会の許可が出された。ただ保護カプセル越しになることと、本人の意識がまだはっきりしていないとの注意を受けていた。  それでも構わないと病室に入った一行は、げっそりと痩せたアリッサと対面することになった。時折口が開くのは、何かを言おうとしているのだろう。そして青く澄んだ瞳は、何かを探すようにキョロキョロと動いていた。 「もう、大丈夫なのか?」  シルバニアから派遣された医師を捕まえ、カイトはアリッサの容態を尋ねた。  コンラッドと言う名の医師は、「おそらく」とはっきりとしない答えを口にした。そして怖い表情をしたカイトに、早口で言い訳をまくしたてた。 「な、何しろ、不可解なことが多すぎるんです。そもそも助かるはずのない患者が助かり、お腹に居なかったはずの男の胎児まで発生しているんです。大丈夫と言いたい気持ちはあるのですが、何を持って大丈夫と言っていいのか分からないんです」  だからだと言い訳をした医師に、カイトは「男の子だと?」と更に表情を険しくした。 「お腹にいるのは、女の子のはずだと思ったが?」 「も、もちろん、女の胎児も生存しています。ですから、居ないはずの男の胎児と言ったのです!」  怒鳴るように言い返してきた医師に、「分かった」とカイトは引き下がった。そしてノブハルのところに戻り、「世の中は謎に満ちている」と零した。 「なんですか、その謎と言うのは?」  いきなり零されても、事情など分かるはずがない。そこから始めてくれと言われ、ああとカイトは頷いた。 「俺が聞かされた範囲では、アリッサは女の子をデザインして妊娠したんだ」 「デザインド・チャイルドは珍しいことではないと聞いてるが?」  そのあたりは、連邦の中でもそれぞれの事情や考え方で違っていた。だからこそのノブハルの答えに、「計画的に女の子を妊娠したんだ」とカイトは繰り返した。 「そして今は、男女の双子がお腹の中にいるそうだ」 「2卵生なら別に不思議なことではないと思うが……」  そこでノブハルが眉間にシワを寄せたのは、自分でも腑に落ちない事に気づいたのだろう。 「女の子を作ったと言う話……だったんだよな。それなのに、いつの間にか双子になっていた……」  ううんと首を傾げたノブハルは、「まさか」とその男の子の正体に驚いた。 「それがトラスティさんと言うことはないのだろうな?」 「流石にないといいたいのだが……そんなこと、俺に分かるはずがないだろう」  それはそうだとノブハルが頷いた時、「アリッサ」と言うエヴァンジェリンの声が聞こえてきた。その声に反応した二人が見たのは、アリッサがやせ細った手を伸ばしてなにかを言おうとしているところだった。  一体何がと驚いた二人は、慌ててアリッサが手を伸ばした方を見た。そこに立っていたのは、両手で口元を抑えたヴァイオレットだった。 「誰かと見間違えているのか?」  カイトの言葉に、「おそらく」とノブハルは頷いた。何しろアリッサは、ヴァイオレットと初対面のはずなのだ。 「ザリア、アリッサの唇を読めるか?」 「主でも読める程度のことなのだが……」  なぜ聞くと文句を言ったザリアは、「「泣かなくていいの」だそうだ」と答えた。 「やはり、誰かと間違えていると言うことか」  ふうっと息を吐いたカイトは、両手で口元を抑えて震えているヴァイオレットに近寄った。 「あんたも、無理をする必要はないのだぞ」  優しく声を掛けられ、ヴァイオレットは小さく頷いた。それを確認したカイトは、控室に送って貰おうと病室の中を見渡した。だが自分とノブハル以外は、全員カプセルに張り付いてた。 「だったら、俺が連れて行くか」  そこでカイトが動こうとした時、「妹がご迷惑をおかけしています」と一人の男性が入ってきた。金色の髪に青い瞳をした、とても整った顔立ちをした少年と言っていい年齢の男性である。その男性の顔を見て、ヴァイオレットは弱々しい声で「お兄ちゃん」と呼びかけた。 「自己紹介が遅れました。ギルベルト……と言います。妹がご迷惑をおかけしたようですね」  失礼しましたと礼儀正しく頭を下げ、ギルベルトと名乗った男性はヴァイオレットの肩を抱き寄せた。そして耳元に唇を寄せ、「家に帰ろう」と囁きかけた。 「母さんに心配をかけちゃ駄目だよ」  だから帰ると告げたギルベルトに、ヴァイオレットは小さく頷いた。 「ここは、部外者がいつまでも居ていい場所ではない思います。ですから僕達は、これで帰らせていただきます」  ヴァイオレットにも頭を下げさせてから、ギルベルトは背中に手を当てゆっくりと病室を出ていった。その後姿を見送ったところで、ノブハルは「ジノ」と護衛を呼び出した。 「はいノブハル様っ!」  湧いて出たように姿を表したジノに、ノブハルは「身元の確認を」と命じた。アリッサがヴァイオレットに反応したことは偶然で片付けられるが、こんなにタイミングよく兄と名乗る人物が現れるとは考えられなかったのだ。そもそもヴァイオレットは、シルバニア帝国の臣民のはずだ。エルマーからの時間経過を考えれば、都合よく兄と名乗る人物がジェイドに来ているのは、流石に考えられなかったのだ。  ノブハルの命を受け、「直ちに」とジノは二人を追って病室から消えた。 「なにか、彼女にあるのか?」  どう考えても、アリッサに関わりがあるとは思えない。それを気にしたカイトに、「別件で」とノブハルは答えた。 「なにか、冒険中にも素性の知れないところがあったのだ。同じことを、ジノ達も感じていたらしい。だから、その疑問を解消するため……と言うのが理由なのだが」  そこで少し考えて、「そんなところだ」とノブハルは答えた。その答えに、「アリッサのことでないのなら」とカイトは忘れることにした。  病室を出たところで、ギルベルトは一度立ち止まってあたりを見渡した。そこで指を鳴らそうとしたのだが、そのまま手を下ろして「姿を見せてください」と振り返った。そしてその声に答えて現れた女性に、「初めまして」と頭を下げた。 「色々と聞きたいことがあるのでしょうが、とりあえず場所を変えませんか?」 「そうですね。ここではアリッサ様の病室に近すぎます」  涼やかな声で答えたのは、思わず見とれてしまいそうな美しい姿をした女性だった。長い黒髪にエメラルド色の瞳をした、美と恐怖の化身コスモクロアその人である。  ギルベルトの提案を認めたコスモクロアは、空間移動で3人の居場所を移した。ただその場所はトリプルAの本社ではなく、誰も居ない野原の真ん中だった。 「ここでしたら、誰にも話を聞かれることはありませんから」  そう前置きをしたコスモクロアは、「あなた達は何者?」とギルベルトに問うた。 「病室の周りには、私とザリアが侵入者検知網を張っています。それなのに、私達はあなたが現れるのに気づけなかった。もう一度尋ねますが、あなた達は何者なのですか?」 「そうやって、怖い顔をしないで貰いたいのですけどね」  コスモクロアに殺気を向けられたのに、ギルベルトは少しも堪えた様子を見せなかった。 「ただ僕は、妹を猫可愛がりする姉達に、迎えに行ってこいと命令されて来ただけですよ」  「しっかり脅されました」と笑ったギルベルトに、「答えになっていませんね」とコスモクロアは発する殺気を強めた。  それを何事もないように受け流したギルベルトは、「あなたの為になる提案を持ってきたんです」と口にした。 「私の問いに、答える意志はないと言うことですね」  コスモクロアの放つ殺気が最大に高まったところで、ギルベルトは「おばあさん」と挑発するような言葉を口にした。ただ予想外の言葉だったのか、コスモクロアは飛びかかる勢いを削がれてしまった。 「私をおばあさんと呼ぶとは、よほど命がいらないと見えますね」  虚を突かれたコスモクロアは、すぐに精神を立て直した。口元が釣り上がっているのは、それだけ本気になったと言う意味でもある。  そして発する殺気が今までになく高まったのだが、背後から聞こえてきた声にコスモクロアは慌てて振り返った。殺戮の美姫と言われた自分が、こんなに簡単に背後を取られるとは考えたこともなかったのだ。 「ギルベルト、あなたがモテない理由を教えてあげましょうか?」 「減点10……ううん、20ね」  振り返った先に居たのは、年頃なら二十歳を超えた女性二人だった。長い黒髪が特徴の、スタイルを含めてとびっきりと言っていい美しい女性が現れたのである。  ただコスモクロアにとっての問題は、その二人の美醜とは関係のないことだった。自分の背後を取られたのも問題なのだが、多層空間で区切られた場所へ侵入を許したのだ。エスデニアでもできないのに、この女性達は平然とそれをやってのけたのである。 「モテない理由じゃなくて、どうやったらモテるのかを教えてほしいんだけどな」  不満を訴えたギルベルトに、黒髪の女性の片割れは「無理ね」と冷たく答えた。 「重度のシスコンのあなたは、完全に回りから引かれているのよ」 「ヴァイオレットと比べられるのよ。普通の女性には耐えられないわ」  諦めなさいと言われ、「だから」とギルベルトは肩を落とした。 「俺は、シスコンのつもりはないんだけどな」 「自覚のないのは、更に悪いと思いなさいっ」  そもそもと、最初にギルベルトを詰った女性は「女性の扱いがなっていない」と糾弾してきた。 「コスモクロアのモデルは、年齢的には10代なのよ。あなたと同じ年齢の女性相手に、流石に「ババア」は喧嘩を売ってるでしょう」 「い、いや、俺は「おばあさん」と愛情を込めて言ったのだが?」  話を盛るなとギルベルトが言い返したところで、「あなた達は」とコスモクロアが殺気を膨らませた。 「何者なのですか。正体を明かしなさい」  強圧的な態度をとったコスモクロアに、黒髪の女性の片割れは「内緒」とバカにしたような答えを口にした。その挑発的な態度に、コスモクロアは直ちに反応した。殺しこそはしないが、痛い目ぐらいには遭わせようと考えたのである。  だが瞬間移動で現れたコスモクロアに、その女性はニッと笑ってみせた。しかも首元を狙った手刀は、見えない壁のようなもので遮られていた。それならばと、コスモクロアが体術の限りを尽くそうとしたところで、「遊びすぎ」とギルベルトが声を上げた。 「コハク姉さん、ヒスイ姉さん、話が進まなくなるからやめてくれないかな?」 「元はと言えば、あなたが始めたこと」  責任を転嫁した女性、コハクは「つまらない」とギルベルトに文句を言った。そしてそれに同調するように、「察しが悪い」とヒスイもギルベルトを詰った。 「おばあさんは、うすうす感づいていたのよ。それを確信に変えようとしていたのに」  だからあなたはモテないのだと、ヒスイはギルベルトをバカにした。 「姉さん達にボーイフレンドが居ると言う話を聞いたことがないんだがな」  ファザコンめと言い返したギルベルトに、「命はいらないのかしら」と二人は揃って脅しをかけた。 「それから、あなたのヴァイオレットもファザコンに転ぶからね」  そちらの方が脅しとして効果があったのか、ギルベルトは「本当なのか?」と抱き寄せた妹に尋ねた。  その問いに小さく頷き、「誤解だと分かったから」とヴァイオレットは答えた。ほんのり頬が赤いところを見ると、「転んだ」と言う指摘は外れていないのだろう。  なんてこったとギルベルトが頭を抱えたところで、「あなた達は」とコスモクロアが声を発した。自失していたところから、ようやく復帰したと言うことだ。 「お察しの通り、18年後の未来から来ましたよ。僕とヴァイオレットは、今まさに母さんのお腹に居ます」  すったもんだの上に与えられた答えに、コスモクロアは大きくため息を吐いた。 「もう少し早く教えてくれればと言うのは、正当な文句だと思います」  そこで恨めしそうな顔をしたコスモクロアに、「遺伝の問題で」とギルベルトは頭を掻いた。 「そのあたりは、父さんの血だと思ってください」 「否定出来ないところが辛いのですが……少なくとも私の遺伝ではありませんね」  自分は違うからと主張したコスモクロアは、4人に向かって「なぜ」を突きつけた。 「ξ粒子なのか別の方法なのかは分かりませんが、なぜ18年の時を超えて来たのですか?」 「それは、われも教えて貰いたいな」 「同感ね」  コスモクロアの問いと同時に、ザリアとアクサの二人もその空間に現れた。それを見たコハクが、「サンババが」とボソリと呟いた。もちろん耳の良いデバイスが、その呟きを聞き逃すはずがない。「失礼な」と、ザリアとアクサがコハクに詰め寄った。 「コスモクロアはまだしも、私達の子供はあなたと腹違いの兄弟のはずよ」 「うむ、父親より年上ではあるが、アクサの言うとおりだ!」  言葉に気をつけろろ文句を言った2体のデバイスに、「相変わらずノリがいい」とヒスイが笑った。そしてこれ以上の混乱を避けるためか、ギルベルトが「転換点を潰しにきました」と事情を打ち明けた。 「ここでの対応を誤ると、僕達は両親を失ってしまう」 「だから、干渉に来たと言うのか?」  ザリアの追求に、「概ねそうです」とギルベルトは答えた。 「放置しても、僕達の両親が生き残る未来はあるのですけどね。ファザコンの姉妹を持つ僕としては、点数稼ぎのために少しばかり骨を折ろうかと思っただけです」 「マザコン、シスコン男が何を言っているのやら」  コハクとヒスイに軽蔑の眼差しを向けられ、「こんな姉と付き合っているんですから」とギルベルトは肩を竦めた。 「それで、具体的には何をしようというの?」  発散しがちな話を引き戻すため、アクサが肝心の部分を質した。それに安堵したのか、ギルベルトは「それなんですけど」とコスモクロアの顔を見た。 「色々と方法があるんですけど、干渉の度合いを限りなく小さくするのと、おばあさん……コスモクロアの願望を叶える方法がいいのかなと。ええっと、今の状況を変えることなんですけどね」 「私の願望を叶える?」  おばあさんと言われたことに腹を立てたのか、コスモクロアがギルベルトに向ける視線はとても険しいものだった。その視線に少しだけ目元を引きつらせたギルベルトは、「願望を叶えるものですよ」と繰り返した。 「このままだと、父さんが本当に2ヶ月後に戻ってこられるか分かりませんからね。下手をすると、二人揃って居なくなる未来もあったりするんです。だからなんですけど……」  そこでコスモクロアの顔を見て、「役割を入れ替えます」とギルベルトは口にした。 「かなりの長期間になりますが、フュージョンですか。母さんにそれをして貰おうと思っているんです」 「それが、どうして私の願望を叶えることになるのでしょう」  分かりませんと答えたコスモクロアだったが、ザリアとアクサはその意味を理解することができた。と言うより、コスモクロア以外の全員がその意味を理解していた。 「なるほど、確かにコスモクロア殿の願望を叶えることになるな」 「そうね、否定したら嘘つきと言ってもいいぐらい」  口元をニヤけさせたアクサとザリアに、「皆さん私のことを誤解されています」とコスモクロアは文句を言った。 「それはそれとして、私がフュージョンしてもだめだと思ったのですが?」  それで助けられるのなら、最初からそうしていたというのだ。そのコスモクロアの主張に「確かに」とザリアもそれを認めた。 「ただ肉体強化をするだけではだめだったはずだぞ」 「ええ、あの時はそうですね」  それをあっさりと認めたギルベルトは、「今は事情が違いますから」と3体のデバイスの顔を見た。 「何しろ今は、僕も母さんのお腹の中に居ますからね」 「夫殿でなければならない理由は失われたと言うことか」  なるほどと頷いたザリアは、「願いが叶うぞ」とコスモクロアの顔を見た。 「きっとそうなのでしょうが……なにか、癪に障りますね」  そこでギルベルトを見てから、ほうっとコスモクロアは息を吐き出した。 「母親として、息子を助ける必要はあるでしょう」  分かりましたと答え、コスモクロアはその場から姿を消した。それを見送ったところで、「ぬしらはどうするのだ?」とザリアはギルベルト達に問いかけた。 「もとの場所に戻ろうかと思います。あまりこちらに長居をすると、間違いなく母さんが心配しますからね」 「それはたしかにそうなのだが、しかしどうやって帰るつもりだ? こちらに来るのはξ粒子を利用すればよいのだろうが、それで元の時間軸に帰ることはできないであろう」  過去に飛ぶことはできても、未来には飛べないだろうと言うのだ。その指摘に、ギルベルトは「方法ならいくつか」と姉達を見た。 「亜光速で飛行すれば、実時間とズレを利用することができます。ただ加減が難しいので、融合世界を利用することにします。あちらは、時間の境目が曖昧になりますからね」 「なるほど、そちらの解明も進んでおると言うことか」  うんうんと頷いたザリアは、瞬間移動でコハクの前に立った。 「我が名を継いだとは思えぬ性格だな」 「血は継いでないから」  だからとの答えに、「確かにそうか」とザリアは笑った。彼女達の成り立ちを考えれば、コスモクロアの遺伝となるのだ。 「母親に心配させたくないのなら、さっさと帰ることだ」 「ええ、そうさせて貰います」  にこやかに笑ったギルベルトは、ヴァイオレットの肩を抱き寄せた。それを見て、ヒスイとコハクもずるいと言ってくっついていった。 「どうやら、シスコン・ブラコンはノブハルだけの性格ではないようだ」 「ええ、どうやらそのようね」  ザリアとアクサが見守る中、4人の姿は地面に消えるようにして見えなくなった。なるほど空間移動とは違うのだと、二人は時間の超え方に感心した。 「これで、我らも時間を超えられそうだな」 「カンニングは良くないから、しばらく封印した方が良さそうね」  常識を口にしたアクサに、「そうだな」とザリアは小さく頷いた。 「そして4人の正体も、知らないことにしておく必要があるな」 「そっちも、カンニングは良くないわね」  ザリアの言葉を認めたアクサは、「戻るわ」と言い残して姿を消した。そしてそれを見送ったザリアも、「戻るか」と言い残して姿を消した。つじつま合わせに問題は残るが、自分の仕事じゃないと割り切ることにしたのだ。  トリプルAが内部の問題を抱えていた時、宇宙では2つの動きが形になろうとしていた。そのうちの一つが、超銀河連邦内でのマールス銀河への対応である。調査隊の報告書が展開されたのが理由で、ザクセン=ベルリナー連合への同情論が強くなったのだ。連合に生きる人々が、アーベル連邦に比べ劣悪な環境に置かれていること。その根本原因がアーベル連邦にあることから、現状を変えるべしと言う声が、いたる所から持ち上がってきていた。連邦法による不干渉の原則に対して、ザクセン=ベルリナー連合への人道的支援は、連邦法に反するものではないとの意見も上申されてきた。  そこで謳われた支援は、一応「非軍事的」とされていた。食料や住環境改善の支援を主とするものだが、潜り込ませるように外的驚異の排除の文言も盛り込まれていた。そのためには、「必要な圧力」をアーベル連邦に掛けるべしとの意見具申も行われていたのである。  加盟星系から突き上げを受ければ、連邦理事会も重い腰を上げなければいけなくなる。実行主体として連邦軍元帥クサンティンを招いた会議が開かれ、そこで対応策が話し合われることになった。 「トリプルAの弊害が出ましたな」  全員が難しい顔をした中、連邦軍元帥エイドリック・クサンティンが重い口を開いた。 「彼らのあまりにも見事な手際が、事態の深刻さを軽視させる原因となっている」 「今回は、そのトリプルAが手を出さないと言う結論を出しているのですけどね」  クサンティンの言葉を認めた上で、理事会代表サラサーテは問題の難しさを持ち出した。 「ただ、加盟星系からの突き上げは激しさを増しているのでしょう?」  そこで口元が歪んでいるのは、対応の難しさを理解しているからにならない。技術的に勝っているとは言え、相手は長きに渡って大規模な戦争を続けていたのだ。そこで使用されている兵器の破壊力は、明らかに連邦を超えていた。しかも保有している兵力の巨大さを考えると、先のパシフィカ銀河並みの派兵が必要となる。加えて数だけを揃えれば良かったパシフィカ銀河遠征とは異なり、今回はガチの戦闘が必要となる。そうなると、必ずしも自分達は強者ではいられないことになる。  クサンティン元帥の指摘に、「それで困っています」とサラサーテは零した。 「内部で検討した結果を申し上げるのなら、力による制圧は可能と出ています。ただその場合、我軍で発生する損害は少なく見積もっても艦船で100万隻を超え、人員で言えば10億を超えます。そして我々と相対するアーベル連邦でも、ほぼ同程度の損害が発生します。相手が引いてくれればまだしも、ヒアリングの結果を見る限り、その可能性は殆どないことになります。結果的に、ザクセン=ベルリナー連合の戦争を肩代わりすることになってしまいます。連邦の意義を考えた場合、説明がつかないのかと思いますが?」 「それだけの犠牲が発生しますか……」  予想より大きな犠牲に、サラサーテはううむと考え込んだ。 「現時点で分かっていることは、アーベル連邦は仲裁を望んでいない。彼らのリーダーは、連邦への加盟申請を数百年後と考えているそうです。つまり我々が仲裁に入っても、それを受け入れる可能性は極めて低いことになる」 「加えて申し上げるなら、代表理事の考える形での仲裁成立はありえないのかと。これまでのことを水に流し、双方が和解すると言うのは幻想にしか過ぎません。そして連合内に限っても、敵の姿が消えたとしても、抱えた問題が解消するとは思えません。むしろアーベル連邦と言う重しが取れたことで、今まで押さえられていたものが爆発する可能性すらあります」  クサンティン元帥の指摘に、サラサーテはもう一度唸ってしまった。話をすればするほど、静観の立場を崩したくなくなるのだ。だが彼への突き上げは、静観を許さない空気を作り上げていた。  それを察したのか、「お気持ちは理解できます」とクサンティンは口元を歪めた。 「軍の中からも、介入すべしとの声が聞こえてくるぐらいです。そのあたり、トリプルAの実績が影響しているのですが……彼らが動けない今がチャンスだと言う空気が感じられます」 「トリプルAですら手が出せないのに、我々が手を出す事ができるのだと?」  ありえないと答えたサラサーテに、「そのトリプルAが問題なのです」とクサンティン元帥は答えた。 「トラスティ氏の不在は、すでに多くの者が知るところとなっています。そのせいで、トリプルAが手を出さない本質を見誤っている者が大勢いると言うことです」 「トラスティ氏不在が、手を出さない理由だと?」  サラサーテの答えに、「まさに」とクサンティン元帥は認めた。 「もちろん、そのせいでノブハル様が慎重になっているのは否めないでしょう。ですが、報告書を見る限り、ノブハル様の判断は従来の連邦の考え方を踏襲した、非常に妥当なものと言っていいでしょう。連邦に所属していない銀河である以上、我々が手を出すには大義が必要です。ですがその大義は、アーベル連邦によって否定されています。正義の味方を気取るのは、非常に危険な考え方だと私は考えます」 「私も、元帥閣下と同じ考え方をしているつもりです」  クサンティン元帥の言葉を認めたサラサーテは、「ただ」と問題点を蒸し返した。 「干渉すべしと言う意見が、理事会の過半数を占めそうな勢いなのです。そうなると、理事会は連邦軍に対して干渉を命じなければならなくなる」  困ったものだと口にしたサラサーテに、なるほどとクサンティンは問題の所在を理解した。 「だが一言干渉と言っても、問題としては非常に難しい。アーベル連邦は、「間引き」を理由に、すでに加盟星系エリアで50万もの有人星系を破壊した実績があります。今彼らが行っているのは、その延長にある「作業」なのです。そして次次代の総統も明確に中止を否定し、静観して欲しいと依頼しています。その状況で我々が干渉するには、武力を背景に連邦側を屈服させる必要があります。連邦側が徹底抗戦を選んだ場合、先程報告したように双方に莫大な数の犠牲者が出ることになります。下手をしたら、アーベル連邦を滅ぼすことになりかねません。交流のない他の銀河に行き、そのようなことをする権利が我々にあるのでしょうか」 「元帥閣下の仰ることは理解しているつもりです」  そうクサンティンの意見を認めたサラサーテは、干渉派の口実を持ち出した。 「有人惑星の間引きは、重大な人権問題だとの主張があります。その事実を知ってなお不干渉の立場を取ることは、我々も間引きと言う重大な人権侵害に加担したことになると言うものです」 「我々の連邦内で起きた内戦、交戦権の行使に対して連邦は原則不干渉を表明しています。その事実がある以上、破綻する論理展開でしか無いのですが……」  ううむとクサンティンが唸ったのは、軍の統帥権が理事会にあるからである。従って、理事会が命じれば、軍は必要な作戦行動を取らなければならなくなってしまう。 「もう一つの懸念は、トリプルA……と言うより、ノブハル様がどうお考えになるかです」 「シルバニア帝国皇夫殿……がと、言うことですか」  驚いたサラサーテに、「次次代総統と話されておいでです」とクサンティン元帥は立場を説明した。 「性急な干渉は、ノブハル様のご機嫌を損ねる事になります。もしもノブハル様が、連邦の干渉を是としなかった場合、シルバニア帝国が異を唱える可能性があります」 「トップ6が、暗黙の了解を破ることになると?」  少し表情を険しくしたサラサーテに、クサンティン元帥ははっきり頷いた。 「連邦が、法を蔑ろにすればその可能性があるのかと」  理事会での議決を論ったクサンティン元帥に、サラサーテは目元を引きつらせながら「確かに」とその指摘を認めた。 「少なくとも私達は、干渉が好ましくないと言う合意に達しています。その意味では、元帥の仰ることは理解できます。ただ、代表理事として、理事会の議決を尊重する義務もあります。ノブハル様のお気持ちは理解しますが、トップ6が表立って理事会の議決を蔑ろにするでしょうか?」  これまでのことを考えると、その可能性は低くなる。サラサーテの言葉に、「それでも」とクサンティンは懸念を口にした。 「シルバニア帝国は、アルテッツァを握っています。明確な反対行動を取らなくても、サボタージュをされれば影響が大きくなります。更に言うのなら、エスデニアがどちらにつくかの問題もあります。多層空間接合を使えなければ、艦隊派遣は絵に描いた餅になります」 「表立って邪魔はしなくても、調子が悪くなったと言われたら終わり……ですか」  サボタージュの可能性を考えたサラサーテは、なんてことだと頭を抱えた。クサンティンに指摘されて初めて、連邦内部で発生する不協和音の可能性に気づいたのだ。ここでトップ6との不和が起これば、連邦全体に影響することになる。 「それを考えると、トラスティ氏の件がつくづく痛いと思えてしまいます」  彼ならば、きっと丸く収まるペテンを考えてくれるはずだ。その期待が、今のトリプルAには持てないのが問題だとサラサーテは考えていた。 「仰ることは理解しますが。一個人に頼りすぎるのは、流石に問題が大きいと考えております」  それでは、IotUをトラスティに置き換えただけになってしまう。その危険性を、クサンティンは指摘した。ただ指摘しつつも、それがどうしようもないほど真実を突いていることにも気づいていた。何しろ彼自身、トラスティの顔を思い浮かべてしまったのだ。  そしてもう一つの動きが、連邦安全保障局の組織拡大である。今回の探査で、直接探査の道が開けたこともあり、一部局から庁へと格上げされることになった。もともと予算は潤沢に確保されていたため、その意味ではさほど大きな変化は見られなかった。その代り、第一弾として1千隻の高速航宙艦調達が決定され、探査艇も4千隻ほど配備されることが決定した。パイクの望んだ、本格的な外銀河探査が始まることになったのである。  ちなみに1千隻の船を用意できても、その乗員を確保するのは簡単ではない。「限度を考えて」と事前に軍から釘を差されていたため、安全保障庁はかなりの人数を自前で育成することが迫られることになった。 「乗員の募集は、極めて順調と言えますね」  そのまま持ち上がりで副長官となったライカーは、真新しいデスクに着いたパイクのところに現れた。彼の目から見ても、パイクのご機嫌は極めてよろしく見えていた。 「現時点で、軍関係者を除いて100万名を超えたところか」 「1千隻を運営するには十分な数が集まっています」  ライカーの報告に、パイクは大きく2度頷いた。 「順調に行けば、超高速航宙艇は1万以上配備されることになる。要員の育成を考えれば、まだまだ不足している。応募者の篩い分けと同時に、継続した採用を考えなくてはならんな」  うんうんと嬉しそうにしたパイクに、ライカーは「超高速航宙艇ですが」と彼の願望を実現させた仕掛けのことを持ち出した。 「調達の仕組みはどうなさいますか?」 「連邦の正式資産だ。軍艦と同様、入札を行うことになるが?」  それがどうしたと軽く尋ねたパイクに、「いえ」とライカーは少し口ごもった。 「レムニア帝国、シルバニア帝国いずれの船にしても、調達先が同じと言うことです」  癒着で騒がれそうだとぼやいたライカーに、「何をいまさら」とパイクは言い返した。 「外銀河探査は、トリプルAにおんぶにだっこの状態なのだぞ。ルーモアとピープにしても、トリプルAが我々を「連れて行ってくれた」と考えるべきなのだ。癒着ではなく、現状トリプルAを外して外銀河探査は不可能と言うことだ」  諦めたように答えたパイクに、「仰る通りなんですけどね」とライカーはため息を吐いた。 「アリスカンダルゲートにしても、トリプルAが用意したものを利用していますからね」  それを考えると、連邦安全保障庁はトリプルAの協力なしには成立しないことになる。レムニア、シルバニアのどちらの船を使うにしても、窓口はトリプルAしか存在しなかったのだ。 「入札仕様書なんですけど、目的からすると最高速度を光速の2億倍以上に設定する必要があるんです。ちなみに軍の工廠でも、現時点で1億倍が限界と言う話です。つまり今時点で入札仕様を満足できるのは、レムニア、シルバニア両帝国だけとなります。可能性としては、ライマールでも建造できるのでしょうが、それにしてもトリプルAの提携先の一つに過ぎません」 「今更、虚しくなる事実を持ち出すことに意味があるのかね?」  冷たい視線を向けたパイクは、「我々の使命はなんだ?」とライカーに問いかけた。 「加盟銀河が、外銀河の侵略から守ることですっ!」  姿勢を正したライカーに、「その通り!」とパイクは、大きな声を出した。 「その大義の前には、調達先の問題は些末であると考えることだ!」  それでいいのかと言う疑問はあったが、騒げば逆に面倒になるのも確かだった。それを考えると、何知らないふりをしたほうがマシに違いない。そう割り切ったライカーは、粛々と入札手続きを進めることにした。もしも手続きで責任問題に発展したら、その時は長官に詰め腹を切ってもらえばいいだけだと考えたのである。  アリッサが目覚めても、誰一人としてジェイドから離れなかった。それは駆けつけたノブハルも例外ではなく、トリプルA本社にいついていた。そのお陰でガラガラのはずの本社が、狭っ苦しく感じられるようになっていた。 「連邦安全保障局……いや、組織改編で保障庁になったのか」  アルテッツァからもたらされた情報を、「これを」とノブハルはカイトに送りつけた。 「超高速航宙艦1千隻と探査艇4千隻の調達か?」  おいおいとカイトが呆れたのは、その金額規模と調達スケジュールだった。超高速航宙艇は、5年で1千隻揃える必要があるし同じく探査艇の納期も5年と切られていたのだ。しかも、今後のスケジュールとして、最低でも1万隻の超高速航宙艇調達が記載されていた。 「ルーモアで1隻幾らだ?」 「アルテッツァ、原価は幾らになる?」  開発のことは聞いていたが、掛かった費用のことは聞かされていなかった。その確認のため呼び出されたアルテッツァは、「結構掛かっています」と打ち明けた。 「短期で開発を済ませるため、結構人員に無理をしましたからね。そうですね、単純な開発費は……」  そこで少し考えたのは、掛かった費用を積算するためだろう。 「そうですね、開発費として10兆ダラ程度でしょうか。本当はもっと掛かっているのですけど、軍の装備開発と被っていますからね。開発費請求額としてなら、その程度でいいかと思います。それから1隻あたりの建造費ですが……こちらは、ベースモデルで50億ダラと言うところでしょうか」 「安いと言っていいのかどうか分からないな……」  ううむと考えたノブハルは、「価格決済は社長に頼むことになるな」と目を覚ましたアリッサのことを思い出した。 「ちなみにピープの方はどうなっている?」 「こちらは、開発費は大したことはありませんね。およそ1千億ダラと言うところでしょう。加えて原価ですが……8億ダラと言うところでしょう」  アルテッツァの答えに、ノブハルはピープに対しては意外に高いと言う感想を持った。 「開発費は別にして、意外にピープは高いのだな?」 「高精度の観測機器が高価だからと言うのがお答えになりますね。船の大きさよりも、エンジンのエネルギー密度、観測機器、搭載AIが価格を決める大きな要素だと考えてください。当然ですけど、ゴースロスやルリみたいに、特殊金属を使えば価格は跳ね上がりますよ」  その説明に、なるほどとノブハルは大きく頷いた。 「ゴースロスは、調達仕様を満足しているのか?」 「きついのは探査艇の収容数ですけど、部屋を潰せば十分対応は可能ですね。従って、トリプルAとしては2種類の提案ができることになります」  小さく頷いたノブハルは、「それで」とどちらが有利なのかを確かめた。 「シルバニア帝国のAIにそれを聞きます?」  少し冷たい目をしたアルテッツァは、「何を求めるかですね」と答えをぼかした。 「探査艇の性能は、サイレントホーク2でしたらほとんど差がないと思ってください。流石にメイプル号だと、ピープは見劣りしますね。ゴースロスとの比較でしたら、何を求めるのかによってきます。はっきり言って、オリジナルのゴースロスだと、勝負にならないと思います。何しろお金の掛け方が違いますからね。ただコストダウンをしたゴースロスタイプでしたら、コンパクトさと速度を求めたらゴースロス、ゆとりと対象乗組員の体格を考えたらルーモアと言う所でしょう」 「目的地への距離とかで使い分けを考えればいいと言うことか」  なるほどと頷いたノブハルは、入札対応を考えた。初めはどちらか一方で考えていたのだが、用途別の提案もいいかと考え直したのである。  そうやって入札対応を考えるノブハルに、「成長したな」とカイトは暖かく見守っていた。ただこの手のビジネスの経験はないので、カイトも口をだすことはできなかった。 「連邦安全保障庁への納入だけで、かなりの売上になってくれるな」 「ちなみに、アリッサ様は連邦軍とも交渉されていましたよ。そちらは、外装以外はフルスペックのゴースロスがベースになっています。どうやら、銀河内の移動速度と高機動モードがお気に召したようですね」  数量として考えた場合、そちらの方が圧倒的に多くなってくれる。さすがは社長と感心したノブハルは、それでも一つだけ疑問を感じていた。 「確かに高機動モードはすごいのだが……連邦軍にあれを扱えるのか?」 「連携用のAIも商品のようですよ。ちなみに、そちらの価格は桁違いになっていますね……確か、初期導入コストが10兆ダラ……ぐらいでしたか。保守委託料で、年契約が初期価格の20%程度と聞いています」  その金額がべらぼうだったため、ノブハルは「感覚が狂う」と頭を抱えた。 「その気持は理解できます。もしも連邦軍に単独納入することになれば、売上規模はタンガロイド社にせまることになります。もっとも、連邦軍の中でも慎重意見がありますから、そこまでの規模にはならないのでしょう」 「おかしなメンツか……と言いたいところだが。流石に一企業に依存するのは問題なのだろうな」  ノブハルの理解に、「まさにその通りです」とアルテッツァは答えた。 「安全保障に関わる問題ですからね。一企業に首根っこを押さえられるのは問題と考えているようです。それで軍の工廠への技術移転交渉も始まっていました。もっとも、すべてを出す訳にはいかないので、超光速移動時に発生する亜空間バースト緩和機能がメインになっています。こちらは、1機あたりいくらのライセンス制を取る話となっています。ぶっちゃけた話、高機動モードまではいらないと考えたのが理由ですね」  高機動モードまではと言う話は、とてもノブハルに刺さるものだった。あんなものが必要な敵の姿が思い浮かばなかったのである。そしてもしも必要になったのなら、スペシャル対応として投入すればいいと考えたのである。 「しかし、トリプルAを最初から知っている俺にしてみれば、隔世の感があるな」  カイトがしみじみと口にするのは、女子大生のアルバイトに毛が生えた時期を目の当たりにしているからである。あの頃は、隠すところのとても少ない格好で、3人が商店街でビラ配りまでしていたのだ。 「このままだと、年間売上は1兆ダラを確実に超えることになるのか……」  ここまで成長すると、売上規模でも押しも押されぬ大企業と言うことになる。二人が遠いところを見る目をしたところで、「お知らせです」とアルテッツァが再び姿を表した。格好がナース服になっているところを見ると、医療関係情報なのだろう。 「トラスティ様の分離作業を、明日実施することが確定したのをお知らせします」  それは、まごうことなく朗報に違いない。ノブハルとカイトは、表情を明るくして「本当か」とアルテッツァに詰め寄った。そしてそれから少し遅れ、奥に居た者達もアルテッツァの回りに詰めかけてきた。  その勢いに少し顔を引きつらせたアルテッツァは、「確定情報です」とノブハルを見て答えた。そのあたり、周りの視線を気にしないためと言う気持ちが強かったのだろう。 「つまり、男の子の準備も整ったと言うことだな」  分離方法については、6日前にコスモクロアから提唱されたものだった。ただ医者が男児の状態が落ち着くまで待った方がよいと助言したため、実行に移されなかったと言う事情がある。その後観察が続けられた結果、ようやくゴーサインが出たと言うことだ。  良しと拳を握りしめたノブハルの後ろでは、女性陣が手を取とり合って喜んでいた。アリッサが持ち直した今、トラスティの復帰を持って騒動は完結するのだと。  そして翌日、関係者は全員アリッサの病室に集まっていた。連邦内のVIPのアリッサだから、病室一つとっても無駄に広いスペースが確保されていた。だが詰めかけた人数を見て、病院は入室する人数に制限をかけた。 「なにか、寂しいと言う気持ちはあるんですよ」  付き添いをしたライスフィールとアルテルナタに、アリッサは複雑な気持ちだと打ち明けた。 「あの人がいつも一緒に居てくれるんですよ。こんな満たされた気持ちは、生まれて初めてって気がするんです。しかもお腹の中では、可愛い子供達が育ってくれているんです。幸せってこう言うものなんだって思ったぐらいですからね」  そこで二人を見たアリッサは、「勝手なことを言っていますけどね」と笑った。  そしてそんなことはないと口にした二人に、「実はもっと勝手なことを思っているんです」とアリッサは打ち明けた。 「顔を見て話して、抱きしめて貰って……愛し合うこともそうなんですけど。それができないのが物足りなくなってしまいました。だから寂しいと言う気持ちと同時に、嬉しいって気持ちもあるんです。そして今は、嬉しいと言う気持ちの方が強くなっています」  そこで首を巡らせ、アリッサは誰も寝ていないベッドを見た。そのベッドは、分離されたトラスティが使う予定のものだった。 「早く、あの人の声が聞きたいと思っているんです」 「それは、私達も同じですっ!」  切実な声を上げたライスフィールに、「ですよね」とアリッサは微笑んだ。そしてアルテルナタを見て、「問題は無いんですよね?」と尋ねた。 「はい、無事分離される未来が見えています。それから、ご主人様が退院するのは、1週間後の予定です」 「つまり、あと1週間は私があの人を独占できるわけですね」  それも楽しみと答えたアリッサに、「残念でした」とライスフィールは笑った。 「私達が順番で付き添いますので、二人きりと言う事はありませんね」 「気を利かせてください……と言うのは、流石に贅沢なのでしょうね」  仕方がありませんねとアリッサが笑った所で、入れ替えの見舞客が病室の中に入ってきた。その中のひとり、メリタが「交代です」とアルテルナタに声を掛けた。そしてライスフィールの方には、ロレンシアが交代要員として入ってきた。 「トラスティさんが復活する前に、シャワーを浴びてきた方が良いと思いますよ」  それを言われると、交代を渋る訳にはいかない。「仰る通りですね」と認め、アルテルナタはライスフィールの顔を見た。自分は分からないが、明らかに顔に汗が滲んでいるのが目についた。髪の毛もジトッとしているのだから、シャワーで磨き上げるのはたしかに必要なのだろう。  慌てて出ていった二人を目で見送ったアリッサは、くんと手の甲の匂いを嗅いだ。 「シャワーを浴びられない私はどうすれば良いのでしょうね?」 「多分ですけど、それぐらいのハンデは必要なのではありませんか?」  ですよねと顔を見られたロレンシアは、力強くメリタに頷いてみせた。そして他の見舞客を見て、「まだ不足している気が」とまで口にしてくれた。 「たぶん、私は贅沢なことを言っているのでしょうね……」  ふふと笑ったアリッサに、「贅沢ですね」とロレンシアは告げた。 「でも、女としてお気持ちはよく分かります」  頷いたロレンシアは、「お任せしていいですか?」とエリーゼに声を掛けた。ノブハル特製の衣装チェンジシステムは、シャワーを浴びた効果も持たせることができる。必要だろうと、ノブハルがエリーゼに渡していたのだ。  「任せてください」とアリッサに近づいたエリーゼは、教えられたとおりパチリと指を鳴らした。 「なにか、体がザワザワした気がしますね。ですが、おかげさまでスッキリとした気がします」  ありがとうと微笑まれ、エリーゼは少し嬉しそうにした。 「髪も整えて貰った方が良さそうですね」  頼めますかと聞かれ、「自信はありませんが」とメリタは少し緊張した。そこでロレンシアを見たのだが、「私には無理です」とあっさり断られてしまった。彼女がお姫様だと考えれば、それも無理のないことだった。何しろ髪型一つとっても、お付きの者が整える生活を送っていたのだから。 「簡単なことしかできませんからね」  予防線を張ったメリタは、ベッドを操作してアリッサの上体を起こした。もともと体力なしのアリッサだから、寝たきりになったことで更に筋力が落ちていたのだ。ただ痩せ細っていた体や顔色の悪さは、すっかり元通りに戻っていた。  備え付けの化粧室からセットを運んできたメリタは、「使い方が……」と言いながらアリッサの髪を梳いていった。 「シシリーの髪も触ったことがあるけど……羨ましくなるほど綺麗な髪ですね」  櫛通りを含めて、自分とは比べ物にならないほどなめらかな髪質をしていたのだ。「良いなぁ」と羨ましがりながら、メリタはアリッサの髪を整えていった。少しおっかなびっくりの所はあったが、アリッサは目を閉じて気持ちよさそうになすがっままになっていた。 それをゆっくり30分ほど行った所で、「そろそろですね」とアリッサは首を反対側に向けた。そこには、トラスティの代わりに彼女を守る、コスモクロアが静かに立っていた。  アリッサの言葉に小さく頷き、コスモクロアはゆっくりと彼女の肩に手を触れた。そして「温かいですね」とのアリッサの言葉に、「願いが叶いますから」とコスモクロアは微笑んだ。 「コスモクロアさんの願い、ですか?」  小首を傾げたアリッサに、「心からの願いです」とコスモクロアは返した。 「子供を身籠り産むことができるのです。願っても叶わなかったことが、これで叶うことになります」 「ええっと、途中で取り出すことが「産む」ことになるのですか?」  空気を読まないのはアリッサのアリッサたる所以だろう。ただコスモクロアの答えは、アリッサの期待とは少し違うものだった。 「残念ながら、この子達については今までの方法は使えませんね。おそらくですけど、保育器では成長することができないと思います」 「つまり、私がお腹の中で育てるのだと?」  驚いたアリッサに、「嫌でしたか?」とコスモクロアは尋ねた。 「可愛い子供達です。嫌と言う気持ちはありませんが、ちょっと予想をしていなかったので……そうですか。しばらく、この子達と一緒にいられるのですね」  そう答え、アリッサはまだ目立たないお腹に手を当てた。外見からは分からないのだが、こうしてみると新しい命が育っているのを感じることができた。 「しばらく、お母様のお世話になるのですね」  よろしくお願いしますと頭を下げたアリッサに、こちらこそとコスモクロアは微笑んだ。そして「仲間外れはいないようですね」と集まった者達の顔を見た。 「では、そろそろ始めましょうか」  そう口にして、コスモクロアは左手に嵌められた指輪に口づけをした。IotUに与えられた指輪は、その存在を示すように赤く輝いた。そのまま左手を斜め上に掲げたところで、赤い光はコスモクロアの体を包み込んだ。  一方アリッサの左手に嵌められたミラクルブラッドも、それに応えるように赤く光り始めた。 「ミラクルブラッドの共鳴?」  その光景を見ていたラピスラズリは、思わず自分の左手に嵌められた指輪を見た。そして他の妻達も、慌てて自分の左手を確認した。  それがきっかけとなったのかは分からないが、妻達の指輪からも赤い光が大きく広がっていった。 「……感動的な光景なんだけど」  そこで自分の左手を見たメリタは、「ずるい」と内心文句を言っていた。奥さんにして貰ったのに、まだ指輪を貰っていなかったのである。  メリタを羨ましがらせた光は、赤々と病室の中を照らし出した。その光の中、コスモクロアの姿がゆっくりと分解され、その姿に重なるように男の体が浮かび上がってきた。そしてコスモクロアの姿が完全に消えたところで、部屋の中を満たした赤い光が消え、少し疲れた顔をしたトラスティがその場に立っていた。 「……予定より早かったんだけど」  少し苦笑を浮かべ、「ただいま」とトラスティは集まった妻達に声を掛けた。そして少し屈んで、「ただいま」と言ってアリッサに口づけをした。 「色々と言いたいことはあると思うけど……ちょっと休ませてくれるかな」  用意されていたベッドに腰を下ろし、「しばらくは動けない」と全員に告げた。 「自分自身の存在は問題ないのだけど、まだ体力が戻ってきていないんだ。後は、アリッサとまだ繋がっているからね。お腹の子供……男の子の状態がもう少し落ち着くまでここを動くことはできないと思う。それが、2ヶ月と言った理由なんだ」  悪いねと謝ったトラスティに、彼の妻達は涙を浮かべながら「大したことではありません」と答えた。 「こうしてお顔を見られて、話しをすることもできるのです。触れていただくこともできるのですから、今はこれで十分だと思います」  代表したラピスラズリに、他の妻達も同感だと頷いた。  それからカイト達を見て、「心配掛けました」とトラスティは頭を下げた。 「いや、それは良いのだがな」  苦笑を浮かべたカイトは、「爺さんの後を追ってないか」と問いかけてきた。 「明らかに、人の範疇を超えているだろう」 「僕は、人のつもりなんですけどね……まあ、非常識な真似をしたことは否定できませんが」  苦笑を浮かべたトラスティは、「たぶん」とカイトの顔を見た。 「その気になれば、兄さんにもできると思いますよ」 「2つの意味で、やりたくないな」  もう一度苦笑を浮かべたカイトに、「そうですね」とトラスティは笑った。そしてノブハルに向かって、「何事もなかったようだね」と声を掛けた。 「まあ、俺にでもこれぐらいはできると言うことだ」 「でも、この程度で満足して貰っても困るんだけどね」  まあ良いかと笑い、「土産話を聞かせてくれ」とノブハルに頼んだ。 「ああ、まだまだ謎が残っているからな。それも含めて、落ち着いたところで話してやろう。だから、早く体力を回復してくれ」 「体の方なら、数日我慢してくれないかな」  首をごきりと動かしたトラスティは、「ちょっと寝る」と言ってベッドに横たわった。そんなトラスティの前に、なぜか彼の妻達が行列を作った。 「どうして行列?」 「それは、こうするためです。我が君」  少し頬を染めたラピスラズリは、寝ているトラスティに唇を重ねてきた。そしてそれを1分ほど続けたところで、「とりあえず満足しました」とゆっくりと離れた。 「次は私ですね」  そう言って頬を染めたロレンシアに、「なるほど列になるのだ」とトラスティは理解したのだった。  そうやってトラスティ達が復活を喜んで居た時、超銀河連邦理事会は11対9、棄権1の僅差でマールス銀河への能動的介入を決定した。1ヶ月の準備期間の後、投入艦船数1千万の大規模派遣が行われることとなったのである。  民衆の関心が薄いこともあるが、アーベル連邦における総統譲位はなんの儀式も行われない、地味さを絵に描いたようなものだった。行われたのは、異動通知のような書面による連絡だけで、引き継ぎもなく前総統の息子の一人、ザフエルが新総統の座についたのである。民衆に対する告知にしても、連邦からのお知らせと言う掲示板に、「アーベル連邦総統交代についてのお知らせ」が掲載されただけである。その扱いとマスコミへの露出を考えれば、民衆の関心が薄くても仕方がないと言えるだろう。  その意味で言えば、各種式典に出席する一族の方が顔が知られているぐらいだ。惑星アーベルにですら、総統の顔を知らない者の方が多いと思えるぐらいの知名度である。  その一方で、連邦議会議長の交代は各国への影響度から注目されていた。先代総統サキエルの退位と同時に発表された議長アドルフ・ハイラーの交代は、マスコミでも大きく扱われたのである。 「わしより、お前の方が目立っているな」  そのまま側近から持ち上がりで議会議長に就任したバルベルトに、新総統ザフエルは羨ましいなと皮肉をぶつけた。それに恐縮したバルベルトを笑ったザフエルは、「アザキエルだが」と次の総統が約束された息子のことを持ち出した。 「正確に言うのなら、アザキエルに接触した者達と言えばいいのだろうな」 「我々の銀河の外から来た者……と言う話でしたな」  バルベルトの答えに、「確かなのか?」とザフエルは問うた。  それに小さく頷いたバルベルトは、「消息を辿れておりません」とその理由を報告した。 「アザキエル様の面前からの移動方法。その後、一切の目撃情報が得られていないこと。連合の者達でない……いえ、連邦の者でも無いのでしょう。本当に銀河の外から来たのか、さもなければ消えたマールス人が姿を現したのか。流石に、そこまでは判明しておりません」 「そして、調べていたことを考えたら、マールス人の可能性は低いと言うことになるわけだ」  そこでザフエルは、「残念だな」と息を吐き出した。 「どうしてわしの前に現れてくれなんだのだと思ってしまう」 「アザキエル様の側女を探していて、偶然掛かったと言うお話ですので」  あちらから接触してきたわけではないと言われ、「それも問題だ」とザフエルは答えた。 「すなわち、彼らは何らかの目的を持って我らが連邦に潜入したと言うことになる」 「近傍銀河……私達の呼び方ではパリカン銀河から来たと言うことです。目的は、私達の銀河が安全保障上の驚異となるかどうかを確認するためとか」  バルベルトの答えに、「それだが」とザフエルは確認の方法を取り上げた。 「わしが総統に付くと言う情報で、連合が騒ぎになっているのを知っておった。それを考えれば、彼らは連合……おそらく、ザクセンとベルリナーでも潜入調査を行っておるのだろう。だとしたら、この銀河をどう見るのだろうか。惑星破壊を行う、残虐非道な存在だとは考えておるのではないか?」 「それを持って、干渉することにはならないとの話でしたが」  ノブハルの話を持ち出したバルベルトに、ザフエルは小さく頷いた。そしてその上で、「上位組織の話があっただろう」との指摘を行った。 「1万と3だったか。それだけの銀河を束ねる組織ともなると、様々な考え方があって然るべきだろう。そして話を聞いた限り、各惑星の自主性を重んじる空気があるようだ。そんな世界に、惑星破壊を行うわしらはどのように映るのだろうな」  そこで言葉を切ったザフエルは、「人のことは言えぬが」と少し口元を歪めた。 「それだけ巨大な……言い換えれば強大な世界なのだ。何でもできると言う幻想に取り憑かれるのではないか。そして間引きを行うわしらを、遅れた考えを持つ野蛮人と決めつけてくる可能性もある。正義感と言う名の傲慢が、わしらに理想を押し付けてくるやもしれん。アザキエルと話した者達は、そうならないよう努めておったのがよく分かるのだ。確かシルバニア帝国皇夫だったか。高い地位に有る者らしく、高い見識を持っておるのは理解できた。だがそれが、誰にでも当てはまるものではないと言うことだ」 「かの者達を送り出した組織が干渉してくると?」  表情を険しくしたバルベルトに、「大いに有り得る話だ」とザフエルは断言した。 「では、私達はどうしたら宜しいのでしょうか?」  教えを請うたバルベルトに、「何も」とザフエルは言い切った。 「安っぽい正義感などに付き合う必要はない」 「私達を攻撃してきませんか?」  調停を無視することで、敵に回すことになるのをバルベルトは恐れた。そんなバルベルトに、「それもまた一つの道」とザフエルは返した。 「それをした時点で、超銀河連邦と言ったか。その正義とやらは地に落ちることになる。調停に名を借りた、連合への支援でしか無いのだ。そして己の正義を、他人に押し付ける傲慢な存在だとな」  それならそれで構わないと答えたザフエルに、「お心のままに」とバルベルトは頭を下げた。 「間引きは、これまで通り継続していくと言うことで宜しいでしょうか?」 「総統が変わったときには、間引きの頻度が上がるものではなかったか?」  切り替えされたバルベルトは、「それがこれまで通りです」と答えた。 「なるほど、ならばもう少しペースを上げるよう指示を出せ」 「かの者達の前に、餌を差し出しますか」  なるほどと頷いたバルベルトに、「お互い様だ」とザフエルは答えた。 「人のことを見極めるなどと傲慢なことをするのなら、同じことをしてやるまでのことだ。普遍的な正義など、どこの世界にも存在などしておらんのだからな」 「仰る通りなのかと……」  頭を下げたバルベルトは、そのままゆっくりとザフエルの面前から姿を消した。新たな方針が総統から示された以上、連邦議長として必要な手続きを取る必要がある。それが彼に課せられた仕事なのだからと。  理事会から出撃を命じられた以上、連邦軍は全力で任務を遂行する必要がある。もともと出撃に後ろ向きだったクサンティン元帥も、幕僚達に出撃準備並びに作戦検討の指示を出した。そして出撃の際に発生する障害に対して、効果的な対処も指示を出した。そこまで済ませたクサンティン元帥は、久しく開かれていなかった御三家会議を招集した。  仮想空間に集まった3人は、「久しぶりだな」とお互いの健勝を称え合った。そしてテーブルの用意されていない席に座ったところで、議長としてウィリアムが会議を進行することになった。そのあたりは、ウェンディが御三家序列1位にあるのが理由になっていた。 「今回の招集は、連邦理事会の命令が理由と言うことで宜しいですか?」  議長として招集理由を尋ねたウィリアムに、エイドリック・クサンティンは唇を真一文字にして頷いた。 「軍人として、理事会の命令に従うのは当たり前だと思っている。だがこの場では、その立場を離れ忌憚のない意見を貰いたいと思っている」  エイドリックの言葉に、「私が」とジュリアンが発言を求めた。 「明らかに連邦憲章から外れた命令となっています。その意味で言えば、軍は命令を拒否することはできるはずです。なぜあなたは、命令に従うことを選ばれたのですか?」  原則を確認したジュリアンに、エイドリックは「それだが」と少し身を乗り出した。 「明らかにと言うほど外れていないからと言うのが理由になる。今回緊急条項を持ち出しているが、それだけなら連邦憲章から外れては居ないはずだ。ただその適用が、未加盟の銀河に適用されることがグレーゾーンとなる。グレーゾーンだからと命令を拒否するのは、後々理事会と軍の関係に大きな問題を起こすことになる」  その時ではないと言う意味の答えに、なるほどとジュリアンは頷いた。そしてウィリアムの顔を見て、「ウェンディの考え方は?」と御三家筆頭に意見を求めた。 「それだけ、「間引き」と言う行動が衝撃的だったと言うことだろう。だが実態を見てみると、間引かれているのは惑星であり、人が避難するだけの猶予が与えられている。見た目の派手さに、目眩ましされていると言うのが私の答えです。そして私達連邦が干渉すると言うのは、驕りから来た傲慢な行為だと思っています」  そう思いませんかと振られたエイドリックは、「善意の第三者と考えたのだろう」と理事会及び理事会に圧力をかけた者達の考えを推測した。 「文明的に劣る銀河へ、指導の手を差し伸べると言う考えがあっても不思議とは思わない」 「トリプルAの活動が勘違いの理由でしょう」  そうなるに至った理由を口にしたジュリアンに、エイドリックとウィリアムは頷いて同意を示した。 「あんなものは、連邦最悪のペテン師が居て初めて成り立つことだ」 「こともなげに成功が繰り返されると、その意識が薄れてくるものなのだよ。そして連邦軍ができないのは、連邦法に縛られているからと言う錯覚が生まれるんだ。そして今回は、緊急条項と言う逃げ道を見つけてしまった……」  ジュリアンの答えに、「愚かしい考えだ」とウィリアムははっきり言い切った。御三家会議でなければ、発言自体を咎められる危険な発言でもある。 「愚かしいことを認めるのは吝かではないね。すでに100万隻、10億人と言う損害規模が算出されているんだ。連邦軍でみれば、まだ許容できる損害と言うのは確かだろうね。だけど、アーベル連邦が、それだけの損失に耐えられるだろうか。そしてアーベル連邦が弱体化した時、ザクセン=ベルリナー連合が、彼らに対して牙を剥くことになる。だとしたら、連邦軍はザクセン=ベルリナー連合とも戦わなければならなくなる。仲裁に入ったはずが、両国家体と戦い、双方で莫大な死傷者をだすことが推測できる。ゼス以上の泥沼を、我々が主導してしまうのだ」  自分の言葉に熱くなったのか、「やはり愚かしい」とジュリアンは吐き捨てた。そんなジュリアンに、ウィリアムは「エスデニアは?」と鍵となる存在を尋ねた。 「議長閣下は、トラスティ氏の問題に掛かりきりになっているそうだ。それなので、「理事会の決定は尊重する」程度の答えしか出していない。ただ最高評議会内では、今回の決定は極めて評判が悪いと言う話しだ」  ジュリアンの答えに、そうだろうとエイドリックとウィリアムは頷いた。 「だが、トップ6は、表立って理事会の決定に異を唱えられないだろう」  それが、これまでトップ6がとってきた態度なのである。それを持ち出したエイドリックに、「それが問題」とジュリアンは答えた。 「最高評議会内の評判が悪いと言ったが、「いい気になっていないか」と理事会組織に対する反発が出ているそうだ。自分達で何もできないくせに、決定ごとだけを押し付けてくるとね」 「最高評議会にそんな空気が生まれている……と言うのは問題だな」 「他のトップ6は?」  そこでジュリアンの顔を見たのは、アスが重要拠点だからと言う意味がある。 「私に分かるのは、パガニアの情報ぐらいだ……いや、エスデニア連邦の情報もあったか。そのいずれも、あまりいい顔はしていないようだね」 「残るはレムニアとリゲル帝国なのだが……」  ううむと考えたウィリアムは、「それどころではないか」と両帝国の置かれた事情を考えた。 「うむ、両帝国とも皇帝はトラスティ氏だからな。今までは、それどころではなかったと言うのが正直なところだろう」 「その意味で言えば、今回はノブハル氏も関わっていましたね」  シルバニア帝国皇夫として、今回は調査に参加していたのだ。それを考えると、シルバニア帝国の意思決定に大きな影響があると考えることができる。 「トップ6の立場を考えると、表立って異を唱えることはないのだろうね。だがサボタージュを行われると、派兵自体が成立しないことになる。何しろ移動はエスデニアとパガニアに、運用AIはシルバニア帝国に依存しているんだ」 「そうなると、トリプルAが何を考えるかなんだが……今は、それどころではないと言うことか」  ようやく落ち着いたところだから、まだ連邦の抱えた問題に関わる暇はないはずだ。そのウィリアムの指摘に、「トラスティ氏は」とジュリアンは認めた。 「ノブハル様が出発された後、彼とその話をしているんだ。その時彼は、手を出すつもりはないと言っていたよ。その意味で言えば、ノブハル様がどう考えるかがポイントになるな。そしてライラ様は、ノブハル様のお考えを支持されるだろう。そしてノブハル様に頼られて初めて、トラスティ氏が口を挟むことになるのだろうね」 「早めに彼を巻き込まないと、とんでもないことになりそうだな……」  ううむと唸ったエイドリックだったが、かと言って妙案がないのも確かだった。そして公式の立場にいるときには、ここで話した懸念を公言することはできない立場にあった。 「今回に限って言えば、私達が彼に頼るのは問題になりますね」  何しろ、理事会からはっきりと派遣の意思が示されていたのだ。御三家とは言え、軍がその意に背く動きをするのは問題が大きすぎた。 「君の奥方は頼れないのか?」  そこで顔を見られたジュリアンは、「難しいですね」と妻の立場を持ち出した。 「最高評議会の議員ですから、私達とは別の意味で問題を抱えることになります」 「だったら、君のガールフレンドならいいのではないか?」  トリプルAを創業した3人のうちの一人が、ジュリアンのガールフレンドエイシャなのだ。それを持ち出したエイドリックに、「可能性としてなら」とその考えを肯定した。 「だが、ダイレクトにトラスティ氏にコンタクトをして、果たして動いてくれるでしょうか?」  意外なことに、ノブハルとエイシャの接点は細くなっている。そのため、働きかけとして直接トラスティ相手になってしまうのだ。その場合、トラスティが最初の態度を変えないことが予想できてしまう。 「つまり、ノブハル様を動かす方法か……」  意外な難題に考え込んだ二人に向かって、「でしたら」とウィリアムが口を開いた。 「私の妻なら、ノブハル氏に会う口実ができるでしょう。ウタハ嬢に会いに行くと言うことなら、エルマーに行く口実も立つはずです」 「君の奥方か……だが、エルマーまでの足はどうする?」  ヘルコルニア連合とは、未だ定期航路は開設されていない。それを考えると、特別船を仕立てる必要があったのだ。そしてこの場合の問題は、軍の船を動かしにくいと言うところに有った。いくら口実がつくとは言え、軍が裏工作をしたことが目立つのはよろしくなかった。 「それでしたら、私の父を使えば大丈夫でしょう」 「スタークをか?」  驚いたエイドリックに、「暇にしていますから」とウィリアムは笑った。 「トリプルAには、ルリ号と言う超高性能船がありますからね。それを利用すれば、短時間で移動が可能となります」  だからと答えたウィリアムは、なぜか声を潜めて「息抜きも必要なんです」と事情を打ち明けた。 「スタークのか?」 「いえ、妻のです。どうやら、カウシス氏対応はかなりストレスが溜まるようなので」  だからだと答えたウィリアムに、なるほどと二人は大きく頷いた。 「だとしたら、逃げ出したと思われることはないのかな?」 「周りから同情されているようですから、その恐れはないと思います」  同情されることは、もともと目的としていることだった。ただ、演技が演技でなくなっているのが問題だとウィリアムは理解していた。その意味で言えば、カウシスにもかなりストレスが溜まっているのだろう。 「いざとなったら、カウシス氏も巻き込みます」  ウィリアムの答えに、エイドリックとジュリアンは一度顔を見合わせた。そして目と目で合意を成立され、ノブハルへの工作を認めた。 「では、君の奥方に働いてもらうことにしよう」 「父にも、直ぐに連絡を入れますよ」  良しと口にしたウィリアムは、「久しぶりの休暇だ」と余計な言葉を付け足した。当然のように、エイドリックとジュリアンの目元が引きつった。 「休暇を取るのは権利であり義務だと思いましたが? 幸いなことに、今回の派遣に私は関係していませんので」  だから誰憚ることなく休暇を取ることができる。ドヤ顔をしたウィリアムに、エイドリックは報復人事を考えたのだった。  本人談では、「親を使いだてするとはなっとらん!」と言うことなのだが、周りはとても嬉しそうにしていたと言うのが、エルマーを出発するときのスタークの表情だった。ただ問題は、足代わりに使うにはインペレーターは大げさすぎたことだ。そのためルリ号が係留されているルナツーまで、およそ2日の時間がかかってしまった。  そこでアス駐留軍からルリ号を取り上げ、スタークはヘルコルニアのある銀河へと出発した。普通なら面倒な手続きが必要となるところだが、御三家が動いた以上一切の手続きは事前に終わっていた。そしてアガパンサスの手配で、ヘルコルニアのある銀河への空間接合手配も終わっていた。そこに少しだけイレギュラーがあるとすれば、スタークの妻エスタリアも同行していたことだ。「息子の暮らしぶりを見たい」と言うのが、彼女が同行した理由である。  その結果、御三家会議から60時間後にスタークは惑星ヘルコルニアに作られたアクシズに到着した。規格品ではあるが、全長が40kmにも及ぶ衛星都市と言うのがアクシズの実態である。 「お義父様、お義母様ようこそおいでくださいました」  夫が執務中と言うこともあり、迎えには妻のフェリシアが現れた。その顔を一目見たエスタリアは、フェリシアを抱きしめ「苦労をさせてるわね」と謝った。 「辛くない、ウィリアムを叱ってあげましょうか?」  明らかに人相が悪くなっている嫁を気遣い、エスタリアは責任を息子のウィリアムに押し付けた。 「い、いえ、ウィリアム様は何も悪くありません……」 「いいえ、あなたがこんなにやつれている以上、あの子の責任に違いありませんっ!」  そこは譲るわけにはいかない。そう強調したエスタリアは、「あの子は?」と迎えに出てこないウィリアムの姿を探した。 「明日からの休暇のため、仕事の整理をされておいでです」  ふうっと息を吐いたフェリシアは、「紹介します」と長い黒髪をした女性を示した。 「私の護衛に着いてくださっているミユキさんです」 「義娘がお世話になっています」  丁寧に頭を下げるエスタリアに、ミユキはしっかり恐縮してしまった。何しろ相手は、元とは言え元帥だったスタークの奥方なのだ。自分達ひらの軍人からは、雲の上の人になってしまう。  ペコペコと頭を下げるミユキを見ながら、「こちらに」とフェリシアはスターク達を案内した。ルリ号ならば疲れることはないと分かっているが、姑との良好な関係維持のためには細かな気遣いが必要なのである。  ちなみに影が薄くなっているスタークは、表情の冴えない義娘を見て憤っていたりした。そしてその矛先は、当然のように息子へと向けられていた。物腰が柔らかく礼儀正しいフェリシアは、彼にとっては自慢の義娘となっていたのである。  その状況で帰ってくれば、両親から総攻撃を食らうのは想像に難くない。昼食抜きで仕事を終わらせて帰ったウィリアムは、両親のとても冷たい視線に迎えられたのである。そして出発準備があるのに、小一時間にも及ぶ説教を食らうことになった。  「孫の顔をいつ見せてもらえるのかしら?」との母親の文句に、「鋭意努力中」とウィリアムは引きつった顔を反転させて答えたのである。  ウィリアムにとって針のむしろとなった空気の中、翌日ウェンディ家一行はズミクロン星系の軌道ステーション・センターステーションに到着した。そこからはエルマー7家の一つイチモンジ家の手配で地上に降り、アオヤマ家ではなくグリューエルの館でお世話になった。支社業務の急拡大に伴い、エルマー支社は来客施設の準備に取り掛かっていた。ただ今回のウェンディ家訪問に間に合わなかったため、支社長の自宅に招待した形となったのである。 「お呼び立てをして申し訳ありません」  ノブハル夫妻……ノブハルとウタハに向かって、ウィリアムとフェリシアは深々と頭を下げた。そんな二人に向かって、ウタハは慌て、ノブハルはこちらこそと頭を下げ返した。 「少しゴタゴタが続いて、ウタハをつれてそちらに行けなかった」  だから気にしなくていいと答えたノブハルに、ウィリアムはぐるりとあたりを見渡した。 「ここから先の話は、アルテッツァにも記録を残したくないのだが」  そう切り出したウィリアムに、ノブハルはアクサを呼び出した。 「情報封鎖を頼む」 「了解。時間停止した薄膜で覆ったから、誰の目も届かなくなったわよ」  そう言い残して消えたアクサを確認してから、「ヘルコルニアでなにか?」とノブハルはフェリシアの顔を見た。そのあたり、スターク夫妻が心配した彼女の顔つきの悪化が理由になっていた。 「いや、今の所思惑通りに進んではいる。ただ、思惑以上に妻への負担が重くなったと言うのはあるが……」 「確か、行政官のカウシス氏の相手をされていると伺っているが……」  なるほどなと事情を察したノブハルは、「任せていいか」とウタハの顔を見た。 「グリューエル様にお願いをすればいいのかしら?」 「あの人なら、事情ぐらい察してくれるだろう。お前も一緒にお世話になってくるといい」  その結果がどうなるか分かっているので、「いいのかしら」とウタハは少し考えるように上を向いた。 「これは、俺の妻として大事なお客様を接待すると言うことだ。だからお前は、何も気にする必要はないのだぞ」  だからだと言って、ノブハルはアクサを呼び出した。 「二人を、グリューエルさんに預けてくれ」 「あの、ここでしたら自分で行けるけど?」  どうしてアクサと首を傾げたウタハに、「出られないからな」とノブハルは答えた。  そしてそれ以上の説明は面倒だと、ノブハルはアクサに二人を任せた。そして二人の姿が消えたのを確認し、「何が起きている」とウィリアムに訪問目的を尋ねた。ヘルコルニアに問題がない以上、ウィリアムが尋ねてくる理由が思い当たらなかったのだ。  そこで一度呼吸を整えたウィリアムは、「マールス銀河のことだ」と問題を切り出した。 「連邦理事会は、マールス銀河に対しての能動的介入を決議した。今からだと、25日後に連邦軍艦隊1千万がマールス銀河に向けて出撃する事になっている」  身内のゴタゴタで、その方面への注意が綺麗に向けられなくなっていた。それも有って、ノブハルは「なに」と目元を険しくした。 「それは、連邦憲章から外れた行為ではないのか?」  いの一番に浮かんだ疑問に、「必ずしもそうではない」とウィリアムは答えた。 「理事会は、今回の問題に対して緊急条項を持ち出してくれたよ。惑星破壊と言う暴挙を見過ごすわけにはいかないと言うのが理事会が派遣を決定した理由だ。もともと派遣に後ろ向きだった理事会だが、加盟惑星からの突き上げに負けたと言う事情がある」  同じく難しい顔をしたウィリアムに、「勘違いをしたか」とノブハルは核心を突いた。 「ああ、盛大な勘違いだな。その背景として、ここのところのトリプルAの活動があるのだがな。もちろん、私個人としてはお陰で妻を得ることができたのだが」  トリプルAを理由として持ち出され、なるほどとノブハルはウィリアムの訪問理由を理解した。 「あなたが動いたと言うことは、御三家が今の事態が好ましくないと考えたと言うことなのだろう。だが連邦軍人として、表立って理事会の決定に異を唱えることはできない。だから、禁じ手ではあるがトリプルAの利用を考えたと言うことか」 「禁じ手とまでは言わないつもりだが……それに近いのは確かだ。そもそもこうして、裏工作に走ること自体、連邦軍の軍人として問題のある行為だ」  直接異を唱えるより、ある意味行動としては悪質にも思える。問題があると口にしたウィリアムに、「確かに」とノブハルはその事実を認めた。 「意見具申なら正規の手順だが、それはすでに行われいると言うのだろうな。そこで意見が通らなかったから、トリプルAに泣きついた……と取られたら、さすがの御三家でも責任問題に発展するな」  それを考えれば、エルマー訪問は口実として利用されたことになる。しかもトラスティではなく、自分のところに来たこともカムフラージュになるのだろう。その意味で、フェリシアの同行は必須と言うことになる。 「あなた達がトラスティさんに接触するのは目立ちすぎるからな」 「そのとおりとしか言いようがないな」  ノブハルの言葉を認めたウィリアムは、「私に言えるのはここまで」と話を打ち切った。 「いくらこの場の話でも、連邦軍人として理事会の決定を否定する訳にはいかないのだ」 「そのあたりは理解しているつもりだが……今の言い訳も、かなり問題があると思うぞ」  少し口元を歪め、ノブハルはアクサに情報封鎖解除を命じた。 「アルテッツァ、ローエングリンの出港準備を。出港予定は……明日にしておこう」 「すぐにではなくて宜しいのですか?」  ローエングリンなら、命令さえあれば短時間で出港が可能となっている。それを前提に確認したアルテッツァに、ノブハルはウィリアムの顔を見た。 「なに、今日はウィリアムご夫妻を接待しようと思っているのだ。大したことはできないが、少し羽根を伸ばすことも必要だろう……と言うことで、チチャイ氏にこれから行っていいかを聞いてくれ」 「やりすぎないように、お願いをしておく必要がありますね」  苦笑を浮かべたアルテッツァに、「それは大丈夫」とノブハルは胸を張った。 「フェリシアさんの接待は、グリューエル王女に任せようと思っているからな」 「ノブハル様も、ハメを外したいと思っていませんか?」  いいですけどと、アルテッツァはチチャイとの連絡を入れた。  それを横目に、ノブハルは「夫婦別々でも構わないか?」とウィリアムに尋ねた。 「それをすると、色々と風当たりが強くなりそうな気がする。まず問題となるのが、あとからのご機嫌取りだろうな。接待の内容がバレたら、間違いなく当分口を利いてくれなくなるだろう。それに同行してきた両親が煩いのだ」 「なるほど。妻が一人と言うのは、そう言う問題も出るのか……」  納得したようなノブハルに、「それは勘違いだ」とウィリアムは指摘した。 「今の君でも、バレたら奥さん達の不興を買うことになるぞ」 「……そうなのか。だとしたら、気をつけておかないといけないな」  なるほどと納得したところで、「ご了解いただきました!」とアルテッツァが現れた。 「シルバニア帝国皇夫殿からの依頼ならば、喜んで引き受けるとのことです」  そう報告したアルテッツァは、「ちなみに」と耳寄りな情報を持ち出した。 「奥様向けのご接待もあるとのことですよ」 「奥様向けって……まずいことはないのだろうな?」  男性版の裏返しをしてくれたら、さすがにちょっと嫌と言う気がしてしまう。とても自分勝手なことを考えたノブハルに、「何を考えているのですか?」とアルテッツァはとても冷たい視線を向けた。 「オイルマッサージとかアロママッサージとか……デトックスとか様々な美容効果を取り入れたご接待だそうですよ。ノブハル様。考え方が、エロオヤジになっていませんか?」 「え、エロオヤジは流石にないだろうっ!」  慌てて言い返され、「図星だったわけですか」とアルテッツァの視線は更に冷たいものになった。 「と、とにかくだ、ち、チチャイさんの準備は何時頃できるのだ?」 「2時間ほどいただければだそうですよ。ノブハル様が、やらしいことを期待していますとお伝えしましょうか?」  冷たい視線のままのアルテッツァに、「それは止めてくれ」とノブハルは懇願した。 「グリューエル様もお誘いしたのですが、寂しくなるから遠慮しておくだそうです。ウィリアム様、ご両親もお誘いしますか?」  ちなみにスターク夫妻は、夫の案内でサンイーストを観光中だった。それを思い出したウィリアムは、観光ならいいかと両親も誘うことにした。 「でしたら、スターク様にお声がけしておきます」 「と言うことだ。楽しみにしてくれ……はいいのだが、辛いものとか酸っぱいものは大丈夫か?」  タハイ料理を思い出したノブハルは、ウィリアムに好き嫌いを尋ねた。 「そう聞かれてもな……限度を弁えてくれれば大抵は大丈夫だぞ」 「その限度が、人によって違うから問題なのだがな……」  まあいいかとその話を打ち切り、ノブハルは「土産話は聞きたいか?」とウィリアムに問いかけた。 「是非とも……と言いたいところだが。親父達はその話を聞いているのか?」 「いや、アリッサさんのことでバタバタとしていたからな。だから、土産話をするきっかけがなかったのだ」  なるほどと頷いたウィリアムは、「今夜だな」と土産話を先延ばしにした。 「夕食の時に聞かせてくれればいい……食事が喉を通るような話ならな」  グロい話だと、流石に会食に相応しくない。それを心配したウィリアムに、「そちらは大丈夫」とノブハルは保証した。 「俺が潜入したのは、惑星アーベルの方だからな」  興味深い話がたくさんある。そう予告したノブハルに、それは楽しみだとウィリアムは笑ったのだった。  その翌日、ウェンディ一家をチチャイに任せ、ノブハルはセンタースターションに上がっていた。ウィリアムを残したのは、休暇と言う建前を通すためと、フェリシアのリフレッシュのためである。前夜に見せたフェリシアのハッチャケ具合に、全員一致で残ることに決めていたのだ。  ちなみに今回の移動に際して、エリーゼ達は同行しなかった。 「エスデニアに話が通っておりますので、シルバニアまで1日あれば十分かと」  エネルギッシュな見た目をしたコスワースは、大きく腰を折って皇夫ノブハルを迎えた。 「ただ、シルバニア周辺宙域がいささか騒がしくなっております」 「例の、マールス銀河遠征に関係があるのか?」  思わず眉を顰めたノブハルに、「お聞き及びでしたか」とコスワースは恐縮した。 「まあ、これだけ騒ぎになっていればな」  情報源を騒ぎの言葉で隠したノブハルは、「帝国軍は?」と軍の情報を確認した。 「現在惑星シルバニア周辺宙域で警戒待機中です。現在20万ほど集まっているのかと」 「警戒待機……だと? 連邦軍相手にか?」  首を傾げたノブハルに、「連邦軍相手にでもです」とコスワースは答えた。 「不測の事態を避けるためとお考えください」 「惑星シルバニア宙域で、アルテッツァを超えることはできないだろう……トラスティさん以外は」  それなのにかとの問いに、「用心のためです」とコスワースは答えをぼかした。 「ちなみに、エスデニアも守備艦隊を集結させているそうです」 「流石に、それはまずくないか?」  その状況を見ると、超銀河連邦とトップ6の間に、不協和音が生じているように見えてしまうのだ。超銀河連邦の運営を考えたら、流石に問題が大きかった。 「それで、本命はどこなのだ?」  ノブハルの問いに、コスワースは少し声を潜めた。 「おそらく、エスデニアなのかと。多層空間制御が利用できなければ、マールス銀河への遠征は叶いませんので」 「そのため、エスデニアにプレッシャーをかけようと言うのだな。つまり、クサンティン元帥はそれだけ真面目にやっていると言うことか」  御三家の思いとは別に、連邦軍人としての役目を忠実に果たそうと言うのである。なるほど難しい立場なのだと、ノブハルはウィリアムの行動を理解した。 「だとしたら、俺の動きも把握されていると言うことか?」 「そう考えていただいて結構かと」  頭を下げたコスワースは、「大したことではありません」と言ってのけた。 「夫が妻に会いに行くのです。そのことに、誰憚ることがあるでしょうか」 「それはそうなのだがな……だが、政治的にはそうはいかないだろう」  ノブハルの疑問に、「気にしないことが一番です」とコスワースは言ってのけた。 「こう言ったときは、堂々とするのが一番です。その意味で言えば、ライラ様のご機嫌取りをしっかりとしていただければ宜しいのかと。そして帝国臣民として、お世継ぎ誕生の吉報をお待ちしております」 「最後のは、どちらかと言えばライラに言って欲しいのだな」  だが希望は分かったと、ノブハルは「努力する」と答えたのだった。  そして物々しい雰囲気の中、ローエングリンは惑星シルバニアの軌道ステーションに到着した。なぜかジノの出迎えを受けたノブハルは、「久しぶりだな」と笑顔を引きつらせた。ジノを返してから2週間も過ぎていないのに、ずいぶんと前のことのように思えてしまったのだ。 「仰る意味はよく分かります」  大きく腰を折ったジノは、「ライラ様がお待ちです」とノブハルの後ろに従った。 「ライラはなにか言っていたか?」 「これと言って聞かされておりません」  そうかと頷いたノブハルは、「ヴァイオレットの情報は?」とジノに質した。 「あれ以来、消息が綺麗さっぱり途絶えております。シルバニアの住まいも、調べたところ住んでいた形跡がありませんでした」 「アルテッツァの記録は?」  ヴァイオレットに関して言えば、身元の保証をアルテッツァが行っていたのだ。それを質したノブハルに、ジノは「残念ながら」と頭を下げた。 「アルテッツァの記録が改ざんされていたか……だとすると、一体誰がそんなマネをできるのかと言うことになるのだがな」  それができる心当たりは、「ユウカ」と呼ばれる存在だけだった。だが今回の件に関し、身元を隠さなければならない理由が思い当たらなかったのだ。 「ギルベルトだったか。そちらの情報は?」 「シルバニア帝国の臣民に、該当する者は居りませんでした」  結局、手がかりが掴めていないと言うのである。だからと言って直ちに問題があるとは思えないが、気持ち悪いことこの上ないことだった。  ノブハルが落胆気味に「そうか」と答えたところで、目の前の景色がガラリと変わってくれた。そこが白の庭園なのは、まだ夫婦の時間には早いと言う配慮からだろうか。 「ノブハル様。お待ちしていました」  頭を下げたライラは、いつものように白の少女の姿をしていた。頭を下げたライラに歩み寄り、ノブハルはその華奢な体を抱き寄せ唇を重ねた。 「顔を出すのが遅くなって悪かったな」 「仕事を放り出した宰相が居ますので、今回は文句を言えませんね」  微苦笑を浮かべたライラは、ノブハルを椅子に座らせお茶を用意した。そして「お聞き及びでしょうが」と、緊迫した惑星シルバニア宙域のことを持ち出した。 「連邦軍より、「手出し無用」との通告を受けています」 「連邦軍が、シルバニア帝国にそれを言うのか?」  驚いたノブハルに、「連邦軍がです」とライラは繰り返した。 「本気で来られたら、シルバニア帝国軍でも支えきれません。もっとも、近傍宙域にいる連邦軍ぐらい蹴散らせますけど」  そこで口元を押さえて含み笑いをしたライラは、「今は黙っているだけです」と怖いことを口にした。 「これも聞かれていると思いますが、エスデニアに対する圧力なのでしょうね。ですから、シルバニア帝国、ライマール自由銀河同盟が口出しするのは連邦にとって好ましくないんです。今の所、クサンティン元帥の顔を立てて黙っているつもりです。もちろん、ノブハル様が命じてくだされば、近傍にいる連邦軍ぐらい蹴散らしてみせますよ」 「つまり、ライマールの方にも圧力を掛けているということか」  なるほどと頷いたノブハルは、トップ6の残る3つのことを尋ねた。 「リゲル、レムニア、パガニアの状況ですか? パガニアはまだしも、リゲル帝国、レムニア帝国に脅しをかける度胸はないと思いますよ。天の川銀河に駐留している艦隊程度では、あっと言う間に蹴散らされてしまいますからね。アス駐留軍が動けば別ですけど、流石にそこまでの度胸は無いと思います」  ライラの説明に対して、ノブハルはその背後にある問題を指摘した。 「それ以上に、トラスティさんを刺激したくないのではないか? 今はアリッサさんのために入院しているが、いざとなったらアリッサさんごとゴースロスで乗り込んでくれるだろう。インペレーターでも呼び寄せられようものなら、尻尾を巻いて逃げるしかなくなってしまうはずだ」  トラスティを持ち出したノブハルに、「それが現実でしょうね」とライラは指摘を認めた。 「不用意に、トラスティ様を刺激しないためと言うのが真の目的だと思いますよ」 「間違いなく、それは正しい見識だと思うぞ。ただ、甘すぎる話だと思うがな」  口元を歪めたノブハルに、ライラも同じように口元を歪め、「全くです」と答えた。 「と言うことなので、エスデニア連邦として理事会に厳重抗議を行うこととなりました。たとえ連邦軍とは言え、許可なく近傍宙域に艦隊を集めるのは挑発行為だと。そして挑発行為を続けるのであれば、こちらにも相応の覚悟があることを伝えました」 「長距離移動技術をエスデニアに握られている以上、本気になったエスデニア連邦に刃向かえるとは思えないな」  苦笑を浮かべたノブハルに、「仰る通りです」とライラは答えた。 「だが、やりすぎると連邦が瓦解する恐れがあるな」 「仰る通り。さじ加減が難しいと思っています」  そこで少し頬を赤くしたライラは、「ご予定は?」とノブハルに尋ねた。 「うむ、明後日になるが、ここを出てジェイドに向かうつもりだ。このまま放置すると大事になるので、トラスティさんの意見を聞いてこようと思っている」 「つまり、十分時間があると言うことですね」  ぱっと顔を明るくしたライラに、「そのつもりだ」とノブハルは身を乗り出して唇を重ねた。 「コスワース艦長から、早く世継ぎをと迫られてしまった」 「そう言う声が大きくなっているのは知っていましたが……」  そこで少し考えたライラは、「そろそろ良いのでしょうね」と世継ぎを作ることを認めた。 「気がのらないのか?」  そんなノブハルの問いに、「意地悪」とライラは頬を膨らませた。 「ノブハル様との子供ですよ。欲しいに決まっているじゃありませんか。ただ、もう少し二人だけの時間が欲しいなって思っているだけです。それに忘れているとは思いますけど、ノブハル様に課した義務は子供を作ることでしたからね」  だからと熱のこもった顔をされ、ノブハルはゴクリとつばを飲み込んだ。散々色気に欠けると言われたライラも、時折ぐっと来るような表情をするようになっていたのだ。 「なら、今からか?」 「仕事なら、どうとでもなりますからね」  だから今からと、ライラはノブハルと共に寝室へと移動したのだった。  復活から1週間もすれば、押しかけた妻達の姿も減っていた。内政を蔑ろにするなとの声に、耐えきれなくなったと言うのも大きな理由の一つある。そしてアイラのように、いつまでも店を臨時休業にできないと言う理由もあったりした。こちらの場合は、経済的と言うより、お客の声の問題だった。  その結果、ジェイドを拠点としているアルテルナタ以外で残ったのは、パガニア第一王女のロレンシアと、メリタ、アルトリアのコンビだけとなった。そしてメリタは、公務員の経験を生かしてトリプルA本社に手伝いに出ていた。 そのため病院に詰めているのは、これと言った仕事のない、そして手伝いに出ても役に立たない二人、つまりロレンシアとアルトリアの二人になっていた。その中でもアルトリアは、まだ神殿で一人住まいをしていただけ生活力を身に着けていた。それもあって、果物を剥いたりとか体を拭いたりとか、バネッタの手伝いぐらいは役に立っていた。 「あなたが、豊穣神様でしたか。それを信仰しているのは分かっているんですけどね」  ぼうっとアルトリアを見ていたロレンシアは、「惜しいですね」とその素質を羨んだ。アマネに通じる色香を見ていると、IotU神殿の巫女としてうってつけに思えたのだ。神殿勤めで色香を身に着けたロレンシアだったが、天然物には敵わないとアルトリアに対して白旗を上げていた。  ちなみにその手の話は、何度も聞かされていたりした。だからアルトリアは、ロレンシアの愚痴を聞き流していた。そして甲斐甲斐しく、トラスティにデザートを運んでいた。  それを「まあまあ」と宥めたトラスティは、「暇だな」と苦笑交じりに文句を言った。 「寝てなくちゃいけない理由はないんだけど……何もしないと言うのがこんなに暇だとは思わなかったよ」  そうだろうと問われたアリッサも、「暇ですね」と夫の言葉に強く同意をした。 「でも、意外に回っていくものですね」 「トリプルAのことかな。まあ、下地がしっかりと作ってあったからね」  それがいまの結果につながっている。夫の言葉に頷いたアリッサは、「メリタさんですけど」と手伝いに出ている彼女のことを持ち出した。 「このまま、手伝って貰う訳にはいきませんか?」  思いの外役に立っているからと。その妻の問いに、どうだろうとトラスティは少し考えた。 「ミラニアには、広く宇宙のことを知って貰いたいと思っているんだけどね。と言っても、それはトリプルAの業務をしていても可能なのは確かだね」  だから構わないとの答えを貰い、「でしたら本社社員で」とアリッサは勝手にメリタの処遇を決めた。 「その意味で言うと、シシリーさんも雇いたいんですけどね」  意外に使えるからと、アリッサはその理由を口にした。 「彼女は、一応ノブハル君の奥さんだからね。了解さえあれば別に反対はしないよ」  聞いておくかいと言う夫に、「お願い」とアリッサは甘えた。そして所在なさげにしているアルトリアを見て、「アルトリアさんは……」とアリッサは考えた。 「適当な仕事がないんですよね……」  困ったわと考え込んだアリッサに、「ご迷惑をお掛けしています」とアルトリアは萎れた。 「別に、迷惑と言うことはないんですけど……この人の身の回りの世話を任せると、騒ぎ出す人が増えそうな気がして……若くて綺麗で色っぽくて……活かしどころが難しくて」  そのせいで、危機感を覚える者が出てくる恐れがあったのだ。アリッサは、その対応が難しいと考えていた。 「お姉様のところで手伝いをして貰うと、勘違いをする人が続出する気がしますし……」  娼館のアンドロイドより、色っぽくてスタイルも良いのだ。そんな従業員が居たら、指名が殺到する様子が目に浮かんでしまう。そんなアリッサに、トラスティは「リースリットさんに相談したら?」と持ちかけた。 「姉さんの仕事を手伝っているから、雑貨屋の方の手が足りなくなってるんじゃないのかな?」 「それはそうですけど……商店街の人達が悪乗りしそうで……」  体調不良で出席していないが、今も隔週で商店街の懇親会が開催されていたのだ。そこにアルトリアと言う餌を投げ込もうものなら、隔週が毎週になりそうな気がしてしまう。ちなみにアリッサの知らないことだが、その方面でメリタが活躍していたりする。  ううむと頭を悩ませたアリッサは、いきなりパンと手を叩いた。 「そう言えば、皆さんのお家をどうしましょうね。アルトリアさん、なにか希望はありますか?」  突然の方向転換に、アルトリアの理解はついていってくれなかった。どうして身の振り方の話しをしているのに、いきなり住まいに話が飛んでしまうのか。  はっきりと呆けたアルトリアに、「メリタさんと一緒が良いですか?」とアリッサは口にした。だがそう口にしてすぎ、「一緒はまずいか」とすぐに自分の言葉を否定した。 「いつも二人一緒だと、この人の負担が重すぎますね」 「別に、急がなくてもいいと思うよ」  負担の意味を理解しているので、トラスティは直ぐにその決めつけを否定した。  そんな夫の助言に、「そんな事はありません!」とアリッサは反論した。 「いつまでも、病院で寝起きしている訳にはいきません!」 「そりゃあ、まあ、そうなんだけどね……」  こうなると、アリッサが止まらないのはいつものことだった。その態度に苦笑を浮かべながら、良かったとトラスティは安堵も感じていた。ようやくアリッサらしさが戻ってきたのだと。 「その意味で言えば、ロレンシアさんはどうされます? 別に、パガニアの王宮に居なくてはいけないと言うことはないんですよね?」 「確かにそうなのですが……」  やり取りを暖かく見守っていたら、いつの間にか自分の方にも火の粉が降り掛かってきた。ええっとと考えたロレンシアに、「ジェイドはどうです?」とアリッサは誘いをかけた。 「バネッタタイプとかクリスタイプのアンドロイドを派遣しますよ。そうしたら、毎日おいしいものが食べ放題になるんですけど……やっぱり、ご迷惑ですか?」  しかもロレンシア……と言うよりパガニアに共通する弱点を突いてくれるのだから、やはりアリッサとと言うところだろう。 「迷惑と言うより、喜んでと申し上げます」  嬉しそうな顔をしたロレンシアに、うんうんとアリッサは頷いた。 「それでお子様……確か、トリフェーンちゃんでしたよね。こちらに連れてこられますか?」 「王宮では乳母に預けているのですが……」  そこでトラスティの顔を見て、「可能ならば」とロレンシアは答えた。たまに来た時の、子煩悩さを思い出したのである。 「でしたら、アンドロイドの数も必要ですね」  うんうんと頷いたアリッサは、「楽しみです」と本当に嬉しそうな顔をした。 「アセイラムちゃんとか、本当に可愛いですからね。そこにトリフェーンちゃんまで加わると思うと、本当に楽しみで……」  良いわぁと身悶えるアリッサに、「大丈夫なのですか?」とアルトリアは耳打ちをした。どこかタガが外れたのを感じてしまったのだ。 「いつものアリッサ……に近いんだけどね。ちょっと、タガが外れているかな。まあ、今だけは大目に見てあげてくれないか」  逆にお願いをされ、「私でよろしければ」とアルトリアは頬を染めた。そんなやり取りを気にせず、「退院するのが待ち遠しくなった!」とアリッサは騒いでくれた。 「そのあたりは、男の子の状態次第だね。ただ大人しくしている……君には意味のない忠告か。まあ、オフィスと住まいとの往復ぐらいだったら、もう問題はないと思うよ。もちろん、僕からあまり離れないことが条件だけどね」 「それでしたら、むしろあなたが注意をすることじゃありませんか?」  飛び回っていましたよねと言われ、「だからこの環境」とトラスティは笑った。 「こうして入院をしていると、誰も呼び出せないと言うメリットがあるんだよ」 「そう言うことをするから、最悪のペテン師と言われるんです……ただ私のためですから、文句をいうようなことじゃありませんけど」  そう言って笑ってから、「寝ていられます?」とアリッサは尋ねた。 「なにか、連邦がきな臭いことになってるみたいですよ」 「どうやらそのようだけど……それって、僕が頭を悩ますことかな?」  どうだろうと問われ、アリッサは「んー」と考えた。 「トリプルAとしてなら、違いますねと言えると思います。でも、リゲル帝国・レムニア帝国皇帝として、そんな事を言っていられますか……って、そちらの立場でもどうでもいいことですね」  自己完結をしたアリッサは、「気にするのをやめましょう」と声を上げた。 「それに、痛い目に遭ってくれた方が私達のビジネスになりますね」  悪徳商人のようなことを言うアリッサに、「流石にそれは」とトラスティは目元を引きつらせた。 「銀河が一つ破綻するのは、流石に勉強代としては高すぎると思うよ。それに、超銀河連邦の屋台骨にもガタがくる可能性があるんだ。そうなると、トリプルAの商売にも影響してくるよ」 「でも、あなたは手を出さないのですよね?」  そう尋ねられ、「出すつもりはないなぁ」とトラスティは答えた。 「こう言ったときこそ、御三家の出番じゃないのかな?」 「でも、軍人さんだと動きにくくありません? スタークさんも、退役したと言っても元元帥さんですよね。口出ししにくい立場にあると思いますよ」  難しくないかとの決めつけに、「直接はね」とトラスティは答えた。 「それでも、やりようは幾らでもあると思うよ。エスデニア連邦が態度を硬化させたら、平気でいられる者はリゲル帝国やレムニア帝国ぐらいじゃないかな」  そこでロレンシアを見たトラスティは、「パガニアは?」と問いかけた。 「超銀河連邦とエスデニア、そのどちらに付くのかな?」  トラスティの問いに、ロレンシアは少し考えた。 「状況によるとしか……ですが、今回の件なら間違いなくエスデニアかと思います」 「多分だけど、殆どの場合でエスデニアに付くと思うよ。例外を探す方が難しいぐらいだ」  それぐらい、パガニアはエスデニア大好きっ子なのだと。トラスティの決めつけに、「否定できませんね」とロレンシアは微苦笑を浮かべた。 「それが、やり方に関係してくるのですか?」 「エスデニア連邦の指導者……ラピスやライラ、テッド・ターフ氏は、今回の決定を不快に感じているはずなんだ。だからちょっとしたことで、対応を硬化させやすいんだよ。そこでクサンティン元帥が、誰からも文句が出にくい「正しい」対応をすることで、エスデニア連邦の感情を逆なですることも可能なんだよ。理事会としては、トップ6を敵に回したくないはずだからね。そんな事になったら、大慌てになるんじゃないのかな?」  なるほどとアリッサが頷いた時、「それでも問題はあると思います」とロレンシアが口を挟んできた。 「これまでのトップ6の方針は、極力連邦の決定を尊重すると言うものだったはずです。ここで対立をすると、連邦対トップ6の問題となってしまいます。そうなった時、超銀河連邦の存在意義に関わってくるのではないでしょうか?」  これまでの定説を繰り返したロレンシアに、「それも考えている」とトラスティは答えた。 「敢えてことを荒立てることで、収まるところに収まることもあると言うことだよ。それぐらいのことなら、御三家は考えているよ」  だから何もしないと繰り返したトラスティに、「でも……」とロレンシアは口ごもった。そんなロレンシアに、横からアリッサが声を掛けた。 「本気でトップ6の方々を動かしたいと思ったら、ロレンシアさんならどうしたら良いと思います?」 「直接交渉でしょうか……」  ううむと考えたロレンシアに、「普通はそうですね」とアリッサは笑った。 「でも、個別突破はかなり難しいと思いますよ。ラピスラズリ様も、混乱は大好きですけど、これはあの人の望むものではありませんからね。力で従えると言うのは、間違いなくいい顔をされないと思います。そしてその事情は、ライラ様も同じでしょう。原則を大切にされるテッド・ターフ様なら、こんこんと問題点を指摘されるのではありませんか?」 「仰る通りなのですが……だから、今回のように圧力を掛けてきたのではありませんか?」  ですよねと口にしたロレンシアに、「この人がなんて言ったか覚えています?」とアリッサは尋ねた。 「我が君が……でしょうか?」  ううむと考えたロレンシアだったが、「降参です」と早々に白旗を上げた。 「クサンティン元帥が「誰からも文句の出にくい方法でエスデニアの感情を逆なでする」と言いましたね。そしてもう一つ、今回の理事会の決議は、勘違いが理由になっていると言う話もあります」  そこまで口にして、「つまり」とアリッサは隣で寝ている夫の方を見た。 「この人にウンと言わせれば、シルバニアはまだしもエスデニアは従うと言うことです」 「だけど、連邦軍はコンタクトをしてきていないと……」  アリッサの説明に、「ああ」とロレンシアは大きく頷いた。 「お姉様のおかげで、とても良い勉強ができたと思います」  嬉しそうな顔をしたロレンシアに、「お姉様ですか」とアリッサは嬉しそうにした。 「いいですね。そのお姉様と言う響き」 「それぐらいでしたら、何度でも言えるのですが……」  お姉様と繰り返したロレンシアは、「にっちもさっちもいかない状況を作ろうとしているのですね」とクサンティン元帥の意図へと辿り着いた。  なるほどとロレンシアは大きく頷いたのだが、トラスティは「僕は動かないよ」と3人に告げた。 「それで、誰を動かすのですか?」  代役を尋ねたアリッサに、トラスティはノブハルの名前を上げた。 「御三家の仕掛けがそれだけだと思っちゃいけないよ。多分だけど、ノブハル君にコンタクトしているんじゃないかな?」 「ノブハルさんにですか?」  そこで驚くのは、まだ荷が重いと思ったからだろうか。  そんなアリッサに、「多分大丈夫」とトラスティは笑った。 「ノブハル君に、土産話をして貰っただろう。その中に、とても重要なキーワードが含まれていたんだ。その事に気づかせてあげれば、彼ならばやり遂げてくれるよ」  だから手を出さないと繰り返したトラスティは、「そろそろ顔を出すと思うよ」とノブハルの訪問を予告したのだった。  ちなみに本社の手伝いに入ったメリタにとって、最大の仕事がプラタナス商店会との懇親会出席になっていた。そのあたり、バネッタとポセダタイプのアンドロイドで、ほとんどの仕事が回っていたと言うのが大きかった。もちろん昼の仕事でも貢献しているのだが、それ以上に夜の仕事の貢献が大きかったのだ。毎晩やけ酒で管を巻いていたのが、ここに来て役に立ったと言うことだ。 「あなたを見ていると、天職を見つけたって気がするわね」  イキイキしてるからと言うシシリーに、「大した仕事をしてないわよ」とメリタは言い返した。書類の整理とか通常の接客は、明らかにアンドロイドの方が手慣れていたのだ。  だから大した仕事をしていないと答えたメリタに、「外向けの話」とシシリーは口元を歪めた。 「プラタナス商店会の評判が良いって、バネッタが教えてくれたわよ」 「プラタナス商店会の評判って……懇親会しか出てないけど?」  なんでと首を傾げたメリタに、「その懇親会」とシシリーはそのものズバリの指摘をした。 「あなたが来ると、場が盛り上がるんだって」  良かったわねと言われ、「私はホステスじゃない!」とメリタは言い返した。 「良いんじゃないの。立派にアリッサさんの代役が務まっているんだから。リュースさんとかミリアさんが、凄いわねって感心するぐらいなんだから」 「なにか、褒められても嬉しくないわね……と言うか、褒められている気がしないわ」  目元に皺を寄せたメリタに、「良かったんじゃないの」とシシリーは繰り返した。 「とりあえず、落ち着く場所が見つかったんだし。あなただって、流浪の旅なんて出たくなかったでしょ?」 「それはそうなんだけどね……」  はあっと息を吐いたメリタは、ぐるりとオフィスの中を見渡した。人が減ったお蔭で、本社も普段の落ち着きを取り戻している。その中で忙しそうにしているのは、アンドロイドだけと言う不思議な光景がそこにはあった。 「居心地が良すぎると言うのか。思ったほど違和感がないっていうのか。それでもここで慣れてしまうと、ブリーには戻れないと思うわ」 「それは、心から同意できるんだけど。その点について、あなたの中にいる神様はなんて言っているの?」  シシリーの問いに、「本人に聞いて」とメリタは答えた。そしてほとんど間をおかず、「なに?」とミラニアが現れた。 「ジェイドに来てどう思ったのかなって言う質問」  その質問に頷いたミラニアは、「なんか悔しい」と予想とは違う答えを口にした。 「悔しいの?」  驚いたシシリーに、ミラニアは「悔しい」と繰り返した。 「ええ、どうしてクリスタル銀河が、こんな風になれなかったのか。それを思うと、悔しくて仕方がないの」  だから悔しいと繰り返したミラニアに、「その気持は分かる」とシシリーは頷いた。 「その意味では、トラスティさんがあなたを連れ回したのは正しかったってことね」 「それを否定する言葉は持っていない。でも、どうしたら良いのか私には分からないわ。これまで何度も、文明の発達を見守ってきたのよ。そしてそのたびに、まるで義務のように宇宙戦争を始めてくれたわ。その結果が、サルタンとラプータによる破壊なの。どうしたら、こんなに穏やかで調和の取れた世界が作れるのかしら?」  だから余計に悔しいのだと。本気で悔しそうにしたミラニアに、「聞いてる?」とシシリーはマールス銀河のことを尋ねた。あまり世間には広がっていない情報なのだが、シシリーはノブハルから話を聞かされていた。 「あそこもまた、クリスタル銀河とは違っているわ。でも、アーベル連邦の考えも理解できるし、それに反発する気持ちも理解できるわ。ただ今のアーベル連邦の様子を見ると、やっていることの否定は難しいと思う。だからと言って、積極的に肯定できるものではないわ。だから、難しいと思っている」 「そっかぁ、神様でも難しいかぁ」  ノブハルはどうするのだろう。ミラニアの答えを聞いて、シシリーはノブハルのことを思い出していた。 「それを聞いて思い出したけど、あなたはこれからどうするつもりなの?」  メリタが落ち着けば、次はシシリーの居場所が問題となる。メリタはトラスティの妻だが、シシリーはノブハルの妻だったのだ。 「なんか、ここに居る方が気楽かなぁって思ってる。別にノブハルの家族が嫌いとか言ってる訳じゃないわよ。ただ、奥さん同士が四六時中顔を合わせてるのはなにか違うって気がするのよ。結構重い子が集まってるから、ノブハルも気分転換できる場所が必要だと思ってるわ」  だから一緒に住まない方が良い。そう主張したシシリーに、「忘れられないと良いわね」とミラニアはチクリと嫌味を口にした。 「まあ、その時はその時だと思うし。一応保険は掛けてあるんだけどね」  そう言って、シシリーは自分のお腹を押さえた。 「ここだったら、生活にも困らないしね」 「なるほど。大いに参考にさせて貰うわ」  本気で感心したミラニアに、「メリタの意志を尊重するように」とシシリーは釘を差した。  そんなシシリーに、「危機感は共有している」とミラニアは真顔で答えた。 「それに、彼女も若くはないから」  年齢を持ち出されたシシリーは、「やめてくれる」とミラニアに文句を言った。同い年のメリタが若くないのなら、自分も若くないことになってしまう。だからミラニアの顔を見て、「やめてくれる」と繰り返したのだった。  ライラを大いに満足させたノブハルは、出掛けに一言クサンティン元帥に挨拶をしていった。挨拶の口実は、近くに来たからと言うふざけた物だった。  ただ理由はふざけていても、相手はシルバニア帝国皇夫である。絶対におざなりの対応などできるはずがない。秘書達が知恵を振り絞って予定を開け、クサンティン元帥の時間を作ったのである。 「皇夫陛下にお出まし願い感謝いたします」  帝国臣民としての立場を持ち出したクサンティン元帥に、「若輩者です」とノブハルは謙遜した。そんなノブハルに、クサンティンはウィリアムのことを持ち出した。 「エルマーで、休暇を満喫していると伺いましたが?」 「うむ、フェリシアさんが疲れた顔をしていたからな。だからエルマー7家の一つ、タハイを本拠とするチチャイ氏に接待を頼んできた。一泊だけ同行させて貰ったが、大いに喜んでくれたようだ。チチャイ氏にも喜ばれたから、そのあたりはWin-Winと言うところだろう」  その程度だと答えたノブハルは、ぽんと手を叩いて「スターク氏も喜んでいたな」と付け足した。 「どうやらスターク氏は、フェリシアさんが可愛くて仕方がないらしい。奥方も、ずいぶんと気に入られているようだ」 「なるほど、スタークはエルマーで羽根を伸ばしていますか」  本気で羨ましいと口にしたクサンティン元帥に、「あなたも来ればいい」とノブハルは気軽に言ってくれた。その誘いに「是非とも」と乗ったクサンティン元帥は、「一日でも早くジュリアンに役目を譲りますか」とはた迷惑なことを口にした。 「そのあたりは、連邦軍内の問題だからな。俺としては、自由にしてくれと言うことになる」 「確かに、連邦軍内の問題ですな」  大きく頷いたクサンティン元帥は、「この後どちらに?」とノブハルの行く先を探った。 「うむ、ジェイドにシシリー……と言っても知らないか。クリスタル銀河の惑星ブリーで、妻を見つけてきたからな。彼女がジェイドにいるので、この後のこと……例えば住まいとかだが、それを話そうと思っている」 「つまり、ジェイドに行かれるのだと?」  笑っているとしか見えない顔に、大したものだとノブハルは感心していた。 「実のところ、結構彼女のことを気に入っていたりするのだ」  そこまで口にして、「分かっている」とクサンティン元帥に向けて手のひらを向けた。 「ライラだが、ようやく子供を作る気になったぞ。近々、帝国内に知らせが出るのではないか?」  ライラが妊娠するとの話に、「なんと」とクサンティン元帥は本気で目を見張った。 「どうやら、周りからのプレッシャーに耐えきれなくなったようだな」  ニヤニヤと口元を歪めたノブハルに、「私もその一人です」とプレッシャーを掛けている一人であることクサンティン元帥は認めた。 「その程度のプレッシャーなら、平和でいいのではないか」  今の状況あてこすったものなのだが、当然のようにクサンティン元帥は反応しなかった。 「帝国臣民として、必要な努めと考えております」  頭を下げたクサンティンに、「義務を果たしているぞ」とノブハルは答えた。 「だからライラも、シルバニアに連れてきてもいいと言ってくれた。まあ、本人に希望を聞いてみるがな」  多分嫌がると笑ったノブハルに、「確かに」とクサンティンも認めた。 「一般女性が、皇帝のそばで暮らすのは難易度が高すぎますな」 「だから、本人の希望を聞く必要があるのだ。もちろん、どこでなどと野暮なことを聞かないでくれ」  そう言って笑ったノブハルに、「少し違いますな」とクサンティン元帥も笑った。 「話だけですかとの質問が、野暮な質問と言うものだと思います」  そこでちらりと時間を確認したクサンティンは、「残念です」と口にした。 「うむ、忙しい時に来てしまったようだな。次に来る時は、もう少し余裕を持って顔を出させて貰う」  邪魔をしたなと立ち上がったノブハルに、「とんでもない」とクサンティン元帥は恐縮した。 「皇夫陛下御自らお出でいただき、これほど光栄なことはございません」  そう言って深々と頭を下げたクサンティン元帥に、「あまり持ち上げるな」とノブハルは微苦笑を返した。 「最近かなり慣れはしたが、あなたのような人に敬われると、なにか違うと思えてしまうのだ」  まだまだだと笑ったノブハルは、「時間を頂いたことに感謝する」と頭を下げた。 「ちなみにこれは、トリプルA DCTOとしての謝辞になる」  そう言うことだと言い残し、ノブハルは秘書の開けてくれた扉から出ていった。頭を下げて見送ったクサンティン元帥は、「トリプルAとしてか」と口元を歪めた。いくつか仕掛けた仕掛けの一つが、正しく動き始めているのを確認することができたのである。  秘書に案内されて元帥の執務室を出たノブハルは、「ここまででいい」と声を掛けた。そして「アルテッツァ」と、帝国AIを呼び出した。 「俺をローエングリンに運んでくれ」  そう命じてから、秘書に向かって「案内ご苦労」と労いの言葉をかけて姿を消した。  ローエングリンのブリッジに移動したノブハルは、頭を下げたコスワースに「準備は?」と尋ねた。 「すでに、天の川銀河へのゲートは開かれております。アス近傍に移動してから、直ちにジェイドに向かいます」 「アス近傍に行くのに、駐留軍への挨拶はなしか?」  ノブハルの問いに、「必要ですか?」とコスワースは確認した。 「無視していくのも悪いだろう」 「では、ルナツーに立ち寄ることにいたします」  頭を下げたコスワースは、「予定の変更を」とクルーに告げた。それを確認してから、「部屋に戻る」と告げてノブハルは姿を消した。  それを見送ったところで、コスワースは遅れて移動しようとしたサラマーに声を掛けた。 「少し、雰囲気が変わりましたか?」 「トラスティ様の件が、きっかけになったと思います」  それだけを言い残し、サラマーもまたノブハルを追ってブリッジから姿を消した。  アスに降りたノブハルは、畏まったジュリアンの出迎えを受けた。そこでも「程々にしてくれ」と文句を言ってから、たまには遊びに来てくれとジュリアンに誘いをかけた。 「ウィリアム氏のことだが。エルマー7家の一つ、タクシン家のチチャイ氏に接待をお願いしたのだがな。奥方を含めて、かなり喜んで貰えたのだ。だったら、あなたもどうかと思ったのだ」  どうだと問われ、「良いですね」とジュリアンは嬉しそうな顔をした。 「スターク氏、ウィリアム大佐も喜んでいましたか」 「奥方同伴なので、際どい接待は行っていないがな」  そこでニヤリと口元を歪めたノブハルに、ジュリアンも同じように口元を歪め「際どい接待ですか」と返した。 「つまり、ノブハル様はその経験があるのだと?」  ジュリアンの問いに、ノブハルはうんと頷いた。 「ああ、エリーゼ達を妻に迎える前のことだがな。こんな世界があるのかと、感動させて貰ったぐらいだ」 「なるほど、それはとても興味深い話ですな」  うんうんと大きく頷いたジュリアンは、「休暇の目的地ができた」と喜んだ。 「ところで、今回はどのような目的でおいでになられたのでしょうか?」  さり気なく、そしてある意味わざとらしく目的を探ったジュリアンに、「それだがな」とノブハルはぐるりと首を巡らせた。 「この後ジェイドに行くつもりなのだが、その前にあなたを遊びに誘おうと思ったのだ。何しろクサンティン元帥のところに顔を出したら、かなりピリピリとした空気を感じたのでな。こちらも同じだろうと思って、息抜きを勧めに来たと言うことだ……ただ、こちらの空気は違っているようだ」 「お気遣いいただきありがとうございます」  そう頭を下げたジュリアンは、「すでにお聞き及びかと」とシルバニア宙域の緊張理由を説明した。 「ああ、アレス銀河……あちらの言い方だとマールス銀河だったな。うん、惑星アーベルは良いところだったぞ。次次代の総統とも話をしたが、肌の色に対する差別のようなものがまったくなかったな。町の中でも、両者が対立している様子も見えなかった。ヴァイオレットと言う金髪で菫色の瞳をした美女を連れて行ったのだが、アザキエル……次次代の総統など、かなり本気で口説いていたぞ」  穏やかなものだと口にしたノブハルは、「戦争をやめさせるのは良いことだと思うぞ」と答えた。 「ただ、簡単なことではないと思うがな。そして戦いのフィールドのとり方を誤れば、シルバニア帝国軍でも遅れをとる可能性があると言うことだ。力で抑え込もうなどと、努々考えないことだな」 「相手の力を正しく分析すれば、そのあたりの対処を間違えることはないのかと」  ジュリアンの答えに、「だろうな」とノブハルは簡単に返した。 「アザキエルの奴には、遊びに来いと誘ってあるのだ。それが早く実現するのなら、それに越したことはないと思うぞ」 「それで、ジェイドには?」  話を変えたジュリアンに、「あっちは私用だ」とノブハルは答えた。 「女性を一人ブリーから連れてきているのだ。シシリーと言う金髪碧眼の美人なのだが、その身の振り方を考える必要があるのだ。だから会いに行って、どうしたいのかを聞こうと思っている」  そこまで説明したノブハルは、「先に言っておく」とジュリアンを制した。 「このことは、ライラも承知しているぞ。加えて言うと、ライラは跡継ぎを作る決心をした。多分だが、間もなく何らかの発表があるのではないか?」  夫婦仲は良好だと言う意味の話に、「いよいよですか」とジュリアンは目を輝かせた。 「これで、シルバニア帝国も安泰と言うことですか。しかも、1千ヤーの宿願も叶うことになるとは」  めでたいと大いに喜んだジュリアンは、「感謝いたします」とノブハルに頭を下げた。 「そこまでされることなのか?」  そう驚いたノブハルに、「そこまでのことです」とジュリアンは即答した。 「シルバニア帝国1千ヤーの悲願とお考えください」  だからだと言われ、「そうなのか」とノブハルは少し顔を引きつらせた。どうして自分がここまでありがたがられなければいけないのか。未だに、そのことが理解できていなかったのだ。  前回はプライベートで押し切ったジェイド訪問だったが、今回は握手会を回避することができなかった。そのお陰で、アズマノミヤに降りるのに半日の時間を無駄にしてしまった。ただトリプルA本社への顔出しが夕方になったのは、別の意味では都合が良かったのだが。  そこでシシリーに驚かれたのだが、「いけなかったのか?」と言い返して黙らせるのに成功した。 「夕食でも一緒にどうだ……と誘おうかと思ったのだが?」  迷惑ではないかと問われたメリタは、「もう少し早ければ」とため息を吐いた。そしてシシリーの顔を見て、「ごゆっくりどうぞ」とやさぐれた。 「なにか、まずかったのか?」  理由が分からんとこぼしたノブハルに、「商店会の懇親会があるの」と言うのがシシリーの説明だった。 「私と一緒に行くはずだったのよね。でも、私がいけなくなったから、メリタは一人……まあ、ミリアさんとかが付き添ってくれるんだけどね。まあ、そうなったってことよ」 「つまり、もう少し連絡が早ければキャンセルできたと言うことか」  うんうんと頷いたノブハルに、「違うわ」とメリタは冷たい口調で答えた。 「あなたとシシリーの二人で顔を出して貰おうと思ったのよ」  セクハラオヤジがと。メリタははっきりと嫌そうな顔をした。 「彼女はいつもこうなのか?」 「懇親会に出る前はね。アルコールが入ったら豹変するから」  脱がないけどと。余計な情報を付け加え、「じゃあね」とシシリーはメリタに手を振った。それをずるいと見送り、「次はあなたよ」とシシリーを指さした。 「商店会のおじ様達は、メリタの方が嬉しいと思うわよ」  だから次もあなたと言い返し、シシリーはノブハルの腕を抱えて出ていった。それをずるいとぼやいたメリタは、「変わってくれる?」と自分の中にいるミラニアに問いかけた。  普段ならすぐに反応があるのだが、今日に限って言えばミラニアは無言を通してくれた。そう言うことをしますかと、メリタはがっくりと肩を落としたのである。  そして翌日、ノブハルは一人でアリッサが入院する病院を訪れていた。とりあえず連絡は入れてあるので、昨日のようなドッキリにはならないはずだった。  ただ病室のドアを開けたところで、逆にノブハルが驚かされてしまった。何かと言うと、アルトリアがとても淫らに見える格好で出迎えてくれたのである。お陰でノブハルの喉がごくりとなり、少し前屈みになっていたりした。 「こ、これは、ロレンシア様が……」  身を縮めるようにされると、ますますいやらしさが増してくれる。明らかに被害を受けたノブハルを見て、「やはり惜しいです」とロレンシアはため息を吐いた。 「お姉様……アマネ様のことですが。お姉様とあなたが揃って巫女として出ていただいたら、世の男性は耐えられないと思うのに……」  残念だと繰り返したロレンシアに、「私は豊穣神様にお仕えする者です」とアルトリアは言い返した。 「ですが、豊穣神様は我が君に嫁がれましたよ。そしてIotUは、我が君のお父上に当たる方です。私には、何も問題が無いように思えますが?」  いかがですかと問われたトラスティは、「ノーコメント」と返した。そしてノブハルに向かって、よく来たねとベッドから降りて迎えに出た。 「アルトリア、流石にその格好は刺激的すぎる。もう少し、隠すところの多い格好に着替えてきてくれ」 「は、はい、直ちにっ!」  ようやく辱めから開放されたと、アルトリアは小走りに奥の部屋に消えていった。それを見送ったところでノブハルはため息を付き、「凄いな」と彼女のことを褒めた。 「チョーカーをつけてなくてもあの色香なのか?」  ごくりとつばを飲み込んだノブハルに、「特殊な才能」とトラスティは笑った。そんなトラスティに、ノブハルは爆弾発言を投げつけた。 「ナギサの奴に、お前もどうかと誘われたのだが……」  もう一度ゴクリとつばを飲み込んだノブハルに、「しないから」とトラスティは真剣に否定をした。  そこでアリッサの顔を見て、「だめなのか」とノブハルは繰り返した。それを「絶対ダメ!」と今までで一番強い口調で否定し、「何をしに来たんだい」とトラスティは話題を変えた。 「いや、シシリーの身の振り方を話しに来たのだがな」  そう答えてから、「情報封鎖を」とノブハルはアクサに命じた。そして「したわよ」の答えを確認してから、「ウィリアムさんが来た」と真の訪問目的を口にした。 「多分耳に届いていると思うが、超銀河連邦理事会は、マールス銀河に1千万の艦隊派遣を決定した。俺や御三家は、これが超銀河連邦の終わりの始まりにならないかと危惧している」 「なるほど、僕に相談しに来たと言うことだね」  うんうんと頷いたトラスティは、「ラピスに協力するように言えばいいかな?」と予想とは逆のことを口にした。 「い、いや、流石にそれはまずいだろう」  慌てたノブハルに、「どうしてだい?」とトラスティは聞き返した。 「超銀河連邦にとっての危機は、トップ6と理事会が反目することだよ。そしてもう一つ、加盟星系の勘違いが度を越してきたことだ。だったら、その原因を取り除いてやれば良いんじゃないのかな?」 「そんなことをすると、マールス銀河は惑星ゼスと同じ運命をたどることになるのだぞっ!」  ありえないだろうと叫んだノブハルに、トラスティは突き放したような答えを口にした。 「その責任は、理事会と理事会を動かした人達にとって貰えばいい。そうすることで、少しは慎重になるんじゃないのかな?」 「理事会が責任を取るのはいい。だが、アーベル連邦やザクセン=ベルリナー連合が滅びなくちゃいけない理由はないはずだ」  そうだろうとと叫んだノブハルに、「もともとの原因は彼らが作っている」とトラスティは突き放した。 「外からの介入を招いた時点で冷静になれれば、すべてが丸く収まるんだよ。それを拒否して滅びるのなら、自業自得と言うものではないのかな?」 「落とし所の間違った介入では、双方が受け入れられるはずがないだろうっ」 もう一度大声を上げたノブハルに、「落とし所は?」とトラスティはツッコミを入れた。 「ノブハル君は、正しい落とし所があると思っているのかな?」  そして答えを待たず、「メルヘンならあるね」とトラスティは続けた。 「アーベル連邦……正確には総統かな、これまでの所業を公式に謝罪をして、「間引き」行為をやめさせる。そしてザクセン=ベルリナー連合に対して、各種支援を行っていく。そしてザクセン=ベルリナー連合は、これまでのことを水に流し、笑顔でアーベル連邦と手を取り合って共存の道を進んでいく……かな? ノブハル君は、それが可能だと思っているのかな?」  そこで少し口元を歪め、「さて」とトラスティは大きな身振りで両手を広げた。 「次次代の総統は、君に対して「間引き」をやめることを認めたかな。連邦が仲介すれば、「間引き」をやめると言ってくれたかな? そしてザクセン=ベルリナー連合だが、これまでのことを水に流すことができるのかな? 親切な仲介役を買って出ても、結局双方から相手にされないんじゃないのかな?」  それが現実と、トラスティはノブハルに突きつけた。 「そしてザクセン=ベルリナー連合だけど、問題はアーベル連邦だけなのかな? 元からの住民と移民、そして移民間の反目も危険な状態になっているのだろう? 破裂寸前まで膨らんだ風船を破裂させないためには、まず空気を抜いてやらなくちゃいけないんだよ」 「どうしようもないと言うのかっ!」  そう迫ったノブハルに、「間引きを止めることは可能だね」とトラスティは答えた。 「間引きを止められる?」  呆けた顔をしたノブハルに、「止められる……かもしれない」とトラスティは答えた。 「君が次次代総統のところに行って、話しをしてきたんじゃないのかな? その中に、間引きが終わる条件とかなかったのかな?」 「明示されては居ないと思うが……」  うむと考えたノブハルは、「間引き」が何を目的としているかを考えることにした。 「確か、間引きは資源の許容値を見て決めていると言ったな。そして、間引きの過程で、銀河に変革が生まれることを期待しているとも言っていた」  そこまでつぶやいた所で、「変革か……」とノブハルはキーワードを口にした。 「だが、何をすれば変革を示したことになるのだ?」  そこで顔を見られたトラスティは、「分からないよ」と肩を竦めてみせた。 「僕は、この目でマールス銀河を見た訳じゃない。そして総統関係者とも話をしていないんだ」  だから分からないと繰り返され、「やはりペテン師だ」とノブハルはトラスティの顔を見た。 「そうやって、俺を踊らせようとしている」 「踊るつもりで来たんじゃないのかな?」  だから望み通りにしたと嘯くトラスティに、「やはり敵わない」とノブハルはため息を吐いた。 「多分だけどね、あちらも巻き込まれたいと思っているよ」  暇そうだからと。トラスティはアザキエルの事情まで当ててくれたのである。それを確かにそうだと認めたノブハルは、「もう一度行くか」とマールス銀河行きを決意した。 「もう一度ルーモアを持ち出すか。後は、ピープを持っていけば十分だろう」  そうすれば、200万光年の距離も隣に行く程度の時間になってくれる。そう考えたノブハルに、「それだけどね」とトラスティは声を掛けた。 「トリプルAとして、船を貸し出してもいいよ」 「とりあえず、ルーモアでも性能は十分なのだがな……」  速度性能では、ゴースロスやインペレーターの方が勝っているのは確かだ。だがインペレーターはでかすぎるし、ゴースロスほどの特殊性能が必要になるとは思えない。  「やはりルーモアで」と言いかけたノブハルは、「道具は多い方がいいか」と考え直した。 「ルリ号の迷彩機能はどうなっている?」 「メイプル号なみの性能だと聞いているけどね。その目的で使ったことがないから、それ以上は流石に分からないね」  それでと問われたノブハルは、「出し惜しみ無しで行こうと思っている」とトラスティに打ち明けた。 「なるほど、それは適切な判断だと思うよ。なんだったら、第10艦隊も貸し出そうか? その気になれば、連邦艦隊1千万程度、さほど時間を掛けずに沈めることが可能だよ」 「流石に、沈めるのは良くないだろう……」  そこで「んっ」と考えたノブハルは、「面白いかもしれない」と小さく呟いた。 「なにか、ピースがハマってきた気がするな」  うんうんと頷いたノブハルは、「インペレーターも頼む」とトラスティに依頼をした。 「ゴースロスはどうする?」 「いざと言う時のために、ここに残しておくことにする」  ノブハルの説明に、「だそうだ」とトラスティは首を少し横に振った。その先には、相変わらず薄い胸をしたヒナギクが立っていた。 「今の話は、サラさんとルリさんに伝えておいたわ。任せなさいと言うのが、サラさんの答えね」 「それから、兄さんにもこの話を伝えておいてくれるかな。兄さんには、インペレーターに乗っていって貰うのがいいと思うんだ」  カイトの名前を出され、ノブハルは「いいのか?」と思わず尋ねてしまった。 「僕が動けないからね。その代理で行って貰おうと思っただけだよ。ここのところ暇だったから、多分嫌とは言わないと思うよ」  カイトが加われば、百人力と言えるだろう。「よし」と拳を叩いたノブハルは、「手駒が多いのはいい」と喜んだ。 「参考までに、何をしようと思っているのかな?」  やる気になったノブハルに、トラスティはわざとその考えを尋ねる真似をした。そんなトラスティに、「変革はまだだが」と言い訳をしてから、「遵法的な対応を考えている」と答えた。 「具体的には、ゼスと同じ事を考えている」 「なるほど、緊急条項に比べればずっと遵法行動だね」  面白そうに笑ったトラスティは、アリッサの顔を見て「いいかな」と確認をした。 「そうですね。せいぜいふっかけてきてくれませんか?」 「ゼスに比べれば、アーベル連邦の規模は遥かに大きいからな」  そこでうんと頷いて、「ふっかけ甲斐がある」とノブハルは口元を歪めた。  ノブハルがそう答えたところで、アリッサがぽんと手を叩いた。 「傭兵より、もっといい方法を思いつきました」 「もっと、いい方法なのか?」  それはと答えを迫ったノブハルに、「私達がジェイドでしていることです」と言うのがアリッサの答えだった。 「そう言えば、グリューエルさんもディアミズレ銀河で安全保障の契約をとっていましたね」 「なるほど……傭兵より、もう少し嫌らしい意味を持つのか」  ディアミズレ銀河での契約は、トリプルAの武力で防衛力に乏しい星系の安全保障をするものになっていた。そこで対象となるのが、アリスカンダル事件のような外銀河の驚異とされていた。それと同じ契約をアーベル連邦に持ち込むことは、対象が超銀河連邦になってくれるのだ。 「それだったら、シルバニア帝国軍も派遣できるな」  面白いことになるとほくそ笑むノブハルに、トラスティは「忠告を一つ!」と指を立てた。 「追い詰めるのは構わないけど、ちゃんと逃げ道を用意しておくことを忘れないように」 「あなたが、いつぞやシルバニアでやったようにか?」  なるほどと頷いたノブハルは、「参考にする」とトラスティを見た。 「さて、前回のメンバーを招集することになるのだが……」  アザキエルに面が通っているので、同じメンバーが好ましいのは確かだった。特にアザキエル相手だと考えると、ヴァイオレットに居て欲しいと言うのは結構切実な思いだったりする。  そこで困った顔をしたノブハルに、「どうかしたのかな?」とトラスティは声を掛けた。ちなみにトラスティは、ヴァイオレットの顔を一度も見たことがなかった。 「なに、前回のメンバーを招集しようと思ったのだが……一人行方が……正確に言うと、正体不明なのがいるのだ」 「このご時世に、正体不明? しかも、シルバニア帝国が選抜したメンバーで?」  冗談をと笑ったトラスティに、「冗談だったら良かったのだが」とノブハルは答えた。 「アルテッツァの記録まで改ざんされていた。ヴァイオレットと言う女性は確かに居たのだが、今はどこにいるのかすら掴めていない」 「アルテッツァの記録が改ざんされた?」  そこで眉を顰めたトラスティは、「ヒナギク」とゴースロスのAIを呼び出した。 「最近、アルテッツァの記録を改ざんしていないか?」 「アルテッツァのですか?」  してませんよと、ヒナギクは手をパタパタさせて笑った。そんなヒナギクに、「別の質問だが」とノブハルが声を掛けた。 「確か、ここは情報封鎖がされているはずなのだがな?」  それなのに、どうして何事もなくアクセスしてくれる。おかしいだろうと指摘したノブハルに、「別ルートで」とヒナギクは笑った。 「その方法は、今の所内緒ということにしておいてください。ちなみにアス、アクサさんに聞いても分からないと思いますよ」  もう一度笑ったヒナギクは、「用はこれだけ?」とトラスティに近づいた。 「もう一つ。君はヴァイオレットと言う少女のことを知っているかな?」 「ヴァイオレットって……」  う〜んと考えたヒナギクは、「ひょっとして」と手を叩いた。 「アリッサさんが目覚めた時、お見舞いに来ていた女の子かな? 長めの金色の髪と、菫色の瞳をした綺麗な子でしょ。確か、お兄さんが迎えに来てたわね。そっちも、金色の髪に青い瞳をした格好いい子だったわ。で、その子のこと?」 「ああ、その二人だ……その二人の行方が、帝国近衛でも追えなかったのだ」  普通に考えたらありえない事態に、なるほどとトラスティは頷いた。そしてヒナギクは、「データーに無いわ」とノブハルからしたら期待はずれの答えを口にした。 「アリッサさんを見て泣いていたから、てっきり関係者だと思ったのだが……心当たりがなかったか」  少し落胆をしたノブハルは、「仕方がない」と小さくため息を吐いた。 「居てくれた方がありがたい程度だからな。俺とサラマー、ジノの3人で対応することにする」 「確かに気になるけど……今は、そうするしか無いのだろうね」  本質に関係が無いこともあり、トラスティもヴァイオレットのことには拘らなかった。 「ああ、今はアーベル連邦の方が重要だからな」  頭を切り替えようとしたノブハルは、「ところで」と小さく首を巡らせた。 「アルトリアさんだったか? ずいぶんと着替えが長いのだな?」  着替えのために出ていったまま、いつまで待っても戻ってこなかったのだ。しかも消えた場所は、すぐ横のパウダールームである。いい加減戻ってきてもおかしくないはずだった。  アルトリアの事を気にしたノブハルに、トラスティは「ぽん」と手を叩いてアクサを呼び出した。 「なに?」  そう言って現れたアクサは、ヒナギクを真似てフヨウガクエンの制服姿をしていた。そんなアクサに、「あの扉は開くのかな?」とトラスティは尋ねた。 「別に、扉に細工をしたつもりは……」  そこで「んっ」と考えたアクサは、「ごめん」と謝って情報封鎖を解除した。 「時間停止空間の境目が、ちょうどドアのところにあったわ」  つまり、いくらアルトリアが頑張っても、ドアはびくともしないと言うことである。  なるほどねと立ち上がったトラスティは、パウダールームに近づき扉を開いた。果たしてそこには、半泣きの顔で床にへたりこんだアルトリアが居た。  そしてトラスティを認めたアルトリアは、「ドアが開かなかったんです」と泣きべそを掻きながら抱きついてきた。グシグシと泣かれると、流石に可哀想としか言いようがない。何しろアルトリアには、何一つとして落ち度がなかったのだ。  仕方がないとため息を吐いたトラスティは、アリッサの顔を見てからその場にしゃがんだ。そしてアルトリアの顎に手を当て、かなりディープな口づけを繰り返した。息継ぎのたびに聞こえる悩ましい声に、ノブハルは股間を押さえ、ロレンシアは「やっぱり惜しい」と嘆いたのだった。 続く