機動兵器のある風景
Scene -45







 カノン・スピドがたたき起こされたのは、次の順番のためには少しだけ早い時間だった。緊急を知らせるために、エルシーはカノンの頭の中で大きな鐘の音を鳴らした。その轟音に、思わずカノンはベッドの上から転げ落ちることになった。

「エルシー、そこまでしなくても私は目覚めは悪くないぞ」

 手荒な起こし方に文句を言ったカノンに、非常事態だとエルシーは騒ぎ立てた。

「シエル様の乗ったシグナムが、寄生型トロルスに乗っ取られました」
「シエルがだって、まさか、そんな……」

 考えてもいなかった報告に、カノンはとっさには頭がついていかなかった。寄生型トロルスの知識は持っているが、今となってはあまり恐れる必要はないと思っていたのだ。その証拠に、ここ数十年寄生型トロルスは防御機構を超えることが出来なかったのである。
 だが現実は、最悪の状況を用意してくれたのだ。シエルが乗っ取られた時点で、戦って取り押さえるという方策は不可能となっていた。それどころか、何人生き残れるのか分からない情勢に代わってしまった。

 その事実が頭の中で意味を持ったとき、カノンは全身から血の気が引くのを感じていた。想定されうる中で、最悪中の最悪と言える事態が発生してしまったのだ。その事実に納得がいかなくても、もはや受け入れる他に出来ることはなくなってしまった。すぐにベッドから飛び降りたカノンは、エルシーに対策を確認した。自分がたたき起こされるまでの僅かな時間に、どのような方策が示されたのかを確かめたかった。

「ドーレドーレ様は、全員に対して緊急離脱の指示を出されています。
 安全距離をとったところで、ブリュンヒルデの第一主砲を使用すると思われます」
「賢明な判断ね……シエル相手じゃ、私たちが束になっても敵わないわ」

 正しくシエルの実力を認めたカノンは、他には? とリスク回避をエルシーに確認した。それだけなら、想像される最悪の中ではまだマシな方だった。

「たった今、ハイドラ様から命令が出ました。
 ジークリンデの離脱と平行して、レグルス様の保護が決定されました。
 ジルさま、フラン様がレグルス様を保護、待避されると言うことです」
「レグルスは?」
「薬で眠らせたと言うことです」

 それも賢明な判断だと、カノンはハイドラの決定を認めた。相手がシエルだと考えたら、ジークリンデが無事脱出できる可能性は限りなく低い。ならばこの先のことを考え、レグルスを保護するのは当然すぎる措置だった。

「シンジは、戻ってきていないのだな?」
「所在確認では、まだテラに残られています。
 予定では、3時間後にこちらに戻ってくることになっています」
「これで、レグルスとシンジを守ることが出来るか……」

 ただでさえ少ないのに、貴重な若いオスをここで失うわけにはいかないのだ。その意味で、二人が守られれば未来を残すことが出来るだろう。

「それで、シエルはどうしてる?」
「ディータ様の乗ったザフィーを破壊した後、その場を動いていません……
 待ってください、そんな、ブリュンヒルデがシグナムに襲われました。
 メインエンジンが破壊されました……ああっ、補助エンジンも……」
「ブリュンヒルデが落ちるのか……
 エルシー、私をジークの所に飛ばしてくれ!」

 今更間に合うとは思えないが、次に狙われるのは間違いなくジークリンデなのだ。ここでジークリンデまで落とされると、多くのブレイブス達を守ることが出来なくなる。

「マニゴルドは用意できているのか?」
「サークラ様と共に、すでに格納庫に到着されています!」

 愛機ジークのコックピットに収まったところで、カノンは激しい揺れを感じることになった。恐れていたとおり、ジークリンデがシエルの攻撃を受けたのだろう。

「間に合わなかったか……」

 くそっと吐きだしたとき、コックピットに通信用のウインドウが2つ開いた。そこには、とても神妙な顔をしたマニゴルドとサークラの顔が映っていた。

「二人とも、しけた顔をしているね」
「そう言うお前こそしけた顔をしているのだがな」

 ふっと口元を歪めたマニゴルドは、「役目は分かっているな」とカノンに質した。

「ああ、出来るだけ時間を稼ぐことだよ」
「ボクたちで、どれだけ時間が稼げるんだろうね」
「そう多くはないのは確かだろうな。
 だが、1秒でも長く時間を稼げば、それだけ多くの者を救うことが出来るはずだ」

 すでに3人は、自分の役目を十分に理解していた。彼女たちがシエルを倒すのは、ほとんどゼロに等しい可能性しか残されていなかった。だがその僅かな可能性に賭けるのは、間違いなく博打をすることになるだろう。そして今の彼女たちには、博打を打つのは許されていなかった。今求められるのは、少しでも長くトロルスに乗っ取られたシエルの行動を制限することである。足止めできる時間が長ければ長いほど、それだけ多くの部下達を救うことに繋がってくるのだ。

「しかし、組紐が使えないのは痛いね」
「シエルに、組紐を使わせるわけにはいかないからな」

 組紐の使用を禁止されたせいで、カノン達は歩いて格納庫の中を移動した。普段なら空間移送ですぐに外に出られるのだが、今は緊急ハッチを使わなければいけなかった。

「いい、絶対に突出してはだめだからね」
「一人でシエルを押さえられるなどと自惚れていない」
「やっぱり、一番戦いたくない相手だからねぇ」

 それでも戦わなければいけないのは、巡り合わせの悪さだろうか。画面の中で頷きあった3人は、緊急ハッチからアースガルズの空へと躍り出たのだった。



 ジークリンデのメインエンジン、サブエンジンを破壊したシエルは、それ以上の破壊へとは及ばなかった。ちょうどカノンの乗ったジークを先頭に、3機の機動兵器が出撃してきたこととは無関係ではないのだろう。自分を取り囲む3機の機動兵器に対して、シエルはゆっくりと降下し、戦いの場を地上へと求めた。
 そんなシエルをゆっくりと追いながら、カノンはフォトン・トーピドをシグナムの周辺に配置した。そしてフォトン・トーピドに隠れるように、サークラはエア・ボムをいくつか配置した。

「シエル相手に、接近戦は絶対にだめだからね」
「承知している!」
「ボクは、そんなに命知らずじゃないよ」

 くどいほど確認しあったのだが、この戦いはあくまで時間稼ぎに過ぎなかった。その為には、いつまでも勝負を付けないのが一番好ましかった。その為の戦い方は、接近するのではなく、遠隔からの特殊攻撃の方が望ましかったのだ。

「ならば、最初は俺から行くっ!」

 右手を胸のあたりで斜めに挙げ、マニゴルドはシエルめがけてその腕を振り下ろした。音速を遙かに超えて振り下ろされた腕は、意志の力を伴い鋭利な刃となってシエルめがけて飛んでいった。これこそが、何ものをも切り裂くマニゴルドの聖剣、ドゥリンダナと呼ばれる必殺技だった。
 まっすぐに振り下ろした腕を、今度はすくい上げるようにして振り上げた。そして再び振り下ろすことで、何度も刃をシエルめがけてマニゴルドは飛ばした。そしてその攻撃に合わせて、カノンは千を越えるフォトン・トーピドの光球を、シエルめがけて殺到させた。

 二人がかりの同時攻撃なら、確実にシエルに届くだろうと考えられた。だが今まさに二人の技が炸裂すると言うとき、シエルは目にもとまらない早さでカリヴァーンを振るった。シエルによって振られた聖剣は、殺到したカノンのフォトン・トーピドとマニゴルドのドゥリンダナをまとめて切り捨てた。分かっては居たが、常軌を超えたシエルの戦闘力だった。

「ちっ、やっぱりこの程度じゃ通じないか」
「だが続ければ、時間を稼ぐことが出来るだろう!」

 切り捨てられることも予定の内と、マニゴルドは何度もドゥリンダナをシエルめがけて放った。そしてその攻撃に隠れるように、サークラはエア・ボムをシエルへと接近させた。

「まったく、嫌になるほど強いわね……」

 一歩も動かすドゥリンダナを防いだシエルめがけ、カノンは特大のフォトン・トーピドの光球をお見舞いした。そしてその特大の光球に隠れるように、比較的小振りの光球を追随させた。特大の光球は囮にして、何とか光球を届かせようと試みたのだ。
 だが自分に迫るフォトン・トーピドに対して、シエルはカリヴァーンをただ一閃だけさせた。その一閃で、カノンの放った二つの光球が破壊されてしまった。だがそれにもめげず、カノンはフォトン・トーピドをシグナムめがけて放ち続けた。

「このまま続ければ時間は稼げるけど……」

 近づいてこない自分達を見れば、いつかこちらの意図を見抜かれてしまうだろう。だからと言って接近戦を仕掛けたなら、あっという間に切り捨てられてしまうのは間違いない。離れる分だけ威力が落ちるのだが、絶対にシエルに近づくわけにはいかなかったのだ。
 カノンとマニゴルドが連続攻撃を仕掛ける中、サークラは粘り強く罠の発動タイミングを待ち続けた。二人の攻撃が激しければ激しいほど、シエルの注意は二人に向くことになる。その分自分の掛けた罠が効果を発揮する可能性が出てくる。

 カノンとマニゴルドは、連続して自分の必殺技をシエルへと浴びせ続けた。さすがに激しい攻撃は、シエルをその場から一歩も動かさなかった。ただ二人の攻撃は、シグナムへ届く直前すべてカリヴァーンによって防がれてはいた。二人の攻撃は通用していないが、かと言ってシエルも反撃できない距離をとっていると3人は思っていた。
 そしてカノンとマニゴルドが、十分攻撃を続けたところで、サークラは念入りに仕掛けた罠を発動させることにした。どこをどう動いたとしても、配置したエア・ボムに掛からないように動くことは出来ないように罠を配置した。

 だがサークラが罠を発動させようとしたまさにそのとき、シエルは3人に向かってカリヴァーンを一閃した。その刃の軌跡に沿った形で、サークラの配置したエア・ボムが破壊された。しかもエア・ボムを破壊した衝撃は、そのままの威力を持って3人を襲った。

「つっ、シエルが飛び道具を使ってくるなんて」

 それをマニゴルドはドゥリンダナを使って、カノンとサークラは軌跡から逃れることで防いだ。離れているおかげで、まだ避けることの出来る攻撃だった。だが、離れていても安全ではないと知らされた攻撃だった。

「時間はっ!」
「まだたったの10分しか経っていない!」

 なんて時間が過ぎるのが遅いのか。時間を稼ごうと攻撃しているのに、いっこうにその時間が過ぎてくれないのだ。最低でも1時間と言われているのだが、その時間はカノン達には永遠に訪れない遙か遠くのもの思えてしまった。

「でも、このまま距離をとってっ!?」

 これまで地上から一歩も動いていなかったシエルだったが、ゆっくりとその位置から動き始めた。どこへ行くのかとその先を見れば、地上に不時着したブリュンヒルデがそこにあった。ゆっくりとブリュンヒルデに向かうシエルの姿は、まるでカノン達を誘っているようにも見えた。

「あそこには、ドーレドーレ様がっ」
「支援艦に目を付けたと言うことは、こちらの意図を悟られたかっ」

 離れての攻撃では、足止めすら出来ないことは分かっていた。それでも時間を稼げればと思っていたのだが、ブリュンヒルデに取り付かれたら、その攻撃すら出来なくなってしまう。そしてブリュンヒルデを破壊されたら、残る策はジークリンデの自爆しか無くなる。だがブリュンヒルデを標的としたシエルが、ジークリンデを見逃してくれるとはとても思えなかった。

「接近戦を仕掛ける他はないと言うことか」

 それが出来るのは、自分をおいて他にないとマニゴルドは考えた。力から行けばカノンも互角なのだが、シエルの手にはカリヴァーンが握られていた。刃物を持った相手と戦うのに、素手ではいかにも苦しかったのだ。

「俺が、行く」

 戦いを決断したマニゴルドは、カノンとサークラにもう一つ指示を出した。

「何とかして、俺がシエルの動きを止める。
 そのとき、お前達は一斉にシエルを攻撃してくれ」
「良いんだね」

 マニゴルドの意志を理解したカノンとサークラは、小さく頷くことで了承を示した。今のシエルを相手にしたら、いかにマニゴルドでも長くはもたないだろう。その僅かな時間の中で、一瞬の隙を作り出そうというのだ。当然二人の攻撃がどのような効果をもたらすか、それを承知の上での申し出だった。

 ゆっくりと移動するシエルに先回りをする形で、マニゴルドは愛機エクスカリバーをブリュンヒルデの前に配置した。そして正面から向かってくる緋色の機体に向かって、唇をかみしめ睨み付けた。

「望み通り、殺し合いに来てやったぞ。
 われは全身研ぎ澄まされた刃となり、お前を冥府に導いてやろう」

 銀色の機体は、まるで礼をとるように前に差し出した右手の肘を曲げた。そしてドゥリンダナを撃つわけでもなく、まっすぐにその場で振り下ろした。

「いざ、参る!」

 両腕を前で交差するようにして、マニゴルドはアクセルを使わずにシエルめがけて突進した。そしてシエルも、アクセルを使わずにマニゴルドを迎え撃った。まっすぐ大上段にカリヴァーンを振りかぶり、突進してくるマニゴルドめがけて振り下ろしたのである。
 その刃を、マニゴルドは両手を使って受け止めた。ただドゥリンダナで刃と化した両腕は無事だったが、シエルの剣撃によってエクスカリバーの両足が少しだけ地面にめり込んだ。

 だがシエルは、それ以上剣圧を高めることはしなかった。マニゴルドが体を沈み込ませたのに合わせ、カリヴァーンを引いて、カノンとサークラへの牽制を行った。その行動は、カノン達の作戦を見透かしたようなものだった。

「この俺を相手にしながら、ずいぶんと低く見られたものだな」

 頭の上で組んだ腕をほどきながら、マニゴルドはドゥリンダナを飛ばそうとした。だがその動作と同時に振り下ろされたカリヴァーンに、ドゥリンダナの構成は邪魔されてしまった。再び両腕でカリヴァーンを受け止めたマニゴルドは、体に力を入れて剣を押し返そうとした。
 だがいくら力を入れても、シエルの剣をマニゴルドは押し返すことは出来なかった。たかが右腕一本で振り下ろされた剣を、全身の力を使っても押し返せないのだ。

「な、なぜ、この俺が力負けをする……」

 これまでシエルと戦って、確かに一度も勝ったことはなかった。ただそれにしても、技の鋭さ早さで負け続けていたのだ。単純な力比べに陥ったことはないが、ここまでの差があるとはとても思えなかった。
 だがマニゴルドが突きつけられた現実では、片手で振り下ろされた剣を押し返すことが出来なかった。押しつぶされないように支えるのが精一杯で、それ以上何も出来なくなっていた。

 動きの止まった今こそ、カノンとサークラにとって千載一遇のチャンスのはずだった。だが直前にされた牽制のせいで、二人とも攻撃が出来なくなっていた。

「カノンっ!」
「分かってる、このままじゃマニゴルド兄が……」

 こうして居るだけで、シエルの圧倒的な力が伝わってくる。その迫力は、カノン達から戦う意志を奪い去る力を持っていた。それでもここで負けたら、すべての破滅が待っている。同じ破滅ならば、前に進むべきだと二人は決意を固めた。

「サークラ、ガチの殴り合いになるけど付いて来られる?」
「んー、あんまり体を使うのは得意じゃないんだけどねぇ」

 軽口を叩こうとしても、声が震えていては台無しになってしまう。だが受け取る方にしても、気持ちに差があったわけではない。「最近苦手になった」と答えたカノンは、先に行くとアクセルを使ってシエルとの間合いを詰めた。

「まったく、ボクを置いていかないで欲しいね」

 そしてカノンに続けとばかりに、サークラもアクセルを使って接近戦を挑んだ。ラウンズトップに対して、2位から4位の3人がかりでの共同戦の開始である。ここまで稼いだ時間はわずか20分、あと30分は稼がないとすべてが終わってしまうことになる。

 1機の機動兵器に対して、3機の機動兵器が接近戦を挑む。真っ当に考えれば、1機の側に勝ち目はないはずだった。だがシエルの操るシグナムは、3人の攻撃をゆるゆると躱していった。まるで相手の動きを読んだかのように、その動きには一片の無駄も見られなかった。
 ゆるゆると避けるシエルに対し、3人は更にスピードアップをして追い詰めようとした。ここまで挑んだ以上、指一本触れられないのではプライドに関わってくる。それでもシエルは、3人の攻撃を余裕で躱し続けた。

 その光景が5分ほど続いたところで、初めてシエルが新しい行動に出た。それまでゆるゆると躱していたシエルだったが、躱す勢いそのままで3人の包囲の外に出たのである。そして今まで使わなかったカリヴァーンを、3人めがけて横薙ぎ薙いだ。

「やらせはせん!」

 カリヴァーンから放たれた剣圧を、マニゴルドは右腕を振り下ろしドゥリンダナで叩き切ろうとした。だがシエルの剣圧は、とうとうマニゴルドのドゥリンダナを上回り、右腕ごとエクスカリバーの首をはね飛ばした。頭をはね飛ばされたエクスカリバーは、そのままその場に膝をついて動きを停止した。

「サークラ、シエルから距離をとって!」

 シエルの動きを押さえるため、カノンは数百のフォトン・トーピドをシグナムの周りに生成した。だがそれを爆発させるのよりも早く、シグナムがその場所から消失した。

「ど、どこに……」

 一瞬シグナムを見失ったとカノンは、次の瞬間ジークのコントロールから切り離された。何がと思ってモニタを見ると、そこではサークラの乗ったケルベーロスが、シエルに切り捨てられるのが映っていた。そして自分の状態を確認すると、ジークの首がはねられていた。

「3人がかりでも、全く歯が立たなかった……」

 モニターこそ生きているが、ジークは指一本動かすことが出来なくなっていた。そのあたりの事情はマニゴルドとサークラも同じなのか、二人の乗った機動兵器は、まるで石像のようにその場で動きを止めていた。

「ドーレドーレ様、直ちにブリュンヒルデを自爆させてください!
 もう、私たちでは時間を稼ぐことは出来ません!」
「今爆発させると、誰一人として救うことが出来ません!」
「しかし、ここでシエルを倒さないと、アースガルズは終わりを迎えます!
 私たちには、まだエステル様が残っています」

 出撃した11人のヴァルキュリアと、10人のラウンズ、そして600及ぶブレイブス達の命。その命を賭けてトロルスに取り憑かれたシエルを倒そうというのである。そしてそこまでしなければ、もはやシエルを倒すことは出来なかったのだ。ここでシエルを取り逃せば、カノンの言う通りアースガルズは終焉を迎えることになる。
 目を閉じ歯を食いしばり、ドーレドーレはじっと天を仰いだ。最悪に最悪を重ねたこの事態は、間違いなく自分が招いた結果なのだ。僅かなミスから始まった崩壊の序曲は、今まさにクライマックスを迎えようとしていた。そしてその序曲を奏でるのは、愛してやまない大切な自分のカヴァリエーレだった。

「分かったわ、後はエステルに託すことにいたしましょう。
 ニンフ、自爆装置を起動しなさい」
「はいドーレドーレ様、直ちに自爆装置を起動……超高速で何かが接近してきます」
「なんですってっ!!!」

 ドーレドーレが下した命令は、全員に逃げろと言う物だった。その命令が絶対である以上、誰もここに近づいてくるはずがなかったのである。
 大声で叫んだドーレドーレに、識別中とニンフは答えた。そしてニンフの答えが来るのよりも早く、超高速で接近してきた物体が、スクリーンにその姿を現した。そこに映し出されたのは、まばゆいばかりに金色の光を放つ、ここにいてはいけない機体、ラウンズ末席碇シンジの乗るギムレーだった。

「ニンフ、自爆装置を一時停止しなさい!
 な、なぜ来てしまったのです……」
「何故って、行かせないとラウンズをやめるって脅されましたから」
「エステル、あなたまで……」

 エステル達だけでもと思ったのに、これですべての努力が水泡に帰することになる。突然割り込んできたエステルに、ドーレドーレは愕然としてしまった。だがすぐに気を取り直し、エステルに向かって「立ち去りなさい!」と命令した。そのときドーレドーレの抱いた感情は、エステルに対するどうしようもない怒りだった。

「あなたたちだけでも生き残らないと、本当にアースガルズは終わってしまいます!
 これは、ヴァルキュリア筆頭の命令です!
 あなたもヴァルキュリアなら、カヴァリエーレに言うことを聞かせなさい!
 こういう時にどうすべきか、これまで何を学んできたのですか!」
「先ほども言いましたけど、私のカヴァリエーレが言うことを聞いてくれないんです。
 その上、補佐しているフェリスまで私に逆らって出撃してしまいました。
 ですから、私もヴァルキュリア首なのかなぁって。
 そう言うことですから、私の代わりは予備役のアヤセが務めることになります!
 それから申し上げておきますが、一応ヒルデガルドは安全圏で待機していますよ」

 てへっとエステルが笑ったとき、ドーレドーレはブリュンヒルデが揺れたのを感じた。シエルの攻撃かとスクリーンを見たら、シグナムの行く手を遮るように、金色の機体が立ち塞がっていた。もうもうと土煙が立ち上がっているところを見ると、それだけの勢いで着地したのだろう。

「こ、これがギムレー……」

 そして土煙の収まったとき、ドーレドーレは金色の機体に気圧されてしまった。目の前に現れたギムレーからは、シエルの乗ったシグナムと同等以上の迫力を感じさせられたのだ。その圧倒的な存在感に、ドーレドーレはゴクリとつばを飲み込んだ。これまで何度も戦いを見てきたが、今日のギムレーは発散する迫力は今までとは桁が違っていた。
 迫力に押されはしたが、だからと言って期待を持てるのかというのは別になる。それでも状況は、すでにドーレドーレの手を離れていた。次善の策は、シンジが時間を稼いでくれることだった。

「ニンフ、自爆装置を待機状態にしなさい。
 ここは、ギムレーに賭ける他は無いのですよね」
「畏まりました。
 ちなみに、あと20分で脱出したヴァルキュリアの皆さんは安全圏に出ます」

 これからの戦いは、その20分を稼ぐものとなるのだろうか。はたまた絶望を深くするだけのものとなるのか。それを決めるのは、ラウンズになって半年にも満たない若者なのだ。自分に出来るのは、その結果を受け入れることだけなのだろう。
 大きな肘掛け椅子に座り直したドーレドーレは、これから行われる戦いを見守ることにした。どちらが勝つにしても、どちらも無事では済まないだろう。だがその戦いは、祭りを超えた凄絶なものとなるのは間違いがなかった。良い冥土の土産となると、ドーレドーレも腹をくくることにしたのだ。



 お礼とお別れを言いたいとの希望で、アスカとセシリアはヒルデガルドのメインブリッジに招かれていた。そのあたりは、シンジの友人と恋人の一人と言う立場が役に立っていた。テラに気を遣うつもりは全くないのだが、シンジの大切な人たちに対しては別だとエステルも考えていたのである。
 そして二人に気を利かせたエステルは、ラピスラズリにシンジをたたき起こすように命じていた。せっかく二人が来るのだから、ちゃんと話す機会を作った方が良いとの姉心を働かせたのである。

「お二人とも、少し待ってくださいね。
 もうすぐお寝坊のシンジがここに来ますから」
「お休みの所起こしてもよろしいのですか?
 これからアースガルズに戻って、戦いの後始末が待っていると聞いていますが」

 気を遣ってくれるのはありがたいが、それで負担を掛けてはいけないと二人は思っていた。だがそれを受け取ったエステルは、気にするほどのことはありませんと言い切ってくれた。

「それが、ラウンズの役目だと思ってください。
 それにシンジだって、お二人と話をしたいと思っていますよ」

 だからと話を続けようとしたところで、ラピスラズリから「シンジ様がおいでになります」と連絡が入った。そしてその連絡から僅かに遅れて、ヒルデガルドのブリッジにシンジの姿が現れた。
 よほど熟睡していたのか、さもなければそれだけ慌てていたのか、一見まともに見えるシンジの姿なのだが、よく見ると寝癖で頭の後ろの毛が立っていた。そうすると、精悍に見えるラウンズの制服を着ていても、むしろ上下のアンバランスが目立って面白いことになってしまった。それでもアスカとセシリアは神妙な顔をして我慢していたのだが、遠慮のないエステルはお腹を押さえて笑い転げた。

「し、シンジ、お客様の前に出るのにその頭は無いと思いますよ。
 それとも、イメージチェンジを計ったのかしら?
 でも、はっきり言って全く似合っていませんよ」
「……それだけ、急いでいたんです」

 何を笑われているのかは、ラピスラズリが耳打ちをして教えてくれた。誤魔化すように手で寝癖を押さえたシンジは、真面目な顔で「大丈夫かい?」とアスカとセシリアに尋ねた。その真面目な顔と、それまでのやりとりのギャップに、ついに二人の我慢も限界を迎えた。
 ぷっと吹き出した二人は、「ごめんなさい」と言ってシンジに背を向けた。だが小さく震える丸まった体に、二人が笑っているのはシンジにも十分に理解できた。しかもどんなツボを突いたのか、しばらく二人は復帰してくれなかった。

「ええ、まあ、笑いものにされるのは慣れていますけど」

 唇を尖らせて拗ねたシンジに、「可愛くて良いですよ」とエステルは年上の余裕とか言う物を見せてくれた。だが一番最初に笑い転げたのだから、今更何をと言う所である。それでもエステルは、何食わぬ顔をしてラピスラズリが送ってきた蒸しタオルをシンジに渡した。その上「そろそろお別れですよ」と、未だ復帰できない二人に声を掛けた。引き金を引いたと言う意識が無いのか、さもなければすべて分かった上でやっているのか、そのあたりがとても読みにくいのがエステルだった。
 なかなか笑いの虫が治まらない二人だったが、それでもセシリアの方が少しだけ早く復帰してきた。浮かんだ涙を人差し指でぬぐいながら、「次はいつ会えますの?」と答えに困ることを口にしてくれた。

「いつって言われても……アースガルズでの後片付けは、1ヶ月ぐらい掛かるんですよね?」
「正確に言えば、機動兵器を使う後片付けがと言うとこですね。
 ただ今回は比較的範囲が狭いですから、かなり短縮されると思いますよ。
 それでも、シンジがテラに来るにはもう少し時間は掛かりますね。
 一応、テラの支援が急がれることも認識されていますが……」

 とは言え、テラに手を掛けなければいけないのも確かだった。さもないと、毎回こうやって遠征してくることになってしまう。この程度の小規模なトロルスの襲来ならたいした事はないが、大規模襲来があると話が難しくなってくるだろう。数百規模を迎え撃つ体制を作るのに、一体どれだけ掛かることだろうか。その構築もまた、優先度の高いこととなっていたのだ。

「レベル6のブレイブスが、単独でトロルスを倒したのは凄いことだと思いますよ。
 鍛えれば、割と早くレベルを上げることが出来るんじゃないかと思うんですけどね。
 だとしたら、アースガルズに連れて行った方が早い気もしますし。
 そう言う話になると、円卓会議に諮らないと話がまとまらないんです」
「チフユさんはどうされているんですか?」

 アースガルズで鍛えるという話になると、先に渡ったチフユのことが気になってくる。それを口にしたセシリアに、頑張っていますよとエステルは答えた。

「トロルスの襲来がありましたから、実はあまり訓練が出来ていないんですけどね。
 それでも、レベル4に上がっていますから、それなりの成果は出ていると思いますよ。
 今はフェリスがつきっきりになっていますから、上達は早いんじゃありませんか?」
「フェリス様、先日私どもの所にいらした方ですね?」

 綺麗な金髪の美女を思い出したセシリアに、「そのフェリスです」とエステルは答えた。

「こちらに戻ってから、すぐにレベル10オーバーの認定を行いましたよ。
 テラに行ったときに比べて、数段実力を付けたんじゃありませんか?」
「あそこからですか?」

 シンジとのやりとりを見ていると、間違いなく別世界に居るとアスカは思っていた。だがそれ以上と言われると、それがどの程度なのか全く想像もつかなかったのだ。
 そしてアスカの疑問に対して、「凄まじいですよ」とエステルは威張って見せた。

「シンジが居なければ、間違いなくラウンズに任命される実力ですよ。
 それどころか、今のフェリスに敵うのは、ラウンズ全体でも片手で足りると思いますよ」
「そのフェリス様より、シンジ様の方がお強いんですよね?」

 凄いなという目をしたセシリアに、「どうだろうね」とシンジは苦笑を返した。

「祭りという形だと、どちらが強いかというのは難しいですね。
 それぐらい、シンジとフェリスの実力は拮抗していますよ。
 でも、今のフェリスでは絶対にシンジには勝てませんけどね」
「ええっと、最後のは矛盾していませんか?」

 どちらが強いのか分からないとか、実力が拮抗していると言ってくれたのに、最後には絶対にフェリスは勝てないと言い切ってくれたのだ。どう考えても、前後が矛盾しているとしか言いようがなかった。だがエステルにしてみれば、どこにも不思議なところはないというのが現実だった。

「実力という意味では拮抗していますよ。
 でも、フェリスがシンジに勝てるはずがないと思いますよ。
 だってシンジの前に出ると、フェリスの目がハートマークになっているんですもの」
「そう言う意味で仰有ってるのですね」

 なるほどと納得したセシリアに、嫉妬しないんですねとエステルは茶々を入れてきた。

「フェリスがシンジにお熱だと言ったのに、あまり気にしていないんですね」
「そう言われましても、テラにお見えになったときからそうでしたから……
 それに、碇様はそう言うお立場だと存じ上げた上で好きになりましたから……」

 う〜んと考えたセシリアは、もてないよりずっと良いと答えた。

「それに、フェリス様だったらまだ納得がいくじゃありませんか?
 あんなに凄い人に好きになられるなんて、やっぱり凄いことだと思いますから」
「でしたらセシリアさんにもう一つ教えて差し上げますね。
 ラウンズ筆頭のシエル・シエルさんなんですけど、ついに観念してシンジを相手に選ぶそうですよ。
 シエル・シエルさんは、ラウンズになってから1敗しかしていない希代の天才なんですよ」

 凄いでしょうと自慢げに言うエステルだったが、それを言われたセシリアはあまりピンと来た様子がなかった。その分反応が悪いと言うことになり、どうしてですかと逆にエステルが聞き返すほどだった。

「いえ、たぶん凄いことなんでしょうけど……
 ラウンズ筆頭のシエル・シエル様と言われても……面識がある訳じゃありませんから」
「そう言われてみれば、確かにそうですね……
 ラッピー、どうかしましたか?」

 楽しくセシリア達と話をしていたら、「大変です」と急にラピスラズリが割り込んできた。そして電子妖精として必要十分な情報、「シエル・シエルがトロルスに寄生された」と報告した。その瞬間、エステルの纏っていた空気が一変した。まるで別の誰かに入れ替わった、そう思わせるほどの変貌だった。

「それで、ドーレドーレ様の決定は?」
「ブリュンヒルデの第一主砲で処理をされると言うことです。
 現在、ジークリンデおよび展開しているブレイブス達に退避命令が出ています……
 少しお待ちください、どうやら状況が悪化したようです。
 ブリュンヒルデ、ジークリンデとも現状空域脱出が不可能となったみたいですね。
 ドーレドーレ様は、ブリュンヒルデの自爆を決定されました。
 カノン様、マニゴルド様、サークラ様が時間稼ぎのために出撃されたようです」
「手順通りと言うことですか」

 ふっと小さく息を吐き出し、分かりましたとエステルはラピスラズリに答えた。小さな頃からヴァルキュリアとなるべく教育されてきたエステルなのだから、こういう時はどうすべきかは十分に承知していたのだ。残念なことになったと思ってはいても、自分がこれから何をすべきかも理解していた。
 だがエステルの伴侶たるシンジは、いささか事情が異なっていた。ブレイブスになって1年足らずのシンジに、彼女たちの常識を期待すること自体無理があったのだ。頭を下げて出て行こうとするシンジを、不思議そうな顔をしてエステルは呼び止めた。

「シンジ、どこに行くのですか?」
「どこにって……ギムレーで出撃の準備をするんですけど?」

 何かおかしいかという顔をしたシンジに、エステルは「待機」を命じた。

「あなたが出撃することは許されませんよ。
 このような場合、男性ラウンズは第一に保護されることになっています。
 レグルスも、すでに現場を脱出していますよ」
「レグルス様が、脱出された?
 それがレグルス様の意志なんですか?」

 レグルスの性格を知っているだけに、逃げたという事実にシンジは驚いた。だがエステルにしてみれば、別に驚くようなことではなかったのだ。しかもレグルスを脱出させることに、本人の意志は関係がなかった。

「レグルスの意志など関係ありませんよ。
 暴れないよう睡眠薬を投与して、ジル達が身柄を確保したと報告にあります」
「それが、アースガルズのやり方と言うことですか……」

 少し悲しげに、そして怒りを含んで、シンジはエステルに考え方を確認した。そしてシンジの問いかけに対し、エステルは普段通りの態度で、「そうですよ」とあっさりと答えた。

「この場合、それが一番合理的な方法だと私も思います。
 シンジ、ですから私たちはシエルさんの処理が終わるまでテラで待機になります」
「シエル様を“処理”するのですね」

 シンジの語気に含まれた怒りは、はっきりと分かるほど膨らんでいた。それを意外そうに見たエステルは、「言い換えても結果は変わりません」と言い切った。
 急に変わった雰囲気に、セシリアは事情も分からずただ狼狽えるだけだった。だが一緒に戦ってきたアスカは、とても危険な状態にあることに気がついた。ある意味、シンジの持っている一番危険なトラウマに触れたのだ。だから間に入ろうとしたのだが、すでに手遅れとなっていた。

「エステル様、エステル様にはたくさんご恩があると思っています。
 そして、今でもあなたを愛していることに嘘偽りはありません。
 ですが、私は今、この時をもってあなたのカヴァリエーレをやめさせていただきます」
「それを、私が許すと思っているのですか?
 それに、あなたがどう頑張ろうとアースガルズに行くことはできません。
 ラピスラズリは、私の命令であなたの組紐使用をロックしています。
 それに、あなたはギムレーにたどり着くことは出来ませんよ」

 ほらとエステルが指を指した先を見ると、難しい顔をしたフェリスが立っていた。それを見たシンジは、「フェリスも同じ考えかい?」と優しく尋ねた。

「僕は、シエルを助けに行く。
 それを邪魔するというのなら、たとえフェリスでも僕は許さない」
「ですが……一度トロルスに犯されると、助けることは出来ないと教えられています」

 エステルとは違い、フェリスにとってシンジと言う存在は大きすぎた。許さないという言葉に、はっきりと動揺を顔に表した。

「それでも、僕はシエルを助けに行く。
 出来るのなら、フェリスにも僕と一緒に来て欲しい。
 僕には、フェリスの助けが必要なんだよ」
「私の助けが必要……私の助けが……」

 シンジの言葉を繰り返したフェリスに、エステルは強い調子で「フェリス!」と呼びかけた。

「今は、シンジを止めるのが一番正しい答えなんですよ」
「フェリス、僕と一緒に来てくれるかい?」

 二人に迫られたフェリスは、何度も二人の顔を見比べるように顔を振った。そして小さく息を吐き出し、「私はシンジ様に従う」とぎりぎりの選択を口にした。

「ありがとうフェリス、君には辛い選択をさせてしまったね」

 うつむいたフェリスに近づいたシンジは、そっと震えるその肩を抱いた。

「ではエステル様、短い間ですがお世話になりました」
「私の許可がないと、ギムレーもリュートも動かないことを分かっているのですか!」
「ここには、テラの機動兵器が2機残っています。
 これからその2機を強奪して、ヒルデガルドとエステル様を人質にとることにします」

 剣呑なことをシンジが口にしたとき、ラピスラズリが知らせたのか、メイハが慌てて飛び込んできた。それを天の助けと、エステルはメイハに二人を取り押さえるようにと命じた。だが返ってきた答えは、あまりにも予想通りというか、当たり前すぎるものだった。

「無理を言わないでください。
 シンジ様ならいざ知らず、私ではフェリスを取り押さえることは出来ませんよ。
 それからシンジ様、機動兵器には自立モードがあるのを覚えていますね?」
「メイハっ!」

 味方と思っていたメイハまで、シンジの方についてしまったのだ。さすがに信じられないと言う顔をしたエステルに、諦めてくださいとメイハが引導を渡した。

「エステル様が組紐をロックしても、マシロが別ルートを探してしまいますよ」
「マシロまで……」

 愕然としたエステルに、シンジは「ありがとうございました」と頭を下げた。そして隣に立つフェリスに、「行こうか」と声を掛けた。

「うむ、シエル様を助けに行くのだな!」
「シエルだけじゃないよ、ドーレドーレ様も助けないといけないんだからね。
 後はカノン様やマニゴルド様、サークラ様も助けるんだ」

 そう言って笑ったシンジは、アスカとセシリアに対して「ごめん」と謝った。

「たぶん、僕は馬鹿なことをしようとしていると思うんだ。
 だけど、こればかりは譲ることが出来ないんだ」
「鈴原のこと、そこまで引きずっていたのね」

 分かったと頷いたアスカは、「存分にやってきなさい!」とシンジを激励した。そして隣で付いてこられないでいるセシリアの背中を押した。

「シンジ様、アースガルズにいられなくなったら帰ってきてくださいね。
 私たちは、いつでもシンジ様達を迎え入れる準備は出来ていますわ!
 ええっと、私たちはと言いましたけど、その、私もお待ちしていますから」

 あの、そのと、慌てたセシリアに近づき、シンジはそっと唇を重ねた。そして後ろで苦笑を浮かべているメイハに、後は任せると言ってヒルデガルドのブリッジを出て行った。結局エステル以外の誰一人として、シンジを止めようとはしなかったのだ。
 そしてシンジを止められなかったことで、エステルは完全に己を失ってしまった。呆然と立ちすくみ、シンジが出て行った扉へと視線を向けていた。

「エステル様、今からでも遅くはありません。
 シンジ様の行動を認めてあげてください」
「メイハっ、これは立派な反逆行為ですよ!
 私はっ、私は、ヴァルキュリアとして必要な行動をとろうとしただけです。
 あなただって、いつも私にヴァルキュリアらしくと小言を言っていたじゃありませんかっ!!」

 メイハの言葉にわれを取り戻したエステルは、大きな声でおかしいと文句を言った。だがメイハは、少しもおかしくありませんと言い返した。

「エステル様にとって、シンジ様はどのようなお方ですか?
 ヴァルキュリアとカヴァリエーレという決めごとだけの関係なのですか?」
「そ、そんなことは無いわよ!
 でも、今更アースガルズに戻っても無駄なことなのよ!
 組紐がロックされているから、遠く離れたところにしか戻ることは出来ないのよ。
 そこから移動したのでは、いくらシンジでも間に合うはずがないわ。
 それに例え間に合ったとしても、シンジではシエルを助けることは出来ないわ。
 シエルを殺してでも、皆を助けるというのなら話は別です。
 トロルスのせいで力を増したシエルを、いくらシンジでも取り押さえるのは不可能です。
 私は、みんなが犠牲になってもシンジだけは生きて欲しいのよ。
 シンジが死ぬことになるのを、見過ごせと私に言うつもりなの!」

 だから絶対に認めることは出来ない。大きな声で、エステルはメイハに言い返したのだった。







続く

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