機動兵器のある風景
Scene -46







 ドーレドーレのとった移動制限により、ヒルデガルドは戦闘地域からかなり離れたところにしか移動することが出来なかった。北の端と南の端と言えば、その距離感は理解できることだろう。そして組紐の使用制限が掛かっていたおかげで、そこからは通常航行でブリュンヒルデに合流するほかは無かったのである。まともに考えたなら、「間に合わない」とエステルが主張したのは間違っていなかったのだ。
 だがシンジの能力は、エステルの考えたまともを遙かに超えていた。アースガルズに移動したシンジは、そこからギムレーの能力を最大限に発揮してくれたのだ。ヒルデガルドで2時間かかる距離を、僅か20分で到達しようというのだ。音速の12倍と言うのは、もはや機動兵器の能力を超えていたのである。その証拠に、同時に出たフェリスがあっという間にシンジの姿を見失ったほどだった。

「さすがはシンジ様だ……まだ、私など足元にも及んでいない」

 すばらしいと単純に感心したフェリスだったが、そのフェリスにしても、音速の6倍と言う非常識な速度をたたき出していた。シンジの陰に隠れているが、フェリスの能力も異常と言われる領域に到達していたのだ。
 二人の出撃を見送ったエステルは、最初に状況を確認することにした。せっかく無理をしたのだから、無理をしたなりの意味が欲しいと思っていた。

「ラッピー、戦況はどうなっています?」
「はい、はっきり言って最悪の状況ですね。
 カノン様達3人がかりでも、時間稼ぎも難しくなっています。
 シンジ様が到着されるまでの10分、持ちこたえるのはまず無理でしょうね」
「さすがは、ラウンズ筆頭という所でしょうか」

 予想通りの答えに、エステルはふっと小さく息を吐き出した。そんなエステルに、「良いんですか?」と控えめにチフユが尋ねてきた。慌てて飛び出ていったフェリスを追いかけてブリッジに来たのだが、たどり着いたときにはすべてが終わったあとだった。セシリアから事情を聞かされたときには、なんてことをと目眩がしたほどだった。自分がした反抗に比べて、遙かにスケールが大きくなっていたのだ。
 だが今更「良いんですか?」と聞かれても、他に出来ることは何もなかったのだ。だから少し苦笑を浮かべて、「仕方がないでしょう」とエステルはやけくそにも聞こえる答えを返した。

「テラで、助かった例があると言われたら反対できないじゃないですか。
 それに、反対したところでシンジは止まってくれないでしょう。
 だったら悪者になった分だけ、私が馬鹿を見るじゃないですか!
 ぷんぷん、そんなことが許せると思いますかっ!
 シンジは、私に首ったけじゃないといけないんですからね!」
「はあ、そう言うものですか……」

 やはりよく分からないが、難しく考えてはだめなのだろうとチフユは考え直した。そしてこの場において、一番問題の少ない、シンジの能力に話題を振った。何より一番驚いたのは、機動兵器があそこまで早く飛べると言うことだったのだ。

「音速の12倍ですか?
 機動兵器って、あそこまで早く飛べるものなんですね」
「そんなものは、普通は無理ですよ。
 あのフェリスだって、せいぜい6倍ぐらいしか出ていないんですよ。
 普通の機動兵器は、音速なんかで飛ぶことは出来ませんよ……」

 ふっと息を吐き出したエステルは、「アンバランスに過ぎる」とシンジを評した。

「特殊能力だけなら、歴史上一二を争うんじゃありませんか?
 そのくせ、身体能力は並以下なんですから……
 期待の大きさと現実のギャップは、歴史上一位と言って良いと思いますよ」
「だから、特殊能力が伸びたんじゃありませんか?
 さもなければ、特殊能力のせいで身体能力が伸びないとか」

 冷静なチフユの評価は、エステルをして納得のいく理由となっていた。だから小さく息を吐き出したエステルは、きっとそうなのだろうとチフユの意見を支持したのだった。

「たぶん、その考えは間違っていないんでしょうね……
 と、そろそろ、シンジが到着しそうね。
 ラッピー、まだカノンさん達は生きてる?」

 状況を確認するにしても、もう少し聞き方があるというものだ。よりにもよって、「生きてる?」は無いだろうと言いたかった。だがエステルはこういう人だと思い出し、チフユはラピスラズリの答えを待った。誰が気を利かせてくれたのか分からないが、ラピスラズリはチフユにも見えていた。

「生きてはいますけど、カノン様のジークは壊れちゃっていますね。
 そう言う意味では、マニゴルド様もサークラ様も無事っちゃ無事ですよ。
 ただ、ドーレドーレ様がブリュンヒルデを自爆させたら塵も残りませんけどね」

 まあラピスラズリの答えも、たいがいなものと言って良いだろう。割れ鍋に綴じ蓋だと納得したチフユは、大丈夫なんですかとラピスラズリに尋ねた。

「大丈夫って?
 カノンさん達を助けるだけなら、そんなに難しくないと思いますよ。
 ただブリュンヒルデが臨界炉を自爆させたら、いくらシンジでも逃げられないでしょうね。
 まあ、私たちは距離をとっているから大丈夫ですけどね」

 そこまで話したところで、エステルは「そうだった」と手を叩いた。

「チフユさんまで巻き込んでしまいましたね。
 まあ、二度と無い最高の組み合わせですからね。
 せっかくだから、一番いい席で見ていってくださいね」

 最高の対戦というのは、たぶん間違ってはいないのだろう。ただそれを、まるで何かのイベントのように言うのはどう考えたらいいのだろうか。それに自分が見たいと言ったのは、そんなミーハーな気持ちからではないと主張したかった。
 ただエステルにそれを言ったとしても、絶対にまともに受け取って貰えない。これまで天然だと信じて疑っていなかったのだが、チフユはどうもそればかりではないような気もしてきた。そうやって天然を装うことで、色々なものを隠しているのではないか。そう疑いたくなることに、チフユ自身何度も出くわしていたのだ。

「ただ、シンジが勝てるのかというと、とても難しいというのが現実だと思いますよ。
 トロルスに取り憑かれたブレイブスは、今まで以上の力を発揮すると言われています。
 過去の戦いでは、第二位が筆頭に勝ったという記録も残っているぐらいですからね。
 しかもシエルさんの実力は、ラウンズの中でも飛び抜けていましたからね。
 本気の殺しあいをするのならいざ知らず、シンジには助けるって言うハンデがあるんですよ。
 どう考えても、手加減して勝てる相手じゃないと思います」
「だったら……」

 なぜと聞こうとしたのだが、それがどうしようもない愚問だとチフユは気がついた。シエルを助けるという無理を通そうとしたのは、目の前にいるエステルではなかったのだ。なぜ許したのかと言う責めは、エステルが負う物ではなかったのだ。
 そしてエステルも、チフユが何を言いかけて、そして思いとどまったのかは気づいているようだった。だからそのことには触れず、シンジの戦いへと話を向けた。

「そろそろシンジが到着する頃ですね。
 色々と忙しくなるので、しばらく大人しく見ていてくださいね」

 エステルは微苦笑を浮かべながら、ラピスラズリにドーレドーレとの通信を開くように命じた。ブリュンヒルデの自爆を止めないといけないし、何をしようとしているのか、正確に説明する必要があったのだ。そしてもう一つ、面倒くさいヴァルキュリアの仕事を、バックアップに放り投げる宣言もしなくてはいけなかった。そこでエステルは、何かを思い出したようにチフユの顔を見た。

「事実を付き合わせて、駄目だろうと言いましたけどね。
 でも、シンジとフェリスなら、きっと不可能を可能にしてくれると信じていますよ」

 それが、駄目ヴァルキュリア最後の意地なのだ。少し誇らしげに、エステルはチフユに向かって言い切ったのだった。



 接近戦を得意とするシエルに対し、身体能力は並以下だと言われるシンジである。トロルスによって力を増していることを考えると、接近戦を挑むというのは、愚の骨頂と言われることだろう。それでもシンジは、敢えて接近戦を行う選択をした。勝算があるかと言われれば、無いとしか答えようがないのだが、それでも一つだけ、シンジにも考えがあったのである。

「シンジ様、モードはどうなさいますか?」

 最強のラウンズと戦う前に、電子妖精ラピスラズリはギムレーの設定を聞いてきた。残念ながら、今のシンジは何かを優先せざるを得ない。その何かをスピードに求めるのかどうか、それをラピスラズリは確認してきたのだ。

「最初は、スピードから入ってみるよ。
 そこから状況を見て、モードを切り換えていこうと思ってる」
「いきなりばっさりじゃ困りますもんね。
 了解しました、機動性を最優先にした設定にします」

 ラピスラズリの言葉と同時に、シンジは体に軽い違和感を覚えた。このモードの特徴は、今まで以上に思考コントロールが優先されることである。その場合の問題は、シンジの動きが今まで以上にブレーキになる事だった。フェリスとの訓練で多少マシになったとは言え、心と体の動きの乖離は、どのような結果をもたらすのかは分かっていないというのが大きかった。

「フェリスは?」
「20分後に到着されます」
「じゃあ、フェリスが到着したら、カノン様達の救出を優先させてくれ。
 それまでは、何とか時間を稼いでみせるから……
 いくぞっ!!」

 すでにブリュンヒルデとジークリンデは視界に入っていた。そしてその脇に目標がいるのは、ラピスラズリが示してくれていた。到着した瞬間から戦闘となる以上、覚悟を決めて臨まなければならなかった。

「早すぎませんか?」
「速度を落とすと、狙い撃ちにされるよ」

 だからこのまま行くと、シンジは速度を保ったままシエル目がけて飛んでいった。減速は、着地の瞬間に行えば良いと思っていたのだ。だが早すぎるというラピスラズリの危惧通り、シンジの乗ったギムレーは大地に大穴を空けて着地することになった。それでもシンジは両足で大地を踏みしめ、深紅の機体、シグナムと正面から相対したのだった。もうもうと立ち上る土煙の向こう、シエルの乗ったシグナムは、何処か凶悪な空気を纏っていた。

「ラピス、シエルに呼びかけは出来るかい?」
「ニンフからは、応答がありませんね。
 直接音声なら可能かと思いますが、聞こえているかとなると疑問が残りますね」

 どうします?と言うラピスラズリに、試すだけ試してみるとシンジは答えた。だがシンジが外部スピーカーで呼びかけようとしたまさにそのとき、シエルはカリヴァーンを振りかぶって斬りかかってきた。

「やはり、問答無用でしたね?」

 それをシエル以上の速度で避けたシンジに、「諦めますか」とラピスラズリは声を掛けた。

「まだ声を掛けていないだろう?
 だからだめだというのは、声を掛けてからにしてくれないかな?」

 苦笑と共に答えたシンジは、外部スピーカーを使って「シエル」と大きな声で呼びかけた。

「僕の声が聞こえているのなら、そこで剣を捨てて止まってくれ。
 僕はシエルと、素手でやり合いたいんだよ」

 少しでも意識が残っていれば、そこで何らかの反応があるはずだと考えた。だがシンジの期待とは裏腹に、シエルからはなんの反応も返ってこなかった。あったのは、先ほどと同じで、カリヴァーンを使った攻撃だけだった。ただ攻撃を考えていない分、シンジの応答速度はシエルを上回っていた。そのおかげで、シエルの攻撃も余裕で避けることが出来ていた。

「やはり、シエル様は反応してきませんね?」
「初めからやるしかないとは思っていたけど……
 ラピス、ドゥリンダナを使うよ」
「了解しました、ゲインを少し下げさせて貰います」

 思考コントロールのゲインを落とすことで、体と心の動きがマッチングしてくる。そうすることで、シンジの持つ豊富な特殊能力も同時使用することが出来る。剣を持ったシエルとやり合うためには、自分も鋭い刃を持つ必要があった。

「シエル、とことん付き合ってあげようじゃないか」

 少し口元を歪め、シンジは右腕に形成したドゥリンダナを振りかざして、シエルめがけて斬りかかっていった。敢えてシンジの苦手な肉弾戦に持ち込むことで、フェリスが到着するまでの時間を稼ごうと考えていた。

 カノン達に対して、シエルは早さとテクニックで圧倒していた。だがシンジの速度は、トロルスに犯されたシエルをも上回っていた。その分テクニックに劣るのだが、受けることに専念したため、一見互角の戦いが繰り広げられることになった。それに、トロルスに犯されていても、シエルの意図だけは伝わってきていた。それでもシエルは、シンジにとって強敵すぎた。

「さすがに、隙が全くないというのか……攻撃が理詰めというのか」

 早さを生かして、何とか有利な立場に立とうと踏ん張った。だが僅かに稼いだ優位も、次の瞬間優位ではなくなってしまう。それだけシンジの技量が未熟な訳だが、それ以上にシエルが天才だと言うことだった。敢えてかすめる程度でカリヴァーンを避けているのに、全く隙らしきものを見つけることが出来ないのだ。それどころか、避ければ避けるほどに、シエルの剣先を躱すのが難しくなってくる。このあたりは、レグルスに追い詰められる感覚にとても似ていた。
 何とかカリヴァーンを右手で打ち落としたシンジは、ダメ元でシエルから距離をとろうと試みた。基本的な能力では、間違いなく自分の方が早いと思っていたのだ。だが距離をとろうと下がってみたが、いっこうにシエルは離れてくれなかった。

「そのあたりは、下がるのと踏み込むのの差だと思いますよ」
「いずれにしても、離れないと何もさせてもらえそうもないね」
「何もさせないために、離れないようにしているのではありませんか?」

 呼びかけても反応をしないのだが、攻撃自体はシエルの攻撃そのものだったのだ。そこから導かれるのは、攻撃という意味ではシエルの意志が残っているということになる。だからこそ、シンジの力を理解し、弱点を突こうとしているのだろう。

「これだけ早いと、フォトン・トーピドーを用意する暇もないか」

 横薙ぎにされた剣を後ろに下がって避け、シンジは逆に間合いを詰めるようにと前に踏み込んだ。だが前を通り過ぎたはずのカリヴァーンは、何事もなかったかのように上から襲いかかってくる。それを右手で受け止めたシンジは、更に踏み込んでシエルの懐に潜り込もうとした。
 だがシンジが拳を当てるのよりも早く、シグナムの姿が目の前から消え失せていた。

「ちっ、右かっ!」

 シンジの攻撃を左にずれて避けたシエルに、背後をとるようにシンジは左側に回り込もうとした。だがまっすぐ前後に動くことに比べ、シンジの左右の動きは少し鈍重になっていた。いくら回り込もうとしても、シエルはシンジに背後をとらせなかったのだ。

「やっぱり、足の運びがまだまだか……」
「たぶんそうなのでしょうけど、
 すでにそう言う常識を越えた速度で動いているんですけどね……」

 他のラウンズ達なら、間違いなくシンジの速度についてこられなかっただろう。フェリスにしても、ここまでの速度を体験したことはないはずなのだ。だがそこまでしても、シエルはシンジの速度についてきていた。ならばとフェイントや罠をちりばめてみたが、その程度の策には引っかかってくれなかった。
 シンジの攻撃が通じない一方、シエルの攻撃もシンジを捕らえることは出来なかった。その気になって避ければ、やはりシンジの方が圧倒的に早かったのだ。だがひとたびシンジが攻撃を意識すると、その分だけ無駄な動きで速度をスポイルしていたのだった。その結果、お互い決め手に欠けたまま、長い長い消耗戦へと突入したのである。

 変わり映えしないというのは、戦っているシンジにとって不本意なものだろう。さすがはシエルと感心しつつも、大いに己の技量の未熟さを悔やんでいたのだ。トロルスを倒すためなら、特殊技能を磨くのも一つの方法だと思っていた。だがこういう非常事態になると、身につけた技量が最大限に生きてくる。だがその技量を生かすにも、シンジはいかにも能力不足が目立っていたのだ。
 膠着した戦いに対して、最初に訪れた転機はフェリスの到着だった。これでシンジは、シエルと互角の腕を持つ味方が駆けつけたことになる。シンジがシエルの目を引き付ければ、フェリスが一瞬の隙を突くのも攻撃として有効だろう。

 だが駆けつけたフェリスに対し、シンジは自分への支援ではなく、仲間の回収を命じた。カノンやマニゴルド、サークラにディータが戦場に取り残されていたのだ。救うという意味なら、彼女たちを安全な場所に連れて行くのも重要な事だった。そして戦場から、不確定要素を取り除くという目的も持っていたのである。
 だがカノン達を収容すると言っても、どこにという問題は残っていた。それがブリュンヒルデでは、結局自爆に巻き込まれることになる。だが他に隠し場所がないと、フェリスは4人をブリュンヒルデへと連れて行くことにした。救う相手の中にドーレドーレがいるのだから、一箇所に纏めておいた方がやりやすいと判断したのである。

 今までの戦いでは、シエルは必ず伏兵に対する牽制を行っていた。だがシンジと向かい合ったところで、シエルはフェリスに対する牽制を行わなかった。ただシンジにしても、それを気にするだけの余裕はなく、今まで以上のプレッシャーに向かい合っていた。

「勝つだけなら、シューティング・スターを使えば良いんだろうけど」
「速射モードなら、避けようがありませんからね。
 でも、あれを使っちゃうとシグナムは跡形もなくなってしまいますね」

 殺すつもりにならないと、シューティング・スターを使うわけにはいかなかった。だがフォトン・トーピドーや他の技は、カノン達が通じなかったことを考えると、試すだけ無駄だと分かってしまう。結局ガチの殴り合い以外、この場で取り得る方策はなかったのである。

「一番苦手なパターンになってしまいましたね。
 それからシンジ様に忠告ですが、下手に攻撃を受けるとトロルスに取り憑かれてしまいますよ。
 防御機能は、表層にしか働きませんからね。
 シンジ様までトロルスに犯されたら、本当に目も当てられない事になってしまいますからね」
「でも、かなりの数が脱出するのには成功したんだろう?」

 シンジの指摘に、ラピスラズリは電子妖精にはあるまじき、驚くという行動を取ってしまった。そのあたりは、いっぱいいっぱいだろうとシンジの状況を考えたというところがある。まさか冷静に、経過時間を考えているとは思ってみなかったのだ。

「そうですね、高速艇で脱出された方達は安全距離に脱出されましたね。
 現時点で、3割程度のブレイブス達も救うことが出来ます。
 先ほどまでがエステル様配下だけだと考えると、かなり状況は改善されましたね」
「だったら、もっと状況が良くなるように頑張ろうか」

 戦いという意味では、かなりシンジは追い詰められていた。それでもシンジからは、微塵も翳りは感じられなかった。それどころか、何処か嬉しそうな雰囲気さえ感じられていた。だからラピスラズリは、かなり遠慮がちながら「楽しそうに見えますけど」と聞いてきた。

「楽しそうって……少しも楽しくなんかは無いけどね。
 ただ、充実しているというのか、心に正直な気持ちになっているというのか……
 やっぱりシエルが凄いって言うのも、まあ今更のことなんだろうけど」
「そのシエル様と互角に戦っているのは一体どなたなんでしょうね?」

 自分を棚に上げるなと、ラピスラズリは抗議した。

「そのあたりは、かなり相性があるんじゃないのかな?」
「ニンフが聞いたら、喜びそうなことですね」

 それだけ相性が良いのだろうと指摘したラピスラズリに、たぶん逆だとシンジは笑った。

「シエルにとっては、最悪の相性なんじゃないのかな?
 そうじゃなければ、未熟な下っ端と引き分けたりしないよ」

 カリヴァーンを右手で跳ね上げたシンジは、その勢いでシエルの後ろに回り込もうとした。だがまるでシンジの意図を読んでいたかのように、カリヴァーンの切っ先がシンジの動きを追いかけてきた。そのせいもあって、後ろをとったにもかかわらず、シエルから離れなくてはいけなくなってしまった。そしてシエルは、そのシンジの動きを利用して、再び体勢を互角の状態へと引き戻した。

「シンジ様、フェリスの準備も出来ましたよ」
「だったら、そのまま待機をさせてくれないかな?
 二人まとめて叩き切るのなら良いけど、そうじゃないとさすがにフェリスも手を出せないと思うから。
 それに、さすがにフェリスの動きを考えながらは僕にもきついと思うからね」

 紙一重でシエルの剣を避けたシンジは、そのまますれ違いざまにドゥリンダナでがら空きだった肩口を狙おうとした。だがシンジが腕を振り下ろすのよりも早く、シエルは空振りをしたカリヴァーンで、シンジのドゥリンダナを迎え撃ってきた。訓練に裏打ちされた無駄のない動きは、戦いながらも美しいと思えるほどだった。

「やっぱりシンジ様が喜んでいるように見えますよ」
「今更ながら、シエルが凄いなぁって感心しているからね」

 敢えてドゥリンダナをカリヴァーンに迎え撃たせたシンジは、跳ね上げられた勢いを利用して体をくるりと反転させた。そしてその勢いそのまま、今度は左腕に形成したドゥリンダナでシエルの脇腹を狙った。もっともこの攻撃にも、シエルはしっかりと対応してきた。振り上げたカリヴァーンの柄で、シンジの左腕を受け止めてくれた。そのままシンジの首めがけてカリヴァーンを薙いだのだが、すでにシンジは早さを生かして間合いから逃げ出していた。

「しかし、何をやっても通じないか」
「それは、シエル様も同じではありませんか?」

 ここまでの戦いでは、両者は完全に互角と言って良いのだろう。3対1でも全く手も足も出なかったことを考えると、シンジの能力がそこまで向上したと言うことに繋がってくる。
 だがシエルも同じというラピスラズリに、まだまだだとシンジは答えた。シンジの“分かる”範囲で、まだシエルはいくつもポケットを持っていたのだ。奥の手とも言える戦い方を、まだシエルはシンジに対して仕掛けてきていなかった。

「だけど、そろそろ来そうだね……」

 シエルの構えが低くなったところで、シンジは次の段階が来たのを感じていた。何をしてくるのかは“分かる”のだが、ただ分かるだけで対応できるのかは自信がなかった。

「ラピス、機動性を上げる方へ設定を振ってくれ」
「畏まりました!」

 シンジの緊張が伝わったのか、ラピスラズリの声も心なしか固かった。それでもラピスラズリは、シンジの指定通り設定を変更した。そしてギムレーの設定が変更されたのと同時に、シエルはシンジの懐に飛び込み、カリヴァーンを横薙ぎにした。それを右手で受け止めようとしたのだが、シエルの剣はまるで幻のようにすり抜けた。そして振り抜いた側から、まるで初めからそうしていたようにギムレーの胴を狙って来た。
 受け止めようとした分、シンジの反応は一瞬遅れていた。だがその遅れをスピードで挽回したシンジは、避ける代わりにシグナムに体当たりをした。そのおかげで、胴を狙ったカリヴァーンは、腕を押さえられて止まっていた。

「寄生型への防御機構が働きました。
 シンジ様、迂闊にシグナムに接触しないでください!」
「体当たりでも、危険ってことか……」

 ますます打つ手が狭まったことに、シンジは「辛いな」と口元を歪めた。シエルを救うと大見得を切った以上、今更出来ませんでしたでは格好がつかない。だが現実は、戦えば戦うほど攻め手が無くなっていくのだ。そして対するシエルには、シンジのようなハンデが一切無かった。それだけでも、シンジがどれだけ不利な状況かを知ることが出来るだろう。
 シグナムを振りほどきはしたが、肝心の攻め手が見つかってくれなかったのだ。



 脇で控えているフェリスは、二人の戦いをじっと見守り続けていた。シンジの邪魔をしないという殊勝な考えからではなく、手を出すタイミングが掴めないというのが一番大きな理由だった。だからこそ、“見る”ことで手を出すタイミング、僅かな隙をうかがおうというのだ。
 自分も剣士と言うことで、フェリスはシエルの攻撃をどう受け止めるか。そしてどう攻めていったらいいのかを、考えながら観察を続けた。だがいくら観察を続けても、二人の戦いは理解を超えた領域へと踏み込んでいた。シンジの早さは、はっきり言ってついて行けない領域へと突入していた。その早さに対して、シエルは技術で互角以上の戦いをしているのだ。一つ一つの技を見る限り、シエルの戦い方は正攻法以外の何物でもなかった。だが正攻法だからこそ、弱点となる癖を見つけることが出来なかった。それでもフェリスは、いつか訪れる機会を逃さないよう、集中して二人の戦いを見つめ続けたのだった。

 二人の戦いは、遠くヒルデガルドのブリッジにも伝えられていた。それを見守るチフユの気持ちは、一言で言って「悔しい」と言う物だった。シンジとシエルは、間違いなく最高の戦いを繰り広げているのだろう。そしてフェリスは、その戦いを間近で見るという資格を持っていた。だが我が身を振り返れば、ただのブレイブスでしかなかったのだ。たかがレベル4では、史上空前の戦いに加わる資格はなかったのだ。

「チフユさん、二人の戦いが見えているんですか?」

 隣にいたエステルは、時折見せるチフユの反応に、二人の戦いを理解できているのだと考えた。そしてこれまで行ってきた訓練が正しかったのだと理解した。レベル10を遙かに超えた戦いは、レベル4のブレイブスが付いて来られるような代物ではないのだ。それをチフユが理解していると言うことは、フェリスと続けてきた訓練に意味があったと言うことになる。

「チフユさん、シンジは勝てますか?」
「……分かりません。
 シンジ様の方が圧倒的に早いのですが、シエル様はその差を技能で補っています。
 そしてシンジ様は……体の使い方が全くなっていませんので」
「つまり、シンジが不利ってことですね」

 ほっとため息をついたエステルに、「普通ならそうだ」とチフユは答えた。その答えに含まれた「普通なら」と言うところに、エステルはどういうことかと聞き返してきた。

「見ている限りでは、何度かシエル様には決定的なチャンスがありました。
 ですが、そのときに限ってシエル様の攻撃がワンテンポ遅れています。
 初めは偶然かと思っていたのですが、5回もあれば意図的かと思ってしまいます」
「ですが、トロルスがそんなことをするのでしょうか?」

 気のせいではと言うエステルに、チフユは自信なさげに「気のせいかも知れない」と答えた。

「お互いが、罠に気をつけているからとも言う事ができると思います。
 それに見えていても、私の頭の方が付いてきてくれていないんです。
 そう言う意味では、ど素人の碇様が対応できるのも凄いと思います」
「おそらく、フェリスとの訓練が実を結んだのでしょうね」

 エステルの意見に、チフユは素直に頷いて見せた。確かに二人は、お互いの技量を尽くし高めあっていた。だが最初は単純に凄いと感心していたのだが、今はそれを悔しいと感じるようになっていた。今でも、シンジの戦いを見ていて血が騒いで仕方が無かったのだ。このどうしようもないほど魅力的な世界に入りたい。チフユは魂から強くなることを切望したのだった。



 接触しての攻撃は、トロルスに寄生されるリスクを高めることになる。かと言って離れての特殊能力を使った攻撃は、効果を発揮する攻撃は少なかった。そしてその攻撃を使った場合、殺さないように加減をすることが出来ない問題があった。シエルを救うという目的は、攻撃方法という点でも八方塞がりになっていたのだ。

「ラピス、トロルスに寄生されるのにどれぐらいの時間が掛かる?」
「極めて短時間としか言いようがありません。
 シエル様の場合では、接触から侵食までおよそ5秒と見られています」
「つまり、5秒以下で決着を付けなくてはいけないってことか……」

 シエルの攻撃を躱しながら、シンジは取り得る手段をいくつか考えていた。だがどんな方法を考えても、何かを捨てなければいけないという結論に達したのだ。
 侵食時間を聞いたシンジに、ラピスラズリは「何を考えているんですか?」と訝った。特に決着を付けるなどと言われると、侵食されることを考えているように聞こえてしまうのだ。だがシンジは、その問いかけに答える代わりに、戦いを見守っているフェリスに声を掛けた。

「フェリス、その距離でシグナムを破壊することは出来るかい?」
「距離という意味なら可能です。
 ただ、シンジ様を避けて攻撃することが出来ません!」

 期待通りの答えに満足したシンジは、「良く聞いてくれ」と攻撃を避けながらフェリスに語りかけた。

「今の僕には、シエルを殺す方法でしか倒すことが出来ないんだ。
 だからフェリスに、シエルを助けて貰いたいんだ」
「その役目は理解していますが……
 しかし、今の状態ではシエル様だけを攻撃することが出来ません。
 その攻撃も、シエル様が早すぎて狙いが定まってくれないのです」

 可能かと言われれば可能だが、現実的かと言われれば現実的ではないというのがフェリスの答えだった。だからシンジは、攻撃を現実的なものにするための方策を提案した。

「これからシエルの動きを僕が止める。
 そのタイミングで、フェリスが攻撃をして欲しい」
「シンジ様が、シエル様の動きを止めるのですか。
 しかし、どうやって止めるというのです。
 今でも、ぎりぎりの戦いをされているように見えます」

 可能だと思えないというフェリスに、だから頼むのだとシンジは答えた。そして一度しか使えない方法だとシンジは説明した。

「ギムレーを潰して、シグナムの動きを止める。
 そのタイミングで、フェリスは2機を纏めて破壊して欲しいんだ」
「しかし、それではシンジ様まで危険に晒してしまいます!
 でしたら、私とシンジ様の役割を入れ換えた方が良いと思います。
 私がシエル様を止めますので、シンジ様がシューティング・スターで狙撃してください」
「僕は、一番可能性の高い方法を採りたいと思っているんだ。
 悪いけど、今のフェリスではシエルを止める事は出来ないよ。
 それに、フェリスとレーヴァンティンが今回の切り札なんだよ」

 だから聞き分けて欲しい。シンジの言葉に、フェリスからはしばらく答えが返ってこなかった。だが駄目だと言わないところに、シンジは可能性を感じていた。

「フェリス、僕とシエルを助けてくれないか?」

 そう語りかけたシンジは、ラピスラズリにゲインを落とすように命令した。攻撃の可能性を上げるため、特殊能力を使えるようにしようというのだ。

「何をなさるのですか?」
「機体の強化を行うんだよ。
 シエルのカリヴァーンを、ギムレー自身で止めるんだ。
 そこでカリヴァーンを止めて、ギムレー自身でシグナムを拘束する」
「その状態で、フェリス様に2機纏めて破壊して貰うのですね。
 一点の問題を除けば、極めて成功率は高いかと思います」
「僕まで、トロルスに侵食されると言う事だろう?」

 分かってると答えたシンジは、もう一度フェリスへ呼びかけを行った。

「僕には、フェリスだけしか頼ることが出来ないんだ」

 だからフェリスに助けて貰いたい。それを繰り返したシンジは、最後の賭に出るためシエルへとまっすぐ突っ込んだのだった。

 速度が落ちるというのは、それだけシエルにとって有利に働くことになる。だがシンジは、速度と引き替えに機体を極限まで強化することに専念した。そのお陰とでも言うのか、首筋に振り下ろされたカリヴァーンを、シンジの纏った青い光が跳ね返してくれた。
 だがカリヴァーンを跳ね返されても、シエルは全く慌てたそぶりを見せなかった。冷静に剣を引き、ギムレーの右肩へと突き刺した。一点を狙った鋭い突きは、シンジの防御を超えてギムレーへと届いていた。だがそれこそが、シンジの狙いその物だった。

「捕まえたよシエル」

 肩に刺さったカリヴァーンを、シンジは損傷した右手で捕まえた。そして空いていた左手で、シグナムののど元を押さえつけた。振り払おうとしたシグナムの右手は、フェリスに教えた方法で手首から切り落とした。
 だが肩にカリヴァーンを突きつけられていては、シンジの右手も長くは保たない。だがシエルがギムレーを破壊するまでの僅かな時間が、シンジが狙った最後のチャンスだった。そしてシンジの意志を受け取ったフェリスは、2歩踏み込んでレーヴァンティン(大)で2機の胴体をなぎ払った。

 まるで空気を切ったかのように、レーヴァンティン(大)は、何の抵抗も受けずに剣先を滑らせた。そしてその動きから僅かに遅れ、ギムレーとシグナム2機の上半身が、滑り落ちるように大地へと落ちていった。

「はぁ〜っ!」

 それを確認したところで、フェリスは溜めていた息を大きく吐き出した。それだけ集中していた証であり、成功したことで緊張が途切れた証拠でもあった。

「ラピスラズリ、シンジ様と連絡は出来るか?」
「コックピットは無事ですから……ギムレーとシグナムが倒れます」

 巨体が倒れれば、中にまで大きな振動が伝わることになる。乗っているブレイブスは、それだけで大きなダメージを受けることになりかねない。
 だが慌てて支えようとしたフェリスに、「駄目です!」とラピスラズリは強い調子で制止した。

「この状態での接触は、リュートが侵食を受ける可能性があります。
 アブソーバーが入っていますから、多少の怪我程度で済むと思いますが……」

 だから見守れと言われ、フェリスはぎゅっと奥歯を噛みしめた。電子妖精が指摘した通り、ここでトロルスに侵食されるリスクを冒すことは出来ない。もしもそんなことになろうものなら、信頼してこの場を託してくれたシンジに合わせる顔が無くなってしまう。
 断腸の思いでフェリスが我慢している前で、ギムレーとシグナムは重なり合うようにその場に崩れ落ちた。その時の勢いで、シンジとシエルの乗ったコックピットが露出していた。特に目立った損傷が無いところを見ると、フェリスの攻撃は期待通りの効果を発揮したことになる。

「シンジ様を助けることは出来ないのか?」
「コックピットへの接触は、結局トロルスの汚染を受けることに繋がります。
 回収班が到着するまで、結局手を出すことは出来ません」
「ならば、回収班は何時到着するのだっ!」
「申し訳ありませんが、ドーレドーレ様の指示が出ないと動けないようです」

 トロルスに汚染されたシグナムを倒しはしたが、まだ安全を確認できたわけではない。その点でドーレドーレが慎重になるのも、状況を考えれば無理もないことだった。だが敬愛する主が命を賭した結果が、うまく生かせないのは許せなかった。フェリスが、とても人に伝えられない悪態を吐くのも無理もないことだった。

「フェリス、そんな事を言っちゃいけないよ」

 だがフェリスの呪詛が、ドーレドーレの首をはねようとしたまさにその時、渇望していた連絡がシンジから届いた。その瞬間、フェリスの頭からドーレドーレのことは消え失せた。

「シンジ様、ご無事でしたか!」
「ああ、少し頭を打ったけど……血も少し出ているかな。
 フェリスのお陰で、どうやらこの程度で済んだようだよ。
 ありがとうフェリス、これでシエルを助けることが出来るよ。
 よくやったね、それでこそ僕のフェリスだよ」

 シンジが無事と言う事で、思わずフェリスはその場にへたり込んでしまった。当然フェリスの動きをトレースしているリュートも、とても女性らしく仕草でその場にへたり込んでくれた。

「良かった……本当に良かった」

 叶うことなら、今すぐ外に出て抱きつき喜び合いたかった。だがこの状況では、自分はリュートに留まらなくてはいけない。それが後を託されたことだと自らを戒め、フェリスはリュートを立ち上がらせた。そして必要な報告を、エステルへと送ったのだった。

「エステル様、シグナムの破壊に成功しました。
 あとは、シンジ様、シエル様を収容していただくだけです」
「よく頑張ってくれましたね。
 もうすぐ組紐のロックが解除されますから、回収部隊を派遣できると思いますよ。
 まだ戦いの後始末が終わったわけではありませんから、気を抜かないようにしてくださいね」
「分かりました、シンジ様の補佐としての役目を果たします!」

 エステルの言う通り、これで全てが終わったわけではない。自分は補佐なのだと気を引き締めたフェリスは、シンジを守るようにその場で仁王立ちをしたのだった。

 フェリスに指示を出したのと、組紐のロック解除はほとんど同時だった。だが組紐のロック解除と同時に行われた措置は、チフユの想像を外れたものだった。その瞬間殺気を感じたチフユが振り返った先には、武装した兵士が5人ほど立っていたのだ。

「お前達は、エステル様の御前だと言う事が分かっているのか!」

 武器こそ持っていないが、チフユはエステルを守るため両者の間に割って入った。だがエステルは、「良いのですよ」とチフユに下がるようにと命令した。

「命令に従わなかった以上、誰かが責任を取らないといけないのですよ。
 大丈夫、この程度のことなら私の首で片が付きますから」
「ですが、エステル様のお陰で皆が助かったのですよ!」
「それは、ただ運が良かったと言うだけのことです。
 結果オーライを認めていたら、統制なんて意味が無いことになってしまいますからね」

 だから自分が責任を取ることになる。それをチフユに言い聞かせたエステルは、行きましょうかと5人の兵士達の前に進み出た。そこでチフユの方へ振り返り、「シンジは守って見せますよ」と微笑みながら告げた。

「まあ貴重な男性ラウンズですから、重い罪に問われることは無いと思いますよ」
「エステル様……」

 それで良いのかという目をしたチフユに、「聞き分けてくださいね」とエステルはにっこりと笑った。

「これ以上騒ぎを大きくすると、私の首程度では庇いきれなくなってしまいますからね。
 チフユさんの言う通り、結果オーライと言う事で、処分を軽くして貰うように掛け合いますから」

 「心配しないでくださいね」そう繰り返したエステルは、行きましょうかと兵士達を連れてその場から消え失せた。そしてエステルと入れ替わるように、同じ年頃の黒髪をした女性が現れた。
 その女性は、長いストレートの黒髪を手で掻き上げ、小さくため息を吐いてから全員に指示を出した。

「エステルに代わり、私アヤセがこの場の指揮を執ります。
 シンジ様とシエル様は、中央の隔離施設に移送しなさい。
 そこで除染処理を行った後、尋問が実施されるでしょう」

 それからとチフユを見たアヤセは、すぐにここから出て行くようにと命じた。

「ここは、あなたのような者が居て良い場所ではありません。
 すぐにここから出て、相応しい場所で待機していなさい」

 何をと言う反発はあったが、それでもチフユは大人しく従うことにした。それにエステルがいない以上、ここに留まる意味も失われていたのだ。
 そこで返事をしなかったのは、チフユの小さな反抗だったのかも知れない。ただ黙って出て行くチフユを、アヤセは全く気にしたそぶりを見せなかった。

「ラピスラズリ、直ちに状況を報告しなさい」
「ギムレーおよびシグナムは完全に機能を停止しています。
 その確認が完了しましたので、ドーレドーレ様は退避命令を撤回されました。
 およそ2時間後に、再度後始末が開始されるかと思います」

 そうですかと小さく頷いたアヤセは、「損な役回りですね」とラピスラズリにだけ聞こえるように呟いた。

「ですが、これもドーレドーレ様の決定ですから」
「こんな交代の仕方で、ブレイブス達の忠誠を得られるとでも思っているのかしら?
 それに、私が納得しているとでも思っているのでしょうか?」

 酷い話だと憤慨したアヤセに、ラピスラズリは「そうですね」と相づちを打った。ただいくら憤慨していても、ドーレドーレの決定は覆らない。だから「諦めてください」と、ラピスラズリは現実を突きつけた。

「諦めて、ヴァルキュリアの努めを果たしなさいですか?
 いいですかラピスラズリ、私はそんなに諦めは良くありませんよ。
 私は、エステルがやったことは正しいことだと思っていますからね」
「それは、どう言う意味なのでしょうか?」

 不穏なことを言うアヤセに、ラピスラズリはその真意を聞き出そうとした。だがアヤセは、「内緒です」とだけ答えて、その話題を打ち切ったのだった。







続く

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