機動兵器のある風景
Scene -37







「重いよぉ、狭いよぉ、暑いよぉ……はっ!」

 バンチェッタの翌朝、シンジは生暖かい壁に埋まるという悪夢で目覚めた。だが体を起こそうとしても、なぜか重くて体が言うことを聞いてくれなかった。何故だろうと思っても、両腕もまるで重りを付けられたようにベッドに縫い付けられている。しかも頭がはっきりとしてくるにつれ、シンジに掛かる重さから暖かさと柔らかさが感じられた。
 そして更に頭がはっきりとしてきたところで、ようやくまぶたを開くことが出来た。そのときシンジの瞳に映ったのは、冗談のような顔をしたエステルだった。

 エステルの目の周りはパンダのように黒く塗られ、頬には赤くチークがべっとりと塗られていた。しかも唇は、特大明太子のように赤くなっていた。いくら素材が良くても、ここまで壊せるという実例がそこにあったのだ。実のところその状態は、昨夜のままなのだが、そのあたりの記憶も綺麗に抜け落ちていた。
 どうやらシンジは、エステルと折り重なって寝ていたらしい。ただ、どうしてこんな状況になっているのかは、未だに思い出すことは出来なかった。

「それにしても、両腕も重いと言うか動かないな……」

 なんだろうと首を横に向けると、そこにはけばけばしい化粧をしたフェリスの寝顔があった。そう言うことかと期待を込めて反対を見ると、同じように化粧をしたメイハの顔があった。

「僕は、何をがっかりしているんだろう……」

 口に出しては絶対に言えないが、10代後半二人は良いが、もう一人は20代後半だったのだ。どうせならチフユの方が良いなどと、鬼畜なことをシンジは考えていたりした。
 ただ誰が良いのかと言うのは、この際些細な問題に違いない。もう少し頑張って首を動かしてみると、3人ともが何も着ていないように見えるのだ。しかも肌の感覚が有ると言うことは、自分も何も着ていないのだろう。そうなると問題は、やけ酒を飲み始めてからここまでの記憶がないことだ。別に3人とすることに問題はないのだが、記憶がないというのは悔しいことになる。
 エステルに負けないようにお酒を飲んだ記憶はあるのだが、部屋に戻ってきた記憶は一切無かったのだ。だからシンジは、記憶の欠落をラピスラズリに埋めて貰うことにした。

「ラピス、どうしてこんな状況になったのか教えてくれないか?」
「どうしてって……まるで人ごとのように仰有いますね。
 シンジ様が、四方をこのお部屋に連れ込んだんですよ?」
「四方……4人を?」

 首を巡らしてみても、3人の姿しか確認できなかった。となると、問題はもう一人がどこにいるのかと言うことだ。それを尋ねたシンジに、お風呂で寝ていますとの答えが返ってきた。

「溺れてない?」
「お湯は溜めていませんからね。
 ずっとシャワーを浴び続けているというのか……」

 それを聞くと、大丈夫かなと心配になってしまう。裸でいるのも問題だが、いつまでもシャワーを浴びていると風邪を引いてしまいそうだ。

「ところで、どうしてシャワーを浴びているんだ?
 もしかして、酔いを覚まそうとでも考えたのかな?」

 そこまでは頑張ったのかなと考えたシンジに、もちろん違いますとラピスラズリは否定した。

「もちろん、シンジ様が命令したからですよ。
 「抱いてやるから、順番にシャワーを浴びてこぉい!!」ってなもので。
 じゃんけんに勝ったチフユさんが、最初にシャワーを浴びに行ったんです。
 でも、そのまま力尽きて寝ちゃったし、シンジ様達も同じように力尽きたと言うのが現実です。
 たぶんというか、皆さん全く覚えてらっしゃらないでしょうね」

 やれやれとため息を吐いたラピスラズリは、そろそろ動けるでしょうとシンジに言った。動けるようだったら、お風呂に居るチフユを起こした方が良いと言うのである。部屋に居れば風邪を引かないように空調も出来るが、お風呂となると簡単にはいかないらしい。
 起こさないようにメイハの側の腕を引き抜いたシンジは、次にフェリスの側からゆっくりと腕を引き抜いた。感じた柔らかさに、少し惜しいかなと最初は思った。だが、急に腕がしびれてきてそれどころではなくなってしまった。それでも何とかエステルを下ろしたシンジは、何とかベッドから離れることに成功した。だが収まらない腕のしびれに、なかなかチフユの救出には迎えなかった。しばらくそのままの格好で、両腕のしびれが収まるのを待った。

「まったく、凄い光景だよ……」

 自分の抜け出てきた後を見ると、3人の裸の女性が横たわっている。さすがにこのままではと考えシーツを掛けようとしたのだが、とたんに漂ってきたアルコール臭にシンジはよろめいてしまった。

「いったい、どれだけみんな飲んだんだよ。
 でも、フェリスとチフユは、酔わないように気をつけていた気が……」
「自分達だけが素面で居るのが辛くなったみたいですよ。
 だから二人で、飲みやすそうなお酒を急ピッチで開けたみたいです」
「その結果が、これってことか……」

 なるほど、噂に違わず凄まじい儀式だとシンジは感心した。だがいつまでも感心していては、チフユを救出にはいけない。いけないいけないと頭を掻いたシンジは、“裸のまま”お風呂へと向かって行ったのだった。
 そしてお風呂の薄い扉を開いたところで、壁にもたれて座るチフユの姿を見つけることになった。シャワーは出っぱなしで、ちょうど下半身あたりに掛かっていた。

「なかなか、微妙な温度だね……」

 シャワーを止める前に手で温度を確かめたシンジは、これなら大丈夫かなとチフユの様子を見た。体を触ってみても、特に冷えている様子はなさそうだった。明るいところでと言うか、チフユの裸は初めて見るはずなのだが、意外に意識しないのだなと覚めたことをシンジは考えていた。
 それよりも、わざわざここに来た目的を果たさなくてはいけない。バスタオルがないかとあたりを見たのだが、さすがは酔っぱらいというのか、その手の準備はなされていないようだ。だから仕方がないと部屋に戻り、白いバスタオルを持って浴室に戻った。それから滑らないようにバスタオルでチフユの体をくるみ、シンジはぐったりとした体をを抱えて立ち上がった。それからみんなの居る部屋ではなく、ラピスラズリにチフユの部屋に運ぶように命令した。

「わざわざお屋敷に戻るのですか?」

 そう聞かれて、まだ自分の頭がはっきりとしていなかったことにシンジは気づいた。出撃の儀式を行ったのだから、すでに屋敷からは遠く離れていたのだ。

「えっと、ここはヒルデガルドだったか……
 でも出撃しないブレイブスは、式典が終われば艦から降りることになっていたよね?」
「そういや、そうでしたね!」

 出撃するのは、レベル7以上のラウンズに、整備士を含む必要な随行員に限られていた。それを考えると、レベル4のチフユは同行しないことになる。シンジの言葉を認めたラピスラズリは、そのまま二人をエステルの館にあるチフユの部屋へと移動させた。
 チフユの部屋に移動したシンジは、体を抱きかかえたまま部屋の中を見渡した。わずか2週間しか経っていないのだが、記憶に比べてずっと生活臭がにじみ出ていた。

「およそ2週間ぶりか……多少は物が揃ったみたいだね」

 最初に連れ来て以来、シンジはチフユの部屋に入っていなかった。久しぶりに見るチフユの部屋には、そこそこ物が揃い始めていたのだ。その代わりというのか、やけに散らかっても居たのだった。
 部屋の鑑賞は良いと、シンジはベッドにチフユを運んだ。そしてそっとベッドに下ろしたところで、ベッド脇に置かれた写真に目をとめた。そこにはセルンでも見た、チフユが弟のワカバと一緒に映った写真が写真立てに入れられて飾ってあった。

「セルンの時と同じ写真を飾っているんだな。
 まあ、新しい写真を撮る暇もなかっただろうからなぁ」

 ぎりぎりの日程だったことは聞いたシンジは、忙しかっただろうとチフユのことを想像した。それに自分のことを隠した手前、新しく写真を撮る口実もなかったのだろう。それが弟に対する優しさなのは、シンジも理解していた。だからシンジは、写真立てに向かって語りかけるなどと言う恥ずかしいことをしていた。

「ワカバ君、君のお姉さんはアースガルズで頑張っているよ」

 そう語りかけたシンジは、そのまま優しい目をチフユの方に向けた。だがそこに横たわるチフユの姿に、どうしようもない不条理をそこに感じてしまった。疲れ果てて眠っているのなら、シンジの言葉に説得力があっただろう。だが酔いつぶれて、しかも裸で眠っているとなると、とたんにいかがわしくなってしまう。これが酒癖の悪さなら、間違いなく弟は幻滅することになるのだろうし。酔わされて裸にされた結果なら、語りかけたシンジが鬼畜と言うことになってしまう。
 ただはっきりしているのは、どちらの理由にしても、弟に見せるものでは無いと言うことだ。だから写真立てをそっと倒し、チフユの目に触れないようにした。ただこの行為も、これから罪悪感に囚われる行為をするようにも受け取られるだろう。

「これって、据え膳なんだろうなぁ……」

 ラピスラズリの証言が正しければ、「抱いてやる」と言うシンジの言葉にチフユが応えた結果のはずである。酔った状況だというのを忘れれば、やって欲しいという意思表示がされた結果だとも言える。それにシンジは、チフユの「私を買って」にまだ答えていなかった。

「とはいえ、寝てる子にするってのも問題が多い気がするな。
 やっぱり、初めての恥ずかしさに身もだえる姿を見てみたいし……
 なんか、自分がヒヒ親父になった気がしてきた」

 だめだと頭を振ったシンジは、シーツをチフユの体に掛けた。そしてラピスラズリに向かって、元の場所に移動させるように命令した。チフユが目を覚ましたときには、きっと欠落した記憶に戸惑うことになるのだろう。何しろ裸でベッドの上に寝ているし、脱いだはずの物があたりに見あたらないのだ。
 もう少し居た方が良いのかとも思ったが、残してきた3人が目を覚ますと厄介なことになりかねない。しばらくは悶々として貰おうと、シンジはチフユを残して支援艦ヒルデガルドへと戻ったのだった。ちなみにここまでの間、シンジは腰のあたりにタオルをまいただけの格好を通していた。

 シンジが部屋に戻ったとき、幸いなことに誰一人として目を覚ましていなかった。それに安堵したシンジは、ラピスラズリに着替えを用意するように命じ、自分はシャワーで汗とアルコールを洗い落とすことにした。チフユの部屋では感じなかった強烈な匂いが、ここに戻ってきたとたんに鼻についたのだ。
 普段より熱いお湯に、そしてたっぷりの石けんを使い、シンジは入念に汗とアルコール臭を洗い落とした。それなりの時間を使ったはずなのに、未だ3人は目を覚まそうとはしない。よほどの深酒をしたのか、さもなければそれだけ疲れていたのか、どちらかは分からないが、シンジは3人を放置する選択をした。そしてラピスラズリの用意した着替えに袖を通し、昨夜馬鹿騒ぎが行われたホールへ行くことにした。最高責任者が機能不全に陥っているのだから、ナンバー2がその役割を代行しようと考えたのだ。

 シンジがホールに着いたときには、大勢の部下達が忙しそうに動き回っていた。昨夜のことを思い出すと、相当強いのだなと感心するほどである。そのおかげというか、馬鹿騒ぎの痕跡はかなり薄くなっていた。

「碇様、おはようございます」

 凄いなと感心してみていたら、部下の一人アースラがおはようございますと声を掛けてきた。男のブレイブスには珍しく、アースラはレベル7に到達していた。年齢的には、シンジよりも5つほど上の逞しい男だった。
 おはようとアースラに返したシンジは、元気だねと働く者達へと視線を向けた。それに「そうですな」と答えたアースラだが、続く答えはシンジにとってかなり不本意な物だった。

「碇様は、あの後4人相手に奮闘されたと聞いています。
 それに比べれば、この程度のことはたいした事ではないと思っています。
 男として、良くあれだけ酔った後に役に立つ物だと尊敬しております!」
「ええっと、記憶が定かではないところがあるけど、たぶんアースラの考えたようなことはなかったから」

 言い訳がましく答えたシンジに、アースラはやけに芝居がかった態度で驚いてくれた。そして「あり得ません!」とシンジに迫ってきた。

「碇様は、昨夜のことをお忘れになっているのですか!
 神聖な儀式の場において、エステル様、メイハ様、フェリス様、チフユの4人を侍らせていたのですよ。
 まあヴァルキュリアとラウンズには許されたことなのですが、
 それはもういかがわしいことをなされていました。
 おかげで、我々もなかなか目の保養をさせていただいたというか。
 碇様に対する尊敬が、ますます増したと申しましょうか。
 それなのに、お部屋に戻られてから何もしないなどと……誰が信じられましょうか!」

 いかにも失望した態度で、アースラは「恥ずかしい」とまで言い切ってくれた。

「よろしいですか、碇様!
 男のラウンズたる物、いついかなる時でも子孫繁栄を考えなくてはなりません。
 それがたかが酒ぐらいで何も出来なくなるとは、
 我々碇様に従う者として、情けなさに身がよじれるほどです。
 これがレグルス様様配下に伝わろうものなら、情けない主だと馬鹿にされること必定です。
 今からでもけして遅くはありません、戻られまして存分に勇者ぶりを発揮してください。
 ここの後始末など、我々に任してくださればよろしいのです。
 碇様には、碇様にしかできないことをしていただきたい!
 なぜラウンズのみ、ここでの性交が許されているのか。
 神事であることの意味をお忘れ無いようにお願いいたします。
 必要であれば、好みの女達を連れて行っていただいて結構です!!」
「あーっとアースラ、疑って悪いんだけど、僕をからかっていないか?」

 さすがに極端すぎる話に、シンジはまず疑って掛かることにした。年若いというのもそうなのだが、シンジにはアースガルズの習慣をよく知らないという事情がある。それを利用して、周りから散々からかわれた記憶があったのだ。だから疑うことから始めたのだが、アースラは「心外です」と憤った様子を見せた。

「もしもお疑いなら、電子妖精にアルテーミス様配下の様子を聞いてみればいいでしょう。
 昨夜レグルス様がどれほど活躍されたのか、ご自身の手で確認してみてください。
 そうすれば、きっと私の言葉に一片の嘘偽りのないことが証明できるでしょう」
「だったら確認してみるけど……ラピス、レグルス様の所はどうだったのかな?」

 半信半疑で呼び出したシンジに、「よそは気にしない方が」とラピスラズリは忠告してきた。

「そもそも、性格からして違うのですから参考にしない方が良いと思いますよ」
「前置きは良いから、アースラの言っていることが本当なのかどうか教えてくれ」
「でしたら、一番分かりやすい映像をお見せしますけど……本当に良いんですか?
 レグルス様の真似をしたら、もうシンジ様ではなくなってしまいますよ」

 執拗に注意や脅しを掛けるところを見ると、よほどレグルスが暴れたと言うことだろう。それを覚悟して映像を出させたシンジは、僅か3秒で「もう良い」と映像を止めさせた。

「だから言ったでしょう?」
「レグルス様に対する見方が変わったよ……
 あれじゃあ、どこかのセクハラ親父じゃないか……」
「その意味は理解できませんが、シンジ様は敢えてイメージを壊すつもりですか?
 やめておいた方が、色々と無難だと私は思います」

 乗りの良すぎるラピスラズリすら止めたと言う事実に、シンジは心から「真似をするものか」と決意した。そして目の前「言ったとおりだろう」と言う顔をしたアースラに、「僕にあれを求めるな!」と強い調子で叱責した。

「アースラは、僕に下半身裸で女性ブレイブスを追いかけろと言うのかぁ。
 いくら無礼講とか羽目を外すと言っても、いっちゃあ悪いがあれは悪のりでしかないだろう。
 あそこまですると、僕に対するイメージが、回復不能なまでに壊れてしまうじゃないか」
「碇様、そのイメージのことならご心配は無用かと思います。
 すでに、昨夜のご狼藉でしっかりと壊れております!
 確かに、ご自身のイメージは大切かと思いますが、中途半端は余計によろしくないのかと」

 そうやって詰め寄られたシンジは、アースラの言う「昨夜の狼藉」を確認することにした。だがラピスラズリからは、それもやめた方が良いという忠告を受けてしまった。素面の時に、酔ったときの行動を見るものではないというのだ。
 それでも見せろと言うシンジに、「後悔しても知りませんよ」と言う脅しと共に、ラピスラズリは一番濃い場面をシンジに見せた。よほどのことかと覚悟したシンジは、僅か5秒で「もう良い」と映像を止めさせた。行為自体はレグルスとは違うのだが、本質において全く差がないと分かってしまったのだ。

「アースラの言うことは良く分かったよ。
 確かに、僕が相当恥ずかしいことをしたのは認めよう。
 ただ、あれは昨夜一晩限りの話なんだよ。
 それを素面になった今、僕に求めるのはあまりにも酷という言う物じゃないのかな?」
「ようやく、その結論に達せられましたか」

 ははと笑った所を見ると、どうやらシンジはからかわれていたようだ。「アースラっ!」と少し怒ったシンジに、「だから好かれるのですよ」とアースラは変化球を投げ返してきた。

「頼りになるだけではなく、いじり甲斐のある上司というのはなかなかありませんからね。
 碇様がカヴァリエーレになってから、エステル様配下の空気が格段に良くなりました。
 フェリス様にしても、あれほど素敵な女性になられるとは誰も想像しておりませんでした」

 そうやって褒められると、これ以上叱ることも出来なくなる。仕方がないとアースラを許したシンジは、片付けに戻るようにと命じた。あまり話をしていると、後片付けの邪魔になると言うか、更にいじられそうな気がしてならなかったのだ。

「それでエステル様はどうされていますか?」
「部屋で、フェリス達とぐっすり眠っているよ。
 もの凄く酒臭くなっているから、視察がてらこちらに逃げて来たんだよ。
 あと、チフユは一足先に屋敷に戻しておいた」
「チフユをですか?」

 ふむと考えたアースラは、彼の立場としては微妙なことを口にした。それは、出撃時のチフユの居場所についてのことだった。

「差し出がましいことを申し上げますが、
 私は、この戦いにチフユを帯同させた方が良いかと思います」

 思いがけない進言に、さすがにシンジも少し驚いていた。本来レベル4程度のブレイブスには、戦いにおいて居場所など無いはずだった。

「その理由を教えてくれるかな?」

 はいと答えたアースラは、シンジがチフユを連れてきた理由、それに沿った口実を口にした。

「トロルスとの戦いを見せた方が、本人の為になると考えたからです。
 生身での修練は十分かと思いますので、あとは精神的な修練が彼女には必要でしょう。
 その為には、戦いの現場を経験させるのが一番よろしいかと思います。
 ただレベル4程度で出撃は出来ませんので、空気に触れさせる程度になるかと思います」

 アースラの言うことには、確かに納得できるところがあった。だがシンジは、それがチフユに対する贔屓と受け取られないかと心配した。あまり特定の者を取り立てることで、部下達の間に不満が溜まる可能性がある。
 不和を問題としたシンジに、その可能性をアースラは肯定した。そしてそれを肯定した上で、連れて行っても問題はないだろうと答えた。

「それを、古くからエステル様の配下にいる私が申し上げたことをお忘れ無く。
 碇様が鍛え上げられたことで、フェリス様が凄まじいまでの力を身につけられました。
 そのフェリス様と生身でやり合えるチフユを鍛えることは、むしろ必要なことだと考えております。
 そして強きブレイブスが生まれることは、私たちにとっても誇りとなります。
 それから碇様は、無理を通すだけの立場にあることをお忘れ無く。
 必要なことを必要と言いきる力が、むしろ私たちに誇りと自信を与えてくれるのです。
 その意味で、周りの顔色をうかがうのは罪悪だとお考えください」
「アースラの言うことは理解したよ」

 チフユを鍛えるという意味では、アースラの言う通り戦いに連れて行くのは大きな意味を持つだろう。戦いの空気に触れ、自分の不足している物を感じ取れば、それが進歩に繋がることは間違いない。参考にすると答えたシンジは、ラピスラズリに命じてエステル達の部屋へと跳躍したのだった。



 トロルス発生の知らせを受けたのは、出撃の儀式が執り行われた6日後のことだった。サウスポール、すなわち南極を中心とした空間の裂け目近辺からの発生は、ヘルの進出がこれまでと同じパターンであることを証明した。

「これが、トロルスの襲撃ですか……」

 3千という数字は想像できても、使徒がそれだけの数発生する光景は想像できなかった。それを目の当たりにさせられたことに、シンジは強い衝撃を受けていた。発生した中には、かつて戦ったことのある使徒も数多く混じっていた。そして全く知らない形をした使徒も、それ以上の数含まれていた。

「観測の結果、未知のトロルスは含まれていないと言うことになりました。
 予期せぬ事態が起きない限り、殲滅に1日、そして後始末に1週間という計算になりますね」

 エステルと共に、シンジは支援艦ヒルデガルドの主艦橋で出撃を迎えた。映し出されるトロルスの映像を見ながら、エステルは必要な指示を艦橋に居る部下達へと出していった。
 そのときのエステルは、いつもと違って長めのスカートを穿いていた。そして上着も含め、その色は深紅に染め上げられていた。普段はポニーテールにしている髪も、今日は綺麗に下ろしていた。さすがに戦いを前にして、エステルの表情も凛とした厳しさを持っていた。

「どうですシンジ、実際のトロルスの発生を目の当たりにして」

 正面の映像を見据えたエステルは、いつもに増して美しく輝いていた。これがヴァルキュリアの本質なのかと感動したシンジは、「想像を絶しています」と正直な感想を口にした。

「どうです、怖いですか?」
「どうしてでしょう、今は少しも怖いという気持ちはありません」

 それはシンジの正直な気持ちだった。それまで現実にトロルスと向き合ったら、落ち着いていられる自信は全くなかったのだ。だが現実その場面に立ち会ってみると、なぜか恐怖を感じないのだ。かと言って、いきり立つほどの興奮を感じているわけでもない。ただ落ち着いて、目の前の現実を受け止めることが出来ていた。

「それでこそ、私のカヴァリエーレですね。
 間もなくブリュンヒルデ、ジークリンデからの先制攻撃が行われます。
 その先制攻撃から5分後に、全機動兵器が作戦空域に移動する予定です。
 シンジは後衛部隊を率いて出撃することになります。
 では、ラウンズの務めを見事果たしてください!」

 エステルはそう命令すると、座っていた席から立ち上がりシンジの前に立った。そして両腕をシンジの首に回すようにして、「神の加護がありますように」とゆっくりシンジと唇を重ねた。

「次は、勝利の祝福をさせてくださいね」

 そっとシンジから離れたエステルは、少し余韻を味わってから顔を上げた。その美しさに感動したシンジは、一方後ろに下がり、「勝利をエステル様に捧げます」と大きな声で約束した。そしてエステルの後ろに従うチフユに、しっかり見ているようにと命じた。

「ではエステル様、行って参ります!」

 一礼したシンジは、ラピスラズリによってギムレーへと転送された。しばらくそのままの姿で見送ったエステルは、ゆっくり自分の席に戻って新しい指示を全員に伝えた。

「ヒルデガルドは、ブリュンヒルデの1km後方に待機します。
 戦闘配置はとりますが、別名有るまでそのまま待機とします。
 敵トロルス砲撃型の位置に注意し、ブリュンヒルデの影から出ないようにしてください。
 加えて、テラの状況を常時確認のこと。
 テラにトロルス発生の兆しがあれば、直ちに私に報告しなさい!」

 はっきりと指示する姿は、普段のエステルとは別人のようだった。そしてこういう言い方が正しいのか分からないが、格好良いとチフユは思ってしまった。エステルの年齢を考えると、少女が戦艦の指揮を執っていることになる。きわめてアンバランスな状況なのに、少しも不自然さを感じないのだ。むしろ、この姿こそ正しい姿に見えるから不思議だ。

「どうですかチフユ、あなたの努力の先にある世界ですよ。
 あのトロルスを見て、怖いと思いましたか?」

 正面を見据えたまま、エステルは隣で飲み物を用意しているチフユにその気持ちを尋ねた。チフユを連れて行くに当たり、一番良い場所と言うことでエステルの隣が用意されたのだ。ただ何もしないというわけにはいかないため、世話係の役目を仰せつかったのだった。

「確かに、怖いという気持ちはあります。
 ですが、こうして見ていると少し現実感に乏しいところがあります」
「そうでしょうね、ここにいる限り肉眼でトロルスを見ることはありませんからね。
 そしてその大きさも、直接感じることはないはずです。
 特に今回の戦いでは、危険を感じることもないはずですからね」

 チフユの感覚を肯定したエステルは、自分の世話は良いと世話役の役割を解除した。

「ここからは、戦いで何が起きるのかしっかりとその目に焼き付けなさい。
 3千程度であれば、私たちが負けると言うことはあり得ないでしょう。
 それでも無傷で勝てるほど、トロルスというのは与しやすい相手ではありません。
 小さな油断が、大きな損害を産むこともあります。
 ヒルデガルドがブリュンヒルデの影にいるのも、万が一に備える必要があるからです。
 けして、ヒルデガルドの防御力が低いのだけが理由ではないのですよ」
「やはり、防御力は低いのですか……」
「連続して攻撃を受けたら、ひとたまりもないでしょうね」

 そう言う重要な事をさらりと言って欲しくない。本来文句を言うところなのだろうが、チフユはそれを控えることにした。エステルは、チフユの質問に対して事実を答えただけなのだ。大丈夫という気休めよりは、よほど気の利いた答えに違いなかったのだ。

「ブリュンヒルデ、ジークリンデから第二主砲による攻撃が行われます」
「どうして第一主砲ではないのですか?」
「そんな物を使ったら、大きな島がが一つ無くなってしまいますからね」

 エステルが事実をありのままに告げたとき、両艦の前面にある“比較的”小さな砲座から光の弾が二つ発射された。その弾は光の帯となり、着弾した場所でキノコ雲を巻き上げた。そしてその攻撃に対抗するように、トロルスの側から何条もの光の帯がブリュンヒルデ、ジークリンデに伸びてきた。

「こうなると、もう主砲が撃てなくなってしまうんです。
 こちらから攻撃するときには、防御バリアーを解除しないといけませんからね。
 だからここから先は、機動兵器に戦いを任せることになるんですよ」

 よく見ていなさいと言われ、チフユは目をこらして機動兵器が出現するエリアの映像を見た。すると時間通りに、多くの機動兵器が何もない空間から出現した。そしてチフユは、その中にひときわ目立つ金色の機体を見つけ出した。

「まず最初に、後衛部隊から支援の遠距離攻撃が行われます。
 それを合図に、突入部隊が接近戦をトロルスに仕掛けます。
 私たちの方が数が少ないので、後衛部隊はトロルスに回り込まれないように攻撃を続けます」

 エステルの説明と同時に、いくつかの光の帯がトロルス達を襲った。説明通りなら、それが機動兵器の持つ特殊能力による攻撃なのだろう。そしてそれに反撃するように、トロルス側からも幾条も光の帯が伸びてきた。

「こうなると、こちらへの攻撃が薄くなるんですよ。
 だからもう一度、ブリュンヒルデ、ジークリンデから攻撃が行われます。
 ただ今度は、連射の効く副砲が使われることになります」

 エステルの言葉通り、今度は両艦の側面から幾重もの光の帯がトロルスに向けた伸びていった。その攻撃に合わせたように、再び機動兵器から遠隔攻撃が行われた。その攻撃のどこにシンジが居るのか目をこらしてみたが、特徴のある金色の機体を見つけることは出来なかった。
 しばらく遠距離からの撃ち合いが続いたとき、エステルはチフユに「よく見ていなさい」と映像の一角を指さした。

「突撃部隊が、トロルスと接触するわよ。
 ここから先は、突撃部隊の活躍が鍵になるわ」

 エステルの指示に従って、正面映像の一部が拡大投影された。その映像では、エステルの言う通り機動兵器の一段がトロルスに殴りかかっていた。

「あれは、フェリス様ですね?」

 チフユは、その中で特徴的な大剣をもったすみれ色をした機体を見つけた。その機体は、巨大な剣を振り回して次々とトロルスを切り裂いていった。その早さは、飛び込んでいった軍団の中でもひときわ目立っていた。

「さすがはフェリスですね。
 メイハも、安定した実力を発揮しているようです」

 そう言われて朱色の機体を探してみると、フェリスよりは遅いが、次々にトロルスを倒している姿が見えた。ただ近くにいた緋色の機体は、あまり仕事をしていないように見えた。

「エステル様、あそこに見える緋色の機体は調子が悪いのでしょうか?」
「えっ、ああ、あれはシエル様の機体よ。
 彼女は前線指揮を行っているから、一歩引いた状態で戦場にいるのよ。
 シエルが八面六臂の活躍をするようじゃ、私たちが不利ってことになってしまうわ。
 フェリスのように後先考えずに突っ込むタイプは、シエルに制御して貰わないといけないのよ。
 ほら、反対側ではマニゴルド様が似たような役目をしているでしょう?」

 もう一つの映像を開くと、確かにマニゴルドの機体があまり動かないでいた。

「つまり、あちらはレグルス様が鉄砲玉と言うことですか?」
「あら、それって面白い例えね」

 それは良いと喜んだエステルは、使い方を考えてみましょうとチフユに言った。

「でも、機動兵器がトロルスより強いって本当だったんですね」

 圧倒的に数で劣っているのに、次々とトロルスが倒されていくのだ。それを見れば、機動兵器が強いと言いたくなる。
 だがエステルは、チフユの言葉に含まれた間違いを訂正した。

「違うわ、ちゃんと実力のあるブレイブスの乗った機動兵器が強いのよ。
 シンジは、あなたにもその実力があると信じているのよ」
「私にも……ですか」

 そう言われても、その実感はもてなかった。何しろセルンでは、立派に落ちこぼれていたのだ。本当にそうなのかと自分を信じられないチフユに、それがいけないのですよとエステルは指摘した。

「フェリスが強くなったのは、その迷いを振り切ることが出来たからなんですよ。
 シンジがうまく乗せて、もっと早く、もっと強くなれるって信じられるようになったからです。
 チフユ、あなたが自分に疑問を感じている内は、あなたの真の実力を発揮できませんよ」
「私に、そんな実力があるのでしょうか」
「私が信じられなくても、シンジのことは信じられるでしょう?
 それとも、エッチしてくれないとそれを信じる気になれませんか?」

 特に波乱もなく戦いが推移していることもあり、エステルはやや饒舌にチフユの相手をしていた。エッチというからかいの言葉も、テラで使われているとラピスラズリに言われた使ったのである。そしてその言葉は、とてもクリティカルにチフユにヒットした。

「そ、そう言うことはないと……あ、あの、私は魅力がないのでしょうか?」
「そう言うことは、今度シンジに聞いてみなさい」

 チフユの相手をしながらも、エステルは常に戦場に注意を払っていた。だが伝えられる状況は、今まで以上に順調にトロルスを撃破しているという物だった。あと1時間もすれば、敵からの砲撃も収まることになる。そうなれば、この戦いも後始末を残すところになるのだろう。今のところ、エステルの元に部下の戦死情報は伝わってきていなかった。

「テラでの同時進行がなければ、この戦いも間もなく終わる事になりそうですね」

 「どうでした?」とエステルがチフユに感想を聞こうとしたとき、テラを観測していた部下から緊急報告が上げられた。

「南極と呼ばれる地域で、トロルスの発生が確認されました。
 進路は、アフリカと呼ばれる大陸を目指しているようです。
 その数は、およそ60程度、未知の形態をもったトロルスは確認されていません」
「こちらが終わるのを待ってくれませんでしたか……」

 ふっとため息を吐いたエステルは、そのまま観測を続けるようにと命令をした。テラへ出撃することを理由に、エステルはヒルデガルドを持ち出していた。だがその出撃は、ドーレドーレの命令がない限り行うことは出来ない。そして戦いが終わっていない以上、その命令が出ないことをエステルも理解していた。

「テラに、出撃しないのですか?」
「戦いが終わるまでは、その命令は出ませんね。
 せめて後始末にでも入らないと、私たちはここを動くことは出来ません」

 それがアースガルズを優先すると言うことだ。ヴァルキュリアとしての立場を、エステルは説明したのだった。







続く

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