機動兵器のある風景
Scene -35
休暇が明けた時には、すでに次の戦闘予定まで2週間を切っていた。実際の戦闘開始は、予想に対して1週間程度の誤差が考えられていた。そのスケジュールを考えたとき、訓練に使える時間は大幅に制限されることになる。ここからの1週間は、特に時間の使い方に気を遣う必要があったのだ。
短い時間の対策として、シンジは配下全体への訓練をメイハに任せることにした。そして自分は、フェリスのレベルアップに専念した。レベル10の制限解除をしたこともあり、戦いまでに体を慣れさせる必要もあったのである。
その訓練を初めて三日目に、シンジはシエルを呼び寄せていた。そこには、フェリスの実力を見て貰うという目的があった。
「わざわざ私を呼びつけるぐらいだから、さぞかし面白いことを見せてくれるのだろうな?」
説明役を申しつけられたメイハは、少し殺気だったシエルに気後れをしていた。ただ殺気立っている理由は、突然呼びつけられたことにはなく、間近に迫るトロルスとの戦いが理由となっていた。シエルの気持ちは、すでに臨戦態勢になっていたと言う事である。
そしてシエルの隣には、小柄なディータが控えていた。そのディータが不満そうに見えるのは、忙しいところを連れてこられたからなのだろう。シエルは細かな仕事に向かないため、全体統率はディータの仕事になっていた。
「ところで、見ない顔が居るようだが?」
「シンジがテラから連れてきた霜月チフユです」
端っこで訓練を見つめている少女を気にしたシエルに、すぐにメイハはその正体を耳打ちをした。それを聞いたシエルは、なるほどと納得しながら、「大切にしているのだな」と皮肉を言った。メイハが耳打ちをしたのに合わせ、ニンフが彼女のレベルをシエルに伝えたのだ。これまでの常識では、レベル3が居て良い場所ではなかったのだ。
シエルの皮肉に、メイハは正面から「違います」と答えを返した。
「シンジ様が必要だと仰有いました。
私たちには、それ以上の理由は必要ないと思っています」
「つまり、これからのことを見せる価値があると考えたと言うことだな」
面白いと立ち上がったシエルは、まっすぐにチフユの所に歩いて行った。そしてまっすぐチフユの目を見据え、「立て」といきなり命令をした。
まだチフユはアースガルズの言葉を理解できていなかった。従って、横からメイハが「立つように」と翻訳した。ただその間ずっと、チフユは正面からシエルの目をにらみ返していた。そしてメイハの言葉に、視線はそのままにチフユは立ち上がった。ある意味不遜な態度なのだが、それをシエルは逆に喜んだ。
「ふん、面構えは合格という所か」
そうチフユを評したシエルは、予備動作も見せずに右拳を繰り出した。風を切り裂いた拳は、チフユの前髪を少し揺らしたところで止められた。その拳を瞬き一つせずに受け入れたチフユに、シエルはもう一度「ふん」と鼻から息を吐き出し背中を向けた。一方チフユは、何事もなかったように椅子に座り直した。
まっすぐ自分の席に戻ったシエルは、もう一度チフユの方へと視線を向けた。だが自分を見ないチフユに、「舐められた物だ」と小さく零したのだった。せっかく挑発したのに、眉一つ動かすことがなかったのだ。しかも自分など初めからいない様に振る舞ってくれる。自分が挑発したことも、邪魔だとしか思われていないようだった。筆頭という立場を考えると、舐められたと言ってもおかしくはなかった。
「舐めているわけではありません。
シンジ様とフェリスが出てきたので、一瞬たりとも目を離さないようにしているだけです。
それが、シンジ様が彼女に与えた訓練の一つとなっています」
「見る目を鍛えようと言うことだな。
確かに、なかなかいい目をしているようだ。
しかも肝も十分据わっているようだな。
線の細さを克服すれば、なかなか良いブレイブスになるのではないのか」
チフユを褒めたシエルに、「それではだめなんです」とメイハは答えた。
「彼女には、私の代わりを務めて貰わないといけません。
その為には、なかなか良い程度では困ってしまいます」
「ほほう、シンジはそこまであの女を買っているのか?」
「うちでは、生身でフェリスの相手を出来るただ一人ですからね。
私としても、期待をしたくなると言う物です」
「フェリスのか?」
フェリスの実力は、シエルも高い評価をしていた。そのフェリスの相手を出来るのだから、相当の使い手と言うことになる。その評価に、初めてシエルは驚いた顔をした。
「テラの訓練では、機動兵器を使う本質を理解できていないようでした。
その部分を、シンジ様が付きっきりで教え込んでいます。
高い技能を持つ者が機動兵器を使いこなしたとき、どれだけの力を発揮することになるのか。
それを、今からフェリスがお見せすることになるでしょう」
「じっくりと、二人の立ち会いを見ろと言うことだな」
その通りですと肯定され、シエルはそれ以上チフユを構うことをやめた。そしてメイハに言われたとおり、今まさに始まろうとしている二人の戦いへと集中することにした。
エステルによってレベル10認定されたフェリスだったが、すぐにシンジはそれを制限解除に切り替えた。二日しかレベル10での訓練をしていないことに対し、「十分だ」とこれ以上の停滞を否定したのである。その結果、練習用のフィールドで、レベル10突破の二人が相対することになったのである。
視線を機動兵器に戻したシエルは、ニンフにシンジの設定を尋ねることにした。それが分かれば、シンジがどう対処しようとしているのか推測することが出来る。
「シンジの設定はどうなっている?」
「シエル様の時と同じ設定です」
「つまり、オールラウンドの設定をしたと言うことだな」
その設定での最終形は、シエル自信も味わった物だった。圧倒的な早さに加え、各種特殊能力も発揮される。格闘戦の未熟ささえなければ、自分でも危ないと思わせる能力だった。裏を返せば、そこまでの能力を発揮しての訓練が行われると言う事になる。
フェリスにとって、今日が制限解除状態で行う初めての訓練だった。普通ならば、未知の力に対して不安を感じるところなのだろう。だが、絶対に大丈夫というシンジの言葉を貰ったフェリスに、初めてへの不安は全くなかった。フェリスの胸にあったのは、シンジへの絶対の信頼と愛情、そしてここまで到達したことへの満足だった。
「ようやく、ここまで追いつくことが出来た。
あとは、シンジ様の刃としての技量を磨くのみ」
すうっと息を吸い込んだフェリスは、息を止めたのと同時にリュートを加速した。手にした大剣、レーヴァンティン(大)も、その動きを妨げる力はなかった。まるで重みを感じさせない加速をしたフェリスは、大上段から剣をシンジに向かって振り下ろした。
その攻撃を、シンジは僅かに移動して紙一重のところで躱した。そして途中で軌道を変えた剣を、そのまままっすぐ下がって躱して見せた。そのまま躱しながら、シンジはフォトン・トーピドでフェリスの行く手を遮った。
だがフォトン・トーピドーも、フェリスの行く手を遮ることはできなかった。そのことごとくを切り捨てたフェリスは、逃がしてなるものかとシンジを追撃した。
フェリスの追撃を避けるため、シンジは空を戦いの場に選んだ。そしてフェリスから十分に距離をとった瞬間を狙い、無数の光球でフェリスを包み込もうとした。オールレンジからの攻撃で、フェリスを仕留めようとしたのである。それ自身、カノンが良く採る戦法だった。
だがシンジが光球を配し終わるのよりも早く、フェリスは光球を叩き切って、フォトン・トーピドの包囲から逃れていた。初めからどうすればいいのか、それを分かっていたような回避の仕方だった。
そしてフォトン・トーピドから逃れたフェリスは、まるで素振りをするようにシンジに向かって剣を振り下ろした。いくら間合いの長いレーヴァンティン(大)でも、その間合いはいかにも遠いように思われた。だがフェリスが剣を振り下ろした瞬間、シンジは瞬間移動でその剣筋から逃れた。そして逃れながらも、残った光球を使ってフェリスへの攻撃を続けた。
「逃がすものか!」
そう叫んだフェリスは、フォトン・トーピドの光球をそれ以上の早さで振り切り、シンジの居る上空へと駆け上がった。そのフェリスに対して、シンジは間合いをとるのではなく、逆に迎え撃つように間合いを詰めた。そして振り下ろされた剣に対して、ドゥリンダナを使って斬り合いへと持ち込んだ。
「もっと早く、フェリスならもっと早くできるはずだ!」
そこで加速したシンジは、空中を二度蹴ってフェリスの後ろに回り込もうとした。だがフェリスも、シンジを真似て空間を蹴り、逆にシンジから間合いをとって薙ぐように剣を振った。その剣撃をドゥリンダナで受けたシンジは、逆に自分からフェリスとの間合いを詰めていった。そして同時にミラージュを使い、複数の幻影体と同時にフェリスの周りを取り囲んだ。
だがミラージュの攻撃にも、フェリスは全く戸惑うことはなかった。レーヴァンティン(大)を横薙ぎに一閃し、本体以外の影を一瞬の内に切り捨ててしまったのだ。そしてシンジも、それが当然とばかりに更にフェリスとの間合いを詰めた。そして迎え撃ったフェリスの剣を、右の手のひらで受け止めて見せた。
シンジに剣を止められた瞬間、フェリスは右手を柄から放し、真上から切り裂くように手を振った。それをシンジは、更に前に進んで左腕で捕まえた。
「さあフェリス、君の攻撃はすべて封じたよ。
これから、何を見せてくれるのかな?」
「剣はなくとも、切ることは出来ます!」
両手を塞がれた状態で、フェリスは正面にいるギムレーを両断するイメージを持った。そのイメージを固め、「いけ」と小さく心の中で念じた。そしてフェリスが念じた攻撃は、現実の刃となってシンジへと襲いかかった。剣も腕も使わない攻撃は、まったく攻撃の予想の付かない物だろう。そしてシンジへと襲いかかった刃は、ギムレーの表面を僅かに切り裂いた。
「まだイメージが弱い!
それに、攻撃に移るまでに時間が掛かりすぎている。
僕を殺すつもりでやらなくちゃ、この程度の傷しか付けられないぞ!」
「私に、シンジ様を殺せるはずがない!
私の命は、シンジ様を守るためにあるんだ!!」
そうフェリスが叫んだところで、シンジはフェリスから間合いをとった。その瞬間、ギムレーの周りに火花が散り機体が青く輝いた。
「そんなことじゃ、いつまでも僕に勝てないよ」
すこし優しく答えたシンジは、そのままの状態でフェリスとの間合いを再度詰めた。それをフェリスはレーヴァンティン(大)で迎え撃ったのだが、その剣撃はギムレーの纏った光にはじき返されてしまった。そしてシンジは、その瞬間に出来た僅かな隙を縫って、リュートのボディに右の拳を叩き込んだ。
どんと空気の壁を破った拳は、リュートのボディ寸前のところで止められていた。それでも衝撃があったのか、リュートに僅かなへこみが出来ていた。その威力は、止めなければどうなっていたのかと想像させる物だった。
「制限を解除してみてどうだった?」
「体が軽くなった気がします。
それに、本当に思ったとおりに体が動きました」
フェリスの答えに頷いたシンジは、「もっと出来るよ」とフェリスを励ました。
「だったら、もっと早く動けると思ってくれないかな?
僕が見る限り、フェリスにはまだまだ余力があると思うんだ。
だからもっと早く動くことをイメージしてくれないか?」
「でしたら、引き続き手合わせをお願いできないでしょうか!」
「フェリスが納得いくまで、とことん訓練に付き合うよ」
飛行状態を解除したシンジは、フェリスと一緒にゆっくりと大地へと降りた。そして纏っていた青い光を消して、再びフェリスと向かい合った。
「レーヴァンティン(大)を使うときは、もっと切ることをイメージするように。
たとえ相手が剣で受けても、その剣ごと切り捨てるつもりで振ってくれないか。
それに間合いの方は、たぶんもっと伸びるはずだよ。
これも練習を繰り返して、もっと威力と間合いを伸ばすように」
「防御ごと相手を切り捨てれば良いんですね……
ですが、そのようなことをしたらシンジ様が大けがをしてしまいます」
「大丈夫、フェリス以上の楯を作って防いでみせるよ。
それでもけがをしたら、フェリスが付きっきりで看病してくれないか?」
「つまり、それが私へのご褒美と言うことか。
うむ、そのときは全身全霊の愛を込めて看病をしてやろう!」
ゆっくりと間合いをとったフェリスは、レーヴァンティン(大)を上段に構えた。そしてシンジに向かって「行きます」と合図をして、真っ正面から斬りかかっていった。
シンジとフェリスの訓練は、シエルをして脅威を感じさせる物だった。さすがは呼びつけただけのことはあると感心し、シエルは目覚ましい進歩を成し遂げたフェリスを褒めた。
「シンジが居なければ、すぐにでもラウンズに任命できる実力だな。
今のラウンズ達も、きっとフェリスに脅威を感じることだろう。
ただ、以前に比べやけに親密なように思えたのだがな?」
「フェリスは、シンジ様の背中を守る大切なパートナーですよ。
その二人が親密な関係を築くのに、なにか問題がありますか?」
ここでサークラあたりなら、「嫉妬よね」とシエルをからかっていただろう。だがさすがにメイハの立場で、そこまで言うことが出来るはずがない。言い返したいのを我慢しながら、メイハはおかげでフェリスが上達したと付け加えた。
「フェリスの壁を破るのに、深い信頼関係を築く必要がありました。
シンジ様は、フェリスの全幅の信頼を勝ち得たのです。
だから今のフェリスがあると思っています。
今のフェリスを相手にしたら、シエル様でもかなり手こずるのではありませんか?」
「負けると言わないのは、私への遠慮からなのか?」
ふんと笑ったシエルは、「大した自信だな」とメイハに言い返した。
「確かに、あの戦いを見せられればそう言いたくなるのも理解できる。
事実、あのレグルスでも止められるかどうかは分からないな。
どうやらフェリスは、剣の間合いを克服したようだな」
「シンジ様の指導で、ようやくその域にたどり着いたと言うことです。
今は、その威力を増すために毎日練習を続けていますよ」
「なるほど、教える才が有るというのは確かだったと言う事か」
感心したシエルは、隣で渋い顔をしているディータに、「どうだ?」と戦いの感想を求めた。
「別に……
そりゃあ、少しは凄いと思ったがな」
「少し、か?
だったらディータ、ザフィを持ってくるか?」
機動兵器を持ってきて、フェリスと一戦交えてみるかというのである。強がりを言ったディータに対して、シエルには珍しいからかいの言葉だった。もちろん素直に乗ってくるはずもなく、ディータは「有害だ」と反対をした。
「トロルスとの戦いが近い今、リュートを壊すのは良くないと思うぞ」
「壊れるのはザフィではなく、リュートの方だというのだな。
だったらどうだ、シンジに指導して貰うというのは?」
「シエル様に指導して貰ってるのに、今更弱い相手に指導されても意味がないだろう」
「そうか、ディータはシンジが弱いというのか」
面白い奴だと、シエルは笑いながらディータの頭をくしゃくしゃに撫でた。カヴァリエーレからの狼藉に、ディータは慌てて離れると、置いてあった赤い帽子を頭に被った。
「そうやって子供扱いするな!
これでも、シエル様とは4つしか違わないんだぞ」
ディータがこれでもと言うのには、彼女の幼く見える容姿に理由があった。ラウンズのサークラも幼く見えることで有名なのだが、ディータはそれに輪を掛けていたのだ。背格好だけなら、10代前半と言うか、10歳程度に見えるディータだった。顔つきも可愛らしいことから、どうしても子供扱いをしたくなってしまうのだ。
だがその実力となると、見た目を完全に裏切るものだった。黄色いザフィに乗ったディータは、ハンマーの様な武器を使って相手を蹴散らしていた。その力は、ラウンズのレベルに達していると噂されていたのである。その力を評価され、今はシエルの副官に収まっていた。
「しかし、シンジもまた力を付けていないか?」
一通りディータを相手にしたシエルは、シンジの方に話題を向けた。
「良い練習相手が居るお陰でしょうね。
フェリスがめきめきと力を付けているので、シンジ様もそれに引っ張られていると思います。
どうです、今のシンジ様と手合わせをしてみますか?」
「シンジがその気になっていないのだから、今やってもおそらく無駄だろう」
「その気……ですか?」
ふっと口元を歪めたメイハに向かって、シエルは少し不機嫌そうに「その気だ」と繰り返した。
「つまり、シエル様は「その気」になっていると?」
追撃したメイハに、シエルは少しムキになって「悪いか」と吐き捨てた。
「いえ、良いとか悪いとかの問題ではないと思っています。
ただトロルスとの戦いを前にした今と言うのは、いささかタイミングが悪いのでしょうね」
「それぐらいのことは、私だって理解している!」
そう言い捨てて、シエルは少し顔を赤くしたままそっぽを向いた。どうやら不機嫌そうに見えるのは、半分ぐらいは照れ隠しのようだった。
「しかし、技量という物は伸びるときには本当に目に見えて伸びる物だな。
最初の戦いよりも、今の方が更に凄まじい戦い方を見せてくれているぞ!」
メイハと話をしていても、シエルは二人の戦いから注意を逸らしていなかった。それをさすがだと感心したメイハは、少し誇らしげにその言葉に同意した。
「二人がテラから帰ってきてから、それをずっと見せつけられていますよ。
今は、二人とも楽しんで戦っているのではありませんか?」
「確かに、教える方も教えられる方も幸せな状況なのだろうな」
ふっと息を吐き出したシエルは、「確かに幸せな状況だ」と繰り返した。
「ところで、この訓練はいつまで続けるつもりだ?」
「普段なら、そろそろ終わるところかと……
常に全力を出していますので、そろそろフェリスが動けなくなると思います」
「そうか、ならばそれまで待つことにしようか」
再び二人の戦いに集中したシエルは、自分ならどう戦うかを頭の中でシミュレーションしていた。シンジの指導のお陰で、フェリスの速さは自分を超えているように見えた。そして巨大な剣を、まるで重さがないように振り回してくれる。しかも剣の間合いが実際よりも長いとなれば、相手として厄介この上なかったのだ。
一方シンジを見てみると、戦い方のせいか普段目に付く弱点が消えていた。そうなると、さすがのシエルでも攻めどころを見つけられなくなってしまった。しかも特殊能力に磨きが掛かったため、確実に勝てるとはどうしても思えなかった。
そう思ったとき、シエルは焦りに似たものを自分が抱いているのに気がついた。シンジが強くなるのは、自分にとって好ましいことのはずだった。だがフェリスと二人高め合っていくのを見ると、このままではいけないという思いが強くなってしまうのだ。
だが冷静に考えると、すぐに何かができるわけではないのに気がついてしまう。自分を補佐するディータでは、自分の全力には着いてこられない。つまり同じことをしようとしても、その相手が自分のところにはいないのだ。
「ニンフ……いや、いい」
だったらここに愛機シグナムを持ち込めばいい。そう考えて電子妖精を呼び出したシエルだったが、すぐにそれを取り消した。そうすれば、ひとまず自分の欲求を叶えることはできるだろう。だが自分の相手をすることが、シンジ達にとって“今”必要なこととは思えない。それを邪魔するのは、立場を嵩に着た我が儘になってしまう。そして、それが今日一日だけで終わるとはとても思えなかったのだ。
「つまり、自分のところで何とかしろと言う事か……」
シンジにしても、ようやくフェリスをここまで鍛え上げてきたのだ。いくらフェリスに素質があったとしても、シンジが目をかけ、そして適切な指導を行わなければ、これほどの実力を身につけることはなかっただろう。ラウンズトップにいる自分にも、同じことが求められているのだと理解した。
己の責任を呟いたシエルは、「帰るぞ」と言って立ち上がった。
「ええっ、もう帰るんですか?」
驚いたディータに向かって、「十分に見ただろう?」とシエルは言い放った。
「私が呼ばれた目的は十分に達成したはずだ。
シンジは言うまでもなく、フェリスも高い技量を持っていることが分かったのだ。
ならば我々は、己の使命に時間を使うべきだろう」
「そりゃあ、シエルの言う通りだけど……」
明らかに不満そうなディータは、ちらりとフィールドに視線を向けていた。それに気付いたシエルは、「フェリスが気になるのか?」と尋ねた。
「だとしたら、その機会ならいくらでもあるだろう。
お前が希望するのなら、トロルスとの戦いが終わったところで出稽古を組んでやる」
「べ、別に、そう言うわけではないが……
まあシエルがそう言うのなら、我慢して帰ることにするか!」
少し慌てた様子を見せるディータに、そう言う事かとメイハは一人納得していた。そしてシエルに対して、やはり鈍いのだと今更の感想を抱いたのである。だから少しお節介かとは思ったが、シエル達を引き留めることにした。あまり長い時間だと不自然だが、ラピスラズリからはそろそろ終わりそうだとの知らせを受けていたのだ。
「ラピスラズリの報告では、間もなく訓練が終わるとのことです。
せっかくお出でになったのですから、シンジ様とお話しをされてはいかがですか?
きっとシンジ様も、その方が喜ばれると思います」
引き留めの言葉をメイハが口にした時、少し離れたところでチフユが溜めていた息を吐き出す音がした。それにつられてフィールドを見ると、二機の機動兵器が動きを止めていた。
「どうやら終わったようですね。
すぐにシンジ様が戻られますので、しばらくお待ちいただけないでしょうか?
シエル様を帰してしまうと、私がシンジ様に叱られてしまいます」
そうやって残ることの口実を作ったメイハに、シエルは渋々「分かった」と答えた。それを確認したメイハは、良かったわねとばかりにディータに向かってウインクをした。そんなメイハに、ディータはそっぽを向くことでそれに答えたのだった。
シンジとフェリスが戻ってきたのは、そんな会話があってから10分ほど経過したときのことだった。並んで部屋に入ってきた二人は、まず最初にシエルに向かって頭を下げた。
「今日はお忙しいところお出でいただきありがとうございます。
是非とも、シエル様からもご指導いただけたらと思います」
「うむ、なかなか素晴らしい物を見せて貰ったと思っているぞ。
特にフェリスの上達ぶりには、正直この私も驚かされたな」
シエルの率直な言葉に、フェリスは「ありがとうございます」と頭を下げた。そして頭を上げたフェリスは、「残っている仕事があります」と断って、チフユの方へと歩いて行った。
「レベル10オーバーがレベル3と何をするのだ?」
不快と言うより興味を持ったシエルは、フェリスの行動の意味を求めた。視界の端では、フェリスが熱心に何かを話しているのが見えていた。
「あれは、二人にとって訓練の一つになっているんですよ。
フェリスは、今日の訓練で何をしようとし、それがどのような結果となったのか。
それを一つ一つ思い出して、チフユに話して聞かせているんです。
そうすることで、チフユは機動兵器を扱うことを理解できるし、
フェリスは一つ一つの動きの意味を再度確認して足りないところを考える事ができます。
生身の技量が比較的に似ているので、思ったより話が成立しているようです」
「そうすることで、具体的にはどのような効果があるのだ?」
シンジの言う事は理解できても、それがどう機動兵器の扱いにどう影響してくるのか。そのことに興味を持ち、シエルはシンジに説明を求めた。
「フェリスの場合、熱くなりすぎないようにする意味が大きいですね。
自分の行動、考えを振り返って、一番うまく動けるのはどう言うときかを考えて貰うんです。
あとは、そこで気付いたことを、次に生かせるようにすると言うことですね」
「ならば、チフユとか言うブレイブスにはどう言う意味があるのだ?」
シンジの説明は、シエルにとっても納得できる物だった。確かに武術を覚えるときには、一つ一つの動きを後から考えながらやり直すことが多い。機動兵器も似たような物と考えれば、指導方法として理に適っていると考えた。
だがレベル3のブレイブスに語ることが、どう言う意味を持ってくるのか。あまりにもレベルが違いすぎて、参考にもならないのではとシエルは考えてしまったのだ。
「そうですね、今は機動兵器を操ることがどう言うことかを理解して貰っているところです。
モーショントレースだけでは、機動兵器は大して動いてくれません。
そこから先必要なことを、フェリスに語らせることで理解させようと思っているんですよ。
フェリスが進歩したとき、その理由をフェリス自身から語らせています。
前後の違いを聞かせることで、自分が乗るときの参考にしようと思っているんです」
「確かに有効そうに聞こえるのだが、レベル3にあの動きを追いかけることができるのか?」
シエルの指摘は、シンジも課題として認識していることだった。実際テラで実戦したときには、レベル9で試したのにもかかわらず、レベル4、5のパイロットが付いてこられなかったのだ。今のように制限を外した状態を、更に低いレベル3が付いてこられるのかというと、かなり難しいというのが正直なところだった。
「全部は無理でも、次第に慣れてくるのではありませんか?
そうやって目を慣らせば、レベルが上がったときにも役立つと思います。
それにフェリスに説明させることで、動き自体を理解させることができます。
それも、見る目を養うために役に立っていると思いますよ」
「うむ、参考になる意見を聞かせて貰った。
我が配下を指導するときには、それを参考にさせて貰おう」
うんと頷いたシエルは、隣でディータがぼうっとしているのに気がついた。どうしたのかなと思ってみてみると、視線がシンジに向けられているのに気がついた。
さすがにここまれ来れば、鈍感と言われるシエルでも理由を理解することができる。そして知ってしてしまえば、別に不思議なことではないのだと分かってしまった。自分達女性ラウンズを引きつける雄なのだから、配下の女達が引きつけられても不思議ではない。
ただ彼女たちに可哀相なのは、男性ラウンズが高嶺の花過ぎると言う事だ。直接の上役ならいざ知らず、余所のラウンズだと顔を覚えられることは稀なことだった。12人のヴァルキュリアに、9人の女性ラウンズ、そしてメイハのような配下の女性ブレイブスも控えている。引退後のヴァルキュリア達まで考えると、一人の男性ラウンズに関係する女性の数は膨大な数となる。それを考えると、配下でもないブレイブスが相手にされるのは滅多にないことだった。
それに気付いたシエルは、部下に対して小さなお節介を焼くことにした。「ところで」と話を切り出したシエルは、「まだ時間が取れるのか?」とシンジに尋ねた。
「あまり長時間というわけにはいきませんが、シエル様なら優先しますよ。
それで、シエル様にご指導いただけるのですか?」
今までのシエルならば、間違いなく「体を動かしたくなった」と言う答えが返ってくるはずだった。だがそのつもりで尋ねたシンジに、少し違うのだと言う答えが返ってきた。
「フェリスの訓練を見て、ディータも指導して欲しくなったのだ。
レグルスの言う通り、お前には教える才覚がありそうだからな」
「し、シエルっ!」
思いがけない申し出に、ディータは声を裏返してシエルに文句を言った。だが「良いですよ」と言うシンジの答えに、慌てて振り返って大きく目を見開いた。
「違うタイプとやるのは、僕にとっても良い訓練になりますからね。
ただ、少し手加減して貰わないと恥を掻くことになるかも知れませんね。
確か、珍しい打撃系の武器を使っていましたね」
「うむ、ディータはハンマーを武器にしている。
剣と違った動きは、なかなか捉えるのは難しいと思うぞ。
ディータの実力は、この私が保証する物だ!」
よろしいと頷いたシエルは、「ニンフ」と自分の電子妖精を呼び出した。
「ディータの、ザフィをこちらに運んでくれ。
それから、ウーノにすぐにこちらに来るようにと伝えろ」
「畏まりました」
素直に命令に従ったニンフは、次にシンジの方へと割り込みを掛けてきた。明らかに機嫌が悪そうな目つきをしたニンフは、「シエル様が嫌いなんですか?」とやさぐれてくれた。
「もう、シエル様はすっかりその気になっているんですよ。
ただ、最後の意地でシンジ様から誘って欲しいと思っているのに……
今すぐシエル様の耳元で、「お前を抱きたい」って囁いてあげてくださいよぉ。
そうしたら、じゅんじゅん濡れまくってメロメロになってしまいますよ」
エステルみたい事を言うなと思いながら、シンジはニンフを無視することにした。誰のお陰か分からないが、目の前で騒ぎ立てられても気にならないようになっていたのだ。
そしてシエル達に一礼したシンジは、熱心に話し合うフェリスとチフユのところに行った。二人の話に割り込んだシンジは、先に進めておくようにとフェリスに指示を出した。
「ディータさんの指導をシエル様に頼まれたんだ。
それが終わってから合流するから、フェリスがチフユさんを指導してやってくれないか?」
「昨日の続きをすればいいのだな。
ところで、チフユの設定はレベル3のままで良いのか?
見たところ、レベル4にしても問題がないと思うんだが。
それに、レベル4にした方が、色々と教えることがあってやりやすいのだ」
レベルを上げるというフェリスの上申に、シンジはすぐさま「良いよ」と許可を与えた。フェリスがやる気になっているし、それにレベル4なら大したことは起きないと踏んでいたのである。ただレベル4を許可したなら、やっておかなければいけないことが一つ残っていた。
「それからチフユさん、レベル4になると専用機を持つ事ができるからね。
宿題になっていた機体の色は決めてあるかな?」
「それでしたら、エメラルドグリーンが良いのですが。
その、私の生まれた地方は翡翠が有名だったと言う事ですから」
「エメラルドグリーンだね。
ラピス、希望の色をマシロに伝えてくれないかな?」
シンジの指示に、「りょーかい」とラピスラズリは敬礼した。そして少し前屈みになって、「ニンフがやさぐれています」と報告してきた。その時右手の人差し指を立てたのは、いったい何を参考にしているのだろう。
「だから、それは僕の責任じゃないだろう?」
「まっ、私にも関係ないから良いですけどね。
一応まじめに仕事はしているようで、そろそろザフィが運ばれてきますよ」
「そりゃあ、僕に言っていることがばれたら、シエル様に初期化されちゃうよ」
厳格なシエルなのだから、シンジの言っていることは冗談で済まされることではなかった。それに気付いたニンフは、すかさず割り込みを掛けてシンジの前で両手を合わせた。
「ごめんなさい、シエル様にちくるのはやめてください!」
「別に、事を荒立てるつもりはないから良いけどね」
ニンフを軽くあしらったシンジは、「任せた」と言ってフェリス達のところを離れた。とてもあっさりとした対応なのだが、それこそ信頼の証とフェリスは信じて疑っていなかった。
そしてチフユをフェリスに任せたシンジは、緊張するディータに向かって歩き出した。ディータのデータは、ラピスラズリが提供してくれた。戦闘スタイルに合わせた指導を行うにはどうしたらいいのか、その方法をいくつかシミュレーションした。速さを求めるのか力強さを求めるのか、どちらが適しているのかをデータから考えたのである。
続く