機動兵器のある風景
Scene -44







 戦い後の確認作業は、2交代制で夜を徹して行われる。かつて視認性の関係で昼の時間だけで行っていたこともあったが、倒し損ねたトロルス、ある意味死んだふりをしていたトロルスが、夜の闇紛れて清浄地域に侵入した事件があったのだ。そのときに発生した小さな被害と、再度確認作業をやり直すことになった反省から、連続して確認作業を行うことに手順が改められることになった。そしてそのまま、100年以上同じやり方が続けられたのである。
 2交代制となっているが、実際には8時間単位という変則2交代制が取られていた。そのあたりは、退屈な作業を12時間続けたくないという理由による。それ以上に、昼ばかり、夜ばかりになるのを防ぐという目的があった。その順番通りに行われた乙組、すなわちカノン達の作業も7時間を超えていた。

「カノンの姉御、俺たちの受け持ち区分は終了したぞ」
「ボクの受け持ちも終了したよ」

 交代時間間近となると、それぞれの受け持ち区分終了の報告が上がってくる。乙組総司令のカノンは、展開されたマップに、報告をいちいちマーキングしていった。それを見る限り、この20時間の確認作業は、少しの滞りもなく進んでいるようだ。いつも通りなのだが、特段異常が報告されることもなかった。

「エルシー、シエルの方は準備が出来ているのかな?」
「ニンフの情報によると、あと20分ほど掛かると言う事です」

 電子妖精エルシーの答えに、カノンは少しだけ口元を歪めて見せた。エルシーの言う20分とは、当初予定通りの交代時間という事になるのだ。そのあたりの融通が利かないと言うか几帳面なところを、相変わらずだと思ったのだ。

「シエルは……甘えるタイプじゃないからなぁ」

 これで本当に丸くなれるのか、その効果を疑ったという所もある。だが今はまだ、トロルス掃討作戦の最中なのだと頭を切り返しる事にした。いくら後始末と言っても、疎かにして良い物ではない。事実過去最大の被害は、この後始末中に発生していたのだ。
 緩み掛けた気持ちを引き締めるため、カノンは頭を小さく振った。そして自分の視点で、受け持ちエリアの状況を確認することにした。小さな見落としの一つが、致命的な結果を引き寄せることになりかねない。総司令としての役割を、再度己の中で反芻したのだ。

 そうやって責任を思い出しているうちに、乙組の撤収準備は完了した。そしてエルシーに教えられた20分も間もなくというところで、新しく整備された機動兵器が次々と転送されてきた。そしてカノンの愛機空色をしたジークの前に、緋色をしたシエルのシグナムが現れた。分かっていたことだが、非常に正確に、引き継ぎを行おうというのである。

「ご苦労だったなカノン、ここからは甲組が引き継ぐ」
「まったくぴったりと時刻通りだねぇ。
 じゃあシエル、引き継ぎ事項はニンフに聞いてくれないかい」

 せっかく電子妖精などと言う便利な物があるのだから、細かな引き継ぎを直接行う必要はない。敢えてカノンが口にしたのも、確認という意味もない単なる習慣だった。それにカノンは、すでにシエルが引き継ぎを受けているのを知っていたのだ。そのあたりも、シエルの几帳面さが現れているところだった。

「うむ、ゆっくりと8時間休んでくれ」
「そうさせて貰うけど、早く解放されたい物ね」

 予定通りに運べば、1週間程度で後始末作業から解放されることになる。つまりあと6日ほど続ければ、この仕事も終わりと言うことになるのだ。
 もっともカノンは、軽口に対する答えが返ってくるとは思っていなかった。何しろこの手のやりとりを、シエルがラウンズになってずっと続けていたのだ。その間一度も、まともな答えが返ってきた試しがなかったのだ。だから今度も、一方的な物になると初めから考えていた。

 だが今回に限っては、何か微妙な心境の変化があったらしい。普段は答えを返さないシエルが、「全くだ」と同意を返してきたのだ。そのおかげで、エルシーの転送をカノンは思わず止めてしまったほどだ。

「珍しいわね、シエルが答えを返してくれるなんて?」
「そうか、普段から答えていると思っているのだが……」

 おかしいのかと考え込んだシエルに、「たいした事じゃない」とカノンはその場を去ることにした。小さな変化なのか、さもなければ単なる気の迷いか、そのいずれにしても、取り立てて騒ぐようなことではないと思ったのだ。
 そしてシエルも、カノンが居なくなったことで考えることをやめる事にした。今自分がしなくてはいけないのは、寄生型トロルスの駆除、そして仕留め損なった奴にとどめを刺すことだった。それが完了すれば、浄化作業はブレイブスの手を離れることになる。

「ニンフ、作業に滞りはあるか?」
「いえ、いつもの通りと言うのか、全く順調に進んでいます。
 今のところ、仕留め損なったトロルスは見つかっていませんね。
 寄生型のトロルス3例は、いずれも防御装置で撃退されています」
「皆の練度が上がったと言うことか。
 ただ、寄生型には引き続き警戒を怠らないよう通達しろ」

 畏まりましたと、ニンフはシエルの命令を全員に通達した。

 ここでシエルが寄生型のトロルスに拘ったのには、大きな理由があった。過去最大の戦いは、記録上200年前に行われた物だった。そこで2万のトロルスを500の戦力で相手にし、5人のラウンズと半数のブレイブスを失いながら勝利した記録が残っている。
 襲撃してきた相手の規模を考えたとき、数字的には納得は出来ないが理解は出来る被害だと言えただろう。だがこの戦いで一番被害を出したのは、現在行っている後始末の時だった。そしてラウンズ5人を失ったのも、トロルスの攻撃ではなく、味方の攻撃による物だったのだ。そのときに大きな被害を出した原因、それこそがシエルの気にした寄生型トロルスによるものだったのだ。

 トロルスの中には、原生物のようにはっきりとした形態を持たないものも存在していた。その状態では、簡単な電撃でも駆除できてしまうような、ひ弱な存在でしかなかった。だがひとたび機動兵器に寄生しその制御を乗っ取ったとき、とたんに最凶の敵へと変貌してくれる。
 機動兵器に寄生することに成功したトロルスは、乗っているブレイブスの精神を浸食し、己の制御下に置くのである。すなわち、それまでの能力を保ったまま、ある意味禁忌を感じない分だけ凶暴となった敵の誕生である。まかり間違ってラウンズが寄生されたら、配下のブレイブスでは押さえることは不可能となる。200年前の時には、最悪なことにラウンズ第二位アリアが犯された。

 トロルスによって力を増したアリアは、迎撃に出た5人のラウンズを蹴散らした。そうなると、アリアを押さえるためには休息をとっていた筆頭を呼び戻す必要がある。だが急遽呼び戻された時の筆頭カレンデュラも、5時間の激戦の末アリアに敗れ去ることになったのだ。
 そこで当時のヴァルキュリア筆頭クスコは、最終手段の選択を決断した。アリアを制圧するのではなく、消滅させると言う選択である。その方法として、支援艦ブリュンヒルデの第一主砲が使用されることになった。そしてブリュンヒルデの第一主砲から打ち出された加速された弾丸は、見事アリアごと寄生型のトロルスを消滅させたのである。だが同時に、着弾点から半径50kmのエリアが蒸発させられた。その巻き添えになり、多くのブレイブスが命を落としたのである。

 その後の戦いでも、何度か寄生型トロルスの被害は発生した。その都度小さくない被害を出しながら撃退した反省から、機動兵器に寄生型対策が施されることになった。単独ではひ弱なことを利用し、接触を検知したところで電撃で消滅させたのだ。その対策が50年前にとられてから、寄生型トロルスによる被害は発生しなくなっていた。
 その意味では、シエルの懸念は杞憂に類する物なのだろう。だが元来名真面目な性格から、危険を見過ごすことが出来なかったとも言うことが出来た。そしてその慎重な性格のおかげか、何事もなく5時間が過ぎようとしていた。

「ニンフ、現在の進行状況はどうだ?」
「とても順調だと言えますね。
 新たに寄生型も見つかっていますが、すべて防御装置で駆除されています。
 それに加えて、仕留め損なったトロルスは見つかっていません」
「つまり、今まで通りと言うことか……」

 ふんと戦場跡を睥睨したシエルは、彼女にしては珍しい言葉を口にした。

「まだ、帰ってこないのか?」
「なんでしょう、シエル様?」

 それに気づいたニンフだったが、言葉の意味をはっきりと受け取ることが出来なかった。だがシエルは、何もニンフに対して答えなかった。その代わりと言うか、テラでの状況を確認してきた。

「テラでの作戦は終了したのか?」
「報告では、6時間ほど前に後片付けも終了しているようですね。
 戻ってくるのは4時間後と言うことですから、次の順番でシンジ様も加わることになります」
「たかが62体程度、問題になることはなかったと言うことだな」
「まあ、シエル様もお認めになったシンジ様ですからね」

 シエルの生態情報は、すべてニンフが把握できることになっていた。そのおかげで、シエルの体温が上昇し、鼓動が上がっているのを確認することが出来た。

「ニンフ、口実は立ったと思うか?」
「みなさん、当然の結果だと思っていますよ。
 今回の戦闘分析は、シエル様もご覧になっていますよね?」
「ああ、この私も鳥肌が立ったぞ。
 トロルスを倒すという意味では、すでに最強となっているのではないか?」
「仰有る通りだと思いますよ」

 シエルと話をしながら、「しめしめ」などとニンフは考えていたりした。観念したお陰か、少し女性らしさが見られるようになったのだ。これで一気に攻め込んで貰えば、配下が望むシエルの変貌が見られることになる。少なくとも、シエルの側は準備が整ったとニンフは思っていた。
 だがそこからのシエルの言葉は、完全にニンフの期待とは反対方向へと行っていた。

「だがなニンフ、やはり私はシンジと真剣勝負をしなくてはいけないと思っている。
 そしてその戦いで、シンジを完膚無きまでに倒したいと思っているんだ」
「シエル様?」

 これが人間ならば、目を瞬かせて驚いていたところだろう。それほどまでに、シエルの言葉は予想とは違う方向に行っていた。今までの話の流れを考えれば、「抱いてくれと言うつもりだ」ぐらいでないとおかしいはずだ。それがよりにもよって、真剣勝負で勝ちたいと言うのである。ずっとシエルに付き合ってきたニンフでも、その飛躍した考えにはついて行けなかった。

「それは、どういう理由からですか?」

 だからこそ素直に質問をしたのだが、あいにくシエルは何も答えてくれなかった。そうなると、電子妖精の立場でそれ以上深入りすることは出来ない。しばらく沈黙を守ったニンフは、役目としての状況方向をシエルに告げた。

「ここまでの途中経過は、各隊順調に予定をこなしています。
 発見された仕留めぞこないは0、その後は寄生型も新たに発生してはいません」
「では、私ももう少し前線に移動するか」

 それまでシエルが居たのは、かなり前に確認の終わった地域だった。ニンフと無駄口をたたけたのも、安全だという保証があったからに他ならない。あたりを見渡しても、倒されたトロルスの姿以外はそこにない。ある意味、死の支配した世界がそこにあったのだった。

 移動の為シエルがシグナムを浮かせたとき、その背後に倒れていたトロルスがぴくりと動いた。テラで言う所の第4使徒の姿をしたトロルスは、剣でコアを真っ二つにされて倒れていた。殲滅という意味では、確実に殲滅されていたトロルスだった。
 だが確実に倒したはずのトロルスが、どういう訳か僅かにその体を動かした。シエルがそれに気づかなかったのは、油断と責めるには少しばかり酷な状況だっただろう。そしてシエルが前線に移動しようとしたまさにその時、触手のような細長い腕でシグナムに斬りかかってきた。

 完全に不意を突いたトロルスの攻撃なのだが、ラウンズ筆頭の力は伊達ではなかった。ほとんど本能で攻撃を回避したシエルは、すぐさまカリヴァーンで再度とどめを刺した。その間僅かに0.5秒、まさに神業とも言える身のこなしだった。結局不意打ちをしたトロルスの攻撃も、シグナムの右腕に僅かな傷を付けただけだった。
 結局何事もなくトロルスを倒したのだが、問題はそんなに簡単なことではなかった。倒したはず、そして確認したはずのトロルスが、こうやって再び攻撃してきたのだ。そのことを、シエルは重大な問題だと考えた。

「たしか、フルスタはコアが破壊されていたはずだが?」
「映像データを確認しましたが、確かに破壊されていましたね……」

 シエルの疑問は、当然ニンフも感じている物だった。だがニンフも、なぜトロルスが復活したかの答えなど持ち合わせていない。ユーピテルを検索しても、過去にこのような事象は起きていなかった。

「今までの確認方法では、確実に倒したのかどうか分からないと言うことか?」

 まずいなと呻いたシエルに、「確かに」とニンフも同調した。のべ26時間確認作業を行ってきたのだが、このままでは最初からやり直す必要が出てしまう。しかもコアの破壊が殲滅条件でなくなると、これから先の判定条件が難しくなってしまう。

「ニンフ、なぜこのトロルスが動けたのか分析できるか?」
「技術士を連れてこないと、詳細な分析は難しいですね。
 細胞のサンプルと映像分析を行うには、少なくない時間が必要となります」

 いくらユーピテルに繋がっている電子妖精でも、自ずと限界という物はある。実地の調査に関しては、いまだ人手に頼らなくてはならなかった。

「そうか、ではドーレドーレ様に技術者の派遣を申請してくれ。
 それから、映像データの分析は先に進めておいてくれ」
「承知しました」

 シエルの命令に従い、ニンフは必要な手続きを直ちに行った。主が問題にしたとおり、トロルス殲滅の基準が変わりかねない事態なのだ。これがシエルだから奇襲にも対処できたが、レベルの低いブレイブスなら命に関わっていたことだろう。従って、現在戦場に出ているブレイブス達にも、危険を知らせるために情報が直ちに配られた。

「ところで……ニンフ、今何か言ったか?」
「いえ、ドーレドーレ様に上申していたのと、散っているブレイブス達に情報を配っていましたよ。
 特にシエル様の聴覚に情報を流してはいませんが?」

 それが何か?と答えたニンフに、「何かが聞こえたような気がした」とシエルは答えた。

「おそらく、空耳か何かだろう。
 さもなければ、他の奴らの通信が混信したに違いない」
「おかしいですね、通信の混信など観測していませんよ?」
「ならばきっと空耳だろう。
 その証拠に、今は何も聞こえてきていないからな」

 ふっと小さく笑ったシエルに、「ディータ様がおいでになりました」とニンフは告げた。確かにシエルの目には、前方から近づいてくる黄色の機体が映っていた。

「この場をディータ様に任せて、シエル様は前線に移動されたらいかがでしょう?」
「そうだな、私よりもディータの方が……」

 また何かが聞こえたような気がして、シエルは思わず口ごもってしまった。そして何かを探すように、コックピットの中をきょろきょろと見回した。

「どうかなさいましたか?」
「いや、また何かが聞こえてきたような気がしたのだ……」

 疲れたのかなとシエルが苦笑したとき、それまでの状況が一変した。今度こそはっきりと人の声、子供のような笑い声がシエルの耳に響いてきたのだ。そして同時に、シグナムのコックピットから外の景色が消え失せた。そのまま暗闇になったコックピットを、子供の笑い声が大きく響いた。

「な、何が起こったっ!!」

 ニンフと叫んだまさにその瞬間、シエルは何かが自分の心に触れたのを感じた。そこから伝わる甘い感覚は、全身のしびれとしてシエルを取り込もうとした。そこで初めて、シエルは自分がトロルスに寄生されたのだと気がついた。どう言う理由か分からないが、防御装置を突破されてしまったのだ。

「に、ニンフ、シグナムを自爆させろ……」

 このままトロルスに乗っ取られたら、自分達は甚大な被害を受けることになる。トロルスに寄生されたらどうなるのかは、小さな頃からくどいほど教え込まれたことだった。過去の戦いでも、最悪の犠牲を出したのは寄生型トロルスによる被害である。その被害を防ぐためには、シエルに出来ることはほとんど残されていなかった。
 何時までも抗いきれないと諦めたシエルは、ニンフに自爆を命令した。だが次の瞬間、全てが自分の手を離れてしまったことを突きつけられた。頭の中に聞こえてきたニンフの声は、すでにトロルスに乗っ取られたものになっていた。

「どうして自爆なんてしなくちゃいけないんですか?
 シエル様も、無理をしなくて良いんですよ。
 これから、とても気持ちの良いことを教えて差し上げます。
 それに、いくら頑張っても無駄ですから」

 ふふふと笑ったニンフは、「お子様には刺激が強いですよ」とシエルをバカにするような台詞を吐いた。そしてその声に応えるように、シエルの感じる甘いしびれは強くなっていた。

「誰が、トロルスなどに負ける物か……」

 ニンフの言う通り、シエルに与えられたのは苦痛ではなく快楽だった。だからこそ、負けられないとシエルは歯を食いしばった。だが脈打つように押し寄せる快楽は、すぐにでもシエルの意識を絡め取ってしまいそうだった。苦痛とは違い、どうやって耐えたらいいのかシエルには理解できなかった。
 だが今まさに落ちようかという時、シエルは散々思い人とからかわれた相手の顔を思い出した。その相手への思いを支えに、何とか自分を取り戻そうとした。

「私は、負けるわけにはいかないのだ……
 常に目標で居続けなければ、私が私でなくなってしまう。
 負けて抱かれるような、つまらない女になりたくはないのだ……」
「意外に頑張ると思ったら、あらあら安っぽいプライドなんですね」

 ふふふと楽しそうに笑ったニンフは、頑張っても無駄ですよと耳元で囁いた。そして同時に、シエルへ与える刺激を強くした。

「だって、口ではそう言っても体はずいぶんと正直みたいですよ。
 痛いのは我慢できても、気持ちいいのって我慢できないんですよね。
 まあ、我慢すればするほど快感って高まるって言いますけどね。
 もしかしてシエル様、それを狙って我慢しているのですかぁ?」

 直接神経に刺激を与えられるため、トロルスから与えられた快楽は際限なくシエルを襲い続けた。それを必死に耐えようとするのだが、口からはつい甘い吐息が漏れ出てしまう。そして頑張ろうとする意志すら、溶かしてしまおうと責め続けられた。しかも質が悪いことに、与える刺激に絶妙な強弱まで付けてくれている。
 巧みに与えられる快楽は、今まさにシエルの心を溶かそうとしていた。それに必死に抗うシエルなのだが、どうしても我慢できなくなっていた。

「いやだ、いやだいやだいやだいやだ……
 私は、私の認めた男以外のものになるつもりはないんだ!!」
「どうして、そこで名前を出さないんですかぁ?
 シンジ様って言っちゃえば楽になるのに。
 それこそ、つまらない意地ですよねぇ」

 必死に頭を振って我慢するシエルに、ニンフは嘲り笑うように「意地っ張り」と言葉を投げかけた。

「でも、そろそろ限界なんじゃありません?
 ほら、体がびくびくと痙攣を始めていますよ?」

 ニンフの言葉通り、シエルの体は何度も絶頂に達していた。それを精神力で押さえ込んでいるのだが、どこまで正気なのかシエル自身分からなくなっていた。

「だ、だれが、お前などに負けるものか……」
「ほんと、すっごい意地っ張りですね。
 あーあっ、やめやめ、これじゃあいくらやってもきりがないですね。
 だったらどうです、もうすぐ戻ってくるシンジ様に楽にして貰ったら?
 ここまで我慢したんだから、きっと天国の気持ちを味わうことが出来ますよ」
「だ、だれが、お前の言うことなど聞くものか……
 お前ごときで、私を屈服させることなど出来るはずがないだろう!!」

 刺激が弱まったため、シエルは何とか自分を取り戻していた。そして自分を犯そうとするトロルスに、さっさと出て行けと強い口調で命令した。

「あらあら、急に強気になりましたね。
 でもシエル様、今まで私が手加減していたのをご存じないんですね?
 その気になれば、シエル様なんてあっという間に落ちちゃうんですよ!」

 ほらとニンフが言った瞬間、シエルは今まで以上の強い快感に全身を囚われた。声を出すこともなく体を硬直させたシエルに、「まだまだ手加減していますよ」と楽しそうにニンフが囁きかけてきた。

「でも、いい加減壊しちゃっても良いですよね。
 大人しく言うことを聞いてくれたら、シンジ様も同じ世界に連れてきてあげたのに」
「や、やめろ……」

 何とかシエルが声を絞り出したとき、今までとは比べものにならない快感がシエルの体を襲った。直接神経に送り込まれているため、ニンフの言う通り際限の無い快感だった。急に全身を硬直させたシエルは、その心を白く塗りつぶされた。この瞬間、ラウンズ筆頭シエル・シエルは、寄生型トロルスにすべてを奪われることになった。
 ラウンズ筆頭シエル・シエルの陥落は、アースガルズにとって、最高の戦力を失うのと同時に、最悪の敵を迎える知らせとなったのだった。



 ディータがシグナムに接近したときには、まだトロルスに乗っ取られる前だった。後衛を引き受けるつもりで戻ってきたディータは、無警戒にシエルへと近づいていった。直前一瞬だけ行われた攻防を見ていたが、やはりシエルは凄いと見直しただけだった。

「おいシエル、私が後衛に代わるぞ……シエル?」

 だがディータが声を掛けても、肝心のシエルからはなんの応答もなかった。電子妖精が仲介しているのだから、聞こえないことなどあり得なかった。自分の電子妖精ニンフを呼び出したディータは、どうかしたのかとシエルの様子を聞くことにした。

「いえ、シエル様のニンフからなんの返事もないのですが……」

 おかしいですねとニンフが答えたその瞬間、今まで動きを止めていたシグナムが素早い動きでカリヴァーンを横薙ぎにした。ラウンズ筆頭シエル・シエルの必殺の剣が、味方に対して振るわれたのだ。完全に不意を突かれたこともあるが、ディータの愛機ザフィーは、何も反応できないまま胴を真っ二つに断ち切られた。
 そこでようやく、シエルに異常が起きたことがはっきりとしたのである。ディータの電子妖精ニンフから、急を知らせる警報がすべてのブレイブス達へと伝えられた。それは、最悪の事態が起きたことを伝える警報だった。

 シエルに起きた異変は、当然ドーレドーレの元にも直ちに伝えられた。考え得る中での最悪の事態に、ドーレドーレは一瞬策を迷ったが、すぐに非情な決断を行った。

「すべてのブレイブスに、シグナムから100km以上離れるように命令しなさい。
 ブリュンヒルデ、ジークリンデも直ちに現空域を離脱します。
 安全空域に逃れたところで、第一主砲を用いてシグナムを撃破します!」

 ドーレドーレの命令は、シエル・シエルを見捨てると言う物だった。これまで一緒に苦労してきたカヴァリエーレだと考えると、簡単に受け入れられるものではないだろう。だがそこにいたのは、年が若くてもヴァルキュリアとして教育を受けてきた者達だった。ラウンズの上位者にトロルスが寄生した恐怖は、幼い頃からしっかりと叩き込まれてきたのである。
 情けを掛けて取り押さえようとすることは、逆に被害を拡大するだけだと分かっていた。だからドーレドーレの決定に、誰も異を唱えることはなかったのだ。その背景には、過去の戦いにおいて、寄生型トロルスに犯されて、生還したブレイブスは一人もいなかったことがあった。

「ディータは、助けられませんか?」

 この場における副官の役目は、第6位のバイオレートが務めていた。第一主砲の使用には疑問を挟まなかったが、まだ生存信号の出ているディータのことを問題とした。
 だが組紐を調整するには、リスクがあまりにも大きすぎた。それが分かっているだけに、ドーレドーレはディータを救出する命令は出せなかった。ディータを救おうとしたとき、もしもシエルがその組紐を利用したらどうなるか。そのリスクを考えたら、組紐のロックを解除するわけにはいかなかった。

「可哀相ですが、見捨てる他はありません……」

 その判断で誰が一番苦しい思いをするのかと言えば、間違いなく命令を下したドーレドーレ自身だろう。自分のカヴァリエーレとその補佐の二人を同時に失う命令を出したのだ。だが被害を最小限にするには、それ以外の選択肢が与えられていなかった。

「ジークリンデ、ブリュンヒルデ急速離脱します……」
「第一主砲発射準備、照準はシグナムへ」

 ドーレドーレが感情の抜け落ちた声で命令を発したとき、彼女の乗ったブリュンヒルデが激しい衝撃に襲われた。

「何事です!」
「確認……シグナムが追撃してきました!
 メインエンジン大破、サブエンジンにも破損が及んでいます。
 推力低下、高度を維持することは出来ません。
 このままでは、ブリュンヒルデは墜落しますっ!」

 悲鳴のような報告に、ドーレドーレはきゅっと唇をかみしめた。シエルが敵に回った以上、予想してしかるべき攻撃だったのだ。ただ相手を考えると、予想できていても防げるものではなかった。支援艦には、機動兵器を迎え撃てるような武器は搭載されていなかったのである。

「ジークリンデは離脱できますかっ!」
「シグナムが、ジークリンデをターゲットにしました!」

 映像データを見ると、緋色の機体が巨大な支援艦に接近していくのを見ることが出来た。トロルス攻撃の支援を目的とした支援艦に、接近してくる機動兵器を迎撃するような装備は用意されていない。できることと言えば、ただ逃げることしかなかったのだ。だがその速度にしても、明らかにシグナムの方が早かった。

「ここでジークリンデも落とされてしまったら……」

 主砲が使えないとなると、残された道はブリュンヒルデの自爆しかない。だがブリュンヒルデが自爆をしたなら、間違いなく数百キロの範囲が焦土と化してしまうだろう。離脱しようとしているブレイブス達も、かなりの数が巻き添えを食うことになってくる。
 そしてその被害は、ジークリンデにも及ぶことになる。そうなると、ここに居ないエステルを除く、ヴァルキュリア11名が死亡する非常事態に陥ってしまう。

 だから逃げてと祈るように見ていたドーレドーレだったが、さすがはと言えばいいのか、シエルはジークリンデを撃ち漏らさなかった。まっすぐメインエンジンに向かったシグナムは、カリヴァーンを振りかぶってあっさりと破壊してくれたのだ。これでジークリンデも、ここを脱出する推力を失ってしまったことになる。煙を上げたジークリンデは、ゆっくりと高度を落としていった。
 ジークリンデのメインエンジン破壊から少し遅れて、機動兵器出撃の知らせが届けられた。ただそれも、今となっては遅すぎる出撃にしか過ぎなかった。だが遅すぎたとしても、今の彼女たちに出来るのはそれぐらいしかなかったのだ。

「ジークリンデから入電、カノン様、マニゴルド様、サークラ様が出撃されたそうです」
「レグルスはどうしています?」

 この場を収めるためには、トップ3人の出撃を避けることは出来ないだろう。そうでもしないと、シエルに自由を与えてしまうことになる。第一主砲が使えない以上、シエルをこの場に釘付けにしておく必要があった。その為には、カノン達が出撃する意味はあったのである。
 出撃の必要性は認めたが、そこでドーレドーレが気にしたのは、第5位レグルス・ナイトの所在だった。この戦いを意味のある物にするためには、未来へ希望をつなげる必要がある。その為にも、レグルスには生き残って貰わなければならなかった。

「レグルス様は、脱出艇に押し込まれたと言うことです。
 レグルス様には、ジル様、フラン様が同行しているようです」
「レグルスを逃がしてくれましたか……」

 安堵の息を漏らしたドーレドーレは、脱出できる者は脱出するようにと命令を発した。支援艦での脱出は難しくても、レグルスを逃がした脱出艇は何台か搭載されていたのだ。せっかくの装備なのだから、こういう時に役立てなければいけないと言う物だ。

「バイオレート、カノン達が時間を稼いでいる間に皆を連れてここを脱出しなさい。
 ブリュンヒルデの自爆なら、私一人いれば事が足ります」
「でしたら、ドーレドーレ様がお逃げください。
 ヴァルキュリア筆頭とラウンズ筆頭を同時に失うのは、あまりにも大きな痛手です」
「私の後なら、ハイドラが努めてくれますよ。
 ごめんなさい、これが私の我が儘だというのは理解しています。
 でも、今は議論している余裕もありません。
 ヴァルキュリア筆頭の命令として、大人しく従ってくださいね」

 ドーレドーレの言う通り、今は僅かな時間でも貴重な時だった。そしてこの場では、ドーレドーレに命令権があったのだ。だからバイオレートも、それ以上抗弁することを控えた。何より今は、僅かな時間が限りなく貴重なものとなっている。誰が残るのかなどと言う無駄な議論で、貴重な時間を浪費するものではなかったのだ。

「ではドーレドーレ様、皆を連れて脱出します」
「プレアデスには、私が謝っていたと伝えてください」

 任せましたというドーレドーレの言葉に、バイオレートはしっかりと頷いた。ラウンズ筆頭が敵の手に落ちたというのは、それだけ致命的だという認識を共有していたのである。

 必要な者たちを脱出させれば、後は準備が調うのを待つだけとなる。ジークリンデからは、全ヴァルキュリアが脱出するとの連絡が来ていた。

「エステルが、テラに行っていて良かったですね」

 エステルの元には、シンジとフェリスという2大戦力が揃っている。これにレグルスが加われば、戦力の立て直しまで持ちこたえることが出来るだろう。不幸中の幸い、テラへの遠征をドーレドーレはそう考えることにした。

「全ヴァルキュリアが安全距離に待避するにはどれぐらい掛かりますか?」
「およそ50分です」
「その時ブレイブス達は、どのくらい助けられそうですか?」

 脱出方法を考えると、先にヴァルキュリア達が安全距離に達することが出来る。特にジークリンデから脱出する機動兵器が、一番時間が掛かることになる。そしてドーレドーレが危惧した通り、30%と言う絶望的な数字が示された。

「すでに展開していた甲組はまだ良いですが、ジークリンデから脱出した乙組は全滅します」
「半数以上救おうとしたら、どのぐらいの時間が掛かりますか?」
「最低でも3時間と言うところです。
 ジークリンデからの脱出組が安全範囲に出るまでは、5時間ほど掛かります」

 その報告に、ドーレドーレは初めて方策を迷うことになった。自分が死ぬことへの迷いはないのだが、そのことで後に繋がらなければ意味が無いのだ。そのためには、可能な限り多くのブレイブスを救う必要がある。ラウンズだけ救っただけでは、トロルスと戦っていくことは出来ない。

「あとは、あの3人がどれだけ頑張れるかと言う事ですか……」

 ドーレドーレが目を向けた先では、すでに3対1の戦いが始まっていた。その戦いで、どれだけ3人が時間を稼ぐことが出来るのか。それが、アースガルズの未来を決めることに繋がってくる。

「あの3人が、最低どれだけ頑張れば良いのでしょう」
「シグナムが、どのような行動を取るかによります。
 ブリュンヒルデ、ジークリンデの破壊に掛かったなら、40分というところでしょうか。
 そのまま脱出しようとしたなら、10分も必要ないと思います。
 いくらシグナムでも、安全範囲に出るまでには1時間以上の時間が必要となります」
「リスクを考えたら、40分は頑張って貰わないといけないと言うことですね」

 その場合、70%のブレイブス達を見捨てることになる。過去最悪の事態をどうしたら回避することが出来るのか、打つ手のない中ドーレドーレは真剣に考えたのだった。







続く

inserted by FC2 system