Mr. Incredible −03  リンラ・ランカのライブに、10万人を収容できるホールは今日も満員の観客を迎えていた。ホールの中央に配された浮島のようなステージの上では、コンサートの主であるリンラが歌い踊っている。コンサートの主が女性と言う割に、観客には同性の姿も多く見られていた。そのあたり、彼女のライフスタイルに対する共感が理由になっていると言うのがマスコミの分析である。  まるで万華鏡のように衣装を変えながら踊るリンラは、ズミクロン星系有数のトップアイドルと言われていた。衣装に合わせて変える髪型は、今は漆黒のロングとなっていた。そしてアスではセーラー服と言われる黒の衣装に身を包み、スカートの裾を翻しながら踊りまくっていた。 「次の曲は、「もう嫌、巻き込まれ体質!」」  その声と同時に、ステージ衣装は上着だけが白へと変化をした。そして黒い髪には、赤色のカチューシャがはめられていた。その上、目も悪くないのに野暮ったいメガネまで用意されていた。 「平和な日常が僕の望みなのにぃ!」  まるで誰かを思い浮かべたかのように、リンラはメランコリックに歌い上げた。一転してしっとりとした雰囲気をまとうリンラに、詰めかけた観客たちは感嘆のため息で応えたのである。それを見る限り、今日のコンサートも大成功のようだった。  ズミクロン星系のある銀河は、棒渦巻き銀河と、連邦の中ではごくありふれた構造をしていた。そのありふれた銀河が有名なのは、超銀河連邦へ最後に盟したことが理由になっていた。そのため数字による識別子は、10,000番と言うとても切りの良い数字が割り振られていた。ただディアズミレ銀河と呼ばれる銀河の特徴は、それ以外に無いと言う寂しい現実がある。その意味で、順番以外もありふれた存在だといえるだろう。  そんなありふれた銀河に有るズミクロン星系だが、ある特徴を持つことで有名になっていた。その特徴と言うのが、有人惑星がほぼ同じ大きさを持つ連星となっていたことである。  赤道半径で3,801kmの大きさを持つのが、第3−aのズミクロンと言う惑星である。地表のおよそ72%を海が覆い、そこに約30億の人々が暮らしていた。  そしてもう一つ、第3−bのエルマーと言う惑星が有る。こちらは地表のおよそ68%を海が覆い、同様に約30億の人々が暮らしていた。両惑星の距離はおよそ60万キロ、仮想中心点を中心に20日の周期で回転していた。  この二つの惑星、双子星と呼ばれる惑星が特異なのは、ただ有人の連星と言うだけではない。仮想中心点を中心に公転をしているのだが、さらにその回転面が主星であるズミクロンの公転周期と同じ周期で回転していたのだ。その為双子星の回転面は常に主星ズミクロンへと向いていた。  100年周期の「兄弟喧嘩」も終わったことが有り、今は両惑星の関係は極めて良好だった。  およそ2時間のステージは、2度めのアンコールの曲を歌い終わった所で終幕を迎えることになる。「泥沼の三角関係」を歌い終わったところで、熱狂したファン達はさらなる歓声を上げていた。ただ用意された熱狂は、これで打ち止めのようだ。彼らを収容したホールには、すでに白い光が満たされ退場口への誘導が始まっていた。そして中央のステージでは、歌い終わったリンラがゆっくりと地下へと降りていった。  地下に降りることで、体全体に感じていたプレッシャーから開放されることになる。そしてプレッシャーの代わりに、強い疲労感がリンラを襲っていた。体全体から湯気を立ち上らせたリンラは、膝に両手を当て浅く早い呼吸を繰り返した。毎度のことなのだが、2時間にも及ぶワンマンステージは、体力を極限まで削ってくれたのだ。長い時間もそうだが、360度どこから見られている緊張は更に非労に輪をかけてくれた。  そんなリンラに未だアルバイトを続けるノブハルがタオル手を差し出した。とりあえず汗を拭えと言うことなのだが、リンラはタオルを取らずに汗に濡れた顔をノブハルの胸にこすりつけた。 「俺のシャツは、タオルじゃない」  困ったものだと吐き出したノブハルは、持っていたタオルをリンラの頭に掛けた。そして肩に両手を当てて、自分から妹を引き剥がした。 「別に、マーキングしているだけよ」 「一体、誰に対してのマーキングなのだ?」  はあっと息を吐き出したノブハルは、「ユーケル起動」と疲労回復薬の起動を命じた。その途端、少し黄色いガスがリンラの体を包み込んだ。 「もう、大丈夫だろう」  「さっさと行くぞ」と声を掛けた兄に、リンラは「抱っこ」と甘えた声を出した。 「今更、抱っこの必要もないだろう。ああ、分かっている。これも、バイト代の内と言うのだろう」  仕方がないと呟きながら、ノブハルは妹を抱き上げた。それが嬉しかったのか、リンラは自分の顔を兄の顔にこすりつけた。どうやら先日の事件以来、ブラコンがますます酷くなったようだ。  ただ今更それに文句をいうわけにもいかないと、ノブハルは妹を抱きかかえたままスタッフたちの方へと向かった。相変わらず金欠状態の続くノブハルは、結局妹にこき使われる立場を脱却できていなかった。 「ブラコンとシスコン?」  そんな二人を迎えたのは、ミズキとは違う女性だった。年齢的には、ノブハルと同じぐらいなのだろう。茶色の髪をポニーテールにした、トウカよりも大きな胸をした少女である。ただ腰回りはトウカの方が細いので、スタイルはいい勝負と言う所だろうか。見た目に関して言えば、ミズキがスカウトしたいと言うぐらいには綺麗だった。  彼女の名前は、セントリア・イガラシと言う。今までマネージャーをしていたミズキが首になった訳ではなく、シルバニア帝国から派遣されたノブハルのボディガードである。そのあたり、ノブハルが夫候補第二位に指名されたのが理由になっていた。もう少し正確に言うのなら、短期間で二度も死にかけた実績に、ボディガードが必要と判断されたのである。  「ボディガードなら」と当たり前のようにトウカが反発したのだが、圧倒的な実力差の前に屈服させられたと言う現実がそこにあった。 「それの、どこに問題が? ちなみにお兄ちゃんは、マザコンも持っているのよ」  自慢げに語るリンラに、セントリアは小さくため息を返した。 「それって、自慢気に語ること?」  セントリアは、近衛の中では遊撃隊の身分を持っていた。ちなみに遊撃隊と言うのは、一般人に紛れて皇帝に対するテロ等に備える役割である。その為普通の生活をしていたはずなのだが、それはシルバニアと言う環境のものでしかない。同時に、彼女の生きる極めて限定された状況にのみ適用できるものでしかなかった。  そのためエルマーでの常識に疎い彼女は、普段からかなり緊張した生活を強いられていた。そればかりが理由とは言えないが、言葉遣いはかなりぶっきらぼうで、抑揚に欠けた喋り方になっていた。 「お、俺は、別にマザコンじゃないぞ!」 「シスコンは否定しないのね」  冷静なツッコミに、ノブハルは二の句を継げなくなってしまった。他の少女たちとは違い、セントリアはとても冷静で、そして容赦の無いツッコミをしてくれていた。 「ところで、ミズキさんは?」  普段なら、コンサートが終われば真っ先に駆けつけてくれるのがミズキだった。だがあたりを見ても、どこにもその姿が見つけられなかった。 「彼女なら、どこかでサボっているんじゃないの? 職務を疎かにするのは、シルバニアでは考えられないことなんだけど」 「いやいや、エルマーでだって褒められたことじゃないよ。それって」  少しもフォローになっていない言葉を吐き、リンラは兄に「下ろして」と声を掛けた。ミズキが居ないのなら、いつまでも抱っこをして貰う理由もなかったのだ。ならばさっさと家に帰るのが、リンラにとって優先事項になっていた。 「まだ暑いから、涼しい格好が良いかな?」 「涼しい格好だな」  小さく頷いたノブハルは、いつもどおりパチンと指を鳴らした。そしてその音に遅れて、リンラの格好はグリーンのステージ衣装からベージュのワンピースへと変わった。そして顔にされていたキツめの化粧が消え、ほぼすっぴんの顔へと戻っていた。 「いつ見ても、なかなか面白い仕掛けね」 「一応、お兄ちゃんの発明品よ!」  凄いでしょうと威張ったリンに、セントリアは小さく頷いた。 「俗に言う、才能の無駄遣いと言う奴ね」 「い、いや、一応役に立っているのだから、無駄遣いとは言われたくないな」  慌てて割り込んできたノブハルに、「貧乏なのに?」とセントリアは逆襲した。 「普通は、それだけの才覚があればお金には困らないものよ。シスコンが理由だと思うけど、こんな安いバイト代でこき使われている理由はないはず」  だから才能の無駄遣いと、セントリアは反論のしようのない決めつけをしてくれたのだ。  帰りのシェアライドは、セントリアが来てから3人乗りになってしまった。それでもカミングアウトしたリンは、全く遠慮なくノブハルにベタベタとくっついていた。目障りな女性が一人いるのだが、黙っていれば干渉はしてこないのだ。そして干渉をしてこないのなら、それは居ないのと同じだった。車の中がその分狭くなるのだが、逆にくっつくのに都合がいいと考えていた。 「ところで、あんたはいつまで家にいるの?」  シェアライドの車の中、リンは反対側に座るセントリアに声を掛けた。シルバニア皇帝から派遣された彼女は、兄の退院と同時に家に居着いていたのだ。ノブハルの身辺警護と言うのが、その時に付けられた理由である。「なぜそんなものが必要なのか」と言う問いに対して、セントリアは「二度も殺されかけたのを忘れないでください」と答えたのだ。 「宰相のリンディア様から帰還命令が出るまでだけど?」  何事もないように言ってのけるセントリアに、リンは小さくため息を吐いた。 「人の家に居つく理由が、リンディアさんの命令って……あり?」 「抗議なら、リンディア様にしてくれる? 私は、近衛遊撃隊の役目で命令に従っているだけ」  感情も表さずに言い切ったセントリアは、「聞きたいんだけど」と逆に問い返してきた。 「な、何?」  改まって聞かれると、つい身構えてしまうものだ。ちょっと緊張して、リンはセントリアが何を言い出すのか待った。そんなリンに、セントリアは反論のしようがない決めつけをしてくれた。 「ノブハル様は、僅か4ヶ月の間で2度も殺されかけたと聞いているわ。どちらの場合も、誰かの助けがなければ死んでいたはず。アスの諺にあるけど、二度あることは三度あるとは思わないの? あなたが今日歌っていた歌の中にも、「巻き込まれ体質」と言う物があったわね。ノブハル様は、その体質を持っているとは思わないの?」 「確かに、次も大丈夫って保証は無いわね……と言うか、同じことがありそうで怖いわ」  そう指摘されると、確かに危ないと思えてしまう。二度も悲しい目にあったことを考えると、セントリアの言うことに否定はできなかった。 「い、一度目は言い訳ができないが、二度目は本当に偶然だぞ!」  おかしな体質をもっているように言って欲しくはない。そのつもりで抗議したノブハルだったが、妹と護衛の二人は少しも優しくなかった。 「だから、巻き込まれ体質と言ったんだけど」 「こればっかりは、私も否定してあげられないわ」  事実だから認めるべきだ。二人がかりで詰め寄られ、ノブハルは沈黙を強いられた。それを承諾と受け止めたセントリアは、「だから私にお鉢が回ってきた」と答えた。 「ちなみに、私はアルカロイドの暗殺者より強いわよ。グラブロウの荒くれ者程度なら、指一本で捻ることも出来るわ。普通の歩兵部隊だったら、1個小隊ぐらいであれば対応できるわね。かつてラズライティシア様は、近衛の兵を一騎当千と仰られたと言ってたけど、流石にそこまでは無理だとは思うわ」  これが自慢げに言ってくれれば、まだ話半分に受け取ることが出来ただろう。だがセントリアの大真面目な顔を見ると、本気で言っているのを理解できる。つくづく宇宙は広いのだと、スタイル抜群の美少女を見てリンは深いため息を吐いたのだった。  深夜の道を走った車は、一軒の比較的大きな家の前で停車した。道路に面した場所には、鉄格子風の柵で囲まれた花壇のあしらわれたガーデンが広がり、その奥に平屋建ての母屋が建っていた。その家こそが、リンの実家であるアオヤマ家の本宅だった。周辺と比べてそこそこ大きいのは、彼女の父親の立場が理由になっていた。そしてリンは、最近家の広さを恨めしく思うようになっていた。  ゆっくりと車が門の前に移動したところで、最初にセントリアが車から降りた。別に周りを警戒すると言う目的ではなく、ただ車に座った順番だけが理由だった。セントリアに続いて車から降りたノブハルは、リンに向かって手を差し出した。  それに捕まって車から降りたリンに、「ブラコンにシスコン……」とセントリアは繰り返した。 「今更それを確認することに意味があるの? 私は、一度も否定していないでしょ」  少し挑戦的に言い返したリンに、「深い意味はないわよ」とセントリアは答えた。 「それがポーズなのかと疑っていたんだけど、あなた達の場合は真性だと分っただけのことよ」  その程度ですと答え、セントリアは最初に門を通って玄関へと歩いていった。特に周りに注意を払っているようには見えないのだが、それが大きな間違いと言うことをノブハル達は知っていた。一度トウカが不意打ちをしたのだが、セントリアに触れることも出来ずに返り討ちに遭ってしまったのだ。探検君で肉体強化をしたのだが、そんなことは関係なくなすすべもなく捻られてしまった。 「特に危険は無いわね。ようやく、身の程を知ったようね」  それが誰のことを言っているのか、ノブハルとリンは可哀想にとトウカのことを思い出した。  最初に玄関にたどり着いたセントリアだったが、自分から玄関を開けるマネはしなかった。そのあたり、自分の分を弁えたと言うところだろう。この家はノブハル達兄妹のものであり、自分はただの護衛でしか無かったのだ。  それが分かっているから、リンは何も言わずに玄関を開けた。そして大きな声で、「ただいま」と出迎えの二人に挨拶をした。 「おかえりなさい、リンさん」  そう言ってリンを迎えたのは、金色の髪をした少女、エリーゼ・クライストスである。すっかりアオヤマ家に馴染んだ彼女は、パジャマの上にトレーナーを着ていた。  そしてもうひとりの少女、黒髪をしたトウカ・クレメンタインも同じように「お帰り」の言葉をリンにかけた。こちらはスタイルを強調するかのように、体にピッタリしたTシャツとホットパンツ姿だった。  そしてリンにお帰りを言った二人は、遅れて入ってきたノブハルを、満面の笑みで迎え入れた。そして両側からノブハルにまとわりつき、「ご飯にします。それとも私?」と声を揃えて言ってくれた。 「ひとまず風呂に入ってからだな」  死地を共にしたこともあり、以前よりも3人の仲は近づいていると言っていいだろう。それが理由なのか、ノブハルはエリーゼ達を遠ざけるような真似はしなかった。そして3人は、連れ立って家の中に入りノブハルの部屋へと歩いていった。 「私の顔に何か?」  淡々と玄関の中に入り戸締まりをしたところで、セントリアはリンに見られているのに気がついた。 「お兄ちゃんって、シルバニア皇帝聖下の旦那さん候補なんだよね。確か、序列第2位と聞いたんだけど?」 「確かに、ノブハル様は序列2位に序されているけど?」  それが何かと首を傾げたセントリアに、「あれはいいの?」とノブハルの部屋を指差した。それだけでピンときたのか、セントリアは大きく頷いた。 「今もなお、トラスティ様が序列の第1位なんだけど。だからその問いは、初めの前提からして間違っていると思うわ。最高の権力を持つ聖下にとって、番われる殿方の配偶者の有無はどうでもいいの。問題となるのは、殿方の持たれている遺伝子情報だけらしいわ」 「遺伝子情報って……なんか、生々しいわね」  口元を歪めたリンに、「事実だから仕方がない」とセントリアは答えた。 「聖下に求められる最大の義務は、優れた後継者を産むことよ。だから、遺伝子情報は条件として重要になってくるの。ただどのような遺伝子が良いのか、詳しいことは教えられていないわね。聖下が感情を排除して……少し疑わしいところがあるんだけど……ノブハル様を序列第2位に指名されたと聞いているわ」  それでいいだろうと言う顔をして、セントリアは一度リンに頭を下げて中へと入っていった。 「お兄ちゃんがお風呂に入っているからねっ!」  彼女がお風呂に目がないことで、一度小さな事件が起きたのだ。もっとも近衛の遊撃隊が、裸を見られたぐらいで慌てるはずがない。だから事件は、一方的に裸を見たノブハル側で起きていた。それにしたところで、エリーゼが一日口をきいてくれなかったと言う可愛らしいものでしか無かった。 「私は、見られても困らないけど?」  振り返ったセントリアに、「教育上悪いからだめ」とリンは断じたのである。  トラスティがレムニアに里帰りをしたのは、皇帝アリエルと話をするためである。ノブハルの身の回りで起きた不可解な出来事を、唯一生前のIotUを知るアリエルに聞いてみようと考えたのである。  ただ今回の里帰りには、虫よけのアリッサは同行していなかった。そのあたり、トリプルAの業務拡大が理由になっていた。有り体に言うなら、ほいほいと宇宙旅行をしていられるほど暇ではなかったのだ。社長には社長の役目が求められたと言うことだ。  その意味ならば、トラスティも自由時間が削られていてもおかしくはないはずだ。ただ理解のある妻のお陰で、なんとか仕事に縛り付けられるのを逃れていただけのことである。 「適当に泳がせておかないと、大切な時に逃げ出しますから」  と言うのが、トラスティを自由にさせたアリッサの理由である。そのあたり、彼の性格をよく理解していると言うことが出来るだろう。そしてもう一つ理解しているのは、ある程度自由にさせないと、騒ぎ出すやんごとなきお方が大勢いることだった。  里帰りをしたトラスティにとっての誤算は、珍しくアリエルが忙しいことだった。なんでと首を傾げたトラスティは、「忘れたのですか」と言うガルースの言葉に、自分の間の悪さを呪ったのである。 「帝国の連絡会にぶつかったと言うことか……」 「今回は、水の星星系への視察も含まれております。従って、こちらに戻られるのは明後日の予定です」  これがもっと先のことなら、一度出直してくる事を考えただろう。だが明後日となると、手近なリゲル帝国でも往復するぐらいの暇しか無い。それより近いクリスティアと言うところもあるのだが、顔を出せば面倒になるのが分かっていた。 「仕方がない。しばらく、私邸でのんびりと情報整理をしているか」 「支社に顔をだすのも、代表の仕事だと思いますが?」  ぎょろりと目を動かしたガルースに、「おいおい」とトラスティはツッコミを入れた。 「帝国摂政が、どうして一私企業のことを持ち出すんだい?」  そのツッコミに、「何を今更」とガルースは少し目元を引きつらせた。 「トリプルAレムニア支社には、アリエル様が出資なされております。ただの私企業とは意味が違います」 「出資にしたところで、財団から出していたはずだ」  そう答えて、「まあいい」とそれ以上の話を打ち切った。 「言っていることはもっともだから、一度支社に顔を出してくるよ。婆さんが戻ってきたら、連絡を貰えるかな?」 「お言葉に気をつけられた方が身のためかと存じます」  不敬と言う意味ではなく、アリエルが拗ねることをガルースは問題としていた。ただトラスティに対してだけ拗ねるのなら許せるが、とばっちりを食うことになるのがこの問題の質の悪さだった。  それに「はいはい」とおざなりの答えを口にしたトラスティは、空間を指でなぞって支社への道を開いた。代表権を持つ幹部なのだから、確かに支社に顔を出すのはおかしなことではなかったのだ。  トリプルAレムニア支社は、アリエルの私邸からさほど離れていない場所に作られていた。人数自体は大したことがないので、あるカフェの入った2階部分を使っていた。ちなみに1階にあるカフェのオーナーは、アイラと言う名前をしていた。 「あら、これはこれは珍しい人が」  空間を繋げて入ってきたトラスティを見つけ、社員の一人フローリアが素っ頓狂な声を上げた。茶色の髪に茶色の瞳をした、本当に普通の見た目をした女性である。もともとはガルースのスタッフなのだが、トリプルAの支社設立と同時に兼務出向の立場で派遣されていた。長命種の星に住む、数少ない短命種の女性である。そして、トラスティと同じ育児施設の仲間でもある。 「これでも、トリプルAの代表権を持っているんだけどなぁ。もう少し、役員に対する敬意があってもいいんじゃないのかな?」  軽口を叩いたトラスティは、めったに使われないひな壇の席に腰を下ろした。そしてわざとらしく情報画面を呼び出し、支社の業績をチェックした。 「意外に、業績が良いんだね」  大物として挙げられるのはモンベルトの復興事業なのだが、その評判が決め手となり他の星からも改良の仕事が舞い込むようになっていたのだ。その仕事の窓口の役目をレムニア支社が担っていたため、結構繁盛していると言うのが実態だった。  そしてトリプルAが事業を伸長することで、タンガロイド社の売上も増えることになる。その功績が認められ、タンガロイド社からプラチナリセラーの認定をされたぐらいだ。 「そのあたり、モンベルト復興事業の宣伝効果でしょうね。劇的に工期を短縮した手法が、市場に評価されたんですよ」  「ほい」と言って、フローリアは受注リストをトラスティに投げて渡した。それは事業の好調さを裏付けるように、長大なリストとなっていた。 「しかし、よくこの程度のオフィスで処理できるね」  ぐるっと見渡してみても、座席は30ぐらいしか用意されていなかったのだ。まともに考えれば、100を超える顧客を相手に出来る規模ではない。 「まあ、ここはフリーアドレスだからね。あと、仕事はここじゃなくても出来るから……と言うか、ここじゃ出来ないわね。ここでやっているのは、本当に管理業務だけなのよ。後は、暇な重役の相手と言うところかしら」 「暇な重役は無いと思うんだけどなぁ……これでも、結構忙しく超銀河を飛び回っているんだよ」  だから暇じゃないと抗弁したトラスティに、「はぁっ」とフローリアは聞こえないふりをした。 「忙しく、超銀河の愛人回りをしてる?」 「どこをどう聞いたら、そんな話になるんだよ……」  全くと小さく息を吐いたトラスティは、「なっていないな」と役員に対する態度を責めた。 「お茶の一つも出そうとは思わないのかな?」 「ここは、そう言う特別扱いをしないのがルールなの。だからアリエル様が来ても、1階のカフェに案内しているわ」  一私企業に顔を出す皇帝と言うのも問題だが、その皇帝をカフェに案内するのも問題としか思えない。ただ「それでいいのか?」と聞いても、まともな答えが返ってくるとは思えなかった。だからおかしな追求を諦め、トラスティは自分の前で小さく指で輪を書いた。 「じゃあ、下にいるから用があったら声を掛けてくれ」 「そんな野暮な真似はしませんよ。こっちは気にしないで、ごゆっくりどうぞ」  口の端を吊り上げて笑うフローリアに、「なんでかなぁ」と零しながらトラスティは接合した空間を超えた。行き先は、1階にあるアイラの経営するカフェである。 「あら、アリッサさんに捨てられたの?」  カフェに現れたトラスティに、アイラの掛けた声は毒が篭っていた。そしてトラスティが答える前に、「私が貰ってあげるから気を確かにね」と先走ってくれた。 「いやいや、なんでいきなりそうなるんだ? アリエル様に会いに来たのだけど、不在だから帰ってくるまで暇をつぶしているだけだよ」 「照れなくても、私に会いに来たって言っていいのよ」  そう言いながら、アイラは手元に投影したスイッチを押して戸締まりをしていった。特に空間接合に対しては、接合の拒絶をしておかなけれなばらない。さもないと、いいところでフローリアに乱入される恐れがあったのだ。  最後に人差し指で8の字を描いたアイラは、付けていたエプロンを外してトラスティにくっついてきた。そしてトラスティの腕を抱きかかえてから、「違うわね」と言って一度手を離した。 「違うって?」  理解不能なアイラの行動なのだが、更に理解の先を行ってくれたのだ。それを気にしたトラスティに、「何を飲む?」とアイラは問いかけた。 「ひとまず、冷たい飲み物かな? 少し喉が渇いているんだ」 「冷たいものね……」  ちょっと待っててと言い残し、アイラは奥のキッチンへと消えていった。それを見送ったトラスティは、「何なんだ」と小さくつぶやきながらソファータイプの椅子に腰を下ろした。  だが「ちょっと」と言う割に、アイラはすぐには戻ってこなかった。そしてもう一度「何なんだ」とトラスティがぼやいたところで、奥のキッチンから戻ってきた。お陰で、戻ってくるのに時間がかかった理由を理解することが出来た。 「どうして、着替えてきたんだ?」  そう、奥に消える前のアイラは、丈の長い紺のワンピースに白いエプロン姿だった。地味と言うのは、落ち着いたカフェだと考えれば不思議な事ではないだろう。  だが戻ってきたアイラは、一転して丈の短い薄手のドレスに着替えていた。淡く虹色に輝くドレスは、胸元がに深いカットが入っていた。肩口ぐらいまで伸びたきれいな黒髪に黒い瞳、スッキリと通った鼻筋は以前と少しも変わっていない。短命種のミスコンを席巻した美貌は、未だ健在と言うことだ。ただ胸元は、もはや手遅れなのかあまり育っていなかった。それでも、アルテッツァよりは大きそうに見えていた。 「シャワーも浴びてきたけど?」  それが何かと笑ったアイラは、空間を指で叩いて飲み物を呼び出した。 「アルコールしか無いけどいいわね」 「僕は、仕事をしに来たんだけど……そもそもカフェなのに、アルコールしか無いってなんだよ」  そう言いながら、トラスティは泡の立った黄色い飲み物をぐいっと呷った。 「どうも、最近流されている気がしてならないよ」 「わざと、でしょう? あなたが、そんな隙を晒すはずがないもの」  自分も酒を呷りながら、アイラはトラスティに熱い眼差しを向けた。 「超銀河を飛び回ってるって噂を聞いたけど、最近は何に首を突っ込んでいるの?」  そこでアイラは、パチンと指を鳴らして部屋の照明を落とした。窓には遮光カーテンが掛かったため、部屋の中は薄暗い暖色の明かりだけとなった。アイラのしている恰好と合わせ、健全なカフェが大人のバーへと変身したのである。女性の密着度を考えると、バーと言うよりキャバレーの方が相応しいのかもしれない。 「色々ってところかな。王様にされたから、時々はモンベルトに顔を出しているし、パガニアでは婚姻の儀なんてものをさせられたな……個人的な趣味で、ディアミズレ銀河にも関わっているよ」 「前の二つは分かるけど、ディアミズレ銀河って何?」  なにそれと言う反応は、ある意味当然のものとも言えただろう。10,000番目に超銀河連邦に加わったディアミズレ銀河は、知名度という意味では底辺辺りに位置していた。自分の星も出たことのないアイラが、知っているはずのない名前でも有ったのだ。 「超銀河連邦に、10,000番目に加わった銀河だよ。構成している星系は、特に珍しいものもない、ごくありふれた銀河でもあるね。アイラが知らなくても、別に不思議じゃないと思うよ」 「そんな無名の銀河に、わざわざあなたが行くって……個人的趣味って言ったっけ?」  トラスティのグラスにお替りを注ぎながら、「ディアミズレ銀河?」とアイラは繰り返した。 「確か、10,000番目に連邦に加わったって言ったわね。つまり、一番最後に連邦に加わった銀河ね」  なるほどと小さく頷いたアイラは、「IotU?」とそのものズバリを聞いてきた。 「一番最後に、IotUに見出された銀河なんでしょう? だとしたら、そこでIotUが何をしたのか探ろうと考えたってこと?」 「まあ、それに近いかな」  小さく頷き、トラスティは泡の立った飲み物に口をつけた。ぱちぱちと弾ける泡が、喉に心地よい刺激を与えてくれた。  ふうっと息を吐き出したトラスティを見て、アイラは「何かつまむ?」と言って立ち上がった。 「そうだね、少しお腹にたまるものがいいかな?」 「お腹にたまるものね」  確認したアイラは、もう一度奥のキッチンへと消えていった。それを見送ったトラスティは、残りを飲み干してから手酌でグラスに飲み物を注ぎ足した。  それからすぐに戻ってきたアイラは、トラスティの前にチーズとハムの乗った皿を置いた。 「先にそれを食べて、待っててくれるかしら?」 「別に、これだけで十分だと思うけど?」  酒のつまみだと考えれば、ハムとチーズ、それに少しの野菜があれば十分だろう。だがアイラは、小さく首を振ってみせた。 「私が、あなたに作ってあげたいのよ。だって、初めて私の手料理をご馳走するんだもの」 「あれっ、今まで食べたことがなかったっけ?」  驚いた顔をしたトラスティに、「無かったのよ」とアイラは答えた。 「だから、あなたに手料理を食べてもらいたいの」 「……だったら、遠慮なく、かな」  キュービックのチーズを口に放り込み、泡の立つ酒をトラスティは呷った。普段よりペースが早いのは、彼なりに緊張しているからだろうか。 「ええ、だから少し待っててくれるかな」  そう言い残し、アイラはもう一度キッチンへと消えていった。 「何か、新鮮な気がするな……そうか、こんなことをしてくれるのはアイラだけなんだな」  大富豪の娘で会社を経営しているアリッサは、家事とは無縁の世界に生きていた。そして他の女性に目を向けても、家事とは無縁の女性ばかりだった。そもそも王女や皇帝、最高評議会議長にそんなものを要求する方が間違っていた。  ハムをピックを使って口に放り込み、何度か咀嚼をしてからごくりと飲み込んだ。ありあわせっぽく持ってきたが、ちゃんとサクラのチップで燻製された、なかなか上質のハムだった。 「お酒を変えるか……」  このままでもいいのだが、せっかくの料理の前にお腹が膨れてしまいそうだった。だからトラスティは、酒のワゴンから白の果実酒を取り出した。フルーティーな口当たりながら、ほとんど甘くないと言う料理に合せるお酒である。  それを大振りのグラスに入れたトラスティは、赤い光の中で揺れる黄金色の液体を眺めた。 「いくら見つめても、味は変わらないわよ」  料理の乗った皿を持って戻ってきたアイラは、トラスティの前に皿を置き、「どれから食べる?」と取り皿を持った。さほど時間を掛けてない割に、バラエティーに富んだ料理が並べられていた。 「どれって言われてもね……」  どれを見ても、結構美味しそうに見えたのだ。特に好き嫌いはないし、パガニアやリゲル帝国の料理で鍛えられたトラスティだから、大抵のもは美味しく食べることが出来た。 「温野菜のサラダ、特製ソースってのを食べてみて。後は、自家製タルタルソースを使ったムニエルもね。ナスのミートパイもあるわよ」  ほらほらと綺麗に取り分け、アイラは皿をトラスティに差し出した。さすがは料理上手と評判だけのことはあり、取り分けた盛り付けもきれいだった。 「しかし、あの短時間で良くこれだけ準備ができたね」  ミートパイを口に放り込んだところで、トラスティは「うまい」と唸ってしまった。この一切れだけでも、料理上手と言うのが証明されていた。そして他の料理も、貪るように口へと運んでいった。  それを嬉しそうに見ながら、アイラは理由を説明した。 「まあ、お店で使うからねぇ。だから、大抵のものは用意してあるのよ。ただ今日は、普段と違って仕上げにも凝ったのよ。だから、普段お店で出しているより美味しいと思うわ」  口に食べ物を入れたまま、トラスティは「仕上げに凝った?」と聞き返した。 「ええ、普段と違って愛を込めたもの」  その答えに、トラスティは食べていた白身魚を喉につまらせた。そしてむせ返ったところで、慌てて黄金色をした酒を飲み込んだ。 「そんなに驚くこと? 普段と言っていることは変わらないと思うんだけどな」 「そりゃあ、そうなのかもしれないけど……」  そう答えながら、結構まずいかもとトラスティは内心で焦っていたりした。今更子供でもないのに、雰囲気に流されそうになっていたのだ。そんなトラスティの目を覚まさせたのは、「求婚されたの」と言うアイラの言葉だった。 「いつも通ってくれるお客さんの人なんだけどね。レムニアに支社がある貿易商社の社員の人なの。年齢は、私達よりちょっと上ぐらいかな。結構やり手らしいんだけど、それでいて子供っぽいところもある人よ。どこか、あなたに似ているところもあるのかな」 「おめでとう、と言えばいいのかな?」  駆け引きで持ち出されたのでは無いことは、アイラの口調から推測することが出来た。とても落ち着いた表情で、アイラはグラスに入れたお酒を見つめていた。 「そうね、おめでとうでいいと思うわ。お節介なフローリアが色々と調べて教えてくれたけど、会社での評判もいいみたいだしね。普通に愛し合って、普通の家庭を築いて、普通の幸せを掴むことが出来る相手だと思う」  くいっと酒を飲み干したアイラは、「やり残したことはないし」と料理を並べた皿を見た。 「あなたがこのタイミングで帰ってきたのも、何かのめぐり合わせだと思っているわ」 「そうなのかもしれないね……」  アイラも24だと考えれば、別に相手を見つけて結婚しても不思議ではない。長命種の人達を見ているせいで感覚が狂うのだが、短命種の自分達には普通のことだった。 「残念ながら、僕にはアドバイス出来ることがないな」 「あなたは、ちょっと異常な世界に入り込んでいるのよ。幾らIotUの後を追っているからって、そんな所まで真似をしなくてもいいのにね。しかも、無類の金髪碧眼好きのところまで一緒だし」  真似する所が違っていると、アイラはトラスティの顔を見て笑った。 「でも、モンベルトの復興では連邦の度肝を抜いたんでしょう? だとしたら、結構いい線いっているのじゃないのかな」 「それにしたって、どちらかと言えば巻き込まれたって気がしているよ」  アリッサと関係をして、そして友達を助けてと言われなければ、間違いなく世界は変わっていたはずなのだ。途中で幾つか分岐点はあったが、その都度アリッサに軌道修正を掛けられた気がしていた。正確には、判断をアリッサに任せていた。 「たぶんね、そのあたりの認識が間違っていると思うわ。普通の人は巻き込まれないし、もしも巻き込まれたとしても解決なんて出来ないわ。あなたは、小さな頃から凄いことを平然とやり遂げる人なのよ。地べたに張り付いている私達と違って、初めから宇宙を見ていた人なの」 「初めから宇宙を見ていた……か。まあ、あの婆さんの子供だからかな」  天の川銀河の1/2を占めるのが、レムニア帝国の勢力圏だったのだ。その帝国を統べる皇帝アリエルの子として生まれたのなら、宇宙を意識するのもおかしなことではない。 「そう、あなたは選ばれた人なのよ」  料理に手を伸ばすトラスティとは対象的に、アイラはただお酒だけを飲み続けていた。しかも静かに話しているくせに、飲むペースはトラスティよりもずっと早かった。 「選ばれた……か。仕組まれたと言うのが真相の気がするけどね」 「アリエル様が、普通の子供を作るはずがないでしょ?」  その指摘に、確かにとトラスティは頷いた。長命種のアリエルが、何の意味もなく短命種の子供を作るはずがないのだ。それぐらいのことは、もっと昔に気づいていなければおかしかったのだ。 「そのくせ、あの人は「あれをしろ」って言ったことがないんだよな」 「放っておいても、大きな渦に巻き込まれていくと信じていたんでしょうね」  トラスティと話をしながらも、アイラのペースは全く落ちなかった。初めは頬が赤くなった程度だったのだが、今は目元まで赤くなっていた。そしてトラスティを見る視線も定まらなくなっていた。 「もう、飲むのはやめたほうがいい」  これから人妻になることを考えると、他の男の前で無防備に酩酊するものではない。アイラからボトルを取り上げて、「帰る」と言って立ち上がった。結局話の間、トラスティはあまり酒に口をつけていなかったのだ。 「酔っ払った私を介抱してくれないの?」  呂律の怪しくなったアイラに、「それは僕の役目じゃない」と答え、トラスティは人差し指で八の字を書いた。空間接合を起動し、宿となるアリエルの私邸につなごうとしたのだ。  だがこの場所での空間接合は、アイラがすでに禁止の措置を取っていた。だからトラスティが指示を出しても、接合システムは上位命令に従い空間接合を行わなかった。 「禁止命令を解除してくれないかな? 空間オーナーの許可がないと、システムが接合してくれないんだ」 「いやよ。ここは、あなたを閉じ込めておく檻になるんだから」  トラスティが片したボトルを取り出し、アイラはもう一度グラスに酒を満たした。 「もちろん、物理的戸締まりもしてあるわよ。あなたは、私がいいと言わない限り、ここを出ることが出来ないの」  くいっとグラスから酒を呷り、「このまま帰したくないから」とアイラは吐き出した。 「フローリアにも、本当に良いのかって何度も聞かれたわよ。あなたが帰ってこなければ、たぶん私はあの人と結婚していたわね。でもあの人はあなたじゃないし、あなたの代わりにはなれないの。結局私は、あの人の中にあなたを見ていただけなのよ。それに気づいてしまったら、もう続けていくことなんて出来ないわ」  アイラの激白を聞かされたトラスティは、ついと顔を反らして出口の方を見た。 「戸締まりは厳重にしてあるって言ったでしょう? そして空間接合は、システムに禁止登録がしてあるわ」 「それでも、僕は帰らないといけないんだよ」  トラスティの帰るは、アリエルの屋敷のことを言っているわけではない。自分の壊してしまった世界を、元の世界に戻すと言う意味を持っていた。そのためにも、自分はここに居てはいけないのだと。だからトラスティは、静かに己の中のカムイに力の発動を命じた。 「リミットブレイク」  その命令と同時に金色の光に包まれたトラスティは、すぐに姿をその場から消失させた。カムイの持つ確率場を利用した移動を行ったのである。アイラには、システムに頼らない移動を妨げることはできなかった。 「今更、手遅れよ……」  ぐすっと鼻をすすったアイラは、両手を枕にテーブルに突っ伏した。時折小さな嗚咽が聞こえてきたのだが、それも長い時間は続かなかった。後には、誰も立ち入ることの出来ない静かな空間だけが残されていた。  二日後に戻ってきたアリエルは、トラスティの顔を見るなり「甲斐性なしめ」と罵ってくれた。その顔が普段に比べて真剣なのは、かなり本気で腹を立てていると言うことになる。 「あの人に迫ろうと言うのなら、なぜ思いを寄せるおなごを不幸にするのだ」  外向けの皇帝のイメージを作るために、長命種の割に派手な恰好……つまり、ドレスを幾重にも重ねた衣装に隈取のような化粧をアリエルはしていた。隈取のせいなのか、普段以上に目がつり上がっているように見えてしまった。  甲斐性なしと言われた時には、何のことを行っているのか理解できなかった。だが続いた言葉に、アイラのことを言っているのだとようやく理解することが出来た。 「僕が帰ってこなければ、彼女は普通の幸せを掴んでいたんだよ」 「普通とは程遠いお前が、どの口で普通を口にするのだ?」  がっかりだと大げさに嘆いたアリエルは、「待っておれ」と言って奥の部屋に戻っていった。着替える前に現れたと言うことは、それだけ腹を立てていたのだろう。  そして奥の部屋に消えてから15分後、一転して軽装となったアリエルが戻ってきた。顔からはどぎつい化粧が落とされ、1000ヤーを超える年齢のくせに化粧気が全くなくなっていた。そして着ている服にしても、少し首元の広めになった半袖のセーターに短いスカートである。それが不自然に見えないのが、逆に不自然な齢1000ヤーの化物だった。 「それで、甲斐性なしがわしになんの用だ」  不機嫌そうな表情を隠さず、アリエルは正面からトラスティに向かい合った。短いスカートで正面に座るものだから、その中身は隠しきれていない。ただ「目が腐る」と、トラスティは目線を下げなかった。 「ディアミズレ銀河にある、ズミクロン星系に行ってきた」 「ディアミズレ銀河とな?」  首を傾げたアリエルに、トラスティは「ディアミズレ銀河」と繰り返した。 「10,000番目、つまり最後に連邦に加わった銀河だよ。そしてズミクロン星系は、その中でもIotUが一番訪れた星系だ。だから僕は、ズミクロン星系について色々と調べてみた」  そう答えると、トラスティは幾つもの画像データーをアリエルに示した。それはノブハルの行動をトレースしたかのように、ズミクロン星系で「信教」と呼ばれる信仰の遺跡群の数々だった」 「信教の神は、ズイコーではカリシン、エルマーではリシンジと呼ばれている。そしてその神には、12人の妻が居たとされているんだ。つまり、IotUの妻と同じ数と言うことだ。そこまでなら、連邦加盟後にIotUに重ね合わせたと考えれば説明がつくのだろうね。ただその神が行ったと言う偉業が、IotUとエスデニアとの戦いに酷似しているんだよ。しかも後付ではなく、連邦に加わる前からの伝承と言うのは確認できているんだ。そして伝承の中に出てくる紫鬼は、IotUが使ったと言われる機動兵器に似た姿をしていた」 「お前は、それが偶然ではないと考えたと言うことか?」  少し興味を示したアリエルに、トラスティは小さく頷いた。 「これと言った、確たる証拠がある訳じゃないけどね。僕は、超銀河連邦自体の成り立ちに疑問を感じているんだ。実は、調べた範囲で似たような伝承の残された銀河が沢山あるんだよ。特に後半に加わった銀河にその特徴が顕著なんだよ。アルテッツァに調べさせたから、そこに誤解は無いと思う。それだけなら、ディアミズレ銀河は特に珍しいところはないのだろうね。ただ、なぜ最後だったのかと言う疑問は残るんだ。そして僕は、ズミクロン星系……と言うより、エルマーで一人の少年に出会ったよ」  これにと言って、トラスティはノブハルのデーターをアリエルに示した。顔つきに対しては反応しなかったアリエルだが、詳細データーを読み進めたところで「なに」と視線を険しくした。 「この男の遺伝子情報の半分が、お前やカイトなるものと同じと言うことか」 「全情報の組み合わせを考えたら、偶然一致する可能性はゼロではないのは認めるよ。ただ、僕には偶然だとは思えないんだ。ただ決めつけは危険だから、どちらかと言えば否定的な見方をしているつもりだ」  トラスティの説明に、アリエルは小さく頷いた。 「確かに、可能性としてはゼロではないな。だがお前が疑う以上、理由はそれだけではあるまい」  アリエルの答えに、今度はトラスティが頷いてみせた。 「ちなみに、彼はアオヤマ夫妻の子供として育てられている。ただ本人には知らされていないが、本当の両親は違っている。彼の母親は、エルマー7家の一つ、イチモンジ家のユイリと言う女性だ。ただ彼女は、ノブハル君を産んですぐになくなっている。そして父親については、何の情報も残っていないんだよ。それどころか、彼女が誰かと交際していたと言う記録も記憶もないんだ。兄妹相姦と言う噂もあるんだけど、彼の遺伝子はイチモンジ家当主の物じゃないのも分かってる」  そこまで説明したトラスティは、「分かっている」とアリエルの反論を手で制した。 「処女懐妊は、今の時代別に不思議なことじゃない。ユイリと言う女性が、どこかで手に入れた精子で子供を作ったと考えれば、説明ならつけることが出来る。それでも彼女の両親と言われる人の遺伝子を調べることも出来るんだよ。そして分かったことは、ノブハル君はイチモンジ家の遺伝子を持っていないと言うことだ」 「それにしたところで、卵子も別のところから持ってきたと考えれば説明がつくな」  その反論に、「それは否定しない」とトラスティは答えた。 「ただ、ユイリと言う女性にその動機があるのかは疑問だけどね。ただ、それが事実を説明することになるのだと分かったんだよ。実は先日彼が、グラブロウと言う盗掘屋の事件に巻き込まれたんだ。大規模な地盤崩落に巻き込まれ、本当なら圧死をしているところだった。だけど誰がやったのか分からないが、彼のいた空間が時間凍結をされていたんだ。そのお陰で、瀕死の重症を負ったにも関わらず助かったんだよ」 「時間凍結……だと?」  目元をピクリと動かしたアリエルに、トラスティは大きく頷いた。 「強大な力を持つザリアでも、凍結解除は出来ても凍結は出来ないそうだ。だけど時間凍結でないと、彼らが助かった説明がつかないのも確かなんだよ。そしてザリアは、コスモクロアの助けを借りて、ノブハル君たちを凍結空間から助け出した。もっとも、それを馬鹿正直に信用しては居ないのだけどね」 「ザリアとやらは無理だが、コスモクロアならメモリバンクを調べることが出来るぞ」  そうすれば、隠し事など出来ないはずだと言うのである。 「多分、調べても何も出てこないだろうね。そもそもコスモクロアは、あなたが作ったものとは別物になっているんだろう?」  それを指摘されれば、さすがのアリエルも苦笑いしか浮かべることが出来ない。  「確かにな」と認めたアリエルに、「もう一つ」と言って別のデーターを持ち出した。こちらは、ノブハル達が遭遇したゲイストの映像だった。 「グラブロウに襲われる前、ノブハル君達3人はゲイストと呼ばれる現象に遭遇しているんだ。見て貰えば分かるけど、そのゲイストはフヨウガクエンの制服を着て居たんだよ。そしてこれが肝心なことなんだけど、その姿は彼の母親、ユイリ・イチモンジと瓜二つなんだよ」  その説明に、アリエルは更に視線を険しくした。そしてしばらく考えてから、「それは」と口を開いた。 「ユイリ・イチモンジなる者は、実在の人物ではないと言いたいのか?」  その仮説に、トラスティはゆっくりと頷いた。 「あなたの言う、行方の分からない、そして誰も記憶に残していない、3番目のデバイスではないかと思ってる」  そう口にしたところで、「違うか」とトラスティは自分の言葉を否定した。 「全てのデバイスのオリジンではないかと考えたんだよ」  その仮説に、アリエルは「むう」と唸り声を上げた。そして彼女の答えを待たずに、トラスティは「こんな伝承があるんだ」と竜宮のことを持ち出した。 「グラブロウ事件の発端は、ズミクロン星系にミラクル・ブラッドの番外、つまり13番目があると言うことだった。そしてズミクロン星系、正確にはエルマーには信教の神、リシンジの13番目の妻の伝説も有ったんだよ。そして13番目の妻が祀られた宮が竜宮と呼ばれ、その地下にノブハル君達が出会ったゲイストが出現したんだ」 「ミラクル・ブラッドと言うのは何だ?」  聞いたことが無いと口にしたアリエルに、トラスティは簡単にミラクル・ブラッドの説明をした。 「IotUが妻たちに与えた指輪のことだよ。不思議な力を持っていたから、ミラクル・ブラッド……奇跡の血という呼び名が後から付けられたと言うことだよ」 「あの指輪のことか……なるほど、確かに不思議な力を持っていたな。いや、まて、わしは何のことを言っておるのだ」  んっと考えたアリエルは、「なにかおかしい」と小さく呟いた。 「確かにわしは、そのミラクル・ブラッドなるものを見ておる。そして、幾つかの奇跡と呼ばれるものも目撃しておるのだ。だが記憶にある奇跡と、それをなした妻とが結びつかないものがある」  いやいやと首を激しく振ったアリエルは、「何かがおかしい」と繰り返した。 「IotUが、あの人に纏わる一部の記憶を消し去ったのは分かっておるのだ。だから直接あの人を知るわしも、姿形、そして名前を思い出すことが出来ぬのだ。だがラズライティシア様達と一緒に、可愛がってもらった記憶は残っておる。だがな、その時にご一緒していただいた奥方の姿を、全部は思い出せぬのだ」  ああと首を振ったアリエルは、「気持ちが悪い」と大きな声で喚いた。 「なんなのだ、この気持の悪さは! なぜ、あの人以外にも欠落があるのだっ」  分からんと首を振ったアリエルは、「トラスティよ」と我が子の名を呼んだ。 「何をすれば、この気持の悪さから逃れられるのだっ!」 「そんなもの、僕に分かるはずがないだろう」  激しく反応するアリエルとは対象的に、トラスティは至って平静を保っていた。 「ただ、謎を解く鍵となる存在が揃ったのも確かだと思う。後は、その鍵が鍵として働いてくれるのか。何が、彼を鍵として導いてくれるのか。それが分からないんだ。ただ、急いては事を仕損じると言う言葉がある通り、焦らずに追いかけようとは思っているよ」 「そんなことで、時間切れになるとは思わぬのか?」  ここまで来るのに、およそ1千ヤーの時間が過ぎていたのだ。それを考えると、この機会を逃せば次があるとは思えないのだ。自分が立ち会えないと言う恐れと同時に、アリエルは二度と条件が揃わないことを恐れていた。 「いや、僕にはさほど遠い未来ではないように思えているよ。何しろ、ここ数年でトントン拍子に証拠が揃ってきたからね。ただ思うのは、これも仕組まれたことではないのかと言うことだ」  都合が良すぎると、トラスティは答えた。 「僕がアリッサに会ったこと、そこにキャプテン・カイトが居たこと。そしてエルマーに、ノブハル・アオヤマが居たこと。そう言った諸々の出来事が、何か仕組まれたように感じてしまうんだ。そして僕達の代で、モンベルトの問題が解消され、オンファス様の粛清劇から始まったパガニアの暴挙も止められた」  そう口にしたところで、トラスティは何かが引っかかった気がした。それが何かと考えたところで、粛清対象が「妻」だけだと言う事に気がついた。 「だけど、どうして粛清対象が“妻”だけだったんだろう?」 「なぜ、と問うのか?」  少し首を傾げたアリエルに、トラスティは小さく頷いた。 「愛人は粛清されていないんだろう? もしも粛清が愛人にまで及んでいたら、あなたもその対象になっていたはずだ。数が多すぎるのはあるかもしれないが、愛人は一人も粛清の対象になっていない」  トラスティの説明に、アリエルは腕を組んでその意味を考えた。 「妻と愛人の違いか……確かに、わしは粛清の対象となっておらなんだな。オンファス様がお隠れになられる直前にもお会いしているが、身の危険を感じたことはなかったな」  ともにIotUに可愛がられた事があるのだから、妻と愛人の違いは極めて小さいのだ。そして同居の有無も、その違いを説明することは出来ない。確かに妻達は全て同居をしているが、愛人の中にも同居をした者も居たのだ。そうなると、同居の有無も理由とは言えなくなる。 「そうなると、残る理由は指輪を与えられたかどうかか? ミラクル・ブラッドと言ったか、確かに妻以外には与えられおらんかったな」 「だとしたら、妻達を粛清したのはその指輪に関係すると考えることも出来るね」  うんと考えたトラスティは、「エネルギーの固まりか」とミラクル・ブラッドの正体に触れた。 「そして、今現在で2つが消息不明と言うことだな。2つが不明……しかも、莫大なエネルギーを内包している……なるほど、そう言うことか」  勝手に納得したトラスティは、「コスモクロア」と己のサーヴァントを呼び出した。その呼出に応えるように、体にピッタリとしたエメラルド色のボディースーツを纏った女性がその場に現れた。ボディースーツの上には、申し訳程度に体の線を隠すベージュ色の羽織のようなものを纏っていた。また下半身も、短い白のスカートで隠されていた。 「なんでしょう、我が君。それからアリエル様、お久しぶりでございます」  優雅に頭を下げたコスモクロアに、アリエルは「なるほど」と大きく頷いた。 「今更のことだが、われが与えた姿から大きく変貌しておるな。コスモクロアよ、お前をオンファス様と呼んだ方が良いのか?」  その問いに微笑み返したコスモクロアは、「自分はデバイスなのだと」アリエルに答えた。 「それをどのように呼ばれるかは、アリエル様がお決めになることかと思います」  穏やかに答えるコスモクロアに、アリエルは小さく頷き返し頭を下げた。 「オンファス様、お久しゅうございます」 「そうですね、あなたも健勝そうで何よりです。予め断っておきますが、粛清の理由は私にも分かりません。その時の記憶が欠落、もしくはブロックされていますので」  先手を打ったコスモクロアに、「違う目的だ」とトラスティは答えた。 「君のエネルギー源だけど、IotUに貰った指輪なんじゃないのかな? それから、ザリアも多分そうなんだと思うけど?」  トラスティの指摘に、コスモクロアははっきりと驚いた顔をした。ただそれも僅かなことで、すぐに穏やかな笑みへと変わった。 「ついに、そこまでたどり着かれましたか。完全とは言えませんが、IoitU様に頂いた指輪が私のエネルギー源になっております。そしてその事実は、我が君の指摘と同時に私に与えられたものです」 「なるほど、だからあのザリアと渡り合えるはずだ」  これで、謎のかなりの部分が解けたことになる。だからと、トラスティは13番目のことを持ち出した。 「君は、エルマーで13番目を見つけているね?」  それで、ザリアの不可解な行動の理由に説明がつく。だがトラスティの問いに、コスモクロアは「分かりません」と答えた。 「巨大なエネルギーは察知しましたが、それが13番目なのかどうかは分かりません。私が現場で見たのは、時間固定された空間だけです。ただ、私やザリアでは、時間固定を壊すことは出来ても固定自体を行うことは出来ません」 「だったら、君はこの姿に見覚えはあるかい?  そこで目撃されたゲイストを持ち出したのだが、コスモクロアははっきりと首を振って否定した。 「している恰好は、とても懐かしいものだとは思います。ですがこの姿をした女性に心当たりがあるかと言われると、残念ながら「オンファス」だった私には心当たりはありません」  まだ何かを隠していると言う疑念は晴れないが、かと言ってそれを追求する証拠に欠けてもいた。それでも不確かではあるが仮説らしきものは、彼の中で出来上がっていた。  ただ、まだそれを口にする時でないのは分かっていた。だからトラスティは、「ありがとう」とコスモクロアに消えることを許した。 「アリエル様、御前を穢したことをお詫びいたします」  アリエルに会釈をして、コスモクロアはその場から消失した。 「宇宙は不思議に満ちておると言うが……」  はあっと息を吐き出したアリエルは、「訳が分からん」と愚痴をこぼした。 「なぜコスモクロアが、オンファス様の記憶を持っておるのだ。そもそもそんなものを、どこから引き継いだと言うのだ」 「それこそ、僕が教えて貰いたいぐらいだよ」  同じように零した息子に、アリエルは「確かにな」と納得したような声を出した。 「IotUの謎を解明しようとして、さらなる不条理を突きつけられたような気がするな」 「その考えには、大いに賛同するけど……そうか、あなたでもゲイストの正体は分からなかったか」  それでも、穿ち過ぎとはトラスティは考えていなかった。ノブハルが生き延びたことを考えれば、なにもないと思う方が難しいのである。 「とにかく、手がかりがエルマーにあるのは分かったよ。ただ、流石にそればかりに関わり合っている訳にはいかないんだ」  そこで少し考えたトラスティは、「仕方がない」とひとまず問題を棚上げすることにした。 「ノブハル君の、巻き込まれ体質に期待することにするか」  そのためには、少し誘導ぐらいしてもバチは当たらないだろう。自分がどうやって助かったのか、そしてそこに含まれる謎を教えれば、勝手に動いてくれるだろうと考えたのである。 「彼の遺伝子の半分が誰のものかも問題か……」  それが謎を解く鍵になるのは間違いはないのだろう。ただその解明のためには、超えなくてはいけない壁が沢山横たわっていた。一番の問題は、解明の当てがまったくないことだった。 「とりあえず、目的を達成したから帰ることにするよ」  立ち上がったトラスティは、そう言って目の前で指で八の字を書いた。 「何か新しい情報が入ったら、また教えに来ることにするよ」 「理由がないと親に会いに来ないとは、全く親不孝なやつだな」  困ったものだと零したアリエルは、「さっさといけ」とトラスティを追い立てた。それを「何を今更」と笑い、トラスティは接続された空間の向こうへと消えていった。 「せっかくだから、孫でも作っていくことだ」  「馬鹿め」とにやりと笑ったのは、細工に気づかなかった息子に向けたものだった。ここが彼女の帝国である以上、空間接合は彼女の意に沿う形で行われるのである。 「量子空間、確率場移動対策も出来ておるからな」  「頑張れよ」と、アリエルは秀麗な口元を歪めたのだった。  アイドルでもプライベートの時間があって然るべきだ。それはリンだけの特別な事情ではなく、ズミクロン星系の芸能関係で広く広まっている考えだった。だからリンは、普通に学校に通うことが出来るし、休日にはナギサとデートをすることも出来た。  そしてそれが日常となっているため、誰もリンの姿を見て騒ぐことはなかった。 「それで、ノブハルはどうしているんだい?」  最近忙しくて、ノブハルに会っている隙がない。そう零したナギサに、リンはまるでゴミでも見るような視線を向けた。恋人の自分と逢ってすぐに、兄のことを尋ねてくる神経が信じられなかったのだ。 「ナギサ、あんたちょっとキモいわよ」  従って、遠慮も何もない攻撃の言葉となったのだが、「そうかな?」とナギサは首を傾げてみせた。 「別に、以前から同じようなことを聞いてると思うのだけどね。大丈夫だよ、恋人は恋人、そしてノブハルはノブハルだからね」 「ますます、分からないんですけど」  この男はと一度睨んでから、リンは一つ小さくため息を吐いた。 「シルバニア帝国から近衛の遊撃隊とかの人が派遣されてきたでしょう。そのお陰で、全員のペースが狂っているみたいね。美人でスタイルがいいから、エリーゼは危機感を抱いているみたいだし、トウカさんは自分の存在意義がと訓練に明け暮れているわ。お兄ちゃんは、随分と容赦のないことを言われているしね」 「危機感を持つ相手は、その護衛の女性なのかい? シルバニア帝国皇帝の夫候補第2位にされたんだろう。だとしたら、そっちの方が大事だと思えるのだけどね?」  とても常識的な答えを口にしたナギサに、リンは少しだけ意地悪な表情を浮かべた。 「第1位がトラスティさんなのよ。だったら、第2位が必要になるとは思えないわ。むしろセントリアさんに、お兄ちゃんがトチ狂わないかが心配なんだけど……まあ、あれだけこてんぱんに言われれば、そんな気も起きないでしょうね」 「そんなに、言われているのかい?」  驚いたナギサに、「それはもう」とリンは身を乗り出した。その時二人が居たのは、サン・イーストの繁華街にあるオープンスペースのカフェだった。日差しも強くなったので、リンは薄いピンクの半袖セーターに、黄色いショートパンツを合わせていた。一方のナギサは、半袖の縦縞ワイシャツに、七分丈の短パン姿だった。 「一番堪えているのは、「才能の無駄遣い」と言われていることみたいね。お兄ちゃんが色々と発明しているのだけど、それが生活改善に役に立っていないって指摘されているのよ」 「生活改善? 日常生活で、結構役に立っているんじゃなかったのかな? リンのステージ衣装のシステムにも、ノブハルの発明が生かされているんだろう」  だとしたら、大いに役立っていると考えてもいいはずだ。そんなナギサの疑問に、「アルバイトのこと」とリンは種を明かした。 「それだけ発明しているのなら、小遣い稼ぎのアルバイトなど必要が無いはずだと言われたのよ。たしかにね、衣装チェンジのシステムだけでも、売り出したらそれなりのお金になるのは確かよ。そっちの才覚が欠けているから、才能の無駄遣いだと言われるんでしょうね」 「なるほど、有能なマネージャーが必要と言うことだね。もともとノブハルは、発明への情熱はあるけど、それをお金に変えることには疎かったからね」  ナギサの指摘に、「その通り」とリンは力強く肯定した。 「でも、エリーゼさんにそんな才能はなさそうだし、トウカさんにも無理でしょう。結局お兄ちゃんは、アルバイトをしないと小遣いもままならないのよ。しかもセントリアさんまで加わったから、出費のペースが上がったみたいね」 「そこまで、ノブハルが面倒を見ないといけないものなのかな?」  「お人好しだね」とナギサは親友の甘さを笑った。 「そのあたり、お兄ちゃんらしいと言えばらしいんだけどね。それに、お兄ちゃんが金欠の方が、私にも都合がいいからいいんだけど……」  そうすれば、仕事の後には大好きなお兄ちゃんと一緒に居ることができる。それを堂々と恋人の前で言ってくれるのだが、ナギサは「ブラコン」と言う地雷を踏むつもりはなかった。たとえ指摘したとしても、「それが?」と肯定されるのが分かっていたのだ。  同じ頃ノブハルは、いつものように部屋に一人篭っていた。それもあって、いつもくっついている少女2人は、それぞれのことに時間を使っていた。エリーゼは、ノブハルと同じように部屋にこもり、本の世界の住人となっていた。そしてトウカは、セントリアに奪われた立場を取り返すべく、肉体の鍛錬に励んでいたのである。  ただトウカは、一向に差が縮まらないのを感じていた。それどころか、相手を知れば知るほど埋めようのない差を見せつけられていた。体重は相手の方が重そうなのに、身のこなしの次元が明らかに違っていたのだ。ノブハル特製の探検君を使っても、その差を埋めることはできなかった。 「生まれた時から訓練をしているのよ。その辺り、下地が違うとしか言い様がないわね。後は、そうね、才能の差と言えばいいのかしら?」  あっさりと言い切られ、トウカはがっくりと肩を落とした。エリーゼ護衛のために派遣された中では、自分の実力は上位にあると思っていたのだ。だがセントリアと比べると、本当に大人と子供の差があったのだ。「ズミクロン星系では」とアルカロイド事件の時に言われたのだが、それがどうしようもないほど真実を言い当てていることを思い知らされた気がしていた。 「とは言え、筋は悪くないと思うわ。ただ化物の中に入っていくには、まだまだ実力と経験が足りていないだけのことよ。加えて言うのなら、何も好んで化物の中に入っていく必要はないわね。折角好きな人が出来たのだったら、恋に生きた方が前向きだと思うけど? この先あなたが力をつけたとしても、この私に敵うところまではたどり着けないから。それを考えたら、もう少し殿方を喜ばせる手管を身に着けた方がいいんじゃないの? あなたの場合、体だけは良さそうだから」 「少しも褒められている気がしませんね」  肩を落としため息を吐いたトウカに、「貴重な個性だけど」とセントリアは答えた。 「体なら、エリーゼ・クライストスに勝っているわよ。そしてライラ皇帝聖下に対しても、体なら間違いなく圧勝しているわね。あなたの場合、それを誇っても良いのではないの?」 「それだけと言われて気にならないと思うの?」  明らかに不機嫌そうな顔をしたトウカに、「贅沢ね」とセントリアは顔色一つ変えずに言い返した。 「私なんて、化物の様に強いだけなのよ。女としての特徴があるのだから、喜んでも良いと思うけど?」 「すっごい、嫌味にしか聞こえないんですけど」  胸の大きさを比べるのなら、間違いなくセントリアの方が大きいだろう。一方全体のバランスを含めたスタイルの面では、自分と比べてどっこいと言うのが正直な気持ちだった。ただノブハルにとっての新鮮さと言う意味では、明らかにセントリアの方が有利なのは違いない。それはお風呂で鉢合わせをした時、ノブハルが鼻血を吹き出して倒れてくれたことからも理解できる。 「そうですか、別に嫌味を言っているつもりはないのだけど」  難しいわねと呟き、セントリアは巨大な胸に手を当てた。 「動きが遅くなるので、邪魔でしか無いのだけど……」  同じ事を自分が言っていたことを棚に上げ、トウカはセントリアに対してムカついたのである。  少女たちが自分達のことをしている時、ノブハルはキッチンにやってきていた。別にお腹が空いたわけではなく、母親のフミカに聞きたいことがあったのだ。 「あら、お腹が空いたの?」  若いわねと笑ったフミカに、ノブハルは少しだけ目元を引きつらせた。ご多分に漏れず、いつも通り朝食もドカ盛りだったのだ。 「い、いや、お腹の方は大丈夫なのだが」  ピンク色のセーターに、濃い緑のスカートを履いたフミカは、待っててねと言ってエプロンを掛けてキッチンへと行こうとした。それを慌てて否定したノブハルに、フミカは少しだけ残念そうな顔をした。 「そう、じゃあ、軽いおやつを持ってくるわね」  それもまた問題なのだが、ここで逆らうと逆に時間がかかることになる。「軽いおやつだ」と自分に言い聞かせ、ノブハルは大人しくダイニングテーブルに着いた。そしてダブっとしたズボンのポケットに、頼みの綱のアンプルがあるのを手で確認した。  そしてすぐに戻ってきたフミカは、予想通り山盛りのパンケーキを持ってきた。それだけでも大物なのに、同じく山盛りのホイップクリームまで添えられていたのである。飲み物が甘くない紅茶と言うのが、救いといえば救いだった。  そしてフミカは、ノブハルの前でたっぷりのバターを塗りたくってくれた。 「それで、何か聞きたいことはあるの? セントリアちゃんの気の引き方?」  新しくホームステイに加わった少女を持ち出した母親に、ノブハルは大きく首を振って否定した。 「いやいや、そっちの話からは離れて欲しい」  やはり母親は苦手だと冷や汗を掻き、ノブハルはこれまでのことを話しだした。 「グラブロウの事件に巻き込まれたのは運が悪かったのだが、その中で色々と説明の付かない事があるのがわかったんだ。そしてナギサと行ったタハイ地区、チチャイ氏の所で気になることを言われたのも思い出した。母さんなら知っていると思って質問するのだが、母さんはユイリ・イチモンジと言う人を知っているか?」  非常に重要な意味を込めた質問なのだが、母親の答えはとてもあっさりとしたものだった。 「知ってるわよ。女学校の時代からの親友よ。でも、18年……19年前になるかな、もう亡くなっているわよ」  それでと促されたノブハルは、「映像記録」の確認をした。 「ユイリと言う人は、どう言う人だったのだ? どう言う見た目をしていたのだ?」 「ユイリの見た目ね……」  ちょっと待ってと、フミカは夫婦の部屋に戻っていった。そしてパタパタと足音を立て、電子アルバムを持って戻ってきた。そしてモスグリーンのエプロンを外し、ノブハルの正面に腰を下ろした。 「ユイリって、ものすごく頭が良かったのよ。後は、とっても美人だったの。それでね、シスコンのハラミチさんが、近寄る男どもに目を光らせていたわね」  これよと言って見せられた映像は、確かに母親が褒めるぐらいに美しさがあった。背中まで届く黒い髪と、吸い込まれそうな黒い瞳をした、とても綺麗な女性がそこに映し出されていたのだ。 「ちょっとデーターをコピーするぞ」  だがノブハルにとっての問題は、ユイリの美醜と言うところにはなかった。電子アルバムからデーターをコピーし、画像ソフトで2つの変更を加えたのである。真っ黒だった髪を赤茶色に変え、そして黒い瞳を青い瞳に置き換えたのだ。  それをしなくても分かっていたことだが、修正を加えたことではっきりと確認することができた。 「俺たちが洞窟で見たゲイストが、この姿と全く同じだったんだ。ところで母さん、ハイ時代の制服姿のはあるのか?」 「もちろんあるけど? でも、あなた達のときと変わってないわよ」  ほらと示されたのは、薄い青色をしたジャンパースカート姿のユイリだった。 「俺が見たのは、白いスカートの上に、丈の長い茶色の上着を合わせた姿だった。なるほど、だとしたら生前の姿がコピーされたと言う話ではないな」  目の色や髪の色は、時間とともに褪せたと言う説明をつけることができる。だが服装の形は、経年変化とは無関係の所に置かれていたのだ。 「あと一つ、どうしてユイリと言う人の面影が俺にあるのだ? ゲイストを見たエリーゼとトウカは、どこか俺に似ていると言っていたぞ。それからチチャイ氏も、面影があると言っていた」  その話をした瞬間、フミカは驚愕を顔に出しノブハルから少し離れた。その反応は、逆にノブハルが驚いてしまうものだった。 「なんだ、俺はなにかまずいことを言ったのか?」  少し慌てたノブハルに、「違うの」とフミカは首を振った。 「ついに、あなたに本当のことを話すときが来たのね。いつか来るとは分かっていたけど、永遠に来てほしくないと思っていたのよ」  よよと目元に手を当てたフミカに、「親子関係の真偽か?」とノブハルはあっさりと答えた。 「そんなもの、遺伝子を調べればすぐに分かることだろう」 「理屈っぽいノブハルだから、きっとそう言うだろうとは思ったけど」  つまらないわねと吐き出したフミカは、「そうよ」と同じくとてもあっさりと答えた。 「あなたは、ユイリが産んだ父親の分からない子供なの。そして私達が、自分達の子供として引き取って今に至っているのよ。どうしてそうしたのかと言うと、ユイリに頼まれたからよ。あの子ブラコンだったから、ハラミチさんに迷惑をかける訳にはいかないと思ったんでしょうね」 「つまり、俺はイチモンジ家ご当主とユイリと言う人の子なのか?」  真面目に確認したノブハルに、「違うわよ」とフミカは返した。 「ユイリの子だけど、ハラミチさんの子供じゃないから。結局あの子は、死ぬまで誰の子か教えてくれなかったわ。ハラミチさんや私達の目を盗める男が居るとも思えないから、あなたの父親は謎になっているのよ。あと言っておくけど、お父さんが不倫した訳でもないからね。私達夫婦は、ずっとラブラブだったから」  自分で口にして、「いやん」と身悶えてくれるのだ。真剣な話をしていたはずなのに、何か茶化されている気がしてならなかった。  ユイリの情報を得られただけでよしとするかとノブハルが考えたところで、「ちょっといい?」と今度はフミカがノブハルを呼び止めた。 「ノブハル、赤茶の髪に青い瞳、そして白いスカートに茶色の上着って言ったわよね?」 「確かに、そう言ったが」  それが何かと首を傾げたノブハルに、フミカは小さく息を吐き出した。その感情を表現するなら、呆れたと言うのが一番ふさわしいように思えた。 「ユイリってね、とっても頭が良かったのよ。多分、そのあたりはあなたに遺伝したのだと思うわ。でもね、妄想癖っていうのか、ちょっとおかしな趣味があったというのか。まずそのゲイスト(?)がしていた格好だけど、アスにあるフヨウガクエンのものじゃないの?」 「フヨウガクエン?」  なんだと首を傾げたノブハルに、「あのね」とフミカは呆れたように言った。 「IotUが学んだと言われる学校のことよ。連邦内ではとても有名だから、知らない方が不思議なんだけど」  大丈夫かしらと本気で心配され、ノブハルは少し顔をひきつらせた。ただ自分の無知は、目の前の問題には関係ない。キーワードが示されたのだから、情報を引っ張り出せばそれで足りるのだ。 「確かに、フヨウガクエンの制服だな」  ネットを調べれば、フヨウガクエンの情報などいくらでも見つけることができる。そこでついでとばかりにゲイストの映像を入れてみたら、どう言う訳か検索に引っかかってくれた。 「なるほど、ユイリと言う人はコスプレを趣味にしていた訳だ」  かなりの数が見つかったのだが、すべてが22年ほど前のものばかりだったのだ。そしてその発信者は、全てシキナミと言うハンドルを使っていた。 「このシキナミと言うのは?」 「ユイリが同人活動に使っていたペンネームね。1000年前のフヨウガクエンを舞台にした作品で、同人作家活動をしていたわよ」  意気込んで調べていくうちに、脱力ものの事実ばかりが出て来るのはどう言うことだろう。なんだかなぁと呆れたノブハルは、その同人活動で生み出された作品を確認するつもりになれなかった。 「そのユイリって人は、信教も熱心に調べたんじゃないのか?」 「正解。だからラナにある、竜宮跡地にも行っているわよ。付き合ってと頼まれて、私も付いていったことがあったわね。もう、20年以上も前のことね」  昔を懐かしがるような顔をした母親に、「もしかして」と浮かんだ疑問を口にした。 「まさか、母さんもコスプレをしたんじゃないだろうな?」 「あの時は、私も若かったのよ」  つまりフミカも、ユイリに合わせてコスプレをしたと言うことだ。 「参考までに聞いておくが、どんなコスプレをしたんだ?」 「見たい?」  目を輝かせて迫ってくるところを見ると、どうやら当時のコスプレを見せたいようだ。すでに断れる雰囲気ではないと、ノブハルは「見たいなぁ」とわざとらしく答えた。 「そう、どうしてもって言うのなら見せてあげるわ」  とても乗り気で、フミカは電子アルバムを操作した。途中で何度もパスワードや認証を通しているのを見ると、秘蔵中の秘蔵写真なのだろう。 「どう、なかなかイケてると思わない?」  そう言って迫る母親に、ノブハルは「答えを間違えてはダメだ」と自分に言い聞かせた。そしてそれを3度繰り返したところで、母親に示されたデーターを見た。そこには、プラチナブロンドのウィッグを付けた、ちょっと可愛らしい女性が映し出されていた。どうやら目の色は、カラコンで赤に変えているようだ。 「ユイリの設定でね、リシンジ様は紫鬼のパイロットと言う事になっていたの。そして私が、青鬼のパイロットなの。だからこんな恥ずかしいコスプレもしたわよ」  そう言って示したデーターは、確かに「恥ずかしい」と言っても差し支えのないものだった。巨乳というのはハイの時代から変わらないのか、体にピッタリとした白いスーツは、とても刺激的なシルエットを作り出していたのだ。一方赤いスーツを来たユイリは、母親ほどは扇情的な見た目にはなっていなかった。 「つまり、ユイリって人は、赤鬼のパイロットと言うことか」 「そう言うこと。どう、母さんの若い頃は素敵でしょう?」  笑いながら言っているが、どう見ても目は笑っているようには見えなかった。答えを間違えては駄目だと心のなかで唱え、「彼女にしたいぐらいだ」とノブハルは答えた。 「そう、でも私はお父さんを愛しているから」  そこで「いやん」と身をくねらせた母親に、ノブハルは深すぎるため息を吐いた。どうやらご機嫌を損ねるマネはしなくてすんだようだ。 「ちなみに、母さんはどんな名前のキャラクターだったんだ?」 「ユイリは、イエルって名前をつけていたわね。そして彼女のキャラクターは、アクサって名前をつけていたわ。ちなみにリシンジ様……については、結構頭を悩ませていたみたいね。カリシンとリシンジの共通項をとって、リシンと言うのも案にはあったわよ。ただ毒物の名でもあるから、最終的にはシンに落ち着いたと思ったけど……」  そこで首を傾げたフミカは、「忘れた」と言って笑い飛ばした。 「ただユイリったら妄想バリバリでね。シンだったかな、その第一の奥さんに自分の分身を据えたのよ。そして残る12人の奥さんの頂点においたのよね。ただラズライティシア様とか、ブライシビライ様だと危ない人たちに目をつけられるでしょう? だから琥珀宮から名前を取って、コハク様と言うキャラクターを作り上げたわ。そして翡翠宮からは、ヒスイ様と言うキャラクターを作り上げたの。だったら自分のキャラクターは竜宮からとって「リュウでしょ」って言ってあげたの。そしたら、龍は可愛くないって理由で却下されたわね。でも、あの頃はなにか楽しかったなぁ」  夢見るような目をした母親に、ノブハルはそっとその場を去ろうと立ち上がった。だがすぐに正気に戻った母親によって、「続きがあるのよ」と引き止められてしまった。これで部屋に戻るきっかけを失った事になる。 「ユイリの作ったアクサってキャラクターはね。とても賢くて、強くて、そして可愛らしいところのあるキャラクターだったのよ。物語の中で、最初はシンのことを馬鹿にしていたの。でも一緒にいるうちに、無くてはならないパートナーになっていくの。そしてフヨウガクエンで一緒にいるうちに、恋人になって性行為までするようになるのよ。そのことを語る時のユイリって、はっきり言って不気味だったわ」 「ちなみに、その時の母さんのキャラはどうなったんだ?」  興味本位で聞いた息子に、「酷いのよ」とフミカは大きな声で文句を言った。 「いつの間にか、人外にされて殺されてしまったわ。ユイリって、自分ばっかり美味しい役を割り振って」  ぷんぷんと腹を立てる母親に、結構乗り気だったんだとノブハルは新鮮な気持ちになっていた。ただほっこりとした所で、自分の勘違いに気がついた。 「そう言えば、母さんはこう言う人だった……」  そこで部屋に戻ろうとしたのだが、興の乗った母親はノブハルを離してはくれなかった。「まだ続きがあるの」と言って、ユイリの作った物語のことを話しだした。それを聞く限り、ユイリと言う女性はとても想像力が豊かだと言うことは理解できた。ただ10代の女性が、成人向けの物語を書くのはどうかと思えてしまった。 「あの子って、その手のことは奥手のくせにね。どこで、そんな知識を仕入れてきたのかしら」  凄いのよと身を乗り出した母親の話は、お昼時になっても終わってくれなかった。その結果、トレーニングでお腹を空かせたトウカ達が、遅い昼の犠牲となったのである。  自分がどうやって助かったのかを教えられたノブハルは、もう一度ラナ地区に行く必要があると考えるようになっていた。なにしろサン・イーストにいて掴める証拠は、予想通りとても限られていたのだ。ただゲイストの裏付けとなるユイリの情報については、かなりのものを得られたと考えていた。  ただラナ地区に行くには、元手と言うものが必要になる。そして万年金欠状態のノブハルに、金策の宛などあるはずがなかった。 「なるほど、あなた一人分ならなんとかなると言うことね」  つい漏れ出た愚痴なのだが、それをセントリアに聞かれてしまった。そこで事情聴取を受けたノブハルは、とても素直に経緯を説明したのである。ただ素直になるには、素直になるだけの理由が存在していた。一つ言えることは、セントリアは色仕掛けをするたまではないと言うことだ。  ちなみに二人は、アオヤマ家の居間でお茶を飲んでいた。もちろんセントリアが煎れるはずもなく、ノブハルが「才能の無駄遣い」をした結果がそこに有った。その時ノブハルは、ザクッとした白のポロシャツに、ベージュのスラックス姿だった。一方セントリアは、薄いピンク色のフリルの着いたブラウスに、クリーム色の短いスカートを履いていた。ブラウスの胸元が大きく盛り上がっているのだが、見て堪るかとノブハルは視線をそらしていた。 「うむ、一人にして貰えるとは思えないからな」  とても正しい認識を示したノブハルに、セントリアは大きく頷いてみせた。 「それは、とても正しい現状認識よ。そしてあなたの懐具合では、私達3人分の旅費を賄えないわね」 「理解して貰えたのは感謝するが、なぜお前の分まで俺が面倒を見なくてはいけないのだ?」  とても素朴な疑問を呈したノブハルに、「甘い現状認識ね」とセントリアは冷たい視線を向けた。その視線にブルったノブハルは、「だから困っている」と話を強引に捻じ曲げた。 「できるだけ早く行きたいのだが、資金が貯まるまで待つとかなりの時間が掛かることになる」  正直に答えたノブハルに、セントリアは「分かりました」と頷いた。 「では、スポンサーを探すことにするわ。幸い当てがあるけど、何か希望は有る?」  いきなりスポンサーと言われても、ノブハルがすぐに判断できるはずがない。そもそもスポンサーを得た場合、どんな不利益があるかも分かっていなかったのだ。 「それは、どんな要求をされるかによるな。エルマーの一般人に、ただで資金を提供して貰えるとは思っていない。必ず、何らかの取引があるはずだ」 「それは、正しい認識ね」  そうノブハルを褒めたセントリアは、「例えば」と言ってシルバニア経由の融資を持ち出した。 「帝国の資産から支出をすると言う方法があるわね。その場合出される条件は、実のところあなたの不利益につながるものではないわね。ただ問題は、とてつもなく代償のハードルが高いことね」  皇帝の夫候補第2位と考えれば、シルバニア帝国がスポンサーになると言うのはさほど不思議な事ではない。ただ付けられる条件がどうなるのかは、今更考えるまでもないことだった。 「あ〜っ、なんか想像が着く気がするぞ」 「ええ、これほどベタな条件はないかと思うわよ。つまり、トラスティ様やカイト様のような実績を上げろと言う事ね。加えて言うのなら、やんごとなきお方を誑し込むと言うのも考えた方が良いわ。聖下が仰るには、ついてくる女の格が低すぎるそうよ」  想像通りの答えに、「やはりそうか」とノブハルは肩を落とした。実績について言えば、比較の対象が悪すぎるのだ。モンベルト復興事業で、トラスティの名は全連邦に轟いているのだ。そしてカイトは、連邦最強の肩書を持っていた。それに並ぶような実績など、どうやったら積むことができると言うのだろうか。  そしてもう一つ女性についての条件は、ある意味もっとノブハルの嗜好から外れたものだろう。なし崩しで二股をかける事になったが、もともとノブハルにはハーレム願望はなかったのだ。そして今でも、二人と言うことに色々と疑問を感じているぐらいだ。 「それで、他には?」 「リンディア様に掛け合えば、手切れ金をせしめることができるかもしれないわね。ただ、掛け合うこと自体困難を極めるけど。先に言っておくけど、私は骨を折るつもりはないから」  やるなら自分でと言われ、ノブハルは「ああ」と天を仰いだ。これはこれで、別の意味でハードルが高すぎたのだ。ただ手切れ金となれば、セントリアもお役御免でwin-winの関係になれるはずなのだが。 「シルバニア関連で言えば、私が個人的に融資をすると言う方法もあるわね。ただその場合は、後から利子を付けて返して貰うわ」 「まあ、貰うわけにはいかないから当たり前なのだろうが……」  それにしても、他のプランに比べて現実的に思えたのは確かだ。だがそうしようと考えたところで、ノブハルはおかしなことに気がついた。 「どうして、俺がお前の分まで持つことになっているんだ?」 「私は護衛として雇われたのだから、雇い主が支払うのは当たり前でしょ?」  しれっと言い切られ、「ちょっと待て」とノブハルは言い返した。 「俺は、護衛を付けて欲しいと頼んだことはないぞ!」 「だから、費用は請求していないと思うけど? でも、地方遠征は請負範囲から外れるし」  確かに、密着護衛の費用は請求されていない。ただそれにしたところで、自分が望んだことではないはずだ。ついてくるなら、派遣主に請求するのが筋のはずだ。 「それに、お前はこの家に住み着いているよな。だったら、宿代や食費をうちに入れているのか?」 「入れてないわよ」  あっさりと言い切られ、ノブハルは一瞬聞き間違えたかと思ってしまった。だがノブハルが確認するより早く、セントリアが「お金を入れていない」理由を口にした。 「その件については、すでに奥さんに相談をしているわ。そして奥さんは、「家の中が賑やかになっていいわね」と言って、お金を受け取ってくださらなかった。だから息子であるあなたに、文句を言われる筋合いは無いと思ってる」  その時にきわどいことも言われたのだが、セントリアはその部分を端折って説明した。 「あの人は……」  どうして何も考えずに、面倒を招き入れてくれるのか。エリーゼ達のときもそうだが、考えなしに過ぎるとノブハルは呆れていた。 「それでどうする? 私が貸し付ければ良いの?」 「他に方法がなければ、それが一番マシに思えるな」  とは言え、貸し借りで済んでいる分セントリアに借りた方がマシに思えた。だがその考えが甘すぎるのは、すぐに思い知らされることになった。 「だったら、月利1割で手を打つわね」 「それって、高利貸しから借りた方が安くないか?」  却下だと即答したノブハルに、「だったらどうするの?」とセントリアは問いかけた。 「もちろん、コツコツとアルバイトをして貯める方法はあるわよ。1ヶ月ぐらい努力すれば、4人分ぐらい貯めることはできるでしょう」 「だから、どうしてお前の分も入っているんだ」  前提がおかしいと嘆いたノブハルだったが、あいにくセントリアは取り合ってくれなかった。 「仕方がない、頼りたくないがナギサに相談をしてみるか」 「友人からカツアゲをすると言うの!」  驚いた顔をしたセントリアに、「なんで」とノブハルは言い返した。 「だったら、その、あ、危ない方向に……」  考えるように上を向いたセントリアは、顔をはっきり赤くしていた。そしてノブハルに向かって、「どっちが攻めなの!」といきなり迫ってきた。 「いやいや、お前は何を言っているのだ?」 「親友とやらに、体を売るんじゃないの?」  違うのかと落胆したセントリアは、「もしかして」と口元を手で隠した。 「妹を売り飛ばすってこと?」 「そんなことをしなくても、あいつらはくっつくんだよ。いい加減、その方面から離れてくれ!」  頭が痛いとこめかみを押さえたノブハルに、「トリプルAは?」とセントリアは別のプランを持ち出した。 「支度金と言うことにして巻き上げれば良いんじゃないの?」 「トリプルAに参加するのは吝かではないが。だが、支度金を貰うのは違うと思わないか?」  ピンとこないと答えたノブハルに、「文句が多い」とセントリアは腹を立てた。 「時間を掛けたくない、利息が高いのは嫌だ、体で払うのも嫌だ……だったら、どうするって言うの?」 「いやいや、最初のはいざしらず、後の二つは正当な主張だろう」  ただ言い返しては見たが、自分でも無理を言っているのは分かっていた。 「仕方がない、ひとまず母さんに相談をしてみるか」  家族なら、たとえ利息をとってもバカみたいな物にならないだろうと考えたのである。一応まともなプランに、「馬鹿ではないのですね」とセントリアは評価した。 「何か、もの凄く馬鹿にされている気がしてきたぞ……」  ただそれ以上言い返しても、結果的に疲れるだけになる。もう良いと言い残し、ノブハルは居間を出て母親のところに行くことにした。  そしてノブハルがセントリアに相談した一週間後、ノブハルを含めた総勢6人がラナのホテルを訪れていた。前回から増えたのは、リンとナギサ、そしてセントリアの3人である。 「一度遊びに来たかったんだ」  と喜ぶのは、お兄ちゃんラブのリンである。結局母親のフミカは、「みんなで遊びに行ってらっしゃい」と資金援助を二つ返事でしてくれたのだ。そして兄妹旅行を聞きつけたナギサが加わることで、結果的に大名旅行になったと言うわけである。  盆地になっているせいで、ラナの夏はかなり蒸し暑いものになっていた。それでも押しかけた観光客で、どこを見渡しても人だかりを見つけることが出来た。 「一度、ユカタドレスを着てみたかったんだ」 「そう言えば、前回は着ることが出来ませんでしたね」  何しろ買いに行こうと約束した日に、瀕死の重傷を負ってシルバニアに担ぎ込まれたのだ。それを思い出したエリーゼは、「酷い目に遭いました」と心からの言葉を口にした。 「確かに、あれは酷い目としか言い様がないわね」  地盤の崩落に巻き込まれ、地下では凶悪犯に撃たれたのだ。間違いなく、それは酷い目と言って良いものに違いない。 「だから、今日はやり直しだと思っているんですよ」 「そうですね。私も楽しみにしています」  うんうんと頷いたトウカの向こうで、なぜかセントリアも遠慮がちに手を上げていた。それを見つけたノブハルは、「仕方がないな」と答えてため息を吐いた。それに喜んだセントリアが可愛かったのだが、どう考えても気のせいなのだと忘れることにした。 「ちなみに、今夜は色々なイベントが有るようだよ。司教の社では氷のお祭りがあるみたいだね」  あっちとナギサが示した先には、紙で出来たぼんぼりに明かりが灯されていた。 「ところで、あの四足で角の生えた動物はなんですか?」  少し視線を横に向けると、セントリアが指摘した動物がたむろしているのが目についた。そしてただたむろしているだけでなく、観光客の与える餌に群がっていた。 「ディアと言う動物だね。司教では、神の使いって事になっている動物だよ。ここでは信教だけでなく、キナイに昔から伝わる司教に関する施設も沢山有るんだ」  相変わらずガイド役を務めるナギサに、リンは少し白けたような目を向けていた。どうやらセントリアのことを、感覚的に「敵」だと感じているようだ。 「とても人に慣れていて、可愛らしいですね」  ねっとエリーゼは、トウカに賛同を求めた。この手の感覚は、ノブハルと共有できないのを十分理解していたのだ。 「そうですね。餌が売っていますから、餌やりを試してみましょう」  こっちと言って、トウカはエリーゼを連れて餌売り場へと歩いていった。そしてポシェットからコインを取り出し、料金箱に入れた。 「原始的ですが、一方合理的でもありますね」 「これが、信用取引と言うものでしょうか?」  ずれたことを言いながら、二人は編みの蓋を開けて中からおせんべい上の餌を取り出した。そしてすぐに、それがとても無防備な行為だと思い知らされることになった。  二人がコインを料金箱に入れた瞬間、のんびりとしていたディア達が一斉に二人の方へと振り返ったのだ。そしてエサ箱に手を掛けた時、わらわらと二人の周りを取り囲むようにして集まってきた。そこで無造作に餌を取り出すものだから、一斉に襲撃を受けたのは予想できることだった。全方位からディアが殺到し、二人は為す術も無くディアに蹂躙されることになった。  ただその襲撃も、手元に餌がある間のことだった。二人の手から餌がなくなった途端、殺到していたディア達は次の獲物を求めて二人から離れていったのだ。残されたのは、着崩れたブラウス姿の「(元)美少女」二人だった。 「なるほど、餌を与えるのも命がけなのね。ディアの野生、あなどれないわね」  うんうんと頷くセントリアに、ノブハルは突っ込みたいとウズウズとしていた。だがその欲求は、情けない顔をした二人が駆け寄ってきたことで果たされることはなかった。 「何か、ベタベタとしますし、匂いが着いた気がして……」  酷い目に遭ったと訴えるだけのことはあり、薄手のブラウスはディアの唾液で濡れて透けていた。しかもボタンも外れているので、結構危険な状態にもなっていた。そしてエリーゼが主張する通り、どこか獣臭くなっていた。 「仕方がない、トウカもこっちに来い」  そう言ってトウカを手招きし、二人が揃ったところでノブハルはファーブリズを起動した。日夜たゆまぬ改良を続けたため、今では服を分解すると言う不具合は起きなくなっている。二人を包んだ白っぽい水蒸気が消えたところで、どこからか金木犀の香りが漂ってきた。 「やはり、あなたは才能の無駄遣いをしている」  二人から獣臭さが消えたところで、横からセントリアが口を挟んできた。それを嫌そうな目で迎えたノブハルは、「言ってくれるな」と彼女に懇願した。無駄遣いと言われるのも堪えているのだが、活用の方法が分からないのはもっと辛かったのだ。 「ちょっと早いが、ユカタドレスを買いに行くか」  このままホテルに戻ると言う方法もあるが、どうせユカタドレスを買うのは決まっているのだ。だったら買いに行く口実として、エリーゼとトウカの体たらくは利用できるのだろう。 「意外に、優しいところがあるのですね」  珍しく褒められたと驚いたノブハルだったが、セントリアはそれだけ言うとさっさと離れていってくれた。 「じゃあ、あっちの通りにあるユカタドレス屋に行くか」  良いよなと言うノブハルの確認に、誰からも異論は上がらなかった。  それから1時間後、一行6人はユカタドレスを来て町中を歩いていた。結局ノブハルとナギサも、「格好を合わせるべきだ」と言う女性陣の主張に負け、渋々着替えたと言うことである。 「やはり、あなたは才能の無駄遣いをしているようです  そっと近づいてきたセントリアが、ノブハルの耳元でそっと囁いた。紺地に白で花が染め抜かれた着物は、それなりに涼しさを演出して居たのだが、隠しきれない胸の膨らみが清楚さとは対極のところへと持っていってくれた。そのあたりトウカも同じで、巨乳にはユカタドレスは似合わないというのを再確認させてくれたのだ。  ちなみに「才能の無駄遣い」とセントリアが言ったのは、当然のように理由が存在していた。ユカタドレス自体のデーター取得から、着付け方法までデーター化したため、指をパチンと鳴らすだけで、下着を含めて着替えが完了したのである。さすがに髪型や草履までは対応していないのだが、それでも大幅な時間短縮には違いない。あまりの早い着替えに、販売店の売り子が驚いたほどだった。  そしてこの着替えシステムは、ノブハルが介在しなくても行えたのだ。そのあたりは、リンのステージ衣装チェンジシステムで実用化されていたことによる。つまりリンがいれば、女性陣全員を着替えさせることが出来たのだ。そして男性の方は、当然のようにノブハルがシステムを使用した。  この着替えシステムが良いことは、着替えた服を持って歩かなくても良いことだ。更に言うなら、データーに戻すため、いつでも新品に着替える事ができることにある。その為面倒は洗濯作業から開放されるという、主婦にとって夢のようなシステムになっていたのである。 「ああ、きっとそうなのだろうな」  ぞんざいな答えを口にしたノブハルは、セントリアを相手にしないことにした。「凄い」と純粋に喜んでくれるエリーゼ達と話していた方が、気分は間違いなく良かったのだ。ただノブハルの思惑とは違い、女性陣4人は連れ立って先に歩いていった。 「まったく、脈はないのかな?」  女性陣4人が先行して歩き始めたところで、いつものようにナギサが隣に並んできた。そしてボソリと、ノブハルの身に覚えのないことを言ってくれた。 「なんだ、それは?」  またおかしなことをと首を傾げたノブハルに、「彼女だよ」とナギサはセントリアをこっそり指差した。 「やけに君に突っかかるから、少しぐらいは気があるのかなと思ったんだよ」 「堂々と風呂に入ってきて、少しも恥ずかしがらない女がか?」  その事実だけで、ナギサの指摘がありえないことが分かる。同じシチュエーションでも、エリーゼ達とは正反対の反応だったのだ。 「俺が入っているのも気にせず、勝手に風呂場を専有する女だぞ」  絶対にありえないと主張したノブハルに、「なるほどねぇ」とナギサは口元を歪めた。 「ノブハルは、男とは認めて貰ってない訳だ。それはそれで、攻略しがいがあるんじゃないのかな?」  そう言って笑ったナギサに、「一つ良いか?」とノブハルは不機嫌そうな顔をした。 「なぜ、俺があの女を攻略しなければいけないんだ? 説得力が薄いかもしれないが、男女関係には保守的な考えを持っているつもりだぞ」  真面目に答えたノブハルに、ナギサは小さく吹き出した。 「確かに、説得力に欠ける答えだね。まあ、あの二人の場合、責任をとったと言うのもあるんだろうね」  きっかけはどうであれ、2日続けてお互い貪りあったのだ。ノブハルが責任を取ると言うのは、無理のない考えなのは間違いないだろう。 「ただ、僕は彼女を派遣した側の考えを想像してみたんだよ」 「派遣した側……シルバニア帝国近衛部隊の隊長の考えか?」  派遣元の上司の名を持ち出したノブハルに、ナギサは笑いながら「もっと上」と返した。 「皇帝聖下とやらは、なぜ問題になりやすい年頃の女性を派遣したのかと言うことだよ。君の行動先を考えた場合、男の方が都合がいいんじゃないのかな?」 「確かに……」  同性とは入りにくい場所はあるが、その場合は「恋人」と言う条件がついてくるはずだ。その条件がハズレた場合、女性の護衛は著しく行動範囲が制限されることになる。 「俺が、見劣りしないようにと言う判断からじゃないか」  バリバリの近衛を派遣されたら、格好の良さで勝てるとは思えないのだ。それを考えれば、ノブハルの意見はあり得る配慮でもある 「比較できない、年配の男性を派遣すると言う手もあるんだよ。事実エリーゼ・クライストスの場合、チームを組んで守りにあたっていた。そして身近な所には、彼女のような同性の隊員が配置されていた。僕には、その方が常識的な配慮に思えるのだけどね」  その方が理に適っていると言うナギサに、「それは認めるが」とノブハルは答えた。 「俺達の常識が通用する相手と考えるのもどうかと思うぞ」  ここの所、自分達の信じる常識がことごとく覆され続けたのだ。ノブハルが「常識」を疑うのも、経験から得られたものである。 「女性と言うことで、敵の油断を誘うと言う事も考えられるね。ただ明確に君がターゲットとなる理由がない以上、抑止力として考えた場合たくましい男性の方が良いと思わないか?」 「それを否定する言葉を俺は持っていない……だとしたら、あの女を派遣した側の思惑は何なのだ」  指摘をされれば、わざわざ問題の多い女性を派遣することに確かに疑問に感じてしまうのだ。しかも魅力と言う意味では、黙ってさえいればトウカに勝るとも劣らないだろう。少なくとも、前を歩く4人が魅力的であるのは間違いなかった。 「ノブハルに対する試験のようなものだと僕は思っているんだけどね。何しろ候補者第1位は、あのトラスティ氏なのだろう? だとしたら、誰かに一筋と言うのは求められていないと思うよ。むしろ、オスとしての魅力を求められているんじゃないのかな?」 「つまり、あの女をたらし込むことが期待されていると言うことか……」  なるほどと頷いたノブハルは、「だったら話は簡単だ」とナギサを見た。 「俺は、シルバニア皇帝の夫になるつもりなど無い。従って、あの女をたらし込む必要もないと言うことだ」 「まあ、君の考えだけで世の中が回っていけばそうなんだろうねぇ」  もともとノブハルの考え通りなら、隣りにいるのはエリーゼただ一人のはずだった。それがいつの間にか二人になった時点で、誰かに踊らされていると考えるべきなのだ。ただ「誰か」と言うのが、必ずしもトラスティとは言えないとナギサは考えていた。 「仕掛けは、間違いなくトラスティ氏なのだろうけど……」  そのトラスティにしたところで、関わる女性が多すぎて首が回らなくなっているとしか思えない。そうでなければ、シルバニア皇帝が第2候補以降を用意するとは思えないのだ。  「無事で済めば良いねぇ」とナギサが口にしたのは、必ずしも身の安全方面とは限らなかったのだ。  ラナの繁華街を散策した一行は、学生らしく格安のお店で夕食を済ませた。同年代が多いので、肩がこらなくていいと言うのが選定の理由である。そこで夕食を終わらせれば、次の問題は「部屋割り」と言うことになる。今回の予約は、ツインの部屋が3部屋と言う、とても常識的なものになっていたのだ。 「できれば、僕達に配慮してもらいたいのだがね」  暗にリンと二人がいいと主張したナギサだったが、意外に恋人の食いつきはよろしく無かった。それどころかリンは、「お兄ちゃんと!」と率先して手を上げたぐらいだ。 「兄妹なんだから、同じ部屋でも問題はないよね?」  そしてリンは、大好きなお兄ちゃんに可愛い妹の真似をした。ただ確かに可愛いのだが、それはそれで問題だとノブハルも気づいていた。別に自分と妹が……と言う倫理的な問題ではなく、あぶれ者の部屋割りに問題が出るのだ。 「そうなると、ナギサとセントリアが同室になるのだが?」  そこで顔を見られたナギサは、それなりに顔をひきつらせていた。セントリアが魅力的なことは認めるが、下手をしたら恋人との関係がおかしくなりかねなかったのだ。だが問題と考えていたのは、どうやらナギサだけのようだった。 「私は、一向に構いません」  そう言って口元を歪めたセントリアは、とても剣呑なことを口にしてくれた。 「ただ、手加減が苦手と言うことを予め言っておくわ」  セントリアの実力は、すでにトウカが実証済みである。その彼女に実力を示されたら、明日のお天道さまを拝めなくなる可能性もある。  ぶるっと震えた親友に、ノブハルは助け舟を出すことにした。ただ我が身が可愛いので、妹を差し出す代わりに「俺と同室でいいだろう」と男同士を強調した。 「だったら、2、3、1の組み合わせで良いんじゃないの? お互い恋人同士なのですから、今更恥ずかしがる理由も無いと思うわ」  そのあたりは、恋人たちを慮ったと言うより、自分が一人のんびりできることを優先したと言えるだろう。ただ男二人は、強く否定できない提案でもある。ナギサにしてみれば、逆に有り難い提案でもあった。 「僕は、異存は無いよ」 「流石に、否定は難しいか……」  従って消極的同意を示すことになるのだが、なぜかエリーゼとトウカが顔を見合わせていた。 「どちらが一人で寝るのか揉めそうで……」  いたすことに疑問は無いが、寝る時はゆったりと寝たいと言うのである。誰かがシングルベッドを二人で使うことになるのを考えたら、簡単には「はい」と言える問題ではなかった。  そこでもう一度頭を悩ませた一行は、どうしようとお互いの顔を見合わせた。 「だったら、私とエリーゼさんが一緒に寝る?」  その考えだと、トウカがセントリアと一緒に寝ることになる。少し嫌そうな顔をしたトウカだったが、それが一番マシと言うことに気がついた。 「そうですね。それが一番問題が起きない組み合わせかと」  それでも嫌そうな顔を隠さないトウカに、「可愛がってあげようか?」とセントリアは表情を変えずに凄んでみせた。 「あなたの場合、冗談に聞こえないから怖いわ」  ぶるっと震えたトウカに、セントリアは少しも表情を変えなかった。 「冗談で言っているつもりはないから」 「なおさら悪いわっ!」  そう言うのは辞めてとトウカが喚いたところで、このバカ話は打ち止めとなった。「じゃあ」と言って男二人が連れ立って部屋に入っていったのだ。そしてリンとエリーゼも、「また明日」とトウカを置いて自分たちの部屋に入っていった。 「どうして、あなたとなの……」 「いびきを掻かないでね」  眠れないからと言うセントリアに、「掻きません!」とトウカは声を荒げたのである。  そして翌日、朝食会場に集まった6人は、綺麗に二つにグループが別れていた。簡単に言えば、寝不足のグループと睡眠たっぷりのグループである。ただ意外なのは、トウカとセントリアだけが、睡眠たっぷりのグループに居たことだった。 「お風呂を占拠されたことを除けば快適でした」  つややかな顔で答えたトウカに比べ、リンとエリーゼは明らかに寝不足の顔をしていた。ただ危ない世界で夜更かしをしたわけでなく、夜遅くまでおしゃべりが止まらなかっただけのことだった。そのあたり、話がしたかったと言うリンの事情があった。  そして男二人もまた、とても疲れた顔をしていた。しかも体からは、そこはかとなくアルコールの匂いが漂っていた。どうやら男二人で、遅くまで酒を酌み交わしていたようだ。 「何かね、飲まないとやってられないって気持ちになったんだよ」  なんでだろうねと零したナギサに、「不思議だがな」とノブハルも応じた。そしてポケットから、小さなアンプルを取り出しナギサに渡した。 「即効性の酔い覚ましだ」 「いつも疑問に思うのだけど、どうしてノブハルはこの手の薬を常備しているんだい?」  消化剤なら理解できるが、酔い覚ましなど飲酒習慣の無い男が持つものではない。それを疑問に感じたナギサに、「合成した」とノブハルはそっけなく答えた。 「組成が分かっていれば、合成するのは難しくない」 「なぜあなたは、その才能をもっと有効に活用しないの?」  すかさず「才能の無駄遣い」だと指摘したセントリアに、「それを言うな」とノブハルは不機嫌そうな顔をした。ここ数日、やたらセントリアに突っかかられている気がしてならなかったのだ。  ただナギサにしてみれば、酔い覚ましには助けられた気持ちになっていた。お陰でお腹の具合に合わせた食欲も湧いてくれたのだ。 「しかし、君たちの食欲は並ではないね……」  ノブハルだけでなく、リンやエリーゼ達もビュッフェから山盛りの料理を持ってきていたのだ。量を比べると、明らかに自分の倍はあるだろう。そしてその事情は、シルバニアから来たセントリアも同じだった。 「そうか、普段はこれよりも多いんだぞ?」 「確かに、ホームステイを始めてから食事の量が増えた気がします……でも、体重とかは変わっていませんよ」 「ナギサ、それを今更言う?」  それぞれから肯定されたことで、アオヤマ家の異常さを知ることが出来た。結局母親の提供する量に、胃が慣らされたと言うことである。そして暴食による影響は、薬物で押さえ込んでいると言うことになる。その中で異色なのは、まだアオヤマ家に加わって日の浅いセントリアだろう。 「ところで君は、野菜が多いのだね?」  量的にはノブハル達と変わらないのだが、セントリアの場合生野菜の割合が多くなっていたのだ。特にキューカンバが山盛りになっているのが目立っていた。 「健康のためだけど、それが何か?」  まったく表情を変えずに答えたセントリアだったが、キューカンバを頬張る時は嬉しそうな顔をしていた。「好物なのかな」と考えはしたが、それ以上突っ込むマネはしなかった。自分を守ったナギサは、女性陣とくらべても少ないプレートに手を付けたのだった。  もともとのラナ再訪理由は、事故現場の調査にあった。それを考えれば、ノブハルが二日目を調査に当てることは不思議な事ではない。そしてノブハルが行くからと、エリーゼとトウカの二人がついてくるのも、同じ目にあったことを考えれば当然のことだろう。そしてセントリアは、彼をガードするのが役目なのだから、同行するのは彼女の仕事でもあった。  それを考えれば、リンとナギサは恋人同士の時間を過ごせば良いはずだった。それなのに、どう言う訳かナギサ達二人もノブハル達に同行することになっていた。 「別に、俺達に付き合う必要はないだろう?」  二人きりにしてやるのにと言う意味を込めたノブハルの言葉に、ナギサは苦笑交じりに小さく首を振った。 「僕が、リンに逆らえるとでも思っているのかい?」  先日の事件以来、リンのブラコン度合いが悪化していたのだ。「二度あることは三度ある」と言う言い伝えを信じたリンが、ノブハル達と離れることを認めなかったと言うことだ。 「たぶんだが、何も起こらないし、何も面白いことはないと思うぞ。そもそも現場は、まだ立入禁止になっているのだろう?」  無理しなくてもと言う助言は、ナギサに意味のない事である。そしてノブハルも、リンを説得しようとは考えていなかった。リンがブラコンなら、ノブハルはシスコンを拗らせていたのだ。  ただ現地調査と言う意味なら、ナギサが同行することはありがたい事もあった。キナイを統治するイチモンジ家の次期当主なのだから、行政にも強制力を働かせることができたのだ。 「もちろん、危ない真似をするつもりはありませんよ」  「僕は」の言葉を飲み込み、ナギサはラナの役人に通達を回したのである。お陰で一般人で近づけないエリアまでは、フリーパスの許可を取ることができた。 「このあたりには、空洞は無いことになっているね」  それでも、崩落現場からは1km程離れたところまでが近づける限界だった。大規模な崩落は止まっているが、何かのきっかけで崩れないとも限らなかったのだ。  現場から離れていても、崩落の酷さは観察することができる。現時点での崩落規模は、長さで6km、幅で4km程あったのだ。そしてそれだけのエリアが、平均でおよそ10mの深さで陥没したのである。 「本当に、この状況でよく助かったものだな」  自分達が居たあたりにも、大規模に崩落しているのを見ることができた。ノブハルが顔を青くするのも、その酷さを考えれば不思議なことではない。当然エリーゼやトウカも、言葉をなくしてただ見つめるだけだった。 「この状況で生き残ったのは、たしかに奇跡ね」  この中で一番事件に関わりのないセントリアだから、感想を口にすることができるのだろう。リンやナギサにしても、その時感じた絶望が蘇っていたのだ。  そしてセントリアの言葉を最後に、しばらく一行の間から言葉が消え去っていた。一番関係のないセントリアには、それ以上口にする言葉はなかったし、ノブハル達には語るだけの余裕がなかったのだ。小一時間業者を問い詰めたかった秘宝館にしても、崩落に巻き込まれて今は見る影もなくなっていた。 「グラブロウの二人だけど」  それがどれだけの時間続いたのか、全員が時を忘れたところでナギサが小さくつぶやいた。それは、この大崩落を引き起こしたグラブロウの二人に関することだった。 「本物が現れたのを見て、顔を青くして震えていたと言うことだよ」 「その程度の小物だった……ってこと?」  その言葉に怒りが含まれているのは、肉親が巻き込まれたことを考えれば不思議なことではない。  リンに頷いたナギサは、「小物だったね」とその言葉を認めた。 「すでにケイト・モーガンの手によってグラブロウは壊滅させられたそうだ。その程度の組織であり、その程度の悪人だったと言うことだよ」 「そんな奴を、制圧出来なかっただなんて……」  トウカが叫んだのは、自分の甘さが原因と言うのを理解していたからに他ならない。ケイトの偽物にしても、バズの偽物にしても、倒すことは難しくなかったのだ。それなのに、自分達は瀕死の重傷をおってしまった。 「その理由は指摘できるし、治すこともできるわよ。でも、私にはそれが良いことか分からないわ」  そこで口を挟んだのは、この中で最強のセントリアだった。 「私には、あなたが進む道だとは思えないのよ」  トウカの敗因は、最初の攻撃でケイトの偽物に止めがさせなかったことだろう。セントリアの言葉は、それを理解したものだった。 「そうだね、彼女の進む道ではないと思うよ」  ナギサにまで同意され、「だけど」とトウカは反発をした。そんなトウカの肩を叩き、ノブハルは小さく首を横に降った。そしてその隣では、エリーゼもまた首を振って否定していた。 「その事情は、お前も同じだと思うのだがな」  ノブハルは、それをセントリアの目を見て口にした。その言葉に驚き目を見開いたセントリアは、すぐにうつむき小さく首を振った。 「その言葉は嬉しいけど、私はそのためにここに派遣されたのよ」 「それは、派遣した側の意図ではあるが、受け入れた側の希望とは違うものだ。母さんは、娘が増えたと喜んでいたのだろう?」  その指摘に、セントリアは大きく目を見開きノブハルの顔を見た。 「ひょっとして、私のことを口説いてるつもり? こんな場所で、周りにこんなに人がいるのに?」  セントリアの逆襲に、「い、いや」とノブハルは言葉に詰まってしまった。そして自分の言葉を思い返し、「そうなのか?」と妹に聞いた。 「客観的には、どちらとも受け取れるわよ。まあ、お兄ちゃんとセントリアさん次第じゃないの? でも、結構意外かな。お兄ちゃんが迂闊なのは今更だけど、セントリアさんにそんな願望があったなんて」  ねぇっとナギサと顔を見合わせ、リンは口元をにやけさせた。 「い、いえ、これはノブハル様をからかっただけよ」 「そうやって慌てる所が怪しいんだけどね。それに、最近何かとお兄ちゃんを構ってるし」  ねぇと、リンはもう一度ナギサと顔を見合わせた。せっかく手に入った面白いおもちゃを、逃してなるものかと言うところなのだろう。  ただいつの間にか蚊帳の外に置かれたノブハルは、それならばと自分の作業に取り掛かることにした。ここに来たのは、こうして景色を眺めて感慨に耽るのが目的ではなかったのだ。  持ってきたバッグの中から、ノブハルは1羽の鳥の模型を取り出した。茶色の体に、黒っぽい模様の入った、手を開いたのよりも小さな体をした鳥だった。 「それは、何なのですか」  興味を示したエリーゼに、「ヒバリ君だ」とノブハルは機械的に答えた。ただそれだけでは不足しているのを理解していたので、「滞空観察用」と機能の説明を付け加えた。 「人が行けないのなら、行けるものを用意すればいい」  ほいっと放り投げた途端、鳥の模型は激しく羽ばたきをして上空へと舞い上がっていった。 「そして、これを付ければ情報を受け取ることができる」  そう言って取り出されたのは、お馴染みの「探検君」である。ノブハル的には、ヒバリくんはボール君と同じく、探検用のプローブなのだろう。 「それって、普通のドローンでは駄目なの?」  すかさず呈されたトウカの疑問に、ノブハルはいくつかのだめな理由を答えようとした。だが口を開いたところで、長くなる説明を思いとどまった。そして説明の代わりに、トウカとエリーゼにも探検君を手渡した。 「上から見ると、更に酷いのが分かるな……」  同じように探検君を装着したことも有り、エリーゼとトウカも現場の状況が理解できた。ただでさえ怖いと思える崩落現場なのだが、自分達が巻き込まれたことで更にその恐怖は増してくれたのだ。 「できれば、僕達も情報を見たいのだけどね」  セントリアをからかうのに飽きたのか、ナギサがそう言って割り込んできた。 「使い方は分かるな?」  特に文句を言うこともなく、ノブハルはバッグの中から3人分の探検君を取り出した。 「これを、才能の無駄遣いと言うのは可哀想ね」  みんなの真似をして探検君を装着したセントリアは、得られた視覚情報に目を丸くして驚いた。類似の技術なら、シルバニアにも山のように転がっているが、全て一人の人間が独力で作り上げたことを評価したのだ。  特に周りのコメントを気にすることなく、ノブハルはヒバリ君を操作した。そして自分達が埋まっていたあたりに、ゆっくりと着地させた。このあたりの自由度は、ホイールローダーで構成されたドローンとは違う機動性だった。得られた視覚情報によると、ヒバリ君は身軽に跳ねながら着地地点周辺を調査しているようだ。 「座標の特定完了。地下への進入路も発見できた。これより、地下調査に移行する」  ノブハルはそう口にすると、「トランスフォーム」と新たな命令を発した。 「ヒバリ君、モグラ君へと変身するのだ!」  その命令と同時に、ヒバリ君は鳥の姿から少し小ぶりのモグラへと形態を変更した。ただ離れているリン達には、何が変わったのかは全く分からなかった。それでも理解できたのは、ノブハルの命令と同時に見ているものが変わったと言うことだ。 「崩落した岩の隙間から、地下へと侵入している」  ノブハルの説明と同時に、3D映像が全員の視界に提供された。どうやら、目標地点を立体的に表現したらしい。赤い印がつけられたのが、目標なのは間違いないだろう。 「ドローンではだめな理由って……これ?」 「探査用のプローブをもう一つ用意すれば足りた気もしますが……凄いですね」  エリーゼの凄いは、やや付け足し的な感じのするものだった。ただそれに構わず、モグラ君はひたすら目的地へと進んでいった。 「凄いのは認めるけど、何か気持ち悪くならない?」  セントリアが顔を青くするのだから、よほどのことだと考えれば良いのだろうか。そしてその事情は、ナギサやリンもあまり変わらなかった。それだけ、慣れない感覚に視覚神経がおかしな刺激を受けたことになる。  ただ意外なことに、エリーゼとトウカは特に変化はなかった。それどころか、「この程度で?」と驚いた顔をしたのである。 「意外に、繊細な神経をしているのね」  弱点と言うほどではないが、初めて精神的に優位にたった気になれたのだ。それを喜んだトウカに、「見た目通り繊細だから」とセントリアは言い返した。ただその反撃に迫力が無いのは、精神的ダメージの大きさゆえだろう。 「そろそろ、俺たちが居た場所にたどり着くのだが……」  モグラ君は、視覚センサー以外に超音波センサーも備えていた。そしてセンサーから得られた情報には、目的地周辺には人が入れるほどの空洞は存在しなかった。 「すでに、空間凍結の名残は残っていないと言うことか」  カイトの保有するデバイスを使って壊したとは聞かされていたが、それが本当のことなのだと確認できたのである。グラブロウの二人の言葉を信用するなら、この状況でゲイストに遭遇することはないのだろう。 「ここが、俺達の潰されかけた場所だな」  そう言われても、今までの映像と何かが違うわけではない。周りを岩に囲まれた、狭い空間の映像だけが送られてきたのだ。 「ここがそうなのですか?」  確認したエリーゼに、ノブハルは小さく頷いた。 「画面の端に、少し黒いものが写っているだろう。分析の結果、あれはエリーゼの流した血だと確認できた。ちなみに、隙間の広さは10cm程だな」  ノブハルの出した数字は、あの場にいれば押しつぶされていたことを証明するものになる。今更ながら、助かったことが奇跡だったと理解することができた。  そこから更にモグラ君を移動させたのだが、人一人がいられるような空間は見つけられなかった。ノブハルやトウカの流した血が見つかったのだから、ここが事件の現場なのは疑いようはないだろう。 「これ以上の調査は意味がなさそうだな」  それから1時間ほど周りを調べさせたのだが、新たな発見はどこにも見られなかった。それを頃合いと考え、モグラ君に撤収の命令を出した。 「自己満足に過ぎないのは分かっていたが……」  首から探検君を外したノブハルは、そうつぶやいて息を吐き出した。 「どうやれば、あの状況から助かることができるんだ?」 「空間固定、でしたか。それがなされていたと言うことでしたよね?」  確認してきたエリーゼに、ノブハルは小さく頷いた。 「俺達の居る空間だけ、時間が止められていたそうだ。だから崩落してきた岩石に潰されることもなく、俺達の傷も手遅れにならなかった……と言う説明だ。ただ、ズミクロン星系には、時間操作の技術はない。そしてトリプルAは、事件発生後にしか関わっていないのは分かっている」 「つまり、何も分かっていないと言うこと?」  トウカの問に、「ああ」とノブハルは頷いた。 「キャプテン・カイトのデバイスでも、時間停止はできないそうだ。ライスフィールさんの魔法も、遅延はできても停止はできないと言うことだ。加速に比べて、停止の方が遥かに難しいと言う資料もある」  トウカに答えた所で、「ああ」とノブハルは頭を掻き毟った。漠然として居た謎が、調べてみたことではっきりと目の前につきつけられたのだ。そしてノブハルには、その謎に迫る方法が思いつかなかった。 「聞いた話では、トラスティ様も謎だと言っていたそうよ。だから、簡単に謎に迫れる……んっ?」 「なんだ、いきなり」  話しかけたところで口ごもったセントリアに、「なんだ」とノブハルは頭に手を当てながら聞き返した。 「いえ、あそこに女性が立っていた気がしたのですが……ありえないですね」  あそこと指さされたのは、まさに崩落した現場だったのだ。立入禁止地区だと考えれば、誰かが居るはずのない場所である。 「あそこの足場は、かなり酷いことになっているからな。それに、この辺り一帯は立入禁止地域だ」  ノブハルの答えに、「ですよね」とセントリアも気のせいにすることにした。もしも気のせいでなければ、自分の認識を超えた移動速度を持っていることになるのだ。可能性を考えたら、目の錯覚としか言いようがなかった。 「でも、どうしてフヨウガクエンの制服を着ていたのだろう?」  セントリアの呟きは、ノブハルの耳に届くことなく消えていった。そしてセントリアも、それ以上目の錯覚には拘らなかった。ちょうどヒバリ君が戻ってきたのも、話をやめる理由になってくれた。 「しかし、それ、可愛いわね」  ちょこんとノブハルの肩に止まったヒバリ君に、セントリアは目を輝かせていた。どうやらヒバリ君の可愛らしい姿が、彼女のツボにはまったようだ。ただ物欲しそうな顔をしたセントリアに、「やらないからな」とノブハルは釘を差した。 「これは、サーベイ用のツールだからな」  もう一度駄目と言って、ノブハルはヒバリ君をバッグの中に詰め込んだ。それでも諦めきれないのか、セントリアはじっとヒバリ君が仕舞われたバッグを見つめていた。それを可愛いと思ったのか、さもなければ後から怖いと思ったのか、「欲しいのなら」とノブハルはセントリアに声を掛けた。 「モグラ君機能を外した奴なら、すぐにでも作ってやるぞ」 「えっ、良いの!」  純粋に喜ぶセントリアに、ノブハルは不覚にも可愛いなと思ってしまった。ただそれは気の迷いだと、すぐに首を振ってそれを否定した。 「別に、この程度のことは大したことはない」  ぶっきらぼうに答えたノブハルに、セントリアにしては珍しく表情を顔に出して「ありがとう」と言って俯いた。予想外の可愛らしさに、ノブハルは胸がどきりとした気がしていた。  その夜夕食を終えてホテルに戻ったところで、ノブハルは「説明する」と言って自分たちの部屋に女性陣を招き入れた。一度ホテルに戻ったことも有り、全員がとても身軽で、そして色気もクソもない格好をしていた。正確に言うなら、パジャマ代わりのジャージを着ていたのである。 「それでノブハル、彼女たちを集めて何を説明するのかな?」  リンをベッドに座らせ、ナギサはその隣の場所を確保していた。もっともリンの隣には、当たり前のようにノブハルが座っていた。 「ここまで調べた結果を教えることにした。まずイチモンジ家次期当主のお前に教えるのは、今回の崩落事件の収束方法……案だ」  これがと言って、ノブハルは現場の立体映像を全員の前に投影した。正確に言うのなら、探検君の機能を使って、情報を共有したのである。 「あのあたりには、無数の地下空洞が存在している。今回の崩落は、グラブロウの二人が、支えの弱い部分を爆破したことで連鎖的に発生したものだ。生き残っている空洞が連鎖に巻き込まれないようにしてやるのが、その方法ということになる」  いいなと見られたナギサは、「うん」と小さく頷いた。 「現時点で崩落の危険性のある場所を赤で示してみた。これは、地下の構造とヒバリ君の観測から得られたデーターから導き出している。結論から言うと、何もしなければ地下にある空洞はすべて潰れることになる」 「ほぼ、3倍の面積が崩落することになるのか……」  そこまで広がると、人の住んでいるエリアまで被害が及ぶことになる。「むむ」と唸ったナギサに、ノブハルは小さく頷いた。 「そこまで崩してやれば、二度と崩落の危険を考えなくても済む。ただしいくつかの文化財や住居が巻き添えになるな。まあ、お前としては採れない方法だろう」  ノブハルの決めつけに、「必ずしもそうではないが……」とナギサは言葉を濁した。 「手っ取り早く、恒久的に処理をすると言う考えもあるんだよ」 「住民の反発が怖いぞ」  そう言って脅したノブハルは、「別の方法だ」と立体図面に幾つかの線を書き入れた。 「崩落を伝搬させないために、幾つかの支柱を作ってやる方法がある。支柱と言うと分かりにくいが、すでに崩落した現場の岩で埋めてやるのが簡単だろう。固化処理をうまくやれば、全部崩すのと同じ効果を得ることができる」 「方法として、可能ならばその方がずっと良いだろうね。ただ問題は、その作業が安全に行えるのかと言うことだ。今の状況は、とても微妙なバランスが成り立っているはずだと思うのだけどね?」  それを認めるのは吝かではない。小さく頷いたノブハルは、「だから」と言って第三の方法を持ち出した。 「もう少し時間を掛ければ、優先的に支える場所は解析できる。それが解析できたら、別の方法で下から支えることをすればいいだろう。大掛かりな土木工事は崩落の可能性を増すから、できるだけ振動を出さない方法が好ましいだろう」 「そんな、いい方法があるのかな?」  驚いた顔をしたナギサに、「幾つか」とノブハルは平然として答えた。 「俺達に技術があれば、それこそ空間固定をしてやるのが簡単だ。そして空間固定をしている間に、支えを入れてやれば事が足りる。ただズミクロン星系には、空間固定の技術はないのが問題だ」  それが一つと、ノブハルはナギサの顔を見た。 「補強箇所に、氷柱を立てると言う方法もある。冷却器を使用して氷を成長させれば、比較的刺激を与えずに柱を作ることができるな。ただ必要な強度を得るためには、かなりの太さの氷柱を作る必要がある。ただ技術的には、全てエルマーが自腹で揃えられるものだ」  最後にと、ノブハルは「タンガロイド社」を持ち出した。 「あそこの鉱山シリーズに、崩落防止用のマイクロマシンがある。崩れた岩の隙間に入り込み、岩同士の結合を密にしてまるで一つの岩のようにする技術だ。それを利用すれば、現在崩落している岩石を、そのまま崩落補強に利用できるだろう」 「タンガロイド社……か。確かに、現実的な方法には違いないね。タンガロイド社なら、近くに営業拠点があったはずだ。後は、予算の問題か……」  犯罪の被害なのだから、公費からの補填が必要なのは言うまでもない。ただ予算執行には、いくつか超えなければいけない壁があるのも確かだった。しかもグラブロウの被害なのだから、キナイだけが負担するのもおかしな話なのだ。  ううむとナギサが考えた所で、「ちょっといい?」とセントリアが割り込んできた。 「タンガロイド社を利用するなら、トリプルAに相談してみたら? 加えて言うのなら、あなたはトリプルAに誘われていたはず。あなたが、声を掛けるのが一番自然だと思うわ」 「お、俺が、か!」  素っ頓狂な声を上げたノブハルに、セントリアは「あなたが」と繰り返した。 「被害者ではあるけど、あなたが関わった事件なのでしょう。そして、どうしたら良いのかの方策も提示できている。だったら、それをトラスティ様にぶつけてみるのが良いと思うわ。と言うのか、それをしない理由があったら教えて欲しいわね」  セントリアの言葉に、ナギサは見えない所で「よし」と拳を握った。誰かが背中を押すべきだとは思っていたのだが、その「誰」の該当者が居ないのが問題だったのだ。その意味で、セントリアと言うのは伏兵には違いないだろう。だがこれまでのシガラミがない分、気軽に背中を押すことができたとも言える。だからナギサも、この機を逃さないとばかりに「賛成だね」とセントリアの意見を認めた。 「ノブハルには、トラスティ氏へのパイプがあるんだろう。だったら、それを活かしてみたら良いと思うよ。自分に何ができるのかと悩んでいたのだから、これをきっかけに自分を試してみても良いんじゃないのかな?」  セントリアの言葉だけなら、ノブハルは迷いの中から抜け出ることはできなかっただろう。だが最後にナギサの言葉が決め手となり、ノブハルは自分でトラスティと連絡を取ることを認めた。 「そうだな、一度相談してみよう……」  まだ不安を隠すことはできないが、前向きになっただけで良しとしよう。リンもまた、伏兵となったセントリアに感謝をしていた。 「その代わりナギサ、予算の捻出を頼むぞ」 「確かに、それは僕の役目だろうね」  分かったよと頷き、ナギサは自分の役目を受け入れた。ただ彼の権限では、星系会議を開催することはできない。サン・イーストに戻ったところで、ハラミチに話を通す必要があった。 「ズミクロン星系に、トリプルAの支社を作るのが餌になるな」  これまでの事件では、ズミクロン星系の技術レベルの低さが問題となっていたのだ。それを考えれば、トリプルAの支社が誘致できれば、幾つかの問題に片がつくことになる。星系会議の餌と考えれば、かなり上質なものになってくれるはずだ。 「何か、思わぬ方向に話が広がった気がするが……」  とは言え、ノブハルの中で口実がついたのも確かだった。お陰で、少しだけ気持ちが楽になった気がしていた。 「まあ、いい、それで次の話なのだが……」  こちらの話は少ししにくいのか、ノブハルにしては珍しく次の言葉を躊躇った。ただ自分から切り出したこと、そしてゲイストの核心に迫る話だと、踏ん切りをつけて話しだした。 「ナギサも覚えていると思うが、チチャイさんが俺の顔を見て、「ユイリさんの面影が残っている」と言っただろう。だから俺は、次のことと合わせて母さんにユイリ・イチモンジのことを聞いてみた」 「確か、親父さんの妹と言う話だったね。18年ほど前に亡くなられたと聞いているのだが……」  何かを思い出すようなナギサに、「そのユイリさんだ」とノブハルは答えた。 「今から、母さんに貰ったユイリさんの映像を見せる。この映像は、彼女がハイの時のものだそうだ」  ノブハルの言葉と同時に、黒髪をした一人の女性の姿が全員の所に転送された。 「母さんに聞かされたのは、俺はユイリさんの子供と言うことだ。俺を産んですぐに亡くなられたので、引き取って実の子として育ててくれたと言う話だ」  兄弟関係を考えたら、それは間違いなく衝撃の事実に違いない。だがリンは、ノブハルの暴露に少しも驚いた顔をしなかった。むしろナギサの方が、「そんなことが」と驚いたぐらいだ。 「驚かないのだな?」  兄の問いに、リンは小さく頷いた。 「だって、ずっと前から知ってたもの。ただお兄ちゃんが知らないみたいだから黙っていただけ」  あっけらかんとした妹の答えに、「そうなのか?」とノブハルは首を動かして周りの反応を見た。ただ、こんなことに答えられるものが居るはずがない。ショックを受けたナギサ以外の全員が、気まずげに顔をそらしてくれた。 「それで、お兄ちゃんが誰の子供かって話なの?」 「い、いや、それは別の話なのだが……」  家族の中で、自分だけが何も知らないでいたことになる。それにショックを受けたノブハルだったが、気を取り直して説明を続けることにした。 「では、俺達が目撃したゲイストの映像を見てもらう」  言葉と同時に送られてきたのは、エリーゼ達も会ったゲイストの姿だった。赤茶の髪をした、とても綺麗な女性だった。 「これだけでも理解できたと思うのだが、こうすればもっとわかりやすくなるだろう」  そう言って、ノブハルはユイリの映像を加工した。髪の色を赤茶に変え、そして同時に目の色も青く変えたのである。 「ちなみに母さんが言うには、ゲイストのしている格好はアスにあるフヨウガクエンのものだそうだ。そしてこの映像で検索をしたら、ぼろぼろと本人が作った映像が出てきた」  それがこちらと、ノブハルはシキナミのハンドルで作られた、ユイリのコスプレ映像を幾つか映し出した。その中には、ゲイストと寸分違わぬものも含まれていた。 「ゲイストが、ユイリさんと言う女性の姿を模した物……と言うことですか?」  ノブハルの説明から導き出される答えを口にしたセントリアに、「それも一つの可能性だ」とノブハルは答えた。 「そもそも、ゲイストと言うものは学術的には立証された存在ではないんだ。よほど、立体映像装置が働いて作り出された映像と言った方が納得できる存在といえるだろうな。事実、過去の目撃例を調べると、どこかに仕掛けがあるものが多かった。ただ、俺が言いたいのはそのことじゃない。そして、俺が調べた事実は更に話が難しくなっている」  そう言ってノブハルは、イチモンジ家の遺伝子情報を展開した。 「ユイリと言う女性の子供なら、俺はイチモンジの遺伝子を持っていることになるはずだ。だが調べた範囲で、俺とイチモンジの間に共通するものはなかった。排除率で言うなら、10%と言うところだろう。このデーターを見る限り、俺はイチモンジの血を継いでいない」 「ユイリと言う女性の子供ではない?」  確認するように口にしたナギサに、ノブハルははっきりと頷いた。そして大きく深呼吸をしてから、おもむろに口を開いた。 「そしてトラスティ氏からもらった情報によると、俺とキャプテン・カイトは同じ遺伝子を持っている。トラスティ氏の場合、操作された部分を元に戻すと、俺と同じ遺伝子になるらしい。つまり、父方の遺伝子は、3人に共通するんだよ」  予想もしない説明に、ナギサ達からはなんの言葉も発せられなかった。ただセントリアは、なるほどと大きく頷いていた。 「だから、あなたが第2位になったわけね。ようやく、自分が派遣された理由に納得がいったわ」  うんうんと頷いたセントリアに、ノブハルはゲンナリとした顔をした。今の話が確かなら、彼女は納得して任務を受けたのではないと言う事になる。派遣する方も派遣する方だが、派遣される方もいい加減としか言いようがなかったのだ。 「それで、3人の遺伝子が共通するってことなんだけど。それって、一体誰の遺伝子なの?」  共通する遺伝子が同じ2人が、そうそうたる実績を上げているのだ。それを考えると、遺伝子提供者の素性が気になってしまうのだ。  ただその質問は、さすがのノブハルの手にも余るものだった。不安そうな目をした妹に、「残念ながら」とノブハルは首を横に振った。 「多分トラスティさんは知っていると思う。だが、俺には教えてくれなかった」 「ちなみに尋ねるけど、偶然一致する可能性はどれぐらいなんだい?」  人の関与を疑うのは分かるが、広い宇宙だと考えれば、偶然の一致も有り得る話だったのだ。 「現状の分析では、1000兆分の1程度だろう。ただこれは、単に数学的な意味でしか無く、実際にはもっと確率は高いらしい。そして偶然一致したケースも観測されているのだが」 「狭いコミュニティなら有り得るというのだろう?」  ナギサの指摘に、そのとおりとノブハルは頷いた。 「独立して存在する場合、確率は数学的な確率に近づくものと推測できるな。従って、偶然の一致を否定することはできないが、極めて確率が低いと言うことができる」 「ああ、だからユイリさんの話が出てくるわけですね!」  話のつながりを思い出したエリーゼに、「そう言うことだ」とノブハルは認めた。 「俺がイチモンジの遺伝子を持っていない以上、ユイリと言う女性が意図的に遺伝子を選択したと考えることができる。偶然に一致した可能性は排除できないが、選択自体に意思が入り込んでいるのは確かだろう」 「何か、ノブハル様の親近感が増した気がします」  自分も似た境遇からの言葉なのだが、その場に居たセントリアを除く全員が「違う」と心の中で叫び声を上げた。ただエリーゼが嬉しそうにするので、誰も口に出して言えなかっただけのことだ。 「だから、俺は自分が何者なのか、どうして産み出されたのかを探そうと思っている。ゲイストが手がかりになると思ったのだが、今回は空振りだったようだな」  この程度の調査では、結局ゲイストの正体に迫ることはできなかったのだ。そして肝心の証拠は、今は岩石の下に埋もれてしまった。 「それで、ノブハルはこれからどうするんだい?」 「これからか……」  八方塞がりになった以上、新しいアクションを起こす必要がある。それを認めたノブハルは、話にあったトリプルAを持ち出した。 「さっきの話にもあったが、トリプルAに飛び込んでみようかと思う。自分が何者なのか、何のために産み出されたのか……それは、ゆっくりと追いかけていけばいいだろう」 「まあ、それが妥当なところなのだろうね」  これで話が終わったと、ナギサはリンを連れて出ていこうとした。旅行最後の夜なのだから、恋人同士の時間を過ごそうと言うのである。だがナギサに促されても、リンは立ち上がろうとはしなかった。 「リン?」  不思議そうに声を掛けたナギサに、「今日はこっちかな?」とリンはノブハルの顔を見た。 「血のつながりが無いことが分かったのよ。だったら、お兄ちゃんも踏み込んでくれるかなって」  だからと言おうとしたリンに、ノブハルは「却下だな」と即答した。 「お前は、可愛い妹だと言ったはずだ。それは、昔も今も、これからも変わらないことだ」 「シスコン……と言っていいのかな?」  格好良く決めた言葉に、セントリアが余計な一言を被せてくれた。ノブハルが「勘弁してくれ」とこぼすのも、タイミングを見れば無理も無いことだった。  グラブロウの問題は、ズミクロン星系全体の問題として捉えられていた。そのため発生した被害についても、星系全体で負うべきと言うコンセンサスを取ることは難しくない。それでも問題があるとすれば、際限なく費用を発生させていいと言う訳ではないことだ。 「幾つか、合意の取れたことがある」  ナギサを呼び出したハラミチは、ぶっきらぼうな口調で切り出した。場所はハラミチの書斎と言うのは、家族の語らいでないことを考えれば、別に不思議な事ではないだろう。ただ外が真っ昼間にも関わらず、分厚いカーテンのせいで部屋の中は薄暗くなっていた。それなのに、なぜか黒を貴重とした詰め襟のスーツを着たハラミチは、白い手袋をして両肘を執務机に突いていた。そしてトレードマークになった赤い伊達メガネに手を当てて、息子であるナギサに向かい合ったのである。リンカニックと言う髭もまた、胡散臭さを振りまいていた。  ちなみに白い手袋をしているのは、お茶を淹れようとして左手の甲にやけどをしたのが理由だった。それだけなら左手だけに包帯をすれば良いのだが、威厳が下がると言って白い手袋はめていただけのことだ。そして赤い伊達メガネにしても、つぶらな瞳を隠すのが目的になっていた。余談になるが、幼いころは「男の娘」と呼ばれていたらしい。 「ラナの崩落事件に対して、星系予算が付くことは確定した。ただ、臨時出費となるため、さほど多くは望めないというのが現実だ。トリプルAに依頼すると言う話については、さらなる協議が必要と言うのが議論の結論でもある。トリプルAとの関係強化自体、誰からも異存は出ては居ない。ただノブハル・アオヤマが関わることに対して、懸念が出ていると言うのが実態だ。それでも強い反対意見が出ないのは、他にチャネルがない事を理解しているからでもある」  回りくどい話に、ナギサは小さく吹き出してしまった。 「つまり、ノブハルにトリプルAと話をさせても良いと言うことだね。費用については、見積もりを出させれば良いんだろう?」 「有り体に言えば、そう言うことになるな」  少しずれたメガネを直しながら、ハラミチは「ナギサよ」と息子に声を掛けた。 「アオヤマの娘のこと、ノブハルに負けるなよ」  真剣な口調で言っているが、中身は男女の仲のことだった。そして息子を焚き付ける動機も分かるので、「なんだかなぁ」と言うのがナギサの正直な気持ちだった。 「アイドルに、お父さんと呼ばせたいからですか?」  ミーハーですねと笑った息子に、「それは違う」とハラミチは声を荒げた。 「別に、彼女がアイドルだからと言う訳ではないぞ!」 「それだと、あまり否定したことになっていませんね」  もう一度笑ったナギサは、「大丈夫でしょう」と便りのない答えを口にした。 「間違いなく、ノブハルはシスコンですからね。シスコンと言うのは、妹を恋人にしないものですよ。リンがその気になっても、ノブハルは絶対にその気になりませんからね」 「そ、そうなのか……」  懐疑的なハラミチに、ナギサはもう一度吹き出した。 「あなたがなぜユイリさんに手を出さなかったのか。その理由を考えれば、自ずと導き出される結論だと思いますけどね。別に、血のつながりを気にした訳ではないでしょう?」  それからと、ナギサはノブハルの事情にも触れてきた。 「ノブハルは、あれでかなり保守的ですからね。しかもエリーゼやトウカに責任を感じている。結構うまくいっていますから、今更妹に走ることはありませんよ。同じ愛情と言う言葉でも、妹と恋人に向けるものは違うと言うことです」 もう一度笑ったナギサは、話をずいっとトリプルAに引き戻した。 「ラナの事故対応だと、ノブハルはここに居る必要があるのですが。事務所開設に、便宜を図りますか?」  ナギサの問に、ハラミチはデーターを一つ引き出した。 「なるほど、すでに手配済みと言うことですね。スモールスタートですが、一応会社の体裁は必要でしょうからね」  ハラミチの提示したデーターには、事務所となる建物の場所と、そこで働く社員がリストアップされていた。もっとも社員に関して言えば、当面ハラミチのところからの派遣と言うことになる。それにしても、将来的には事務所で採用することになるのだろう。 「先手を打たないと、トリプルAにかき回される可能性がある」 「その考えには、大いに同意しますよ」  そのままデーターを自分の所に保存し、ナギサは正面からハラミチの顔を見た。そしてハラミチには、耳の痛い忠告を口にした。 「そのメガネと髭ですけど、リンには評判がよくありませんからね」  それだけですと言い残し、ナギサはさっさとハラミチの書斎を出ていった。赤いメガネに隠されて分からないが、顔の引きつりがハラミチの精神状態を表していた。  「意外に早かった」と言うのが、ノブハルからの連絡を見たトラスティの反応だった。気がついたのが朝と言うことも有り、彼はベッドの中で情報画面を呼び出していた。隣を見れば、まだ妻のアリッサ夢の世界に居るようだ。薄いシーツに、彼女の魅力的なシルエットが浮かび上がっていた。 「なるほど、最初の仕事にはちょうど良い難易度だね」  受けた連絡では、トリプルAへの参加を打診してきただけでなく、自分が巻き込まれた事件の後始末をつけることが書かれていたのだ。タンガロイド社との関係を考えても、悪くない着目点には違いないだろう。 「しかし、ハラミチ氏の思惑が透けて見える話だね」  体を俯せにしたトラスティは、送られてきた事業計画を見て吹き出してしまった。そのせいだろうか、アリッサが夢の世界から帰ってきた。トラスティに覆いかぶさり、「なんのこと?」と耳元で問いかけた。 「ああ、ノブハル君のことだよ。漸く、仲間になる決心が付いたみたいだね」 「ノブハル……ああ、あなたが見つけてきた男の子ね。あらあら、結構可愛らしい顔をしているのね」  あなたと違ってと、アリッサはさり気なく夫を攻撃した。ちなみにアリッサは、一度ノブハルの顔を見たことはあった。ただその時は、まだ身なりに気をつけていない、無精髭姿のときだった。 「今更、顔のことは言われたくないんだけど……」  いいけどと答えたトラスティは、「良いかな?」とアリッサに尋ねた。ことトリプルAに関して言えば、アリッサが最高責任者だったのだ。ノブハルを一員にすること、ズミクロン星系に支社を作ること等は、アリッサの許可が必要だった。 「あなたが必要だと思ったのなら、私は反対しませんよ。ただ、いきなり支社の扱いは難しいわね。とりあえず、支店の扱いで良いと思いますよ」 「まあ、それが妥当な線なのだろうね」  アリッサとの話をまとめたトラスティは、いつエルマーに行くかを考えた。前回は緊急事態と言う事もあり、エスデニアに協力をさせ直通経路を開いたが、その経路も今は閉ざされている。そうなると、ディアミズレ銀河はかなり遠い場所になっていた。 「さすがに、トリプルAの都合でショートカットは作れないか」 「ラピスラズリさんに命じれば、なんとかなるんじゃありません? 言うことを聞かないと、二度と抱いてあげないって脅すのも有効だと思いますよ」  支障の有りまくるアリッサのプランに、「さすがに」とトラスティも尻込みしてしまった。それをやると、本当にエスデニアを敵に回しかねないのだ。 「せいぜい、行く頻度を落とす程度にしておいた方が……」  そこまで口にした所で、「いやいや」とトラスティは首を振った。アリッサに乗せられて交渉手管を考えたのだが、頼むことがあまりにも民間企業への利益誘導に過ぎたのだ。エスデニアが公正さを求めることを考えれば、無理強いのできないことだった。 「時間短縮については、別に考えることにするよ。さて、一度スタッフを連れてエルマーに行く必要があるね。開所式も必要なんだけど、アリッサはどうする?」  一出張所の開設に、最高責任者が行く必要があるかと言う問いかけである。ある意味当たり前の問いかけなのだが、アリッサの考えは違うようだった。 「たまには、外の空気を吸うのも良いと思います。それに、余計な虫がつかないか監視する必要もありますからね」 「いやいや、本当に仕事に行くんだけど?」  余計な虫の下りに文句を言ったのだが、「事実」を持ち出されて反論は封じられてしまった。 「ですが、アイラさんにも手を出しましたよね?」 「僕としては、手を出すつもりはなかったんだよ」  レムニア皇帝までグルになられたら、さすがのトラスティでも逃げ出しようがない。それでもコスモクロアを使えば逃げ出せたはずなのだが、なぜか今回だけは協力してくれなかったのだ。どうやらコスモクロアも、アイラに同情的だったようだ。 「別に、責めては居ませんよ。ただ、事実を指摘しているだけです。ただ、あなたのためには、これ以上増やさない方が良いのかなって。もっとも、ケイトさんみたいに行動的な人も居ますけど……」  権力を行使して拉致までしてくれたのだ。それを考えると、自分が付いていても安心とは限らなかった。もの凄く問題かしらと悩んだアリッサは、「ノブハル君って」となぜかノブハルのことを持ち出した。 「あなたやお兄様と同じなのですよね?」  どうしてノブハルがと思ったが、トラスティは素直に妻の疑問に答えた。 「もの凄く乱暴な言い方をすればね。そしてもう少し正確な言い方をすると、腹違いの兄弟のようなものだね。父親の遺伝子は、少なくとも同じものだと思われるよ」 「お兄様も手広くされていたようですし……」  小さく呟かれた言葉だが、隣にいればしっかり聞こえてしまう。「そう言うことね」と納得しながら、トラスティは妻の言葉を待った。 「やんごとなきお方を誑し込むのは、そろそろ次の人に任せた方が良いと思います」 「別に、狙ってる訳じゃないんだけど……」  こう言う発想がぶっ飛んでいると、さすがはアリッサだとトラスティは感心していた。 「彼はまだ、弾けていないからね。今の二人でも、持て余しているんじゃないのかな?」 「IotUの遺伝子を継いでいるのに、ですか?」  ありえませんねと断言する妻に、「可哀想に」とトラスティは二人を思い浮かべた。ただIotUは顔を知らないので、シルエットしか登場しなかった。 「彼はまだ、19にもなっていないからね。そう言ったことは、これから世界が広がってからだと思うよ。僕としては、シルバニア帝国皇帝を受け持ってもらいたいのだけどね」 「でしたら、お手伝いしないといけませんね」  がばりとベッドから起き上がったアリッサは、裸のままシャワールームへと走っていった。それをなんだかなぁと見送り、自分もゆっくりとベッドから起き上がった。 「さて、お供はバルバロスあたりが適当かな?」  モンベルトも一段落ついたのだから、引っ張り回しても被害は少ないだろう。本人の希望を無視し、トラスティはバルバロスを巻き込むことにしたのだった。呼び出された本人から猛烈な抗議を受けたのは、今更のことだった。  ズミクロン星系への移動がエスデニア経由になったのは、バルバロスと合流すると言うのが理由になっていた。そこでバルバロスと合流したのだが、なぜかアリハスルまで同行していた。 「なに、モンベルトも落ち着いたからな」 「違う銀河に行ってみたくなったと正直に言ってもいいんですよ」  これと言った特徴がなくても、10,000番目と言うのは特別な響きを持ってくれる。しかも最後に連邦に加わったと言うのは、興味をそそる理由にもなっていた。加えて言うなら、ズミクロン星系は数少ない有人の連星だったのだ。そしてアリハスルの言う通り、もはやモンベルトに幹部が詰めている理由はなくなっていた。  ただ予想外のゲストは、アリハスルで打ち止めという訳ではなかった。アス経由にしたせいで、トリプルA共同経営者の一人、エイシャまで一行に加わったのである。その辺り、ジュリアンとの関係を考えれば大いに有り得ることだった。 「そっちは、ノブハル君への興味かな?」 「何か、面白いことになっていると聞いたからな」  あははと笑ったエイシャは、「久しぶり」と言ってアリッサと抱き合った。アス詣でのエージェント仕事が増えすぎたため、エイシャは本拠地をルナツーに移していたのである。  トリプルAとして、アス詣では事業全体からみれば割合として小さな物になっていた。ただ、トリプルAにとって、躍進のきっかけとなった由緒ある事業でもあった。パガニアとの関係もあり、疎かには出来ないものになっていたのである。エイシャが専任でルナツーに居るのも、パガニアとの関係を重視したからに他ならない。 「しかし、こんなに幹部が大勢で押しかけて良いんだろうか」  アリッサは正真正銘トリプルAの代表だし、隣で笑っているエイシャも経営権を持っている幹部だった。トリプルA内では、エイシャの方がトラスティより格上だったのだ。そしてバルバロスはCFOの役目をしているし、アリハスルは技術顧問と言う肩書を持っていた。そこに代表権を持つ自分が加わったのだから、ほとんどフルメンバーに近い構成になっていた。これでパガニア王子の妻、アマネが加われば幹部が勢揃いすることになる。 「流石に、クンツァイトが手放さなかったか」  ぼそりと呟いたトラスティの言葉を聞きつけ、「アマネなら」とエイシャは口元を歪ませた。 「クンツァイト王子が、毎晩励んでいるらしいな。どうやら、立場は完全に逆転しているようだぞ」  どうして知っていると言うのはひとまず忘れて、「そうなるのだろうね」とトラスティはアマネのことを思い出した。 「何しろ、巫女史上最も妖艶と言われたぐらいだからねぇ。お子様のクンツァイトじゃ、逆立ちしても敵わないだろうな」  あれから数回アマネの舞を見たのだが、見るたびに「いやらしさ」が増していくのが分かったのだ。一体誰が磨いているのか、お子様のクンツァイトを見ているだけに疑問に感じてしまったほどだ。 「だから、アマネが我儘を言えばクンツァイト王子も逆らうことが出来ないそうだ」 「それって、アマネさんも合流すると言う意味かな?」  これで、トリプルA創業者3人が揃うことになるのだ。最後に勢揃いしたのが壮行会だと考えると、2ヤー半ぶりと言うことになる。やれやれとトラスティがため息を吐いたところで、「お久しぶりです」と後ろから声が聞こえてきた。次期パガニア王国王妃様のお出ましである。  現れたアマネは、首元がゆったりとした水色のドレープドネックのセーターに、クリーム色をした長めのスカートを合わせていた。そして前より伸びた黒い髪は、ベージュ色をした太めのヘアバンドで止めていた。特徴だけを取り出せば「地味」なのだが、前より豊かになった胸や、何気ない仕草がどうしようもなく扇情的だった。 「アマネ、前よりエロくなってないか?」  流石にトラスティは遠慮したのだが、やはりと言うかエイシャは全く遠慮がなかった。「エロいなぁ」と繰り返して、後ろからアマネの胸を持ち上げた。 「しかも付けてないとか、なんか狙ってないか?」 「べ、別に、トラスティさんを狙ってなどいませんよ」  語るに落ちると言うのは、まさにこの事を言うのだろう。流石に危機感を覚えたアリッサは、駆け寄ってトラスティの右手を捕まえた。 「アマネさんだけは、絶対に駄目です!」 「べ、別に、そんなつもりは……無いんですよ」  信じてくださいと上目遣いで見られ、これはやばいとトラスティは目をそらした。金髪碧眼好きのトラスティなのだが、アマネの色香にぐっと来てしまったのだ。そのあたり、さすがは歴代最強と言われた巫女である。発する色香は、アリッサさえ凌いでいた。 「ただ、クンツァイト様はお上手ではないみたいです。しかもトラスティさんのことは、ロレンシアさんが自慢げに教えてくださるんですよ」  狙っていないと言う言葉とは裏腹の態度に、違うだろうとトラスティとしては主張したいところだった。 「いやいや、結婚したばかりの人妻がそんなことを口にしちゃ駄目だろう」  慌てたトラスティは、「さあ行こう」ととてもわざとらしく大きな声を上げた。おかしくなった空気を払拭しなければ、絶対に出発が遅れてしまうことになる。これからのアリッサとの夫婦関係にも、悪い影響が出てしまいそうだった。 「逃げたか……まあ、妥当な判断ではあるな」  そこでエイシャが口元を歪めたのは、今晩のことを考えたのだろう。しっかりアパガンサスの薫陶を受けたエイシャは、今まで以上にオープンな考え方をするようになっていた。そのせいとばかりは言えないが、最高評議会にもエイシャのファンが増えていたのだ。  アリッサが用意したのは、タンガロイド社が保有する小型のプライベートクルーザーだった。もっとも小型と言っても、船室は20を超える規模を持っていた。それに加えてパーティースペースもあるので、ちょっとした団体旅行のできる規模があった。  しかもタンガロイド社役員専用なので、中の作りも豪華そのものである。比較の対象としてどうかと思うが、リゲル帝国のガトランティスよりは遥かに豪華な作りをしていた。 「途中で寄港予定はありませんから、およそ2日の船旅になりますね。特にイベントは用意していませんが……でも、パーティーぐらい開いた方が良いのかしら?」  久しぶりに3人が揃ったと考えたら、何もしないのは許されないだろう。うんと考えたアリッサは、ぽんと手を叩いて「そうしましょう!」と声を上げた。 「いやいや、そうしましょうじゃ分からないだろう」  普段はトラスティがツッコミを入れるのだが、今日は本来のツッコミ役がそばに居てくれた。「まあ分かるが」と言って、エイシャはバルバロスの顔を見た。 「確か、あんたはパーティーは苦手だったよな?」  モンベルト絡みで付き合いがあるため、エイシャはレムニアの住人が派手なことを嫌いなのを知っていた。パーティーの都度嫌そうな顔をしているのを見ると、結構気を使ってしまうのだ。 「そうですね。できれば、遠慮させていただきたいと思います」  相変わらず不機嫌そうな顔をしたバルバロスに、そうだろうなとエイシャは頷いた。 「と言うことでアリッサ、バルバロスさんは船室で大人しくしているそうだ」 「趣味に合わないことを無理強いしては駄目ですね。バルバロスさんには、後から料理を届けさせますね」  そう言ってから、アリッサはもう一度ぽんと手を叩いた。 「部屋割りですけど、皆さんの所に転送しておきましたので確認してくださいね」  それだけですと言って、アリッサはトラスティの腕を引っ張った。 「おいおい、なんかがっついてないか?」  そう言って笑ったエイシャに、「お仕置きが必要ですから」とアリッサは夫の顔を見た。 「僕には、お仕置きされる心あたりがないんだけどね……」  一応一言言い返したトラスティだが、それが無駄な努力と言うのは十分承知していた。その辺り、伊達に結婚生活も2ヤーを超えていないと言うことだ。  大人しく引きずられていくトラスティを見送ったエイシャは、「さて」と言って残された3人を見た。 「アリハスルさんは、久しぶりの宇宙なんだろう。だったら、俺達に気を使わないで大いに楽しんでくれて良いんだぞ」  ホストがさっさと居なくなったので、その代行は保護者であるエイシャの仕事である。気を使われたアリハスルは、苦笑を浮かべながら「感謝する」とエイシャに頭を下げた。今のアリハスルは、技術顧問としてトリプルAに籍を居置いているので、立場で言えば遥かにエイシャの方が強かったのだ。 「しかし、彼は相変わらずなのだな。そのせいなのか、ライスフィール王妃がいらいらされている」  モンベルトの復興がなったため、ライスフィールからは困難に立ち向かう悲壮感を感じなくなっていた。それ自体は残念がることではなく、本来喜ぶべきことに違いない。ただ同時に健気さも薄くなってしまったため、アリハスルも以前ほどライスフィールに拘っていないところがあった。もっとも世界としてのモンベルトへの興味が、未だトリプルAから離れていない理由となっていた。今や歴史的事業への立会人になると言うのが、アリハスルが残る理由にもなっていたのだ。 「まあ、それがあの人の個性のようなものだろうな。ただ、モンベルトじゃ、あの人を閉じ込めておくには小さいんじゃないのか?」 「ディアミズレ銀河にまで手を出しているのだ。まさに、その通りなのだろうな」  ふっと息を吐き出したアリハスルは、「これで」と言ってもう一度エイシャに頭を下げた。 「後で、夕食の時間を連絡するからな」 「できれば、私も遠慮したいと思っているよ」  なあと顔を見られたバルバロスは、これ以上無いほど力強く首を縦に振った。 「ズミクロン星系に着くまで、船室に篭っていたいぐらいです」 「可能な限り、個人の希望は尊重するさ」  じゃあなと手を振ったエイシャは、手元の画面で時間を確認した。そして隣りにいるアマネに、「本当に良いのか?」と確認した。 「俺の所はアパガンサスさんまで奨励しているから良いが、仮にもお前は次期王妃様だろう」 「普通は、そうなんですけどね……」  ふっとため息を吐いたアマネは、「場所を変えませんか?」と提案した。 「そうだな、1時間ぐらい時間を潰す必要があるだろう」 「相変わらず、体力なしなんですね」  小さく笑ったアマネは、案内にあったティールームのドアを開けた。さすがは豪華クルーザーと言えば良いのか、少しアンティークな作りの落ち着いた空間がそこには有った。しかも給仕をするのは、最新型のクリスタイプのアンドロイドだった。  そこでお茶を頼んだアマネは、話をぐいっと引き戻した。 「実は、クンツァイト様の方が乗り気なんです。私としては、貞淑な妻でいたいと思っているのですが……」  こめかみを押さえたアマネに、「貞淑ね」とエイシャは口元を引きつらせた。 「言いたいことは理解するが、神殿で作ったイメージとは正反対だな」 「ごめんなさい、神殿のことは思い出したくないんです」  はっきりと嫌そうな顔をしたところを見ると、よほど本人には不本意なことなのだろう。だがアマネが巫女を退くと言う話が出た途端、見学のアレンジが倍では効かないほど入ってきたのも確かだ。そしてアマネが引退して以来、見学希望者がぐっと減ったのも事実だった。神殿詣でのアレンジを引き受けているだけに、顧客の要望は手に取るように分かっていたのだ。これが興行だったら、アマネの復帰を手配したぐらいだ。 「まあ、アマネがそう言いたくなるのも理解できるな。ただ、ちょっと意外なのは、不倫相手がカイトさんじゃないと言うことだな」 「カイトさん……ですか?」  一度顔を上げたアマネは、それからゆっくりと俯いた。だが口から出たのは、ある意味爆弾発言だった。 「カイトさんには、もう少しと言う所で何度も逃げられましたから」 「エヴァンジェリンさんが危機感を覚えたのは、あながち被害妄想じゃなかったと言うことか」  今だから言えることだが、2年前なら間違いなく騒ぎになっていただろう。 「それで、トラスティさんか?」  カイトともしたことがあるから、エイシャは二人を比べることができる立場だった。そしてアパガンサスと話して得た結論が、圧倒的なパワーのカイトに超絶技巧のトラスティと言うものだった。ジュリアンもテクニックの人なのだが、トラスティとは違いパワーを背景にしたテクニシャンだった。 「ロレンシアさんから、色々と聞かされているんですよ。それにトラスティさんとだったら、アリッサさんともご一緒できますし。今だから言えますけど、アリッサさんをからかうエイシャさんが羨ましかったんです」 「ああ、確かにアリッサは可愛いぞ」  それについては、積極的に同意できる。大きく頷いたエイシャは、「気をつけろよ」とアマネに忠告をした。夫公認の浮気は、思わぬ方向に飛び火する可能性もあったのだ。 「クンツァイトさんが、アリッサに迫る口実にされるかもしれないぞ」  自分の妻に手を出したのだろうと迫れば、トラスティも強いことを言えなくなる。それを理由として持ち出したエイシャに、「手は打ってあります」とアマネは笑った。 「二兎を追う者は一兎も得ずと言っておきました。見捨ててよければどうぞと脅かしておきましたよ」 「まあ、今更パガニアもアマネの命を狙わないだろうからな」  それをしたら、間違いなくトリプルAがパガニアの敵になるのだ。保有する戦力を考えたら、必ずしもパガニアが強者とは言うことはできない。しかも現国王が外向けに談話を発表した以上、今更無かったことにするわけにはいかなかった。 「今だと、エスデニア連邦、リゲル帝国、レムニア帝国を敵に回すことになりますからね」 「お前を自由にすると、色々なところから文句が来そうだ」  そう言って笑ったエイシャは、「そろそろか」と時間を確認した。マシにはなったとは言え、相手は体力なしのアリッサである。お仕置きプレイなんかしたら、長続きするはずがないのだ。 「俺が混ざることは、アリッサも了解済みだからな」  そのあたりが抜けていると、エイシャは金髪が素敵な親友のことを思い出していた。  ハラミチが用意したオフィスは、サン・イーストの目抜き通りにあるビルの10階に設けられた。場所からすると、ノブハルの家からシェアライドで10分ほどの距離になる。そしてハラミチのいるイチモンジ家本家からは、20分ほどの距離に置かれていた。  ビルは築15年とさほど新しくないが、中に入っている企業はいずれも大手と言われていた。もちろん、ハラミチの息がかかった企業も多く含まれていた。 「なかなかいい場所ね」  ノブハルと一緒に現れたセントリアは、建物の入口で正直な感想を漏らした。天然石を切り出した素材で作られたエントランスは、瀟洒な雰囲気を醸し出していたのだ。そしてビルの地下と最上階になる部分には、サン・イーストでも有名なレストランが入居していた。 「何か、本当に良いのかと思えてしまうのだが……」  今までは自宅とハイしか知らないのだから、こんな場所は初めての経験だったのだ。多くの人が横を通り過ぎていくのだが、その人達が別世界の住人に思えてしまったほどだ。オフィス棟に入っていく人達が、女性を含めて遥かに大人に思えてしまった。  そのせいで入り口で戸惑っていたのだが、やはりセントリアは優しくなかった。 「別に、良いと思うけど。ちなみにトリプルAの事業規模は、このビルに入っている企業の中では一番のはずよ。その支店になるのだから、別に分不相応と言うことは無いと思うわ」  事実を取り上げれば、セントリアの言っていることに何一つ間違いはない。それでも気圧されてしまうのは、あくまでノブハルの問題でしか無いのだ。それぐらいのことは、ノブハル本人も自覚をしていた。 「いや、トリプルAではなく、俺自身を問題にしているのだが……」 「言いたいことは分かるけど、ここでぐずぐずしているのはもっと恥ずかしいわよ」  冷静なセントリアのツッコミを受けたノブハルは、セキュリティを通るために特別ゲートの前に立った。ちなみに今日のノブハルは、フミカがこの日のために用意した紺のスーツを着ていた。真新しい靴と、グレーのネクタイを絞めた姿は、どう見ても就活学生そのものだった。  一方付き添ってきたセントリアは、縦にストライプが入った紺のスーツ姿である。タイトなスカートと、白のブラウスは、彼女のスタイルをこれでもかと強調していた。そして茶色の髪は、白黒のリボンでポニーテールにまとめられていた。足元を見れば、黒のストッキングに黒のパンプスである。スーツに着られているノブハルに比べ、セントリアの方が遥かに様になっていた。  特別ゲートでチェックを受けたノブハルは、なんとか事務所の主と認められたようだ。そのお陰で、セントリア用のトークンも発行された。 「これで、第一関門は通過したことになるのだが……」  なぜこの程度のことで緊張をしてしまうのか。違うだろうと分かっていても、右手と右足が同時に出るのを防ぐことはできなかった。ただ、ガチガチに緊張したノブハルの後を、普段通りの様子でセントリアが続いてくれた。 「これは、なんの為にあるの?」  次なる関門は、10階に上がるためのエレベーターである。普通に呼び出しボタンを押したノブハルに対して、今度はセントリアが首を傾げてくれた。 「何の為と聞かれれば、10階に上がるためにあるとしか言えないのだが? 中にあるボックスに乗って、10階まで引っ張り上げて貰うものだ」  エレベーターの原理を説明したノブハルに、セントリアは左手を自分のおでこに当てた。 「原理と動作は理解できた気はするけど……どうして、そんな原始的な方法を採用しているの? シルバニアでは、1,000ヤー程前に使われなくなった技術よ」 「ここでは、まだ使っているんだよ」  遅れた星だとバカにされた気がして、ノブハルの答えはぞんざいなものになっていた。そこでセントリアが何かを言いかけたのだが、ちょうどエレベーターの扉が開いてくれた。  単なる移動の道具なのだから、もちろんエレベーターに特別な物があるはずがない。入り口から分かる広さの閉鎖された空間がセントリアの前に広がってくれた。 「入れて、20人というところね」 「ここには、10機あるから十分だろう」  エレベーター自体の構造は、低層階、中層階、高層階の3つに別れていた。それに加えて、展望レストラン直行のエレベーターが1機別の所に用意されていた。中で働く人数は分からないが、一応必要にして十分な輸送能力を持っているように思われた。  とにかく10階に移動するために、二人は大人しくエレベーターに乗り込んだ。そして10のボタンを押し、閉まるボタンを押したところでゆっくりと目の前の扉が閉じた。ただ目の前の扉は、開いたと思ったらすぐに開いてくれた。移動方法自体は原始的だが、それでもスピードだけは十分に高速だったようだ。 「なるほど、移動時間自体はさほど変わらないわね。一応重力制御もされていると言うことね」  これぐらい早ければ、別に空間接合に拘る必要はない。なるほどねと納得したセントリアは、「それで」と言ってノブハルにオフィスの位置を訪ねた。 「案内によると、こっちのようだな」  エレベーターホールの中に、入居している企業の名前が記載されていたのだ。その記載を見る限り、他のオフィスと同程度の規模が確保されたようだ。 「南東の角と言うことね。場所としては、中々良いんじゃないの」 「何しろ、イチモンジ家御当主様が確保したそうだからな。トリプルAに対しての、見栄もあるんだろう」  トリプルAだけでなく、貧相なオフィスでは星系内への示しがつかないと言う理由もある。トリプルAとのコネは、それだけズミクロン星系内では大事になっていた。  そんなことを知らないノブハルは、清潔な通路を通って目的の場所へとやってきた。入口横の壁を見ると、Aの字が3つ重ねられたトリプルAのロゴが表示されていた。 「トリプルAなのね」  トリプルAのオフィスに来たのだから、セントリアの言葉は今更のものである。だがノブハルは、セントリアが言いたいことを理解できた気がした。何しろ自分でも、まだ現実感が無かったのだ。 「ああ、トリプルAだな……」  ごくりと一つつばを飲み込んだノブハルは、入り口を開けるために手前に立った。下のエントランスと同じで、使用責任者の登録をするためである。そして僅かな時間の登録で、新たなトークンがノブハルに与えられた。続いて入り口の所にあったインディケーターが、登録終了とともに緑色に変化した。 「ノブハル・アオヤマ様。セントリア・イガラシ様を認証いたしました」  音声ガイドの確認を聞き、ノブハルはセントリアに向かって小さく頷いた。その表情は、あたかもこれから大冒険に臨むかのようだった。  軽く手で入り口を押すと、少し重めの手応えを与えてゆっくり扉が開いてくれた。そして二人が入るのにあわせ、それまで消えていた受付の照明も点灯した。 「受付嬢を置くの?」  そう口にしたセントリアは、すぐに「まさか」と両手で口元を覆った。 「私を晒し者にしようというの!」 「お前が、そんなに忍耐強いとは思っていないのだが?」  企業の受付ともなると、面会に現れる者の相手をしなくてはいけなくなる。そこにセントリアのような美人を配したら、トラブルのもとになるのが目に見えていたのだ。そしてその際の被害者は、間違いなく無礼な真似をした訪問者になるだろう。 「職員は、イチモンジが見繕ってくれるそうだ」 「だったら、私があなたの秘書をすればいいのね」  少しホッとしたセントリアに、「なんでだ?」とノブハルは聞き返した。 「お前の場合は、警備員がぴったりではないのか?」  腕っ節も強いしと。そんな決めつけをしたノブハルに、セントリアは「それは自分の仕事じゃない」と言い返した。 「私が守るのは、あなたただけなのよ。どうして、他の社員まで守らなくちゃいけないの?」  だから秘書と、セントリアは少しうっとりとした顔をした。 「社長秘書って響き、素敵だと思わない?」 「お前に、そんな願望があったとは意外だな」  少し驚いた顔をしたノブハルは、「残念だが」とセントリアに答えた。 「社長はアリッサさんだからな。ここの格が上がっても、精々支社止まりだ」 「支社長秘書ってこと?」  うむと考えたセントリアは、小さく息を吐いて「仕方がない」と口にした。 「当面、それで手を打つことにするわ」 「お前は、俺の護衛のために派遣されたのだと思ったのだがな」  どこかおかしいだろうと言いながら、ノブハルとセントリアは受付横の入口を通ってオフィスの中に入っていった。ただそこまで来ても、最初にぶつかったのは応接だった。 「来客が通る場所だから、応接があるのも当たり前か」  気を取り直して中を確認してみたら、立派なソファーが用意されていた。それを見ただけで、どれだけ金を掛けたのだと聞きたくなってしまった。置かれているテーブルや調度品も、一見して高そうなのが分かるのだ。  なるほど会社にはこういう物も必要なのだと感心しながら、ノブハルは通路を奥へと進んだ。途中には、椅子のない会議スペースも作られていた。そして会議スペースを通り抜けたところで、一枚のドアに突き当たった。普通に押しても開かないので、ノブハルは新たなトークンを投げ込んだ。 「なるほど、ここがオフィススペースと言うことか」  2方向を窓に囲まれたエリアには、幾つかのデスクが置かれていた。ただその間隔は広く、しかも低めのパーテーションで区切られていた。 「素敵なオフィスね」  うっとりとしたセントリアに、ノブハルは何か新鮮な気分を味わっていた。 「こう言う物が好きなのか?」 「知的な感じがしていいと思わない。それで、どこに秘書のデスクがあるのかしら?」  夢見るような顔をしたセントリアの問いに、「秘書か」とノブハルは部屋の中を見渡した。そして東側の窓の部分に、区切られた一角があるのを見つけた。どうやらそこが、支店長の部屋らしい。 「あそこのようだな」  扉を見れば、ウッドの重厚な作りになっている。見るからに立派なことを考えると、そこが責任者の部屋なのだろう。 「あの中に私のスペースが有るのね?」 「いや、普通はその前だろう」  ほらと指差した先には、確かに受付らしきデスクが置かれていた。だがセントリアは、そんなものを気にせずウッドで出来たドアを開いた。少し広めの部屋には、これまたウッドで出来た重厚なデスクと、小さな応接セットが置かれていた。 「それで、私の場所は?」  どうやら、立派なデスクが自分のものではないと言う自覚はあったようだ。ただ「それで」と聞くところを見ると、自分の居場所はこの中だと考えているらしい。 「いや、お前の場所はドアの隣りにあっただろう」 「却下ね。あなたの安全を守るためには、常に目の届く所に居る必要があるの」  だからこの中と主張したセントリアに、ノブハルは小さくため息を吐いた。 「お前は護衛なのか秘書なのかはっきりとさせてくれないか?」 「護衛兼秘書と言う所かしら。と言うことなので、私の席をこの中に作りなさい」  偉そうに命令するセントリアに、ノブハルは「立場が逆だろう」と言い返した。秘書ならば自分の部下になるし、護衛ならば自分のために命をかけなくてはいけないのだ。  だが「却下」と繰り返そうとしたところで、ノブハルはどうしようも無い悪寒を感じてしまった。一体何がとセントリアを見たところで、逃げ出したくなったのは秘密だ。お陰で、「アルカロイドより強い」と言うのが、嘘ではないことを理解することが出来た。 「それで、私の席をこの中に作ってくれるの?」  そこで「コキコキ」と指を鳴らすのは、一体何の示威行為なのだろうか。ただ何度も死線をくぐり抜けたノブハルは、正しく己の危機を察知した。そして、自分に言い聞かせるように「逆らっちゃ駄目だ」と心の中で何度も呟いた。護衛のご機嫌を損ねて殺されるのは、どう考えても間抜けとしか言い様がないのだ。 「あ、ああ、入り口の所にデスクを置くように手配する」  今日が内覧日で良かった。背中に嫌な汗を掻きながら、ノブハルは引きつった笑みを浮かべたのである。  そしてノブハルのリクエストから3日後、ノブハル達は事務所の仮オープンに立ち会うことになった。ただイチモンジ家からはハラミチではなく、次期当主のナギサが顔を出していた。 「ノブハル、頼むからオフィスの風紀を乱さないでおくれよ」  そして仮オープンの前に、ナギサはノブハルを捕まえチクリと嫌味を言った。何の事はない、秘書のデスクを同じ部屋に入れたことを皮肉られたのだ。 「ナギサ、俺だって命は惜しいんだぞ。そうそう何度も死ぬような目に遭って堪るか」  ぶすっとして言い返したところを見ると、ノブハルの望んだことでないのは理解できた。ただナギサを含め、周りの受け止め方は違ったようだ。「だけどね」と口元を歪めたナギサは、「長時間二人きりになるんだろう?」と事実をありのままに口にした。 「俺達の間で、そんなことが起こるとでも思っているのか?」 「まあ、今の所は起こらないのだろうね。ただ、将来的にどうなるのかは僕にも分からないよ」  そんなところと笑い、こっちだと職員を支店長室に招き入れた。 「とりあえず、スモールスタートと言う事になっているね。必要な人員は、トラスティ氏と相談してからリクエストしてくれないかな?」  ナギサの言葉に遅れて、4人の男女が部屋の中へと入ってきた。ただ何の嫌がらせなのか、男2人女2人なのだが一人としてまっとうに見える者は居なかった。特に男二人は、本当に堅気かと思えたぐらいだ。 「アブドラーザ・ブルドッグと言います。総務を担当させていただきます。趣味は、編み物と手芸です」  穏やかな声で挨拶をしたアブドラーザは、「よろしくお願いします」とノブハルに頭を下げた。身長はノブハルと同じぐらいなのだが、体重は3倍もあろうかと言う大男である。しかも肌は浅黒く、頭には毛の一本も生えていなかった。その上額には、幾筋もの深い傷が縦に刻まれていたのだ。どう見ても手芸や編み物を趣味にしているとは思えない男である。夜道でなくとも、あまり町では出会いたくないと思えたぐらいだ。  そしてアブドラーザの次に、別の男がノブハルに頭を下げた。ただ挨拶される前から、ノブハルは相手の属性が理解できた気がしていた。何しろ顔には、おしろいが髭の剃り跡を隠すように顔に塗られ、唇にはどぎついほど真っ赤なルージュが引かれていたのだ。体格にしても、ノブハルより10cmぐらい背が高く、体つきも骨ばって逞しかった。くるくるにカールされた金色の髪の毛も、更に不気味さを増す役目を果たしていた。 「デューク・アナベベよ。経理と購買を担当するの。言ってくれれば、美味しいお菓子や、可愛らしいアクセサリーとかから、大きいものなら熊のぬいぐるみでも調達するわ」  最後に宜しくと言ってウインクをされたのだが、はっきり言って不気味としか言いようがなかった。セントリアなど、隣で顔色を悪くしていたぐらいだ。 「営業担当のタカオ・キリシマです。人と話すのは得意ではありませんが、足腰は鍛えていますので1キロは歩き続けられます」  そう言って頭を下げたのは、どう見てもお子様に見える女性だった。このまま夜の街を歩こうものなら、1キロもたたないうちに補導されることは間違いないだろう。身長はおよそ120cmと低いこともそうだが、黒髪を両側で三つ編みにした、ランドセルを背負った方が似合いそうなところがポイントだった。 「クーデリア・オルファスです。技術サポートを担当します。趣味は……寝ることでしょうか。今までの記録では、3日間寝続けたことがあります」  4人の中では、最後のクーデリアと言う女性はまともそうに見えた。金色髪を段カットにした、ちょっと怜悧な感じのする女性である。スーツのブラウスを突き上げる胸元の物体は、トウカ達といい勝負かなと思えるぐらいはあった。だが趣味が寝ることと聞かされたところで、「駄目だ」とノブハルは右手で顔を覆った。  4人の自己紹介を聞かされたノブハルは、「何かの嫌がらせか」とナギサの顔を見た。ただ顔を見られた方は、涼しい顔をして無視をしてくれた。 「ところで、ノブハルは自己紹介しないのかな?」 「そうだな。俺の自己紹介も必要なのだろうな」  所員が集まった以上、自己紹介は必要なのだろう。本当にこれでいいのかとの疑問はあるが、まずは形から入らなければと考え直したのである。 「ノブハル・アオヤマだ。今年19歳になるが、一応博士号を13個持っている。……なんだ?」  左手で右肘を支えるようにして手を上げたデュークに、ノブハルは「キモイ」と心の中で文句を言った。ただ、そんなことを口に出して言えるはずがない。 「支店長は、巻き込まれ体質があると伺ってるけど?」  どうなのと迫られ、ノブハルは思わず一歩後ろに下がった。 「体質と言うのは、体の持つ性質のことを指している。従って、世の中には「巻き込まれ体質」などと言うものは存在しない」 「じゃ、も一つ」  うふっと口元に両手を拳の形にして当て、デュークはノブハルの隣に立つセントリアの顔を見た。 「隣に居るのは、支店長の愛人だと思えばいいの……冗談だから、本気にしないでっ!」  あまりの速さに、ノブハルにはいつセントリアが動いたのか分からなかった。そして気づいたときには、胸元を掴み上げられてデュークが青くなっていた。もちろん、誰ひとりとしてセントリアの動きを目で捉えられなかった。 「失礼なことを言わないように。私は、支店長の秘書かつボディガードよ。支店長の愛人なら、別の所に二人囲われているわ」  一緒にしないでと憤慨したところを見ると、愛人と言うのが気に入らなかったのだろう。 「なぜ、あの二人を愛人というのだ……いや、余計なことは言わなくても良い。彼女は、セントリア・イガラシと言う。シルバニア帝国から派遣されている」  これで、一通りの自己紹介を終えたことになる。ただ今日は仮オープンであって、業務開始は3日後からとなっていた。 「3日後に、トリプルAから社長のアリッサさんを始めとして、幹部のみなさんがおいでになられる。業務の開始は、その日からと言う事になっている。そう言うことなので、3日後に顔を出してくれれば諸君の義務を果たすことができる……何か、質問か?」  控えめに手を挙げたのは、一番マトモそうに見えるクーデリアだった。 「この事務所を見て、足りない設備を見つけた……と言うか、大きな欠点があるのに気づきました」 「足りないものは、おいおい充足させていけばいいと思うのだが……大きな欠点があるのか?」  普通のオフィスを知らないので、欠点があると言われればノブハルも気になってしまう。そして欠点を指摘したクーデリアは、「大きな欠点です」と先程より大きな声で繰り返した。 「このオフィスには、仮眠用のベッドがありません。床でも眠れますが、できれば仮眠用のベッドを備え付けてください」  その言葉を聞く限り、どうやらクーデリアはここで寝る気満々のようだ。まともに考えればおかしな話なのだが、なぜかノブハルは「なるほど」と手を打った。 「確かに、仮眠用のベッドは必要だな。俺としたことが、大切なものを忘れていた」  感謝すると頭を下げたノブハルに、「感謝には及びません」とクーデリアは笑った。 「支店長からは、私と似たような匂いを感じましたので」  ノブハルを同類と言う辺り、やはり一筋縄でいかない女性なのは間違いない。そうやって考えると、集まった4人はいずれも個性的だったのだ。そこに何かの意図を求めることは、この状況を見れば不思議な事ではないだろう。  そして真面目な顔をして立っていたナギサは、ハラミチの人選に疑問を感じていた。何しろ仮眠用のベッドは問題にしてくれたのだが、シャワーにまでは話が及んでいなかったのだ。そして過去のノブハルを思い出せば、連日の泊まり込みをすれば何が起きるのかは明らかだった。  こんな所にトリプルAの社長を連れてきて良いのか。サン・イーストが誤解を受けそうな気がしてならなかったのだ。  ノブハルが新メンバーに引き合わされた3日後、トリプルAエルマー支店は無事開設の運びとなった。単なる支店だと考えると、そこに社長以下重要な幹部が揃って顔を出すのは異例とも言えるだろう。そのお陰で、単なる支店開設にも関わらず、ズミクロン星系の首脳が集まってくれた。  珍しくピッチリと紺系のスーツで極めたトラスティは、同じく紺系のワンピースを着たアリッサを連れていた。エイシャやアマネの女性陣も、珍しく紺のスーツなどを着ていた。アリハスルは茶系のブレザー姿で、バルバロスは黒っぽい詰め襟姿だった。  そんなトラスティとアリッサの前に、灰色の髪をした50絡みの男と、インペリアルと言う長い髭をした、70を超えた男が並んでたった。順番でエルマーの君主になったバンガロール・バカルディとズイコーの総統であるジョイ・ウオンの二人である。星系を代表する二人が、ニコニコと笑みを浮かべながら幹部たちに頭を下げながら握手をしていった。 「なにか、すごく大げさなことになっていませんか?」  そう言って笑ったトラスティに、いやいやとジョイ達は首を振った。 「トリプルAと言えば、今や超銀河連邦で知らぬものはいないと言われる有名企業だ。レムニア支社以来、二番目に開設される拠点だと考えれば不思議な事ではないだろう」 「ああ、無名のズミクロン星系が、これで連邦の注目をあびることになったからな」  トリプルAの関係者が錚々たるメンバーと言うこともあり、そこに加わるだけでも大変だと言われていたのだ。そして新メンバーにまだ10代の青年が指名されたことに、周りは驚きを持ってそのニュースを受け止めたのである。 「別に、さほど大したことをしているわけではありませんけどね。やっていることは、ツアーのアレンジと、惑星上の害獣駆除、そして惑星のリフォーム程度です。そしてトリプルAは、常に人材を求めているんです」  謙遜したトラスティに、いやいやとバンガロールは首を振った。 「ツアーと言っても、アス詣でとなると話が変わってくる。害獣にした所で、ドンカブ連合が作った蹂躙用兵器だと聞いている。そして惑星のリフォームと言うが、モンベルトのリフォームは容易いものではなかったはずだ。だから我々は、あなた達が次に何をするのか期待に胸を膨らませているのだよ」  バンガロールの言葉に、「責任重大ですね」とトラスティは笑った。 「まあ、どこまで行っても民間企業ですからね。身の丈を考えて、事業を伸長させるつもりで居ますよ」  挨拶を終わらせたノブハルは、「これで」と集まった首脳たちに頭を下げた。今回の訪問目的は、新支店の開設であり、首脳たちへの面会ではなかったのだ。  頭を下げて離れていくトラスティ達を見たジョイは、「極上だのぉ」とアリッサを見て目尻を下げた。仕事のため地味な恰好をしていたアリッサだが、それでも彼女の美しさは隠しようがなかったのだ。 「さすがは、並み居る美女を押しのけトラスティ氏を射止めただけのことはある」  うんうんと頷いたバンガロールは、「眼福だ」と同じように目尻を下げた。極上の美人というのは、見ているだけで幸せな気持ちになれるものだった。  そうやって挨拶を済ませた二人は、事務所の中に作られたひな壇に立った。そして二人を支えるように、他の4人はひな壇の前に立った。ちなみにひな壇は、ノブハルが物質合成で間に合わせに作ったものである。 「初めてまともに見た気がするのだが……綺麗だな」  美人という意味なら、恋人のエリーゼも間違いなく美人だった。それはトウカにしても同じで、連れて街を歩けば周りから注目されていたのだ。  そんな二人を恋人にするノブハルなのだが、流石にアリッサ相手では勝負にならない思ってしまった。濁りの全くない金色の髪に、濃すぎず薄すぎない青い色をした瞳。スタイルにしても、胸だけ大きいトウカとは違い、全体のバランスが見事としか言いようがなかった。そんなアリッサを妻にするトラスティに対して、強い嫉妬の念を抱いてしまったほどだ。 「ええ、リンディア様も比べられたくはないと言っていたわね。私も初めてお会いしたけど、確かに比べられたくないのは理解できるわ」 「だが、アマネさんだったか、次のパガニア王妃様も……なんと言うか、物凄く色っぽいな」  ひな壇から目を横に転じれば、そこにはニコニコと笑っているアマネも立っていた。ただ本人はニコニコと笑っているつもりなのだが、ノブハルから見ればそれは妖艶な笑みに見えていた。喉がひどく乾くのは、果たしてどちらのせいなのだろうか。 「あの人、アス神殿の筆頭巫女だった方よ。そして歴代巫女の中で最も妖艶と言われた方でもあるわね」 「歴代で一番妖艶なのか……真偽を確かめるすべはないが、あの人を見ていると納得できるな」  二人が見とれている前で、アリッサは社長として支店への期待を口にしていた。ただ見とれていた二人には、ほとんどアリッサの言葉は聞こえていなかった。 「さて、社長は色々と期待を口にしてくれたんだが」  アリッサが下がったのを受けたトラスティは、「気楽に行こう」と新支店の6人に声を掛けた。 「企業である以上、収益が求められるのは理解していると思う。ただ、トリプルA全体としては、将来への投資も必要なんだよ。そして君たちのことは、その投資の一環だと僕は思っている。お金を稼ぐことを忘れていいとは言わないが、新しい事業を見つけることを目的としてくれ。従って、最初の1ヤーに関して言えば、収支に対する縛りは掛けないことにする。ちなみにトリプルAにしても、発足当時は女子大生のアルバイトでしか無かった。だから近くの商店会でビラ配りをしたし、販促の手伝いもしていたそうだ」  そこまで口にしたところで、トラスティは「ああっ」とまだ真っ白な天井を見上げた。 「失礼、自分で口にしていて何か間違っている気がしてきたんだよ。まあそれは良いけど……」  今一度全員の一人ずつ見ていったトラスティは、ちょっとした手助けを持ち出した。 「現在トリプルAの扱っている商材リストは、ズミクロン星系でも利用できるようにする。それを元に営業をかけてくれてもいいし、新しいビジネスを探してくれても良い。とにかく、最初の1ヤーは君たちの活動に枷を掛ける真似はしない。一つだけお願いすることがあるとすれば、小さくまとまってくれるなと言うことだ。僕からの指示事項は以上だ。それから最初の受注目標となるラナの崩落事件への対処のため、モンベルト復興事業のプロジェクトマネージャーをアドバイザーとして連れてきた。規模は小さいが、是非ともアドバイザーを唸らせる提案をして貰いたい」  そう激励をして、トラスティはバルバロスを呼び寄せた。もともと背の高いトラスティだったが、バルバロスと並ぶと大人と子供になってしまう。それどころか、高いはずの天井が低く見えてしまうほどだった。 「もの凄く背が高いだろう。そして君たちの想像とは違った見た目をしていると思う。彼は、分類上長命種に属している。そして見た目ではわからないと思うが、彼の年齢は200ヤーを超えている。それでも長命種の中では、ひよっこと言われる年齢なんだよ。なんだね……ええっと、クーデリア……さんだったかな?」  控えめに手を上げていたクーデリアを見つけ、トラスティは笑顔のまま彼女を指名した。ちなみにクーデリアは、インコース低めぎりぎりと言う所に居た。 「あのぉ、バルバロスさんが不機嫌そうに見えるのですけど?」  クーデリアからしたら、見上げた上にもう一段見上げた所にバルバロスの頭が有った。そして自分達を見下ろす表情が、とても不機嫌そうに見えたのが気になってしまった。 「バルバロス、君が不機嫌そうに見えるそうだ」  話してみろと言うトラスティに、バルバロスは小さく息を吐き出した。 「私としては、こう言った式典は苦手なのですが……一応言わせていただくなら、普段もこれとあまり変わりません」 「これもまた、レムニアの人の個性と言うことだ。あまり長くはここには滞在しないが、その間に彼から知識を吸収することを勧めるよ。何しろレムニアは、連邦の中でも5本の指に入るほど文明が進んでいるんだ。まあ、そこに居るセントリアさんのところも、文明の進み方では似たようなものなのだけどね」 「そうなのか?」  驚いた顔をして自分を見るトラスティに、「多分そうでしょう」とセントリアは無表情に答えた。ちなみに今日のセントリアは、体にピッタリとした紺地をしたピンストライプのスーツを着ていた。茶色の髪は、いつものように白黒のリボンでポニーテールに纏めていた。 「ただ、発想には文明の進み具合は関係ない。だから僕は、君達が破天荒なことを考えてくれることを期待しているんだ。と言うことで、支店の開所式は終わることになるのだが?」  これだけかいと問われたノブハルは、来賓として後ろに立っているナギサを見た。今日のナギサは、イチモンジ家としてではなく、ノブハルの親友として開所式に顔を出していた。もちろんイチモンジ家跡取りの顔もあるので、この後の懇親会を差配していた。 「場所を変えてとも思ったのだけど。支店の開所を祝うのだから、ここで懇親会を開くことにしたよ」  一歩前に進み出たナギサは、そう説明すると顔の横で手を叩いた。それを合図に、ケータリングサービスの者が、料理と飲物を運んできた。大掛かりな仕掛けは、ライブキッチンをするためだろうか。 「そして、今日のために豪華ゲストを招いているんだ。ズミクロン星系のトップアイドル、リンラ・ランカを紹介しよう!」  忙しく準備をしている部屋の明かりが落ち、ポッカリと空いたフロアの真ん中にスポットライトが当たった。その途端、今まで何もなかったはずの場所に一人の女性が現れた。その女性こそが、ズミクロン星系のトップアイドル、リンラ・ランカその人である。 「パーティーの準備が整うまで、リンラのミニステージを楽しんでくれたまえ!」  ナギサの紹介と同時に部屋の中を音楽が満たし、マイクロミニの衣装を着たリンラが、その音楽に合わせて歌って踊り始めた。ズミクロン星系のトップアイドルのリンラだと考えると、それは破格のもてなしに違いない。彼女の日常は、10万人規模の聴衆を前にしたものなのだ。  ナギサやノブハルとの関係を知らない4人は、リンラの登場に盛大に驚いた。特に強面をしていたアブドラーザは、グローブのような手を叩いて大喜びをしたぐらいだ。そこで問題があるとすれば、デュークがリンラの真似をして踊ったことだろう。はっきり言って不気味な姿に、ズミクロンの首脳陣を含め、全員が視界に収めないようにしていた。  ズミクロン星系首脳の前で、トップアイドルが歌って踊る。そしてその場を提供しているのが、超多星系企業であるトリプルAなのだ。世間に公開されることのない催しなのだが、登場人物が非常に豪華なのは間違いないだろう。だがそんな催しに、セントリアは小声でノブハルに言った。 「もの凄いことのはずなのに、どうして内輪感が漂うのかしら?」  セントリアも、ノブハルのアルバイトに同行していたのだ。だからリンラが、ズミクロンではトップアイドルと言うことを知っていた。そして彼女自身、リンラの歌を口ずさむようになっていた。そんなセントリアでも、この集まりに違和感を覚えてしまったのだ。 「言いたいことは理解できる。似たようなことは、俺も感じていた」  小さく頷いたノブハルは、楽しそうにする大人たちへと視線を向けた。 「何か、娘や孫を見守ってるって感じがするのだけど」  ズミクロン星系の首脳ともなれば、年齢的にいずれもリンの父親以上なのだ。それを考えれば、セントリアのコメントも納得できるものだった。 「この中で、なにも知らないのは支店のメンバーだけか」  ズミクロン星系組では、彼ら4人だけがリンラをトップアイドルとして見ていたのだ。そしてリンラを知らないはずの来賓組は、それなりに楽しそうにステージを見ていた。特にエイシャは、結構喜んでいたりした。ただアリハスルは今ひとつ乗り切れていないし、バルバロスは何を考えているのか分からない顔をしていた。  ミニステージは、リンラが6曲歌ったところで終りを迎えた。ケータリングサービスの努力により、無事懇親会会場の準備が整ったのである。最後に丈の短い紺のセーラー服に衣装チェンジをしたリンラは、弾む息を抑えて観客となった来賓に頭を下げた。これを持って、トップアイドルであるリンラ・ランカのミニステージ第一部が終了したのである。そしてその2時間後、トリプルA、エルマー支店の開設式は無事終了した。  その翌日は、丸一日かけてバルバロスの講義が行われた。そこでノブハルを含めた全員が、プロジェクト遂行の極意を学んだのである。ただ経験も知識も豊富なバルバロスに、ノブハルを除く全員が途中で脱落していた。結果的に、最後まで着いてこられたのはノブハルただ一人だったのだ。 「トラスティ様が見込まれたノブハル・アオヤマですが」  その翌日もノブハルを指導したバルバロスは、接待旅行から帰ってきたトラスティにノブハルの評価を口にした。ちなみに他の来賓達は、エルマー観光に出かけていた。 「今までお会いした短命種の中では、一二を争うほど優秀ですね。こんな辺境エリアでくすぶっているのは、間違いなく損失かと思います。レムニアでもシルバニアでも良いのですが、攫って行った方が本人のためになるのではありませんか?」  バルバロスとしては、間違いなく最上級の褒め言葉なのだろう。ただ同じ褒めるにしても、攫って行くと言うのは過激にも程があると言うものだ。 「確かに、彼はとても優秀だと思うよ。そして彼の才能を伸ばすには、外に連れ出した方が良いと僕も思っている」  小さく頷きバルバロスの言葉を認めたトラスティは、「ただ」と自分の考えを口にした。 「今はまだ、その時では無いと思っているんだ。それに心配しなくても、時が来れば彼も外の世界に出ることになるよ。一見無駄に見える時間も、成長の肥やしとして必要な時もあるんだよ」 「ですが、私達に比べて短命種に与えられた時間は短いのではないですか?」  それを考えれば、時間を無駄にしていいとは思えない。バルバロスの考えに、「焦りすぎ」とトラスティは笑った。 「君達長命種からしたら、僕達短命種の時間は瞬きの間に終わってしまうのだろうね。だけど、僕達にしてみればそれでも十分長い時間なんだよ。それからバルバロス、心配しなくても彼は1ヤーもしないうちに外の世界に飛び出すことになるよ」 「あなたがそう仰るのなら、きっとそうなのでしょうね」  ふっと息を吐き出したバルバロスは、トラスティの顔を見てもう一度ため息を吐いた。 「最近寿命が長いのも、良し悪しだと思えるようになりました。長命種の私達には、あなたのような人は生まれないでしょう」 「それは、褒めてもらったと思えば良いのかな?」  そう言って笑ったトラスティは、「彼の初仕事は?」とバルバロスに尋ねた。 「どうやら、ご自身でインセクトデバイスを作成されるようです。タンガロイド社の製品は、彼にはピンと来なかったようですね」 「君の目から見て、うまくいきそうかな?」  成否を問われたバルバロスは、少し考えてから「問題ないでしょう」との答えを口にした。 「コストの問題を忘れれば、タンガロイド社の製品と遜色のない結果が得られるのではないですか」 「なるほど、彼のこれまでの経験を考えたら特筆すべき事なのだろうね。それで、コストはどう変わるんだい?」  事業を行うのに当たって、コストの議論は避けて通ることはできない。それを気にしたトラスティに、バルバロスは揚げ足をとってくれた。 「1年間は、損益を気にしないのではありませんでしたか?」 「あー、確かにそうは言ったけどね。今後事業として継続していくことができるか、その確認のようなものだよ。メリットがあれば、タンガロイド社に売りつけることもできるだろう?」  その答えになるほどと頷き、コスト比較を含めた評価を求めた。 「単純なコスト比較は、なかなか難しいかと思われます。現時点で、一応タンガロイド社の方が安くなっています。そのあたり、トリプルAがプラチナリセラーになっているのも大きいのかと。逆に彼のプランの場合、製造をどこで行うのかでコストが変わってきます。従って、いま時点ではあらあらの見積もりになります。ですから単純にコストの問題であれば、タンガロイド社を使用した方が良いでしょう」  その見解自体、予想の範囲のものでしか無い。だからトラスティは、続く言葉を待つことにした。 「トリプルAにとっての意義と言うことなら、あまり差は無いかと思われます。タンガロイド社製品の販売実績に与える影響は、さほど大きくはないからです。また彼の技術をフィードバックするにしても、汎用性に欠ける恐れもあります。と言うことなので、タンガロイド社との関係に影響は与えないかと思われます。最後にズミクロン星系への影響ですが、これもまた微妙と言うところでしょう。タンガロイド社製品を使った方が、確実性と言う意味では勝っています。一方ズミクロン星系で技術を内製化できると言うのも、意味として大きくなります」  バルバロスの説明に、なるほどとトラスティは納得をした。 「どっちに転んでも、うちは困らないと言うことか?」 「有り体に言えば、そう言う事になりますね」  あっさりと認めたバルバロスに、トラスティは少しだけ口元を歪めた。 「だったら、彼の好きにさせた方が良いだろう。技術の内製化と言うのも、餌になりそうだしね」 「もともとのお話で、自由にさせると言うことでしたね。でしたら、その方針で宜しいのかと。工期的には、着手後1ヤー程度と言うところでしょう」  期間にしても、崩落の規模から考えれば妥当な線となる。モンベルト復興事業に比べると遅いように感じられるが、もともとの金の掛け方が違っていたのだ。しかもモンベルトには、急がなくてはならない理由もあった。 「まあ、妥当な線ってところだね。後は彼に任せて、我々は帰ることにするか」 「それが、賢明な判断かと。私は、引き続きモンベルト再生のPMを行います。ただ、彼とのホットラインは作っておこうとは思っていますけどね」  まだ19にもなっていない青年に全てを任せるのは、流石に無責任だと考えたのだろう。何しろ長命種にとって、19と言うのは生まれたばかりの赤ん坊に等しい存在だったのだ。  バルバロスのお墨付きを得たからと言って、プロジェクトが簡単に進むものではない。そしてトリプルAが絡んだからと言って、大きな仕事が無条件に受注できるはずがない。首脳会議で崩落現場の復旧作業が承認された以上、工事は入札に回されることになったのである。税金を使う以上、それは当たり前過ぎる決定でもあったのだ。  ただ入札に掛けるのは良いが、そこには大きな問題が立ちふさがっていた。その中で一番大きなものは、まだ崩落自体が収まっていないと言うことだろう。工事をすることで新たな崩落が発生した場合、間違いなく責任問題に発展し、巨額の賠償を負う可能性があったのだ。  そしてもう一つは、誰も工事の積算が出来ないと言うことだ。先の二次災害の危険性もあるため、どんな算定基準を使っても適合する基準が存在しなかったのだ。それでも巨額の予算が付いたため、ズミクロン星系にあるエンジニアリング会社と土木業者が色めき立ったのである。  トリプルAが発足して2週間後、ノブハルは営業のタカオ・キリシマから報告を聞いていた。名前はタカオと男っぽいところはあるが、彼女はれっきとした女性である。年齢は24歳とノブハルより5つ上なのだが、背が120cm台と低いことと、両側で三つ編みにした黒い髪のせいで、基礎学校生……つまり10歳程度に見えていた。もしも接待で夜の街を出歩こうものなら、本人は補導され、一緒に居る男は児童福祉法違反で捕まる恐れぐらいあるほどだ。  それでもしている恰好は、紺のスーツである。恰好だけを見れば、そしてサイズを考えなければ、営業ウーマンと言っても不思議ではないのだろう。 「どうやら、入札の実行主体はキナイ政府と言う事になりそうですね。結局ラナ行政局の手に余る……と言うのが実態です。更に言うのなら、入札書類の作成に時間がかかりそうです。当たり前ですけど、工法の問題があるのでキナイ政府にも入札書類を作る技術がありません」 「思っていた以上に、ズミクロン星系には技術がないと言うことか……」  去り際にバルバロスに言われたのは、実行までに時間が掛かると言うことだった。そしてその理由に挙げられたのは、業者選定が難しいと言うことである。  そして技術がないと言われ、タカオは両側で三つ編みにされた髪を手で持ち、鼻のあたりで突き合わせてみせた。黒いほっかむりをしたと言えば良いのか、その行動に何かの意味があるとは思えなかった。 「レムニアを基準にしてはいけないと思いますよ。そもそも、モンベルト復興とは掛かっている費用と投入された技術のレベルが違いますから」 「それは今更だが、だとしたら入札はどうなるのだ?」  ラナの陥没をどうにかすると息巻いても、入札が行われなければスタート台にも立てないことになる。そしてこのままだと、なにもしないうちに時間だけが過ぎていくことにもなりかねなかった。 「私の得た情報では……」  そこで声を潜めたタカオは、両手で三つ編みをくるくると振り回した。もちろんその行動に、意味を求めても無駄である。 「本来設計と施工は分離されるはずなのですが、今回は工事方法を含め崩落対策を公募する事になりそうですね。およそ最初の公募から1ヶ月で、アイディアレベルのプレゼンを行うことになりそうです。その審査に通過した何社かを競わせて、更に1ヶ月後に見積もりを提出して業者選定が行われるはずです。その1ヶ月の中で、現地調査を行う必要があります」  タカオの説明に、なるほどとノブハルは頷いた。ただ頷きながら、面倒だななどと考えていたりした。 「それで、うちが受注するのに障害はあるのか?」  ノブハルの素直な質問に、タカオは大きなため息を答えとして返した。 「障害だったら、山のようにありますね。と言うか、ズミクロン星系の常識を当てはめると、うちが受注できる可能性は今のままならゼロです」 「ゼロなのかっ!」  大げさに驚いたノブハルに、タカオは醒めた目をして「ゼロです」と繰り返した。どうやら、あまりにも世間知らずのことに呆れていたようだ。 「公正な入札が行われた場合、今のままでは入札に参加することも出来ません。超法規的措置でもとられれば別ですが、流石にイチモンジ家との癒着と騒がれることになります」 「入札に参加できない具体的な理由は何なのだ?」  まともな技術は、自分のところにしか無いと思っていた。その意識が有ったから、ノブハルはタカオの言葉が信じられなかったのだ。その辺り、実際の仕事をしたことがないのが理由だろう。 「まず工事事業者として、我が社はキナイ政府に登録されていません。実際の工事を下請に回すとしても、工事事業者としての登録がなければ元請けになれないんです。そして入札参加資格を得るためには、人の問題を解決する必要があります。現場に常駐し、工事全般を取り仕切る技術者を配置する必要があるんです。そしてその技術者は、誰でもいいと言う訳ではなく、必要な資格を持っていなければなりません。更に入札に参加するためには、同種工事の実績も必要となってきます。我が社に、そんなものがあると思いますか? そしてここまでして、ようやく入札に参加することができる訳です」 「スタートアップでは難しいと言うことか」  ううむと唸ったノブハルに、「常識的には」とタカオは畳み掛けた。 「難しいではなく、無理と言うのが現実ですね……はい、セントリアさんどうかしましたか?」  タカオにとって、セントリアはあまり得意な相手ではなかった。自分よりも5つも年下のくせに、背は高いしスタイルは本当に大人と子供の違いがあるのだ。しかも見た目も大人っぽいので、同じ部屋に居るのも気が滅入るほどだった。 「工事事業者の登録には何が必要なの?」 「業務の実態と、会社としての登録が必要になりますね」  まともな質問だったこともあり、タカオは内心安堵していたりした。そんなタカオに対して、「支店でも?」とセントリアは聞き返した。 「本社ではなく、支店でも独自に必要な資格なのかしら?」  ちょっと予想外の質問に、タカオは「ん」と答えを考えた。 「一応本社が持っていれば良いことになりますが……ただ、トリプルAの本社はズミクロン星系にはありませんよね。そうなると、他星系の免許がここでも有効かと言う話になりますね」  「んー」ともう一度考えたタカオは、「行けるかもしれませんね」と自分の中で結論を出した。 「多少政治力を使う必要がありますけど、トリプルA本社の持つ資格を認めされれば工事事業者としてはなんとかなりますね。実績の方にしても、本社だったら沢山有るはずですね。ただヒューマンリソースは、エルマーで確保しなくてはならないのは変わっていませんね。その点に付いては、抜け道はないかと思われます。技術者としては支店長を登録すればいいと思いますが、現場管理者は別途用意が必要です。そのためには、支店長に資格をとって貰う必要があります」 「つまり、新規採用が必要と言うことか」  なるほどと頷いたノブハルに、「加えて」とタカオは右手の人差し指を一本立てた。 「実際の作業を行う、下請けを探す必要があります。費用を抑えるためには、地場の業者を探す必要がありますね。と言うことなので、過去の類似工事……って、実はあまりないのですけど。その見積もり例と、体制表等の資料を入手してきました。今回の工事は、間違いなくこれよりも大規模になるかと思います」  それがこちらと、タカオはデーターをノブハルに投げ渡した。それを見たノブハルは、明らかにゲンナリとした様子を見せてくれた。 「あれしきのことで、こんなに面倒な真似をしなくてはいけないのか?」  はあっとため息を吐いたノブハルに、「仕事を舐めてます?」とタカオは目元を厳しくした。 「ハイの生徒がやる、学祭の準備とは違うんですよ。必要な手続きを守らないと、無事崩落を止めても罪に問われる事になります。土木・建設の仕事と言うのは、バリバリに規制された業務なんですからね」 「だが、ざくっと眺めた範囲で言えば、本来の仕事以外のコストがばかにならないぞ。なんだ、この現地の交通誘導員と言うのは? TBM−KYと言うのは、何かの呪文なのか?」  理解不能だと零すノブハルに、「それが建設業です」とタカオは偉そうに言った。 「そうやって、日夜工事現場の安全を守り続けているんですよ。事故が無いのは当たり前、そして一度事故が起きれば、原因が究明され、再発防止策が実施されるまで工事再開の許可は出ません」 「言いたいことは分かるが……本当に、そんなことでいいのか?」  そうやって縛りを強くすることで、実際に施工できる業者が居なくなっては本末転倒に違いない。そう言って文句を言ったノブハルに、「それが仕事と言う物です」とタカオは言い返した。 「仕事と言うのは、結果だけでなく過程にも責任をもつものです。それが確実に、そして安全に工事を終わらせるために必要なことなんです!」  良いですかと迫られたノブハルは、小さな体から溢れ出る迫力に対して頷いてしまった。「分かれば良いのです」と偉そうに胸を張ったタカオなのだが、当然のようにその胸はとてもフラットだった。何の嫌味か、すぐとなりでセントリアが彼女を真似て胸を張ってみせた。それに気づいたタカオは、大声で「やめてください」と叫んだ。 「どうして、そんないじめっ子みたいな真似をするのですか!」  慌てて両手で胸を抑えたタカオに、セントリアはわざとらしく自分の胸を持ち上げてみせた。 「自慢げに胸を張っていたから、ちょっと真似をしただけよ。ご高説は良いけど、うちが受注するにはどうしたら良いの?」 「そ、そうだ、それがいちばん大切なはずだ!」  自分の言葉に乗っかったノブハルに、セントリアはとても冷たい眼差しを向けた。ただ追求はせず、「それで」とタカオに答えを促した。 「ええっとですね、優良な下請けを探すのが第一かと思います。特に地場の工事会社を下請けに入れると、各種調整がやりやすくなりますね」  常識的な答えを口にしたタカオに向かって、セントリアはとても高圧的な、人を人と思わないような視線を向けた。 「そこまで分かっているのなら、なにをすればいいか指示を出さなくても大丈夫ね」  とても冷たい、殺気すら感じさせる視線にタカオは背筋を震わせた。少し顔を青くして、カクカクと何度も頷いたのである。流石は、アルカロイドを物ともしない戦闘力の持ち主である。 「す、すぐに、ラナに行って話をつけてきますっ!」  同じ場所に居る度胸もなくなったのか、タカオは慌てて支店長室を飛び出していった。支店長に挨拶も無いのは、それだけ追い詰められていたのだろう。  タカオを見送ったとことで、セントリアはそのままの眼差しをノブハルへと向けた。視線を向けられたノブハルが、しっかりとビビっているのは今更言うまでもないだろう。 「せ、セントリア……何か、問題が?」  こうなると支店長の威厳も何も有ったものではない。腰が抜けて椅子から立ち上がれなくなったノブハルは、声を震わせセントリアに向かい合った。 「あなたは、なにをすべきか分かっていると思うけど?」  違うのと問われ、ノブハルは何度も頷いてみせた。 「ほ、本社に、必要な資格について問い合わせを行うつもりだ」  それで良いだろうと答えたノブハルに、セントリアは更に冷たい視線を向けた。その視線にブルったノブハルは、ゴクリとつばを飲み込んだ。 「な、何か、間違ったことを言ったか……」 「支店長が、どうして下っ端のような仕事をするの? あなたがしなくてはいけないのは、あなた以外に出来ない仕事だとは思わないのかしら?」  どうと問われ、ノブハルはカクカクと何度も頷いた。 「本社への連絡は、「秘書」の私がすれば良いことよ。あなたは、技術を認められているのでしょう。だったら、その能力を活かすことを考えるべきじゃないの」 「そ、そのことだが……」  言い返そうとしたノブハルだったが、セントリアの冷たい眼差しに思わず首を竦めてしまった。 「なに、言いたことがあるのなら言ってみなさい」  高圧的なセントリアに対して、ノブハルは「これ」と言って一つの資料を転送した。 「これが一体何って……なに?」  ちょっと待ってと慌てたセントリアに、ノブハルは「計画案だ」と逃げ腰になりながら答えた。 「すでに、バルバロスさんとは問題が無いことを確認している。費用の概算も済ませているので、後は工事用のインセクトロボットの製造に掛かるだけなのだが……」  ゴクリとつばを飲み込み、ノブハルはセントリアの答えを待った。 「いつの間に、現地調査をしたの?」  作成された計画案の全てを理解できる訳ではないが、それでも当てずっぽうで作られたものでないのは理解することが出来る。そうなると問題は、いつの間にこれだけ詳細な現地調査をしたかと言うことだ。 「いつの間にと言われても……この前みんなと遊びに行った時なのだが?」  まだ腰が引けているのは、セントリアに対する恐怖が抜けていないからだろう。ただ恐怖を振りまいたセントリアの方も、逆にノブハルに対して恐怖を抱いていた。大したことがないように言っているが、あの短時間でこれだけの範囲を調査したと言うのが信じられなかったのだ。しかもデーターを見ると、調査は地下にまで及んでいた。  なにか悪いことをしたように白状したノブハルに、セントリアは大きなため息を返した。彼女の纏っていた怒気に似た殺気は、ため息と同時にどこかへ吹き飛ばされていた。 「いえ、あなたが非常識な存在だと理解できただけよ」 「ひ、非常識って言うなっ!」  やめてくれと懇願したノブハルに、「褒め言葉よ」とセントリアは言い返した。 「あなたが、沢山の属性を持っているのに感心しただけ」  そう言ってセントリアは、「シスコン」と言って指を一本折り曲げた。 「マザコンに非常識、あとは最低の二股男で、極端な巻き込まれ体質……と言う所かしら」 「一つも褒めてるように思えないのは、俺の気のせいなのか?」  難しい顔をしたノブハルに、セントリアは真面目くさった顔で「自慢していいのよ」と返した。 「それだけの属性を持てるのは、結構貴重だから……あっ、でもシスコンとマザコンは威張れないか」 「ま、マザコンじゃないぞ!」  誤解だと騒いだノブハルに、セントリアはもう一度大きく息を吐いた。 「あなたの口から、一度もシスコンを否定されていないのだけど。あの二人も大変だと思うわ」  そう言ってから、セントリアは「報告が必要かしら」と口元に拳を当てて俯いた。 「いくら遺伝子が重要と言っても、シスコンが遺伝をしてもいいのかしら?」 「おい、いつからシスコンが遺伝することになったんだ?」  ますます不機嫌さを増したノブハルなのだが、セントリアにしてみれば怖くもなんとも無かった。ノブハルを綺麗さっぱり無視して、「やっぱり報告が」と小さな声で呟いた。 「ここまで言われて否定しないんだから、シスコンと言うのを自覚していると言うことね」  「矯正が必要かしら」と、セントリアは候補となる少女二人の顔を思い出した。そしてノブハルの問題が、ただならないことを理解した。 「あの二人でも駄目って……手の施しようがないってこと?」 「ひ、人のことを不治の病に罹っているように言うなっ!」  強硬に反発したノブハルに、「不治の病の方がマシ」とセントリアは言い返した。 「だって、今時不治の病って無いから。あなたの場合、治そうとしていないのが問題なのよ」  手の施しようがないと真剣に呟かれると、どうしようもなく悪いことをしている気がしてしまう。 「家族愛なんだから、普通は微笑ましいことのはずだろう……」 「自分が普通だと思っているから、なおさら重症なんだけど?」  自覚しなさいと、セントリアは冷徹に言い切ったのである。  ラナ陥没事件の後始末について、ナギサは結構気にしていたりした。そこで気に入らなかったのは、対応が通常の入札とされたことである。折角トリプルAを誘致したのに、特命に出来なかったことを不手際だと考えたのである。しかも入札の手続きが、遅々として進もうとしないのも気に入らないことだった。  それを問いただしにハラミチの所に押しかけたのだが、「落ち着くのだな」の一言で黙らされてしまった。 「ズミクロン星系予算を使用した以上、使い道に透明性が求められるのは今更だろう。そして透明性を確保するために、オープンな入札になるのは当たり前のことだ。そして大規模かつ難易度の高い工事になれば、入札準備に時間が掛かるのもこれまで通りだ」  左手の中指でメガネの位置を直したハラミチは、見てみろと言って一つのデーターをナギサに投げ渡した。 「ラナ陥没事件の公共工事に興味を示している業者のリストだ。大手のゼネコンから、地場の土木屋まで選り取りみどりの状態になっている。大きな金が動くと言うことは、有象無象が群れてくると言うことにもなる」 「トリプルAのエルマー支店も、その有象無象の一つと言いたいのですね?」  ナギサの確認に、ハラミチははっきりと頷いた。そして一つの問いを、ナギサに投げかけた。 「この入札にトリプルAが関係していない時、お前ならば応募してきた業者をどうやって篩いにかける?」 「受注する事業の遂行能力だろうね。その指標として、会社の規模、信用度、過去の同種工事の施工実績とかで篩いにかけることになるね」  ナギサの答えに頷き、「それが答えだ」とハラミチは平坦な声を出した。 「つまり、公正な目で見た場合、トリプルA……正確に言うのなら、ノブハルは受注できないと言うのだね」  公正さが求められる公共工事の入札なのだから、トリプルAに便宜を図る訳にはいかない。たとえそこに金銭の授受がなくても、不正入札で叩かれるのは目に見えていたのだ。支配者であっても、いざと言う時以外に情実を行うのはリスクが高すぎた。  それに頷いたハラミチは、建前と言うものを口にした。 「ラナの陥没事件が収束するのであれば、誰が工事をするのかはさほど問題ではない。私の立場では、それ以上のことを口にする訳にはいかないのだ」 「確かに、無事工事が終わってくれればそうなのだろうね」  ハラミチが言うとおり、無事事件の後始末が終われば、誰が終わらせたのかに拘る必要はない。だがナギサは、「無事」と言う所に疑問を感じていた。 「有象無象に出来るほど、難易度の低い工事なのかな? 僕には、とてもそうは思えないのだけどね」  破壊の影響がどこまで及んでいるのか分からない上に、現地には大量の土砂が堆積していたのだ。二次災害を考えると、簡単に手を出せる工事ではないはずだ。安全確保の為重力制御を行うにしても、こんな広範囲に活用できる制御装置はエルマーには無いはずだ。  それを考えると、有象無象の手を出せる工事とは思えない。息子の指摘に、ハラミチは少し口元を歪めた。 「問題は、その査定を出来る者がどこに居るのかと言うことだ。キョウ・ユニバーシティの土木工学の教授を巻き込んでいるが、果たしてまともな技術評価が出来るかは疑問だな」 「それで、本当に良いのかな?」  確認した限りにおいて、入札がまともに成立するとは思えないのだ。そして運良く応札できた業者にしても、まともに工事を終わらせる可能性が低そうに思えてしまう。  もっとも、トリプルAのエルマー支店なら大丈夫と言えないのも問題だった。モンベルト復興事業に関わったチームが担当するのなら、おそらく何の心配もいらないだろう。だが支店の実態は、ノブハルと言う大規模工事経験の無い10代の男性でしかない。工事を任せることへは、さすがのナギサも不安があった。  そして「本当に良いのか」の問いに、さあとハラミチは肩を竦めてみせた。 「受注条件に、いかなる事態が起きても最後まで完遂することの条項が付けられる。また発生した二次災害に対して、過失免責は行われない。それでも受注したいと言うのなら、条件さえ合えば受注をさせてやるだけのことだ」  それを聞く限り、餌に釣られて受注をしたらババを引くことになるのだろう。なるほどねと頷いたナギサは、自分の期待を口にした。 「ノブハルに期待するのは、こんな土木工事じゃないからね」  トリプルAの支店を作らせたことで、目的の一つはすでに完遂していたのだ。従ってナギサも、ラナ陥没事件の後始末には拘っていなかった。この事件自体、ノブハルの背中を押した時点で役目を終えたと思っていたのである。 「ああ、地面を這いつくばっているようでは、トリプルAに加わった意味が無いだろう」  災害復旧など、所詮レガシーな工事でしか無い。餌を撒けたことで、ハラミチもまた目的を達成できていたのだ。トリプルAの支店が受注するかどうかは、彼らにとってさほど大きな問題ではなくなっていた。  公正さを求められる公共工事だから、関係者への事前接触などもってのほかと言うことになる。その為入札公告が出されるまでの2ヶ月は、パートナー探しが集中して行われた。ただ「トリプルA」と言う名前は、今回に限ってマイナス方向に働いてくれた。同業他社から警戒されたのもそうだが、ラナ地区業者のプライドを逆撫でしたのである。営業担当の幼い見た目も足を引っ張ったし、支店長が10代の青年と言うのも経験を重んじる彼らには受け入れられなかったのだ。 「工事資格の申請は通ったけど……」  それぐらいの障害は、セントリアも理解はしていた。ただ思ったより高い壁に、落胆したのも事実だった。課題の一つとなる工事業者資格の方はクリアできたのだが、工事の実行体制が組み上がってくれなかったのだ。 「こればかりは、あなたを責める訳にはいかないわね」  今回に限って言えば、ノブハルに責任が無いことははっきりしていた。規制バリバリの土木業界では、過去の実績が物を言ってくれる。そして今回に限って言えば、トリプルAの名前が逆に作用していたのを感じていたのだ。星系首脳の期待とは裏腹に、「余所者」に対する反発は大きかった。 「ああ、仕事と言うものが、これほどの非効率さを持っていると言うのが理解できた気がする……」  そしてノブハルの技術者登録にしても、いつでも登録できるシステムになっていないのが問題だった。登録自体は年に4度の機会があるのだが、次の機会は入札公告が出される時期と重なっていたのだ。つまり、トリプルAエルマー支店は必要な技術者を揃えることもできないことが確定していた。 「あなたの作った計画案だけど……シルバニアで評価をして貰ったわ。当たり前だけど、問題となる部分は無いそうよ」  バルバロスのチェックも入っているのだから、問題がないと言う答えは今更のものだろう。ただセントリアにしてみれば、答えについてきたコメントが重要だった。どういう訳か、この事が皇帝聖下にも伝わっていたのだ。そして筆頭宰相であるリンディアも、これをノブハルの評価に利用したと言う。  「適当なやんごとなきお方を探せ」と言う指示は、ノブハルの立場が上がったことを示していたのだ。 「エルマーに居たら、それも難しいのだけど……」  エルマー7家に適当な年齢の女性が居たとしても、格として相応しいとは思えない。そして民主制を採用しているズイコーには、そう言った立場を持つ女性は存在しないのだ。だとしたら、早急に宇宙に出て出会いを求める必要があることになる。その意味では、ノブハルがラナ崩落復旧作業に縛り付けられるのは好ましくなかった。セントリアの立場なら、ノブハルのお尻を叩いて宇宙に連れ出さなければならなかったのだ。  ただせっかく始めた事業だと考えると、ここで投げ出すのも癪に障るのだ。だからセントリアにしては珍しく、どうしたら良いのか葛藤することとなった。ただ受注をとろうにも、今のままでは入札自体に参加することもできそうになかった。  ううむと唸ったセントリアは、同じ部屋で難しい顔をしているノブハルに「支店長」と声をかけた。 「予想通り挫折しているけど、どう事態を打開するつもり?」  いつも通りにフラットな声を出したセントリアに、「難しすぎる」とノブハルは弱音を吐いた。 「ナギサに相談してみたのだが、直接の助力は出来ないと言われてしまった。現場代理人の資格も調べてみたが、3ヶ月の雇用実績が必要と言うのもあった」  今のままでは、資格審査自体が通らないと言うのである。つまり、トリプルAエルマー支店の初仕事は、張り切ってみたが空振りが確定したと言うことである。 「一応のアドバイスでは、どこかの下に入ってみたらとも言われたな……」  そうすることで、かなりの面倒を避けることが出来る。下請けの立場なら、技術者としてノブハルがいれば用件として満たすことが可能だった。 「その場合、技術を買い叩かれることになるわね」 「まさしく、ナギサはそう指摘してくれたよ」  ますます不機嫌さを増したノブハルに、結構可愛いのだなとセントリアはずれた感想を持っていた。そのあたり、姉視線とでも言えば良いのか、弟が拗ねているように見えたのだろう。 「一応聞いておくけど、競合の分析は出来ているの?」 「過去行われた工事は調べてみたが……後は、有力企業の技術紹介も調べてみた」  厳しい現実から少し目が反らせる分、まだ分析の方がマシだったようだ。「これ」と言って投げ寄越したデーターには、確かに各社の分析が「しっかり」と行われていた。 「結果から言うと、ラナ崩落の後始末は可能だろう。一番簡単な方法は、タンガロイド社のような銀河企業から技術者と製品を引っ張ってくることだ。コストの問題は出るが、それが一番安全な方法には違いない」 「それ以外は?」  すべての応札企業がその方法をとるとは思えないので、セントリアは別の方法への評価を求めた。 「伝統的な土木工事を行う方法もある。その場合、崩落の連鎖を止めるために、重力制御が活用されることになる。広範囲の制御は技術的にも費用的にも現実的でないので、経験を活かしてピンポイントで支えることになるな。そうやって連鎖崩落の危険を除去し、後は伝統工法で補強を行っていけばいい。原始的な方法ではあるが、人海戦術が可能と言うメリットが有る。ただ騒音等、周りに公害を撒き散らすことになるな」  その説明に、セントリアは「なるほど」と頷いた。 「つまり、うちが関わらなくても工事は可能と言うことね?」 「現実を見る限り、そう答えることになるな」  そこで渋い顔をしたのは、初めての仕事に結果を示す事ができないからだろうか。ただセントリアは、さほどそのことを気にしていなかった。地面に張り付いた、しかも事故現場の復旧作業と言うのは、彼への期待からは離れたものだったのだ。 「どうする、止めておく?」 「現時点では、これ以上は悪あがきになるのだろうな……」  入札公告が明日にでも出ると言う噂が飛んでいるのだから、資格要件が満足できなければ「悪あがき」に違いない。渋々それを認めたノブハルに、セントリアは気分転換を勧めた。 「だったら、一度落ち着いて他のことを考えてみない? そうね、そのために宇宙に出てみるのも良いと思うわよ。せっかくだから、アス詣でをしてからシルバニアまで遊びに行かない?」 「仕事もしないで……か? それにアス詣でって……どこにそんな金があるのだ?」  ラナに行くのにも、母親からの資金援助を受けたぐらいなのだ。それを考えたら、アスのような遠くまで行けると考えるほうがおかしい。その意味で、ノブハルの答えはとても常識的なものだった。  ただ常識的な答えが、常に正しいのかは別である。小さくため息を吐いたセントリアは、一つのデーターをノブハルに投げてよこした。 「これは?」 「一応支店の財務状況。デュークが言うには、一生遊んで暮らしてもお釣りが来るそうよ」  確認してみると、使いみちの決まっていない予算が山のように計上されていたのだ。確かにこれを使えば、アス詣でなど簡単に行くことが出来るだろう。ただ支店として行くことを考えると、大義名分と言うのが必要となる。今の状況では、その大義名分が立たないのが問題だった。 「だが、アス詣でを仕事には出来ないだろう。後、誰が一緒にアスやシルバニアにまで行くのだ?」  大義名分が立たないのと同じくらいに、同行者の問題も大きな問題だった。ただそれは、セントリアにとっては想定内のものでもあった。 「必要ならば、リンディア様から招待状を出して貰うわよ。そうすれば、シルバニアに行く口実は立つでしょう。その際アスは経由地になるから、エイシャ様を理由にすればアス詣でをしても不自然じゃないはずよ」 「なぜ、シルバニア宰相が俺などに招待状を出してくれるのだ?」  口実が立つ以前に、超有名人から招待状を受け取る立場ではないと思っていたのだ。そして普通の感覚からすると、招待状が出されるとは思えなかった。 「あなたの立場を忘れたの? あなたはライラ皇帝聖下の夫候補第二位に居るのよ。頻繁に顔を出せと言われても、おかしな立場じゃないと思うけど?」  夫候補の話を出されたところで、ノブハルがゲンナリとした顔をした。その態度自体は問題なのだが、セントリアは気にしないで言葉を続けた。 「と言ったけど、こちらでもあなたの能力査定をしているのよ。と言うことなので、一応能力的に合格したと思ってくれる? それに第二位なんだから、聖下に接見しておいてもいいと思わない?」 「それもまた、とても気が重いのだがな……」  思いっきり後ろ向きのノブハルに、セントリアは「リンさん?」と痛いところを突いた。ここでエリーゼやトウカを持ち出さないのは、正しくノブハルを分析できているからである。  そしてセントリアの予想したとおり、リンの名前を出した所でノブハルが「穿ちすぎだ」と激しく文句を言った。その反応を見る限り、どうやら図星を突いたようだ。 「あなたが、重度のシスコンだと考えればおかしなことじゃないでしょ?」 「し、シスコンって言うなっ!」  すかさずノブハルは文句を言ったのだが、「はいはい」と受け流されてしまった。 「リンさんへも招待状なら出すことは出来るわよ。なんだったら、あの二人の分も出せるけど? イチモンジ家次期ご当主に出してもいいけど、その場合は自己負担をお願いすることになるわね」  そうやって逃げ道を塞いだセントリアは、「どうする?」とノブハルに問いかけた。当然だが、結論が出ないことも織り込み済みである。  ただ豪華な星間旅行を持ち出した時点で、リンが拒まないのも織り込み済みである。しかも「大好きな」お兄ちゃんと一緒に行けるのなら、二つ返事で了解するのも予想ができた。だから「私から話そうか?」とセントリアが持ちかけたのは、親切ではなくとどめを刺すためだった。 「ま、まて、この時期に行くのだから、一応本社にお伺いを立てる必要がある。な、何しろ、目の前にある入札を蹴飛ばすのだからな」  なんとかだめな理由を持ち出したノブハルだったが、そのあたりトラスティやアリッサを甘く見ていると言うことだ。あの二人が、こんな小さな入札に拘るはずがないのだ。それが分かっているから、セントリアも「どうぞ」と確認を取ることを認めたのである。 「確認を取ることで、逃げ場を失うのに気づいていないのかしら?」  そのあたりが抜けているなと、セントリアは生暖かい目でノブハルのことを見たのだった。  そして本社に問い合わせをした1週間後、なぜかトリプルAエルマー支店御一行+αは宇宙港であるセンター・ステーションに来ていた。ちょうどエルマーとズイコーの中間に作られた宇宙港は、ズミクロン随一の宇宙港でもあった。そのあたり、宇宙にこそ出ていても、さほど活動範囲を広げていない証拠でもある。  そこに集まったのは、トリプルAエルマー支店の6人と、イチモンジ家次期ご当主であるナギサに、彼の恋人であるリンだった。それに加えてエリーゼとトウカも居るのだから、視察と言うより慰安旅行と言う風情を醸し出していた。 「あなた達が、支店長の愛人なのねぇ」  うふっとシナを作ったデュークは、はっきり言って不気味だった。その為トウカはすぐに逃げ出したのだが、真面目なエリーゼは「お世話になっています」と丁寧に挨拶をした。 「あらっ、あなたってとってもいい子なのね。だったら、セントリアちゃんに負けないように応援するから……じじじ、冗談で言っているのよ。それに、あ、あなたは支店長となにもないのでしょ!」  ずっと見ていたはずなのに、気がついたら目の前でデュークが締め上げられていた。ただいつの間にと考えるのは、今更無駄だとエリーゼは気にしないことにしていた。ちなみに支店関係者は、全員業務中と言うことでスーツ姿をしていた。セントリアはいつものようにピンストライプの紺色をしたスーツだし、デュークも男性用のグレーのスーツである。  一方ゲスト陣は、至って気楽な恰好をしていた。だからエリーゼは、秋物の首元がゆったりとしたベージュのセーターに、こげ茶色のスカートである。そして生足を晒さないよう、黒色のストッキングで足元を固めていた。頭に被ったこげ茶のベレー帽が、金色の髪に映えてワンポイントになっていた。 「分かっているのなら、私を引き合いに出さないことね」  ふんと鼻息を一つ吐いて、セントリアは締め上げていた腕を離した。そして少し厳しい視線をエリーゼに向けてから、何も話さずにノブハル達の方へと歩いていった。 「ど、どうやら、乗船のようね……」  鼻水を垂らしたせいで、更にデュークの不気味さは増していた。ただそれを指摘しても可哀想と、エリーゼは普通に笑みを返して「行きましょうか」と答えた。ただ内心安堵していたのは、3ヶ月前と比べてセントリアの気持ちに変化がないことだった。 「ノブハル様の魅力に気づいていないのでしょうか?」  ただ安堵をしつつも、それで良いのかと逆にセントリアが心配になってしまう。どうやらお人好しを絵に書いて額に掛けたのが、エリーゼと言う少女の本質のようだ。まあトウカとの関係を考えれば、今更他の女性に目くじらを立てても仕方がないと諦めているのだろう。  今回の「慰安旅行」には、タンガロイドの保有するクルーザーは使われていない。その辺り、一人もタンガロイド関係者が居ないのだから当然のことでもある。一方トリプルAは、社としてクルーザーを社有していない。そのため一行は、シルバニア帝国まで定期船を乗り継いで移動することにしていた。当然直行便などあるはずもなく、ディアミズレ銀河を出るのに2日、更にはアスまで2日掛かると言う面倒な日程になっていた。しかもその4日間は、移動と乗り継ぎと言う極めて面倒で、なおかつ面白みのないものである。  ちなみに確保された船室は、二等船室と言う個室が使える最低ランクである。アリッサと比較するとありえない選択なのだが、その辺り経験のないノブハルが料金を見て怖気づいた結果だった。 「シルバニアまで、まっすぐに行っても6日掛かるのね……」  旅程表を見たリンは、常識が狂うと小さく息を吐き出した。エルマーに居る限り、星のどこに行くにしても1日掛かることはなかったのだ。そしてズイコーに行くにも、急げば半日と言うのが彼女の知る現実なのである。こんな大型船を使い、6日も掛けなければたどり着けないと言うのは、今までに想像したことも無い世界だったのだ。  その一方で、目では見えない世界まで「たった」の6日で行けると言うのも驚きである。連邦が出来て1千年経つのだが、それでも天空上でお互いの位置関係は確認されていない。裏を返せば、それだけ遠い世界へ行こうとしていることになる。 「そうだね、前回はまばたきする間に着いたからねぇ」  ノブハル達が担ぎ込まれた時には、エスデニアによって直通経路が開かれていた。その為一歩踏み出せば、エルマーからシルバニアまで行くことが出来たのだ。 「でも、ディアミズレ銀河じゃこれが限界なんだよね? ワープを使って、ジャンクション……だったっけ、そこまでいかないとだめなんだよね?」  そうやって考えると、つい苦笑が漏れ出てしまうのだ。ここの所起きた事件を考えても、技術的に遅れた「田舎」と言うのを思い知らされてしまった。 「そんな凄いことを、こんな社員旅行のノリでやって良いのかしら?」 「社員旅行のノリね……確かに実態はそのものなんだけど。そのくせ、セントリアさん以外は、ものすごく緊張しているようだよ」  ほらと指さされた先では、アブドラーザが黒い顔を真っ青にしているのが見えた。そこまでいかなくても、タカオやクーデリアの顔も、はっきりと引きつっていたのだ。もともと口数の少ないノブハルにしても、顔を合わせてから一度も声を聞いていない体たらくである。 「セントリアさんは、まあ違う星の人だから……でも、お兄ちゃんはちょっと意外だったかな。今晩は、一緒に寝て慰めてあげようかな」  ふふと笑ったリンに、ナギサは「いやいや」と大きく首を振った。 「その役目は、彼女たちのものだと思うのだけどね」  今更言うまでもなく、ノブハルにはエリーゼとトウカと言う恋人がいる。従って、「妹」がでしゃばる理由はどこにもないはずだ。もちろん、ナギサの正論がリンに通じればである。 「でも、船室は狭いから3人は難しいと思うわよ。だから、代表して妹の私が一緒に寝てあげるんだけど? 別にいいでしょ、妹なんだから」  妹を全面に出したリンに、ナギサは少し目元を引きつらせた。これでは、「ノブハルに負けるな」と言ったハラミチの言葉を笑えなくなってしまう。ただ、そこで焦るほどナギサも素直な性格をしていなかった。 「ノブハルの場合、本当に妹としか見てくれないけど良いのかな?」  それが、今までのノブハルの考え方のはずだ。敢えてそれを持ち出したのは、そのたびにリンが悔しがったのを知っていたからである。  ただナギサの指摘に、リンはいつもの反応を示さなかった。そして悔しがる代わりに、意味深な笑みを返したのである。普段とは違うその反応に、逆にナギサが慌ててしまった。 「ま、まさか、ノブハルが我を忘れたとでも言うのかい!」 「さぁ、どうでしょうね。ナギサも知っていると思うけど、お兄ちゃんは男だからね」  その意味する所に、更にナギサは焦ることになる。ただ危ないことを口にしたリンは、ナギサから見えないところで口元を歪めて笑っていた。兄に走る気は満々なのだが、だからと言ってナギサをリリースするつもりも毛頭なかったのだ。なにもないと高をくくられては、首に縄をかけた意味が無いと思っていたのだ。  そんなお馬鹿なやり取りの後、一行は旅客船「ネビュラ1」に乗り込んだ。エルマー星系には、およそ月に1隻程長距離航路の船が寄港している。ネビュラ1は、その中では大きい方から数えて3番目の大型船である。乗客乗員数はおよそ10万と、一つの街がまるごと移動している規模の船だった。特等船室のフロアにある、立派なパーティースペースが評判の豪華船でもある。 「なにか、味気のないと言うか、代わり映えのしない食事ね」  そんな豪華旅とは無縁の一行は、ランチのため2等エリアにある食堂に繰り出していた。そして「代わり映えのしない」と言うリンの言葉通り、普段とほとんど変わらない定食を食べていた。 「そうだね、何か旅の風情がないと言うのか……普段の食事より質素になった気がするよ」 「予算と言うものがありますから、仕方がないのかと思います……多分ですけど」  超長距離を移動することを考えると、旅費は良心的な価格設定をされていても高額なものとなる。それを考えれば、無駄遣いをすることは出来ないと言うのがエリーゼの常識だった。ズイコー星系のハイソサエティの生まれなのだが、つましい生活を強いられたお陰で形成された経済観念だった。  高額な費用を理由にしたエリーゼに、「でもね」と千切りにされたキャベジを突きながらデュークはため息を吐いた。 「本社に認められた予算の、半分も使ってないのよ。特等は無理でも、1等船室ぐらい余裕で使えたんだけど」  経理担当もしているからこそ、予算のことは誰よりも理解していた。だから1等船室を提案したのだが、ノブハルが2等船室を指定したのだった。 「でもナギサさんやリンさんを除けば、2等船室が分相応だと思いますけど」 「そりゃあね、確かに否定は出来ないけどぉ……」  千切りのキャベジを弄びながら、デュークはもう一度ため息を吐いた。 「だったら、レストランぐらいもう少し良いところを利用しない?」 「確かに、毎日これだと気が滅入りそうですね……」  同じように千切りのキャベジをフォークで持ち上げ、エリーゼは口に入れずそのまま皿に戻した。 「だ、だったら、次の食事は違う所にしよう……」  俺が悪いのかと全員の顔を見たノブハルは、冷たい視線に負けて食事環境の改善を提案した。彼としては不満は無かった、と言うより食事に拘っていなかったのだが、全員のプレッシャーに負けたと言うことである。 「でしたら、2ランクほどレストランのグレードをアップグレードするわ」  そこで顔を明るくしたデュークは、「ごちそうさま」と言ってナイフとフォークを置いた。皿には沢山料理が残っていたが、それ以上手を付けるつもりはないようだった。その辺り黙って食べていたセントリアも同じなのか、間違いなく普段程は料理に手を付けていなかった。胃袋の拡張されたアオヤマ家の3人娘も同じで、間違いなく普段より少食になっていた。 「……ごちそうさま」  その空気に当てられたのか、ノブハルも中途半端なところでチョップスティックを置いた。味的には問題なかったのだが、これ以上手をつける空気ではなかったのだ。 「次は、夕食になるのかな? それまでは、船の中で遊びましょうか」  食事で気分がダウンになるのはいかがなものか。そんなことを考えながら、リンは夜までの時間の潰し方を提案したのである。  一部客室クラスによる制限はあったが、基本的に船内はどこでも自由に行くことが出来た。ただ乗客乗員合わせて10万と言うのは伊達ではなく、歩いて回ろうものなら1日2日では不可能な広さを持っていた。  そんな船内を、ノブハルは少女3人を連れて歩いていた。いずれ劣らぬ美少女揃いと考えれば、それは涙を流して喜ぶべきことなのだろう。そこで窮屈さを感じるのは、普通に考えれば贅沢なことに違いない……はずだ。ただノブハルは、散歩をしながら得も言われぬ窮屈さを味わっていた。おそらくセントリア一人居なってくれるだけで、気分はずっと楽になってくれるのだろう。だが「護衛だから」と、セントリアはノブハルから離れることを認めてくれなかったのだ。  これがアリッサなら、船内カジノに繰り出していたことだろう。ただ清貧を旨とするノブハルだから、あまりお金を使わない楽しみ方に徹していた。そして10代らしく、船内アミューズメント施設を攻めることにした。ただ10万人規模の乗客を乗せるのだから、チンケなゲームセンターであるはずがなく、小規模のテーマパークがアミューズメント施設の正体だった。  船内中央の吹き抜け部分を利用したテーマパークは、各種乗り物が揃っていた。ちなみに船賃には、飲食以外の施設利用料が含まれている。従って、パーク内の乗り物は、いくら利用してもお金がかからないと言う懐に優しいものだった。 「ブリリアント・パーク……ですか」  テーマパークの入り口に立ったセントリアは、キョロキョロとあたりを見渡してからほうっと感心したような声を上げた。  流石に嬉しいのかなと想像したノブハルだったが、続いた「何をするところですか?」と言う言葉に盛大にずっこけた。 「お前は、遊園地と言うものを知らないのか?」  明らかに呆れたと言う声を出したノブハルに、「バカにするな」とセントリアは文句を言った。 「それぐらいの施設、シルバニアにもあるわ。それで、その遊園地とこのブリリアント・パーク……だけど、一体どんな関係があるの」 「い、いや、これが俺達の常識では遊園地と言うものなのだが?」  もしかして常識が違っている、さもなければ自分の常識が間違っている。ふと不安を感じたノブハルは、確かめるようにエリーゼとトウカの顔を見た。そしてしっかりと頷く二人に力を得て、「遊園地だが?」と畳み掛けた。 「なるほど、この銀河ではこれを遊園地と言うのですか」  大きく頷いたセントリアは、その次にエリーゼの顔を見た。 「私の顔になにか?」  そこでどうして自分を見る。疑問を感じたエリーゼに、「いえ」とセントリアは少し口ごもった。 「トウカ・クレメンタインは分かるのだけど、あなたに遊園地は必要が無いと思っただけよ」 「トウカさんには必要で、どうして私には遊園地が必要ないのですか?」  ますます分からないと首を傾げたエリーゼに、「役割が違う」とセントリアは返した。 「彼女が、体を鍛えたいと言う事情は理解できるの。でも、あなたの場合は暴力には関係が無いと思っていたわ。それが誤解と言うのなら謝るけど、多分あなたには無理だと思うから」 「なぜ、遊園地で体を鍛えないといけないのですか?」  説明を聞いても、エリーゼにはそれを理解することができなかった。そもそも遊園地と言うのは、子供が楽しく遊ぶところである。体力に自信が無いのは認めるが、自分でも十分に楽しめる施設のはずだ。 「それが私の常識だし……」  ほらと指さされた先では、黄色いマスコットのげっ歯類が大立ち回りを演じていた。あまり可愛いとは思えないキャラクターなのだが、どうやらこの施設の看板マスコットらしい。 「あの動きは、とても訓練されたものよ。私の目から見ても、只者ではないのが分かるわ。多分特殊スーツを着ているのだと思うけど、私に匹敵する戦闘力を持っているわね」  だからエリーゼには似合わないと言うのだ。それを聞いたノブハルは、「待て待て」と二人の会話に割り込んできた。 「遊園地と言うのは、小さな子供でも楽しめるように作られた施設なのだぞ。客はあくまで遊ぶのであって、訓練を目的とした場では無いんだがな。エルマーでは、デートに使われる場でもあるんだが、何だトウカ?」  真面目に説明したつもりなのに、それを聞いていたトウカが驚いた顔をしてくれた。それを訝ったノブハルだったが、隣でエリーゼも驚いているのに気づいてしまった。 「いえ、あなたからデートとか言う説明を聞くとは思わなかったのです。そう言った常識とは、無縁の世界に生きていたと思っていました」 「俺は、一体どんな男に見られていたのだ? いや、いい、説明は必要ない」  これ以上拘ると、自分が傷つきそうな気がしてならなかった。それに気づいたノブハルは、「とにかく」と絡まった話をまとめにかかった。 「一般に遊園地と言うのは、トレーニング施設とは違うものだ。女子供、場合によっては老人でも楽しめるように作られている。従って大立ち回りをしているげっ歯類にしても、客を喜ばせるためのアトラクションに過ぎない。と言うことなのだが、理解できたか?」  どうだと顔を見られたセントリアは、難しい顔をしてノブハルの顔を見た。 「な、何か問題があるのか?」  綺麗な……可愛いでも良いのだが、とにかく見た目は良くてもセントリアの戦闘力は化物なのだ。下手に機嫌を損ねようものなら、今晩の夕食にありつけなくなるだろう。少し及び腰になったノブハルなのだが、どうやらセントリアの不機嫌さは彼には向けられていなかったようだ。 「私は、小さな頃からお母様に騙され続けたと言うこと?」 「ま、まあ、フィールドアスレチックと言う、体も鍛えられる遊びはあるのだが……」  不機嫌さの方向は分かったが、それでも生きた心地がしないのは変わりはない。慎重に言葉を選んだノブハルに、セントリアは大きなため息を返した。 「セーラ母様にトンファーで甚振り続けられた私の人生って……なに?」 「何と言われてもだな」  そこで深刻そうな顔をされても、ノブハルにも出来ないことは沢山有る。慰めるにしても、そこまでセントリアのことを知っているわけではない。だから慰めの言葉も、とてもありきたりのものになってしまった。 「まだ若いのだから、楽しみ方を覚えても良いのではないか?」 「そうですよ、とりあえず目の前の遊園地で楽しみませんか?」  ノブハルの言葉に乗っかるように、エリーゼも少し顔を引きつらせながら話をそらそうとした。 「……だったら、あれ、買ってくれる?」  そう言ってセントリアが指差したのは、白いふわふわとした物体だった。大きさは子供の頭より大きく、持つところなのか下の方に棒のようなものがついていた。子供がかじりついているところを見ると、お菓子なのは間違いないだろう。 「……あれは、なんだ?」  見たことがないと呟いたノブハルに、「私も」とエリーゼが同調した。そしてその隣では、トウカもしっかりと頷いていた。 「わたあめ……と書いてありますね。つまり、飴と考えて良いのではありませんか?」  少し目を細めて遠くを確認したトウカは、売店に書かれている値札を見つけた。 「2ダラですから、大した値段ではありませんね」 「確かに、それぐらいなら大したことはないな」  機嫌を直してくれるのなら、もっと高くても構わないと思えたほどだ。せっかく直りかけた機嫌が再び悪くならないよう、ノブハルは率先して売店へと歩いていった。  そこでデフォルメされたピンクの羊から、綿菓子を3袋買いそれぞれを3人娘へと手渡した。このあたり、一人を贔屓にする訳にはいかないと言う深刻な事情と、金額的にも大したことがないと言うのが大きかった。ただ3人に手渡したその時、後ろから聞こえてきた「鬼畜男」と言う男の声が気になった。  そこで振り返って声の主を探してみたのだが、売り子のピンクの羊が暇そうに空を見上げていた。 「ノブハル様、どうかされたのですか?」  袋の中から綿菓子を取り出し、それを頬張りながらエリーゼは尋ねてきた。幸せそうな顔をしているのを見ると、きっと甘くて美味しいのだろう。 「いや、誰かに悪口を言われた気がしたのだ……多分、気のせいなのだろうな」  まあいいと、ノブハルはあっちに行こうと賑やかな方を指差した。思ったより広い遊園地には、アトラクションや乗り物が所狭しと自己主張をしていたのだ。甘いもののおかげか、セントリアの顔も穏やかなものになっていた。  それから順番にペアを組んで、4人はアトラクションを遊び倒した。そして仕上げとばかりに乗り込んだのは、巨大なホイール上の乗り物だった。その乗り物は、20フロア分の高さを持つホイールの周辺部に、ペアで乗り込むためのゴンドラが付けられたものである。そのホイールがゆっくりと回ることで、恋人たちの雰囲気を盛り上げると言うのが謳い文句になっていた。 「しかし、どうしてお前と乗っているんだ?」  「恋人の〜」と言う謳い文句のはずなのに、一緒に乗り込んだのがセントリアだったのだ。薄いピンク色をした、薄手の半袖のセーター姿は、無防備さもあって中々魅力的に見えたのは確かだ。しかも3人の中で一番の巨乳でもあるので、向かい合って座れば中々刺激的なものが目に飛び込んでくれる。しかも下にはふわりとした水色のミニスカートを穿いているものだから、下方向に目を逸らす訳にもいかなかった。 「私とでは不満だと……?」  ぎろりと睨まれ、ノブハルは思わず首を引っ込めてしまった。  その予想通りの反応に、「冗談よ」とセントリアは笑ってみせた。その笑顔が可愛かったので、ノブハルは少しどきりとしてしまった。 「順番を譲ろうと思ったのだけど、そうすると二人で取り合いになるからよ。だから、一番丸く収まる方法をとっただけ」  その程度と答え、セントリアはゴンドラの外へと視線を向けた。 「でも、これは屋内で乗るものではないわね。多少飾り付けの違いはあるけど、どこまで行っても船のフロアだもの」 「確かに、屋外なら遠くの景色が見えるのだろうな」  同じようにゴンドラの外を見てみたら、各フロアの電飾が瞬いているのが見えてしまった。たしかに風情がないと頷いたノブハルは、「なあ」とセントリアに声を掛けた。 「どうしたの。そんな真面目な顔をして?」  少し不思議そうな顔をしたセントリアに、「大したことじゃないのだが」とノブハルは言い訳をした。 「エルマーに派遣されたこと、それをどう思っているのかと考えてしまったのだ。シルバニア帝国と言えば、超銀河連邦の中核国家と言われているところだ。そんなところから、辺境銀河の辺境星系に派遣されたのだろう。運が悪かったと思っていないか、それが気になっただけだ」 「そう言うことね」  ノブハルに合わせて真面目な顔をしたセントリアは、「別に」とあっさりとした答えを口にした。 「別に、なのか?」  もう少し何かあってもと思ったノブハルに、セントリアはもう一度「別に」と答えた。 「未開の鉱山惑星に派遣されたわけじゃないわ。普通に人が住んでいて、私と同じような年齢の人もいる。普通に話ができて、食べるものにも困っていない。仕事として多少物足りないところはあるけど、あなたが想像するような悪い環境だと思ってないわよ。どちらかと言うと、出会いが望めないことの方が問題だと思うわ」  年頃だからと笑ったセントリアに、「確かに」とノブハルは大きく頷いた。よりにもよって同年代の男のボディガードなどしていると、異性と接する機会が著しく制限されるのだ。「常識的」な考えを持つノブハルだから、セントリアの立場に同情してしまった。 「確かに、こんな男のそばに居たら誤解されるだろうな……」  エリーゼやトウカと言う前例があるため、近所からセントリアは3人目に見られている所があったのだ。人付き合いの苦手なノブハルも、それぐらいのことには気づいていた。 「もっとも、私を相手にしたいと思う男も居ないと思うけどね」  物憂げにため息を吐いた所は、掛け値なしの美少女に違いない。  そうやって自分を卑下したセントリアに、ノブハルは力いっぱい「いやいや」と首を振った。 「そんなことを人前で言うと、敵を作りまくることになるぞ。俺が言っても説得力はないと思うが、お前は間違いなく美人に違いない。リンのマネージャーをしているミズキさんも、スカウトをしたいぐらいだと言っていたぐらいだぞ」 「でも、あなたぐらい片手で縊り殺せる化物なんだけど?」  それでも近づきたいかと聞き返され、ノブハルは「客観的には」と地雷を避けた答えを口にした。 「お前が強いのを体で思い知らされたのは、挑みかかったトウカぐらいだろう。俺が一度も被害を受けたことがないぐらいだから、普通の付き合いも出来るのではないか?」 「ガード対象に暴力を振るう訳がないでしょ」  苦笑を浮かべたセントリアは、「ありがとう」と小さな声でお礼を口にした。 「お陰で、少しは気が楽になったわね」  うっと大きく伸びをしてくれたので、つい胸元が強調されてしまう。しかもそれが目の前に晒されたのだから、ノブハルもついガン見をしてしまった。 「何度か、お風呂で見せたことが有ったと思うけど?」  それに気づいたセントリアだったが、特に恥ずかしがる素振りを見せなかった。そしてノブハルをからかうでもなく、ただ淡々と事実を口にした。 「あー、まぁ、確かに見たことがあるはずなんだが」  お風呂で見たことより、ガン見をしたことを指摘されるのは恥ずかしいものだ。顔を赤くしてそっぽを向いたノブハルは、「いかん」と言って頭をガシガシと掻いた。 「半年前は、そう言ったものに興味なんか無かったのだがな。確かに俺は、エリーゼ達のお陰で新しい知識を得たのかもしれない。ただなぁ……」  ふうっと息を吐き出したノブハルは、「駄目だな」ともう一度頭を掻いた。 「倫理観が、どこかおかしくなった気がしている」 「あなたが、倫理観を口にしますか? 現在進行系で二股をしているあなたが!?」  大げさに驚いたセントリアに、「だからだ」とノブハルは苦笑した。 「おかしくなった気がしていると言っただろう?」 「確かに、おかしくなったのだから言っていることに間違いはないわね」  なるほどと頷いたセントリアは、「良いんじゃないの」とノブハルを肯定した。 「ライラ皇帝のためには、あなたが一般庶民の倫理観を持って貰っては困るもの。トラスティ様ほどとは言わないけど、やんごとなきお方に手を出して欲しいわね」 「俺を、あの人と一緒にしてくれるな」  なんだかなぁと、今度はノブハルが大きく伸びをした。 「俺は、あの両親を見て育ってきたんだがな。なんで、二股なんてしてるんだろう……」  そう言って深刻そうな顔をしたノブハルに、「あなたが悪い」とセントリアはビシリと指差した。 「あなたには、いつだって一人に決める機会があったはずよ。それをしなかったのは、あなた自身の意思……が弱かったのかしら。別に、トラスティ様の様に雁字搦めにされたわけでもないし……」  うむと考えて、「やっぱりあなたが悪い」とセントリアは繰り返した。 「いっその事、このままトラスティ様のように突き抜けてみたら?」 「だから、俺をあの人と一緒にしてくれるな」  勘弁してくれとノブハルが嘆いた所で、二人の乗ったゴンドラの中に終点が近づいたアナウンスが流れた。結局景色を見る、もしくは男女の仲を深めるためのスペースが、単なる談話室に使われただけだった。 「やっぱり、これは恋人と乗るものね」  ぽつりと呟かれた言葉は、セントリアの本心を表したものなのだろうか。 「ああ、俺達だと単なる談話室になってしまうな」  同感だとノブハルが頷いたところで、外から係員がゴンドラのドアを開いた。一周およそ15分の閉鎖空間が、これで解消されたことになる。  なんの余興か分からないが、ピンク色をした耳の尖った動物のマスコットが出迎えてくれた。ニィーニィーと言っているところを見ると、猫をデフォルメしたものだろうか。やけにセントリアに擦り寄ってきたのだが、彼女相手にそれは無謀な真似に違いない。本人談で「軽く」肘を入れたそうなのだが、地面に転がって悶絶をしてくれた。 「……大丈夫なのか、あれ?」  セントリアの破壊力を知るノブハルだから、悶絶するマスコットの痛みを理解できる。着ぐるみがあるからと言って安心できないのが、近衛遊撃隊所属の実力である。 「自業自得ね」  あっさりと言い切ったセントリアは、後ろから降りてくるエリーゼ達を待った。まだピンクのマスコットが悶絶しているため、二人はセクハラを受けること無くノブハル達に合流した。 「何か、不気味な唸り声が聞こえたのですが……」  振り返って眉を潜めたエリーゼに、ノブハルは「気のせいだ」と返した。ここに至って、セントリアがエリーゼを守ったのだと気づかされた。 「さぁ、そろそろ夕食の時間だな。デュークが、高級そうなところを予約しているはずだ」  外界の遊園地なら、太陽の動きで時刻を知ることが出来る。だが宇宙空間に浮かぶ客船では、朝とか夕方とかの概念は無い。乗客それぞれが、自分達の時間で行動していたのだ。ノブハルは夕食と言ったが、別の旅人には朝食と言う事もあったのだ。 「デュークさん、張り切っていましたからね」  それはそれで楽しみだ。嬉しそうな顔をしたエリーゼは、「ねえ」とトウカに同意を求めた。 「そうね、夕食は気分が変わるといいわね」  うんうんと頷いたトウカ、「行きましょう」とエリーゼの手を引いた。どうやらゴンドラに乗ったノリが、未だ継続しているようだった。なぜか張り切ったトウカの後ろを、手を繋ぐでもなくノブハルとセントリアが並んで歩いた。 「まだ乗ってない物が沢山有るから、明日も退屈しないですみそうだな」  真っ直ぐ前を向いたノブハルに、セントリアは「そうね」と小さな声で返した。 「できれば、体を鍛えられる場所が良いのだけど……仕方がないから、夕食の後にトウカ・クレメンタインに付き合わせることにするわ」  護衛としてついてきているのだから、保護対象から離れる訳にはいかない。その一方で、怠惰な生活で体を鈍らせる訳にもいかなかった。トウカと一緒にトレーニングをすると言うのは、セントリアにしてみれば落とし所を探したと言うことになる。 「体を動かすのか……俺も、たまには動かした方が良さそうだな」  いくら食事の摂取量が減ったからと言って、体を鈍らせて良い訳がない。セントリアと求める所は違っても、体を動かす必要があるとノブハルは考えたのである。  ただ「体を動かす」と口にしたノブハルを、セントリアの驚いたような顔が迎えてくれた。 「な、なんだ、何かおかしなことを言ったか?」  それを気にしたノブハルに、「いえ」とセントリアは前を歩く二人を見た。 「あなたの場合、寝る前に運動をするはずだと思っただけです」  するのだろうと言う目で見られ、ノブハルは気まずげに視線をそらした。改めて言われれば、確かにセントリアの指摘は事実に違いない。 「別に、誰かに迷惑を掛けている訳じゃないでしょう。それに私の立場は、あなたに弾けてもらう必要があるの。是非とも、やんごとなきお方を毒牙にかけてもらわないと」 「それは、俺のキャラクターではないのだがな」  勘弁してくれとノブハルが嘆いた所で、「そこの巻き込まれ体質の方」と声が掛けられた。一体誰がと声の方向を見たら、一人の老婆が「占いの館」と書かれた建物の前に立っていた。黒いマントに頭の部分が尖った黒い帽子を被った、顔中シワだらけの女性である。何かの病気なのか、腰はしっかりと曲がり木でできた杖で体を支えていた。  とても気になることを言われた気はしたが、相手にしては駄目だとノブハルは無視をすることにした。だが老婆は、せっかくの獲物を見逃すつもりはなかったようだ。 「そこの色男のことだよ。巻き込まれ体質の上に、女難の相も出ているんだけどね」  寄ってきなさいと声を掛けた老婆に、「間に合ってる」とノブハルはぶっきらぼうに答えた。 「少なくとも、俺の回りにいる女はいい女ばかりだ」  巻き込まれ体質の下りを無視し、ノブハルは女性関係に絞って言い返した。そしてそのまま、その場を立ち去ろうとした。 「いくらいい女でも、ものには限度があると思うのだがね。気をつけないと、すぐに首が回らなくなるよ。それにあんたの巻き込まれ体質が、彼女達にも影響しているからね。そうそう何度も、死ぬような目に遭いたくはないだろう?」  自分の事情に踏み込んできた老婆を、ノブハルは徹底的に無視をした。どうして知ってると言う疑問はあったが、当てずっぽうに違いないと決めつけることにした。夕食の待ち合わせ時間が近いのも、老婆を無視する理由になっていた。  そのまま立ち止まることも無くノブハルは先を急いだのだが、ただ一人セントリアだけ立ち止まって老婆の方を見た。そして警戒するようにあたりを伺ってから、踵を返してノブハルの後を追いかけた。その時一瞬だけ、いつの間にか現れたげっ歯類のマスコットに視線を向けていた。  レストランのランクを上げたと言うだけのことはあり、夕食はかなり豪華なものになっていた。ただ一部異様な雰囲気を持つ団体だと考えると、いささか不釣り合いと言うのは間違いないだろう。特にアナベベとデュークが異彩を放っていたのだ。 「中を見学して回ってみたのだけどね」  透き通ったスープをスプーンで掬い、「面白かったよ」とナギサが話を切り出した。 「この船に適用されている技術は、ズミクロン星系のものより進んでいるようだ。だから、僕達には理解できないギミックがいたるところに散りばめられていたよ」 「ナギサは、どこで遊んできたんだ?」  理解できないギミックに興味を惹かれ、ノブハルはナギサの立ち回り先を尋ねた。面白そうなら、この後寝るまでの時間つぶしに良いのかと考えたのである。それに明日も、この船から出ることは出来ないのだ。航海の残りは、まだ2日近く残っていた。 「仮想現実体験……と言うと、陳腐に聞こえるのだろうけどね。物語の中に、登場人物として参加できるんだよ。設定はかなり自由だし、現実感が半端なくあったね」  ねえとリンと顔を見合わせたナギサに、「仮想現実体験か……」とノブハルは施設の位置を確認した。そして確認したところで、はあっと息を吐いて肩を落とした。 「入り口に、得体の知れない老婆が居た場所か」 「おやノブハル、なにか心当たりでもあるのかい?」  楽しそうに遊んできたくせに、なぜかがっかりとした顔をしてくれたのだ。それに興味を持ったナギサに、「大したことはない」と言ってノブハルは肉の塊に手を伸ばした。ナギサ標準では大きな塊なのだが、胃拡張のアオヤマ一家にはサイコロステーキに毛の生えた様なものだった。  大きな口で肉の塊を頬張り、ノブハルはそれをゆっくりと咀嚼した。レストランのランクを上げただけのことはあり、肉は柔らかくて肉汁も溢れ出てきた。 「あの遊園地(?)だが、どうやらクリプトサイトで作られたものらしいな。その関係か、クリプトサイトの人達が多く働いていることになっているな」 「クリプトサイト……かい?」  そう言われても、広い宇宙のことだからピンとくるものではない。頭にはてなマークを浮かべたナギサに、「一応はディアミズレ銀河にある」とノブハルは答えミルキーマップを展開した。 「ズミクロン星系とは、ほとんど反対側にある星系だ。技術的には、うちよりは少し進んでいるようだ……が、五十歩百歩と言うところだろう」  そこでもう一度肉にフォークを突き刺したところで、「ん」とノブハルは少しだけ眉を顰めた。 「その王族が、この船に乗り込んでいるな。乗下船予定地を見てみると、優雅に銀河一周と言う訳でもなさそうだ……」 「今更だけど、どうして王族の情報がアクセスできるんだい?」  呆れた顔をしたナギサに、「今更だな」とノブハルは肉の塊を口に放り込んだ。そして同じように咀嚼をして飲み込み、「データーを見ただけだ」と答えた。 「そのデーターの出処が、まっとうであるのを僕は願っているよ」  相手が王族だと考えれば、安全のためにも予定や存在は隠されなければいけない。それを考えれば、乗船程度ならまだしも、乗下船の予定など検索できるはずがないのだ。  言わずもがなのことを口にしたナギサに、「真っ当な出処だ」とノブハルはジュースに手を伸ばした。 「ただ、アクセス方法は真っ当ではないのだがな」  やはりそうかと、ナギサはそれ以上細かなことに触れないことにした。そしてナギサの代わりに、珍しくセントリアが「質問」と言って身を乗り出してきた。 「その王族って、年頃の王女様?」  格としては落ちまくりだが、それでも王女と言うブランドは意味がある。それぐらいのことは、ノブハルも理解はしていた。だてに何度も誑し込めと言われたわけではないと言うことだ。 「王女ではあるが、年頃と言うのは微妙なところだな。俺達の年齢換算で15歳の子供だ」  口だけでは駄目だろうと、ノブハルは王女のデーターを全員で共有した。 「3年後に期待ってところね。でも、銀色の髪をショートにした、中々将来性がありそうな子じゃない。どう、今からでも誑し込みに行ってみたら?」  やはりそうくるかと、ノブハルは生暖かい目でセントリアのことを見た。 「特等船室、しかも制限フロアに居る相手だぞ。とてもじゃないが、2等船室の俺達が会いにいけるような相手じゃない」 「あなただったら、セキュリティを無効化出来るんじゃないの?」  それぐらい出来るだろうと言う目で見られると、出来ないとは中々言いにくい。その辺り、ノブハルにもプライドがあったと言うことである。 「王女の周りには、ボディガードが何人も付いているよ。俺なんかが近づこうものなら、不審者ですぐに排除されることになるな」  だから別の理由を持ち出したのだが、セントリア相手に通用する理由ではなかった。 「それだったら、私が排除してあげてもいいわよ」 「そんなことを頼むつもりはない!」  即座に断ったノブハルは、きれいに盛り付けられたデザートに手を伸ばした。10段階のレストランランクの中で7番目にランクされたと言うこともあり、中々手のかかったデザートが供されていた。 「私としては、あなたに努力をしてもらいたいのだけど」  同じようにデザートに手を伸ばしたセントリアは、「自覚が足りない」とノブハルに文句を言った。 「夫候補第二位の重さを理解して貰いたいのだけど?」 「そんなもの、俺の望んだことじゃない!」  ぴしりと言い返したノブハルは、最後に香りの高い紅茶で食事を締めくくった。確かにお金を掛けただけの事があり、一つ一つが普段とは違う上質なものになっていた。  そして「散歩をしてくる」と言って一人レストランを出ていった。 「エリーゼさん達は付いていかなくていいの?」  大好きなお兄ちゃんが一人で出ていったのを見送り、リンは良いのかと二人の顔を見た。きっと二人ならつきまとってくれる、そんな期待を持っていたのだ。 「いえ、私達は寝る前に時間がありますから……」  そこでちらりとトウカの顔を見て、エリーゼは少し頬を赤く染めていた。 「エリーゼ、その説明は少し正確さを欠いていますね。寝る前から……と言う方が正確だと思います」  同じように顔を赤くしたトウカに、質問をしたリンはダレてしまった。分かっていて地雷を踏んだことを、今更ながら後悔したと言うことだ。 「だったらセントリアさん……って、いつの間に居なくなった?」  誰か出ていくのを見たかと言うリンの問いに、居合わせた全員はしっかりと首を横に振った。支店のみんなは、支店長の下半身の話を興味津々に聞いていたのだ。だからその対象の一人であるセントリアにも注目していたのだが、リンに言われて初めて居なくなったことに気づかされた。 「さすがは、ボディーガードって所かしら?」  さすがとリンが感心したところで、ナギサはとても重大なことを口にした。 「騒ぎにならなければ良いんだけどね。何しろノブハルは、厄介な巻き込まれ体質を持っている」  流石にその指摘には心当たりがありすぎた。特に一緒に被害を受けた二人、エリーゼとトウカは大きく、そして力強く頷いた。 「流石に、それを否定できません」 「否定しても、説得力はありませんね」  単なる客船で、命にかかわるようなことに巻き込まれることがあるのか。そんな疑問を感じたのだが、とても口に出して言える雰囲気ではない。だからリンはツッコミの言葉を飲み込み、残っていたデザートに手を伸ばしたのだった。  本気でセントリアが姿を隠せば、ノブハルに気づかれること無く尾行は可能である。その辺り、アルカロイドなど小物と言い切るだけの実力の裏付けがあった。だからノブハルは、付けられているのに気付かず一人で散歩している気分を味わっていた。  もっとも広くて狭い船内だから、公共スペースを歩けば他人の目から逃れられるはずもない。それでもノブハルは、久しぶりの一人歩きを堪能していた。 「少し、開放的な気分になるな」  そう言いながら辺りを見渡したノブハルは、この辺りかと小さくつぶやき立ち止まった。そして壁にもたれて目を閉じ、意識を船の制御システムへと向けた。この場所を選んだのは、船のシステムにアクセスするのに都合が良いからに他ならない。部屋を避けたのは、部屋では一人になれないのが分かっていたからだ。船のシステムにアクセスすることで、自分の知らない知識を得ようと言うのである。何の気なしにしているのだが、システム管理者からしてみればとんでもない行為に違いない。そしてバレれば、逮捕拘束されても文句の言えない悪事でもある。 「うむ、バレない程度には船の管理システムの利用は可能だな。さて、なにか面白いものはないか……んっ?」  さらにデーターを漁ろうとしたところで、ノブハルはシステムに違和感を覚えた。自分のハッキングが見つかったと言うより、自分以外の誰かが同じような真似をしているのに気がついたのだ。 「俺の存在はバレていない……だとしたら、こいつはなにを調べているのだ?」  そこで興味を持つから、「巻き込まれ体質」に結びつくことになるのだろう。自業自得と言う言葉を忘れ、ノブハルは別の侵入者を観察した。幸いなことに、相手のスキルが低くて見つかる恐れはないようだ。 「アルカロイドの奴も、俺に対してこんなことを感じていたのだろうな」  力量の劣る相手の努力を見たノブハルは、自嘲気味に少し口元を歪めた。だがそれも瞬時のことで、侵入者の目的に「まずいだろう」と逆に心配になってしまった。その侵入者は、事もあろうにクリプサイト王族の泊まっているエリアのセキュリティに干渉しようとしていたのだ。  流石にまずいと邪魔をしようとしたところで、ノブハルは近くから聞こえてきた咳払いに気づいた。振り返った先では、年配の男性が口に手を当てながら歩いていた。そのまま去っていったところを見ると、咳払いは単なる偶然だったようだ。ただその偶然は、ノブハルに干渉を思いとどまらせる効果があった。 「俺には関係のないことだ……余計なことに興味を持つから、事件に巻き込まれることになる」  この先で待ち構えているイベントを考えたら、こんなところで面倒に関わっている暇はないはずだ。アスに行き、その後エスデニア経由でシルバニア帝国に行かなければいけなかったのだ。品定めをされるのは気に入らないが、かと言って相手は命を救ってくれた恩人でもある。招待状を貰った以上、顔を出さないわけにはいかないだろう。そして遥かに技術の進んだ世界と言うのを、一度じっくり目の当たりにしたいと思っていた。  いかんと一度首を振ったノブハルは、侵入者のことを忘れてもう一度システムに潜り直した。今度はデーター系ではなく、船の管制系を勉強しようと言うのである。 「さすがに大型客船ともなると、中々複雑な制御系を持っているのだな」  面倒な個人情報より、よほど新しい技術に触れている方が面白い。壁にもたれかかったまま、ノブハルは船のシステムを片っ端から覗いていった。だがこちらでも、小さな引っ掛かりを覚えてしまった。 「なんで、レーダーシステムに穴みたいなものがあるんだ?」  色々とシステムの作りを読み解いていったところで、ノブハルはレーダーシステムに「穴」のようなものがあるのに気づいたのである。それに興味を持って解析してみたのだが、やはり「穴」としか思えない欠陥がそこにあった。 「バグ……と言うより、敢えて穴が開けてある感じだな」  その辺りの謎を解明したい気マンマンなのだが、自分がしているのは不法なハッキングなのである。それを忘れて質問に行けば、間違いなくそのままお縄になってしまうだろう。すぐにそれに気づき、泣く泣くノブハルは真相究明を諦めた。そしてそのかわりに、他にも似たような場所がないかを探すことにした。  そして再探査を始めて10分後、ノブハルはシステム全体のスキャンを終わらせた。そしてネビュラ1のセキュリティシステムに、看過し得ない問題があることにたどり着いた。 「自立防御システムが、外部から特定の情報を受信すると役に立たなくなっている。しかも監視レーダーに穴があるとなると、何らかの意図がそこにあると考えた方が自然だな。そうじゃないと、穴を突かれて攻撃されたひとたまりもないぞ」  問題を見つけ、そしてその解消方法も分かっている。勝手に治すことも出来るのだが、流石にノブハルもその誘惑に負けることはなかった。普通に考えれば、豪華客船が自立防御システムを稼働させることはない。そして周辺情報を漁って見ても、現在航行している宙域で事件は一度も起きていなかった。 「多分、訓練用のコードなのだろう」  そう考えれば、自立防御システムが働かないことにも説明がつく。きっとそうだと自分を納得させ、ノブハルは船の制御システムを離れることにした。そしてさらに記憶バンクを漁ろうとしたのだが、誰かに足を蹴飛ばされて現実に引き戻された。 「だ、誰だ、痛いだろうっ!」  蹴飛ばされた強さを考えると、蹴飛ばしてきた相手に悪意があるとしか思えない。だから声を荒げたノブハルだったが、次の瞬間何者かに地面へと引き倒されてしまった。ここが共用の通路でなくても、暴力事件であることは間違いない。  そして引き倒されただけでなく、右腕を後ろで決められてしまったのだ。そのせいで、ノブハルはうつ伏せになったまま動けなくなってしまった。 「なにをっ!」  そう言って首を持ち上げたところ、薄いピンク色をした物体が目に飛び込んできた。そこから足のようなものが伸びているのを見ると、おそらくそれはパンツと呼ばれるものだろう。パンツから伸びた足の肉付きからすると、相手はまだ子供のようだった。ただ、いずれにしても厄介なことには違いない。「女難の相がある」老婆に言われたその言葉が、ノブハルの脳裏をよぎっていた。 「……いかん、現実逃避をしても何も問題は解決しないな」  小さく頭を振ったノブハルは、パンツの主に向かって「どう言うことだ」と連邦共通語で詰問した。 「俺には、足を蹴飛ばされ組み伏せられる心あたりがないのだがな」  手も足も出ない状況にはなっているが、それでもノブハルは危機感を覚えていなかった。姿は確認していないが、自分にはセントリアが護衛として付いて来ているはずなのだ。そのセントリアが介入してこない以上、少なくとも命の危険は無いはずだ。  ただノブハルの問の答えは、パンツの主ではなく彼を組み伏せた者から返ってきた。 「不遜な真似を働いた以上、罰を受けるのは当然だと思うのだがな」  その声を聴く限り、どうやら自分を押さえつけているのは男なのだろう。声の質からすると、自分よりかなり年齢は上のようだった。 「壁に持たれて立っているのが、不遜な真似になるのか? 少なくとも、ここは共用の通路のはずだ」  そう答えたノブハルは、相手が口を開く前に「そもそも」ともう一つの疑問を口にした。 「不遜な真似と言うが、俺に向かってパンツを開陳しているのは誰なのだ?」  ノブハルの言葉と同時に、桃色パンツの主は短いスカートを押さえて2歩後ろに下がった。お陰でノブハルは、相手の姿を確認することができた。なるほど不遜だと理解するのと同時に、どうしてこんなフロアに居るのだと新たな疑問を感じてしまった。  ノブハルの目に映ったのは、銀色の髪をショートにした、群青色の瞳をした少女である。刺繍の入った白のブラウスに薄いブルーのミニスカートと言うのは、それなりに清楚な雰囲気を醸し出しているのだろう。ただノブハルには、単なるお子様としか映っていなかったのだが。  もっとも自分は、相手の素性を知らないことになっているはずだ。だから「誰なのだ?」と敬意もへったくれもない問いかけを発した。 「クリプトサイト王国王位継承権第1位のフリーセア・シラキューサ様であられる」  恐らく男は、その姫様の護衛なのだろう。少し誇らしげな態度に、ノブハルは相手の感情を想像した。そして自尊心が強いのだなと、偉そうに胸を張った少女を観察した。もっとも胸を張っても、あまり女性らしい膨らみは見られなかった。 「その王女様が、ズミクロン星系一般庶民に何の用だ? クリプトサイトでは、壁にもたれて立っているのは不遜な行為に当たるとでも言うのか?」  あくまで敬意もへったくれもないノブハルの態度に、「お前が無視をしたからだ」と男は答えた。 「姫殿下がお声を掛けなされたのに、お前は完全なる無視を続けた。不遜……不敬を働いたと受け取ってもおかしくないはずだ」  一見正当に聞こえる主張なのだが、そこには大きな前提が欠けている。ノブハルは、初めから間違っていると主張することにした。 「ここは、2等船室のあるエリアだ。それを考えれば、王女殿下との遭遇を想定する方が間違っている。加えて言うのなら、俺は俺で必要な情報を収集していた。俺の都合を考えずに声を掛け、答えなかったからと言って不敬だと文句を言うのは、クリプトサイトならいざしらず、外に出て通用する論理ではないだろう。そもそも、単なる庶民に王女殿下が声をかける事自体間違っている」 「お前は、自分を単なる庶民だと主張するのか?」  自分を押さえつけた男から、信じられないと言う感情が伝わってきた。それを訝ったノブハルに、男は彼の素性を並べ立てた。 「ズミクロン星系エルマー7家のうちの一つ、イチモンジ家当主のからの信の厚い筆頭補佐官、シュンスケ・アオヤマの長男にして、イチモンジ家当主の妹の息子、なおかつ、あのトリプルAがわざわざお前のためにエルマーに出張所を作ったのだぞ。しかも幼少の頃から、天才と称された経歴を持っている。それだけ並べあげるだけで、ただのと言うには無理があるだろう。むしろ、なぜ2等船室など使っているのか疑問に感じたほどだ」 「わざわざ俺の素性を調べたのか。クリプトサイトの王室と言うのは、随分と暇人なのだな」  半ば挑発するような言葉を口にしたノブハルに、男は「当たり前だ」と言い返した。 「姫殿下が乗船される船なのだぞ。どのような客が乗っているのか調べるのは不思議ではあるまい。予め言っておくが、不正な手段で情報を仕入れたわけではない。旅客会社から正規に情報を提供された結果だ」 「つまり、俺に声をかけたのは偶然ではないと言うことなのか?」  少し不機嫌さを増したノブハルに、男は「それは偶然だ」と返した。 「まさか、こんなところで出くわすなどとは考えていなかったからな。その意味で、姫殿下が声を掛けられたのは偶然の産物だ」  つまりノブハルを特別視はしていたが、ここで出会うとは考えていなかったと言うことだ。なるほどと頷いたノブハルは、「それで?」と男に問いかけた。 「だとしたら、お前たちは失敗したことになる。こんな真似をされて、俺がお前たちの話を聞くつもりになるとでも思っているのか?」 「話を聞かざるを得なくすることは可能なのだがな」  顔は見えないが、ノブハルは男が苦笑しているのを感じることは出来た。そしてそれは、すぐに解放されたことを考えればあながち間違いではないのだろう。男は後ろで締め上げていた腕を離し、ゆっくりとノブハルから離れフリーセアの隣に並んだ。  それで始めて見た相手は、年齢ならノブハルの父親ぐらいの男性だった。体つきを見ると、護衛と言うより後見人と言うのがピッタリとくる品の良さを持っていた。 「それで、あんたは?」  この中で唯一素性が知れないのだから、ノブハルの問いは正当なものである。それを認めた男は、小さく頷いてから「ウォードルフ・メイソンだ」と名乗った。 「フリーセア姫殿下の後見人をさせていただいている」  なるほどと頷いたノブハルは、「ノブハル・アオヤマだ」と改めて名乗った。 「それで、王女様が庶民の俺になんの用だ?」  ただ相手を認めこそしたが、ノブハルの口調は敬意に欠けるものだった。本来不遜だと怒るところなのだが、その前の出来事もあるのでウォードルフは糾弾するのを差し控えた。 「たまたま見かけたので、挨拶をしたと言うのが現実だ。特別に用があったと言う訳ではない」 「そんなことで、俺は脛を蹴飛ばされて床に押さえつけられたのか?」  迷惑すぎると文句を言ったノブハルに、「そう言うな」とウォードルフは笑った。 「姫殿下が勇気を出されて声をかけられたのだぞ。それを無視するだけでなく、今にも掴みかからんばかりの様子に見えた。だから私は、姫殿下の安全のため貴殿を制圧した。言葉にすれば、その程度のことだ」 「その程度と言うのか」  はあっとため息を吐いたノブハルは、「もう良いな」とこの場から離れることにした。挨拶が目的ならば、十分お互いのことを知っただろうと考えたのだ。 「それは、私の決めることではないな。と言うことで姫殿下、これで宜しいですか?」  伸長差があるため、ウォードルフは少し屈んでフリーセアの顔を覗き込んだ。それが理由なのか、白すぎる肌を赤くしたフリーセアは小さく頷いた。その時何か口にしたように見えたのだが、ノブハルからはただ口が動いただけで言葉は聞こえてこなかった。 「貴殿に迷惑を掛けたことを謝罪するとのことだ」 「一応謝罪は受け取っておくが……それが普段の音量だとしたら、聞こえなくても仕方がないと思わないか?」 「もう一度、床に口づけをしたいのか?」  軽く凄んだウォードルフに、「二度目はない」とノブハルは言い返した。 「強いと言うつもりはないが、簡単に制圧できると思ってくれるな」  それだけだと言い残し、ノブハルは振り返らずその場から去って行った。もちろんウォードルフも、ノブハルを呼び止めるようなことはしなかった。  ゆっくりとノブハルが去っていくのを見送ったウォードルフは、「いかがでしたかな」とフリーセア王女に問いかけた。 「よく、分かりません……」  相変わらず蚊の泣くような声で答えるフリーセアに、ウォードルフはつい苦笑を浮かべてしまった。 「姫殿下、もう猫を被る必要はございません」  その言葉が正しければ、おとなしい姫というのは演技のようだ。そしてウォードルフの言葉通り、フリーセアは小さく息を吸い込むと、およそ見た目に相応しくない言葉遣いで彼に答えた。 「面白くて、つい続けてしまったわ」  ふっと息を吐いたフリーセアは、「肩が凝る」と首をコキコキと動かした。 「それで、姫殿下はあの男をどう見られましたか?」 「どうって言われてもねぇ」  うんと考えたフリーセアは、「やっぱり分からない」と慎重に答えた。 「姉様ほど、私には未来が見えないのよ。だからノブハル・アオヤマだっけ? あの男が、私の未来に関わってくるところまでは感じられるわ。でも、それがどんな形なのか、どんな意味を持っているのかは皆目分からないのよ」  なるほどと頷いたウォードルフは、彼なりの仮説というのを持ち出した。 「ズミクロン星系は、我らクリプトサイト星系とは反対側に位置しております。従って、姫殿下の未来に関わると言うのは、本来ありえないことでしょう。姫殿下の未来予知に影響を与えるぐらいですから、かなりの結びつきが生まれるのではありませんか? たとえば」  そう言って口元を歪めたウォードルフは、「夫と言うのはいかがでしょう」と微妙な関係を持ち出した。 「メイソン卿、世の中には冗談では済ませられないことがあるのを忘れないように」  そう言って目を細めて睨みつけてきたフリーセアに、「そうでしょうか」とウォードルフはすっとぼけてみせた。 「偶然とは言え、このような形で出会ってしまいました。しかもあの男は、姫殿下の人生に関わりがあると言うのでしょう。ならば、夫として迎える未来があるやもしれません」 「配偶者に夢を持っているつもりはないけど……」  「やめてくれる」とフリーセアは本気で文句を言った。 「どこの馬の骨……とまでは言わないけど、私にも選択の自由があっていいと思うわ」 「ノブハル・アオヤマはお気に召しませんでしたか」  なるほどと大きく頷いたウォードルフに、「その話はいい」とフリーセアは不機嫌そうな顔を作った。 「お姉様の消息はまだ知れないのかしら? 私の感覚では、かなり近い所にいるはずなんだけど」 「この場において近いとなると、この船以外にはありませんな。しかし、アルテルナタ姫殿下ともなれば、お姿を隠すのも難しいはず」  蝶よ花よと育てられた姫だと考えれば、潜伏を続けるのが難しいと言うのは説得力のあることだろう。しかも人目に着く容姿をしているとなれば、なおさら隠れているのは難しいはずだ。 「ですが、乗客名簿にお姉様の名前はないわ。そして乗員の中にも、お姉様に該当する女性は見当たらない」  それを考えれば、フリーセアの勘違いと言うのが一番考えられる答えなのだろう。だがフリーセアは、自分の予感に絶対の自信を持っていた。 「それでも、私はお姉様の存在を感じるわ……私は、お姉様をクリプトサイトにつれて帰らなければいけないの。このままでは、クリプトサイトは大きな混乱を迎えることになる」  真剣に国の将来を憂う姿は、紛うこ無く王女としての威厳を持っていた。ただウォードルフは、だから痛々しいと感じてしまっていた。第1王女アルテルナタが失踪したのは、まだ彼女が11ヤーの時だった。そしてその時から、フリーセアには次の女王となって国を導く責任が生じてしまった。 「アルテルナタ姫殿下ならば、それぐらいのことはご理解されているはずなのですが」  代々クリプトサイトの女性王族は、未来視が出来ると言い伝えられてきた。そしてその能力があるから、クリプトサイトの王位継承は王女が優先されてきたのである。そして未来視の能力は、特に長女アルテルナタに強く顕現していた。 「姿を隠さざるを得ない事情があった。私には、そうとしか言えないわ」 「ですが、このままでは我が祖国は建国以来の混乱に見舞われることになります」  姿を隠すことで、余計な動きが表に出てくるようになっていたのだ。だからウォードルフは、「押さえていたものが蠢き出した」とその動きを評した。 「それぐらいのことは、お姉様も承知しているはず。だとしたら、私達が考えている混乱の方がまだマシだとも考える事ができるかもしれない。そうでなければ……」  少し口ごもってから、「ありえないわね」とフリーセアは首を横に振った。その時フリーセアは、自分の将来に関わりが出来た男の顔が浮かんだのだ。 「私達の未来視にしても、そんなにはっきりと見通せるものではないわ。そして見える未来も定まったものでないし、選択を変えれば変わっても来る。先になればなるほど、ぼやけた印象でしかなくなるわ」  もう一度首を横に振ってから、「先に進みましょう」とウォードルフに声を掛けた。 「たとえ効率が悪くても、船の中を歩き回ってみる以外の方法は無いわ」 「アルテルナタ姫殿下が、先回りをして逃げられておられぬことを期待いたしましょう」  相手を考えれば、ウォードルフの懸念は大いに有り得ることだったのだ。だからフリーセアは、歩き出そうとした所でいきなり立ち止まり、頭を抱える事になってしまった。 「私としたことが、その可能性を失念していたわ」 「とは言え、この船から逃げ出すことも出来ないでしょう」  だから見つかる可能性はあると言うのである。ただネビュラ1が10万人を収容する「都市」に匹敵する規模を持っていることを考えると、あてもなく探し回って見つかるとは思えない。そしてそれぐらいのことは、慰めの言葉を口にしたウォードルフも分かっていたことだった。  それでもここまで居場所に迫ることが出来たのだから、可能性を否定することは出来ない。そう自分を慰め、「行きましょうか」とフリーセアに声を掛けたのだった。  折角一人になったのに、最初の出会いは良いものとはいえなかった。と言うか、ノブハルは出会いを求めてエリーゼたちから離れた訳ではない。 「巻き込まれ体質と言うのを、冗談で笑い飛ばせなくなってきたな」  2度も死にかけたことを考えれば、王族と出くわすことぐらいは可愛いものに違いない。ただ身内で話題になった直後に、本来出会うはずのない相手に出会ってしまったのだ。しかも相手がお姫様だと考えれば、普通は2等船室のエリアなどに降りては来ないはずなのだ。だとすれば、お姫様にも相応の事情と言うのが存在することになる。そこに関わりかけたことを考えれば、「巻き込まれ体質」と言うのが冗談ではすまないと思えてしまったのだ。  もっとも、そんなことにいつまでもかまけていられない。場所をずずっと変えたノブハルは、辺りを確認してからもう一度壁にもたれかかった。先程確認した状況が、どう変わったかを観察するためである。 「……覗きをしていたやつは居なくなったな」  王女様のエリアを覗いていた輩は、ノブハルが確認した範囲では居なくなっているようだ。単なる興味だったのか、さもなければ目的が達成できたのか、痕跡を見ても理由は分からなかった。 「侵入箇所は……船外なのか?」  それでも足跡はトレースできると追ってみたのだが、侵入者の痕跡は船外に出た所で途切れてくれたのだ。通信ログを調べてみたが、船外で1ホップした所で痕跡が途絶えていた。 「証拠を消していった……と言うのが妥当な所か」  慎重な相手なら、痕跡がトレースされるのを避けるはずだ。それを考えれば、トレースできないよう痕跡を消していくのは不思議な事ではない。後片付けをきちんとしていくのは、人様のところを覗いた後の作法とも言えるだろう。 「しかし、ピンポイントでこの船に乗っている王族の情報を覗くのか?」  単なる興味と考えると、少し不自然なところを感じてしまう。 「明らかにきな臭いのだが……」  そう口にしたところで、ノブハルはいやいやと首を振った。余計なことに首を突っ込むと、また前の二の舞いになりかねないのだ。だから興味本位の探求は棚上げにして、ネビュラ1の技術情報を漁ることにした。ズミクロン星系より進んだ技術が使われているので、知的好奇心を満たすのにうってつけだったのだ。 「船体保護は、量子障壁を用いているのか。だとしたら実空間通信に支障が出るのだが……ああ、亜空間を利用しているのだな。超光速通信が必要だと考えると、確かに亜空間通信の方が都合がいいのか。だとしたら、肝心の量子障壁の生成装置なのだが……」  壁にもたれて一人ブツブツ呟いているのは、傍から見れば不気味な光景に違いない。しかも嬉しそうに口元を緩めているのだから、はっきりって危ない人にしか見えないだろう。それが分かっているから、ノブハルも最初に辺りを確認したのである。  もっとも、熱中すると時間を忘れるのがノブハルである。共用となっている通路でいつまでも立っていれば、当然のように人目につくことになる。周りを気にせず楽しんでいたノブハルだが、その至福の時間は唐突に終りを迎えた。ネビュラ1の標準武装にアクセスした所で、何者かに頭を硬いもので殴られたのだ。何かが頭にぶつかった瞬間、ノブハルは目の前に星が散るのを見てしまった。 「だ、誰だっ!」  急に現実に引き戻され、ノブハルは不機嫌さを隠すこと無く不埒な真似をした相手を探した。そして見つけたのは、黒いマントを羽織ったシワだらけの顔をした老婆だった。 「クリプトサイトの人間は、無関係の人間に暴力を振るうのが礼儀なのかっ!」  相手を考えれば、手荒な真似は出来ないだろう。かと言って、なにもなかったことにする訳にはいかない。思いっきり不機嫌そうに、そしていささか乱暴にノブハルは文句を口にした。 「なに、人生の先輩として、マナー知らずの若者を注意しただけだよ」 「人の頭をいきなり殴るのが礼儀に則ったことなのか?」  目を細めて睨みつけてきたノブハルに、老婆はからからと笑ってみせた。 「天下の往来で、にやにやと不気味な笑みを浮かべておったからな。みな気味悪がって、ここを避けて通っておったのだ。だから年寄りが、危険を顧みずに注意をしたと言うことだよ。ところで坊主よ、さっそく巻き込まれ体質が発揮されたようだのぉ」  人目につく所でニヤニヤと……それを指摘されるのは、流石にバツの悪いことに違いない。だから苦笑で誤魔化そうとしたノブハルだったが、老婆の言葉に小さな引っ掛かりを覚えた。 「そう言えばあんた、俺を見て巻き込まれ体質とか女難とか言ってくれたな。しかも、俺に何が起きたのか知っているようだし」  そう言ってノブハルは、老婆に向けて胡乱な視線を向けた。そんなノブハルに、「不思議かい?」と老婆は口の端を持ち上げた。言葉にすれば、「にやぁ」と言うところだろう。 「詳しい話を聞かせるのなら、お代を頂戴しないといけないねぇ。とは言え、私好みのいい男だからね。とりあえずロハで教えてあげようじゃないか」  そこでキョロキョロとあたりを確認した老婆は、「あそこにしようかの」と言って扉の開いている集会所を指差した。流石に2等船室のエリアだけに、安物のテーブルと椅子だけがそこには置かれていた。 「いいのか、勝手に使って?」 「予約が入っていないのだから、使って良いに決まっておるだろう?」  遠慮するなと言って背中を押し、老婆はノブハルを集会所に連れ込んだ。中に入った感じは、外から見るよりは綺麗だなと言う所か。家具が安物なのは、外から見たまんまだった。 「ところで坊主、どうして私がクリプトサイトの出だと分かったのかな?」  ノブハルを座らせてすぐ、老婆は自分の疑問解消をしてきた。 「ああ、遺伝子の簡易分析だ。それに加えて、遊園地がクリプトサイト設営と言うところから推測した。どうやら俺の推測は正解だったようだな」 「あの短時間で、そこまで分析できたのかい。なるほど、巻き込まれ体質にはそれなりの理由があると言うことだね」  ゆっくりと大きく頷いた老婆に、「そのことだ」とノブハルは自分の体質のことを問題とした。 「女難の相が出ていることかい?」  そう言って口元を歪めた老婆に、ノブハルは少し大きな声で「違う!」と返した。 「そんなものは、営業用のトークだろう。あの時の俺は、女性を3人連れていたからな。女難の相と言って声を掛ければ、引っかかると考えてもおかしくはない」 「どうやら坊主は、随分と頭がいいようだね。なるほど、そう言う解釈も成り立ってもおかしくはないのぉ」  再びカラカラと笑った老婆は、「未来予知をどう思う?」と話を変えてきた。 「まったくの、与太話だと思うかい?」 「思うに、99%以上は与太話だろう」  100%と言わないことに気づいた老婆は、「1%は?」と聞き直した。 「ペテンだな。とは言え、技術的な考察をすると、必ずしも不可能とは言えないだろう。すでに技術として、時間の加速や遅延、停止が実用化されている。それを考えれば、難易度は上がるが逆行があってもおかしくはないはずだ。技術的には、ξ粒子が光速を通常空間で超えられるのが確認されている。生成と消滅の過程を観察した結果、ξ粒子は時間を逆行していると言うのが現在の定説だ。だとしたら、ξ粒子の運ぶ情報を観測できれば、未来予知が可能となるはずだ」  可能性を肯定したノブハルは、「もっとも」と否定する言葉を口にした。 「時間を遡るほど、結果は発散することになる。しかも未来を聞かされれば、誰もがそれを変えてみることを試みるはずだ。そして当初と違う行動を取ることで、送られてくる情報も変化をする。そしてその結果が時を遡って送られてくるのだが、またそこに新たな変化が加えられる……よほどの短時間ならいざ知らず、予知と言えるほど離れた時間を見るのは不可能に近いだろう。いや、観察者として見ることは可能かもしれないが、誰かが未来を知った時点でその未来は不確定な存在に転じることになる。さらに言うなら、ξ粒子は通常の方法では観測できないし、外部から干渉するのも困難を極める。何しろ空間を時間固定して初めて見つかったぐらいだ。だから今の説明にしたところで、机上の空論にしか過ぎないだろう」  ノブハルの説明を聞いた老婆は、「ほう」と大きく息を吐き出した。 「どうやら坊主は、私が予想した以上の掘り出し物だね」  心底感心したように頷いた老婆は、「クリプトサイト王家は」といきなり話を変えた。 「なんだ、いきなり?」  訝ったノブハルに、「まあお聞きなさい」と老婆は笑った。 「代々、女王が立てられているのだよ。まあ、それだけを取ってみれば、超銀河連邦では珍しいことではないのだけどね。それぞれに伝統と理由があるからと言うのが、その答えなのだろうよ。そしてクリプトサイトにも、当然女王が立つ理由と言うのがあるのだよ。そしてその理由と言うのが、クリプトサイト王国の王女は、未来視の力を持った巫女と言うのがその理由になっている。ただその力には個人差……と言うより、情報処理能力の差があるんだ。坊主が口にしたとおり、未来から送られてくる情報は不確定で曖昧なものだからね。ただ見えるだけでは駄目で、それを意味のある情報に加工する能力が必要なんだよ。代々クリプトサイト王家の女は、その能力に優れているとされてきたんだ」 「眉に唾をつけて聞きたくなる話だな」  ふんと笑ったノブハルに、「気をつけるのだね」と老婆は口元を歪めた。 「信じる信じないに関わらず、未来は必ずやってくるんだよ。そして坊主の未来は……坊主の選択によって変わることになる。まあこれは当たり前のことだが、その選択がすぐに求められることになるんだよ。この船の乗客乗員、その未来が坊主の肩に掛かることになるのだろうね」  その言葉を信じるなら、この老婆はクリプトサイトの王族と言うことになる。だがノブハルは、その言葉をその通りには受け取らなかった。 「やはりあんたは、ペテン師と言うことだ。次に何が起こるのか、それをまことしやかに予言する方法がある。それは、間もなく起こる混乱を、あんたが手引した場合だ」  ふんと鼻息を荒くして、ノブハルは勢い良く席を立ち上がった。だがそのまま立ち去ろうとした所で、何かを思いついたのか老婆の方へと振り返った。 「一応調べごとはしておくか」  そう言ってノブハルは、右手を持ち上げ人差し指で宙に文字を書いた。 「なるほど、あんたも訳ありと言うことだな。クリプトサイト王家の遺伝子に、何かの細工がされた跡がある……しかも細工は、現在進行系と言うことか。老い先短い老婆かと思ったが、遺伝子への操作がその理由と言うことだな」  それまでは張り付いたような、そして相手を小馬鹿にした笑みを浮かべていた老婆だったが、ノブハルの言葉に初めて驚いたような表情を浮かべた。ノブハルは、その変化の中で老婆の本心が顔に出たのに気づいた。 「なるほど、おおよその事情ってやつが掴めたぞ。クリプトサイトには、フリーセア王女の姉が居た。それが、4年前に失踪しているな。失踪理由が不明と言うことになっているが、なるほどこれじゃ公に出来ないはずだ」  そう言って口元を歪めたノブハルは、「ああ」とわざとらしく頷いた。 「クリプトサイト王家は、お家騒動の真っ最中と言うことか。弟のマグノリアを次期国王にと動いている奴が居るのか……まあ、極楽とんぼの王子を国王に仕立て上げれば、クリプトサイト王国を牛耳れるからな。妹の方ならどうにでも出来ると、一番邪魔なあんたを葬り去ったと言うことか。外戚のシモクレン卿が黒幕……と言うことだな。どうやら、ご自慢の未来視も看板倒れのようだったな」  自分に対する謀略を防ぐことも出来ないのだから、役に立たないと言われても無理も無いだろう。バカにしたように笑うノブハルに、老婆は「そうだね」と寂しく笑った。 「ただね、言い訳をさせてもらうと、その時には一番マシな未来が見えたのだよ。選択肢なんてものは、あればあったで残酷なものなんだよ」 「つまり、あんたには一服盛られないと言う選択肢もあった訳だ。言っては何だが、不満や反乱の芽を事前に摘めなかったのが、あんたの言う未来視の限界と言うことだ」  それまでのやり取りで機嫌が曲がっていたこともあり、ノブハルの言葉には毒がしっかりと篭っていた。そしてノブハルの言葉に含まれた毒は、老婆の心を蝕んでいった。 「ああ、坊主の言うとおりなのだろうね。未来視なんてものを当てにし、自分の目で国を見てこなかったバチが当たったんだろうよ」  「呼び止めて悪かったね」そう口にして、老婆はゆっくりと立ち上がった。そして小さく会釈をしてから、ゆっくりとした足取りで集会所の扉を開けて通路へと出ていった。入ってきたときより足取りが重そうに見えるのは、老婆の気持ちが表に出ているからだろう。  老婆が出ていくのを見送ったノブハルは、小さく息を吐いてから立ち上がった。自分に対して失礼な真似をした相手に逆襲し、完膚なきまでに叩きのめしてくれたのだ。本来胸がスッキリとするはずなのだが、逆に吐き気を催すほどの胸糞の悪さを感じていた。  「くそっ」そう小さく吐き捨て、ノブハルは集会所のドアを開けた。だがノブハルが一歩外に出ようとした所で、殺気立っった3人の男に出迎えられた。一人は、年齢的には40を超えたぐらいだろうか。ガッシリとした体をした、鋭い眼光を持つ男だった。そしてその横には、少し軽薄そうに見える金髪の男が同じようにノブハルを睨んでいた。  そこから少し離れた所で、黒髪を短髪にした男が辺りを警戒するように立っていた。3人の男からは、立ち上るような怒りを感じることが出来た。 「まあ、王女様が居るぐらいだ。その親衛隊が居てもおかしくはないのだろうな」  男たちの怒気にあてられたおかげで、胸でもやもやとしていたものが消えてくれた。多少は感じていた罪悪感も、報復行動を取ってくれたおかげで忘れることが出来た。  不敵な笑みを浮かべたノブハルは、ポケットの中で「探検君(改2)」のスイッチを押した。肉体強化に肉体保護、そして感覚の鋭敏化を行える優れものである。性能的にも、前の探検君より大幅に向上していた。 「俺は、これから部屋に戻って恋人との時間を過ごすのだがな」  だからそこをどけと、ノブハルは一番強そうな男に向かって言った。 「小僧、口にした言葉の責任は取ってもらうぞ」 「俺は、ただ事実を口にしただけだ。俺は、クリプトサイト王国に関わるつもりは毛頭ない。人を巻き込もうとしておいて、断られたら報復しようというのか? よほどシモクレンと言う男の方がマシに思えるな」  ノブハルの挑発に、男たちの怒りは沸点を超えた。だが前に居た二人が飛びかかろうとした瞬間、後ろで警戒していた男が悲鳴とともに飛んできた。なんとか年長の男は避けたのだが、金髪の男は巻き添えになって廊下を転がっていった。 「頼むから、無意味な挑発はやめてくれるかしら?」  平然とした顔で現れたのは、護衛として着いてきたセントリアだった。殺気だった男たちを気にもせず、セントリアはノブハルに向かって文句を言ってくれた。 「勝手なことを言われれば、さすがの俺も腹を立てると言うことだ」 「あなたには、自分が巻きまれ体質と言うのを自覚して欲しいわ」  困ったものだと零しながら、セントリアは飛びかかってきた男二人を地面に叩きつけた。その実力を見る限り、「アルカロイドより遥かに強い」と言う宣伝に偽りはないようだ。 「もう気が済んだでしょう。明日も遊ぶんだから、いい加減帰るわよ。あの二人も、あなたが帰ってくるのを待ってるんだから」  それまで動かなかった最後の男が、セントリアが背中を向けたタイミングで動こうとした。だがその男が一歩踏み出す直前で、「やめておきなさい」とセントリアの鋭い声がとんだ。 「相手をしてあげてもいいけど、あなたでは敵わないわよ。しかもあなた、中途半端に強いわね。手加減がうまくいかないと、この場で殺してしまうことになるかもしれないわよ」 「そんな脅しに、私が怯むとでも思っているのかっ」  もう一度動こうとした男に、セントリアは「だったら」と極悪な脅しを口にした。 「確かクリプトサイトだったわね、シルバニア帝国に喧嘩を売る覚悟はある? しばらく観察させて貰ったけど、あなた達の方から突っかかってきているわ。これ以上やると言うのなら、シルバニア帝国が喧嘩を肩代わりするけど?」  それで良いのと問われれば、男たちはそれ以上動くことはできなくなる。辺境の銀河に住んでいる彼らにも、シルバニア帝国の名は伝わっていたのだ。目の前で見せられた実力と合わせて、これ以上敵対するのは愚か者のすることだった。 「どうやら理解できたようね。これから喧嘩を売る時には、相手を見て売ることね」  そう言い捨てたセントリアは、「行きましょう」と言ってノブハルの前を歩き出した。ここまで脅したのだから、男たちが動けないのは承知していた。  色々と言いたいことはあったが、ノブハルは大人しくセントリアに着いていくことにした。探検君(改2)で強化をしたのだが、セントリアの戦闘力はノブハルの想像を超えていたのだ。ここで逆らってもろくなことはないし、とりあえず相手を叩きのめしてくれたのでムカついた気持ちも落ち着いていた。 「あなたにも言っておくけど」  立ち止まったセントリアは、ノブハルが隣に並んだ所で口を開いた。 「多少肉体強化をしたぐらいじゃ、若手二人は別としてあの男には勝てないわよ」 「別に、勝つ必要はないと思っていたから問題ない」  少し厳しい口調でセントリアは叱責したのだが、ノブハルは至って普段通りだった。 「お前が俺を守っているのは知っていたからな。本気で危なければ、すぐに助けに来てくれると思っていた」  信用しているからと言われ、セントリアは少し驚いたように目を見開いた。 「まさか、あなたの口からそんなことを聞けるとは思っていなかったわ」 「普段、言う機会がなかっただけのことだ。ただちょっと、俺が思っていた以上に強かったがな。まさか、手加減してもあんなに強いとは思ってもいなかったぞ」  ノブハルの言葉に、セントリアはもう一度目を大きく見開いた。 「腕っ節は強くないが、分析ならお前に勝っていると思っているからな。そしてお前の強さは、あの男も分かっていたようだ。それから、あの男たちが怒っていたのは確かだが、リーダー格のやつは一部に演技が混じっていたな。だからお前が現れてくれて……違うか、お前が現れるのも予想していたのか。まあ、お前が出てくるのを待っていたのだろう。それが手を引く切っ掛けにもなるし、俺達の実力を図ることも出来るからな」 「やっぱり、あなたって何処かおかしいと思うわ。まあ、それぐらいじゃないと聖下の旦那様候補にはなれないのだろうけど」  ふっと息を漏らしたセントリアに、「この後のことだが」とノブハルは話を切り出した。 「あの二人の前に、俺の部屋に来てくれないか?」  ノブハルとしては、話がしたい程度の意味で口にした言葉だった。だがそれを受け取ったセントリアは、弾かれたようにノブハルから離れ、少しでも距離を取るように通路の壁に背中を付けた。 「ま、まさか、私を毒牙に掛けようというの!」  レモンイエローのブラウスの首元を押さえ、セントリアは怯えたような目をノブハルに向けた。 「なんで、毒牙と言う話になる?」  違うだろうと言い返したノブハルに、「だったら」とセントリアは別の可能性を口にした。 「別に、そんな形でお礼なんてして欲しくないから」  ぎゅっと体を小さくしたセントリアに、「勘違いも甚だしい」とノブハルは憤った。 「色々と調べて分かったことがあるから、それを聞いて貰って意見を聞きたかっただけだ」 「そんなことを言って、部屋に入った所で私を弄ぶのよね。か弱い私は、男の力に勝てずに花を散らすことになるのだわ!」  よよと嘆いたセントリアに、「普段と言っていることが違う」とノブハルは文句を言った。 「俺が、力でお前に勝てるはずがないだろう!」 「だったら、薬を使おうと言うのね。そう言えばあなた、組成さえ分かれば薬が作れるのよね」  きっとそうに違いない。力強く断言したセントリアに、ノブハルはがっくりと肩を落としてみせた。 「あの二人でも持て余しているのに、どうしてこれ以上増やす必要があるのだ?」 「だから、新しい刺激を求めることもあるんじゃないの?」  ああ言えばこう言うのセントリアに、「真面目な話なのだがな」とノブハルは怒った顔をした。だがセントリアは、「こっちも真面目な話」と言い返した。 「だって、一生のことになるのよ。まあ、こんな体で良かったら、使わせてあげても良いんだけど……」  どうせ、相手なんか出来ないしと言って、セントリアは胸元を少しだけ開いた。たったそれだけで、豊かな胸の谷間がノブハルの前に晒された。思いがけずに鼓動が激しくなったノブハルだったが、なんとか狼になるのを踏みとどまった。 「クリプトサイト絡みで、かなりやばいことを見つけたのだ。だから相談しようと思ったのだが……真面目に受け取ってくれないのなら、諦めて自分一人で考えることにする」 「だったら、誤解を招くような言い方をしないことね」  ふんと鼻息を一つ荒くして、セントリアはゆっくりと開いたボタンを留めていった。 「だったら、今すぐ私の部屋に来る?」 「別に、それでも構わないが」  どっちの部屋かと言うのは、相談する内容には関係ない。あっさりとセントリアの言葉を認め、ノブハルは「行くか」と声を掛けた。 「そうね、時間を掛けたら二人に恨まれそうね」  だったらこっちと、セントリアはノブハルの前を歩き出したのだった。  2等船室など、どの部屋に行ってもさほど差のあるものではない。そして意外に荷物少ないセントリアだから、部屋に入っても何もないことは分かっていたことだった。その中で以外だったのは、セントリアが「ひばり君(略)」を持ってきていたことだった。 「こんなものを、わざわざ持ってきたのか?」  部屋に入った所で、ノブハルは飛び回っているひばり君(略)に気がついた。 「悪い?」  少し挑発的に言い返してきたセントリアに、「いや」とノブハルはそっけなく返した。 「少し、意外だと思っただけだ」  2等船室なので、狭くてソファーなど置かれていない。流石にベッドに座る訳にはいかないと、ノブハルは粗末なデスクに備え付けられた安物の椅子に腰を下ろした。ここに来たのは、彼女に相談をするためなのだ。ならばさっさと用事を片付ける必要があった。 「ああ、お茶なんかいらないぞ。長い話になるとは思わないからな」  用意してくれると思っていないが、一応セントリアにノブハルは釘を差した。そして彼女がベッドに座った所で、「調べた結果だ」と言ってクリプトサイトのことを話しだした。 「この船に、クリプトサイト王族が乗っていることを説明しただろう。どう言う訳か、その王女に出会ってしまった。向こうからすれば偶然だったらしいが、相手は俺の素性を知っていたようだ。まあそれは良いのだが、もう一人クリプトサイト王族関係者がこの船に乗っている。お前も顔を見たと思うが、遊園地で俺に声を掛けてきた老婆だ。いや、老婆に見える女性と言った方が良いか。細胞レベルに作用する毒を一服盛られ、若くして老婆の姿に変えられたのだからな。そしてその正体は、クリプトサイト第一王女、アルテルナタと言うことになる。従って俺に突っかかってきて、お前に撃退されたのは彼女の親衛隊と言うことだ」  それは良いかと問われ、セントリアははっきりと頷いてみせた。 「やはりあなたには、巻き込まれ体質があると言うことね」 「その辺り、思いっきり否定をしてやりたいのだが……」  とは言え、面倒が向こうから寄ってくることに間違いはない。「巻き込まれ体質」を否定する代わりに、「王女二人がこの船に乗っているのだ」とその事実を強調した。 「そして別の事実として、何者かが特等船室、しかもクリプトサイト王女の宿泊しているエリアのセキュリティに干渉しようとしていた。後から痕跡を追いかけてみたのだが、船外に出て最初のホップで足跡が消されていた。これで、何者かがこの船に乗っているフリーセアと言う王女に興味を持っていることになる」  「次に」と言って、ノブハルはネビュラ1のセキュリティホールについて説明を続けた。 「この船が備えている高次元レーダーだが、明らかな穴があるのを確認している。その穴を付けば、気づかれること無くこの船に接近が可能だ。そして防御システムだが、特定の情報を受けると働かないようになっている。はじめは訓練用かと思ったのだが、クリプトサイト王族が揃っているのを知って、意図的ではないかと思うようになった」 「どうやってそのことをと言うのは、明らかに愚問なんでしょうね」  うんと考えたセントリアは、「厄介ね」と小さく漏らした。 「ああ、どうやら厄介なことになりかねないと思っている。調べてみたが、クリプトサイト王家はお家騒動の真っ最中のようだ。反女系の奴らが、王女二人を亡き者にしようとしている。すでに第一王女は、一服盛られて王位の継承争いからは脱落しているようだ。これは間違いなく、反王女派の仕業だろうな。そして現在継承権第一位を持つ第二王女は、第一王女を探す旅をしている。反王女派の勢いに、おそらく抗しきれなくなったのだろう。そのため起死回生の策として、第一王女を見つけようと考えたと推測できる。ただクリプトサイトを離れたことで、反王女派は命を狙いやすくなった訳だ」 「この船が狙われる可能性が高い……と考えて良い訳ね」  うんと頷いたセントリアは、「条件が整った」と予想外のことを口にしてくれた。 「条件とは、何のことを言っているのだ?」  はてと首を傾げたノブハルに、「危機感が足りてない」とセントリアは文句を言った。 「私は、あなたにやんごとなきお方を誑し込めと言ったはずよ。これで王女を助ければ、気の強い分裏返ってメロメロになってくれるわ」 「言っておくが、俺はあの女達を助けるつもりなど無いぞ」  断言したノブハルに、セントリアは「どうして」と驚いた顔をした。 「好みは別として、王女様を助けないのは人として間違っていない?」  その辺りはどうよと問いかけてきたセントリアに、「身の程を知っているからな」とノブハルは言い返した。 「余計なことに首を突っ込んだせいで、本当に殺されかけたからな。それに、王女が正義だとどうして断言できるのだ? クリプトサイト王家の圧政に追い詰められた者が、なんとか敵を追い詰めたのかもしれないんだぞ。だから俺は、手を出すつもりはまったくない。ただ、俺を含めた仲間たちに、危害が及ばないようすることを考えているだけだ」 「それも、随分と難しいことに思えるんだけど? 相手が手段を選ばないのなら、一番簡単なのはこの船を沈めることでしょ。そうなったら、必然的に私達は巻き込まれることになるんだけど。流石に、戦艦を相手にできないわよ。機人装備も持ってきていないし……」 「それならそれで、いくつか方法はあるのだがな。それに、この船を沈めるのは暗殺の方法として成功の確率が結構低い。何しろ避難ポッドは、特等船室から優先して誘導されるからな。そこまで狙ったとなると、襲撃者の狙いが明確になりすぎる。王女殺害に成功しても、関係のない民間人を殺害したことで超銀河連邦を敵に回すことになり、反女系派の立場も悪くなる。だから彼らが国の治世を考えるのなら、できるだけ目立たない方法を取ってくると考えることができる。船を沈めるのは、それこそ最後の手段だな」  それならそれでやりようがあると、ノブハルはそのうちの一つを持ち出した。 「襲ってくるやつの代わりに、王女様を始末すると言う方法がある。そうすれば、反王女派の奴らはこの船を攻撃する理由を失う」 「私は殺りたくないから、あなたが殺ってくれるの?」  その問いに答えず、「他には」とノブハルは話を続けた。 「船を沈めなくても、王女を殺せるようにしてやればいい。簡単な方法として、しばらく部屋から出られないようにしてやることだ。幸い特等船室の特別エリアは、船の一番上にある。防御機構が働かなければ、一撃で消滅させることも可能だろう。民間人の犠牲が最小限に抑えられるので、風当たりにしてもさほど強くはならないだろう」 「なにか、あなたが極悪人に思えてきたわ……それで、他の方法はあるの?」  どうやら王女を始末すると言うのは、セントリアにはお気に召さなかったようだ。ただそれも予想の範囲と、ノブハルは比較的穏便な方法を持ち出した。 「船の防御機能にされた細工を、もとに戻してやればいい。そうすることで、この船は要塞……とまではいかないが、簡単に沈めることはできなくなるな。そして手間取っている隙きに、攻撃してきた奴らの船の制御を奪い取ってやる。そうすれば、双方で死人を出さなくてもすむ」 「それが一番穏便……なのかなぁ。まあ、マシに思える方法と言うのは分かるわ。でも、相手の制御を乗っ取るって一言に言ってるけど、簡単にできるとは思えないわ」 「たとえ出来なくても、時間が掛かれば自警団が駆けつけてくる。防御機構への細工は見つけてあるから、元の状態に戻すことは難しくない」  どうだと胸を張ったノブハルに、セントリアは小さく息を吐き出した。 「色々と抜けはありそうだけど、でも間違ったことは言ってなさそうね。それで、私に相談と言うのは何なの?」  ここまでの話だと、自分の出番が見当たらなかったのだ。それを気にしたセントリアに、ノブハルは「保険だ」と答えた。 「この船の乗り込まれた時、どの程度なら撃退できるかを聞いておきたかったのだ」  それならば、確かに自分向けの仕事に違いない。なるほどと頷いたセントリアは、「100から200」とおおよその数を提示した。 「殺していいんだったら、あと100は増やせるわね。ただ無関係の人を巻き込まないようにすると、200がいいところって所かしら? もちろん、相手に化け物じみた奴がいなければと言う条件は着くわよ」  普通に聞けば、間違いなく信用できない答えだろう。だがセントリアの戦闘力を見れば、それが誇張したものでないのは理解できる。  その答えに少しだけ考えたノブハルは、「利用できるな」と小さく呟いた。 「奴らの狙いは、あくまで王女だけのはずだ。だったら、無理に一般乗客を巻き込まないだろう」 「乗り込んできて暗殺する可能性もあると言いたい訳? だとしたら、私の出番もなさそうに思えるけど」  首を傾げたセントリアに、「それならそれで構わない」とノブハルは言ってのけた。 「俺は、他所様のトラブルに口出しをするつもりはないのだ。反女系派に正義があるのか、王女派に正義があるのか。そんなことは、俺が頭を悩ませる事じゃないし、分を弁えない真似は身の破滅に繋がるのは経験済みだ。ここには、トラスティさん達はいないのだからな」  だからやらないと繰り返したノブハルに、セントリアは少しだけ考えてから「理解は出来る」と答えた。 「どちらが正しいのか分からないと言うのも、確かにあなたの言うとおりね。悪意の有無に関係なく、王女自身の存在が問題の可能性もあると思うし。ただ私には、だからと言って救える人を救わないことを認めて良いのか分からない」  悩んだ顔をしたセントリアに、「だったら」とノブハルは一つの問いかけをした。 「俺の護衛としてついてきているお前だ、だったらお前は関係の無い一般人が事件に巻き込まれた時に助けようとするか? さらに言うのなら、そのことで俺を守ることへのリスクが上がっても助けようとするか?」 「あなたが何を言いたいのかは理解できるわ。ただ、それでも認めて良いのかわからないのよ。本当に王女が死ななければ、クリプトサイトは変わることは出来ないの?」  真剣な表情で答えを求められたノブハルは、猛烈な勢いで頭の中で文献を漁った。 「青臭い言い方をするなら、死を前提にした改革は間違っていると言うことは出来るだろう。そして王女をクリプトサイトから切り離す、例えば追放と言う形を取れば、当面の目的達成は可能だな。だがその方法は、将来に禍根を残すことにもつながってくる。女系派が放逐された王女を旗頭に、そのときの政権に反旗を翻すことも考えられる。幾つかの事例をあさってみたが、うまくいく場合といかなかった場合の両方が存在した。考えるための時間を稼ぐと言う意味なら、王女たちを切り離す方法も意味があることになる」  その方がノブハルにしても、良心の呵責を感じなくても済むことには間違いない。ただそれを説明しつつも、干渉するための難易度がさらに上がるのも理解していた。 「私の役目を考えたら……」  言いにくそうにセントリアが切り出したのも、それを理解しているからだろう。小さく頷いたノブハルを見て、彼女はさらに言葉を続けた。 「余計な所に手を出さないで、さっさとシルバニアに行くことを考えるべきだと思うわよ。他所様のお家騒動に関わったら、数ヶ月なんてあっと言う間に過ぎてしまうもの。それに、今の貴方の立場は、クリプトサイトに関わる理由が薄すぎるし、相手が話を聞く理由にも欠けているわ。身を守るのに比べて、難易度が格段に跳ね上がってくれるでしょうね。何しろ両者に、話を聞かせるだけの何かを示さなくちゃいけないんだもの」 「まともに考えれば、反女系派が話を聞く理由はないだろう。何しろ奴らは、すでに王手を掛けたと思っているんだからな」  今回の問題は、暗殺者とか盗掘屋とかとはレベルが違っていたのだ。そんな相手を無理やりテーブルに着かせるには、それなりの実力と言うものが必要となる。当たり前だが、ノブハルにはそんな実力など存在していなかった。 「トリプルA本社を巻き込めば可能なんでしょうけどね。でもトリプルA本社にしても、干渉する理由に欠けているのは確かね。ただ気になるのは、あなたの巻き込まれ体質ってことになるんだけど……」 「俺の意志に関係なく、巻き込む気マンマンそうなのはいたな」  自分の脛を蹴飛ばしてきた王女はいいが、老婆に変えられた第一王女の方が厄介だとノブハルは感じていた。自分に突っかかってきたのは、彼女達の未来視と言われるものが理由なのだろう。その結果が好ましい方に進むと感じたからこそ、自分に接触してきたと推測することが出来る。  それを考えた所で、なるほどととノブハルは反女系派が行動を起こした理由が理解できた気がした。 「未来が見えるせいで、全ては彼女達にとって都合がいい選択がなされると言うことか」  その結果は、見る者にとっての明るい未来でしか無いのだ。そのしわ寄せを受け続けたと考えれば、反発したくなる気持ちも理解できる。現に自分も、「勝手に人を巻き込むな」と言いたい気持ちになっていたのだ。 「あなたの都合も考えず……と言うことね」  似たようなことをしているのを棚に上げ、確かに嫌われるはずだとセントリアも理解したのである。  2等船室、しかも個室を選択したのは、はっきり言って失敗でしか無い。ノブハルはそれを、セントリアの部屋を出た後思い知ることになった。この後は、二人の女性相手に大人の時間(?)を過ごす予定なのだが、いざ現実になった所で入れ物の問題にぶち当たったのである。有り体に言うと、部屋とベッドが狭すぎたと言うことである。一人相手ならまだしも、二人を同時に相手にするには、全てのスペースが狭すぎたのだ。  その結果、少女二人の壮烈な駆け引きが行われ、トウカ、エリーゼの順番でノブハルが相手の部屋を訪れることになった。順番だけを見れば、普段とあまり変わっては居ないのだろう。ただ二人共、今回に限って後を争ったのだ。同じベッドで朝を迎えるのは誰か、その立場を争ったと言うことだ。  トウカを満足させたに後部屋を移る時、ノブハルはとてもマヌケなことをしている気持ちになっていた。加えて言うのなら、人として最低なことをしている気分も味わっていた。だが今更エリーゼの部屋にいかない訳にもいかず、疑問を感じながら彼女の部屋に向かったのである。  翌朝エリーゼの部屋から朝食のレストランに行ったノブハルは、「知らせることがある」と全員の顔を見て言った。 「昨日夕食の後、クリプトサイト王女フリーセアに遭遇した。まあ、色々とあったのだが、とりあえず顔を見かけたから挨拶をしただけ……だそうだ」  不遜な真似をして組み伏せられたことを伏せたノブハルだったが、その瞬間セントリアの口元が歪んだのに気がついた。ただ突っ込むと己の身に返って来るのは分かっているので、そのまま説明を続けようとした。 「やっぱり支店長って、巻き込まれ体質なのね」  うふっとシナを作ったデュークに、朝から気分の悪いものを見た気持ちになってしまった。そしてそのままデュークを無視して、本題を切り出すことにした。 「相手の正体は分かっていないが、何者かがこの船のシステムにハッキングを掛け、王女のセキュリティを調べていた。それに加えて、この船のセキュリティシステムに穴が存在する。レーダーシステムに不感地帯があるのと、外部から防御機能が無効化出来る仕組みになっていた」 「ノブハルは、単なる偶然ではないと考えているのかい?」  ナギサの指摘に、ノブハルははっきりと頷いた。 「そう考えて備えをした方が、こちらの受ける被害は少なくなるだろう。もしも単なる取り越し苦労なら、俺達は次の中継地まで無事辿り着くことが出来る。だが不安が的中した場合、最悪の場合宇宙の藻屑になりかねないからな」 「楽しい旅……では無くなるが、確かにノブハルの言う通りなのだろうね。それで、僕達に出来ることはあるのかな?」  危険が迫っていると言われれば、何かの備えを考えることはおかしくない。だがナギサの問いに、「今は何も」とノブハルは返した。 「準備は、多分俺とセントリアですることになる。もっともセントリアも、攻め込まれた時ぐらいしか出番は無いがな。だから俺は、もう一度船のシステムを調べ、敵の尻尾をつかむつもりだ。なんだ、リン?」  少し呆れ顔で手を上げた妹に、どうかしたのかとノブハルは首を傾げた。 「いやぁ、まだ懲りないのかなって……そんなこと、船のセキュリティか、クリプトサイトの王女様……だっけ? そっちに教えてあげれば良いんじゃないの?」  だから無自覚はと、リンははっきりと冷たい視線をノブハルに向けてきた。大好きなお兄ちゃんなのだが、危険に自ら飛び込んでいこうとするのが気に入らなかったのだ。  その視線にびびったノブハルは、「駄目」な理由を列挙した。 「船のセキュリティに教えたら、俺がシステムに潜り込んだことがバレてしまうだろう。だから、いざという時以外はコンタクトしたくない。それからクリプトサイト王女だが、気分的に相手にしたくない。もう一つ言っておくが、賊が王女だけを狙うのなら、俺は手を出すつもりはないぞ」  それまで冷たい視線を向けていたリンも、王女を助けないと言うノブハルの言葉に目を見張った。 「王女様を助けないって……お兄ちゃん、それって人として間違ってると思うよ」 「物語の世界なら、お前の言うとおりなのだろうな」  ふっと息を吐いたノブハルは、セントリアの顔を見てから説明を続けた。 「世の中、必ずしも王女様が正しいとは限らないと言うことだ」 「どゆこと?」  分かんないと首を傾げたリンに、ノブハルはクリプトサイトの特殊事情を説明することにした。 「調べてみたのだが、クリプトサイトは代々女性が支配者となっている。その理由は、「未来視」と呼ばれる能力が、女性王族にだけ発現するのが理由だ。だから女王は、未来視を活用してクリプトサイトを治めていた。そしてそれを気に入らない者達が、準備を重ね今の王女を追い落としにかかっている」  それは良いかと問われ、聞き耳を立てていた全員が小さく頷いた。そして全員を代表して、リンが「どこにも問題がなさそうに思えるけど?」と発言をした。 「本当に未来が見えるのか分からないけど、見えた未来を利用して一番いい道を探ろうとしているのでしょ?」  違うのかと言うリンの問いかけに、ノブハルは一つ頷いてから「問題がある」と答えた。 「リンの言葉の中に、重要なキーワードが含まれていた。「一番いい道」と言ったが、それは誰にとってのものだ? 「未来を見て一番いい」と断言された時、それに反対できる者は居るのか? そしてその一番いいとされた未来は、本当に未来視によって確認されたものなのか? それを知るのは女王だけだと考えれば、未来視と言う口実で好き勝手出来ることになる」 「ノブハルは、未来視が偽物と言いたいのかな?」  確認するように聞いてきたナギサに、「そうとも言い切れない」とノブハルは返した。 「理論的には、未来視は可能だと言っていいだろう。ただ停止空間の中でしか確認できないξ粒子を、人間が知覚できるのかと言う問題はある。さらに言うのなら、観測できる未来と言うのはとても不確定なものだと言うことだ。誰かのちょっとした心変わりとか、意図的に行動を変えることで、何種類もの未来が見えてしまう。結局ξ粒子を観測できたとしても、ほとんどノイズに埋もれてしまうことだろう。そのノイズの中から情報を取り出す、つまり演算をしてノイズを除去できる能力があれば、未来を見ることが出来るのだろうな。ちなみに、みんなも既視感を一度くらいは経験したことがあるはずだ。たまたまξ粒子に同調し、ノイズを除去できたとと考えれば既視感の説明も着くんだよ」 「クリプトサイトの女性王族には、その能力があると言うのだね?」  ナギサの問いに、ノブハルは「おそらく」と肯定した。それを聞いたナギサは、「疑問があるのだが?」と当然行き着く疑問を口にした。 「未来視が本当にあるのなら、女王や王女は最強に思えるのだけどね。反対派が何を計画したとしても、実行前に露見するんだろう? だとしたら、反対派は計画を始めたと同時に失敗することになるんじゃないのかな」 「未来視が万能かつ、見える未来に限界がなければそうなのだろうな」  ナギサの言葉を肯定しつつ、ノブハルはその能力の限界を口にした。 「さっきも話したと思うが、未来と言うのは遠く離れるほど不確定な存在となる。その限界がどこにあるのかは分からないが、万能と言うことは無いと思う」 「つまり、仕掛けを十分にすれば未来視にも負けないと言うことかな。気づいた時には、すでに手遅れ……の状態に追い込むとか?」  ナギサは、貰ったヒントから自分の考えを口にした。 「そう言うことだ。未来が見えるからと言って、必ずしも万能と言う訳じゃない。ナギサの言った状態に追い込まれたら、出来るのはその中では一番マシな選択をするぐらいだろう。追い詰める側が失敗しなければ、未来視のエリアに入った所で勝負は決まっている」 「話の流れからすると、反対派はその準備を進め実行に移したと言うことかな?」 「お家騒動の真っ最中だと考えれば、お前の言うとおりなのだろう」  そう答えながら、ノブハルは突然不安に襲われた。ここまでの検討に間違いがないはずなのに、本当にそれだけなのか、何か大きな間違いをしていないかと感じてしまったのだ。 「どうかしたのかい?」  その変化に気づいたナギサに、「いや」とノブハルは右手で口元を隠した。 「何か、重大な考え落としをした気がしたのだ……だが、検証し直してみたが、今の所間違ったことは言っていないと思う」  うむともう一度考えてみたが、不安の理由に行き着かなかった。気持ち悪いことこの上ないのだが、それを解消する手段が思いつかなかったのだ。 「何かの弾みで、ふと正解にたどり着くこともあるんじゃないのかな? もしもしばらく様子を見ると言う事なら、焦って考える必要もないと思うよ」  少し気楽にと言うナギサに、「確かにそうだが」と口元を隠したままノブハルは難しい顔をした。だがナギサが言う通り、いくら考えてみても同じ結論にしかたどり着けなかった。 「確かに、頭を冷やす必要がありそうだな」  ふっと息を吐いたノブハルは、悪かったと全員の顔を見た。自分の不安が、伝染しているのに気がついたのだ。 「まあ、お家騒動に巻き込まれると言うのは、確かに迷惑には違いないのだけどね。これだけ大きな船、しかも特等船室とは離れているからね。普通に考えれば、巻き込まれることはないと思うよ。まあ巻き込まれ体質のノブハルは、例外なのだろうけどね」 「そんな体質は存在しない……と今までは言ってきたのだが」  否定できなくなったと言って、ノブハルは頭を抱えた。ただ頭を抱えたぐらいで、問題が解決できれば誰も苦労はしない。もう一度悪かったと謝ったノブハルは、「とりあえず解散」と全員に告げた。 「昼食までは、自由時間と言うことにしよう」 「ノブハルの取り越し苦労だと願って、明日の朝まで楽しむことにするよ」  そう答えたナギサは、「行こうか」とリンに声を掛けて立ち上がった。それを合図に、支店のみんなも三々五々レストランを出ていった。少し足取りが重く見えるのは、朝食に聞くような話ではないのを聞かされたからだろう。 「ノブハル様はどうするのですか?」 「遊園地に行く?」  顔を覗き込んできた二人に、「あそこはダメだ」とノブハルは即答した。 「なにか、だめな理由があるの?」  そこでトウカが意外そうにしたのは、昨日と言っていることが変わったからだ。昨日の夕食前は、明日も遊園地で遊ぼうとノブハルは言っていたのである。 「あそこには、クリプトサイト王家の関係者が居る」  誰とは言わず、ノブハルはだめな理由を口にした。 「つまり、面倒には関わらないと言うこと?」 「まあ、そう言うことだ」  理由を言われれば、それ以上無理を言うことも出来ない。だったら自分達だけ遊びに行けば良いのだが、その前に脅されたことがトウカも気になっていた。 「だったら私は、セントリアさんとトレーニングでもしてこようかしら?」  どうと問われたセントリアは、一度ノブハルの顔を見てから「可愛がってあげる」とトウカを見た。流石に嫌かなと思いはしたが、他にすることもないと諦めることにした。 「では、私も部屋で本でも読んでいます」  それが普段の日常なのだ。非日常の中にいるからこそ、日常を忘れてはいけない。そう答えてエリーゼは、ノブハルに頭を下げてからレストランを出ていった。  それを見送ったノブハルは、ゆっくりと立ち上がると自分もまたレストランを後にした。目的はエリーゼとは違うが、自分もまた部屋に戻って頭を整理しようというのである。そして自分ひとりだけなら、部屋からネビュラ1のシステムに潜るのもいいだろう。 「侵入が、昨日だけとは限らないからな」  今度は万全の体制で、侵入者の尻尾を捕まえてやる。仲間を守るためには、ここで自分の全能力を発揮する必要があるのだ。幾つかの仮説を頭に思い浮かべながら、ノブハルは真っ直ぐ自分の部屋へを向かったのである。  ノブハル達がそれぞれの行動に出たその頃、ネビュラ1から10光秒離れた所に1隻の軍艦が現出した。辺りの光を吸い取るような黒に包まれた流線型のボディには、一人の女性が砂時計を持つ姿が描かれていた。その文様は、「時を司る女神」と呼ばれ、クリプトサイト王国の正当な軍艦である証となるものである。大型客船ネビュラ1と比べたら、3回りぐらい小さな船体を持つ船は、クリプトサイト守備軍に所属する軽巡洋艦クロノスXだった。 「ネビュラ1に、接舷許可を求めなさい」  そう口にしたのは、30を超えたぐらいに見える男である。その温和な面持ちは、軽巡洋艦のブリッジには不似合いなものかもしれない。それでも真っ直ぐに前を見つめる瞳には、揺るぎのない信念を感じることが出来た。その男こそ、クリプトサイト守備軍で中佐務めるメディニラ・スペキオサである。 「ネビュラ1キャプテンより、接舷目的の問い合わせが返ってきました」  どう答えましょうかとの問いに、「予定通りに」とメディニラ中佐は答えた。 「はい、フリーセア王女を御迎に来たと返信します」  手はず通りにと言うだけのことはあり、通信担当はよどみ無く接舷目的をネビュラ1へと伝えた。 「もちろん、王女に迎えに来たことを伝えて構いません」  漏れ聞こえてくる声を聞く限り、相手も正規の手順を踏んでいるのは理解できた。 「ネビュラ1、量子障壁を解除しました」 「では、ゆっくりと接舷してくだださい」  満足そうに頷き、メディニラはネビュラ1への接舷を命じた。その命令を復唱し、操舵手は「5分後に接舷完了します」と報告を上げた。 「では、ヴェルコルディア様にお迎えの用意は整ったと連絡しなさい」  近づいてきた男に命令を伝えたメディニラは、「貴賓室の用意は?」と小声で確認した。 「失礼の無いよう、万全の準備を整えております」 「全ては、予定通りと言うことですね」  それで良いのですと頷いたメディニラは、正面スクリーンに映し出されたネビュラ1を見た。 「可能な限り、乗客に迷惑を掛けないようにしなさい。粗暴な振る舞いをしたものには、懲罰を与えると徹底するように」 「再度徹底させましょう」  一礼をしてから離れていった男に、メディニラは一瞬だけ視線を向けた。ただすぐにその視線を正面スクリーンに向け、ぎゅっと表情を引き締めた。 「これで、クリプトサイトは新しい歴史に向かって進むことが出来る」  穏便な形での政権移譲がなれば、民達の混乱を防ぐことが出来る。血の粛清を避けるためにも、フリーセア王女には速やかにクリプトサイトに戻って貰う必要があった。 「王女には、象徴と言う形で国政に関わっていただくことになろう」  少しの我慢で、全てが丸く収まることになる。その第一歩が、フリーセア王女を無事クリプトサイトに連れ帰ることだった。そのためには、礼を尽くしてお迎えしなければならないのだ。少しの粗相もあってはならないと、メディニラは自分の目でも王女を迎える用意を確認することにした。 「課題となることもないようですね」  王女を船に乗せてしまえば、クリプトサイトまで3日の旅となる。祖国が新しい時代を迎えるのは、そう遠くない未来となってくれた。その変革に当事者として関われたことに、メディニラはこの上もない喜びを感じていたのである。  船長から連絡を受けたウォードルフは、フリーセアの冒険が終わったことを理解した。ただ彼をして意外だったのは、反女系派が穏便な手段を取ったことである。アルテルナタ王女失踪を考えれば、暗殺もしくはそれに相当する過激な手段をとってくると考えていたのだ。 「いや、穏便と考えるのは早計なのだろう……だが、我々に選択肢は与えられていないな」  小さく呟いたウォードルフは、緊張した面持ちのフリーセアを見た。未来の見える王女は、一体何を見ているのだろうか。 「姫殿下、参りましょうか?」  ウォードルフの言葉に小さく頷いた後、フリーセアは「見えないの」と自信なさげに答えた。 「見えないとは、未来のことでしょうか?」  その問いかけにもう一度頷いたフリーセアは、「初めてよ」呟いた。 「すぐ先の未来が、こんなにぼやけて見えないことなんて」 「それは、大きな分岐がそこにあると言う意味でしょうか」  フリーセアの様子を見れば、それがただならぬことは理解できる。心配そうに声を掛けたウォードルフに対して、フリーセアは自信なさげに首を振った。 「それすら分からない……と言うのが答えになるわ。ただ、」  そこで言葉を切ったフリーセアは、「行くわよ」とウォードルフに命じた。 「たとえ行かないと言う選択をしても、モヤのかかった未来に変わりはないわ。だったら、なんの為に私を迎えに来たのか。それを問いただすのは、私の役目だと思う」  決意を秘めたフリーセアの眼差しに、ウォードルフは片膝を着いて「御意」と答えた。臣下であり後見人である彼は、未来視による王女の決断を疑っていなかった。多少の問題はあったかもしれないが、未来視のお陰でクリプトサイトは繁栄を続けてきたのだから。  その頃老婆、アルテルナタは親衛隊の3人と大部屋に集まっていた。遊園地に行っていないのは、彼女達なりの事情があった。ノブハルが見抜いた通り、彼女はまだクリプトサイトの王女と言う意識を持っていたのである。 「アルテルナタ様、手はずは整っております」  恭しく頭を下げたモリニアに、老婆は小さく頷いてみせた。ネビュラ1のシステムから、クロノスXの接舷情報は把握していた。そして見た目通りの声で、「ここまでは計画通りでした」と答えた。だがその表情は、計画が進行していることを喜ぶものではなかった。 「何か、手違いがございましたか?」  それに気づいたモリニアに、「分かりません」と老婆は困惑の篭った声を上げた。 「確かに、途中までは計画通りに進むのです。ですが、そこから先の未来が急にぼやけて見えなくなってしまいました。このように区切りがはっきりとするのは、これまでで初めてだと思います」 「未来が確定していない……と言うことでしょうか」 「おそらく……」  そう答えて頷いたアルテルナタは、「ありえないことです」と自信なさそうに答えた。 「遠い未来ほど、分岐が指数関数的に増えていくのはおかしくありません。ですが、ある時を境に見えなくなると言うのは、これまで一度も経験をしたことがありません。まるで、そこから先の時間が消失してしまった……そう言いたくなるほど、まともな情報が伝わってこないのです」  そう答えてから、「分かっています」とアルテルナタは続けた。 「私達は、もはや後戻りの出来ないところに来ています。これまで私達が守ってきた物、それを続けていくにはこの方法しかないのも分かっていたことです。ただ思っていた未来が見えないこと……違いますね、見えるはずの未来が見えなくなったことで怖くなったのかもしれません」  そこで小さく息を吐き出した老婆は、一番の腹心の名を呼び、彼に従うものたちの顔を見た。 「モリニア、ユンクス、トリキリティス、私達は予定通り脱出ポッドに向かいましょう」  すでに必要な仕掛けは終わっている。老婆、すなわちアルテルナタの命は、その発動を命じるものだった。 「御意。回収の手はずも完了しております」  未来が変わらない限り、これでクリプトサイトは今まで通りの発展を望むことが出来る。それが王女の役目なのだと、アルテルナタは確かな足取りで大部屋の扉を開いた。胸には大願成就の確信と針の先で突いたような小さな曇り、それを抱きかかえてまっすぐに脱出ポッドの収められた区画へと歩いていった。  ネビュラ1のシステムに潜っていたノブハルは、そこからクリプトサイト守備軍軽巡洋艦の接近を知ることになった。ただ思っていたのと違ったのは、彼らが正規の手続きを踏んでネビュラ1に接舷しようとしたことである。クリプトサイトのお家騒動とネビュラ1の監視網に開けられた穴、それを考えれば正規の手順を踏むはずがないと思っていたのである。 「俺は、何か考え違いをしていたのか?」  攻撃システムを含めたセキュリティホールは、反女系派の仕掛けだと考えていたのだ。だが現実に、彼らはそれを利用しようとしていない。だとしたら、そこにどのような意味が含まれているのか。考え違いかと考えかけ、ノブハルは小さく首を振った。 「いや、いざと言うときの保険と言う事も考えられるか。だが保険を使うまでもなく、クリプトサイトでの工作が完了した……と考えれば、仕掛けを利用する必要も無いか」  だとしたら、これまで考えていたことは杞憂と言うことになる。ほっとしてチェアにもたれ掛かったノブハルは、遊びに行けばよかったかと無駄な努力を後悔した。さんざん「巻き込まれ体質」と言われたことが、自分を疑心暗鬼にさせていたのだ。そうやって周りに責任を転嫁し、「エリーゼは?」と彼女が在室か確認することにした。 「今からでも、遊園地に遊びに行くか……いや、時間を考えたら昼食後でも良いのか」  思いっきり遊ぶのには、これからだとどう見ても時間が足りそうにない。一度仕切り直しをするかと、ノブハルは立ち上がってベッドへと寝転がった。そして、これまでのことを整理することにした。 「反女系派は、穏便な形でフリーセア王女をクリプトサイトに連れ帰ろうとしている。王女が素直に応じたことを考えると、彼女もその意味を理解していると言うことだろう。だとしたら、双方穏便な形での終結に導こうとしていることになるな。その時の王女の扱いは……」  そこでノブハルは、超銀河連邦内の政治体制を検索した。そこに類似の案件がないか、その場合の落ち着き先を調べようとしたのである。 「一番ありそうなのは、王族から三権を取り上げ象徴に祀り上げることか。これならば、政治の急激な体制変化による混乱も避けられるだろう」  実権こそ取り上げられるが、立場としてはさほど悪いものではないだろう。完全に放逐されないことで、将来復活の目も残されることになる。落とし所として考えると、双方にとって悪くない話なのは確かだろう。そこまで考えたノブハルは、登場人物を一人忘れていることを思い出した。 「だとしたら、あの婆さんはなぜ一服盛られたのだ?」  ここまでの展開を考えると、反女系派は理性的な対応をしているように思えるのだ。それに比べると、アルテルナタ王女への謀略が過激に思える。 「勝利を確信したから、紳士的に振る舞っている……」  そう考えれば、二人の王女に対する対応の違いは説明することは出来るだろう。ただ、本当にそうかと言う疑問は未だ残っている。 「俺は、先入観に囚われていないか?」  考え方を変えてみようと息を吐いたノブハルは、何処かに居るだろうと当たりをつけて「セントリア」とボディーガードの名を呼んだ。「居るんだろう?」と。 「ええ、さっきからずっとここに居たけど?」  「なに?」と首を傾げたセントリアは、確かにノブハルの「狭い」個室の中に居た。空間移動をしてきたのか、はたまたそれまで認識できなかったのか、さすがのノブハルもそれを理解することができなかった。 「ずっと、居たのか?」  ただ答えを聞く限り、セントリアはノブハルの部屋に居たことになる。「どうやって」と聞きかけたノブハルだったが、問題の本質ではないと好奇心を押さえ込んだ。 「いやいい、呼び出したのはお前の考えを聞きたいからだ」 「お昼まで、私の体を貪るためじゃないの?」  驚いた声を上げたセントリアに、ノブハルはがっくりと肩を落とした。 「すまん、しばらくそのネタから離れてくれ」 「しばらくで、良いのね」  小さく頷いたセントリアは、「それで」と先を促した。 「クリプトサイトについて、何か情報を持っているか?」  その問いに、セントリアは「ああ」と大きく頷いた。 「当たり前だけど、まったく持ってないわよ。中央コンピューターを調べれば出てくると思うけど、それをしろと言うこと?」 「だったら、お前の経験に照らして意見を聞きたいのだが……クリプトサイトの軽巡洋艦が間もなくネビュラ1に接舷する。その目的は、フリーセア王女を迎えに来たと言うことだ。その事実だけを考えれば、彼らはことを荒立てようとは思っていないことになる」  そこで言葉を切ったノブハルは、「アルテルナタ王女」と老婆の名前を持ち出した。 「未来が見えると言った婆さんだが、この事態を予見していたのだろうかと言うことだ。そして俺が気になったのは、あの婆さんは「一番マシな選択をした」と俺に言ったことだ。この程度の結論であれば、あの婆さんに一服盛らなくても達成できただろう。それぐらいのことは、あの婆さんだって分かっているはずだ」 「つまり、あのババアが何を考えたのか、私に意見を聞きたいと言うわけね」  うんと頷いたセントリアは、「そのババアは?」とアルテルナタ王女の所在を確認した。 「存在はばれていないはずだけど……だとしたら、あのババア達は何をしているのかしら?」 「なにをって……船の接舷自体知らないはずだからな……だったら、遊園地に居るはずだろう」  その推測を確認するため、ノブハルは彼女達が居るはずの遊園地の情報を検索した。 「占いは休止だし、マスコットも揃って不在になっているな……」  彼女達が遊園地でどんな役目を果たしているのかは、昨日の接触後に調べ上げてあった。 「おかしいな、彼女達のシフトが土壇場で変更されている」 「でも、変更された時にはクリプトサイトの軽巡洋艦は連絡をしてきていないのでしょう? だったら、単なる偶然に思えるけど」  シフト変更と軽巡洋艦の接近は、確かに時系列で考えればセントリアの言う通りだった。特に存在を隠さずに接近していたので、船のレーダーにも引っかかっていたのだ。そのログを調べたノブハルは、シフト変更がネビュラ1が軽巡洋艦を検知する前に行われたことを確認した。 「確かに、時系列を考えればお前の言うとおりだな。だが、あの婆さんは時系列を無視する能力があったはずだ。クリプトサイトの軽巡洋艦が接近するのを察知し、シフトを変更した可能性も考えられるだろう」 「あのババア達は、見つかっていないと言うのね」  そこで眉間にしわを作って、セントリアは「おかしいわね」と考え込んだ。 「見つかっていないのなら、クリプトサイトの軽巡洋艦の目的はフリーセア王女だと普通は考えるわ。それなのに、まるで身を隠すように遊園地のシフトを変えている……それで、あのババアはどこに居るのかしら?」 「婆さんの居場所か……艦内カメラを検索してみる」  そう言って、ノブハルは艦内の監視システムに割り込みを掛けた。4人全員の顔は分かっているので、捜索自体はさほど難しいことではなかった。 「見つかったぞ。今は、4人揃って通路を歩いているな。ただ、この先にあるのは下層ブロックへの連絡通路だぞ。あそこにあるのは、備品のストックに食材とかだな……あとは、緊急脱出ポッドの予備ぐらいか」 「この状況で必要になりそうなものはないわね。わざわざ仕事をサボってまで行くような場所でもないわね」  セントリアの答えに、ノブハルはしっかりと頷いた。 「ああ、脱出ポッドにしても、各部屋に備え付けられているからな。わざわざ下層ブロックに行くようなものじゃないだろう」  歩いて行く先は不自然だが、かと言ってそこに決め手となるようなものがあるとは思えなかった。「不思議な行動だな」とノブハルが首を傾げた所で、軽巡洋艦クロノスXがネビュラ1へと接舷したと言う情報が上がってきた。その3Dマップを見た所で、セントリアは「これって」と何かを見つけた。 「ババア達の部屋に近いわね」 「ああ、確かに婆さんたちの部屋に近いな。だが、近いだけで顔が見える訳じゃないぞ。まあ、攻撃されたら巻き添えを食う場所ではあるがな」  接触面を考えたら、確かにノブハルの言う通りなのだろう。だが反女系派の対応を考えると、民間客船を攻撃すると言うことはありえないことだった。 「フリーセア王女、そして迎えに来た軽巡洋艦にはお互いを攻撃する理由はないわね。だったら、あのババアはどうなのかしら?」 「攻撃する手段があるのかと言う事を忘れても、それをやって何かメリットがあるのか? 一服盛られた仕返しをするにしても、妹まで巻き込んじゃ意味が無いだろう」 「もしも、それに意味があるとしたら?」  「どう?」と顔を覗き込まれ、ノブハルは照れから反射的に顔を反らした。 「軽巡洋艦は、反女系派から派遣されたのよね?」 「伝わり方にはよるが、反女系派の評判は地に落ちるだろう。王女暗殺はまだしも、まったく無関係な民間船に被害が出ることになるからな」  自分で口にした言葉に、「ん」とノブハルはもう一度考えた。 「女系派には都合が良いが、だが唯一残ったフリーセア王女を失うことになるぞ」  ノブハルの言葉に、セントリアは小さく頷いた。 「その唯一……と言うのが間違いだったら? あなたは一服盛られたと言ったけど、それを王女が自分で用意したとしたらどうなるのかしら?」 「自分で用意をしたなら、解毒剤も用意されている……と考えるべきか」  その答えにたどり着いた所で、二人は声を揃えて「まずい」と大声を上げた。全ての黒幕がアルテルナタ王女だと考えると、これまでの疑問に説明がついてしまうのだ。そしてこれから何が起きるのか、その仕掛けも思い当たってしまった。 「俺達の居る船室も、もれなく被害を受ける場所にあるぞ!」  もしも懸念が当たった場合、本当に命に関わることになりかねない。血相を変えたノブハル同様、セントリアも顔色を悪くしていた。 「あなたの酷い巻き込まれ体質を考えたら……二度ある事は三度あると考えるべきね」 「そんな真似をさせて堪るか!」  まだ事件が起きていないのなら、手のうちようがあるはずだ。目を閉じたノブハルは、ネビュラ1の制御系に潜り込もうとした。そうすることで、事件の発生を未然に防ごうと考えたのである。  だがノブハルがシステムにアクセスしようとした瞬間、ノブハルの直近、外壁に繋がる壁が爆発をした。その爆発に巻き込まれ、ノブハルの意識は深淵へと沈み込んでいったのだった。 続く