機動兵器のある風景
Scene -48
同じ代わるにしても、代わり方が良ろしくない。それが、エステルに代わってヴァルキュリアに就任したアヤセの考えだった。今のままでは、ヴァルキュリアとしての尊敬は、全て前任者のエステルに向いてしまう。そして自分に対しては、そのエステルを追い出したという反発だけが向けられることになる。懐柔しようにも、懐柔する手段がないと、やる前からアヤセは諦めていた。
だがいくら懐柔を諦めていても、ヴァルキュリアとして組織を運営して行かなくてはならない。そのためには、欠けてしまったカヴァリエーレの穴埋めをする必要があった。そのために、一番の実力者であるフェリス・フェリを呼び出した。
もともとフェリスと言う女性は、とても表情が豊かなところがあった。シンジの前で見せる愛らしさは別にして、エステル達に反抗していたときも、不満や嘲りを顔にしっかりと出していたのだ。だから周りの者も、フェリスの顔を見れば、おおよその想像を付けることが出来たのだ。
だがアヤセに呼び出された時には、フェリスの顔にはこれと言った表情が浮かんでいなかった。しかも呼び出されてきたのに、フェリスはアヤセの顔も見ようとはしなかった。精緻に作られた、美しい人形というのが一番似つかわしい状態だろう。
顔だけ向けられているが、視線が自分に向けられていないのは知っていた。だがアヤセもそれを気にすることなく、事務的にフェリスをカヴァリエーレ“代行”に任命した。
「フェリス、あなたにはカヴァリエーレ代行を努めて貰います」
「承知した。
呼び出された用件はそれで終わりか?」
全く感情の起伏のない声で聞き返したフェリスに、アヤセも「そうね」とあっさりと返した。そして黙って出て行こうとするフェリスに、「あたる相手を間違えている」と声を掛けた。
「私は、エステルの代わりを務めろと言われたからここに来ただけよ。
今回の決定には、何も関与していないのを忘れないでね」
アヤセの言葉に、フェリスは背を向けたまま立ち止まった。だが一言も発することなく、アヤセの部屋を出て行った。あまりにもとりつく島もない態度に、これでうまく行くと思っているのかとアヤセは文句を言いたかった。だがいくら不満を口にしたところで、今の状況が改善されるわけではない。それもあって、アヤセはもう少し前向きなことを考えることにした。
「さてラピス、半月経つけどブレイブス達の様子はどうかしら?」
「言うまでもなく、最低という所でしょうか。
メイハ様が引退されたこともあり、全く統制が掛かっていない状態にあります。
ただサボっていると言うより、何をして良いのか分からないと言う所かと。
心の拠り所が失われたというのが、一番正しく現状を表していると思います。
ただ訓練自体は、今まで通りに行われていますね」
「ここに来て、メイハの引退は痛かったわね」
問題が起きて早々、メイハはアヤセに引退届を出したのだ。通常ならば許可できないところなのだが、妊娠を理由にされれては受理するほかはなかった。
「マシロ様の退職も問題が大きいかと思います」
「あの子は、ユニバシオーネに戻ったのかしら?」
もともとユニバシオーネから、シンジのためにエステルの配下に加わっただけなのだ。その目的が無くなったなら、元の鞘に収まるものだとアヤセは考えた。
「いえ、ユニバシオーネには戻られていないようですね。
キララを返上されたので、現時点で消息不明です。
ただ身籠もられているので、そう遠くには行かれていないと思いますが」
「こっちも、シンジ様の子供というわけね」
はあっとため息をついたアヤセは、「貧乏くじを引いた」とラピスラズリに愚痴を言った。
「だいたい、シンジ様が居るからと思って下りてきたのに。
それなのにシンジ様は、反逆者として賢人会議預かりになっているじゃありませんか。
しかも人間関係はぐちゃぐちゃになっているし、カヴァリエーレ代行は反抗的だし。
このまま行ったら、私が無能の烙印を押されてしまいますわ」
「おそらく、ドーレドーレ様もうまく行かないことは理解されていると思います」
誰がやってもうまく行かないというのが、元エステル配下の状況だった。その分他のヴァルキュリア達からは同情的に見られているが、だからと言って何かの役に立つわけではない。アヤセが愚痴を言ったとおり、とびっきりの貧乏くじを引いたことになる。
「それにしても、レベル7以上が19人しか居ないなんて。
しかも1ヶ月前には、レベル10オーバーが3人いたいのに、今はたったの1人なのよ。
気持ちの問題を除いても、体制的にもぼろぼろじゃない。
ここから立て直そうにも、めぼしいブレイブスは他にいないんでしょう?」
「めぼしいという意味なら……シンジ様が連れてきたチフユが居ます。
この半月で、レベルを2つ上げて6になっています。
今のままなら、レベル7到達は時間の問題かと思われます」
ラピスラズリとしては、明るい話題のつもりで霜月チフユの成長を取り上げた。確かに僅か半月で、レベル4から6へと成長したのだ。そして配下のレベル6の中でも、すでに頭角を現しているという。その事実だけを取り上げれば、ラピスラズリの考え通り、明るい話題となっていただろう。
だがチフユの名前を聞いたアヤセは、だめだめと首を振って見せた。
「シンジ様が連れてきて、なおかつフェリスべったりなんでしょう?
だったら、大人しく私の言うことを聞くと思う?」
「まあ、まず間違いなく反抗的な態度を取るでしょうね。
さもなければ、徹底的に無視をしてくるのではないでしょうか?」
「だったら、体制の立て直しに役に立ってくれないでしょう?」
ふうっとため息をついたアヤセは、「やーめた」と仕事を放棄することにした。いくら仕事をしても、それが役に立つとは思えないし、悶々とするぐらいなら気分を変えた方がよほどマシだと考えたのだ。
これがエステル相手なら、ラピスラズリは皮肉の一つもぶつけていただろう。だがアヤセの気持ちも分かると、「お風呂にしますか?」と気分転換の方法を聞いてきた。だがアヤセからは、思いも寄らない場所が指定された。
「お風呂なら、もっと後から入ることにするわ。
それよりもラピス、エリア0に連れて行ってくれないかしら?」
「エリア0ですか……少しお待ちを」
おそらくユーピテルにアクセスしているのだろう、ラピスラズリにしては珍しく、すぐに答えを返してこなかった。それもそのはず、エリア0はトロルスに汚染されたシエルとシンジが収容された施設だった。そこに現役ヴァルキュリアが行こうというのだから、話が簡単であるはずがなかった。
「一つ確認しますが、当然シンジ様のブロックですよね?」
「私が、シエル様の所に行くことに意味があるのかしら?」
「そう思っていますが、一応確認させていただいただけです。
どなたか賢人会議議員の承諾があれば行けるのですが……」
「誰も、承認してくれないってこと?」
時間が掛かると言うことは、それだけ手続きに難航していると言うことになる。それを確認したアヤセに、その通りですとラピスラズリは答えた。
「シズク様、イシバ様以外の方からは断られました。
現在イシバ様とコンタクトを取ろうとしているのですが、なかなか捕まらなくて……」
「でしたら、シズク様の許可を貰えば良いでしょう?」
「賢人会議議長様のですかっ!」
驚いたような反応を返すラピスラズリに、「大丈夫です」とどこに根拠があるのか分からない保証をアヤセはした。
「正規の手続きを踏んでいるのですから、処罰されるようなことはありませんよ」
「そうは言いますけど……」
恐る恐る賢人会議議長のシズクにコンタクトしたラピスラズリは、「驚きました」とアヤセに許可が出たことを伝えた。
「どうして、すぐに許可がでるのですか?
シンジ様の扱いは、今は非常に微妙な物になっているのに」
「賢人会議が開かれるのは明日でしたっけ?」
「そこでエステル様、シンジ様への処罰が決まることになっています」
今の情勢は、建前が強く叫ばれているものになっていた。その状況を考えると、二人には重い処罰が下されると噂されていた。だからこそ、アヤセのエリア0行きに議員達が許可を出さなかったのだ。
それなのに、賢人会議を統括する議長から、ほとんど二つ返事と言って良い乗りで許可が出たのである。ラピスラズリが驚く正当な理由があったというわけだ。
だがラピスラズリがどう考えたのかは、アヤセにとって重要な事ではなかった。許可が出たのだからと、アヤセは立ち上がってクローゼットへと向かったのだ。
「お着替えですか?」
「シンジ様の前に出るのに、着古した格好ではいけないでしょう?」
「ですが、今のシンジ様は何も見えないし何も聞こえない状態ですよ?」
だから着飾っても無駄だとラピスラズリは言うのである。だがアヤセにしてみれば、ラピスラズリの考えは大きな間違いだった。
「どうして、大好きな人の前に行くのに、みすぼらしい格好をしていけますか?
見える見えないというのは、大きな意味を持っていないんですよ。
私は、シンジ様の前ではいついかなる時でも綺麗でいなければいけないんです。
エステルは、あなたにそう教えていませんでしたか?」
「エステル様は……」
どうだったかと検索をしてみたら、確かにいつも綺麗に身だしなみを整えていた。親密さから来る悪ふざけはあったが、それでも「綺麗」と言う基本線は守っていた。
「確かに、だらしない格好をされていたことはありませんね?」
「いつも綺麗でいるというのが、ヴァルキュリアの心がけですからね。
特に大好きな人の前なら、いつも以上に綺麗でいたいというのが私たちの気持ちですよ」
「ですが、アヤセ様はシンジ様とお会いしたことはありませんよね?」
それなのに、アヤセの口からは「大好き」という言葉が自然に出てくるのだ。それを疑問に感じたラピスラズリに、「ヴァルキュリアですから」と言う、答えにならない答えをアヤセは返してきた。
「レグルス様が駄目とは言いませんが、私はシンジ様が一番良いと思っているんですよ。
だから早く24にならないかと、心待ちにしていたんです。
24になれば、シンジ様が私に逢いに来てくださるんですからね。
それが繰り上がったのですから、嬉しくないはずがないでしょう?」
「でも、シンジ様は……」
このままいけば、かなり重い罰が与えられることになる。少なくとも、ラピスラズリにはラウンズに復帰することは想像が出来なかった。
だがアヤセの意見は、ラピスラズリとは違っていた。
「今回の件で、上は大騒ぎになっているんですよ。
もしも地上がヘルに覆い尽くされたら、次は自分達の番だと誰もが思ったのでしょうね。
ただ大騒ぎをしていても、具体的なアイディアは誰も出せないのが現実なんです。
たぶんですけど、賢人会議の議員さん達も肝を冷やしたのではありませんか?
だから不手際に対して騒ぎ立てるでしょうけど、それ以上は何も出来ませんよ。
適当な軽い処分をして、振り上げた拳を収めるのが精一杯だと思いますよ」
「お尻に火が付いた……と言うことですか?」
テラで覚えた例えを使ったラピスラズリに、「面白い言い回しね」とアヤセは笑った。
「今度も大丈夫と高をくくっていたら、とんでもないことになったと慌てたのでしょうね。
この100年ほど、うまくヘルの拡大を食い止めている事実があるでしょう?
これから技術開発が進めば、もっと押さえ込めると思っていたんじゃありませんか?
そこに来てヴァルキュリアシステムが壊滅しかけたのですから、
火が付いたとしたら、思いっきり大きな火が付いたのでしょうね」
面白いわと笑うアヤセに、「そう言う事ですか」とラピスラズリは理解した。渦中にいるドーレドーレには分かりにくいが、宙を含めてアースガルズ全体が騒然としているのだ。それを沈静化するためには、安心できる何かが必要となると言うのである。
「つまり、シンジ様を処分できるはずがないと仰有るのですね?」
「今回の問題を無事収めた立役者なんですよ。
決まりを盾にとって処分したら、逆に賢人会議が突き上げを食らうことになります。
シンジ様を処分するのなら、それ以上の迎撃態勢ができる事を示さないといけませんからね。
でも、今の状況を見たら、絶対にそんなことは言えないでしょう?
それにトロルスに犯された筆頭を救った英雄の処分なんて、大衆が許すと思います?
それぐらいのことは、賢人会議の議員さんならちゃんと理解していますよ」
アヤセの言葉通りなら、彼らは絶対にシンジを処分することは出来ないのだ。世界を不安が襲ったのなら、その不安を解消する“何か”を示す必要がある。そしてその“何か”が有るとしたら、破滅を救った三人以外あり得なかったのだ。
だがすでに、ヴァルキュリアの交代は行われていた。アヤセの話が正しければ、エステルが戻ってこなければ話がおかしくなる。そのあたりに話の矛盾があるとラピスラズリは考えた。
「アヤセ様とエステル様の関係はどのようになるのですか?」
それもあってのラピスラズリの質問に、アヤセは口元を緩めて「どうでしょうね」と答えをはぐらかした。
「私は、別にヴァルキュリアの地位に未練など有りませんよ。
でも、せっかく降りてきたのだから、少しぐらいはいい目に遭いたいと思いません?」
「それが、シンジ様ですか?」
「それ以外に、私へのご褒美があると思います?」
何で褒美が必要なのかは分からないが、アヤセの考え方は理解することが出来た。そしてもう一つ、ちまたで囁かれているように、二人が厳罰に処されることがなさそうなのも理解できた。おかげで電子妖精のくせに、少し気分が楽になったとラピスラズリは感じていた。
「でしたら、このことをフェリス様に教えて差し上げたらどうです?
そうすれば、アヤセ様への態度も改まると思いますが?」
「一応奥の手では考えていたんだけどね。
せっかくだから、フェリスの許可も取ってくれないかしら?」
「畏まりました」
嬉しくなる話を聞かせてくれたお陰で、ラピスラズリの応答も良好なものになっていた。だがあまりにもアヤセの話通りに進むため、何かあるのかと逆に疑ってしまったほどだ。何のことかというと、フェリスへの許可があっさり出たことである。
「フェリス様への許可が出ました……
こう言っては何ですけど、裏で繋がっていませんか?」
「嫌ね、私は単なるバックアップよ。
賢人会議議長様とのコネなんか持っているはずが無いわ」
「それは、まあ、常識的にはそうでしょうね」
もともと単なる印象なのだから、否定されればそれ以上何も言えなくなる。それにアヤセの言う通り、ただのバックアップに賢人会議議長と繋がりがあるはずがないのだ。何事もなければ、24の歳にラウンズの子を授けられ、バックアップの任を解かれるだけの立場なのだ。
「ところで、フェリスには連絡しましたか?」
「はい、お着替えするから待って欲しいとの連絡がありました。
そのあたりは、アヤセ様と同じなんですねぇ」
恋する女性なのだから、どんなときでも綺麗な格好でいたい。フェリスの行動は、アヤセの言葉を裏付けていた。それを口にしたラピスラズリに、何を今更とアヤセは冷たい眼差しをしたのだった。
サイド1は、太陽とのラグランジュポイントのうち、地球の内側に位置するL1に作られた“コロニー”と呼ばれる施設だった。ヘル対策として一番最初に作られたため、収容人口は1千万と小型で、なおかつ遠心力を重力代わりに用いた旧世代の設備となっていた。後に人口重力を活用した大規模コロニーが建造されたため、今は2百万人程度しか居住者が残っていなかった。
ただ老朽化はしていたが、ロケーションの関係でサイド1は重視されていた。特にアースガルズの大地を観測するのに都合がよいこともあり、ヘル対策の拠点とされていたのだ。賢人会議や円卓会議直轄となる研究機関も、このサイド1にいくつも設置されていた。そしてシンジ達を収容した、エリア0と言われる場所も、サイド1の中に作られていた。
エステルの場合、痩せても枯れてもヴァルキュリアと言う立場を持っていた。従って、処分が決まるまの対応として、サイド1に送られていたのだ。そこでの収容施設……と言っても、かなり立派な宿泊施設に、半分軟禁状態に置かれていたのだった。
そのエステルに、賢人会議の翌日ドーレドーレは会いに行った。目的は、会議の決定を伝えることと、その決定に従い、居住区画を移動するための手続をすることである。特にエステルには、シンジが守られたことを伝えなければいけないと思っていた。
組紐を使ってサイド1に移動したドーレドーレは、空と大地が逆転している景色に驚いた。遠心力が重力の代わりとして使用された関係で、サイド1は円筒形をしていた。だから空を見上げると、反対側の大地が見えるという不思議な景色を見ることが出来るのだ。
「私たちは、こんなに巨大な施設を作り上げることが出来たのですね」
上空を見れば反対側の大地が見え、円周方向に視線を向ければ、大地がせり上がっていくのを見ることが出来る。そして回転軸方向を見ると、見通せなくなるほどまっすぐと延びた景色を見ることが出来た。世界が円筒形だと言われれば理解できるが、地上にいたドーレドーレにとって不思議としか言いようの無い景色だったのだ。そしてその景色こそ、アースガルズの科学が作り上げた巨大建造物の姿だった。
「サイド1、私たちが最初に作ったコロニー。
今はこれよりも大きなコロニーが、50個もあるのですか……」
こうして宇宙規模の設備を見せられると、人というのは偉大なものだと思えてしまう。だがどうしようもない巨大な設備に暮らす人々も、ヘルの浸食に日々怯えていると聞かされていた。
凄いですねと驚いていたところ、どこかで見覚えのある少女が一人近づいてきた。ただ見覚えはあったが、まさかここにいるとは想像もしていなかった相手だった。短めの髪をおかっぱにした、少し表情に乏しい少女は、ドーレドーレに「お迎えに上がりました」と頭を下げた。
「ありがとう……と言いたいところですが、なぜあなたがここにいるのですか?」
「もちろん、わが主マシロ様がいらっしゃるからです」
質問の答えにはなっていたが、自分の期待した答えとはかけ離れていた。だからドーレドーレは、もう一度言葉を換えて質問を繰り返した。
「何故、マシロがサイド1に居て、あなたが私を迎えに来たのですか?」
「それは、わが主にお尋ねください。
私は、ただドーレドーレ様を迎えに行くようにと命じられただけです」
またしても答えをはぐらかされたのだが、それ以上答えに拘っても仕方がないと諦めることにした。マシロに会えば分かると言われたのだから、会って問い質せばそれですむだけだと割り切った。
「私は、エステルに会いに来たのですよ」
「承知しております。
いまエステル様は、わが主と一緒に居られます」
こちらにと案内された先には、少し旧式の磁気浮上車が待っていた。ミユはドーレドーレを後部座席に押し込み、助手席側へと自分は座った。
「では40分ほど我慢をお願いします」
ミユが指示を出したのか、磁気浮上車は滑るように走り出した。そして走り出してすぐに、ミユの言う我慢の意味をドーレドーレは理解することが出来た。どこまで行っても、景色が変わってくれなかったのだ。
「景色が、全く変わらないのですね?」
「特に、このあたりはそう作られているようです。
通常の居住区画であれば、公園等が作られていますので景色に変化があります」
「音楽とかそう言うものは掛けられないの?」
ミユ相手だと、会話が弾むと言うことはあり得ない。だからと言って、楽しもうにも窓の外の景色は変わってくれなかった。だったら音楽でもと思ったのだが、申し訳ありませんと謝られてしまった。
「だから我慢と言うことなのね?」
「普段は、車内での娯楽は求められていませんので。
それに居住区画は、もう少し変化に富んでいます」
つまり、組紐の接続点からの道のりに問題があると言うことになる。帰りもそうなるのかと、ドーレドーレはサイド1に来たことを少しだけ後悔していた。ただ「遊びじゃない」と自分に言い聞かせ、退屈な行程はニンフに相手をして貰うことで我慢することにした。見た目は人間のミユより、電子妖精の方が気の利いた会話をしてくれるのだ。
どこまで行っても変化のない景色だったが、最後の5分になったところで見慣れた……アースガルズでも良くある景色へと変化した。その証拠とでも言うのか、通りに人影も見られるようになっていた。いささか人気が少ない気もするし、服装も地味すぎる気もするが、居ないよりはマシとドーレドーレは思うことにした。
そしてどこかで見たような繁華街の中にある、少し目立った建物の前で磁気浮上車は停止した。先にミユが車から降り、「こちらです」とドアを開いた。
「昨日から、エステル様のお部屋が一般フロアに変更されました。
とは言っても、見張りがついているか居ないかの違いしかありません」
「すでに、賢人会議の決定が知らされていると言うことですね?」
決定が成されてから、すでに20時間が過ぎているのだ。官僚的な組織だと考えれば、手続きがされていてもおかしくはなかった。そうですかと頷いたドーレドーレは、ミユに導かれて建物の中へと入っていった。
「人が、少ないのですね?」
「かつてはホテルとして営業していたのですが、人口の減少に伴い官営の宿泊施設になったとのことです。
もう少し中心部に行けば、営業しているホテルもあるそうです」
人が少ないおかげか、誰もドーレドーレに関心を示さなかった。面倒を避けるという意味ではありがたいが、寂しい場所だなと思ってしまった。
「マシロも、この宿泊施設に泊まっているのですか?」
「主は、こちらにご自宅をお持ちです。
ドーレドーレ様がいらっしゃると言うことなので、本日はこちらに見えています」
「いったい、どこで聞きつけてきたのかしら?」
誰にも、エステルにも知らせていないのに、どうしてマシロが嗅ぎつけたのだろうか。そもそも接合箇所への迎えも、サイド1の関係者が来ることになっていたはずだ。その姿が見えなかったところを見ると、マシロがサイド1と繋がっているのだと想像できる。
エレベーターで10階まで上がったところに、エステルの部屋が用意されていると言うことだった。官営の割には立派な絨毯の上を歩き、ドーレドーレは一つの扉の前に案内された。そこでミユは、ノックを二度してからゆっくりドアを開けた。
「エステル様、マシロ様、ドーレドーレ様をお連れしました」
ミユが頭を下げるか下げないかの内に、ドーレドーレは両手をエステルに取られていた。驚いて前を見ると、満面の笑みを浮かべたエステルの顔がそこにあった。
「ありがとうございます。
約束通り、シンジを守ってくださいましたね!」
「い、いえ、私は……」
結果的にシンジは守られたが、それはドーレドーレの手柄ではなかった。だがエステルにとって、誰の手柄かは些細なことのようだった。こちらにどうぞとソファーに案内したエステルは、ドーレドーレの前にお菓子を一杯並べてくれた。そしてそれから少し遅れて、マシロがお茶の用意を持って現れた。
「まさか、あなたがここにいるとは思いませんでしたよ」
「サイド1は、私の生まれ故郷なんです。
シンジ様もエリア0に収容されているので、こちらに来ることにしました」
ゆったりとした服を着たマシロは、手慣れた様子でお茶を注ぎ分けていった。
「ところでドーレドーレ様、どんなご用事でいらしたのですか?」
「どんなって……」
ヴァルキュリア筆頭が、遊びで来るような場所ではないし、サイド1に仕事があるはずもなかった。それを考えれば、普通は自分が理由だと考えるだろう。だが天然かどうか分からないエステルの質問に、少し疲れたように「あなたに会いに来ました」とドーレドーレは答えた。
「賢人会議の結果を伝えに来たのですが……その様子だと、すでに知らされているようですね?」
「はい、昨日シズク様に教えていただきました?」
「シズク様が?」
エステルの様子を見れば、結果が知らされているのは分かっていた。だがそれを伝えたのが賢人会議議長ともなれば、さすがにドーレドーレも驚いてしまう。はっきりと驚きを顔に出したドーレドーレに、マシロが「私の祖母です」と種明かしをしてくれた。
「でも、シズク様にはご家族がいないはずでは……」
「公式記録が正しいとは限りませんので」
あっさりと経歴偽装をばらされ、ドーレドーレは「そうですか」と小さくため息をついた。
「シンジは、賢人会議議長のお孫さんまで孕ませたと言うことですね。
もしかして、今度のことにはそれも関係していたのですか?」
イシバの言葉から、免責を決定した背後には、賢人会議議長の働きかけがあったことは分かっていた。だがその理由までは分からなかったのだが、マシロが孫だとなれば話は繋がってくる。さすがの賢人会議議長も、孫が可愛いおばあさんかと考えたのだ。
だがマシロは、「それはありません」と断言した。
「あの人に限って、身内を理由には絶対にしません。
シンジ様を助ける方が、アースガルズのためになると判断しただけだと思います」
「その判断自体は正しいと思いますが……」
アースガルズのためというのは、ドーレドーレも認めるところだった。だがその理由を通しにくい雰囲気になっていたも間違いがなかったのだ。ただ規律のために処分をすれば、それだけヴァルキュリアシステムを不確かなものにしかねない。
僅か半月の間で、ドーレドーレはそれを思い知らされていた。だから免責するのが正しいとは思っていたが、その判断を議長がするとは思っていなかっただけのことだ。
「ドーレドーレ様、今は難しい話はやめにしませんか?」
そう言って割り込んできたエステルに、変わらないのだなとドーレドーレは苦笑を浮かべた。
「そうは言っても、処分の話をやめると話題が無くなってしまうわ」
「そうですねぇ、シンジのことはマシロさんに聞いた方が分かりますし。
アヤセさんも、なんとか溶け込むきっかけを見つけたみたいですし……」
確かにと、人差し指をあごに当てて上を見たエステルに、「情報が早すぎる」とドーレドーレは心の中で呆れていた。そしてマシロがサイド1に上がってきた理由を今更ながら思い知らされた。アヤセのことにしても、マシロから聞かされたのだろうと想像が出来た。
「ところでエステルは、どこに住むつもりなの?」
「シンジが復帰するまでは、マシロさんのところにお世話になるつもりです。
その後はそうですね、もう少し子育てに適したところに移住しようかと思っています。
ここも広くて良いのですけど、少し活気に欠けるところがありますからね。
今更予備役の人達と一緒に居るのも違うと思えますから」
「子育てって……まだ、6年は待たないといけないでしょう?」
予備を解除されるのは、24歳まで待たなければいけなかった。それを考えると、まだ18のエステルには6年の猶予があった。そのための準備と考えると、いささか気が早いようにも思えたのだ。
「その前に、マシロさんのお子さんが産まれますからね。
いまさら復帰も出来ないでしょうから、一緒に暮らしませんかって誘ったんですよ」
「だから、子育てですか……
ですがマシロ、シンジが復帰したら相応しい機動兵器が必要ではありませんか?
その時には、あなたの助けが必要だと思いますけど?」
ギムレーは、ほとんどマシロ以外手を掛けていなかったと言う事情がある。そして他の機動兵器に比べ、設定が特殊という事情もあった。シンジの力を発揮させることを考えると、マシロの手助けこそ重要だとドーレドーレは考えた。
「そのことですが、私は職務を放り出してしまいました。
シンジ様の復帰を理由にしたら、きっとアヤセ様はいい気がしないと思います。
それに、しばらくは子育てに忙しくなると思います。
後は同じ物を作るのなら今更私が必要とは思えませんし、一応代わりの技術者の目星も付いていますよ」
「代わりの技術者って……」
マシロの代わりを考えたドーレドーレは、ユニバシオーネまで広げてみたが、適当な人材が思い当たらなかった。
「下の世界ではありませんから、いくら考えても分からないと思いますよ。
畑が違いますけど、とても優秀な子を見つけました。
足りない分は、私がこちらからサポートするから大丈夫だと思います。
シンジ様にお仕えすると伝えたら、二つ返事で承諾してくれました」
「あなたは、上の世界にも知り合いが多いのね」
それを聞かされると、つくづく自分は井の中の蛙だと思い知らされてしまう。その事実だけでも、イシバの言う改革が必要というのも仕方の無いことだと思えてくる。今までは地上にいる1億だけで考えていたが、アースガルズは100億の人材を抱えている世界なのだ。百倍の可能性が広がっていると言い換えても良いのかも知れない。テラに目を向けていたが、まず最初に目を向けるのは自分達の世界であるべきだった。
「ですから、マシロさんと協力して、アヤセさんの手助けが出来ないかを考えていたんです。
私のところは、数という意味ではとても手薄でしたからね。
チフユさんが成長しても、メイハの抜けた穴を埋めるだけです。
だからこちらから、めぼしい候補を送り込もうかなって。
シンジが指導すれば、たぶん何人かは立派なブレイブスになると思いますよ。
ただ、勝手に進めるとアヤセさんがぷんぷんと怒りそうですけどね」
「それがうまく行くようなら、他のヴァルキュリアでも受入を考えた方が良さそうね」
やっぱりエステルだなと思いながら、提案自体は見るところがあるとドーレドーレは考えていた。ブレイブスの間口を広げることで、閉塞した状況を変えることが出来るのかも知れないのだ。そしてそのための重要な要素として、テラから来たシンジという存在があった。テラでトロルスと戦った経験こそあるが、機動兵器の初心者が僅か半年でラウンズにまで上り詰めたのだ。その経験を生かせば、ブレイブスの強化も成功するかも知れない。
「フェリスの成長を見ると、シンジにはラウンズ候補の若手を鍛えて貰うのも良さそうですね」
「きっと、皆さんの力を持ち上げてくれると思いますよ」
ドーレドーレのアイディアに、エステルは自分もそう思うと賛成した。そのあたりは、元々メイハと相談していたことでもあったのだ。
「あと1月したら、シンジが復帰できるんですよね。
そうしたら、色々と動き出すのではありませんか?」
「そう言えば、復帰予定は1月後でしたね……」
賢人会議からは、すでに免責の通達が回っている。1ヶ月半の除染槽漬けを考えると、そこから多少の時間は必要となるのだろう。それを考えると、本当に動き出すのはもう少し後と言う事になる。
そしてシンジが復帰すれば、アヤセの抱えている問題の多くも解決することだろう。そして他のラウンズ達に蔓延る倦怠感も、きっと払拭してくれることだろう。それを考えると、いかに先の事件の影響が大きかったのかを理解することが出来る。そしてその事件を解決したことで、新米ラウンズの存在が、無視できないほど大きくなったのも同様だった。それを考えれば考えるほど、シンジを登用したエステルの功績が大きくなってくる。
「エステル、私はあなたに感謝と謝罪をしないといけませんね。
あなたがシンジを引き取ってくれたお陰で、私たちは得難い戦力を得ることが出来ました。
ですが、そのあなたを、シンジから引き離さなければならなくなってしまいました。
ありがとう、そしてごめんなさい」
そうやって頭を下げたドーレドーレに、エステルはつい慌ててしまった。シンジから引き離されたのは、自分に大きな責任があると思っていたのだ。だからそのことについて、謝られる理由はないと思っていた。
「あそこで、シンジを止められなかった私に責任があるんです。
でも結果を見れば、止められなくて良かったのかなぁと思っていますよ。
それに、この立場の方がずっと気楽ですからね。
しかも4年も早く、シンジの子供を産むことが出来るんですよ。
毎日一緒に居られないのは辛いですけど、それだけはご褒美だと思っていますから」
「そのあたりは、アヤセと相談してみようかと思っています」
つまりドーレドーレは、エステルに対する便宜を考えていると言う事だ。だがそれを聞いたエステルは、「自分は反対です」とドーレドーレの考えを否定した。
「私が言うと説得力に欠けますけど、けじめって必要だと思いますよ。
ですから、それまでの6年を、楽しみに待っていようと思います。
マシロさんのお子さんもいますから、結構慌ただしく過ぎてしまうと思いますから」
「あなたは、本当にそれで良いのですか?」
改めて聞き直されたエステルは、「一応罰を受けた身ですから」と即答した。
「次に会うときに、シンジに驚かれるぐらいに綺麗になって見せますからね」
メロメロにして見せます。ドーレドーレに向かって、胸を張ってエステルは言い切ったのだった。
続く