機動兵器のある風景
Scene -34







 ドアを開いたところで、シンジはラピスラズリの言葉をしっかりと理解することができた。普段のチフユは、長い黒髪をストレートにおろしていた。その髪型自体は変わっていないはずなのだが、なぜかあちこちに飛び跳ねが見られるのだ。つまりヘアケア関係の小道具を使うことができなかったと言う事だろう。そうなると疑問は、どうやって髪を乾かしたのかと言う事だった。
 だが髪型以上に、制服の着方が問題だった。正面から制服姿のチフユを見ると、どうしても下半身に目が行ってしまうのだ。

「あ、あの、できれば見ないで欲しいのですが」

 スカートの裾を延ばして下着を隠そうとしているのだが、いくら伸ばしても圧倒的に長さが足りなかった。そのお陰で、これ以上ないほどはっきり下着が見えていたのだ。上着の着こなしもおかしいのだが、下に比べれば可愛いとしか言いようがない。色気の無いのを着ているなと言うのが、開帳された物への感想だった。

「み、みなさん、このような恥ずかしい格好をされているのですか?」

 どう頑張っても、恥ずかしい状態から抜け出せなかった。シンジの格好を見る限りは普通なのだから、何処かおかしいのかとも疑問に思ったチフユだった。そしてシンジは、なるほどねと感心しながら、一番大きな勘違いを指摘することにした。

「あ〜、いやっ、普通はその下にズボンを穿いているんだ。
 スカートに見えるそれは、あくまで飾りにしか過ぎないんだよ。
 それに、上の着方もかなりおかしいとしか言いようが無いね」

 狙っているのかと言いたくなるほど、上着にしても着崩れしすぎているのだ。お陰で隙間から素肌が見えるので、下と合わせて目線の難しい格好だった。一応確認したのだが、あまりにも不思議な状態のため、色気よりもおかしさが先に立ってしまった。

「とにかく、一度部屋に戻ってヘアスタイルからやり直すことにしようか」
「で、ですが、その、使い方がよく分からなくて……」

 その中で苦労した結果が、今シンジの目の前にあったのだ。それを認めたシンジは、今回は自分が手伝うとチフユに告げた。今のまま部屋に戻しても、結果は変わらないと判断したのである。

「たぶん、僕が手伝った方がマシになると思うからね」
「で、では、よろしくお願いします」

 顔を真っ赤にしてもじもじとする仕草は、結構シンジのツボを突いていたりしたのだ。しかも下着は丸見えだし、そのほかの部分にしても、色々と危なく見える。その上スタイルが良かったりするから、結構危ないかなとシンジも自覚をしていた。それもあって、早速シンジは難しい公式を唱えることにした。さもないと、本当に押し倒しかねない危険を感じていたのだ。

 それから奮闘すること30分、シンジはチフユを連れてエステルの面前にいた。その時のシンジは、いつものラウンズの制服だし、チフユは緑と赤を基調にしたブレイブスの制服を着用していた。まだ多少おかしなところはあるが、気にしさえしなければ普通の着こなしとなっていた。一応シンジの努力が報われたことになるのだろう。もっともチフユのおかしさは、エステルの前ではかすんでしまっていたのだが。
 一方エステルは、羽根飾りの付いたカクテルドレスを身に纏っていた。サファイアブルーのドレスは、似合っているという意味なら似合っているのだろうが、どうしてそんな格好をとシンジは突っ込みたくなっていた。こちらは着こなしではなく、格好その物が疑問の固まりだったのだ。

「エステル様、霜月チフユを連れてまいりました」

 それでも、ここでおかしな言い合いをしてはいけない。突っ込みを我慢したシンジは、エステルにチフユを紹介することにした。そこでシンジに促されたチフユは、しっかりと緊張してエステルの前に進み出た。

「し、霜月チフユです。
 こ、このたびは、配下に加えていただきありがとうございます。
 この身を捧げて精進するつもりですので、以後よろしくお願い致します」

 ぎこちなく頭を下げたチフユに、エステルは普段から想像が付かないほど横柄な対応をした。かなりの上から目線で、しかも蔑んだような視線を向けてくれたのだ。

「お前が、シンジの言っていたテラのパイロットですね。
 せっかく拾ってあげたのですから、命を賭けて私に仕えなさい!」
「は、はいっ!」

 チフユにすれば、アースガルズというのは地球の征服者である。そしてヴァルキュリアは、そのアースガルズの重鎮という意識を持っていた。だから横柄なエステルの言い方も、別に不思議だとは少しも思っていなかった。それもあって緊張に体を固くして、エステルへの服従を口にしたのだ。
 だがシンジにしてみれば、何をやっているのだと言いたかった。初めは見逃すつもりでいたのだが、間違った理解をチフユに与えてしまうことになる。さすがに度が過ぎていると、口を挟むことにした。

「エステル様、何を似合わないことをしているんですか?」
「黙りなさいシンジ、私に意見するなど身の程を知りなさい!」

 よほど乗っているのか、そのままの勢いでエステルはシンジを叱責した。だが、その程度で引き下がるような関係では無い。そうですかと頷いたシンジは、エステルにとって一番痛いところを突くことにした。

「では身の程を知って、次の戦いまで自室で謹慎することにします。
 ラピスに空間封鎖を命じますから、私の部屋にはエステル様でも入れなくなりますからね。
 そう言えば、ヴェルデ様からは移籍しないかと誘われていましたね」

 良いんですよねと迫られたエステルは、「それはちょっと」と腰砕けになってしまった。そして唇をとがらせ、一所懸命奇行への言い訳を始めてくれた。

「でもですよ、初めは威厳を示しておいた方が良いのかなって。
 ほら、チフユさんだってその方がしっくりと来ると思ったんだけど。
 一応ほら、アースガルズって征服者じゃ有りませんか」
「だから、そんなど派手な格好をしているんですか……はぁっ。
 似合っていないとは言いませんけど、僕は普段の格好の方が好きですよ」

 大きくため息を吐いたシンジは、ちゃんとエステルが喜ぶ言葉を口にした。一応似合っているし、普段の方が好きだと言われたエステルは、にぱっとその顔に笑みを浮かべた。

「そうですかっ!
 じゃあ、今すぐ着替えてきますねっ!!」

 そう言って立ち上がったエステルを、そのままで良いですとすぐさまシンジは引き留めた。簡単な挨拶程度で、そこまで時間を掛ける必要は無かったのだ。しかもエステルの場合、簡単な着替えでも長くなるのは経験済みだった。

「これからは、さほど時間が掛かることじゃありませんから。
 そのままの格好で通してくれませんか?」
「だったら、お食事会の時に着替えることにしますね。
 ところでシンジは、今晩は何が食べたい?
 えっと、私って言うのは最後に決まっているからそれ以外の話ね」

 翻訳を掛けているため、エステルの言葉は全てチフユのところに届いていた。そのお陰というか、チフユは目を丸くして驚くことになった。急に砕けた話し方もそうなのだが、言っていることに理解が追いついてくれなかった。よりにもよって「私を食べて」などと言うのは、12人の女神に相応しい言葉ではない。言っては悪いが、何処かのバカップルの片割れに見えてしまうのだ。かなり緊張していたチフユは、突きつけられた現実を受け入れられないでいた。
 だがシンジにしてみれば、これこそ普段のエステルなのである。だから少しも疑問に感じることなく、必要なことをそのまま口にした。

「レストランでしたら、僕が予約を入れますよ。
 霜月さんに街の雰囲気に慣れて貰うため、カジュアルなお店を考えています。
 安全の方は、僕以外の3人が強いから大丈夫でしょう」
「相手がブレイブスじゃなければ、シンジだって十分強いんじゃないの?」

 条件を付けたところを見ると、シンジの実力に対してエステルも疑問を持っていると言うことになる。それを理解したチフユは、どう言うことなのだと驚きを持ってシンジの顔を見た。それに気付いたエステルは、先ほどまでとがらりと変わった砕けた態度で、「とっても弱いのよ」と嬉しそうに説明してくれた。

「チフユさん、機動兵器に乗っていないシンジはとても弱いのよ。
 セシリアさんが言うには、間違いなくあなたの方が強いそうよ。
 ただ、機動兵器に乗ったシンジは、ラウンズでもトップクラスの実力があるの。
 その落差が激しいから、皆さんに不思議だなって言われ続けているのよ」
「碇様は、生身だと弱いと言う事ですか……」

 目を丸くしたチフユに向かって、その通りとエステルは胸を張って「並以下です」と言い切ってくれた。

「エステル様、そこは誇らしげに言うところじゃありませんよ」
「良いじゃありませんか、それがシンジの個性なんですから。
 やっぱり、完璧超人というのはシンジのキャラクターだとは思えませんから」

 アンバランスさが良いと笑うエステルに、チフユは再びアースガルズへの疑問を感じてしまった。アースガルズというのは、長きに渡って使徒との戦いを繰り広げてきた存在である。そしてその最前線に居るのが、ラウンズとヴァルキュリアだと聞かされていた。その二人の会話にしては、やけに緊張感が欠落してくれている。並以下を否定しないラウンズもそうだが、それを嬉しそうに話すヴァルキュリアをどう考えたらいいのだろう。それで良いのかと、下っ端の身ながら心配になってしまったほどだ。
 ただその会話にしたところで、二人にしてみれば別段不思議なことではないようだ。特に文句も言わず、シンジは先に進むことをエステルに促した。

「その話は置いておくとして、霜月チフユの認証をお願いします」
「そうでしたね。
 ではチフユさん、あなたを配下のブレイブスとすることにします。
 レベル1から始めますけど、頑張ってレベルを上げてくださいね」
「は、はいっ、それは頑張って……」

 最初とは全く違う言い方に面食らいながら、それでもチフユは頑張ることは宣言した。それを受けたエステルは、「これで認証を終わります」と二人に告げた。こんなにあっさりとしていて良いのか、特区での認証を思い浮かべたチフユは、自分の居る場所への疑問を感じてしまった。

「登録はラッピーが済ませたから、今日からチフユさんは私の配下と言う事になります。
 生活に必要な物とかは、ユーピテルの端末から手配すれば揃いますからね。
 お金のことは心配しなくても良いんですけど、レベルの低いうちは周りの目を気にしてくださいね。
 制服の着用義務は厳しくありませんから、周りを見て適宜判断するようにしてください」
「そんなに緩くて良いのですか?」
「ここは、規則で縛ることはしないからね。
 その分、自覚が求められることになるんだよ。
 適性がないと判断したら、別の道に進むことになるんだ」

 チフユに解説したシンジは、しばらく特別扱いをすることをエステルに告げた。

「習慣、言語という問題もありますが、少し試してみたいことがあるんです。
 チフユさんにはその実験材料になって貰おうと考えています」
「でも、ほどほどにしておかないと、フェリスが焼き餅を焼きますからね」

 別に特別扱いを誤解したわけではなく、エステルとしては必要な人間関係と言うことでシンジに注意をした。そしてそれを受け取る方も、何が言いたいのかは十分に理解していた。

「そのあたりは、十分気をつけますよ。
 あと、彼女の訓練にあたってメイハに手伝って貰います。
 特に明日はメイハに任せて休暇を……フェリスのご機嫌取りをすることにします」

 楽しむと言いかけたところで、シンジは慌ててその言葉を飲み込んだ。ただいくら取り繕っても、エステルの前には通用しないようだった。「隠しても駄目ですよ」と人差し指を立てたエステルは、「今度デートをしてくれたら許します」と言ってくれた。

「観光をかねて、テラに行くのもいいかもしれませんね」
「ドーレドーレ様が、許してくれると思っているんですか……」

 はあっとため息を吐いたシンジは、ひとまずエステルの元を離れることにした。これからお食事会をするにしても、少しでも早く配下達に引き合わせておいた方が好ましいだろう。特にメイハとフェリスの二人とは、色々と打合せをしておく必要があったのだ。



 その夜のお食事会では、なぜかフェリスがとても上機嫌だった。普通なら翌日のデートが理由と考えるところだが、今回に限って機嫌が良い理由は別のところにあった。
 気取らないお店と言う事で、シンジは少ししゃれた洋食風のお店を予約した。お店選択のポイントは、多少騒いでも迷惑にならない個室があると言う事だった。そこに普段着で集まったところで、フェリスはチフユに向かって「気に入った」と宣言したのである。ちなみにチフユを除く全員が電子妖精持ちと言う事で、会話に不自由することはなかった。

 テーブルを囲んだところで、フェリスは最初にチフユのことを褒めたのである。実力を見るためと手合わせしたところ、意外な実力があるのを見せられたのだ。

「使い慣れない剣で、あそこまで私に食い下がれるのは大した物だ。
 シンジ様、是非ともチフユに専用の剣をあつらえてやって欲しい。
 それから、チフユの鍛錬は私に任せてくれないだろうか。
 そうすれば、わざわざシエル様のところに出向かなくても、私は今以上に強くなることができる」

 フェリスがあまりにも目を輝かせて主張するのもそうだし、チフユのトレーニングという意味でも都合が良いとシンジは考えた。従って自分の都合だけを考えたら、駄目と言う理由はないと思っていた。ただ気になったのは、シエルからフェリスという餌を取り上げることになる事だった。今度会ったとき、どれだけニンフに文句を言われることか。それをシンジは考えたのだった。
 もっとも気になったと言ってもその程度で、無視してしまえば終わる話だと考えていた。そもそも自分のところの問題は、自分自身で解決して欲しい。責任をドーレドーレに放り投げることにしたシンジは、フェリスの申し出を許可することにした。ただ本人の確認は必要と、「どうかな?」とチフユに話を振った。

「フェリス様はとてもお強いと聞いているので、私としては願ってもないことなのですが……」
「なにか、問題でも?」

 言葉を濁したチフユに、シンジは事情を尋ねた。

「フェリス様の立場を考えると、私のような者の相手をしていて良いのかと思ったのです」
「それは違うぞ、チフユの相手をするのは、私自身のためでもあるのだからな。
 お前の剣の使い方は、私たちとは違った考え方をしている。
 しかもなかなか強いのだから、私の鍛錬にはもってこいと考えたのだ。
 シンジ様、何処か私の考え方は違っているところがあるのか?」
「別に、フェリスの立場なら当然主張して良いことだと思うよ。
 チフユさんも、あまり気にする必要は無いってところかな?
 フェリスと互角に遣り合ったお陰で、みんなのチフユさんを見る目が変わったからね。
 どちらかと言えば、みんなに同情される立場になるんじゃないのかな?」

 同情の下りは理解できなかったが、気にする必要は無いとお墨付きを貰ったことになる。それに喜んだチフユは、よろしくお願いしますとフェリスに頭を下げた。シンジ以外の上位者に目をかけられるのは、これから頑張って行く上で大きな一歩となる。周りに溶け込めないために苦労したセルン時代を考えると、出だしは上々というところだろう。
 とりあえずチフユは、フェリスのお眼鏡に適ったことになる。だからシンジは、もう一人の補佐、メイハに評価を求めることにした。

「メイハの目から見て、彼女の実力はどう見える?」
「生身でしたら、シンジ様では歯が立たないでしょうね。
 ただ機動兵器に乗せた時、どの程度実力を発揮できるかは別だと思っています。
 レベル3で足踏みをしたと言う事は、何か理由があるのではと思います。
 その理由が大したことでなければ、私たちは得難い戦力を得たことになるでしょう」
「そのあたりの理由については、テラ行きでだいたい理由が掴めたと思っているよ。
 うまくすれば、みんなの実力を向上させる足がかりにもなると思う」

 シンジの言葉に、それは良いとメイハは喜んだ。フェリスの実力が強化され、体勢が盤石なものとなれば、自分も引退することができるのだ。シンジの言葉は、その道筋が付いたと言う意味だと捉えたのである。
 そして同時に、シンジがかなり手を掛けるということも理解した。その意味では、今日の顔合わせが必要だという理由も理解できた。生身で高い実力を示せたことで、特別扱いに正当性を与えることに繋がってくる。そんなブレイブス達の考えを、シンジが利用したのだとメイハは理解した。

 メイハの評価を貰ったシンジは、懸案となる明日の行動予定を尋ねることにした。重要な用事で一日がつぶれるため、信頼できる相手にチフユを任せる必要があった。

「ところで、明日一日メイハに任せても良いかな?」
「言葉の問題を考えると、私が対応する以外になさそうですね。
 女性特有の事情を考えると、さすがにシンジ様にそこまでさせるわけには行きませんね」
「理解して貰えて嬉しいよ。
 さすがに、女性の身の回りの物を揃えるのは分からないし、それに恥ずかしい」

 恥ずかしいと言う意味に、そうでしょうねとメイハはシンジの立場に理解を示した。それにシンジに世話をさせると、色々なところが煩くなるのが想像できるのだ。その沈静化のためにも、自分が面倒を見た方が良いに違いなかった。

「彼女に対する風当たりを弱くするためには、シンジ様があまり面倒を見ない方が良いと思います。
 皆と一緒にやれるようになるまで、私が面倒を見ることに致しましょう」
「そのあたりは任せるよ」

 風当たりの理由に心当たりがあるため、シンジは素直にメイハの言う事を聞くことにした。シンジのことを忘れれば、明確な目的を持ってテラから連れてくるのは初めての試みと言う事になる。それを成功させるためには、色々と配慮の必要があると言うことだ。そしてシンジ自身、それが必要な立場にあるのを承知していた。
 一通り話がまとまったところで、「ところで」とエステルが割り込んできた。そしてこの場において、とても微妙な質問をチフユに投げかけた。また、それができるのがエステルと言う事になる。

「ねえ、チフユさんはどうしてシンジを部屋に連れ込もうと考えたの?
 ここにいる全員が知っていることだから、今更隠し立てをしても無駄よ」
「エステル様、それはあまり触れない方が……」

 シンジとしても、あまり触れて欲しいことでは無かった。それもあって、すぐに口を挟んだのだが、「構いません」とチフユは事情を説明することにした。ただシンジが抵抗しそうだったので、エステルはメイハとフェリスの二人に黙らせるようにと目で命じた。

「本当なら、特区に所属するパイロットとして訓練にでていなくてはいけなかったんです。
 でも、ある事情でやけを起こして、その日は訓練をサボってしまったんです。
 そこで偶然シンジ様に声を掛けられて、ナンパされてしまったと言う事です」
「ナンパというのはどう言うことを言っているのですか?」
「主に男性側からですが、下心をもって女性に声を掛けることを指しています。
 下心の中身は、ほぼ間違いなく性交渉を行うことだと思います」

 ふんふんと目を輝かせたエステルは、それからとチフユに先を促した。ちなみにその時シンジは、邪魔をしないようにとメイハとフェリスの二人がかりで黙らされていた。具体的に言うなら、後ろからフェリスに羽交い締めされ、口のあたりをメイハがしっかりと押さえていた。

「まあナンパというのは、私の勝手な思い込みだったと思います。
 ただ一緒に観光をしていて、肩の凝らない人だなぁって思ったんです。
 その包んでくれる優しさとでも言うのでしょうか。
 この人だったら良いかなと思ったので、私を買って欲しいとお願いをしました。
 ええとこの場合の買うというのは、女性の貞操をお金で売ると言う事を指しています」
「気に入った人とする場合、そうやってお金のやりとりをするのが普通のことなんですか!」

 驚いたエステルに向かって、普通ではないとすぐにチフユは否定した。

「ただ、その方が理由として分かりやすいというところがあります。
 それに、その時の私がお金に困っていたのも確かですから。
 だから気に入った人に抱いて貰って、お金も貰えるのなら良いのかなと。
 その日に会ったばかりで、好きになったとか言うのも恥ずかしかったですし。
 今になって振り返ってみると、ずいぶんとやけを起こしていたのだと分かります」
「そうですね、もしもお金を払ってするのなら……
 ここでは、シンジがお金を貰う立場になるでしょうね。
 いいですかチフユさん、あなたがシンジにして貰おうとしたことは、
 こちらでは順番待ちになるようなことなんですよ。
 それは、裏を返せばそれだけ男性のラウンズが貴重という意味にもなっているんです」
「男性のラウンズが少ないとは聞いていましたが……」

 大変なことをお願いしたと考えたチフユは、そこで一つ引っかかりを覚えた。自分をスカウトするにあたり、シンジはずいぶんと弟のことに拘っていたことを思い出した。

「まさか、碇さんはその意味で弟を連れてこいと?」
「連れてきたからと言って、シンジと同じ立場になれるとは限りませんけどね。
 男性のブレイブスは他にもいるんですが、なかなかカヴァリエーレまで上がってこないんです。
 だから弟さんのことにしても、将来の可能性としてはあるとしか言えないと思います。
 それを聞いてチフユさん、弟さんを連れてくるのはイヤだと思うようになりましたか?」
「そのあたりは、全く実感がわかないというのが正直なところです……」

 想像する相手が、まだ10歳の子供なのだ。その弟が、大勢の女性との関係を期待されると言われて、ぴんと来る方がおかしいと言えるだろう。その答えに頷いたエステルは、シンジもそうでしたからとバラした。

「特にヴェルデ様が顕著なんですけど、結構色目を使われていたんですよ。
 でもシンジは、全くそう言う事に鈍感で理解できていませんでしたからね。
 テラで経験してくるまで、本当に周りをやきもきさせていたんですよ」
「テラでって、セシリアとのことですか?」

 そのあたりのことは、特区でも評判になったことだった。ただそれが単なる噂なのかは、チフユの立場では知り得ないことだったのだ。

「セシリアさんとの関係で、何かが吹っ切れたのでしょうね。
 後はメイハに子供を授けて引退させてあげれば、第一段階は終了と言うことになりますね。
 ところでメイハ、フェリス、何かシンジの顔色が悪くなっている気がするのですけど?」

 言われてシンジの顔を見ると、確かに顔色が青くなっているように見えた。二人がかりで口と鼻を押さえられている事情から考えると、結構まずいことになっているのかも知れない。

「特にフェリス、ここで倒れられると明日の話が無くなってしまいますよ」

 エステルの指摘に、メイハとフェリスは慌ててシンジを解放した。その途端シンジが崩れ落ちたのだから、エステルの言う通り大変なことになっているようだ。それに慌てたフェリスは、ぐったりとしたシンジの襟を掴んで激しく前後に揺さぶった。

「し、シンジ様、しっかりしてくれ! き、気を確かにしてくれ!」

 よほど焦っていたのか、フェリスはかなり乱暴に揺さぶっていた。そのせいなのだろうか、シンジの頭は激しく前後に揺れていた。それを見たチフユは、別の意味で危ないとフェリスの乱暴を制止することにした。

「そんなことをしたら、本当に病院送りになってしまいます」

 実のところ、多少手遅れのきらいはあった。それでもフェリスを落ち着かせたチフユは、シンジの後ろに回って気付けの活を入れた。これでだめなら、本当に病院に担ぎ込まなければならなかった。
 手当が早かったおかげか、さもなければシンジがタフだったのか、一度の活入れでシンジが復活してきた。こめかみのあたりを押さえたシンジは、「父さん、母さんがおいでおいでをしていた」などと危ないことを口走っていた。ちなみにその二人は、公式には行方不明と言うことになっていた。涅槃から手招きしたところを見ると、すでに鬼籍に入っていると言うことになるのだろう。

「これでフェリスも、チフユさんに借りが出来たことになるわね」
「う、うむ、感謝をするぞ。
 わ、私に出来ることなら、遠慮無く言ってくれ」

 まだ動揺が残っているのか、フェリスの言葉は多少大げさになっていた。そんなフェリスに向かって、当たり前のことをしただけですとチフユは答えた。

「それに碇様は、私の保護者になっていただいています。
 弟の生活費も面倒を見ていただいていますから、勝手に死なれては困ります」
「そこは、女として困るというのが最初じゃありませんか?」

 違うでしょと笑うエステルに、チフユは顔を赤くして否定をした。

「そ、その、確かにお金で買われたことは確かですが……
 でも、碇様は私に何もしていませんから」
「あら、キスぐらいはされたと聞いていますけど?」

 可愛いんですねと笑われ、チフユの顔は更に赤くなっていた。その様子に微笑んだエステルは、これでお開きにしますとお食事会の終了を宣言した。

「それからフェリス、あなたには宿舎を出て私の屋敷に入ることを命じます。
 シンジを補佐すると言う立場を弁え、精一杯私に使えてくださいね」
「エステル様のお屋敷にですかっ!」

 驚くフェリスに、当然の待遇ですとエステルは答えた。

「あなたも、レベル10になったのだからおかしなことではありませんよ。
 すでに部屋は用意させてありますから、今晩から入っても大丈夫ですよ。
 これがレベル10に達したフェリスへの、私からのご褒美ですがどうですか?」

 ヴァルキュリアの館に住むことは、ブレイブスとして名誉なことに違いなかった。しかも同じ屋根の下にシンジがいるとなれば、フェリスにとってこれ以上の褒美はないと言えただろう。

「命をかけて、エステル様にお仕えいたします」

 フェリスにしては珍しく、エステルに向かって本気で感謝をしていた。シンジが来るまでサボり魔だったことを考えると、とても信じられない変化だった。

「これから全員で私の屋敷に戻るのですが、チフユさん、アースガルズに来てみてどうですか?
 こちらに来たことに後悔を感じていますか?」
「私がお会いした人たちは、まだとても少ないと思っています。
 そして私が目にしたアースガルズは、とても限定された範囲だと思っています。
 正直言って、将来どうなるのかまだ私には分かりません。
 ただ今の気持ちは、決断をして良かったと思っています。
 主に仕えるという気持ちは、まだよく分かっていませんが……
 それでも、私はエステル様をお守りしたいと思っています」
「その為には、十分な実力を付ける必要がありますね。
 シンジ、私はチフユさんに期待をしてもよろしいですか?」

 にっこりと微笑んだエステルに、「さあ」とシンジは少し意地の悪い答えを返した。その空気を読まない、と言うか空気をぶちこわしたシンジに、エステルは頬を膨らませて文句を言った。

「せっかく私が、ヴァルキュリアらしいことを言ったんですよ。
 どうしてシンジは、せっかくの空気を壊す真似をするんですか、ぷんぷん!」
「あまりにもらしくないことをされたので、ちょっと現実を見失っていただけですよ。
 チフユさんについては、そうですね、どれだけ僕のことを信用してくれるかという所ですか」
「それは、シンジが信用にたる行動をとるのかにも依るんじゃありませんか?
 あまり意地悪なことを言っていると、信用して貰うことも出来ませんよ。
 ねえチフユさん、シンジはあなたに色々と隠し事をしてたんですよね。
 しかも勇気を出して家まで連れ込んだのに、何もしないで帰ってしまったんでしょ。
 それって、女としてのチフユさんを侮辱したことになりませんか?」

 酷いですよねと煽るエステルに、チフユは少し考えてから「今では感謝している」と答えた。

「確かに、目が覚めたときにはどうしようもない自己嫌悪に陥りました。
 ただ、その後特区を首になったのは、自業自得だと思っています。
 ですが碇様は、そんな私に新しい道を示してくださいました。
 そのおかげで、私は今、ここにこうして居ることが出来ます。
 私は、この私自身の名誉をかけて、全身で碇様を信じて付いていきたいと思います」
「あーっと、僕の言った信用してと言うのは微妙に意味が違うんだけどねぇ」

 そこまで言われると、シンジも恥ずかしくなってしまった。それでも悪い気はしないと、まあいいかと細かなことに拘らないことにした。

「明後日からになるけど、チフユさんには機動兵器に乗ることの意味を徹底的に叩き込む。
 それを理解できるようになれば、元々実力があるから上達は早いと思っているよ」
「シンジ様の指導は、少し特殊だからな。
 だから、どうしてもその意味を疑ってしまうのだ。
 それもあって、シンジ様はどれだけ信用できるのかと仰有ってくれたのだ。
 この私も、レーヴァンティン(大)の間合いを伸ばせて、初めてその意味を理解することが出来た」

 嬉しそうに話しに入ったフェリスは、信用とはそう言うことだとチフユに告げた。

「出来る出来ないではなく、自分にはこんなことができるはずだと考える必要がある。
 その思いが強ければ強いほど、愛機は私の思いに答えてくれるのだ……
 ところでエステル様、チフユには専用機を与えるのですか?」
「まだレベル1の駆け出しですからね。
 そうですね、レベル4を超えたときに考える事にしましょうか。
 一応希望は聞いておきますけど、機体の色は何色が良いですか?」
「機体の色と言われても……シンジ様とフェリス様、メイハ様の機体は何色なのでしょうか?」

 参考にと色を聞いたチフユに、シンジが代表して愛機の色を答えた。

「僕のが金色、フェリスがすみれ色、メイハが朱色をしているよ」
「でしたら、それを参考に考えさせていただいて良いでしょうか?」
「でしたら急いでくださいね。
 もともとチフユさんはレベル3だと聞いていますからね。
 シンジの指導を受ければ、レベル4なんてあっという間になってしまいますよ」
「私は、駆け足でお前が追いかけてくることを希望して居るぞ」
「私は、早く楽にして貰いたいってところかしら?
 できれば、半年以内にレベル7を超えて貰いたいんだけど」

 そうすれば、少しフライング気味だが引退することができる。引退時期を先延ばしにされたメイハにとって、結構切実な問題を口にしたのだった。半年以内にレベル7を超える適性があれば、生身の実力と合わせてレベル10突破も夢ではなくなる。だとしたら、フェリスと合わせて盤石の体制を取ることができるというものだ。
 4人の希望を聞いたチフユは、嬉しくて嬉しくて涙が出そうになっていた。鼻を啜って涙をこらえたチフユは、一つだけ訂正しますとエステルに言った。

「先ほどアースガルズに来て良かったのかと聞かれたのですが、
 その答えを少しだけ訂正させていただきたいと思います。
 もしも神という物があるのなら、私はこの出会いに感謝したいと思います。
 まさか、こんなにも暖かく迎えていただけるとは思ってもいませんでした。
 ですから、今なら「良かった」とはっきり言う事ができます!」
「私は、ブレイブスの人数も少ない末席の弱小ヴァルキュリアですからね。
 アットホームなところぐらいしか、他に取り柄がないんですよ」

 それは胸を張って言う事なのだろうか。エステルの態度に疑問を感じはしたが、それでもチフユは巡り合わせに感謝せずには居られなかった。やけを起こしてサボったことは、間違いなく責められることには違いない。だがその行動が、こうして最善とも言える結果になろうとしているのだ。
 ただエステルも理解していないことだが、すでにその立場は弱小とは言えない物になっていた。確かにブレイブスの数自体は少ないのだが、実力という意味では一目を置かれる存在になっていたのだ。祭りのやり直しで示したシンジの実力もそうだが、ここに来てフェリスが一皮むけたことも大きな意味を持っていた。上位二人の実力は、すでにドーレドーレを凌ぐものを持っていたのだった。ただ、それを周りに示すのは、次の戦いまで待つ必要があっただけのことだった。







続く

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