Mr. Incredible −06  10万人を収容できるホールは、今日も満員の観客を迎えていた。その主人となるのは、バックダンサーを連れた一人の美しい女性である。そしてその女性こそが結婚をしてもなお、トップアイドルとして君臨するリンラ・ランカだった。彼女のファン層は、ズミクロン星系を飛び出し超銀河連邦全体に広がろうとしていた。 いつもならば、長い黒髪をしたスタイル抜群のバックダンサーが踊っているのだが、あいにく「妊娠休暇」と言うことで彼女は不在になっていた。そしてもう一人いる赤髪のバックダンサーは、本来の仕事のためにエルマーを不在にしていた。そのためリンラのバックダンサーは、茶色い髪をした活発そうな女性だけとなっていた。ちなみに「女子高生」の肩書が使えなくなったので、10代の女性船長と言うのが彼女の売りとなっていた。ただそのウリ文句も、間もなく使えなくなるのが分かっていた。ちなみにこの茶髪の女性も、ファン層は超銀河レベルに達していた。  婚約時点で始めたイメージチェンジも、すでにしっかりとファンの間に浸透していた。そのため彼女のステージも、以前に比べてずっと落ち着いたものへと変わっていた。時折アップテンポの曲も加わるのだが、それにしたところで可愛らしさを押し出したものではなくなっていた。 「次の曲は、Voygerです」  長い黒髪を片側で結い上げ、リンラは紫色のドレスに身を包んでいた。そしてその後ろでは、マリーカがエメラルド色をしたドレスでバックコーラスについていた。 「目に触れる星の光は〜」  情感込めて歌い上げるリンラに、詰めかけた観客達はため息と言う歓声を送ったのだった。  ズミクロン星系のある銀河は、連邦の中ではごくありふれた棒状渦巻き構造をしていた。そのありふれた銀河の名を少しだけ有名にしたのは、超銀河連邦へ最後に盟したことが理由だった。数字による識別子が10,000番と言うとても切りの良い数字のお陰で、名前だけは思い出してもらえる存在になっていた。  ただ超銀河連邦最後と言うウリも、新しく銀河が加盟したことで使えなくなっていた。そして話題として見ても、この時代に加わったと言う銀河に勝てるはずがない。それでもディアミズレ銀河の名が人々に忘れられなかったのは、そこにトリプルAの支社があり、超銀河連邦外探査への拠点と言うのが理由だった。  およそ2時間のステージは、2度めのアンコールの曲を歌い終わったところで終幕を迎えることになった。アンコール曲の「恋の魔法」を歌い終わったところで、詰めかけたファン達はステージの終わりを惜しむ拍手を送った。その拍手に包まれながら、リンラとマリーカはゆっくりと地下へと消えていった。  ステージを降りたことで、体全体を包み込んでいたプレッシャーから開放されることになる。その代わりに、心地よい疲労と達成感がリンラ達を包んだ。以前に比べて体力的には余裕はできたが、それでも2時間に及ぶステージは彼女たちの体力を削り取ってくれる。付き人から飲み物を受け取った二人は、用意された椅子に腰を下ろして一息ついた。  その二人の付き人だが、今回はトウカとエリーゼが勤めてくれた。妊娠中のトウカなのだが、これぐらいならと同じく妊娠中のエリーゼを誘ったと言うのが理由だった。 「リンさん、ますます艶やかになりましたね」  空になったコップを受け取り、エリーゼはその代りに大きなタオルをリンに手渡した。それを受け取ったリンは、柔らかな感触を確かめるかのように白いタオルを顔に押し当てた。そこで何度か大きく息をしてから、ゆっくりと椅子にもたれかかった。  そしてエリーゼの質問に、そうかしらと少し遠くを見るような目をした。 「ええ、同性の私から見ても素敵だなって……と言うより、胸がドキドキするぐらいですから」  「ですよね」と問われたトウカも、「反則」と言ってリンの顔を見た。そして3人の会話を聞きつけてきたマリーカは、「チョーカーくださいって言ったら、断られたんですよ」と打ち明けた。 「カイトさんからは、「お前はこちら側だろう」と言われちゃったし」 「こちら側?」  エリーゼは意味が分からないと首を傾げたのだが、リンは「なるほどね」と頷いた。 「そうやって納得されるのって……」  なんか嫌と顔を顰めたマリーカに、「事実だから」とリンは笑った。 「マリーカのご先祖様って、王女様を愛人にしていたんでしょう?」  だからと笑うリンに、「関係ありません!」とマリーカは強調した。 「それは、ご先祖さまの話であって、私は違いますからねっ! 私は、トラスティさんのためにも可愛らしい女の子で居たいんですっ!」  そこだけは絶対に譲れないと強調したマリーカに、「虐めたくなった」とリンは口元を歪めた。 「グリューエルさんと二人で、虐めてあげたくなったわ」 「どうして、そんな脈絡のないことを……」  勘弁してとこぼすマリーカに、「自覚しないのが悪い」とリンは言い返した。 「しかも、お兄ちゃんに着いて行ってくれなかったし」 「そちらは、シルバニア帝国側の事情ですっ!」  自分のせいじゃないと言い返したマリーカに、「断ったって聞いたけど?」とリンは別のルートから得た情報を持ち出した。 「トラスティさんが行くんだったら、絶対に断ったりしませんよ。でも、今回はトラスティさんを加えないことにしてくれましたよね。ですから、私の責任じゃないんですっ!」  参加条件を満たさない方が悪いと、マリーカはもう一度シルバニア側に責任を押し付けた。 「そりゃあ、そうなんだけど……」  そう言いながら、リンは首に巻かれたチョーカーに触れていた。 「結局お兄ちゃんが、ご主人様のことを意識しすぎているのが問題なのよね」  さり気なく発せられた爆弾発言に、マリーカは思わず周りを気にしてしまった。しかも不思議だったのは、エリーゼとトウカの二人が、特に「ご主人様」発言に反応を示さないことだった。 「マリーカさん、どうかなさいましたか?」  本気で分からないと言う顔をしたエリーゼに、「別に」とマリーカは言い繕った。何か質問をすると、藪を突くことになりそうな気がしてしまったのだ。「もしかして」と、最近落ち着きを見せる二人に、マリーカは疑問の眼差しを向けてしまった。  「絶対に次は俺が行く!」と強硬にノブハルが主張したこともあり、トラスティは「別にいいよ」と外銀河への冒険を譲った。そこで次に問題となったのは、誰がノブハルと一緒に行くのかと言うことだった。これまで船長として同行したマリーカだったが、トラスティが抜けたことを理由に不参加を決めてくれたのだ。その一方「護衛ですから」と、ほぼ強制的にサラマーの参加が決められた。  そうなると、残りの乗員をどうするのかが問題となってくる。長時間の航行における時間の潰し方や、潜入時における男女のバランス、そしていざという時の戦力も考えなければならないのだ。しかもマリーカが抜けたため、船長資格保有者と言う問題も生じてしまった。  そこで白羽の矢を立てられたのは、これまで2度の冒険に同行したカイトだった。都合の良いことに、探査艇ならばカイトはは資格的に問題はなかったのだ。しかも腕っぷしの面でも、超銀河連邦最強の肩書を持っている。その意味で言えば、これ以上無い適任者と言うことになるのだろう。そしてノブハルの感情面でも、カイトならば気が楽と言うところがあった。  ただ条件的に満点のカイトなのだが、あくまで本人の希望とは関係のないところの話である。流石に3連続ともなると、エヴァンジェリンとリースリットの目が怖くなってきたのだ。 「いやいや、今回は勘弁してくれないか」  それを理由に渋ったカイトに、「一人ぐらいは経験者が必要ですよ」とトラスティはカイトの同行を主張した。そしてノブハルからも、「お願いします」と頭を下げられてしまったのだ。すがるようなノブハルの目に、流石に駄目とは言えくなってしまった。  ちなみにこの冒険に際して、ライラは真剣に着いていくことを考えたらしい。ただ「足手まといですよね」と言うアルテッツァの一言で、それを口にすることを思いとどまったと言う。冒険に必要なのは乗員であり、何もできないお客さんではなかったのだ。  そして「未来視は必要ありませんか?」と売り込もうとしたフリーセアを、ベルコルディア達一同が全力で引き止めたと言う笑えない話まで起きていた。 「仕方がありませんね。でしたら、私の伝手で適任者を紹介いたします」  乗員に困っていたら、同じオフィスで働くよしみと、グリューエルが助け舟を出してくれた。 「ちなみにノブハル様、一人船長資格を持つ女性に心あたりがございます。年齢的にもマリーカ船長の2つ下ですので、何かとご都合がよろしいのではありませんか」  自分に見惚れるノブハルに向かって、グリューエルはとても不穏なことを口走っていた。そして気づかないのをいいことに、グリューエルは祖国クリスティアに指示を送った。ただその指示が、「直ちに連行せよ」と言う、とても穏当とは言えないものだった。  グリューエルが指示を出した1週間後、エルマーにクリスティア連合国家王室専用船クィーン・ブリュンヒルデW号が到着した。そして何事が起きたのだと訝るノブハルの前に、ふわふわの金色の髪を巻き毛にした少女が連行されてきた。ソフト手錠と猿ぐつわ、しかも目隠しまでされているのだから、誘拐してきたのかと聞きたくなる状況である。そのうえ着ているのは、淡いブルーのドレスなのだ。状況を見る限り、普通は誘拐を疑うところだった。 「面倒なことにならないよう、連行するように国に命じました」  ほほほと笑ったグリューエルは、「妹のジークリンデです」と目隠し猿ぐつわの女性を紹介した。何か唸り声が大きくなったように思えるのだが、ノブハルは、とりあえず気にしないという選択をした。 「どうして、王女様が犯罪者のような目に遭うのだ?」  どこかおかしいだろうと文句を言ったノブハルに、「本人以外全員が合意の処置です」とグリューエルはしれっと答えた。 「いやいや、本人以外って……流石に王女様にこれは可哀想だろう」 「でしたらノブハル様、妹を自由にしてあげてくださいな」  見えないところで口元を歪めたグリューエルに気づかず、ノブハルはジークリンデを自由にするため指をパチリと鳴らした。たったそれだけのことで目隠しに猿ぐつわ、ソフト手錠がどこかに消えてくれた。  ようやく自由になったジークリンデは、グリューエルに向かって火の着いたように罵倒の言葉を並べてくれた。地団駄を踏みながら罵倒の言葉を並べる妹を、グリューエルはニコニコしながら受け止めた。そして罵倒が5分続いたところで、「殿方の面前ですよ」ととても小さな声で囁いたのである。レディーとして、恥ずかしい真似をしていると指摘したと言うことだ。  横に居たノブハルには聞こえないぐらいの小さな声だったのだが、どうやらジークリンデには届いていたようだ。ぴたったと罵るのを止めて、「殿方ですか?」と疑わしそうに姉の顔を見た。 「はい、少しだけ顔を右に向けてみてください」  言われたとおりに右を見たジークリンデは、「それで」と不機嫌そうな顔を姉に向けた。確かに男はいたが、それがどうしたと言うのが正直な気持ちだった。 「この男が、どうかしたと言うのですか?」 「もしかして、あなたはノブハル様を知らないのですか!」  なんてことをと大仰に嘆くグリューエルに、「それぐらいは知っています」とジークリンデは言い返した。そして言い返してから、「ノブハル様?」ともう一度じっくりとノブハルの顔を見た。 「本当にノブハル様、なのでしょうか?」 「ああ、俺はノブハル・アオヤマだが?」  それがどうしたと、ノブハルは少し不機嫌になっていた。そんなノブハルに向かって、ジークリンデは慌てること無く優雅にお辞儀をしてみせた。 「クリスティア王家、継承権第9位を持つジークリンデと申します。ご高名なノブハル様にお会いできて、光栄に存じております」  ニッコリと笑みを浮かべるジークリンデは、それだけ取り上げれば美女と美少女の間にいる美しさを持っていた。ただそれまでのことをなかったことにするのは、流石に無理がありすぎると言うものだ。どうしてここまで猫を被ることができるのだと、ノブハルは王女の怖さを見せられた気がした。だからノブハルは、話を同行者のことへと持っていった。 「それでグリューエル王女、心当たりと言うのは彼女のことなのか?」 「はい、ジークリンデは中型船舶の運行免許を持っております。実はマリーカさんの、高校の後輩に当たるのですよ。そこで、クルーザークラスの船長資格も取得しております」  大げさにうなずき、グリューエルは資格的なことを持ち出した。それはいいと、ノブハルはもう一度確認の言葉を投げかけた。 「いや、俺は外銀河への冒険の仲間を求めていたのだが?」 「はい、そのつもりでジークリンデを呼び寄せました」  それが何かと首を傾げたグリューエルに、綺麗だが恐ろしいとノブハルは感じてしまった。危険極まりない冒険に、王女様を送り出そうとする考えが理解できなかったのだ。  そこで黙ったノブハルに、グリューエルは「1千ヤー前」とキャプテン・アーネットの冒険を持ち出した。 「ノブハル様もご存知の、マリーカ船長のご先祖様の冒険があります。キャプテン・アーネットの冒険には、レムニア帝国のアリエル様、同じ高校で学ぶ1年年上のリンダ様、そしてクリスティア王家からメリベル様が同行されたのです。よろしいですか、とても危険な調査に私達のご先祖様も参加されたのです。すなわち、未知への冒険の伴として、クリスティアの王女は立派に務めを果たす能力を持っていたと言うことです。そしてその事情は、私の妹ジークリンデも同じなのです。ノブハル様。妹を呼び寄せた以上、いまさらだめだとは仰りませんよね」  少し口元を釣り上げたグリューエルは、綺麗な分だけ恐ろしく見えてしまった。そしてグリューエルは、「そうですよね」と妹のジークリンデにも同意を求めた。 「そうですわねお姉様。能力を否定されたなら、私はクリスティア王家の恥さらしと言うことになります。そんなことになったのなら、自ら命を断ってご先祖様にお詫びしなければいけなくなります」  そこでじっと二人に見られたノブハルは、とても気まずそうに視線をそらしてしまった。ただその口からは、否定の言葉が出ることはなかった。 「ノブハル様からお許しを頂いたと思って宜しいのですね?」  すかさず畳み掛けられたノブハルは、「ああ」と目を逸らしたまま答えた。 「ジークリンデ。クリスティア王家の名誉のためにも、立派にお役目を勤め上げなさい」 「私は、この日のために研鑽を積んできたと思っています」  そこで「お姉様」「ジークリンデ」と声を出して二人ははっしと抱き合ってくれた。あまりにもわざとらしい姉妹の抱擁に、ノブハルは出発前から疲れてしまった。  連邦安全保障局は、彼が探査した銀河を幾つかのタイプに分類していた。分類番号の頭文字Uは、Universeを示し、次のアルファベットでタイプを示していた。そして続く番号は、同じタイプの中での通し番号が割り振られたのである。UAxxxと分類番号が振られた場合、その銀河は連邦に所属する銀河の近傍銀河と言うことになる。そしてUBxxxと分類番号が振られた場合、その銀河はさらなる観測が必要と言う意味になる。その意味でいうと、UCxxxとされた銀河は、連邦の近傍銀河ではないと言う意味になる。UC011と分類されたパシフィカ銀河は、当初の観測では近傍銀河ではないとされていたのだ。ただ同じくUC004のグルカ銀河が加わったことで、UA008と再分類されることになった。つまり、連邦の近傍銀河は8しか見つかっていなかったのだ。  UA番号が付いた銀河は、取り決めによって連邦安全保障局の受け持ちとなっていた。そのためトリプルAは、UC番号を付けられた銀河から選ぶことになっていた。今の分類上UC番号の銀河が一番多くなっているので、選び放題と言うのが実態になっていた。そしてノブハル達は、栄えある分類番号UC001を今回の冒険に選択した。 「メイプル号、状態オールグリーンです」  航海経験が豊富と言う触れ込みを信じ、ジークリンデは航海士が命じられた。そしてサラマーは、ジークリンデを補佐することとなった。シルバニア帝国近衛の任務として、小型艇なら操縦できると判明したのが理由である。  そしてカイトが船長を務めることになったので、ノブハルは「技術主幹」と言う訳の分かりにくく、なおかつ実体のない役目をすることになった。そのあたり、ノブハルが一番の素人と言うのが理由になっていた。  ジークリンデが一通りのチェックを終わらせたところで、「ごはんですよぉ」とメイプルがメインキャビンに入ってきた。短めの花柄のワンピースに黄色いエプロン姿と言うのは、いかにも探査艇にそぐわない格好に違いなかった。 「いやいや、どうしてそんな格好をしているのだ?」  すかさずメイプルの格好を気にしたノブハルだったが、他の3人はその疑問に乗ってこなかった。お陰でノブハル一人キャビンに取り残される事になってしまった。 「どうして、誰も疑問に感じないのだ?」  それは無いだろうと文句を言ったのだが、誰も相手をしてくれなければ意味のないことになる。しばらくキャビンに居たノブハルだったが、小さくため息を吐いてから食堂へと入っていった。そして気を利かせたメイプルによって、一人だけドカ盛りの食事が供された。 「お母様にお願いされましたからっ!」  豊かな胸を見せつけるように、メイプルは自慢げに胸をそらしてくれた。余計なことをと思いはしたが、ノブハルはおとなしくカイト以上のドカ盛りを胃袋へと詰め込んだのだった。  連合国家内での移動は、同一星系内においても時間が掛かるものだと相場が決まっていた。それが星系外ともなると、嫌になるほど時間が掛かるものになっていた。それが理由で連合国家上層部が、星系外にある加盟惑星に行くのは、極めて例外的事項として扱われていた。  政府専用船クロノ・グラムの展望デッキで、一人の年若い女性が豪華な椅子に腰を下ろしていた。少しふっくらとした顔と青い瞳をしたとても美しい姿の女性である。その艶やかな金色の髪は、邪魔にならないようにと一本に編み上げられ、大きな襟の付いた白いドレスの前に垂らされていた。ヘルコルニア連合国家代表、スクラルド・バランタインの長女、フェリシア・バランタインと言うのが彼女の名前だった。  間もなく第一ワープゲートを通過する。その報告を受けたフェリシアは、目の前に広がる漆黒の闇へと目を転じた。進行方向に開いたワープゲートの黒さは、まるで奈落に落ちていくような錯覚を感じさせてくれるものだった。周りに明るい星空が広がっているだけに、落差があまりにも大きすぎたのだ。ただこのゲートを利用しないと、5光年の距離を超えることはできない。自分から訪問を持ち出した以上、今更取りやめる訳にもいかないことだった。 「トリス・クロ……までは、まだまだ時間が掛るのですね」  ここまでたどり着くのに、すでに1日を使っていた。時間が掛かる移動に、フェリシアの口からつい漏れ出た呟きでもある。そしてその呟きは、本当に小さなものだった。それでも、彼女の有能な世話役の耳にはしっかりと届いていた。「左様で」と頭を下げた男は、「あと1週間の我慢です」と何度も持ち出された旅程を持ち出した。少し年齢の分かりにくいところはあるが、金色の髪を巻き毛にした40絡みの男である。 「説明ありがとう。ですがクロニッカ、いちいち説明は必要ありませんよ。それでは、私は独り言すら呟けなくなってしまいます」  微笑みながら不平を言うフェリシアに、「失礼いたしました」とクロニッカは頭を下げた。  「それもいいです」と許しを与えたフェリシアは、「トリス・クロはどうなっています?」と現地の状況を尋ねた。ちなみにこの質問は、出発前を含めて5回目になるものだった。 「ただいま、大急ぎで歓迎式典の準備が行われていると言うことです」 「視察、タウンミーティングの手配はどうなっていますか?」  歓迎式典より、そちらの方がフェリシアにとって重要なことだった。だからこその質問となるのだが、「トリス・クロ政府の分担です」と言う相も変わらぬ答えしか返ってこなかった。 「トリス・クロは、私の希望を叶えてくださるのでしょうか……」  最初の確認から1週間過ぎているのに、クロニッカの答えは全く変わっていなかったのだ。つまり、現地の状況には変化がないと言うことになる。それを気にしたフェリシアに、クロニッカは「分かりません」と、これもまた何度も繰り返された答えを口にした。 「トリス・クロ政府に、フェリシア様のご希望は伝えられております」 「だとしたら、どうして何も答えがないのでしょう……」  俯いたフェリシアに、「準備に忙しいのでしょう」とクロニッカは答えた。感情を抑えた言葉に、フェリシアはそれが慰めだと理解していた。ただ、それを口に出して確認する真似はしなかった。 「トリス・クロは、5日間の予定でしたね。そのために往復16日も移動にかかるのですから、繋がりが薄くなるのも仕方がないのでしょう」  それだけが理由でないのは、フェリシアも十分理解をしていた。そもそも自分がトリス・クロ訪問を持ち出したのも、教えられた連合内の不協和音が理由だったのだ。平和で仲良くと言う理想を掲げる彼女にとって、連合内で不協和音が生じることが悲しかったのだ。  「仰せの通りで」と言うのは、彼女が期待した答えからは程遠いものだろう。ただ感じた落胆を笑顔の奥にしまい込み、「部屋に戻ります」と言ってフェリシアは立ち上がった。 「もう少し、トリス・クロのことを勉強することにします」  差し出された手を借りて立ち上がったフェリシアは、おつきの女性を連れて展望ブリッジを出ていった。  フェリシアが利用した連合政府専用船クロノ・グラムは、全長が500m程ある客船の姿をしていた。白い優美な船体を晒す船は、連合国家が保有する旅客船として見ても最大級のものとなっていた。そのため最上部にある展望デッキから彼女の使用している部屋までは、エレベーターを3度乗り継ぐことと、200mほど歩くことが求められていた。エレベーター間の距離が100mほどあるので、都合歩く距離は500m程となる。  その距離を20分ほど掛けて移動したフェリシアは、「ここまででいいです」とお付きの女性の入室を断った。そして一人貴賓室に入ると、着替えのためウォークインタイプのクローゼットへと入っていった。ふわふわとしたドレスは、寛ぐにはあまりにも不向きなものだったのだ。これからの時間人に会う予定もないので、身軽なワンピースに着替えようと言うのである。  このようなドレスは、本来一人で着付けをするものではない。それは脱ぐ時も同じで、紐の一つ一つを解くのにフェリシアは苦労をしてしまった。体の線を美しく見せるためと言うのは分かるのだが、この場で必要かと言うことには、フェリシアは大いに疑問を感じていた。  結局ドレスを脱ぐのに、10分も格闘することになってしまった。おかげで下着姿になったところで、フェリシアは汗にまみれながら大きく息をすることになった。こんなことなら着替えを手伝ってもらうべきだった。そう反省しながら、用意しておいた幾何学模様の付いた茜色のワンピースを手にとった。ドレスに比べてシンプルな作りのそれは、重さを比べるとまるで持っていないかのようなものだった。  ただ茜色のワンピースに袖を通そうとしたところで、フェリシアはほつれ毛が汗で額に張り付いているのに気づいてしまった。500mの移動とドレスを脱ぐ努力で、自分が汗まみれになっているのに気づいたのである。 「一度、汗を流した方が良さそうですね」  小さく呟いてから背中に手を回し、胸を隠していた下着のホックを外した。その戒めから解き放たれて現れたのは、白い形の良い膨らみだった。大きすぎず小さすぎず、男の掌に少し余る程度の大きさを示していた。ただ生まれてこの方、男の誰にも触れられたことのない場所でもある。それから無造作に下の下着も脱ぎ捨てたフェリシアは、備え付けのシャワールームへと消えていった。汗を流す程度だからと、結い上げられていた髪はそのままにされてた。髪を解くのは、就寝前のシャワーの時でいい。その時には、手伝って貰おうと考えていた。  それからおよそ10分ほどでシャワーを済ませたフェリシアは、萌黄色をした部屋着に着替えてリクライニングソファーに腰を下ろした。そして空間を指で何度も弾いて、トリス・クロの情報を引き出した。ここに来るまでに、すでに5回は見ているだろうか。そのたびごとに、母星に似た姿に対して宇宙の神秘を感じていた。 「トリス・クロの住民には、ヘルコルニア連合国家政府に対する不満が募ってきています」  それを小さく呟いてから、フェリシアは小さく首を振って自分の言葉を否定した。 「ヘルコルニア以外のすべての星が、中央政府に対する不満を持っているのでしょう。私が行ってお話を聞くことで、少しでも不満の解消に役立ってくれれば良いのですが」  フェリシアの耳に届いている情報では、各星系の抱く不満は中央からの関心の薄さだと言う。ならば連合政府代表の長女たる自分が赴くことで、少しは解消できるのではと考えたのだ。さらには積極的に交流を行い人々の声を吸い上げることで、彼らの思いを中央政府へと伝えようとも考えていた。そうすることで、連邦が一つとなって、共に栄えて行くことになると信じていたのだ。  ヘルコルニア連合国家は、5つの惑星で構成されていた。その中で惑星ヘルコルニアが主となり、それ以外の4つの惑星は従属国家の位置づけとなっていた。その辺りは、4つの惑星がヘルコルニアからの移民で成り立っていることが理由である。そして4つの従属惑星のうち、3つがヘルコルニアとは別の太陽系に属していた。もっとも近いもので5光年、遠いもので6光年と言うのが、両者を隔てる距離である。そして同一星系にある一つのマルセリアと言う惑星は、ヘルコルニアよりひとつ外周部に位置し、ほぼ同じ赤道半径を持っていた。ただ主星から遠くなった分だけ気温が下がるため、構成する大気の成分を含めて居住地域はごく限られたものとなっていた。そのため惑星上には総数で100のドームシティが作られ、およそ1億人の住民が生活をしていた。  それに比べると、他星系にある3つの従属国家は環境には恵まれていた。そのため大勢の人々が「強制移民」として送り込まれ、今ではそれぞれ10億の人口を抱えるところまで成長をしていた。  各従属国家には名目上自治が認められてはいたが、その上位組織となる「総督府」も置かれていた。そして総督府により、自治とは名ばかりの厳しい締め付けが行われたのである。自治権の制限に加えて過重な税の取り立てだけでも不満をためる理由になるのだが、総督府の関係者が治外法権に置かれていたのだ。そのため総督府の軍人が我が物顔で町の中を歩き回り、町の中で好き勝手をしてくれたのだ。自治政府で取り締まれないことも含めて、住民の不満を更に溜めることになったのである。「奴隷」と言うのが、表立って口にされることのない、彼らが感じている自分の立場だった。  ただでさえ本国政府に対して悪い感情を持っているのに、そこに代表の長女が視察に来ることを歓迎できるだろうか。総督府から歓迎を命じられたトリス・クロ自治政府は、ヘルコルニア政府に対して更なる不満を募らせることになった。ただ軍事面を総督府に握られているため、表立って反抗できるはずがない。そのため表向きには歓迎すると言う顔を見せ、本心では「事故にでも遭え」とフェリシアを呪っていたのだ。 「それで、式典の手配はどうなっている」  トリス・クロ自治政府代表オールドクロウは、スタッフに対してフェリシアを迎える準備の進捗を確認した。いくら厄介者だと思っていても、なおざりの対応をすれれば、総督府の干渉を招き入れることになる。その時に被害を考えたら、嫌々だろうと大歓迎をしなければならなかったのだ。 「歓迎式典の手配は終わっております。総督府から、副代表のダルモア様に起こし頂くことにもなっております。視察も、郊外の農場をねじ込むことにしました。ただそちらは良いのですが、フェリシア様が希望されるタウンミーティングがアレンジできていません」 「10日前から通知を回しているのだろう。なぜ、アレンジができていないと言うのだっ!」  小さな失敗一つでも、総督府は新たな無理難題をふっかけてくるのだ。その意味で、何一つとして見落としが有ってはならなかった。ましてやリクエストの有ったイベントが開催できないと言うのは、己の立場を危うくするものになっていた。 「広く広告しているのですが、当たり前ですが参加希望者が出てきません」 「一応は美形の女性なのだぞ、それでも参加希望者がいないと言うのかっ!」  期待を込めたオールドクロウの言葉に、「スクラルドの娘にですか?」と言う答えが与えられた。 「しかも、お花畑を相手にするのが分かりきっているのですよ。見た目がいいだけに、余計に腹立たしいとは思いませんか? 監視の目がなければ、そして後先を考えなければ、集団レイプ事件が起きても不思議ではないぐらいです」  ある意味最低の評価なのだが、オールドクロウも否定の言葉を口にはできなかった。住民感情が最悪の状態のところに、「仲良くお話しましょう!」と言って面倒を運んできてくれるのだ。悪意より酷い善意……と言うよりお花畑の発想に、彼自身殺意に似たものを感じていたぐらいだ。 「結局喜ぶのは、総督府のティーチャーズ総督だけと言うことか」 「そうだと思いたいのですが……それが、まっとうな方向であるのを心から期待しています」  いかにも何かありそうな答えに、「なんだ」とオールドクロウは眉を潜めた。 「総督府の連中なら、スクラルド代表の長女が来れば箔が付くと喜ぶのではないか?」 「箔が付いて喜ぶのでしょうけど、それではお腹は膨れませんからね」  その答えに、なるほどとオールドクロウは言外の意味を理解した。 「それで、対策は?」 「市中に配備する警官の増員、並びに周辺ビルへの立ち入りを監視しています。ただ、パレードの範囲が広いので、カバーしきれないと言うのが実態です。使用する道路並びに沿道の爆発物探査は、当日も行う予定です」  それでも防ぎきれるか分からないと言われると、流石に頭を抱えたくなってしまう。ただいくら頭を抱えても、問題は一つも解決してくれない。そして悲しいことに、自治政府に打てる手は限りなく少なかった。軍備を許されないことが、こう言うところにも響いていたのだ。 「どうせ責任を押し付けられるのなら、好き勝手してやりたいぐらいだな」 「それは否定いたしませんが……人としてどうかとも思います」  止めておいた方がと言う忠告に、たしかにその通りだとオールドクロウは認めたのだった。  流石にレイプは極端にしても、トリス・クロの住民の感情は冷めきっていた。自分達を搾取対象としか見ていない本星の、しかも連合代表の長女が一体何をしに来るのだと受け取られていたのだ。もしも笑顔で励ましの言葉など掛けられようものなら、間違いなくやり場のない怒りに悶えることとなるだろう。  ただいくら呪ったところで、何一つとして自分達の得になることはない。だからトリス・クロの住民達は、己の感情を殺して偽りの笑みを顔に張り付かせていた。  そんな事情はトリス・クロの中心地区、オーヘントッシャンでは特に顕著だった。町にはフェリシア・バランタイン来訪のポスターが貼られているのだが、誰一人としてポスターを見ようとしなかったのだ。それでも落書きされたり破られずにいるのは、後々面倒なことになるのが分かっていたからだ。だから通りを歩く者達は、フェリシアの顔など無いものとして振る舞っていた。 「ノブハル。それは止めておいた方がいいと思うわよ」  そんな殺伐とした町を、一組の男女が歩いていた。男の方は、少し細身の長身で黒い髪をしていた。そして隣を歩く女性もまた、長い黒髪をストレートに伸した美しい姿をしていた。身長のバランスもよく、ちょっと目を引くカップルと言うところだろうか。  止めておいた方がいいと忠告した女性、ウタハは右手でノブハルの腕を引っ張った。おかしなことに興味を示すと、トラブルを招き寄せることになる。特に街中がピリピリしている今、おかしな刺激をするべきではないと言うのである。 「別に、ポスターぐらい見てもいいと思うのだが」  腕を引っ張られたことで、ノブハルの興味はすでにウタハに移ってくれた。少し膨れた顔をするウタハに、ノブハルは何も考えずに「嫉妬か?」と声を掛けた。 「そう答えて欲しいのかしら?」  ふふと笑い、ウタハはノブハルの左腕を胸のところに抱え込んだ。少し胸元の開いた青緑色のセーターは、ノブハルの右腕に胸の柔らかさを伝えてくれた。白のカチューシャで止められた髪が、折からの風を受けてふわりと広がった。 「それならそれで、嬉しいと言う気持ちはあるのだがな」  ただと、ノブハルは少し首を巡らせ辺りの様子を窺った。 「どうやら、さっさと用を済ませたほうが良さそうだ」 「おかしな奴らに目を付けられたの?」  更にノブハルにくっついたウタハは、小声で大丈夫なのかと確認をしてきた。ノブハルをからかっている時とは違い、明らかにその表情は引きつっていた。 「警官とは違う武装した奴の姿が見えた。こちらをチラチラと見ていたのを考えると、長居をしない方がいいだろう。何しろお前は、人目を引く容姿をしているからな」  だからこっちと言って、ノブハルは敢えて狭い通りを選んで目的地へと急いだ。もっとも目的地と言っても、夕食の買い物に出てきただけなのだが。 「狭い道に入ったりしたら、逆に危なくない?」 「こうすれば、追いかけられているかを確認できるからな。まあ、先回りをされたらまずいかもしれんが」  多分大丈夫だろうといいながら、ノブハルはもう一度角を曲がって狭い路地を進んでいった。ちょうどその時、後ろの方で何かが倒れる聞こえてきた。ガラガラと言う音を立てているところを見ると、ブリキのゴミ箱でも誰かが蹴飛ばしたのだろう。その音を聞いたところで、ウタハはノブハルの腕にしがみついてきた。 「つけられてるの?」 「ああ、間抜けな奴が追いかけて来ているらしい。さもなければ、隠す必要がないと思っている可能性もあるな。だとしたら、厄介極まりないのだが」  そこで後ろに人影がないのを確認し、ノブハルは手近なドアのノブを捻った。どこかのビルの裏口なのだが、普通なら施錠されていて開くはずのないドアである。  だが開かないはずのドアが、なぜか簡単に開いてくれた。それを確認したところで、「こっちだ」と言ってノブハルはウタハをその中へと連れ込んだ。 「ここに隠れてやり過ごすことにするぞ」  そうウタハに告げたノブハルは、心の中で「アクサ」とサーヴァントの名を呼んだ。それからウタハの体を薄暗い壁に押し付け、まるでキスでもするように自分の体を押し付けた。 「これじゃ、簡単に見つかるわよ」  大声を出すだけでアウトになるので、ウタハは囁くぐらいのボリュームでノブハルに文句を言った。そして彼女が恐れた通り、閉められた扉が開き、軍の制服を着た2人の男がその扉から現れた。その嫌らしい顔を見る限り、自分達を追いかけてきたのは間違いないのだろう。  下卑た笑みを浮かべた男達は、存在を隠そうともせずに扉の中へと入ってきた。その表情に恐怖を感じたウタハは、ぎゅっとノブハルにしがみついた。男達2人空気が、彼女のトラウマを刺激したのだ。  思わず悲鳴を上げかけたウタハだったが、ノブハルが口を押さえることで決定的なミスを回避することができた。だが2mほどしか離れていなければ、気付かれない方がおかしいと言えただろう。絶体絶命の恐怖に震えるウタハを、ノブハルはしっかりと抱きとめた。 「ちっ、ここじゃねぇのかよ」 「センサーの故障かよっ!」  忌々しそうな声をあげた2人のうち1人が、腹立ち紛れにノブハルの方を蹴飛ばした。がんと言う音がしたところを見ると、壁でも蹴飛ばしてくれたのだろう。そこでもう一度舌打ちをしてから、男は相方に「行くぞ」と声を掛けた。 「まだ、そんなに遠くに行っていないはずだ。せっかく見つけたいい女だ、やらずに逃がすのはもったいないだろう」 「お前、溜まってんな……まあ、俺も滾ってきてるんだがな」  あははと笑いながら、軍服を着た男達二人は開かれていたドアから外へと出ていった。そして行き掛けの駄賃とばかり、なにか筒のようなものをノブハル達の方へと投げ入れていった。カラカラと音を立てて転がった筒は、壁にぶつかったところで動きを止めた。ただ起きた変化はそれだけで、まるで壁に張り付いたように動かなくなっていた。 「行ったの?」 「いや、まだ外にいるな。だから、しばらくはここにいる必要がある」  そこでノブハルは、パチンと右手の指を鳴らした。そしてその音を合図にしたように、壁に張り付いた筒から白い煙が立ち上った。 「俺達が見つからないから、燻し出そうと言うのだろうな。煙が出ないと不自然なので、とりあえず煙だけは出るようにしておいた」 「煙だけはって……普通に考えたら、それだけ燻し出されるんじゃないの?」  小声で文句を言うウタハに、「煙たいか?」とノブハルは聞き返した。 「ううん、煙くないから不思議なのよ」  首を横に振ってくれたので、彼女の髪からシャンプーの匂いが漂ってきた。嗅ぎ慣れた匂いなのだが、それがノブハルの男を少しだけ刺激してくれた。それに気づいたウタハの頬は、少しだけ赤くなっていた。ただノブハルの位置からは、死角になって見ることはできないものだった。 「お腹の辺りに、なにか硬いものがあるんだけど」  からかうようなウタハに、ノブハルは表情を変えずに言い訳をした。 「男の悲しい生理現象と言う奴だ。だから気にするな……いや、気にしないで欲しい」  ただ表情こそ変えなかったが、声にははっきりと動揺が現れていた。それに機嫌を良くしたウタハは、「私もそう」とノブハルの耳元で囁いた。 「下着の中が、多分大変なことになってると思う」  そう言いながら、ウタハは右手でノブハルの物に触れようとした。その右手を、「今はだめだ」とノブハルは押し留めた。 「先に、済ますべきことを済ませておこう。そうしないと、今夜は具のない透明なスープと固いパンだけの夕食になってしまう」 「普通なら、ムードを考えていないって文句をいうところなんだけど……久しぶりにまともなものを食べたい気持ちなのは確かね」  そう言いながらノブハルから離れたウタハは、「もう大丈夫なの?」と外の様子を尋ねた。 「問題ない。置き土産が幾つかあるぐらいだ」  何事もないように言うノブハルに、ウタハははっきりとため息を吐いた。 「それを、なんでもないように言うのが信じられないわ」 「分かっていれば、置き土産ぐらい回避できてもおかしくないだろう」  それだけのことだと答え、ノブハルはウタハの手を引いてドアから表の世界へと復帰した。 「ただ、肉とワインは諦めた方が良さそうだな」 「肉、食べたかったな……」  どうしてと嘆くウタハに、ノブハルは裏道にも貼られているポスターを指差した。 「文句なら、あの女に言ってやるのだな。ここに来るのが決まってから、規律のなっていない兵士の数が増えたんだからな」  そう口にしたところで、「違うか」とノブハルは自分の言葉を訂正した。 「まともな兵士が降りてきたので、ごろつき共が暇を持て余していると言い換えてやろう。いずれにしても、あのお嬢様とやらが理由なのは間違いないな」  それだけだと答えたノブハルは、もと来た道の方へ向かって歩き出した。品揃えの良いスーパーは無いのだが、缶詰程度なら置かれているよろず屋があったのだ。残念なことに、ウタハが望んだ上等なワインと肉は、そんなチンケな店には置かれていなかった。 「また、乾物と缶詰かぁ〜贅沢を言えないのは分かるけど」  嫌だなとの呟きに、「同感だな」とノブハルは返した。 「あのお嬢様が帰るまでの我慢……だと思って耐えるしか無いだろう」 「さっさとオーヘントッシャンを出ておけば良かったのに……」  そうすれば、こんな目に遭うこともなかったはずだ。そうぼやくウタハに、「基本的に同感だが」とノブハルは答えた。そしてその上で、「その時は、俺たちは巡り合っていなかったがな」と付け加えた。 「ただ、その方がお前にとっては幸せだったのだろう」  何しろ出会いのシチュエーションが悪すぎたのだ。それを思い出したノブハルに、「それは忘れて」とウタハは懇願した。少し追いつめられたようなウタハに、ノブハルは「すまん」と謝ったのだった。  周囲に気を配りながら歩いていたため、よろず屋に着くのにも時間が掛かってしまった。そればかりが理由ではないのだが、よろず屋の年老いた店主から「何も残ってないぞ」とありがたい言葉を貰うことになった。その言葉通り、店の棚にはほとんど品物が残っていなかった。 「干したタラとしなびたきのこぐらいなら残ってるがな」 「野菜とか残っていないのか?」  せめてそれぐらいはとの問いに、店主は奥を漁ってしなびた人参を探し出してくれた。そしてノブハルの顔を見てから、「ゴムなら沢山あるんだがな」と口元をニヤけさせてくれた。  程度の低いからかいの言葉に、「未使用品が2箱ある」とノブハルは返した。そしてしわくちゃの紙幣を渡し、干しタラとしなびたきのこと人参を持ってきたバッグに放り込んだ。そのバッグの底を覗き込みながら、「ゼスより酷い」と声に出さずに呟いた。  人口の半分が死んだゼスの内戦中でも、たとえ合成品とは言え食料は不足しない程度には供給されていたのだ。しかも街の治安にしても、これほど乱れていることはなかった。年頃の女性が出歩けないと言うのだから、どれだけ酷いことになっているのだと言いたくなってしまう。  それならノブハルだけが外に出ればいいと考えるところだが、家の中が必ずしも安全ではないと言う問題が有った。ウタハの精神状態も問題なのだが、傍若無人に振る舞う総督府の軍人が最悪だったのだ。  酷いものだとノブハルがバッグを覗き込んでいたら、店主が小さな箱を投げ入れてくれた。きっとおまけのつもりなのだろうが、ノブハルにしてみれば余計なお世話と言いたくなるものだった。 「未使用品が2箱あると言ったはずだが?」 「若いんだから、あっと言う間に使い切っちまうんだろう?」  だからだと笑った店主は、「まいどあり」とノブハル達を送り出した。そしてノブハル達が歩いていくのを見送り、店の扉に「Closed」の札を掛けた。それから寄り添うように歩いていく二人に、ため息と言う贈り物を送った。 「逃げ出すって言っても、どこにも逃げる場所なんかないんだよな……この星には」  それがトリス・クロの現実なのだ。鉄格子のシャッターを下ろしながら、年老いた店主はもう一度ため息を吐いたのだった。  古いアパートメントに帰ってきて最初にするのは、部屋の明かりが外に漏れないようにすることだった。特にウタハのように若い女性の住まう部屋では、帰宅を知られるのは事件を招き寄せる理由になっていた。  まるで目張りをするように遮光カーテンを窓に留めたウタハは、出来を確認してから薄暗い灯りをつけた。そこまで遮光をしても、明るさによっては外に灯りが漏れる恐れがあったのだ。そして最後に遮光の出来栄えを確認してから、扉を締めて外に面していないダイニングに戻ってきた。 「待ってて、タラを戻したら夕食を作るから」  そこまでして安心をしたのか、ウタハはセーターの上に古ぼけたエプロンを纏った。そして邪魔になるからと、長い黒髪を後ろで1本に纏めた。買ってきた干しタラは、戻すために水に漬けられ、しなびたきのこと人参も、刻んでから同じ水に放り込まれた。 「今日は、具入りのスープが飲めるな」 「後は固いパンとサプリの盛り合わせね」  少し口元を引きつらせたウタハは、座っているノブハルに唇を重ねてきた。そして挨拶程度の口づけをしてから、古ぼけたキッチンに戻った。ダイニングキッチンとは名ばかりの、とても狭苦しい場所と小さなベッドルームが二人に与えられた世界の全てとなっていた。  鍋に粉末のスープの素を入れ、ガスのコンロの上に置いた。後は適当に煮立ったところに、戻したタラとクズ野菜を入れればスープの出来上がりとなる。手作り料理と言うには寂しい、貧相なスープが出来上がるのだ。  コンロに鍋を放置し、ウタハは戸棚から「固いパン」とサプリを取り出した。栄養バランスどころではない食事しか取れない今、サプリで命をつないでいると言っていいのだろう。 「俺達が出会ってから、何日経ったかな」  何も考えていないようにノブハルが口にした時、パンを持ったウタハの体が小さく震えた。 「3、3週間になるわ……」  震える声で紡ぎ出された答えに、「そうか」とノブハルは小声で呟いた。 「もう、そんなにもお前に迷惑を掛けてしまったのだな」  すまないと謝るノブハルに、ウタハは「それは違う!」と勢いよく振り返った。 「あ、あなたが居なければ、多分私は生きていられなかった。あ、あなたがいるから、生きていこうと思えたんだもの。迷惑……だったら、私の方が掛けていると思う」  そう言って俯いたウタハに、ノブハルはもう一度「すまん」と謝った。そして立ち上がって、俯いたままのウタハの体を抱き寄せた。その瞬間びくりと震えるウタハに、仕方がないことだとノブハルは暗い気持ちになっていた。当たり前だが、心の傷が3週間やそこらで癒える筈がなかったのだ。 「行き場所のない俺に、居場所を作ってくれたのはお前なんだ」  ウタハから離れたノブハルは、これまで何度も口にしたことを繰り返した。ただ返ってきたのは、いつもと違う答えだった。 「行き場所が無いのは私も同じだから」  そこでスープが煮立ってきたので、ウタハは慌ててコンロのところに戻った。そして水で戻したタラとクズ野菜を、蓋を開けてその中に放り込んでから火を弱めた。これで具に味が沁みれば、干しタラの塩コンソメスープの出来上がりである。  振り返るのが怖いのか、ウタハはじっと鍋を見つめていた。そしてそのまま、「出ていくの?」と小さな声で問いかけてきた。 「俺には、行くあてがないと言わなかったか」 「だ、だったら、ずっと一緒に居てくれる?」  振り返ることもなく、その問いかけもまた微かに聞こえる程度のものだった。ただウタハに注意を向けていたノブハルの耳には、その声はしっかりと届いていた。 「そうだな。お前がいいと言うまで、一緒にいるつもりだ」 「だったら」  ノブハルの答えに、ウタハは慌てて振り返った。そして気持ちを訴えるように、両手を胸の前で握った。 「ぜ、絶対に、いいって言わないからっ! 絶対に言わないからっ!」  絶対だからと繰り返してから、ウタハはゆっくりと振り返ってコンロの火を止めた。そしてノブハルの方へと振り振り返った。 「今日は頑張るから。だから、お願いっ!」 「俺相手に、無理をする必要はないんだがな……」  こんなことは、本来頑張る必要のないものなのだろう。ただノブハルは、そのことをウタハに告げることはなかった。そのかわりゆっくりと彼女に近づき、「今日は止めないぞ」と耳元で囁いた。 「私、頑張るから……」  だからお願い。その願いをかなえるため、ノブハルはウタハの体を抱き寄せた。  だが決意を込めたウタハだったが、結局その日も最後まで進むことはなかった。ノブハルには、がたがたと震える女性を抱くことはできなかったのだ。  勇んでUC001に来た迄は良かったのだが、そこからの探査は遅々として進まなかった。トラスティ達の真似までして確率の高いエリアを選んだにも関わらず、文明の痕跡を見つけることができなかったのだ。そのお陰で、最初の1ヶ月は移動と探査をひたすら繰り返すだけになってしまった。  そして2ヶ月目に突入して10日過ぎたところで、ノブハルは探査方法の変更を提案した。 「俺達にマリーカ船長ほどの引きが無いのは確かだろう。ならば、別の方法で文明を探してみたいと思う」  そう切り出したノブハルに、「仰ることは理解できます」とジークリンデは答えた。そしてノブハルに、さらなる説明を求めた。 「具体的には、どのようになさるのでしょうか?」  ちなみに40日が過ぎても、メイプル号で男女が同じベッドを使うことはなかった。そのあたり、ノブハルとジークリンデの仲が全く進展しなかったことが理由である。それどころか、ジークリンデは異性としてノブハルを意識するような態度を見せなかったのだ。  そのため船の雰囲気と言うのか、その雰囲気に飲まれたメイプルもカイトに迫ることはなかった。お陰で、今回の冒険は非常に「健全」な雰囲気の中で遂行されていた。  「具体的には?」と言うジークリンデに向かって、ノブハルは「うむ」と小さく頷いた。 「光速を超えた移動方法が、外部空間に影響を与えることを思い出したのだ。例えば亜空間を利用した方法なら、速度に関わらず亜空間にバーストと言う歪を生じさせる。その歪が発生するのを探査すれば、何者かが亜空間航行を行ったのを捕まえることができるはずだ。そして「ワープ」の場合、重力波が発生するのが分かっている。従って、重力波を観測することで、ワープ航行を補足することができるだろう。俺たちが知らない方法とか高次空間接続とかの場合は、諦めて足で探すほかはないと言うことだ」 「行き当たりばったりで探すことは、この40日で無理だと分かりましたね。確かに、超光速航行の痕跡を探す方が文明を見つける可能性が上がりますね」  さすがはノブハル様と褒めてくれたのだが、なぜかその言葉も表面的なものにしか聞こえなかった。そのやり取りを聞きながら、「今の所脈なしだな」とカイトは二人の関係を見守っていた。 「と言うことなのでメイプルさん。この地に係留して、アンテナ調整をするぞ」 「機能調整と材料準備に1日ください……ただ亜空間探査だけなら、1時間で十分ですね」  畏まりましたと敬礼をして、メイプルは食堂の方へと消えていった。それを見送ったところで、「なぜ食堂?」とノブハルは首を傾げた。 「彼女に関して言えば、深く考えたら負けだと言ってやる」 「しかしだな……」  反論しようとしたのだが、ゆっくりと首を振られてそれを思いとどまった。宇宙には触れてはいけない、そして触れることに意味のないことは沢山残っているのだと。  ただ観測方法を変えたからと言って、簡単に結果がついてくるはずがない。特に通常空間を経由する重力波は、波自体が微弱と言う問題に合わせて、距離=経過時間となる問題が有ったのだ。従って文明がある証拠以上の使い道がないと言うことにもなる。 「これだったら、ドラセナ様を連れてくるんだったな」  そうすれば、未来視を利用した探索を行うことができる。そのつもりで口にしたノブハルに、サラマーは「欲求不満?」と理由を捻じ曲げてくれた。 「……なぜ、いきなり欲求不満と言う話になるのだ?」  不機嫌そうな顔をしたノブハルに、「だって」とサラマーは口元を抑えて笑った。 「もう、2ヶ月近くご無沙汰でしょ。だから、溜まってるかなって思ったのよ」 「ノブハル様。溜っておられるのですか?」  目を輝かせながら割り込んできたメイプルに、ノブハルは慌てて「そんなことはない」と言い返した。そのあたり、しっかりと身の危険を感じたからと言うことだ。 「サラマー。話をおかしな方向に捻じ曲げるなっ!」 「生理現象の話をするのって、別におかしな話じゃないと思いますよ。特に、毎晩のように励まれていたノブハル様の場合は」  明らかにからかいモードに入ったサラマーに、「毎晩じゃないっ!」とノブハルは本筋とは関係のない答えを口にした。そのやり取りを生暖かく見守っていたカイトは、そろそろいいかと介入をすることにした。 「おふざけはそこまでにしておくことだな。それから未来視を利用するなら、ジェイドに繋げば事は足りるだろう。未来視の時間的距離なら、アルテルナタ王女が一番稼げるからな」  連絡ベースの未来視を持ち出したのは、今からでも手配が可能だと言うのが理由になっていた。ただカイトの助言を、ノブハルが否定をした。 「あまり頼ってはいけないと言う気持ちが一番大きのだが……やはり、俺なりの方法で見つけてみたいと思っている。これが人の命が掛かっているとかなら、俺も無理を通すつもりはないのだがな。それに言ってみれば、まだ1ヶ月と少ししか経っていないのだ。広大な銀河から文明を探すと言うのは、それだけ時間がかかるものだと俺は思っている。その証拠に、連邦安全保障局では探査に苦労をしていると聞いている」  それが口実だとは分かっていたが、カイトはそれを指摘するような真似はしなかった。 「急ぐ旅で無いのはその通りなんだがな。まあ、納得の行くようにしてくれればいいさ」  それだけだと答えたカイトは、チェアにもたれ掛かって静かに目を閉じた。別にこれから寝ようと言う訳ではなく、暇な時間を楽しんでいたのだ。 「うむ、納得の行くようにさせてもらう」  そう答えたノブハルは、これまで得られた観測データーの再チェックに取り掛かった。検出アルゴリズムを変えて、見逃しがないかを確認しようと言うのである。  そしてノブハルが探査方法の変更を提案した2週間後、明らかに人為的な重力波変動を検出するのに成功した。これで次に問題となるのは、重力波発生源との距離だった。 「意外に近かったのだが……」  ううむと唸ったのは、距離が6光年程度と計算されたことだった。それでどうして見つからないのだと、ノブハルは念の為に再計算をしてみた。ただその結果も6光年なのだから、最初の結果に間違いがないことになる。そうなると、どうして今まで見つからなかった理由が気になってくる。  そのことに悩んだノブハルに、「確認しに行けばいい」とカイトは提案した。 「だが、この場合は慎重に状況を確認するべきではないのか?」  一つ間違えば、自分達の存在を見つけられることになる。そうなった時の問題を考えれば、ここは慎重に行かなければいけないのだと。  ただノブハルの失敗は、「常識」と言われるものが通用しない場所だったことだ。「船長権限だな」とカイトが口にしたところで、メイプルが移動ポイントの設定が終わったことを報告してきた。 「まあ、さっさと移動した方がいいだろう」  とてもお気楽なカイトに、これでいいのかとノブハルは頭を抱えたのだった。  6光年と言う距離は、メイプル号にとって目と鼻の先でしかなかった。わずか4分で目的地に到達したメイプル号は、すぐさま通常空間での電波探索に入った。 「前方2箇所から通信波、そして1箇所から放送波が確認できました。電波利用の方法が原始的なので、文明レベル的にはあまり高くないようですね。今データーを集めて分析を行っていますが、電波源の1箇所は一種のゲートと推測できます。もう一箇所は、この星系における第4惑星のようです」  自分の中で出来上がっていた仮説を、ノブハルはメイプルの答えと突き合わせた。 「亜空間の利用もできていないところを見ると、確かに文明レベルは低そうだな。ただゲートが存在するとなると、その接続先があることになる」  うんと小さく頷いたノブハルは、「侵入は可能か?」とメイプルに尋ねた。 「可能かと聞かれたら、この程度なら簡単にとお答えします……データーの参照がって、アクセス速度が遅すぎますね。あまり負荷をかけると、侵入に気づかれる恐れも出てきます」 「やはり、文明レベルはかなり低いと言うことか」  吐き出されたデーターを眺めたノブハルは、「1にも到達していないな」と簡単な分析を終わらせた。 「光速を超える方法を見つけて、利用を始めてさほど時間が経っていないと言う段階だな」 「それで、これからどうなさいます?」  第一目標としていた文明を見つけることには成功したのだ。だからジークリンデは、その先のことを確認した。これが冒険だと考えれば、発展途中の惑星も対象となってくる。 「もう少し情報を探ってから、俺はあの星にに降りてみようと思う。文明レベルが低いのだったら、特に危険なこともないだろうからな」 「ああ、アクサが居る限り、危険なことはないのだろうな」  正しく自分の言葉を理解したカイトに、「だからお願いがある」とノブハルは切り出した。 「カイトさんには、ゲートの接続先を探って貰いたい。ジークリンデさんとサラマーは、その後の状況を見てどちらに降りるかを決めればいいと思っている」 「一度、ザリア達に探らせた方が良くないか?」  これまでの手法を口にしたカイトに、「多分大丈夫」とノブハルは答えた。 「もちろん、遠隔で情報収集をして分析をした後のことだ。そこからならさほど問題になることはないと思っている。俺ならば、住民の登録や現地通貨の合成も難しくないからな……もちろん、それが違法な行為だと言うのは理解しているが」 「まあ、お前がやる気になっている以上、俺がとやかく言うことじゃないな」  そこで顔を見られたサラマーは、「譲れない線があります」と自分の立場を持ち出した。 「私は、ノブハル様に護衛としてついてきています。ですから、ノブハル様と一緒に地上に降りることをお許しいただきたいと思います。ただ、多少のことでは、ノブハル様の前に出ないことをお約束します。もちろん、お呼びいただけばいつでも参上いたします」  近衛として派遣された立場を持ち出すサラマーに、「どうしてもか?」とノブハルは問い掛けた。そして「どうしても」と言う答えに、仕方がないと自分が折れることにした。 「俺が呼ばない限り、もしくは呼ぶこともできない状況にならない限り、俺に分からないところに隠れていてくれればいい」  それでいいかと確認され、「我儘を言いました」とサラマーは謝った。 「いや、我儘を言っているのは俺の方だろう」 「ノブハル様のお立場なら、我儘を仰るのも当然のことかと」  やけに余所余所しい言い方に、ノブハルはリュースの顔を思い出していた。  文明レベルが低いこともあり、1週間の情報収集でかなりの事情を知ることができた。そしてノブハルは、一同に対して情報共有後にトリス・クロの中心、オーヘントッシャンと言う都市に降りることを伝えた。 「メイプルさん、ここまで得られた情報を展開してくれないか」  ノブハルの指示に、メイプルは「はい」と言って頷いた。そして頷いてから、「お茶とお菓子の後ですね」と立ち上がって食堂の方へと消えてくれた。これまで何度も繰り返されたことなのだが、未だに慣れないとノブハルは頭の中だけで文句を言っていた。  それから5分後にエプロン姿で現れたメイプルは、それが当たり前のことのようにカイトの前にお酒とつまみを置いた。そしてノブハル、ジークリンデ、サラマーの順にお茶と焼き菓子を置いていった。ただノブハルの前には、お茶もお菓子も5人前が並べられることになった。  そのことに苦情を言っても、「お母様にお願いされました」で押し切られるのは分かりきったことだった。だからノブハルは、胃薬のアンプルを確認してから特盛の焼き菓子へと取り掛かった。  その様子をニコニコと見ていたメイプルは、「ここまでの情報ですが」と観測の結果を持ち出した。 「ヘルコルニア連合国家と言うものが、この銀河の中に存在しています。その中心となるのが、ここから5光年離れたところにある、惑星ヘルコルニアとなっています。そして同一星系に、マルセリアと言う惑星があるのですが、資源採集を目的に開拓が行われ、惑星上に作られた100ほどのドームシティに1億の住民が暮らしています。そしてヘルコルニア太陽系の外に、3つほど加盟惑星が存在しています。私達が見つけた惑星……トリス・クロと言うのですが、ヘルコルニアから強制移民が送り込まれました。他にもレッド・オーシャン、ホワイト・グレンと言う国家が同様の経緯で設立されています。ただ連合国家と言いましたが、実態は植民地惑星だと考えていただいて結構です。それぞれの惑星から、ヘルコルニアで必要な物資が一方的に運ばれているんです。そしてそれぞれの惑星には、自治権こそ与えられていますが、軍備を持つことは許されず、ヘルコルニアから送り込まれた総督が各惑星の上位に存在しています。地上に軍が駐留しているのですが、その軍も総督府が保有しているものです。その目的は、住民の監視となっているようですね。酷いのは、駐留軍の犯した犯罪は、トリス・クロの法律で裁けないと言うことです。警察による身柄拘束も行えないため、事実上好き勝手を許す事になっています。そのため殺人・強盗・婦女暴行事件が頻発しています。これは推測になるのですが、事例として報告されている数の、数倍以上の件数が発生しているのではないでしょうか」  メイプルの説明の間、ノブハルを始めとした4人は目の前の飲み物に手を付けていなかった。ノブハルが憤るのはいつものことなのだが、カイトとジークリンデまで顔を顰めていた。法治国家に所属し、多くのならず者を見てきたカイトだから、国家ぐるみの無法行為への嫌悪を示したのである。 「近い将来、連合国家が破綻するのが目に見えるようですね」  ジークリンデの論評に、カイトはしっかりと頷いた。 「ああ、住民に溜まった不満は並大抵のものじゃないだろう。暴動が起こらなくても、社会自体が衰退していくのが目に見えるようだ。そして本星……ヘルコルニアだったか、そこの住民が堕落していくのも見える気がする」  酷いものだと吐き出したカイトに、「まったくです」とジークリンデはその意見を認めた。 「それでも言えるのは、連邦憲章を守る限り私達は干渉することができないと言うことです。しかも超銀河連邦にも所属しない連合国家のことですから、干渉は侵略行為とされてしまいますね」  そこでジークリンデがノブハルの顔を見たのは、誰が一番青いことを言うのか分かっていたからだ。そしてカイトも、彼女と同じようにノブハルの答えを待った。  結果的に3人の視線を集めることになったノブハルは、目を閉じたまましばらく自分の考えを整理することにした。そして短くない時間が過ぎてから、「俺は」と静かに言葉を口にした。 「俺の中の正義って奴が、見過ごすことを良しとはしてくれないんだ。だからと言って、俺達が干渉することに疑問を感じているのも確かだ。ヘルコルニア連合国家と言うのは、まだ連合国家体として未成熟なものなのは間違いないだろう。そしてこれから成熟していくためには、数々の問題を乗り越えていく必要があるのも確かだと思う。それが、この連合国家に生きていく者達の義務でもあり権利でもあると思っているんだ。それを見ていられないからと干渉するのは、超越した文明を持つ者のエゴと言うのも理解しているつもりだ」  そこで言葉を切ったノブハルに、「それで」とカイトは先を促した。 「神の目線で全体を見るのなら、確かにお前の言うとおりだろうな。ただ、現時点で虐げられている人々に、犠牲を強いることが正しいことなのか? 文明が成熟する過程に必要なことと言うのは、犠牲を強いる理由になるのか。神の目線に立つこと自体、逆に傲慢だと言うこともできると思っている。俺達は、神などと言う大それた者になったつもりはないんだからな」 「確かに、カイトさんの言うとおりだと思う。もしもヘルコルニア連合国家が、俺達と同程度の文明レベルだったら、俺もこんなことを言わなかったと思うからな。だがこの程度の国家体なら、俺達は自由に形を変えることができてしまうんだ。そこまでする権利が、俺達にあるのか疑問だと思っている」  だから分からないと口にしたノブハルに、「大きな考え違いがありますね」とジークリンデは指摘をした。 「確かに、私達なら国家としての形を変えることはできるのでしょうね。ただ、実態を見ないで押し付けた形は、すぐに崩れてしまうものでしかないのです。国家の運営と言うのは、ノブハル様が考えておられるほど単純なものではありません。そして人と言うのは、とても賢く、その一方でそれ以上に愚かしくもあるのです。掲げた理想など、たやすく捻じ曲げられてしまうものなのです」  ジークリンデの指摘に、ノブハルから反論の言葉はなかった。それだけ慎重になっていると言う意味なのだが、カイトはそこに別の理由を見ていた。過去トラスティが問題解決を主導した時には、ノブハルはもっと青臭い主張をしていたのだ。 「親父が居ないから、お前が慎重になるのも分かるがな。ただ親父は親父で、お前はお前だと言うことを忘れてくれるな。なあに、いざとなったら尻拭いは親父にさせればいいんだ。だからお前はお前で、青臭い理想を振り回してもいいんじゃないのか?」 「いやいや、あの人に押し付けるのを前提にしてはいけないだろう……流石に」  慌てて否定したノブハルに、「それが子供の特権だっ!」とカイトは胸を張った。 「お前も、そろそろ反抗期を卒業した方がいいぞ」 「反抗期って……そんなものは、大昔に卒業しているぞ」  ノブハルの主張に、「本気か?」とカイトはまじまじとその顔を見た。 「私は、劣等感の裏返しかと思いました」 「子供にありがちな、承認欲求ではないのですか?」  サラマーとジークリンデも続いたのだが、いずれにしてもノブハル側の問題だと言うのである。つまり3人に揃って、「お前の問題」と視点を変えて指摘されてしまったことになる。やめてくれとノブハルが零すのも、本人の気持ちからすれば当たり前のことだろう。  そんなノブハルに対して、「とりあえず行動してみろ」とカイトはアドバイスを口にした。 「もともと、地上に降りるつもりだったんだろう? だったら、地上に降りて感じたことを優先すればいいんじゃないのか? こんな遠くから眺めているだけじゃ、血の通った人の気持ちなんか見えてこないんだぞ」  だから行動を先にしろと。カイトはノブハルの背中を押した。 「答えを先延ばしする……と言うことか。いや、冷静に考える時間を作ると言う意味にもなるのか」  カイトのアドバイスを考えたノブハルは、「確かにそうだ」とそれを認めた。そしてサラマーの顔を見て、「見ているだけでいいからな」と以前の話を蒸し返した。 「それが、ノブハル様が譲れない線と言うのは理解しています」  サラマーが頭を下げたことで、ノブハルのトリス・クロ上陸が決まったことになる。ただ具体的な目的地が分からないので、中心都市オーヘントッシャンに降りることにした。そして目につきにくい場所と言うことで、ビルの物陰を選ぶことにした。ただ該当箇所なら沢山あるので、そこから先はメイプルの胸算用と言う事になった。 「アクサが居れば、通信手段に困ることはないな」 「ここでしたら、アルテッツァのプローブを置いていっても見つからないと思いますよ」  どうしますかとジークリンデに聞かれたノブハルは、少し考えてから「頼めるか」と返した。  そうですねと微笑んだジークリンデは、「サラ」とインペレーターのAIを呼び出した。 「全土を覆う必要はありますか?」 「ノブハル様の安全を考えたら、その方が好ましいですね」  任せますとの答えに、サラは1時間で手配が終わることを報告した。初めはサラを利用することに疑問を感じたノブハルも、今はその手際に当たり前のことだと思うようになっていた。 「だったら、1時間後を目処に地上に降りることにするか」 「でしたら、お弁当を用意しますね」  楽しみにしていてください。嬉しそうにダイニングに消えたメイプルに、ノブハルは「遠足か?」とノリの軽さに呆れたのだった。ただ押し付けられた特大の弁当が、すぐに役に立ったのは皮肉なことだった。  予定通り1時間後、ノブハルはオーヘントッシャンの一角にある、暗くて異臭の漂う場所に降り立った。記念すべき初上陸の場だと考えると、いかにもみすぼらしい場所なのは間違いないだろう。 「サラマーも降りてきているのだな?」  とりあえず確認と、ノブハルはサラマーの名を呼んだ。 「いくらなんでも、呼び出すのが早すぎませんか?」  そう言って現れれたのは、赤髪をショートにした活発そうに見える女性だった。目立たないようにとの配慮からか、地味で古ぼけた服を身に着けていた。 「いや、ここから先は油断をしていいことはないからな。だから、手違いがないかを確認しただけだ。こんなことで呼び出してすまなかったな」  そう言って謝るノブハルに、「構いませんよ」とサラマーは笑った。ただその次の瞬間、その姿はノブハルの目の前から消失した。身体能力を活用したのか、はたまた戦闘機人の力を使ったのか、いずれにしてもノブハルの想像を超えた機動力なのは間違いないだろう。 「さて、ここから人通りのあるところに向かうのだが」  すでに言語情報の分析は終えているので、会話や看板を見るのに困ることもないはずだ。そして貨幣経済の分析も終えているので、偽札ではあるが、お金に困ることも無いはずだった。  大きなメッセンジャーバッグの中身は、メイプルが作った巨大なお弁当が詰められていた。よほど置いていこうと考えたのだが、直前まで見送りをされたためそれもできなくなったと言う代物である。携帯食料の方が役に立つはずなのだが、メイプルには彼女なりのこだわりがあったと言うことだ。  そこで慎重に辺りを伺ったノブハルに対して、「申し訳ありません」とサラマーが姿を表した。 「なにか、危険なことがあるのか?」  よほどのことがない限り姿を現さないと聞かされていただけに、途端にノブハルに緊張が走ることになった。そんなノブハルに、「少し先で犯罪行為が行われています」とサラマーは告げた。 「具体的には婦女暴行なのですが、軍人4人が一人の女性を輪姦しています」  なにと色めき立ったノブハルに、「冷静に」とサラマーは押し留めた。 「ここでは、珍しくないことと言うのはご存知のはずです。それに、降りていきなり軍とのトラブルは好ましくありません。残酷なようですが、彼らが居なくなるのを待つべきだと思います。未遂でしたらまだしも、すでに既遂状態ですから手遅れなのかと」  今にも飛び出していかんがばかりのノブハルだったが、サラマーの言葉に冷静さを取り戻すのに成功した。 「必要なのは殺されないようにすることと、後のケアと言うことか」  ノブハルの考えに、サラマーは小さく頷いた。 「その役目を、ノブハル様がする必要はないと思いますよ。ただ、私の立場からすれば、ノブハル様のお心のままにと言うことになります。予め申し上げておきますが、軍人4人を始末するのは悪手です。間違いなく、軍の報復を呼び寄せることになります」  流石に、その時期ではないとサラマーは主張した。それを認めたノブハルは、「そろそろか?」と婦女暴行現場のことを確認した。 「そろそろと頃合いと言うのは確かですね。ただ安全に女性を保護するためには、私が囮になった方が良さそうです」  そうすることで、男達の注意が自分に向くことになる。新しい獲物の姿を見せるのが、一番効果的だとサラマーはノブハルに告げた。 「お前ならば、万が一と言うこともないのだろうな」  そこで少し考えたノブハルは、「頼む」とサラマーにお願いをした。「畏まりました」と頭を下げたサラマーは、自分の格好を見てからパチンと指を鳴らした。ノブハルに渡された衣装チェンジシステムは、彼女の格好を少しだけ目立つものに変えてくれた。 「では、私が悲鳴を上げますのでしばしお待ちを」  そう言ってから、サラマーは無造作に犯罪現場の方へと近づいていった。  サラマーが報告した通り、ノブハル達の居た場所から50mほど離れた路地で、男達4人が女性を地面に押し付けていた。その中の一人が盛んに腰を振っているのだが、襲われた女性からはなんの反応も見られなかった。ただ虚ろな目を開き、瞬きもせずに薄暗い空を見上げていただけだった。  着ていた服はすでに原型を失い、大切な部分を隠す下着も引き裂かれていた。長い黒髪は汚い地面に広がり、形の良い乳房は4人がかりで蹂躙されていた。心を殺すことでしか、耐えられない行為が繰り広げられていたのである。 「マグロ相手じゃ、面白くねえな」 「おめえがぶん殴るからいけねえんだよ。せっかく、いい女なのにな」  形の良い顎に手を当て、男は女の顔を自分の方へと向けた。そして少しの遠慮もなく、乾いた唇を女の唇へと押し付けた。そこまでされても、女の瞳に力が戻ることもなく、体は力が抜けて弛緩したままだった。 「今までにない上物だな。持って帰って飼うか?」 「こんなに、ぶっ壊れちまったのにか?」  ないなと言う答えに、「始末するか?」と別の男が持ちかけた。 「ばらばらに解体するぐらいしか楽しみようがねえだろう」 「それも一興なんだがなぁ。確かに、これはもう使えねぇな」  立ち上がった男達は、地面に横たわる壊れた女を冷たい目で見下ろした。彼らの目には、女性に対する哀れみの色など浮かんでいない。そこにあったのは、とても酷薄な光だけだった。  だが男達が動き出す前に、「いやぁ」と言う悲鳴が後ろの方から聞こえてきた。とっさに振り返った男達は、ショートヘアの女が悲鳴を上げているのを見つけた。 「珍しいな、別の獲物が罠に飛び込んできたぞ」 「だったら、こいつはもういいか」  ふんと息を吐いた男は、無造作に女の脇腹を蹴飛ばした。ごぼりと口から血のようなものが吐き出され、蹴られた女は小さな痙攣を始めていた。 「手はず通り、獲物を追い詰めるぞ」  いいなと顔を見合わせた男達は、壊れた女に目をくれず、新しい獲物めがけて走り出したのだった。  その男達が消えてすぐ、痙攣をする女の横に一つの影が現れた。そしてどこからか取り出したタオルを、女性の上に広げた。 「アクサ、大至急治療をしろ」  その命令に従って現れたのは、レデュッシュと言われる赤い髪をした女性だった。普段は長髪をストレートにしているのだが、今日は頭の上で纏めた上で帽子をかぶって隠していた。格好にしても、あたりに溶け込むような薄汚れたねずみ色のセーターとパンツ姿をしていた。  ノブハルに呼ばれて現れたアクサは、犠牲となった女性の姿に明らかな嫌悪感を顔に現した。 「肝臓が破裂しているわね。あと、女性器が裂けているわ。殴られたのが理由だと思うけど、少し脳内出血もしてるわ。あいつら、どんだけ強く殴ったのよ」  珍しく怒りを表したアクサは、「ムカつく」と言いながら女性の治療を進めていった。そして少し持ち直した女性に対して、アクサは「ごめん」と謝った。 「コスモクロアだったら、辛い記憶を消してあげられたのに。ごめんね」  アクサが治療をしている間、ノブハルは女性のものと思われる遺留物を集めていった。 「食料の買い出しの帰りに襲われたのか……」  ノブハルの視線の先には、踏み潰された肉や野菜が落ちていた。偏執的としか思えないのだが、ここまでするのかと言いたくなるぐらいに原型をとどめていなかった。そして小さなポーチの中身も、子供のいたずらのようにあちこちに散らばっていた。 「ウタハ・ブルームと言うのか……」  足跡のついた身分証を見つけたノブハルは、「なるほど」と添えられた写真を見て頷いた。 「美人でスタイルが良くて……普通の世界だったら、人から羨まれていたのだろうな」  だが現実の世界では、見た目の良さはならず者に目をつけられる理由になる。本来誇らしいはずのことが、彼女を地獄に突き落としてくれたのだ。  汚れを袖口で拭い、ノブハルは新しいポーチを作ってその中へとしまった。ぼろぼろになったポーチを直すことはできるが、それをすることが本当にいいことなのか分からなかったのだ。 「財布が無いところを見ると、持っていかれたようだな。後は割れた鏡とか櫛とかぐらいしか残っていないか……」  酷いなともう一度呟いたノブハルは、水のない側溝に何かが輝いたのに気がついた。一体何がと近づいてみたら、小さなペンダントのようなものが落ちていた。鎖が残っていないところを見ると、身に付けていたものを引き千切られたのだろう。 「これも、持って帰るか……うん、ロケットになっているのか?」  汚れを取ろうとしたら、偶然前の飾りが開いてくれた。一瞬壊したのかと焦ったのだが、中から出てきた写真にそう言うことかとノブハルは納得した。そこには、優しそうな顔をした男の写真が入っていた。 「せめて、この男のところに連れて行ってやらないとな」  身分証から、彼女の住んでいる場所は割り出すことができた。事前に調べた限りでは、ここからさほど離れていないと言うのは確かだった。 「食料の買い出しをするぐらいだ、ここから近いのは当たり前と言うことか」  ふうっとノブハルが息を吐き出したところで、「終わったわよ」とアクサが声を掛けてきた。 「一応一通りの治療は済んだわ。右目の下が陥没骨折をしていたし、その影響で脳に内出血もしていた。肝臓が破裂していたし、肋骨も折れていたわ。後は、陰部が結構裂けていたわね。子宮と卵巣は、とりあえず無事だったけど……」  そこで言葉を途切れさせたアクサは、「どうする?」とノブハルに問い掛けた。 「私にできるのはそこまでなのよ。コスモクロアだったら、辛い記憶を消してあげることができたんだけどね。この子は、この先この記憶に怯えながら……違うわね、また同じ目に遭わないかと怯えながら暮らしていくことになるわ。酷いことを言っているのは分かるけど、このまま死なせてあげた方が幸せかもしれないぐらい」 「この先絶望しかなければ……いや、また同じ目に遭うのならそうなのだろうな」  普段なら、死なせたらと言う後ろ向きの言葉に対して、ノブハルはすぐに反発をしたはずだった。だが過酷な現実を目の当たりにしたことで、さすがのノブハルも綺麗事を言えなくなっていた。そして答えの代わりに、見つけたロケットをアクサへ手渡した。 「この子には、まだ守りたいものがあるって言いたいのね」 「それが、俺の勘違いの可能性もあるがな」  もしも恋人がいたとしたら、こんな物騒なところを女性一人で歩かせるだろうか。それを考えると、別の事情も透けて見えてくる。ただそれにしても、勝手な想像に過ぎないのも確かだった。  ノブハルに「そうね」と相づちを打ったアクサは、「どうする」と意識を取り戻していない女性を見た。 「治療をした以上、このままこの場に残しておく訳にはいかないだろう」  そんなことをしたら、同じ苦しみを二度味合わせるだけになる。感情をなくした声で「そうね」と答えたアクサは、「それで」とノブハルの決断を尋ねた。 「とりあえず、家に連れて帰ってやろうと思う。それからのことは、そのときに考えることにするか」 「あなたにしては、行き当たりばったりだと思うわ。でも、今はそれが一番いいのでしょうね」  分かったわとフラットな声で答えたアクサは、ノブハルから受け取った身分証で彼女の住所を確認した。 「人目もなさそうだから、このまま運んであげるわ」 「ああ、そうしてくれ」  ノブハルの答えと同時に、薄汚れた路地から3人の姿が消失したのだった。そしてこの日から、ノブハルは助けた女性の所に住み着くことになった。  フェリシアの到着が近づけば、参加者が集まらないことは切実な問題となる。その事実に切れた自治政府代表オールドクロウは、なんとかしろとスタッフ達に命じた。たかがタウンミーティングでも、不始末があれば自分の首に関わってくるのだ。その結果が自分にもトリス・クロにも好ましくないことを考えれば、無理をしてでも人を集めなければならなかった。 「では、無作為抽出を行うことにいたしましょう。年齢的には、お嬢様に似た年齢の男女を探すことにいたします」  そこまで口にしたスタッフの一人デュワーズは、「どういたしましょうね」ととても分かりにくい問い掛けをした。 「どうする、とは?」  少し顔を顰めたオールドクロウに、「参加者です」とデュワーズは答えた。 「フェリシア様が、何を質問されるのか不明です。選んだ参加者が、当たり障りのない答えを口にできるとは思えませんので」  国民のヘルコルニア、そしてそこを支配するバランタイン家に対する不満はかつて無いほど高まっている。その決壊寸前の状況のところに、バランタイン家の長女がのこのこと顔を出し、しかもお花畑のことを口にする。それでも感情を抑えられるとは、さすがのオールドクロウも考えられなかった。 「だが、自殺願望でもなければ迂闊なことは口にできないだろう」  そこでの一言が、本人だけでなく身の回りの人たちの安全に関わってくるのだ。軍がメンツを潰されたと考えたら、一族郎党どころか町全体が粛清される可能性も考えられるだろう。そしてそれを止める力は、自治政府には与えられていなかったのだ。 「確かに仰る通りなのですが……でしたら、恋人が居ることを条件にしますか。そうすることで、破滅的な行動を抑えることができるでしょう。いっその事、恋人と一緒に出席させるのが良いかもしれません」  デュワーズの答えに、それがいいとオールドクロウは頷いた。いくら腹が立って仕方がなくても、何事もなく厄介事を終わらせる必要がある。結果的に、それが一番被害を小さくすることに繋がってくるのだ。 「では、年齢と恋人の有無を条件に候補者を抽出いたします」 「抽出には、見た目が良いことも条件に入れておいてくれ。その方が、フェリシア様の印象も良くなるだろう」 「見た目が良い……ですか」  街に住む見た目の良い女性は、ほぼ例外なく性的被害を受けていたのだ。それを考えたら、タウンミーティングに地雷をばらまく事になりかねない。  ただそこまで考えたデュワーズは、その条件を外してもさほど変わらないかと考え直した。軍のならず者たちは、見た目のいい女性だけを襲っていた訳ではなかったのだ。 「誰かが後先考えずにぶちまけてくれたら……楽になれるのではと思えてきましたよ」 「気持ちが分からんとは言わんが、あいにく私には破滅願望はないのでな。最悪の中で、少しでもマシな選択をしていくしか無いだろう」  だからだとため息を吐いたオールドクロウは、手配を進めるようにデュワーズへの指示を繰り返したのだった。  ノブハル達を送り出したところで、カイトは「意外だな」とジークリンデの顔を見た。 「てっきり、ノブハルに言い寄るのかと思っていたぞ」 「姉が、トラスティ様にしたように、でしょうか?」  少しだけ首を傾げたジークリンデは、「物足りませんね」と答えた。 「それから、私はどちらかと言えば女性の方が好みなんです。どうせ王位継承に関係のない9位ですから、好き勝手に生きてもいいと思いませんか。姉のように幼い頃から刷り込みを受けていませんので、はっきり言って配偶者などどうでもいいと思っているんです」 「まあ、そう言う考えがあっても不思議ではないわなぁ」  お気楽に答えたカイトに、今度はジークリンデが「あら」と目を瞬かせた。 「まさか、そのようなお答えを聞かされるとは思ってもいませんでした」 「そうか、これでも軍時代には色々な星系に行き。しかも、口に出すには差支えの有りまくることもしているんだ。それを考えれば、あんたの考えなどさほど珍しいことじゃないんだよ」  だからだと答えたカイトに、なるほどとジークリンデは大きく頷いた。 「でしたら、この後私を女にしてくださいますか?」 「あんたを、か?」  驚きもしないで、カイトは「ないな」と答えた。 「流石に、私にも女としてのプライドがありますよ。理由をお聞かせ願えますか?」  笑みこそ浮かべているが、カイトはジークリンデから黒いものを感じていた。もっともそれにしたところで、初めての経験と言うこともなかったのだ。それにジークリンデ程度では、まだまだ生易しいと感じたぐらいだ。 「まあ、俺にも好みがあるってことだな」  そう言って笑ったカイトは、それ以上ジークリンデを相手にしなかった。その代り、インペレーターのAIサラを呼び出した。 「ヘルコルニアだったか、そこへの航路はメイプルに入力されているか?」 「すでに入力を済ませていますよ。ただ、ちょっとだけ気になることがあるんです」  そう言って顔を顰めたサラに、「気になること?」とカイトはオウム返しをした。 「はい、気になることです。メイプルさん、データーをカイトさん達に見せてください」 「はいサラさん、ヘルコルニア連合国家のデーターですね」  畏まりましたと頭を下げたメイプルは、こちらにと船のスクリーンに指定されたデーターを投影した。 「惑星上の技術レベルと、宇宙開拓のレベルが合っていない?」  目元を険しくしたカイトに、「そのとおり」とサラは答えた。 「物語でよくある、古代文明の遺物……と言うのは流石になさそうですね。だとしたら、考えられることは一つだと思います」  ジークリンデの答えに、「何者かの干渉、か?」とカイトが先に指摘した。 「はい、ヘルコルニアに、何者かが文明的な干渉を加えたと言うものです。ただ、その目的がどこにあるのかは不明ですが……そしてもう一つ不明なのは、その干渉が現在も継続して行われているのかと言うことです」 「その目的によっちゃあ、面倒なことになりそうだな」  そう言って顔を顰めたカイトに、ジークリンデは自分も同じ考えだと告げた。 「継続して干渉を続けていた場合、文明に干渉できるだけの技術を持った者が、植民惑星で行われている無法に気づかないはずがありません。だとしたら、植民惑星で行われている無法には、何らかの意味があることになりますね。とてもではありませんが、まっとうな意味があるとは思えないのですが……」  はっきりと嫌そうな顔をしたジークリンデに、確かにとカイトもその指摘を認めた。 「確かに、まっとうな意味を求めるのは難しそうだな。敢えて見逃すことで、文明の成熟を促す……と言うのは、流石に考えにくいだろう」 「仰る通りかと思います。だとしたら、悪意の存在を前提に考える必要があると思います」  ジークリンデの持ち出した「悪意」に、カイトは「悪意か」と嫌そうにその言葉を繰り返した。 「はい。単純なものとして、惑星上で繰り広げられる無法を含めて、混乱が起きるのを遠くから眺めて喜ぶと言うものがありますね。ムービーは仮想現実の世界の出来事ですが、ヘルコルニア連合国家で起きているのは、現実の世界での出来事です。それだけ予想もしない展開が起きるので、見ているものを飽きさせないことでしょう。そして展開がマンネリになった時には、自分達がかき回すことで新しい展開をもたらすことができます」  すべてが仕組まれたものと言うジークリンデに、なるほどとカイトは頷いた。 「あんたが単純と言う通り、とてもありがちな考えだな。ただありがちと言う以上、可能性としては結構高いのかもしれないな」 「はい。もしも今時点でも干渉を続けているのなら、可能性としては高くなるかと思います」  そしてとジークリンデは、別の考え方を持ち出した。 「カイト様は否定されましたが、文明の発達を促すと言うものもあります。もう少し付け加えるのなら、独自の発達が起きるように、種だけ蒔いて不干渉を選択したと言うことも考えられます。それならば、観察だけで直接の干渉は控えられることになるのかと思います。以前私達が議論をした、神の目線に立った考えと言うことになりますね」 「その可能性もあるのだろうな」  カイトの同意を受けて、「突飛な考えですが」とジークリンデは前置きをした。 「私達のような者への「罠」と言うことも考えられますね。酷い環境を残すことで、のこのこと干渉してくるものを見つけ出す。そしてその場合の目的は、干渉してきた者達の星系を探り当て……」 「侵略か?」  カイトは、ジークリンデが言葉を濁した部分に自分の考えを被せた。それをジークリンデは、「可能性の一つとして」と肯定した。 「ただ単に、仲間づくりと言う意味もあるのかと。干渉してくる者達が、必ずしも善意の存在とは限りませんからね。そして見張っている者達にしても、必ず勝てると言う保証はないかと思います」 「いずれにしても、退屈しのぎと言う側面が考えられるわけだ。だとしたら、何らかの観測装置がばらまかれている可能性があるな」 「さもなければ、自分達の手のものを潜り込ませている可能性もあります。後者でしたら、比較的文明レベルは低くなるので安心できるのですが」  嫌そうな顔をしたジークリンデに、もう一度カイトも同意を示した。 「だとしたら、まずは観測機器が置かれていないか確認する必要があるな。それが亜空間観測機器だったりしたら、結構まずいことになりかねない……か」  自分達は、ここまで亜空間を利用して移動してきている。それを観測されたら、一発で見つかってしまう可能性があったのだ。 「サイレント・ホーク2の改良型ですから、来ると分かっていないと見つからないと思いますが……」  だとしても、慎重に事を運ぶ必要がある。ジークリンデが難しい顔をしたのを見たカイトは、ザリアと己のサーヴァントを呼び出した。 「俺達を、多層空間経由でヘルコルニアまで運べるか?」 「たかが5光年程度なら、容易いと言ってやってもいいのだが……」  うむと考えたザリアは、「大丈夫だな」と多層空間の利用を認めた。 「移動先の安全を確認できた。加えて言うのなら、周囲に人工物がないのも確認することができたぞ」 「ザリアに見つけられないようなセンサーが置かれていたら、相手の文明は相当なものと言うことになるな」  そこで少し迷ったカイトだったが、惑星ヘルコルニアまで移動することを決めた。 「移動前に、今の検討をノブハルにも伝えてくれ」 「うむ、アクサにインプットしておこう」  そうすることで、比較的簡単に伝達することができる。しかも多層空間を利用すれば、情報伝達の安全性も高まってくれるだろう。そこでザリアが小さく呟いたと思ったら、「終わったぞ」と情報の伝達完了をカイトに告げた。 「だったら、俺達はヘルコルニアを探りに行くか」 「今更ですが、慎重に行動した方が良さそうですね」  これまでの乱暴な手法を考えたら、いまさら抑制的な行動をとることにどれだけの意味があるのだろうか。ただジークリンデは、これ以上の手掛かりを残すべきではないと考えたのだ。そしてその考えは、カイトも認めるものだった。 「俺達が抑制的になれば、もしも観察者が居たなら感づかれたと警戒してくるだろう」 「多層空間を利用して移動すれば、居場所を隠すことも可能なはずですからね。もちろん、観察者と言うものが存在すればの話ですけど」  冷静に考えれば、自分達の考え過ぎの可能性の方が高くなってくれる。そう言って口元を歪めたジークリンデに、確かにそうだなとカイトも口元を歪めた。 「ただ、それぐらいの緊張感が有った方が、冒険として面白くなってくれるんじゃないのか?」 「それを否定する言葉を、私も持ち合わせておりませんね」  だろうと笑ったカイトは、「ザリア」と惑星ヘルコルニア宙域への移動を命じたのだった。  冒険を譲ったからと言って、自分が無責任でいられるとは限らなかった。幸いサラとの通信経路ができていたので、トラスティはアルテルナタに監視を命じた。 「ただ過干渉は良くないからね。最悪……とまではいかなくても、手に負えなくなりそうなことが無いかを教えて欲しいんだ」 「ご主人様は、過保護でいらっしゃるのですね」  ふふと口元を押さえて笑ったアルテルナタは、すっかり印象が変わったのだとトラスティに告げた。 「それを悪いなどと言うつもりはありません。ただご主人様は、もう少し冷酷な方だと思っていました。ですが、それは外向けのポーズだったのですね」  口元を押さえて笑うアルテルナタに、トラスティは少しだけ眉毛をハの字にした。 「誤解をしていたと言うのだったら、どうして君は僕の物になるのを望んだのかな?」  被虐性欲でもあるのかと言うトラスティに、「そうかも知れませんね」とアルテルナタは真顔で答えた。 「それ以上にあったのは、ご主人様が私の好みでしたと言うことでしょうか。ノブハル様も良かったのですが、それ以上にご主人様が私の理想にぴったりでした。しかもご主人様は、私を徹底的に女にしてくださいましたよね。王族では得られない、女の喜びを与えてくださったと言っても良いのかと。しかもご主人様は、まだまだ波乱万丈の人生を送られることになります。そのお手伝いができるのは、未来視を持つシラキューサの女として、これ以上無い喜びなのです。そしてご主人様は、私にアセイラムを授けてくださいました。今の私は、とても幸せだと思っているのですよ」  だからですと。アルテルナタは、とても余計な説明を付け加えてくれた。しかもその説明は、背中が痒くなるようなものまで含まれていたのだ。勘弁してほしいとトラスティが考えるのも、普段の彼を考えれば不思議な事ではないだろう。 「それで、君の未来視に危険な兆候は見えていないのかな?」 「面白いことになりそうですが、今の所危険な兆候はありませんね」  面白いこととの下りに、トラスティは少しだけ口元を歪めた。ただその口からは、面白いことの中身を聞く質問は発せられなかった。 「どう言うことか質問されないのですね?」  それを気にしたアルテルナタに、「未来視で」と言いかけたトラスティは、そう言えばと以前された説明を思い出した。 「まだ、僕の未来を見ていないのかな?」  子供まで作ったのだから、そちらの方も追いついたのではと言うのである。その問いに、アルテルナタは首筋まで赤くして「はい」と答えた。 「そ、その、未だに慣れていませんので」  顔を赤くしてもじもじするアルテルナタに、トラスティはむらっとくるものを感じていた。アルテルナタが被虐的なところがあるとすれば、トラスティには嗜虐的なところがあるのだろう。ちらりと娘の方を見たトラスティは、顔を赤くしたままのアルテルナタへと近づいていった。 「ご主人様?」  驚いた顔をしたアルテルナタに、トラスティはそのまま覆い被さっていった。唇を重ね、右手は生足の上を滑らせ大切な部分へと侵入させたのである。 「あ、アセイラムが見ていますっ!」 「大丈夫。まだ理解できる歳じゃないよ」  ゆっくりと服を脱がせたトラスティは、そのままソファーにアルテルナタを押し倒した。そしてその光景は、幼いアセイラムの記憶に刻みつけられたのだった。  ヘルコルニアに場所を変えたカイト達は、先に見たトリス・クロとの落差に陰鬱な気持ちになっていた。遠くから観察した範囲で、明らかに住民の人種が異なっていたのだ。今は廃れた概念を持ち出すのなら、ヘルコルニアには白人が住まい、トリスクロには有色人種が住んでいたのだ。 「トリス・クロの軍人は、有色人種だと思ったのだが……」  うむと唸ったカイトに、「過去の例として」とジークリンデは答えた。 「身内による支配の方が苛烈になると言うこともあります。そこには、自分達も同じになりたくないと言う気持ちがあります。支配層は、往々にしてその感情を利用しています」 「なるほど、虐げられた立場を見ているからな……」  うむと唸ったカイトは、「まずいな」ともう一度ヘルコルニアのデーターを見た。 「あんたの方が目立つかと思ったのだが、これだと逆に俺の方が目立つことになる」  カイトの場合、見た目だけで異分子であるのが分かってしまうのだ。これでは、市民に溶け込んで観察することができなくなる。 「でしたら私が……と言いたいところですが。流石に、私の能力では無理がありますね。もう少し、社会構造を調べてみましょう」  そうすることで、何かの打開策が見つかる可能性がある。そして何か心当たりがあるのか、ジークリンデはサラを呼び出した。 「なんでしょう?」  すぐに現れたサラに、ジークリンデは「社会構造の情報を」と命じた。それだけでピンときたのか、「支配・被支配の関係はここでもありますよ」とサラは即答した。 「その場合、従者や召使いの人種はどうなっています?」 「大半が白人……って言っていいんでしょうか。白人なんですけど、一部有色人種が召使いとして使われていますね。カイト様を召使いにされると言うのは、ジークリンデ様的にも好ましいのではないでしょうか?」  余計な一言を付け加えてくれたのだが、ジークリンデはそのことを気にもとめなかった。ただカイトは、しっかりとサラの言葉に気づいていた。 「役割として、俺が従者になるのは構わないんだが……なんで、あんた的にはと言う話になるんだ?」  おかしくないかと顔を顰めたカイトに、「そうでしょうか?」とジークリンデは涼しい顔をして答えた。 「一応私は王族ですからね。その私には、どう考えても召使いなど務まりませんよ」  質問の意味を捻じ曲げて答えたジークリンデに、「そうではなくてだな」とカイトはもう一度聞き返した。 「それとも、カイト様は私をしもべにしたいのですか? 人前でなければ、ご奉仕するのも吝かではないのですよ?」  どうなさいますかとベッドルームを見たジークリンデに、「話が違っている」とカイトは文句を言った。 「そうでしょうか。私は、素直に今の気持ちをお話したつもりなのですが?」  だからですと、ジークリンデはもう一度ベッドルームを見た。やはりお姫様はやりにくいと心の中でこぼし、カイトは従者になることを承諾した。 「どうすれば、目立たないように潜入できるのか。それを大至急調べてくれ」 「畏まりました……と言うところなのですが」  少し口ごもったサラは、彼女のアバターをジークリンデの前に移動させた。 「ジークリンデ様には、少し我慢していただかないと駄目そうですね」 「我慢、ですか?」  「それは」と問うてきたジークリンデに、「見た目です」とサラは即答した。 「ジークリンデ様は洗練されすぎていますからね。したがって、普通に外を歩かれると必ず周りの目を引いてしまいます。そして連れている従者がカイト様だと、相応しくないと言う横やりが加えられます。ですから、野暮ったく、みすぼらしく見えるよう変装する必要があります。ですから、我慢と言うことになりますね」  洗練されているからと言うサラの説明は、ジークリンデのプライドをくすぐるものだった。だからジークリンデは、嬉しそうな顔をしながら「仕方がありませんね」と答えた。 「そしてカイト様も、あまりきれいな格好はよろしくないですね。まあ、大きな荷物を持って後を付いて歩けば、従者だと誰も疑わないと思いますよ」  なるほどねぇと頷いたカイトは、「治安はどうなっている?」と降りた先の情報を確認した。 「極めて良好と言うところですね。植民惑星から取り上げた物資が潤沢にありますから、生活に困らない……と言うより贅沢ができますからね。それから新しい情報ですけど、一部地域でプランテーションが行われていますね。それから少ないですけど、労働者階級を使った工場も存在するようです。そのエリアに行けば、有色人種も珍しくありませんね」 「ますます、歪な世界と言うことですか。ますます、第三者の関与が疑われますね」  小さくため息を吐いたジークリンデは、「どうすればいいのですか?」とサラに尋ねた。「野暮ったい」とか「みすぼらしく」と言う格好に心当たりがなかったのだ。艶やかさが求められる王女なのだから、分からないのが当たり前のことだった。 「そうですね、まずは髪型から始めましょうか」  どこか楽しそうに、サラは髪型サンプルからジークリンデに提示したのだった。  惑星ヘルコルニアには、幾つかの大陸が存在していた。その一番大きな大陸の東側の海沿いに、背後を外輪山で囲まれた人口およそ30万のノブクリークと言う都市がある。そのノブクリークに、ヘルコルニア連合国家政府が置かれていた。  政府施設が置かれたノブクリークは、政治的に作られた計画都市だった。そのため綺麗に碁盤目状に道路が整備され、いたるところに公園と緑地が配置されていた。そして自然の緑に紛れるように、比較的こじんまりとした低層のビル群が作られていたのである。ただその中で、唯一タワーのような建物が目立っていた。それでも、高さは400m程だろうか。宇宙に出ていることを考えれば、驚くほど低いタワーと言うことができるだろう。そしてそのタワーが、ヘルコルニア連合国家の代表が執務を行う場所となっていた。  その「シエルシエラ」と呼ばれたタワーの上層階に、連合国家代表スクラルド・バランタインの執務室が作られていた。  スクラルドは、まだ40を超えたばかりの、金髪碧眼をした見た目の良い男だった。代々代表は世襲されているため、スクラルドは30代前半で代表職に就いていた。 「フェリシアの我儘には困ったものだ」  フラットディスプレイには、彼の愛娘フェリシアの写真が映し出されていた。自分と妻の遺伝子を正しく引き継いだ娘は、とても美しく成長してくれたのだ。ただ代表は長男に継がせるため、娘にはふさわしい相手に嫁がせることを考えていた。だから政治的なことをさせようなどとは、夢にも考えたことはなかった。  だが「そろそろ結婚を考えたら」と持ち出した彼に、娘のフェリシアは「その前に」と連合国家に所属する惑星の視察を持ち出してくれた。それをたった一度の我儘と主張し、それができたらおとなしく結婚するとまで言い出したのである。「どうしても」と言う娘の熱意に負けた彼は、一度だけだと厳命してトリス・クロ視察を許すことにした。トリス・クロの治安状況は承知しているので、総督ティーチャーズには万全の措置をとるように命じておいた。 「支配者など、顔が見えない方が都合が良いのだがな」  そうすることで、住民の不満は顔の見える政府に向かうことになる。自分の身を守るためには、下々に姿を晒す必要はないと思っていたのだ。 「トリス・クロまで、あと3日か」  到着後は、5日間の公式行事が待っていたのだ。それを無事すませれば、娘は満足して帰ってきてくれるだろう。小さく息を吐いたスクラルドは、「それだけのことだ」と小さく呟いた。  スクラルドが父親の顔をしたのはそこまでで、画面を報告書に変えたのと同時にその表情は事務的なものへと変わった。 「各種生産指数が悪化してきているな。大きな影響が出ない範囲だが、手を打っておくのに越したことはないだろう」  そこで指示画面を呼び出したスクラルドは、各植民星総督に当てて引き締めの指示を出した。トリス・クロには、穀物と木材及びその派生製品の増産を。レッド・オーシャンには水産物・畜産物の増産を。ホワイト・グレンには工業製品の増産をと言う具合にである。  一通りの分析と指示を出し終えたことで、彼の仕事は一段落ついたことになる。画面を閉じようとしたスクラルドだったが、治安情報の画面を確認してから、追加の指示を出すことにした。その指示は、「牧羊犬に躾を」と言うものである。ごく少数をスケープゴートにすることで、牧羊犬の行き過ぎた行動を抑制するのと、羊達に溜まった不満を軽くするための措置だった。ただこの「躾」は、行った直後には効果が出るが、すぐに牧羊犬の統制が失われるのが特徴だった。  そこまでの指示を出した時、スクラルドの背後から女性の声が聞こえてきた。 「生かさず殺さずってところ?」  まだ幼そうな声だったが、その声を聞いた途端スクラルドの背中がピンと伸びた。そして振り返った先に現れた、金色の髪をお下げにした少女に向かってスクラルドは頭を下げた。その少女は、代表執務室には似合わない、レモンイエローのワンピース姿をしていた。 「エイリアス様。今日はどうかなされましたか?」  こちらにとソファーを勧めたのだが、「いらない」とエイリアスと呼ばれた少女は勧めを断った。 「丈の短いワンピースだから、低いソファーはだめなのよ」  取って付けたような理由を口にしたエイリアスは、「あなたの娘だけど」と訪問の理由を持ち出した。 「フェリシアがどうかいたしましたか?」  理由が分からないと言う顔をしたスクラルドに、「よく許したわね」とエイリアスはトリス・クロ行きのことを持ち出した。 「たとえ生きて帰ってこられたとしても、綺麗な体で帰ってこられる保証は無いわよ」 「ティーチャーズには、万全の警備を行うよう命じてあります」  そして締め付けもと。スクラルドは手抜かりが無いことを強調した。そんなスクラルドに、「今まで教えていなかったけど」と言って、エイリアスは看過し得ない問題を口にした。 「沢山いるあなたの子供だけど、私へのアクセス権を持っているのは、長女のあの子だけだから」  突然の、そして権力基盤にも関わる話に、「なに」と色をなした。 「そのような重要なお話、なにゆえ今まで教えてくださらなかったのです」 「聞かれなかったからと言うのは、あなたの質問への答えになるのかしら?」  そう言ってはぐらかしたエイリアスは、「知ってたらどうした?」といたずらっぽく口元を歪めた。 「当然、トリス・クロ行きを許可しておりませんっ!」  断言したスクラルドに、「だからよ」とエイリアスは笑った。 「あなたの娘、私達へのアクセス権を持つあの子に、トリス・クロに行って貰いたかったのよ」  ふふと笑ったエイリアスは、「心配はいらないわ」と軽蔑したような眼差しをスクラルドに向けた。 「もしものことがあれば、アクセス権はあなたの長男に移るから。パンダヌスだっけ、可愛い男の子は私は好きよ」  その程度のことと笑ったエイリアスに、「何が狙いです」と言ってスクラルドは椅子に座り直した。 「行方不明の仲間の手がかり……かしら?」 「トリス・クロに、その手がかりがあるのだと?」  目元を険しくしたスクラルドに、「可能性は高いわ」とエイリアスは返した。 「状況証拠を考えると、トリス・クロの可能性が一番高いもの。だからアクセス権のある、あなたの娘が行くのは都合が良かったの。そこで反応を示してくれたら、私が直接乗り込むつもりよ。それから、今更連れ戻そうとしても無駄よ。トリス・クロへの通信に、フィルターを設置しておいたから」 「どうあっても、我が娘をトリス・クロに行かせようと言うのですか」  精一杯エイリアスを睨みつけたスクラルドだったが、すぐに目をそらすこととなった。どう頑張っても、自分では彼女に歯向かうことはできなかったのだ。 「ティーチャーズが暴走しないよう、願っておくことね。あの男……違うわね、総督達は野心満々だから。あの子がアクセス権を持っていると知られたら、ティーチャーズは何を考えるのでしょうね」 「まさかそのことを……いや、あなたは彼らにアクセスする方法はありませんでしたな」  エイリアスの存在を知る者は、自分の一族以外には存在しないのだ。そして息子たちにも、まだその存在は教えられていない。それを考えれば、エイリアスが自分の存在を教えることはできないはずだ。ただ漠然と、バランタインの一族に秘密があると疑われているだけだった。 「黙って見ていろと仰るのですな?」  憮然と口にしたスクラルドに、「そうね」とエイリアスは冷たく答えた。 「あなた達の一族に与えたものを考えたら、これぐらいのことは我慢できるでしょう」  そう口にしたエイリアスは、わざとらしく「そうそう」と手を叩いてみせた。 「植民地惑星の住民がどんな気持ちを味わっているのか。為政者として、それを体験してみるのも悪くないんじゃないのかしら? すくなくともあれは、私の望んだ姿ではないんだからね。あなた達一族に好きにさせた以上、私も干渉するつもりはないわよ。ただちょっと、気分が悪いだけのことよ」  それだけと言い残して、現れたのと同じ唐突さでエイリアスはその姿を消した。 「まったく、何をしたいと言うのだ……」  デスクに両肘を着いたスクラルドは、頭を垂れて両掌を当てた。しばらくその格好で動きを止めたスクラルドだったが、何かを思いついたように手元のインターフォンのスイッチを押した。 「アルバータを呼び出せ」  秘書に命じたスクラルドは、もう一度両手を頭に当てたのだった。  ヘルコルニアの文明レベルの低さを利用し、カイトとジークリンデは首都ノブクリークに降りることにした。異文化を楽しむのならば、他の大都市を利用した方が目的に叶うのは分かっていた。ただ観察中に感じた疑問を晴らすためには、政治の中心地に行くのが確実だと考えたからである。  そしてザリアに工作を行わせ、ノブクリークにホテルを確保した。ただ目立つのはよろしくないと、ホテルとしては中級のものを選択した。そこでの選択基準は、有色人種の従者用の部屋が用意されていることだった。ちなみにジークリンデの部屋は、50平米程の狭苦しいキングサイズベッドの部屋である。一方カイトに与えられたのは、相部屋3段ベッドと言う、居住環境最悪と言うものだった。部屋の広さはジークリンデと変わらないのだが、収容人員が9と言うタコ部屋である。 「何か、とても偉くなった気持ちがします」  ホテルにチェックインを済ませたら、さっそく街を歩いて調査と言うことになる。そこでカイトに日傘を差させたジークリンデは、とても上機嫌で街の散策に出かけた。 「私は、最悪の気分ですが……」  誰に聞かれているとも分からないので、カイトはへりくだった言葉遣いをしていた。そしてそれもまた、ジークリンデの機嫌を良くしていた。 「でしたら、あなたにご褒美を挙げなくてはいけませんね。どうです、今夜にでも私の部屋に忍んできては? あなたなら、造作も無いことだと思いますよ」 「そのようなお戯れを」  少し顔をひきつらせたカイトは、「こちらです」と日傘を少し傾けて目的地を示した。もっとも、そんなことをしなくても目的地に迷うことはない。何しろ低層の建物が並ぶ中に、一つだけ高いタワーが混じっていたのだ。街の中を歩いていても、よほどのことがない限りシエルシエラを見失うことはなかったのだ。 「あれが、連合代表の執務室のある建物ですか」  近くで見上げると、低いと言ってもかなりの高さを感じさせる。右手でひさしを作るようにして見上げたジークリンデに、「見学コースがございます」とカイトが告げた。そのあたりの情報は、ザリアがサーベイした結果だった。 「確か、ヘルコルニア連合国家の歴史が展示されていると言うことでしたね」  面白いですねと笑ったジークリンデは、さっそくと言って見学ゲートへと足を向けた。そしてゲートのところでは、当然のようにカイトは従者用の控室へと誘導された。 「しばらく、好きにしていなさい」  そう言い残してゲートに入っていったジークリンデに、「ストレスが溜まる」とカイトはボソリと呟いた。ただ「やってしまえばいいのに」と囁くザリアに、「それだけは絶対にないっ!」とカイトは精一杯の抵抗をした。綺麗だが幼いし、それ以上にジークリンデは面倒に思えたのだ。今更地雷を踏むつもりなど、カイトには更々なかったと言うことだ。  使用されている技術を見ると、とても宇宙に出ているとは思えない。牽引式のエレベーターに乗り込んだジークリンデは、その遅さと感じる重力にアンバランスだと感じていた。文明レベル2のエルマーでも、エレベーターには重力制御が行われ、移動速度も格段に早くなっていたのだ。それに引き換えヘルコルニアでは、400mまで上がるのに、1分近くの時間を必要となる。しかも登っていく時にはしっかりと重力を感じるのだから、時代遅れの一品と言って差し支えがないだろう。  それを情報としてインプットしたジークリンデは、最上階にある展望室から街の風景を眺めた。そして通常使用されている移動手段を確認し、やはり文明レベルがおかしいことを確認した。宇宙に出て光の速度を超えることができるくせに、惑星内の移動に化石燃料を用いたジェットエンジンを用いていたのだ。そして足元を見れば、同じく化石燃料を用いた車が走り回っている。宇宙開拓前と言うのが、ジークリンデの分析結果だった。 「ガラスの強度も大したことはなさそうですね」  近寄って手を触れると、ひんやりとした感触が伝わってくる。その感触を味わいながら、ジークリンデはガラスの固定方法にも目を向けた。  そしてガラスから離れ、中央部に作られた街のジオラマに目を向けた。いかにも手作り感のある模型に、これもまた前近代的だと評価した。  金色の髪を無造作に束ね、そして質素な……ある意味貧乏くさいブラウスとスカート姿をしていたジークリンデだったが、それでも元の良さは隠しきれなかったようだ。彼女に目をつけた、まだ年若い男が近づいてきたのだ。  ベイカーズと名乗った男は、「街の景色に興味がありますか?」と声を掛けてきた。 「よろしければ、私がこの街をご案内いたしますよ」  にこやかな笑みを浮かべたベイカーズは、「実は」と声を潜めてジークリンデの耳元に口を寄せた。 「政府機関の建物にもご案内できます」  いかがでしょうと誘いをかけてきたベイカーズに、ジークリンデは蕩けそうな作り笑いを浮かべ「ありがとうございます」と頭を下げた。 「ですが、まだこの街に着いたばかりで疲れております。ですから、今日はこのままホテルに戻ろうかと」  お呼びでないと遠回しに口にしたジークリンデだったが、この程度で彼女に狙いをつけた男が引き下がるはずもない。「でしたら」と、ベイカーズは夕食へのお誘いを口にした。 「ホテルを教えていただければ、迎えの車を差し向けさせていただきますよ」 「大層なお心遣いをいただき、本当にありがとうございます。ですが、体調が優れませんので、今日はそのまま休むことを考えております。ベイカーズ様、もしもご縁がございましたら、またお会いできると思っております。私は、しばらくこの街に逗留するつもりでおりますのよ」  ほほほと笑ったジークリンデに、ベイカーズは更に食い下がった。 「ホテルを教えていただければ、私が送らせていただきます」 「会ったばかりの女性に、それを求めると仰るのですか?」  少し冷たい口調に、「滅相もない」とベイカーズは慌てた。 「もちろん、ご迷惑でなければと言うことです」 「迷惑とは申しませんが、母から厳しく注意をされております。家の問題もありますので、ご厚情を無下にするようで心苦しいのですが、今日はここでお別れをさせていただきたいと思います。もしもご縁がございましたら、この街のどこかでお会いできるのではないかと思っております」  縁がないからさっさと消えろ。それを繰り返したところで、ベイカーズはようやく諦めてくれたようだ。ただそれにしたところで、とりあえず言うことを聞いたと言うレベルでしか無いのだろう。その証拠に、目線がジークリンデのここかしこを細かくチェックしていた。 「それでは、私は歴史展示を見てから帰らせていただきます」 「ご説明差し上げたいと思いますが、今日のところは我慢させていただきましょう」  仰々しく腰を折って頭を下げ、ベイカーズはジークリンデから離れていった。それを優雅な様で見送ったジークリンデは、ゆっくりとエレベーターホールへと歩いていった。さっさとこの場を離れたいのだが、それは淑女としてのマナーから外れたものだったのだ。  そしてエレベーターに乗り込んだジークリンデは、自分ひとりだと確認をして「見た目だけのつまらない男」とベイカーズのことをこき下ろした。そしてその言葉がカーゴの中で消えたところで、「だからデーターは消しておいたぞ」と言うザリアの声が聞こえてきた。 「あの男の携帯機は、今頃謎の故障をしておることだろう」 「お気遣いいただきありがとうごさいます」  カーゴ内にカメラがあるので、ジークリンデは言葉だけでザリアにお礼を言った。ただ自分が守られていると言う思いに、心が少し暖かくなった気がしてきた。 「本当につまらない男」  誰と比較をしたのか分からない言葉を口にしたところで、エレベーターは目的のフロアに到着した。展望室とは違い、低層階に設けられた歴史展示場に到着したのである。ここで歴史の移り変わりを確認すれば、疑問への答えが見つかるのではと考えたのである。  それからゆっくりと2時間を掛け、ジークリンデはヘルコルニアの歴史を精査した。そして帰りの道で、さっそくカイトを自分の部屋に誘った。目的は男女の関係ではなく、問題としていた科学技術の整合性について情報を共有するためである。  そして夕食をホテルのルームサービスで済ませたところで、ジークリンデはカイトのサーヴァント、ザリアを呼んだ。すぐさま現れたザリアは、たっぷりとしたセーターに、こげ茶色のミニスカートと言う出で立ちそしていた。もちろん生足など晒すはずがなく、黒のストッキングと言う重装備になっていた。  ただ格好を突っ込んでは負けだと、ジークリンデはカイトを招待して欲しいとザリアに頼んだ。空間移動を使えば、誰の目にも触れることなく部屋間の移動が可能だったのだ。 「うむ、それは良いのだが……ぬしは、シャワーを浴びなくても良いのか?」 「シャワーならば、帰ってから一度浴びていますよ。それがなにか?」  ただ情報共有をするだけなのに、どうしてシャワーと言う話になってくれるのか。本気で分からないと首を傾げたジークリンデに、なるほど子供なのだとザリアは彼女の背伸びを理解した。ただそれを触れても仕方がないので、「しばし待て」と言って姿を消した。  そして姿を消した10分後、「良いか?」と言って再びザリアが現れた。ちなみにその時のジークリンデは、刺繍の入ったブラウスに、濃いグリーンをした少し長めのスカートを穿いていた。スカート丈が長いので、ストッキングではなく白のソックスを合わせていた。 「ええ、よろしくお願いします」  ジークリンデの答えから少し遅れて、部屋の中に新しい影が現れた。自分とは違う匂いに、ジークリンデは少し胸が弾んだ気がした。  もっともカイトの方は、彼女を1ミリたりとも意識などしていない。「待たせたな」と口にして、ミニデスクから椅子を引っ張ってきた。 「情報の共有と聞いたが?」  小さく頷いたジークリンデは、歴史展示から得られた情報を口にした。 「歴史から見たヘルコルニアは、1千ヤー前のアスに似ているかと思います。今から200ヤーほど前のことですが、それまでは動力機関は内燃式の大型のものしか存在していませんでした。海に船を浮かべ、内燃機関を動力に外輪形式の伝達方式で海を進んでいたのです。そして地上の交通は、人力もしくは家畜に頼っていました。ただ地上の移動という意味で言えば、今もさほど進歩したとは思えません。何しろ小型化はされましたが、未だに化石燃料を用いた内燃機関が主流ですからね。その意味で言うのなら、1千ヤー前のアスよりも遅れていることになります。ここまでが、報告の第一ステップと言うことになります」  よろしいですかと尋ねられ、カイトは小さく頷いた。 「そして最初のイベントは、200ヤー前にオールド・バランタインと言う者が現れたことから発生します。オールド・バランタインは、歴史に登場するやいなや、たちまちのうちにヘルコルニアの中で成り上がっていっています。そしてヘルコルニアに、画期的な通信手段をもたらしているのです。もっとも画期的と言っても、ただの無線電話技術でしかありません。しかも大きさとしては、人が運ぶのに精一杯と言う大きさでした。今もヘルコルニア連合国家を支配する、バランタインの一族が突如歴史の舞台に現れたことをご承知おきください」  それが2番めと口にしたジークリンデは、「その50ヤー後です」と次の節目を持ち出した。 「ジョニー・バランタインと言う男が、自動計算機の技術と、ロケット技術を開発しました。地上交通では、未だ効率の悪い内燃機関と人馬が主流だったのにです。それなのに、ジョニー・バランタインの作ったロケットは、ヘルコルニアの衛星にたどり着きました。そしてその10年後に、マルセリアと呼ばれる惑星にも到達したのです。それなのに、地上では人馬を用いた交通が重要な移動手段として残っていたんです」 「つまり、200ヤー前に、技術レベルの不連続が起きたと言うことか」  うむと考えたカイトに、ジークリンデはゆっくりと頷いた。 「そして今から100ヤー前に、連合国家はワープ技術を獲得します。そしてワープ技術獲得から1年後に、最初の強制移民をマルセリアに送り込みました。10隻の船団が作られ、およそ10万人がマルセリアに入植しています。そしてその5年後に、トリス・クロに向けて強制移民が行われました。こちらは100隻の船団に、1000万人と言う規模の移民が送り込まれました。その翌年には、レッド・オーシャンに、そしてさらに2年後には、ホワイト・グレンに移民船が送り込まれています。ちなみにヘルコルニアで使用されているワープは、空間ゲートを用いる方式です。ですから、移民船は通常動力で宇宙空間を移動しています。ちなみに強制移民は、その後も継続して行われています」 「それから100ヤー経過しても、ヘルコルニアでは内燃機関が動力の主流と言うことか。発電に核エネルギーこそ使われているが、用途は限定的な物になっているな。確かに、技術レベルが違いすぎる」  そこで少し考えたカイトは、「100ヤー前と言ったな」とジークリンデに確認をした。 「はい、確かに100ヤー前と申し上げました」  それがと首を傾げたジークリンデに、「おかしいな」とカイトは小さく呟いた。 「おかしいと言うのは?」  そもそもヘルコルニアの発展のしかた自体が、おかしいとしか言いようがなかったのだ。だから改めておかしいと言われても、ジークリンデにはピンとこなかった。  そんなジークリンデに、「100ヤー前だ」とカイトは繰り返した。 「200ヤー前にオールド・バランタインが歴史に登場し、そこからヘルコルニアは大きく変化をしたのだろう。そしてその50ヤー後に、ジョニー・バランタインと言う男が現れ、ロケットなんてものをいきなり持ち出したんだ。そしてその50ヤー後に、今度はワープゲートなんてものを作り、強制移民なんてことをしているんだ。そこまでの100ヤーと、それからの100ヤーに大きな違いがあると思わないか? 技術的に重要な変化は、全て100ヤー前で完了しているんだよ」  カイトの指摘に、ジークリンデは「あっ」と言って口元に手を当てた。指摘されてみて分かったのだが、直近の100ヤーには大きな技術的ブレークスルーは起きていなかったのだ。 「確かに、仰る通りかと思います。でしたら、そこから新たな仮説を導き出す必要がありますね」  うんうんと頷いたジークリンデは、「例えば」と技術を与えた者のことを持ち出した。 「ヘルコルニアに技術を与えた者のレベルが、そこまでだったと言うのが考えられますね」 「それが、一つの仮説であるのは間違いないだろうな。そしてもう一つあげるのなら、ヘルコルニアの技術レベルが、次の段階に移るには不足していると言うものもある」  どうだと顔を見られたジークリンデは、小さく頷いて同意を示した。 「目的のためには、この程度で十分と考えたからと言うのもあるのかと。ただ、他の証拠と突き合わせると、達した技術レベルによる制限と言うのが可能性が高いかと思います」  それはと、ジークリンデはその理由を説明した。 「ヘルコルニア近傍に作られたワープゲートですが、通常は通信用のマイクロゲート以外は閉ざされているんです。ゲートが開かれるのは、船を通す短い時間だけになっています。安全を考えればおかしな措置ではないのですが、それにしても使用頻度が低すぎると思います。そしてその理由として、使用しているエネルギー機関の能力があるのではと考えました。使わないからゲートを開かないのではなく、ゲートを開くことができるタイミングに合わせて船を運行させているのではと考えました」 「その程度のエネルギー機関しか提供できないと言う訳か。だから、提供側の技術レベルがその程度だと考えたと言うことだな。うん、確かに仮説としてはあり得るだろう」  微妙な論評に、「何か?」とジークリンデはカイトに確認をした。 「その技術を与えた奴らが、どうやってここまで来たのかを疑問に感じたんだ。そしてここに来た奴らの資質だったか、それを考えてみたんだよ」  カイトの指摘に、それがどう言う意味を持つのかジークリンデは考えた。ただなかなか考えがまとまらないので、ヒントを求めるようにカイトの顔を見た。 「ちなみに言っておくが、俺はメイプル号で使われている技術を説明できないぞ」 「つまり、ここに来ているのが技術者かどうかと言うことを仰られているのですね」  なるほどと、ジークリンデはカイトの指摘に頷いた。もしもヘルコルニアにたどり着いたのが、ただの旅行者だったらどうなるのか。その場合、船に使われている高度な技術を噛み砕いて展開することができるだろうか。冷静に考えてみれば、できないと言う答えにたどり着くことになる。 「その者の所属する世界の技術レベルと、本人の持っている技術レベルは同一ではないと言うことですね」 「仮説としてなら、その方が説得力があるだろう。まあ、ノブハルのような、例外も存在するがな」  ノブハルの場合、所属する星系の技術レベルを超えていたのだ。ただ彼の場合は、例外中の例外に違いなかった。  それを理解したジークリンデは、次に自分が何をすべきかを考えた。漠然として抱いていた疑問には、それなりの説明がついたと思えたのだ。だとしたら、オールド・バランタインが、どうやって先進の技術を得たのかを探ればいい。 「オールド・バランタインが、その旅行者だと言う仮説は成立しますか?」 「発生した技術の変革が、200ヤー前だけなら可能性はあるだろうな」  カイトの答えに、「そうですか」とジークリンデはもう一度考えた。 「その50ヤー後なら、まだオールド・バランタインが存命と言うことは考えられますね。ですが100ヤー後ともなると、流石に生きているとは考えにくいですね。ただ教育という形で、子供に技術を伝えることは可能かと思います」  そこまで考えたところで、「あっ」とジークリンデはなにかに気づいたように声を上げた。 「でしたら、バランタイン一族を洗えばいいんですね」 「指導者ともなれば、いろいろな資料が残っているだろう」  満足気にうなずくところは、よくできましたと言う感情からだろうか。そしてジークリンデは、親に褒められた子供のように、嬉しそうな笑顔をカイトに向けてきた。 「でしたら、明日は図書館? と言うところに行ってみます」 「ライブラリーなら、指導者についての記録があるだろうな」  これで明日の行動予定も決まったことになる。もういいなと立ち上がったカイトに、いきなりジークリンデが後ろから抱きついてきた。しばらく忘れていた柔らかさを背中に感じ、ちょっとだけカイトの男が反応してしまった。 「お姫様がするには、少しばかりはしたないんじゃないのか?」  冷静さを装ったカイトに、「ご指導いただきたいのです」とジークリンデは甘えた声を出した。 「俺に、指導できるようなことはないと思うんだがなぁ」  少しずつ追い詰められるものを感じながら、カイトは何も気づいていないと言う態度を守った。ただそれは、今更無駄な努力でしかなかったようだ。先程まで子供っぽく喜んでいたはずのジークリンデが、急に艶っぽい声を出すようになったのだ。 「でしたら、教えていただきたいと言い換えます。カイト様、私に男を教えていただけませんか?」  それを胸をカイトの背中に押し付け、両手で腹筋や胸筋を弄りながら言ってくれるのだ。今更教えることがあるのかと訝ったカイトに、「初めてなんです」とジークリンデは囁いた。そう言いながら、右手は膨らみだした股間を弄ってくれるのだ。「恥をかかせないでください」と言われ、まあいいかとカイトは観念した。 「じゃ、初歩の初歩からだな」  振り返ったカイトは、ゆっくりと唇を重ねるところから始めた。 「エヴァンジェリンよりは丈夫だろう」  それが間違いの元となったのは、今更のことだった。  「しまった、やりすぎた」と言うのが、翌朝目覚めた時のカイトの後悔だった。エヴァンジェリンを基準に優しくしたつもりだったのだが、それでも手加減を間違えてしまったのだ。その辺り、エヴァンジェリンが肉体強化を受けていたのを忘れたつけとも言える。そして付け加えるのなら、ジークリンデはピカピカの処女だったのも条件が悪かった。少しずつ慣れてきたのをいいことに、慎み深さの代名詞である王女様に、これでもかと言うほどの痴態を演じさせてしまったのだ。 「だけど、親父の気持ちが少しだけ分かった気がするな」  ジークリンデを抱き寄せながら、カイトはアーコとライスフィールのことを思い出した。慎み深い王女様が、次第に淫らに乱れていくのを見せられたのだ。なかなか得難い経験だと、カイトは鬼畜なことを考えたのである。  そこで時間を確認したカイトは、もう一戦行けるなと心の中でほくそ笑んでいた。「主よ」とザリアが現れたのは、カイトがジークリンデを起こそうとした時のことだった。 「あまり父親の真似をするものではないぞ。それに、相手はクリスティア連合国家の王女様なのだ。流石に、このままやり捨てと言う訳にはいかぬのだぞ」  困ったものだと頭を押さえたザリアは、「おかしな男が彷徨いているぞ」とカイトに警告をした。 「昨日のことだが、展望室でこの女に言い寄った男がおったのだ。確かベイカーズと言ったか、執念深くこの女を探し回っているようだ。そろそろ、このホテルにたどり着きそうな勢いだな」 「予定外のトラブルと言うことか……」  そこでカイトは、安らかな寝顔を見せるジークリンデを見た。いろいろと生意気な態度を見せるジークリンデなのだが、寝顔は年相応でとても可愛らしいものだった。 「まあ、正真正銘の王女様だからな。ちょっとやそっとじゃ、気品は隠しきれないだろう」  それは分かっていたが、それならそれで面倒だと思えてしまう。可能な限り現地人とのトラブルを避けることを考えると、ある意味最大級の厄介事でも有った。 「ザリア、お前は記憶操作はできたか?」  それをすれば、ジークリンデのことを忘れさせることができる。それを当てにした質問に、「物理的な方法なら」とザリアは返した。 「物理的方法って、どんなだ?」  具体的に思い当たらないこともあり、その方法をカイトは確認した。 「うむ、頭部に衝撃を与えてやるのだ。うまく手加減すれば、記憶喪失程度で済ませることができるだろう」  予想外の、そして論外の方法に、カイトはすかさず「却下だ」と答えた。 「そうか、なかなか良い方法だと思ったのだがな。もっとも、今日一日乗り切れば、場所を変えるのも難しくないであろう。と言うことで、メイプルに特性ランチボックスなるものを作って貰ったぞ。バランタインなるものの調査は、われがやっておこう。その間、ぬしは王女様相手に鬼畜な真似をしておれば良い」 「鬼畜な真似って……なんか嫌だな」  もう少しオブラートに包んでと文句を言ったカイトに、「事実だ」とザリアは突き放した。 「ぬしは初めてで、しかも体力もない王女に、ナニをしたのだ? しかも、明け方まで責め続けるとは、まさに鬼畜の所業と言えるだろう。お前の父親でも、そこまでの真似をしてはおらんのだぞ」 「まあ、少し悪乗りをしたのは認めるが……な、なんか、背徳的な感じがして、その、燃えたと言うのか」  自分のせいじゃないと言い返したカイトに、「おかしな癖をつけよって」とザリアはため息を吐いた。 「エヴァンジェリンなのか、それともリースリットなのか。文句を言ってやらんといかんな」  全くと怒りながら、「部屋から出るなよ」と命令をしてザリアは姿を消した。最初の話の通り、バランタイン一族のことを調べに行ったのだろう。 「なんか、最近口うるさくなったな……」  年かと小さく呟いたカイトは、早速「鬼畜」の続きをすることにした。具体的には、気持ちよさそうに寝ているジークリンデを起こすことから始めたのである。 「やっぱり、背徳的な感じがしてくるな……」  シーツをめくれば、まだ成長途中の裸体を見ることができる。これまでカイトが相手にしてきたのは、成熟した大人の女性ばかりだった。それなのに、未成熟なジークリンデの裸体に、カイトは自分が興奮しているのに気がついた。 「なんか、とても新鮮だな」  いただきます。そう口にしてから、カイトはジークリンデを起こしに掛かったのだった。  そしてその夜、調査から帰ってきたザリアは、本気で呆れたような声を出した。ナニがと言うと、帰ってきた時には二人が未だ真っ最中だったのだ。 「本気で、一日やりまくっているとは思わなかったぞ」 「鬼畜な真似をしろと言ったのはお袋だろう!」  それに従ったまでだと言い返したカイトに、「物には限度がある」とザリアは言い返した。 「普段は責任を持ち出さんのだが、いくらなんでもこれは限度を超えておるぞ。流石にここまでした以上、ちゃんと責任をとってやれ」  ザリアの視線の先では、しどけない姿で意識を失ったジークリンデが居た。カイトがやめたことで、ようやく気を失うことができたのだろう。白い肌はところどころ赤く引っ掻いたようになっているし、時おり体がビクビクと痙攣していた。 「確かにヤレと言ったが、流石にこれはやりすぎだ」  全くと文句を言いながら、ザリアは手のひらの上に光を出した。そしてそれを、ゆっくりとジークリンデの胸の上に置いた。その光が胸の中に吸い込まれて消えたところで、荒かった呼吸も落ち着き、細かな痙攣も止まってくれた。 「それで、報告はどうなった?」  調査の結果を訪ねたカイトに、「少し待っておれっ!」とザリアは声を荒げた。それからもう一度手のひらに光を集め、今度は細かな粒に変えて部屋の中へと振りまいた。お陰で男女の濃密な匂いが、綺麗さっぱり消臭された。  それからジークリンデを抱き上げたのだが、ベッドの上を見てもう一度ザリアは顔を顰めた。部屋の中が臭いぐらいなのだから、その元凶となるベッドが無事で済むはずがない。どちらのものかわからない体液に、少しばかりの血痕でシーツが汚れていた。 「処女の王女相手に……」  はあっと大きく息を吐き出したザリアは、ぐったりとしたジークリンデを側のソファーにおろした。そして先程より大きな光を集め、ベッド全体に振りまいた。そこまでしたことで、とりあえずシーツは新品同様の白さを取り戻した。だが念の為と、ザリアは顔を近づけシーツの匂いを嗅いだ。 「まだ、駄目なのかっ!」  はあっと先程より大きくため息を吐いたザリアは、もう一度手のひらに光を集めた。先程より大きな光を集めたザリアは、それを押し込むようにベッドにねじ込んだ。 「これでも駄目なら、ベッドごと作り変えるしか無いぞ」  どれどれと鼻を近づけたら、とりあえず問題の匂いはしなくなっていた。そこで安堵の息を吐き出し、ザリアはソファーからジークリンデを抱き上げた。  そしてそのままシャワールームへと入っていったのだが、「ここもかっ!」とザリアは悲鳴のような声を上げた。  それから小一時間格闘して、ザリアはジークリンデの後始末を終わらせた。最後に夜着を着せてベッドに押し込んだところで、デバイスのくせに「疲れた」とため息を吐いてくれた。ただシャワーを浴びさせたのに、ジークリンデは一度も目を覚ましていない。「本当に生きているのか」とザリアですら不安を感じたほどだった。  ようやく一息ついたところで、ザリアは「報告の前に」と怖い顔をしてカイトを睨みつけた。 「母親として、ぬしに説教をせねばならん」  そこに座れと、ザリアはベッドの横の床を指さした。ここで逆らっても勝てないと言う思いと、怒ったザリアが怖くてカイトは言われたとおりに床に正座をした。 「ぬしは、女の体をなんだと思っておるのだ。しかもあの女……ジークリンデは、大切に育てられてきた王女様なのだぞ。その初めてを、このような真似をしよって……ぬしの父親でも、ここまで外道な真似はしておらんぞ。物事には限度があるし、その限度は人によって違っておるのは確かだ。だがな、戦士のぬしと王女様を同じと思うでない! まったく、どんな教育をすればこのような鬼畜になってくれるのだっ!」  それからガミガミと、ザリアの小言は1時間ほど続いた。流石にデバイスでも疲れたのか、終わった時にははあはあと大きく息をしていた。 「まだまだ叱り足りん気もするのだが……」  そこでベッドの方を見て、ザリアは深すぎるため息を吐いた。ここまで騒いだのに、目を覚ます様子が見られなかったのだ。 「バランタイン家だが、オールド・バランタインの先祖を辿ることができた。従って、オールド・バランタインは外の世界から来た者では無いことになる。そして調べた範囲で言えば、オールド・バランタインは、物理学や工学を学んでおらん。考古学に傾倒し、遺跡と呼ばれるものの調査を生業にしておったようだ」 「つまり、古代文明とかを発掘したと言うことか?」  正座をしたまま、カイトはありがちな答えを口にした。 「可能性は否定できんがな。ただ、それが古代文明と言うのは疑問がある。その理由として、ヘルコルニアに古代文明が有ったという伝承が無いのだ。もしもオールド・バランタインが古代文明を見つけたのなら、他の場所でも発掘調査を行っておるだろう。だが、ある日を境にオールド・バランタインは、考古学から足を洗っておる。従って、直近の発掘調査に、謎を解く鍵があることになる」 「その場所は特定できているのか?」  当たり前の疑問に、「まだだ」とザリアは答えた。 「当たり前だが、記録に空白の部分が見つかっておる。だからこそ、そこで調査された場所が疑わしくなるのだ。オールド・バランタインが成り上がった理由だと考えれば、記録に残すような真似はしておらんだろう」 「つまり、手掛かりは無いと言うことか?」  少し悔しそうにしたカイトに、「いや」とザリアは否定した。 「新しい嫁が調べたところ、その時代の移動方法はかなり原始的なものとなっておる。何しろ動力による移動方法は、原始的な外輪船しか無いのだから。だとしたら、オールド・バランタインの移動範囲も絞り込めるのだ。だから、明日は場所を変えて調べてみることにする」 「俺達はどうしていればいい?」  ザリアが調査に出るとなると、カイトにできることは限りなく少なくなる。それを意識した質問に、いつもどおり「女を」と言いかけた自分にザリアは気がついた。そして慌てて首を振ると、「嫁次第だ」と答えた。 「少なくとも、しばらくするのは控えろ。さもないと、本気で嫁の体が壊れてしまうぞ」  今更手遅れと言う気もしないでもないが、首を横に振ったザリアは、「大人しくしていろ!」と命令した。 「メイプルのランチボックスを届けてやるから……いや、ここを引き払ってメイプル号に行くのも一つの手か」  うむと考えたザリアは、「そうするか」と空間接続を発動した。その瞬間、ベッドに寝ていたジークリンデの姿が消失した。 「ぬしは、明日の朝ホテルをチェックアウトするのだぞ。それを済ませたら……今から、レイト・チェックアウトしておけばいいか」  うんと考え直したザリアは、「任せたぞ」とカイトを従者部屋へと飛ばした。そして自分は、残された荷物を整理することにした。 「一体全体、何度したと言うのだ?」  だから体力お化けはと嘆きながら、ザリアはゴミ箱の中まで確認していった。そしてクローゼットからジークリンデの衣装を取り出し、持ってきたスーツケースへと詰め込んだ。 「どうしてわれが、こんなことをしなくてはならんのだ」  最高評議会議長にして、IotUの妻として君臨した自分なのだ。身の回りのことなど、それこそ皿を並べるぐらいしかしたことがなかった。それなのに、こんな見知らぬ世界に来て、嫁とは言え他人の荷物をパッキングしているのだ。何をとザリアが疑問を感じるのも、ある意味無理のないことだった。  翌日調査を終えてメイプル号に戻ったザリアは、ぐったりとしたカイトと、安らかに眠るジークリンデを目撃することとなった。まさか攻守交代かと驚いたのだが、「メイプルに搾り取られた」との言葉に、「ああ」と事情を理解することができた。何しろ相手は、可愛い顔をしていても人型の機動兵器なのだ。こと体力において、生身の人が敵うはずがない。 「それで、嫁はどうしていたのだ?」  まさか一日寝ていたのか。それを尋ねたザリアに、「分からん」とだけカイトは答えた。その答えに、なるほど搾り取られたのだとザリアは理解していた。それでも恐ろしいのは、機動兵器を相手にして正気を保てることだろう。さすがはIotU直系だと、おかしなところでザリアは感心していた。何しろ父親は父親で、デバイスを失神させる猛者だったのだ。 「見たところ異常はなさそうだな。まあ、ぬしにはいい薬になったのであろうな」  二三度頷いたザリアは、「調査だが」と本来の目的を口にした。 「正直、なかなかうまく行っておらん。理由としては、対象地域が広すぎると言うのがある。そして200ヤー前ともなると、役に立つ証言が残っておらんのだ。足で稼ぐのは、流石に無理があるだろう」 「だとしたら、力技に頼るしか無いってことか?」  そこでカイトが思い浮かべたのは、運んできたアルテッツァのプローブだった。それで地上をセンシングすることで、異物を見つけ出そうと言うのである。 「プローブをばらまくか……相手のレベルによっては、見つけてくれと言うようなものだな。だが手がかりが見つからぬ以上、他に選択肢は残っておらんと言うことか」  「んー」と考えたザリアは、サラとインペレーターのAIを呼び出した。 「はいコ……この3人なら、コハク様でも問題ありませんね。それで、どうかなさいましたか?」 「うむ、ちょっと宝探しをしようと思ってな。ヘルコルニアをセンシングして、そのデーターから隠された宇宙船を見つけ出すつもりだ」  その説明に頷いたサラは、「こんなデーターがありますよ」と色分けされた画像を表示した。 「これは?」 「ヘルコルニアの資源開発局が作成した、惑星上の資源マップですね。無邪気に作成されていたら、宇宙船が引っかかっているんじゃありませんか? ただ分解能が100mしかありませんから、小さな船だと見つからない可能性もあります。と言うことで、一応プローブもばらまいておきました。こちらだと分解能が1mですから、大抵の宝物は見つかると思いますよ」  サラの説明に頷いたザリアは、「して、必要な時間は?」と尋ねた。 「センシングだけなら、1週間と言うところですね。分析は並行して行えますから、プラス1時間が目安になります」 「さすがはサラだな。アルテッツァとは比べ物にならない手際だ」  うんうんと頷いたザリアは、「そう言うことだ」とカイトの顔を見た。 「それで、その間は何をしている?」  カイトの問いに、「それだが」とザリアは口元を歪めた。 「何もしないのは退屈だからな。ならば、連合代表とやらを調べてみることにする。ところで、ノブハルからは、なにか連絡は来ておらんのか?」 「ああ、あいつか?」  そこでカイトは、もう一度サラを呼び出した。「ノブハル様ですか?」と言って現れたサラは、「黒髪美人と同棲中です」と前後関係を省略した答えを口にした。 「早速、女を捕まえたか。うむ、父親の血が顔を出してきたと言うことだな」  なるほどなるほどと頷いたザリアに、サラは「否定しませんけど」と口元を歪めた。 「一応はトラブル絡みなのですけどね。以前、トリス・クロでは、軍による犯罪が横行していると報告しましたよね。ノブハル様が同棲されている相手は、その被害者の女性なんです。かなり酷い状況だったので、アスカさんが手当をしたみたいですよ。それから同棲を始めたみたいですが、当たり前ですけど肉体関係は結ばれていませんね。助けられた女性は、ノブハル様を依存の対象としているようです」 「あちらはあちらで、面倒なことになっていると言うことか」  ふうっと息を吐き出したザリアは、「歪んだ世界だな」と正直な感想を口にした。 「初めての経験として、ノブハルにはなかなかハードな物となったわけだ」 一見同情的に思えるカイトのコメントだったが、「まあいいか」の一言ですべてがぶち壊しになった。そして思いつきだがと口にしたカイトは、別の究明方法を提案した。 「都市伝説的なものを調べてみたらどうかと思うんだ。人の口には戸が立てられないと言うだろう。だったら、それらしいものが噂として語り継がれている可能性もあるだろう」  どうだと問われたザリアは、小さく頷いてから「99%はガセだな」と答えた。 「ただ、あてもなく探すのよりはよほどマシとも言えるな」  そこでメイプルに声を掛けたのは、地上の通信ならば把握していると言う事情からである。 「政府のシステムも調べますか? 今なら、完全に覗き放題なんですけど」 「その辺り、見つからない範囲でと言うことだな。ここの奴らに見つかることはないと思うが……まあ、見つからないだろう」  許すと答えたザリアは、「トラスティはどうしておる」とサラに尋ねた。 「どうしている……と言われると、暇にしているとしか答えようがないのかと。なにしろ、しているのは愛人回りがほとんどですからね。まあ、皇帝様とか王様とか、皇族をする予定も入っていますけど。ちなみに今は、モンベルトで王様なんかをしていますね。そのあたり、冒険ごっこにかまけていた付けと言うところですか」  冒険ごっこと決めつけたサラに、カイトは少し顔をひきつらせた。何しろカイトは、その「冒険ごっこ」全てに参加していたのだ。「遊んでいる」と決めつけられたような気がしてしまった。  ただそれに触れると、自分が傷つくのは間違いないだろう。だから「自業自得だな」と、トラスティの苦労を他人事としたのだった。  その3日後目を覚ましたジークリンデは、「記憶に欠落があるんです」とカイトの顔を見た。 「その、カイト様に男を教えてくださいとお願いをしたことは覚えているんです。そして初めてがとても恥ずかしくて痛かったことも覚えているんですけど……そこから先が、どうも記憶が定かで無いのです。加えて言うと、メイプル号に帰ってきた記憶が無いんです。体の節々が痛いのですけど、その理由も分かりませんし……その恥ずかしいのですが、うまく歩けないと言うのか、ヒリヒリとする痛みも感じていますし……それに、どうも喉の調子もよくありません。その、私はどうしたのでしょうか?」  ジークリンデにしてみれば、記憶の欠落と言うのは重大なことに違いない。ただそれを聞かされたカイトにしてみれば、正直に答えていいか分からない……と言うより、正直に答えるのは差し支えがありすぎると思っていた。聞かされたすべての症状に、心当たりが有ったと言うことだ。 「まあ、初めての時にありがちなこと……らしいな」  そう言ってごまかしたカイトに、「そうなのですか?」とジークリンデはじっとその目を見つめてきた。 「さ、さすがに、男には分からないことだしな」 「これは、女性特有の症状と言うことなのですか」  体の構造が違えば、受ける影響も違ってきて当然のことだった。ごまかしまくったカイトの答えなのだが、不思議なことにジークリンデは素直にその言葉を信用した。 「ところで、どうしてメイプル号に戻っているのですか?」  あの話題から離れてくれたことに安堵し、「トラブル対策だ」とカイトは口にした。 「シエルシエラだったか、そこで言い寄ってきた男がいただろう。そいつがホテル近くを彷徨いていたので、トラブルを避けるためにメイプル号に移動をしたんだ」 「最初からいけ好かないと思っていましたが、思ったとおりの男だったと言うことですか」  本気で嫌そうにしたジークリンデは、「守ってくださいますか?」と真剣にカイトに問いかけた。 「ああ、俺が守ってやるよ」  だから安心しろと答えたら、「嬉しい」と言ってジークリンデが身を寄せてきた。意外に初な反応にムラっと来たのだが、流石に問題かと自重することにした。視界の端で、メイプルが口元を歪めたのも気になったのだ。今回得た経験は、意外に年若い王女様もいいものだと言うことだった。  とりあえず華奢な体を抱きとめたカイトは、「ここまでの状況だ」とジークリンデが知らない部分を説明することにした。 「ザリアに命じて、ライブラリーでオールド・バランタインの足跡を探らせたんだが、残念なことに最後の遺跡の場所は判明していない。結構ばらばらな地区を探査していたってのが大きいんだが、対象エリアが広すぎるのが問題になっている。だから今は、力技で宇宙船を探す方向に舵を切ったところだ。具体的に言うと、アルテッツァのプローブを使って、地上の探査を行っている。あと4、5日もすれば、結果が出るだろう。もう一つはおまけのようなものだが、都市伝説的なものも探っている」 「人の口に戸は立てられぬと言うのを利用するのですね」  全く同じことを口にしたジークリンデに、「考えることは一緒か」とカイトは感心をした。 「ただ、これと言った決め手がないのは確かだな。宇宙船を偽装する技術があれば、上からじゃあ見つからなくできるしな。そうしないと、この星の到達レベルでも下手をすれば資源探索に引っかかってしまう可能性があるからな」  カイトの説明に、ジークリンデは小さく頷いた。そしてぬくもりを確かめるようにしっかりと抱きついてから、「少し疑問に感じました」と胸元辺りで声を出してくれた。 「疑問?」 「はい。調べていて、気になったことを思い出しました」  相変わらず胸元から聞こえてくる声に、くすぐったいなとカイトは感じていた。ただいろいろとした手前、引き剥がすことは絶対にできないと諦めてもいた。  「それは?」と言うカイトの問いに、「首都のことです」とジークリンデは切り出した。 「今の首都が、計画都市と言うのはご存知かと思います。古い首都……と言っても、オールド・バランタインの時代では、ヘルコルニアは幾つもの国家に別れていました。それをオールド・バランタインの時代に統一したのですが、その時に首都に選ばれたのが今のノブクリークなのです」  そこまで話をしてから、ジークリンデは顔を胸に押し付けるようにしながら姿勢を直した。 「すみません。こうしていると、なぜか落ち着きますので……」  言い訳をしてから、ジークリンデは「メイプルさん」と船のAIを呼んだ。 「はい。ジークリンデ様」 「ノブクリーク近辺の地形の分かる地図を出してくれますか?」  その依頼に答え、メイプルは立体地図を投影した。 「ちなみに、オールド・バランタインの拠点は、ノブクリークから7000kmほど離れたところにありました。そしてノブクリークのある地域は、過去に飛来した隕石の被害で、荒れ果てた土地になっていたそうです」 「過去の隕石?」  重要なキーワードに反応したカイトに、ジークリンデは小さく頷いた。 「はい。記録では500ヤーほど前と言う事になっています。海側から激突した隕石のせいで、平地がめくれ上がって外輪山を形作りました。今の技術なら問題になりませんが、当時のノブクリークは海側からしかアクセスのできない陸の孤島となっていたんです。自分の活動拠点からも遠く、しかもアクセスが困難な場所なのです。なぜこのような場所を、新しい首都として選んだのか。そのことに疑問を感じてしまいました」  その説明に頷いたカイトは、「ザリア」と己のサーヴァントを呼び戻した。どんなに遠く離れていても、ザリアの能力ならばまたたく間に移動することが可能だった。 「なんだ主よ。おお、嫁が意識を取り戻したかっ」  うんうんと頷いたザリアに、「嫁ですか?」とジークリンデは目を丸くして驚いた。 「うむ、処女の王女様にあそこまでしてしまったのだ。男として、責任を取る必要があるだろう」  だから嫁だと答えたザリアに、「嫁ですか?」ともう一度小さく呟いて、ジークリンデは頬をカイトの胸に押し当てた。 「なにか、嬉しいものですね……」  胸元から聞こえてきた声に、くすぐったいのと同時に、何か愛おしいものを感じるようになってしまった。それが別の場所から反応を引き出そうとしていたのだが、流石にまずいとカイトは精神力で抑え込んだ。 「とりあえずお前を呼び出した理由なのだが。ジークリンデが、ノブクリークの成り立ちに疑問があると言ってくれたんだ。何かノブクリークが首都に選ばれた理由らしきものが、文献として残っているか?」 「ノブクリークが首都になった経緯か?」  ちょっと待てと、ザリアは目を閉じで何かを探すような真似をした。そしてそのまま5分過ぎたところで、「有るには有ったが」ととても曖昧な答えを口にした。 「それまでのどこの国からも遠いと言うことぐらいだな。新しい世界を印象づけるために、壊れた土地を復活させると謳われておる。いかにも取って付けたような説明にしか感じられんな」  うむと頷いたザリアは、「サラ」とインペレーターのAIを呼び出した。 「ノブクリーク周辺の分析図を出してくれ。それから、隕石とやらが突入したと想定した場合、その大きさの推定と残存物の所在位置の推定も頼む」 「メイプルさん、データーを見せてあげてください」  はいと頷いたメイプルは、それまで表示していた地形図から、プローブデーターに表示を切り替えた。そしてサラは、そこに残存物の推定位置データーをオーバーレイした。 「明らかに、データーとして不自然だな」  ひと目でおかしいと指摘したザリアに、「そうですね」とサラも同意した。 「これだけ大きな痕跡を残しているのに、核がどこにも残っていません。氷のようなものなら、蒸発した空洞ができるはずです。ですがノブクリークには、そのような痕跡も残っていません。データーを見る限り、明らかに偽装工作が施されていますね」 「修正データーを作ることができるか?」  ザリアの問い掛けに、「できました」とサラは答えた。このあたりのレスポンスの良さが、アルテッツァとの違いだとザリアは考えていた。 「隕石と違い、減速しながら衝突したと言う想定を入れてあります。ただ、それでも本体は大破したものと思われます。それを加味し、重要区画だけが残ったことを想定しています。ちなみに重要区画の中には、動力部も含まれています。その理由は、動力部が破損した場合、最悪星の半分程度が消滅すると推測されるからです」 「500ヤー前に落下した宇宙船が、300ヤー経った後にこの世界に干渉をしたと言うことか。ならば乗員は長命種か、さもなければスリープモードに入っていると推測できるな」  うんと頷いたザリアに、「アバターを使ってるな」とカイトが補足した。 「ああ、十分にありえることだな。恐らく、その宇宙船はこの領域で遭難したのであろう。本国と連絡を取る手段を失い、受動的に救援を待つことにしたと考えることができる。そこにオールド・バランタインがコンタクトをしたことで、別の方法も選択肢として加えたのであろうな」 「それが、ヘルコルニアが宇宙に出ることか?」  なるほどと頷いたカイトに、「恐らく」とザリアもそれを認めた。 「ヘルコルニアが宇宙に出ることで、元いた星系からコンタクトが行われることを期待したのであろうな。そしてコンタクトがあったところで、自分達が表に出れば良いと考えたと……推測することができるな」 「比較的矛盾の少ない推測かと思います」  ザリアの仮説を認めたジークリンデは、「もう一つ疑問が生まれました」と口にした。 「その疑問とは?」  ジークリンデの疑問が、これまで謎を解く鍵となってきていた。それを評価したザリアは、彼女の考えを聞くことにした。 「明らかに、ヘルコルニア連合国家は歪んだ成り立ちをしています。それが、この世界に干渉した者の意図したことかどうか。星間旅行を普通にできる世界だと考えたら、この歪を肯定できるとは思えないのです。どう考えても、ヘルコルニアの社会体制は合理的ではありません」 「それも、意図した歪ということか?」  カイトの疑問に、「だから不思議なんです」とジークリンデは答えた。 「私達でも、この世界へのコンタクトに二の足を踏んだのです。だとしたら、見つけて貰うためにはマイナスにしかならないと思います」  カイトの胸に抱かれ、そして両手でカイトに抱きついたまま、ジークリンデは自分の意見を口にした。 「だとしたら、そこまで制御できていないことになるな。オールド・バランタインと、何らかの取引をしたとも考えられるか。さもなければ、敢えて歪を残すことに意味があると言うことになる」  二人の意見に、なるほどとザリアは頷いた。 「すぐにでも乗り込んでやろうかと思ったが、今しばらく様子を見た方が良さそうだな。とりあえず、宇宙船の一部が埋まっていそうな場所は調査することにしよう」  とりあえずの結論を見たところで、ザリアは「ところで」とジークリンデに声を掛けた。 「体の方は大丈夫か?」  丸々3日も意識を失っていたことを考えると、治療が済んでいるとは言え心配になってくる。ただ大丈夫かと聞かれても、ジークリンデにも経験のないことだった。 「大丈夫かと言われたら、自信がないとしか答えようがありません。その、恥ずかしいのですけど、股のところがヒリヒリと痛みますし、立とうとしても股間が痛くてうまく立てません。からだ全体が痛いというのか、その胸もこすれると痛いですし、喉の調子もおかしくなっています」  恥ずかしそうに頬を染めたジークリンデに、「あー」とザリアは天を見上げた。その一つひとつの症状に心当たりはあるし、その程度で済んだのかと言う思いもあったのだ。ただあれから4日経ったこと、そして自分が多少でも治療をしたことを考えれば、納得のできる答えでもあった。 「おかしなツボに嵌ってしまったと言うことか」  ふうっと息を吐き出したザリアは、軽く手を振って自分の分身を呼び出した。金色の髪を巻き毛にした、とてもグラマラスな女性がいきなりその場に現れた。 「この御方は?」  ザリアの正体を考えれば、新たに現れた女性が只者であるはずがない。その前提で問い掛けたジークリンデに、「フィオレンティーナだ」とザリアは答えた。 「呼び出して悪いのだが、新しい嫁の治療を頼めるか?」 「久しぶりに呼び出されたと思ったら、セックスの後始末ですか? どうして、私に相手を命じてくださらないのでしょう」  いかにも不満がありますと言う顔をして、フィオレンティーナは杖を取り出して短い呪文を唱えた。それから杖にまとわりついた光を、ジークリンデに向かって振りかけた。 「癒やしの魔法を掛けさせていただきました。ただ、注意事項は普通の治療と同じです。症状を感じられなくなったからと言って、過激なプレーは控えてくださいね」  そう言うことですと言い残し、フィオレンティーナは唐突にその姿を消した。それを見送ったジークリンデは、「分かっていたことですが」と小さくため息を吐いた。 「すべての謎が、お義母様のところに凝縮されていたと言うことですね」 「恐らくだが、本当の鍵はコスモクロア殿のところにあると思うぞ」  それからと、ザリアは少し口元を歪めて「注意書き」を繰り返した。 「痛みが引いたからと言って、フィオレンティーナの言う通り「過激」なプレーは控えた方が良いぞ」  にやにやと笑ったザリアに、「ですが」とジークリンデは首を傾げた。 「経験のない私には、何が過激なのか分からないのですが……」 「ならば注意は息子にしておくか。王女と言うのは繊細な生き物なのだ。繊細が故美しいのだから、それを壊すような無粋なまねをするなよ」  そう言うことだと指さされたカイトは、顔を引きつらせて「気をつける」と答えた。 「うむ、十分に気をつけることだな。そのあたり、主の父親を見習うが良かろう。アーコやライスフィールに、おかしな癖をつけない微妙なところで押さえておるだろう」 「ライスフィール王妃は、十分おかしな癖がついていると思うんだが……」  そこで一瞬遠くを見たカイトは、いやいやと小さく首を振った。 「話がおかしな方向に行っていないか?」 「とりあえずの区切りがついたゆえ、親子の語らいをさせてもらっただけの事だ」  気にするなと笑い、ザリアは姿を消失させた。結果的に取り残されたカイト達だが、メイプルは「何も見ていませんよ」とわざとらしく両手で顔を隠してくれた。 「どうしたい?」  そう尋ねられたジークリンデは、抱きつく腕に力を込めた。 「何もない時であれば、お心のままにと答えるところなのですが……」  そう答えたジークリンデは、ぎゅっとカイトの服を握りしめた。 「まだ痛みが引きませんので、ご配慮願えればと思っております」  なるほどと頷いたカイトは、とても鬼畜なことを考えていた。 「だったら、痛くない方を使うことにするか?」 「痛くない方……でしょうか?」  キョトンとした目をしたジークリンデを、任せておけとカイトは抱き上げた。 「俺のものだと言う印を、体全体に刻みつけてやるだけだ」  とても恥ずかしいことを言われたジークリンデは、両手をカイトの首に回して「我が君の仰せのままに」と、警戒心に欠けた免罪符をカイトに与えた。ぎゅっと握りしめた手は、未知への恐怖の現れなのだろう。  そのままベッドルームに入っていく二人を見送り、メイプルはAIにあるまじき大きなため息を吐いた。 「後片付けをする身にもなって欲しいのですが……」  元素分解してしまえば同じはずなのだが、流石に「排泄物」は嫌と言う気がしていまう。王女相手にそこまでするのは、一体誰の遺伝なのだろうか。メイプルは、該当者となる男二人の顔を思い浮かべたのだった。  公募してもだめなら、狙い撃ちをして集めるほかはない。代表から命令を受けたデュワーズは、さっそく部下達に20名の人選を行わせた。年齢的にお嬢様に近いことと、恋人がいる、さらには同棲しているカップルが好ましいと言うのを人選の条件とした。  その指示に従い、部下達は迅速に候補者の選出を行った。住民データーを用いれば、この辺りの作業に時間が掛ることはない。そうやって選出された100組近いカップルのデーターは、直ちにデュワーズの元へと届けられた。「見た目」も選考基準にするため、当然顔写真等のデーターも添えられていた。 「とりあえず、直近3週間で性的暴行を受けていないことでスクリーニングすると……」  資料の中に含まれた被害状況を確認したデュワーズは、次第に自分が落ち込んでくるのを感じていた。自分で確認したくせに、その結果があまりにも酷かったのだ。そして落ち込むのと同時に、何も知らないで乗り込んでくるフェリシアに対して、押さえようのない憤りを感じてしまった。 「直近と言う条件だと、この2組になるのだが……」  かろうじて条件に該当した2組を見て、デュワーズはううむと唸ってしまった。確かに直近3週間は綺麗なものだが、4人のうち3人が、トリス・クロを揺るがせた大事件に関わっていたのだ。全校生徒300名が犠牲になったローヤル高事件が2年前に起きたのだが、3人はその生き残りだった。 「見た目の点では申し分ないのだが……」  とりあえず判断を保留したデュワーズは、条件を2週間に緩めて再度スクリーニングを掛けた。そしてなんとか、7組のカップルを選出することに成功した。ただ見た目については、拘らないことにした結果でもある。 「この際、贅沢は言っていられないか……」  2年も経ったのだからと自分に言い訳をして、デュワーズは保留した2組も候補に加えることとした。18名と予定の20名には届いていないが、これで形を整えられることになる。気分を落ち込ませながら、デュワーズは上司への報告のため事務所を出たのだった。  タウンミーティングの開催は、業務プライオリティとしては1、2を争うところまで持ち上がっていた。そのため他の仕事を中断し、自治政府代表オールドクロウは報告を聞くための時間を作った。 「9組18名と言うのだな?」  リストを眺めながら確認したオールドクロウに、デュワーズは選出条件を説明した。 「2週間以内に性的暴行を受けていないことを条件としました」 「該当者が、それしかいなかったと言うことか」  思わず顔を押さえかけたところで、それがなんの意味も持たないとオールドクロウは踏みとどまった。そしてその代り、「中央からの通達だ」と一通の通達書を開いてみせた。 「ちなみにこれは、総督府に対しての通達となっている」 「綱紀粛正……ですか。年中行事ですね、これは」  短期的には効果があるが、その効果が継続しない指示だったのだ。その意味では、単なる「アリバイ作り」以上の意味を持っていなかった。それでも住民からすれば、多少は溜飲が下がると言う意味もあった。スケープゴートとなった末端兵士が、何人かは見せしめのため吊るされるのだ。 「今回のタウンミーティング出席者は、これを利用して保護しようと考えている」 「いっその事、ここに軟禁……ではなく、保護をした方が確実ではありませんか?」  後数日を乗り切ることを考えたら、その方が確実に思えたのだ。確かにそうかと、オールドクロウは部下の言葉を認めたのだった。  通達と保護が遅れれば、それだけリスクが高まることになる。そこでオールドクロウは、総督府にも保護依頼を出してタウンミーティング出席者の保護に乗り出した。確実に家にいる時間を狙うために、通達と保護はまだ薄暗い明け方に行われることになった。軍の装甲車まで駆り出されると言う、大掛かりな作戦が遂行されることになったのだ。  ノブハルが訪問者に気づいたのは、アクサからの警告のおかげだった。強制的にノブハルの意識を覚醒させたアクサは、「着替えなさい」とノブハルに命じた。 「何かあるのか?」  自分に抱きいて眠るウタハを、起こさないように気をつけたノブハルに、「物々しい集団がこっちに来るわ」とアクサは状況を伝えた。 「軍の車両と警察が一緒だから、ならず者とは違うようだけど。それでも、厄介事と言う事実に変わりはないわね」 「ならず者とは違う……か」  少し考えてから、ノブハルはゆっくり左腕を引き抜いた。セックスこそできないが、ウタハはノブハルにくっついてしか眠れなくなっていたのだ。そして毎朝の儀式として、ノブハルは左腕のしびれに襲われていた。少し涙をにじませて我慢してから、ノブハルはゆっくりと小さなベッドから降りた。昨夜も努力だけはしたため、お互い何一つ身につけていなかった。  ベッドサイドに降りてため息を吐いたノブハルは、パチンと指で音を立てた。ウタハが起きている時には使わない、彼謹製の衣装チェンジシステムを起動したのだ。これで、瞬く間に着替えは完了してくれる。  それからめくれ上がったシーツを直し、ノブハルは窓の隙間から外の様子を伺った。アクサの言う物々しい車達が、アパートの前に停まるのを確認することができた。 「俺が見つかった……と言うことではないだろうな」  ノブハルの記憶に有る限り、軍と警察が共同で動いたことは一度もなかった。それなのに、今日は警察の車両を守るように、軍の装甲車が前後を固めていたのだ。それだけで、何か異常な事態が起きていると想像することができた。 「そうね、そうだったら軍だけが来たでしょうね」 「だとしたら、何が起きようとしているんだ?」  流石に分からないと首を傾げたところで、誰かがドアをノックする音が聞こえてきた。ただオーヘントッシャンで、ドアノックでドアを開けるのは自殺行為と言われるものだった。だからノブハルは、警戒しながらドアに近づき、表の気配を探ることにした。 「我々は、トリス・クロ自治政府から派遣された者です。ノブハル・アオヤマ、ウタハ・ブルームの両名を保護しにまいりました。なおこれは、自治政府からの正式な命令です。強制執行も許されていますので、応答なき場合は扉を解錠して強制執行を実行します」  その言葉と同時に、自治政府公印の押された命令書がドアの下から差し入れられた。真贋の判断はつかないが、ならず者と違うことだけは確実なようだ。それを確認したノブハルは、ドア越しに「理由はなんだ?」と表にいる役人に問いかけた。 「我々は、お二人を保護せよとの命令を受けただけです。詳細については、知らされておりません!」  もっともらしい事情を言わない分、逆に信用できると感じてしまった。とりあえず嘘はなさそうだと判断し、「少し時間をくれ」とノブハルは口にした。 「ウタハはまだ眠っている。起こしてそれから準備をさせたら、それなりの時間が掛ることになる」 「それでは、30分だけ時間を差し上げます。そこまでに出てこられなければ、命令通り強制執行を行います。なお、表は総統府軍が固めていますので、逃走は不可能だとご理解ください。それでは、30分後に再度伺います」  その言葉を発してから、誰かが遠ざかっていく男が聞こえてきた。 「階段を降りていったようね」  アクサの報告に、ノブハルは小さく息を吐いた。厄介事が降り掛かってきたのは分かるが、それが何かと言うことかまでは分からなかったのだ。 「30分しかないのか。すぐにウタハを起こさないとな」  慌ててベッドのある部屋に戻ったら、すでにウタハは体を起こしていた。そしてノブハルの姿を見て、両手で胸を隠して背中を向けた。薄暗い中に白い背中がぼんやりと浮かぶ光景に、ノブハルは乾きを感じてしまった。ただすぐに邪気を振り払って、すぐに服を着るようにと告げた。 「自治政府とやらが、俺達に用があるそうだ。30分しか時間をくれなかったから、急いで支度をしてくれ」 「自治政府っ!」  怯えたウタハに、「多分大丈夫だ」とノブハルは告げた。 「お前は、俺が必ず守ってやる。ただ、今は余計な揉め事を起こすこともないだろう。だから、早く服を着てくれ。俺は、向こうの部屋に行っているからな」  だからと出ていこうとしたノブハルを、「待ってっ!」とウタハは呼び止めた。そして弱々しい声で、そこにいて欲しいと懇願した。 「だったら、背中を向けているか」  どうしてとも聞かず、ノブハルはウタハに背中を向けた。背中の方でばたばたと気配がしたのは、慌てて服を着ているからだろう。その様子が頭に浮かび、いかんなとノブハルは小さく頭を振った。 「どうやら、俺も溜まってきているらしい」  ここのところの生殺しが原因か。らしくないなと、ノブハルは小さく呟いたのだった。  それからのウタハは、わずか20分で身支度を整えてくれた。ただ髪を梳かす暇がなかったので、長い黒髪は後ろで無造作に縛られることになった。それが不本意だと、ノブハルの顔を見ながら何度も繰り返し文句を言ってくれた。  そして猶予時間の30分が過ぎたところで、再びドアをノックする音が聞こえてきた。「迎えに来ました」と同じ声が聞こえたのを確認し、ウタハを隠すようにしてノブハルはドアを開いた。そこで初めて分かったのは、迎えに来たのが年配の男と言うことだ。 「それでは、お二人を自治政府官房にお連れいたします」  こちらにどうぞと頭を下げるさまは、オーヘントッシャンに来て初めて見るものだった。感情を押さえたつもりでも、驚きが顔に出るのを防ぎ切ることはできなかった。 「あなたが、驚かれる気持ちは理解できているつもりです」  先導して階段を降りた男は、こちらにどうぞと黒塗りのセダンに二人を押し込んだ。そして自分は前の席に座り、「ご迷惑をおかけします」と頭を下げた。 「それはいいのだが、なぜ俺たちが呼ばれたのだ?」 「先ほど申し上げたとおり、私はあなた達お二人をお連れしろと命令を受けただけです。ですから、それ以上のことは官房に到着されてから係員にお尋ねください」  知らされていないと繰り返されれば、それ以上質問することに意味はない。「そうか」と引き下がったノブハルは、顔色の良くないウタハの肩を抱き寄せた。「大丈夫だ」とのノブハルの言葉に、ウタハはゆっくりと頭を預けてきた。  そして1時間走ったところで、ノブハルは比較的立派なビルのところまで連れてこられた。ただ立派と言うのは、あくまでトリス・クロ標準であり、エルマーを基準にしても古ぼけたビルである。 「私の役目は、ここまでです」  お疲れ様と言う言葉の後、外側からノブハル側の扉が開かれた。そして別の男が、「こちらにどうぞ」と二人に向かって頭を下げてくれた。 「これから、デュワーズ官房付きの面接を受けていただきます」 「デュワーズ官房付き……自治政府のナンバー3の面接か?」  驚いたノブハルに、「こちらにどうぞ」と男は二人を先導した。それ以上なにもないのは、この男も事情を説明する権限が与えられていないからだろう。  リフト式のエレベーターで20階まで連れて行かれ、そこからは歩いて一番奥の部屋まで案内された。「こちらでお待ち下さい」と通されたのは、5人程度が利用する会議室のような部屋だった。朝っぱら早々連れてこられた割に、サービスもなにもないと文句を言っていいレベルの扱いである。部屋の中を見てみても、お茶の一つも用意されていなかった。 「ところで、トイレに行ってもいいのか?」 「10分ほど時間がありますので、その間になら」  求める答えを貰ったノブハルは、どうするとウタハの顔を見た。 「み、身支度が全くしていなかったから……」 「だったら、時間を有効に使うことにするか」  行くぞとウタハを連れて、エレベーターホール近くにあるトイレへとノブハルは急いだのだった。  ノブハル達二人が部屋に戻ってすぐ、誰かがドアをノックする音が聞こえてきた。次はどこにと身構えたノブハルだったが、ドアを開いて現れた人物に少しだけ驚かされることになった。まさか自治政府のナンバー3が、直接現れるとは思っていなかったのだ。  少し引きつった笑みを浮かべながら入ってきたデュワーズは、「すまないね」と謝罪から入ってくれた。 「謝罪よりも、事情を説明して貰いたいのだがな」  普段どおりの態度をとるノブハルに、デュワーズは「ほう」と少しだけ感心したような声を出した。 「確かに、事情の説明が必要だろう。ところで、君はずいぶんと落ち着いているんだね」 「落ち着いていると言うより、開き直りができていると言うことだ。何が有っても、今より悪くなりようがないと言う諦めも有るんだが」  それでと、ノブハルは事情説明を促した。それに頷いたデュワーズは、「多分見ていないと思うが」と前置きをして、連合国家代表の長女フェリシアのことを持ち出した。 「ポスターやマスコミで広く広告しているのだが、明後日には連合代表のお嬢様がこちらにおいでになられる。幾つかのイベントが用意されているのだが、お嬢様の希望でタウンミーティングが開催されることになっているのだ。当然のように参加希望者が現れなかったため、自治政府権限で君達を参加者に指名した。そして不測の事態が起きないよう、こうして身柄を保護したと言うことだ」 「俺達に、茶番へ付き合えと言うのだな」  少し憤慨した様子を見せたノブハルに、「そのとおりだ」とデュワーズは断言した。 「お嬢様が、タウンミーティング開催を希望されたのだ。それができなければ、総督府から代表が責められることになる。責められるだけならいいが、報復が行われる可能性もあるぐらいだ。押し付けるようで悪いのだが、君達に茶番を演じて貰いたい」 「本気で迷惑としか言いようがないのだが……そんな物に出たら、今以上にならず者たちに目をつけられることになるのだぞ。しかもあんた達では、ならず者を押さえることはできないはずだ。お嬢様とやらが帰ってから、ずっと今以上に怯えて暮らせと言うのか?」  もう一度迷惑だと繰り返したノブハルに、「それでもだ」とデュワーズは繰り返した。 「茶番でもなんだろうと、開けなければそれ以上の不利益がトリス・クロ全体に降りかかることになるのだ。自治政府としては、やらないと言う選択肢はありえないのだ。それぐらいのことは、君も理解しているはずだ」  違うのかと聞かれれば、今のノブハルの立場では違うとは言えない。その代り、「何を口にしてもいいのか?」と求められる役割を確認した。 「それも分かっていると思うが、当たり障りの無い答えを期待している。間違っても、トリス・クロの実態を話してはいけない。それをしても状況は改善されないどころか、軍の報復が予想されるぐらいだ。それぐらいなら、現状維持の方がよほどマシだと言えるだろう」 「俺達に、犠牲になれと言うのか? マシと言うのは、俺達以外の者にとってのことだろう」  皮肉をぶつけたノブハルに、「それは否定しない」とデュワーズは答えた。 「ただ君達にしても、自己満足の結果が破滅しかなければ話は別ではないのか?」 「死に方の違いを気にして、どれだけ意味があるのだろうな」  もう一度皮肉を返したノブハルは、「事情は理解した」とデュワーズの顔を見た。 「あんた達に文句を言っても、どうにもならないことは分かっているんだ。だからちょっとだけ、鬱憤晴らしに付き合って貰った。タウンミーティングの場では、ニコニコと笑って当たり障りの無いことを言えばいいんだな?」 「バカにしたような態度も取らないでくれ」  合わせてお願いすると頭を下げられ、「それぐらいは承知している」とノブハルは口元を歪めた。 「ところで、取引と言う訳ではないがこちらの要求を言ってもいいか?」 「それにしても、できることは限られているのだがな?」  それでと先を促されたノブハルは、「タウンミーティングまでの、安心して寝られる場所と食事の提供」を持ち出した。 「面倒を引き受けるのだ。それぐらいは優遇してくれてもいいのではないか?」 「家に帰らせろとは言わないのだな?」  確認されたノブハルは、「危ないからな」と理由を口にした。 「しかも食材を買いにもいけないのだ。だったら、無理に帰る必要などないはずだ」 「君は、ずいぶんと合理的な考え方をするのだな。君達の前に説明したカップル達は、口々に帰りたいと主張してくれた。そして彼らに対して、君が口にしたことを説明して残って貰ったんだ」  だからだと答えたデュワーズに、勘違いが有るとノブハルは返した。 「冷静なのではない。ただ、現実が見えているだけだ。彼女を守るためには、嫌でも現実と向き合う必要があった。ただ、それだけのことだ」  ノブハルの答えを聞いたデュワーズは、「確かにそうだな」とそれを認めた。 「君達への説明はこれで終わりだ。他に、何か聞きたいことがあれば、遠慮なく言ってくれたまえ」  そこでウタハの顔を見てから、「特には」とノブハルは答えた。 「では、後ほど係の者が君達を案内する」  それだけだと口にして、デュワーズは説明の場となった会議室を出ていった。それを立ち上がって見送ったノブハルは、俯いたウタハの体を後ろから抱きとめた。 「大丈夫だ。お前のことは、絶対に俺が守ってやる」 「し、信じてるから……」  小さく震えるウタハを抱きしめ、「大丈夫だ」とノブハルは繰り返したのだった。  ノブハル達に用意されたのは、自治政府敷地内にある研修センターの一室だった。ゲストハウスじゃないのかと心の中で文句を言ったノブハルは、別々に狭い一人用個室の中を見回した。 「俺の着替えはいいが、ウタハのはどうしたらいいんだ?」  他にもいろいろと確認することが有ると、ノブハルはウタハの部屋に行こうと考えた。だがそれよりも先に、誰かがノブハルの部屋をノックしてくれた。 「わ、私だけど」  そして扉の向こうから聞こえてきた声に、ノブハルは慌てて部屋のドアを開いた。そこには、部屋に入る前と少しも変わらない姿をしたウタハが立っていた。俯きがちなのは、彼女の精神状態を現しているのだろう。 「は、入ってもいい?」 「狭いのを我慢してくれたらな」  こっちだとウタハを招き入れたノブハルは、備え付けの冷蔵庫を初めて開いた。 「一応気は使ってくれているのだな」  冷蔵庫の中には、アルコールこそ無いが清涼飲料水が入れられていたのだ。その中からジュースを取り出したノブハルは、栓抜きで栓を開けて中身をコップへ注ぎ込んだ。綺麗なオレンジ色に、久しぶりだとしげしげと見つめてしまった。 「とりあえず飲むだろう?」  そう言って差し出されたコップを、ウタハは恐る恐る受け取った。そしてゆっくりとコップに口をつけ、一口一口ゆっくりと飲み込んでいった。その時に動く喉に、少し淫靡だとノブハルは場違いな感想を持ってしまった。 「まあ、ここでの扱いは良さそうだな。具の少ないスープと、固いパンからは解放されそうだ」  少しおどけたノブハルだったが、あいにくウタハは乗ってきてくれなかった。それを見たノブハルは、ベッドに腰を下ろして「来いよ」とウタハを手招きした。少し怯えた顔をしたウタハだったが、ゆっくりとノブハルの隣に腰を下ろした。そしてまるで義務のように、ゆっくりとノブハルへともたれ掛かってきた。  その肩に腕を回したノブハルは、「正直分からなくなっている」とウタハに告げた。そう口にしてから、「いやいや唐突か」と自分で言い訳をした。 「俺は、お前のことを考えていたんだ。どうしたら、俺に向かって微笑んでくれるようになってくれるのか。その綺麗な顔に、どうやった笑みを取り戻すことができるのか。ここに来る間も、違うな、一緒に暮らすようになってから、ずっとそんな事を考え続けていたんだ」  そう話してから、ノブハルは一人後ろに倒れてベッドに横になった。 「俺には、お前が無理をしているのが分かるんだ。お前が乱暴されているのを助け、そして手当をしてからずっと一緒に暮らしている。お前にとって、俺は忘れたい恐怖を呼び起こす存在でしかないのだろう。本当は男が怖くて仕方がないくせに、一人になるのはもっと怖くて俺を追い出すことができないでいる。そして出てかられたら困るから、体でつなぎとめようと思っても恐怖がぶり返してきてそれもできない」  そこまで話しても、ウタハからはなんの答えもなかった。ただそれも、ノブハルが予想した通りのものだった。だから寝転がったまま、「なあ」とウタハに声を掛けた。 「このオーヘントッシャンにいて、お前の心が癒やされる時が来るんだろうか。それどころかトリス・クロにいる限り、そんな時はこないのではと思えてしまうのだ。俺には、お前を守ってやることはできても、心を癒やしてやることができるとは思えないんだ。俺がいることで、逆にいつまでも辛いことを忘れることができないんじゃないのか。本当なら、俺達は別れた方がお前のためになると思えてしまうんだ。ただ俺がいなくなれば、お前はならず者たちの慰みものになってしまうだろう。お前を守るために一緒にいるのに、一緒にいることでお前を傷つけてしまう。どうにもならないことが、俺には悔しくて仕方がないんだ」  起き上がったノブハルは、自分を見ようとしないウタハを両腕で抱きとめた。一瞬びくっと震えたのだが、ウタハはノブハルを跳ね除けるような真似はしなかった。 「私にも、どうしていいのか分からない」  そう答えてから、ウタハは「汚れた女だから」と吐き出した。 「あなたは、私と違ってなんでもできるし、どこへでも行ける人だと思ってる。さっきの人との話でも、あなたはとても堂々としていたわ。街を歩いていても、私には分からないことまで注意を払っていてくれている。ならず者が来ても、あなたは落ち着いて私を守ってくれる。あなたが居てくれるから、私は夜も安心して眠ることができるのよ。裸になるのは怖いけど、あなたのぬくもりが気持ちいいと思ってる。あなたの腕に抱かれて眠ると、悪い夢から解放されるのよ。わ、私が怖いのは、あなたが私を置いてどこかに行ってしまうことなの。でも、汚れた私の体じゃ、あなたを繋ぎ止めることはできない。汚れた体を、あなたに見られるのが怖くて仕方がないのよっ!」  腕の中でいやいやをするウタハを、ノブハルはぎゅっと抱きしめた。そして耳元で、魔法の言葉を囁やこうとした。愛を囁くことで、ウタハの不安を紛らわそうと考えたのだ。  自分がウタハに対して、愛情に似たものを感じているのを否定するつもりはない。それが同情心からの錯覚だと言うのも、否定するつもりもなかった。たとえ錯覚だとしても、「愛している」と囁くことで、何かが変わるような気がしたのだ。  だが「愛している」の言葉は、結局ノブハルの口から解き放たれることはなかった。その言葉を口にしようとした時、その言葉にあまりにも重みがないことに気がついたのだ。自分とウタハが積み重ねた3週間と少しの時間は、愛を語らうものとはなっていなかった。そしてウタハも、ここで「愛」を語られても信じることはできないだろう。 「あの人なら……」  そこでノブハルが思い浮かべたのは、今までは頼りたくないと思っていたトラスティだった。人生経験の長い彼なら、こんな時にどんな行動をとるのだろうか。もしかしたら、こんなに悩むこと無く愛を語らうことができるのだろうか。それとも、愛を語る以上の方法があるのだろうかと。  そこでたどり着いたのは、トラスティとアルテルナタの関係だった。二人が交わった時間の長さを考えたら、間違いなくアルテルナタは愛を語る相手ではないはずだ。たとえ抱くことで誑しこめたとしても、そんな女がコスモクロアに命がけで立ち向かうことができるのだろうか。 「だから、チョーカーだったのか?」  フリーセアからは、チョーカーはトラスティの「物」となる証だと教えられた。そしてチョーカーを付けている限り、自分はトラスティの物であり、そしてトラスティは自分のご主人様になるのだと。その代わり、トラスティは全力で自分を守ってくれるのだと言っていた。  懲役刑を受けている時のアルテルナタのことを考えれば、愛と言う言葉が意味を持たないのは理解できる。それまで二人が会ったのは、ほんの僅かな時間でしかなかった。そしてその短い時間も、アルテルナタを追い落とす時のことだった。そんな関係で、とても愛など持ち出すことができるはずがない。  その代りトラスティが用意したのは、「所有物」になると言う絆の形だった。隷属を求める代わりに、それ以上の恵みを彼女に与える約束である。愛に似てはいるが、愛とは違う意味で強い絆の形を用意したのだ。自分の境遇に苦しむアルテルナタは、それを喜んで受け入れたと聞かされていた。  物まねをするのは癪に障るのだが、参考にすることぐらいは構わないだろう。そして自分のプライド以上に大切なのは、腕の中でいやいやをするウタハの心を守ることだった。ウタハに強烈な束縛を与えることで、囚われた過去から解放をしてやれるのだ。  パチンと指を鳴らしたノブハルは、濃い茜色をしたチョーカーを合成した。黒色にしなかったのは、プライドと言うより、紛らわしいと考えたからだ。それからウタハの肩に両手を置いたノブハルは、「聞いてくれ」と目を赤くしたウタハに語りかけた。 「俺は本気で、お前のことを欲しいと思っているんだ。ただ愛してるとか、そんな軽々しい言葉を口にするつもりはない。そんなことを口にしても、お前には信じることができないだろうからな。だから俺は、お前に俺のものなれと命令する。お前は一生俺のものとなって、そしてその体で俺に奉仕をするんだ。その代り、俺は一生お前のことを守ってやる。二度と怖い目に遭わせたりしないのを約束する」 「いきなり、なに?」  突拍子もないことを言われ、ウタハは目を赤くしたままノブハルのことをじっと見た。 「俺の覚悟をお前に教えてやっただけだ。俺はお前を自分のものにし、一生俺に縛り付けてやる。その代り、俺は全力でお前のことを守ってやる。この星に居たくないと言うのなら、どこか遠くの星だろうと連れて行ってやる。その体で俺を慰め、いつか俺達の子供を産むんだ」  いいかと迫られたウタハは、ノブハルから顔をそらして「私にはそんな価値は無いわ」と答えた。ノブハルはウタハに隷属を求めたのだが、それを愛の告白だと受け取ったのだ。そんなウタハに、「お前の価値は俺が決める」とノブハルは言い返した。 「お前が自分の価値を決める必要はない。お前の価値は、すべて俺が決めてやる。いいか、お前の綺麗なところも、汚いところも全部俺のものにする。お前のすべては一生俺のものになるんだ。それでもいいと思ったら、このチョーカーを首に巻けっ!」  ウタハを自分の方へと向け、ノブハルはその手に茜色のチョーカーを手渡した。 「私なんかで、いいの?」  恐る恐るチョーカーを受け取ったウタハは、本気なのかとノブハルの顔を見た。そんなウタハに、「俺じゃ嫌か?」とノブハルは聞き返した。じっと顔を見られたウタハは、首をふるふると横に振った。 「そんなことはない。ただ、信じられないと思って」  一度じっとチョーカーを見つめてから、ウタハは細い首にチョーカーを付けた。茜色のチョーカーが、彼女の白い喉にアクセントを与えた。 「これでいいの?」 「ああ、これでお前は俺のものだ」  だからと言って、ノブハルはウタハに唇を重ねた。そして右手を胸に当て、ゆっくりとその体をベッドへと押し倒した。普段になく激しく唇を求めるウタハに、今日はこのまま最後までとノブハルは考えた。だが右手がスカートの中に入ろうとした時、ウタハのお腹が「ぐー」と大きく鳴った。その瞬間、ノブハルは気勢を削がれるのを感じてしまった。一方押し倒されたウタハは、いつもとは別の意味で顔を真赤にして狼狽えていた。 「こ、これは、ち、違うから。安心したっていうのか、今日はまだ朝食も食べてないし……ここのところ、粗食ばっかだったし。だ、だから、違うのっ!」  大声で言い訳をされ、ノブハルは思わず吹き出してしまった。懸命に言い訳をするウタハが面白かったのだ。そしてそれ以上に、いつも以上に可愛く見えてしまった。 「わ、笑うことないじゃない。そ、そりゃあ、笑われるようなことをしたと思うけど……」  知らないと拗ねたウタハに、ノブハルはもう一度唇を重ねた。 「いきなり、新しいお前を見せて貰ったな。これからは、もっともっと違うお前を見せてくれ」  そう言って体を起こし、ウタハの手を引いて彼女も起き上がらせた。 「誰かと違って腹こそならないが、お陰で俺も空腹に気づいてしまった。たぶんだが、朝食ぐらいは用意してあるだろう。きっと、温かいスープに柔らかなパン、卵とかを食べることができるんじゃないか?」 「ベーコンとかもあるかな?」  夢見るようにしたウタハに、「ない理由がない!」とノブハルは断言した。 「夜は、肉を食わせてもらえるかもな」 「だったら、早く夜が来ないかなっ」  楽しみと言って、ウタハはノブハルの腕を抱え込んだ。その時の表情がとても綺麗で可愛らしくて、ノブハルはつい彼女に見とれてしまった。本気で押し倒したくなったのだが、そんな真似をしたらお互い空腹で倒れてしまいそうだった。  そのまま研修センターの食堂に行った二人は、久しぶりにまともな食事を摂ることができた。期待からは程遠いものでも、気分が変わればごちそうに思えてしまった。  そしてその夜には、ステーキと言うには憚られるような薄い肉に舌鼓を打った。どんな質素な食事でも、具のないスープと固いパン、山盛りのサプリから比べればごちそうだったのだ。そしてそれ以上に大きかったのは、二人の気持ちが変わったことだ。だからその夜には、ウタハは初めてノブハルで満たされた。  トリス・クロに着いたフェリシアは、総督府が開催した歓迎式典の洗礼を受けることになった。衛星軌道上に作られた、いびつな形の建造物に専用船が横付けされた。そして、チューブのような連絡橋が掛けられフェリシアは総督府へと渡った。ヘルコルニアに生まれた彼女にとって、初めて星系外の世界に来たことになる。 「立派な総督府なのですね?」  中に入ると、複雑に構造物が入り組んでいるのが見えた。目を丸くして驚くフェリシアに、ティーチャーズ総督は、にこやかに笑いながら「最古の総督府ですからな」と答えた。 「ですから、ここにはヘルコルニア発展の歴史が詰まっております」  こちらにと案内された先には、きらびやかに飾られた大広間が広がっていた。そして正装をした男女が、フェリシアの登場を拍手で迎えた。その歓迎に感激をしたフェリシアは、誘われるまま中央のステージに立った。  20になったばかりのフェリシアは、匂うがばかりの美しさを誇っていた。長旅の疲れも感じさせず、「盛大な歓迎に感謝いたします」と集まった男女に御礼の言葉を掛けた。再び会場からは大きな拍手が起こり、それが収まったところで緩やかな音楽が会場を包み込んだ。 「お疲れでなければ、踊ってこられたらいかがですか? フェリシア様に踊っていただけたら、きっと若い男達も感激することでしょう」 「でしたら、一曲だけ踊ってまいります。ただ、汗が臭わないか、それが気になっているんです」  それだけですと微笑んだフェリシアは、エスコートの手を離れて踊りの輪の中に入っていった。そして言葉通り一曲踊ってから、失礼しますと用意された部屋へと入っていった。一度気になってしまうと、自分の汗の匂いに我慢ならなくなってしまったのだ。  部屋に入ったフェリシアは、お付の者の手を借りて窮屈なドレスを脱ぎ捨てた。流石に殿方の目があったので、今日に限っては「無駄な」ドレスとは思わなかった。それでも締め付けから解放されると、ほっと息を吐いてしまう。  「もういいです」とお付きを下がらせたフェリシアは、下着も脱いでシャワールームへと入っていった。形の良い胸には、締め付けたせいで下着の跡が残っていたし、同じようなシワがお尻にもついているのが見えてしまった。腰のあたりに赤く線が付いているのは、コルセットを締め付けすぎたのが理由だろう。 「綺麗で居るためには仕方がないのですが……もう少し楽な格好ができたらと思ってしまいますね」  鏡の前でぐるりと一回りをして、フェリシアは自分の体をじっくりと眺めた。少し腰回りが太い気もするが、コルセットで絞めてしまえば同じだと忘れることにした。 「シャワーを浴びたら、トリス・クロの勉強ですね。明日は、いよいよ地上に降りることができるんですね」  どんな世界が広がっているのか。それを考えると、嬉しくて寝付きが悪くなってしまう。楽しい思いに、フェリシアは口元を緩めながらシャワーを浴びたのだった。  係員の説明では、他の8組も保護されていると教えられていた。だが不思議なことに、今の宿泊施設で他の組を一度も見かけなかった。そのことを疑問に感じたノブハルは、その理由をたまたま通りかかった係員に尋ねた。だがある意味予想通りの答えが、その係員の口をついて出てきてくれた。 「申し訳ありませんが、私は存じ上げておりません」  最初に迎えに来た男もそうだが、どうやら職員は詳しい事情を知らされていないようだ。そのことに不満を感じはしたが、アクサに調べさせるまでも無いのは確かだった。まあいいかと割り切り、ノブハルは隣を歩いていたウタハの肩を抱き寄せた。 「これから、俺の部屋に寄っていけ」 「あ、あなたが、そう言うのなら」  少し身を固くしながら、ウタハは自分からノブハルに身を寄せた。首筋まで真っ赤になっているのが、ノブハルからはしっかりと見えていた。  そして部屋に戻ったところで、ノブハルはウタハに唇を重ねた。そしてワンピースのボタンを外して、彼女を下着姿にした。とても細い腰つきに、大きくて形の良い胸が目立っていた。ほっそりとした長い脚も、とてもバランスが取れているように思えた。 「そ、そうやってじっくり見られると恥ずかしい……んだけど」  身を捩って両腕で胸元を隠したウタハに、「綺麗だな」とノブハルは心からの賛辞を送った。 「今更ながら、俺のものにして良かったと思っている」 「わ、私も、あなたの物になれてう、嬉しいから」  背の高いウタハだが、ノブハルの方が更に頭一つぐらい背が高かった。体中を真っ赤にしたウタハは、キスをせがむように目を閉じて上を向いた。そのお陰で、首に巻かれたチョーカーがノブハルの目についた。プライドを捨てて真似をしたお陰で、ウタハはめっきり落ち着いてくれた。  重なっていた唇が離れたところで、ウタハははぁっと熱い吐息を漏らした。そこで「愛している」といいかけたのだが、少し慌てて自分の口を抑えた。 「別に、愛していると言ってもいいのだぞ? 何しろお前は、俺だけのものなのだからな」  もう一度唇を重ねてから、ノブハルはウタハの体を抱き上げ狭いベッドへと運んだ。そして胸を隠していた下着をずり下ろし、豊かな膨らみに唇を当てた。あっと言う小さな声が漏れ出て、ウタハは体をそらして襲い来る感情を抑え込もうとした。だがゆっくりと責め上げられ、その口からは間断なく甘い声が漏れ出すようになった。そしてノブハルの手が敏感な部分に触れた時、今まで以上の感覚にウタハの体が跳ね上がった。 「声を抑える必要はないぞ。お前の声は、とても綺麗だからな」  もっと声を聞かせてくれ。そう耳元で囁いてから、ノブハルはウタハの中へと入っていったのだった。  初めから分かっていたことだったが、自治政府による歓迎式典は退屈なものでしかなかった。やたら格式張ったことをしてくれるのも理由だが、明らかに作り手の心が込められていないのが分かるのだ。格式張ることで、形だけを整えたことが分かってしまったのだ。  さらに言うのなら、自分を見る目の冷たさに気づいたと言うことだろう。口々ににこやかな表情で歓迎の言葉を述べてくれるのだが、その目には例外なく冷めた光が宿っていたのだ。中には、殺気にも似た剣呑な光を湛えた者も居た。  もともと「植民星」の人々の感情がよろしくないのは気づいていた。そもそも自分が訪問しようと考えたきっかけも、治安に関するリポートを読んだのが理由である。代表の娘が積極的に働くことで、悪化した関係を改善できると期待したからだった。  その意味で言えば、今の状況は予想したとおりでもある。それを確認したフェリシアは、ますます自分の責任が重大だと考えた。ともに手を携えることができるようになれば、ヘルコルニア連邦はますます栄えることができるのだと。そのためにもタウンミーティングを成功させ、その意見を参考に自治政府代表と話をする必要があると思っていた。 「一つ質問があるのですが、宜しいですか?」  オーヘントッシャンから少し離れた大規模農園を視察したフェリシアは、添乗した係官に声を掛けた。そこで気になったのは、声を掛けた途端に係官が緊張してくれたことだった。 「はい、私で分かることならっ!」  しかもしゃちほこばって答えてくれるものだから、逆にフェリシアが恐縮してしまった。そして「大したことはないのですが」と前置きをして、途中で見かけた建物のことを質問した。 「大規模農園からの帰り道で、焼け焦げた建物が取り残されているのに気が付きました。外観から学校に思えたのですが、どうして廃墟になっているのでしょう。火事か何か有ったのでしょうか?」  そこまで口にしてから、「気になっただけですから」とフェリシアは言い繕った。その建物のことに触れた時、係員の男性の雰囲気が変わったことに気づいたのだ。 「あの建物は……」  十分間が開いてから、係員はおもむろに口を開いた。 「詳しい事情は存じ上げませんが、事故があったと聞いております。ただご安心いただきたいのですが、建物以外の被害は、軽いけがをしたものが数人出た程度です」 「けが人が少し出た程度だったと言うことですね」  明らかに安堵したフェリシアから、係員は見えないように顔を背けた。ただ奥歯がひしゃげそうなほど、係員の男性は歯を食いしばっていた。そしてそれ以上余計なことを言わないように、フェリシアの方へと顔を向けなかった。 「もう一つ教えていただきたいのですが、何という学校だったのですか?」 「あの学校は……ローヤル校と言う高等学校がありました。全校生徒数がおよそ600名ほどの学校でした」  綺麗に感情が抜け落ちた声の答えに、フェリシアは「そうですか」とだけ答えた。けが人が少しと言う話だったが、それが自分向けの説明だと理解したのだ。そして真の事件は、それどころではない大勢の犠牲者が出たのを漠然として感じ取っていた。ただ自分に隠した理由を、ただ悲惨な事件を隠すためだと受け取ってしまった。とても真実とは程遠い誤解を、彼女はしてしまったのだ。  郊外を走る時には、軍の装甲車が前後を固め、オーヘントッシャン市街地に入った時には、沿道を軍の兵士が固めていた。いくら表面上歓迎を取り繕っても、自分が招かれざる客と言うのは理解ができてしまう。それを変えるために来たつもりなのに、いきなり残酷な現実を突きつけられた気がしていた。  ただこんなところでめげていては、我儘を言ってトリス・クロに来た意味がなくなる。明日のタウンミーティングでは、絶対に本音を聞き出してみせる。そのための作戦を、ホテルに帰ってから再度練り直すことにした。  ジークリンデが目を覚ましたのは、ノブクリークを次の調査場所と決めた3日後のことだった。下半身にどうしようもないだるさと鈍い痛みに目を覚ましたジークリンデは、自分を見守るザリアといきなり目があった。 「お義母様、どうかなさいましたか?」  その言葉を聞いたザリアは、デバイスにあるまじき大きなため息を吐いた。そして寝ているジークリンデの隣に座り、具合の悪いところはないかと尋ねた。 「具合の悪いところ……でしょうか」  そこで少し考えたジークリンデは、「下半身がだるいです」と答えた。 「後は、その排泄する部分に鈍い痛みがあるのと、先日以上に喉が枯れたような気がします。それから、背中やお腹の筋肉が痛い気も……」  ジークリンデの答えに、ザリアは「はぁっと」深すぎるため息を吐いた。 「全面的にカイトが悪いのだが……どうやら、ぬしがおかしなスイッチを入れてしまったようだ。体力なし、根性なしのエヴァンジェリンを相手にしていたくせに、どうしてこう言うことになるのだ」  もう一度ため息を吐いたザリアに、ジークリンデは気になったキーワードを尋ねた。 「おかしなスイッチですか。それは、私が魅力的だからと考えてよいのでしょうか?」  その問題は、結構ジークリンデのプライドに関わってくる話だった。その為真剣に尋ねることになったのだが、微妙な表情をしたザリアは「微妙」と言葉でも同じことを言ってくれた。 「方向性さえ問わねば、魅力的と言うのは間違いないであろうな。何しろ主も、結構ぬしにハマっておるようだからな。ただその方向性を考えると……いや、やめておこう」  最後に言葉を濁したザリアに、「気になりますね」とジークリンデは迫った。ただ嫌そうなザリアの表情に、聞いても良いことはないのだと理解した。 「それで、私は何日寝ていたのでしょうか?」 「今度は4日と言うことになるな」  あっさりとした答えだったが、流石に4日と言うのはジークリンデの想定外のものだった。「そんなに!」と驚くのも、その前にしたことを考えればおかしな事ではないのだろう。 「そのくせ、お腹がすいた気がしないのはどうしてでしょう?」  前回のときも、何かを食べたと言う記憶がなかったのだ。しかも3日も寝ていた……気を失っていたとも言えるのだが……それを考えると自分は1週間ほど何も口にしていないことになる。 「恐らくだが、空腹過ぎて麻痺をしておるのではないか。こう言ってはなんだが、と言うのか当たり前のことなのだが、明らかにやつれた顔をしておるぞ」  ザリアにまじまじと顔を見られたジークリンデは、そう言うことですかと小さなため息を吐いた。 「でしたら、しばらく旦那様に求められても拒まなければなりませんね」  次に同じことがあったら、何日目を覚まさないことになるのか。その時には別に痛いとかはなかったのだが、経過時間だけを考えると怖くなってしまう。だから気を付けますと繰り返したジークリンデに、「用心することだ」とザリアは大きく頷いた。 「メイプルが、お腹に優しい食事を用意している頃だろう。われの調べた結果は、その後に教えてやろう」  そう口にしたザリアは、「立てるか?」と尋ねた。 「なにか、体に力が入らないのですが……たぶん、立てると思います。ただ、少しだけお手伝いいただければと」  お願いしますと頼まれたザリアは、「うむ」と頷いてジークリンデの背中を支えた。それでようやく起き上がったジークリンデは、「少し目眩がしました」手で頭を抑えた。 「食事をしていないため、低血糖になっておるのだろう。後は、起きたことで血が脳から降りたことも理由なのであろうな」  先程よりしっかりと体を支え、「無理はするなよ」とジークリンデをいたわった。そして当たり前のように、立ち上がったところでジークリンデはよろめいてしまった。 「この部屋は、敢えて重力の調整値を落としてあるのだがな」  困ったものだと頭に手を当てたザリアは、両手でジークリンデの体を支えた。  そうやってゆっくりとメインキャビンに現れたジークリンデは、やつれた顔をしたカイトにあった。たったそれだけのことなのに、ジークリンデは足りなくなった血が頭に登ってくるのを感じてしまった。 「お、おはようございます」 「ああ、体の方は大丈夫か?」  少しきまり悪そうにするのは、自分がしたことを理解しているからに他ならない。 「その、色々と……まだ、自分の体ではないような気もします」  顔を赤くしたジークリンデに、カイトはおかしなスイッチが入りそうな気がしていた。どうやらこの冒険で、と言うよりジークリンデによって、カイトのスイッチは締りがなくなったようだ。  それを精神力とザリアとメイプルの視線で押さえ込み、ジークリンデのエスコートをザリアから引き継いだ。 「ジークリンデ様には、お腹に優しいものを用意いたしましたよ」  こちらにどうぞと、なぜか全員でジークリンデに優しい世界を作ってくれたのだ。  そして1時間の食事が終わったところで、「報告だな」とザリアは二人の顔を見た。 「まずは、遺跡調査とは関係のない情報からだ。ヘルコルニア連合国家代表の長女が、トリス・クロを訪問することになった。発表はもう少し前にあったのだが、事情が事情ゆえ報告が少し遅くなったな。ノブハルには影響するが、こちらの調査に影響はないので大丈夫であろう」 「それで、代表の長女は何をしにトリス・クロにまで行くのですか?」  自分達に影響はなくても、連合国家全体では火種を作ることになりかねない。それを気にしたジークリンデに、「公式発表では」とザリアはフェリシアの目的を説明した。 「トリス・クロの視察と言う事になっておるな。ただその娘……フェリシアと言うのだが、それが何を考えたのかは分からんな。トリス・クロで行われるイベントとして、各種の視察とタウンミーティングと言う物がある。ちなみにタウンミーティングでは、少人数の現地の住人とざっくばらんに話をしたいのだそうだ」  ザリアの説明に、「お花畑ですね」とジークリンデは呆れたように口にした。 「問題解決能力のまったくない者に対して、どうして住民が腹を割った話ができるでしょう。下手なことを口にしたら、告げ口をしたと総督府や軍から報復を受けるのに。それ以前に、燻っているところに燃料をくべに行くのは、愚かな行動としか言いようがありません」  はっきりと言い切るジークリンデに、「だからお花畑なのだ」とザリアもその指摘を認めた。 「推測するに、そこまで酷いことになっておるとは想像しておらぬのであろう。それでも、植民惑星の者達に不満が溜まっておるのは知っておると言うことだ。だから自分が聞き役になって、住民から不満を吸い上げようと考えたのであろうな。それだけなら、世間知らずではあるが、さほど責められるものではないと思っておるのだ。ただ植民惑星の置かれた状況は、そんな生易しいものではないと言うことだ。その意味で言えば、この娘の罪ではないのかもしれんな。ただ置かれた立場を考えたら、無知と言うのはそれだけで罪なのは間違いないだろう。これで嫁の言う通り、トリス・クロで火の手が上がることになるな」  愚かだし迷惑だと吐き捨てたザリアに、「そう思います」とジークリンデも同意した。 「スクラルド・バランタインでしたか。植民惑星の実態を知っているのなら、それぐらいのことは想像ができると思うのですが。それなのに、どうして娘の我儘を許したのでしょう。もしかして、抑え込めると考えたと言うことでしょうか」  疑問を呈したジークリンデに、「多分」とザリアもその疑問を肯定した。 「武器を徹底的に取り上げてあるからな。反発ができないほど躾けていると考えている可能性はあるだろう。もしもイレギュラーがあるとしたら、トリス・クロにはノブハルがおると言うことだ。しかも同棲している女は、暴行の被害者と言うではないか。今も一緒に暮らしておるようだから、かなり情が移っておるのではないか。トリス・クロの者に抵抗する力がなくとも、ノブハルはただ一人でヘルコルニア連合国家の力を超えることが可能なのだ。愚か者共は、己が火薬庫の近くで火遊びをしていることに気づいておらぬのだろう」 「流石に、それは想像することはできないと思いますよ」  口元を歪めたジークリンデに、「そうだな」とザリアもその指摘を認めた。それまで黙っていたカイトが口を挟んだのは、その考えに対する疑問を感じたからだった。 「ヘルコルニアの奴らはそうでも、影で操っている奴はどうだろう。もしかして、なにか予想もできないことが起こることを期待しているんじゃないのか?」 「そこまで行くと、流石に勘ぐり過ぎと言ってやるのだがな」  少し苦笑いをしたザリアは、「もう一つの報告だ」と遺跡調査を持ち出した。 「ノブクリークの東に広がる外輪山なのだが、やはり何かの落下によって生成されたものだ。浅い所に溶融痕が認められた。加えて言うなら、地層の断裂も起こっておる。そして肝心の落下物なのだが、意外なことに見つからなんだのだ。巧妙に偽装されているのかと疑ったのだが、潜ってみても有ったのはただの岩石だけだった」 「何かが落下したことは間違いない。ですが、その落下物が見つからないと言うことですか」  それがどのような意味を持つのか、ジークリンデは口元に手を当てて考えた。推測だけなら幾つでもできるのだが、可能性があるかとなると全く別だったのだ。 「私達の考え違いとして、落下物の大きさがさほど大きくなかったと言うのがありませんか? 想定より小さな、そして重量のある物質が、通常の隕石よりも速い速度で衝突をした。オールド・バランタインは、その痕跡から脱出カプセルのようなものを見つけ隠匿をした」 「可能性としてなら、否定はできんだろうな。だとすると、そのカプセルの在処は……代表府、すなわちシエルシエラと言うことになるな」  なるほど見つからないはずだと、ザリアはジークリンデの仮説に頷いた。そしてなかなか役に立つと、彼女の能力を認めた。年齢のバランス的に若すぎるのと、おかしなスイッチを入れてくれることを忘れれば、なかなか良い嫁に思えてきた。 「ならば、シエルシエラを調べてみるか。普通に建設したものなら、建設図面とやらが残っておるはずだからな。まあ、この手のものは地下室とか最上階と言うのが隠し場所としては定番なのだろうがな」 「調査に降りられるのですか?」  すかさず質問をしてきたジークリンデに、「そのつもりだが?」とザリアは少し訝った。 「流石にここからでは、遠すぎて分からぬぞ」  だから降りて調査を行う。そう答えたザリアに、「調査はいいのですが」とジークリンデは口ごもった。 「次に目を覚ますのが、5日後になりそうな気がしただけです。その、可愛がっていただくことを嫌と言うつもりはないのですが。やはり、物事には限度と言う物があるのかと」  ジークリンデの答えに、「そう言うことか」とザリアは大きくため息を吐いた。そしてカイトに向かって、「常識を弁えよ!」と叱りつけた。 「これ以上、王女の価値を毀損するような真似をするな」 「私は、価値を毀損するようなことをしてしまったのですね」  カイトを叱りつけたのに、結果的にジークリンデにとどめを刺してしまった。それに慌てたザリアは、「大丈夫だっ!」と慌てて言い繕った。 「今なら、まだ傷は軽いはずだっ」  だから気を落ち着けるのだと。結果的に、ザリアは再度ジークリンデにとどめを刺したのだった。  半軟禁状態になったノブハルは、アクサを使って情報を集めることにした。そして空いた時間を用いて、カイト達から貰った情報を分析することにした。ここまで生活をしてきた経験から、トリス・クロの文明レベルの低さを理解したのである。ヘルコルニアが同じレベルとまで言うつもりはないが、宇宙に出る以前のものと言うのは理解できたのだ。  その意味で、何者かの干渉と言うのは理解できる説明だと思っていた。 「確かに、干渉してくる目的が分かりにくいな」  アクサ経由で、幾つかの検討結果は教えられていた。そして最新情報として、ノブクリークの調査結果も受け取っていた。その情報を整理し考察するため、ウタハが眠りに落ちたのを利用して、ノブハルはこれまでの情報を眼の前に展開した。 「現在の政策は、オールド・バランタインの影響が残っているのか。白豪主義ってのはよく分からないが、ヘルコルニア本星は肌の白い奴らが支配していると言うことか。有色人種? が劣っている物として虐げられたのが、現在に至ると言うことなのだな」  見た目で区別すると言う考え方は、納得はできないが理解はできるものだった。ただ理解をしたのと同時に、「愚かしすぎる政策だ」とオールド・バランタインのことをノブハルは嘲笑った。広い宇宙を知れば、肌の色など差にもならないと言うことを思い知らされるのだ。狭い世界の中で通用する、しかも時間制限のある愚かな考え方だと言うのである。 「だから、首都のオーヘントッシャンでも、肌の白い者を見かけないと言うことか……いや、ここの役人に同行していた兵士は、確か肌が白かったな。それならば、規律が保たれているのも当たり前のことか。そしてウタハに性的な興味を持たないのも、猿相手に盛らないと言うことか」  結果的にそれで助かっているのだが、理由が分かれば腹立たしくも有ることだった。ただ大勢の美しい女性を知っているノブハルから見ても、吹っ切れたウタハの美しさは群を抜いていたのだ。見た目を持ち出したなら、自分の妻達でも勝てないと思うぐらいだ。フリーセアとは違う意味で、今のウタハは強烈にノブハルを魅了していた。 「いやいや、ウタハのことは今は忘れよう」  彼女のことを思い出すと、この状況はとてもまずいことになりかねなかった。何しろノブハルの隣では、裸のウタハがくっつくようにして眠っていたのだ。肌理の細かな肌とか、抱き心地とか……そこまで考えたところで、ノブハルはもう一度「だめだ」と頭を振った。忘れようと自分で口にしたくせに、体の一部が反応をしてしまったのだ。 「宇宙を旅行するぐらいに発達した者なら、見た目の違いは克服しているだろうと言うのだな」  それは理解できると頷いたノブハルは、シエルシエラと言うタワーの情報を投影した。 「地下10階に、宇宙船の一部が保管されていると言うのか」  ザリアが見つけたと言う残骸は、自分達がいる部屋よりも大きかった。外部から分析した結果は、動力部は生きているらしい。構成する金属は、連邦では使われていない化合物と言うことだった。 「ただ、それ以上は踏み込んでみないと分からない……か」  小さく呟いてから、ノブハルはもう一度残骸をじっくりと確認した。 「脱出カプセル的な物と言う考え方もできるな。さもなければ、小型艇の一部なのかもしれない」  だが外観からは、想像できてもそこまでが限界だった。ただ面白くなってきたと言う思いが、ノブハルの中に生まれてきたのは確かだった。  まだ宇宙的には未開に近い惑星に降り立ち、他の宇宙人の影響を調査する。しかも不幸に見舞われていた女性を救い、自分の力で美しく花開かせることに成功したのだ。絵に描いたような冒険だとノブハルは喜んでいた。 「いやいや、それも本題ではないはずだ」  脇道にそれたと、ノブハルはデーターの分析に戻ることにした。 「与えられた文明のレベルが、彼らの母星のレベルなのかが疑問と言うことか。同時に、それは乗員に対する疑問にもつながることだな」  送られてきた詳細な分析と推論に、さすがだなとカイト達のことを評価した。誰の考えかと言うのも気になったが、自分が考えるようなことは分析の中に網羅されていたのだ。ただ宇宙船がヘルコルニアにある以上、トリス・クロにいる限りは関わりようがないことだった。 「いや、最後の疑問……なぜ、最初にトリス・クロが選ばれたのかと言うのがあるな。確かに5光年と近いのだが、本当にそれだけが理由と考えるのは問題が有るか」  白色人種を優遇するため、ほとんどの有色人種を強制移民として新天地へと送り込まれていた。そのための場として、近場に有った惑星を利用すると言うのも理解ができることだった。ただ原因と結果を取り違えると、干渉してきたものの考えを誤解することにもなりかねない。  だからノブハルは、「トリス・クロ」でなければならない理由を考えた。ただ情報が少ないため、仮説に仮説を重ねるものとなるのは仕方がないことだろう。 「ヘルコルニアに激突したことを考えると、奴らが乗ってきた船に何らかの問題が起きたのは確かだろう。だとしたら、ヘルコルニアに本船ごと落ちたと言うのは考えにくいな。もしも落下したのが着陸艇だと考えたら、1隻だけかと言う疑問も出てくる。仲間を探すため、干渉してきた者は、トリス・クロにゲートを開き、無人の惑星を開拓させたと言う可能性もあるわけか」  そうすることで、仲間が着陸した痕跡を探すこともできるだろう。その推測を面白いと考えたノブハルは、軟禁から解放されたら調査に出ようと考えた。そうすることで、ウタハを陰鬱なオーヘントッシャンから連れ出せるのと、ならず者の目から隠すこともできると考えたのだ。冷静に考えてみれば、今のウタハを彼らの目に晒すのは危険すぎたのだ。  そしてウタハなら、自分よりもトリス・クロに詳しいだろう。彼女を保護するためには、一緒に歩き回るのにも都合がいいはずだ。 「そうするのが、一番いいことになるな」  それこそ冒険、それこそ探検だとノブハルは一人で盛り上がっていた。  ただベッドの中で、しかもぴったりと密着して眠っていたのだ。その隣でそんな真似をすれば、ゆっくりと眠っていられない。小さく身じろぎをしたウタハは、「なに?」と言って目を開いた。ノブハルが慌ててすべての情報を潰したのは、今更のことだろう。 「悪い、起こしたか?」 「あなたが、ぶつぶつと呟いているのに気がついたから」  そこで少し姿勢を直すように、ウタハはもぞりとシーツの中で体を動かした。そのため豊かな胸が押し付けられ、少し硬い感触がノブハルの胸に伝わってきた。しかもしっとりとした肌の感触を、今更のように意識させられてしまったのだ。ノブハルの一部が、元気を取り戻すのも不思議な事ではない。 「ぶつぶつ……か。確かに、いろいろとこれからのことを考えていたな。タウンミーティングが終わったら、その後俺たちがどうしたらいいのか。お前を守ってやると豪語した以上、俺にはその方法を考える義務があるんだ。それが、ご主人様としての俺の義務なんだ」 「ご主人様って……愛してるって恥ずかしくて言えないから、その照れ隠しだと思っていたわ」  呆れたと言われたノブハルは、「照れ隠しじゃないぞ!」と言い返した。 「そうなの? ノブハルは、私のことを愛してくれないの?」  どうなのとじっと見られ、ノブハルは気まずげに視線をそらした。 「ねえ、どうなの? 私は、あなたのことを愛してるって何度も言えるわよ」  ねえと言ってのしかかられたノブハルは、柔らかな感触に気もそぞろになってしまった。その辺り、ウタハの体に溺れたと言うのが一番正しいのだろう。  「ねぇ」と迫られたノブハルは、完全に頭に血を上らせてしまった。 「あ、あ、愛してるぞ。だから、お前を俺のものにしたかったんだっ!」  焦って吐き出された言葉に、今度はウタハが顔を真赤にした。どうやら、彼女には「愛してる」と言う言葉への耐性がなかったようだ。 「そ、そ、そうよね。ノブハルは私に首ったけ、なんだからっ」 「そ、そう言う、お前は、ち、違うのかっ」  むきになって言い返したノブハルに、ウタハは更に顔を赤くして「これ」とチョーカーを指さした。 「一生外さない……ええっと、お風呂の時には外すけど。ううん、そう言うことじゃなくて……ぼろぼろになっても外さないから」  だから身も心もノブハルのものなのだ。そう言ってウタハは、ノブハルに唇を重ねてきた。普段以上に情熱的に重ねられた唇が、感情の高ぶりを物語っているようだった。  そんな二人を、部屋の物陰から見ている影が2つあった。その一つが、ノブハルの護衛としてついてきているサラマーである。そしてもう一つが、ノブハルを守るデバイス、アクサだった。  激しく愛を交わす二人を見たサラマーは、「また誑し込まれた」とため息を吐いた。フリーセアの時もそうなのだが、女性に対する耐性が低すぎるように思えたのだ。これはこれでまた問題になるなと、サラマーは生暖かい目でノブハル達を見守っていた。  そんなサラマーに、「微妙に違う」とアクサは指摘した。 「ウタハって子の気持ちはまだ分からないけどね。ノブハルは、本気であの子のことを愛するようになっているわ。多分だけど、生まれて初めての「恋愛」と言うのもあるんじゃないのかな? まあ、雰囲気に飲まれて錯覚している可能性もあるけどね。後はそうね、自分の力で勝ち取ったってのも大きいんじゃないの? 最初の二人は、どこかどさくさ紛れの所があったと思うし、ライラの時はノブハルに選択の自由はなかったでしょ。唯一近いのはセントリアかなぁ。それにした所で、シルバニアからあてがわれたって所があるもの。偶然出会って、そして一緒に暮らすうちに情が移っていった。それから告白をして、めでたく結ばれた訳でしょ。しかも、それからあの子は見違えるほど綺麗になったわ。こと見た目に関して言えば、あの子は今までで一番じゃないの。そんなことも含めて、ノブハルにとって初めての経験なのよ」  だからと答えたアクサに、なるほどとサラマーは小さく頷いた。 「言われてみればそうなんですけど……ただ、普通の男女の出会いとは思えませんけどね。置かれた環境が酷すぎるって言うのか、吊り橋効果でしたっけ? 彼女の方は、間違いなくそれが影響していますよね」 「いいんじゃないの。その方が劇的で、ドラマの主人公になったように思えるんだし」  明らかにうっとりとしたアクサに、そう言う憧れがあるのかなと新鮮な気持ちを感じてしまった。そして「いやいや」と自分の考えをサラマーは否定した。いくら特殊な成り立ちのデバイスとは言え、どうしてそんなに乙女乙女してくれるのだ。あり得ないでしょうと否定したのだが、もう一度違うかと元の考えに戻ってきた。アクサが、今現在トラスティに夢中と言う事情を思い出したのだ。しかも「肉体関係」まであるのだから、デバイスと考えること自体に無理があると考え直したのだ。 「アクサさん、ひょっとして憧れがある?」 「憧れがない女の子なんていないわよっ!」  打てば響くと言うのか、はっきり言って即答だった。本当にデバイスかと疑問を感じたサラマーに、「2回ともそうだった」とアクサは目尻をだらしなく下げていた。 「2回とも?」  はてと首を傾げたサラマーに、「ノブハルのお父さんとお爺さん」のことだとアクサは打ち明けた。 「お父さんには、崩壊しかないところを救ってもらったのよ。しかも、私のために奇跡まで起こしてくれたの。これで惚れるなって言うのは、無理だと思わない?」  多分アレのことだなと、自分が派遣される前の事件をサラマーは思い浮かべた。言われてみれば、あれは奇跡が起きたと言っていいのだろう。何しろ連邦では、エネルギー切れを起こしたデバイスは、絶対に救うことはできないと言われていたのだ。そしてその事情は、シルバニア帝国でも変わることはなかった。ライラ皇帝がわざわざ頼みに行ったのが、その事実を裏付けていた。 「それで、お爺さんの方はどうだったんです?」  1千ヤー前のことですよねと。サラマーは興味津々と言う顔をして尋ねた。何しろ相手は、伝説のIotUなのだ。きっと面白い話が聞けるはずだと期待したのである。 「聞きたい、ねえ、本当に聞きたいの?」  目を輝かせて迫ってくるアクサに、「話したいのだな」とサラマーは理解した。だから期待に応えるためにも、「是非に」と聞きたいことを強調した。 「でもぉ、まだあの人も知らない話なのよねぇ。一応、「消された記憶」って事になってるしぃ〜」  どうしようかなって駆け引きをするところなど、見た目通りの少女にしか思えなかった。もっともサラマーの場合、年齢相応と言う経験はまったくなかったのだが。 「でもお願いされたから、あなたにだけは特別に教えてあげる」  つまり、話したくてしょうがないと言うのが正しかったと言うことだ。こんなことで謎が解けていいのか、どこか理不尽だなとサラマーは苦労していたトラスティのことを思い出した。  ただそんな事情は、アクサには関係がなかったようだ。「もう、ずっと昔のことね」と、出会いの頃から丁寧に話し出してくれた。明らかに本人の願望による脚色が加えらているため、中には本当かと疑いたくなるようなエビソードまで含まれていた。  確かに貴重な、そして謎解きにもなる話には違いないのだろう。ただサラマーの失敗は、藪をつついてしまったとことだった。ノブハル達が疲れ果てて眠りに落ちたのに、アクサの話は半分も進んでいなかったのだ。 「私に首ったけだったから、ご褒美にプールで水着を見せてあげたの。興味が無いようなふりをしてたくせに、何度もチラチラと私のことを見ていたのよ。だから私も、だんだん大胆になっちゃったしね」  きゃあと恥ずかしながら、さんざんのろけ話を聞かせてくれるのだ。とても大切な、そして謎に迫る話なのに、早く終わってくれないかなぁと、サラマーは思いっきりだれていたのだった。結果的にアクサののろけ話は、二人が朝食に行くまで続けられたのである。  タウンミーティングには、十分時間をとるようにとフェリシアはお願いをしていた。そのリクエストに応える形で、タウンミーティングは午後に行われることになった。確保された時間は2時間なのだが、後に予定を入れないことで、延長できるようにしたと言うのがその時間が選ばれた理由である。だた自治政府の誰一人として、延長になるとは思っていなかった。箸にも棒にもかからない、綺麗事だけのミーティングになることを全員が理解をしていたのだ。  タウンミーティングの開始事項は、午後の1時半に設定された。そしてそのために、タウンミーティング出席者は午後1時には全員が集合するよう案内されていた。そこで初めて、出席者が顔を合わせることになる。 「どうやら、盛大なドッキリではなかったようだな」  結構早めに案内されたのだが、すでに先客が4組ほど来ていた。部屋の広さは200平方メートルぐらいだろうか。参加人数を考えると、やけに広いなと思える部屋だった。そしてすぐに、ノブハルはその理由に気がついた。部屋の中には出席者用の椅子が置かれているのだが、一つだけ離れたところに置かれていたのだ。その方向にゆっくりと近づいたノブハルは、間に分厚いガラスがあるのに気がついた。 「なるほど、理解できる措置だな」  軽く拳で叩いてみたら、とても固そうな音がしてくれた。万が一を考えれば、これぐらいのことをしてもおかしくないのだろう。  あまり仕切りに近づいていると、余計な詮索を受けることになる。それに他の参加者も集まってくるので、ウタハから離れるのは良くないだろう。そのつもりで戻ろうとしたノブハルは、ウタハが青い顔をして一方を凝視しているのに気がついた。何事が起きたのだと、慌ててノブハルは彼女のところへと戻った。 「おい、どうかしたのか?」  軽く肩を揺すったのだが、ウタハはノブハルのことに気づいてくれなかった。それどころか、ますます顔が青くなり、足元もおぼつかなくなってきた。流石にまずいかと肩を抱き寄せようとした時、「ウタハ先輩ですよね」と一人の女性が小走りに近づいてきた。茶色の髪をショートボブにした、結構可愛い顔をした女性である。 「先輩、ケイですよ。ローヤル高で一緒だったケイです」  その女性が抱きついてきたので、ノブハルは一歩下がって距離をとった。そして視線を、ゆっくりと近づいてくる男の方へと向けた。どこかで見覚えがと少し考えたところで、ノブハルは拾ったロケットに有った写真だと思いだした。 「なるほど、そう言うことか」  ぎこちなくケイの相手をするウタハを横目に、ノブハルの視線は男の方へと向いていた。それに気づいたのか、男はノブハルに向かって小さく会釈をしてきた。 「初めまして、アークと言います。ウタハ先輩とは、ローヤル高で一緒だったんです」  少しの曇もない笑みを向けられたノブハルは、逆にその男に違和感を覚えてしまった。こんなところで微笑んでいられる、その神経を疑ったのだ。 「こちらこそ、ノブハルと言う。気づいていると思うが、ウタハと一緒に住んでいる」 「つまり、恋人と言うことですね。ウタハ先輩に、あなたのような頼りになる人が居てくれて良かった」  本気で喜ぶアークに、「そうか」とノブハルの答えはあっさりとしたものだった。 「ええ、ウタハ先輩は物凄い美人ですからね。高校の時には、すごく人気があったんです。ただ、ちょっと嫌な事件があって、一人街を出ていってしまたんです。一人住まいをしていると噂があったので、大丈夫なのかと心配していたんですよ」  ぺらぺらと喋るアークに、ノブハルは「そうか」と繰り返した。そして「ずいぶんとお喋りなんだな」とアークの態度を論った。 「まさかウタハ先輩に会えるとは思っていませんでしたからね。ちょっと、舞い上がってしまったんですよ」  それだけですと笑ったアークは、「ケイ」とガールフレンドの名前を呼んだ。ノブハルが知っている範囲で、ウタハは相槌をうつこと以上のことをしていなかった。ただケイと言う女性が、一方的に懐かしがって昔のことを話し続けていただけだった。  アークに呼ばれたケイは、少し不満そうな顔をしてウタハから離れた。そして「初めまして」ととても綺麗な笑顔をしてノブハルに挨拶をした。 「私はケイと言います。ウタハ先輩に憧れていたんですよ」 「俺はノブハルだ。ウタハの恋人をしている」  アークに指摘されたからか、ノブハルは敢えて恋人と答えた。「そうなんですか」と驚くケイに、ノブハルはアークに感じたのと同じ違和感を覚えた。 「なにか、不思議か?」  ノブハルは、そこで敢えて曲解した問いを口にした。ケイから、どんな答えがあるのか探ろうとしたのだ。  そしてノブハルの問いに、ケイは「違います」とじっとノブハルの目を見てきた。 「ウタハ先輩にお似合いの人が居たことに驚いただけです」 「確かに、ウタハ程の美人はいないな」  ニコリともしないで答えたノブハルに、「惚気ですか?」とケイは口元を歪めた。それに「事実だ」と答えたノブハルは、「これで失礼する」と二人に告げた。 「どうやらここは、和気藹々と再開を喜ぶ場ではないようだ」  まわりを確認すると、そこそこ参加者が集まっていたのだ。ただノブハル達以外は、誰一人として言葉を発していなかった。 「確かに、そうなんですけど……でも、ウタハ先輩に会えて良かったと思っているんですよ。早くタウンミーティングですか、それが終わらないかなぁって思えるようになりました」  そこまで話したところで、アークが小さく咳払いをした。それに気づいたケイが、「いけない」と小さく舌を出してから、「失礼しました」とノブハルに頭を下げた。 「これが終わったら、4人でお話をしませんか?」 「無事に終わったら、それもいいかもしれないな」  それだけだと答えたノブハルは、行くぞとウタハの肩を抱き寄せた。相変わらず青い顔をしたウタハは、黙ってノブハルに連れられていった。それを見送ったアークは、「想定外かな?」とケイに声を掛けた。 「ウタハ先輩がいたのは、確かに想定外ね。でも、結果は何も変わらないと思うわ」  ケイの答えに、それは違うとアークは笑った。 「僕が言っているのは、一緒にいた男の方なんだけどね。何かちょっと、得体が知れない気がするんだ。そもそもウタハ先輩が、こんなところに出てこられるとは思っていなかったんだ。あいつ等に輪姦させたはずなのに、どう見ても精神的に持ち直しているんだ」  だから想定外と答えたアークに、「そうでもないよ」とケイは答えた。 「私の顔を見て、真っ青になって震えてたもの。でも、アークの言うのも分かるかな。あの男、そんなウタハ先輩を見ても少しも動揺していなかったし。確かに、この中で一人だけ違った空気を纏っていたわね。ただトリス・クロでは只者じゃないかもしれないけど、私達の基準では只者でしか無いわ。でも、ちょっと素敵かなって思ったのは確かね」  そこでケイは、部屋を出ていく二人の方を見た。ノブハルがウタハを支えているところを見ると、とりあえず隔離をして落ち着かせようとしているのだろう。 「でも、警戒は必要かもね」  多分大丈夫だけどと、ケイは閉められた扉の方を見ながら言った。 「ああ、誰も僕たちの邪魔なんかできないからね」  大丈夫だと思う。アークの言葉は、ケイとは若干ニュアンスが違ったものだった。  時間が残っているのを利用し、ノブハルはウタハを部屋から連れ出すことにした。係官からは、30分前には部屋にいるようにとしか伝えられていない。だったら、それまでの過ごし方は自由だと考えたのである。  そして部屋からウタハを連れ出したノブハルは、そのまま「男性用」のトイレにウタハを連れ込んだ。そして広めの個室を選び、その中にウタハを連れ込んだ。 「アクサ、外界からここを遮断しろ」  それを小声で命じてから、ノブハルは青い顔をしたウタハと向かい合った。せっかく精神的に落ち着いたのに、以前のウタハに戻っていたのだ。だからノブハルは、何も言わずに唇を重ねるところから始めた。そしてただ唇を重ねるだけでなく、唇を犯すように貪った。  それをひとしきりしてから、「いいか」とウタハと正面から向かい合った。 「俺は、どんな事があってもお前を守ると約束をしたはずだ。たとえ相手が誰だろうと、お前を害するものを許しはしない。誰が悪いとか誰が正しいとか、そんなことは俺にはどうでもいいことだ。俺はお前のすべてを肯定するし、誰にもお前を否定させたりしない。もしも不安を感じたら、その時はチョーカーに触れて俺の言葉を思い出せ」  正面から向き合ったノブハルは、少し頬に朱が指したウタハに強い言葉で告げた。ノブハルの言葉に従うように、ウタハは首に巻かれたチョーカーに触れた。確かな印を感じたのか、ウタハの目にもしっかりと力が戻ってきた。 「そしてお前は、俺のものだと言ったはずだ」  もう一度唇を重ねたノブハルは、ウタハを便座の方へと押し付けた。 「……違うか」  ウタハを引き寄せて起こしてから、自分に背中を向けるようにさせた。そしてスカートの中に手を入れ、ストッキングと一緒に下着を引き下ろした。 「ノブハル?」  こんなところでと訝るウタハに、「嫉妬だ」とノブハルは耳元でボソリと告げた。 「お前が、あの男の写真を持っていたのは知っているんだ。元彼が現れて、俺が冷静でいられると思ったのか?」  だからだと、ノブハルはウタハの大切な部分を愛撫した。 「ち、違う、アークは彼なんかじゃないっ」  すぐに息が上がりだしたウタハに、「なおさら悪い」とノブハルは手を緩めなかった。 「密かに思いを寄せていた男、か。この程度で済ませておこうかと思ったが、お前に立場を教えてやらないといけないな」  大切な部分を弄ぶのをやめ、ノブハルは背中からウタハに覆いかぶさるようにした。 「お前は、俺だけのものだと言ったはずだ」  そう言いながら、ノブハルはウタハの中に入っていった。遮蔽された個室の中を、すぐにウタハの甘い声が満たした。そしてその交わりは、「そろそろよ」とアクサが割り込んでくるまで続けられた。  ノブハル達が戻った時には、すでに全員が着席をしていた。そこでノブハルが異様だと感じたのは、1組の例外を除いて彼らに無関心だったことだ。全員の顔色が良くないことを考えると、極度の緊張状態に置かれているのだろう。  そこでぐるりと会場を見渡し、ノブハルは残っていた椅子に腰を下ろした。偶然なのか誰かの意図なのか、その場所はアーク達の隣だった。 「ずいぶんと余裕なんですね」  そう声を掛けてきたアークに、「誰がだ?」とノブハルは言い返した。 「他の奴らを見てみろ。他人に気を使っている余裕のある奴なんかいないぞ」  それなのに、座ってすぐに自分に声を掛けてくるのだ。他人事じゃないだろうとノブハルが言うのも、むしろ当たり前のことだった。 「確かに、僕たち以外この部屋では誰も話をしていませんね。恋人同士なのに、その間での会話もなかったぐらいです。こんなもの、開き直るしか無いと思うんですよ」  うっすらと笑みすら浮かべているアークに、そうかとノブハルは言い返した。 「開き直りが必要なことには同感だが、俺にはお前達が開き直っているようには見えないんだがな。開き直るどころか、楽しんでいるように思えるぐらいだ」 「トイレで、セックスしてくる人に言われたくありませんね」  すかさず言い返してきたアークに、「メンタルケアだ」とノブハルは言い返した。 「自分の女の精神が失調したんだ。だったら、そのケアをするののどこが悪い。こう言ったことは、時間を置くと良くないからな」  その答えに、アークは小さく吹き出した。 「自分の欲望を発散することを、そちらに理由を持っていきましたか」 「悪いのか?」  開き直ったようなノブハルに、「いえ、別に」とアークはそっけない答えを口にした。 「恋人同士のことに、他人が口を挟むことはありませんよ。ただ、余裕だなと思っただけです」  面白い人ですねと、アークはノブハルを評した。 「本当に、これが終わった後に4人でお話をしたいと思いますよ」 「俺は、別に構わないのだがな」  ノブハルがそう答えた時、扉が開いて係員達が入ってきた。全員の表情が硬いところを見ると、彼らもまた極度の緊張状態に置かれているのだろう。そして最後に入ってきたデュワーズは、ゆっくりと全員の見た。 「あと30分で、フェリシア様とのタウンミーティングが開催される。事前に注意したように、各々発言には十分気をつけるように。そして相反するように聞こえるかもしれないが、積極的な発言を期待する。一応司会は置かれるので、発言は司会の許可を得て行うように。そして司会が設定したテーマから外れないように気をつけてくれたまえ。私から注意することはこれだけだ。それからタウンミーティングの様子は、トリス・クロ全土に放送されることになっている。ちなみにこれは、フェリシア様からのご指示によるものだ」  そんなことをすれば、ますます全員が萎縮することになる。フェリシアの指示とは説明されたが、渡りに船と自治政府が考えたのも想像ができた。放送として流すことで、不用意な発言が行われないよう保険をかけたとのだろう。  そして別の男が前に立ち、これからの手順の説明を始めた。 「13時半丁度に、フェリシア様が入場されます。そこで挨拶を頂いた後、みなさんには一人ひとり簡単な自己紹介をしていただきます。それが終わったところで、飲み物が配られることになります。ただ安全のため、皆さんに配られる飲み物は紙コップで提供されます。そして飲み物の準備が終わったところで、タウンミーティングが開始されることになります。皆さんの手元に、テーマ一覧が書かれた紙があるかと思います。それが、今日のテーマ候補と言うことになります。くれぐれも、事前に注意されたことを忘れないようにしてください。それから、これから配られる名札を胸につけてください」  以上だと説明を終わり、係員は頭を下げて部屋を出ていった。これで部屋の中には、9組18人の男女と、世話係らしき4人の男が残ることになった。開始までの残り時間を確認すると、あと10分というところまで来ていた。それが理由で、部屋にいる者達の緊張はさらに高まることになった。  そしてその事情は、ウタハも同じなのだろう。それだけかと言うところには疑問はあるが、緊張していることは確かだった。横目でそれを確認したノブハルは、右手を伸ばして膝の上に置かれたウタハの手に重ねた。指を絡めるようにして握り返されたのを確認してから、「後から続きをするぞ」とノブハルはウタハだけに聞こえるように声を掛けた。  小さく頷くウタハは、握り返した手に力を込めた。それを感じたノブハルは、正面を向いたまま同じように頷いた。それを横目に、アークとケイの二人は小さく口元を歪めたのだった。  ザリアの調査が遅れたのは、なかなかメイプル号を出発できなかったのが理由だった。そしてザリアが出発できなかったのは、カイトとジークリンデの関係が理由になっていた。そのあたり、都合1週間に及んだジークリンデの失神が問題となったのである。  それ以上にあった理由が、特に急ぐ必要がないと言うものだった。そして1週間が経過したところで、ザリアは再度ノブクリークに降りて代表府が置かれたシエルシエラの調査に入った。事前に建築図面は入手してあるので、決め打ちで地下10階に降りていった。  異なる空間で実体化したザリアは、多層空間越しにシエルシエラの地下10階の状況を観察した。薄暗い通路が縦横に走り、鉄でできた重い扉で仕切られた部屋が幾つか作られていた。そして階の入り口には、危険物を示すマークが目立つところに貼られていた。 「汚染の危険があるため、許可なきものの立ち入りを禁じる……か」  ふんと鼻で笑ったザリアは、ゆっくりと一つ一つの部屋を確認していった。中には、確かに隔離が必要と思える危ない代物も保管されていた。 「普通は、放射性物質をこのような場所に保管せんものなのだがな」  常識がないと呆れながら、ザリアは次の部屋へと移動をした。そして部屋の中に入ってから、思わず目をこすりたくなるような光景を目の当たりにした。  部屋に入ったところで、ザリアは一度目をパチパチと瞬かせた。そして振り返って、部屋の入口に当たる鉄の扉を確認した。両手を広げて確認したところ、丁度2回分ぐらいの幅があるようだ。そして入口の高さを確認すると、2mを少し超えたぐらいだろう。そこまで確認してから、ザリアは部屋の中に置かれたものをもう一度見た。黒く煤けた外壁に、幾つかパイプのようなものが走っているのが確認できる。ひしゃげた部分があるのは、強い衝撃を受けたことが理由として考えられる。ハッチのようなものも幾つかあるのだが、変形具合を考えると簡単には開きそうもないように見えた。  そこまでは、宇宙から飛来したことを考えれば不思議ではないのだろう。地上に激突したことを考えれば、破損度合いは逆に軽すぎると思えたぐらいだ。  そしてその物体を確認したザリアは、部屋の反対側に回ってみた。そこに大きなシャッターでもあるかと確認したのだが、有ったのはコンクリートが打ちっぱなしになった壁だけだった。天井を見上げてみれば、幾つかの配管が走り回っているし、床を見れば打ちっぱなしのコンクリートの上に、うっすらと埃が溜まっていた。誰の足跡も見られないところを見ると、ここしばらく誰もこの部屋に入っていないことになる。 「どうやって、この部屋に入れたのだ?」  観察した結果、この部屋のどこにも大きな物体を搬入する口がなかったのだ。大きさにして、縦が3m、横が13m、長さが16m程だろうか。分解できるとは思えない長方形の箱が、広い部屋の中心に鎮座している。空間移動でもしてこない限り、物理的に搬入は不可能としか言いようがなかった。通路にしても、このような大きな物体を運ぶ広さはなかったのだ。 「いや、この物体の周りに部屋を作ると言う方法もあるのだが……」  それを口にしたザリアは、すぐにいやいやと首を振った。そして現実逃避をやめて、謎の物体の調査に入ることにした。ちなみにこの部屋には、なんの注意書きも書かれていない。よくよく確認をしてみたら、天井には照明もついていなかった。それでも物体が確認できるのは、そのもの自体が薄く輝いていたからだった。 「内部からエネルギー反応は感じられるな。ただそれにしても、かなり微弱と言っていいだろう。宇宙どころか、空に飛び上がることにも困難を伴うだろうな」  ゆっくりと回りを回りながら、ザリアは箱のセンシングを続けた。 「非常に微弱な生命反応があるな。環境温度を考えると、冷凍睡眠に類することをしておるのだろう。だが生命反応は1つしか無いな。一人しか生き残らなかったのか、はたまた初めから一人だったのか。管理システムを調べれば、もう少し詳しいことも分かるだろう」  強制介入するかと一瞬考えたザリアだったが、時期尚早とその考えを放棄した。ノブハルの方でのイベントを考えると、その前にこちら側を動かすことへの危険性を考えたのだ。 「では、全体をスキャンして今日の調査を終わらせるか。主が冷凍睡眠している以上、しばらく動きは見られないだろうからな」  そこで右掌を箱状のものに向け、ザリアはゆっくりと中をスキャンしていった。外装を構成する金属の組成は不明だが、今の所スキャンには支障は出ていなかった。 「中にいるのは、ヒューマノイドタイプと言うことか。ただ、結構小柄に思えるな」  ふむふむと頷いてから、ザリアはスキャンを終わらせた。 「では、息子達のところに帰ることにするか」  流石に今日は、何事も起きていないだろう。冒険よりもおかしな事になっていないか。ザリアはメイプル号での人間関係に疑問を感じたのだった。  エイリアスに脅されたこともあり、スクラルド・バランタインはトリス・クロから送られてくる情報に目を光らせていた。 「やはり問題は、タウンミーティングか」  今のところ、予定されていた行事は特に問題を起こすこともなく進められていた。郊外への視察にしても、テロの気配もなかったぐらいだ。そうなると次の不安は、同年代が集められたタウンミーティングと言うことになる。トリス・クロ内に中継されると言うのも、スクラルドの不安を煽ってくれた。  そこで参加者のリストを見てみたのだが、当然のように問題など分かるはずがない。いずれの参加者も、ごく普通の家で生まれ、そして当たり前のように性的暴行の被害を受けていたのだ。心と体に恐怖が刻み込まれているのだから、大それた真似などできるはずがないだろう。 「ローヤル高事件の関係者が3人も入っているのか?」  その中でスクラルドの注意を引いたのは、忌まわしき事件の関係者が入っていたことだった。それまで多少のことには目をつぶっていたスクラルドだったが、この事件だけは放置することができなかった。全校生徒600名のうち、約半数の300名余りが犠牲となり、校舎にまで火が放たれたと言う悪質な事件だったのだ。しかも当日高校に出席していた女子生徒の殆どが、押し入った軍人達に暴行をされていた。犯人の公開処刑を行わなければ、トリス・クロ全土で暴動が起きかねないぐらいに世論がざわめいたのだ。そしてその記憶は、スクラルドにとっても忘れたいものになっていた。  その記憶を掘り起こされ、スクラルドは関係者3人のプロフィールを参照した。 「ウタハ・ブルームは、当日欠席をしていて難を逃れたと言うことか。ただ、その後はオーヘントッシャンの中心部に転居しているな。暴行を受けたと言う届けは出されていないか……おそらく、無事では済んでいないのだろうな」  有色人種に対して偏見を持つスクラルドの目から見ても、ウタハの容姿はとても魅力的に見えたのだ。そんな女性が街の中心街で一人住まいをするのは、襲ってくれと言っているようなものだった。よほど注意深く生活をしていても、ならず者と化した地元兵たちから逃れられるとは思えなかった。  ただウタハの犯罪被害は、今はどうでもいいことだった。次の関係者のプロフィールに視線を移したスクラルドは、「なに?」と小さく声が出てしまった。 「ケイ・カイトウ。ローヤル高事件の際には登校していたが、奇跡的に被害をまぬがれている……だと? その後も、性的暴行の被害を受けていないと言うのか?」  その情報に、スクラルドはううむと唸ってしまった。ウタハ・ブルームには劣るが、スタイルを含めて狙われてもおかしくない美少女ぶりを示していたのだ。 「よく、あの現場に居て助かったものだ」  あれだけ大きな事件ともなると、すべての捜査資料が公開されていた。特に性的暴行に関しては、治療経過を含めて詳細なレポートが作られていた。そして押し入ったならず者の行動についても、レポートはしっかりと作られていたのだ。そのレポートによると、押し入ったならず者達はターゲットリストを作っていたと言うのだ。そしてターゲットが見つからないと、他の生徒を脅して居場所を聞き出してまで探し出したのである。その過程で、何人もの生徒が見せしめのために殺されたと言う。  それが気になったスクラルドは、押収された資料からターゲットリストを呼び出した。偏執的とも言える写真付きのターゲットリストには、その女子生徒が居る教室も記載されていた。しかもターゲットとなる女子生徒に対して、ランク付けまで行われていた。  その資料をパラパラとめくっていったスクラルドは、すぐにウタハのデーターを見つけた。Sのマークが付けられ、手書きで金額まで入れられたものである。付箋による解説では、落札者が提示した金額らしい。目を疑う金額が記載されているところを見ると、彼女の人気が高かったのも想像できる。 「恐らく、盛大に悔しがったのだろうな」  少し口元を歪めたスクラルドは、間抜けな落札者のことを考えた。これだけ高額な金を払ったのに、完全に空振りをしてしまったのだ。しかもその後には、罪を問われて公開処刑をされている。無様としか言いようがないと思ったのだ。  それからデーターを調べてみたのだが、ケイ・カイトウのものが見つけられなかった。見落としたのかとリストを確認したのだが、そのリストの中からはケイ・カイトウの名前が見つからなかった。だが聴取者名簿の中には、ケイ・カイトウの名前が記載されていた。それを見る限り、当日登校していたのは間違いないはずだ。そしてもうひとり、アーク・トモローの名前も聴取者リストには載っていた。 「なぜ、ターゲットリストに載っていないのだ?」  ただ不思議だと思っても、その理由を調べることは彼の目的から外れるものだった。まあいいかとローヤル高事件の資料を閉じたスクラルドは、爆弾がどこにあるのかは理解できた。 「ノブハル・アオヤマ……とウタハ・ブルームは同棲しているのか。記録には、特に危険な思想を持っているとは書かれていないな。頭は、ずいぶんと良いようだが」  ノブハルの写真を確認してから、まあ良いかとすぐにその写真を閉じた。ローヤル高事件の関係者と言っても、ウタハ・ブルームは直接の現場を見ていない。その意味で問題は、現場を見ている二人だと思ったのだ。 「ケイ・カイトウとアーク・トモローとも危険思想は確認されていないのか」  小さく呟いたスクラルドは、自治政府から送られてきた面接記録を表示した。 「この4人が、他の14人と面接態度が違っていたと言うのか。ただ、いずれも自治政府の立場に理解を示しているのだな。逆に聞き分けが良すぎる気もするが、だからと言って問題視するほどのこともないのか」  次に確認したのは、トリス・クロ内への中継方法だった。不測の事態が起きることを想定した場合、生放送と言うのは都合が悪かったのだ。 「タウンミーティングの様子は放送されるが、リアルタイムではないのだな。5分の間を置いてから、放送されると言うことか」  それだけの間を置けば、不穏なことを口走られても放送に乗ることはない。娘が失言をしても、放送に乗ることはないのだろう。  これならば良いかと安堵したスクラルドは、「なんだったのだ」とエイリアスの言葉を思い出した。今の所総督府はおかしな動きを見せてないし、トリス・クロの住民もおとなしいものなのだ。気にしていたタウンミーティングにしても、十分に対策が取られているのを確認することができた。 「杞憂と言うことなのか。ならばなぜ、エイリアス様はあのようなことを仰られたのだ」  分からんと呟いたスクラルドは、画面を消して椅子の背中にもたれ掛かった。 「フェリシアが無事に帰ってきたら、あれに婿を取ることを考えねばならぬな。息子ではなく、婿に代表を任せることになるのか」  バランタイン家として、初めてのこととなる。これまで全く考えてこなかっただけに、婿の候補が全く思い浮かんでくれない。だがバランタイン家の仕来りでは、アクセス権を持たない者があとを継ぐことは許されなかった。そのため優秀な長男ではなく、凡愚な次男があとを継いだこともあるぐらいだ。だが娘と言うのは、これまでで初めてのことだった。 「仕方がない。役人の中から、見どころのあるのを探してみるか」  娘の年齢を考えれば、今からでも遅くはないだろう。意外に手堅い自治政府の対応に、スクラルドの興味は帰ってからのことに移っていた。  説明員が出ていってからの10分の間、タウンミーティング会場は沈黙が支配することになった。参加者を監視する4人の男達は完全に沈黙を守り、2組を除き出席者は緊張から言葉を発することができなかったのだ。そして緊張から無縁の2組も、敢えて言葉を発しようとはしなかった。  そして沈黙の10分が過ぎたところで、分厚いガラスの向こう側の扉が開いた。そして8人の白人男性に守られる形で、連合国家代表の長女、フェリシア・バランタインが入場してきた。金色の長い髪は、いつもと同じように一本に編み上げられて前に垂らされていた。ただいつもの襟の大きなドレスではなく、今日はシンプルな長袖のワンピース姿をしていた。紺と赤で幾何学模様が描かれたワンピースの色に、フェリシアの金色の髪が映えていた。少し長めのワンピースから覗く足には、厚手の白のストッキングが見えていた。  顔は同等スタイルはこっちが上かと、ノブハルはのんきにエリーゼと比べていた。そして大切に育てられたのだなと、険のない彼女の顔からそんなことを想像した。 「初めまして。フェリシア・バレンタインと申します。本日は、タウンミーティングに来ていただいて本当にありがとうございます」  そう口にしたところで、フェリシアはゆっくりと立ち上がって参加者たちに頭を下げた。これまでの関係から考えると、支配層が頭を下げることは考えられなかった。それが理由なのか、緊張に固まっていた参加者達の顔にも、驚きが現れていた。  ゆっくりと腰を下ろしたフェリシアは、「次に謝罪をさせていただきます」と口にした。 「私達の間に、丈夫なガラスの壁が作られています。私としてはとても不本意なのですが、自治政府の方からタウンミーティング開催の条件とされてしまいました。私の本意ではない事をご理解いただきたいのと、失礼な真似をしてしまったことに謝罪させていただきます」  フェリシアは、座ったまま出席者に対して頭を下げた。 「これからは、この壁がなくなるよう努力してまいりたいと思っております。それでは、早速タウンミーティングを始めさせていただきますね」  ニッコリと笑ったフェリシアは、「皆さんの自己紹介をお願いいたします」と参加者たちに自己紹介を求めた。このあたりは、最初の説明通りの手順となっていた。 「ノブハル・アオヤマと言います。年齢は22歳です。隣りに座っているウタハの恋人で、今は一緒に住んでいます」  ノブハルにしては普通の言葉遣いで、ちゃんと失礼にならないように頭を下げた。そして腰を下ろして、ウタハの耳元で「大丈夫だ」と囁いた。  それに頷いたウタハは、一度チョーカーに手を当ててからゆっくりと立ち上がった。ノブハルの励ましが効いたのか、顔には怯えたような表情は浮かんでいなかった。 「ウタハ・ブルームです。年齢は20歳です。隣りに座っているノブハルは、私の恋人です。その、一緒に住み始めてから1ヶ月になります」  そこで言葉を切ったウタハだったが、これ以上喋ることはないと「以上です」と言ってから頭を下げた。 「アーク・トモローです。年齢は19歳で、隣に座っているケイ・カイトウが私の恋人です。ただ、同棲するほどの中ではありませんね」  そこまで説明してから、アークはお辞儀をしてからゆっくりと腰を下ろした。 「ケイ・カイトウです。年齢は19歳で、隣りに座っているアーク・トモローが私の恋人です。実は、私達二人と、ウタハ・ブルームさんは、同じローヤル高校に通っていた間柄です。その頃は、3人で仲良く遊んでいたんですよ」  以上ですと頭を下げたケイは、ゆっくりと座って隣のカップルにバトンを渡した。ノブハルがテンプレートを作ったからか、それからも全く同じ自己紹介が続けられた。 「今日集まられた方は、全員が恋人同士と言うことなのですね。早くお前も恋人を作れと言う、そんなプレッシャーを掛けられた気がしてきました」  そこで式次第を確認したフェリシアは、全員に飲み物が配られるのを待った。そして一通り飲み物が行き渡ったところで、予定通りの質問を口にした。本当はもっと聞きたいことが有ったのだが、事前説明の場で逸脱しないようにお願いされていたのだ。答えを考えてきているので、逸脱した時に詰まってしまうと言うのがその時の説明だった。だからフェリシアは、個人的興味は最後に回すことを考えていた。 「では最初の質問なのですが、本日のタウンミーティング開催に対して、皆さんどのような感想を持たれましたか?」  それではと、自己紹介の逆順にフェリシアは回答者を指名した。答えを考えてきているのなら、どこから当てても同じだろうと考えたのである。  そして立ち上がった女性は、「感激しています」と硬い表情で答えた。まさか自分が選ばれるとは思ってもいなかった。だから光栄だし感激をしていると言うのである。だが棒読みとも言えるその言葉に、無理をさせたのだとフェリシアは理解をした。そしてその感想は、コピペしたような答えが続いたことで確信へと変わった。ただその事情は、最後の4人となったところで変わってくれた。 「そうですね、私もみなさんと同じで感激しましたね。後は、フェリシア様が綺麗なので、ちょっと得した気持ちになっています。テレビで放送されるそうですから、高校の時の仲間も見ていてくれるかなって期待もしているんです」  以上ですと答えたケイに、フェリシアは質問がしたくてウズウズとしていた。だがまだ始まったばかりだと、進行を妨げるのを我慢した。 「そうですね、ほぼケイと同じ印象を持っています。ただフェリシア様については、後からケイが拗ねますので感想は控えさせて貰います。それから、高校の友達とはバラバラになってしまいましたからね。また会えるきっかけになるのかなと、期待をしています」  以上ですと、アークは頭を下げてウタハにバトンを渡した。少し緊張してバトンを受け取ったウタハは、気持ちを落ち着けるようにチョーカーに手を当てた。その行動は、当然のようにフェリシアの興味を引いていた。 「どうして私が選ばれたのかと言う思いは、今でも抱いています。ただトリス・クロの代表として、フェリシア様とお話ができたのは光栄だと思っています。それから私の恋人が、フェリシア様のポスターをじっと見ていたことを思い出しました。今でもそうじゃないかと、隣を見るのが少し怖いなと思っています」  ゆっくりと腰を下ろしたウタハの後を受け、立ち上がったノブハルは「同じ答えでは芸がないですね」と最初に口にした。 「とは言ってみましたが、あまり特別な違いは無いと思います。それから恋人の誤解は早いうちに解くべきだと思いますので、この場を借りて言い訳をさせて貰います。綺麗な人の顔を見たいと言うのは、男の素直な欲求です。だからポスターを見ていたことは否定しませんが、見とれていたのではないことをはっきりさせておきます。それからこの場では、フェリシア様の顔を見ているのが礼儀だと思っています。そこに邪な気持ちがないことも宣言いたします。ちなみに私の恋人も、フェリシア様には勝てませんが、とても綺麗だと常々思っています。そして残念ながら、私はウタハとは同じ高校には通っていませんでした。ですから、この場でその頃を知る人達と会えたのは運が良かったと思っています。自分の知らない恋人の過去と言うのは、やはり知っておくべきだとお思いませんか?」  質問で終えたノブハルは、「失礼しました」と頭を下げてから腰を下ろした。  最後の4人のお陰で、フェリシアは少し救われた気がしていた。それまでの7組14人とは違い、彼らは自分の言葉で感想を口にしてくれていた。ちゃんと話ができる人が、たとえ4人でもいてくれたことが嬉しかったのだ。だから本来答える必要の無いノブハルの問い掛けに、「そうですね」とフェリシアは微笑みながら相槌を打った。 「ですが、昔のことは聞かない方が良いこともあるのではありませんか? そう言ったことは、直接本人に尋ねるべきだと思いますよ。恋人同士なら……なにか、言っていて悲しくなってきましたね」  ふうっと息を吐いたフェリシアは、これからの進め方を口にした。 「ここからは私から指名はいたしませんので、自由に発言していただいて結構です」  初めを4人に引っ張ってもらえば、次第に他の参加者も重い口を開いてくれるだろう。そんな期待を、フェリシアは4人に対して持ったのである。  ただフェリシアは、自分に対して罠が貼られていることに気づいていなかった。無邪気にローヤル高のことを語る2人に、事件の事情を聞きたいと言う気持ちが高まっていたのだ。  トリス・クロへの放送は、検閲のため5分のタイムシフトが行われることになっていた。そしてトリス・クロ全土への放送なのだから、当然のようにならず者にも届くことになる。そんな奴らの前に今のウタハを晒せば、間違いなく次の獲物だとほくそ笑むことになるのだろう。面倒な正規兵も、フェリシアがと一緒に居なくなってくれる。その時には、今まで押さえられていた牙がウタハに向けられることになるのは疑いようはなかった。  そして同じ放送は、娘を心配するスクラルドも見ていた。ただこちらには検閲の必要はないため、ほぼリアルタイムの情報が伝えられた。 「どうやら、無難な始まり方をしてくれたようだな」  ほっと安堵の息を漏らしたところで、「そうかしら?」と女性の声が聞こえてきた。その声に振り返った先には、金色の髪をお下げにした少女が笑っていた。今日のエイリアスは、白いセーターと焦げ茶色のミニスカート姿をしていた。 「エイリアス様。私には、問題があるようには思えませんでしたが? なにか、おかしな兆候がありましたでしょうか?」  本気で分からないと言う顔をしたスクラルドに、「いやらしい仕掛けがされたわ」とエイリアスは答えた。 「あなたも、4人のプロフィールは見ているわよね。ノブハルって言うのは分からないけど、後の3人はローヤル高出身なのよ。そしてケイとアークの二人は、とても無邪気にローヤル高のことを口にしてくれたわ。ちなみにあなたの娘は、視察の時に廃墟になったローヤル高を見ているのよ。そこで事件があったことだけは聞いてるはずだから、ローヤル高のことに興味を持っているのよ。それが、いやらしい罠ってことになるわね。最後にノブハルってのが後押しをしたから、間違いなくあなたの娘はローヤル高のことを質問するわね。それが地雷を踏むことになるのは、あなたも理解できるでしょう?」 「それならば、司会にコントロールさせればいいだけだ」  そう言って受話器を持ち上げたスクラルドに、「無駄よ」とエイリアスは笑った。 「前に、あなたは見ているだけしかできないと教えてあげたはずよ。あなたの命令は、トリス・クロには届かない。このいやらしい罠が爆発するのを、あなたは見ていることしかできないのよ」  聞き分けなさいと笑ったエイリアスは、「それから」と自分に関わる問題を持ち出した。 「お陰で、仲間の手掛かりが見つかったわ。あの4人のうちの2人が、私の仲間の可能性が高いわね。そして知り合った時期を考えると、ケイとアークと言うのが私の仲間の可能性が高いの。何しろ名前も一致しているのよ。偶然の一致にしては出来すぎているのよね。そしてこれは、あなたにとっては悪い知らせになるわね」  そう言って笑ったエイリアスは、「二人の性格は最悪だから」と告げた。 「あの二人にとっては、あなたの娘も実験動物でしか無いのよ。アークは、人の心の研究をしていたの。その中には、人の性格をコントロールする方法も含まれていたわね。彼に掛かったら、理性を飛ばすぐらいは簡単でしょうね。ローヤル高のことに触れることで、参加者の怒りに火をつけることになるのよ。でも、普通ならそれを理性が抑え込むことになるわ。ここで腹を立てて暴れても、彼らには何一つとしていいことはないからね。むしろ、報復を受けるだけに、損をすることならたくさんあるのよ。でも、そんな理性の箍を外されたら、一体どんな行動を取ることになるのでしょうね」 「だが、娘には護衛が着いているし、間には分厚いガラスの壁があるっ!」  娘が守られていると口にしたスクラルドに、「あんな子供だましのものが?」とエイリアスは笑った。 「それから、理性のたがを外すだけじゃなくて、欲望を増幅させることもできるのよ。美人でスタイルのいいあなたの娘を前に、理性を飛ばされ、欲望を増幅させられた護衛達はどんな行動に出るのでしょうね」  とても興味深いわと笑うエイリアスに、「何が望みなのだっ!」とスクラルドは机を叩いた。 「私の望みは、仲間を見つけることだけよ。違うわね、見つけたあの二人を始末することと言った方がいいかしら。だからこの後、私はトリス・クロまで移動することにしたわ。つまり、あなたの娘の敵をとってあげると言うことになるわね」  感謝するのねと薄い胸を張ったエイリアスに、「やめてくれ」とスクラルドは大声を上げた。そんなスクラルドに、「自業自得でしょ」とエイリアスは突き放した。 「あの二人が下衆なことは認めるわ。そしてこれからしようとしていることが、胸糞の悪いものだと言うのも分かっている。でも、責任の一端はあなた達一族にあるのも忘れないように。あなた達のとる差別的政策に対して、私は何度もやめるようにと忠告をしたわ。でも、あなた達は聞き入れようとはしなかった。各植民星で起きている事件に対しても、あなた達は根本的な解決策を取ろうとしなかった。生産性が落ちていくのは、住民感情を考えたら少しも不思議な事じゃないわ。それから、あなたが気づいていないことがもう一つあるのよ」 「なんだっ!」  大声を上げたスクラルドに、「トリス・クロを特別視した理由」とエイリアスは答えた。 「なぜ私がトリス・クロに仲間が居ると考えたのか。そしてこの時期に、働きかけをしたのかということよ」  いいことと言いながら、エイリアスは踊るようにスクラルドの前を移動した。 「規律のなっていない現地兵なんだけどね、以前はここまで酷くはなかったのよ。次第に大胆になってきていると言うのもあるけど、他の植民惑星はトリス・クロほど酷くないのよ。そしていくら規律がなっていないと言っても、ローヤル高のような酷い真似をすることはなかったのよ。だから私は、そこにアークの関与を感じ取ったと言うことね。だから誘いをかけるために、あなたの娘をトリス・クロに送り込んだの。夢とかで囁きかけてあげたら、比較的簡単にその気になってくれたわね」 「私達は、お前達に踊らされていたと言うのかっ!」  大声を上げたスクラルドに、「結果的にはそうね」とエイリアスはもう一度突き放した。 「でも、私はあなた達に文明と言う恩恵を与えたはずよ。そして踊らせたと言っても、今回が初めてと言っていいわね。文句を言いたい気持ちは分かるけど、自分がしてきたことを棚に上げほしくないわね。あなたの娘を利用したことにしても、あの下衆達をあぶり出して始末するためだもの。そうすることで、ヘルコルニア連合は害毒を除去することができるわ。もともと私は、あなた達の政策には苦言は口にしても、それ以上の干渉をしていないでしょ。今回のことは、あなたがちょっと我慢すればいいだけのことよ。それににしても、トリス・クロでは珍しくないことよ。ケイ以外の女性は、全員性的暴行の被害者だと言うのを忘れないように」 「だからと言って、黙って見ていられると思うのかっ!」  絶対に認めんと叫んだスクラルドに、「その感情があなただけのものと思って?」とエイリアスは軽蔑したように言い返した。 「もっと大勢の親たちが、トリス・クロでは血の涙を流しているのよ。でもあなたは、そのことに対して解決策を取らなかった。自業自得と言う言葉を、もう一度あなたには送ってあげるわ」  そろそろかしらと、エイリアスはトリス・クロから送られてくる映像に視線を向けた。あれからの質問でも、アークとケイは、いたるところにフェリシアに対する罠を散りばめていたのだ。そして用意された質問も、順調に消費されてきている。フェリシアが無邪気にローヤル高事件に触れてくる準備は、十分に整っていたのだ。 「多分だけど、死ぬことはないと思うわよ。ただ、何人に輪姦されることになるのかしら。最低でも、護衛についている8人にはされるだろうし、最悪の場合は男全員に襲われるのでしょうね。ただ巻き添えで、他の女の子達も襲われることになるのでしょうね。その時は、あのウタハって子かしら、あの子が一番被害をうけるのかしら」  可哀想だけどと、エイリアスが口にした時、「それはありませんね」と言う別の女性の声が聞こえてきた。それが予想外のことなのは、「ありえないわ」と叫ぶエイリアスの態度が物語っていた。慌てて振り返ったエイリアスとスクラルドは、そこに見知らぬ影が2つあるのを見つけた。そのうちの一人は有色人種の特徴を持つ男で、もう一人は金色の髪をした美しい女性だった。 「あ、あなた達は何者なのっ! どうして、私にも気づかれずにこの部屋に入ってこられたのっ!」  取り乱したエイリアスに、「無様ですね」と金色の髪をした女性は嘲笑った。 「あなた達を観察する者が、まさかいないと思っていたのですか? この星のいびつな技術発展の仕方に、何者かの干渉があったのは分かっていたんです。ただその意図が掴めなかったので、これまで観察に務めてきただけです。エイリアスさんと言いましたか? あなたに悪意がないのは理解できました。ただ、この人の娘を犠牲にするやり方は感心しませんね。だから私達は、トリス・クロの出来事にも干渉することにいたしました。ただ、それは結果的にあなたの手伝いをすることになるのでしょうね」  失礼しますと口にした女性は、何もない場所に椅子を呼び出して腰を下ろした。そしてもうひとりの男性は、その女性を守るようにその傍らに立った。 「せっかく生中継をしてくれているのですから、これから起こることを見物しませんか」 「あなた達は、何をしようと言うのよっ!」  答えなさいと叫んだエイリアスに、「特にこれと言って」と女性は笑った。 「ここには、しばらく滞在したら居なくなるつもりでいましたからね。ただこの星のいびつさに興味を持ったので、ちょっとだけ調べさせてもらったと言うことです。そして身内が巻き込まれましたので、やり返して差し上げようかなと思っているだけですよ。そろそろ結果が出そうですから、ここでゆっくりと見物いたしましょう」  それからと、その女性は二人に向かって警告をした。 「黙って見ていれば、あなた達を害するような真似はいたしません。ですが、手を出されたら話は変わってきますね。その時には、ここの地下10階にある物ごと、このタワーを消滅して差し上げますよ」  だから大人しくしていなさい。にこやかな表情を浮かべながら、その女性、ジークリンデは恐喝を完成させたのだった。  タウンミーティングのスケジュールは、4人の存在が助けとなり順調に消化されていった。自治政府が望んだ通り、参加者からは問題となるような発言はなされなかったし、同時に毒にも薬にもならない無難な話で、うまく盛り上がることにも成功していた。お陰で、フェリシアが口元を押さえて笑いをこらえるシーンが何度も有ったぐらいだ。  ただ順調にスケジュールが消化されれば、タウンミーティングが終わる時間が来るのも当然のことだった。護衛から時間のことを耳打ちされたフェリシアは、「そうですか」ととても残念そうな顔をした。 「みなさんとは、とても有意義なお話ができたと思っています。ただ残念なことに、もう時間は殆ど残っていないようですね。ですから、私からの質問を最後に、タウンミーティングは終わらせていただくことになります。そして先に謝らせていただきますが、最後の質問はリストに無いものとなっています。そしてアークさん、ケイさん、ウタハさんへの質問となることをお許しください」  一度頭を下げたフェリシアは、「先日のことです」と切り出した。 「オーヘントッシャンの郊外にある農場の視察にまいりました。その帰り道のことなのですが、お三方の話に出てきました、ローヤル高の近くを通りかかったのです。酷く焼け落ちて居たので、同行した人に何が有ったのかとお尋ねしました。そこで答えを濁されてしまいましたので、お三方に教えていただければと思ったのです」  よろしくお願いしますと、フェリシアは3人に向かって頭を下げた。それに応えたアークは、「宜しいのですか?」とフェリシアに質問をした。 「はい、私は知らなければと考えました」 「私の質問は、ちょっとだけ意味が違うのですけどね。でも、承諾を貰ったと言うことにいたしましょう。違いますね、命令を受けたと言うことにしましょう」  そこで一度ウタハの方を見てから、アークは「2年前のことです」と切り出した。 「ローヤル高を、現地兵の一団が襲撃してきました。目的は、そこに通う女子生徒を強姦することです。事前に在学している女子生徒のリストが作られ、誰がどの女子生徒を襲うのかが金銭取引されていたのです。ちなみに最高値を付けられたのは、そこに居るウタハ先輩なんです。ただその日は、ウタハ先輩は所用があって登校していませんでした。そのことは別として、襲撃してきた奴らは、目的の女子生徒を探し出して犯していきました。ちなみに金銭取引されたのは、処女を奪う権利だけです。正確に言うと、最初に手を出す権利なんでしょうね。ですから、人気の高い女子生徒は何人もの男に代わる代わる襲われることになりましたよ。襲撃に気づいた一部の女子生徒は、男子生徒の協力で身を隠していました。ですが学校がいくら広くても、隠れる場所など限られています。そして同じクラスの男を拷問を掛け、隠れ場所を聞き出そうともしました。最終的に隠れていた女子生徒は全て見つけられましたね。その結果は、隠れられなかった女子生徒と同じと言うことです。全校生徒数600名のローヤル高の、約半数が女子生徒でした。その日に登校していたほとんどが、そいつらに強姦されたと言うことです。そしてそれだけじゃなく、何人もの男子生徒が殺されました。女子生徒の中には、ボーイフレンドをかばおうとして殺された生徒もいましたね。そして一通り遊び終わって満足した奴らは、最後に校舎に火を放っていきました。その結果、全校生徒600名のうち、約半数の300名余りが命を落としたんです。そして残った半数も、女子生徒は強姦とそのショックで治療を受けることになり、男子生徒の多くも入院することになったんです。それが、あなたが無邪気に聞きたがった、ローヤル高事件の一部始終ですね。ちなみにこの事件を起こした者は、後に全員が捕縛されて処刑されました」  そこで言葉を切ったアークは、問題はそれだけで無いのだと付け加えた。 「その後もトリス・クロでは、女性の強姦事件が後を絶ちません。ここに参加した女性ですが、選択基準が最近2週間以内に性的暴行を受けていない。つまり、最近強姦されていないと言うものなのですよ。ローヤル高事件を免れたウタハ先輩も、オーヘントッシャンで強姦の被害を受けているんです。どうですか、これがあなたの知りたがった、トリス・クロの現実と言うものです」  呆然とするフェリシアに向かって、アークは嘲笑をぶつけた。 「それを聞いて、あなたはどうするつもりですか?」  その言葉で現実に引き戻されたフェリシアは、「大至急対処いたしますっ!」と叫んだ。 「トリス・クロ総督府に指示を出すのと同時に、お父様にも徹底した取締りをしていただくようお願いをいたします。犯罪をゼロにすることはできないのでしょうが、正しく罰せられる仕組みを至急作ります。女性が安心して暮らせない異常な環境を見過ごすことはできません」  大声で叫んだフェリシアに対して、アークは馬鹿にしたようにパチパチと手を叩いた。 「それはそれは、とても立派なお考えだと思いますよ。ですがあなたには、それをすることはできませんね」 「ヘルコルニア連合国家代表スクラルド・バランタインの長女である私が断言しているのです。一族の名誉にかけても、歪んだ実態を是正してみせますっ!」  気丈に言い返したフェリシアに、「でも」とアークは邪悪に口元を歪めた。 「あなたの父上が、何も知らないと思っているのですか? たまにガス抜きで綱紀粛正の命令を出していますが、それにしたところで植民惑星の生産性を気にしただけのことですよ。だから綱紀粛正命令は長続きしないで、すぐに無法が行われることになるんです。あなたの父上が気にしているのは、植民惑星から送られてくる生産物だけなんです」  それが現実ですよと突きつけられたフェリシアは、「今まではそうでも」と声を張り上げた。 「私が父を説得いたします。生産性しか気にしていないと言うのなら、その方がもっと生産性が上がると指摘してあげればいいだけです。人々が恐怖に震えていては、ヘルコルニア連合国家が繁栄できるはずがありません。バランタイン家の者の責任を私は果たして見せます!」  だから絶対に是正をしてみせる。アークを睨みつけたフェリシアは、それが自分の義務なのだと繰り返した。 「なるほど、立派な使命感だと称賛しましょう。それだけの使命感に燃えられているのなら、これから起こることにも耐えられるでしょうね。そこだけが心配だったのですが、これで安心することができました」  そこで顔を見られたケイは、立ち上がって両者を隔てるガラスに近づいた。そして右掌をガラス障壁へと押し当てた。その次の瞬間、両者を隔てるガラスの全面に亀裂が走った。  ただ亀裂が走ったガラスだったが、中に封印された樹脂シートの力で崩れ落ちるのは防がれていた。それでもすべてのガラスが割れた状態では、いつまでもその重みに樹脂シートが耐えることはできない。ガラスの自重で伸びたシートは、天井から剥がれ落ちるようにガラスごと落下した。大きな破壊音が響いた後には、両者を隔てる障壁は消滅していた。 「何をするつもりですっ!」  大声で叫んだフェリシアに向かって、アークは簡単なことだと答えた。 「ここに居る女性達と、同じ立場に立って貰うだけですよ」 「あの二人を取り押さえなさいっ!」  こんな混乱は、フェリシアの望んだものではなかった。そしてこの混乱を招き寄せたアーク達二人に対して、フェリシアは激しい憎悪の念を向けた。護衛に対しての命令も、この場を収拾することを目的としていた。  だが護衛達は、フェリシアの命令を聞かなかった。そして命令とは逆に、フェリシアを床に押し倒した。 「何をするのですっ! 離しなさいっ!」  気丈に命令をしたフェリシアだったが、両手両足を押さえられたら抵抗などすることはできない。そしてその中から一人の兵士が進みでて、馬乗りをするようにフェリシアの体にまたがった。 「な、何をするつもりです」  その男の視線は、明らかに狂気をたたえたものだった。その狂気に怯えたフェリシアは、「助けてっ!」と悲鳴を上げた。 「ここに居る女性全員は、あなたと同じように助けてと叫んだんです。でも、誰一人として助けて貰えなかったんですよ。だからあなたも、誰にも助けて貰えないんです」  残念でしたとアークが嘲笑ったところで、フェリシアにのしかかった兵士がワンピースの胸のあたりを掴んだ。そして力任せに、ワンピースを開くように両側に引っ張った。ボタンがその力に負けて飛び散り、ワンピースの胸元が大きく開かれ薄い下着と胸を隠すブラが明かりの下に曝け出されることになった。そしてその光景に誘われるように、参加者側に居た4人もフェリシアの方へと歩き出した。 「フェリシア様だけでは不公平ですね。それに、あなた達も襲う側になってみたいのでしょう」  だからと嘲笑ったアークは、「そちらはウタハ先輩に任せることにします」言った。その言葉に答えるように立ち上がった参加者の男達は、一斉にウタハめがけて殺到をした。 「ノブハル、助けてっ!」  恐怖に顔を歪ませたウタハ、言われたとおりにノブハルに助けを求めた。そんなウタハに、「無駄なんですけどね」とアークは笑った。 「彼には、フェリシア様を犯して貰うことにしました。フェリシア様の最初の男になって貰おうと思っているんですよ。有色人種の彼に襲われるんですから、フェリシア様も罪滅ぼしができると言う物です」  だから諦めてと、アークはウタハに残酷な宣告をした。いつの間にか、ウタハの隣りにいるはずのノブハルが居なくなっていた。 「ノブハル、私を助けてくれるんじゃないのっ!」  大声で叫んだウタハの周りを、参加者の男達7人が取り囲んだ。 「さて、宴の始まりですね」  これで、フェリシアとウタハの二人は、陵辱の限りを尽くされることになる。トリス・クロ全土への放送は止められないようにしてあるので、この光景は10億を超える人々の目に届くことになるはずだ。  それを満足そうに見たアークだったが、いきなり誰かに殴り飛ばされた。そのまま床に倒れ込んだアークは、信じられないと言う顔で自分を殴った相手を見た。 「どうして、お前が僕を殴るんだっ。それに、どうしてウタハがそこにいるっ!」  ありえないだろうと叫ぶアークに背中を向けたノブハルは、大声でサラマーの名を呼んだ。 「サラマー、フェリシアを保護しろっ!」 「待ちくたびれてしまいましたっ!」  その声が聞こえてきたのと同時に、フェリシアの周りに居た男達が弾き飛ばされた。  そしてそこには、無残な姿を晒すフェリシアがいた。ブラウスの前が開かれ、下着も破かれたためきれいな胸が顕になっていたのだ。そして傍らには、引き下ろされたストッキングとショーツが打ち捨てられていた。  ただ「ノブハルが最初」と言ったアークのお陰で、彼女の純潔は犯されていないようだった。ただ暴行を受けた事実に変わりはなく、フェリシアは虚ろな視線を彷徨わせていた。  その姿を確認したノブハルは、隣りにいたウタハの体を抱き寄せ軽く唇を重ねた。それからウタハを連れて、ゆっくりとフェリシアへと近づいていった。そして倒れているフェリシアの傍らに立ったところで、「どうしたい」とウタハに問い掛けた。 「お前がこの女を犯せと言うのなら、俺がこの女を犯してやる。お前と同じ立場と言うには生易しいが、それでも心に傷をつけてやることはできるだろう。そしてお前が許すと言うのなら、俺がこの女も守ってやるだろう。だからお前に、どうしたいと聞いてやる」  そこで顔を見られたウタハは、ノブハルの顔を見てから自失をしているフェリシアを見た。それから小さく頷くと、ノブハルに近づき自分から唇を重ねた。 「今のこの人は、あの時の私と同じだと思う。何人もの男に押さえつけられて、助けてといくら思っても誰にも助けてもらえなかった私に。だから私は、何人もの男に犯され、死にそうな目にも遭ったわ。そしてその後、私はあなたに出会うことができた。あなたが間に合わなかったことは不満だけど、今はあのことを受け入れられるようになったわ。あなたに出会えて、そしてあなたのものになれて、私は生まれて初めて幸せだと思えたもの。でも、この人はまだ間に合うところに居ると思う。それに私は、もうこれ以上不幸な人を増やしたいと思っていない。それにこの人は、真剣に私達に起きたことを怒ってくれた。だから私は、ノブハルに「助けてあげて」とお願いをするの」  それが自分の願いだと答え、ウタハはもう一度ノブハルに唇を重ねた。そしてノブハルの胸に頭を当て、「お願い」と可愛らしくお願いをした。 「ああ、そのお願いはしっかりと聞き届けた。やっぱりお前は、俺が思ったとおりの女だったな。それが、俺には誇らしいよ」  そう答えてウタハから離れたノブハルは、床に倒れたままのフェリシアを抱きかかえた。そこで首を巡らせ無事な椅子を見つけ、ゆっくりとフェリシアをその椅子に座らせた。 「ウタハ、彼女の面倒を見てやってくれ。それから、チョーカーに触れるのを忘れるな」  いいなと命じられたウタハは、サラマーから手渡された上着をフェリシアに掛けた。そしてゆっくりと、そして何度も「もう大丈夫」と耳元で繰り返した。  それを確認したノブハルは、ゆっくりと事件の黒幕へと顔を向けた。そんなノブハルを、アークは拍手をしながら迎えた。その表情は、面白いことになったと喜ぶものだった。 「いやぁ、見事なお手並みですね。やはりあなたが、僕達にとっての想定外でしたか」 「俺にしてみれば、お前の行動など想定の範囲でしか無いのだがな」  醒めた視線を向けるノブハルに、「何者なのですか?」とアークは問い掛けた。 「あなたの精神操作をしようとしても、全く手応えがないんですよ。取り付く島もないと言うのは、まさにこの事を言っているんでしょうね」 「俺に質問するのなら、まず自分のことから教えるのが筋じゃないのか?」  相変わらず馬鹿にしたような態度をとるノブハルに、なるほどとアークは頷いた。 「僕達の正体は、この後にと言うことにしましょう。それよりも、まさかこれで終わったとか思っていませんか? この光景は、トリス・クロ全土に放送されているんですよ。もしかして、このまま何もなかったことにできるとは思っていませんよね?」 「俺は、お前達のしたことは想定の範囲だと言わなかったか?」  それが全てだと言い返したノブハルに、そう言うことかとアークは頷いた。 「放送されることは予定通りだったと言うことですか」 「ああ、確かに予定通りだな。ただ断っておくが、この事はトリス・クロには放送されていないぞ。届いているのは、ヘルコルニアにある代表のところだけだ。最初から、タウンミーティングの様子は放送されていないんだよ」  その答えだけは、流石に想像もしていないことだったのだろう。「まさか」と慌てたアークに、「楽しいな?」とノブハルは嘲笑った。 「人を自分の手の内で弄ぶのが、こんなに面白いこととは思わなかったぞ。なにか、あの人の気持ちがわかった気がするな」 「お前は、一体何者なんだっ!」  先程より余裕をなくした様子で、アークはノブハルに迫った。 「人に物を尋ねる時は、先に自分から話せと言っておいたはずだ」  そう言ってアークをあしらったノブハルは、「出し物は終わりか?」ともう一度嘲笑を投げかけた。 「だとしたら、ずいぶんと底が浅いんだな」 「勝ったつもりになるのは、まだ気が早いと思いますよ」  ニヤリと笑ったアークは、視線をフェリシアを介抱しているウタハへと向けた。 「彼女はあなたと違いますからね。僕の精神操作から逃れることはできない」 「手の内を自慢げにペラペラと口にするのは、下っ端のすることだぞ」  ふんと嘲笑ったノブハルを見て、アークはウタハの心を操作しようとした。だが確実に操作したはずなのに、ウタハはフェリシアを殺そうとしなかった。 「どうした。ウタハの心をいじるんじゃなかったのか?」  やってみろと嘲笑われたアークは、もう一度ウタハを操作しようとした。だが何度操作しても、ウタハからはなんの変化も見られなかった。 「まさか、ただセックスをするためだけにウタハを連れ出したと思っていたのか? お前がウタハと精神感応しているのには気づいていたんだよ。だから、俺も細工をすることにしたんだ。言ったはずだ、お前のしていることはすべて想定の範囲なのだとな。次にお前は、「ただの人間に負けるはずがない」と言うのだろう」  ノブハルの指摘に、アークは口を開きかけたところで固まってしまった。ノブハルに指摘された通り、アークは負けるはずがないと言い返そうとしていていたのだ。 「僕の行動を予想できても、ただの人間には超えられない限界があるっ。それを、今から教えてやるっ!」  「ケイっ」と声を掛けられ、「そうねと」ケイも答えた。 「私も、ちょっとムカついてきたわ」  そう答えたケイは、空中を指で何度も操作する真似をした。そしてそれが終わったところで、「ここであなたは死ぬことになるわ」とノブハルに声を掛けた。 「多分見えないと思うけど、あなたの周りに不可視の遮蔽壁を作ったの。空気も遮蔽するから、すぐに酸素不足になってくれるはずよ。ちなみにこれから宴をやり直すから、そこで指を咥えてみていることね。もう一つ忠告、触ろうとしても無駄よ。あなたの動きに合わせて、遮蔽壁は形を変えるの。だからあなたは、その檻から逃げ出すことはできないし、破壊することもできないわ。暴れると、酸素の消費量が増えるから気をつけてね。ちょっと好みだったんだけど、私達を怒らせた報いだと諦めることね」  バイバイと手を降ったケイに、なるほどとノブハルはぐるりと首を巡らせた。 「確かに、酸素濃度が急激に減少してきているな。このままだと、俺は5分もしないうちに酸素不足で意識を失う事になりそうだな」  そこまで口にしてから、「つまらない仕掛けだ」とノブハルは嘲笑った。 「想定した中では、一番粗末な仕掛けだな。この程度のことを、俺が対処できないと思ったのか?」  もう一度つまらないと口にしたノブハルは、ぱちんと右手を鳴らした。 「これで俺は、少なくとも酸欠を気にしなくてもいいことになる。ただ、こんな馬鹿らしい仕掛けに付き合うのも面倒だな」  ふんともう一度首を巡らせたノブハルは、ゆっくりとケイに近づいていった。逃げようと小走りにノブハルから離れたケイだったが、すぐに壁際にまで追い詰められてしまった。 「私をどうするつもり。たとえ私を殺しても、あなたを包んだ障壁は消えないわ」 「お前を殺す? どうして、そんな面倒をしないくちゃいけないんだ? そうだな、これからお前を陵辱すると言うのはどうだ? お前達がウタハにしたことを、これから俺がお前達にしてやるんだ」  こんなふうにと、ノブハルは両手を伸ばしてケイの着ているブラウスを掴んだ。そしてそのまま両手を開くようにして、ブラウスのボタンを引きちぎった。 「なんだ、結構胸があるんだな」  それはいいと口元を歪め、ノブハルはブラを引き下ろしてケイの胸を晒した。 「形を変えて触れないと言うのなら、触れるようにしてやればいいだけのことだ。こうしてお前に触れることで、遮蔽壁は行き場を失うことになる。そうすれば、この程度の膜なら引き裂くことも可能だ」  突き飛ばされたケイは、胸を隠すようにしてノブハルから離れた。そしてノブハルの隙きを突くように、アークが横から殴りかかってきた。肉体強化をしたのか、その動きは人の常識を飛び越えた速度を持っていた。  ただ逆転だとアークが口元を歪めたところで、その顔は驚愕に彩られることとなった。必殺のつもりの拳が、赤い髪をした女性に掴み取られていたのだ。しかも肉体強化したのに、逆にその女性に押し返されてしまった。 「これで、出し物は終わりか? いいんだぞ、武器を持ち出してきても」  待ってやるともう一度嘲笑ったノブハルに、「それで勝ったつもりか」とアークは言い返した。 「まさか、ウタハへの仕掛けがそれだけだと思っているのか。いいかよく聞け。ウタハはケイが作った肉人形なんだよ。そして欲望を向けられるサンプルにするため、理想的な女性を作ってやったんだ。ウタハの見た目やスタイルが人並み外れて美しいのは、それが理由なんだよ。だからケイは、ウタハを肉の塊に戻すことができるんだ。ちょっと自我境界線を壊してやれば、ウタハはただの肉塊に変わってくれるんだよ。お前がウタハに溺れて腰を振っているのを、俺達は馬鹿なやつと嘲笑っていたんだよ」  ざまあみろと嘲笑うアークに、「下衆だな」とノブハルは冷たい視線を向けた。 「ああ、なんとでも呼んでくれ。あんたの目の前で、ウタハは肉塊に変わるんだよっ」  もう一度ざまあみろと嘲笑ったアークだったが、肝心のウタハにはなんの変化も現れなかった。 「ケイ、ウタハの自我境界を壊してやれ」 「やってるわ。でも、壊れてくれないのっ!」  大声で言い返してきたケイに、「どうなってるんだ」とアークは大声で喚いた。そんな二人に、「痴話喧嘩は終わったか」とノブハルは声を掛けた。 「ウタハの自我境界強化は、ずっと前からやっていたんだよ。俺がなんのために、ウタハにチョーカーを巻かせたと思っているんだ? ウタハに、確かな支えを与えてやるためなんだよ。その程度のことで、お前達はウタハの自我境界を壊すことができなくなった。言ってみれば、たったそれだけ、とても簡単なことだ」  愚か者と笑ったノブハルに、「そんなはずはない」とアークは言い返した。 「そんなことぐらいで、自我境界が強化されるはずがないんだ」 「嘘と言われてもなぁ。実際にウタハは肉塊になっていないだろう?」  それが証拠と言ったノブハルは、「ウタハ」と彼女を呼び寄せた。 「一緒に、フェリシアを連れてこい」 「はい、ご主人様っ!」  嬉しそうな声を出し、ウタハはフェリシアに手を貸してノブハルの方へと連れてきた。ただ上着をかけられはしたが、フェリシアが裸同然の格好と言うのに変わりはない。それどころか、上着の丈が足りずに下の方が動くたびに見えていたぐらいだ。なるほどこちらも金色かと、ノブハルはとても場違いな感想を持っていた。 「ヘルコルニア連合国家にとって、真の敵の姿を見せてやったのだが……」  じっくりとノブハルに見られたフェリシアは、ぎゅっと上着を押さえて顔を赤くした。 「流石に、そのままの格好では可哀想だな」  ぱちんとノブハルが指を鳴らした瞬間、彼女を守っていた上着は消え失せ、その代り初めと同じようなワンピース姿にフェリシアの格好が変化した。しかもバージョンアップした着替えシステムは、下着だけでなく、シャワーを浴びたような効果まで発揮することができる。お陰でボロボロだったフェリシアが、お風呂から出たてのようにリフレッシュされていた。 「元素変換に空中固定技術、しかもこんな複雑な組成を構成できるなんてっ! お前は、トリス・クロの人間じゃないなっ!」  何者だと繰り返したアークに、「お前から名乗れ」とノブハルは繰り返した。  そこまで突き放したところで、「まあいいか」とノブハルはアークに背中を向けた。 「肉人形をこれ以上相手にしても意味がないな」  だから消えろと命じた途端、アークとケイの体がグズグズと崩れ落ちた。ケイがウタハにしようとしたことを逆手に取り、二人の脆弱な自我境界を破壊してやったのだ。 「あいつ等の居場所も予想がついているしな。それに、あいつ等はこの星から逃げ出すこともできないだろう。追い詰めて引きずり出すのも、さほど難しいことじゃない。とりあえず、ここでの出来事はこれで一件落着……って訳にはいかないか」  ぐるりとあたりを見渡すと、護衛を含めて全員が気を失って倒れていたのだ。しかも保護ガラスは、割れて下に飛び散っている。何事もなかったことにするには、あまりにも酷い状況になっていた。  さてどうしたものかとノブハルが悩んでいるところに、フェリシアが「ありがとうございます」と頭を下げた。 「あなたに救っていただかなければ、私は陵辱され、ヘルコルニア連合国家は酷い混乱に陥っていたでしょう。ですからここから先は、私に任せていただけないでしょうか。確かに困難は伴いますが、幸い責任を押し付ける相手が生まれてくれました。その者達に責任を押し付けることで、私達の間の反目を軽いものにすることができるのかと思います」  それからと、フェリシアは隣に居るウタハの顔を見た。 「ウタハさんに、何度も「大丈夫」と耳元で囁いていただきました。そのお陰で、私は自分を取り戻すことができたのだと思います。女としての尊厳を犯され、誰にも助けて貰えないのだと私の心は絶望に彩られていました。そのような中、ウタハさんの言葉は私の中に温かい光を灯してくださったのです。ウタハさん、トリス・クロの皆さんに比べれば、私のされたことなど生易しいことなのでしょう。それでも、少しは皆さんのお気持ちが理解できた気がします。だからこそ、この混乱を治めてヘルコルニア連邦を変えるのは、私がやらなければならないことだと思っております」  もう一度ありがとうございますと頭を下げたフェリシアに、「そうか」とノブハルは短く答えた。 「あなたが……ノブハル様が何者なのかと言う疑問はありますが。そのお答えをいただくのは、この混乱を無事収束させてからにさせていただきます」 「まあ、教えてやってもいいと思っているのだがな」  まあいいかと小さく息を吐いたノブハルは、「少しだけ手助けをしてやる」とフェリシアに告げた。 「手助けですか?」  それはと質問したフェリシアに、「お前がしなければならないことだ」とノブハルは答えた。 「すぐにでも、父親と話をする必要があると思っているのだろう? だから、その手助けをしようと思ったのだ」  そこで一度首を巡らせたノブハルは、「カイトさん」とヘルコルニアに居る兄の名前を呼んだ。それに遅れて、「あいよ」と言う声が聞こえ、会場に3人の姿が現れた。そのうち2人はフェリシアの知らない男女だったが、もう一人はとても良く知る相手だった。 「お父様っ!」  驚きに目を見張ったフェリシアは、本当なのかとノブハルの顔を見た。そしてノブハルが頷くのを確認して、父親の元へと走った。  ただ思いがけない出来事で呆然とするのは、父親のスクラルドも同じだった。ただフェリシアに抱きつかれて、ようやく我を取り戻すことができた。ぎゅっと娘を抱きしめたスクラルドは、「何者なのだ」とカイト達の顔を見て尋ねた。 「まあ、あんたが想像した通りの者だな。それ以上のことは、細かく説明しても理解できないだろう」  おざなりに答えたカイトは、「よく頑張ったな」とノブハルのことを褒めた。 「少しだけ、親父に似てきたな」 「まだまだ、全然及ばないと思っている。ただ、視野を広く持つことの重要さは理解できたつもりだ。経験の差は、これから埋めていくしか無いと思っているのだが」  少し難しい顔をしたノブハルに、「やめておいた方が」カイトは忠告をした。 「親父は、最悪のペテン師なんだぞ。世の中に、そうそうペテン師が増えても嬉しくないだろう。せいぜい、正義の味方ぐらいで我慢をしておくんだな」 「正義の味方は、カイトさんの方だと思うんですけどね」  そこでスクラルド親子の方を見てから、「紹介します」とノブハルはウタハの背中に手を当てた。 「俺の恋人、ウタハだ。ウタハ、この人が腹違いの兄弟になるのか。兄のカイトさんだ」  カイトに紹介されたウタハ、緊張気味に「ウタハです」と言って頭を下げた。それに「カイトだ」と答えたカイトは、「どうするんだ?」とノブハルに問い掛けた。 「こんな美人さんを連れて帰ると、各方面でヤキモキする止事無き方が居るんじゃないのか?」 「別に、どうもならないと思っているんだがな。親父を見てみれば、冒険に美女がついてくるのは当たり前になっているだろう。だったら俺が同じことをしても、とやかくわれることじゃない。まあ格では比べ物にならないが、とびっきりの美女には変わりがないだろう」  なるほどねと頷いたカイトは、「だから揉めるんだよ」と笑った。 「とまあ、こちらの話しは終わったのだが。一つだけ、お前に悪い話をしなくちゃいけないんだ」 「悪い話?」  身構えたノブハルは、カイトの隣に近づいてきたジークリンデを見た。 「ジークリンデさんのことなら、俺には関係はないはずだが?」  首を傾げたノブハルに、そっちじゃないとカイトは笑った。 「まあ、ジークリンデは俺が貰っていくがな。ではなくて、インペレーターがすぐ近くに来ているんだ。今回のお供は、グリューエルにアルテルナタ、それからエスデニアからの研究者だ。なんでも、1000ヤー昔に起きた、大融合の研究をしているらしい」 「アルテルナタは分かるのだが……いやいや、どうしてあの人が来ているんです!?」  こんな狙ったように、辺境の星系に来られる理由がないはずだ。それを疑問に思ったノブハルに、「アルテルナタだろうな」とその理由を説明した。 「サラとの通信経路を開いているだろう。だったら、そこ経由で未来視が利用されるのは不思議な事じゃない。そしてアルテルナタが、親父を喜ばせようとするのは今更のことだろう。まあ意外かもしれないが、親父も子供には甘いからな。グリューエルは、間違いなく俺への嫌がらせだな」 「だとしたら、エスデニアの技術者にはどんな意味があるんだ?」  一番分からない配役を気にしたノブハルに、「さあな」とカイトは肩を竦めた。 「ペテン師が考えることを、俺が理解できるはずがないだろう」 「そう言われれば、そうなのだが……」  そこでノブハルは、「サラ」と呼びかけようとしてから思いとどまった。トラスティを呼び出せば、確かに色々なことは解決してくれるのだろう。ただその分、自分の精神に負担がかかることになるのは分かっていたのだ。 「ああ、もう一人登場人物が増えたな」  ザリアと声を掛けたのに合わせて、その場に金色の髪をお下げにした少女が現れた。 「彼女が、ヘルコルニア連合国家に技術を与えた黒幕? だ」 「仮想体か……」  そこでその少女を見たノブハルは、正しく彼女の正体を言い当てた。 「エイリアス、こいつが俺の弟のノブハルだ」 「エイリアスと言うのか? 俺が、ノブハルだが……」  右手を差し出したところで、相手が仮想体だとノブハルは思い出した。そんなノブハルにはにかんだ笑みを浮かべ、「エイリアスです」と少女は頭を下げた。 「私の本体は、シエルシエラの地下で眠りについています。実体を持った姿でないことをお詫びいたします」  それからと、「お手伝いいただきありがとうございます」とエイリアスはもう一度頭を下げた。 「アークとケイは、私が探し続けていた仲間です。ただ探していた目的は、二人を殺すことにありました。あの二人は、人の心を弄び破滅に導く悪魔です。私の生まれた星も、二人のために大きな被害を受けました。だからあの二人を追い詰め、殺すのが私の目的だったんです。ただ乗っていた宇宙船が壊れ、私はヘルコルニアに不時着し、あの二人の宇宙船はトリス・クロに不時着したと言うことです。不時着と言うより、衝突したと言ってもいいのかもしれませんね。もう私達の宇宙船は、飛び上がることもできないでしょうし」 「確かに、あんなのが紛れこんで好き勝手されたら、大きな被害が出ていたな」  軽く一蹴できたように見えても、たまたま相手が姿を表してくれたのが理由だった。もしも影に隠れられていたら、ノブハルでも手を出すことはできなかったと思えてしまうのだ。そして解決ができたとしても、相当な時間が掛かっていたのも確かだろう。 「ええ、ですから餌として彼女を送り込んだと言うことです」 「彼女がされたことを考えたら、それはそれで酷いことだと思うのだが?」  自分の関与がなければ、フェリシアは陵辱の限りを尽くされていたことになる。流石にそれは無いだろうと言うノブハルに、「バランタインの責任です」とエイリアスは言い返した。 「私は、代々のバランタイン家当主に、今の政策をやめるように忠告してきました。ですが、彼らはおざなりの対策を行うだけで、根本的な問題には手を触れませんでした。その結果、トリス・クロ他植民惑星では犯罪が絶えず、オーヘントッシャンにおける女性の被害率は300%を超えると言う悲惨な状態が作られました。その女性の気持、そして親の気持ちをバランタイン家の者に教える必要性を感じたと言うことです。確かにあの二人の仕業には違いありませんが、それを放置したのはバランタイン家の責任なのですからね」  だからだと答えたエイリアスに、「なるほど」とノブハルは頷いた。 「それが、今のあんたにできる限界でもあったわけだ」 「ご理解いただけて嬉しく思います」  もう一度頭を下げたエイリアスは、一転して厳しい表情をノブハルへと向けた。 「あの二人は、まだどこかに逃れたままです。このまま放置すると、また姿を表して同じことを繰り返すでしょう。今度はもっと用心深く、見つからないようにしてくると思います。ですから、今のうちに見つけ出して手を打たなければと思っています。あの二人のせいで、1千年ほど前に多くの星々が滅びることになりました」 「ああ、それは俺も考えた。だから、あいつ等がいそうな場所はすでにピックアップしてある。トリス・クロは、開拓のために地質調査が行われているからな。隕石等の衝突痕もその調査を見れば確認することができるだろう」  それぐらいだと答えたノブハルに、「偽装がないと思っているのですか?」とエイリアスは問い掛けた。 「この星に移民が来た時点で、見つからないようにと偽装している可能性があります。ですから、地質調査を無駄だと言う気はありませんが、それだけで見つかるとはとても思えません」 「確かに、ヘルコルニアの技術レベルでは隠すことが可能か」  そう考えたところで、ノブハルはインペレーターのお供の理由を理解した。 「だから、アルテルナタと言うことか」  アルテルナタなら、調査の結果を未来視で先取りすることが可能だったのだ。それを利用すれば、原始的な調査方法でも短時間で探り当てることが可能となる。何しろ、未来視の結果をもとに調査エリアを変えていけばいいのだ。究極のずるには違いないだろう。  だとすると、意味の分からないエスデニアの研究者にも、大きな意味があることになる。やはり敵わないなと、ノブハルは超えるべき父親の大きさを今更ながらに思い知らされた気がした。  「ノブハル様」とフェリシアに声を掛けられたのは、ノブハルが少し嬉しい気持ちになったときのことだった。声につられて振り返った先には、父親を連れたフェリシアが立っていた。 「父と、これからのことを話をいたしました。すぐには体制の大きな変更は難しいのかと思っています。ですが、軍組織を自治政府に引き渡すことは比較的容易ではないかと言う事になりました。現地法に従わない組織をなくすことで、治安を劇的に改善することが可能だと思います。そうして治安を回復した後、将来総督府の廃止を行うことを考えております。そうすることで、各惑星に完全な自治権が保証されることになるのかと。それが父と話して得た、もっとも混乱の少ない形の改革と言う事になりました。ただ混乱が少ないと申し上げましたが、それでも簡単で無いことは分かっております。ですから、当面の処置として総督府に対して自治政府と共同し、犯罪の撲滅作戦を取らせることにいたします。現地警察と軍が協力すれば、犯罪の取り締まりも効率的になるでしょう。あの二人の干渉がなくなれば、トリス・クロの治安も大幅に改善できると思っております」  それが当面の結論だと、フェリシアはノブハルに説明をした。 「ヘルコルニア連合国家が自力で変わろうとするのなら、俺達が干渉することではないだろう。ただ簡単なことでないのは覚悟しておくことだな」 「それを含めて、私達の課題だと思っております」  揃って頭を下げるバランタイン親子に、ノブハルはここまでだなとカイトの顔を見た。 「ああ、後始末を付けたら帰ることにするか。余計な干渉さえなくなれば、ヘルコルニアも正常な発展をするだろうからな。と言うことで、お前はウタハと言う子に責任を取ればこれで終わりだ」  そこで顔を見られたウタハは、カイトの言葉にしっかりと頷いた。 「わ、私は、どこまでもご主人様と一緒ですっ!」  両手を胸元で握りしめて、お願いしますとウタハはノブハルに迫った。極上の美女から受けるお願い攻撃に、耐えられる男はいないだろう。それにノブハルは、ウタハに関わりすぎていたし、情もしっかり移っていたのだ。そしてアークにも指摘されたことだが、ウタハの魅力にしっかりと溺れても居た。 「まあ、その、男として責任を取る必要があるのだろうな」  ふうっと息を吐いたノブハルは、ウタハの肩をぐいっと抱き寄せた。 「何しろ、お前は俺の物なのだからな」 「はい、ご主人様っ!」  その二人の関係を見たカイトとジークリンデは、「歪んでいるな」と口元を歪めた。 「あれは、トラスティ様の真似をしたと言うことですか?」 「間違いなくそうなんだが。親父ほど、うまくは行っていないようだ。間違いなく、ノブハルは彼女に落ちているぞ」  そのあたりが、まだまだ未熟だ。そう評したカイトに、「それでも宜しいのでは」とジークリンデは笑った。 「恐らく姉なら、その方がノブハル様らしいと答えると思います」 「まあ、確かにその方があいつらしいな」  違いないと笑ったカイトは、ノブハルを真似てジークリンデを抱き寄せた。 「ちなみに、俺も結構お前に嵌っているんだ」 「そ、それは仕方がありませんね。ですが、王女としての価値をこれ以上毀損して欲しくないのですが」  途端に真っ赤になったジークリンデに、カイトはムラっと来るものを感じていた。ただ「人前ですよ」と言うサラの忠告が、土壇場でスイッチがはいるのを押し留めてくれた。 「なにか、とても羨ましいですね」 「お前も、いい男を探すことだ。少し落ち着いたら、嫁に行くのを許してやる」  父親の言葉に、あらとフェリシアは驚いた顔をした。 「すぐにでも嫁にいけと言われるのかと思っていました」  それを盾にしたのが、今回のトリス・クロ訪問のはずだった。その条件を、父親の方から反故にするとは思っていなかった。 「ヘルコルニア連合国家の改革があるからな。自由になりたいのなら、バンダヌスを独り立ちさせることだ」  それが条件と父親に言われ、「時間がかかりそうですね」とフェリシアは答えた。 「ただ、これと言う殿方がおいでになりませんからね。いずれにしても、すぐにと言うことにはならないのでしょう」  そこでウタハに視線を向けたフェリシアは、「羨ましいですね」と小さく呟いた。 「それもまた、私達の課題なのだろう」  娘とは違い、スクラルドの視線はノブハルへと向けられていた。時代の変化を示すには、有色人種のノブハルが打って付けだと思ったのだ。今回の問題を解決した手際を含めて、叶うのならと彼が考えるのも無理のないことだった。  ただそれが、同時に難しい問題を引き起こすのも分かっていた。だから惜しいと思うし、課題だとスクラルドは考えたのである。  こうしてタウンミーティングから始まった混乱は、その第一幕を終えたのである。  トラスティがインペレーターを持ち出したのは、アルテルナタの未来視が理由なのは間違いはないだろう。ただトラスティは、別の目的もこの遠征に付与していた。その目的のため、UC001に入った時期の割に、ヘルコルニアへの到着が遅くなっていた。 「やれやれ、君がここまで過保護だとは思っていなかったよ」  展望デッキで寛ぐトラスティのところに、スタークがワインボトルとグラスを2つ抱えて現れた。そしてアルテルナタを見て、「酒はだめだと聞いているのでね」と少しだけ言い訳をした。 「はい、ですから私の分は用意してございます」  そう答えたアルテルナタは、ジュースの瓶を取り出した。一見すると赤のワインなのだが、こちらはノンアルコールになっていた。 「こうすれば、雰囲気だけでもお付き合いしているように思えませんか?」  だからですと笑い、アルテルナタはぶどうジュースをワイングラスに注いだ。  なるほど赤ワインに見えると頷いたスタークに、「暇なのですか?」とトラスティは切り出した。 「私の目的など、彼女に聞いて知っているのではないのかな?」 「一応教えてもらっていますけどね」  そう言って笑ったトラスティは、「不思議な銀河ですね」と今いる銀河のことを持ち出した。 「これまでの銀河に比べて、直径が10万光年と小さくなっています。ヨモツ銀河に類似した銀河なら、20万光年ぐらいなければおかしいはずなんですよ。それなのに、UC001だけが10万光年と小さくなっている。しかもこの銀河なんですけど、明らかに壊れていますよね。もともとは棒状渦巻き星雲のはずなのに、その渦巻きが途中で削られている。まるで何かに破壊された、さもなければその部分だけ切り取られたようになっているんです。そして不思議なことに、1万光年離れた場所から観測したら、綺麗な棒状渦巻き星雲の姿を保っていました。それが壊れたのは、およそ1千ヤー前なんです。流石に理由までは観測できませんでしたが、あちこちが虫食い状に消滅していきました」 「この銀河に、文明が見つかっていないのはそれが理由なのか? もしかしたら、銀河レベルの大規模戦争が起きた可能性もあるのだな」  スタークの指摘に、トラスティは小さく頷いた。 「その可能性が一番高いと思っているのですが……だとしたら、物凄い規模の戦争と言うことになりますね。どうやれば、恒星系を含めて消し去ることができるのか。今の超銀河連邦でも、そんなマネはできないでしょう。だとしたら、この銀河には超文明が存在していたことになる」 「だが、その文明の痕跡を見つけることはできていない……か」  ふうっと息を吐いたスタークは、グラスから赤のワインを呷った。 「それで、君はどうするつもりなのかね?」 「調べてみたいと言う気持ちはあるのですが、流石に調査エリアが膨大すぎますね。しかも、マリーカ船長でも正解を引き当てられないんです。むしろ、よくぞノブハル君たちが文明を見つけたと感心しているぐらいですよ」  肩を竦めたトラスティは、「ノーアイディア」だとスタークに告げた。 「恐らく、本気で調査をするのなら、かなりの労力が必要になりますね。それに加えて、かなりの物量が必要となります。流石にトリプルAでも、実入りの見込みがまったくない事案には手を出せませんよ。 「調査をする意味と言う方向でもそうなのだろうな」  調査の価値と言う意味では、スタークも同じ考えを持っていた。これが連邦に隣接する銀河ならまだしも、どこにあるのか分からない銀河だったのだ。連邦の基準からしても、労力を割く理由が存在していなかった。 「とりあえず、ここまでと言うことかな?」 「ええ、後はノブハル君のフォローになりますね。まだまだ、彼はツメが甘いようです」  なるほどと頷いたスタークは、アルテルナタの顔を見た。 「それも、彼女が未来視で見た結果なのかな?」 「種を明かせばそう言うことですね。トリス・クロでしたか、その世界に干渉していた二人の追い詰め方に失敗しますし、ウタハと言う女性のこともうまくいっていません。唯一、ヘルコルニア連合国家だけは、いい方に動き始めますけどね」  なるほどと頷いたスタークは、「エスデニアの研究者は?」と一組いる異質なメンバーの理由を尋ねた。 「ノブハル君の彼女、ウタハと言う女性のためですよ。このまま何もしないと、彼女は自我を保てなくなっていきます。その結果、最悪の場合は体が崩壊しますし、軽くても精神が壊れますね。いずれにしても、このまま何もしないとノブハル君は彼女を失うことになります」 「確か、大融合を研究していたと聞いているのだが……」  うむと考えたスタークに、「その副産物を利用します」とトラスティは答えた。 「自我境界線の喪失が、大融合とか言うものが起きた理由らしいですね。だから大融合を研究する彼らは、その自我境界線のことも研究しているんです。彼らが言うには、人が人としての形を保つためには、必要な要素だそうですよ」 「なにか、ずいぶんと大事になっているのだな」  目元を険しくしたスタークに、「だからだ」とトラスティは笑った。 「そうでもなければ、呼ばれもしないのに来ていませんよ。これでも、一応は子供の自主性を大切にしたいと思っているんですからね」  その程度と笑ったトラスティは、「結構面倒ですよ」とこれからのことを指摘した。 「詳しいことはノブハル君に説明しますが、彼にもスターライトブレーカーぐらい使えるようになって貰わないといけない。と言うか、正確にはミラクルブラッドの精製ですけどね」 「ミラクルブラッドが必要になると言うのか?」  驚くスタークに、「必要ですね」とトラスティは返した。 「ただその未来は、まだ確定していないようです。アルテルナタが言うには、他の未来……つまり、他の方法も存在するようですからね。そのあたりは、ノブハル君の選択が決め手になるのでしょう」  そしてもう一つ見えた未来があるのだが、トラスティは敢えてそれを口にしなかった。その理由は、自分達に関わりがなく、あくまでおまけに扱いになるものと言うのが理由だった。更に言うのなら、それがスタークに対する嫌がらせになるからである。 「まあ、強制介入が必要となる期限は分かっていますからね。そこまでは、ノブハル君が何を考え、どう判断するかを尊重することにしますよ」  今動くことは、まだ本人のためにはならない。だから動かないのだと、トラスティは説明したのだった。  連合国家代表が方針転換をしたぐらいで、5つの星にまたがる世界が簡単に姿を変られるはずがない。その意味で言えば、アークとケイの影響を排除したことの方が、トリス・クロにとっては意味が大きかった。突出して凶悪事件の多かったトリス・クロが、他の植民惑星レベルの治安状態に落ち着いたくれたのだ。 「何かが、大きく変わるのかと思ったのだけど」  物陰にノブハルと隠れながら、ウタハは大きくため息を吐いた。多少被害妄想のところはあるのだが、未だに現地兵からは逃げ続けてる生活が続いていたのだ。おかげで、食事は往々にして具のないスープと、固すぎるパンだけになってしまった。 「大きな世界と言うのは、そんなものだとしか言いようがないな」  ぼそりと呟いたノブハルは、仕方がないといつものよろず屋へと逃げ込んだ。 「なんだ、まだうちしか行けないのか?」  呆れたねと零す親父に、「おいおい」とノブハルはツッコミの言葉を口にした。 「少なくとも、客に向かってそれはないだろう」 「そりゃあ、まあ、そうなんだろうが。ひょっとしてお前さん、おまけのゴムを期待していないか?」  口元をニヤけさせた店主に、「未使用品が1箱ある」とノブハルは言い返した。 「つまり、最低でも5箱は使ったってことだな。まあ、この嬢ちゃん相手に盛らないようじゃ、男としてどうかと思うがな」  けっけと笑った店主は、ノブハルの前に適当に缶詰を並べてくれた。以前に比べれば、ずっと品揃えが良くなっていた。 「後は野菜だが……トマトぐらいしかいいのは残っていないな」  それでいいかと問われたノブハルは、「十分だ」とそっけなく返した。だったらと缶詰とは別にプラスチックバッグにトマトを入れた店主は、「ところで」と言ってノブハルの顔を見た。 「これは必要かな?」  すっと差し出されたのは、なんの変哲もない小さな箱だった。ちなみに、ノブハルが未使用品が1箱あると言った物でもある。  それを見たウタハの顔に朱が差し、ノブハルはきまり悪そうに明後日の方向を見た。 「2つばかり頼む」  ボソリと呟やかれた答えに、「まいどありぃ」と店主は大声を上げた。  それを無視するように袋に缶詰とゴムを入れたノブハルは、ウタハを左手にぶら下げたままよろず屋を出ていった。それを見送った店主は、「ゴム目的だろう、あれは」と小さく呟いた。 「しかし、前から美人だと思ってたけど。最近、ますます美人になったね、あの子は」  羨ましいものだと言いながら、店主は店の中へと戻っていった。  部屋に戻ったウタハは、習慣となってしまった窓の目張りを繰り返した。最近は事件の噂を耳にしなくなったが、それでも用心は必要だからと言う理由である。そして目張りが終わると、エプロンを取り出しセーターの上に纏った。 「今日は、缶詰のソーセージが入ったスープね。後はトマトといつもの固いパンにサプリの盛り合わせね」  待っててと言い残したウタハは、狭いキッチンに立って料理を開始した。ただ料理と言っても、スープの素を放り込んだ塩味のスープに、缶詰のソーセージとしなびた人参と芽が出かけたじゃがいもを入れて煮るだけのスープである。以前に比べて具は増えたが、それでも質素なものと言っていいだろう。そしてスープの付け合せになるのが、まだ青いところの多いトマトの切っただけのものなのだ。チーズとかドレッシングがあればまだマシなのだが、軽く塩を振っただけのシンプルなものだった。  そこに歯が負けそうな固すぎるパンと言うのが、今日の夕食の全てだった。  夕食の用意をするウタハの後ろ姿を見ながら、こう言うのもいいなとノブハルは考えていた。所帯じみていると言うのは確かだが、生きていると言うのを実感することができるのだ。そして食事が終われば、シャワーを浴びて二人の時間となる。自治政府の施設から帰って以来、毎日のように体を重ねるようになっていた。 「間違いなく、俺はウタハに溺れているな。このまま二人で、暮らしていくのも悪くないと思い始めているぞ」  そしていずれは、二人の子供が生まれることになるのだろう。よろず屋で買ったゴムを使わなければ、それはさほど遠くない未来のことに思えてしまった。  だがそれがいいと思っていても、ノブハルは自分に責任がついてきているのを理解していた。我儘を言って冒険旅行に出掛けはしたが、それが期間限定の贅沢だと言うのは分かっていたのだ。すでに冒険に出発してから、100日が経過している。後始末を終えたら、すぐにでもエルマーに帰らなければいけないのだろう。 「それからシルバニアに顔をだすのと、クリプトサイトにいかなくちゃいけないな……そろそろ、エリーゼ達が子供を外に出している頃か。いや、とっくに出している時期か。カニエも、お喋りができるようになっているのかな」  残してきた者達のことを考えると、ずいぶんと時間が経ったのを感じることができる。本当ならさっさと帰ることを考えなければいけないのだが、まだその気になれていなかった。そしてそのことを切り出すこともできなかったのだ。 「どうしたの、私の後ろ姿に見とれてた?」  ウタハに声を掛けられて我に戻ったノブハルは、目の前にいい匂いのするスープが置かれているのに気がついた。それからすぐに、トマトが並べられ固すぎるパンが置かれた。 「はい、これが不足分を補うサプリよ」  どんとサプリの入った瓶が置かれたことで、夕食の用意は完了である。いただきますと、ウタハは勝手に食事を始めてくれた。 「それで、本当に私に見とれてくれたの? その割に、ずいぶんと難しい顔をしていたわよ」  心配するウタハに、「いや」とノブハルは少しだけ口ごもった。 「見とれていたのを否定するつもりはないが……ところで、体におかしなところはないか?」 「おかしなところ……避妊しているから、できちゃったってこともないと思うし。あっ、私だったらいつでも大丈夫よ。あなたとの子供だったら、たくさん欲しいと思ってるからね」  あっけらかんと言っているように聞こえるが、赤くなった頬がすべてを物語っていた。あれ以来元気になったウタハだったが、ノブハルを前に恥じらうところは変わっていなかった。むしろ以前以上に、ノブハルの前では顔を赤くするようになっていた。 「そうだな、俺達の子供と言うのもなかなかいいな」 「じゃあ、今日は付けないでする?」  身を乗り出したウタハに、「もう少し落ち着いてからだな」とノブハルは答えた。 「アークとケイの隠れ家が見つかっていないのだろう。あいつ等を始末しない限り、悲劇が繰り返されることになってしまう。そしてお前自身のためにも、ケリを付けなければと思っているんだ」 「でも、それって総督府と自治政府がやってるんでしょ。今更ノブハルが関わる必要はないんじゃないの?」  だから付けないでしようと言うウタハに、「すぐに手助けが必要になる」とノブハルは答えた。 「それに、このまま放置していると、酷いことになりそうな予感がするのだ。この星にとってもそうだし、お前自身の身にも何かが起きそうな気がするんだ」 「私自身の?」  首を傾げたウタハに、「お前自身のだ」とノブハルは繰り返した。 「あいつ等の考えが分からないのだ。俺達が居なくなるまで身を潜めているのか、それとも恥をかかせた俺に復讐に来るのか。もしも復讐に来るのなら、お前は間違い無く狙われるからな」 「私をっ」  ぐっと体を固くしたウタハに、「大丈夫だ」とノブハルは言った。ただスープを掬っているので、いささか説得力に欠ける話でもある。 「スープを飲みながらする話じゃないと思うけど」  途端に不機嫌そうな顔をするウタハに、可愛いなとノブハルはついその顔を見てしまった。そしてそれに気づいて顔を赤くするところなど、可愛すぎると思えてしまったぐらいだ。 「その、だ。付けるか付けないかは、その時の課題とするとして」  ノブハルが顔を赤くするのに合わせて、ウタハの顔も今まで以上に赤くなっていった。 「今からでもいいか?」 「ご主人様のしたいようにしてください」  そう言いながら、ウタハは首に巻かれたチョーカーに手を当てた。それに合わせて覗かせた白い喉に、ノブハルはゴクリと喉を鳴らした。そして立ち上がったノブハルは、目を閉じたウタハに唇を重ねたのだった。  爛れた生活を送っている。食事の途中から始まった二人の交わりを、護衛のサラマーはダイニングに座って伺っていた。そしてそのお供は、護衛対象の母親にして守護者となるデバイスだった。 「それで、捜索の方は進んでいるんですか?」  肉欲にまみれた護衛対象は忘れて、サラマーは諸悪の根源のことを持ち出した。スクラルドの肝入りで探査が始まったのだが、まだ1週間も経っていなかったのだ。それを考えれば、成果が出ると考える方が不思議だった。そしてアクサの答えも、サラマーが想像した通りのものだった。 「以前行われた地質調査データーの洗い直しから始まっているわね。ただ、こちらのコンピューター? の処理能力は低いからねぇ。エイリアスだっけ、そいつも調べているみたいだけど、簡単にはいかないみたいね。なにかやばい気もするんだけど、あの人は動こうとはしていないし」 「あの人って、トラスティさんのことですか?」  この場で動いて状況を変えられるのは、サラマーの知る限りトラスティぐらいだったのだ。  その指摘に、「そ、私の旦那様」とアクサはハートを飛ばしてくれた。それにだれたサラマーに、別の問題とアクサは急に表情を引き締めた。 「ノブハルの言っていたことだけど、あの二人の行動が読めないのよ。私達が居なくなるまで息を潜めて隠れていると言うのも厄介だけど、ピンポイントでノブハルを狙われるのも厄介なのよ。ただ、狙ってくれたら、少なくない犠牲の上であいつ等を仕留めることは可能よ。ただその犠牲を考えると、できればその前に手を打ちたいのよねぇ」  ベッドルームに向けられた視線で、その犠牲が誰かをサラマーは理解した。なるほど事前に手を打つ必要があると、彼女も理解したのだった。 「そしてもう一つ、ノブハル達二人が、このままめでたしめでたしで終われるかも疑問なのよ。今は落ち着いているように見えるあの子だけど、この先も落ち着いていられるのかが分からないわ。私も経験しているのだけど、目的を持って作られた子ってとても不安定なのよ」 「ウタハって子のことですか? 私には、安定しているように見えるんですけど」  本当ですかと問われたアクサは、「目的を考えて」とアドバイスを与えた。 「長期間使用するつもりがなければ、丁寧に調整すると思う?」  アクサの問いに、サラマーはもう一度どうなのかを考えた。 「そう言われてみればそうなんですけどね。でも、ウタハって子はあの年まで成長していますよね。20ヤーぐらいだから、結構長持ちしていませんか?」 「それが、常識の限界と言うことよ。多分だけど、あの子は4、5年しか生きてないわよ。生まれたときからあの姿で生まれて、あの姿のまま死んでいくのが予定されていたんじゃないの。調べてみないと分からないけど、子供を産めるかどうかもわからないわ」  その時アクサが思い浮かべたのは、青い髪をした儚い雰囲気を持つ少女だった。大融合の際には、形質を保てなくなって崩壊してしまったのだ。 「それを、ノブハル様は気づかれているのですか?」  それが大切と確認したサラマーに、「薄々は」とアクサは答えた。 「ただ、いくらノブハルでもそんな知識は持っていないわ。多分あの人でも持っていない……のかしら。あの人は、時々私の想像を超えることをしてくれるし」  だから素敵と惚気るアクサに、「はいはい」とサラマーはだれてしまった。 「惚気はいいとして、どうしたら助けてあげられるんですか。流石に、ノブハル様もあの子も可哀想だと思うんですけど」 「それなんだけどねぇ……方法は無いことはないのよ」  方法がないと思っていたら、あっさりとあると言ってくれたのだ。「ええっ」とサラマーが驚くのも無理はなかった。 「そんなに大きな声を出さないの。まあ、遮蔽してあるからノブハル達に気づかれることはないと思うし、まあ、夢中になってるから気づかないと思うけど」  それはいいと言ったアクサは、「2つぐらいね」とウタハを助ける方法を持ち出した。 「その一つは、エスデニアで治療をすることね。ほら、今回大融合を研究している研究者を連れてきたでしょ。彼らに任せれば、比較的短い時間で治療できるんじゃないのかな。でも、確立した治療法じゃないのよねぇ。って言うか、あくまで研究レベルだし」 「そりゃあ、まあ、こんな事例は他にないでしょうからそうなんでしょうね。人工的に人間を作るのって、連邦法で禁止されていますしね」  うーむと考えたサラマーは、「もう一つは?」と別の方法を尋ねた。そんなサラマーに、アクサは自分の左手を差し出した。そこには、トラスティから貰った指輪が光っていた。 「それって、ミラクルブラッドってやつですか? 確か、トラスティ様がアクサさんを助けるために作ったと聞いてますけど」 「そう、あの人が私のために作ってくれたのっ!」  そう言ってシナを作るアクサに、真面目にやって欲しいなぁとサラマーはだれていた。 「それで、ミラクルブラッドなんてありましたっけ?」 「それなのよねぇ。それに、ノブハルはミラクルブラッドなんて作ったことはないし。あの人なら用意してるかもしれないけど、それはそれで問題なのよね」  だから困ったと答えたアクサに、「嫉妬かな」とサラマーは想像した。 「嫉妬ですかと言うのは置いておきますが。ミラクルブラッドがあればあの子を助けられるんですよね。私には、問題があるようには思えないんですが?」  だからどうしてと問い掛けたサラマーに、使い方に問題があるのだとアクサは答えた。 「ミラクルブラッドを最初にはめた時には、その人向けに調整が必要になるのよ。具体的に何が起こるのかと言うと、ミラクルブラッドとその人の魂の形が共鳴を起こすのよ。それを作った人と一緒に調整することで、指輪をした人と一体になって活動を始めるの。それが終わると、指輪をした人は心の形を姿に映し出すことになるわ。それを利用すれば、あの子を救うことはできると思うんだけど。調整者と製作者は同じじゃないといけないのよ」  そこまで説明されて、サラマーはアクサの言う問題を理解した。今のノブハルは、ミラクルブラッドを作ったことがない。そしてミラクルブラッドを作れるトラスティが居るのだが、そうなると調整者はノブハルではなくなってしまう。調整の方法が分かるだけに、二人が受け入れられるとは思えなかったのだ。 「本当に、ノブハル様ではミラクルブラッドを作れないのですか?」 「できないかと言われたら、分からないとしか答えようがないのよ。私には、スターライトブレーカーを打った記憶が残ってないからね。まあ、ザリアもコスモクロアも無いはずなんだけど。それを考えれば、きっかけさえあればできるようになるとも言えるわね」  ううむと唸ったアクサは、「それだけがあの子を救う方法」と断言した。 「だから、ノブハルが何時あの人に頼るのかと言うのが次の問題ね。ここまで自分で解決してきたから、最後までやり通したいと思っているはずなのよ。だから、アルテルナタの未来視も使われてないでしょ」  未来視を利用すれば、アーク達の居場所を割り出すのも難しくないはずだ。それがなされていないことで、サラマーはノブハルのこだわりを理解したのだった。  現地兵の不満を和らげる方策として、スクラルドはすべての責任をアークとケイに押し付ける方法をとった。つまりこれまでの無法行為は、彼らに操られたことが理由で、個々人の責任ではないとしたのだ。したがって過去の犯罪を問わないこととし、その代りこれからの犯罪に対して厳しく取り締まると言う方針を示したのである。その誤魔化しとも思える方針のお陰で、綱紀粛正は比較的円満な形で広がっていった。  そしてヘルコルニア連合国家を惑わした大罪人として、アークとケイの二人を指名手配の扱いにした。ただ直接の捕縛行為は危険なため、通報制度と言う形で追い詰めることにしたのである。 「簡単には行くとは思っておりませんでしたが」  その通達を発した1週間後、エイリアスに向かってスクラルドは愚痴をこぼした。予想されたことではあったが、二人に対する情報は全く上がってこなかったのだ。ガセ、誤認レベルなら山のようにあったが、いずれも簡単に裏が取れるようなものばかりだった。 「宇宙船に隠れて、息を潜められたら簡単には見つからないわよ。その意味で言えば、おとなしく嵐が過ぎ去るのを待っていると言うところかしら?」  一つの推測を口にしたエイリアスは、「焦ってもどうにもならない」とスクラルドに言った。 「とりあえず、治安は劇的に改善しているのでしょう。だったら、これを維持していくことを考えるべきね。治安が維持されていれば、変化を見つけやすくなるからね。それから、現場からは不満が上がってきていないのでしょう?」  エイリアスの指摘に、スクラルドは小さく頷いた。 「フェリシアの意見を採用し、すべての責任をあの二人に押し付けたことが功を奏しました。いつまでも効果が続くとは思えませんが、今の時点ではうまく行っています」 「まあ、犯罪なんてそんなものでしょう。どんなに文明が進んでも、犯罪者は一定の割合で出てくるからね」  理解を示したエイリアスは、「あの二人は」とアークとケイを思い出した。 「明らかに、異常な精神をしているわ。普通の人にある、倫理的な自制心が存在していないもの。自分達が楽しむためなら、星が消滅しても気にしないのよ。無駄に頭がいいから、その被害は周辺星系にまで及んだわ。そのせいで、どれだけの文明が滅びたことか。ようやく追い詰めたんだけど、これが全てか分かっていないわ。あいつ等、自分の体を捨ててる可能性もあるぐらいなのよ」 「自分の体を捨てている?」  それはと目元を険しくしたスクラルドに、「トリス・クロで見たでしょ」とエイリアスは指摘した。 「肉人形を作って、そこに自分の意識を転写するのよ。そのためのマザーを情報化している可能性があるわ。ただヘルコルニア連合国家のコンピューターのレベルじゃ、情報の隠し場所にはならないけどね。そのため、あなた達には大したコンピューター情報を渡していないんだけどね」 「ならば、ここに訪れた彼らのコンピューターですか、そこに隠れる可能性があるのでは?」  そうなると、自分達には手が出せなくなってしまう。しかも、せっかく追い詰めたのに、取り逃がすだけでなく、新たな被害を生む可能性まで出てくるのだ。  それを懸念したスクラルドに、「警告はしてある」とエイリアスは答えた。 「用心はしておくが、簡単に忍び込めるようなものではないと言う答えをもらっているわ。ただ、それ以上は教えて貰えなかったわ」  少し悔しそうにしたエイリアスに、スクラルドは少しだけ口元を緩めた。長い時間接してきたエイリアスが、急に雰囲気が変わってきたのに気づいていたのだ。進んだ文明を持つ者が現れたことが、その理由なのかと想像していた。 「そうなると、奴らの宇宙船の捜索が鍵になりますな」 「被害の発生具合を考えたら、トリス・クロにあるはずなんだけど……息を潜められたら、流石に見つけるのが難しいわね」  難しい顔をしたエイリアスに、「気の長い話です」とスクラルドはため息を吐いた。 「ですが、敵の姿が明らかになったのは収穫なのかと」 「そんな生易しい奴らじゃないのが、もっと問題なのよ」  だから厄介と、エイリアスはもう一度ため息を吐いたのだった。  ノブハルは避けていたのだが、カイトにトラスティを避ける理由はない。なかなか見つからない二人に焦れたカイトは、ノブハルに内緒でトラスティに助けを求める事にした。そこでジークリンデと一緒にインペレーターに移動したのだが、なぜかトラスティからは同情の眼差しを向けられ、ジークリンデは姉のグリューエルに抱きつかれて泣かれてしまった。 「なぜ、可哀想にと言う話になっているんだ?」 「なぜって……純白だった王女様と言うキャンバスに、誰かが子供の落書きをしてくれたからですよ。流石に僕も、あれは可哀想だと思ってしまいましたよ。何しろザリアにまで泣かれてしまったぐらいですからね。ただ「教育を間違えた」と言うのは、笑い話だと思いましたけどね」  だからですとカイトを落胆させたトラスティは、未来視に引っかかっていないことを口にした。 「当たり前のことですけど、彼女が見ることができるのは結果だけですからね。その意味では、今行っている方法では絶対にたどり着けないと言う答え合わせになっていますね」 「そうか、奴らを見つける未来は見えていないと言うことか」  残念がったカイトに、「僕は関与していませんよ」とトラスティは真顔で答えた。 「一応ノブハル君の自主性を尊重したからと思ってください。だから、アルテルナタの未来視でも、僕の関与は見えていません。ただ必要な保険は掛けていますけどね」 「保険、か?」  それはと聞いたカイトに、「奴らの逃げ道」とトラスティは答えた。 「そこそこ危険な奴らですから、対策だけは打っておく必要があると言うことです。だからアルテッツァの上位に当たる、ユウカとサラに対策を指示してあります。それに気づかずアルテッツァのネットワークに逃げてきたら、その時点でジ・エンドです。妙に張り切っていましたから、データーを切り刻んでくれるんじゃありませんか。さもなければ、想像もしたくないことをしてくれる可能性もありますね」  それが保険と答えたトラスティに、やはり怖いとカイトはその実力を再評価した。 「ところで、俺の頼みでは動いてくれないのか?」 「兄さんとしての頼みなら、そうですね考えて見ないでもありませんね。子供としてなら、依怙贔屓は良くないでしょう。今回の冒険のリーダーはノブハル君なんですから、彼の決断が必要だと思いますね」  二つの立場を持ち出したトラスティに、「面倒なやつ」とカイトは口元を歪めた。 「まあ、そう言いたくなる気持ちは理解できますけどね。だったら、少しだけ妥協をして一つアドバイスを送ります。エイリアスでしたか、彼女に冷凍睡眠をやめるように言ってあげてください。明るい世界に出ることで、見えてくるものがあるはずだとね。今の所、僕が言えるのはそこまでですね」 「エイリアスにか?」  いきなりどうしてと考えたカイトに、「アドバイスはここまで」とトラスティは笑った。 「ところで話が変わりますけど、兄さん。彼女を義姉さん達にどう紹介するつもりです?」  そっちの方が難しくないか。トラスティは笑いながら痛い所を付いてきた。 「ちなみに未来視で結果が見えていますから、その線でのアドバイスは可能ですよ」 「俺が悪者になる以外の未来があるんだったら、是非とも教えてもらいたいものだが……」  無いんだろうと問われたトラスティは、「ありませんね」と即断した。 「まあ、兄さんが責められること以外は、意外にすんなりと落ち着くと言うところですね。ザリアに聞きましたけど、流石にあれは彼女が可哀想だと思いましたからね。ですから義姉さん達にも、しっかりと同情されることになります。その分、兄さんに対する風当たりが強くなると言うことです。それからクリスティアからですけど、「責任のとり方は分かっているな」との脅しが入りますね。ただ本音としては、喜んでいるんですけどね。そうじゃなきゃ、あんな形で送り込んできませんよ」  大変ですねとの心のこもらない言葉に、カイトは目元を引きつらせていた。 「これで兄さんも、やんごとなきお方に手を出した実績ができましたね。忘れられがちなんですけど、ブルーレース副議長も十分にやんごとなきお方なんですけどね」  楽しそうに言うトラスティに、カイトは右手がムズムズとしてくるのを感じていた。ただここで手を挙げると、今では立派な家庭内暴力になってしまう。深呼吸をして気持ちを落ち着けたカイトは、「ジークリンデ」と相方の名を呼んだ。 「はい、我が君」  姉妹の語らいは済んだのか、ジークリンデは明るい表情でカイトの所に近づいてきた。そんなジークリンデを見ながら、「これはプレゼント」とトラスティは指輪を差し出した。プラチナの台に、小さな赤い石が付いていた。今更指摘するまでもなく、とても紛らわしい真似には違いない。 「プレゼントは嬉しいのですが、我が君以外の殿方からいただく訳けには参りません。ですから、お気持ちだけいただいて、プレゼントは遠慮させていただきます」  申し訳ありませんと謝るジークリンデに、「話は最後まで聞くものだよ」とトラスティは笑った。 「これは、ライスフィールに作らせた特別製の指輪なんだよ。言ってみれば、ミラクルブラッドの原料になるものなんだ。兄さんだったら、これに光を込めることができるはずだからね。君からお願いをすれば、ミラクルブラッドを作ってもらえるんじゃないのかな?」  だからと笑うトラスティに、「ミラクルブラッドですかっ!」とジークリンデは差し出された指輪を見た。 「その材料だよ。兄さんが奇跡を起こすことで、完成すると言う代物だよ。それを聞いても、受け取って貰えないのかな?」  どうだろうと問われたジークリンデは、一度カイトの顔を見てから「喜んで」と指輪を受け取った。 「早速我が君に、仕上げをしていただくことにいたします」 「ああ、そうするといいよ。ちなみに、指輪をした直後に調整が必要になるから気をつけるように。これは、兄さんに言っておくことなんだけどね」  それぐらいだと笑ったトラスティは、「義姉さん達の分も用意しておきます」とカイトに声を掛けた。 「そうしないと、ますます兄さんが責められますからね。作るところから見せてあげたら、きっと感動してくれますよ。お詫びと言うのは、形が有った方が効果がありますからね」 「そうやって、俺達を煙に巻いてくれるのか」  相変わらずだと口元を歪めたカイトに、「最悪のペテン師ですから」とトラスティは笑った。 「だから、正義の味方ではできないことができるんですよ」  そして「やることがあるのだろう」と、トラスティはカイト達を追い返したのである。煙に巻くとの言葉通り、一方的にトラスティが話していた。  カイトとジークリンデの姿が消えたところで、「よろしかったのですか?」とグリューエルが聞いてきた。 「相手は、銀河を滅ぼすようなトリックスターですよ。いくらノブハル様とカイト様とは言え、お手伝い無しでなんとかできるものでしょうか?」  それを心配したグリューエルに、「確かに難しいだろうね」とトラスティは答えた。 「厄介極まりない相手なんだけど、今回は致命的なミスを犯しているんだよ。彼らのタイプはね、絶対に正体を知られてはいけないんだ。あの程度のことなら、正体を知られた時点で対策が取れてしまうからね。その意味では、彼らは油断をしていたのだと思うよ。エイリアスだったかな、彼女だけなら好きに踊らせることもできていたんだ。その証拠に、彼女は彼らの宇宙船がトリス・クロにあると思っている。そう考えているうちは、絶対に見つけることはできないんだよ」 「では、彼らはどこにいると言うのですか?」  教えてくださいと迫るグリューエルに、「ヒントをあげよう」とトラスティは笑った。 「彼らが踊らせたのは、トリス・クロに住まう人達だけか? と言うことだ。おまけで言うと、もともとトリス・クロは、無人の惑星だったんだよ」 「無人の惑星では、彼らは遊ぶことができない……」  そうやって考えてみると、彼らは有人惑星にいなければおかしいことになる。それに気づいたグリューエルは、「ヘルコルニアと言うことですか」と居場所を口にした。 「当然たどり着く答えだね」  それだけだと不足だと、トラスティは「他に気づいたことは?」とグリューエルに促した。ただそう聞かれても、具体的な考えはなかなか浮かんでくれない。目元にシワを寄せて悩むグリューエルに、「追加のヒント」とトラスティは言った。 「彼らの本体は、情報化されているんだよ。エイリアスには身体があるけど、彼らには体がないんだ。そして十分な能力のあるコンピューターがあれば、彼らはそこに潜むことができるんだ」 「ヘルコルニアにいて、しかも十分な能力のあるコンピューターのある場所ですか……」  そこまで口にしたところで、グリューエルは大きく息を吐いた。いろいろとヒントを貰ったおかげで、ようやく敵の居場所にたどり着くことができたのだ。そして気づいてしまえば、なるほどと思える居場所だった。 「彼女は、身近に彼らがいるのを知らなかったと言うことですか」 「行動を誘導することを考えたら、特等席だと思わないかい?」  正解と手を叩いたトラスティに、「でしたら」とグリューエルは、一緒に浮かんだ考えを口にした。 「オールド・バランタインですか。その男もまた、彼らに誘導された者と言うことですね。ヘルコルニア連合国家が白豪主義をとるのも、彼らの誘導が理由だったと言うことですね」 「それもまた、当然導き出される答えだと思うよ」  正解だと知られたグリューエルだが、その心に湧き出たのは喜びではなく恐怖だった。世界の裏側に潜み、無邪気な悪意で世界のあり方を歪めてしまう存在。その最終目的は、恐らく星が破滅するほどの大きな混乱なのだろう。そんな邪悪な存在が、これまで知られることもなく存在していたのだ。1000ヤー前の悲劇も、それが原因ではないかと思えたぐらいだ。  ぶるっと恐怖に身を震わせたグリューエルを、トラスティはその胸に抱き寄せた。 「だから、サラには彼女のカプセルを警戒させているんだ。多分だけど、今でもエイリアスに影響を与え続けていると思う。自分達の居場所をトリス・クロと思わせ、その時間でどこかに逃げ出す算段をしている……違うな、僕たちを踏み台にして、別の世界に行こうと考えているはずだよ」 「そこまでお考えと言うことですか……」  彼らに感じた恐怖とは別の恐怖を、グリューエルはトラスティに対して感じていた。ただ恐怖こそ感じていたが、それ以上に頼もしさを感じてもいた。 「言っただろう。彼らは、致命的なミスを犯したのだとね。そのあたり、ノブハル君を甘く見てくれたおかげとも言えるね。トリックスターは、その存在を回りに知られてはいけないんだよ」 「回りにと言うより、我が君にと言う方が正確な気がします。ですが、トリックスターを超えるペテン師ですか」  ふうっと息を吐いたグリューエルに、「まだ勝負はついていないよ」とトラスティは返した。 「ここまで来た以上、絶対に取り逃がしてはいけないんだ。もう一つの可能性として、僕はエイリアス自体を疑っているんだ。だから兄さんに、あんな事を言ったんだよ」 「エイリアスを、ですか?」  驚きはしたが、グリューエルもすぐにその意味を理解することができた。「なるほど」と頷いたグリューエルは、からくりが見えてきたことを口にした。 「すべてが仕組まれたことと言うのですね」 「それぐらいの相手だと、疑って掛かる必要があると思ってるよ」  これが知恵比べと、トラスティは大真面目な顔でグリューエルを見たのだった。  トラスティに相談したことを、ノブハルに教えるわけにはいかないと思っていた。だからカイトは、意外な才能を見せるジークリンデを相談相手とすることにした。ザリアを呼び出したカイトは、ミラクルブラッドを作る前にと断って、トラスティから貰ったヒントを展開することにした。 「エイリアスに、冷凍睡眠を止めて外の世界に出てこい。でしょうか?」 「ああ、それが奴らの居場所へのヒントだと言っていたな。それから、対策としてサラにも、ネットワークの監視をさせていると言ったな」  それぐらいだと答えたカイトに、「難しいですね」とジークリンデは顔を顰めた。 「あの方の場合、口にされたこと全てに関連があるのだと思っています。でしたら、今の言葉にも何か関連があると言うことになるのでしょう。彼らの逃げ道を塞ぐと言う意味で、ネットワークを監視させている。そしてシエルシエラの地下にいるエイリアスに、外に出てくるようにアドバイスをする……どうして、外に出るようにと言う話になるのでしょうね」  うんと考えたジークリンデは、同じように悩んでいるザリアの顔を見た。 「一番考えられるのは、奴らの居場所がカプセルの中と言うことだな。だからエイリアスを切り離すことで、カプセルが始末しやすくなると考えることができる」  そのザリアの答えに頷いたジークリンデは、「ヒントとして優しすぎますよね」と自分の考えを口にした。 「もちろん、私もお義母様と同じことを考えていますよ。ただ、それだけなのかと言うことに疑問を感じているんです。ネットワークとエイリアスと言う二つのヒントは、彼らがトリス・クロにいないと言うことを示唆しているのだと思っています。確かに、ヘルコルニアからトリス・クロには、常時超高速通信が繋がっていますからね。地下深く潜っていてもいいのなら、ヘルコルニアにいても同じことができますしね」 「その意味で言えば、シエルシエラの地下にあるカプセルと言うのは、盲点と言っていいのだろうな。何しろ、一番熱心に居場所を探しているエイリアスの直ぐ側に隠れているのだからな」  うんうんと頷いたザリアに、「それなんですけど」とジークリンデは険しい顔をした。 「それでしたら、なぜエイリアスは気づかなかったのでしょう」 「それだけ巧みに隠れていた……と言うのも考えられるが……なるほど、別の考え方もできる訳だ」  ぽんと手を叩いたザリアに、「エイリアスもグル、さもなければ作られた存在ですね」とジークリンデは口にした。 「おそらく、ウタハと似たような存在だと夫殿は考えたのだろう。ただウタハの場合は肉体があり、エイリアスには肉体が無いと言う違いがあるな。その推測が正しければ、エイリアスは敵ではないことになる」  ザリアの意見に、ジークリンデは小さく頷いた。 「そう仮定すると、いろいろと辻褄が合ってきますね。そもそも、人の住んでいないトリス・クロに、彼らが降りた理由が分かりませんでした。と言うより、ヘルコルニアからワープゲートが開かれるのを待っていたと言うことが、あまりにも不確かすぎる賭けだと思います。私達は、トリス・クロで事件が起きたことで、注意をそらされていたと言うことになりますね」 「つまり、オールド・バランタインとか、エイリアスの行動も、奴らに仕組まれたことと言うのか?」  カイトの問いに、恐らくとジークリンデは頷いた。 「これで、問題の大きな白豪主義が取られた理由にも説明がつくと思います。彼らはいやらしいことに、数々のトラブルになる種を巻いていたと言うことです。宇宙への道を作ることで、別の星系に移る準備をすること。肌の色の違いを際立たせた政策をとることで、お互いの対立を深めること。しかも法的問題を残すことで、不満を高め、爆発した時の影響を大きくすること、等々がありますね」 「だとしたら、俺達が来たことも予定通りなのか?」  少し顔を顰めたカイトに、「予定していたでしょうね」とジークリンデは答えた。 「ただ、何時と言うことまでは分かっていなかったと思います。そして、可能性としてはかなり薄いと思っていたと思いますよ。流石に、異なる宇宙から訪問者があるとは想定しないと思いますからね」 「それにしても、俺達も大きなリスクを抱えたことにならないか?」  外に出たがっていた者達に、外に出る方法を示してしまったことになる。それを危惧したカイトに、「確かにリスクですね」とジークリンデも認めた。 「でも、出口はメイプル号にしかありませんよね。そしてメイプル号は、サラさんのネットワークに繋がっています。トラスティ様のことですから、罠を張って待ってらっしゃるのではありませんか?」 「間違いなく、罠を張っているだろうな」  ふうと息を吐いたカイトは、「俺達も踊らされている」とぼやいた。 「子供の自主性……勉強のためにヒントだけ出したとも言えますね。ただ私達は、いただいたヒントからアクションを起こす必要があります」 「ノブハルを、どうやって踊らせるか、か」  そっちも難しいとぼやくカイトに、「そちらは」とジークリンデは遠慮がちに口を開いた。 「さほど難しくないのかと。実は、姉からいろいろとアドバイスを貰いました。その中には、ノブハル様の誘導法も含まれていました」 「なんか、それも怖いな……」  だから王女様はと悩んだカイトに、「お話は終わりですね」とジークリンデがすり寄ってきた。 「私に、指輪を作ってくださるのですよね?」 「ここまでお膳立てされたら、作らないと言う訳にはいかないのだろうな」  小さくため息を吐いたカイトは、「ザリア」とサーヴァントの名を呼んだ。 「ぬしも、ずいぶんと流されるようになってしまったな」  仕方がないと言いながら、ザリアは光の粒となってカイトとフュージョンをした。そこで一二度感触を確かめてから、カイトは右手を持ち上げ「星よ集え」と光を下僕とする命令を口にした。その命令に従うように、カイトの手のひらの上に宇宙から光の粒が集まってきた。これだけでも、ジークリンデには奇跡の技に見えてしまった。 「これを、指輪に詰めればいいのか」  期待の眼差しを向けるジークリンデを見てから、カイトは集めた光をそっと指輪の上においた。吸い込まれるように宝石の中に吸い込まれた光は、一瞬明るく輝いてから何もなかったかのように宝石の中に落ち着いてくれた。 「これがIotUのなした奇跡、ミラクルブラッドなのですね」  明らかに恍惚とした顔をしたジークリンデに、「いいのか?」とカイトは尋ねた。自分で作ったものなのだが、得体がしれなさすぎたのだ。指にはめた時、どんな影響が出るのかも分かっていなかった。 「私は、我が君を信用しております」  そう言って差し出された左手の薬指に、いいのかなと思いながらカイトは指輪をはめた。とりあえず爆発はしなかったと安堵したカイトに、「我が君」とジークリンデは目元をうるませて迫ってきた。 「体が熱くて切なくて……ですから」  お願いと言われたカイトは、自分の中でスイッチがはいるのを感じていた。そしてザリアを見て「必要な調整だから」と言い訳をして、ジークリンデを抱えてベッドルームへと消えていった。 「夫殿、ここで実験しなくてもよいであろうに」  これで、しばらくジークリンデが使い物にならなくなってくれる。困ったものだと、ザリアは大きく息を吐き出したのだった。  変化の見えにくい大きな方針転換とは言え、4週間も経てば変化は目に見えるようになってくる。気合を入れてショッピングセンターに来た二人は、無事たどり着いた入り口で、目の前に広がる異世界に入り口の所で立ち止まってしまった。冷静な目で見ればお粗末なショッピングセンターにしか過ぎないのだが、街中の薄汚れたよろず屋の世界とは比べ物にならなかったのだ。だから二人は、目を輝かせて、そして覚悟を決めてショッピングセンターの中へと入っていった。  ただ入ってみたはいいのだが、そこには厳しい現実が待っていた。見た目のいいウタハは、いたるところで女性店員に呼び止められて化粧品のセールスを受け続けた。それなのに、懐の事情でひたすら断り続けることになってしまったのだ。そのあたり、つけられていた正札が二人に手が出るものではなかったのである。 「はっきり言って異世界だと思ったのだが、値段の方も異世界だったな」  結局ぐるぐると回って時間を潰したのだが、自分達には手が出せないと諦めるしかなかったのだ。 「でも、とても楽しかったと思うわ。それに、モデルになってみないかって誘われたし。綺麗だから、きっと人気が出るわよって褒めてくれたわ」  どうと、ウタハは長い髪をすくい上げるようにしてポーズをつけてみせた。確かに褒められるのも当たり前で、光の中にいるウタハは今までで一番綺麗に輝いて見えたぐらいだ。だからノブハルは、一瞬見惚れてから慌てて首を振った。 「すまん、思わず見惚れてしまった」 「そ、そうよね、私はノブハルのものなんだもの」  見惚れたと言うノブハルの言葉が恥ずかしくて、ウタハはポーズを決めたまま顔を真赤にした。それだけなら普段でも珍しくないのだが、ここは天下のショッピングセンターである。そんな真似をすれば、回りの注目を集めることになる。  それでも二人は、少しも危険なものを感じなかった。警備で回っている警官も、二人を見て笑って手を振ってくれたぐらいだ。クスクスと言う笑い声が聞こえてくるのも、オーヘントッシャンが変わった証拠なのだろう。  回りの様子に気づいた二人は、顔を赤くしてその場をそそくさと後にした。考えるまでもなく、自分達はずいぶんと恥ずかしい真似をしていたのだ。そして地下の食品売り場に来た所で、二人は大きく深呼吸をした。 「あー、恥ずかしかった」 「確かに、あれは恥ずかしかったな」  顔を見合わせて笑ってから、二人はショッピングカートにかごを乗せ食材豊富な食品売り場に繰り出した。上のフロアに比べれば、こちらはとても常識的な値付けが行われていた。 「困ったわ。スープ以外のメニューが思い浮かばないの。あとは、シンプルなステーキぐらい」 「塩コンソメのスープでなければ、大抵のものは受け入れる事ができるぞ。流石に、これを見てから塩コンソメスープは苦行になる」  回りには、とても種類豊富な食材が揃っていたのだ。それを考えると、スープの素に少しの素材を放り込むだけのスープが、辛く感じるのも無理も無いだろう。 「その気持は理解できるんだけど。世の中には、できることとできないことがあるのよ」  過剰な要求はしないでと答えたウタハに、「だったら」とノブハルは別のコーナーを指さした。 「あっちに、出来合いのものがありそうだぞ。手作りは諦めて、今日は出来合いにしてもいいんじゃないのか?」  その方が美味しそうだと言う言葉を飲み込んだノブハルに、「ゴメンね」とウタハは謝った。 「料理のできない女で」 「そ、それはだな、これから覚えていけばいいだろう。何しろ俺とお前には、沢山の時間があるんだからな」  少ししどろもどろになったノブハルに、「奥さんにしてくれるのね」とウタハは聞いてきた。 「す、すでに、お前は俺のものだと言ってあるはずだ」  買い物に来ただけなのに、どうしてこんなクリティカルな攻撃を受けなければいけないのか。背中に汗を流しながら、ノブハルはウタハの攻勢に向かい合った。 「奥さんとは言ってくれないんだぁ」  しかもウタハは、人前で拗ねると言う暴挙にまで及んでくれた。流石に進退窮まったとノブハルが覚悟したところで、「申し訳ありません」とぴっちりとスーツで決めた男性が声を掛けてきた。 「す、すまない、他の客に迷惑をかけるつもりはなかったんだ」  あわわと慌てた二人に、「いえ、違うのですが」と男は困った顔をした。 「ノブハルさんとウタハさんに、少しだけご足労願いたいと。私、自治政府から派遣されました、ボウモアと申します」  これが身分証と、ボウモアと名乗った男は写真入りの身分証を差し出した。ただ問題は、二人に真贋を確かめるだけの知識がなかったことだ。 「なぜ、自治政府が俺達に? もう、タウンミーティングは終わったはずだがな」 「申し訳ありません。私には、詳細は知らされておりません」  申し訳ないと謝られ、ノブハルは仕方がないとため息を吐いた。いちゃついていただけなので、幸いなことにかごの中には何も入れられていなかった。元に戻す手間が省けたことが、唯一の救いと言っていいのだろう。  顔を見合わせてため息を吐いた二人は、ボウモアと名乗る男に付いていくことにした。  そしてショッピングセンターから車で1時間ほど掛けて、ノブハル達二人は以前連れられてきた自治政府の建物へと案内された。そこで別の職員の出迎えを受けた二人は、エレベーターで最上階へと連れて行かれた。前とは違うなと思いながら歩いた二人は、そこそこ立派な部屋へと案内された。 「今度はお茶とお菓子が出たか。流石に、前回よりは扱いがいいな」  どっかりとソファーに腰を下ろし、ノブハルは無造作にお茶を口へと運んだ。客として迎えているのは、出がらしではない美味しいお茶が教えてくれた。 「そうね、美味しいお茶だと思うわ」  ノブハルが落ち着いている以上、自分が怖がる必要はない。すっかりノブハルを信用したウタハは、出されたお菓子にも手を伸ばした。 「うん、こっちも美味しいわ」  そう言って嬉しそうにしたところで、ドアをノックする音が聞こえてきた。そしてそれに遅れてドアが開き、どこかで見たような顔が中へと入ってきた。  慌てて立ち上がった二人に、「迷惑を掛けたね」と男は作った笑顔を浮かべた。そして座るようにと、二人に促し自分は反対側に腰を下ろした。 「とりあえず自己紹介が必要だろう。映像で見たことはあると思うが、トリス・クロ自治政府代表オールドクロウだ」  よろしくと差し出された手を握り、「ノブハルです」と挨拶を返した。 「それで、自治政府代表自らお出ましになられた理由はなんですか?」 「先日のタウンミーティングの続きと言うことになるな。実は、君を指名したのは私ではないのだ」  そこで小さく頷いたところで、部屋にあったディスプレーに映像が浮かび上がった。そこには、3人ほど見覚えのある顔が映っていた。 「連合国家代表様のご指名なのか?」  少し目元を険しくしたノブハルに、「久しぶりだね」とスクラルド・バランタインが声を掛けてきた。 「なるほど、あの二人の捜索がうまく行っていないと言うことか」  自分が呼び出された理由を口にしたノブハルに、「まさにその通りだ」とスクラルドは認めた。 「現在トリス・クロを虱潰しに捜索しているのだが、全く手がかりが掴めていない。広いトリス・クロだと考えれば、簡単に見つかるとは思っていなかったのだが、このままではいたずらに時間だけが過ぎてしまうことになる。だから君の知恵を借りようと思ったのだ」 「知恵と言われてもだな……」  困ったなと眉間にシワを寄せたノブハルは、「カイトさんは?」とヘルコルニア側の動きを確認した。 「ここ数日連絡が入っていない。恐らくだが、彼らも手詰まりと言うことだろう」 「確かに、本気で隠れられたら発見は困難だと思っていたが……」  ふうむと口元に手を当てたノブハルは、「仕方がない」と小さく呟いた。 「アクサ、トラスティさんと連絡をつけてくれ」  趣味の世界で動いていない以上、我を通すのは害悪でしか無いのは分かっていた。以前の経験も踏まえ、ノブハルはあっさりとトラスティを頼ることにした。  そしてアクサに頼んだ1分後、「意外に早かったね」と笑いながらトラスティの仮想体が現れた。そして用件なら分かっていると先手を取って、「先入観は捨てよう」とノブハルに告げた。 「その先入観とは?」  なんだと首を傾げたノブハルに、「彼らの居場所」とトラスティは笑った。 「ちなみに、未来視では君達の捜索が上手くいくと言う未来は見えていないんだ。だからアルテルナタを頼っても、だめと言う結論は出せても、彼らを見つけることはできないからね」 「それで、奴らの居場所に関する先入観とは何なのだ?」  未来視の話はいいと、ノブハルはトラスティに迫った。 「君達は、彼らがトリス・クロにいると思っているのだろう。それが間違いだと言っているんだよ。そもそもエイリアスだったかな、彼女がたどり着いた時にはトリス・クロは無人の惑星だったんだ。着陸場所を選べるのなら、彼らがそんな場所を選ぶはずがないだろう?」  トラスティの言葉に、「そう言うことか」とノブハルは頷いた。 「だとしたら、俺達は見当違いの場所を探していたことになるのだな。なるほど、確かにいくら探しても手がかりすら見つからないはずだ」  うんうんと頷いたところで、「そんなはずはないわ」とエイリアスが声を上げた。 「そんな近くにいたんだったら、私が気づかないはずがないもの」 「その考え方にも一理あるのだが」  ふむとノブハルが考えたところで、「兄さん達のご登場だ」とトラスティが笑った。ここまで登場が遅れたことに、おかしなスイッチが入った結果だと確信したのである。 「お疲れ様兄さん……と言うより、お疲れジークリンデと言った方がいいのかな?」  くっくと笑ったトラスティに、「おかげさまで」とジークリンデは頭を下げた。 「指輪のお陰で、失神期間が短くてすみました。次は1週間かと密かに恐れていたんです」  1日で済みましたと笑うジークリンデに、トラスティはこめかみのあたりを押さえた。 「その指輪は、そんなことが目的じゃないんだけどね」  まあいいかと拘らないことにしたトラスティは、「エイリアスと言ったね」とスクラルドの隣りにいるエイリアスに声を掛けた。 「君が、冷凍睡眠を解消する条件は何なのかな?」 「どうして、そんなことが関係するのっ!」  今は、あの二人の居場所を問題としていたはずだ。それなのに、どうして自分の冷凍睡眠の話になってくれるのか。訝った顔をしながら、「ヘルコルニア次第ね」と答えた。 「この星の文明水準が、私が生きていくのに都合が良くなったらと考えていたわ」 「だったら、僕達が来たことで条件は変わったと思っていいね。僕達だったら、君を文明の進んだ世界に連れて行ってあげられる」 「それを否定するつもりはないわ」  「でも」とエイリアスは隣りにいるスクラルドの顔を見た。 「アークとケイを、このままにしておく訳にはいかないのよ」 「でも、その問題はもう君の手を離れているんだ。二人の居場所は把握しているし、僕達が禍根を断つために始末することにしたからね。だから君には、本当の体になって欲しいんだよ」  どうだろうと問われたエイリアスは、「2時間」と具体的な時間を指定した。 「急いでも、それが限界よ。ただ、ここの医療施設に不安はあるけど」 「そちらのサポートは、こちらで行うつもりだ。大丈夫、ヘルコルニアとは数千年の差があるからね」  だからすぐにと急かすトラスティに、「分かったわ」と答えてエイリアスは姿を消した。 「さて、ここからは2時間待ちと言うことになるね。せっかくだから、地下にあると言うカプセルのところに集まろうか。2時間ぐらいなら、それで潰れてくれるんじゃないのかな」  と言うことでと言い残して、トラスティはその姿を消した。  それをため息で見送ったノブハルは、隣りにいるウタハの顔を見た。 「これから一緒にヘルコルニアにまで行くのだが。出入国管理法に引っかからないか?」  どうだろうと顔を見られたオールドクロウは、肩を竦めてスクラルドの方を見た。 「超法規的措置と言うのはできますでしょうか?」 「誰にも見つからなければ、問題となることはないだろう」  つまり法律問題は知らない。見て見ぬふりをしてくれると言うのだ。なるほどずるいなと考えながら、「あなたはどうする」とオールドクロウに尋ねた。 「私はここでお留守番だと思っているのだが。そもそも、どうやってヘルコルニアにまで行くつもりなのだ? ワープゲートを使っても、8日は掛かる計算なのだが」  2時間後は、どう頑張っても無理としか思えない。そう主張したオールドクロウに、「行くのか行かないのか?」とノブハルは質問を繰り返した。 「ここまで来たら、見届けたいと言う気持ちはある」 「だったら、この3人と言うことか」  うんと頷いたノブハルに、「私も行っていいの?」とウタハが聞いてきた。 「お前が、俺と離れることが許されると思っているのか?」  ありえんだろうと断言され、ウタハ小さくため息を吐いて「分かったわ」と答えた。 「まあ、サラマーなら付いてこられるだろう」  良いかと考えたノブハルは、アクサと自分のサーヴァントを初めてトリス・クロで呼び出した。レディッシュと言われる髪を小さなクリップで留めたアクサは、白いトックリのセーターに濃い緑色をしたミニのスカート姿をしていた。 「ええっと、誰さん?」  そう言って驚くウタハに、「アクサ」と短く自己紹介をした。そしてシエルシエラで良いのねと確認をして、多層空間を利用し3人を5光年離れたヘルコルニアへと飛ばした。 「分かってはいたが、なんでもありなのだな」  ふうっとため息を吐いたスクラルドは、歓迎すると言ってノブハルに右手を差し出した。その右手を握り返したところで、代表執務室に新たな影が3人現れた。 「どうして、グリューエルさんまで?」  トラスティは分かるが、そこにグリューエルが居るのが疑問だった。更に付け加えるなら、ミニスカ姿のマリーカと言う存在も疑問を深めてくれた。連れてくるのなら、アルテルナタだろうと思っていたのだ。 「まあ、物見遊山って奴かな?」  その程度とトラスティが笑ったら、今度はカイトとジークリンデが現れてくれた。ただノブハルにとって意外だったのが、ジークリンデが以前と比べ物にならないぐらいに美しくなっていたことだった。  ただ何が有ったのだと聞くことは、この場の本題ではないだろう。そこでスクラルドの顔を見たノブハルは、「移動するか」と声を掛けた。 「流石に、まだ早いのではないか? お茶を飲むぐらいの時間はあるだろう」  そこで娘に目配せをし、スクラルドは集まった8人を応接用のソファーへと案内した。 「有色人種の俺達に、お茶を振る舞ってくれるのか?」  すかさず嫌味を言ったノブハルに、「何を今更」とスクラルドは言い返した。そしてフェリシアは、「恩人ですよ」と言いながらお茶を並べていった。さすがは代表の部屋だけはあり、使われている茶器やお茶の葉も、自治政府でのものよりずっと上等なものだった。  それをうまいなと言いながら飲んだノブハルは、「何をしようとしている」とトラスティに質した。 「あんたが、意味もなく人を集めるとは思っていない。なんのためと疑問を持ってもおかしくないだろう」 「決着を付けるためだと言ったら、信用してくれるかな?」  そう言って口元を歪めたトラスティに、「やっぱりペテン師だ」とノブハルは嫌そうな顔をした。 「こらこら、年長者に向かってそんな事を言うものじゃないよ。今回に限って言えば、君に頼られたから出てきたと思っているんだからね」  そこでお茶を啜ったトラスティは、スクラルドの隣に腰を下ろしたフェリシアの顔を見た。と言うか、上から下までじっくりと舐め回すように見た。その遠慮のない視線に頬を染めたフェリシアは、「私になにか?」と平静を装いトラスティに尋ねた。 「いえ、知り合いに結婚相手を紹介して欲しいと頼まれているんです。だから、綺麗で聡明な女性を見ると、つい品定めをしてしまう癖が付いてしまったんですよ。あなたさえご迷惑でなければ、彼にあなたのプロフィールを紹介してもいいですか?」 「その方は、この星の方ではないのですよね。でしたら、流石に難しいのではありませんか。私は、しばらくこの星を離れる訳には参りませんので」  なるほどと頷いたトラスティは、フェリシアの父親の顔を見た。 「こう言ったことは、タイミングが重要だと思いますよ」 「それは認めるが、相手も分からなければなんとも言うことはできないな」  まごうこと無く正論に、「確かに」とトラスティは大きく頷いた。 「それでは、別の機会に拉致してきますよ。さもなければ、お嬢さんに私達の船に乗って貰うと言う方法もありますね。豪華な船で、銀河を超える旅に出られますよ」  いかがですと問われたフェリシアは、「とても魅力的なお誘いなのですが」と微笑んだ。 「私の事情は、先程申し上げたとおりです。今の改革が軌道に乗り、弟に任せられるまではこの星を出ることはできません」 「なるほど、とてもしっかりとされたお方だ。では、その旨を相手にも伝えておきましょう」  そこで手を叩いたトラスティは、「時間ですね」と全員に合図をした。 「せっかくだから、出てくるところを迎えてあげましょう」 「少し早い気もするが……まあ、良いだろう」  立ち上がったスクラルドは、こちらだと言って先頭に立った。「誰にも見つからなければ」と言う条件は、すでにどこかに行ってしまったようだ。  照明が無いからとランタンが手渡され、一行10人はエレベーターを1回乗り継ぎ地下10階へとたどり着いた。スクラルドによって厳重に施錠された扉が開かれた先には、薄暗い通路が広がっていた。 「この建物は、エイリアス様のカプセルを隠すために作られたと聞いている」  その通路を歩きながら、スクラルドはバランタイン家に伝わる話を教えてくれた。 「何しろ、我々には安全性すら分からない代物だったからな。したがって、カプセルに覆い被せるように壁が作られたらしい。建物の老朽化に伴い、立て直しが検討されていたのだが。その場合でも、地下10階には手を付けないことになっていた。一応の名目は、危険物の封印処理と言うことにしてある」  そう説明したスクラルドは、「ここだ」と言って一つの扉の前に立った。他の扉に比べて、その扉だけは倍ほどの幅があった。  そしてやけに丈夫な、そして時代遅れの鍵を取り出し、スクラルドは力を込めて鍵を開いた。金属の擦れ合う音が響き、最後に何かが外れるような金属音が薄暗い世界に響いてくれた。それから重々しい扉に手をかけ、顔を赤くしながらスライドさせた。長期間開かれなかったのが理由なのか、重々しい扉はきしんだ音を響かせながら開いてくれた。  一仕事終えて大きく息をつくスクラルドに、「言ってくれれば」とカイトは同情の眼差しを向けていた。  そこでランタンのスイッチを入れたスクラルドは、壁にあるフックにそれを掛けた。 「バランタイン家では、これをクレドールと呼んでいる」  明かりに浮かび上がった四角い箱を、スクラルドはそう説明した。 「この扉を見る限り、クレドールですか、ここから出す予定は無いと言うことですね。まあ、扉を通れても通路の広さも足りませんが……」  なるほどと、トラスティは目の前に鎮座する大きな塊を眺めた。 「脱出艇と言うより、そのコア部分と言った感じですね」  幾つのものパイプがむき出しになった姿は、まるで工場のプラントを見るようでも有った。これが生命維持に必要な機能だと考えると、かなり旧式と言うのは否めないだろう。 「あと、20分と言うことだ……」  時間を確認したスクラルドは、ゴクリとつばを飲み込んだ。そんな父親に、フェリシアはピッタリとくっついていた。  そしてノブハルの側でも、ウタハが体を寄せていた。薄暗い明かりで分かりにくいのだが、その表情はしっかりと強張っていた。 「そろそろ、かな?」  トラスティが小さく呟いたのに合わせるように、クレドールからギアが噛み合うような音が聞こえてきた。そしてその音に合わせて、彼らが待っている側の壁がスライドを始めた。  まるで組木細工のような動きを繰り返した壁は、最後に人が通れるぐらいの空間を作り上げた。そして最後の壁が横にスライドしたところで、その中から冷気が漏れ出し、ランタンの光に小柄な人影が映し出された。シルエットのせいで色は分からないが、髪を両側でお下げにした少女の姿をしていた。ただ普段している格好とは違い、体にピッタリとしたボディスーツのような物に身を包んでいた。 「君がエイリアスなのかな?」  そう声を掛けたトラスティに、「そう」とその女性は硬い声で答えた。そして集まった者たちを見て、「タオルの一つもないの」と文句を言った。少し生意気な態度は、アバターで現れるエイリアスそのものだった。 「ノブハル君、任せていいかな?」 「タオルがいいのか? それとも、着替えをしたいのか?」  トラスティに答えたノブハルに、「今はタオル」とエイリアスは答えた。それに頷いたノブハルは、パチンと右手を鳴らして大ぶりのバスタオルを合成した。  それを受け取ったエイリアスは、体を隠すようにタオルを巻いた。 「言われたとおり、冷凍睡眠を解除したわ。それで、これからどうしようと言うの?」  小柄な、そしてフラットな体を精一杯反らして……背が低いので見上がるようにして、エイリアスは偉そうにトラスティに向かい合った。 「二人の居場所は把握していると言ったわよね」  だったら早く教えろ。青筋を立てんばかりの剣幕で、エイリアスはトラスティに迫った。 「ああ、確かに言ったね。じゃあ、ご期待に応えて教えてあげようか」  なんの緊張感もなく、そして薄ら笑いを浮かべたトラスティは、「そこ」とエイリアスが出てきたコクーンを指さした。 「はっ、あんた馬鹿じゃないの! ここには、私がずっといたのよ。どうしてあの二人が隠れているのに気づかないのよ! ありえないでしょ、そんなことはっ!」  ふざけないでと地団駄を踏むエイリアスに、「ノブハル君」とトラスティは呼びかけた。 「君も、僕の言いたいことを理解しているんだろう?」 「ああ、指摘されてみれば、目からウロコと言う奴だな。確かに、ここが一番奴らにとって都合がいい」  ノブハルまで認めるものだから、「なんでよ」とエイリアスは大声を上げた。 「奴らは、実体を持っていないと推測することができる。だからトリス・クロでは、あんな肉人形を使っていたんだ。そして実体が無い、つまりデーター……プログラムか。その状態で活動するとしたら、高度なコンピューターシステムが必要になってくる。そしてそのベースで、高速通信路を利用して各星系に影響を与えてきた。トリス・クロで暴れたのは、単なるお遊びと言うやつだ。お前をからかって遊んでいたとも言う事ができるな」  そこで一度トラスティの顔を見たノブハルは、反応が無いことを確認して説明を続けた。 「そうなると、それだけの性能を持つコンピューターがどこにあるのかと言うことだ。そしてそのコンピューターは、高速通信システムに繋がっていることが好ましい。そう考えたら、どこにいるのかなど簡単に絞り込めるだろう」 「たとえそうだとしても、私に気づかれないよう、船の制御装置に潜り込むことはできないわっ!」  だからありえないと叫ぶエイリアスに、「違うな」とノブハルは言い返した。 「初めから、あいつ等はその船の中にいた。それをお前が、何も知らずに利用したと言う可能性もある。そしてお前自身の存在なのだが、どうして冷凍睡眠をトラスティさんが持ち出したのかが理解できた。お前も、ウタハと同じ存在だったと言うことだ」 「私が、彼女とっ!」  そこでウタハを見たエイリアスは、「ありえない」と大声を上げた。それを認めてしまえば、自分の存在自体を否定することになってしまうのだ。 「と言うことなのだが、答え合わせをして貰っていいか?」  地団駄を踏むエイリアスを無視し、ノブハルはトラスティの顔を見た。 「概ね正解ってところだね。ちなみに、君の彼女を含めて、オリジナルが存在したのだと僕は考えているんだ。多分だけどね、二人に関わりがあった人をモデルにしたんじゃないのかな?」  どうだろうとエイリアスの出てきた扉を見たトラスティは、「光よ」と右掌に光を集めた。 「問答無用で、クレドールを破壊してもいいんだけどね」  トラスティが光を入口に向けたところで、「参ったなぁ」と言う緊張感に欠けた言葉が聞こえてきた。その言葉を聞いたウタハの表情は氷付き、エイリアスは呆然と自分が出てきた扉を見た。 「まさか、そこまで分析されるとは思ってもいませんでしたよ。なるほど、彼の後ろにはあなたのような人がいた訳ですね」  笑いながら現れたアークは、エイリアスと同様のピッタリとしたスーツを身に着けていた。その事情は遅れて現れたケイも同様で、はっきりと女性らしいラインを顕にしていた。 「でも、少し詰めを誤ったんではありませんか? 彼の言葉ではありませんが、問題が解決する前にペラペラと謎解きをするものではありませんよ。「極悪人」に時間を与えたら、思いもよらないことをしますからね」 「まあ、君達と話をしようと思ったからなんだけどね」  少しも動揺を表に出さないトラスティに、「大したものですね」とアークは笑った。 「だけど、僕達からは話をすることはありませんよ。確かにこの星では邪魔が入りましたけど、お陰で僕たちは別の宇宙への足がかりを得られましたからね。これでも、あなた達には感謝をしているんです。ですから、感謝ついでにこの星を破壊してあげようかなって」  後始末ですと答えたアークは、ウタハの方を見て「どうしてモデルがいると思ったんですか?」とトラスティに問いかけた。 「答えは簡単。その方が楽だからだよ。まあ、相手にされなかったことへの逆恨みとかも有ったのかも知れないかな」  そんな所と笑ったトラスティに、「嫌な人だ」とアークは笑った。 「でも、お陰であなた達を殺すことに罪悪感を感じなくてもすみますね。そしてあなた達がいなくなれば、僕たちのことを知る者もいなくなります。どこか別の星にでも行って、楽しむことにしますよ」  バイバイと手を振ったアークだったが、彼の言う爆発は何時まで経っても起こらなかった。そこで固まったアークに、「ノブハル君が言わなかったかな?」とトラスティは口元を歪めた。 「手の内を自慢げにペラペラと話すのは、下っ端のすることだとね。まあ、君達がすることぐらい、初めから予想は付いていたんだよ」  底が浅いねと笑ったトラスティは、「どうするのかな?」とアーク達に向かい合った。 「君達がコピーと言うのは分かっているんだ。ただ、本当にオリジナルは逃げ出すことができたのかな? もしも逃げ出せていなければ、君達が最後の存在になるんだよ。アークとケイだったかな、君達が死ぬことで、その存在が無に帰する事になるんだ」 「関係者を集めたのは、証拠隠滅の誘いをかけるためと言うことかっ」  忌々しそうに吐き出したアークに、「さあ」とトラスティは肩をすくめた。 「間抜けな悪党の顔を、みんなで楽しもうと思っただけだよ」  それだけだと答えたトラスティを、「間抜けはどっちだ」とアークは笑い飛ばした。 「俺達に時間を与えたのは失敗だったな。お前達が外に出た時、ノブクリークがどうなっているのか。せいぜい驚くことだ」  その言葉に色をなしたスクラルドとフェリシアだったが、トラスティ達は全く顔色を変えなかった。 「言い残すことはそれだけかな?」 「ああ、そうだな」  ふっと笑ったアークは、「思い出した」とノブハルの顔を見た。 「せいぜい、短い時間を楽しむことだ」  じゃあなと言い残し、アークとケイの体は崩れ落ちていった。 積み上げられた肉の塊を見て、「後始末が必要か」とトラスティはカイトの顔を見た。 「どうする? この狭い中で燃やすのは良くないだろう」 「時間を加速させてやれば、分子に分解されるんじゃないですか?」  トラスティの言葉に、「そうするか」とカイトは同意した。そして「ザリア」と声を掛けた直後、崩れた肉の塊がみるみるうちに小さくなっていった。そして干からびた物体へと変わり果てた後、塵となって崩れ落ちていった。 「奴ら、ノブクリークになにかしたのかっ!」  いまわのきわに言い残された言葉を持ち出したスクラルドに、「何もできませんよ」とトラスティは答えた。 「この空間は、外部から完全に遮断しておきましたからね。その状況で、外部に干渉するのは不可能なんです。彼らが悪あがきをするのも分かっていたので、クレドールでしたか、その固有時間も止めておいたんです。だから、彼らの言う爆発も起きなかったんですよ」  それだけだとトラスティが答えた所で、「私は」とスクラルドの隣りにいたエイリアスがへたり込んだ。 「私も、あいつ等に作られた存在と言うことなのっ……」  顔を青くしたエイリアスに、「そうだね」とトラスティは答えた。 「でも、君はここに存在しているんだ。これからどうしていくのかは、やはり君が考えることなんだよ。そして君達には、沢山の時間が残されている。人と言うのは、生まれ方で決まるものじゃないんだ。どう生きていくのかが、人として重要なことだと僕は思っているよ」  それだけだと告げたトラスティは、「ご苦労だったね」とアクサを呼び出した。褒められたのが嬉しかったのか、セーター姿で現れたアクサは、満面の笑みを浮かべていた 「さて、爆発はしないようにしたけど、いつまでもここに置いておく訳ににもいかないのだろうね」  小さく呟いたトラスティは、コスモクロアと己のサーヴァントを呼び出した。それに答えて現れたのは、黒い髪にエメラルドの瞳をした、息をするのも忘れてしまいそうな美しさを持った女性だった。 「このクレドールを、破壊しても安全な宇宙空間に飛ばしてくれないかな」 「畏まりました」  その言葉と同時にコスモクロアの姿が、クレドールと共に地下室から消失した。 「じゃあ兄さん、スターライトブレーカーで、原子に戻してあげてください」 「全く、人使いの荒い親父だ」  苦笑を浮かべたカイトは、ザリアと己のサーヴァントを呼び出した。 「うむ、素粒子レベルにまで分解してやろう」  偉そうに胸を張ったザリアは、すぐさま光の粒となってカイトと融合した。そして「すぐに戻る」と言い残し、カイトは地下室を後にした。  結果的に10人が、ガランとした地下室に取り残されることになった。数が変わっていないのは、カイトがいなくなった代わりにエイリアスが加わったことが理由だ。 「さて、もうここにいる必要はありませんね」  そこで顔を見られたノブハルは、「アクサ」と己のサーヴァントに移動を命じた。降りてくる時とは違い、今度は時間を潰す必要はなかったのだ。  アクサによって代表執務室に戻ったところで、スクラルドはすぐにノブクリークの状況を確認した。大丈夫と保証はされていても、自分の目で確認するまで安心などできなかったのだ。そして何事も起きていないのを確認し、大きく安堵の息を漏らすことになった。 「これで、終わったと思っていいのか?」 「彼らについてなら、そうなんでしょうね。ただ、あなた達には沢山仕事が残っていますよ。そして今回のことは、人々が知らない所で起きた事件だと言うことです」  誰も知らないと言うことは、決着を付ける前から何も変わっていないと言うことになる。それを指摘されたスクラルドは、確かにそうだとトラスティの言葉を認めた。そして認めた上で、「大きく変わっている」と返した。 「これで、奴らの干渉を気にしなくても済むようになったのだ。そしてここから先は、全て我々の責任と言うことになる」  その意識だけでも、大きな違いになると言うのである。それに頷いたトラスティは、「これからどうするのかな」とノブハルの顔を見た。 「いや、その前に美味しいところを取ったことを謝っておかないといけないね」  悪かったと謝るトラスティに、「いや」とノブハルは言葉を濁した。 「正直な所、勉強させて貰ったと思っている。そもそも俺は、奴らの正体を見誤っていたところがあった。それ以前に、俺だけだったら奴らの居場所を見つけられなかったと思っている」  そこまで答えて、ノブハルは小さく首を振った。 「それでも、納得の行かないものを感じているのは確かだ。いや、納得がいかないと言うより、何かモヤモヤとするものがあるんだ。それにあいつ、俺の顔を見て「短い時間」と言ってくれた。それもまた、気になっているんだ」  そう言ってウタハの顔を見たノブハルに、なるほどとトラスティは大きく頷いた。 「君が、ウタハさんだったかな。彼女に首ったけと言うのは理解できたよ」 「い、いや、それはだな」  途端に慌てたノブハルだったが、ウタハに「違うの?」と聞かれて慌てて言い訳を始めてくれた。そんな二人の様子に口元を歪め、トラスティは「仮眠所とかありますか?」とスクラルドに尋ねた。 「来客用の施設もあるのだが?」 「別に、立派なベッドなんか必要ないと思いますよ。極端な話、トイレでも大丈夫なんじゃないかな」  それぐらい盛ってると笑ったトラスティに、「どうして」と二人揃って大声を上げてくれた。その反応に、やれやれとトラスティはこめかみを押さえた。 「こう言ってはなんだけど、もう少しモラルに気をつけてもらいたいね。特にノブハル君、君はもっと立場を弁える必要があるはずだ。加盟星系5万を従える、シルバニア帝国皇帝の夫と言う立場を忘れないようにした方がいい」  さり気なく、そして話の流れで持ち出されたノブハルの立場に、スクラルドとフェリシアは驚きに眼を見張ることになった。もともとこことは違う世界から来たことは分かっていたが、まさかそんな巨大な相手だとは思っても見なかったのだ。それを考えれば、驚きに固まることぐらいは不思議な事ではないだろう。  ただスクラルドとフェリシアが驚くことは、問題とも言えないものだった。一番の問題は、ノブハルの立場を聞いたウタハの顔が真っ青になったことだった。そしてガタガタと震えだし、「そんなの嘘」と呟いていた。 「トラスティさん、どうして今そんなことを教えるんだっ!」  事情を考えれば、トラスティの言葉が引き金になったのは疑いようもない。だがノブハルの非難に、「いつかばれることだろう?」とトラスティは言い返した。 「それとも君は、トリス・クロに骨を埋めるつもりだったのかな?」  違うよねと聞かれれば、そうだとは答えられなくなる。ただノブハルは、ウタハを連れて帰ることを考えていたのも確かだった。 「俺は、ウタハを連れて帰るつもりだったっ!」  そう言い返したノブハルに、「結果は同じ」とトラスティは答えた。 「そしてそれが、アークと言う男の言ったことだよ。ここまでのことをしたんだからね、君が外の世界から来たことを知っていたんだ。そしてそれを彼女が知ることになれば、安定していた精神が不安定になり、存在が危うくなるのも分かっていたんだよ。それが、君が「モヤモヤとする」と言ったことの正体なんだ」 「だとしても、もっとショックの少ない方法が有ったはずだっ!」  ウタハを抱き寄せながら、ノブハルはにらみつけるような顔をトラスティへと向けた。 「結果は一緒だよ。彼女は、君に対して負い目があるし、まだまだ信用しきれていなかったんだ。そしてこれは、君に対してだけじゃなく、彼女と同じ顔をした女性への仕返しにもなっているんだ」  そこまで説明したトラスティは、再びコスモクロアを呼び出した。 「はい、我が君」 「彼女を眠らせてやってくれないか。このままだと、自我境界線が崩壊することになってしまう」  だから急いでと言われ、コスモクロアは針を飛ばしてウタハを眠らせた。さてとトラスティが口を開こうとした時、ウタハをソファに置いたノブハルが殴りかかってきた。二人共暴力と言う意味では素人なのだが、まだノブハルの方がスポーツで鍛えられていた。お陰で素人にしては鋭い拳が、トラスティの顔を捉えようとしていた。  だが結果的に、ノブハルはトラスティを殴ることはできなかった。「家庭内暴力反対」と、戻ってきたカイトが介入してきたのだ。 「僕は、兄さんに何度も殴られた記憶があるんですけどね」 「それはそれと言う奴だな」  ほいよとノブハルの拳を離したカイトは、「始末をつけてきたぞ」とクレドール破壊のことを報告した。 「意外に早かったですね。それから、ノブハル君の教育は、僕の役目だったんですけどね。たまには、理不尽さに腹を立てた子供に付き合ってあげてもいいと思っていたんですよ」  止めなくても良かったと答えたトラスティに、「ノブハルのためにならない」とカイトは言い返した。 「自分のミスなのに、他人に当たっちゃだめだろう」 「それでも、少しは気持ちを晴らしてあげたほうがいいと思ったんですよ」  それだけと笑ったトラスティは、コスモクロアともう一度己のサーヴァントを呼び出した。 「ノブハル君も、眠らせておいてくれないかな」 「はい、我が君」  本来ノブハルは、アクサに守られているはずだった。だがコスモクロアの飛ばした針は、邪魔されることなくノブハルの首へと刺さり、彼の意識を奪った。がっくりと崩れ落ちるノブハルを支えたのは、彼を守るはずのアクサだった。 「使いだてして悪いんだけど、二人をインペレーターに連れて行ってくれないかな」 「できれば、もう少し優しく教えてあげて欲しかったわ」  そう言い残し、ノブハルとウタハの姿はアクサと共に消失した。そこでふうっと息を吐き出したトラスティは、「お騒がせしました」とスクラルド達に頭を下げた。 「いや、それは構わないのだが……一体、何が起ころうとしているのだ?」  困惑を顔に出したスクラルドに、「後始末ですね」とトラスティは誰のか分からないカップに口をつけた。 「彼女は、エイリアスさんと同様、アークが作った人間なんですよ。人の形の中に、人としての情報……らしきものを、自我境界線で保護して詰め込んだものです。だから、医学的には人間と全く同じものなんです。ただ自我境界線が不安定なため、壊れてしまえばただの肉塊になってしまうんです。その結果は、先程あなた達が見た通りのものです。まあ僕達でも、自我境界線を破壊すると似たようなことになるんですけどね」  それが、1000ヤー前に起きた大融合の正体とされるものだった。ただそのことを、トラスティは持ち出すことはしなかった。 「だったら、私も同じことになる可能性があるわけ?」  明らかに顔色を悪くしたエイリアスに、「可能性なら」とトラスティは答えた。 「ただ君と彼女は、かなり置かれた状況が違っているんだよ。例えば君の場合は、仮想体とは言え、かなりの長い時間存在し続けていたんだ。だから、自我と言うものが強固になっているんだよ。絶対に大丈夫とまでは言わないけど、彼女のような不安定さは無いんじゃないかな。彼女の場合は、あの姿になってから短いし、かなり精神的に追い詰められ続けてきたからね。そして一番の問題として、依存の対象から捨てられる恐怖を味わってしまった。まあ、不安定になる要素に事欠いていないと言うことだね。君の場合は、誰かと愛し合って子供を身ごもれば普通に生活できるはずだよ」 「難しい事を言ってくれるわね」  誰かと愛し合うとか、子供を身ごもるとか。そんなことをエイリアスは考えてこなかったのだ。だからそれをしろと言われても、難しいと言う答えしか出てこなくなる。 「それを難しいと言うようじゃ、まだまだなんじゃないのかな? まあ、事情も理解できるけどね」  それだけと笑ったトラスティは、「害虫駆除が終わったようです」とスクラルド達に教えた。 「ノブハル君達がばらまいたプローブがあったんですが、それを利用してメイプル号のシステムに侵入していたようですね。もちろんばれる訳にはいかないので、隅っこの方に隠れていたようです。そしてインペレーターとの通信路が開かれたところで、広大なエリアを持つインペレーターへと移っていきました。まあ予測された経路ですから、いたるところにトラップを仕掛けておいたんですけどね。たった今、駆除が完了したと言う報告が来ました。これで、彼らは二度と現れることはないでしょうね」 「もう、心配はいらないと言うのだな」  安堵したスクラルドに、感染源は残っていないとトラスティは説明した。 「あれだけの存在を活動させるには、かなりの性能を持つコンピューターが必要になるんです。流石に今のヘルコルニア連合国家には、そんなものは存在していませんからね。ですから、物理的に存在できないと言うことです。これで、あなた達の問題の一つは解決したと言うことです」  あくまで一つだと告げたトラスティに、スクラルドとフェリシアはしっかりと頷いた。 「そして、これから先は僕達が干渉することじゃない。彼女を交えて、これからどうしていくのか。それを考えることが、あなた達が手にした権利だと思いますよ」 「簡単ではないのだろうが……だが、それが我々の責任だと言うのは理解している」  ふうっと息を吐き出したスクラルドは、「感謝する」とトラスティに右手を差し出した。その手を握り返したトラスティは、「代理で受け取っておきます」と返した。 「その言葉は、本来ノブハル君が受け取るべきものだと思っています。ただ彼は彼で、解決すべき問題が残っていますからね。それが終わったら、またここに顔を出させますよ」  さほど時間は掛からないだろう。少し遠くを見たトラスティは、「僕達は帰ることにします」と4人に告げた。いつまでも、異星人が星のことに関与していてはいけないから。そんな理由をつけたトラスティに、「一つお願いがある」とオールドクロウが切り出した。 「申し訳ないが、私をトリス・クロに送っては貰えないだろうか」  そう言われて、初めて気づいたようにトラスティは手を叩いた。 「そう言えば、あなたはノブハル君が連れてきたのでしたね。では、ちゃんと送り返す義務が僕達にある訳ですか」  分かりましたと頷き、コスモクロアとトラスティは己のサーヴァントを呼び出した。 「オールドクロウ氏を、彼のオフィスに送り届けてくれ」  「畏まりました」の声を残し、コスモクロアはオールドクロウとともにその場から姿を消失させた。 「では、これで僕らも失礼させていただきます」  ザリアとトラスティが声を掛けた次の瞬間、5人の姿が代表執務室から消失した。 「行ったのか?」 「ええ、行ったようね」  そう答えた直後、エイリアスは「なんなのよ」と頭を抱えた。 「私個人の問題は、少しも解決していないじゃない!」  大声で叫ぶエイリアスに、確かにそうだとスクラルド認めた。そしてとりあえずの居場所を、彼女に提供することにした。 「でしたら落ち着かれるまで、我が家に逗留されると言うのはいかがでしょう。そしてよろしければ、バンダヌスにご指導願えればと」  そうすることで、彼女にもしばらく考える時間ができるはずだ。親切心からの言葉なのだが、当然裏の意味も持っていた。 「この瞬間から、食べていくのにも困るんだから……とってもありがたいとは思ってるわよ」  それでもと、エイリアスは立ち上がって「ビシッ!」とスクラルドを指さした。 「予め言っておくけど、なし崩しに息子の嫁にしようだなんて考えないようにっ!」  好みが厳しいからと、エイリアスは甘く考えないようにと強調したのだった。  この冒険をまだ続けるのかとの問いに、ノブハルはウタハの顔を見てから「いや」と小さく首を振った。トラスティから聞かされた範囲で、この銀河では極端に恒星系密度が低くなっていると言うことは分かっていた。マリーカですら当たりを引けなかったと言われ、これ以上の冒険で得るものが無いことを感じ取ったのである。 「また、あなたの世話になってしまった」  なんだかなぁと天井を見上げたノブハルに、「厄介な問題だったからね」とトラスティは笑った。 「対処を失敗すると、僕たちの銀河にも大きな混乱を招き入れることが分かっていたんだ。だから、慎重に準備をして、一気に追い詰めなければならなかった。小さな失敗も許されなかったから、介入せざるを得なかったと言うことだよ。もしも君がフリーセア女王かドラセナ様でも連れてきていれば、僕の関与ももう少し変わっていたんだろうね。さもなければ、逐一こちらに未来視の確認をしてくれれば良かったんだ。そうすれば、もう少し君が活躍できたんじゃないのかな?」  そこでウタハの顔を見たトラスティは、「君は贅沢なことを言っているよ」とノブハルに告げた。 「彼女を連れて帰れるのに、それ以上は贅沢と言うものじゃないのかな? しかも、兄さんに手伝って貰いはしたけど、君も光を操れるようになったのだろう。成果としては、十分以上の物があったんじゃないのかな」  違うのかと聞かれたら、流石に違うとは言えなかった。隣でウタハが見ているからと言うのもあるが、自分でも良かったと言う気持ちが強かったのだ。 「それからサラの情報だけど。ライラ皇帝とフリーセア女王が危機感を抱いているそうだ。二人共、彼女の意味を理解していると言うことだよ」 「アルテッツァが、チクったと言うことか」  そこでウタハを見たノブハルは、「確かにそうだな」と分かりにくい同意を示した。 「一緒に暮らしているうちに、守りたいと本気で思えるようになったからな」  そう口にして伸ばされたノブハルの手を、ウタハはしっかりと受け止めた。左手の薬指には、赤い石のついた指輪が光っていた。 「帰ったら、君はもう一度冒険に出るのかな?」 「その希望はあるのだが……」  ウタハにぎゅっと手を握られ、「しばらくは封印だ」とノブハルは答えた。 「しばらくは、腰を落ち着けていようと思っている。それに冒険に出ると、ウタハを連れては行けないからな。こいつのためにも、一緒にいる時間を作らないとと思ってる。流石に俺抜きでは、エリーゼ達ともうまくやっていけないだろう」  常識的な答えに、「そうだね」とトラスティは頷いた。そして頷いた上で、ノブハルの非常識な部分を指摘した。 「奥さん達を一緒に住ませようと言うのが、極めて君らしい発想だと思うよ。これは忠告だが、あの3人の関係が誰にでも通用すると思わないようにした方がいい。僕を見て貰えば分かると思うけど、一緒に住んでいるのはカナデ達だけだからね。彼女たちにしても、母子と言う事情があるのだ。確かに一箇所に集まっていてくれた方が、ご機嫌取りには楽だとは思うけどね。それにしたところで、女性達には複雑な思いがあると思うよ」  一番手広くしているのが誰かと考えたら、間違いなくそれはトラスティに違いない。そのトラスティからの忠告だから、説得力があるのも当たり前だった。なるほどと、話を聞きながらノブハルは何度も頷いていた。 「ただね、彼女の特殊事情も理解はできるんだ。彼女の場合は、しばらく君から離れるのが難しいのだろうね。その意味では、近くに話せる人がいた方が良いのも確かだと思うよ。その意味で言えば、君のお母さんなんて最適なんだけどねぇ。ただいくらなんでも、同じ家に4人と言うのは問題だと思うよ」  自分の母親ならと言うトラスティの言葉は、ノブハルにも納得のできるものだった。何も考えていないのでは言いたくなるほど大らかで、そのくせ包容力に溢れていたのだ。食事の量さえ気をつけておけば、これ以上の場所は無いと思えるぐらいだった。ただ指摘されたとおりに、すでにそこには3人先客がいたのだ。 「確かに、母さんに預けるのが一番だとは思うのだが……それ以外だと、どこに行っても同じと言うことになるな。自宅を除外したら、場所にこだわる必要はないのは確かだろう。かと言って、これと言う場所も見つからないのだが」  ううむと考えたノブハルに、「2つばかり候補がある」とトラスティは提案した。 「その一つが、トリプルA本社のあるジェイドだね。そこならば、アリッサが保護することができるんだ。トリプルA専用のクルーザーを用意しよう言う話も出ているから、それを利用すればエルマーに行くことも簡単だと思う。それに住むところなら、アリッサがメイド付きで用意をしてくれるよ。ちょっと贅沢な環境だけど、一番落ち着いた生活ができるんじゃないかな。特にジェイドの場合、デメリットは無いと思うよ」  それがお薦めと言ってから、トラスティは次の候補を持ち出した。 「もう一つは、エイシャさんのところだね。その場合に住むことになるのは、アガパンサスさんのところになるんだけどね。エイシャさんの性格を考えると、彼女もすぐに打ち解けられるんじゃないかな。彼女の面倒見の良さは、誰もが認めるところなんだよ。ただその場合の問題は、君の彼女が美人すぎることかな。何しろエスデニアと言うところは、自由恋愛が浸透しているからねぇ。それにアガパンサスさんの旦那は、連邦軍では有名な撃墜王だ。その方面を忘れれば、結構居心地がいい場所だとは思うんだけどね」 「エイシャさんがいい人と言うのは分かっているが、さすがにその環境にウタハを置きたくないな」  ううむと唸ったノブハルは、ジェイドと言いかけたところでもっと大きな問題があることに気がついた。 「ジェイドだと、あなたと言う最大の問題があるじゃないか!」  盗人に蔵の鍵を預けることになりかねない。ノブハルには、それが一番問題に思えてしまった。 「それは、酷い濡れ衣だと思うよ」  情けなさそうな顔をしたトラスティは、「相手は選ぶよ」と答えた。 「よほどの事情でもない限り、人の奥さんには手を出すことはないよ。君の妹さんにしても、僕は無理やり巻き込まれたんだからね。アマネさんにしても、あれはアリッサが悪いんだ。フリーセア女王のことにしても、僕は彼女の共犯者だと思っている」  だから大丈夫と答えたトラスティに、ノブハルは思わずため息を吐いてしまった。 「それを聞いたら、余計に不安になるとは思わないか?」 「それは、君が彼女にベタボレだからそう思うんだよ。僕としては、これ以上手を広げたいとは思っていないんだ。何しろ、本気で首が回らなくなっているんだからね。今回でも、連邦中を飛び回っていたんだ」  だからないと答えたトラスティに、「その方が説得力がある」とノブハルは心からの同意をした。 「とりあえず、一度家に連れて行くことにする。もしもジェイドに住まわせる場合でも、一度紹介しておく必要があるだろうからな。ウタハには、家族と言う物を教えてあげたいと思っているんだ」 「まあ、妥当な線だとは思うよ」  そこで表情を和らげて、トラスティは「良かったね」とウタハに声を掛けた。 「はい、私は幸せだと思っています」  自分に向かって力いっぱい頷くウタハに、トラスティはノブハルが溺れる気持ちが分かった気がした。それが彼女の一面だと分かっていても、美人で可愛くて健気で、そして儚さを彼女は持っていたのだ。彼女に対してヒロイックな気持ちを抱くのは、男として当たり前のことに思えてしまった。彼女の不幸な境遇も、魅力を毀損するのではなく高める意味を持っていた。 「だったら、もっとノブハル君に甘えてあげればいい。なにしろ君が独占できる時間は、さほど残されていないのだからね」  おねだりをすればいいと言われ、ウタハは顔を真赤にしてトラスティを見た。そして彼が頷くのを確認し、「ご主人様」とノブハルに甘えた。 「ええと、ご主人様はやめてくれと頼んだはずなのだが」  同じように顔を赤くしたノブハルに、「まだチョーカーをしていますから」とウタハは首に巻かれたチョーカーに触れた。 「この指輪とチョーカーが、私にとってとても大切な宝物なんです」  だからご主人様なのだ。そう答えて、ウタハはノブハルの手を引っ張った。いかにも仕方がないと言う顔で立ち上がったノブハルは、トラスティの顔を一度見てから目の前で八の字を書いた。そして繋げられた空間を通って、用意された部屋へと移動していったのだった。  それを見送ったトラスティは、小さく息を吐いてから「サラ」とインペレーターのAIを呼び出した。その呼び掛けに現れたのは、インペレーターのAI、「サラ」のアバターである。黒髪をショートにした、10代の女性の姿をしていた。今日のサラは、首の詰まったブラウスにシンプルなスカートをあわせていた。 「一応呼ばれましたから出てきましたけど、呼び出される相手が違っていませんか? 話のつながりからしたら、アルテルナタ王女、グリューエル王女、マリーカ船長であるべきだと思うんだけど?」  違うのと顔を見られたトラスティは、「話がしたくてね」と彼女を呼び出した理由を口にした。 「まあいいですけど。それで、どのようなお話をされたいのですか?」  それまでノブハルが座っていた椅子に腰を下ろし、サラはトラスティの方へ身を乗り出した。 「僕の父親のこと……と行きたいところだけど、今日は別にいいかと思ってるんだ。アークとケイだけど、どうやって始末をしたのかな?」  直前に解決した問題を持ち出されたサラは、「ワクチンで」とあっさりと答えた。 「ある意味ワームですからね。パターンファイルを作って、プログラムを書き換えれば終了ですよ。トラスティ様、そんな常識的なことを知りたかったのですか?」  表情を変えずに質問をしてきたサラに、「ああ」とトラスティは小さく頷いた。 「違う方法をとったと思っているからね」  サラの言葉を否定したトラスティは、「彼らは」とアークとケイの事を話した。 「君達と同じで、コンピューターに人格移植された存在だと思っているんだ。そして自分自身をコピーする形で、色々なところを転々としてきたんだろうね。エイリアスだったかな、彼女はあの二人が大きな災害を引き起こしたと言ったけど、僕はあの二人も被害者だと想像しているんだ。確かに、時に無邪気な行いが、取り返しもつかないことを引き起こすことは知っているよ。それにしても、彼らは未熟すぎると思っているんだ。そしてあの程度の力では、巨大な災害を引き起こすことはできないとも思っているんだ。多分だけど、君はその事を知っているんじゃないのかな。それから駆除をしたと言ったけど、駆除ではなく別の方法で閉じ込めたのだと思っているんだ」  違うのかなと問い掛けられ、サラは「さあね」と白を切った。だが自分に真剣な眼差しを向けるトラスティに、仕方がないとばかりに大きなため息を吐いた。 「あなたは、お父様よりもずっと人の心を理解できているのね。それに、お父様より抜け目がないと言うのか、ずる賢いと言うのか、まああの人の場合は、途中で人間をやめちゃったと言うのもあるけどね」  トラスティの父親のことを話したサラは、「それはいいとして」と話をアークとケイの方へと引き戻した。 「そうね、私達はあの二人のことを前から知っていたわ。とても昔、やっぱり1千ヤーぐらい昔の話かしら。あの二人と、エイリアスとウタハの4人は、今はなくなってしまった星で生きていたのよ。本人達の記憶を辿ると、とても仲の良い4人だったのは確かね。アークはウタハと言う年上の女性に恋をしていて、ケイとエイリアスは親友同士だったわ。そして女性3人は、アークにほのかな恋心を寄せていたみたいよ。でも、彼らの星は悲しい事件で崩壊してしまった。そこから逃げ出せたのは、アークとケイだけだったと言うことよ。多分だけど、そこで二人は狂ってしまったのでしょうね」  悲しい顔をしたサラは、「それ以上は知らない」と答えた。そして話を、二人を捉えたトラップに変えた。 「だから二人を捉えるトラップは、効果的である意味とても残酷なものになっているわ。感情を持つプログラムに対して、二人の持っていた夢を餌にしたのよ。それはとても暖かくて、二度と手に入らない優しい世界よ。1人の男と3人の女が、お互いに好意を持ちながら、適当な距離感で仲良く暮らしていく世界。そこでアークは、ウタハに膝枕をされて永遠の眠りに落ちていったし、その隣でケイは、エイリアスに持たれて二度と醒めないうたた寝をしているわ」  それが罠と答えたサラに、トラスティは小さく頷いた。 「確かに、とても残酷で、そして同時に優しいトラップを組んだのだね」  そのまま消えていけるのなら、それはそれで幸せなことなのかもしれない。無邪気な悪意を振りまく二人のことを、トラスティは思い出していた。 「でも、どうしてあの二人のことが分かったの?」  自分の嘘を見抜けたことが不思議だ。しかも、ウタハに向けるアークの気持ちを理解していたのも不思議だったのだ。  それを質問したサラに、「とても簡単な理由だよ」とトラスティは答えた。 「ウタハと言う女性が、とても綺麗で、そして魅力的だったからだよ。エイリアスにしても、とても可愛らしかっただろう。それが、彼ら二人があの二人に向ける感情だったんだよ。とても綺麗で優しい年上の女性と、可愛らしくて人懐っこい同級生……かな。彼らはね、大切な人を醜い姿にすることができなかったんだ」  トラスティの説明に、「でも」とサラは疑問を呈した。 「ウタハと言う女性には、ずいぶん酷いことをしているわよね。だとしたら、あなたの言っていることが間違っているように聞こえるわ」  ノブハルに救われなければ、暴行の被害者として命を落としていたのだ。そこのところはと問われたトラスティは、「もう一つの彼の気持ち」と答えた。 「あんな綺麗な女性に、性欲を抱かないと思っているのかな? ただとても暖かい関係を壊したくなくて、それを必死で押さえ込んでいたんだよ。確かに彼女を襲ったのはトリス・クロの現地兵だけど、そう仕向けることでアークは自分の欲望を満たしたんだよ。大切なものを守りたいのと、自分の手で汚してみたい。相反する思いを持つから、彼は人間だったと僕は思うんだ」 「エイリアスは?」  そちらはと尋ねたサラに、「似たようなものだね」とトラスティは答えた。 「今の性格がその頃の彼女の性格と同じだとしたら、彼らが一緒にいようと考えた気持ちも分かるんじゃないのかな。エイリアスだけど、とても騒がしくて可愛らしいだろう? あの二人は、そんな彼女を見ているのが大好きだったんだよ。多分だけど、彼女をからかった時の反応も好きだったんじゃないのかな?」  それが答えと教えられ、サラは「敵わないわね」とトラスティに告げた。 「直接あなたが向かい合っていたら、未来視なんか使わなくても彼らを押さえられたんじゃないの?」  昔から知っている自分でも、そこまで彼らのことを理解できていなかった。それを理由にしたサラに、「そうかもしれないね」とトラスティは答えた。 「ただ、ノブハル君で良かったと思っているよ。僕に彼らを押さえることはできても、ウタハと言う女性を救えなかったと思うからね。彼女は、ノブハル君の青さが救ったとも言えるんだ。まあ、その分ノブハル君は、帰ってからが大変なんだけどね」  小さく吹き出したトラスティに、「あら」とサラは口元を歪めた。 「まるであなたが、帰ってから大変じゃないように聞こえるわね。ライラ皇帝とかフリーセア女王とかから、間違いなく文句を言われることになるわよ。まあライラ皇帝には、チョーカーを付けてあげれば解決するけど」  それがお勧めと言われ、「しないから」とトラスティは笑いながら否定をした。 「ただでさえ首が回らなくなっているんだ。これ以上、疲れさせる真似をさせないでほしいね」 「今更手遅れって気がするけどね。でも残念ね、私に実体があったら、お父様にしてあげたように膝枕をして癒やしてあげたのに」  気持ちいいのよと笑うサラに、「膝なら沢山ありそうだ」とトラスティは連れてきた3人のことを思い出した。 「膝枕ができるのって、マリーカ船長ぐらいじゃないの?」 「だったら、マリーカにお願いをしてみるか」  よっと言って起き上がったトラスティは、「ありがとう」と声を掛けて空間を超えていった。それを見送ったサラは、「ありがとう、か」とトラスティの消えた空間を見ていた。 「私も、カエデさんみたいに実体を作ろうかなぁ。幸い、材料ならメイプル号にあるはずだし」  自分だって、少しぐらいいい思いをしてもいいはずだ。自分で自分に許しを与えたサラは、展望デッキからアバターを消したのだった。 続く