Mr. Incredible −04  唇を青くしたまま、フリーセアはウォードルフに連れられて歩いていた。ただ彼女の感じた恐怖は、反女系派が迎えに来たことに対するものではない。今まで見通せていたはずの未来が、見通せなくなったことへの恐怖だった。時間の経過とともに、わずか先の未来もぼやけて形をなさなくなってくれたのだ。 「奴らは、姫殿下を害する口実に欠けています。絶対に大丈夫とまでは申せませんが、御身の命に関わることはないかと思います」  だから少し開き直ってはと、ウォードルフは恐怖に震えるフリーセアに声を掛けた。もっとも、その程度の慰めで、権力の座から落ちる恐怖を紛らわすことが出来ないは承知している。だが迎えに来た相手の対応から、さほど急激な変化は予定されていないはずだと考えたのである。生きてさえいれば、まだ挽回の余地があるとウォードルフは考えていた。 「そ、それぐらいのことは、私にも分かってるわ。反女権派が多数を握ったと言っても、圧倒するまでにはなっていないもの。その状況で私を殺したら、クリプトサイトの穏健派が彼らを支持しなくなる。その先にあるのは、泥沼の内乱でしかないのよ。だから、彼らの考えた落とし所にも想像がつくのだけど……だけど、本当に未来が見えなくなってきているのよ。少し先から、急にぼやけて見えなくなってしまったの!」  だから怖くて仕方がないのだ。何か、今まで経験したことのない、自分でも想像のつかないことが起きようとしているのではないか。それが怖くて仕方がないのだとフリーセアは打ち明けた。 「姫殿下の未来視は、ご自身の生死に関わらないものでしたな」  それを考えると、未来が見えない理由は彼女が殺されることとは関係が無いことになる。それでも見えないと言われれば、確かに異常な事態には違いないだろう。ただ未来視の能力を持たないウォードルフには、それ以上何も出来ることはなかった。 「つまり、この先の選択に対する判断も出来ないと言うことですか?」  クリプトサイトの女性王族は、節目となる選択では必ず未来視を行っていた。そうやって、最良の未来を選択するのが、彼女達の役目となっていた。  だが節目における未来視が、どう言う訳か役に立たなくなってしまった。流石に問題かと眉を顰めたウォードルフに、「選択は決まっているわ」とフリーセアは答えた。 「それ以前に、私には未来を選択する余地はないと思ってる」 「正々堂々、正面から迎えに来られては確かにそうでしょう」  ここで迎えを追い返せば、反女系派に付け入る隙を与えてしまうだろう。礼を尽くして迎えを出したと考えれば、過激な行動に出る可能性も生まれてくる。 「彼らは、とてもうまく、そして慎重に計画を遂行したのだと思うわ。悔しいけど、私たちの負けだと思う」  相変わらず顔色は良くないのだが、それでも遅れを取ったことへの悔しさは感じられなかった。反女権派が取ろうとした答えとその先にある姿は、フリーセアも理解することが出来ていたのだ。 「でも、それも正しい選択かもしれないと思っても居るの。結局近い未来が見えた所で、その先にどんな落とし穴が待ち構えているかは分からなんだから。だとしたら、未来視などに囚われず、何が最良なのか各々が考えた方が良いと思う」 「確かに、仰るとおりなのでしょうな」  しっかりと先を考えていたフリーセアに、ウォードルフは心の中で感心していた。ただ彼女が口にしたのは、これまでの支配論理を否定するものとなっていた。だが未来視を持たない自分には、彼女の言葉の方が心に響いてくれたのだ。  リフトでランチ発着場に降りた所で、フリーセアは思いもよらない景色に目を瞠ることになった。過去見学した時には、ランチ発着場など色気の全く感じられない無機質な空間だったのだ。だが今目の前に広がるのは、赤いカーペットが敷かれた飾り付けられた空間である。そしてリフトから降りたフリーセアの前には、年配の男を先頭に10名ほどの男たちが片膝を突いて頭を下げていた。 「ヴェルコルディア卿、あなたが迎えに来てくださったのですか?」  先頭で頭を下げていたのは、反女系派の中ではナンバー2と言われている男だった。しかも反女系派の中では、ナンバー1のシモクレン・セイドルフよりも人望に厚い男である。その男が迎えに来たことで、自分に対する扱いが予想から外れていないことをフリーセアは確信した。  フリーセアに声を掛けられたヴェルコルディアは、ゆっくりと顔を上げ彼女の顔を見た。そこには追い落としに成功したことへの優越感はなく、ただただ温和な笑顔が浮かんでいた。 「フリーセア様には、少しばかり窮屈を味わっていただくことになるのかと。従って、礼を尽くすためにも私が迎えに参りました」  そう言って立ち上がったヴェルコルディアは、もう一度頭を下げてから「こちらに」とフリーセアに道を示した。本来殺風景なはずのランチ発着場には、白で纏められた装飾が行われ、真っすぐ伸びた通路は明るく照らし出されていた。その中を、真紅に染められたカーペットが伸びていた。  並んで歩くヴェルコルディアを見上げ、「私は」とフリーセアは問いかけた。 「どのように処遇されるのかしら?」 「ドラセナ女王にご退位いただいた後、クリプトサイトの象徴となるべく女王に即位していただく事になります。ただし行政権を始めとした3権は返上していただくことになるのかと。国事行事において、民達を束ねる象徴としてのお勤めをお願いいたします」  やはりそうかと、フリーセアは小さくため息を吐いた。そしてそれを気にしたヴェルコルディアに、「大したことは無いのです」と答えた。 「未来視の結果ではなく、私が自分で考えた中で一番良い選択だと思うわ。民達に混乱はなく、そしてクリプトサイトに新しい息吹が生まれるでしょうね」 「ご理解いただき、恐悦至極にございます」  立ち止まって頭を下げたヴェルコルディアに、「必要ないわ」とフリーセアは苦笑を返した。 「どうせなら、クリプトサイトから追放して貰って、自由の身になれたらと思っただけです」 「残念ながら、まだ楽にさせる訳には参りません……と言うところでしょう」  ヴェルコルディアの答えに、フリーセアはもう一度苦笑を浮かべた。 「権力を取り上げておいて、その上さらに利用しようと言うのね」 「それが、政治と言うものかと存じ上げます」  フリーセアに合わせるように、ヴェルコルディアも微苦笑を浮かべていた。 「その通りなのだけど、言い返せないのが癪に障るわね」  まったくと、フリーセアは小さく息を吐き出した。だがその瞬間、彼女の持つ能力、未来視が突然働いた。きれいに飾られた通路が炎に巻かれ、迎えに来た者達が血を流して倒れているさまが見えたのだ。 「ヴェルコルディア卿、皆の者、伏せてください!」  それでどうにかなるとは思えないのだが、フリーセアは大声で身を低くするように命じた。その命令に、居合わせた者達は一瞬あっけにとられたような表情をした。だが次の瞬間、その意味に気づき全員が床に体を投げ出した。  だがただ一人ヴェルコルディアだけが、フリーセアの言葉に従わなかった。いや、被害を避ける行動を取りはしたが、それはフリーセアが命じたものではなかったのだ。要人警護に使われる防爆シートを広げ、彼女を守るように上から覆いかぶさったのである。それを見た他の男達も、立ち上がって防爆シートを広げフリーセアを守るように身を寄せてきた。  フリーセアが予知した爆発は、彼女を守る壁が出来上がった所で発生した。そして未来視で見た通り、飾り付けられたランチ発着場は瞬く間に火の海に飲み込まれた。発生した膨大な熱量は、人の生存を否定する激しさを持っていた。  大切なお方を迎える以上、小さな手違い一つあってはならない。軽巡洋艦クロノスXの指揮官であるメディニラは、モニタでランチ発着場の一部始終を見守っていた。どう言う事態が起こるのか、王女が現れるのを一日千秋の思いで待っていた彼は、ぎこちない笑みを浮かべながらも王女が乗船しようとしたことに安堵の息を漏らした。反女系派が勝利したとは言え、必ずしもそれは絶対のものではない。未だ多くの者達が、未来視を持つ女系王族への忠誠心を保っていたのだ。従ってフリーセアを象徴として祀り上げるのは、反女系派にとっての勝利条件の一つにもなっていた。  だが彼が見ている前で、モニタの向こう側で全員が床に伏せると言う異常事態が発生した。しかも床に伏せるだけでなく、爆発から身を守るカーテンが展開されるのが見えたのだ。普段から温和なメディニラが、「何だ!」と声を荒げるのも無理も無いことだった。  だが彼への答えは、違う形で現れた。何かが爆発したような映像と同時にモニタが消えるだけでなく、大きな揺れがクロノスXを襲ったのである。投げ出されそうになったメディニラは、なんとか体を支えて「報告!」と大声を上げた。 「ネビュラ1からの攻撃です。上部加速粒子砲が直撃しましたっ!」  ネビュラ1への接舷にあたって、クロノス5のバリアは解除されていた。その状況では、いかに戦艦でも被害を避けることは出来ない。しかも反撃が無いのを良いことに、ネビュラ1はクロノスXへの攻撃を繰り返した。 「反撃しますかっ!」  このままでは、クロノスXが沈んでしまう。悲痛な声を上げた部下に、「駄目だ」とメディニラは大声で否定した。 「ここで反撃をしたら、10万もの乗員を巻き込んでしまう。急速離脱と同時に、防護シールド展開!」 「急速離脱と同時に、防護シールド展開しますっ!」 「急速離脱実行……出来ません。何者かが、船の制御系に干渉しています!」  悲鳴のように上げられた報告に、「バカな」とメディニラは一瞬声をつまらせた。そしてすぐに、乗員に対して船外退避の命令を発した。このまま離れることも出来ずに攻撃を受ければ、クロノスXが沈むのは時間の問題だったのだ。 「ここでクロノスXが爆発したら、ネビュラ1も無事ではすまないのに……」  それなのになぜ、ネビュラ1は狂ったように攻撃をしてくるのか。その可能性の一つにたどり着いたメディニラは、「まさか」と砂の嵐になったモニタへと視線を向けた。 「何者かが、フリーセア様と我々を共倒れにさせようと画策した……」  そう考えれば、フリーセアが襲われ、自分達の船が沈められようとしていることへの説明がつく。だが肝心の「誰が」と言うことが、メディニラには想像がつかなかった。 「すでに、ドラセナ陛下は我々が押さえている……」  自分達だけならいざしらず、ここでフリーセア王女を殺すのは女系派にとっても大きな痛手となるはずなのだ。だとしたら何故と言う疑問への答えが、どうしてもメディニラには思いつかなかった。  だがいくら理由が分からなくても、自分達が攻撃された事実は否定できない。そしてフリーセア王女のもとでも、爆破テロが起きたのも現実である。 「ネビュラ1を巻き込む訳にはいかん。主機関を分離して爆発規模を抑える!」  一人ブリッジに残ったメディニラは、コンソールを叩いて非常コマンドを呼び出した。その非常コマンドの中にある、主機関切り離し命令を直ちに実行した。暴走した対消滅炉の爆発を避けるための措置は、クロノスXの全エネルギー喪失を意味するものだった。機関喪失により、クロノスXは通常航行で使用される船体保護機能も喪失したのである。  その結果ネビュラ1の攻撃で船体が切り刻まれ、クロノスXは小さな爆発とともに船体を爆散させた。なんとか押さえられた爆発だが、それでもネビュラ1の船体の約30%を巻き添えにした。ともに消滅する被害こそ免れたが、それでも深刻な打撃を受けたことには変わりはない。その証拠に、クロノスXの爆発から1時間後、ネビュラ1もまた大きな火の玉となって宇宙の藻屑となったのである。  ネビュラ1からの攻撃で、クロノスXは至る所で誘爆を起こしていた。そして防御壁の無いネビュラ1も、いたるところで壁面が融解していた。このままクロノスXが離れていっても、すでにネビュラ1での人的被害は防ぎようはなかった。  そしてその事情は、ノブハルが居た部屋も例外ではなかった。小さな爆発が収まった時には、部屋の中はぐちゃぐちゃになっていた。 「空気の流出は無いようね……」  しばらくしてから、ゆっくりとセントリアが立ち上がった。さすがの彼女も、無事と言う訳にはいかなかったようだ。着ていたピンクのブラウスは裂け、額には血が流れ落ちていた。 「爆発の割に被害が少ないのは……」  そう口にしたセントリアは、傍らで倒れているノブハルを見た。白のシャツの背中が真っ赤に染まっているのは、爆発をまともに受けたからだろう。頭を見ても、髪がべっとりと血で固まっていた。 「とりあえず、命の方には別状は無いみたいね……」  首筋に手を当て、セントリアはノブハルの脈を確認した。結構な血が流れている割には、鼓動はしっかりとしていた。 「護衛対象が、護衛を守って怪我をしては駄目でしょう」  「バカね」と小さく呟いたセントリアは、とても優しい顔をしていた。だがそれも一瞬のことで、すぐに表情は厳しいものに変わっていた。 「部屋の脱出ポットは使い物にならないわね……」  「緊急脱出用」と書かれた下は、爆発のせいでグシャグシャになっていた。これで、ノブハルは脱出の方法を失ったことになる。もっともクロノスX側からの脱出は、次の爆発に巻き込まれる可能性が大だった。 「この様子だと、あの子達も無事ではないわね……」  そこでセントリアが思い出したのは、エリーゼとトウカの二人だった。エリーゼは読書で、トウカはトレーニングの後シャワーを浴びると言って部屋に戻っていたはずだ。  二人を思い出したセントリアだったが、彼女の役目は「ノブハルの護衛」である。優先順位を間違えては、護衛の勤めを果たすことは出来ない。ノブハルの怪我を確認して、セントリアはノブハルを肩に担いだ。背中を怪我しているので、お姫様抱っこと言うわけにはいかなかった。 「大部屋に行けば、予備の脱出ポッドがあったわね」  部屋のドアを乱暴に蹴破り、セントリアはノブハルを担いだまま船の反対側にあるキャビンへと向かった。爆発がクロノスXで起きたのなら、反対側は無傷で残っているはずだ。直接の被害を受けた側だからか、通路に出ている人は意外なほど少なかった。そして通路から吹き抜けへと目を転じると、多くの悲鳴と怒号が聞こえていた。  ノブハルを助けることが最優先でも、そのせいで関係のない他人の命を奪う訳にはいかない。最悪の場合はその禁を犯すつもりで居たセントリアは、反対側のキャビンにあるリネン室のドアを片手で掴んだ。そして奥歯を噛み締め、力を込めてドアノブをねじ切った。 「ここには、3つ脱出ポッドがあるのね」  だとしたら、エリーゼとトウカを救うことが出来る。それを確認したセントリアは、脱出ポッドの一つを開いてノブハルをその中へと押し込んだ。苦しそうな顔はしているが、息遣いに乱れはなくしっかりとしていた。  そのノブハルの顔をじっと見つめたセントリアは、ノブハルの額にかかった髪を右手の指で横に避けた。それからゆっくりと自分の顔を近づけていったのだが、「何をしているのやら」とため息を吐いてノブハルから離れた。 「似合わないことをするものではないわね」  自嘲するように口元を歪めたセントリアは、脱出ポッドを操作しポッドのシリンダーを密閉状態にした。 「二度あることは三度ある。これで、あなたはこの危機も無事乗り切ることが出来るわ」  そう囁きかけ、セントリアは脱出ポッドから離れて射出の操作をした。「シュッ」と言う軽やかな音がしたかと思った瞬間、脱出ポッドは掻き消えるように船外へと射出された。 「次は、エリーゼの部屋ね」  ノブハルを守ると言うことには、彼の心を守ると言う意味も含まれている。もしも自分だけが助かったと知れば、彼の心は復讐の暗黒面に落ちることだろう。それを防ぐためには、エリーゼとトウカを助けなければならない。  急いでエリーゼの部屋に戻ったセントリアだったが、当たり前だが外から呼びかけても応答はなかった。ドアを開けようと手で引いてみても、固く閉ざされたままびくともしなかった。  それを確認したセントリアは、少しの躊躇もなくドアを蹴飛ばした。ただ頑丈なドアは、一度蹴ったぐらいでは壊れてくれなかった。ただそれも想定のうちと、セントリアは何度も繰り返しドアを踵で蹴飛ばした。そして10度を超えた所で、レールの部分からドアは壊れて向こう側に倒れてくれた。 「とりあえず、ミンチにはなっていなかったわね」  そうなっていたら、幾ら科学の進んだ星でも救うことは出来ない。血まみれになって、しかも着ているものも破れてはいたが、とりあえず「即死状態」では無かったようだ。可愛らしい胸が覗いていたが、セントリアは気にすること無くエリーゼを抱き上げた。 「仮死モードにしておけば、手遅れになることも無いでしょう」  手際よく脱出ポッドの設定を終え、セントリアはエリーゼのポッドも射出させた。これで、残るはトウカだけである。 「そうだ、シスコンの彼だから、妹が無事じゃないと駄目だったわね」  トウカの部屋に戻りながら、セントリアはリンの部屋の位置を思い出した。 「確か、反対側のデッキにあったわね。ナギサの部屋も反対側だから、爆発には巻き込まれていないはず」  それが確かなら、救助の優先順位は下がるはずだ。同じようにトウカの部屋をドアを蹴破ったセントリアは、ベッドにうつ伏せで倒れているトウカを抱え上げた。運が良かったのか、エリーゼほど爆発の被害は受けていないようだ。 「起こすと面倒だから、このまま運びましょう」  エリーゼと違って重いからと、セントリアはトウカを肩に抱え上げた。そしてノブハル達と同様に、リネン室の脱出ポッドで船外へと射出した。 「次は、リンの安否確認ね……ブラコンだから、ノブハルのことが分からないと不安でしょうがないはずね」  ようやく船の機能がまともになったのか、船内には退避を指示する放送が流れていた。機会音声のせいか、やけにまったりとした口調は、逆に神経を逆なでするものだった。 「まったく、設定した人の常識を疑うわね」  放送よりも早く、乗客たちは異変を察知していた。そこに非難放送が流れたものだから、乗客たちの混乱はさらに酷くなったように思えた。  吹き抜けから船内の状況を確認しながら歩いていると、前の方から見た顔が走ってきた。普段ならあまり見たい顔ではないのだが、それでも手間が省けたとセントリアは安堵した。 「せ、セントリアちゃん、な、何が起きたの!」  普段のカマっぽさに恐怖がトッピングされたせいで、なおさら不気味さが増したような気がする。ただそれも些細なことと、セントリアはデューク達に「脱出しなさい」と指示を出した。 「すでにノブハルは、脱出ポッドで退避させたわ。早く逃げないと、この船は沈むわよ」  逃げろと指差したセントリアに、「でも」とデュークは近づいてきた。それが自分を心配してくれてのことだと理解は出来るが、やはり不気味だなとセントリアは失礼なことを考えていた。 「だったら、セントリアちゃんも逃げないと」  見た目と言葉遣いは変でも、やはり優しい人たちなのだ。自分を心配そうに見るデュークに、「大丈夫」とセントリアは大きく頷いた。 「リンとナギサを確認したら、私も脱出をするわ」 「イチモンジ様達なら……」  デュークは、あそこと言ってセントリアの後ろを指差した。振り返った先には、焦った顔をしたリンとナギサが走ってくるのが見えた。 「ノブハル達は、すでに脱出させたわ。あなた達も、すぐにこの船から脱出しなさい」 「お兄ちゃんは、大丈夫なの!」  顔を青くしているのを見ると、よほど兄のことが心配なのだろう。それを可愛いわねと見たセントリアは、「大した怪我はしていないわ」と慰めとも付かない言葉を口にした。 「ただ意識をなくしていたから、そのまま脱出ポッドに押し込んだの。一番の重症はエリーゼだから、あの子だけ仮死モードにして送り出したわ。とにかく3人共無事だから、あなた達は船が爆発する前に脱出しなさい」  3人が無事と言うセントリアに、リンは初めて安堵の表情を浮かべた。 「セントリアさんは?」 「私は、まだ確認することがあるの。それが終わったら、さっさと脱出するわよ」  こんな所で死にたくない。真剣な顔で答えたセントリアに、だったら大丈夫だとリンは安堵した。そして後ろに居たナギサを見て、「急ぐわよ」と言って自分たちの部屋へと戻っていった。 「あなた達も急ぎなさい!」 「そ、そうね、セントリアちゃんを邪魔しちゃ駄目よね」  振り返って仲間に合図をし、デュークも無事だった自分たちの部屋へと走っていった。これで、トリプルAエルマー支店の全員は、無事逃げ出すことが出来るだろう。当初の役目としては、これで果たしたことになるはずだ。  だがこのままでは、ヤラレ損になってしまう。こんな真似をした相手に仕返しをするためにも、必要な証拠を集めておかなければならない。だからセントリアは、人の流れを遡ってランチ発着場へと向かった。最初に爆破された場所のはずだが、それでも証拠が残っているはずだと考えたのである。  そして10分ほど船内を移動して、セントリアはランチ発着場へとたどり着いた。最初の攻撃で目的を達したと考えたのか、意外なほど穏やかな地獄がそこには広がっていた。  セントリアでなければ開けないほどドアはへしゃげ、壁には大きな穴が空いていた。炎が出たのか、連絡用ランチは焼け落ち、黒い残骸となっていた。 「やっぱり、手遅れだったかしら?」  これだけ酷い有様だと、誰も生き残っては居ないだろう。そして期待した証拠にしても、残っているとは思えなかった。  そこでぐるりとあたりを見渡したセントリアは、焼け焦げた一角に不自然な小山のようなものを見つけた。何かと近づいてみたら、焼け焦げた人が積み上がったものだった。 「可哀想に……」  爆風の関係で、一処に集まってしまったのだろう。近づいて確認してみたセントリアは、もう一度「可哀想に」と小さく呟いた。ノブハルの推測が正しければ、戦いではない穏便な方法を彼らは選択していたのだ。それなのに、何者かによって結果が大きく変えられてしまった。政変には犠牲がつきものとは言え、犬死には哀れなことには違いないだろう。 「証拠が残っていないのなら、脱出すべきね……」  ぐるりとあたりを見渡してみたが、当たり前だが脱出ポッドなどあるはずがない。ただセントリアは、科学技術の進んだシルバニアの出身である。しかも皇帝から特命を受けて来ているのだから、宇宙装備の一つぐらい持っていても不思議ではなかった。 「機人装備を持って来るべきだったわね」  そうすれば、双方の攻撃を止めることも出来ただろう。だが重装備すぎと反対され、結局脱出用コクーンしか持たされていなかった。  シルバニア特製の脱出用コクーンは、特殊繊維を用いた救命ポッドである。外壁を特殊繊維で覆うことで、軽量かつ頑丈な脱出装置となってくれるのである。ただここで使用した時の問題は、ディアミズレ銀河標準のビーコンを使用していないことだ。その為、シルバニアから救援に来ない限り、見つけてもらえないと言う問題があったのだ。 「今更、救命ポッドまで行っている時間はなさそうね」  ランチ発着場への攻撃は止んでいるが、まだ至る所で爆発が起きているのが分かるのだ。このまま行けば、そう遠くないうちにネビュラ1は爆発することだろう。  仕方がないとため息を吐き、セントリアは自分用の脱出用コクーンカプセルを取り出した。飲用カプセルと見紛うほど小さなそれは、シルバニアの技術が詰め込まれたものだった。 「脱出……って、今何か動いたわね?」  間断なく船を襲う揺れが理由かと思ったセントリアだったが、炭化した人の山が揺れとは関係なく動いたのに気がついたのだ。そこでもしかしてともう一度炭化した人の山に近づいたセントリアは、死体が不自然なことに気がついた。 「……手を繋ぎ合っているって」  それが確かなら、ここに山を作っているのは爆風による偶然ではないことになる。力任せに炭化した人間を引き剥がしたセントリアは、自分の勘違いではないことを確認した。比較的炭化の具合が軽い死体も、離れないように手を繋ぎ合っていたのだ。 「何かを守ろうとしたと言うこと?」  だったらと、炭化具合の軽い死体も力任せに引き剥がした。そうすることで、彼らが何らかの防御バブルを広げていたことが分かった。透明な膜に包まれた、まだ炭化していない綺麗な死体が現れたのである。明らかに、彼らは誰かを守るために命を投げ出したのだ。だとしたら、その誰かも想像がつこうと言うものだ。  ただこれだけ激しい炎に焼かれた後だと、本当に助けられるのかは定かではない。固着した防御バブルを引き裂いたセントリアは、生焼けの死体を軽々と引き剥がした。 「フリーセア王女と……誰?」  最後の人の壁を取り除いた所で、年配の男性に抱きかかえられたフリーセアの姿を見つけた。人の壁が功を奏したのか、防御バブルは正常に働いているように思えた。 「……急がないと」  ホッとした所で、足元の揺れが大きくなったのを感じたのだ。相変わらず攻撃が続いているのなら、間もなく船が爆発することになるのだろう。右手を振って防御バブルを切り裂いたセントリアは、まずフリーセアの安否を確認した。 「彼らの執念が、王女を守ったと言うことね」  どちらの陣営に属しているのか分からないが、ここに居た者達は命を賭して王女を守ったのは確かだ。首筋に手を当てたセントリアは、彼女の心臓が動いているのを確認した。 「だとしたら、もう一人も生きている可能性が高いわね」  フリーセアをコクーンで包んだセントリアは、もう一人の年配の男性の安否を確認した。 「後見人とかじゃないところを考えると、反女系派の人かしら。だとしたら、証人にうってつけなんだけど」  ただこの男性まで救出すると、自分用の救命コクーンがなくなってしまう。ノブハルの護衛と言う役目を考えると、ここは絶対に生き残らなければならなかった。ならば、自分のために救命コクーンを使うべきなのだ。  だがここで見捨てれば、この男性には確実な死が訪れることになる。まだ自分が努力した方が、双方生き残れる可能性があるはずだ。 「この人も、きっと証拠になるはず……」  少しだけ迷ったセントリアだったが、それでも決断は早かった。最後の救命コクーンを取り出すと、カプセルを割って気絶している男性へと装着をした。これでたとえネビュラ1が爆発しても、この二人はシルバニア帝国が回収してくれるだろう。証拠隠滅を避けるためにも、帝国が回収するのは都合がいいはずだ。 「だとしたら、さっさと放出しないと」  コクーンを二つ脇に抱えたセントリアは、破れて外が見える壁面まで歩いてきた。空気膜によって空気の流出は押さえられているが、このままだとその防御も長くは持ちそうもなかった。 「……戦艦が攻撃されたって」  攻撃する方が逆と言うことに、自分達の推測が当たっていたことになる。だとしたら、この二人はこれ以上ない証人になってくれるはずだ。 「後は任せたわよ、ノブハル!」  あくまで漏れ出る空気を遮断するのが目的のため、救命コクーンは空気膜を難なく通り抜けていった。それを確認したセントリアは、自分が脱出するためランチ発着場から走って出た。どこでもいいから、脱出ポッドに乗り込めばいいのだ。  だがセントリアの決断は、少し遅きに失していたようだ。最初の部屋に飛び込んだまではいいのだが、その部屋にあった脱出ポッドはすでに使用された後だった。仕方がないと別の部屋に移動したのだが、そこにも脱出ポッドは残っていなかった。  だったらとリネン室に飛び込んでみたのだが、そこにも脱出ポッドは残っていなかった。しかもそうやって部屋を移っている間にも船のいたるところから爆発音が響いていた。そして吹き抜けになった空間には、重力制御が壊れたのか、多くの死体が浮かんでいた。 「流石に、これはまずいわね」  自分のいる区画も、どうやら重力制御が壊れたようだ。なんとか空中でバランスを取ったセントリアは、吹き抜けを通って下の区画へと降りていこうとした。だが吹き抜けに体を踊らせた所で、下からの爆風で天井へと吹き上げられてしまった。 「しまっ」  焦った時にはすでに後の祭り。天井に叩きつけられたセントリアは、同じく吹き上げられた瓦礫に押しつぶされたのである。幾ら近衛の精鋭でも、限界を超えた物理攻撃には耐えきることは出来ない。反動で離れていく瓦礫と一緒に、まるで死骸のようになったセントリアの体が漂っていった。  クロノスXとネビュラ1の事件は、死者行方不明者がおよそ8万人と言う凄惨なものとなった。多くは船から脱出できなかった人達なのだが、中には脱出ポッドに乗りはしたが、クロノスXとネビュラ1の爆発に巻き込まれた人達も居た。そして死者行方不明者の中には、クロノスXの乗員も含まれていたのである。  事故として不可解な点、そして多くの死者が出たことから、この事件はディアミズレ銀河の中では広く知られることになった。ただ超銀河連邦の中に知れ渡るには、ディアミズレ銀河は辺境銀河過ぎたと言えるだろう。とても多くのニュースに紛れ、関係のない人々の注目を集めるには至らなかった。  ただ事件の当事者、クリプトサイトにとって見れば一大事に違いない。反女権派ナンバー2のヴェルコルディアと、次期女王であるフリーセアが、死者行方不明者としてカウントされたのだ。これを女権派は、反女権派の破壊工作だと声高に主張したのである。だが声高に主張をしていても、女権派が有利に立ったわけではない。何しろ彼らが担ぐ王女が、一人も居なくなってしまったのだ。  現女王ドラセナは、娘を二人もうけていた。だが長女のアルテルナタは4ヤー前に行方不明となり、ただ一人残った次女のフリーセアを、この事件で失ったのだ。失踪したアルテルナタが見つからない限り、女系による王位継承が断たれることになる。その為アルテルナタの失踪を含め、女権派は反女権派の陰謀だと決めつけ騒ぎ立てたのである。  ただ相手の非を追求しようと、王位を継ぐ王女が居なければどうにもならない。だから女権派は、再度手をつくしてアルテルナタ王女の行方を探すことになったのだ。  他の銀河に対する影響は少ないのだが、当たり前だがこの事件に気づいている者もいた。その一つが、社員を送り出したトリプルAである。トラスティと話したくてしょうがないアルテッツァが、「大事件です!」と呼ばれもしないのに現れたのも不思議な事ではない。  ちなみにその時トラスティは、アリッサと夫婦の営みの真っ最中だった。その御蔭でトラスティはフィニッシュ直前で邪魔をされ、アリッサもまた中途半端な状態に置かれることになった。 「これで、大したことじゃなければ……覚悟はできているだろうね」  滅多にない不機嫌さを考えれば、その時は生体ユニットへのメンテナンス停止だろうか。夫婦の冷たい、そして殺気すらこもった視線を前に、「大事件です……」とアルテッツァは少しビビりながら繰り返した。 「ノブハル様の乗られた船が、航海中に爆破されました。現在近傍の星系から、救助隊が出動しています。ちなみに船には、およそ10万人の乗客乗員が居たと言うことです!」  これなら大事件だろうと、ビビりながら答えたアルテッツァに、トラスティの視線はますます厳しいものになった。 「う、嘘じゃありませんからね」  その視線にビビったアルテッツァに、「分かっている情報は?」とトラスティはさらなる情報を求めた。 「クリプトサイトの軽巡洋艦が接舷したことは分かっています。今回、その軽巡洋艦も爆発しています」 「クリプトサイト?」  1万もの銀河で構成された超銀河同盟なのだから、トラスティでも一つ一つの恒星系のことを知っている訳ではない。初めて聞く名前に、「情報を」とアルテッツァに命じた。 「ディアミズレ銀河の、ちょうどズミクロン星系の反対側にある標準的な恒星系です。その有人惑星であるクリプトサイトは、シラキューサ王族による王政を敷いています。代々女性が王位に就くのが特徴と言うところでしょうか。文明の発達具合は、10段階評価で3程度です。ズミクロン星系が2ですから、それよりは進んでいると言うところでしょう。ただ、さほど大きな差があるとは言えない程度の差です。ディアミズレ銀河の最高は4ですから、そこそこ発達した星系と言って良いのでは」  その説明だけを聞けば、クリプトサイトはごくありふれた星系でしか無い。そうなると、ごくありふれた理由が頭に浮かぶことになる。 「内政で、問題は起きていないのかな?」 「内政にですか……少しお待ちを」  そこで間を取ったアルテッツァだが、すぐに必要な答えを検索した。 「どうやら、大規模な政変の真っ最中のようですね。先程代々女性が王位に就いていると説明しましたが、その流れを変えようという動きが顕在化しています」  説明の途中で、「あらっ」とアルテッツァが素っ頓狂な声を上げた。 「調べていたら、未来視なんてキーワードが出てきましたね。時間逆行素粒子の観測による、未来視の能力がクリプトサイトには存在しているようです。その能力は、王家の女性のみに発現するらしく、それが女王の権力基盤になっているようです。そして新たな情報ですが、ノブハル様と同じ船に、次期女王となる王女フリーセアが乗船していたようです」  その説明に、「なるほど」とトラスティは頷いた。 「ありきたりな線だと、王女暗殺と言うのがあるね。ただ、未来視が本当にあるとすると、その事情は変わってくるな。未来が見える王女が、こんな間抜けな形で暗殺されるとは考えにくい。まあ、どの程度の未来が見えるかと言うのにも関わってくるんだが。ところで、ノブハル君達の安否はわからないんだね」  まず考えるべきは、ノブハル達の安否なのである。それを問題としたトラスティに、「今はまだ」とアルテッツァは答えた。 「それは、救助隊が到着してからと言う事になります。現場の宙域に救助隊が到着するまで、およそ2日の時間が必要です。今からでしたら、およそ36時間後に現場到着、そして脱出ポッド回収と言う事になります。それを考えると、ノブハル様達の安否判明まで48時間以上は掛かるのかと」 「彼の巻き込まれ体質と、悪運がどう働いてくれるかか……」  およそ半年のうちに、生命の危機に3度も晒されたのだ。本人には異論はあるかもしれないが、「巻き込まれ体質」と言うのは否定出来ないだろう。ただ過去の二度に比べれば、避難方法が確立している分だけ生存確率は上がることになるはずだ。  そう考えたトラスティだったが、「いやいや」と別の可能性を思いついた。 「彼が巻き込まれたのは、お家騒動の方じゃないのか?」  その可能性は高いが、現時点で確認する方法は無い。ただ準備だけはしておくかと、トラスティはクリプトサイトの調査をアルテッツァに命じた。この時代に、双方にとってこの暴挙はリスクが大きすぎるのだ。それを考えたら、表に出ていない動きが内部にあってもおかしくはない。ノブハルや自社の社員が巻き込まれた以上、何事もなく見過ごす訳にもいかなくなっていた。 「兄さん達に活躍して貰うか」  トリプルAが保有する戦力なら、レベル3程度の星系など蹂躙することは容易だ。民間企業に交戦権はないのだが、それにしたところでズミクロン星系を巻き込めばクリアすることも難しくない。イチモンジ家次期当主とその恋人が巻き込まれたのなら、戦力を投入して責任追及する口実も立ってくれるだろう。  そしてもう一つ事件を知る立場にあったのは、シルバニア帝国皇帝ライラである。アルテッツァが情報を把握した以上、その巫女である彼女に情報が伝わるのはごく当たり前のことだったのだ。  その日の執務も終わり、シャワーを浴びたリンディアは自室のベッドに入っていた。時折悩ましげな声が漏れ出ていたのだが、それを詮索するのは間違いなく野暮なことなのだろう。だが摂政に対して、皇帝が遠慮を求められることはありえない。息遣いが荒くなり、高い声が間断なく漏れてきたところで、ライラはホログラムで姿を表し、リンディアの耳元で「邪魔をするぞ」と大音量で呼びかけた。 「リンディアよ、ノブハル様がまた事件に巻き込まれたようだぞ」  「ひぐっ」と形容しがたい声が漏れ出たのも、事情を考えれば無理も無いことだろう。ただ皇帝が現れた以上、何がなくとも臣下としての礼を示す必要がある。夜着を整える間もなく、リンディアはベッドから飛び降り床に両手をついて頭を下げた。大きく開いた夜着は、彼女の白い胸がはっきりと見え、視線を下げれば金色の毛を見ることができた。 「また……でございますか?」  ノブハルのことを語る時には、「巻き込まれ体質」を避けて通ることはできない。過去2度の事件では、誰かの助けがなければ間違いなく命を落とすことになっていたのだ。普通の生活をしている者が、わずか半年で3度めの生命の危機である。それを考えれば、リンディアが「また」と言うのも不思議なことではなかった。 「そのために、護衛としてセントリアを付けてあります」  それにしても、想定の範囲でしか無い。またかと呆れる所はあっても、すでに手配は終えていたとリンディアは思っていた。  だがライラの口から出たのは、想定外のことが起きたと言う知らせである。 「いかにセントリアと言えど、乗っている船の爆発までは対処できまい。どうやら我が夫候補殿は、死ぬような目に遭うのが避けられないようだな」  「困ったものだ」と吐き出したライラは、「捜索隊を送り込め」とリンディアに命じた。 「セントリアが役目を果たしたのなら、救命コクーンを使用した可能性もある。あれは、かの銀河では見つけられないだろう」  うむと小さく頷いたライラは、シルバニア帝国軍の派遣を命じた。 「不測の事態に備えるには、メルクカッツが適任であろう。可及的速やかに、適切な艦隊を率いて現場宙域へと救助に向かわせよ」 「仰せのとおりに」  床に頭を擦り付けんばかりに頭を下げたリンディアに、「それはいい」とライラは苦笑をした。 「ところでリンディアよ、ぬしのためにもトラスティを呼びつけた方が良さそうだな」  くっくと笑い声を押さえたライラに、恐縮したリンディアはもう一度頭を下げた。 「ご配慮に、感謝いたします!」  否定の言葉が出ないのは、それだけ欲求不満が溜まっているからだろう。笑いを押し殺した顔をしたライラは、「急げよ」と言い残して姿を消した。どうやらトラスティのことは、リンディアに発破をかける餌のようだ。その証拠に、普段にはない素早さでリンディアはシャワールームへと駆けて行った。  こうしシルバニア帝国、そしてトリプルAが、一つの事件に対して別々に動き出したのである。  ネビュラ1の捜索に当たったのは、航路近くにあるエスメラルダと言う惑星の軍だった。文明レベルで言えば、レベル2と言うズミクロン星系と同程度には発達した星系である。  通常遭難救助は、コスモガードと言う治安系の役目とされていた。ただ今回の遭難、事件の特殊性を鑑みエスメラルダ軍に旅客会社から救助の依頼が行わることになった。クリプトサイト軍との接触後に爆発したと言うことで、通常のコスモガードの手に余ると考えられたのである。  そしてネビュラ1を保有する銀河クルーズの依頼により出動したのは、エスメラルダ軍の20隻の哨戒艇である。そして哨戒艇に随伴する形で、3隻の病院船も派遣された。それに加えて、万一に備える目的で10隻の巡洋艦も派遣されることになった。ここ100ヤー程、旅客船が爆散するような事故は起きていない。その意味で、今回の事件は歴史的とも言うことができた。 「グーリッド提督、間もなく現場宙域に到着します」  銀河クルーズの依頼を受けてから、結局到着まで3日かかってしまった。その辺り、軍が出動すると言うこととは無関係ではない。通常の船舶救助に、軍が出動することは想定されていなかったのだ。  部下からの報告に頷いたのは、齢50近い精力にあふれる男だった。グーリッド・ジョアンナ、エスメラルダ軍准将に任じられた男である。 「1日ほど後手を踏んでしまったか。直ちに、救助活動に移れ」  脱出ポッドの有効期限は、使用開始からおよそ10年とされていた。ただ使用開始から1週間過ぎた所で、酸素消費を抑えるため、冷凍睡眠モードに移行する仕組みになっていた。その後の蘇生を考えた場合、可能な限り早い救出が望まれたのである。  そして脱出ポッドの有効期限とは別に、ビーコンの到達距離の問題もあった。省エネモードに入ると、ビーコンの出力が10分の1にまで落とされてしまう。脱出ポッドが遭難位置から離れることもあり、発見が難しくなると言う問題がそこには有ったのだ。 「把握できているビーコンの数はどうなっている!」 「現在観測中です。あと、10分ほどお待ち下さい!」  その報告に、グーリッドはむうと唇を噛み締めた。彼の目の前には、事故現場が最大望遠で映し出されている。だが現場にはガスのようなものにまぎれて、巨大旅客船の残骸が漂っていた。 「これでは、かなりの脱出ポッドが爆発に巻き込まれているな」 「標準脱出ポッドで推測すると、10分ほどの猶予でしょうか。それ以上爆発に近いと、巻き込まれて蒸発している可能性が高くなります。15分以内の場合、約半数が何らかの被害を受けるものかと思われます」  自分の言葉を裏付ける報告に、グーリッドはもう一度ううむと唸った。ネビュラ1の規模を考えると、一言に避難と言っても短時間で済ませられるものではない。脱出までの僅かな時間差が、生死を分ける境目になると言うことだ。 「哨戒艇から連絡が入りました。およそ2万のビーコンを検出いたしました。爆発推定位置から、およそ30光秒の範囲に広がっています。分布図を投影しましたのでご確認願います」  報告と同時に、正面のスクリーンに3Dマップが展開された。そのマップ上に、無数の光点が散らばっていた。 「当たり前だが、クロノスXが接舷した側の数は少ないな。しかし、およそ2万か……5分の1しか脱出できなかったと言うのだな」  さらに言うのなら、光点の分布も問題となってくる。爆発地点からさほど離れていない脱出ポッドは、爆発の際に放出された放射線で被爆している可能性もあった。 「収容の見込み時間はどうなっている」 「これだけ広範に広がっていると、およそ10日程度と言うことになります。見たところ危険はなさそうですから、コスモガードに出動を指示された方が宜しくありませんか?」  そうすることで、回収の手が増えることになる。出動待機状態にはなっているので、指示さえ出せば1日ちょっとで回収作業に当たれるはずだった。  部下の進言に頷いたグーリッドは、「すぐに指示を出せ」と別の部下に命じた。一人でも多くの命を助けるためには、一刻も早い脱出ポッドの回収が必要だったのだ。 「回収作業はいつから開始できる?」 「現在回収ルートのマッピング作業中です。終わるまでおよそ1時間、回収はそれからになるのかと」  報告に頷いたグーリッドは、「収容後は?」と受け入れ側の状況を尋ねた。 「医療スタッフの用意も出来ています」  これは間違いなく、エスメラルダ始まって依頼の大規模救助活動となるのだろう。「そうか」と小さく頷いたグーリッドは、無事任務を終えることだけを考えていたのである。  現場に到着してからの1日では、収容された救助者数は1千と思いの外少ないものになっていた。その辺り、救助任務に慣れない軍の組織というのが理由となっていた。ただその後遅れて到着したコスモガードが任務についたことで、次の1日は3千と救助者数を稼ぐことが出来た。ただ現在確認されている救助者数、20,202からすると、まだ5分の1しか救助できていないことになる。しかも次第に救命ポッドの位置がバラけてくるため、ここから先効は率が落ちるのは目に見えていた。 「今の所の救助者数は、4千100あまりか」  その数字に深い意味がある訳ではないが、救助者数を口にしながらグーリッドは唸ってしまった。 「救助された中に、フリーセア王女の名前はあったのか?」 「確認された範囲で、フリーセア王女の保護はされておりません」  直接エスメラルダに責任が無いとは言え、フリーセア王女は一星系の次期統治者なのである。それが自分達の星系近傍で命を落としたとなると、気分がいいものでないのは確かだ。 「他に、めぼしい乗客は居なかったのか?」  10万もの乗員乗客を誇る豪華客船なのだから、各星系のVIPが乗り込で居る可能性も高かった。人の命に軽重は無いとは言っても、社会的価値となると雲泥の差が有ったのである。フリーセア王女のように星系を代表する人物が失われたりすると、統治が途端に不安定になる可能性もあったのだ。 「企業の重役レベルならそれなりに……と言うところです。後は、ズミクロン星系の惑星エルマーから、惑星代表の次期当主が乗船していたようです」 「エルマーだと……ああ、確か7家が分割統治している惑星だったな」  エスメラルダから比較的近いこともあり、グーリッドもエルマーに対する多少の知識は持っていた。 「確か、最近エルマーが話題になっていたかと思ったのだが……」  惑星の名前に引っ借りを覚えたグーリッドに、彼の部下は「もしかして」と別の名前を持ち出した。 「ノブハル・アオヤマと言う青年が乗船していたようです。10代にして、トリプルAから支店長を任された青年ですね」  その報告に、グーリッドは少し眉を動かした。 「トリプルAか、下手をしたら王女以上の大物だな……もしかして、トリプルAが乗り出してくると言うことはないだろうな?」  一民間企業でありながら、保有する戦力はエスメラルダを遥かにしのいでいるのだ。その上超銀河連邦の重鎮に対して、強いコネまで持っているのだ。まかり間違っても、敵に回したくない相手だった。  指揮官の言葉に、ブリッジにいた全員は確かにとトリプルAの評判を思い出した。最高の戦力に最高の美女、そして最悪のペテン師と言うのが陰で囁かれているトリプルAの評判だった。 「船長……さっそく厄介なことになりそうです。船籍不明……いえ、船籍判明しました。シルバニア帝国軍の軍艦1,000隻が5光日離れた所に出現しました。どう言う訳か、現場を中心に球状に散開しています」 「し、シルバニア帝国だとっ!」  思わず席を立ち上がったグーリッドに、部下は「シルバニア帝国です」と繰り返した。 「いずれの船も、本艦の5倍はありそうな巨艦揃いです」  その報告に、グーリッドは脱力して自分の椅子にへたり込んだ。シルバニア帝国の出現で、情勢が完全に自分達の手を離れたことを理解したのだ。 「それで、シルバニアは何か言ってきたか? そもそもこんな離れた島宇宙に、シルバニア帝国が艦隊を派遣する理由が存在しないはずだ」 「現時点では、何も……」  報告の声が震えているのは、置かれた状況に恐怖を感じているからだろう。 「一体、何をしに現れたのだ……」  ただ居るだけなら、救助活動に支障は出ないはずだ。それを考えれば、本来無視をすればいいのだろう。だが巨大艦1千隻の圧力は、ただ居るだけでも相当なものだった。しかも自分達を包囲するように陣取っているのだから、無視をしろと言うのも無理な相談に違いない。そして開き直りをするにしても、そこまで度胸の座ったものは誰も居なかったのだ。  流石に遠いと言うのが、ディアミズレ銀河遠征をしたメルクカッツの感想だった。高次空間移動は、直接の距離と移動時間の間に関係はないはずだ。それでも感覚的に距離を感じるのは、人間の持つ不思議な感覚と言うところなのだろう。  まだ40手前の彼は、若くして准将と言うシルバニア帝国軍の重要な役目に就いていた。褐色の髪に褐色の鼻髭を生やした、一見温和そうに見える男である。そして今回の事件のため、皇帝直々にディアミズレ銀河遠征隊の指揮を任されることになった。 「光学観測は可能か?」 「アルテッツァが、現在ネビュラ1の航路を計算しております。あと10分ほどで、観測が開始出来るかと」  メルクカッツの問いに答えたのは、少し神経質そうに見える若い男である。名をシュミット・ハウゼン、帝国軍大尉としてメルクカッツの副官をしていた。 「時間的に、事件を外部から観測できるな」  それでいいと頷いたメルクカッツは、ゆったりとした椅子に背中を預けた。そして傍らに立つシュミットに、「意識をしているか」と問いかけた。 「意識、でしょうか?」  それは? と首を傾げたシュミットに、「自分のいる場所だ」とメルクカッツは笑った。 「帝国として、初のディアミズレ銀河遠征だ。外の景色は変わりがないとは言え、超銀河連邦に最後に加わった銀河と考えれば違った感慨もあるだろう」  メルクカッツの言葉に、シュミットは「確かに」と大きく頷いた。 「IotUに従った御三家も、ディアミズレ銀河には遠征をしておりませんでしたな。確かにこれは、記念すべきことには違いないでしょう。もっとも、このままでは変わり映えのしない宙を見て帰ることになりますが」 「このままなら、そうだろうな」  含みをもたせたメルクカッツに、「用意なら出来ています」とシュミットはまるで食事の支度を語るかのように答えた。 「この銀河にある星系なら、一つの例外もなく即座に蹂躙は容易です。星系で連合を組んだとしても、違いは蹂躙に掛かる時間だけでしょう」 「ズミクロン星系でも、か?」  含む所のあるメルクカッツの問いに、シュミットは少し首を傾げた。 「ズミクロン星系……でしょうか?」  聞いたことが無いと、シュミットはアルテッツァのデーターを呼び出した。だがデーターを見た範囲で、他の星系と違いがあるようには見えなかった。 「私には、多の星系との違いが分かりませんが?」  念のためもう一度データーを調べたのだが、やはり特異な所は見つからなかった。その為少し眉をひそめることになったシュミットに、「情報が閉じているからな」とメルクカッツは笑った。 「ズミクロン星系の有人惑星、エルマーにノブハル・アオヤマと言う青年が居るのだ。どう言う理由か知らぬが、皇帝聖下の配偶者候補第二位となっておられる。したがって、身辺警護のために近衛遊撃隊が派遣されたと言うことだ」 「聖下の夫となられる可能性がある……と言うことですか。しかし、第一位はあのトラスティ氏だと伺っておりますが? だとしたら、第二位にあまり意味があるとも思えませんが……」  ただ皇帝の配偶者候補が居ると言う情報一つで、ズミクロン星系が特別なものに感じられてしまう。なるほどと関心したような顔をしたシュミットに、「この話には続きがある」とメルクカッツは続けた。 「その第一位にいるトラスティ氏だが、ノブハル氏と顔見知りと言うことだ。そして彼のために、エルマーにトリプルAの支店を出したらしい。したがって、ズミクロン星系はディアミズレ銀河におけるトリプルAの拠点となっている。さて君は、僅か1千隻でキャプテン・カイトを初めとした化物達を相手にする気はあるかな?」  その問いに、「ご冗談を」と言ってシュミットは顔を引きつらせた。 「高名なアス駐留軍でも、手を出そうとは考えないでしょう。准将は僅か1千隻と仰りましたが、万を集めても結果は変わりません。キャプテン・カイトを自由にさせた時点で、我らに勝利はないでしょうな。ズミクロン星系の蹂躙は難しくありませんが、その後に待っているのは我らの破滅です……」  くわばらくわばらと呟いたのは、教えてもらってよかったと言う意味だろうか。 「つまり私たちの遠征ですが、ネビュラ1でした、その乗客にノブハル・アオヤマがいたと言うことですか」  それで、この遠征理由にも納得することが出来る。そして1千隻もの数を揃えたのも、それなりの理由があることになる。 「ところで准将は、場合によっては戦争をなさるおつもりですか?」  そしてその理由を、シュミットはメルクカッツに向かって問いかけた。 「軍人は、自分勝手に戦争を仕掛けることはない。全て聖下のご指示に従うだけだ。もっとも、攻撃されれば反撃ぐらいするだろうがな。だから我々が、シルバニア帝国から派遣されたことを教えてやったと言うことだ」  そうすることで、結果的に無駄な衝突を避けることが出来る。もちろん他銀河に来ている以上、所属を明かすのもルールの一つには違いなかったのだが。 「コクーンの信号は捕捉できているのか?」  そして彼が派遣された目的、ノブハル・アオヤマと護衛の近衛遊撃隊の所在を問うた。 「はい、2機分の確認が取れております。ただ距離が距離ですから、信号自体はかなり微弱なものになっております。その上エスメラルダ軍が回収作業を行っている地点に近いため、今は遠慮しておいた方が無難かと。我らのコクーンならば、あのように慌てて回収しなくとも問題は生じません」 「とは言え、あまり放置するのも宜しくないだろう。回収信号を送ってこちらに引き寄せておけ」  移動速度は遅いが、それでも1日もあればかなりの距離を移動してくれるだろう。エスメラルダの回収部隊が活動する外に出れば、揉め事を起こすこと無く回収も可能となるはずだ。 「すでに、回収信号は送ってあります。2日ほどで、彼らの活動圏の外に出てくれるでしょう」  その報告に頷いたメルクカッツは、シュミットに対して「休息」の指示を出させることにした。 「では二日後に備えて、各自待機体制に移行をさせろ。それから我がブリュンヒルデに、ノブハル様をお迎えする用意を行え。遊撃隊とは言え、近衛の精鋭がついているのだ。くれぐれも、粗相のないようにお迎えをするのだぞ」 「貴賓室が、ようやく役に立つときが参りましたか」  感慨深げに語るシュミットに、「うむ」とメルクカッツは頷いた。 「第2位とは言え、聖下のお眼鏡に叶ったお方だ。トラスティ氏が首を縦に振らなければ、ノブハル様が聖下の伴侶となられるのだからな。帝国に奉職する者として、これ以上の栄誉は無いだろう」 「でしたら、トリプルA一行も本艦に収容いたしますか?」  乗客名簿を確認すると、他にも関係者が乗船している事になっている。これだけの大事故ともなれば、全員が無事でいると言う保証はない。だからこそ、保護をしておく必要があると言うものだろう。 「ああ、エスメラルダ軍だったか、依頼を送っておけ」  無事脱出をしていればと言う条件こそ着くが、任務として難しいところのない物に違いない。そして無事の脱出にした所で、メルクカッツは特に心配をしていなかった。その辺り、近衛が身辺警護をしていることへの安心感からである。1千ヤー前に作られた伝説は、今もなおシルバニアで語り継がれていたのだ。  その存在が巨大なだけに、居るだけでもプレッシャーを感じてしまう。しかも何をしに来たのか分からない分、余計に不気味さを感じてしまうのだ。しかも要救助者の回収が思ったほど進んでいないと言う事情もあり、少しグーリッドは苛ついていた。 「シルバニアの奴らは、何をしに来たのだっ!」  つい口から漏れ出た言葉に、周りは敏感に反応をした。その辺り、准将の機嫌の悪さに当てられたと言う所か。びくっと首を竦めたスタッフに気づき、グーリッドは益々いらだちをつのらせた。 「少し、落ち着かれてはいかがですか?」  そんな彼の所に飲み物を運んできたのは、秘書官の女性だった。年の頃なら40前だろうか、落ち着いた物腰をした温和に見える女性だった。 「フルークか……」  首を少し動かした先にいるのは、軍の制服を着た秘書官である。濃い紺色の上着に、同系色のスカートと、軍艦ならではの恰好をしていた。 「私のようなおばちゃんで申し訳ありません。若い子は、提督の剣幕に腰が引けてしまうんですよ」 「おばちゃんと思うのなら、短いスカートはやめておいた方がいい」  ふんと鼻を鳴らして茶色の飲み物を受け取ったグーリッドに、「セクハラですか?」とフルークは言い返した。 「それとも、パワハラでしょうか。まあ、年相応の恰好でないのは認めていますが」  ふふと笑ったフルークは、「落ち着きましょう」とグーリッドの顔を見て繰り返した。 「要救助者の収容が思わしくないのが理由ではありませんよね?」  さすがはグーリッドと15年以上付き合っていることもあり、その辺りを洞察することが出来る。 「シルバニア帝国軍……ですか? 超銀河連邦の重鎮が、無法を働くとは思えませんが」 「それは分かっていても、気にしないでいろと言うのは無理な相談だ。どうして奴らは、5光日離れたところから我々を包囲している」  忌々しげに吐き出し、グーリッドは温かい飲み物に口をつけた。そこで驚いた顔をしてから、厳しい視線をフルークに向けた。 「なぜ、ブランデーを大量に入れた?」  作戦行動中だと考えれば、アルコールを体内に入れるのはご法度のはずだ。それを破った秘書官を、グーリッドは責めたと言うのである。 「今は、戦闘状態ではありませんからね。これは、本来コスモガードがやる仕事ですよ。ただ爆発原因が不明と言うことで、用心をしてあなた達が派遣された。それにした所で、危険な兆候は見つかっていないはずです」 「それは、飲酒を正当化出来る理由ではないはずだ」  小声でドスを利かせたグーリッドに、「気分転換ですよ」とフルークは意に介した素振りを見せなかった。 「どちらかと言えば、キャビンスタッフのためですね。あなたが苛立つと、彼らがしなくてもいいミスをする可能性が出てきます。だからあなたの相手をするためにお酒を持ってきました」 「だったら、これはもういいっ!」  茶色の飲み物をフルークに突き返し、グーリッドはふんと鼻を鳴らした。 「だったら、これも要りませんね?」  そう言って笑ったフルークは、円筒状の革袋に砂の入った武器を取り出した。端を持って振り回せば、か弱い女性でも男を昏倒させられると言う凶悪な武器である。ちなみにおっとりとした見た目をしていても、フルークは軍に務める女性である。か弱い女性と侮ると、手痛いしっぺ返しを受けることになる。  ニコニコ笑いながら武器をしまったフルークに、「何のつもりだ」とグーリッドは不機嫌そうな顔を向けた。ただ体は、できるだけ離れようと椅子のギリギリにまで移動していた。 「最悪の場合、実力行使でここから連れ出そうと思った……だけですよ」  おほほと笑われ、「怖い女だ」とグーリッドは今さながら若い頃の上司に感謝をした。彼が少佐時代に出会った時には、まだ20代のおっとりとした魅力的な女性だったのだ。だから一時は、結婚を考え本気で口説こうと思ったほどだ。ただその時の上司は、「早まった真似をするな」と諌めてくれたのだ。  持つ所が手垢で黒くなっているのを見ると、長年愛用されたものなのだろう。打撲部分には、気のせいか茶色く変色した場所があった。 「シルバニア帝国と、クリプトサイト王国の間に交流はありませんね。だとしたら、フリーセア王女が理由で派遣されたとは考えにくいと思います。と言うことで、少し乗客名簿を調べてみました」  幾らリラックスさせようとしても、大戦力を前にすればリラックスなど出来るものではない。特に遠征の理由がわからない以上、なおさら気を抜くことなどできなかったのだ。それが分かるから、フルークはシルバニア帝国軍が遠征する理由を調べることにした。 「一番可能性がありそうなのは、トリプルAの関係者が乗船していたことですね。噂のレベルですが、トリプルAはシルバニア帝国と深い繋がりがあるそうです。彼らの最終渡航先がシルバニア帝国ですから、軍が派遣される理由にならないでしょうか?」 「可能性としては成り立つが、かなり無理のある説明だな。トリプルAなら、シルバニアに頼らなくてもいいだろう。何しろトラスティと言う男は、エスデニアを動かせると言う話だからな」  グーリッドの言葉に、フルークは小さく頷いた。 「すでにエスデニアも動いているのではありませんか? 事故が起きてから短時間で艦隊が現れたのは、エスデニアが移動に協力したと考えることが出来ますよ。  その説明に、なるほどとグーリッドは頷いた。ノブハルと言う青年に価値を見い出しているのなら、それぐらいのことがあってもおかしくないはずだ。  その可能性に思い至ったグーリッドは、「調査を」と部下に命じた。 「トリプルAの関係者が収容されたか、至急調査をしろ!」 「は、はい、直ちに調査を行いますっ!」  フルークが謎解きに誘導してくれたおかげで、キャビン内のぴりぴりした空気はかなり緩和されたと言えるだろう。慌ただしく動き出した乗員達にしても、まとった空気はかなり変わっていた。  グーリッドが調査を命じて10分後、「検索が終わりました」と部下の一人が駆け寄ってきた。まだ年若そうな男は、少し緊張気味にデーターをグーリッドに転送した。 「現時点で、関係者は6名保護されているのか」  そこでグーリッドが難しい顔をしたのは、その中にノブハルの名前がなかったからだ。名前のあった6人は、ナギサとリン、そしてトリプルA社員の4人だった。 「ノブハル・アオヤマの名がないな。とは言え、10人中6人が無事だったことを考えると、残りの4人も無事と言う可能性が高いか」  一緒に行動していれば、多少の時間差はあっても脱出ポッドを使用しているはずだ。そして毎時100以上が収容されていることを考えると、保護の報告もさほど先のことではないはずだ。 「ところで、クリプトサイト王国関係者はどうなっている?」 「現時点で、1名も確認できていません」  慌ててデーター整理を行った関係で、多少の漏れが存在する可能性はある。それにしたところで、王女関係者が1名も見つからないと言うのは考えにくいことだった。 「脱出が早くて、事故の中心地から離れているから……と言うのも考えられるか」  だとしたら、こちらも時間の問題と言うことになる。脱出ポッドの発信信号に使用者の情報が含まれていない以上、気長に待つ以外の方法は無かった。 「事故……事件の原因究明は、乗客の証言待ちだな」 「ブラックボックスが回収できるかしら?」  船の制御記録並びに更新記録が見つかれば、真相究明の役に立ってくれるはずだ。その期待を込めたフルークに、グーリッドは渋い顔をした。 「爆発位置の状況を見ると、かなりの高温に晒された可能性がある。しかもこれだけ浮遊物が多いと、探索自体が困難を極めるだろうな。それに、今回の事件はどう考えても不思議としか言いようがない」 「不思議って?」  何と可愛らしく首を傾げたフルークに、「年を考えろ」とグーリッドは忠告した。ただその直後に顔色が変わったのは、彼女が取り出した獲物を見たからに違いない。 「クリプトサイトの軍艦が、たかが旅客船と相打ちになると言うのはおかしいだろう。それに本気で沈める気できていたら、単艦の行動と言うのは考えられない。だが現実に、軍艦と大勢の旅客を乗せた船が消滅している。何か、予想もしてない事態が起きたとしか考えようがないのだ」 「確かに、旅客船が消滅するのは仕方がないとは言え、軍艦まで巻き添えになるのはおかしいわね。だったら、第三者の存在が疑われることになるわね」  フルークの言葉に、グーリッドはゆっくりと首を振った。 「その第三者だが、当時別の艦影は見つけられていない。あれだけの乗客が脱出したことを考えれば、第三者が居るのなら何らかの情報が出ているはずだ。だから余計にわからぬのだが……」  グーリッドがそう吐き出したところで、通信士が「報告」と大きな声を上げた。 「し、シルバニア帝国旗艦から連絡が入りました」  「何っ」と腰を浮かしたグーリッドは、すぐに座り直して「何を言ってきた」と報告を求めた。 「は、はい、以下の人員を収容次第、当方に引き渡されたしと言うことです。ノブハル・アオヤマ、リン・アオヤマ、ナギサ・イチモンジ、エリーゼ・クライストス、トウカ・クレメンタイン、セントリア・イガラシ、アブドラーザ・ブルドッグ、デューク・アナベベ、タカオ・キリシマ、クーデリア・オルファス、以上の10名です」  その報告に、「なるほど」とグーリッドは大きく頷いた。ある意味、この要求は予想されたものだったのだ。派遣理由が想像したものだったおかげで、安堵できたのは間違いないだろう。 「新たな関係者は、見つかっていないか?」  要求されたのなら、さっさと引き渡した方が問題が少ないだろう。そのつもりで問いかけたグーリッドに、「今はまだ」と別の部下が報告した。 「だったら、現在の収容状況を教えてやれ。そうすれば、あっちで適当に考えてくれるだろう」  状況が理解できる所に落ちてきたこともあり、グーリッドにも余裕が生まれてくれた。 「ついでに、先方が5光日離れている理由も問い合わせろ」 「何か、おかしいの?」  すかさず聞いてきたフルークに、「離れすぎている」とグーリッドは答えた。 「現在救命ポッドが広がっている範囲は、精々130光秒だ。こちらを邪魔しないためと考えても、離れすぎていると言っていいだろう」 「気を使ってくれたんじゃないの?」  深く考えても理由が分からないのなら、余計なことで頭を悩ませても仕方がない。「楽にしたら」と忠告をしたフルークに、いやとグーリッドは首を振った。 「奴らが、そんなに親切だとは思えない。わざわざ5光日なんて中途半端な距離を取った以上、そこに何か理由があるはずだ……5光日?」  自分の言葉に何か思いついたのか、グーリッドは記録官に時系列を確認した。 「おい、ネビュラ1が爆発してから何時間経つ?」 「爆発時点からなら、43万秒です! 日数にして、およそ5日と言う所です」  直ちに返ってきた答えに、「嘘だろう」とグーリッドは呟いた。 「まさか、そんなことが」 「まさかって、どうかしたの?」  難しい顔をしたフルークに、「現場から5日分離れたのだ」とグーリッドは返した。 「だから、5日分がどうかしたの……えっ、そう言うことなの?」  何かに気づいたフルークに、「そう言うことだ」とグーリッドは答えた。 「事件を、リアルタイムで観測しようと言うことだ。だから、死角が出ないよう、現場を中心に球状に艦を配置しているんだ」 「原理的には可能だと思うけど……そんな真似ができるの?」  それだけ離れると、相手が小さすぎるのと暗すぎるので観測が出来ないだろうと言うのだ。だから信じられないと言う顔をしたフルークに、「そう言ったはずだ」とグーリッドは言い返した。 「だが、それぐらいしか5光日なんて中途半端な位置に、しかも全天球に散開する理由が考えられない」 「今更だけど、それだけ技術レベルに差があるわけね。さすがはレベル9と言うところかしら」  ふっと息を吐き出したフルークは、「もういいわね」と言ってグーリッドから離れた。 「ああ、面倒をかけたようだな」  グーリッドも、彼女が現れた理由に気づいていたと言うことである。と言うか、ここに来て理解したと言う方が正しいのだろう。だから感謝の言葉を口にしたのだが、受け取る方ははにかんだような笑顔を浮かべて「仕事よ」と答えた。 「それが、秘書官と言うものでしょ?」 「そう言うことにしておくか……それで、シルバニアから何か言ってきたか?」  トリプルA関係者の生存を伝えた以上、何らかの動きがあって然るべきだ。そう考えたグーリッドに、「たった今連絡が入りました」と通信士は答えた。 「収容したいので、許可を求める……だそうです」 「力づくと言うことはなかったか」  ほっとしたグーリッドは、「手配を」と部下へと命じた。拒否しても攻撃されることはないだろうが、拒否した所で何一ついいことは思い浮かばなかったのだ。それどころか、悪いことならいくらでも思い浮かんでしまったぐらいだ。 「はい、収容艦名、現在位置を連絡します」  ある意味トリプルA関係者と言うのは、厄介なお荷物とも言えたのだ。それを引き渡すことが出来るのだから、エスメラルダにとっても渡りに船と言えただろう。 「さて、事件現場を観測し、さらにトリプルA関係者を収容するのだ。奴らは、一体何を始めるのだろうな」  エスメラルダが、シルバニアに攻撃される可能性は限りなくゼロに近いだろう。だとしたら、シルバニアが何のために大軍を派遣したのか、グーリッドの興味はこの先のことへと移っていた。  アルテッツァから報告を受けた翌日、トラスティはシルバニア皇帝の呼び出しを受け取った。その呼出状には、「可及的速やかに出頭せよ」と記されていた。 「他星系の人間に、こんなふうに命令するかね」  呆れた顔をしたトラスティは、「これを」と傍らにいたカイトに投げ渡した。もっともデーターなので、宙を飛んで行くようなことはない。 「あちらも、ノブハルのことを追いかけていたと言うことか」  同じ遺伝子を持つ関係で、カイトもノブハルのことを気にかけていた。ただ船の爆発に巻き込まれたと知らされた時には、「またか」と呆れていたりもした。軍に居て、最前線に投入された自分でも、こんなに何度も生死の境を彷徨ったことはなかったのだ。それなのに、普通の家に生まれたノブハルが、3度めの生命の危機に見舞われている。「巻き込まれ体質」と言う言葉が、カイトの頭をよぎったのは確かだった。 「まあ、一応は配偶者候補第二位だからね。しかも護衛まで派遣しているのだから、結構力を入れているんじゃないのかな。と言う話はいいんだけど、できれば兄さんにも着いてきてほしいんだけどね」 「俺が行かなければいけないほどの危険があるとは思えないんだがな」  苦笑交じりに答えたカイトは、トラスティが口を開く前に「エヴァンジェリンがな」と義姉の名前を持ち出した。 「リースリットに子供が出来たことで、何か危機感を抱き始めたようだ。まるで子供帰りでもしたように、俺から離れなくなった。今にしても、ここ(アムネシア娼館)だから自由に出来ているだけだ」 「本当に、子供帰りですね……いっその事、姉さんにも子供を産んでもらったらどうです?」  そうすれば、愛情が子供に移ることになる。それを持ち出したトラスティに、「無理だな」とカイトは即答した。 「アリッサならいざしらず、あいつの体力では体内に子供は作れないだろう」 「だから、余計に危機感を抱くわけですか……」  自分には出来ないことをリースリットがしてしまったのだ。なるほどねと納得したトラスティは、だったらと巻き込む範囲を広げることにした。 「義姉さんにも、シルバニアにまで行ってもらいましょうか。超銀河帝国中枢国家の重鎮と面識が出来るんですからね。義姉さんほどの起業家なら、まさか嫌とは言わないと思いますよ」  エヴァンジェリンを巻き込むと言うトラスティに、「悪だな」とカイトは口元を歪めた。  そんなカイトに向かって、トラスティはいやいやと首を横に振った。 「義姉さんの世界なら、おそらくこれが常識ですよ。と言うことで、早速巻き込んであげましょう」  それがいいと笑ったトラスティは、「アルテッツァ」と超銀河連邦最高のコンピューターを呼び出した。 「可及的速やかにと言う以上、移動方法は確保されているのだろう?」 「どうやら、エスデニアに話が通っているようですね。ライラ皇帝からの依頼ですから、ラピスラズリ様も無碍には出来ないでしょう。加えて言うのなら、ラピスラズリ様にも考えるところがあるようです」  そう答えたアルテッツァは、「ところで」とカイトの顔を見た。 「カイト様が同行されることを、ラピスラズリ様に伝えて宜しいでしょうか? その方が、より協力的になられるかと思いますが」  つまりカイトは、副議長であるブルーレースへの餌と言うのだ。それが分かるから、カイトの顔も少し引きつっていた。  ただトラスティの考え違うようで、「構わないよ」とあっさりと言ってくれた。そしてカイトの顔を見て、「心配のしすぎです」と笑ってくれた。 「義姉さんは、あれで大した起業家ですからね。絶対に貴重な機会を無駄にはしないと思いますよ。それに前回は、色々と事件があって有耶無耶になってしまったでしょう。このあたりで、エスデニアに恩を売っておくのもいいんじゃありませんか?」 「相変わらず、怖いことを考える奴だな……まあ、そう言うことにしておくか。それで、お前はアリッサを連れて行くのか?」  自分がエヴァンジェリンを連れて行くのなら、トラスティはアリッサを連れて行くべきなのだ。それを指摘されたトラスティは、ううむと少し考えた。 「本人が行きたいと言ったら連れていきますか」 「俺のところとは、随分と扱いが違うな」  そこで苦笑を浮かべたのは、違う理由が分かっているからだろう。だからトラスティも、「教育の賜物ですよ」と笑ってみせた。 「そこは、諦められているの方が正確じゃないのか? お前、アマネにも手を出したんだろう?」 「あれは、全部アリッサが撒いた種ですよ。ただ、兄さんも惜しいことをしましたね。彼女は、間違いなくクンツァイト王子には荷が重いですよ」  とても良かったですよと言われると、呆れてしまうのも仕方がないだろう。さすがはアリッサが諦めるはずだと、カイトはトラスティの手広さに感心していた。 「まあアマネさんのことは置いておくとして、出発は2時間後でいいですか?」 「俺は構わないが、お前の所は準備が間に合うのか?」  身軽な男性陣とは違い、女性陣の荷物は往々にして膨れ上がってくれる。それを指摘したカイトに、「行き先を考えましょう」とトラスティは返した。 「超銀河連邦でも、一二を争うほど技術が進んだ帝国ですよ。ライマールからも物資が流れ込んでいますから、足りなければあちらで用意させればいいんです」 「確かに、リゲル帝国とは違うな」  了解と答えたカイトは、ドアを開けて歩いて部屋を出ていこうとした。ただ何かを思いついたのか、ドアを開けた所で振り返った。 「だから、2時間後なのか?」 「説得に、必要ですよね?」  やはり食えない男だ。敵でなくてよかったと考えながら、カイトは部屋を出ていった。目指す目的地は、通路を歩いた反対側にあるエヴァンジェリンの執務室である。かつて「拷問部屋」とか「お仕置き部屋」とか呼ばれていたこともあったが、今は「愛の巣」とリースリットに言われている部屋である。 「さて、僕も準備をしないといけないな」  椅子から立ち上がったトラスティは、「コスモクロア」と自分のサーヴァントを呼び出した。 「今日は、カムイを使わないのですね?」  嬉しそうな顔をしたコスモクロアは、ザリアの真似をしてトラスティにキスをした。そしてそのまま融合し、確率場を利用してその場から消失した。目指す先は、プラタナス商店会にあるトリプルAの事務所である。アリッサの部屋には、前にも使ったことのあるとても広いソファーが置かれていたのだ。  結果的に、シルバニア皇帝への出頭は、エヴァンジェリンとアリッサを同行することになった。どうしようかと迷っていたアリッサも、姉が行くならと考えを切り替えたのである。 「多分ですけど、姉のお守りが必要だと思いますから」  それが、着いていくことにしたアリッサの理由である。さすがは姉妹、良く分かっているなとトラスティは感心したのだ。  皇帝の居室にある白の庭園は、その日一種異様な雰囲気に包まれていた。何しろそこには、超銀河連邦にとって、中心的役割を果たす2つの星系代表が顔を出していたのだ。そのうちの一人が、庭園の主であるシルバニア帝国皇帝ライラで、もう一人がシルバニアを含む、エスデニア連邦の盟主であるエスデニア最高評議機会議長のラピスラズリである。歴史を紐解いても、エスデニア議長が白の庭園を訪れたのは、片手に余るほどしか例がなかいことだった。  連邦内の格としては、エスデニア議長の方が上と言うのが実態である。その辺りは、1000ヤー前のラズライティシアと言う存在が理由になっていた。単身シルバニアに乗り込んだラズライティシアが、皇帝を押さえて議会権力を掌握したことが始まりである。だから白の庭園内に作られた茶室には、シルバニア帝国近衛部隊がライラ側で控え、反対側のラピズラズリの後ろには、エスデニアの上級戦士たちが緊張した面持ちで歴史的な会談を見守っていたのである。 「今の兄さんとザリアなら、まとめて蹂躙できますか?」  その歴史的会談に、なぜかトラスティとカイトも顔を出していた。そして二人の横には、それぞれのパートナーが従っていた。4人の政治的立場を考えると、普通ならありえない光景に違いない。ただ護衛達が緊張する中、男たち二人はのんびりとしたものだった。 「お前が二人を守ってくれるのなら、まあ不可能じゃないだろうなぁ」 「どうも、そっちの方が難しそうですね」  などと軽口を叩いていたら、エスデニア最高評議会議長ラピスラズリが咳払いをしてくれた。ちなみにこれから話し合うのは、歴史的と言うにはスケールが小さく、そして記録に残すのも躊躇われるような問題だった。  ちなみに皇帝ライラにはリンディアがサポートとして付き、議長ラピスラズリには副議長のブルーレースがお供として着いてきていた。 「堅苦しい話は抜きにして、久しぶりですねライラ皇帝」  年長者らしく話の口火を切ったラピスラズリに、「お出でいただき光栄です」とライラは頭を下げた。 「それで、トラスティを呼び出した理由は何なのでしょうか?」 「彼が推薦した、私の夫候補についての相談です」  その答えに大きく頷き、「重要な問題ですね」とラピスラズリは答えた。双方政治体制が安定し大きな問題が存在しない今、後継者に関わる問題は最優先と言っていいだろう。それは配偶者の決まっていないシルバニアだけでなく、後継者が生まれていないエスデニアでも同様に問題となるものだった。 「ええ、非常に重要な問題だと思っています」  ちなみにエスデニア側の二人は、正装となる白のローブのような衣装をまとっていた。その一方でライラは、同じく正装となる色とりどりの衣装を重ね着をした恰好をしていた。そして髪はつけ毛で豪華に飾り立てられ、いささか派手な化粧もされていた。シンプルを旨とするエスデニアに対し、権威を現すシルバニア側と言う違いがそこには現れていた。  一方トラスティとカイトは、至って普段着に近いセーター姿だし、エヴァンジェリンとアリッサの姉妹は、少しシック目のワンピースと言う出で立ちだった。周りを正装した戦士たちが取り囲んでいると考えると、いささか恰好的にも場違いなところがあった。  後継者と言うところでトラスティの顔を一度見たラピスラズリは、「また事件に巻き込まれたようですね」と核心を突いてきた。 「そうですね、今時客船が爆発するような事故は、かなり珍しい部類に入ると思いますよ。それに巻き込まれただけでも大事なのですが、本当に巻き込まれたのは一星系のお家騒動のようです」  こちらにとデーターを示したライラに、「クリプトサイトですか」とラピスラズリは眉を顰めた。 「ええ、証拠固めは派遣したメルクカッツに任せています。ただ外部からの観察でしか無いので、証拠としての能力はさほど高くありません。それでも、失踪している第一王女、アルテルナタが見つかれば疑念は確信に変わるかと思います」 「星系内で収まっているのなら、ご自由にどうぞと言うところなのですが。他星系の住民まで巻き込んでは、そうは言っては居られませんね。しかもシルバニア帝国関係者も巻き込まれたとなると、手を出す理由にはなるでしょうね」  そう言いながらトラスティを見たラピスラズリは、「どうするのですか?」と問いかけてきた。 「あなたの、大切な弟なのでしょう?」 「腹違いの……と付けてくれれば、その通りでしょうね」  決めつけを認めたトラスティは、カイトの顔を見てから「今の所は何も」と答えた。 「ただ、ケアは必要だと思っていますよ。何しろ彼にとって、死にかけるのは3度めですからね。しかも恋人二人も、同じように巻き込まれている。妹や仲間まで巻き込まれたから、かなり精神的ダメージを負うことになります。これで誰かが死ぬようなことにでもなったら、立ち直るのに時間が掛かる恐れがありますからね。良好だった人間関係もおかしくなる可能性まである」 「それをケアすると言うのですか? あなたが、そこまで親切だったとは知りませんでした」  口元を歪めたラピスラズリに、「心外ですね」とトラスティは言い返した。 「僕は、もともと面倒見がいいんですよ。ただそれが変だと言うのなら、ご期待通りにしてもいいんですよ」  二度と相手にしてやらないと言外に匂わせたトラスティに、「あら」とラピスラズリは平然として言い返した。 「それで受ける不利益を考えたら、そんな馬鹿な真似は出来ないと思いますよ」  そこでアリッサとエヴァンジェリンの顔を見たのは、不利益を受けるのが彼女達だと突きつけたと言うことである。いくら超銀河連邦有数の大企業と言っても、エスデニアやシルバニアを敵に回して無事に済むはずがなかったのだ。 「痴話喧嘩でしたら、別の場所でして欲しいものです。それとも、最高評議会議長様が構ってちゃんだと考えれば宜しいのでしょうか?」  仲裁と言うには色々と問題があるが、皇帝ライラは二人のじゃれ合いに割って入った。事態が動いている今、無駄なことに時間を使っているわけにはいかない。そしてライラは、トラスティに向かって「交戦権を使いますか?」と問いかけた。 「どちらのサイドが仕掛けたにしても、外から見ればクリプトサイトの責任です。我が帝国の臣民が巻き込まれた以上、正当な報復をする権利がシルバニアにはあります。それにネビュラ1には、10万人もの乗客乗員がいたと言う話です。でしたら、その方たちのためにも、シルバニア帝国は動く意思を持っていますよ」  これにと言って、ライラはデーターをトラスティ達に投げ渡した。そこには、ディアミズレ銀河に派遣された艦隊の構成が記されていた。 「1000隻も派遣しましたか。補給のことを心配するのは、今時時代遅れなのでしょうね」  すでに、戦艦レベルでは自給自足が普通のものになっていた。そして自給できないものにしても、運び込むのは難しいことではない。補給線と言う概念自体が、すでに何百ヤーも前に死語になっていたのだ。もちろん、未だに補給が必要な艦隊を保有する星系もあるが、シルバニアは遥か昔にその世界を脱していた。 「そうですね、必要な物資が尽きることはないと思います。ただ問題は、乗員のやる気が失せることでしょう。その場合でも、AIが代わりに任務を遂行することが出来るので問題はないのですけど……」  説明を口にしたライラは、「あなたに預けましょうか?」と問いかけてきた。 「交戦権を持つ戦力があったほうが、何かと手が打ちやすいのではありませんか?」 「そうやって、人の先回りをしてくれますか」  はあっと息を吐いたトラスティは、「今の所は何も」と答えた。 「クリプトサイトのお家騒動なんか、本当にどうでもいいと思っているんですよ。ノブハル君達が巻き込まれたことについては、まあそれなりの責任は取って貰う必要があるとは思いますけどね。それにした所で、ノブハル君が何を思うのかに任せたいと思っています。前回までは犯罪者でしたが、今回は相手が国家ですからね。それから言っておきますが、僕はかなりの面倒くさがり屋なんです」 「キャプテン・カイトを同行させたのですから、やる気満々だと思っていました。もしかして、自分達だけでやるつもりだったのですか?」  ライラの指摘に、トラスティは特に答えを口にしなかった。 「沈黙は、肯定と受け取っていいのですか?」 「ご自由にと言うのは、不遜と受け取られるのでしょうかね」  ぐるりと見回せば、双方の護衛が緊張した面持ちで構えていたのだ。しかも双方とも、警戒しているのが相対している勢力ではなかったのだ。  そして同じように首をめぐらしたライラは、「別に」とそっけなく答えた。 「あなたがそう言う人と言うのは、私を袖にし続けたことから理解していますよ。それに私も、レムニアとリゲルの両帝国と喧嘩をしたいとは思っていません。パガニアにまで付かれたら、いくらエスデニア連邦でも勝ち目はありませんよ」  そう言って笑ったライラは、ラピスラズリの顔を見て「どうしましょうか?」と問いかけた。  それにため息で答えたラピスラズリは、ちょっとしたいたずらをライラに仕掛けた。「我が君の心のままに」と言うのは、間違いなく袖にされたライラへのちょっかいである。  そう言うことをいいますかと目元を引きつらせたライラは、リンディアの顔を見てからため息を吐いた。わざとではないと思いたいのだが、登場人物が自分への嫌がらせに思えてしまったのだ。トランブル姉妹は言うにおよばず、ラピスラズリに側近のリンディアと、全員が成熟した大人で金髪碧眼の美女だった。  翻って自分を省みてみれば、代々受け継がれた貧乳に黒髪である。顔の造形を持ち出すのは、この集まりでは意味のないことだった。 「そう言えば、あなたはアルテッツァも誑し込んでいましたね」  困ったものですとため息を吐いたライラは、さっと手を前にかざしてみせた。その瞬間、周りを包んだ白の花々の景色が消え去り、漆黒の宇宙に置き換わっていた。それどころか、彼女達を守る近衛の姿も見えなくなっていた。しかもリンディアやブルーレース、そしてトランブル姉妹の姿も見えなくなっていた。 「アリッサは残しても良かったと思うのだけどね」  あからさまな演出に、トラスティは口元を歪め文句を言った。ただその文句への答えは、ライラからではなくラピスラズリが口にした。 「アリッサ様は良くても、お姉様はよろしくないと思っています。そしてお姉様を一人残すことは、別の問題を引き起こすことになりませんか?」  自分の顔を見たラピスラズリに、「そうだな」とカイトは簡単に答えた。 「それぐらいの分析は出来ていると言うことか」 「あなた方二人がキーパーソンですからね。それはもう、綿密に分析させていただきましたよ」  おほほと笑ったラピスラズリは、二人の顔を見て「ノブハル様は」と口火を切った。 「お二人と共通の遺伝子を持っていることは確認できています。それが偶然かどうかを確認するため、内密のうちにズミクロン星系を調べてみました。ジーンバンクに登録されている情報も調べたのですが、該当する遺伝子情報は出てきていません。それから対となる遺伝子ですが、こちらも該当する遺伝子が見つかっていないんです。そうなると、ユイリ・イチモンジなる女性は、どこから遺伝子情報を入手したのでしょうか? ちなみに遺伝子情報操作は、レムニア帝国では古くから確立された技術でもあります。ただズミクロン星系では、まだ確立の段階には至っていません」 「謎が深まったと言っていいのかな?」  トラスティの問いに、ラピスラズリははっきりと頷いた。 「ですから、一番疑わしいアスの情報を調べてみました。そうしたら、男性の遺伝子はキョートと言う地域に、女性の遺伝子はハノーファーと呼ばれる地域に類似するものを見つけています。類似性の高さから見て、アス由来と考えて宜しいのかと」 「男性側はいいとして、そうなると女性側が問題と言うことか。なぜその系列の遺伝子情報が利用されたのか。どうしてそんなものが、手に入ったのかと言うのが問題になる」  採用された遺伝子情報の意味、そして入手経路をトラスティは問題とした。それに頷いたラピスラズリは、おまけのように二人の遺伝子情報についても言及した。 「カイト様の場合、男性側の遺伝子提供者は“不明”ですが、女性側はエスデニアにオリジナルが存在しています。ええ、ご想像の通りラズライティシア様の遺伝子でした。そしてトラスティ様の場合、それがオンファス様のものと言うことです。これについては、お二方には今更のことでしょうね。ただトラスティ様の場合は、出処がはっきりしているからいいのですが、カイト様の場合は出処が不明です。ジェイドの人口計画局のデーターを調べてみたのですが、該当する遺伝子情報が見つかっていません。ですから、ノブハル様と同様に、何者かの関与が疑われます」 「だがザリアは、関与していないと言っていたぞ。あいつが言うには、俺に出会ったのは偶然らしい」  それに類することは、トラスティも聞いていたと言う事情がある。どこまで正直に答えているのかと言う疑問はあるが、ザリアの関与を決めつけても、別の問題が持ち上がることも分かっていた。 「おそらく、それは信用しても良いのでしょうね。カイト様だけならいざしらず、いくらザリアでもレムニアに干渉できるとは思えません。この時代に3名揃われたのを、偶然で片付ける訳にはいかないと思っています。ただその場合問題となるのは、ノブハル様がお持ちの遺伝子です。カイト様、トラスティ様が、IotUの奥様の遺伝子を継がれているのですよ。だとしたら、ノブハル様も同じでなければおかしいはずです。ですが、12名の奥様の遺伝子とは一致いたしませんでした」 「13番目……の存在が疑われると言うことか」  トラスティの指摘に、ラピスラズリはしっかりと頷いた。 「奥様は12名ですが、IotUは多くの愛人を持たれていました。そのすべてを追うことは不可能ですが、奥様と愛人の立場は大きく違っています。そしてズミクロン星系の愛人と言う可能性は、類似の遺伝子情報が見つかっていないことから、否定ができるのかと思います」  13番目の存在を認めたラピスラズリは、「不思議ですね」と小さな声で呟いた。 「以前トラスティ様とは、歴史から消された奥様が居るのではと言うお話をさせていただきました。その時は、一切の証拠が残っていなかったのですが、こうして手がかりらしきものが見つかったのです。状況証拠に推測を重ねただけの状態ですが、13番目……もしかしたら、最初の奥様が存在することになるかもしれません」 「その場合の問題は、なぜその存在をIotUが隠したのかと言うことだね。しかも、僕達のデバイスも本当のことを教えてくれない。そうだろう、ザリア、コスモクロア」  トラスティの声に答えるように、二つの影がその場に現れた。そのうちの一つは、黒い髪に紫色の瞳をした妙齢の美女である。している格好は、ラピスラズリと同じ白いローブ姿だった。  そしてもう一つは、ザリアよりは少し背の高い、黒い髪に緑色をした絶世の美女である。グリーンのボディスーツのような衣装に、丈の短い白い上着に同色のスカート姿は、見るものが見ればパガニアの衣装と気づいただろう。 「さて、話を聞いていたと思うのだけど、何か付け加える情報はあるかな?」  トラスティの質問に、ザリアとコスモクロアは顔を見合わせた。そして何か分からないやり取りで決められたのか、ザリアが「一つ誤解がある」と切り出した。 「われとコスモクロアは、ぬしらに隠していることはないぞ。それからもう一つ断っておくが、われらの情報は未だ一部がブロックされておる。恐らく、その部分にぬしらが求める情報があるのだろうが、残念ながらブロック解除の方法は分かっておらぬ。コスモクロア殿、何か補足することはあるか?」  ザリアの問いかけに、コスモクロアは小さく首を振った。 「いえ、今のところ補足することはございません」  小さく会釈をしたコスモクロアからは、全く動揺を見るけることはできなかった。そしてそれは、先に答えたザリアも同様だった。  それを受けたトラスティは、「アルテッツァ」ともう一人のキーパーソンを呼び出した。先に呼び出された二人に合わせるように、アルテッツァは皇帝の正装をして現れた。 「先回りをして申し上げますが、私にも多くのブロックされた領域が有ります。その証拠に、IotU様の姿形、お名前を思い出せません。それは、現レムニア皇帝アリエル様も同様かと」 「と言うように、IotUは見事に情報を消していった。だったら、どうしてこの時代に同じ遺伝子を持つ僕達が揃ったのだろうね。ちなみに僕の遺伝子は、IotUの物を操作したことをアリエル皇帝が明かしてくれている」 「IotUの意思があると仰るのですね?」  ラピスラズリの問いに、「可能性としては」とトラスティは答えた。 「そうなると、僕達はIotUと知恵比べをしなくてはいけなくなる。1000ヤーの人物だと考えると、科学技術が進んだ分だけ、知恵比べは僕達に有利に働くはずなんだ……普通はね。ただ相手が相手だから、おかしなズルをしている可能性もある。ただ僕は、この知恵比べは僕達の勝利が予定されていると思っている。もちろん、それなりの苦労は必要だと思うけどね」 「そうでなければ、こんなにヒントを残していかないか……」  なるほどと納得したカイトに、トラスティは小さく頷いた。 「そしてもう一つのヒントは、コスモクロア、君にあると思っているんだ」 「私に、ですか?」  驚いた顔をしたコスモクロアに、「君にだ」とトラスティは繰り返した。 「ザリアは分からないけど、コスモクロア、君はアリエル皇帝が作ったデバイスからは変貌しているんだよ。その理由は、IotUとオンファス様の遺伝子を持つ僕との接触と言うことになる」 「我が君は、ノブハル様にも同様のことが起こるのだとお考えなのですね?」  柔らかく微笑むコスモクロアに、「その通り」とトラスティは答えた。 「だからライラ皇帝にお願いがある」 「ノブハル様用に、新しいデバイスを用意せよと?」  もともとデバイスの開発主体は、シルバニア帝国とライマール自由銀河同盟と言う事情があった。それを考えれば、トラスティの依頼も意味があることになる。 「命令ではなく、これはお願いだと思っている」 「私を袖にし続けたくせに、要求だけはしてくるのですね」  少し嫌そうな顔をしたライラだったが、すぐに小さなため息を吐いた。 「この問題に、私情を絡めてはいけないのでしょうね。それに今回の事件を考えてみても、ノブハル様には普通の護衛では不足しているのが分かりました。そうですね、単独で宇宙ぐらい行動できるよう、新たなデバイスを用意いたしましょう」 「ついでに、彼の序列を1位にしてはどうかな?」  お似合いだよと笑うトラスティに、「癪に障るから嫌です」とライラは即答したのだった。  メルクカッツが光学観測の結果を受け取ったのは、ナギサ達6人を収容する前のことだった。それを部下から受け取ったメルクカッツは、「そう言うことか」と呟きデーターをシュミットに投げ渡した。 「攻撃は、ネビュラ1側から行われているのですか。観測した範囲で、クロノスXからは一切の反撃は行われていない。それどころか、誘爆を防ぐために主機関を切り離すと言う行為に出ている。どんな人物か存じ上げませんが、クロノスXの指揮官は軍人の鑑と言える人物でしょう」  立派なものだと感心するシュミットに、「まさしく」とメルクカッツは大きく頷いた。 「このような人物が、汚名を着せられたら可哀想だ。これを聞いてみろ」  もう一つ渡されたデーターには、艦内で交わされた会話や命令が記録されていた。 「反撃を放棄し」「誘爆を防ぐために急速離脱」「主機関を切り離して爆発規模を抑える」  状況が悪くなっていく中、クロノスXの指揮官が次々と最善の手を打とうとしているのが分かるのだ。助かった乗員乗客の数は2万程度と少ないが、彼の判断が違えばさらにその数は減っていたことだろう。 「まことに、軍人の鑑と言えるでしょう」  素晴らしいと感激したシュミットに、メルクカッツは大きく頷いた。ナギサ達が収容されたの知らせが届いたのは、彼が「制裁を」と声を上げた時のことだった。 「うむ、直ちに貴賓室にご案内せよ。落ち着かれた所で、私がご挨拶に伺う」  シルバニア帝国軍の将軍が、地方星系のその他大勢の所に挨拶に行くと言うのだ。エルマー7家次期当主の立場を持つナギサにしても、分不相応の扱いに違いない。だがメルクカッツにしてみれば、彼らは皇帝聖下の夫候補第二位のご友人なのである。絶対に粗末に扱える相手ではなかったのだ。 「ノブハル様は、まだ収容されていないのだな?」  あれから経過した時間を考えれば、そろそろ収容されていてもおかしくはない。だがメルクカッツの問いに、部下からは「未だ収容されず」との答えが上げられた。 「ならば、コクーンで脱出されたと考えるのが自然か。ちょうどコクーンの反応も、2つあるからな」  だとしたら、いつまでも放置しておくものではない。それなりに近づいてきたのも確かだから、そろそろ確保に動いてもいいはずだ。 「全軍に集結命令を。集結完了後、ノブハル様を収容するため移動を行う」 「はっ、全軍に集結命令を出しますっ!」  復唱に頷いたメルクカッツに、シュミットは「如何なされますか?」と耳打ちをした。貴賓室に案内されたナギサ達が、ちょうど落ち着いたところだと言うのである。  それに頷いたメルクカッツは、「ならばご挨拶に伺おう」と応じた。 「シュミット、この場は任せたぞ!」  颯爽と立ち上がったメルクカッツは、歩いて貴賓室へと向かったのである。  かつて戦艦と言えば、無骨なものと相場が決まっていた。だが時代が経てば、その常識も変化をしてくる。そして艦隊指揮官の乗る船ともなれば、高貴な方を迎える設備があっても不思議ではない。  そんな所に何の心構えもなく案内されたとなれば、ナギサ達が平穏な気持ちでいられるはずがない。そもそもシルバニアの軍艦に移送されたのだから、何が起きたかと驚くのも無理のないことだった。 「2等船室とは天と地の差だね……」  貴賓室なのだから、特等船室を超える装飾がなされていても不思議ではない。豪奢な装飾に囲まれた部屋に、ナギサはため息を吐きながら「軍艦なんだよねぇ」と吐き出した。ちなみに恋人のリンは、消息のしれないお兄ちゃんが気になって、豪華な飾り付けどころではなくなっていた。そしてトリプルAエルマー支店の4人は、あまりにも場違いな景色に借りてきたネコ状態になっていた。 「これがシルバニアの軍艦と言うことは、間違いなくノブハル絡みなんだけど……」  未だ恋人の表情が硬いのは、半日たってもお兄ちゃんの消息が知れないのが理由だった。いくらセントリアから脱出させたと教えられても、顔を見るまで安心はできなかった。 「まあ、無理も無いのだろうね」  そう言うナギサも、けして平穏な気持ちでいられた訳ではない。ただ自分が取り乱しても、どうにもならないことは分かっていただけだ。  ちなみに一行が案内された後、お洒落な軍の人が飲み物を持ってきてくれた。ただ誰ひとりとして、出された飲み物に口をつけようとはしなかった。それは用心と言う訳ではなく、ただ精神的に余裕がなかっただけのことだ。しかもここにいては、何の情報も得られないのが余計に気持ちを追い詰めてくれた。  なんとか平静を保っていたナギサが限界を迎えた時、入口のドアがゆっくりとノックされた。これで、何も分からない状況から解放される。ナギサが安堵の息を漏らした所で、空気の音を立てて入口のドアが開いた。そしてドアの所には、兵士を連れたまだ若そうに見える男性が立っていた。 「当艦隊の指揮官をしている、シルバニア帝国軍准将のメルクカッツです。入室をお許し願いたい」  大きく頭を下げたメルクカッツに、気圧されながら「どうぞ」とナギサは入室を許した。 「あなた達に、ご挨拶と事情を伺いに参りました」  穏やかに微笑んだメルクカッツは、「飲み物のお代わりを」と着いてきた兵士に命じた。それに敬礼で答え、伝言ゲームで飲み物のお代わりが伝えられた。 「気を落ち着けてと言うのが、難しいことは承知していますよ」  できるだけナギサ達を威嚇しないように、メルクカッツは普段通りの穏やかな笑みを浮かべていた。 「おそらく分からないことだらけかと思いますので、私がご説明に上がった次第です」  メルクカッツがソファに腰を下ろしたタイミングで、カートを押した見た目の良い男女が入ってきた。 「アルコールがよろしければ、用意をさせますよ」  いかがですかと問われたナギサは、「今は水で」とぎこちなく答えた。穏やかに話してはいるが、帝国軍准将の迫力は並ではない。明らかに圧倒されたナギサは、出された水を飲み干して大きく息を吐いた。 「説明していただけると言うことですね?」  確認したナギサに、「その通り」とメルクカッツは大きな身振りで頷いた。 「まず我々がディアミズレ銀河にまで来た理由ですが、ご想像の通りノブハル様が理由です。ライラ皇帝聖下より下命を賜り、私が艦隊1000を引き連れ参上仕りました」 「1000の艦隊ですか」  自分達を迎えに来るのに、1000と言う数はあまりにも大きすぎた。ナギサがゴクリとつばを飲み込んだのも、相手の巨大さを考えれば不思議な事ではない。 「もう少し集めても良かったのですが、今回は急ぎましたのでこの程度の数になりました。それが、私達がディアミズレ銀河に参上した理由です」  次にと、メルクカッツは映像情報を映し出した。それは先程分析の終わった、今回の事件を外から見たものだった。 「あなた達が巻き込まれた事件ですが、何者かが接舷したクリプトサイト軍の軽巡洋艦を攻撃したのが理由です。いえ、攻撃の主体は旅客船ネビュラ1なのですが、ネビュラ1にはクリプトサイトの軍艦を攻撃する理由がありません。ですから、「何者か」と攻撃の主体をぼかした言い方をしました」  メルクカッツの説明は聞いていたが、ナギサ達の目は早送りされた事件現場の映像に釘付けになっていた。そこでは、一方的に旅客船から攻撃を受ける軍艦の姿があった。 「ノブハルが言っていた、クリプトサイトのお家騒動が理由なのか……」  ナギサがそう呟いた所で、接舷していたクロノスXが爆散していた。そしてそれから時間を置いて、攻撃していたネビュラ1も光を放って消滅した。 「クロノスXの艦長は、ネビュラ1への反撃を放棄しています。それは、10万もの乗客が居る旅客船を破壊できないと言う思いからでしょう。被害を抑えるためネビュラ1から離脱しようとした形跡がありますが、何者かの干渉で離脱に失敗しています。ですから、主機関を切り離すことで爆発の規模を抑える策に出ました。ただそれをすると、クロノスXは本当に丸裸になってしまうのです」 「クリプトサイトの軍艦は、僕達を守ろうとしたと?」  確認するナギサに、メルクカッツは大きく頷いた。 「今回の事件で、脱出が確認された救命ポッドはおよそ2万です。もしもクロノスXの艦長が違った判断をしていたら、助かったのはその半数になっていたでしょう」  場合によっては、自分達は助かっていないと言われたのである。背筋を震わせたナギサは、同じように顔を青くした恋人の顔を見た。 「それで、ノブハルはまだ収容されていないのですか?」 「エスメラルダ軍に問い合わせを行っています。ただ未だ発見されていないところを見ると、近衛がコクーンを使用したかと思われます。しかも当該宙域には、2つのコクーンが確認されています。ノブハル様と近衛は、そこにいるものと推測されます」  それは、ノブハル達が無事ということに繋がるはずだった。だがナギサは、セントリアの説明と違うことに気がついた。 「セントリアさん……シルバニアから派遣された護衛の女性は、ノブハルを脱出ポッドで逃したと言っていました。それにエリーゼとトウカも、同じように脱出ポッドを使ったと」 「近衛がそう言っていましたか?」  少しむずかしい顔をしたメルクカッツは、付き添っていた部下に「コクーンの収容を急げ」と命じた。ナギサの情報が正しいかどうかは、コクーンを収容してみれば分かることだった。 「それでも、あなた達よりは先に脱出をしたと言うことですね。ならば、生存確率はかなり高いと言っていいでしょう。そうなると問題は、コクーンに入っているのは誰かと言うことになります」  もう一度うむとメルクカッツが唸った所で、「報告」と画面がポップアップした。 「エスメラルダより、ノブハル・アオヤマ、エリーゼ・クライストス、トウカ・クレメンタインを収容したとの連絡が入りました。ただエリーゼ・クライストスは重症を負っていると言うことです。当艦の方が医療体制が整っていると通告し、直ちに引き渡すよう依頼してあります」  ポップアップが消えた所で、ナギサは大きく安堵の息を吐き出した。その隣では、妹のリンが涙目でメルクカッツににじり寄っていた。 「どうやらエリーゼ嬢以外は、危険な状態ではないようです。大丈夫ですよ、シルバニアの医療技術は死んでさえいなければ元通りに直せますから」  それは、先の事件のときにも有ったことだった。確かにあの時は、本当に瀕死の重傷を負っていたのだ。それなのに、重症を負った3人は、一晩経った所でケロリとしていた。 「ノブハル様達を収容するまでには、およそ3時間と言うところでしょう。お疲れでしょうから、それまでお休みなられたらいかがでしょう。お腹が空かれているようなら、お食事を用意いたしますよ」  いかがなさいますかと問われたタイミングで、リンのお腹がぐーっとなった。途端にリンが顔を赤くしたのだが、「良かったですね」とメルクカッツは微笑んだ。 「大切なお兄様は、私共が責任を持ってお守りしますよ。大丈夫、この銀河でシルバニア帝国軍に弓引くバカは存在しません。その時は、星系ごと星系図から消え去ることでしょう」  そう言って微笑んだメルクカッツは、立ち上がって「お食事の用意を」と部下へと命じた。 「それでは、席を外すご無礼をお許し下さい。後ほど、改めてご挨拶に参りたいと思っております」  最後まで紳士的に振る舞ったメルクカッツに、「素敵な人ね」とデュークがうっとりとした顔をしていた。相変わらずデュークは不気味なのだが、リンもその感想には同感だった。と言うか、素敵と言う感想には積極的に同意をしていた。間違いなく自分より倍ぐらい年を取っているはずなのに、しっかりとメルクカッツ相手に胸がときめいてしまったのだ。それを考えると、撃墜王と言うのは御三家に限る話ではなかったと言うことだ。  シルバニア帝国軍の出現により、ノブハル・アオヤマの救出は大きな意味を持つことになった。そこに来てノブハル「無事収容」の知らせに、グーリッドは大きく胸をなでおろすことになった。 「それで、特に問題はないのだな?」  救命ポッドに乗れた以上、普通なら特に問題が無いと考えてしまう。だが部下から上がってきたのは、微妙な問題を含むものだった。 「それが、ノブハル・アオヤマは重傷の一歩手前と言うぐらいです。一番軽症なのがトウカ・クレメンタインで、エリーゼ・クライストスはかなり深刻な状況で、冷凍睡眠モードでなければ、収容まで保たなかったと思われます」 「普通なら、治療が終わるまで引き渡せないとするところなのだが……」  そう言って口ごもった上官に、「シルバニアですからね」と報告に来た部下は諦めたように言った。 「間違いなく、あちらの方が医療技術は進んでいます」 「ならば、状況を伝えてさっさと引き渡すのが得策と言うことだ。直ちに、シルバニア艦隊にノブハル・アオヤマ他2名の収容を伝えろ」  そうすれば、一番の問題への区切りがつくことになる。まだ一人収容できていないと言う問題はあったが、最重要人物のノブハルが収容できたことで、無いはずの責任が果たせた気持ちになっていた。 「シルバニア艦隊から連絡、直ちに収容するだそうです!」 「これで、肩の荷が降りたと言うのは早計なのだろうな……ところで、クリプトサイト関係者の方はどうなっている?」  忘れてはいけないのは、ネビュラ1にはクリプトサイトの王女が乗り込んでいたことだ。もしもここで失われることにでもなれば、王位継承の問題が発生することになる。直接の責任はなくても、お家騒動をきっかけを見るのは気分の良いものではない。  トリプルA関係者と同じような展開を期待したのだが、こちらはそうは都合がよく行ってくれなかった。「今の所一名も確保できていません」と言う報告に、グーリッドは大きく落胆したのだった。 「ブラックボックスの回収は?」 「現時点で、反応が掴めていません。ただ救命ポッド収容を優先しているため、ブラックボックス捜索には時間が掛かるかと」  4日目が過ぎた時点で、救命ポッドの収容数も1万を超えていた。残りは半分なのだが、時間の経過によって捜索範囲が広がっていた。その為、今まで以上に時間が掛かるのが分かっていた。 「回収プランによれば、あと6日程度回収に必要です。そして回収忘れがないかの確認に、さらに1週間程度掛かることになっています」  それにうむと頷いたグーリッドは、「潮時だな」と回収作業の進展を確認した。もともと旅客船事故への対応は、軍の管轄ではなかったのだ。ただ事故の事情が特殊だったため、エスメラルダ軍に現場確保の依頼が来ただけだ。それも、ここまでの4日で事情は変わっている。もはや軍が留まる理由は消失したと考えるのが自然だった。 「コスモガードに現場を引き渡すことを考えろ」  それを考えれば、この命令は真っ当なものに違いない。それどころか、もっと早く行われていても不思議ではないものだった。ただシルバニア軍と言う存在が、グーリッドに撤収を忘れさせていただけだった。 「後は、この事故……事件の真相究明か」  果たしてどのような証拠を集めることが出来るのか。一星系の王族が巻き込まれたとなると、その事実事態が大きな意味を持つ可能性もある。 「シルバニア艦隊の観測結果を教えて貰いたいものだな」  そうすれば、爆発の状況を知ることが可能となるはずだ。それだけでも、真相の究明には大きく役立ってくれるはずだ。  ただ「光学観測」と言うのは、あくまで自分の推測にしか過ぎない。その為、シルバニアにデーター提出を依頼することはできなかった。 「これまでどおりの、地道な作業をすることになるのだろうな」  それが、とても気の長い作業になるのは、これまでの事故を考えれば不思議ではないことだ。それでも悲惨な大事故も、終息がそこまで見えてきていた。シルバニアの問題も片付いたこともあり、グーリッドはおかしな解放感を味わっていたのだった。  図らずも、トラスティ達のシルバニア滞在は1週間を超えることになった。その辺りは、ノブハルが収容されるのを帝星で待ったと言う事情があった。 「そうですか、無事ノブハル君は収容されましたか。さすがは、しぶといと言うところですね」  それを朝食の場で教えられたトラスティは、「行きませんよ」とリンディアに答えた。 「まず、ここに連れてきて落ち着かせることを優先しましょう。クリプトサイトのことは、裏の動きが表に出てからにします。それでノブハル君たちはいつ、こちらに着きますか?」  トラスティの問いに、リンディアは一緒に食事を取っているラピスラズリを見た。他の島宇宙に行っているため、移動にはエスデニアの配慮が必要となっていたのだ。 「最優先で手配をしてありますよ。実は私も、ノブハル様……でしたか、お会いするのを楽しみにしているのです」  そこでリンディアの顔を見たラピスラズリは、「よろしければ」とお手伝いの話を持ち出した。 「ノブハル様には、最高評議会の若手を紹介しましょうか? 金髪碧眼の縛りがなければ、結構選択肢があるんです。トラスティ様の弟に当たると教えれば、候補者が列をなすのではないでしょうか」  自分の顔を見たということは、きっと皇帝ライラのことを考えてくれたのだろう。けっこうありがた迷惑かなとも思いはしたが、相手は自分達も属するエスデニア連邦の盟主である。喧嘩にならないのは分かっているが、とりあえず感謝をしておくことにした。 「議長様のご高配に感謝いたします」 「私とあなたは、とても深い仲ですからね。これぐらいの便宜は、どうと言う事はありませんよ」  バカ話をしていても、優秀なアルテッツァがいれば手配が滞ることはない。メルクカッツと連絡をとったアルテッツァは、「明後日です」と全員に到着予定を伝えた。 「脱出用コクーンが2機使用されたので、それを回収してから帰還するそうです」 「2機?」  すでに一緒に行った9人が収容されている。そうなると残りは1人なのだが、脱出用コクーンは2機使用されたと言う。数が合わないなと、トラスティは少しだけ視線を険しくした。 「変なものを拾ってきたんじゃないだろうね?」 「その辺りは、回収してみないとなんとも」  あくまで緊急脱出用のため、人を識別できるほどの機能を備えていない。だから生存を確認することは出来るが、それ以上の生体データーを得ることはできなかった。したがって、「回収してみないと分からない」と言う答えになる。 「まあ、10人全員が無事なら、ノブハル君のケアもやりやすくなるからいいけどね。しかし、随分と長逗留になってしまったな」  そこでアリッサを見たトラスティは、「大丈夫かな?」と本業のことを尋ねた。 「ジェイドの方は、私が居なくても回るようにしていますよ。今の所、難しい判断も求められていないようですし……レムニアの方は、相変わらず業績は好調です。そう言えば、タンガロイドからの情報なのですが、エルマーの何社からか引き合いが来ていますね。とりあえずトリプルA支店をズミクロン星系の代理店にするよう、指示を出しておきました。これで、自動的に支店の実績ができますね」  ふふっと笑ったアリッサは、「ところで」と言ってリンディアの顔を見た。 「よろしければ、業務提携のお話をしたいと思うのですが」 「業務提携……ですか?」  何か提携をするような話があったか。突然の話に、リンディアは秀麗な眉を顰めた。 「ええ、業務提携です。レムニア皇帝アリエル様も、積極的に出資なさってくださいました。ですから、シルバニア帝国にお声がけをしようかなと。ただ気が進まないのであれば、ラピスラズリ様にご相談させていただこうかと」  すかさずエスデニアを持ち出すのは、さすがは悪辣……敏腕経営者といえるだろう。そしてアリッサの言葉に、それはいいとラピスラズリも喜んだ。 「そうですね、エイシャさんの本拠地をエスデニアにするのも良いかと思いますよ」  エイシャはアス詣で関連の仕事で、ルナツーに長期出張の扱いになっていた。それを支社設立と言う形で、エスデニアに持ってきたらと言うのである。その辺りは、アガパンサスに手伝わせれば簡単に話がまとまってくれるだろう。アス詣での拠点としては、必ずしもルナツーである必要はなかった。 「それに最高評議会には、エイシャさんのファンが結構居ますからね」  その意味でも、エイシャの本拠地が変わるのは都合がいい。ラピスラズリにしてみれば、渡りに船の提案でもあったのだ。  たしかにそうかとラピスラズリの提案に頷いた所で、「アリッサ様」とリンディアが顔色を変えて詰め寄ってきた。あまりにも急激な変化に、逆にアリッサの方が驚いたぐらいだ。  ただアリッサには分からなくても、トラスティには事情が丸分かりだった。今更アルテッツァに教えて貰わなくても、ライラがこの機会を逃すはずがないことぐらい分かっていたのだ。「叱られた」と言うのが、トラスティの見立てであり、同時にアルテッツァの教えてくれたことだった。 「は、はい、リンディア様どうかなさいましたか?」  とは言え、アリッサに事情が分かるはずがない。少し背中をそらしたのは、リンディアから離れようとしたのだろう。そんなアリッサにお構いなく、「業務提携のお話です!」とリンディアはまくし立てた。 「私共は、支社設立にあたりいかほど出資いたしましょうか。加えて言うのなら、どのような人材がご所望ですか?」  それを聞く限り、どうやら最大限の配慮をしてくれるようだ。いきなり何とは思いはしたが、そんなものを顔に出すほどアリッサは事業においては子供ではない。 「それは、合弁事業立ち上げに向けて調整と言うことで宜しいですか? そうですね、調整は夫に任せると言うことで宜しいですね?」  しかもリンディア向けの餌までぶら下げるのだから、相当な悪と言っていいだろう。 「そ、そうですね、アリッサ様に感謝いたします!」  本気で感謝をする様子に、こんなことでいいのかとトラスティは考えていた。シルバニア帝国と言えば、超銀河連邦の中では中核と呼ばれる国家体なのである。その摂政が、20の小娘に手玉に取られているのだ。他人事ながら、帝国は大丈夫なのかと心配になってしまった。  「直ちに帰還せよ」の命令を受けたメルクカッツは、それこそ驚異的な迅速さを持ってシルバニアへの帰途へと着いた。2つのコクーン回収から多層空間跳躍による銀河の移動、それを1日も掛けずに実行したのは、「皇帝勅命」と言う発破が効いたからである。 「准将、コクーンの展開作業を開始して宜しいでしょうか?」  強行軍をとっているため、船内作業が一時停滞をしていた。しかもシルバニアまで1日強で着くのだから、無理に戦艦内でコクーンを展開する理由もなかった。だからこそのシュミットの問いに、メルクカッツは「うむ」と少しだけ考えた。 「マルクリステーションまで約6時間か……」  展開作業自体は、開始すれば2時間と言うのがおおよその見積もりである。展開完了から場合によっては医療部に運ぶことを考えると、本当にどちらでもいいタイミングなのは確かだろう。 「ここでの展開は、興味を満足する以上の意味を持たないか」  設備の整った戦艦ではあるが、それでも本星の設備には及ばない。展開からの時間を考えると、本星に到着直後に医療部に回すのと大差がなかったのだ。だからメルクカッツの言う、「興味」と言う話に繋がってくる。 「ノブハル様はどうされている?」 「間もなく、治療が終わる頃かと。2時間もすれば、お話ができると思います」  求める答えに、メルクカッツは「宜しい」と少し大きな声を出した。 「コクーンの展開は、本星に任せることにする。ノブハル様が目覚められた所で、私が事情説明に上がることにする」 「では、本星移送の手続きを進めましょう」  右手を胸に当て、シュミットは小さく頭を下げてから上官の前を辞した。命令自体はその場を動かなくても出来るのだが、この場所は呼ばれた時にだけ居ることが許される聖域である。くるりと踵を返したシュミットは、ゆっくり歩いて自分の持ち場へと帰ったのだ。  アルテルナタの収容が最後になったのは、脱出が早かったことが理由になっていた。そしてそれが、アルテルナタの意図でもある。少しでも目立たないようにするには、収容されるのが遅いほうが良いと考えたからである。 「姫様」  収容され健康チェックを受けた後、元親衛隊長モリアニ・ウゾはアルテルナタの前で膝をついた。そして彼の後ろには、まだ若いユンクス・トトとトリキリティス・ティレルが同じように片膝をつき恭順を示した。 「皆も、無事で何よりでした」  老婆の姿のまま頷いたアルテルナタに、少し神妙な顔で「妹君が」とモリアニは声を出した。 「調べた範囲で、どの船にも収容されていないようです。これでシラキューサ王家の正当な跡取りは、アルテルナタ様だけとなりました」 「フリーセアには、可哀想なことをしましたね」  可哀想と言いながら、アルテルナタは少しも沈痛な表情を見せていなかった。その上すぐに、「クリプトサイトに戻りますよ」とこれからのことに話しを切り替えた。 「今回の事件で、忠臣達は再度私の捜索を始めることでしょう。ですから、それに見つかる形で故郷に帰ることになります」 「お姿の方は、どうなさいますか?」  今のアルテルナタは、薬の影響で老婆の姿に変わっていた。それを元に戻すのかと言うのである。  それに「そうですね」と答えたアルテルナタは、「もういいでしょう」と元の姿に戻ることを認めた。 「治療薬を飲んでも、元の姿に戻るには3ヶ月ほど掛かりますね。身を隠す理由を説明するのには、この姿を民達に見せる必要があります。そうすることで、私達を追い落とそうとした反逆者達にとどめを刺すことが出来るでしょう」  毒物で第一王女を失脚させ、第二王女を船の事故で抹殺したのだ。その罪を着せれば、二度と自分達に逆らう者は出ないだろう。そのためには、反逆者には地獄のような目に遭ってもらわなければならない。ニコリともせずに、アルテルナタは恐ろしいことを口にした。 「もちろん、反逆者達には正当な裁判を受けさせますよ。ただ、ネチネチと締め上げ、反旗を翻したことを後悔させてあげましょう。ここで手を抜くと、また同じことが起きますからね」 「姫の仰せのとおりに」  そう言って頭を下げたモリアニだったが、その顔は苦虫を噛み潰したようなものになっていた。まだ若い二人が晴れやかなことと比べると、いかにも対象的な表情である。ただ顔を伏せているため、その表情はアルテルナタからは窺えなかった。  そして晴れやかな顔をしたうちの一人、金色の髪をしたユンクスは、少し残念そうな顔をして「ノブハル・アオヤマは生き残ったようです」と報告をした。 「ただ無礼な真似をした護衛は、収容が確認されておりません。おそらく、避難が間に合わなかったものと思われます」  その報告をする時に、ユンクスの顔はどう見ても嬉しそうに見えた。人一人が死んだことを喜ぶのは、恥をかかせた相手とは言え異常なことに違いない。 「そうですか、結構しぶといのですね。ただ、私達には関わりのないことです」  その言葉通り、アルテルナタはノブハルのことに拘らなかった。それよりも、自分たちが一日も早く捜索の網に引っかかる方が重要だった。そのための行動を、すぐにでも起こす必要があったのだ。 「被災者名簿の書き換えは出来ていますね?」 「我々と分かるような偽名に書き換えておきました」  もう一人の黒髪をした青年、トリキリティスは「抜かりはありません」とアルテルナタにキラキラとした目を向けた。アルテルナタに忠誠を誓った二人にとって、彼女に褒められることが全てであったのだ。そしてそのためなら、人の命を省みることはなかった。  その事情は、ただ一人モリアニだけは違っていたようだ。少し沈痛な面持ちで、「8万人が犠牲になりました」と犠牲者の数を報告したのである。 「そう、可哀想なことをしましたね」  巻き添えになった犠牲者に対して、アルテルナタの発した言葉はそれだけだった。そして同情したような言葉とは裏腹に、その顔には薄ら笑みさえ浮かんでいたのである。 「では私達は、迎えの者が来るまで個室で休むことにいたしましょう」 「エスメラルダのコスモガードのヒアリングはどうされますか?」  救助された者に対して、事件の真相究明のためヒアリングが行われるのはおかしなことではない。まだ彼女達がヒアリングを受けていないのは、収容が遅かったので順番が回ってこないだけのことだった。 「私は、ショックが抜けないのでヒアリングを断りますよ。あなた達は、何も知らないと答えればいいでしょう。爆発があったので、たまたま近くにあった救命ポッドで逃げ出した。説明として、何もおかしなことはないはずです。そして彼らも、それ以上詮索することはありません。私には、その未来が見えていますからね」  だから何も心配をする必要はない。そう言って微笑んだアルテルナタは、「部屋に戻りますよ」と3人に命じた。 「大丈夫です。この後迎えが来て、私達が祖国帰る未来まで見えているのです。そこで私は、反逆者達に慈悲を示すことで、民達の指示を取り付けることが出来るのです。そして反逆者達は、ほとぼりの冷めた所で抹殺をすればいいのです。熱狂が冷めた後なら、誰も反逆者たちのことを気になどしないでしょう」  そこでふっと息を吐いたアルテルナタは、彼女にしては饒舌に「心配には及ばなかったようです」と口にした。ただその意味は、モリアニ達3人には理解ができなかった。 「一時期、本当に数時間先も見えなくなってしまいました。ですがそれは、本当に一時的なことだったようです。今は、今まで通り10日程度先なら確実に見通すことが出来るようになりました」 「何も、心配はいらないと言うことですか」  相変わらず硬い表情のモリアニに、「その通りです」とアルテルナタは断言した。 「シラキューサの女として、最良の未来を示せるのですよ。今更何を恐れることがあるでしょう。後は、見目の良い男を夫に迎えればクリプトサイト王家も安泰です。それも、全てはあなた達の忠誠のおかげだと思っていますよ」  「ありがとう」と言うアルテルナタに、男たち三人は床に頭をこすりつけるようにして頭を下げた。ただそのときの表情は、相変わらず冴えないモリアニと、喜びに輝くユンクスとトリキリティスと言う違いはあった。 「では、部屋に戻って迎えを待ちましょう」  そう口にしたアルテルナタは、さっさと歩いてあてがわれた自分の部屋へと向かった。その足取りが軽いのは、全てが予定通りに進んだからだろう。一時的に未来が見えなかったと言う問題も、蓋を開ければ結果にはなんの影響も与えなかったのだ。  「早く帰ってこい」との指示通り帰還したメルクカッツは、無事役目を果たしたことを摂政であるリンディアへと報告に上がった。本当なら皇帝直々にお褒めをいただきたいところなのだが、この程度ではとメルクカッツも現実が見えていたのだ。  ここの所の欲求不満が解消されたこともあり、リンディアのご機嫌は極めて良かった。そのおかげもあって、メルクカッツの出立前とは別人に見えたほどである。今のリンディアが、メルクカッツの趣向に合致しているのは今更のことだろう。 「さすがは聖下が見込まれただけのことはありますね。お疲れと言うと帝国軍人のあなたに叱られるかもしれませんが、休養を取って英気を養ってください。おそらくですが、もう一度ディアミズレ銀河に出向いていただくことになるかと思いますよ」 「ディアミズレ銀河にですか、それこそ私の望む所です!」  事件現場を観測したメルクカッツは、クリプトサイト軍人の潔さに感服していたのである。そして彼の名誉を守るためにも、自分に出来ることならなんでもすると誓っていた。  そこに来てディアミズレ銀河への再出撃なのだから、メルクカッツが喜ぶのは当然のことだった。 「准将の報告は読ませていただきました。クリプトサイトの指揮官は、とても立派な武人だったようですね」 「はっ、己の命より、無辜の民の命を守る行動をとられました。遠く離れた銀河に、軍人の鏡を見たと感激しております。だからこそ、その無念を晴らしてやらねばと考えております」  いかにも帝国軍人らしい答えに、リンディアは大きく頷き同意を示した。 「それでこそ、帝国軍准将と言えるでしょう。ただ准将には申し訳ありませんが、再出撃はしばらくお待ちいただきたいと思っています。ノブハル様に事情を伺うのと、収容したコクーンの開封後に方針を検討いたします。トラスティ様には、何か思うところがあるようですので、けして准将の期待を裏切らないかと思いますよ」 「トラスティ様がですか」  彼が来ていることに、メルクカッツは少し驚いた顔をした。 「なるほど、さすがは神出鬼没のトリプルAと言うことですか」 「しかも今回は、超銀河最強と噂をされるカイト様も同行されています。私の言う思う所の意味、准将ならば御理解いただけると思っていますよ」  リンディアの出した名に、メルクカッツは先程よりはっきりと驚きを顔に表した。流石に帝国軍准将にとっても、キャプテン・カイトの名は特別のようだ。最強の戦士を連れてきた以上、武力による何らかの恫喝が行われるのは間違いない。ただその時の問題は、自分達の出番が失われることだった。 「キャプテン・カイトが居るのであれば、我々の意味は極めて薄くなりますな」  だからこその言葉に、リンディアは小さく首を横に振った。 「いえ、大艦隊を率いていくことに意味があると思っていますよ。相手を威嚇するには、やはり数が物を言いますからね。ただ准将が仰る通り、戦闘することになれば意味が薄いのでしょうね……もっとも、たかがレベル3の星系に、我々に楯突くことができるとは思えませんよ」  極端な話、軍艦1隻送り込むだけで蹂躙は可能なのだ。その意味で、リンディアの言うことに一つも間違ったところはない。もしもクリプトサイトにできることがあるとすれば、超銀河連邦に支援を依頼するぐらいだろう。それにしたところで、犯罪を理由にすれば連邦を押さえる事も難しくなかったのだ。エスデニアにシルバニア、その両国が関わった時点で、超銀河連邦も動くことはできなくなる。 「ノブハル様の情報では、アルテルナタと言う第一王女が関わっていると言うことですな。反女権派を謀略に嵌めるため、クリプトサイト軍艦を悪者に仕立てるのが筋書きのようです。そのためには実の妹まで殺すと言うのは、血による相続の暗部を見せられた気がします」  嘆かわしいと零すメルクカッツに、リンディアは小さく首を振った。 「それは、民主主義と呼ばれる体制でも変わりませんよ。結局人としての考え方に問題があるのでしょうね」  リンディアの言葉に、「いかにも」とメルクカッツは頭を下げた。 「私としては、別にクリプトサイトがどのような体制を執るのかなど、本当にどうでもいいことだと思っています。ただノブハル様が巻き込まれた時点で、巻き込んだものには正当な罰を与える必要が生じました。もしもアルテルナタが次の女王となるのであれば、クリプトサイト自体に罰を与える事になるのでしょうね。その結果がどうなるのかは、クリプトサイトが責任を持つことだと思っています。あなた達が好きな「正義」と言う言葉がありますが、この場合は「因果応報」と言うのが正しいのでしょう」  そう答えて僅かにリンディアが微笑んだところで、コクーン開封完了をアルテッツァが伝えてきた。ただその情報に「なんですって!」と思わずリンディアは声を上げることになった。 「リンディア様、何事か起きたのでしょうか?」  顔色が代わったところを見ると、重大な問題が生じたとしか思えない。それを問うことは、ディアミズレ銀河に派遣されたメルクカッツの正当な権利でもあった。 「男女1名ずつ収容されていたと言うことです。ただ、女性の方が、私共の派遣したセントリアではありませんでした。本人の証言が正しければ、クリプトサイト第二王女フリーセアとのことです」  相手の正体を告げたリンディアは、呆れたとばかりにため息を一つ吐いた。それを気にしたメルクカッツに、「いえ」と少し恥じてから事情を口にした。 「ご存知かと思いますが、ノブハル様には2人のとても親しいガールフレンドが居ます。ただトラスティ様と比べて関係している女性の格が落ちるので、やんごとなきお方を探せと言ってありました。フリーセア王女を救ったのは、それが理由だと思うのですが……ただ優先順位を間違えているとしか言いようがありません。ノブハル様をお守りするのは、何も体ばかりではないのですからね。いくら体を守れても、心を守れなければ使命を果たしたとは言えないのです。彼女をエルマーに派遣してから、すでに3ヶ月以上経過しているのですよ。それだけ一緒に居た女性が命を落としたとしたら、ノブハル様が自分を責めることになるでしょう。それでも、フリーセア王女だけなら許せるのですが、もう一方を助けるのは余計なこととしか言えません。私達は、クリプトサイトの体制に責任など無いのですからね」  文句を言っても、すでに手遅れになってしまっている。だからリンディアも、怒るのではなくため息をつくしか無かったのだ。人助けをするなとは言わないが、その場合でも自分の命を大切にしろと叱りたかった。今の気持ちは、「余計なことを」としか言いようがなかったのだ。 「近衛の教育の問題……と言う事になりますか」 「むしろ、普通の暮らしが長くなりすぎて、優先順位を間違えたと言うところでしょうね」  困ったものだとは思っても、すでに手のうちようがなくなっていたのだ。ならばこの事態をどう利用するのか、いつまでも呆れてばかりは居られなかった。 「扱いについては、トラスティ様と相談させていただくことになりそうです」  そうすれば、きっと相手にとって「いやらしい」方策を考えてくれることだろう。パガニアを嵌めた手際を考えれば、そのあたりは疑いようのないことだった。  コクーンに収容された人物の情報を、トラスティはノブハルより先に受け取っていた。そしてセントリアの判断に対して、リンディアとは違った評価をしていた。 「彼女は、賭けに負けた……と言うことなのかな?」  まだ自分が努力をした方が、お互い生存できる可能性が高いと考えたと想像したのだ。そして救出された二人が、女権派が担ぐ王女と、反女権派のナンバー2と言うことに、証拠を残してくれたのだとも考えた。これで単なる恫喝から、もう少しいやらしい方向に話を持っていくことも可能だったのだ。そのための証拠と考えれば、外部からの観察記録以上の意味を持ってくる。 「さて、このことをノブハル君は知っているのかな?」 「いえ、まだご存知ではないようです」  すかさず答えたアルテッツァに、トラスティは小さく頷いた。ノブハルが意識を取り戻した後、ちょっとした修羅場が起きたのは確かだ。「別れよう」とエリーゼ達二人に告げたのも、3回も死にかけたことを考えれば不思議なことではない。  ただその修羅場も、泣きながら怒ったエリーゼのお陰で乗り切ることは出来た。ただセントリアの死が、新たな火種になるのは目に見えていたのだ。 「だとしたら、また彼女たちの力を借りることになるのだろうね」  エリーゼにトウカ、そしてリンの力が必要となる。彼女達ならば、ノブハルが間違っても軌道修正をしてくれるのだ。「格に劣る」とリンディア達は気にしているが、それこそ大いなる勘違いだと考えていた。「3度も死の恐怖を味わって」なお、一緒にいることを選択する心の強さが二人にはあったのだ。  さてと言って立ち上がったトラスティは、自分が行くことをノブハル達に伝えるように命じたのである。  かつては歩いて移動していた皇宮も、今は空間接合されたドアでつながれていた。ただどこにでも繋がるものでなく、特定の箇所同士をつなぐものになっていた。そのあたり人の感覚を優先したものなのだが、レムニアの空間接合とどちらが良いのか、そんなどうでもいいことをトラスティは考えていた。  ドアを開ける形でノブハル達の部屋の前に現れたトラスティは、目の前のドアをノックした。中にノブハル達が居るのは、すでにアルテッツァから教えられていた。  「どうぞ」と声が掛かるものだと思っていたら、いきなりドアが開いてくれた。少し驚いたトラスティの前に、「お待ちしていました」とエリーゼが頭を下げた。 「君だと、からかう訳にはいかないね」  小さく笑ったトラスティは、エリーゼに招かれる形で中に入った。彼が来ることが教えられた結果なのか、そこにはナギサ達も揃っていた。全員が真剣な表情をしているところを見ると、何かを感じているのかも知れなかった。 「さて」  そう言って全員の顔を見たトラスティは、「悪い情報(しらせ)だ」と言いながら用意された椅子に腰を下ろした。 「回収されたコクーンを二つ開いてみたのだが、中にセントリアさんは収容されていなかった。収容されていたのは、クリプトサイト王女フリーセアと、反女権派ナンバー2のヴェルコルディアと言う男性だ」 「セントリアは、どこにも収容されていないのか」  ぎりっと歯が軋む音がしたのは、間違いなくノブハルの怒りが理由なのだろう。普段ならその怒りに臆するはずのエリーゼ達にも、はっきりと怒りが表情に現れていた。そのあたり、事件の事情を知らされているからに他ならなかった。  押さえようのない彼らの怒りなのだが、その程度のものにトラスティが影響を受けるはずがない。「現時点では」と答え、「どうしたい?」とノブハルに問いかけた。 「今の俺に、何が出来るんだっ!」  どうしたいと聞かれても、ノブハルに出来ることは悲しくなるほど少なかった。ズミクロン星系の技術レベルが劣ることと合わせ、クリプトサイトに手を出す力がなかったのだ。もちろんそれは、いまだノブハルがトリプルAの力を知らないからでもある。 「何が出来る……ねぇ。なんでも出来ると言ったら、君は何をしたいんだい?」  少し薄笑いすら浮かべたトラスティに、「決まってるだろう!」とノブハルは大声を上げた。 「アルテルナタに責任をとらせる」 「なるほど、彼女が今回の事件の首謀者なら、言っていることに間違いはないね」  うんうんと頷いたトラスティは、「まあいいか」とエリーゼ達の顔を見た。ここで「アルテルナタを殺す」とでも言われたら、流石に叱らなければと思っていたのだ。もっともトラスティにしても、青臭い正義などを持ち出すつもりはない。ただ結果は同じでも、「殺す」と言う過激な言葉を用いないだけのことだった。 「君達は、腹を立てるだけの正当な理由がある。そして仕返し……復讐でも良いかな。それをする権利があるのを認めよう。「責任を取らせる」ってのは、ちょっとおとなしい気もするが……まあ、常識的だと認めよう」  相変わらず緊張感のない顔をしたトラスティは、少し真面目な顔を作って「ノブハル君」とノブハルに呼びかけた。 「ライラ皇帝が、君にシルバニア軍1万を預けてくれるそうだよ。そして僕とカイト兄さんも同行するつもりだ。そこにフリーセア王女、そしてヴェルコルディアと登場人物を揃えてあげよう。さてこれだけお膳立てをしてあげれば、「何が出来る?」と言えないのは理解してくれるね」  それを突きつけたところで、「忘れていた」とトラスティは手を打った。 「ライラ皇帝に、君用のデバイスを用意して貰うことにした。明日にでも用意ができるそうだから、それも戦力に加えてくれないかな。ただ訓練が必要だから……まあ兄さんに鍛えて貰うからいいか。受け取り次第、いつでも出発できるよ」 「その力を使って何をするのか、俺に考えろと言うのだな」  態度が刺々しいのは、トラスティの態度が理由なのかもしれない。セントリアが死んだかもしれないと言うのに、どう見ても他人事のようにしか見えなかったのだ。 「まあ、そう言うことだよ。何もしないから、クリプトサイトを消滅させるまでレパートリーがあるね。さて君は、どんな選択をするのだろうか。落ち着いて考えて……そうだね、エリーゼさんに相談してみるのも良いと思うよ」  それだけを告げると、「じゃあ」と言ってトラスティは立ち上がった。言うだけのことを言い、そして選択肢をノブハルに示したのである。ここから先は、ノブハルが自分で考えなければいけないことだった。それでもおせっかいなのは、そこにエリーゼの名前を出したことだろう。そうすることで、短絡的な選択を出来ないようにしようと言うのである。  「いつでも良いから連絡をくれ」と言うのは、待機状態だと考えれば不思議なことではないだろう。ただ「すぐに」で無いところに事情があると言うことになる。ただそれ以上の言葉を残さず、トラスティはノブハルの部屋を出ていった。  見送りに出たエリーゼ以外に、ノブハル達に動きはなかった。ここまで全員が無事だったと言う思いは、セントリアが失われたことで覆ってしまったのだ。特にナギサとリンは、無事だったセントリアを見送ったと言う事情がある。そしてノブハルは、結局何も出来ずに彼女に命を救われたのだ。その恩人であり家族を失ったことで、その場にいた5人はこれまでになく打ちのめされていたのだ。  「ありがとうございます」と頭を下げてトラスティを見送ったエリーゼは、流れそうになる涙をぐいっとこらえた。セントリアを失って悲しいのはみんなと一緒だが、まっさきに自分が泣いてはだめだと思っていた。 「皆さんにお願いがあります」  みんなの所に戻ったエリーゼは、ナギサやリン、そしてトウカに対して「二人きりにしてもらえませんか」とお願いを口にした。その言葉に驚いたリンだったが、ナギサに肩を叩かれ素直に従うことにした。ただ疑問は、どうしてトウカまで追い出すのかと言うことだ。そしてその事情はトウカも同じなのか、どうしてと言う顔をエリーゼに向けてきた。 「私も、だめなの?」 「こうしたことは、1対1の方が良いので」  そこで「ごめんなさい」と謝られれば、それ以上の文句も言えなくなる。ただトウカも、譲歩はそこまでが限界だと考えていた。だから「後から呼ばないと酷いことになるわよ」とエリーゼに脅しを入れて部屋を出ていった。  入り口に鍵を掛けたところで、「ノブハル様」とエリーゼは振り返ってノブハルの顔を見た。トラスティの前では怒りで自分を支えることが出来たが、今はその硬い鎧も脱げかけていた。それでも人の目があるうちは良かったが、エリーゼと二人きりになったことでノブハルも限界を迎えていた。  小さく震えるノブハルを前に、エリーゼはゆっくりと近づきその頭を抱え込んだ。 「私は、生涯ノブハル様と一緒に居ますよ」  だから無理をしないで。そう囁きかけ、エリーゼは頭を抱く腕に力を込めた。 「俺は……」  優しくエリーゼに抱かれ、ノブハルを守っていた鎧はどこかに消え失せてしまった。強がりを言おうにも、すべてを共有したエリーゼに通用するはずがなかった。 「我慢は必要ありませんよ。私のすべては、ノブハル様のものですからね」  良いんですと答え、エリーゼは頭を抱えたままノブハルの膝をまたいだ。そして耳元に、「我慢は必要ありませんよ」と囁きかけた。その声から少し遅れ、ノブハルの口から野獣のような絶叫が吐き出された。失って初めて、どれだけセントリアを大切に思っていたのか気づいたのだ。だがいくら叫んでも、胸にポッカリと空いた穴は塞がることはないのだろう。それでも人目を憚らずに泣き叫ぶことで、穴を小さくすることは出来るはずだ。そしてノブハルには、それを受け止めてくれる女性がそばに居た。 「もっと大きな声で泣いても良いんです。私がすべて受け止めてあげますから」  だからと、エリーゼはノブハルの顔を自分の胸に押し付けた。 「もっともっと、私に気持ちをぶつけてください」  「愛しています」そう囁いたエリーゼは、ようやく我慢していた涙を流す事ができるようになった。ノブハルとは違った意味で、彼女にとってもセントリアは大切な家族になっていたのだ。  部屋に戻った所で、トラスティは「アルテッツァ」とシルバニアを統べる巨大コンピューターを呼び出した。本当はライラを呼び出すべきなのだが、色々と差し支えが有るのでアルテッツァ止まりにしたのである。  だがトラスティの前に現れたのは、皇帝ライラのホログラム映像だった。 「アルテッツァに命じて、私が代わりに来ることにいたしました。本来実体でお邪魔するところなのですが、仮想体で現れたことをお許し下さい」  頭を下げて謝ったライラに、「立場が逆だろう」とトラスティは文句を言った。ちなみにその時のライラは、白の庭園に一人でいるときの恰好をしていた。すなわち、白のワンピース姿で、顔にはどぎつい化粧はしていないで現れたのである。黒色の髪に黒色の瞳をした、可愛らしい少女と言うのがピッタリな見た目をしていた。 「皇帝が、そんな恰好で下々の所に現れて良いのかい?」 「現れたと言っても、仮想体……単なる映像ですから。それにきわどい恰好をしたぐらいで、あなたを誘惑できるとは思っていません」  自覚していますと笑ったライラは、「それで」とアルテッツァを呼び出した用件を尋ねた。 「ちなみに、ノブハル様は今まさに真っ最中です」  小さくため息を吐いたライラに、「分かっているのだろう?」とトラスティは分かりにくい問いかけをした。ただそれでも、ライラには意味が通じていたようだ。 「そうですね」  小さくため息を返したライラは、「皇帝などなるものではありません」と零した。 「私には、あのような関係を結ぶだけの時間も自由もありませんからね。たとえあったとしても、果たしてあのような関係を結ぶことが出来るのか。それもまた疑問だと思っています」 「まあ、あそこはちょっと異常だとは思うけどね。その意味では、兄さんの所も変わってるけど」  3度も一緒に命を落としかけたのが、ノブハル達の関係である。それを考えると、異常とトラスティが言うのもおかしくはない。そしてカイトの事情にしても、十分異常なのは言うまでもないだろう。 「まるで、アリッサ様との関係が「普通」だと仰ってるようにに聞こえますね」 「僕としては、さほど珍しくない男女の出会いだと思っているよ」  多少は気にしているのか、トラスティは少し口元が引きつっていた。 「金髪碧眼のリンディアを散々弄び、ライマールでもお盛んでしたよね。その上リゲル帝国では、カナデ皇と皇女ミサオ様にも手を出しているあなたですよ。普通の出会いがあったとしても、その先まで普通だとはとても思えませんが?」  鋭い指摘に、「色々とあったけどね」とトラスティは素直に白状した。 「あれは、パガニアとモンベルトが悪いんだよ」 「例えそうだとしても、双方の問題を解決してしまうのは異常だと思いますよ」  小さくため息を吐いたのは、呆れたと言う感情からだろう。 「偶然、役者が揃っていたからだよ。ライスフィール王女……今はお妃様なんだけど……とヘルクレズやガッズと言う最強の戦士が揃っていて、そこに兄さんとザリアがいたんだ。ああ、パガニア王を忘れちゃいけないね。役者が揃っていたから、道筋さえ作ってやれば問題解決も難しいことじゃないよ」 「それを、難しくないと口にする常識が信じられません」  はあっと今度は大きなため息をライラは吐いた。 「今から、ノブハル様達の所に混じった方が良さそうな言う気がしてきました」 「それも、一つの方法には違いないだろうね。ただ今の彼らは、ちょっと精神状態が不安定だからね。初めての君には、ちょっと荷が重いかな。僕としては、終わった後に裸になって彼らのベッドに潜り込むことをお勧めするね。そこで責任を持ち出してあげれば、彼のことだから簡単に騙されてくれると思うよ」  それをあっけらかんと言われると、ライラにしてみれば不本意なことに違いない。トラスティを第一位においているのは、何も意地ばかりが理由ではなかったのだ。 「やはり、気にすらしてもらえないのは堪えますね」 「君が皇帝である以上、それは仕方がないことだと思うけどな。君の立場は、僕が愛を語るものではないんだよ。そしてその事情は、エスデニア最高評議会議長様も同じだと思っている。彼女が金髪碧眼の美女と言うのが僕の妥協した理由だし、彼女は彼女で勝手に愛を捧げる相手としているからね。僕を縛り付けようとしないから、続けていけることだと思っているよ。だけど君とは、絶対にそんな関係は結べないだろう?」  そのあたりは、重ねてきた歴史がエスデニアとシルバニアでは違っていた。そしてラピスラズリとライラの年齢差も理由になっているのだろう。エスデニアが自由恋愛を認めていると言うのも、理由としては大きくなっていた。  それを認めたライラは、一つの決断をトラスティに伝えた。 「この時点を持って、あなたを第二位に格下げに致します」 「その決定自体意味はあると思うけどね……結局、何も変わらないことを理解しているのだろう?」  驚きもせず、優しく問いかけてきたトラスティに、ライラはしっかりと頷いた。 「これから、変える努力をしようと思っているところです」  そこで遠くを見る目をしたのは、何かを考えたというより、確認したと言う方が正しいのだろう。 「ちょうど頃合いも良さそうですし」 「確かに、大した努力だと言うか……結構な冒険になるんじゃないのかな?」  そこでトラスティが苦笑を浮かべたのは、ライラがしようとしていることを理解したからに他ならない。 「大丈夫だと……思いますけど。エリーゼと言う女性でも大丈夫なのですから、多分」  そこで自信がないのは、ひとえに初めてだからに他ならない。ただそのことに触れると、彼女の勇気がくじけてしまうのは分かっていた。だからトラスティは、もう一つの関門である近衛を問題とした。 「煩い近衛はどうするつもりだい?」 「目を盗むこと自体は難しくありませんが……できれば、カイト様にお手伝いいただければと」  そこでカイトを持ち出され、トラスティはなるほどと口元を歪めた。杓子定規で融通の効かない近衛隊長ニルバールを籠絡するには、カイト以上の適任者は居ないだろう。 「じゃあ、兄さんを送り込むことにしますか」  そこで笑ったトラスティに、「もう一つ」とライラは協力をお願いした。 「できれば、リンディアも黙らせてください」 「相手への文句は出ないだろうけど、方法には文句が出そうだね」  それを理解したトラスティは、了解したとリンディアの問題を引き取ることにした。そこでトラスティの質が悪いのは、ラピスラズリやアリッサまで巻き込もうと考えたことだ。 「いっその事義姉さんも……なんてことをしたら兄さんに殺されるな」  違いを比べてみたいと考えるのは、鬼畜の所業に違いない。ただ命が惜しいので、その誘惑は我慢することにした。 「じゃあ、兄さんには連絡をつけたから」  そして自分は、リンディアの部屋に行けばいい。アリッサに連絡を入れておけば、きっとラピスラズリを連れてきてくれるだろう。  トラスティが部屋を出た時には、ライラの仮想体も姿を消していた。  翌朝……と言っていい時間に目を覚ましたノブハルは、裸で眠る見知らぬ女性に盛大に焦ることになった。裸の女性が居ることには心当たりがあったのだが、人数と相手が違っていたのだ。 「だ、誰なんだ?」  慌てて飛び起きた関係で、体を隠していたシーツも一緒に剥ぎ取ってしまった。お陰で女性の体を隅から隅まで確認することになったのだが、あいにくノブハルには相手の心当たりがなかった。それでも一つだけ言えるのは、ただ同衾しただけではないと言うことだ。何しろエリーゼ並みに可愛らしい胸の膨らみには、しっかりと手形が付いているし、下を見れば情交の名残を見ることが出来たのだ。  そしてもう一つの問題は、居るはずのエリーゼとトウカが見当たらないことだ。自分の部屋に居るはずなのに、どうしてこうなったとノブハルは頭を抱えた。 「可愛い顔、綺麗だ……と言うのは、現実逃避なのだろうな」  ふうっと息を吐き出したノブハルは、とりあえず寝ている少女を起こすことにした。どうしてこんなことになっているのか、それを説明して貰わなければと思ったのだ。 「いやいや、その前に誰かを聞かないといけないだろう」  首を二三度振ってから、ノブハルは少女の肩に手をかけ優しく揺さぶった。そのあたり、エリーゼより華奢に見えるのが理由だった。  疲れ果てて眠っていれば、普通ならばその程度のことで目をさますことはないだろう。ただ彼女の場合、特製の目覚ましが用意されていた。つまりアルテッツァが、覚醒の刺激をライラに与えたのである。お陰でぱっちりと目を覚ましたライラは、ノブハルに向かって「おはようございます」と頬を染めながら挨拶をした。 「その、昨夜はとても素敵でした」 「あーっと、そのことなのだが?」  少女の言葉で、自分との関係が証明されたことになる。そこにショックを受けたノブハルだが、現実逃避に意味がないとすぐに気がついた。 「あんたは誰なのだ?」  しておいてそれはないところなのだが、ノブハルは本当にその少女のことを知らなかった。普通なら拗ねてしまうところだが、少女の方もそれぐらいの事情は承知していた。昨夜はどさくさに紛れて仲間に入ったし、下々に対して皇帝が素顔を晒すことなどありえなかったのだ。その意味で、ノブハルが自分を知らないのは当然のことだった。 「ライラと申します。ノブハル様、末永くよろしくお願いいたします」  むっくりと起き上がったライラは、ベッドに手をついてノブハルに頭を下げた。 「その、末永くって言われても……俺には、ライラと言う名前に心あたりがないのだが?」  一つだけ心当たりはあったが、絶対にありえない相手でもある。だからはっきりと困った顔をしたノブハルに、「酷い」と言ってライラは顔を隠した。 「昨夜は、初めての私をあれだけ貪ったのに……」  置かれた状況だけを見れば、その言葉に何一つ嘘はないのだろう。それでもノブハルにはノブハルの言い分があった。 「い、いや、それにしたところでおかしくないか? そもそも、エリーゼやトウカはどこに消えたんだ?」  何もかもおかしすぎると主張したノブハルに、泣き真似を止めたライラは「説明しますね」と言って微笑んだ。その顔が結構可愛かったのと、相変わらず裸と言うこともあり、一部微妙な場所が反応を示していた。  それを目ざとく見つけたライラは、「その前に」とノブハルの顔を見た。 「これは、男性特有の朝の生理現象と言うものでしょうか。そうでなければ、説明の前に解消をお手伝いさせていただこうかと。これから周りが騒がしくなるかと思いますので、羽を伸ばせるのは今のうちなのです」  ニッコリと微笑んだライラは、流石に目眩がするほど可愛らしかった。しかもノブハルの右手を、自分の胸へと誘ってまでくれた。普段にないシチュエーションだと考えれば、ノブハルが興奮するのも致し方がないと言えるのだろう。 「い、いや、それでも……」  そのあたり最後の理性で抵抗したのだが、ライラに唇を塞がれ努力も徒労に終わってしまった。珍しく頭を沸騰させたノブハルは、そのままライラの華奢な体をベッドへと押し倒した。そして「野獣のように」、まだ未成熟な体を貪ったのである。そんな普段のノブハルからは考えられない行動は、アルテッツァの干渉が理由なのは言うまでもない。備えがなければ、連邦最大のコンピューターによる干渉に耐えられるはずがなかったのだ。  そしてその頃、エリーゼとトウカはそれぞれの部屋で目をさましていた。それ自体に何も問題はないと言えるのだが、どうしても解けない疑問が二人にはあった。すなわち、自分達は部屋に帰った記憶が無いと言うことだ。  それにしても、無意識のうちに部屋に帰ったと言う可能性は捨てきれない。ただその可能性は、二つの事実によって否定することが出来る。そのうちの一つは、無意識のうちに帰るほどには、この場所に慣れ親しんでいないと言うことである。そしてもう一つが、ノブハルに抱かれた直後の状態でベッドで寝ていたと言うことだ。普段の生活でも、こんな経験は一度もなかったのだ。 「どうして私が部屋に帰っているのでしょう?」  だからエリーゼのつぶやきになるのだが、その答えは当然のように誰も与えてくれない。だからエリーゼは、答えを求めるためノブハルの所に行こうとした。  もっともそのまま部屋の外に出るには、色々と問題があるのは確かだった。そのためにとりあえずシャワーを浴び、染み付いた汗の匂いを流すところから始めることにした。 「あまり文明の違いを感じないと言うのか……」  温度調節とか全く必要がないのは、さすがはシルバニアと思ったが、驚くのもそこまでのことだった。上からお湯が降ってくるのは変わらないし、ソープを使うのもズミクロン星系に居るときと変わっていない。文明レベルが1000ヤー以上違うと言われても、ここだけを取り上げるとその差を理解することはできなかった。 「医療とか凄いのは分かるのですけど……」  自分は瀕死の重症を負っていたと教えられたのだが、今はどこにも怪我の跡すら見つけられないのだ。前回のことも含めて、医療レベルの違いは埋めようがないほど大きいのだろう。だが普段の生活を見ていると、その違いも感じることが出来ない。 「同じ姿をした人が暮らしているのですから、あまり違いが生まれないと言うのも分かるのですけど……」  ちなみに持ってきた荷物の一切は、ネビュラ1の事件で全て無くしてしまった。それでは困るだろうと一切合切を手配してもらったのだが、見事に普段来ているものとの違いが見つからなかった。もちろん一つ一つが、嫌になるほど手触りが良いとか高級そうとかはあるのだけど、「着る」と言う機能において違いを見つけられなかったのだ。用意してあった下着にしても、高級店に買いに行った程度の違いしかなかった。  ゆっくりとシャワーを浴びながら、エリーゼは自分の胸に両手を当てた。今更のことだが、育ったように感じられないのだ。むしろトウカには、今まで以上の差をつけられたとしか思えない。 「しくしく、どうして大きくならないのでしょう」  そうやって自分で揉んでいると、昨夜のことを思い出してしまう。どうしようもないほど乱れてしまったノブハルの心を受け止めたとき、本当に久しぶりに激しく自分を求めてくれた。かなり乱暴だったのだが、それを思い出すと今でも体が熱くなってしまう。今回の事件で、ぐんとノブハルの心と近づいたと思っていた。  そうやって自分で慰めていたのだが、エリーゼはすぐに大切なことを思い出した。昨夜の思い出に浸るのは、抱えた問題を解決してからでなければいけないのだと。 「そ、そうでした。どうして私が部屋に戻っていたのか。その疑問を解消しないと!」  ソープを慌てて洗い流し、エリーゼはバスローブをまとってドレスルームに駆け込んだ。いくら急いでいても、身だしなみを適当に済ませるわけにはいかない。ノブハルの恋人として、周りから笑われるようなことがあってはいけないのだと。  そして同じ頃、トウカもまたシャワールームの住人になっていた。当たり前だが、その目的はエリーゼと同じである。自分の身に何が起きたのか、それを確かめないといけないと思っていた。 「しかし、どこでもお風呂というのは変わらないのね」  エリーゼと同じ感想を持ったトウカだったが、シャワールムにおかしなスイッチが有るのに気がついた。 「全自動って……なに?」  自分が居るのはシャワールームであってラウンドリーではないのだ。だとしたら、全自動とは何を意味しているのか。「シャワールームなのよね?」と小さくつぶやきながら、トウカは興味に負けてそのスイッチを押してしまった。 「一体何が始まるのかしら?」  小さくトウカが呟いたところで、突然シャワールームの床が盛り上がった。 「座れってことかしら?」  なんだろうと腰を下ろしたら、いきなり椅子に拘束されてしまった。しかも両手両足をガッチリと捕まえられてしまったので、身動き一つ取れなくなってしまったのだ。何事とパニックになったトウカに向けて、動き始めた壁から一斉にシャワーの放水が始まった。「ひっ」と小さく悲鳴を上げたのだが、だからと言って何かが変わるわけではない。ただ頭をすっぽりとバブルが包んでくれたので、溺れる心配だけはなさそうだった。  そしておよそ30分の間、トウカの体は隅々まで「自動的に」磨き上げられたのである。もちろんヘアケアからボディケアまで、一通り揃った至れり尽くせりの「全自動」だった。  流石に長時間は問題があるので、ライラはアルテッツァに時間の管理を任せることにした。具体的に言うのなら、過度な興奮状態の解除を命じていたのだ。その甲斐もあって、ノブハルは2ラウンドを終わらせたところで賢者モードへと突入した。そんなノブハルに甘えたライラは、「そろそろ説明が必要ですね」と耳元で囁いた。そのお陰で、ノブハルの意識は急速に賢者モードから復帰した。 「そ、そう言えばそうだったっ!」  慌てて飛び起きたノブハルに、「ただ」とライラはブレーキを掛けた。 「他にも説明が必要な方がおいでですので、しばらくお時間をいただけたらと。具体的には、身だしなみを整えるお時間をいただけたらと思います」  身だしなみと言うライラに、ノブハルも自分の状況を思い出した。間接的にセントリアが死んだと知らされてから、したことと言えば慰めてくれた二人と情を交わしただけなのだ。シャワーどころか、夕食も食べていないことを思い出した。  だからノブハルは、「出来るのなら」とライラに食事の用意をお願いした。お腹の具合を意識した途端、耐えられないほどの空腹に襲われたのだ。 「ようやく、ノブハル様にも余裕が生まれたと言うことですね」  「分かりました」と小さく頷き、「アルテッツァ」とライラは己の下僕を呼び出した。突然目の前に現れた少女に、ノブハルは驚くのではなく相手の正体を疑った。 「これは、俗に言うデバイスなのか?」  もしもその見立てが正しければ、目の前の少女は戦士と言うことになる。ただそう考えながら、どう見ても違うよなと相手の華奢な体を見直していた。 「その、全てを晒した身ですが、そうして見られるのは恥ずかしいと思います」  慌てて胸を隠すのは、間違いなく可愛らしい仕草に違いない。せっかく賢者モードになったのに、またノブハルの男は刺激されてしまった。ただ興奮しながら、絶対に戦士じゃないと自分の推測を否定していた。ライラと名乗る少女は、お嬢様のエリーゼよりも遥かに上品だったのだ。 「い、いや、それでデバイスでなければ、これは誰なのだ?」 「アルテッツァは、シルバニア帝国の誇るバイオコンピューターですよ。およそ3千年ほど前に建造され、第6代皇帝の人格を移植されたものです。かのIotUが覇業をなした際には、傍にあって情報面で支えたと伝えられています。今ノブハル様の目の前にあるのは、一種のホログラムのようなものでしょうか」  そう説明したライラは、「支度を」とアルテッツァに命じた。 「ではノブハル様、私は別室で支度をしてまいります。用意が整い次第お招きをいたしますので、しばしお待ち下さい」  「失礼いたしました」とライラが頭を下げた次の瞬間、その姿がノブハルの目の前から消失した。どの方法を使ったのか分からないが、皇宮内で瞬間移動をしたのだろう。そのお陰で、「何者なのだ」と言う疑惑が更に深まったのである。  ただノブハルの事情は、疑惑解明に時間を使うことを許さなかった。用意が整い次第と言われたのだから、さっさと用意をする必要があった。腹を満たすものがないので、とりあえずはシャワーを浴びるところから始めなくてはいけなかった。 「そう言えば、俺の着替えはどうなっているんだ?」  何しろ着の身着のまま放り出されて今があるのだ、それを考えれば自分の着替えがあるはずがない。シャワーを浴びたところで着替えに気づいたノブハルは、ひょっとしたらと大きなクローゼットの扉を開いた。そして突きつけられた現実に、大きなため息を吐いたのである。いまさら言うまでもないのだが、クローゼットの中にはありとあらゆる衣装が取り揃えられていた。 「さすがは、シルバニア帝国と言うことか……」  とても肌触りの良い下着を手に取ったノブハルは、プライバシーは無いなとため息を吐いた。何の事はない、素材こそ違っていても、寸法自体は普段身につけているものと寸分も違いがなかったのだ。  それから10分ほど掛けて、ノブハルの身繕いは完了した。これでいつでも大丈夫とホッとしたところで、突然ライラに似た少女、すなわちアルテッツァが目の前に現れた。 「ではノブハル様、これよりご案内いたします」  誰とかどことか言わないのは、間違いなくアルテッツァの悪ノリだろう。ただ緊張したノブハルには、そんなことはどうでもいいようだった。そしてノブハルが「ああ」と小さく答えたその瞬間、目の前の景色がガラリと変わってくれた。広い部屋に居たと思ったのだが、目の前には白い花の咲き乱れた庭園があったのだ。そして自分が居るのは、その庭園の真中に作られた茶室のような場所だった。 「ここは、どこなのだ?」  ぐるりとあたりを見渡してみても、あるのは花の咲き乱れた庭だけである。一体どこに飛ばされたのだと吐き出したところで、別の影が茶室の中に現れた。ただ新たに現れた人物は、ノブハルの疑問解消には役に立ってくれそうもなかった。 「えっ、ここはどこなんですか!」 「なんでノブハルがここにっ!」  突然のことに驚いているのは、現れた二人も同じようだった。はっきりとパニックに襲われたのを見ると、説明を求めるのは不可能に違いない。「まあ落ち着け」と声を掛けたのも、この場における最善だと判断したからにほかならない。 「予め言っておくが、俺もここがどこなのか分からないからな」 「だとしても、あなたは一体何をしたのですか?」  自分たちが理由でないのは、シルバニアに来る前から分かっていた。だからトウカが理由を求めたのだが、ノブハルにしても分からないことだらけだった。 「俺にも説明に困るのだが……分かっているのは、朝起きたら隣に見知らぬ女が寝ていたことだ」 「状況を考えれば、ただ寝ていた訳ではないのでしょうね……」  何しろその前には、自分たちが体でノブハルを慰めていたのだ。その自分たちが何処かに飛ばされ、別の少女がベッドに入っていたのだ。何が起きたかなど、今更説明を求めるまでもないと思っていた。 「確かに、ただ寝ていた訳ではないのだが……それにしても、分からないことが多すぎる」 「あなたに分からないのなら、私たちには絶対理由は分かりませんね」  はあっとエリーゼとトウカが合わせてため息を吐いたところで、「お揃いですね」と後ろから声がかけられた。エリーゼ達には聞き覚えのない、ノブハルは先程まで聞いていた声に、3人は一斉に声の方へと振り返った。そして目の前に現れた少女……正確には、その後ろに控える者達にひっくり返るほど3人は驚いた。 「ノブハル様以外には初めましてですね。シルバニア帝国第310代皇帝、ライラ・シルバニアと申します」  正体を告げられた時、先程の驚きはまだ生温かったのだとノブハルは思い知らされた。ライラの言うことが間違いでなければ、自分は皇帝の貞操を乱暴に奪ったのだ。この場合どちらに責があるかは問題ではなく、行われた事実が問題となる。それを考えれば、ノブハルの顔が青ざめるのも仕方がないことだろう。  ただそんな事情は、ライラにとってはどうでもいいことのようだった。「食事の用意を」とおつきに告げ、ライラはノブハル達の前に腰を下ろした。 「ここは、私専用の庭園……白の庭園と言うのですよ。代々の皇帝が、唯一公務を離れることが出来る場とした庭なんです。ですから、ここに招かれるのは特別な方とご理解ください」  ニッコリと笑ったライラに対して、ノブハル達の反応は極めて薄かった。唖然としているノブハルもそうなのだが、煩いはずの少女二人からも何の言葉もなかったのだ。 「ようやく、普通の反応をしてくださる方をお招きできました……」  何しろ、それまでに招いた男性は、あのトラスティとカイトだけである。だからこんな普通の反応をするはずもなかったのだ。 「アルテッツァ、お二方を静かに起こして差し上げて」  この庭に足を踏み入れた時点で、アルテッツァに管理下に置かれたことになる。すでに必要なデーター採取は終わっているので、その気になれば二人を殺すことも可能だった。  ライラの命令から少し遅れて、エリーゼとトウカの二人は「静か」に目を覚ました。それを確認したライラは、「説明を致します」とノブハルの顔をまっすぐに見た。  白の庭園に居る時には、皇帝は「白の少女」と呼ばれていた。すでに遺伝子障害が取り除かれたため、今の皇帝は色を取り戻している。ただIotUとの縁を大切にするため、その時の呼称が受け継がれていたのだ。そして普段着と言うこともあり、ライラは白のワンピースに身を包んでいた。 「昨日、ノブハル様を夫候補第一にさせていただきました。そして厚かましいとは思いましたが、私を押し売りさせていただいたと言うことです。それが、昨夜の事情であり、今の状況ということになります」  そこで頬を染めたライラは、「ノブハル様」と固まったままのノブハルに声を掛けた。 「末永くよろしくお願いいたします」  とても控えめに、そしてとても穏やかにお願いをされたのだが、お願いをされた方にしてみれば話は別である。置かれた状況を考えれば、絶対に断ることの出来ない脅迫である。何しろ茶室の周りには、迫力満点の戦士が勢揃いしていたのだ。  そこで声を出せただけ、エリーゼの方が肝が座っていたと言えるのだろうか。「申し訳ありませんが」と口にしたエリーゼは、自分たちの立場をライラに問いかけようとした。何しろノブハルは、皇帝の夫となることが確定したのだ。辺境銀河の皇帝でも大変なことなのに、相手は超銀河連邦の中核となるシルバニア帝国なのである。対立など、絶対にできる相手ではなかったのだ。  口を開きかけたエリーゼを、ライラが先回りをしてくれた。双方の置かれた立場を考えれば、彼女が何を聞きたいかぐらいは想像がつくのだ。 「エリーゼ様とトウカ様の立場ですね。それは、お二方のお気持ち次第だと思っています。ただノブハル様のためを思えば、今まで通りの関係を続けていくのが宜しいのではないでしょうか」 「今まで通り……ですか?」  ごくりとつばを飲み込んだエリーゼに、「緊張する必要はありませんよ」とライラは笑った。 「ノブハル様の前では、エリーゼ様と私は同格……にはまだなれていませんね。私には、まだまだ努力が必要だと思っているんです。ですから、エリーゼ様とトウカ様には、ご指導をいただけたらと思っているんです」  皇帝相手に何を指導することが出来るのか。そんな疑問を感じはしたが、流石にそれを口にすることはできなかった。それで黙った二人に構わず、ライラは勝手に説明を続けた。 「私は、ノブハル様をシルバニアに縛り付けようとは思ってはおりません。一方私は、シルバニアに縛り付けられた身なのです。ですから、エリーゼ様、トウカ様には是非ともノブハル様と共にあっていただきたいと思っています。それが、先程の答えへの理由になります」  いかがですかと問われても、すぐに応えられるような問題ではない。そしてそれぐらいの事情は、問いかけたライラも承知していることだった。 「ひとまず、昨夜からの事情への説明を終わりたいと思います。繰り返しになりますが、皆様末永くよろしくお願いいたしますね」  そこでさり気なく下腹部を押さえたのは、ノブハルに逃げられないことを突きつける意味があったのだろう。それでも勝ち誇ってくれれば、まだ反発の気持ちも湧いてくれるというものだ。だがライラは、恥ずかしそうに頬を染めてくれた。女性に初心な……そのあたりは色々と疑問の残るところなのだが、初心で誠実なノブハルが嫌といえるはずがなかった。 「ただ私の方が年齢が上なので、お二方をお姉様とは呼べませんね。ですから、勝手に妹だと思わせていただきます。もちろん、あなた達の未来を縛るつもりはありませんので、特に何かが変わると言う事はありません。ただノブハル様はそう言う訳にはいきませんので、これより少しその説明をさせていただきたいと思います」  そう言ってノブハルを見たライラは、「これに」と言って一人の少女を目の前に現出させた。黒髪をしたとても美しい少女なのだが、一目で人ではないと分かる物体でもあった。何しろその少女からは、一切の人間らしい表情が抜け落ちていたのだ。精巧なドールと言うのが、受けた第一印象だった。 「アンドロイド……なのか?」  その正体を推測したノブハルに、ライラはゆっくり首を振って「違います」と答えた。 「ノブハル様のために用意をした、インヒューマンデバイス、開発コードΩ0です。運用名は、ノブハル様に付けていただけたらと思っています。ザリア程の性能は見込めませんが、連邦軍の正式兵装よりは性能が高いことは保証いたします。ただハウンドと戦うのは、ノブハル様のスキル不足で無理だとお断りしておきます」 「これを、俺のために?」  ゴクリとつばを飲み込んだノブハルに、ライラは「ええ」と頷いた。 「流石に、短期間で3度も生命の危険に晒されるのは異常です。ですから、トラスティ様の進言に従いノブハル様専用のデバイスを用意させていただきました。私も、早々に未亡人になりたくはありませんので」  そう言ってライラは笑ったのだが、ノブハルはその話についていけていなかった。それはエリーゼ達も同様で、何を答えて良いのかわからないと言うのが実態だった。そのあたり、トラスティとは違うと言うことになる。その点で物足りなさはあるのだが、彼が異常だと言うことでライラも諦めていた。 「ノブハル様、名前を付けていただけますか?」 「名前をつけろと……いきなり言われても」  これからずっと付き合っていくことを考えると、名前と言うのはとても重要な意味を持ってくれる。それを考えたら、急に命名しろと言われても困ると言うのが正直な気持ちだった。  だがそれはノブハルの事情には違いない、そして人形としか見えなかったΩは、いきなりシステム起動シーケンスを初めてくれた。 「おい、俺はまだ名前をつけていないぞ!」  どうしてこうなるとノブハルが零した時、Ω0は起動シーケンスを終えていた。そしてその姿は、初期状態から大きく変貌した。黒色だった髪がレデュッシュと言われる赤茶に変わり、開いた目は澄んだ青色をしていたのだ。それに表情が加わり、とても魅力的な少女の姿へと変貌した。  ただΩ0の変貌した姿は、ノブハル達3人に驚きを持って受け止められた。何しろ3人は、ラナの地下空洞でその姿を見ていたのだ。 「ど、どうして、この姿になるのだっ!」  自分の脳をスキャンしたとしても、この姿を選択するとは思えない。ノブハルには珍しく論理的思考ができなくなったのも、突きつけられた現実がそれだけ意外だったと言うことになる。  それをニコニコと見ていたライラだが、内心「なるほど」とトラスティの言葉を認めていた。 「アクサと申します。ノブハル様、末永くよろしくお願いいたします」  優雅に頭を下げたアクサことインヒューマンデバイスは、次にライラの顔を見た。 「ライラ様、私を構築いただきありがとうございます。命に従い、ノブハル様をお守りいたします」 「そうですね。あなたがついていれば、ザリアでもなければノブハル様の命を奪うことは出来ないでしょうね」  それぐらいと言うつもりで口にしたライラに、「ザリアでしょうか」と口にしてアクサは一度瞬きをした。 「私は、そのザリアなる物を知りません。よろしければ、ザリアの情報をいただけないでしょうか?」 「ただ単に例えとして出したのですけどね。良いでしょう、アクサにザリアの情報を渡しなさい」  アルテッツァに命じたライラは、「ノブハル様」とまだ事情を理解して切れていないノブハルの顔を見た。 「あなたに、私の夫としての義務をお伝えします。もっとも義務と言っても、さほど大したことはないと言うのが現実かと思います。シルバニア帝国に縛り付けるつもりはないとは申しましたが、ふた月に一度程度は私の所に来ていただきたいと思っています。あくまで最低限と言う意味であって、もっと頻繁に顔を出していただくのを妨げるものではありません。その時にお二方をお連れするのかどうかは、ノブハル様の自由になさってください。そして最終的には、私に子を授けてくだされば責任を果たしたことになりますね。そのあたりの事情は、リゲル帝国と似ていると言っていいでしょう。私がノブハル様に課する義務は、その程度と言う事になります」 「それだけ……なのか?」  相手が超銀河連邦の中核国家、しかも皇帝だと考えれば、それは義務とも言えないものだろう。ノブハルが「それだけ」と考えるのも、彼の持っている常識を考えれば不思議なことではない。いかに天才と言われようとも、倫理観はエルマーの一般家庭のものでしかなかったのだ。 「ええ、それだけですよ。皇帝と言うのは、自立した存在としてあるのです。負っている義務は、帝国の安寧なのですが、その役目をノブハル様に負わせようとは思っておりません。そしてもう一つの義務として、世継ぎを残す事があるのですが、そのお手伝いをしていただきたいと思っているんです。後は、私も女ですから、殿方に可愛がっていただきたいと思っているんですよ」  にっこりと微笑んだライラは、品の良さもあってとても可愛らしく、そして美しかった。スタイル的には圧勝しているトウカも、負けたと敗北感を味わったほどである。 「もう一つは、ノブハル様が手に入れた便宜……と申しましょうか、特権? をお教えしないといけませんね」  そう言ってライラは、一つのリストをノブハル達の前に提示した。 「先程の義務と一部かぶるのですが、白の庭園へ自由に立ち入ることが出来ます。ただこの特権は、ノブハル様だけ使用できます。お二方の場合、私の許可が必要となります。そして頻繁に顔を出すことを義務とする以上、必要となる足を提供させていただきます。アクサを利用すれば長距離移動も可能なのですが、流石にそれは私の夫がすることではありません。ですから、お申し付けいただければ専用船を1日以内にエルマーまで派遣いたします。船の使用に制限をつけることはいたしませんので、他の目的に使用していただいても結構です」  それぐらいですねとライラは笑ったのだが、それぐらいで済ませられる特権ではない。ほぼ自由に使える船など、トラスティでも持っていなかったのだ。しかも最新のデバイスまでくれたのだから、気前がいい程度ではなかったのだ。  「いかがですか?」と聞かれても、良いとも悪いとも答えようがないと言うのが正直なところだった。ただ無言になったノブハルを、「不足ですか?」とライラは勘違いをしてくれた。 「でしたら、ズミクロン星系に艦隊を駐留させましょうか。そうすればノブハル様をお守りすることも出来ますし、必要な時の足にもなりますね」 「い、いや、流石にそれは勘弁してくれ……」  なんとか声を絞り出したノブハルは、トラスティが逃げたのはこれが原因かと考えていた。ただすぐに、そんな玉ではないと考え直した。 「どうして、俺にそんな特権をくれるんだ……」 「どうしてと言われても、私にも皇帝としてのプライドがあります。それを考えれば、随分と控えめなものにさせていただいたと思っているのですよ。与えすぎてノブハル様が堕落されることはないかと思いますが、俗に言う限度を考えたとご理解ください」  シルバニア帝国の規模を考えれば、ライラの言うとおりノブハルに与えられた物は小さいと言っていいだろう。特に夫という立場を考えれば、冗談抜きで艦隊を駐留させてもいいぐらいなのだ。ただ帝国に加わっていない他星系だと考えれば、明らかにやりすぎなのは否めないだろう。 「これで、限度を考えたのか……はぁっ」  ため息を吐いてしまうのは、あまりにも世界が違うからに他ならない。だが限度を考えたと言われれば、これ以上文句を言うわけにもいかなくなっていた。 「とても慣れることが出来るとは思えないのだが……慣れるほかは無いのだろうな」 「そうですね、ですが気にしなければ大したことではないと思いますよ」  そう言って笑ったライラは、「資金援助も考えたのですが」と口にした。 「ですがノブハル様は、すでにトリプルAの支店長になられておいでです。ですから、資金援助は必要ないと判断させていただきました。必要でしたら、アルテッツァに申し付けてくだされば用立てを致します」  そこまで口にして、ライラは忘れていたと手を叩いた。 「ノブハル様には、もう一つ特権を差し上げます。シルバニア帝国が誇るバイオコンピューター・アルテッツァへのアクセス権を差し上げます。すでにエルマーにはアクセス経路が出来ていますので、自由にお使いいただいて結構ですよ」 「この上、そんなものまでくれるのか!」  驚きはしたが、実のところノブハルにとって一番嬉しい特権でもあった。超銀河連邦最大のコンピューターには、一体どれだけの知識が詰まっているのか。早速調べてみたいと思っていたのだ。 「ノブハル様には、アルテッツァへのアクセス権が一番のプレゼントのようですね」  それを感じたライラは、可愛らしいのですねと口元を隠して笑った。言い当てられて恥ずかしかったのか、ノブハルは少し顔を赤くしていた。 「以上で我が夫となるノブハル様への説明を終わるのですが、何かご質問はありますか?」  エリーゼ達の身分も説明されていたので、今更質問をすることも残っていなかった。しかもアルテッツァのアクセス権まで貰ったので、分からないことがあれば質問をすれば良いのも分かっていたのだ。 「では私的な話しは終わらせていただくとして、少し嫌なお話をしなければいけませんね」  そう言ってライラが右手を薙いだのと同時に、3人の前に収監された男女の映像が浮かび上がった。 「フリーセア王女か。もう一人には心当たりがないな」 「男性の方は、ヴェルコルディア・トンストン。クリプトサイト反女権派のナンバー2の人物です。この二人ですが、すでに必要な聴取は終えています」  こちらにと、ノブハル達の前に聴取記録が文書で示された。リアルタイム音声より、その方が手っ取り早いと言うのがその理由である。 「やはり、二人は詳しい事情を知らなかったか」  顔をしかめたノブハルに、「ええ」とライラは小さく頷いた。 「二人にとって、寝耳に水の出来事だったようです。ヴェルコルディアと言う男性は、穏便な形でフリーセア王女をクリプトサイトに連れて帰り、今の女王を退位させて後釜に据える予定でした。そして3権を取り上げ、象徴として祭り上げる事になっていたそうです。そしてフリーセア王女も、現状ではそれが最善だと受け入れていました」 「双方妥協できる落とし所には違いないだろうな」  それを認めたノブハルは、「アルテルナタか」ともう一人の登場人物の名を挙げた。 「ええ、この事件にはアルテルナタ王女の関与が疑われていますね。フリーセア王女暗殺の責任を反女権派に押し付け、折を見て姿を現すのが筋書きなのでしょう。ただ慎重なのか、まだ姿を隠していますね」 「そのアルテルナタなのだが」  さすがのシルバニアでも、アルテルナタの消息を掴んでは居なかった。だからノブハルは、自分の持っている情報をライラに伝えることにした。 「あの船には、アルテルナタも乗っていたんだ。後は、3人の男をお供にしていた。その情報は……」  どうやって詳細情報を提示しようかと考えたその時、ノブハルは頭のなかにちょっとした違和感を覚えた。 「今のは何だ?」 「おそらく、アルテッツァがアクセスしたのでしょうね」  そう言って笑ったライラは、「なるほど」と得られた情報に頷いた。 「薬物を使って姿を変えていましたか。確かに、これならば見つかることはありませんね」  そこでほっと息を吐かれると、何かがあったのかと気になってしまう。  怪訝そうな顔をしたノブハルに、「いえ」とライラは言い訳を口にした。 「ノブハル様の巻き込まれ体質に呆れたと言うのか……フリーセア王女だけでなく、アルテルナタ王女とも接触していたのですね。どうして、他星系のお家騒動にまで関係してしまうのでしょうか」 「い、いや、流石に巻き込まれ体質は勘弁してほしいのだが」  とは言え、3度味わった生命の危機のうち、後ろの2件は完全に巻き込まれたものだったのだ。そして最初の1件にしても、自分から巻き込まれていっていた。それを考えれば、ライラが「巻き込まれ体質」と呆れるのも仕方がないことだった。 「ですが、皆さんそう仰っているのが事実です。そして、私も否定出来ないと思っているのですよ」  そこでライラが賢いのは、エリーゼとトウカに同意を求めたことだ。命の危機と言う意味なら同じ回数経験しているが、ノブハルに巻き込まれたと言うのは否定できないと思っていたのだ。 「流石に、私でも否定はできません。何しろ私は、最初の時にノブハル様を巻き込んでしまいましたので」  その意味で、エリーゼの言葉がすべてを物語ることになるのだろう。「まあいい」とノブハルが逃げたのも、これ以上この話を続けたくなかったからに他ならない。 「それで、これからどうするつもりなのだ?」 「それは、ノブハル様次第だと思っています。ただメルクカッツ准将は、やる気満々なのですが……どうも、クリプトサイトの軍人の覚悟に心を打たれたようです」 「覚悟に?」  それはと問いかけたノブハルに、「これを」とライラは観測データーを示した。ただアルテッツァ経由にすると、エリーゼ達がついてこられない。その為、手間のかかるリアルデーターの形で全員に示した。  その情報では、クリプトサイトの軍艦が、客船から一方的に攻撃されているのが映し出されていた。そしてその際に指揮官から出された命令が、オーバーラップするように音声として示された。 「この艦長は、乗客を守る最善の方法をとったと言うことか……」  戦艦が爆散する映像を、それに纏わる命令と同時に見たのである。ノブハルにも、メルクカッツと言う准将の気持ちが理解できた。そして、ますますアルテルナタのことが許せなくなった。  そして少し目を閉じて、自分の考えを頭のなかでまとめようとした。 「シルバニア、そしてエスデニア連邦としてなら、クリプトサイト内で収まっている限り、どうでも良いと言うのが答えでした。しかしノブハル様が巻き込まれ、派遣した護衛の命が失われています。その上、8万もの乗客の命が失われたのですから、このままにしておく訳にはまいりません。このままだと、クリプトサイトは反女権派に責任を押し付け、責任追求を逃れようとするでしょう。事実を知る私達が、それを放置するのは正義が許さないと思っております」  いかがですかと問われたノブハルは、それでもすぐに答えを口にしなかった。ただ何かを言おうとしたエリーゼを押しとどめ、「分かっているんだ」と先手を打った。 「俺の気持ちは、アルテルナタを八つ裂きにしてやりたいぐらいだ。今何も答えないのは、感情に流されてはいけないと思っているからだ。だから冷静に、俺に何が出来るのか、そして何すれば良いのかを考えているんだ」  そこまで答えてから、ノブハルは目を開いてライラの顔を見た。その時の表情に、自分の選択は間違っていなかったのだとライラは確信した。 「やはり、アルテルナタには責任をとってもらうことにする。連邦規約を調べてみたが、大規模テロの首謀者は流刑地に流され終身刑に処されると言うのがあった。ならばアルテルナタには、その刑に服して貰おうと思う。供についていた3人も、実行犯として同じ扱いになるのだろう」 「犯した罪を考えれば、とても妥当な報いと言えるでしょうね。ですが、どうやってアルテルナタ王女に責任を取らせるのですか? 彼女が主犯であると言う、具体的な証拠は無いのですよ?」  ライラの指摘に、ノブハルはもう一度「うん」と唸って考えた。 「確かに、状況証拠しか存在しないな。ネビュラ1に何者かが干渉したのは分かっているが、誰かと言うところまでは掴めていない。だとしたら、どうやってアルテルナタの責任にまで持っていくのか……しかも、相手には未来予知と言う厄介な能力がある」  こちらが誘導しようにも、相手は先の情報を得ることが出来るのだ。答えを知っている相手では、駆け引きをしても敗北するのが目に見えていた。だからノブハルも、どうしたものかと悩んでしまった。 「こちらの手駒は、遠距離からの光学観測とクリプトサイト軍艦の内部記録か……後は、フリーセア王女に反女権派のナンバー2だけなのか」  いくらううむと唸ってみても、アルテルナタに報いを受けさせる方法が思いつかない。それでも悩むノブハルに、誠実なのだとライラは感じていた。別の言い方をするのなら、擦れていないと言えば良いのだろう。トラスティならば、どうやって罠にかけるか、ペテンをするかを考えるはずなのだ。それをノブハルは、正攻法で打開しようとしていたのだ。 「はったりは仕掛けた時点でバレてしまう……」  ただトラスティとは違うと言っても、地の頭で大きな差があるわけではない。そしてライラだけが理解できるのだが、ノブハルは早速アルテッツァを利用していたのだ。それは相手が未来予知があることを前提に、どう持っていけばアルテルナタを追い詰められるかと言うシミュレーションだった。 「さすがは、あのお方の血を継ぐだけのことはありますね。そして遺伝子を提供された女性の方も、かなり頭が良いお方と言うのが分かります」  ライラが小さく呟いたところで、「これしかないか」とノブハルは呟いて息を吐いた。 「ええ、私もその方が面白いかと思います」  もちろんライラは、アルテッツァからノブハルの検討結果を知らされている。だからこその言葉なのだが、流石にそれを理解しろと言うのは無理な相談なのだろう。 「俺は、まだ何も言っていないぞ」 「私は、皇帝でありアルテッツァの巫女でもあるのですよ。ノブハル様がアルテッツァにシミュレーションさせたのなら、その結果は私のところにも届くのです」  ライラの答えに、なんだかなぁとノブハルはため息を吐いた。 「夫婦の間でも、プライバシーは必要だろう」 「今回は、プライバシーに関わる話ではありませんからね。後は、使用方法をお手伝いしようかと思ったのですが……こちらは必要なかったようです」  だからですと微笑まれ、ノブハルは別の意味でため息を吐いた。ただそれだけで終わる訳にはいかないので、「頼っていいか」とライラに問いかけた。 「そうですね、私の名前で連邦には釘を差しておきましょう。後は、今回被害に合われた方々が所属する星系にも話を通しておきます」  以心伝心とでも言えば良いのか、ライラの頭の回転の速さはありがたかった。だから任せるとだけ答えたノブハルは、「ところで」ともう一度ライラの顔を見た。 「妹たちの所に戻りたいのだが……どうすれば良いのだ?」 「そうですね、そろそろ一度戻られた方が宜しいですね」  時間を見ると、すでにお昼になろうとしていた。昨夜から顔を合わしていないし、部屋からもいきなり居なくなっていた。それを考えると、リンやナギサが不安に思うことだろう。 「ではノブハル様、アルテッツァに移動を申し付けてください」 「それだけでいいのか?」  不思議がったノブハルに、「それも特権です」とライラは笑った。 「何しろノブハル様は、私と夫婦になったことを認めてくださいましたからね」  だからですと笑われ、うむとノブハルは唸ってしまった。確かに、「夫婦の間にも」と口にした記憶があったのだ。  ただそれも今更のことと頭を切り替え、ノブハルはアルテッツァに移動を命じた。移動先は、もともとノブハルが部屋として使っていた場所。そこにエリーゼ達と一緒に移動させろと言うのである。  その命令が行われたのと同時に、ノブハル達3人の姿が白の庭園から消失した。 「本当に、よろしかったのですか?」  それを確認してすぐ、近衛隊長であるニルバールが近づいてきた。まだ20代の彼女は、長い黒髪に細身の体と「化物」と噂される近衛の隊長とは思えない華奢な見た目をしていた。 「ええ、ノブハル様はとてもお優しい方ですよ。それに、あのお方の遺伝子をお持ちになっていますしね。これで、歴代皇帝の宿願も叶うと言うものです。年齢にしても、まだ19になられたばかりですからね。トラスティ様と比べるのは、可哀想と言うものですよ」  年齢も生まれた環境も違うのだから、今が劣っていても仕方がないのだ。そしてライラは、ノブハルに伸びしろを感じてもいたのだ。 「才能と言う意味であれば、けしてトラスティ様に劣ることはないかと思います。でしたら、この先のノブハル様を磨くのは私の役目と言うことになると思いませんか?」 「仰るとおりなのでしょう……」  ふっとため息を吐いたニルバールは、「変わりましたね」と今のライラを評した。 「たった一晩のことなのに、大人になられた気がします」 「おそらくですが、愛を知ったからと言うことでしょうね。先程はデーター的なことを言いましたが、ノブハル様を愛しいと言う気持ちも生まれているのですよ。だからだと思います」  ライラの答えに、ニルバールは大きく頷いた。そんなニルバールに、「カイト様はどうでした?」とライラは笑いながら問いかけた。 「お気遣いいただき感謝を致します」 「あなたを黙らせるためと言う口実をつければ、絶対に断られることはありませんからね」  それを聞く限り、ニルバール対策は必要がなかったことになる。わざわざカイトを派遣したのは、ライラが部下の面倒を見たと言うことになるのだろう。同じ事情は、リンディアにも当てはまっていた。 「これで私の問題も解決しましたから、あとは不埒な真似をした王女を懲らしめれば終わりですね」  そのための策は、すでにノブハルが練り上げていた。そして彼の作戦に欠かせない戦力も、十分以上に揃えられていたのだ。「策に溺れた」者には、相応の報いが必要となる。8万人の犠牲と冤罪をかけられた者の無念は、どれほどの重さになるのだろうか。未来予知のないライラなのだが、すでに結末は頭の中ではっきりとした形となっていたのである。  つくづく技術レベルが違うのだと、ノブハルは自分の部屋に戻った所で思い知らされた。天才と言われたノブハルでも、移動の原理が全く理解できなかったのだ。まばたきする間に何キロメートルも移動したとなると、これまで持っていた常識もひっくり返ってしまう。 「本当に、未来の国に来た気がしますね?」  同じ印象を、エリーゼもまた感じていた。ぐるりと部屋を見渡してみれば、昨夜愛し合った部屋には違いない。そうなると、先程まで居た場所が夢ではないかと思えてしまうのだ。 「ですが、食べるものも同じですし、着るものも大差ありません。シャワーの浴び方まで同じなのですから、未来の世界と言っても生活している分には分かりにくいですね」  ほっと息を吐き出したエリーゼに、「そのシャワーですが」とトウカが口を挟んだ。 「シャワールームに、全自動と言うボタンがありました。それを押してみたら、その、意外に快適と言うのか……手間いらずと言うのか。勝手に爪の先まで磨き上げくれました」 「全自動洗濯機のようなものか?」  たとえとして洗濯を持ち出したノブハルに、「それはちょっと」とトウカは顔をしかめた。 「言っていることに間違いはないのでしょうが……自分が洗濯物になったような気がして嫌ですね」  それでもと、トウカはエリーゼの顔を見た。 「一度試してみた方が良いと思うわよ。エリーゼの髪は細いから、結構手入れに苦労してるよね?」 「確かに一度試してみるべきなのでしょうが……でも、癖になったら困りそうな気がして。ズミクロン星系には、そんな進んだシャワーシステムはありませんので」  たしかにそうかと納得したところで、ノブハルは「アルテッツァ」と超銀河連邦最大のバイオコンピューターを呼び出した。 「リン達はどうしている?」 「妹君は、ノブハル様を求めて皇宮内を散策されていますね。どうします、問答無用でこちらにご招待されますか?」  にやりと口元を歪めたところを見ると結構ないたずら好きのようだ。そしてノブハルも、「面白い」と言ってアルテッツァの提案に乗った。 「ああ、余計な手間は省いた方が良いだろう」 「かしこまりました。では、お二方をこのお部屋にご案内いたします。はい、ご案内いたしました」  その言葉通り、リンとナギサの二人がいきなりノブハルの部屋に現れた。流石に何度も経験したノブハル達はいいが、リンとナギサは突然のことに反応できずに居た。  まあこうなるよなと二人の反応に納得したノブハルは、「リン」と自分の妹を呼んだ。その言葉が魔法を解く鍵となったのか、リンとナギサの二人はぎこちない仕草で顔をノブハル達の方へと向けた。 「お兄ちゃん……だよね。エリーゼさん達も居るし」 「とりあえず、お兄ちゃんで間違っていないぞ」  大きく頷いたノブハルは、「心配をかけたな」と妹に謝った。 「それは良いけど……今のはなに?」 「今の……か。空間歪曲と座標変換による空間移動らしい。ちなみに、俺もまだ詳しい原理を理解していない。シルバニアでは、普通に使われている技術だそうだ」  何事もないように説明したノブハルに、リンはもう一度聞き直した。 「なんで、私達がここに飛ばされてきたの?」 「お前たちが、皇宮内を歩き回っていると教えて貰ったからな。だから、アルテッツァに命じてここまで連れてきて貰った」  それだけだと言う兄に、「もう一つ」とリンは質問を追加した。 「アルテッツァって、誰?」 「アルテッツァか?」  うんと頷いたノブハルは、「アルテッツァ」と新しいパートナーを呼び出した。それに答えるように、アルテッツァは茜色のワンピース姿で全員の前に姿を表した。 「彼女がアルテッツァだ」  黒髪をお姫様カットにした、高貴そうに見える綺麗な姿の女性を紹介されたのだが、それで理解しろと言うのは無理な相談に違いない。目をぱちぱちと瞬かせたリンは、慌てて「初めまして」とアルテッツァに頭を下げた。対人関係の基本は、まず挨拶から始めなくてはいけない。そのあたりは、芸能界で培った経験だった。 「初めまして、アルテッツァと申します。ちなみに私の正体ですが、約3000ヤー前に建造された、バイオコンピューターの持つ仮想人格です。アルテッツァと言う名は、人格のベースとなった第六代皇帝から名前を貰ったものです。客観的事実を申し上げるなら、私の保有するデーターは超銀河連邦最大となっています」 「コンピューターの仮想人格……なの?」  ここまで来ると、本物の人間との区別は全くつかなくなっている。凄いと感心するのと同時に、技術の進歩は恐ろしいとリンは感じてしまった。 「と言うことで紹介が終わった訳だ。とにかく、二人には心配をかけたことを謝らせて貰う」  「ごめん」と「ありがとう」と口にしたノブハルに、「大丈夫なのかい?」とナギサが声を掛けた。昨夜部屋を出る時に比べ、ノブハルがずっと落ち着いたのは理解できていた。ただ本当に大丈夫なのか、それだけはまだ分からないと思っていたのだ。 「それはまだ難しいところがあるのだが……とりあえず、気持ちはかなり落ち着いたと思う……」  そこでエリーゼを見たのは、誰が最大の功労者であるかを示す意味もある。そしてその反応は、ナギサの理解できるものでもあった。お陰で納得したナギサは、これからのことを持ち出した。 「ノブハルの言葉が正しければ、今回の事件の首謀者はクリプトサイトのアルテルナタ王女と言うことだったね。エルマー7家の一つ、イチモンジ家から正式に抗議をするつもりなのだけど。それだけでは、木で鼻をくくったような対応しかされないだろうね。セントリアさんが亡くなられた以上、それだけ済ませる訳にはいかないと思っているんだ。ただ、どうすればと言うのが僕にも分かっていないんだ」  落ち着いた表情のノブハルとは対象的に、ナギサの顔からは言い知れない悔しさが滲み出ていた。そしてリンもまた、悔しそうな表情を浮かべていた。3ヶ月も一緒に暮らしてきて、しかも芸能活動ではお付きの人もしてくれたのだ。大好きなお兄ちゃんがお世話になっていたことも合わせ、リンはセントリアが大切な家族だと思っていた。 「そのことだが、アルテルナタには責任を取らせようと思っている。ただ詳しい説明は、トラスティさん達を交えてしたいと思っている」  それでいいかと問われ、リンとナギサは大きく頷いた。自分達が巻き込まれたことを含め、アルテルナタ王女に対して怒りを感じていたのだ。このまま責任を取らずに逃がすというのは、感情だけでなく二人の正義が許してくれなかった。 「アルテッツァ、トラスティさん達はどうしている?」  アルテッツァが利用できるだけで、ぐんと情報が集まりやすくなる。「私は秘書か!」と考えながら、「お二方とも奥様とゆっくりなされています」と答えた。 「つまり、今声をかけるのはお邪魔と言うことか」  ゆっくりの意味を勘違いしたノブハルに、「言葉が足りませんでしたね」とアルテッツァは謝った。 「お茶を飲みながら、お昼の相談をされている……と言うことです」  なるほど「ゆっくりだ」と納得したノブハルは、「連絡をしてくれ」とアルテッツァに命じた。  これでは本当に秘書だなと考えながら、「ご了解をいただきました」とアルテッツァは答えた。 「それからノブハル様にお伝えする事があります。リンディア様から、ランチにご招待したいとのお誘いがあります。いかがなさいますでしょうか?」 「それは、全員で押しかけて良いのか?」  帝国宰相からのご招待に、有象無象まで連れて行って良いのか。それを心配したノブハルに、「気にする必要はないのでは?」とアルテッツァは返した。 「今の立場は、ノブハル様の方が上ですよ。リンディア様に、ノブハル様の命令だとお伝えしておきますね」  そう言って口元を隠して笑ったアルテッツァは、「お心のままに」だそうですとリンディアの答えを伝えた。つまり、ノブハルの命令が意味をなしたと言うのである。  それで良いのかと頭を悩ませはしたが、拘っても誰も理解してくれないのは分かっていた。だからノブハルは、「30分後」と集合時間を指定した。  そして30分後、招集のかかった全員がリンディアの用意した部屋へと集まっていた。ノブハルとエリーゼ、トウカの3人に、ナギサとリンの2人、そしてトリプルAエルマー支店の4人がそこに含まれていた。そこにトラスティとアリッサ、カイトとエヴァンジェリン、更にはエスデニアからラピスラズリとブルーレースまで顔を出していた。そこにシルバニア帝国宰相リンディアまで居るのだから、言うまでもなく豪華極まりない顔ぶれである。そんな中に入って、トリプルAの4人が正常な精神でいられるはずがない。4人が4人共、顔を青くして端っこの方で縮こまっていた。  もっともナギサやリンが落ち着いた気持ちでいられるのかと言うのは別の話である。トリプルAの4人よりはマシだが、極度の緊張から体をこわばらせていたのだ。その中で変わっていたのは、エリーゼやトウカが落ち着いてたことだろうか。それを気にしたリンは、「どうして?」と小声でその理由をエリーゼに聞いた。 「そのあたりは、慣れと言うのか……もう飽和してしまったと言うのが理由だと思います」  何しろ皇帝の私室に招かれ、食事のご招待まで受けてしまったのだ。そこで知らされた話まで含めれば、頭が飽和するのも不思議なことではない。良い意味での開き直りが生まれるのも、事情を考えれば不思議なことではないだろう。 「ちょうど良いお披露目になりますね」  遅れて入ってきたリンディアは、ノブハルの顔を見て小さく微笑んだ。 「トラスティ様はご存知かと思いますが、聖下はノブハル様を夫として向かえる決定を下されました。吉事として、間もなく帝国内に布告が出すことになります。ノブハル様には、お披露目として帝国議会へご招待させていただくことになります」  トラスティはとリンディアは口にしたが、出席者の中で驚いたのはリンとナギサだけだった。本来トリプルA支店の4人も驚くところなのだが、4人はすでにその状況を超えた所に居たようだ。 「お、お兄ちゃん、それって本当なの!?」  状況を受け入れられない中、当たり前だがリンが反応した。もっとも、それにした所で条件反射のようなものでしかなかったのだが。 「本当かと言われれば……本当なのだろうとしか言いようがない……のだろうな」  改めて紹介されると、とんでもないことをした気になるのはどうしてだろう。ただ否定できないのは、自分がしたことを覚えているからに他ならない。勝手に混じってきた事実はあっても、皇帝を傷物にした事実は消すことが出来ないのだ。 「どうして教えてくれなかったの!」  リンとしては、そう叫びたいところだっただろう。だが口を開きかけたところで、ナギサに肩を叩かれて止められてしまった。何をすると掴みかかりかけたリンだったが、ナギサに指を刺されて自分がいる場所を思い出した。頭に血が登ったのは仕方がないが、これ以上はとても恥ずかしいことになるのに気がついたのだ。何しろ指さされた先では、エスデニア議長様が口元を隠して笑っていたのだ。どうやら自分は、随分と恥ずかしい真似をしてしまったらしい。 「このことは、エスデニア連邦としてもお祝いさせていただきますよ」  エスデニア議長にまで言われると、本当に良いのかと言いたくなってしまう。逃げられない状況に追いやられたとは言え、あまりにもだいそれたことをした気になってしまう。 「ラピスラズリ様には、感謝を致します。これで、シルバニアも厄介な問題を解決したと思っていますからね。誰からも文句のでない夫君を向かえると言うのは、なかなか至難の業となっていますので」  リンディアの言葉が正しければ、ノブハルなら「誰からも」文句がでないと言うことになるようだ。それを言われた本人ですら、「どうしてだ」と首をひねりたくなるような評価だった。 「聖下の番われる殿方が決まったこと。それだけで大きな意味を持つのですが、実はお集まりいただいた理由は他にもあります。それをノブハル様からご説明いただけるかと思っております」  そうですよねと顔を見られれば、違うなどと絶対に言えるはずがない。ゴクリとつばを飲み込んだノブハルは、今回の事件のことを持ち出した。 「ネビュラ1号が沈んだのは、全てアルテルナタ王女の企みだと分かっている。ただ残念なことに証拠が残っていないんだ。それもあって、すぐに責任を追求すると言うのは難しいと思っている。だから俺は、アルテルナタ王女が表に出てくるのを待とうと思っている。アルテルナタ王女が表に出て、そしてクリプトサイトの女王となる。それを待って行動に移そうと思っているんだ」  そこまで説明して、ノブハルは反応を伺うようにトラスティの顔を見た。だがトラスティからは、「続けて」と催促されただけだった。 「アルテルナタが女王となったところで、俺は今回の被害者の属する星系から軍を派遣してもらう。もっとも、そんなに大した数が必要な訳じゃない。そこにシルバニア帝国軍と合わせて、クリプトサイトに進攻する。俺達の持っている情報を公開し、クリプトサイトに責任を迫ってやるんだ。その時には、こちらで保護をしているフリーセア王女、ヴェルコルディア氏を一緒に連れて行く。フリーセア王女を連れていくのは、未来視を持っているアルテルナタへのプレッシャーにするためだ」 「そこで、責任者に責任を迫ると言うことだね」  「悪くはないね」とトラスティはコメントをした。 「証拠が乏しい状況では、それぐらいしか打つ手が無いのは確かだ。下手をすると、ネビュラ1の運行会社が責任を問われることになるからね。それを回避することを考えたら、回りくどい方法をとるのもおかしなことじゃない。ところで、他の星系から軍を出させると言ったが、どうやってやるつもりかな?」  ディアミズレ銀河の文明レベルを考えると、長距離の遠征はかなりの負担となってくれるのだ。そしてその負担を考えれば、軍を派遣する納得できる理由が必要となる。 「これから起こることを、アルテッツァから各星系に伝えておいた。アルテルナタ王女は、ネビュラ1に乗り合わせ、今回の事件に記載された名簿から発見されることになる。ちなみに名簿の名前が、乗船時からは書き換えられているはずだ。しかも反女権派が一服盛ったせいで、老婆の姿で発見されることになっている。そして発見されたアルテルナタは、治療を受けて元の姿に復帰し、そのまま女王に即位するとな」  そこで言葉を切ったノブハルは、全員の顔を見てから言葉を続けた。 「普通に復帰したのでは、妹のフリーセアに優先権がある。だからアルテルナタは、妹を亡き者にする必要があった。そして反女権派に罪をなすりつけるため、クリプトサイトからの迎えを利用することにした。これだけの情報を伝えてやれば、何が起きているのかぐらい理解できるだろう」 「なるほど、穏便な方法を取りつつ、その実嫌らしい仕掛けをしようというのだね」  大きく頷いたトラスティは、カイトの顔を見てから「つまらないね」と予想外のことを口にした。 「い、いや、つまらないって……」  言うに事欠いて、コメントが「つまらない」なのだ。ノブハルが理解できないのも無理がないだろう。だがトラスティは、「つまらないものはつまらない」と言い切ってくれた。 「せっかくフリーセア王女とヴェルコルディア氏と言う駒があるんだよ。その二人は、アルテルナタ王女が首謀者と言うのを理解している……知らなければ教えてやればいいんだが。骨肉相食むと言うのは、別に古い王家じゃ珍しいことじゃない。フリーセア王女は反女権派を味方につけ、更にはシルバニア帝国と言う後ろ盾も得ることが出来るんだ。だったらこの勝負、どっちが勝つかは分かるだろう?」 「戦争を仕掛けろと言うのかっ!」  驚いたノブハルに、トラスティは大きく頷いた。 「だが、戦争を仕掛ける……って、本当に戦争になるのか、それ?」  戦争を気にしたノブハルだったが、すぐに戦争にはなりようがないことに気がついた。クリプトサイト程度で、シルバニア帝国相手に戦争が出来るはずがなかったのだ。 「どうだい、非常に過激で、その実穏便な方法だとは思わないかな?」  そう言って笑うトラスティに、ノブハルは大きくため息を吐いた。 「トリプルA相談所が、最悪のペテン師と言われる理由が分かった気がするな」  まったくと頭を掻いたノブハルは、「修正だ」と言ってナギサの顔を見た。 「ズミクロン星系は、軍を派遣することが出来るか?」 「不可能とは言わないが、シルバニア帝国軍に着いてはいけないと思うよ」  文明のレベルが開きすぎていて、一緒に行動するのが難しくなっていたのだ。しかもレベルの落ちる艦隊が随行することで、艦隊全体の足が遅くなる恐れもあった。  それを気にしたナギサに、「解決策はある」とノブハルはラピスラズリの顔を見た。 「エスデニアの技術とアルテッツァを組み合わせれば問題は解決できるはずだ」  そう口にしたノブハルは、「ご協力願えますか」とラピスラズリの顔を見た。 「面白そう……もとい、婚礼のお祝いにはちょうどよいぐらいですね。他の星系から艦隊を集めるのにも協力いたしますよ」  協力の保証を得ることは出来たが、ノブハルの気持ちは思いっきりダウンしてしまった。どうして「婚礼」を持ち出してくれるのだと。それに比べれば、わざとらしく言い間違えたことも小さなことに思えてしまった。 「なにか、色々と雁字搦めにされた気がしてならないのだが……」  まあいいと割り切り、ノブハルはトラスティの策を採用することにした。これならば、あまり時間を掛けずに実行が可能となるのだ。 「それで、二人への説明は君がしてくれるのだろう?」  この場合、主役となる二人への説明が必要なのは言うまでもない。そして仕切っているのがノブハルなのだから、説明役を彼がするのも不思議な事ではないだろう。 「そうだな、その役目は俺がしないといけないのだろう」  ノブハルが答えた時、カイトとトラスティが視線を交わしたことにどんな意味があるのか。口元が緩んでいるのを見ると、良からぬことを企んでいるようにも見えた。もっともいっぱいいっぱいのノブハルは、二人の表情に気づくことはなかった。 「それで、二人はどうしている?」  方針が決まったなら、二人に話をしておく必要があるだろう。時間を置くことに意味があるとは思えないので、ノブハルは直ぐに行動へと移すことにした。 「ライラ様のご指示で、拘禁室から普通の客室に移してあります。ただ場所自体は、皇宮からは離れた所にあります」 「だったら、少し休んでから顔を出すか」  エリーゼ達の顔を見たノブハルに、「ちょっとお話が」とアリッサが呼び止めた。意外な相手に呼び止められたノブハルは、驚くと同時に顔を赤らめていた。真面目な顔をしたアリッサに照れたと言うのが、その実態である。 「な、何でひょうか?」  そこで噛んだのは、緊張の現れと言う所だろうか。ますます顔を赤くしたノブハルに、「必要性は薄いと思いますが」と言ってエルマーの話を持ち出した。 「トリプルAのエルマー支店ですけど、タンガロイド社にズミクロン星系における代理店とするよう指示を出しておきました。ですから、応札もできなかった例の入札ですけど、トリプルAの実績になると思いますよ」  流石にそれは、この場で持ち出される話だとは思っていなかった。ノブハルとしては、忘れた話と言うのは言いすぎだが、手の届かない話だと思っていたのだ。 「じきに見積もりが送られてくると思いますので、後は好きにしていただいて結構です」 「ご配慮頂いて……ありがとうございます」  これで、ラナ地区崩落事件はトリプルAエルマー支店に多大なる売上を保証することとなる。社員4人にとっても、まともな仕事が出来ることにもなるのだ。ただ問題なのは、ノブハル自身何もしていないことだ。 「他にも仕事はありますから、これで支店の経営も大丈夫でしょうね。まあ、結婚のお祝いだと思っておいてください」  本当は皇帝との話が纏まる前から決めてあった話なのだが、アリッサはしれっとお祝いだと主張した。こんなものは、言ったもの勝ちでしか無かった。 「それから支店長には、トリプルAの規定にしたがって給与が支払われますからね。成績が良ければ、特別賞与を出すことも考えています。ですから、頑張って業績を伸ばしてくださいね」  皇帝の夫となるノブハルを、トリプルAの社員としてこき使おうと言うのである。それを不思議と思わないのは、アリッサのアリッサである所以だろう。もっともノブハルも、給料を貰う以上業績伸長を考えていた。そのあたりは、まだまだ庶民の感覚が抜けていない……正確には、赤貧に喘いでいた記憶が残っていた。 「これでエルマー支店も大丈夫」  アリッサはトラスティの顔を見て、「戻りましょうか」と声を掛けた。まだまだ日が高いので、あちらの方をしようというのではない。 「近場を観光しませんか?」 「そうだね、ここも久しぶりだからな」  シルバニア帝国訪問記を書いた時には、しっかりと下町まで回っていた記憶がある。だがひょんな事でリンディアと関係を持ってからは、自由な時間は大幅に削られていた。「久しぶり」とトラスティが考えるのも、それを考えれば不思議なことではなかった。 「じゃあ、アリッサ向けの所を案内してあげよう」  そこでカイトの顔を見たトラスティは、「兄さんは?」とこれからの予定を聞いた。 「ここには、連邦宇宙軍の本部があるからな。ちょっとウェンディ元帥に挨拶でもしようかと思っている。もちろん、エヴァンジェリンも紹介しようと思ってるぞ」  妻を連れて近くに来たのだから、挨拶に同伴させるのは不自然なことではないのだろう。ただそれを素直に受け取るには、トラスティは捻くれ過ぎていたし、カイトの事情も知りすぎていた。  どうやらカイトは、パガニア事件のことを根に持っていたようだ。そしてハウンドとの力関係が逆転した今なら、効果的な仕返しも出来ると思ったのに違いない。連邦軍にあった借金にしても、すでにエヴァンジェリンによって耳を揃えて返してもらっていた。その分エヴァンジェリンには借金があるのだが、結婚を機にすべてチャラになっていたのだ。それどころか、安全保障部門からの実入りでお金に困らなくなっていたぐらいだ。  そうですねと頷いたトラスティは、とても物騒なことを口にしてくれた。 「気が済むまで、嫌がらせをしてきてください」  正しく自分の意図を言い当てたトラスティに、カイトは「おいおい」と困った顔をした。 「俺は、お世話になったお礼を言いに行くだけだぞ」 「姉さんを連れて行くのに、それはないと思っているんですけどね」  そこで顔を見られたエヴァンジェリンは、「ネタなら色々とある」と口元を歪めた。 「利息と慰謝料を付けてふんだくって来るつもりよ」  楽しみねと笑うエヴァンジェリンは、それはそれは綺麗で恐ろしかった。そのあたり、アリッサと同じと言うのは伊達ではない。 「多分暇をしていますから、手伝うことがあったら言ってくださいね。なんでしたら、ヘルクレズとガッズを呼び寄せましょうか?」  国王命令を発せれば、二人を呼び寄せるのも難しくはない。それを持ち出したトラスティに、「挨拶に行くだけだ」とカイトは繰り返した。 「まあ、ちょっと訓練ぐらいに顔を出すかもしれないがな」 「なおさら、二人を呼び寄せた方が良い気がするな。と言うことでアルテッツァ、ライスフィールに二人を連れて至急シルバニアまで来るように伝えてくれるかな?」 「そう言う悪どいことをしますか?」  そう指摘はしたが、アルテッツァは言われたとおりライスフィールにトラスティの言葉を伝えた。最近ご無沙汰と言うこともあり、取るものも取りあえず飛んできてくれることだろう。これで連邦軍の精鋭ハウンドが、鬱憤のはけ口になることが確定したことになる。 「じゃあノブハル君、用があったら声を掛けてくれればいいよ」  そこでアリッサの顔を見たと思ったら、二人の姿が部屋から消えた。そしてカイトも、「あいつらを待つか」と言ってエヴァンジェリンと一緒に消えていった。 「じゃあ、俺達も……」  そこでリンとナギサ、トリプルAの4人を見たノブハルは、「部屋に戻るか」と口にした。 「アルテッツァ、俺達を部屋に戻してくれ」  その命令と同時に、ノブハル達9人の姿が部屋から消失した。 「まだまだ、勉強が必要なようですね」  それを待っていたかのように、ラピスラズリはノブハルのことを評した。当たり前だが、現時点ではトラスティの方が格上だったのだ。ノブハルの提案を覆したことで、それは証明されたと言えるだろう。 「トラスティ様を比較の対象にしてはいけないと思っています。年齢も違いますし、生まれた環境も違っていますからね。ただ、あの青さが可愛らしいとは思いませんか?」  少し熱のこもった目をしたリンディアに、「それは認めますが」とラピスラズリは口ごもった。 「つまみ食いをすると、お叱りを受けることになりますよ。それから、我が君に今のお話を伝えますからね」  それだけですと言い残し、リンディアの言葉を待たずにラピスラズリは姿を消した。ちなみに、こちらはシルバニアの技術を使っていない。シルバニアとエスデニアの間には、1千ヤー前に直通通路が作られていたのだ。ラピスラズリは、それを利用してエスデニアに帰ったのである。エスデニア議長と言うのは、暇に見えてその実結構忙しかったりした。 「私が手を出すことを、ライラ様が問題にすると? トラスティ様を、第一候補にしたライラ様なのですよ」  ラピスラズリが消えた空間に向かい、リンディアはだからだと言い返した。だがその顔は、すぐに信号のように青ざめることとなった。何の事はない、ライラから「命はいらぬのか」とのお叱りを受けたのである。どうやらライラにも、独占欲に類するものが生まれたようだ。  すぐに気を取り直したリンディアは、床に手をついて「お許し下さい」とひたすら謝り続けたのである。  収容されたコクーンは、結局シルバニア本星で開封されることとなった。そのあたりは、メルクカッツが記録的なスピードで本星に帰還したことと無関係ではない。どうせ開封するなら、より設備が整った方でと彼が判断しただけのことだ。  そして彼の船がシルバニアに到着してすぐ、2つのコクーンは開封作業に回された。少し大きめなカプセルに移されたコクーンは、まるで重量がないかのようにその中で浮かんでいた。ただその状態も長くは持たず、係員の作業が始まった瞬間白い糸が消失し、収容されていた者がカプセルの中に現れた。 「生体反応に異常なし。多少の酸素欠乏症が見られるため、血液中の酸素濃度を調整すること!」 「全身のスキャン完了。女性の側に特殊な器官が存在するのを確認。シルバニア人には存在しない器官です」 「異常がなければ、覚醒シーケンスへ移行。覚醒後、必要なヒアリングを実施します」  手際よく作業が進められた結果、フリーセアとヴェルコルディアの二人は、収容後2時間で別室へと移送されることとなった。二人の関係が不明なため、部屋は別々にされていた。そこで初めて、二人はシルバニアに収容されたことを知らされた。 「二人は、なぜ自分が助かったかを知らない」 「フリーセア王女の未来視により、発着場が炎に包まれることを予見した」 「ヴェルコルディア卿が防護カーテンでフリーセア王女を包み込んだ」 「防護カーテンも、単独で爆発から守りきるには不足していた」  ヒアリングの結果は、補足情報と合わせてアルテッツァへと記録されていった。そしてアルテッツァの下した分析は、二人は事件の顛末を何も知らないと言うことである。そして彼女たちを救ったと思われる帝国近衛については、何の情報も持っていなかった。  重犯罪に関わっていないことが判明したため、二人は一般の客室へと案内された。特に移動の制限は課せられていないが、右も左も分からない状況では出歩くことは叶わない。だからフリーセアは、サポートしてくれた係員に、もう一人収容された男性との話を希望した。 「分からないことだらけなんだけど……」  ヴェルコルディアの顔を見たフリーセアは、大きく安堵の息を漏らした。右も左も分からず、しかもどんな扱いを受けるのかも分かっていないのだ。敵とは言え、見知った顔と言うのは安心できる要素となっていた。 「そうですな、なぜ我々が助かったのか。そしてなぜ、シルバニアに収容されたのか。その疑問すら解けておりません」  フリーセアが安堵するのと同様に、ヴェルコルディアも大きく安堵していた。自分の命が助かったと言う事実も重要なのだが、フリーセアが無事なのは重要な事だった。彼女がいれば、これから起きることを予見することも可能だったのだ。 「王女殿下、何か見えることはありますか?」  だからこその問いに、フリーセアはすぐに必要なことだと精神を集中した。 「見えること……?」  そこで目を閉じたフリーセアは、浮かんだ人物に小さくため息を吐いた。関わりがあるとは思っていたのだが、まさかこんな所で会うとは思ってもいない相手だった。 「ヴェルコルディア卿は、ノブハル・アオヤマと言う人物を知ってる? ズミクロン星系の住人で、トリプルAと関係があるんだけど」 「寡聞にしてその人物を知らないのですが……トリプルAと関係があると仰りましたか」  うむと唸ったヴェルコルディアは、「その人物がなぜ?」と疑問を呈した。 「なぜと言うのは、私にも分からないわ。先日ネビュラ1で会ったんだけど、ウォードルフ卿が相手をしてくれたの。その時の未来視にも、私と関わり合う未来は見えていたんだけど……まさか、こんな所で関わり合うとは思っても見なかったわ」 「王女殿下の未来視に登場したのですか……しかも、王女殿下と関わり合いがあると」  うむと唸っては見たが、その意味を理解することはできなかった。そしてフリーセアにしても、見えた未来はその程度でしかなかった。 「そのノブハルなる者は、いつ頃現れるのでしょう?」 「今日中に、としか言いようが無いわ。私たちに何か説明……しているような気がするけど」  ううむと唸ったフリーセアに、「王女殿下」とヴェルコルディアは真剣な顔をした。 「今回の出来事は、偶然の事故なのでしょうか?」  命が助かった以上、その次のことを考え無くてはならない。ヴェルコルディアの問いに、フリーセアは目を閉じて事故の理由を考えた。本当に偶然の事故なのか、さもなければ誰かの陰謀なのか。 「偶然の事故、と言うのは考えにくいと思います。それは、最初に破壊されたのが私達の居た場所と言うのがその理由です。ただその場合、誰の仕業かと言うことになるのですが……あなた達は、私を殺しても良いことはないはずです。だとしたら、反女権派と呼ばれる者達の仕業ではないのでしょう。そして私を盛り立ててくれる者達にとってみても、私を殺す意味があるとは思えません。私から離れた女権派にしても、私が死んでしまえば頭に戴く女王が居なくなります。その意味で、誰にとっても利があるとは思えないのですが……」  だがネビュラ1は、爆発事故を起こした事実は間違いない。旅客船の事故として、非常に珍しいケースには違いなかった。 「だとしたら、本当に偶然の出来事と言うことになるのですが……旅客船の外壁が吹き飛ばされるような事故が起こりうるでしょうか? しかも吹き飛ばされたのは、クロノスXが接舷した側なのですよ」 「教えて貰った情報では、クロノスXも爆発しているとのこと。であれば、何かが起きたと考えるのが自然なのでしょう」  考えれば考えるほど、単なる事故だとは考えられない。だがこれが誰かの陰謀だとしたら、そこにどのような意図があることなのか。女権派、反女権派とも得るものが無い陰謀に思えていた。 「一つだけ可能性があるとすれば、私が死んでもお姉さまが復帰すれば良いと考える勢力があるわね」 「アルテルナタ様が、でしょうか。ですが、アルテルナタ様は行方知れずのはずかと」  3年も姿を隠しているので、死んだものと誰もが受け取っていたのだ。だから捜索も、1年で打ち切られていた。それを考えれば、今更見つけ出すのは不可能に等しいことのはずだ。  流石に難しいのではと言うヴェルコルディアに、「実は」とフリーセアは姉の情報を持ち出した。 「私がネビュラ1に乗ったのは、お姉様がそこにいると感じたからなの。ただウォードルフ卿と探してみたのだけど、該当しそうな人は見つからなかった。もちろん、名簿にもそれらしい人は居なかったわ」 「あの船に、アルテルナタ様が……ですか!」  驚いたヴェルコルディアは、「ならば」と核心に迫る仮説を持ち出した。 「アルテルナタ様と同時に姿を消した一人に、ユンクス・トトと言う者がおります。彼の者は、情報を扱うことに長けていたかと。可能性として、船の制御機構に細工をしたことが考えられます」 「お姉様が、私を殺そうとしたとっ」  驚きから声を上げたフリーセアだったが、その言葉を飲み込みまっすぐにヴェルコルディアの顔を見た。 「姉妹の情を考えるのは、甘いのかしら……」  指摘されてみれば、それが一番可能性が高いことが分かるのだ。そして自分が、その可能性を避けていたことも自覚してしまった。自分と言う存在を、反女系派とともに葬り去る。それで一番利益を得るのは、誰でもない姉自身だった。 「いえ、フリーセア様のお気持ちは理解いたします。ですが、王位継承は姉妹こそ敵となります」  同じ能力を持つ姉妹のうち、王位を継ぐのはただ一人なのである。それを考えれば、これまでの敵は血を分けた姉妹だったのだ。 「あなたの言うとおりなのでしょうね。お姉さまが首謀者だと考えれば、すべての辻褄が合うもの。だけど、お姉様が首謀者だと言う証拠がないわ」  自分たちが印象で話をしているのを、フリーセアは理解していたのだ。印象的、そして起きた事件を考えれば、間違いなく彼女の姉は黒なのだ。だがそれは、客観的事実で証明しなければならない。 「確かに、罪を問うには客観的事実が必要になるでしょう。ですが、陰謀をくじくためには、フリーセア様がクリプトサイトに帰還すれば事が足ります。現時点において、継承権第一位はフリーセア様なのです」 「お姉様が復帰されたら、再度お姉さまが一位になるのではありませんか?」  失踪前は、アルテルナタが一位だったのだ。それを考えれば、再度の変更があると考えるのも不思議ではない。そして今回の事件では、自分の無事はクリプトサイトには伝えられていなかった。  その可能性を考えたところで、新たなビジョンに「ちょっと」とフリーセアは慌てた。彼女が見た未来より、早くノブハルが現れることになったのだ。 「私が見た未来より、ノブハル・アオヤマが早く現れるわ。なにか、行動を変えるような事があったと思う」  フリーセアが身構えたのと同時に、彼女たちがいる部屋のドアが音もなく開いた。入室の許可も何もない、失礼な行為に違いないだろう。 「レディの部屋に、ノックもなく入ってくるのは失礼よっ!」  だからマナーを盾にノブハルを糾弾したのだが、「何を今更」と厳しい視線に跳ね返されてしまった。 「やはり、あの時は猫を被っていたか。あと、俺が来るのは未来視とやらで分かっていたのだろう」  二人の顔を順番に見比べたノブハルは、「ふん」と息を吐きだし自分の椅子を現出させた。別にシルバニアの技術を使ったのではなく、普段から使用している物質合成を利用したのである。  そこに腰を下ろしたノブハルは、「お前たちの立場を教える」と切り出した。 「クリプトサイトには、旅客船ネビュラ1破壊の嫌疑が掛けられている。したがってお前たち二人は、重要参考人の扱いになっている」 「な、なぜ、そのような嫌疑が掛けられているのですっ!」  いきなり犯罪者の扱いをされれば、王女でなくとも反発するのはおかしなことではない。椅子を蹴らんがばかりの勢いで立ち上がったフリーセアに、「事実だから仕方がない」とノブハルは冷たい視線を向けた。 「現在エスメラルダのコスモガードは、接舷したクリプトサイトの軍艦が何らかの攻撃をしたのではと言う見方をしている。もちろん、彼らもそれでは説明しきれないことがあるのは理解している。だが何の故障も発生していない旅客船が爆発したのだ。クリプトサイトに理由を求めるのは不思議な事ではない。だからお前たちは、重要参考人と言うことになる」  それだけだと言い放ったノブハルは、「駆け引きをするつもりはない」と言い放った。 「未来視を持つ相手に、駆け引きは意味が無いだろう。だから俺は、持ち札をお前達に教えてやる」  「アルテッツァ」とノブハルは、新しいパートナーを呼び出した。 「俺の知っている事実を、映像化してくれ」 「頭をスキャンすることをお許し下さい」  ノブハルの前に現れた黒髪をした少女は、小さく頭を下げてから姿を消した。 「まず、二人にはこいつらの顔を見てもらいたい」  そう言ってノブハルが持ち出したのは、アルテルナタと話した直後に襲われたときの映像だった。そこには、彼女に従う3人の男が顔を出していた。 「ウゾ親衛隊長……それに、ユンクスにトリキリティスですか」  ううむとヴェルコルディアが唸ったのは、仮説の証拠が突きつけられたからに他ならない。 「そして、これがアルテルナタの今の姿だ」  そう言ってノブハルは、老婆の姿をしたアルテルナタを二人に見せた。 「ちなみに、この女が使用した薬品の分析もできている。遺伝子に可逆的に作用し、一時的に老化したように見せる効果を持っている。メモリ効果があるので、中和をすれば元の姿に自動的に復元されるものだ」 「お姉様が見つからなかったのは、これが理由だと言うのね」  ううむと唸ったフリーセアは、老婆の姿をしたアルテルナタを凝視した。それに頷いたノブハルは、次にと言って別の情報を持ち出した。 「この4人は、すでにクリプトサイトに居場所が把握されている。ネビュラ1に乗船した時とは、収容者名簿の名前が書き換えられているのがその理由だ」  アルテルナタは無理でも、その他の3人は姿を変えていなかったのだ。だから名前が引っかかれば、検索に掛かるのも不思議なことではない。しかもフリーセアが失われたとなれば、再度アルテルナタの捜索が行われるのも当たり前だった。 「やはり、お姉さまが首謀者だったと言うのね」  ぎりっと歯が鳴ったのは、彼女がそれだけ屈辱を感じたからに他ならない。それを確認したノブハルは、「どうしたい?」とフリーセアに問いかけた。 「シルバニア帝国、そしてエスデニアは、基本的に不干渉を明言している。シルバニアにとって重要なのは、俺が安全にここに来ることなのだからな。それが果たされた以上、クリプトサイトのお家騒動など、どう転んでも構わないと言うのが現実だ」 「なぜ、あなたがここに来るのが重要なのっ!」  クリプトサイトと言う国のことより重視されたことに、おかしいだろうとフリーセアは声を上げた。だがノブハルは、それを無視して「どうしたい?」と繰り返した。 「どうしたいと私が言ったら、手伝ってくれるというの」  無視されたことに腹は立つし、どうして上から言われなければいけないのか。それが腹立たしくて、フリーセアはムキになって言い返した。それを受けて、「なるほど」とノブハルは小さく頷いた。 「ご自慢の未来視は、興奮すると役に立たないようだな。まあ、特殊な分析が必要だと考えれば、そうなるのも論理的に理解できるか」 「あ、あなたは、何を言っているのっ!」  確かに今のフリーセアは、彼女の武器である未来視が使えなくなっていた。それが爆発前と違うところは、何も見えなくなったのではなく、見えていても理解できなくなったということだ。 「シルバニアにとって、クリプトサイトがどうなろうと関係ないとは言ったが、だからと言ってこのまま見逃す訳にもいかないのだ。俺の護衛についていた女性、セントリアと言うのだが、彼女の消息が分からなくなっている。脱出用のコクーンが使用されたのだが、なぜか入っていたのはお前たち二人だった。そうなると、あいつが脱出するには船備え付けの救命ポッドを使うしか無いんだが……エスメラルダのコスモガードに収容されたと言う情報は出ていない」 「その方が、私達を助けてくれたと!」  ランチ発着場が爆発したこと。そして自分たちの意識がなかったことを考えれば、誰かが助けてくれなければそのまま死んでいたはずだ。今まではその「誰」が分からなかったのだが、ノブハルの説明で恩人が判明したことになる。だが判明した恩人は、生死が不明だと教えられてしまった。そして今の状況では、亡くなられたと考える方が自然だった。 「ああ、事実を積み上げればそう言うことになるだろう。彼女を派遣した者たちは、護衛の任務を果たしていないと立腹していたぞ」 「確かに、どうでもいい国の王女を救うことに意味は無いわね」  お家騒動などどうでもいいと繰り返されれば、フリーセアも自分の立場を理解できる。辺境宇宙の小さな王族のことなど、遠く離れた連邦の中核国家から見ればどうでもいいことに違いない。 「ああ、本当に余計なことをしてくれた。言っておくが、この破壊活動でクリプトサイトとは無関係の8万人もの乗客が亡くなられたのだ。お家騒動なら、クリプトサイトの中でやってくれ。他の星系を巻き込んだところで、もはやクリプトサイトだけの問題ではなくなったのだ。お家騒動で誰が権力を得たとしても、そいつには勝利はないと知ることだ。とにかくシルバニア帝国は、ディアミズレ銀河に艦隊の派遣を決定した。そして今回被害にあった犠牲者の星系に対しても、艦隊派遣を依頼している。技術的に遅れた星系に対しては、エスデニアが移動の支援を行うことになった。繰り返すが、クリプトサイトのお家騒動には、誰も勝者はいないのだ」 「我が祖国を、滅ぼすと言うのですか……」  フリーセアが顔を青くしたのは、祖国滅亡が知らない所で決まったからだ。「誰も勝者になれない」と言うノブハルの言葉に、祖国への攻撃を想像したのである。 「やはり、未来視もあてにならないのだな」  ふんと鼻で笑ったノブハルは、「どうしたい」と問を再度フリーセアに突きつけた。 「どうしたいと言っても、もうどうにもならない所に来ているのでしょ」  相変わらず顔を青くしたまま、フリーセアはなんとかノブハルに言い返した。もっともその逆襲は、意味を持つものではなかったのだが。 「本当に祖国を滅ぼしたいのか? だったら、遠慮なく滅ぼしてやるのだが」  それでいいかと問われれば、絶対にいいと言えるはずがない。青かった顔を赤くして、「そんなわけ無いでしょう」とフリーセアは怒鳴り返した。 「だいぶ素が出てきたようだな。だったら、お前はどうしたいのだ?」  顔色一つ変えずに聞き返したノブハルを睨みつけたのだが、ヴェルコルディアに肩を叩かれ掴みかかるのは自重した。その代わり大きく深呼吸をしてから目を閉じて考えた。 「私を利用しようと言うのね。重犯罪者として、お姉様の引き渡しをクリプトサイトに求めるのだと」  そう口にして目を開いたフリーセアは、「悪人」とノブハルのことを詰った。すでに筋書きが決まっているのなら、それを最初に教えてくれても良いはずなのだ。 「私は反女権派の支持も受け、お姉様と正面から対決を行う。私にはお姉さまを疑うだけの理由があるし、ヴェルコルディア卿も同士を大勢亡くしたのだから私と手を組む口実が成り立つ。証拠は乏しいけど、お姉様が首謀者だと判断するには十分な証拠は揃っているわね」  そこまで答えを口にしたフリーセアに、「意外に賢いのだな」とノブハルは失礼なことを考えていた。ただそう考えたところで、「当たり前か」と自分の判断を修正した。未来視と言うのは、ξ粒子の情報を分析することで得られるものだ。雑多な情報を分析して意味のあるものに出来るのだから、並外れた情報処理能力がなければおかしかった。 「気に入らないか?」  だからノブハルも、余計な情報を付け加えずフリーセアの考えを正した。だがフリーセアは、ノブハルに答える前にヴェルコルディアに考えを正した。 「ヴェルコルディア卿、あなたは私と共にお姉さまと戦う意思はありますか」 「宇宙に散った同士の無念は、何らかの形で晴らしてあげる責任があるかと思います」  その会話を聞く限り、二人はノブハルの案に乗ることへの異論はないようだ。そしてノブハルは、ヴェルコルディアの口から出た「同士の無念」について新しい情報を持ち出した。 「アルテッツァ、メルクカッツ提督の収集した情報を見せてやってくれ」 「はい、ノブハル様」  姿を表さず声だけで答えたアルテッツァは、二人の前に無事だった頃のネビュラ1とクロノスXの映像を投影した。 「この後、クロノスXはネビュラ1から攻撃を受けることになる」  ノブハルの説明通り、いきなりネビュラ1がクロノスXを備え付けの加速粒子砲で攻撃した。その時の爆発で、接舷していたネビュラ1の外壁にも被害が発生していた。 「ちなみに今被害を受けた場所が、お前たちが居たランチ発着場だ」 「ユンクスが、ネビュラ1の攻撃システムを乗っ取ったと言うことね」  ぎりっとフリーセアが歯を噛み締めたのは、クロノスXが反撃をしなかったことだ。しかもメインエンジンを切り離し、被害を最小限に抑えようとしたのだ。それはモニタされた艦内命令からも知ることが出来た。 「シルバニア帝国のメルクカッツ提督は、これを見て軍人の鏡だと賞賛されたと言うことだ。そして艦長……たしか、メディニラと言ったか、彼が汚名を着せられるのは許せないと憤っていたそうだ」  どうだと問われたフリーセアは、「青臭い考えかもしれないけど」と断って「許せない」と強い口調で答えた。事態がどう転ぶか分からないが、ここまでした以上責任を反女権派に押し付けるのは目に見えていたのだ。何でもありの権力闘争とは言え、これではあまりにも反女権派が哀れとしか言いようがない。特に汚名を着せられるメディニラ中尉が哀れすぎるのだ。 「それで、いつクリプトサイトに乗り込むのです?」 「それは、各星系の準備次第だな。ただ、早くても1ヶ月後と言うところだろう。ズミクロン星系も、準備を整えるのにそれぐらい掛かると言うことだ」  ノブハルの答えに、「1ヶ月ですか」とフリーセアは唇を噛んだ。 「ああ、1ヶ月だ。シルバニアだけなら、今すぐにでも可能だがな。だがクリプトサイト、正確にはアルテルナタに、銀河の中には敵しか居ないことを思い知らせる必要がある」 「1ヶ月も掛けたら、反女権派が粛清されてしまうのではありませんか?」  罪もない者の死を気にしたフリーセアに、ノブハルの言葉は冷たかった。 「もともと、俺たちはクリプトサイトがどうなろうと構わないと言ったはずだ。重要なのは、アルテルナタの息の根を止めることだけだ。それが不満と言うのなら、代わりの案を持ってくるのだな」  1ヶ月経てば、クリプトサイトの動きもはっきりとするのは分かっていた。そこでアルテルナタが表に出れば、彼女の疑惑を証明したことになるのをフリーセアも理解は出来た。だがそれでは、無実の者達の命が失われることになってしまう。穏便な結末を用意していた反女権派、そして軍人の勤めを果たした者達を守りたいと考えたのである。  卑劣な行為をしたのは王族であって、反女権派と呼ばれる者達は王道を歩んでくれたのだから。 「反女権派とされた人達の名誉と命を守ってあげられないの?」  代わりの案と言われても、フリーセアに出来ることは悲しくなるほど少なかった。だからノブハルを頼ろうとしたのだが、「なぜだ」と言い返されてはそれ以上何も言えなくなる。そんなフリーセアに、「姫殿下」とヴェルコルディアは静かに語りかけた。 「死んだ者達の汚名は、すぐに雪ぐことが出来るでしょう。そして生きている者達には、しばらく我慢してもらうことになるのかと。ここまで計画したアルテルナタ王女ならば、すぐに反逆者として処分をすることはないかと思われます。慈悲を示す形で収容し、じわりじわりと甚振ることになるのかと。命を奪うのは、皆が事件のことを忘れてからになるかと思います。それであれば、1ヶ月と言うのは奇跡的なほど短い時間かと思います」 「あなたは、それで良いの?」  フリーセアの問いに、「私は」とヴェルコルディアは答えた。 「私の無くすものは、僅かな間の名誉だけです。そして同士達は、敗れればこうなることを覚悟して戦いに臨んでおります。主導権を確保するため、我々は表に出ない形で策を練り続けました。それが敗れたのなら、我々が至らなかったと言うことです」 「あなたの奥様とお子様も例外ではないのよ」  それでも良いのかと、フリーセアはもう一度迫った。その一瞬顔をしかめたヴェルコルディアだが、すぐに「覚悟の上です」と返した。 「国を改革するためと言うのは、我が妻アニータも理解しております」  全員が覚悟をしていると言うヴェルコルディアに、フリーセアはそれ以上何も言えなくなってしまった。それだけ壮絶な覚悟をしなければいけないほど、クリプトサイトの治世は歪んでいると言うのを突きつけられたのである。今回の事件を見ただけで、自分たちに理があるとは思えなかった。 「すべてが終わったところで、私なりの責任のとり方を考えるわ。それが、可能な限り穏便な手段を取ったあなた達への答えになると思います」 「私は、国には象徴が必要だと思っております。国民統合の象徴として君臨戴くのが、姫殿下の責任だと私は考えております」  ヴェルコルディアの答えに、フリーセアは「私は」としか口に出来なかった。 「話がまとまったようだな」  お互いの会話がなくなったところで、ノブハルは良いなと言って割り込んできた。 「お前たちには、それまでシルバニアに客として滞在することになる。もっとも、大したもてなしは出来ないと言うことだ。もちろん、細かな情勢は教えてやる。その代わり、クリプトサイトへの連絡は許可しない。ここから逃げ出そうとした時には、問答無用で処刑されることになる」 「逃げ出すことに意味は無いわ。それに、持て成して貰おうとも思ってない。ただ、王女の扱いも知らない野蛮人だと蔑んであげるだけよ」  気丈に言い返したフリーセアに、「王女か」とノブハルは鼻で笑った。 「お前達が居なければ、俺は家族を失わなくて済んだのだぞ。お前達も被害者だと言うことも、そしてそれが八つ当たりと言うのも理解しているさ。だが、クリプトサイトのお家騒動を外に持ち出したのだ。それなりの責任を感じてほしいものだな。お前たちは名誉とか命とか言っていたが、すでに多くの命が意味もなく失われたことを忘れるな。今更当事者であるクリプトサイトの奴らが、多少死んだところで大差がないんだよ」  売り言葉に買い言葉の形で、ノブハルの吐いた言葉には毒が篭っていた。そしてその毒は、フリーセアだけでなくノブハル自身も蝕んでくれた。「ノブハル様」と言うアルテッツァの忠告に、「ああ」とノブハルは頭を掻いた。 「悪い、今のは言いすぎた。とりあえずリンディアには、王女として遇することを指示しておく」  悪かったと謝るノブハルに、フリーセアは驚いて目をぱちぱちと瞬かせた。 「無礼なあなたが謝るとは思っても居なかったわ。ただ、あなたの言っていることに間違いはないと思ってる。クリプトサイトの問題を外に持ち出し、多くの犠牲者を出したのは確かだもの。私が考えなくてはいけないのは、国の中ではなく犠牲になった人達への責任だったわね」  そこでゆっくりと深呼吸をしたフリーセアは、「ヴェルコルディア卿」と声を出した。 「お姉さま達の罪を問うぐらいでは、責任を果たしたことにはならないわね。ですからあなたには、クリプトサイトの責任のとり方を考えて貰いたい。謝罪に回るのが必要ならば、私が諸星系を回ることにするわ」 「責任は、政変を起こそうとした私たちにもあるのかと」  そう答えたヴェルコルディアは、「確かに承りました」とフリーセアに頭を下げた。 「補償と謝罪が必要なのは確かでしょう。その方法を、皆で考えたいと思います」 「言っておくが、まだお前たちの勝利が決まった訳ではないぞ。もっとも、そこまでの未来を見通したと言うのなら別だがな」 「1ヶ月以上も先の未来を見ることは出来ないわよ。でも、ここまでされては、お姉様に逆転が出来るはずがないわ。未来を見ることが出来ても、一本道では有利に導くことは出来ないもの。あなた達は、未来視の弱点を突くつもりなのよね」  違うのと顔を見られたノブハルは、「そんなところだ」とぶっきらぼうに答えた。 「こちらは駆け引きの一切を行わず、ただアルテルナタとお付きの3人の身柄だけを要求する。それに抗うと言うのなら、関係者を勝手に処分させてもらうだけだ。もっとも、1万を超える戦力に対して、クリプトサイトが抗うことが出来るのなら、と言う事情もあるがな」 「シルバニア帝国がバックに居るのに、戦うという選択をするはずがありません。あなた達のことですから、連邦にも根回しを済ませているのよね」 「ああ、エスデニアも押さえてあるからな。合わせて言うのなら、天の川銀河も押さえている。確か、パガニアも文句を言ってこないはずだと教えられたな」  ノブハルの出した名前に、フリーセアは大きなため息を吐いた。 「どうして、そこまで大事になるのよ」 「大事にしたがった人がいただけ、と言うことだ」  そう答えて、今度はノブハルが大きなため息を吐いた。ただすぐに、「悪い」とノブハルは謝った。 「私には、謝られる理由はないわ」 「そう言われれば確かにそうなのだが……だが、溜息を吐くようなことではないと思ったのだ」  ふっと短い息を吐いたノブハルは、立ち上がって座っていた椅子を消した。 「とりあえず、もう少しいい部屋を用意させる。1ヶ月は暇かもしれないが、これからのことを二人で相談すればいいだろう」  そう言うことだと背中を向けたノブハルに、「アオヤマ様」とフリーセアは呼び止めた。 「なんだ、まだ何か用か?」  最初の頃よりは柔らかく、そしていつも通りのぶっきらぼうさで答えたノブハルに、フリーセアは予想もしない言葉を口にした。 「今回の事件で、大切な家族を亡くされたと言うお話でしたね。しかもその方が、私達を助けてくださったのだと。ですからその方を無くされたアオヤマ様に、お悔やみを申し上げるのと同時に、お礼を申し上げたいと思います」  視線を送られたヴェルコルディアは、フリーセアと一緒に立ち上がった。そしてフリーセアに倣い、大きく腰を折って頭を下げた。 「そして私達は謝罪が必要でしょう。アオヤマ様、この度のこと、誠に申し訳ありませんでした」  今度は腰を折るのではなく、フリーセアとヴェルコルディアは床に座って頭を地面に擦り付けた。それはやりすぎだと、ノブハルが慌てたぐらいだ。 「そこまでする必要はないだろう。悪いのは、全てお前の姉なのだからな」 「それにしても、クリプトサイトの権力闘争が原因です。そしてその当事者として、謝罪をさせていただいております。私がもう少し早く現実を認め、ヴェルコルディア卿達へ歩み寄っていれば、今回の事件は起こらずに済んだのですからね。その程度の未来も見通せなかったことは、シラキューサの女として恥ずべきことだと思っているのです」  だから頭を下げるのだと繰り返されれば、ノブハルもそれ以上言うことはできなくなる。 「分かった、クリプトサイト王女の謝罪を受け入れよう」  それからと、ノブハルは自分たちの居場所をフリーセアに伝えることにした。 「俺たちは、すぐにエルマーに戻るつもりだ。そして準備が整ったところで、ズミクロン星系軍と伴にシルバニア帝国軍と合流する。お前たち二人は、シルバニア帝国軍と行動すればいいだろう」 「アオヤマ様のご指示に従います」  床に座ったまま頭を下げるフリーセアに、それは止めてくれとノブハルは懇願した。 「なんか、とても横柄な人間になった気がしてならないんだ」 「ですが、双方の立場を考えれば不思議な事ではないと思いますが?」  しかもフリーセアの口調まで変わっていたのだ。それに気づいたノブハルは、「タメ口でいい」と言い返した。 「とにかく、俺はそう言うのに慣れていないんだよ」  言ったからなと言い残し、ノブハルはフリーセア達の部屋を出ていった。それが少し早足なのは、ノブハルの精神状態がものを言っているのだろう。  それを見送ったフリーセアは、緊張が解けたのか大きく息を吐きだした。王女としていささかはしたない行為なのだが、ヴェルコルディアはそれを見ないふりをした。 「これで、クリプトサイトの混乱も収束するのでしょうか?」  その代わりに発せられた問いに、「たぶんそう」とフリーセアは答えた。 「ただし、これは未来視の結果じゃないわよ。残念だけど、私にはそこまでの未来を見通すことは出来ないわ。見ようとしても、あまりにもノイズが多くて不確定すぎるもの。だから私は、未来視に頼らなくても良いようにしようと思ってる」 「その第一歩として、女王としてクリプトサイトに君臨していただければと。そして相応しいお方を夫に迎え、祖国繁栄の礎を築いていただければと思っております」 「多分、最後のが一番難しいわ。相応しいって、何を持って相応しいって言えば良いのかしら?」  困ったわと真剣に悩んだフリーセアは、「ご子息は?」とヴェルコルディアの息子を持ち出した。 「ヴァーベイタムですか。年齢的には姫殿下より一つ上なのですが……姫殿下に相応しいかと問われると、親の欲目で見ても難しいのかと」 「面倒な女を妻にするわけにはいかないと言うわけですね」  大きく頷いたフリーセアに、ヴェルコルディアは否定も肯定も口にしなかった。ただ「面倒」と言う自己評価に対して、確かにそうだと納得していた。ただこの問題は、フリーセアの性格だけが理由ではないと言うことだ。彼女に付いて来るもの、その全てが面倒極まりなかったのだ。 「ならばウォードルフ卿……卿には、ご子息はおいでにならなかったわね」  ちっと小さく舌打ちをしたのは、なかなか適任者が見つからないからだろう。 「こうしてみると、結構人材不足が深刻なのね」 「女性が強いと言うのが、これまでの伝統でしたゆえ」  申し訳ないと頭を下げられても、問題が解決しなければ何の足しにもならない。もう一度舌打ちをしたフリーセアに、「ところで」とヴェルコルディアはノブハルを持ち出した。 「先程の男、ノブハル・アオヤマと申しましたか。あの男と相対している時、姫殿下の切れが鈍ったような気がするのは気のせいでしょうか?」 「どうして、いきなりあの男が出てくるのですか?」  以前ウォードルフに言われたことを思い出し、フリーセアは思いっきり嫌そうな顔をした。 「いえ、ただ単なる観察の結果を申し上げました。普段の姫殿下は、舌鋒鋭く遠慮のないお言葉を浴びせられていたかと思います。ですがあの男の前では、その鋭さが鳴りを潜めておられました。その理由がどこにあるのか、それに興味を持ったとご理解ください」  あくまで観察の結果を押し通したヴェルコルディアに、「あの男は趣味ではありません」とフリーセアは言い返した。 「いえ、私の質問は男女の関係とは無縁のものだとご理解ください。あの男は、我が国の未来に大きく関わってきます。だからこそ、姫殿下の変調の理由が重大だと考えた次第です」  男女関係ではないと言い切られると、フリーセアは真剣に答えなければならなくなる。「それは」と少しだけ考えたフリーセアは、「未来が見えない」と答えた。 「未来視が失われた、と言うことでしょうか?」  それならば、とても問題は重大だと言うことができる。顔を厳しいものにしたヴェルコルディアに、「そう言う訳ではない」とフリーセアは言い返した。 「あの男に関することだけ、なぜかとてもぼやけて未来が見えないのよ。だから先程の話にしても、あなたの未来を見て対策を考えていたの。だから普段通りにはいかなかった……何か、得体の知らないものに包まれているような感じ、といえばいいかしら?」  「だから怖い」とフリーセアは白状した。 「姫殿下の未来視の能力が失われた訳ではないのですね」  それが肝要と繰り返したヴェルコルディアに、フリーセアは小さく頷いた。そして「ですから男女のことに絡めないように」と先手を打った。 「なるほど、姫殿下の未来視は正常に働いていると言うことですか」  大きく頷いたヴェルコルディアは、「対策が」と言いかけてその言葉を飲み込んだ。 「未来視の無い私たちには、それが正常な姿だと気づきました。それを考えれば、対策など必要ないのでしょうな」 「そうね、普通に頭を使って、普通に相手の考えを読めばいいだけのことなんだけど……慣れないとそれも難しいわね」  ふうっと息を吐き出したフリーセアに、慣れれば良いのですとヴェルコルディアは答えた。 「もともと未来視と言う武器がある姫殿下です。ならば、深い思慮を身につければ、さらなる高みに到れるのではありませんか?」 「そう考えて、努力をすることにするわ」  まったくと息を吐き出したフリーセアは、「どこかに見た目のいい男は居ないかしら」と愚痴をこぼした。 「身分を問わずと言う事なら、国に帰ったところで探させましょう」 「形が整えばそれでいいわ」  任せたからと、結構真剣にフリーセアはお願いをしたのだった。  10万人を収容できるホールは、今日も満員の観客を迎えていた。ホールの中央に配された浮島のようなステージの上では、ちょっと大人っぽい女の子が歌い踊っていた。コンサートの主が女性と言う割に、観客には同性の姿も多く見られた。そのあたり、彼女のライフスタイルに対する共感が理由になっているのだろう。活動範囲が銀河を飛び越えたことで、少し長い休みも問題とならなかった。  まるで万華鏡のように衣装を変えながら踊る少女は、ズミクロン星系有数のトップアイドルのリンラ・ランカである。衣装に合わせて変える髪型は、今は漆黒のロングとなっていた。そしてアスではセーラー服と言われる黒の衣装に身を包み、スカートの裾を翻しながら踊りまくっていた。 「次の曲は、「もう許して、この巻き込まれ体質!」」  その声と同時に、ステージ衣装は白のスカートに茶色の長い上着、見る人が見ればアスにあるフヨウガクエンのものと分かるものになっていた。そして黒い髪には、ピンクのリボンが飾られていた。 「二度ある事は三度あるとは言うけれど……」  まるで誰かを思い浮かべたかのように、そして実感を込めてリンラはメランコリックに歌い上げた。一転してしっとりとした雰囲気をまとうリンラに、詰めかけた観客たちは感嘆のため息で応えたのである。それを見る限り、今日のコンサートも大成功のようだった。  およそ2時間のステージは、2度めのアンコールの曲を歌い終わった所で終幕を迎えることになった。「逆玉にも程がある」を歌い終わったところで、熱狂したファン達はさらなる歓声を上げた。ただ用意された熱狂には、それ以上の燃料を与えられなかった。彼らを収容したホールには、すでに白い光が満たされ退場口への誘導が始まっていたのだ。そして中央のステージでは、歌い終わったリンラがゆっくりと地下へと降りていった。  地下に降りることで、体全体に感じていたプレッシャーから開放されることになる。だがプレッシャーから解放された代わりに、強い疲労感がリンラを襲った。体全体から湯気を立ち上らせたリンラは、膝に両手を当て浅く早い呼吸を繰り返した。毎度のことなのだが、2時間にも及ぶワンマンステージは、体力を極限まで削ってくれるものだった。しかもブランクが長かったので、まだペースの配分もうまくいっていなかった。  そんなリンラに、なぜかノブハルがタオルを差し出した。とりあえず汗を拭えと言うことなのだが、リンラはタオルを取らずに汗に濡れた顔をノブハルの胸にこすりつけた。 「俺のシャツは、タオルじゃない」  困ったものだと吐き出したノブハルは、持っていたタオルをリンラの頭に掛けた。以前と違うのは、引き剥がすのではなく妹の体を抱きしめた。 「お兄ちゃん、苦しい」  そう言いながらも、リンは嬉しそうにノブハルの体に腕を回した。 「大切な妹を抱きしめてどこが悪い」  そう開き直ったノブハルは、「ユーケル起動」と疲労回復薬の起動を命じた。その途端、少し黄色いガスがリンの体を包み込んだ。 「もう、大丈夫か」  妹が小さく頷くのを確認し、ノブハルは抱きしめていた腕を解いた。  「家に帰るか」と声を掛けた兄に、リンは「抱っこ」と甘えた声を出した。 「仕方がない奴だな」  文句を言いながらも、ノブハルはしっかりと妹の体を抱き上げた。そして望みどおり抱っこされたリンは、嬉しそうに自分の顔を兄の顔にこすりつけた。シルバニア帝国から帰ってきて以来、シスコン・ブラコンの度合いは酷くなったようだ。 「ねえ、あなた達……限度を考えた方が良いわよ」  そこで声を掛けてきたのは、リンのマネージャーをしているミズキ・イチノセである。年の頃なら20代半ばの茶髪をショートにした、なかなか活発そうに見える女性だ。ただ見た目については、良くもなく悪くもなくという中庸を行っていた。  限度と言いたくなるほど、二人がベタベタとくっついていたのだ。バカップルとは違う、おかしな世界を作り上げているとしか言いようがなかった。 「限度だったら考えているわよ」  ねえと同意を求められ、ノブハルも「そうだな」と返した。 「だっこなんて、兄妹のすることだと思ってるのだが?」  しれっと言い返したノブハルに、「絶対違う」とミズキは言い返した。 「普通、お姫様抱っこって恋人同士がするものよ。それにノブハル君、あなたはトリプルAのズミクロン支店の支店長なんでしょ。いまさらアルバイトをする必要は無いと思うんだけど? まあ来るなって言うつもりもないけど」  最後の所を強く言えないのは、ミズキ自身ノブハルにのぼせたと言う事情からだった。何しろ久しぶりにあったノブハルは、少し鋭さが増したためイケメン度合いが増していたのだ。しかも収入の面でも問題ないと言うか、ごちそうさまと言いたくなるほどの優良物件に育っていた。 「アルバイトのつもりはないのだが?」 「そうね、妹の手伝いに来ているだけよね?」  二人に揃ってアルバイを否定され、「シスコン・ブラコン」とミズキは言い返した。 「それがどうかしたの?」 「何を今更と言うところだな」  顔を見合わせて頷きあう二人に、「好きにして」とミズキは匙を投げたのだった。  ミズキの前ではベタベタとくっついていた二人だったが、シェアライドビークルの中では少し離れて座っていた。別に仲の良すぎる兄妹を演じていた訳ではなく、それが二人の距離だとお互い理解していたからだ。兄には奥さんを名乗る人ができ、自分はナギサとの関係を一歩進めようと思っている。独り立ちした兄妹なのだから、始終ベタベタとしている必要もなかったのだ。 「もうすぐ1ヶ月ね……」  窓の外を流れていく灯を見つめ、リンは小さくポツリと呟いた。 「セントリアさんの仇を討つのね」  何も答えない兄に、リンは鋭い視線を向けた。 「お兄ちゃんの考えた通り、クリプトサイトではアルテルナタと言う人が女王になったわ。その人が、私達を殺そうとしたんだよね。そしてセントリアさんは、帰ってこなかった」  ぎりっと歯を鳴らした妹に、「落ち着け」とノブハルは肩に手を当てた。 「セントリアさんは、すごくいい人だった……それに、とっても可愛いところがあったわ。お兄ちゃんが作ったひばりくんだっけ? ひばりくんを、本当に嬉しそうに見ていたのを覚えているのよ。アルテルナタと言う人が、被害者ヅラをして女王になるのは許せないわっ!」  少し興奮した妹に、ノブハルは「落ち着け」と繰り返した。 「アルテルナタを殺しても、セントリアは帰っては来ないんだ。あんな女のために、お前までおかしくなるのは許せない。あの女のことは、俺に任せておけば良いんだ。殺しはしないが、最上級の刑罰を与えてやる。もちろん、抵抗しなければと言う前提条件はあるがな」  落ち着けと繰り返したノブハルは、「アルテッツァ」と相方の名を呼んだ。 「各星系の準備は整ったな?」 「今回の事件に絡んでいるの星系は、およそ200ありました。そのうちの9割、180星系が軍を派遣することに同意しています。すでに180星系の軍、約2万隻の船が集結地点へ向かっています。ノブハル様の使われる、ローエングリンもエルマー星系軍に合流されています。帝国軍と合わせ、3万の艦艇が集結することとなります」  アルテッツァの報告に頷いたノブハルは、「撹乱は?」と未来視対策を確認した。逃げ道を塞ぐための大規模艦隊の派遣なのだが、それでも逃げ道があるのは承知していたのだ。ただアルテルナタが即位したことで、懸念の一つは解消されたことになる。ただ追い詰めるためには、それだけでは不足だと思っていた。未来視対策と言うのも、アルテルナタを追い詰めるための方策の一つでもあったのだ。 「ご指示通り、ξ粒子撹乱場をクリプトサイト星系に展開しています。これで未来視も、ノイズに紛れて短時間しか行えないはずです。効果の程は、フリーセア王女で確認は取れています」  未来視対策のξ粒子撹乱場は、ノブハルの発案で実現されたものだった。ただノブハルだけでは無理なところがあったので、シルバニアの技術者との共同作業で作り上げたものである。色々とブラックボックスのあった未来視なのだが、フリーセア王女の分析から撹乱ぐらいは出来るようになっていた。そのあたり、彼女の持つ特殊な器官との関係が発見された効果だった。  アルテッツァの報告に頷いたノブハルは、「リン」と大切な妹に話しかけた。 「俺はまだ、セントリアが死んだとは思えないのだ。救助者名簿に載っていなかったし、コクーン以外に脱出方法がないのは理解している。だがな、あいつは自分で自分のことを「ばけもの」と言う女だ。きっと、俺の思いもよらない方法で生き延びている。そんな気がしてならないんだ」 「すごくお兄ちゃんらしくない話だと思うけど」  「ただ」とリンは夜の町並みへと視線を転じた。走行音の殆ど無い車内から、街の明かりが飛んでいくのが見えていた。復帰コンサートツアーと言うこともあり、リンはかなり遠方まで遠征していた。 「私も、信じてみたいな」  小さく呟いたリンは、「ところで」と大好きなお兄ちゃんの顔を見て口元を歪めた。 「セントリアさんが帰ってきたら、お兄ちゃんはどうするのかな?」  3人目にも手を出すほど弾けた兄のことだ、感極まってセントリアにも手を出すのではないか。そのつもりでちょっかいを掛けたのだが、そのあたりはまだまだノブハルへの理解が不足していたようだ。 「俺か、そうだな、顔を見たら俺でも泣いてしまうかもしれないな」 「それだけ? その先は?」  お兄ちゃんが泣くと言うのも驚天動地のことには違いない。ただリンは、それだけでは面白くないと思っていた。だからその先を問いかけたのだが、「その先か」とノブハルは黙り込んだ。 「感極まって抱きしめると言うのは、相手を考えれば自殺行為だろうな。だとしたら、やはり大泣きをするぐらいがせいぜいだと思うのだが」  どうして感情で動くところで、相手の危険性の分析が入ってくれるのか。呆れたリンは、「お兄ちゃんって」と兄の顔をまじまじと見た。 「どうして感情より理性が先にくるのに、3つ股を掛けているのかしら?」  ありえないわよねとの指摘に、珍しくノブハルが焦ってくれた。そんな兄の反応を笑いながら、「どう?」と左の腕を胸元に抱え込んだ。トウカには負けるが、エリーゼや皇帝様よりは胸の大きさには自身があった。 「どう、と言うのはどういう意味だ?」  分からんなと本気で口にするノブハルに、リンははっきりとため息を吐いた。「どこまでいっても兄妹」と言われたのが、真実だと改めて突きつけられた気がしたのだ。 「私相手にむらむらと来ないかと思ったのよ」  ぞんざいに言いながら、リンは抱えていた腕を離した。そんなリンに、「ありえないな」とノブハルはいつもどおりの答えを口にした。 「お前は、大切な妹だと言ったはずだ。それはこれまでも、そしてこれからも変わらないんだよ」  あまりにも予想通りすぎる答えに、リンは一番大きなため息を吐いたのだった。  エルマーとズイコーの中心点に作られた宇宙ステーション、センタープラネットにナギサは上がっていた。その目的は、ズミクロン星系軍の視察を行うためである。そして同時に、ノブハル専用として建造された多目的船ローエングリンを見学するためだった。  シルバニア帝国は、建造途中だった船を皇配となるノブハルのために転用してくれた。それが1ヶ月も掛けずに用意された専用船の正体である。もともと軍艦として建設されていたため、作り自体はとても頑丈なものになっていた。  先端が尖った銀色の船体は、流麗な曲線を描き出している。無骨なエルマー星系軍の船とは、一線を画す優美さだった。ただ優美な姿はしていても、船体の大きさはゆうに2倍を超え、保有している兵装にしても、ただ1隻でエルマー星系軍を蹂躙し星系全体を廃墟にしてお釣りが来るほどである。技術差を考えれば、それぐらいのことがあっても不思議ではないのだろう。ただナギサをして信じられなかったのは、こんなものをぽんとくれる気前の良さである。 「どうして、こうなったのだ?」  優美な姿に見とれていたナギサの隣に、リンカニックと言う髭と赤いメガネで表情を隠した男、イチモンジ家党首ハラミチが立った。ただ傲岸不遜……素顔は可愛らしいと評判なのだが……を絵に描いたような男でも、流石にこの展開にはついていけていなかった。 「どうしてと言われてもね……」  ふっとため息を吐いたナギサは、「どうしてだろうね」と答えにならない言葉を口にした。 「ノブハルが、シルバニア皇帝の夫候補第二位にされたのは知っていたんだ。まあ、それ自体がおかしなことだとは理解はしているよ。ただ第一位がトラスティ氏だから、第二位には意味が無いと思っていたんだ。それなのに、いつの間にかノブハルが第一位にされて皇帝聖下に手を出したと言う話になっていた。説明をすれば言ったとおりなんだけど、「どうしてこうなった」と言うのは今も思っていることなんだ」  付いていけないと零した息子に、「開き直りも重要なのだが」とハラミチは言葉を濁した。開き直りを口にした彼自身、どう頑張っても開き直れないのは分かっていたのだ。そして開き直りの出来ない二人は、目の前の現実を問題とすることにした。 「お前も……行くのか?」  ハラミチの問いかけに、ナギサははっきりと頷いた。 「これは、僕にとってもまたとない機会だと思っているんだよ。ノブハルが超銀河連邦に飛び出した以上、ズミクロン星系も今まで通りではいられないと思っているんだ。だから僕も、宇宙に出なければと考えたんだよ」  ナギサの答えに、ハラミチは小さく首肯した。 「星系会議の場で、お前たちのことが話題になった。ノブハルのことを考えたら、お前にも立場は必要だろうと言うことで意見の一致を見た。だからお前は、エルマー星系軍総司令官代理に任命されることになる。代理が付いたのは、お前には何の経験もないことと年齢が理由になっている。ただ総司令官が任命されていないので、お前が実質上最高司令官と言うことになるな」 「随分と、仰々しい役目を用意してくれたものだね。ただ名前は仰々しいけど、実態は極めてお寒いとしか言い様がないね。使える船をすべてかき集めて、ようやく50隻と言うのがエルマー星系軍の正体なのだからね」  「兄弟喧嘩」で使用された戦力は、星系の引力から脱出する能力を持っていなかったのだ。そしてその能力を持つ船は、兄弟喧嘩には使用されていない。共通管理資産として管理され、近傍宇宙の脅威を排除することが任務となっていたのだ。その為遠くても恒星系外周部と言うのが到達距離だった。ワープ機能こそ持っているが、超長距離移動を行った実績のない代物だった。 「それが、今までのズミクロン星系と言うことだ」 「その限界を、これから越えようと言うのだね。ようやく僕達は、本格的に外の世界に目を向けることになるんだ」  ほうっと息を吐き出したナギサは、「もうすぐだ」とノブハルの船を見て呟いた。 「ノブハルは、これが星系連合の前段階になることを意識しているのかな?」 「シルバニア帝国の名前で呼びかけはしたが、指揮系統の中心にノブハルが置かれたからな。そしてノブハルは、エルマーの人間だと知らされている。各星系から派遣された艦隊が、あいつの命令のもと治安活動を行うのだ。星系連合と言うにはおこがましいが、その前段階であるのは間違いないだろうな」  ふんと鼻を鳴らしたハラミチは、「面白いことになった」と小さく呟いた。 「ああ、本当に面白いことになったと思っているよ。しかも僕は、間近でそれを目の当たりにする幸運に恵まれた。この機会を逃してはいけないと思っているよ」 「お前も、ノブハルを真似てやんごとなきお方を誑し込んでみるか?」  前振りも何もない、しかも全く脈絡のない話にナギサはこめかみを引きつらせた。 「どうして、そう言う話になるんだい?」 「なに、それぐらいの気概を持ってはどうだと言っているのだ。もっとも、その前に星系一のアイドルを嫁にしないといけないがな」  ハラミチの言葉に、ナギサはああと天を仰いだ。仰いだ先にあったのは、発着用ドームの白い天井だった。 「リンのことはさておき、僕には色々と前提がおかしくなっているとしか思えないよ」  どこまで行っても、自分はノブハルではないのだと。割りと真剣に、「止めてほしいね」とナギサは抗議したのだった。  支持者達の必死の捜索に「引っかかった」アルテルナタ達は、大々的な宣伝のもとクリプトサイトへの帰還を果たした。まだ薬の効果が解消されていないため、その時の姿は老婆そのものだった。その為アルテルナタと言う証明が難しい事態となったのだが、元親衛隊長モリニアの証言と検査の結果が彼女の真正さを証明することとなった。そして醜く変わった彼女の姿が、反女権派を追い詰める鍵となったのである。  彼女に投与された毒の分析が行われ、迅速に治療が遂行された。そのお陰で、元通りとはいかないまでも、収容から1ヶ月には美しく若い姿を取り戻す所までたどり着いたのである。そしてその事実を持って、彼女の母ドラセナ、すなわち現女王は退位し彼女が女王として君臨することとなった。  一方彼女を失脚に追い込んだ反女権派は、恩赦が与えられて刑を3等減ぜられることとなった。その寛大な沙汰を行ったことで、新女王であるアルテルナタの民達からの支持は高まったと言われていた。 「シモクレン達はどうなりました?」  アルテルナタの前には、親衛隊長に復帰したモリニアが宮廷の床に胡座をかいていた。女王の前に出ることもあり、勲章に似た飾りの付いた式服をモリニアは纏っていた。濃い灰色の服が窮屈そうに見えるのは、自由な時間が長かったのが理由だろうか。  一方アルテルナタは、謁見用のドレスを纏っていた。薄いピンクのレースを重ねたドレスと長い銀色の髪をティアラで止めた姿は、女王の威厳と美しさを周りに振りまいていた。  作られた穏やかな笑みを浮かべたアルテルナタは、反乱を首謀した者の処遇を問うた。即位こそしたが、まだまだ足元には不安定なところがあったのだ。 「はっ、アルカトラズの一般監獄に身柄を移しました」 「彼らは、私の親戚筋に当たりますからね。重監獄にいつまでも収監しておく訳にはいかないでしょう」  それで良いのですと笑みを与えたのは、どちらがマシかを理解しているからに他ならない。重監獄と言う名は仰々しいが、要は国家反逆を企んだ者を収容する独房なのである。一方一般監獄は、その他の囚人達との雑居房になる。ぬるま湯で育った貴族にとって、どちらの環境が過酷なものになるのか。名前だけからは判断できない違いがあった。しかも囚人同士のいざこざは、原則不干渉とされていたのだ。何人かに因果を含めてやれば、きっとおぞましい事になってくれるだろう。 「アルテルナタ様」  シモクレン達の処遇に満足していたアルテルナタに、モリニアは少し眉間にシワを寄せて問いを発した。 「ベスビデア星系からの情報ですが、いかが致しましょうか?」 「シルバニア帝国が動いている、と言う話ですね」  小さく頷いたアルテルナタは、「だからです」とシモクレン達の処遇に触れた。 「先の事件の首謀者を引き渡せと言うのなら、引き渡してあげれば良いのです。今回私が即位することで、彼らの悪辣な企みも表沙汰になったのですよ。被害に遭われた者達の縁者に適当な補償をすれば、シルバニア帝国と言ってもそれ以上の要求はできません。何しろ、私も被害者なのですからね」  その答えに小さく頷き、モリニアは「しかしながら」と懸念を口にした。 「なにゆえ、シルバニア帝国がしゃしゃり出てきたのでしょうか? 帝国のある銀河は、我々とは遠くはなれたところにあります。関与してくる理由に欠けると思われます」  本来関与してくるはずのない帝国が、今回の事件に関与してきたのだ。そのことを不審に感じたモリニアに、「覚えていますか?」とアルテルナタはノブハル達のことを持ち出した。 「あの男に対して、私は「巻き込まれ体質」「女難の相がある」と言いましたよね。トリプルAとの関係で、シルバニア帝国があの男に護衛を付けていたようです。護衛を付けた理由は分かりませんが、おそらくトラスティなる者との関係でしょう。ですから、あの事件が起きたその場に、シルバニアは艦隊を派遣していました。その後始末をつけに来たと言うのが、シルバニアが口を出してきた理由でしょう」 「ノブハル・アオヤマ……でしたか。確か姫様……失礼、アルテルナタ女王陛下も興味を示されておられたかと?」  モリニアの言葉に、アルテルナタは少しだけ口元を歪めた。 「ええ、とても興味がありますよ。ただ夫にするには、まだ不足をしていますね。何しろ私には、能力を受け継ぐ女の子を産む義務があります。他星系の血でそれが可能なのか、検証が行われてからでなければ夫には迎えられません。そのことを考えると、フリーセアは残念でしたね」  王位を継承しないのであれば、配偶者選びにも自由が与えられる。星系外から適当なのを見繕えば、彼女が求める検証が行えたのだ。 「それでも気になることがあるのですが……」 「未来視の能力のことでしょうか?」  その話は、先代女王からも噂として伝わってきていた。先代女王ドラセナが言うには、未来視できる範囲が狭まっているとのことである。  モリニアの指摘に頷いたアルテルナタは、「ノイズが増えている」と状況を口にした。 「先日起きた事件の際にもあったのですが、特定の日にちを超えた未来視ができなくなっています。前回は船の爆発が理由だと推測できるのですが、今回は理由らしきものが見当たりません。気になっていると言っても、その程度と言うことです。それに記録を紐解くと、過去にも何度か似たような事象が発生しているようですからね。気にしすぎと言えば気にしすぎなのでしょう……」  ふっと口元を緩めたアルテルナタは、「モリニア」と信頼する部下の名を口にした。 「宮廷内の綱紀粛正は進んでいますか?」 「今のところ、何ら滞りは起きておりません」  反女権派と通じていた者のあぶり出し、そしてフリーセアを押していた者のあぶり出しが必要なのだ。自分に忠誠を尽くした者には厚い報奨を、そして背いたものには応分の報いが必要なのである。体制を固めるには、信賞必罰が習いだったのだ。  モリニアの報告に頷いたアルテルナタは、「もう一つ」と忠臣の一人の名を挙げた。 「トトはどうしています?」 「トリキリティスに見張らせております」  ユンクス・トトは、ネビュラ1事件において非常に重要な役目を果たしている。その意味では、彼女の今があるのは彼の働きが大きな意味を持つことになる。そしてユンクス・トトは、非常に忠誠心の厚い部下と言うのもモリニアは理解していた。  ただ彼の忠誠心を疑わなくても、その存在自身がアルテルナタ女王の弱点にもなっていた。完全に粛清が終わるまでは、迂闊なことを口走らせてはならない。そして彼に近づく女にも注意を払っておく必要があったのだ。そのための監視として、モリニアはトリキリティス・ティレルを当てていた。  小さく頷いたアルテルナタは、「取り立ててあげなさい」との助言を口にした。 「彼ら二人は、私に忠義を尽くしてくれましたからね。応分に取り立ててあげるのも良いかと思いますよ」  そうすれば、身を粉にして自分に仕えてくれる。アルテルナタには、その未来が見えていたのだ。 「たぶん、すぐにそれどころではなくなりそうですけど」  ふふと口元を隠して笑ったのは、間違いなくユンクスの未来が見えたからだろう。ただ未来視を持たないモリニアには、その意味が理解できるはずがない。 「トト好みの恋人が出来るようですよ。あちらに夢中になっていれば、余計なことを口走ることもないでしょう。ただ身元だけは確認しておくように。と言っても、出会うのは明日のことですけどね」  もう一度口元を隠して笑ったアルテルナタは、「私はどうしましょうね」とモリニアを見た。 「そろそろ私も、夫となる男性を選ぶ必要があります。見目の良い男を、それとなく探しておきなさい」  慶事に慶事を重ねることで、自分への支持を確かなものとする。今は一気呵成に行くところだとアルテルナタは理解していたのだ。  もっとも、彼女の未来視には夫となる男の姿はまだ映っていなかった。だからアルテルナタは、モリアニに尽力するようにと申し付けたのである。  アルテルナタが未来視で見たとおり、ユンクス・トトは一人の女性と知り合っていた。名をメリタと言う、金色の髪をした清楚な女性である。たまたま街をぶらついていたユンクスが、酔っぱらいにからかわれていた彼女を助けたのがそのきっかけである。お礼にとお茶に誘われたユンクスは、彼女の奥ゆかしい所が気に入っていた。  もっとも軽薄そうに見えても、ユンクスはアルテルナタに忠誠を誓った「騎士」である。いかに偶然とは言え、自分に関係する女性を何もなく信用する真似はしなかった。女王の秘密を握ってはいるが、それは自分の命にも関わるものだと理解していたのだ。 「両親とも健在。父親は、小規模ながら縫製業を営んでいるのか。思想的には、保守派……と言って良いのだろう。特におかしな集団との付き合いはないな。家にはアルテルナタ様の肖像画が掲げられているのだな」  彼の調べた範囲では、メリタ・ノーウッドの身辺は綺麗なものだった。学校時代から真面目で、おかしな男との繋がりも無いぐらいだ。今時そんな女性が居るのかと、逆にユンクスが驚いたほどの箱入り娘である。酔っぱらいに絡まれたのも、母親の代わりに買い物に出たのが理由だった。 「学業はそこそこ優秀。特に目立った病歴はない。論文でも、特定の政治信条は認められない……か」  人を見たら疑ってかかれと教えられたが、どう疑ってかかっても怪しい所が見つけられなかった。それでも調査を続けたのだが、見つかるのは「普通の育ちをした」と言う事実だけである。男の影にしたところで、15年ほど遡らなければ見つからないほどだった。ちなみに彼女は22なので、7ヤー時代を問題にする方がおかしいだろう。これと言って特殊なことのない、ごく一般的な家庭に育った箱入り娘と言うのが彼女の実態だった。 「掘り出し物に当たった……と考えて良さそうだな」  お茶を飲みながらの話で、彼女が賢く、そしてしっかりとしているのが理解できたのだ。しかも自分を立てると言う、奥ゆかしさも感じさせられた。見た目もそれなりに整っていることを考えれば、彼が「掘り出し物」と考えるのもおかしくはないだろう。  そこで時間を確認したユンクスは、「あと10分か」と小さく呟いた。あの控えめで奥ゆかしい女性ならば、自分を待たせるような真似をするはずがない。オープンテラスのカフェに陣取ったユンクスは、濃い色のサングラス越しに明るい街の風景へと目を転じた。  少しウェーブの掛かった金色の髪と整った顔立ちは、歩き去っていく女性たちの注目を集めていた。自分に向かって手を振る者が居たのは、マスコミに顔が出たことが理由だろう。アルテルナタ女王に仕えた忠臣3人の一人として、ユンクスの顔は知れ渡っていた。  「あと5分」ユンクスが時間を確認したその時、「ユンクス様」と言う少し鼻にかかった声が後ろから聞こえてきた。少しぼんやりしていたせいか、ユンクスは彼女が現れたのに気づいてなかった。  慌てて立ち上がったユンクスに、「遅くなって申し訳ありません」とメリタは頭を下げた。今日の彼女は、金色髪をストーレトに伸ばし、小さな花が散りばめられた白のワンピース姿をしていた。そして日差しを避けるように、ワンピースと同じ柄のつばの広い帽子をかぶっていた。  一方のユンクスは、濃紺のシャツにベージュのスラックス姿である。掛けていたサングラスは、立ち上がるのと同時に外していた。 「いえ、私が早めに来ただけです。待ち合わせで女性を待たせるわけにはいきませんからね」  お気遣いなくと笑ったユンクスは、「行きましょうか」と通りの方を示した。「はい」と小さく答えたメリタは、ユンクスから半歩下がって付いてきた。流石にそれはないなと、ユンクスは立ち止まった。 「是非とも、私に並んで歩いていただきたいと思っているんですよ」  苦笑にも似た笑みを浮かべたユンクスに、「ですが」とメリタは自分の立場を口にした。 「ユンクス様は、女王陛下の忠臣と伺っております。しかもお隠れになられた女王陛下を、4年もの間お守りされたのだと。私のような女が、並んで歩くのは恐れ多いと思っております」  だからですと俯いたメリタの手を、あろうことかユンクスが捕まえた。そして驚いた顔をしたメリタに、「こうして欲しいのです」とユンクスは顔を見て答えた。 「それは、図々しいお願いなのでしょうか?」 「そのようなことは……ですが、本当に宜しいのでしょうか。私の家は、零細な縫製工場なのです。とてもではありませんが、ユンクス様と並んで歩ける立場ではございません」  相応しくないと答えていても、メリタは掴まれた手を振り払うマネはしなかった。振り払うことは殿方に恥をかかせることになるのと、そもそも自分には選択権は無いと思っていたのだ。  俯いたメリタに、「行きましょうか」とユンクスはそのまま手を引いた。振り払われない以上、相手の同意を得たことになる。そして自分もまた、気持ちを相手に伝えたのだと。 「昨夜なのですが……帰ってから父に叱られました」  目的地へと歩きながら、メリタは小さな声で昨夜の顛末を口にした。 「殿方をお茶に誘うのは、はしたないと叱られました。ユンクス様の名前を出したのですが、なおさらだめだと叱られました。ユンクス様は、重要な役目を持つお体。私達のような者が、お時間を戴くなど以ての外だと説教されました」 「ですが、今日は来てくださいましたね?」  にこやかに微笑んだユンクスに、「断るのはもっと失礼だと父に言われました」とメリタは答えた。 「できれば、あなたの気持ちをお聞かせ願いたいのですが?」 「その、はしたない女だと嫌われないでしょうか?」  顔を上げたメリタの頬は、はっきりと分かるほど紅潮していた。 「私以外、誰もあなたの話を聞いていません。そして私は、あなたのお気持ちを伺いたいと思っているんですよ」  だからはしたないなどと言うことはない。顔を見て肯定されたメリタは、「嬉しかったのです」と更に顔を赤らめ俯いてくれた。 「私も、こうしてあなたと会えて嬉しく思っていますよ」  お互いが嬉しいのだから、何を遠慮することがあるだろうか。少し大胆になったユンクスは、掴んでいた手を離してメリタの腰を抱き寄せた。 「すみません、少し図に乗ってしまったようですね」  メリタが体を固くしたのに気づき、ユンクスは慌てて手を離して彼女に謝った。そんなユンクスに、「違います」とメリタは首を振った。 「その、驚いてしまって……男の人と手を繋いだのは、本当に小さな時以来なんです。腰を抱き寄せられたのは、本当に初めてなんです。だからその、緊張してしまって……」  少し口調が怪しくなったメリタは、突然「ごめんなさい」とユンクスに頭を下げた。 「私には、謝られる理由が分からないのですが?」  苦笑を浮かべたユンクスに、メリタは「恥ずかしいことをお聞かせして」と謝った理由を口にした。  ますます顔を赤くしたメリタに、ユンクスは「光栄ですね」と笑った。 「これから初めて男性と演劇を見ることになるわけですね?」 「そ、それは、そう言うことになるのかと」  恥ずかしさから声が小さくなったメリタを、ユンクスはもう一度腰を抱き寄せた。 「ではお嬢様、不肖ユンクスがエスコートさせていただきます」 「すべて、お任せいたします」  腰を抱き寄せられても、今度はメリタも体を緊張させなかった。ただ自分から体を寄せると言う真似もしなかった。そのあたり、はしたない真似はだめだと言う思いの強さからだろう。結局その日の二人は、それ以上の接触をしなかった。 「楽しく演劇を見て、楽しく食事をしてお別れをした……のですか?」  当然ユンクスの行動は、アルテルナタの知るところとなる。トリキリティスからの報告に、アルテルナタは「はぁ」と小さくため息を吐いた。 「普段のユンクスからは考えられないことですが」  報告書を疑ったのは、モリニアも同じだった。だがトリキリティスが嘘を書く理由がない以上、その報告書を信じるほかはなかったのだ。 「どうして、こんな子供のような付き合い方をするのでしょう。特にトトだと考えると、とても信じられないのですが」 「トリキリティスの報告によれば、相手の女性は聞き役に徹しているようです。自分から話を誘導するようなところは見られませんでした。ちなみに、家庭環境や思想的にも問題は見つかっておりません」  「今のところは」とモリニアは答えに付け加えた。 「トトについて見えるのは、キスするまでに1週間かけることぐらいですね。ただキスから先は、一気呵成に行くようですね。その晩のうちに、男と女の関係に持ち込むようです」  「羨ましいですね」と、アルテルナタは本気で羨ましそうな顔をした。ただこの話題について、特にアルテルナタは拘っている様子もなかった。だから報告があるまで、ユンクスの未来も見ていなかったのだ。そして興味を失ったアルテルナタは、問題となる未来視のことを確認した。 「ところで、お母様はどうされています?」 「先代なら、ナンジンの別邸に篭もられております。特に、何かをなさっているとは聞いておりません」  それがと疑問を呈したモリニアに、「ならば良いのです」とアルテルナタは答えた。 「未来が見えなくなっていることを、何か言っていないか気になった、それだけのことです」 「やはり、まだ状況は収束していないと言うことですか」  モリニアの言葉に、アルテルナタは小さく頷いた。 「本当に身近なことであれば、まだはっきりと見ることが出来ます。ただ大きな流れとなると、すぐそこに壁があるかのように分からなくなっているんです。誰かが大声で騒いでいて、そのせいで未来が見えなくなってしまった。例えて言うのなら、そんな状態でしょうか」 「何者かが騒いでいる?」  視線を険しくしたモリニアに、「例えばです」とアルテルナタは答えた。 「私達の未来視は、まだ科学的には解明されていません。ですから、妨害することもままならないと言うのが現実でしょう。何者かと言うのは、何らかの自然現象がと言い換えた方が適当ですね。おそらくですが、超えてしまえば何事もなかったかのように見えるようになると思いますよ」  その程度でしょうと答えるのは、彼女自身自分を安心させるためでもある。それぐらい、今まで見えていたものが見えなくなるのは不安を感じるものだった。 「粛清が終われば、私に楯突く勢力は居なくなります。急ぐ訳にはいきませんが、時間の問題であるのは間違いありません。後は適当な男を囲えば、クリプトサイトはこれまで通り続けていくことが出来るのです」  「あと少し」アルテルナタは、計画の完成をモリアニに話したのだった。  すべての準備が整ったとの知らせに、ノブハルはセンター・ステーションへと上がった。そこで待ち構えていたナギサを見て、「行くぞ」と短く覚悟を示した。 「これからのスケジュールは?」 「出発後2日と言うところだ。その殆どは、団体行動の統制に掛かる時間だ」  何しろ参加星系は、最終的に200に迫ろうとしていたのだ。しかも各星系の能力がバラバラなので、団体行動をとるのも簡単ではない。アルテッツァがなければ、おそらく混成軍は瓦解してたと思われるほどの難易度だった。 「なにしろ、文明レベルが違いすぎるからねぇ……」  したり顔で頷いたナギサは、自分たちの分類を思い出した。レベルが違うとは口にしたが、自分たちも足を引っ張る側だと思っていたのだ。何しろズミクロン星系軍は、自分が総司令官代理となって結成したばかりなのだから。 「レベル2から4が加わっているな。そこにレベル9のシルバニアが加わるのだ。差があるなんてものじゃないだろうな」  それぐらいのことは、ノブハルも承知していることだった。だからこそ、無理を通すために各方面との調整を行っていた。その最たるものが、エスデニアとの調整になるのは間違いない。何しろ団体さんを移動させるためには、エスデニアの協力は必要不可欠なものとなっていたのだ。 「ところでノブハル、あの二人は連れてこなかったのかい?」  いつもと言うわけではないが、エリーゼ達はノブハルと一緒にいることが多かった。危険のない今回の旅なら、連れてくるものだと思っていたところがあった。 「真剣勝負だからな。アルテルナタの悪あがきは潰す自信はあるが、万に一つの失敗もあってはいけない。だからだ」  それだけ真剣なのだと口にしたノブハルに、「なるほど」とナギサは大きく頷いた。 「3人揃うと、また死にそうな目に遭うからかと思ったよ」 「もしかして、それが発動条件だったのか?」  言われてみればありすぎる心当たりに、止めてくれとノブハルは右手で顔を押さえた。たしかにそれを考えれば、今回二人を連れてこないのは正解に思えたほどだ。 「まあ、半分冗談なのだが……そこまで真に受けるとは思わなかったよ」  ふっと笑ったナギサは、こっちだとローエングリンが係留されているエリアへとノブハルを連れて行った。並んでいるのはエルマー星系軍の旗艦なのだが、大人と赤ちゃんほどの大きさの差があった。 「君の乗る船を見てみて、どう感じたのか教えてくれないか?」 「どうと言われてもな……」  うんと見上げたノブハルは、「でかいな」と見たままの感想を口にした。 「いやいや、その感想は僕の求めたものじゃないんだがね」 「そう言われてもなぁ、でかいとか銀色をしているとかぐらいしか無いぞ。そもそもこんなものをくれると言う方がどうにかしているだろう。だから俺には、その方がよほど問題だ」 「なるほど、確かに気前よくくれる方がおかしいね。だったらノブハル、君は贈り物へのお礼をしにいかないといけないのじゃないかな?」  くくっと笑いを堪えたのは、ノブハルをからかっていると言う意味なのだろう。ただ言われた方には、かなり切実な問題に違いない。もう一度ローエングリンを見上げたノブハルは、「多分」とこの船の行き先を口にした。 「クリプトサイトからの帰りは、間違いなくシルバニアになるのだろうな」 「一ヶ月も奥さんを放置したんだ、それは仕方がないことだと思うよ」  うんうんと頷いたナギサは、楽しそうにノブハルの背中を叩いた。 「痛いな、おい」 「いやぁ、ノブハルがこんなになるとは想像もしていなかったからね。だから、何かとても楽しいんだよ」  悪いねと笑いながら背中を叩くナギサに、「おい」とノブハルはもう一度文句を言った。 「そうやって、人の背中を嬉しそうに叩くな」 「真顔で叩いたら、喧嘩になるんじゃないのかな」  もう一度笑ったナギサだったら、今度はノブハルの背中を叩かなかった。その代わりノブハルの左手を掴んで、「お兄さん」ととんでもないことを口にした。 「な、なんだ、急にっ!」  慌ててその手を振り払ったのは、それだけノブハルの動揺が大きかったと言うことだろう。心なしか、体はナギサから遠ざかるように傾いていた。 「リンと付き合っているのだから、ノブハルが「お兄さん」でもおかしくないと思うよ。それに、プロムパーティーまであと2ヶ月しかないからね。今年は、僕がリンをエスコートすることになるんだ。まあノブハルは、あの二人をエスコートすることになるのだろうけどね。リンがハイを卒業したら、婚約でもしようかと話をしているよ」 「婚約……お前たちがか?」  今までで一番驚いたノブハルに、「常日頃言われていると思うのだけどね」とナギサは言い返した。 「妹を泣かせたら許さない……と言っていなかったかな?」 「あ、ああ、確かにそう言ってはいたが……」  うむと考え込んだノブハルだったが、「やはりおめでとうなのか」と難しい顔をして呟いた。 「そこは、おめでとうで良いんだよ。それでノブハルは、あの二人をどうするつもりかな? 確かエリーゼの方は、ハイを卒業したらズイコーに戻ることになっていたはずだが?」 「あの二人か……確かに、アルカロイド事件の後始末でそんな話になっていたな」  考えてみたら、あれから1年が過ぎようとしていたのだ。まだ1年と言えるのだが、とても昔のことのように思えてしまった。 「だからノブハルは、プロム前には帰ってこないといけないんだよ。そして、二人に対する結論を考えなくちゃいけない。なぁに、今更二人や三人奥さんが居ても、別に大したことじゃないだろう。そのあたり、トラスティさんを見習ってみたらどうだろうか」 「俺の常識は、一般家庭のそれだと教えたはずなのだが……なのにどうして、よってたかって俺の常識を壊そうとしてくれるのだ?」  おかしいだろうと言ったノブハルに、「非常識なのはノブハルの方だよ」とナギサはとどめを刺した。 「ずっと二人と続けてきたのは、誰でもないノブハルなのだからね。その意味では……」  有無と考えたナギサは、「違うか」と前言を撤回した。 「非常識なのは君達だったね。彼女たちを含めて、どうやら一般のモラルは通用しないようだ」  訂正こそしてくれたが、結局ノブハルを非常識の決めつけからは逃してはくれなかった。ただ単にエリーゼ達が加わっただけなら、訂正などしてくれなくても良いと思えたほどだ。  ノブハルをやり込めたナギサは、「それで」とこれからの予定をもう一度確認した。準備が整ったと言われた以上、すぐにでも出発するのだと考えていたのだ。 「出航はいつにするのかな?」 「それは、お前達次第だと言ってやろう。何しろ通常航行でも、お前たちの足は遅すぎるそうだからな」  悲しくなるほどの事実を告げられたナギサは、「だったら今すぐだ」とノブハルに告げた。 「ズミクロン星系軍は、出発の式典を昨日終わらせているよ。だから今は、君の合図を待っている状態なんだ。さあノブハル、出発の合図をしてくれないか」 「ズミクロン星系軍への号令は、総司令官代理様の役目じゃないのか?」  自分の立場を論ったノブハルに、「だからだよ」とナギサは言い返した。 「ノブハルが、僕に命じてくれれば良いんだよ」  なるほどと頷いたノブハルは、親友の顔を見て「ナギサ・イチモンジ総司令官代理」と呼びかけた。 「可及的速やかに、センター・ステーションから出航せよ」 「その命令、確かに承りました」  姿勢を正したナギサは、胸の所に拳を当てた。どうやらそれが、ズミクロン星系軍の敬礼に採用されたようだ。それに頷いたノブハルは、「アルテッツァ」と相方の名を呼んだ。 「ローエングリンの艦橋に移動してくれ」 「かしこまりました、ノブハル様」  擬人化したアルテッツァが現れた瞬間、ノブハルの姿はナギサの目の前から消失した。さすがはシルバニアと感心したナギサに、「お手伝いしましょうか」とアルテッツァが笑いながら話しかけてきた。 「旗艦に乗るのに、かなり時間がかかりますよね?」  自分たちの実力を言われれば、返す言葉がないのは今更のことだろう。だからナギサは、「お願いするよ」とアルテッツァに頭を下げたのである。  ノブハルがクリプトサイトに向かおうとしている頃、3人の少女たちはハイに登校していた。色々とあって同じクラスになった3人は、机を寄せてお昼のお弁当を食べていた。母親のフミカ特性のお弁当は、普段通りの特盛りである。体の大きな男子でも二の足を踏んでしまうお弁当なのだが、スタイルの良い美少女3人はいつもどおりのペースでお弁当を消費していった。こと食事という世界でも、3人は特別な世界を作り上げていたことになる。 「ねえ、エリーゼさん達はプロムをどうするの?」  そこで話題になったのは、クリプトサイトではなくプロムのことだった。まだ2ヶ月近く開催まで時間があるのだが、そろそろ相手が決まっていないと焦りが出るタイミングでもあったのだ。 「リンさんは、ナギサさんと行かれるのですよね」  鉄板の組み合わせを口にしたエリーゼに、「そりゃね」とリンは苦笑を浮かべた。 「お兄ちゃんには、しっかりと振られてるしね」 「さすがのノブハル様も、妹に手を出す真似はしなかったと言うことですね」  エリーゼの隣では、トウカが大きく頷いていた。 「血がつながっていないのに、お兄ちゃんは妹にしか見てくれないのよねぇ」 「多分ですが、血のつながりではなく、一緒に過ごした時間を問題にしているのかと」  口を挟んできたトウカに、なるほどねとリンは頷いた。血の繋がり云々を忘れれば、自分たちはずっと仲の良い兄妹として時間を過ごしてきたのだ。トウカの言うとおり、その時間はとても貴重なものだと思っていた。 「それで、二人はプロムをどうするの?」 「どうと言われても……昨年と同じにしかならないのかと。昨年もどうにかなったのですから、今年も3人でも大丈夫でしょう」  3人を前提に話すトウカに、「この先はどうするの?」とリンは質問を変えて問いかけた。 「プロムが終わったら、私達はハイを卒業するのよ。エリーゼさんは、確かハイを卒業したらズイコーに戻ることになっていたわよね? トウカさんにはその義務はないはずだけど、それでも身の振り方を考えないといけないんじゃないの?」 「私達の身の振り方……ですか」  少し深刻そうな顔をしたエリーゼは、「お嫁さんが」とトウカの顔を見た。 「普通なら、それが答えになるのですが……」 「事実婚は禁止されていないけど、法律婚では重婚は出来ないわよ。まあ、シルバニア皇帝様は、エルマーの法律外だから忘れてもいいけど」  事実を持ち出したリンに、「ですよね」とエリーゼはため息を吐いた。ちなみに彼女たちの持っていたドカ盛りのお弁当は、すでに胃袋の中に収まっていた。そして胃拡張と過剰摂取カロリーへの対策のため、ノブハル謹製の消化薬が机に置かれていた。 「ノブハル様と相談して、としか答えようがありませんね」 「私も同じです。今更、他の男なんて考えられませんし」  声を揃えた二人に、「だよね」とリンは同意した。そして宙に浮かんだズミクロンを見て、「お兄ちゃんは」とこれからのことを口にした。 「もっと女の人が増えることは無いと思いたいわ」 「私も、そう思いたいのですが……」  口ごもったエリーゼの横から、「多分だめでしょう」とトウカが答えを口にした。 「お兄ちゃんの常識は、ごく普通のもののはずなんだけどねぇ……男女に関してだけなら」  わざわざ男女と断ったのは、それだけ兄の非常識さを見てきたからに他ならない。だが男女関係なら常識的と口にしたリンに、「そうでしょうか?」とトウカが異を唱えた。 「昨年エリーゼに声を掛けた時には、私達はノブハルの常識を疑いましたよ。あれで、男女関係には常識的と言われると、違うだろうと否定をしたくなります」  ですよねと問われたエリーゼは、「そうなのですか?」と驚いたように聞き返した。 「普通は、トウカさんが言っていることの方が正しいわよ。言われてみたら、お兄ちゃんが常識的と言うのも疑わしくなってきたわ」  ああ頭が痛い。そう言ってこめかみを押さえたリンに、「そうなのですか?」とエリーゼは不安げに尋ねた。ノブハルのついでに、自分もおかしいと言われた気がしてならなかったのだ。あまりエリーゼが気にするので、哀れに思ったのかトウカがフォローをしてくれた。ただそのフォローにしても、本当にフォローしているのか疑わしいものだった。 「エリーゼの場合は、少しずれているだけだと思います」 「ずれているのですね」  やはり自分はおかしいのか、ずんと暗くなったエリーゼは、トウカから「強力消化薬」を取り上げたのだった。  息子は宇宙に出て、娘達は学校に行っている。主婦をしているフミカにとって、今が一番のんびり出来る時間である。だから一応の家事を片付けたところで、山盛りのお菓子を持ってダイニングの主になっていた。 「ノブハルも、立派になったわねぇ……一年前は、一生童貞かと心配してたのに」  その息子が、今は3人の女性と関係するまでになっていたのだ。安心するのはどうかと思うし、立派になったと言って良いのか疑問はあるが、確かに変わったことには違いないだろう。 「リンちゃんも、ナギサ君と婚約をするつもりって言っていたし……子供が大きくなるのって、嬉しいようで寂しいものなのね」  ふうっと息をついて、フミカは大きなおせんべいにかじりついた。バリっと言ういい音を立てて、大きな醤油せんべいは真っ二つに割れてくれた。  その片割れを皿においたフミカは、「もう一人作っちゃおうかな」とリンが頭を抱えそうなことを言ってくれた。ノブハルこそ産んでいないが、フミカは立派にリンの母親なのだ。若そうに見えても、40の大台が迫ってきていた。 「まだまだ現役だし……」  そう言ってフミカは、ニットのセーターのたっぷりとした首元を引っ張った。現役と言うだけのことはあり、セントリアよりも豊かな物体がそこにはあった。 「今晩にでも、シュンスケさんにねだってみようかしら」  それが良いと自己解決したフミカは、割れた片方のおせんべいを手に取った。それを口に含んで、バリバリと音を立てて噛み砕いた。 「今度は、男の子が良いかな。でも、リンちゃんみたいに可愛らしい女の子もいいわね……いっその事、両方と言うのも良いかしら。まだシュンスケさんも若いのだから、両方いってもいいわよね」  それが良いと一人勝手に盛り上がって居たフミカだったが、突然現れた人影に「あら」と自分の目をこすった。見間違えでなければ、20年前に死んだ友人がそこに現れたのだ。しかもその姿は、20年以上前のハイの時と変わっていなかった。その上、恥ずかしいコスプレまでしてくれていた。 「投影装置が壊れたのかしら? でも変ね、ユイリのデーターを入れた覚えは無いのに。もしかして、ノブハルの仕業かしら?」  おかしいわねと首をひねった時時、突然ユイリの姿をした存在が「イエル」とフミカに呼びかけた。 「あら、懐かしい名前ね。だったらあなたは、アクサなのかしら?」  椅子に座り直したフミカは、「あなたは誰?」と問い返した。 「そうね、私の名はアクサ。今は、ノブハルのデバイスになっているわ」  少し偉そうに答えたアクサは、もう一度「イエル」とフミカに向かって呼びかけた。突拍子もない話に動じない所は、さすがはノブハル達の親を続けているだけのことはある。 「何? あなたと違って、私は40前のおばちゃんよ。それに、あなたと違って私は人間だから」  人違いよと真面目に答えたフミカに、アクサはもう一度「イエル」と呼びかけた。 「いつまで寝ぼけているの。それとも、無理やり起こしてあげようか?」  にやりとアクサが口元を歪めた時、「やめてくれるかしら」とフミカが答えた。ただその口調は、今までとはガラリと変わって平坦なものだった。 「がさつなあなたと一緒にしないで。それよりも、あなたはエネルギーを使いすぎて消えたんじゃなかったの……ただ、ラナのことはお礼を言わなくちゃいけないわね。もっとも大事な息子のことだから、身を捨ててでも助けるのが親の努めではあるのだけど。とにかく、可愛い息子を助けてくれてありがとう」  もういいから成仏してと口にしたフミカに、「真面目な話なんだけど」とアクサは凄んだ。そしていきなりフミカの前に現れると、両手でその顔をつねった。 「相変わらず乱暴な人ね。それで、あなたのことをなんて呼べば良いのかしら?」  乱暴と文句を言う割に、フミカの顔には表情が欠けていた。 「今のところ、アクサでいいわ。まだ、本当の名前を持ち出す条件が揃っていないもの」 「そう、い……」  フミカが何かを言いかけたところで、アクサが「ストップ」と言って割り込んだ。 「あなたが言い掛けた名前、今はまだ禁忌になっているんだからね。せいぜいIotUぐらいにしておいて」 「面倒くさいわね……それで、わざわざ私の前に現れて何をさせたいの?」  言ったんさいと言いながら、フミカはおせんべいに手を伸ばしてバリっと噛み砕いた。 「ザリアとコスモクロアだったっけ。先に進むためには、それを制圧しないといけないのよ。だから、預けておいたものを持ってきて欲しいんだけど」 「調整してくれる人が居ないわよ」  だからだめと答えたフミカに、「そんなものは必要ない」とアクサは言い返した。 「もともと、わたし用の調整は終わっているのよ。本来の力を取り戻すために、あの指輪が必要だと言うこと。どう、理解して貰えたかしら?」  少し豊かな胸を張ったアクサに、「可哀想に」と答えてフミカはその胸を見た。そして視線を下に移してから、「可哀想に」と繰り返した。今更のことだが、フミカの胸は比べ物にならないぐらい大きかった。 「相変わらず、育っていないのね」 「この体は、10代の私の姿なのよ。だから育っているはずがないでしょ! つべこべ言わずに持ってこないと、今度こそ殲滅してあげるわよ!」  角を生やしそうな勢いに、仕方がないわねとフミカはお茶をすすった。 「あなた、死ぬ前より子供になっていない?」 「もうボケたの、私が死んだのは19の時よ。すべての世界線・時間軸の中、この私が唯一の存在だとあなたは知ってるでしょう」  だから早くもってこい。手のひらに光を集めたアクサを見て、フミカはもう一度仕方がないとため息を吐いた。ただ今度は、お茶を飲むのではなく立ち上がって夫婦の寝室へと入っていった。 「これを渡せばいいのね?」  すぐに戻ってきたフミカは、プラチナの台に赤い石の付いた指輪を持ってきた。貴重な指輪だと考えると、セキュリティもなにもない扱いだった。 「そうよ、つべこべ言わずにこれを渡せばいいのよ」  ふんと偉そうに胸を張ったアクサは、それを自分の左手の指へとはめた。 「自分ではめて、虚しくない?」 「仕方がないでしょ。あのバカは、あなた達の世界に隠れてしまったんだから」  そう言いながら、アクサは左手を目の高さに上げて薬指に光る指輪に目を細めた。 「やっぱり、これをするとしっくりと来るわ。なるほど、今使用されているのはこれ以外に3つあるのね」  指輪からの感覚に、アクサはなるほどともう一度頷いた。 「それで、あなたはこれからどうするつもりなの?」 「とりあえず、ザリアとか言うのに、どちらが上かを教えてあげるわ。後は、ちょっとユウカじゃなくて、アルテッツァの目をさましてやろうかと思ってる。イェルタにちょっかいを掛けるのは、もう少し状況が分かってからね。もしも目覚めていたりしたら、私でもあの子に敵わないから」 「あなたのことだから、無謀にも突っかかっていくのかと思った」  初めて驚いた顔をしたフミカは、「少しは大人になったのね」とアクサを評した。 「違うか、それだけ痛い目に遭っていたと言うことね」  そう言って口元を歪めたフミカに、「やめてくれる」とアクサは言い返した。 「私達は、もともと仲が良かったのよ。おかしな話を作らないで欲しいんだけど」  そう言いながら、アクサは指輪の感触を確かめていた。 「とりあえず、これが欲しかっただけだから。これから、ノブハルを追いかけることにするわ」 「お願いだから、あなたがあの子にとどめを刺さないようにね。あなたの子供でもあるけど、私の子供でもあるんだからね。言うでしょ、生みの母より育ての母って」  おっちょこちょいだからと評され、アクサは少しだけ目元を引きつらせた。 「私がついている以上、あの子を危ない目に遭わせないわよ!」 「でも今は、あの子から離れているわよね」  だからポンコツはと、フミカは自分のこめかみを揉みほぐした。 「用が済んだのなら、さっさと行ってくれない? 私は、これから暇な主婦の特権を謳歌するんだから。そして夜には、愛する旦那様と子作りに勤しむのよ」  うふふと不気味な笑いを浮かべたフミカは、「渡したから」と言ってテーブルに突っ伏した。 「何か、キャラクターが変わってない?」  深すぎるため息を吐いたアクサは、いかんいかんと頭を振った。その拍子に、彼女の赤茶の髪がゆらゆらと揺れた。 「ようやく一緒にいられるようになったのよ。守ってあげるに決まってるでしょう」  青い目を瞬かせたアクサは、「じゃあね」と寝ているフミカに声を掛けた。そしてその場から、掻き消えるようにして姿を消した。追いかける相手は、シルバニア帝国が用意した船でクリプトサイトへと向かっている。普通なら追いつけない相手なのだが、多層空間認識の出来るアクサに不可能はなかった。  アクサが消えてすぐ、寝ていたフミカがむっくりと起き上がった。そして「あれ」とあたりを確かめ首を傾げてくれた。 「確か、ユイリと話をしていたはずなんだけど……夢でも見ていたのかしら?」  おかしいわねと呟いたフミカは、「まあいいか」と山盛りになったおせんべいへと手を伸ばしたのだった。  当初3万と言われた混成軍は、参加星系の増加と野次馬の参戦により4万へと膨れ上がった。ただノブハルにとって頭が痛かったのは、「やじうま」と言われる援軍の存在である。数を揃えることは、シルバニア帝国と3万の艦船で事が足りていたのだ。だから追加の8千は、事態を考えれば「どうでもいい」援軍にしか過ぎなかった。しかも参加理由が「面白いから」と言うのは、総指揮官にしてみれば頭痛の種でしかなかった。  とは言え、遠路はるばる軍を派遣してくれたのだ。しかも千を超える艦艇の派遣には、それなりの費用も掛かってくれる。負担の大きさを考えたら、一応感謝をしなければいけないのだろう。 「かのIotUは、リゲル帝国討伐のためシルバニア帝国、ライマール自由銀河同盟軍を率いたと言われているからね。しかもあっちは、ガチの戦闘をするための派兵だった。それに比べれば、今回は恐喝のための舞台装置でしか無いんだ。物見遊山のついでだと思えば良いんじゃないのかな」  旗艦となるローエングリンに乗り込んできたトラスティは、笑いながらノブハルの肩を叩いた。その顔を見る限り、トラスティもまた物見遊山組なのだろう。その証拠に、今回の遠征には彼の関係した女性たちが大挙して乗り込んでいた。ノブハルが一人も連れてこなかったことを考えれば、意識の違いも分かろうと言うものだ。  ちなみにカイトも同行しているのだが、彼は二人の奥さんを連れてこなかった。ただその理由にしても、面倒を理由に断られたと言う笑えないものだった。  そこで開き直りの出来ないのが、ノブハルのノブハルたる所以なのだろう。少し苛ついたように髪を掻きむしってから、アルテッツァと連絡係を呼び出した。 「各星系軍に、最終目的地に移動すると伝えてくれ。そして移動と同時に、手はず通りに戦闘態勢に移行するよう合わせて伝えてくれ」 「かしこまりました、我が君」  素直に頷いたアルテッツァに、隣に立っていたトラスティがちょっかいを掛けた。 「なにか、僕の時とは随分態度が違うね」 「ノブハル様は、我が分身ライラの夫ですからね。ザリア経由で呼び出したあなたとは、出発点が違っています。それから我が君、各星系軍への伝達は完了しました。ただリゲル帝国軍から、戦士を出撃させていいかと問い合わせが来ていますが……どういたしましょうか? あら、パガニアも同じようなことを言ってきましたね」  どうしますと問われたノブハルは、言下に「却下だ」と答えた。 「4万も集めた以上、脅しとしてはすでに十分だ」 「だけど、戦士なら大気圏内に突入できるよ。クリプトサイトへの脅しとしてなら、更に効果的になると思うのだけどねぇ」  異を唱えたトラスティに、ノブハルは大きくため息を返した。 「戦争の引き金をあまり用意するものではないだろう。血気盛んな戦士のことだ。攻撃でもされたら、10倍以上にお釣りを付けて返すのが目に見えている」 「たぶん、10倍じゃ効かないと思うけどね。一つの都市ぐらい、片手間で廃墟にしてくれると思うよ」  それぐらいの戦力と笑ったトラスティに、ノブハルは「却下だ」と繰り返した。 「ちなみにレムニア帝国軍からも連絡が入っています。クリプトサイト本星の情報系を壊していいかとの問い合わせです」  結局各々が、得意分野で遊びたいと言うのだ。「あー」と天井を見上げたノブハルは、ため息を一つ吐いてから「却下だ」と答えた。 「後から勝手に口を挟んできて、好き勝手出来ると思ってくれるな」  よほど来てくれない方が良かったと、ノブハルは恨めしそうにトラスティを見た。 「いやいや、僕は何も手引はしていないよ。ただ、聞かれたから状況を伝えただけだ」 「それは、手引したと白状しているようなものなのだが」  まあ良いと諦めたノブハルは、参加した星系軍が次々と消えていくのを確認した。すでにクリプトサイトに対して、効果的に情報はリークされていたのだ。だから混成軍の出現に対しても、彼らが早まった対応をすることはないはずだ。 「ナギサに言われたのだが……」  作戦が順調に遂行されているのを確認し、ノブハルは胡乱なものを見る目でトラスティを見た。 「必要以上に、俺に権威付けをしようとしていないか? 俺は、ディアミズレ銀河の統合体を作るつもりなど無いのだがな」 「シルバニア帝国皇帝の夫に、今更権威付けかい? 君はもう、十分な権威を獲得したと思っているのだけどね」  上げた足を取ったトラスティに、「だったら」とノブハルは言い方を変えた。 「それにしたところで、ディアミズレ銀河内では誰も知らないことだった。こうしてリゲル帝国やレムニア帝国、パガニア王国が加わったことで、ディアミズレ銀河内での印象づけをしてくれただろう」 「それにした所で、シルバニア帝国の名前で各星系に協力要請を出したのは君だよ。その時点で、君の名前はディアミズレ銀河の中に広まることになったんだ。そもそも、うちの支店長と言うだけで、結構名前が売れてくれたんだよ」  自業自得と笑ったトラスティは、「ここからが問題だよ」と真顔でノブハルを見た。 「遠くから連れてきた彼らが先走ることがないのは保証しよう。だけど、この銀河から集まった彼らが、余計なことをしないとは限らないんだ。余計なこと、さもなければ獅子身中の虫と言うのかな。迂闊な攻撃が、僕達の正当性を失わせる可能性があるんだよ。だからリゲル帝国とパガニアの戦士には、その対策をさせる必要がある。レムニアの艦隊には、各星系軍の命令を監視させると言う役目もあるんだよ」 「一応アルテッツァに監視させているのだがな」  それぐらいのことは考えている。ただ可能性として抜けが出るのはノブハルも想定していた。その意味で言えば、トラスティのおせっかいはありがたい方面なのは間違いないだろう。 「ただ、今の方が万全なのは言うまでもないだろう」  だから感謝すると、ノブハルはトラスティに頭を下げたのである。  そうしているうちに、混成軍を構成する4万の艦船すべてがクリプトサイト周回軌道へと到達した。 「こうしてみると、どこの星も似ているのだな」 「君達の星は、結構珍しい方に当たると思うよ」  何しろエルマーとズイコーは、連邦の中でも珍しい有人の連星となっていた。それを持って言えば、トラスティの言うことも間違ってはいないことになる。ただ問題にしている意味が違うのは、お互い承知の上のことだった。  「そんなことは良い」と笑ったトラスティは、「君の出番だ」とノブハルの胸を手の甲で叩いた。 「ケレン味たっぷりに脅してあげて欲しいね」 「それは、俺のキャラクターではないと思うのだが……だが、この場合は必要なのだろう」  すでにクリプトサイトの宙域には、リゲル帝国、パガニア王国の戦士が展開していた。彼らが役目を果たしている限り、不測の事態もすべて未然に阻止してくれるだろう。そのためのバックアップも、アルテッツァとレムニア帝国軍が行っていた。  アルテッツァに情報を貰ったノブハルは、最後の仕上げとしてマイクを持った。なぜいまどきマイクなのかと言うと、その方が雰囲気が出ると言う理由からである。 「旅客船ネビュラ1事件被害者を代表して、エルマー星系のノブハル・アオヤマがクリプトサイト政府に要求をする。我々は、先の事件に対して独自に証拠を集めて犯人を特定した。今から名前を出す4人を、8万人虐殺並びに旅客船ネビュラ1、戦艦クロノスX破壊の重犯罪者として引き渡しを要求する。予め通告しておくが、これはクリプトサイトの国内問題ではない。そして犯人引き渡し要求に関して、被害者の所属した200の星系から了解を貰っている。クリプトサイトが引き渡しに応じない場合、こちらも相応の覚悟を見せる容易があることを先に伝えておく」  そこで言葉を切ったノブハルは、小さく息を吸い込んでから犯人の名前を上げた。 「では我々が身柄を要求する重犯罪者の名前だ。アルテルナタ・シラキューサ、モリニア・ウゾ、ユンクス・トト、トリキリティス・ティレルの以上4名である。本件に係る回答期限を24時間後に設定する。それまでに回答が無い場合は、クリプトサイト政府も共犯とみなし、王都を宇宙から消してやる。以上だ」  とりあえずの重責を果たしたところで、ノブハルは小さく息を吐いた。ただ仕掛けは、まだ始まったばかりなのである。表情を引き締めて、アルテッツァにフリーセア王女とヴェルコルディア卿を連れてくるように命じた。 「威嚇攻撃の一つぐらいしてもいいのに」  そう言って笑ったトラスティに、「だめだろう」とノブハルは文句を言った。 「俺たちは、数を嵩にきてハッタリを通そうとしているんだぞ。先に手を出したら、ハッタリをかます必要がなくなる」 「にしてもだ、24時間は時間をあげ過ぎだと思うのだけどね」  まあ良いけどと、トラスティはそれ以上ノブハルのやり方に拘らなかった。フリーセアが移送されてきたのも、話を打ち切るのにはちょうど良かった。  移送されてきたフリーセアは、ちゃんと王女の威厳を保つことが出来ていたようだ。華美ではない、そして適度に飾ったドレスを纏っていたし、うっすらと化粧をした顔は、なかなか綺麗だなと感心させるものを持っていた。何よりも、表情に怯えた所は欠片も見受けられなかった。 「仰せに従い参上いたしました」  仰々しく頭を下げられ、「それは必要ない」とノブハルは即座に口にした。 「それよりも、お前の姉はどう悪あがきをすると思う?」 「国家元首を重犯罪人と決めつけたのですよ。ならば、その証拠を求めるのが定石でしょう」  当たり前の答えに、ノブハルは小さく頷いた。 「それぐらいしか、出来ることはないと言うことか?」 「そうでなければ、反女権派が犯人であると言う証拠を持ち出してくることでしょうか。姉が王位に着くため、反女権派に責任をかぶせています。ですから、クリプトサイトは無関係だと主張は出来ないのかと」 フリーセアの言葉に頷いたノブハルは、「お前ならばどうする?」と尋ねた。この場合のどうするは、アルテルナタの悪あがきに対してのものを言っていた。  その問いに、フリーセアは「私でしたら」と少し目元にシワを寄せて考えた。 「証拠を求められた場合が、一番面倒なのかと思います。その場合、こちらは手の内を晒すことになりますからね。反女権派に責任をかぶせた場合は、クロノスXが攻撃を受けた映像で否定することが出来ます」 「なるほど、確かに証拠を出すのはこちらの手の内を晒すことになるな」  「だったら」と、ノブハルはクロノスXが攻撃を受けた映像を公開する効果を尋ねた。 「クリプトサイトの国内問題ではあるが、反女権派に責任を押し付けているだろう。だがこの映像は、それを真っ向から否定するものだ。さて、クリプトサイトの世論は、どちらに誘導されるのだろうか?」 「それは……」  聞かれた以上、答えない訳にはいかない。だがその意味を考えようとしたところで、フリーセアは別の意図を底から感じ取った。 「もしかして、私の評価をしようとしていませんか?」 「まあ、当たらずとも遠からずと言うところだな。実を言うと、すでに動かぬ証拠は押さえてある」  そこで初めて、ノブハルは救助船の映像データーを持ち出した。 「当たり前だが、収容者はすべて観察されているのだ。したがって、そこで話したことはすべて記録される。これは、テロリスト対策にもなっているそうだ」  「そして」と言って、ノブハルは別の映像を持ち出した。ただこちらは、いささか生々しい光景が映し出されていた。 「ユンクス・トトを誑し込んだ。寝物語で、奴は饒舌にもからくりを口にしたぞ」 「どうやったら、こんな映像が……」  映像の艶めかしさより、その視点がフリーセアには気になった。何しろその目線は、明らかに女性の目線に立っていたのだ。 「簡単なことだ。ユンクス・トトを誑し込むのに、タンガロイド社のアンドロイドを使ったんだ」  そうすることで、二人の交わした会話に映像はすべて記録することができる。人間以上に人間らしいと言われるアンドロイドなのだから、からくりを知らされなければ騙されてもおかしくなかった。 「本当に、なんでもあり……と言うのか、徹底したのですね」  敵にしなくて良かった。フリーセアは、安堵から大きく息を漏らした。 「先程の問への答えですが、「だからどうした」と突っぱねてくるかと思います。そして責任を、攻撃したネビュラ1側に押し付けることでしょう。おそらくですが、防御システムに異常があったと主張するのかと。そして早い避難は、姉の未来視を理由にしてくると思います」 「まあ、そのあたりが妥当なところだろうな」  頷いたノブハルは、「それから」と言って別のデーターを持ち出した。 「これは、回収されたネビュラ1とクロノスXのブラックボックス情報だ。アルテッツァに解析させ、ユンクス・トトがした寝物語の裏付けを得ている」  これだけ証拠を揃えていたのなら、大げさな真似をしなくてもIGPOを使うことも出来たはずだ。そうすれば、こんな手間を掛けずに姉の身柄を確保することも出来ただろう。 「なぜ、面倒な手順を踏むのですか? この証拠を開示するだけで、姉は言い逃れをすることは出来ないはずです」 「なぜ、か?」  フリーセアに問われ、「なぜ」をノブハルは繰り返した。 「言ってみれば、嫌がらせのようなものだろう。後は、悪あがきをさせることで、黒幕としてのアルテルナタの質の悪さを強調することが出来る。嘘というものは、一度吐いたら吐き続けなければいけなくなる。そしてそれがバレた時は、深い墓穴をほった後と言うことだ」  もしかして、もの凄く性格が悪いのではないか。ノブハルの答えに、フリーセアは「王の資質」を見た気がしていた。 「ところで姉が白を切ってきた場合、もしくは証拠を要求した場合はどうするのです?」 「すべての悪事を白日のもとに晒してもいいかと問い返す」  なるほどと頷いたフリーセアは、「私は?」と自分の出番を尋ねた。 「私にも、出番はあるのですよね?」 「そんなものはないっ! と言ってやりたいのだが、まあ作ってやっても良いのだろうな。お前もまた、アルテルナタの被害者には違いないのだからな」  うんと考えたノブハルは、「出番を作ろう」とフリーセアとヴェルコルディアの顔を見た。 「反女権派のヴェルコルディア卿が、身を挺してフリーセア王女を守った。クロノスXの映像記録と、その証言で反女権派の名誉は守られるだろう。なんだったら、お前の姉と直接対決をするか?」  負けても困らないと言い放ったノブハルに、「ひどい男だ」とフリーセアは文句を言った。 「お前に優しくする理由がないからな。何しろ俺は、いきなりスネを蹴飛ばされ、床に口づけをさせられたのだからな」  少し口元を歪めたノブハルに、「やはり性格が悪い」とフリーセアは心の中で評した。そこで不思議な事があるとすれば、フリーセアの中でノブハルの株が上がっていたことだ。性格の悪さが評価につながるあたり、フリーセアの趣味が変わっているのだろう。 「とりあえず、24時間は何も起こらないだろう。呼び出して悪かったな、部屋でのんびりとしていてくれ」 「あなたはどうするのです?」  フリーセアの問いに、「俺か?」とノブハルは少し考えた。 「暇つぶしのネタなら沢山有るからな。何かをして暇をつぶすことになるだろう」  その程度だと答え、ノブハルはアルテッツァを呼び出した。 「フリーセア王女とヴェルコルディア卿を部屋に返してやれ」  「あの」と何か言いかけたフリーセアだったが、ノブハルの命令を聞いたアルテッツァがすぐに部屋へと送り返した。すでに興味を失ったノブハルは、フリーセアの言葉に気づいても居なかった。 「僕から、一つだけ忠告しておこう」  関係者が消えたところで、「良いかな」とトラスティが口を挟んできた。何かクリプトサイトへの対応に問題があったのか、ノブハルの顔に緊張が走った。 「いや、別にクリプトサイトのことは良いんだけどね。ここまでくれば、間違えようもないと思っているから。ただ、女性に苦労している先輩としての忠告をしようと思ってね。フリーセア王女のことだけど、あまり邪険にすると、逆に絡まれることになるよ」 「普通、嫌われるものじゃないのか?」  おかしいだろうと言い返したノブハルに、「普通を理由にするのかい?」とトラスティは逆に言い返した。 「君は、その普通が通用しない相手をどれだけ見てきたのかな? これは、僕の観察結果なのだけどね、彼女は君に興味を抱き始めているよ」 「それこそ嫌われる理由なら山のようにあると思っているのだが……興味を持たれる理由はないはずだ」  うんと唸ったノブハルは、「まずい兆候があるのか?」と人生の先輩に尋ねた。 「そうだね。確かに君は、彼女に嫌われているのだけど……ただ、どうでも良いと言うのに比べ、嫌いと言うのはとても危ない感情なんだよ。僕にも経験があるのだけど、嫌いが裏返るとストーカーになってくれるんだ」  そこでトラスティが思い出したのは、現王妃であるライスフィールの顔だった。出会いは最悪で、「殺してやる」とまで言われた相手である。 「しかも君は、彼女が女王になる道筋を作ろうとしているからね。感情が裏返るのに十分な状況が揃っているんだ」 「そちらのことは、先輩に任せたいのだが……」  はあっとため息を吐いたノブハルは、「気をつけておく」と返した。本当なら冗談だと笑い飛ばすところなのだが、やけに実感が篭った忠告が気になったのだ。 「ああ、気をつけた方がいい。それからもう一つ忠告をすると、彼女たちは思いもよらない手段を取ってくるよ。だから注意だけは怠らないように」  それだけだと言い残して、トラスティもローエングリンの艦橋から消えた。きっと今頃は、同行した奥さん達が待ち構えていることだろう。 「なにか、悪い予感しかしてこないな……」  クリプトサイトの問題が手の内にあるのに、どうして他の問題は手のひらからこぼれ落ちてくれるのか。何か間違っていないか。ノブハルは真剣に悩んだのだった。  回答期限となる10分前に、クリプトサイト政府からの回答が送られてきた。ここまで時間が掛かったことは、少なくともノブハルの予想からは外れていなかった。そして返された回答もまた、予想した範囲のことだった。回答とはなっていたが、武力による恫喝への抗議となっていたのである。 「卑しくも国家の主に対して、証拠もなく重犯罪人とするのは失礼を通り越して侮蔑であると」  と言うことだと、ノブハルは呼び寄せられたフリーセアに回答を見せた。 「本当に予想通りの回答ですね。それであなたは、どう対応されるのですか?」  性格の悪い男のことだから、きっと想像もしない方法をとってくれるのだろう。それを期待したフリーセアに、ノブハルは「予告したとおりだが?」と驚いたような顔をした。 「引き渡しに応じない場合、相応の覚悟を見せると通告したのだ。だったら、相応の覚悟と言うのを見せてやればいい」  そう答えたノブハルは、「副砲用意」と乗員に命じた。 「少し、不便を味わって貰おう」 「不便……ですか?」  それは何をと考えた所で、「照準完了」と言う報告が上がってきた。それに頷いたノブハルは、マイクを取って「不誠実な回答に対する我々の答えだ」とだけ宣言した。その言葉に遅れて、クリプトサイト上空で多くの爆発が発生した。 「まさか、すべての衛星を破壊したと言うのですかっ!」 「まだ、半分程度でしかないな。それに、少し不便を味わってもらうと言ったはずだ」  そこで再びマイクを取り、「3時間の猶予を与える。次は、誠実な回答を期待する」と宣告した。 「さて、アルテルナタは何を考えているのかな?」  そこで顔を見られたフリーセアは、「多分」と姉の考えを推測した。 「大規模な未来視は無理ですけど、身近な者の未来なら見ることが出来ます。だから、今回の答えが何を引き起こすのかは、周りの反応から分かっていたと思います。そして次の答えも、身近な者の反応から推測するのではないかと思います」 「それが、未来視の限界と言うやつだ」  そう口にしたノブハルは、「暇だな」と零した。分かってはいたが、ただ待つだけと言うのは暇でしょうがないのだ。だから集合した混成艦隊に対しても、「遊んでいていい」と指示を出していた。何が起きているのかぐらいは、リアルタイムで各艦隊に伝えられていた。 「ノブハル様、リゲル、パガニアの両戦士が暴れたいと言ってきていますが?」  突然姿を表したアルテッツァは、両国からの苦情を教えてくれた。それを聞かされたノブハルは、「だから嫌だったんだ」と今頃よろしくやっているトラスティの顔を思い出した。どう見ても、自分に対して面倒ばかり押し付けてくれる。そう考えるのは、間違っても被害妄想ではないだろう。 「却下だ。大人しくしないと、ザリアをけしかけると伝えておけ」  ザリアの恐怖は、すでにリゲル帝国とパガニアで共有されていると教えられていた。だからノブハルは、ありがたくそれを利用することにした。ありがたいことに、カイトの方が遥かに真面目そうに見えたのだ。ただけしかけたら何が起こるのかまでは、残念ながら教えてもらっていなかった。  そして「ザリアをけしかける」の効果は、直ちにアルテッツァから教えられた。 「それだけは勘弁して欲しいだそうです」 「いったいザリアは、何をしたのだ?」  さすがに、そこまでの効果を示すとは予想もしていなかった。だからこその疑問になるのだが、あいにくアルテッツァも事情を知らされていなかった。 「さあ、さすがに私も事情を知らされておりませんので」  アルテッツァがトラスティと関わったのは、ザリアが協力的になってからのことだった。だからその前の事件、すなわち10剣聖の一人ニムレスを襲った悲劇は知らなかった。 「さてフリーセア王女、いつごろ答えが返ってくる?」  それぐらいの未来は見えるだろう。その決めつけにムッとしたフリーセアは、「時間ギリギリ」と見えた事実をノブハルに伝えた。 「側近共は、右往左往しているのだろうな。そしてアルテルナタは、近い未来を見て大したことはないと高をくくっている。そんなところか……アルテッツァ、そろそろモニタを出してくれ」  一体何をとフリーセアが首を傾げたその時、目の前に仮想モニタが浮かび上がった。そしてあろうことか、そこにはアルテルナタ女王の姿が映し出されていた。 「カンニングをしようと言うのですか」  相手が何を問題にしているのか分かれば、こちらはそれを見てから次の手を考えればいい。カンニングとフリーセアは言ったが、これはもっと質の悪いことだった。 「バカ正直に、読み合いをする必要など無いだろう」 「それはそうなのですが……さすがのお姉さまも、焦っておいでですね」  映像を見る限りにおいて、アルテルナタの表情は変わっていないように見えた。そこから違いを読み取るところは、さすがは姉妹と言って良いのだろう。 「なるほど、姉妹だけに分かる違いというやつか」 「お姉さまは、私に似ていますから」  だからですと断言したフリーセアに、「似ているのか?」とノブハルは聞き返した。そして失礼にも、フリーセアの体を上から下までじっくりと見てくれた。 「とてもそうは思えないのだが?」 「あなた、随分と失礼なことを言うわね」  ぎろりと睨んだフリーセアは、年齢の違いを持ち出した。 「お姉様は、私より4つも上なのです。私だって、4ヤーもすれば素敵なスタイルになっています。ええ、絶対にそうに違いありません!」 「まあ、夢を持つのは必要だろうな、夢だけはな」  暗に無理だろうと仄めかしたノブハルは、「暇だな」ともう一度零した。 「この程度では、やはり時間は潰れないか。しかも、少しも面白くない」 「やはり、あなたはとても失礼なやつね」 「俺は、正直に生きているのだ」  そう言い返したノブハルは、「アルテッツァ」とパートナーを呼び出した。 「答えが出そうになったら帰ってくる」  そしてそう言い残すと、さっさとブリッジから消えてくれた。 「なんて、失礼な男なんでしょう!」  なっていないと文句を言うフリーセアなのだが、なぜか瞳は潤み頬が赤くなっていた。どうやらトラスティの読みは、形こそ違えど現実のものになりそうだった。  ノブハルがブリッジに戻ってきたのは、クリプトサイト王宮での小田原評定が終わりそうになったところだった。結局クリプトサイトは、責任を反女権派に押し付けることに決めたようだ。そして首謀者を、死んだはずのヴェルコルディアとしてくれた。 「さて、晴れて冤罪を掛けられた訳だが?」  どう思うと問われたヴェルコルディアは、「愚かな」と呆れたようにため息を吐いた。 「まともに考えれば、通用する言い逃れでないのは分かるでしょう。それなのに、いけしゃあしゃあと私を首謀者に仕立て上げますか」  なっていないと嘆いたヴェルコルディアに、「出番だな」とノブハルは彼の顔を見た。 「出番、ですか?」  一体何がと首を傾げたフリーセアに、「回答を受け取る役」とノブハルは笑った。 「ヴェルコルディア卿を、クリプトサイトの通信に出してやるのだ。さて奴らは、生きている人間に責任を押し付けられるだろうか?」 「そう言うことですか……」  どうしてこんないやらしいことを思いつくのか。相当性格が曲がっているのではないか。フリーセアの中で、またノブハルの株が上がっていた。  そしてノブハルが予告したとおり、クリプトサイトからの通信にヴェルコルディアが顔を出した。そんなことをすれば、正式回答など口にできるはずがない。「しばしお待ちを」と、一方的に通信を切られてしまった。 「さて、残った衛星を破壊してやれ」  ノブハルの命令通りに、再度クリプトサイトの上空で多くの光が瞬いた。 「これで、クリプトサイトの上空から衛星は消滅したことになるな」  これでクリプトサイトは、宇宙に対する目を失ったことになる。しかも地上観測機能も失われたため、国民の生活に大きな影響があるのは確かだった。 「自動運転系は壊滅状態になるわ。自立機能を持っているのでも、ジオグラフィックデーターを利用しているのはだめね。これで、国民は大騒ぎをするでしょうね」  困ったものだと言いながら、フリーセアは少しも困った顔をしていなかった。自分が治めていない以上、国民がどうなるかは自分の責任ではなかったのだ。 「さて、不誠実な奴らに次なる条件を突きつけてやるか」  そう口にしたノブハルは、三度マイクを取った。 「不誠実な真似をしたら、覚悟を見せると教えたはずだ。1時間後には、誠実な答えを貰えるものと期待している」 「随分と短いのですね」  24時間から3時間、そして今度は1時間なのだ。答えが難しくなっているのに、猶予時間は短くなっている。これでは答える方は、時間にも追い詰められてしまうだろう。 「短いと言うが、すでに27時間も与えたのだぞ」 「情報を小出しにすることで、悪あがきをさせているだけでしょ」  本当に性格が悪い。ますます気に入ったと、フリーセアはノブハルの評価を上げていた。 「さて、次の答えだが、お前ならどうする?」 「私なら……」  う〜んと考えたフリーセアは、「良くない手ですが」とノブハルの顔を見た。 「ユンクス・トトに責任を押し付けます。お姉さまの気持ちを忖度して、命令もないのに余計な真似をした……あたりが答えとなるでしょうか?」 「まあ、ありがちな答えなのだが。果たして、はいそうですかと、受け入れられると思うかな? クリプトサイトの国民は、今まで反女権派が犯人だと教えられたのだぞ。それが、俺たちが来ただけで王女の側近が犯人なるのだ。まともな判断力を持つ者なら、絶対におかしいと思うだろう」  絶対におかしいと言うのは、今更言われなくても分かっていた。だからフリーセアも、「良くない手」と言い訳を口にしたのである。ただ反女権派に責任を押し付けられなくなった今、数少ない残された手でもある。 「まあ、クロノスXの船長に責任を押し付ける手もあるな。ただそれをした瞬間、シルバニア帝国軍を敵に回すことになるだろう」  ノブハル達の前のモニタでは、再度小田原評定が活発になっていた。ただアルテルナタを守ろうとする限り、絶対に答えの出るはずのない会議でもあった。 「と言うことなので、アルテッツァ、そろそろメルクカッツ准将の報告を放送してやれ」  これで、クロノスX船長メディニラ中尉に責任を押し付けることもできなくなる。結論らしきものが出そうになったところで、この嫌らしい仕掛けをしようというのだ。「素敵」とフリーセアがのぼせたのは、これまでの経緯を考えれば不思議ではないだろう。 「さてフリーセア王女、被害が少なく、なおかつインパクトの大きな場所はどこだ?」 「それはもう、王宮にある大聖堂です。とても目立ちますが、儀式の時以外は人の立ち入りが許されていません。今なら、建物だけの被害ですむと思います」  言葉遣いが変わり、しかも潤んだ瞳で自分を見てくれた。なにかおかしくないかと疑問に感じながら、ノブハルは攻撃目標をアルテッツァに指示した。  そして答えのないまま1時間が過ぎたところで、「やれ」と簡単な命令を発した。これまでと違っていたのは、ローエングリンの砲門が使用されないことだった。その代わり、暇を持て余していたリゲル帝国とパガニア王国の戦士に破壊の指示が出されたのである。「待ってました」と彼らが喜ぶのは、いまさら言うまでもないだろう。そして戦士たちが張り切った結果、王宮の象徴である大聖堂はプラズマの光に包まれ歴史の舞台から姿を消した。多少瓦礫は散らばったが、被害としては恐ろしく軽微なことには違いないだろう。 「これは、不誠実にも答えを寄越さなかった報いと理解しろ。ただ、こちらも野蛮人ではないのだからな。最後のチャンスとして、もう1時間だけ猶予を与えてやる」  そう宣言したノブハルは、とても楽しそうに見えていた。  精神が乱されれば、確実な未来視は行えなくなる。しかも見えた未来は、次の瞬間別の未来に書き換えられてしまうのだ。そんな真似をされれば、未来視に優れているからこそ追い詰められてしまう。絶対の自信が崩されれば、人は自分を保つことができなくなる。 「モリニア」  側近を呼ぶ声がヒステリックになるのも、事情を考えれば無理も無いことだろう。何しろこちらの打つ手は、通告しようとする直前にことごとく意味のないものにされてしまったのだ。だが女王が取り乱すことで、側近以外の不信を増すことになる。「これに」といつも通りに答えたのは、周りを安心させる意味もあった。 「トトはどうしました?」  ヴェルコルディアまで出てきた状況を考えれば、フリーセアが相手の手の内にあることも想定しなくてはいけない。しかもクロノスXの情報まで持っているのだから、こちらの証拠を握られていても不思議ではないだろう。そんな状況の中、どうすれば自分を守ることが出来るのか。未来視が使えない状況の中、アルテルナタは必死に対策を考えた。  その結果導き出されたのは、血を流す覚悟をしなければと言うことだった。 「ユンクスを差し出しますか?」 「無傷で乗り切るのは不可能な状況でしょう」  アルテルナタの答えに、モリニアは小さく頷いた。ここまで追い詰められると、無傷で乗り切るのは不可能となっていたのだ。それどころか、ユンクス一人で乗り切れると言う自信もなかった。 「確かに、ユンクスに因果を含める必要があります」  「これに」とモリニアはユンクスを呼び出すことにした。忠義に厚い彼ならば、汚れ役を厭うことはないだろう。それどころか、女王のためならと命を投げ出すぐらいのことはする男のはずだ。  そしてモリニアが呼び出した10分後、ユンクス・トトはアルテルナタの御前でひれ伏していた。クリプトサイトの状況を知っている彼だからこそ、呼び出された理由も理解していた。もともと自分もリストに入っている以上、どう転んでも無事ではすまないことも理解していたのだ。  その意味で、自分の命で主を守れると言うのは、彼の立場なら喜ぶべきことに違いない。どうせ無事ではすまないのならと、責任を一人で背負い込む覚悟もできていた。ただ隠遁生活を送っていた時と違うのは、ユンクスが一人の女性の顔を思い浮かべたことだった。 「あなたには、申し訳ないことをしたと思っています」  それでも敬愛する主に謝られれば、彼の覚悟も決まろうと言うものだ。モリニアでもなく、トリキリティスでもなく、この自分が身代わりとなり主を救うのである。そこにヒロイックな恍惚感を覚えるのは、まだ若いユンクスには仕方がないことだろう。 「アルテルナタ女王陛下は、何があっても私がお守りいたします」  それを口にすることで、ユンクスはトリキリティスだけでなく、モリニアに対しても強い優越感を抱いたのである。美しさを取り戻した主のためならと、ユンクスが感激するのも無理も無いことだった。 「ではモリニア、混成軍に対して連絡を行いなさい」 「早速、手配を致します」  政治を考えれば、どんな時にでも落とし所は必要となる。ここでユンクスを引き渡すことは、落とし所という意味でも適切だと考えていた。ただ適切だと考えながらも、本当にそうなのかとモリニアは疑問も抱いていた。今自分が相手にしているのは、本当に政治的駆け引きを考えているのだろうかと。  だがいくら考えても、相手の意図など分かるはずがない。そして今の彼らには、最悪ではあるがこれ以上の手段は残されていなかった。ユンクス一人で足りなければ、結果的にアルテルナタ女王を引き渡さないといけなくなるのである。自分やトリキリティスの身柄など、ユンクスと大差はなかったのだ。  通告の時間が迫ったところで、ノブハルは「フリーセア王女」と緊張する王女に声を掛けた。 「次に破壊するとしたら、どこが効果的だ?」  相手の打つ手が分かっている以上、次なる破壊が必要となる。その必要性は、フリーセアも認めていた。そしてノブハル様に尋ねられた以上、もっとも効果的な場所を答える必要があった。 「はい、多少の犠牲を厭わないのであれば。姉の別邸が宜しいかと」 「アルテッツァ、戦士たちに攻撃前に示威行為をするように命令しろ。それを十分にしてから、その別邸とやらを破壊してやれ」  ノブハルの指示は、明らかに人の犠牲を避けるものだった。それを聞いたフリーセアは、「お待ち下さい」と自分の提案を修正した。 「民の退避を意図して示威行為を行うのであれば、王宮を破壊するのが宜しいのかと。一応王宮には防御機能もありますし、シェルターもありますので多少のことなら大丈夫だと思います」  それに頷いたノブハルは、「アルテッツァ」と命令を変更することにした。 「確か剣士には、ドラゴンフォームと言うのがあったな。10体ほどで取り囲んで、破壊前に脅してやれ」 「やり過ぎの気もしますが……」  とことん追い詰めようとするノブハルに、「よほど腹に据えかねたのだ」とアルテッツァは想像した。 「ノブハル様の命令を伝達しました」  アルテッツァの報告と同時に、クリプトサイト王宮上空に10体のドラゴンが現れた。フォルム的にはヘビに似ているのだが、大きく割れた口から覗く牙と、角に似た器官がヘビとは異なっていた。 「さて、連絡を待つとするか」  すでに戦士による破壊が行われているため、ドラゴンフォームで現れるのは脅しではない事を示す意味があった。 「ところでノブハル様、落とし所はどうされるのですか?」  もうすぐ通告の時間が来る所で、フリーセアはこの事件の落とし所を尋ねた。独立した国を相手にする以上、ただ追い詰めるだけでは問題を残してしまうのは分かっている。どんな交渉でも、落とし所は必要だと思っていたのだ。 「落とし所は、最初に示してあるはずだ」 「あくまで、姉の身柄を要求するのですね」  ゴクリとつばを飲み込んだフリーセアに、「最初からそれが目的だ」とノブハルは答えた。 「その意味での落とし所は、お前を即位させて女王にすることだろう。クリプトサイトは正当な後継者を得られるし、反女権派との折り合いもつくことになる。アルテルナタが女王として残る落とし所は用意していない」 「とても、高圧的なことをされるのですね」  もう一度ゴクリとつばを飲み込んだフリーセアは、熱い視線をノブハルに向けた。フリーセアの頭の中では、どう自分の願望を実現すれば良いのか、未来視の能力がフル動員されていた。 「やはり、ユンクス・トトを差し出してくるか」  今まさに連絡をしようとする映像に、「愚かだな」とノブハルは吐き出した。 「アルテルナタは、これで自分のしてきた主張を否定することになるのだぞ。奴は無実の人々に汚名を着せ、過酷な監獄に収監している。その正当性が失われた時、自分の立場が守られるとでも思っているのか?」 「ここまで追い詰められれば、矛盾を気にする余裕はないかと思います」  フリーセアが答えた時、クリプトサイト側から「首謀者であるユンクス・トトを引き渡す」との連絡が入った。そしてその連絡の中には、ユンクス・トトがアルテルナタの命に背き虐殺を実行したと記されていた。 「これでアルテルナタは、自分自身の死刑執行書にサインをしたことになるのだが……」  小さく息を吐いたノブハルは、アルテッツァに「攻撃を」と命じた。その命令から少し遅れて、10体のドラゴンがプラズマ砲を王宮に浴びせかけた。  王宮と言っても、宇宙に進出するだけの技術を持った星である。形こそ伝統に則り、レトロな城塞を模していた。だが使われている素材はクリプトサイトの科学技術の粋を集め、しかも外敵に対する防御機構も備えていた。それもあって、最初の攻撃は外部シールドで持ちこたえることに成功した。 「引き続き攻撃を。次は、もっと威力を上げていいぞ」  ノブハルの命令が伝達され、ドラゴンの体は一回り大きくなった。そして各々の固有発光色を強くし、口から再度プラズマ砲を浴びせかけた。  今度の攻撃でも、王宮を包むシールドが浮かび上がった。だが威力を増したプラズマ砲の前には、シールドも長くは持たなかった。エネルギー機構がオーバーロードしたのか、王宮の周辺部で煙が上がっていた。モニタされた王宮の内部でも、至る所で壁が崩れ始めていた。 「ノブハル様っ!」  自分で攻撃を進言しておきながら、フリーセアは王宮が破壊される光景に耐えられなくなっていた。 「今しばし、攻撃を止めていただけないでしょうか」 「ここから先は、アルテルナタが白旗を揚げるまで攻撃するつもりなのだが」  そう宣告したノブハルは、「何がしたい?」とフリーセアに問いかけた。 「私がっ!」  そこで声を上げたフリーセアは、隣に立つヴェルコルディアを見た。そして彼が頷くのを確認し、「私達が説得します」と答えた。 「のこのこと2人だけで乗り込んでいくと言うのか?」  「却下だ」と冷たく言い返したノブハルは、何かを言いかけたフリーセアを右手で制した。 「アルテッツァ、カイトさんに来て貰えないか?」 「カイト様ですね。すぐにお出でになられるそうです……ところで、トラスティ様はどういたしましょう?」  もう一人を問われたノブハルは、「あの人は……」と少しだけ考えた。 「どっちでもいいと言うか、むしろ来ない方が平和な気がするな」 「だとしたら、ご意思に反する形になるのかと」  アルテッツァがそう答えた時、「冷たいなぁ」と聞きたくない声が聞こえてきた。今更誰かなど確認する必要はない。呼んでも居ないのにトラスティが現れたのである。 「まったく目聡い人だ」  はあっとため息を吐いたノブハルは、「5人で行く」とフリーセアに告げた。ただ、この話はフリーセアには非常識すぎたようだ。 「そ、そんな危険なことをノブハル様にさせる訳には参りません!」  いけませんと大声で反対するフリーセアに、「意見など求めていない」とノブハルは突き放した。そのやり取りを見たトラスティは、隣に立つカイトの耳元で楽しそうにささやいた。 「どうやら、墓穴を掘ったようですね」 「わざとじゃないのか?」  墓穴を掘ったのではなく、意図したのだとカイトは言い切ったのだ。その方がよほど意地悪だと、トラスティは苦笑をした。 「少人数で乗り込むところが、実にいやらしい仕掛けですね。何しろ相手は、名前を知っていても僕達の顔を知らない。少人数と言うのは、勘違いを起こさせる可能性がある」 「俺達を人質に出来ると言う勘違いか?」  鼻で笑ったカイトに、「その勘違い」とトラスティも笑い返した。 「それができれば、起死回生の策になりますからね。ノブハル君の顔は知っていると思いますから、お誘いとしては十分でしょう」 「それで、お前はどこに落とし所を考えている?」  目の前では、フリーセア王女が必死になってノブハルを説得しようとしていた。その必死さを微笑ましく見ながら、カイトはトラスティに生臭い話を振った。 「一応IGPOに確認はしたんですけどね。一国の主を収監するのに、二の足を踏んでいましたよ。まあ、政治的影響が大きすぎるし、今回は話を大きくしすぎましたからね。まっとうな方のアルカロイドに、悪い影響を与えかねないそうです。彼らからすれば、大国の横暴に見えるでしょうからね」 「事件のことを、一応は知っているんだよな?」  それでもクリプトサイトに同情論が出るのは、明日は我が身と考えているのだろうか。さもなければ、中枢国家の横暴に見えているのかもしれない。 「ええ、一応事情は知っているみたいですよ。だから、表立って騒ぐことが出来ないでいます。ただ鬱憤は溜まるでしょうから、連邦としても頭を悩ませていると言うところです」 「で、落とし所はどうなんだ?」  早く言えと肘で突かれたトラスティは、激痛に顔を顰めてしまった。 「僕の体は、兄さんと違って鍛えていないんですよ。まったく……」  流れた脂汗を拭い、「女王は収監します」とトラスティは答えた。 「ただ、無期懲役は流石に無理目ですね。2年程度収監され、その後はクリプトサイトの司法に任されることになるのでしょう。予め言っておきますが、そちらは僕の管轄外です」  なるほどとカイトが頷いた所で、ちょうどノブハル達の問題も決着を見たようだ。まだフリーセアが不満げなのは、ノブハルに押し切られたからだろう。 「痴話喧嘩は終ったかい?」  何かを言いかけたノブハルの機先を制し、トラスティは卑近な話に引きずり込んだ。 「いやいや、なぜ痴話喧嘩と言う話になる」  この人はと、改めて呆れたノブハルは「良いですね」と二人に同意を求めた。 「まあ、兄さんがいれば危ないことはないだろうね」 「俺にはは、あなたが一番危なく思えるんですけどね」  そう言って睨んできたノブハルに、「嫌だなぁ」とトラスティは笑い返した。 「僕は、問題を複雑にするのが好きなだけだよ」 「それが、一番危ないと言っているんだっ!」  まったくと大きく息を吐いたノブハルは、「アルテッツァ」とパートナーを呼び出した。 「俺たち5人を王宮に下ろしてくれ」 「……自力でもいけますよね?」  何しろ5人中3人がデバイス持ちなのである。しかも移動の人数制限がないのだから、何も自分を頼らなくても良いはずなのだ。自分で移動した方がよほど早いのにと思いながら、アルテッツァはおとなしく命令に従った。その辺り、ノブハルの立場がものを言っていた。 「さて、ここからはお前の出番だな」  移動にかかる時間は、瞬きする程度でしか無い。初めてなら驚きもするが、フリーセアは1ヶ月もシルバニア帝国に滞在していたのだ。その間の生活で、空間移動にも慣れていた。  そっと背中を押されたフリーセアは、少し顔を赤くしてノブハルに頷いた。そして顔を姉たちの方へ向け、きゅっと表情を厳しいものに引き締めた。 「ドラセナが次女フリーセアが命じます。アルテルナタ女王、不当な方法で得た王位を返上し、おとなしく法の裁きを受けなさい」  覚悟を決めたからか、さもなければシルバニアでの生活が良かったのか、フリーセアの態度は実に堂々としたものだった。その態度を見れば、王位に着く資格があると誰もが理解することだろう。  ただ返上しろと言われて、はいそうですかと答えられるはずがない。 「力による簒奪が正当な方法だと言うのですか」  とアルテルナタから反論がなされた。形からすれば、大国の力を借りた王位の簒奪と受け取ることが出来る。 「実の妹を反対派とともに殺そうとし、その責任を他人になすりつける卑劣漢に言われたくありませんね。私の命を救ってくれたのは、我が身を挺してくれた反対派の皆さんです。そして被害を拡大しないようにと、反撃を放棄したメディニラ艦長の立派な行いのおかげです。シルバニアの人が、我が身を顧みずに私達二人を脱出装置に押し込んでくれたお陰なのです。皆さんの思いで生かされた私は、その思いに応える義務があるのです!」  「観念しなさい」とフリーセアは姉に敗北を突きつけた。だがアルテルナタは、まだまだ敗北を受け入れる訳にはいかなかった。ここにフリーセアとヴェルコルディア、それにノブハルが揃っていたのだ。その身柄さえ押さえてしまえば、まだ逆転の目は残っていると考えたのである。未来視が働かないのなら、最良と思える悪あがきをすればいいだけだ。 「モリニア、トリキリティスっ!」  アルテルナタの命に従い、彼女の忠臣二人が前に進み出た。そして二人に付き従う形で、護衛達20名あまりがフリーセア達を取り囲んだ。  絶体絶命の場面なのだが、当たり前のようにトラスティとカイトには緊張感はなかった。そのあたり、厳しい顔をしたノブハル達3人と違うところだろう。 「じゃあ兄さん、手はず通りお願いしますね」 「そうだな、無駄な血を流すことはないだろう」  そう答えたカイトは、「ザリア」と己のサーヴァントを呼び出した。そしてそれに少し遅れて、トラスティは「コスモクロア」と己のサーヴァントを呼び出した。  カイトに呼び出されたザリアは、白のローブのような物を纏ってカイトの隣に現れた。黒い髪に紫色の瞳をした、絶世の美女と言うのがザリアの姿である。  そして遅れて現れたコスモクロアは、エメラルド色をしたボディスーツに、白の上着とスカート姿をしていた。ザリアと同様に主の隣に現れたのは、黒い髪に緑色の瞳をした、息をするのも忘れてしまいそうな美しさをもった女性だった。  二人の放つ威厳と静謐な空気に、5人を取り囲んだ者達は息もできないほどの圧力を感じていた。そしてその事情は、フリーセアとヴェルコルディアも同じだった。こんな圧倒的な存在をサーヴァントとして従える二人に、心から恐れを抱いてしまったのだ。 「おいおい、出し惜しみはないと思うよ」 「お前のデバイスをお披露目してくれないのか?」  二人に迫られたノブハルは、「どうして」と言いながらため息を吐いた。 「何か目的が変わっている気がしないでもないが……」  仕方がないともう一度ため息を吐き、「アクサ」と己のサーヴァントを呼び出した。実のところ、ノブハル自身自分で呼び出す初めての機会だった。  ノブハルの命令に従うように、一人の女性が彼の隣に現れた。年齢的にはザリアやコスモクロアより若く見えるが、赤茶の髪に青い瞳をしたザリア達と同様に美しい存在だった。ただ威厳を感じさせるには、少し受ける印象が「軽い」ところがあるのも確かだろう。それは、彼女の衣装がフヨウガクエンの制服と言うのも影響しているようだ。 「それが、君のデバイスなのだね」  なるほどと頷いたトラスティは、「アクサ」とノブハルのデバイスに話しかけた。ただアクサは、トラスティに答えず冷たい視線を返してくれた。  やはり目的が違っていたか。トラスティの態度にそれを理解したノブハルは、目的は果たすために固まってしまったフリーセアの肩に手をおいた。それで金縛りから解けたフリーセアは、「抵抗は無意味です」と姉を睨み返した。3体のデバイスから感じる圧倒的な力は、何も知らないフリーセアにも感じ取ることが出来た。  その事情は、百戦錬磨のモリニアも同様だった。セントリア相手ならなんとか出来ると思っていたモリニアも、目の前の存在を相手にできると言う考えが浮かばなかったのだ。もしも抵抗しようものなら、相手に触れることも出来ずに自分たちなど消し去られてしまうだろう。それほどの差を、3体のデバイスから感じ取ったのである。そしてその事実は、アルテルナタも未来として見ていた。未来視では覆すことの出来ない、圧倒的存在を改めて突きつけられたのである。 「お姉さまにも、結果が見えているはずです」  だからそれに従えと、フリーセアは姉に命令したのである。たとえどんな形で抵抗しても、結果を覆すことが出来ないのは分かっていたのだ。それは未来視を使えるかに関わらず、間違いの無い事実として認識されたのだった。  こうして8万もの人々を犠牲にした旅客船ネビュラ1の事件は、首謀者の投降・逮捕によって幕を閉じることとなった。  アルテルナタ女王の投降から1ヶ月後、トラスティはアムネシア娼館にカイトを尋ねていた。 「兄さんには伝えておきます」  色々と身動きしにくくなった兄を巻き込んだ以上、顛末ぐらいは伝えておくのが礼儀に違いない。そして独自に調べたこと、そして意見交換をしたいことがカイトとはあった。 「クリプトサイトのアルテルナタ前女王ですが、司法取引の結果禁錮2年になりました。おつきの3人は、多少長いですけど懲役10年です。しでかしたことに比べれば、刑としては驚くほど軽いことになりますね」 「それが、お前の言っていた落とし所と言うことか?」  カイトの指摘に、「その辺りは」とトラスティは笑った。 「ノブハル君は不満があるようですが、法に基づいた決定と言うことで諦めたようです」 「一星系の主を訴追するには、証拠としていささか問題があったからなぁ」  カイトが苦笑を浮かべたのは、証拠を集めるのにとった手段を言っていた。精神操作こそ使用しなかったが、違法スレスレ、さもなければ違法の領域に踏み込んだものが多かったのだ。本来なら証拠として採用されるかどうかも疑わしいものである。  ただアルテルナタに罪を負わせないと、ディアミズレ銀河内で戦争が勃発する可能性があったのも確かだった。証拠確保の方法が連邦法に触れるかどうかは、国民を殺された星系の関知する話ではなかったのだ。連邦法の限界で罪に問えないのなら、同じく連邦法で認められた交戦権を使用することを各星系は選択していただろう。その中にシルバニア帝国まで含まれていたことに慌てた役人が、裏で動いて司法取引を成立させたと言うのが現実だった。 「ちなみに、ライラ皇帝にはスターク元帥から苦情があったそうですよ」 「皇帝に苦情か? 笑い飛ばされるのが落ちじゃないのか?」  実のところ、カイトのところにも苦情が来ていたのだ。「なぜ止めない」と言うパウエル大佐の苦情に、「どうして?」とカイトは筋違いを理由に突っぱねたのである。どうやら、ハウンド全員を叩きのめす程度では、まだ物足りなかったのだろう。  カイトの指摘に、トラスティは笑いながら頷いた。 「一戦交えてみるかと挑発されたようですよ。シルバニア帝国の宙域で、アルテッツァをバックにした我に勝てると思うのかと脅したそうです」 「それでも不足なら、リゲル帝国、レムニア帝国にも声をかけると言ったのだろう?」  同じように笑い飛ばしたカイトに向かって、「まさにその通り」とトラスティは大きく頷いた。 「今回は、エスデニアやパガニアも絡んでいますからね。だからスターク元帥も、苦情を言うしかできなかったと言うことです。もう少し正確に言うのなら、苦情を言ったと言う事実を作りたかったと言うところでしょうね。何もアクションを起こさなければ、連邦が認めたことになってしまう。まあ、皆さん落とし所に腐心したと言うことです」  それが一つと笑ったトラスティは、急に表情を引き締めて「ザリア」とカイトのサーヴァントを呼び出した。 「なんだ、我にエネルギーを供給してくれるのか?」  剣呑なことを口にしたのは、黒い髪に紫の瞳をした妙齢の美女である。アムネシア娼館を意識したのか、さもなければトラスティをからかうためなのか、とても布の少ない恰好で現れた。ちなみに肩紐のない帯のような白のビキニと言うのが、今のザリアの恰好だった。 「全力で抵抗させてもらうよ」  カムイのエネルギーを吸われるのは、さすがのトラスティでも辛いことだった。だからトラスティは、対抗するために「コスモクロア」と己のサーヴァントを呼び出した。  その呼出に応じて現れたのは、黒い髪に緑色の瞳をした同じく妙齢の美女である。している恰好は、なぜかザリアと同じく胸が零れそうな白のビキニだった。 「ザリア、我が君のエネルギーを吸うのを許すとお思いですか? これは、私のものですよ」 「頼むコスモクロア、話を厄介な方向に曲げないでくれ」  ああっと右手で顔を隠したトラスティに、「冗談です」と笑ってコスモクロアは衣装をパンツスタイルに変えた。ベージュのパンツに、少しゆったり目の茜色の半袖姿は、しっとりとした印象をコスモクロアに加えていた。  そしてザリアも、コスモクロアに倣って衣装を変えていた。こちらは、紺のパンツにベージュの半袖を選んでいた。その格好自体は、アズマノミヤの街で普通に見かけるものと少しも違っていなかった。 「それでトラスティよ、我を呼び出してなんの用だ? アルテルナタを収監した監獄を、宇宙の塵にでも変えろと言うのか?」 「用があるのは、ラズライティシアとオンファスとしての君たちだよ」  そう答えたトラスティは、「アクサ」とノブハルのサーヴァントの名を出した。 「君たちは、アクサと言う存在に心当たりはあるかな?」  トラスティの問いに、ザリアとコスモクロアは一度顔を見合わせた。 「いや、我の記憶回路には情報はないな」  そう答えたザリアは、「待て」とトラスティの機先を制した。 「あの者が、ただのデバイスで無いのは認めよう。どう言う理由か分からないが、我らに匹敵する巨大なエネルギーを内包しておるようだ。可能性として考えられるのは、ミラクルブラッドだったか、あの指輪を持っておることだ。ただIotUが作ったとされる指輪12個の所在は、すでに明らかになっておる。だとしたら、あの者が持っておるのは指輪ではないことになるのだ。ならば、どのようにしてあのような巨大なエネルギーを得ることが出来たのか。残念ながら、その答えを我は持ち合わせておらぬのだ」 「前に話しのあった、13番めと言うことはないのかな?」  過去グラブロウ事件で持ち出された話に、「否定はしきれぬ」とザリアは答えた。 「それにしても、あくまで可能性と言う意味でしか無いがな。我の記憶の中では、IotUは指輪を12しか作っておらぬ。もっとも、ディアミズレ銀河が連邦に加わった時期を考えれば、我が知らぬ指輪があってもおかしくはない。だがな、指輪を与えるような相手がいれば、何らかの形で伝承として伝えられたはずだ。だが多くの愛人の記録はあるのに、ディアミズレ銀河にはそれがないのだ。だから我には、可能性を肯定するのと同時に、分からぬと答えるしか無いことになる」 「それは、オンファスも同じと言うことだね?」  トラスティの問いに、オンファスははっきりと頷いた。 「ラズライティシア様の答えに、付け加える事はありません」 「その辺りは、予想した範囲と言うことか」  うむと唸ったトラスティは、これからの対応を考えることにした。折角アクサと言う新しい手掛かりが見つかったのに、そこからの発展が何もなかったのだ。 「一度、アクサと話をしてみる必要がある……と言うことか」  果たして、ザリアのように「大人しく」答えてくれるのだろうか。クリプトサイト王宮でのことを思い出し、難しいなとトラスティはため息を吐き出した。ザリアと違って、アクサからは相手にされていないような気がしてしまったのだ。  もっとも、トラスティはその程度で引き下がるような男ではない。どうやったら同じ土俵に引きずり出すことが出来るのか。正攻法で行くか、搦手から攻めて見るか。自分のサーヴァントの隠し事も暴ききれてないのに、他人のサーヴァントの隠しごとを暴くことが出来るのか。ザリアとコスモクロアの顔を見たトラスティは、どうしたものかと長考に入ったのである。  これだけピースが揃ったのに、まだ何かのピースが足りていないのか。それが一体何なのか、流石のトラスティにも見当がつかなかったのだ。  皇帝ライラに貰いはしたが、ノブハルはアクサを苦手にしていた。その唯一にして最大の理由は、自分の母親と同じ姿をしていると言うことだ。  とは言え、せっかくデバイスを得たのだから、いつまでも放置しておく訳にもいかない。アルテルナタの件に片がついたのを区切りとして、ノブハルはアクサと向かい合うことにした。ただそれを考えた場所は、いささか問題があるとしか言えない場所だった。  同じ部屋にある秘書机は、主を失ってから2ヶ月以上過ぎていた。それをため息混じりに見たノブハルは、「アクサ」と己のサーヴァントに呼びかけた。 「呼んだ?」  そう答えて現れたのは、年の頃なら自分と同じぐらいのとても美しい女性だった。レディッシュと言われる赤茶色の髪に、澄んだ青い瞳をした肌の白い女性(ヒト)である。今日のアクサは、ノブハルにも馴染みのあるハイの制服姿をしていた。 「ああ、色々と話しをしたいと思ったのだが……その前に、その格好に何か意味があるのか?」  フヨウガクエンの制服にも疑問なのだが、ハイの制服にはさらに疑問を感じてしまったのだ。 「これ? ノブハルの記憶(アタマ)の中から、ふさわしい姿を検索した結果なんだけど?」  やけに砕けた言い方をするアクサに、「もう一つ」とノブハルは質問を口にした。 「俺に対する言葉遣いが変わった気がするのだが?」 「あなたと同年代の少女の言葉遣いを参考にしたのだけど。気に入らないのなら、敬語に切り替えるわよ」  そう答えたアクサは、「ノブハル様」とガラリと雰囲気を変えて名前を呼んだ。 「何なりと、お申し付けください」  とても他人行儀で、なおかつ距離を置いた言葉遣いに、ノブハルは「前のでいい」と答えた。 「なにか、背中が痒くなってしまいそうだ」 「だから、普通の言葉遣いを選んだよの」  少し偉そうに胸をそらしたアクサは、「それで?」と呼び出した理由を尋ねた。 「いや、お前を貰いはしたが、俺には何が出来るのか全く分からないのだ。情報としてはアルテッツァに教えてもらったが、なんと言うか、実感が伴わないと言えばいいのか……」  うむと唸ったノブハルに、「りょーかい」とアクサは軽く答えた。 「要は、実際に体験してみたいと言うことね」 「有り体に言えばそう言うことなのだろうがっ、な、なんだっ!」  いきなり目の前に移動され、さすがのノブハルも慌ててしまった。だがアクサの方は至って冷静……と言うわりには、頬を紅潮させていたりする。そして頬を赤くしたまま、ノブハルの顔を両手で押さえ込んで唇を重ねてきた。もちろんただの人であるノブハルに、デバイスに抗う力などない。ナスがママに唇を奪われたノブハルは、次の瞬間体の中に巨大な力が生まれたのに気がついた。 「とりあえず、部分融合をしたわよ。これだけでも、かなりのことが出来るのだけど……」  唇を離したアクサは、「どう?」とノブハルに今の状態を尋ねた。 「何か、体の中から力が湧いてくると言うのか……」 「支店長室の備品で試さないでね。こんなもの、簡単に粉々に出来るから」  物騒なことを言うアクサに、そうなのかとノブハルは目元を引きつらせた。 「そうね、この前集まった艦隊があるでしょ。完全融合したら、あれぐらいなら一人で片付けることが出来るわ。とりあえず、完全融合をしてみましょうか」  何事も経験だからと笑い、アクサはもう一度ノブハルに唇を重ねた。本当はこんな真似は必要ないのだが、これは自分の願望を果たすと言う意味を持っていた。  アクサの姿が消えたのと同時に、ノブハルは先程とは桁違いの力が溢れてくるのを感じていた。 「これが、デバイスの力と言うのか……」  恐ろしいと震えたノブハルに、「散歩するから」とアクサは直接脳に語りかけた。 「散歩って……どこに行くのだ?」  普通の所に行こうものなら、とんでもない被害を出してしまいそうな気がしたのだ。だがノブハルが疑問を口にした次の瞬間、その体は何もない宇宙空間へと移動させられていた。そこでパニックを起こしかけたノブハルだったが、すぐに何も問題がないことに逆に驚かされることになった。 「デバイスの能力として、宇宙空間での活動と言う物があるわ。これで、ライラがあなたを守るためと言った意味が理解できた? もちろん、もっと凄いことも出来るのだけど……」  うんと考えたアクサは、再度ノブハルの存在位置を別の場所へと変えた。ただそれが非常識なのは、光り輝く場所へと移動させられたことだった。 「ここは何処なのだ?」  眩しいなとは思ったが、ここがどこかまでは分からなかった。そんなノブハルに、「エルマー星系主星」とアクサは答えた。 「周辺温度は、10万度を超えてるかな? どう、もっと凄いことが出来ると言う意味、その片鱗を掴んでくれた?」 「……もっと凄いことレベルではないのだが」  太陽にあぶられながら、ノブハルはううむと唸ってしまった。周辺の温度と熱量を考えたら、自分は蒸発していないとおかしいのだ。だがそんな環境に居ながら、ノブハルは少しも不便を感じていなかった。冷静に考えれば、非常識としか言いようのない状況である。 「これで、時間を超えでもしたら非常識どころではないな」  思わず呟いたノブハルに、「流石にそれは無理」とアクサは答えた。 「時間の遅延とか加速ぐらいなら出来るけどね。ちょっと無理をすれば、短期間の停止もできる……かなぁ」  どうだろうと考えながら、アクサは三度場所を変えた。ただ今度の場所にしても、ノブハルには心当たりのない場所だった。 「ここは?」 「あんたの乗った船が爆発した場所。時間の逆行ができるのか試してみようと思ったのだけど……やっぱり無理だったみたいね。もしも出来たら、セントリアって子を助けてあげられたのに」  残念ねと慰められ、ノブハルは「そうなのか」と少し落胆した声を出した。 「そうね、時間を逆行して助けるのは無理みたい。ただ、本当に助けられないのかはまだ分からないけどね」 「爆発に巻き込まれたのを、どうやって助けると言うのだ」  流石にと口にした瞬間、ノブハルの頭の中に膨大な情報が流れ込んできた。「これは」と言いかけた所で、それがこの宙域に溢れている電波だとノブハルは理解した。 「アルテッツァ、この情報をフィルタリング出来るか?」  すぐにその意図を理解したノブハルは、もう一人のサーヴァント、アルテッツァを呼び出した。情報があれば、その情報を整理してやればいい。その目的には、アルテッツァは連邦最強だったのだ。 「脱出ポッドの使う信号でフィルタリングを掛けました」  これぐらいのことは、アルテッツァには朝飯前の事のようだ。あっと言う間に情報が整理され、ノブハルの頭に少なくない脱出ポッドの情報が展開された。 「ざっと見て、200近くと言うことか……」  すでにスリープ状態に入っているせいで、電波としてはとても弱いものになっていた。それをセンス出来たアクサの能力に驚くのと同時に、ノブハルはまだ救うべき人が居る事実を喜んだ。10万から見れば、200と言うのは僅かな数字としか言えないだろう。だがその200に数えられる人には、それぞれに家族が居て、平和な暮らしを送っていたはずなのだ。その人達の命を救うことは、自分の役目なのだと思えていた。 「脱出ポッドの回収が必要なのだが……」  事件から3ヶ月近くも経過すれば、捜索の規模も縮小されることになる。現場近くをセンシングしてみたが、エスメラルダのコスモガードの船影を見つけることはできなかった。 「アルテッツァ、ローエングリンを越させられるか?」 「すでに、出港指示を出してあります」  エヘンと偉そうな真似をしたアルテッツァに、ノブハルは「ありがとう」と心からの感謝を伝えた。 「え、ええっと、ですね。5時間もすれば、この宙域に到着する予定です」  そのときの顔が可愛らしくて、ついアルテッツァもノブハルを意識してしまった。コンピューターにあるまじくしどろもどろになったアルテッツァに、ノブハルはもう一度「ありがとう」と伝えた。 「悪いけど、私にもこれが限界ね。後は、セントリアだったっけ? その子の悪運を願うことね」  そう言って謝ったアクサに、ノブハルははっきりと首を横に振った。 「それは、謝られるようなことじゃないだろう。救えるはずなのに、まだ救えていなかった人たちを救うことが出来る。今は、それだけで十分だと俺は思っているさ」  そう言って胸を張ったノブハルに、「そう」とアクサはそっけない答えを口にした。そしてアルテッツァは、とても申し訳なさそうに「ところで」とノブハルに語りかけてきた。 「ライラ様が、勘違いをなされたようです」 「俺が、逢いに行くと言うことか……義務は、確か2ヶ月程度と言うことだった気がするが」  前回出撃をした際、シルバニアには帰りに立ち寄っていたのだ。その意味で言えば、義務は果たされたことになるはずだ。 「だめよノブハル、女の子はちゃんとご機嫌をとらないと」 「……そう言う問題なのか?」  そうなのかとアルテッツァに聞いてみたのだが、「アクサの言う通り」と言う答えしか引き出せなかった。 「1ヶ月前に顔を出しているはずなのだが……」 「本音と建前を理解してあげるのが、いい男の条件なのよ」  だからと言って、アクサは再度ノブハルの存在位置を変更した。どうしてここに飛べるのだとアルテッツァは驚いたのだが、アクサはそれを説明しなかった。そしてその事情は、ライラも同じだったのだろう。ノブハルに逢えて嬉しい半面、どうしてなのだと解けない疑問を感じてしまった。 「色々と説明していただきたい気持ちなのですが……ですが、私を可愛がるためにお出でになられたのですよね」  ぽっと顔を赤くしたライラは、「こちらに」とノブハルの手を引いて自分の寝所に連れて行こうとした。 「い、いや、俺は汗臭くなっているぞ」 「その程度の事でしたら……」  パチンとライラが指を鳴らした瞬間、ノブハルは肌がゾワリとする感覚を味わった。 「簡単なシャワーのようなものです。体を一度素粒子レベルまで分解し、再度構築を行いました」 「ぶ、分解されたのかっ、俺は!」  あまりにもありえない答えに、ノブハルは大いに狼狽えていた。だがライラに取ってみれば、そんなことはどうでもいいことだった。肝心なのは、ノブハル側の事情を解消したことである。 「そう言うことなので、我が君、存分に可愛がってくださいね」  意外な力強さで、ライラはノブハルを自分の寝所へと引っ張っていった。そしてそれから4時間ほど、彼女への連絡は緊急事態を除いて遮断されたのである。  セントリアの収容されたカプセル発見の知らせを聞かされたのは、それからさらに8時間が経過した時のことだった。 続く