機動兵器のある風景
Scene -39
前に立ち塞がったトロルスは、まるで黒いマネキンに空気を入れて膨らませた形をしていた。特徴的なコアと呼ばれる赤い玉は、胸ではなくお腹のあたりに血の色をして輝いていた。顔のあたりでちらちらと光が見えるのは、今まさに攻撃をしようとしているのだろうか。だがラウンズ筆頭シエル・シエルにとって、その動きは鈍重で、まるで止まっているかのようだった。
シエルの方にトロルスが顔を向けた瞬間、直前まで大地に立っていた緋色の機体が消失した。そして消えたと思われた機体が、次の瞬間コアの前に現れた。それまで緋色の機体、シグナムが居た場所に火柱が上がったのはそのときだった。それがトロルスにとって、断末魔の叫びだったのかも知れない。火柱と同時に振るわれた剣、カリヴァーンによって、血の色をしたコアが真っ二つに切り裂かれたのだ。
真っ二つに切り裂かれたコアは、直ちにその色を失い暗黒を示す黒へと変化した。それと同時に、トロルスの体から力が抜けた。そして風船の様に膨らんでいた体は、赤い液体を吹きだしながらゆっくりと後ろへと倒れていった。それを上空から見つめていたシエルに、ニンフは「作戦の完了」を伝達した。視認されたトロルスは、これで最後ということになる。
シエル・シエルが最後の1体を切り殺したところで、トロルス掃討作戦の第一段階は終了した。3千のトロルスを、僅か6百の機動兵器で屠っていく。14時間と言う時間は要しはしたが、まさにそれは圧倒的と言うのが相応しい戦いだった。
「予測より、少しだけ早く終わったか……」
ほうっと息を吐き出したシエルは、更に高度を上げ惨殺の行われた現場を睥睨した。戦い中では、狙撃型のトロルスを気にしなければいけない高さなのだが、今はその危険性もぬぐい去られていた。数百平方キロに及ぶ戦場も、今は完全に機動兵器によって支配されたことになる。
これですべてが終わったかというと、シエル達にはまだ大きな仕事が残されていた。広い戦場故に、仕留め損なったトロルスが残されている可能性がある。過去の戦いでは、半日程度経過してから多くのトロルスが復活した記録も残っている。僅かな数とは言え、一体たりとも見逃すわけにはいかなかった。
そしてもう一つの仕事として、戦闘区域の浄化が残されていた。せっかくトロルスを撃退したのに、このまま残骸を残せば結果的に汚染区域を広げたことになる。最終的な浄化作業は機動兵器の仕事ではないのだが、完璧にトロルスを排除しない限り、浄化作業に取りかかれない。その為にも、念入りに「後始末」と言われる作業を行う必要があったのである。
「相変わらず、ここからが長丁場だな」
後始末こそ本命ではないかと言われるほど、その作業は長きにわたる場合があった。しかも必ずしも進行規模に関わらないというのも厄介なところだった。事実過去の例では、僅か2千の後始末に、1ヶ月以上要したこともあったのだ。だからこそ、シエルをして長丁場という言葉も出てしまう。
それもあって、ここからは2交代のローテーションがとられることになっていた。その手順もまた、いつもの通り決められた物になっていた。
「ニンフ、ローテーションはどうなっている?」
「ただいま、ローテーション表を転送します。
ただ、ドーレドーレ様から変更の命令が出ていますので、暫定の物となります」
「ドーレドーレ様が?」
はてと首を傾げたシエルに、ニンフは「テラです」と簡潔にその理由を告げた。それだけのキーワードで、なるほどとシエルは理由を理解することが出来た。
「エステル様配下が、テラに移動することになっていたな」
「対応について、ドーレドーレ様がエステル様と協議に入られています。
発生数が少ないので、派遣が早められないのかが課題のようです」
「発生数は62か、確かに数としてはかなり少ないだろう。
だがテラでは、時間稼ぎもできないだろう。
派遣が遅くなれば、それだけ汚染区域が広がることになるな」
理由に納得したシエルに、「だから最初は待機になります」とニンフは報告した。
「たった今、シフト表が更新されました。
シエル様のグループは、整備休憩に入ることになりました。
4時間の休息後、8時間の現場作業が割り当てられています」
「シンジ達を戻らせるための措置か……」
当初の予定では、シエルのグループはこのまま4時間の後始末作業に入るはずだった。その順番を入れ替えたのは、シンジ達の回収を急いだからに他ならない。そのおかげで、僅か4時間しか休めないシフトに入ってしまった。だからきついなとシエルは苦笑したのだが、「決まりですから」と機械的にニンフに返されてしまった。それにシフトを組む以上、どちらかが担わなければいけない役目でもあった。
「そうだな、まあ私も言ってみただけだ」
「それではシエル様、カノン様に任せて戻りましょうか?」
「うむ、皆に撤収を伝えてくれ」
「直ちに」と答えたニンフは、「そう言えば」と少しわざとらしくシエルに話しかけた。
「エステル様配下が、頼もしい戦力になってくれましたね」
「うむ、フェリスの働きぶりは凄まじかったな。
メイハ一人が頑張っていたときとは、隔世の感があるぞ」
うんうんと頷くシエルに、ニンフは遠回しにちょっかいを掛けた。
「凄かったのは、フェリス様だけなんですか?」
「メイハも、前より腕を上げたように見えるな。
引退するのは、惜しいと思える働きに違いない。
他の奴らも、全体に生きが良かったような気がするな。
勢いがあるというのは、まさにこのことを言うのだろう。
我らも、負けているわけにはいかないなっ!」
そこは闘志を燃やすところかと、ニンフは突っ込みたい気持ちを抑えて、次なるちょっかいへと移ることにした。この手のちょっかいは、継続的に行ってこそ意味がある。
「そう言えば、シンジ様も凄まじい攻撃をしたと報告が上がっています。
10分にも満たない時間で、100体のトロルスを撃破したと言う話ですよ」
「僅か10分でか、それは凄まじいな!」
「それだけ、ですか……?」
脈拍や発汗作用を見ても、何の変化も現れてくれない。だめだこりゃと、ニンフは熱血モードに入ったシエルの対処を考える事にした。そうしないと、また張り合って部下達が泣きを見る流れが目に見えているのだ。
「それだけと言われると……そうだな、どうやったのか聞いてみたいな。
僅かな時間でそれだけの戦果が挙がるのであれば、次からの作戦に反映させる必要がある。
そうすれば、汚染区域拡大を食い止めるのに役に立ってくれるだろう。
同じことをするのは難しいのだろうが、ブレイブス強化の方向性にも関わってくる」
「シンジ様って凄いですよね?」
駄目かなぁと思って更に突いてみたら、予定とは少し違う答えが返ってきた。
「何を今更言っている。
シンジは、この私が認めた男なのだぞ!」
さらりと返された答えに、「あれっ?」とニンフは疑問を感じた。だがそれ以上の意味を尋ねる前に、「戻るぞ」と命令されてしまった。与えられた休憩時間が短いのだから、あまり無駄話をしているわけにはいかない。命令を受けた以上、電子妖精は忠実に実行する義務を負っていたのだ。だからニンフは、シグナムごとシエルをブリュンヒルデへと移動させたのだった。
同じ頃、シンジの所にも撤収の指示が出ていた。ただ後衛の役割上、前衛の撤収が終わらない限り引くことは出来ない。後衛部隊に待機の指示を出し、シンジは前衛部隊の撤収を見守った。そんなシンジの所に、マルチに乗ったシルファが近づいてきた。
隣に並んだ若草色の機体から、シルファはまず最初に「凄かったわね」と賛辞を送った。
「とても初陣とは思えない落ち着きぶりだったわ。
最初のシューティングスターだっけ、あれも確かに凄いんだけどね。
最後の奴も、実は地味に凄いんじゃないのかなぁ」
「効率の良さって意味なら、確かにそうなんでしょうね」
一撃一殺、しかも使用したのが、小さな金属の固まりなのである。槍一本分で弾が1千発以上作れることを考えると、効率的には1千倍と言っても良いのかも知れない。シンジの言う通り、地味には違いないが、とても効果的な攻撃なのは確かだろう。
だが褒められてみても、少し微妙な物をシンジは感じていた。シンジにしてみれば、物まねの域を出ていないと思っていたのだ。
「でも、一つもオリジナルがないんですよね」
「それは仕方がないと思うわよ。
だって、今まで何百年も戦いを続けているんだから。
その間、いろんな技が生まれては消えていったのよ。
そう言う私のフラッシュだって、ずっと引き継がれてきた技だしね。
オリジナルなんて、よほどのことがない限り出来ないと思うわよ」
贅沢と笑ったシルファに、そうなんでしょうねとシンジも同意した。色々とアイディアを出してみたら、そのほとんどが過去にあったとラピスラズリに指摘されたのだ。たまたま過去に例のない物は、試してみても効果が疑わしい物ばかりだったのだ。それを考えれば、真似が出来たことをよしとするところなのだろう。
そんなシンジに、シルファは少し口元を歪めてシモのネタを振ってきた。このあたりは、まだ年若い男性ラウンズをからかうという意味が大きかった。ただ若いという意味では、シルファもまだ22の女性だった。
「ところでさぁ、あっちの方がギンギンになってない?」
「むしろ、疲れたって感じなんですけど。
で、もしもギンギンになっていたらどうかしたんですか?」
疲れたとは言ったが、状態から行けばシルファの指摘はかなり正しかった。言われたことで意識をしたシンジは、それでとその先を促した。
「いやぁ、だったら鎮めるのを手伝ってあげようかと思ったんだけどねぇ。
たぶんと言うか、間違いなく先客が居るんでしょうね。
エステル様とか、フェリスとかぁ、場合によってはメイハもかな?」
「それは、まあ、たぶんそうなるでしょうね……
ただ、これから休息後、テラへ転戦することになりますから。
今は、泥のように眠りたい気持ちというか……」
後衛という立場上、常に戦場に気を配っている必要があった。それもあって、肉体と言うより精神的な疲労が溜まっていたのだ。さすがに疲れたというシンジに、なぜかシルファは「良かった」と笑って見せた。
「どうして、僕が疲れたことが良かったことになるですか?」
「いやなにね、売り出し中の碇シンジも、やっぱり疲れるのかなってね。
ほら、シエルと互角に戦ったり、昔の技を次々と掘り出しているじゃない。
だから、ちょっと凄すぎかなって思うところがあったんだ。
でも、これで疲れてくれるんだから、まあ、普通のところも有るんだって思えたのよ」
「凄すぎって言われてもなぁ、生身だとシルファさんの足元にも及ばないんだけど」
買いかぶりすぎと笑ったシンジに、周りの目もそうなってるとシルファは言い返した。そしてその例として、自分の配下の声を教えた。
「うちの奴らも、出稽古に行きたいってせっついてくるんだよ。
フェリスのこともあって、シンジに指導して貰うのは憧れになっているんだ」
「まあフェリスの場合、もともと実力がありましたからね」
シルファと雑談をしながらも、シンジは撤収状況を常に気を遣っていた。同時に、戦場に異変がないかも確認を続けていた。後衛の責任者である以上、その役目を疎かにするわけにはいかなかった。だから余計に疲れることになるのだが。
「今回は、特に被害は出ていないようですね」
「ああ、出ていたとしても転んでけがをした程度だろうね。
今回の戦いは、怖いほど順調に進んでくれたかな。
まあ、被害が出なかったのは喜ぶべきことだと思うわよ」
確かにとシンジが同意したとき、シルファにも撤収の指示が回ってきた。まだ話し足りないと感じていたシルファだが、いつまでも油を売っていると、休息時間を削ることになる。まだ名残惜しいのだが、シルファは諦めて撤収することにした。
「じゃあ、私は4時間後に出なくちゃいけないから。
名残惜しいけど、先に戻らせて貰うわね。
できたら、今度ゆっくりとお話をしましょう」
「そうですね、何かこっちの方が大変な気がしますよ。
ああ、それから、出稽古の話はいつでも良いですよ。
バイオレート様から、エステル様に申し入れて貰えませんか?
もう一つの方は、今度調整してみます……」
「いずれにしても、ここを片してからになるわね」
じゃあとマルチが手を挙げたところで、その姿が唐突に目の前から消失した。それに続くように、視界の中から次々と機動兵器が消えていった。
すぐに視線を戦場だったところに戻したシンジは、空気が悪いなと両腕を抱いた。一人になったせいなのか、戦場の空気がしっかりと感じられるようになったのだ。血の海になった世界からは、怨念のようなおどろおどろしい物も感じられた。まるで誰かに、じっと睨まれているような感じまでしてしまった。
「これが戦場の空気って奴なのかな。
幽霊が出るって話も、今言われたら信じられそうな気がするよ」
「幽霊ってなんですか?」
知らない単語を聞きつけて、ラピスラズリがシンジの前に妖精の姿で現れた。まだ戻れないことは分かっていたので、暇つぶしがてらにシンジは相手にすることにした。
「テラでは、と言うか、テラの一部では霊魂の存在が信じられているんだ。
霊魂ってのは、そうだな、魂と言えばいいのか、死んだ後から体から抜け出る物。
肉で出来た体を、動かしていた本質って言えばいいのかな?
それが偶然人の目に付いたら、それを幽霊って言ったりするんだよ。
まあ、間違いなく迷信なんだろうね」
そう言ってシンジが笑った所、「必ずしもそうとは言い切れないですよ」とラピスラズリが答えた。ずっと進んだ世界だと思っていただけに、ラピスラズリの反論は少し意外な物だった。
「そのあたりは、まだまだ研究中のところが多くなっています。
ただ、それに似た概念を用いないと、トロルスの説明が付かないんですよ。
一部学説では、トロルスはヘルに飲み込まれた人たちの“魂”が原料と言うことになっています。
概念的に言えば、人としての本質が変質した物というところでしょうか」
トロルスの原料は、かつて人だった物と言うのだ。その説明を聞いたとき、シンジは何かが頭の中に引っかかった気がした。だがそれを思い出そうとしても、明確な形にはなってくれなかった。出そうで出ないという気持ち悪い状況に陥ったところ、「撤収できますよ」とラピスラズリに言われてしまった。
「ところで、どうかされましたか?」
「いや、何かが思い出せそうで思い出せなくて気持ち悪いんだ。
とても、重要なことが有ったような気がするんだ」
気持ち悪いと胸のあたりを押させたシンジに、「良くあることです」とラピスラズリは一蹴した。
「エステル様を見ていると、そう言うことがしょっちゅうあるんですよ。
その上、何とか思い出したと思ったら、本当にどうでも良いことばかりでした。
そう言うものは、おおよそ思い出したときに失望する物ですよ」
「そうなのかなぁ……」
言われてみれば、だいたいラピスラズリの指摘通りのことが多かった。確かにそうかと考えることを放棄したシンジは、ヒルデガルドに戻るためラピスラズリに移動を命じた。これから機体を、メンテナンスのためメカニックに預けなくてはいけない。酷使はしていなくとも、これほど長時間稼働させたのは初めての経験だったのだ。次の戦いが少数で望むことを考えると、機体を万全の状態を保つ必要があった。
そして体の方も20時間近く働いているのだから、しっかり休息をとる必要もあったのだ。ただその休息の方は、きっとシルファが言ったとおりになるのだろうと期待した。
10時間の時間差を利用し、セルン側の工作班はハドロン砲の設置を完了していた。かなりの突貫工事を行ったのだが、使徒はそれをあざ笑うかのようなコースをとってくれた。
「射程に入るのは、ぎりぎりで2体というところかい」
「危険を察知して、回避してくれたと思った方が平和じゃない?」
意味がないと嘆くロイドに、まあまあとセシルは思いっきり甘いコーヒーを差し出した。初めてと言うこともあり、用心のためと開発者も引っ張られていたのだ。
「設置方法も、課題ってことになっているでしょ。
だから、それを解決するのも技術開発になるとは思わない?」
「持ち運べるようにして欲しいと言われたのも当然ってことか」
はあっと大きくため息を吐き、ロイドは甘すぎるコーヒーをずずっと啜った。
「これじゃあ、少しも彼女たちを楽にしてあげられないじゃないか」
「そんな殊勝なことを考えるから、使徒が意地悪したんじゃないの?」
槍が降るわよと真面目な顔で言われ、「ないない」とロイドは手を振った。
「でも、移動方法は本当に考えないといけないようだね。
毎度毎度こんな土木工事をしていたら、可搬型の名が泣くことになるんだよ」
「海上だったら、空母に積む手があるのにね」
「問題は、バッテリと加速器の大きさか……」
まだまだだなぁと、ロイドは天を仰いだのだった。
そしてその頃、機動兵器のパイロット達は、合流前の日本チームと遠隔会議を行っていた。これまで何度も議論はされたが、実際のフォーメーションをとるのはこれが初めてだったのだ。使徒の進行予測がはっきりとしたこともあり、最後のすりあわせが必要となっていた。
「ハドロン砲には、セルンから4機が付くことになるのね」
「砲手と補助、それにガードが2と言うことになりますわ。
残りの3機は、私の補助と言うことになりますの」
右手を胸に当て、少し上向き加減にセシリアはアスカに説明した。いつも通りだなと感心したアスカは、日本側の配備をセシリアに説明した。
「こっちは、私が先行することになっているわ。
カヲルとレイは、ブリューナクの実験に当たることになるわ。
それ以外の6機は、実力不足だから基本的に後方待機と言うことになるわね」
「レベル4の鈴原様が後方待機ですか。
さすがは日本、余裕がございますのね」
余裕とは言うが、あくまで自分達のレベルの話でしかなかった。
「言っちゃなんだけど、あっちだとあたし達のレベルでも出撃させてもらえないのよね」
「アスカさん、それを言ってはおしまいだと思いますわ」
レベル7を期待するのは、間違いなく無い物ねだりと言う事になる。しかもそのレベル7にしても、出撃できるぎりぎりのレベルでしかなかったのだ。それを考えると、自分達の体制がいかに貧弱か分かると言う物だ。
「それで、アスカさんも武器を使われますの?」
「空を飛べない以上、リーチを延ばす必要があるのよ。
だからネルフ時代の開発品を流用することにしたわ。
マゴロクEソードってのが間に合ったようよ」
「不思議なお名前ですのね?」
ただ名前については、特に拘る事ではない。それにアスカとの話は、会議で行うのは不適切だとセシリアは立場を思い出した。発言こそ無いが、出撃するパイロット達が揃っているのだ。
「話が脇道に逸れましたので、元の話に戻しますわ。
私たちの基本戦略は、時間稼ぎと言う事でよろしいのですね」
これは機上にいるアスカ達ではなく、国連軍から派遣された士官へ向けた物だった。セシリアに話を振られた作戦士官、ノボセビッチ中佐は、「そうだ」と短い言葉で肯定した。
「退路の確保はどうなっていますの?」
「大型輸送ヘリが用意されている。
レベルの低い者は、ヘリで牽引して退却する予定だ」
「レベル4以上は、自力で後退しろと言う事でしたわね」
もう一つと、セシリアは設置されたハドロン砲の扱いを確認した。
「後退するとき、ハドロン砲は放置と言う事でよろしいのですね?」
「回収できるのが好ましいのだが、結果的にそう言う事になるのだろう。
収束装置と粒子加速部は本来確保したいところだが。
レベル3のパイロットに、それを期待するのは難しいと判定された」
そのあたりは、ロイドが怒り狂ったという経緯がある。だが特区セルンの代表直々、予算を付けると言う事で黙らされたと言う事情があった。
その中に含まれるレベル3と言う話に、セシリアは「一つ提案がありますの」とノボセビッチに難しい決断を迫った。
「日本では、レベル4のパイロットが後方待機になっていますわ。
鈴原様なら、重要部品の持ち出しも可能ではありませんか?」
「残念ながら、それを決定する権限は私にはない」
そう答えたノボセビッチは、会議の音声をミュートして、セシリアだけに聞こえるように苦情を言った。
「君の所属はセルンのはずだろう。
これは、セルン上層部の判断なのだよ。
だから配置も、近くに日本のパイロットは居ないことになっている」
「パイロットに、政治的なことを求めるのは間違っていますわ。
私の立場は、あくまで最善となるように考えるだけですわ」
「そう言う正論で困らせてくれるな」
そこでノボセビッチは音声を戻し、「上申する」とだけ答えた。モニタに映るアスカの口元が少しだけ歪んでいるのは、おそらくこちらのやりとりを想像したのだろう。しかも続いたアスカの言葉は、更にノボセビッチを困らせるものだった。
「レベル3待避の支援として、日本から鈴原トウジを派遣しましょうか?
特に、ハドロン砲のあたりは待避に苦労すると思うのよ」
「確かに、日本の配置は日本側で決められることになっているが。
それもまた、上に伝えておくことにする」
ノボセビッチにしてみれば、いい加減にしてくれと言いたいところだった。だがその相手は、困らせているアスカ達で無いのが問題だった。人類の危機に直面しているのに、どうして政治的な駆け引きをしなくてはいけないのか。特にセルン側の対応が目に余り、お陰で国連軍が動かしにくくなっている。そしてセシリアとアスカ、二人の意見にはノボセビッチも賛同していたのだ。
もっとも、日本の対応に問題がないかとなると、それも否定が難しくなる。特に人的にネルフから引き継いだ資産を、頑なに手放そうとはしていないところに問題があった。だからセルンも、日本に対して譲歩が出来なくなった事情がある。スタート時点が違うのだから、譲歩すべきは日本だという考えが強かったのだ。その確執に国連軍が巻き込まれるのだから、いい加減にして欲しいと言うのはノボセビッチだけの気持ちではなかったのである。
両特区の関係を見たとき、うまく行っているのは一部のパイロットだけというのが正確なところだろう。同じく政治的に無関心な技術者に対しては、両上層部とも強烈に締め付けを行っていたのだ。だから開発した兵器も、開発側だけでテストすると言う事になってしまったのだ。しかもテストに際し、日本側がセルンの神経を逆撫でしたことも問題を複雑にしていた。
「スキルのあるパイロットは、日本側にしか存在していない。
唯一適性のあるセシリア・ブリジッドは、格闘戦に臨むのだから数から外されることになる」
もう一人格闘戦に臨むアスカ・ラングレーを除くと、レベル4以上は日本に3人、セルンには0と言う事になる。だから槍の有効性確認は日本で行うし、ハドロン砲の有効性確認にも日本人パイロットを参加させろと主張したのだ。冷静な観点から行けば、日本側の言っていることに間違いはないだろう。だがプライドにも関わる問題に、配慮に欠けた発言をしたことも間違っていなかった。
しかも配慮に欠けた発言をした裏に、意固地になったセルンが失敗するという見込みがあるから厄介なのだ。そしてその失敗を盾に、発言権を増そうとしているのが見えるのも問題だった。
和気藹々と話すパイロット達を見ると、羨ましいとノボセビッチは感じてしまった。本来彼女たちにも締め付けが及ぶはずなのだが、最前線で人の目に晒されることが、共同作戦を可能とさせていたのだ。人々のしがらみの前には、アースガルズの存在も抑止力にはなっていなかったのだ。
しかもアースガルズを取り込むことに、双方血眼になっているようにも見えるのだ。ただアースガルズ側がバランスを取っているお陰で、どちらにも傾いていないというのが現時点での状況だった。それがいつまで続くことかは、ノボセビッチの立場で分かることではなかったのだ。
「質問が無いようなら、これでミーティングを終了する」
貧乏くじをしっかりと感じながら、ノボセビッチは会議の終了を告げたのだった。
戦いが近づくにつれ、経験があるというのはマイナスの面に働くことも出てくる。作戦の最終確認を行うところで、その事実がはっきりと表に出ることになった。これから向き合う敵の強大さが、セシリア達以上に分かってしまうのだ。
「エヴァ使っても、勝てる自信がないって言うか、逃げ出したくなる相手よね」
62体の使徒のうち、戦ったことのあるタイプは30体を数えていた。そしてそのうちの10体が、手ひどくやられた第14使徒と同じ形態をしていたのである。アスカにしてみれば、姿も見たくない相手に違いなかった。そして残りの20体のうち、4体が第5使徒なのである。レイにしてみても、勘弁してと言いたい相手に違いない。そして残りの16体は、それぞれ第3が5、第4が6、それに第7使徒が5だった。
しかも嫌なことは、アースガルズの付けた注釈だった。見るのもイヤという第14使徒にしても、アースガルズに言わせれば小物に分類されていたのだ。つまり、他の使徒の方が更に面倒だと言う事になる。その中で一番厄介なのが、龍の形をデフォルメした使徒だろう。飛行能力と言うだけで手が出せないのに加え、バカみたいな火力があると言うのだ。第5使徒並みと言われると、本当に逃げて良いのかと聞きたくなってしまう。しかもその龍が、5体もその中に含まれていたのだ。
「このフジツボ型の奴って、第5使徒よりも火力が大きいって?」
「それを言うなら、この雪だるま型の奴は、コアが見えるところに出ていないわよ。
しかも、丈夫さは第13使徒を上回るって話だし。
その上厄介なのは、気象兵器の機能があるらしいわ」
一つ一つ能力を確認していくと、それだけで戦意が消え失せてしまう。かと言って、確認しなければ戦いにはならないだろう。はあっと大きくため息を吐いたアスカは、「あの頃は良かった」と愚痴をこぼした。
「あの頃の方が、よほどお気楽に戦うことが出来たみたい。
つくづく、あの頃のあたしってバカだったと思うわ」
「それを否定するつもりはないけど」
「まず最初に、そこは否定するところでしょう!」
裏拳でレイをこづいたアスカに、まじめな話だとレイは言い返した。
「槍の標的は、第3使徒の形をした奴にするわ。
それでアスカは、セシリアと二人でどれ目がけて特攻するの?」
「そこで、特攻なんて言葉を使って欲しくないんだけど……」
特攻の後には玉砕という言葉が付いてくる。つまり華々しく散って、それでこの世ともおさらばと言う事だ。そんなわけはないだろうと、アスカは言い返したのだった。
「身の程を知って、一番弱そうな奴にするわ」
「つまり、動きの遅い第5使徒にするのね?」
「近づく前に、狙い撃ちされるっちゅうの!」
接近戦を挑むのに、接近できない相手を選んでどうするというのだ。思わず言い返したアスカに、「冗談よ」とレイはあっさりと答えた。
「空気を読まない冗談って、とても楽しいもの」
「それは、あんただけでしょう!」
すかさず文句を言ったアスカは、「やっぱり第三使徒」と指定した。
「ぷかぷか浮く奴だと、刃物が全く届かないじゃない。
それに、第4使徒は攻撃が早すぎるし、第7使徒は分裂するのよ!」
「でも、碇君が来ないと全部相手にしないといけないのよ」
「あっちは、600の機動兵器で3千の使徒と戦ってるんだっけ?」
遠くを見る目をしたアスカに、「常識が違っている」とレイも同調した。
「3千って、どうしたらそんなに使徒が発生するの?」
「それでも、少ない方なんでしょう?
多いときは万を超えるって話だから、はっきり言ってぞっとしないわね」
「しかも、その3千を片付けてからこちらに来る……」
自分と同じ遠い目をしたレイに、「非常識よね」とアスカは答えた。
「確か、こちらより少しだけ早く戦闘状態になったのよね?」
「その説明は不正確。
こちらで使徒が発生したのより少し早く戦闘状態入ったわ」
「まっ、そのあたりの細かな時間は忘れるとして……
3千もの使徒を、20時間も掛けずに殲滅しちゃうんでしょ?
もうさすがは無敵のアースガルズ様ぁってところね」
そうやってはやし立てたアスカだったが、すぐに虚しくなって「ほうっ」とため息を吐いた。
「普通はさぁ、いざ戦闘ってなったらもっと興奮するものでしょう?」
「確かに、アスカのノリが悪いわね。
言わせて貰えば、私はいつもの通りだから」
「まあ、あんたは元々辛気くさいからね」
「あなたと違って、脳天気じゃないだけ」
何をと睨み付けたら、イヤだわとレイに視線を逸らされてしまった。それだけでバカらしくなったアスカは、「やめやめ」と言って床に寝転がった。寝起きで会議に参加したこともあり、床には毛布が散らばっていた。
「時間があるというのも考え物ね。
余計なことを考える時間って、はっきり言って嬉しくないわ」
「確かに、セシリアの方が精神的には楽かも知れない。
こう言うときは、何も考えずに体を動かすものよ」
ねっとアスカに話を振られたパイロット達は、一様に引きつった笑みを返してきた。その顔を見る限りにおいて、彼女たちはプレッシャーに押しつぶされそうになっていると言う事だ。それを確認したアスカは、自分のことをさておき、彼女たちのプレッシャー対策を考えることにした。
直接使徒と向き合うことはなくても、トラウマを植え付けたのでは目も当てられないことになる。自分はして貰った記憶のない、メンタルケアをすることにしたのだ。
一方気が楽だと言われたセシリアは、髪を振り乱して指示など出していた。もしも今のセシリアに向かって、「精神的に楽」などと言ったら、どのような反撃を食らうことになるのだろうか。それほどまでに、他のパイロット達の理解が悪くなっていたのだ。特に待機を命じられた3人は、危機感が足りていないとしか思えなかった。
「良いですか、サテラさん達は撤退を第一に考えなくてはいけないんですよ。
ヘリが運んでくれると言っても、間合いを十分に取らないと逃げ切れませんわよ。
砲撃型の使徒が相手だと、空を飛んでも逃げられるかどうかも怪しいんですからね。
いざというときには、走って逃げるつもりがないといけませんわ!」
「でも、私たちは戦いを観察するのが任務になっているから……」
セシリアの剣幕に怯みながら、サテラ・オルコットは与えられた役割を持ちだした。そして役割を与えられた以上、それを果たせる場所にいなければいけないのだと言い返した。大人しそうな外見に似合わず、セシリアに対して一歩も引かなかった。
「生きて返ってこその役割だとは考えませんの?
レベル5の私でも、本当に逃げ切れるのかどうか分かりませんのよ」
「でも、配置は上から命令されているから……」
「まさか、槍の回収とか命じられていませんわよね?」
アスカが鈴原トウジをハドロン砲側に配置するのと同様に、サテラ達は槍を使う渚カヲル達の近くに配置されているのだ。その胡散臭さにカマを掛けたのだが、サテラの反応にそれが冗談ではないことを知らされた。それならそれで、その役目を自分にも聞かせて然るべきだと考えていた。だが現実は、レベルの低いパイロットへの個別指示なのである。失敗の可能性を考えると、使い捨てにするのかと文句を言いたいほどだった。
明らかに動揺を表したサテラは、それをごまかすように「碇様は?」と話を変えた。
「セッシーを助けに来てくれるんでしょ?」
「そうやって話を逸らせば、認めたことになるとは思いませんの?」
更に追求しようとしたのだが、「知らない」と頑なに言われればどうしようもなくなる。しかも周りから、触れないでという目までされてしまった。そうなると、まるで自分が悪者になった気がしてしまう。
その一方で、どうしてここまで恐れているのかが気になった。もしもあるとすれば、あっさり解雇されたチフユの前例だろう。サテラの事情を考えると、あり得る話だけに憂鬱になってしまう。
「この話はもうよろしいですわ。
ただ皆さんに覚えておいて欲しいことがありますの。
私は、セルンのエースとして皆さんを守りますわ!
この戦いから、全員生きて返して見せますわ!」
それが自分のプライドなのだ。不安そうな目をした仲間達に、セシリアはそう大見得を切ったのだった。
続く