機動兵器のある風景
Scene -43
21人ブレイブスがいるお陰で、平均一人3体も確認すれば殲滅した使徒の処理は終わってしまう。それだけ使徒の数が“少ない”お陰で、テラにおける“後始末”作業は1時間も掛からなかった。経験者と言うことで、メイハが指揮を執ったのも効率的に進んだ理由だろう。本来総指揮はシンジの仕事なのだが、後片付け自体未経験のため、勉強がてらにメイハに任せることにしたのだった。ここで数が少ないのも、勉強にはちょうど良かった。
その中でシンジは、テラの倒した4体と、フジツボやクリスタルの確認を行っていた。合計11と言うのは、能力からすれば少ない方だったのかも知れない。そのおかげで一番早く確認を終わり、総指揮を執っているメイハの元へと戻ってきた。そんなシンジに、勉強になりましたかとメイハは問いかけた。
「シンジ様、おおよその手順はご理解いただけたでしょうか?」
「そうだね、倒すのよりも後始末の方が面倒だと分かったよ」
シンジにしてみれば、トロルスを倒すのに小さな弾が一つあれば足りることだった。それに比べると、後始末の方が面倒に思えたのだ。時間という意味では、確実に後始末の方が掛かったのだ。
そんなシンジの感想に、そこまでやって戦いが終わるのだとメイハは答えた。そしてシンジに伝えることで、肩の荷を下ろすことが出来るのだと言った。
メイハにしてみても、トロルスとの戦い方と後始末を覚えれば伝えきったことになる。これでメイハは、自分が引退する環境が整うと考えていたのだ。そしてメイハは、最後の授業を終える質問をした。ただこの質問にしたところで、もはや形式的な意味しか持っていなかった。
「何かご質問はありますか?」
この確認が、儀式的な意味しか持たないのをシンジは理解していた。だからシンジの答えも、「ありがとう」とメイハを労うものとなっていた。シンジがブレイブスに任じられてから、およそ1年という時間が経過していた。その間メイハは、ずっと先輩として指導をしてきてくれたのだ。ブレイブスに取り立ててくれたのはエステルだが、鍛え上げてくれたのはメイハだった。その意味でも、彼女は大切な恩人の一人となっていた。
「礼には及びませんよ。
これは、私のブレイブスとしての務めなんですから。
それにシンジ様には、大切な物をいただきましたからね」
そのときそっと下腹部に手を当てたのは、確かな予感があったのかも知れない。だからメイハも、「ありがとうございます」と答えを返した。そして現場に復帰した支援艦ヒルデガルドへ視線を転じ、戻りましょうかと提案をした。
「戻って、エステル様に勝利を報告する必要があります。
その義務は、カヴァリエーレのシンジ様にありますからね」
「そうだね、最初に伝えるべきはエステル様なのだろうね」
その通りと頷いたメイハは、ここから先はシンジに任せると宣言した。後始末の指揮は代行したが、戦い全体はシンジが指揮をすべきことだった。カヴァリエーレの命令が、エステル配下全員を動かす力となる。
メイハから指揮権を返還されたシンジは、ラピスラズリに命じて全員への通信回線を開いた。回線開通と同時に聞こえてきたノイズを背に、シンジは全員に対して勝利を宣言した。
「テラでの戦いは、我々の勝利に終わった!
皆の働きに、カヴァリエーレとして感謝する。
直ちにヒルデガルドに戻り、エステル様に勝利をご報告する!
手順に従い、全員直ちにヒルデガルドへ帰還せよ!!」
シンジの前に、ずらりと20名の通信ウインドが浮かび上がった。その顔を見ると、使命を達成した満足感が感じられた。それは態度にも表れて、全員は声を揃え「はい」と力強い答えをシンジに返した。
「前の戦いとは、まるで別人のようですね?」
その答えに満足したシンジに、ラピスラズリは「良かった」と耳元で囁いた。
「別人って、僕は前の戦いには出撃していないよ」
「それぐらいのことは承知していますよ。
メイハ様を含め、14名のブレイブスのことを言っているんです。
前の戦いの時は、本当に肩身が狭い思いをしていたんですよ。
それに、全員自信がなさそうな顔をしていましたから。
でも今度は、全員が自信に満ちあふれた顔をしているんです!!
だから別人のように見えるし、良かったなぁと思ったんですよ。
これも、すべてシンジ様がカヴァリエーレになられたおかげです」
皮肉屋のラピスラズリと考えると、これは最大級の賛辞に違いない。その賛辞に裏がないことは承知していても、さすがにそのまま受け取れなかった。もしも自分に意味があるのなら、その自分を拾ったエステルこそ賞賛されてしかるべきだと考えたのだ。
「だとしたら、すべてエステル様の手柄と言うことになるよ。
エステル様がいらっしゃらなければ、僕はブレイブスになることもなかったんだからね」
「でも、その前の3年間はどん底だったんですよ。
シンジ様の仰有ることは分かりますけど、たまたまついていただけだと思います」
幸運を理由にしたラピスラズリに、それこそ大切なことだとシンジは答えた。
「幸運を掴むのも、ヴァルキュリアとして必要とされる能力じゃないのかな?」
未だにラピスラズリは、エステルに対してかなり辛口のようだった。ただエステルに一番近いのは、自分ではなく電子妖精というのも間違いではなかった。自分以上にエステルを見て、そして育ててきたのが電子妖精ラピスラズリなのである。その電子妖精から見て、まだまだエステルには不満があるのだろう。裏を返せば、それだけ期待をしていると言うことにもなる。
「それは否定しませんけど……シンジ様、全員の収容を終わりました」
「じゃあ、僕もヒルデガルドへ戻ることにしよう」
あたりを見渡すと、明かりと言えばヒルデガルドの放つ光だけとなっていた。雲のない夜空なのだが、ヒルデガルドの明るさが夜空の星を圧倒していた。そしてその明かりに照らされた中、金色のシルエットがアフリカの大地から消えたのだった。
ヒルデガルドに戻ったシンジは、すぐにその足でエステルの御前に出頭した。彼の後ろには、共に戦い抜いた20名の部下が並んでいる。その栄光ある部下達を迎えるため、エステルは座っていた椅子から立ち上がった。そのときのエステルは、出撃の時とは少しだけ色合いの違う、赤い色をしたローブのような衣装を身に纏っていた。
エステルの前に整列した21名の中から、シンジが一歩前に進み出た。そして背筋を伸ばしてエステルに向かい合い、「トロルスに勝利しました!」と報告した。その報告を笑顔で受け止めたエステルは、全員にお褒めの言葉を与えた。
「見事な戦いでしたね。
ヴァルキュリアとして、皆さんの戦いを誇りに思っています」
全員を褒めたエステルは、次にヴァルキュリアとして求められる行動をとった。伴侶が勝利を持って帰ってきたのだから、ヴァルキュリアは渾身の愛でそれに応えなければならない。そしてこのときだけは、主従が二人の間で逆転することになる。一歩前に進み出たエステルは、「シンジ様」と呼びかけて顔を伏せた。
エステルが顔を伏せたのに応えるように、シンジはゆっくりと前に進み出た。そしてエステルの前に立つと、右手を細いあごに当てゆっくりと顔を上げさせた。
「わが愛しき人に、勝利の祝福を」
そう告げてから、シンジはゆっくりとエステルと唇を重ねた。部下の面前としては少し情熱的に、そしていささかはした無く、シンジはエステルの唇をむさぼった。そしてそのまま、シンジはエステルを抱き上げた。
シンジはそのままの格好で、全員に対して休息を指示した。短い時間とは言え、テラに遠征しトロルスの殲滅作戦に従事したのだ。実際にトロルスと戦ったのがシンジとフェリスだけだとしても、その成果は全員で分かち合う必要があった。
「これから4時間に限って、褒美として飲酒の許可を出す。
そして10時間後に、アースガルズに戻り後始末に合流することにする!」
テラでの戦いは終わっても、未だアースガルズは後始末の真っ最中だった。このままエステル配下だけ、その仕事から逃れるわけにはいかない事情があった。
全員に休息を指示したシンジは、次にフェリスとチフユを呼び寄せた。そして緊張して近づいてきたチフユに、フェリスと一緒にいるようにと命じた。
「フェリス、霜月さんの面倒をお願いするよ。
トロルスとの戦いがどんな物か、フェリスの立場で説明してあげてくれ」
「うむ、トロルスとの戦いは機動兵器同士とは違うからな。
時間をおかずに説明すれば、より理解も深まることだろう」
こっちへ来いとチフユを手招きしたフェリスは、その耳元で「お菓子もあるぞ」と小さく囁いた。
「勝利を祝すため、ダンデリオンからわざわざ取り寄せた奴があるのだ」
「それは、私と食べても構わないのですか?」
いつものフェリスならば、一緒に食べる相手はシンジ以外考えられなかった。ましてや初陣での勝利を祝うのだから、シンジでなければならないとチフユも考えたのである。だがフェリスは、少し口元を歪めて「楽しみはとってある」と答えた。
「この任務が終わってからだが、シンジ様にお泊まりのデートの約束をしていただいた。
だから今は、友であり弟子であるお前と楽しいひとときを過ごすことにしたのだ」
「私が、友ですか……」
フェリスの言葉に、チフユは「喜んで」と感謝の気持ちを素直に口にした。
一方フェリスをチフユに任せたシンジは、エステルを抱き上げたままメイハを呼び寄せた。補佐としての役割のほとんどはフェリスに移ることになったが、まだ全体の統率という意味でメイハの役目は残っていた。それを確認するのと同時に、メイハにもご苦労様を伝える必要があったのである。戦いではシンジとフェリスが目立ちはしたが、全体のバランスを考えたのはメイハだった。その働きがあったからこそ、テラの機動兵器の回収が順調に進んだし、短時間で後片付けも終わったのである。
そしてメイハを呼び寄せたところで、エステルは自分の時間を譲ることにした。
「シンジ、そろそろ私を下ろしてくれませんか?」
主の言葉に従い、シンジはゆっくりとエステルを地面に下ろした。そしてメイハを前に、エステルは「公務が残っています」と切り出した。
「収容したテラのパイロットを返してあげないといけませんし、テラから面会要求も来ているんですよ。
その準備が忙しくて、しばらく休みが取れそうにないんです。
だからあなたに、私の代理としてシンジの荒ぶる心を静めて貰います」
「わ、私が……ですかっ!」
本来この役目は、ヴァルキュリアが努めるべき物なのである。それを代わるというのだから、メイハが驚くのも無理はなかった。だがそんなメイハを前に、「あなただからですよ」とエステルは微笑んだ。
「メイハには、たくさんたくさんお小言を貰った気がしますけどね。
でも、ずっと私を支えてくれたのは間違いないと思っているんですよ。
だからこれは、私の心からのお礼と言うことになりますね。
それに、生まれてくる子供に、自慢できるようなエピソードがあった方が良いと思いません?
あなたは、ヴァルキュリアの代わりにラウンズを祝福したときに授かったのですよって」
「お心遣い、本当にありがとうございます……」
普段が普段だから、これははっきり言ってだまし討ちになるのだろう。そのせいばかりではないが、エステルを前にメイハは思わず涙ぐんでしまった。
「休息がとれる時間も短いですから、私のことはもう良いですよ」
「テラとの時、僕が一緒にいなくて大丈夫ですか?」
どちらがと言うのは曖昧にしたシンジに、「役に立ちませんから」とエステルは身も蓋もない答えを返した。もちろんシンジを馬鹿にしたのではなく、役割としてラウンズに求められる物ではないという意味だった。筆頭に居るシエルでも、政治的なところはからきしだったのだ。だからこそ、武の頂点を極めることが出来たのだろう。
「シンジには、腹芸が出来ませんからね。
こういう面倒なことは、ヴァルキュリアに任せておけば良いんですよ。
それにですね、更に面倒になったら賢人会議に丸投げすれば良いんです。
何しろヴァルキュリアの使命は、トロルスを倒すことだけなんですから」
「そうやって、煙に巻くと言うんですか」
その上、天然さが追い打ちを掛けてくれるのだ。きっとエステルの相手をするテラの代表は、想像以上の苦労をすることになるのだろう。さもなければ、エステルの言う通り煙に巻かれることになるのかも知れない。そのあたり、交渉相手がエステルと言うのが不運だったとしか言いようがなかった。
「これでも、ヴァルキュリアになる教育を受けてきたんですからね。
さあシンジ、あなたはさっさと種付けをしてきなさい!」
「そう言う情緒のないことを言いますか」
勘弁してくださいと肩を落としながら、シンジは隣にいたメイハの肩を抱き寄せた。
「ラピス!」
「畏まりましたぁ!」
これ以上は無駄と諦め、シンジは大人しく「種馬」としての役割を果たしに行ったのだった。
勤務時間という意味では、おそらくエステルが一番長いことになるのだろう。テラ遠征の直前から、トロルス撃滅を終わってもずっと働きづめだったのだ。直接体は動かしていなくても、睡眠時間の少なさでは一番というのは間違いではなかった。しかもこれから、収容したパイロットの返還から、求められた面会までこなさなくてはいけない。「過重労働」と文句を言っても罰が当たらないぐらいの働きはしていたのである。
ただこの長時間労働も、ヴァルキュリアの務めの一つとなっていた。だから普段とは違い、睡眠時間を削ったにもかかわらず、エステルはけろりとしていたのである。
「こういう所を見ると、立派なヴァルキュリアなんですよね」
「ラッピー、それじゃあ私が普段はだめに聞こえるじゃありませんか! ぷんぷん」
すかさず入った茶々に、エステルは頬を膨らませて文句を言った。だがラピスラズリも慣れたもので、だから駄目だと言い返した。
「自覚がないというのが、一番困ったことだと言うことを忘れて欲しくないんですけどね。
まあ、実害はごく一部にしか出ていませんから、構わないと言えば構わないんですけど」
ふっとため息などと言う物をついたラピスラズリは、「お上手ですね」とメイハへの言葉を取り上げた。どのみちエステルは休んでいられないのだから、褒美を誰かに取らせるのは既定の事実だったのだ。それをフェリスではなく、メイハにしたところをラピスラズリはうまいと褒めたのである。
「ラッピーこそ、私がヴァルキュリアだというのを忘れていませんか?
女性的心遣いで男を魅了するのも、ヴァルキュリアの務めなんですよ」
「確かに、仰有るとおりですね。
これで、ますますシンジ様もエステル様の虜になるでしょうね」
褒美という形でメイハを立てたのだが、その一番の効果はシンジに対して発揮されることになる。それを意識して行ったエステルに、たいしたものだとラピスラズリは賞賛した。
「エステル様も、意外にしたたかだったと言うことですね」
「そうでなければ、ヴァルキュリアなどやっていられませんよ。
でもねラッピー、殿方を魅了する一番の方法って何か知っていますか?」
「綺麗であり続けることとか、可愛く見せることですか?」
常識的な答えを返したラピスラズリに、もっと簡単なことだとエステルは答えた。
「もちろん綺麗でいることとか、可愛くあることは大切な要素ですよ。
でも一番は、私がシンジに首ったけだと言うことです。
演技で騙せるのは、ほんの僅かな時間でしかないんですよ」
「ええっと、つまりエステル様は、シンジ様のことが大好きだと言うことですか……
まあ、今更何を……と言う所でしょうね」
改めて言われれば、確かにそうなのだろうと思えてしまう。それは今の二人を見ていれば分かることでもあった。「今更」と言うラピスラズリの論評こそ、本当に今更のことだった。
納得したラピスラズリに対して、エステルは自分のお仕事の話を持ち出した。アースガルズでの仕事が終了していない以上、テラでバカンスというわけにはいかない。だったらさっさと仕事を片付けてしまったほうが、よほど前向きだと考えたのだ。
「テラの代表と連絡は取れていますか?」
「それは、なかなか難しい質問ですね。
テラと連絡は取れていますが、誰が代表なのかが微妙に分かりにくくなっています。
機動兵器部隊を率いているイアン・ノボセビッチと言う相手とは連絡が取れています」
「別に、話し相手はその人で構わないと思いますよ」
当然のように、エステルは相手の素性を理解していた。その上で、その方が都合が良いと考えていたのだ。
「正式な交流話をするわけではありませんからね。
こちらで収容したテラのブレイブスと機体を返還すれば私たちの仕事は終わりです。
こんな物は、事務的に終わらせてしまうのが一番なんですよ」
「では、面会要求の方はどうします?」
「10時間以内にここまでこられれば考えても良いですね」
それができないのを承知の上でエステルは条件を出していた。そんなエステルに、確かにヴァルキュリアだとラピスラズリは褒めたのである。
「シンジ様なら、馬鹿正直に招かれていったでしょうね。
エステル様の出された条件は、要求に対する回答として発信元に送り返しました。
それで、収容したテラの人たちはいつ帰しますか?」
「今はぐっすりと寝ているんですね……」
政治家という奴に便宜を図るつもりはないが、勇敢に戦ったパイロット達には敬意を持って当たらなければならない。疲れ果てて眠っているのなら、今たたき起こすのは可哀相に違いない。
どうしようかと考えたエステルは、夜明けがいつ来るかをラピスラズリに尋ねることにした。古今人の活動は、夜明けを待って行うのが常識だと考えた。
「およそ6時間後になりますね。
テラのブレイブス達には、ちょうど良い休息になるのではありませんか?」
「でしたら、ええっとイアンさんでしたっけ?
6時間後に、ブレイブスと機体を返還すると伝えておいてくれますか?」
「6時間後ですね、それまでエステル様は何をなされるおつもりですか?」
メイハにおいしいところを譲ってしまったので、しばらくは暇だろうと言うのである。過去の戦いで暇そうにしていたこともあり、ラピスラズリもエステルがどうやって時間を潰すのか想像がつかなかったのだ。
「そうですね、少し仮眠をとろうと思っていますが……
あとは、シンジとフェリスの戦いを分析したいと思っています。
特にシンジは、凄いことをあっさりとやっているんですよね?」
「そのあたり、本人は全部人まねに過ぎないと思っているようですけど」
まるで苦笑しているようなラピスラズリに、エステルは声を立てて笑ってしまった。電子妖精の反応自体も面白いのだが、それを口にするシンジの顔を思い出したのもあった。
「記録に残っているシューティング・スターにはあんな威力はありませんでしたよ。
それにフォトン・トーピドだって、カノンさんの技を超えているでしょう?」
「特殊能力だけをとれば、歴代ラウンズでもトップクラスのシンジ様ですからね。
言っては悪いですが、カノン様クラスでは太刀打ちできるはずがありません。
ただ祭りには使えない物ばかりですから、順位を上げる役には立ちませんね」
エステルの言葉を肯定したラピスラズリは、「惜しかったですね」と正直な感想を口にした。これだけの力があれば、エステルがヴァルキュリア筆頭に立つことも可能だと言うのである。
だがエステルにしてみれば、筆頭などなりたいと思ったことは無かったのだ。だから「惜しい」と言われても、別に何とも思っていなかった。
「私は、今の立場の方が気楽で良いわ。
シンジだって、筆頭なんて面倒なことをしたいとは思っていないわよ」
「まあ、エステル様が筆頭というのもピンとは来ませんね」
電子妖精のくせに苦笑したラピスラズリは、新しい情報が入ったことをエステルに伝えた。こうして時間を潰している間に、テラの「代表」らしき所から答えが返ってきたのだ。
「14時間後ではだめかと聞いてきています。
さもなければ、モロッコとか言う所まで来てもらえないかと」
「いずれも却下ですね。
私たちには、そこまでテラに便宜を図る義務はありませんからね」
「では、断りの返事を返しておきましょう」
任せますと答えたエステルは、ラピスラズリにシンジの映像記録を出すように命じた。シューティング・スターとそのヴァリエーション、フォトン・トーピドのヴァリエーションの分析をしようと言うのである。今後トロルスとの戦いで、この力をどう生かしていくのか。それを考えるのも、ヴァルキュリアの役目に違いなかったのだ。
使徒との戦場となったアフリカ南部は、セカンドインパクトのせいでしっかりと荒廃していた。その荒廃した地に行くのに、10時間というのは不可能に等しかった。まともに空港も整備されていないため、現地に行くのもヘリか垂直離着陸機を使用する必要がある。時間を考えると、垂直離着陸機となるのだろうが、国連要人が使うようなものではなかったのだ。例え複座であっても、戦闘機の後ろは過酷な環境となる。年寄りにそれを耐えろと言うのは、あり得ない要求となっていたのだ。
自分達に比べれば、アースガルズは遙かに機動力があるはずだった。だから会談の場としてモロッコのカサブランカを指定したのだが、その提案も却下されてしまった。そうなると、ヴァルキュリアが居る機会を生かせないと言うことになる。
その状況の中、国連は軍人に交渉役を任せるという苦肉の策に出ることにした。ビデオ会議も検討されたのだが、あいにく通信状況はそこまで改善されていなかったのである。
「私に、交渉しろと言うのですか?」
一介の中佐に、世界の一大事を任せるのか。ノボセビッチは、軍上層部の通達に反発を感じていた。だが冷静に状況を分析すれば、せっかくの機会を逃すわけにはいかないのも確かだった。何しろこの機会を逃せば、次にヴァルキュリアが来るのがいつになるのか分かったものではない。次も使徒との戦いの時だとしたら、同じ状況になることもあり得ることだった。
「君が何を言いたいのかは理解しているつもりだ。
だが、この機会を我々は逃すわけにはいかないのだよ」
国連軍の統帥権を持つのが、現国連事務総長シ・カクストである。尻込みするノボセビッチに、シは多くは望まないと告げた。
「当然、助力に対する感謝を伝える必要がある。
だがそれ以上に重要なのは、我々から連絡する手段を構築することだ。
今のままでは、アースガルズの我が儘に振り回され続けることになるのだよ。
従って、連絡手段の構築さえ出来れば、それ以上の高望みはしないことになる」
「仰有ることは理解できます」
これも命令なのだから、ノボセビッチに拒否する権利は与えられていなかった。いきなり与えられた大役に尻込みする気持ちはあったが、誰かに任せられる物ではないのも理解できた。
「では、アースガルズとの連絡手段の構築に努めます!」
「ああ、成果に期待しているよ」
軽く答えはしたが、失敗は許さないという強い意志を感じることが出来た。それが分かるだけに、ノボセビッチも憂鬱な気持ちに襲われたのである。
そして事務総長直々の命令を受けた5時間後、イアン・ノボセビッチ中佐は支援艦ヒルデガルドの中にいた。もう少し正確に言うのなら、エステルの居るメインブリッジに通されていたのである。そこでノボセビッチは、ヴァルキュリアの正装、白いドレスを着たエステルに面会する機会を与えられた。
ヴァルキュリアが若い女性という予備知識はあったが、それを目の当たりにした驚きは大きな物だった。しかも目の前の女性、エステルの若さと美しさは想像を超えていたのだ。相手がアースガルズの大物という思いに加え、予想もしない美女との対面と言うことで、ノボセビッチの緊張はこれでもかと言うほど高まっていた。
それでもさすがは中佐と言うべきか、極限の緊張状態にあってもノボセビッチは自分のなすべきことを忘れなかった。「ようこそ」と言うエステルに対して、腰を90度曲げたノボセビッチは、「このたびの助力に感謝いたします」と感謝の言葉を捧げたのだった。
「アースガルズの助力がなければ、62体の使徒に私たちの世界は蹂躙されていたことでしょう」
そこまで頭を下げなくてもと思いながら、エステルはいつもの建前を口にした。
「そのことについては、あまり感謝をしていただかなくても結構です。
私たちアースガルズは、自分の世界を守るための行動を選択したまでのことです。
その結果テラが守られたとしても、それを目的に行動したわけではありません」
普段にない真面目な顔をしたエステルは、ある意味テラの感謝を受け付けなかった。そして自分の言葉がどのような意味を持つかを理解して、さらに言葉を続けることにした。
「もちろん、私たちがしたことに対して、あなたたちがどのように感じるのかは自由だと思っています。
客観的に見れば、私たちは感謝されてしかるべきことをしたのも確かでしょうね」
「アースガルズの意図がどこにあったとしても、私たちが救われたことには違いがありません。
おかげで、パイロット全員無事生還することが出来ました。
アースガルズで言う汚染も、最小限にとどめられたと思っています。
そのことに、重ねて感謝させていただきます!」
そう言って再び頭を下げたノボセビッチに対して、「話を先に進めましょう」とエステルは口にした。建前上美辞麗句が並ぶのは分かっていても、そればかり続けるのは時間の無駄だった。
「私たちは、3時間後にアースガルズに戻らなくてはなりません。
その為には、一刻も早くパイロットの皆さんと機動兵器を返却する必要があります。
礼よりも、そちらの話を進めさせていただけませんか?」
「仰有ることは理解しております」
それではと、ノボセビッチは用意してきた地図を床に広げた。
「現在貴艦は、我々のベースステーション上空に位置しております。
従って、機動兵器並びにパイロットは、この場で返還していただければ幸いです」
「でしたら、さほど時間は必要ありませんね」
手間が省けると喜んで見せたエステルに、「一つお願いがある」とノボセビッチは切り出した。
「お願いですか?
一応伺いますが、出来ることはかなり少ないと思いますよ」
それでと促したエステルに、ノボセビッチは彼に与えられた最大の使命を口にした。すなわち、アースガルズと自分達の連絡手段の構築である。これが出来れば、相手の気まぐれに付き合わされることを減らすことが出来るだろう。
「これまで、双方の連絡はアースガルズからの一方通行でした。
多くは望みませんが、私たちからの連絡手段の提供をお願いしたい」
「そう仰有る理由は理解できますが……」
わざとらしくふむと考えて見せたエステルは、案件として重大なことだと感想を口にした。
「テラの皆さんには、防波堤の役割を果たして貰わないとと思っています。
ですから、それぐらいの便宜は提供してもと個人的には思っているんですよ。
ただ、それが賢人会議も同じかというと、残念ながらそうなっていないのが現実ですね」
「なぜ賢人会議は、我々との連絡手段を許可しないのですか?」
「なぜと言われても、私は賢人会議の決定に関わっていません。
そこに出席するのは、筆頭であるドーレドーレ様だけですからね。
ヴァルキュリアと円卓会議は、あくまでトロルスの進攻を食い止めるのが役目です。
その為に非常に大きな権限を与えられていますが、一方大きく制限が加えられているのですよ。
ですから私たちがテラに来るのも、ヘルの拡大を防ぐためというのが理由になっています。
テラと交流することを理由とするのは、円卓会議に与えられた権限の範囲を超えています」
一言で言えば、権限外で分からないと言うことになる。それを理解したノボセビッチは、作戦を変えることを考えた。目の前の女性は、自分達の権限をはっきりと口にしてくれたのだ。考え過ぎかも知れないが、それを利用しろと言っているように聞こえたのだ。
「ではヴァルキュリアと円卓会議の権限で実行できることをお願いしたいと思います。
私たちの世界、テラにおけるヘルの浸食を防ぐために、定期的な打ち合わせを開けないでしょうか。
それを定期的な査察と置き換えていただいても結構だと思っています。
そうすることで、私たちはより効果的に防波堤の役割を果たせるかと思います」
「確かに、それでしたら円卓会議の権限に収まりますね」
もともと用意していた答えにしても、それを相手に言わせることに意味がある。エステルにしてみれば、それぐらいの知恵を働かせろと言う所だった。それにしても、ヒントを与えすぎたと思っているぐらいだ。
「それがどのような形になるのか、円卓会議に諮りたいと思います。
ただ申し訳ないのは、私たちはまだトロルスとの戦いが終わっていないことです。
あなたたちが使徒と呼ぶ存在の、完全な殲滅が確認できていません。
トロルスの殲滅確認の後、汚染地域の洗浄が控えています。
1ないし2ヶ月ほどお待たせすることになるのをご容赦願います」
「2ヶ月、ですか……」
「ヴァルキュリアとラウンズは、トロルスを倒すのが使命ですからね。
それをないがしろにするわけには参りません。
そしてあなたが口にした口実は、私たちの使命に関わる部分だと言うことです。
心配なさらなくても、この数ヶ月は新たな“使徒”の進攻はありませんよ」
だから待てと言うのである。双方の立場を考えたとき、ノボセビッチが無理を言えないのは明白だった。しかも安全を保証されては、言い返す理由も難しくなってしまう。
「それを信じて、私たちに待てと仰有るのですか」
「待てないと言うのは自由だと思っていますよ。
ただ、私たちがその事情を汲まなければならない理由もないだけです。
言わせていただくなら、私たちはあくまで私たちの事情で動いています。
テラが、テラの事情を主張するのと同じと言うことですね」
普段のエステルとは違い、顔にはまったく笑みが浮かんでいなかった。その代わりにあるのは、ノボセビッチを人とは思っていないような冷たい表情だった。口調こそは柔らかいが、近寄ることを拒むものとなっていた。
「想像できないかも知れませんが、私たちにもそれほど余裕があるわけではありません。
テラには、早く独り立ちをして貰いたいというのが正直な気持ちです」
「しかし、その為には……」
「私たちの助力がなければと言うのですよね?
それが分かっているのなら、贅沢は言えないと思いませんか?
それから言わせていただくのなら、もう少し本音を隠された方がよろしいですね。
正直で良いと言えばその通りですけど……」
まあいいと途中で切り上げたエステルは、話を保護した機体とパイロットに戻した。
「パイロットの皆さんは、全員準備が出来たようですね。
すぐにでもお返しできますが、あなた方の準備は出来ていますか?」
「スペースは用意してあります。
帰還のための輸送機は、7時間後に到着予定となっています」
「でしたら、10分後にお返しすることにいたしましょう」
「ラピスラズリ」と普段とは違う呼びかけをしたエステルは、移送の準備を電子妖精に命じた。
「おまけと言っては申し訳ありませんが、あなた方の機体を整備しておきました。
おそらく、今までより使い勝手が良くなっていると思いますよ」
「エステル様のご厚意に感謝いたします」
再び腰を90度曲げたノボセビッチに、たいした事ではないとエステルは初めて笑った。
「テラのレベルを確認するのに役立ちますからね。
それも、私たちの事情だと思っていただいて結構ですよ」
親切にも必ず裏がある。敢えてエステルは、それをノボセビッチに繰り返したのだった。
続く