機動兵器のある風景
Scene -50







 自分の後釜を推薦するにあたり、マシロはシンジの能力を最大限に生かすことを考えた。そしてシンジの特徴とは何かを考え、思考コントロールを磨くことにターゲットを定めた。その考えの元、マシロは医療用ロボティクスの技術者に目を付けた。学会誌で、“天才”と紹介されていた女性が居たのを思い出したのである。そしてダメ元でコンタクトをしたら、なぜか二つ返事で了承を貰ったというわけである。
 マシロから目を付けられた“天才”技術者、シギュン・エルステルは、月と地球のラグランジュポイントに作られたサイド10出身だった。サイド10は、建造順で10番目、人口1億を収容できる、中型のコロニーだった。過去の筒型コロニーを改良し、人口重力を用いた初のコロニーでもあった。ただ初期型のため、人口重力を補助するため、遠心力も利用したハイブリッドタイプとなっていた。そのせいもあってか、旧型より住みにくいとの不満が住民から出ていた曰く付きのコロニーである。マシロの誘いを受けた理由は、サイド10の住みにくさが理由と言われたほどである。

 アヤセに変わっていると言われたシギュンは、アースガルズに珍しい視力矯正方法を行っていた。通常近視と呼ばれる症状に対し、投薬によって改善を図るのがアースガルズのやり方だったのだ。だがシギュンは、なぜか通常治療を行わず、眼鏡によって視力矯正を行っていたのである。助手のクレオに理由を聞かれたとき、「薬がきらい」と答えたのだから、やはり変わっていると言っていいのだろう。
 しかも自分の見た目に無頓着なため、長く伸びてしまった金色の髪は、無造作にゴムで縛られていた。手入れが不足と言うか全く為されていないため、枝毛があちこちに見られ、飛び跳ね放題という無秩序状態に陥っていた。しかも入浴も滅多にしないため、着ている物を含めて、薄汚れているというのが一番正しい見方だった。顔立ち云々を論評する以前の問題を、天才シギュンは抱えていたのである。そして今日もまた、シギュンは助手からお小言を食らうことになっていた。

「シギュンさん、いい加減に食べる物を食べてくださいよ。
 昨日から、何も口にしていないじゃないですか」

 熱中すると、寝食を忘れるというのも変わっているうちの一つに違いない。だが助手のクレオにしてみれば、それも心配事の一つだった。だからトレーに食事を乗せてくるのだが、肝心のシギュンはギムレー2号機に籠もったまま出てきてくれなかった。

「せっかく環境を変えたのに、前よりも悪くなっているじゃないですか」

 はあっっと深すぎるため息を吐いたクレオは、トレーを持ったままクレーンでギムレーへと登っていった。そしてシギュンの籠もっているコックピットをこじ開け、食事を届けようとした。だがいざこじ開けたところで、何か見てはいけない物を見てしまった恐怖に襲われてしまった。

「シギュンさん、さすがにそれは女を捨てていますよ」
「でも、外に出る時間が惜しいから……」

 何がと言うのは、言葉にするのは女性相手に憚られるが、さすがにそれは無いだろうとクレオは強く主張したかった。しかもコックピットに匂いが付いたら、余計に恥ずかしいことになりかねないのだ。それ以前に、この臭いの中食事など口に出来るはずがないと思っていた。
 だがシギュンの常識は、クレオとはかなりかけ離れていたようだ。クレオの持っているトレーを見たシギュンは、「ありがとう」と言ってサンドイッチをつまんでくれたのだ。もちろん隣にあったおしぼりを使わないし、フォークを使うなどと言う事もしなかった。衛生的に見て、いかがな物かと言いたくなる態度だった。

「せめて、おしぼりぐらい使ってくださいよ」
「別に、汚れているとは思わないし……
 それに、つまんだ部分は食べないようにしているから」

 シギュンの答えに、クレオは思わずこめかみを押さえてしまった。もしかしたら立ちこめた臭いも原因になっているのか、なぜか酷い頭痛がしてきたのだ。

「先ほど連絡があったのですけど、明日碇様が様子を見に来られるそうです。
 ですから、今日中にコックピットの清掃と消臭、シギュンさんはお風呂に入らないといけませんよ」
「でも、まだ碇様は乗らないはずでしょう?」

 だったらこのままでもと言うシギュンに、クレオは身を乗り出して「とんでもない」と大きな声を出した。

「明日は、進捗具合を確認していただく意味もあるんですよ。
 だから私がテストパイロットで乗るのに……
 シギュンさん、私だったら構わないと言うんですか!!
 こんな臭いを染みつかせていては、私は碇様の前に出られません!」

 乙女の沽券に関わるのだと、クレオは強く主張した。ちなみにマシロの誘いに対して、積極的に応じたのはクレオの方だった。当然その理由は、格好の良いヒーローにあったのである。

「でも、まだ色々とやりたいことがあるし……」
「もう大枠は固まっているじゃありませんか。
 趣味の世界は、別に機体を用意して貰いますから、そちらでやってください!」
「趣味じゃなくて研究と言ってくれないかしら?」

 すでにサンドイッチは平らげた……と言っても、初めの言葉通りつまんだ部分は皿の上に残されていた……シギュンは、ギムレーから取得したデータを眺めていた。

「これはもう、間違いなく趣味の世界に入っています。
 だいたい、テストをする度に恥ずかしい思いをするのは私なんですからね。
 掃除の手伝いの人に、もの凄く可愛そうな物を見る目をされるんですよ!
 ああ、地上に降りたら、少しは変わってくれるかと期待した私がバカだったわ。
 かえって、前よりも酷くなっているじゃないですか!」

 くどくどとお小言を言うのだが、残念ながらシギュンはその全てを聞き流していた。それに気付いたクレオは、強硬手段とばかりにシギュンの右手を捕まえた。相手は筋力無しのへたれなのだから、力づくに出れば簡単に言う事を聞かせられると分かっていたのだ。

「痛いじゃない……」
「言う事を聞かないシギュンがいけないのよ。
 さっさとギムレーから出て、今からお風呂に入りますからね!」

 無理矢理ギムレーから引きずり出されたシギュンは、クレオの言うお風呂にいつ入ったのかを考えた。

「お風呂なら……たしか、10日前に入ったはず」
「いいえ、14日前です!
 それに10日も14日も違いはありません。
 だいたい、そんな汚い格好で碇様の前に出るつもりですか!」

 ただシギュンに筋力はないが、重量だけは一人前にある。さすがに力強さから対極のところにいるクレオは、苦労してシギュンを引きずることになった。それでも諦めないのは、自分も恥を掻くという強い思いからだった。これでお風呂に入れてベッドに押し込めば……

「そのあと、コックピットの掃除が待っているのか……」

 それを考えると、引きずっているシギュンが重くなった気がしてきた。何で私がと、付き合い方を真剣に考えなければと悩んだのだった。



 引き渡しは来週と言ったが、ギムレー2号機の建造自体はすでに完了していた。終わっていないのは、バージョンアップをした、思考コントロールシステムの成熟だった。それもあって、出来具合の確認を含めて、シンジが様子を見に来ることになったのである。
 シンジが行くのだから、ヴァルキュリアであるアヤセが付いてくるのも自然なことだろう。そして自他共に認める副官のフェリスが付いてくるのも自然な流れだった。そこにおまけのようにチフユが付いてくるのも、フェリスとの関係を考えれば少しもおかしなことはないだろう。チフユもレベル7になったおかげで、前ほど口実に困らなくなっていた。

 ヴァルキュリア様一行を前に、長い茶色の髪をした少女が頭を下げた。少し背は低いのだが、出るところが特盛りになったなかなか可愛らしい少女だった。

「シギュンさんの助手をしていますクレオ・サーブラフです。
 本日は、お忙しい中お出でいただきありがとうございます。
 ご覧頂けるように、ギムレー2号機は機械的な調整は完了していますので、
 あとは、制御機構を煮詰めるだけとなっています。
 マシロさんとシギュンさんが相談した結果、思考コントロール部分を見直しを行っています。
 現在思考コントロールに関わる部分の、動作チェックを継続して行っています」

 シギュンが出てこないという理由で、クレオが説明役を買って出た。どこに本音があるのかは分からないが、ごく一部を除き小さな体全体を使って、クレオはシンジ達に新しいギムレーを説明した。

「カラーリングは、1号機を踏襲して金色にしてあります。
 耐ビームコーティングだけなら色は自由に出来ますけど、心理的な物を考えて同じ色にしたんです。
 あとは、機体自体の筋力の10%増強に成功しています。
 これで、更に機動性を増すことができると思います!」

 自分の魅力を見せつけるように、クレオは比較的体にぴったりとした服を着てきていた。そのお陰というか、大きなジェスチャーの度に揺れる胸元が目に付いた。清楚そうな容姿とのアンバランスさがそそる、クレオ・サーブラフ12歳だった。

「それで、シギュンさんはどこにいるのかな?」

 アヤセの言う変わっているのは、どう見ても目の前で女性の魅力を強調している少女ではないだろう。もっともラピスラズリから年齢を聞かされたときには、「宙は恐ろしい」とおかしな感心の仕方をしたシンジである。その意味では、クレオも十分に変わっていたのかも知れなかった。
 だがこの程度であれば、早熟で説明が付いてしまう。アースガルズでは見かけない眼鏡っ娘にして、お風呂にも入らないという女性がどんなものかに興味がわいたのだった。

「シギュンさんですか……はぁっ。
 せっかく綺麗にしたんだから、出てきて挨拶しなさいと言ったんですけど」
「言ったんですけど?」

 何と首を傾げたシンジに、「恥ずかしがって出てこないんです」とクレオはばらした。

「昨日お風呂に入れて、徹底的に磨き上げてあげたんです。
 髪の毛なんか、念入りにシャンプートリートメントをして、更にダメージケアーまでしたんですよ。
 爪も綺麗に磨き上げて、いろんなところのむだ毛も綺麗にしたし、
 顔色の悪さをごまかすお化粧も試して本人に見せてあげたんですよ。
 せっかく人前に出てもおかしくないぐらい綺麗にしたのに、
 そしたら、恥ずかしくて人前に出られないとほざいてくれたんです。
 それまでの格好の方が、よっぽど女として恥ずかしい格好をしていたくせにですよ!」
「つまり、何処かに閉じこもっているってことだね?」
「ええ、説明をおっぽり出して引きこもってくれました!」

 頭が痛いと、クレオはこめかみをもみほぐす仕草をした。だがいくら嘆いても、現状が改善されるわけではない。「そう言う事です」とシギュンのことを総括したクレオは、「質問は?」とシンジ達に尋ねた。

「思考コントロールを見直したと言う事だけど、使い勝手が変わると言う事かな?」
「基本的には、変わらないようにしているという話ですよ。
 ただブースト機能が追加されているので、今まで以上の反応速度があると言う事です。
 マシロさんが仰有るには、碇様なら使いこなせるだろうとのことです」
「ずいぶんと、僕のことを買い被ってくれたんだね」

 苦笑を浮かべたシンジに、「碇様なら大丈夫です!」とクレオは下から見上げてきた。両手を組んで見上げてくるのは、相手が美少女だとなかなかポイントが高かった。だが相手が小学生だと思うと、とたんに何処かがしぼんでしまう気がする。差し引きゼロで平静を保ったシンジは、出来具合を見られるかとクレオに尋ねた。

「碇様用に調整してありませんので、今日は動かすのは無理だと思います。
 4日後には、調整に入れると思いますが……」
「クレオさん用には調整してあるんだろう?
 だったら、君が動かして見せてくれないかな?」
「はいっ、喜んでっ!」

 その元気の良さと身の軽さは、さすがはローティーンと言うところだろう。少しお待ちをと頭を下げたクレオは、ギムレーに乗るためにコントロールルームを出て行こうとした。それをちょっとと捕まえたシンジは、ラピスラズリに命じてクレオをギムレーのコックピットに転送した。
 クレオにとっては、いきなりコックピットに飛ばされたことより、シンジに腕を捕まれたことの方が重大だった。だから顔を真っ赤にして、抗議らしきものを口にした。

「い、碇様、驚かさないでください!」
「ごめん、こうした方が時間の節約になるだろう?」
「い、いえ、そう言う事じゃなくてですね」

 本当はいきなり手を捕まれたことを言っているのだが、さすがにクレオもそれを口にすることは出来なかった。だが電子妖精の目はごまかせず、ラピスラズリは「発情してますよ」とシンジに囁いていた。

「多感な時期なんですから、もう少し気をつけてあげてください。
 手を出したら、ええっとロリコンでしたっけ、そう呼んで差し上げますよ」
「さすがに、12歳と聞かされたらねぇ……」

 そう答えつつも、将来有望だななどと鬼畜な事を考えていたりした。それに感づいたのか、「余裕がありますね」とアヤセが皮肉を言ってきた。

「別に止めはしませんけど、
 手ぐすねを引いて待っている方が沢山いるのを忘れないでくださいね」

 改めて男性ラウンズの努めと言われると、なぜか急に気持ちが萎えてしまう。だからシンハ達も逃げ出したのかと、シンジは己の立場を省みたのだった。

 一方ギムレーの中に移動したクレオは、すーはーすーはーと深呼吸をして、高まった動悸を一所懸命押さえていた。遠く目で素敵と騒いでいる内は良かったが、実際に触れられると冷静ではいられなかったのだ。そのあたりが、まだ幼いというところなのだろう。
 それでも何とか気を静めたクレオは、無線で「始めます」とシンジ達に連絡した。

「気を落ち着けて落ち着けて……」

 意識しちゃだめと自分に言い聞かせ、クレオはギムレー2号機を起動させた。ここから先は、これまで何度もやってきた実験なのだ。だから落ち着いて、ギムレーの性能を最大限発揮させるのだと心の中で繰り返した。

 武器を使うわけでもなく、特殊能力を使うわけでもないデモンストレーションなのだが、ギムレー2号機の動きは大いにシンジ達を感心させた。動き自体非常にスムーズだし、アクセルを使っていないのに、とても素早い動きを見せてくれたのだ。その動きだけを取ってみれば、シンジがレベル4に設定したのに匹敵していた。

「なにか、自信を無くしてしまうような……」
「うむ、あれで機動兵器に乗って半月程度というのは凄いな。
 ひょっとしたら、シンジ様より凄いのではないのか?」

 それまでのバックグラウンドは分からないが、宙には機動兵器は持ち込まれていなかった。そうなると、クレオが機動兵器に乗って、まだ半月も経っていないはずだった。それなのに、目の前では自由自在にギムレーを操っているのだ。自信を無くすとチフユが言うのも、無理のないことだった。

「確かに、恐ろしいほどの才能だね。
 これで格闘のセンスが備わっていたら、シエル様以上の天才かも知れないな。
 ところでラピス、あの子はモーショントレースを使っていないんだろう?」
「正解です、でもよく分かりましたね」

 見事に言い当てたシンジに、ラピスラズリも驚いていた。

「身軽そうには見えたけど、あそこまでとは思えなかったからね。
 あとはそうだな、モーショントレースではあり得ない動きをしているからね」
「あれが、思考コントロールだけの動きですか」

 ますます凄いと感心したチフユに、逆に限界があるとシンジは答えた。

「この手の操作は、ちょっと集中を乱してやるととんでもないことになるんだよ。
 ラピス、彼女のところにプライベートコールを入れてくれないかな?」
「あまり虐めるのはよろしくないと思いますよ」

 一応意見は言ったと、ラピスラズリはクレオにシンジからプライベートコールがあることを伝えた。そしてたったそれだけのことで、急にギムレーの動きがぎくしゃくとしてきた。目指す効果が出たことで、シンジは声を掛けることを控えることにした。

「とまあ、思考コントロールの弱点がもろにでるとこう言うことになるね。
 これだけできるだけでも凄いんだけど、この弱点がある限り使い物にならないだろうね」
「そのあたりは、訓練で乗り越えられるのではありませんか?」
「確かにそうだけど、それが彼女にとって幸せなことかどうか分からないんだよ。
 彼女は、ブレイブスになるつもりで出てきたんじゃないだろう?」

 そう答えたシンジは、デモを終わらせるようにとラピスラズリに伝言した。これまでの動きで、ギムレー2号機の仕上がりが順調なことは理解できたのだ。だったら最後の調整まで、邪魔をしない方が自分のためだと考えたのである。

「ラピス、彼女がドックに戻ったら、こっちに転送してくれないか?」
「その前に、連れてきて良さそうか確認させてください。
 年頃……にはまだ早いですけど、やはり女の子ですから色々と事情があると思いますので」

 クレオに気を遣ったラピスラズリに、シンジは口元を歪めて「任せる」と答えた。思考コントロールだけだと考えれば、汗とかを気にする必要は無いはずだった。だが本当にそれだけかと言われると、さすがにシンジも女性の事情には詳しくなかった。

「ところでアヤセ様、これで今日の目的は達したと思います。
 このまま設定を煮詰めて貰えば、ギムレー2号機は十分役に立ってくれると思います」
「性能が向上したと言う事ですから、シンジ様が乗ったときにどうなるかが楽しみですね」

 アヤセの言葉に頷いたシンジは、慣らしに付き合うようにとフェリスに命じた。機体性能を測るには、フェリスと手合わせするのが一番分かりやすかった。

「うむ、前と一緒のことをすればいいのだな?」
「くれぐれも、加減を考えてくれるようにお願いするよ」
「慣らしというのは、正しく性能を発揮してこそ慣らしなのだ。
 シンジ様が不在の間にレベルアップした私をお見せしようと思っています!」

 楽しみだと口元を歪めたフェリスに、勘弁してとシンジは懇願した。ギムレー2号機の慣らしだけならいざ知らず、シンジ自身の慣らしも同時に行わなければならないのだ。条件だけを考えると、前よりもずっと悪くなっていたのだ。だから本気のフェリスを相手にしたら、一番最初に自分の体が根を上げてしまうだろう。

「そのあたりは心配しないでくれ。
 それにもしものことがあれば、この私が優しく看病して差し上げよう」
「……機体のテストで、そんな目に遭いたくないんだけどな。
 それに、つい最近までずっと液体漬けになっていたんだから……」

 これ以上リタイアすると、存在自体を忘れられかねない。だからお手柔らかにと、フェリスに対して繰り返したのだった。
 そんなやりとりをしていたら、ドックに戻ったクレオが転送されてきた。やたらと髪を気にしているのは、やはり女の子と言うことだろうか。そんなクレオに、「凄いね」とこの場における正当な評価をシンジはしたのだった。

「クレオさんは、機動兵器を扱う才能があるね。
 たぶん、ここにいる誰よりも一番機動兵器への適正があるんじゃないのかな?」
「そそそそ、そうですかっ!」

 視線を合わすように、シンジは少し腰を折っていた。そのおかげというか、とても顔が近くなっていたのである。まだ12歳の少女にとって、憧れの人の顔が近くにあるというのは頭に血を上らせるのに十分な条件だった。はっきりと動揺を顔に出したクレオは、「あああありがとうございます」とどもりながら礼を言った。

「だけど困ったことに、僕が乗るときにはあれ以上のことをしなくちゃいけなくなったんだよ」
「ででですが、碇様ならもっと凄いことが出来ると思っています!!」
「ありがとう、頑張ってみるよ」

 子供にするように、シンジはクレオの頭に手を当てて“撫で撫で”と頭を撫でた。相手が子供だと考えれば、別に不思議なことではないのだろう。だが頭に血が上ったクレオにとって、その行為ははっきり言ってとどめを刺すことになってしまった。少し体を伸ばしたと思ったら、そのまま後ろにゆっくりと倒れてくれたのだ。

「さすがはシンジ様、こんな子供をいかせてしまったのか?」
「フェリス様、それはいささかはした無い表現でしょう。
 この場合は、単純に感激のあまり失神してしまっただけです」

 後ろからクレオを支えたチフユは、感受性が強いのだなとクレオのことを見た。見た目で大人と子供の違いはあるが、弟のワカバとクレオは同年代なのだ。そう思うと、とても優しい気持ちになることが出来た。

「なるほど、ならばチフユの場合はどちらだったのだ?」
「ノーコメントです」

 よいしょとクレオを抱え上げたチフユは、「どうしましょうか?」とシンジの顔を見た。これから戻るにしても、このままクレオを連れて帰るわけにはいかない。かと言って、この場に残しておくのも大人として問題のある行為に違いない。だからシンジにお伺いを立てたのだが、だからと言って答えを持ち合わせているはずがなかった。

「まず、そこの椅子に座らせてくれるかな?
 あとは、陰から覗いている引きこもりさんに任せることにしよう」

 シンジが視線を向けた方で、何かが動いたような気配があった。そして物陰からちらりと覗く金髪に、ここまでは出てきたのだなと全員が理解した。

「それに、ここでしたら危ないと言うことはないでしょうね」
「うむ、他のメカニック達は、シンジ様のような趣味は持っていないからな」
「……フェリス、僕のような趣味とはどういうことかな?」

 とても人聞きの悪いことを言われた気になったシンジに、フェリスはそのものずばりの指摘をおこなった。このあたりは、DB共有の掛かっているラピスラズリの入れ知恵があったのだろう。

「ラピスラズリに聞いたが、テラではそう言うのをロリコンというのだそうだ」
「碇様、それって軽蔑される嗜好ですよ」

 フェリスとチフユの二人の決めつけに、勘弁してとシンジは白旗を揚げたのだった。



 シンジが復帰したというニュースは、当然すべてのヴァルキュリア達に伝わっていた。そしてヴァルキュリア達に伝われば、配下のラウンズに伝わるのも自明の理だった。そのおかげとでも言うのか、円卓会議構成メンバーに、安堵の空気が広がっていた。

「シンジ様においでいただくようにお願いしないのですか?」

 その中で、一番シンジに会いたがっていたのは、ヴェルデで間違いないだろう。シンジが復帰したその日から、屋敷の中で落ち着かないそぶりを見せていたのだ。そして二日目ともなると、更にその様子は酷くなっていた。それを見かねたサラの言葉なのだが、返ってきた答えは「苦手なのよ」と言う物だった。

「苦手とは……アヤセ様のことがですか?」
「他に、誰か対象となる相手が居て?
 まあ、苦手と言うより、あまり知らないからと言うのが一番大きいのだけど。
 ここのところ円卓会議が開かれていないから、あまり顔を合わせていないのよ。
 それに新ヴァルキュリアのお披露目をするような空気じゃなかったでしょ?」

 ヴェルデが尻込みするのを、サラも分かるような気がしていた。それだけエステルと仲が良かったと言うことなのだが、未だアヤセを受け入れることが出来ていなかったのだ。そのアヤセに対して、シンジのことを話しにくいというのは気持ちとしてよく分かったのだ。

「ですが、ヴェルデ様はシンジ様の後見人ですよ。
 だったら、あまり深く考えずに顔を出すようにと伝えれば良いと思います」
「確かにサラの言う通りなんだけど……
 それに、ヴァルキュリアとラウンズなんだから、遠慮することはないとは思うんだけどね」

 それでもヴェルデが尻込みするあたり、まだ事件の後遺症が残っていると言うことになる。事実ラウンズ筆頭は、未だカノンが代行しているし、シエルの復帰まではまだ時間が掛かる見込みだった。しかも本当にシエルが復帰できるのか、未だはっきりとしていないのが実情だった。

「なかなか押しかけにくいと言うのは、確かに私も感じています。
 あのレグルス様が押しかけないのですから、やはり何かが変わってしまったのでしょう」

 その変わった理由は、シエルとの激戦が理由なのは言うまでもない。カノン、マニゴルド、サークラの3人がかりでも、トロルスに犯されたシエルを止めることが出来なかったのだ。そのシエルに対し単機で臨み、とどめこそ刺せなかったが互角以上の戦いを繰り広げたのだ。それで全員の命が助けられたとなれば、もはや経験1年の新米ラウンズとは言っていられない。その切換が出来ていないのも、会いに行きにくいという理由となっているのだろう。

 だがそんな膠着した空気も、スカーレットが接続してくるまでだった。ラピスラズリからの伝言ですと割り込んできた電子妖精は、ヴェルデに「良かったですね」と言ってきたのだ。

「ラピスラズリから、シンジ様がご挨拶に伺いたいとの連絡が入りました」
「し、シンジ様がですって!!」

 慌てて椅子から飛び上がったヴェルデは、「それは本当?」と意味のない質問をスカーレットにした。事実をありのままに伝える電子妖精なのだから、主に虚偽情報を伝える理由がないのである。だからスカーレットの答えを待たず、深呼吸を一つしたヴェルデは重要な質問をしたのだった。

「それは、挨拶だけなの?」
「ヴェルデ様のご都合に合わせるとのことです。
 ラピスラズリが言うには、一応お泊まりも可だそうですよ」

 もう一度良かったですねと言うスカーレットに、うんうんとヴェルデは涙ぐみながら頷いた。復帰した翌日に、お泊まり込みで自分の所に着てくれるのだ。それだけ大切にされているという思いに、ヴェルデは感激したのである。

「シンジ様に、歓迎いたしますと伝えなさい。
 それからサラ、今夜はここで晩餐をしますからね。
 レベル7以上を全員集合させなさい」
「畏まりましたヴェルデ様」

 シンジのことは、配下のブレイブス達にとっても心配事だったのだ。彼らが命を繋げたのも、全てシンジの活躍によるものだった。そこに配慮した主に、さすがはヴァルキュリアだとサラは感心したのである。だからサラは、スカーレットに全員に招集をかけるようにと命じたのだった。

「シンジの復帰を、私たちも祝うことにする。
 これまでにない盛大な晩餐を行うよう、側仕え達にも直ちに指示をしろ!」
「畏まりましたサラ様!」

 スカーレットの答えも、いつもと違って元気に溢れているようだった。だが受け取る側の気持ちかと、すぐにサラは考え直したのだった。それだけ自分自身が落ち込んでいたのだとサラは気づかされたのだった。

「シンジに、どこかで時間を取って貰わないといけないな」

 それが一体いつになるのか、それを考えたら候補者があまりにも多いことに気付いてしまった。待ち時間の長さをさを考えたサラは、主に混ぜて貰うことを相談しようかと真剣に考えたのだった。



 レグルスにとって、シエルがトロルスに犯された事件は、彼の考え方を変えるきっかけとなった。ドーレドーレやハイドラの判断は、彼の持っている常識からすれば、どこにも疑いようのない物だった。それを考えると、確実を期すため自分が眠らされたのも仕方の無いことだと理解することが出来た。シエルの実力は嫌と言うほど知っているし、それが強化されたとなれば、自分では時間稼ぎも出来ないことは分かっていたのだ。それならば、終息後に必要な措置を執ること自体、当たり前すぎて議論の余地は無いと思っていたのだ。
 だがその常識を、弟分とも言えるシンジがぶちこわしてくれたのだ。ヴァルキュリアの決定に反したことは、今でも愚かなことだと思っている。ただシンジの行動自体、レグルスも共感している部分があったのだ。もっとも共感はしていても、次に同じことが有れば自分はヴァルキュリアの指示に従うと思っていた。ただその時でも、何が最善なのかはアルテーミスと話をしたいと思っていた。

 考え方の整理は出来たが、レグルスにとって一番大きかったのは、シエルと戦ったときのシンジの力だった。全ての戦いが記録されているため、カノン達の戦いを含め、レグルスは何度も記録を見直していた。その度に驚き、その度に悔しい思いを繰り返したのだ。そしてシンジの戦いを見ながら、自分ならどうすると何度も自問を繰り返したのだった。

 レグルスにとって、シンジの戦いは驚きの繰り返しだった。カノン達が一蹴されたのを見ても、シエルの戦闘力は驚異としか言いようの無い物だった。そのシエルに対し真っ向勝負を挑み、そして最後には動きを止めてフェリスに撃破させている。非常識とも言える速さにも驚かされたが、戦いにおける冷静さは更にレグルスを驚かせたのだ。
 一方で、シンジの戦いに対して歯がゆさも感じていた。速さにおいては、シンジは完全にシエルを圧倒していたのだ。それなのに、戦いの上では互角にまでしか持ち込めていなかった。殺せないというハンデがあったにしても、圧倒できるはずだと言うのが繰り返し戦いを分析したレグルスの結論だった。それが出来ないシンジに対して、どうしようもない歯がゆさを感じたのである。

 シンジが復帰してすぐ、レグルスは「お願いがある」とアルテーミスに切り出した。

「それで、私は何をお願いされるのですか?」

 後始末から戻って以来、ずっと自分のカヴァリエーレが悩み続けていることは知っていた。もちろん、その間何をしていたのかはアレクサンドライトから報告を受けている。悩んで当たり前の理由と、そして悩んでいる方向性を理解したアルテーミスは、レグルスが結論を出すまで見守っていたという事情があった。
 そしてようやく、レグルスは自分のところに結果を持ってきてくれた。さすがは愛するカヴァリエーレと、アルテーミスはレグルスの言葉を待ったのだった。

「しばらくお暇をいただきたいと思っています。
 私が不在の間は、ニケに任せようと思っています」
「それで、シンジ様の指導に行くと言うことですか?」
「お気づきでしたか」

 その物ずばり言い当てられて、レグルスは少し目を見張って驚いた。だがアルテーミスにしてみれば、驚くほどでも無い申し出だった。何しろ似たことが、アルファーラの方でも起きていたのだ。それを聞かされているだけに、いつか来るだろうと考えていたのである。
 「はい」と答えたアルテーミスは、「よほど皆さん歯がゆかったのですね」とレグルスの思いをぴたりと言い当てた。

「マニゴルド様が、同じことをアルファーラさんに申し出たと言う事ですよ。
 あなたも含め、シエル様との戦いを見て、自分に何が出来るのかを考えたのでしょうね。
 ただアルファーラさんは、押し売りは良くないと諫めたそうです。
 そして私も、アルファーラさんと同じ考えですよ」
「私の考えは、押しつけになると言うのですか」

 口を一文字に結んだレグルスに、「そうですね」とアルテーミスは言い切った。

「その必要性を一番感じているのは、誰よりもシンジ様ではないでしょうか?
 アヤセさんのところには、フェリスもいますから練習相手に事欠かないと思いますよ。
 テラから連れてきた女性もお強いと言う事なので、まずは身内から始めるのが筋だと思います。
 そしてその上で、助力を求められたら手助けするのが私たちの役目ではないでしょうか?」
「仰有ることは理解できます……いえ、仰有る通りだと思います」

 レグルスが聞き分けたことに、良かったとアルテーミスは喜んだ。別に派遣することに反対をしているつもりはないが、それでも相手のことを考えるのが必要だと思っていたのだ。ただ相手が助力を求めやすくするため、アヤセには伝えておこうと考えていた。

「でもシンジ様を鍛えたら、ますます敵わなくなってしまいませんか?」

 前の戦いでも“負けた”とレグルスは思っていた。そこにこの話を持ち出すのは、少し困らせてみようという気持ちからに違いない。だがアルテーミスのいたずらに、レグルスは胸を張って「それとこれとは違います」と言い切った。

「我々全体の戦力向上を考えることと、私の思いとは別のところにあると思っています。
 そして申し上げるなら、ただ早いだけの未熟な相手に勝っても嬉しくありません。
 シンジの奴を遙か高見に持ち上げて、それをこの手で打ち倒したいと思っています!」

 いかにもレグルスらしい答えなのだが、アルテーミスは「格好良い」と惚れ直してしまったのだった。







続く

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