機動兵器のある風景
Scene -29
自分にしようとしている事を考えると、特区のトップを信用することは出来ない。そして彼らを欺くためには、絶対に不審に思われる行動をしてはいけない。チフユの件が片付いてから、セシリアは強くシンジに主張した。そこに自分の願望を織り交ぜたセシリアは、周りから当たり前と見られている行為を要求したのである。
すでに時計は午前3時を回っていたこともあり、「いいのかなぁ」と言うのがシンジの正直な気持ちだった。ただシンジが気にしたのは、寝不足になるセシリアの事情である。何日も寝かせて貰えなかったことを考えれば、たかが1日などシンジにとっては問題でも何でも無いと思っていたのだ。だがシンジの懸念に対して、むしろ好都合だとセシリアは答えた。
「久しぶりにお逢いしたため、私が激しく求めたと言うのが一番分かりやすいのかと思いますわ。
後は、シンジ様にこらえ性がないと思わせておくのも良いかと思います。
そのためにお願いしたいのは、このあたりにキスマークを付けていただきたいと言う事です。
着替えの時にばれますから、碇様の行動をカムフラージュするには丁度よろしいかと思います」
そうやって、首元を開いたセシリアに、シンジは少しどきっとしていたりした。そして同時に、結構怖いんだなとセシリアのことを見直していた。何しろ、自分の所属する組織のトップを騙そうというのだ。余計なことをさせないためには、何も変わったことがないと思わせるのが重要だというのである。
怖いと思いはしたが、断る理由はないと思っていた。そもそも一緒のベッドに寝るのに、手を出さないという考えはシンジになかったのだ。そのあたりこらえ性がないのは、若いと言う事で目をつぶるところなのだろう。だからシンジは、誘われるままおいしくセシリアをいただいたのだった。
そしてその翌日、セシリアは着替えをしながらわざとらしくあくびをした。誰かの関心を引き、小さな騒ぎを引き起こす。そうすれば、別に申告した内容を裏付けることになる。そして期待したとおり、横で着替えをしていたジュリア・ノーマンが、さっそく撒かれた餌に食いついてくれた。
「セッシー、やっぱり久しぶりだと燃え上がるのかしら?
ねえ、寝かせてもらえなかったの、それとも寝かさなかったの?」
「いやですわジュリア、昨夜は晩餐会からの帰りが遅くなりましたのよ」
ほほほと口元を押さえて笑ったセシリアは、さりげなく首筋のキスマークが見えるように背中を向けた。計算通りなら、ジュリアが小さな痣を見つけてくれるはずだった。
「だったらセッシー、この首筋の痣はなんなのよ。
まさかダニに噛まれたなんて言わないわよね?」
「そのまさかですわ、そのせいでなかなか寝付けませんでしたわ」
早速食いついてくれたのだから、後は自動的に話は広がるだろう。ここから先は、不自然にならないよう振る舞う必要がある。
「でもさあ、そのダニって黒い頭をした大きな奴なんでしょう!」
そしてジュリアの声を聞きつけて、何人かの女子が集まってきた。そして口々に、「エッチィなぁ」とセシリアを追求した。
「そんなにダニが居たんなら、他にも噛まれているんじゃないの!」
「じゃあ、剥いて捜してみればいいじゃない。
きっとセッシーも痒いと思うから、軟膏でも塗ってあげましょう」
「別に、痒いところはございませんわ!」
やめてと叫んでみても、勢いの付いた女子達は止まらなかった。悲鳴と共に身ぐるみを剥がれたセシリアは、全身の痣の数を丁寧に数えられた。
「痣の場所を見ると、そのダニって相当スケベだよね」
「そうそう、ずいぶんと際どいところばかりに付いているわねぇ」
「どうして、二の腕とかふくらはぎに噛まれたところはないのかしら?」
「やっぱり、セシリアはエロイなぁ」
「シクシク、どうしてこんな目に遭わないといけませんの!」
そうやって泣き真似をしたセシリアは、心の中で予定通りだと仲間達の反応を笑っていた。こうして噂で広がる方が、直接の報告より信憑性が高くなる。特区上層部の目くらましをするには、これぐらいのことが必要だろうと思っていたのだ。
「でもさセッシー、可愛がって貰って良かったじゃない。
だって連れてきた……ええっとフェリスって人だったっけ?
ちょっときつめだけど、もの凄い美人でしょう?」
「サポートに女性を連れてきたからと言って、そう言う関係だとは限らないと思いますわ。
そもそもラウンズは、12人中9人が女性だと聞いていますのよ。
アースガルズ全体で、パイロットの女性比率が高くなっているそうですわ」
「やっぱり、可愛がって貰ったことは否定しないんだぁ」
あっと口を押さえたセシリアに、全員が「エロイなぁ」と声を揃えた。
「でもさ、セッシーがうちのエースなんだからね。
いざというときつわりで乗れませんじゃ格好が付かないわよ」
「だから、ちゃんと薬を飲んでいますわよ!」
その薬が胡散臭いのは、セシリアも十分承知していた。ただそれは、あくまでセシリアが知っていることで、女子達は薬を飲んでいることに食いついた。
「やっぱり、薬が必要なことをしているんじゃない!」
「もう口ばっかりだったセッシーは居ないのね」
「そうよクラリス、異国の地がセシリアを開放的な女性に変えたのよ!
運命の出会いが、セシリアに大人の階段を上らせたの」
「ヴァネッサ、私たちは何時までも清い体でいましょうね」
「それって、少しって言うか、相当イヤかも……」
「レグルス様もお出でになれば良かったのにね」
「でも、カヲル様もかなり素敵だと思うわよ」
予定通りの騒ぎをよそに、セシリアは一人抜けだすことに成功した。うまく燃料を投下したことに満足したセシリアは、次の用意のためパイロットスーツに着替えることにした。その他大勢のパイロットとは違い、自分にはアスカとの対戦が用意されているのだ。カムフラージュばかりにかまけているわけにはいかなかったのだ。
盗聴盗撮は、ばれたときには決定的な関係悪化の理由となる。いくら安全を理由にしても、相手がそこまで聞き分けが良いとは思えなかった。しかも相手には、電子妖精などと言う訳の分からない能力がある。それを考えると、ホテルでの監視は間接的な方法をとらざるを得なかった。
そのせいで得られる情報は限られる中、ライツィンガーは、初日の監察報告を受け取っていた。
「該当フロアには、誰も近づいた形跡はありません。
セシリア本人への聴取によると、晩餐後は部屋に戻り、一歩も外に出ていないと言うことです。
経口避妊薬服用の上、性交渉を行ったと申告もあがっています。
またパイロット達の証言でも、性交渉の痕跡が認められると言う事でした」
「やはり、見た目通りの子供と言う事か?」
ヤコブセンの報告に、ライツィンガーはフンと小さく鼻息を吐きだした。正体不明のアースガルズという存在に対して、碇シンジは唯一の足がかりとなる存在だった。だが、その期待とは裏腹に、保有している知識がかなり限定され、しかも使徒迎撃に限られていたのだ。特区の目的を考えれば、使徒を効果的に迎撃できるのは有りがたい。だが正体不明のアースガルズを暴くには、政治体制を含め深く入り込む必要があったのだ。
だが肝心の碇シンジは、あまりにも子供で未熟だと知れてしまった。そうなると、アースガルズへの足がかりとして、利用できるのか不安になってしまうのだ。
「パイロットは、使徒と戦うことだけを考えていればいい。
どうやら、その説明はかなり信憑性が高いかと思われますな。
ですから、あのように未熟な子供でも、パイロットして高く評価されているのでしょう」
「そうなると、我々が接触すべきは、エステルというヴァルキュリアと言う事になるのだが……」
「やはり、ヴァルキュリアに対するガードは堅いのかと」
ううむと唸ったライツィンガーは、面白くないと小さく吐き出した。それに反応したヤコブセンも、確かにと小さく頷いた。
「このままですと、パイロットを指導して終わりと言う事になってしまいますな。
むしろ、マシロ・フーカ言いましたか、そちらの方が成果が大きくなりそうです。
ミユと言う通訳を連れていましたが、どうもあれは人間ではないという調査結果が出ています」
「人間ではない?」
どう言うことだと、すぐさまライツィンガーはその意味を尋ねた。技術者と言う事で挨拶したとき、確かにミユと言う少女が通訳に立っていた。だがどこをどう見ても、10代の少女としか思えなかったのだ。それが人間ではないと言われても、すぐに理解できるものではなかったのである。握手をしたときの感触も残っているが、マシロとの区別は全く付かなかったのだ。
「ええ、危険物の持ち込みに関してチェックをしていたのですが。
見事にミユと言う少女……今となって少女と言っていいのか分かりませんが。
そのチェックに引っかかってくれました。
そこで説明を求めたところ、体内にいくつもの武器を内蔵していると言う説明がありました。
さすがに撤去は求められませんでしたが、一部の確認をさせて貰っています」
「つまり、サイボーグだとでも言うことか?」
「いえ、アンドロイドというのが正しい解釈かと」
それが正しければ、無から全く人と区別の付かない存在を作る技術があると言う事になる。その事実に驚愕したライツィンガーは、ヤコブセンの言う成果の意味を理解した。特区の目的、すなわち使徒撃退という意味ならば、ラウンズとその補佐の来訪は大きな意味を持っている。だがアースガルズから技術を吸い上げるという意味なら、マシロという技術者は非常に重要な意味を持つ事になる。しかも有り難いことに、マシロは単独行動を取ってくれてていた。
「どこまで探れる?」
「非常に微妙な問題を含んでいるのは確かです。
アースガルズの機嫌を損ねるのは、我々にとって命取りになりかねません。
それもあって、迂闊に手を出すわけにはいかないと言う事情があります。
ラウンズの実力が噂通りなら、下手をすると使徒以上の相手を敵に回すことになるでしょう。
それではさすがにリスクが大きすぎるので、他の手が使えないか検討させています」
「使えそうな手があるのか?」
マシロ本人に直接手を下すのは、リスクが大きすぎて出来ないだろう。そうなると、本当に取り得る手段が限られてしまうのだ。しかも通訳として着いているアンドロイドが、武器を満載してくれている。それが正しければ、ボディガードの役目も果たしているのだろう。
有効な手段を思いつかないライツィンガーは、直ちにヤコブセンの意見を求めた。
「これと言って、即効性のある方法は見つかっていませんが……
人間関係を観察したところ、碇シンジが使えるのではないかとの可能性に至りました。
ラウンズと配下と言うより、より個人的な関係が強いとの観察結果が出ています。
マシロ自身精神的に幼いところがあるため、関心を引くため過ぎた行動をとる可能性があります」
「まさに、種馬というところか」
ふんと口元を歪めたライツィンガーは、利用の仕方を考えるように指示を出した。日本にばれないように、少しでも多くの技術をマシロから引き出す。それがセルン、強いては自分の価値を高めることに繋がると考えていた。友好的に振る舞うことだけが、人類の利益となるわけではないと考えていたのである。
模範試合の順番は、アスカとセシリアの強い主張により、二人の対戦が最初に行われることになった。シンジとフェリスの後だと、間違いなく見劣りするし、やる気が失せるとまで言ってくれた。
緋色の機体に乗り込んだアスカは、濃い水色をした機体に乗るセシリアに声を掛けた。ただ通話は記録されるため、話の中身は十分に気を遣ったものになっていた。
「私は構わないんだけど、午後からの方が良かったんじゃないの?
あんた、しっかり寝不足なんでしょう?」
「あら、その事情はアスカさんも同じではありませんの?」
「残念ながら、私たちは最近淡泊になってきたのよ。
もう、この年にして倦怠期に入ってしまったのかしら?」
「アスカさんだったら、しっかりと濃いと思っていましたのに」
ほほほと口元を隠したセシリアは、「お手柔らかに」と言って武器を捨てて身構えた。もともとスピードには自信があったが、重いブラッドクロスを持つとそれも半減してしまう。格上のアスカ相手に、スピードが落ちるのは致命的だと分析した結果だった。
一方のアスカは、いつもの通り素手での格闘を選択した。特に手慣れた武器がないのも理由の一つだが、レグルスを見て拳だけでも十分戦えると考えたからだった。
「では、碇様に恥ずかしくない戦いをお見せしましょう!」
「捻ってあげるから、遠慮無く掛かっていらっしゃい!」
右手で来いと、アスカはセシリアに向かって手招きをした。そしてそれを合図にするように、濃い水色をしたウンディーネは、アクセルを使って緋色をした紅蓮との間合いを一息に詰めた。そして懐に潜り込み、先制の一撃を紅蓮の胴に叩き込もうとした。
だがこのあたりの動きは、アスカも予想した物だった。軽く右手でガードをすると、空いた左手でウンディーネの頭部へフックの要領で殴りつけた。だがその攻撃は、軽くスウェーをしてセシリアは回避した。
アスカの反撃を避けたセシリアは、横に回り込もうと再びアクセルを使った。そして側面から、回し蹴りの要領で顔面めがけて蹴りを放った。
その蹴りをスウェーバックで避けたアスカは、がら空きになった足を軽く右足で刈った。これでバランスが崩れると踏んだのだが、意外にもがっしりとした感触で受け止められてしまった。それに驚いていたら、空振りしたはずの足が、上から頭をめがけて降ってきた。
「日本にいた頃より、強くなっていない?」
後ろに飛び下がったアスカに、逃してなるものかとセシリアはアクセルでラッシュを掛けた。
「常に、イメージトレーニングを欠かしていませんもの。
アスカさんの戦い方は、それはもう、イヤになるほど分析をさせていただきましたわ。
手加減したままでは、アスカさんでも私に勝つことは出来ませんわよ!」
「せっかく本拠地に帰ってきたのに、瞬殺したら可哀相と思ったのよ!
後は、他のパイロット達に手本を示さないといけないからね!」
軽口を交わしながら、二人はアクセルを駆使して間合いを取り合った。お互いの設定は、セシリアに合わせてレベル5にしてあった。それを考えると、いくらアスカでも瞬殺は言いすぎという所だろう。
「せっかく碇様が見ているのですから、良いところお見せしたらどうですか?」
「だってぇ、後からセシリアを虐めたって文句を言われたくないもの」
「そのときは、二人きりなったときに慰めていただきますわ!」
付いては離れ、離れては付き。二人はもてる能力を生かして、格闘戦を繰り広げた。そこには、テラでもここまで出来るようになったと、シンジに見せる目的があった。
「ところでセシリア、あんたはこれが限界?」
「正直言って、これ以上はまだ無理という所はありますわ」
適当にやり合ったところで、アスカはセシリアに余裕を聞いた。いくら手本を見せると言っても、あまり続けるとマンネリになってしまう。これ以上の出し物がなければ、そろそろ切り上げた方が良いと考えたのだ。
アスカがまだ本気を出していないのは、セシリアも十分理解していた。日本で見せられたアスカの力は、もっと早く、もっと力強かったのだ。これが自分の限界とは思っていないが、まだまだ力が及んでいないのは分かっていたことだった。
「じゃあ、これからレベル6に上がるのがどういうことか見せてあげるわ」
「早く着いてこいと言うことですわね」
小さく「行くわよ」とアスカが言った瞬間、緋色をした紅蓮の姿がぼやけて消えた。そして気がついたときには、背後に回られ羽交い締めにされてしまった。それをふりほどこうと力を入れたとき、逆にそれを利用して投げ飛ばされた。しかも背中から叩き付けられたと思ったら、上から紅蓮に押さえつけられてしまった。
「ごめんね、シンジ以外が押し倒しちゃって」
「今のは、アクセルなのですよね?
アクセルに、もう一段アクセルを重ねられたのですか?」
どうすればいいのかは分かっていても、それができると言うのが驚きだった。しかもアスカは、まっすぐ動くのではなく、小さく弧を描いてセシリアの後ろに回り込んでくれたのだ。よく目が着いていった物だと、アスカの力を評価したのだった。
「とりあえず、あたしの勝ちで良いかしら?」
「そうですわね、今回は私の負けと言うことにしておきますわ。
その代わり、次にあったときは逆に押し倒して差し上げますわ!」
それは楽しみと笑ったアスカは、セシリアの上からどいて手を差し出した。
「さて、あたし達の戦いは参考になったかしら?」
「私たちにも、ここまではできると言う事を示せたと思いますわ」
手を引かれて立ち上がったセシリアは、自分の通信機で戦いが終わったことを報告した。
「碇様、是非ともお手本を見せていただけますか?」
「講評が先の方が良かったかと思ったんだけどね」
続けて見せて欲しいという依頼に、シンジはフェリスに向かって「行こうか」と声を掛けた。そしてどこまでやって良いのか、ラピスラズリに訓練場の強度を尋ねた。
「シンジ様がフォトン・トーピドを外したりしなければ、レベル10でも使用可能です」
「つまり、ほぼ全力を出しても大丈夫と言うことかな?」
「フェリス様はレベル9ですから、そのレベルなら大丈夫ではないでしょうか」
ラピスラズリの保証に、分かったとシンジは小さく頷いた。そしてフェリスに向かって、「全力で来て良いよ」と能力の解放を許可した。
「レーヴァンティン(大)を使っても良いからね」
「承知しました。
是非とも、私がどこまで出来るようになったのかをお確かめください」
真剣な顔で頷いたフェリスは、リュートに乗り込むためラピスラズリを呼び出したのだ。
「今から僕たちは、フェリスのレベルに合わせてレベル9で戦います。
このレベルになると、使徒に対してでも一対一なら絶対に負けません。
ただとても早いですから、目をこらして戦いを見てくださいね」
見学者達に期待するように告げたシンジは、自分もラピスラズリを呼び出し、愛機となったギムレーに乗り込むことにした。
前回の手合わせは、あくまでギムレーの調整のためだった。だからフェリスへの指導を目的とせず、機体の調整に専念していた。その後入院したこともあり、フェリスへの指導が疎かになっていたと言う事情があった。だからシンジは、せっかくの機会だと考え、模範試合と同時にフェリスへの指導を考える事にした。
「シンジ様、設定はどうされますか?」
「そうだね、特殊能力が使える設定が良いかな?」
シエルとの訓練を続けたお陰で、今までの設定でも特殊能力は使えるようになっていた。フェリスとの手合わせに、シンジは出し惜しみをしない設定を選択した。
その設定を選択したシンジに、「承知しました」とラピスラズリは従った。これでレグルスを圧倒した機動力と、シエルも舌を巻く特殊能力を具備した戦士が登場することになる。レベルは9に押さえられても、フェリスごときで太刀打ちできる相手ではありえなかった。
「フェリス、模範試合ではあるけど、これは指導も兼ねているからね。
僕が適性を認めれば、途中からレベルを10にあげることも考えているよ」
「ならば、私の持っている全てをお見せします」
普段になく真剣な顔をしたフェリスに、始めようとシンジは声を掛けた。それを合図にしたフェリスは、先制攻撃とばかりにレーヴァンティン(大)を振りかぶって飛び上がった。
その上からの先制攻撃に、「遅い」と言ってシンジは軽く身を躱した。そして横薙ぎにしてきた二の太刀を、刃の部分を掴んで受け止めた。
「上からの攻撃は有効だけど、重力で落下をするのでは意味が無いんだ。
飛び上がるのと逆の要領で、下に向かって飛ぶつもりで加速しないと駄目だ!
さもなければ、フィールドで足場を作って、それを足がかりに反転する工夫が要る」
剣を放したシンジは、フェリスに向かってやり直しを命じた。
「下に向かって飛ぶの……か」
そう言われても、なかなか感覚的に理解できるものではない。フェリスが難しい顔をしたので、シンジが手本を見せることにした。ただの棒を呼び出したシンジは、フェリスがしたように棒を振りかぶって飛び上がった。
そこまでの動きは、フェリスが行ったのと同じだった。だがそこからの動きに、フェリスは目を剥いて驚くことになった。下に向かって飛ぶとのたとえ通り、落ちてくるのとは別次元の速度でギムレーが迫ってきたのだ。慌ててレーヴァンティン(大)で棒を受け止めたのだが、その反動で両足が地面に少しめり込んでいた。しかもどう言う訳か、棒の重さに押しつぶされそうになってしまった。
「これが、下向きに飛ぶと言う事だよ。
空を飛ぶときの感覚で、下向きの力を発生させれば良いんだ」
「よくは分かりませんが、下に飛ぶということを意識してみます」
フェリスの答えに、シンジは下向きの力をキャンセルしリュートを束縛から解放した。そこで間合いを取ったフェリスは、再び剣を振り上げ飛び上がった。そしてシンジに言われた通り、下に飛ぶつもりで落下の加速を行った。十分とは言えないが、目に見えて飛びかかる速度は向上した。
「まだ遅いけど、その調子でやってくれればいい!」
二の太刀、三の太刀を躱しながら、シンジはフェリスへの指導を続けた。その時シンジがイメージとして持ったのは、特訓してくれたシエルの動きだった。フェリスが生身で互角なのはイヤと言うほど分かっているので、ここで差があるとすれば機動兵器の使い方と言う事になる。
その観点で見ると、フェリスの動きはまだまだ緩慢だった。レベルを9と言う条件を考慮しても、まだ遅いとシンジは思っていた。
「フェリス、もっと早く動く自分をイメージするんだ!」
「そんなことを言われても……」
格闘戦なら、絶対の自信を持っていたフェリスだった。だが攻撃のことごとくを躱されてしまうと、その自信も揺らぐというものだ。しかも今度の戦いは、前と違って特殊能力を使われていない。そうなると、どうしても疑問が先行してしまう。それにイメージしろと言われても、感覚が付いてきてくれなかった。
「フェリス、君はもっと早く動けるんだよ!
僕のことを信用して、もっと自分を解き放つんだ!」
残像が残るほどの速度で動いてみせたシンジは、レベル9でもここまでできるのだと叱咤した。そしてフェリスの力があれば、更なる高見に登ることができると励ました。
「私は、もっとできる……もっと早く動けるんだ!」
シンジに立ち向かいながら、フェリスは自分のイメージと対峙していた。今までは動きと一致していたイメージを、更に一段上のものに引き上げる。それがどう言うことなのか、自分なりの方法で挑戦を続けた。そしてシンジに言われるとおり、それを何度も繰り返したのだった。
シンジとフェリスの戦いは、アスカとセシリアの戦いとは全く別次元のものだった。目を凝らして見ろとは言われたが、その程度で両者の動きを追いかけることなどできなかった。それはアスカも例外ではなく、途中から追いかけるのを放棄してしまったほどだ。
「レグルス様が、目を慣らすことだって言ったでしょう?
これを見せられたら、その意味がもの凄く分かるわね」
場所が場所だけに、アスカは自分の感想を英語で口にした。そしてそれに従ったカヲルも、同感だと英語で答えた。
「しかも信じられないのは、あんなに早くても碇様はまだ不満を持っていると言うことだよ。
レベル制限を外したら、いったいどう言うことになるんだろうね」
次元が二つ三つ違うと言うのが、シンジに指導を受けているフェリスに対する感想だった。そのフェリスをして動きが遅いのだから、本気のラウンズの凄さが計り知れるというものだった。そしてこの動きを見せられるだけで、使徒に対して単独で勝利できるというのも頷けるものだった。これだけ早ければ、鈍重な使徒では機動兵器を捉えることはできないだろう。
「ですが、この戦いは、お手本としては高度すぎませんか?」
「訓練次第で……と言うか、私たちでもここまで行ける可能性があると示す意味はあるんじゃないの。
フェリスって娘は別でも、シンジ……碇様は、私と一緒にパイロットをしていたぐらいだから」
機動兵器の扱いについては、アースガルズ特有のものではない。それを示すだけでも意味があると、アスカは主張したのである。
それは理解できる説明には違いないが、だからと言って納得できるかは別だとセシリアは思っていた。それに少し凄いぐらいならば、努力すれば届くと思うこともできるだろう。だが、ここまで凄すぎると、全く別の世界に見えてしまうのだ。途中の過程が無いだけに、その思いは余計に強くなってしまう。今のままだと、ただ単に凄いで終わってしまうのだ。
「とは言ってみたけど、だめだわ、全く目が付いていかない……」
「アスカさんでそうなら、誰も目が付いていくとは思えませんわ。
そうなると、これ以上見せていただいても意味があるとは思えませんね」
遠くで見ているから、まだそれぞれの機体を視認することはできる。だが拡大映像では、すでに表示の限界を超えていた。画面全体が残像だらけになって、まともに機動兵器の姿を確認することができなかった。その状態を考えると、セシリアの言う通り模範という状況を超えていることになるのだろう。
「じゃあセシリア、あんたあれを止められる?」
「お願いすることはできるのではありませんか?
と申しますか、これ以上は私たちにとって時間の無駄にしか思えませんわ。
フェリス様の指導なら、アースガルズに戻ってしていただきたいですわ!」
セシリアの主張は、もっともなことだとアスカも認めた。そもそもシンジがテラに来たのは、自分達パイロットを指導するためのはずなのだ。ならば指導に役立たないことを、延々と続けて良いはずがない。それぐらいの道理は通じるはずだ、セシリアはシンジの常識を主張したのだった。
「でもさ、祭りだっけ?
その映像を貰っても役に立たないのが分かったわね」
「これ以上のものを見せられても、参考になどできるはずがありませんわね」
自分達の身の程を知ったセシリアは、無駄を承知で試合の中止をお願いした。その裏には、振り回されているフェリスはまだしも、シンジならば通信を聞く余裕があるだろうと期待したのである。
シンジ達が戻ってきたのは、セシリアがお願いをしてから30分経ってからのことだった。セシリアの言葉は直接聞こえなかったが、ラピスラズリが仲介に入ってくれたおかげである。
ミーティングルームに戻ってきたとき、シンジは明らかに申し訳なさそうな顔をしていた。だがもう一人フェリスは、はっきりと不満を顔に出していた。フェリスにしてみれば、どうして二人の時間を邪魔してくれたのだという所か。得る物の多い指導だと言うこともあり、フェリス自身戦いに熱中していたのである。
頭を掻き掻き前に立ったシンジは、最初に謝罪の言葉から入っていった。
「すみません、ちょっと指導に熱くなってしまいました。
ええっと、最初に言ったようにとても早かったと思いますが……見えましたか?」
シンジの問いかけに、私がと言ってセシリアが手を挙げた。このあたりの対応は、特区セルンのトップという立場と、一番気安く話ができるという二つの立場を理由になっていた。
「はっきり申し上げますと、全く見えませんでしたわ」
セシリアの答えに、やっぱりとシンジは肩を落とした。
「まあ、レベルが上がるとここまでできるという実例を見せたと言う事で……
まあ、そう言う事で気を取り直して講評をすることにします。
まずセシリアさんとアスカさんの戦いですが、レベル5としてアースガルズと同水準にあると思います。
特にアスカさんの場合は、十分レベル6の認定水準に達していると思いますよ。
前回指導してからの時間を考えると、驚異的な伸びと言うことが出来ますね。
そこで、今後の育成方針を少し変更させていただきました。
習うより慣れろと言う諺が日本にありますが、逆に体を動かす前に一度座学をして貰います。
色々と誤解があると思いますので、まず最初に正しい知識を得て貰うことを目的とします。
その上で体を動かした方が、より上達に役立つと考えました」
良いですねと聞かれたので、代表してアスカが同意を示した。それを受けたシンジは、もう一つの方針を打ち出した。
「最初は全体のかさ上げを考えましたが、少し考え方を変えさせて貰います。
トップのレベルが確認できましたので、まずそれを引き上げることを目的としたいと思います。
一つの目標として、アスカさんをレベル7に、セシリアさんをレベル6にしたいと思います。
そのための指導を、残った期間で集中的に行いたいと思います。
二人のレベルが上がれば、指導方法を含めて特区内に展開できるでしょう。
フェリスに相手をして貰いながら、僕が遠隔で指導ポイントを伝えることにします」
シンジがそう言ったとき、セシリアはフェリスが自分の顔を見た気がした。しかもただ見ただけではなく、にやりと口元を歪めた気がしていたのだ。会ったときには感謝されたはずなのに、どうも敵視されているのではと思いたくなる表情だった。
だからと言って、シンジの決定に異を唱えることもできない。フェリスのことにしても、ただそう感じたと言うだけに過ぎなかったのだ。それもあって、何事もありませんようにとセシリアは己の無事を願ったのだった。
「それから、セルンで選抜していただいたパイロットへの対応ですが、
こちらは、渚さんにお願いしたいと思います。
渚さんには、指導方法についての経験を積んで貰いたいと思います。
ただそれだけでは不親切ですから、こちらも僕が遠隔で指導ポイントを伝えます。
座学と合わせて、機動兵器をどうしたらうまく扱うことができるのか、
それをこの機会に学び取って貰いたいと思います」
カヲルの認定レベルは、セシリアと同じレベル5にある。その意味では、指導という役割には十分な能力を持っていた。だが直接の指導がないことに、カヲルも含めて不満が顔に表れていた。
「碇様が、直接指導していただけるのではないでしょうか?」
だからと言って、直接文句も言いにくい。だから不満を込めて、カヲルは確認の形でシンジに質問をした。
「短い期間で、どうやるのが一番効率的かを考えた結果なんだ。
それに、テラに独り立ちをして貰うためには、一日も早くレベル7を誕生させる必要もあるんだよ。
やる気……と言うか、体が付いてこらえるのなら、夜に特別講習をしても良いんだけどね」
「もしも許されるのなら、特別講習をお願いしたいと思います」
カヲルの申し出に、シンジは分かりましたと頷いた。そしてセシリアに対して、夜の対応を含めてアレンジを指示した。
「渚さん、アスカさん、そしてセシリアさんの会食をアレンジしてくれないかな。
バランスを取るため、セルン側で人を追加して貰っても構わない」
「あまり人を増やさない方がよろしいのですね?
それから、フェリス様、マシロ様の分はどう致しましょうか?」
マシロはいざ知らず、フェリスを別行動させるのは問題が大きい。しかも拗ねられでもしたら、身の危険を感じることになってしまうだろう。
「じゃあ、フェリスとマシロも一緒に会食することにしよう。
その後、夜間施設を借りてカヲル君の指導をすることにするよ」
「その指導に、あたし達も加えてもらえないかしら?
活用できる時間は、少しでも無駄にしたくないのよ。
多少夜が遅くなっても、それ以上セシリアの邪魔をしたりしないから」
またからかうのかとアスカを見たセシリアは、小さくため息を吐いて「私はパイロットですのよ」と言い返した。
「一秒でも長く、一つでも多くのことを学びたいと言うのは、アスカさん達だけではありませんわ!」
だから自分も訓練して欲しい。パイロットとしての気持ちを出して、セシリアは強く主張したのだった。
続く